1: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 00:53:43.28 ID:d9kkN+bY0
『今週のオリコンランキングゥゥゥゥゥ、第2位! 初登場だ! 鈴月アキの秘密の珊瑚礁!! 彗星のごとく現れた要注目アイドル、アキちゃんの歌声に酔いしれろ! そして1位は、こちらは3週連続1位! 如月千早、Arcadia! 今秋公開する映画、無尽合体キサラギの主題歌! 千早ちゃんはまさかのロボット役だぁ! その演技も、私演技も気になります!』


アキ「あっ、千早さん! お疲れ様です!」

本番が終わって楽屋に戻ると、既に先輩アイドルが休んでいた。彼女は僕を見ると、手をあげてねぎらいの言葉をかける。

千早「お疲れ様、あ……、鈴月さん」

ハッと口に手を当て言い直す。周りを確認。よし、僕たち以外に誰もいないな。

アキ「えっと、今は誰もいないから大丈夫だと思いますよ?」

千早「そうね……。正直言って、あなたの本名での付き合いの方が長いから、この呼び方はしっくりこないのよね」

アキ「はは……、そうでもしないと大変なことになりますから」

2人して笑いあう。でもこれ、笑いごとじゃ無かったりするんだよね。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1339084421(SS-Wikiでのこのスレの編集者を募集中!)

引用元: 涼「僕とあなたの」千早「シーソーゲーム」 

 

2: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 00:59:36.08 ID:d9kkN+bY0
アキ「そうだ、オリコン1位、凄いですね」

千早「あなただって、初登場2位じゃない。十分誇れると思うけど?」

アキ「なんか嫌味に聞こえますよ?」

千早「そのつもりはなかったのだけど……」

アキ「あっ、冗談ですよ。すみません」

千早「まあ、なんでもいいんだけど。それより、ねえ」

アキ「はい、なんですか?」

千早「今日は何を教えてくれるのかしら、秋月君?」

新人アイドル鈴月アキ、それは世間を欺く仮の姿。誰にも知られてはいけない、僕の本当の名前は秋月涼、実は男だ。一身上の都合により、このアイドル飽和時代を、女装で駆け抜けている。そこ、変態って言わない。僕も望んでしたわけじゃない。全米が泣いてしまうような悲劇が付いているぐらいだ。でも夢を叶えるため、今日もフリフリのスカートを穿いて、アイドルをしている。いつか本当のイケメンになるために。

涼「そうですね、じゃあ千早さんが食べたいものを作りましょうか。何が良いですか?」

千早「そうね……、帰りながら決めましょうか」

僕と談笑する彼女は、如月千早さん。今では知らない人のいない、現代の歌姫。そして、数少ない僕の秘密知ってしまった、共犯者。

僕と彼女が初めて出会ったのは、ステージの上でもなんでもなく、入学してすぐの、学校の屋上だった。

3: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 01:07:17.64 ID:OeN9eK850
その日の天気予報は晴れだったけど、実際には今にも崩れてしまいそうな灰色模様だった。

男「秋月ー! 俺だー、結婚してくれー!!」

涼「ぎゃおおおおん!! いきなり結婚は無理、って交際自体無理だよー!!」

男「どこだー!! 秋月! 俺と一緒に新たな世界に飛び立とう! 発展しよう!!」

涼「1人で行ってよー!!」

男「はっ! 今秋月の声が!! 待ってろよー!!」

涼「ハァ……、ハァ……。何でこんなことに……」

女子に告白されたこと、格好良いと言われること、0回。野郎に告白されたこと、可愛いと言われること、両手両足で数えきれない。どうゆうわけか、僕は男の子に惚れられることが多い。もちろん僕にその気はない。今はいないけど、好きな人もいた。ただ人より女顔だなだけ、そして僕はそれが嫌だった。

モテにモテるので、お昼ご飯を食べるのも命がけだ。追跡者と化した同級生をなんとか撒いて、聖域へと足を運ぶ。

涼「ふぅ……、ここまで来れば安全なのかな」

学校で唯一落ち着ける場所、そこがここ屋上だ。この高校のOBでもある従姉に教えて貰った、絶好のプライベートゾーン。雨の降りそうな灰色の空模様の中で、ひとりで食べるのもさびしいけど、バラ色の新たな世界に旅立つよりはましだよね。

だけど今日は少し違った。先客がいたんだ。

4: 行き成り誤字。実際は→実際には 2012/06/08(金) 01:16:40.02 ID:geTF/MjH0
屋上は施錠されているけど、僕は鍵を持っている。入学記念にと従姉がくれたんだ。一体どうやって調達したかは知らないけど、おかげで僕は入学してすぐにサンクチュアリを手に入れた。野獣と化した同級生を撒くには、ちょうどいい。鍵を差し込むと、ドアが既に開いていることに気付く。

涼「あっ、昨日閉め忘れちゃったかな?」

従姉曰く、うちの学校の見回りは結構ずさんらしく、ここまで来ないことも多いそうだ。誰かいるのかな? と恐る恐るドアを開けると、歌が聞こえてきた。空気を震わせ、僕の耳から、体中に行き渡る。

涼「歌? 誰が歌ってるんだろ?」

透き通った歌声が耳に心地良い。でもこの歌声、どこかで聞いたことが……。

??「~♪ ふぅ、悪くはないわね」

歌い終わったのか、深く息を吐く。青みがかったサラサラの黒髪、どこか憂いを持つ瞳。彼女は僕の持っているCDのジャケットに写っている人そのもので――。

涼「え? 如月千早さん?」

千早「へ?」

急に名前を呼ばれたからか、彼女は驚いた様子で振り返る。僕を見つめる瞳には、ナヨナヨした男が怯えているように映る。ってその男、僕なんだけど。

5: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 01:20:27.72 ID:d9kkN+bY0
千早「何の用かしら?」

涼「あっ、すみません。邪魔、しちゃいましたか?」

千早「別にそうでもないわ。歌い終わったところだし……」

涼「はは……」

そうはいっているけど、冷ややかな視線で僕を見る。誰にも邪魔されないと思っていたからかな? それに関しては、僕も同意見なんだけど。とはいえ相手はあの千早さんだ。ここは僕の聖域だから出て行ってほしいなんて言えない。

千早「用がないなら、話しかけないでくれるかしら?」

淡々と、サイボーグみたいに話す彼女。ちょっぴり怖いや。

涼「あっ……、すみません。いつもここ、僕しかいなかったんで。えっと、歌すっごく上手かったです」

千早「褒めても何も出ないわよ」

何回も聞いているからか、またそれかとうんざりしている顔を見せる。

涼「本心からそう思ってます! あなたのCD、全部持ってますし」

6: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 01:27:28.82 ID:geTF/MjH0
千早「CDを?」

涼「はい。3枚ずつ」

千早「3枚ずつ? 良く分からないけど、ありがとうと言うべきなのかしら」

3枚ずつ買っていることに驚いているようだ。千早さんというよりも、名が知られているアイドルのCDは一通り集めている。参考になるし、とりわけ彼女が所属する765事務所のアイドルのCDは、従姉の姉ちゃんが買え買えとうるさく、布教用、保存用、観賞用と3枚ずつ購入する羽目になった。千早さんのも例外ではなく、その時に手に入れたんだ。おかげで貯金が一気に飛んでしまった。それも教科書代と思えば、高くないけどさ。

涼「でも同じ学校にいたなんて意外でした」

まぁ彼女は高2、僕は高1だから、面識が出来る方が難しいんだけどね。それでも、少しは話題になるはずだ。クラスにアイドルがいる、全校生徒が知ってそうなものなのに。

千早「あまり学校には来てないの。自分で言うのもなんだけど、それなりに忙しい身分だし」

涼「凄いですね……」

千早「そうでもないわ。これぐらいのレベル、いくらでもいる。現状で甘えるほど意識は低くないわ」

7: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 01:36:16.95 ID:d9kkN+bY0
 それなりにどころじゃない。売り出し始めたばっかと言え、世間では未来の歌姫と呼ばれ、輝かしい将来を期待されているぐらいだ。まだまだヒヨっ子の僕なんかと比べたら、月とすっぽん、天と地の差だ。従姉もこう評する。

従姉『そうね、みんなポテンシャルが高いけど、千早と美希は別格ね。持っているものが違うわ。でも癖があるのよねー。全く、プロデューサーには同情を禁じ得ないわ』

 とは従姉の談。なるほど、話してみるとテレビでの印象通り、堅物な人なのかもしれない。歌っているときはとても楽しそうなのに、バラエティや写真を見ると、どれもマネキンみたいに硬い表情をしていた。実は一度だけ共演したことがあるけど、向こうは覚えてないんだろうな。

従姉『千早の場合、記者に質問されて「別に……」とかリアルで言いそうで怖いのよね。音楽の質問に関しては、あれだけ舌が回るのに』

どこのエリカ様ですか。

記者『如月さん、今回の映画で苦労されたところは?』

千早『別に……』

記者『え、えっとでは、今作の見どころを教えてください!』

千早『特にありません』

記者『今作では主題歌を……』

千早『はい、今回歌わせてもらった曲は、登場人物の切ない思いに心を寄り添って……』

うん、不思議と全く違和感がない。ただエリカ様とは違って、主題歌の話題だけ饒舌になりそうだな。

8: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 01:38:20.57 ID:d9kkN+bY0
千早「あなたがここを使ってたのなら悪いことをしたわね。失礼させてもらうわ」

あれこれ考えていると、千早さんは無表情のまま退散する。

涼「あ、あの!」

千早「何かしら」

教室へと戻る彼女を呼び止める。彼女は知らないだろう、僕の秘密を。でもいつかは、あなたと同じステージに立ちたい。

涼「あなたを超えてみせます」

千早「は?」

言って気づく。絶対意味が伝わっていないと。そして、下手したらバレたんじゃ……。

涼「あっ、いや……。今のはえっと……」

千早「何のことか分からないけど、期待してあげるわ。さよなら」

期待していると言う割に、どうでもよさそうに千早さんは屋上を出る。1人っきりになった屋上で僕はお弁当を開ける。我ながら、美味しそうなお弁当だ。

涼「高い壁かもしれない。だけどいつかはきっと……」

9: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 01:41:19.06 ID:geTF/MjH0
涼「いただきまー」

『電話来たよー!!』

涼「わぁ! な、何!?」

柔らかそうな卵焼きを箸でつかみ、口に入れようとすると、いきなり携帯電話から大声が聞こえ、着信を知らせる。あーあ、驚いて卵焼き落としちゃった。3秒ルールとかバッチイから嫌なんだよな。仕方ない、捨てよう。

涼「絵理ちゃん勝手に着メロ弄ったなー! ってもしかして、僕の秘密バレたんじゃ……」

『電話来たよー!!』

涼「う、うるさい! 早く出なきゃ! はい、もしもし! 秋月です!!」

??『あら、秋月さん? おかしいわね、どうやら私は違う人に電話をかけてしまったようね』

涼「へ? 秋月は僕……」

??『私は876プロ所属アイドル、鈴月アキに電話をかけたはずよ?』

そこまで言われて気付く。今の僕は秋月涼じゃないんだってことに。営業用の声にして、返事をやり直す。

10: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 01:43:10.75 ID:eHSUxDAV0
涼「は、はい鈴月ですけど。石川社長、どうしたんですか?」

石川『よろしい。私達からの電話は、鈴月アキで受け取る。そう決めたはずよ?』

涼「すみません……、勝手に着信音を弄られちゃいまして」

ちゃんと事務所用の着メロ(ダースベイダーの音楽)を登録していたんだけど、悪戯で変えられてしまったみたい。尤も、電話がかかってきた時、ちゃんと画面を見れば、相手は社長からって分かったんだけどなぁ。鼓膜を破りかねない愛ちゃんボイスで慌ててしまい、そこまで気がいかなかった。

石川『まぁ何でもいいわ。さて要件だけど、アキ。あなたの要求は通すわ』

涼「要求……?」

なんかお願いしたっけ……?

石川『あなたがしたいって言ったんじゃない。ひとり暮らし』

涼「ホントですか!?」

石川『ええ、親御さんにも説明はしておいたわ。ずいぶん信頼されているのね』

涼「まぁ、家事は母親より出来ますからね」

石川『今日中に業者が来る手はずになってるわ。今日のレッスンは休んでよろしい、準備をしておきなさい』

11: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 01:47:10.62 ID:geTF/MjH0
涼「え? 良いんですか?」

石川『あなたの得意なダンスレッスンだしね。愛と絵理と比べて、ダンスに関してはあなたは頭一つ抜けてるから、ちょうどいいんじゃないの? その分、明日からバリバリ働いてもらうわ』

涼「ありがとうございます!」

石川『連絡は以上よ。切るわね』

涼「やったー! 念願のひとり暮らしだ!!」

社長が電話を切ると同時に、僕は大声を上げる。夢にまで見たひとり暮らしが解禁なんだ、喜ぶなって方が無理がある。

涼「家にプライベートなかったしなぁ……、これで律子姉ちゃんからも逃げれるぞー!」

涙なしには語れないエピソードが脳裏をよぎる。勝手に部屋を荒らされ、趣向別に本が並べられていたり、帰ってきたら世界中の国旗が壁一面に貼られていたり……。本当にロクな目に合っていない。しかしそれともおさらばだ! 自由っていいよね! それ以外にも、仕事の関係で帰ってくるのが遅くなったりと家に迷惑をかけているってのもあるけどね。むしろそっちの方が本命だ。

涼「どんな部屋かなー? 和風かなー? 洋風かなー?」

間の抜けた歌を上機嫌で歌っているけど、この時の僕は却って自分を追い込んでいることに気付いていなかった。それに気付くのは、もう少し先の話だったりするけど今は置いておこう。

12: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 01:57:43.28 ID:eHSUxDAV0
涼「でもどこに引っ越すんだろ。教えて貰ってないや。かけ直そ」

聞き返そうと社長に電話するも、忙しいのか出てくれない。そんなこんなしてるうちに5時間目を告げるチャイムが鳴り、ポツポツと雨が降ってくる。どうやら天気予報は、外れたようだ。

涼「って遅刻しちゃう! お昼ご飯食べてないし……。でもひとり暮らし出来るからいっか!」

結局お弁当にありつくことは出来なかった。また、6時間目の体育は空腹により力を発揮できず、女子の前で顔面にバスケットボールが当たるという恥ずかしい思いをしたけど、憧れのひとり暮らしの前ではそれすらも些細なことだ。

涼「でも、顔は勘弁して欲しかったな……」

芸能人は歯が命。でもその前に、歯がついている顔が命、生命線。特に僕らなんかはね。取り損ねた自分が悪いけど、とりあえず向こうのせいにしておく。

そして放課後、親によると、業者がすでに荷物をまとめてくれて、新居に送っているらしい。社長から送られた地図を片手に、玄関を出る。雨はすっかりやんでおり、太陽は雲の切れ目から顔を出していた。

涼「やっぱりいるよ……」

お昼の追跡者は、仲間を増やして校門前で立っていた。僕は彼らに見つからぬよう、一瞬の隙をついて逃げ去る。かの傭兵になった気分だ。まさに秋月・スネーク、いまいち格好良く聞こえないのは何でだろう?

涼「ふぅ……、見つからなかったのかな? 皆が来る前に、急いで新居に行こう!」

寄り道をせず、新居に向かう。向こうでは何が待っているか、考えるだけで心がうきうきしてきた。足取りは軽く、空をスキップしているみたいだ。

17: 投下 2012/06/08(金) 09:17:09.50 ID:d9kkN+bY0
涼「そして輝ーくウルトラソウッ! ハイッ! ここが新しい家、メゾン159か……。なんだろう、漫画で見たことある名前だぞ」

 もちろん例の漫画のようなアパートではない。名前が似ているだけの別物件だ。管理人さんの名前、音無だったりするのかな。美人で総一郎という名前の犬を飼っていれば、尚よろしい。

涼「ないないない」

そんな美味しい話があるものか。馬鹿みたいに夢見がちな自分が、少し嫌になった。

涼「ありがとうございました!」

荷物を運んでくれた業者の皆様に感謝の言葉を伝え、僕だけの城、203号室に入室する。荷物は1か所にまとめられて、部屋が広く見える。

涼「ふぅ、ついにひとり暮らしが始まるんだな……」

誰もいない7畳半の領地に寝ころび、しみじみと感じる。ひとり暮らしを望んだのは僕だけど、両親がいないといないで寂しくなる。なんだかんだで親に頼りっきりだったし、自分の収入があるといっても、所詮15歳の子供なんだから。

涼「電話しておくか」

携帯取出しポパピプペ……。

涼「あっ、母さん? うん、無事着いたよ。大丈夫、心配はいらないよ。もう、オーバーだなぁ」

高校1年生がひとり暮らしなんて言うのも、我ながら珍しいと思う。親が信頼してくれたんだから、たまには帰ってご飯を食べないとね。寂しいのは、向こうも一緒だと思う。

18: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 09:20:12.00 ID:d9kkN+bY0
涼「ありがと、切るね。ふぅ……、荷物を解体しよっと」

段ボールの山を開けて、荷物を置いていく。そこまで荷物も多くないので、案外すぐに終わった。

涼「さて、どうしようかな? あっ、そうだ。住民さんに挨拶しないと」

近所付き合いも大切だ。特に僕なんて高校生だし、困ったときは助けてもらえるように名前と顔を売っておこう。

涼「それなりに知られてるんだけどね」

もちろん、秘密がばれないようにね。

涼「えっとお隣は……、如月さんか。って如月? まさかねぇ……」

一通り挨拶をすまし、最後に自分の右隣の部屋に挨拶をする。ネームプレートには二月を旧暦を意味する二文字が書かれていた。

涼「そんなまさか……」

無い無い! と頭の中で思いながら、チャイムを鳴らす。はい。と小さな返事が聞こえ、ドアが開かれる。

涼「引っ越してきた秋月……」

千早「あっ。あなたは……」

ですよねー。大体如月なんて苗字、漫画じゃうじゃうじゃいるけど、実際のところは、8世帯しかないというし。

19: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 09:26:31.36 ID:d9kkN+bY0
涼「……涼です。これ、つまらぬものですが……」

とはいえなんという偶然。あのアイドル如月千早さんが同じ学校で、同じアパート、しかも隣人と来た。どんだけ世間は狭いの……。

千早「ありがとうございます。え? 秋月? ねえ、間違ってたら悪いんだけど、従姉に律子っていない?」

涼「え、えっと……、秋月律子は僕の従姉ですけど……」

千早「こんな偶然があるものなのね。まあ何でもいいけど」

律子姉ちゃんと親戚ということが分かると、一瞬だけ驚いたような顔をするも、すぐに興味なさそうに返す。ドアノブから手を離さず、早く帰ってくれと無言のプレッシャーを送ってくる。

涼「えっと、よろしくお願いしますね……」

千早「ええ、よろしくお願いするわ」

愛想笑いもなく、ドアを閉められる。

涼「えーと、僕何かした?」

全くもって憶えがないんだけど……。あれこれ考えていると、お腹が音を立てて空腹を主張する。

20: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 09:47:48.56 ID:geTF/MjH0
涼「今日は疲れたし、コンビニ弁当でいいかな。明日から自炊しよう」

引っ越したばかりの街を散策しながら、夕食を買いに行く。ついでに今後のために、野菜や調味料も買っておく。

涼「ただいまー。って誰もいないよね」

返事はない。いや有ったら有ったで凄く怖いんだけどさ。テーブルの上に弁当を置いて、少し遅めの夕食に有りつく。

涼「ご馳走様でした。やっぱり自分で作ったほうが美味しいかな」

コンビニ弁当を否定するわけじゃないけど、僕は料理に関しては少々うるさい。親がどちらかというと料理の天災だったため、自衛本能が働いたのか、自然と上手くなっていった。自慢じゃないけど、家庭科の調理実習ではヒーローだったな。

涼「ふんふんふんふんふふんふふん♪」

一息ついて、お風呂に入る。トイレと風呂が別々というのはありがたいな。そういうの、結構気にしちゃうタイプだし。誰に聞かれる心配もないので、鼻歌を歌いながら1人の時間を満喫する。

涼「ふー、さっぱりした。あっ、メールだ。社長から?」

『件名:明日の仕事について』

『新居はどうかしら? 知り合いのつてを借りて安くして貰ったわ。また大家さんに感謝しておくことね。本題に移るけど、明日の仕事はあるアイドルのミニライブの前座よ。時間と場所は添付しているから、確認して自分で行ってちょうだいね。健闘を祈るわ』

21: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 09:53:18.81 ID:geTF/MjH0
涼「仕方ないとはいえ、若干放置気味だよなぁ……。ちょっぴり悲しいや」

僕が所属する876プロは、自身で活動方針を決め、社長は最低限のことだけしか口を挟まないというセルフプロデュースという形式をとっている。ほかの事務所には専属プロデューサーがいるのに対し、アイドルの自主性を尊重したいという考えのもと活動している。

そこ、無責任って言わない。

といっても、プロデューサーがいないわけじゃない。絵理ちゃん――、同じ事務所のアイドル、水谷絵里ちゃんはフリーのプロデューサーを雇っているし、もう一人のアイドル日高愛ちゃんは、事務員の岡本まなみさんがマネージャーとしてついている。

では僕は? と聞かれると、僕にだけいない。絵理ちゃんは分かる。プロデューサーの尾崎さんがスカウトしたといっても、形式上は絵理ちゃんが雇っている形だし、愛ちゃんはまだまだ子供だし、まなみさんがついているのも納得できる。ただ尾崎さんは絵理ちゃん一筋で僕達に見向きもしないし、まなみさんも愛ちゃんに付きっ切りだ。残った社長も、良く分からないけど忙しそう。

涼「考えただけで泣きたくなってきたぞ……」

とどのつまり、事務所に味方はおらず、放置プレイを強いられているわけだ。一応助っ人の師匠はいたけど、それでも無茶苦茶なデビューをさせといて、この惨状。弁護士さんに相談したら、慰謝料をとれるんじゃないかな? いやダメだ、向こうには鬼畜眼鏡がついている。姉ちゃんに相談なんかしなければ、こんなことに……。

涼「誰もこうなるなんて思ってもなかったよ……」

ああ、思い出してしまった……。僕の性を否定された、あの日のことを。

22: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 10:00:30.60 ID:d9kkN+bY0
涼『僕も律子姉ちゃんみたいなアイドルになりたい!』

律子『あんたみたいなナヨナヨしたのがイケメンアイドルなんて無理に決まってるじゃない! まぁつてがないことは無いわね』

涼『ホント!?』

石川『女性アイドルとしてのデビューしか認めません』

涼『なんでー!?』

律子姉ちゃんの玩具にされるのを嫌がった結果、所属したのはブラック企業度マックスの性質の悪い事務所だった。……いや、裏工作とか妨害とか黒いことをしてるわけじゃないよ? 普通の小さな事務所。だからこそ、パンチが必要なのもよく分かる。だけど、女装を強要させる事務所ってdo-dai?

冷静に考えなくても、社長の話も無理があるって分かるのに、切羽詰っていた僕は疑うことなく、女装アイドルとしてデビューすることになってしまった。

最初のうちは慣れず、どっちのトイレに行けばいいか分からなく催してしまったこともあるし、不用意な発言でかなり際どい水着を着させられたこともある。少なくとも男性アイドルのすることじゃない。ジュピターの皆が女装してたら嫌でしょ? そして一番悲しいのが、女装に慣れてしまって、男性の姿の方に違和感を感じてしまうようになった。その内、胸が出来るんじゃないかな。

涼「考えても不毛だよ……。あっ、始まっちゃう!」

時計は23時半を指して、1日がもうすぐ終わることを知らせる。僕は急いでPCを立ち上げ、お気に入りのページへと飛ぶ。

『トオシタノリコの、シンデレラスカイ。今宵も私が眠れぬ皆様を、深々とした夜の闇に導いてまいります。30分間という短い物語ですが、0時の鐘が鳴るまで、星々の囁きに耳をお傾け下さい』

涼「ほっ、生放送に間に合った……」

23: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 10:08:35.29 ID:d9kkN+bY0
ノリコ「まずはメールを1通、恋の相談ですね。○○県にお住いの、恋するハルルンさんから頂きました。ノリコさん、こんばんわ。いつも楽しく聞かせていただいてます。突然ですが、私には好きな人が――」

平日の寝る前の習慣、ネットラジオ『シンデレラスカイ』を聴くこと。トオシタノリコと名乗るDJが、リスナーからの相談に乗ったり、素敵な音楽を流してくれる。派手な番組ではないけど、落ち着いて聞けて、なによりもノリコさんの透き通るような声は、僕たちリスナーを魅了する。どういう経緯で聴き始めたか忘れたけど、今ではたまにメールを送るぐらいだ。と言っても、採用されたことないんだけどね。

ノリコ『ハルルンさん、押してダメなら、引いてみてはどうかしら? 向こうも寂しく思って、気になるはずですよ? 貴女の想いが伝わるといいですね。おや、魔法が解ける時間がやってきましたね。今宵も短い間でしたが、付き合ってくださり有難うございます。お相手は、トオシタノリコでした。では次の寝物語の時まで、バイバイ』

涼「バイバーイ! っとスケジュール見ておかないと」

送られてきた明日のスケジュールを確認し、新しく買ったばかりのベッドへと今ダーイビーング。疲れのアシストもあってか、その日はすぐに眠れた。

明日も良い日でありますように。


涼『ここは……?』

千早『……』

涼『あれ? 千早さん? 何して……』

千早『さとりん、サトサト、すいっ!すいっ!すいっ! さとっておさとが、さとポッポ! さとりん、サトサト、すいっ!すいっ!すいっ! さとっておさとが、さとポッポ! さとります! さとれない!?』

涼『サトサトじゃなくて、サトイモですよ?』

千早『クエッ!』

涼『き、消えた!?』

24: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 10:13:08.58 ID:d9kkN+bY0
『起き給え──男たちは己の悲運より、友のために涙を流した──』

涼「ううん……」

厨二病ととはまた違う、妙な深みのある目覚まし時計が朝を告げる。従姉が誕生日にくれたノムリッシュ目覚まし、静寂を破るものって正式名称があるみたいだけど、普通に目覚ましでいいと思う。パチクリと目を開け、真っ白な天井を見て一言。

涼「知らない天井だ……」

第弐話
   見
   知
   ら
   ぬ、天井

涼「なんちゃって。一回言ってみたかったんだよね」

引っ越したばかりの部屋の天井は、シミひとつない綺麗な白色だ。塗り直したのかな? まだまだ眠いけど、今日は仕事がある。シャキッとしないと、今日のメインのアイドルさんに失礼だ。

涼「にしても、凄い夢だったな。まさか千早さんがSPEC HOLDERだったなんて……」

無愛想な彼女も、夢の中ではノリノリで踊っていた。夢は人の願望が映るというけど、あれが僕が千早さんに求めているものなのかな。もし予知夢だとしたら、色々と大変なことになるな。

25: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 10:41:02.19 ID:OeN9eK850
涼「うへぇ、苦いや……。眠気は覚めたけど」

ウドのコーヒーは苦いというけど、普通のブラックコーヒーの時点で僕はもうだめだった。砂糖とミルクを入れ、味を甘くする。これが大人の男性への第一歩なら、まだ大人にならなくていいや。

涼「さてと、行かなきゃ!」

慣れた手つきで、女装をしていく。薄いメイクにパッドを入れて、スカート穿いて。無駄毛は奇跡的に生えないので、そのままで大丈夫。あっという間に鈴月アキの完成だ。

鈴月アキ。僕が芸能活動をする上での偽名だ。事務所も最初は『秋月涼』と本名で活動する予定だったらしいけど、

涼『流石にばれるよー!!』

石川『そうね……、じゃあこういうのはどうかしら?』

涼『鈴月アキ?』

ということで、強引に芸名を付けてもらったんだ。と言っても、秋月涼を逆さにして涼月秋、涼を鈴にして、秋をカタカナにしただけなんだけどね。それでもバレないものだ。みんな想像もできないだろう、隣で勉強している男の子が、実は女装癖……、じゃなくて女装アイドルなんて茨の道を歩んでるなんて。予想の斜め上過ぎて、よほど勘のいい人物じゃないと分からないと思う。まさに理想とは真逆の状態な僕にピッタリな芸名だ。

涼「今日も元気にアイドルライフ~♪ はぁ、泣けてきた……」

泣いていられまい。仕事はきっちりこなさないとね。

26: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 10:45:40.77 ID:geTF/MjH0
涼「小林ホールは……、ここだね」

地図を見て、今日のライブの場所に1時間早く着く。気が早いかもしれないけど、遅刻するよりは数倍マシだ。折角早く着いたんだ、スタッフの皆さんや今日のメインを張るアイドルの方に挨拶をしよう。鈴月アキは品行方正で売ってるんだし。

涼「鈴月アキです! 今日はよろしくお願いします!」

スタッフ「よろしぃっく! いやぁ、キミきゃわぁいぃねぇ~、どぅっすかぁ、終わった後、一緒にご飯でも」

涼「え、遠慮しときます……」

スタッフ「えー? 後悔しちゃうかもよ?」

多分後悔するのは、貴方だと思います。そういう趣味でなければ。

スタッフ「はぁ、今日はつぅれなぁいなぁ。にしてもキミはまじめだね~。メインの子なんて、挨拶も目を見てしてしないし、時間押してるってのに何度もするしさぁ、未来の歌姫か何だか知んないけど、俺たちをなんだと思ってんだか……」

涼「気難しい人なのかな……」

スタッフ「気難しーってレベルじゃねーぞー!」

スタッフさんのチャラけた口調に、少しばかりの怒りが見え隠れする。よっぽどのようだ。

スタッフ「まっ、ちゅーこって、アキちゃん、期待してっぜ~」

涼「あ、はい! さて、どうしたものか……」

一度楽屋に戻ろう。そういえば、メインのアイドルって誰だろう……。

27: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 11:20:25.41 ID:d9kkN+bY0
涼「な、なんという偶然……」

ここまで来ると。もはや運命じみたものを感じる。本日のメイン、如月千早様。つまり僕は、彼女の前に歌うと……。

涼「プレッシャー半端ないや……」

千早さんがいるだろうドアの前で立ち往生してしまう。トントンとノックをすればいい話だ、だけどもし千早さんの機嫌が悪かったら?

千早『集中しているのが見えないのですか? このゴミめが』

涼「な、なんてことになったら……」

??「ちょっとごめんなさいねー。その部屋に入りたいんだけど」

涼「あっ、すみませ……、律子姉ちゃん?」

律子「涼!? 何でここにいるのよ!」

涼「シッ! やだなぁ、私は鈴月アキですよ~?」

律子「あっ、忘れてたわ。ごめんなさい……。ってなんでアンタがここにいるのよ」

律子姉ちゃんは、腰に手を当てて言及する。目の前の黒いスーツを身にまとい、眼鏡とパイナップルヘアーな女性は、従姉で765プロの女性プロデューサー秋月律子。言ってしまえば、全ての元凶の鬼畜眼鏡1号だ。ちなみに2号はまなみさん。

28: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 12:00:35.43 ID:geTF/MjH0
律子「今失礼なこと考えなかった?」

そしてなんでも○っと全てお見通しらしい。

涼「考えてないよ! 今日は前座なんだよ。律子姉ちゃん聞いてなかったの?」

律子「あんたが前座だったの? それならそうと教えて欲しかったわね。ビックリしたじゃない」

涼「あっ、ごめんなさい」

律子「今のはあんたに言ったんじゃないわよ。本来来るはずだったプロデューサーにね。私は代理よ」

涼「プロデューサーの代理?」

律子「そっ、本当ならうちのプロデューサーが付いてくるはずだったんだけど、金髪のアホが空気を読まずにやらかしちゃってね。プロデューサーは謝罪まわりなう、ってわけ」

涼「何をやらかしたの?」

律子「カツラの大御所に、頭ずれてるよっ? て言ったのよ……。下手すりゃ出禁じゃないの」

涼「お、おう……」

それは一大事だ。カツラの大御所というと、多分グラサンの人だろう。業界でもかなりの力を持ってるし、下手すれば事務所ごと潰されかねない。プロデューサーさんに心の中で合掌。

29: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 12:03:07.73 ID:d9kkN+bY0
律子「であんたは何やってるのよ」

涼「あっ、うん。千早さんに挨拶しようかなって」

律子「そうね……」

律子姉ちゃんは考えるように腕を組む。少しして、ため息をつきながら答える。

律子「その心構えは立派だけど、今は止めておいた方がいいかもしれないわね。さっきもホールのスタッフとひと悶着あったみたいだし。集中するからって、楽屋に邪魔されることを嫌っているのよ。多分今はその真っ最中じゃない?」

涼「うん、さっき愚痴られたよ」

律子「あんたに愚痴っても仕方ないのにね」

どうやら僕が来るまでに、スタッフとも何かいざこざがあったみたいだ。律子姉ちゃんの顔からは、疲労の色が見える。

律子「千早といい、美希といい、もう少し周りのこと考えてほしいわね……。プロデューサーの仕事は謝ることじゃないのにね」

まるで中間管理職だ。項垂れる律子姉ちゃんからは悲哀が漂ってくる。

律子「まぁマイペースなだけの美希と違って、千早はこだわりが強すぎるのよね。そうでもしないと、世界的な歌手になんかなれないんでしょうけど。可能であれば、歌以外にも興味を持ってほしいところではあるわね」

千早さんは歌に関してのこだわりが凄いようで、そのため衝突が起きることもしばしばだとか。それ自体は悪いことではないけど、どうも不器用な人なようで、敵を作ってしまいがちだと思う。さっきのスタッフもその1人だろう。

30: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 12:09:06.37 ID:eHSUxDAV0
律子「まぁそういうことよ。挨拶はまた今度でいいわ。千早自体、挨拶されてもどうでもいいような顔をするでしょうし」

涼「そうなの? ちょっとショック……」

律子「そんなものよ。愛想ぐらいは良くして」

 カチャリと音がすると同時に、楽屋のドアが開く。

千早「騒がしいわね、律子。気が散るわ……」

律子「あっ、ごめんなさい」

千早「集中するから、楽屋に人を近づけないでって言ったわよね。……あら?」

不機嫌そうな千早さんは僕の姿を見ると首をかしげる。

千早「あなたは?」

涼「あっ、はい! 鈴月アキです! 今日は前座に呼ばれました、よろしくお願いします!」

元気よく挨拶をするが、千早さんは返事をせず、何か考え事をしているようだ。

31: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 12:13:04.22 ID:d9kkN+bY0
千早「……気のせいかしら?」

律子「何がよ」

千早さんは釈然としない顔で僕を見る。

千早「鈴月さんだったかしら? どこかで見たことあるのよね……」

律子「は、はぁ? そりゃあ同じアイドルなんだし、仕事で一緒になることもあるんじゃないの?」

ヤバい! バレそうだ!

