朋也「軽音部? うんたん?」その1
  

朋也「軽音部? うんたん?」その2

2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 21:59:34.26 ID:cUBlBpOS0
―――――――――――――――――――――

昨日同様、食べ終わると、練習に向かった。

春原「ふーい…なんか、やけに気合入ってるね、岡崎」

キョン「確かにな。昨日、いなくなって、戻ってきたあたりからずっとこの調子だもんな」

朋也「単に負けたくなくなっただけだよ」

春原「でもさ、二年から聞いたけど、秋山としっぽりしてたんだろ?」

春原「そん時なんかあったんじゃないの?」

朋也「なにもねぇよ」

春原「ふぅん…てっきり、平沢と二股かけてんじゃないかと思ったんだけどねぇ」

キョン「え? 岡崎って、平沢さんとそんな仲なのか?」

春原「まだそういうわけじゃないんだけどさ…」

春原「でも、両思い臭いんだよね、朝も一緒に登校して来てるみたいだし」

キョン「へぇ、あの岡崎がね…丸くなったもんだ」

朋也「キョン、こいつの言うことなんて、8割嘘だって知ってるだろ。話半分に聞いとけよ」

春原「でも、残り2割は事実だろ?」

引用元: 朋也「軽音部? うんたん?」2

 

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5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:02:31.14 ID:1qYNd8dxO
朋也「違う。現実逃避の妄想だ」

春原「それ、もう発言全てが妄言ですよねぇっ!」

キョン「ああ、そうだったな。危うくあっちの世界に連れてかれちまうとこだった」

春原「病人みたくいうなっ! こいつが平沢と登校して来てんのはマジだよっ」

朋也「あれ、また幻聴が聞える」

キョン「俺も、かすかに耳に残ってるわ、なんだろ」

春原「取り合ってももらえないんすかっ!?」

朋也「キョン、今、●●●って言ったか?」

キョン「まさか、そんなこと言うの、あいつくらいだろ、あの金髪の…」

キョン「誰だっけ?」

朋也「さぁ?」

春原「ほんと、おまえら最低のコンビっすねっ!」

春原「ちくしょう…これも、去年と変わんないのかよ」

キョン「ああ、悪かった、悪ノリしすぎたよ。つい、懐かしくなってな」

春原「つい、でやらないでほしんですけどねぇ…」

7: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:03:03.26 ID:cUBlBpOS0
そう、いつも春原をいじめた後は、こいつがこうしてアフターケアに入っていたのだ。
この感じも久しぶりだったが、すぐに調子が戻ってきた。

朋也「おい、明日は勝つぞ。わざわざ俺たち三人、雁首揃えてるんだからな」

キョン「ああ、そうだな」

春原「…ま、そうだね」

朋也「春原の幻影も、どうやら納得したようだな」

春原「ここまできて、まだ僕の存在はおぼろげなのかよっ!?」

キョン「はははっ」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。

春原「なんなんだろうね、こんなとこで待機してろなんてさ」

朋也「さぁな」

キョン「あの人の考えは読み辛いからなぁ。突拍子もないことも割とするし」

さわ子さんに退室するよう言われ、男三人、部室の前でだべっていた。

8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:04:12.92 ID:1qYNd8dxO
がちゃり

さわ子「お待たせ~」

間の抜けた声を伴って、室内を一望できるほどに扉が広く開け放たれた。

さわ子「どう? この子たちは」

唯「いぇい、似合う?」

律「動きやす~」

紬「うん…ちょっと胸がきついかなぁ…」

澪「うぅ…」

梓「………」

見れば、全員チア服を着ていた。
限界まで短いスカート、ノースリーブの薄い服、動けばわかる、胸の揺れ…
目のやり場に困るその姿に、逆に俺たちは釘付けとなり、言葉を発せなかった。

さわ子「明日はこれで応援するのよ」

澪「先生、やっぱり、やめませんか、これ…」

梓「そ、そうですよ、恥ずかしいです…」

梓「それに、岡崎先輩とかが、いやらしい目でみてくると思うんです」

10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:04:33.43 ID:cUBlBpOS0
なぜ俺限定なんだ…。

さわ子「あら、でもそういう衣装の方が、男は喜んで、力が発揮できるものなのよ?」

さわ子「そうでしょ?」

俺たちに振ってきた。

朋也「いや、まぁ…」

キョン「でも、これはさすがに…」

春原「さわちゃん、やっぱわかってるねっ」

欲望に忠実な変態が一匹。

さわ子「ふふ、まぁね。だてに二十数年生きてないわ」

さわ子「って、歳のこと言うなっ」

ぽかっ

春原「ってぇっ! 自分で言ったんでしょっ!」

さわ子「あら、そうだったわね、ごめんなさい」

春原「誰かさん並に理不尽だよ、この人…」

唯「ねぇねぇ、どう? 可愛くない? この服」

12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:05:48.70 ID:1qYNd8dxO
言って、くるくると回った。

朋也「わ、馬鹿、おまえ、んな激しく動くなっ」

唯「え? なんで?」

朋也「いや、それは…」

梓「あーっ! この人、見たんですよ、絶対っ!」

唯「何を?」

梓「唯先輩の下着ですっ!」

唯「…いやん」

朋也「不可抗力だろっ」

梓「目をそらせばよかったじゃないですかっ! ガン見することないでしょっ!」

朋也「してねぇよ…」

梓「嘘つきっ! 目にしっかり焼き付けてましたっ!」

朋也「だぁーっ、なんなんだこいつはっ!」

キョン「先生、こういうことにならないためにも、チアはやめたほうが…」

さわ子「あら、そう?」

14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:06:14.86 ID:cUBlBpOS0
春原「あ、てめぇキョン、余計なこと言うなよっ」

キョン「いや、でもだな…」

さわ子「じゃあ、バニーガールなんてどうかしら?」

キョン「ぶっ!」

春原「なに過剰反応してんだよ、むっつり野郎」

キョン「ち、違う、二年前のトラウマが蘇っただけだ…」

梓「先生、私もこの衣装を着るのはやめたほうがいいと思います」

梓「絶対、岡崎先輩が本能をむき出しにして、警察沙汰になると思いますから」

朋也「だから、なんで俺だけを槍玉に挙げるんだ…」

澪「私も、普通に応援したいです…」

唯「私はこれ着て応援したいな~」

朋也「いや、やめてくれ…」

唯「ええ? なんで?」

朋也「普通にしてくれてたほうが、いろいろと助かる」

唯「えぇ…なら、しょうがないかぁ…ちぇ」

15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:07:11.86 ID:1qYNd8dxO
春原「ムギちゃんは、それ着てくれるよね? ていうか、もう普段着にしようよっ」

律「やらしいやっちゃなー、この●●原め」

春原「っせぇよ、おまえは一年中ジャージでも着てろ」

律「おまえならジャージの上からでも●●してきそうだけどな、こわいこわい」

春原「はっ、ジャージの上着をズボンにインしてる奴なんかにするかよ」

律「そんな着こなし方しねぇよっ、ヘタレっ!」

春原「ヘタレは今関係ないだろっ!」

一応ヘタレという自覚はあったらしい。

16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:07:28.50 ID:cUBlBpOS0
朋也「春原、落ち着つけ。まず自分の足元をよく見てみろ」

春原「あん? なんだよ…」

春原「って、なんで靴下にズボンがインされてるんだよっ!?」

朋也「いつも社会の窓がアウトしてる分、細かいところで取り戻しておこうと思って…」

春原「まずその前提がおかしいだろっ!」

律「わはは!」

この後、結局コスプレは取りやめとなった。
当日は普通に制服で応援してくれるらしい。
さわ子さんや平沢、春原なんかは不満そうにしていたが、これでよかったんだと思う。
…俺も、少しだけ名残惜しかったが。

―――――――――――――――――――――

18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:09:27.88 ID:1qYNd8dxO
4/24 土

試合当日。ついにこの日がやってきた。
向こうの話によれば、試合は放課後になってからすぐ行われるとのことだった。
昼食を摂ってからでは、バスケ部の練習に差し支えがあるらしい。
だが、試合時間自体は10分と短く、多少腹が減っていても問題なさそうだった。

春原「でも、ちょっと計算外だったよね」

春原「まさか、うちのバスケ部の、ほぼ全体を揃えてくるなんてさ」

朋也「ああ、そうだな」

つまり、その中には当然レギュラー陣も入っているわけで。
そいつらが出てくるなら、俺たちが勝てる可能性は限りなく低いだろう。
本当に、さわ子さんという保険があってよかった。つくづくそう思う。

春原「ま、僕たちが勝つことに変わりはないけどさ」

朋也「そうなりゃいいけどな」

春原「へっ、なるさ」

―――――――――――――――――――――

放課後。
メンバー全員で体育館に集まる。憂ちゃんも、少し遅れて駆けつけてくれた。
ふと、入り口から覗けた館内は、閑散として見えた。
広さに対して、居る人間の数が少ないからだ。
集まったのは、俺たちと、バスケ部、それと、ファンクラブの連中のみだった。

19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:10:35.76 ID:cUBlBpOS0
他に体育館を使うクラブの姿はない。
この時間は本来、大多数の生徒にとって、昼休憩になっているはずだからだろう。

男子生徒「ああ、来た?」

体育館に足を踏み入れると、すぐにファンクラブの男がやってきた。
この試合の段取りを組んだ奴だ。
薄々思っていたが、やっぱり、こいつが現代表なんだろう。

春原「おう、来てやったぜ」

男子生徒「絶対あの約束は守れよ」

春原「わかってるっての。おまえらこそ、破んなよ」

男子生徒「そんなことしないよ。そこは安心してくれ」

自信たっぷりに言って、また仲間の輪に戻っていった。

律「マジで頼んだぞ、おまえら。あんなのに調子乗らせたくないからな」

春原「任せとけって」

キョン「やれるだけの全力は尽くすよ」

俺も口を開こうとした時、向こうから、ボールの跳ねる音がした。
見れば、相手のバスケ部がアップを始めていた。
定位置からシュートをする者、ドリブルをして、動きを確かめる者…様々だった。
…懐かしい風景。
俺もかつてはその中の一人だったのだ。

20: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:11:50.09 ID:1qYNd8dxO
けど、今は…
俺は自分の体を見下ろす。
制服のままの格好。
こんな姿で、かつて情熱を燃やしていたバスケをやるなんて、皮肉だ。滑稽すぎる。

唯「…なんか、緊張してきた」

朋也「おまえがかよ。でも、今となっては、遊びの延長だぞ」

律「む、遊びとはなんだ、遊びとはっ! 真剣にやれっ!」

春原「そうだぞ。おまえ、奴らにバカ呼ばわりされたままで悔しくないのかよっ」

朋也「それはおまえだけだろ」

春原「僕がバカにされたら、おまえがバカにされたも同然なんだよっ」

春原「一人はみんなのために、みんなは一人のためにだっ」

こいつの背負う業が重過ぎて、輪に入れられた俺が一方的に損していた。

唯「でも、バスケ部の人たちと試合するんだから、それはやっぱりすごいことなんだよね」

唯「ほら、みんなすごく上手だし」

聞かれていたら、怒られそうなことを言う。

唯「こうやって毎日練習してるんだよね」

梓「私たちも、あれくらい真面目にやりたいです…」

21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:12:12.28 ID:cUBlBpOS0
澪「わかるぞ、その気持ち」

唯「まぁまぁ、今はそれは置いといて…」

手でどけるようなジェスチャーを入れる。

唯「そんな人たちと、集まったばっかりの私たちが戦うんだよ」

唯「今まで違う道を歩いてきた、私たちがね」

唯「もし勝てたとしたら…」

唯「この短い時間の中で、バスケ部の人たちよりも固い絆で結ばれたってことだよね」

唯「だとしたら、すごいことだよ」

唯「いつもは、まったりしてる私たち軽音部…時々、そのことで怒られちゃうこともあるよね」

唯「それと…不器用に、皆から離れていっちゃった、岡崎くんと春原くん」

唯「そのふたりと、今は仲良しだけど、出会う前は接点がまったくなかった、キョンくん」

唯「こんなにも、ばらばらで…みんなが一緒に、ひとつの目標に向かってるわけでもなくて…」

唯「もしかしたら、話すことさえなかったかもしれない私たちだけど…」

唯「それでも、力を合わせれば、頑張ってる人たちとだって、同じことが出来るってことだよね」

唯「普段は、ちょっと真剣さが足りない私たちでも、ね」

22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:13:25.37 ID:1qYNd8dxO
朋也「ああ…そうだな」

平沢の言いたいことはよくわかる。
俺も、春原もそんなふうに生きてきたから。
キョンの奴だって、きっと似たような感情を持ったことがあるはずだ。
所属している部のことを聞くたび、俺たちに近かったことがわかっていったから。
けど…現実はそんなに甘くない。
気持ちだけでは超えられない壁も、確かにあるのだ。

バスケ部員「話は聞いてるけど…おまえらが相手?」

ひとりのバスケ部員がやってくる。

春原「ああ、そうだよ」

バスケ部員「俺たち、もう始めたいんだけど」

春原「準備運動するから、ちょっと待っててくれよ」

バスケ部員「早くしろよ。さっさと終わらせて、飯にしたいんだからな」

機嫌悪く言い放ち、戻っていく。

春原「ちっ、感じ悪ぃな…」

朋也「昼飯前に駆り出されてんだ、気が立ってるんだろ」

屈伸しながら言う。

春原「だからってさぁ…言い方ってもんがあるだろ」

23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:13:45.81 ID:cUBlBpOS0
キョン「試合でその鬱憤を晴らすってのはどうだ?」

腕を伸ばしながら、ついでのように助言する。

春原「ま…そうだね」

春原も、手首、足首とひねりを加えてほぐしていた。
三人とも、好きなように柔軟をしている。
決まった順序なんかない。全員で同じ動きを強要することもない。
そんな無秩序さが、実に俺たちらしかった。
ひいては、軽音部の連中を含めた、このチーム全体の有りようを表しているようだった。

朋也「いくか」

キョン「おう」

春原「うしっ」

気合十分でコートに踏み入っていく。
向こうは、すでに三人揃っていた。
軽く体を動かしたりしている。

バスケ部員「ハーフコートじゃなくて、全面使うからな」

審判を務めるらしい部員が、ボールを持ったままそう伝えてきた。

朋也「ああ、わかった」

バスケ部員「ジャンプボールだ。そっちは誰がやるんだ」

24: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:15:07.85 ID:1qYNd8dxO
朋也「キョン、頼む」

キョン「俺か?」

朋也「ああ。俺は無理だし、春原は背が低い。おまえが適任だ」

キョン「そうか。わかった」

センターサークルの中に両者陣取る。
そして、ボールが高く放られた。

キョン「岡崎っ」

最高到達点に達したところで、キョンがボールを叩き落とした。
俺の前に落ちてくる。
すぐさま拾い、そのままドリブルで切り込んでいく。
俺のマークはスピードで振り切ることができた。
だが、相手も一人ディフェンスに戻っていて、ゴール前で膠着する。
春原の姿を探す。反対サイドから走りこんでいるのが見えた。
それも、フリーで。
俺は一度ドリブルで突破するような素振りを見せ、パスを出した。
春原が受け取る。

春原「庶民シューっ!」

二、三歩ほどドリブルで距離をつめ、レイアップを決めていた。

キョン「ナイッシュ」

律「いいぞぉーっ、春原ぁ!」

26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:15:36.36 ID:cUBlBpOS0
唯「すごぉい、春原くんっ」

憂「春原さん、かっこいいですっ」

紬「ナイスシュートっ」

澪「先取点だよっ」

春原「へへ…」

にやついた表情を浮かべる春原。
その横から、ボールを持った敵がドリブルで抜き去っていった。

春原「あ、やべ…」

朋也「余所見すんなっ、この馬鹿っ」

律「死ねーっ、春原ーっ!」

唯「最悪だよぉ、もう」

春原「おまえら、てのひら返すの早すぎだろっ!」

紬「…はぁ…マジで、はぁ…」

春原「ムギちゃんまでっすかっ!? つーか、キャラまで変わってるしっ」

朋也「春原、いいから戻れっ」

春原「わかってるよっ」

27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:17:17.00 ID:1qYNd8dxO
3対2の状況も、春原が戻ったことで、やっとイーブンに戻った。
敵全員に俺たちのマークがつく。

キョン「っと…」

キョンがパスカット。
すぐに走り出す俺と春原。
カウンターの速攻だ。

キョン「いくぞっ」

キョンは一度春原の方を向いてフェイントを入れ、俺にロングパスを出した。
相手のコート、ツーポイントエリアで拾う。
俺がいるのは左サイド。
ここからレイアップに持っていきたいが、マークがしつこい。
春原もマンツーマンでつかれていた。
仮に今、俺についたこのディフェンスを突破できても、すぐにヘルプがくるだろう。
それくらいゴールに近い位置での攻防だった。
だがこれは、チャンスでもある。ヘルプが来たら、春原がフリーになるのだ。
そこで上手くパスを回せればいいが…
ここまで走ってきた疲労もあって、体がいうことを聞いてくれるかどうか自信が持てない。

朋也(キョンは…)

敵に背を向けて確認すると、自陣から上がってきているのが見えた。
ドリブルでキープしたまま、3対3の状況になるのを待つ。
これで、少し息も整えることができるだろう。

朋也(よし…)

29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:17:58.36 ID:cUBlBpOS0
その時が来て、まず一人、俺のマークをドリブルで抜き去った。
案の定、すぐにヘルプが来る。
俺は近くにいた春原にパスを出した。
が、今度はキョンについていたマークが春原をチェックしに来た。
必然的に、キョンはフリーになる。

春原「おし、キョン、いけっ」

春原がワンバンさせてパスを回す。
キョンはそれをしっかりと胸で受け取った。
スリーポイントラインの、外側で。
その位置から、ゴールに向けてボールを放つ。
綺麗な放物線を描き、ゴールに吸い込まれていった。
得点表がめくられる。
3点だ。

春原「うっしゃっ、ナイッシュゥ、キョンっ」

朋也「ナイッシュ。押してるぞ、俺たち」

キョン「おう」

ハイタッチを交わす三人。

律「うおー、すげーっ!」

唯「あんな遠い所からだからかな、3点も入ってたよっ」

憂「お姉ちゃん、スリーポイントっていうのがあるんだよ」

30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:19:47.43 ID:1qYNd8dxO
唯「え? そうなの? すごいシステムだねっ」

外野からは、のんきなやり取りが聞えてきていた。

バスケ部員「………」

対照的に、コート内はそう穏やかじゃなかった。
今のプレイで、部員たちの目の色が変わっていた。
おそらく、今まではキョンの動きを見て、素人に近いと踏んでいたんだろう。
だから、スリーポイントなんか、端から警戒していなかったのだ。
実際、キョンは、ドリブルやパスはそこまで上手くない。
だが、シュートには素質が感じられた。練習も、シュートを重点的にやっていた。
その成果が、今のスリーポイントだ。
プレッシャーのかかっていないドフリーからのシュートとはいえ、上出来だった。
しかし、これからはシュートもあると、相手も警戒してくるだろう。
まぁ、それを逆手に取ることも、もちろんできるのだが。

朋也(奇襲はもうやれないか…)

朋也(ま、なんとかなるか…)

朋也(こいつら、レギュラーってわけでもなさそうだしな…)

俺の予想はおそらく当たっているはずだ。
ここまでの試合運びが、楽にいきすぎている。
それは、あの二人も肌で感じていることだろう。
出し惜しみしているのか知らないが、このままいけば十分勝機はある。

朋也(よし…いくか)

32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:20:47.46 ID:cUBlBpOS0
その後も、パス回しからの連携や、春原の個人技、キョンのシュートなどで得点を重ねていった。
俺も、左からのレイアップのみだったが、なんとか得点に貢献できていた。
こっちもそれなりに失点していたが、まだまだ優勢だ。

バスケ部員「メンバーチェンジ!」

ボールがコート外に出たとき、タイムを入れて、そう宣言された。
選手が総入れ替えになる。身長が軒並み上がっていた。
ガタイも、ずいぶんとよくなっている。

春原「おいおい、あいつらってさ、やっぱ…」

キョン「だろうな…」

朋也「ああ…レギュラー陣だ」

春原「ちっ、ここにきてか」

キョン「後半分だ。やれないことはないさ」

春原「へっ、そうだね…」

しかし、そう楽観的にもみていられない。
あっちはスタミナが満タンな上に、技量も体格も上だ。
対して、こっちは消耗が激しく、素人が二人に、肩が壊れている男が一人。
ここまではなんとかやってこれたが、この後どこまでやれるか…。

朋也(とにかく、今はこっちボールだ)

朋也(攻めていくか…)

33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:22:03.53 ID:1qYNd8dxO
思いとは裏腹に、ボールをコートに戻すことさえそう簡単にさせてもらえない。
俊敏な動きでぴったりとつかれていた。
俺は苦し紛れにボールを投げ放ったが、すぐにカットされてしまった。
そのままの勢いで、一気に押し込まれ、得点を許してしまっていた。

朋也「わりぃ…」

キョン「いや、しょうがないさ。ああも、くっつかれちゃな…」

春原「まだ2点返されたただけじゃん。余裕だって」

朋也「すまん…」

キョン「謝らなくていい。いくぞ」

ぱんっと肩を叩かれる。

春原「おまえが謝るとか、らしくねぇっての」

朋也「ああ…そうだな」

再び気を奮い立たせる。
俺も、春原も、キョンも、必死になって食らいついていった。

朋也(くそ、俺に左からのレイアップしかないことがわかってやがる…)

相手には、俺たちの攻撃パターンも、ほぼ読まれていた。
それでも、レギュラー陣相手に、同等以上の戦いを演じて見せた。
だが、それも、終盤に差し掛かってから、かげりが見え始める。

34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:22:24.35 ID:cUBlBpOS0
春原「あ…ぐっ…はぁ…はぁ…」

キョン「はぁー…はぁ、っく…はぁ…」

二人の体力が底をつき始めていた。
それは、俺にしても同じことだったが…。

朋也「大丈夫か?」

春原「ああ、余裕すぎて、なんか眠いよ」

朋也「それ、死にかけてるからな」

朋也「キョンは?」

キョン「ああ…まだ、いけるぞ」

朋也「そうか…」

とてもそうは見えない。
肩で息をしていた。
強がりだということが、すぐにわかる。

朋也「残り30秒で、こっちボールだ。もう、このワンプレイで終わるぞ」

得点差は一点のみ。
俺たちが負けていた。

春原「泣いても笑っても、最後ってわけね…」

35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:23:44.26 ID:1qYNd8dxO
キョン「どうする? もう、パターンだいぶ読まれてるぞ…」

バスケ部員「おまえら、早く始めろよっ!」

怒声が届く。

朋也「ああ、すぐ始める」

そう冷静に返した。

朋也「いいか、ふたりとも」

俺は二人を抱き寄せて、最後の指示を出す。

キョン「了解」

春原「うまくいくといいけどねぇ」

コートに散る。
最初のパスでカットされればそれでゲームオーバー。
相手もそれがわかっているから、今まで以上に必死のディフェンスだ。
ぐるぐるとめまぐるしく変わる陣形…。
俺はボールを投げ入れた。
キョンの手に渡る。
不意に取られないよう、囲まれる前に俺に戻した。
ドリブルで中央に割って入る。
相手は意表を突かれた形になった。
俺は今まで左サイドからしかゴール下に入ることはなかったからだ。
一、二…
レイアップ! …の振りだけしてみせる。

36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:24:14.59 ID:cUBlBpOS0
思惑通り、目の前に影がよぎった。
俺は胸の前でボールを左手に移した。
そして、背後にいるのが春原だと信じてボールを浮かせる。

春原「よし、きたぁぁっ!」

春原の声。
振り返ると、ボールを両手に掴んだ春原が着地したところだった。
それに、春原についていたディフェンスが覆い被さる。
フェイントで振った後、ボールを床に打ちつけた。
高くバウンドしたボール。
助走と共に拾っていたのはキョン。
自分についたディフェンスを振り切って、そして…
ゴールとは反対方向にボールを投げていた。
ゴール正面のフリースローポイント。
そこで俺はボールを受け取っていた。
すべてのディフェンスを振り切って。
コートに立つ全員が俺を振り返っていた。
相手の、唖然とした顔が滑稽だった。

37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:24:46.08 ID:cUBlBpOS0
唯「岡崎くん、シュートだよっ」

平沢の声だけが、一際大きく聞えた気がした。

ああ…了解。

俺は上がらない肩もお構いなしに打った。

バスケ経験者とはほど遠い、不恰好な姿勢で。

それがすべてを象徴していた。

不恰好に暮らしてきた俺たち。

そんな奴らでも、辿り着くことができる。


道は違っても… 同じ高みに。


ぱすっ、と音がして、ネットが揺れていた。
一瞬の静けさ…
直後、割れんばかりの大歓声が起きた。

春原「よくやった、岡崎!」

キョン「岡崎ぃ、すごいじゃないかっ!」

律「やるじゃん、岡崎っ」

38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:26:08.11 ID:1qYNd8dxO
唯「岡崎くん、MVP賞受賞だよっ!」

憂「岡崎さんっ」

澪「岡崎くん…すごいよっ、ほんとに…」

紬「やったね、逆転よっ」

梓「まぁ…認めます。おめでとうございます」

みんなが駆け寄ってくる。

澪「みんな…すごいよ」

澪「唯が言ってた通り…力を合わせれば、こんなこともできるんだって…」

澪「わだし…ぐす…感動だよ…」

朋也「泣くな。これくらいのことで」

春原「そうそう。当然のこと」

キョン「ははっ、だな」

しばし、みんなで喜びを分かち合う。
俺たちとやりあっていたバスケ部員たちは、仲間に非難され始めていた。
そいつらも、手でバツを作ったり、首を横に振ったりして、抵抗を示しているようだった。
だが、そんな中にも、俺たちに拍手を送ってくれる奴らもいた。
本気で戦っていたことを、本物たちに認められたようで、それが少しうれしかった。

39: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:26:26.97 ID:cUBlBpOS0
朋也「じゃあ、本題に移るか」

朋也「おい、つっ立ってないで、こっちこい」

ファンクラブの男を呼びつける。
しぶりながらもやってきた。

朋也「これで、文句ねぇだろ」

男子生徒「…文句っていうかさ…澪ちゃんは別に迷惑してなかったからいいだろ」

澪「え…」

男子生徒「そうだったじゃん。そんな嫌でもなかったんでしょ?」

春原「てめぇな、このごに及んで、なに言って…」

朋也「春原…」

手で制す。

春原「あん? なんだよ」

朋也「いいから、ちょっと黙ってろ」

春原「なんなんだよ…」

朋也「秋山、おまえはどうなんだ」

途中で止められ、怒りのやり場を失った春原をよそに、秋山にそう訊いた。

40: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:27:36.85 ID:1qYNd8dxO
澪「そ、それは…」

朋也「嫌だったんだろ。はっきり言ってやれ」

澪「………」

男子生徒「おまえが言わそうとしてるだけだろどうみても。馬鹿か」

朋也「正直に言え。なにを言ったって、俺たちがついてるから」

俺は男の暴言に言い返すことはしなかった。
じっと、秋山の答えを待った。

澪「……です…」

男子生徒「え?」

澪「嫌です。もう、私に…」

澪「私に…」

澪「………」

澪「軽音部のみんなに、近づかないで」

最後には顔を上げ、しっかりと相手の目を見据え、はっきりと言った。

男子生徒「………」

男子生徒「●●●すぎだろ…」

41: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:27:59.81 ID:cUBlBpOS0
捨て台詞を吐き、残していた仲間と共に体育館から出ていく。

春原「ったく、拒否られたからって、最後に変なこと言っていきやがってよ」

朋也「あんな奴の言うことなんて、気にするな」

澪「う、うん…」

春原「今度見かけたら、ぶっ飛ばしといてやるよ」

澪「そ、それはダメだよ」

春原「遠慮すんなって」

澪「気持ちだけ、受け取っておくよ。ありがとう」

春原「…ま、いいけどね」

キョン「おまえは喧嘩したかっただけだろ」

春原「ちがわい」

律「いやぁ、でも、驚いたわ。あの澪が、あんなはっきり断り入れるなんてな」

律「幼馴染のあたしでも、今までみたことなかったのにさ」

澪「岡崎くんが、背を押してくれたから…」

俺を一瞬だけ見て、顔を伏せる。
俺も、あんな恥ずかしいセリフを吐いてしまった手前、なにか気恥ずかしかった。

42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:29:13.30 ID:1qYNd8dxO
勝って気分がよくなっていたとはいえ…猛省。

春原「おお? なに、いい雰囲気?」

律「初々しいねぇ、おふたりさん」

澪「え? ちちち、ちが…」

律「こぉのフラグ立て夫がぁ。略して立て夫がぁ」

俺を肘でつついてくる。

朋也「なにが立て夫だ…っ、あでででっ」

何者かに太ももをつねられる。

梓「………」

何食わぬ顔で中野が横に立っていた。

朋也「って、やっぱおまえかっ! なにすんだ、こらっ」

梓「すみません、ぎょう虫がいたもので、つい」

そんなのケツにしかいない。

律「あ~、立て夫が澪に優しくするもんだから…」

唯「ほらぁ、唯が元気なくしちゃってるじゃん」

44: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:29:34.10 ID:cUBlBpOS0
唯「そ、そんなことないよぉ…ないよ…」

紬「ふふ、唯ちゃん可愛い」

憂「お姉ちゃん頑張ってっ」

唯「え、ええ? なんのことか、わかんないっ」

律「はは、まぁいいや。とにかく、祝勝会だっ」

律「部室行くぞぉ」

がし、っと秋山の肩に手を回した。

澪「あ、こら律、歩きにくいっ」

律「細かいことは気にすんなっ」

―――――――――――――――――――――

キョン「じゃ、俺はここで」

体育館から直接旧校舎の一階までやってくると、そう言った。

朋也「おまえ、こないのか」

キョン「ああ、バスケ終わるまでって、言ってあるからな」

春原「いいじゃん、ちょっとくらい」

45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:31:41.77 ID:1qYNd8dxO
キョン「そのちょっとが許されてたら、苦労してないんだけどな」

朋也「なんか、大変そうだな、おまえも」

あの日、文芸部室から出てきた時のこいつの顔を思い出す。
眉間にしわを寄せ、難しそうな顔をしていた。
いろいと複雑な環境なんだろう、きっと。

キョン「ああ、まぁな。でも…」

言いかけて、やめる。

キョン「…いや、なんでもない」

キョン「それじゃ」

唯「キョンくん、いつでも軽音部に遊びに来てね」

キョン「ありがたいけど…多分、顔を出すことはないと思う」

キョン「俺の居場所は、なんだかんだいって、あそこだからな」

親指で文芸部室をさす。

唯「そっか…そうなんだね」

キョン「ああ」

朋也「悪かったな、なにも見返りがなくて」

46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:31:58.48 ID:cUBlBpOS0
キョン「あったさ。久しぶりにおまえらとつるんで馬鹿やれたっていうな」

春原「うれしいこと言ってくれるじゃん」

朋也「ちょっと臭いけどな」

キョン「はは、最後までキツいな、岡崎は」

キョン「まぁ、それが、らしくていいよ。それじゃな。また機会があれば」

朋也「ああ、またな」

春原「じゃあね」

唯「ありがとう、キョンくん」

律「おつかれさん」

紬「ありがとう。おつかれさま」

澪「ありがとう、一緒に頑張ってくれて」

梓「ありがとうございました」

憂「おつかれさまでした」

俺たちの言葉を聞き終えると、部室に入っていった。
ドア越しに、また女と言い争うような声が聞えてくる。
だが、その声色に怒気は含まれていなかった。
どころか、生き生きとしているような印象さえ受けた。

48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:33:23.83 ID:1qYNd8dxO
俺も詳しくは知らないが、それだけでわかった。
あそこが、あいつの収まるべき場所なんだろう、と。

―――――――――――――――――――――

律「かんぱ~い」

唯「いぇい、かんぱ~い」

中央にティーカップを寄せ集め、チンッ、と軽く触れ合わせた。

律「しっかし、本業のバスケ部相手に…」

唯「えいっ」

パンッ!

