朋也「軽音部? うんたん?」その1
  

朋也「軽音部? うんたん?」その2 

2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:08:31.45 ID:+UZ/pLeq0
キョン「その辺の事情はあまり関係ないさ」

朋也「そっか」

確かに涼宮のあの気性なら、さもありなんといったところか。

朋也「じゃあ、いくか」

キョン「ああ」

―――――――――――――――――――――

キョン「おつかれさん」

一仕事終えて弛緩した空気の中、わきあいあいと荷をまとめる部員たちに声をかける。

唯「あ、キョンくんだ! 久しぶり~」

キョン「久しぶり」

唯「ライブ見に来てくれたの?」

キョン「ああ、見てたよ。かなり盛り上がってたよな。MCも面白かったし」

唯「えへへ、ありがと」

律「で、どうしたんだよ、こんなとこまできてさ。サインでも欲しいの?」

キョン「いや、俺も片付け手伝いに来たんだよ。人手が多い方がいいかと思ってさ」

引用元: 朋也「軽音部? うんたん?」ラスト

 

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4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:11:51.41 ID:+UZ/pLeq0
律「マジで? 気ぃ利くなぁ、あんた」

澪「ありがとう、キョンくん」

唯「ありがと~」

梓「ありがとうございます」

紬「部室に戻ったら、すぐにお茶出すわね」

キョン「ああ、お構いなく」

紬「遠慮しないで? 手伝ってもらうんだから、もてなしてあげたいの」

キョン「そうですか? じゃあ、よろしくお願いします」

キョンは琴吹に対しては最初に出会った時からずっと敬語だった。
卒業してしまった先輩とどこかダブって見えてしまうからだということらしかった。

律「で、春原のアホはどこいったんだ? まさか、ブッチしたんじゃないだろうな」

朋也「あいつはトイレに行ってるよ。ライブ前からずっと我慢してたから、マジダッシュでな」

律「間の悪い奴…」

―――――――――――――――――――――

春原「ふ~い…」

すっきりした顔の春原が、前方からちんたらやってきた。

5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:13:06.35 ID:jpDSDOMkO
春原「あれ…」

こちらに気づく。

春原「あんだよ、キョン。こき使われてるね」

律「人聞きの悪いこと言うなっての。自ら志願してくれたんだよ」

春原「マジで? マゾいね。そっち系なの?」

キョン「ただの善意だ…妙なミスリードしないでくれ」

律「ほら、いいからおまえも運んでこいよ」

春原「わぁったよ」

朋也「いや、まて。それはやめた方がいいかもしれん」

律「ああ? なんで」

朋也「こいつ、トイレの後も絶対に手を洗わないっていう、腹に決めた固い信念を持ってるからな」

春原「なんでそんなことに頑ななんだよっ! 変なキャラ付けするなっ!」

紬「春原くん…どんな高みを目指してるの?」

春原「って、ムギちゃん、信じちゃだめだぁああああっ」

律「わははは!」

6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:13:31.45 ID:+UZ/pLeq0
―――――――――――――――――――――

律「さてと…」

設備回収もつつがなく終わり、晴れて自由の身となった。
ステージ衣装もその役目を終え、ケースに収納されている。

律「ライブも快調にこなせたし、片付けも終わった…となれば、後は遊ぶだけだなっ」

唯「いぇーいっ」

律「まずはティータイムだっ。ムギ、準備しようぜっ」

紬「うんっ」

梓「あ、すみません、私、これからクラスの仕事しなきゃいけないので…教室に戻りますね」

唯「えぇ~、行かないでよぉ、あずにゃ~ん…」

梓「そういうわけにもいきませんから…」

律「梓のクラスってなにやってんの」

梓「喫茶店です」

律「喫茶店? じゃ、ちょうどいいや。そこでティータイムしようっ」

唯「あ、いいね、それっ」

梓「え…」

8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:14:48.00 ID:jpDSDOMkO
律「なんだよ、ダメなのか?」

梓「いえ…他のお客さんもいると思いますし、あんまりだらだらされるのはちょっと困るかなと…」

澪「確かに、営業妨害はよくないよな…」

律「ちゃちゃーっと素早くだらだらするから大丈夫だって」

澪「矛盾してないか、それ…」

律「いいから、とにかくいくぞっ」

唯「おーっ」

部長と唯が先陣を切る。

澪「はぁ、まったく…ごめんな、梓。多分迷惑かけると思う」

梓「いえ、大丈夫です。律先輩のああいうとこ、もう慣れてますから」

梓「それに、澪先輩のフォローにも期待してますし」

澪「はは…重い役回りだなぁ…」

秋山と中野も後に続いた。

紬「ごめんね、お茶だしてあげられなくて」

俺たち男三人の前で、申し訳なさそうな顔をする。

9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:15:07.55 ID:+UZ/pLeq0
キョン「いえ、全然です。もともと見返りは求めてませんから」

春原「僕はムギちゃんと同じ空間でお茶できればそれでいいからね。喫茶店でもいいよ」

朋也「まぁ、いつもは琴吹が配膳してるからな。たまには客気分でいてもいいんじゃないか」

春原「そうそう。因果応報って奴だよね」

朋也「また、自分のキャパシティを超えた四字熟語を…微妙に使いどころ間違ってるし」

春原「マジで? まぁ、ニュアンスが伝わればいいよ」

朋也「おまえ、いつもニュアンスだけで会話してるもんな」

春原「どんな奴だよっ!? って、あれ…ニュアンスってどういう意味だっけ…」

見事にニュアンスがゲシュタルト崩壊していた。

紬「くすくす」

春原「ま、いいや。僕らもいこうぜ」

朋也「ああ」

―――――――――――――――――――――

律「けっこう混んでんなー」

廊下側の窓から覗けた室内は、まずまずの賑わいを見せていた。

12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:16:23.30 ID:jpDSDOMkO
澪「飲食系の出し物は、毎年どこもこんな感じだろ」

律「ま、そだな」

梓「じゃあ、私、中で待ってますね」

律「おう」

列に並ぶ俺たちを残し、教室に入っていった。

―――――――――――――――――――――

憂「いらっしゃいませー」

教室のドアをくぐると、憂ちゃんがメイド服姿で出迎えてくれた。

律「おおぅ…可愛いなー、憂ちゃん」

澪「うん、よく似合ってる」

紬「網膜に永久保存したいわぁ~」

憂「えへへ、ありがとうございます」

朋也(憂ちゃんと中野は同じクラスだったのか…)

知らなかった。こんな接点があったなんて。

朋也(ま、仲はよさそうだったしな…)

13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:16:54.87 ID:+UZ/pLeq0
別段驚くことでもないか。

唯「憂ー、私が来てあげたよ~」

憂「いらっしゃい、お姉ちゃん。ライブ、かっこよかったよ」

唯「あ、みてくれたんだ?」

憂「うん、その間だけ抜けさせてもらってね」

唯「うんうん、偉いよぉ、憂~。それでこそ憂だよ~」

頭を撫でる。

憂「えへへ」

律「しっかしよくできてんなぁ、その服。なんか、さわちゃんが一枚噛んでそうな…」

憂「わかります? これ、山中先生プロデュースなんですよ」

律「はは、そっか…手広くやってんなぁ、あの人も…」

唯「ねぇ、憂、割引きとかしてくれるよね?」

憂「身内贔屓はダメだよ、お姉ちゃん。定価で食べてね」

唯「ぶぅ、けちー」

憂「大丈夫。利益を見込んだ価格設定じゃないから、懐に優しいよ」

15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:18:57.94 ID:jpDSDOMkO
唯「それでも値切ってみせるよ、私はっ」

澪「そこまで徹底してわがままを言うな…憂ちゃん、気にしなくていいからな」

憂「ふふ、はい」

声「憂ー、お客さん通してー」

憂「あ、いけない…えっと、1、2…7名様ですね。こちらへどうぞー」

テーブルへ案内される。
さすがに7人同時に座れるほどの席は用意されておらず、二手に分かれた。
男三人組と、女4人組で、当たり障りのない構成だ。
隣席では、唯たちがメニューを見て、ああだこうだと盛り上がり始めていた。

春原「お、あの子可愛いっ。呼んだら接待してくれるかなっ」

キャバクラかなにかと勘違いしている無粋な男が一人興奮していた。
いちいち取り合うのも面倒なので、放っておくことにする。

朋也(えーと…)

手作り感あふれるおしながきを開いてみる。

朋也(ふぅん…けっこうバラエティあるな…)

ケーキもジュースもそれぞれ数種類用意されていた。
学際の催しにしては、なかなか鋭意が感じられる。

声「ご注文はお決まりでしょうか…」

16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:20:27.74 ID:+UZ/pLeq0
声がして顔を上げる。

梓「………」

中野がオーダーを取りに来ていた。

春原「お、なんだよ二年、それは」

頭を指さす。

梓「ネコミミです…」

若干恥じらいがあるのか、伏目がちに言った。

春原「はは、可愛いじゃん」

キョン「だな。似合ってるぞ、中野さん」

梓「あ、ありがとうございます…」

照れているのか、声が小さかった。

梓「………」

俺をじっと見てくる。なにか、期待と不安が入り混じったような表情。
もしかして、俺からの評価を待っているんだろうか…。

朋也「…あー、可愛いな、うん」

梓「っ…ど、どうもです…」

19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:21:35.83 ID:jpDSDOMkO
エプロンの裾を握って俯いていた。
いつもならここで『機嫌取り野郎』などとなじられてしまうのだが…
多分、今は店員の体裁を保つため、素を抑えているんだろう。

唯「あーずにゃーんっ!」

梓「わっ」

横からものすごい勢いで唯に抱きつかれる中野。

唯「かわぃいい~っ!!」

光速の頬ずり。

梓「あ、あつっ、摩擦であついですっ」

唯「ふんすっ! ふんすっ!」

全く聞く耳を持っていなかった。
哀れ中野、この後も常時唯にストーキングされ続け、業務に大きく支障をきたしていた。

―――――――――――――――――――――

喫茶店を出て、ぞろぞろと廊下を行く俺たち一行。

律「次はどこいっかな~」

唯「りっちゃん隊員! おもしろいものを発見しました!」

律「ん、なんだ、言ってみたまえ」

21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:22:15.61 ID:+UZ/pLeq0
唯「あれですっ」

腕相撲最強に挑め! とだけ大きく書かれた立て札があった。

律「おお、腕相撲か! おし、男ども、だれか挑んでこいっ」

春原「ふん、上等だね。僕が行って、腕へし折ってきてやるよ」

律「お、やっぱおまえがいくか。いつも威勢だけはいいもんなっ」

春原「だけ、は余計だっての」

―――――――――――――――――――――

教室に入ると、中央に机が一つあり、そこへガタイのいい男が腰掛けていた。
その横にはもう一人、レフリーなのか、蝶ネクタイをした男が立っている。

男1「ん…」

男2「挑戦者の方ですか?」

春原「ああ、そうさ」

男2「では、こちらにおかけください」

机の対面に置かれた椅子に座るよう促される。
その指示に従い、春原が中央に歩み寄っていく。

男2「では、両者、スタンバイをお願いします」

22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:24:15.48 ID:jpDSDOMkO
お互い机に肘をつき、手を握る。
その上から蝶ネクタイの男が手を被せた。

男2「僕の手が離れた瞬間開始です。いきますよ、レディ…」

男2「ファイッ!」

ガシィッ

力と力がぶつかり合う。
どちらの腕もギリギリと震えていた。

春原「うぐぁ…」

春原が押されだす。

ガンッ!

少し角度がついたと思うと、一気に叩きつけられていた。

春原「いでぇっ」

男2「残念! それでは、ファイトマネー500円を払ってもらいましょうか」

春原「え? なんだよ、それ…無料じゃないのかよ」

男2「そんなことありえないですよ。この金田君と試合を組んだんですからね」

春原「でも、んなのどこにも書いてなかっただろっ」

23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:24:50.51 ID:+UZ/pLeq0
男2「自力で察してくださいってことです」

春原「無茶言うなっ」

男2「無茶じゃありませんよ。金田君は全国的に有名な柔道の選手ですからね」

男2「将来はオリンピックの重量級で金を取ることさえ有望視されているほどの、ね」

春原「知るかよ…理不尽だっての…」

男2「文句があるなら勝てばいいんです。勝者総取りですからね。こちらにもリスクはあります」

金田「後藤…いるのもならさ、今度は俺を倒せる奴を連れてきてくれ」

後藤「ふっ…」

にたり、と勝ち誇ったように笑うふたり。

紬「なるほど…勝てばいいのね」

琴吹が一歩前に出る。

春原「ムギちゃん…?」

全員の視線が琴吹に集まった。

紬「で、その勝者総取りっていうのはどういうことなの?」

後藤「そのままの意味です。勝った方にファイトマネーが支払われる。ただし…」

24: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:26:04.06 ID:jpDSDOMkO
後藤「そちらが勝てば、今まで金田君が勝って積み上げてきたお金をすべてお渡しします」

後藤「どうです? そちらにとっては、ローリスクハイリターンでしょう?」

紬「ふふ…そうかもね。じゃあ…次は私の相手をしてもらえるかしら?」

無謀だ…そう思うだろう――普通の女の子が言ったなら。
だが、こいつは琴吹紬だった。もしかしたら…と、そんな期待を抱かずにはいられない。
皆、固唾を呑んで行く末を見守っていた。

キョン「琴吹さん、やめたほうが…」

そういえば、琴吹の内に秘められたポテンシャルを知らない男もいたか…。

朋也「キョン、大丈夫だ。多分、なんとかなる」

キョン「いや、あんなのとまともにやり合ったらただじゃ済まないだろっ」

朋也「いいから、見てろって」

キョン「………」

不服そうな顔。

キョン「…危ないと思ったら即止めに入るからな」

朋也「ああ、そうしてやってくれ」

もっとも、そんなに圧倒されることはないと思うが。

25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:26:46.69 ID:+UZ/pLeq0
後藤「正気ですか? 怪我をされても、こちらとしては、責任を負いかねますよ?」

紬「リアルな戦いを望むのはこちらも同じよ?」

金田「ははははっ! いいぞ、やろうか」

紬「ふふ…」

不敵に笑い、敵に向けて真っ直ぐに歩いていく。

紬「春原くん…負け分は必ず取り戻すわ」

春原「む、ムギちゃん…気をつけてね」

紬「ええ…」

春原と入れ替わりに座る。
そして、先程と同様に勝負のお膳立てがなされた。

後藤「レディ…ファイッ!」

ガガッ!!

机が揺れるほどの激しい激突。
どちらの側にも振れていたが、それも誤差の範囲。
すぐさま初期位置に戻り、その周辺で覇権を争っていた。
完全に力が拮抗している。

キョン「マジかよ…」

27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:30:25.10 ID:jpDSDOMkO
まともに渡り合えているその戦況を見て、驚嘆の声を漏らしていた。
これでこいつも、琴吹が並ではない事がわかっただろう。

金田「くくく…あんた本当に女か」

紬「ふふ…ええ、もちろん」

金田「すべてにおいて俺の方が上だと思っていたよ」

紬「あら? 力はさておき…ルックスは私の方が100%勝ってると思うんだけど」

舌戦で相手のペースを乱そうとしているのか、挑発的な言葉を選んでいた。

金田「ふ…そうかもな」

だが、相手は乗ってこない。
やはり男女で容姿を比較されてもそれほどダメージはないのか。

金田「そろそろだ…」

紬「うん…?」

金田「きた…ファウ!! ファウ!!」

いきなり狂ったように呻きだす。

朋也(なんだ…!?)

紬「ぐぅむぅ…っ」

28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:31:01.97 ID:+UZ/pLeq0
それと同時、パワーバランスが一気に崩れ、琴吹が押されだした。

金田「ムギぃいいい…最高ぉぉぉ!!!」

紬「うぁあっ…!?」

朋也(琴吹っ…!)

もはや手が机すれすれまで運ばれてしまっていた。

朋也(ここまでなのか…)

この形勢を見たら、誰もがそう思うだろう。
実際、皆そんな顔をしていた。
諦めかけた、その時…

紬「殺したいヤツのことを…思い出せ…」

琴吹が何かつぶいていた。声が小さすぎて口の動きだけしかわからない。

紬「0.01秒で情報を引き出し…0.09秒で必要な場面の再生を終えろ…」

紬「0,1秒で… 無 極 が使えるように…なれ…」

紬「………」

深く息を吸って、目を閉じる。その表情は、あくまで苦しそうだった。
もしかして…心が折れてしまったんだろうか…
いや…違う。まだ戦っている…必死に耐えているじゃないか。

29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:31:38.97 ID:+UZ/pLeq0
紬「……っ!!」

勢いよく目が開かれる。
その瞬間、絡ませていた指が金田の手の甲にめり込んだ。

パキッ

小気味よい音がする。そう…骨が砕かれたのだ。

金田「あ゛ぁっ」

バァンッ!!

激しい音がして、金田の手が机に叩きつけられていた。

金田「あ…あ゛がぁあああっ!!」

その腕がだらりと力なく机に横たわっている。
それも、不自然な曲がり具合でだ。
これは折れたと見て間違いないだろう。

紬「男がそんな声上げるな。もっとも…すでに男じゃなくて乙女になっちまったけどな」

紬「おまえの乙女の叫びを携帯でダウンロードできるようにしておけ。着信音で売れるぜ」

紬「…なんてね♪」

―かませ犬と思われた 無名の高校生の名が 一夜にして知れ渡る その高校生の名は――
その高校生の名は――  琴吹 紬

31: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:33:04.08 ID:jpDSDOMkO
律「ムギぃいいいっ! かっけぇえええっ!!」

唯「ムギぢゃぁあああんっ!! 抱いてぇええっ!!」

ふたりが駆け寄っていく。

紬「めちゃくちゃ余裕だったわ♪」

律「すげぇええっ!」

唯「ムギちんっ」

ふたりとも、飛びつくように抱きついた。

紬「ふふ…これが勝者の特権ね♪」

琴吹も同じように抱きしめ返していた。

春原「すげぇ…ムギちゃん…」

朋也「だな…」

キョン「琴吹さんヤベェ…」

後藤「くっ…」

▼メインバトル【デスバトルルール】 試合時間 3分10秒
勝者 琴吹 紬 KO ※無極

―――――――――――――――――――――

32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:34:11.61 ID:+UZ/pLeq0
春原「ムギちゃん、ありがとね」

紬「ううん、気にしないで。私も楽しかったし」

先の戦いに勝利した琴吹には、規定通りファイトマネーが支払われていた。
その中から春原に500円がキャッシュバックされたのだ。
500円なんて、得た金の総額に比べたら、はした金にすぎない…それほどあのふたりは稼いでいたのだ。
そのおかげでといってはなんだが、琴吹は一躍小金持ちとなっていた(もともと実家が資産家のようなものだが)。
まぁ、あまり綺麗な金とはいえないかもしれないが…。

澪「でも、ムギはほんとにパワフルだな…なにかやってるのか?」

紬「うん、昔ちょっと古武術を習ってて、今でもたまに鍛錬したりするの」

澪「へぇ、古武術かぁ、なんかすがいな…それで、どんなことするんだ? 鍛錬って」

紬「逆立ち片手腕立て伏せとかかなぁ、今でもやるのは」

律「すげぇっ!」

澪「す、すごいな…そんなの運動部でもできないぞ…」

紬「そうかしら?」

澪「そうだよ、絶対…」

律「ちょっとやってみせてよ、ムギ」

唯「私も見たぁい」

33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:35:27.75 ID:jpDSDOMkO
紬「今はスカートだから…逆立ちは無理かなぁ」

律「あ、そっか。見えちゃうもんな」

紬「うん。今度、体育の時にでもやるね」

律「うぉー超楽しみぃいっ」

朋也「………」

なんというか…その強さに、男として憧れを抱かざるを得ない。

「こんなところで負けやがって!!」

朋也(ん…?)

今出てきた教室、その中からドア越しに声が聞えてきた。

「勝ち続けて俺のために資産を増やし続けると思っていたから生かしてやっていたのに!」

「な、なにを言っている…」

どうもあのふたりがなにか言い争っているようだった。

「思い出したか? ついさっきカプセル2個飲んだろ。今度のは二重になっていない」

「飲んでから10分で同時に溶解する。致死量だ。おまえの命は後一分…後悔しながら死ね」

朋也「………」

34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:35:49.61 ID:+UZ/pLeq0
中でなにが起こっているんだろう…なんとなく、余計な詮索はしない方がいいような気がする…。

―――――――――――――――――――――

くーるー きっとくるー♪

黒いカーテンで仕切られた教室を通りかかると、そこからBGMが漏れ聞えてきた。

唯「おお! りっちゃん隊員! おばけやしきですぞ!」

律「うむ、そのようだな! これぞ出し物の定番だな!」

澪「うぅ…見えない聞えない見えない聞えない…」

目を瞑り、耳を塞いで頭をイヤイヤと振っていた。

唯「………」
律「………」

顔を見合わせ、悪だくみするように、にやっと笑う。

律「みーおー きっとくるー♪」

唯「きっとくるー きーせつはしろーくー♪」

それぞれが秋山の両端に立って、両腕を組み取る。

澪「な、なにするんだよ…」

律「みーおー きっといくー そこにいくー♪」

35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:37:17.21 ID:jpDSDOMkO
唯「かぎりないー おばけやしきをあーなたにおくーるー♪」

ずるずるとおばけやしきの入り口に引きずられていく。

澪「や、やめろぉーっ、やめてくれぇーっ」

律「くーるー」

唯「きっとくるー」

澪「こないこない絶対なにもこないぃいいっ! いやぁああ…」

抵抗もむなしく、中に吸い込まれていった。
そして、しばらくすると…

きゃぁあああああああああああああっ!!!

秋山の悲鳴が絶え間なく聞え続けてきた。

―――――――――――――――――――――

澪「うぅ…ぐすん…」

廊下に出てくると、その場にうずくまり、塞ぎこんでしまっていた。

律「わはは、情けないぞ、澪。立ち上がれぃ」

澪「………」

反応はない。

36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:37:43.93 ID:+UZ/pLeq0
唯「ちょっとかわいそうだったかな?」

澪「そう思うんなら最初からするなよぉ…」

顔を伏せたまま言う。

唯「えへへ、ごめんね」

澪「ばかぁ…ぐづん…」

さめざめと泣き続けていた。

朋也(ん…)

向かい側から、俺たちのように大所帯な集団が近づいてくるのが見えた。

朋也「秋山、そろそろ立とう。通行人がまとめて来るみたいだ」

言って、手を差し出す。

澪「ぐす…う、うん…」

俺の手を取って立ち上がる秋山。

朋也「っと…」

澪「あっ…」

ふらついていた秋山を咄嗟に抱き寄せる。
さっきの集団が、早くも目の前に到着していたので、衝突を避けるためだった。

37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:38:45.19 ID:jpDSDOMkO
男1「次どうする」

男2「喫茶店、喫茶店」

男3「メイドカフェは?」

男4「んなのあんの?」

廊下の中央を通り過ぎていく一団。
俺たちは各々端に身を寄せて散らばっていた。

澪「あ、ご、ごめん…」

朋也「いや、俺もなんか引っ張ったりして悪かったな」

肩に回していた腕を離す。
そして、握っていた手も離そうとしたが…

朋也「…ん?」

澪「………」

秋山の方がずっと握ったままでいた。

朋也「どうした?」

澪「えっと…その…」

律「おーおー、ラブコメしてますなぁ」

38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:39:28.88 ID:+UZ/pLeq0
澪「うわぁっ」

慌ててばっと離し、なにかを隠すかのごとく後ろ手に組んだ。

律「んん? 遠慮せずに続けていいぞ?」

澪「な、なにをだよっ」

律「なにって、そりゃ、手をつないで創立者祭を楽しむことだよ」

澪「そ、そんなことしようとしてないっ」

律「じゃ、なにしようとしてたんだよ? そんなにほっぺた赤くしちゃってさ」

澪「べ、べつになにも…ただお礼をちゃんと言おうと思って…」

律「怪しいなぁ、うひひ」

澪「ほ、ほんとだってっ!」

朋也(この展開は…)

俺は唯に目を向けた。

唯「…お幸せにー」

その視線に気づき、不機嫌そうに一言。

朋也(まずいな…)

40: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:40:58.61 ID:jpDSDOMkO
どこかでフォローしなくては…。

―――――――――――――――――――――

律「くっはー、こりゃ、すげぇなぁ…」

外に出て、売店で腹を満たすことになったのだが、その混みようは校内の比ではなかった。

春原「こういうのはガンガン行って自ら道を切り開かなきゃだめなんだよ」

春原「みてろっ」

ずんずん進んでいく。
そこに一本の道筋ができていた。

春原「よし、おまえらもはやくこっ…うわぁあああっ」

油断したのか、足元を掬われ、人混みの藻屑と化して消えていった。

律「ああならないように気をつけながら行くぞ」

部長は春原が消失した地点に向けて合掌を送っていた。

―――――――――――――――――――――

律「ぐぅ…ホットドッグ屋はまだかぁ…」

俺のいる地点から周囲を見通せる範囲の中、合間を縫いながらゆっくりと着実に進んでいく部長の姿が見えた。

朋也(こりゃ、時間かかりそうだな…)

41: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:41:27.47 ID:+UZ/pLeq0
もう固まって動くことが困難だったので、個人個人の裁量で行動していたのだ。

朋也(唯は大丈夫かな…)

周囲を見回す。

唯「う…う~ん…」

ようやく見つけたその先で、唯は人に囲まれて身動きが取れなくなっていた。

朋也(唯…)

俺は進路を唯に向けた。

朋也「大丈夫か?」

隙間から声をかける。

唯「う、うん…なんとか…」

あまりそうは見えない。ぎゅうぎゅうと満員電車の乗客のように圧迫されていた。

朋也(手をつないで俺が先導すれば…)

朋也(いや、待てよ…)

この人混みで視界が悪くなっている今、俺が唯を連れ出していってもバレないんじゃないのか…?
これはもしかしたら、ふたりっきりになれるチャンスかもしれない。

朋也「唯、手貸してくれ」

42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:43:09.04 ID:jpDSDOMkO
唯「ん…はい」

その手をしっかりと繋ぐ。

朋也(よし…)

俺は渋滞の外へ向けて唯を引っ張っていった。

唯「あ、ちょっと…」

―――――――――――――――――――――

朋也「ふぅ…」

密集地帯から抜け出し、芝生までやってきた。

唯「どうしたの? 食べ物買わないの?」

朋也「いや、買うけどさ、後にしよう。まずはここから離れようぜ」

唯「え? それじゃ、みんなと離れ離れになっちゃうよ?」

朋也「それが目的なんだけどな。おまえとふたりっきりで見て回りたいし」

朋也「つっても、もうあの人混みで、けっこうバラけちまってるけどさ」

唯「…でも、私とでよかったの?」

朋也「あん?」

43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:43:33.70 ID:+UZ/pLeq0
唯「澪ちゃんの方がよかったんじゃない? 岡崎くんは」

俺の呼び方によそよそしさを込めていた。
やっぱり、ちょっと怒っているんだろうか。

朋也「そういうこと言うなよ。どうしていいかわかんなくなる」

唯「どうしたらいいか、教えてほしい?」

朋也「ああ、教えてくれ」

唯「じゃあね…ちゅーして?」

朋也「え?」

どきっとする。

朋也「い、いいのかよ…」

唯「うん、してほしいな…」

朋也「そっか…」

唯「うん…」

朋也「じゃあ…ここじゃなんだし…場所移そうか」

唯「そうだね…」

高鳴る胸を押さえながら、俺たちは歩き出した。

44: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:45:02.21 ID:jpDSDOMkO
―――――――――――――――――――――

軽音部部室。皆出払っていて、すっかり無人となっている。
関係者以外、わざわざ人が訪ねてくるようなところでもなし…
ここなら誰にも目撃されずに済むはずだ。
それに、ここは特別な場所でもある。
俺たちは、ここで一緒の時を過ごし、そして、付き合い始めたのだという。
だからこそ、その象徴となるべき思い出を残すに最も相応しいロケーションだといえるはずだ。

