前回 ローゼンメイデンの話「316号室のめぐ」

1: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:00:34.80 ID:GsULn9tf0






『こんにちは。この間はごめんなさい。水銀燈から話は聞きました。

貴方が私を救いに来てくれたのだと、彼女は言っていました。

 他にも、色々あったのだと。だから、水銀燈は、手紙を書いてあげてと

私に助言をしてくれました。何かしら、私の知らない所で何があったのかしら。

隠し事は良くないわ。キチンとお姉さんに教えなさい。

 でも、疲れたのならしっかり休んでね。16歳の私でさえ、佐原さんたちと

話すのが嫌でしょうがなかったんですもの。

 貴方はまだ14歳ですものね。

いいのよ、ゆっくり休んで、水でも飲んだらいいわ。



 でも、一つだけお願いしちゃっていいかしら。

近いうち、またこの病院のこの部屋に来てほしいの。

貴方はまたしんどい思いをしてしまうかもしれない。



 でもね、今度は違うわ。

疲れたら、私のベッドに座っていいのよ。寝転がってもいい。

でもね、変な気起こしちゃダメよ。私の心臓は繊細なのよ。

ちゃんと優しく扱ってね。





4: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:02:02.99 ID:GsULn9tf0




 嘘よ。

 嘘ばっかりよこんなの。

 私にそんな器量、あるわけないじゃない。調子こいてたわ、

ごめんなさい。

 私は知っての通り、身体が弱くて、心も狭くて、ただの淋しがりよ。

だから本当は…寄り添ってほしい。私に。

 私は貴方と一緒にいたい。



 別に変な意味ではありません。

 ジュン君になら      れてもいいです、とか、そういう

変態チックな事を伝えたいのではありません。

 思春期の貴方には自制してもらって、私は好き勝手させてもらうわ。

じゃあね、また、ちゃんと来てね。

 

                    有栖川病院 316号室 柿崎めぐ  』







14: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:11:59.00 ID:GsULn9tf0




10日後。







 自室のベッドに座り、ジュンが手紙を読んでいる。

「何してるです?」

 パソコンを弄りながら翠星石が尋ねる。

「ん」

 ペラッと2枚目をめくるジュン。

「手紙」

「誰からです?」

「お前の知らない人」

 その言葉に頬を膨らませた翠星石は、椅子を降り、ベッドに

よじ登ってジュンから手紙を奪おうとする。

「おい、何すんだよ、見づらいだろ」

「いぃーから見せろです。翠星石も読みたいですぅ」

 ぐぎぎ、と紙を引っ張る。

「わかった、一緒に読もう、それでいいだろ」

 やれやれ、とジュンはため息をついた。





18: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:20:08.22 ID:GsULn9tf0
 

 あの時、喉を貫いた所で、雪華綺晶は消滅した。

そこから出てきたローザミスティカは、本来水銀燈の物に

なるはずであったが、水銀燈はそれを拒否した。



 理由は未だに分からない。あれほどアリスゲームにこだわっていた

水銀燈に、何が起きたというのだろうか。



 話の見えないジュンをしり目に、水銀燈は3つのローザミスティカを持って、

nのフィールドに向かい、金糸雀、真紅のそれぞれに、

ローザミスティカを戻してしまった。



 四肢をバラバラにされた真紅、喉に風穴が開いていた金糸雀が

それで目覚めるはずもなく、二人はジュンの部屋の鞄の中で眠っている。



 唯一ローザミスティカを奪われずに残っていた翠星石を、次に起こし、

その翠星石の力を借りて、マスターたちを起こしていった。



 ジュンはその時の事を思い出す。





24: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:33:34.28 ID:GsULn9tf0
「………ここは…?」