律「っいっつ…って、なぁにすんだよ、唯っ」

唯「このクラッカー、試合中に使おうと思ってたんだけど、使い時がわからなくて…」

まだ持っていたのか…。

唯「それで、今使ってみました」

律「今もタイミングずれてるってのっ! 私のトークが始まろうとしてただろがっ」

律「しかも、こんな近くで放ちやがって…」

唯「えへへ、ごめんね。みんなの分もあるよ?」

52: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:35:24.02 ID:1qYNd8dxO
律「反省の色がみえねぇ~…」

唯「やろうよ、みんなでさ、おめでと~って」

律「はいはい…」

全員に配り終える。

唯「それじゃ、改めて…」

唯「おめでとぉ~」

パンッ パンッ パンッ

次々に祝砲が上がる。

パンッ!

朋也「うぉっ…」

俺の横からクラッカーの紙ふぶきが飛んでくる。
腕を上げてガードしたのは、モロに食らってからだった。

梓「ちっ、火力が足りなかったか…」

一人だけ武器として扱っている奴がいた。

憂「梓ちゃん、人に向けて打ったらだめだよ」

梓「だって…自然と発射口が岡崎先輩を向くんだもん」

53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:35:46.79 ID:cUBlBpOS0
憂「自動照準なんて機能、ついてないよ…」

春原「ははっ、なんか知らないけど、おまえ、ナメられてるよね」

朋也「目潰しっ!」

パンッ!

春原「ぎゃぁああああああ目がぁああ目がぁああああっ!!」

両目を押さえながらもんどり打つ。

春原「なにすんだよっ! つーか…なにすんだよっ!」

朋也「二回言うな」

春原「ちくしょう、僕が失明でもしたらどう…ヒック…ぅう…すんだよ」

しゃっくりが出始めていた。

春原「ヒック…あー、くそ、止まんね…ヒック…」

朋也「ヒックヒックうるせぇな。心臓の動き止めろよ」

春原「無茶言うなっ! ヒック…」

律「普段はこんな奴らなのになぁ。試合の時とは、ほんと別人だよ」

紬「ふふ、そうね。でも、やる時はやる、って感じでかっこいいと思うな」

54: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:37:03.41 ID:1qYNd8dxO
春原「え? ほんとに? ヒック…」

春原がしゃっくりを交えながら目を輝かせて反応する。

春原「ムギちゃん、僕のこと、そんなにかっこいいと思う? ヒック…」

紬「うん、ちょっと耳障りかな、その心臓の痙攣」

春原「暗に勘違いするなって言ってますか、それ!?」

律「わははは!」

春原「うぅ…ショックでしゃっくり止まっちゃったよ…」

紬「じゃあ、あと一押し足りなかったかな…」

春原「息の根も止めるつもりだったんすかっ!?」

律「はは、おまえ、ムギに相手されてねぇんだって。諦めろよ」

春原「んなことねぇってのっ」

律「変なとこで根性あるなぁ、こいつは…」

がちゃり

さわ子「おいすー」

唯「あ、さわちゃんだ」

55: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:37:37.83 ID:cUBlBpOS0
さわ子「あれ? なに、この散乱してる紙ふぶきは」

さわ子「パーティーの中盤戦みたいになってるじゃない」

歩を進めながら言って、空いている席に腰を下ろした。
すかさず琴吹がティーカップをそばに置く。

さわ子「ありがと、ムギちゃん」

紬「いえいえ」

再びもとの席におさまる琴吹。

唯「試合が終わったから、おつかれさま会してたんだよ」

さわ子「あら、もう試合してきたのね」

唯「うん。でね、相手はバスケ部の人たちだったんだけど、それでも勝てたんだよっ」

さわ子「へぇ、やるじゃない」

春原「まぁね。楽勝だったよ」

澪「ほんとに、すごかったんですよ」

澪「途中、逆転されても、みんな、諦めないで頑張って…」

澪「背だって、相手の方がずっと高くて、有利だったのに…」

澪「それでも、最後には勝つことができたんです」

56: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:38:46.78 ID:1qYNd8dxO
澪「私、すごく感動しました…」

さわ子「ふぅん、このふたりにそんな男気があったとはねぇ…」

春原「僕はもともと男気の塊みたいなもんでしょ」

朋也「取れたら、嬉しいんだか、嬉しくなんだかで葛藤する、あの塊のことか」

春原「それ、ミミクソの塊だろっ! 僕、どんな奴だよっ!?」

律「わははは!」

さわ子「そういえば、キョンくんは、いないのね」

さわ子「あの子も試合に出たんでしょ? 誘ってあげなかったの?」

律「いや、自分の部活があるからって、来なかったんだよ」

さわ子「ああ、なるほどね。あのクラブに入ってたんだっけ、あの子は」

あの、を強調して言った。
この人は、あいつの部活のことを知っているんだろうか。
そんな口ぶりだった。

さわ子「でも、岡崎。あんた、肩…大丈夫だったの?」

朋也「ああ…まぁ、なんとかな」

律「え? なに、肩?」

57: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:39:09.86 ID:cUBlBpOS0
さわ子「あら…てっきり、聞いてるのかと思ってたんだけど…」

俺を見て、ばつが悪そうに表情を硬くする。
俺が話す前に、自分が半ば打ち明けてしまったことを、悪く思っているんだろうか。
今更こいつらに知られたところで、もうしこりが残るようなことでもないのに。

朋也「俺、肩壊しててさ。右腕が、肩より上に上がらないんだよ」

だから、俺の口からそう告げていた。

さわ子「岡崎…」

朋也「いいよ、平沢にはもう話してるしな」

さわ子「…そう」

事情を知っている者以外は、みな驚きの表情を浮かべていた。

律「そうだったのか…だから、練習中もシュート打ってなかったんだな…」

朋也「ああ、まぁな」

律「じゃあ…逆転決めた、あんたの最後のシュートも、肩庇いながら…」

朋也「ああ。それでかなり無様な格好になっちまったけどな」

澪「そんなことないよっ、すごく格好良かったっ」

朋也「そっか…サンキュな」

58: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:40:21.17 ID:1qYNd8dxO
澪「ううん、本当に、そう思ったから…慰めなんかじゃないから」

朋也「ああ…ありがとな」

澪「うん…」

さわ子「…あらあら? 岡崎にも、ようやく春が訪れたのかしら?」

朋也「あん?」

さわ子「あんた、あの、恋する乙女の眼差しに気づかないの?」

澪「せ、せせ先生、なに言ってるんですかっ…」

さわ子「でも、澪ちゃんが、あの岡崎になんて、意外だわ」

さわ子「ああっ、でもそういう意外性もまた、若さの特権よねぇ…」

しみじみという。
この人もまだそんなに歳食ってもいないだろうに。多分。

澪「ち、ちが…」

律「うわぁ、澪、顔真っ赤だなぁ」

澪「な、う、うるさいっ」

律「で、実際どうなんだよ」

澪「な、なにが…」

59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:40:49.36 ID:cUBlBpOS0
律「いや、だから、岡崎だよ。アリかナシか」

澪「そ、それは…」

律「ありゃ、即答しないな? ってことは…」

澪「深読みするなっ」

ぽかっ

律「あでっ」

律「殴って誤魔化すなよなぁ…」

澪「おまえがへんなこと言うからだっ」

律「ああはいはい、すいませんでしたねぇ…」

律「って、しまった、また唯の元気がなくなってるし」

唯「わ、私は元気だよ…いつも通りだよ…」

澪「ゆ、唯、違うんだ、私は別に…」

唯「な、なんで謝るのぉ、澪ちゃん。いいじゃん、岡崎くんと澪ちゃんのカップル」

唯「どっちも、美形ですっごく似合ってるよっ」

澪「ゆ、唯までそんな…」

61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:42:02.23 ID:1qYNd8dxO
律「はは、唯、強がんなって、このこのぉ」

首に腕を回し、ぐりぐりと平沢の頭に拳を当てた。

唯「本心だよぉ…もうやめてぇ~りっちゃんっ」

いじられ続ける平沢。
しかし…
女というのは、浮いた話に持っていくのが好きな生き物なんだろうか。
なにかあると、すぐに冷やかされている気がする…。

朋也(…ん?)

俺の横の席、中野が何か両の手でくるくる回していた。
そして、おもむろに俺の頬に触れてくる。

朋也「…っだぁっつっ」

その指先から、バチッ、とした痛みが走った。

朋也「なにしやがった、こらっ」

梓「静電気ですよ」

朋也「はぁ? 静電気?」

梓「この、『電気バチバチくん』を手の中でこねると、静電気がたまるんです」

鉄製の棒のようなものに触れながら説明してくれた。

62: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:42:49.30 ID:cUBlBpOS0
朋也(あぶねぇ…なんてもん持ってんだ…)

朋也「つーか、今俺が攻撃された理由がわからん」

梓「流れが気に食わなかっただけです」

梓「モテ男みたいに扱われて、調子に乗られたら嫌ですから」

朋也「思ってねぇよ、んなこと…」

憂「あの、岡崎さん」

朋也「うん? なんだ、憂ちゃん」

憂「何か、困ったことがあったら、いつでも言ってきてくださいね」

憂「私、力になりたいです」

それは、俺の肩のことを気にかけていってくれてるんだろう。

朋也「ああ、大丈夫。こんな肩でも、そこそこ不自由しないからさ」

憂「そうですか…?」

朋也「ああ」

梓「憂、この人なら、頭が吹き飛んでても不自由しないから、ほっといてもいいよ」

俺のアイデンティティが粉々にされていた。

64: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:43:56.99 ID:1qYNd8dxO
憂「梓ちゃん、ほんと厳しいよね、岡崎さんに…」

梓「憂が甘すぎるんだよ」

朋也(っとにこいつは…生意気な野郎だ)

勝利の宴は、日が暮れるまで続いていた。

―――――――――――――――――――――

春原「うげぇえっぷ…ふぅ」

律「きったねぇな馬鹿野郎、勝手にすっきりしてんじゃねぇよ」

春原「生理現象なんだから、しょうがないじゃん」

律「あんたが炭酸飲み過ぎなだけだろ」

春原「いや、おまえのデコみたら、誘発されたんだけど」

律「ぬぁんだとぉ、この白髪染め野郎っ!」

春原「脱色だってのっ! 白髪なんか一本もねぇよっ!」

律「嘘つけっ、白髪染め液のパッケージにおまえっぽいのいたもんっ」

春原「別人だろっ! 似て非なるものだよっ!」

春原「育毛剤のパッケージにおまえ本人がいるならわかるけどさっ」

65: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:44:33.75 ID:cUBlBpOS0
律「い、育毛剤だと!? こぉの野郎…」

春原「ふん…やんのかい? お嬢ちゃん…」

  律「きえぇえええええっ!」
春原「ほおぁあああああっ!」

何かの動物のような鳴き声と型を取って威嚇しあう。
毎回のことなので、もう誰も止めようとしなくなっていた。

澪「岡崎くん、今日はありがとね」

ふたりが生む喧騒の外、秋山が俺に礼の言葉をくれた。

朋也「いや、別に。結果的に勝てたし、俺もわりと気分よかったからな」

澪「あ、そのこともなんだけど、もうひとつ…」

朋也「ん?」

澪「えっと…あの時、私に、正直になれって、後押ししてくれたこと」

朋也「ああ…」

澪「岡崎くんのおかげで、私、自分の気持ちがそのまま言えたんだ」

澪「今まで、怖がって、仲のいい友達にしか本音を言えなかった私が、だよ」

朋也「そっか。じゃあ、すっきりしただろ」

66: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:45:41.63 ID:1qYNd8dxO
澪「うん、ちょっとね」

言って、苦笑する。

朋也「これからは本音だけで喋れよ」

朋也「例えば、ブルドックを可愛いって言う人がいたとするだろ?」

朋也「そしたら、正面から前蹴り食らったような顔面だ、って言ってやるんだ」

澪「あはは、それは、難しいかなぁ」

朋也「簡単だって」

澪「それは、岡崎くんだからだよ」

澪「岡崎くん、お世辞言いそうにないもんね」

朋也「ああ、臭いものは臭いって言うし、春原には馬鹿って言うぞ」

春原「聞えてるよっ!」

澪「あははっ」

―――――――――――――――――――――

各々が自分の帰路につき、俺と平沢姉妹だけが残った。
三人で今朝も歩いてきた道をいく。

唯「岡崎くん、澪ちゃんと仲良くなったよね」

67: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:46:04.73 ID:cUBlBpOS0
朋也「そうか?」

唯「うん。だって、いっぱい喋ってたし…」

朋也「そんなでもないけど」

唯「でも、あの恥ずかしがり屋の澪ちゃんが、平気で話してるし…」

唯「それに、楽しそうに笑ってたし…」

朋也「単に慣れただけなんじゃないのか」

唯「そうなのかなぁ…」

朋也「そうだろ」

唯「う~ん…」

憂「岡崎さんって話しやすいですもんね」

憂「きっと、澪さんもそう思ったんじゃないかなぁ」

朋也「そんなこと言ってくれるのは憂ちゃんぐらいだよ」

言って、頭をなでる。
憂ちゃんも、笑顔で返してくれた。

唯「でもさぁ、岡崎くんもなんか楽しげだったよね」

唯「やっぱり、澪ちゃんみたいな美人さんとお喋りするのは楽しい?」

70: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:47:23.27 ID:1qYNd8dxO
朋也「まぁ…そうだな」

容姿がよければ、大抵の男はそうだろうと思う。

唯「そうだよね…あはは…」

朋也「でも、俺の好みとしては、美人系よりかは、可愛らしい方がいいけどな」

唯「じゃあ…ムギちゃんとか?」

朋也「琴吹は、そうかもしれないけど、ちょっと大人っぽいしな」

朋也「だから、俺の中じゃ、きりっとしたイメージがあるんだよな」

唯「じゃあ、あずにゃんとか」

朋也「あいつはガキっぽすぎるっていうか…」

それ以前の問題な気がする。

朋也「まぁ、軽音部の中で言うなら…おまえが、一番近いよ」

71: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:47:44.78 ID:cUBlBpOS0
唯「え…あう…わた、私…?」

朋也「ああ…まぁ、な…」

唯「それは…ご期待に添えられて、よかったです…」

朋也「いや…別になにも要求してないけどな…」

唯「そ、そうだったね…あははっ」

憂「岡崎さん、お姉ちゃんを末永くよろしくお願いしますね」

朋也「って、それ、どういう意味だ」

憂「さぁ? うふふ」

唯「う、憂っ、今日の晩御飯なに?」

憂「ん? 今日はねぇ、若鶏のグリルと…」

晩飯の話題で盛り上がる平沢姉妹。
俺はずっと横でそれを聞いていた。
いつしか俺は、こんな日々がずっと続いてくれればいいと…
そう、願うようになっていた。

―――――――――――――――――――――

72: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:48:20.44 ID:cUBlBpOS0
4/25 日

朋也「ふぁ…ん」

早い時間、自然と目が覚める。
体に重さを覚えることもなく、寝直す気にもならない。
ここ数日、バスケの試合に向けて体調を管理していたおかげだろう。
まぁ、それも、単に体が疲れて早めに床についていただけの事だったが。
ともかく、生活サイクルが朝方に戻ってきたのは確かだった。
疲労とは、人の意思だけでは、どうにも抗い難いものだ。
休みたいという欲求が、平常時の思考を簡単に上回る。
まるで、本能のようにだ。
そのせいで、春原の部屋を出ていく時間が早まり、何度か親父と顔を合わせていた。
その瞬間はたまらなく嫌だったが、すぐに不快感は薄れ、意識はベッドへ向いていた。
俺のこだわっていた、つまらない意地なんて、現実的な負荷の前では無意味なものだ。
そういえば…前にも似たようなことを思ったことがある。
そう、芳野祐介の手伝いをした時だ。

朋也(とっとと中退して、働きでもしたら、やる気出るのかな…)

本当に出るだろうか…。
いや、とてもそうなるとは思えない。
まだ、何も考えずに授業を受けていたほうが楽な気がする。
食うために働き続ける…。
そんな歯車にはまってしまえば、自分が哀れに思えても、放棄することもできなくなってしまうのだろう。
考えただけでも、ぞっとする。

朋也(でも、もう後一年なんだよな…)

………。

74: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:49:38.60 ID:1qYNd8dxO
やめだ。こんな重苦しいこと、朝っぱらから考えていたら、気分が滅入る。

朋也(いくか…)

重い気分を振り払うように、勢いをつけて体を起こした。

―――――――――――――――――――――

春原「ん…うひひ…」

朋也(まだ寝てやがる…)

春原の部屋。
ベッドの中で、幸せそうに寝息を立てていた。
こいつも、朝錬なんかしていたくらいだから、もう起きているだろうと見込んでいたのだが…。

春原「うひ…ひひ…」

どんな夢を見ているんだろう。
布団の端を掴んで、口の中でもごもごさせていた。

朋也(なにか他のものを入れてみよう)

俺は台所に向かった。
冷蔵庫を漁る。
いくつか適当に調味料を手に取って、また戻ってくる。

朋也(よし、まずはこれだ)

マヨネーズを口に近づけてみる。

75: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:50:05.78 ID:cUBlBpOS0
春原「う…む…」

吸い出していた。

朋也(じゃあ、次は…)

コショウを近づける。
だが、さすがに非流動体では口で吸えないようだった。

朋也(だめか…ん?)

と思ったら、鼻の呼吸で吸い込み始めていた。

春原「ん…ぶはぁっ!」

荒々しく目覚める。

春原「げほっ…んだよ、マヨネーズ…?」

朋也「おはよう」

春原「うおっ、岡崎っ」

朋也「俺が来てやったんだから、もう起きろ」

春原「いや、まずどうやって入ってきたんだよ、鍵は…」

朋也「不用心にもかかってなかったぞ。しっかりしろよ」

朋也「まぁ、俺が昨日、閉めずに出たんだけどさ」

77: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:51:15.83 ID:1qYNd8dxO
春原「なら、偉そうに注意促すなっ!」

朋也「んなマヨネーズみたいな感じで言われてもな…」

春原「僕の意思じゃねぇよ…起きたら、いきなりこんなんだったんだよ」

春原「昨日、無意識にマヨネーズで一杯やって寝ちゃったのかな…」

朋也「心配するな。そんな情けない宅飲みはしてないぞ」

朋也「俺が今、直接そそいでただけだからな。すっきり起きられるようにさ」

マヨネーズとコショウを手に持ってみせる。

春原「普通に起こせよっ! しかも、なんだよ、そんなに色々持ってきやがって…」

テーブルの上に置かれた様々な調味料に気づいたようだ。

春原「ワサビまであるしさ…」

朋也「おまえの体内で、全く新しい調味料を調合しようと思ったんだ」

春原「変な探究心燃やすなっ!」

―――――――――――――――――――――

春原「くそぅ、昼まで寝てようと思ってたのによ…」

着替えを済ませても、まだぶつぶつと文句を垂れ流していた。

79: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:51:56.23 ID:cUBlBpOS0
朋也「せっかくの日曜なんだから、もっと有意義に過ごせよ」

春原「めちゃ脱力してうつ伏せになってるあんたに言われたくないんですけどっ」

朋也「ま、それはそれとしてだ…」

上体だけ起こす。

朋也「朝飯食いに行こうぜ。俺まだ食ってないし」

春原「いいけどさ。どこいくの」

朋也「朝定食があるとこ」

春原「じゃあ、近くにある適当な定食屋でいいよね」

朋也「この辺のはあんまり好きじゃないんだけど」

春原「なら、繁華街の方まで出る?」

朋也「遠い」

春原「マジでわがままっすね…」

朋也「やっぱ、宅配ピザ頼もうぜ」

朋也「それで、手がギトギトになって、部屋中油まみれにしよう」

春原「絶対外食にするからなっ!」

80: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:54:48.33 ID:1qYNd8dxO
朋也「なんでも否定するな、おまえ。そんなに世の中に不満があるのか」

春原「あんたがめちゃくちゃなこと言うからでしょっ!」

春原「つーか、マジでどうすんの。そろそろ決めてよ」

朋也「そうだな、じゃあ、駅前に出るか」

朋也「琴吹がバイトしてるファストフードの店があるんだけど、そこにしよう」

春原「え!? ムギちゃん、バイトなんかしてんの?」

朋也「ああ、この前みかけたぞ。クーポンももらったしな」

春原「へぇ、偉いなぁ、お嬢様なのに。やっぱ、いい子だよ」

春原「うしっ、そうと決まれば、早くいこうぜっ」

朋也「そういきりたつなよ。俺の動く気が失せちゃうじゃん」

朋也「前日までテンション高かったのに、当日になって萎える感じでさ」

春原「あんた、面倒くさいぐらい繊細っすねっ!」

―――――――――――――――――――――

律「ありゃ、岡崎に春原じゃん」

駅前まで出てくると、偶然部長と鉢合わせた。

81: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:55:35.07 ID:cUBlBpOS0
春原「げっ、部長」

律「なんだよ、その反応はっ」

律「こんな美少女に出会えたこと、神に感謝しろよっ」

春原「するかよ。むしろ、謝って欲しいぐらいだね」

春原「今からせっかくムギちゃんのバイト先に行こうってとこだったのにさ」

春原「はぁ…台無しだよ」

律「あん? なに、あんたらもあそこのハンバーガー食いに来てんの?」

春原「も…ってことは、おまえもかよ」

律「私はそうだけど…かぁ、なんだよ、目的地一緒なのか…」

春原「嫌なら、雀荘にでも入り浸ってろよ」

律「なんで雀荘なんだよっ! おまえがパチ屋にでも行ってろよっ!」

律「私の方が先に行くって決めてたんだからなっ!」

春原「いいや、僕だっ!」

律「私だっ!」

春原「………」
  律「………」

82: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:56:41.75 ID:1qYNd8dxO
だっ、と店まで駆けていくふたり。

朋也(そういう速さを競うのかよ…)

俺もその後を追う。

―――――――――――――――――――――

紬「いらっしゃいませ~…」

紬「あら…」

春原「いやぁ、いらしゃっちゃった」

律「割り込みすんなっ、アホっ」

春原「僕のが早かったってのっ!」

紬「あのぉ…」

春原「すみませんね、このデコがうるさくて」

律「なんだと、こらっ」

春原「あ、注文いいですか」

紬「はい。どうぞ」

春原「じゃあ…君の体を一晩…なんてね」

83: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:57:02.46 ID:cUBlBpOS0
紬「ご注文は、廃棄ピクルスが一点、以上でよろしいですか?」

春原「死ねってことっすかっ!?」

律「ぶっ、うくくく…」

―――――――――――――――――――――

注文と会計を終え、テーブルにつく。

春原「ったく、なんでおまえが一緒に座ってんだよ」

律「しょうがねぇじゃん、他に席が空いてないんだからさ」

春原「他人の席に勝手に相席してウザがられてくればいいじゃん」

律「そんなの私のキャラじゃないしぃ」

律「おまえのが似合ってるぞ、普段からウザがられてるしな」

春原「あんだと?」

律「事実だろぉ?」

紬「お待たせしましたぁ」

琴吹が大きめの盆に注文の品を載せ、運んできてくれる。
またレジと代わってもらったんだろう。

春原「お、ムギちゃん直々に持ってきてくれるんだね」

85: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:58:24.65 ID:1qYNd8dxO
律「センキュー、ムギ」

紬「これがお仕事だからねぇ。はい、どうぞ」

言って、テーブルに盆を置いた。

紬「今日は、三人で遊んでるの?」

律「違うよ、たまたま会っただけだって」

春原「そうそう。僕がわざわざこいつと遊ぶなんて、ありえないよ」

律「そりゃ、こっちのセリフだってのっ」

紬「まぁまぁ、ふたりとも。仲良くしなきゃ」

律「無・理」

紬「りっちゃん…もう、これからは部室でお菓子出せなくなるかも…」

律「え、なんでさ!? そんなことしたら軽音部じゃなくなるじゃん!」

それもどうかと思うが。

紬「だって…ふたりが喧嘩してるところをみるなんて、私、悲しくて…」

紬「そのショックで自我が保てなくなりそうなんだもの…」

律「んな、オーバーな…」

86: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 22:58:54.87 ID:cUBlBpOS0
紬「だから、仲良くして?」

律「…わかったよ。でも、ちょっとだけだぞ」

紬「春原くんも、ね?」

春原「まぁ、ムギちゃんがそう言うなら、僕も少しぐらいは…」

紬「よかったぁ。それじゃ、握手しましょ」

春原と部長の手を取って、握らせる。

春原「………」
 律「………」

紬「わぁ、ぱちぱちぱち~」

ひとりで拍手を送っていた。

紬「じゃあ、岡崎くん、このふたりをよろしくね」

朋也「ん、ああ…」

紬「では、ごゆっくり~」

最後は店員の職務に戻り、恭しく下がっていった。

朋也(よろしくったってなぁ…)

90: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:01:05.71 ID:1qYNd8dxO
春原「……こっのっ…」

律「…くのっ…くのっ…」

握手から指相撲に移行していた。

朋也(どうしようもねぇだろ…)

―――――――――――――――――――――

春原「ムギちゃんが言うから、仕方なくちょっとだけ遊んでやるんだからな」

律「まんま私の事情だからな、それ」

差し当たって俺はこのふたりにゲーセンで遊ぶよう提案していた。
すると、どちらもゲーセン自体は好きだったようで、了承を得ることができていた。

春原「はっ、言ってろよ。でもな、馴れ合うつもりはないからな」

春原「男らしく、対戦できるゲームで勝負しろっ」

律「私は女だっつーのっ!」

最初からこんなんで、大丈夫だろうか…。

―――――――――――――――――――――

春原「うりゃりゃりゃっ!!」

律「ヴォルカニックヴァイパァーっ!!」

91: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:02:13.27 ID:cUBlBpOS0
最初に選んだのは、オーソドックスに格闘ゲームだった。
画面の中で激しくコンボが交錯する。
俺はその様子を春原側の筐体から見ていた。

朋也(しっかし…)

同キャラ対戦だからなのかもしれないが、立ち回り方も大体似ているというか…
こいつら、やっぱり、ほんとは気が合うんじゃないだろうか。

春原「だぁ、くっそ…」

KOの文字がでかでかと表示されていた。
春原が負けたようだ。

春原「あっ、あの野郎…」

死体となった春原のキャラに、超必殺技が繰り出されていた。

春原「てめぇ、悪質だろっ!」

立ち上がり、向かい側にいる部長に噛み付く。

律「はーっはっは! 勝利者の特権だっ。悔しかったら勝つことだなっ」

向こうも筐体の上から顔を覗かせて、言い返してくる。

春原「ちきしょー、連コインだっ!」

律「オウ、きなさい、ボクチン」

92: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:03:21.66 ID:1qYNd8dxO
結局、4連戦し、2勝2敗で引き分けていた。

―――――――――――――――――――――

春原「次はレースで勝負だっ」

律「のぞむところだっ!」

春原「岡崎、おまえも混じれよ」

朋也「ああ、いいけど」

―――――――――――――――――――――

運転席を模した筐体の中に乗り込み、硬貨を入れる。
コースと使用する車種を選ぶと、レースが始まった。

春原「うらぁああっ!」

律「あ、なぁにすんだよ!」

春原の車が一直線に部長車めがけて突っ込んでいった。
摩擦で煙を立てながら壁に押し付けられている。

律「くっそぉぉっ!」

アクセルを全開にして窮地を脱する部長の車。
今度は部長が春原のケツにつき、追突していた。

春原「てめぇっ!」

93: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:03:44.90 ID:cUBlBpOS0
律「おりゃりゃっ!」

格闘ゲームのノリを引きずったまま、激突しあう。
俺が安全運転で一周してきても、まだ同じ場所で争っていた。
ふたりをその場に残し、周回を重ねるべく過ぎ去っていく俺。

春原「うわぁっ」

律「ひゃあっ」

朋也(なんだ?)