朋也「………」

唯「………」

近い距離で見つめ合う。
外からは、遠巻きに、活気ある賑わいの声が届いてきていた。
まるで俺たちを揶揄するかのように、静寂な室内に響いていた。

朋也「じゃあ…その…いいか?」

俺からそう切り出した。

唯「うん…」

目を閉じる。
俺はその華奢な肩に手を置いた。

唯「ん…」

緊張しているのか、唯から声が漏れる。
俺も心臓がばくばくと脈打っていた。

45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:45:24.15 ID:+UZ/pLeq0
朋也(あ、息止めてたほうがいいよな…鼻息かかるとアレだし…)

朋也(ああ…でも、こいつ、よく見ると、ほんとに可愛いよな…)

朋也(唇も柔らかそうだし…いいのかな、俺なんかがキスして…)

様々な考えが頭を巡り、中々踏ん切りがつかない。

朋也(くそ…強くなれ、俺)

覚悟を決める。
そして、ゆっくりと顔を近づけていき…
唇を重ね合わせた。
軽く触れ合うだけの、稚拙なキスだったが…俺はなんともいえない充足感に包まれていた。
できればまだこのままの状態でいたかった。が、あまり長引くのもよくない気がする。
よくわからないが、引き際が来ているように思われたので、口を離した。

唯「………」

唯も目を開ける。

唯「えへへ…今の、私のファーストキスだよ?」

目の前で手を交差させ、上目遣いのまま言う。

朋也「ああ…俺もだ」

恥ずかしさを紛らわすように、ぽりぽりと頬を掻いた。

唯「これで、もう私は朋也のものだねっ」

46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:46:38.73 ID:jpDSDOMkO
朋也「そうなのか…? はは…」

唯「そうだよっ。それで、朋也も私のもの」

朋也「そっか…そりゃ、光栄だな」

唯「えへへ」

ああ、なんて青臭いやり取りなんだろう。
でも…今交わした言葉通りのことが、いつまでも続いて欲しいと、そう願う。

朋也「じゃあ…いこうか」

唯「うんっ」

朋也「あ、そうだ。携帯の電源は一応切っておいてくれ。後で怪しまれないようにな」

唯「そだね」

胸ポケットから取り出して、携帯を操作する。

唯「でもなんか、悪いことしてるみたいだよね」

朋也「その背徳感がいいんだろ」

唯「あはは、朋也、変態っぽいよ」

朋也「なんだと、こいつ」

わきの下を責める。

47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:47:03.63 ID:+UZ/pLeq0
唯「あはっ、ちょあ、もう、やめてよぉ」

体をくねらせて逃れようとするが、俺も追撃を加えていた。

唯「あっは、やぁだ、ちょ…」

ふに

朋也「あ…」

この感触は…
はっとして動きが止まる。

唯「…●●●」

胸を抱きかかえ、俺の手から体を遠ざけた。

唯「もう…密室でふたりっきりだからって…ケダモノだね」

朋也「い、いや…すまん…わざとじゃないんだ…」

しどろもどろになりながらも弁明する。

唯「でも…私、朋也のものだし…嫌じゃないよ?」

まんざらでもない…とそんな顔でぽつりと漏らす。

朋也「え…?」

それは、つまり…そういうことなんだろうか…

48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:48:16.11 ID:jpDSDOMkO
ごくり…

唯「ぷっ…あははっ、朋也、すっごい真顔~」

さっきまでの切ない表情がころっと笑顔に変わり、けたけたと笑い出す。
冗談だったらしい。そういえば、どこかわざとらしかったような気もする。

唯「なにか変なこと期待しちゃった? あははっ」

朋也「…からかうなよ」

言って、俺はひとり部室のドアへと足を向けた。

唯「あ、待ってよぉ~」

―――――――――――――――――――――

旧校舎を出て、新校舎の一階で焼きそばを食べた後、俺たちはクラス展示を覗き歩いていた。

唯「あっ、なにこれぇ。人間魚拓だって」

朋也「ん…」

ある教室の前で立ち止まる。
その廊下側の窓には、達筆な文字で『人間魚拓』と書かれた紙が貼られていた。

唯「おもしろそうじゃない? みてみようよっ」

朋也「ああ、いいよ」

49: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:48:44.30 ID:+UZ/pLeq0
―――――――――――――――――――――

唯「うわぁ、すごぉい」

室内いっぱいに貼られた人間魚拓。
ただ単に人型を取っただけではなく、様々な工夫が凝らされていた。
ある物は無数の手形を取り、ホラー調にみせていたし…
またある物は、シルエットだけでカンチョーを繰り出す人と、それを食らう側を表現していた。
極めつけは、●●●座りしたそのケツから人間が排出されているようにしか見えない物まであった。

朋也(くだらねぇ…)

気のせいか、下ネタの割合が多い気もするし…。

唯「みてみて朋也~」

朋也「ん?」

振り向くと、唯が腰を曲げ、腕をぶらりと下げていた。

朋也「なんだ、そんなに脱力して、なにを訴えたいんだ」

唯「ほら、これだよ」

隣にあった人間魚拓を指さす。
見ると、その型も唯と同じポーズをとっていた。

唯「私の残像に見えない?」

あまりにも怠惰すぎる軌跡だった。

50: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:49:56.66 ID:jpDSDOMkO
朋也「あー、見える見える。唯はえらいなぁ、よしよし」

ぽむぽむ、と頭を軽く撫でる。

唯「む、なんで馬鹿にしてるっぽいのっ」

朋也「してないって。あ、そうだ、お小遣いをやろう」

言って、財布から小銭を取り出す。

朋也「ほら、5円玉だ。これで好きに消費税を払いなさい」

唯「もうその親戚のおじさんキャラはいいよっ! しかもなんかケチだしっ」

朋也「そっか? マンネリ化してきた俺たちの関係に新しい風が吹いたと思ったんだけどな」

唯「倦怠期くるの早すぎだよっ! っていうか、朋也はそう感じてたっていうのっ?」

朋也「いや、冗談だって」

唯「もう…じゃあ、普通にしててっ」

朋也「はいはい」

―――――――――――――――――――――

唯「あ…」

正面玄関の昇降口近くを通りかかった時、唯が足を止めた。
なにか一点を見つめている。俺もその視線の先を追ってみた

51: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:50:43.93 ID:+UZ/pLeq0
朋也「あ…」

春原「………」

春原だった。水死体のようになって下駄箱の下足スペースに打ち上げられている。
あの時人波にさらわれて漂流し続けた結果、あそこに流れ着いたんだろうか。

唯「春原くんっ」

今にも駆けつけんとする勢いで身を翻す。

朋也「あ、ちょっと待て」

その背に向かって声をかける。

唯「うん? なに?」

朋也「春原なんてほっといて行こうぜ。どうせ起こしたってロクなことになんねぇよ」

なにより、あいつと合流してしまえば、ふたりでいられなくなってしまうのだ。
できればそれは避けたかった。

唯「またそんなこと言ってぇ…親友が倒れてるんだよ? 助けに行ってあげなきゃでしょ」

朋也「いや、別に親友ってわけじゃないけどな。友達かどうかすら疑わしいぞ」

唯「どうみたって親友でしょ。友達は大事にしなきゃだめだよ? 親友ならなおさらね」

言って、俺をその場に残し、春原を介抱しに向かっていった。

52: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:51:54.10 ID:jpDSDOMkO
朋也(はぁ…)

やっぱりこうなるのか…なんというか、実にあいつらしい。
俺みたいに、利己的な振舞いが板についてしまっているような奴とは正反対な人間だ。
そんなふたりが付き合うまでに漕ぎ着けたなんて、よくよく考えてみると不思議な話だ。
胸中でそんなことをつらつらと思いながら、俺も春原のもとへ足を運んだ。

唯「大丈夫? 春原くん」

春原「うう…」

薄く目を開ける。

朋也「生きてるか、おい」

春原「お…岡崎…平沢…」

朋也「これ、何本に見える?」

ピースサインを作って目の前で振ってみせる。

春原「に、二本…」

朋也「正解。目潰しでした」

ズビシ

春原「ぎゃぁあああああああっ!」

春原「って、あにすんだよっ」

53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:52:26.68 ID:+UZ/pLeq0
一度大きく体を反らせたと思うと、勢いよく立ち上がった。

朋也「意識がはっきりしてなかったみたいだからさ、荒療治だけど、正気に戻してやろうと思って」

春原「ちゃんと二本って答えただろっ」

朋也「だから、これは目潰しなんだって」

春原「ぜってぇ後付けだろっ! 正解って言った直後に思いついてますよねぇっ!」

唯「あははっ、でも、なんか大丈夫そうだね。春原くんって頑丈だね」

朋也「それが僕の取り柄だからね。僕から頑丈さを取り上げたら、もう春原しか残らないよ、ははっ」

春原「って、おまえが勝手に答えるなよっ! しかも、僕単体ならただのマイナス要素みたいな言い方するなっ!」

朋也「あんだよ、模範解答だろっ! あーあ、自販機の下に小銭落ちてないかなぁ」

春原「僕はそんなこと日常的に言わねぇよっ! つーか、なんかちょっと声色が似てて怖いんですけどっ」

声「あーっ、こんなとこにいたっ」

春原「あん?」

声がして、三人とも振り返る。

唯「あっ、りっちゃんっ」

律「探したぞー、唯」

54: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:54:10.49 ID:jpDSDOMkO
今玄関をくぐってきたところなのか、下駄箱を通り抜け、部長がこちらに近づいてくる。
その後ろには、キョン、秋山、琴吹と、残りの初期メンバーが揃っていた。

律「つーか、三人でいたなら連絡よこせよなー」

唯「今三人そろったばっかりだよ? それに、えっと…携帯は、電源切れちゃってて…」

律「あ、そなの? ま、いいや。無事合流できたしな。次はまた校内巡ろうぜっ」

唯「おーっ」

拳を振り上げるふたり。
こいつらにテンションの衰えなんて無粋なものは無縁だった。

キョン「春原、おまえさっき校庭のあたりで見かけたのに、なんで俺たちより先に校内に着いてるんだ」

春原「ああ、あの辺りは潮の流れが激しかったからね。一気にここまで来れたんだよ」

キョン「って、それ、人の波のことか…すごい移動手段使ってるな…」

春原「ふふん、だろ?」

律「どう考えてもおまえの意思じゃねーだろ。焼却炉に押し込められそうになってるとこも見かけたしな」

春原「てめぇ、なに僕の黒歴史紐解いてんだよっ!」

律「テキトーにカマかけてみたら、マジだったのかよ…だっせぇ…」

春原「デコのくせにからめ手とは卑怯だぞっ! 正々堂々と勝負しろっ」

56: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:56:28.00 ID:+UZ/pLeq0
律「だぁから、デコっていうなぁっ!」

泥沼の言い争いが始まる。
こうなってしまえば、あとはもう自然に収まるのを待つだけだった。
この期に及んで止めようとする者はさすがにいない。
むしろこれが普通の状態なんだと、そんな共通認識になっていると思う。

唯「次はどこ行く?」

澪「私は、手芸部のぬいぐるみ展示にいきたいんだけど…」

紬「あ、いいね、それ。私もいってみたいわぁ」

朋也「キョン、おまえもちゃんと、うさぎのぬいぐるみ抱きしめて、たくさん愛でろよ」

キョン「なんで俺が…」

部長と春原を放置し、先を行く俺たち。

律「あ、置いてくなよぉっ」

春原「待って、ムギちゃんっ」

慌てたようにどたどたと後ろから駆けてくる足音。
本当に、やることが似通った奴らだった。

―――――――――――――――――――――

こうして、達成感や楽しみ、喜びまでも詰まったような創立者祭が終わった。

57: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:57:45.88 ID:jpDSDOMkO
―――――――――――――――――――――

律「おーし、じゃ、いくぞぉ」

部長が声を上げる。祝杯の用意を促しているのだ。

律「かんぱーいっ」

「かんぱーい」

チンッ

中央に集まったグラスが触れ合い、音を立てた。

律「いやぁ、今年の創立者祭ライブも大成功だったなぁ」

唯「だね! さすが私たち放課後ティータイムだよっ」

さわ子「衣装も冴えてたしね。私のおかげで」

澪「でも、ああいうのは恥ずかしいですよ…それに、観に来てくれた人たちも最初とまどってましたし…」

さわ子「なにを言ってるのよ。終わりよければすべて良しじゃないっ」

澪「過程も重視してください…」

律「つーかさ、さわちゃん、軽音部の顧問らしいことあんましてないのに、打ち上げだけは参加するのな」

そう、今は平沢家で打ち上げパーティーが開かれているのだ。
参加メンバーは、軽音部の面々と、会場の関係で憂ちゃんは当然として、そこに加え俺と春原、真鍋、さわ子さんが居た。

58: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:58:05.79 ID:+UZ/pLeq0
あれだけ遊んでおいてまだ打ち上げをするというのだから、筋金入りのお祭好きなんだろう、部長は。
まぁ、それに参加する俺も大概だったが。

律「つきっきりだった吹奏楽部と合唱部はいいのかよ」

さわ子「あの子たちはこういう浮いたことはしない真面目なタチなのよ」

さわ子「それに、確かに顧問らしいことしてあげられなかったから、ここで取り戻しておこうと思ってね」

律「って、菓子むさぼることがそれにあたるんかい…」

さわ子「その通りよっ」

律「うあぁ、すげぇまっすぐに言い放ったよ、この人…歪みねぇなぁ…」

さわ子「さ、飲み食いしまくるわよっ。みんな、遠慮しないでガンガンいっちゃってっ」

律「しかもなんか仕切りだしたし…めんどくせぇ…」

さわ子「なんか言った?」

律「いえ、なにも」

―――――――――――――――――――――

さわ子「うぃ~…ふぅ…ひっく…そういやさぁ…」

宴も盛り上がりのピークが過ぎ、弛緩した空気が流れ始めた頃。
自らが持参したアルコールによって完全に出来上がった状態のまま、おもむろに口を開いた。

59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 08:59:33.37 ID:+UZ/pLeq0
さわ子「言ってなかったけど…いや、言わなくても普通はしないけど…ひっく…」

さわ子「うー…校内での不純な行為は禁止だからね…」

さわ子「わかってんのっ、岡崎、唯ちゃんっ」

朋也「え…?」
  唯「え…?」

同時に反応する。
不純…? なんだ、この嫌な予感は…

律「なんで名指し? もしかして…してたの? このふたり」

さわ子「うん…部室でね、ちゅ~してた」

………。
少しの間、時が止まっていた。
そして時は動き出す…

律「うえええぇえっ!?」
澪「ええぇっ!?」
梓「ええええっ!?」

驚愕の声と共に…。

紬「まぁ…」

春原「へぇ、やるじゃん」

60: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:00:52.67 ID:jpDSDOMkO
憂「お姉ちゃんったら…きゃっ」

律「酔った勢いで作った話とかじゃなくて…?」

さわ子「そんなわけないでしょ。しっかり見たわよ。ドアの隙間からばっちりね」

さわ子「いやぁ、べっくらしたわ。衣装回収しに行ったら、あんなことになってるんだもんねぇ…」

まったく気づかなかった…。
あの時はいっぱいいっぱいで、物音を気にする余裕がなかったからか…。

和「つまり…そういうことだって、思ってもいいのよね?」

俺と唯の両方を見て、確認を取る真鍋。
どこまでも冷静な奴だった。

唯「………」

唯が黙ったまま俺を見てくる。
その瞳からは、本当のことを言っていいのかどうか、俺に判断を仰いでいるように読み取れた。
………。
ここで誤魔化そうにも、既成事実があるのだ。なにを言っても無駄だろう。
それに、いつまでも隠し通せるわけでもない。ここいらが潮時なのかもしれない。

朋也「…ああ、付き合ってるよ」

だから俺は、正直にそう告げていた。

和「そ。ようやく、ってわけね」

62: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:01:28.30 ID:+UZ/pLeq0
僅かに笑みを浮かべ、メガネの位置を整えた。

和「よかったわね、唯」

唯「うん、えへへ」

さわ子「って、なに、あなたたち、知ってたんじゃないの? 岡崎と唯ちゃんの関係」

律「初耳だわいっ! つーか、最初に聞いたのが今のキスの件だしっ」

さわ子「あら、そうなの? それは、衝撃的だったでしょうね…だからあの叫びか…なるほど…ひっく…」

律「いつから付き合ってたんだよ、おまえらっ」

唯「えっと…先週の水曜日からかな」

律「って、ボーリングの日じゃんっ! もうあの時はすでにそうだったのか?」

唯「違うよ。えっとね、帰り道で…告白してもらったんだ」

律「って、岡崎からいったのかよっ! うひゃー、やるなぁ」

春原「おい岡崎、進展したら教えてくれって言ったのに、あんだよこの事後報告はっ!」

朋也「うるせぇ…」

憂「岡崎さん、明日は振り替え休日ですし、またお姉ちゃんとデートにいけますね」

朋也「ん、ああ…そうできたらいいな」

63: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:02:39.82 ID:jpDSDOMkO
律「って、憂ちゃんは知ってたの?」

憂「はい、聞いてましたよ」

律「かぁ、なんだよ…教えてくれたっていいじゃん」

憂「口止めされてましたからね」

憂「それに、大事なことですから、ふたりがタイミングを決めた方がいいと思ったので」

律「んな結婚したわけじゃあるまいし…大げさだなぁ…」

澪「…先生、これ、一本もらいます」

梓「…私も一本失礼します」

さわ子「あ、ちょっと…」

秋山と中野は、さわ子さんの周辺にあった缶を奪い取ると、プルタブを開けて一気にあおっていた。

澪「…っはぁ」

梓「…っふぅ」

カンッ カンッ

ふたりとも缶を強めに置いた。

澪「う~…」

64: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:03:10.06 ID:+UZ/pLeq0
梓「…デス」

みるみる顔が真っ赤になっていく。

澪「唯…」

梓「唯先輩…」

ゆらりと立ち上がり、唯の両脇を固めるように座った。

澪「いいか、恋愛って言うのはなぁ、大切なあなたにカラメルソースってあれなんだよっ」

唯「そ、そうなの…? よくわかんないけど…」

梓「語尾にデスをつけてしゃべってんじゃねーデス!」

唯「それはあずにゃんだよぉ…」

ねちっこく絡まれ始めていた。

律「あーあ、ヤケ酒に走ったか…」

さわ子「なぁに? あのふたり、岡崎に気でもあったの?」

律「あー、多分ね。この男、同時攻略とかしてやがったから」

さわ子「最低ね、岡崎。あんた、女の敵よ」

朋也「いや、んなことしてねぇっての。俺は最初から唯一筋だって」

65: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:04:51.91 ID:jpDSDOMkO
律「くわぁ、唯、だってよっ! 一筋だってよっ!」

春原「おまえ、キャラ違うよね、ははっ」

さわ子「このケツの青いガキがっ! ナマ言ってんじゃないよっ」

朋也「勘弁してくださいよ…」

澪「岡崎くん…」

梓「先輩…」

朋也「あん?」

今度はそれぞれ俺の隣に腰を下ろすふたり。

澪「岡崎くん…私のこと、可愛いって言ってくれたよね…?」

朋也「え…?」

澪「それに、自信を持ってはっきり言いたいこと言えって励ましてくれたし…」

澪「私、あの時はうれしかったなぁ…」

俺の腕を取り、身を寄せてくる。

朋也「お、おい…」

梓「先輩…私にも可愛いって言ってくれましたよね…もっと言ってください…」

66: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:05:21.14 ID:+UZ/pLeq0
朋也「おまえ…嫌だったんじゃないのかよ…いつも暴言で返してくるだろ」

梓「そんなの…照れ隠しに決まってるじゃないですか…女の子は褒められると嬉しい気持ちになるんですよ…?」

今度は中野が俺に寄り添って、肩に頭を預けてくる。

梓「頭も撫でてくれましたよね…もっとしてくれてもいいです…特別です…」

朋也「いや、ちょっと待て…」

俺は唯の反応が気になって仕方なかった。
恐る恐る見てみる。

唯「………」

…ものすごく無表情だった!
こんなに何もない表情がこいつにできるのか…いつも大抵笑顔でいるからな…これは何を意味するんだろう…

春原「おまえ、マジでその手の才能あるんじゃない? 夜王目指せよ」

朋也「なに言ってんだよ、おまえは。アホか」

春原「そりゃ、こっちのセリフだよ。本命の目の前で女の子ふたりはべらせて、余裕の面構えだもんね」

朋也「下手な煽りはやめろっての」

春原「本音だよ。ま、いくらおまえでも、僕が落としかけてるムギちゃんには手が出せなかったみたいだけどね」

紬「岡崎くん、私の臨時彼氏になってくれたことあったよね?」

67: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:06:53.53 ID:jpDSDOMkO
琴吹が俺の後ろに回る。

紬「今だけ思い出させて?」

そして、胸を押しつけるように手を回してきた。

朋也「うぉ…こ、琴吹…」

春原「む、ムギちゃんまでぇぇぇえええええええっ!?」

春原「てめぇ、岡崎っ! なにが夜王だ、このクソ野郎っ!」

朋也「夜王はおまえが勝手に言い出したんだろ…」

律「認めるわ。岡崎、あんたはフラグ王…いや、鬼畜王だ」

朋也「んだよ、そりゃ…そ、そうだ、憂ちゃん、なんとかしてくれ」

憂「お兄ちゃん…私もそっちに行っていい?」

朋也「憂ちゃんまで悪ノリしないでくれぇーっ!」

和「まったく…ここまでいくと逆にすがすがしいわね、そのクズっぷりも」

朋也「ク、クズ…?」

こいつからの評価はそこそこ上々だったのに…一気に春原と同階級になってしもうた…

朋也「ゆ、唯…」

68: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:07:31.32 ID:+UZ/pLeq0
唯「…馬鹿。馬鹿…馬鹿」

朋也「ち、ちがう、俺はおまえが一番好きだっ、信じてくれっ」

澪「じゃあ、私は何番?」

梓「私は何番目ですか?」

紬「私は?」

憂「お兄ちゃん…私のも教えて?」

朋也「うわぁーっ! 俺が何をしたっていうんだよっ」

律「わははは!」

さわ子「ふふふ、岡崎も丸くなったもんねぇ…」

春原「ははっ、歯の抜けたマルチーズってヤツだよね」

朋也「あ、おまえは一番嫌いだよ、陽平」

春原「って、やっぱ最後はそんなオチなのかよっ!」

―――――――――――――――――――――

朋也「唯…あれはさ、俺じゃなくないか…?」

唯「………」

69: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:08:52.19 ID:jpDSDOMkO
みんなが帰った後も、俺は一人残って唯をなだめ続けていた。
憂ちゃんは俺に気を利かせてくれて、二階の自室へ戻っている。

朋也「ほら、なんかその場の雰囲気に酔ってああいう感じになるのが、俺らガキの性分っていうかさ…」

唯「…全然嫌そうじゃなかったし、避けようともしなかったくせに…」

ソファーに寝そべり、クッションを抱きしめて丸まったまま言う。

朋也「それはあれだ、さすがに離せとかって言うのも、悪い気がしたんだよ。相手は女の子だしな」

唯「…やさしーねー朋也はー」

くぐもった声。一向に顔を上げてはくれない。

朋也(はぁ…)

どうするべきか…。
………。

朋也(よし…)

俺はソファーから立ち上がり、床に腰を下ろした。
そして、身をかがめ、頭を丸めて土下座の体勢を取る。

朋也「唯っ」

そう声をかける。こっちを見てくれればいいのだが…。

「…なにしてるの」

70: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:09:26.66 ID:+UZ/pLeq0
よし…どうやら目を向けてくれたようだ。

朋也「だんご大土下座だ」

………。
なんの反応もない。

朋也(滑ったか…?)

と、思ったその時…

「ぷっ…あははっ」

朋也(成功か…?)