涼「そ、そうですよ! えっと……、番組で一度ご一緒させていただきました! その節はお世話になりました!」

千早「え? そうだったかしら? まあ別に良いんだけど」

他人に興味を持たない性格で助かったのかな? それはそれで悲しかったり。

涼「じゃ、じゃあ挨拶は済んだので、私はこれで……」

千早「あっ……」

そう言ってその場から逃げだし、楽屋に入る。

34: 投下します 2012/06/08(金) 20:26:11.46 ID:geTF/MjH0
涼「はぁ……、はぁ……。これまずいんじゃ……」

律子「何がまずいのよ」

涼「うわぁ! で、出たー!」

背後から悪鬼衝鬼慄狐(あきづきりつこ)が現れた!!

律子「人を妖怪みたいに言うな! ねぇ、あんた千早と知り合いだったりしない?」

涼「へ? 何でそう思うの?」

律子「さっきの千早の反応よ。そもそもあの娘、あまり人に興味を持たないの。でもあんたを見て、どこかで会ったことあるかもって言ったから。アキじゃなくて、涼として会ったことがあるんじゃないの?」

律子姉ちゃんに隠し事は通用しないみたいだ。僕は千早さんとのことを説明した。

律子「これはまたすごい偶然ね……。学校は同じ、引っ越し先では隣人。漫画みたいなこともあるのね」

黙って聞いていた律子姉ちゃんも、驚きを隠せないようだ。

律子「でもバレないことにこしたことは無いわ。用心して頂戴」

涼「あっ、うん」

眼鏡越しに厳しい目をして忠告する。一体何がきっかけで、秘密が露呈してしまうか分からない。下手すれば律子姉ちゃんにまで危害が及ぶ。ぶっちゃけ自業自得だと思うけど、それはしのびない。普段は男子高校生、だけど女性アイドルもやってます。この二重生活は、苦労の連続だよ。

35: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 20:29:52.41 ID:d9kkN+bY0
スタッフ「アキちゅわぁあん、リハやるからよろぴくー」

涼「あっ、いま行きまーす!!」

妙にテンションの高いスタッフに呼ばれ、僕はステージへと走る。

律子「……」

千早「……」

本番前のリハなので、客席にお客さんはまだいないけど、律子姉ちゃんと千早さんが座っていた。律子姉ちゃんは勝手知ったる相手ということか、あまり興味なさそうだけど、一方の千早さんは僕を冷たい視線で見据える。まるで試されてるみたいだ。

涼「よし、平常心、平常心!」

自己暗示をかけるように、自分に言い聞かす。バックから音楽が流れてくると、気が引き締まる。やっぱり緊張するなぁ。

涼「~♪」

千早「……?」

あれ、何かミスった? 急に顔が険しくなり、目を閉じる。まるで僕の歌を聞き逃さないように、集中しているみたいだ。少し動揺して上ずるけど、すぐに音程を取り戻す。

36: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 20:34:49.86 ID:d9kkN+bY0
涼(乗ってるの、かな?)

目を瞑ったまま、リズムに乗っている。オーディションのボーカル審査員のように見えてきたぞ。

涼「~♪ えっと、どうでしょうか?」

確認を取る必要はないと思うけど、主役に聞いてしまう。

千早「特に問題はありません」

涼「あ、ありがとうございます」

律子「ふーん、やるじゃない」

千早さんは特に言及するでもなく、褒めるでもなく。無関心といった方がいいのかな? それはそれで凹むな……。

千早「ねえ、鈴月さん」

涼「はい、なんでしょうか」

客席に座ろうとする僕を、千早さんが呼び止める。僕の顔を観察するようにじっと見たと思うと、

千早「本番の後、楽屋に来てくれる?」

涼「ええ!? い、良いですけど……」

律子「ち、千早!?」

まさかのお誘いイベント!? 千早さんがそんなことを言うと思わなかったのだろうか、律子姉ちゃんはハトが豆鉄砲を食らったような顔している。……実際に撃ったことないから、どんな顔するんだろ。試す気にもならない。

37: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 20:57:52.16 ID:eHSUxDAV0
千早「私、待ってるから」

涼「は、はぁ……」

ビックリしている秋月姓2人を尻目に、短くそう言うと彼女はステージへと立つ。生でリハーサルが見れるなんて、今日は来て良かったなぁ。

律子「ねえ、あんた本当に何もしていないでしょうね」

涼「してないよ! 学校で話したのも、昨日が初めてだし、引っ越しの挨拶も1分もせずに終わったんだよ?」

律子姉ちゃんは疑いのまなざしで僕を見る。疑われる覚えは、全くない。

律子「まぁあの娘が興味を持ったってことは、何かしら光るものを感じたんじゃないの?」

涼「例えば?」

律子「この胸のパッドとか。……冗談よ、だから真顔で見つめないでよ!」

全くこの従姉は……。

涼「光るもの、かぁ」

律子「ええ。まぁ私もあんたは才能あると思ってるしね、女装アイドルの」

涼「そんな才能いらないよ!!」

誰かー! 1円でもいいから買ってくださーい!!

38: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 21:01:24.28 ID:eHSUxDAV0
律子「自信持ちなさい、千早に興味を持たれるなんて、レア中のレアよ。特に事務所が違うならなおさらね」

涼「そんなに?」

律子「765でも、積極的にコミュニケーション取る子でもないし。あっ、始まるわね」

ステージに青がかった照明があたり、千早さんを照らす。そして空気を震わせ、歌声が響く。

千早「~♪」

涼「す、すごい……」

律子「呆けているようだけど、これリハなのよね。歌に関しては、常に直球なのよ、あの子は。それも150キロオーバーのね」

全てを引き込む高い歌唱力に、僕はただただ圧倒されるばかりだ。

スタッフ「……」

あれだけ悪態をついていたスタッフさんも黙っている。彼女の歌の前では、怒りの感情も無力に等しいのだろう。

涼「だけど……、なんでだろう」

律子「どうかした?」

涼「ううん。何か、違う気がして。凄く上手だし、僕なんかがあの域にたどり着くには、逆立ちしたって難しいと思う。でも……」

??「何かが足りない、と感じるのかい?」

39: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 21:05:40.36 ID:eHSUxDAV0
涼「え? 武田さん?」

武田「そう、僕だ。まさか君がいたとはな。驚いたよ。君にはもう少ししてから彼女を紹介しようと思っていたんだが……。まぁこれも巡り合せだろう」

千早さんのプチステージの中、黒いジャケットを着た男性が僕の隣に座る。彼は武田蒼一。名前を知らない人の方が知らないだろう音楽番組、オールドホイッスルのプロデューサーだ。音楽業界の重鎮である彼と、まだまだ駆け出しの僕が出会ったのは少し前のことだった。

律子「ええ? あんた武田さんと知り合いなの?」

涼「うん、ちょっとね」

武田「鈴月君とは少しあってね。さて話を戻すか。彼女に足りないもの、それが分かるかい?」

暑いからか、ジャケットを脱ぎ椅子にかける。

涼「えっと、分かるような分からないような。だけど、何か引っ掻かるんです」

武田さんは僕の答えを聞いて、うんうんと頷いている。明確な答え出せなかったんだけど……。

武田「まぁそれで良いか。確かに彼女の音楽は心に来るものがある。だからこそ、僕はオールドホイッスルに彼女を招待した。アイドルとして、初めての快挙だ。だけど彼女の歌を直で聴いて分かった。彼女の歌は、まだ未完成だ。大切なピースが、抜け落ちている」

涼「大切なピース……、ですか」

40: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 21:08:06.56 ID:eHSUxDAV0
武田「それに彼女自身が気付いた時、音楽業界をけん引する存在になるだろう。そうなることを、心から祈っておくよ。こればっかりは、僕がどうこうできる話でもないしね。さて、僕は行かなければ」

ジャケットを着直し立ち上がる。千早さんはまだ歌っていて、こちらに気付いていないみたいだ。

律子「あれ? ライブを見に来たんじゃ」

武田「それなら良かったんだが、あいにく僕も多忙でね。仕事の都合で、こっちに寄っていたんだ。秋月君、彼女によろしく伝えておいて欲しい」

律子「はい、分かりました」

武田「ではまた会おう」

涼「はい、お疲れ様でした」

武田さんは手を振り、ホールを後にする。後姿も格好良い。出来る男はやっぱり違うなぁ。僕なんかがあのジャケット着たら……、似合わないよね。

千早「~♪ ……これなら大丈夫かしら」

リハーサルも終わり、本番を迎える。僕の出番は、千早さんが出るまでに客席を暖めておくこと。今はまだ無理でも、いつかは僕がメインになってやる!! そう心に誓って、ステージに立つ。

41: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 21:13:07.62 ID:d9kkN+bY0
涼「みんなー! 鈴月アキだよー! 今日は楽しんで行ってくださいね!!」

僕が頑張ったからか、それとも千早さんの歌にみんな酔いしれたからか。後者だと思うけど、今日のライブは大成功に終わった。

涼「あっ、千早さんに呼ばれてたんだ」

ライブでずれたパッドを直していると、千早さんの誘いを思い出す。僕はその足で、楽屋へと向かう。

涼「すみませーん。鈴月ですけどー」

ドア越しに呼ぶと、すぐにドアが開いた。

千早「来たのね、入ってくれるかしら」

楽屋に入るだけなのに、少しだけ緊張。楽屋には必要最低限のものしか置かれておらず、殺風景に感じる。

千早「適当に座ってくれる?」

促されるまま、仕舞われているパイプ椅子を出して座る。千早さんも椅子を持ってきて、僕の前に座った。

千早「要件に入る前だけど……。今日はお疲れ様でした。貴女のおかげで、ライブが成功したわ」

涼「そんな、私なんか微々たるものですよ」

42: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 21:17:03.54 ID:geTF/MjH0
千早「じゃあ鈴月さん、本題に入りたいんだけど……。少し歌ってくれるかしら?」

涼「歌、ですか?」

意外な申し出に聞き返してしまうが、千早さんは表情を変えず続ける。

千早「ええ、曲は何でもいいわ。別に審査しようってわけじゃないけど、あなたの今出せる最高の歌を聞かせて欲しい」

涼「えっと、じゃあさっき歌った曲を」

なんか緊張するな、これ。音源がないので、アカペラで歌い出す。音程は大丈夫かな、リズム狂ってないかな。そんなことを考える余裕もない。距離は数十センチ、いくら小さなオーディションでも、ここまで審査員が近いなんてことは無かった。

涼「~♪ えっと。歌い終わりましたが……」

千早「……やっぱりそうなのかしら?」

涼「えーと、何がでしょうか?」

千早さんは1人納得している。恐る恐る尋ねると、彼女は信じられない行動に出る。

43: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 21:27:08.82 ID:d9kkN+bY0
スルッ

涼「ぎゃおおおおん!! な、何するんですか!!」

千早「それ、パッドなの?」

おもむろに僕の胸をつかみ感触を確かめる。もうダメだ、ごまかしきれない!!

涼「あ、あの! 実は私、いや僕!」

千早「男なのね」

涼「は、はい……」

ネタばらしする前に、正解を言われる。彼女はあまり驚かず、僕の話を静かに聞いてくれた。僕が秋月律子の従弟、秋月涼であること。男性アイドルになるため、女装アイドルで頂点を目指すことになったこと、鈴月アキと名乗っていること、なによりも女装趣味があるわけじゃないことを。特に最後は念入りにした。

千早「ずいぶん無茶なデビューをするものね。オペラじゃ珍しい話でもないけど、まさかね……」

呆れ果てたように言う。常識で考えて、異常なんだから。白い目で見られることも覚悟していた。

涼「自分でもそう思います」

千早「男と女、性を超えた歌。興味深いわね……」

責められるようなこと、罵られるようなことはなく、むしろ千早さんは僕に興味を持ってくれたみたいだ。オペラと同列になるのも、変な感じがするけど。

涼「でもどうして、僕が男だってわかったんですか?」

44: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 21:32:22.88 ID:d9kkN+bY0
自分で言うのもなんだけど、女装だってことがバレないように気を付けてきたはずだ。着替えも誰もいないタイミングを見計らい、不用意な行動も謹んできた。なのにどうして?

千早「なんでかって顔してるわね。それは、あなたの歌が教えてくれたわ」

涼「歌?」

千早「ええ、歌い方がね。確かにあなたの声は、同世代の男性に比べて高く柔らかい。女性の声も難なく出しているつもりだと思うけど、男性が完全に女性で歌うのは難しいわ。逆はそうでもないんでしょうけど」

逆ってことは、女性声優が、男性のキャラクターで歌を出すようなものだろうか? 千早さんの推理は続く。

千早「そして感じたのは、無理をしているという印象。さっきも言った通り、男性が女性の声で歌うなんて完全には出来ないの。あなたの歌は見張るものがあった、だけど同時にリミッターをかけているような気がしていた。えっと……、鈴月さん?」

涼「秋月でも大丈夫です」

千早「秋月君、一度男声で歌ってくれる? 男声って言っても、声の方ね」

男性と男性をかけているんだろうけど、意味合い的にはあまり変わらない気がする。

涼「それは分かりますけど……。コホン、じゃあさっきの曲と同じので」

そのままの声で人前で歌うのって、いつ振りかな。カラオケも忙しくて行けてないし。

45: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 22:02:57.59 ID:geTF/MjH0
涼「ふぅ……、こんなもので良いんでしょうか?」

久しぶりに男声で歌うと、楽に歌えた。やっぱり女声を無理に出していたのかもしれない。

千早「もう良いわ。やっぱり、あなたはそっちの方が良いと思う。今からでも遅くないわ、男性ボーカルとして再デビューすべきよ」

涼「ええ!? 急に言われても!」

千早「事務所には私からも話を通す、それなら向こうも考え直すと思うけど?」

願ってもない提案だった。確かに今すぐにでも、女装をやめてそのままの自分でステージに立ちたいと思っている。最初からそれは変わらない。ましては千早さんの太鼓判を押されたんだ。だから望みどおりになると思うけど……。

涼「ありがとうございます。だけど、約束しているんです。これで頂点になって、男性アイドルとしても頂点に立つって。一度決めたことは、最後までなし通したいんです」

自分でもこんな言葉が出ると思わなかった。どうしてだろう? ただ言えるのは、ここで転向しても中途半端になってしまいそうだったから。男なら最後まで、貫いていくべきだと思ったから。

千早「……そう、それは残念ね。だけど同時に、楽しみでもあるわ。あなたの夢が叶うかどうか」

涼「それは……、ありがとうございます」

千早さんは寂しそうな顔を見せるけど、ふふっと笑って僕を見る。初めて、僕の前で笑ってくれた気がする。

46: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 22:32:58.20 ID:eHSUxDAV0
千早「あなたがそう言うなら、私に邪魔する権利はないわ。だけど、これだけは言っておくわ」

真剣な眼差しで、僕の喉を見る。

千早「時間はあまりないわ、あなたの声は永遠じゃないんだから」

涼「それって……」

千早「気にしたことがないのかしら? 通常なら、秋月君ぐらいの男子は変声期が済んでいるはずよ」

涼「あっ……」

言われて気付く。どうしてこんな大事なこと忘れていたんだ!! 声変わり、つまり僕の歌声は期限付きなんだということを思い知らされた。

千早「876事務所の関係者や律子は気付いているか分からないけど、女性アイドルでいられる時間は限られている。声が低くなって男らしくなる前に、頂点に立たなければならない。それが貴方の進む道よ」

涼「……そうですね」

なんと皮肉な話だろうか。僕の理想の男らしくなりたいは、現状にそぐわないんだ。理想と現実、まるでシーソーのように、バランスを保っている。どちらかを手放すと、片方が持ち上がる。だけどまだ、理想を捨てることはできないし、現状から逃げることも許されない。

47: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/08(金) 22:40:26.60 ID:OeN9eK850
千早「ただ、私も貴方がどんな道を辿っていくかは、気になるわ。誰も成し遂げようとしなかった、前例のないことをしようとしている。女装アイドルなんて、褒められたものじゃないかもしれないけど、性別を超えた、音楽の可能性を孕んでいるかもしれない」

アイドルではなく、あくまで音楽の可能性というのが、千早さんらしい。

千早「これも何かの縁なのかしら? 秋月君、手を組まない?」

涼「手を、ですか?」

千早「ええ、私は貴方の正体に気付いてしまった。別にそれを脅すわけじゃないけど、あなたが夢を叶えるのを見てみたいの」

思ってもない展開に少し戸惑う。千早さんが、協力? 彼女ほどの凄い人が、どうして僕なんかに……。

千早「アイドルの姿勢としては間違っているのでしょうけど、私は歌のみでここまで来た。ほかの部分を切り離してでもね。だけど、そう通用するものでもないわ。ダンスとビジュアルに関しては、十分だと思う。その2つに関しては、私より上でしょうし」

流石にそれは褒めすぎじゃないですか? 確かに体を動かすことは好きだし、ビジュアルもバレない様にとして来たからそれなりに自信はあるけど……。

涼「そんな、僕なんて」

千早「ふふっ、律子といいあなたといい、秋月って苗字は自己評価が低いのね。私は貴方の歌に可能性を見出した、それだけで十分よ」

小さく笑う。それじゃまるで、僕自身じゃなくて、僕の歌を見ているような言い方だ。でも今は甘んじよう。なんせが彼女が歌を見てくれるんだ、こんなチャンス、そうあるわけじゃない。

千早「あっ、今のは歌だけってことじゃないわよ。誤解させてしまったなら謝るわ」

顔に出てしまったみたいだ。千早さんは慌てて訂正する。

涼「えっと、よろしくお願いします、千早さん」

千早「ええ、こちらこそ」

いつか歌じゃなくて、僕を見てくれるなら。そうして、僕と彼女の共犯関係が成立したんだ。

51: 投下します 2012/06/09(土) 09:42:39.16 ID:fC4iTN6U0
律子「ねー、千早。入っても……、ってアキ?」

千早さんに秘密を打ち明けた後、律子姉ちゃんがおずおずと入ってきた。楽しげに談笑する僕らに面食らったのか、ポカンとしている。

千早「別に茶番は良いわよ。彼が律子の従弟ってこと知ってるから」

律子「ええ!? あんたバラしたの!?」

涼「いやー、バラしたと言いますか……」

バレちゃったというか……。チラリと千早さんを見ると、首を縦に振る。

千早「私から説明するわ」

察してくれた千早さんは、律子姉ちゃんに事の経緯を説明する。やっぱり鈴月アキを始めて見た時から、昨日の秋月涼がダブって見えていたみたい。女装して名前を変えたところで、そうそう騙せるものじゃないらしい。そして、僕の歌を聴いて確信したんだって。やっぱり凄いなぁ。

律子「なるほどねぇ……。バレちゃったものは仕方ないし、私からもお願いするわ。涼のことは秘密にしておいてほしいの。ほら、あんたも頭下げなさい」

涼「いだだ! お願いします!!」

律子姉ちゃんに頭を押さえられる。結構痛いです。

52: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/09(土) 09:49:11.36 ID:3RzboUtr0
千早「仲が良いのね。安心して、私はそこまで口が軽くないわよ。言う必要性もないし、私の中だけで留めておく。それで良いかしら?」

涼「ありがとうございます!」

律子「やっぱ隠し通すのは難しそうね。あんたも気をつけなさい、どこで何が待っているか分からないんだから」

涼「うん、そうするよ」

昨日の電話にて、母親曰く野獣と化した同級生たちが僕の家まで来たらしい。ひとり暮らししていて心からよかったと思う。

律子「にしても大丈夫なのかしらね……」

千早「律子?」

ボソリと聞こえないぐらいの声でつぶやくけど、千早さんには聞こえていたみたいだ。

律子「いやっ、何でもないわよ! それじゃあ帰りましょうか」

スタッフたちに挨拶をして、ホールを出る。仕事がまだ残っているらしい律子姉ちゃんと別れ、僕は千早さんと2人で歩いている。

涼(こ、これはデートじゃ……、んなわけないよね、うん)

53: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/09(土) 09:53:57.51 ID:Vtqrh+bK0
綺麗な女の人と一緒に歩いているという事実は、僕を舞いあがらせるのに十分だけど、周りからしたら、女の子が2人歩いているという風にしか見られていないだろう。それに、千早さんは毛ほども気にしていないようだ。

千早「どうかしたかしら?」

涼「い、いえ!! 何も……」

共犯関係といっても、微妙な距離感の中僕たちはアパートへと着く。

涼「今日は勉強になりました! えっと、またよろしくお願いしますね!」

千早「ええ、こちらこそ。おやすみなさい」

涼「おやすみなさい」

昨日よりも、表情はマイルドになっている。親しい人にはこういう顔を見せるのかな? 僕が彼女に認められたみたいで、どこか嬉しい。

涼「共犯か……。一方的にだよね」

彼女は僕の秘密を知っている。だけど僕は、彼女のことを全く知らない。歌に全てをかけていて、笑うと可愛い。それぐらいしか知らないんだ。

涼「千早さんの秘密を打ち明けられるぐらい、信用される男になりたいな」

アキとしてでなく、涼として彼女と向き合っていきたいと思った。

54: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/09(土) 10:09:52.46 ID:qrYa5wNJ0
そんなある日のこと。

千早「あっ、秋月君。やっぱり来たのね」

涼「千早さん!? どうしてまた……」

お昼休み、いつものように聖域に行くと、コンビニの袋片手に千早さんが座っていた。

千早「この場所、歌の練習にちょうどいいのよ」

とは彼女の談。僕が来るのをわざわざ待っていたようだ。鍵穴に鍵をさし、屋上への扉を開ける。今日の天気は晴れ、お日様の下でご飯を食べるのもハイキングみたいで良い。

千早「ねえ、秋月君。今日体育でサッカーやっていたでしょ?」

涼「え? どうして知ってるんですか?」

千早「私の席から、見えるのよ。あれ、大丈夫なの?」

涼「うぅ……、恥ずかしいとこ見せてしまいました」

というのも、体育の最中にラグビー部員のタックルを真に受けてしまい、ボールみたいにぶっ飛んでしまって保健室に運ばれたのだ。おかげで4限の授業を休む羽目になった。

55: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/09(土) 10:24:53.22 ID:qrYa5wNJ0
千早「まぁ大丈夫なら良いんだけど……」

涼「えっと、どうかしました?」

僕の弁当箱を興味津々といった風に見ている。

千早「秋月君、それ手作り?」

涼「あっ、はい。そうですけど」

千早「上手に出来てるのね」

盛り付けにも気を使っているからなぁ。実は料理しているときが一番楽しかったり。あっ、でもアイドルも頑張っているよ? 楽しいことばかりじゃないけどね。

涼「あっ、食べます? この玉子焼とか、自信作なんですけど」

千早「いいの? じゃあ頂きます」

玉子焼きを割り箸で挟み、美しい歌を紡ぐ口へと入れる。

涼「えっと……、どうですか?」

千早「うん、冷めていても美味しいわ」

涼「やった!」

思わずガッツポーズを作ると、千早さんはそれを見て、笑っている。ちょっと恥ずかしいな。

56: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/09(土) 10:40:43.61 ID:3RzboUtr0
涼「千早さんは作らないんですか?」

千早「ええ、興味ないもの。面倒だし」

あれ? もしかしなくても地雷ふんじゃった? 趣味をバッサリと切られてしまう。

涼「勿体無いなぁ。料理楽しいですよ? あれこれ考えて作るのとか好きですし。それに、自分が作った料理ほど、美味しいものはありませんよ」

千早「そういうものなの?」

涼「そういうものです。それに千早さんの料理、食べてみたいです」

千早「変わったこと言うのね。出会ってまだ3日ほどの相手なのに」

鼻で笑われてしまった。

涼「うっ……、でも僕たちは共犯関係ですよ?」

千早「それもそうね。でも私は料理が得意じゃないわ。料理番組でも活躍できなかったし、あまり期待しない方が良いわよ?」

57: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/09(土) 11:43:38.38 ID:qrYa5wNJ0
涼「でもコンビニ弁当ばかりじゃ……。そうだ、明日僕がお弁当作ってきますね」

千早「秋月君が?」

僕の申し出に、驚いた顔を見せる。

千早「流石に悪いわよ。私のために時間を割いてもらうのも悪いし」

涼「1人分が2人分に増えるだけだから、そんな変わりませんよ。千早さんだってお金が浮きます。お弁当に割いていた分を、CDなりスコアなり買うお金にしてください。どうですか、結構お得な話だと思いますけど」

音楽にお金を費やしてほしい。僕の意図が伝わると、彼女は財布を開けてクシャクシャのレシートを確認する。千早さんぐらいの人なら、お金持ってそうだけどそこは女子高生。意外ときちきちな生活をしているのかもしれない。

千早「あまり知らないんだけど、自炊の方が安くなるのかしら?」

涼「まぁ節約したらなると思います。安売りの時に買いだめして、ご飯も毎回毎炊くんじゃなくて、1回で7合ぐらい炊いて、冷凍したらいいですし。色々気を付けるだけで、だいぶ節約されると思います」

ひとり暮らしを始めてすぐに、ネットで調べ漁った。まだまだ駆け出しアイドルだし、無理言って一人暮らししている身分だ、家賃も僕が払っている。だけどお腹がすくのはどうしようもない。だから、こういうところで節約せざるを得ないんだ。

58: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/09(土) 12:17:04.08 ID:Vtqrh+bK0
千早「それは……、悪くない話ね。でも本当にいいの? 簡単そうに言うけど、お弁当作るの大変だと思うんだけど」

涼「気にしないでください。千早さんが料理するきっかけになればいいなって思ってますし。そうだ、今晩うちに来ません? 一緒にご飯食べませんか?」

千早「え? 秋月さんの部屋に? 私が?」

言われて気付く、僕はなんてことを言ったんだと。

涼(これじゃあお誘いじゃんかー! 嫌われちゃうよ!!)

涼「あっ、いや! そのえっと……、今のはやましい気持ちじゃなくて、そのご飯ひとりで食べるのも寂しいかなって……」

必死で弁解する。もちろん僕にやましい気持ちはこれっぽっちもなかった。だけど第三者からしたら、明らかに誘っているようにしか聞こえないようで……。

千早「あははっ! そう必死にならなくても、秋月君はそんなことしないって思ってるわよ。何かあれば律子を呼べばいいだけだし」

涼「そ、それだけはご勘弁を!!」

笑顔で恐ろしいことを言う。律子姉ちゃんに報告でもされたら、服をひん剥かれてハチ公前に捨てられちゃうよ! でもこれって、男と見られてないってことだよね。なんか複雑。

59: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/09(土) 12:31:59.46 ID:qrYa5wNJ0
千早「冗談よ。それに、秋月君が襲うほど魅力的な女でもないし」

涼「そんなことないです! 魅力的です!!」

思わず大声で否定する。本人が思っている以上に、魅力的な女性だと思っているから。そう自分を卑下してほしくなかったんだ。だけど千早さんは、笑いをこらえながら、

千早「え? 襲うの?」

僕をおちょくる様に返してくる。

涼「襲いませんよー!!」

千早「ふふっ。秋月君ってMよね」

涼「否定できません……」

千早さんの口からMという言葉が出ると思わなかった。そのアンバランスさに、こっちが気恥ずかしくなる。

千早「じゃあお願いしちゃおうかしら。でもこっちばかり貰うってのは筋違いよね」

涼「いえ、教科書代みたいなものですから」

ミニライブの日以降、時間があるときは千早さんに歌を教えて貰っている。トレーナーさんに比べて、歳も近いこともあってか、聞きにくいことも質問できるし、なにより彼女の豊富な知識に驚かされた。

60: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/09(土) 12:33:30.88 ID:qrYa5wNJ0
涼『ソ、ソルフェージュ?』

千早『これぐらい一般常識よ』

とあっさり言うけど、ソルフェージュなんて音楽科の無い高校の授業ではしないと思う。でも結果として、説得力のあるレッスンを受けることが出来た。トレーナーがアイドルとしての歌を教えるなら、彼女はまさに歌手としての音楽を教えてくれた。

涼「あっ、そろそろ行かなきゃ。移動授業なんで」

千早「そうね。秋月君、ごちそうさま」

涼「お粗末様でした」

まぁこんな風に、僕たちは交流を深めていった。だけど懸念事項もあった。アイドルと2人(僕もアイドルだけど)でお昼を食べているなんて、バレてしまうと大変なことになりかねない。

例えば……。

某王子様アイドル『なんでこんなことになったんだよー! アキ、記者会見を開こう! 何でもないってことを知らせるんだ!』 

涼『ええええ!?』

61: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/09(土) 12:44:34.32 ID:Vtqrh+bK0
菊地真、後輩引き連れラブラブデート……。女子(ただしボーイッシュ)×女子(ただし女装)ですら、記事になってしまうご時世なんだから。よっぽど記事にする話題がないのかもしれない。

涼「いや、あれは特殊なケースだと思うけどさ」

誰に聞かれるまでもなく、1人ごちる。あの記事のせいで、真さんの熱狂的なファンから嫌がらせを受けたのも、今ではいい思い出だったり。

涼「……そうそう美化できないぞ」

訂正、女性ファンはかなり怖い。あの記事のせいで事務所のHPが炎上したしなぁ。

先生「秋月くん、あなたの番ですよ?」

涼「へ? すみません、聞いていませんでした」

考え事をしていて、先生に当てられたのに気付けなかった。クラスのみんなに笑われ、先生には嫌味を言われる。

涼「はぁ、あそこまで言う必要ないよなぁ」

授業が終わり、いったん家に戻る。荷物を置いて、鈴月アキに変身する。事務所から歩いて数分と、なかなか恵まれた立地だ。その内、みんな遊びに来るのだろうか。そうなると大掃除をしなければ。

涼「部屋……、女の子っぽくした方が良いのかな……。いや、ダメだ。流石に家ぐらいは男でいたいよ」

僕は秋月涼。だけど時々、鈴月アキって名前欄に書くこともあったり。なんとか男であり続けたいものだ。

67: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 00:01:41.20 ID:r36DEmuT0
涼「こんにち」

愛「あ、アキさん! こんにちわー!!」

涼「わぁ!!」

事務所に着くなり、爆音が響く。こんな小さな女の子のどこに、そんなスピーカーがあるんだろ……。

絵理「愛ちゃん、流石に煩いかも。アキさん、びっくりしてる?」

愛「あっ、ごめんなさい。大丈夫ですかアキさん?」

涼「あははは……。気にしないでいいよ」

シュンとしている愛ちゃんの頭をなでて、安心させる。くすぐったそうに笑う愛ちゃんを見ると、まるで妹をあやしているみたいだ。妹とか憧れてたな、従姉が従姉なだけに。

愛「えへへ……」

絵理「アキさん、私の頭も撫でてくれる?」

涼「なんで!?」

愛ちゃんの髪をなでていると、私もと言わんばかりに絵理ちゃんがにじり寄ってくる。ふわりと女の子の良い匂いが鼻を通り、クラっとしてしまう。

68: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 00:20:10.15 ID:Qj0K2Fz90
絵理「だって不平等」

涼「いや、それって違うくない?」

絵理「ほらっ、私の頭撫でられたがってるよ」

絵理ちゃんはいたずらに笑い、頭を差し出す。僕の反応を楽しんでいるようだ。

涼「分かったよ、撫でればいいんでしょ?」

根負けして、絵理ちゃんの頭も撫でる。左手は愛ちゃん、右手は絵理ちゃん。なんだこれ。

絵理「あっ……、そこ気持ちいいかも?」

妙に艶めかしい声を上げたため、手が止まってしまう。はっ、殺気!?

