2: 1 2014/11/23(日) 22:21:45.53 ID:rlRo/uli0
誰が最初にこうしたのだろうか。
ドアノブに挿したままの鍵を一度回す。
錆び付いた音と共にドアを押すと、隙間から強い風が漏れる。
「…………っ」
今は11月末、すっかり寒くなってしまった強い北風に押されながら、
両手で屋上へのドアを開ける。
開け放った瞬間、風は止み耳に入ってくるのは下で聞こえる鉄の音ばかり。
ずっと風の音だけ聞いていれば、少しは現実に引き戻されなくて済んだのかもしれない。
引用元: ・美希「天辺に一番近い場所」
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3: 1 2014/11/23(日) 22:23:14.93 ID:rlRo/uli0
「…………ちょっと、寒いかな」
一番下に着た防寒着が無ければもっと寒かったのだろうか。
想像するだけで身震いしてしまう。 今日は曇り。
何の気無しに、フェンスに沿って歩いてみる。
網目状に作られたフェンスを歩きながら爪で鳴らす。
非常に耳障りなその音は、マニキュアを少しずつ削る事で奏でることを許される。
「しょっ、と」
屋上の床に背を預けて、目を閉じる。
服から皮膚、皮膚から脂肪、筋肉へと目を瞑っている分だけより鋭敏に伝わっていく。
唯一外気に触れる手が、気温的な寒さと、物体の持つ冷たさに堪えたのか、
胸の上に両手とも逃げてくる。 成る程、かちこちだ。
4: 1 2014/11/23(日) 22:24:20.09 ID:rlRo/uli0
体が冷たくなるほど、肉体が睡眠を欲していく。
頭や瞳の疲労とは異なった重みを瞼に感じ、開く気力も沸きやしない。
「なにしょぼくれてんのよ」
頭上、つまり後ろから甲高い声がする。
「でこちゃん」
口調、声だけで誰か解る。 瞳を開ける必要も無い。
「アンタにしては珍しいじゃない、仕事で失敗なんて」
瞼の裏で、対象だけ浮き出てくるホログラフのようなイメージに合わせて動く彼女は、
実物と一切変わらない身振り手振りで、自分の記憶力に感心する。
5: 1 2014/11/23(日) 22:25:59.34 ID:rlRo/uli0
「あはっ、そんなおっきい失敗じゃなかったんだよ?」
言葉の通り、失敗は目立ったものでは無かった。
あの時の仕事は、シリーズものの刑事ドラマのゲスト役。
被害者役を演じる事になり、泣く演技をするのは少々骨が折れた。
台詞や位置取りもすぐに覚える事が出来た上に、撮影も一発OKだった。
だとすれば、何故失敗が起こったのか。
それは仕事内で起こったものでは無かった。 勿論、この仕事が切欠の失態ではあるのだが。
撮影終了時、我が愛しのハニー、もといプロデューサーがいつものように労いの言葉を投げかけてくれた。
『お疲れ、美希。 良かったぞ』
6: 1 2014/11/23(日) 22:26:35.18 ID:rlRo/uli0
当時の自分の気持ちなど、もうとうに忘れてしまったが、
涙を流す演技を見られたことによる気恥ずかしさか、それとも疲れを見せないための強がりか。
そのどちらか、あるいは両方の気持ちでこう言ったハズだ。
『このくらいの仕事なんて、へっちゃらなのっ☆』
それがプロデューサーの逆鱗に触れたらしい。
『このくらい……?』
『あっ、違くて…………』
『…………このくらい、なんて言い方はしちゃいけない。 これだって立派な仕事なんだ。
それとも、手抜きでやったわけじゃないよな?』
『そんなワケっ!!』
『だよな。 ごめんな試すような事言って』
『あの、ハニー…………』
『さ、事務所戻るぞ。 少し休憩したら行こう、先に車乗ってる』
7: 1 2014/11/23(日) 22:27:34.71 ID:rlRo/uli0
あの時の車内での空気は、吐き出せないほど重く苦しいものだった。
いつも車内の空気を誤魔化す芳香剤も、その時は毒に思えた。
「へぇ……、そんな事があったの」
「心配してくれるの?」
瞼は閉じたまま、眼球だけを上に動かす。
動かしたからと言って、見えるわけではないが。 気持ちの問題である。
「まさか。 良い気味だって言ってやろうとしてたトコよ」
フン、と鼻を鳴らすのが聞こえると、小さく微笑んだ。
8: 1 2014/11/23(日) 22:28:16.00 ID:rlRo/uli0
「素直じゃないの」
「私はいつだって素直よ。 今だって、アンタが失脚してくれればライバルが一人減って助かる、って思ってるんだから、本当よ?」
テレビか何かで見たことがある。 「人は嘘をつくと、口数が多くなる」と。
それが本当なら、彼女は本当に素直じゃない女の子なのだろう。
嘯いたような態度のまま、「残念」と返した。
一度、大きく風が凪いだ。
人の体にぶつかった、遮られるような音を一度だけさせると、風は遠くへ飛んでった。
「…………もう少し、頑張んなさい」
予想とは反した、優しげな声。 それも激励。
思わず目を見開いてしまいそうになった。
9: 1 2014/11/23(日) 22:29:03.46 ID:rlRo/uli0
「…………ビックリ」
「何がよ」
「励ましてくれてるの」
「ふんっ、何勘違いしてるのよ。 アンタが居なくなったら張り合いが無くなると思ったの」
良く回る口だ。
「さっきは「ライバルが減って助かる」~、とか言ってたのに」