俺は顔を上げた。

唯「もう…ばかだね、朋也は」

朋也「ああ、そうだよ。俺は馬鹿だから、こんな滑り芸しかできないんだ」

朋也「でも、おまえが笑ってくれるなら、体張ってギャグ飛ばすのも悪くないかもな」

唯「そっか…じゃあ、ずっとそのギャグで笑わせ続けてね」

朋也「ああ、まかせろっ」

俺はプールにでもダイブするかのような勢いある格好で、ソファーにそっと腰を下ろした。

唯「あははっ、なんなの、結局大人しく座ってるし」

71: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:10:50.42 ID:jpDSDOMkO
朋也「これがギャップによるそういうやつだ。俺もよくわからんがな」

唯「そうなんだ。なんか曖昧だね」

朋也「だな」

俺は素早く唯を抱きしめて、その唇に自身のそれを重ね合わせた。
予備動作のない一連の動きだったので、唯も目を丸くしている。
視線が向かい合ったまま、ゆっくりと顔を離していく。

唯「…今のはなに?」

朋也「不意打ち。おもしろかったか?」

唯「うん、すっごく」

朋也「そっか。そりゃ、よかった」

唯「えへへ」

俺もつられて笑顔になる。
なんでもいい。自分に笑えた。

―――――――――――――――――――――

72: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:11:23.23 ID:+UZ/pLeq0
それからも、俺たちは相変わらずな日々を過ごしていた。
昼には飯を食べながら他愛のない話に花を咲かせ、放課後になれば部室で馬鹿をやった。
そんなことをしていて、なにか実りがあるのかと訊かれれば、答えはノーだが…
それでも、確かに俺たちはその日、その時間を最大限楽しんでいた気がする。

―――――――――――――――――――――

そして、一ヶ月、二ヶ月と過ぎ、夏が来た。
受験生にとっては、どうあっても乗り越えなくてはいけない山場である。
志望校を絞り、学部学科も決め、その目標に向けてひたすら邁進していかなければならない。
クラスの連中も、目の色を変えて勉強に打ち込んでいた。
休み時間でさえ常に参考書と向き合っているのだ。
誰もが具体性を持った未来に向けて全力をだしていた。
そんなある日。唯との会話の中で、進路の話題がのぼった。

唯「朋也は、就職なんだよね」

朋也「ああ、そうだよ。俺の頭じゃ、進学は無理だからな」

唯「今から勉強すれば、間に合うかもよ?」

朋也「いや、今更勉強なんかしたくねぇよ」

唯「そんなこと言わずに…なんだったら、私がマンツーマンで教えてあげるよ?」

朋也「いや、いいよ…あ、でも、定期テストのヤマだけは教えてくれ」

こいつは休日に俺と遊び回っていたにも関わらず、前回の中間で平均8割越えを達成していたのだ。
それも、短期間でヤマを張った箇所のみ勉強しただけだという。
ここまでくると、カンが冴えているというよりは、抜群の要領のよさを持っているといって差し支えないだろう。

73: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:13:31.72 ID:jpDSDOMkO
やはり、この学校の一般入試を突破してくるだけの底力は備えているのだ。

唯「それはいいけど…大学受験の方も頑張ってみない?」

朋也「いや、さすがに大学受験には通用しないだろ、ヤマ勘は」

朋也「それ以前に、俺は大学に行ってまで勉強したいとは思わないからな」

唯「そっか…じゃあ、私もこの町で就職しようかな。そうすれば、朋也と一緒にいられるし」

朋也「馬鹿…おまえは軽音部の連中と大学に行って、またバンドやるんだろ?」

朋也「叶えろよ。それがおまえにとっての一番だ」

そう…俺はこの小さな町に留まり続けるだけの人間だ。
でも、唯は違う。広い世界を見て渡れる。だからこそ、俺が足かせになるのが嫌だった。

唯「でも、私は…」

朋也「つべこべいうな。おまえ、前にさ、俺にもう一度頑張れること見つけて欲しいって言ってたよな」

朋也「それで、いろいろと気にかけてくれただろ。今、俺があの時のおまえと同じ気持ちなんだよ」

朋也「全力で懸命になれることをやって欲しい。そうじゃなきゃ、平沢唯じゃないって」

朋也「な? だから、頑張れよ」

唯「…うん」

―――――――――――――――――――――

74: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:14:33.45 ID:+UZ/pLeq0
薄々は感じていた。いや…最初からわかっていた。
俺たちの関係も、卒業と同時に… 終わってしまうことを。
唯は…軽音部の連中は、きっと志望校に合格する。
そして、この田舎町を出て、都会へと進学していくのだ。
そこで築かれる新しい人間関係や、新鮮な生活環境の中で暮らす中…
いつしか高校で過ごした日々の記憶は薄れていき、思い出に変わっていく。
三年間を軽音部の部員という繋がりで共有してきたその軌跡は、いつまでも変わらずに輝き続けるだろう。
けど…俺と春原がいた、一年という時間…いや、一年もないその短い時間の中で過ごした記憶はきっと…
きっと、すぐに色褪せてしまうんだろう。それは、唯が俺を好きでいてくれたという想いも同じで…
だんだんと思い出せなくなっていき…最後には忘れてしまうのだ。
それに、唯の器量なら、言い寄ってくる男も相当多いはずだ。その中に惹かれる奴がいても不思議じゃない。
俺はそいつと天秤にかけられて、勝つ自信がない。
そもそも、大学という高等教育機関にいるような人間だ。俺なんかより格段に将来の見込みがある。
俺じゃ到底叶えてあげられないような幸せも、なんなく与えることができるんだろう。
身を引くべきは、どう考えても俺の方だ。
結局は…そういうことだった。

―――――――――――――――――――――

夏休みに入り、そこかしこで夏期講習に通う同級生をみかけるようになった。
そんな情勢を気にとめることもなく、俺は春原の部屋でいつものようにだらけていた。

春原「おまえ、このごろずっと僕の部屋いるけどさ、いいのかよ」

朋也「あん? 俺がいちゃ悪いのかよ」

春原「いや、別にいいけど、唯ちゃんほったらかしてていいのかなって思ってさ」

春原「マメにデートとかしとかないと、すぐ破局しちゃうぜ」

75: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:15:47.85 ID:jpDSDOMkO
朋也「唯は受験勉強で忙しいんだよ。軽音部の連中もな。一緒に夏期講習行くんだと」

春原「ああ、なるほどね。そういや、最近みかけるよね、そういう連中」

朋也「だろ」

春原「んじゃさ、受験生狩りいかない? やつら、模試代とかでけっこう金持ってんだよね」

朋也「そりゃ普通に犯罪だろ。悪ふざけでした、じゃ済まされないぞ」

春原「ま、そうだよね…言ってみただけだよ、暇だしね」

朋也「ならまずコタツしまえよ。暑くて邪魔だ」

春原「それはこの部屋のアイデンテテーに関わるから、無理だよ」

朋也「あ、そ」

そのおじいちゃん発音を軽く受け流す俺。
よくわからなかったが、こいつなりのこだわりがあるらしいことだけはわかった。

―――――――――――――――――――――

夏が過ぎて、秋がやってくる。文化祭が催される季節の到来だ。
受験生にとって、最後の息抜きとなるイベント、文化祭。
創立者祭と違い、三年もクラスの出し物があるので、必然的にその規模は大きくなる。
この学校が一年で一番盛り上がる日だった。
もちろん、一般解放はしていたので、それも加味してだ。

76: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:16:40.86 ID:+UZ/pLeq0
―――――――――――――――――――――

律「って、なんであたしがジュリエットなんだよっ! 納得いかねぇーっ」

春原「僕だってロミオなんかやりたくないねっ」

机を弾く勢いで立ち上がるふたり。

和「多数決で決まったんだから、諦めてちょうだい」

壇上に立ち、教卓に手をついて言う。

律「いやだぁーっ! なんであたしがあんなアホとラヴな劇をせにゃならんのだっ」

春原「僕だっていやだよっ! 相手をムギちゃんに変えてくれぇっ!」

和「話し合い聞いてなかったの? 演るのは、ロミ男vsジュリエッ斗よ」

和「ラヴロマンスとは程遠い、ルール無用の命がけの闘いで真の最強を決めるっていう血生臭い物語よ」

黒板には、演題の隣に『最強の格闘技はなにか!?』とあおり文が書かれていた。

女生徒「りっちゃんと春原くんにしかできないよ」

男子生徒「おまえらが適役だろ」

そうだそうだ、と賛同の声が上がる。

律「ああ、そういうこと…なるほどね、やってやろうじゃん」

77: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:19:07.27 ID:jpDSDOMkO
部長の目がギラつく。

春原「ふん…どうやら演技じゃすみそうにないようだね」

春原もそれを受けて、にやりと口角を吊り上げた。
メインキャストが決まった瞬間だった。

―――――――――――――――――――――

梓「へぇ、先輩たちのクラスは演劇をやるんですか」

唯「そうだよぉ。私は女子高生G役なんだ」

梓「女子高生Gですか? いったいなんの劇をやるんです?」

唯「ロミ男vsジュリエッ斗」

梓「ロミオvsジュリエット? 愛し合うふたりが戦うって…笑える喜劇にするつもりですか?」

唯「ちっちっち~。字が違うんだな、これが」

席を立ち、ホワイトボードに板書した。

梓「ロ、ロミ男vsジュリエッ斗…確かに、リングネームみたいですね…」

澪「ちなみに、原作・脚本はムギだ」

紬「うふふ」

台本を手に微笑む琴吹。

78: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:19:36.46 ID:+UZ/pLeq0
梓「あ、あー…なるほど、そうでしたか…納得です…」

律「ショラ!!」

部長が練習スペースで声を上げる。
ちょうど春原に蹴りを放っているところだった。

ザシュ

顔面に飛んできたその蹴りを、腕のガードでさばく春原。

春原「馬鹿の一つ覚えの前蹴りしかないのかよ!!」

律「前蹴りじゃねーよ」

ブオッ

春原「!?」

ゴッ

止められた足を空中で振りかぶり、そのまま春原のアゴに決めていた。

紬「…カケ蹴り」

琴吹の解説が入る。

梓「さっきからのあれは、いつもの喧嘩じゃなくて、演劇の練習だったんですね…」

紬「といっても、ほとんどアドリブでやってるみたいだけどね。私の脚本では寸止めすることになってるから」

79: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:20:45.83 ID:jpDSDOMkO
梓「そ、そうですか…でも、あんな殺陣シーンがあるなら、女子高生役ってどういう役割になるんですか?」

唯「それはね、劇中で私がしまぶーに…」

紬「唯ちゃん。いろいろとアウトよ」

唯「あ、そだね。ごめんごめん」

梓「? しまぶー?」

紬「梓ちゃんは、気にしなくていいのよ?」

梓「は、はぁ…」

―――――――――――――――――――――

律「ふーい、ちかれたー」

春原「あ゛ー…あっつ…」

こんなに涼しい時期にも関わらず、汗ばむ体をあおぐこのふたり。
はしゃぎすぎだった。

梓「律先輩はこれからまた練習があるんですから、しっかりしてくださいよ」

律「あー、わかってる、わかってるぅ…」

だらりと背もたれに体を預け、ぱたぱたと下敷きで風を送っていた。

梓「もう…ほんとにわかってるんですか?」

80: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:21:09.14 ID:+UZ/pLeq0
律「おう、任せろい」

しゃきっと姿勢を正す。

律「さてと…それじゃ、新曲の歌詞を発表し合おうかね。おまえら、昨日の宿題忘れてないよな?」

律「さぁ、先発は誰だ?」

唯「はいはぁ~い。私からいきまぁす」

ピラピラと二枚の紙はためかせる。

律「お、唯か。よし、かましてみろぃ」

唯「おほん。では…『ごはんはおかず』」

………。
ぽかんと口を開ける俺たち。
タイトルからして地雷臭が漂っている気がする…。

唯「ごはんはすごいよ なんでもあうよ…」

朗読していく。その独特すぎるセンスには閉口するばかりだった。
秋山といい勝負かもしれない。

唯「…どうかな?」

律「変な詞だな、おい…」

梓「澪先輩に影響されたんですか?」

82: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:25:00.89 ID:jpDSDOMkO
澪「って、なんだ、私の書く歌詞って変なのか!?」

梓「い、いえ、違います…ただ、その…呼吸の置き方とかの話ですよ」

梓「ほら、澪先輩のそういうところって、思わずマネしたくなるなにかがあるじゃないですか」

澪「そ、そうか?」

梓「はい、そうですよっ」

必死に接待スマイルを作っていた。

紬「私は、おもしろい歌詞だと思うな。曲をつけてみたいわ」

唯「さっすがむぎちゃん、わかってるぅ~」

律「まぁ、ムギがそういうなら、候補にいれてもいいかもな」

唯「それと、もうひとつあるんだけど…」

今読み上げた方を下に置き、もう一枚を手に取った。

唯「いきます。『U&I』」

耳を傾ける俺たち。

唯「キミがいないと何もできないよ キミのごはんが食べたいよ…」

今度は比較的まともな仕上がりになっていた。
さっきのおふざけ全開な歌詞とは一線を画している。

83: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:26:03.29 ID:+UZ/pLeq0
唯「…はい、おわり~」

梓「すごいです…ちゃんと韻も踏んでましたし」

律「これ、ほんとにおまえが書いたのか?」

唯「ちょっとだけ、ちょ~っとだけ憂に手伝ってもらったんだよね」

律「なるほど。憂ちゃんが9割負担したんだな」

俺もそう思う。

唯「む、そこまでじゃないよっ、失敬なっ」

律「おまえじゃ、こんないい歌詞書けないだろ。認めろよ」

唯「むぅ、そこまで言うなら次はりっちゃんの素晴らしい作品みせてよっ」

律「おう、いいぜぇ」

ポケットからくしゃっと丸めた紙を取り出す。

唯「なんか見た目からしてゴミみたいだね」

律「うっせ。見た目は関係ねぇっての」

ぱりぱりと音を立て、読み取れるように形を整えていく。

律「んん…そんじゃいくぞ、『僕らはファミリー』」

84: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:27:16.42 ID:jpDSDOMkO
律「明日のことは 明日考えましょう 明日になったらなんとかなるでしょう…」

律「僕と君とは友達 だけどヤバくなったらさよなら…」

律「イライラする日は君を殴りますごめんねと謝るから許しましょう…」

かなり身勝手でおちゃらけている人間像が浮かんでくる歌詞だった。
なんとも部長っぽさが詰まっている内容だ。

律「…どうよ?」

唯「く、くやしいけどおもしろいよ…」

律「わはは、そうだろう」

梓「なんとなく律先輩が春原先輩をぽかぽか殴ってる時の場面を想像しちゃいましたけどね」

澪「ああ、それ私も思った。やっぱり、春原くんを想って書いたのか?」

律「ばっ、変な言い方するなってのっ! こんなヘタレを題材にするならもっと●●●とかシモい言葉選ぶわっ」

澪「春原くん、これ、律の照れ隠しだから、気にしないでいいよ」

律「なに言ってんだよっ! 照れてなんかないわいっ」

春原「こいつに照れられてもしょうがないけどね」

律「だからおまえも真に受けんなってっ!」

唯「でもしっかり顔は赤いんだよねぇ~」

85: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:27:46.44 ID:+UZ/pLeq0
律「う、うっさいわっ! っと、とにかく次だ、次いけっ!」

紬「じゃあ、私がいこうかな」

春原「お、待ってたよ、ムギちゃんっ」

春原が拍手で賑やかす。

紬「ふふ、ありがとう。それじゃあ、いくわね…『G・I・C・O・D・E』」

言って、どこからか帽子を取り出し、目深に被った。
歌詞カードは持っていない。暗記しているんだろうか。

紬「引き金引くぜキリがねーぐれー 耳がねー奴にゃ用はねー…」

…バリバリのラップだった!

紬「Carnivalのようなマジなfire ball 心に灯った火の玉着火 やっぱナンバー1はやっぱ…」

身振り手振りで挑発的な煽りを入れていく。

紬「俺ら壊れたガキの立場 暴れりゃ We don't stop no バリア…」

そのリリックもかなり過激なことを言っている。
矢継ぎ早に繰り出される言葉をなめらかに発声し、一度も詰まっていないところがすごい。
俺たちは琴吹のステージに完全に飲まれていた。

紬「…ふぅ。どうだったかな?」

帽子を取り、いつものほがらかな顔にもどる。

86: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:29:07.61 ID:jpDSDOMkO
その切り替えの速さは、ある種神がかっていた。

律「い、いや…すげぇな、ムギは…それしか言えねぇよ」

春原「ヒューッ! ムギちゃん最高ぉうっ!」

唯「早すぎてなに言ってるか聞き取れなかったよ…」

澪「確かに…でも全然噛んでなかったところがすごい…」

梓「ムギ先輩のソロだけで会場も沸いてくれそうですよね」

紬「ふふ、ありがとう」

律「まぁでも、ラップはムギの個人技だからな。放課後ティータイム名義ではやれないかな、やっぱ」

律「悪いな、ムギ」

紬「あ、いいの。これはちょっとしたネタのつもりで披露しただけだから」

律「あ、さいですか…」

唯「次はあずにゃんの見せてよっ」

梓「私ですか? いいですけど…」

鞄をごそごそと漁る。
そして、可愛らしく彩られたノートの切れ端を取り出した。

梓「じゃあ…いきます。『噛むとフニャン feat.あずにゃん』」

87: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:29:35.75 ID:+UZ/pLeq0
梓「あーず あーず あずさー! 噛むぅとフニャン ニャン ニャン ニャ ニャン…」

ファンシーすぎる歌詞が続く。

梓「全部後回しで渋谷までダッシュ 連絡しても留守電これすっぽかし?」

と思えば、今度はセリフ調で攻めていた。
正直、『ごはんはおかず』を馬鹿にできないくらいの出来だった。

梓「…どうでしょうか」

律「おまえなー、普段しっかりしろとか言っておいて、ここ一番でボケるなよ」

梓「え? ボ、ボケ?」

唯「あずにゃんもシャレがわかってきたってことかな」

紬「可愛かったよ、梓ちゃん」

梓「………」

唖然とした表情。
こいつはマジなつもりで作詞してきたんだろうか。
まぁ、確かに可愛かったといえば可愛かったが。

梓「…もういいです。私、才能ないみたいですから」

不貞腐れ気味に言う。

梓「どうも場をしらけさせちゃったみたいなので、澪先輩で綺麗に締めてください」

89: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:30:55.02 ID:jpDSDOMkO
澪「ん、私か…」

律「トリだぞぉ、重要だぞぉ」

澪「変なプレッシャーかけてくるな…」

言って、丁寧にたたまれた紙をポケットから取り出す。

澪「じゃあ…『時を刻む唄』」

言って、軽く息を吸う。

澪「きみだけが過ぎ去った坂の途中は 暖かな日だまりがいくつもできてた…」

なんとなく春の日を連想させる詞。

澪「僕ひとりがここで優しい 温かさを思い返してる…」

情景は、ちょうどこの学校にある、校門まで続く長い坂道が想像しやすかった。

澪「きみだけを きみだけを 好きでいたよ 風で目が滲んで 遠くなるよ…」

歌詞の意味を考えるなら、これはどういう状況に立たされていると読み取れるだろうか。
好きな人がいて…共に温かな日々を送っていたのに、別離を迎えてしまい、今ではもう触れることもできないと…
俺にはそんな風に聞える。

澪「いつまでも覚えてるなにもかも変わっても ひとつだけひとつだけありふれたものだけど…」

澪「見せてやる輝きに満ちたそのひとつだけ いつまでもいつまでも守ってゆく」

90: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:31:54.34 ID:+UZ/pLeq0
このくだりはどうだろうか。すべてが過去になってしまい、悲観にくれている様子はない。
むしろ、なにかを決心した強さのようなものを感じる。
それは、大切な人と過ごす中で得た、かけがえのないものを失わないよう、強くありたいという願いなのかもしれない。

澪「………」

読み終えてしまったのか、静かに手元から目を離した。

澪「おしまい…なんだけど…どう?」

律「いや…意外だったよ、かなり」

澪「そ、そうか?」

律「ああ。おまえが書いたにしちゃ、なんかその…ふわふわしてないっていうかな」

梓「なんだか意味深な詞ですよね。受け手が試されてる気がします」

紬「そうね。でも、例えば…失恋しちゃった時の自分に置きかえてみたら、すっと腑に落ちるんじゃない?」

律「ああ、確かに、きみだけを好きでいたよ、って言ってるよな」

律「むむ、ということはだ…」

顎に手をあてがい、探偵のように構える。

律「一人称が僕でカモフラージュされてあるけど、これってまんま澪のことなんじゃねぇの?」

澪「な、なんでだよ…」

91: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:33:07.11 ID:jpDSDOMkO
律「ほら、岡崎はさ、唯とくっついちゃったじゃん」

澪「う…そ、それは…」

唯「あの…澪ちゃん…その、私…黙っててごめんね、あの時」

澪「いや、いいんだそれは。うん、岡崎くんには唯みたいな明るい子があってると思うし」

律「強がんなよ。ちょっと未練あるから、こんな詞が書けたんだろ?」

澪「ち、違うって、別に私は…」

梓「澪先輩! いつまでもこんな●●●●を引きずっちゃダメです!」

梓「澪先輩は美人ですから、こんな甲斐性無しで無愛想な奴なんかよりいい人が絶対にいますよ!」

唯「あ、あずにゃん、朋也をあんまり悪く言わないでね?」

梓「ムキーっ! なんですか! またこれみよがしに下の名前で親しげに!」

唯「それは、付き合ってるからいいと思うんだけ…」

梓「ノロケないでくださいっ! 不潔ですっ!」

唯「ご、ごめん…」

律「はっは、梓もやっぱまだ妬いたりするなぁ。おまえも未練残ってんのか?」

梓「そんなんじゃありませんっ! もう、練習しますよ、練習っ!」

92: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:33:46.60 ID:+UZ/pLeq0
律「わかったよ。んじゃ、梓のヤケ練習に付き合ってやるかね」

紬「くすくす」

梓「ムギ先輩、笑わないでくださいっ!」

―――――――――――――――――――――

文化祭までの日。
軽音部の活動はティータイムに割かれる時間がごく僅かなものとなり、ほぼ全て練習に費やされていた。
創立者祭の時よりも、はるかに気合が入っている。
それはきっと…誰も口には出さないが…今回が、放課後ティータイム最後の舞台となるからだろう。
ライブが終わってしまえば、唯たち三年は引退だ。後はもう、脇目も振らず受験一直線となる。
そして、合格発表も済んでしまえば、次は卒業が待っていた。実に淡々と過ぎていくものだ。
俺たちがいくら望もうが、時は止まってはくれない。流れを緩めてもくれない。
いつだって同じペースで過ぎ去っていき、物語の結末を運んでくる。
そんな寂しさを音で振り払うかのように、演奏には強く力が込められていた。

―――――――――――――――――――――

そして、当日。午後になり、体育館で3年D組の演劇が幕を開けた。

『先入場者 戦闘スタイルは空手を中心とした打撃 だが打撃だけに止まらず!』

『投げ・締め・間接なども使う 20戦20勝0敗 3年ぶりのS級格闘士となる…』

『日本 ジュリエッ斗!』

律「………」

93: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:35:08.23 ID:jpDSDOMkO
部長がベッドに腰掛けたままライトアップされる。

『そして 後入場者は――』

春原が舞台袖からステージに出て行くと、同じようにスポットを浴びた。

春原「………」

『その男が使う格闘技は実戦!! イスラエル軍に正式採用されることにより洗練され…』

『世界中の軍隊・警察関係者に広まり、歴史の中で迫害を受けながらも滅ぶことなく現代では世界経済を握り…』

『多くの天才科学者を出し、IQが世界で一番高いと言われる民族が作った、今なお進化し続ける格闘術…その名は――』

『クラヴ・マガ!! 63戦63勝0敗 イスラエル ロミ男!』

『さぁ、お賭けください!!』

女生徒1「ロミ男に20万ドル」

男子生徒1「ロミ男に100万ドル」

女生徒2「ロミ男に50万ドル」

男子生徒2「ロミ男に10万ドル」

モブ役のクラスメイトたちがそのセリフだけを言い放ち、袖に捌けて行った。
そして、入れ替わりに横断幕を持った黒子集団が出て行く。
そこには、『配当 ロミ男 1.05倍 ジュリエッ斗 21倍』と書かれている。
テロップのようにその文字列がステージを横切っていく。

94: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:36:06.80 ID:+UZ/pLeq0
『事前予想絶対不利の中 日本人がユダヤ人に 戦いを挑む!!』

前座のナレーションが終わると、いよいよ演技の開始だった。
ここまでは順調だ。不安があるとするなら、あいつらのアドリブだ。
白熱し過ぎなければいいのだが…。

―――――――――――――――――――――

律「金剛!!」

ドガッ

春原「うっ……」

部長の振りかぶった右腕が春原の心臓に突き刺さる。

春原「………」

どさっ

すると、崩れ落ちるように春原が倒れた。
台本通りの終わり方だ。
途中、執拗な下段への攻撃というアドリブはあったものの、無事に全ての殺陣シーンが終了した。

律「ふぅ…」

突きの状態で体を止めたまま、部長が息を吐く。

『今現在 最強の格闘技は 決まっていない!!』

95: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:37:23.98 ID:jpDSDOMkO
そのナレーションを以って全行程が終わり、終劇を迎える。
裏方も含め、スタッフ全員が舞台に上がり、一礼して幕が下りていった。

―――――――――――――――――――――

律「あ~、いい仕事したわ、われながら」

社長座りで椅子に深く腰掛ける部長。

唯「ふんすっ ふんすっ」

その後ろで唯が肩を揉んでいる。

紬「お疲れ様、りっちゃん」

琴吹がメイドのように紅茶の入ったカップを配膳する。
まさにVIP待遇だった。

律「うむ、くるしゅうない」

紬「春原くんも、お疲れ様。いい動きだったわ」

同じように、春原の前にもティーカップを差し出す。

春原「お、ありがと、ムギちゃん」

受け取り、ずずっと一口すすった。

梓「ここでちょろちょろ練習してるのは見てましたけど、実際通して見るとすごい立ち回りしてましたよね」

96: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:37:59.62 ID:+UZ/pLeq0
律「だろん? あたしの新たなる才能が目覚めちゃったって感じ?」

澪「おまえは普段通り暴れてただけだろ。殺陣を考えたムギが一番すごいと思うぞ」

紬「そんなことないわ。あれを演じられるのも、りっちゃんと春原くんのセンスがあってのことよ」

澪「そ、そうなのか?」

律「ほぉらな、やっぱあたしの才能じゃん」

春原「ま、僕のセンスの前ではおまえはただのスタントマンに成り下がってたけどね」

律「んだと!? あたしの金剛で盛大に心臓震盪起こしてたクセによっ」

春原「あれはただ台本に従っただけだっての。実戦なら僕の圧勝さ」

律「けっ、なにが実戦ならだよ。アドリブで上段一発入れたら顔歪んでただろーが」

春原「あれは顔面でさばいてただけだっ!」

律「それが直撃してるっていうんだよ、アホッ!」

春原「ふん、素人目じゃ、あの高等技術はわからないか。でも、ムギちゃんならわかってくれるよね?」

紬「春原くん、腕の立つ整形外科を手配しておいたから、ちゃんと通院してね?」

春原「定期的に通わなきゃいけないほど歪まされてるんすかっ!?」

朋也「もうおまえだって気づくのが難しいぐらいだけど、鼻の穴見るとギリ思い出せるな、もとの顔が」

98: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:39:37.23 ID:jpDSDOMkO
春原「なんでそんなパーツがきっかけになってんだよっ!?」

朋也「おいおい、そんなの、おまえとの思い出がいっぱいこびりついてるからに決まってるだろ?」

春原「ハナクソみたいに言うなっ!」

律「わははは!」

―――――――――――――――――――――

澪「…はむっ」

手に人という字を書いて飲み込んだ。
古来より伝わる緊張をほぐす方法だった。気休めともいうが。

律「よぅし、そろそろいくか」

開演前40分。時間的にはまだまだ猶予があったが、念のため早めに講堂入りすることになった。
搬入は午前中の内にあらかじめ終えていたので、即スタンバイに入れる状態にある。

唯「大丈夫だよ、澪ちゃん」

紬「ちゃんと特訓もしたしっ」

澪「っ、そうだよな…」

梓「いつも通りにやりましょうっ」

澪「うん」

99: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:40:16.08 ID:+UZ/pLeq0
律「よぅし、じゃ、やるぞーっ!」

「おーっ!」

天に向かって拳を突き上げる軽音部の面々。

紬「私たちのライブっ」

「おーっ!」

梓「最高のライブっ」

「おーっ!」

唯「終わったらケーキっ」

「おーっ…うん?」

疑問符がつく。
そして、全員の視線が唯に集まった。

律「んだよ、ケーキって…せっかく気合入ってたのに…」

梓「そうですよ…それに、ケーキならさっきまで食べてたじゃないですか」

梓「まさか、まだ飽きたりないって言うんですか?」

唯「ただのお約束だよ、てへっ」

どこまでいこうが、唯は唯だった。

100: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:41:29.67 ID:jpDSDOMkO
それは、こんな大舞台の前でも変わることはないようだ。

梓「お約束って…まったく、唯先輩は…」

咎めるような口調だったが、その口元は笑っていた。

澪「でも、なんか本当にいつも通りで、緊張が和らいだよ」

紬「ふふ、そうね。唯ちゃんはこういう時、いい方向にムードを緩めてくれるよね」

律「ま、そうだな。ムードメーカーを自負するあたしでも、それは認める」

唯「えへへ、ありがと」

そう、いつだって唯はこうして周りに明るさを振りまいていたのだ。
その暢気なペースに巻き込まれ、みんな笑顔になっていく。
俺もその一人だった。だから今、俺はここにいる。

律「んじゃ…いくぜぇっ」

「おーっ!」

最後の激励が上がり、部室のドアへと足を向ける。
すると…

がちゃり

さわ子「あ゛ー…間に合った…」

さわ子さんが満身創痍な風体で扉にもたれかかっていた。

101: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:42:01.08 ID:+UZ/pLeq0
律「って、どうしたんだよ、さわちゃん…」

さわ子「こ、これ…衣装…」

ぷるぷると震える腕を伸ばし、Tシャツを5着差し出す。

律「お、今回のはこれなんだ?」

部長が一番に受け取った。

さわ子「み、みんなも…どうぞ…」

促され、さわ子さんのもとに集まる。
そして、全員の手に行き渡った。

梓「今回はまともですね」

端を持って広げ、その全様を眺めながら言う。

澪「うん…よかった」

秋山も同じく広げ見て、そのノーマルさに安堵していた。

律「で、さわちゃんは、なんでそんな疲れてんの」

さわ子「それを徹夜で作ってたからよ…」

律「え? でもこれ、かなりシンプルじゃん。徹夜するほどじゃなくない?」

確かに。ただ中央にHTTと印字され、バックに☆マークがあるだけのデザインだった。

103: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:43:30.15 ID:jpDSDOMkO
これならば、よっぽど前回のほうが手間暇かかるはずだ。

さわ子「いろいろあったのよ…」

律「いろいろって、なに」

さわ子「いいから、もう講堂に行きなさい。音出しとかしなきゃでしょ…」

律「そうだけど……まぁ、いっか」

律「ほんじゃ、いくべ」

さっきまでの気合に満ちた空気は抜けきり、ゆるゆると部室を出て行った。
俺と春原も後に続こうと、その背中を追う。

さわ子「あ、ちょっと待ちなさい」

半開きになっている扉を横切ろうとした時、さわ子さんに呼び止められた。

春原「なに? なんか用?」

さわ子「あんた達には、ひとつ仕事をしてもらうわ」

春原「仕事?」

さわ子「そ、仕事。とりあえず、ついてきて」

そう告げて、返事を聞かずに歩き出す。

104: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:43:59.92 ID:+UZ/pLeq0
春原「………」
朋也「………」

