神裂「鋼盾―――鋼の盾ですか、よい真名です」前編
 

481: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/02(土) 23:36:21.13 ID:koz38vGzo



 ―――簡単に終わるわ、け……いや、すぐに終わるよね。こんなの」


 そう、原因不明の火事、その程度のことで消防車が来ることの方がおかしい、現場検証なんて何を大袈裟な――と、
 
 その思考自体がおかしいことに鋼盾は気付くことができない。


「……って、土御門くん! 鼻血!!」


 見れば、土御門の鼻からは、赤い筋が垂れている。

 夜の闇の薄暗さでよく解らないが、心なしか顔色も悪いように思えた。


「おっとと、しまったにゃー。
 ……いやあ、これじゃあコウやんのことをムッツリなんて言えないですたい」


 ポケットからハンカチを取り出し鼻に押し当てる土御門。

 意外なことにしっかりアイロンのあてられたそれは、噂の妹さんの仕事だろう。

 折り悪く鋼盾は会ったことはないが、繚乱家政に通うメイドさん見習いの女の子だった筈だ。

 ――なぜか上条はエンカウント率が高いらしく、そんなところにも一級フラグ建築士のアレっぷりを感じずにはいられない。

 まあ、そんなことはさておいて。

 
「大丈夫? なんか辛そうだよ?」

「ふう、心配ないんだにゃー。
 最近のコウやんはアレだな、なんかカミやんのお人よしが感染ってるような気がするぜよ。
 いかんにゃー、アレは常人がマネしちゃダメなレベルですたい」

「……そんなこと、ないよ」


 言いつつ、上条や、他の皆に影響されている感は否めないという自覚はある。

 部屋に寝かせた男を思い出す。

 中学までの鋼盾なら、面倒ごとを恐れて無視していただろう。

 ただ、上条当麻のアレとは違う。自分はあんなに、ばかみたいにホンモノではない。

 ――どうしようもない、紛い物だ。


引用元: 神裂「鋼盾―――鋼の盾ですか、よい真名です」  


482: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/02(土) 23:37:42.49 ID:koz38vGzo


「まったく、土御門さんは心配だぜい。大丈夫かコウやん? 
 カミやんみたく、不用意に見ず知らずの他人を家に上げたりしてないかにゃー?」


 どきり。
 
 からかうような土御門の言葉には、どうしようもない違和感があった。

 やはり、先ほど感じた悪寒は、気のせいではなかったのかもしれない。


 土御門元春は笑っている。

 口は笑っている、頬は笑っている、眉は笑っている―――しかし、目も笑っているだろうか。

 サングラスは街の光や消防車の回転灯を反射するばかりで、その奥を透かすことを許さない。

 本人は「女の子にモテたいから」と嘯いているが、実はコレが狙いなんじゃないかと思わせるほど、なにも透かさないソレ。

 どこまでも開けっ広げなようで、しかし底は見せない、土御門という男にはそういうところがある。


「大丈夫だよ。子どもじゃないんだ。
 ……というか上条君、またなんかに巻き込まれてるの?」


 とりあえず話題を逸らそうとしてみる。

 土御門は全てを理解しているような顔で、しかし鋼盾の意図に乗ってくれた。


「ふふふふ。聞いて驚けコウやん!
 カミやんは悪の組織に追われる謎の美少女を助けるため奔走中ですたい!」


483: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/02(土) 23:38:38.51 ID:koz38vGzo


 否、更に踏み込んできた、胡散臭い笑顔のままに。

 悪の魔術師に追われる銀髪の、修道女。

 インデックス。

 土御門の台詞は、間違いなく彼女のことを指している。

 驚愕に歪みそうになる顔面をなんとか抑え込み、フラットな表情で続きを促す。

 もしかしたらただの冗談かもしれない。


「ほう……詳しく聞きたいね」

 
 土御門は彼女のことを、知っているのだろうか。

 自分の知らないところで、なにが起こっているのか。

 ボヤ騒ぎ、エレベータの血痕、廊下の惨状、謎の男、行方の知れぬ上条とインデックス。

 千千に乱れる鋼盾の内心を知ってか知らずか、道化のように口上を紡ぐ土御門。


「壮絶な過去と秘密を持つヒロインの手をとって、少年は走り出す。
 穢れを知らぬかのように真っ白なその少女の手は、小さく華奢で震えていて、しかしあたたかだった。
 ―――この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから」

「…………」


 それはそれは、あやかりたいね。

 というか、なんなのその予告編風な語り口。

 いつもの口調忘れてんぞ、鍍金はがれてるぞ、にゃーだぜいですたいはどうした。

 そんな、いつもの軽口を叩けばそれで終わる筈なのに、言葉が出ない。


「どうしたにゃーコウやん? ノリが悪いぞ?
 例の一端覧祭映画企画その2だぜよ。ふふふ、監督の座はこの世界の土御門が貰ったにゃー」

「……それはそれは。で、タイトルは?」

「うーん、『とある魔術の……、いや、まだ未定ですたい。
 ……『 You were there 』とかでもいいかにゃー」


 ……冗談なのかそうでないのか、土御門の口ぶりからでは判断がつかない。

 つか今魔術とか口走りやがったぞこの男。

 クラスメイトであり、友人であるはずの土御門の口から漏れたその言葉は、本日嫌になるほど繰り返した因縁のワード。


484: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/02(土) 23:39:36.49 ID:koz38vGzo


 魔術。

 魔術師。

 インデックス。

 行方知れずの、修道女。


 やはり、土御門元春は知っている。

 彼女のことを。そして、恐らくは、上条が今どこにいるのかも。


 なんで、どうして、どこに。

 疑問は尽きないが、訪ねることはできなかった。

 直感的にだが、それを訪ねてはいけないと感じたのだ。

 触れてはならない、そんな声を聞いた気がする。


 なにより、既に土御門は鋼盾に告げている。

 “カミやんは悪の組織に追われる謎の美少女を助けるため奔走中”

 “壮絶な過去と秘密を持つヒロインの手をとって、少年は走り出す”


 わからないことばかりが起こる今日この日。

 しかし友人の言うことだ、信じない理由が無い。

 二人は、きっと無事だ。


485: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/02(土) 23:41:19.43 ID:koz38vGzo


 上条当麻とインデックス。

 正義の味方と、迷える仔羊。

 ……ヒーローと、ヒロイン。


 重たい闇を抱えるヒロインのもとに、主人公が訪れぬ道理はない。

 結局、彼はその手をとったのだろう。

 ……地獄の底まで、付いてゆくのだろうか。

 鋼盾は結局その問いに答えられぬままだったが、上条ならば、あるいは


「……ヒロインかあ。
 僕には一生縁のない言葉の気がするよ」

 
 思い出すのは今日の一件。

 結局、何をどう言い訳したところで、自分は女の子を見捨てて逃げ出した。

 こともあろうに、無能力者であることを免罪符にして、だ。

 そんな情けないヒーローなど、認められるものか。


 能力者になればきっと変われると、自身を誤魔化していた。

 ……だけど、能力を手に入れたとして、自分は逃げ出さずにいられただろうか?


 答えは出ない。

 否、今なお答えを出せない時点で、もうだめだ。


 上条なら、たとえ幻想殺しを持っていなくてもあの局面で逃げ出したりはしなかっただろう。

 彼が立ち向かうのは、その右手ゆえではなく、彼自身の精神性とでも呼ぶべきものに因るものだからだ。

 常の嫉妬ではなく、敗北感が鋼盾の胸を締め付ける。


 ああ、僕は、きっと、どうしたって
 

486: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/02(土) 23:42:11.71 ID:koz38vGzo



「ヒーローには、なれそうもない」


487: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/02(土) 23:43:54.64 ID:koz38vGzo

 
 きっと、そうなのだろう。

 ずっと前から知っていたような気もするが、改めて突き付けられたその事実に、今更、胸が痛んだ。


「……あー、俺もだにゃー。
 ―――どうしたってアイツのようには動けそうにない、な」
 

 土御門の表情――相変わらずサングラスで見えないが――にも、ある種の諦念のようなものが浮かんでいる。

 彼がなぜそのような表情を浮かべているのかは鋼盾の知るところではないが、口の中に広がっている味は、きっと自分と同じだろうと思う。


 自分たちは、どうしたってヒーローになんかなれそうにない。

 どうやら今日も奔走しているらしい無自覚なヒーローのことを思い、二人は呻くように笑った。

 僕は、俺は、端役だと。



 自己分析の結果なんて、いつだって碌なモンじゃない。

 結局のところ、大概の人間は自虐的なものなのだ――この街では、特に。

 
 


―――――――


496: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/03(日) 23:59:36.63 ID:8hJOAt7ho

―――――――



 そんな話をしているうちに、消防車も野次馬もいなくなってしまった。

 もういい時間だというのに、土御門にはこれから用事があるそうで、寮の前でそのまま別れることとなった。

 なんでも「バカ共がバカみたいな真似をやらかしたのでバカみたいにその後始末」だそうだ。

 口振りからして上条や青ピのことではなさそうだ。土御門の交友関係は、イマイチ鋼盾には計り知れないところがある。


 鼻血は止まったようだったが、大丈夫だったのだろうか。

 先ほどの、夜目にも調子の悪そうだった顔色と、自嘲に濡れた乾いた笑みと思い出し、不安に思う。

 とは言え、既に土御門は夜の闇に溶けるように消えてしまったのだから詮無きことだ。


 ヒーローには、なれないと言った彼。

 裏方の仕事をしにいったのだろうか。 


 すっかり遅くなってしまったが、自室には怪我人を放り込んだままだ。

 上条ともいまだ連絡が取れない。赤髪の男が襲撃者であるならば、逆に上条とインデックスの安全は保証されているとみれるかもしれない。

 いや、襲撃者はひとりとは限らない、楽観的過ぎるだろうか。


 みたところ気絶しているだけのようだったので放っておいたが、目を覚まさないようであれば病院等に相談することも視野に入れねばなるまい。

 そんなことを考えながら、エレベーターで自室にまで戻る。


497: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/04(月) 00:00:47.78 ID:AC+51kiAo


 そうして、ドアを開けると。

 黒ずくめの男性が、部屋の中央に立ち、油断なくこちらを見据えていた。

 引き摺って部屋まで運び入れた時から大きい人だとは思っていたが、立ち上がると余計に大きく見えた。


 目を覚ましているとは考えてもいなかった鋼盾は、すっかり慌ててしまった。

 相手はどうみても外国人――そもそも日本語は通じるのだろうか。

 そんな鋼盾を訝しげに見つめる男の口から、固い声が響いた。


「……君は? ここは、どこなんだ…?」


 強い警戒の色を滲ませた視線に一瞬たじろぐ鋼盾だが、こちらにやましいところはない。

 それに……どうやら、日本語で大丈夫なようだ。

 とりあえず話が通じそうなことに安心し、多少ではあるが落ち着きを取り戻す。


「えと、僕は、この部屋の住人です。あなたが部屋の前の廊下で倒れていたので、とりあえずここに運びました」


 なるべく聞き取りやすいようにゆっくりと話す。


「……そうか。いや、すまなかった。うん、起き抜けで混乱していたようだ」


 表情と言葉から、多少刺々しさが抜ける。

 少なからず警戒はされているようだが、それも当然のことだろうと鋼盾は思う。

 異国で、いつのまにか見知らぬ人間の部屋にいた――警戒心を抱くのは当たり前の反応だと言っていい。


「僕はステイル・マグヌス、旅行者だ――どうやら助けてもらったみたいだね」

「鋼盾、といいます」


 互いに名を名乗る。旅行者ということだが、ステイルの日本語は流暢だった。

 そして外の惨状を思い出す。彼がそれに関わっている可能性は高い。

 それは被害者として? それとも――?


「――気絶してたみたいですけど、なにかあったんですか?」

「……いや、ちょっとトラブルに巻き込まれてね。
 ここまで逃げてきたんだけど、ここで追いつかれてしまったんだ」


 頬の傷が痛むのだろうか、憎憎しげに表情を歪めるステイル。


「……それは、災難でしたね。―――相手は発火系の能力者、とか?
 財布とかは盗られてないですか?」


 過去に発火能力者に追い回された経験のある鋼盾は、思わず同情してしまう。

 あの時己は上条に助けられたが、彼にはそのような幸運は訪れなかったらしい。

 それとも――それは、嘘か?


498: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/04(月) 00:01:32.50 ID:AC+51kiAo


「……いや、大丈夫だ。
 財布も携帯も無事だよ――なにも、盗られていない」


 彼はもう既に確認を終えていたらしく、はっきりそう口にした。

 しかし、なにも盗られてないと言いながら、彼の表情はなにか大切なものを失ったかのように沈みこんでいる。

 やがて小さく溜息を吐くと、鋼盾を見据え、口を開く。


「迷惑をかけてしまったね。
 ……碌に御礼も出来ないが、そろそろ失礼するよ。本当に世話になった」


 そういって鋼盾の横を擦り抜けようとするステイルだったが、途端に足元がふらついて転びそうになる。


「危ない!」


 慌てて支える鋼盾。

 先ほどまで気絶していたのだ。顔色もあまりよくない。

 どうやら見知らぬ相手に弱みを見せまいと、無理に気を張っていたようだ。


「……もう少し、休んでいってください。
 一応、消毒薬とか、手当ての用意もありますから」

「…………すまない」


 青年は数瞬迷ったようだったが、結局素直にフローリングの床に腰を下ろした。



――――――――



499: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/04(月) 00:04:06.31 ID:AC+51kiAo



 手当てといっても、小さく切れた唇の端に消毒液と絆創膏を付け、左頬に湿布を貼っただけで終わってしまった。

 とりあえずステイルが落ち着くまでは休んでもらおうと思い、薬局でついでに購入したウーロン茶のペットボトルをコップに注ぎ、テーブルの上に並べる。

 世間話でも、なんて雰囲気ではないかと危惧していた鋼盾であったが、思いのほか話は弾んだ。

 ステイルも気を遣ってくれたのだろう、と鋼盾は思う。

 少ない時間ではあるが、彼がそうしたことに聡い人であることはわかってきた。


 ステイル=マグヌス。

 英国の神学校に通う学生とのことで、学園都市には研修に来たとのことだ。

 臨時発行のゲストIDもきちんと持っており、身元のはっきりしている人物であることは間違いなさそうだ。

 
 ……魔術師とやらが、公式のIDなど持っていることはないとは思う。

 ここは学園都市。身元のはっきりしない人間に来訪の許可など出る訳がない。

 機密情報満載のこの街は、病的な程に情報の漏洩に厳しいのだ。


 彼が一般人だとすれば、廊下の惨状とは無関係であるとみて構うまい。

 少なくとも、加害者ではないはずだ。


 能力開発を受けていない人間には、アレほどの破壊は不可能だ。

 爆発物の持込を許すほどこの街の警備は甘くはない。

 この街で材料を工面して爆弾を作る、というのも現実的ではないだろう。


 シロ、なのだろうか。

 それともIDは偽造で、あるいは警備員に暗示やら魅了やらの魔術をかけて

 この街に忍び込んでインデックスを追う凄腕のエージェントだったりするのだろうか?


(……………何を……)


 ああ、毒されている。

 ……いや、これは現実逃避だ。

 降って湧いた非日常にかまけて、己の罪から、弱さから目を背けているだけだ。



 そもそも、彼が魔術師だとして、それがどうした?

 逃げるばかりの無力なお前に、いったい何ができるというのか?

 どうせまた、逃げ出すのだろう?


 今日のように

 いつかのように

 いつものように




500: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/04(月) 00:06:40.51 ID:AC+51kiAo


 気付けばまたネガティブに沈み込みそうになる己に気付き、頭を振る鋼盾。

 その様子を見て、ステイルは疑問を口にする。


「すこし上の空だね。……聞きそびれていたが、君も怪我をしているようだし。なにか、面倒事でもあったかい? 
 ……まあ、面倒事そのものである僕が聞いていいことじゃないかもしれないが」

「……いえ、そんな、ことは、特に」

 
 ある。

 あるが、他人に話せるようなことじゃない。

 慌てて誤魔化そうとした鋼盾を軽く視線で制すると、ステイルは軽い口調で言葉を重ねる。


「これでも一応神父の端くれでね……悩みを抱えている人には鼻が利く。
 うん? ああ、大丈夫。そうは見えないという自覚はあるよ。
 僕はどちらかというと裏方の人間だからね。教会で説教をするような人たちとは毛色が違う」

「……はあ」


 毛色が違う、というのはジョークなのだろうか。

 明らかに染めたと思しき赤い髪、刺青とピアスで飾った顔、十指に光る銀色の指輪。

 そんな神父が居るわけないが、鋼盾は生粋の日本人、しかも学園都市の住人である彼は例に漏れず宗教に疎い。

 そういうこともあるのかと納得してしまう。


「まあ、よければ話してみるといい。口外はしないと約束しよう。
 懺悔なんて大袈裟なものじゃない。君は十字教徒ではないし、僕もいまはただの旅行者だ」


 お礼返しにもならないが、もう会うこともない相手だし、愚痴るにはちょうどいいだろう? と皮肉っぽくステイルは笑う。


「………………」


 迷う。鋼盾がやったことはルール違反で、卑怯な行為だ。

 後悔、無力感、罪の意識、遣る瀬無さ、なさけなさ。

 負の感情でぐちゃぐちゃになっている心は、今にも砕けてしまいそうだった。


 そんな鋼盾を見据える瞳。
 
 縋りついても構わない、そう言って笑う目の前の男。

 魔術師かもしれない、彼。


 どうみても怪しい、限りなく胡散臭い。

 だけど、なぜか信じてみたくなってしまった。


「……この街には、幻想御手という噂話があります」


 果たして。

 学生寮の一室で、科学の街の住人が、不良神父に己の罪を告白する。



―――――

514: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/08(金) 23:57:03.41 ID:SsvI8VVvo

―――――




「……これで、おわりです」
 

 幻想御手に関わる一件の顛末を話し終えた鋼盾は、ステイルの言葉を待つ。
 
 きつく目を閉ざし、相槌を打つだけだったステイルは、ようやくその目を開くと


「――Fortis931」


 赤毛の神父、ステイル・マグヌスはポツリとそんな言葉を口にした。

 よく聞き取れなかったが、英単語、だろうか。


「フォルティ…?」


 いきなり呟かれた聞き覚えの無い単語に、鋼盾は戸惑う。


「Fortis931、だよ。うん、僕の出身地に伝わる慣習のようなものでね。
 己の信念や、こうありたいという願いを、自分のもうひとつの名前にするのさ」


 数字はまあ、重複を避けるための便宜的なものだから意味はないけどね、とステイルは口にする。

 聞いたことのない慣習だが、ステイルの表情は真摯で、適当なことを言っているようには見えなかった。




515: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/08(金) 23:57:49.81 ID:SsvI8VVvo


「Fortisはラテン語で“強者”を表す言葉だ。
 ……僕は、ある人を護る為に誰よりも強くなりたいと願い、その名を己に冠した。
 まあ、情けなくも殴られて伸びてた男が何を言っているんだと思われちゃいそうだけどね」


 自嘲気味に笑うステイル。

 愚痴めいてはいるが、その表情に弱さはない。


「だけど僕は諦めてはいないよ、強くなるためにはなんだってしてきたし、これからもそうする。
 対価も代償も支払うし踏み倒す、必要なありとあらゆるものをかき集めるつもりだ。

 ――だから、君の言う反則とやらを非難するつもりなんかない。
 反則でも裏技でも禁忌でも、使えるものはなんだって使えばいい。
 そんなものより優先すべきことがあるのだから」


 鋼盾の行いを全肯定するステイル。

 目的のために手段を選ぶな、と強い言葉を口にする。


「……だけど、僕は強くなりたくてとか、目的があってそれを欲したわけじゃない。
 ただ、弱い自分が嫌で、そんな自分をどうにかしたくて縋り付いただけで」


 自分は、ステイルとは違う。

 誰かのためになんて思えない。


「鋼の盾なんて苗字のくせに、僕はこんなにも薄っぺらくてダメなんだ。
 そんな風に、肯定してもらえるような人間じゃない」


 結局、愚痴になってしまう。自分は誰かに責めてもらいたいのだろうか、それすらも良くわからない。

 そんな自分が情けなくて、鋼盾は俯いてしまう。



516: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/08(金) 23:59:20.63 ID:SsvI8VVvo


「コウジュン……鋼の盾、か。それが君にとっての“目指すべき名前”なんだろうね」


 俯いた鋼盾にステイルがかけたのは、そんな言葉だった。


「うん。僕ら風にいうならChalybs(カリュブス) いや、盾に主眼を置いてScutum(スクトゥム)といったところかな。

 なんならAigis(アイギス)でもいいね、ジャパニーズの君にも馴染みのある言葉だろう?」

 
 例えばイージス艦とかさ――そんなことを言って彼は微笑む。

 己の信念、願いを篭めた、もうひとつの名前――鋼盾にとってのソレが、彼の姓なのだとステイルは言った。


「善い名だね、盾、護るために構えられるもの、だ」


 鋼の盾、鋼盾という苗字を褒めるステイル。


「君は自分が弱いというけど、僕にはそうは思えないよ。
 見ず知らずの他人のために走り回ってくれるような人間が、弱いわけがない。
 だけど君が自分自身を認められないというのなら、結局は自分を認められるように努力するしかないんじゃないかな」


 教え、諭すような言葉。

 羊飼いが紡ぐは導きの旋律。

 迷える羊を導く、力ある歌。


「鋼の盾。今の君にとってその名が重いというのなら、その名に相応しい男になればいいだけの話だ。
 君にとって納得のゆく方法で、時間をかけてでもね。

 それは簡単なことではないかもしれないが、やるべきことが解かっているというのは確かな救いだ」


 この場において、ステイル・マグヌスは紛うことなき善き神父であった。


「盾はいつだって重いものさ。
 なんたって、大切なものを護るために作られるのだから」


 いや僕は盾とか持ったことはないんだけどね、まあ、重いくらいのほうが御利益がありそうだろう?

 そんな台詞を真面目くさった顔でステイルは語る。


「僕も盾になりたいよ。大切な人を護る盾、その名に相応しい男に。
 ―――君の目指す場所は僕の目指す場所でもある。僕らはまだまだ未熟かもしれないが、きっと辿り着けるさ」


 鋼の盾であれ。

 強者であれ。

 その名に相応しい者であれ。

 弱い己を超えてゆけ。

 それが、標。


目指すべき標があれば人は前に進める。

 歩き出せる。



517: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/09(土) 00:00:15.10 ID:mvqrCBgTo


「……うん、僕のような未熟者にはこのくらいのことしか言ってあげられないかな。
 やはり僕には裏方が似合っているようだ」

「そんなこと、絶対ないよ」


 鋼盾の胸に小さく燃える炎は、ステイルが灯したものだ。

 そんなことが出来る人間が、神父に向いてないなんてありえない。

 

 

 僕は、いったいどうしたかったのだろう。

 無力な自分が嫌で、逃げ続けるばかりだったこれまでの道のりを思う。

 ステイルが強者たらんと望むように、自分は一体どうありたいのだろうか。

 能力者になりたかったのか? いや、それは手段に過ぎなかった筈だ。

 鋼盾掬彦は、どうありたいのだろうか。

 何のために、この街に来たんだっけ?