俺の画面に煙のグラフィックが立ち込めていた。
見れば、春原の車と部長の車が爆発して炎上していた。

朋也(なにやってんだよ…)

律「あーも、おまえがいっぱいぶつかるからぁ」

春原「おまえの車がもろいのが悪いんだよっ」

律「なにぃ?」

ゲーム内どころか、プレイヤー同士でも争いが起き始めていた。
その間もレースは進んでいく。
そして、常に安全運転を心がけていた俺が順当に1位を取っていた。

春原「あ、てめぇ、岡崎、ずりぃぞっ」

律「漁夫の利か、この野郎っ!」

94: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:04:52.13 ID:cUBlBpOS0
言いがかりをつけ始められていた。
こんな時だけは結託する奴らだった。

―――――――――――――――――――――

朋也「なぁ、発想を変えて、協力プレイができるやつにしたらどうだ」

朋也「仲良くするっていうのが、一応の建前だろ」

春原「まぁ、そうだけどさ…」

律「協力かぁ…」

顔を見合わせる。

春原「はぁ…」
  律「はぁ…」

同時にため息を吐いていた。

朋也「シューティングゲームでもやってみろよ」

朋也「ほら、あのテロリストを鎮圧する奴とかさ」

春原「…まぁいいけど」

―――――――――――――――――――――

春原「おまえ、けっこうやるじゃん」

96: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:06:08.55 ID:1qYNd8dxO
律「へへっ、おまえもな」

やはり相性がいいのか、序盤は上手く連携し、なんなく突破していた。
このまま何事もなくいってくれればいいのだが…

春原「うわっ、なにすんだよっ」

律「あ、わり」

部長の放ったロケットランチャーの爆風に春原が巻き込まれていた。

春原「ちっ、今後は気ぃつけろよ」

律「感じ悪ぃなぁ…あんたが変な位置に居るのも悪いんだろ…」

フレンドリーファイアで少し空気が悪くなっていた。
お互い、単独プレイも目立ちだす。

律「あ、今のアイテム私が狙ってたのにぃ」

春原「早いもん勝ちだろ」

律「むむ……」

徐々に亀裂が大きくなっていく。
そんな時、事件は起きた。

律「あーっ、おまえ、私撃ったなっ!」

春原「わり、ミスった」

97: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:06:45.38 ID:cUBlBpOS0
律「嘘つけ、アイテム欲しさに消そうとしたんだろっ」

律「殺られるまえに殺ってやるっ」

春原に向けてマシンガンを放つ部長。
画面が血で染まっていく。

春原「てめぇ、やりやがったなっ!」

春原も火炎放射やロケットランチャーで応戦していた。
ふたりとも、ボス戦に備えて温存しておいたであろう武器を躊躇なく使っていく。
ステージも破壊しつくされ、ボロボロになっている。
敵テロリストも真っ青の破壊活動だった。

―――――――――――――――――――――

律「やっぱ、協力はダメだな。勝負しなきゃ」

律「音ゲーで決着つけようぜ」

春原「ふん、のぞむところだ」

朋也「おまえに不利なんじゃないのか。相手は軽音部部長だぞ」

春原「関係ないね。僕の天性のセンスさえあれば」

朋也「あ、そ」

―――――――――――――――――――――

99: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:07:56.16 ID:1qYNd8dxO
律「…ふぅ」

最後に一発、たんっ、と叩き終える。
部長が選んだのは、ドラム型の筐体だった。
その実力は、思わずプレイに見入ってしまう程のものだった。
この類のゲームをやったことのない素人の俺でも、だ。
恐ろしいスピードで迫ってくるシンボルをほぼ逃すことなく叩いていた。
あんなのに反応できるなんて、正直考えられない。

春原「…な、なかなかやるじゃん」

動揺を隠せていなかった。
GREAT!と表示された画面を見て固まっている。

律「次はあんたな。あたしより高得点出してみなよ」

春原「ふん、やってやるさ…」

硬貨を投入する。
そして、曲の選択が始まった。
どんどん下にスクロールしていく。

春原「ボンバヘッ入ってないとか、イカれてんな、これ…」

そんなのが入っているほうがおかしい。バグの領域だ。

春原「ま、いいや、これで」

選曲が終わり、ゲームが開始される。
ノリのいいヒップホップのリズムが流れてきた。

100: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:08:22.12 ID:cUBlBpOS0
春原「YO! YO!」

MISS! MISS! MISS!

ガシャーンッ!

春原「…あ」

金網の閉じられるような音と共に、画面にはゲームオーバーの文字が躍る。
つでにブーイングも聞えてきた。

朋也(だせぇ…)

春原「なんだよこの機械っ! 僕のビートがわからないのかよっ!」

律「はっは、画面に八つ当たりするなよな」

春原「こんなポンコツで勝負しても意味ねぇってのっ」

春原「ボンバヘッも入ってないしよ…無効試合だっ!」

律「んとに、ガキだなぁ、おまえは…」

―――――――――――――――――――――

春原「だぁ、なにやってんだよ、ゼスホウカイっ!」

春原「おまえの単勝1点買いだったんだぞっ」

律「はは、馬鹿め、オッズに目が眩んだようだな」

101: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:09:33.64 ID:1qYNd8dxO
律「3番人気なんて選ぶからそういうことになるんだよ」

次の勝負の場は、メダルを使った競馬ゲームだった。

律「複勝と合わせて多点買いしとけよなぁ」

春原「んなミミッチィことできるかよ。収支期待できねぇだろ」

律「マイナスよりマシじゃん」

春原「ふん、所詮、女にはわかんないか…」

春原「岡崎、おまえどうだった?」

朋也「キチクオウ→センゴクランスの馬単が的中だ」

春原「マジかよ!?」

律「ほぉ…」

春原「ちょっとめぐんでくんない?」

朋也「ああ? しょうがねぇな…」

―――――――――――――――――――――

ひとしきり遊んだ後、昼飯を食べに出た。
近場のファミレスに入り、腹を満たす。

春原「部長、おまえも女なら、もっとらしいもん頼めよな」

102: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:09:54.65 ID:cUBlBpOS0
律「私ほどの美少女なら、なに食べてても絵になるのよ、おほほ」

部長が頼んだのは、分厚い肉料理だった。
そのうえに、ガーリックソースなんてゴツイものもかけていた。

春原「おい、岡崎、聞いたかよ」

春原「こいつ、すげぇナルシスト女だぜ」

律「おまえだって、メニュー言う時かっこつけてただろぉ」

律「通ぶって略しちゃってさ、まったく店員さんに通じてなかったじゃん」

律「どこのローカル呼称だよ、って顔してたぞ」

春原「発音がよすぎて、ネイティブにしか伝わんないだけだよっ」

律「焼き魚&キノコ雑炊なんて日本語しかねぇじゃん」

春原「&があるだろうがっ」

律「そこは略してただろうがっ」

朋也(うるせぇ…)

―――――――――――――――――――――

再びゲーセンに戻ってくる。

春原「おし、結構金も使っちゃったからな…次で決めるぞ」

103: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:11:09.21 ID:1qYNd8dxO
律「ああ、いいぜ、雌雄を決してやるよ」

春原「最後だからな、おまえにジャンルを選ばせてやるよ」

春原「レディーxxxx xxxってやつだ」

律「レディーファーストだろ…そのボケはちょっと無理があるぞ」

春原「いいから、選べよ」

律「そうだな…う~ん」

店内を見回す。

律「あ、あれは…」

振っていた顔を止め、ある一点を見つめる。

律「あれにしようか」

指さす先には、UFOキャッチャー。

律「たくさん景品取った方が勝ちな」

春原「なるほどね、いいよ」

春原は、不敵な顔でにやついていた。
得意なんだろうか、こいつは。

―――――――――――――――――――――

104: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:11:29.47 ID:cUBlBpOS0
律「あのカチューシャ犬は特別、得点がでかいことにするぞ」

ケース内には、カチューシャをかけた犬のぬいぐるみがふてぶてしく鎮座していた。
小型、中型、大型とあるが、部長が指定したのは大型タイプだ。

律「あれが3点で、他のが1点な」

春原「いいけど…ブサイぬいぐるみだな」

律「かわいいだろがっ、特にチャームポイントのカチューシャが」

春原「そこが、僕の知ってる動物の同類にみえて、なんか馴染めないんだよね」

律「…それは、誰を指してるのかなぁ?」

春原「さぁね」

律「…ぜってぇ勝つ。私が勝ったら土下座して詫び入れろよな」

言いながら、財布から硬貨を取り出し、投入する。
デラデラと機械音が鳴り出し、アームがプレイヤーの制御下に置かれる。
チャンスは3回のようだった。

律「よし…」

まず一回目。
アームを一度横に動かしてx軸を合わせ、そのまま縦に移動させる。
狙いは大型カチューシャ犬のようだった。

律「今だっ」

105: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:12:42.85 ID:1qYNd8dxO
ぬいぐるみに向かってアームが下りていく。
が、少し距離が足りず、手前で空を切っていた。

律「くそぉ…」

アームが初期位置に戻ってくる。
2回目。
さっきと同じように、ぬいぐるみの上まで持っていく。
今度は頭上に下りていった。
が、カチューシャ部分を掴んでしまい、するりと抜けていった。

春原「ははっ、そんにカチューシャ欲しいのかよ」

春原「もう自分のしてるくせに、他人から奪おうとするなよ」

律「うっさい、あんたは黙っとけ」

律「ちくしょお…」

3回目。大型は諦めて、小型狙いにしていたが、これも失敗していた。
結果、部長は0点。
春原が一つでも取れば、勝ちが確定する状況になった。

律「うぐぐ…」

春原「はは、ほら、どけよ。次は僕だ」

入れ替わり、春原がプレイする。
慣れた手つきで、アームを移動させていく。
小型カチューシャ犬に向けて、迷いなく進んでいく。

106: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:13:05.36 ID:cUBlBpOS0
止める位置もばっちりに見えた。
アームが下りていく。
そして、見事掴んだまま持ち帰っていた。

春原「おらよ、これで、もう僕の勝ちだね」

取り出し口からぬいぐるみを出し、一度空中に放ってキャッチしてみせた。

律「うぅ…くっそ…」

春原「欲張ってあんなデカいの取ろうとするからだっての」

春原「あれはおまえの器以上の業物なんだよ」

律「だって…欲しかったし…」

しゅん、としおれてしまう。
それは負けたからなのか、目当てのものが取れなかったからなのかはわからない。
ただ、本当に欲しかったのだろうということだけはその様子から伝わってきた。

春原「…はぁーあ、普段はこんなことしねぇからな」

言って、UFOキャッチャーと向き合った。
春原の目線、狙う先は、大型カチューシャ犬に向けられていた。

朋也(こいつ、もしかして…)

アームが移動する。
止まったのはやはり、大型カチューシャ犬の頭上。
まっすぐにターゲットめがけて下りていくアーム。

107: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:14:15.64 ID:1qYNd8dxO
そして、少し細くなっている首周りを掴んだ。
しっかりと固定される。
そのまま、こちらに持ってきて…
すとん、と落ちていた。
それを気だるげに取り出す春原。

春原「おらよ、やる」

律「え? いいのか?」

春原「ああ。僕は、こんなのいらないしね」

律「あ、ありがとう…」

受け取る。
大事そうに、ぎゅっと抱きしめた。

春原「ふん…」

照れ隠しなのか、わざとしらけた態度を装っているようにみえた。

春原「じゃあ、もういいか」

アームを二度小さく動かし、1ゲームを自分の意思で降りていた。

春原「ああ、そうだ、この小せぇのも、やるよ」

律「うん…ありがとう」

受け取って、大きい方と一緒に抱える。

108: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:14:39.56 ID:cUBlBpOS0
律「あんた、上手いな、UFOキャッチャー」

春原「まぁね。この界隈じゃ、ゲーセン荒らしって呼ばれてるくらいだからね」

朋也「そうだな…」

朋也「おまえ、よく機械に体当たりして、振動を与えることで景品落としてるもんな」

春原「そういうブラックリストに載るような意味じゃねぇよっ!」

律「わははは!」

春原「ったく…」

いろいろあったが、部長も春原も、今は笑顔を浮かべていた。
これを機に、こいつらの仲が改善されていけばいいのだが…。

朋也(ダメ押ししとくか…)

朋也「おまえらさ、プリクラでも撮ってこいよ。俺がおごってやるから」

春原「なんで僕らが…」

律「そ、そうだよ、意味がわからん…」

朋也「そのプリクラ、明日琴吹に見せてやれよ」

朋也「それで、一日仲良く過ごしたって言えばいいじゃん」

朋也「口だけじゃ、信用されないかもしれないしさ。いつものおまえら見てるわけだし」

110: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:15:46.20 ID:1qYNd8dxO
春原「………」

律「………」

ふたりともだんまりを決め込んでいる。

春原「…ま、僕はいいけど。ムギちゃんのためにね」

春原が先に口を開く。

律「…私も。おやつのために、しょうがなくだけど」

部長もそれに続く形で了承する。

朋也「そっか。じゃ、行ってこい」

春原に100円硬貨を4枚渡す。部長からはぬいぐるみを預かった。
シートをくぐり、筐体の内側に入っていくふたり。
しばらく静かだったと思うと…

律「おまえ、なんでこれ選ぶんだよっ」

春原「これが一番僕の写りがいいからね」

律「ざっけんなっ」

なにごとかわめき出していた。
そして、勢いよく出てきたと思うと、すぐに隣の落書きスペースに移動した。
そこでもシートが揺れるほど騒いでいる。
その騒音が収まったと同時、ふたりとも外に出てきた。

111: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:16:07.64 ID:cUBlBpOS0
春原「ちくしょー、僕に変な文字上書きしやがって…」

律「私なんか目が半開きになってるやつだし…待ってって言ったのに…」

出力されたシールを手に苦い顔をしている。

朋也「なんだよ、さっきまでいい感じだったのに…」

春原「岡崎、見てくれよ、これ」

朋也「あん?」

プリントシールを受け取る。
二つに区切られた枠の片方に写っている春原には、上から罵詈雑言が書きこまれていた。
もう、悪口なのか春原なのかわからないほどに。こっちは部長が編集したのだろう。
もう片方は、春原の周りにオーラのようなものが描かれていた。
まるで、なにかの能力者のようにだ。どっちがどっちを編集したか一目でわかる出来だった。
一方、部長の方だが、キメポーズの途中だったのか、残像が写っていた。
その顔も、引力に引きずられているような感じになっている。

春原「ざけやがって、デコっ!」

律「死ね、ヘタレっ!」

ああ…結局最後はこうなってしまうのか…。

―――――――――――――――――――――

112: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:17:29.56 ID:1qYNd8dxO
4/26 月

唯「岡崎くんたち、きのう、りっちゃんと遊んだんだってね」

朋也「ああ、そうだけど…」

なんでこいつが知っているんだろう。

唯「りっちゃんから写メ来たんだよねぇ…ほら」

疑問に思っていると、平沢が携帯の液晶画面を見せてくれた。
そこに映し出されているのは、あのぬいぐるみだった。

唯「これ、春原くんに取ってもらったんだよね?」

唯「りっちゃん、すごく気に入ってるみたい」

唯「待ち受け画面にしてるんだってさ」

朋也「へぇ…」

人に報告したくなるくらいなら、相当嬉しかったんだろう。
あの後、いつものように春原と軽口を叩き合って別れていたのに。
それでも、家に帰って一旦落ち着けば、ぬいぐるみをその手に上機嫌となれたのだ。
一緒に遊んだ半日も、そう無駄ではなかったようだ。

唯「でもさぁ、私も呼んでくれればよかったのに。暇だったんだよ、きのう」

憂「お姉ちゃん、結局一歩も外に出なかったもんね」

113: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:17:50.62 ID:cUBlBpOS0
唯「そうだよぉ、引きこもり歴丸一日になっちゃったよ。これから続く引きこもり人生の初日だよ」

朋也「でも、ゲーセンだぞ? おまえ、ゲームとかするのか」

唯「う~ん…しないかなぁ…」

朋也「じゃあ、意味ないじゃん。結局、来ても暇なままだろ」

唯「そんなことないよ。応援とかしたりさ…」

唯「あ、ほら、あの、負けたら怒って台叩くのとかやってみたいし」

朋也「それはギャラリーがやることじゃないからな…」

憂「お姉ちゃんは、モグラ叩きとか得意なんじゃない?」

唯「へ? なんで?」

憂「こう、リズムに乗って、えいっ、えいっ、ってするのとか好きそうだし」

唯「そうだね、うんたん♪ うんたん♪ って、カスタネットに似てるしね」

そうだろうか…まずジャンルからして違う気がする。

憂「そんな感じだよ。お姉ちゃん、やっぱりモグラ叩きの才能あるよっ」

全肯定だった。
やっぱりこの子も平沢の血筋なのか…。

唯「えへへ、ありがと」

116: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:19:01.11 ID:1qYNd8dxO
姉もそれを真に受けている…。
恐るべき一族だった。

―――――――――――――――――――――

がらり。

ドアを開け、教室に入る。

春原「やぁ、おはよう」

すぐに寄ってきたのは、妙に元気な金髪の男だった。

春原「一緒に登校してきてるって、やっぱマジだったんだね」

春原「仲いいじゃん、おふたりさん」

朋也「いや、つーかおまえ、なんで朝からいるんだよ」

朋也「きのうは昼まで寝てたいとか言ってたくせによ」

春原「ん? べっつにぃ…」

唯「でも、偉いよ、春原くん。その調子でこれからも頑張ってねっ」

春原「ああ、そうだねぇ…」

男子生徒「おっ、春原、岡崎。おまえら、バスケ部と試合して勝ったんだって?」

男子生徒「けっこう噂になってるぞ」

117: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:19:23.15 ID:cUBlBpOS0
春原「まぁねっ! 楽勝だったよっ!」

男子生徒「すげぇな。ただのヤンキーじゃなかったのか」

春原「たりまえじゃんっ。超一流スポルツメンよ、僕?」

自慢げに語り出していた。

朋也(まぁ、そんなことだろうと思ったけど…)

あまりにも露骨過ぎて、こっちが恥ずかしくなってくる。

唯「う~ん、私も自慢したくなってきたっ」

朋也「やめとけ…」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

昼。

和「あなたたち、一昨日は大活躍だったんですってね」

春原「そうっすよ、もうボッコボコに…」

和「………」

119: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:20:44.49 ID:1qYNd8dxO
春原「あ、いや…」

春原「…そうだよ、すげぇかましてやったんだよ」

和「勝敗は聞いてたんだけどね。あとひとり、助っ人がいたことも」

和「あの非合法組織から人材が派遣されるなんて、ちょっと驚いたけど」

キョンのことだろう。
しかし…

朋也「非合法?」

和「ええ。SOS団といって、学校側から正式に認可されていないクラブがあるの」

和「そこの構成員よ。知らなかったの?」

朋也「いや、俺はよく知らないけど」

春原「なにしてるかよくわかんない、変な奴らなんだよね」

和「そうね。詳しい実態はつかめていないんだけど…」

和「普段は、ボードゲームに興じたり、イベントを企画したりしているらしいわ」

和「まぁ、言ってみれば、唯たち軽音部のような空気を持った集団ね」

律「あんな過激な奴らと一緒にするなよなぁ」

和「過激なのは団長の涼宮さんひとりだけで、後は比較的まともでしょ?」

120: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:21:26.10 ID:cUBlBpOS0
律「まぁ…確かに、キョンの奴は普通だったけど…」

律「あ、でも、あんな部活入ってるし、このふたりとも友達だし、やっぱ変かも…」

春原「どういう意味だよっ」

和「友達?」

春原「ん? ああ、僕と岡崎の友達だよ、キョンは」

和「へぇ…興味深い人付き合いしてるのね、あなたたち」

朋也「そうか?」

和「そうよ。だって、この学校では特異とされる存在同士が交わっているんですもの」

和「それも、あなたたちふたりを起点にしてね」

和「そこになにか、物語めいたものを感じるわ」

朋也「そういうもんか…」

言われても、自分ではあまりピンとこない。

律「しっかし、和も大変だよなぁ、こうも問題児が多くてさ」

律「もしかして、歴代で一番大変な生徒会長になったんじゃないのか」

和「かもしれないわね。でも…おもしろい人間がそろった年代だとも思うの」

122: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:22:49.40 ID:1qYNd8dxO
和「あんたたち軽音部も含めてね」

澪「え、ええ? 私たちもか?」

和「ええ。だから、同じ学校、同じ学年にいられたこと、誇らしく思うわ」

澪「誇りなんて、そんな…」

唯「和ちゃん、シブイこと言うね」

和「そう?」

唯「うん。なんか、この次会う時は、一人称が『俺゛』になってそうなくらいだよ」

和「今のどうやって発音したの…」

こうして俺たちと普通に会話している真鍋だが…
それも、表の顔で、裏ではいつも高度な政治戦を繰り広げているのだ。
おもしろい人間…そうは言うが、こいつ自身も強烈な個性を持っていると、俺は思う。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。軽音部部室に訪れ、茶を飲み始める。

唯「今日は私からもみんなにプレゼントがあります」

123: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:23:28.84 ID:cUBlBpOS0
唯「さぁ、受け取るがよい、皆の衆」

鞄を逆さにして、上下に振った。
中から大量に何かが落ちてくる。

澪「…ウメボシ太郎?」

律「なぁんだよ、これはっ」

唯「ウメボシ太郎」

律「いや、見りゃわかるよ。そうじゃなくて、量のこと言ってんのっ」

唯「いやぁ、実は、ウメボシ太郎が食べたくなる衝動に襲われちゃってさぁ」

唯「それで、いっぱい買ったんだけど、二個食べたら飽きちゃったんだよね」

唯「あんなに渇望してたのにさ…」

梓「すごい次元の衝動買いですね…」

唯「でもそういうことってあるよね?」

律「まぁ、あるけどさぁ…ここまではねぇよ」

澪「いや、おまえもけっこうひどいぞ」

澪「中学の時、修学旅行先で木刀三本も買ってたじゃないか」

澪「それで、旅行中ずっと私に試し切りしてきたけどさ…」

124: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:25:35.32 ID:1qYNd8dxO
澪「帰ってから一度も触ってるとこみたことないぞ」

律「う…よく覚えてるな、そんなこと…」

梓「律先輩、典型的な中学生だったんですね」

律「う、うっさい」

春原「はは、そんなもん買ったって、荷物がかさむだけじゃん」

春原「普通、自宅に送ってもらうだろ」

律「って、おまえも買ったんかい…」

春原「い、いや…一般論を言っただけさ」

絶対にこいつは経験者だ。

唯「でもさ、ムギちゃんの衝動買いってすごそうだよね」

紬「そんなことないよ」

とはいえ、高級料理店にふらっと立ち寄るくらいはしそうなのだが…

紬「たまに、M&Aするくらいだから」

企業買収だった!

澪「す、すごいな、ムギ…」

127: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:25:59.67 ID:cUBlBpOS0
梓「さすがです…」

唯「M&A? なにそれ」

律「誰かのイニシャル? 二人組ユニット?」

春原「お笑い芸人にそんなのいたよね」

春原「きっと、個人的に呼んで、ネタみせてもらってるんじゃない?」

唯「おおぅ、そうだよ、それだよっ」

律「やるじゃん、春原」

春原「へへっ、まぁね」

アホが三人、ずれまくった結論で盛り上がっていた。

紬「梓ちゃんは、どんな感じなの?」

梓「私ですか…」

唯「あずにゃんは、なんかしそうにないよね」

律「計画とか立ててそうだよな」

梓「はぁ…でも、たまにしますけどね」

唯「え? ほんとに? なに買うの?」

128: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:27:17.39 ID:1qYNd8dxO
梓「えっと…カツオブシ…」

唯「カツオブシ?」
律「カツオブシ?」

梓「あう…」

律「猫みたいな奴だな…」

唯「でも、あずにゃんのイメージにぴったりだよ」

律「カツオブシがか?」

唯「猫のほうだよぉ」

梓「み、澪先輩はなにかないんですか?」

澪「私? 私は…」

律「澪は衝動食いだよな。ヤケ食いでリバウンドとか…」

ぽかっ

律「いっつぅ…」

澪「そんな失敗談持ってないっ。いちいち変な情報出してくるなっ」

律「うぅ、わかったよ…。で、おまえはなんなんだ?」

澪「ん、私は、マシュマロとかかな」

129: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:27:36.34 ID:cUBlBpOS0
梓「へぇ、澪先輩らしい感じがしますね」

律「でもそれってやっぱ、デブる要因になるんじゃ…」

澪「で、デブとかいうなっ」

律「ひぃ、すみましぇん…」

澪「ほんとにもう…」

澪「…あの、岡崎くんは、なにかあったりする?」

朋也「俺か? 俺は、そうだな…」

朋也「たまに甘いものが欲しくなったりするな。そんな時は駄菓子とかたくさん買ってるよ」

澪「へぇ…それって、反動っていうのかな?」

澪「岡崎くん、いつも甘いもの避けて、お茶とおせんべいだしね」

朋也「そうかもしれないな」

紬「甘いものが欲しくなった時は、いつでも言ってきてね。ケーキも、紅茶も用意するから」

朋也「なんか、悪いな、いろいろと…」

紬「ううん、全然よ」

律「春原、あんたはどうせ●●本とか大量に買ってんだろ?」

130: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:28:50.52 ID:1qYNd8dxO
律「衝動買いっつーか、本能買いって感じでさ」

春原「馬鹿にすんなっ! ちゃんと厳選してんだよっ!」

春原「ジャケ買いなんか、素人のすることだねっ」

律「んな主張で胸張るなよ…」

朋也「おまえは、よく俺のジュース買いに走る衝動に駆られてるよな」

春原「パシリじゃねぇよっ!」

律「わははは! やっぱ、あんたオチ要員だわ」

春原「くそぅ…いつの間に定着してんだよ…」

―――――――――――――――――――――

部活も終わり、下校する。

澪「はぁ…結局今日も練習できなかった…」

律「だって めんどくさいんだもの りつを」

澪「相田みつをさん風に言うな」

律「いいじゃん、息抜きも大事だぜ」

澪「抜きすぎだ。それに、再来週にはもう創立者祭があるんだぞ」

131: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:29:31.92 ID:cUBlBpOS0
澪「あんまりだらだらもしてられないだろ」

唯「でも、二週間以上もあるから、まだ大丈夫だよ」

梓「いえ、今のうちからしっかりしてないとダメですっ」

梓「三年生は出し物がないからいいですけど、一、二年生は準備がありますから」

梓「それに、ゴールデンウィークも挟みますし」

唯「えぇ~、でも、あずにゃんだってトークしながら紅茶飲んでたじゃん」

梓「あ…う、そ、それは…」

梓「あ、明日からちゃんとするんですっ!」

唯「ムキになっちゃってぇ、かわいいなぁ、もぉ」

中野に抱きつき、頭を撫で始める。

梓「あ…もう、唯先輩は…」

春原「なぁ、岡崎、創立者祭ってなんだっけ」

朋也「文化祭みたいなもんだ」

春原「ふぅん、そうなんだ。初めて知ったよ」

律「マジで言ってんの? あんた、ほんとにうちの生徒かよ」

132: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:31:23.15 ID:1qYNd8dxO
春原「授業がないってことだけは知ってたよ。単位に関係ないし、ずっとサボってたけどね」

律「ほんとにロクでもない奴だな、おまえは…」

律「でも、今回は来てもらうぞ。またおまえらには機材運んでもらうからな」

春原「あん? やだよ、めんどくせぇ」

律「なに言ってんだよ、部室に入り浸って飲み食いしてるくせに」

律「今後もそうしたいなら、文句言わずに手伝えよな」

春原「ちっ、汚ねぇ取り引き持ちかけやがって」

律「相応の条件だろ。それと、朝からちゃんと来とけよ。文化系クラブの発表は午前中にあるんだからさ」

春原「午前中ぅ? まだ夢の中にいるんだけど」

律「夢遊病者のようになってでも出て来い」

春原「そんなことしたら、なにかの拍子に事故が起こるかもしれないじゃん」

春原「例えば、僕がふらついて、おまえに激突したりとかさ」

春原「それで、おまえが隠し持ってた育毛剤が床に転がりでもしたら、ショックだろ?」

律「最初から持ってないわ、そんなもんっ!」

春原「うそつけ、おまえ、いつも胸ポケットもり上がってるじゃん。入ってんだろ、例の物がさ」

133: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:32:14.34 ID:cUBlBpOS0
律「ちがうわっ! これは携帯だっての!」

ポケットから取り出してみせる。

春原「そんな型のもん買ってきやがって、偽装に命かけてるね、おまえ」

律「本物の携帯だっつーの!」

折り畳んでいた状態から、ぱかっと開き、ディスプレイを春原に向けた。

春原「あれ、それ…」

律「っ! うわ、しまっ…」

そそくさと畳み直し、ポケットにしまった。

律「………」

ほのかに顔を赤らめて、決まりが悪そうに顔を伏せていた。

澪「ああ、そういえば…」

澪「律、春原くんにもらったぬいぐるみ、待ち受けにしてたんだっけ」

律「うぐ…」

春原「ふぅん、けっこう可愛いとこあるじゃん」

律「な、か、可愛いって、おま…」

134: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:32:56.66 ID:cUBlBpOS0
唯「あはは、りっちゃん顔真っ赤ぁ~」

律「ゆ、唯、こら…」

紬「あら? ラブが芽生える感じ?」

律「む、ムギまで…」

いつもとは逆の立場で、揶揄される側に回っていた。
自分が的になるのはなれていないのか、しどろもどろだ。

春原「はは、ムギちゃん、僕、デコはお断りだよ」

律「な、な、なんだとぉ? あたしだってヘタレは願い下げだってのっ!」

春原「ああ? てめぇ、デコのくせに生意気だぞ!」

律「うっせー、ヘタレ!」

春原「ぐぬぬ…」
  律「ぐぬぬ…」

紬「喧嘩するほど仲がいいってね」

澪「はは、そうかも」

春原「んなわけないっ!」
  律「んなわけないっ!」

唯「あははっ、息ピッタリだよ」

136: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:34:10.15 ID:cUBlBpOS0
春原「………」

律「………」

春原「けっ…」
  律「ふん…」

似たような反応をする。
やはり、同系統の人間な気がする。

―――――――――――――――――――――

139: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:35:34.39 ID:1qYNd8dxO
4/27 火

憂「あ、お姉ちゃん、寝癖ついてるよ」

唯「え、どこ?」

憂「襟足近くがハネちゃってるぅ…ちょっと待ってね」

立ち止まり、鞄からクシを取り出した。
撫でつける様に、やさしく平沢の髪をといていく。

憂「これでよし」

唯「ありがとぉ、憂」

憂「うん」

憂「………」

俺をじっと見てくる憂ちゃん。

朋也「ん? なんだ?」

憂「岡崎さんは、髪さらさらですね」

朋也「そうかな」

憂「はい。なにかお手入れとかしてるんですか?」

朋也「いや、したことないよ」

140: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:35:55.90 ID:cUBlBpOS0
憂「ナチュラルでそれですか…うらやましいです」