俺たちは無言で顔を見合わせた。
このやり取りに既視感を覚えると、目で言い合っていた。
それは、去る日、軽音部の新勧を手伝うよう命じられることになった時の流れと酷似していたからだ。

―――――――――――――――――――――

さわ子「さ、あんた達もこれを着なさい」

部員達と同じTシャツを渡される。

春原「へぇ、僕らの分もあったんだね」

さわ子「それだけじゃないわ」

言って、ダンボールを二つ開封した。
両方とも中に大量のTシャツが敷き詰められている。

春原「うわ、なんでこんないっぱいあんの」

さわ子「配布用にたくさん作っておいたのよ。大変だったわ…」

それで徹夜だったのか…。ようやく納得がいった。

春原「ふぅん、入場特典ってやつ?」

さわ子「ま、それもあるけど、サプライズが真の目的ね」

106: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:45:12.20 ID:jpDSDOMkO
さわ子「きっと、あの子達驚くわよぉ、観客が自分達と同じ衣装着てたら」

徹夜の理由を曖昧に答えていたのは、そのための布石だったということか。
はぐらかしながらも、早く会場入りするよう促していたのは、状況を整えるためだったと。
ということは、やっぱり、俺たちの仕事はそこに関係してくるんだろう。
つまりは…

朋也「これ、俺たちが配ればいいんだろ?」

そんなところだろう。

さわ子「その通りよ」

思った通りだ。

朋也「オーケー、わかったよ」

一度しゃがみ、ダンボールを抱える。

朋也「それと、さわ子さん。おつかれさまな」

さわ子「あら、あんたの口からそんな言葉が聞けるなんて…意外だわ」

さわ子「それに、最近表情もずいぶん柔らかくなったし…やっぱり、唯ちゃんの影響かしら? 」

朋也「さぁね」

さわ子「ふふ、でも、そんな風に気配りができるなら、あんた将来いい男になるわよ、きっと」

朋也「そりゃ、どうも」

107: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:45:50.58 ID:+UZ/pLeq0
春原「僕は? さわちゃん」

朋也「おまえは骨格が変形して人の形が保てなくなるぞ、きっと」

春原「さわちゃん、やっぱこいつただの鬼畜だよっ! なにも変わってねぇよっ!」

さわ子「ふふ、そうみたいね」

―――――――――――――――――――――

春原「お、なんだあいつら」

講堂の出入り口から中を覗くと、うちのクラスメイト達が同じライブTシャツを着てわいわいと騒いでいた。

朋也「あれも多分、さわ子さんの仕込みだろ」

ちらり、と隅に立つさわ子さんに目を向けた。

さわ子「………」

その視線に気づき、こちらに向かって親指をぐっと立ててくる。
それは、俺の仮説が肯定されたとみて間違いないんだろう。

―――――――――――――――――――――

憂「あ、こんにちは、岡崎さん、春原さん」

ぽつぽつと人の出入りが始まった頃、憂ちゃんがやってきた。

女生徒「………」

109: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:46:58.57 ID:jpDSDOMkO
その隣には、友達なのか、一人の女の子がいた。

朋也「よ、憂ちゃん」

春原「よぅ、妹ちゃん」

憂「おふたりとも、どうしたんですか? そのシャツ」

朋也「ああ、これ、さわ子さんがライブ用に作ってくれたやつなんだけど…」

ダンボールから2着新たに取り出す。

朋也「観客用のも作ってきたみたいでさ。配るように言われてるんだ」

朋也「憂ちゃんも、ぜひ着てくれないか」

憂「あ、はい、もちろんですっ」

嬉々として受け取ってくれた。

朋也「そっちの子も」

女生徒「あ、はい」

受け渡す。

女生徒「………」

シャツを持ったまま、なぜか俺を凝視していた。

110: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:47:56.35 ID:+UZ/pLeq0
朋也「ん? それ、破れてたりしたか?」

女生徒「いえ、違います。ただ、実物のほうがカッコイイなぁ、と思いまして」

朋也「あん?」

女生徒「唯先輩の彼氏さんですよね? 憂から聞いてます。写メもみせてもらいましたし」

朋也「あ、そうなの」

憂「すみません、勝手にいろいろと…」

朋也「いや、別にいいけど…」

女生徒「私、ちゃんと唯先輩と釣り合い取れてると思いますよ」

朋也「そりゃ、どうも」

女生徒「まぁ、それだけです。いこ、憂」

憂「うん」

連れ立って前列の方へ向かっていく。

朋也(………)

妙な恥ずかしさだけが俺の中で渦巻いていた。

―――――――――――――――――――――

111: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:49:16.17 ID:jpDSDOMkO
秋生「がーっはっは! なんだ小僧、その格好は!」

朋也「げ…オッサン」

春原「うわぁ、サバゲーの男だ…」

今度はオッサンがずかずかと幅を利かせながら、威圧感たっぷりに現れた。

早苗「こんにちは、岡崎さん」

その後ろには早苗さん。

女の子「こんにちは」

と、もうひとり、小柄で大人しそうな女の子がいた。
その顔は、早苗さんとそっくりで、まるで姉妹のようだった。
ということは…この人が、ふたりの娘である、例の渚さんなんだろうか。

朋也「こんにちは、早苗さん。それと…渚さん?」

女の子「あ、はい、そうです」

やっぱりそうだった。

渚「えっと…」

どう返したものかと迷っているような、そんな表情を浮かべている。
初対面の人間に名前を知られていたのだから、そうもなるだろう。

朋也「ああ、俺、唯と仲良くさせてもらってて、いろいろと話を聞いてるので…それで」

112: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:50:01.51 ID:+UZ/pLeq0
渚「あ、そうでしたか。それでは…改めまして、古河渚です。よろしくお願いします」

朋也「岡崎です。こちらこそ、よろしく」

渚「名前は、朋也さんですよね」

朋也「え?」

渚「私も、岡崎さんのこと、お父さんとお母さんから聞いてました。唯ちゃんの彼氏さんだって」

朋也「あ、そっすか…」

渚「でも、唯ちゃん、すごいです。うらやましいです。こんなかっこいい男の子と付き合ってるなんて」

早苗「ですよねっ。私も、初めて見たとき、すごくかっこいいと思いましたよ」

朋也「はは、どうも…」

褒め殺しだった。

秋生「ふん、こんな優男のどこがいいんだ。浮かれまくってウケ狙いのTシャツ着るような奴だぞ」

朋也「そんなんじゃねぇっての。ほら、あんたもこれ着てくれよ」

ぐいっと押し付ける。

秋生「てめぇ、この俺にも一緒になって滑れっていうのか、こらっ!」

朋也「だから、ギャグじゃねぇって」

113: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:51:35.48 ID:jpDSDOMkO
秋生「うそをつけぇっ! ダメージを分散させようとしてるんだろうがっ!」

朋也「頼むから話を聞いてくれ。いいか、唯たちもステージ衣装で同じものを着てるんだ」

朋也「それで、観客も同じシャツを着て出迎えるって寸法だ。それを秘密裏にやってるんだ」

朋也「まぁ、サプライズだな。そういうわけだから、あんたも協力してくれ」

秋生「かっ、そういうことか…まわりくどい言い方しやがって、要はサプライズだろうが」

朋也「いや、だからそう言っただろ…」

秋生「ま、なんだか知らねぇが、おもしろそうだな。協力してやる。ありがたく思え」

朋也「ああ、感謝するよ」

オッサンは俺の持っていたシャツを乱暴に奪うと、それを重ね着した。

秋生「む、サイズがあってねぇぞ、おい」

朋也「あんたが規格外なだけだ。我慢してくれ」

秋生「ちっ、しょうがねぇな…」

朋也「早苗さんと渚さんも、よかったらどうぞ」

早苗「もちろん、着させてもらいますよ」

渚「私も、一着お願いします」

114: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:52:18.40 ID:+UZ/pLeq0
好意的なふたりで助かった。すぐに話が進んでくれる。
オッサンとは大違いだ。よくもまぁ、こんなのと結婚したものだ、早苗さんは。
渚さんも、この人の血を引いているとは到底思えないほど丁寧な口調だ。
きっと、早苗さんの血の方が濃かったんだろう。よかった…オッサンの遺伝子がでしゃばらなくて。

秋生「よし、いくぞ、おめぇら。最前列でフィーバーするぞ」

早苗「唯ちゃんたちの邪魔をしちゃだめですよ?」

秋生「その辺はしっかりわきまえてる。俺は大人だからな」

渚「お父さんが言っても全然説得力ないです」

秋生「なぁにぃ? おまえだっていまだに、だんごだんご言ってるじゃねぇか」

渚「だんご大家族は子供から大人まで幅広い層をカバーしてるので問題ないです」

秋生「あんなわけのわからんテーマソングをバックに踊り狂ってるもんがか?」

渚「わけのわからないテーマソングじゃないですっ。すごくいい歌ですっ」

渚「お父さんにもわかって欲しいので、今から歌いますっ。だんごっ、だんごっ…」

秋生「また頼んでもねぇのに歌い出しやがったよ、こいつは…」

呆れたように頭を掻くオッサン。
けど、渚さんはまったく気にしていないようだった。
のびのびと口ずさんでいる。
そんな風に人目はばからず歌う渚さんを見ていると…なぜだか涙が出そうになった。
懐かしくて、温かくて、溢れるような優しさが目の前にある気がしてならない。

115: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:53:41.17 ID:jpDSDOMkO
でも、なぜそう思ってしまうのかは、まったくわからなかった。
というより…思い出せないと言った方が正しいかもしれない。

秋生「サビまでにしとけよ」

言って、歩き出す。
早苗さんもその後ろについていく。

渚「あ、待ってくださいっ」

慌てて中断し、渚さんも後を追った。

朋也「あ、渚さんっ」

その背に声をかける。

渚「はい? なんでしょう?」

きょとんとした顔で振り返る。

朋也「あの…俺たち、昔どこかで会ってませんか?」

もしかしたら、記憶を辿る糸口が掴めるかもしれない。
望みは薄かっただろうが、訊かずにはいられなかった。
俺は、知れるなら知りたかったのだ。この想いの正体を。

渚「昔、ですか? その…いつごろでしょうか」

朋也「ずっと昔…遠い昔です」

117: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:54:18.32 ID:+UZ/pLeq0
渚「でしたら、幼稚園生の時ぐらいでしょうか」

朋也「いえ、時間じゃないんです。そんなの、象徴に過ぎないんです」

朋也「もっと、こう…想いだけで懐かしさが感じられるような、そんな過去です」

渚「えっと…その、すみません。私、昔は体が弱かったですから、そういう素敵な思い出はなかなか作れなかったんです」

渚「ですからきっと、岡崎さんと会っていたとしても、覚えていられなかったと思うんです」

朋也「………」

どうやら俺の言ったことを、これまでの人生で得てきた思い出の話だと思っているようだ。
言い方が悪かったのか、正確に伝わっていなかった。
いや…正確もクソもないか…。
あまりに漠然としすぎていて、俺自身ですらよくわかっていないのだから。
そんなことを理解して欲しいなんて、どうかしてる。

朋也「そうですか…」

渚「すみません、思い出せなくて…あの、もしかして、岡崎さんは覚えていてくれたんでしょうか」

朋也「いや、俺も確証はないっていうか…ただ、うっすらとそんな気がしただけですから、気にしないでください」

渚「そうですか…でも、岡崎さん、なんだか落ち込んでいるように見えます」

朋也「そう見えるなら、きっと罪悪感が顔に出てるんでしょうね」

朋也「こんなくだらないことでわざわざ引き止めてしまったっていう」

118: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:55:53.05 ID:jpDSDOMkO
渚「いえ、そんな…私はなんとも思ってないです」

にこりと笑顔を向けてくれる。
なんとなくその質が唯と似通っているように見えた。人に安心感を与える、という点で。

朋也「なら、俺も気が楽です」

渚「岡崎さんが楽になれたなら、私も気が楽です」

朋也「はは、じゃ、おたがいさまっすね」

渚「はいっ」

視線が交錯して、どちらも笑みがこぼれる。
それだけのことだったが、俺はこの時、なにか吹っ切れた気がしていた。
感傷に浸って抜け出そうとしない自分がアホらしく思えるほど、今この瞬間が澄んでいた。

朋也「それじゃあ…ライブの方、楽しんでいってください」

渚「はい、そうさせてもらいます。それでは、私はこれで」

言って、背を向けて歩き出す。向かう先は、オッサン達がいる最前列のようだった。

春原「今の、かなり斬新な切り口のナンパ方法だね。今度僕も使わせてもらうよ」

春原「あれ? もしかして君、前世で僕の体の一部だった? って感じでさっ」

朋也「カタツムリってカラ取ったらナメクジじゃね? って返されて終わりだな」

春原「意味わかんない上に会話つながってないだろっ」

119: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:56:27.57 ID:+UZ/pLeq0
朋也「いや、だから、お前の前世がナメクジだったって話だろ」

春原「そんなボケ拾えねぇよっ!」

―――――――――――――――――――――

15分前にもなると、いよいよ客足の入りが激しくなってくる。
わらわらと生徒が集まって来ていた。

春原「しゃーす、これ、よかったら着てくださーい」

俺たちは出入り口の両脇に立ち、仕事をこなしていた。

朋也「よかったら、着て下さい」

次々に手渡していく。

朋也(ああ、なんか、懐かしいな…)

新勧の時もこうやって募集チラシを配っていたことを思い出す。

春原「しゃーす」

あの時の春原は、まったくといっていいほどやる気をみせず、地べたに座り込んだりしていたのに…
今では慣れない丁寧語まで使って精力的に動いていた。
俺も、以前より自然と足が動いている。
あんなにも嫌っていた懸命になることを、普通に受け入れてしまっているのだ。
それを思うと、なにか感慨深いものがあった。

キョン「お、春原に岡崎」

120: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:57:03.14 ID:+UZ/pLeq0
涼宮「久しいじゃない、ふたりとも」

古泉「ご無沙汰してます」

長門「………」

SOS団の面々だった。

朋也「よぉ」

春原「お、久しぶり」

キョン「なにやってんだ、こんなとこで、そんなシャツ着て…またなんかの悪巧みか?」

春原「違うよ。これを配ってるだけだって」

ダンボールから一着取り出す。

春原「おまえらもライブ見に来てんだろ? これ着て観てやってくれよ」

キョン「なんだ、公式Tシャツか?」

春原「ああ、しかも無料だぜ? 着るしかないっしょ」

キョン「まぁ、そういうことなら、着ようかな」

涼宮「あんたら、軽音部の雑用でコキ使われてるの?」

朋也「そういうわけじゃないけどな」

121: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:58:26.25 ID:jpDSDOMkO
涼宮「そ。だったら、我がSOS団におけるキョンよりかは地位が上なのね」

キョン「もう団活も引退してるんだから、現在形で言うな」

涼宮「なに言ってんのよ! 一時休止するだけだって言ったでしょっ!」

涼宮「SOS団は永久に不滅なんだから! 大学に行ってもサークルを立ち上げるわっ!」

涼宮「だから、あんたもちゃんと勉強して第一志望受かりなさいよっ!」

キョン「あー、はいはい、わかってるよ…やれやれ」

やっぱり、その口ぶりからして、こいつらは同じ大学を目指しているんだろうか。

春原「はい、ハルヒちゃんも、有希ちゃんもよかったら着てね」

涼宮「ん、まぁ、ちょっとダサいけど…我慢して着てあげるわ」

あくまで上から目線を保ったまま受け取る。

長門「………」

長門有希の方は何も言わず、ただ静かに受け取った。

朋也「ほらよ、古泉」

俺は残った古泉に1着差し出す。

古泉「んっふ、僕はそんな新品より、あなたの着ているその中古の方がブルセ…」

122: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 09:59:02.27 ID:+UZ/pLeq0
長門「…そろそろ殺る」

古泉「んっふ、これはこれは…ここは新品を素直に受け取った方がよさそうですね」

相変わらず不穏なことを口走る奴らだった。

涼宮「キョン! ちゃんと観やすい席は確保してるんでしょうね!」

キョン「できるかよ…今来たばっかだろ、俺も…」

言いながら、館内へ歩を進めていく。
その後に古泉と長門有希も続いた。

古泉「おっと、忘れていました」

振り返り、こちらに歩み寄ってくる。
どうも、春原に進路をとっているようだった。
そして…

古泉「ふぅんもっふっ!!」

ビュッ

激しく腰が振り出された。

春原「ひぃっ!?」

さっ!

間一髪で避ける春原。

123: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:01:12.83 ID:jpDSDOMkO
バァンッ!

その行き場を失った腰のエネルギーが壁に激突して音を上げていた。

古泉「おっと…避けられてしまいましたか。やはり、同じ手は二度は通用しないということですか…」

振りかぶった腰を定位置に戻しながら、ぶつぶつとつぶやく。
その衝突した部分の壁からは、ぱらぱらと粉塵がこぼれ落ちてきていた。

古泉「もう一撃いきたいところですが…日に一度しかできない大技ですからね…退くとしますか」

にこっとさわやかな笑顔をこちらに向け、身を翻した。
そして、無駄にスタイリッシュさを醸し出しながら奥へ消えていった。

春原「お、おおお岡崎…んあなななんか僕、さっきすごくやばかった気がするんだけどどど…」

ガクガク震えて上顎と下顎が噛み合っていなかった。
多分、かつて廃人にされたトラウマが蘇りかけているんだろう。
哀れな奴…。

―――――――――――――――――――――

和『さぁ、みなさんお待ちかね、光坂高校文化祭目玉イベント、放課後ティータイムの演奏です』

ついに開演時間を迎え、アナウンスが流れた。
5分前にはすでに館内は満席となり、壁際の立ち見客も多くいた。
俺と春原もその中の一人だった。さわ子さんもそうだ。
春原の隣で、腕組みしながら見守っていた。

春原「さわちゃん、キツくなったら僕の体に寄りかかっていいよ」

124: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:03:13.40 ID:jpDSDOMkO
さわ子「いやらしい感じがするから、遠慮しとくわ」

春原「い、いや、どさくさにまぎれて●●●●触ろうとか思ってないって」

さわ子「誰もそんなこと言ってないんだけど」

春原「ははっ、そ、そうだよね、誰だよ、●●●●とか最初に言ったやつは」

おまえだ。

朋也「あ…」

幕が上がると、ステージの中央、こちらに背を向けてへたり込んでいる唯の後ろ姿が目に飛び込んできた。

朋也(転けたのか、あいつ…)

なんでまたアクションのないスタンバイ中に…
とはいえ、それが唯たる所以なのかもしれないが。

ガシャンっ

今度はギターを落としていた。

春原「おいおい、大丈夫なのかよ」

さわ子「…まぁ、ここからよ、ここから」

唯『すいませんねぇ…』

へりくだったMCを入れながら、ギターを肩にかける。

125: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:03:38.96 ID:+UZ/pLeq0
唯『あ…』

そこで気づく。

声「唯ーっ!」

声「平沢さーんっ!」

声「平沢ーっ!」

クラスメイトたちが…会場のほぼ全員が、同じ衣装を身に纏っていることに。

梓「……!」

中野も、秋山も部長も琴吹も、みんながキョロキョロと館内を見渡していた。

和『さぁみなさん、盛大な拍手を』

真鍋が軽音部の面々を横切り、ステージの中央へと躍り出た。
もちろん、同じTシャツを着てだ。

唯「………!」

梓「……!」

唯と中野が詰め寄って行く。

和「………」

なにか説明を求められているようだ。

126: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:06:23.50 ID:jpDSDOMkO
おそらくこの演出についてだろう。

和「……」

館内最後方(こうほう)、出入り口に近い位置にいる俺たちを指さす。
その照準はさわ子さんに合っていた。

さわ子「ブイ」

ピースサインで返していた。

唯「さわちゃんありがとーっ!」

梓「ありがとうございますっ」

ステージから肉声で届いてくる。

声「先生ーっ」

声「かっけーっ! さすが担任ぅ!」

声「さわ子先生マジヤベェーっ!」

クラスメイトもリスペクトの意を送っていた。

さわ子「くぅー、これよ、これっ」

快感が走ったのか、身を抱きしめて震えていた。

唯『えー…放課後…てぃーたいむです…ぐす』

127: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:06:55.88 ID:+UZ/pLeq0
涙声でMCが始まった。

唯『えぇっと…ぐす…ぐしゅ』

感情が邪魔をしているのか、なかなか進行しない。

声「平沢ーっ、泣くなーっ」

声「頑張ってーっ、唯ちゃーんっ」

クラスメイト達から励ましの声が上がる。

声「唯ーっ! こんな序盤で泣くなっ! 俺はおまえをそんなヤワに育てた覚えはねぇーっ!」

声「ファイトですっ、唯ちゃんっ」

声「唯ちゃんっ、頑張ってくださいっ」

今のは古河一家の声援だろう。

唯『みんなありがとぉ…ぐづ…私たちの方がみんなにいろいろしてもらっちゃって…ぐずぅ』

唯『なんだか涙が出そうです…』

律『はは、もう泣いてるじゃねーか』

ちょっとしたお遊びトーク。
やはり、この部分も客受けがいいのか、笑いが起きていた。

声「唯ーっ」

128: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:08:14.45 ID:jpDSDOMkO
唯『ぐずぅ…』

声「きたないよー」

声「部長ナイス」

律『えっへん』

声「澪もなんか言ってー」

澪『あ、ありがとう…』

「きゃー澪ーーっ」

各地で黄色い歓声が上がり、フラッシュが焚かれる。
おそらく秋山澪ファンクラブの連中だろう。
といっても、以前のように独占欲旺盛で過激な一派はもういないらしく、今は穏健派が主流なんだとか。
真鍋から聞いた話だと、そういうことらしい。

唯『それじゃあ一曲目いきますっ! ごはんはおかずっ』

ずるぅ!

初耳だった連中は例外なくずっこけていた。
俺はもう、何を演るかも、その曲順さえ知っていたので特に驚きはしなかった。

唯『ではでは、聴いてください』

唯「………」

129: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:08:41.11 ID:+UZ/pLeq0
メンバー同士、目で何かを確かめ合う。

律「ワン、ツー、スリー、フォーっ」

部長が音頭を取り、演奏が始まった。

唯『ごはんはすごいよなんでも合うよ ホカホカ…』

声「ふはは、やべぇーっ」

声「歌詞、歌詞っこれやべぇだろぉー」

男子生徒を中心にウケているようだった。
男は基本悪ふざけが大好きなのだ。

唯『私、前世は~関西人!』

「どないやね~ん!」

客席からも合いの手が入る。
もはや会場が一体となって歌っていた。
これがライブの醍醐味なんだろう、多分。

唯『1・2・3・4、ゴ・ハ・ン!』

繰り返しのくだりに差し掛かる。

唯『1・2・3・4…』

ばっとマイクを宙に掲げる。

130: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:09:57.44 ID:jpDSDOMkO
すると…

「ゴ・ハ・ン!」

唯が歌わなかった部分は、観客のハモリによって補完された。

唯『1・2…』

今度は二言発声しただけでマイクをこちら側に向けた。
が、タイミングが早すぎてリズムが掴めず、誰の声も上がらなかった。

さわ子「うんうん、あるわ、こういう事…」

経験者にとってはあるあるで共感できることなんだろうか。

「1・2・3・4・ゴ・ハ・ン!」

だが、最後には合いの手がきちんと決まり、無事演奏が終わった。
客席からの拍手は鳴り止まない。
まずまずの立ち上がりだといえるだろう。

唯『えー…』

キィーン…

音が割れる。

唯『おおっと…』

ちょっとしたアクシデント。だが、これくらいなら問題ないはずだ。

131: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:10:45.00 ID:+UZ/pLeq0
唯『ごはんはおかずでした。改めまして、放課後ティータイムです』

わっと歓声が上がる。その迫力に圧倒されたのか、少し後ずさる唯。
でもすぐにマイクへ戻った。

唯『私たち3年生のメンバーはみんな同じクラスなんですけど…』

唯『さっきまで演劇をやってて大変だったんですよぉ』

唯『りっちゃんの演技見てくれました? すごかったですよね』

声「田井中ー、おまえ格闘技やれよーっ」

声「才能あるぞーっ」

律『はは、テェンキュー』

唯『りっちゃん、なんかやってよ』

律『あん? なにをだよ』

唯『なんかジュリエッ斗のセリフ』

律『あー、ま、いいけど』

気だるげにドラムスティックを置き、マイクをスタンドからはずす。

律『ん、あー…どんな道をたどろうと、必ずお前は始めるさ――』

律『喧 嘩 商 売を』

133: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:11:58.74 ID:jpDSDOMkO
声「おおおおおお!! かっけぇっ!!」

声「熱すぎるだろっ!!」

声「きゃあー抱いてぇ、りっちゃーーんっ!」

声「俺もりっちゃんみたいに強くなれるかなぁーっ?」

律『なれるよあたしの弟子だからな。お前才能あるよ』

声「うおぉおおおおおおおっ!!」

観客と掛け合いを繰り広げ、異様な盛り上がりを見せていた(主に男)。

唯『あ、それで、春原くんがロミ男だったんですよ』

声「しってるー」

声「ていうかへたれー」

春原「うっらぁーっ! なんだその温度差は、くらぁっ!」

声「怒ってる気がするー」

声「どっかにいるんじゃねー」

完全になめられていた。

春原「後でぶっ殺す…」

134: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:12:22.10 ID:+UZ/pLeq0
唯『あはは…ん、ちなみに私は女子高生G役で、しまぶーに…』

紬『それ以上はまずいわよ、唯ちゃん』

琴吹が颯爽と割ってはいる。

唯『あ、そうだった…ふぅ、危なかった。ありがと、ムギちゃん』

紬『ううん、ちょっと保身も入ってたから』

声「やばそうだな、なんか」

声「自主規制ー、はははっ」

おそらく意味はわかっていなかっただろうが、黒さが垣間見えたことでウケていた。

唯『では、次の曲いきましょー…あ、ロミ男vsジュリエッ斗は、ムギちゃ…琴吹さんがシナリオを書きましたぁ』

紬『ふふ』

手を振る。

声「紬さーん、今度のトーナメント絶対勝ち抜いてくださーいっ!」

声「工藤をヤれますよ、紬さんならっ!」

紬『ありがとーっ。大丈夫、二度と心が折れないようにやってきたからーっ』

声「うおぉおおおおおっ!!」

136: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:13:39.06 ID:jpDSDOMkO
…いったい何の話をしているんだろうか。

唯『あれ…次ってどの曲だっけ』

小声でメンバーに問いかけているんだろうが、ばっちりマイクに拾われていた。

律『だからどっかにメモを貼っとけって言っただろぉ?』

同じく部長も声が響く。

唯『どこかになくしちゃったみたいで…』

澪『落としたのか?』

秋山も。

唯『ポケットに入れたと思ったんだけどぉ…』

紬『あ、さっきTシャツに着替えたから…』

琴吹もだった。

唯『はっ! そうかっ!』

唯『うう…ああう…』

わたわたと慌てふためく。
その様子が可笑しくて、周りの連中に混じり、俺も思わず笑ってしまった。

―――――――――――――――――――――

137: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:14:34.97 ID:+UZ/pLeq0
唯『…ふわふわたぁ~いむ』

後奏が鳴って、それが止むと、曲も終わった。
そして起こる大喝采。

唯『ありがとうございまぁーす。じゃあ、この辺でメンバー紹介いってみたいと思いますっ』

唯『まずは、顧問のさわちゃんですっ』

さわ子「んな…なんで私?」

いきなりのことで面食らったのか、体勢が前のめりに崩れていた。

澪「………!」

秋山が唯に寄っていき、何かつぶやいていた。

唯『あ、山中先生です! 山中さわちゃん先生』

澪「………っ!」

今度は強めに言っているようだった。

唯「……!」

唯もはっとしている。
おそらくは、公の場で愛称を使ったことを咎められているんだろう。

さわ子「ん…?」

138: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:15:51.81 ID:jpDSDOMkO
スポットライトがさわ子さんに当たる。