 脳裏に浮かぶのは愛すべき人たち。

 
 いつだってまっすぐな上条当麻の拳。

 歩みを止めぬ吹寄制理の足取り。

 ぶれることのない青髪ピアスの自由さ。

 揺らぎもしない土御門元春の意思。

 穏やかな陽だまりのような月詠小萌の笑顔。

 雷のように激しく鮮やかな御坂美琴の克己心。

 
 無骨で無口で不器用で、しかし誰より優しい父。

 優しくて穏やかで控えめで、しかし誰より強い母。


 欲しかったのは、なりたかったのは、幻想御手なんかじゃ届かないものだった。

 必要なのは能力じゃない、そんな簡単なことに、今の今まで気付きもしなかった。


518: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/09(土) 00:01:34.47 ID:mvqrCBgTo


「鋼の、盾」

519: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/09(土) 00:02:58.07 ID:mvqrCBgTo


 大嫌いな苗字、そんなのは嘘で、大嫌いなのはその誇るべき苗字にそぐわない己だった。

 大好きなひとから継いだ大好きな苗字だ。


「―――ああ、そうだった。
 ぼくは、胸をはってそう名乗れるように、なりたいんだ」

「なれるさ、君ならね」


 鋼のように強くしなやかで、盾のように傷つくことを厭わず護る者。

 そうありたいと鋼盾は言い、そうあれかしとステイルは頷いた。


 いつの日か

 自分を、認められるように

 好きになれるように


 立場は違えど、在り方は違えど、掲げた名前は違えど

 それこそが、彼らの目指すものだった


520: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/09(土) 00:14:43.05 ID:mvqrCBgTo


 鋼盾の目の奥、こころとでも呼ぶべき場所に宿ったもの


 ステイルはそれを熾火のようだと思う

 埋れ火、灰に包まれ静かに熱を蓄えるそれ


 炎と呼ぶにはあまりに儚い、しかし消えることなく明明と熱と光を保ち続ける意志の火種

 ささやかな吐息ひとつで、それはあらゆる蒙昧を払う命の火を生み出すこととなるだろう


 さあ松明に火を灯せ、闇夜を照らす導きの光を放て

 それは先の見えぬ遠き道行きを照らし、凍える旅人に温もりを与える明明灯火

世界を構築する五大元素のひとつ、偉大なる始まりの炎より連なるもの


 覚悟、勇気、決意

 言葉にすればどうしたって陳腐になってしまう、炎のように熱い意思


 ステイル=マグヌス――希代の炎術師たる彼は、それを忌憚なく尊いと感じた


521: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/09(土) 00:16:18.68 ID:mvqrCBgTo


「……そろそろ行くよ。連れが心配しているだろうからね。
 世話になった。なんのお礼も出来ないが、鋼盾、君が自分を認められるように祈らせてもらうよ」


 煙草も恋しくなってきたしね、そう言ってベッドから立ち上がるステイル。

 足にもしっかり力が戻ってきているようで、ふらつくようなことはない。

 鋼盾は立ち上がったステイルの長身を見上げながら、伝えるべき言葉を口にした。


「ありがとう、ステイル。
 ……僕も、がんばってみるよ」


 破顔。

 ステイルは驚くほど素直な笑みを浮かべると、玄関へと歩き出した。

 彼のいるべき場所へと戻るのだろう。話に出た「護るべき人」とやらのところへ行くのかもしれない。

 その迷いのない足取りは、鋼盾に言わせれば間違いなく「強者」のそれであった。



522: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/09(土) 00:17:03.41 ID:mvqrCBgTo



 8月20日、夜半。

 鋼盾宅への奇妙な客人は、そうして去っていった。

 赤い髪、煙草と香水の匂いを振り撒く怪しげな――しかし、優しい神父。

 魔術師かもしれない、彼。



 なんとなく、また会えるような気がした。



―――――



534: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/10(日) 20:02:02.88 ID:Oh55kFKeo

―――――





 


 明けて21日、時刻は既に15時を回っている。

 結局上条からの返信はないままに、能力開発の補習終了を告げる鐘が響いた。

 当然ながら補習王の上条には出席が義務付けられているはずだが、教室に彼の姿はなかった。


 心配は尽きないが、現状鋼盾にできることはなにもない。

 どうか、無事でいてくれ―――そう、祈ることしかできない。

 なにに祈ればいいのかも知らぬままに。


 解散となったところで鋼盾は担任であり、補習の担当でもあった月詠小萌を捕まえた。

 どうしても、彼女に話しておかなくてはならないことがあったからだ。

 鋼盾の真摯な表情に何かを感じたのか、小萌は化学準備室に彼を招いた。



――――――――


535: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/10(日) 20:04:49.03 ID:Oh55kFKeo



「…………そう、ですか
 幻想御手、噂は少しだけ聞いていましたが……」


 化学準備室は化学室に隣接する狭い部屋で、半ば物置と化している。

 意外と整理整頓が苦手な小萌が管理するこの部屋は、実験機材や書籍、書類の類で散らかっていた。

 鋼盾は適当な椅子に腰掛け、デスク付きの椅子に座る小萌と向かい合っている。


 結局、全てを話し、頭を下げることしかできなかった。

 あの後、ステイルに諭されてから一晩考えて得た結論は、それだけ。

 自分が道を誤れば、先生は、月詠小萌は涙し、己自身を責めるであろうこと。

 そんな、当たり前のことを忘れ――否、解かっていてそれでも目を逸らしていた。


「……よく、わかったのです。
 話してくれてありがとうございます、鋼盾ちゃん」


 常であれば砂糖菓子を転がすような小萌の甘い声も、今日は塩が混ぜ込まれたかのようにちぐはぐだ。

 その塩を混ぜたのは己自身だと知ればこそ、じくじくと罪悪感で胸が痛い。


 自分は、このひとを裏切ったのだ。

 月詠小萌を、裏切ったのだ。


「すみません、でした。
 僕のしたことは、先生を、みんなを裏切る卑怯な行いでした」
 

 再度、頭を下げる。

 許されないことだという自覚はあったが、他に出来ることなどあるわけがなかった。

 

536: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/10(日) 20:21:15.72 ID:Oh55kFKeo



「頭を上げてください、鋼盾ちゃん」


 月詠小萌は、固い表情を浮かべたままで言葉を紡ぐ。


「まずは、先生は怒らなくてはいけないのです。
 幻想御手の真偽はひとまず置くとして、脳開発というのはそんな単純なものではありません。
 みなさんはロボットではないのですから、インストールすればレベルが上がるなんてことはありえないのです。
 ―――よしんば実際に効果があったとして、そんな劇的な作用をおこすものには副作用の危険だってあるのですよ!」


 副作用。

 それは、考えていなかった。

 そんなことも思いつかないほど、視野が狭くなっていたのだと知る。


「なにより風紀委員さんの到着が遅れていたら、大変な事態になっていたかもしれないのです。
 下手をすれば、そんな怪我じゃ済まなかったかもしれないのですよ!」


 もっともだ。

 風紀委員の彼女が駆けつけてくれなかったら、自分はどうなっていたかわからない。

 


「鋼盾ちゃん。 貴方のやったことは、とてもいけないことです。―――わかってますか?」
 
「……はい、本当に、すみませんでした」

「なら、いいのですよ。
 ……鋼盾ちゃんに大きな怪我がなくて、本当によかったのです」


 そうして気付く。

 小萌の説教はすべて「軽率な行動で危険に身を晒した」ことに向けられていた。

 反則を責めるのではなく、あくまでも鋼盾の身を案じるが故の言葉だった。


 ああ、もう、本当に、この人は優し過ぎる――――鋼盾は甘やかな痛みを胸に抱く。


「そうだ鋼盾ちゃん、覚えてますか?
 入学間もない頃、鋼盾ちゃんが“どうせ自分は無能力者だから”って言ってたこと」

「はい、先生に泣かれちゃいましたから。―――皆にも随分睨まれましたし」

「わわっ! あの時はちょっと感情が昂ぶっちゃっただけで、泣くまではいってないのです!
 ちょっとだけ涙がにじんじゃっただけなのです!」


 えぐえぐと小萌に泣かれてしまったあの一件は、鋼盾にとって大切な思い出のひとつだ。

 なんの能力を持たぬ自分のような出来損ないのために、涙を流してくれた人がいること。


 その事実、ただそれだけで自分は間違いなく救われていた。

 鋼盾が一学期を笑顔で過ごせたのは、紛うことなく小萌の存在があっての事だった。



537: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/10(日) 20:36:15.47 ID:Oh55kFKeo


「……あれから、先生はずっと考えてたことがあるんです。
 いえ、もしかしたらずうっと前から考えていたのかもしれません。……聞いてもらっていいですか?」

「はい、もちろん」


 小萌は小さく息を吐くと、鋼盾をまっすぐ見据えて、話し始めた。


「まず前提として、鋼盾ちゃんに能力が生じないのは、貴方のせいではないのですよ。
 この学園都市はまだまだ過渡期で、能力開発についてもわからないことだらけなのですが……でも、そんな風に考えるのは甘えでしかないのですよ。
 その結果、子ども達に負担を押し付けているのが現状なのです」


 学園都市は能力開発の街。

 この街の抱える歪さは、学園都市を作り上げた大人たちの責任であると月詠小萌は断じた。

 自分たち、大人の責任であると。


「無能力者という括り――いえ、そもそも能力強度というカテゴリ自体が酷く歪なのです。
 本来この街が目指すのは、そんなランキングじゃないはずなのに、教師も研究者もそのことを忘れがちなのですよ」


 それは、学生だって同じだ。

 程度の差はあれ、この街に住む者は、誰しも序列に囚われている。

 ―――上条のようなタイプは極めて稀な例なのだ。


「結果、この街はひどく歪な形になってしまいました。
 奨学金に差をつけて、その結果6割もの子ども達に“無能力者”なんて肩書きを押し付ける現状。
 ――そんなのは間違っているのです」


 月詠小萌は、社会心理学・環境心理学・行動心理学・交通心理学の専門家でもあると聞いている。

 ならばその言葉はきっと正しいのだろう、だが、正しいからなんだというのか。


 彼女の言葉は正論ではあるが、しかし正論に過ぎない、鋼盾ですらそう思う。


 競争は必要、褒章は必須。

 持てる者には然るべきものが与えられるべきで、その点において学園都市は正しい。


 今はきっと、この未成熟な都市が完成に至るまでの過渡期。


 矛盾も歪みも当然。

 無能力者に感けていては足取りが鈍るだけだ。



 神ならぬ身にて天上に至らんとするなら、相応の犠牲は許容されて然るべきであろう。




 

538: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/10(日) 20:38:25.95 ID:Oh55kFKeo

 だけど、それでも、だからこそ。

 小萌の言葉は鋼盾の心に深く沁みる。

 この街に、こんな大人がいてくれることに、感謝せずにはいられない。


「先生は、能力開発を受けていません。
 だから、生徒のみなさんの抱えている悩みを、本当の意味では理解してあげられてはいないのかもしれないですけど」

「そんなこと、ないです! 先生は!」

「ふふ、ありがとうなのです鋼盾ちゃん。
 大丈夫なのですよ―――先生は、先生ですから。そんな程度じゃ諦めません」


 笑顔を崩さない月詠小萌。

 幼げですらある容姿と裏腹に、彼女は強い。

 途方もなく。


「先生は、先生の目指す先生にならなくてはいけないのです。
 この街には苦しんでいる生徒さんがたくさんいるのはどうしようもなく本当のことなのですから。
 ならば、それを助けるのは先生の仕事なのです!」


 彼女はこんなにも、強い。

 その強さに鋼盾は憧れる。


 能力の有無など関係ない、男女の差異も、齢の差すらもどうでもいい。

 その信念、その在り方、その覚悟。

 小萌の示したそれこそが、きっと鋼盾の目指した場所に他ならない。


 強くなりたい

 先生のように、強く、正しくありたい


 その眩しさに耐え切れず顔を背けた鋼盾の手を、小萌はぎゅっと握り締める。

 小さな手、子どものように熱い体温を湛えたその指先の力強さに、鋼盾は小さく震えた。 



「大丈夫です。 鋼盾ちゃんは、しっかりと自分の行いに向かい合うことのできる男の子ですよ。
 ―――先生の自慢の生徒さんなのです!」

「……ありがとうございます、先生」


 ああ、本当に自分は、恵まれている。

 両手を包む暖かな温もりに、鋼盾はちょっとばかり泣きそうになった。




――――――――


545: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/12(火) 21:29:27.55 ID:vWxLi4Pto

――――――――



「ああ、先生、もうひとつだけいいですか」

「はいー? なんですかー?」


 幻想御手についての告白を終えた鋼盾は、この部屋に来たもう一つの目的を思い出す。

 聞かなければならないことがあるのだ。


「えーと、上条くんのことなんですが、昨日から連絡が取れないんです。
 彼、昨日ちょっとトラブルに巻き込まれていたんですけど、先生の方に連絡は入ってますか?」


 思えば上条の欠席について、小萌からはまったくコメントがなかった。

 無断欠席を許すような小萌ではない、ということは。


「……ええ、ちゃんと連絡を受けているのですよー。
 ところで鋼盾ちゃん? 上条ちゃんの抱えるトラブルとやらは、なんなのですか?」


 ちゃんと連絡が来ている、ならば無事ということだ。

 鋼盾は安堵に腰が抜けそうになる―――あの馬鹿、こちらにも連絡くらいよこせばよいものを。

 気の利かぬツンツン頭に文句をつけつつ、鋼盾は己の頬が緩んでいることを自覚する。


 上条は、どうやら無事だ。

 きっと、インデックスも無事だろう。


 さて、小萌にトラブルとはなんぞやと聞かれてしまったが、なんと答えたものだろうか。

 
(空から降ってきた謎の美少女を抱えて、彼女を追う謎の組織とやらと一戦やらかしてます)


 ……却下。
 
 んなこといえるわけがない。

 なんだソイツ、パズーか、パズーなのか。





546: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/12(火) 21:32:00.56 ID:vWxLi4Pto


「えーと、あー……また、女の子がらみです。
 なんかトラブルに巻き込まれた女の子を助けるために走り回ってるみたいで」


 適当に濁す。

 嘘は言ってないし、いつもの事といえばいつものことだ。

 いやー、なんて彼らしい行動だろう。


「……そう、なのですか。
 ところで鋼盾ちゃん? 今日はこの後、なにか予定はあるのですか?」

「えっと、ちょっと訪ねたい人がいまして……。
 そんなに時間はかからないとは思うんですけど」

「なら、夜は空いてますね?」

「? はい。上条くんを探そうかな、なんて思ってましたけど」


 ふむ、と頷いた小萌はとっ散らかったデスクの上からメモ用紙を引っ張り出すと、スラスラと万年筆を走らせる。

 相変わらずの丸っこい字で書かれたソレは、どうやら住所と電話番号のようだった。

 電話番号は二種類、携帯電話と固定電話がそれぞれ記されている。

 はい、といって渡されたソレを鋼盾は神妙に受け取った。


「えーと、先生、これは?」

「今回の件の、ペナルティということにしておきましょうか。
 先生の家の住所と、一応電話番号なのです。そうですね、今晩七時ごろに来て貰えますか?
 ちょっと手伝って欲しいことがあるのです」

「……はあ、わかりました」


 ペナルティ、と言われてしまえば鋼盾としては否はない。

 自分がやらかした事はそれなりの事であるという自覚はある。

 とはいえ自宅に招いて手伝いをさせる、というのは、なんというか公私混同めいた感じがする。

 普段の小萌らしからぬ真似に、鋼盾は戸惑う。


「夕食は食べてこなくてもいいですからねー、ご馳走しちゃいます」


 ……いよいよ、わからない。

 青髪あたりなら「御褒美やでーー!!!」と喚きそうな展開だ。

 いつもどうりのニコニコ笑顔を浮かべている小萌だが、なにかを企んでいるようにも見える。


 とは言え。


「先生がそういうなら、七時にお邪魔します」

「はい、お待ちしているのです」


 他ならぬ小萌の言うことである。

 信用しないわけにはいかなかった。





―――――


547: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/12(火) 21:33:31.20 ID:vWxLi4Pto

―――――



 夜に月詠宅に行く約束を交わし、鋼盾は化学準備室を辞す。

 訪ねたい人がいる、と小萌に言ったとおり、鋼盾には行かねばならぬ場所があった。

 正確には「訪ねたい人に会うため」の準備段階なのだけど。


 今回の一件について、謝罪と感謝をしなければならない人がいる。

 一人は、スキルアウトたちに嬲られた鋼盾を助けに来てくれた無能力者の少女。

 もう一人は、風紀委員の空間移動能力者の少女だ。


 無能力者の少女については、セーラー服を着ていたことと頭に髪飾りをつけていたことぐらいしか思い出せないが、

 風紀委員の少女の方は、いろいろ情報がある。


 白井さん、と呼ばれていたこと。

 常盤台中学の生徒であること。

 自身を転移できる程の高位の空間移動能力者であること。


 個人を特定するのには十分と思える情報量ではあったが、如何せん伝がない。

 風紀委員の生徒の情報は極秘事項と言うわけでもないが、彼らを逆恨みする者もいるため一般公開はされていない。

 常盤台中学については言わずもがなである。病的なまでのセキュリティが構築された学舎の園の中にあるのだ。


 風紀委員の知り合いはいないし、学舎の園に入り込むことなど出来るはずもない。

 
(……御坂さんなら知ってるかな)


 最近知り合った常盤台中学所属の電撃姫を思いだす。

 彼女なら知っているかもしれないが、しかし連絡先がわからない。

 上条に聞けばあるいは解かるかもしれないが、彼とも連絡がつかないままだ。

 ならば、やはりこれしかあるまい。



549: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/12(火) 21:38:11.10 ID:vWxLi4Pto


(警備員)


 アンチスキル、学園都市内の治安維持を勤める彼らはその業務上、風紀委員とも縁が深い。

 相談すれば、あるいは調べてもらえる可能性があるかもしれない。

 そして、この学校に所属する警備員といえば、


(……黄泉川先生)


 ナイスバディを色気のないジャージで包んでなお色っぽい、この学校の名物体育教師。

 6月の雲川事件での大活躍っぷりは、未だに目に焼きついている。


 腕利きの警備員として名を轟かす彼女なら、きっと。

 風紀委員にも顔が利く筈だし、相談に乗ってもらえるかもしれない。


 夏休み中なので来ていない可能性も高いが、まあ、行くだけ行ってみよう。

 鋼盾は職員室へとその足を向けた。
 




――――――――


560: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/15(金) 23:41:12.39 ID:n03KNfC5o

――――――――



「失礼します。
 ……一年七組、鋼盾掬彦、入ります」


 学校の職員室というのは、独特な雰囲気のある場所だと鋼盾はいつも思う。

 コーヒーと紙束の匂い、電話の音、雑然としているようで奇妙な調和がある、そんな空間。

 もっとも、学生にとってはあまり居心地の良い場所ではないのだけれど。


 運の良いことに、黄泉川愛穂は出勤していた。

 書類仕事に勤しんでいるようで、資料を片手にペンを執っている。

 デスクは几帳面に整頓されており、わりと散らかし魔なウチの担任とは大違いだ。

 近寄ってくる鋼盾に気付き、黄泉川は顔を上げた。


「お、月詠センセのとこの子じゃん?
 鋼盾だったか? 月詠センセならまだ戻ってないじゃんよ」

「いえ、えーと、黄泉川先生にお願いがあってきたんです」

「……私に? するっていうと補習絡みか?
 でもお前は補習じゃなかったはずじゃん? つーか保健で赤とったのは上条くらいのモンじゃんよ」

「えーと、警備員としての先生に、お願いがありまして」


 警備員、という言葉が出た途端、黄泉川の表情が真剣味を帯びる。

 普段のおちゃらけた雰囲気は霧散していた。この街の治安を維持する者としての顔だ。


「ふむ、ああ、すまん。そこの椅子に座るじゃんよ。
 ―――それじゃあ、まあ、話してみるじゃん?」

「はい、実は……」


561: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/15(金) 23:42:00.15 ID:n03KNfC5o


 とりあえず幻想御手については言及を避け、昨日風紀委員の少女に助けられた旨を告げる。

 現場から逃げてしまったため、彼女の安否を確かめたいこと。

 なにもできずに逃げ出した事を謝り、助けてくれたことにお礼を言いたいと思っていることを話す。


「風紀委員の白井――常盤台中学の白井黒子だな。有名人じゃんよ」


 有名人――まあ、常盤台の風紀委員なら有名にもなることだろうと鋼盾は思う。

 黄泉川は軽く目を伏せると、件の少女について語り出した。


「高位の空間移動能力を活かした圧倒的な機動力、射線すらない回避不能の投擲、
 触れさえすれば相手は地面とキスするハメになるというんだから近接戦闘能力も相当じゃん。
、風紀委員トップレベルの腕っこきにして、命令違反の常習犯ってな問題児との話だが……
 とはいえ私は、ああいうまっすぐなヤツはキライじゃないじゃん」


 黄泉川は机の一番下の引き出しを開けると、A4サイズの無骨なファイルを取り出す。

 パラパラとページを捲ると、目当ての項目を見つけたらしく、メモパッドにスラスラとなにやら書き付け始めた。

 支部名と住所、電話番号と思しき数字が書き込まれてゆく。

 黄泉川はメモ用紙を切り取ると、悪戯っぽい目をして鋼盾を見た。


「ところで鋼盾、わざわざお礼を言いに行きたいなんて随分と殊勝なことじゃん?
 ふふーん。白井はあれでなかなかの美少女だしな。
 もしや、惚れたか?……だとしたらこれを渡すわけにはいかないじゃんよ!」

「んなわけないでしょう。相手は中学生ですよ……。
 お礼をいいたいだけですって」


 たしかに凛とした美少女ではあったが、そんな暢気な状況ではなかった。

 それを受けて黄泉川は、なんだつまらんといわんばかりの表情で、メモを差し出してよこす。


「今日はもう遅いし、夏休みは馬鹿どもがはしゃぐ季節じゃん。
 風紀委員も忙しい、ちゃんと連絡を入れてから行った方がいいじゃんよ」

「わかりました。アポを取ってから行きます。
 ありがとうございました」


 ありがたく、メモを受け取る。

 どうやら糸は繋がった、その成果に鋼盾は安堵の溜息を吐く。



562: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/15(金) 23:57:54.43 ID:n03KNfC5o


「ああ、そうそう」

「?」

「白井と言えばな、昨日廃ビルを一棟倒壊させたらしいぞ
 ……鋼盾、おまえが関わったと言うのはその事件のことか……?」


 黄泉川の瞳が一層剣呑な色を帯び、常の「じゃん」口調も鳴りを潜めている。

 というか、なんだと? 

 ビルを、倒壊?


「……いえ、能力者に絡まれたところを助けてもらっただけですから。
 僕は途中で逃げちゃったので最後までは見てませんが……流石にビルは崩れないと思うんです、けど」


 しかし、ビルへとスキルアウトを誘導した昨日の一件を思い出す。

 風紀委員の彼女が逃げ込んだのは、確かに廃ビルだった。

 あのビルを、崩したというのだろうか……?

 空間移動能力者の彼女が?

 まさか。


「本当なんですか? その白井さんの能力じゃ、そんなことはできないと思いますけど……」

「うーん、嘘はいってないみたいじゃん。
 いや、その可能性がありそうだとういう報告があってな……別件かもしれない、が」

 
 最近は妙な事件が多いじゃんよ……と黄泉川は溜息混じりに呟く。

 幻想御手絡みの事件のことだろうか、鋼盾がネットで調べた限りでも、奇妙な事件が続いているのは事実のようだった。


「呼び止めて悪かったじゃん。けじめを付けに行く、そういう姿勢は悪くないと思うぞ鋼盾。
 もし面倒ごとがあったら、あたしに言うといい。月詠センセに言いにくいことがあれば、いつでも話は聞くじゃんよ?」

「……はい、またお願いする事もあるかもしれません。
 その時は、よろしくお願いします」

「ああ、任せるじゃん。
 せっかくの夏休み、面倒ごとはさっさと片付けて、しっかり楽しむじゃんよ」

「はい、必ず。
 ――ありがとうございました、先生」


 そう、今は夏休み

 楽しい楽しい、夏休みだ

 
 とっとといろいろ片付けて、夏休みを満喫しなければならない

 黄泉川の言うとおり、しっかりけじめをつけて、前に進もう。


 鋼盾は、小さく決意を重ねた。

 



――――――――



563: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/15(金) 23:58:23.91 ID:n03KNfC5o


――――――――




 黄泉川から白井黒子の情報を得た鋼盾は、そのまま自宅へと帰宅した。

 小萌との約束までは若干の猶予があるため、風紀委員177支部へと連絡を入れることにした。

 対応してくれたのは固法と名乗る落ち着いた声の女の子で、白井の直属の上司のような立ち位置にいるとのことだ。


 訪問のアポは思いのほか簡単にとることができた。

 明日の14時、風紀委員第177支部にて面会が可能であるとの事だ。。

 当然ながら、なにか事件が起こればそちらを優先せざるを得ないという話ではあったが。


 なんにせよ、糸は繋がった。

 風紀委員の少女と無能力者の少女は知り合いのようだったし、明日詰め所を訪ねればそちらの話もできるだろう。


 とりあえず今晩は小萌のところに行かねばならない。

 メモを取り出し、書いてある内容を携帯電話のアドレス帳に写してゆく。

 
 携帯電話にメモリが増えてゆくのは、なんというか嬉しいことだった。

 いつかの春の日、上条と連絡先を交換した時のことを思い出す。

 アドレス交換に不慣れで、若干テンパった記憶すら微笑ましい。


 あのときから鋼盾の世界は広がり始めた、色づき始めた。

 土御門や青髪、クラスメイトたちの連絡先が増えていったアドレス帳をスクロールする。

 無機質な携帯端末に、なにやら暖かな血が通ってゆくような錯覚を覚えてしまう。


 繋がり。

 これもまた、能力に依らずに鋼盾が得たものだ。

 何より大切な、それ。


 縁

 えん、えにし、よすが


 そのワードに件の少女、インデックスのことを思い出す。

 己の事情に他人を深く関わらせることを忌避していたあの少女。

 そのくせ、きくひこきくひこと嬉しそうに名前を繰り返していた彼女。

 奇妙な縁で出会ったその少女、土御門の言によれば上条と行動を共にしている筈だ。


564: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/15(金) 23:59:04.86 ID:n03KNfC5o


 可憐で、それでいて隠し切れぬ疲労を孕んだその笑顔

 祈りを捧げるために組まれた指先の美しさ

 おっかなびっくりマウスに触れた表情

 ぐうぅ、と間抜けた腹の虫の悲鳴

 きくひこ、と呼ぶ声

 
「……参ったな」


 忘れられない。

 補習の最中も度々思い返してしまった――自分では、止める事ができない感情。

 どうやら自分は思った以上に、あの得体の知れない少女を気にしているらしい。

 この感情が恋だとは思わないが、上手い言葉が見つからぬままだ。


「地獄の底までいっしょに、か」


 あの悲壮な笑顔に、かんたんに頷くことなどできるはずもない。

 薄甘い同情や、半端な覚悟で近づいてはいけない。


 だけど

 それでも


 地獄の底なんて、あの子には似合わない。

 ぐるぐるとシチュー鍋をかき回す、美味しくなれと微笑む、そんな姿こそがあの子に相応しい。


 そう思う。

 強く、強く。

 
 今は誰もいないキッチンをぼんやりと見つめながら、

 鋼盾掬彦はひとり、そんなことを考えていた。



――――――――

582: 2011/07/17(日) 16:37:28.91 ID:j2QVR5pso


 再会は、第七学区の路地裏。

 マネーカードと混乱を路地裏に振りまいた女、その状況をよしとしせず、単身調査に赴いた男。


「利徳、くん?」

 幼少の頃から生物学的精神医学の分野で頭角を現し、“学習装置”の開発にも深く携わった才媛、布束砥信。


「……布、束?」
 
 歪な科学でその身を鎧う “棄てられた者たちの王”、能力者の横暴を許さぬ路地裏の英雄、駒場利徳。


 かつて、ほんの少しの間だけ、クラスメイトだったふたり。

 運命の悪戯か、それとも。

 交わらぬハズの道が交差したとき――物語は始まる。


「NO、貴方はこの街の本当の闇を知らない……路地裏の不良に何ができるというの?」

「……その闇とやらが、俺達の敵だ。無能力者を追い詰める連中を、捨て置くわけには、いかない」


 絶対能力進化実験、嗤う科学者

 今日、俺たちはこの街の闇の最奥に挑む


 
 「誰が為にこそ、鐘はなる―――無能力者(オレたち)の咆哮を聞け、第一位」

583: 2011/07/17(日) 16:38:14.23 ID:j2QVR5pso











「――――楽勝だ、錬金術師」









584: 2011/07/17(日) 16:42:42.71 ID:j2QVR5pso



「お? こないだの根性の入ったねーちゃんじゃねーか!」

 ――――― 七人の超能力者の第七位、世界最大の原石、削板軍覇


「……っ!!! 超電磁砲(レールガン)だと!」

 ――――― 無能力者(レベル0)にしてスキルアウト、横須賀


「……なんで僕はこんなとこにいるんだろう……はぁ」

 ――――― レベル2の念動力者にして稀代のツッコミ、原谷矢文


「……ああ、お姉さまと勘違いされているのですね、このミサカは妹です、
 と、ミサカは白ラン日章旗とマッチョのスキンヘッドとモブという謎の凸凹トリオに
 どういったリアクションをしたものか頭を悩ませつつ回答します」

 ――――― 超電磁砲のクローン“欠陥電気”(レディオノイズ)、ミサカ一〇〇三一号



 学園都市の闇

 絶対能力進化実験


 いつの間にやら仲良くなったズッコケ三人組と、

 己の意思すら持たなかった機械のような少女が出会ったとき、物語は始まる!!


