1: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 02:01:12.30 ID:G632siqIo

――誰が生めと頼んだ

――誰が造ってくれと願った

――私は、私を生んだ全てを恨む

――だからこれは

――攻撃でもなく宣戦布告でもなく

――私を生み出したお前たちへの


ミュウツー(……忌々しいニンゲンどもめ)

ミュウツー(こんな場所を、飽きもせずによく監視し続けられるものだ)

ミュウツー(と言いたいところだが……)

ミュウツー(奴らが来るようになってしまったのは、つまるところ私がここに逃げ込んだせいか)


暗く、じめじめとした洞窟の中で、ミュウツーはそう思い至った。

この予想は、残念なことにほぼ当たっている。


かつて、自分のいた研究所を破壊して逃げた。

人間が作り、ミュウツーを作り、そして消滅した研究所。

いい思い出などほとんどなかったが、それでも自分の居場所だと思っていた時期もあった。


『私』が生まれた。

『私』を、誰かが『ミュウツー』と呼んだ。

『私』は、『ミュウツー』と呼ばれるようになった。

『私』はその箱庭で、時を過ごした。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1373648472

引用元: ミュウツー『……これは、逆襲だ』 

 

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3: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 02:03:13.61 ID:G632siqIo

誰かがやって来た。

そして、何かを言った。

何かを思い出しそうになった。

何を言われたのかは、よく憶えていない。

最後の瞬間、あの男と目が合ったことは、よく憶えている。

白衣を着込んだ人間達から、フジとか、博士だとか呼ばれていたあの男。

『父親』であったような、『創造主』でもあったような。


人間が寄りつかないだろう場所を探して、ハナダの洞窟に辿り着いた。

だが、見たこともない不審なポケモンがやってきたところで、異物以外の何者でもない。

異物が迷い込んだ洞窟では野生のポケモンたちが騒ぎ、人間の関心を引いた。

逃げ込んだ当時は、人間が出入りしている形跡など、ほとんどなかったはずだ。

なのに、ミュウツーが居着いてからしばらくすると、時折トレーナーが訪れるようになっていた。


はじめのうちは、トレーナーのぶつけてくるポケモンを戦闘不能に陥らせ、記憶を弄って追い返していた。

そのうち、わざわざ相手をする義理がないことに気づいた。

それからはいきなりトレーナーの方を昏倒させ、記憶操作と催眠術をかけて追い返すことにした。


そういう生活がどれくらい続いたのか、もう思い出せない。

ほんのわずかな期間だけだったような気もするし、随分長い間、そういう生活をしていたようにも思えた。

時間の概念はだんだん薄れ、ただ空腹と眠気の繰り返しだけが時の移ろいを測る尺度になっていた。


ある時を境にぱったりと来訪が途絶え、かわりに出入口を人間が監視するようになった。

記憶を消す処理に手落ちがあったのかとも思ったが、そういうことではないようだった。

野生のポケモンたちも落ち着きを取り戻した。


4: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 02:03:45.40 ID:G632siqIo

ミュウツー(いずれにせよ、この洞窟に潜伏するのも潮時ということか)


夜闇に紛れ、ミュウツーはハナダの洞窟を去ることにした。

洞窟の奥は光も届かず、夜昼の区別なく常に陰鬱である。

急に日光の元に出て行くのは気が進まなかった。

荷物はただひとつ、逃亡の際にたまたま掴んだ薄汚いシーツだけ。


あのフジという科学者は死んだだろうか。

それとも、生き延びているだろうか。

死んでいて欲しい気もした。

だが一方で、死んで終わることも許せないように思った。

復讐したいのだろうか。

憎んでなどいないといえば嘘になるだろう。

こんな自分を生み出した『父親』を。

醜く、いびつで、不自然な存在に生んだ『創造主』を。

こんな自分に生まれたいと思ったことなどない。

こんな命を与えたのは誰だ。

誰が、生み出してくれなどと頼んだ。

『生みの親』すら認めようとしない命に、存在する意味などあるのか。

誰一人、『私が私である』ことを認めてくれなかった。

では、誰かに『私自身』を認めてもらえれば、満足できたのだろうか。

誰に認めてもらいたかったということなのだろうか。

そうであるような気もするし、少し違うような気もした。


5: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 02:04:17.95 ID:G632siqIo

もうたくさんだった。

自分のことなど考えたくもなかった。

遠く離れたかった。

自分を切り刻んでデータを取るような連中からも、遠巻きに奇異の目を向けてくる連中からも。


ぴたぴたと静かな足音を立てて歩く。

湿り気の強い洞窟内の水辺には『本当の』野生のポケモンたちがいた。

息を潜め、ミュウツーの様子を伺っている。

結局ここの連中とは、意思の疎通すら叶わなかった。

ただ避けられた。

ただ畏れられた。

向こうにしても、ミュウツーの存在は理解不能だったに違いない。

気味が悪いと思われていたはずだ。

そうに決まっている。


ミュウツー(海の向こうにも陸があるという。そこまで行けば、あるいは……)

ミュウツー(できれば、ニンゲンもポケモンもいないところがいいのだが)


人間の監視のない小さな岸壁の裂け目から、這い出すように洞窟を出た。

外は、思いがけず冷たい風が吹いている。

洞窟の中からも、洞窟の外の茂みからも視線が突き刺さった。

そんな気がした。

視線が嫌だったのか、ただ風が寒かったのか。

誰かからの視線を遮るように、シーツを羽織る。

ふわりと浮き上がり、空を駆ける。

はじめはゆっくり、少しずつ速度を増す。

大小の陸地が眼下を過ぎていく。

突然、黒々とした大海原が広がった。

バタバタとシーツがはためく。


6: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 02:04:59.92 ID:G632siqIo

ミュウツー(飛び立ってから考えるのも我ながら無計画甚しいが)

ミュウツー(向こう側の陸地に着くまで、体力が保つだろうか)


空が白みかけてきたその頃、限界が訪れた。

ガクリとスピードが落ち、コースの維持が難しくなった。

身体に力が入らない。

それも致し方ない。


餌の見つけ方など知らなかった。

洞窟にいた他のポケモンたちを『食べていい』ものなのかどうかすら、わからない。

分厚い強化ガラスの筒の中では、考えたこともなかった。

もっとも、そんなことを考える必要もなかったのだが。

しかし人間の手と目を逃れ、ハナダの洞窟に行き着いたことで、そういうわけにもいかなくなった。

ミュウツーは気分が悪くなるほどの『空腹』を、そこで生まれて初めて感じたのだった。


他のポケモンがそうするのを見て、ミュウツーは壁の苔を毟って齧った。

そして吐いた。

味の善し悪しなどわからなかった。

だが今齧った苔が決して美味いものではないこと、身体が拒絶反応を示していることは理解できた。

それでも、もう一口齧る。

さっきよりは少し、抵抗がない。

これなら、大丈夫かもしれない。

遠巻きに見るポケモンたちは嫌そうな顔をした。

だが睨みつけると、諦めたように去っていった。

何度か苔を齧っていると、少しだけ空腹が紛れた。

おかげで死ぬことはなかったが、まともな健康状態とは決して言えなかった。


7: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 02:05:25.52 ID:G632siqIo

自分は本来、何を食べて生きていくべき生き物なのだろうか。

空腹を覚え、水を啜りまずい苔を齧るたびにそのことを考えた。

誰も教えてくれなかった。

『父』も。

『誰か』も。

命あるものとして最低限の知恵さえ持たない自分に腹が立った。

考えたくもないのに、腹を空かせるたびに自分の存在を突きつけられるのも嫌だった。

『普通』の生き物なら、『まとも』な生き物なら……。

まるで、自分が『まともな生き物ではない』と嘲笑されているように感じた。


ミュウツー(海に落ちたら……流石に、それまでかもしれないな)


どこまでも青い海を見て、一瞬、破滅的な考えがよぎった。


しかし、向かう視界の片隅に大きな陸地が見え始めると、意外にもそんな考えは掻き消えてしまった。


ミュウツー(……まだ、死ぬわけにはいかない)


もはや振り返っても、かつて自分がいた大地は見えないだろう。

本当に振り返る気力は、もうない。

だが、そう想像してみるだけで何かを遣り遂げたような、不思議な達成感を覚えた。

生まれて初めて、人間の手から逃げおおせた。

もう、誰かに拘束されることもなく、好奇の目に晒されることもない。

不愉快な思いをせずに、生きていけるかもしれない。

自分の本当の姿を突き付けられることなく、過ごせるかもしれない。


ミュウツー(だが、そろそろ……限界だな)


8: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 02:05:53.77 ID:G632siqIo

いくらか心が昂ぶり、近づきつつある大陸がはっきりと目に入った。


ミュウツー(あれは……別の陸地か……)

ミュウツー(……寒……い……)


とうとう意識と推進力を失って、ミュウツーは墜落した。

望んでいた僻地ではなかった。

広大な森林が広がっている。


はじめに、着地の衝撃と土煙を認識できた。

地面も抉れ、自分も相当に傷を負ったはずだった。

痛みのあまり、擦り切れつつあった意識を取り戻したからだ。

ぼんやりと霞んだような五感に、周囲の誰かの声が届いた。

聞いたことのない鳴き声だった。

ここに住む野生のポケモンだろうか、とミュウツーはぼやけた頭で考えていた。


――カサカサ

――チィチチッ……

――オチテキタ

――オソラ カラ


言葉が聞こえた。

妙な響きと聞き取りにくさのある、たどたどしい声。

その『声』が放つ、人間の言葉が。


9: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 02:06:24.16 ID:G632siqIo

――フッテキタ

――カチカチカチ


ミュウツー(……だ、れ、だ……)


――コイツ ミタコト ナイ

――コワイ

――ポケモン カナ

――ニンゲン カナ


ミュウツー(私は……ニンゲンなどではない。それだけは違う)


――ワルイヤツ ダヨ

――コワイネ

――コワイ


目を開けていなくても、今にも気絶しそうでも、注がれる視線は肌に痛かった。

もはや、立ち上がって敵意を剥き出しする力もない。


ミュウツー(……ニンゲンではないというなら、私はポケモンなのだろうか)

ミュウツー(私は、いったい何者なのだ)

ミュウツー(ここは、どこだ)

ミュウツー(なぜ、ここにいるのだろう)

ミュウツー(貴様らは……)

ミュウツー(……貴様らは、誰だ)


10: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 02:06:52.28 ID:G632siqIo

ざりざりと草を踏み締める音が聞こえる。

近づいてきている。


――ミタコトナイ、ヤツダ

――タスケルノ?

――タス……ケル


聞き取りにくい声たちが、頭上を行き交っている。

ここには、人間がこんなにいたのだろうか。

ああ……それでは、苦労して飛んできた意味がないではないか。

そして、ひときわ大きな影が覗き込んで――今度こそ、ミュウツーは意識を失った。


11: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 02:07:29.57 ID:G632siqIo




夢を見た。

沈んで行くような、浮き上がっていくような。

そこに誰かがいる。

小さな太陽のように、暖かい光の塊がいる。

『それ』は優しいものだ。

『それ』は教えてくれた。

『それ』は、たくさんのことを教えてくれた。

「生きているって、きっと、とっても楽しくて、とっても素晴らしいことよ」





24: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 21:59:01.61 ID:G632siqIo


ミュウツー(ここは、どこだ。私は……)


目覚めると、大きな木のうろの中で仰向けに寝かされていた。

足元には口のような穴があり、昼前と思しき日射しが、自分の足先を焼いている。

それが妙に眩しく、思わず眉を顰める。

身体を起こそうとすると、全身に鈍い痛みが走って息が止まった。

思うように起き上がれない。

どおん、どおん、と、どこかから音が響いている。


ミュウツー(うぐっ……)


それでも無理に起き上がろうとするが、結局断念した。

身体が怠く、右肩が痛い。

脳は動けと指令を出しているのに、身体がその通りに動かなかった。

ならばと身体を浮かせと念じてみても、やはり思うように物事は運ばない。

経験したことのない不快感に、苛立ちが募った。

溜息をついてまわりを見てみると、どうやら自分は、葉を敷き詰めて作った寝床のようなものの上にいる。

シーツはいくらか傷んでいたが、失われることもなく身体に被せられていた。

痛む右肩のあたりから、ツンとした匂いがする。

磨り潰した草のようなものが右肩に塗りたくられていた。


ミュウツー(これは、怪我の治療のつもりか)

????「あっ おきた!」

ミュウツー(!?)


突然声がしたので慌ててそちらを見るが、誰もいない。

既に走り去ってしまったようだ。


25: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:00:36.74 ID:G632siqIo

ミュウツー(ニンゲン……ではないな。今の声)


手を動かしてみる。

丸みのある三本の指は、脳の指令通りに動いてみせた。

こちらは両手とも、問題はなさそうだった。

脇腹のあたりをぶつけたらしく、少し痛む。

ゆっくりと首を回し、頭を振ってみる。それほど辛くない。

ならば、無理やりにでも立ち去るか。

そう思った瞬間、再びうろの入り口に影が差した。


????「あーっ うごく だめ!」


見たことのないポケモンが、木のうろの外からこちらを覗き込んでいる。

背はそれほど高くなく、頭の上に葉が数枚、揺れていた。


ミュウツー『!? ……だ、誰だ』


反射的にテレパシーを飛ばし、その相手にぶつけていた。


????「えっ……こえ きこえる???」


声の主は辺りを見回した。

しばらくキョロキョロとして、再びミュウツーに視線を向ける。

最終的に、目の前の存在こそが、声の源であることを理解したようだった。


????「こえ……なの?」

ミュウツー『き……貴様は誰だと聞いている』

????「チュリネ? チュリネはー チュリネ!」

チュリネ「げんき? おなか すいた?」

ミュウツー(……)

チュリネ「あのね、これ あげる にーちゃん いった」


26: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:01:31.52 ID:G632siqIo

そう言いながら、チュリネは目の前にきのみをぼろぼろと落とした。

ミュウツーは呆気に取られ、反応すらできずにいる。

目の前にいる小柄なポケモンが、ひどくたどたどしいながら、人間の言葉を吐いていたからだ。

意味が分からなかった。

テレパシーを使っているのかとも思ったが、声は確かに聴覚を刺激しており、直接頭の中に響いている様子もない。

どおん、どおん、と、どこかから音が響く。


チュリネ「はい どーぞ」

チュリネ「げんき なったら にーちゃんとこ いこ!」


きのみのことだけを言い残すと、チュリネはくるりと向きを変えて走って行く。

ミュウツーは何か反応しようとして、結局間に合わなかった。

目の前には、甘ったるい香りを放つ、桃色のきのみだけが残された。


ミュウツー(ただの……野生のポケモンが、私を助けたのか……?)

ミュウツー(しかも、奴が話していたのは……紛れもなくニンゲンの言葉だ)

ミュウツー(『ただの』野生のポケモンでは、ないのかもしれん)

ミュウツー(……わからん)

ミュウツー(あのポケモン、これを食べろと言っていた)

ミュウツー(これは、食べ物なのか)


見たことのない物体だった。

心地良い香りが鼻を刺激する。

苔よりは、ずっと惹かれるものだ。


ミュウツー(……腹が減っているか、だと?)

ミュウツー(腹は……減っているに決まっているではないか)


27: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:02:33.68 ID:G632siqIo

生きるために、何かを食べるのは当然のことだ。

だというのに、誰かに見られるのが異常に恥ずかしい。

見せたくない自分のはらわたを、人目に晒すような気分だった。

誰にも見られていないことを確認すると、痛くない左腕を伸ばして、きのみの一つを手に取った。

どおん、どおん、と、どこかから音が響く。


ミュウツー(……こんなもの、研究所でも洞窟でも見たことはない)


生まれてこの方、こうした固形のものを食べたことはなかった。

見たことも、聞いたこともない。


ミュウツー(いや、そうでもないか……)


ガラスの筒の中で、存在だけは聞いていたような気がした。


ミュウツー(あのコケより、マシだといいが……)

ミュウツー(……いい匂いだ)

ミュウツー(もぐっ)

ミュウツー(……う……)


鼻を通り抜ける甘い匂いと口に溢れた果汁に、気が遠くなりそうだった。

頭の中に、言葉にできない不思議な感情が湧いた。

胸がそわそわするような、身体が喜んでいるような感覚。

それは、『おいしい』という概念だった。

腹一杯食べるとまた眠くなったので、ミュウツーはシーツにくるまって眠ることにした。

モノを食べて腹が膨れるという体験も、この時が初めてだった。

ときどき、地面に響くような轟音がどこか遠くから聞こえている。


ミュウツー(……雨も……降ってないのに……雷……か……?)


そんなことを考えながら、ミュウツーは眠りに落ちた。


28: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:03:47.52 ID:G632siqIo


夢を見た。

『私』は、ぬるい水に浮いている。

ぬるい水の見通しは悪く、奥底に何がいるのかわからない。

ぽちゃり、と音がして水面に誰かの細い手がひとつ、浮き上がってくる。

ぽちゃり。

ぽちゃり。

ぽちゃり。

その手たちの向こう、どんより濁った水の底から、ごぼごぼと声がした。

「それは、わたしのもの」



29: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:08:42.34 ID:G632siqIo

再び目が覚めると、日はすっかり傾いていた。

昼間よりだいぶ涼しくなっている。

無意識に、眉間に皺が寄っていた。


ミュウツー(不愉快な夢を見た……気がする)

ミュウツー(身体は、もう動かしても痛くなさそうだな)


だが、相変わらず力を発揮できる気配はない。

疲労のためなのか、別に理由があるのかは、自分でも分からない。

もうしばらく、無力な存在でいなければならないようだった。


チュリネ「おはよ! おなか いっぱい? おいしーかった?」

ミュウツー(ッ!?)


近づいてくる気配に、まったく気づけなかった。

さきほどのチュリネが、うろの入り口から自分を見ている。


チュリネ「げんき! じゃあ にーちゃんとこ!」

ミュウツー『に、「にーちゃん」……?』


相変わらず声は聞き取りづらい。

一方、こちらの伝達はテレパシーである。

こちらからの問いかけは、鮮明に届いているはずだった。

『にーちゃん』とは、なんだろうか。

人間の研究所にいた頃の知識を総動員する。

『にーちゃん』とは、『兄』の極めて砕けた言い方だ。

『兄』と呼ばれるのは共通の生みの親を持ち、先に生まれたオスの個体を指すはずだった。

ある意味で、『兄』のような存在は、たくさんいたといえるかもしれない。

自分より先に生み出された、呪いの子。

ガラス筒の中から出ることなく、消えていった『兄』や『姉』たち。


30: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:09:51.62 ID:G632siqIo

チュリネ「にーちゃん げんき なったら よんで って」

チュリネ「おけが いたい?」

ミュウツー『……そいつも、ポケモンか』

チュリネ「うん! にーちゃん とーっても つよいポケモン!」

ミュウツー『そ、そうか……』

チュリネ「にーちゃん たすける いった!」

ミュウツー『わ、わかった、わかった……』


理由は分からないが、このチュリネは興奮しているようだ。

これ以上この会話を続けていても、大した情報は得られないだろう。

それより、『にーちゃん』と呼ばれるポケモンに会った方が、現状を把握するにはいいはずだった。

のっそりと起き上がり、節々の痛みを堪えながら木のうろをくぐる。

チュリネはすでに歩き出していた。ついてこいと言わんばかりだ。

シーツを被り、不本意ながらついて行く。


のろのろと歩く。

体中に鎖かツタが絡みついて、歩みを邪魔しているような気がしている。

かろうじて交互に足を送り出し、少しずつ前へと進んでいた。

歩く行為そのものに慣れていないのだということに、本人は気づかない。

チュリネは親切な介助者のように振り返り、追いつくのを辛抱強く待っていた。

それを、敵意と憎しみを込めて睨み、牽制する。

だがせっかくの牽制も、伝わっているとは到底思えなかった。


くさむらに、ポケモンたちが身を潜めているのがわかる。

この闖入者を嫌悪し、恐れているのだろう。

そうに決まっていた。

仲間ではない何かを見る視線。

異物を見る視線。

排除すべき対象を見る視線。


31: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:11:30.99 ID:G632siqIo

ミュウツー『どこまで行く気だ』

チュリネ「すぐ! にーちゃん 『シュギョー』してる」

ミュウツー『修行? なんの修行だ?』

チュリネ「どーんどーん! してるの。……あれっ もうしてない」

ミュウツー(???)

チュリネ「よかったぁ にーちゃんね シュギョーだと おはなし きいてくれないの……あっ!」


チュリネが何かに気づき、速度を増して駆けていく。

その先には、巨大な倒木の上であぐらをかく誰かの姿があった。

巨木には、抉ったような大穴が開いている。

周囲に木屑のようなものを撒き散らし、あたりに生っぽい木の香りが立ち込めている。

この瑞々しい香りは、大穴が今さっき開けられたものだということを伺わせた。

あぐらをかく『誰か』はこちらに背中を向け、表情はわからない。


ミュウツー(なるほど、地響きはこいつが出していたのか)

チュリネ「ダゲキにーちゃーん げんき なったー!」


その誰かが、チュリネの声を耳にして緩慢な動きで振り向いた。

そして声の主が誰なのかを確認すると、のんびりと立ち上がった。

倒木の上から軽々と飛び降りて、ふたりの前まで猫背気味に歩いてくる。


ミュウツー(格闘ポケモンか……見たことのない種類だが)

ミュウツー『ポケモンが、私に何の用だ』


ミュウツーは不快そうな顔を隠そうともせず、眉間にいっそう深い皺を寄せた。

ミュウツーの『声』は今、チュリネたちを中心とした、ごく小さな半径に届くようにしている。

だから、声は聞こえているはずだった。


32: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:12:34.03 ID:G632siqIo

ダゲキ「……」


だが、思ったような反応は見られない。

返事を考えているようにも見えるが、よくわからなかった。

ミュウツーの我慢が限界を超えようとした瞬間、相手は口を開いた。


ダゲキ「……きみ ニンゲンのことば こえ する」

ダゲキ「あたま、きこえる……」

ダゲキ「……」

ダゲキ「……ぐあい どうだ」


ダゲキはミュウツーをじっと見据えて言った。

その表情に変化はない。

だが自分の言ったことが伝わっているのか、探ろうとする目に見えた。


ミュウツー『おかげさまで、最悪だ』


ダゲキが少し考え込むように頭を傾けた。

言われた言葉を理解しようとしている。

それだけで、皮肉の通じる相手ではないことがわかった。


ダゲキ「チュリネ……けが してる、あるく だめ」

チュリネ「にーちゃん よぶ いった!」

ダゲキ「……ぼく よぶ……ぼく、いく」

チュリネ「あっ……」


ミュウツーはふたりのやりとりを聞いて、ようやく自分が、しなくてもいい苦労をさせられたことに気づいた。


33: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:13:25.57 ID:G632siqIo

ミュウツー(……ま、まぁ……いいが)

ダゲキ「ごめん」

ダゲキ「きみ たくさん ねた。おぼえてる?」

ミュウツー『待て』

チュリネ「?」

ダゲキ「なに?」

ミュウツー『貴様は……貴様らは、なぜニンゲンの言葉を話せるのだ』

ダゲキ「きみも、あたま こえ はなす」

ミュウツー『それは……そうだが』

チュリネ「チュリネも おはなし!」

ダゲキ「チュリネ」

チュリネ「……はーい」

ミュウツー『……貴様の目的はなんだ? なぜ私を助けた?』

ダゲキ「『モクテキ』?」

ミュウツー『私のようなテレパシーならばともかく、言葉を操るポケモンなど、ニンゲンに関わらねばあり得ん!』

ミュウツー『たとえ関わりがなかったにせよ……』

ミュウツー『私がこの森にいると気づかれれば、私を捕えるためにニンゲンどもがやって来る』

ミュウツー『私は、ニンゲンの研究所を破壊して逃亡してきた。恐らく、いずれは私を追って来るはずだ』

ミュウツー『仮に奴らが来た時、私は貴様らに危害が及んでも庇う気はない』

ミュウツー『貴様らが、私を庇うことにデメリットこそあれ、メリットはないはずだ』

ミュウツー『それとも貴様は、あのサカキとかいう……』

ダゲキ「……?」


チュリネが、不思議そうな顔でふたりを交互に見ている。

言葉の意味が伝わったのか、疑わしい。


34: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:14:26.81 ID:G632siqIo

ダゲキ「きみ……も、ニンゲン にげた?」

ミュウツー『……? まあ、そうだ』

ダゲキ「じゃあ、もりの おく かくれろ」

ダゲキ「ニンゲン こない」

ダゲキ「あいつのそば、ニンゲン ちかよらない」

ミュウツー『「あいつ」?』


足元のチュリネが嬉しそうに跳ねた。


チュリネ「あのね もりのおく すんでる」

ミュウツー『そ、そいつは……ニンゲンか?』

チュリネ「ううん みんなと おんなじ ポケモン」

ミュウツー『同じ……ポケモンだと?』


その言葉を耳にすると、ミュウツーは無性に怒りが込み上げてきた。


ミュウツー『何が「同じポケモン」だ! 同じなものか!』

ミュウツー『私は……私がポケモンだと? 貴様らには私が、ただのポケモンに見えるのか?』

ミュウツー『何も知らないくせに、利いた風なことを言うな。私は……』

ミュウツー『私はニンゲンの都合で生み出され、ニンゲンの都合で否定され、ニンゲンの都合で生かされてきた「モノ」だ』

ミュウツー『貴様らはポケモンだな? ポケモンだ。紛うことなきポケモンだ。だが私は何だ?』

ミュウツー『ニンゲンに造られた存在である私は、もはやポケモンですらない!』

ミュウツー『ならば……』

ミュウツー『ならば私は、誰なのだ!』

ミュウツー『貴様らに、答えられるのか!』


意味が通じる自信はなかった。

チュリネの表情に、不安の色が濃くなった。

話を理解できないまでも、険悪な空気は感じ取ることができるのだろう。


35: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:15:30.60 ID:G632siqIo

チュリネ「にーちゃん……」


そんなチュリネに対しても、ダゲキは一瞥をくれただけだった。

ミュウツーには、やはり何を考えているのかよくわからない。

くるくると変わるチュリネの表情と違い、どこか人間に似ているダゲキの顔に、表情らしい表情はなかった。


ダゲキ「きみのこと しらない。だから、わからない」

ダゲキ「こまっている やつ たすける」

ダゲキ「きみ……は、こまってる だろ?」

ミュウツー『だ、だが……』

クルミル「キュウイッ!」

ミュウツー(!?)

ダゲキ「?」


くさむらから突如、野生のクルミルが顔を出した。

のろのろと足を動かしながら、しきりに頭を振り、近づいてくる。


クルミル「キュッ……キュー、ウィウィキュッ」


何を言っているのか、ミュウツーにはまるで理解できない。

その『声』に、ダゲキの足元にいたチュリネが反応した。


チュリネ「にーちゃん はし あった!」

ダゲキ「わかった。いく」

ミュウツー『お……おい、待て!』


ダゲキは言うが早いか、ミュウツーやチュリネを置いて歩き始めた。

その背に向け、ミュウツーは思わず引き留める言葉を吐く。

ダゲキはちらりと振り返って、ミュウツーを横目で見た。


36: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/13(土) 22:16:39.82 ID:G632siqIo

ダゲキ「きみ ふってきた。はし ながれた」

ミュウツー(……!)

ダゲキ「チュリネ、あとで いく」

ダゲキ「きみは まず、げんきになれ」

ダゲキ「……たすけられたら 『れい』 いえ」

ミュウツー『なっ……』


クルミルに先導させ、ダゲキはくさむらへと消えていった。


一方、ミュウツーはチュリネに導かれ、さっきまで自分が寝かされていた木のうろに戻ってきた。

思うようにならない身体を庇いながら、寝床の上に腰をおろす。

相手が落ち着くのを待ち構えていたかのように、チュリネが勢い込んで口火を切った。


チュリネ「あのね!」

ミュウツー『なんだ!』


ミュウツーは精いっぱいの苛立ちをぶつけた。

だが、チュリネはあまり意に介していないようだ。


チュリネ「おうち チュリネ きれいきれい したの!」

ミュウツー『そ……それがどうした』

チュリネ「すごい? えらい?」

ミュウツー『……う……うむ……?』

ミュウツー『貴様、チュリネ……と言ったな』

チュリネ「うん! チュリネね、チュリネ!」

ミュウツー(言いたいことはわかるが意味がわからん)

ミュウツー『チュリネ。奴は……どうして私を助けた』

チュリネ「『やつ』? にーちゃん の、こと? チュリネ わかんない」

ミュウツー『そうか……いや、いい……』

チュリネ「あとでね……みまわり……にーちゃ……」


そのあとは、ミュウツーの耳に届いていない。

上から泥を被せられていくように意識が途切れた。


48: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:19:43.31 ID:Nvgi9fXko

いつのまにか、体を丸めて眠っていた。

空に太陽の輝きはなく、痩せた月とわずかな星々が瞬くばかりだった。

少し、寒い。

シーツは無意識に羽織っていたようだ。

これでは人間と変わらないではないか、と自嘲する。


ミュウツー(なんと無様なのだ)

ミュウツー(あんな連中に助けられ、説教までされるとは。とんだお笑い種だ)

ミュウツー(これでは、洞窟にいた頃よりなお悪い。早く出て行こう……)

ミュウツー(……)

ミュウツー(身体が重い。腹は減った。腕を上げるのも億劫だ)

ミュウツー(この気怠さは、なんなのだ)

ミュウツー(……体力が戻るまでは、おとなしくしていよう……)

ミュウツー(眠る前はまだ陽があった気がしたが、もう真っ暗だな)

ミュウツー『……夜か』

ダゲキ「もうすぐ、あさだ」

ミュウツー『……!? いッ、いつからいる!?』

ダゲキ「さっき」


飛び起きると、うろの入り口にごく薄い月明かりを受ける背中が見えた。

その横には、昼間のチュリネがうずくまって眠っている。

地面にはきのみがいくつか散らばり、きらきらと光っていた。


無意識に、独り言が垂れ流されていたようだった。


49: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:21:31.29 ID:Nvgi9fXko

ダゲキ「みまわり おわって きた」

ミュウツー『……そんなことはいい』

ミュウツー『貴様は何者なのだ』

ダゲキ「……?」

ミュウツー『何者だと聞いている』

ダゲキ「このもりの、ポケモン」

ミュウツー『たかが森に住むポケモンが、なぜテレパシーでもなくニンゲンの言語を使える?』

ミュウツー『なぜ、私を助けた?』

ミュウツー『私のような存在を見て、どうしてそう平静にしていられる?』


矢継ぎ早に疑問をぶつけ、ミュウツーはいつの間にか肩で息をしていた。

動揺している、困惑している、あるいは馬鹿にしているのだろうか。

そのいずれであったにせよ、相手の様子に変化はなかった。


ダゲキ「はんぶんぐらい、なに いってるか、わからない」


無感動な声で言う。

冗談が空振りしたような、決まりの悪い気分になった。


ダゲキ「たすけた は……たすける おもった から」

ミュウツー(『助けたのは、助けようと思ったから』……とでも言いたいのか)

ミュウツー『なぜだ?』

ダゲキ「『なぜ』?」

ダゲキ「へんなやつ。……たすけたい おもった」

ミュウツー『……いい加減なものだ』

ダゲキ「ぼくは そう おもったんだ」

ミュウツー『なんだって?』

ダゲキ「……これ、たべろ」


50: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:23:46.62 ID:Nvgi9fXko

そう言いながら、ダゲキは転がっていたきのみの一つを投げてよこした。

ミュウツーが拾ったかどうか確認するそぶりもなく、他のきのみを拾い、自分もかじりついている。


ミュウツー『この……「きのみ」は』

ダゲキ「チュリネ」

ミュウツー『あのチビか……』

ダゲキ「チュリネ、チビ いわれる すごくいや」

ミュウツー『知るか』

ミュウツー『……「見回り」と言っていたが……何の見回りをしているんだ』

ダゲキ「……ニンゲン、ちかく すんでる」

ミュウツー『……やはり、近くに街があったか』


少し残念だった。

ミュウツーはその言葉の続き、彼らが人間を厭う理由を待った。

だが、いくら待っても語られる気配はない。


ミュウツー『……ニンゲンに、何かされたか?』


そこでようやく、ダゲキは肩越しにミュウツーを見た。


ダゲキ「……ニンゲン するの よくないこと だけ」

ミュウツー『真理だな』

ダゲキ「『シンリ』? ……きみ、ことば、たくさん しってる。とても……わかりにくい」

ミュウツー『わ、わかりにくい……だと?』

ダゲキ「『シンリ』 きいたこと ない」

ダゲキ「ぼく、おぼえた ことばだけ わかる」

ミュウツー『……憶えたのか? ニンゲンの言葉を』

ダゲキ「……うん」

ダゲキ「ニンゲンの ことば、みんな すこしおぼえた」

ダゲキ「すごく ちがうポケモンと、はなせる」

ミュウツー『「みんな」? この森のポケモンは、みなニンゲンの言葉を話せるのか?』

ダゲキ「ううん……ちがう」

51: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:25:05.58 ID:Nvgi9fXko

ダゲキ「はなせる ポケモン、ちょっとだけ」

ダゲキ「きいて わかるだけ、もっといる。ニンゲンと いたポケモン、みんなわかる」

ダゲキ「みんなのことば ぜんぶおぼえる できない」

ミュウツー『では、貴様も……』

チュリネ「むにゃむにゃ」

ミュウツー『……お、起きてしまったか?』

ダゲキ「おきてない」

ダゲキ「……ぼくも ねる。あした、はし なおす」

ミュウツー『……わ、私にも手伝わせろ。私が落ちてきたせいで、壊れた橋なんだろう?』

ダゲキ「けが してるやつ、てつだわなくていい」

ミュウツー『み、見くびってもらっては困る。こんな怪我、どうということはない』

ダゲキ「でも……」

ミュウツー『余計な借りは作りたくない』

ダゲキ「『カリ』?」

ダゲキ「……ううん、わかった」


知らないなりに、ミュウツーの言いたいことは理解できたらしい。

意外な早さでダゲキが折れ、ミュウツーは少し驚いた。


ダゲキ「じゃあ」


短かくそう言い残すと、ダゲキは眠るチュリネを抱えて去って行った。


52: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:27:50.40 ID:Nvgi9fXko

チュリネ「おはよう! きのみ たべてくれた! ありがとう!」

ミュウツー『う、うむ……』


覚醒しきらないうちから、ミュウツーのうろにはチュリネの声が響いた。

夢は見なかった。

外はやけにいい天気だった。


チュリネ「……いたい?」

ミュウツー『いや、もう痛くはない』


そう答えると、チュリネは急に嬉しそうに飛び跳ねた。


チュリネ「チュリネの はっぱ おくすり! すごい?」

チュリネ「ぐあいわるい はっぱ かじる みーんな げんきなる」

ミュウツー(……あ、そういえば頭の葉が一枚減ってるな……)

チュリネ「きのみ チュリネ おてつだいしてるの!」

ミュウツー『きのみを……自分たちで育てているのか』

チュリネ「チュリネ わかんない あのね、おねえちゃん おせわしてるの」

ミュウツー『そいつもポケモンか』

チュリネ「うん! こんど、はたけ みせる!」

ミュウツー『あ、ああ、今度な……と、ところで、昨日の、ダゲキとかいう奴はどこにいる?』

チュリネ「にーちゃん? にーちゃん……おひさま とおいかわで はし なおしてる」

ミュウツー(太陽の遠い川……?)