涼「こ、こんにちわ……」

尾崎「……チッ」

涼「しましたよね! 今舌打ちしましたよね!?」

絵理ちゃんのプロデューサー、尾崎さんが親の仇を見るような顔で、僕をにらんでいる。やっぱり嫌われてるよね……。

絵理「尾崎さんも、撫でてほしい?」

涼「絶対違うよ!!」

火に油を注ぐようなこと言わないでください!!

69: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 00:23:46.36 ID:Qj0K2Fz90
絵理「くすっ……、冗談。そういえば、アキさんの手、大きいね」

愛「パパみたいです!!」

涼「ぶっ!!」

何を言うのこの子らは!? そりゃ男の子ですもん!!

絵理「アキさん、大丈夫?」

涼「う、うん……。もう、いきなり変なこと言わないでよー!」

石川「何してるのよ、あなた達」

まなみ「あら、アキさん。モテモテじゃないですか」

騒いでいると、社長とまなみさんがやって来た。

愛「あっ、社長とまなみさん! こんにちわー!!」

石川「こんにちわ、愛。そこまで大声じゃなくても通じるわよ。外にも聞こえてたから、程々にね」

社長は淡々と返す。愛ちゃんの声、外にも聞こえていたんだ。それって、下手したらある種の公害じゃないかな……。

70: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 00:28:39.18 ID:Qj0K2Fz90
愛「はい!!!」

だから煩いです。

石川「みんな揃っているわね。それじゃあ、今後の方針を発表するわ」

社長の口から、今週の大まかな方針が伝えられる。その方針の中で、僕たちは自由な行動が認められているんだ。営業するもよし、レッスンしてもよし、休養もよし。でも自由には責任がつきもの。オーディションに落ちても、それは事務所が悪いんじゃなくて、自分のスケジュール管理が甘いとされてしまう。レッスンをさぼって後々ツケが来ても、それは僕らの責任なんだ。

石川「以上ね。各自目標に向かって精進して頂戴」

社長はそう言うと、自分の仕事に戻っていく。

涼「さて、レッスン場に行こうかな。教えて貰ったこと、活かさないとね!」

夜までまだ時間がある。千早さんも仕事で8時ぐらいになるらしいし、ちょうどいいぐらいになるかな。そういえば、千早さん何が好きで何が嫌いなんだろ。後でまた聞いておくか。……これって、新婚さんみたいだな。僕が奥さんポジションにいるのが納得いかないけど。

涼「あおい―とリー♪ いつかーってうん?」

愛「ジー」

絵理「ジー?」

視線を感じる。振り向くと、愛ちゃんと絵理ちゃんが僕を見つめていた。

71: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 00:34:31.40 ID:r36DEmuT0
涼「えっと、どうかした?」

愛「アキさん、なんか嬉しそうですね」

絵理「うん、いつもより楽しそう」

涼「そ、そうかな?」

鼻歌を聞かれていたのかな? 2人は不思議そうに僕を見ている。

愛「あっ、もしかして良いことありました?」

絵理「イケメンのサッカー部に告白されたとか?」

涼「いや、されたっちゃされたんだけど……」

愛「そうなんですか! 流石アキさん、モテモテです!!」

涼「あー、うん。あまり嬉しくないけどね……」

男の秋月がいいんだ!! とは、女子人気一位のイケメンサッカー部員の談。そのせいで彼に好意を持つ女子に時々嫉妬されることもしばしば。というよりも、学校の女子から、僕は男として見られていないような気がする。まったくやんなっちゃうよ。

72: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 00:37:25.18 ID:r36DEmuT0
千早さんが家に来て、手料理をふるまうことになりました。なんて言ったらややこしくなりそうだったから、茶柱が立ったからって適当に済まそうとすると、

まなみ「アキさん、ひとり暮らしを始めたんですよね」

鬼畜眼鏡2号、まなみさんが口を滑らせてしまう。愛ちゃんと絵理ちゃんは、それを聞くや否や、目を輝かせ僕に掴みかからん勢いで迫る。

愛「そうなんですか!? 遊びに行っていいですか!?」

絵理「アキさんの部屋……、私気になります?」

涼「えっ、ちょ、あの……。まなみさーん!」

まなみ「あっ、これ言っちゃダメだったり?」

出来れば黙っていてほしかったな。愛ちゃんたちが遊びに来るのはいいんだけど、つまりその間は鈴月アキでいないといけないわけで。

涼「あ、あの! まだ引っ越したばかりだし、片付いてないんだ。だから、遊びに来るのはもう少し先ね。ダメかな?」

もちろん部屋は綺麗にしています。掃除は風水にも良いしね。

愛「だったら仕方ないですね! また遊びに行きますね!!」

絵理「うん、PCも持って行くね」

涼「いや、永住はしないでください。はぁ、どうしてこうなるかな……」

静かで自由気ままなひとり暮らしは、案外あっさりと終焉を迎えそうだ。

73: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 00:50:04.01 ID:Qj0K2Fz90
涼「ふぅ、今日のレッスンは大変だったなぁ。だけど効果はばっちりだね」

千早さんの教えをボーカルレッスンに活かすと、今まで以上に効率のいいレッスンが出来た。流石歌姫、教えるのも上手だ。

??「妙にテンションが高いわね。気味悪いわよ?」

レッスンが終わり、渇いた喉をスポーツ飲料で潤していると、後ろから声をかけられる。

涼「き、気味悪いって……。酷いよ夢子ちゃん」

夢子「私は思ったことを言ったまでよ。ゼミでやったところがテストに出た時みたいな顔してレッスンしてたわよ? 気味悪いって以外に、どう表現すればいいのよ」

また変な例えを。茶髪で気の強そうな彼女は、桜井夢子ちゃん。普段はまじめで優しく振る舞っているけど、その実態は、夢を叶えるためには妨害上等の小悪魔っ子……、だった。過去形なのは、いくつかのオーディションや、あるアイドルとの出会いを経て、最近は妨害をしているなんて話を聞かなくなったから。今ではいいライバル関係を築けていると思う。

夢子「ところで、あんたそんなに歌上手かったっけ? 今までとはなんか違うような」

涼「へへっ、気付いてくれた? 実はコーチが良いんだよ」

夢子「コーチ? トレーナとじゃなくて?」

涼「また別にだよ」

夢子「そういうの羨ましいわ。私はフリーアイドルの身分だし、レッスンも営業も自分でしなきゃなんないのよね」

74: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 00:57:51.45 ID:2gtPNXFS0
夢子ちゃんは大きく溜息を吐くと帰る用意を始める。

夢子「まっ、すぐに追い抜いて見せるわよ。あんたは私の夢の障害なんだから」

涼「しょ、障害ですか……」

友達を指す表現としてはあんまりだけど、向こうも僕をライバルとして見ているってことだよね。僕の片思いじゃなくて良かった。

夢子「じゃあね、アキ」

涼「うん、バイバイ」

夢子ちゃんはレッスン場を去り、僕1人が残される。時計を見ると、そろそろ出ないといけない時間だ。見つからないようにジャージから私服に着替える。といっても、私服も女物なんだけどね。

涼「さーて、今日は何作ろ……、いたっ!」

??「うおっ!」

晩御飯のことを考えていたからか、前から人が来るのに気付かなかった。ぶつかった衝撃で、その場に尻もちをついてしまう。慌ててスカートを抑えて、相手の顔を見る。

75: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 01:00:28.90 ID:fsRN8Lbg0
涼「す、すみません……」

??「チッ、ったく、前見て歩きやが……」

ってこの人……!!

涼「あ、天ケ瀬冬馬君?」

冬馬「れぇ……」

ジュピターのリーダー、冬馬君だ!! 他を寄せ付けない俺様キャラと、高いポテンシャルを持っている、今一番の男性アイドルだ。そんな売れっ子が、どうしてここのレッスン場に? もっといい場所使えるはずなのに……。冬馬君は僕を見下ろし、黙りこくってしまった。

涼「あ、あのー? 私の顔、何かついてますか?」

冬馬「いや、あ、あの……」

口の悪い俺様キャラっていうのは聞いていたけど、目の前の冬馬君はなぜか顔を赤らめて呆けている。風邪でも引いてるのかな?

??「冬馬くーん、何やってるのさ。行くよー?」

??「なんだ、ナンパ中か? どうやら俺たちはお邪魔みたいだな」

冬馬「ばっ、ちげーよ!!」

76: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 01:06:33.18 ID:fsRN8Lbg0
フリーズしていた冬馬君が再起動する。いつの間にか、ジュピターの翔太君に北斗君もやって来た。3人揃うと、やっぱりオーラがある。それにしても格好良いなぁ。僕も彼らみたいなイケメンになりたいな、ならなくちゃ、絶対なってやる。

翔太「見ない顔だね、お姉さん誰?」

北斗「チャオ☆ この後、食事でもどうだい? な、冬馬」

翔太「良いね! お姉さんも一緒にどう?」

冬馬「な、何言ってんだよ! な、なあ!! 嫌がってるじゃあーりませんか! ですよね!!」

涼「へ? なんですか?」

しどろもどろで何を言っているか分からない冬馬君を、後ろの2人が茶化している。意外ととっつきやすい人何かも知れないな。

涼「あ、あのー。私急いでるんで……、すみません!!」

翔太「バイバーイ」

北斗「また会おうね、天使ちゃん」

冬馬「ちょ、待って! せめて名前だけでもー!!」

後ろで冬馬君が何やら喚いているけど、時間があまりない。無視して家に帰る。

77: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 01:13:11.77 ID:fsRN8Lbg0
涼「そろそろかな……。あっ、はーい。今行きます」

部屋に戻った僕は、チリひとつ残らないように掃除をする。もちろん、お宝本は見られないだろう場所に隠しておく。掃除を終わらせると、次は晩御飯の準備だ。あまり長々と待たせるのも悪いし、予め用意しておく。大体出来てきたあたりで、インターフォンが来客を知らせた。

千早「こんばんわ。ごめんなさいね、少し遅れちゃって」

涼「こ、こんばんわ! えっと、どうぞ中へ」

忙しかったのかな、千早さんは制服のまま僕の部屋に入る。

千早「やっぱり、中は男の子の部屋なのね」

涼「そりゃそうですよ。部屋の中まで女の子らしくする趣味はありません」

壁にはサッカー選手のポスターが貼られ、漫画も少年誌ばかり。女装セットは、クローゼットの中にまとめている。普通の人なら、開けないだろうし。律子姉ちゃん? 普通に見えますか?

涼「適当に座っててくれますか? もう少しでできるんで。あっ、嫌いな食べ物ってありますか?」

千早「特にないわよ」

涼「そうですか。なら良かった。出来たんで今持って行きますね」

いつもより力を入れた晩御飯を、テーブルへと持って行く。これは別に千早さんだからってわけでなく、誰かに食べて貰うからには、美味しいものを食べて欲しいんだ。

78: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 01:18:56.60 ID:fsRN8Lbg0
千早「凄い……、毎晩こういうのを作ってるの?」

涼「あっ、いや。毎回毎回ってわけじゃないですけど、千早さんが来るんですし、ちゃんとしたもの作らなきゃって思って」

まるで株を上げようとしているみたいだな。女の子と2人っきりというのに、不思議と僕の心は冷静だった。きっと彼女の近くにいるのが、心地良いからだと思う。

千早「いただきます」

涼「どうぞ召し上がれ」

千早さんは無言で口に運ぶ。ゆっくりと咀嚼した後、箸を一度置いた。

涼「お口に合いましたか?」

千早「本当に美味しいわね。男の人に負けてるって、悔しくなるわね」

涼「そうですか!? 良かったぁ。あっ、これとか自信作なんですよ、どうですか?」

千早「うん、食べやすいし、箸が止まらないわ」

気に入って貰えて何よりだ。幸せそうな顔で、晩御飯を食べる彼女に、僕まで幸せな気持ちになってくる。誰かのために料理を作るというのも、なかなかいいものだな。

79: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 01:28:56.15 ID:r36DEmuT0
千早「ご馳走様! 美味しかったわ」

涼「お粗末様でした」

2人して色んな話をしながら、晩御飯を終わらせる。学校の授業のこと、互いの事務所のこと、音楽のこと。話題は尽きず、久しぶりに楽しい時間を過ごすことが出来た。

涼「あっ、お皿置いておいてくださいね。洗いますんで」

千早「流石にしてもらってばかりは悪いわ。皿洗いぐらいなら、私でも出来るし」

涼「お客様ですから。神様ですよ?」

こんな可愛くてきれいな神様なら、いくらでも賽銭したいな。

千早「じゃあお願いしようかしら。でもこんな風に誰かと晩御飯を食べたのっていつ振りかしらね」

涼「事務所のみんなとは食べないんですか?」

千早「食べることは食べるけど、外食ね。正確に言うと、手料理って言った方が良いかしら。だからとても新鮮な気分よ、ありがとう」

なんかそれ、寂しいな。よくよく考えると、彼女も一人暮らしをしているんだ。でも何でだろう。涼「千早さん、どうしてひとり暮らしを? 家族と一緒に住まない……」

聞いてから気付いた。僕はなんて無神経な人間なんだと。軽い質問のつもりだった。そうなんですか、って笑えれば良かった。だけど結果はどうかな、僕の興味は、深く鋭い牙となり、彼女に噛み付いた。

千早さんは黙り込んで、一瞬にして重い空気が部屋を支配する。まるで僕の部屋ではなくて、彼女の心の中に土足で上がりこんだようだ。沈黙の中、ツルリと僕の手から落ちた茶碗が、小さな水しぶきを上げる。

80: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 01:33:51.24 ID:2gtPNXFS0
千早「……居場所がないのよ」

涼「え?」

千早「ごめんなさい、その話は出来ればしたくないの」

悲しそうな彼女の顔が、それ以上聞かないでくれと言っている。

涼「すみません……」

千早「良いのよ、秋月君は知らなかったんだし。でも、あまり聞いて欲しい話題でもないの。私にとって、家族はいい思い出が少ないから」

涼「……」

千早「……美味しかったわ、秋月君。おやすみなさい」

千早さんは僕に背を向け、自分の部屋へと帰っていく。僕は彼女に一言も言えず、ただ去っていく姿を黙って見送るしかなかった。

涼「最低だ、僕」

後悔は波のように押し寄せ、自分のバカらしさが嫌になる。確かに僕は彼女のことを知りたいと思っていた。愁いを帯びた瞳も、時折見せる寂しさも、それを僕が埋めることが出来れば……。なんてことを考えていた。でもそれは、迷惑な話でしかないんだ。レッスンを見てくれるだけなのに、料理を作れるだけなのに。思い上がっていた僕は彼女を傷つけてしまった。

涼「どうすればいいんだろ、僕」

謝ってすむなら、いくらでも謝る。だけどそれで解決するとも思えない。いつもは気晴らしに聞いているネットラジオも聴く気にならず、僕はそのまま眠りについた。

88: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 15:21:14.49 ID:r36DEmuT0
涼「お弁当は……、2つ作らなきゃ」

陰鬱な気持ちのまま目覚める。お弁当を作るって約束したん
だよね。例え千早さんが来なくても、僕は作る。

涼「……」

お昼休みになって、屋上に行くと誰もいない。ここで待ち合
わせしていたわけでもないし、期待するのもお門違いなよう
な気がする。

僕は千早さんの教室に向かうことにした。

涼「え? 如月先輩休みなんですか?」

クラスの人に聞くと、千早さんは欠席らしい。どうしたのか
聞いても知らないようだ。いてもいなくても、クラスは回っ
ているかのように。
彼女が歌以外に無関心なのと同じように、クラスメイトも不
愛想な同級生に関心を持っていないようだ。

涼「どうしよう……、僕アドレス知らないんだよな」

メールしなくとも、部屋が隣なんだ。だからアドレスを知らな
くても、特に不都合することもなかったし、約束の時間に大き
く遅れるなんてこともなかった。

こうなるくらいなら、聞いておけば良かった。少し反省。

89: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 15:33:24.18 ID:r36DEmuT0
涼「ひとりで食べるご飯、こんな寂しかったっけ」

別にクラスの子と食べちゃいけないなんて決まりはない。だ
けどなんとなくそんな気になれなかった。
曇り空な僕の心模様とは裏腹に、外は太陽が燦々と輝いてい
る。その眩しさが少し鬱陶しく思う。

本当は校則違反だけど、携帯片手に従姉に電話を掛ける。お
昼休み中なのかな、1回のコールで出てくれた。

律子『千早? あの子は仕事よ? プロデューサーと泊りがけ
のね』

涼「ええ!? 初耳だよ!」

律子『急に決まった仕事みたいだしね。他の事務所のアイド
ルが出るはずだったけど、欠員が出たからってうちに要請が
来たのよ。でもビックリしたわ、千早が立候補するなんて。
あの子が興味持たなさそうな企画だったのに……、ってどう
かしたの?』

風邪を引いたとかじゃなくて安心したけど、同時に僕から逃
げるように仕事を受けたような気がして、余計悲しくなる。

涼「ううん、何でもないよ。ただ気になっただけだから」

律子『はぁ、嘘おっしゃい。あのね、何年従姉やってると思
ってるのよ。何かあったことぐらい、あんたの声を聴けば分
かるわよ。怒らないから、話してみなさいよ』

優しく諭すような言い方。やっぱり僕は、律子姉ちゃんに勝
てないようだ。

90: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 15:38:04.59 ID:r36DEmuT0
律子『成程ねぇ。地雷踏んじゃったわけか』

いつもなら怒鳴るなりするのに、その時は怒らず黙って僕の
話を聞いてくれた。厳しい人だけど、なんだかんだ優しい人
なんだ。

涼「やっぱり、何かあったの?」

律子『その何かまでは知らないけどね。あの子、あまり自分
のことも話したがらないから。でも家庭が上手くいっていな
いっていうのは聞いたことがあるわ』

涼「だからひとり暮らしを……」

居場所がないというのは、そういうことなんだろう。

険悪な関係の両親に挟まれ、彼女は家庭の暖かさを忘れてし
まった。
なんでそうなったかは分からない、だけどそれは僕が思って
いる以上に彼女に深く根付いて、今なお苦しめているのかも
しれない。

律子『でも最近の千早は、明るくなっていたわ。そう、あん
たと出会った日からね』

ネガティブな思考でグチャグチャになっていると、そんなこ
とを言われる。

91: 書き方をころころ変えて申し訳ない。試行錯誤中。 2012/06/10(日) 15:48:08.91 ID:Qj0K2Fz90
涼「僕と出会った日から?」

律子『ええ、見違えるほどってわけでもないけど、それでも前よりは確実に。私はてっきりあんたが良い影響を与えているものかと思ってたけど、どうやらそういい話だけでもなさそうね』

涼「そうなんだ……」

確かに最初の印象とは違う。それは親しい相手には柔らかい対応をするからと思っていたから。
でも僕は、それが特別なものと思い込んでいた。何自惚れてんだか。

涼「ねえ、千早さんいつ帰ってくるの?」

律子『そうねー。1泊2日って言ってたから、帰ってくるのは明日ね。あっ、安心していいわよ。プロデューサーは手を出すような人でもないし』

涼「は?」

律子『千早もまだプロデューサーに懐いてないから、まだあんたの方が脈あるんじゃないの?』

涼「ブフッ! いきなり何言いだすの!?」

従姉の言葉に咽こんでしまう。

律子『冗談よ。でもあんたにとって、千早は特別な存在かもしれないわね』

涼「どうしてさ? 確かに千早さんは僕に歌を教えて……」

律子『それだけじゃないでしょ。あんたにとったら、歳の近い唯一の理解者なんじゃないの?』

92: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 15:52:27.79 ID:Qj0K2Fz90
涼「あっ……」

よくよく考えると、僕の正体を知っているのは社長、まなみさん、律子姉ちゃん。
そして千早さんだ。

4人とも僕より年上だけど、千早さんは1つ違い。それにプロフィールは、
確か早生まれの2月生まれだったはず。如月という苗字にピッタリだなと感心したんだっけ。

律子『年度だけで見れば、あんたら同世代だしね。バレたのはまずいと思ったけど、バレたのが千早で安心したのよ。きっとあんたにとっても、千早にとってもプラスになってくれると思ったからね。でもやっぱり、あんたらの歳は複雑よね』

涼「なにおばさんみたいなこと言ってるのさ。律子姉ちゃんもまだ若いでしょ」

律子『誰がおばさんだ誰が!!』

涼「ひぃ!」

電話越しにでも怒っているのが伝わってくる。また地雷踏んじゃいました。

律子『まあ帰ってきたらもう一度謝ることね。あんたも嫌でしょ? 同じアパート同じ学校同じ仕事。嫌でも顔を合わせることになるんだし、ギクシャクしてたらやりにくいと思うわよ?」

涼「うん、そうだね。ちゃんと謝るよ」

律子姉ちゃんと話して、少し気が楽になった。鬼畜眼鏡とか陰で言っても、
困ったときは助けてもらってばかりだ。自分で何とかしていかないと。

律子『よろしい。あと涼、1つ教えてあげる』

93: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 16:04:38.51 ID:Qj0K2Fz90
涼「ん? 何?」

律子『知りたいと思うことは悪くないわ。だけど千早は知られたくないと思っている。それは私たちに対しても同じね』

涼「同じ事務所なのに、寂しい話だね」

律子『全くよ。でも今は焦ること、ないんじゃないかしら。きっとよ? きっといつか氷は溶けて、心を開いてくれる日が来るはずだから』

涼「いつか、か……」

律子『ええ、いつかよ。千早の心の闇にも、時効が来るんじゃない? 話は終わり? そうそう、あんたのアパートだけど、おとなこら亜美! 人のPCを覗かないでよ!! まちな』

プツン! プープープー。間の抜けた電子音が聞こえる。

涼「キレちゃった。おとなこら? こらは別として、おとな? 大人の階段のぼる?」

何のことだろう。『おとな』から連想される言葉を思いつく限り上げる。
大人帝国、音無結弦、音無響子……。

涼「まさか……、ねぇ……」

いくらアパートの名前がそうだからって、そうそう都合のいい話が……。

小鳥「えっと、ここの大家の娘の音無小鳥ですが……。あ、秋月君でいいかしら?」

涼「本当に音無だったの!?」

めぞん159……、そのままじゃないですか。

94: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 16:12:30.02 ID:Qj0K2Fz90
家に帰った後、大家さんの娘と名乗る女性が挨拶に来た。

音無小鳥(流石に響子じゃなかったけど)と名乗る彼女が言うには、
大家夫婦が、世界一周旅行に出かけたらしく、その間アパートを任されたらしい。

大家の名字が音無ということや、世界一周旅行なんて本当に行く人いるんだと驚かされたが、
一番の驚きは、音無さんが凄い美人だということ。

御淑やかそうで、大人の魅力をこれでもかと言うぐらいに見せつけてくる。
でもなんでだろ、声も顔も、どこかで……。

小鳥「秋月涼君ね。律子さんから聞いているわよ」

涼「へ? 律子姉ちゃんの知り合いの方?」

小鳥「うふふっ、同僚なのよ」

思い出した! 律子姉ちゃんのお使いという名のパシリに走らされた時、事務所で見たことがある。

あの時は制服とインカムを付けていたからそっちに目が行っていたけど、
目の前の涼しげな服を着た彼女と、PCの前で真剣に打ち込んでいた彼女の顔が重なる。

でもそれはアキとしての時の話。今の僕とは別だから、音無さんも知らないはずだ。

小鳥「そ・れ・と、あの日に感じた疑問が解けたわ」

涼「ほえ?」

あの日感じた疑問? それって一体……。

小鳥「秋月君、いや……鈴月アキちゃんって言った方が良いのかな?」

涼「」

言葉に、なりません。千早さんと言い、彼女と言い、僕の変装は何で行為とも簡単に見破られるのでしょうか?

95: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 16:18:07.51 ID:Qj0K2Fz90
小鳥「違和感があったのよね……。成程そういうことですか、律子さんもこんな秘密兵器を持っていたなんて!」

音無さんは妙に興奮している。一体何がそこまで彼女を駆り立てるか分からないけど、
あまり騒がれると他の住民さんが来ちゃう。

涼「あ、あの! 部屋に上がりませんか? ここで話されると、ばれちゃうと言いますか……」

小鳥「へ、部屋に? 上がる? ……私が?」

涼「はい! 廊下で話されるよりはましですから」

小鳥「そ、そうよね! こ、これは変なことじゃない、男の部屋に入るのなんて怖くないんだから……」

コロコロと表情が変わる。面白い人だな。

涼「すみません、アイスティーしかなかったんですけど、良いですか?」

小鳥「あっ、わざわざ御免なさいね」

音無さんを部屋に入れる。これまた女性と2人っきりと言う異常な状態だけど、
そこは慣れたもので、女装アイドルをしている僕からすれば、珍しいことでもなく、
最早緊張すらしなくなった。

小鳥「男の人の部屋……、なのよね」

小鳥さんは初めて彼氏の家に来た女の子みたいに、僕の部屋を落ち着かない様子で見渡す。
特に面白い物なんてないのに。

96: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 16:26:45.53 ID:Qj0K2Fz90
涼「で、音無さん……、で良いですよね」

小鳥「小鳥さんでも、小鳥ちゃんでも、ピヨちゃんでもお好きなようにどうぞ!!」

舌出しウインクされる。じゃあ折角なので

涼「音無さんで」

小鳥「うぅ、もう少し乗ってくれると、お姉さん嬉しかったんだけどな……」

何故か悲しそうだ。ただ僕は目の前の女性をピヨちゃんと呼ぶほどの勇気はない。

涼「すみません、流石にピヨちゃんは恥ずかしいです。で本題ですけど、どうして僕が鈴月アキだって分かったんですか?」

音無さんはアイスティーを飲むと、僕の目を見つめて答える。

小鳥「女装しててもね、男の子のくせって出ちゃうものなのよね。例えば、765の事務所は狭いでしょ?」

涼「いや、うちよりはマシかと……」

小鳥「狭いっていうのが重要ですね。狭い廊下をぶつからないようにする時、女の子は右肩を中心に反時計回りで回る癖があるんだって」

小鳥「でも男性は、左肩を中心に時計回りで避ける癖があるの。うちの事務所でぶつかりそうになった時、あなたは男性の避け方をしたの」

涼「まさかあの日……」

小鳥「はい。みんな慌ただしかったので、何度も避けようとしていたと思います。その度、涼君だけ回転方向が違ってたの」

科学的に言われると、否定できない。というかこの人、どこ見てるんですか。

97: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 16:31:37.59 ID:Qj0K2Fz90
小鳥「今のはネットでの受け売りの知識なんだけど、その後あなたのライブ映像を見て何となくそうじゃないかなって思ったの。男の子が女の子の声で歌うのは大変だし。それに」

涼「それに?」

小鳥「プロフィールも女の子にしては少し重い方かなって思って」

涼「あれそのまま載せているんだ……」

バレないようにしろと言う割に、うちの事務所は管理が甘いみたいだ。
この責任は僕に来ないはず。

小鳥「でも鈴月アキちゃんと、秋月涼君が重なったのはさっきね。それまで、涼君の顔なんか知りませんでしたし」

涼「面目ないです……」

小鳥「ううん、別に責めてませんよ? むしろ……、いや、何でもないです!」

涼「へ?」

ひとりで完結されちゃった。

ここまでバレているなら、音無さんにも隠し通す必要もないので、事の経緯を説明する。
千早さんのことも話すべきかと悩んだけど、今はそれを伏せておく。

小鳥「グッジョブ!」

涼「え? 何がですか?」

98: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 16:40:35.81 ID:Qj0K2Fz90
最後まで説明すると、音無さんはなぜか親指を立て噛みしめるように言う。
僕からしたら、グッジョブどころかバッジョブなんですが。

小鳥「あっ、いや! こっちの話です。でも大変ですね。私もあまり協力できないかもしれないけど、お手伝い出来る事があれば言って下さいね。さてと、他の皆にも挨拶してこないと」

音無さんはそう言って、僕の部屋を出て行った。なんというか、見た目に寄らず面白い人だったな。
秘密を知っている人が次々増えるけど、彼女も味方になってくれるみたいだし。

だけど、僕の中である疑問は消えずにいる。

涼「……気のせいかな」

765じゃないどこかで、その声を聴いたことある気がする。
でもそれがどこなのか、思い出せない。

涼「そのうち思い出すか」

いつの間にやら、千早さんに避けられていたことも忘れつつあった。
それぐらいに、音無さんの印象が強かったのだ。

涼「これ、千早さん知っているのかな……」

会ったらきっと驚くぞ。事務員さんが大家代理ってことと、音無っていかにもな苗字なことに。
どうでもいいけど、響子の方の音無さんのエプロンって、ピヨピヨだったよね。

99: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 16:45:09.60 ID:Qj0K2Fz90
涼「……食べるか」

食べる人をなくしたお弁当を晩御飯にする。お昼もそうだったけど、
一度誰かと食べる楽しさを思い出したら、どうしてか虚しくなる。

シャワーを浴びて、日課に取り掛かる。後で昨日の分のバックナンバーも聞いておこっと。

ノリコ『トオシタノリコのシンデレラスカイ。今宵も、星々のつぶやきに、耳を傾けましょう』

落ち着いたジャズの調べの中、優しい語りとともにラジオが始まる。
彼女の声は、不思議なことに辛い時ほど心に響く。

ノリコ『アミッケさん、きっとお姉さんも貴女と仲直りしたいと思っていますよ。だから思いをしっかりと伝えてくださいね』

今日の相談は、ある姉妹喧嘩の相談だった。聞いていくうちに、
それが今の僕と千早さんに重なり、他人の気がしなかった。

ノリコ『おや、もう魔法の解ける時間ですね。今宵も短い間でしたが、付き合ってくださり有難うございます。お相手は、トオシタノリコでした。では次の寝物語の時まで、バイバイ』

涼「バイバイ」

ラジオも終わり、僕の日課が終了する。千早さんが帰ってくるのは明日だ。
僕はそれに備えて、すぐに寝ることにした。

102: 投下していきます 2012/06/10(日) 21:17:24.06 ID:Qj0K2Fz90
どんな夢を見ていたんだっけ。思い出せない。意識は覚醒していき、白い天井が目に映る。

涼「おはよう」

もちろん返事は返ってこない。時計を見ると設定時刻よりも早く起きれた。

涼「お昼ご飯、作らなきゃ」

食べて貰えるか分からない、だけど今日もプログラムされたみたいに2人分のお弁当を用意する。

『起き給え──男たちは己の悲運より、友のために涙を流した──』

冷静に考えると、良くこんなアラームで起きれるよな、僕。
鳥の可愛らしい囀りが却って異常に思えるぐらいだ。

涼「よしっ! 行くぞ!!」

両頬を叩いて気合を入れる。
やるべきことをしないといけないんだ。

103: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 21:25:28.30 ID:Qj0K2Fz90
千早「あっ……」

涼「あ、あははは。どうも、お疲れ様です」

お昼休み、彼女のクラスに行くと、思ったよりあっさりと会えた。
僕の顔を見ると、僕を避けるように教室から出ようととする。

千早「ごめんなさい、急いで」

手を広げて通せんぼ。後ろの人に舌打ちされたけど、気にしない気にしない。

涼「千早さん、お昼まだ食べてないでしょ? 一緒に食べませんか?」

見せつけるようにお弁当箱を取り出す。

千早「べ、別にお昼なんか食べなくても……」

グゥ

千早「……クッ」

涼「ほら、すいてるじゃないですか。ここに美味しいお弁当がありますよ?」

三大欲求はどこまでも正直だ。口では嫌がっても、お腹は正直……。
何考えてるんだ、僕。

104: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 21:34:00.23 ID:Qj0K2Fz90
千早「学食に」

涼「今日は学食休みですよ? それに、貴女に話したいこともあるから」

千早「私は……」

「ねえねえ、何かしらあれ?」

「デートのお誘いじゃない?」

「嘘! あの音楽キチの如月千早に!?」

「えー! 秋月君って子可愛いからペットにしようと思ったのにー!」

「秋月ー! 俺だー!! 結婚してくれー!!!」

周りからすると、お昼に誘う僕と嫌がる千早さんは喧嘩中の恋人か何か見えるようで、
みんな好き放題に囃し立てる。

千早「秋月君いい加減に……」

涼「な、なんかややこしくなってきたぞ……、行きましょう!!」

千早「えっ、あっ!」

『キャー!!』

『秋月いいいいいいいい!!!』

彼女の手を引きその場を逃げる。気分はまるで駆け落ちカップルだ。

……冷静に考えなくても、これ余計に周囲煽ってるんじゃないでしょうか。
後ろで黄色い声と野太い声が聞こえるし。

105: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 21:37:21.83 ID:Qj0K2Fz90
涼「ここまで来れば安全ですね」

屋上に逃げ込み、鍵を閉める。これで誰も入ってこれないはずだ。

千早「ずいぶん強引なのね。女子に嫌われるわよ?」

すみません、自覚しています。

涼「あはは……。そうでもしないと、聞いてくれないと思ったから」

情けなく笑う僕を、呆れるような目で見る。

涼「でもその前に、ちゃんと謝りたかったんです。ごめんなさい。あの時、千早さんのことを考えずに発言してしまって」

千早「え、ええ!? 土下座!?」

太陽を浴びた地面は、おでこを焼くように熱い。

涼「だから」

千早「はぁ……、土下座って自己満足に過ぎないと思うんだけど?」

千早さんは戸惑いつつも、僕に苦言を漏らす。

106: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 21:48:29.96 ID:r36DEmuT0
涼「そ、それは……。そうかもしれませんね。でもこれしか思いつきませんでしたから」

安っぽい気がするけど、それでも僕の誠意を見せたつもりだ。
それにもし彼女が何かを求めるなら、僕は喜んで答える。

千早「頭を上げて。見てて居た堪れないから。謝るのは私の方よ。秋月君に余計な心配をかけたんだし」

求められたのは、土下座の解除。

涼「余計だなんて……、っつ!」

面を上げる。地面にこすり付けていたから、本音を言うとおでこが結構痛い。

千早「家族の話題。あまり触れてほしくないのは事実だけど、あなたは私を知ろうとしただけ。それを責めることはできないわ。だから……」

千早「だからごめんなさい。今はまだ、話したくないの。だけどいつか、あなたにも話せる日が来ると思うから」

千早さんは物憂げな表情を僕に見せる。
不謹慎かもしれないけど、それが凄くセクシーに見えたんだ。

涼「はい。待っています、いつまでも」

千早「いつになるか分からないわよ?」

涼「それでもです。待つのは得意ですから」

私待つわ、いつまでも待つわ。

懐かしい歌のメロディが頭をよぎる。結局あの歌、待ち人はやって来たのかな。
もしかしたら今も、どこかで待ち続けているのかもしれない。

107: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 21:56:07.70 ID:Qj0K2Fz90
涼「それでもです。待つのは得意ですから」

千早「余り期待しないで待っていて。今はまだ、あなたのことを……、ううん。この話はおしまいにしましょう」

何かを言いかけたけど、口を噤んでそれ以上語らない。
気にならないと言えば嘘になる。彼女にとって、僕はなんなのか?
知りたいと思うのは罪じゃないはず。

でも今は――。

涼「そうですね。じゃあお昼食べましょう!! 昨日はいなかったんで、夕飯にしちゃいましたけど」

お弁当を食べて貰えるだけで十分だ。

千早「うっ、それは申し訳ないわね……」

目を逸らさせる。それが少しおかしくて、心の中で笑っておく。

涼「そう思うのなら、今日は食べてくださいね。自信作なんですから。はい、お弁当」

千早「ありがとう。今日もまた力入っているわね」

冷凍食品はあまりなく、殆どが手作りのお弁当。
シチュエーションがシチュエーションなら、愛妻弁当なんだろうけど、僕らは先輩と後輩の関係だ。

それでも後輩の男の子がお弁当を作ってくるってのは、少々珍しいパターンだと思うな。

108: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 22:01:01.35 ID:r36DEmuT0
涼「栄養管理も万全です。どうぞ召し上がれ」

千早「いただきます。うん、美味しいわ」

涼「そう言われると、作り甲斐がありますね」

2人して自然と笑顔になる。たった1日振りだけど、屋上に流れる
緩やかな時間がとても懐かしく感じた。

こういうのが、心地良いんだろうな。

涼「そう言えば……、なんのお仕事だったんですか?」

千早「新しく出来たレジャー施設のレポートよ。お陰様で酷い目にあったわ……」

あー、あそこかな、複合テーマパーク。日本最大級のウォータースライダーがあるとかどうとか。
つまりそれは、……水着仕事?