憂「キューティクルも生き生きしてて、ツヤもあるし…」

憂「あの、触ってみてもいいですか?」

朋也「ああ、いいけど」

身をかがめ、憂ちゃんに合わせる。

憂「じゃあ、失礼して…」

手ですくうようにして、側頭部に触れてきた。

憂「うわぁ、女の子みたいです…いいなぁ」

唯「岡崎くん、私も触っていい?」

朋也「ああ、いいけど」

俯いたまま答える。

唯「ほんとだ、さらさらだぁ」

憂「だよねぇ…」

ふたりして好き放題触っていた。

朋也「そろそろいいか」

141: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:37:12.54 ID:1qYNd8dxO
憂「あ、はい。ありがとうございました」

朋也「ん…」

体勢を戻す。

唯「シャンプーはなに使ってるの?」

朋也「スーパーで買った適当なやつ」

唯「そうなの? ほんとに全然気を遣ってないんだね…」

唯「でもさ、卑怯だよっ、そんなの。私はケアしても寝癖つくのにさ」

朋也「そういわれてもな…」

唯「髪が綺麗な分、どこかにしわ寄せがきてなきゃだめだよっ」

唯「例えば、脇がめちゃくちゃ臭いとか」

朋也「そんな奴と登校したくないだろ…」

唯「でも、それくらいじゃないと納得できないよっ」

唯「だから、岡崎くんは脇が臭いことに決定ね」

朋也「決めつけるな…」

―――――――――――――――――――――

142: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:37:50.35 ID:cUBlBpOS0
………。

―――――――――――――――――――――

昼。

春原「おい、平沢。そこの醤油取ってくれよ」

唯「いいよぉ」

唯「はい、どうぞ」

春原「お、サンキュ」

受け取って、納豆にそそいでいく。
全体に絡めると、それを混ぜて、ご飯の上に乗せた。

春原「やっぱ、ご飯には納豆が至高だよね」

ひとりごちて、口に運ぶ。

春原「お゛え゛ぇえええっ!」

朋也「うわ、きったねぇな、至高のゲロ吐くなよっ」

律「そうだぞっ、もらいゲロでもしたらどうすんだっ」

春原「ちがうよっ! これ、醤油じゃなくてソースだったんだよっ!」

春原「平沢、てめぇ、僕をハメやがったなっ!」

144: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:39:04.54 ID:1qYNd8dxO
唯「あわわ、ごめん。でも、ラベルが貼ってなくてわかんなかったんだよ…」

唯「だから、とっさに濁ってる方を選んじゃった」

春原「その時点で確信犯だろっ!」

朋也「まぁ、受け取った時気づかなかったおまえも悪いよ」

朋也「だから、前向きに考えて、事態を好転させろよ」

朋也「このケチャップで中和させたりしてさ」

春原「最悪のトッピングですねっ!」

律「わははは!」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。
今日は最初からさわ子さんも交えた状態で活動が始まった。

春原「おまえら、昔いたアーティストで、芳野祐介って知ってる?」

春原「あの人さ、今この町にいるんだぜ」

146: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:40:27.11 ID:cUBlBpOS0
   澪「えぇ!?」
   梓「えぇ!?」
さわ子「えぇ!?」

さわ子「春原、それ、ほんとなの…?」

春原「ほんとだよ。この前、名刺もらったし」

春原「え~っと…」

上着のポケットをまさぐる。

春原「これだよ」

一枚の名刺を取り出す。
長い間ポケットの中に入れられていたのだろう…しわくちゃになっていた。
最悪の保存状態だ。
にもかかわず、声を荒げて反応していた三人の注目を集め続けていた。

梓「本物ですか…?」

春原「間違いねぇよ。顔も一致してたし」

春原「な、岡崎」

朋也「いや、俺は顔のことはよく知らねぇけど」

澪「岡崎くんも、みたの?」

朋也「ああ。その時、俺もこいつと一緒に居合わせてたんだよ」

147: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:41:55.53 ID:1qYNd8dxO
さわ子「ちょっとそれみせて」

春原「いいけど」

名刺を受け渡す。

さわ子「…電設会社、ね…」

さわ子さんは名刺を眺め、そう小さくこぼしていた。
その表情は、なぜか複雑そうだった。

梓「びっくりです…同じ町に住んでたなんて」

澪「うん。全然知らなかった…でも、なんか感動」

律「そういえば、おまえ、かなり芳野祐介好きだったもんな」

澪「今でも好きだっ」

律「さいですか」

梓「澪先輩も、芳野祐介好きだったんですね…意外です」

梓「あの人、ハードなロックを歌ってますからね」

梓「澪先輩が書くような感じの詩とも、ずいぶんとかけ離れてますし」

澪「って、梓も好きなのか?」

梓「はいっ、すごく好きですっ。いいですよね、芳野祐介の音楽は」

148: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:42:22.97 ID:cUBlBpOS0
澪「うんうん、だよなぁ!」

澪「歌詞は激しいのに、聞いてると涙が出そうになるくらい胸を打ってきたりするしな!」

梓「ですよね! それに、ギターのテクもすごいですし!」

ファン魂に火がついたのか、話題が尽きることはなかった。
アルバムがどうだの、お気に入りの曲はなんだのと語り合っていた。

律「話についていけねぇよ…」

唯「私もだよ…」

紬「私も芳野祐介さんの事はちょっと知ってるけど、あそこまでコアじゃないなぁ」

律「にしても…さわちゃんもファンなの? ずっと名刺見てるけど」

さわ子「え? ああ、ファンっていうか、まぁ、ね…」

さわ子「あ、これ、ありがと、春原」

言って、春原に返す。

律「なに? なんかワケアリ?」

さわ子「いや、まぁ…なんでもないわよ」

梓「ところで、春原先輩は、どこで見かけたんですか?」

春原「商店街を抜けたあたりだったよ」

149: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:43:45.01 ID:1qYNd8dxO
梓「あの辺かぁ…あんまり行かないからなぁ…」

澪「私も…」

春原「もしかして、会いたいの? おまえら」

梓「それは、できたらそうしたいですけど…でも…」

澪「うん…遠くから見るくらいでいいかな」

春原「なんでだよ。せっかくなんだから話しかければいいじゃん」

梓「だって…芳野祐介って…その…引退理由が少し特殊ですし…」

梓「まずいじゃないですか。ファンなんです、なんて言ったりしたら…」

春原「ああ、そのことね…」

春原「ま、そんなことなら、僕と岡崎がいれば問題なく近づけるんだけどね」

春原「もう、知らない仲じゃないし」

といっても、そこまで親しいわけでもないが。

澪「そ、そうなの? すごいね…」

春原「ふふん、まぁね」

褒められて気を良くしたのか、したり顔になっていた。

151: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:44:13.18 ID:cUBlBpOS0
春原「なんだったら、今から探しに出る?」

春原「運よく見つけられたら、話しかけられるぜ?」

梓「い、行きたいです!」

澪「私も!」

律「おまえら、きのうちゃんと練習しろとか言ってなかったか?」

澪「い、今は緊急事態なんだから、しょうがないだろっ」

梓「そうですよっ」

律「めちゃ力強いな、おまえら…」

さわ子「…私も行くわ」

律「うえぇっ? さわちゃんもかよっ!? でも、いいの? 仕事ほっぽりだして」

さわ子「大丈夫。バレなければいいのよ」

さわ子「こんなこともあろうかと、用意しておいた衣装があるの」

立ち上がり、物置へ向かった。
そして、俺たちのよく見慣れた服を手に戻ってくる。

さわ子「これよ」

唯「あっ、光坂の制服だぁ」

153: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:45:49.52 ID:1qYNd8dxO
さわ子「そうよ。これを着て、生徒に変装するの」

律「いや、変装っていうより、コスプレに近いんじゃ…」

さわ子「歳的な意味で言ってるなら、死ぬことになるわよ?」

律「とっても似合うと思いますっ」

さわ子「よろしい」

―――――――――――――――――――――

外へ出てきた俺たちは、早速芳野祐介を探し始めた。
といっても、闇雲に動き回っているわけじゃない。
琴吹の携帯…それも、なにか特殊な業務に使われているものらしいのだが…
それを使って、周辺の工事情報を集めてから、手分けして現場に当たっていた。

―――――――――――――――――――――

紬「あの中にいる?」

春原「いや、いないよ」

紬「そう…」

これで、回ってきたのも3件目。
まだ他の連中からも、目撃の連絡が来ない。

春原「今日は仕事ないのかもね」

155: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:46:28.59 ID:cUBlBpOS0
春原「もう、このままフケちまって、どっか遊びにいかない?」

春原「僕とムギちゃんふたりでさ」

俺たちは、琴吹と組んでスリーマンセルで動いていた。
携帯という連絡手段を持ちあわせていないので、誰かしらと組む必要があったのだ。

春原「岡崎も、気ぃ利かせて帰るって言ってるしさっ」

朋也「そんなわけねぇよ、俺はいつだっておまえの死角に存在するんだからな」

春原「マジかよっ!? つーか、なにが目的だよっ!?」

朋也「おまえ、気づいたらティッシュ箱が自分から遠のいてることないか?」

朋也「そういうことだよ」

春原「あれ、おまえかよっ! めちゃくちゃうざい現象なんですけどっ!」

紬「くすくす」

―――――――――――――――――――――

一度全員で駅前に集まる。

律「全然いなかったんだけど」

唯「私たちがみてきた方面も全滅だったよ」

紬「こっちも、だめだったわ」

160: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/25(土) 23:59:38.74 ID:cUBlBpOS0
澪「この地区の外で仕事してるのかな…」

朋也「いや…」

一台の軽トラが停めてある。
その向こう側に、人の動く気配。

朋也「いた」

さわ子「どこ?」

朋也「あそこだよ。いこう」

俺たちは軽トラに近づいていった。

朋也「ちっす」

荷台に荷物を乗せ終えた作業員に声をかける。

春原「どもっ」

芳野「…ん?」

芳野「ああ…いつかの」

どうやら覚えていてくれたようだ。

芳野「どうした。今日はまた大道芸をしにきたのか」

春原「はい、そんな感じっすっ」

161: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:01:31.43 ID:jpDSDOMkO
春原「それで、今日は、その仲間も連れてきてるんすよっ」

芳野「後ろのお嬢ちゃんたちか」

さわ子「お嬢ちゃんとはご挨拶ね」

さわ子さんが前に出る。

さわ子「久しぶりね、芳野祐介。私のこと、忘れたとは言わさないわよ」

春原「…へ?」

その場にいた全員が目を丸くする。

芳野「あー…すまん。どこかで会ったことあるか?」

さわ子「私よ、私っ!」

メガネを外し、頭を激しく振りながらエアギターを始める。
俺にはなにがなんだかさっぱりわからなかった。

芳野「まさか…あんた、キャサリンか。デスデビルの」

さわ子「はぁ…はぁ…ようやく思い出したようね…」

芳野「しかし…その制服…」

さわ子「あ、こ、これは…」

芳野「あんた…留年してたのか」

162: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:02:11.86 ID:+UZ/pLeq0
ずるぅっ! 

さわ子「そ、そんなわけないでしょっ! 今は教師をやってるのっ!」

さわ子「それで、この子たちは、私の教え子よっ」

芳野「そうか…でも、なんで教師のあんたが制服なんだ」

さわ子「それについては言及しないで。深い事情があるのよ…」

芳野「そうなのか…まぁ、いいが」

春原「……どうなってんの」

それは俺も知りたい。

芳野「それで…俺になにか用があるのか」

さわ子「あるのは、私じゃなくて、この子たちのほうよ」

芳野「あん?」

さわ子「みんな、あんたが芳野祐介ってこと、知ってるの」

さわ子「かつてアーティストとして活動していた、ね」

俺たちがひた隠そうとしていたことを、さらりと言ってのけていた。
芳野祐介はどんな反応をするのだろうか…

芳野「…そうか」

164: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:03:57.64 ID:jpDSDOMkO
芳野「………」

芳野「悪いが、俺はもう、昔の俺じゃない」

芳野「だから、あんたらの用向きには応えられない」

やはり、壁を作っていた。かつての自分に対して。

澪「ごめんなさい…」

秋山が、泣きそうな顔で、ぽつりと小さくつぶやいた。

澪「私、芳野さんの引退理由、知ってました」

澪「当時の事を思い出したくない気持ちも、大体想像できてました」

澪「それでも、この町にいるってことを聞いて、どうしても会いたくて…」

澪「こんな、押しかけるようなマネをして…」

澪「本当に、すみませんでした…」

梓「わ、私も同じです。自分のことばっかり考えちゃって…」

梓「でも、会えたらどうしても伝えたかったんです」

梓「ずっとファンだったこと…あ、今でも好きですけど…」

梓「うん…あと…芳野さんの歌に、何度も励まされたことを」

165: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:06:14.78 ID:+UZ/pLeq0
澪「私も…そうです。落ち込んだ時、辛い時、悲しい時…」

澪「それだけじゃなくて、上手くいった時なんかも、聴いてました」

澪「歌詞にあるような、まっすぐな綺麗さにも、すごく感動しました」

澪「芳野さんの歌を聴くと、救われたような気持ちになるんです」

澪「だから、その…ありがとうございましたっ」

梓「あ、ありがとうございましたっ」

芳野「………」

投げかけられる言葉。ただじっと受け止める。

芳野「…いい生徒を持ったな」

ふたりに答えるでもなく、さわ子さんにそう言った。
その表情には、幾分の柔らかさがあるようだった。

さわ子「まぁね。みんな、私の自慢の生徒よ」

律「春原も?」

さわ子「ええ…多分」

春原「そこは断定してくれよっ!」

芳野「おまえらも、最初から知ってたのか」

166: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:08:07.62 ID:jpDSDOMkO
朋也「ああ。悪かったよ、変な芝居につき合わせちまって」

芳野「いや…それなりに楽しかったからな」

ふ、と一度微笑む。

芳野「今の俺に、礼の言葉なんか受け取れはしない」

芳野「だが…」

芳野「その気持ちだけは、しっかりと噛み締めておく」

クサい言い方だったけど、この人が口にすると様になった。

芳野「名前は?」

澪「秋山澪です!」

梓「中野梓です!」

芳野「そうか」

芳野「澪、梓。君たちがいつまでも前を向いて歩いていけるよう…」

芳野「どんな逆境でも耐え抜いて、真っ直ぐ歩いていけるよう…」

芳野「この俺も祈ってる」

芳野「………」

167: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:08:48.70 ID:+UZ/pLeq0
芳野「じゃあ、またな」

それだけ呟いて、去っていく。
車に乗り込み、エンジンをかける。
すぐにその音は遠ざかっていった。

春原「…どういうこと? 僕、なんか混乱してきたんですけど…」

さわ子「一度、部室に戻りましょう。そこで話してあげる」

―――――――――――――――――――――

さわ子「あんたらには話してなかったけど…」

さわ子「私、昔この学校の軽音部で、バンドやってたのよね」

春原「え? さわちゃんってここのOBなの?」

さわ子「そうよ」

春原「へぇ、じゃ、先輩じゃん」

さわ子「ええ、だから、今まで以上に慕いなさいよ」

春原「オッケー、わかったよ、さわちゃん」

さわ子「その、さわちゃん、っていうのが、慕ってるように見えないんだけどね…」

唯「ちなにみこれが当時のさわちゃんだよ」

168: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:09:43.05 ID:+UZ/pLeq0
一枚の写真。
そこには、仰々しいメイクと衣装で不敵に笑うさわ子さんと、その仲間たちが写っていた。

さわ子「あ、こら、唯ちゃんっ、まだそんなもの…」

律「んで、これが音源な」

小さめのラジカセを手に持ち、再生ボタンを押した。
凶悪な音楽と、叫ぶような歌声が聞えてくる。

さわ子「こら、やめなさいっ」

平沢からは写真を奪い、部長からはラジカセを取り上げた。

春原「…さわちゃんって、けっこうヤバい人だったんだね」

さわ子「これは格好だけよ。中身は普通だったわよ」

そうだろうか。
この人の現在の性格を鑑みるに、当時もやっぱりスレていたんじゃなかろうか。

さわ子「あんたらふたりのほうがよっぽどヤンチャよ」

さわ子「すぐ喧嘩してくるんだからね。去年は大変だったわよ」

思い返してみれば、確かにそうだった。
よそで喧嘩してくるたび、学年主任に呼び出され、その都度この人がかばってくれていたのだが…
その時のはぐらかし方が妙に手馴れていたような…そんな気もする。
まるで、そんな立場に立たされたことがあるかのようにだ。
なら、やっぱり、この人も昔は無茶していたんだ。

171: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:12:15.12 ID:jpDSDOMkO
俺たちに目をかけてくれるのも、そんな時代の自分と重ねてみているからなのかもしれない。

さわ子「ま、それはいいとして…芳野祐介だったわね」

梓「そうですよっ。どうやって知り合ったんですか?」

さわ子「対バンよ、対バン。この町のハコでずいぶん演ったわ」

梓「って、もしかして、芳野さんも、この町の出身なんですか?」

さわ子「そうよ。高校生の時に知り合ったんだけどね…私は光坂で、あっちは北高だったの」

梓「へぇ…」

澪「そうだったんですか…知りませんでした」

澪「公式プロフィールには、そういうこと書いてなかったですから」

律「よかったじゃん、マニア知識がひとつ増えてさ」

澪「うん…嬉しい…」

さわ子「まぁ、第一印象は最悪だったんだけどね」

さわ子「いきなり乱入してきて、マイク奪って、乗っ取ってくるし」

春原「…マジ?」

さわ子「大マジよ」

172: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:13:16.91 ID:+UZ/pLeq0
俺もにわかには信じられない。
あのクールな印象からはかけ離れすぎていた。

さわ子「あの頃のあいつは、そりゃもう、ヤバイぐらい暴れまわってたんだから」

さわ子「そのせいで、いろんなバンドから恨み買って、敵作って…」

さわ子「それでも、ずっと歌い続けてたわ」

さわ子「そんな姿が、若い私には、かっこよく映ったんでしょうね」

さわ子「次第に興味を持つようになっていったの」

さわ子「そして、あるライブの後、思い切って話しかけてみたの」

さわ子「粗野で荒々しい奴かと思ってたんだけど、話してみると、意外とシャイな上に無口でね」

さわ子「それに加えて、無愛想で…そうね、ちょうど岡崎みたいな感じだったわ」

春原「こいつ、悪人顔だもんね」

朋也「黙れ」

さわ子さんは続ける。

さわ子「でも、言葉数は少なかったけど、音楽に対する情熱はすごく持ってるってことがわかったの」

さわ子「そこからよ、よく話すようになったのは」

そこまで言って、紅茶を飲み、一呼吸入れた。

173: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:13:53.44 ID:+UZ/pLeq0
さわ子「…多分恋してたんでしょうね」

さわ子「気づいたら、あいつのことばかり考えるようになってたの」

さわ子「そして、3年生になって、進路も大方決めなきゃいけない時期がきて…」

さわ子「あいつにどうするか訊いてみたの」

さわ子「そしたら、卒業後は、上京して、プロのミュージシャンになるなんて言うのよ」

さわ子「それを聞いて、私も血がたぎったわ」

さわ子「じゃあ、自分もミュージシャンになって、こいつと同じ道を歩くぞ、って…」

さわ子「そう、思ったんだけど…」

さわ子「………」

さわ子「その後に続けて、『プロになれたら、好きな人と一緒になる』って、そう言ったの」

さわ子「聞けば、新任の女教師に惚れてるってことらしかったわ」

さわ子「失恋よ、失恋」

さわ子「そこで、私の恋は終わって、進む道も、てんで別方向に分かれちゃって…」

さわ子「それっきりになっちゃったのよ」

この人にそんな過去があったなんて知らなかった。
付き合いは長いつもりだったが、まだ踏み込めていなかった領域だ。

174: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:15:37.82 ID:jpDSDOMkO
でも…今回、こんな話をしてくれるほどに、俺たちは想われている。
こそばゆいやら、うれしいやら…。

さわ子「ま、こんなとこかしら」

梓「先生…すごすぎます…尊敬ですっ」

澪「かっこいいです、先生っ」

紬「ドラマチックですね」

さわ子「そう? おほほほ、もっと褒めなさい」

律「ま、でも、要は、失恋しちゃったよ~って話だよな」

ビシッ ビシッ ビシッ

律「うぎゃっ痛っ、さわちゃ、痛いっ」

ビシッ ビシッ ビシッ

部長の額に容赦なくデコピンが次々に繰り出されていた。

唯「りっちゃんは一言多いよね」

律「唯にまともな突っ込みされるあたしって一体…」

額を押さえながら言う。攻撃はもう止んでいた。

さわ子「そうそう、これは余談なんだけどね…」

175: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:16:45.99 ID:+UZ/pLeq0
ゆっくりと口を開く。

さわ子「あいつが好きだった先生っていうのが、この学校で教師をされてたのよ」

澪「え? だ、誰ですか?」

さわ子「あなたたちは知らないと思うわ。3年前に退職されてるからね」

さわ子「伊吹公子さんっていうんだけど…」

唯「え? 伊吹さん?」

唯「もしかして、ショートヘアで、おっとりした感じの人?」

さわ子「え、ええ…今はどうかしらないけど、髪はショートだったわ」

唯「じゃあ…やっぱり、あの伊吹さんだ。先生してたって言ってたし」

梓「ゆ、唯先輩、知り合いなんですか?」

唯「うん。私がよくいくパン屋さんの常連さんだから、会えばお喋りしてるよ」

さわ子「へぇ…世間は狭いものねぇ…」

澪「で、どんな人なんだ?」

唯「えっとね、綺麗で、優しくて、それで…」

話し始める平沢。
そこへ熱心に耳を傾ける秋山と中野。

176: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:18:24.24 ID:jpDSDOMkO
人の繋がりとは、不思議なものだ。
どこでどう交差するかわからない。
今回のように、意外な交流があったりする。
小さい町だったから、とくにそれが顕著なのかもしれない。
…ふと、思う。
俺も、そんな人と人の繋がりの中に入っていっているのではないか。
あんなにも人付き合いが嫌だった、この俺がだ。
なんでだろう。なにが始まりだったろう。
思い起こせば、それは、やっぱり…平沢からだったように思う。

唯「でね、そのパンが爆発して、周りにチョコが飛び散ったんだよ」

澪「…話が脱線していってないか」

唯「あ、ごめん。えへへ」

無邪気に笑う平沢。
できることなら、その笑顔を、ずっとそばで見ていたいと…
そう思う。

朋也(…俺、こいつのこと、好きなのかな…)

よくわからなかった。
でも…一人の人間としては、間違いなく好きだった。

―――――――――――――――――――――

177: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:19:12.24 ID:+UZ/pLeq0
4/28 水

唯「ふぁ~…んん」

朋也「眠そうだな」

唯「うん…きのうは遅くまで漫画読んでたから、寝不足なんだぁ…」

唯「ふぁあ~…」

大きくあくび。

唯「ほんとはすぐにやめるつもりだったんだけどさ…」

唯「読んでる途中で2、3冊なくなってることに気づいて、探し始めちゃって…」

唯「続きが読めないってなると、逆にすごく読みたくなって、必死だったよ」

憂「鬼のような形相で探してたもんね、お姉ちゃん」

唯「うん、あの時の私は、触れるものすべてを傷つけてたよ」

唯「そう…自分さえも、ね」

悲しい過去を持っていそうに言うな。

唯「それで、やっとみつけたんだけど、その喜びで、全巻読破しちゃったんだよねぇ」

朋也「寸止めされると、逆に、ってやつか」

178: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:20:21.11 ID:jpDSDOMkO
唯「そうそう、そんな感じ。これ、なにかに応用できないかなぁ」

憂「勉強は?」

唯「だめだめ、止められたら、そのままやめちゃうよ」

朋也「練習はどうだ。部活でさ。逆にやりたくなるんじゃないのか」

唯「おお!? それ、いいかもしれないねっ」

朋也「じゃあ、今日は春原の奴に、妨害させるな」

朋也「隣で発狂したように、唯~唯~って言わせてさ」

唯「それ、なんかすごくやだ…」

朋也「そうか?」

唯「うん。練習より先に、春原くんが嫌になっちゃうよ」

朋也「それもそうだな」

言いたい放題だった。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

179: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:21:49.43 ID:jpDSDOMkO
昼。

春原「へへ…みろよ、手に入れてやったぜ」

その手の中にあるものは、パンだった。
今日のこいつは、定食の他にパンも買いに走っていたのだ。

春原「謎のパン…竜太サンドだ」

朋也「どうでもいいけど、おまえボロボロな」

春原「しょうがないだろ、紛争地帯に突っ込んでたんだからよ」

確かに、今日のパン売り場は、そう表現していいほどに混み合っていた。
なんでも、学食erの間では、先週の告知以来、竜太サンドの話題で持ちきりだったらしい。
俺はこいつに聞いて初めてその存在を知ったのだが。

春原「生還できただけでも奇跡なんだよ」

春原「僕の目の前で、何人も志半ばにして力尽きていったからね」

春原「今でも、その浮かばれない霊が成仏できずに彷徨ってるって話さ」

そんなパン売り場はない。

澪「れ、霊…?」

律「真に受けるなよ、澪…」

春原「だから、売り子のおばちゃんにたどり着けた時は、本当に嬉しかったよ」

180: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:22:12.11 ID:+UZ/pLeq0
春原「もう、ゴールしてもいいよね…? って思わず口走っちゃったし」

自ら死亡フラグを立てていた。

律「でもさ、それって、竜田の誤植だろ。中身はどうせ普通のパンだよ」

春原「んなことねぇよっ! 竜太の味がするに決まってんだろっ」

律「いや、どんなだよ、それ…」

春原「それを今から解き明かしてやろうっていうんだろ」

意気揚々と包装紙を破り捨てる。

ぼろぼろぼろ

春原「げぇっ」

ぐちゃぐちゃになったパンが手にこぼれ落ちてきていた。
死亡フラグはパンに立っていたようで、しっかりここでイベントが起きていた。

春原「あ…ああ…」

朋也「もみくちゃになりながら戻ってきたからだな」

律「はは、おまえらしいオチだよ」

春原「ちくしょーっ! ふざけやがってっ!」

ゴミ箱に向かって竜太の塊を遠投する。

181: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:23:22.84 ID:jpDSDOMkO
べちゃっ

春原「あ、やべ…」

男子生徒「………」

ひとりの男子生徒の後頭部に直撃していた。
ゆっくりと振り返る。

ラグビー部員「今の…てめぇか、春原」

ラグビー部員だった。

ラグビー部員「なんか叫んでたよなぁ? 俺がふざけてるとかなんとか…」

言いながら、どんどん近づいてくる。

春原「い、いや、違うんです、これは…」

ラグビー部員「言いわけはいいんだよっ! ちょっと顔かせやっ!」

首根っこを掴まれる。

春原「ひぃっ! 助けてくれ、岡崎っ」

朋也「それでさー、この前、春原とかいう奴がさー」

春原「他人のフリするなよっ」

春原「う…うわぁあああああああ」

182: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:23:45.55 ID:+UZ/pLeq0
あああああああぁぁぁ…

引きずられ、消えていく。
この後、春原は両頬を押さえ、泣きながら戻ってきていた。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。部室に集まり、いつものように茶会が始まった。

がちゃり

梓「すみません、ちょっと遅れま…」

梓「って、唯先輩、その席はだめですっ」

唯「え、ええっ?」

梓「ていっ!」

俺の隣に座っていた平沢を椅子から引っ張り降ろす中野。

唯「うわぁっ…」

唯「って、なんでぇ? 席決まってるわけじゃないのに…」

梓「この人の隣は危険だって言ったじゃないですかっ」

184: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:26:45.14 ID:jpDSDOMkO
唯「でも、いつも隣に座ってるあずにゃんはなんともないんだし…」

梓「そんなことないです! 常にいやらしい視線を感じてますっ」

朋也「おい…」

春原「おまえ、けっこうむっつりなんだね」

がんっ

春原「てぇな、あにすんだよっ」

朋也「すまん、故意だ」

春原「わざとで謝るくらいなら、最初からやらないでくれますかねぇっ」

律「まぁまぁ、梓。ここはひとつ、席替えしてみようじゃないか」

梓「え?」

律「いやさ、席決まってるわけじゃないっていっても、大体いつも同じじゃん?」

律「だからさ、ここいらでシャッフルしてみるのいいと思うんだよな」

紬「おもしろそうね」

律「だろん?」

澪「いや、そんなことより先に練習をだな…」

185: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:27:06.76 ID:+UZ/pLeq0
梓「席替えなんて嫌ですっ! リスクが高すぎますっ」

律「でもさ、リターンもでかいぞ」

律「おまえは唯と岡崎を離したいんだろ?」

律「もしかしたら、端と端同士になって離れるかもしれないじゃん」

梓「で、でも…」

唯「私、やりたい」

梓「唯先輩…」

唯「あずにゃん、これで決まったら、私も文句言わないよ」

唯「だから、やろ?」

梓「うう…」

梓「………」

梓「…はい…わかりました」

律「よぅし、決まりだな。じゃ、クジ作るか」

春原「なんか、合コンみたいだよね、この人数で席替えってさ」

律「あんた、めちゃ俗っぽいな…」

186: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:28:16.82 ID:jpDSDOMkO
―――――――――――――――――――――

全員クジを引き終わり、席が決まった。
俺の両隣には、秋山と平沢。
俺の対面に位置する春原の両隣には、部長と琴吹。
そして、議長席のような、先端の位置に中野。
そこは、元琴吹の席だった場所だ。

唯「隣だねぇ、岡崎くん。教室とおんなじだよっ」

朋也「ん、ああ…だな」

澪「よ、よろしく…岡崎くん」

朋也「ああ…こちらこそ」

春原「ヒャッホウっ! ムギちゃんが隣だ!」

春原「…けど、部長もいるしな…右半身だけうれしいよ」

律「なんだと、こらっ! あたしの隣なんて、すべての男の夢だろうがっ」

律「全身の毛穴から変な液噴射しながら喜びに打ち震えろよっ!」

春原「あーあ、しかもここ、おまえがさっきまで座ってたとこだし…」

春原「なんか、生暖かくて、気持ち悪いんだよなぁ」

律「きぃいいっ、こいつはぁああっ! 心底むかつくぅううっ!」

187: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:28:37.57 ID:+UZ/pLeq0
梓「こんなの、納得いきませんっ! やり直しましょうっ!」