ミュウツー『そうか……私をそこへ連れて行ってくれるか?』

チュリネ「うん いいよ! チュリネ いま いくの。いっしょいこ!」

..3日目 午前 橋のところへ~ジュプトル遭遇~見回りへ

ミュウツー(……はぁ、はぁ……)

ミュウツー(坂道があるなら先に言ってくれ……)

チュリネ「~♪」

次第に、さらさらと水の流れる音が聞こえてきた。

目的地である小川が近いのだろう。

はじめに自分がいた場所から考えると、向かう先は森の北側である。


ミュウツー(なるほど……太陽の遠い川とは、そういう意味か)


53: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:29:48.96 ID:Nvgi9fXko

あたりの森は鬱蒼として、それでいて陽射しは強い。

チュリネが滑っていくゆるやかな坂道に、ミュウツーは眩暈を覚えた。

自分だけ、なぜこんなに疲れるのだろうか。

目の前の小柄なポケモンは、楽しげに鼻歌を歌いながらどんどん進んでいく。

鼻がどこについているのか、よくわからないが。

自由奔放な言動に少し慣れてきたのか、腹は立たなかった。


ミュウツー(ひとりなら、空を飛んで行けるが……案内させている手前、そういうわけにもいくまい)

チュリネ「にーちゃん いる!」


ミュウツーを顧みて、チュリネが嬉しそうな声を上げた。


チュリネ「にーちゃーん! つれてき……」

ミュウツー『……? どうした?』

チュリネ「……あ ジュプトルちゃん、また おこってる。もー」


その言葉を受け、ミュウツーはチュリネの視線の先へと顔を向けた。


まず、小川があった。

小川といっても、泳げない小さなポケモンでは恐怖を覚えそうな程度には幅がある。

細い丸太をいくつも並べて蔦でくくったらしい原始的な橋が、その小川にかけられていた。

彼岸にも此岸にも、見慣れないポケモンたちが集まっている。

橋がかけられる様を見物に来たのだろうが、今は誰もが別のものに目を向けていた。


誰かが文句を言っている。

ずいぶん機嫌が悪そうだった。

頭頂から長く伸びる長い葉のようなものを激しく揺らしている。


54: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:31:34.38 ID:Nvgi9fXko

ダゲキ「……わかった。でも……」

ジュプトル「おまえ、いつもそうだ。よわむしめ」

ダゲキ「……よわむし?」

ジュプトル「よわむしだ」

ジュプトル「おまえ、おいだされたくない もんな」

ジュプトル「おれは、あいつが いるなら……」


怒りを露わにしていたポケモンは、そこでようやくチュリネとミュウツーの存在に気づいた。

言葉を切り、悔しそうに顔を歪めて踵を返して去って行く。

舌打ちもしていたような気がした。


ミュウツー(?)

チュリネ「??」


チュリネとミュウツーは、去りゆくポケモンの姿をただ眺めていた。


ダゲキ「きたのか」


ミュウツーは慌てて振り返った。


ミュウツー『あ、ああ……昨日、手伝うと言ったからな』

ダゲキ「ありがとう。でも、おわった」

ミュウツー『そ、そのようだな……今の奴は?』

ダゲキ「あいつは、いいんだ……」

ダゲキ「……きみは、とても たかいところ おちた」


露骨に話を逸らされた。

それはわかっていたが、そのままにしておいた。


55: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:33:22.85 ID:Nvgi9fXko

ミュウツー『そうだったかもしれない……よく憶えていないが』

ダゲキ「よなか……だ、か、ら、ニンゲン きづかなかった」


やけに言いにくそうにしている。

人間と似た頭部の構造をしていても、発音しにくい音があるのかもしれない。


ダゲキ「きづかれなくて よかった」

ミュウツー『すまなかった。……いや、違うな。礼をまだ言っていなかった』

ミュウツー『助けてくれて、感謝する』

ダゲキ「『カンシャスル』 は……『れい』か?」

ミュウツー『そうだ』

ダゲキ「……ごめん」

ミュウツー(?)

ダゲキ「もっと……はなし できないやつ おもった」

ミュウツー『な!? なんだと! そっちこそ……』

ダゲキ「うん。ぼくは なまいきだった」

ミュウツー『そ……ああ、うむ……』

ダゲキ「たすけて ほしくない だった……と、おもった」

ミュウツー『……いや、そんな、それは違う』

ミュウツー『仮に助けてほしくなかったとしても、助けた貴様が謝るようなことではないだろう』


そこまで言っておいて、ミュウツーは自分の言葉が伝わっているのか不安を覚えた。

相手は、それなりに概念を持っているようではある。

だが、表現のしかたについては極めて稚拙だ。


56: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:36:28.21 ID:Nvgi9fXko

ミュウツー『わ、私の方こそ、いろいろと面倒をかけた。これ以上、貴様やこの森の連中に迷惑をかけるつもりはない』

ミュウツー『体力が戻り次第、ここを出て行く』

ダゲキ「でていく?」

ダゲキ「きにしなくて いい」

ダゲキ「『よそ』から もりにきて、すんでる たくさんいる」

ダゲキ「ジュプトルも、そうだ」

ダゲキは、すぐそばに座って手を舐めていたポケモンの頭に手を置き、耳のうしろを撫でた。

ダゲキ「イーブイ ジョウトという ところから、きた」

イーブイ「にーちゃん? ぼくの おはなし?」

イーブイ「ぼく、おふね びゅーん! って、きた!」

ミュウツー『たしかに……ニンゲンどもがジョウトと呼ぶところがある』

ミュウツー『……だがなぜ、ジョウトのポケモンが、ここにいる?』

ダゲキ「さあ……」

ダゲキ「『シンカ』しないから、すてた って」

ミュウツー『捨て……られた?』

イーブイ「あのね、ぼく おいてかれちゃったの」


そう言い放つイーブイは、上機嫌でにこやかだった。

とても、自分が捨てられたことについて話している様子ではない。

せいぜい、楽しい思い出を話しているようにしか見えない。


イーブイ「シンカしないの、いらないって!」

ミュウツー『進化しないと……ニンゲンに捨てられるのか?』

ミュウツー『ニンゲンは、そんなことでポケモンを捨てるのか!?』

ダゲキ「……それは、ニンゲン きいて」


57: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:39:44.11 ID:Nvgi9fXko

くだらない理由でポケモンを、本来の生息地でもない森に捨てて行く神経が理解できない。

その上、捨てられたことをさほど悲しんでもいない彼らの様子も理解できなかった。


ミュウツー(ニンゲンとは、なんと罪深い存在なのだ)

ミュウツー『貴様らは……ニンゲンが憎くならないのか?』

ダゲキ「『ニクク』?」

ミュウツー『う……いや、強く嫌うことだ』

ダゲキ「きらいに なること……?」

イーブイ「ぼく ニンゲン きらいだよ」

ミュウツー『そ、そうだ』

ダゲキ「……しゅぎょう じゃま」

ミュウツー『どういう意味だ』

ダゲキ「きらい なる、いやなきもち なる」

ミュウツー『だ、だが……』

チュリネ「にーちゃん おはなし、むずかしい」

イーブイ「うん、ニンゲンみたい、むずかしーおはなし」

チュリネ、イーブイ「ねー」

ミュウツー『す、すまん』

ミュウツー(私は、なぜ謝っているんだ)

ダゲキ「ぼくも わるい」

ダゲキ「……チュリネ。きょう、ぼくと……」


チュリネに視線を向け、ダゲキが言った。


ダゲキ「きみ なまえ」


今度はミュウツーを見て、そう言った。


58: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:40:31.61 ID:Nvgi9fXko

自分の方は、互いに呼び合うのを聞いて、彼らの名前を知っていた。

だが、そういえばこちらから名を名乗った記憶はない。


ミュウツー『ミュウツーだ。とりあえずそれでいい』

ミュウツー(つくづく、嫌な名前だ)


遺伝上の親だった『誰か』の名前。

その名前を被せられた自分。

だが、その『もらいもの』の名以外、自分で自分を示す言葉を知らなかった。


ダゲキ「……ミュウツーと『みまわり』 いく。さきに もどって」

ミュウツー(……見回りか)

チュリネ「チュリネ だめ?」

ダゲキ「こんど」

チュリネ「はぁーい……」

イーブイ「ぼくもー!」

ダゲキ「だめ だってば」


59: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:42:39.13 ID:Nvgi9fXko

ダゲキ「その、ニンゲンのふく みたいなの、ずっと きる?」


森の中を歩きながら、こちらを見もせずにダゲキが尋ねた。

ふたりは並んで、森の縁に近い場所を辿っている。

いつものコースなのだという。


ミュウツー『大した意味はない。ニンゲンに見られた時、誤魔化せる』

ダゲキ「そんな おおきなニンゲン いない」

ダゲキ「そんな しっぽ ある ニンゲン いない」

ミュウツー(……)

ミュウツー『貴様、意外と口が悪いとか言われないか』

ダゲキ「ううん」

ミュウツー『……そ、そうか』

ダゲキ「……しっぽ、ある どんな かんじ」

ミュウツー『しっぽがないと、バランスが取れないだろうが』

ミュウツー『……というか貴様こそ、しっぽもなくて、どうやってまっすぐ立っているんだ』

ダゲキ「しっぽ あったこと ない、わからない」


正論だった。

ふう、と聞こえよがしに溜め息をつき、ミュウツーは嘲るように言った。


ミュウツー『実に不毛だな』

ダゲキ「『フモウ』?」


ダゲキが立ち止まり、こちらを見て尋ねた。

やはり知らない言葉だったのだろう。

意味を説明しても構わなかったが、少し面倒だった。


ミュウツー『気にするな』


60: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:44:28.02 ID:Nvgi9fXko

ダゲキを追い越し、ミュウツーはそれだけ言い捨てて歩いた。

するとダゲキもまた歩き始める。


ミュウツー『……さっきのジュプトルとかいうポケモン、なぜ怒っていたのだ』

ダゲキ「うん……」

ダゲキ「ぼくの、ううん……ぼくが、はなし する ポケモンと、なか わるい」

ミュウツー『「あいつ」というのが、奴の嫌う相手か』

ダゲキ「そう」

ダゲキ「まえは……けんか しなかった ……のに」

ミュウツー『「まえ」……か。この森は、捨てられたポケモンばかりか?』

ダゲキ「ちがう」

ダゲキ「この もりの ポケモン たくさん」

ダゲキ「にげてきた ポケモン すこしいる」

ミュウツー『それは……虐待を受けて、ニンゲンのところから、自分の意志で逃げてきたポケモンという意味か?』

ダゲキ「『ギャクタイ』?」

ミュウツー『ニンゲンに怪我をさせられたり……あるいは、反対に一切の世話をされないことだ』

ダゲキ「そう いうんだ」

ミュウツー『そ、そう言うのだ』

ダゲキ「じゃあ、そうだ」

ミュウツー『そうか……奴も、ニンゲンの身勝手で捨てられたクチか?』

ダゲキ「『クチ』?」

ミュウツー『……言い換える。ジュプトルも、ニンゲンに酷い扱いを受けて、捨てられたポケモン……なのか?』

ダゲキ「ああ……ジュプトルは その はなし、しない……」

ミュウツー『貴様はどうなのだ』

ダゲキ「ぼくも、いわない」

ミュウツー『いや、そういう意味では……まあいい。「見回り」とは、なんだ』

ミュウツー『前にも尋ねた気がするが、具体的に何をする』

ダゲキ「すてられた ポケモン たすける」

ダゲキ「……ニンゲン もりに きたら、かくれる させる」

ダゲキ「いじめられたポケモン、ニンゲン みると、こわがる、ぐあい わるくなる」

ミュウツー『なるほど……ん? あれは……』


61: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:46:07.72 ID:Nvgi9fXko

ミュウツーが茂みの向こうに視線を向けた。

ふたりが立っているところより少し森の外れに近いところで、リュックサックを背負って歩く人間がいる。

金属バットを肩に担いで、くさむらを歩き回っている。


ダゲキ「ニンゲン……」

ダゲキ「ここ ニンゲン ときどき くる」

ミュウツーはとっさに身を低くし、人間の動きを伺った。


若い男だった。

腰まであるくさむらを掻き分け、バットを振り回して騒がしい音をわざと立てている。

そうすることで、野生のポケモンを誘い出そうとしているのだった。


あ! やせいの ナゲキが とびだしてきた!


ナゲキ「ヴォーッ」


トレーナー「おっ、出やがったなポケモン! 行け! コマタナ!」


トレーナーが翳したモンスターボールからポケモンが飛び出した。


コマタナ「う、うぉっ、う゛ぉ……シャアッ!」


出てきたコマタナは体調が万全ではないらしく、片方の足を引き摺っている。

遠目ではよくわからなかったが、全身に細かい傷跡があるようにも見えた。


ナゲキ「ヴォアッ!」


62: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:47:57.47 ID:Nvgi9fXko

ミュウツー『……あれは、助けに行かなくていいのか?』

ダゲキ「じぶんで とびだした。いらないよ」

ミュウツー『自分から……?』

ダゲキ「たたかう したくない ニンゲンのまえ でない」

ダゲキ「ニンゲンの まえ、でる……たたかう したい」

ミュウツー『何のために、そんなことをする』

ダゲキ「ニンゲンのポケモン たたかう」

ダゲキ「だから」

ミュウツー『……?』

ダゲキ「ニンゲンのポケモン なる、つよくなる」

ダゲキ「だから、ニンゲンのポケモンと たたかって かちたい」

ミュウツー『……ふむ』

コマタナ「ヴァアエェ……ギュワアッ!」

トレーナー「よし、コマタナ! ひっかくだ! 早くしろ!!」

コマタナ「ヴェッ? ……ア゛ッ……ギッガ……グォ! キュワァァァッ!」


コマタナはひとしきり首を捻り、合点がいったとでもいうように奇声を発しながらナゲキに斬りかかった。

動きは素早かったが、しっちゃかめっちゃかに振り回された両手の刃では、ほとんどダメージになっていない。

不愉快な鳴き声で喚き、暴れているだけだった。


ミュウツー『あのトレーナー、あまりポケモンの扱いに長けていないようだが……』

ミュウツー『それにしても、あいつの動きは……妙だな』

ダゲキ「……」

トレーナー「ちっ……じゃあコマタナ、次は……」


トレーナーの声が聞こえると、コマタナはピタリと動きを止めた。

首を無理矢理捻って目をぱちぱちさせ、トレーナーの言葉に耳を傾けている。

隙だらけ、むしろ無防備と言っていい状態だった。

その間隙を衝いて、ナゲキが懐に飛び込んだ。

コマタナの小さな身体を、ナゲキの大きな手が掴む。


63: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:49:18.05 ID:Nvgi9fXko

ナゲキ「ゴオッ!」


ナゲキのちきゅうなげで、コマタナは頭から地面に投げ落とされた。


コマタナ「アギャッ……ヴェッ!」


コマタナは立ち上がることもできず、両手の刃で地面を引っ掛き、呻いている。


ミュウツー『おい……やはりおかしい』

ダゲキ「……」


戦っているナゲキすら、対戦相手の不自然な様子を目にして動きが止まった。

間合いから飛び退き、コマタナと、そのトレーナーの次の出方を伺っている。


トレーナー「ったく……役に立たねぇなあ。おい!」


人間の男はそう零しながら、持っていた金属バットを振り翳した。


トレーナー「これくらいでヘバってんじゃねーよ!」


ガンッ


コマタナ「ア゛ッ……」


男は金属バットでコマタナを殴り飛ばした。

ギュウとおかしな鳴き声を発し、コマタナは吹き飛んで地面に叩きつけられる。

その光景を見て、ナゲキのみならず、ミュウツーとダゲキも息を呑んだ。


ミュウツー『……!』


ゴン


トレーナー「いくら相性悪いからってさぁ、お前のがレベル上なんだから、ちょっとくらい粘れよ、つまんねーだろ」


64: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:51:39.90 ID:Nvgi9fXko

ガキン


コマタナ「ギッ……ギギィ……ヴァア……」


ゴキッ


男は文句を言いながら、コマタナをバットで殴り続けた。

コマタナの頭とバットが当たり、辺りに不快な金属音が響き渡っている。


ナゲキ「ヴォオ……」

ダゲキ「……」


ガァン


トレーナー「なんだよ。せっかく強そうだったから、あのガキから取り上げたのに」

コマタナ「ヴァア……イ……ダ……ァ……」

トレーナー「全然ダメだね。性格も思ってたのと違うし」

トレーナー「やんちゃとか。陽気なのがよかったのになあ」

ミュウツー『お、おのれニンゲンめ……! 黙って見ていれば!』

ダゲキ(て、てをだすな)

ミュウツー『なぜだ!』

ミュウツー『こんなことが、許されていいはずがないだろう!?』

ダゲキ「……」

コマタナ「ヴァア……ア゛ア゛ア゛……ア゛ギィ……」

トレーナー「あーあ。つまんね。帰ろっと」

トレーナー「次はもーちょっと強いポケモン探さないとなー」

トレーナー「うーん、それより先輩から質のいいメタモン借りて……」


65: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:53:01.20 ID:Nvgi9fXko

男は空になったボールを放り出し、コマタナをその場に残して帰って行った。

残されたコマタナは、まだ呻いている。


コマタナ「ア゛……ア゛ア゛……」

ミュウツー『……あんなニンゲンなど、一思いに殺してしまえばよかったのだ』

ダゲキ「それ は、だめだ」

ミュウツー『なぜだ? 貴様はポケモンのくせに、ニンゲンの味方をするのか?』

ダゲキ「みかた しない」

ダゲキ「たべない ころす だめ」

ミュウツー『えっ、食べ……』

ミュウツー『……だ、だが、ああいうニンゲンを放置すれば、今のようなことがまた起きるのだぞ』

ミュウツー『ニンゲンに傷めつけられ、命を弄ばれるものが増えるだけだ』

ダゲキ「きみ でる、ニンゲン あいつ たたかわせる……かもしれない」

ミュウツー『???』

ミュウツー『……そうか。狙いはそこか』

ミュウツー『確かに、その可能性もある』

ミュウツー『無事にあのニンゲンはあいつに興味をなくし、捨てた』

ダゲキ「これで たすけられる」

ミュウツー『腹立たしい話だ』

ダゲキ「きみは、いつも おこってる」

ミュウツー『普通は、貴様のようにはいかん』


そう言いながら、ミュウツーはコマタナの方を見た。

哀れなまでに傷つけられ、捨てられてしまったポケモンを眺める。

他人から奪い取ったポケモンだから、体調など気にもせず酷使したのだろうか。

同じ人間ではないから、もので殴り、捨ててしまっても平気なのだろうか。

その時、もっとずっと近い場所でコマタナを見つめていたナゲキが、突如こちらを見た。


66: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/14(日) 23:54:30.80 ID:Nvgi9fXko

ミュウツー(……!?)

ナゲキ「……ヴォア!」

ダゲキ「……ヒュッ!」

ミュウツー『!?』


唸り声にも似たナゲキの『声』に、隣に立つダゲキが即座に反応した。

やや甲高い雄叫びのような『声』で応える。

会話は成り立っているようだったが、ミュウツーにはどちらも唸り声にしか聞こえない。


ナゲキ「ヴッ……ヴォウ」

ミュウツー『なんと言っているんだ?』

ダゲキ「ぼく かくれてる しってた」

ミュウツー『む……』

ダゲキ「とにかく」

ミュウツー『助けるんだな?』

ダゲキ「うん」


くさむらから出たダゲキは、小走りでコマタナの元まで駆け寄った。

それを、ナゲキとミュウツーがそれぞれの場所から眺めている。


ミュウツー(猫背で小走りすると……少し笑えるな)

ナゲキ「ゴァ、ヴォア……オ゛……」

ダゲキ「ヒュー……ル……」

ミュウツー『貴様ら、わかる言葉で話せ』

ダゲキ「たたかった きがしないって」

ぐったりしたコマタナを抱え、ダゲキが歩き始めた。

ミュウツー『……私のことも、そうやって助けたのか』

ダゲキ「きみは もっと ずうっと おもかった」

ミュウツー(……)


75: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 21:56:25.60 ID:anCVowlIo

憔悴しきったコマタナが、小さく丸まって眠っている。

そのまわりに、いくつもの影が寄り添う。

パチパチと音をさせて、居並ぶ影の中央で小さな焚き火が揺れていた。


焚き火に顔を向けると、向けた顔だけが熱くなる。

背中を向ければ、背中が熱くなる。

弾ける音も、揺れる炎も、不思議な匂いも、ミュウツーには馴染みのないものだった。

爆発で起きた火災はもっと激しい炎だったはずだ。

だが、この頼りない焚き火とあの火災が同じもののようには、どうしても思えなかった。


バシャーモ「……ほな、またな」

ダゲキ「あ、ありがとう」

バシャーモ「めっそもないわ。ダゲキはんの頼みやったら、断れまへん」

ダゲキ「……う、うん」

バシャーモ「火ぃが必要にならはったら、いつでも呼んでおくれやす」

バシャーモ「ふふふっ」

そう言うと、バシャーモはにこにこしながら夜闇に消えていった。

ダゲキ「あいつも、すてられた」

ダゲキ「ぼくは ひ おこせない」

そう言っているダゲキの顔に明確は感情は浮かんでいない。

ミュウツー『そ、そうか……』

ミュウツー『妙な言葉遣いだったな……貴様よりは、かなり喋れるようだったが』


本当は、焚き火のことを尋ねようとしていた。

なのに、口を突いて出たのは、見慣れないポケモンのことだった。

自分でもどうしてなのか、ミュウツーには理解できない。


76: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 21:57:58.19 ID:anCVowlIo

ダゲキ「かいぬし だったニンゲンの、ことば」

ダゲキ「……むずかしいけど」

ミュウツー『奴が苦手なのか?』

ダゲキ「……い、いや……」

ミュウツー『では何を怯えている』

ダゲキ「……いや……うん……」

ミュウツー『……?』

チュリネ「あたらしいこ、いたい? ……かわいそう」

ダゲキ「……やっと ねむった。しずかにしよう」

チュリネ「はぁーい」

ダゲキ「……まいにち、に……に、ぎや、か」

ミュウツー『それは嫌味か』

ダゲキ「チュリネ、ねむくなったら、ねていい」

チュリネ「ぶーっ、チュリネ 『カンビョー』! ……ふぁあっ……」

ミュウツー『寝不足は身体に悪いと聞くぞ』

チュリネ「……」

チュリネ「……ぐー」

ミュウツー『……もう寝てないか?』

ダゲキ「……こども だから」

ミュウツー『……まあいい』

ミュウツー『さっきは、私を止めてくれて感謝する。あのまま私が動いていたら、ニンゲンに危害を加えていた』

ミュウツー『いや、ニンゲンがどうなろうと、それは知ったことではない』

ミュウツー『だが私がそうしていたら、騒ぎが大きくなり、無用にニンゲンを呼び寄せてしまったかもしれない』

ミュウツー『それは貴様たちにとっても困るだろうし、何より私にとっても望まぬ状況だ』

ダゲキ「……きみ、が、おこらない だったら、ぼく とびだした」

ミュウツー『そうか? それは意外だな』


77: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 21:59:45.66 ID:anCVowlIo

その時、茂みが揺れた。

さらさらと鳴る葉を掻き分けて出て来たのは、小さなフシデだった。

自分の身体より大きな葉の包みを引き摺っている。


フシデ「きのみ もてきた」


木を擦り合わせたような、聞き取りにくい声だった。


ダゲキ「ありがとう」

フシデ「チュリネちゃ、こない、だも」

ミュウツー『そこで呑気に寝ている』


そこに至ってフシデはようやく、ミュウツーの存在を認識したらしい。

丸く大きな目を更に大きく開いてミュウツーを見た。


フシデ「わあ」

ミュウツー『お……おう』

フシデ「はじ、まして」

ミュウツー『あ、ああ……よ』


『よろしく』と言いかけ、慌ててその言葉を飲み込んだ。


フシデ「およそ もり、きた?」

ミュウツー『まあ……そんなところだ』

フシデ「およそ からきた たくさ いる。だいじょぶ」

ミュウツー『いや、私は別に、人間に捨てられたわけではないのだがな……』

ミュウツー『……あぁ、逃げてきたのは事実か』

コマタナ「ビクッ!!」

ミュウツー『……?』

ダゲキ「……?」

フシデ「……??」

コマタナ「ヴォアッ……アガァ……」


78: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:01:28.01 ID:anCVowlIo

ガクンガクン


コマタナ「エゲッ……ヴェエア、ゲェェッェェェ!」


びちゃびちゃびちゃ


ミュウツー『お、おい吐いたぞ!』

コマタナ「オゲッ……ギギィア、ア゛……ア゛ッ……ゴ、ゴア……ゴヴェッゴボゴボ……イダイ、イ゛ヤ゛ァ…!!」

ダゲキ「わあ」

ミュウツー『おい、何か使えるものはないのか!』

フシデ「こ、これオボンのみ……」

ダゲキ「キーのみ、ラムのみ ない……しかたない」

コマタナ「アガァ……ゴェ……ナザイ……ゴベ……オゲエエエッ……」


べちゃべちゃ ごぼっ


ミュウツー『……どうする!』

ダゲキ「ニンゲンのところ いく」

ミュウツー『ニンゲ……おい、正気か!?』

ダゲキ「もりのはずれ、ニンゲン すんでる」

ミュウツー『……』

ダゲキ「つれていく」

フシデ「にーちゃ。おそら とべる、みいな ねてる」

ダゲキ「せおって はしる」

ミュウツー『ならば、私が行く。一刻を争うのだろう? 私なら空を飛べる』


体力がある程度回復していれば、飛べるはずだった。


79: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:02:02.59 ID:anCVowlIo

ダゲキ「きみ……も、けがにんだ。むり するな」

ミュウツー『見くびってもらっては困ると言ったはずだ!』

ダゲキ「……わかった。フシデ、きのみ もっていく」

フシデ「う、う!」

ダゲキ「チュリネのことも」

ミュウツー『ふん、まだ子供だからな』


80: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:03:16.22 ID:anCVowlIo

ダゲキ、ミュウツー、コマタナは森の上空を飛んでいた。

すっかり細くなった月の光で、うすぼんやりと明るい。


ミュウツー『……まだ見えてこないのか!?』

ダゲキ「いつもと、みえかた ちがう。よく わからない……」

ミュウツー『正直、貴様らふたり分で重いんだ、早く探せ!』

ミュウツー(というか……私は一体何をやっているんだ)

ダゲキ「だから、むり しなくていい、いった」

コマタナ「ヴェ……ア゛……ギュウウ……」


両手が自由になるミュウツーに抱えられて、コマタナが呻いている。

先程に比べれば、少し落ち着いたようだった。

暴れてはいるものの、力は弱々しい。

ダゲキは、フシデから受け取ったきのみの包みを片手で抱え、ミュウツーの尻尾にぶら下がっている。


ダゲキ「あっ……あれ あそこ」

ミュウツー『あの家か!?』


木々の間に、仄かな明かりの漏れるログハウスが佇んでいた。

煙突からは、煙が細く流れている。

少し離れたところに降り立つと、ミュウツーは地面に手を突いた。

飛べたこと自体は喜ばしい。

だが正直、体力が回復しきらないうちの飛行は少し辛かった。


81: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:04:19.66 ID:anCVowlIo

ミュウツー『ぜぇ……ぜぇ……わ、私はここで休む。早く行け』


ダゲキは頷くと、きのみとコマタナを両方とも抱え、ログハウスに走って行った。

煙突があるということは、暖炉があり、煙が出ているということは、中に人間がいるはずだ。

人間には姿を見られたくなかった。

それを察したのかどうかわからないが、ダゲキはそれ以上何も言ってこなかった。


ダゲキは、ログハウスの扉を叩いている。

ミュウツーはその様子を、ぼんやり眺めた。


?????「はぁーい、ちょっと待ってねー」


カーテンの引かれた窓に人影が映り、ノックに気づいた様子が見て取れる。

ミュウツーは慌てて体を引きずり、扉から死角になる場所まで這って行った。


?????「どちらさまー?」


扉越しのくぐもった声に、ダゲキは低く鳴いて返事をする。


?????「……ありゃ、はいはい、わかった今開けるって」


がちゃりと音がした。


?????「おーっ、久しぶりだね」


ダゲキは何も言わず、抱えたコマタナを示す。


82: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:06:09.44 ID:anCVowlIo

?????「なに? ……あれ、この匂い……!」


ミュウツーは人間の反応が気になり、首を伸ばした。


ミュウツー(あれは……レンジャーか……)


逆光で顔付きまでは分からなかったが、オレンジ色っぽい衣服を着ている。


レンジャー「なんだこれ、思いっきり殴られたみたいだな。吐いたのか。このコマタナ、まさかお前が……なわけないか」

レンジャー「ああもう! 今夜に限って飲んでなくてホントによかった! 今すぐポケモンセンターに連れてくから!」


ダゲキがきのみの包みを差し出した。


レンジャー「いいって。その話はあと! これからチャリぶっ飛ばして、シッポウシティ行かなきゃなんないからさ」


家の中が見えないミュウツーには、どたどたと人間が走り回る音だけが聞こえた。

急いで出掛ける準備をしているのだろう。

飛び出して来た時、レンジャーは小さなハンモック型にくくった布を斜めにかけ、その中にコマタナをくるんでいた。

自転車に跨りながらモンスターボールを掲げる。


レンジャー「ココ!」

ココロモリ「キューッ」


ボールの閃光と共に、ココロモリが気持ち良さそうな一声を上げて夜空に躍り出た。


レンジャー「ココ! フラッシュで先導!」

ココロモリ「キュィーッ」

レンジャー「じゃ、行ってくる! 留守番よろしくっ!」


83: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:07:49.78 ID:anCVowlIo

レンジャーの自転車がガチャガチャと金属音を立て、油の足りていない不快な音を伴って消えていった。

音が遠くへ消える頃、ミュウツーはようやくログハウスの玄関近くまでやって来た。


ダゲキ「……とぶやつ にがて」

ミュウツー『飛んでいったポケモンのことか?』

ダゲキ「うん」

ミュウツー『そんなことより……大丈夫なのか?』

ダゲキ「たぶん だいじょうぶ」

ミュウツー『ニンゲンの方だ』

ダゲキ「わるいニンゲン じゃない おもう」

ミュウツー『……いいニンゲンなど、いない』

ダゲキ「……うん」


ふう、と盛大に息を吐き、ダゲキはログハウスのステップに腰を下ろした。


ミュウツー『「久しぶり」と言っていたぞ』

ダゲキ「うん……まえ きた」

ミュウツー『??』

ダゲキ「なおらない けがとか、びょうき」

ダゲキ「あのニンゲン ポケモンセンター つれてって もらう」

ミュウツー『……ふむ』

ダゲキ「だから、チュリネたちの きのみ おれい」

ミュウツー『あまり褒められた話ではないな』

ミュウツー『ニンゲンは……自分の利益のためなら、ポケモンをゴミのように扱うぞ。貴様だって知っているだろう』

ミュウツー『命あるものを、生きているのに切り刻み……モノのように捨てる。今日のあの男がいい例だ』

ダゲキ「うん」

ミュウツー『ポケモンの命など……ニンゲンにとっては』


84: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:09:22.65 ID:anCVowlIo

ダゲキ「だけど、あのニンゲン たすけてくれる」

ミュウツー『……貴様が賢いのか馬鹿なのか、私にはわからなくなってきた』

ダゲキ「また おこってるのか?」

ミュウツー『怒ってなどいない。これが常態だ』

ミュウツー『あっ、うむ……ジョウタイとは、「いつもどおり」ということだ』

ダゲキ「たすかる」


顔をこちらへ向けようともせず、ダゲキは無感動に応えた。

それが厭味なのか本心なのかもミュウツーにはよくわからなかった。


しばらくして、ダゲキがぼそりと言った。


ダゲキ「……きみ ニンゲンの『じ』、わかる、か?」

ミュウツー『あ、ああ……読め……いや、わかる。道具があればおそらく、書くこともできる……と思う』

ダゲキ「そう……」

ミュウツー『……何か、知りたいことでもあるのか?』

ダゲキ「なんでもない」

ダゲキ「きみ……きみこそ、ニンゲンのことば どうして しってる?」

ミュウツー『それは……教えてもらったからだ』

ダゲキ「……ニンゲンに?」


怪訝そうな口ぶりだった。

かすかに顔をこちらに向け、目だけでミュウツーを見ている。

なぜか、笑われているのかもしれないと思った。


ミュウツー『なんだその目は。たぶん……そうだ。はっきりとは憶えていないが』


85: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:10:57.15 ID:anCVowlIo

きまりが悪くなって、ミュウツーは月を見上げた。

眠りの中。

夢の中。

ガラス筒の中。

研究所の中。


ダゲキ「こえ、あたま きこえるの どうして?」

ミュウツー『それは……いや、それは単にこういう能力がある、というだけだ』

ダゲキ「ふうん」

ダゲキ「……ぼく できない」

ミュウツー『それは、そうだろう』

ダゲキ「そうなんだ」


この能力自体は、自分の一部であり、血肉だ。

だが誰かが、ニンゲンの言葉で考え、伝えることを教えてくれた。

だから……。

……誰が?