 めぐがうっすらを目を開ける。

「めぐ」

 水銀燈は上から覗き込み、不安そうな表情になる。

「……水銀燈?私…」

「喋らないで」

 顔が横を向き、ジュンと目が合った。

「あら……」

「め、めぐさん」

「私…ベッドに寝てたんじゃ……」

「え」

 半身を起こすめぐ。

「パパは?今日家に連れて帰ってくれるって言ってたのに」

 きょろきょろと見回す。

「……パ……」

 驚きが、徐々に諦めに変わっていく。

「そっか……」

 その沈んだ瞳を、ジュンは忘れられない。時おり見せた、

あの笑っていない眼差し。

「………」



『誰もいない、この世界に呼び戻すつもり?何のため?』



 フラッシュバックする、雪華綺晶の言葉。



26: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:38:56.37 ID:GsULn9tf0






 翌日。



 ジュンは病院の入り口に立っていた。

「………」

 だが、正直どの面下げて会いに行けばいいのか、分からない。

 ドクン、と、桑田由奈の顔が思い出される。

「う…」

 視界がぐらつく。



 違う、自分はめぐに会いに来たのだ。



 ぶんぶんと首を振り、そう言い聞かせて、ジュンは中に入っていった。





29: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:45:38.15 ID:GsULn9tf0


「あら」

 ちょうど病室の中には、看護士の佐原が食事を運んできていた。

「あ、いらっしゃいジュン君」

 ベッドの上から、めぐが手を振る。

「それじゃね、めぐちゃん」

 にこっと手を振り、佐原が廊下へ消える。



「水銀燈は?」

「ここよ」

 真下を指さす。

「へ?」

「出てらっしゃい、水銀燈」

 言葉の後、ずりずりと水銀燈が、ベッドの下から

這い出てきた。

「…どうして私がこんな事……」

 口を尖らせている水銀燈。めぐは気にせず煮つけを頬張っている。



「ふうーっ」

 食事を終え、めぐは食器を片づけに廊下に出ていく。



33: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:53:21.74 ID:GsULn9tf0


「…なあ」

 二人きりになった所で、ジュンが口を開く。

「…一つ訊きたかったんだけど、いいか?」

 壁際の水銀燈が、視線をジュンに向けてくる。

「ええ、どうぞ」

「どうして、真紅たちのローザミスティカを奪わなかったんだ?」

「………」

 水銀燈は少し、何か考えているように見えた。

「…どうした?」

「答えた方が、いいかしらぁ?」

「ああ、いや、何となく訊いてみたかっただけなんだ。答えたくないなら、

それでいいよ、僕は」

「………」

 ジュンは諦め、椅子に座り直す。

「私、気づいちゃったのよ」

 不意に水銀燈が口を開いた。

「え?」

 ガチャリ、とドアが開き、めぐが戻ってくる。

「ねぇねぇ、牛乳1パック余ってたから、もらって来ちゃった」

「えぇ?」

「ジュン君飲む?」

「いや、僕は」

「あらそう」



37: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:58:15.98 ID:GsULn9tf0




「じゃあ、水銀燈あげるわ。貴方いつもカリカリしてるから、こういう乳製品、

摂った方がいいんじゃないかしら」

「お黙りなさいめぐ。どの口がそんな事言ってるのかしら」

 ふん、と窓の方に目を向ける。

「あら、怖い」

「………」

 いつもこんなやり取りをしてるのだろうか。

「あ、ねえ、ジュン君、時間あるかしら?」

 布団を畳みながら、めぐが問いかけてくる。

「え、ん、んん」

「そう、じゃあ」

 ベッドから降りるめぐ。



「ちょっと、散歩しない?」







41: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:05:12.75 ID:GsULn9tf0


 中庭の蝉は、より一層うるさく鳴き続けている。

「凄い鳴き声だな」

「そうね」

 二人は並んで、並木道を歩き続ける。

「でもね、ジュン君」

「何?」

「蝉はね、成虫になって、一週間で死んじゃうじゃない?」

「…うん」

「だから、一生懸命鳴いているのよ、きっと」

 前を向くめぐ。正面、南からの日差しが、めぐの笑顔を、一層

引き立てている。

「僕はここにいる。私はここで、一生懸命に生きている」

「……」

 ジュンはめぐの横顔をじっと見つめる。

「私には、そう言っているように聞こえるわ」

「めぐ…さん…」

 立ち止まるめぐ。

「どうしたの」

「ふふ」

 めぐは微笑んだまま、すっと右手を差し出してきた。

「手、繋ぎましょうか」





51: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:15:00.33 ID:GsULn9tf0
「…………」