さわ子「あはは…」

笑うしかないようだった。

唯『山中先生はいつも優しくしてくれて、私たちの部活を応援してくれていますっ』

さわ子「みんな輝いてるわよぉっ!」

口に手を添え、ステージに向かって檄を飛ばした。
やはりこの人は、やる時はやる人だった。

唯『ありがとーございまーす』

壇上から手を振る部員たち。
さわ子さんも満足そうな面持ちだった。

唯『続いて、ベースは澪ちゃんです!』

「澪せんぱーいっ!」

「きゃー、澪先輩っ!」

澪「………」

一礼する。

澪『こんにちは。今日は私たちのライブを聴いて下さいまして、ありがとうございます』

140: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:16:54.48 ID:+UZ/pLeq0
澪ちゃーんっ」

一気にフラッシュが上がる。
ファンクラブが創設されるだけあって、秋山人気は相当高い。
それも、同性からの支持が多いようだ。性格のよさがその結果に繋がっているんだろう。

澪『私、ここにいるみんなと一緒にバンドをやってこれて…』

澪『最高ですっ!!』

少し溜めて、そこを強調して言った。

澪『最高ですっ!!』

同じセリフ。それでも飽きることなく歓声は上がり続けていた。

唯『あ、澪ちゃんにはファンクラブもあるんです。入りたい人は、公式ホームページを参照してください』

澪『って、そんながあるのか!?』

唯『うん、あるよ。図書館のパソコンが、立ち上げた瞬間そこにアクセスするよう悪戯されてたの、知らない?』

澪『し、知らないっ! は、早くその設定を直してくれっ』

唯『あはは、大丈夫だよ。和ちゃんが全部なんとかしてくれたみたいだから』

澪『そ、そうか…よかった』

唯『あ、みなさん和ちゃんは知ってますよね? この学校の生徒会長です』

141: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:18:47.24 ID:jpDSDOMkO
唯『それで、和ちゃんは、私の幼馴染なんですけど、物知りで、頭がよくて、いつも勉強を…』

和「……!」

真鍋が袖から出て、何事か訴えている。
と、そこにスポットが当たった。

和「!」

逆光に目を細めながらそそくさと捌けていった。

唯『和ちゃんも一言どうぞ』

そう声をかけると、袖から手だけ出して次へいくよう指示を送っていた。

唯『えー…ん、じゃあ次は、キーボードのムギちゃんです』

かちゃっと音がする。琴吹がスタンドからマイクを取ったのだ。

紬『みなさん、こんにちは。私たちの演奏を聴いてくださいまして、ありがとうございますっ』

「せーのっ…ムギーーーーっ!」

「琴・吹! 琴・吹! 琴・吹!」

黄色い声援と荒々しい男の声が半々ずつ聞こえてきた。

春原「ヒューーゥ! ムギちゃん最高ゥ!」

春原もこの場から声援を送る。

142: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:19:39.38 ID:+UZ/pLeq0
紬『ありがとーっ!』

大きく両手を振る。

紬『バンドって、すごく楽しいです! 今も、すっごく楽しいです! もう、ヴァーリトゥードです!』

言って、虚空にむかって突きを放った。
その衝撃波をマイクが拾い、ビュオっという音がしていた。

唯『ムギちゃん、落ち着いて』

紬『あ、つい興奮しちゃって…フー、暑いな…』

型を取り、息吹で呼吸を整えていた。

唯『ムギちゃんの淹れてくれるお茶は、とってもおいしくて、いつも楽しみなんですよぉ』

「あたしも飲みたーい」

「俺も飲みてぇーっ」

紬『いつでも部室にお越しください! 大歓迎ですからっ』

唯『部室にはトンちゃんもいるので会いに来てください』

「トンちゃんてー?」

「トーン! マジトン!」

唯『ああ、トンちゃんはねぇ、スッポンモドキって亀なんですけど、鼻がブタみたいで可愛いんですよぉ』

143: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:21:48.52 ID:jpDSDOMkO
唯『ね? あずにゃんっ』

梓『え…あ、はい』

唯『ギターのあずにゃんです』

梓「……」

ガタッ キィーン…

急に振られて動揺したのか、マイクスタンドにギターをぶつけていた。

梓『ああ…すいません…』

唯『大丈夫?』

梓『大丈夫です。あ、すいません』

こちらに軽く頭を下げる。

梓『えっと…中野梓です。よろしくお願い、します…』

緊張しているのか、少し萎縮して見えた。

「梓ちゃーん!」

「あーずさーっ」

拍手が響く中、憂ちゃんと連れの子の声が微かに聞こえた。

144: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:22:11.28 ID:+UZ/pLeq0
唯『あずにゃんは二年生なんだけど、ギターがすっごく上手くて、私もあずにゃんに教えてもらってます』

唯『あずにゃん、ありがとね』

拍手が起こる。

梓「………」

照れているのか、ギターを抱きかかえて小さくなっていた。

唯『次に、ドラムのりっちゃんです! 我が軽音部の部長です!』

律「………」

立ってマイクに近づく。

律『えー、みなさん、今日は軽音部のライブを聴いてくれまして、ありがとうございます』

「緊張してるー?」

「リラックスー、りっちゃーん」

律『…それではまだ未消化の曲がありますので楽しんでいってくださーい』

唯『え?』

梓『短っ』

唯「………?」

145: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:23:45.93 ID:jpDSDOMkO
唯が部長に何か尋ねているようだった。
大方、本当にこれで終わっていいのか確認をとっているんだろう。

律「………」

部長が手を振って、巻いてくれ、と示していた。

唯『う~ん、まぁいいや…それじゃあ、次のメンバー紹介にいきます』

唯『といっても、正式な部員じゃないんですけど…でも、もはや正部員と比べても遜色がないこの二人組…』

唯『まずは、春原くん!』

春原「え? 僕?」

声を上げるやいなや、スポットライトで抜かれる。

春原「うおっ、まぶし」

唯『春原くんは、いつもいつも私たちを楽しく笑わせてくれます』

唯『もう、春原くんのツッコミがなかったら、私たちのボケが成立しないくらいのキーマンぶりです』

律『ただの道化だろー。ツッコミつついじられてるしなー』

春原「うっせー、デコっ」

律『あんだってぇ!?』

唯『このように、りっちゃんとは頻繁に口げんかするんですが、次の日になればふたりともケロっとしてるんです』

146: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:24:46.24 ID:+UZ/pLeq0
唯『ほんとは、とっても仲良しなんだよね』

  律『んなわけあるかーっ!』
春原「んなわけあるかーっ!」

唯『ほら、息もぴったり』

「フラグたってんじゃねー?」

「うらやましいぞー、春原ーっ」

律『変なこと言うなーっ』

春原「だれがんなデコなんか攻略するかってのっ!」

「ダブルツンデレーっ」

「デレてみろよー」

  律『ざけんなーっ!』
春原「ざけんなーっ!」

唯『はい、コンビ芸ごちそうさまでした』

館内が笑いでどっと沸く。

律『………』

春原「………」

147: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:26:13.72 ID:jpDSDOMkO
部長も春原も苦い顔をしていた。
本心ではどうかわからなかったが…いつだって表面上はこうなのだ。

唯『そして、次は、春原くんの親友でもある、朋也!』

春原を照らしていた光が俺に移る。
やっぱりというか…二人組と告げていた時点で来るとは思っていたが…
注目を浴びるのは、なかなかに恥ずかしいものがあった。
こんな大勢の注目を浴びる中で演奏できるあいつらはすごいと、肌で感じる。

唯『朋也は、春原くんと一緒になって私たちのティータイムを盛り上げてくれます』

唯『見た目はすごくクールだけど、ほんとはすごくおもしろくて優しいんですよ』

「マジかよ…岡崎がか」

「信じらんねー。俺あいつに絡まれたことあるぜ」

「こえぇよなー、基本」

「でも最近変わった感じするぞー」

「確かになー」

意見は二つに割れていたが、悪評の方が優勢だった。
今までの行動を振り返ってみれば、それも仕方のないことだったが。
甘んじて受け入れよう。

唯『そして…私は、そんな朋也を好きになって…朋也も私のことを好きだって言ってくれて…』

148: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:26:38.77 ID:+UZ/pLeq0
唯『今、絶賛ラブラブカップルを満喫しています!』

朋也(ぐぁ…)

なんて恥ずかしいことをこんな公衆の面前で…
みろ、あんなにざわめいていた会場が水を打ったように静まってるじゃないか…

「てめぇーーっ、岡崎ぃっ!」

「ざっけんなよっ! 下の名前で呼んでもらってたのはそういうことか、こらっ!」

「岡崎くーん、マジ話なの? ちょっといいと思ってたのにぃ」

「ぶっ殺す!! 俺の唯ちゃんをよくも!!」

「小僧! 調子に乗るんじゃねぇぞーっ!

ああ…俺はここから生きて帰れるんだろうか…
敵を大勢作ってしまったような気がする…。

梓『唯先輩、ノロケをMCに乗せないでくださいっ』

唯『えへへ、ごめんごめん…というわけで、次の曲ですっ』

澪『おい、自分の紹介してないぞ』

唯『うわぁ、そうだった、えへへ…』

紬『最後にギターの唯ちゃんです』

149: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:28:52.46 ID:jpDSDOMkO
再び拍手と歓声に包まれる館内。

律『唯は見た目のまんまで、のんびりしててすっとぼけてるけど…』

紬『いつも全力で、一生懸命で…』

一言ずつ回していく。

澪『周りのみんなにもエネルギーをくれて…』

梓『とっても頼れる先輩です』

「唯ーっ」

「唯ちゃーんっ」

「岡崎の彼女ーっ」

野次が飛ぶ。

唯『おおっ…どうした、なにがあった?』

壇上では、唯が一人ずつメンバー全員に向き直っていた。

律『ほれ、早く次いけよ』

憂「おねえちゃーんっ!」

席を立ち、ぶんぶんと手を振る憂ちゃんの姿が客席の中に見えた。

150: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:29:30.60 ID:+UZ/pLeq0
唯『おお、憂~っ』

唯も同じように返す。

秋生「唯ー、俺はここだっ!」

早苗「唯ちゃんっ、ずっと見てましたよっ」

渚「唯ちゃん、私もいますっ」

最前列で古河家の人々が総スタンディングしていた。

唯『ありがとー、でも、すごく近いところにいるから、いるのはわかってたよぅ』

秋生「足元ばっかりみてると足すくわれるぞ、てめぇーっ!」

唯『それは逆にありえないんじゃないかな…』

「唯ーっ」

「放課後ティータイムーっ」

「放課後ーっ」

「ティータイムも言ってあげてよー」

唯『あはは…みんなありがとう。それでは次の曲にいってみたいと思います』

唯『U&I!』

151: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:30:55.82 ID:jpDSDOMkO
ドラムが叩かれ、演奏が走り出す。

唯『キミがいないと 何も できないよ キミのごはんが 食べたいよ…』

そこに唯の歌声が乗った。

唯『もし キミが 帰ってきたら とびきりの笑顔で 抱きつくよ…』

みんな静かに聴いている。
今までのアップテンポな曲と比べ、わりとおとなしめなメロディだったからだろう。

唯『晴れの日にも 雨の日も キミはそばに いてくれた…』

サビの部分に差し掛かると、観客席からライトが振られだした。
が、よくみるとそれは携帯のディスプレイが放つ光だった。
よく考えついたものだと、感心してしまう。

唯『目を閉じれば キミの笑顔 輝いてる…』

―――――――――――――――――――――

唯『…ふぅ』

曲が終わる。

「放課後ティータイムーっ」

「よかったよーっ」

「CD出してくれーっ」

152: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:31:26.37 ID:+UZ/pLeq0
賞賛の声が途切れることなく上がり続ける。

唯『ありがとうー。それでは、次が最後の曲です』

「えーやだー」

「もっとやってー」

「延長ーっ!」

唯『もっと演奏していたいんだけど、時間が来ちゃいました』

「放課後ーっ」

「放課後ぉーーっ!」

「放課後に時間制限はなーいっ」

「おまえの持論はいいんだよっ」

唯『あははっ』

唯をはじめとして、軽音部メンバーの中に笑いが起こる。

唯『今日は、ありがとうございました』

唯『山中先生ー、Tシャツありがとーっ』

さわ子「ふふ」

154: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:32:50.54 ID:jpDSDOMkO
ステージに手を振る。

唯『和ちゃん、いつもありがとうー』

ステージの袖を見て言う。
きっとそこには真鍋がいて、微笑んでいることだろう。

唯『憂、純ちゃん、ありがとうっ』

唯『朋也も、春原くんも、いろいろと手伝ってくれてありがとうっ』

春原「はは、ま、悪くないね、こういうのも」

朋也「だな」

唯『アッキー、早苗さん、渚ちゃん、昔からいつもありがとうっ』

秋生「これからも世話してやるぞっ! なんかあった時はすぐに駆けつけてやるっ!」

秋生「俺たちは家族だ、助けあっていくぞっ」

唯『ありがとう。そうだよね、もう、町も人も、みんな家族だよね。だんご大家族だよっ』

秋生「この町と、住人に幸あれっ」

オッサンが珍しくまともなセリフを吐いていた。
大げさな物言いだったが、あの人の口から聞くとなぜだかすんなり頷けた。

唯『クラスのみんなもありがとうっ』

155: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:33:48.49 ID:+UZ/pLeq0
「平沢ーっ!」

「唯ーっ!」

「最高ーっ!」

唯『トンちゃんありがとーっ、部室ありがとーっ、ギー太ありがとーっ』

唯『みんなみんな本当にありがとーっ!!』

唯『放課後ティータイムは…いつまでも…いつまでも…』

唯『放課後ですっ!!』

ずるぅ!

律『は?』

梓『え?』

最後の最後で意味不明なオチが待っていた。さすが唯だ。

朋也(俺はその彼氏だぜ、すげぇだろ)

俺は迷わず拍手する。
すると、つられてか、静まり返った館内にパチパチとまばらな拍手が起きていた。

唯『それでは最後の曲、聴いてください。時を刻む唄!』

演奏が始まり、キーボードの高い音が奏でられる。綺麗な旋律だった。

162: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:40:02.76 ID:+UZ/pLeq0
澪『きみだけが過ぎ去った坂の途中は 暖かな日だまりがいくつもできてた…』

メインボーカルは秋山だった。今まではサブだったが、最後はメインで歌っている。

澪『僕ひとりがここで優しい 温かさを思い返してる…』

館内すべての人間がその曲に聴き入っていた。
茶化すような奴もいなければ、大げさに騒ぐような奴もいない。
そう、余計に動くことがためらわれるほどに集中していたのだ。

澪『きみだけを きみだけを 好きでいたよ 風で目が滲んで 遠くなるよ…』

唯『いつまでも 覚えてる なにもかも変わっても ひとつだけ ひとつだけ ありふれたものだけど…』

唯『見せてやる 輝きに満ちたそのひとつだけ いつまでもいつまでも守っていく』

音が鳴り止む。
それは同時にライブの終了を意味していた。
すると、堰を切ったかのようにそこかしこで溢れ出す、咆哮に近い大歓声。
放課後ティータイム最後のステージは、多くの人間に讃えられながら、ゆっくりとその幕を閉じていった。

―――――――――――――――――――――

唯「大成功…だよね」

西日差し込む部室の壁際に、背を預けて座り込む部員一同。
ずっと放心状態にあったと思ったら、おもむろに唯が口を開いた。

澪「なんか…あっという間だったけどな」

163: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:41:43.47 ID:jpDSDOMkO
紬「ちゃんと演奏できてたかぜんぜん覚えてないわ」

律「ていうか、Tシャツのサプライズでいきななり吹っ飛んだ」

梓「私もです。もうなにがなんだか…」

唯「…でも、すっごく楽しかったよねっ」

澪「今までで最高のライブだったな」

そう言ってのける秋山の声は、少し枯れていた。
それだけ出し尽くしたということなんだろう。

律「みんなの演奏もばっちり合ってたし」

唯「合ってた合ってたぁっ…」

律「ギー太も喜んでるんじゃないか?」

唯「うんっ! エリザベスもねっ」

澪「エリザベスぅ~」

ベースに頬をすりよせる。今だけは飾らずに、心の赴くままだった。

梓「私のムッタンだってっ」

中野も同じく壁をとっぱらっていた。

律「おお、梓のギターはムッタンっていうのか」

164: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:42:26.31 ID:+UZ/pLeq0
梓「ムスタングだから、ムッタンです」

紬「ふふふ、可愛い」

唯「ねぇねぇ、この後なにする?」

梓「とりあえずケーキが食べたいですっ」

律「おー、部費ならあるぞぉ」

紬「だめよぉ、私持ってきてるもんっ。まだストックがあるものっ」

唯「やったぁ、じゃあそれ食べてから次のこと考えようっ」

澪「次は…クリスマスパーティーだよな」

紬「その次はお正月ねっ」

梓「初詣に行きましょうっ」

澪「それから、次の新勧ライブかぁ」

朋也「………」

春原「………」

俺も、そしてきっと春原も、その会話のおかしさに気づいていた。

律「まぁた学校に泊り込んじゃおっかぁ?」

165: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:43:50.60 ID:jpDSDOMkO
唯「今度はさわちゃんも誘おうよっ」

梓「いいですね、それっ」

律「夏になってもクーラーあるしぃ」

紬「合宿もあるしっ」

唯「楽しみだねぇ。その次はぁ…」

梓「えーっと、その次はですねー…」

律「って、次はないない」

そう…ないのだ。
このメンバーでいた軽音部の活動は、今日この日を以って終わってしまった。
そんなこと、当の本人たちが一番よくわかっているはずだった。
だから、少しでも引き伸ばそうとしたかったのだろう。その時が来てしまう瞬間を。
けど、そんな言葉だけのその場しのぎでは、何も変わらない。
だからこそ、部長が代表して、つかの間の夢を終わらせたのだ。
それは心苦しい役回りだったろう。その目には、はっきりと涙を浮かべていたのだから。

唯「来年の文化祭は、もっともっと上手くなってるよ…」

唯も大粒の涙をこぼしながら、震える声で言った。

律「おまえ留年する気か? 高校でやる文化祭はもうないのっ」

唯「そっかぁ…それは残念だねぇ…」

167: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:44:47.51 ID:+UZ/pLeq0
澪「ぅ…ひぅ…ぅう…」

秋山は膝を抱えてひたすら泣いていた。

紬「やだやだぁっ!」

子供のように足をばたつかせ、駄々をこねる琴吹。
こんな琴吹の姿は見たことがなかった。

梓「ムギ先輩、わがまま言わないで…」

梓「唯先輩も、子供みたいに泣かないでください」

唯「これは汗だよ…」

ぼろぼろとこぼれる涙。頬を伝い、しずくとなって下に落ちていた。

唯「ぐす…っうぅう…っぇん…」

律「みーおー。リコピ~ン」

澪「うっ…ふふっ…」

顔を上げる。

澪「律だって泣いてるくせに」

律「私のも汗だっ」

澪「ふふっ…あははっ」

168: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:46:00.29 ID:jpDSDOMkO
律「はははっ」

梓「ほら、ムギ先輩も」

ハンカチを持って、泣き濡れた顔の琴吹に言う。

紬「梓ちゃん…ぐす…」

梓「はい」

紬「梓ちゃん…ぅぅ…あいがとぅ…」

梓「はい」

その顔をハンカチで丁寧に拭う。

梓「ムギ先輩、大丈夫ですから、落ち着いて」

紬「うう…ぐす…」

澪「よかったよなっ…本当によかったよなっ」

秋山がメンバーを正面から見据え、そう声をかけた。

紬「うんっ、とってもよかったっ」

中野に綺麗にしてもらった顔を、また涙で湿らせて、大きく答えていた。

澪「岡崎くんも、春原くんも、そう思ってくれるよねっ」

169: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:46:21.04 ID:+UZ/pLeq0
朋也「ああ、もちろん」

春原「マジですげぇよかったよ。ボンバヘッよりも上回ってるかもしれないね」

それはこいつの中では最大級の評価だったろう。

梓「みなさんと演奏できて、幸せです」

唯「うう、ぐす…みんなぁーっ!」

ばっと手を広げる。その胸に部長と琴吹が飛び込んだ。
愛しそうに頬を寄せ合っている。
そして、中野と秋山もその輪に加わった。

律「あ、ちょ、待てよ唯、鼻水が…」

唯「ムギちゃーんっ」

澪「あはは、鼻水…」

梓「汚いですよ…」

いつまでもいつまでも、誰も離れることはなかった。

―――――――――――――――――――――

がちゃり

さわ子「みんな、お疲れ様ーっ!」

170: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:47:31.20 ID:jpDSDOMkO
勢いよく扉が開け放たれ、さわ子さんが入室してきた。

和「お疲れ様」

その後ろには、真鍋。

朋也「あ、さわ子さん。静かに頼むよ」

さわ子「なんでよ?」

朋也「ほら、そこ」

さわ子「あら…」

軽音部の部員たち。今は泣き疲れて眠ってしまっていた。
壁に背を預けたまま、すやすやと寝息を立てている。

春原「そいつら、号泣してたんだよ、さっきまでね。いや、青春だね、ははっ」

171: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:47:49.81 ID:+UZ/pLeq0
さわ子「なによ…そういうあんたも、ちょっと目の周り赤くなってない?」

春原「な、なってないよっ、僕がもらい泣きなんてあるわけなじゃん」

とはいうものの、俺は見ていた。こいつがひそかに目を拭っていたところを。
まぁ、言及したところで、素直に認めるわけもないが。

和「…幸せそうな顔」

真鍋が部員たちの寝顔を見て、感想を漏らす。

朋也「だよな」

本当に、その表情は幸福の中にあって…温もりを感じさせる輪を形成していた。
ずっと、みんなで手をつないだまま。

―――――――――――――――――――――

172: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:48:22.74 ID:+UZ/pLeq0
文化祭が終わると、しばらくはまた部室に集まって、だらだらとした日々を送っていた。
あのライブですっきり引退したにも関わらず、だ。
中野は、受験勉強はいいのかと、口をすっぱくして言っていたのだが…
どこか俺たちの訪問を喜んでいる節があった。
楽しかった日常が、まだ続いていくことが嬉しかったのだろう。
それに、唯たちがいなくなれば、残された部員は中野のみになってしまう。
その寂しさもあったんじゃないかと思う。
そんな中野の心情を汲み取ってか、唯たちは足しげく部室に通い続けていた。

―――――――――――――――――――――

10月の末、俺は18歳の誕生日を迎えた。
その日は唯と二人で久しぶりにデートに出かけた。
そして、その最後には、平沢家で憂ちゃんが用意してくれた料理を三人で囲み、祝福してもらった。
プレゼントには、手作りのだんご大家族のぬいぐるみをもらった。
単純な作りだったので量産できたらしく、ふくろいっぱいに詰めて持ち帰った。
唯の誕生日には、俺も何か用意しておこう。
11月の27日らしいので、すぐにその日はやってくる。
金はなかったから、なにか俺も手作りの品を渡すしかなさそうだ。
なにがいいだろう…。
俺はそんなことばかり考えていた。
もうすぐ訪れるであろう別れの予感を胸の奥底に押し込めて。

―――――――――――――――――――――

そして…唯の誕生日も過ぎていき、本格的な冬が来た。
誰もが緊張した面持ちで自分の将来を占っている。
当然、軽音部の面々も、そうなるかと思っていたのだが…
相も変わらず部室に顔を出し続け、いつも通りティータイムに興じていた。
といっても、ただだらけているわけじゃない。受験勉強の場を部室に移したのだ

173: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:48:56.26 ID:+UZ/pLeq0
それは、中野のためだったのか、それともティータイムのためなのか…そのどちらもなのか。
この際、なんでもいい。この期に及んで、らしくいられるこいつらが、俺には頼もしく見えていた。
それは、俺自身の進路が不安定なまま、ひとつ場所に定まっていなかったからかもしれない。
目標もなく、目的もなく…ただ惰性で生きてきたような奴の末路なんていうのは、こんなものだ。
だからこそ、いつだって変わらない、普遍的な存在が、心のより所となりえるのだろう。

―――――――――――――――――――――

朋也「わははははっ!」

春原「笑うなっ」

朋也「誰だよ、おまえはよっ」

春原「自分で鏡を見たって違和感バリバリだよ」

春原「でも仕方ないだろ…就職難だって言うしさ」

朋也「おまえの田舎じゃ、関係ないんじゃないの?」

春原「どんな田舎を想像してくれてるんだよ…」

朋也「孤島」

春原「本州だよっ!」

春原「…というわけで、しばらくいなくなるな」

コートに身を包んだ春原が立ち上がる。

174: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:50:12.47 ID:jpDSDOMkO
春原「ま、勝手に部屋を使うな、と言っても、使うんだろうから、何も言わないけどさ…」

春原「悪戯だけはすんなよ」

春原は今日から、田舎に帰る。
就職活動だった。そのために髪を黒く染め直していたのだ。
進学しないのであれば地元に帰って就職する…それは親との約束だったらしい。
そんなことを言い出された日、俺は現実を突きつけられた気がして、ショックだったのを覚えている。
そう…もう、馬鹿をしていられる時間は終わったのだ。
俺よか、春原はよっぽど切り替えが早くて…
俺は置いてきぼりだった。
今も、そう。
残り火に当たるようにして、じっとコタツに張りついていた。

春原「決まり次第戻ってくるけどさ…」

春原「そん時はもう、卒業間際かな」

春原「まぁ、おまえも就職活動で忙しくなるのは一緒だからな…」

春原「きっと、あっという間だぞ」

春原「じゃあな、健闘を祈る」

春原が部屋を出ていく。
俺はぼーっとその背中を見送った。
何かしなければならないんだろうな…。
そんなことを考えながら。

175: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:51:49.99 ID:jpDSDOMkO
―――――――――――――――――――――

翌日から俺は、就職部に通い始めた。
こんなところに世話になる生徒は他にいないのか、担当の教師以外に人はいなかった。

―――――――――――――――――――――

教師「進学校であることのほうがネックになることがあるよ」

その老いた教師は言った。

教師「進学校の落ちこぼれよりも、レベルが低い学校で頑張っている人間の方が好まれる」

教師「単純にそれは内申で判断される。人間性の問題だからね」

教師「君はそこんところは自覚しておいた方がいいよ」

教師「ショックを受けないように」

教師「でも、ま、諦めることはない」

教師「そのうち、納得のいく仕事も見つかるよ」

朋也(春原も同じ苦労してんのかな…)

朋也(でも、あいつのことだからな…)

朋也(俺なんかより自分の立場を把握してんだろうな…)

朋也(よっぽど俺のほうが子供だ…)

176: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:52:23.62 ID:+UZ/pLeq0
―――――――――――――――――――――

冬休みに入り、俺は本当にひとりだった。
唯は勉強で忙しく、ふたりで居たいなんて、とてもじゃないが言い出せなかった。
クリスマスさえ、一緒に出かけることはなかったのだ。
俺は無意味に春原の部屋で過ごしていた。
自宅よりか、落ち着く場所だった。

朋也(ずっと、ここに居たな、俺…)

無駄にだらだらと過ごした三年間。
今はまだ、三年前と同じ場所に居る。
けど、もう俺たちは…
ブレーキが壊れた自転車のように、走り続けていくんだろう。
そんな気がしていた。
上を目指すわけでもなく、現状維持が精一杯でも…
それでも、がむしゃらにやらないと、負けてしまいそうな日々。
何かに追われるようにして、走っていくのだろう。
この小さな町で。
そんな時間の中で、俺は何を見つけられるのだろう。
もう、それは見つけておかなくてはならなかったのではないか。
少しだけ、恐くなる。
これからの人生の中には、それはもう、見つけることができないのではないか…。
大切なものは、過去の時間に埋まったままで…二度と掘り出せないのではないか…。
もう、俺は…
このままなんじゃないのか。
焦燥感だけを覚える日々で…
あくせくと働く日々で…
…もう、俺は…
………。