唯「ええ~、ダメだよ、あずにゃん。もう決まったんだしぃ」

梓「唯先輩は黙っててくださいっ!」

唯「ひえっ、ご…ごめんなさい…」

律「あー、わかったよ、梓。あたしも、この金猿が隣なんて嫌だしな」

律「今日だけにしとくよ。次回からは自由席な。それでいいか?」

梓「…わかりました…それでいいです」

春原「じゃ、次は王様ゲームしようぜ」

律「王様ゲームぅ?」

春原「せっかく合コンっぽくなってきたんだし、やろうぜ」

律「うーん…ま、そうだな、おもしろそうだし、やるか」

唯「いいね、王様ゲーム。久しぶりだなぁ」

紬「噂には聞いたことがあるけど、私、やったことないなぁ…」

春原「大丈夫、僕が手取り足取り、優しく教えてあげるよ」

紬「ほんと?」

188: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:30:00.56 ID:jpDSDOMkO
春原「うん、もちろんさ」

律「ムギ、めちゃ簡単だから、なにも教わらなくても大丈夫だぞ」

春原「てめぇ、なにムギちゃんにいらんこと吹き込んでくれてんだよっ」

律「それはおまえがやろうとしてたことだろがっ」

澪「わ、私はやらないぞ…っていうか、練習しなきゃだろ」

澪「遊んでる場合じゃ…」

律「おまえが王様になって、練習しろって命令すればいいじゃん」

律「そしたら、そこでゲーム終了でいいからさ。素直に言うこと聞くよ」

澪「…ほんとだな? 絶対、言う通りにしてもらうからなっ」

律「へいへい」

朋也「ああ、俺はやらないから、頭数に入れないでくれよ」

春原「なんでだよ、女の方が多いんだぜ?」

春原「王様になれば、あんなことや、こんなことが…」

春原「やべぇ、興奮してきたよっ!」

朋也「おまえ、今めちゃくちゃ引かれてるからな」

189: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:30:22.29 ID:+UZ/pLeq0
春原「へ?」

春原は女性陣の冷たい視線を余すことなく集めていた。

春原「…こほん」

春原「まぁさ、こんな、みんなで盛り上がろうって時に、抜けることないだろ」

朋也「知るかよ…」

春原「ま、嫌ならいいけど。僕のハーレムが出来上がるだけだしね」

春原「むしろ、そっちの方が都合がいいかも、うひひ」

いやらしい笑みをこれでもかと浮かべる。

朋也(ったく、こいつは…)

春原の変態願望を押しつけられた奴には同情を禁じえない。

朋也(…待てよ)

それは、平沢にも回ってくる可能性があるんじゃないのか。
というか、普通にある。
………。

朋也「…いや、やっぱ、俺もやる」

春原「あん? なんだよ、いまさら遅ぇよ」

190: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:31:47.62 ID:jpDSDOMkO
朋也「まだセーフだ。いいだろ、部長」

律「ああ、全然オッケー」

朋也「だそうだ」

春原「ふん、まぁ、いいけど」

これで少しは平沢に被害が及ぶ確率を下げられた。
よかった…

朋也(って、なにほっとしてんだよ、俺は…)

なんで俺がここまで平沢のことを気にかけているんだ…。
別に、いいじゃないか。俺には関係のないことだ。
………。
でも…どうしても耐えられない。

朋也(はぁ…くそ…)

厄介な感情だった。

律「で、梓はどうすんの? ずっと黙ってたけど」

梓「…やってやるです」

めらめらと灯った憎悪の眼差しを俺に向けながら答える。

朋也(俺をピンポイントで狙ってくる気かよ…)

191: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:32:08.22 ID:+UZ/pLeq0
だが、あくまでランダムなので、特定の個人を狙うなんて、まず無理だ。
そこは安心していいだろう。

律「うし、じゃ、全員参加だな。そんじゃ、番号クジ作るかぁ」

―――――――――――――――――――――

ストローで作った番号クジ。
部長が握り、中央に寄せる。
そして、各々クジを引いていった。

「王様だ~れだ?」

皆一斉に手持ちのストローを確認した。
俺は4だった。

春原「きたぁあああああああっ!!!」

律「げっ、いきなり最悪な野郎がきたよ…」

春原「いくぜぇ…じゃあ、4番が王様の…」

朋也(げっ…)

春原「ほっぺたにチュウだっ!」

朋也「ぎゃぁああああああああああああ!!!」

春原「うわっ、どうしたんだよ、岡崎…」

193: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:33:18.03 ID:jpDSDOMkO
春原「って、まさか…まさか…」

朋也「てめぇ、ふざけんなよ、春原っ! 俺にそんな気(け)はねぇっ!」

春原「おまえかよ…4番…」

律「わははは! いきなりキツいのいくからそういうことになるんだよ」

澪「岡崎くんと…春原くんが…キ、キキキス…ぁぁ…」

唯「ふんすっ、なんか興奮するね、ふんすっ」

紬「そういうのもアリなのね…なるほど…」

梓「…不潔」

にわかに外野が盛り上がり始めていたが…
対照的に、俺と春原は肩を落としてうなだれていた。

朋也「…いくぞ、こら」

春原「おう…こい」

朋也「陽平、愛してる」

春原「ひぃっ」

朋也「あ、その顔大好き!」

春原「ひぃぃっ」

194: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:33:36.86 ID:+UZ/pLeq0
朋也「次その顔したらキスするからな」

春原「ひぃぃぃっ」

朋也「あ、今した。ぶちゅっ」

ひいいいぃぃぃぃ…

BAD END

朋也(おえ゛…)

今の大惨事を目の当たりにして、きゃっきゃと騒ぎ出す女たち。
こっちはそれどころじゃなかった。

春原「うう…変な芝居入れないでくれよ…」

春原は涙を流してい泣いていた。

朋也「ああ…俺も、やってて吐き気がこみあげてきたよ…」

春原「うう…じゃあ、やるなよぉ…」

とぼとぼと自分の席に戻るふたり。

律「あんたら、ほんとはデキてんじゃないのぉ?」

唯「アヤシイよねぇ」

澪「あ…あうあう…」

195: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:34:48.47 ID:jpDSDOMkO
紬「くすくす」

梓「…ふ、不潔です…」

朋也「忘れてくれ…」

律「あーあ、写メ撮っとけばよかった」

唯「あ、そうだね。見入っちゃってたよ」

朋也「保存しようとするな…」

春原「…早く次いこうぜ。ムギちゃんで中和しなきゃ、精神が持たねぇよ」

律「わはは。はいはい、わかったよ」

―――――――――――――――――――――

「王様だ~れだ?」

俺は6を引いた。

紬「あ、私だ」

唯「おお、ムギちゃんかぁ」

律「ムギは初心者だからなぁ、何がくるやら…」

春原「ムギちゃん、僕を引き当ててねっ」

196: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:35:11.23 ID:+UZ/pLeq0
そういうゲームでもない。

紬「じゃあ…3番の人と、5番の人」

紬「正面から、愛しそうに抱き合って♪」

律「おお、大胆だな…で、だれだ、3と5は」

唯「私、3番だよ」

澪「私…5番」

紬「まぁ…これは、これは…うふふふ…ひひ」

唯「えへへ、よろしくね、澪ちゃん」

澪「う、うん…」

席を立ち、向かい合う。
身長差があり、視線を合わすのに、平沢が上目遣いになっていた。

春原「…なんか、周りにバラ描きたいね」

朋也「…ああ」

唯「澪ちゃん…」

澪「唯…」

ごくり…

197: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:36:36.01 ID:jpDSDOMkO
唯「…好きっ」

澪「唯…唯っ!」

ひし、っと抱きしめあう。

唯「ああ、澪ちゃん、●●●●大きいよ…」

澪「唯…すごくいい匂いがする…」

唯「澪ちゃん…」

澪「唯…」

目を閉じて、お互いの鼓動を感じ合っていた。

紬「…ゴッドジョブ」

ゴッド…神?
びしぃ、と親指を立てていた。
左手には、携帯を持ち、カメラのレンズを向けている。
ムービーでも撮っているんだろうか…。

―――――――――――――――――――――

「王様だ~れだ?」

俺は5。

律「お、私だ」

198: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:37:00.52 ID:+UZ/pLeq0
唯「りっちゃんかぁ、これは覚悟しなきゃかもね」

春原「なんだ、ハゲか」

律「な、てめ…」

律「………」

律「…後悔するなよ」

春原「あん?」

律「じゃ、いくぞ」

律「1番が…」

言って、素早く目だけ動かし、周りを確認していた。

律「いや、やっぱ、2番が…」

また、同じ動き。

律「うん…2番が、3番を…」

律「いや、やっぱ、4番かな…」

律「うんそうだ。2番が4番に、思いっきり左鉤突きを入れる!」

唯「ひだりかぎづき?」

200: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:38:12.11 ID:jpDSDOMkO
朋也「打撃のことだ。つまり、殴れっていってるんだ」

唯「うえぇ!? な、殴るの!?」

律「さ、誰かな、2番と4番は~」

入れられる側に春原を狙っているんだろう。
あの、『後悔するな』という言動からしても、そのはずだ。
だが、そんなことが可能なのか…?
やけに余裕のある佇まいだ。
あの目の動き、何かを探っているように見えたが…
そこまで精度に自信があるということなのか…?

紬「私、2番…」

春原「…4番…」

…どんぴしゃだった。

律「おおう、こりゃ、春原、死んだかなぁ?」

紬「ごめんね、春原くん…」

春原「いや…ムギちゃんになら、むしろ本望だよ」

席を立ち、向かい合う。
さっきの甘い雰囲気とは違い、殺気立った空気。

紬「ショラァッ!」

201: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:38:35.50 ID:+UZ/pLeq0
ボグッ

春原「があああっ!」

メキメキィ

骨のきしむ音。

紬「おおお!!」

肘打ち、両手突き、手刀、貫手、肘振り上げ、手刀、鉄槌…
琴吹の連打は続く。

律「…煉獄」

中段膝蹴り、背足蹴り上げ、下段回し蹴り、中段廻し蹴り…

朋也(すげぇ…倒れることさえできない…)

そこにいた全員が、その連打に目が釘付けになっていた。

紬「おおお!!」

紬「あ゛あ!!」

バフゥ

拳が空を切る。
春原が事切れて、すとん、と床に倒れこんだからだ。

203: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:39:44.19 ID:jpDSDOMkO
紬「はぁー…はぁー…」

どれだけの時間打ち込んでいたのだろう。
時間にして、それほどでもないのかもしれないが…
ずいぶんと長く感じられた。
それは、連打を受けた春原自信が一番感じていることだろう。

紬「あ、ご、ごめんなさい、春原くん、つい…」

春原を抱き起こし、安否を気遣っていた。

春原「あ…う…ムギちゃん…素敵な連打だったよ…」

春原「僕…幸せ…」

どうやら、かろうじて生きていたようだ。
にしても…

朋也「部長…狙ったのか?」

律「ふ…まぁな。番号を指定した時、必ず表情に出るからな」

唯「りっちゃん、すごぉいっ! 遊びの達人だねっ」

律「おほほほ! まぁなぁ~」

澪「変なとこで突出してるからなぁ、律は…」

梓「律先輩、私にその技、伝授してくださいっ!」

204: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:40:10.07 ID:+UZ/pLeq0
律「ばか者! 一朝一夕で身につくものではないっ!」

律「これは、私が踏み越えてきた数々の死線の中で、自然に身につけたものなのだ!」

律「おまえのような小娘には、まだ早いわっ!」

梓「う、うう…」

澪「大げさに言うな…遊んでただけだろ…」

―――――――――――――――――――――

「王様だ~れだ?」

6だった。

唯「あ、私だぁ」

律「唯か…正直、なにが来るか想像がつかん」

唯「えへへ、えっとね…」

唯「6番の人が、私を好きな人だと思って、愛の告白をしてください」

朋也(マジかよ…)

律「おお、なんか、おもしろそうだな、それ」

唯「んん? その他人事な口ぶり…りっちゃん、6番じゃないんだ?」

205: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:41:19.42 ID:jpDSDOMkO
律「まぁな~。で、誰だ、6番は」

朋也「…俺だ」

唯「へ!?」

澪「え…」

紬「まぁ…」

律「うおぉっ、これは…まさかの二回目で、こんな内容」

律「しかも、相手は唯…かぁ~、持ってんなぁ、岡崎」

春原「これ、もうゲームじゃなくていいんじゃない?」

梓「ただのゲームですっ! 岡崎先輩も、その辺忘れないでくださいよっ!」

朋也「わかってるよ…」

朋也「あー…座ったままでいいか」

唯「う、うん…」

朋也「じゃあ…」

こほん、とひとつ咳払い。

朋也「明日朝起きたらさ…」

206: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:41:45.40 ID:+UZ/pLeq0
朋也「俺たちが恋人同士になっていたら面白いと思わないか」

朋也「俺がおまえの彼氏で、おまえが俺の彼女だ」

朋也「きっと、楽しい学校生活になる」

朋也「そう思わないか」

唯「思わないよ。きっと、こんなぐだぐだな私に、腹が立つよ、岡崎くん」

朋也「そんなことない」

唯「どうして」

朋也「…俺は平沢が好きだから」

朋也「だから、絶対にそんなことはない」

唯「本当かな…自信ないよ…」

朋也「きっと楽しい。いや、俺が楽しくする」

唯「そんな…」

唯「岡崎くんだけが…頑張らないでよ」

唯「私にも…頑張らせてよ」

朋也「そっか…」

207: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:42:57.34 ID:jpDSDOMkO
唯「うん…」

顔を伏せる平沢。

朋也「じゃあ、平沢…頷いてくれ、俺の問いかけに」

俺は、彼女をまっすぐ見据えてそう求めた。

唯「………」

朋也「平沢、俺の彼女になってくれ」

唯「………」

少しの間。
顔を上げることもなく、頷くこともなく…
ただ小さな声が聞えてきた。
よろしくお願いします…と。

律「…わお」

春原「成立しちゃってるね」

梓「はい、そこまでそこまでっ!」

中野が俺と平沢の間に体を割りこませてくる。
そして、平沢と対面し、その肩をがしっと掴んだ。

梓「唯先輩、これ、演技ですよ!? わかってますか?」

208: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:43:18.41 ID:+UZ/pLeq0
唯「う、うん…」

梓「それと…」

俺に向き直る中野。

梓「岡崎先輩、なんで唯先輩の名前使ってるんですか!」

朋也「いや、だって、平沢を好きな奴と想定するって話だったろ…」

梓「仮想好きな人なんだから、偽名使ってくださいよっ!」

梓「これじゃ、ほんとに唯輩に告白してるみたいじゃないですか!」

朋也「いや、そんなつもりは…」

梓「ふん、どうだか。あわよくばって考えてたんじゃないですか」

朋也「いや…」

梓「あと、唯先輩がOKしたのも、仮想空間での話ですからね!」

梓「現実だったら振られてますからっ」

梓「ふんっ」

ぷい、とそっぽを向いて、自分の席に戻っていった。

朋也(なんなんだよ…)

209: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:44:42.43 ID:jpDSDOMkO
律「ははは、唯と付き合うには、まず梓に認められなきゃな」

朋也「…知るか」

―――――――――――――――――――――

「王様だ~れだ?」

2を引いた。俺じゃない。

梓「…来ました。私です」

律「お、梓か」

唯「あずにゃん、おてやわらかにね」

梓「………」

睨まれる。やはり、俺に狙いを定めてくるのか…。

梓「決めました。皆で岡崎先輩をタコりましょう」

朋也「って、それじゃ番号クジでやる意味ないだろっ」

律「そうだぞ。私だってちゃんと実力で春原を地獄に叩き落したんだからな」

春原「ちっ…でも、ある意味天国だったけど」

律「攻撃するなら、ルールに則った上でやれよ」

211: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:45:09.13 ID:+UZ/pLeq0
それも嫌だが。

梓「…わかりました。じゃあ…」

梓「1番と…」

そわそわと全員の表情を窺っている。
部長の真似事なのだろう。

梓「う…やっぱり、2番…」

梓「あう…4…いや5…6?」

混乱し始めていた。

梓「う…もう、7番と1番が、恋人つなぎしながら愛を囁いてくださいっ!」

大方、俺と春原を引き合わせて、屈辱を与えようとでも思ったんだろう。
もし外れても、部員同士なら罰ゲームにもならない。
だから、一発ギャグや、尻文字で自分の名前を書く、なんて露骨なものを避けたんだろう。

梓「だ、誰ですか…?」

律「1…」

春原「…7」

春原と部長のどちらもが真っ青な顔をして、震える声でそう告げていた。

唯「あはは、おもしろい組み合わせだね」

212: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:46:19.56 ID:jpDSDOMkO
律「ぜんっぜんおもしろくねぇよっ」

春原「ムギちゃん、これ、罰ゲームの類だから。僕の本心じゃないからね」

律「そりゃこっちのセリフだっ」

唯「いいから、ふたりとも、そろそろやんなきゃだよ」

律「くそ…」

春原「ちっ…」

立ち上がり、近づいていく。
そして、その手がぎゅっと握られた。

律「…アンタ、カコイイヨ」

春原「…オマエモ、カワイイヨ」

律「アハハ」

春原「アハハ」

唯「カタコトじゃだめだよ。ちゃんとやらなきゃ」

唯「ルールは厳守しなきゃいけないんでしょ?」

律「うぐ…」

自分で課した掟が自分の首を絞めていた。

213: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:46:57.39 ID:+UZ/pLeq0
律「あ、あんた、あれだよ、あの…」

律「そう、身長低くてさ、ヘタレで…ダサカッコイイよ」

春原「はは、おまえは、額とか残念だけど…デコカワイイよ」

  律「あははは」
春原「ははは」

唯「…はぁ、りっちゃん、遊びの帝王だと思ってたのに…」

唯「あずにゃんにも、あんなにびしっと言ってたし…」

唯「それなのに、ルールのひとつさえ守れないんだね…」

律「う…わ、わかったよ…」

律「はぁ…」

律「あんたは、普段アホだけど…いざという時は頼りがいがあって…」

律「…かっこいいよ。漢だよ」

春原「お、おう。おまえも…よくみりゃ、顔も悪くないし…」

春原「か、かわいいと思うよ…」

春原「………」

律「………」

214: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:48:09.80 ID:jpDSDOMkO
春原「ぐわぁああああっ!!」

律「のぉおおおおおおっ!!」

同時に手を離し、体をかきむしる。

春原「はぁ、はぁ、かゆい、かゆすぎるよっ!」

律「アレルギー反応だ! ヘタレアレルギー!」

床を転げ周り、ぎゃあぎゃあわめいていた。

紬「ふふ、行動がそっくり」

澪「だな。やっぱり、気が合うんじゃないか?」

―――――――――――――――――――――

「王様だ~れだ?」

朋也「おっ…俺だ」

春原「岡崎、僕とムギちゃんに、なんか●●●なの頼むよっ」

律「アホか、おまえはっ! 岡崎、こいつに罰ゲームくれてやれ!」

朋也(どうするかな…)

そもそも、俺は王様ゲーム自体に興味はない。

215: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:48:31.57 ID:+UZ/pLeq0
朋也(そういえば…)

秋山がしきりに練習しようと訴えていたな…。
なら、ここで俺が切り上げてやるのも、悪くないかもしれない。

朋也「…よし、決めた。おまえら、練習しろ」

澪「え…岡崎くん…」

律「なぁんであんたがそれ言うんだよぉ」

唯「もうやめちゃうの?」

朋也「なんか、やらなきゃならないんだろ。よく知らねぇけど」

朋也「だろ? 秋山」

澪「え?…うんっ」

朋也「だったら、王様命令だ。練習、始めろよ」

律「うえぇ…つまんねー奴ぅ…」

唯「まだやりたいよぉ…」

朋也「中野、おまえも練習派だろ。何か言ってやれよ」

梓「え…あ…お、岡崎先輩に言われなくても、今言おうと思ってましたっ」

梓「こほん…律先輩、唯先輩、練習するべきですよ」

216: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:49:52.36 ID:jpDSDOMkO
澪「うん。ちょうど一週できたしな」

律「まだおまえに回ってないじゃん」

澪「私に回っても、どうせ終わるんだから、同じことだろ」

律「ぶぅ~」

紬「それじゃ、今日はティータイムはお開きね」

唯「ムギちゃんが言うなら、しょうがないかぁ」

律「部長はあたしだぞっ」

澪「おまえは威厳がないからな」

律「なんだとっ」

春原「岡崎、まだ間に合う、最後に僕とムギちゃんを引き合わせてくれぇっ」

朋也「そんなに王様ゲームしたいなら、あのカメとサシでやれ」

朋也「あ、これは俺の個人的な命令だからな」

春原「プライベートでも主従関係なのかよっ!?」

律「わははは!」

澪「あの…岡崎くん」

217: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:50:42.26 ID:+UZ/pLeq0
朋也「あん?」

澪「ありがとね。練習、するように言ってくれて」

朋也「いや、別に礼を言われることでもないだろ」

朋也「もとはといえば、俺たちがいたせいで始まったようなゲームだし」

澪「それでも、やっぱり、ありがとうだよ。私も、ちょっと楽しんじゃってたし」

朋也「そっか」

澪「うん」

朋也「まぁ、練習頑張れよ。俺が言えた義理じゃないけどさ」

澪「うん、ありがとう。頑張るよ」

言って、微笑んだ。
そして、俺に背を向け、準備に向かう。

春原「くそぅ…ムギちゃんお持ち帰りする計画がパァだよ…」

朋也(まだ言ってんのか、こいつは…)

最後まで合コン気分の抜けない奴だった。

―――――――――――――――――――――

218: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:52:28.18 ID:jpDSDOMkO
4/29 木 祝日

4月の祝日。
週末からはゴールデンウィークに突入するので、今日はその前座といった感じだ。
俺のような、何も予定がない暇人は、ただ怠惰に過ごして終わるだけなのだが。
今だって、町の中を意味もなくぶらついたりなんかしているわけで…
強いて言うなら、朝食の後の散歩といったところだ。
気が済めば、いつものように春原の部屋に向かうつもりなのだが。

朋也(ん…?)

歩いていると、ひとりの女の子を見つけた。

梓「………」

中野だった。
身をかがめ、停めてある車の下を覗き込んでいた。
その姿に、通行人がじろじろと目をくれていく。
それもそうだろう。スカートがはだけて少し下着が見えてしまっているんだから。

朋也(はぁ…ったく…)

顔を合わせる前に、無視して過ぎ去ろうと思ったのだが…
一応、忠告しておくことにした。

朋也「おい、中野」

声をかける。

梓「え…」

219: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:52:52.52 ID:+UZ/pLeq0
振り返る。

梓「ああ…」

なんだ、こいつか…とでも言いたげな顔。

梓「はぁ…」

大きくため息をつき、また頭を下げて、車の下を覗き込む。
…せめて、なにか言え。

朋也「おい、見えてるぞ…おまえのパンツ」

梓「っ!」

ばっと身を起こし、手でスカートを抑えながら俺に向き直る。
頬を赤く染め、目を潤ませていた。

梓「へ、変態っ!」

朋也「いや、おまえ自ら見せてたんだろ。そんなに自信あったのか、下着に」

梓「ち、違いますよっ! 私はただ…」

車を見る。

朋也「車上荒らしか? やめとけよ、ここは人の目が多い」

梓「それも違いますっ!」

220: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:54:05.42 ID:jpDSDOMkO
梓「この下に猫がいるから、危ないと思って、助けようとしてたんですっ!」

朋也「猫?」

俺もしゃがんで覗き込んでみる。

朋也(あ…ほんとだ)

身を丸め、じっとしたまま動かない猫が一匹いた。

朋也「あの猫、あそこからどかせればいいんだな?」

低姿勢のまま言う。

梓「え?」

朋也「ちょっと待っとけ」

俺は匍匐前進で車の下に入り込んでいった。

朋也(ん、動かないな、あいつ…)

近づけば逃げていくかと思ったのだが…

朋也(よ…)

ひょい、と掴めてしまった。
そのまま這い出る。

朋也「ほら、いけ」

221: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:54:32.46 ID:+UZ/pLeq0
そっと手を離す。
だが、それでも動かない。
座り込んで、前足を舐めていた。

梓「あ…この子、怪我してる…」

見れば、舐めている箇所の毛が抜けていて、そこから血が滲みだしていた。

梓「ど…どうしよう…助けてあげなきゃ…」

おろおろと狼狽する中野。

朋也「動物病院、行ってみるか」

梓「あ…は、はいっ…」

朋也「よし」

中野の返事を聞き、俺は猫を抱えた。
そして気づく。病院の場所なんて、まったく心当たりがないことに。

朋也「あのさ…この辺って、動物病院、あったっけ」

梓「ちょっと待ってください…」

携帯を取り出し、なにか操作していた。

梓「あ、ありました。こっちですっ」

液晶画面を見ながら言う。

223: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:56:34.92 ID:+UZ/pLeq0
そして、先導するように小走りで道を進んでいった。
俺もその後についていく。

―――――――――――――――――――――

行き着いた先には、こじんまりとした、寂れた建物があった。
看板には、しっかりと、動物病院と記されていたのだが…
ペンキが落ちたのか、文字がただれていて、ホラーチックだった。
ここで本当に大丈夫かと、内心、心配だったのだが、それも杞憂に終わった。
診察と治療は至極まともだったのだ。
担当の獣医は、好々爺然とした風貌で、事情を話すと、おもしろそうに笑っていた。
なにが気に入られたのか知らないが、診察代も、治療代も格安にしてくれていた。

―――――――――――――――――――――

梓「…かわいそうです」

今は中野が猫を抱いていた。
通りに据えられたベンチに腰掛け、膝の上でくつろぐその猫を撫でている。

朋也「まぁ…野良だろうからな。首輪もしてないし」

獣医が言うには、どうも、傷は、人の手によってつけられた可能性が高いということだった。

梓「じゃあ…飼い猫だったら、こんな目に合わないって言うんですか」

朋也「まぁ、少なくとも、野良よりはマシなんじゃないのか」

朋也「そもそも、野良なんて、保健所に収容されれば、それだけでアウトだからな」

224: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:57:56.20 ID:jpDSDOMkO
朋也「それに、餌の確保ができなけりゃ、餓死するし…他にも、危険なんてたくさんある」

梓「…そう…ですよね、やっぱり」

梓「………」

しばらくの間視線を落として黙っていると、猫を抱きかかえ、無言で立ち上がった。
どこか思いつめたような顔をしている。

朋也「どうしたんだよ」

梓「私、この子を飼ってくれる人を探します」

朋也「どうやって」

梓「それは…道行く人に、声をかけて、とか…」

朋也「そら、大変だな」

梓「それでも、やるんですっ」

声を張って答えていた。

朋也(はぁ…俺、こういうのに弱いのかな…)

なぜか放っておけない。

朋也「俺も手伝うよ。おまえがよければだけど」

梓「ほんとですか? ちょっと、不本意ですけど…」

225: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:58:30.40 ID:+UZ/pLeq0
梓「この際、なんでもいいです。よろしくお願いしますっ」

朋也「ああ」

梓「それじゃ、人通りの多いところに…」

朋也「いや…そうだな、まず、軽音部の連中に当たってみろよ」

朋也「知り合いだから訊きやすいだろ? それに、もしOKならそこで終わりだ」

梓「あ、そうですね、すっかり忘れてました」

携帯を取り出す。
そして、猫の写真を撮ると、また画面と向き合っていた。
多分、今の画像を添えてメールでも送っているんだろう。
俺は黙って結果を待つことにする。

―――――――――――――――――――――

梓「あ、きた」

中野の携帯から着信音が鳴り響く。
慌てたように開いて、返信を確認する。

梓「…ムギ先輩もダメでした」

朋也「そうか…」

他の部員からも、断りの返事が届いていた。
家庭の事情や、経済的負担などが理由だった。

226: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 00:59:56.28 ID:jpDSDOMkO
琴吹なら、猫の一匹くらい、なんでもないだろうと期待していたのだが…
その想いも、打ち砕かれてしまった。

朋也「で、琴吹はなんだって?」

梓「なんか…ポチに捕食されるかもしれないから、責任が持てない…らしいです」

朋也「……捕食?」

梓「……はい」

朋也「………」

梓「………」

朋也「…なにを飼ってるんだろうな、琴吹は」

梓「…多分、知らないほうがいいです」

だろうな…。

―――――――――――――――――――――

朋也「あ、すいません、ちょっとい…」

朋也「あ…くそっ」

人の往来が激しい大通りで飼い主探しを始めたのだが…
何かのキャッチと思われているのか、見向きもされなかった。

227: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:00:22.70 ID:+UZ/pLeq0
朋也「俺じゃだめだ。次、おまえいってくれ」

梓「わかりました」

梓「…不甲斐ない人」

朋也「聞えたからな…」

―――――――――――――――――――――

朋也(あいつはなんか、上手くやりそうだよな…)

中野から預かった猫とじゃれあいながら、思う。

梓「あの、すみません」

男「ん?」

一発目から捕まえることに成功していた。

梓「えっと、私、今…」

男「3万…いや、君なら4万出すよ」

梓「へ? どういう…」

男「この近くに、いいとこあるからさ、今からいく?」

これは、まさか…

228: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:01:39.55 ID:jpDSDOMkO
梓「え…いいとこ…ですか?」

朋也「おい、おっさん、なにやってんだよ」

猫を抱いたまま、睨みを利かせて近づいていく。
プリチーな生き物を伴って絡んでくる仏頂面の男…さぞ不気味なことだろう。

男「ひぃっ、い、いや、私はまだなにも…」

朋也「まだ?」

男「い、いや…はは、なんでも」

背を向けて、足早に去っていった。

梓「なんで邪魔するんですか!」

朋也「おまえ…わかんなかったのか、今の」

梓「岡崎先輩の行動の方がわかりませんよ!」

朋也「いや…だから…」

梓「足を引っ張るなら帰ってください!」

本当に、ただ俺が妨害しただけだと思っているようだ。
誤解を解いておいたほうが、今後の信頼関係のためにもいいんだろうが…
詳しく説明するのも、なんだか気が引けた。

朋也「…ああ、悪かったよ。もう邪魔しない」

229: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:02:05.24 ID:+UZ/pLeq0
だから、俺に非があったと、黙って認めておくことにした。