 二人の姿を、向かいから来る患者らしき人が、ちらちらと

見ながら通り過ぎていく。

「………」

 ジュンは些か恥ずかしい気分になる。

「ねえ、ジュン君」

「うん?」

「私はね、目覚めたあの時」

 少しうつむくめぐ。

「ああ、この世界に戻ってきてしまったんだ、って、

思ってしまったのよ」

「……」

 やはりあの時の表情は、そういう意味だったのだ、と確信するジュン。

「私は本当は、パパに甘えたかった。優しくしてもらいたかった」

「……」

「水銀燈がいて、貴方がいて」

「………」

「私はこんな病気を持っていなくて、いつまでも楽しく、幸せに過ごせる日々」

「めぐさん…」

「でもね、私最近思うのよ」

 胸を押さえるめぐ。

「皆、いつか終わりが来るから、一所懸命に生きるんだなぁって」

「……」

「死にたくなるほどのどん底があるから、人は幸せを幸せと捉える事が出来る」



59: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:25:35.04 ID:GsULn9tf0


「……」

 ジュンは少しうつむき加減になる。

「ジュン君、ちょっと休みましょう」

 はあ、はぁ、とめぐが息を荒げ、ベンチに座り込む。

「ふうーっ」

 天を仰ぎ、大きく息を吐く。

「うっ」

 途端、めぐは胸を押さえ、苦しそうな顔になる。

「え、ちょ、ちょっとめぐさん、大丈夫?しっかり!!」

「うう、うう」

「わ、ど、どうすれば」

「なーんちゃって」

 伸びをしながら、あははは、と笑うめぐ。

「な、か、からかわないでよ!」

「あはは、ごめんなさいね、面白かったから」

 楽しそうに笑うめぐ。





66: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:35:08.60 ID:GsULn9tf0
「……ねえ」

 呼吸を整え、めぐが口を開く。

「ん」

「ジュン君、私、幸せに見える?」

「えっ?」

 身を乗り出し、ジュンを上目遣いに見てくる。

「わ、わ」

 首筋にめぐの吐息がかかり、ジュンはぞくっと身体を震わせる。

「どう?」

「ど、どうって言っても…」

「私はね、幸せよ。貴方とこうして手を繋いでいられて」

 ぎゅっと手を握りしめる。



70: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:38:20.81 ID:GsULn9tf0
「ちょ、ちょっと、また引っ掛けようったって」

「あら、この目が嘘ついてるように見えるのかしら」

「……」

「よく見て」

 更に二人の顔が近付く。

「ちょ……」

「もっと」

 めぐの手が、ジュンの両肩に置かれる。

「う…」

「もっと……」

 フウ、フウ、という、息の音まで聞こえる距離。

「………」

 めぐが瞳を閉じる。

「………」

 

 ジュンの唇に、何かとても柔らかいものが触れた。

何か温かく、それでいて、ぬめっとした感触。んぷ、んぷ、と、

妙な音が何度も聞こえた。



81: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:45:34.84 ID:GsULn9tf0


「……………」

 昼が近付き、ジュンはぼーっと遠くを眺めていた。

自分の肩で、めぐが寝息を立てている。

 まるで小さな子どものように、めぐが呼吸をする度に、

彼女の柔らかさが伝わってくる。

「……………」

 頭の中は、真っ白なようでいて、何かふわふわとしたものが

花畑の中を舞っている。

 この感覚は何だろう、とか、ジュンはそういった疑問すら

浮かんでこなかった。



 ただ、そこから一歩も動く気は起きなかったし、きっと隣で

寝ているめぐも、同じ事を考えていただろう、と、ジュンは感じていた。





99: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:05:15.05 ID:GsULn9tf0




「真紅たちを?」

 椅子に座ったジュンが、驚いたように言う。

「ええ、そうよ」

 めぐがベッドの上から答える。

「大丈夫よ、貴方は私が壊した人形の魂を、自身の手で

呼び戻してみせたじゃないの。私知ってるのよ」

「あ……」

「ローザミスティカは金糸雀、真紅の中にある。それを貴方が直す」

「…僕に…」

「ジュン君、よく聞いて」

 顔を上げるジュン。

「私は真紅と話したわ。色んな事を」

「………」

「貴方にはあの子が必要なのよ。きっとこれから訪れる、

色んな局面で」

「……真紅」

「だから、直してあげて。あの子たちの魂も、きっとそれを望んでると思うから」

 ふふ、とめぐは笑う。



104: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:12:59.21 ID:GsULn9tf0
「……」