誰が、教えてくれた?

思い出さない方がいいことだ。

だけど、思い出せないといけないことだ。


86: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:12:25.52 ID:anCVowlIo

ダゲキ「……きみ とてもふしぎな やつだ」

ダゲキ「ほかの すてられた やつと……ちがう」

ミュウツー『……』

ミュウツー『貴様も私を、異物だと……いや、変な存在だと思うか?』

ダゲキ「『イブツ』? べつに、へん おもわない」

ミュウツー『だが、その……ふ、不思議な奴だと言ったではないか』

ダゲキ「それは、きみが いつも、おこってるから」

ミュウツー『そこか』

ダゲキ「ぜんぶのポケモンを しっているわけじゃない」

ダゲキ「きみが とくべつに へん、だなんて わからない」

ミュウツー『まあ……そうだが』

ダゲキ「……ほんとうは、なに いいたかった?」

ミュウツー『なんだと?』

ダゲキ「……」

ダゲキ「きみは、ほんとう ニンゲンみたいなやつ」

ミュウツー『……ニンゲンみたい、か』

ミュウツー『嫌なことを言う』

ダゲキ「ニンゲン、いいたいこと、わざと いわない」

ダゲキ「きみも、いいたいこと、へんな いいかた する」

ダゲキ「なら、むりに いわなくていい」

ミュウツー『……』

ミュウツー『貴様に、何がわかる』

ダゲキ「わからない」

ダゲキ「ぼく……は、きみのこと しらない」

ミュウツー『正ろ……そのとおりだ。だが、貴様こそどうなのだ』

ミュウツー『色々と喋ってはいるが自分自身のことは何も言わず、私や誰かの話ばかりする。不公平ではないのか』

ダゲキ「ぼくのはなし、したくない」


87: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:13:45.74 ID:anCVowlIo

少し疲れた声でそう言うと、ダゲキは月を見上げた。


ダゲキ「わかってもらえるか、わからないから」

ミュウツー『卑怯な奴だ』

ダゲキ「『フコウヘイ』? 『ヒキョウ』……?」

ダゲキ「わるい ことば? いけないこと?」


月を見上げながら、ダゲキは考えごとをしているようだった。

ミュウツーを見ようともしない。

言われたことそのものより、未知の言葉に対する好奇心の方が勝っているように思えた。

それが余計に腹立たしいのだった。


ミュウツー『もちろん、とても悪い意味だ』


まるで負け惜しみを言っているようだと、ミュウツーは思った。

話すことがなくなって、ふたりはステップに腰掛けて黙り込んだ。


どれくらい、そうしていただろうか。

朝が近づくにつれ、空気が硬く、冷たくなった。

そして、東の空に輝いていたはずの星が見えなくなっていった。


ダゲキ「ああ、ねられなかった」

ミュウツー『一日くらい、どうということはない』

ダゲキ「からだに わるいんだろう?」

ミュウツー『……私は、昨日までに充分眠らせてもらった』

ミュウツー『あのニンゲンが戻ってきたら起こしてやる。それまで寝ていても構わんぞ』

ダゲキ「だいじょうぶ」

ミュウツー『強情な奴だ』

ダゲキ「『ゴウジョウ』? それも、わるいこと?」

ミュウツー『……』


88: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:15:56.17 ID:anCVowlIo

ふたり揃って、ぼうっとしていた。

いつしか日はとうに昇り、寒々としていた朝の空気も、昼が近づいて暖かく変わっていた。

遠くから、ガリガリと掻き毟るような自転車の音が聞こえてくる。

姿を見られたくないミュウツーは、大儀そうにログハウスの陰に身を隠した。

ダゲキが立ち上がり、音のする方に目を向ける。

間もなく、オンボロ自転車が木々の向こうから現れた。


レンジャー「……おっ、ホントに留守番してくれてたんだ」


レンジャーは乱暴に自転車を停めた。

つんのめりながら自転車から降りると、自転車が倒れるのも気にせずダゲキのいるログハウス前に駆け寄った。

急いだのだろう、息が上がり、汗をかいている。

出発したときと同じように、身体に布を巻きつけている。

その膨らんだ中には、きっとコマタナが丸まっているのだろう。


レンジャー「まあ、安心してよ。大丈夫だから」

レンジャー「いやァ、最初に見た時の状態、相当酷かったじゃない? 私がドクターとナースにしこたま叱られたよ」

レンジャー「トレーナーのくせに何やってんのって。私、トレーナーじゃないのにね。困っちゃったよ」


言葉と裏腹にあまり困っていなさそうな声で、トレーナーは朗らかに言った。


レンジャー「まあ、ちゃんと釈明したけどさあ。信用される肩書きって大事だなあ」

レンジャー「硬い棒状のもので繰り返し殴打された形跡、日常的な虐待を受けていたと思われる多数の打撲痕……だって」

レンジャー「かわいそうに、心ないトレーナーに酷いことされてたってのが一目瞭然だったよ」

レンジャー「センターに着いてからも、床にハサミ落とした音に驚いて、一回嘔吐してるんだ」

レンジャー「もう吐くものなんて胃に残ってないのに、ゲェゲェやってたよ。フラッシュバックだったみたいだ」

レンジャー「で、怪我はなんとかなったし落ち着いたから退院させてもらえたけど、どうする? 私が預かろうか?」


ダゲキは小さく首を横に振った。


89: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:17:32.81 ID:anCVowlIo

レンジャー「……わかった。じゃあ、ドクターからもらった薬の説明しとくわ」


レンジャーは肩からコマタナを下ろし、背負っていたナップザックから薬を取り出して説明を始めた。


レンジャー「……ってカンジで、毎日お薬、ちゃーんと飲んでくださいねー。あ、いやこれは塗り薬だけど」

レンジャー「きのみと違って人間が作ったモンだけど、お前だって馬鹿じゃないんだし、使えるよね」

レンジャー「さっきも言ったけど、ドクターが言うには、脳と足に症状が残ってるかもしれないってさ。動けるようになったら……」

レンジャー「ま、ちょっとでも様子がおかしかったら、すぐに連れて来いよ」

ダゲキ「……」

レンジャー「おいおい、気にしなくて……まあいいや、受け取っておくよ」


ダゲキが何も言わずに差し出したきのみの包みを、レンジャーは少し困った様子を見せながらも受け取った。


レンジャー「礼儀、だもんな」

ミュウツー(……受け取ることが『礼儀』とは、どういう意味だ?)


『チュリネたちが育てたきのみ』を謝礼として渡しているわりに、この人間とダゲキたちの間に妙な距離があるように、ミュウツーには感じられた。


ミュウツー(友好の証ではない……ということなのか)

レンジャー「じゃあ、お大事に。うーん……報告書どう書こっかなあ」


レンジャーはいかにも寝不足といった顔で、フラフラしながらログハウスへと入っていった。

ひょっとすると、一睡もしていないのかもしれない。

その場には、布にくるまれて寝息をたてているコマタナと、薬を握り締めているダゲキが残された。

ダゲキがコマタナを抱え、元来た方へと歩く。

茂みに入って少しすると、うしろからミュウツーが追いついてきた。


ダゲキ「きみも、たいへんだな」


90: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:18:51.92 ID:anCVowlIo

今までと変わらず、ダゲキの顔に表情らしい表情はない。

だがなんとなく馬鹿にされているように、ミュウツーは感じた。


ミュウツー『い……色々、事情がある』

ミュウツー『さっきのニンゲンの話、説明は必要か?』

ダゲキ「だいたい わかった」

ミュウツー『日常的な虐待といっていた。ことあるごとに、ああして殴られていたのだろう』

ダゲキ「こいつは もう、そんなこと されない」

ミュウツー『ニンゲンに怒りを覚える』

ダゲキ「また おこってるのか? おこる きもちは、ながつづきしないだろ?」

ミュウツー『嫌味かそれは』

ダゲキ「いや、み……?」

ミュウツー『……もういい』

ミュウツー『こいつはどうする』

ダゲキ「ぼくのねどこ できた。そこでねる」

ミュウツー『「出来た」? 貴様は今までどうしていたんだ?』

ダゲキ「ぼくが、まえにつかった ところ」

ダゲキ「……いま きみがねてる」

ミュウツー『!?』

ダゲキ「ぼくには ひろすぎて、あんまり つかってなかった」

ダゲキ「チュリネ、『つくった』とか、いってた だろう?」

ダゲキ「きみ たすけたとき、チュリネ きれい した」

ミュウツー『ああ……』

ダゲキ「ぼくは、いい き たおれたから、ひっこした」

ミュウツー『初めの日に、貴様が乗っていた木か』

ダゲキ「そう そう」


91: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:20:04.53 ID:anCVowlIo

ミュウツー『初めの日に、貴様が乗っていた木か』

ダゲキ「そう そう」

ミュウツー『……つくづく、よくわからんな、貴様は』

ダゲキ「そう?」

ミュウツー『なぜ、そうも常に冷静でいられる?』

ミュウツー『あんな光景を見ていながら怒りを覚えず、ニンゲンを憎みもしない』

ダゲキ「……」

ダゲキ「やっぱり、ぼくは おかしい?」

ミュウツー『……なんだと?』

ダゲキ「ううん」

ダゲキ「ああ ぼくはもうすこし さきだ」


いつの間にか、ふたりははじめのうろに戻って来ていた。

多少は見慣れた寝床を見て、息をつく。

ミュウツーは自分が思いの外ほっとしていることに気づいた。

こうして事情を知ってみると、確かに元の持ち主には広すぎる。


ミュウツー『貴様はどうするんだ』

ダゲキ「すこしだけ ねる」

ミュウツー『あのチビなら、喜んで看るだろうからな』

ダゲキ「うん」


コマタナを抱きかかえて歩いていく後ろ姿は、まるで人間のようだった。

ミュウツーはシーツを投げ捨て、腰を下ろす。


92: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:21:09.13 ID:anCVowlIo

ミュウツー(『ぼくはおかしいか』だと?)

ミュウツー(言いたいことをハッキリ言わんという意味では、奴も大差ないではないか)

ミュウツー(……何があった?)

ミュウツー(しかし……今のところ、一番会話が成り立つのも奴だ)

ミュウツー(奴にもっと語彙があれば、こちらも話がしやすいのだが……)

ミュウツー『……話などする必要ないではないか』

ミュウツー(だが、奴も何か知りたいことがあるようだったし、知識や常識の程度が近い方が、今後何かと……)

ミュウツー(……い、いやいや……)


うろの中には、見覚えのないきのみが転がっていた。

うやうやしく葉に載せられ、綺麗に並べて置かれている。

誰かが持ってきたのだろう。

ミュウツーはそのうちの一つを手に取った。

夜気を吸い込んだまま待っていたかのように、きのみはひんやりと冷たい。

黄色とオレンジ色のまだらで、驚くほど酸っぱいが、まずくはない。


93: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/15(月) 22:22:36.61 ID:anCVowlIo

ミュウツー『こ、こんなに酸っぱいもの……食べて大丈夫なのか……? ま、まあ、味は悪くないが』

ミュウツー(だが、おかげで頭がはっきりした)

ミュウツー(これは、いいな……)

ミュウツー(あ、いやそれはともかく……近くの街を、明日の夜にでも調べてみよう)

ミュウツー(空からこっそり見るだけなら、問題あるまい)

ミュウツー(いずれ去るにせよ、現状把握は大切だ)


そうやって、自分を納得させた。

人間の生活と比較すれば、昼夜逆転といえなくもない。

だが元々、ミュウツーは自分が夜行性なのか昼行性なのかもわからない。

ミュウツーの知っている範囲では、規則正しい寝起きをしている人間は少なかった。

自分だって少しくらいサイクルが狂っても問題はないはずだ、と考えた。

誰に見張られているわけでも、観察されているわけでもないのだから、好きにすればいいのだ。

朝、起きねばならないわけではない。

夜、眠らねばならないわけでもない。

どちらでもない。

どちらでもいい。

誰かの目的に沿い、役に立たねばならないわけではない。

何者でもない。

何者でもいい。

翌日は身体を休め、体力を温存することにした。


99: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:07:59.16 ID:Hyf5tvsbo

次の日の夜。

月のない空に、緩い風を受けばたばたとはためくぼろ布が浮いていた。

シーツをマントのように身体に纏い、ミュウツーは街を見下ろしている。

たとえ人間に姿を見られても、正体を知られてしまわないためだ。

ところどころが破れ、痛んできている。

だが逆に、薄汚れていることで目立たずに済んでいた。

少なくとも、本人はそう思っている。

誰かに見つかったら、自分はいったいどんな存在に見えるのだろうか。


あのレンジャーが行った先がここであれば、この街はシッポウシティというはずだ。


街といえども、よほどの大都市でなければ夜は人間もあまり出歩かず、光源も減る。

警備員という役割の人間を配置して、それ以外の人間たちは家に帰ってしまう。

そして深夜になれば、たいていは寝静まる。

ミュウツーは、人間の文化生活について思い出した。

ならば、新月の今夜こそ、闇に紛れて活動するには最適だろう。

研究所では、大きくて薄っぺらい、バリバリと音のする紙の束を読んでいる人間がたくさんいた。

ミュウツーの実験や研究についても、板にくくりつけた紙に書き込んでいた。

そしてどうやら人間は、情報を『本』というモノに集め、共有する。

おとなもこどもも、分け隔てなくその『本』というモノの恩恵に浴しているようだ。


風が冷たい。

あてもなくフラフラと飛び回った。

民家、倉庫、喫茶店、どれもミュウツーにとっては大差なく映っていたが、ポケモンセンターだけが目を引いた。

レンジャーがコマタナを連れて行った先だと、知っていたからかもしれない。

ポケモンセンターだけは、深夜だというのに煌々と明かりが灯っている。

レンジャーが話した通りなら、この時間でも医師が常駐しているのだろう。


100: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:10:00.19 ID:Hyf5tvsbo

それから、あたりに誰もいないことを確認して、すっと地面に降り立った。

ミュウツーはキョロキョロと見回した。


ミュウツー(……『地図』とかいうモノがあるはずだ)


くすんだ街灯の光を浴びて、周辺の地図が描かれた看板が目に入った。

近づき、今自分がいる場所を指で触れた。

看板はひんやりしている。

民家とおぼしき建造物はほぼ省略され、いくつかの施設だけが書き記してあった。


ミュウツー(……は、く、ぶ、つ、かん…博物館か。これがそうか。ふりがなとは、なんとも便利なものだ)

ミュウツー(ふむ……と、しょ、しつ……へ、い、せ、つ……)

ミュウツー(図書室)

ミュウツー(図書“カン”は、ないのか)


人間たちが通貨を使い、モノを売り買いすることは知っている。

だが、『本』に限っては買うばかりではなく、借りることもできるらしい。

そのための施設が『図書館』なのだということだけは、知っていた。

もっとも、人間以外も利用できるのか、そこまでは知らなかったが。


ミュウツー(ならば、この博物館とやらへ行くしかあるまい)


ミュウツーは再び浮かび上がり、目指す建造物の方へと飛んだ。

目的地の博物館は夜闇にうっすら白く浮かび上がり、存在感がある。

入り口の周辺に、警備員とおぼしき人間が立っているのが見えた。


101: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:11:47.71 ID:Hyf5tvsbo

ミュウツー(……どこから侵入しようか)

ミュウツー(あのニンゲンに見つからずに入るだけならいいが、中は中で警備システムがあるかもしれん)

ミュウツー(見取り図のようなものがあればいいのだがな……)

少し迂回して、建物の裏手に回った。

表の時代がかった装いに反して、裏手は他の建造物と大差ない近代的な造りだった。

少し高いところに、明かり取りだろうか、大きめの窓が等間隔で並んでいる。

夜中に勝手に開けると警報が鳴る可能性も無視できなかった。

いつの間にか、探検をしているような気分になってきた。


ミュウツー(なら、一つ開けて確かめてみるか)


どの窓にも明かりはなかった。

緑色で控えめな非常灯だけが、部屋の奥の方で弱々しく灯っている。

端から順番に窓を覗き込んでいく。

この暗さなら、中に誰かがいるということもないだろう。

いくつ目かの窓を覗き込むと、中が書架で埋め尽くされていた。

本棚には大小さまざまな本が詰め込まれている。

隣の窓、その隣の窓にまで、この本だらけの部屋が続いている。


ミュウツー(では、この窓にしよう)


窓からふわりと離れ、そばの樹木に身を隠す。

そこからミュウツーは手を翳した。

窓を割らずに開けることなど、眠ったままでも出来る。

ただねんりきを使い、窓の内側にある錠を外せばいいだけだ。

かすかに、カチンと音がした。

そのまま窓ガラスをゆっくり引いて、窓を開ける。


102: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:14:07.51 ID:Hyf5tvsbo

警報の類が発動した様子はない。人間の気配もしない。

五分ほど待って、ミュウツーは窓の中を覗き込んだ。

やはり、物音一つしない。

書架が整然と並んでいる。

その一角に、不自然に何もない空間があるだけだった。

窓からするりと中へ入る。

腰のあたりがつかえてしまうかとも思ったが、そんなことはなかった。

ニンゲンのような指紋があるわけではなかったが、余計な跡をつけないよう気を使った。

息を沈め、もう一度あたりを伺う。

誰もいないようだ。


ミュウツー(私は、何をしているのだろうな……)

ミュウツー(今日は、ここまでするつもりではなかったのだが)


見上げた本棚には、うっすらと埃の積もった本が並んでいる。

あまり読まれていないだろうか。

ちょうど目の高さの棚にあった、『放射年代測定概論』という本が目に入った。

文字だけは読めたが、どういう意味なのかは、よくわからない。

『ソクテイ』という言葉は、研究所にいた頃、何度も耳にしていた気がする。

その隣には、『ポケモン化石のための年代測定、その代替手段に関する考察』という副題を読み取ることができる。

ポケモン、化石といった単語は理解できたため、興味を引かれて本を引き抜いた。

慣れない手でパラパラとページを捲り、冒頭の一文を追ってみる。


『――であることから明らかであるように、これら化石化したポケットモンスター (以降、ポケモン)の骨は
 こうした元素を含有しない。故に、ポケモンのものと思しき化石が出土した場合には、
 通常の測定元素のみならず代替となる別元素、あるいは化石に付着する――』


103: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:15:43.11 ID:Hyf5tvsbo

相変わらず、文字は理解できても、何が書かれているのかといえば部分的にしか理解できなかった。

理解できなくても恥じるところではないのだが、ミュウツーはそれがやけに悔しかった。

眉間に皺が寄る。

知らない言葉があるというのは、思いの外ストレスが溜まるものだ。

勢いをつけてバタンと本を閉じ、本棚に押しつけた。


???「誰?」

ミュウツー『ッ!?』


遠くから、カチャリとノブを回す音がした。

隣接する別の部屋に人間がいたようだ。


???「……キダチ? 先に帰ったんじゃなかったの?」


広い部屋の向こう、いくつも立ち並ぶ書架のさらに奥から、コツコツと足音が聞こえる。

その動きに合わせて、小さな光がちらちらと見えている。

懐中電灯の光だろう。


ミュウツー(しッ、しまった。ニンゲンがいたのか……!?)


思わず身構える。

「ニンゲンに手を出すな」という言葉が去来したが、場合によっては危害を加えることも辞さないつもりだった。


???「いるなら電気くらいつければ……あれっ?」


本棚の陰から、人間の女が姿を現した。

同時に、眩しい懐中電灯の明かりが目を刺す。

ミュウツーは目を細めた。

明かりでよく見えなかったが、人間の女であることはわかった。

汚れたシーツを被るミュウツーを見上げて目を大きく開き、言葉を失っている。

女は天井近くに目をやり、開いたままの窓とミュウツーを見比べて結論を出したようだった。


104: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:17:30.31 ID:Hyf5tvsbo

???「……泥棒だね?」


言うが早いか、女はポケットからモンスターボールを取り出した。


???「ミルホッグ!」

ミルホッグ「ホルッホー!」


女が出したポケモンは、頬を膨らませながら尻尾を振っている。

身体の模様の黄色い部分がぼんやりと発光しているように見えた。


???「ミルホッグ、いつでも『くろいまなざし』が使えるように準備して待機」

ミルホッグ「ホルッ!」

???「さてと……何の用かしら? 泥棒さん」


ミュウツーは逡巡し、そして結論を出した。


ミュウツー『ど……泥棒ではない』


人間の女は今まで以上に驚き、耳に手を当ててキョロキョロと見回した。

しかし声の主が目の前の不審者であること、口から出た声ではないことを悟ると、その目から驚きの色は消えた。


???「……テレパシーか」


ミュウツーの目が少しずつ、懐中電灯の強い光に慣れてきた。

こうして見ると、ミュウツーの知る人間たちの中では肌の色が黒く、大柄に見えた。

ミルホッグは主人の動きに戸惑っている。

テレパシーは人間一人に向けて発したものだから、ミルホッグの戸惑いは当然だった。


???「それで、泥棒じゃないっていうなら……あんた一体、何なんだい。巨人さん」

ミュウツー『わ、私は……』

ミュウツー(私は、何だ)

ミュウツー(私は何者なのだろう)

ミュウツー『……本を……探している』


105: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:18:55.85 ID:Hyf5tvsbo

意外にも、女は口に手を当てて吹き出した。


???「ぷっ……!」

ミュウツー『な、何がおかしい』

???「だって、ここは図書室だからね。そりゃそうかーって」

???「でもね、本を読みたかったら、昼間、開いてる時間に利用者カード持ってくればいいじゃないか」

???「稀覯本扱いされてる資料だって、まあ……閉架だけど、申請すれば誰にでも見せるしさ」

???「それじゃあ、誰が見ても幽霊か泥棒だ」


女はそう言って笑いながら、ミュウツーの頭から足に向けて懐中電灯を滑らせる。

足元に光が及ぶと、片方の眉を跳ね上げた。

シーツの下からわずかに伸びる『どう見ても人ではない』足。

そして、『どう考えても人にはない』しなりのある尾。


???「……なるほど」

???「見たことないポケモンだけど」

???「テレパシーとはいえ、人間の言葉を話せるポケモンもいるんだねぇ……驚いた」

ミュウツー『不法侵入については、謝る』


こんな人間一人、いやミルホッグごと操ってしまえばいい。

ミュウツーには、それが可能なだけの力がある。

難しいことではない。話も早い。

外にいた警備員にしても、操って鍵を開けさせることだってできたではないか。

以前なら、ハナダの洞窟にいたあの頃なら、躊躇なく実行に移せたと思う。

だが、なぜかそうする気になれなかった。

自分がすっかり腑抜けてしまったようで、少し嫌だった。


106: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:20:17.86 ID:Hyf5tvsbo

???「うん、まあ……ポケモンに、あたしたちの法律に従えって言っても仕方ないしね」

???「ミルホッグ、もういいよ。ボールに戻ってな」

ミルホッグ「ホル……」

???「心配? あたしを誰だと思ってるの」


そう言いながら、ミルホッグの反応も待たずに、女はボールを翳した。

ミルホッグがボールに戻ってしまうと、あたりは少し暗く、少し静かになった。


???「変な連中が、たまにいるからね。けしかけたりして、悪かった」

ミュウツー『私が不審なのは、事実だ』

???「まあね」

???「……でもその様子だと、悪さしに来たわけじゃないんだろう?」

???「本屋で盗もうとしないだけ、感心だよ」


返事のしようがなかった。


???「……そうだねぇ、どんな本、探してるのかな?」

ミュウツー『自分が、文字と、言葉を知りたい。それから、それを……知ってもらいたい相手がいる』

???「キミ自身は、読み書きが出来るの?」

ミュウツー『読むことなら、多少できる。書くのは、経験がない』

???「そう。ちょっと待ってて」


そう言うと、人間の女はくるりと背を向けて歩いて行ってしまった。

ミュウツーを特に警戒するそぶりもない。

光がなくなり、急に耳が痛いほど静かになった。

これでよかったのだろうか。

女が、その足で警備員を呼びに行ったはずがないと、どうして言い切れるだろうか。

女が、あの人間の男――サカキと通じているはずがないと……。


107: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:21:52.34 ID:Hyf5tvsbo

しばらくして、さっきの扉が再びバタンと音を立てた。

書架の間から扉の方を覗き見ると、女が両手に本を抱え、足でドアと格闘しているところだった。

無事ドアを閉め、女はカツカツと高らかな足音をさせて歩いてきた。


???「ほら、こっち」


顎をしゃくって示すと、女は方向を変えて歩き出した。

ミュウツーは無言で着いて行く。

いきなり、前を歩く女の背が縮んだ……ように見えた。

何もない空間だと思った場所には、地下へと続く階段があった。

女の立てる硬い足音と、ミュウツーの立てる柔らかな足音だけが響いている。


???「あそこだと、時々警備員が巡回して来るからね。あたしの書斎でならゆっくり話もできるし」


辿り着いた先は、またしても書架に囲まれた部屋だった。

壁は天井まで届く本棚に埋め尽くされ、ところどころに蝋燭の灯りが掲げられている。

上の部屋よりも明るいくらいだった。


女の向かう先には机があった。

机の上には、大小様々な本や紙の束、筆記用具が散乱している。


???「研究に夢中になっちゃうと、なかなか片付かないのさ。家事ならさっさと終わるんだけど」


無造作に本や紙を避け、女は抱えてきた本の山を机の上に置いた。

そしてパチリとスタンドライトを点ける。


108: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:24:19.10 ID:Hyf5tvsbo

???「まあ、自分じゃあ、何がどこにあるのかわかってるけど」

???「……おっと、自己紹介がまだだったね。あたしはね、アロエ」

アロエ「このシッポウ博物館の館長で、化石研究者で、えーっとそれから……副業だけどジムリーダーもやってる」

アロエ「有望な後継者が見つかったら、すぐにでも譲って研究に専念したいんだけどね」

アロエ「で、キミは……まあ、無理に自己紹介しなくてもいいか」

アロエ「キミ、運がいいよ。警備システムと監視カメラ、図書室とここは今だけオフだから」

アロエ「といっても、あたしが深夜まで出入りするから、その間だけ、館長のICカードでオフにしてるんだけどね」

アロエ「本を取りに行ったり、戻ったりでいちいちパスワード打ち込んでたら、やってられないじゃない?」


アロエと名乗った女は、今しがた置いた本の上に手を添えた。

元々は鮮やかだったのだろうが、今となっては色褪せてしまった本たちが積まれている。


アロエ「これ、ウチの子がちいさい頃に読んでた本なんだけど、来週のバザーに出そうかと思っててさ」

アロエ「役に立てそうでよかったよ。上の部屋に並んでる小難しい本よりは、キミの力になれると思う」

アロエ「……ねぇ、教えたい相手って、キミと同じ、ポケモン? ひとり? それとも、たくさん?」


『キミと同じ』?