梓「勘弁してくださいよ、ほんとにもう…」

朋也「でも、ああいうおっさんは避けろよ、一応」

梓「おっさん差別ですか? 最低ですね、自分の近い将来の姿なのに」

朋也「まだ遠いっての…」

今年で18だ、俺は。

―――――――――――――――――――――

梓「そうですか…話を聞いてくれて、ありがとうございました」

女性「いえ…」

朋也(だめだったか…)

今ので4人目だった。

梓「はぁ…」

中野も落胆を隠しきれないようだった。

男1「ねぇ、君さ、さっきから声かけてるよね」

男2「逆ナン?」

230: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:03:21.13 ID:jpDSDOMkO
梓「え? いえ…違います…」

ちゃらちゃらとした男の二人組に絡まれていた。

男1「じゃ、俺らが君ナンパしていい?」

男2「かわいいよね、君。遊びいこうよ」

梓「あの…それは、ちょっと…」

男1「いいじゃん、いこうよ」

男2「そこのカフェでなんか食べようよ。おごりだよ?」

梓「う…あう…」

困惑した表情で、すがるように目を向けてくる。
SOS信号だろう。

朋也(いくか…)

立ち上がる。

朋也「こらぁ、なんだ、おまえらは」

男1「はぁ?」

男2「なにおまえ」

朋也「みりゃわかるだろうが。猫を持ったキレ気味な人だ」

232: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:04:01.40 ID:+UZ/pLeq0
猫「にゃあ」

男1「意味が…」

男2「君、もういこうよ。変なの来たし」

中野の手を取ろうと、腕を伸ばす。
俺はその腕を掴んで止めていた。

朋也「やめとけ。こいつは俺が先に目をつけてたんだよ」

少しキャラを作ってみた。設定は、鬼畜王だ。

朋也「失せろ、カスども」

猫「にゃあ」

男2「…っ離せよっ」

ばっと俺の手を振り払う。
そして、その瞬間から睨み合いが始まった。

朋也「………」

男1「………」

男2「………」

猫「にゃあ」

235: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:05:25.70 ID:jpDSDOMkO
男1「…ちっ」

男2「ばぁか」

間の抜けた猫の鳴き声を以って、ガンつけ勝負は終わった。
ふたりの男は捨て台詞を吐くと、雑踏の中へと消えていった。

朋也(ふぅ…)

朋也「おい、中野…」

朋也「あん?」

振り返ると、俺から距離を取って身構えていた。

梓「…このけだもの。ずっと私を狙ってたんですねっ」

朋也「おまえが信じるなっ! ありゃ方便だっ」

梓「………」

疑惑に満ちた目を向けてくる。

朋也(どこまで信用ないんだ、俺は…)

もともとなかったところを、先の一件でさらに信用を失ってしまったのか…。
なら、捨て身でこちらから歩み寄っていくしかない。
まずは安心感を与えて、警戒を解かなくては…。

朋也(はぁ…ちくしょう)

236: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:05:53.64 ID:+UZ/pLeq0
朋也「こほん…あー…」

朋也「ほら、おいで梓ちゃん、怖くないよ~」

ぎこちない笑顔で、猫なで声を出す。

梓「…キモ」

…ものすごく冷めた顔で暴言を返されていた。

朋也(ま、そりゃそうか…)

わかってはいたが、実際言われると、ショックと恥ずかしさが同時に襲ってきた。

梓「冗談です。助けてくれて、ありがとうございました」

朋也「ああ、別に…」

恥をかく前に言って欲しかったが。

梓「キモかったのは本当ですけど」

朋也「あ、そ…」

徒労に終わった上に、追い討ちまでかけられていた。

朋也「まぁ、いいけど、何か対策考えないとな」

朋也「おまえ、見た目可愛いから、変な奴よってくるし」

237: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:07:02.35 ID:jpDSDOMkO
梓「な、か、可愛いって…お、おだててどうするつもりですかっ!」

梓「気をよくしたところを、一気につけこんでくるつもりですかっ!」

梓「このけだものっ!」

朋也「想像が飛躍しすぎだ。思ったことを言ったまでだよ」

梓「な、なな…わ、私は騙されませんからっ」

朋也「だから、そんな気はないっての」

朋也「それよか、もう昼だし、飯にしようぜ」

梓「う、うう…」

朋也「ほら、いくぞ」

俺が歩き出すと、後ろからうーうー言いながらもついてきた。

238: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:07:22.42 ID:+UZ/pLeq0
―――――――――――――――――――――

朋也「ほらよ」

コンビニで買ってきたパンとジュースを差し出す。

梓「ありがとうございます」

受け渡すと、俺も中野が座っているベンチに腰掛けた。

梓「よかったんですか? おごってもらっちゃって」

朋也「いいよ。いつか、おまえにおごってもらった事あっただろ」

朋也「これであいこだ」

梓「でも、あれはお詫びのつもりだったから…」

朋也「まぁ、細かいことは気にするなよ」

梓「はぁ…」

朋也「よし、おまえにもやろう」

俺は自分のパンをちぎって猫に与えた。
くんくんと匂った後、ぺろりと口にしていた。
その姿を見て思う。

朋也「こいつって、あの時おまえがねこじゃらしで遊んでた奴か?」

239: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:08:37.33 ID:jpDSDOMkO
梓「そうですよ。気づかなかったんですか?」

朋也「ああ、まぁな。今ようやく思い出したよ」

梓「こんな可愛い子、普通は一度みたら忘れないのに」

言って、中野も自分のパンをちぎって猫の前にそっと据えた。
すると、それも遠慮なく食べ始めていた。

梓「かわいいなぁ…」

その様子を温かい目で見守る中野。

朋也「おまえ、猫好きなのか」

梓「はい、大好きですっ!」

朋也「そっか。なんか、らしいよな。おまえ、猫っぽいし」

梓「あ、ありがとうございます…」

こいつにとっては称賛と同義だったようだ。
素直に礼なんか返してきた。

朋也「でもさ、それなら、おまえの家で飼ってやれないのか」

梓「それができたら、最初から飼い主探しなんてしてませんよ」

朋也「それもそうだな」

240: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:09:01.54 ID:+UZ/pLeq0
梓「岡崎先輩こそ…いや、いいです、やっぱり」

俺に飼えるかどうか打診するつもりだったんだろう。
だが、回答はどうあれ、俺に飼われるのは嫌だったようだ。
だから、途中で切ったんだろう。
まぁ、うちで飼えるわけじゃないので、別によかったが。

朋也「飯、食い終わったら、また頑張って探さなきゃな」

梓「そうですね。頑張りましょうっ」

―――――――――――――――――――――

梓「あの…ほんとにこれ、効果あるんでしょうか」

朋也「ああ、ばっちりだ」

中野が手に持つのは、可愛らしく装飾されたプラカード。
頭には、ネコミミカチューシャをつけていた。
その2つのアイテムは、憂ちゃんと行った、あのファンシーショップで調達してきていた。

朋也「今までは、こっちから攻めていってたけど、それは間違いだった」

朋也「興味のない人にまで当たっちまうから、効率が悪かったんだ」

朋也「だから、今度は待ちに入るんだ」

梓「いえ…そうじゃなくて、なんでネコミミなんですか…」

梓「このプラカードは、わかりますけど…」

241: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:10:19.94 ID:jpDSDOMkO
そのプラカードには『この猫、飼ってください!』と書いてある。
宣伝のつもりだった。

朋也「そっちの方がわかりやすいじゃん」

梓「いえ、これつけなくても、プラカードだけで事足りると思いますけど…」

朋也「より目立ったほうが、目を引きやすいだろ」

朋也「おまえ、似合ってるしさ、大抵の男は振り向くと思うぞ」

梓「そ、そんな…」

朋也「こいつのためだ。頑張れよ」

ダンボールを抱えてみせる。
その中には、猫が入っていた。
やはり、拾ってください、なんて言うなら、このスタイルしかないだろう。

梓「うう…わかりました」

ダンボールを手に持ち、街頭に立つ。
そして、足元に置くと、プラカードを掲げた。
やはり、道行く人は皆一瞥をくれていく。
こっちをみて、ひそひそと話しこんでいる者たちも見受けられた。
ナンパの算段でも立てているんだろうか。
それでも、隣に俺も立っているから、簡単には近づいてこないだろう。
これが、俺の考えた対策だった。抑止力というやつだ。
単純なことだが、効果は高いと思う。
今も、中野を遠巻きに眺めていた男たちが、諦めたように散会していくのが見えた。

243: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:10:47.22 ID:+UZ/pLeq0
やはり、これで合っていたようだ。

―――――――――――――――――――――

5分くらい経った頃だろうか。
一人の男がこちらに近寄ってきていた。

男「あの…ふぅ、ふぅ…」

興奮しているのか知らないが、息が荒い。

男「か、飼うって、い、いいの…?」

梓「え…はいっ、もちろんですっ!」

男「はぁ…はぁ…き、君、家出少女なんだ…?」

梓「え、あ…はい?」

男「ふっひ…う、うちのアパート…いこう…」

男「君みたいな可愛い子なら…悦んで飼ってあげるよ…」

梓「い、いえ、私じゃなくてっ! この子ですっ」

ダンボールから猫を抱き起こした。

猫「にゃあ」

男「え…なんだ…でも、君も猫だし…」

244: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:12:20.43 ID:jpDSDOMkO
言って、ネコミミに目をやる。

男「君もついてくるなら、一緒に飼ってあげるよ…ふっひ…」

梓「ひぃっ…え、遠慮しておきます…」

男「はぁ、はぁ…じゃあ、いいや…」

のそのそと立ち去っていった。

梓「…岡崎先輩のせいですよ」

朋也「いや、でも、世間にはああいう奴もいるってわかってよかったじゃん」

梓「上から目線で言わないでくださいっ!」

梓「次は岡崎先輩がやってくださいよっ!」

俺にプラカードを押し付けてくる。

朋也「ああ、いいけど」

受け取る。

梓「ちゃんとこのネコミミもつけてくださいよ」

朋也「やだよ、なんで俺が」

梓「私にはつけさせたじゃないですかっ!」

245: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:12:47.46 ID:+UZ/pLeq0
朋也「だからってなぁ、俺だぞ?」

梓「いいから、つべこべいわずにつけてくださいっ!」

朋也「わかったよ…」

仕方なく、装備した。
…周囲の視線が痛い。

梓「…ぷっ」

朋也「せめておまえだけは笑わんでくれ…」

―――――――――――――――――――――

朋也(お…)

一人の女性がこちらに近づいてくる。
男の情欲を煽るような服を綺麗に着こなして、妖艶な雰囲気を纏っていた。
年の頃は、二十代後半といったところか。

朋也(って、なに分析してんだ、俺は…)

女性「ボウヤ…飼って欲しいの?」

朋也「あ、いえ…俺じゃなくて、こっちの猫っす」

ダンボールを指さす。

女性「そうなの?」

247: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:14:02.70 ID:jpDSDOMkO
朋也「はい。だめっすか」

女性「私、動物嫌いなの」

女性「でも…」

俺の頬に手を添えた。
どきっとする。

女性「あなたみたいな動物なら、死ぬほど可愛がってあげるわ」

朋也「はは…」

なんと答えていいのやら…。

女性「これ、名刺。渡しとくわ」

手を取られ、少し強引に握らされた。
そこには、夜の店の名前と、この人の源氏名らしきものが書かれていた。
裏も見てみる。電話番号が手書きされていた。

朋也「俺、未成年なんですけど…」

女性「見ればわかるわよ」

朋也「そっすか…」

女性「お店に来いって言ってるんじゃないわ」

女性「私にいつでも連絡入れなさいって言ってるの」

248: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:14:23.10 ID:+UZ/pLeq0
朋也「はぁ…」

女性「それじゃね」

色気を漂わせながら去っていく。

梓「…ヒモ野郎。最低です。死ね死ね」

朋也「悪口のタガが外れてるからな、おまえ…」

梓「こんな時まで女をたぶらかすなんて、信じられないです」

朋也「俺は何もしてないだろ…」

朋也「…あぁ、とにかく、もうネコミミはやめだ。これは危険すぎる」

梓「最初からいらないって言ってたのに…このヒモ男は…」

ぶつぶつと小言をぶつけられていた。
止む気配はない。
しばらくはこの状態が続きそうだった。

朋也(はぁ…)

―――――――――――――――――――――

一度休憩を取るため、適当な石段に腰掛けた。

朋也「なかなか見つからねぇな」

252: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:19:13.14 ID:jpDSDOMkO
梓「そうですね…」

梓「やっぱり、岡崎先輩が女たらしのクセに唯先輩に手を出すから、皆怒ってるんですよ」

朋也「それはおまえの心の内だ」

朋也「つーか、俺はあいつに手なんか出してないからな」

梓「嘘つき。いつもベタベタしてくるせに」

朋也「どこがだよ。普通の距離感だろ」

梓「朝だって一緒に登校してるじゃないですか」

梓「それに、唯先輩、部室でも岡崎先輩の隣に座りたがるし…」

朋也「それは俺からじゃなくて、あいつの方からきてないか」

梓「あーっ! 今、自分がモテ男だってさりげなく言いましたね!?」

梓「やらしいですっ! すべてにおいてあらゆる意味でやらしいですっ!」

梓「やらしいですっ! やらしいですっ!」

朋也「悔しいですみたく言うな」

朋也「前に言ってたけど、あいつは俺のことなんとも思ってないらしいぞ」

梓「ほんとですか? でも、どういう会話の流れでその発言が出たんですか?」

253: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:19:56.02 ID:+UZ/pLeq0
朋也「いや、冗談のつもりで、俺に気があるのかって訊いてみたんだよ」

朋也「そしたら、そんなんじゃないってさ」

梓「…なるほど」

梓「まぁ、唯先輩は、わりとすぐ人と仲良くなりますからね…」

梓「ってことは、岡崎先輩にじゃれついてるのは、遊びだったってことですね」

梓「あはは、唯先輩にとっては、岡崎先輩なんて、遊びだったってことですよ」

梓「あははは」

朋也「はは…」

俺もなぜか乾いた笑いで同調してしまっていた。

梓「じゃあ、岡崎先輩も、唯先輩のことは、なんとも思ってないわけですね」

朋也「ん、ああ…」

梓「…なんで言いよどむんですか?」

朋也「いや…」

がたっ

朋也(ん?)

254: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:21:11.09 ID:jpDSDOMkO
音のした方に振り向く。
ダンボールが倒れ、猫が飛び出していた。
空に飛び立っていく鳥を追っている。
その先には、激しく車の行き交う道路があった。
俺は考える前に駆け出していた。

朋也(うらっ…)

飛び込み、猫をキャッチする。
間一髪間に合った。
猫は、俺の胸の中できょとんとしている。

朋也「いっつ…」

背中に痛みが走る。
モロにコンクリでぶつけたからだ。
腕も擦ってしまい、血が流れてくる感触が肌に伝わってきた。

梓「大丈夫ですかっ!?」

中野が駆け寄ってくる。

朋也「ああ、無事だよ」

上体を起こし、猫を両手で掲げてみせる。

梓「そうじゃなくて、岡崎先輩がですよっ」

朋也「ああ、俺は…っつ…」

255: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:21:42.81 ID:+UZ/pLeq0
梓「痛みますか? どこです?」

朋也「いや、大丈夫」

梓「ちょっと腕見せてください」

言って、俺の袖をまくった。

梓「血が出てるじゃないですか…」

朋也「ほっときゃ止まるよ」

梓「そんなこと言って、バイ菌が入ったら大変ですよっ」

梓「ここでじっとしててください。私、ちょっと行ってきます」

そう言い残し、人ごみを縫ってすぐ近くの雑貨店に入っていった。

―――――――――――――――――――――

梓「はい、これでいいです」

朋也「サンキュ」

中野は、水で傷口を丁寧に洗い流し、その上から透明なシートを貼ってくれていた。

梓「患部を水で濡らした後、このシートを貼っておくんですよ」

パック入りになったそれを渡してくる。

256: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:22:54.02 ID:jpDSDOMkO
朋也「ああ、わかったよ。で、いくらだったんだ? これと水合わせて」

受け取って、そう訊いた。

梓「お金なんていいですよ。この子、助けようとしてくれたんでしょ」

膝の上に乗り、安心して丸まっている猫の顎を撫でる。

梓「ほんと、馬鹿ですね。あんなことしなくても、道路になんか飛び出しませんよ」

朋也「そうだったかな」

梓「そうですよ」

朋也「ちょっと神経質すぎだったな」

朋也「動物の挙動なんて、予測できないからさ、嫌な予感がして、先走っちまった」

梓「岡崎先輩の行動の方がよっぽど予測できません」

朋也「そっか」

梓「はい、そうです」

朋也「………」

梓「………」

会話が途切れる。

257: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:23:14.62 ID:+UZ/pLeq0
俺はなんとなくネコミミを手にとってみた。

梓「って、なんで猫にネコミミをつけるんですか…意味ないですよ…」

朋也「これで、二倍猫になるだろ」

梓「もう…なんなんですか、それ。意味がわかりませんよ」

梓「ほんと、馬鹿なんだから」

柔和に微笑む。
初めて俺に向けられた曇りのない笑顔。
いつもこんな風に笑っていてくれれば、こいつも無害な普通の女の子なのだが。

声「あら、岡崎じゃない」

朋也「ん…」

声がして、顔を向ける。
そこには一人の女性が立っていた。

女性「奇遇ね。こんなとこで、なにやってんの」

朋也「美佐枝さん…」

この女性、学生寮の寮母をやっている人だった。
名は相楽美佐枝。
寮生でない俺も、あれだけ通い詰めていれば、嫌でも顔見知りになる。

美佐枝「ところで…そっちの子は?」

258: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:24:33.41 ID:jpDSDOMkO
中野を見て言う。

朋也「ああ…まぁ、後輩だよ」

梓「あ、初めまして。中野梓といいます」

美佐枝「これは、ご丁寧にどうも。私は、相楽美佐枝。学生寮の寮母をやってるの」

梓「寮母さんなんですか…すごくお若いのに…」

美佐枝「あら? そうみえる? ありがと」

美佐枝「にしても…」

美佐枝「岡崎、あんたも隅に置けないわねぇ。こんな可愛い子とデートなんてさ」

梓「な、ち、違いますっ」

中野が勢いよく否定する。

美佐枝「ありゃ、彼女じゃなかったの?」

朋也「こいつとはそんなんじゃねぇよ」

梓「そ、そうですよっ」

美佐枝「ふぅん、なかなか似合って見えたのにねぇ」

梓「そ、そんなことないですっ! 私たち、犬猿の仲なんですっ」

259: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:24:53.87 ID:+UZ/pLeq0
梓「こ、こんな人となんて…そんな…」

美佐枝「あんた、嫌われてるの?」

朋也「少なくとも、好かれちゃいないかな」

美佐枝「あ、そなの」

朋也「ああ」

猫「にゃあ」

中野の膝の上、猫が鳴いてた。

美佐枝「あら…可愛い猫だこと。触ってもいい?」

梓「あ、もちろんです」

美佐枝「ありがと。それじゃ…」

くすぐるように顎を撫でた。
ごろごろと気持ちよさそうに唸る。

美佐枝「あんたの猫なの?」

梓「いえ…野良なんです」

美佐枝「へぇ、それにしては毛並みが綺麗よね」

梓「ですよね。可愛いです」

260: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:26:18.66 ID:jpDSDOMkO
美佐枝さんが撫でると、猫もうれしいのか、尻尾をピンと立てていた。
ここまで気を許させてしまうのは、この人の持つ、包み込むような母性のためだろうか。
動物にもそれが直感的にわるから、安心して身をゆだねることができるのかもしれない。
どうせ飼われるなら、こんな人がいいと思う。
面倒見のいいこの人のことだ、きっと大事にしてくれるに違いない。
だが、寮で飼うなんてことが許されるのだろうか…
そこだけが唯一気にかかる。

朋也(ダメもとで訊いてみるか…)

朋也「美佐枝さん。そいつ、飼ってやれないか」

美佐枝「え? あたしが?」

朋也「ああ。俺たち、ずっと飼ってくれる奴探してたんだけど…」

俺はこれまでのいきさつを美佐枝さんに話した。

美佐枝「はぁ…その猫の怪我、そういうことだったんだ」

朋也「ああ。だから、頼むよ。美佐枝さんなら、安心して任せられるし」

梓「私からも、お願いします」

美佐枝「う~ん…でもねぇ…」

美佐枝「………」

顎に手を当て、しばしの間、思案に暮れる。

261: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:27:15.50 ID:+UZ/pLeq0
美佐枝「…猫、か。もう一匹増えたところで、変わりないか…」

何かつぶやいていたが、小さくて聞き取れなかった。

美佐枝「うん…わかった。一応、つれて帰ったげる」

梓「ほんとですかっ? ありがとうございますっ」

美佐枝「でも、正式に飼うわけじゃないわよ」

朋也「どういうこと?」

美佐枝「原則、寮でペットを飼うのは禁止されてるからねぇ」

美佐枝「おおっぴらには飼えないってことよ」

美佐枝「部屋を間借りさせてあげるのと、餌をあげることくらいしかできないけど…」

美佐枝「それでもいい?」

梓「十分ですよっ」

朋也「ああ、それだけしてくれりゃ、飼ってるのと変わりねぇよ」

美佐枝「そ。じゃあ、あたしはもう帰るとするかねぇ」

美佐枝「さ、おいで」

猫をその胸に抱く。
一片の抵抗もみせず、大人しく美佐枝さんの腕の中に収まっていた。

262: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:29:27.81 ID:jpDSDOMkO
朋也「ありがとな、美佐枝さん」

梓「ありがとうございますっ」

美佐枝「ん、いいわよ、別に」

美佐枝「それじゃね」

朋也「ああ」

梓「はいっ」

俺たちに背を向け、歩いていく。

梓「よかったぁ…」

よほど嬉しかったのか、肩の力を抜いて、安堵の表情を浮かべていた。

朋也「そうだな」

おもむろに、ぽむっと中野の頭に手を乗せる俺。

梓「な、なにするんですかっ」

が、すぐに振り払われた。

朋也「いや、いい位置にあったから」

梓「そ、そんな理由で触らないでくださいっ」

263: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:29:57.78 ID:+UZ/pLeq0
朋也「悪かったな。もうしねぇよ」

梓「………」

朋也「そんじゃ、俺も行くからさ。じゃあな」

言って、俺も美佐枝さんが行ったのと同じ方向に足を向けた。
これから春原の部屋に向かうつもりだった。
今からなら、途中で美佐枝さんに追いつくだろう。
別れの挨拶をした意味がないな…ぼんやりと思う。

梓「あ、あのっ」

朋也「なんだよ」

声をかけられ、振り返る。

梓「きょ、今日はありがとうございましたっ…協力してくれて…」

梓「その…岡崎先輩のおかげで、飼い主も見つかりましたし…」

梓「猫を助けようって、必死になってもくれましたし…」

梓「ちょっとだけ…見直しました」

朋也「そりゃ、どうも」

梓「それと…頭に手を乗せられたのも、ほんとは嫌じゃないっていうか…」

梓「むしろ…その…」

266: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:31:07.50 ID:jpDSDOMkO
もじもじとしているだけで、その先は出てこなかった。

朋也「じゃあさ、これからは仲良くしてくれよな、あずにゃん」

梓「な、あ、あずにゃんって呼ばないでくださいっ」

梓「この調子乗りっ! うわぁぁんっ」

顔を真っ赤にして、どぴゅーっとものすごい勢いで逃げていった。

朋也(変な奴…)

だが、少しだけあいつとの関係が改善された…ような気がした。

―――――――――――――――――――――

267: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:31:30.34 ID:+UZ/pLeq0
4/30 金

唯「あ~…だるぅい~」

憂「お姉ちゃん、たった一日で休みボケしすぎだよ」

唯「だってぇ…もうゴールデンウィーク入ったって錯覚しちゃったんだもん…」

憂「あしたいけば、本物の連休がくるから、がんばろ?」

唯「う~…えいっ」

憂ちゃんに腕を回し、全体重を預ける平沢。

憂「な、なに? 重いよぉ、お姉ちゃん…」

唯「このまま進んで、学校まで運んでよぉ~」

憂「うぅ…わかったよ…私頑張るね…」

憂「よいしょ…よいしょ…」

懸命にずるずる引きずっていく。

唯「遅いよぉ~スピード上げてよぉ~」

憂「う、うん、わかったよ…よい…しょ…」

憂「あ…もうだめ…」

269: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:32:50.06 ID:jpDSDOMkO
ぺたり、とその場にへたりこんでしまう。

朋也「自分で歩けよ、平沢」

朋也「ほら、憂ちゃん」

手を差し伸べる。

憂「あ、ありがとうございます」

その手を取って立ち上がる憂ちゃん。
平沢は崩れ落ちたまま微動だにしなかった。

唯「はひぃ…」

朋也「置いてくぞ」

唯「ああ…まってぇ」

のろのろ立ち上がり、追ってくる。

唯「岡崎くん、しがみついていい?」

朋也「だめ」

唯「けちぃ…」

―――――――――――――――――――――

270: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:33:09.99 ID:+UZ/pLeq0
下駄箱まで足を運んでくる。

朋也「おい、平沢…そろそろ離せ」

唯「え~、教室まで連れてってくれてもいいじゃん…」

結局、坂を上ったあたりから、平沢を引きずってくることになってしまっていた。
あまりにもしつこかったので、俺のほうが折れてしまったのだ。

朋也「ここまででいいだろ。さっさと靴履き替えろ」

唯「ぶぅ…」

声「…おはようございます」

…この声。
振り向く。

梓「………」

中野が引きつった笑顔をぴくぴくとひくつかせ、音もなく背後に立っていた。
…おまえは忍者の末裔か。

唯「あ、あずにゃん、おはよぉ」

朋也「…よぅ」

梓「………」

眉間に寄った皺は消えそうにない。

272: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:34:35.22 ID:jpDSDOMkO
また、いらぬ恨みを買ってしまったんだろうか…。

梓「…また、放課後に」

唯「うん、部活でね」

梓「それじゃ、失礼します」

言って、軽く会釈。
最後に俺をちらっと見て…

梓「…馬鹿」

ムッとした顔を向け、そう口が動いた気がした。
それも、一瞬のことだったので、定かではなかったが。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

昼。

唯「あぁ…刻(とき)が見える…」

平沢は未だにローテンションを引きずっていた。

唯「はぁ…むしろ生きる意味がわからない…」

273: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:35:00.28 ID:+UZ/pLeq0
澪「どんどんひどくなっていってるな…」

和「唯、口からぼろぼろこぼれ落ちてるから、咀嚼する時だけは気合入れなさい」

唯「ああぅ…わかた…多分」

春原「はは、情けねぇなぁ。もっとピシッとしろよ」

律「おまえは今日も重役出勤だったくせに、えらぶんな」

春原「うるせぇっ! 元気があればなんでも出来るんだよっ!!」

律「うわっ、ばかっ、口の中に食べ物含んだまま叫ぶなよっ!」

律「内容物が飛び散ってんだろうがっ! 私に当たったらどうすんだよっ!」

春原「避ければいいじゃん」

律「おまえが飛ばさなきゃいいの!」

律「ったく…」

朋也「あ、部長、右肩んところ…」

律「ん?」

律「うひぃ、ちょっと被弾しちゃってるし…最悪…」

汚らしそうに、ばっばっと振り払っていた。

274: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:36:10.24 ID:jpDSDOMkO
澪「唯、今日が山場だ。明日は4時間だし、ここさえ乗り切ってしまえば、あとは楽だぞ」

春原「そうそう、土曜なんて、あってないようなもんだしね」

律「そりゃ、おまえが大抵昼からしかこないからだろ」

唯「う~ん、わかっちゃいるけど、体がついてこないよぉ…」

紬「唯ちゃん、よかったら、これ食べて、元気出して?」

琴吹が弁当箱から高級そうなだんごを覗かせた。

唯「え? いいの?」

紬「うん、もちろん」

唯「やったぁ、それじゃ…あ~ん」

餌を待つヒナ鳥のように口を開けた。

紬「はい、あ~ん」

箸で平沢の口まで運ぶ琴吹。

澪「そこまでめんどくさがるのに、ちゃっかりもらうんだな…」

唯「むぐむぐ…おいひぃ~」

紬「ほんと? よかったぁ」

275: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:36:37.73 ID:+UZ/pLeq0
律「しょうがねぇなぁ、私からもやるよ…このキンピラゴボウ」

春原「おまえ、またんなもん食ってんの」

律「うるせぇなぁ、りっちゃんキンピラは最高にうまいんだぞ」

唯「う~ん…一応もらっておこうかな…あ~ん」

また口を開けて待つ。

律「一応とはなんだ、一応とは」

言いながら、箸でひとかたまり摘んで、口に運ぶ。

唯「むぐむぐ…ぺっぺっ」

律「あーっ! てめぇ、唯!」

春原「ははは、だせぇ」

律「こぉの野郎ぉーっ!」

平沢に横からヘッドロックをかける部長。

唯「ご、ごめぇん、冗談だよ、おいしいよぉ」

律「80回以上噛んでから飲み込め、こらっ!」

唯「2回で許してぇ」

276: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:37:54.29 ID:jpDSDOMkO
律「味が出る前に飲み込もうとしてるだろ、それっ!」

律「不味いって言いたいのかよぉ!」

ぎりぎりと締め付けていく。

唯「うわぁん、嘘、嘘だよ! 分子レベルまで噛み締めるから、許してぇ」

澪「まったく…もっと静かに食べられないのか」

唯「冷静なこと言ってないで、助けてよぉ、澪ちゃんっ」

紬「くすくす」

こうして、昼も騒がしく過ぎていった。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。

唯「………」

梓「唯先輩、どうしたんですか?」

平沢は机に突っ伏して、一言も発していなかった。

277: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:38:24.26 ID:+UZ/pLeq0
律「なんか、連休前で、息切れしてるんだってさ」

梓「はぁ…」

紬「はい、唯ちゃん。ここ、置いておくね」

唯「ん…」

少し顔を上げる。

唯「ひゃっほうっ、今日はチーズケーキなんだねっ!」

ケーキを目の前にして、今まで伏せていた上体を勢いよく起こしていた。

澪「いきなり元気になったな…」

律「現金な奴…」

―――――――――――――――――――――

春原「おい、部長。ちょっとラジカセ貸してくんない?」

律「あん? どうすんだよ」

春原「これをかけようと思ってね」

ポケットからカセットテープを取り出す。

春原「ボンバヘッ聴きながら、ムギちゃんの用意してくれたお茶を飲む…」

279: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:39:53.66 ID:jpDSDOMkO
春原「これ以上のくつろぎ方はこの世に存在しないね」