 
 “随分根性のないマネをするじゃねえか、第一位…………本気で潰すぞ”

 “はッ! 面白ェ、せいぜい踊って見せろ格下共がァ!!!!”

 “僕の能力でプロペラを回した! でも長くはもたない! 横須賀ァ!急げ!”

 “なぜ貴方は、貴方たちは……こんな欠陥品のために”

 “惚れちまったんだから仕方ねぇだろ――ミサカ、俺たちはお前に死んで欲しくねえんだよ”



 それは、奇跡の一撃


 「「「  三 位 一 体 ! 超 超 す ご い パ ー ン チ ! ! ! 」」」

 「おいちょっとふざけンなてめビルブチィl!!!!!」


611: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/18(月) 20:38:09.02 ID:MRYZsji3o





――――――――


 型遅れな安携帯の無料ナビ機能ひとつとっても、この街の技術が注ぎ込まれた一級品だ。

 目的地の住所が判っていれば辿り着くことはたやすい。ゴール付近でほっぽり出す旧式カーナビとはモノが違うのである。

 午後7時まであと5分、約束の時間まで幾何かの余裕を残して、鋼盾は月詠邸へと辿り着いた。


「……わお」


 小萌の家はなんとも凄まじいところだった。

 古式蒼然、という美辞麗句を笑い飛ばすような超ボロ木造二階建て。

 東京大空襲を乗り越えてそうな、昭和の文豪が赤貧時代を過ごしてそうな、未亡人の管理人さんと五号室の浪人生がラブコメってそうなアパートメント。

 通路に置かれたやたらと未来的なフォルムの洗濯機が異様なほどにアンバランスである。

 ヴェルサイユ宮殿にコタツが置いてあるのと同程度の違和感だろう。


 月詠小萌。

 身の丈135cmのディープアダルトたる我らが担任教諭にして、学園都市の七不思議にも数えられるトンデモレディ。
 
 その私生活は謎のヴェールに包まれていたのだが、思わぬところでその一端に触れてしまったようだ。

 とりあえず、見た目十二歳がひとりで住んでいて良い場所ではないような気がする。

 児童相談所にマークされてそうだ、この街にはそんな機関はないけれど。


 ボロボロに錆び切った階段を慎重に上り、メモ翌用紙に書かれた部屋を目指す。

 廊下の先、一番奥まったところにあるドアの脇には、見覚えのあるまるっこい文字で“つくよみこもえ”とのプレートがかけられている。

 ……何故に、平仮名なのだろうか。いや、問答無用で似合ってはいるけれど。


 えらく頑丈そうなドアの前で、ほんの少しだけ待つ。

 きっかり7時を迎えたのを見計らって、鋼盾はインターホンを鳴らす。

 トタトタと足音が聞こえ、ほどなく扉が開いた。


「はーい、お待たせしました。
 時間通りですね鋼盾ちゃん、とってもマルです」

「……こんばんは、先生」


 鋼盾を出迎えてくれたのは当然であるが月詠小萌であった。

 やっぱりこのボロアパートには似合わない、見た目12才にして御齢 [禁則事項です] 才 の我が担任。

 笑顔が眩しいったらない。


612: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/18(月) 20:42:39.29 ID:MRYZsji3o


「ささ、入ってください
 ……お待ちかねなのですよー」

「? はい、失礼します」


 玄関を抜けると短い廊下、トイレへの扉と申し訳程度のキッチンがあるだけで、案の定風呂場はないようだ。

 そこかしこから漂う昭和の匂いはなんなのだろう、廊下を照らす裸電球……時代遅れの黄熱灯である。

 振舞ってくれると言っていた夕食だろうか、コンロに置かれた鍋や棚の炊飯器からは美味しそうに湯気が立って、いい匂いがしている。


「さ、どうぞどうぞー」


 小萌は鋼盾の背後に回り込むと、ズズイと降順の腰のあたりを押し出す。

 押されるがままに廊下を抜けると、そこは六疊程度の和室だった。

 日に焼けた畳、破れをいい加減に補修した襖、窓には障子、小萌先生には開けられないんじゃないかと思しき天袋、和式の鏡台。

 吊り下げ式の照明からはスイッチの紐が降りており、背の低い小萌先生でも操作できるよう紐が継がれている。

 極めつけはなんといってもコレだろう、あの星一徹が引っくり返したと聞く卓袱台である……初めて見た。


 そして、二人の人物。

 ひとりは、部屋の片隅に敷かれた布団に伏せる少女。

 もうひとりは、その傍らで座り込んでいる少年。



613: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/18(月) 20:48:11.45 ID:MRYZsji3o


「鋼盾っ!?」


 上条当麻とインデックス

 インデックスは眠っているようで反応がないが、上条は驚いた顔で腰を浮かしていた。


 昨日からずっと探していた二人の姿が、ここにあった

 思わず振り返ると、いたずらっぽく笑う小萌がウインクを投げてきた。


「さて鋼盾ちゃん、お約束のペナルティです。ちょーっと我が家の居候ズの面倒を見ていただきたいのです!
 先生は今日このあと、居酒屋はっちゃんにて夜の職員会議にでなければいけないのですよ」


 ……参った、もう笑うしかない。

 どうやら、最初から最後までこの人の掌の上だったようだ。


「ありがとうございます、先生」

「ふふ、ペナルティですから、“ありがとう”はおかしいのですよー。
 帰りは22時くらいになりますので、それまでよろしくおねがいします」


 小脇に抱えたお風呂セットに関してはノーコメント。

 似合い過ぎなひよこちゃんにもノーコメントだ。

 口吟んでいる昭和の名曲、『神田川』にもノーコメントを貫こう。



614: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/18(月) 20:50:19.62 ID:MRYZsji3o


 ごはん、作っておいたので食べてくださいねー言いおいて、小萌はトタタと部屋を出ていった。

 振り返ると上条と目が合う、なにがなんだかという顔をしているが、まあ、無事でなによりだ。


「ひさしぶり、といっても一日ちょっとぶりだけどね。
 んじゃ、詳しい話を聞かせてもらおうかな」

「あ、ああ……つっても一体どこから話したもんかな
 正直わけのわかんねえことだらけでさ」


 いろいろあったのだろう、鋼盾とは違い、上条は渦中ど真ん中に居たはずだ。

 中心に近いところにいる人間ほど己を客観視出来なくなる――渦に揉まれているのだから、それも当然だろう。

 鋼盾が幻想御手の件で視野狭窄に陥っていたように、上条もまた混乱の最中にあるようだ。


「ん、まずインデックスだけど、大丈夫なのかな? ……顔が赤いけど、風邪?」

「あー、一時は酷かったけど今は大分落ち着いてるな。
 副作用でしばらく風邪ににた症状がでるけど、2、3日で治るって聞いた」


 副作用――それは薬の? それとも――いや、今はいい。


「そっか、よかった。……多分、僕から話した方がわかりやすいだろうね。
 昨日上条くんが補習に言った後、インデックスが戻ってきたんだよ。フードを忘れたって言って。
 お腹がすいてたみたいだし、正直ほっとけなくてさ。家でご飯たべさせたんだ」

「おう、それは聞いた。
 “きくひこのシチューはおいしかったんだよ!”とかいってやがったな」


 ったくコイツはよー、と上条は眠っているインデックスを見て、小さく微笑む。

 頭の上に載せていたタオルの位置を整える手は、ひどく優しかった。

 共に死線を越えたせいか、幾分距離が縮まっているようで、鋼盾としても微笑ましい気分になる。
 

615: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/18(月) 20:54:08.04 ID:MRYZsji3o
 

「うん。あの子は追っ手とやらが上条くんの部屋に来ることを心配してた。
 ほっとけなくてさ、ウチなら安心だろって言いくるめて、あの子を部屋に留めておいたんだよね」

「ああ」

「外せない用事があって留守番してもらってたんだけど、帰ってきてみれば廊下は焼け焦げでインデックスは不在。
 ごめん、家を離れるべきじゃ、なかったね。
 上条くんに携帯をかけても一向に繋がらなくて、小萌先生に相談したらここに来るように言われて、今に至るって感じだね」


 携帯の件にようやく思い当たったようで、上条は頭を掻きながらポケットから携帯電話を取り出した。

 床に置かれたそれは見事にまっぷたつになっており、ディスプレイが完全に亡くなっている。


「……悪い、携帯はあの日の朝に壊しちまったんですよ。
 すまん、心配かけちまったな」

「あー、うん……しょうがない、上条くんならしょうがない」

「……すまん」


 上条当麻、タイミングがよくも悪くもクリティカル過ぎる。

 ……携帯、何代目だっけ? 家治? 家斉? 家慶?――そんな残酷な問いなど出来る訳がない。

 相も変わらずの神がかったファンタジスタだと鋼盾はため息を吐いた。

 そしてこの男、おそらくだが昨晩インデックスの言う“まともじゃない魔術師”相手に大金星を上げているはずだ。


「……俺の方は、補習が終わって寮に戻ってきたら、インデックスが廊下で血まみれで倒れてた。
 アイツのいう追っ手の仕業だ。正直信じてなかったけど、本当に魔法――いや、魔術を使ってやがったよ。
 俺たちの知る能力とは違う、インデックスのいう“魔術師”ってヤツが現れた」

「信じるよ……その人は、赤い髪でバーコードの刺青をしてたかい?」


 鋼盾の発言に目を見開く上条。

 脳裏に蘇る昨晩の記憶、炎の巨人の威容、右拳に残る感触。

 なぜ、鋼盾がそれを? 


「! 鋼盾!? お前、どうして!?」

「ん、ごめん。後で話すよ……続けて」


 小さく息を吐く。

 やはり彼、ステイル=マグヌスはインデックスを狙う魔術師だったようだ。

 小さく刺に刺されたような痛みを感じたが、大部分は納得だった。

 裏切りですらない――もとより、無関係のわけがなかったのだ。


616: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/18(月) 20:58:10.08 ID:MRYZsji3o


「あ、ああ。炎のバケモンみたいなのを操るとんでもねえヤツだったが、なんとか倒せた。廊下の水びたしは俺の仕業だ。
 でも、インデックスの傷がひどくて――アイツ、IDも持ってねえから救急車も呼べないし、正直途方に暮れちまってた。
 そしたら……インデックスが“回復魔術を使え”って言うんだよ」

 能力者に魔術は使えない、インデックスの言葉が脳裏に蘇る。

 ああ、なるほど。


「そっか、だから小萌先生のところに来たんだね。
 この街で能力開発を受けていない大人、しかもこんな厄介事を受け入れてくれる人なんて他にいない」


 まったく、小萌先生にはかなわない。

 何くわぬ顔で補習なんてやっておきながら、その前日に魔術に手を染めていたなんて。

 頭が下がる、どころの話ではない。

 鋼盾のみならず、ここでインデックスを、上条を救ってくれていたのだ。

 本当の本当に、僕らは担任に恵まれている。


「おいィィ! なんだよさっきから理解がはえーよ鋼盾! 受け入れすぎだろ! 助かるけど!
 なんなんだお前! アレか! 学園都市に秘密裏に紛れ込んだ魔術師だったりすんのか!?
 手からビーム出すのか! 出すんだな出すに決まってる三段活用!!! おのれ魔術師!!」


 なにやら友人のテンションがおかしい、ホントにそれ三段活用なのか?―――まあ、たしかに受け容れすぎかもしれない。

 こちらとしては昨日からいろいろ、そう、インデックスの件とかステイルの件とかいろいろあって、多少下地が出来てはいたのだ。

 自分でも思いの外冷静だったが、傍目からなら余計にそう見えるのかもしれない。


 しかし、僕が魔術師か。

 ああ、それはなかなか愉快な想像だ。

 むくむくと悪戯心が湧き上がってくるくらいには、ね。



617: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/18(月) 21:00:49.50 ID:MRYZsji3o





 
「ふっ、バレてしまったなら仕方ない。
 そのとおりだよ上条くん……いや、“幻想殺し”上条当麻!

 そうだね、とりあえず名乗っておこうか……僕の名は“Scutum800”――!」





618: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/18(月) 21:03:51.88 ID:MRYZsji3o


 とりあえずキメ顔で宣ってみる。

 数字は重複を避けるためのもので意味はないよ、そうステイルは言っていたっけ。

 ああ嘘八百。


「うええぇえぇぇぇえ!? マジ!? マジなのか鋼盾!!? 普通の高校生というのは世を忍ぶ仮の姿なのか!?
 実は科学・魔術の狭間で飛び回る二重スパイと見せかけた多重スパイで、無能力者なのは既に魔術をマスターしてるからなのか!?
 日本人だからアレか! 平安は安倍晴明の流れを汲むドーマンセーマン陰陽師だったりするのか!? 急々如律令!?
 そういやこの前すけすけみるみるで死にそうな顔してたし……能力開発で魔力が暴走しそうになってたのか!? やめろ鋼盾! 死ぬぞ!!」 


 ……えーと。

 なぜか唐突に脳裏に土御門元春の顔が浮かんだが無視する。

 そりゃないぜよ、とか言ってるけど無視する。

 4巻まで待てという謎の声も無視する。

 これを信じちゃうんだから、なかなか彼も追い詰められているようだ……反省。


619: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/18(月) 21:06:56.44 ID:MRYZsji3o


「ゴメン、冗談です……まさか信じるとは思わなかった。
 ……落ち着いて。いろいろあって過敏になってるのはわかるけど、慌てすぎ」

「……嘘、だと?」


 はい、嘘です。


「能力と魔術が相容れないっていうのは、インデックスとごはん食べてるときにいろいろ話しただけだよ。
 そしてすけすけみるみるは3時間もやらされたら誰だって死にたくなるよ……上条くんだって目が虚ろだっただろうに」

「……勘弁してくれよ鋼盾。……信じていいんだな、いいんだよな!?
 正直いろいろありすぎて上条さん結構ギリギリなんだよ……結局ここんとこずっとまともに寝てねえし」


 一昨日は明け方までなにやら立て込んでたらしいし、昨日はインデックスの看病にあたっていたとのことだ。

 戦闘もこなしたようだし、なにより非日常に放り込まれたストレスは相当だろう。

 かくいう鋼盾も体の芯に蟠るような疲労があることを自覚する。

 こっちもこっちでいろいろあったのだ。

 そう、例えば昨夜―――
 

「うん、ほんとゴメン。
 ついでにもうひとつあらかじめゴメン。
 あーー、多分もういっこ衝撃の事実だと思うんだけど、さ

 僕、そのインデックスと上条くんを襲った魔術師さんと」


 身構える上条。

 いやー、ごめん、その幻想殺しじゃ、悪いけど現実は殺せないよね。



620: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/18(月) 21:09:08.49 ID:MRYZsji3o



「 お 友 達 に な り ま し た 」

「鋼盾んんんんんんんん!!!????
 なにやってんだてめええええええええええ!!!!!!!!!」


668: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/22(金) 22:52:05.88 ID:Q5u04iVZo




――――――――――



「あー、違うよ、煮魚はこっちの皿だって」

「えー、別にこっちでもいいだろ鋼盾? 皿で味が変わるわけでもないんだし」

「……結構こういうとこいい加減だよね上条くんは。見た目は大事だよ……せっかくいろいろお皿があるのに」

「むう。……しかし充実してるな食器棚。……先生一人暮らしなのに。
 ……これはまさか、男の影!?……いや、それはねえな、昨日の惨状じゃ」

「……お茶碗6つに揃いの塗り箸、どでかいホットプレートに土鍋、すき焼き鍋、カセットコンロ……かき氷器まで……。
 どっちかっていうと僕らみたいな来客のための備えって感じだね。先生らし……ああ!取り皿はそっち! 野菜炒めが映えるよ」

「……鋼盾おまえ、なんかオカンっぽいぞ」


 狭いキッチンに男が二人。

 小萌が用意してくれた夕食は、炊飯器にたっぷりのごはん、じゃがいもとワカメの味噌汁、鰯の煮付けに野菜炒め。

 シンプルながら実にバランスのとれた、なつかしい日本の晩ごはん的な内容だった。

 自炊に慣れている鋼盾と上条はテキパキと準備を進めていたが、盛りつけの段になって少し意見が分かれた。

 皿のサイズしか見ていない上条に、鋼盾からダメ出しが入ったのだ。
 

「こだわるなー鋼盾、俺らみたいな男子高校生だったら見た目なんて二の次だろうに」

「僕だって一人だったら別にこだわんないけど。
 インデックスやきみと一緒の食卓だからね……せっかくの先生の気遣いだし」

「……そういうとこえらいよな、お前。まあ、先生にゃ感謝しなきゃなー」


 インデックスを治してくれたこと

 ふたりに宿を提供してくれたこと

 鋼盾をここに連れてきてくれたこと

 料理を用意してくれたこと

 ここで席を外し、話し合う時間を作ってくれたこと

 月詠小萌のそんな心配りには、感謝の言葉もない


「よし、準備完了、……運ぼうか」

「あいよー」


 例の卓袱台に皿を並べてゆく。

 三人分の料理でいっぱいいっぱいの狭い食卓。

 丸い卓袱台に人は三角――鋼盾、上条、そしてインデックスの三人だ。


669: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/22(金) 22:53:30.94 ID:Q5u04iVZo




 先の上条の絶叫で、彼女は目を醒ました。

 寝惚け眼から一転、鋼盾の姿を認めると、少女は泣きながら謝り続けた。

 勝手に外に出てごめんなさい、心配させてごめんなさい、迷惑かけてごめんなさい。

 謝り続ける彼女を上条と二人で宥めすかして、なんとか落ち着かせるまで30分近くかかってしまった。


 ようやく夕食。

 時刻は20時を回っており、すこしばかり遅くなってしまったが、ようやくだ。

 インデックスは未だ赤い目をしているものの、だいぶ落ち着いてくれたようだった。


「おまたせ」

「インデックスー、ごはんどんくらい盛るよ?
 ……昼くらいは食えそうか?」


 野菜炒めの大皿を運ぶ鋼盾と、しゃもじ片手にごはんをよそう上条。

 インデックスは、少し辛そうに笑う。


「ん、ごめんね。 
 ちょっと今は、あまり食べられないかも」


 昨日の健啖っぷりを思うと、よほど体調がよくないのだろう

 上条は軽めにご飯を茶碗半分ほどよそってみせた。


「あー、まだ体調戻ってねえんだったな、無理すんなよ」

「治ったらインデックスの好きなものを食べよう?
 ……なんか、食べたいものあるかな?」



670: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/22(金) 22:54:29.91 ID:Q5u04iVZo


 好きな食べ物、と聞かれて目をぱちくりさせるインデックス。

 そんなこと、考えたこともないとでも言いたげな表情に、鋼盾はインデックスの歩んできた道の一端を知った気がした。

 インデックスはほんのしばらく迷っていたようだったが、直ぐにふわりと笑顔になる。

 彼女の好きな食べ物、それは。


「きくひこの、シチューがたべたい、かも」

「……そっか、じゃあ、はやく元気にならないとね。
 次は人参とか、もっといろいろ入れようか」

「ああ、上条さんも御相伴に預かりたいもんだ。
 ……今日はもう寝ちまってもいいんだぞ、インデックス」

「……や。ふたりともっと、一緒にお話したいんだよ」


 インデックスは卓袱台にしがみつく様に身体を寄せ、両手を合わせる――それは鋼盾の教えた、いただきますの姿勢。

 ふと上条を見ると、インデックスに倣って既に手を合わせている。ウインクするな気持ち悪い。

 どうやら号令は鋼盾の仕事らしかった。

 オカンっぽい、かあ、……いいけどさ、別に。



671: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/22(金) 22:55:40.38 ID:Q5u04iVZo

「んじゃ、せーの」

「「「いただきます!」」」


 3人揃って唱和する。

 いつの間にやらチームワークがよくなったものだと、初対面のドタバタを思い出す。

 あの時否定した魔術に絡め取られ、鋼盾はここにいる。

 魔術、魔法結社、十字教の裏の顔、英国清教、羅馬正教、露国成教、そして、10万3000冊の魔導書――禁書目録。

 正直設定用語集が欲しいところだ。



 インデックス

 あからさまな偽名と違和感を覚えたのも今は昔。

 すっかり舌に馴染んでしまったその呼称、しかしそれはIndex-Librorum-Prohibitorumなる不吉な名前の一端だ。

 禁書目録。表の意味としては、16世紀から20世紀の半ばまで十字教組織によって作成された「とある書物」のリストのこと。

 冒涜的・非道徳的な内容の書物、信徒の信仰を揺るがす可能性を孕んだ書物、それら“禁書”をまとめた物だと辞書にはあった。

 たいした話じゃない、歴史を紐解けば検閲も発禁もよくあることで―――十字教に限ったことではない。


 だが、それは世界の表側においての話。

 魔導書なる物が存在するらしいこの世界の裏側において――禁書目録の名は、何を意味する?



672: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/22(金) 22:58:20.24 ID:Q5u04iVZo


「……きくひこ、どうしたの?」


 思考に没頭していた鋼盾を、心配そうに見つめるインデックス。

 また、やってしまった。慌てて取り繕う。


「ん、なんでもないよ。
 インデックス、この魚、なんだかわかる?」

「むむ、わかんないんだよ」

「すまん鋼盾、俺もわからん」

「おい日本人……大衆魚様だぞ貧乏学生……まったく、これはね」


 食後には、きちんとこれまでのこと、これからのことを話し合わなければならない。

 きっと、鋼盾も上条も、ことによるとインデックスも、いろいろ覚悟を決めなくちゃならなくなる。


 小萌の料理に下鼓を打ちつつ、鋼盾は小さく震えた。

 自分たちの座る畳の下に奈落が広がっているようなイメージが脳裏を走り抜ける。

 
 予感がある。

 きっと、この平穏はジェンガのように危ういバランスの産物だ、と。


 だけど、それに気づかぬフリをして鋼盾は笑った。

 せめて今は談笑を、歓談を、穏やかな食卓を。

 再会を祝う喜びの一時を。



 3人の食卓は笑顔で満たされていた。

 ――誰もが胸中に不安を抱えながらも、たしかに。





――――――――――


691: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/24(日) 10:44:20.37 ID:F3nLS9Iu0

――――――――――




「記憶喪失……か」


 夕食のあと、洗い物を買ってでた上条は、インデックスに「今朝のアレ鋼盾にも言ってみな、アイツ結構恥ずかしい台詞言うから」と言い残していった。

 本日最大の“お前が言うな”である。恥ずかし臭い台詞を言わせたら右に出るものがいない上条にだけは言われたくない。

 マジ、お前が言うな、いや、ほんとに。

 
 もじもじと口篭っていたインデックスの頭を軽く撫で、先を促す。

 途端に堰を切る言葉の奔流、少女の裡に溜め込まれていた暗く重い濁流。

 告白は、確かになかなかハードではあった。

 
 十字教の闇

 第零聖堂区

 必要悪の教会

 ネセサリウス

 毒壺たる魔道書

 原典と写本

 完全記憶能力

 宗教防壁

 教会の備品

 禁書目録

 魔人

 覚醒


 
 荒唐無稽なファンタジーとは最早言うまい、世界の裏側は気恥ずかしくなるほどリアルにファンタジーだった。

 ……いやまあ、向こうの住人も学園都市の人間には言われたくないだろう。

 ショッカー、ゴルゴムを笑うなかれ。


 インデックスの語る素敵設定の数々を、鋼盾は黙って飲み込む。

 すべて、信じようとそう決めていた。

 もう何ひとつ疑わない、何でも来いである。

 余裕だ。<恐怖の大王>だろうが<神々の黄昏>だろうが〈黙示の日〉だろうが、なんだって飲み干してやろうと思う。



692: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/24(日) 10:47:33.94 ID:F3nLS9Iu0
 しかし、ただひとつ、どうしても飲み下せない事実があった。

 インデックスが、なんでもないことのように、言った言葉。


「わたしには、一年以上前の、記憶がないから」


 記憶がない、らしい。

 それは紛れもなく驚愕の事実だったが、しかし正直なところ納得のゆく事実でもあった。


 知識は溢れているのに、どこか実の欠けたようなアンバランスな会話

 気を許してからの鋼盾や上条への尋常とは思えぬほど懐きぶり


 インデックスという少女

 彼女に感じる名状しがたい危うさ、ズレ、純粋さ、その理由は。


 全生活史健忘(Generalized Amnesia)


 あまりにも大きな忘れ物

 自己の紛失

 見知らぬ街

 寄る辺なき孤独

 己を追う魔術師の襲撃

 重く圧し掛かる魔道書


 身体は“歩く教会”が守ってくれたのだろう、傷ひとつなかった。

 だが、心は?
 