 ジュンは目を閉じる。

 自分がつらい時、倒れそうになった時。

いつも傍にいてくれた少女。胸の奥が苦しい時は、胸をさすってくれた。

布団にくるまっている自分を、部屋の外で、ずっと見守っていてくれた。



 ローゼンメイデンの第5ドール、真紅。



 そして今、彼女が迷子になっている。自分を守るために犠牲となって、

暗闇の世界を彷徨っている。



「ジュン」

 壁際、水銀燈が呟いた。

「迎えに行って、あげなさい」

 そう言って、少し笑った。

「…うん、分かったよ」

 ジュンはこくりと頷く。

「その代わり」

 めぐは言葉を続ける。





108: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:19:44.23 ID:GsULn9tf0


「あの子たちが直るまで、ここには来ないで、ジュン君」

「え?」

 ジュンは思わず声を上げる。

「……」

 水銀燈が、視線を伏せる。

「もう一度ここに来る時は、真紅を連れてきて欲しいの」

「そ、それはどうして」

 めぐは少し首をかしげ、諭すように呟く。

「あの子には、お礼を言わないといけないの。私は」

「お礼?」

「そう、こんなに幸せにしてくれた、お礼を」

「……」

「それに、貴方の扱い方も、勉強しておきたい」

「あっ……」

 扱い方。

「なぁに、勉強しちゃまずい事なのかしら。貴方の扱い方を分かっている人と、

全然分かってない人、どっちがいい?」

 意地悪っぽく笑うめぐ。

「えっ……あ」

 真っ赤になるジュン。





113: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:24:21.46 ID:GsULn9tf0


「決まりね」

 めぐは視線を少し下に向け、安心したように笑う。

「ね」

 手を組み、遊ばせながら呟くめぐ。

「直したら、真紅と一緒にここへ来て…」

 ジュンはその様子を見つめている。

「また、手を繋いで、お散歩しましょう」

 そう言って、右手を出す。

「約束」

「ああ、必ずまた来るよ」

 頷いたジュンはめぐの手を取り、力強く握手した。

「………」

 水銀燈はその様子を見ていたが、やがて窓の外に

視線を移す。

 窓の外は、蝉の鳴き声がいつまでも続いていた。











119: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:31:57.89 ID:GsULn9tf0








 それから4ヶ月が過ぎ、季節は肌寒い冬。



 ジュンはめぐに、手紙を書いていた。

「……ジュン」

 背後から、紅色の人形が声を掛ける。

「何をしているの?」

「ん、ああ」

 カリカリ、という音。

「めぐさんに、手紙を書いてるんだよ」

「手紙?」

「ああ、ちょっと病室で手紙を取れなくなったらしいんで、

住所は別なんだけど」

「へえ、そうなの」

「ねえ、しんくー、ヒナのクレヨンどこ行ったか知らない?」

 ドアの隙間から、雛苺が入ってきた。

「知らないに決まってるでしょ。雛苺、少しは片づけというものを

覚えなさい」

「う~、わかったの」

 ととと、と二階へと上がっていく。


124: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:39:41.08 ID:GsULn9tf0


 雪華綺晶が消滅した器を使い、ジュンは雛苺までを復元する事に成功した。

蒼星石は無理だったが、翠星石は、それについては納得してくれた。



 今日は、直ったという知らせ、そして、いつ遊びに行けばいいかを

書いている。

 これはめぐからのリクエストで、『直ったら手紙で連絡下さい』と言われて

いたためだ。





 そして投函してから一週間後。

 



129: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:46:01.96 ID:GsULn9tf0




 ジュンは有栖川大学病院の入り口にいた。

「う~、寒い」

 コンビニ帰りの道、そこにこの大学病院は位置している。



「あら」

 入口で、佐原と出くわした。

「こんにちは、桜田君」

「こんにちは」

 ジュンを見て、ふと首をかしげる佐原。

「桜田君、身長伸びたかしら」

「え?え…どうだったですかね…」

「ええ、まあよく分からないけど、何だかカッコよくなったわよ」

 ははは、と笑う二人。





136: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:57:52.95 ID:GsULn9tf0


「ところで、今日はどうしたの?」

「え」

 不思議そうに見つめてくる。

「あ、あの、柿崎めぐさんに会いに」

「…え?」

 突然佐原の表情が訝しげになる。

「最近会ってなかったから」

「……さく…最近?」

「ええ、ここ4ヶ月くらい」

「………桜田君」

「少し前から手紙も返ってこなかったんで、どうし」

「桜田君こっち来て」

 言葉を途中で遮り、中庭にジュンを引っ張っていく佐原。



「な…ど、どうしたんですか」

「あの子は2ヶ月前に亡くなったわ」





157: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:15:48.26 ID:GsULn9tf0


 ビュオオオオオ、と、木枯らしが吹き荒れる。



「…え?」

 ジュンは、一瞬目の前の女性の言葉が理解出来なかった。

「発作が、その少し前から悪化してて」

 何。何?