「あれも本心よ。 けど、それじゃつまらないって今気が変わったの、悪い?」
「…………うぅん」
きっと、これが彼女の本心なのだろう。
そう思うのは、自分がそう望んでいるからだろうか。
彼女が自分を応援してくれていると、望んでいるからだろうか。
10: 1 2014/11/23(日) 22:30:19.69 ID:rlRo/uli0
気付けば、冷えた床と接した背中や腰は感覚を殺し、唇も震えていた。
筋肉を震わせ、熱を発生させ、主を生かそうとしている。
医学では、これを戦慄と呼ぶらしい。
「…………うん、もう少しだけ。 がんばってみるの」
大袈裟にうんしょ、と立ち上がり伸びをする。
背後から「ババくさい」の声。 背中や腰についた砂埃を払い笑う。
「私はもう天辺だから、そこまで聞こえるくらい頑張んなさいよね」
「天辺って……、もうでこちゃん。 さっきとムジュンしてるの」
「解ってるくせに」
「うん」
11: 1 2014/11/23(日) 22:32:50.33 ID:rlRo/uli0
天辺とは、何をもってどうすれば天辺なのか。
精神的に物理的に地位的に。 どれを極めれば天辺なのか。
それを考えた所で、答えが出るのは自分も天辺にたどり着いた時だろう。
鉛色の空が、雲の破片を散らすように大粒の雫を落としてきた。
曇天は、雨粒を産み落としたことにより雨天になった。
「…………雨」
「……そろそろ戻んなさい。 あのヘボプロデューサーが心配してるわよ」
声がする方向では、雨粒が床に当たる音が聞こえてくる。
と思えば、雨滴の合唱は両方の耳を包み込むように鳴り響いた。
12: 1 2014/11/23(日) 22:33:40.93 ID:rlRo/uli0
「また来るね、ここはでこちゃんに一番近い場所だから」
「エベレストの方がもっと近いわよ。 そうね、カブルーとエルブルースも認めてあげる」
俗に言う、アメリカンジョークのようなものだろうか。
「それじゃ、行きたくても全然行けないのっ!」
「それで良いのよ」
「むー!」
程度の低い漫才もそろそろ幕引きか、雨足が早くなる。
「…………じゃあね、でこちゃん」
「えぇ、行ってらっしゃい」
13: 1 2014/11/23(日) 22:34:18.05 ID:rlRo/uli0
背後では、彼女はどんな顔をしているのだろうか。
彼女の知らない顔は、きっといくつもある。
自分に向ける顔は、殆どが怒りに顔を赤らめた表情ばかりだった。
今振り向けば、自分の知らない彼女が見られるかもしれない。
しかし、それも憚られた。
自分の中に停滞し続ける、彼女の思い出を不変のままにしたかった為だ。
今ここで彼女との思い出を改変してしまえば、それは彼女への不敬となるだろう。
引かれる後ろ髪を断ち切るように、手櫛で大きく梳くと付着した雨粒が跳ねた。
扉を開けて中に入ると、雨粒の音も随分と篭る。 それどころか外で走る喧騒すらも。
服や髪に張り付いた雨が、また新しい水滴となって床に落ちる音以外、全て非現実に思えてしまう。
14: 1 2014/11/23(日) 22:35:09.57 ID:rlRo/uli0
「…………頑張るって、ミキ言ったじゃん」
想起するのは、彼女の言葉。
「頑張れ、美希」
自分に言い聞かせるようにボソリと呟くと、瞬間体が濡れて冷え切っていたことに気付く。
開く瞼、広がる瞳孔。 心臓を早めようと小刻みになる呼吸。
唇だけではない、体全体が震えていた。 体が全力で死から遠ざかろうとしている。
そうだ、頑張るまでは、まだそちらに行くわけにはいかない。
「頑張るよ、ミキ」
今度は自分ではなく、彼女に向けて。
向こうに居る彼女は聞こえただろうか。
もう一度深く目を閉じると、誰かがこうしたのか解らない、
挿したままの鍵を反対方向に回した。
15: 1 2014/11/23(日) 22:36:04.61 ID:rlRo/uli0
・ ・ ・ ・ ・
P「ただいま戻りましたっ!!!!」
小鳥「あ、おかえりなさいプロデューサーさん。 わぁビショビショ」
P「美希が、見つかったってっ、聞いて。 傘も差さず全速力で……っ」
小鳥「お、落ち着いてください。 えぇ、さっき事務所に戻ってきたんです。 屋上に居たんですって」
P「お、屋上ぉ!? くそぉ、めっちゃ近いじゃんか……。 盲点だった……」
小鳥「プロデューサーさん、探し回ってましたもんねぇ……。 それで、ついさっき帰っちゃいました」
P「そう、ですか……。 とにかく無事でよかった……」
小鳥「伊織ちゃんが、助けてくれたんですって」
P「………………え」
16: 1 2014/11/23(日) 22:36:55.68 ID:rlRo/uli0
小鳥「美希ちゃんがですね、「でこちゃんがミキを元気付けてくれたの。 だから戻ってきちゃった」って」
P「………………そうですか」
小鳥「伊織ちゃん、変わってないみたいですね」
P「なるべく長生きして、向こうでもこき使われないようにしないと」
小鳥「うふふ、そうですね。 あっ、ドライヤーとお茶、持ってきますね」
P「あ、すいませんお願いします」
P「…………………………伊織ぃ」
P「お前には、助けられてばっかだな」
P「ありがとう」
おしまい
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