693: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/24(日) 10:48:22.84 ID:F3nLS9Iu0
 

「どうしたのきくひこ……? なんか怒ってる?」

「怒ってないよ」


 嘘だった、鋼盾掬彦は怒っている。

 相手はインデックスではないけれど。


「むむ、やっぱり怒ってるかも………思春期ちゃん?」

「―――インデックス」


 ああ、やっぱり上条のように上手い台詞は言えないけど。

 せめてまっすぐ彼女の目を見て、鋼盾は告げた。


「つらかったね……大丈夫、もうだいじょうぶだよ。
 歩く教会は上条くんが壊しちゃったけど、代わりに僕らが君を守る。
 きみはもう、なにひとつなくさなくていい」」

「………………………………ぅ……ふぇ」


 氷が溶けるように、インデックスの目から涙が落ちる。

 涙は女の武器というが、彼女のそれは女の涙じゃなかった。無論男のそれでもない。

 己の性別を知る前の幼子の、呆れるほどに無防備極まりない、涙。


 インデックスは、鋼盾がそこにいることを確かめるように、手を伸ばしてくる。

 触れれば静電気が走るとでも言わんばかりに、おっかなびっくり躊躇いながら、ようやく鋼盾の肩に触れ、


 次の瞬間。

 鋼盾の胸にインデックスが身体ごと飛び込んできた。
 
 鳩尾に入って軽く悶絶しそうになったのは、秘密だ。




――――――――


694: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/24(日) 10:49:37.88 ID:F3nLS9Iu0



「……おつかれさん。
 ホント泣いたなぁ、ったくコイツ今日は泣きっぱなしだ」

「なんたって一年分だからね、まだまだ、足りないくらいだよ」


 泣き疲れて眠ってしまったインデックスを布団へと運ぶと、丁度のタイミングで上条が麦茶を持ってきた。

 思えば洗い物の音は随分前から止んでいた。インデックスが心のままに涙できるよう、気を遣ってくれたのだろう。


「そうだな……一年だ。
 異国でひとりぼっちで、わけもわからず逃げ続ける一年間…………想像もしたくねぇよ」

「…………うん」



 記憶喪失の恐怖

 襲撃者の恐怖

 魔道書の恐怖

 己が宿命への恐怖

 未来への恐怖

 孤独であることの恐怖


「こわかった」「こわかった」「こわかった」

 嗚咽交じりに何度も繰り返された「こわかった」に鋼盾はインデックスの頭を撫で、大丈夫と囁くことしかできなかった。

 上条なら、小萌ならもっとうまくやっただろうなとも思う。

 まったく、情けない。



 上条の用意してくれた麦茶を一口。

 ふう、と息を吐き、ようやく己が緊張していたことを知った。

 鋼盾が一息ついて落ち着いたのを見計らい、上条が口を開く。


「……てなわけで、てなわけなんだが」

「てなわけ、ねえ」


 てなわけ、のひとことで語るには状況がアレ過ぎる気もした。

 どんなわけだよ。



695: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/24(日) 10:51:58.57 ID:F3nLS9Iu0


「まあ、とりあえず情報をまとめよう、あー、ごはんの前のあの話の続きから行こうか。
 ステイル……君たちを襲った魔術師と、僕についての話から」

「―――友達に、なったって言ってたな……どういうことだよ鋼盾」


 上条にしてみればステイル=マグヌスは己を殺そうとし、インデックスを足蹴にした憎き魔術師。

 その男を親友が“友達”と呼ぶのだから心中穏やかではない。


「上条くんたちがこっちに逃げてくるのと入れ違いに僕は帰宅したみたいだけど、
 廊下に彼が倒れてるのを見つけてね、家に運んで介抱したんだよ。魔術師かも知れないっては思ったんだけどね。
 その時に、彼といろいろ話をした。――紳士的だったよ? ホントに」


 自己嫌悪と自己否定で雁字搦めになっていた鋼盾を、掬い出してくれたステイル=マグヌス。

 あの赤髪で強面で、しかし優しい燈台守に、鋼盾は深く感謝している。

 上条の語る冷酷無慈悲な魔術師とやらと、未だにイメージが全く重ならないのだ。

 魔術師の顔と神父の顔――どちらが本物なのだろうか。

 あるいは、どちらも?


「ってもなー、鋼盾おまえ、ちょっとお人よしがすぎるんじゃねーか?
 ……上条さんは心配ですのことよー?」


 ……うわあ、この野郎。

 さっきの訂正。本日最大の“お前が言うな”またも更新である。

 正真正銘の本物が何を言ってやがるのか。

 まあ、それは置いといて。


「……彼はインデックスを狙う魔術師――本人がそういったんだね?」

「……ああ、インデックスの持つ魔道書の危険性についてベラベラ抜かしたあと、
 “コレ”は僕らが保護すべきだよ、とか抜かしてやがったけな」

「保護、ね」


 上条の口振りだと、インデックスを我が物にしようとする思い上がった選民気取りといった風だ。

 非魔法使いと書いてマグルとか読んでそうな嫌な野郎だったぜと、上条はイライラを隠すように頭をかいた。

 保護。それはいかにもといった台詞ではあるが……もし、言葉通りの意味だったとしたら?



696: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/24(日) 10:52:55.81 ID:F3nLS9Iu0


 鋼盾にはひとつ、とても大きな疑問があった

 それはインデックスとステイルの共通点………魔術の徒、敬虔な十字教徒、そしてもうひとつ


「そのステイルなんだけど、さ。
 生粋のイギリス人でロンドンの神学校に通う学生って言ってたよ
 見せてもらったゲストIDにもそう書いてあった。」

「イギリス……、ちょっとまて、インデックスの所属は……」

「そう、イギリス清教は『必要悪の教会』だったね。
 そして、断言はできないけどステイルも英国清教の人間だ」


 二人は同じ宗教の信奉者だ。

 同じ聖書を見て、同じ神に祈りを捧げる、イギリス清教の敬虔たる信者である。


「ちょっと待てよ鋼盾!
 ……アイツが嘘吐いてたり、そのIDが偽物って可能性もあるだろ!?」

「うん、もっともだね。
 でも、まず僕のような赤の他人に嘘を吐くメリットはない。
 IDが偽物っていうのも……この街のセキュリティを考えるとね」


 本物は別にあり、鋼盾に見せたものはダミーという可能性も0ではない。

 しかしやはり鋼盾に対して彼が嘘を吐く理由がどこにもないのだ。


「それは……そうだけど
 つうか同じイギリスってだけじゃねーか! 対立する組織があったっておかしくないよな?」

「そう、きみのいうとおり、イギリス清教が一枚岩ではない可能性があるんだ。
 そんなところにインデックスを預けるには、ちょっとばかり不安だね。
 ――――あの子をイギリス清教の教会に送り届けて、それでめでたしってわけにはいかないかも」

「……インデックスを狙う魔術師にまんまと渡しちまう可能性があるってことか。
 くそ、確かにそれは否定できねえな」


 そう、それじゃあダメなんだ。

 いや、そもそも前提からして違う。

 インデックスを、彼女が所属する『必要悪の教会』に引き渡すことが正しいのかすら怪しい。

 なぜなら。


「そもそも、インデックスの身内の組織が迎えに来ないのがおかしいんだ。
 1年も音沙汰なし。歩く教会を作った連中なら、当然サーチもできるだろうに」

「インデックスの価値は絶大……なのに、迎えが来ない。
 あの赤髪とその仲間達がインデックスに近づく連中を始末してるとか……そういうことじゃないのか?」

「インデックスの所属はイギリス清教の直轄機関なんだよ? よくわからないけど、優秀な魔術師がいないなんて有り得ないと思う。
 ステイルが上条くんのいう“敵対組織”の人間だとして、それ相手に本家本元が遅れをとるとはちょっと思えない。
 やっぱり、おかしいよ。……僕らが、いや、インデックスが知らないなにかがあるんだ」

「なるほど……うーん、わかんねえな」


 そう、インデックスが禁書目録であるならば、当然『必要悪の教会』とやらが回収任務に赴いている筈。

 とっくに回収されてなくてはおかしいのだ。ステイルたちがどれだけ優秀だとしても、一年間も均衡は保てまい。

 しかし現状インデックスは逃げ続けている。

 どう考えても異常だ。


697: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/24(日) 10:56:59.04 ID:F3nLS9Iu0


「それに……僕はさ、上条くん。
 ――インデックスが禁書目録なんて役目を背負ってるのは、あの子がそれをよしとしてるからだと思ってた。
 自己犠牲っていうのかな、信仰の形のひとつとして、そういう生き方を選んだんだと思ってた。
 だから、それを否定することはできないと思ってた。」


 信仰、それは学園都市の子どもにはあまりにも遠い遠い言葉

 触れること、手を伸ばすことすら憚られた

 だが


「―――だけど、あの子は記憶喪失だった。
 気付いたら異国にひとりほっぽリ出されて、わけもわからず追われてきたんだ。望んで地獄にいたわけじゃ、なかった。
 あるいは10万3000冊を背負ったのはかつての彼女の意思だったのかもしれないけど――でもそんなことは、今のあの子には全然関係のない話だよ」


“Dedicatus545”――献身的な子羊は強者の知識を守る

 それは、少女が朗々と名乗った魔法名。

 ステイルと話した今ならわかる、その短い言葉にどれほどの覚悟が篭められていたのかを。


 それは魂の名前、それは刻印、それは神聖な命名火。

 献身の仔羊、供犠たる自負、誉れ高き人身御供―――それは吾身を擲って神に仕える聖女たらんとする宣誓。


 だが―――その誓いを立てたのは、今のあの子じゃない。

 上条と鋼盾、そして当のインデックスすら知らぬ、記憶を喪う前のインデックスだ。

 今ここにいる少女とは、関係ない。


 記憶を喪った少女は、それでもその誓いに沿わねばならないのか

 記憶を喪った少女は、それでもその信仰を揺るすことはないのか

 記憶を喪った少女は、それでも禁書目録であらねばならないのか


698: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/24(日) 10:58:46.49 ID:F3nLS9Iu0



「……鋼盾、お前」

「あの子は囚われている。イギリスに、教会に、魔道書に。
 それが覚悟あってのことなら他人が口を挟んでいいことじゃない。
 ―――でも、違う。違うんだよ、違うだろう!!」


 気に入らない。

 鋼盾掬彦はその理不尽を許せない。

 認められない。

 腹が立つ。


「上条くん――僕らにとって、この子はなんだ?
 魔術師? 10万3000冊の魔導図書館? イギリス清教の最終兵器?」

「……そうじゃねえ ああ、そうじゃねえよ、わかってる。
 コイツは食いしん坊で、泣き虫で、意地っ張りで、ちょっと記憶力のいいだけの

 ―――ただの、普通の女の子だ」


 上条当麻は知っている、鋼盾掬彦は知っている。

 インデックスの笑顔を、怒り顔を、泣き顔を、くるくる変わるその表情を知っている。

 男2人、馬鹿みたいに見惚れてしまったのだ。


699: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/24(日) 11:04:21.05 ID:F3nLS9Iu0


「ぼくらの、勝利条件、
なんだと思うよ、上条くん」


適当に丸めて放り投げただけの、大雑把な問い。

 だが大丈夫

 問えば応える、打てば響く

 上条当麻はそういうヤツだ

 なぜなら、彼は


「決まってる、インデックスを笑顔にすることだ。
 これから先も、ずっと笑顔でいられるようにすることだろ」


 上条当麻は間違えない、ヒーローはいつだって歩むべき道を間違えない。

 期待通り、期待以上の答えを聞いて、鋼盾は笑みを浮かべた。



700: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/24(日) 11:08:58.11 ID:F3nLS9Iu0


 わからない事だらけの現状。

 自分たちは無力な高校生に過ぎず、敵は一国の闇そのもの。

 それでも、上条と鋼盾は戦うと決めた。


 報酬は少女の笑顔。

 それで十分だと、少年たちは笑った。

 それが向こう見ずな強がりでも、かまわなかった。








 結局、彼らは気付かなかった。


 布団の中、可愛らしいパジャマを纏うインデックスがいつの間にか、背中を向けている事に

 眠りに落ちたはずの少女の顔が、見たこともないほど真っ赤に染まっている事に

 その目尻から、熱い熱い涙が流れている事に。


 
――――――――


722: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/26(火) 07:20:28.65 ID:MxbrgrkWo



「ただいまーなのですよやろうどもー!」


 22時ジャスト、家主たる月詠小萌が帰ってきた。

 濡れた髪を夜気に晒して、ノーメイクの肌を珠のように輝かせて。

 やたらめったらハイテンションで。


「おかえりなさい先生――酔ってますね?」

「職員会議でしたのでー」


 ふふふーと笑いながら、小萌はテキパキとお風呂セットを片付ける。

 鋼盾と上条が麦茶を飲んでいるのを見ると、ニコニコ笑いながら麦茶のポットとビールの350ml缶を取り出してきた。


 小萌は鋼盾と上条のグラスに麦茶を継ぎ足すと、缶ビールのプルタブを跳ね上げた。

 NIPPORI一生絞りの文字が眩しい――幼女にビール、なかなかに犯罪的だ。



723: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/26(火) 07:25:30.29 ID:MxbrgrkWo


「シスターちゃんがおやすみですので小さな声で……かんぱーい」

「「……かんぱーい」」


 酔っぱらいに乾杯の理由を訪ねてはならない。

 即座に鋼盾上条はアイコンタクトをとると、麦茶を飲み干した。

 それを受けて小萌もぐびぐびと喉をならす。缶の角度が65°を超えた辺りで、ようやく一休みのようだ。


「ふいぃーーーーーー!!」


 ふいぃーーて、かわいいなこのひとはもう。

 横を見ると上条も同じような事を考えているようで、笑みをうかべていた。

 ビールでようやく人心地ついたようで、微笑みながら小萌は喋り出した。

 酒を飲んでも教師である、鋼盾に課題の終了を言い渡す。


「今日はご苦労様でした鋼盾ちゃん。ペナルティはこれにてクリアーです。
 まあ、とはいえ鋼盾ちゃんがまた手伝いたいというのなら、喜んでお願いするのですよー」

「はい、先生がよければ、明日も来ていいですか?」

「ふふ、もちろんなのですよー」


 上条は、昨日同様インデックスと共に泊まってゆくことになっている。

 完全に襲撃者に割れている学生寮に戻ることはできない、鋼盾も泊まらせてもらえと上条はいうのだが、小萌宅に4人というのは物理的にキツいだろう。

 いやまあ、倫理的には既にアレな気はするのだが。

 つうか一体どう寝てやがるのか「川」の字、いや「小」の字なのか、どうなんだ。


724: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/26(火) 07:26:27.00 ID:MxbrgrkWo


 この小萌宅が、襲撃者にバレている可能性もなくはない。

 その点を考えれば、今すぐ小萌宅を辞し、上条か鋼盾の部屋で籠城というのが一番妥当かもしれない。

 だが、インデックスや上条の精神的な負担を鑑みれば、大人である小萌がそばにいてくれる現状は非常にありがたいと鋼盾は思う。

 彼女の体調が万全に戻るまでは、厚かましいけど小萌に甘えてしまおうと話し合った。

 そのあとのことはそのあとで考えよう、と、結論を棚上げしてしまった感はあるものの現状まだまだ材料が少なすぎた。


 徹底できてない、鋼盾はそう思う。

 中途半端という意味だ。


 例えば、今日の帰り道、魔術師が鋼盾の誘拐を試みたら―――それだけで、自分たちは詰む。

 安全面から鑑みて、せめて3人で固まっているべきだとは思う。

 鋼盾の家に引きこもるか、小萌の家に厄介になるか、どちらにしろ離れるべきではない。

 だが、現実に直面すると楽な方に流されてしまっている己がいる。

 
 インデックスの笑顔を守ると言いながら、言い訳だらけ。

 なんて、無様。


 なにより問題なのがこの判断にあたって、ステイルへの根拠のない信頼があるのを否定できないこと。

 彼と敵対していることを、頭で分かっていても納得できていないのだ。

 この騒動における「敵」をきちんとイメージできていない。

 
 魔術師との戦闘において、まったく役に立たない無力な己。

 能力もなければ腕力もない、今更それを嘆くことはしないが、ならばせめて頭を使わなければならない。

 情報を集め、疑問を突き詰め、仮説を立て、状況を把握し、策を練り――――あわよくば一発逆転の目を探す。

 そのためにも甘えは消さねばならないのに、情けなくもこのザマだった。



725: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/26(火) 07:28:00.36 ID:MxbrgrkWo


「ん?どうしたのです鋼盾ちゃん? ちょっと難しい顔をしてるのですよ?」

「……なんでもないです。別に先生とビールの組み合わせが犯罪っぽいだなんて思ってませんよ」

「むーーーー! 鋼盾ちゃん! 先生は立派な大人なんですからね! まったく、3人とも先生をナメ過ぎなのです!」


 ……このひとが優しすぎるのがいけない、この家は居心地が良すぎるのだ。

 ぷんぷん怒りながらビールを飲み干す月詠小萌に、百の感謝と恨み言。


「……そろそろ行くよ。
 ああ、上条くん着替えとかどうする? 取ってこようか?」

「あー、すなんな頼む鋼盾。
 タンスから適当に2日分くらい持ってきてくれ。
 ん、コレ、鍵な」

「ん……じゃあ先生、今日は一旦失礼します。
 今日はほんとうに、ありがとうございました」

「どういたしましてー。
 じゃあ鋼盾ちゃん、そこまで送らせてもらうのですよー」


 鋼盾といっしょに立ち上がる小萌。

 予想外の対応に驚く鋼盾。


「いいですよわざわざそんなの」

「いいからいいから、見送らせて欲しいのです!
 ……実は今のでビールをきらしちゃったのですよ、もう一本だけすぐそこの自販機で!」

「……あー、コンビニじゃ売ってくれないんですね」

「もう!」



726: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/26(火) 07:30:23.99 ID:MxbrgrkWo


 上条に別れを告げ、インデックスの寝顔をちょっと眺めて。

 鋼盾は小萌と連れ立って外へ出る。


 時代がかったアパートの照明は頼りなく、階段は小さく軋んで音を立てた。

 昼ほどではないが、蟠るような暑さは健在だった。


「えーと、先生のいう自販機ってどこにあるんでしたっけ?」


 住人の大半が学生を占めるこの街において、酒・煙草類の自販機というのはなかなか見かけない。

 需要の低さ、なにより犯罪防止の観点から見れば、まあ当然のことだろう。

 銭湯とかアミューズメントパークとか、その手の施設に見られる程度で、路上で見ることは皆無といってよいのだが、どこにあるのか。

 鋼盾の少し先を歩いていた小萌は、背を向けたまま鋼盾に言葉を返す。


「……ごめんなさい鋼盾ちゃん、先生嘘つきました。
 実はビール、まだまだいっぱいあるのですよ。……具体的には押入れに5ダースほど」

「……えーと?」


 目をぱちくりさせる鋼盾。

 わざわざそんな嘘をついてまで、どうして?

 鋼盾の疑問に答えるでもなく、小萌は小さく微笑んだ。


「さて、と鋼盾ちゃん
 ―――ちょーっと付き合っていただけますか?」


 くるりとステップを踏むように、振り返る小萌。

 下校途中の女子小学生のような彼女は、しかし鋼盾らの担任教師。


 ……どうやら“ペナルティ”には続きがあったようだ。

 小萌と目が合うと、彼女は悪戯っぽい顔で、こんなセリフを口にした。


727: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/26(火) 07:43:13.60 ID:MxbrgrkWo




「デートのお誘い、なのですよー」



728: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/26(火) 07:44:41.76 ID:MxbrgrkWo



 思考回路はショート寸前

 だって純情どうしよう



 アニメにでてくる美少女戦士さながら、完全無欠で問答無用なウインクを添えて
 
 まるで月の光のように、月詠小萌は笑った






――――――――――


743: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:14:59.83 ID:GLMsUb2Ko

――――――――――



 デートといってもなんのことはない。

 導かれるまま向かった先は、小萌宅にほど近い小さな公園。


 教師と生徒、ひどく唐突な二者面談。

 内容は成績でも進路でもなさそうだけれど。


「……あー、夜の職員会議はどうでしたか、先生」

「いいお湯加減でした……ふふ、隣どうぞー?……とと」

「……結構ガチで酔ってますね」


 ベンチにふたり、並んで腰掛ける。

 夏の夜、冴えない男子高校生と、見た目小学生の高校教師。

 傍目には一体どう映るのだろうかという疑問は、考えないでおくことにする。 

 
「……シスターちゃんと、上条ちゃんはどうでしたか」

「インデックスは体調が悪いみたいですが、ちゃんと快方には向かってますね。
 上条くんもしんどそうではありますけど……あいつの場合、心配しても無駄ですから。
 先生のおかげです。あの二人のこと、本当にありがとうございました」

「いえ、当たり前のことをしただけですよー」


 本当になんでもないことのように彼女は言う。
 
 まったくもって僕らは担任に恵まれている。


 ―――それなのに、自分のこの様はなんなのだろう。

 親身になってくれるこの優しい先生に、なにひとつ応えることの出来ぬ己はなんなのだろう。



744: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:16:09.87 ID:GLMsUb2Ko


「ところで、鋼盾ちゃん。
 ……先生になにか言わなくちゃいけないこと、あるんじゃないですか?」


 伝えることのできない事実


「……えーと、“晩ご飯、ごちそうさまでした”?」

「鋼盾ちゃん」


 誤魔化す事しかできぬ現実


「……“とっても美味しかったです”?」

「鋼盾ちゃーん」


 あまりに情けない己の行実


「……“先生、いいお嫁さんになれますよ”?」

「 鋼 盾 ち ゃ ん 」


 結局小萌に押し付ける不実 


「“先生がなにをおっしゃりたいのか、よくわかりません”
 ……本当にすみません。先生」

「…………ふん、いーですよーだ。
 正直、先生もよくわかりませんから」



745: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:17:39.10 ID:GLMsUb2Ko


 拗ねたように目を伏せて、小萌は一旦引いてくれた。

 ちょっと失礼しますね、と言い、手元のポーチからなにやら取り出す彼女。


 それは煙草のパッケージ。


 かの女スパイが吸ってそうな細くて長い奴じゃない、いかにも働くオジサンの吸っていそうな感じの無骨なデザイン。

 部屋に鎮座していた大きな灰皿から、薄々予想はしていたものの、どうやらこの見た目幼女先生……


「吸うんですね、煙草」

「んん、先生は大人のオンナですのでー。
 嗜む程度には、ね」


 安っぽい百円ライターが生んだ火が静かに煙草の先端を焦がすと、夜空へと糸のようにゆるゆると煙が棚引く。

 鋼盾はなんとはなしに煙の行方を追う――煙草なんて、学園都市でまじめに学生をしている身ではほとんど縁がないもののひとつだ。

 喫煙年齢に達している者の絶対数が少ない上、病的なまでの徹底分煙と高機能の空気清浄機によって副流煙にさらされる機会すらない。

 
 煙は踊る。

 縺れて捩れて緩み解け空へと融ける―ー人の願いにも似たその儚さに、鋼盾はしばし見蕩れた。


 饒舌な煙

 心地よい沈黙

 ……ほどなくして煙が途切れ、対を為すように沈黙も途切れた。



746: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:20:06.37 ID:GLMsUb2Ko


「ふふ、鋼盾ちゃん? 
 煙草を吸う女性は、お嫌いですかー?」


 からかうような声。

 意外な台詞に虚を突かれ、鋼盾は思わずそちらを見やる。

 フィルターまで吸いきった煙草を弄びながら、小首を傾げた月詠小萌が悪戯っぽく笑っていた。


 艶然

 月詠小萌から一番遠いところにありそうな、そんな言葉が頭に浮かぶ


 濡れて光る洗い髪が、薄く赤らんだ頬が、軽く伏せられた瞳が、煙草を挟んだ指先が、紫煙を燻らしていた唇が。

 ほんの十秒前までプール帰りの小学生女子だったくせに、今そこにいるのはたおやかな大人の女性。


 ――ずるい。

 ああ、これは、ずるい。

 得体の知れぬ感情を誤魔化すように、鋼盾は軽口を叩く。


「どうでしょうかね ……補導されちゃますよ、先生」

「ふふ、ちょーっと反論できないですね。
 家や学校以外で吸うなんて、普段はこんなこと、しないのですよ?」


 可愛らしい携帯灰皿に煙草を押しつけ、蓋を閉める。

 そんな所作すら艷めいて見えるのは、はたして夜の魔法か、それとも?