涼「それ、いつ放送するんですか?」

千早「見なくていいわ!!」

涼「え?」

珍しく声を張り上げて拒絶を示す千早さんに思わず面喰ってしまう。

109: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 22:05:48.05 ID:Qj0K2Fz90
千早「あっ、今のは違うの!! 忘れて頂戴」

顔を真っ赤にして慌てる千早さん。そういう反応をされると、余計気になります。

涼「まあ何でもいいですけどね」

調べたら分かることだしね。こっそりと調べて録画しておこう。

千早「あっ、そろそろ戻らないと……」

時計を見るともうすぐ昼休みが終わる時間だ。2人だけの空間をもう少し享受していたかったけど、
授業に遅れたら何を言われるか堪ったもんじゃない。

涼「そうですね。ではまた」

千早「ええ、さようなら」

余談だけど、クラスに戻った僕を嫉妬にかられた男子たちの、
熱く手痛い洗礼が僕を待ち受けていたのは、また別の話。

また、お昼休みの逃走劇は、40分程度で校内中に広まってしまったようだ。
そのせいで千早さんと僕が付き合っている、ということになったらしい。

外部に漏れないことを、切に願う。

110: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 22:13:14.76 ID:2gtPNXFS0
涼「あっ、体育なんだ。バスケか……」

6限目、窓際の席から女子の体育を見学する。

涼「見っけ」

体操服に着替えて、ボールを追って走っている千早さんを発見。
普段とは違う活発な姿を、自然に目で追ってしまう。

涼「おっ、決めた」

千早さんのシュートが、弧を描いてゴールへと吸い込まれていく。スリーポイントだ!!
だけどクラスの皆は褒めるでも称賛するでもなく、淡々とゲームに戻っていく。

だからせめて僕だけでも、聞こえないぐらいの小さな拍手を彼女に。

先生「ミスターアキヅキィ!!!! イズイットホワットルッキングアウェイ!!」

涼「にゃ!!」

怒気の籠った珍妙な英語が耳元で炸裂。体育見学に集中するあまり、
教師がそばに来ていたことに気付いてなかったみたいだ。

教科書で頭を叩かれ、クラスメイトに思いっきり笑われてしまう。

先生「リード120ページ!!」

涼「あっ、はい。昔、男片田舎に住めけり――」

英語で指示をするけど、この先生の授業、古典なんだよね。
梓弓をアズサボウとか言うし。

111: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 22:17:37.09 ID:Qj0K2Fz90
千早「その先生うちの担任よ」

涼「うわぁ、それはまた難儀なクラスで……」

営業の帰り、偶々千早さんと一緒になる。もちろん僕は、女装中の鈴月アキモードだ。

千早「先生はクラスでは割と普通よ? 生徒の話も親身に聞いているし」

英語で進路相談に乗るのだろうか? それはそれで気になるな。

千早「そもそもよそ見していた秋月君が悪いんじゃないの? 何見てたのかしら?」

涼「な、何でもいいじゃないですか!」

それはあなたです。なんてことも言えるはずもなく、笑ってごまかす。

他愛のない話をしながら帰っていくと、アパートの前で掃除している人がいた。

千早「あれ? お、音無さん?」

涼「あっ、やっぱり知らなかったんだ。音無さーん!」

小鳥「あら、りょ、アキちゃんと……千早ちゃん?」

音無さんは困惑した顔で見ている。そりゃそうだろう、職場のアイドルが何故か管理しているアパートに来たんだ。
箒を落とすその反応も、致し方ないよね。

112: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 22:25:50.38 ID:fsRN8Lbg0
小鳥「え? まさか……、付き合ってるの!?」

涼「ぶっ!」

千早「お、音無さん!?」

でもこのリアクションは予想外でした。

小鳥「だってだってだって! 千早ちゃんと涼君よ!? 接点ないじゃない!!」

混乱している音無さんは僕のことを涼君と呼ぶ。

涼「お、音無さん! 落ち着いて……」

小鳥「まさかのりょうちは!? バストサイズを気にする千早ちゃんが、ある日涼君の秘密を知って、黙っているためにその胸をマッサージさせてそこから生まれるメイクラブ……」

千早「な、何を言っているの……」

暴走する音無さんとドン引きする千早さん。あまりに騒然としていたため、
何時の間にやらギャラリーが出来ていた。

涼「ああもう!!」

色々とバレる前に、野次馬たちに見送られながら音無さんを無理やり部屋に連れ込む。

千早「お邪魔します……」

小鳥「み、見せつける気!? い、今目の前で、羞恥心の無い10代の乱れた性が……」

涼「……水平チョップかましますよ?」

音無さんが落ち着くまでの所要時間、約1時間。その間ありもしない妄言に付き合わされる羽目に。
真面目な人だと思ってたのに……。

113: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 22:31:07.75 ID:2gtPNXFS0
小鳥「つまり、千早ちゃんが隣の部屋の住人と……。凄い偶然ね」

千早「ええ、自分でもそう思います」

アイドルが2人も住んでいるアパートなんてそうそうないだろう。
しかも今度は事務員と来たんだ。世間の狭さを身を持って教えられる。

僕たちの関係を説明すると、小鳥さんは僕らが隣人同士と納得してくれたようだ。

小鳥「これはトンだ思い違いを……。申し訳ありませんでしたー!!」

涼「ま、まあ説明してなかった僕も悪いですしね……」

小鳥「えっと、ま、まあ2人ともよろしくね。一応これでも大人だから、困ったことがあれば力になれると思うわ」

千早「はい、迷惑をかけるかと思いますが、よろしくお願いします」

涼「お願いします。あっ、そうだ! 音無さんもご飯食べてきませんか?」

小鳥「私も? ご飯を?」

誘われたのが意外だったようで、目をパチクリとしている。

114: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 22:35:51.11 ID:2gtPNXFS0
涼「はい。2人分作るのも3人分作るのもそんなに変わりませんし。歓迎会みたいなものですよ」

といっても、豪華な食材は無い。それでも2人を満足させる自信はあった。

小鳥「でも流石に悪いわよ。私なんて3食カップラーメンで十分だし」

涼「いやぁ、それは良くないんじゃ……」

流石に3食は体に悪いと思う。

小鳥「たまに赤いきつねも食べてるし!!」

そういう問題でもありません。

千早「秋月君の料理、美味しいですよ?」

小鳥「あら、千早ちゃんは涼君と一緒に食べてるの?」

千早「いえ、一昨日食べたんです」

小鳥さんの質問に千早さんが答える。僕としては毎日でも構わなかったりするけど。

小鳥「へぇ……、やっぱりね」

涼「へ?」

千早「何か顔についてますか?」

小鳥「いやー、何にもないですよー?」

含みを持った言い方をされると気になっちゃうな。
小鳥さんはニヤニヤしながら僕らを見ている。

115: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 22:43:19.13 ID:fsRN8Lbg0
涼「えっと、どうします?」

小鳥「そうですね。いくら涼君が草食系男子のヒツジさんでも、オオカミさんになるかもしれないし。監視の意味でも、私もお邪魔しようかしら」

涼「お、オオカミって……」

小鳥「そういうものよ、多分」

あくまで多分ですか。主役の小鳥さんと千早さんを座らせて、調理へと移る。
1人よりも2人、2人よりも3人。大勢で食べた方が楽しいよね。

小鳥「千早ちゃん、料理できる?」

千早「いえ、あんまり。音無さんは?」

小鳥「かれこれ3年はしていないかも……」

女子たちの赤裸々トークを片耳に、最後の仕上げに入る。

涼「じゃーん! シェフ秋月特製フルコースです!!」

小鳥「こ、これが料理男子の実力……」

千早「暖かな夕食……」

決して豪勢なものではないけど、それでも僕らを嬉しくさせるには十分すぎる出来だ。
我ながら惚れ惚れしちゃうな。

116: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 22:49:08.41 ID:fsRN8Lbg0
小鳥「う、美味い……、殺人級です!」

涼「いや……、それはオーバーじゃないかと……」

小鳥さんの口にも合ったみたいで一安心。千早さんも幸せそうに食べている。
食事は誰もが幸せになれる時間。そうお婆ちゃんが言っていたっけ。

小鳥「涼君、流石にお酒とかないわよね」

涼「そりゃあ未成年ですもん。あるわけないですよ」

小鳥さんは物足りなさそうな顔をしている。大人になると、ビールとかが恋しくなるのだろうか?

小鳥「じゃあ部屋から持ってこよ……」

千早「止めておいた方が良いと思います。音無さん、酒癖が悪いですから」

小鳥「そ、そんなことないですよ!!」

千早「自覚がないから言えるんです。先日の惨劇を私は忘れませんよ」

溜息交じりに言う。酔っぱらった音無さんに何かされたのかな?

千早「前に酔っぱらった音無さんが、事務所のアイドルにお酒を飲まそうと暴走したの。そのせいで若干名壊れたのよ」

涼「若干名?」

117: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 22:55:23.66 ID:r36DEmuT0
千早「ええ、普段の姿からは想像のつかない変貌を成し遂げたわ。特に四条さんと萩原さんは……。思い出すだけで寒気がするわ」

よりによってその2人ですか。一体どうなったのか、気になるな。

小鳥「普通よ? 雪歩ちゃんはいきなり服を脱いでエアギターをしだして放送禁止用語を連発、貴音ちゃんは幼児退行しちゃったってぐらいよ?」

涼「普通じゃない!!」

雪歩さんは内気で男性恐怖症らしいし、貴音さんは何を考えているか分からないけど、
どこか不思議なオーラを持っている。そんな二人が乱れたなんて……。

涼「そ、想像できない……。って音無さん、未成年になに飲ませてるんですか」

小鳥「あ、あれは……。私だって自分の意思じゃ……なかったし。そう! お酒に飲まれちゃったのよ!!」

ドヤ顔でこちらを見てくる。

涼「上手いこと言ったつもりですか、それ」

千早「正当化しようとしないでください」

小鳥「うう……、未成年に虐められるよぉ……」

ヨヨヨとワザとらしい嘘泣きが、部屋に響いた。

118: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 22:59:13.86 ID:Qj0K2Fz90
小鳥「って千早ちゃん、若干名に入ってないじゃない。あなたも結構凄かったわよ?」

千早「!? そ、その話は……」

涼「へ? それって……」

小鳥「聞いてくれる? 実は千早ちゃん、酔っぱらって手当たり次第にきむぐっ……」

千早「それ以上いけません!!」

顔を真っ赤にした千早さんが、音無さんの口を塞ぐ。よほど知られたくないことなのかな。

小鳥「むぐー! むぐー!!」

手当たり次第に『き』……。

涼「キック?」

千早「そ、そう! キックなの。酔っぱらったら足癖が悪くなるみたいで……」

スラッとした長い脚で蹴る振りをする。

小鳥「んぐー!!」

音無さんが必死で首を横に振っているから、違うっぽいな。気にはなるけど、
知られたくないのならそっとしておこう。先日の反省だ。

120: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/10(日) 23:05:33.79 ID:fsRN8Lbg0
小鳥「お邪魔しました。おやすみなさい、千早ちゃん、涼君」

千早「音無さんもおやすみなさい。さようなら、秋月君」

涼「ええ、おやすみなさい」

賑やかな晩餐を終えて、それぞれの部屋に帰っていく。テーブルに残された食器が、
祭りの後みたいに寂しく残っている。違うと思うけど、それにわびさびを感じたり。

涼「さて、片付けまでが晩御飯だ!」

皿洗いぐらいはすると言ってくれたけど、良いですと2人を帰したんだ。
何でかって聞かれたら、なんとなくかな。特に理由はない。

涼「~♪」

鼻歌交じりに皿洗い。男子厨房に入らずならぬ、女子厨房に入らず。なんちゃって。

涼「にしても、どんどん人が増えてくなぁ」

そろそろひとり暮らしにも慣れてきたころだ。その内、愛ちゃんたちも誘えたらいいな。
その時、僕は鈴月アキなのか? 秋月涼なのか?

涼「さぁどっちだ?」

出来ることなら、涼として迎えたいな。

125: 少しだけ投下 2012/06/11(月) 10:25:38.98 ID:yu0tA4T30
そんなこんなで、日々が過ぎていく。千早さんとは、相変わらず一緒にご飯を食べたり、
レッスンを見てもらったりと良好な先輩後輩関係を築けている。

いつの間にか、気まずい空気はなくなって、互いに軽口を言えるぐらいには仲が良くなったと思う。

律子『千早、少しずつだけど明るくなってきたわ。765のみんなもだけど、少なからずあんたの影響もあるでしょうね』

従姉はそう言う。律子姉ちゃんの思惑通り、プラスの影響を与えれているみたいだ。
それはそれは嬉しい限りです。

音無さんは僕の料理を気に入ってくれたのか、結構な頻度で食べにくる。
家賃を安くして貰っている分、料理で返しておきたい。

毎晩のように食事会は開かれ、いつの間にか食器棚には、当たり前のように、
千早さんと音無さんの食器が置かれるようになってきた。

そして食べ終わった後すぐに帰っていった2人も、段々滞在時間が長くなる。

千早「居心地がいいのよね」

とは先輩の談。

小鳥「部屋に帰っても不毛ですし……。はぁ」

とは大家代理の談。

別に2人を拒絶するわけじゃないけど、たまに誰がこの部屋の所有者か分からなくなることがある。

126: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/11(月) 10:36:20.32 ID:YybZZK1t0
だけど不思議なこともある。長居するようになったとはいえ、音無さんは決まった時間に部屋に帰る。
まるで誰かと約束をしているみたいに。

千早「そう? そこまで気にはならないけど。残業が残ってるんじゃないかしら?」

涼「気にし過ぎかなぁ」

と、そこまで気にも留めてはいなかった。

涼「あっ、シンデレラスカイが始まっちゃう」

千早「シンデレラスカイ?」

涼「はい、23時半からやっているネットラジオです。聞いたことないですか?」

千早「そう言えば春香や亜美がどうとか言ってたかしらね」

765プロにもリスナーがいるらしい。

涼「きっと気に入りますよ」

ノリコ『トオシタノリコのシンデレラスカイ。今宵も星々の……』

千早「あれ? 何でかしら……?」

涼「?」

頭にクエスチョンマークを出す千早さん。ちなみに彼女の疑問が解決するのは、
もう少し後のことだったりする。

127: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/11(月) 10:41:26.25 ID:YybZZK1t0
鈴月アキと秋月涼の二重生活が始まって、数ヶ月が経った頃。

僕たち3人を取り巻く環境が変わっていき、日々の変化に流されるままだ。
それでも毎日は充実しているし、仕事にも遣り甲斐が出てきた。

だけど仕事が増えて良いことばかりじゃない。変化は時に、試練を与える。

例えば愛ちゃん。保護者代わりだったまなみさんは退社し、彼女は1人になってしまう。

愛『まなみさんがいないと、怖いですし不安です。だけど……、私が頑張らないといけませんから!!』

いつもの愛ちゃんに戻るまで時間がかかったけど、前以上に元気な姿を見せる。
声のボリュームも、2割増しだ。

例えば絵理ちゃん。彼女は……、最近元気がない。尾崎さんともギクシャクして、
思うように活動が出来ていないようだ。

絵理『私、尾崎さんのこと……』

2人の間の信頼が揺らいでいる。第3者の僕の目からでも分かるぐらいだ。
当の尾崎さんも最近様子がおかしいし……。

そして僕。僕も例外なく、目の前に最大最強の壁が立ちはだかることになる。

128: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/11(月) 10:49:26.41 ID:yu0tA4T30
涼「ええ!? 千早さんとオーディション!?」

石川「ええ。分が悪いのは重々承知よ。でも、まさか彼女が出るなんて思ってもなかったわね」

社長に呼び出されて事務所に着いた僕を待っていたのは、最大の敵が現れたということ。
いつかはこんな日が来ると思っていた。だけど僕が思っているよりも早く、それがやってきたんだ。

石川「彼女が出ると聞いてオーディションを辞退するアイドルも少なくないわ。私自身、今回に限っては逃げても責めなる気はない。受けるかどうか、よく考えておいて」

涼「分かりました……」

勝手知ったる相手と戦うから憂鬱なのか? いや、違う。相手の凄さを知っているから、
今の僕には勝ち目がないことを良く知っているから気分が重くなる。

なんせ彼女の一番弟子なんだから。


夢子「私? 出るわけないでしょ。こちとら勝てない勝負はしない主義なの、時間の無駄よ。それに、そのオーディションが私の夢に繋がるかっていうとそうでもないし」

ぶっきらぼうに言う夢子ちゃんは、件のオーディションを辞退したようだ。

夢子「まぁ、私の夢はあと一歩ってとこまで来たし。アキ、私を応援しなさい」

涼「ええ!? 絵理ちゃんは同じ事務所……」

夢子「応援しなさいって言ってるんだから、応援しなさい!!」

涼「暴論だよー!!」

129: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/11(月) 10:52:19.96 ID:YybZZK1t0
夢子「武田さんも次のオーディションに勝ったら考えてくれるって言ってるし。ここまで来たのね。待ってなさいよ、オールドホイッスル。あわよくば武田さんに曲を作ってもらって……、うふふ」

自分の夢の話をする彼女は、羨むぐらいに輝いている。僕も頑張らないと。

だけどその前に……。

夢子「で、あんたはどうするのよ。無様に負けるわけ?」

それは高い高ーい壁が待っているわけで。

涼「そんな! 悩んでいるんだ。勝てっこないと怯え半分、どこまで私の力が通じるか確かめたいっていう気持ちが半分。シーソーみたいに均衡してるの」

頭の中では、怯え君と挑戦ちゃんが仲良くギコギコとシーソーを漕いでいる。

夢子「シーソーねぇ。今のあんたと如月千早じゃ、あんたは空にぶっ飛んでるわよ」

涼「千早さんより私の方が重いよ?」

夢子「アキ……、あんたそれ素で言ってるの?」

涼「あっ、ごめんなさい」

ジト目で見られる。この冗談はお気に召さなかったみたいだ。

130: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/11(月) 11:00:17.32 ID:/bsqSIVj0
夢子「はぁ、私が真面目にしているのに、あんたがそんなのでどうするのよ」

涼「ごめんごめん」

夢子「一応言っておくけど、私あんたのこと認めてるのよ。ライバルとしてね。だからそのライバルから言わせてもらうけど……、出るなら勝ちなさい。それであんたに勝ってあげるわ。お金、置いとくから」

涼「あっ、うん」

予定があるらしい夢子ちゃんは、お金だけおいて去って行った。

涼「シーソーか……」

夢子ちゃんの言うように、僕と千早さんの力関係は、圧倒的に向こうの方が上だ。
空どころか、大気圏を突破するんじゃないかってぐらいに差がある。

だけどその差を埋める重石があればどうだろう? それもとってもへヴィーな……。

涼「でも問題は、その重石だよね」

お冷を飲み干し考える。歌唱力……、鍛えて貰ったと言っても、彼女の十八番だ。
ビジュアルとダンス……。千早さんは僕の方が上と言っていたけど、あの人はどちらも高水準だ。

歌ばかりに気がいきがちだが、他の分野も高いポテンシャルを持っているから、彼女は凄いんだ。
ただその2つは、歌に比べたら余りレッスンをしていないみたいだけど。

涼「そこでカバーしたら……。ダメだ、それでもまだ……」

結局その日は、何も思い浮かばず、店員に睨まれるまでお冷を飲み続けた。

137: ◆dj46uVZbVI 2012/06/11(月) 23:26:30.79 ID:yu0tA4T30
千早「あっ、秋月君」

涼「千早さん。こんばんわ」

散歩をしていると、偶々千早さんに会う。オーディションのこと、知っているのかな。

涼「買い物帰りですか?」

千早「ええ。いつも食べさせてばかりじゃ悪いから、私も料理をしてみようと思って」

涼「ホントですか!?」

思わず千早さんの手を握ってブンブンしてしまう。

千早「そ、そんなに驚くことかしら?」

顔を少し赤らめてされるがままの千早さん。
自分のしていることの恥ずかしさに気付いて、サッと手を放す。

涼「あっ、ごめんなさい! つい興奮して、手握っちゃいました……。嫌でしたよね」

千早「前に一度手を引っ張られたことがあったけど?」

涼「そ、それもそうですね!! あはは」

笑っとけ笑っとけ。

138: ◆dj46uVZbVI 2012/06/11(月) 23:29:29.92 ID:yu0tA4T30
千早「でも特売っていうのは大変なのね……。高槻さんの偉大さがよく分かったわ」

苦労したのかな、千早さんはそう言って僕にスーパーの袋を見せる。

って特売? 今日は木曜日……。

涼「げっ、今日特売だったんだ……。忘れてたー!!」

何たる愚かしさ!! 買いこみのチャンスを逃してしまった!

千早「忘れるなんて、珍しいこともあるのね……」

ずっとずっと考え事をしていて、完全に忘れていた。食材、余っていたかな……。

涼「はぁ……。幸先悪いなぁ」

千早「? そうだ、秋月君。武田さんから話聞いてない?」

涼「へ? 武田さんから?」

千早「ええ、もしくはメールが来ていると思うけど」

涼「あっ、ホントだ。メール着ている」

携帯を確認すると武田蒼一の名前が。武田さんからメールが来るのって珍しいな。

139: ◆dj46uVZbVI 2012/06/11(月) 23:38:08.51 ID:yu0tA4T30
涼「なになに……。チャリティーライブのご案内?」

千早「それのことね。今度の日曜日、武道館で行われるのよ。さしずめ日本版『We are the world』ってとこね」

涼「ええ!? それに、出るんですか!?」

千早「ええ。私の今のランクじゃここまでのものも開けないんだけど、武田さんの計らいなの。多くの歌手の方と一緒に、歌わせてもらえる機会を得たわ」

涼「ホントだ。ビッグネームがずらりと並んでる……」

武田さんからのメールには、千早さんがチャリティーライブに出ること、
僕を関係者席に呼ぶことが書かれていた。

そしてプログラムには、名だたる歌手の中に、千早さんの名前が。

千早「この中で私なんかが歌っていいか分からない。でもこの機会を大切にしたいの」

私なんか? 御謙遜を。このドリームメンバーに選ばれたのは、
千早さんが世間から認められたという証拠なんだ。誇っていいぐらいだ。

千早「秋月君、見に来てくれる?」

涼「そ、それは行きますよ!!」

こんなチャンスそうそうない。それに……、戦うことになる千早さんの本気を、もう一度肌で感じたかったんだ。

140: ◆dj46uVZbVI 2012/06/11(月) 23:41:06.92 ID:yu0tA4T30
涼「す、すごい……」

武田「気押されてるのかい?」

チャリティーライブの会場の広さだけで既に僕は威圧されていた。
いくらビッグネームが集まるからと言っても、こんな空気の中歌うなんて……。

武田「いつか君も、この舞台に立つことが出来る。僕はそう信じているよ」

涼「き、期待に応えられるように頑張ります!!」

リップサービスだとしても嬉しかった。だけど同時に、今の自分の無力さを痛感する。

いつかっていつだろ。

千早『みなさん、こんばんわ。如月千早です。今夜は私のような未熟者もお招きいただき、ありがとうございます』

誰もが知っているアーテイスト達の中、唯一のアイドルとして、千早さんがステージに上がる。

千早『こんなちっぽけな私の歌が、どこかで少しでも希望になれば……。幸いです』

千早『――♪』

ホールを包み込む歌声に、観衆は静まる。アイドルのライブとは思えないぐらいの静かさだ。
彼女は、この箱を歌声だけで支配したんだ。

彼女がちっぽけなら、僕はなんだろうか。蟻? ミジンコ?

ステージに立つ彼女は、いつもより大きく感じた。

141: ◆dj46uVZbVI 2012/06/11(月) 23:46:54.17 ID:yu0tA4T30
武田「オールドホイッスルに出た時よりも、断然上手くなっている。恐ろしいな、彼女の進化は」

進化が加速するのなら、僕は永遠に追いつくことが出来ない。
唯でさえ離れていた距離が、より遠くなっていくのが分かる。

武田「だが、最後のピースを見つけるのはまだまだ先のようだ。その鍵は……だろうな」

武田さんが何かをぼやいた。だけど僕はそれを聞き返さなかった。
確認すら億劫なぐらい、彼女の歌に満たされていたから。

千早『――♪ ありがとうございました。この後も、心行くまでお楽しみください』

割れんばかりの拍手が、彼女を舞台裏まで送る。僕も手が腫れそうなぐらいに叩き続けた。

涼「お疲れ様です、千早さん」

武田「良いライブだった、掛け値なしに」

千早「ありがとうございます」

チャリティーライブは大盛況の中終焉を迎えた。どの歌手も素晴らしかったけど、やっぱり千早さんは凄かった。
あの環境の中、自分の歌を歌えたんだ。それは彼女にとって最大の幸せだと思う。

武田「僕も君を招待して良かったと思っている。鈴月君も得るものがあっただろう」

涼「はい」

勉強にはなった。だけど改めて認識してしまった。

如月千早には、勝ち目がないと。

142: ◆dj46uVZbVI 2012/06/11(月) 23:50:07.64 ID:YybZZK1t0
落ち込んでいると、妙に軽快な音楽が流れてくる。これは盆回し?

武田「おっと失礼、電話だ。……彼女か」

武田さんは少しだけ表情を変える。何か起きたのかな?

武田「もう少し話していたかったが……、失礼するよ」

涼「あっ! お疲れ様です!!」

千早「武田さん! あの話ですが……」

武田「すまない、それはまた今度にしてほしい。彼女からの電話は出ないと後で大変なことになるからね」

千早「あっ」

千早さんの話を最後まで聞かず、出て行ってしまった。

涼「行っちゃいましたね」

千早「……そうね」

千早さんはどこか悔しそうな表情をしている。

涼「でも凄かったですよ。僕感動しましたもん」

千早「ありがとう、そう言ってくれると嬉しいわ。ねぇ、秋月君」

涼「はい、なんですか?」

千早「少し、夜風にあたらない?」

僕は首を縦に振った。

143: ◆dj46uVZbVI 2012/06/11(月) 23:53:53.57 ID:yu0tA4T30
千早「ふぅ……。ライブの後、こうやって夜風にあたると気持ち良いのよ。でも少し、暑いわね」

涼「だって夏ですから。わっ」

強めの風が吹く。気持ちは落ち込んでいても、ライブの熱気に当てられた身にはちょうど涼しい。

千早「ねえ、秋月君」

涼「何ですか?」

千早「オーディション、受けるんでしょ?」

涼「ええ!? 僕話しましたっけ?」

千早「エントリー表を見たのよ。あなたの名前があって驚いたわ。もうそこまで来ているんだって。歌を教えていた身からすると、嬉しい話ね」

千早さんは柔らかく笑う。まるでわが子の成長を喜ぶ母親のようだ。

涼「いえ、そんなこと」

千早「ふふっ、本当に自己評価が低いのね。寧ろ自信を持ってほしいところなんだけど?」

涼「すみません、自信があるのは料理ぐらいなんで……」

いつも男らしくないと言われてきたからか、どうも自分に自信が持てない時がある。
そして今も同じ。男らしくありたくても、周りは女性らしくを要求する。

ファンが見ているのは『私』であって『僕』じゃない。

鈴月アキと秋月涼は、本来乖離されるべき存在なんだ。

144: ◆dj46uVZbVI 2012/06/11(月) 23:58:47.87 ID:/bsqSIVj0
千早「ねぇ、秋月君」

涼「なんですか?」

千早「あの日あなたが言ったこと、良く分かったわ」

涼「あの日?」

千早「最初に秋月涼に会った日のことよ」

思い出した――。彼女と秋月涼が出会ったのは、学校の屋上。
そこで僕は彼女に宣戦布告したんだ。

涼『あなたを超えてみせます』

千早「貴方の秘密を知って、その言葉の意味が分かったの。そして今、貴方は私を超えようとしている」

涼「千早さん……、憶えていてくれたんですね」

恥ずかしい台詞がリフレインされる。だけどそれは、僕のハートに火をつけるに十分だった。

千早「嫌でも印象に残るわよ。あの時は貴方が女装アイドルなんてこと、知らなかったけどね」

なんだ、最初から分かっていたじゃないか。如月千早を超えないといけない日が来ることぐらい。

勝ち目がなくても、挑まないといけないことぐらい。

145: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:03:15.07 ID:Wu+kCae30
涼「今ここで、もう一度言います。僕は貴女を超えます。僕の夢を叶えるためには、千早さんを超えないといけないんですから」

トップアイドルへの道に高く聳え立つ壁は、歌姫と言う絶対的な存在。
だけどもう落ち込んでなんかいられない。

僕には後退なんて言葉を選んでいる時間がないんだから。

千早「そう……。それはこっちも同じよ。貴方に勝つことで、何か見つかる、そんな気がするの」

千早「だから、共犯者じゃなくて、ひとりの歌手、いいやアイドルとして貴方に言わせてもらうわ」

涼「勝つのは僕です!」
千早「勝つのは私よ!」

涼「……」

千早「……」

涼「あははは!」

千早「……っ! ……」

声がハモってしまう。それが妙に可笑しくて、声を上げて笑ってしまう。
それは彼女も同じようで、必死に笑いをこらえている。

涼「ふぅ、なんか気が楽になりました。悩んでた自分が馬鹿らしいです。では千早さん」

千早「ええ、オーディションで会いましょう」

僕にとって最大の戦いが、幕を開けた。

146: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:06:19.66 ID:hDxsX9jO0
石川「そう、エントリーするのね」

翌日、僕は事務所に着くとまず最初にオーディションを受ける旨を社長に伝える。
社長は驚くこともなく、淡々と受け入れてくれた。

涼「はい。確かに逃げることもできます。だけど僕は千早さんに挑みたいんです、彼女を超えたいんです」

石川「全く、いつの間にそう男らしくなったのかしらね。嬉しいんだか悲しいんだか」

確かにアキと言う立場を考えたら、男らしくなられたら困るな。

石川「貴方が言うのなら、私も全力でサポートさせてもらうわ。今のままじゃ勝てないのは理解しているわよね」

涼「はい。格好付けたところで、千早さんの域に達していないことぐらい理解してますから」

チャリティーライブを間近で見たんだ。彼女の凄さぐらい、重々承知済みさ。

石川「レッスンもそうだけど、後何か武器があれば……」

涼「武器ですか……」

千早さんと対等に渡り合えるシーソーの重石、それは何かと必死で考えた。
だけど答えは浮かんでこない。時間ばかりが過ぎるだけだった。

147: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:10:58.25 ID:hVX2xghY0
石川「なにも思いつかない、そんな顔してるわよ」

涼「うっ……、いろいろ考えたんですよ? でも思いつかないんです」

石川「全く、1人だと限界があるに決まってるじゃないの。特に、貴方みたいな真面目な子は、難しく考えすぎるかもしれないわね」

社長は嗜めるように言う。

石川「まぁ、どうやって如月千早を超えるか。貴方たちで考えなさい」

涼「貴方たち?」

石川「ええ、貴方たちよ。まさか1人で勝てるなんて思ってないでしょうね? 周りを見渡しなさい。3人寄ればなんとやら、よ」

ワザとらしくぼかす。

石川「レッスン場はこちらで手配しておくわ。残された時間は長くないかもしれないけど、貴方が最良の結果を出せることを期待しているわ」

涼「ありがとうございます!!」

3人寄れば文殊の知恵、か。ここは1つ、頼ってみよう。

涼「あっ、もしもし?」

148: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:13:28.90 ID:Wu+kCae30
愛「それでは、第1回!! アキさんが千早さんに勝つためには何をすればいいか会議を始めます!!」

絵理「ドンドンパフパフ?」

夢子「あー! 腹から全力で声出さなくても聞こえるわよ!!」

涼「あ、愛ちゃん流石に煩いかな……。ここファミレスだし」

店員さんもお客さんもみんな僕らを見ている。4人とも変装済みだから、
正体が露呈することは無いと思うけど――。

客「今ファミレスに変装中の4人組がコント中なう」

バレてはないけど、奇異の目で見られているのは確かだ。
揃いも揃って店内でサングラスかけてたら目立つよね、うん。

愛「あっ、御免なさい。なんかこうやってみんなで集まるのって久しぶりで、少し興奮しちゃいました」

愛ちゃんの言うように、アイドルランクが上がるにつれて2人とは疎遠になっていった。
だからこんな風に揃うのも久しぶりだし、テンションが上がる気持ちもよく分かる。

夢子「はぁ、絵理たちがいるって聞いてないわよ?」

絵理「私も夢子さんが来ること聞いてない?」

涼「ま、まあ! 仲良くしようよ! ね?」

にらみ合う絵理ちゃんと夢子ちゃん。2人の間に火花が散っている……、ように見える。

149: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:16:57.88 ID:hVX2xghY0
夢子「こっちもオーディション近いからレッスンしたいの。チャチャっとやって解散しましょ」

絵理「うん。長引かせよ」

夢子「話聞いてた!?」

涼「もう!! 今だけは仲良くして!!」

僕のオーディションの前に、夢子ちゃんと絵理ちゃんがぶつかるオーディションが予定されている。
忙しい中来てくれたんだ、早めに終わらせよう。僕もレッスンしたいし。

愛「それじゃあまず私から!! 千早さんを倒すために必要なもの!」

涼「いや、倒すって言い方は何か違うかな……」

愛「それは!!」

それは……?