 何を言っている。

 この佐原という看護士は何を言っている。



 コンビニの袋が、どさりと地面に落ちた。



162: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:20:17.04 ID:GsULn9tf0


 ジュンはメモを持って走り続けていた。

「はっ、はっ」

 閑静な住宅街を突っ切り、小高い山の麓にある教会。

人が住んでいるような形跡はあるものの、庭は荒れ放題である。



「はっ、はっ」

 それはつまり、誰かが忍び込んで宿にしていても、おかしくない、という事だ。

 玄関口に、黒い羽根。

「水銀燈!!」

 ジュンはありったけの声で叫んだ。

「出て来い!!水銀燈!!」

 反応はない。

「水銀燈出て来い!!ふざけんなこの馬鹿野郎!!ふざけんな!!」

 ジュンは涙が溢れてくるのを感じた。

「何で教えてくんなかったんだ!!お前分かってたんだろ!!」

 物音ひとつしない。

「おい!!答えろよ!!答えろよこの!!」

 ガチャガチャと門を揺するジュン。



「ジュン」



 透き通った声が聞こえた。



166: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:26:10.57 ID:GsULn9tf0




 上空から、黒翼の天使が舞い降りてきた。



「――――水銀燈」

 涙と鼻水でくしゃくしゃになったジュンの顔を、悲しそうに見つめる

第1ドール。

「ジュン」

 何かを通り過ぎてしまったような、その死んだ眼に、ジュンは言葉をつぐんだ。

「………」

「……」

 しばらくの沈黙。





「―――良かったわ、今日会えて」

 破ったのは水銀燈だった。





172: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:35:12.32 ID:GsULn9tf0


「今日、渡しに行こうと思ってたの」

 そう言って、懐から封筒を取り出す。切手などは貼っていない。

「………」

「気づいてしまったのね」

「………」

「ごめんなさい…ずっと、黙っていて」

 その瞬間、水銀燈の胸倉をつかむ。

「きゃ…!」

「ふざけんな!!何がごめんなさいだよ。何が!!!」

 喉の奥から、何か熱いものがこみ上げてくる。

「何が……う……」

 水銀燈をつかんだ手を離し、ジュンはその場に崩れ落ちる。

「どうして、どうして……」

「ジュン…」

「何で、何で何で何だよおおおおおおおおあああぁぁぁぁっっっっ!!!!!」

 ジュンはその場に突っ伏し、嗚咽を漏らし始める。



「ジュン……」

 水銀燈は口元を押さえ、その場にへたり込んだ。

「ああ、ああ、ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、めぐ、めぐ」

 ぶるぶると震えながら、水銀燈は何度も鼻をすすった。





177: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:42:12.37 ID:GsULn9tf0


―――ごめんなさい





―――今の私には、こうして





―――貴方の胸元にいてあげる事しか出来ない





―――許して





―――どうか許して





180: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:45:29.59 ID:GsULn9tf0


―――あの頃から、めぐの息切れが早まったの





―――きっとあの子も、もう気づいていたと思うわ





―――敏感な子だもの





―――何でも分かってしまう





―――分かり過ぎるから





―――9月に入って、めぐは別れの手紙を書き始めた





―――集中治療室に運ばれる回数も増えた





―――胸を押さえる回数が増えて





―――まともに喋れなくなって





―――食事もまた食べなくなった



185: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:50:26.43 ID:GsULn9tf0


―――ベッドの衣ずれが、「痛い、痛い」って





―――何度も貴方に言おうと思ったわ





―――でも、めぐはその度に





―――言ったら舌噛んでここで今死ぬわよって





―――絶対それは許さないって





―――胸を押さえながら言うの





―――真紅たちが直ったっていう報告が来るまで





―――教えないでほしいと





―――報告が来たら、私の死を教えてほしい





―――あの子には、真紅が必要なのよ


191: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:55:25.13 ID:GsULn9tf0


―――私は死ぬ