どこかで最近、聞いたことのあるフレーズだった。

違う。

断じて、違う。

私は……違う……だろうか。


ミュウツー『ひとり。そいつ“も”、ポケモン……だ』

ミュウツー『ニンゲンの言葉は、耳で聞いて少し知っているが、文字は読めない』

アロエ「そう。じゃあ、ちょうどいいと思うよ。持って行きな」

ミュウツー『……』

アロエ「どうしたんだい?」

ミュウツー『感謝する。必ず返す』


109: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:25:42.09 ID:Hyf5tvsbo

アロエはまた、快活に笑った。


アロエ「そんなに畏まらなくていいよ。うちの子も、もう大きいし。それにね」

ミュウツー『「それに」?』

アロエ「あたし自身、ちょっと興味あるかな」

アロエ「ポケモンが本当に人間の言葉を修得できるのかっていう、まあ学術的な興味」

アロエ「キミたちポケモンが、文字と言葉を得たらどうなるのか。どんな変化を生み出すのか」

アロエ「その変化はポケモンと人間、それぞれにどんな影響を及ぼすのか」

アロエ「あたし自身、そういうのが専門ってわけじゃないんだけどね」

アロエ「ポケモンが大好きな研究者としては……魅力的な疑問ではあるよ」

ミュウツー『悪いが、“もう”……研究対象になる気はない』

アロエ「……」

アロエ「もちろん、こっちもキミたちを調べようって気はないよ。どうなるか、気になるってだけさ」

アロエ「でもね。キミが教えようとしている相手とキミが、どんな関係であったとしても……」


女は、こちらをじっと見詰めている。

口元は笑っているが、目には強い意志を湛えていた。

壁の炎が唸った。


アロエ「押しつけちゃ駄目よ。文字も、言葉も、考え方も」

ミュウツー『押しつける?』

アロエ「そう、押しつけちゃ駄目」

アロエ「……人間って、めんどくさい生き物でね」


そう言いながら、腕を組んで机に寄り掛かった。

デスクライトに背後から照らされ、ミュウツーには女のディテイルが見えなくなった。


110: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:28:31.06 ID:Hyf5tvsbo

アロエ「そうね……ひとりひとりが、正しいと信じ、善いと感じたことを貫くだけっていう簡単なことが、なかなかできない」

アロエ「自分ではない誰かにも、同じように思い、感じてもらいたくて仕方がない」

アロエ「で、他人と正しさを共有したいとき、どちらかの正しさを否定してしまいがちなの」

ミュウツー『一致しない二つの正しさがあるなら、どちらか、より正しい方を信じるべきではないのか』

アロエ「そう簡単だと、いいんだけどね」

アロエ「キミたちポケモンはどうなのか、わからないけど……」

アロエ「人間は人種、習慣、宗教、みーんな違うから」

ミュウツー『……正しさの基準がいくつもあるということか?』


アロエは小さく溜息をついたようだった。


アロエ「キミは、頭がいいんだね」

アロエ「キミにとって何が正しいかは……キミと、キミを取り囲む世界との向き合い方で変わる」

アロエ「だから、誰かの『正しい』を否定しちゃいけない。キミの『正しい』を、押しつけてもいけない」

ミュウツー『私が他人に、私の信じる正しさを否定されれば、不快に思う。それは、わかる』

ミュウツー『だが……相手の正しさと私の正しさが、相容れないものだったら……』

ミュウツー『いずれ、相手の正しさを否定するか、さもなければ自分の正しさを否定しなければならなくなるではないか』

アロエ「それは、とても寂しいことだけどね」

ミュウツー『寂しい……?』

アロエ「でも……そうね、そういうこともあるかもしれないね。だからよく考えなくちゃいけない」

アロエ「大切な家族や友達、仲間といえども、仲良しではいられなくなってしまうかもしれないんだから」


女の視線に射竦められている気分になった。

身長も体格もこちらの方が上なのに、それすらも忘れてしまうほどだった。


111: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:30:23.54 ID:Hyf5tvsbo

アロエ「だから、出来ることなら、そんな悲しいことの手助けはしたくないし、キミにもしないでほしい、かな」

ミュウツー『ならば、なぜ……私に、本を提供してくれる?』

アロエ「キミ自身が求めたから。そう言うしかない」

アロエ「……もし、あたしが『人間様が、言葉を持たないポケモンたちに言葉と知識を広めるため、本を与える』って言ったら?」

ミュウツー『なぜそこまで偉そうに言われなければならないのか理解できない。傲慢この上ないではないか』

アロエ「でしょうね。『余計なお世話』。でも、キミは、自ら求めた。だからウチの子の本を貸すわ」

アロエ「『求めよ、さらば与えられん』ってね。ちょっと違うけど」

ミュウツー『ならば、私がそいつに言葉を教えようとするのも……「余計なお世話」か』

アロエ「そうねぇ……それは、キミとその相手次第でもある。だから……」

アロエ「自分に対して、常に問い続けることね」

ミュウツー『何を……問えと?』

アロエ「これは正しいのか、違う見方ができるのではないか、相手にとってはどうなのか」

アロエ「……そして、『正しいかどうかを見定める、自分の心が曇っていないか』」

アロエ「これは……研究者としての意見というより、母親としての忠告ね」

アロエ「キミは知識を求め、与えられた。ならば、誰かが知識を欲したその時、その求めに応えなさい」

アロエ「ただし、最大限の敬意を払って」


人間の女は急に優しい声音になった。


アロエ「あんまり難しく考えなくていいよ」

アロエ「大事なのは、ひとりの意志ある存在として相手を認め、心から尊敬し慈しむこと」

アロエ「それはポケモンも、人間も、それ以外のありとあらゆる生き物も、みんな同じ」

ミュウツー『みんな、同じ……』


どうということはないその言葉を、ミュウツーは噛み締めるように繰り返した。

今となっては、この人間に危害を加える気はなかった。

そんな心の動きを見てとったのか、アロエはパンと手を叩いて声を張り上げた。


アロエ「さ、あたしもそろそろ切り上げて帰らないとねぇ。キミも帰りなさい」


112: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:31:36.56 ID:Hyf5tvsbo

アロエは抽斗から柄のついた鈴のようなものと紙袋を取り出した。


ミュウツー(……音のしない鈴?)


ガサガサと音をさせ紙袋に本を詰めながら、アロエは言う。


アロエ「蔵書じゃないから、返却はいつでもいいわ」


ミュウツーは警戒しながらも紙袋を受け取り、下げた。

アロエはそれを見上げて、満足そうに笑った。


アロエ「じゃ、ここ閉めるわよ。キミも一緒に出ましょ」


アロエはあっという間にスタンドライトを消し、すたすたと歩いて行ってしまった。

ミュウツーは慌ててその後を追う。

アロエは歩きながら、抽斗から取り出した鈴のようなものを壁の蝋燭に被せていった。

一つ被せるごとに、蝋燭の炎は目を閉じるように消え、書斎が暗くなっていく。


ミュウツー『それは、あの火を消すための道具だったのか』

アロエ「珍しい?」

ミュウツー『初めて見た』

アロエ「ろうそくと、ろうそく消し。雰囲気あるでしょう? だから、やめられないんだ」

アロエ「空気をちゃんと入れ替えないと危ないんだけど……そうね」

アロエ「自らの力で光を生み、炎を吐き、目には見えない力を操るキミたちには、縁がないかもね」

ミュウツー『ニンゲンに、そうした力はない。身体的にも脆弱だ。なぜだ?』

アロエ「忘れちゃったのかもね……自分の外側に、真実を求めたから、かな?」

ミュウツー『外側……』

ミュウツー『よくわからない』


113: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:33:03.46 ID:Hyf5tvsbo

アロエ「ごめんごめん。今のはあたしの独り言だね」

アロエ「難しいこと考える時はね、ちゃんと寝て、美味しいものをいっぱい食べて、それから考えなさい」

ミュウツー『それは……どの立場からの意見だ?』

アロエ「そうね、これも……母親寄りかな。子供には、いい意味でいっぱい悩んでほしいもの」

ミュウツー『「母親」とは、そういうものか』

アロエ「少なくともあたしは、そうね」

アロエ「さて……あたしは人間だし館長だから、入り口から堂々と帰るんだけど」

アロエ「キミはどうやって帰るつもり? あたしのポケモンってことにすれば、警備は誤魔化せるよ」

ミュウツー『来た時の窓から、帰る』

アロエ「わかったわ。でもあたしじゃ、あの窓閉められないのよね、あの高さ。脚立はしまってあるし」

ミュウツー『大丈夫だ。自分で外から閉められる』

アロエ「じゃあ、任せるわ」

ミュウツー『……私のことは、誰にも……』

アロエ「えっ? ああ、誰にも言わないよ。安心しなさい」

ミュウツー『感謝する』

アロエ「また畏まっちゃって。そうね……この時間なら、だいたいあたししか残ってないから、いつでも来ていいよ」

アロエ「次に読んだらよさそうなのを、見繕っておくからね」

アロエ「その友達を連れて来てもいいし、読んでみたいものがあれば、都合つけてあげられるし」

アロエ「じゃあ、おやすみ。早く寝なさいよ。寝る子は育つって言うでしょ」


最後にそれだけ言うと、アロエは帰ってしまった。

懐中電灯のない部屋の中に、ミュウツーと、紙袋に詰められた本だけが取り残されている。

ミュウツーは紙袋を抱え、窓を見上げた。


ミュウツー『……ともだ、ち……』

ミュウツー(……私に『ともだち』など……)


114: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/16(火) 23:33:34.23 ID:Hyf5tvsbo




夢を見た。

大きな目の、小さな生き物がいる。

大きな目を、こちらに向けている。

大きな目で、笑っている。

大きな目が、あざわらっている。

なのに、何も言わない。

それでも何を言いたいのかわかる。

まがいものに、かける言葉などない。





120: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/20(土) 00:00:11.93 ID:eYIFWDYMo

キャアキャアと楽しそうな声が聞こえた。

目覚めの気分は、それほど悪くない。

意識がはっきりしてくると、昨夜の人間とのやりとりが頭に甦った。

ただ町の様子を見に行くだけのつもりだったのに、うっかり大変なことになってしまった。

やはり、腑抜けてしまっているのだろう。

自分らしくない。

自分らしい、とは何なのか、それも今となってはよくわからなかった。

まだ話を消化しきれてはいなかったが、とりあえずその記憶を隅に押し遣った。

寝床の奥の方には、借りた本が紙袋に入ったまま置いてある。


ミュウツー『朝から騒がしいな』

チュリネ「みーちゃん、おはよ!」

ミュウツー『み……「みーちゃん」……?』

チュリネ「うん、みーちゃん。だって……」

ミュウツー『……う……いや、説明しなくていい』


面食らい、そして軽い目眩がした。


チュリネ「わーい!」

ミュウツー『……まあいい……。それより、朝っぱらから、もう少し静かにできんのか』

チュリネ「みーちゃん もう おひる!」

ミュウツー『……む、そうか』


121: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/20(土) 00:01:32.11 ID:eYIFWDYMo

確かに日は高かった。

ミュウツーはのろのろと、うろから這い出す。


チュリネ「みーちゃん、おねぼうさーん」

イーブイ「ねぼすけー! いっけないんだぁ」

チュリネ、イーブイ「ねーっ」

ミュウツー『何がそんなに楽しいんだ……』

イーブイ「えーっ なんで?」


主人だった人間に捨てられてもか?

生まれ育った土地から離れ、異国の地で生きることになってもか?

そう問い掛けてみようと思ったが、ミュウツーは思い止まった。


ミュウツー(なにも、意地悪く傷を抉ることはないか)

ダゲキ「あ」

ミュウツー『ねぼすけで悪かったな!』

ダゲキ「まだ なにも いってないよ」

ミュウツー『なっ……』

チュリネ「にーちゃん! にーちゃん おはよー!」

イーブイ「おっはようー!」

ダゲキ「おはよう」

ミュウツー『ん? そいつはもう、動き回っても大丈夫なのか?』


122: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/20(土) 00:02:26.57 ID:eYIFWDYMo

ダゲキのすぐ横には、コマタナがついて来ていた。

手ではなく手首を掴まれ、コマタナはキョロキョロしている。

全身の至るところに痛々しい傷が残っていた。

イーブイとチュリネが、物珍しそうに走り寄っていく。

ミュウツーの言葉を受けて、ダゲキはコマタナを一瞥した。


ダゲキ「たぶん」

コマタナ「う゛ーぁっ……?」


鳴き声とも唸り声とも、呻き声ともつかぬ声で鳴いた。

治療は済んでいるはずなのに、初めて見た時と同じ足を引き摺り、時折怪しい角度で首を捻っている。


ダゲキ「けがは、なおってる みたい」

コマタナ「ヴァ? うーっ…キィッ!」

ミュウツー『む……足も気になるが……こんな鳴き声なのか?』

チュリネ「コマタナちゃん こんにちは!」

コマタナ「う゛、あ゛ーぁ!」

ダゲキ「……わからない。こいつの なかま あったこと ない」

ミュウツー『どこかに、後遺症が残っているのかもしれないな』

ダゲキ「『コウイショウ』?」

ミュウツー『怪我や病気が治っても、体のどこかにおかしなところが、残ることがある』

チュリネ「あのね、チュリネはね、チュ、リ、ネ!」

コマタナ「ヂュ、イ……エ゛ェ!」


123: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/20(土) 00:03:55.09 ID:eYIFWDYMo

ミュウツー『それを後遺症という。あのレンジャーは、脳か足に出る可能性があると言っていた』

ミュウツー『足を引き摺っているなら、それかもしれん。声が妙なのも、関係ありそうだ』

ダゲキ「ふうん」

ミュウツー『だとすれば、我々に出来ることは少ない』

チュリネ「こっち ダゲキにーちゃん!」

コマタナ「ダッ……ニー…ニー!」

イーブイ「ぼく、イーブイ!」

コマタナ「イ゛ー!」

ミュウツー『一度、あのニンゲンに見せに行った方がいいかもしれんぞ』

ダゲキ「……こんど つれていこう」

チュリネ「コマタナちゃん すごーい、にーちゃんは?」

コマタナ「ニーッ!」

イーブイ「ねえ じゃあ、みーちゃんは?」

コマタナ「ミィ……ミッ、ミーッ!」

ミュウツー『なんの話をしている!!』

ダゲキ「まあ、まあ」

コマタナ「ア゛ア゛……ヴァッ、キャッキャ!」

ミュウツー『こいつはなぜ喜んでいるんだ!』

チュリネ「みーちゃん、へんなのー」

イーブイ「みーちゃん、おこってるの? なんでぇ?」

ミュウツー『くっ……』


124: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/20(土) 00:04:49.83 ID:eYIFWDYMo

ダゲキ「もうすこし、げんきに なったら、つれていこう」

コマタナ「ミーッ! キャッキャッ…ヴァーッ!」

ミュウツー『十分元気そうだがな!』

ダゲキ「まだ、あのいえまで あるかせるわけには、いかない」

コマタナ「ヴァァー……? ギィ、キャッ!」

ミュウツー『貴様のことを話してるんだ』

コマタナ「キャッ、キャッ……ミー!」

ミュウツー『ミーじゃない!』

チュリネ「ミー!」

イーブイ「ミー!」

コマタナ「ミー!」

ミュウツー『……勘弁してくれ』

ダゲキ「たのしそうだな」

ミュウツー『貴様には、本当にそう見えるのか?』


そう思って、ダゲキを睨みつけるつもりで目を向けた。

一見無表情だが、どこか違和感がある。


ミュウツー『……なんだその顔は』

ダゲキ「……え?」

ミュウツー『……まさか、貴様それで笑っているつもりか?』

ダゲキ「……いや……えっと……」

ミュウツー『貴様でも笑うことがあるのか! これは傑作だ!』

ダゲキ「き きみに いわれたくない……」

チュリネ「にーちゃん、わらわない もんね」

イーブイ「いーっつも、こわーい おかお、してるもん」

ダゲキ「……そんなに、こわいかお してる……?」

ミュウツー「……ぶっ」


125: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/20(土) 00:05:53.51 ID:eYIFWDYMo

今度はミュウツーが吹き出した。

それを見て、ダゲキは複雑そうにしている。


ダゲキ「きみに おなじこと いいたいよ」


コマタナ「イ゛イ゛ヴェアァ……ミー、う゛ー、オダガ……ヅイダッ」

チュリネ「チュリネも おなかすいた。きのみ たべたい」

ミュウツー『きのみといえば、あの酸っぱいきのみは、なんというものだ』

チュリネ「すっぱいの イアのみ!」

ミュウツー『イアのみ、か』

ミュウツー『あれは、酸っぱいのが普通なのだな?』

チュリネ「うん。ぜーんぜん、あまくないの」

ミュウツー『なかなか気に入った』

イーブイ「えー、ぼく、あれおいしくない……」

ダゲキ「まだ あるぞ」

チュリネ「みーちゃん、すっぱい すき?」

チュリネ「みーちゃんも、きのみばたけ、つれてってあげたい!」

ミュウツー『い、いや気を使う必要は……』

ミュウツー『まあ、なんでもいい』

ミュウツー『そのコマタナを連れて行く時は言ってくれ』

ダゲキ「わかった」

ダゲキ「ぼく は、きのみを たべるけど……どうする?」

ミュウツー『私は以前もらったきのみを食べる』


126: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/20(土) 00:06:35.18 ID:eYIFWDYMo

ダゲキ「……」

ダゲキ「それはもう たべられないんじゃ ないか?」

ミュウツー『えっ』

ダゲキ「えっ」

ミュウツー『……たッ、たべられなくなる……のか……?』

ダゲキ「……」

ミュウツー『……』

ダゲキ「くさると、たいへんだ。そとに あなをほって、うめろ」

ミュウツー『そ、そうか……すまん』

ダゲキ「おいしく なってから とるから……すぐ だめになる」

チュリネ「おねえちゃん、『いちばん おいしい とき』 いってた」

チュリネ「はやく たべないと、くさっちゃう って」

ミュウツー『そうなのか……』


そんなことは知らない。

考えたこともない。


ミュウツー『……ニンゲンに関わると、碌なことがないな』


ミュウツーはうろの中に腰を下ろした。

また少し自分が嫌になった。

思い知らされたというべきだろうか。

多少はものを知っているつもりでいたのに。

ふいに、うろの中に影が差した。


127: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/20(土) 00:07:20.09 ID:eYIFWDYMo

ダゲキ「きのみ のこと きにするな」

ミュウツー『すまん、私の認識不足……いや……私は、単に物知らずだった』

ミュウツー『もう大丈夫だ』

ダゲキ「なら いい けど」


ダゲキはそう言うと、ミュウツーのうろから離れた。

チュリネたちは今も楽しそうに遊んでいる。

なんとなく、うろの中を振り返った。

あの紙袋がある。

こんな体たらくで、よくも「教える」などと言えたものだ。


ミュウツー『……厚顔無恥にも程がある』


相変わらず、いい天気だった。

再び、影が差した。

今度はチュリネが覗き込んできている。


チュリネ「みーちゃん……まだ ぐあいわるい?」

ミュウツー『少し、自分に腹が立っただけだ。具合は悪くない』

チュリネ「……みーちゃん あのね」

チュリネ「チュリネ、いやなこと あったら、おいしい きのみ、おなかいっぱい たべる」

チュリネ「そうしたら うれしい きもち なるの」


128: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/20(土) 00:08:31.56 ID:eYIFWDYMo

小さなポケモンが、何かを伝えようとしている。


ミュウツー『……私を慰めているのか?』

チュリネ「わかんない。チュリネ、かなしい の みーちゃん、げんき なってほしい」

ミュウツー『私は……悲しそうか』

チュリネ「みーちゃん、おけが ないのに いたそう」

チュリネ「からだ いたくないのに いたいのは、こころが いたいの」

チュリネ「それ、『かなしい』って いうんだよって……にーちゃん いってた」


反射的に、チュリネの向こうに佇むダゲキを見た。

チュリネが何かを差し出してくる。


ミュウツー『……イアのみ?』

チュリネ「みーちゃん」

ミュウツー『貴重なアドバイスに従おう』


思わず、ぷいと顔を背ける。

受け取ったイアのみはやはり酸っぱく、美味かった。

同時に頭が冴え、視界が開けた気がした。


ミュウツー『……ところで、あいつは何をやってるんだ』

コマタナ「う゛ー! ギャイッ! お゛お゛ーっ」


コマタナがおぼつかない足取りで歩いている。

そして意外なほどの飛距離で、ぴょんと跳ねる。

その先にはイーブイがおり、すれすれで飛び退いて避ける。

ただそれだけの動きで、ふたりがとてつもなく楽しそうに遊んでいた。


129: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/20(土) 00:08:58.78 ID:eYIFWDYMo

イーブイ「みーちゃん! コマタナちゃん、とっても、あしがはやい!」

コマタナ「キューイ?」

イーブイ「よーし! みーちゃんに、どーんっていっちゃえ!」

コマタナ「ア゛ーイ! イぐおぉ!」

ミュウツー『えっ』

コマタナ「ウャーイ!」


イーブイに嗾けられ、ミュウツーに向かってコマタナが走り出した。

満面の笑みで駆け寄り、ピョンと跳ねた。


ミュウツー(正直、今の私では、あのイーブイほど機敏に動ける気がしないな)

コマタナ「きゃっきゃーっ!」


眼前に迫るコマタナを見据えながら、ミュウツーは指先から力を放った。

放ったつもりだった。


137: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 22:49:27.46 ID:+RurO4cHo

ミュウツーは、どこか理不尽な思いを抱いていた。

それは完全に八つ当たりなのだが。


ミュウツー『今日は災難続きだ』

ミュウツー『こういうのをな、「踏んだり蹴ったり」というんだ』

ダゲキ「ふんだり……けったり……?」


バシャーモが火を起こし、その横でチュリネがきのみを食べている。

コマタナは申し訳なさそうに座り込み、ちらちらとミュウツーを見上げていた。

ダゲキは、今新たに知った言葉を噛み締めるように考え込んでいる。


ミュウツー『言葉通りに想像するな。そういう言い方をするというだけだ』

ダゲキ「どういう、ことば?」

ミュウツー『次から次へと嫌な目にあうことだ』


いつのまにか、できるだけ噛み砕いた言葉遣いをしようと努める自分に気づいた。

未知の言葉に興味を示す友人たちに、いちいち説明するのも、さほど苦痛ではない。

どこかいびつではあったが、これはこれでコミュニケーションの一つの形なのではないだろうか。

ミュウツー自身、そこにかすかな楽しさを見出だしつつあった。


ダゲキ「……きのみのことも、『いやなめ』?」

ミュウツー『……そ……そこには触れてくれるな』


たとえ、思わぬ墓穴を掘ることがあっても。


138: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 22:50:56.89 ID:+RurO4cHo

ダゲキ「でも、ひどい ケガじゃなくて、よかった」

ミュウツー『ふん。まったくだ』

バシャーモ「ミュウツーはん、そないに怖ぁい顔、せんとき」

ミュウツー『怖い顔などしていない!』

コマタナ「ヴゥゥ……ゴベンァダイ……」

ミュウツー『いや、貴様は悪くない』

コマタナ「ウァ……ゴ……ゴ……」

ミュウツー『私は、貴様のことを怒っているわけではないのだ』

ミュウツー『今日は……いろいろと巡り合わせが悪かった』

バシャーモ「ほんま、コマタナちゃん、かいらしい子ぉやねぇ」

コマタナ「ミー……ギュゥ」


コマタナは、縋りつくような目をしている。

煩わしく感じないわけでもなかったが、これも、そこまで不快ではない。

自分以外の誰かとの、有機的なつながりを意味しているからだ。


ミュウツー『だからその、「ミー」は……まあいいか』

ミュウツー(……顎にぐっさりきたが)

ミュウツー(……)

ミュウツー(……私はあの時……)


コマタナを、ねんりきで弾き飛ばそうとした。

弾き飛ばそうとして、指先から力を放った。

その手応えは確かにあったのに、何も起きなかった。

迫り来るコマタナの勢いが削がれる気配もない。

そのまま飛びかかられて、ミュウツーは盛大にひっくり返ったのだった。

ひっくり返りながら、ゆっくりと回転する風景が目に入った。

イーブイはけらけらと笑っていた。

チュリネは大喜びしていた。

ダゲキは不思議そうな顔をしていた。

コマタナは抱きついたまま頬擦りしていた。

コマタナの頭と腹の刃はすっかり鈍っており、刃物であっても、ちくちくと痛いだけだった。


139: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 22:52:07.12 ID:+RurO4cHo

ミュウツー(……なまくらであったことが、不幸中の幸いといったところか)

ミュウツー(こいつの様子を考えると、この両手は、本来もっと切れ味が良いもののはずだ)

ミュウツー(それだけで、あのニンゲンの扱いの酷さがよくわかるな)

ミュウツー(十分な世話もされず、まともに手入れも出来ない環境に置かれていたのだろう)

ミュウツー(それにしても……)

ミュウツー(私のねんりきが……こいつには効かないのか)

ミュウツー(研究所にいた頃は、私の力が効かない相手など……ほぼいないと言われていたのだが……)

ミュウツー(その『ほぼ』から外れるポケモンが、こいつか)

ミュウツー『おい、コマタナ。私の声が聞こえるな?』


コマタナはびくりと驚いて顔を上げた。

目が合う。

叱られる恐怖に怯える、子供の目をしていた。


コマタナ「ミー? イ゛ー……ナ、ァ、ニ?」

ミュウツー『いや、なんでもない』

コマタナ「うー…?」

ミュウツー(これで、テレパシーは伝わるのだからややこしい)

ミュウツー(まったく、だから嫌なんだ)


これも八つ当たりだった。


ミュウツー「……はぁ」


140: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 22:56:59.01 ID:+RurO4cHo

目の前で焚き火を弄っていたバシャーモが言った。


バシャーモ「ため息なんてつかはったら、幸せが逃げてしまいますえ」


気づけば、火は十分に燃え上がっている。

真上には葉の生い茂る木がある。

のろのろと上がっていく煙は、その葉に差し掛かると霧散していった。


ミュウツー『逃がすような幸せなど、持ち合わせてはいない』


ミュウツーの言葉に、バシャーモはなぜか嬉しそうな声音になる。


バシャーモ「そないなこと、ありまへんえ」

バシャーモ「幸せいうんはね、持ってる時は気づかへんもんなんよ」

バシャーモ「ニンゲンの被っとる、帽子みたいなもんや」

ミュウツー『帽子?』

バシャーモ「被っとるあいだは、自分には見えへん」

ミュウツー『……なるほどな』


真顔で考え込むミュウツーに、バシャーモは機嫌よさそうに笑った。


バシャーモ「ダゲキはんのためならて、今日も火ぃおこしにきたったけど」

バシャーモ「よぉ見たら、ミュウツーはんもなかなか、男前さんやないの」


そう言いながら、バシャーモはダゲキの方をちらちらと見ている。


141: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 22:59:09.40 ID:+RurO4cHo

バシャーモ「もちろん、ダゲキはんが、いっちばん男前さんやけど。ふふっ」

ダゲキ「……えっ……」


ガサガサッ


ミュウツー「?」

?????「……あっ……」


その瞬間、茂みから、夜の塊のように黒々とした何者かが姿を見せた。

巨大な手で草を掻き分けながら。

頭についた鈍く光る大きな目は、怯えたように震えている。

一方で腹部の黄色い模様が、まるで自分こそが目と口であると言わんばかりに揺らめいていた。


バシャーモ「あら、ヨノワールはんやないの。めずらし」

ヨノワール「……ひゅう……ひゅう……」

ダゲキ「どうした?」

ミュウツー『なんだ?』


足元は地についておらず、そもそも足らしいものもない。

ふらふらと浮かび、身体の下の方はぼんやりと霞んで見える。

蝋燭の明かりのような頼りない目が、その場にいる全員の顔をゆっくりと舐めた。


ミュウツー(何かを、探しているのか?)


そう考えると、動きの意味も理解できるような気がした。


ヨノワール「……あの」

チュリネ「なーに?」

ヨノワール「……ハハコモリは、どこでしょう」


空洞の中を反響したあげくに出たような、聞き取りにくい不気味な声だった。

『ハハコモリ』という言葉……あるいは名に、聞き覚えはない。


142: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 22:59:49.53 ID:+RurO4cHo

ミュウツー『ハハコモリ……?』

ダゲキ「ハハコモリ あいたい?」


疑問を口にする前に、ダゲキがヨノワールに応えた。

聞き返す言葉から、『ハハコモリ』が誰かの名であることがわかる。

やはりポケモンの名なのだろう。


ヨノワール「はい、あいたいのです」

チュリネ「おねえちゃん ねんね」

バシャーモ「ヨノワールはん。ハハコモリはんやったら、きのみ畑のねきや」

ヨノワール「そう……です……か」

バシャーモ「せやけど、いっくらなんでも、こないな時間やし……ハハコモリはんに迷惑かけんとき」

ヨノワール「……」


バシャーモの言葉に、ヨノワールは返事をしない。

そのままゆっくり頭を下げると、また木々の間へと滑るように消えていった。


ミュウツー『……なんだ、あいつは』

バシャーモ「ヨノワールはん、いうんです。あんまり話したこと、あらしまへんけど」

チュリネ「みーちゃんのまえ、もり きた」

ミュウツー『……そうなのか』


ミュウツーはその時、初めて気づいた。

お辞儀をするという行為は、人間の文化だ。

言葉を解するという点だけでも十分な証拠ではあったが。

彼もまた人間と共に行動していた時期があることを示している。

捨てられたのだろうか。

それとも自ら逃げ出してきたのだろうか。


143: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 23:00:56.10 ID:+RurO4cHo

ミュウツー『逃げて来たのか、それとも捨てられたのか?』

ダゲキ「……わからない」

ミュウツー『こんな時間に出歩くということは、夜行性か』

バシャーモ「さあ。でも、変わりもんですわ。みんなとも、しゃべらんし」

ダゲキ「……ヨノワールとハハコモリ、なか よかったかな」

バシャーモ「なかよしどころか、おぉたことも、あるかわかりません」

チュリネ「なかよし なりにいった?」

ミュウツー『それなら、時間をもう少し考えるだろう』

ミュウツー『……夜行性で、今しか活動できないのかもしれないが』

バシャーモ「ま、ええわ」

バシャーモ「木ぃの下やから、だいじょうぶやと思うわ。ニンゲンに見つからんよう、あんじょう気ぃつけたってな」

バシャーモ「ほな、な。みんな、はよぉねな、あきまへんえ」

ダゲキ「あ、ありがとう……」

チュリネ「バシャーモちゃん、おやすみなさーい」

イーブイ「……ぐー……」

ダゲキ「……」

ミュウツー『毎度、奴の言葉遣いは耳が慣れん』

ダゲキ「どこかの、ことばだと いっていた」

ミュウツー『……』

ミュウツー『貴様の名が出ると、二つ返事で頼まれてくれるのだな』

ミュウツー『……奴は、よほど貴様のことを気に入っているようだ』

ダゲキ「そう みえるか」

ミュウツー『?』

ミュウツー『違うのか?』


ダゲキが少し言いにくそうにしている。

慎重に言葉を選び、こう言った。


144: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 23:01:54.16 ID:+RurO4cHo

ダゲキ「あいつ ぼくを ずっとみる」

ミュウツー『……見る?』

ミュウツー『……まあ、気に入っているのだから、そういうこともあるだろう』

ダゲキ「うん でも……」

ダゲキ「……あいつ、オスなのに」

ミュウツー『……ああ……ああ??』

コマタナ「ミー……」


コマタナが、ミュウツーの足に体を擦りつけてきた。

自分の手で頭の側面をがりがりと擦り、唸っている。

少し眠そうだった。


ミュウツー『お、おい、今度はひっかくんじゃないぞ』

ダゲキ「ひるまの……なんだったんだ?」

ミュウツー『昼間? ああ……どうもこのコマタナに、私のちからは通用しないらしい』

ダゲキ「?」

ミュウツー『手応えがなかった。こんなことは初めてだ』


自分の手を見ながら思い返す。

照れくさいような、恥ずかしいような、不思議な気分だった。

悔しかった。


ダゲキ「……ううん」

ダゲキ「そのかんじ ぼくもしっている……かな」

ダゲキ「ニンゲンが、ヒトモシ……っていうポケモン つれて きた」

ミュウツー『……それで?』

ダゲキ「ぜんぜん だめだった」

ダゲキ「たきびの、うえのほうを けってるきぶんだった」

ミュウツー『そのときは、どうした』

ダゲキ「にげた」

ミュウツー『それだけか?』

ダゲキ「どうしようも ないよ」

ミュウツー『くや……悔しくはなかったのか』


145: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 23:03:01.04 ID:+RurO4cHo