律「いや、いいけどさ…ボンバヘッってなによ?」

春原「かぁ、知らねぇのかよ、あの有名なHIPHOPの最高峰を」

春原「おまえ、それでも軽音部部長かよ」

律「いや、聞いた事ないからさ…みんな知ってるか?」

唯「知らなぁい」

澪「私も…」

紬「私も、ちょっと…」

梓「私も聞いたことないです」

春原「ええ、マジ? じゃ、この機会に知っておいたほうがいいよ」

春原「部長、ラジカセまだかよ」

律「物置にあるから、自分で取ってこい」

春原「ちっ、気の利かねぇ奴だな」

律「おまえのために動く道理なんかねぇよ」

春原は物置に入っていくと、ややあってラジカセを手に戻ってきた。

280: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:40:31.33 ID:+UZ/pLeq0
春原「んじゃ、かけるよ」

テープを入れ、再生ボタンを押す。
流れてきたのは、古臭い歌謡ヒップホップ。

朋也(ダッサ…こんなの聴かねぇだろ…)

春原「よくない? ボンバヘッ!」

律「ん、まぁ、なかなか…」

唯「ノリがいいよね」

澪「そうだな。普段、こういう曲はあんまり聞かないけど、いいかも」

紬「うん、なんか、親しみやすいなぁ」

梓「ちょっと古い感じしますけど…逆に新鮮でいいです」

春原「へへ、だろ?」

…意外と好評のようだった。

春原「おまえら、どんどんボンバヘッコピーして、いいバンドになれよ」

律「アホか。私たちの音楽性と違いすぎるわ」

梓「音楽性って…それも、プロみたいでちょっと大げさな気もしますけどね」

唯「でも、おもしろそうじゃない? ボンバヘッ時間とかやってみたらさ」

281: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:41:47.79 ID:jpDSDOMkO
律「んなアレンジするかよ…澪だって、歌詞思いつかないだろ、そんなんじゃ」

澪「う~ん…頑張ればできるかも…」

律「できるんかい…」

唯「どんな感じ? 澪ちゃん」

澪「うん…えっと…」

澪「キミをみてると、いつもハートBON☆BAHE…とか…」

静まり返る室内。

澪「………」

律「じゃ、練習しよっか」

唯「そだね」

梓「やってやるです」

紬「頑張りましょうね」

春原「岡崎、せんべいちょっとわけてよ」

朋也「いいけど」

澪「ちょっと待てぇっ!」

282: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:42:13.64 ID:+UZ/pLeq0
律「どうしたんだよ、澪。んな大声出しちゃって」

澪「なんでなかったことにされてるんだよっ!」

律「いや、だって、すげぇ微妙だったし…」

澪「仕方ないだろぉ! 即興だったんだからっ!」

律「にしてもなぁ…」

澪「うぅ…じゃあ、納得できるもの書いてきてやるっ」

澪「春原くん、後でテープダビングさせてっ!」

春原「あ、ああ、いいけど…」

律「澪ちゃ~ん、そこでまでしなくていいからなぁ~…」

―――――――――――――――――――――

練習が始まり、俺たちは暇になる。
今残っている茶を飲み干せば、退散を決め込むつもりだった。

春原「う~ん…まだか…」

春原がなにやらラジカセのアンテナをしきりに動かしていた。

朋也「なにやってんの、おまえ」

春原「みてわかんない? ラジオ聴こうとしてんだよ」

283: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:43:32.82 ID:jpDSDOMkO
朋也「いや、わかるけどさ、なんで琴吹に向けてんの」

ちょうど、胸のあたりに照準を合わせているような…

春原「どうせなら、ムギちゃんの●●●●を通った電波受信したいじゃん」

朋也「あ、そ…」

こいつは絶対アホだ。

春原「うぉおおおっきたきたぁっ!」

じりじりとラジカセが音を立て始める。
内容は、情報番組のようだった。

春原「ちっ、なんだよ、つまんねぇチャンネルだなぁ」

春原「せっかくムギちゃん通してんだから、ムギちゃんの●●●●情報を事細かに伝えろよなぁ」

朋也「琴吹の前に、どっかのおっさんを5、6回経由してきたようだな」

春原「マジで? それ、やべぇよ」

春原「くそぉ、知りてぇえええ! ムギちゃんの●●●●秘話っ!!」

がんっ

春原「イテぇっ!」

ドラムスティックが春原の顔面に直撃していた。

284: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:44:04.31 ID:+UZ/pLeq0
律「変態発言はよそでやれ、アホっ!」

部長が投げ放った物のようだ。

春原「顔面狙うことないだろ、クソデコっ!」

律「黙れ、変態ヘタレ野郎っ!」

悪口の応酬が始まる。
平沢たちは部長を、俺は春原をなだめ、なんとか場を収めた。

律「ったくぅ…ムギもなんとか言ってやれよぉ」

律「こいつ、ムギにすげぇやらしいことしてたんだぜ?」

律「セクハラだよ、セクハラ」

春原「いや、そういうつもりじゃ…」

春原「ちょっとしたジョークだよ。ムギちゃんなら、わかってくれるよね?」

紬「えっと…もう少しで、立件できそうなの」

春原「前々から準備進めてたんすかっ!?」

律「わははは!」

―――――――――――――――――――――

結局、最後まで居座ってしまい、一緒に下校することになってしまっていた。

285: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:45:38.15 ID:jpDSDOMkO
春原が寮に戻り、俺ひとりが女集団の中に残されたので、やはり少し離れて歩いた。
目の前では、平沢たちが楽しげに会話をしている。
部長と平沢がボケて、秋山と中野がつっこみを入れ、琴吹が笑う。
役割が大体決まっているのだろうか。よく見かける構図だった。

澪「岡崎くん」

話がひと段落ついたのか、輪から抜けて、秋山が俺に近寄ってきた。
他の奴らは、次の話題に移っているようだった。

朋也「なんだ」

澪「今ね、みんなで星座占いやってたんだけど…」

言って、持っていた携帯に目を落とす。

澪「よかったら、岡崎くんもやってみない?」

朋也「俺?」

澪「うん。興味ないかな、やっぱり…」

少し寂しそうな顔。
確かに、別段興味はなかったが…
こんな顔をされては、断る気にもなれない。

朋也「さそり座」

澪「え?」

286: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:45:59.63 ID:+UZ/pLeq0
朋也「俺の星座だよ。占ってくれるんだろ」

澪「あ…うんっ」

表情をぱっと明るくして、携帯を操作する。

澪「えっとね…」

澪「今日のあなたは超絶好調☆誰にも止められない☆邪魔者はみんな叩き殺しちゃえ☆」

澪「…ということだそうです」

…どんな占いサイトだ。

澪「あはは…よかったね…すごく運いいみたいだよ…」

秋山もその結果に、とういうか、文章にうろたえているのか、声がうわずっていた。

朋也「ああ…みたいだな。まぁ、すでに今日も後半に入ってるけどさ」

澪「あはは…そうだね…」

朋也「はは…」

澪「あはは…」

意味もなく笑う俺たち。

澪「あの…相性占いもしてたんだけど…やってみる?」

287: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:48:54.72 ID:jpDSDOMkO
口直しに、とでもいうように、そう訊いてきた。

朋也「相性って…俺と、誰を?」

澪「誰でもいいよ。名前と、誕生日を知ってる人なら」

澪「春原くんとか、どう?」

朋也「いや、あいつは、俺の中でまだ顔と名前が一致してないくらいの仲だしな」

朋也「相性なんて、どうでもいいよ」

澪「そ、そんな他人みたいな…ひどいなぁ…あんなに仲いいのに」

朋也「よくない」

澪「素直じゃないんだね」

朋也「本音だ」

澪「あはは…そういうことにしておくね」

澪「じゃあ、春原くん以外で、誰かいる?」

朋也「そうだな…」

俺の交友関係なんて、あいつを除けば、ほとんど無きに等しい。
改めて考えてみると、俺って、かなり寂しい奴なんじゃないだろうか…。

澪「もし、よかったら…私たちの内の誰かでもいいよ」

288: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:49:33.45 ID:+UZ/pLeq0
朋也「おまえでも?」

澪「え、わ、私? 私なんかで、いいの…?」

澪「岡崎くん、唯と仲いいし…その…相性知りたいんじゃないかなって…」

また平沢との疑惑が持ち上がってくるのか…。
これももう何度目だろうか。
まぁ、今となっては、俺自身、そんなに嫌でもなかったが…

朋也「おまえとにするよ」

だが、露骨に俺から近寄っていくのも、何か違う気がした。
第一、平沢は、その気がないとかつて言っていたこともあるのだ。
だから、今のままが一番いいと思う。

澪「…う、うん、わかった…じゃあ、私とで…」

携帯の画面と向き合い、カチカチと入力していく。

澪「岡崎くん、誕生日は?」

朋也「10月30日」

澪「10月…30…」

俺の返答を聞くと、また画面に目を戻し、入力を始めた。

澪「名前の、ともや、ってこの字でいいかな?」

290: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:52:14.75 ID:jpDSDOMkO
画面を俺に見せてくる。

朋也「ああ、いいよ」

澪「えっと…朋也っと…」

澪「血液型は?」

朋也「A型」

澪「Aっと…」

澪「それじゃあ…」

カチッと一押しする。
最後の入力が終わったようだ。

澪「あ…出てきた…」

幾ばくかの間があって、そう声を上げた。

澪「………」

画面をじっと見つめたまま何も言わない。
言い辛い結果だったんだろうか。

朋也「どうだったんだ」

澪「うん…えっと…」

291: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:53:17.59 ID:+UZ/pLeq0
澪「…話す内、お互い、気を許し合えることがわかります」

澪「長年に渡って、良きパートナーとなれるでしょう…」

澪「…って、ことなんだけど…」

朋也「ふぅん、結構よさげじゃん」

澪「う、うん、そうだね…」

澪「それで…男女ペアだったから、もうひとつあるんだけど…」

男女ペア特有の相性…それは、やっぱり…

澪「あの…恋愛相性…なんだけど…」

…そうなるか。

澪「き、興味、あるかな…?」

頬を赤らめながら訊いてくる。

朋也「あ、ああ…まぁ、一応」

仮にも、秋山は美人の部類である女の子だ。
そんな奴との相性が気にならないと言ったら、それは嘘になる。

澪「じ、じゃあ、言うよ…えっと…」

澪「…お互いの精神的弱点を補い合い、成長できる恋愛が出来そうです」

292: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:55:19.55 ID:jpDSDOMkO
澪「強さと繊細さを持ち合わせた理想のカップルとなれるでしょう…」

澪「………」

言い終わると、口をきゅっと結び、目を泳がせながら押し黙ってしまう。

朋也「あー…俺たち、相性いいみたいだな」

つとめて淡白な素振りを意識して、軽い口調で言った。
所詮アルゴリズムで弾き出された答えだ。
気負うことはないと、そう伝えたかったからだ。

澪「う、うん、そうだね…」

俺の意思が通じたのか、秋山も笑顔を作ってそう返してくれた。

澪「あの…岡崎くんってさ…」

朋也「うん?」

澪「えっと…」

グサ

下腹部に違和感。

澪「あ…」

朋也「…ん?」

293: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:55:54.50 ID:+UZ/pLeq0
秋山から視線を外し、下にさげていく。
…●●に枝が突き刺さっていた。

朋也(なぜ…)

ゆっくりとその先に視線を這わせていくと、中野が呆れた顔で突っ立っていた。

梓「まったく、ちょっと目を離すとすぐふたりっきりになろうとする…」

梓「最低です」

朋也「いや、まずこの枝どけろよ」

言って、振り払う。
が、すぐにまた戻される。

澪「あ、梓、やめなさい」

梓「だって、澪先輩がこのけだものに襲われてたから…」

澪「そんなことされてないから、やめなさい」

梓「…はい」

しぶしぶ枝を自然に還していた。
まぁ、ただ捨てただけなのだが。

梓「岡崎先輩、後ろの方でこそこそといちゃつくのはやめてください」

朋也「んなことしてねぇって」

295: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:57:34.93 ID:jpDSDOMkO
澪「そ、そうだぞ、ただ私が話しかけて…」

梓「澪先輩、だまされちゃだめですっ」

澪「はうっ…」

その迫力に気圧される秋山。

梓「気を許させて、そこから一気に畳み掛けるつもりなんですからっ」

梓「岡崎先輩、卑怯ですよ、こんな純情な澪先輩まで毒牙にかけようなんてっ」

朋也「ただトークしてただけだっての…」

梓「そんなに女の子とふたりっきりで話したいんですかっ」

朋也「いや、俺は…」

梓「そういうことなら…私…私が犠牲になるので、先輩たちに手を出さないでくださいっ」

朋也「じゃあ、おまえとならいちゃついてもいいってことかよ」

梓「な、なななっ…」

梓「…そ、それで岡崎先輩が大人しくなるなら…我慢しますです…」

澪「あ、梓…」

律「おーおー、敬語が雑になるくらい動揺しちゃって…」

296: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:58:02.00 ID:+UZ/pLeq0
紬「あらあら、梓ちゃんったら…」

いつの間にやら部長と琴吹も集まってきていた。

律「まさか、梓まで攻略するなんてな…岡崎、おまえ、すげぇよっ」

梓「ななな、なに言ってるんですかっ! そんなことされた覚えありませんっ!」

律「だってさぁ、岡崎が他の女といちゃつくの嫌なんだろ?」

律「それで、今、独占しようとしてたじゃん」

梓「違いますっ! あくまで身代わりになろうとしてただけですっ!」

律「ふぅん、身代わりねぇ…いひひ」

梓「り、律先輩っ! 変な笑い方しないでくださいっ」

律「いやぁ、おもしろくなってきましたなぁ、ムギさんや」

紬「そうですねぇ、りっちゃんさん」

梓「む、ムギ先輩までっ…」

声「おお、すごぉいっ!」

前方で声。この場に居合わせた全員が前を向く。

唯「りっちゃんとトンちゃんの相性ばっちりだよっ…って、あれ?」

298: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:58:59.94 ID:jpDSDOMkO
唯「なんでみんなそんな後ろの方にいるの?」

平沢がひとり、こちらを振り返ってきょとんとしていた。

律「あいつは…なにとあたしの相性占ってんだよ…」

唯「ほら、りっちゃんみてみて、トンちゃんとの相性!」

とてとて走ってくる。

唯「すごいフィーリングだよっ。よかったねっ」

唯「りっちゃん、私たち全員と相性微妙だったからっ」

律「それは言うなぁっ!」

バックを取り、チョークスリーパーをかける。

299: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 01:59:19.63 ID:+UZ/pLeq0
唯「うわぁん、ごめんなさぁいっ」

騒ぎ出すふたり。

澪「…はぁ」

秋山が俺の隣でため息をついていた。
そういえば、中野が現れる前、なにか俺に言おうとしていたような…

朋也「なぁ、さっきなにか言いかけてたけど、なんだったんだ」

澪「ん? うん…いいの、なんでもない」

朋也「あ、そ」

澪「うん…」

間が空いて、興がそがれてしまったんだろうか。
何を言おうとしていたのか…少しだけ気になった。
それは、こいつの横顔が、やたらと儚げにみえたからだろう。
物憂げな表情も、こいつなら絵になるものだと…
この時、俺は単純に感心していた。

―――――――――――――――――――――

301: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:00:19.85 ID:+UZ/pLeq0
5/1 土

唯「ふでぺーんふっふー♪ ぐふふ」

憂「お姉ちゃん、きのうとは別人のようにハイテンションだよね」

唯「まぁね~。明日からは黄金週間だしね~おもいっきりだらだらするんだぁ」

憂「でも、お父さんとお母さんが帰ってくるから、家族で出かけるんだよ?」

憂「話、聞いてたでしょ?」

唯「え? うん、まぁ…」

憂「忘れちゃってた?」

唯「いや、えっと…覚えてたよ…うん…」

声のトーンが落ち、濁したように答えていた。

唯「………」

俺の顔色を窺うように、ちらりと見上げてくる。
目が合っても、逸らそうとはしない。
その瞳には、なにか複雑な色をたたえていた。
…ああ、そうか。今、わかった。
平沢は、俺を気遣ってくれているのだ。
こいつには、うちの家庭環境を話していたから、それで。

朋也(そういうことには敏感なんだよな、こいつは…)

302: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:01:48.40 ID:jpDSDOMkO
俺は平沢の頭に手を乗せ、ぽむぽむと軽く触れた。

唯「…ん、なに? どうしたの?」

朋也「いや、なんでも」

唯「?」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

昼。

律「ったく、なんでネタ被らせてくんだよ、ばか」

春原「僕の方が先に食券買ってただろうがっ! おまえが加害者で、僕が被害者だっ」

律「ごちゃごちゃうっせぇやい、りっちゃんちゃぶ台返し食らわすぞっ!」

今回のいざこざは、ふたりが同じメニューを購入してきたことに端を発していた。
部長は普段、弁当食なのだが、気分を変えたかったらしく、今日は学食を利用していたのだ。

春原「んな言いにくい技、僕には通用しねぇってのっ」

律「なんだとぉ! じゃあ、食らわせてやるよっ」

腕まくりする部長。

303: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:03:25.90 ID:jpDSDOMkO
律「死んでからあの世で後悔するんだなっ」

唯「まぁまぁ、落ち着きなよ」

平沢が肩にぽん、と手を乗せる。

唯「おんなじもの選ぶってことは、それだけ気が合うってことだよ。だから、仲良くしなきゃだめだよ?」

律「気も合わないし、仲良くもしねぇってのっ。あんまりおぞましいこと言うなよなぁ」

律「こんなヘタレなんかと一緒にされた日にゃ、くそ夢見悪ぃよ」

春原「あんだとっ! てめぇ、あとで便所裏こいやぁっ!」

朋也「それが男子便のことを指すなら、裏は女子便ってことになるな」

春原「えぇ? それ、マジ?」

そのつもりで言っていたようだ。

律「なんてとこ呼び出そうとしてんだ、この変態っ!」

春原「ち、ちが…そ、そうだ…体育館裏こいやぁっ!」

朋也「告白でもするのか? あそこ、告りスポットで有名だぞ」

春原「マジかよっ!?」

律「うわ…勘弁してよ…」

304: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:03:57.04 ID:+UZ/pLeq0
春原「くそ、勘違いするなよ…えっと…えっと…」

朋也「校庭に生えてるでかい樹の下でいいんじゃないか。なんか伝説あるみたいだし」

春原「そ、そうか…じゃあ…」

春原「校庭にある伝説の樹の下までこいやぁっ!」

朋也「敬語のほうが丁寧で印象もよくなるし、来てくれる確率もあがるんじゃないか」

春原「そ、そっか、じゃあ…」

春原「校庭にある伝説の樹の下まで来てくださいっ!」

春原「って、こっちの方が告ろうとしてるようにみえるだろっ!」

朋也「成功したら、次は実家に呼び出せよっ」

ぐっと親指を立ててみせる。

春原「なんだよそのさわやかさはっ! つーか、展開早ぇよっ!」

律「最低…そんな目であたしをみてたんだ…キショ…」

春原「あ、てめぇ、勘違いすんなよ、こらっ!」

唯「春原くん、大胆だねっ」

春原「ああ? だから、違うって言ってん…」

305: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:04:34.82 ID:+UZ/pLeq0
紬「頑張って、春原くんっ」

春原「って、え゛ぇえっ!? ムギちゃんまで…」

朋也「よかったじゃん、追い風吹いてるぞ。本人には拒否されてるけど」

春原「岡崎、頼むからもうおまえは喋らないでくれ…」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。

紬「あの…ちょっとみんなに見てもらいたいものがあるんだけど…」

いつものように茶をすすっていると、琴吹がおもむろに口を開いた。

春原「うん? なにかな? もしかして、おっぱ…」

律「黙れ、変態っ」

ぽかっ

春原「ってぇな…」

律「それで、ムギ、なに? みせたいものってさ」

306: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:06:14.65 ID:jpDSDOMkO
紬「うん…マンボウ改、なんだけど…」

律「マ、マンボウ改…?」

唯「ムギちゃん、なに、それ?」

紬「ほら、一年生の時に、クリスマスパーティーやったじゃない?」

紬「あの時、一発芸で私が披露した、あれの改良版なの」

唯「あ、ああ、なるほどねぇ~…」

澪「あ、あれか…」

とすると、二年前のことなんだろう。
俺と春原にはさっぱりわからない話だった。

梓「なんなんです? マンボウって」

…ああ、こいつもか。

澪「いや、口じゃちょっと説明しづらいっていうかだな…」

梓「そうなんですか?」

澪「ああ…」

律「しっかし、なんでまたそんなものを…」

紬「鏡みてたら、急に思い出しちゃって…」

307: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:06:34.38 ID:+UZ/pLeq0
紬「それで、ひとりで思い出し笑いしてたら、新しい案が閃いちゃったの」

紬「で、完成型を今日みんなにみせるために、98429回は素振りしてきたのよ」

澪「す、素振りって、マンボウをか…?」

律「しかも、その回数かよ…」

唯「すごいポテンシャルを持ってるね…さすがムギちゃんだよ…」

紬「あ、ごめんなさい。そのくだりは嘘なの」

ずるぅっ!

天使のような笑顔で言われ、みな転けていた。

律「あ、そですか…」

紬「でも、マンボウ改が生まれたのは本当よ。みてくれるかな…?」

春原「僕は喜んで見るよっ」

紬「ほんとに?」

春原「うん。めちゃみたいよっ」

梓「私も興味あります」

唯「わ、私もあるかなぁ~…あはは~…」

308: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:08:04.65 ID:jpDSDOMkO
澪「そ、そうだな、ある意味見てみたいかも…」

律「ほどほどにな、ムギ…」

紬「それじゃあ…」

ステージに登るようにして、俺たちの前に立つ。
目を閉じて、一度深呼吸…
腹を決めたのか、かっと見開いた。

紬「マンボウのマネっ」

口の中いっぱいに空気を含み、頬を膨らませ、手でヒレの部分を再現していた。
シュールだ…

朋也(つーか…)

…顔がおもしろい。

梓「え…」

春原「はは…」

初見のこのふたりも、ある種ぶっ飛んだこのネタについていけていないようだった。

紬「…改っ!」

叫び、手で虎爪を作って腕をひねらせながら前に突き出した。
そこで動きを止め、微動だにしなくなった。
どうやら、ここで終わりのようだ。

309: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:08:30.27 ID:+UZ/pLeq0
………。
皆、唖然とした表情で、口をあけてぽかんとしていた。

律「ムギ、今のは…?」

紬「威嚇よ」

体勢を元に戻し、一仕事やりとげたいい顔でそう答えた。

律「い、威嚇…」

澪「マンボウって威嚇するのか…?」

唯「っていうか、攻撃してたよね?」

律「ああ、こう、腕が敵にめり込んでたっていうかさ…」

律「マンボウの面影がまったく残ってない攻撃方法だったよな」

梓「絶対あのマンボウは生態系の頂点にいると思います」

次々にダメ出しされていく。

紬「…ダメ、だったかな…」

顔を伏せ、しょぼくれる琴吹。

春原「さ、最高だったよ、ムギちゃんっ!」

春原の苦し紛れの賛辞が飛ぶ。

310: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:09:49.78 ID:jpDSDOMkO
律「あ、ああ、言うほど悪くなかったぞ、ムギっ」

澪「う、うん、再現度高かったぞっ」

唯「だよね、一瞬マンボウが陸で二足歩行してるのかと思っちゃったよっ」

梓「す、すごくハイレベルな芸でしたよ。二発目以降も十分ウケると思いますですっ」

それに続き、部員たちのフォローが入る。

紬「…よかったぁ♪」

その甲斐あってか、もとの明るい表情を取り戻していた。

紬「じゃあ、アンコールにこたえて、もう一回…」

律「い、いや、もういいよっ」

律「…っていうか、アンコールしてないし…」

小声で言う。

澪「そんなに連続してやったら、ムギの体がもたないだろ?」

澪「休憩したほうがいいぞ、うん」

紬「そう…?」

唯「アンコールには、りっちゃんが代わりにこたえてくれるんだって」

311: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:10:19.51 ID:+UZ/pLeq0
律「私かいっ」

唯「がんばって、りっちゃん」

澪「がんばれ、おまえの腕の見せ所だぞ」

律「あたしゃ芸人かい…」

律「でも、急に言われてもなぁ…ネタが…」

梓「ムギ先輩に倣って、マネシリーズでいいんじゃないですか」

律「マネか…う~ん、それもそうだな。じゃあ、なにがいいかな…」

312: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:11:42.45 ID:jpDSDOMkO
律「ウケるには、滑稽な生き物がいいだろうから…」

律「む…そこから導き出される答えはただ一つ…春原、ってことになるな」

春原「あんだと、てめぇっ」

朋也「それはやめといた方がいい。難易度が高すぎる」

春原「そうだよ、こいつに僕のマネなんかできるわけないからね」

春原「滑る前に、無難なのにしといたほうがいいぜ、ベイベ?」

朋也「春原を再現しようと思ったら、白目向いて、痙攣しながら泡吹かなきゃいけないからな」

春原「って、なんでだれかにヤられた後なんだよっ!」

律「わははは!」

―――――――――――――――――――――

313: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:12:15.45 ID:+UZ/pLeq0
5/2 日

ゴールンウィーク。その初日。
いや…世間ではもう、昨日から入っているところの方が多いのか…。
なら、正確には二日目なのかもしれない。
なんにせよ、その連休効果で町の中は人で溢れかえり、異様な活気に包まれていた。
まだ朝食を食べていてもおかしくはない時間だというのにだ。

朋也(交通量も多いな…)

やっぱり、この連休に遠出する世帯が多いんだろう。
道路がかなり混みあっていた。
そして、どの車の窓からも、楽しそうに会話する家族の姿が垣間見ることができた。
………。

朋也(なんか食うか…)

俺はとりあえずのところ、駅前に出ることにした。

―――――――――――――――――――――

朋也(今日は琴吹の奴、いなかったな…)

俺は琴吹のバイト先であるファストフード店で、少し遅めの朝飯を済ませていた。
毎週日曜にシフトが入っていると聞いていたのだが…店内にその姿は見えなかった。

朋也(旅行にでも行ってんのかな…あいつなら、海外とか…)

朋也(まぁ、なんでもいいけど…)

314: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:12:49.03 ID:+UZ/pLeq0
寮の方に足を向ける。
これからまた春原の部屋で無意味に時間を浪費することになるのだ。
いつものことだったが、今だけは余計にむなしく思えた。
空は一点の曇りも無い快晴。そして、余裕たっぷりの連休初日。
なのに、俺のやることといえば、むさ苦しい男とふたりで悶々と駄弁るぐらいのものなのだから。

朋也(はぁ…)

予定のある奴らが恨めしい。
周りの道行く人たちも、これからの時間を満喫すべく動いているんだろう。
俺とは大違いだ。

朋也(いくか…)

考えていても仕方ない。そう思い、一歩踏み出すと…

声「なんで勝手にそんなことするのっ!?」

女の怒声。その声には、聞き覚えがあった。
目を向ける。

朋也(琴吹…)

見れば、なにやら誰かと揉めているようだった。
相手は、紳士風な、身なりのきちんとした、老いのある男性だ。
俺は正直、驚いていた。偶然、今ここで琴吹を見かけたこともそうだが…
まず、なにより、あの温厚な琴吹が、怒りをあらわにして声を荒げていることにだ。
あの男性となにがあったんだろうか…

紬「あ、ちょっと、離してっ!」

315: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:14:03.27 ID:jpDSDOMkO
肩を掴まれ、必死に抵抗していた。

朋也(あ…あの野郎…)

俺は駆け足で近づいていった。

朋也「おい、あんた、なにやってんだ」

紬「あ…岡崎くん…」

男「ん…?」

男性の動きが止まる。
その隙を突いて、琴吹が俺の後ろに隠れた。
ぎゅっと服の裾を握ってくる。

朋也「こんな公衆の面前で、拉致でもしようとしてたのかよ、あんたは」

朋也「場合によっちゃ、警察につき出すけど」

男「いえ、待ってください、私は琴吹家の執事をやらせていただいている者で、斉藤と申します」

朋也「執事…?」

斉藤「はい」

そんな人までいるのか、琴吹の家は…。
改めて生きる世界が違うことを実感させられる。

斉藤「失礼ですが、あなたは、どちら様で…?」

316: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:14:55.66 ID:+UZ/pLeq0
朋也「あ、ああ…俺は、琴吹さんのクラスメイトで…」

紬「私の片想いだった人よ」

朋也「…は?」

紬「でも、今両思いになったわ。そうでしょ?」

俺の腕に強く絡み、さらに力をこめてくる。
そこからは、やわらかい感触が伝わってきた。
胸が当たっているのだ。
…でかい。それが体感できる…。

朋也「あ、ああ…」

俺はなにがなんだかわからず、情けない声で肯定してしまっていた。

紬「ほらね。両思いの恋人同士なんだから、あなたは早く帰ってもらえる?」

紬「いつまでも一緒にいるなんて、野暮なことしないわよね?」

斉藤「………」

しばし、沈黙する。

斉藤「…はぁ。わかりました」

ひとつため息をついて、そう答えた。

斉藤「…お嬢様をよろしくお願いします」

318: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:16:11.37 ID:jpDSDOMkO
振り向きざま、俺にそう告げると、路肩に駐車していた黒塗りのベンツに乗り込んで、車道に出て行った。

紬「………」

朋也「琴吹…そろそろ…」

紬「あ、ごめんなさい」

慌てて俺から離れる。

朋也「…で、なんだったんだ、今のは」

紬「うん…ちょっと、色々あって…」

紬「あ、そうだ、ごめんなさい、勝手に恋人なんかにしちゃって…」

朋也「いや、いいよ、別に。おまえとだし…嫌でもないからさ」

紬「そう? それは、ありがとう」

眩しい笑顔。
もういつもの琴吹に戻っていた。

朋也「よかったら、事情を聞かせてくれないか」

琴吹があそこまで取り乱していたのだから、どうしても気になってしまう。

紬「…うん」

少しの間があって、小さく返事が返ってきた。

319: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:16:47.34 ID:+UZ/pLeq0
その表情には、少しだけ陰りが見えた。
なにがあったんだろうか…。