 見た目小学生の担任教師にドギマギする鋼盾に、小萌のからかうような声が襲う。



747: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:22:22.74 ID:GLMsUb2Ko


「……吸ってみますか? 鋼盾ちゃん?」


 うっすらと媚を孕んだような、悪戯な響き。

 それは、普段の月詠小萌――小萌先生であれば、絶対に口にしない類の言葉だ。

 いつもだったら“ニコチンやタールは子どもの成長に悪影響を及ぼすのですっ!! 未成年の喫煙はダメなのですよー!!”なのに。

 ……ああ、そうか、いつも通りじゃないのは当たり前だ――このひともまた、非日常に足を踏み入れてしまっているのだ。


 魔術、人あらざる業。

 インデックスを癒したのは、他ならぬ彼女なのだから。


 あからさまな致命傷を、得体の知れない奇跡で打ち払うその異常

 生半可な宗教体験では太刀打ちできない、鮮烈かつ意味不明な黄金体験
 

 流血沙汰に刀傷、正体不明の英国美少女。

 魔術なんて訳の分からないものに巻き込まれ、えげつない聖杯の秘跡の片棒を担がされ、半ば共犯者にされられた。

 そして、あきらかに異常な状況に巻き込まれているのに、事情を話そうとしない馬鹿な教え子がふたり、だ。

 頭が痛いだろう、もしかしてヤケ酒の類だったのかもしれない。

 
(………怪しげな都市伝説を信じて、騙されて、傷こさえてくるようなバカもいるし)


 胸が、痛い。

 罪悪感に心が傾いでゆく。

 でも。

 それでも。


748: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:24:26.70 ID:GLMsUb2Ko


「……だめですよ、先生。
 先生は、先生なんですから」

「そうでしたー。
 ふふふ、先生は、先生でしたねー。
 そして鋼盾ちゃんは、わたしの大切な生徒さんなのですよー。
 かわいいかわいい教え子ちゃんなのですねー」

「はいはいはいはい」

「はいは一回!なのですよー!」

「はーい」

「よくできましたー」


 ままごとめいた遣り取り。

 鋼盾の頭をわしゃわしゃと小萌が撫でる。

 共に座っているから常の身長差は薄れ、ひどく距離が近い。

 でも、遠い。


 教師と生徒

 大人と子ども

 おろおろと見守る貴女と、心配をかけるばかりの無力な己

 年齢差なんて考えたくもない


 蟠る距離

 もう彼女の背が伸びることはなさそうだけど、いつか鋼盾が大人になれば、この距離が縮まったりするのだろうか。

 頭を撫でられながらそんなことを考えている己を笑いつつ、鋼盾は言葉を探す。


749: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:25:49.81 ID:GLMsUb2Ko


「今は、ガキですから無理ですけど――――でも、そうですね」


 せめて、未来で

 今ではないいつか、ここではないどこかで


 一緒にお酒を選んで

 互いのグラスを満たしあって

 慎ましく杯の淵を合わせて

 同じライターから火を分け合って

 二人の間で煙を混ぜるような


 不安をごまかすためのお酒ではなく

 溜息を隠すための煙草ではなく


 ただただ幸せなお酒と煙草を

 一緒に


 そんな、夢を見てもいいだろうか。

 例え叶わずとも、思い描いてもよいだろうか。



750: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:27:46.23 ID:GLMsUb2Ko


「……僕が二十歳になったら、一番最初に先生のところに行きます。
 そのときはお酒と煙草、教えてくれますか?」

「うーん、どうしましょうかねー
 お酒はともかく……煙草なんて、吸わない方がいいのですよー?」


 すげない返事、大人の対応。

 まったく、ずるい。

 ずるい。


「……今、吸ってみますかっていったじゃないですか」

「少年の日の冒険と、大人の逃避じゃ違うのですよー」


 そういって、またも煙草に火を点ける小萌。

 逃避といいつつ、しかし彼女は逃げることなどしない。

 辛抱強く、我慢強く、いつだって真っ直ぐに問題に取り組むのが彼女だ。

 誰よりそれを知る鋼盾は、煙が消えるまで小萌の横顔を見つめる。

 そうして煙草がその役目を終えた時、伏せられていた小萌の目が開き、まっすぐに鋼盾を見据えた。


 震える唇。

 零れる言の葉。



「………先生じゃ、頼りになりませんか?」



751: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:30:52.96 ID:GLMsUb2Ko

 ああ。

 言わせてしまった。

 こんな台詞を言わせてしまった。


 鋼盾も、上条も、インデックスもだ。

 小萌に甘えてばかり、頼ってばかり、逃げてばかりでなにひとつ返していない。

 彼女の信頼に、厚意に、献身に、ただのひとつも応えていない。


「まさか――先生ほど頼りになる人なんて、僕は他に知りません。
 先生以上のひとなんて、いない」


 それは、告白。

 鋼盾掬彦は、月詠小萌以上の人間など知らない。

 うちの担任は世界一だと、ぶっちゃけ本気で信じている。


 あの日、己の無力を嘆く鋼盾のために泣いてくれたひと

 幻想御手に縋ろうとして裏切られた鋼盾に、手を差し伸べてくれたひと

 今、非日常に巻き込まれた自分たちのために、惜しげもなく居場所を整えてくれたひと


 能力の有無、強弱ではない――そんなもの、どうでもいい。

 鋼の盾たらんと願った鋼盾掬彦が目指したもの。

 鋼のようにしなやかで、盾のようにように傷つくことを厭わぬ者。


 そんな人間を、彼は知っていた。

 ほかの誰でもない、月詠小萌、だ。


 
 それは尊敬、それは憧憬、それは畏怖

 そして――それは、恋慕



752: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:32:52.38 ID:GLMsUb2Ko


 想いは募る、音も立てずに。

 胸を焦がす狂熱を突如自覚し、しかし鋼盾はそれを必死で抑え込む。

 それは、けして悟られてはいけない願望。

 己の分を知れ学園都市最下位。


「――だけど、だからこそ巻き込めない。
 二人を家に置いてもらっておいて、さんざん巻き込んどいて言えるセリフじゃないですけど。
 先生だから、先生だけは、絶対に、これ以上は巻き込めないです」


 毛ほどの価値すらない、男の意地。バカの覚悟。無能力者の遠吠え。

 吠えろ、喚け、格好付けろ、幼い幻想と笑わば笑え―――でも、この人だけは、先生だけは、貴女だけは巻き込めない。

 実力の伴わない矜恃など、無様以外の何者でもないと知りつつ、しかし譲れぬ願いがここにある。


「……はぁ、しょーがないですね」


 呆れたような小萌の溜息。

 しかし、そこには隠しきれぬ微笑みが混じっていた。


「やっぱり男の子ですねー、鋼盾ちゃん。もちろん、上条ちゃんも。
 二人して同じようなセリフを言っちゃうあたり、まったく困ったものです」


 困ったものです、そんなセリフをこんなに優しく紡げる人間など他に居るまい。

 葛藤も焦燥も心配も何もかも、全てを呑み込んで小萌は言葉を紡ぐ。


「―――わかりました。
 上条ちゃんだけでも、鋼盾ちゃんだけでもダメですけど、ふたりでだったら大丈夫なのです。
 シスターちゃんを、助けてあげてください」


 インデックス。

 銀髪碧眼の修道女、降って湧いた非日常の象徴、この学園都市に溶け込まぬ異邦人。

 彼女を助けてあげなさい、そう月詠小萌は口にした。


753: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:36:38.10 ID:GLMsUb2Ko


「先生は、教壇に立ってそれなりになりますし、未熟ながら心理学を勉強中の身でもあります。
 いろいろな問題を抱えた子たちを見てきたつもりなのですが――あんな目をした子は初めてでした」


 インデックスのあの目。

 色濃い絶望と疲労、信仰の光と自負が同居するあの瞳。

 殉教者の眼、旅往く聖女の視座、深淵を映す魔法の鏡。


「あの子が背負っているものを、先生は知りません。
 結局、聞きだすことは叶いませんでした――先生じゃ、踏み込めないのです。
 でも、上条ちゃんとじゃれ合っているとき、鋼盾ちゃんのお話をしている時のシスターちゃんの目は、違いました」


 そう、その荘厳で酷薄な仮面の向こうには。

 歳相応の少女の顔があると自分たちは知っている。


「あんな優しい子が救われないなんて、許せません、認めません。
 掬い上げて見せてください、鋼盾ちゃん。シスターちゃんを助けてあげてください。
 あなたの隣には上条ちゃんがいます、そして勿論、先生もついていますよ」


 ああ、それは百万の援軍だ。

 そうだ、今自分が考えなければいけないことはひとつだけ。

 インデックスの笑顔を守る、ただ、それだけ。

 それだけでいい。



754: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:38:17.06 ID:GLMsUb2Ko


「……先生」

「はい」

「あしたからも、よろしくおねがいします」

「……はい、こちらこそ。よろしくおねがいしますね。
 ああ、もうこんな時間ですね……帰り道、気を付けてくださいね、鋼盾ちゃん」


 おもむろにベンチから立ち上がり、トタトタと歩いてゆく小萌。

 ベンチに一番近い街灯の照らす範囲から抜けると、彼女は唐突に振り返った。

 少女のような、重さを感じさせぬステップ。


 夜闇と逆光で小萌の顔は見えない。

 見えないが、何故か彼女が微笑んでいると知れた。



755: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:39:20.77 ID:GLMsUb2Ko




「ふふ、20才の誕生日、ですか、―――ずいぶん先ですけど、忘れないでくださいね。
 それまで、煙草とお酒はお預けですからねー」



756: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:40:30.06 ID:GLMsUb2Ko


 それだけ言うと、返事も待たずに歩き去ってゆく小さなシルエット。

 小萌の言葉に惚けていた鋼盾は、慌ててその背に言葉を投げる。


「……っ、絶対、忘れません!
 忘れませんから!!」


 猿猴捉月。

 無様な猿と嗤いたくば嗤えばいい、だが、月に手を伸ばして溺れるのはいつだって人間だ。

 月に憧れたことのない人間などいない――誰だって幼い頃に月を求めて手を伸ばし、届かぬことを嘆いた筈だ。

 
 神の位階、天上の意思? 

 そんなもの、おまえらが勝手に目指していればいい

 夜空の月をこそ掴まんと、鋼盾掬彦は手を伸ばす
 
 届くことなどなくても、必死に



757: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/27(水) 20:43:01.73 ID:GLMsUb2Ko



 この日、鋼盾掬彦は己の恋心を自覚した。

 笑ってしまうほどに拙くて、真摯で、どうしようもなく無理めな初恋。


 硬いベンチに力なくへたり込む鋼盾は、ぼんやりと天を見上げる。

 夜空には中途半端な大きさの月――たぶんだけど立待か、それとも居待かそのあたり。

 満月じゃないあたりがなんとも自分らしい、そんなことを思って鋼盾は笑う。



 月が綺麗だった。

 ただただ、綺麗だった。






――――――――――

786: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/29(金) 18:30:38.55 ID:o/2YurAIo



――――――――――




 午前八時、常よりも遅めにセットした携帯電話のアラームで、鋼盾は目を覚ました。

 色気のない電子音は優しくない、世界はもっと優しい素材で作られているべきだと鋼盾は思う。


 昨夜は結局、連日の寝不足と精神的な疲労のせいだろうか、なんとかシャワーを浴びて、そのままベッドに倒れ込むように眠りに就いてしまった。

 夢すらみない、深い深い眠り。

 そのくせ眠気はさっぱりとれず、体の芯にべっとりとだるさがへばりついている。


「…………あー」


 意を決して動き出せば、簡単に剥がれる程度の倦怠感と知りつつ、しかし動く気になれない。

 そのまま二度寝に突入しようとした鋼盾を、しかし携帯電話の着信メロディが呼び止めた。



787: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/29(金) 18:31:46.28 ID:o/2YurAIo



 爪弾かれるギターの調べ

 無機質なアラームとは違う、囁くような甘やかな響き



788: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/29(金) 18:34:14.48 ID:o/2YurAIo



 がばり、と反射的に跳ね起きる。

 眠気もだるさも途端に吹き飛び……鋼盾は慌てて枕元の携帯を掴む。

 ディスプレイに表示されているのは、「小萌先生(自宅)」の文字。


 脳裏に浮かぶ昨夜の記憶

 濡れ髪、煙草の煙、夜の匂い、空には月

 溢れた言葉



 夏の夜の夢



 途端にこころが熱を帯びる。

 鋼盾は頭を振ってその妄念を払い、通話ボタンを押す。


「……はい、鋼盾です」
 

 声が掠れたのは、寝起きのためだけではなかった。

 鋼盾は電話相手の言葉を待つ。

 

789: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/29(金) 18:35:09.01 ID:o/2YurAIo





『お、起きてたか鋼盾! おはようさん、上条さんですよー』






790: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/29(金) 18:35:57.22 ID:o/2YurAIo



 この野郎、と思わず零れそうになった言葉をすんでの所で飲み込む。

 電話口から響いた爽やかな朝の挨拶は、彼の親友、上条当麻のものだった。


 ……考えてみれば、まあそうだろう。

 小萌本人からであれば、わざわざ番号を打つ必要のない携帯の方からかけてくる方が自然である。

 というか、上条くん携帯は……そういえば、壊しちゃったんだっけ。そうだね、いつものことだねこの野郎。

 はあ、と鋼盾は重たい溜息を吐く。


『……鋼盾? おーい、起きてるかー』

「ごめんごめん、欠伸欠伸。……どうにも、眠くて」


 実際はこの電話によって眠気など彼方へ飛んでいってしまったのだが。

 まあ、そんなこと言えない。


『あー、俺も眠いぜ。
 でも小萌先生んちだから早起きでさ、あ、先生ラジオ体操似合いそうだな!』」

「たしかにね……先生は、学校?」

『ああ、職員会議らしい。鋼盾、今日こっちくるんだろ?』

「うん、そのつもり。上条君の着替えもあるしね、準備したらすぐ出るよ」

『そっか頼む、ああ、ちょっと待ってな……インデックス!! ほら!』


 “ふぇ!?む、無理なんだよ!”“大丈夫だっつの!”“ううう”“がんばれ!”

 電話の裏でバタバタと騒ぐ声が遠く聞こえる。

 ほどなくして。


791: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/29(金) 18:40:12.70 ID:o/2YurAIo


『…………き、きくひこっ?、わたひっ、Index-Librorum-Prohibitorum――』

「……あー、落ち着いて、インデックス。――おはよう」


 電話は別に最新科学ってわけじゃないと思うんだけどなぁ。

 科学に疎い少女の慌てようはトンデモなかった、やっぱり心配だよこの子。


『……ん、きくひこ、おはようなんだよ!
 ――って違うんだよ! わたしはおこってるんだよ! きくひこ!?
 どうしてわたしに何も言わずに帰っちゃうのかな! ひどいんだよ!」


 ……どうやら、朝起きたとき鋼盾が居なかったのが不満だったらしい。

 まったく、わがままなお姫様だ。


『ずっといっしょにいるっていったもん……言ったんだよ。
 きくひこ、うそつきなんだよ』

「ごめんね、インデックス。今からそっちに向かうから」


 言ったっけ? なんていったら爆発しそうな恨み節。

 なんたって相手は完全記憶能力を持つ女の子だ。

 そういえば、泣きじゃくるインデックスにいろいろ恥ずかしい台詞を言った気もする。

 あーーー、この子それ全部覚えてるんだよなー

 まじか。


『―――いつ、くるの?』

「すぐにいくよ。……上条くんに替わってくれるかな?」

『うん。とうまに、かわるね』


とうまー、と電話越しに遠い声が聞こえる。

なんとか機嫌は治ってくれたようだ。

小萌宅までダッシュで行こう、その苦行に鋼盾はため息を吐いた。




792: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/29(金) 18:41:39.09 ID:o/2YurAIo


 一拍の間があって、上条のからかうような声。


『―――よう色男。
 まったく、朝から「きくひこはどこ?」って大変だったんだぜ?』

「はいはいはい、まだ心細いだけだろ。逆なら『とうまはどこ?』だよ。
 ……インデックスの体調は、どう?」

『あー、熱は引いたし、食欲も戻り始めてる。
 一応今日は休ませておいて、明日には動き回れそうだと思う』

「よかったよ……あー、朝たべてないや。
 途中でコンビニとか寄ってくからそっちには9時くらいになるかな」


 思えば停電騒動で食材という食材を使い切ってしまったままだ。

 帰りには食材も買って……ああ、月詠邸での食事も小萌に頼りきりというわけにもゆくまい。

 風紀委員の詰所にゆくのが14時、そのあと買い物をして夕食くらいは作らせてもらおう。

 本日の行動予定を立てる鋼盾の思考は、しかし上条の声で現実に引き戻された。


『あー、いや、一応鋼盾の分のメシも残してあるぞー。
 小萌先生が鋼盾ちゃん用にって作っといてくれたヤツ」

「…………それは、ありがたい、な」


 ああもう、あの人は。

 きっと当たり前のように用意してくれたに違いないのだ。

 ずるい。


『つーわけだからさ鋼盾、ウチのお姫様がぐずる前にとっとと……
 ぅわおいヤメロやめてインデックスさん勘弁してくださいたい痛い痛い痛ァァアアァア!!!!!!』

「………………おーい」


 電話越しに響く上条の絶叫とインデックスの怒声。

 どうやら鋼盾のことなどすっかり忘れてしまっているらしい。

 仕方がないので通話を打ち切り、身繕いへと移ろうと携帯を畳む。

 携帯を、ベッドに。

 置く。





793: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/29(金) 18:42:58.77 ID:o/2YurAIo


 次の瞬間、

 寝起きの醜態を思い出して鋼盾は床へと蹲った。


「うああ…………あががががが」


 通話中は冷静を装っていたものの、もう限界だった。

 なんだよ電話がなった時のあのリアクションは。

 つーかなんだ着信音なにあの破壊力。



 "Moon River"



 携帯に購入時より入っていた音楽データ。

 鋼盾は見たことのない、アメリカの古い恋愛映画で流れる挿入歌。

 小萌の番号を登録する際、なぜか思いついてその曲が流れるように設定してしまったソレ。

 月詠小萌の“月”の字をみての、なんとはなしの思いつきだった、はず。


 なんだろう。

 なんだこれ。

 なんなのさ。


 冷静になってみると、これ、やばいくらいに恥ずかしい。

 なにやってんだ僕は。


794: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/29(金) 18:44:24.50 ID:o/2YurAIo


 そもそも他の誰にも専用の着信音など設定していない。

 つか、携帯に打ち込んでた時は、まだぜんぜん無自覚だった筈なのに、なんで。


「いぎぎぎぎぎぎぎ、うぐぐぐぐぐぐぐ」


 好きな人の電話番号を手に入れて、無自覚に浮かれて。

 その人の番号に特別な着信音なんて登録しちゃって。

 あまつさえ、その着信音が鳴り響いて心臓がバクバクだと……!?


「……………………うああ」


 乙女か! お前は乙女か!

 しかもちょっと古いタイプの乙女か!



 鋼盾掬彦は胸中で、力の限り己に突っ込んだ。

 無声慟哭、もう何もかもうっちゃって虹の端を探しに行きたかった。





795: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/29(金) 18:45:19.71 ID:o/2YurAIo



 7月22日、朝。

 快晴、絶好の洗濯日和で、降水はなし。


 朝っぱらから己という人間についての懊悩を繰り広げ掘り下げてしまった思春期ちゃん、鋼盾掬彦。

 どうしてか、結局携帯の設定は変えられないままだった。


 夏休みの三日目が始まる。






――――――――――


809: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/30(土) 15:18:04.54 ID:v4t+qRF4o

――――――――――



 鋼盾、上条、インデックス


 3人が初めて会ったのは一昨日、8月20日のこと

 このトリオで同じ時間を過ごしたのは、まだせいぜいが数時間と言ったところだ。


 なのになんでこんなに落ち着くのだろう

 鋼盾は不思議でしかたなかった




■■

 
「きくひこ!」

「おはようインデックス、寝てなくて大丈夫? ああ上条くん、着替えと鍵」

「うん! もうだいぶいいんだよ!」

「おーすまんぜ鋼盾。……まだちょっと熱っぽいけど、だいぶよくなってるな
 ………噛み付かれた上条さんの方がよっぽど重体ですよ」

「だってとうまが!」

「うるせえ暴力シスター! 」

「はいはい、仲のいいことで」


■■


「はいきくひこトースト! わたしが焼いたんだよ!! あ、ジャムつけるといいかも!!」

「ふふふ、鋼盾…! インデックスがパンを焼くだけのことに上条さんがどれだけ苦労したのか教えてやろうか……!
 はいよ、コーヒー。インスタントだけどな」

「ふたりともありがと
 んじゃ、いただきます。……おいしそうだね」

「こもえが作ってくれたんだよ!」

「あー、なんか先生昨日の夜帰ってきてからすげえ機嫌がいいんだよなー。
 なーんも聞いてこねえし……昨日、何か話したのか鋼盾?」

「……………………さあ」



810: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/30(土) 15:26:07.95 ID:v4t+qRF4o
■■


「あ、とうまー、もう時間かも!」

「えーー、まだいいじゃんかよ。もうちょっとのんびりしようぜー」

「だめなんだよ! こもえに頼まれてるんだから! ほーしゅーうう!!」

「しかたねえなー」

「…! 教科書だと……! いつの間にすり替わったおのれ魔術師! 上条くんをどこへやった!!」

「いいぜ鋼盾……! てめえがそんなネタをふってくるっつうなら、まずはその幻想(おやくそく)を……!」

「ふぇぇぇぇええぇ? きくひこ? とうま?」


■■


「うああー、進まねえ! つかなんだよこの量!!」

「……開始30分で何を言ってるんだ。
 まあ、補習にいけないペナルティを加味すりゃ妥当な量だよ。
 小萌先生に感謝しなきゃ……というかツケが回ってきただけで、完全に自業自得だね」

「うるせええ! 鋼盾の裏切り者! なんだかんだで記憶術以外補習回避しやがって!」

「普通はそうなの……集中集中。インデックスを見習いなよ」

「……………ふぅ、読み終わったんだよ。
 日本史を通して世界をみるというのも、なかなか新鮮かも!」

「げ……既に教科書3冊を読破だと……!
 つーか完全に暗記してるとか……やばい、インデックスにテストで負ける気がしてきた」

「きくひこー、次は?」

「ん……じゃあ国語 ――自国の言語の構造や成り立ちの理解、文章力や読解力や表現力の向上、文学史……
 そんな感じのことを勉強する科目だよ。小説や詩もあるから面白いんじゃないかな」



811: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/30(土) 15:27:15.03 ID:v4t+qRF4o
■■


「鋼盾ー、昼飯どうする?」

「だーから集中!……そうめんでも買ってきて茹でるよ。
 小萌先生に負担をかけ続けちゃうのもなんだし、夕飯も僕らで作っとこうか。
 あー、カレーとかでいいかな?」
 
「カレー! 楽しみなんだよ!」

「ああ、いいな。……買い物どうするよ?」

「今から行ってくるさ
 ……インデックス、上条くんがサボらないように見張っててね」

「任せるんだよ!
 サボったら噛み付いちゃうかも!」

「……お手柔らかに頼むぜ」


■■


「ああ、鋼盾。なんか予定あるとか言ってたよな?
 あれって何時くらいだよ」

「1時半にここ出れば大丈夫だね、夕方にはもどるよ」

「お、んじゃ俺コレ食ったら近くの銭湯に行ってくる。
 さすがに一昨日昨日と入ってねえからな……いい加減タオルで拭くだけじゃキツイ」

「お風呂! ジャパニーズセントー!!
 わたしも行きたいかも! とうまだけなんてずるいんだよ!」

「あー? ダメだっつの病人なんだから」

「ずるいずるいずるい!! うう、きくひこー!!」

「治りかけが大事なんだよインデックス………完全に熱が引くまで我慢だね。
 明日、いや、明後日まではダメかな。小萌先生に拭いてもらうといいよ」

「うう、早くお風呂入りたいんだよ……
 今までは“歩く教会”の加護で体が汚れることがなかったけど……このままじゃ辛いかも」

「へー、すげえな魔術ってヤツは! 風呂も洗濯もいらないとは……金かからなくていいなー」

「…………とうまが壊しちゃったんだけどね」

「……あーあ」

「うぇっ? ああやべえ墓穴った!?
 ゴメンごめんインデックスさんどうかその牙を収めてくださいませぎやああぁああぁ!!!!」



812: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/30(土) 15:36:02.56 ID:v4t+qRF4o



 おはよう、いただきます、ごちそうさま、宿題しなさい、いってきます、いってらっしゃい

 そんな挨拶を笑顔で交わして、小さな卓袱台を三人で囲んで


 随分と馴染んでしまった、と鋼盾は今朝からの一連の出来事を思い返しつつそう思う。

 まだ出会ってそう時間が経っていないのに、上条とインデックスと自分、この3人という組み合わせがひどく自然なのだ。

 まるでずっと前から一緒にいたみたいに、無理なく齟齬なくつつがなく、非常に安定している。


(まあ、いろいろあったし……ね)


 途方もない秘密を共有し、それを乗り越えるという共通の目標を得た。

 あまりに濃密なその事実を前にすれば、薄っぺらい時間などものの数ではあるまい。

 上条とインデックスに至っては、共に死線を乗り越えてすらいるのだし――恋だの愛だのでも生まれそうな状況である。


 鋼盾の頭に過ったのは、世界の土御門監督の放った渾身の予告編

 とびっきりのボーイ・ミーツ・ガール


(……ヒーローとヒロイン、か)


 あの夜、土御門との会話の中で、彼ら二人をそう称したことを思い出す。

 超常の能力(チカラ)を秘めた右手を握り拳に、少女を護るため悪の魔術師に単身立ち向かい、見事勝利を収めた上条当麻

 過酷な運命に翻弄され、禁書目録という重き荷を背負いながら、それでも健気に祈りを捧げ続けるインデックス


 まるで英雄譚の登場人物のような彼ら

 その役はさしずめ勇者と姫君――いや、聖女か巫女か

 ―――――ならば、己は? 勇者に同道せんとする己はなんだ?