―――でも、ジュン君は生きている





―――だったら、これから生き続ける人たちと





―――幸せになって欲しいから





―――その時に、手紙を渡してあげてほしい





―――もうすぐ書き終わるから





―――貴女はどこへでも飛んでいきなさい





―――貴女は生きている





―――野良猫になってしまっては駄目





―――キチンと幸せになりなさい


195: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:00:12.99 ID:GsULn9tf0


―――生きるっていうのは、つらいわよ





―――正直、5歳で死んでれば





―――つらい事の大半は、経験しなくて済んだのよ





―――首を吊ろうとしてみたり





―――親を騙して、睡眠薬を飲んでみたり





―――剃刀で手首を切ろうとしたり





―――でもね、よっぽど深く切らないと





―――死ぬような勢いで血は出ないの





―――睡眠薬も、ホントに大量に飲まないと駄目





―――首なんて、キチンと準備しないと苦しくて死ねない


196: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:02:56.80 ID:GsULn9tf0


―――そうしてね





―――人は、自分が死ねなかったと自覚した時





―――どうしようもない絶望を知る





―――でもね、生きてて、私は今良かったって思えるの









「それは、私たちに出会えたから」



 壁を背に座り込み、ジュンは泣きながら水銀燈を

撫でている。

「…そう、めぐは言っていた」

 水銀燈は何度もジュンの胸をさすりながら、すん、すん、と

鼻をすすっている。

「ねえ、ジュン」

 眼を閉じ、かすれた声で呟く水銀燈。


200: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:10:08.55 ID:GsULn9tf0




「私、別のどこかへ行こうと思うの」

 すん、と鼻を鳴らす。

「別のどこか……?」

「ええ……どこか遠く。どこか…とても遠い所に」

 ジュンはしばらく水銀燈を撫でていたが、

やがてその手を止め、身体を離す。





 水銀燈は塀の上に立ち、一度ジュンを振り返る。

「行くのか…?」

「ええ…また、縁があれば、どこかで会いましょう」

 水銀燈はごしごし、と鼻をこすり、ティッシュで拭く。

「………」

 震えながら、水銀燈は一度大きく深呼吸をし、

くしゃくしゃの顔に笑顔を作って見せる。





203: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:17:43.26 ID:GsULn9tf0


「さようなら、桜田ジュン。私はめぐを救えなかった。

自分の事しか考えていなかった。

蒼星石も、雪華綺晶も、私が壊したの。

全ては私のワガママから始まった。

めぐを巻き込まないなんて、都合のよい話はどこにもなかった。

私があの子と契約しなければ良かったのかもしれない。



貴方はそんな事ないって言うかもしれない。

でも、私の心の中を、後悔がいつも彷徨っている。



だから私は、この街から消える事にするわ。



でもね、これだけは間違えないで。

めぐは幸せそうに死んでいったわ。貴方にお礼を言っておいてと。



私が傍で泣き続けているのに、あの子はずうっと笑ってた。

そうして頭を撫でてくれた。

仲良くなってた看護士さんも誰も呼ばずに、そのまま…。





207: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:20:44.99 ID:GsULn9tf0


最後にね…めぐはこう言っていたわ。

『いつか、どこかで、また逢いましょう』



それじゃね、バイバイ」







 水銀燈は翼を広げて飛び上がり、そのまま冬の、

灰色の空へと消えていった。



 木枯らしが吹き抜ける中、舞い落ちる黒い羽根が、ジュンの

周りへと降り注いでいた。













212: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:29:32.53 ID:GsULn9tf0


 ベッドの上に、手紙が広げられていた。



 数枚の便せんに、びっしりと書かれた文字。

ところどころ、何か震えてペンが走ったような跡があったり、

くしゃくしゃになっている部分がある。

 けれど、文字は一文字一文字が、しっかり丁寧に、

書き綴られていた。











215: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:30:37.29 ID:GsULn9tf0




桜田ジュン君へ