愛「胸です!!」

絵理「」

夢子「」

……。

150: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:20:14.02 ID:hVX2xghY0
愛「あれ? 何でみなさん黙って……」

涼「はい、次絵理ちゃんねー」

愛「酷いですよー!!」

涼「酷いのは愛ちゃんだよ!! 千早さんのこと馬鹿にしてるの!? 怒るよ!!」

夢子「なんでアンタが如月千早の肩を持つのよ」

大体胸で勝負がつくなら、トップアイドルは皆○○だ。

愛「えー、結構いい案だと思ったんですけどねー」

涼「そもそもだよ? 今からバストサイズを上げろっていうの?」

愛「そこはあれです! マットを使えば……」

涼「え? 器械体操をするの?」

絵理「それはパッドの間違い」

愛「それです!! 重ねてつけたらナイスボディですよ!! アキさんの魅力で審査員をメロメロにしちゃうんです!!」

涼「えー」

現在進行形でつけてますが何か問題でも?

151: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:24:03.31 ID:hDxsX9jO0
夢子「却下ね」

涼「うん、流石にこれはないよ」

愛「頑張って考えたのにぃ……」

シュンとした愛ちゃんを見ると罪悪感が湧いてきた。

パッド、いつもより多めにつけようかな。

絵理「頑張る方向を間違えただけ? 次は私が出すね」

涼「あっ、お願いします」

夢子「まあパッドよりはましなアイデアが出ると思うけど」

絵理「うん。だけどこれは賭けでもある、下手すれば自分の首を絞めかねない……かも」

涼「賭け、か……」

絵理「それも邪道中の邪道」

まともにやったら勝ち目がない。ならば、別のアプローチから攻めてみるのも一つの手だろう。

絵理「千早さんはボーカル型のアイドル、だから自然とボーカルアピールを中心で組んでいると思う。そこがキモ」

夢子「成程ね……、あんたの言いたいことが読めてきたわ。確かに有効な手ね」

152: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:28:46.43 ID:Wu+kCae30
涼「え? そうなの?」

愛「もったいぶらずに教えてください!」

夢子「あんたら……、何回オーディションを受けてきたのよ」

絵理ちゃんの真意をイマイチ測りかねる愛ちゃんと僕を、夢子ちゃんが呆れたような目で見る。

絵理「続けるね? だからアキさんは……」

絵理「ワザとボーカルアピールを失敗するの」

涼「ええ!?」

愛「それじゃ審査員さんが帰って……。あっ!」

絵理「うん、そういうこと。名付けて、連帯責任ジェノサイド戦法」

涼「ジェ、ジェノサイドって……」

まさに皆殺しだ。何度もアピールをしたり、ミスをして審査員の興味が失せてしまうと、
審査員が帰ってしまうことがある。その場合、その審査員のポイントは0になる。

今回の場合、千早さんの得意分野のボーカルを潰して、そのほかでカバーする。そういうことだろう。

153: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:31:12.42 ID:Wu+kCae30
夢子「別にバカ正直に向こうの土俵で勝負する必要もないし、確実な方法だと思うわよ?」

絵理「うん。でもこれは勝つために手段を選ばない人専用の技だから、後々刺されるかも? あくまで自己責任」

涼「そういう怖いこと言わないで欲しいな……」

それにこれをやった日には間違いなく関係が悪化する。

それに――。

涼「ありがとう絵理ちゃん。でも僕はそれをしない。真っ向から挑みたいんだ」

夢子「はぁ!? あんた正気!? 相手は稀代の歌バカよ!?」

涼「だからこそ、歌で勝ちたいんだ」

彼女に教えて貰った歌で挑みたい――。

我儘かもしれないけど、それが千早さんに対する最高の恩返しなような気がしたんだ。

夢子「あんたも相当バカよね……。見てて清々しいわ」

愛「でもアキさん、格好良いです!」

絵理「うん、少年漫画みたい?」

格好いいと言われて嬉しさ半分、今の自分は女装中という現実に悲しさ半分。何とも複雑な思いです。

154: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:32:59.49 ID:Wu+kCae30
愛「でもそうしたら、千早さんに勝つ手だてが……」

夢子「無いことは無いわ。とっておきの大技がね」

涼「え?」

夢子ちゃんはニヤリと笑うと、

夢子「如月千早になくてあんたにあるもの。それがないのなら、作ればいいじゃない」

マリーアントワネットみたいなことを言った。

涼「作るってなにを?」

夢子「アンタ、1から100まで言われないと分からないわけ?」

涼「うっ……、そういうつもりはないんだけど」

夢子「まぁそれは自分で考えなさい。私はヒント出したわよ? じゃあレッスンの時間だから」

涼「あっ、うん」

夢子ちゃんはお金だけ置いて、その場を立ち去る。

155: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:36:36.30 ID:Wu+kCae30
涼「ないのなら作ればいい……、作る?」

愛「どうしました、アキさん?」

涼「うん、今天啓を得そうなんだ」

千早さんにあるもの――。まずは歌唱力、これは勝ちようがない。
女性特有の美しさ、女装男子がかなうはずがない。
ダンス、これは勝てるかも。

1勝2敗じゃん。他には何がある? 度胸、オーラ、素敵な歌……。

涼「歌だ」

愛「ヒカルですか?」

涼「新曲だ!!」

我、天啓を得たり! 勢いのままその場で立ち上がる。

絵理「アキさん、みんな見てるよ」

涼「あっ、すみません」

周囲の白い目で見られるのも気にならないほど、僕は興奮していた。
今まではカバー曲がメインだった。だけどもし……。

自分の声をフルに活かせる、自分と共に成長できる歌があるなら?

涼「シーソーは均衡するかもしれない」

156: ◆dj46uVZbVI 2012/06/12(火) 00:38:19.97 ID:Wu+kCae30
だけどそんな曲、どこから……。

僕が作る? 確かに自分のことを1番わかっているのは僕自身だ。だけどその知識がないし、
オーディションまでに間に合うと思えない。ならば依頼するしかない。

涼「でも誰に?」

作曲が出来る知り合いなんて……。

夢子『あわよくば武田さんに作曲してもらって……』

涼「そうだ、あの人なら!!」

きっと最高の曲を作ることが出来るはずだ。そうと決まれば、僕は彼にメールを送る。
返信は思いのほか早く返ってきた。まるで僕からのメールが来ると分かっていたみたいに。

絵理「勝機、見つけた?」

涼「うん、とっておきの秘密兵器を! ありがとう、2人とも」

愛「いいえ! アキさんには頑張ってほしいですから!」

絵理「うん。負けないで」

2人からのエールを受けて、僕は指定された場所に向かう。

160: ◆ctlhy2OFyKXp 2012/06/13(水) 01:13:40.41 ID:FE90Am+70
涼「すみません、お忙しい中時間取らせちゃって」

武田「いや、気にすることはないよ。遅かれ早かれ君が僕に会いに来ると思っていたからね」

テレビ局にある武田さんの仕事場は、音楽室のようにCDや楽器に囲まれていた。

武田「さて、早速だが……。要件を聞こうか」

涼「はい、武田さん。私に曲を作って欲しいんです」

武田「ほう、ずいぶんと急だね。前に会ったときはそうでもなかったが……、なぜそんな依頼を?」

武田さんは口ばかりの驚きを見せ、僕の言葉を待っている。
この人にはごまかしも通用しない。ならば僕のすべてを出し切るまでだ!

涼「無茶なお願いだというのは分かっています。だけど私にはあなたの曲が必要なんです。私にとってピッタリな、最高の歌が欲しいんです!!」

武田「指名とは嬉しいね。だが、それは僕じゃなくてもいいのでは? 僕よりも共感できる歌詞や、聞く人を魅了する曲を作ることが出来る人間は大勢いる。紹介だってできる」

武田「でもわざわざ僕を指名してくれた理由、教えてくれるかい?」

確かにそうだ。作曲家は何人もいるし、武田さんの言うこともご尤もだ。

だけど彼じゃないと、ダメなんだ。

161: ◆.R69hvqIIQ 2012/06/13(水) 01:16:43.89 ID:FE90Am+70
涼「あなたの理想です」

武田「ほう、まるで入社面接のような答えだね」

涼「うっ……。確かにそう聞こえるかもしれません。でも私は、貴方の理想に感動したんです」

『老若男女問わず、誰からも愛され、口ずさめる音楽』

それが武田さんの理想の音楽だ。そこにはビジネスも大人の事情もない。
あるのは素晴らしい音楽だけ、まさに理想郷。そしてその歌はいずれ大きな力となる。

国を超えて、世代を超えて、世界中が手をつなぐように。

涼「私にその理想を託すに値する資格があるかは分かりません。だけど、その歌が必要なんです。私の夢のためにも、千早さんを超えるためにも」

武田「如月君……、か」

涼「千早さんは凄い人です。何度も身を持って知らされました。だけど追い付きたいんです! 私はあの人を超えたいんです」

武田「影響され過ぎじゃないのかい? 君たちのような若い子には良くあることだ。それに、君と如月君は歳も近い。唯の憧れじゃないのかい?」

前はそうだったかもしれない。だけど今は違う。千早さんは僕にとって……。

162: ◆dj46uVZbVI 2012/06/13(水) 01:20:11.54 ID:FE90Am+70
涼「前はそうでした。手を伸ばしても届かない、太陽のような人だと勝手に決めていました。だけど彼女は私にとって、偉大なライバルです」

武田「それで、君は僕の曲を手にして何をしようとしている?」

涼「私は千早さんと比べたら薄っぺらです」

世界的な歌手を目指す千早さんと、男子アイドルデビューを目指す僕。
スケールの大きさは断然違う。

だけど僕の夢は、負けてなんかいない。

涼「だから、私と一緒に育っていく歌が必要なんです。お願いです、武田さん。私を前に進ませてください」

武田「なるほど……、そこまで未来を見据えているのなら何も言うことは無い。君に曲を提供することを約束しよう」

武田さんの表情が少し和らいだ気がする。

涼「本当ですか!? ありが」

だけどすぐに、真剣なまなざしで僕を射抜く。

武田「だが、僕はインスピレーションがわかないと曲が作れないんだ。昔からの悪い癖でね、直そうと努力しているが、どうもうまくいかないんだ」

涼「え?」

163: ◆dj46uVZbVI 2012/06/13(水) 01:23:56.83 ID:FE90Am+70
武田さんは機械のように淡々と続ける。

武田「もしかするとそれは明日かもしれないし、ギリギリかもしれない。最悪、間に合わないかもしれない」

涼「そんな……」

武田「もちろん善処する。僕を選んでくれた以上、それに応えないといけないからね。それに……」

武田「君になら、夢を託せると思ったからね」

涼「夢、ですか?」

武田「ああ、夢だ。僕のような裏方の人間じゃなく、今を歌う君たちにしか叶えることのできない、大きな理想さ」

夢を話す人は活き活きする。それは武田さんも例外じゃない。

武田「全ての人を幸せで満たす音楽。どうかそれを心に置いていて欲しい」

涼「はい!!」

武田「さて、僕は仕事に取り掛かるよ。鈴月君、君が如月君のピースになることを、祈っておくよ」

涼「ありがとうございます!!」

そうしてその場は終わる。僕は上手く行った嬉しさのあまり、スキップしながら家路へとついた。

164: ◆dj46uVZbVI 2012/06/13(水) 01:29:04.07 ID:yolu63VZ0
小鳥「私としてはどっちを応援すればいいのかしらね」

涼「それは千早さんじゃないんですか?」

小鳥「いやー、涼君には色々お世話してもらってるから。それに2人は私にとって、妹みたいなものだから」

涼「い、妹ですか……」

小鳥「うん、妹」

せめてそこは弟が良かった。

小鳥「もう、そんな顔しないの! 冗談ですよ!」

落ち込んだ僕を見かねてか、慌てて訂正する。

小鳥「涼君のこと、私たちはちゃんと男の子として見てますから」

男の子として見ている、その言葉で僕は有頂天になる。どれぐらいかと言うと、

涼「ありがとうございます! じゃあ今日はお酒オッケーにしましょうか!」

小鳥「本当!?」

後々訪れる惨劇を予期できないぐらいには。

165: ◆dj46uVZbVI 2012/06/13(水) 01:38:37.72 ID:FE90Am+70
小鳥「もうぎいでぐだざいぞ! またどもだぢがけっごんしで……。うぅ……」

涼「な、何言ってるの?」

千早さん、僕は馬鹿でした。鳥に餌を与えてしまった結果、急に自分の身の上話を聞く羽目になった。

やれ結婚がどうとか、アンチエイジングがどうとか。独身女性の悲哀が音無さんに詰まっている。

小鳥「どこかにいばぜんがねぇ……、うんめいのびどぉ」

涼「音無さんなら大丈夫ですよ! ほら、美人だし仕事も出来るし!」

本心からそう思う。むしろなぜ恋人が出来ないのか……。思い当たる節はなくはない。

小鳥「ぞうおぼうばら、けっごんしてくらはいよー!!」

涼「そ、それは! 僕なんかよりもっといい人がいますよ!!」

小鳥「らーめ、りょーぐんがいいのぉ……」

涼「ひっ」

鷹のような目つきで僕をロックオンする。ヤバい、喰われる――。

小鳥「いだだぎばーず!!」

涼「アーッ!!」

反省します。何があっても、音無さんには二度とお酒を飲ませません。

169: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/06/13(水) 23:50:26.80 ID:cjfo6e7X0
小鳥「これはなんと言いますか……。すみません」

涼「はぁ、お酒を飲ませた僕がバカでした」

色々話には聞いていたけど、ここまで乱れるとは思ってもなかった。
泣き上戸なだけならまだいい。だけどその後本気で捕食にかかるのだけは遠慮して欲しいかなーって。

小鳥「もうしません。だから……、紐外してくれる?」

涼「今外すと、また何かされそうなのでそのままにしておきます。反省してください」

小鳥「ひーん! 酔いは覚めましたよー! 酔いの覚めるスピードには定評があるんですよー!!」

テーブルにくくって身動きが取れない小鳥さんを冷ややかな目で見る。
自分でもこんな目が出来るなんて思ってもなかった。

小鳥「そ、それに、そろそろ時間だし……、ね?」

時計を見ると23時。もう少しで1日が終わる時間だ。

加えて……。

涼「時間? そういえば遅くまでいても、この時間に帰ってますもんね。気になってたんですけど何しているんですか?」

小鳥「あっ、いやぁ……。それは乙女の秘密?」

可愛らしくウインクが……あっ、上手く出来てない。

170: 投下します ◆dj46uVZbVI 2012/06/13(水) 23:57:03.79 ID:cjfo6e7X0
涼「乙女って歳でもないんじゃ……」

小鳥「17歳と云十ヶ月なんです!!」

涼「一緒ですよ!!」

小鳥「気持ちの問題なんです!! 命短し恋せよ乙女っていうじゃないですか! 女の子は死ぬまで乙女なんですよ!」

涼「し、死ぬまで乙女ですか……」

小鳥「愛に年齢は関係ありません! だから誰か貰ってください……」

涼「な、泣かないでくださいよ! 解放しますから!! 待ち合わせか何かあるんでしょ!?」

云十ヶ月がどれだけの歳月かは知らないけど、急いでるのなら仕方ない。
襲われないように間合いを計りながら音無さんを解放する。

小鳥「もう、酔った女性を緊迫なんて……、涼君結構Sっ気がある?」

涼「あるなら今頃、女装デビューなんかしてません」

小さな頃からの、従姉の教育の賜物です。

小鳥「それもそうね……。やっぱりMね! ってことは……、ムフフフ」

涼「納得されたらされたで嫌なんですが。しかもなんで嬉しそうなんです?」

ムフフと言う擬音が似合いそうだ。絶対に碌なことを考えていない顔をしている。

172: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 00:05:49.35 ID:KZgj1nw80
小鳥「涼君、実はSよりもMの方が凄いのよ?」

涼「いきなり何を言うんですか」

だらしなく涎を垂らしたダメ無さんモードから、仕事モードの顔に戻る。
常にこうしていたら、格好いい女性だと思うんだけどなぁ。色々勿体ないお方だ。

小鳥「考えてみて、SはMを攻めるのよ? だけど訓練されたMは違うの、自分が望むように相手を攻めさせるんだから。Sを手玉に取るのよ! 涼君にはきっと、その才能があるわ!!」

涼「いりません!」

その訓練されたMになるまで、どれだけの時間がかかるんですか。

小鳥「でも残念ね。千早ちゃんもどちらかと言うとMだし……」

涼「千早さんがどうしたんですか?」

小鳥「い、いや! 何でもないですよ!!」

涼「怪しい……」

小鳥「ってそろそろ時間だ! 急がなきゃ! 待っているみんなに悪いわ」

涼「待っているみんな? あのそれって」

音無さんが小さくぼやいたが、耳がきちんと拾ってくれた。みんなって誰?

173: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 00:10:16.00 ID:KZgj1nw80
小鳥「ううん! 何でもないわよ! それじゃあおやすみなさい!! 御馳走様でしたー!!」

ドタドタ音を立てながら音無さんは逃げる。

涼「行っちゃった……。ホント何してんだろ」

誰にだって一つや二つ秘密があってもおかしくない。秘密が女を美しくするなんて言葉もあるぐらいだし。
だとすれば、もし秘密を知ってしまうとその人を美人だと思うことなくなるのかな。

涼「なんか僕の秘密だけ知っているって、不平等だよなぁ。あっ、そろそろ始まっちゃう」

シャワーを浴びる前に、いつもの日課に移る。さて、今夜も癒されるとしようか。

ノリコ『はぁ、はぁ……。トオシタノリコのシンデレラスカイ……、今宵も星々の宴に、心を寄せましょう』

涼「あれ? どうしたんだろ」

犬のように息を切らす、いつもと違う彼女の様子に?が浮かぶ。

ノリコ『ではメールを紹介しましょう――』

涼「体調悪いのかな。夏風邪は辛いもんね」

お大事に。

174: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 00:14:32.71 ID:AE0+d/ax0
絵理「アキさん、まだ来ないの?」

涼「うん。だけど催促するのも悪い気がして、武田さんからアクションが来るのを待っているんだけど……」

愛「でも遅いですね」

オーディションは近づいていくが、武田さんからの連絡は一向に来ない。生まれるのは焦りだけだ。

涼「曲が来ないと振り付けも出来ないしなぁ」

絵理「ちょっと困ったね」

愛「えっと、イミテーションが湧かないんでしょうか?」

絵理「インスピレーションね」

愛「はい! そういえばそれだった気がします!」

曲作りも、僕らが思っている以上に難しい物なのかもしれない。
武田さんに心の中でエールを送りつつ、同時に早くしてください! と急かしてみる。

涼「大丈夫かな……」

そしてそのまま日は過ぎ、オーディション開始まで後1時間。

新曲は……、依然来ず。

175: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 00:17:04.73 ID:AE0+d/ax0
涼「ど、ど、どうしよう!」

愛「大丈夫ですよ! 後数秒で届きます!!」

涼「1、2、3……。ダメだ待てないよ!!」

愛「落ち着いてください!!」

涼「うわっ!!」

愛ちゃんにそのセリフを言われるなんて思ってなかった。おかげで少しだけ落ち着く。

愛「武田さんを信じましょうよ!!」

涼「うん、そうだね。ありがとう、愛ちゃん」

気を静めようと水を飲む。少しぬるくなっているけど、緊張と焦りで渇いた喉を潤すには十分だった。

トントントン。リズムよくドアが叩かれる。

涼「スタッフの人かな」

愛「あっ、出ますね。はーい!! 今行きまーす!」

愛ちゃんがドアを開けると、バイク便のお兄さんが立っていた。……バイク便?

176: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 00:22:23.26 ID:KZgj1nw80
訂正 少しだけ落ち着く→少しだけ落ち着けた。で

バイク便「あのー、鈴月アキさんは……」

涼「あっ、はい! 私ですけど」

バイク便「印鑑お願いしますね」

涼「はい、えっとサインでいいですか?」

バイク便「構いませんよ」

印鑑がないので、サインで受け取る。

秋月……。

バイク便「秋月?」

涼「えっ? って違う!! 鈴月ですよ、鈴月!! 鈴月アキです!」

バイク便「はぁ」

いつもの癖で秋月と書いてしまう。危ない危ない……。

バイク便「ありがとうございました!!」

バイク便のお兄さんは、上機嫌で帰っていく。

愛「私のファンですって! 嬉しいです!!」

愛ちゃんのサインを持って。

177: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 00:28:35.79 ID:AE0+d/ax0
愛「涼さん、それなんですか?」

涼「えっと、差出人は……、武田蒼一!? 武田さんだ!!」

愛「間に合ったんですね!!」

涼「メッセージ付きだ。『遅くなって申し訳ない。僕の夢を、君に託す』か……。急がなきゃ!」

本番まであと数十分と言うところで、最後の希望が届く。逸る気持ちを抑えて、丁寧に封筒を切る。
中にはスコアと音源が入っていた。残り時間は少ない、出来ることをしないと!!

涼「振り付けはこうして……、歌詞は!? えっとSo I love you, my darling.And stay forever――」

愛「アキさん、がっばってください!」

愛ちゃんの大きな声援を受けて、僕は必死で曲を覚える。
そういえば絵理ちゃんたちどうなったんだろ、気になるけど今はこっちに専念しなきゃ!!

スタッフ「鈴月さーん、準備お願いします!」

涼「あっ、はーい! 今行きます!」

愛「あまり時間取れなかったですね」

涼「うん。だけど間に合ってよかった。付け焼刃でどれだけやれるか分からないけど、今の私のすべてを出し切るまで!」

愛「行ってらっしゃい、アキさん!!」

涼「行ってくるね、愛ちゃん」

練習する時間は足りなかった。だけど僕は、この曲になら全てを賭けてもいいと思ったんだ。

178: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 00:42:23.62 ID:AE0+d/ax0
千早「あき鈴月さん、久しぶりね」

涼「千早さん!」

今秋月って言いかけましたよね。

それはそうとして、確かに久しぶりだ。あの宣戦布告以来、
千早さんは部屋に来ることも控えてたし、学校でも会わなかった。

隣に住んでいても、意識しなかったら遠い物なのかな。

千早「私は貴方の後すぐなのね」

涼「そうみたいですね」

僕の印象がかき消されないか心配だけど、きっと大丈夫。
根拠はどこにもないけど、いけそうな気がするんだ。

千早「鈴月さん、いい顔してるわよ」

涼「そうですか?」

千早「ええ、羨ましいぐらいにね。自信あるのね」

涼「はい! 根拠のない、大きな自信が!」

この歌と僕ならきっと――。

179: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 00:47:07.85 ID:AE0+d/ax0
審査員「んじゃ次、ナンバー5!」

涼「はい!」

審査員に呼ばれ、ステージへと立つ。

千早「……」

見ていてください、千早さん。これが僕の歌、

涼「曲は……」

Dazzling world

http://youtu.be/5QLhp7a-ycI



涼「~♪」

涼(凄い! 魔法みたいに紡がれて、歌っている僕も幸せになるような……)

不思議と歌いやすいメロディ、そしてどこまでも前向きで眩い歌詞が、僕を輝かせる。

そして世界が輝いていく――。

涼「ありがとうございました!!」

最高の歌で、今できる最高のパフォーマンスが出来た。そう信じている。

180: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 00:54:32.03 ID:AE0+d/ax0
審査員「……、はっ! 次ナンバー6!!」

千早「はい」

そして――。

審査員「結果発表だ! 気になるだろ? 合格者は……」

涼「合格者は……」

審査員「6番!」

千早「私、ですか?」

審査員「おめでとう! あっ、後の人は帰っていいよ」

涼「おめでとうございます、千早さん」

負けたのは悔しいし、時間の無さを言い訳にするつもりもない。
でも僕は全力で戦った。この歌と出会うことが出来た。悔いなんか、これっぽっちもない。

千早「ありがとうございます」

でも今は、彼女に大きな拍手を。

181: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 01:07:11.02 ID:AE0+d/ax0
愛「お疲れ様です! 残念でしたね……。でも私、アキさんの歌が一番だと思います!!」

涼「ありがと、愛ちゃん」

楽屋に戻ると、愛ちゃんが全力で励ましてくれる。それが何だか可愛くて、つい頭を撫でてしまう。

愛「えへへ……」

うん、幸せそうで何よりです。

コンコン

千早「ごめんなさい、鈴月さんいるかしら?」

しばらく愛ちゃんの反応を楽しんでいると、ドア越しに千早さんが声を掛ける。

涼「愛ちゃんごめんね。今行きます!」

愛「あっ……」

手が離れると寂しそうな顔をする。その仕草にちょっぴり色気を感じた僕は、悟られないようにドアを開ける。

千早「ごめんなさい、お取込み中だったかしら?」

涼「いや、そう言うわけじゃありませんけど」

もう少し愛ちゃんを撫でていたかったって言うのは秘密だ。

182: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 01:20:06.05 ID:AE0+d/ax0
千早「ねえ、鈴月さん。少しお話しない?」

涼「お話ですか?」

千早「ええ、嫌なら別に良いんだけど」

涼「そういうわけでも……」

結構遅い時間だ。愛ちゃんを1人で帰すのも……。

愛「あっ、私は気にしないでくださいね。タクシーを拾って帰りますから! お疲れ様です!!」

愛ちゃんはそう言うと、楽屋を走って出ていく。

涼「行っちゃった……。ホント元気だなぁ」

千早「気を遣わせてしまったみたいね。後で連絡を入れたらいいんじゃない?」

涼「ですね。そうします」

可愛い娘を1人旅をさせるお母さんの気持ちになる。母性本能……、じゃなくて父性本能が刺激される。
ってそもそも父性本能って有るのかな? 聞いたことないや。

涼「じゃあそろそろここも閉まるので、外に出ましょうか」

千早「そうね……、ちょうど夜風に当たりたい気分だったし」

あの日と同じように、2人で外に出る。違うものがあるとすれば、僕の心は雲1つなく晴れていたことかな。

183: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 01:36:29.14 ID:G7vk+pdM0
千早「秋月君、あの曲は武田さんの曲なのね」

涼「やっぱり分かるんですか?」

開口一番、千早さんは曲について聞いてきた。彼女ぐらい歌を学べば、
聞いただけで誰の作曲か分かってしまうのかな。

千早「難しいことじゃないわ。武田さんの曲って、曲中に決まってサインがあるの。いわば武田節ってとこかしら?」

涼「そうなんですか? すみません、あまり武田さんの作った曲を知らなくて」

言われてみると、彼の曲はDazzling Worldしか知らない。良くそんな身で作曲を依頼したものだ。
自分の不勉強さが情けなくなる。

千早「無理もないわ。この業界にいても、武田さんが作曲もしているって知っている人自体が少ないわ。それに、あの人が作った曲は両手で数えれる数しかないの」

涼「そうなんですか……」

お蔵入りになったのもあるみたいだけど、と付け加える。

千早「だから貴方の歌を聴いたとき、驚いたわ。秋月君が武田さんに認められたということ、新たな歌が生まれたこと。勿論それは私にとっても嬉しい話。だけど同時に、秋月君に嫉妬したの」

オーディションに合格したというのに、物憂げな眼で僕を見る。

184: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 01:44:58.49 ID:G7vk+pdM0
千早「秋月君、私は貴方が思っているよりも出来た人間じゃないの。……愚か者もいいとこよ」

涼「え? どうしたんですか、急に」

満月が照らす中、使いを待つかのように千早さんは寂しく佇んでいる。

手を伸ばせば届く距離なのに、遠く感じるのはどうしてだろう。

千早「確かに今日のオーディションは結果的には私は勝ったわ。だけど、貴方には負けたのよ」

涼「すみません、言っていることがよく分かりません」

千早「軽蔑してくれていいわよ。秋月君、私は貴方よりも薄っぺらい人間なんだから」

涼「なっ! そんなこと!」

千早「あるの! チャリティーだってそう、私は貧しい子供たちのことでもなく、思いやりの心でもなく、自分のことだけしか考えてなかったの!」

涼「千早、さん」

激昂。ダジャレなんかじゃないけど、そう表現するのが相応しい。
綺麗な嘘で誤魔化さず、刺々しいほどの本心を僕に見せつける。

千早「ごめんなさい、急に大声出して」

涼「いえ、最初に叫んだのは僕ですから……」

千早「秋月君、聞いてくれるかしら、私の話を」

涼「ええ、聞きます。だけどその前に、座りませんか?」

ポツンと寂しく置かれているベンチを指差す。オーディション後ということで、少々足腰が痛いんだ。

185: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 01:50:44.05 ID:AE0+d/ax0
千早「私は、武田さんに曲を書いて貰いたかったの。単純なメロディーの積み重ねが素晴らしい音楽を生み出す。彼の作る歌は私を魅了したから」

Dazzling Worldもそうだ。分かりやすく、技巧的に難しい曲でもない。
だけど気が付くと歌ってしまうような、心に残る音楽なんだ。

千早「だけどそれは叶わなかった。君にふさわしいものはとても、そう言って逃げられ続けていた。だから貴方が、羨ましいし妬ましいの。弟子みたいな子に、先を越されちゃったんだから」

初めて聞いた、彼女の嫉妬。それが僕に向けられたと知った時、複雑な気持ちになる。
認められたと嬉しく思えば、嫌われたんじゃないかと悲しく思う。

涼「そんな……、順番とかじゃないです。千早さんもきっと」

千早「やめて! 慰めは、聞きたくないわ……。ごめんなさい、取り乱しちゃって」

彼女の目からポロポロと涙が流れる。

千早「チャリティーライブも、私の心の中では武田さんに気に入られたい、認められたい。そんな邪な思いがあったのね。彼は全てお見通しなのよ」

涼「千早さん、僕は……」

千早「ふふっ、今までの歌を否定された、そんな気分。私は……、どうしたらいいのかしら? 教えて……、ゆ」

涼「千早さん!!」

気が付くと僕は、彼女の手を握っていた。血が通っているはずなのに、彼女の手は氷のように冷たい。

186: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 02:00:43.27 ID:AE0+d/ax0
千早「何度目かしらね、こうやって手を握られるのは」