ダゲキが火を見詰めている。

やはり、何を考えているのかよくわからない。


ダゲキ「『くやしい』……くやしくて、どうすればいい」

ミュウツー『貴様がどうしたいのかにもよると思うが……』

ミュウツー『勝ちたいなら、対抗……あ、いや、相手に効果のある技を使えるようになればいい』

ダゲキ「ぼくは、たぶん できるように、ならない」

ダゲキ「ニンゲンのちからを かりて、わざをおぼえれば いいか」

ダゲキ「そうまでして、ニンゲンの やくにたつ、ポケモンにならないと……いけないか」

ミュウツー『……何の話をしている』

ダゲキ「ぼくの はなし」

ミュウツー『話したくないんじゃなかったのか?』

ダゲキ「たまには、はなしたい きぶんにも なる」

ミュウツー『……そうか』

ミュウツー『だが、貴様は強くなるために修行しているのではないのか』


コマタナが唸りながら立ち上がり、チュリネの座っている向こう側へ歩き始めた。


ダゲキ「……ぼくは、つよくなりたい とか つよくなるため とか、おもったこと ないよ」

ミュウツー『修行狂いの貴様が言っても、あまり説得力はないがな』

ダゲキ「そう?」

ダゲキ「こころと からだを きたえるのは、ぼくやナゲキにとって、ふつうのこと だよ」

ダゲキ「つよくなると、ニンゲンが よろこんで……くれたんだ」

ダゲキ「ニンゲンが、うれしいなら……いいことだと おもった」

ミュウツー『それは……』

ダゲキ「だれかが よろこんでくれるのは、うれしかった」

ダゲキ「やくにたつ は、うれしかった」


146: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 23:03:49.89 ID:+RurO4cHo

ミュウツー『それは、危険な考え方ではないのか』

ダゲキ「……わからない」

ダゲキ「ぼくは、それでいいと おもってた」

ミュウツー『他人に存在意義を求めるのか?』

ミュウツー『それは……』

ミュウツー『……やはり、貴様もニンゲンの所に……いたことがあるのだな?』

ダゲキ「……うん」

ダゲキ「でも、うまれたのは このもり」

ダゲキ「はなれてた ことが あるだけだ」

ミュウツー『……そうか』

ダゲキ「みんなには、いわないでくれよ」

ミュウツー『それは構わんが……』

ダゲキ「でも……」

ダゲキ「ああ……ううん。やっぱり、うまくいえない」


焚き火の向こう側では、チュリネとコマタナが楽しそうに話をしている。

何を話しているのかは分からなかった。

本当に話をしているのかどうかも、定かではない。

だがときどき顔を見合わせ、何ごとか囁き合って、にこにこしている。

人間と関わらなければ出会うはずのないポケモン同士が、どういうわけか仲良くしていた。

人間と関わることで、辛い思いをするものはいくらでもいる。

それでも、今この場に彼らが寄り添っているのもまた、人間に関わったからだった。


147: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 23:04:25.94 ID:+RurO4cHo

ミュウツー『……』

ミュウツー『それは、言葉の問題か、それとも気持ちの問題か』

ダゲキ「どっちも かな」

ダゲキ「きみは……いいたいことを、ことばにできて いいな」

ダゲキ「ぼくが いいたいことも、ちゃんと わかってくれる」

ミュウツー『ニンゲンの言葉を使えたからといって、いいことがあるわけではない』

ダゲキ「そう?」

ダゲキ「ぼくは うらやましい」

ミュウツー『伝える相手がいなければ……伝わらなければ、意味はない』

ダゲキ「きみがいっていること、ちゃんと わかる」

ミュウツー『それは……伝わるように言っているからだ』

ダゲキ「そうかな」

ミュウツー『……だがもし、貴様が知りたいというのなら』

ミュウツー『教えてやれんこともない』

ミュウツー『私が、何をわかっているわけでもないが……』

ミュウツー(……私も、随分と弱気になったものだ)

ダゲキ「そうか……たのむよ」

ミュウツー『貴様は、言葉を知って……何がしたい』

ミュウツー『この森で生きていくとか……貴様が言っていた意思疎通に必要だというなら』

ミュウツー『それに必要な分は、もうじゅうぶん修得できていると思うが』

ダゲキ「ぼくは……」

ダゲキ「ぼくも、かんがえたい」

ダゲキ「ぼくは なんなのか。ぼくたちは なんなのか」

ダゲキ「ほかにも あるけど、どう ことばにしたらいいか、よくわからない」


148: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 23:05:31.58 ID:+RurO4cHo

そこで、ダゲキはいちど言葉を切った。

少し考えるそぶりを見せ、思いあたったとでも言うように口を開く。


ダゲキ「……あ」

ダゲキ「それを いえるように なりたい」

ミュウツー『……わかった。気が向いたら言ってくれ』

ミュウツー『必要なものは……ある』

ダゲキ「ああ……そういえば、どこか でかけていたな」

ミュウツー『気づいていたのか』

ダゲキ「うん」

ミュウツー『シッポウシティへ行った』

ダゲキ「へえ」

ダゲキ「ニンゲンに、みられたくないんじゃ なかったのか」

ミュウツー『そのつもり……だったのだが』

ミュウツー『いろいろ、あったのだ』

ダゲキ「いろいろ、か」

ミュウツー『いろいろだ』

ミュウツー『まあ……いずれ話す……かもしれん』

ミュウツー『あるニンゲンと、話をしたのだ』

ミュウツー『……「ともだち」を連れて来ても構わんと言われた』

ダゲキ「『トモダチ』……?」

ミュウツー『まあ……物凄く大雑把に言うと、仲のいい相手という意味だ……ったと思う……』

ミュウツー『そのニンゲンから、本を借り受けてきた』

ダゲキ「『ほん』……って、なんだ」

ミュウツー『本とは……その、ニンゲンが言葉を集めたものだ』

ミュウツー『その中には、言葉を学ぶための本もあるのだ』

ダゲキ「それを、もらった?」

ミュウツー『い、いや、「かりた」のだ。いずれ返さねばならん』

ダゲキ「……ふうん」

ダゲキ「ニンゲンにか?」

ミュウツー『そうだ。一定の……そ、それなりに信用できると踏んだニンゲンだ』

ダゲキ「きみが?」


149: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 23:06:23.10 ID:+RurO4cHo

ミュウツー『……なんだか、いちいち忌々しいのだが』

ダゲキ「『イマイマシイ』?」

ミュウツー『は、腹が立つ』

ダゲキ「……ぼくが? ごめん」

ミュウツー『……いや、そういう意味では……』

ミュウツー『本を借りたのも、あくまで私自身が学ぶためだ』

ミュウツー『貴様のために借りたわけではない』

ミュウツー『だが、貴様がもし知りたければ、見せてやってもかまわん』

ダゲキ「そう」

ミュウツー『……なんだその目は』

ダゲキ「いや……なんというのかな」

ダゲキ「うまく いえないんだけど、ううん……」

ダゲキ「そうだ、『シンキョウノヘンカ』?」

ミュウツー『む……そんな言葉を知っているか』

ダゲキ「むかし きいた」

ミュウツー『意味はわかるか?』

ダゲキ「よく、わからない」

ミュウツー『わからないのか』

ミュウツー『……意味、か……』


意味のわからない言葉。

ときどき、頭の中に甦る言葉があった。


150: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 23:07:11.42 ID:+RurO4cHo

ミュウツー『……ケッチュウアドレナリンチジョウショウ、キョクドノコウフンジョウタイデス』

ミュウツー『チンセイザイヲチュウニュウシマスカ、ハカセ……』

ダゲキ「なんだ、それは」

ミュウツー『……ニンゲンのところにいた頃、耳にした言葉だ。今でも一字一句、思い出せる』

ミュウツー『意味は……残念ながら、ところどころしかわからん』


若い男の声だったように思う。

自分自身では、直接耳にしていないはずの言葉。


ミュウツー(たしか、あの時……私は)

ダゲキ「……あんまり きもちいい ことばじゃないな」

ミュウツー『それは、私もそう思う。忌々しい記憶だ』

ミュウツー『意味を知れば、自分がモノとして扱われていたことを思い知るだけ、のような気がする』


――……ハカセ……フジ博士!

――ゴボゴボゴボゴボ

――け、血中アドレナリン値上昇、極度の興奮状態です

――麻酔で眠っているのにか! そんな、まさか……

――ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ

――鎮静剤、注入しますか、博士!

――これ以上不安定になると効かなくなります!

――ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ

――あ……あんた一体、何をした! 私の……ミ

――ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ

――ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ……


焚き火の枝が、パチンと音を立てた。


151: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 23:07:42.68 ID:+RurO4cHo

ダゲキ「おい」

ミュウツー『……?』

ダゲキ「だいじょうぶか」

ミュウツー『ああ、すまん。嫌なことを……思い出していた』

ダゲキ「はやく、ねないからだ」

ミュウツー『なんだと?』

ダゲキ「……また チュリネが うるさいぞ」

ミュウツー『……夜更かしなら、貴様も同じではないか』

ダゲキ「ぼくは ねなくても へいき」

ミュウツー『ふん』

ミュウツー『……寝ないと、あのバシャーモが来るぞ』

ダゲキ「……」

ミュウツー『……』

ミュウツー『……寝る』

ダゲキ「……うん」


ふたり揃って、背筋に悪寒が走った。


152: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 23:08:36.26 ID:+RurO4cHo

アロエは書類を整理していた。

気弱そうな男がその様子を見て、声をかける。


キダチ「あれ、ママ。なんだか、やけにご機嫌だね」

アロエ「そう見える?」

キダチ「うん。そういえば……今朝から、ニコニコしてた」

キダチ「なんだか、凄く楽しそうだなあ。ゆうべ、私が帰ったあとで、いいことでもあったの?」


その言葉を聞き、アロエは一層顔をほころばせた。


アロエ「そうだねぇ……じゃあ、何があったか、当ててみてよ」

キダチ「うーん……なんだろ。調べ甲斐のある化石が手に入った……なんて話は聞いてないしなあ」

キダチ「ヤーコンさんも最近来てないから違うし……」

キダチ「戦い甲斐のありそうなジム挑戦者を見つけた、とか?」

キダチ「あっ! ……まさか、戸棚の一番上の、使ってないお茶碗の中に隠してた『もりのヨウカン』……見つけちゃった!?」

アロエ「そ、そんなところに隠してたの……? でも残念、ハズレ」

キダチ「ううん……それじゃあ、わからないよママ」

アロエ「じゃあ、内緒だね。もともと、内緒って約束だから」

キダチ「なあんだ、残念」

アロエ「ただね……素直で、そこらの学生よりよっぽど意欲のある生徒が出来るかも、ってところまでなら言えるわね」

キダチ「へえ……そんなに有望な生徒なら、私にも紹介してよ」

アロエ「あら、やきもち?」

キダチ「もちろん。ママにそんなに褒めてもらえるなんて、羨ましい」

アロエ「最近じゃあ、やる気のある学徒なんて、なかなかいないもんね」

アロエ「人間でもポケモンでも、やる気があるなら分け隔てなく門戸を開いてるつもりなんだけどねえ」


アロエは溜息をついた。

挑むに値する研究を目の当たりにしたような、清々しい心持ちだった。


アロエ「“分け隔てなく”……か」

アロエ「いいことじゃないか」


自分に言い聞かせるように、アロエは呟いた。


153: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/21(日) 23:09:23.45 ID:+RurO4cHo




誰かが俯いて立っている。

顔は見えない。

その誰かが、これから何をしようとしているか、『私』は知っている。

それまでに奪われてきたものを奪い返そうとしている。

されたことを、しかえそうとしている。

憎しみに駆られて、ではない。

見返してやりたいわけでもない。

自分自身であり続けるために、それが正しいと思っているだけだ。

「だからこれは、攻撃ではない」

でも、その道は違う。

「宣戦布告でもない」

ほら、私は、お前より、こんなに優れている。

だから……。

だから、ここにいてもいい?

「これは――逆襲だ」

俯いていた誰かの顔が見えた。





161: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:43:42.35 ID:QY+EiGP4o

チュリネ「みーちゃーん はー、やー、くーっ!」

フシデ「チュリネちゃ まてて!」

イーブイ「はしっちゃだめー!」

ミュウツー『……』

チュリネ「ピィッ」


どたっ


イーブイ「だから いったのにー」


イーブイとフシデが騒ぎながら、転んだチュリネの元へと駆け寄る。

その様子を、のろのろと歩くミュウツーが眺めていた。

足の裏……といっても指の先程度だが、そこに触れる地面がひんやりとしている。

存外、気持ちいい。

むろん、体力もちからも、とうに回復している。

自分のちからで浮き上がり、苦労なく進むこともできた。

だが自分の足で歩き、多少汗をかいた方が気分がいい。

あとで水浴びをした時の爽快感が違……


ミュウツー(……いや待て何を考えてるんだ私は)


森は深く、木漏れ日はあっても暗い。

そこを、楽しそうな声たちが通り抜けていく。


ミュウツー『まったくこれでは、まるで子守りではないか』

イーブイ「『こもり』って なーに?」


162: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:44:43.94 ID:QY+EiGP4o

いつのまにか近くに戻って来ていたイーブイが言った。

少し離れたところで、チュリネとフシデも立ち止まって、こちらを見ている。

歩みの鈍い友人を待っているのだった。


ミュウツー『子守りとはな……「こどものあいて」だ』

イーブイ「ぼく こどもじゃない!」


見下すような物言いに、イーブイが即座に反応した。

もちろん、煽るような言い方はわざとである。

会話が始まったと見るや、チュリネとフシデもとことこと戻ってきた。


チュリネ「チュリネだって、いっぱい おてつだい、できるもん!」

フシデ「じゃあ みーちゃ 『ほごしゃ』なお?」

ミュウツー『保護者? そんな言葉、どこで憶えた』

フシデ「ニンゲ いてた。こども、おとなのホゴシャ いしょに いるて」

ミュウツー『その通りだ』

ミュウツー『「子供」は、自分で何もかも、出来るわけではないからな』

イーブイ「えーっ! ぼく、けづくろいだって じぶんでできる!」

チュリネ「チュリネも、チュリネのこと、ひとりで できるもん……」


幼い彼らにとって、やはり幼いことはコンプレックスになっているようだ。

しきりに、一人前であることを主張しようとする。

相手をするのが億劫になって、無意識に眉間に皺が寄った。

といっても、彼らを煽ったのはミュウツー自身なのだが。


163: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:46:22.59 ID:QY+EiGP4o

フシデ「……みーちゃ、おこてるお?」

チュリネ「ちがうよ!」

チュリネ「みーちゃんは、いっつも、おこった おかお してるだけ」

チュリネ「おかおだけ だから、ぜーんぜん こわくない」

ミュウツー(それはそれで、情けない気がするんだが)

イーブイ「ぼく、おなかすいたー。はやくいこー」

チュリネ「うん、はやく いこ」

フシデ「みーちゃ、はやく、みたいしょ?」

ミュウツー『私は、別に……』

チュリネ「もうすぐだよ、もうすぐ!」


『子供』たちは元気よく前へ進んで行く。

それを、嫌そうに、地面を睨みながら追いかける。


ミュウツー(どうして、こんなことになったのだろう……)


昨夜の夢見も、いつもどおり悪かった。

内容はあまり憶えていない。

悲しいというより、やるせなかった。

誰かが道を誤ろうとしていて、それを止められない。

筋を違え、道理を履き違える様を、黙って見ていることしかできない。

そういう心持ちにさせられる夢だった。

ような気がした。

あれは、誰だったのだろう。

知っている誰かのような気もしたし、見ず知らずの誰かのようにも思えた。

『気持ち』は、不思議なほどよく理解できた。


フシデ「みーちゃ」


164: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:48:13.85 ID:QY+EiGP4o

フシデに呼び掛けられて顔を上げると、いきなり目の前が開けた。

森の中に突如として、太陽の暖かさに溢れた空間がある。

そこにまた、周囲とは明らかに種類の違う木が生えていた。

遠目にも、その木々に色とりどりの果実が実っているのがわかる。

走っていくチュリネらを目で追うと、向かう先に誰かがいるのが見えた。

ほっそりとして、しなやかなシルエットのポケモンだった。

それがきのみを摘み取り、あちこちの枝を切り落としている。


チュリネ「おねえちゃん、こんにちはー!」

ミュウツー(……奴が、そうか)


聞いていた話によれば、あのポケモンがハハコモリというらしい。

あの夜、ヨノワールが探していた相手であるはずだった。

足元には葉や枝だけでなく、クルミルやクルマユがごちゃごちゃと這っている。

ハハコモリが切り落とした葉を、一心不乱に齧っていた。

その中のひとりが目についた。

他のクルミルと比べても全体的に緑色が強く、口元だけが赤い。


ミュウツー(……ああいう色合いのものも、いるのか)


目線の高さが大して変わらないチュリネが近づいてきているのに、興味を示す様子はない。

チュリネが足元まで辿り着くと、ハハコモリはゆっくりと膝を折って屈んだ。

『遊びから帰って来た子供を迎える、母親のような動き』だった。

人間ならば、そう連想する動きである。

だがミュウツーにとっては、何をしているのかわからない。

そもそも連想する記憶を持ち合わせていないのだった。


165: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:49:10.48 ID:QY+EiGP4o

イーブイ「こんにちは!」

フシデ「こにちぁ」

ハハコモリ「ひゅーん? ふぅーん」

チュリネ「ううん、おようふく、まだ だいじょうぶ。おねえちゃん、ありがとう」

ハハコモリ「ひゅうー。ひゅ」

チュリネ「えっ……!? ほんとう? きのみ おせわ、おしえてくれるの!?」

チュリネ「うわあ! うれしい!!」

ハハコモリ「ひゅうーん」

チュリネ「うん! わかった! あした、またくるね! ……あっ!」

チュリネ「あのね、きょうはね、おねえちゃんに、みーちゃんを『ショーカイ』したいの」

ハハコモリ「ふぅ?」

チュリネ「みーちゃん、はやくー!」


チュリネが呼んでいる。

ミュウツーの存在に気づくと、ハハコモリはふわふわとした動きで立ち上がり、会釈した。


ミュウツー(こいつが……ヨノワールの探していた相手なのか)

チュリネ「あのね、みーちゃん っていうの!」

ハハコモリ「ひゅ、ひゅー」

チュリネ「はじめまして、だって」

ミュウツー『あ、ああ……よろしく』


ハハコモリはその返事を聞き、にっこり笑って首を少し傾けた。

そのようすが、実に人間じみている。


ミュウツー(……こいつも、そうなのだろうか)

ミュウツー『ミュウツーと呼ばれているから、このチビの戯れ言は気にしないでほしい』

チュリネ「ぶーっ、チュリネ チビじゃないもん!」


166: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:50:46.23 ID:QY+EiGP4o

チュリネは頬を膨らませて下を向いた。

少し言い過ぎてしまっただろうか。

小さなポケモンは眉間に皺を寄せ、怒っていた。


チュリネ「……みーちゃん しらない!」

チュリネ「おねえちゃんね、きのみ そだてるの、とーっても じょうずなんだから!」

ミュウツー『ほう』

ミュウツー(……チュリネとのやりとりといい、ニンゲンの言葉は理解できるようだな)

ミュウツー(むしろ、チュリネはこのハハコモリの言葉がわかるのか)

ミュウツー『ダゲキに頼まれて来た』

ハハコモリ「ひゅーん。ひゅう……」

チュリネ「はーい、だって!」

ミュウツー『む……いちいち不機嫌な通訳が入るのも、煩わしいものだな』


森に寝起きするようになってから、よくも悪くも、意思の疎通であまり困ったことはない。

チュリネも、フシデも、イーブイも、ダゲキも、ナゲキも、バシャーモもみな、似ても似つかぬポケモン同士だったが。

本来は互いに言葉も違い、考え方も違い、生まれも本能も習性も異なるはずのポケモン同士。

それが、多少の言い換えや配慮は必要なものの、大きな齟齬なく意思を伝え合うことができている。

人間の言語を介することで、種族の壁はいともたやすく越えられてしまった。

冷静になって考えてみれば、それは希有であり、また尋常ならざる事態でもあった。


ミュウツー『貴様は、人間の言葉を話さないのだな』


ハハコモリは少し困ったようなそぶりを見せた。

意味は通じているのだろう。

問い掛けをしているようでいて、半分は独り言のつもりだった。

困らせてしまったのも無理はない。


167: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:51:46.95 ID:QY+EiGP4o

ミュウツー『いや、なんでもない。気にするな』

ハハコモリ「……ひぅーん……」

ジュプトル「ハハコモリ、どうした? だれか……あっ……おまえ」

フシデ「あっ、ジュプトルさ」

ジュプトル「おう、フシデ。あいかわらず、あかいなあ」


声がした方を見ると、ジュプトルがこちらを見ていた。

腕にきのみを抱え、頭や尾の葉も今日は機嫌よさそうに揺れている。


ミュウツー『……貴様は確か……』

ジュプトル「おまえ、このあいだ ふってきた、でかいやつじゃないか」

ミュウツー『……ジュプトル、だったか』

ジュプトル「おう。よく、しってるな。おまえは?」

ミュウツー『ミュウツーだ』

ミュウツー『まあ……適切な名かどうかわからんが、それ以外に呼ばれたことがなくてな』

チュリネ「ハハコモリのおねえちゃんにね、みーちゃん、『ショーカイ』してた!」

ジュプトル「ふうん」

ジュプトル「あのときは、わるかったな。ちゃんとあいさつもしなくて」

ミュウツー『ああ、それは別に気にしていない』

ジュプトル「そーか。で……なんか、ようか?」

ミュウツー『ダゲキに頼まれて、チビどもを連れて来たのだ』

チュリネ「チュリネ、チビじゃないもん!」

ジュプトル「はいはい」


ジュプトルの返事から、『チビ』という言葉に対するチュリネの反応がいつも通りのものであることが理解できた。

ダゲキの言っていた通り、『チビ』呼ばわりされることに強い拒絶を示すようだ。

イーブイも同様に子供扱いされることに文句をつけてくる傾向にある。

そういうものなのだろうか。


168: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:52:43.43 ID:QY+EiGP4o

ジュプトル「それで、あいつは?」

ミュウツー『ダゲキか?』

ジュプトル「うん。……あ、また、『シュギョー』か」

ミュウツー『ああ、そうらしい……有名なのだな』


ジュプトルが笑った。


ジュプトル「ゆーめい、か。みーんな、しってるもんな。ゆーめいだ」

ミュウツー『倒木を抉っている時の音は、確かに良く響いていた』

ジュプトル「ほうっておくと、いつまでも やってるからなあ」

ジュプトル「めいわくじゃないけど、かわってるよ」

ミュウツー『まったくだ』

ジュプトル「バシャのやつにいわせると、こうなるんだぜ」

ジュプトル「『おとこまえさんやけど、かわりもんどすえ』とか!」


声音を似せ、それらしい“しな”まで作ってみせる。

ミュウツーは失笑した。

先日以来、笑うことに不思議と抵抗が薄れていた。


ミュウツー『ああ、言いそうだ』

ジュプトル「そういえばあいつの、その『シュギョー』で、おもしろいはなしがあってよ……」

イーブイ「おねえちゃん、ジュプトル、きのみ とっていい?」


待ちきれないといった様子で、イーブイが木の方を見ている。

ハハコモリが無言で頷くと、イーブイとチュリネが木に飛びついた。

ふたりとも身体が小さいため、低いところの実しか獲れない。

ふたりが届かない高さのものは、ハハコモリとジュプトルが収穫し終えていた。

フシデは木に登ろうとせず、大きな葉を風呂敷のように地面に広げている。


169: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:53:40.05 ID:QY+EiGP4o

ジュプトル「まあいいや。そのはなし また、こんどな」

ミュウツー『奴をからかう材料になるなら、是非とも頼む』

ジュプトル「あはは、こりゃいいや」


ミュウツーは改めて実感していた。

このジュプトルやチュリネ、イーブイ、多少控えめだがフシデもみなそれぞれに感情表現が豊かだ。

怒れば顔が険しくなり、嬉しければ笑みを浮かべる。

人間ならば、それも当然のことだ。

よくも悪くも、人間は感情の生き物だからだ。

『理性』という、不思議な抑制装置を抱えてはいるが。

ポケモンにしても、きっと同じなのだ。

心があり、感情があり、喜んだり悲しんだりするならば。

ミュウツーでさえ、『怒っている』と見られる程度には感情が外に出ている。

なのに新しい友人の、あの表情と感情の乏しさはなんなのだろうか。

確かに、出会って長い付き合いではない。

だが類似種のナゲキと見比べても、ダゲキの感情や表情の幅は狭い。

ミュウツーが森にやってくる遥か以前から、ミュウツーの認識とそう違わぬ扱いをされている。

そういう奴なんだ、と思ってしまってもいいのだろうか。


ミュウツー『……貴様は、ここで何をしている?』

ジュプトル「おれ? ちからしごと。ハハコモリより、ちからもちだし」

ハハコモリ「ふぅー。ひゅっ」

ジュプトル「ギー」

ミュウツー『?』

ジュプトル「いつも たすかってる、って。へへへ」


170: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:54:58.42 ID:QY+EiGP4o

自分を持ち上げる発言を自分で通訳する。

ジュプトルは、ハハコモリの言葉を伝えながら照れていた。


ミュウツー『違うポケモン同士で、言葉が通じるのか』

ジュプトル「おなじ、くさのポケモンで、『ちかい』しな」

ジュプトル「ぜんぶわかる わけじゃないけど、ちょっとなら」

ミュウツー『そういうものなのか』

ジュプトル「ダゲキとナゲキだって……おれには、なにいってるか さっぱりわからないけど、よく はなしてるだろ?」

ジュプトル「おまえ、そういう『ちかい』やつと、はなしたこと ないのか」

ミュウツー『ないな』

ミュウツー『……うん? ひょっとして、ダゲキによく似た赤い奴……は「ダゲキ」ではないのか』

ジュプトル「それが『ナゲキ』だろ。おれも、さいしょは ちょっとびっくりした」

ミュウツー『そういえば、「鳴き声」はだいぶ違っていたが……色違いかと思っていた』

ジュプトル「やっぱり、そう おもうよなあ」


一番低い枝にぶら下がりながら、イーブイが言った。


イーブイ「ちぇーっ、きょうも、このえだ までしか とどかなかったぁ」

イーブイ「おとなになったら、ぼく、もっと うえのきのみも、とれるのかなあ」

ジュプトル「おまえは おとなになっても、おれくらいだろ? あきらめろ」

イーブイ「ジュプトル いじわる!」

チュリネ「イーブイちゃんは、おとなになったら、なに なるの?」

イーブイ「わかんない。チュリネちゃんは?」

チュリネ「チュリネ わかんない。どうしたら、おとなになれるのかなあ」

フシデ「わた、おおきくなた、みーちゃより、おーきくなれる だて」

ミュウツー『ほう』

フシデ「でも、ごろごろ ころがる、たいへ そう。め まわちゃうかな」


171: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:56:07.79 ID:QY+EiGP4o

チュリネが葉の上にきのみを置きながら、ミュウツーを眩しそうに見上げた。


チュリネ「みーちゃんは、おとな なるの?」

ミュウツー『……さあな』


大人になるとは、人間の言う『進化する』という意味なのだろう。

自分が進化するのかどうか、考えたことはなかった。


チュリネ「チュリネ……はやく、おとなになりたいな」

フシデ「えー、どして?」

チュリネ「はやく おとなになりたいの!」

ジュプトル「こどもって、たのしい じゃないか。オトナは たいへんなんだぞ」

チュリネ「でもね、なんだか……なってみたい」

ミュウツー『「なんだか」か。気楽なものだ』

ミュウツー『それより、頼まれたことは出来ているのか?』

ミュウツー『私は子守りだけではなく、お前たちがちゃんと「使い」が出来るか見届けるよう、奴から頼まれてもいるんだが』

ジュカイン「あいつは『シンパイショー』だからな」

イーブイ「うーっ、にーちゃん、ぼくのこと、すぐ こどもこどもーっていうんだもん」

ミュウツー『ふん、その通りではないか』

イーブイ「……『こもり』なんて いなくても、ちゃんとできるのに」

チュリネ「チュリネ、いっぱい きのみとったよ!」

フシデ「おちてく、ひろてたら、おなか、すいた……」

ミュウツー『おい、あのてっぺんの実はどうするんだ?』


ミュウツーが指さす先、木の一番上のあたりにいくつかのきのみが残されていた。

今ここにいる面々では、届かない高さに実っている。


172: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:57:24.44 ID:QY+EiGP4o

ジュプトル「あれかあ。とってもいいけど、とらなくてもいいんだ」

ジュプトル「それに、ぜんぶとっちまうと、つぎ はえないんだ」

ミュウツー『そういうものなのか』

ジュプトル「そうだよ」

ジュプトル「……ほんと、ニンゲンのところからきたやつは、なにも しらないんだな」

ミュウツー『悪かったな』

チュリネ「あーっ、ジュプトルちゃん、それ、まえにバシャーモちゃん いったのと、おんなじ! まねっこ!」

ジュプトル「う、うるせえ!」

フシデ「あれ、イアのみ」

ミュウツー『ほう』


イアと聞いて、興味が湧いた。

あれを欲しい。

食べたい。


ジュプトル「いちばん、おひさまがあたってるから……いちばんうまいはずだ」

ミュウツー『……ほおう……』

ジュプトル「とびきり、すっぱいぞ。おまえ、すっぱいのがすきか?」

ミュウツー『イアのみが一番気に入っている』

チュリネ「おねえちゃんも、いつも とれない いってるよ。チュリネもとれない……」

チュリネ「みーちゃんでも、とれない?」

ミュウツー『取れる』

チュリネ「ほんと!?」

イーブイ「きのぼり できるの!? ぴょんって とびはねるの!?」

フシデ「こないだみたに、ふわーて、おそら とぶ?」

チュリネ「えっ、すごーい! みーちゃん、おそら とべるの!?」

イーブイ「はね ないのに!?」

ミュウツー『飛べるが飛ばん。わざわざ、そんなことをする必要はない』

イーブイ「すごいなぁ!」


173: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 22:58:10.77 ID:QY+EiGP4o

照れ臭くなって、ミュウツーは樹上を見上げた。

わざわざ飛ぶまでもないのは事実だった。

ほんの少し念じるだけだ。


パキッと音がした。

ここからよく見えなくても、何がどうなったのかは手に取るようにわかる。

なんとなく全員が固唾を飲み、押し黙っていた。


ぽとり、ときのみが掌に落ちてきた。


ジュプトル「エスパーか、おまえ」

ミュウツー『そうらしいな』

チュリネ「みーちゃん、すごい……」

イーブイ「すっごい! ぼくも、おおきくなったら できるかな!」

フシデ「わ、わたも、いま、やてみたい!」


子供たちが騒いでいる。

やけに恥ずかしかった。


チュリネ「……えっ、おねえちゃん、なーに?」


ハハコモリがチュリネに何か伝えている。


チュリネ「わかった!」


話を終えたチュリネがにこにこして、ミュウツーのところへ駆け寄ってきた。


チュリネ「あのね、そのイアのみ、みーちゃん たべていいよって!」

ミュウツー『いいのか』

チュリネ「いつも、とれなくて ざんねんなの」

チュリネ「うれしいから、どうぞって」

ミュウツー『……そうか』

ミュウツー『ならば、ありがたくいただく』


174: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 23:05:20.94 ID:QY+EiGP4o

齧ると、やはりすっぱかった。


ミュウツー『とれたては……またやたらとすっぱいな……』

フシデ「『トレタテ』てなーに?」

チュリネ「おててが、とれちゃうの?」

ジュプトル「じつはな……うますぎて、うでが もげちゃうんだ」

チュリネ「えーっ!」

イーブイ「こ、こわい!」

フシデ「わ、わたしのあし、いぱい とれちゃたら、どうしよ……」

ミュウツー『い、いや……違っ』

ミュウツー『……「とれたて」というのは、だな……』

ミュウツー『「木からとったばかり」ということだ。貴様、適当なことを言うんじゃない』

ジュプトル「あはは」

フシデ「な、なんだ……ニンゲンのことばて、へんなの」

イーブイ「みーちゃん、なんでも しってるんだ」

チュリネ「どうして、みーちゃんは、いろいろ しってるの?」

ミュウツー『ど……どうしてだろうな……』

フシデ「チュリネちゃ、みーちゃ、ニンゲンのとこ いただも。だから」

ミュウツー『まあ……それは、その通りではある』

チュリネ「そっかぁ。いいなあ、チュリネも……」

フシデ「チュ、チュリネちゃ……」


チュリネは思わず息を呑み、イーブイとジュプトルを見た。


175: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 23:06:19.63 ID:QY+EiGP4o