813: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/30(土) 15:46:36.92 ID:v4t+qRF4o


 その手に剣と盾、その身に鎧を装備した歴戦の戦士?―――――否、腕力に乏しい己にそんな役は務まらない

 ならば古の魔法でもって周囲を佐ける魔法使い?―――――否、能力(まほう)を持たぬ己にそんな役は務まらない

 身の軽さと手先の技術で戦場を駆ける盗賊?―――――否、鈍重極まりない己にそんな役は務まらない


 類い稀なる叡智と理力を誇る賢者? 人脈と財力でサポートする商人? 鍛え抜かれた屈強な体で拳を振るう武闘家?

 否、否、否、いずれも否。―――この街で一番弱い鋼盾掬彦にそんな役は務まらない


 宿命もなく、才能もなく、努力をかさねたわけでもなく。

 ドラマになりそうな悲劇的な過去もなければルックスだって今ひとつ。

 けしてメインキャラの器ではない。


 なんの力もない村人A

 己の立ち位置はそんなところだろうと鋼盾は思う。

 卑下なく無理なく自虐なく、心の底からそう思う。



 だが、それでも勇者と共にハッピーエンドを目指すと約束したのだ。

 弱く小さな己だが、それは諦めの理由にはならない。


 村人にだって、魂はある

 意地がある

 護りたいひとがいる


814: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/30(土) 15:55:24.00 ID:v4t+qRF4o


 戦士や武道家のように鍛えられてはいなくても、それでも握り拳がここにある

 魔法使いや賢者のように智に長けてはおらねど、それでも頭を使うことは出来る

 盗賊のように軽やかではなくとも足は動く、商人のように金持ちではないが僅かな貯金を切り崩せる


 華麗にクールにチートで余裕綽々なんて、鋼盾にはできないし、趣味にも合わない

 鋼盾が好きなのは、みっともなく泥を啜っても、がむしゃらに前を目指すドブネズミのようなヒーローだ



 現状を嘆くのはやめてしまった

 やれることはきっとある


 彼らと共に歩もうとするなら、自分も強くなればよいだけの話

 あの夜に交わした、ステイル=マグヌスの言葉を思い出す



815: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/30(土) 15:59:30.69 ID:v4t+qRF4o



 “鋼の盾。今の君にとってその名が重いというのなら、その名に相応しい男になればいいだけの話だ。
  それは簡単なことではないかもしれないが、やるべきことが解かっているというのは確かな救いだ”



  “盾はいつだって重いものさ。
  なんたって、大切なものを護るために作られるのだから”



 “僕も盾になりたいよ。大切な人を護る盾、その名に相応しい男に。
  ―――君の目指す場所は僕の目指す場所でもある。僕らはまだまだ未熟かもしれないが、きっと辿り着けるさ”



816: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/30(土) 16:00:41.75 ID:v4t+qRF4o


(ああ、そのとおりだよステイル)


 今となっては敵対する立場にある、赤い髪のやさしい神父の言葉。

 しかし鋼盾の胸に彼が灯した意志の火種は、あの日から消えることなく明明と熱を保っている。


 為すべきを為す

 理想の己を目指す

 そのためには


 まずは、己の不始末に決着を付けなくてはならない。

 けじめをつけねば前には進めない。

 罪に向き合い、認め、受け入れて、そして――



「……謝らなくちゃ、いけないよね」



 眼前には風紀委員第177支部。

 学園都市の治安を守る正義の味方、その前線基地に鋼盾掬彦はたどり着いた。





――――――――――


826: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/31(日) 19:31:18.74 ID:3eGXN/jho



 風紀委員第一七七支部。

 鋼盾が住む第七学区にある風紀委員の詰所のひとつだ。

 きっかり14時、鋼盾はその扉の前に立っていた。


 緊張しつつインターホンを押した鋼盾に対応してくれたのは、虚空爆破事件の折に知り合った花飾りの少女。

 パーテーションで区切られた小さな応接スペースに通され、いい香りのする紅茶を煎れてもらった。

 程なくして、件の少女が鋼盾の前に現れる。


 名門常盤台中学の制服

 腕には風紀委員である事を示す盾をモチーフとした腕章

 つややかな髪をツインテールにまとめる華やかなリボン


 黄泉川曰く“風紀委員トップレベルの腕っこきにして、命令違反の常習犯” 

 有能且つ問題児な風紀委員として轟く、そんな毀誉褒貶著しい彼女の名は、



828: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/31(日) 19:35:04.61 ID:3eGXN/jho


「風紀委員の白井黒子です。
 一昨日はどうもですの。……ご連絡を頂いた、鋼盾さんでよろしいですのね?」


 確かに一昨日、鋼盾たちのもとへ駆けつけてくれた空間移動能力者の少女だった。

 鋼盾の対面に腰掛ける白井は落ち着き払っており、所作のひとつひとつに余裕と華がある。

 お嬢様というやつだろうか、御坂美琴といい、やはり名門に通うような子はモノが違う。


 対する鋼盾は風紀委員の詰所という雰囲気と、目の前の少女の醸し出すオーラに緊張を隠せない。

 それでもなんとか時間を貰った礼と、来訪の目的――謝罪と感謝――を目の前の少女に告げ、頭を下げた。

 幻想御手に縋った卑怯な振る舞い、スキルアウトにはめられた無用心、逃げ出すことしかできなかった臆病さ。

 情けない、己。

 そんな過去との決別を目指すなら、避けることのできぬこと。


 それはけじめであり、禊であり、宣誓であった。

 相対する白井は、じっと鋼盾の姿を眺め、程なくして口を開いた。


829: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/31(日) 19:36:52.08 ID:3eGXN/jho


「……頭を上げてくださいまし。貴方の行動はけして間違ってはおりませんの。
 もちろん幻想御手に手を出そうとしたのは問題ですけど、あの場をわたくしに任せて避難されたのは賢明な判断ですの」


 むしろ相手を侮り、応援を呼ばなかったわたくしの落ち度ですの、と彼女は悔やむように口にした。

 風紀委員は本来学外での活動権限をもたないのに、ひとりで突っ走ってしまったという。

 友人と、そして鋼盾を救うために、だ。

 黄泉川の言うとおり問題児ではあるのかもしれないが、それは気高い自負と覚悟ゆえ。


「本当に、お気になさらずともかまいませんの。
 傷もそう大したことありませんし。……むしろ、いい教訓になったくらいですの」

「……わかりました。
 でも、あらためてお礼を言わせてください。
 ……本当に、ありがとうございました」

「いえ、わたくしは風紀委員としての役割を果たしただけですので。
 ……でも、ほんとうにご無事でなによりですの」


 すこし照れくさそうに、しかし誇らしげに笑う少女。

 その笑顔に鋼盾の顔も綻んだ。


 強くて、優しい子だと思う。

 聞けば大能力者ということだったが、彼女の強さはその点だけではない。

 己の職務、掲げた正義に誇りをもち、それを貫こうとする凛としたあり方が強く尊いのだ。


 それは、先日知り合った超能力者、御坂美琴を髣髴とさせる気高さだった。

 もしかしたら少しばかり、上条くんにも似ているかもしれない。

 

830: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/31(日) 19:41:21.75 ID:3eGXN/jho



 それから暫くは、事務的な手続きが行われた。

 鋼盾がスキルアウトたちに毟りとられた10万円は、現在警備員が預かっているとのことらしい。

 手続きを行えば、直ぐに戻ってまいりますわよ、と白井は微笑む。


 高い授業料だったと諦めていた10万円。

 正直戻ってくるとは思っておらず、また自分が背負うべき当然のペナルティだと感じていたソレ。


 返還を拒んだ鋼盾に、白井は「きちんとお返ししないと私たちの職務が完遂できませんの」と優しく書類を押し付けてくれた。

 警備員の詰め所に持ってゆけば、即時返金して貰えるとのことだ。

 ……正直なところ、ありがたいと思ってしまう自分が少しばかり情けなかった。


 必要な手続きがおわり一息ついたところで、姿勢を正した白井が真剣な面持ちで話しかけてきた。


「ところで、ちょっと協力して頂きたい事がございますの。
 事情聴取というヤツですわね、正式なものではないので固くならなくても結構ですの」


 ご協力のほどお願いできますの? と尋ねる白井。

 鋼盾としては恩返しと言えなくもないし、まったくもって否はない。

 といっても、たいしてチカラになれるとも思えないのだけど。


「貴方がどのようなルートで幻想御手に辿り着いたのか、聞かせていただきたいのですの。
 幻想御手を知った経緯から、順を追って説明していただけますの?」

「……わかりました。ええと、噂を聞いたのが、確か一週間前くらいで……」


 鋼盾は話し始める。

 幻想御手にまつわる一連の彼の行状を。


 それは、この一週間の鋼盾掬彦の悪あがきのような作業の総括であった。



831: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/31(日) 19:42:30.83 ID:3eGXN/jho



 きっかけは街に溢れる幻想御手の噂を耳にしたこと。

 最初は信じてなかったが、どうしても気になって調べ始めたこと。

 都市伝説を扱うサイトや掲示板に情報を求めたが、はかばかしい成果を得ることが出来なかったこと。


 ――ただ、幻想御手の噂が広まったのと時を同じくして、いろいろ妙な事がおきているように思えたこと。

 
 先日まで続いた連続虚空爆破事件に、扉の鍵を“腐食”させ破壊するタイプの連続窃盗事件、頻発した偽札事件。

 まだ犯人の捕まらない壁新聞事件、集団幻覚事件、飛行船が予定された進路を外れた暴走事件、三学区に跨る騒音騒動。


 素人目にも書庫に照らせば警備員は簡単に容疑者を特定できる筈なのに、それができていないという事実があること。

 書庫のデータは即時更新が徹底されているとのことで、そんな事態は基本的に起こらないとの思われること。

 ガチガチに固められた書庫のセキュリティは病的なレベルで、改竄は至難であると推測できること。

 幻想御手で能力を得た人間のデータが書庫に反映されていないのではないか、と考えたこと。


 このところ能力の暴発事故も増えているような印象を持ったこと。

 期末の身体検査を拒否した学生が例年より若干多かったらしいという話を聞いたこと。

 中学生を中心に一部で流行したチェーンメールの内容が、興味深いものであったこと。

 友人がそれらしいトラブルに巻き込まれ不幸だあああと嘆いていたこと。


 路地裏の勢力図にいくつも書き換えがあったという噂を目にしたこと。

 スキルアウトの牙は能力者に向けられる筈なのに、なぜ無能力者同士で争うのかと言う疑問を強く抱いたこと。

 
 第7学区の中学校の外壁に、消えない落書きが幾つも書かれていたという小さな事件があったこと。

 そこに、とあるスキルアウトのシンボルマークが書かれており、それが能力を用いて落書きされていたという矛盾を見つけたこと。


 純粋な無能力者集団から、能力を獲得した人間が離反したという旨のコメントがあったこと。

 裏切りを嘆くその言葉は、能力を手に入れたことについてではなく、幻想御手なんかに頼ったことに怒っていたこと。

 レベルアッパーに関わる書き込みが、日に日にリアリティの伴うものに変わってきたように思えること。


 他にもいろいろ、おかしいことがあった。

 ひとつひとつは大したことじゃないけど、これだけ集まると説得力がある。

 

832: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/31(日) 19:47:26.55 ID:3eGXN/jho


 幻想御手。

 その存在を確信するにつれ、もう自制が利かなくなったこと。

 己が無能力者であることに、強く劣等感を感じていたこと。

 天から下りてきた、蜘蛛の糸に見えたこと。

 手を伸ばせば、ここから抜け出せると思ってしまったこと。



 それは、無能力者への希望の光

 伸ばされたその白い手に、縋り付かずには居られなかった

 それが悪魔の手でも、構わなかった

 
 溺れる者は、藁にだって手を伸ばす

 自分は、自分たちは、もうずっとこの街の最下層で溺れ続けていたのだ



 とりあえず、能力を使用しているスキルアウトに的を絞り情報を収集してみたこと。

 彼らの溜まり場になっているSNSを探り当て、接触をもったこと。


 そして。

 ―――そして。



833: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/31(日) 20:02:03.85 ID:3eGXN/jho


「……そこから先は、まあ、あのザマだよ。
 もっと金を搾り取れると足元を見られて、挙句能力を試す実験台にされて。
 ―――考えれば判る事だったのに、馬鹿な真似をしたと思う」


 本当に、愚かだった。

 ステイルに道を示され、小萌に理を説かれ、ようやく己は立ち止まることができた。

 もし、彼らがいなければ、きっと自分は懲りずに同じ過ちを繰り返していたことだろう。


 救いの手は、ネットごしではなく、天から上から雲の向うからではなく


 それは、赤い髪に刺青の優しく強い神父の、指輪で飾られた大きな手の形をしていた

 それは、小さな体に誰より大きな慈愛を宿した恩師の、子どものような手の形をしていた


 確かに鋼盾へと伸ばされたそれは、けして幻想などではなかった

 幻想御手など、必要なかったのだ



834: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/31(日) 20:02:50.10 ID:3eGXN/jho

「……驚きましたわね。そんな街の噂から、しかもおひとりで、わたくしたちと同じ結論に至るなんて」


 こちらには風紀委員の権限もありましたのに、と花飾りの少女にジト目を送る白井。
 
 白井さんだって暴力に訴えただけじゃないですかー! と反論する花飾りの少女の言葉をさらりと流し、黒子は言う。


「まったく、情けない。後手に回りすぎですの。
 わたくしたちの対応の遅れが被害者を増やした責任は否めませんの」


 そんな自責の念に駆られているらしい黒子。

 見れば書類整理に追われていた筈の花飾りの少女も同じような表情をしていた。

 慌てて鋼盾は否定する。


「全然たいしたことじゃないよ。暇にあかせてネットで遊んでただけだ。
 結局自力で入手もできなかった上、いろんな人に迷惑をかけて――情けない話だよ」
 
 
 口にすると余計に情けなくてずーーんと落ち込んでしまう鋼盾。

 その姿に困ったように笑う二人。


「いえ、こちらこそ失礼しましたの。今のはタダの愚痴――口にすべきではありませんでしたの。
 ――初春、少し休憩にしましょう。貴女もこちらへ。わたくしが紅茶のおかわりをご用意いたしますの」


 やったー、お嬢様の紅茶です! とはしゃぎながら書類仕事を放り出す花飾りの少女。

 初春、という名前――苗字だろうか――であるらしい彼女は、スタスタと歩いてきて鋼盾の斜め前、白井の隣の席に座った。

 お互い連続虚空爆破事件で面識はあるものの、名前までは知らない間柄なので、改めて自己紹介となった。


「私は風紀委員の初春飾利といいます。こないだは避難誘導を手伝って頂いちゃってありがとうございました」

「あ……鋼盾掬彦です。こちらこそ、何度もご迷惑かけちゃってすいませんでした」


 いえいえー、と笑う初春。

 あんな本格的な避難誘導は初めてだったので、とっても助かりましたとニコニコしている。

 と、思ったらいきなり表情を真剣なものに変え、しっかりと鋼盾の顔を見据える初春。

 ちょっとお聞きしたいんですけど、と枕を添えて、意外な言葉を口にした。



835: ◆FzAyW.Rdbg 2011/07/31(日) 20:04:14.41 ID:3eGXN/jho




「突然ですけど……鋼盾さん、
 ――――風紀委員に興味はありませんか?」




851: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 00:03:41.92 ID:nmTg5VXmo


――――――――――






 風紀委員に興味はありませんか。

 突然の言葉に目をぱちくりさせる鋼盾に、初春は真摯な顔を崩し、先ほどまでの柔和な笑顔に戻った。


「ごめんなさい、なんかすごくいきなりでしたね」


 びっくりさせちゃいましたかね、と微笑む初春。
 
 それはまさにその通りで、鋼盾はコクコクと首を縦に振る。


「そうですよね、すみません。
いやー、いろいろお話聞いてたら、なんかちょっと思いついちゃって。
 風紀委員の夏季公募も近いですし、閃いちゃったんです」
 
 
 夏季公募。

 風紀委員はボランティアに近い組織で、学生の自発性がその根幹にあるという。

 無論、厳しい研修と選別を乗り越える必要があるためその門戸は狭い、少数精鋭と言えば聞こえはいいが、その実、慢性的に人手不足で火の車。

 質を維持しながら人を増やすという難題に、関係者は頭を悩ませていると聞いたことがあった。


「……びっくりだよ。えーと、ほら僕みたいな無能力者に風紀委員なんて……」

「誤解されがちですが……風紀委員の募集要項には能力条件はありません。
 白井さんみたいな“戦える人”っていうイメージが強いですけど、必ずしも能力が必要ってわけじゃないんですよ」


 もちろんあったほうが有利なのは否めませんけど、でも。

 初春は掌を鋼盾に見せてから、両手で紅茶のカップを包み込み、己の能力を説明する。


「私の能力はレベル1の定温保存(サーマルハンド)。紅茶や、例えばタイヤキなんを暖かいまま保つことぐらいしか出来ません。
 こんなの戦闘にも情報収集にもまったく使えないチカラです。でも、皆に支えられて風紀委員をやっています」


 何も、私たちは超能力戦隊ってわけじゃありません。

 風紀委員に必要なのは「治安を守りたい」という意思ひとつです、と初春は朗らかなまま口にする。


 鋼盾としては、はっきりいってなぜこんな話になっているのかがわからないというのが正直なところ。

 自分にはそんな立派な意思などない、と口にしようとしたところで、それを制するように初春は口を開いた。


852: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 00:05:24.92 ID:nmTg5VXmo


「連続虚空爆破事件の時の、女の子のこと、覚えてますか」

「……うん、もちろん」


 当然、覚えている。

 上条と一緒にセブンスミストへ案内してあげた女の子。

 爆発に巻き込まれてもなんのかんのと笑顔だったあの子である。


「あの事件のあと、私が家まで送っていったんですけど、帰り道で嬉しそうに“やさしいおにいちゃんたち”について話してくれました。
 
 道に迷って困っていたら、おにいちゃんたちが声をかけてくれて、セブンスミストまで連れて行ってくれたって。

 子ども達の笑顔のために動ける人――それは、私の目指す風紀委員の姿そのものですよ?」

 
 にっこりと微笑む初春。

 予想外に褒められてしまい、ドギマギする鋼盾。

 それは、半ば以上が上条の手柄だと口にしようとするが、続く言葉に反論は遮られる。


「それに、さっき話してくれた幻想御手に辿り着いた手腕もお見事でした。

 情報収集、取捨選択、仕分分析―――なにより、それらに踊らされずきっちり真ん中に杭を打ち込める統合見解能力。

 そういう力は、私のようなサポートタイプの人間に求められるスキルです。――正直、嫉妬しちゃいました」



853: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 00:16:05.30 ID:nmTg5VXmo


 鋼盾はあずかり知らぬことだが、凄腕のハッカーである初春は、電脳世界のかなり深いところからも情報を引き出すことができる。

 それは彼女を優秀な風紀委員足らしめている要素ではあるが、得た情報を活かしきれているとは限らないと初春は思う。

 電子の海は広大至極、泳ぎが上手くても深く潜れても、ただそれだけでは獲物は掴めない。


 初春からみればずっと浅瀬を漂う程度の鋼盾は、しかしこの件において彼女より多くの情報を掴んでいた。

 高性能の探知機、たっぷりの酸素ボンベ、暗い海底を照らすライト……そんな装備で鎧った己を尻目に、素潜りで真珠を掴み取っていった鋼盾。

 運がよかっただけかもしれない、だが、それでも―――初春飾利は戦慄と嫉妬、そしてある種の憧憬を隠せない。

 電脳戦では己の足元にも及ばぬであろう彼は、しかし守護神(ゴールキーパー)と謳われた彼女とはまた違う視座を持っている。


 初春が持ち得ぬ、鋼盾のその眼差し。
 
 真珠を見つけるように、物事の本質を捉えること。

 それは得難い才能、言うなれば統合見解者(スクリプター)たる素質――その片鱗を初春飾利は鋼盾に見出したのだ。


 そして、それだけではない。


 見ず知らずの子どものために動くことのできる優しさ

 避難誘導の際の的確な位置取り、他者の動きを把握するその視野の広さ

 幻想御手事件の全体像を掴み取り、ピンポイントで目的を捉えた眼力

 己の非を認め、年下の白井に頭を下げることを厭わぬその姿勢


 どれも、初春がそうありたいと願うものばかりだった

 大した能力を持たぬレベル1の己は、そうしたところから風紀委員たろうと日々努力を重ねている。


 強力な能力者が一足飛びに多くを得てゆくこの学園都市。

 能力弱者に優しくないこの街において、初春が目指したのは、能力に依らぬ強さと賢さ。


 初春は鋼盾という人物に、どこか己と似た種類のものを感じていた。

 幻想御手に縋ったという鋼盾は、しかし既にそこから抜け出し前を見据えている。

 初春とて、けして最初から今のように思えたわけではない。

 相応に傷を負ってきた、風紀委員になる前も、なった後も


 だが、今となっては

 その傷をこそ、愛おしく想う



857: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 00:27:43.23 ID:nmTg5VXmo

「鋼盾さんって、鋼の盾って書くんですね。この腕章にあるとおり、私たちは盾なんです
 ただの学生に過ぎない私たちを風紀委員足らしめるのは、盾たらんとするその自負ゆえだと私は思います。
 なんとなくですけど―――鋼盾さん、向いてるんじゃないかと思ったんです」
 

 なーんか語っちゃいましたねー、恥ずかしいなあと照れたように笑う初春。

 ごまかすように笑いながら、しかし強い強い芯を感じさせる瞳をまっすぐ鋼盾に向けている。


 “この街を守る盾であれ”

 そんな初春の言葉は鋼盾を確かに揺らした。

 それはあの日あの夜、ステイルや小萌に感じたものに似ていたような気もする。


 ステイルとの会話の中で鋼盾が見つけたその指標。

 小萌に見出した目指すべきあり方、その理想。


 鋼の盾、その名に相応しい人間になりたい、それこそが鋼盾掬彦の夢 

 初春の発言は意図せず、しかし鋼盾に深く食い込んでくる言葉であった
 

858: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 00:28:40.42 ID:nmTg5VXmo
 

「……初春にしてはなかなかいいアイディアかもしれませんですの」


 いつのまにやら紅茶の準備が終わっていたらしく、黒子がトレイを手にすぐ傍まで戻ってきていた。

 手際よく茶器を並べ、優雅な所作で紅茶を淹れてゆく。

 逃避気味に、黒子のその指先に半ば見とれていた鋼盾は、はっと我に返る。


「え……あ、そんな、こと」

「まあ、風紀委員になるには九枚の契約書にサインし、十三種の適正試験と四ヶ月に及ぶ研修をクリアしなければなりませんし。
 鋼盾さんにも今の生活があるでしょうから、無理は言えませんが……なかなか得るものは少なくないと思いますの。
 ―――もし興味がおありでしたら、わたくしにも推薦状くらいはご用意できますの」

「あ、わたしも書きます推薦状!」


 ビシッ!と手をあげる初春に、黒子はからかうように言う。


「初春の紹介状なんかじゃ逆に不安にさせてしまいますの」

「白井さんの紹介じゃ独断専行を疑われちゃいますよー! 試験官さんの心証が悪くなります! ここは私が!」

「初春、貴女……!」


 ピクピクと青筋を立てる黒子と、それを尻目に紅茶に舌鼓を打つ初春。

 からかわれているようにも見えないが、鋼盾にしてみれば晴天の霹靂以外のなにものでもない。

 とにかくなんとか話に割り込もうと声をかけようとした瞬間、



860: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 00:33:07.36 ID:nmTg5VXmo


「やっほー、黒子いるー?」


 電子錠を能力で開錠し、室内に女の子が朗らかに乗り込んできた。

 その声にひどく聞き覚えがあるような気がして、反射的に顔をそちらに向ける。


「お姉様……来客中ですの!
 というか能力で鍵を開ける癖、いいかげんどうにかして頂きたいのですの……」

「あ、御坂さん! こんにちはー」


 叱責と愚痴、シンプルな歓迎、投げかけられた言葉は対極。

 されどそこに込められた気安さは、少女達の仲の良さを感じさせるものだった。

 来訪者は己の失態を悟ったらしく、申し訳なさそうに首を竦めて、


「ご、ごめん。……来客中なんて思………鋼盾さん?」

「……御坂、さん?」



861: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 00:33:58.16 ID:nmTg5VXmo


 果たして。

 数日前に出会った少女、超能力者の第三位、超電磁砲の異名を持つ常盤台中学のエース。

 鋼盾の親友たる旗男・上条当麻を想う、恋する乙女。


 御坂美琴が、そこに居た。





873: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 20:07:19.72 ID:nmTg5VXmo


――――――――――



「どういうことか、説明していただきたいですの。
 ――お姉様と鋼盾さんは、お知り合いなんですの?」


 先ほどまでの朗らかな雰囲気と一転、なにやら剣呑なモノを忍ばせつつ、黒子が疑問を口にする。

 常盤台中学、と言う共通点を白井と美琴に見出してはいた鋼盾ではあったが、なにやらただならぬ関係らしい。

 初春は初春で興味津々と言った表情でこちらを眺めている。

 まあ、他人事ならそんなリアクションになるだろう。


 実際、常盤台のエースさんとお知り合いという事実は、正直自分でも信じられない話ではある。

 目の前の少女たちが気になるのも仕方のないことだと言えるだろうが―――正直、白井さんが怖すぎる、と鋼盾は息を呑む。

 なんか座標を量ってる気配がする――例の鉄矢が飛んできそうで怖い、超怖い。


 というか、なんだ「お姉様」って。マジか。

 女子校というのはそこまでアレなんだろうか、なんというか花園というか。



874: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 20:08:37.61 ID:nmTg5VXmo


「んー? 何よ黒子、わたしと鋼盾さんが知り合いだと問題でもあんの?
 というか、鋼盾さん。こんなとこで何をされてるんですか?」


 きょとん、と心底不思議そうに首を傾げる美琴。

 相変わらずの美少女っぷりだ。ちくしょう旗男め。


 だが、その言い方はよくない、すごくよくない。

 まずは白井さんの誤解? を解かなくてはならない。

 なんかやばいぞあの子、そこはかとなくやばい、たぶんほんとに!