178: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:54:41.12 ID:jpDSDOMkO
―――――――――――――――――――――

就職活動を始めてはや幾日。
自分の力で探し当てた企業は、どれもこれも駄目だった。
どんなささやかな希望も叶わなかったのだ。
これからの人生を暗示しているようで、気が重くなる。

朋也「はぁ…」

そんなある日のこと。
失意に暮れながら、いつものように春原の部屋に足を運んでいると…

朋也「ん…」

視線を上げた先…高い位置に人が居るのを見つけた。
高い位置、というのは空中のことで、一瞬驚く。
が、よくみるとなんてことはなく、梯子に登った作業員だった。
そんなことさえ、時間差でしか気づけないほど俺は消耗しているのだろうか…。
ともかくも、どうやらその作業員は街灯を取り付けているようだった。
見覚えのある光景。
前に俺もその仕事を一日だけ手伝ったことがあった。
そして、あの日、俺は思い知ったはずだ。
いかに自分が、ぬくぬくと暮らしてきたかを。
そして、厳しい社会が待っていることを。
なのに俺は、その教訓を生かすことなく、延々と怠惰な日常を過ごしていた。
あの時…芳野祐介だって、自分とさほど歳の差が無い人で…そのことでもショックを受けたはずだ。

朋也(なのに、俺は…今まで何をやっていたんだ…)

歯がゆさとともに、いろんなことを思い出していた。

179: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:55:18.19 ID:+UZ/pLeq0
そして、その厳しさに見合う対価が得られることも。
あの額ならば、自分の力で食っていける。もう、誰にも頼ることなく、自立できる。
俺は目を凝らし、作業員の顔を判別しようとした。
遠くてよくわからない。けど、背格好が似ている気がする。
別に違ったっていい。俺は焦燥に駆られて走り出していた。

―――――――――――――――――――――

作業員「…ふぅ」

作業員は地面に降り立ち、煙草をふかしていた。
納得がいくしごとができたのか、街頭を見上げて、何度か頷いている。

朋也「芳野…さんっ」

その名を呼んだ。

芳野「あん?」

顔がこちらに向く。芳野祐介…いや、芳野さんだった。

朋也「どうも」

芳野「………」

芳野「…ああ。よぅ」

少し考えた後、思い出したように、挨拶を返してくれた。

芳野「ええと…確かキャサリン…いや、山中の教え子だったよな」

180: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:56:37.72 ID:jpDSDOMkO
朋也「岡崎です。岡崎朋也。自己紹介はまだでしたよね」

芳野「ああ、そうだったな」

芳野「で、どうした。また暇なのか」

朋也「俺を雇ってくださいっ」

そう頭を下げていた。

芳野「え、マジか…」

朋也「ええ、本気です」

芳野「それは助かるがな…。こっちはいつだって人手不足だからな」

芳野「けど、おまえまだ学生だろ。歳はいくつだ」

朋也「18です」

芳野「なら、三年じゃないか。おまえ、坂の上の進学校に通ってるんだろ? 受験はいいのか」

朋也「いえ、俺、完全に落ちこぼれちゃってて、進学とかは無理なんです」

朋也「だから、今は就職活動中なんですよ」

芳野「そうなのか…。まぁ、それならそれで構わないが…」

芳野「おまえも知ってるように、きつい仕事だ」

181: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:57:07.73 ID:+UZ/pLeq0
朋也「覚悟の上です」

芳野「春頃のおまえは、一本立てるだけでへたれてたよな」

朋也「それは…慣れれば大丈夫だと思います」

食い下がる。ここで引くわけにはいかない。

芳野「………」

朋也「頑張ります」

芳野「そうか…」

芳野「OK。雇おう」

よかった…やっと先の見通しが立った…。

芳野「ただし、卒業してからだ。中退したりせずに、ちゃんと卒業だけはしろ」

朋也「あ、はい、それはもちろんです」

芳野「それと、おまえのとこの学校、今冬休み中だろ?」

朋也「はい、そうです」

芳野「だったら、休み一杯はまずバイトとしてフルで働いてもらうが、いいか」

朋也「はい、任せてください」

182: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:59:05.64 ID:jpDSDOMkO
芳野「よし。じゃあ、おまえ、携帯持ってるか」

朋也「いえ、すみません、持ってないです」

芳野「そうか。なら、自宅の番号を教えてくれ。追って詳細を連絡する」

言って、メモ帳とペンを取り出した。

朋也「わかりました。えっと…」

電話番号を伝え、一礼してその場は無事取りまとまった。

―――――――――――――――――――――

そして、バイトとして働き始めた初日のこと。
俺は疲れ果て、ぼろぼろの状態で凱旋していた。

朋也(ふぅ…)

部屋に戻り、ベッドに身を沈める。

朋也「…あー…疲れた」

思わず独り言が出てしまう。

朋也「痛…」

ちょっと動くと筋肉痛が襲ってきた。

朋也(風呂でよく揉んだのにな…)

183: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 10:59:34.55 ID:+UZ/pLeq0
朋也(つーか、きつい…続くかな、俺…)

少し心が折れそうになる。

朋也(いや…やらなきゃだな…これは全部、今までのツケだ)

そう思い、心を奮い立たせる。

朋也(あー、にしても…唯に会いたい)

弱った時には、あいつの笑顔で支えてほしかった。

朋也(そうだ、明日は午前だけだって言うし…午後から会いに行こう)

朋也(よし…決めた)

多少心に豊かさが戻り、眠りにも割とすんなりつけた。

―――――――――――――――――――――

最初の内はキツかったが、一週間もすれば体が慣れていった。
まだまだバイトの仕事量だったので、なんともいえないかもしれないが…
それでも、この調子なら、なんとかこなしていけそうな気がしていた。

―――――――――――――――――――――

教師「そうか、よかったな」

老教師は、そう俺を労った。
俺よりも嬉しそうだった。

184: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:01:18.63 ID:jpDSDOMkO
報告しに来たのは、三学期の始業式を終えた午後だった。

教師「見ていた生徒の進路が決まると安心するんだ」

教師「特にこんな学校だ。私が見る生徒は少ない」

教師「わが子のように、うれしく思うよ」

教師「………」

朋也「先生」

教師「うん?」

朋也「お世話になりました。本当に…俺なんかをみてくれて、ありがとうございました」

態度も出来も悪い俺を、根気よく励まし続けてくれたこの老教師。
俺はこの人に、幸村のジィさんやさわ子さんに近いものを感じていた。
だから、儀礼的なものでなく、腹のそこから礼の言葉を出すことができた。

教師「ああ、頑張りなさい」

朋也「はい。それでは」

深く礼をして、ストーブの匂いが篭った部屋を後にした。

―――――――――――――――――――――

さわ子「そ…あいつのとこで働くことになったのね」

185: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:02:00.44 ID:+UZ/pLeq0
さわ子さんにも報告するべく、職員室まで足を運んでいた。

朋也「ああ」

さわ子「じゃあ、一度挨拶に行っておかないとね。馬鹿なところもある子だけど、よろしくってね」

さわ子「それとも、あんたの武勇伝を語ってネガキャンしておこうかしら、おほほ」

朋也「さわ子さん」

さわ子「なに?」

朋也「ありがとな。三年間、いろいろ面倒見てくれて。感謝してるよ」

それは、軽音部と関わることになったきっかけを作ってくれたことも、もちろん含めてのことだった。
この人がいなければ、俺は今頃どうなっていたかわからない。
きっと、ロクでもない道を辿っていただろうと思う。

さわ子「………」

さわ子「馬鹿…教師なんだから、教え子が可愛いのは当然じゃない」

さわ子「とくに、馬鹿な子ほどかわいいっていうしね…」

さわ子「はぁ、まったく…」

メガネをはずし、天井を仰ぐ。そして、片手で両目を押さえた。

さわ子「こんなとこで泣かさないでよ…お化粧落ちちゃうじゃない…」

186: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:03:19.70 ID:jpDSDOMkO
朋也「そっか。そりゃ、かなりな事態だな。すっぴんはヤバイもんな」

さわ子「そこまでひどくないわよ…ほんと馬鹿ね。いいから、とっとと行きなさい」

さわ子「あの子たちにも、報告しにいくんでしょ」

朋也「ああ、そうだな。そうさせてもらうよ」

朋也「それじゃあ、失礼します」

丁寧に告げて、職員室を出た。

―――――――――――――――――――――

澪「え…芳野さんのところで?」

朋也「ああ」

次に訪れたのは、軽音部部室。
中野以外は、全員過去問を開き、その解説を見ていた。
時間を計り、一度本番形式で解いたのだという。
今は茶を飲みながら、答え合わせと、誤答した箇所のチェックをしていたらしい。

澪「へぇ…すごいなぁ、芳野さんと一緒に働けるなんて」

朋也「いや、確かに芳野さんはすごい人だろうけど、俺は別に大したことしてないぞ」

梓「そんなことわかってるに決まってるじゃないですか。社交辞令ですよ、社交辞令」

朋也「俺だってわかってるよ。ただ謙遜して合わせただけだ」

187: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:07:12.58 ID:+UZ/pLeq0
澪「そ、そんな、私は本音で言ったからね?」

梓「澪先輩、この人に建前トークはしちゃだめですよ。すぐ真に受けるんですから」

澪「だから、私は本心を言ったまでだってっ」

律「ま、なんにせよ、おめでとさん」

紬「おめでとう、岡崎くん」

朋也「ああ、サンキュ」

唯「………」

律「どした、唯。なんか朝から元気ないけど…彼氏が内定出たんだぞ? 祝ってやれよ」

唯には前から知らせてあったので、今さらな話だったのだが…確かに、朝からどこか浮かない顔をしていた。
受験を目前にしてナーバスになっているのかと思ったので、そっとしておいたのだが…
励ましてあげた方がよかったんだろうか。
けど、受験もしない俺がどんな言葉をかけたとしても、すべて嘘臭くなってしまいそうでもある。
難しいところだ…

唯「うん…なんかね、卒業したらみんなバラバラになっちゃうんだなーって思ったら、ちょっとね…」

と、思いきや、予想外の答えが返ってきた。
唯は別に、自分の身を案じていたわけではなかったのだ。
ただ、離れ離れになっていくことを寂しく思っていただけで。
それも、こんな、受験生なら誰もが自らの前途に不安を抱く時期に、俺たちのことを想って。
唯の繊細な部分に気づいてあげられなかった…反省。

188: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:08:16.35 ID:+UZ/pLeq0
と同時、少し恥ずかしくもある。
この前まで俺は、遠く不確かな未来に怯えて立ちすくんでいたので、てっきり唯もそうだと思い込んでしまっていたのだ。
彼氏として…というか、人としてまだまだ未熟なんだろう、俺は。

律「ああ…そういうこと。ま、そうだな…」

律「岡崎はこの町で就職、春原は地元に帰るし、梓は現役女子高生続行で、さわちゃんはここで教師続けるってな」

朋也「でも、おまえらは同じ大学受けるじゃないか」

それも、東京の有名私立大学だ。
そこは、昔の偉人が創設した名門校で、俺でさえ前からその名を知っていた。
さすがに学部学科まで同じところを受けるというわけではなかったが…
キャンパスは共有しているのだから、今と変わらない関係が続けられるはずだ。

律「受かるかどうかわかんねーじゃん」

朋也「腐っても進学校だろ。おまえらは一般入試組だし、十分圏内じゃないのか」

澪「岡崎くん、それはね、普段まじめにやってる人たちの話だよ」

澪「だから、律と唯はけっこう…アレなんだ」

律「アレってなんだよ、はっきり言えーっ!」

澪「アホ」

唯「えぇーっ!?」

律「んな直球で言うなぁ! もっと婉曲表現とか擬人法とか使えっ!」

189: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:09:45.62 ID:jpDSDOMkO
澪「擬人法って…木が『律と唯は落ちます』と喋った、とでも言えばいいのか?」

唯「澪ちゃん、木に『落ちる』とか『滑る』とか、タブーを喋らせちゃだめぇっ」

澪「だって、律がそう言えって…」

律「言ってなーいっ!」

紬「くすくす…」

一転して、明るくなる空気。
やっぱりこいつらはこうでなければ。

律「澪、おまえ、なんか最近毒吐くけど、ストレス溜まってんのかぁ?」

澪「それなりにな」

紬「じゃあ、リラックスできるように、お線香を持ってこようかしら」

律「せ、線香?」

唯「あ、いいねっ、線香! 落ち着くよねっ」

紬「でしょ?」

律「い、いや、でも、それはちょっとな…」

澪「う、うん、遠慮しておきたいな…」

紬「そう? 残念…」

190: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:11:14.33 ID:jpDSDOMkO
律「でもさ、悪戯用にストックしておくのもいいかもな」

律「春原の馬鹿にブービートラップ仕掛けてさ、ケツに引火! とかやったりな、くひひ」

朋也「でもあいつ、帰ってくるのは卒業間際だって言ってたぞ」

朋也「だから、自由登校になった後だし、学校出てくるかもわかんないけどな」

律「マジかよ…くそぉ、つまんねーの…せっかくまた、頭まっキンキンに染め直してやろうと思ってたのに…」

律「早く帰ってこいっつーの、馬鹿原…」

唯「あれあれ? 春原くんが恋しいの?」

律「ばっ、んなわけねーってっ!」

紬「うふふ、1/3の純情な感情ね、りっちゃん」

律「む、ムギまで…うぅ…べ、勉強するぞ、勉強! おまえら、しっかりしろーっ!」

澪「あ、無理やり話題変えた」

律「ちがーうっ! 勉強に目覚めたんだよ、今っ! 覚醒したのっ!」

梓「危ない粉でも隠し持ってたんですか?」

律「中野ーっ!」

―――――――――――――――――――――

191: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:11:45.76 ID:+UZ/pLeq0
朋也「…よし」

生活必需品と衣類、学校関連の教材などをまとめ、スポーツバッグに詰め終わる。
長年暮らしてきた、この家…実家を出るための荷造りだった。
俺は芳野さん経由で、個人家主の物件を紹介してもらっていたのだ。
普通なら、現高校生の段階で審査が通るはずもないのだが…
そこは個人家主のメリットで、大家さんに融通してもらえていた。
敷金、礼金は、冬休み中の貯えがあったので、楽に払えた。
当面の生活費は、今も放課になるとたびたび仕事に呼び出されていたため、その給与で卒業までは賄える見込みがあった。
抜け目のない布陣に見えるが…ひとつ問題があった。
アパートに移ってしまうと、朝、平沢姉妹と一緒に登校できなくなってしまうのだ。
といっても、2月になれば自由登校になり、学校に行く必要もなくなるのだが。
授業日数も残り僅かだったので、いい頃合だと思い、転居が決まる前、唯には話をしておいた。
すると、卒業まではこの家にいて欲しいと請われた。けど、俺が首を縦に振ることはなかった。
確かに、ここにいれば唯と一緒に居られる時間が増える。とくに一月中は。
でも、2月、授業がなくなって自習するだけの状態になると、話が変わってくる。
唯が登校するのは、部室で勉強するためだ。俺には唯と一緒に居たいという動機しかない。
だが俺が部室に居ても、なんの役にも立てないどころか、気を散らせてしまうばかりだ。
それに、ただ黙って勉強を眺めているだけというのも、かなり味気ない。ナンセンスだ。
そういう事情もあり、距離というどうしようもない理由を作って茶を濁すつもりだった。
いや…それも綺麗ごとか。一番の理由は…やっぱり、親父と離れたかったからに他ならないのだから。

朋也(いくか…)

パンパンに膨らんだバッグを三つ肩に掛け、下の階に降りた。

―――――――――――――――――――――

いつものように親父は居間で転がっていた。

193: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:13:13.31 ID:jpDSDOMkO
朋也「なぁ、親父」

小さく上下する肩に触れる。

親父「ん…」

寝言か何かよくわからなかったが、親父が小さくうめいた。

朋也「俺、家を出るから…」

それを一方的に目覚めたと判断して、俺は話を始めた。

朋也「ひとりで元気にやってくれよ…」

それだけを伝えて、俺は親父のそばから離れる。
そして、玄関へ…
ぎっと背後で床がきしむ音がした。
振り返らざるをえない俺。

朋也「おはよう」

平成を装う。

親父「朋也くん…どこかへいくのかい」

朋也「アパートだよ。就職の見込みがあるから、保護者印なしで貸してくれるとこがあったんだ」

親父「就職、決まったのかい?」

朋也「ああ」

194: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:13:52.21 ID:+UZ/pLeq0
親父「それは、おめでとう。でも…寂しくなるね」

親父「朋也くんは… いい話し相手だったからね」

走って逃げ出したかった。

朋也「こっちにも都合があるんだよ。わかってくれ…」

押し殺した声でそう言う。
最後は…最後まで平静でいよう…。

親父「そうだね…」

朋也「じゃあ、いくから」

俺は背中を向ける。

―――――――――――――――――――――

いつも帰る場所だった家。
今だけは、違う。
どれだけ時間がかかるかわからなかったけど…
いつかは戻ってこれる日がくるのだろうか。

朋也(こんなにも、後ろ向きな俺が…)

朋也(逃げ出しただけじゃないかっ…)

だから最後にこう告げた。

195: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:14:25.61 ID:+UZ/pLeq0
朋也「さよなら、 父さん」

俺は歩き出した。

―――――――――――――――――――――

一月も終わろうかというその日。
放課後になると、俺はいつものようにすぐ下校していた。
最後に部室へ顔を出したのは、就職報告へ行った時だ。
あれ以来俺は直帰するようになっていた。

―――――――――――――――――――――

朋也「あ…」

外に出ると、雪が降っていた。
珍しいものだと思った。
こらから本降りになるのだろうか。
明日の朝には積もっているだろうか。
これからはどうしようか。
今日は仕事が入っていない。
春原もまだ戻ってきていない。
早く帰って来てくれればいいのに…。
最後の時間はどう過ごそうか…。
就職が決まってしまったふたりでも…馬鹿できるだろうか…。
できるだろう…俺たちは本当に馬鹿だったから。

―――――――――――――――――――――

いろんなことを考えながら、俺は門を抜け、坂を下る。

196: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:15:41.40 ID:jpDSDOMkO
その先に…彼女はいた。

朋也「よう…なにやってるんだ、坂上」

桜の木をまっすぐに見つめるその横から声をかけた。

智代「ん…おまえは、あの時の」

朋也「覚えててくれたのか」

智代「それはそうだろう。おまえの助言で私は副会長に鞍替えしたんだぞ」

朋也「そうだったな。で、こんな寒い日に棒立ちして、なにをしてたんだ」

朋也「なにか面白いことでもあるのか」

智代「ただ桜の木を見て感慨にふけっていただけだ。私と、真鍋会長で守ったここの木たちをな」

朋也「そっか。じゃあ、達成できたんだな、おまえの目的」

智代「ああ。とても長くかかった。けど、なんとかここまで漕ぎ着けた」

智代「これも、真鍋会長の力添えがあったからだ」

智代「私一人の力じゃ絶対に成し得なかったと思う」

智代「それだけこの学校は広く、深い構造の中で動いていたことがわかったんだ」

智代「真鍋会長からノウハウを教わっていなかったら、きっと誰も私についてきてくれなかっただろうな」

197: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:16:03.67 ID:+UZ/pLeq0
朋也「そっか」

ということは…こいつも、あの特殊な生徒会に染まってしまったのだろうか。
でも、そんな風には見えない。初めて会った時の純粋な瞳を、今も持ち続けていたから。

智代「だから、おまえには感謝している」

智代「あの時、事を急くあまり状況が見えていなかった私を客観的に諭してくれたおかげで、冷静になれたんだ」

智代「ずいぶんと遅れたが、今礼を言っておく。ありがとう」

なんのけれんみもない透明な言葉。
生徒会内にいて、ドロドロした裏を見てきた人間が、こうも穢れなくいられるものだろうか。
普通ならスレてしまうだろう。
そうならないのは、こいつの持って生まれた器の大きさが成せるわざかもしれない。
まさに将来への展望が期待される大器だった。

朋也「まぁ、助力できたんなら、俺も後味がいいよ」

朋也「俺はもともと、真鍋に肩入れする腹積もりでおまえに副生徒会長を進めただけだったからな」

智代「そうなのか。おまえは、結構ドライな奴だったんだな」

智代「あの時、熱心に説得してくれたから、もっと熱い男かと思っていたんだぞ」

朋也「まぁ、そういう利害が絡んだ話には決まって裏表があるもんだ」

智代「そういうものか…」

朋也「ああ。だけど、おまえはこれからもまっすぐでい続けてくれよ」

198: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:17:52.76 ID:jpDSDOMkO
朋也「俺、そういう奴好きだし…それに、結局はそれが一番正しくて一番強いだろうからな」

智代「まっすぐか…それは、単純そうでいて、その実難しそうだな」

朋也「おまえなら簡単だよ。そのままのおまえでいればいいだけだからな」

智代「私はまっすぐなのか?」

朋也「ああ、すげぇ直線だ」

智代「そうか…じゃあ、おまえにも好かれているというわけだな?」

朋也「ん、まぁ、そうだな」

智代「なら、私は私でいられ続けるよう精進していこう。おまえに好かれるというのも、悪くない気分だからな」

朋也「そりゃ、光栄だな。そんじゃ…もう話すこともないし、俺、行くな」

智代「うん、それじゃあ」

別れ、その場を去った。
帰り道…不思議と胸がすっとしている自分がいた。

―――――――――――――――――――――

2月になり、自由登校期間に入った。
俺はもちろん学校に用なんかあるわけもなく、アパートの自室で時を過ごしていた。
仕事がある時以外は基本暇だった。
春原さえいれば、最後になにか大きな馬鹿をやってもよかったのだが…。
就職活動が難航しているのか、それとももう決まって実家でゆっくりしているのか…

200: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:21:13.38 ID:jpDSDOMkO
とにかく、あいつはまだ帰ってきていなかった。

朋也(いい加減帰ってこいよな…何様のつもりだ、あの野郎…)

朋也(部屋に家庭ゴミ分別せずに捨てちまうぞ…)

………。

朋也(はぁ…)

―――――――――――――――――――――

唯「やっほー、朋也っ」

朋也「唯…」

数日経った頃、唯がアパートを訪れてきた。

唯「朋也~会いたかったよぉ」

よろよろとこちらに近づいてくると、ぎゅっと強く抱きしめられた。

唯「5日ぶりくらいだよねぇ」

朋也「そうだな」

言いながら、頭を撫でる。

201: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:21:38.46 ID:+UZ/pLeq0
朋也「ああ、俺もだけど…」

勉強はいいのだろうか…もう試験までちょっとしかないはずだ。

唯「ほんとに?」

顔を上げる。

朋也「ああ」

唯「えへへ、じゃあね、いいものあげる」

朋也「いいもの?」

唯「うん。あ、上がっていい?」

朋也「ああ、いいけど」

―――――――――――――――――――――

唯「わぁ、一人暮らしって感じだね」

部屋に上がると、周りをキョロキョロと見回しながら見たまんまなことを言う。

朋也「まぁ、一人で暮らしてるけどさ…あ、そこ適当に座ってくれ」

座布団を放って渡す。

唯「うん」

202: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:22:51.05 ID:jpDSDOMkO
そして、小さめのテーブルを囲んで、対面に座った。

朋也「で、いいものってなんだ」

唯「それはねぇ…」

鞄を漁る。

唯「これだよぉ」

中からハート型の箱を取り出していた。

唯「ちょっと早いけど、バレンタインでーのチョコレートだよ」

朋也「お…サンキュ」

受け取る。
そういえば…バレンタインデー当日には既に町を出て、現地のホテルに宿泊してるんだったか…。
思い出しながら、開封する。
そして、一口かじってみた。
甘さは極力抑えてあって、食べやすかった。

朋也「うん、うまい」

唯「よかったぁ。朋也、甘いの苦手でしょ? だから、ちょっと工夫してみたんだよね」

唯「それが勝因かなっ」

朋也「工夫って?」

203: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:23:22.45 ID:+UZ/pLeq0
訊きながら、もう一口かじる。
すると、ピリッとした痛みが舌に走った。

朋也「痛っ…」

唯「えーとね、超タバスコをところどころ混ぜて、気づかないようにそっと舌を麻痺させて、甘さを感じないようにしたのです」

朋也「いや、無理やりすぎるだろ…んなことしなくても普通にうまいのに、台無しだぞ」

唯「えぇ? そっかぁ…やっぱり、早苗さんの領域には届かないなぁ、私…」

頼むからあの人をリスペクトするのはやめてくれ。

朋也「まぁ、いいけどさ…。それで、勉強の方は、順調なのか?」

唯「ん? んー、ぼちぼちかな」

朋也「そっか。ま、体壊さないように頑張れよ…っても、おまえは風邪とかとは無縁そうだよな」

唯「そんなことないよ。去年の創立者祭ライブの時なんか、直前で風邪引いちゃったし」

朋也「そうなのか?」

唯「うん。だからさ、今度熱が出たら、朋也が看病してね?」

朋也「じゃあ、キスして風邪移してくれよ。人に移せば直るっていうしな」

唯「そしたら、今度は朋也が風邪引いちゃうよね。そうなったら、また私がちゅーして風邪もらってあげるね」

朋也「じゃあ、また俺がキスして風邪もらうよ」

204: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:26:42.63 ID:jpDSDOMkO
唯「そしたら、また私がちゅーしてあげる」

朋也「ラチがあかないな…俺たちの間でいったりきたりしてるだけじゃん」

唯「あはは、そうだね。永久機関の完成だよ」

朋也「こうなったら、なにかを媒介にして、そこに移ってる間にループから抜け出すしかないな」

朋也「例えば、春原の奴に咳を浴びせ続けて、空気感染させるとかしてさ」

唯「それ、媒介っていうか単純に春原くんに移っただけだよね」

朋也「まぁ、ループから脱出するって大義名分があるんだから、大事の前の小事ってやつだ」

唯「あはは、もう、相変わらず春原くんの扱いがひどいね」

朋也「よしみってやつだよ。もうずっとそういうやり取りを繰り返してきたからな、俺たちは」

唯「そっか…なんかいいね、親友と作り上げてきた関係って」

朋也「おまえも、軽音部の奴らとそうしてきただろ」

唯「うん、そうだね。みんな大好きだよ」

朋也「おまえたちは綺麗な感じがしていいよな。俺たちなんか、ただの腐れ縁だぜ」

唯「いいじゃん。切ろうとしても、切れないんだから、すっごく強いよっ」

唯「だからさ、私と朋也も腐ろうよっ。っていうか、みんないっしょに腐って、いつまでも一緒だよっ」

205: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:28:56.97 ID:jpDSDOMkO
朋也「ただのゾンビだろ、それ。すげぇ嫌な景色が浮かんだんだけど」

朋也「おまえが腐乱死体になって『み゛ん゛な゛ぁ゛~腐ろ゛う゛よ゛』って手招きしてる感じでさ」

唯「えぇ!? そんなの嫌だよっ! やっぱり腐りたくないっ」

朋也「だよな。つーか、腐るなんて俺が許さねぇよ。おまえはめちゃ可愛いから、ゾンビ化はもったいなすぎる」

唯「えへへ、ありがとう」

屈託のない笑顔をくれる。俺も同じように表情を緩めた。

朋也「ま、それでさ、学校行く途中だったんだろ?」

唯は制服で、その上からコートを着込んでいた。

朋也「そろそろ、勉強しにいった方がいいんじゃないか」

これ以上一緒にいれば、いつまでもぐだぐだと会話していそうだったので、そう切り出した。

唯「えー、もうちょっとお話してたいよっ」

朋也「それは、試験が全部終わったらゆっくりしよう。今は勉強頑張れよ。あとちょっとだろ」

唯「うー…じゃあ、終わったら、遊ぼうね?」

朋也「ああ、いいよ」

唯「この部屋にも、泊まりに来ていい?」

206: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:29:18.15 ID:+UZ/pLeq0
朋也「え…おまえ、それは…」