 最初に言っておきます。この手紙が、私からの最後の言葉になります。

ごめんなさい、私はもう貴方とは会えません。

遠くへ行く事になりました。

あの316号室から、私は引っ越さないといけなくなりました。

本当は貴方にキチンと会って、謝るべきなのだと思っていましたが。



 心配しないで。私は貴方の気持ちを十分分かっているつもりよ。

最初の私は、貴方にどう映っていたのかしら。

今となっては、私には推測しか出来ません。

貴方のシャツの裾を引っ張って、脇腹をつねりながら

「ねえ、私ってどんな感じだった?」なんて尋ねる事はもう出来ない。

 でもあれから何度も来てくれた貴方の御蔭で、

私は幸せでした。きっと。





216: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:31:17.19 ID:GsULn9tf0


 あれから病院食もキチンと食べた。

ほうれん草のおひたしも、噛めば噛むほど味が滲み出てきて、

割と美味しかったわ。知ってる?

うちの病院食ってね、1Fの集中調理室で作ってて、盛り付けしてる時には

60度を超えてるの。熱すぎじゃない?正直。

でもね、それには理由があって、私たちの所に届く頃には、

食べやすい温度になっているんですって。ちょっと意外で、知らなかったわ。

本当は、私の知らない所で、皆が優しかった。



私、佐原さんに時計投げつけてケガさせちゃった事があるの。

でもね、佐原さん怒らなかった。あの人優しかったでしょ。仕事だからっていうのもあるのかもしれないけど、

多分そういう性格なんだろうなぁ、って、今になって思うの。

 私が水銀燈を追いだした時もそう。別に彼女は同情していたわけじゃない。

私に真正面から向き合っていただけ。

 私はそれに気付かなかった。有栖川大学病院の316号室で、じっと

一人でうずくまっていただけ。



 正直気づくのが遅すぎた気がしています。私の人生は、限られていた。

貴方たちよりもずっと。だったら、私を見守っている小さな世界だけにでも、

キチンと向き合うべきだった。

 けれど私は、後悔なんてしていない。





219: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:32:37.43 ID:GsULn9tf0


これは諦めじゃない。冒頭で書いたけど、あれはウソです。

私はこの手紙で終わりにするつもりなんてない。





 でも私はこれから、ずっと先まで話せなくなる

この身体はじき動かなくなって、冷たく腐ってゆく。そうなる前に

私は焼かれ、骨になって箱に入れられる。



 こうなる事はずうっと昔から分かっていた事。

でもね私は貴方に出会えて、前を向く事が出来た。

負け犬同士だったけど、私は少しでも、そこから

這い上がれたかしら。



 生きてる意味なんてないと思ってた。

水銀燈も真紅という人形も同じ。いずれ絶望して

滅んでしまうのなら、楽しむ必要なんてない。生きてる意味なんてない。



 違ったの。皆そう、生きてる意味なんて皆知らない。

必死になって自分が生きてる意味を探す。探しあてようとする。

そのために生きているんだって分かったわ。





221: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:33:27.94 ID:GsULn9tf0


 私は死ぬわけじゃない。先に向こうの世界に行くだけ。

しばらく会えなくなるだけ。またこの世界で貴方に会うために。

 追いかけてきちゃダメよ。 貴方はキチンとこの世界で、

幸せになって頂戴。

 学校に行けば女の子だっていっぱいいるし、

男の子の友達だってまた出来ると思うわ。



   10年も経てば貴方は仕事に就いて、結婚相手を探している頃かも

しれないわね。

いいのよそれで。幸せになる事を忘れないで。

そうしてこの別れが美しい思い出に変わる頃にでも、私はまたこの世界に戻ってくるわ。

今度出会えたらもっとお話ししましょう。その時傍に水銀燈がいてくれるか

分からないけれど。 





222: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:34:06.74 ID:GsULn9tf0


 今、私の横で、水銀燈が泣いています。バカみたいに

わんわん泣いているのよ。ホント、バッカみたい。

 ごめんね、ごめんなさいね、こんな事しか書けなくて。

もう何を書いていいか分からない。どうしていいか分からない。

でも、これだけは言える。ありがとう、桜田君。

またいつかめぐり会える時が来たなら…

私はまた、あの316号室で、待ってるから。



だから…… 身体には気をつけてね また逢いましょう この世界で



                          柿崎めぐ











【完】















引用元: ローゼンメイデンの話「316号室のめぐ」エピローグ