チュリネ「あっ……ごめんね」

イーブイ「ううん、いいよ」

ジュプトル「……きにするな」

ミュウツー『……』

チュリネ「あ、あのね、チュリネね……」

チュリネ「にーちゃんと、みーちゃんと、ジュプトルちゃんは、いっぱいおはなしできて、うら、う、うあ……」

ミュウツー『?』

チュリネ「うああらしい の!」

イーブイ「チュリネちゃん、それ、『うららましい』だよ!」

ミュウツー『それは、「うらやましい」だな。……羨ましいのか?』

チュリネ「うん、う、ら、や、ましい!」

チュリネ「にーちゃん、とってもやさしいけど、あんまりおしゃべり、できないんだもん……」

チュリネ「チュリネ、おしゃべり、じょうずじゃないから」

フシデ「にーちゃ、あそぼて いても、すぐ『シュギョー』いちゃう」

イーブイ「バシャーモちゃんは『エンジュなまり』だから、おしゃべりしにくいんだって」

チュリネ「ジュプトルちゃんは、みんなと すぐ けんかしちゃうもんね」

ジュプトル「……いや、べつに、すきでけんかしてるわけじゃねー」

フシデ「……でもね、あのね、にーちゃ、まえより いっぱい あそで くれる」

イーブイ「うん、にーちゃん、まえより いっしょ、きのみ たべる!」

チュリネ「にーちゃん、ちょっと、うれしい……かな」

ミュウツー『嬉しい?』


小さなチュリネは、必死で考えながら言葉を吐き出していた。

言いたいこと、伝えたいこと、受け取ってもらいたいことを押し出す。

なぜ、そうも必死になるのかミュウツーには理解できなかった。


チュリネ「あのね、にーちゃん、きっと うれしい なの」

チュリネ「にーちゃん、おしゃべり、たのしいの」

チュリネ「みーちゃんと、おしゃべり たのしいの」

チュリネ「みーちゃん、にーちゃんと、おはなし してくれるから」

チュリネ「みーちゃん、いっぱい しってるから」


違う。

それは違う。


176: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 23:07:04.27 ID:QY+EiGP4o

ミュウツー『……冗談ではない』

イーブイ「みーちゃん?」

ミュウツー『……確かに、お前たちや奴の知らないことを、多少は知っている』

ミュウツー『だがな、私が知っているようなことは、知っていても何の役にも立たん』

ミュウツー『ニンゲンに関わる気がないなら、意味のない知識ばかりだ』

ミュウツー『何の意味もない』


実際には、違うかもしれない。

けれど、とても肯定的に返事をする気にはなれなかった。


ミュウツー『生きていくのに必要な知識を持ち、木の世話も出来る方が』

ミュウツー『お前たちの方が、ずっと……』


おべっかを言うつもりはない。

ある意味では、ある側面では、ある部分では本当にそう思っていた。


イーブイ「ほんと!?」

ミュウツー『……うむ』

チュリネ「チュリネたち、えらい……の?」

ジュプトル「おいおい、あんまり ほめると、ちょうし のるぞ」

ミュウツー『いや、これは本心だ』

ミュウツー『この森のことに関しては私より、ずっとよくわかっている』


この森で生活している彼らは、まぎれもなく『生きて』いて、与えられた命の本分を全うしている。

それ以上でも、それ以下でもない。

種族の壁を低くするために、少しばかり人間の知恵を借りているだけだ。


177: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 23:07:41.79 ID:QY+EiGP4o

イーブイ「みーちゃん?」

チュリネ「みーちゃん、また おかお こわーくなってる」

フシデ「おねえちゃね、みいなでたべて、て、きのみくれた」

フシデ「もてかえて、みいな くばたら、いつもとこで たべよ」

ミュウツー『……うむ』

ミュウツー『ふたりにちゃんと礼を言っておくんだぞ』

チュリネ「みーちゃ、みーちゃ も!」

ミュウツー『わかってる』

イーブイ「おねえちゃん、ジュプトル、ありがとー!」

フシデ「ありがと、おねちゃ。さむくなたら、およふく、つくて」

チュリネ「おねえちゃん、ありがとう! ジュプトルちゃん、またくるね!」

ジュプトル「おう」

ハハコモリ「ひゅーん」

ミュウツー『世話になった』

イーブイ「えーっ、『セワニナッタ』だけー?」

チュリネ「わかった、みーちゃん、はずかしいんだ!」

フシデ「『はずかしい』? なぁに それ」

チュリネ「だって、みーちゃん、にーちゃんに たすけてもらったときも……」

ミュウツー『ちょっ……待て、その話は』

イーブイ「えっ、なになに!?」

フシデ「わたし、ききたい!」

チュリネ「うふふーっ、ないしょー!」


チュリネはそう言い残すと、やけに嬉しそうに走りだした。

自分ひとりだけが知っていることだ、と知ったからだった。

イーブイとフシデが慌ててその後を追いかけ始めた。


178: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 23:08:55.43 ID:QY+EiGP4o

ミュウツー『やれやれ、騒々しい』

ジュプトル「げんきだよなぁ」

ハハコモリ「ふぅー、ひゅい」

ミュウツー『なんと言っている?』

ジュプトル「にぎやかで、たのしいってさ」

ミュウツー『……まあ、それは否定しない』

ミュウツー『では、私も……』

ミュウツー『あっ』


あることを思い出した。

本人に会ったら、尋ねようと思っていたことがある。


ミュウツー『お前たち、先に行っててくれ』

イーブイ「どうしたのー?」

フシデ「はーい……?」

チュリネ「みーちゃん?」

ミュウツー『ハハコモリに用があったのを、思い出した』

ミュウツー『少しだけ、話をしてくる』

ミュウツー『先に帰っていても構わない』


それを聞き、『子供』たちはおとなしく連れ立って歩き始めた。

とはいえ気にはなるらしく、かわるがわるこちらを振り返っている。


ジュプトル「でっかいのだけ、まだ なんかようか?」

ミュウツー『でっかいの……』

ミュウツー『まあ、な……ハハコモリ』

ハハコモリ「?」

ミュウツー『何日か前、ヨノワールが貴様を探していたが……会えたのか?』

ジュプトル「……ヨノワール……だって?」

ミュウツー『ああ、このま』

ジュプトル「おまえ、あいつのなかま か?」


179: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 23:09:32.75 ID:QY+EiGP4o

それまで友好的な態度を示していたジュプトルが、にわかに身構えた。

敵と対峙する顔になっている。


ミュウツー『えっ……いや、そういう』

ジュプトル「ちがうのか? じゃあ、あんなやつのことは いうな」

ミュウツー『そう、言われてもな』

ミュウツー『……で、どうなんだ?』

ジュプトル「おいハハコモリ、こたえなくても……」


だがミュウツーが水を向けると、ハハコモリは小さく頷いた。


ミュウツー『……そうか。何だか知らんが、用は済んだんだな?』

ハハコモリ「……ひゅーん……」

ジュプトル「ギッ」

ハハコモリ「ひゅ……ふー……」

ジュプトル「ギキッ」

ミュウツー『……通訳してもらえるか?』

ジュプトル「……」

ジュプトル「なんにちか まえ……たぶん、おまえが あいつにあった よるだな」

ジュプトル「ヨノワールのやつが、あいにきた」

ジュプトル「……なにをはなしたか……おしえてくれない」

ミュウツー『……そうか』

ジュプトル「……なんで、いわないんだよ……」


ハハコモリは申し訳なさそうにしている。


180: ◆/D3JAdPz6s 2013/07/31(水) 23:10:26.57 ID:QY+EiGP4o

ミュウツー『すまない。詮索する気はなかった。ただ』

ジュプトル「あいつには、ちかよっちゃだめだ」

ジュプトル「あいつは、ふしあわせを はこんでくる」

ミュウツー『どういう意味だ?』


ジュプトルは心底不愉快そうに顔を顰めた。

考え込み、慎重に言葉を選んでいるようだった。


ジュプトル「……いまは、まだ わからない」

ジュプトル「でも、どうしても、あいつのこと……いやだ」

ジュプトル「きっと、わるいことをかんがえてるに きまってる」

ジュプトル「だからハハコモリ、きをつけてくれ。おれが、まもる」

ハハコモリ「ひゅう……」

ジュプトル「おまえも、あいつには きをつけろ」

ミュウツー『そう、言われても……だが、わかった』

ミュウツー(まあ……私にとっても、得体の知れないポケモンであることは確かだが……)

ミュウツー『手間を取らせたな』


ミュウツーはそれだけ伝えると、遠くでお喋りをして待っているチュリネたちの方を向いて歩き始めた。

そんな彼らを、ハハコモリがじっと見ている。

やわらかく手を振り、姿が見えなくなるまで動こうとしない。

足元のクルミル、クルマユたちが、それを不思議そうに見上げている。

ジュプトルも、そんなハハコモリを心配と焦りの籠もった目で見ていた。


193: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:39:22.55 ID:uiR0pV0mo

薄暗い店の片隅で、男がグラスを傾けていた。

ひどく老け込んだ、だが実際にはそこまで年老いていないようにも見える男である。

少しでも世界に迷惑をかけまいとするかのように、そう大きくない体躯をよけいに縮めている。

グラスには、半分ほどアイスコーヒーが残っていた。

週末の夜、静かにアルコールを嗜む客がいるだけの店内で、男のコーヒーはやはり異質だった。

しかしこの異質な客は、この時間のこの店を定期的に利用している。

町の人間も他の客たちも、この男の正体をよく知っていた。

だから「いつもの光景」と感じこそすれ、奇異の目を向けることはなかった。


カラン、と音がした。

誰か客が入ってきたのだろう。

だが、アイスコーヒーを啜る男が興味を持つ気配はない。

そんな男の背後に、たった今入ってきた禿頭の男が歩み寄った。

つかつかと大股で歩き、背筋も伸びた長身の男だった。


禿頭の男「やあ。ここ、いいかな」


やけに響く声に、老人はめんどくさそうに振り向く。

声の主を見て、老いた男は驚いたような、呆れたような顔をした。


老人「……君か……」

老人「いや……本当に、久しぶりだね」


老人はきまり悪そうに応え、男から視線をそらした。


禿頭の男「いつ以来だったかな。こちらも、なかなか忙しくてね!」

禿頭の男「どうにも、のんびりできやしない。おお! ここ、座っても構わんね?」


コーヒーを啜る男の返事も待たずに、長身の男は隣に腰を下ろす。

いちいち声が大きく、身振りも大袈裟で鬱陶しい。

それが、老人のみならず店にいた客たちの共通して受ける印象だった。


194: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:41:44.85 ID:uiR0pV0mo

禿頭の男「うーんと、ハーフロックで。君は相変わらず、こんな店でコーヒーか!」


誰もが思っていても正面から指摘できなかったことを、禿頭の男は正面からつついた。


老人「今更、酒を憶える気にもなれなくてね……」

老人「君こそ、今もジムリーダーをやっているのかな?」

禿頭の男「うん? ……ああ。むろんだ!」


暑苦しい男に対峙しても、老いた印象の男は引き摺られることなく対応した。

もっとも、こうした温度差は昨日今日に始まったことではない。


禿頭の男「未来ある若者たちと戦っていると、自分も負けていられないという気がしてくるからな」

禿頭の男「いいぞぉ、未来があるというのは。まず第一に、瞳の輝きが違う」

禿頭の男「自分が何かを成し遂げられると本気で信じる、希望の輝きだ」

禿頭の男「わしらのような年寄りにはない、素晴らしいものだよ!」


男は嬉しそうだった。

そう高らかに言う男の瞳にこそ、眼鏡の奥で年齢に不相応なまでの情熱を宿らせている。

老人にしてみれば、この男ほど熱意に満ちた『年寄り』などいない。


老人「『わしらのような』? 心にもないことを言うな。ジムの話、ここまで来ているよ」

禿頭の男「はっはっは! そうか、そうか。わしは諦めが悪いからな」

禿頭の男「火山の力は偉大だ。小手先で敵う相手ではない!」

禿頭の男「その容赦ないエネルギーこそ、わしには魅力的なのだがね」

老人「そうか……」


大袈裟な身振りを交えて話す禿頭の男に対し、老いた男はあまり乗り気ではない反応を見せる。

話を聞いてはいても、目線はグラスからほとんど離れない。

上の空だった。


195: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:43:08.28 ID:uiR0pV0mo

禿頭の男「……やれやれ、相変わらずのようだな。町の連中も言っていたよ」

老人「『バーでコーヒーを飲む、変わりものの老人』だって?」

禿頭の男「はっはっは。自分で言っちゃおしまいだ。でも、おおむね正解だね」

老人「……この町に住む人たちは、私の正体を知らない。だからそんなことを言っていられるだけだよ」

禿頭の男「ふむ、なるほど……仮に今の君が、ただの仮面でしかないとしよう」

禿頭の男「だが、今しか知らない連中にとっては、その仮面こそが全て」

禿頭の男「その仮面こそが、真実だ」

禿頭の男「それに……今の君に、かつてのような科学者の一面はない。実のところ、彼らが言う通りの人間なんだよ、君は」

老人「まさか」


薄くなったコーヒーをひとくち飲み込み、老いた男は虚空を見つめた。

『いつものように』思い詰めた顔をしている。


老人「……私は、命を弄びすぎた。命を奪い、侮辱しすぎた。彼らが噂しているような人物であるはずもないよ」


禿頭の男はわざとらしく溜息をついた。

この会話の流れは初めてではない。

どうということのない雑談をしていても、ある一点に触れるとこうして男のスイッチが入ってしまうのだった。

ウイスキーをあおり、禿頭の男は言葉を選んで話を切り出す。

かすかに、何かを期待する含み笑いを浮かべた。


禿頭の男「少しは世間に目を向けてみたらどうだ? その様子だと、洞窟の話も耳に入ってないようだ」

老人「洞窟? その話は……私に関係あるのか?」

禿頭の男「やっぱり、な……」

禿頭の男「最近になってようやく露見したことなのだが……ハナダの北西に、洞窟があるだろう?」

禿頭の男「そこにね、どの種類かはわからんが、大型のポケモンが一匹、住み着いていたようなのだよ」

老人「……」

禿頭の男「噂を聞いた卜レーナーたちが洞窟を訪れたが、いずれもしばらくしてから、意識が朦朧とした状態で保護されている」

禿頭の男「洞窟に踏み入る前後の記憶も曖昧だ」

老人「……君は、何の話をしているんだね」


196: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:44:18.64 ID:uiR0pV0mo

男はその返事を聞き、にやりと笑って白い髭を撫でた。

待ってましたと言わんばかりである。


禿頭の男「もうちょっと興味を持っても、罰は当たらんと思うぞ」

禿頭の男「これは公表されていない情報なのだが……」

禿頭の男「保護されたトレーナーたちの状態は、全員が共通している」

禿頭の男「ポケモンが使うような、『極めて強力な催眠術及び記憶操作をかけられた状態』で間違いないそうだ」

老人「……?」

禿頭の男「だが、記録にあるいずれのポケモンのデータと比較しても……」

禿頭の男「そこまで強力な催眠術や超能力を使えるポケモンは、そうそういるものではない」

禿頭の男「……誰かが、人工的に生み出しでもしない限りはね」


そう言って、意味ありげに老人を見る。

老け込んだ男が突如身を乗り出した。

目に光が宿り、本来の年齢の輝きを取り戻したかのようだった。


老人「まッ……まさか、それが……私の……『あの子』は名無しの洞窟にいるのか!?」

禿頭の男「まあ、まあ……落ち着きたまえ。やれやれ、やっと食いついてきたな」

禿頭の男「事態を把握してすぐ、ポケモンリーグは洞窟を監視し始めた。情報が出揃い次第、調査隊を送り込むつもりだったようだ」

禿頭の男「噂を溯ってみるとどうやら、そのポケモンが住み着いたのは、研究所が吹き飛んでから間もなくのことだったらしい」

禿頭の男「その調査も、とうに終わったがね」

老人「で……では、『あの子』は!? 『あの子』はリーグの人間に捕えられてしまったのか!? 無事なのか!」

禿頭の男「それがなぁ……」

禿頭の男「何もわからんのだ」


そう言うと、男は再び琥珀色の液体を口に含んだ。


197: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:45:42.91 ID:uiR0pV0mo

老人「わから……ない?」

禿頭の男「調査隊は、何も発見出来なかったのだ。洞窟の中は……まあ、野生のポケモンはいたが、他は蛻けの殻だった」

禿頭の男「それらしい死骸も回収できなかったそうだ」

禿頭の男「よくよく調べてみれば、リーグの人間が見落していた出入口があってね。逃げたとすれば、そこからかもしれん」

禿頭の男「『本当の』報告書を見せてもらえたわけではないが、何らかの原因で洞窟内にガスが発生したことにするようだ」

禿頭の男「リーグとしては、そんな状態の洞窟に足を踏み入れたトレーナーがガスを吸って不調を訴えた。ということにするらしい」

禿頭の男「リーグが出入口を監視していたのも、ガスが収まるのを待っていた……ということにするとね」

老人「そうか……」

禿頭の男「なぁに、君や私にとっては都合がいい。リーグとしても、発見と対策が後手に回ったことを知られたくないというだけさ」

禿頭の男「証人たちも幸か不幸か、みんな証人としては役立たずなわけだし」


そう言って、男は肩を竦めた。


老人「……『あの子』なら、強大な超能力を使って、侵入者の記憶を弄ることくらい、わけはない」

老人「……だが、『あの子』は……」

老人「私は『あの子』に、生物として生きるすべなど何一つ教えていない」

老人「……食べ物を手に入れる方法だって、知らないはずだ」

老人「そんな子が、どうやって自然界を生き延びられるというんだ」

禿頭の男「『あの子』はきっと無事だ。君の子だろう」


慰めを言うつもりはなかった。

実際、『あの子』は極めて知能が高い。

たとえ『親』から教えられなくても、どうにか生きるすべを見出しているかもしれない。

希望的観測も含めてだが、何ら手掛かりがなかったとしても、禿頭の男はそう考えていた。


198: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:47:43.50 ID:uiR0pV0mo

老人「いいや、いやいや違う」

老人「私の『子』……『子』だなどと、私に親を名乗る資格はない」

老人「私は創造主だの父親だのを自称しながら、何一つ与えることをしなかった」

老人「……それどころか、何もかもを奪ったのだ。謝って許されるものではない」

禿頭の男「君のその、深い後悔と果たせぬ償い」

禿頭の男「この町で命尽きたポケモンを弔い、哀れなポケモンたちを保護し続けることで、かわりになるのかね」


にわかに科学者の顔に戻っていた男は、その言葉を聞いて不快そうにした。

禿頭の男の言葉は冷ややかで、老人の言動を責めているようにも響いた。

それは、自分自身に対する欺瞞なのではないか、と。


老人「それはわからない。だが、借金の利子くらいにはなるかもしれない」

老人「私は……もっとも、私にそんなことを言える資格はないのだが……『あの子』には感謝している」

老人「研究所はなくなり、培ってきた実績も、集めたデータもノウハウも失った。娘の最後の痕跡さえも消し炭になった」

禿頭の男「……」

老人「初めは憎みもしたよ。『あの子』のせいで、娘を取り戻すことができなくなった、と」

老人「だがね……瓦礫を引っ繰り返していて、娘の写真が、半分焼けた状態で出てきた」

老人「そこで私は……突然理解したんだ」

老人「私の娘は、もういないのだ。とっくの昔に死んでいた。ずっと考えないようにしてきただけだったんだ」


男の目に、正体のわからない力が籠もった。

古い友人には、それが狂気じみた、痛々しい熱に見える。


199: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:49:35.80 ID:uiR0pV0mo

老人「こうすれば娘の死をなかったことにできる。ああすれば娘を取り戻せる……」

老人「そうやって目を背けてきた現実が、否が応にも目の前に突きつけられた」

老人「私が娘の死を受け入れられないばかりに、自分の娘を弔うことすら拒否してきた」

老人「死んだ後も、私は娘の名誉を傷つけ続けた」

老人「『あの子』の向こう側に娘が帰ってくる妄想を抱き、『あの子』そのものの命を無視し続けた」

老人「『あの子』の人格……いや、一つの生命としての尊厳すら踏み躙ったのだ」

老人「私が現実から目を背けなければ……あるいは、ぶつけようのない未練と後悔を受け止めてくれる何かがあれば」

老人「『あの子』は……本来の生命を全うできたかもしれない。別の生まれ方があったかもしれない。私は、その機会を奪った」

老人「けれど、『あの子』が全てを吹き飛ばしてくれたおかげで、私は目が覚めたんだ」

老人「だから、私はここで潰えた命を弔い、行き場のない気持ちを受け止め続けようと思う」

禿頭の男「今の自分の姿が後ろ向きの『逃げ』ではないと、言いたいのだな」

老人「……町を歩けば、一人の人間として人々が好意的に挨拶をしてくれる……私には、勿体ないくらいだ」

禿頭の男「そうか。なら、こちらのネタも、ちゃんと伝えておかなければな」

老人「?」


男はニヤリと笑った。


200: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:51:30.59 ID:uiR0pV0mo

禿頭の男「……先程、きっと無事だなどと言ったが、あれはあながち、無根拠でもなくてね」

老人「……どういうことだね?」

禿頭の男「ハナダのあたりをね、噂好きなファンキーじじいのふりをしてうろうろしてみたのだよ」

老人「『ふり』ではないだろう」

禿頭の男「するとだな、一人、こんなことを言っている子供に出会ったのだ」

老人「……」

禿頭の男「ポケモンリーグの調査隊が洞窟に踏み込む数日前のことだそうだ」

禿頭の男「眠れなくて、ベッドに座って窓の外を見ていたのだという」

禿頭の男「すると、空を一本の流れ星のようなものが走っていった」

禿頭の男「地面に落ちる様子もなく、むしろ地面から飛び去っていくように、空に向かってまっすぐにな」

禿頭の男「そうだな……あの子が指差した方角からすると、イッシュあたりの方面かね」

禿頭の男「親にも友達にも信じてもらえなかったと言っていた。もちろん、調査隊にそういう話は回ってきていない」

老人「……そうか……」

禿頭の男「『それは特別な流れ星だ。見た者は幸せになれる。ただし、誰にも言ってはいけない』と吹き込んでおいた」

禿頭の男「だから、もうあの子供も言い触らすことはないだろう」

老人「……それは……本当に、よかった」

禿頭の男「心配だろうがな。きっと、どこか人間に見つからないところで、隠れて穏やかに暮らせているさ……そう願おう」

禿頭の男「当然、流れ星が『あの子』ではなく、無関係という可能性もあるしな」

老人「そうだな……」


禿頭の男も老人も黙り込んだ。

それぞれに、何かを考えている。

かたや我が子のことを。

かたや友人のことを。


突然、男がよく響く声で話を始めた。


201: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:52:36.50 ID:uiR0pV0mo

禿頭の男「……ああ、そうだ。それとは関係ないのだが今度、しばらくジムを空けることになった」

老人「……? 旅行か?」

禿頭の男「いやぁなに、ナントカっていう街で、新しいバトル施設を作るっていう話が持ち上がっててね」

禿頭の男「わしらカントーのジムリーダーにも声がかかっておるんだ」

禿頭の男「ジムはしばらく休業する予定だよ。他のジムリーダーも、どこかで時間を作って視察に行くらしいから……」

禿頭の男「わしだけ顔を出さん、というわけにもいかんのだ」


自分との関連が見出せない話題に、老人は訝しげな顔をした。

いずれ関係が見えてくるのかもしれないが、どうにもまわりくどい。

日常会話くらい、得意のクイズのように難解にしなくてもいいではないか、と元研究者は思った。


老人「それこそ、私には関係なさそうに聞こえるが」

禿頭の男「いやいや。君のことだから、変化の少ない毎日を送っていると思ってな。気晴らしに旅行でもどうかね」

老人「いや……私は……ポケモンたちの世話があるから、そうそう離れられんよ」

禿頭の男「君はなにも、『たましいのいえ』を独りで運営しとるわけじゃないだろう。たまには気分転換も必要だよ」

老人「……そ、そうは言うが……」

禿頭の男「おお……そうだ、思い出したぞ。たしかなぁ、ホドモエとかいう街でな」

禿頭の男「イッシュ地方にある」

老人「……!?」

禿頭の男「まあ、考えておいてくれ」


長身の男はそう言いながら、立ち上がって帽子を手に取った。


老人「……」

老人「……カツラ」

禿頭の男「なんだ?」


男は、その禿頭に帽子を載せながら立ち止まる。

老人はしばらく悩み、そして口を開いた。


202: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:54:11.62 ID:uiR0pV0mo

老人「やはり、私は行けない……」

禿頭の男「そうか、それは……少し残念だ」

老人「だが……」

禿頭の男「『だが』?」

老人「……もし……もしも、だ……」

老人「どこかで……『あの子』に出会うようなことが……そういう奇跡があったら……」


すっかり色に薄くなったコーヒーを見詰めながら、男が呟いた。


老人「『本当にすまないことをした。ふがいない“父”を恨め』と、伝えておいてくれないか」


帽子を被った男は髭を撫でながら少し考え、そして応えた。


禿頭の男「なぁ、フジよ……そういうのは、自分の口で言うもんだ」


その言葉が流れ出ると同時に、扉が閉じた。

残された老人は頭を抱え、グラスの水滴を見つめていた。


203: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:56:12.66 ID:uiR0pV0mo

いつものように、小枝の爆ぜる音がした。

森の夜は暗く、いつもの場所に、いつものように焚き火が揺らめいている。


ダゲキ「……これは、ペンドラーを よこから みたところか?」


小さな土埃を立て、ダゲキが長い指で地面に文字を刻み込んだ。

本に印字されている活字と比べると直線は頼りなく、曲線は怪しい。


ミュウツー『それは「え」だ。ペンドラー……がどんなポケモンか知らんが、違う』

ダゲキ「そうか」

ダゲキ「フシデが『しんか』すると、ペンドラーに なるんだ」

ダゲキ「しらなかったか?」

ミュウツー『知るか』


無愛想な返事をしながらも、ミュウツーは機嫌がよかった。

借りてきた本を使って、字の練習が出来ることも思いのほか楽しい。

何か、極めて建設的な行いをしているように思えるのだった。

その行為が、自分独りではなく誰かと一緒であることも、なんとなく嬉しい。

むろん、焚き火が今一度、目の前にあることも嬉しかった。


ミュウツー『……そういえばフシデが、いずれ私より巨大になるとか、そういうことを言っていたな』

ダゲキ「あそこの ふといえだ に、つのが ひっかかるくらいの おおきさだ」

ミュウツー『ほう、なかなかだな』

ダゲキ「そのまえに、まるくなるらしい」

ダゲキ「ニンゲンの、バイク あるだろう。あれの『タイヤ』に にてる」

ミュウツー『……お前、今日はやけに喋るな』

ダゲキ「しゃべるの、おもったより たのしい」


表情に出ているわけではなかったが、嬉しそうだった。

いつもより少しばかり饒舌なのは、その現れなのかもしれない。


204: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:58:25.10 ID:uiR0pV0mo

ダゲキ「きみの おかげで、すこし、うまく はなせるようになった」

ミュウツー『私の?』

ダゲキ「きみの……あたまのこえは、ニンゲンみたいに、すごくうまい だろう?」

ダゲキ「おかげで、ちょっとずつ、うまくしゃべれるように……なってきた」

ミュウツー『テレパシーでも……そういうものか』

ミュウツー『おい、あまり火に近づくなよ。本が燃える』

ダゲキ「わかってる」

コマタナ「ヂャー……キィー……?」


会話の意味を理解できているのか不明だったが、コマタナがふたりを交互に見る。

ふたりが揃って意識を向けている『本』に、興味を持ったようだった。

ダゲキが広げているものに手を伸ばし、その感触を確かめている。


ミュウツー『こら、刃を立てるな。これは借りた物なんだぞ』

コマタナ「うァ?」

ダゲキ「『かりた』って、わかるかな」

コマタナ「ガィ……ダ?」

ミュウツー『そうだ、借りたんだ。……とにかく、斬るな、叩くな、大事にしろ』

コマタナ「ア゛ーィ……」


目に見えて悄然とする。

かつての『踏んだり蹴ったり』の時のように、叱られていると思ったのかもしれない。


ミュウツー『……叱ったわけではない、そんなにしょげるな』


こうした子供の扱いが、ミュウツーはやはり不得手だった。

衝動的で、表裏がなく、純粋なところが扱いにくい。

こちらの言動を正面から受け止めるところも、ある意味で厄介だった。


205: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 00:59:35.92 ID:uiR0pV0mo

ダゲキ「……ニンゲンが つかう、もえない『ひ』 あるだろう」

ミュウツー『燃えない火……ああ、「電灯」か? それがどうした』

ダゲキ「そう、そう。あれなら、この『ほん』 ちかづけても、もえない?」

ミュウツー『そうかもしれんが、あれは火と違って電気を持ってこないと使えん』

ミュウツー『電気を扱えるポケモンがいても、そうそう繊細な電力供給が出来るとは限らない。こっちの方が扱いやすい』

ダゲキ「そうか……よくわからないが、むずかしいんだな」

ミュウツー『それに、そんなところにまで、ニンゲンの力を借りるのも癪……いや、「はらがたつ」』

ダゲキ「この『ほん』は いいのか?」

ミュウツー『だ、だから……』

ダゲキ「はい、はい」


必死になって言い返しても、ダゲキはどこ吹く風だった。

からかわれているのは、こちらの方なのかもしれないとミュウツーは思う。


ダゲキ「コマタナの『こ』は、どれだ」

コマタナ「……キッ? ノ゛ぅあァ……」

ミュウツー『お前の名前の話をしてるんだ』

ミュウツー『これだ。「に」と似てるな』

ミュウツー『……何度見ても、「き」と「さ」の区別が難しい。なぜここまで似ているんだ』

ミュウツー『というか、もっと見分けやすい形の文字にすればいいだろうに』

ダゲキ「ニンゲンは、まちがえたり しないんだろう。ふしぎだな」

ミュウツー『ニンゲンは毎日、文字が山ほど載ったモノを読んでいる。見分けがつかぬようでは、用が足りんのだろう』

コマタナ「ヴァー……」

ミュウツー『お前も、勉強するか?』

コマタナ「……ヴェン……オ゛?」

ミュウツー『これが「こ」だ。「ま」「た」「な」。これで……』


ミュウツーは拾った枝で、地面に文字を書き込んだ。

何かを書き終え、得意げな顔でコマタナにそれを示す。


206: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 01:01:31.28 ID:uiR0pV0mo

ミュウツー『うまく書けているだろう。これでお前の名だぞ、コマタナ』

コマタナ「オ゛ェ、ノ……ナ゛、ァ、エ?」

ダゲキ「『ま』の、まるくなる ところは……はんたいの ばしょに かくんじゃないのか?」

ミュウツー『!』

ミュウツー『お、お前だって、「こ」の線が繋がってアーボかハクリューみたいになっているではないか』

ダゲキ「これ? ……ジャローダかミロカロスになら、みえるけど……」

ミュウツー『……』

ダゲキ「……」

ミュウツー(……言ってるポケモンが一つもわからない……)

ダゲキ(……きいたことない ポケモンばかり……)

コマタナ「……ヂャー……?」

ミュウツー『……まあ、その……』

ダゲキ「……うん……」

ミュウツー『今度は、ポケモン図鑑でも借りてくるか』

ダゲキ「うん、たのむ」

ミュウツー『考えてみれば、イーブイ以外のポケモンは見たことのない奴らばかりだった』

ダゲキ「ここと、きみがいた ところは、そんなにちがうか」

ミュウツー『昔、ニンゲンから教えられたポケモンたちは、ここにはあまりいないようだ』

ダゲキ「そうか。せかいは ひろいな」

ミュウツー『生意気な』


地面にはいつのまにか、焚き火を中心にして、ふたりが書き付けた字が散乱していた。

コマタナが不思議そうな顔をして、刃で文字をなぞっている。


207: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 01:05:49.15 ID:uiR0pV0mo