唯「だめなの?」

朋也「いや、だってさ…俺、一人暮らしだぞ? それに、俺たちは付き合ってて…そこに泊まるってことは…」

唯「●●●なこと?」

朋也「あ、ああ…俺、手出さない自信がない」

唯「朋也になら…いいけどな…」

朋也(う…)

マフラーに少し顔を埋め、上目遣いでそう言った。
これは…もしかして、今まさに手を出してもいいのだろうか…
この部屋には、俺と唯だけしかいなくて…唯は、乱暴にいってしまえば俺のもので…
ごくり…

朋也(って、なに考えてんだよ、俺は…)

こんな大事な時期に変なことはできない。
それに、俺はまだ、ただの高校生であって、責任なんて取れやしないのだから。

朋也「いや…やっぱ、だめだ。泊まるのはナシだ」

唯「え~、なんでぇ? ケチぃ…」

朋也「おまえが満足するまで遊びに付き合うから、それで納得してくれ」

207: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:30:13.78 ID:jpDSDOMkO
唯「う~…わかったよ…」

朋也「ほら、立て」

唯「うん」

お互い立ち上がる。
そして、玄関に向かった。

唯「うんしょ…」

靴を履き終え、こちらに向き直る。

唯「じゃあ、またね、朋也」

朋也「ああ。チョコレートもらっといて、なんのもてなしもできなくて悪かったな」

唯「じゃ、今もてなして?」

言って、目を瞑り、顎を上げる。

朋也「え…キス?」

唯「それしかないでしょ~?」

朋也「ま、そうだよな…じゃ…」

身をかがめ、唇を合わせた。

唯「えへへ」

208: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:30:42.46 ID:+UZ/pLeq0
目を開けて、満足そうに微笑む。

唯「じゃあ、私行くよ」

朋也「ああ」

ドアを開け、外へ出て行く。
俺はその背を見えなくなるまで見送っていた。

―――――――――――――――――――――

2月の中旬。すべての試験を終え、唯たちは受験勉強から解放されていた。
後は合格発表を待つばかりだった。
その間、約束通り俺と唯は町に出てデートを重ねた。
学校に行き、また部室で茶会を開いたりもした。
刻々と近づいてくる終わりをすぐそばに感じながらも、俺は夢中になって最後の時を楽しんでいた。

―――――――――――――――――――――

春原「はぁ、にしても、疲れたよ…」

2月も下旬に入り、ようやく春原が凱旋してきた。

春原「ったく、圧迫面接なんかしてきやがってよぉ、あの面接官、プライベートであったらぶっ飛ばしてやる」

土産話を語るというより、愚痴をこぼしてばかりで、しきりに悪態をついていた。
やっぱり、こいつも俺と同じで苦労していたのだ。

朋也「ま、いいじゃん、決まったんだからさ。俺はおまえがプーのまま帰ってくるんじゃないかと思ってたからな」

209: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:32:29.93 ID:+UZ/pLeq0
春原「僕だっておまえが就職きっちり決めてるとは思ってなかったよ」

春原「それも、芳野さんと同じ職場なんて、なおさらね」

朋也「あの人とはなんか縁があるみたいだな」

春原「おまえがうらやましいよ。芳野さんが上司なんてさ」

朋也「かなり厳しいぞ、あの人。それに、おまえも知ってると思うけど、きつい仕事だしな」

春原「そういや、そうだったね。おまえ、よく続いてんね」

朋也「今はバイトだからな。仕事内容も単純だし、それほど時間もこなしてないしな」

春原「それでも、あん時と同じくらいのことやってんだろ?」

朋也「まぁな」

春原「じゃ、十分すごいじゃん」

朋也「そっかよ」

春原「ああ。僕はやりたいとすら思わないからね」

春原「ま、それはいいんだけどさ、明日からなにする? なんか、記録より記憶に残ることしようぜっ」

朋也「そうだな、じゃあ、学校にでも行くか」

春原「あん? なんでだよ? せっかく自由なんだから、んなとこ行ってもしょうがないだろ」

210: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:34:01.91 ID:jpDSDOMkO
朋也「いや、つっても、部室だよ。今、あいつら全員試験終わって、毎日だらだらしてんだぜ」

春原「ああ、そういうこと。いいかもね、久しぶりにムギちゃんに会いたいし」

朋也「部長もおまえに会いたがってたぞ。おまえの帰りはまだかまだかってうるさかったからな」

春原「マジで? ははっ、けっこう可愛いところあるじゃん」

春原「よぅし、明日は久々にかわいがってやるかぁ」

朋也「おいおい、せっかく内定出たのに、取り消されちまうぞ、んな●犯罪起こしたら」

春原「誰も起こそうとなんかしてねぇよっ!」

―――――――――――――――――――――

律「なぁ、岡崎。あのバカってまだ地元にいんの?」

あくる日の午後。
昼休みにあたる時間、部室で茶をすすっていると、部長がそう尋ねてきた。
これを訊かれるのは何度目だろうか。

朋也「きのうやっと帰ってきたよ」

律「え、マジで?」

朋也「ああ。今日ここに顔出すって言ってたから、そろそろ来るんじゃないか」

律「そ、そっか…」

211: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:36:46.48 ID:jpDSDOMkO
言って、カチューシャを一度はずし、またかけ直すと、髪を整え始めた。

澪「なんだ、律。ずいぶんと乙女じゃないか」

律「な、なにがだよ…」

紬「ふふ、久しぶりだもんね。一番可愛い自分で迎えてあげたいんだよね?」

律「は、はぁ? 意味がわからん…」

唯「まぁたまた~、りっちゃんはぁ」

律「な、なんだよ…そんなじゃないってのっ」

がちゃり

春原「よーう、久しぶり」

噂をすればなんとやら。陽気な声を伴って春原が現れた。

唯「春原くん、お帰りっ」

紬「お帰り、春原くん」

澪「お帰り」

梓「お久しぶりです、春原先輩」

春原「おう、この僕が帰ってきてあげたよ」

212: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:37:17.08 ID:+UZ/pLeq0
律「なぁにを偉そうに。誰も頼んでねーっての」

春原「あん? なんだよ、おまえが一番寂しがってたって聞いたぞ、僕は」

律「岡崎、おまえか?」

朋也「ああ、そうだけど。間違ってないだろ」

律「大間違いだっつーのっ! こんなヘタレ野郎いなくて結構だっ!」

春原「あんだとこら、デコてめぇっ!」

律「デコ言うなぁーっ!」

部長が席を立ち、毎度おなじみ、ふたりの言い争いが始まる。
ブランクを感じさせないほど勢いよく罵声が飛び交っていた。

澪「はぁ…やっぱりこうなるんだな、あのふたりは…」

梓「もう、名物ですよね、軽音部の」

唯「あずにゃん、この伝統を受け継いでいくんだよ?」

梓「遠慮しておきます。それは、この代だけで終わりにした方がいい負の遺産ですから」

春原「おまえ、しばらく見ない間にまた額が広がったよね」

律「ああ!?」

春原「今度からちょっと広がるごとに逐一報告して来いよ、ははっ」

215: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:44:38.90 ID:jpDSDOMkO
律「ざけんな、ボケ原! おまえなんか、髪の色がどす黒く変色しててキモイくせにっ」

春原「これが普通の色だろっ!」

律「次は何色になるんだ? ●●●色か? ついに●●●と一体化して本来の姿に戻るのか?」

春原「てめぇっ!」

やむ気配のない罵倒の応酬。
確かに、負の遺産と言われても仕方ないくらいにあさましい。

律「死ね!」

春原「生きるなっ!」

でも、このふたりだけは、その渦中にあって、常に生き生きとしていた。
こいつらにしかわからないなにかがあるんだろう、多分。

―――――――――――――――――――――

また少し時間が流れ、2月も残すところ数日だけとなった頃。
ついに全員の合格発表が終わった。

梓「うう…みな゛さん、おめ゛でとうございま゛す゛…ぐす…」

律「おまえが泣くなよ、梓…」

唯「あずにゃん、いいこいいこ」

中野の頭を撫でる。

216: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:45:39.08 ID:+UZ/pLeq0
梓「よかったです…本当によかったでう…全員第一志望に受かって…うう…」

澪「奇跡的だったよな、ほんとに」

紬「みんな頑張ってたからね。神様がみててくれたのかしら」

春原「いや、違うよ。神様っていうか…ムギちゃん自体が天使なんだよ」

紬「ふふ、ありがとう」

律「ばーか、いくらムギをよいしょしても振り向いてもらえねーって」

春原「うっせぇ、勝負はまだこれからだ」

律「アホか。もう卒業するし、終わるだろ。タイムオ~バ~、残念でしたぁ」

そう…もう、あとは卒業するだけだった。
残された時間は、ごく僅かだ。
俺と唯の関係も…そのエアポケットのような、刹那的な間でしかいられない。

春原「最終日に校門をくぐるまであきらめねぇよっ!」

律「んとにしつけーな、おまえは…」

―――――――――――――――――――――

3月。その日はやってきた。

春原「桜だったら、もっとそれらしいのにね」

217: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:47:31.31 ID:jpDSDOMkO
俺たちは、前庭にいた。
体育館では、卒業式が行われている。
固い連中と肩を並べて座ってなんかいられない、と俺と春原は抜け出してきていたのだ。
後一時間もすれば、否応もなくこの学校を卒業してしまう。
遊んでいられた時間は終わってしまうんだ。

春原「今のうちに、ラグビー部の連中の部屋を回ってさ、壁に染みっぽい人の顔描いて回ろうぜ」

春原「帰ってきたら、ひぃっ、壁に人の顔が浮かび上がってるっ!って、びびりまくるって」

春原「夜中なんて、絶対、寝られないって」

春原「一週間後には、不眠症で死ぬねっ」

朋也「そいつらも、今日卒業だろ」

春原「えっ、マジかよ!?」

春原「なんでだよっ!」

朋也「愚問だからな」

春原「くそぅ、あいつらめ…おめおめと逃げやがって…」

朋也「呼んだらきっと、最後に相手してくれるぞ」

声「岡崎に春原…」

春原「ひぃぃっ!」

218: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:48:14.88 ID:+UZ/pLeq0
いつの間にか、俺たちの正面に幸村が立っていた。

春原「なんだよ、ヨボジィかよっ、びっくりさせんなよっ!」

幸村「最後ぐらい、出んかい…」

春原「最後って、卒業式?」

春原「『楽しかった修学旅行っ、なぜか買ってしまった木刀っ』とかみんなで言うんだろ?ヤだよ…」

朋也「みんなで言うのは、小学生な」

春原「中学の時も言ってたってのっ」

朋也「田舎はなっ」

春原「ウチの田舎馬鹿にすんじゃねぇよっ!」

幸村「ほんとに、おまえらは…」

幸村「情けないやつらだの…」

幸村「これからは社会人だというのにの…」

朋也「逆だよ。最後だからさ」

幸村「ふむ…まぁ、それもそうか…」

幸村「ま、ホームルームぐらいは出たほうがいい…」

219: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:49:34.69 ID:jpDSDOMkO
幸村「山中先生が悲しむでの」

朋也「ああ、わかってるよ」

幸村「ふむ、まぁ…」

幸村「それだけだ…」

体育館に戻ろうとする幸村。

朋也「なぁ、じぃさん」

俺はそれを呼び止めていた。

朋也「どうして、俺たちを卒業させてくれたんだ?」

幸村「ふむ…」

幸村「自分の教え子は…」

幸村「例外なく、自分の子供だと思っておる…」

半身のまま言った。

幸村「ただ…この学校は…ちと優秀すぎる生徒が多すぎての…」

幸村「長い間、わしの出番はなかった…」

幸村「が…」

220: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:49:56.27 ID:+UZ/pLeq0
幸村「最後に、おまえらの面倒を見られてよかった…」

そう…
きっと、俺たちが思っている以上に、影で支えられていたのだろう。
それは、今よりも、もっと…
ずっと、歳をとった未来に、気づいていくことのような気がしていた。
そして、ひしひしと感じるのだ…。
今の自分があるのは、あの人のおかげなんだと。

朋也「俺たちはさ…」

朋也「きっと、うまく生きていけるよ。進学しないぶん、困難は多いだろうけどさ…」

朋也「それでも、きっとやっていけると思うよ」

幸村「ふむ…」

幸村「頑張りなさい…」

しわがれた声で、しみじみと深く芯を込めて返してくれた。
そして、その身を正面に戻して歩いていく。
ゆっくりと歩を進めるその後姿を、俺たちは見届ける。
廊下の角を曲がったところで、視界から消えていった。

朋也「じゃ、行くか」

春原「そうだね」

俺たちは校舎ではなく、校門の方へ向かっていった。
ある計画のために。

221: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:51:27.42 ID:jpDSDOMkO
―――――――――――――――――――――

門から玄関へ続く大通りには、すでに人だかりができていた。
保護者と下級生たちだ。
卒業生を花道で迎えようと待ち構えている。

春原「んじゃ、派手にいきますか」

朋也「ああ、そうだな」

―――――――――――――――――――――

春原「注もぉおおおおくっ!!」

昇降口の上段に立ち、春原が大きく声を上げた。
なるべく目立つよう、俺に肩車された状態で。

春原「この後っ、シークレットイベントがあるっ! 全員グラウンドに集合するようにっ!」

続けざま、そう声を張り上げた。
なにごとかと、場にざわめきが生まれ始めていた。
すると、こちらに駆け寄ってくる影がふたつ。

梓「なにやってるんですかっ」

憂「岡崎さん、春原さんっ」

中野と憂ちゃんだった。

朋也「よぉ、中野、憂ちゃん」

222: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:51:55.72 ID:+UZ/pLeq0
梓「よぉ、じゃないですよっ! HRはどうしたんですかっ!」

朋也「サボリだな」

梓「だめですよ、ちゃんと出ないとっ! こんなところで芸を披露してる場合じゃないですよっ!」

春原「芸じゃねぇよ。宣伝だ」

梓「せ、宣伝?」

朋也「ああ、宣伝だ。おまえらの、ラストライブのな」

梓「え…?」

朋也「ほら、おまえらさ、最後に演奏してこの学校を出たいって言ってたじゃん」

朋也「それで、どうせなら広い場所がいいってことで、グラウンドになっただろ」

朋也「で、もう音響とかも準備してあるしさ、ライブにしちまえよってことだ」

俺たちが軽音部のためになにかしてやれることはないか、最近まで話し合っていたのだが…
その結果出した結論がこれだった。しかも、今朝突発的にだったので、出たとこ勝負だったのだ。

梓「そんな…勝手にそんなことしたらまずいですよ…ひっそりと身内でやるだけならまだしも…」

朋也「そんなんでいいのか? テープにレコーディングとかもしてたけどさ…本当にそれだけで満足か?」

梓「それは…」

朋也「やっちまえよ。くそでかいハコで、おまえらの、最後の放課後を」

223: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:53:09.17 ID:jpDSDOMkO
梓「最後の…放課後」

憂「…岡崎さん、春原さん。私も宣伝手伝いますっ」

梓「憂…」

朋也「そっか。サンキュな、憂ちゃん」

春原「さすが唯ちゃんの妹だね。話がわかるよ」

憂「えへへ…」

朋也「おまえはどうなんだ、中野。つっても、おまえが乗り気じゃなきゃ、全部無駄足なんだけどな」

梓「私は…」

憂「やろうよ、梓ちゃんっ。私、またライブみたいよ」

梓「………」

梓「…そうだね。うん…やるよ、私」

憂「梓ちゃんっ」

朋也「よし。そんじゃ、おまえは先にグラウンド行って準備しててくれ」

梓「わかりましたっ」

たっと駆けていく。

224: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:53:48.05 ID:+UZ/pLeq0
春原「じゃあ、僕らは宣伝だね」

朋也「ああ」

憂「はいっ」

春原「おっし…グラウンドへ集合ーーーっ!!」

朋也「グラウンドへお越しくださーーーーいっ」

憂「お願いしまーすっ! グラウンドへ来てくださーいっ!」

懸命に叫んだ。
すると…
その必死さが通じたのか、ひとり、またひとりと動いていき、次第に大きな人の流れができていた。
向かう先は、もちろんグラウンドだ。
確かな手ごたえを感じ、俺たちは声を張り続けた。

―――――――――――――――――――――

春原「お、きたきた」

卒業生が群れを成し、校舎から大挙して押し寄せてくる。

春原「てめぇら、グラウンドへいけーーっ!」

その集団に向かって吠える春原。
不測の事態にざわざわとささやく人混みの中から、教師がひとり、こちらに早足で歩み寄ってきた。

教師「こらっ! なにをやってるっ!」

225: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:55:05.55 ID:jpDSDOMkO
学年主任だった。

教師「おまえらは、最後まで問題を起こす気かっ!」

春原「別に悪いことしようってんじゃねぇよ。ちっとグラウンドまで来てほしいだけだよ」

教師「グラウンドだと…?」

その敷地に目を向ける。
そこには、さっきまでこの場にいた人間が全て移動していた。

教師「おまえら、保護者の方と在校生までグラウンドに誘導したのか?」

朋也「そうです。許可なくやったことは謝ります。でも、今はだけは目をつぶってください」

朋也「お願いします」

頭を下げる。

教師「岡崎、おまえらがなにをしたいのかは知らんが、なにか事故があった時に責任は持てないだろう」

教師「全て、この学校での不祥事になるんだぞ。個人でどうこうできる話じゃなくなるんだ」

教師「おまえはちゃんと更生して就職まで決めたんだから、大人しくしていろ」

教師「春原、おまえも同じだ」

朋也「それでも、どうか、お願いします」

また深く頭を下げる。

226: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:55:28.95 ID:+UZ/pLeq0
春原「お願いします」

憂「お願いしますっ」

春原も、憂ちゃんも一緒になって頭をさげてくれた。

教師「だから、それは…」

声「私からも、お願いします」

聞き覚えのある声。顔を上げる。

さわ子「なにかあった時は、私がひとりの社会人として全ての責任を被ります」

さわ子さんだった。

教師「山中先生…」

さわ子「だから、どうかお願いします」

さわ子さんも、同じように頭を下げてくれた。

教師「…はぁ」

大きくため息を吐く。

教師「安全だけは確保するように」

言って、停滞していた卒業生の集団に体の正面を向ける。

227: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:57:19.75 ID:jpDSDOMkO
教師「グラウンドへ集合!」

そう、声を上げた。
しばし間があった後…皆、列を崩しながらもぞろぞろとグラウンドへ足を運んでいた。

さわ子「すみません、主任」

教師「…こういうことは、今後ないように」

言って、学年主任もグラウンドへ歩いていく。

朋也「ありがとうございます!」
春原「ありがとうございます!」
 憂「ありがとうございます!」

その背に大きく礼の言葉を送った。

朋也「さわ子さん、助かったよ」

春原「救世主だよね」

憂「先生、ありがとうございますっ」

さわ子「ええ、それはいいんだけど…岡崎、春原。式とHRはちゃんと出なさいよね」

朋也「悪い。最後まで迷惑かけちまって」

春原「ごめんね、さわちゃん」

さわ子「まったく…手のかかる生徒だこと。ほら、卒業証書」

228: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:57:45.94 ID:+UZ/pLeq0
黒い筒を一本ずつ俺たちにくれた。

朋也「サンキュ」

春原「これで、晴れて卒業だね」

さわ子「で、グラウンドに人を集めてどうしたいのよ」

朋也「ああ、それは…」

唯「朋也ーっ! 春原くーんっ」

唯がこちらに駆けてくる。軽音部の面々もその周りにいた。

唯「はぁ…はぁ…ど、どうしたのふたりとも…」

律「なぁにやってんだよ、おまえらは…つか、なにがしたいの?」

朋也「おまえらのラストライブの呼び込みしてたんだよ」

澪「え…? どういうこと?」

朋也「ほら、グラウンドにさ、演奏できるように設備整えただろ?」

朋也「だから、ライブしちまえよってことだ。客がいるなら、成立するだろ、ライブもさ」

さわ子「そういうことだったのね…やることが大雑把すぎるわよ、あんたたちは」

朋也「悪い」

230: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 11:59:16.35 ID:jpDSDOMkO
さわ子「憂ちゃんも、巻き込まれたひとりなのよね?」

憂「えへへ、そうですね」

さわ子「ご愁傷様ね…」

律「ほんと、アホだな、おまえらは…」

呆れたように肩をすくめる部長。

律「でも…なぁんか燃えてきたぜぇ、あたしは」

紬「うん…私も。私たちのために、こここまでしてくれる人がいるんだもの」

澪「そうだよな…うん。私も、すごく熱い感じだ」

唯「私もだよ、ふんすっ! ふんすっ!」

朋也「じゃ、やってくれるんだな」

律「ったりまえじゃん。任せとけって」

朋也「そっか。じゃ、頼むよ。中野はもう先に行ってるからさ、合流してやってくれ」

澪「うん、わかったっ」

朋也「おまえらの…放課後ティータイムのファンとして、俺も観てるからな」

春原「僕も、名誉ファン会員としてのオーラを出しながら観とくよ」

231: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:01:36.45 ID:jpDSDOMkO
律「だれが名誉ファン会員だっつーの…」

唯「ふたりとも、違うよっ! ファンじゃなくて、放課後ティータイムの一員でしょ?」

朋也「って、いいのかよ、それで」

律「ま、いいんじゃねぇの? なかなかいい働きしてくれたしな」

唯「りっちゃんの許可も下りたし、もう公式メンバーだねっ」

朋也「そっか。そりゃ、光栄だな」

春原「僕の担当楽器はもちろんムギちゃんで、ボディをあれこれして音を奏でるってことでいいよね?」

律「死ね、変態っ!」

紬「くすくす…」

笑っていた。俺たちは…今、確かに笑えていた。

―――――――――――――――――――――

朋也(ふぅ…)

準備を進める様子を遠巻きに眺めながら思う。
これで俺が、軽音部に…唯にしてあげられることは、全て終わったと。

朋也(よかった…最後に用意できて…)

これで悔いはない。唯とも、笑顔で別れることができる。そのはずだ。

232: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:02:17.02 ID:+UZ/pLeq0
キィーン…

スピーカーから音が鳴る。それは、最終調整の出足を告げる音。
もう少しすればライブが始まるだろう。俺は、その時をじっと待っていた。

―――――――――――――――――――――

ちりちりとマイクの音がした。
電源を入れたのだろう。

唯『こんにちは、放課後ティータイムです!』

始まった…唯のMC。

唯『今日は絶好の卒業日和ですね! 私もさっき思わず卒業しかけちゃいました!』

律『いや、んなくしゃみみたいに言われてもな…』

笑いが起こる。今日も好調のようだった。

唯『えへへ…えーっとですね、そうです、今日は卒業式なんですよねぇ』

唯『それで、お父さん、お母さんたちもいっぱい来てますよ』

唯『まぁ、それはいいんですけど…』

律『無駄な前フリはやめろ』

「りっちゃーん、ツッコミがんばってーっ」

233: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:03:36.87 ID:jpDSDOMkO
「進行の具合は田井中にかかってるぞーっ」

律『はは、ども』

唯『でですね、実は私たち、このライブのこと、さっき知ったんですよ』

「なんで知らなかったのーっ」

「ありえねーっ!」

「平沢せんぱーいっ!」

様々な野次が飛び交う。

唯『式とHRの間にセッティングしてくれた人がいたんです。それで、外に出てきたらびっくりしました』

唯『こんなにたくさんの人を集めてくれたこと…私たちのために動いてくれてたこと…』

唯『すっごくうれしいドッキリでした』

律『おい、ドッキリじゃ、ここに集まってくれた人全員サクラになっちまうぞ』

「りっちゃーん、俺サクラじゃないよーっ」

「俺もガチだよーっ」

唯『じゃあ、サプライズっていうのかな。文化祭の時もあったよね』

唯『あの時は、みんなが私たちと同じTシャツ着てて、驚いたなぁ…』

234: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:03:59.70 ID:+UZ/pLeq0
唯『今日もそれくらい驚きました』

「俺着てたよーっ」

「今も持ってるよーっ!」

唯『ありがとー、みんな。本当に楽しかったよね。文化祭だけじゃなくて…この三年間』

唯『いろんなことがありました。楽しいこと、いっぱいありました』

唯『時々辛いこともあったけど…でも、やっぱりとっても楽しかった』

唯『私たちは、放課後、いつもお茶をして、お話して、だらだらと過ごしてきたけど…』

唯『練習する時は、いっぱいして、ライブを頑張りました』

唯『二年生になると、新入部員も入ってきてくれました。とっても可愛い女の子です』

唯『そして、とってもギターが上手くて、可愛い上に即戦力になってくれて、言うことなしでした』

唯『それからの私たちの活動は、4人でいた頃よりもっと楽しくなりました』

唯『そして、三年生になると、今度は男の子がふたり、部室に遊びに来てくれるようになりました』

俺と春原のことだ…。

唯『とっても面白いふたりで、いつも私たちは笑っていられました』

唯『もっと、もぉっと部活が楽しくなりました』

235: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:04:53.36 ID:+UZ/pLeq0
唯『いっぱい、みんでお話しました。お菓子を食べました。ふざけあいました。やんちゃなこともしました』

唯『けど…』

唯『………』

唯『けど…そうだよね…今日で…おしまい。もう…戻れないよ…』

途中から涙声になって、鼻をすする音が聞こえてきた。

唯『おかしいな…泣きたくないのに…どうしてだろう…さっきまで…うれ…し…』

律『唯…』

澪『…ゆ…唯…』

紬『唯ちゃん…』

梓『唯先輩…』

唯『いやだよ…終わっちゃうなんて…いやだ…いやなの…うぅっ…いやだよぉ…』

そして…唯は泣き始めた。
ずっと堪えていた涙が溢れ出した。
しゃくりあげ、子供のように泣いた。
それは、文化祭の日に見た、あの泣き方より辛いものだった。
続いてほしいと願った、楽しい日常の区切り。
そんな現実を突きつけられ、どうしていいかわからない辛さ。
心の中心に位置していたものを失った辛さだった。
俺は見てられなくなって…顔を伏せた。

236: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:06:21.50 ID:jpDSDOMkO
このまま終わっちまうのか…。
俺のしたことは、唯を傷つけただったのか…。

声「甘えてんじゃねぇええええええええっ!」

怒声が、空にこだました。この声は…

朋也「さわ子さん…」

俺は人混みの中にその姿を探した。
それは人だかりが割れた中の中心にあった。
付近すべての注目を集めて。

さわ子「唯ーーーーっ!」

さわ子「てめぇらの居た時間は卒業したくらいで終わっちまうほど安っぽいもんだったのかーーっ!?」

さわ子「違うだろっ! 離れようが近かろうが、どうあっても色褪せない時間を生きてただろうがーーっ!」

さわ子「ここで挫けたら、全部嘘になっちまうぞっ! 先に進めねぇぞっ! いいのか、おいっ!」

メガネを外し、髪が振り乱れるくらいの剣幕で叫んでいた。
………。
少しの間の後…

憂「おねえちゃーん! 頑張れぇーっ! 今日は焼肉だよーっ!」

憂ちゃんがすぐ近くで声を上げていた。
憂ちゃんの励ましはなんだか的外れだった。
けど、それに便乗しない手はない。

237: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:06:47.39 ID:+UZ/pLeq0
朋也「俺たちも、同じだぞ、唯っ!」

朋也「春原や俺ができなかったことを、今、おまえらが叶えようとしてくれてるんだっ!」

朋也「わかるかっ、俺たちの挫折した思いも、おまえらが今、背負ってんだよっ」

朋也「だから、叶えろ、唯っ!」

怒鳴りつけた。言動の辻褄が合っているかさえわからなかった。
でも、思うままを叫んだ。
………。
唯が…顔を上げる。
もう泣いていなかった。
真っ直ぐに…前を見据えていた。
…連れていってくれ、唯。
この町の願いが、叶う場所に。
唯がマイクを手に取った。
それは、歌う意思の顕れ。
放課後が始まる。
俺たちの、最後の放課後が。