涼「千早さん、僕は貴女を尊敬しています。難しい曲をああも簡単に歌って、教え方も上手くて。僕にとって貴方はライバルであるとともに、尊敬すべき先輩でもあるんです」

千早「それすらも、自分を言いように見せた結果かもしれないわよ?」

あくまで彼女は、後ろ向きだ。その態度が、僕の心をモヤモヤさせる。

涼「違います! ずっと一緒にいた僕が言うんだから違います! もう自分を蔑まないでください。千早さんが自分のことを悪く言うと、僕まで悲しくなります」

千早「私と貴方は、別の人間よ? だから貴方が悲しくなる……」

涼「なるんです、自分の事のように。だってそうでしょ? 好きな人が悲しい顔をしているんです。僕まで辛くなるに決まって……え?」

千早「え?」

いつもそうだ、言ってから初めて自分の言葉の意味に気付く。今だってそうだ。
好きな人、その言葉から導き出される答えは1つ――。

僕は如月千早に惚れていた。

涼「あっ、すみません! 今のは……。だあああああ!!!」

心の内に秘めていたことは認める。だけどそれを口にするほどの勇気もなく、
今の僕にその資格がないと思っていた。だから勢いがないと言葉に出来なかった。

そして言って後悔する、これもいつも通り。何時までたっても治りやしない。

187: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 02:11:19.19 ID:KZgj1nw80
千早「あ、あ、秋月君?」

涼「は、はい! なんでしょうかぁ!!」

始めて話すみたいに、ぎこちない。千早さんはリンゴみたいに顔を真っ赤にしている。
きっと僕も同じぐらい赤いと思う。

千早「わ、私が、好き? それはライク、よね」

Like(動)好き、似ている。
ここで止まれば、彼女との関係は変わらないのに。少しの間照れは残るけど、先輩後輩関係のままでいれたのに。

だけど僕は――。

涼「そ、それ以上です! ラブです、愛です!!」

Love(名)愛、恋人、たまに無得点。
今以上を望んでしまったわけでして。

千早「えっ、えっ!? う、嘘……」

涼「嘘なんかじゃないです。そんな嘘、吐きたくないですから」

手を握る力が自然と強くなる。それに比例して、僕の心も落ち着いていく。

188: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 02:14:42.62 ID:KZgj1nw80
千早「秋月君……、本気なのね」

涼「ええ、本気です」

いつからだろうか、頼れる先輩が、最大のライバルが、愛おしく思えるようになったのは。

どうしてだろうか、恋に落ちたきっかけは。

ラブストーリーは突然に。懐かしい曲名が頭をよぎる。確かにいつどこで起きるか分からない。
きっと歌った人も、同じ気持ちだったんだろう。

でもそれは特別なものじゃない。突然なんていうけど、何気ない日々の積み重ねの結果なんだから。
まるで武田さんの歌だ。笑い合って、擦れ違って。それが毎日に彩りを与える。

だけど僕たちはまだ分かり合えていない。彼女の秘密を、過去を僕は知らない。

涼「僕は……、千早さんのことをもっと知りたい、分かりたいんです。何に悩んで、何が嬉しかったのか。小さなことでも、気になって仕方ないんです」

例えそれが黒い想いだとしても、彼女の本心に触れることが出来た。それが嬉しかった。
だけど、自分の首を絞める彼女を放っておけなく思った。

涼「もう一度言います、千早さんが好きです」

そんなもの、エゴの押しつけなのに。分かっていても、口にせざるを得なかった。

189: ◆dj46uVZbVI 2012/06/14(木) 02:24:58.14 ID:ueuRfGtz0
千早「ごめんなさい、秋月君。私はきっと貴方にとって重荷になるし、きっとこれ以上私の事を知ったら嫌いになると思う。貴方が望んでいるよりも、汚い人間なのよ」

そんなもの、貴方だけじゃない。僕だってそうだ、きっとみんなも。特別なものなんかじゃない。

涼「完璧な人間なんかいません。その汚い部分も、僕は受け入れます。それすらも好きになる自信がありますから」

千早「こういう時だけ、自信があるのね」

涼「はい、男の子ですから。根拠のない自信は得意分野です」

千早「答えになってないわよ?」

涼「そうですかね……。あはは」

小さく笑いがこぼれる。

涼「僕が貴女を超えたとき、もう一度言います。今のままじゃ、きっとダメだと思うから。全てが終わった時、千早さんも僕に教えてください。貴女の、秘密を」

千早「やっぱり秋月君は強引よ。勝手に告白して、勝手に待ってって言って。手はまだ握ってるし。可愛い顔して、オオカミなのは案外嘘じゃないかもしれないわね」

涼「うっ、否定できないです」

さっと手を放す。

千早「どうせこれ以上言っても聞いてくれないでしょうし。待っているわ。貴方が私を超える日を。その時、私も貴方を……、いいえ、なんでもないわ。はぁ、貴方に嫉妬していたのが馬鹿らしくなってきたわ」

呆れたように笑う。笑顔になってくれたのなら、格好悪い告白も浮かばれるな。

千早「頑張りましょう、互いに」

涼「はい!!」

燃えるような恋心を自覚した僕は、不思議と心が満たされていた。
振られたわけじゃない、どう転がるかまだ分からないだけ。

男性デビューという夢と共に、千早さんと一緒にいたいという夢が生まれたんだ。

193: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 00:14:55.50 ID:NIlMR7GR0
夢子「ねー、アキ。聞いてる?」

涼「へ? 何夢子ちゃん?」

夢子「はぁ、満面の笑顔で言うことないじゃない。気持ち悪いわよ? 如月千早に負けて頭がおかしくなった?」

涼「そ、そんなことは無いよ!!」

夢子「何でもいいけどね。全く、武田さんに曲を作ってもらって負けるなんて、情けないったらありゃしない」

数分前に来ました、なんて言い訳通用しないよなぁ。

ふとオーディション後の電話を思い出す。

武田『鈴月君、すまなかった。ギリギリになってしまって』

涼「いいえ! 武田さんは悪くないです。私がしっかりできなかったのが敗因なんですから」

武田『結果としてもう少し早く曲が書けたら……、いや。これ以上言っても仕方ないな。だが、君にピッタリの曲が書けたという自信はある。感謝するよ、ありがとう』

涼「そんな! お礼だなんてこっちが言いたいぐらいですよ!」

武田『僕が作ったのは、Dazzlingの骨組みだけだ。命を与えたのは、他ならぬ君だよ。君が歌ったことで、この歌は人々の心へと届いたんだ。自信を持ちたまえ』

歌に命を与えた。その言葉がとても嬉しかったんだ。

194: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 00:18:49.68 ID:eVGacCOi0
夢子「まっ、あんたは残念な結果に終わったけど、私は勝ったからね。奢りなさい」

涼「えー!? 奢るの!?」

夢子「私の祝勝会よ」

夢子ちゃんと絵理ちゃんの対決は、夢子ちゃんに軍配が上がったみたいだ。

絵理『鬼気迫るもの、感じた?』

とは絵理ちゃんの談。
夢が叶うかどうかのオーディションだったんだ、気合いは凄かったんだろうな。

夢子「これで私も、武田さんに堂々とオールドホイッスルに出してもらえるようお願い出来るわ。ようやく夢が叶うのね……。きっとお姉さまも喜んでくれるわ」

夢子ちゃんは感慨深そうに言う。

ん? お姉さま? ひょっとしてそういう趣味なのかな。

夢子「なによ、その目は」

涼「な、なんでもないです! でも良かったね、夢子ちゃん」

夢子「あんたも早く私のとこまで来なさいよね。張り合いがないじゃない」

涼「あはは……」

尻を叩かれるように激励される。さて、僕も次のオーディションに向けて頑張らないと――。

195: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 00:23:55.73 ID:xpEWAI6j0
涼「おはようございまーす!」

石川「おはよう、涼。ずいぶん元気ね、良いことでもあったのかしら?」

涼「いえ、世界が輝いて見える、それだけです!!」

石川「何か悪い物でも食べたのかしら?」

とまぁ、恋に仕事に有頂天すぎて、周囲は気味悪がっているみたいだ。

石川「先日のオーディションだけど、如月千早といい勝負をしたということが話題になって、仕事が一気に来たわ」

涼「本当ですか!?」

石川「ええ、この様子だと例の件も思ったより早く実現できそうね」

涼「そうですか……、長かったなぁ」

そして僕の夢も、もうすぐ叶う。偽りの女装姿でいるのもあと少しだ。
そう考えると、急に女装が愛おしく……なるわけない。

石川「はい、ファンレターよ」

涼「ありがとうございます」

石川社長にファンレターを貰う。まなみさんが退社してから、事務仕事も社長が1人でやっている。
皆売れてきたんだから、いい加減誰か雇うなりすればいいのに。

196: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 00:27:13.80 ID:eVGacCOi0
涼「あっ……」

石川「どうしたの、アキ」

涼「いえ、何でも」

ファンレターはアイドルたちのファンから届く生の声だ。時に応援し、時に叱咤される。
だけど僕にとって、それは首を絞める時がある。

『アキちゃんみたいなかわいい女の子になりたいです!』

『アキちゃーン! 俺だー!! 結婚してくれー!!』

『息子がアキちゃんの大ファンで、テレビに出ると静かになるんですよ? 恋しちゃったのかな?』

石川「ファンレターね。貴方にとっては、結構きついかもしれないわね」

涼「僕は……」

好きな人の前では嘘を吐かないくせに、ファンの皆を欺いている。
裏切るのが怖いから、みんなに悪いと思うから。

涼「嘘吐きです」

石川「でもそれがアイドルよ。偶像、良く言ったものね」

僕は結局良い顔をしたいだけなのかな。

197: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 00:32:35.60 ID:NIlMR7GR0
小鳥「あっ、始まっちゃう。録画したかしら?」

涼「僕がしてるから大丈夫ですよ」

日曜日お昼の生放送、生っすか!? サンデー。
765プロ所属アイドル勢ぞろいと言う、なんとも他局泣かせな企画だ。

小鳥「皆慣れてきたわねー」

涼「場数を踏んでますからね」

高視聴率を記録して、765プロの人気を物語っているような番組だけど、
生放送ゆえのハプニングもこの番組の売りみたいだ。

例えば……。

涼「春香さんあざといなぁ……」

勢い良く開いた郵パックが顔に当たる。狙ってやらないと普通できないよね、これ。

小鳥「ここだけの話だけど、春香ちゃん自分が目立てるように、番組前は入念にリハーサルしているのよ。カメラの位置とか、光の加減とか、そういうのも全部気にしてこけているみたいだし」

なんですかそのプロは。もう春香さんのことを純粋に見れなくなったじゃないですか。

198: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 00:38:07.21 ID:4VRdlZTY0
千早『……っ、……』

春香さんの身を張った芸に、千早さんは必死で笑うまいと頑張っている。

涼「笑いをこらえている千早さんも可愛いなぁ」

小鳥「はいはい、のろけ乙」

涼「え?」

音無さんから少しばかりの敵意を感じる。

小鳥「千早ちゃんも千早ちゃんで、涼君が出てると食い入るように見ているし。さっさと突き合っちゃえYO!!」

どこの双子ですか。

涼「すみません、付き合うの意味が心なしか違うような気がするんですけど」

小鳥「間違ってません!!」

涼「断言された!?」

律子姉ちゃんに話を聞くと、どうやら音無さんは、仕事中に妄想にふけることが多いらしい。
それでも有能なので、咎められることは余りないとか。

小鳥『りょうちは……、年の近い者同士の純愛……、いやここは涼君のヘタレ攻めで……』

律子『凄い……、妄想を垂らしながら、凄いスピードでプレゼントを仕分けしている……』

つまりそれって、僕も妄想のネタにされているって事でしょうか。
いや、僕らなんだろうな……。

199: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 00:52:22.18 ID:4VRdlZTY0
小鳥「でもね、千早ちゃんと涼君って結構お似合いだと思うわよ?」

涼「そうですか?」

小鳥「ええ、秘密を共有してるってのも大きいけど、歳も近いしね。まぁ弟分みたいなものじゃないかしら。千早ちゃんがここまで心を開いている異性なんて、プロデューサーさんと社長と、涼君ぐらいだろうし」

それはそれで悲しいな。出来ることなら、一人の男として見て欲しい。

涼「それ、お似合いの意味合いが変わってきません?」

小鳥「いつもは可愛い弟みたいに思っていた涼君が、ふと見せる格好いい男の魅力。ギャップ萌えですよ、ギャップ萌え!」

涼「そうですね、凄い凄い」

仕事中とのギャップが大きい音無さんの妄言を適当に返して、テレビを見る。
今週も終わりの時間になり、MCの3人が歌っている。

あっ、春香さんこけた。

小鳥「楽しそうね……。私もこんな風に番組に出れたのかしらね」

涼「え?」

小鳥「ううん! 何でもないわよ! 気にしないで!」

涼「はぁ」

やっぱり音無さん、何かあったのかな……。

『3、2、1! メ―ルキター!!』

涼「あっ、メールだ。夢子ちゃんから? え?」

200: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 00:58:40.42 ID:NIlMR7GR0
あずさ「あの~、三浦あずさです。次のオーディションでご一緒させていただく……」

涼「す、鈴月アキです! よろしくお願いします」

仕事先で、ばったりと会ったのは、お嫁さんにしたいアイドルナンバー1、三浦あずささん。
彼女も765プロのアイドルで、律子姉ちゃんがプロデュースする竜宮小町のメンバー。

そして……、次のオーディションで当たる相手だ。

優しくホワホワとした空気を持っているけど、誰もを魅了するビジュアルと、高い歌唱力を持っている。
ダンスはあまり得意じゃないみたいだけど、千早さんに負けず劣らずの強敵だ。

あずさ「貴女がアキちゃんね、良く聞いているわ」

涼「そうなんですか? 律子姉……、律子さんから?」

律子姉ちゃんと親戚ってことは一応隠してるんだった。
届け物を持って行ったときは、近所に住んでいるって設定だったかな。

あずさ「ええ、夢子ちゃんからね」

涼「夢子ちゃん?」

意外な組み合わせだ。強気でイケイケ気質の夢子ちゃんと、おっとりあらあら気質のあずささん。
共通点が見えない。ナイスボディ同盟?

201: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 01:06:21.79 ID:NIlMR7GR0
あずさ「ねえ、貴女なら知っているかもしれないけど……」

あずささんは心配そうな目で僕を見る。

あずさ「夢子ちゃんの事、何か知らないかしら?」

涼「あっ、それ私も聞きたかったんです。この前、こんなメールが来てそれっきり会えなくなって……」

あずさ「貴女にも? 実は私にも来たのよ」

涼「あずささんもですか……」

僕とあずささんはメールを見せ合う。書いている文は違えど、意味は同じだ。

『私、アイドル辞めることにしたから。じゃあね』

あの日曜日以降、連絡が取れない。電話も出てくれないし、メールも返ってこない。
フリーのアイドルいだから事務所に聞きようもなく、八方ふさがりだった。

あずさ「貴女なら知っているかと思ったんだけど……」

涼「すみません、それは私も知りたいんです。夢子ちゃん、どうしちゃったんだろ」

あれだけ輝いていた夢子ちゃんが、夢の一歩手前でドロップアウト宣言なんて、何かあったに違いない。

202: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 01:10:14.08 ID:NIlMR7GR0
あずさ「私も何回も電話をかけているのだけど……、一向に出てくれないの。このメールが来る前の日は、凄く喜んでいたのに。夢が叶うって」

喫茶店での彼女の顔が頭によぎる。あの時はアイドルを辞めるなんて一言も言ってなかった。
それどころか僕に口の悪いエールを送るぐらいだったのに。

涼「武田さんと何かあったのかな……。とにかく、夢子ちゃんを探しましょう」

あずさ「そうですね、幸いこの後はオフでしたので……」

涼「僕もです。一緒に探しましょう」

あずさ「どこか心当たりがないかしら?」

涼「心当たりですか」

夢子ちゃんの行きそうなところ――。

レッスン場……、は余りいないかな。お金がないから借りれないみたいだし。
となると……、

涼「公園です! 夢子ちゃん、いつもそこで自主レッスンしてましたから!」

あずさ「公園ね……、行きましょうか」

僕たちは夢子ちゃんがいるだろう公園へ……。

なかなか行けなかった。

203: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 01:20:06.85 ID:4VRdlZTY0
涼「あずささーん! そっちは公園じゃないです!!」

あずさ「あら~」

そう言えば、律子姉ちゃんが言ってたっけ。あずささんはジャンパーだって。
ジャンパー、つまり目を離すと……。

あずさ「えっと、公園は……」

涼「こっちですよー!!」

見当違いの方向にいる。行先指定できない瞬間移動能力でも持っているのかな?

5分ぐらいで着く距離なのに、あっちにフラリこっちにフラリ。その都度僕は軌道修正。
お陰様で1時間もかかってしまった。

あずさ「ごめんなさいね、気をつけてはいるんだけど……」

申し訳なさそうに言う。

涼「いえ、気にしてませんよ」

口ではそう言うけど、方向音痴の相手がまさかこんなに疲れるなんて……。
ああ、やっぱり僕の従姉は素晴らしいお方だ。

涼「だったら私から目を離さないでくださいよ……。あっ、いましたよあずささん!」

ようやく見つけた夢子ちゃんは、公園のベンチで1人項垂れていた。

204: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 01:22:42.16 ID:4VRdlZTY0
夢子「何しに来たのよ、涼」

力なく首を動かす彼女からは、生気を感じられなかった。
僕に眩しい笑顔で夢を語った女の子と同じと思えないくらいだ。

あずさ「夢子ちゃん……」

夢子「なんだ、お姉様もいたんですね。ごめんなさい、連絡を無視していて」

涼「お、お姉様!?」

夢子「悪い?」

涼「い、いや! そういうわけでもないんだけど……」

夢子ちゃんの慕っているお姉様があずささんだったなんて。どういう経緯で出会ったんだろ。

でも言われてみると、夢子ちゃんはやよいさんのような裏表もない人に弱い。
つまりはあずささんも、夢子ちゃんにとって心を寄せるに値する人だったということだろう。

涼「どうしたの、アイドルをやめるなんて」

夢子「夢がね、消えちゃったのよ」

涼「え?」

夢子ちゃんは、誰よりも夢のために頑張ってきた。
攻めも守りも全力、確かに褒められたものじゃないけど、彼女の夢にかける思いだけは本物だった。
僕はそれをよく知っている。

だから、彼女の夢がなくなることは、桜井夢子そのものを否定するのと同じことだ。

205: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 01:29:32.51 ID:eVGacCOi0
夢子「武田さんにね、言われちゃったの。君みたいな人間をオールドホイッスルに出すわけにいかない、ってね」

涼「そんな! 夢子ちゃんはオーディションに勝ったのに……」

夢子「当然の報いよね……。私は今まで、ズルをしてきたんだもの。でもそんなの、私だけじゃないのに……。何で私がこんな目に合わないといけないのよ……」

こらえきれず、夢子ちゃんは大粒の涙を流す。

あずさ「夢子ちゃん……」

あずささんに抱きしめられ、泣き続ける。彼女の耳には、慰めの言葉も入ってこないみたいだ。

あずさ「アキちゃん、ここは私に任せて。帰っていいですよ」

涼「でも……」

あずさ「きっと、貴女には話せないこと、たくさんあると思うから。大丈夫、私がついてます」

涼「……分かりました」

夢子ちゃんをあずささんに任せて、その場を去る。

涼「クッ……」

こういう時、何もできない自分が嘆かわしい。

背中から聞こえる夢子ちゃんの涙から逃げるように、僕は公園を立ち去った。

206: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 01:41:12.61 ID:eVGacCOi0
夕食中、千早さんに話をしてみる。1人で考えるよりも、2人で考えた方がベターな答えが出ると思ったから。

千早「そう……、武田さんが」

涼「はい。僕に何かできることあるんでしょうか?」

千早「どういう経緯で耳に入れたかは知らないけど、武田さんは積極的に若い歌手と交流を持つ柔軟な一方で、梃子でも動かない頑固なところがあるの。そして、彼は大人よ。私たちよりもずっと」

涼「大人、ですか」

千早「今回もそう、オールドホイッスルの存在意義を考えたら、彼の判断は正しい物よ」

涼「そんな……」

千早「ええ。桜井さんの話は、私も小耳に挟んだことがあるわ。気を付けて欲しいってプロデューサーも言ってたわね。だけど今の今まで、誰も彼女の罪を裁かなかった。妨害をしなくなったと聞いていたけど、それでも過去の罪は消えないのよ……」

断罪、それが大人の使命。夢子ちゃんの夢を叶える過程で、何人のアイドルが涙を見せたのだろうか。
千早さんの言うように、罪は消えないんだ。時効なんて、有りはしない。

千早「そう、過去は消えないの……」

涼「千早さん?」

どこか遠くを見つめて、彼女は呟く。その目はとても寂しそうで、悲しみで彩られていた。

207: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 01:50:55.09 ID:xpEWAI6j0
千早「ごめんなさい、少し嫌な思い出が蘇っちゃって。秋月君、貴方が出来ること、すべきことはもう見えているんじゃないかしら?」

涼「そうですね。……僕、行きます」

これは自業自得だ、反省しろ。そう言ってしまえばそこで終わりかもしれない。
だけど彼女の夢だけは嘘偽りがないことを知っている。

そして僕は、彼女の夢が叶う瞬間を見たいんだ。親友として、ライバルとして。

千早「武田さんに会うのね。応援するわ、貴方たちにとって最良の結果になることを」

涼「ありがとうございます。千早さんに言ってもらえると、そうなる気がしてきました」

千早「案外調子がいい性格してるのね。まあ、なんでもいいんだけど」

夢子ちゃんの言葉で、僕は輝く世界のきっかけを得た。だから次は僕の番だ。

眩い夢が、もう一度動き出すように。チャンスを掴めるように――。

涼「行って来ます」

千早「行ってらっしゃい」

僕は武田さんのもとへ走った。

213: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 21:15:10.32 ID:xpEWAI6j0
涼「すみません、アポイントも取らずに押し入っちゃって」

武田「構わないよ、ちょうど今から休憩しようと思っていたところだ。長くは取れないけど、君の話を聞くぐらいの時間はあるだろう」

台本を読んでいるみたいに、武田さんは淡々としている。

僕はこの人の心を、動かすことが出来るのだろうか――。

涼「今日はお願いがあって来ました。夢子ちゃんの事、考え直してくれませんか?」

武田「ふむ、あの子のことを、ね」

涼「夢子ちゃんの才能は本物だと思います。夢子ちゃんにとって、オールド・ホイッスルに出ることは、何より大切な夢なんです。その夢を奪わないでください」

武田「夢、か」

涼「はい。武田さんも知っているはずです。夢子ちゃんが夢に向かってどこまでもひた向きだったことを」

武田「なんと言われようが、僕は彼女に機会を与える気はない」

涼「どうして、ですか?」

武田「君はひた向きという言葉の意味を知っているのかい? 汚い手を使ってまで、一生懸命になることを意味するのか?」

涼「それは……」

214: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 21:24:56.15 ID:NIlMR7GR0
武田「確かに彼女の才能は本物だろう。それは僕も知っているところだ。だが、歌手は技術だけじゃない」

武田「オールドホイッスルのコンセプトは、歌を通じて人の心を満たす番組だ。そして同時に、全ての歌い手の模範であるべき姿でもあるべきだ」

武田「そもそも彼女の生き方はコンセプトに反している。人を欺くような歌い手を番組に出したくない」

武田さんの行動が大人としての義務ならば、僕は子供のエゴを押し付けることしか出来なかった。

涼「でも!」

それが我儘だとしても、必死で食い下がる。

だけど、武田さんは分かっていたんだ。彼女のことだけじゃない、僕のことも。

武田「そういう意味では、君も同じだ。いや、君の方が欺いている規模は大きいかな。鈴月君」

涼「え?」

まさか……。

武田「君は男なんだろう?」

その言葉で、僕は心臓を掴まれる。

215: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 21:31:49.29 ID:NIlMR7GR0
涼「い、いつから気付いていたんですか」

武田「初めてテレビで見ていた時から。体の線の細さに比べて、スタミナと声質に違和感を覚えた。僕は最初から、君を男として見ていた」

武田「君に提供した曲も、遅れたのはそれがネックになっていたんだ。男子でありながら、女子として歌う歌い手に送る曲。恐らく今後書くことは無いだろう」

だからDazzling Worldがあんなに歌いやすかったのか――。

武田「ずいぶん掟破りなデビューだが、どうして女性のふりをする?」

涼「社長の方針なんです、その方が受けるだろうって。僕だって、本当は男の子アイドルになりたいです」

武田「それならば、なぜ事務所を飛び出してまでも、そうしない? 少なくとも、君の正体に自力で行きついた人間は、男性デビューを勧めるはずだが」

そう言えば、千早さんもそう言っていた。

涼「それは……」

『アキちゃんみたいなかわいい女の子になりたいです!』

『アキちゃーン! 俺だー!! 結婚してくれー!!』

『息子がアキちゃんの大ファンで、テレビに出ると静かになるんですよ? 恋しちゃったのかな?』

不意にファンレターが頭をよぎる。僕は最初から、間違っていたのかな……。

216: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 21:35:27.79 ID:4VRdlZTY0
涼「社長や、これまで応援してくれて来たファンにも悪いかな、って思って……」

武田「おかしなことを言う。自分の夢も追えない君が、他人の夢のためにこうしてやってくるのは、不自然に思えるが?」

武田さんの言うとおりだ。僕は逃げていたんだ。別に876だけが事務所じゃない。
たまたま従姉に紹介されて、たまたま女性アイドルという条件でデビューさせてくれた。それだけの話だ。

約束だとか、ファンのためだとか言って、結局僕は自分の夢と向き合えていなかった。
それを痛感する。

涼「それはそうかもしれません。分かりました、自分でよく考えてみます」

今のままじゃ、きっと夢子ちゃんをもっと傷つけるだけだろう。
そんなもの、これっぽっちも望んではいない。

武田「そうか。時に鈴月君、君の本当の名前を僕は知らない。教えてくれないだろうか?」

涼「秋月、涼です」

武田「成程、逆さにしたわけか。まさに君のために有るような名前だ」

涼「自分でもそう思います」

本当に、皮肉な芸名だ。

武田「秋月君、君が何を考え、何を思うかは僕の関与するところじゃない。君の果たすべきことがはっきりしたとき、もう一度僕を頼ればいい。その時は、手を貸そう」

涼「ありがとうございます」

僕の果たすべきことは――。

217: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 21:48:11.16 ID:4VRdlZTY0
涼「あずささん、夢子ちゃんはどうですか?」

互いに忙しいスケジュールの合間を縫って、あずささんに会う。
彼女の顔色を見るに、あまり状況は芳しくないようだ。

あずさ「それが何を言っても聞いてくれなくて……、夢が消えたことがよっぽどショックだったみたいね」

涼「そうですか……」

彼女の中で、どれだけ夢の存在が大きかったか、僕にも伝わってくる。
その夢の象徴でもある武田さん自身に、夢を否定されたんだ。立ち直るの、時間かかるよね……。

涼「すみません、あずささん。急に変な話しますけど、あずささんには夢がありますか?」

あずさ「夢、かしら?」

涼「はい、夢です」

一体何を聴いているんだろう、僕は。

あずさ「実はね、次のオーディションなんだけど、私の夢をかけたオーディションなの。勝つことが出来れば、夢へ歩き出す勇気が湧いてきそうな気がして……。でも余り褒められたものじゃないけどね」

あずさ「でも、その夢は他の人に譲ることが出来ないし、それが私の原動力だから」

皆、夢に向かって必死なんだ。なのに僕は言い訳ばかり探してたんだ。

涼「あずささん、ありがとうございます」

あずさ「え?」

涼「お蔭で目が覚めました。」

逃げてちゃいけない。もう一度、ちゃんと向き合わないと。

218: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 21:58:04.71 ID:eVGacCOi0
夢→男性アイドル
現実→女性アイドル
どうして現状を打破しない?→裏切るのが怖いから?

書き起こしてみると、なかなか珍妙だ。人が聞いたら笑ってしまうかもしれない。
だけどこれが、僕自身だ。

今まで積み上げたものと、夢。相反しあう2つが、シーソーのように揺れている。

ノリコ『トオシタノリコのシンデレラスカイ。今宵も、月が照らす街の物語に心を傾けましょう』

ノリコ『まずはメール、りょうちんさんから頂きました』

涼「え? 今りょうちんって?」

前にラジオに出したハンドルネームだ。まさか今になって出てくるとは思ってもなかった。

ノリコ『こんばんわ、ノリコさん。私にはなりたい自分がいます。だけど周りは、その逆を期待しているんです。それが嫌なわけじゃないけど、時々このままで良いのかなって思う時があります』

ノリコ『ありがとうございます。りょうちんさん、答えと言うのは決して一つじゃないです。今あなたがいる場所が、望んでたものと違っても、それには意味があると思います。それは嘘なんかじゃなくて、真実なんですから』

涼「真実……」

嘘で固められた鈴月アキも、僕の一部だ。そんなこと分かってたはずなのに。
僕は切り離そうとしていたんだ。

219: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 22:17:47.61 ID:NIlMR7GR0
ノリコ『真実から嘘を、嘘から真実を。必死で探さなくてもいいんです。ありのままのあなたを、みんな望んでいるんですから』

ありのままの僕……か。格好悪くても、ヘタレでも、僕は僕なりに自分を貫かなきゃいけないんだ。
それが誰かを裏切っても、嘘を吐き続けるよりはマシだから。

ノリコ『なりたい自分もエゴ、周りの期待もエゴです。天秤にかける必要はどこにあるでしょうか?』

その言葉は、僕の心を軽くするのに十分だった。

ノリコ『ここで一曲、Mr.childrenで『any』」

http://youtu.be/OnhY3Lx8Cao



今僕のいる場所が探してたのと違っても、悪くはない。きっと答えは1つじゃない、か。

なんとも皮肉な歌詞だ。でも僕はまだ、変えることが出来る。答えを見つけることが出来るんだ。

ノリコ『りょうちんさん、本当のあなたが見つかることを、微力ながら願っておきます。トオシタノリコのシンデレラスカイ、魔法の解ける時間がやってきました。ではまた会いましょう。お相手はトオシタノリコでした、バイバイ』

涼「バイバイ」

バイバイ、逃げ続けた僕。

220: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 22:33:18.45 ID:eVGacCOi0
事務所に着いて直ぐ、僕は社長に直談判に出た。

涼「社長、凄く大事な話があるんです! 私」

石川「落ち着きなさいアキ、みんな見てるわよ?」

涼「え?」

愛「どうしたんですか? アキさん」

今はまだ、愛ちゃんには話すべきじゃないかな。

涼「あー、会議室行きましょうか」

石川「そうね……、愛。来客があれば、ドアを叩いてちょうだい」

愛「分かりました!」

不思議そうに僕を見る愛ちゃんを尻目に、会議室へと入る。

石川「そう、女装をそろそろ辞めたいと」

涼「はい。社長も仰ってくれましたよね? もう少しって」

石川「言ったことは言ったけど、随分急な話じゃないかしら?」

そう簡単に認めてくれないみたいだ。事務所としては大きな痛手になるのは分かっている。
それでも僕は、チャンスが欲しかった。

221: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 22:59:55.68 ID:4VRdlZTY0
涼「ファンの事とか色々考えました。鈴月アキのファンが受け入れてくれるかとか、裏切っちゃうんじゃないか。って」

理想と現実、自分の希望と周囲の期待、秋月涼と鈴月アキ。
互いに向かい合ってシーソーに乗っていて、僕が乗ったのは未来へとつながる選択なんだ。

涼「何回も自問自答して、返ってきた答えが、自分の夢に向き合いたいってことなんです」

涼「お願いです。たった一度で構いません。望みどおりの僕になることが出来るチャンスが欲しいんです。声が変わる前に、夢子ちゃんの夢が完全に消える前に」

石川「その意思は、変わらないのね」

涼「はい。最初から今まで、ずっと夢見てましたから。鈴月アキであったことを、無駄にしたくないんです」

社長は僕の話を聞き、静かに考える。永遠と思えるぐらいの沈黙の中、社長は口を開いた。

石川「そう、そこまで考えたのね。だったら、次のオーディションに勝ちなさい。そうすれば、男の子デビューの事、考えてあげるわ」

涼「ありがとうございます!!」

石川「事務所にとってはマイナスにしかならないでしょうけど、今まで頑張ってきたものね。今回ばかりは、あなたの希望にこたえるわ」

社長も期待してくれている。尚更、負けるわけにいかないな。

222: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 23:04:48.86 ID:4VRdlZTY0
そしてオーディション当日。

律子「あんたもいたのね」

あずさ「こんにちわ、アキちゃん」

涼「あっ、あずささん、律子姉ちゃん。こんにちわ」

会場に着くと、律子姉ちゃんと手をつないでいるあずささんがいた。
音無さんが見たら喜びそうだな。

律子「ああ、これ? あずささんが迷子にならないようにしてるのよ」

あずさ「いつもごめんなさいね~」

涼「ですよねー」

デパートとかでよく見るよね、こういう光景。ただ成人女性にすることじゃないと思う。

律子「まぁ時間に間に合ったから良いとしましょう。じゃあアキ、あんたも頑張りなさいよ?」

涼「あっ、うん」

あずささんと律子姉ちゃんは控室に入っていく。僕も控室に入ろっと。

223: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 23:10:37.00 ID:xpEWAI6j0
涼「あっ、千早さんからだ」

オーディション5分前ぐらいに、千早さんからメールが来る。

千早『立場上あなたを応援するのはお門違いなのかもしれないけど、頑張って』

涼「負けられないな」

応援してくれている人がいる、夢を託してくれた人がいる、笑って欲しい人がいる。

それだけで、僕は自信を持てた。

審査員『次、3番!』

涼「はい」

男の子デビューがかかっている勝負。ここで勝つか負けるかで、僕の運命は大きく変わってしまう。
なんとなく、そんな気がする。

涼「~♪」

僕とともに育つ曲、か。歌うたびに、僕自身が曲になったかのような錯覚に陥る。
武田マジックってことかな。

あずさ「あら……」

律子「へぇ、やるじゃない」

審査員『次、4番!』

そして結果発表――。

224: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 23:15:04.82 ID:xpEWAI6j0
審査員『ドキドキするだろぉ? 合格者は……、3番だ!!』

涼「ぼ、僕ですか!? やったぁ!!」

審査員『へ? 僕?』

涼「え? いや、これはその……」

喜びのあまり、地が出てしまう。

涼「いいですよね、僕っ娘! 自称・可愛い、なんちって! あはははは……」

??「自称じゃなくてボクは誰よりも可愛いんです!」

審査員『5番は黙ってようね』

律子「あのバカ……」

涼(ぎゃおおおおん! 滅茶苦茶にらんでるよー!!)