―――――――――――――――――――――

朋也「ふぅん…そうだったのか」

俺たちは、噴水のある広場に移動してきていた。
ベンチに腰掛け、琴吹から話を聞いていたのだが…
なんでも、勝手にバイトを辞めさせられていたらしい。
これ以上続けるのは、勉学に差し支えあると判断されたからだそうだ。
だが、そんなこと、本人の与り知らないところで決められるのだろうか。
そう疑問に思ったが…琴吹家の人間が動いているのだ。
大抵のことはまかり通ってしまいそうなので、すぐにその懐疑は消えていった。

朋也「それで、今日はバイト先に挨拶しにきてたのか」

紬「うん、そうなの。私からなにも音沙汰がないのは失礼だと思って」

朋也「そっか。やっぱ、しっかりしてるよ、琴吹はさ」

紬「ありがとう、岡崎くん」

朋也「でも、なんであの斉藤さんに止められてたんだ?」

止められるようなこともでもないと思うのだが…。

紬「あれは、止めてたっていうより、連れ戻そうとしてたのよ」

紬「今日は、家族でイタリアに発つ予定だったから」

321: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:18:11.54 ID:jpDSDOMkO
紬「その便に間に合うように、私を迎えにきてたの」

紬「もう、時間がぎりぎりだったから」

朋也「ん? ってことは、今はもう…」

紬「うん、手遅れかな」

朋也「それは…いいのか?」

紬「いいのよ。勝手にバイトのこと決められちゃってたし…」

紬「私もね、言ってくれれば、考えたの」

紬「もう3年生だし、いつかは辞めないといけないのはわかってたから」

紬「でも、それをいきなり、私になんの断りも無くなんて、ひどいもの」

紬「だから、旅行なんていかないの」

むくれた顔で言う。
つまり、これはささやかな反抗というわけだ。
あの時咄嗟に出てきた片想い宣言にも、ようやく納得がいった。

朋也「じゃあ、今日はこれからどうするんだ」

朋也「旅行行くはずだったんなら、暇になったんじゃないのか」

紬「うん、そうね…残りの休日をどうやって過ごそうか、それを考える一日になりそう」

322: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:18:44.93 ID:+UZ/pLeq0
朋也「ならさ、今日は俺と一緒に遊んでみないか」

せっかくだから、こういうのもいいかもしれない。
少なくとも、春原の部屋で退廃的にぐだついているよりはずっといい。

紬「え? いいの?」

朋也「もちろん。だって、俺たち、恋人同士なんだろ」

言葉遊びのつもりで、そう言った。

紬「あ…そうねっ。じゃあ、よろしく、朋也くんっ」

向こうも乗ってきてくれたようだ。
こんなところ、絶対に春原の奴には見せられない。
きっと、嫉妬に狂って暴れだすに違いない。

朋也「こっちこそ。紬」

紬「ふふ」

朋也「まずはバイト先に挨拶しにいかなきゃな」

紬「うんっ」

―――――――――――――――――――――

また駅前まで出てきて、ファストフード店まで足を運んでくる。
俺は店の外で琴吹をただじっと待っていた。

323: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:20:55.54 ID:jpDSDOMkO
朋也(しかし、どういう反応をされるんだろうな…)

もしかして、自分の口で伝えなかったことを非難されたりするんだろうか…。
他の従業員からも、蔑みの眼差しで見られたり…。
………。

朋也(お…)

考えていると、自動ドアをくぐって琴吹が出てきた。
それも、晴れやかな顔を伴って。

朋也「どうだった」

その顔を見れば、訊くまでもないかもしれないが。

紬「うん…店長も、みんなも、今までご苦労様って、そう言ってくれたの」

朋也「よかったじゃん」

紬「うん。みんなすごくいい人たちで…私、ここで働けて本当によかった」

朋也「向こうも、琴吹と一緒に働けてよかったって思ってるよ」

だからこそ、そんな言葉をかけてもらえたんだろう。

朋也「なんたって、こんな可愛くて、その上しっかり者なんだからな」

紬「ふふ、ありがとう。すごく持ち上げてくれるのね」

朋也「そりゃ、今は俺、琴吹の彼氏だからな。自分の彼女は、褒めたいもんだよ」

324: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:24:35.25 ID:jpDSDOMkO
紬「ふふ、私、岡崎くんの彼女になれてよかったな」

紬「こんなに優しくて、その上かっこいいんだもの」

朋也「そりゃ、どうも」

まるで頭の軽いカップルのような褒め合いだった。

朋也「じゃ、いこうか」

紬「うんっ」

同時、俺に手を重ねてくる琴吹。

朋也「あ…」

紬「いいでしょ?」

朋也「ん、ああ」

多少動揺が声に出てしまう。

紬「ふふ」

そんな俺をみて、余裕のある笑みを見せる琴吹。

朋也(なんなんだ、この差は…)

朋也(…まぁ、いいか)

325: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:25:02.85 ID:+UZ/pLeq0
その手に温かさと柔らかさを感じながら、俺たちは歩き出した。

朋也「ああ、そうだ、どこか行きたいところあるか」

紬「う~ん、そうねぇ…岡崎くんに任せるわ」

朋也「俺か? いいのかよ。俺、女の子が好きそうな場所とかわかんないぞ」

紬「いいの。普段岡崎くんがいくところに連れてってほしいな」

朋也「まぁ、それでいいなら、俺も楽だけど…」

朋也「あんまり期待するなよ?」

紬「大丈夫。岡崎くんと一緒だもの。きっと、どこにいっても楽しいと思うの」

朋也「そっかよ…でも、余計にプレッシャーだな…」

紬「あはは、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだけど」

紬「気楽にいきましょうね、岡崎くん」

朋也「ああ、だな」

朋也(しかし…)

琴吹にリードしてもらっているような、この現状…。
男として情けない…。

―――――――――――――――――――――

326: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:26:15.20 ID:jpDSDOMkO
紬「ここが噂の…」

朋也「なんか、大げさだな」

紬「私、一度も来た事がなかったから…」

俺たちがやってきたのは、古本、新刊、中古CD、ゲームなどを総合的に扱っている中古ショップだ。
全国にチェーン展開し、その名を知らない者はいないのではないかというくらいに有名な店だった。

朋也「琴吹は、やっぱ新品で買うんだな」

紬「うん、そうなんだけど…立ち読みって、ずっとやってみたかったのっ」

朋也「そっか…」

やはり一般人とは少し違った感覚をしているようだ。

紬「はやくいきましょっ」

朋也「ああ」

こんなところ、ふたりして遊びに来るような場所でもないかと思ったのだが…
喜んでくれているようで、なによりだった。

―――――――――――――――――――――

紬「わぁ…ほんとにみんな立ち読みしてるぅ」

子供のように目を輝かせながら言う。

327: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:26:35.78 ID:+UZ/pLeq0
紬「いくら読んでても、店員さんに注意されないのよね?」

朋也「ああ、そうだよ。だから、実質ここに住みついてるような奴もいるんだ」

紬「えぇ? ほ、ほんとに?」

朋也「ああ。ほら、あそこに座り込んでる奴がいるだろ?」

朋也「あいつは、ここら一帯を仕切ってる、いわば主みたいな存在だな」

朋也「だから、通り過ぎる時は挨拶しなきゃならないんだ」

紬「そ、そんなしきたりが…」

朋也「行ってみるか」

紬「う、うん」

座り込んでいる男のもとに歩み寄っていく。

紬「あ、あのっ…」

男「……?」

紬「わ、私、琴吹紬といいます。新参者ですが、どうぞよろしくお願いしますっ」

男「おぅ…あ…うぶぅ…」

朋也「琴吹、もういいぞ。認められた」

328: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:28:33.67 ID:jpDSDOMkO
紬「よ、よかったぁ…」

朋也「じゃ、もう行こう。あんまり居すぎて怒りを買うとまずい」

紬「う、うん、わかった…」

完全に信じ込んでいるようだ。
ちょっと悪い気はしたが…正直、面白かった。

―――――――――――――――――――――

紬「あれ、このコーナー、ピンク色になってる…なんでかしら」

迷い込むようにして、入っていこうとする。

朋也「琴吹、そこは…」

寸でのところで止める。

紬「? どうしたの、岡崎くん」

朋也「入ったらダメだ。そこは18歳未満はお断りゾーンだ」

紬「え…そうだったの?」

朋也「ああ。俺の後ろ、右上に監視カメラがあるだろ?」

朋也「あれで捕らえられてたら、警報が鳴ってたんだぞ」

紬「そ、そんな…」

329: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:29:20.03 ID:+UZ/pLeq0
朋也「いいか? 今からカメラの死角に入る」

朋也「そしたら、何食わぬ顔で健全なコーナーから出て行くんだ」

朋也「いくぞっ」

紬「は、はいっ」

したたたーっ!

俺たちは素早く動き出した。
本の整理をしていた店員からは、奇異な視線を向けられ続けていた。

―――――――――――――――――――――

一通り見回り、もとの位置に戻ってくる。

紬「なんか、わくわくしたねっ」

朋也「なにが」

紬「通路も狭くて、人を避けながら進む感じが、こう、なんていうんだろ…」

紬「そう、未開の地に踏み入っていくパイオニアみたいで」

朋也「じゃあ、客は全員、なんかよく得体の知れない部族ってことか」

紬「あはは、それはなんだか失礼な感じ」

朋也「まぁ、それはそうと、一周してきたわけだけど、なんか気に入ったのあったか」

331: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:30:55.08 ID:jpDSDOMkO
紬「うん、少女マンガの区画で、『今日からあたしゃ!!』っていうのが、気になったかな」

朋也「そ、そうか…」

少年漫画にもよく似たタイトルで面白い漫画があるのだが…
なにか関係あるんだろうか。謎だ…。

朋也(それはいいとして…)

朋也「じゃあ、俺は青年誌のとこいるからさ。気が済んだら、声かけに来てくれ」

紬「うん、そうするね。岡崎くんも、飽きちゃったら、私の方に来てね」

朋也「わかった。んじゃ、また後でな」

紬「うん」

―――――――――――――――――――――

琴吹と別れてから漫画を読み始めて、すでに5冊は読破していた。
巻数も抜けることなく連番でそろっていたので、快適に読むことができていた。

朋也(ん…)

6冊目を読み始め、中盤に差し掛かったとき、濡れ場が訪れた。

朋也(ふむ…)

いつになく集中する俺。
ページを繰る手が止まる。

332: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:31:44.05 ID:+UZ/pLeq0
声「岡崎くん」

朋也(うおっ)

咄嗟に持っていた漫画を背に隠して振り返る。

紬「なに読んでるの?」

朋也「い、いや、別に…あ、そ、そうだ、琴吹はもういいのか? 漫画は…」

紬「うん、先の巻が途切れちゃってたから、もう終わりにしようかなって」

朋也「そ、そっか…」

紬「それで…岡崎くんは、なにを読んでたの?」

朋也「ん? いや、たいしたもんじゃねぇよ」

紬「気になるなぁ…見せて?」

朋也「い、いや、もう出よう」

さっと漫画を棚に戻し、琴吹の手を引いて出口に向かった。

―――――――――――――――――――――

紬「どうしたの? 急に…」

朋也「いや…もう昼だし、腹減ったからさ、どっかで食いたいなってな…」

335: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:33:41.52 ID:jpDSDOMkO
ごまかしのつもりで言ったが、実際、俺は小腹が減っていた。
タイミングとしては丁度よかったのかもしれない。

朋也「琴吹は、どうだ? 腹、減ってないか?」

紬「う~ん、そうね…減っちゃってるかも…」

朋也「じゃあ、なんか食いに行こうか」

紬「そうね、いきましょう」

―――――――――――――――――――――

俺がわりとよく利用するラーメン屋。
ニンニク入りで、コクのある濃い味がウリの店だ。
食べた後は、しばらく息にニンニク臭が混じってしまうほどの強烈さがある。
それに、脂分も多いので、どんぶりもべたついている。
琴吹にどこで食べたいか訊かれ、ここのことを話すと興味を示したので、一応連れて来たのだが…

朋也「本当にここでよかったのか」

そういう食器事情も含めて、女の子が好むような店ではないように思う。
だが、それらを説明しても、琴吹はここに来たがっていた。

紬「もちろん。私、こういうストイックなラーメン屋さんで食べてみたかったのっ」

紬「ヤサイマシマシニンニクカラメアブラ! だったかしら?」

朋也「いや、ここはそんな二郎チックなところじゃないからな…普通のラーメン屋だよ」

336: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:34:33.50 ID:+UZ/pLeq0
紬「あら、そうなの?」

朋也「ああ。やめとくか?」

紬「ううん。ここまで来たんだから、食べていきましょ?」

言って、先陣を切って中に入っていった。
俺も後に続く。

―――――――――――――――――――――

カウンター席に隣り合って座る。
俺は醤油ラーメンで、琴吹はみそラーメンを注文した。
しばらくして、俺たちの前にラーメンが差し出された。

紬「あ、おいしそうな匂い…」

言って、箸に麺をからめる。

紬「ふー…ふー…」

息を吹きかけ、よく冷ます。
そして、髪を横にかき上げてから口にした。

紬「けほっ、けほっ」

どんぶりから立ち込める湯気も一緒に吸ってしまったのか、むせてしまっていた。

朋也「ほら、水」

337: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:35:59.09 ID:jpDSDOMkO
俺のそばにあったお冷サーバーから琴吹のコップに水を満たして、それを渡す。

紬「んん…ありがとう」

受け取り、喉を潤した。

朋也「食べられそうか?」

紬「うん、大丈夫。今ちょっと食べたけど、麺にも味が染みててすごくおいしいから」

朋也「そっか。でも、無理はするなよ? 最初は結構キツイかもだからさ」

朋也「食べられないと思ったら、残りを俺にくれ。完食するから」

紬「ふふ、それ、間接キス…じゃなくて、間接口移しのお誘いかしら?」

朋也「ばっ…んな下心ねぇっての」

紬「あはは、ごめんなさい、冗談で言ったの」

あどけなく笑う。
こうなると、もうなにも言えなかった。

朋也(ったく…)

結局、琴吹は自力で食べ切っていた。
しかも、スープまでだ。
お嬢様なんて温室育ちなはずなのに…見上げた胆力だった。

―――――――――――――――――――――

339: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:36:46.00 ID:+UZ/pLeq0
紬「はぁ~っ…すごい、ほんとにニンニクの匂いがする…」

口に手を当て、口臭を確認していた。

朋也「じゃ、クレープでも食って中和するか。俺、おごるよ」

序盤にリードされた分を盛り返すべく、そう申し出た。

紬「ほんとに?」

朋也「ああ。まぁ、琴吹には必要ないかもしれないけどさ…」

紬「そんな…うれしいよ、その気持ちも…」

紬「私、おごってもらうなんて、初めてだし…それも、男の子になんて…」

紬「だから、特別に思っちゃうな」

朋也「そっか。じゃあ、彼氏の役割も果たせてるのかな」

紬「うん、すごくね。ありがとう、朋也くんっ」

抱きつくように腕を組んでくる。
琴吹のいい匂いが、ふわりと香る。
思わずどきっとしてしまう俺がいた。

紬「いきましょ?」

立ち止まっていると、そう声をかけてきた。

340: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:38:03.25 ID:jpDSDOMkO
朋也「あ、ああ…」

腕を絡ませたまま歩き出す。
本当に恋人同士になったようだった。

―――――――――――――――――――――

クレープも食べ終わり、ひと息入れる。
クレープ自体はうまかったのだが、腹の中でラーメンと混じり合って少し気持ち悪かった。

紬「おいしかったぁ。えっと、これで息は直ったかしら…」

また口に手を当て、口臭を確認する。

紬「う~ん…」

難しそうな顔。
納得がいかないといった感じだ。

朋也「俺も確認しようか? 息はぁ~ってやってくれ」

冗談だった。
そんなエチケットに関することなんて、自分以外に知られたくはないだろう。

紬「じゃあ、お願いね」

…普通に受け入れていた!
琴吹の顔が迫ってくる。
俺のすぐ鼻先で止まった。
そして、口を開けて…

341: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:38:49.18 ID:+UZ/pLeq0
紬「はぁ~」

温かい吐息がかかる。
甘い香りがした。
ニンニク臭さなんて微塵もない。

紬「…どう?」

朋也「…ちょっとよくわかんなかったな…もう一回いいか?」

紬「ん、それじゃあ…」

再び甘い香りを堪能する。

朋也(ああ、琴吹って、歯並びいいよな…)

そんなことを考えながら、俺はこのシチュエーションに興奮を覚え始めていた。

紬「…岡崎くん?」

朋也「ん、ああ…」

軽くトリップしてしまっていたようだ。
琴吹の声で現世に戻ってこれた。

紬「どうだった?」

朋也「う~ん…もう一回やれば、わかるかも…」

紬「岡崎くん…楽しみ始めてない?」

342: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:40:38.67 ID:jpDSDOMkO
朋也「あ、バレた」

紬「くすくす…もう、子供みたい」

屈託なく表情を和ませて微笑む琴吹。
陽だまりの中で見るその笑顔は、とても魅力的に見えた。
春原が入れ込むのも無理はない。そう思えるくらいに。
こいつの彼氏になる奴は、幸せ者だ。
その分、男の方にも釣り合いが取れていないといけないんだろう。
残念ながら、俺や春原では役者が足りなかった。

朋也(ま、でも、今は俺が仮の彼氏だしな…)

朋也(う~ん…)

俺は急に自分の身だしなみが気になった。
琴吹の隣に立つという、その敷居の高さを意識してしまったからだ。
とりあえず、俺も自分の口臭を確認してみる。
やはり、ニンニクの匂いが強く香った。
口というか、胃から直接匂いが昇ってきている感じだ。
それくらい強烈なはずなのに、琴吹からはバニラのような甘い香りしかしなかった。
実に神秘的だ、琴吹は…。

―――――――――――――――――――――

腹ごなしに、町の中を練り歩く。

紬「あ、岡崎くん、見て、あれ」

足を止め、ショーウインドウを指さす。

343: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:42:04.90 ID:+UZ/pLeq0
その中には、げっ歯類のような、謎の生き物のぬいぐるみがあった。

紬「可愛いわぁ…」

近づいていき、すぐそばで眺める。

朋也「そうか? つぶらな瞳してるけど、なんか、口開けてよだれたらしてるし…」

朋也「ヤバイ薬キメた直後みたいになってるぞ」

紬「むしろそこがいいのよぉ~」

朋也「あ、そ」

そんなとりとめもない会話を交わしながら、次はどこに行こうか…などと考えていた。
すると…

がらり

装飾品のベルが鳴らされると共に、その店のドアが開いた。
店員らしき人がこちらに寄ってくる。

男「あの、琴吹紬様…でよろしかったでしょうか」

紬「はい、そうですけど…」

男「ああ、やっぱり。いつもお父様には大変お世話になっております」

紬「は、はぁ…」

344: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:43:26.77 ID:jpDSDOMkO
男「今日は、うちでなにかお求めで?」

紬「いえ、ただ見てただけなので…」

男「ああ、そうでしたか。気に入ったものがあれば、お持ち帰り頂こうと思ったのですが…」

紬「い、いえ、そんな、悪いですから…」

男「でしたら、せめて、お茶をお出しするので、中でくつろいでいかれてください」

紬「い、いえ…えっと…い、いきましょっ、岡崎くんっ」

朋也「あ、ああ…」

俺の手を引いて、急ぎ足で立ち去る。
後ろからは、店の人の呼び止める声が聞え続けていたが、立ち止まることはなかった。

―――――――――――――――――――――

紬「ごめんなさい」

あの場から離れて一旦落ち着いた頃、琴吹が開口一番そう口にした。

朋也「なにが」

紬「私のせいで、こんな逃げるようなことになっちゃって…」

朋也「いや、俺は別になんとも思ってないよ」

朋也「けど、お茶くらい、もらってもよかったんじゃないか?」

345: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:44:11.03 ID:+UZ/pLeq0
紬「うん…それだけなら、いいんだけど…」

紬「こういう時って、必ず最後に、お父さんによろしく言っておいて欲しいって、そう言われるの」

紬「私、そういうことって、上手く言えないから、苦手で…」

紬「それに、今は喧嘩中だから、なおさら伝えにくいし…」

紬「もてなしてもらったのに、そんなことじゃ、お店の人に悪いから…」

朋也「そっか…なんか、大変なんだな、琴吹も」

紬「ううん、そんな大変ってほどじゃ、ないんだけどね…」

朋也「まぁ、事情はわかったよ。これからはそういうことにも気をつけながらいこう」

紬「ごめんね…」

朋也「謝るなよ、そのくらいのことで」

紬「うん…」

朋也「ほら、いこう」

今度は俺の方から手を取って歩き出した。

―――――――――――――――――――――

その後も似たようなことが立て続けに起きた。
電器店の近くを通りかかれば、呼び込みが騒ぎ出し、店長を呼びつけられたし…

346: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:45:35.10 ID:jpDSDOMkO
ショッピングモールに入れば、各コンテナのオーナーが直々に挨拶しにくる始末だ。
おまけに、道ですれ違った、いかにもその筋な方にも会釈されていた。
その度にそそくさと逃げ出していたのだが…
繰り返すうち、気づけば俺たちは町外れまできてしまっていた。

朋也「手広くやってるんだな、琴吹んとこの事業はさ」

紬「お恥ずかしいかぎりです…」

朋也「いや、誇れることだよ」

紬「うぅ…そうかな…」

朋也「ああ」

朋也(でも、これからどうするかな…)

カラオケ…なんて、俺のガラじゃないし…
バッティングセンター…は、さすがにだめだな…
そもそも、俺はまともにバットを振れない。
琴吹は…どうだろう…
野球に興味がなくても、打つだけならそれなりに楽しめるかもしれない。

朋也(つーか、バッティングセンターなんて、この町にあったかな…)

それすらも知らなかった。
穴だらけの発想だ…

朋也(う~ん…)

347: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:45:59.49 ID:+UZ/pLeq0
紬「岡崎くん、あそこ、入ってみない?」

朋也「ん?」

考えを巡らせていると、琴吹が俺の袖を引いてきた。
指さす先、寂れたおもちゃ屋があった。

紬「なんだか、おもしろそうじゃない?」

朋也「ん、そうだな…」

それほどでもなかったが、琴吹にとっては新鮮だったのかもしれない。

朋也(さすがにこんなとこまでは、琴吹家の手は伸びてないよな…)

ともあれ、まずは入ってみることにした。

―――――――――――――――――――――

店内には、時代に逆行するようなおもちゃが数多く並んでいた。
まるで、ここだけ時の流れが止まってしまっているようだった。

朋也(おお…懐かしい…キャップ弾だ…)

キャップ弾とは、プラスチック製ロケットの先端に火薬を詰めて、空に放って遊ぶおもちゃだ。
落ちてきて地面に当たると火薬が炸裂し、乾いた音が響くのだ。
それだけの単純な仕組みだったが、やけにおもしろかったことを覚えている。
ガキの時分、年上の遊び仲間に混じって、ずいぶんこれで遊ばせてもらったものだ。

朋也(あの時は自分で買えなかったんだよな…)

348: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 02:47:10.17 ID:jpDSDOMkO
それを思うと、なぜか大人買いしたくなる衝動に駆られた。

朋也(って、今さらだよな…)

この年でそんな遊びをするわけにもいかない。
俺にだって、一応、周囲の目を気にするだけの恥じらいはある。
まぁ、散々琴吹といちゃついてきておいて、なんだが…

紬「岡崎くん、みてみて、水鉄砲よっ」

カチカチと空砲を撃っている。

紬「かっこいいと思わない?」

そして、まじまじとその構造を眺めていた。

朋也「いや、別に…つーか、なんだ、珍しいのか?」

紬「うんっ、私、水鉄砲なんて触ったの初めてだから」

朋也「そっか」

男からしてみれば、水鉄砲を避けて通る人生なんて、ほぼ考えられないのだが。

朋也「じゃあ、それ買って、実際に撃ってみろよ。近くに公園あったし、そこでさ」

紬「あ、いいねっ、それっ。おもしろそうっ。早速買ってくるねっ」

きらきらと目を輝かせながら、カウンターに駆けていった。

365: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 03:18:20.52 ID:+UZ/pLeq0
朋也(俺も一個買うか…安いし…)

一つ手にとって、琴吹の後を追った。

―――――――――――――――――――――

紬「えいっ!」

ピュピュッ

発射された水が勢いを失って地面に染みていく。

紬「撃った時に手ごたえを感じるわ…これが武器を扱うことの重みなのね…」

朋也「いや、単純に水を押し出してる抵抗だからな」

言って、俺も発射する。
特に意味はなかったので、適当なところを狙っていた。

朋也「やっぱ、マトがないと盛り上がらないな」

朋也「なんか、手ごろなもんがないか…」

びしゃっ

朋也「ぷぇっ」

水が口に入り込んでくる。

紬「あ、ごめんなさい、威嚇射撃のつもりだったんだけど…」

366: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 03:19:30.43 ID:jpDSDOMkO
朋也「おまえな…」

びしゃっ

紬「きゃっ」

お返しとばかりに、俺も撃ち返す。

紬「…えいっ」

びしゃっ

朋也「うわっ」

さらに撃ち返された。

朋也「………」

紬「………」

さささっ!

同時に距離を取る。
それは、お互いが銃撃戦の開幕を了承したことを意味していた。
琴吹は俺に発砲しながら草むらに向かって行く。
俺は水道のコンクリ部分に身を隠してそれを避けた。
顔だけを出して、琴吹を確認する。

朋也(いない…?)

368: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 03:20:16.48 ID:+UZ/pLeq0
その時、上から落ち葉が大量に降ってきた。

朋也(ちぃっ)

ごろごろと転がってその場から離れる。

朋也(奇襲か…やるな、琴吹)

振り返ると、琴吹が水道で弾を補充していた。

朋也(喰らえっ)

ぴゅぴゅぴゅっ

三連射。
が、水道の影に隠れられてしまう。

朋也(ちっ、残弾が少ない…)

補給が必要だが、琴吹が陣取っていて近づけない。

朋也(どうする…?)

朋也(ん…?)

ダンボールが落ちていた。
これを盾に進めば、あるいは…

朋也(よし…)

369: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 03:21:39.77 ID:jpDSDOMkO
体を覆い隠しながら突進する。
足音に気づいた琴吹が顔を出してきた。

紬「!」

驚いているようだ。必死にヘッドショットを狙ってくる。
が、すべて外れていた。
そうこうしているうちに、琴吹の目の前までやってくる。

朋也「終わりだぜ、琴吹」

ぴゅっぴゅっ

紬「きゃっ」

胸の辺りに二発入った。

紬「卑怯よ、岡崎くん…」

朋也「防弾チョッキだったと思って、許してくれ」

へたり込んでいる琴吹に手を差し伸べる。

紬「ん…」

その手を取って、立ち上がる。

紬「濡れちゃった…」

服がぺたぺたと肌に吸い付いていた。

370: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 03:22:12.37 ID:+UZ/pLeq0
被弾箇所は胸。つまり…はっきりと形がわかってしまっていた。
いや、それはブラの形なのかもしれないが…正直、たまらない。

紬「もう一度、水を満タンにしてやり直しましょっ」

朋也「あ、ああ…」

まだ続行する気なら、どんどん胸に当てていけば、いずれは…

朋也(って、俺は春原かよ…)

しかし…

朋也(遊びの中で起きたことなら、不可抗力だよな…)

………。
やってやるぜ…。

―――――――――――――――――――――

紬「あ~っ、おもしろかったぁ」

息も切れてきたので、一度休憩を入れていた。
髪も服も、だいぶ水気を含んでしまっている。

紬「水鉄砲って、楽しいのね」

朋也「ああ、だな」

俺も途中から邪な考えは消え、童心に帰って純粋に楽しんでしまっていた。

371: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 03:23:25.64 ID:jpDSDOMkO
そうできたのも、きっと、琴吹の遊びに対する純真な姿勢につられてしまったからだろう。

朋也(ほんと、いい顔してたもんな…)

朋也(ん…?)

子供「………」

俺たちの腰掛けるベンチの手前、じっと見上げてくる男の子が四人。
小学校低学年くらいだろうか。

紬「なぁに? どうしたの?」

子供「………」

誰も何も言わず、無言で見つめてくる。

紬「これ?」

水鉄砲を差し出す。
すると、一人がこくりと小さく頷いた。

紬「欲しいの?」

また、頷く。

紬「じゃあ、ちょっと待っててね」

子供たちに言って、俺に顔を向ける。

372: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 03:23:57.90 ID:+UZ/pLeq0
紬「岡崎くん、私、さっきのおもちゃ屋さんに行ってくるね」

朋也「こいつらの水鉄砲買いにか?」

紬「うん」

朋也「じゃ、俺もいくよ。2個ずつ買ってやろう」

紬「あ、さすが岡崎くんねっ。ふとっぱら」

朋也「おまえもな」

―――――――――――――――――――――

おもちゃ屋で人数分購入してくると、全員に分け与えた。
子供たちは、礼の言葉を言うと、嬉しそうに水鉄砲を手の中に収めていた。

紬「ふふ、かわいい」

朋也「まぁ、今時のガキにしちゃ、可愛げがある方かもな」

こんな水鉄砲なんかで喜ぶのは、かなりの希少種なんじゃないだろうか。
今は高性能な携帯ゲーム機など、おもしろい娯楽で溢れかえっているのだ。
そっちに傾倒しているのが普通だろう。

朋也(ま、俺も言えた義理じゃないか…)

俺も小学校高学年頃からは、遊びといえば、友人の家に入り浸ってひたすらゲームだった気がする。
いつからか、自然とこういう遊びはやめてしまっていた。

373: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 03:25:27.71 ID:jpDSDOMkO
子供1「あの…」

紬「ん? なに?」

子供1「お姉ちゃんたちも、一緒にやらない? 水鉄砲」

子供2「やったほうがいいし」

子供3「やろうよ」

子供4「●●●」

一人だけ異端なことを口走っていたが、遊びのお誘いだった。

紬「いいの?」

子供1「うん、もちろん」

子供2「だから言ってるし」

子供3「おまえ口調キツイだろ」

子供4「●●●」

紬「じゃあ、一緒に遊びましょっか。岡崎くんも、ね?」

朋也「ああ、いいけど」

子供1「やったぁ」


次回 朋也「軽音部? うんたん?」その4