―――――――――――――――――――――

ライブが終わり、会場となったグラウンドは、祝福する声と拍手で賑わっていた。
それでも、だんだんと人が校門の方へ流れていき、卒業式本来の様相を取り戻し始めている。
唯たち軽音部は、さわ子さんを含め、一箇所に固まって、互いを抱きしめあっていた。
皆、涙を流していたが、その顔はとても晴れやかだった。
周辺でその様子を写真に収めたり、ビデオ撮影する父兄の姿があった。
きっと、あいつらの親なんだろう。

238: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:07:57.86 ID:+UZ/pLeq0
春原「おい、岡崎」

朋也「なんだよ」

春原「ほら、あそこ」

朋也「ん?」

春原が示す先。
卒業生が、部活の後輩、顧問や担任の教師に手を振り、振られていた。
その少し離れた場所に幸村の姿もあった。
誰も、幸村の元に寄っていく者はいない。
まるで、忘れられた銅像のように、ぽつんと立っていた。
俺と春原は顔を見合わせる。

春原「そういうのも、アウトローっぽくていいよね」

そして、どちらが先でもなく老教師に駆け寄り、その正面で深く礼をしていた。

朋也「ありがとうございましたっ!」
春原「ありがとうございましたっ!」

抜けるような青空に響かせた。
賑わいが一瞬引くような勢いで。
この三年間の感謝を。

朋也「じゃあな、ジジィ。元気でな」

春原「僕らが死ぬまで死ぬなよっ」

239: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:09:11.80 ID:jpDSDOMkO
幸村「無理を言うな…」

最後の教師としての笑顔を目に焼きつけて…
俺たちは校門をくぐり抜けた。

―――――――――――――――――――――

キョン「よぅ、ふたりとも」

抜けた先、門のすぐそばでキョンが背をもたれかけていた。

朋也「よぉ」

春原「お、また久しぶりだね」

キョン「えっと…すまん、そっちの春原っぽい人は、春原で合ってるよな?」

朋也「ああ、髪の色はだいぶめちゃくちゃになっちまってるけど、ギリギリ春原だ」

春原「これが通常の日本人だろっ!」

キョン「ははは、すまん、冗談だ」

春原「そういうフリには岡崎が絶対に食いつくからやめてほしいんですけどねぇ」

キョン「そうだな。今後気をつけるよ。その機会があればだけどな」

春原「なんだよ、もう会わないつもりなのかよ」

キョン「そうなるかもしれないからな。最後におまえらに会っておきたかったんだよ」

240: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:09:33.01 ID:+UZ/pLeq0
春原「はっ、そんなの、会おうと思えばいつでも会えるに決まってるだろ」

春原「この町に戻ってくれば、絶対に会えるんだよ、僕らは」

キョン「そうか…それは、安心だ」

春原「へへっ…」

キョン「じゃあ…おまえら、元気でな」

手を中に掲げる。ハイタッチの誘いだ。

朋也「おまえもな」

左手で合わせる。パンッと小気味良い音がした。

春原「じゃあな、キョン」

春原は豪快に叩き、大きな音を立てていた。

声「キョン! なにしてんのよ、早くきなさいっ!」

坂の下から声が届く。

キョン「おっと…やばい」

背を向ける。

朋也「涼宮と達者で暮らせよ」

241: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:11:09.37 ID:jpDSDOMkO
春原「結婚式には呼んでくれよなっ」

一度振り向き、苦い顔を向けてくれると、駆け足で坂を下りていった。

―――――――――――――――――――――

俺たちは学校を出ると、そのまま寮に戻ってきていた。

春原「ふぅ…」

ベッドに腰掛ける春原。
俺は床に寝転がって天井を見上げた。

朋也「で…おまえは、明日の朝この町を出るんだったよな」

春原「ああ、まぁね」

春原は少し前から荷造りを始め、帰省の準備をしていた。
ちょっとずつ部屋にあったものが消えていき、今ではあの年中据えられていたコタツさえなくなっている。
卒業証書をもらっても湧かなかった実感。
でも、この部屋の閑散とした佇まいを見ると、これまでの生活に終止符が打たれたことを否応なく感じさせられる。
ここで過ごしてきた時間は、俺の中でそれだけ大きかったのだ。

春原「僕がいなくなっても、泣いたりするなよ」

朋也「俺がそういうやつに見えるのか」

春原「まったく心配なさそうですねっ」

朋也「だろ?」

242: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:11:32.17 ID:+UZ/pLeq0
春原「ああ」

お互い顔は見えていなかったが、向こうもにやけているのが空気でわかった。

春原「おまえにはひどい目に遭わされまくったけどさ…楽しかったよ、この三年間」

朋也「そっか」

春原「おまえは、どうなんだよ」

朋也「俺か…? まぁ、俺も…楽しかったよ。おまえがいてくれてさ」

春原「そっか…へへっ」

口に出してこいつを肯定するのは初めてだったかもしれない。
まさに、最初で最後というやつだ。
しかし…なんともむずがゆいものがある。
けど…悪くはなかった。

がちゃりっ

声「こらーっ! なに勝手に帰ってんだっ!」

朋也「ん…」

春原「おわぁっ」

ベッドから跳ね起きる春原。
ドアの方へ顔を向けてみる。

243: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:12:52.01 ID:jpDSDOMkO
律「あ、岡崎もいやがった」

部長だった。

唯「え、朋也もいるの?」

梓「じゃあ、連絡する手間が省けましたね」

澪「こんにちは~」

紬「お邪魔します~」

憂「どうもー」

和「ん…殺風景になったわね」

その後ろから、わらわらと顔なじみの連中が湧いて出てきた。

律「おまえらも片付けぐらい手伝えよなぁっ」

言いながら、部屋に上がりこんでくる。

唯「おじゃま~」

続けて唯たちもぞろぞろと入ってきた。
みんな、その手にはコンビニやスーパーのレジ袋を提げている。
その中には、ペットボトルや駄菓子類が詰め込まれているようだった。

春原「え、え? なんだよ、ここ、なんかの会場になるの?」

244: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:13:13.30 ID:+UZ/pLeq0
律「そうだよ、卒業記念パーチー会場だ」

春原「マジかよ…つーか、事前に言えよなっ」

律「おまえらだって何の断りもなくライブ仕掛けてたじゃん」

春原「まぁ、そうだけどさ…」

律「とにかく、ここで飲み食いするからな」

春原「いいけどさ、あんまり食い散らかすなよ。明日出てかなきゃなんないんだからさ」

春原「掃除し直すの面倒なんだよね」

律「え!? 明日? 早くない…? 春休みは…?」

春原「休み中には次入学してくる寮生が入居するんだよ」

律「そ、そっか…そうだよな…はは」

和「娯楽品もなにもないのは、そういうことなのね」

春原「まぁね」

律「じ、じゃあさ、みんな、なんにもないとこだけだど、楽にしてくれよ」

春原「おまえが言うなっての」

律「ふ、ふん…」

245: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:14:29.21 ID:jpDSDOMkO
澪「律、なんか動揺してないか?」

律「な、なんで? 別にしてないけど…」

紬「春休み中、春原くんと遊ぶつもりだったのね」

律「ちがわいっ! と、とにかく、菓子の箱あけまくろうぜっ」

律「そんで、この部屋をゴミ屋敷にして帰ろうっ! 立つ鳥跡を濁しまくり、ふははっ」

春原「てめぇ、散らかすなって言ったばっかだろっ!」

律「そんなの忘れちゃった、てへっ」

春原「キモっ」

律「んだとぉ、ラァッ」

丸めてあったゴミをぶつける。

春原「ってぇなぁ…ウラぁっ!」

春原もそれを拾って投げ返した。

律「とうぅっ!」

部長は軽やかに身をかわす。

律「ばーか」

246: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:14:57.59 ID:+UZ/pLeq0
春原「むぅ…うらぁっ!」

今度はしわしわになった洗濯物を投げつける。

律「ぶっ…って、なにパンツ投げつけてんだよ、変態っ!」

春原「あ、やべ…」

律「どういう●●だ、こらーっ」

春原「勘違いすんなっ! 僕はノーマルだっ」

和「さ、あのふたりは放っておいて、お菓子を広げましょ」

澪「そうだな」

憂「私、たくさん避けるチーズ買ってきました」

梓「あ、憂ナイス。私それ好き」

憂「ほんと? よかったぁ」

唯「朋也、隣に座ろ?」

朋也「ん、ああ」

紬「ふふ、ラブラブね」

唯「えへへ、まぁねぇ」

247: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:16:23.11 ID:jpDSDOMkO
律「こらーっ! 私抜きで始めるなぁっ!」

澪「おまえが暴れるのに夢中だったんだろ…」

春原「ムギちゃん、隣に座っていい? っていうか、最後だし、むしろ僕に座ってくれてもいいよっ」

紬「えっと…ごめんなさい、今足が疲れてて、空気椅子できないの」

春原「そうまでして触れたくないんすかっ!?」

律「わははは!」

和「ほんっとに、うるさいわねぇ…」

―――――――――――――――――――――

律「でもさぁ、ライブ自体もびっくらしたけど、唯が泣き始めた時もかなり焦ったよなぁ」

スティック菓子をポリポリとかじりながら言う。

唯「ごめんね…」

律「いや、いいよいいよ。感極まって泣いちゃったんだよな」

唯「うん…もう、これで終わりなんだって思ったら、寂しくなっちゃって」

澪「唯…」

春原「唯ちゃん、心配すんなよ。学生時代、一緒に馬鹿やった奴らは、一生縁が切れねぇから」

248: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:16:49.55 ID:+UZ/pLeq0
春原「でさ、今手に入る友達は、学校だけの仲じゃないんだ」

春原「卒業して遠く離れてしまっても…」

春原「それでも休みを合わせてくるような…そんな仲なんだ」

春原「これから大人になっても、周りや自分が変わってしまっても、それでも友達なんだ」

春原「みんな出世してさ…すげー忙しくなっても…」

春原「職場の同僚との、新しい居場所が出来ても…」

春原「結婚して、子供が出来て、家族を守るために精一杯でも…」

春原「それでも…僕らはきっと、顔を合わせれば笑いあってるんだ」

春原の言葉。珍しく真に迫っていて、俺たちは静かに耳を傾けていた。

唯「うん、そうだよね。ありがとう、春原くん」

律「急に真面目なこと言いやがって…なんだよ、おまえも言えるんじゃん、そういうこと」

春原「はは、僕の溢れるセンスが爆発しちゃったかな」

律「あーも、すぅぐ調子乗る…」

澪「おまえとそっくりだな」

律「なんか言ったかー?」

249: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:18:25.49 ID:jpDSDOMkO
澪「いや、別に」

梓「さわ子先生もすごかったですよね」

律「あー、昔の血が蘇ってたよな。てめぇ、とか、おらっ! とか言ってさ」

春原「僕もあれは結構ビビッちゃったよ。唯ちゃんは一番ビビッちゃったんじゃない? 名指しだったし」

唯「うーん、ていうよりは、勇気づけられたかなぁ」

春原「マジで? やっぱ、いい神経してるよ、唯ちゃんは」

唯「えへへ」

和「憂と岡崎くんも、はっぱをかけてたわよね」

律「あー、だったな。憂ちゃんは夕食の話題で釣ろうとしてたよな」

憂「やっぱり、ちょっとズレてましたか…?」

唯「そんなことないよ。ちゃんとテンション上がったよ。ありがとね、憂」

憂「うん、えへへ」

律「この姉妹はのほほんとしてんなー、ほんと…」

紬「岡崎くんは、唯ちゃんへの愛を叫んでたわよね」

朋也「あ、愛?」

250: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:20:11.27 ID:jpDSDOMkO
紬「うん、愛」

梓「あんな公衆の面前で恥ずかしくないんですか? 唯先輩のご両親も来てらしたんですよ」

マジか…。

朋也「いや、愛とかのつもりじゃなかったんだけど…」

唯「ええ? 愛はないの? 愛してはくれないの?」

朋也「い、いや、おまえのことは好きだけど…」

唯「だよねっ! 私もだよっ」

言って、腕に絡みついてくる。

朋也「あ、おい…」

律「くぁー、目の前でイチャつかれたらたまったもんじゃないっすわ…」

梓「そういうことはよそでやってくださいっ! しっしっ」

動物を追い払うような手振りをされてしまう。

澪「………」

律「あー、ほら、元岡崎狙いだった梓と澪のテンションがおかしくなっちゃうし…」

梓「わ、私はぜんぜんそんなことないですしっ! ですしっ!」

252: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:30:49.65 ID:jpDSDOMkO
律「すでに口調がおかしいからな…」

唯「でも私、朋也と同じくらいみんなのことが好きだよ?」

律「おー、勝者の余裕かぁ?」

唯「違うよ、ほんとうのこと。だからね、愛の歌をみんなで歌おうよ」

律「なにそれ」

唯「だんご大家族だよっ」

律「って、またそれか…ライブの最後にも歌ってたよな」

律「せっかくいい感じで盛り上がってたのに、みんなずっこけてたぞ」

唯「そんなことないよっ! 盛り上がりはピークに達してたよっ」

律「あ、そっすか…」

唯「うんっ。今からあの興奮を再現するよっ」

唯「だんごっ、だんごっ…」

一人で歌い始める唯。

唯「みんな、カモン!」

唯「やんちゃな焼きだんご 優しい餡だんご…」

255: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:31:17.75 ID:+UZ/pLeq0
律「はいはい、わかったよ…」

そして部長たちも合わせて歌った。
いつかのカラオケの時のようだった。
今度は、俺と春原もちゃんと声を出して歌っていた。

―――――――――――――――――――――

朋也「ふぅ…」

部屋の空気も熱気でモワついて来た頃、俺は夜風にあたるため、外へ出てきていた。

朋也(涼しいな…)

二酸化炭素が充満した狭い部屋から、開けた場所に出てきた開放感も手伝って、気持ちがよかった。

和「あら、岡崎くん」

朋也「お、真鍋」

缶ジュースを持った真鍋が俺に近づいてくる。
真鍋は、俺より先に部屋から出ていたのだ。

和「外の空気を吸いにきたの?」

朋也「ああ、そんなところだ」

和「そ」

言って、ジュースを口にした。

257: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:32:39.64 ID:jpDSDOMkO
朋也「そういえばさ、坂上から聞いたんだけど、桜並木、守れたんだってな」

和「ん、そうね」

朋也「あいつ、おまえのことをすごい奴だって、すげぇ評価してたよ」

朋也「自分の力だけじゃ絶対に成し遂げられなかったってさ」

和「そんなことないわ。あの子のほうがよっぽどすごいわよ」

朋也「逆の意見なんだな。謙遜か?」

和「私はプライベートでへりくだったりしないわ」

朋也「あ、そ」

和「あの子は、本当に純粋で、穢れなくって…真っ直ぐなの」

和「とてもじゃないけど、汚い根回しや、既得権益の保守なんかには関わらせる気にならかったわ」

朋也「おまえにも人間らしい感情があるんだな」

和「まぁ、一応ね」

和「それでも、一般的に必要とされる事務処理の手続きなんかはちゃんと教えていたんだけどね」

和「たったそれだけなのに、あの子はどんどん力をつけていったわ」

和「厄介だった組織をひとつ解体してくれるくらいにね」

259: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:33:29.99 ID:+UZ/pLeq0
朋也「厄介な組織?」

和「ええ。部費に割り当てられるはずの予算を6%横領してる連中がいたの」

和「そいつらは秀才で構成されていて、そのバックには卒業していったやり手の先輩たちがついてたわ」

和「在校生だけなら秀才軍団だろうと、なんてことなく処理できたんだけど…」

和「関わってるOBとは私もしがらみがあってね。1、2年生の頃懇意にさせてもらってたのよ」

和「だから、仕方なく目を瞑るしかなかったんだけど、あの子が会計のおかしさに気づいてね」

和「この不透明な出費はなんなのか、って訊かれたわ。それで、核心には触れず、遠まわしに伝えたの」

和「そうしたら、話をつけてくるって、リーダー格の男のところにいこうとするのよ」

和「私は止めたわ。後であの子にどんな不利益が生じるかわからなかったから」

和「でも、どうしても行くって聞かないのよ。それで生徒会室を飛び出して行ったの」

和「数日後、見事に連中の動きがなくなってたわ」

和「聞いたところによると、構成員のひとりひとりに直接当たって説き伏せていったらしいの」

和「取引きもなく、圧力をかけたわけでもなく、暴力を背景に脅したわけでもなく…」

和「そんな単純なことだけで、不正に金儲けを楽しんでた奴らの考えを改めさせたのよ」

和「すごいわよね。下衆な連中でさえ、あの子の人柄には惹かれてしまうんだから」

260: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:36:34.43 ID:jpDSDOMkO
和「ちなみに…夏頃、軽音部部室にクーラーついたじゃない?」

和「あれは、連中がため込んでた裏金を充てて設置したものなのよ」

朋也「そうだったのか…」

和「ええ。それに、桜並木だって、実質あの子の力で守ったようなものだし」

朋也「え、そうなのか?」

和「そうみてもらっても間違いじゃないわ。あの子ね、英語の弁論大会で、市に訴えたのよ」

和「宅地造成の一環で、学校の桜まで切るのはやめにしてください、ってね」

朋也「へぇ…」

桜の木が切られることになってしまった背景には、そんな事情があったのか…。

和「その甲斐あって、あのとおり今も桜並木は健在なんだけどね」

学校の方を見て言った。この坂下からも、その木々は遠くに少しだけ見えているのだ。

朋也「でも、それじゃ、なんで坂上の中でおまえの評価が高いんだろうな」

和「ま、どうしても私の政治力が必要な時があったってことよ」

和「弁論大会の出場枠だって、無理を言って拡大してもらって、そこにあの子をねじこんだりしたからね」

和「そういう、正規の手段では成しえないことや、時間がかかってしまうことを割とすんなりやっていたから…」

261: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:37:49.20 ID:+UZ/pLeq0
和「それが、まっとうな道を行くあの子の目には、すごい事として映ったんでしょうね」

朋也「そっか」

和「そうよ」

俺から視線を外し、ジュースで喉を潤した。

和「でも…そんな、裏で陰謀渦巻く泥臭い時代も、私の代で終わりでしょうね」

どこをみるでもなく、ただ遠くを見て言う。

和「あの子が…坂上さんが生徒会長の座につけば、きっと光坂は変わる」

和「まっとうで、まっさらな、新しい時代が始まるわ」

和「ま、もうその兆しは見え始めてたんだけどね…」

俺に向き直り、少し眉を下げて言った。

朋也「もしかして、おまえがその役割を果たしたかったりしたのか?」

和「まさか。私はごたごたしている方が好きよ。だから、時代の移り変わりがちょっと名残惜しかったの」

和「ただの懐古ね。それに、元生徒会長OBとして、私も在校生を遠方から動かしてみたかったし」

和「それはきっと、目の届かない場所で人を使うことの予行演習になるでしょうからね」

和「今後のためにも、是非その場を活用したかったんだけど…仕方ないわよね」

262: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:40:32.70 ID:jpDSDOMkO
やけに卒業生の影響力が残っていることを不思議に思っていたが…今、その理由がわかった。
きっと皆、真鍋と同じように考え、あの学校を演習の場として使っていたのだ。
その伝統が今まで受け継がれていたと。そして、それも真鍋の代で終わってしまうと。
まとめると、そういうことだった。

和「ふぅ…」

天を仰ぐ真鍋。俺もそれに倣った。夜空には、星がいくつも見えていた。

和「本当に…おもしろい時代を駆け抜けたてきたわ。唯たち軽音部がいて、あなたたちがいて、SOS団がいて…」

和「濃い人間がそろいもそろってあの学校に、私の同学年に居たんだものね」

和「唯じゃないけど、私も高校生活が終わってしまうと思うと、少しさびしいわね」

今真鍋はどんな顔をしているのだろうか。気になって正面に向き直る。
すると、同じタイミングで真鍋も視線を下げてきた。

和「ま、私は唯ほど情に流されたりしないから、次へ向けて心の整理はついているんだけどね」

朋也「さすがだな。おまえはやっぱり真鍋和だ」

和「それはそうでしょう。って、もしかして…褒めてるの、それ?」

朋也「ああ、すげぇ褒めてる」

和「それは、どうも」

月明かりの下、優しく微笑む。とても人間らしい表情だった。

263: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:41:58.23 ID:+UZ/pLeq0
和「それじゃ、先に戻ってるわね」

朋也「ああ」

寮の玄関へ入っていく真鍋の後姿を見送る。
俺はしばらくの間、真鍋に使われていた日々を思い出しながら、夜空を見上げていた。

―――――――――――――――――――――

春原「じゃあな」

翌日の朝。
春原を見送りに、みんなで駅に集まっていた。

朋也「ああ、達者でな」

唯「元気でね、春原くん」

澪「また、会おうね」

紬「向こうに行っても、いつまでも元気な春原くんでいてね」

梓「いろいろと、お世話になりました。ありがとうございました」

憂「私、春原さんのことずっと覚えてますね。岡崎さんの親友で、面白くて素敵な人だって、忘れません」

和「社会人なんだから、あまり突飛なことはしないようにね」

皆それぞれ、様々な言葉を送る。

264: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:43:15.12 ID:jpDSDOMkO
律「………」

澪「律…おまえもなにか言ってあげろよ」

律「うん…」

律「………」

一歩前に出る。

春原「………」

律「………」

そして、春原と向かい合った。

律「あのさ…今までいっぱい喧嘩したけど…けっこうおもしろかったぜ」

春原「僕も、そうだった気がするね…なんとなくだけど」

律「そっか…」

春原「まぁね…」

律「でさ…あんた、こっちの方が好きだったよな」

カチューシャを外す。
そして…

春原「うわっ」

265: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:44:07.59 ID:+UZ/pLeq0
春原の頬に唇を押し当てた。

律「ばいばい…春原くん」

春原「………」

その箇所を手で押さえ、口を半開きにして目を丸くする春原。
しまりのない顔だ。けど、それも少しの間のこと。
すぐにいつもの、憎めないニヤケヅラに戻った。

春原「ああ…バイバイ、田井中」

初めてその名を口にした。
そして、荷物を重そうに抱え、改札口を抜けていく。
帰っていく…今日、この場所から。いつだって陽気だったあの男が。
また会える日を思いながら、ここで見届ける。
俺の…親友を。

律「…いっちゃったか」

澪「律…」

律「ん…」

少し寂しそうな顔のまま、外していたカチューシャをかけ直す。

律「よぅし、そんじゃ、今から遊びに行くぞっ!」

その時からもういつもの部長の姿に戻っていた。
髪を下ろしていたのは、普段の自分と区別したいという心理もあったからかもしれない。

266: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:45:28.03 ID:jpDSDOMkO
律「あ、でも、岡崎と唯はついてくるなよ?」

律「おまえらは、こっからデートだ! わはは!」

律「こい、澪!」

澪「あ、ちょっと、なんで私だけひっぱるんだよっ」

梓「律先輩、さっきのキスって、やっぱり…」

律「うるへーっ! ただのその場のノリだっ! 深い意味はなぁーいっ」

紬「くすくす…りっちゃん可愛いっ」

和「いいものが見れたわ。忘れないように記録をつけておきましょう」

律「って、和、やめんかーいっ!」

俺と唯をその場に残し、雑踏の中に消えていく。

憂「岡崎さん、お姉ちゃんとのデート、楽しんでくださいねっ」

言って、憂ちゃんもその後を追っていった。

唯「うわぁ、置いていかれちゃった…」

朋也「どうする? 俺たちも追うか?」

268: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:47:56.68 ID:+UZ/pLeq0
唯「う~ん…せっかくデートするように言われちゃったから、そうしようよっ」

朋也「そっか…そうだな、そうしようか」

唯「うんっ」

―――――――――――――――――――――

俺たちは歩いた。
春の光の中を。
ゆっくりと、ゆっくりと。
ずっと手をつないで。
唯の小さな手が、愛おしくて…仕方がなかった。
唯が好きで好きで、仕方がなかった。
俺は… 立ち止まってしまった。

朋也「なぁ、唯」

唯「なに?」

朋也「あのさ…」

唯「うん」

朋也「………」

朋也「…別れよう」

今日言おうと決めていた。
きっぱりと終わらせて、引きずることなく前に進んでいくべきだった。

270: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:48:52.10 ID:+UZ/pLeq0
唯「…え?」

朋也「おまえはさ…もっといろいろ見て、それで付き合う男を決めた方がいい」

朋也「今までは狭かったんだ。そこに、たまたま俺が現れただけなんだよ」

朋也「だから…」

…言葉が出なかった。
代わりに涙がとめどなくあふれ出た。
ぽたぽたと地面に落ち続けていた。
子供のように、俺は泣き続けた。

唯「朋也…」

朋也「………」

唯「朋也…」

朋也「なんだよ…」

唯「歩こう?」

朋也「なんでだよ…」

唯「朋也と歩きたいからだよ」

朋也「やめとけよ…俺、もう彼氏じゃないんだぞ…」

唯「まだ私が答えてないからセーフだよ。だから、ね?」

271: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:51:11.14 ID:jpDSDOMkO
朋也「………」

朋也「…好きにしろよ」

唯「うん、好きにするね」

俺の泣き濡れた顔を笑いもせずに、そう唯は言った。

―――――――――――――――――――――

唯「あのね、私、大学卒業したら、この町に戻ってこようと思ってるんだ」

朋也「………」

唯「それでね、その時には…」

立ち止まる。

唯「朋也…私をお嫁さんにしてください」

朋也「………」

唯「えへへ…プロポーズだよ?」

朋也「馬鹿…そんなの受けられるわけないだろ」

唯「どうして?」

朋也「俺たちは、その時にはもうただの知り合いなんだよ…知り合いとは結婚しないだろ…」

272: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:52:18.54 ID:+UZ/pLeq0
唯「そうだね。でも、朋也は違うよね。ずっと付き合ってた彼氏なんだから」

朋也「だから…それは、もう…」

唯「嫌だよ。別れるなんて、絶対に嫌だよ。朋也だってそうでしょ? だから泣いてるんでしょ?」

朋也「………」

唯「心配しないで。絶対に戻ってくるから。夏休みだって帰ってくるよ」

唯「冬休みも…クリスマスだってそうだよ」

唯「ね? 私、ずっと朋也のこと、好きでいるよ」

できるのだろうか…本当に。
それは、ただ、そうありたいという願いなんじゃないだろうか…。

唯「朋也も、私のこと好きでいてくれるよね? っていうか、今もそう…ってことで合ってるよね?」

朋也「…ああ…好きだよ…」

唯「じゃあ、やっぱり相思相愛だよっ。別れる必要なんてどこにもないんだよ」

朋也「そっか…」

唯「そうだよっ」

俺がいない4年間という長い時間の中で、唯は変わってしまわないだろうか。
また、俺も気持ちが薄れていってしまわないだろうか。
会えない日々に耐えられるだろうか。

274: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:53:37.90 ID:jpDSDOMkO
越えていけるだろうか。
歩いていけるだろうか。
………。
でも、ずっと頑張り続けて…
そして、最後にはやり遂げた俺たちだったから…
きっと登っていける。
その先へ、歩いていける。
そう、思えた。

朋也「唯」

俺はその細い肩を抱きしめた。

朋也「俺、ずっと待ってるから…」

275: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/26(日) 12:54:25.36 ID:+UZ/pLeq0
そして、

朋也「その時は、結婚しよう…」

告げていた。

唯「うんっ、お願いしますっ」

現実味のない、子供の口約束。
叶うかどうかは定かじゃなかったけど…実現できるよう、俺は…

立ち止まることなく、歩きたかった。

どこまでも、どこまでも。

ずっと続く、坂道でも…



ふたりで。



―――――――――――――――――――――