ミュウツー『そういえば……以前、お前とジュプトルが揉めていたことがあっただろう』

ダゲキ「ああ……うん」

ミュウツー『あれは、なぜ揉めた?』

ダゲキ「……ながされた はしが、とりにくいところに ひっかかったんだ」

ダゲキ「あぶないから、じゆうに うけるポケモンに、たすけてもらおうとした」

ダゲキ「そうしたら、ジュプトルが いやがった」

ミュウツー『なるほど……奴の言う「あいつ」とは、あの時のヨノワールのことではないのか?』

ダゲキ「うん、そうだ」


地面に新たな文字を刻んでいたダゲキが、表情もなく振り返った。

それに反応して、コマタナも慌てて顔を上げる。


ダゲキ「……なんで、しってる? なにか あったのか」

コマタナ「ア゛ーァ?」

ミュウツー(ダゲキの真似をしてるつもりなのか、コマタナは……)

ミュウツー『ハハコモリのところで、ジュプトルと会った』

ミュウツー『そのとき、ヨノワールのことをやけに毛嫌いしていたのだ』

ダゲキ「またか。なにが あったんだろう」

ミュウツー『知らんのか』

ダゲキ「わからない。ぼくには、おしえてくれない」

ミュウツー『何か企んでいるに違いないとまで言っていた。何かしら、あったのは確かだ』

ダゲキ「……けんかも、してないのに」

ミュウツー『……お前がわからんのなら、新参者の私はもっとわからん』

ダゲキ「ぼく、なんでも しってる わけじゃない」

ミュウツー『そうか。私はてっきり、お前がここの森を牛耳っているものだと』

ダゲキ「『ギュウジ』って……?」

ミュウツー『うん、まあ、聞かなかったことにしてくれ』

ダゲキ「うん……」


208: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/07(水) 01:06:25.07 ID:uiR0pV0mo

言葉が途切れた。

それぞれに、何かを考えている。

かたや必死で憶えようとする文字のことを。

かたや不規則に揺れ動く炎のことを。


ダゲキ「……よし」

ミュウツー『?』

ダゲキ「なまえ、かけた」

ミュウツー『ほう』

コマタナ「ニ゛ー……、ネゥ、イ」

ダゲキ「さきにねて いいよ」

コマタナ「う゛ー……」

ミュウツー『おい』

ダゲキ「……ん?」

ミュウツー『点が足りなくて「た'げき」になってる』

ダゲキ「……」


230: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:03:42.89 ID:sF7MQcULo

夕陽を浴びて赤紫色に染まったダゲキが、同じく真っ赤に染まったコマタナを指差した。

その次に、今度は自分の喉を指差す。

レンジャーの制服を着込んだ若者が、かすかに首を傾げて考えるそぶりを見せた。


レンジャー「ん? 首? ……あ、喉か」


ダゲキはレンジャーの返事に頷き、傍らのコマタナを促した。

コマタナはダゲキのうしろに体を半分隠し、レンジャーを露骨に警戒している。

顔を覗き込んでこようとするレンジャーの視線を、なんとしても避けようとしていた。

ダゲキの腕を掴み、ミュウツーが聞き耳を立てる茂みの方を何度も不安そうに見ていた。


レンジャー「やれやれ……私がセンターに連れて行ったのに、忘れられちゃったかな」

コマタナ「……う゛……? ギゥ、ア゛……ィ゛ァ゛ーィ……」

レンジャー「ううん……」


レンジャーは眉根を寄せ、大袈裟に唸ってみせた。


レンジャー「なるほど……コマタナってこんな鳴き声じゃないよなあ。ふん、ふん……」


独り言のように呟きながら、レンジャーは手元の紙に何かを書き込んでいる。


ダゲキ(……いまなら、あれ よめるかな……)


ぼんやりと、ダゲキはそんなことを思った。

もっとも、字面を追うことができても意味が理解できるわけではなかったが。


231: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:05:47.24 ID:sF7MQcULo

レンジャー「……よし、わかった。パッと見も健康そうになってきたし、何より元気で安心した」

レンジャー「喉、っていうか鳴き声と足のことも、ドクターに尋いてみる。で、食べさせてたのは主にクラボのみ、と」

ダゲキ(うん)


もう一度、ダゲキは頷いてみせる。

何を食べさせていたか、言葉で伝えたわけではない。

単に、食べさせていたものを尋ねられた時に現物を見せただけだ。


レンジャー「お前が『話して通じる』ポケモンで助かったよ」

レンジャー「トレーナーに所有されたことのないポケモンって、基本的に言葉通じないじゃん?」

レンジャー「だから、私が言ってそのまま通じるって、凄く助かるんだよね」

レンジャー「お前の方も喋ってくれると、もっと楽なんだけど……まあ、それは高望みだよな」


呑気に笑うレンジャーを見上げていると、どこからともなく声が飛んできた。


ミュウツー『お前が、本当はべらべら喋ると知ったら、面白いことになりそうだな。悪い意味で』

ダゲキ(……うるさいよ)


テレパシーだというのに、からかうような響きがあった。

声が届くかどうかわからなかったが、ダゲキは頭の中でだけ悪態をつく。


ミュウツー『……すまん』


申し訳なさそうな応答があった。


232: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:06:53.44 ID:sF7MQcULo

レンジャー「さてと……ほらコマタナ。お前を、病院に連れてってやるよ」

レンジャー「お前の怪我、ちゃんと治ったかどうか、医者に診てもらうんだ。こっちおいで」


声をかけられて驚いたのか、コマタナは目を丸くして、なおダゲキのうしろに隠れようとした。

反対側から足の先が飛び出していることには気づかない。

レンジャーは、その滑稽な様を見て苦笑していた。


コマタナ「……ぁ……ア゛……ニー……」


傍らのダゲキを見上げて、コマタナは不安を露にした。

だがダゲキはコマタナを引き剥がし、レンジャーの方へと押し出した。

コマタナは露骨に嫌がって首を横に振っている。


レンジャー「歯医者を嫌がる子供と、その保護者みたいだな」

コマタナ「……ゥ……ゥゥ……」


何度もダゲキを振り返りながら、コマタナは恐る恐るレンジャーに近づいた。


コマタナ「キッ!!?」


レンジャーが手を翳すと、コマタナは弾かれたように飛び退いた。

眼球が小刻みに震え、落ち着きを失っている。

仮にポケモンが人間と同じように泣き叫ぶことができたとしたら、コマタナも泣き叫んでいたかもしれない。

それほど、あからさまな拒絶を示していた。


コマタナ「……ぃ……ぎっ……ゥ……」

レンジャー「……?」

レンジャー「……あ、そっか」


233: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:08:27.64 ID:sF7MQcULo

若いレンジャーは何かを察して息を呑み、手袋を外しジャケットを脱いで地面に放り投げた。

帽子も脱ぎ捨て、上半身は紺色のシャツだけの状態で膝をつく。

両腕を広げて掌を天に向け、なるべく害意を感じさせない姿勢をとった。


レンジャー「ほら、私は、何もしないよ。何も持ってない。安心して」

レンジャー「痛い目に遭わせたりもしないし、怖い思いもさせない。だからほら、おいで」


コマタナにも通じるように、という意図はダゲキにもわかった。

レンジャーはやけにゆっくり、そしてはっきりとしゃべっている。

コマタナは目を瞬かせてダゲキを振り返った。

ダゲキはコマタナをじっと見つめている。

助けに来てくれる気配はない。

コマタナはようやく諦め、そろりそろりとレンジャーに歩み寄った。


レンジャーはコマタナの頭に、ゆっくりと手を置いて撫でた。

びくりと体を震わせたものの、コマタナは逃げずに撫でられていた。

ミュウツーもダゲキも、それを黙って見ている。


コマタナ「……ァ、ヴ……」

レンジャー「……辛かったよなぁ」

ダゲキ「……」

ミュウツー『……』


不意に、レンジャーが撫でるのをやめた。

大きな溜息をつき、地面に手をつく。


234: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:09:31.55 ID:sF7MQcULo

レンジャー「……ごめん」

コマタナ「……ゴェ……ア゛……?」

レンジャー「世の中、お前たちをそんな目に遭わせたような、酷い人間ばかりじゃない」

レンジャー「たぶん、きっと違う」

レンジャー「だから、頼む……人間を嫌いにならないで」


コマタナは困り果て、ダゲキを振り返った。

レンジャーの言っている言葉は、コマタナにもおおむね理解できている。

だが、だからといってどうしたらいいのか、それはわからない。


ダゲキが短く鳴いた。

その声に、レンジャーは我に返る。


レンジャー「……あ、そうだね。私なんかに謝られても困るよなぁ」


独り言のように呟きながら、レンジャーは立ち上がって膝をはたいた。


レンジャー「ま、その……うん」

レンジャー「ダゲキ。今夜はこのコマタナ、私が預かる。この前みたいに緊急じゃないからね」

レンジャー「明日になったら、朝イチでシッポウのセンターに行く。検査でどれくらい時間が必要かはわからないけど」

レンジャー「私が戻るまで、代わりの人間を手配してもらうかもしれないから、その間はここに近づかない方がいいよ」

レンジャー「私みたいに報告書を『いい加減』に書ける奴が来るとは、限らないからさ」

ダゲキ(……?)

ミュウツー(……??)

レンジャー「……んん?」


235: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:10:37.28 ID:sF7MQcULo

ダゲキの顔を見たレンジャーが、怪訝そうな表情を見せた。

ミュウツーからは見えなかったが、さすがのダゲキも驚いたのかもしれない。

実のところ、ダゲキはほんのわずかに眉間に皺を寄せただけだったが。


レンジャー「あ、あれ……言ってなかったっけ?」

レンジャー「本当はさ、コマタナやお前のこと、それからあの茂みに隠れてるつもりのお友達のことも、報告書に書くんだよ」

ダゲキ(!?)

ミュウツー(!?)

レンジャー「いや書くって言っても、そりゃ……日誌に毛が生えたレベルだけどさ」

レンジャー「なにその顔。や、やだなあ。私これでも“森林保護官”……なんだけど」

レンジャー「森と森に住むポケモンを守るためには、いろいろ理解してないといけないでしょ」

レンジャー「森にとってどんな状態が『正常』なのか、その上で、森で何が起きてるか、とか……」

レンジャー「いやまあ、何を書いて何を書かないかは、私が勝手に決めてるんだけど」


レンジャーは聞かれてもいない話を続けた。


レンジャー「だ……だってさぁ、私が手を出さなくてもうまく回ってるとこを、記録に残して人目に晒すのも……って」

レンジャー「そ、そのうち私を信用してもらえたら、そこのお友達も顔を見せてくれるのかなー、なんてさ」

レンジャー「つ、通じてるかな」

ダゲキ(……)


ダゲキは黙って、三度頷く。


レンジャー「そ、そりゃよかった」

ミュウツー(……こっちにまで、矛先が向くとは思わなかった)

レンジャー「ほ、ほら、日が暮れちゃうよ。私は夕飯と夜のパトロール準備があるから、お前たちは帰りな」


236: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:12:04.52 ID:sF7MQcULo

そう言うと、レンジャーはコマタナを抱き上げ、ログハウスに入ってしまった。

間もなく中の窓ガラスにコマタナがへばりつき、キョロキョロと外を見回す。

外にいるはずのふたりを探している。

その後ろからレンジャーが何か声をかけ、コマタナは窓から離れた。

入れ替わるようにレンジャーが窓ガラスに近寄り、ダゲキに軽く手を振ってからカーテンを引く。

ログハウスの中が見えなくなった。

カーテンごしに明かりが灯っていることだけがわかる。

そうしてようやく、心配の必要がなさそうだと判断し、ダゲキはログハウスに背を向けた。


ミュウツー『……ぃ……ぉぃ……おい!』


茂みの向こうから身を乗り出さんばかりの勢いで、ミュウツーがダゲキに話しかけてきた。


ダゲキ「……なんだよ」

ミュウツー『見つかっていたではないか! 誰が「お友達」だ!』

ダゲキ「ぼくに おこるなよ……」

ダゲキ「きみは、からだ おおきいから」

ミュウツー『……ニンゲンだと思って油断した』

ダゲキ「そうか」

ダゲキ「……」

ダゲキ「きみは、あのニンゲン しんじるか?」

ミュウツー『正直、まだわからん』

ミュウツー『……純粋な悪人ではなさそうだ、という程度の認識だ』

ダゲキ「……あのニンゲンは、ちゃんと あやまった」

ミュウツー『“だから”、信用できると思うのか?』

ダゲキ「ううん」


237: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:13:39.66 ID:sF7MQcULo

ダゲキは迷うことなく首を横に振った。

それを見て、ミュウツーは心のどこかでほっとするのだった。

あの飄々として油断ならない『ポケモンレンジャー』の若者を、ことさら嫌っているわけではない。

だが、友人があの人間に心を許している『わけではない』ことが、ミュウツーを安心させた。 

ダゲキとミュウツー、コマタナやジュプトルたちは、みな人間への憎悪を同じくしているはずだったからだ。

そこに至るまでの経緯や、『憎む』気持ちの隠し持った意味は違うとしても。

実際には、その違いにこそ本質がある。

ミュウツーはそれを知らない。

想像もしない。

思い至ることは、今のところない。


ダゲキ「……でも、しんじて いいなら、しんじたい」

ミュウツー『信じなければ、裏切られることもない』


釘を刺しているだけのつもりが、なぜか言葉に熱が籠もった。


ダゲキ「『ウラギラレル』って、どういういみ」

ミュウツー『いい奴だと思って背中を見せたら、後ろから殴られるようなこ……ことだ』

ダゲキ「……それは、ぼくもいやだなあ」

ミュウツー『ああ、そうだろう』

ダゲキ「……でも」


そう言って、ダゲキは少し考え込む。


238: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:14:59.83 ID:sF7MQcULo

ダゲキ「だれにも、せなかを みせないのは……つかれるよ」

ミュウツー『……』

ミュウツー『洒落たことを……』

ダゲキ「……」

ミュウツー『……』

ミュウツー『……腹が減ったな』

ダゲキ「うん」


あたりはすっかり暗くなり、夕陽の赤さはもう残っていない。

遠くの樹上や近くのくさむらに、誰かの気配がする。

だが、ポケモンも人間も、ふたりの前に飛び出してくることはなかった。


ミュウツー『……誰かいるのか?』


気になり、ひょいと茂みの向こうを覗き込む。

そこには、木の葉を齧るフシデが、ミュウツーの両手の指の数ほど固まっていた。


ミュウツー『フシデか』


何度も会っているフシデのことを思い出す。

とりわけ言葉が舌っ足らずで、たくさんの足をいつも必死に動かしている赤いフシデ。

あのフシデと、ここにいるフシデたちは、何が違うのだろうか。


ミュウツー『おい、貴様ら』

フシデ「ピキィ!」

ミュウツー「!?」


ミュウツーの語りかけを遮るように、フシデが金切り声を上げた。

驚くミュウツーを尻目に、フシデたちは食べかけの葉を放り出して逃げていった。


239: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:16:07.63 ID:sF7MQcULo

ミュウツー『……なんなんだ』

ダゲキ「いつものこと だよ」

ミュウツー『いつも?』

ダゲキ「けんかしないで くらすのに、だいじなこと」

ミュウツー『……持って回った言い方をするではないか』

ダゲキ「だめ?」

ミュウツー『上手くなったと感心しているんだ』

ダゲキ「ああ、うん、ありがとう」

ミュウツー『……』

ミュウツー(皮肉の通じん奴だ)

ダゲキ「あ」

ミュウツー『?』

ダゲキ「ハハコモリの すんでるばしょが ちかい。きのみ、もらおう」

ミュウツー『そうか、それはいい』

ミュウツー『ハハコモリのところで食べたイアのみが、実に美味かった』

ダゲキ「そうか……ぼくには、すっぱいよ。ぼくはクラボが すきだなあ」

ミュウツー『あれは、不味くはないが……辛いではないか』

ダゲキ「からいところが、いいんじゃないか」

ミュウツー『そういうものか?』

ダゲキ「からくて おいしいし、ねむくても、めがさめて いい」

ミュウツー『いや、そういう時は、寝ろ』

ダゲキ「それじゃあ、しゅぎょう できない」

ミュウツー『そこまでして鍛えたいのか……とんだ筋肉馬鹿だ』

ダゲキ「『バカ』か……」


240: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:20:48.47 ID:sF7MQcULo

ミュウツー『ジュプトルも、お前の修行狂いは有名だと言っていたぞ』

ダゲキ「なんだか、うれしくない」

ミュウツー『褒めてはいないからな』

ダゲキ「ひどいな」

ダゲキ「……そうだ。ブリーのみ、たべたことある?」

ミュウツー『あるわけないだろう。見たこともない』

ダゲキ「じゃあ、こんど たべてみろ。……おもしろい」

ミュウツー『面白い……?』

ダゲキ「ああ。とても、おもしろい」

ダゲキ「ええと……うん、チュリネやイーブイが すごく よろこぶ」

ミュウツー『……ほおう』

ミュウツー『……お前、何か企んでるだろう?』

ダゲキ「うん」

ダゲキ「……あ、みえるか? あのはっぱのいえが……うん?」

ミュウツー『おい、話を誤魔化……なんだ?』


ふたりの視線の先には、大きめの葉を組み合わせて作ったテントのような巣がある。

そこに、誰かがいた。


ミュウツー『……あれは……』

ダゲキ「……」


241: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:23:08.82 ID:sF7MQcULo

巣の入り口あたりに、大きな影が立っている。

ヨノワールだった。

ヨノワールは巣の中を覗き込むように背を丸め、音もなく浮いている。

誰かが喋っているような声が、かすかに聞こえた。

ふたりがいる場所からでは、誰が何を話しているのか分からない。

しばらく様子を伺っていると、ヨノワールがゆっくりと身を引いた。


ダゲキ「あれは、なんだ」


大きな手の中に、ぼんやりと燐光を放つ何かが握られている。


ミュウツー『わからん』

ダゲキ「ハハコモリは、みえるか?」

ミュウツー『ここからでは見えんな』

ミュウツー『……』

ミュウツー(……なんだ、この胸騒ぎは)

ダゲキ「お、おい」

ミュウツー『嫌な……感じがする』


ミュウツーは生い茂る低木を掻き分け、ヨノワールの方へ飛び出した。


244: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:51:07.16 ID:sF7MQcULo

ほんの数時間前。

チュリネ「~♪」

小さなポケモンが、ひとり森の小道を歩いていた。

いつもどおり、鼻歌を歌っている。

いつもより、いくぶん頭の上の葉をおおげさに揺らして森を進む。

いつも以上に、とびきりの上機嫌で。

身体を揺らすたびに葉がこすれ、さらさらと音を立てていた。

その瑞々しい葉が、揺れながら夕暮れの森を行く。

たそがれ時。

かわたれ時。

誰そ彼。

彼は誰。

あなたは、だあれ?


チュリネ(チュリネは、チュリネだもん)

チュリネ(えらいんだもん)

チュリネ(みーちゃん、チュリネのこと えいっていったもん)


そんな暗さの中にあっても、チュリネは心細さを感じてはいない。

むしろ、大きな達成感と自己肯定感に包まれている。

かすかな、ある種の期待も。

むろん、達成感をもたらしただけの疲労も、ないわけではなかったが。

それというのもハハコモリの最後の『講義』が、何日も続いてきた『講義』と同じく一日がかりだったからだ。

ハハコモリの『講義』は、彼女が得意とするきのみの育て方についてであった。

245: >>244修正 ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:52:12.57 ID:sF7MQcULo

ほんの数時間前。

チュリネ「~♪」

小さなポケモンが、ひとり森の小道を歩いていた。

いつもどおり、鼻歌を歌っている。

いつもよりも、いくぶん頭の上の葉をおおげさに揺らして森を進む。

いつも以上の、とびきりの上機嫌で。

身体を揺らすたびに葉がこすれ、さらさらと音を立てていた。

その瑞々しい葉が、揺れながら夕暮れの森を行く。

たそがれ時。

かわたれ時。

誰そ彼。

彼は誰。

あなたは、だあれ?


チュリネ(チュリネは、チュリネだもん)

チュリネ(えらいんだもん)

チュリネ(みーちゃん、チュリネのこと えらいっていったもん)


そんな暗さの中にあっても、チュリネは心細さを感じてはいない。

むしろ、大きな達成感と自己肯定感に包まれている。

かすかな、ある種の期待も。

むろん、達成感をもたらしただけの疲労も、ないわけではなかったが。

それというのもハハコモリの最後の『講義』が、何日も続いてきた『講義』と同じく一日がかりだったからだ。

ハハコモリの『講義』は、彼女が得意とするきのみの育て方についてであった。

246: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:54:10.93 ID:sF7MQcULo

きのみや種を植える時期のこと。

きのみがよく育つためには、どういう土にしておけばいいか。

水をあげるタイミングと量のこと。

そのために協力してくれることになっている、水の扱いに長けたポケモンとの連絡のしかた。

葉や枝を落とす時の加減。

味のいいきのみを、たくさん実らせるための工夫。

ハハコモリはひとつずつ、ゆっくり、チュリネが理解するまでじっと待ちながら教えてくれた。


チュリネ『でも、えだ きっちゃったら……いたくないの?』


そう尋ねると、ハハコモリはにこにこしながら応えた。


――チュリネちゃんの葉っぱと、同じ

――おなじ?

――葉っぱを摘むと、新しい葉っぱが出てくるでしょう?

――うん、チュリネのね、はっぱ、そうだよ

――だから、元気な葉っぱを出すために、切るの


一回で憶えきることのできる量の知識ではない。

それは双方が理解していた。

だからここしばらく、チュリネは大好きな日課を我慢してまで、ハハコモリの元で教えを受けていた。

大好きな日課とは、森のポケモンたちが近寄ろうとしない、『彼ら』と日々を過ごすこと。

尊敬してやまない存在のそばにいつづけること。

けれど、決して寂しくはない。

チュリネには希望があるからだ。


247: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:55:34.00 ID:sF7MQcULo

立派な『おとな』になることに。

一人前として、認めてもらえることに。


チュリネ(えらいって、いってもらえるかな……)

チュリネ(また、なでなで してもらえるかな)


ハハコモリの物腰は、いつもと変わらず柔らかかった。

自分に母親というものがいれば、ハハコモリのような存在だったに違いない。

母親を知らないチュリネは、そう思った。

チュリネはクルミルたちが羨ましくて仕方ない。


チュリネ「でもね、チュリネ もう さみしくないもん」


母親はいないけれど、母親のように接してくれているハハコモリがいる。

森の外から来たけれど、優しくしてくれるジュプトルやイーブイ、バシャーモ、ミュウツーがいる。

森に生まれたけれど、外から来たポケモンを拒絶しないダゲキやフシデがいる。

だからチュリネにとっては、他のチュリネたちから距離を取られていても何も不都合はなかった。

森に生まれたポケモンたちが、外から来たポケモンたちに向ける独特の目を、チュリネも知っている。

彼らと親しく過ごすようになってしばらくしてから、チュリネは気づいたのだった。

自分もまた、その『目』を向けられていることに。

けれど、チュリネにとっては気にもならない。

親しくしてくれる誰もが、同じチュリネからでは得られない素晴らしい世界を見せてくれるからだった。

ふと、チュリネは歩みを止める。


248: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:57:35.08 ID:sF7MQcULo

チュリネ「……あっ」

チュリネ(ヨノワールちゃんだ)


前方の木陰に大柄なポケモンの姿を認め、チュリネは思わず声をあげた。

年を経た樹木の足元、茂みで隠れるような場所に、図体の大きなヨノワールが蹲まっている。

腹部の模様がかろうじて見える。

だが以前見た時と比べて、腹の模様はどこか輝きを失っているように見えた。

いつも暗い煌めきを放っていた目を閉じ、眠っている。

チュリネの声にも反応はない。


ヨノワール「……」

チュリネ(ねてるのかな……?)

チュリネ(でも、もう よるなのに)

チュリネ(みーちゃん、ヨノワールちゃんは『ヤコーセー』って いってたのに)


『夜行性』という言葉の意味を、チュリネが正確に理解しているわけではない。

ミュウツーが話をした時の前後を考慮して、『夜しか動きまわれないこと』だと理解しているだけだ。

言葉の意味の理解とは、それで十分のはずだった。

なのにチュリネは、そこで劣等感を覚える。

自分は、その言葉そのものの意味をよく知らず、周辺情報でしか理解できていないと。

自分自身で、背伸びをして言葉を使っていると思っている。

子供扱いされたくないと必死になること、実際に子供であることが、彼女にそう思わせていた。


チュリネはヨノワールに近づいた。

大切な友人であるジュプトルが、ヨノワールを嫌っていることはよく知っている。

だが別の大切な友人であるダゲキは、ヨノワールをそこまで嫌ってはいない。

流されてしまった橋の一件でも、それは明らかだった。

だからきっと、……。


249: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 18:59:59.87 ID:sF7MQcULo

チュリネ「ねんね……なの?」

ヨノワール「……う……うぅ……」


内緒話ならば届くほどの距離まで近寄って、チュリネは初めて気づいた。

ヨノワールは、眠っていたわけではなかった。

うずくまって、その大きな両手で頭を抱えている。

俯き、唸っている。

ただ目を閉じていたわけでもなかった。

一つしかない大きな目を固く瞑って、懸命に何かを拒絶していた。

二メートルを越える巨体を極限まで縮め、小さくなっている。

これも、見上げるほど近寄ってようやくわかったことだ。


チュリネ「ヨノワール……ちゃん?」

ヨノワール「……う……いやだ……いや……だ……」


呆然とするチュリネの前で、ヨノワールは嗚咽にも似た声をあげていた。

チュリネの存在にも気づいていない。

何も見ようとせず、何も聞こうとしない。

控えめな銅鑼のように低く響く、不思議な声。


ヨノワール「……も、もう……やめ、て……」


ふとヨノワールが目を開く。

チュリネのいる方を真っ直ぐに見て、硬直する。

胡乱な目を、これ以上ないほど開く。

チュリネとヨノワールの目が合った。

ように思えた。


250: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 19:00:57.41 ID:sF7MQcULo

ヨノワール「あ……あぁ……」

チュリネ「……ど、どうしたの?」

チュリネ「あたま、いたいの?」

ヨノワール「い……いか、なく……ては……」


チュリネは、子供ながらに恐怖を覚えた。

まぎれもなくヨノワールの目は、自分を向いている。

なのに、ヨノワールの目に、自分は映っていない。

見えていない。

何か別のものを見ている。

何を見ているの?

何を、そんなに怖がっているの?

何を、見たくなかったの?

何を、聞きたくなかったの?

そう問い掛けようとした瞬間、ヨノワールが動いた。


ヨノワール「……ああ……い、いか……なくては……」


絞り出すような声を漏らしながら、ヨノワールは立ち上がった。

足はないけれど。

海底からゆっくりと浮かび上がる泡のように身を起こし、チュリネが来た方角へと漂い始める。

そのまま、夜闇に沈んでいくように消えた。

ヨノワールが消えていった方角を見ながら、チュリネは小さく息をついた。


251: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 19:02:09.57 ID:sF7MQcULo

チュリネ「……びっくりしたぁ」

チュリネ「うーん……ぐあい、わるかったのかなぁ」


不気味さを感じながら、チュリネはそう結論づけた。

ヨノワールの向かった先がどこなのか、考えようとはしなかった。

気を取り直し、進もうとしていた方へと歩き始める。

再び、鼻歌を歌いながら。

今のことは、次にダゲキたちに会った時にでも伝えればいいだろう。

きっとヨノワールにも、何か事情があるのだ。

いつか仲良くなれるに違いない。

ジュプトルが嫌っているのは、とても残念なことだけど。

そう考えながら、チュリネは茂みの中へひょいと飛び込んで消えた。


しばらくして物音がすっかりなくなったころ。

別の茂みから、誰かが立ち上がった。


?「……見たか?」

?「まさか、カントーの噂がマジだったとはね」

?「こりゃあ、いい金になりそうだ」

?「そうと決まれば……」


二つの人影は軽く頷き合うと、そそくさとその場を去って行った。


252: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 19:04:38.50 ID:sF7MQcULo

ハハコモリの巣の前。

五感でも知識でもない、頭の中の信頼すべき『誰か』が、異常を告げている。

その『誰か』が誰なのか、ミュウツーには知る由もない。


ヨノワール「……?」


物音に振り返ったヨノワールは、不思議そうに目の上を歪めた。

感情の伝わりにくい顔をしているが、それでも訝しんでいるのがわかるほどだった。

ミュウツーが巣の中へ目をやると、そこにはハハコモリの足が見えている。


ミュウツー『貴様、そこで何を』


ザザザッ


ジュプトル「ヨノワール、おまえ……なにしてるんだ」


反対側の茂みから、険しい顔のジュプトルが現れた。

ほんの一瞬、ヨノワールの意識が逸れる。

その瞬間、ヨノワールの手中にあった『何か』が二、三度震え、思いがけない速さで空へまっすぐ上がっていった。


ヨノワール「……おお」


思わず、その場にいる誰もが燐光を目で追った。

燐光は遥か上空に溶け込み、星に紛れて区別がつかなくなっていく。

誰よりも早く我に返ったのはジュプトルだった。


ジュプトル「ハハコモリ!」


253: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 19:06:42.61 ID:sF7MQcULo

ジュプトルがヨノワールを突き飛ばして巣に飛び込んだ。

押し退けられたヨノワールは、大きな目でジュプトルを追いながら飛ばされるまま後退る。

ミュウツーがハハコモリの巣まで辿り着くと、ちょうど後ろにダゲキが追いついた。


ダゲキ「いまのは、なんだ」


目線はハハコモリの巣とそこにいるジュプトルに向け、ダゲキは言葉だけをヨノワールに投げかける。

一方、ミュウツーはヨノワールを見ていた。

ヨノワールは見たこともないほど目を見開き、巣の中を見ている。


ヨノワール「なんでも ないです」

ジュプトル「……『なんでもない』?」


ジュプトルが立ち上がり、ヨノワールに掴みかかった。


ジュプトル「『これ』が、『なんでもない』のか!」

ジュプトル「やっぱり、おまえだったんだな!」

ダゲキ「おい、ハハコモリ」


今度は、ダゲキがハハコモリの巣に頭を突っ込んだ。

呼び掛けに対して返事がないことは、ハハコモリが見えないミュウツーにもわかる。

心臓がごきり、ごきりと重い鐘のように波打ち、それ以外の音が遠くに離れていった。


ミュウツー『ヨノワール、これはどういうことだ』


ミュウツーの言葉を聞き、ジュプトルが今度はミュウツーに掴みかかろうとした。


254: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 19:09:30.62 ID:sF7MQcULo

ジュプトル「きッ、きまってるだろ、こいつが……!」

ダゲキ「ジュプトル、おちつけ」

ジュプトル「こっ……これが、どうし……キッ……お、おちつけるん…ギィキ、ガァッ!」


ダゲキが、今にも殴りかかりそうなジュプトルを抑えている。

激昂するジュプトルを尻目に、ミュウツーはヨノワールの目を見た。

さきほどまでと違い、蝋燭のように揺らめく大きな目は空を見上げている。

その目を見てミュウツーは、得体の知れない寒気を覚えた。

耳から流れ込む音は地鳴りのような鼓動に占められ、喚き散らすジュプトルの声が霞む。

おかしい。

何かが、『いつも』と違う。

そんなミュウツーの焦りをよそに、ヨノワールはのんびりした声でぽつりと呟いた。


ヨノワール「これで いいんです」

ジュプトル「……な、なんだと、こいつ!」

ミュウツー『ヨノワール……貴様は』


ミュウツーが手を伸ばし、ヨノワールの肩を掴もうとする。

精一杯伸ばしたはずの腕が震えている。

自分でも不思議だった。

なぜ、この手は震えている?