これは反省会が待っているな……。

オーディションが終わり、あずささんが声をかけてくる。

あずさ「アキちゃん、お疲れ様。完敗だったわ」

涼「そんな。運が良かっただけです」

あずさ「運も実力のうちよ?」

良く聞くけど、ホントなのかな。

225: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 23:20:56.43 ID:xpEWAI6j0
あずさ「私も、まだまだなのね……」

涼「え?」

あずさ「前に言ったけど、今日のオーディションは夢に踏み出せるきっかけになればいいと思ってたの。でも、まだまだ先にした方がよさそうね。いつになるのかしら?」

あずささんは、さっぱりとした顔をしていた。そう言ってくれると、僕も気が楽になった。

あずさ「アキちゃんの夢、叶うといいわね」

涼「はい!」

律子「あずささーん! どこにいるんですかー!!」

あずささんを探す従姉の声。僕も説教を食らう前に退散しよう。

石川「おめでとう、アキ。いや、涼と呼ぶべきかしら」

事務所に勝利報告に行くと、社長が待っていてくれた。

涼「男の子デビュー、許可してくれるんですね」

石川「ええ、十分じゃないかしら。女の子アイドルとしてここまで来れたんだもの」

思えば長い道のりだったなぁ。しみじみと思う。
そして、僕の夢も叶う。これが夢子ちゃんを勇気づけるきっかけになればいいな。

226: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 23:24:15.34 ID:xpEWAI6j0
小鳥「それじゃあ涼君の男性デビューを祝ってー、かんぱーい!!」

涼「まだ番組で言ったわけじゃないんですけどね……」

音無さんは1人で盛り上がる。もちろん、グラスの中にはお酒じゃなくて、オランジーナが入っている。

千早「でも、変声期が来る前に決まって良かったわね」

涼「そうですね。正直そろそろキツイって思ってましたし」

当初の懸念事項だった変声期だけど、その前に夢が叶って何よりだ。

小鳥「でもアキちゃんも明日で見納めなのね……。家ではアキちゃんの格好してたら?」

涼「しませんよ!」

千早「ふふっ、それは寂しくなるわね」

涼「千早さんまで!!」

乙女2人(?)に弄られて、顔が熱くなる。鈴月アキはもうすぐ終わる。
そして僕は秋月涼としてもう一度デビューするんだ。

今度は嘘も偽りもなく、本当の自分で。

227: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 23:29:16.68 ID:xpEWAI6j0
『アンアンアンパンマン優しい君は……』

涼「アンパンマン?」

千早「あっ、ごめんなさい」

コミカルな着メロは、意外にも千早さんのものだった。

千早「クッ……、なにを今さら……」

涼「千早さん?」

千早「ごめんなさい、今日はもう帰るわ。ご馳走様でした」

涼「あっ」

歌われた正義の味方なら、彼女の悲しそうな顔を見過ごすことが出来なかっただろう。
甘い顔をあげて笑顔にしたに違いない。

でも僕は、そのまま彼女を見送ってしまった。

普段知りたい知りたいって言っているくせに、こういう時だけ尻込みしてしまう。
自分の弱さが嫌になる。

小鳥「やっぱり涼君は、まだまだヘタレね」

涼「音無さん?」

小鳥「こういう時は、そっと千早ちゃんを抱きとめて……、って言いたいところだけど、最近様子おかしいのよね。あまり触れない方が良いのかも」

涼「ですね……」

だけどそれは甘かった。いつもみたいに、多少強引にでもエゴを通せばよかったのに――。

228: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 23:47:26.72 ID:xpEWAI6j0
僕はまた、武田さんの仕事場を訪れた。自分の夢に向き合ったことを、彼に伝えたかったから。

夢子ちゃんは、依然落ち込んだままらしい。

あずさ『食事も喉を通ってないみたいで、見てて辛いわ……』

電話越しからも、あずささんの辛さが伝わってきた。だからいち早く、彼女を元気にしたかった。

武田「ほう、どうやら覚悟を決めたようだね」

涼「はい。僕はもう、夢から逃げません」

夢は逃げない、逃げるのはいつも自分だ。誰の言葉か分からないけど、身を持って体験する。

武田「そうか、良い目をしているよ。どことなく懐かしい、そんな目だ」

涼「僕、男の子って事発表します。それで皆が受け入れてくれたなら……、夢子ちゃんの事考え直して貰えませんでしょうか? それと」

武田「それと?」

涼「僕もオールドホイッスルに出させてください。鈴月アキじゃなくて、秋月涼として!!」

無茶苦茶なお願いだってのは理解している。拒否されても仕方ないと思っていた。

だけど武田さんは、

武田「なら1つ、君に課題を貸そう」

涼「課題ですか」

僕にチャンスをくれたんだ。

229: ◆dj46uVZbVI 2012/06/15(金) 23:50:35.14 ID:xpEWAI6j0
武田「だが簡単なものではない。なんせこれは、全てのアイドルの目標だ。IU、君も知っているだろう」

涼「アイドルアルティメイトですか」

アイドルアルティメイト――。その名の通り、アイドルの頂点を決める大会だ。これの頂点に立つことが、夢の終着点というアイドルも多いだろう。

武田「その出場権を賭けたオーディションが近く行われる。課題はそれに勝つことだ」

涼「分かりました」

当然僕なんかよりも凄いアイドルが出場するし、765プロも961プロも参加するだろう。
その中で僕は、勝ち上っていかなければならない。最後にして、最大の壁だ。

武田「僕が君に夢を託したいと思った理由は話したかな?」

涼「若い世代、ってことだけは」

武田「そうだったかな。まあ良い、どちらにしても僕は鈴月アキと言う存在に感謝している。新時代を切り開くに相応しい、才能を持った歌い手に出会えたのだから」

武田「君の歌声は、可愛らしさと力強さを兼ね備えている。男女双方の心に響く歌を歌えるのは、君しかいないんだ。歌の新時代のため、オーディションを突破して欲しい」

世界で僕だけに与えられた使命は、とても重い。押しつぶされてしまいそうだけど、やるしかないんだ。

秋月涼、頑張ります!!

230: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 00:08:38.35 ID:MyYDye2Q0
男の子と言うことを公表するため、僕はある歌番組に出ていた。
視聴率も高く、注目を集める番組だ。きっと効果は大きいだろう。

司会者「いやぁ、アキちゃん凄いよなぁ。デビューしてすぐにこれだけ売れて、お金有り余ってるんちゃう?」

涼「あはは、あまり使うことないんですけどね」

司会者「忙しいのも考え物やな。で、なにやらアキちゃんから重大発表があるみたいやけど……」

涼「はい。皆さんに発表しなければいけないことがありますから。実は私……」

司会者「ここでCM! が入るんやろうな」

わはははと会場から笑いが起きる。この状態なら、受け入れてくれそうだ!
心の中で司会者さんに感謝する。

覚悟を決めて……、言うぞ!

涼「実は私、いや僕は……、男の子なんです!!」

司会者「は?」

一瞬にして、会場は静かになる。司会者もスタッフの皆も、ポカンとしている。

231: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 00:12:16.82 ID:Zf3BIy1k0
司会者「衝撃の事実が今ここに! なーんてアキちゃんは冗談もお上手で……。真顔でこんなことを言うなんて驚くやんかぁ」

涼「違います! 僕は本当に……」

司会者は苦笑いをして受け流す。周りもそそれを冗談と感じたのか、クスクスと笑い声をあげる。

司会者「ここでいったんCM!!」

その後、僕に発言は許されず、誰も男性と言うことに触れなかった。

石川「やられたわね……。どうやら大人たちは秋月涼じゃなくて、鈴月アキを望んでいるみたいね」

涼「こんな形で証明されるんなんて悔しいですね」

あの後オンエアでは僕の部分はカットされていた。最初からなかったみたいに、編集されていたんだ。

石川「メディアの悪い癖よ。都合の良い情報は誇張するくせに、都合が悪ければシャットダウン。マスゴミだなんてよく言うわね」

涼「やっぱり、都合が悪いんでしょうか……」

石川「そうでしょうね。お偉いさんは男の娘が好きなのかしら?」

涼「嬉しくないです。でもそうでもなきゃ、ここまで徹底的にやりませんよね」

そしてトドメと言わんばかりに、鈴月アキはテレビに出ることを禁じられた。
どこからか分からないけど、圧力がかかったみたいだ。

232: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 00:15:30.98 ID:MyYDye2Q0
石川「レッスン場もダメ……。死体蹴りのつもりかしら」

涼「死体だなんて酷いです!」

石川「ごめんなさい、今のは配慮が足りなかったわ。でも大きな敵を作っちゃったわね」

今まで僕たちが活躍していた芸能界が、僕に牙をむいた。
それはとても鋭く、一度噛み付くと、息絶えるまで離さない。

本当に、迷惑な話だ。

石川「涼、今日はもう帰りなさい。残念だけど、今の私たちにはどうすることもできないわ。対策を練りましょう」

涼「分かりました、失礼します」

愛「あっ、アキさん……」

絵理「大丈夫?」

会議室から出た僕を、2人が心配そうに見ている。2人だって今佳境に立っているのに。
僕の心配なんてしている場合じゃないのに……。

涼「うん、私は大丈夫だから。心配は無用だよ?」

強がってみるけど、本音を言うと今にでも折れてしまいそうだ。
やっぱり僕は、無力なのかな……。

233: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 00:22:03.85 ID:Zf3BIy1k0
涼「はぁ、どうしたらいいんだろ……」

そのまま家に帰るのも気が引けて、ブラブラと歩く。相変わらず町中にはアイドルの話題で溢れている。
でもその中に、鈴月アキはいなかった。

いや、正確に言うと、ある一人のアイドルの話題で持ちきりだったんだ。

たまたま立ち寄ったコンビニで、それを見つけた。

涼「そんな……っ!」

よくあるゴシップ誌だ。嘘か本当かは別として、読む人にエキサイティングな話題を振りまく大衆紙。
それだけなら珍しいこともない。僕だってすっぱ抜かれたことがある。真さんと歩いているとこを。

その程度の話題しか載せれないんだから、無視するのが吉だ。
だけど、今日に限って無視することが出来なかった。

表紙に赤く書かれた文字に目を奪われる。

そこには、知る限りではスキャンダルと無縁なはずの人の名前が書かれていた。

『悲劇の歌姫如月千早、壊れた家庭の過去の罪!』

涼「な、なんだよ……、これ」

どうして、悪いことは立て続けに起こるんだよ……。

238: 投下するよ? ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 11:07:57.79 ID:Zf3BIy1k0
涼「千早さん、僕です、涼です。出てくれませんか?」

小鳥「やっぱり出てくれないわね……。こんな記事、嘘っぱちなのに……っ!」

音無さんは、今にも泣きだしそうに声を震わせている。

涼「千早さん、置いておきます。良かったら食べてくださいね」

返事はないが、虫が入ってこないようにコーティングしたご飯を、ドアの前に置く。
ブルブルと携帯が震えて、着信を知らせた。

『ごめんなさい、いりません』

涼「今日も食べてくれない、か……」

『お腹がすいたら、いつでも来てください。待ってますから』

少しばかりの期待を込めて送信。ご飯を持って、自室へ戻る。

涼「はぁ……、なんでこう悪いことに限って、ドミノみたいに連鎖するんですかね」

小鳥「今も昔も変わらないわね。スキャンダルなんて、7割がた嘘なのに……」

マスコミに配慮なんて文字はないんだろうな。憎々しく思うぐらいだ。

239: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 11:11:47.11 ID:Q2bHbhHA0
コンビニでゴシップ誌を見た僕は、千早さんのもとへと走った。
だけど彼女は出てくれない。その部屋に誰もいないかのように静かだった。

涼『千早さん! 千早さん!!』

小鳥『涼君! 落ち着いて!』

音無さんが止めに来るまで、近所迷惑も顧みずに千早さんを呼び続けた。

涼『千早さんに何があったんですか? やっぱり記事のことで……』

小鳥『876には来てないのね。千早ちゃん、記事のショックで声が出なくなったの』

涼『そんな……っ!』

小鳥『会話が出来ないわけじゃないの。でも、歌おうとすると出なくなる、まるで人魚姫みたいよね』

千早さんにとって、歌は彼女そのものだ。3度の飯より音楽のことを考えていた彼女が、歌に拒絶された。

涼『そんなの、悲しすぎるよ……』

小鳥『にしてもこの記事を書いたのはどこのどいつよ……っ! 個人情報ネットに流してやりたいぐらいよ……』

音無さんは、ゴシップ誌を勢いよく投げつける。どこもかしこも、今は千早さんの話題で持ちきりだ。
だけどそれは歌姫としてではなく、スキャンダル対象としてだ。

240: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 11:16:39.20 ID:Q2bHbhHA0
記事の内容はこうだ。そこには僕が知りたかった彼女の過去が書かれていた。

千早さんには弟がいた。

如月優君って言うらしいけど、仲が良い姉弟だったみたいだ。
だけど優君は事故によって命を落とした。

雑誌には、千早さんが見殺しにした――。そう書かれている。
そして優君の死は、如月家に大きな亀裂を生んだ。両親が互いに責任を押し付け合い、家庭は壊れていった。

千早さんはそれに嫌気がさし、今の部屋に一人暮らししている。
雑誌にはそう書かれている。

だからあの時、家族という言葉に悲しそうな反応をしたんだ。

涼『見殺しだなんて……』

小鳥『もちろん信じる人はいないと思うわ。だけど千早ちゃんは今まで、優君の死を背負って歌い続けてきたの』

小鳥さんは続ける。

小鳥『それを土足で踏みにじられた。そして逃げてきた家のことと無理やり向き合わされた。……私たちが思っている以上に、彼女のショックは大きいのよ』

どこまでが真実で、どこまでが嘘か分からない。

だけど、悪意ある記事は、千早さんにとっての辛い過去を強引にこじ開け、
心をずたずたに引き裂いてしまったんだ。

241: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 11:34:22.53 ID:CZ7gU50w0
その日から僕たちは千早さんに声をかけ続けた。最初は本当に音一つ立たなかったけど、
向こうもしつこさに折れてか、メールぐらいはよこすようになった。

でもその内容は、もう止めてほしい、ごめんなさい。とネガティブな文だけが並んでいた。

涼「音無さん、僕は何も出来ないんでしょうか?」

小鳥「今はまだ、落ち着いていた方が良いと思うわ。涼君は少し焦っているように見えるし」

音無さんの指摘は尤もだ。夢子ちゃんの事、僕自身の事、そして千早さんの事。
早く何とかしないと。はやる気持ちは、焦りへと化していく。

悠長になんかしていられない。だから音無さんの言葉に少しイラついてしまった。

涼「大切な人達が悲しんでいるのに、焦らないとどうするんですか! 時間がないんですよ!?」

小鳥「だからと言って急いで何も解決できないと思うわ。悔しいのは分かるけど、今は堪えて……」

涼「無理に決まってるじゃないですか! 僕は千早さんの特別になりたかったんだ! こんな時でも、支えになれるような男になりたかった! だけど千早さんは、僕と優君を重ねて……」

小鳥「いい加減目を覚ましなさい!」

パシンと乾いた音が部屋に響く。ヒリヒリとほっぺが痛い。

そっか、叩かれたんだ。

242: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 11:35:57.81 ID:Q2bHbhHA0
小鳥「ごめんなさい。でもそれ以上言わないで……」

涼「音無さん……」

振り切った手はそのままに、音無さんは涙を流している。

小鳥「貴方と優君は別人よ。確かに千早ちゃんが涼君と優君を重ねて見ていたことは否定出来ないわ」

皮肉な話だけど、このゴシップ記事のおかげで、千早さんが僕をどう見ていたかを知ることが出来た。

弟の優君は、事故に遭わなかったら僕と同学年になっていたらしい。
懐いている後輩と、彼女のファン1号である弟を重ねていたんだ。
鈍い僕でも、それは理解できた。

小鳥「でも、千早ちゃんは涼君を1人のアイドルとして、男としてみようと努力していたのも真実よ。だから自分をそれ以上悪く言わないで欲しいの」

涼「何でそう言えるんですか……」

小鳥「私は何でも知っているの。って言うのは冗談で、相談されたのよ。弟君の存在はぼかされていたけど、大切な後輩が、時々別の人間が乗り移っているように見える。どうしたらいいか分からないって」

涼「随分詳しいんですね」

嫌みたらしく言う。

243: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 11:40:02.39 ID:Q2bHbhHA0
小鳥「でもね、少し悲しいのは、これを相談した相手が、私であって私じゃないことかな」

涼「どういうことですか。僕と鈴月アキみたいに言って」

小鳥「それはね、私も涼君と一緒なの」

涼「どういうことですか……」

音無さんの言っている言葉の意味が分からない。

小鳥「涼君には話してもいっか。……私の秘密を」

涼「音無さんの秘密?」

小鳥「ええ、ちょうどいい時間だしね。涼君、私の部屋に来ない?」

涼「ええ!?」

小鳥「や、やましいことはしません! ほら、時計を見て」

時計を見ると、23時27分。いつもなら音無さんは帰っているし、僕の日課が……。

小鳥「じゃあ適当に座っていて」

音無さんの部屋は、以外にも綺麗に片付いていた。だけどおかしなものもある。炬燵に上に、ラジオスタジオみたいな機材が置かれて……。

涼「まさか……」

小鳥「静かに、始まっちゃうから。3、2、1。トオシタノリコのシンデレラスカイ。今夜の放送は、貴方だけにお送りします」

全てが繋がった。

247: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 23:45:21.96 ID:Q2bHbhHA0
音無さんの声を前に聞いたことがあると思ったのも、決まった時間に帰るのも。
この30分間の魔法のためだったんだ。

貴方だけっていうのは、僕なのか、聴いているみんななのか?
どっちでも変わらないか。

小鳥「どう、意外だった?」

マイクの電源を切って、音無さんは茶化すように尋ねる。

涼「意外でしたけど、自分の中でトオシタノリコが音無さんなら良いなって、思ってましたから」

小鳥「うふふ、ありがとう」

オトナシコトリとトオシタノリコ。

OTONASHIKOTORI
TOOSHITANORIKO

アルファベットにして、並べ替えたんだ。アナグラムだっけ?

涼「成程……」

小鳥「案外入れ替えるだけで、誰か分からなくなるものなのよ。ね?」

良く分かります、それ。

249: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 23:50:39.59 ID:CZ7gU50w0
小鳥「それではメールを読ませていただきます。キサラギチハヤさんから頂きました。ありがとうございます」

目の前でシンデレラスカイが放送され、日課が果たされる。
本名で投稿ってのが、千早さんらしくておかしかった。

小鳥「――という内容ですね。キサラギさん。ちゃんと貴女は、分かっているんじゃないでしょうか? 大切な後輩と、その別の人が違うということを。そして、その後輩を好きになっていることを」

涼「ええ!?」

小鳥「シッ!」

思わず大声が出てしまい、音無さんに睨まれる。

涼(すみませーん!)

小鳥「コホン、続けます。だけどその好きと言うのが、1人の男の子としてか、弟のような存在としてか分からないでいる、そうじゃないかしら?」

叫びたいような気持ちを押さえて、黙って聴く。皆に聞かれていると思うと、恥ずかしく思う。
ってフルネームで良いのかな? 今話題のアイドルの名前だし……。

小鳥「みんなラジオネームって思うんじゃない?」

マイクに入らないような声で、こっそりと教えてくれた。
でもまぁ、みんな本人が送ってくるなんて思わないか。

250: ◆dj46uVZbVI 2012/06/16(土) 23:56:14.22 ID:MyYDye2Q0
小鳥「でももし、もしですよ? その後輩が、格好いいところを見せれたなら?」

小鳥「その時貴女が抱いた気持ちが、本当の気持ちです」

格好良いところ、か。まるでヒーローだ。

小鳥「では一曲お届けしましょう」

http://youtu.be/dd3yXM-FRUQ



ゆったりとしたアレンジが耳に心地良い。まるで僕の境遇を応援しているように、心に響く。
恋におちたら、誰もが誰かのPOPSTAR、か。

小鳥「おや、そろそろ魔法が解ける時間がやって来ましたね。トオシタノリコのシンデレラスカイ、次に魔法がかかるのは、あなたかもしれませんよ? バイバイ」

涼「バイバイ」

いつもの癖で反応してしまう。

小鳥「ふぅ、びっくりした?」

涼「普段とのギャップが……。どっちが本当の音無さんか分からなくなって」

小鳥「どちらも私よ? トオシタノリコは、この番組は私の夢の残りなの」

音無さんは遠くを見つめるように言う。

涼「夢の残りですか……」

小鳥「うん、夢ってね、叶えば嬉しいけど、叶わなくても夢であることは変わりないわ」

251: ◆dj46uVZbVI 2012/06/17(日) 00:08:58.97 ID:bNVPFNrR0
小鳥「でもね、夢は影のようにずっと付いてくるの。あっちに行っても、こっちに行っても。ずっと私の後ろを付いて回るの。夢って、いわば目標でしょ? だからさ、本当は前にあるべきなのにね」

涼「夢を追い越してしまったんですか?」

小鳥「ううん、途中で諦めたの。すると今度は、あれだけ遠くにあった夢が怒っちゃったのかな? 諦めるな! って後ろから追いかけてくるの」

まるでストーカーだ。だけどそれを生み出したのは、紛れもなく自分自身なんだ。

小鳥「シンデレラスカイはね、私の過去への精一杯の抵抗なのよ。30分だけでもいいから、あの日見た夢の世界に浸りたかったの」

涼「そうだったんですか……、すみません。一つ聞いていいですか?」

小鳥「何かしら?」

涼「音無さんの夢って、何だったんですか?」

僕の質問に、音無さんは下手なウインクと一緒に答える。

小鳥「私と関わったみんなを幸せにすることよ。見ている空はみんな、同じなんだからね」

愚直なほど、まっすぐな夢だ。

涼「音無さんらしいですね。素敵な夢です」

小鳥「そうかしら?」

きっとシンデレラスカイも、顔も名前も知らない誰かを幸せにしたかったから、始めたんだと思う。
僕はなんて素敵な大人たちに恵まれているんだろ。誇っても良いぐらいだ。

小鳥「涼君、今の私は、送られてくるメールだけしか読めない、だけど涼君は出来るはずよ。私の夢、貴方に託します」

涼「確かに、受け取りました」

多くの人の夢を背負って、僕は歩き続ける。

たとえ目の前に大きな試練があっても、そいつは乗り越えられないものじゃないさ。

252: ◆dj46uVZbVI 2012/06/17(日) 00:25:16.08 ID:5Ju7Ae530
仕事もレッスンも禁じられた僕は、空いた時間を使って夢子ちゃんに会っていた。

涼「やぁ、夢子ちゃん。調子はどう?」

夢子「あんた……、久しぶりね。気分はマシになったわ」

前に見た時よりは、顔色も良く、少しずついつもの夢子ちゃんに戻りつつあるようだ。

夢子「お姉さまから聞いたわよ、あんた大変なことになっているみたいじゃない。そんなの聞いたら、こっちも落ち込んでられないわよ」

どうやら鈴月アキが干されたことは、方々に伝わっているらしい。

夢子「あんたも馬鹿よね。何したか知らないけど、芸能界にケンカ売るなんて。私見てたんだから、大人しくしてればいいのに」

涼「ううん、そういうわけにもいかないの。私の夢はそうでもしないと叶わないんだ。だからもう引かない! 信じるものために、大切な人たちのためにも夢を成し遂げなきゃいけないんだ!」

夢子「やめなさいよ!! 睨まれて私の二の舞になるつもり!? あんたまで活動停止になったら私……」

ありがとう、心配してくれて。でもこうしないと、みんなの夢が叶わないんだ。

涼「夢子ちゃん、僕は夢を諦めたりしない」

夢子「あんたまだ……! ……ねぇ、今あんた」

涼「夢は僕達を見捨てたりしない。逃げるのも見捨てるのも、いつも僕達なんだから。それを夢子ちゃんに見せてあげるよ!」

夢子「アキ、あんた男の子なの?」

僕は、夢子ちゃんの問いに返事をしなかった。

253: ◆dj46uVZbVI 2012/06/17(日) 00:33:30.49 ID:6l9YzSBE0
涼「千早さん、今日は食べてくれるかな……」

今日こそはと期待を込めて、料理を持って千早さんの部屋の前に行く。
いつものようにインターフォンを鳴らそうとすると……。

??「え? アキちゃん?」

涼「え? 春香さん?」

僕と同じようにお菓子を持っている、春香さんがそこにいた。ってあれ?

今の僕、秋月涼だよね?

春香「なんで男装して……」

すみません、これがデフォルトです。

春香「あーっ! もしかして前の番組で言ってたあれ、本当だったの!?」

涼「へ?」

前の番組? あれはオンエアされ……。

春香「憶えてないかな? あの現場にいたんだけど……」

涼「あー、そう言えば……」

いたような気がする。決して春香さんの存在が薄いとか、記憶になかったとかじゃなくて、
その日に起きたことが色々あり過ぎて、周りにまで目が言ってなかったんだ。
男子告白の前とか、心臓バクバクしてたし。

254: ◆dj46uVZbVI 2012/06/17(日) 00:48:57.51 ID:5Ju7Ae530
春香「えっと、つまり鈴月アキちゃんは実は男の子で、本当は律子さんの従弟……。凄いね、言葉に出来ないや」

春香さんは感心したように僕を見る。

涼「あのっ、これは秘密でお願いしますね」

春香「へ? 前告白しようとしたのに」

それはそうだ。自分の行動と矛盾してるとも思っている。

涼「そうですけど、他のみなさんに迷惑をかけるわけにいきませんから」

春香「そっか、なら黙っておくね」

でも今は、秋月涼になっちゃいけない。それだけの力が、まだ無いんだから。

春香「アキちゃん、じゃなくて涼ちゃんが来る前に、千早ちゃんのところに行ったの。でも出てくれなかったんだ」

涼「そうですか……」

春香さんの顔には疲れが見える。多忙な中、千早さんのもとに来てくれているのだろうか。

春香「恥ずかしいよね。私千早ちゃんのこと、親友だと思ってた。だけど千早ちゃんのこと、何も知らなかったの。親友失格だよね」

涼「そんなことない! 完全に知ってからじゃないと、親友になっちゃいけない決まりなんてありません。少なくとも僕はそう思います」

255: ◆dj46uVZbVI 2012/06/17(日) 00:57:03.87 ID:bNVPFNrR0
春香「涼ちゃん、結構熱いこと言うんだね」

涼「男の子ですから。泣きそうな女の子を放っておけませんよ」

春香「もう!」

困ったように笑う春香さんを見て、ホッとする。やっぱり悲しんでいる顔よりも、笑顔を見たいな。

春香「千早ちゃんが、涼ちゃんのこと気になったのも分かるかも」

涼「え?」

春香さんは恋話をする女の子みたいにニヤニヤしている。

春香「千早ちゃんね、ずっと君のこと話してたの。鈴月さんの歌はこうとか、鈴月さんとご飯を食べたとか。最初は女の子同士仲が良いんだなって思ってたけど、いつの間にか千早ちゃんの顔が変わっていくのが見えたの」

涼「千早さんはずっと同じ顔ですよ?」

春香「それ、素で言ってるの?」

呆れた目で僕を見る。すみません、素です。

春香「はぁ、やっぱり男の人って、鈍感なのかなぁ」

涼「どういうことです?」

春香「そういうの聞くのが、鈍感なの! 千早ちゃんも私と同じ、誰かを……」

涼「誰かを?」

春香「ごめんなさい、こっから先は恥ずかしいから無しってことで」

涼「えー!?」

256: ◆dj46uVZbVI 2012/06/17(日) 01:09:32.54 ID:bNVPFNrR0
春香「そ、そうだ! これ見て?」

涼「スケッチブックですか?」

話題をそらすように、僕にそれを見せる。

春香「千早ちゃんのお母さんから貰ったの。これを千早ちゃんに渡して欲しい、って」

ペラペラとスケッチブックをめくる。そこには、青く塗られた髪の子供が書かれていた。

涼「この絵は?」

春香「千早ちゃんと、弟君。この絵さ、すごく楽しそうに歌ってるんだ。マイク持って、机の上をお立ち台にして、千早ちゃんのステージが出来上がるの」

さらにページをめくる。最後のページには、笑顔の家族が描かれていた。
皆手を繋いで、幸せそうに笑っている。

春香「哀しいよね。きっと弟君も、今の状態を望んでないと思うの。部外者が何を言うんだ! って思うかもしれないけど、そう思わないと悲しいよね」

涼「もう、戻ることは出来ないんでしょうか?」

春香「それは分からないかな。居心地の悪い場所にずっといても、辛いだけだし」

誰も責めることが出来ない。もしかしたら、残された彼女たちにとって、今の状況が最良なのかもしれない。
でも千早さんは悲しんでいる。

家族を戻すことが出来なくても、好きな人の笑顔を取り戻すことは出来る。

257: ◆dj46uVZbVI 2012/06/17(日) 01:22:47.94 ID:5Ju7Ae530
春香「涼ちゃん?」

涼「春香さん、僕は千早さんを救ってみせます。もう一度、笑顔にしてみせます」

春香「笑顔に、か。私も千早ちゃんの笑顔好きだし。でもね涼ちゃん。涼ちゃんだけに良い格好はさせないよ? 1人ではできなくても、私たちなら、ううん。みんなでなら、千早ちゃんの笑顔を取り戻せるから」

両者覚悟が決まって、自然と笑みがこぼれる。

春香「千早ちゃんがいてこその765プロだもん。定例ライブまであまり日がないけど、私たちの出来ることをしようか
!」

涼「はい!」

千早さんも夢子ちゃんも、僕の夢も。全部まとめて解決してやる!!


涼「どうすれば……」

格好良く決めたものの、男の子と公表する機会が見つからない。生放送は降ろされ、録画も編集されてしまう。

春香『生っすか!? ならいけるんじゃないかな? ハプニング上等の番組だし、みんな見てくれるよ』

春香さんはそう言ってくれたけど、その場合生っすか!? 自体の存続を困難にしてしまうかもしれない。
それは本意じゃない。

258: ◆dj46uVZbVI 2012/06/17(日) 01:36:36.31 ID:6l9YzSBE0
涼『気持ちは嬉しいんですけど、きっと迷惑を掛けますから』

春香『迷惑だなんて!』

涼『僕が敵に回したのは、芸能界そのものなんです。だから春香さん達にも、ペナルティが来る気がして。それだけは嫌です』

春香『でもスポンサーもしがらみもない番組なんて……』

スポンサーのおかげで、僕達は活動が出来る。だからスポンサーの意に沿わない行動は、黙殺されてしまう。

涼「しがらみもない番組か……」

大人の事情も無くて、あらゆる妨害に負けない番組。そんな理想郷があるのかな?

涼「理想郷……? ティンと来た!」

1人だけいた! 大人の事情にも、芸能界の空気にも、梃子でも動かないような、
音楽の理想郷の住人が!