「あー、ええと、白井さん?」

「……はいですの」


 お姉様と随分と親しげですわねこの野郎、申し開きなら聞きますわよチャキチャキ答えなさいな。

 そんな黒々とした負のオーラを纏う黒子に、鋼盾は果敢に挑む。

 やましいところはない! やましいところなどないのだ!


「えーと、御坂さんとは共通の友人がいるんだ。
 その縁でこないだ話をする機会があって、今日は偶然に再会でお互いびっくり!
 そうだよね美坂さん!」

「ふえ?
 ……っ、だから私とアイツは友達なんかじゃ!」

「あああ、そういうのいいから! ホントいいから!!
 ……そういうわけで白井さん、僕は無罪です!」


 無罪ってなんだよ、と心中で呻きつつ、しかしこの点ははっきりしておかないとヤバイと本能が告げている。

 つい数分前までの凛とした風紀委員のお嬢様のイメージを、こっそり抱いた胸のトキメキを返して欲しい。



875: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 20:10:47.86 ID:nmTg5VXmo


「……なるほど、共通の“ご友人”ですの……。
 鋼盾さんのご友人と申されますと……いえ……その方は常盤台の生徒ですの?」

 
 違いますわよね? と言外に含みつつ黒子は言う。

 それはその通りで、鋼盾のような普通の男子高校生には常盤台の知り合いなど、基本ありえない。

 年齢が違う、性別が違う、何より何よりレベルが違う。

 御坂美琴と白井黒子、眼前のふたりは例外中の例外である。


 逃げ道を封じられる悪寒を感じつつ、しかし不用意に嘘を吐くわけにもいかない。

 結局、正直に口を割る鋼盾。


「……いや、うちの高校の生徒です」


 あああ、いよいよ追い詰められた。

 助け舟を期待して初春と美琴にアイコンタクトを送ろうとするも、一瞬でそれは無意味だと知れた。


 片や、嫌になるほどキラキラとした笑顔で今か今かと続きを待ち望む初春飾利。

 片や、「でも私とアイツは……」と赤い顔のまま小声でブツブツと呟くだけの御坂美琴。

 
 援軍は、来ない。

 少なくともこの部屋には存在しなかった。

 ホワイトボードには“ 巡回後、直帰 固法 ”とのメッセージが書かれており、まだ見ぬ固法さんの登場はない。

 その他のみなさんはシフト外だ、いつもお疲れ様です夏休みを満喫してくださいチクショウ。


 恨みがましく固定電話を見つめてみるも、こんな時ほどベルは鳴らないものだ。

 夏の昼下がり、学園都市――少なくともこの近隣は平穏至極。

 平和じゃないのは鋼盾くらいらしい……不幸だ。



876: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 20:12:57.09 ID:nmTg5VXmo


 そうして、ついに白井黒子が核心へと切り込んでくる。

 否、切り込むという表現では誤解を招くだろう。


 それは剣でなく刀でなく、小柄ですらなく、ただただ鋭く打ち抜くモノ

 面では無駄が多く、線でもまだ余分、突き詰めて研ぎ澄ましたそれは、点


 射線すらない、点撃

 必中の撃針


 それは空間移動の大能力者たる、白井黒子の真骨頂。

 言葉の針はけして誤ることなく、急所を鮮やかに貫いた。


「……鋼盾さん?
 差し支えなければそのご学友のお名前を伺ってもよろしいですの?」



877: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/01(月) 20:14:40.44 ID:nmTg5VXmo


 孤立無援 vs 一騎当千。

 勝敗など、最初からわかりきっていた。


 鋼盾が呻くように呟くは親友の名前、彼のヒーローの名前。


 紛うことなき、それは敗北の宣言。

 未だ鋼壁に至らぬ己が盾を、鋼盾掬彦はただ、嘆いた。




888: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:23:36.40 ID:DzGDM9X2o


――――――――――



 そうして、黒子の閻魔帳に「上条当麻」なる怨敵の名が刻み込まれることになった。

 マジでごめん、と鋼盾は心中の上条に両手を合わせる。仕方なかったんだよ! 何この子、マジで怖いよこの子! 危ういよ!

 昏いオーラを湛える黒子は怖い、超怖い、すごく怖い。


 とりあえずなにやらやっちまった感はあるものの、当面の危機は回避できたらしい。

 それから暫くは、紅茶片手の穏やかな談笑となった。


 鋼盾は、自分が幻想御手に手を出そうとしたことを率直に美琴へ告げた。

 そうしなければ鋼盾がここにいる説明が出来なかったし、己の不実を隠す気にもなれなかった。

 適当に誤魔化すことも出来たかもしれない、鋼盾がソレを望めば黒子も初春も、きっと協力してくれただろう。

 ただ、職務とはいえ彼女たちの間に秘密を作らせることは、なんというか憚られた。

 それに、自分のやらかしたことには責任をもたなければならない。

 それが標に向かう第一歩だろうと素直に思う。


「……そう、だったんですか。幻想御手を」


 美琴はポツリと呟くと、そのまま目を伏せて黙り込んだ。

 超能力者である自分が何を言っても説得力に欠ける、と思ったのだろう。

 言葉を飲み込み、なにかに耐えるように黙り込んでしまった。


 それはきっと、超能力者たる彼女の孤独。

 持てる者と持たざるものの間にあるその壁は、あるいは彼女がこれまで少なからず感じてきたものかもしれない。

 孤高と言えば聞こえはよいが、それはきっと孤独と言い換えるに足るモノであるといえるだろう。

 そんな顔をさせてしまったことに、心の底から罪悪感を覚える。

 それは、きみが背負うべきものじゃない――ぼくが支払うべき負債だ。


 だから鋼盾は爆弾を落とす。

 美琴との付き合いは短いが、それでも彼女を元気にする方法は既に心得ていた。

 ……はっきり言って、一発である。


889: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:24:59.52 ID:DzGDM9X2o


「そういえば御坂さん、あれから上条君には会えた?」

「え、あ、はい。一昨日の夕方、偶然」


 一昨日、7月20日。

 あの、ぼくらにとっての運命の日のことだ。

 おそらくは、上条の補習の帰りあたりだろうか。

 黒子が漆黒のオーラを纏い始めるが、鋼盾はあえてそれを無視する。

 初春が「あの時の!そういうことだったんですね!」と膝を叩いた。


「そっか……ちゃんと話はできた?」

「はい。アイツちょっと用事があったみたいで、少しだけでしたけど、
 ―――でも、ちゃんと話せたと思います」

「そっか。あー、ビリビリはしなかった?」

「もう! してませんってば!! 
 えっと、まあ……普段の行いを思えば、偉そうなことはいえませんけど」

「ごめんごめん。でも、よかったね」

「……はい」


 むくれて頬を赤くして、それでも上条当麻の話となれば美琴はこのとおりに可愛らしくなる。

 先ほどまでのいたたまれないような雰囲気は、あっという間に払拭されていた。

 話も出来たようだし、どうやら勇気を出してくれたようだ。

 頭を撫でてあげたいような気分だが、勿論そんな真似ができるわけがない。

 ビビリと笑うな、こちとら常識人だ。

 旗男とは違うんです。


890: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:26:45.29 ID:DzGDM9X2o


「……おお、なんかふたりともすごく通じ合ってますね」


 初春が感じ入ったように呟く。

 御坂美琴は初春からみれば「年上」で「超能力者」で「お嬢様」。

 そんな彼女がこんなにも無防備というか、素直な一面を晒していることに初春は驚きを隠せない。


 話から察するに美琴の想い人は他にいるらしいが、目の前の鋼盾相手にもどこか甘えるような、そんな気安い空気を纏っている。

 意外といえばひどく意外ではあったが、拗ねて照れて怒って笑う、そんな素直な美琴はかわいらしかった。


 齢相応の女の子のような御坂美琴。

 妹の恋路を見守るかのような鋼盾掬彦。


 能力の位階、年齢、……申し訳ないけどルックス的には美女と野獣……はちょっと違うから……ドワーフ?

 斧を手に戦う野蛮なタイプじゃなくて、森の奥で剣とか盾とか作ってそうな感じの。


 傍目にはちょっとばかり不釣合いな二人だったが、その関係には不思議な安定感があった。

 なんだかとってもい雰囲気だと初春は思う。



891: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:30:07.50 ID:DzGDM9X2o


「…………まあ、そうですわね」


 お姉様ラヴな黒子にしてみれば、初春ほど素直に認めることはできないが、彼女は基本的に聡明で公平な人物である。

 件の「あのバカ」――上条当麻というらしい――については色々と忸怩たるものがあるが、目の前の鋼盾にそれをぶつけるのは筋違いだと認める。


 御坂美琴、彼女は輪の中心には立てても、輪の中に入ることはできないひと。

 超電磁砲たる美琴には、対等に喧嘩のできる相手や、相談をできる相手がいないことも知っている。彼女がそれに悩んでいることも、勿論。

 黒子としてはそれを自分に向けて欲しかったのだが、立場や年齢を鑑みればそれが難しいであろうことも理解できた。

 後輩や目下に甘えることをよしとする彼女ではない。


 鋼盾掬彦、そして忌々しい“あの馬鹿”上条当麻。

 美琴自身が自らつくり上げた“ご友人”たちを否定することなど、御坂美琴の理解者であらんとする黒子にできよう筈もない。

 
 敬愛する人の世界が広がること、それを寂しいと感じてしまうのは己のワガママ。

 ここは広い心で行かねばなりませんの! と黒子は己を律する。


 ……とはいえ、けして納得できるわけではないのだけど



892: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:31:54.24 ID:DzGDM9X2o


「って、あーもう! そんなんじゃないったら!」


 口ではそう言いつつ、美琴自身もそれを認めざるを得ないところがあった。

 19日は囮捜査を邪魔されたことも手伝って、結局上条とはいつもどおりの遣り取りに終始してしまい、大いに凹んだりもしたのだけれど、

 一昨日は美琴が少し譲るだけで、不思議なほどスムーズに上条当麻と話をすることができた。


 電撃も怒号もない、多少ちぐはぐだったが、それでもおだやかな一時。


 上条との談笑。そんなことは初めての経験で、勝負に勝ったわけでも認められたわけでもなかったが、不思議と達成感と充実感に心が満たされたのを覚えている。

 落雷の一件についてキチンと謝り、更にはビリビリ中学生ではなく“御坂”と呼ぶという約束すらも取り付けることができたのだ。


 そんなしおらしい美琴の態度に上条が「オマエなんか変なものでも食ったのか?」なんて業腹な台詞を口にしたりもしたけれど、それさえも許せた。

 「じゃあな、御坂」と、そんななんでもない別れの挨拶ひとつで、自分はこんなにも浮かれている。

 
 そしてそれはきっと、隣の席に座る人物のおかげだった。

 人見知りの気はないと自負する美琴だが、それでも己が狭い世界にいるという自覚はある。

 上条、そして鋼盾に出会ったことで、己の世界は随分と広がったように思う。


 ここしばらくで一番の上機嫌。

 美琴は浮き立つ心を抑えることができない。



893: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:33:17.75 ID:DzGDM9X2o


 女子中学生とのお茶会、青ピの怒りを買うこと疑いないこんなシチュエーション。

 自分のような人間がいてもよい場所とは思えないが、それでも楽しい雰囲気に鋼盾の心も弾んだ。

 美琴の登場で結局有耶無耶になっているが、風紀委員を勧められたこともびっくりだった。


(風紀委員、か)


 腕に腕章を巻き、さっそうと現場に駆けつける……そんな己の姿を想像しようとして、失敗する。

 初春や黒子はああ言ってくれたが、イマイチ納得がいかないのが正直なところであった。

 ただ、多分に過大評価であろうと、褒められたことは純粋に嬉しい。

 
 だが、鋼盾にはもうひとつやらなくてはならないことが残っている。

 いつまでもお茶と雑談に興じているわけにもいかない。


 ふと会話が途切れ、各々が紅茶に手を伸ばしたその空隙に、鋼盾は言葉を挟み込む。


「白井さん、初春さん……僕が今日ここに来た理由は、もうひとつあるんだ。
 さっき話にも出た、佐天さんの事で、お願いがある」



894: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:34:27.72 ID:DzGDM9X2o


 佐天涙子

 柵川中学校に通う中学一年生の無能力者

 初春飾利の親友にして、黒子と美琴とも親交のある、その少女

 スキルアウトに嬲られていた鋼盾を救うべく足を踏み出した、優しく強い女の子


「白井さんに説明したとおり、僕は彼女に助けられた。
 でも、碌にお礼も言えてない上、彼女を否定するようなことを言ってしまったんだ」

「ですが鋼盾さん、あなたの判断はけして間違ってはおりません。
 あの場にいたのがわたくしでも、同じセリフを口にしましたの」

「……ちがうんだよ。ぼくはね、冷静な言葉に隠して彼女に自分を重ねて、八つ当たりをしたんだよ。情けないことにね。
 それを謝りたい、そしてお礼を言いたいんだ。……直接が無理なら、電話でも手紙でもいい―――どうか、お願いできないかな」


 頭を下げる鋼盾への対応に惑う黒子と初春は、普段の連携の賜物たるアイコンタクトを開始する

 ……別にかまいませんわよね? と訪ねる黒子、それに応える初春は、少しばかり困った顔をしている。
 

「わたくしは問題ないと思いますの。もちろん佐天さんに確認を取らなくてはいけませんけど。
 でも……何か問題でもありますの? 初春?」

「……ええと、問題というか……佐天さんとはここ2日、連絡が取れてないんです。
 何度かメールを入れてはいるんですけど……」

「―――あの日以来、連絡が絶えているんですの?」

「……はい」


 俯く初春

 鋼盾の脳裏には、空っぽの表情で目を伏せた佐天涙子の姿が浮かんだ

 あの状態で、連絡もつかない……それは



895: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:35:28.33 ID:DzGDM9X2o


「……心配だね」

「ええ、佐天さんにも相当怖い思いをさせてしまいましたし、フォローが足りなかったかもしれませんの」


 忙しさにかまけて怠っておりましたの、とため息を吐く黒子。

 だが、鋼盾の懸念はそこではなかった。


「ん、それに……考え過ぎだといいんだけど……、
 白井さんが駆けつけてくれた取引現場、あそこは再開発地域で人気が少ない場所だろ?ちょっと奥まった場所だしさ。
 まあ、距離自体は離れてないから、気まぐれな散歩ってこともありえると思うけど……」
 
「―――佐天さんが、幻想御手に手を出そうとしている、そう仰りたいんですの?」


 僅かに反発を孕みながら、しかし冷静に分析を行う黒子。

 初春と美琴の目も真剣な色を帯びた。

 
「わからない、単なる偶然だったかもね。
 ――でも、僕が『無能力者に出来ることなんて、なにもない』っ言った時の佐天さんの顔が忘れられない。
 ひどく、傷ついてた…………つくづく、悪いことを言ったと思う」



896: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:36:26.27 ID:DzGDM9X2o


 ああ、これは狡い言い方だったな、と鋼盾は3人の様子を窺う。

 それぞれレベル1、レベル4、レベル5―――彼女らはいずれも能力者、頭に打ち消しの“無”はつかない。


 4人は仲の良いグループだと、先程の会話で聞いていた。

 鋼盾+デルタの4人組のようなものだろうか――いや、華やかさじゃ及ぶべくもないが。


 0、1、4、5

 無能力者、低能力者、大能力者、超能力者

 風紀委員が2人、一般学生が2人

 名門常盤台中学の生徒が2人、普通の中学校の生徒が2人

 率直に言って、えらくアンバランスな組み合わせであった


 学園都市に7人しかいない超能力者にして、名門常盤台中学に通う“超電磁砲”御坂美琴

 希少能力たる空間移動の大能力者、常盤台生で更に腕利きの風紀委員でもある白井黒子

 能力こそ特筆すべきものではないものの、風紀委員として活躍する初春飾利

 一般中学に通い、無能力者の烙印を押された佐天涙子


897: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:37:53.74 ID:DzGDM9X2o


 そこに厳然と存在する格差。

 能力強度、預金残高、社会的地位の格差。

 穿った見方かもしれないが、もし佐天の立ち位置に鋼盾が立っていれば……劣等感を感じないとは思えない。

 美琴や黒子にそんな意図はないだろうが、それは関係ない、鋼盾や佐天の側の問題なのだ。


 身の内で膨らむ嫉妬という名の怪物、鋼盾だってそれを完全に退治したわけではなかった。

 けして御しきれぬ感情の濁流、それゆえに鋼盾はそれを怪物と呼んだのから。

 無能力者の苦悩は、能力者にはきっと計り知れない。


 分かっている―――なにも、傷ついているには無能力者だけじゃない。


 なまじ能力の発露がある分、低能力者の方が余計に苦しみ、もどかしさに悶えることもあるかもしれない

 能力開発も大能力者以上はノウハウも碌にない未知の領域、レベル5の壁を見上げつつそこに日々に挑むのは辛いだろう

 学園都市に7人しかいない超能力者のプレッシャーなんて、鋼盾には想像すらつかない


 競争原理の支配するこの街じゃ、だれもが少なからず囚われ、傷を抱えている。

 もしかしたら、それこそこの街の頂点である第一位でさえ。



898: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:39:27.68 ID:DzGDM9X2o


 分かっては、いるのだ。

 だけどそれでも、無能力者の抱える苦悩というのは深い。

 幻想御手を探して電子の海をさまよったあの日々、鋼盾はそれらの声をたくさん耳にした。


 それは怨嗟

 それは諦念 

 それは哀切

 それは疑問

 それは嫉妬

 それは羨望

 それは逃避

 それは切望

 それは絶望

 それは慟哭


 同調した、同情した、同意した

 同時に唾棄した、同属嫌悪というヤツかもしれない

 己はこいつらとは違うと言いつつ、己を鑑みればやっぱり同類で、同じ穴の狢


 蜘蛛の糸に集る亡者の群のひとりに過ぎぬ己を知ってしまって

 鋼盾掬彦は結局、道を盛大に踏み外そうとした。




899: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:42:42.24 ID:DzGDM9X2o


 佐天涙子はどうだろう


 己の無力を突き付けられて、空の深きを押し付けられて

 それでも彼女は笑顔でいられるだろうか

 凛と正しく在ることができるだろうか

 幻想の白き白き御手を、払えるだろうか


 初春飾利を

 白井黒子を

 御坂美琴を

 この都市を


 佐天涙子は、恨まなかったのだろうか


 無能力者の己を

 許してあげることが、できたのだろうか



900: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:44:05.76 ID:DzGDM9X2o


「……ぼくが言っていいセリフじゃないかもしれないけど、佐天さんのこと、よく見ててあげて欲しい。
 あの日、無能力者であることを芯まで突きつけられた僕は、……友人と先生に救われた。
 それがなかったら、自棄になってたかもしれない」

「……はい、勿論です、佐天さんは私の友達ですから」

「及ばずながら、わたくしも…………お姉さま?」

「…………」


 黒子の知る美琴であれば、間、髪を入れず「任せて!!」と力強い返事を口にしてくれる筈。

 しかし美琴は黙りこくって、ひとりティーカップを見つめたまま。


 数秒ほどテーブルを沈黙が支配した後、美琴は顔を上げて鋼盾を見据え、その口を開いた。



901: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/02(火) 20:45:18.09 ID:DzGDM9X2o


「……鋼盾さん、ひとつお聞きしたいことがあります」


 風紀委員絡みの会話になってから、意図的に会話から外れていたらしい美琴が声を発した。


「……私は超能力者です、そんな私が、佐天さんに何を言ってあげられますか」


 声は静かに。

 感情の波一つ感じさせぬその静寂が、逆に裡に宿る激流を示しているように見える

 白井黒子が悲痛な表情を浮かべ、初春飾利が視線をさ迷わせる。


 それは、持てる者の苦悩

 ならば、持たざる者がそれに答えよう


 上条当麻なら、月詠小萌なら、ステイル=マグヌスならどういうだろうか、鋼盾は一瞬思案しすぐにそれを打ち消した

 この問いには、鋼盾が自分自身の言葉で答えなければいけない。


 超能力者の彼女の問いに

 無能力者の自分が応える

 
 鋼盾は小さく息を吐き、迷える少女に言葉を紡いだ




――――――――――

932: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/06(土) 14:18:02.10 ID:reOwnCyXo



――――――――――



「そうだね、じゃあ、ぼくについての話から始めていいかい?
 ……ああ、あんまり楽しい話にはならないよ。あらかじめ謝っておこうかな……多分に愚痴も混ざるから」
 

 幾許かの沈思の後、鋼盾は言葉を紡いだ。

 警告と謝罪を前置きにして、無能力者は己の過去を話し始める。


「ぼくが、学園都市に来たのは中学校入学の時でね。
 弱い自分を変えたくて、この街に来て、本当に必死に能力開発に打ち込んだ。
 今まであんなに真剣に何かに取り組んだことなんてなかった――周りの誰より努力したつもりだよ。
 そして一年目の身体検査で出た結果が“無能力者”だった」


 それは零の烙印

 鋼盾掬彦が、佐天涙子が、この街の6割の少年少女が押し付けられた無慈悲な称号

 失敗作、粗悪品、失格、ハズレ、選外、ハネモノ、問題外、出来損ない―――無能力者


 そんな烙印を押される痛みと屈辱をきみは知らない。

 ことによると黒子も初春も、それを知らない。



933: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/06(土) 14:19:05.73 ID:reOwnCyXo


「無能力者っていっても、本当に能力のない人はいない筈だよね。
 発現しても微力すぎるだけで、書類上だけの能力者(ペーパーサイキッカー)だとしても、能力はあるんだ。
 だけど、ぼくには、それすらもない――本当に、無能力なんだ。御坂さんが学園都市第三位なら、ぼくは学園都市最下位だよ」


 空欄ばかりの検査結果に落ちた涙

 歪まざるを得なかった、無理矢理に取り繕ってツギハギだらけのこの心

 美琴の問いに真剣に答えようと思うなら、そこから曝さなくてはなるまい


「随分と絶望したし、なにもかもがイヤになった。……正直中2中3の頃のことは思い出したくもないよ。
 努力することをやめて日々をやり過ごす―――そんな時、“超電磁砲”の噂を聞いた」


 抜け殻のようなあの灰色の2年間

 上条に、小萌に、クラスメイトたちに鮮やかな色を分けてもらった今となっては、あまりに遠く、否定したい過去

 だが、そんな日々も今の鋼盾を作り上げたものであることは間違いない

 
 幻想御手に手をだした原因、鋼盾掬彦が未だ捨てることの出来ぬ闇

 いつの日か克服してみせると誓った、汚れた感情


「曰く“レベル1から研鑽を積んでレベル5に至った努力の人、その類い稀なる研鑽。
 学園都市の希望の星、第三位、御坂美琴、名門常盤台中学校へ進学”……そんな感じだったかな」


 それは超能力者、御坂美琴への恨み言。

 無能力者の、恨み言。

 
「正直、ふざけるなと思った。努力すれば報われるなんて、なんて無責任な物言いだと思った。
 努力すれば超能力者になれるなら、今頃この街は超能力者だらけだよ……何が努力の人だ。
 そういう種類の天才だっただけじゃないかと、顔も見たこともないきみを羨み、そして恨んだ」


 成果が出るなら誰だって努力できる

 報酬が支払われるならいくらでも頑張れる

 ぼくらにはそれがなにひとつ支払われていないのに

 この街はそれでも努力をぼくらに押し付けてくる


 天に至るその長い梯子を登る辛さをぼくらは知らない

 その高みから得られる景色の素晴らしさをぼくらは知らない



934: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/06(土) 14:25:22.49 ID:reOwnCyXo


「……御坂さんとあの日出会って、いろいろ話をして、少しだけどきみのことを知った。惑い悩める普通の女の子だと知って、随分驚いたよ。
 無能力者への偏見に臍を噛んでいたぼくは、そのくせ超能力者であるきみに見当違いの偏見を押し付けていた。反省した。同じ人間だと知って、嬉しかった。
 ―――それでも、今だってきみへの嫉妬をすべて殺せたわけじゃない……想像だけど、佐天さんもそうかもしれないね」


 その言葉に三人の少女は小さく身を震わせた。

 きみたちの友情を否定する気は一切ない、そこは間違わないでくれと枕を置いて、鋼盾は話を続ける。


「きっと彼女は笑っていたんだろう。その笑顔は嘘じゃない、きっと本物だ、疑わないで欲しい。
 だけど君たちと別れて、狭い学生寮でひとりの夜を過ごすとき、彼女が笑顔でいられたかはわからない。
 少なくともぼくはキツかったよ……自分が世界で一番かわいそうだって、そう思わないとやってられない夜もあった。
 意外かもだけど……そういう妄想は、逆にけっこう慰めになるんだよ実際―――この世界は間違ってる、ぼくは悪くないってね」


 それは寄る辺なき夜

 永遠に続くかと思われたあの闇


 幾度となくそんな夜をひとり鋼盾は超えてきた。

 込み上げる感情を抑えきれず涙したこともあるし、レベル5になってこの街に君臨する妄想に耽ったこともある。

 自傷だ自慰だと笑ってくれて構わない、あの長い長い長い夜をやり過ごすにはそれしかなかったのだ。




935: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/06(土) 14:28:37.68 ID:reOwnCyXo


「御坂さん」

「……はい」

「今は、佐天さんにきみの言葉は届かないかもしれない」

「…………はい」

「でも、それはきみが悪いんじゃない……そこを間違えないで」

「………………」


 沈黙。

 黙り込んでてしまった美琴、息を潜め事態の推移を見守る黒子と初春。

 鋼盾の言葉は美琴のみならず、残りの2名の心にも少なからず食い込んでくる言葉であった。

 今の今まで自分たちは“無能力者”である佐天涙子について、そこまで考えたことがあっただろうか。


 踏み込まれる不快感と反発、否定できぬ納得、ある種の感銘、自責と後悔、開かれた扉 穿たれた風穴

 胸の裡を駆け巡る名状不能の感情螺旋に翻弄される心とは裏腹に、表情は固定され、口は動かない


 語り手たる鋼盾掬彦に、任せるしかない

 少女たちはただ、言葉を待つ



936: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/06(土) 14:30:35.52 ID:reOwnCyXo


「“超電磁砲”御坂美琴……この街の学生なら、誰でも一度は君に憧れる、誰もが君に嫉妬する、無責任にいろいろ押し付けてる。
 憧憬と嫉妬の対象である第三位“超電磁砲”は、この街のメディア戦略によって作られた偶像なんだろうね。
 御坂美琴という、歳相応の女の子を置き去りにして……星のように輝いている」


 天に輝く七つ星

 神様に一番近い子どもたち

 その双肩にかかる重圧は如何程のものか


「重いだろうし、辛いだろうと思うよ。
 ……ぼくらには想像することさえできない」


 星の苦悩は石には測れない

 石の苦悩を星には測れぬように

 なれど石は星を見上げることをやめない

 星からは石など見えぬと知っていても



937: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/06(土) 14:32:06.09 ID:reOwnCyXo

「でも、それでも身勝手な願いを口にできるなら
 御坂さん、ぼくはきみに胸を張っていて欲しい、俯いていて欲しくない、誇りに感じていて欲しい。
 おためごかしも慰めの言葉もいらない、真っ直ぐ立っていてくれればそれでいい」
 

 星に見惚れた夜があった

 その輝きに救われたことがあった

 己も輝きたいと願ったことがあった

 
 それは、嘘じゃない

 全部、本当のことだ


「……あるいは、佐天さんがきみを拒むかもしれない。
 でもそれは御坂美琴を拒むんじゃない……第三位“超電磁砲”を拒むんだ。
 そのふたつは不可分だと解ってはいるけど、ぼくらから見たら超能力者の看板はそれほどのモノだよ」


 みっともないけど、それは否定できぬ本音

 だが、そこで終わると勝手に見限ってもらっては困るのだ



938: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/06(土) 14:37:48.31 ID:reOwnCyXo



「だけど、そこで振り返るな、立ち止まるな。
 ……慢心するなよ超能力者、いつまでも見下ろしいてられると思わないでくれ。

 ぼくらは、けして諦めた訳じゃない、ちょっと凹んだり悩んだりいじけちゃったりしちゃうけど
 それでも無能力者みんなが諦めちゃった訳じゃない。

 哀れまれる筋合いなんかない――――いつかきっとその背を追い抜いてみせる。
 たとえ能力者になれなくたって、君たちより多くを掴んでみせる」



939: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/06(土) 14:44:05.13 ID:reOwnCyXo


 この街にいつまでも囚われてなんていられない

 劣等感に圧し潰されてなんていられない


 いつの日か、月詠小萌の立っている場所へ、上条当麻の立っている場所へ辿り着く


 想い人のいるその場所へ

 ヒーローが立つその場所へ


 目指すべき己になる、鋼の盾になる

 ―――それこそが今の、鋼盾掬彦の誓いだ


 さあ、御坂美琴、きみはどうする? 