何を恐れているのだ、この『私』が。

わずかに間に合わず、ヨノワールはふわふわと向きを変える。

更に追いかけようとすると、ヨノワールはその場で溶けるように消えてしまった。

届かなかった手を見る。

不気味な形状の自分の指を見る。

いまだに震えている。

わからない。

どうして、こんなに……。


255: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/14(水) 19:12:09.92 ID:sF7MQcULo

ジュプトル「にげるな! おい、はなせよ、ダゲキ! ……っと!」

ダゲキ「あ、ああ……ごめん」


我に返ったダゲキが手を離すと、ジュプトルが踏鞴を踏んで転ぶ。

そのやりとりでミュウツーは我に返った。


ジュプトル「……これで わかったろ」

ジュプトル「ハハコモリ……」


吐き捨てるように言い、ジュプトルは地べたにへたりこんだ。


ジュプトル「お、おれが……まもるって、いったのに」


ジュプトルは何を言っているのだろう。

ミュウツーはわざわざ、それを考えた。

答えは、目の前にあるのに。


夜の刺すような寒気が彼らを取り囲む。

寒々とした風がミュウツーの晒された首筋を撫で、無意識に筋肉が引き攣っていた。

とても嫌な感じだった。


ミュウツー『……ハハコモリは?』


自分でもわかっていた。

そんなことを口に出して、誰かに尋ねても意味はない。

ジュプトルを見る。

恨みがましい目でこちらを見ていた。

ミュウツーは少し困って、今度はダゲキを見る。

ダゲキは、ハハコモリの巣の中を見ていた。

ダゲキの目は、不自然にどこかを見詰めている。

何かを見ているのに、何も見ていない。

ハハコモリに目を向けているのに、別のものを見ていた。


ダゲキ「しんだ よ」


相変わらず表情の薄い顔で、ダゲキはそう言い放った。


261: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:24:27.28 ID:vANyrg34o




――みんなは どこ……?

――みんな、いなく なっちゃったよ……


――……


――……おわかれが、ちかづいたみたい


――おわ、かれ……?


――あなたと……さようなら、しなくちゃ


――どうして? どうして さよう、なら……?


――……


――ねえ、**……ぼくの め から、なにかが

――これは……なに? とまらないよ

――とまらないよ……


――……ありがとう


262: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:25:05.70 ID:vANyrg34o

――どう……して ありがとう?


――……だって、わたしのために、ながしてくれたんだもの


――**……どうして、とまらないの?


――……これは、なに? **、おしえて


――それは、ね……




『ちくしょう』という、恐ろしく人間じみた罵倒を聞いて、ミュウツーは現実に引き戻された。

ほんの一瞬、どこか別の世界を見ていたような気がした。

どうしても思い出せない、あたたかいもの。

思い出せず、胸が締めつけられる何か。

思い出せば、気が狂わんばかりの何か。

……今、『私』はどこにいる?


263: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:25:49.68 ID:vANyrg34o

ダゲキの言葉が、耳をかすめてどこかへ飛んで行った。

理解できているはずなのに、脳が受容しない。


ミュウツー(……死んだ?)

ミュウツー『……ハハコモリが?』

ミュウツー(お前は何を言っている)

ミュウツー『嘘をつくな』


『冗談だ』と否定されることを期待した。

冗談など滅多に言わない、皮肉の通じない友人に。


ダゲキ「……」

ダゲキ「ぼくは うそ、いわない」


感情のこもらない声で、ダゲキがやはりそう言った。

そんなふうに言うだろう、というまさにそんな低い声で言うのだった。


264: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:26:46.34 ID:vANyrg34o

ミュウツー『ならば……なぜだ』

ダゲキ「わからない」

ミュウツー『答えろ』

ダゲキ「……わからないよ」

ミュウツー『なぜ、死ぬ』


――どうして? どうして さよう、なら……?


ダゲキ「……ぼくには わからない」


それ以上、問い詰める気にはなれなかった。

相手を苛めているような気分だった。

ミュウツーは押し黙る。

ダゲキはやはり、こちらに顔を向けようとしない。

それだけ見れば、いつものことだ。

それでも、ミュウツーはその横顔を見下ろした。


265: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:27:56.45 ID:vANyrg34o

焦りだろうか。

憔悴か。

それとも苦痛。

あるいは悲壮。

どれも少し違う。

いや、問題はそこではない。

『それ』を今、心に抱いているのは……私ではないか。


ミュウツー『おい』

ダゲキ「えっ?」


ダゲキが痙攣でもしたかのようにびくりと顔を上げ、ミュウツーを見た。

いつもは色ひとつ変えず、眉ひとつ動かさない顔。

その目に、何かが浮かんだように見えた。

その何かを振り払うように、ダゲキが首を横に振る。


266: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:29:14.58 ID:vANyrg34o

ミュウツー『だ、大丈夫か』

ダゲキ「ぼくは、だいじょうぶ だよ」


自分に言い聞かせるような言い方だった。

あるいは、なぜそう尋ねられるのか理解できていないような言い方。

ダゲキはほんのわずかな時間、何かを考える顔をした。

そして、ミュウツーから目を逸らした。


ジュプトル「なんで、こんなこと……に……」


ジュプトルが呻いていた。

突如弾かれたように立ち上がり、ダゲキに掴みかかる。


ジュプトル「だから、いっ……ただろ! は はやく、おいだせって!」

ダゲキ「……ご ごめん……」

ジュプトル「ハハコモリ ころしたのは、ヨノワールだ」

ジュプトル「ペンドラー、ころしたのも ヨノワールだ!」

ダゲキ「……」

ミュウツー(……ペンドラー?)


267: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:31:06.87 ID:vANyrg34o

聞き馴れない名前が飛び出した。

正確に言えば、最近どこかで耳にしたばかりの名だ。


――フシデが『しんか』すると、ペンドラーに なるんだ


ミュウツー(……そうだ、フシデの……)

ジュプトル「でも、ギギッ……あいつ もっとはやく、おいだせば、……キッ、ころされなかった!」


ダゲキの肩を掴み、ジュプトルは両手に力を込めて友人を罵倒し続けた。

なぜジュプトルがダゲキを罵るのか、なぜダゲキが黙って責められているのかミュウツーにはわからない。

だが、自分の知らないどこかで生まれた確執なのだろう、ということは察しがつく。

根拠を示されたことはないが、ジュプトルにとってヨノワールの容疑は明確であるらしい。

少なくとも、ジュプトルはそう信じている。

真偽はどうあれ、それならばこれまで目にしてきたようにヨノワールを忌み嫌うのも、理解できなくない。

自分がこの森へ来る前、何があったのだろうか。


ジュプトル「おまえの……」

ダゲキ「……」


268: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:34:26.73 ID:vANyrg34o

ジュプトルが何を言おうとしているかなど、ミュウツーには予想もつかない。

だが、『頭の中の誰か』がミュウツーに告げていた。


『それ以上、言ってはいけない』

『それ以上、聞いてもいけない』


誰かが誰かを傷つけるために、言葉が使われようとしていた。

それは、やってはいけないこと。

そんなことをするのは、人間だけだ。

ポケモンは、そんなことをしない。

言葉とは――


ジュプトル「あいつらが しんだのは」


だが、ミュウツーにできることはない。

禁句が投げ出される瞬間を、ただ見ていることしかできなかった。


ジュプトル「おまえの せいだ!」


269: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:52:31.36 ID:vANyrg34o

試合開始の合図のように叫ぶと、ジュプトルはダゲキを突き飛ばしながら飛び退いた。

小柄な見た目にそぐった身軽さで、くるりと宙を舞う。

突き飛ばされたダゲキは二三歩あとずさり、ぼんやりとジュプトルに目を向けていた。

ジュプトルはあっと言う間に、ダゲキの間合いの外へと飛び出す。

ハハコモリの巣から少し離れたところに着地し、即座にリーフブレードを繰り出すべく駆け出した。

重心を低くし、ダゲキ目がけて一直線に突っ込んでいく。

はっとしてダゲキが身を引いた。

今まで、ほんの一秒前まで立っていた場所を、ジュプトルの一閃が通り過ぎる。

空振りを知って、ジュプトルは怒りに顔を顰めて吐き捨てた。


ジュプトル「に、にげるな! たたかえよ!」

ダゲキ「ま、まって」


怒りに任せ、ジュプトルは再び地を蹴る。


ジュプトル「ポケモン なのに……なんで たたかわない!」


270: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:53:30.94 ID:vANyrg34o

その言葉を聞いて、ミュウツーは驚いた。

ダゲキもまた、ジュプトルの言葉にどことなく呆然としている。

ミュウツーは猛烈に、嫌な気分になった。

腹を立て、久々に強い怒りを覚えていた。


ミュウツー『や……』


ィィィ……ィィィィィィィ……


ミュウツー『……やめろ!』


そう叫んで、無意識のうちに力を放つ。

今にもダゲキに斬りかかりそうだったジュプトル、身構えようとしていたはずのダゲキ。

うっすらと青い輝きに包まれ、ジュプトルはぴたりとその場に釘付けになった。

必死の形相で前へ進もうとするも、かくんと体勢を崩して足が空を掻いた。


ジュプトル「!? な、なん……」

ダゲキ「……!?」


271: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:55:58.92 ID:vANyrg34o

音もなく、ジュプトルたちの身体が浮かび上がった。

すっかり身体の自由を奪われ、ふたりは空中でもがいている。

足をばたつかせることもままならないようだった。

ミュウツーは見えない腕で、摘まみ上げた友人ふたりを引き寄せる。

眉間に深い深いしわを寄せ、目の前で空中に拘束されている友人たちを睨みつけた。


ミュウツー『私は、貴様がそれほど怒り狂うわけを、知らない』

ミュウツー『お前が、なぜ言われっぱなしなのかも、わからない』

ミュウツー『だが……そんな醜い姿を晒すのは、いますぐやめろ』


ィィィィィィィィィィィィ……


ジュプトルとダゲキの耳には、金属音にも似た何かの唸りが聞こえている。

もっとも、音の正体に考えが至るほどの余裕はなかった。


ジュプトル「……うっ……ギッ」


ジュプトルが目を見開く。


ジュプトル(く……く、る、しい……)


272: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:57:01.98 ID:vANyrg34o

自分の首に、目に見えない力が少しずつかかっている。

まるで、誰かに首を絞められているような苦しさだった。

息ができない。

必死の思いでダゲキを見ると、そちらも同じように苦しみ、もがいている。

これは、あの図体のでかい新参者の力なのか。


バキッ


すぐ横に立っていた木の枝が、金属音の向こう側で鋭い音をたてて折れた。

そう細くもない枝だったというのに、乾いた小枝を折るように圧し折れていた。

続いて鈍い音が響く。

どうにか目だけそちらに向けると、木の幹に何かが激突したように抉れた跡がついている。

金属音が大きくなる。


ジュプトル(……なんだよ……)

ジュプトル(いちばん おこってんの……おまえだろ……)

ジュプトル「……わ、わがっ……た……か、ら……」


273: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:57:49.60 ID:vANyrg34o

やっとのことで、そう絞り出す。

すると耳鳴りの音は消え、首のみならず全身にかかっていた力も掻き消えた。

ふたりは、ぼとりと無造作に投げ出される。

少し遅れて、太い枝が地面に落ちる音も聞こえた。

ジュプトルは腹と顎をしたたかに打ち、衝撃に目がチカチカした。

ダゲキもまた、受け身を取る間もなく背中から地面に激突していた。

ジュプトルとダゲキはそれぞれに咳き込む。

息をしている実感、窒息死していない実感を得ながら、それぞれがミュウツーに目を向けた。


ダゲキ「……い、い、たい……じゃないか」

ジュプトル「……くっそ、げほっ……」

ジュプトル「なに、するんだ!」

ミュウツー『私の前で、くだらん喧嘩を始めるからだ』


一喝すると、ジュプトルが目に見えて項垂れた。

ダゲキもふたりを交互に見て、俯く。


274: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 22:58:38.68 ID:vANyrg34o

ジュプトル「くだらなく なんか……な……」


またしても噛みつこうとしたジュプトルだったが、さきほどのミュウツーを思い出して言葉を切った。


ジュプトル「さ、さっきのは……やめてくれよ」

ミュウツー『それは、貴様の態度次第だ』

ミュウツー『……それより、今は考えなければならないことがあるだろう』

ジュプトル「わ、わかってるよ」

ダゲキ「……」

ミュウツー『……落ち着いたか?』

ジュプトル「……うん」

ミュウツー『お前も、大丈夫か』

ダゲキ「ぼくは……だいじょうぶ」


ミュウツーは深い溜息をついた。

なぜ、自分などがポケモン同士の喧嘩の仲裁などしているのだろうか。

そんなことよりも、優先すべきことがあったはずだ。


275: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 23:00:13.61 ID:vANyrg34o

ミュウツー『ハハコモリは……』


だが自分でも、その先を口にしたくはなかった。

繰り返し言えば言うほど、『それ以外』の可能性が消えていく気がしてならないからだ。

定まらずにいたはずの事実が、そのまま本当のことになってしまうような気がした。


ミュウツー『本当に、死んでいるのか?』

ダゲキ「うん」

ジュプトル「……」

ミュウツー『……本当に、奴が殺したのか?』

ジュプトル「き、きまってるだろ!」

ダゲキ「まだ わからないよ」

ジュプトル「そっ……そんなわけ」

ミュウツー『……ううむ』


状況証拠だけで言えば、ヨノワールの行動もそれなりに怪しかった。

むろん、物証も自白もなかったが。

さきほど目にした一連の出来事があるとはいえ、だから犯人だ、とは言えないように思う。

ミュウツーはそれをそのまま、ふたりに伝えた。


276: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 23:02:33.93 ID:vANyrg34o

ジュプトル「まあ……そうだ」

ダゲキ「あの、ひかってたの なんだ」

ミュウツー『それは、私にもわからん』


どこかで見たことがあるような気もしたが、思い出せなかった。


ダゲキ「あ……ハハコモリ かえさないと」


突然、ダゲキが独り言のように口を開いた。


ミュウツー(かえす? ……『返す』か? それとも『帰す』か?)

ジュプトル「そうだな。おれ、いくよ」


応じるジュプトルも、話がわかっているようだった。


ダゲキ「でも……ジュプトル、だいじょうぶか」

ジュプトル「ああ、うん……」

ダゲキ「チュリネでも、いいんだぞ」

ジュプトル「いいや。おれがやる」

ジュプトル「あんなチビに、まかせて おけるか」

ダゲキ「……そうか」

ジュプトル「でも、もうすこし、まってくれ」

ミュウツー(……なんの話をしているんだ)


277: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 23:04:48.48 ID:vANyrg34o

ふたりが話をしている光景を見て、ミュウツーは自分ひとりだけが取り残される感覚に陥った。

考えてみれば、ヨノワールが姿を消してからずっとそうだったではないか。

自分だけが知らず、ふたりは知っている何かについて、話をしている。

たしかに、森に来て間もない自分は、この森で何があったのかを知らない。

彼らの関係や、仲の善し悪しもわからない。

森の慣習を知らなくても仕方ない。

それでも、知らないということは、どうにも寂しいことだった。

ジュプトルがミュウツーの視線に気づいた。


ジュプトル「しんだら……なかまの ところに、かえして やるんだ」

ミュウツー『仲間?』


ミュウツーはかつて、自分がダゲキに噛みついた時にやって来たポケモンを思い出していた。

そして、きのみ収穫を手伝いに行った時、ハハコモリの足元にいたポケモンたちのことも。

たしかあの時のポケモンが『ハハコモリの仲間』だったはずである。


ミュウツー『私も行っていいか?』

ミュウツー『付き合いが短いとはいえ……恩も縁もある』


278: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/21(水) 23:08:51.82 ID:vANyrg34o

埋葬するというなら、手を貸すつもりだった。

本人に自覚はなかったが、その発想は実に人間的なものである。


ジュプトル「……おれは、いいけど」

ジュプトル「でも……ううん……やめたほうが いいよ」

ミュウツー『なんだその含みは。余計な気遣いは無用だぞ』

ミュウツー『一人だけ置いて行かれるのも、気にくわん』


事実、これ以上蚊帳の外に置かれるのは気に入らなかった。


ジュプトル「じゃあ……すきに しろ」

ダゲキ「……ぼくもいく」


ジュプトルが意外そうな顔をした。


ジュプトル「おまえ、あれ いやだろ。いいのか」

ダゲキ「だいじょうぶ」

ジュプトル「……そうか」

ミュウツー『……?』

ジュプトル「いけば、わかるよ」

ミュウツー『……わかった』


286: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 22:08:07.55 ID:4xMwkBEfo

重々しい足音が三つ、それぞれが噛み合わないテンポで不協和音を残しながら、がさがさと通り過ぎていく。

ハハコモリは、中で一番腕力のあるダゲキが背負うことになった。

ミュウツーが運ぶことも提案してみたものの、あまりいい顔はされなかった。

ジュプトルは先ほどの仲裁以来、ミュウツーの能力に戸惑いを感じているようだった。

それも無理はない、とミュウツーは思う。

きのみをもぎ取れる力があることと、触れることすらなく命を奪いかねない能力があることは違う。

ジュプトルがダゲキのほぼ真横、ミュウツーはややうしろの方で歩みを進めている。

話をしようとするものはいない。

声ひとつ、鳴き声ひとつ、テレパシーすら飛ばそうとするものはいない。


ある地点に来ると、ジュプトルが目でふたりを制した。

言われて見回してみれば、そこここで蠢く何者かの気配がある。

言われるまで、ミュウツーには見分けがつかなかったが。


ジュプトル「ギューッ」


甲高い声でジュプトルが鳴いた。

応える声はない。


287: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 22:12:56.69 ID:4xMwkBEfo

しばらくして、草木の隙間から次々とポケモンたちが這い出してきた。

ほとんどが幼い『クルミル』ばかりで、その群れの中に『クルマユ』がわずかに混ざっている。

かつてハハコモリの元で目にした時よりも、ずっと数が多い。

クルマユの中のひとりが、葉の衣を引きずりながら進み出た。

この衣もまた、ハハコモリが仕立てたものに違いなかった。

他のクルマユたちは弧を描くように並び、そのさらに向こうにクルミルたちが固まっている。

弧はミュウツー、ジュプトル、ダゲキをゆるく囲み、ある程度の距離を保っていた。

特に怯えや嫌悪を示している様子はない。

だがクルマユたちの動きから、幼いクルミルをミュウツーたちから遠ざけようとする意図が感じられた。

要は、警戒されている。

警戒されているのは、新参者であるミュウツーだけなのだろうか。

それとも、『よそもの』である自分たち全員なのだろうか。

いずれにせよミュウツーはそのことに気づいて、少し不愉快になった。

それを知ってか知らずか、こちらからはジュプトルが一歩踏み出し、対話の意思を示している。

288: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 22:14:08.54 ID:4xMwkBEfo

ジュプトル「キィッ、ギッ」

クルマユ「キシュッ、キシュシュッ」

ジュプトル「キィキキッ」

ミュウツー(おい……何を話してるかさっぱりわからんのだが、お前はわかるのか?)

ダゲキ(わかるわけ ないだろう)


ふたりのひそひそ話が聞こえたわけではないのだろうが、まさにそんなタイミングでジュプトルが振り返った。


ジュプトル「そこに、おろせ って」

ダゲキ「……わかった」


その言葉を受けて、ダゲキは背負っていたハハコモリを地面に下ろした。

ただの重い塊になったハハコモリは、だらしなく四肢を伸ばし重力に逆らわない。

改めて見ると、身体のどこにも傷ひとつとしてなく、まるで眠っているようだ。

だがその身体はもはや息をせず、脈打つこともなく、二度と起き上がることもない。

細い腕が地面に当たっても、痛がることすらない。


289: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 22:17:17.03 ID:4xMwkBEfo

ミュウツー(……もう少し、話をしてみたかった)


胸の中に、もやもやとした『まずい』綿を詰め込まれているような気分だった。

もっと違うことが心に浮かんだはずだったのに、それが掴めない。

なんとも、収まりがつかなかった。


ふう、と盛大に息を吐いて、ダゲキがハハコモリを横たえた。

踵を返し、振り返るそぶりもなくクルマユから離れる。

ハハコモリを地べたに据えダゲキが離れても、クルマユたちは一向に近づいて来ようとしなかった。

薄暗い森の中で目を見開き、監視でもしているかのように彼らを見つめている。


ダゲキ「これで、いい?」

ジュプトル「うん」

ミュウツー『それで……これからどうするんだ』

ダゲキ「ぼくたちに できることは、おわった」

ミュウツー『あとは、同族に任せるということか?』

ダゲキ「『ドウゾク』……?」

ミュウツー『「仲間」だ』

ジュプトル「あー……まあ、な」


290: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 22:22:45.78 ID:4xMwkBEfo

奥歯にものの挟まったような言い方をしている。

疑問を差し挟もうとすると、その後ろからダゲキが急かしてきた。


ダゲキ「はやくいこう」

ミュウツー「?」

ダゲキ「もう、ここには いないほうがいい」

ミュウツー『あ……いや……』


言うが早いか、ダゲキとジュプトルはハハコモリとクルマユ、クルミルたちに背を向けて歩き出している。

後方に立っていたミュウツーとすれ違いざま、ダゲキが腕を掴んで無理矢理向きを変えさせた。

ミュウツーは軽くうしろに仰け反り、辛うじてバランスを保つ。


ミュウツー『……お、おい』

ジュプトル「はやくいこうぜ」


横目でちらりと視線を送り、ジュプトルはそれだけ言うとさっさと歩いて行ってしまった。

それを追うように、ダゲキも後に続く。


ミュウツー『なぜだ?』


291: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 22:31:13.25 ID:4xMwkBEfo

ジュプトルの横柄な態度は、いつもとそれほど変わらない。

ダゲキの起伏のない表情も、昨日までとあまり違わない。

だがふたりの顔は、いつになく青ざめているような気がした。


ダゲキ「いいから」

ミュウツー『なん』


文句を言おうとしたその時、ミュウツーの耳に聞き慣れない音が飛び込んできた。


バリッ


パキパキ


ミュウツー『……おい、今の音は』

ダゲキ「きのせいだ」

ミュウツー『なにを馬鹿な』

ミュウツー(気のせいや空耳などではない)

ミュウツー(絶対に、何か聞こえた)


292: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 22:36:51.32 ID:4xMwkBEfo

何かが突き崩される音が、今も聞こえ続けている。


パキパキパキ


ミュウツー『……やはり、自分の目で確かめる』

ジュプトル「あっ、おい……やめとけよ!」

ダゲキ「……」


ブチッ


ふたりの制止を聞き流し、ミュウツーは慌てて踵を返した。

『頭の中の誰か』の言葉に耳を傾ける必要もない。

一歩一歩、歩くにつれて音が大きくなる。

心臓の鼓動も、くさむらの向こうの奇妙な音も。

小さな音がたくさん集まって、さざめきを作っている。

ミュウツーの全身が叫びを上げている。


『見てはいけない』

『見なくてはいけない』

『目を閉じよ』

『目を逸らすな』


294: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 22:38:52.47 ID:4xMwkBEfo

得体の知れない恐ろしい何かが、すぐそこにあるからだろうか。

ハハコモリを横たえた場所のすぐそばで立ち止まり、音の発生源に目を向けた。


ガリッ


ガリガリガリ


パリッ


ビリッ


ミュウツー『な、なんだ……これは』


思わず流れ出た思考に反応して、今まで聞こえていた音が止んだ。

暗い中に蠢くいくつもの玉が、一斉にミュウツーを見上げる。

暗がりに浮かぶ玉は、ときおり瞬いていた。

クルミルたちの目だった。

どのクルミルも口をもごもごと動かし、何かを咀嚼している。

彼らは群がり、齧りつき、引きちぎって貪っているのだった。




ハハコモリの死骸を。


295: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 22:43:15.30 ID:4xMwkBEfo

ミュウツーはその時になって、ようやく痛感した。

やはり、『友人の忠告』は聞いておくべきだったのだ。

『はやくいこう』と急かすのには、それなりのわけがあったのだ。

だがそう思えた頃には、もう手遅れだった。

視界が歪み、夜であるにもかかわらず目の前はカラフルに、白に黒にめまぐるしく変化する。

皮膚の表面が引きつり、いやな汗が吹き出した。

首筋の後ろが熱い。

喉の奥から、熱い何かがこみ上げてくる。


ミュウツー(……!)


死骸に群がるクルミルたちの中で、ミュウツーの目を引くものがいた。

『口元が赤く、全体的に緑色の強い』、特徴的な色合いのクルミルが。


ミュウツー(……こいつ……は……)


知っている。

このクルミルは、前に会ったことがある。


296: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 22:47:57.96 ID:4xMwkBEfo

どこでだ?

いつ?

……そうだ、思い出した。

あの日、ハハコモリが枝を切り落としていた。

その足元で、葉を齧っていたではないか。


クルミル「キューイ」


ミュウツーを見上げていた色違いのクルミルが鳴いた。

なんと言っているのだろうか。

何を言いたいのだろう。

抗議だろうか。

『食事の邪魔をするな』と。

『何を見ている』?

『よそものめ』。


297: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 22:52:53.73 ID:4xMwkBEfo

ミュウツーの目に、ハハコモリが映っている。

『かつてハハコモリだったもの』が見えている。

もはや『ハハコモリ』とは言えない物体が。

ほんの少し前まで、眠っているようだったではないか。

ほんの数日前まで、命を宿し、生きていたではないか。

『これ』はなんだ。

ポケモンか。

外骨格と肉と体液の塊か。

それとも、食べ物か。

これは……。


――たべない ころす だめ


ミュウツー『……うっ』

ミュウツー「……ごぶっオ゛エ゛ッ」


抑えようとしたが、それは徒労に過ぎなかった。

胃が勝手に中身を吐き出し、腹の中をすべて押し出そうとしている。

あの時のコマタナと同じように。


298: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 23:00:19.49 ID:4xMwkBEfo

ミュウツー「ごぼ……げほっ、げっほ……」


両手を地につき、四つん這いになって嘔吐する。

自分の肉体くらいは自由になるものだと思っていたのだが、どうも違うようだった。

内臓が収縮する動きさえ、制御できない。

腹の中が引き攣りそうだった。

鼻の奥が痛い。


ミュウツー(……頭がくらくらする)


『私』の意志とは、どこに入っているのだろうか。

『私』の意志は『私』の肉体に、どこまで尊重してもらえるものなのだろうか。


ミュウツー(……私の肉体は、『私』の一部ではないのか?)


胃液の匂いと不快感に、焦点が定まらない。

視界も相変わらず歪んでいたが、不思議にも頭ははっきりしていた。


ミュウツー(空腹でも、吐こうと思えば吐けるものなのだな……)


299: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 23:08:03.88 ID:4xMwkBEfo

いくらか呼吸が落ち着いて顔を上げると、クルミルたちはまた無心に食事を始めている。

こちらに目を向けているものすらいない。

ミュウツーに対する興味は、早くも失われていた。


シャリシャリ

キューッ、キィ


ミュウツー(……なぜ、食べる……)

ダゲキ「……だいじょうぶか」


振り返るそぶりだけ見せる。

これで、聞こえていることだけは伝わるだろう。

実際には立ち上がるのも億劫で、とてもではないが相手の顔は見えない。


ミュウツー『……う……うむ……』

ミュウツー『もう、大丈夫だ』

ジュプトル「だから、いっただろう」


そう呟くジュプトルも、なるべくあちらを見ないよう顔をあらぬ方向へ向けている。

そして、音は止まない。


300: ◆/D3JAdPz6s 2013/08/28(水) 23:13:33.32 ID:4xMwkBEfo

ブチブチッ

パキッ


ジュプトル「まったく、もう」

ダゲキ「……いこう」


そこから、どこをどう通っていつもの場所まで戻ったのか、どうしても思い出せない。

ふたりに肩を借り、時折思い出したように訪れる吐き気と戦いながら歩いたことだけは確かだった。

地べたに横たえられ、ダゲキやジュプトルが何かしているのが視界の隅に見えていた。

いつものように、火を起こそうとしているのだろう。

では、あのユニークなバシャーモが呼ばれるのだろうか。


ミュウツー(……それは、少し疲れそうだ)


ミュウツーはぼんやりと、無感動にそれを見ている。

吐き気は、少しずつ治まってきていた。

いずれは楽になり、起き上がれるはずだ。

少し休めば。

もう少しだけ横になっていれば……。

そう思って息を吐いたところで、記憶は途切れた。


313: ◆/D3JAdPz6s 2013/09/04(水) 21:57:11.06 ID:Y3YBnSBxo

眠ったつもりはなかった。

だが気づくと、地面に頭を押しつけるようにして眠っていた。

こすりつけていた部分はすっかり痺れ、泥を貼りつられたように何も感じなくなっている。

その上、全身が緊張しながら眠っていたのか、身体中が疲労していた。


ミュウツー『う……』

ジュプトル「あ、おきた」


ジュプトルの声が聞こえた。

同時に、パチパチと火花の散る音も耳に入り始めた。

圧迫されていた血流と、神経の伝達とが戻りつつあるのだろう。

地べたに押しつけていた場所がじわじわと感覚を取り戻し始めている。

頭の表皮を這い回るびりびりとした感触に驚きながら、ミュウツーは重い首をもたげた。


ダゲキ「……だいじょうぶ?」

ミュウツー『あ、ああ……』


314: ◆/D3JAdPz6s 2013/09/04(水) 21:58:28.07 ID:Y3YBnSBxo

本当は、あまり大丈夫ではない。

吐き気はおおむね治まったとはいえ、気分が悪いことに変わりはない。

だがこれ以上体調不良を訴えれば、ふたりは更に気を使うだろう。

なにくれとなく世話を焼くに違いない。

無理やり上体を起こし、そばの岩に寄りかかった。


ミュウツー『面倒をかけた』


岩に体を預け、天を仰いでそう発した。

口を開く元気はない。

テレパシーとは便利なものだと、こんな時に思う。


ジュプトル「きに すんな」


耳障りな声で、朗らかな返事が返ってきた。

ヨノワールが絡まなければ、ジュプトルは気のいい奴なのだろう、とミュウツーは感じた。

あのヨノワールがどういう存在なのかは別として、そこまで嫌うほどの何があったのだろうか。


315: ◆/D3JAdPz6s 2013/09/04(水) 22:00:04.98 ID:Y3YBnSBxo

ミュウツー『近くに、川か何かあったか』

ジュプトル「あっち、いけば あるよ」

ミュウツー『わかった』


差された方角へ、ずるずると身体を引き摺って歩く。

静かに流れる音が聞こえてきた。

いつか見た小川に比べるとずいぶん小さく、深さもない。

水辺に腰を降ろし、不恰好な手を水に差し込む。


ミュウツー(……冷たい)


水越しにゆらゆらと歪んで見える自分の手。


ミュウツー(水に入れずとも、私の手はいびつだ)


人間がするように、両手を使って水を掬い上げようとした。

掌にあたる部分がほとんどないミュウツーの手では、掬い上げられる水はほんのわずかである。


ミュウツー(ニンゲンのようには、いかないか)


316: ◆/D3JAdPz6s 2013/09/04(水) 22:03:19.34 ID:m7R0rSCao

しかたなく両手を水に浸けたまま、顔ごと水に押し込む。

ごぼごぼと流れる水の音が顔から伝わってくる。


ミュウツー(やっぱり、冷たい)

ミュウツー(……あの中の液体は、こんなに冷たくなかったが)

ミュウツー(さすがに、この中で息はできないだろうな)


目を瞑り、息を止めて水に顔を浸けていると、頭の芯まで冷えていくような気がした。


ミュウツー(あの液体より……気持ちいい……)


ミュウツーは水で口を漱ぎ、醜い両手で顔を拭った。

いくらか気分がいい。

機嫌がよくなって、ミュウツーは背筋を伸ばしふたりの元へと戻った。


ふたりは焚き火を囲み、その灯りを顔に向けて座っている。

ミュウツーが戻ってきたことに気づくと、ジュプトルがこちらを向いた。

ジュプトルの動きを見て、ダゲキもこちらに顔を向ける。

ダゲキは申し訳なさそうな目をして口を開いた。


317: ◆/D3JAdPz6s 2013/09/04(水) 22:04:47.27 ID:q11lG1r3o

ダゲキ「……ごめん」

ミュウツー『なにがだ』

ダゲキ「やっぱり、とめれば よかった」

ジュプトル「おれも、とめたぜ」

ミュウツー『……お前たちの忠告を無視したのは私の方だ。謝る必要はない』

ミュウツー『すまなかった』

ジュプトル「……で きぶんはどうだ」

ミュウツー『まあ、大丈夫だ。少し……驚いた』

ミュウツー『……まだ鼻の奥がひりひりする』

ジュプトル「だーから、いったろ」


そう言いながら、ジュプトルは長い木の枝で焚き火をつつき始めた。

積み重ねられた枝はだいぶ燃え、黒い塊の隙間から、ちらちらと輝きが漏れるばかりになっている。

ジュプトルはそれを突き崩し、顔を顰めながらも火をつついているのだった。