 そこで燻って終わるのか?


 違うよね


940: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/06(土) 14:45:19.59 ID:reOwnCyXo
 

「だから――――どうか孤独だなんて思わないでくれ。
 きみには、白井さんや初春さんがいる……能力強度なんてどこ吹く風の上条くんもね。
 佐天さんも……あんな強いひとだから、きっと乗り越えてくれるよ。
 ……そうだろ、ふたりとも」


 きみは、ひとりじゃないんだから


「もちろんですの! お姉さまの誰よりそばに、このわたくしがおりますの! 侍りますの !いまそがりますの!
 ……佐天さんも大丈夫ですわよ、あれでなかなかに強かなお人ですのよ?」


 御坂美琴の露払いを自任する白井黒子の声が凛と響き、


「そうですよ御坂さん! だいじょぶです!!」
 

 笑顔の初春飾利の柔らかな激励がふわりと美琴を包み込む。

 そして、彼女はもうひとつ、悪戯っぽく付け加えた


「……それに、鋼盾さんも付いてますもんね、ね! 鋼盾さん?」

「えっと、うん……はい。
 ってうああ……なに言ってんだぼくああもうこれそろそろガチで恥ずかしくなってきたからまあそんな感じで聞き流して……
 って待って御坂さんちょっと涙ぐまないで上目遣いやめて上条くん相手にとっといてそれすごい破壊力だから! ときめくから!! オススメ!!
 オイ初春さん親指立てんな白井さんちょっとそのアステカ目やめてマジ怖いすいません調子のりましたゴメンなさい!!」
 


941: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/06(土) 14:57:21.90 ID:reOwnCyXo

 慌てる鋼盾

 微笑む初春

 アレな黒子


 そんな面々のドタバタに、御坂美琴は思わず笑った。

 真っ赤な顔で、目にうっすらと涙を浮かべて、それでも弾けるような笑顔だった。

 思わず他の三人が見蕩れてしまうほど、それはもう、とんでもなく可憐で。



 夜空の星すら霞む大輪の花火のように、御坂美琴は咲った



 この日彼女は、その“自分だけの現実”をより一層強固なものとした。

 超能力者たる称号を、他者の羨望も憧憬も嫉妬も悪意も勘違いも誤解もなにもかも背負い、猶も輝くと誓った。

 
 決意の涙は、暖かかった



942: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/06(土) 15:07:32.51 ID:reOwnCyXo


――――――――――



 柔らかな日差しの下、やたらとおしゃれなオープンカフェに、中学生の女の子が4人

 能力も立場の違いも関係なく、ただただ楽しそうにお茶とおしゃべりを楽しんでいる


 弾けるような笑顔のショートカットの女の子が、紅茶に舌鼓を打つ

 艷やかなツインテールの女の子が、優雅な所作でサーバーを持ち上げる

 鮮やかな花々で頭を飾った少女が、誘惑に抗えずクッキーへと手を伸ばして

 そんな彼女をからかうように、黒髪ロングの少女が朗らかに笑い声を上げる


 少女たちの放課後ティータイム、そんな情景を鋼盾掬彦は幻視する

 きっと、すぐに現実のものとなるだろう……未来予知(ファービジョン)など持たぬ無能力者は、それでも確信した




――――――――――


963: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/07(日) 22:54:37.50 ID:3hA2G0hWo

――――――――――




「ああ、いけませんの、もうこんな時間ですのね」

 
 黒子が壁の時計を見遣り、言う。

 時刻は15時50分、美琴との会話やそのあとのゴタゴタですっかり時間を忘れてしまっていた。

 夏の日永ゆえ外が明るいことも原因のひとつだろう、まだまだ太陽は高い位置にある。


 とは言え彼女らは風紀委員の業務中。

 休憩開始から既に一時間半近く経過してしまっている。


「ああ、ごめん、ずいぶん長居しちゃったね。
 白井さん、初春さん、今日は忙しい中ありがとう」

「……長くなっちゃったのは私のせいよね、ごめんね初春さん、黒子も」

「いえ、わたしは自分の業務を既に終えておりますの。
 ―――もっとも、初春の方はそうでもないようですけど」

「ええー!! 手伝ってくださいよ白井さん!
 というかまだいいじゃないですか鋼盾さんも御坂さんも! もっとおしゃべりしましょうよー!」


 初春の不満げな声、頬を膨らまして黒子へと詰め寄っている。

 対する黒子は涼しい顔だ。


「だめですの。お姉様は今日こそ早くお帰りになってもらわねば、黒子まで寮監に叱られてしまいますの」


 寮監という言葉を聞いた途端、美琴が慌てて帰宅の準備を始める。

 よっぽど厳しいひとなのだろうか、どうやらお開きは確定らしい――初春の恨みがましい目は、見なかったことにする。

 鋼盾としてもちょっと残念ではあったが、色々語ってしまった気恥ずかしさがあったし、今日のところはこれで失礼しよう。

 荷物はカバンひとつ、鋼盾も立ち上がり、別れの挨拶をと口を開く。

 だがそれは、黒子の発言に遮られた。




964: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/07(日) 22:57:55.76 ID:3hA2G0hWo


「―――鋼盾さん、先ほどの書類、今日のうちに提出してしまいましょう。
 夏休み中ですと会計関連を16時で閉めてしまうところが多いですけど、わたくしが一緒なら警備員の詰所まで1分かかりませんの」


 黒子が言う書類とは、鋼盾がスキルアウトに奪われた10万円の返金に関する書類のことだろう。

 確かに返して貰えるなら早い方がありがたい。


「ああ、んじゃ、お言葉に甘えようかな……1分で行けるってことは近所なの?」

「近所というほどでは……ま、道なりに行けば1.5kmってところですの」

「え、それ間に合わな……あ、空間移動!」

「御名答ですの」


 その言葉と同時に黒子は鋼盾の肩に軽く触れる。

 瞬間、景色が切り替わった――否、切り替わったのは視覚だけではない。

 蛍光灯が陽の光に、エアコンの風が自然風に、壁を隔てていた街の喧騒がダイレクトに。

 五感全てが唐突に切り替わるその異常。

 これが


「……てれ、ぽーと」


 鋼盾は目をぱちくりとさせる。

 タイムラグはゼロ、本当にいつの間にか外にいたのだ。

 空間移動の経験など勿論皆無である彼は、その奇跡のような体験に小さく震えた。



965: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/07(日) 23:00:14.23 ID:3hA2G0hWo


「ええ、空間移動ですの。
 跳躍出来る距離は最大81.5m、質量制限は130.7kg程―――これが、わたくしの能力ですの」


 誇らしげに微笑む黒子は、すいと鋼盾の背後を指さした。

 そちらを振り向くと先程までいた一七七支部があり、窓から美琴と初春が手を振っている。

 そこでようやく鋼盾は、自分が道一本挟んだビルの屋上に立っていることに気づいた。

 
「はあー、……すごいな、ビックリだよ」


 美琴と初春に手を振り返しつつ、鋼盾は感嘆のため息を吐く。

 本当に、すごい。


「あら、本番はこれからですのよ?」

「? えーと……」

「話はお後に、さあまずは警備員の詰所まで参りますの。
 時速200キロの世界をご覧にいれますの!! サービスサービス!!」


 ガシッと肩を掴まれる。

 拘束という言葉が頭に浮かんだ。

 黒子は笑顔だった


「ちょ待



 鋼盾の言葉はここで唐突に途切れる。

 次の瞬間、80メートル先の道路の真上で少年の情けない悲鳴が響き渡った。




――――――――――



966: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/07(日) 23:08:38.33 ID:3hA2G0hWo


 気づけば、公園のベンチに座って10万円の入った封筒を握り締めていた。

 どうやらいつの間にか手続きを終えていたようだ、うっすらと人の善さそうな警備員さんの顔が脳裏に浮かんだが、正直記憶に自信がない。


「驚かせて申し訳ありませんの、少しばかり悪戯心が擡げてしまいましたの。
 ……今日は鋼盾さんに驚かされっぱなしでしたので……やつあたり、ですの」


 これで許してくださいな、と自販機で購入した缶コーヒーを鋼盾に手渡しながら、黒子は悪戯っぽく笑う。

 先ほどの鋼盾の情けない狼狽をみて、どうやら溜飲を下げてくれたようだ。

 缶コーヒーのプルタブを開けながら、鋼盾は小さく笑った。

 そんな顔をされたら、怒るに怒れない。


「……いや、貴重な体験だったよ。
 正直、ビルの上からの錐揉み落下は勘弁して欲しかったけど」

「あら、わたくしなりの大サービスでしたのに」

「小サービスくらいに留めておいてくれるなら、またお願いしたいね。
 ああ、そう言えばあの二人にちゃんと挨拶出来なかったな」

「そういえば、不意打ちで飛ばしてしまいましたの。
 困りましたわね……お姉様に怒られそうですの」


 初春はどうとでもなりますけど、と舌を出す黒子。

 黒子と初春の関係は、傍から見てるととても面白い。

 単純に上下強弱ではなく、アンバランスなようでバランスが取れている。

 根底に互いの信頼があるからだろう、相棒というヤツだろうか。


967: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/07(日) 23:18:55.38 ID:3hA2G0hWo


「ま、後でメールでも送っておくよ。
 女の子にメールするなんて初めてだから、変な文章になっちゃうかもだけど」


 初春の提案で、鋼盾は3人と電話番号とメールアドレスの交換を済ませている。

 アドレス帳に女子中学生の名前がみっつ……バレたら弾劾裁判モノだ、気を付けよう。


「ふむ、じゃあ添削してあげますの。わたくしにも送ってくださいな。
 ……ああそういえばそのお金、無事に戻ってきてなによりですの」

「……うん」


 幻想御手の取引の為に引き出した10万円

 鋼盾にしてみれば大金だが、それでもやっぱり薄っぺらい

 こんなものでぼくは、何を掴めると思っていたのか


 今となっては随分遠くなってしまったあの日の自分

 ステイルに小萌、上条、インデックス……彼らとのこの数日で、己は確かに変わった

 よい変化だと思う、やっと前を向くことが出来たのだから


 だが、そんな鋼盾のもとに届いたこの封筒

 過去の自分に足首を掴まれたような気分だった



968: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/07(日) 23:23:08.97 ID:3hA2G0hWo


「……まだ、納得がいきませんの?」
 
「いや、そうじゃないさ……次こそ、有効に使おうと思ってね。
 ……さしあたっては一七七支部のみなさんに差し入れでも持っていこうかな」

「あら、それはいいことを聞きましたの。
 ……まあ、差し入れはともかく、また遊びにきてくださいな。
 初春の言ってたアレ、わたくしも結構本気ですのよ」


 “風紀委員に興味はありませんか”

 “鋼盾さんって、鋼の盾って書くんですね。この腕章にあるとおり、私たちは盾なんです”

 “向いてるんじゃないかって、そう思ったんです”


 初春飾利の言葉。

 あの唐突な勧誘に、鋼盾のこころは随分揺れた、戸惑ったが、嬉しかった。

 能力が無くても出来ることがあると、道を示してくれた初春には、心底感謝している。

 だが。



969: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/07(日) 23:28:08.27 ID:3hA2G0hWo


「……すごく光栄だし、誇らしく思うよ。そんなこと言ってもらえたこと、今までなかったから。
 ぼくは、盾になりたい。鋼の盾なんて大仰な苗字に、見合うくらいの人間になりたいって、ずっと思ってた。
 初春さんのあの言葉は、正直胸に響いたよ」

「でしたら」


 わたくしたちと共に、この街の治安を守りましょう。

 盾たらんとする貴方は、きっと良い風紀委員になれますの


 白井黒子のその言葉を噛み締めつつ、しかし鋼盾は否定の言葉を紡ぐ。


「ん、でもね、ぼくはこの街全てを守りたいなんて、どうしても思えないんだ。
 この身に代えても守りたい人なんて、今は3人しか思いつかない」

「……3人、ですの」

「うん、たったの3人……器が小さいだろ?」


 情けない話だが、それが鋼盾掬彦の真実。

 11次元を駆ける脚も、機械仕掛けの無数の眼と耳も持たぬ鋼盾には、今はそれが精一杯。

 いや、正直ひとりだって手に余る……だが、それでも守ると決めてしまった。


970: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/07(日) 23:30:25.92 ID:3hA2G0hWo


「……ま、誰も彼も守ってやるぜ! なんて節操のない殿方よりはわたくしの好みですの。
 それに、そんなことを言ったら、お姉様ひとりに執心している私の方がよほど器の小さい人間ですの。
 ああ、ちなみにその3人の中に、お姉様は入っていないですわよね?」

「はは、僕なんかより上条くんに気を付けたほうがいい。
 あいつは、目に映るすべての人を守ろうとするヒーローだ。僕も御坂さんも彼に救われたクチだよ。
 あれほどの人たらしは、なかなかお目に掛かれない」


 人たらし……ああ、この言葉は彼にピッタリだ。

 自分もたらしこまれてしまったのだ、あのバカみたいな本物に。

 思わず笑みを浮かべる鋼盾に、黒子は不満げな表情を浮かべる。


「……いよいよ好きになれそうにありませんの」

「うーん、ぼくは白井さんと上条くん、意外と相性がいいんじゃないかなとコッソリ思ってるんだけどな。
 まあ、御坂さんの頑張り次第じゃ近いうちに彼と遭遇することもあるかもね。
 ……その時は、どうかお手柔らかに、ね」

「鋼盾さんがそうおっしゃるなら、出会い頭の不意打ちドロップキックは勘弁してあげますの」

「……そりゃ、ありがたい」


 感謝しろよ上条くん、どうやらドロップキックは回避したぞ

 まあ、この子にきみの名前を教えちゃったのは僕なんだけどね


971: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/07(日) 23:33:55.92 ID:3hA2G0hWo


 脳裏に浮かぶ不幸な友人に語りかけつつ、缶コーヒーの最後の一口を飲み干す。

 手に残った空き缶をを捨てるべく鋼盾が視線をさまよわせると、黒子が腕をのばしてきた。

 その手が缶に触れた瞬間、鋼盾の手の中から空き缶は消え、10メートル程離れたゴミ箱から小さく音が聞こえた。


「……とんでもなく便利だね、その力」

「ええ、自分で言うのもなんですが、なかなかに大した能力だと思いますの。
 学園都市には58名の空間移動能力者の中でも、五指に入る性能ですのよ」


 黄泉川愛穂が絶賛した、風紀委員一番の腕っこき。

 その評価を支える、白井黒子の空間移動。


 言葉だけ聞けば自慢話だが、黒子の表情は暗い。

 どうやら、ようやく本題のようだ。

 

972: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/07(日) 23:43:42.96 ID:3hA2G0hWo

 
「でも、いくら能力があっても、大切な人の笑顔が守れぬようなら無意味。……鋼盾さん、おっしゃいましたわよね。
 “いつかきっとその背を追い抜いてみせる。たとえ能力者になれなくたって、君たちより多くを掴んでみせる”
 その言葉の通り、貴方は無能力者のまま、わたくしの最も欲しかったモノを、あっさり掴んでいきやがりましたの」

「…………」

「……嫉妬、ですの。あの暖かな涙も、花咲くような微笑みも、すべて貴方が引き出したもの。
 お姉様、御坂美琴の一番傍に居ながら、わたくしは今日まで何をしていたのでしょうか。
 佐天さんについても同様ですの……彼女の抱える苦悩に気づきもせず、表面だけしか見ていませんでしたの」

「あんなの、傍観者の勝手な物言いだよ。今日まで彼女たちを支えてきたのは間違いなく君の手柄だ。
 ぼくはこぼれ球をたまたまゴールに決めただけだよ……ごっちゃんゴールにも程がある」


 あんなのはタイミングが良かっただけの話だ

 限界まで溜まっていた水が、鋼盾の前で溢れただけだろう


「そうだとしても、称えられるべきはやはりゴールを決めた人間ですの。
 本日のMVPは鋼盾さん、貴方ですのよ……わたくしではなく」

「………鳶に油揚って感じかな。気に入らないかい、僕のこと」

「まさか、感謝してもしきれないくらいですの。
 愚痴はここまで。いまから鋼盾さんには、わたくしの宣誓を聞き届けて頂きますの」
 

 ツインテールをなびかせて、黒子はしっかりと鋼盾を見据える。

 針のように鋭い視線が鋼盾を穿つ、それは宣誓というより宣戦に近いものだった。


973: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/08(月) 00:16:32.83 ID:f2R1d1+3o


「鋼盾さん、わたくしはいつか貴方を超えてみせますの。
 いえ、貴方だけではなく、上条さんとやらも誰も彼も超えて、幸せを掴んで見せますの。
 お姉様、御坂美琴を誰より幸せにしてみせますの」


 それこそが、白井黒子の幸せだと、彼女は淡々と言葉を紡ぐ

 なまじっかな咆哮より余程強く、魂に刻みつけるかのような誓いの歌


「しかしこの身は未だ未熟、幼く視野が狭い愚かな小娘に過ぎませんの。
 ですから鋼盾さん、どうかこれからもお姉様を支えてあげていただきたいのです」


 超えてみせると宣ったその口で、しかし黒子が述べるは己と共に美琴を支えてくれとの依頼

 相反するようでいてそこに一切の矛盾はない、彼女の行動は全て御坂美琴の為、その一点のみに集約する

 深々と頭を下げる黒子、その覚悟は間違いなく尊く、やはりどこか危うかった



974: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/08(月) 01:19:49.29 ID:f2R1d1+3o


 しかしその姿を鋼盾は、忌憚なく美しいと感じてしまう。

 実らぬであろう恋に身を焦がす、この少女の力になりたいと思ってしまった。

 重ねてしまった、自分自身を。


「……参ったな、尊敬するよ白井さん。
 きみは強い、ぼくなんかよりずっと強いよ」

「そんなことはありませんの……取り繕ってばかりのわたくしは、お姉様から見れば守るべき後輩に過ぎませんの。
 せめてあと一年早く生まれていればなんて、そんなことばかり考えてしまいますの」


 ああもう、こんなところまで同じだ。

 どうしてくれようこの乙女。


「同い年だったらお姉様は、わたくしにも弱みを曝け出してくれたかもしれないと、愚にもつかない夢想に耽ってばかり。
 年上というだけで貴方がたに嫉妬していますの……こんなんじゃいつまで経っても、お姉様の隣に立てませんの」


 そんなこと言ったらぼくはあと20年早く生まれたかったよ、と鋼盾は口には出さずに同意する。

 あの人と同じ時間をもっともっと過ごしたかった。教師と生徒じゃなくて、もっと違う形で。


 だけど、それはただの妄想

 黒子の言うとおり、それではいけないのだ


「じゃあ、もっと強くなろう。ぼくもきみも、どうやらそれぞれ厄介な相手に惚れちゃったようだからね」

「……鋼盾さんの、想い人ですの?」


 予想外の言葉だったのだろう、鋼盾の言葉にきょとんと首をかしげる黒子


「内緒だよ、いやもうぼくの恋路はきみのそれより厄介でね」

「それは聴き捨てなりませんわね、わたくしも難儀っぷりには自信がありますのよ」


 ほう、見た目は子どもその実オトナな担任教師に懸想したこのぼくに勝てるとでも?

 ○○○○○志望風情が笑わせる、こちとら二重三重に厄介なんだぞ


「いーや、ぼくの方がシンドいね、美少女ペアなら世間が許すさ!」

「鋼盾さんは○○○○○に対しての風当たりの強さに無知過ぎますの!!」

「ああもう、どっちか男になっちゃえばいいじゃん!!学園都市の技術で!!」

「……天啓ッ!!?」

「おい」





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975: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/08(月) 01:25:25.43 ID:f2R1d1+3o





「……仕切り直そう、えーと、なんだっけ」

「……なんでしたっけ……ああそうですの、これからもお姉さまをよろしくお願い致します。
 わたくしも、がんばりますので」

「うん、ぼくでよければ。
 白井さん、これからもよろしくね」

「ええ、こちらこそよろしくお願いしますの」


 なんか一週回ってあっさりしすぎてしまった感はあるものの、とりあえず握手を交わす。

 とりあえずの結論としては、まあこんなところか。


「ぼくらは弱い、だけど、弱くたって守りたいものがある」

「――ええ、だから強くならねばなりませんの。
 愚痴ってる暇なんてありませんでしたの」


 それは、笑ってしまうほど、当たり前のこと


「んじゃ、頑張ろうかお互い」

「ええ、そうですの」


 鋼盾と白井は顔を見合わせて笑う

 どうやら難儀な業を負ってしまったのは、自分だけではないようだ


 そのことが、どうしようもなくうれしかった

 

976: ◆FzAyW.Rdbg 2011/08/08(月) 01:42:35.58 ID:f2R1d1+3o

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「ああ、鋼盾さん、最後にひとつ」


 別れの段になって、思い出したように黒子が口を開く。

 ひとつ、忠告がございますの、と悪戯に笑う。


「風紀委員の件、わたくしは納得致しましたの。
 もちろんいつでも大歓迎ですが、今後無理にお誘いするつもりはございませんの」

「? うん、ありがとう……えーと、わたくし“は“?」


 実に含みのある言い方である。

 わたくし以外の誰かさんは、諦めていないという感じの。

 ……というか、該当者はひとりしかいない。


「ええ、初春は違います。あれでなかなか諦めの悪い女ですの――狙った獲物は逃さない。
 その一点だけはわたくしも、初春には敵いませんの……相当、気に入られてますのよ、鋼盾さん?」

「……そいつは、おっかないな」

「風紀委員一七七支部、いつでも遊びに来てくださいな。
 差し入れ、持ってきていただけるんでしょう?」

「……郵送じゃ、ダメかな」

「ふふ、もちろんダメですの」


 御坂美琴、白井黒子、初春飾利

 超電磁砲と風紀委員一七七支部の女傑二名


 どうやら長い付き合いになりそうだ、と鋼盾掬彦は溜息を吐く
 

 妹を三人抱えた、兄のような顔で

 幸せそうに



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