武田『そう、僕だ』

涼「あの人なら……っ!」

理想郷の鍵を持っているかもしれない。

266: ◆dj46uVZbVI 2012/06/17(日) 23:59:34.49 ID:6l9YzSBE0
武田「なるほど、そこで僕に相談に来たわけか」

涼「はい。あらゆる手を封じられた今、相談できるのは武田さんしかいなくて」

何度僕はこの人に頼っているんだろうか? 数え上げたらきりがない。

武田「ふむ、手がないわけじゃない。不本意だが、君の言う理想郷は確かにある。それはオールドホイッスルだ」

涼「武田さんの番組ですか」

武田「ああ、あの番組における権限は僕が一任されている。と言うのも、実はスポンサーがついていないんだ。僕が私財を投げ打って放送している、だから局も大人の事情も手出し出来ないんだ」

涼「そこまでしているんですか!?」

武田さんは自分のお金でオールドホイッスルを放送していると言う。一体何でそこまで……。

武田「僕は現状の音楽業界を憂いていてね。拝金主義にまみれた音楽ではなく、人を幸せにするだけの音楽を届けたかった。音楽業界の未来を思えば、決して高くはない」

涼「……それが武田さんの夢ですもんね」

なんて大きな人なんだろう。この人には、永遠に勝てないだろうな。

武田「芸能界に喧嘩を売るなら、うってつけの場所だと思うが? もちろん、これは君がIU予選を突破するという条件付きだ。それを達成したとき、君に時間を上げよう」

涼「ありがとうございます!!」

チャンスはまだある。今すべきことは、IU出場の予選を突破すること。
レッスン場がない? だったら公園ですれば良いじゃん!

267: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 00:05:35.96 ID:Lqnn1a0Z0
涼「千早さん、僕IUに出ます。予選を通過して、頂点に立って見せます。だからその時は、笑って僕を迎えてくださいね。それと……、○○日のオールドホイッスル、絶対見てくださいね」

春香「もう良いの?」

涼「はい。僕にはやらないといけないことありますから」

千早さんからの返事はない。だけど言いたいことは言った、十分だ。

春香「そっか。後は私に任せてね」

涼「え? 春香さん、IUに向けてのレッスンとかしなくて……」

春香「あー、それねぇ……」

言葉に詰まる。もしかして、何かトラブルが……。

春香「実を言いますと、私たち出ないことにしたの」

涼「ええ!?」

春香「あはは、びっくりしちゃった?」

困惑する僕と対照的に、春香さんはいつものように笑っている。

涼「当然ですよ! そんなこと千早さんは望んでません!」

春香「うん。きっと千早ちゃんは自分を責めると思う。私のせいで、みんながIUに出れなくなったって。千早ちゃん、優しい子だから」

春香「でもね、みんながいてこその765プロなんだ。満場一致で、今年は見送ることにしたの。千早ちゃんと一緒に、来年頑張ろうって」

悔しくないわけがない。それでもみんな考えてきたんだと思う。
千早さんのために頑張るんじゃなくて、千早さんと一緒に頑張る。それが春香さんたちの選択なんだ。

268: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 00:27:48.48 ID:8VbR5ZDS0
涼「……それが貴女たちの団結ですか」

春香「うん、甘いって言われたらそこまでだけど、これが私たちだから。誰に何と言われても、自信を持って言えるよ」

本当にいい仲間に恵まれましたね、千早さん。

春香「千早ちゃんは私たちに任せて、ほらっ! 行っちゃいなよ!」

涼「いで!」

春香さんは僕の背中をバシンと叩く。

春香「涼ちゃん、今だけ私たちの夢をあげる! 来年私たちは、君を超えるから! 負けたら承知しないからね! 、負けたらそうだね……。まずは雪歩に地面を掘って貰って、響ちゃんのワニ子ちゃんで……。あっ、律子さんなら超アイドル級のお仕置きを……」

涼「ま、負けられません!」

何されるか堪ったもんじゃない!

春香「頑張れ、男の子!!」

涼「頑張ります!」

力強いエールを受け、僕はもう一度公園へと走る。時間は余りないけど、僕に出来ることをするんだ!

269: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 00:34:04.58 ID:DmUAH49I0
そしてIU予選の日がやって来た。

765プロのアイドルが出ないというのは、他事務所のアイドルにも大きな衝撃を与え、
世間ではジュピター一強となっているらしい。

相手は確かに強いし、予選を通過するのが精いっぱいかもしれない。
だけど僕は約束したんだ。絶対に負けるものか!

冬馬「あ、あなたは!!」

涼「へ? 天ヶ瀬冬馬君?」

控室に入ろうとすると、そのジュピターのリーダーに声をかけられる。

冬馬「まさかここで鈴月アキと対峙するなんて……、やはりこれは運命なのか?」

涼「あ、あのー。どうしたんですか?」

冬馬「ア、ア、アアキちゃん!!」

やっぱり、世間のイメージと目の前の彼は賭けは慣れ過ぎている。で、なんで顔が真っ赤……。

似ている。彼らに……。

『秋月ー! 俺だー! 結婚してくれー!!』

『男の秋月がええんや!!』

冬馬「こ、こ、今度一緒にお茶でもどすか!?」

涼「ぎゃおおおおん!!」

この人、僕に惚れてませんか!?

270: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 00:57:57.96 ID:DmUAH49I0
??「何をしている。そんな雑魚に構っているなら、準備をしろ」

冬馬「チッ、おっさんかよ。って今何つった?」

妙に色黒な男性が、他メンバーを連れてやってくる。

涼(この人、黒井社長だ!)

黒井「雑魚に構うなと言ったのだ。いや、それ以下の存在だな!」

冬馬「おい、何アキちゃんをバカにしてんだよ。謝れよ!!」

黒井「!?」

涼「えっと、えー?」

えっと、何この展開?

冬馬「アキちゃんはなぁ、世界中のどの女の子よりもかわいいんだよ! 訂正しろ!!」

翔太「ダメだよ、クロちゃん。冬馬君アキお姉さんにぞっこんラブなんだから」

北斗「そうですよ。毎日毎日柄にも合わず花占いしてたぐらいなんですから」

まさかのオトメン!?

冬馬「だから謝れよ!」

黒井「えー……」

黒井社長もこれにはどう反応したらいいか分かっていないみたいだ。

271: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 01:02:23.13 ID:8VbR5ZDS0
北斗「社長に代わって謝っておくよ。じゃあね、アキちゃん」

涼「は、はぁ。じゃあ私もこれで……」

ってなんだこの茶番……。控室に戻らないと――。

黒井「か、勝手なことをするな! まぁいい、貴様が何であろうと、勝のはジュピターだ! 765の屑どもが1人使い物にならなくなったぐらいで逃げ出したと思ったら、今度は墓穴を掘って干された三流アイドルときた!」

今何って言った?

黒井「小物風情が夢を見るからくだらない! 雑魚は雑魚同士、なれ合っていればいいものの……」

逃げ出した? 使い物にならない? 夢がくだらない?

黒井「力もない物が調子に乗るから叩かれるのだ! 何が歌姫だ? 笑わせる! あんな悲劇のヒロイン気取りに振り回される765プロが可哀想だなぁ! おっと、可哀想なのはそれを言い訳に逃げられたこっちの方か? ふーっはっはっは!」

悲劇のヒロイン気取り? 可哀想?

涼「違う……」

黒井「はぁん?」

涼「訂正してください! あの人たちは逃げてなんかいない! 夢が消えたわけでもない!」

黒井「何を言い出すかと思えば……、雑魚は庇いたがるから性質が悪い! 貴様も765プロがお似合いじゃないか!? 小物は小物同士仲良く……」

涼「黙れよ!!」

廊下中に響く怒声。自分でもこんな声が出るなんて、思ってもなかったな。

272: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 01:05:02.50 ID:8VbR5ZDS0
涼「貴方が765プロを、団結を否定するのなら……。僕が証明してみせる」

冬馬「おい、今僕って……」

バレたって良い。僕は黒井社長を許せなかったんだ。

涼「僕は夢を背負っている。叶えたくても出来なかった人の夢を背負っているんだ。それに大きい小さいはない。みんな等しく輝いている」

笑顔で夢を語る皆の顔が頭に浮かぶ。その人たちの想いを、僕は抱いていかないといけないんだ。

涼「僕は、誰かの夢を笑う人には、負けたくない」

黒井「わーっはっはっは! 雑魚のくせに一丁前に面白いことを言う! そういう雑魚ほど、潰し甲斐がある! 後悔するがよい! 行くぞ、ジュピター!」

控室へ戻る黒井社長たちを、後ろから見送る。

冬馬「おい、お前」

涼「冬馬君……」

冬馬「いくらなんでも男を好きになるなんて思わなかった。騙されてたのに、不思議とムカつかねえ。おかげで目が覚めたぜ。やっぱ俺には恋の歌は似合わないな」

涼「ごめん、騙すような形になって」

冬馬「チッ、謝んなら最初からすんじゃねえよ」

目の前にいるのは、色ボケした冬馬君じゃない。最強の男性アイドルだ。

273: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 01:07:32.08 ID:8VbR5ZDS0
冬馬「何が何だか分からねえけどよ、詭弁はいらねえ。格好付けたきゃ自分の力で語れよ」

涼「そのつもりだよ」

冬馬「言ってくれるぜ。おい、本名はなんて言うんだ?」

涼「秋月涼」

皆の夢を背負ったアイドルさ。心の中で、精一杯格好付ける。

冬馬「涼、さっきの啖呵格好良かったぜ。だけどよ、俺達にも夢があるんだ。それは譲れねえ。じゃあな、涼。決着はステージでつけようや」

冬馬君は手を振りながら踵を返す。

涼「やっぱ負けられないよね」

愛「アキさーん! 始まりますよー!」

絵理「遅刻すると、やっかい?」

涼「あ、うん! 今行くね!!」

IUは予選はもうすぐ始まる。僕は重すぎるぐらいの夢を纏って、ステージへと向かった。

276: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 01:17:02.65 ID:DmUAH49I0
涼「やっぱり凄いや……」

王者最有力候補は伊達じゃない。ジュピターのパフォーマンスは、男女問わず魅了した。

愛「アキさん、緊張してますか?」

絵理「でも凄く楽しかったよ」

出番を待つ僕を、2人が話しかけてくれる。絵理ちゃんと愛ちゃんのステージはもう終わり、残るは僕だけだ。

愛「こんな時は、手に『入』って書いたらいいってまなみさんが!」

絵理「それは『人』の間違い?」

涼「あはは……。ありがとう、愛ちゃん絵理ちゃん。上手くいくと思えて来たよ」

愛「応援してますね!!」

絵理「うん、頑張ってね、アキさん」

気合は十分。靴紐はちゃんと結んだ、歌詞もダンスもバッチリ。声も大丈夫。

『FOOOOOO!!』

ジュピターのステージが終わり、オーディエンスのテンションは最高潮に達した。

『次は876プロ所属、鈴月アキちゃんです。どうぞ!!』

涼「うっし、やるぞ!!」

277: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 01:31:36.89 ID:8VbR5ZDS0
そう言えば、いつ以来だっけ。ステージに立つの。このステージには圧力がかからなかったのかな?

武田「……」

なるほど、本当に感謝します。もう1つ、夢の代弁者に僕なんかを選んでくれて、ありがとうございました。

小鳥「頑張って、りょアキちゃん!」

音無さんも、最前列で見てくれている。僕は誰かを幸せにすることが出来るのかな?

冬馬「……」

冬馬君、さっきはお疲れ様。凄く格好良かったよ。だけど、負けるわけにいかないんだ。

そして最後に、今までずっと一緒に頑張ってくれてありがとう。誰よりも僕を知っている、相棒。

最後は最高の舞台を、君に託すよ。

鈴月アキ。

アキ『歌は……、Dazzling World!!』

夢子ちゃん、千早さん。早くおいでよ。キラキラ輝くステージ、すっごく楽しいから。

278: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 01:41:17.39 ID:DmUAH49I0
冬馬「あーあ、負けちまったか」

北斗「こりゃ大目玉覚悟しないとな。社長もカンカンだ」

翔太「でもさ、ちょうどいい頃合いだったかもね。でもおめでとう、アキお姉さん」

北斗「予選は負けたけど、本選はそうもいかないからね?」

冬馬「そういうこった。次会う時は、今以上のパフォーマンスを見せてやる。首洗って待ってやがれ!」

ジュピターの3人は、とてもいい顔をしていた。きっと彼らはもっと強くなる。
でも僕も同じだ。何度でも進化していってみせる。

涼「そうだ! 武田さんのところに行かないと」

『電話来たよー!!』

いきなり携帯電話から大声が聞こえ、着信を知らせる。

涼「のわっ! また着メロ変えられてるよ……。社長からだ! もしもし、鈴月アキですけど……」

石川『あら、鈴月さん? おかしいわね、どうやら私は違う人に電話をかけてしまったようね』

涼「へ? でも社長が……」

石川「私は876プロ所属アイドル、秋月涼に電話をかけたはずよ?」

279: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 01:56:54.60 ID:DmUAH49I0
涼「へ? 今社長何って……」

石川「うちのアイドルの秋月涼に電話をかけたはずよ?」

そこまで言われて気付く。今の僕は鈴月アキじゃないってことに。普段通りの声にして、返事をやり直す。

涼「はい! 秋月ですけど! どうしましたか?」

石川「オーディション見ていたわよ。3人とも予選突破おめでとう」

涼「ありがとうございます!」

僕達は予選を無事突破することが出来た。でもそれだけじゃないんだよね。えへへ。

石川「それにしても聞いた時は驚いたわ。予選突破まではすると思ってたけど、まさか予選を1位通過するなんて。どうかしら、憧れのジュピターを超えた感想は?」

涼「超えただなんてそんな……」

石川「まぁそうよね。きっと彼らは本選までに完璧に仕上げてくるでしょうし。でも、勝てるわよね?」

涼「はい。自信はあります」

皮肉な話だよね。女の子アイドルを長い間やっていたから、逆に男の子としての自信もついちゃうなんて。
社長はそこまで見越していたのかな?

石川「でも教えて頂戴。あれだけ本当の姿を見せたいって言っていた貴方が、最後にアキとして歌った理由を」

本当の自分を見せるべきだった。皆そう言うかもしれない。だけど僕は、アキとして歌った。理由は単純だ。

280: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 02:09:59.91 ID:8VbR5ZDS0
涼「笑っちゃうかもしれませんけど、鈴月アキはちゃんと引退させたかったんです。最初は嫌々だったけど、いつの間にか僕の一部分だって受け入れることが出来て。秋月涼を大きくしてくれた彼女に、最後の舞台を用意したんです。やっぱり、甘いでしょうか?」

石川「そうね、ダダ甘ね。でも、貴方らしいわね。私は涼のそういうところ、嫌いじゃないわよ?」

涼「ありがとうございます」

1人でもそう言ってくれたのなら、すごく嬉しい。きっとアキも安心して引退できるだろうな。

石川「涼、貴方は紛れもなく時代を変えることが出来る男の子よ! もう仮面はいらないわ、素顔の秋月涼を見せつけてらっしゃい!!」

涼「ありがとうございます、社長」

もう迷いはない。まっすぐ進むだけだ。

夢子「アキ?」

涼「あっ、夢子ちゃん……。来てくれてたんだ」

夢子「うん……。私はアンタが未だに男だって信じられない。さっきの歌も、女の子だったもの。男装アイドルがしたいんじゃないって勘ぐっちゃうほどよ」

男装アイドル……、また斬新な。冗談に聞こえるけど、夢子ちゃんからしたら真剣に考えたんだろうな。

涼「でも、もう女の子は終わりだ。僕は僕の道を行くよ。土曜日、オールドホイッスルがある。その中で、伝えたいこと全部伝えるから。じゃあ僕は行くね」

夢子「ねえ、アキ」

涼「なに? 夢子ちゃん」

夢子「……ううん、何でもない。じゃあね」

涼「うん、またね」

じゃあねなんて言わないで、またねって言って、か。良い歌詞だよな。

284: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 11:28:12.12 ID:8VbR5ZDS0
春香「涼ちゃん! おめでとう!! 千早ちゃんと一緒に見ていたよ」

涼「春香さん! 千早さん、ドアを開けてくれたんですね」

春香「うん。少し強引だったけど、何とかね。でも良かった、君に夢を託して」

春香さんはホッとしている。物事は、良い方向に転がりつつあるんだね。

春香「涼ちゃん。千早ちゃんと話したい?」

涼「え?」

それ、どういう……。

春香「今なら多分、大丈夫だと思うから。ほらっ! 行った行った!」

涼「わぁ!」

千早「え?」

どんがらがっしゃーん!

無理やり押し込まれる形で、千早さんの部屋に入ってしまう。

涼「春香さん!?」

春香「後は若い者同士でごゆっくり~」

そう言って扉を閉めると、逃げ出す音がした。若い者同士ってそんなに歳変わらないでしょうに!

285: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 11:42:10.81 ID:Lqnn1a0Z0
千早「秋月君?」

涼「あ、あはははは。お邪魔してます?」

そういや、いつも僕の部屋に集まっていたから、千早さんの部屋に入るのって初めてかも。

涼「えっと、その……。お久しぶりです」

余計なものが1つもない部屋が、より静けさを演出する。

千早「おめでとう、秋月君。IU予選、トップ通過なんでしょ?」

涼「はい。頑張りました」

謙遜なんかしない。この結果には自信を持っていたいから。

千早「ふふっ、差が付いちゃったわね」

自嘲気味に笑う。久しぶりに笑っている姿を見たけど、自分を笑わないでほしかった。

涼「そんなことありません。僕はまだ、いいえ。千早さんの足元にも及びません」

千早「それは言い過ぎよ。貴方は音楽業界を変える力を手に入れたわ。私はあの日から、時間が止まっているのよ。知っているでしょ? 秋月君の事、弟に重ねてみていたの」

涼「知っています。だけど、僕は認められたかったんです。誰よりもあなたに、1人の男の子だと」

弟ではなくて、秋月涼として。願わくば共に生きていきたかった。それが出過ぎた夢でも。

286: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 11:51:07.60 ID:Lqnn1a0Z0
涼「土曜日、オールドホイッスルがあります。僕はそこで、みんなの夢を背負っていきます」

そして、なんで今まで聞かなかったんだろ。

涼「千早さん、貴女の夢はなんですか?」

千早「私の……夢は……」

世界に通用する歌手になること――。

涼「素敵な夢です。きっと叶います。いいや、叶わないと困ります」

千早「でも、歌うことのできなくなった私に、見ていい夢じゃ」

そんなこと、言わないでください――。

涼「どんな夢を見たって良いじゃないですか。今はダメでも、明日は明日の風が吹く。きっと明日には良い方向に転がりますよ」

涼「定例ライブ、オールドホイッスルが終わったら絶対見に行きます。だからその時は……、最高の歌を聞かせてくださいね」

千早「声が出るか分からないのに?」

涼「歌えますとも。僕の知っている貴女は、何より歌が大好きなんですから」

287: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 12:46:07.75 ID:DmUAH49I0
そしてオールドホイッスル収録日。

武田「秋月君、気分はどうだい?」

涼「はい。凄く緊張しています。覚悟は決まったんですけど、みんなが受け入れてくれるか。それが心配なんです」

いざ告白! となると怖じ気ついてしまう。武田さんは、そんな僕を見て呆れたように言う。

武田「そんな心配は、終わった後にすればいい」

涼「え?」

武田「まだ言葉が必要かい? 君の力なら、鈴月アキのファンも、秋月涼のファンにすることが出来るだろうし、受け入れれないファンには、時間をかけて受け入れて貰えばいいさ」

涼「……そうですね」

この場でみんなが納得すると思えない。だからこそ、僕は自分の力で認めさせないといけないんだ。

涼「僕はもう行けます。どんな結末が来ようとも、受け入れます」

武田「そうか。なら準備したまえ」

涼「はい」

武田「では、始めようか。今宵も素晴らしい音楽を」

オールドホイッスルの幕が上がった。

288: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 13:18:17.31 ID:Lqnn1a0Z0
武田「今夜も、極上の歌をあなたに。オールド・ホイッスルにようこそ。こんばんは。武田蒼一です。今夜のゲストは、鈴月アキさんです」

涼「こんばんわ。よろしくお願いします」

武田「さて、いつものように音楽とそれに纏わるエピソードと行きたい所ですが……、今夜はまず、ゲストから一言報告があるそうです。どうぞ」

涼「はい。まずはこのように発表の場を下さったことを感謝します。ありがとうございます」

涼「そして、テレビの前の皆さん、関係者の皆さんに謝らなければなりません。鈴月アキは女性アイドルと活動していましたが、僕……、本当は男の子なんです!」

ざわざわと騒ぎ出す。僕はそれを無視して続ける。

涼「驚かれるのも無理はありません。きっと言われても信じない方が多いと思います。僕の本当の名前は秋月涼、普通の男子高校生です」

武田「これが茶番じゃないことは、僕が証明します。多くのファンの皆様からすれば、裏切られたと思うでしょう。転身を勧めたのは、他ならぬ僕達です。男声ボーカリストとしての魅力を、埋もれたままにするのはあまりにも惜しい」

武田さん、千早さん。あなた達の言葉が無ければ、僕はずっと仮面を被ったままだったかもしれません。

涼「こうして、勇気を奮って、告白した今だから言えます。皆さん、夢を諦めないで下さい。もちろん、かなわない夢だってあるかもしれません。でも…夢を捨てる前に、もう一度だけ、考えて欲しいんです」

涼「その夢は、本当に望みの無い夢なのか。望みはあるのに、自分がそこから目を背けているだけじゃないのか」

涼「僕悩みました。鈴月アキを応援してくれた人を、好きになってくれた人を裏切ってしまうんじゃないかって。ずっとずっとシーソーみたいに揺れていたんです」

涼「でも、僕が夢を諦めたら、人に夢を語れないから。人の夢を応援できないから。僕なりのエゴを通します」

夢子ちゃん、千早さん。見てくれているのかな?
少しでも夢を追う人の力になれば、すごく嬉しいな。

289: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 13:31:12.98 ID:DmUAH49I0
涼「僕の身体には、多くの人の夢が有ります。名前をあげればキリがありません」

武田さん、音無さん、春香さん、夢子ちゃん、千早さん。そして僕の夢。その全てが、僕を強くする。

涼「その夢がある限り、僕は進化していけます。鈴月アキを受け入れた、素顔のままの僕で。だから歌います。応援してくれたファンのみんなのために、夢追い人のために、歌の新時代のために。そして……、なにより大好きな貴女のために」

ようやく僕は、あの人が立った舞台に立てたんだ。

武田「それでは聞いてください。彼の本当の歌声を。秋月涼で」

涼「Dazzling World」

男声で初めて歌うそれは、不思議なぐらいマッチしていた。

武田「ほう」

僕とともに歩み、育った曲。きっと死ぬまで歌い続けるんだろうな。
例えば子供が出来て、その子供も歌って、そして孫も歌って。いつしかみんなが歌って。

老若男女問わず口ずさめる曲、か。

素晴らしい世界、そのための歌だよね。

290: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 13:38:27.03 ID:Lqnn1a0Z0
♪キラキラ光る この気持ち
 大切なもの 見つけたのよ
 時が流れて 光りだす
 思い出一杯 幸せよ
 あなたと会えた 瞬間を
 わたしはずっと 忘れない
 手と手つないで 歩き出す
 あなたと生きる 素晴らしい世界!

男らしく、今までのうっ憤を晴らすように歌えた。

ありがとう、みんな。

アキ『バイバイ』

本当にバイバイ、鈴月アキ。

そしてこんばんわ、秋月涼――。



武田「お疲れ様、行くのかい?」

涼「はい、最後までいなくて申し訳ありません」

CMに入った後、歌い終わった僕を、武田さんがねぎらいの言葉をかける。

武田「もうじき外はマスコミ関係者でいっぱいになるだろう。急ぎたまえ、秋月君。彼女は君を待っているから」

涼「ありがとうございます。この借りは絶対返します!」

武田「期待しているよ」

僕は走る。彼女のもとへ。皆を幸せにするために。

291: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 13:51:02.73 ID:Lqnn1a0Z0
涼「はぁ……、はぁ……」

全力で走ったため、息も切れ切れだ。時間が少し過ぎたけど、ホールへと到着した。

律子「涼……、待ってたわよ」

涼「律子姉ちゃん!」

律子「全く、本当にあんたは凄いわね。私ならあそこまで出来ないわ。ほんと、大きくなったわね」

律子姉ちゃんは感慨深そうに言う。

律子「千早は大丈夫よ。あんたの放送の後、プロデュ―サーが連れてきたの。後アンタの席、空けておいたから。行きなさい、涼」

涼「うん。行ってくるよ」

客席はすでに満員に近く、特等席を探すのも一苦労だった。

涼「千早さん……」

曲は始まっているけど、千早さんは声が出ないみたいに、マイクからかすれた声がする。
苦しそうな声に、僕も心を締め付けられる。

涼(負けないで、千早さん)

もどかしいぐらいの静けさは、歌声によって破られた。

292: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 14:44:13.20 ID:z5nNfVnu0
涼「みんな……」

1人、また1人と千早さんをカバーするように、舞台裏から仲間たちが出てくる。
歌いだせない千早さんに戸惑っていた聴衆も、心を奪われたように聴き入る。

千早「……あっ、かっ……」

苦しそうな彼女の顔を見ていたくはない。だけど、今やらないと、もっと苦しむのは分かってる。

涼「逃げないで!!」

僕はホールに響き渡るぐらいの大声で叫ぶ。アイドルのみんなは驚くことなく、歌っている。

春香「~♪」

春香さんが僕に目くばせする。皆の想い、託されました。

涼「夢を諦めちゃダメです!!」

千早「りょ、うくん……」

まるで僕と千早さんだけが別の世界にいるみたいな、そんな感覚がする。
でもそれは、寂しいよね。

涼「過去は変わらない! でも今と未来は変えることが出来ます! 前を向いていくしかないんです!!」

涼「試練は乗り越えられないものじゃない! だから、悲しみに負けないでください!! 歌から逃げないでください!!」

千早「あ……っ、あ……」

涼「負けるなー! 千早ー!!」

293: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 14:53:26.95 ID:z5nNfVnu0
♪歩こう 果てない道
 歌おう 天を超えて
 想いが届くように
 約束しよう 前を向くこと
 Thank you for smile

涼「やった……、やった!」

千早さん、すっごく恥ずかしかったです。だけど、

♪ねえ目を閉じれば見える
 君の笑顔
 Love for me そっと私を
 照らす光

 聞こえてるよ君のその声が
 笑顔見せて 輝いていてと
 痛みをいつか勇気へと
 想い出を愛に変えて

 歩こう 戻れぬ道
 歌おう 仲間と今
 祈りを響かすように
 約束するよ 夢を叶える
 Thank you for love

千早「~♪」

良かった。貴女の歌が聞けて、貴女に勇気を与えることが出来て――。

千早「ありがとう……、みんな」

今は思いっきり、泣いてください。

294: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 15:01:28.98 ID:z5nNfVnu0
その後のことを少しだけ。

『きゃー! 涼君可愛いー!』

『男の子でも応援するぞー!』

『カッコ可愛いー!』

『弟と妹になってくれー!!』

涼「あ、あははは……」

僕の予想に反して、僕の男子再デビューは広い支持を得ることが出来た。
今までの男性ファンに加えて、女性ファンが上積みされたんだって。
少しだけホッとする。

でも受け入れてくれた人ばかりじゃない。

石川「アンチスレが盛り上がって、HPも炎上未遂、CDを割ってネットにアップする……。人気者の宿命ね」

涼「本当にすみません……」

石川「気にすることはないわ。むしろうちの事務所も、ここまで来たと思うと感無量よ」

当然だけど、僕を認める声が大きい中、裏切られたという声も多い。
仕方のないことだけど、もう一度ファンになってもらえるように、僕は全力で頑張らないと。

それが応援してくれる人への最大の礼儀だ。

295: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 15:10:58.93 ID:z5nNfVnu0
夢子「ホント、あんたは常識知らずの馬鹿よね。全国ネットで、武田さんの番組で、私信を流すなんて」

涼「あっ、やっぱり気付いちゃった」

夢子「当然よ!! 見ているこっちも恥ずかしくなったわよ……」

恥ずかしさゆえか、視線を逸らしがちに話す。

夢子「で、その後の芸能ニュースでまた恥ずかしくなったわ。いくら如月千早が弱ってるからって、ライブ中に言うこと!?」

涼「あ、あははは……。滅相もないです」

流石に歌声でごまかせるかと思ったけど、そうもいかなかった。
ばっちりと、僕の喝がテレビに映ってたみたいだ。
流石の僕も恥ずかしくなる。

涼「あっ、武田さんから伝言があるんだ」

夢子「武田……、さんから?」

涼「うん。1から出直しておいで、今度は小細工なしで、夢に向かって走って欲しい。その時は、考え直そう。って」

夢子「嘘……、それ本当なの?」

涼「そう、本当だ」

武田さんの真似をしながら言う。決まったかな?

夢子「全然似てないわよ!!」

ですよねー。

296: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 15:22:36.11 ID:z5nNfVnu0
涼「武田さんは嘘を吐かないってのはよく知っているでしょ? なんなら、もう一度テレビで言ったこと言おうか?」

夢子「格好つけるな! はぁ、あんたの相手してたらいろんなものが馬鹿らしくなってきたわ。結局私は、最初から最後まで振り回され続けたのよね。実は男の子でしたなんて、トンデモなオチまで用意しちゃって」

涼「ごめんごめん。でも夢子ちゃん、戻ってくれるよね?」

夢子「復帰するわ。これ以上拗ねてたら私の方が馬鹿になるだろうし、なによりあんたにオールドホイッスルを先越されたのがムカつく!」

夢子ちゃんは影1つない顔で、僕に言う。

夢子「覚悟しなさい! あんたをさっさと追い越して、夢を叶えてやる! てか今新しい夢出来たわ! あんた達を倒す!」

涼「僕達?」

夢子「そーよ、どこかのバカップルをね。せいぜい均衡勝負してなさいな。私が追い越してやるから」

涼「バ、バカップルって……。そうだ、夢子ちゃん。晩御飯一緒に食べない? 復帰祝いにさ」

夢子「はぁ? あんた自分の置かれている状況分かってないの?」

涼「え?」

状況? いつもと違うことあるっけ?

夢子「どっちにしてもパス。あんたが誘うべきは、私じゃないでしょうが。さっさと行ってよね、さもないと激辛キャンデー食べさせるから」

涼「ありがとう、夢子ちゃん。僕行かないと」

夢子「行った行った! はぁ、まさか歌も恋も相手が如月千早なんてね……」

夢子ちゃんが後ろで何かを言ったけど、僕の耳には入ってこなかった。

297: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 15:32:41.82 ID:z5nNfVnu0
千早「こっちよ、秋月君」

涼「えっと、ここに……」

千早「ええ、眠っているの。優がね」

千早さんに会いに行った僕は、

千早『有って欲しい人がいるの』

と誘われるまま墓地へと向かっていた。

会いに行くのはもちろん如月優君。千早さんの弟の名前だ。

僕はお水を汲んで、優君にかける。

千早「あっ」

涼「どうしたんですか、千早さん」

お墓には2つのお花が供えられていた。

千早「そっか、2人とも根底は一緒なのね」

涼「どうかしました?」

千早「いいえ、なんでもないわ。ただ、時間が解決してくれるものもあるのかしらと思って」

どんな傷も、何時かは癒える。それが長い年月を必要としても、きっと最後は笑って終われるだろう。

298: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 15:39:42.78 ID:8VbR5ZDS0
涼「えっと、如月優君。僕は秋月涼。君のお姉さんの……、後輩だよ」

千早「親友ではないのね」

涼「親友です!!」

流石に先輩のことを親友と言うのは、気が引けます。

千早「ふふっ、冗談よ」

涼「も、もう……。脅かさないでくださいよ。優君が生きていたら、同い年だね。友達になれたのかな。また遊びに来るね」

サーッと風が優しく吹く。

涼「また来てね、って言ってるのかな」

千早「かもしれないわね」

オカルトは怖いけど、こんなぐらいならちょうどいいかな。

千早「ねえ、秋月君」

涼「なんでしょうか?」

千早「私、貴方にちゃんと感謝したいの。助けてくれてありがとうって」

千早さんは伏し目がちに僕を見る。

299: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 15:49:20.93 ID:8VbR5ZDS0
千早「IUの予選も突破して、オールドホイッスルにも出て。いつの間にか秋月君は私の先を進んでいるの。でもどうしてかしら、悔しいけどすごく嬉しいの」

涼「千早さん……」

千早「ねえ、憶えている? 私とあなたが戦ったオーディションの夜、私に言ったこと」

涼「えっと……」

オーディションの夜……。

『僕が貴女を超えたとき、もう一度言います。今のままじゃ、きっとダメだと思うから。全てが終わった時、千早さん
も僕に教えてください。貴女の、秘密を』

もう一度言う? 何を?

『千早さんが好きです」

それってつまり、告白。

涼「あっ、あー……」

千早「思い出してくれたみたいね」

涼「はい、顔から火が出そうです……」

顔どころじゃない、全身燃えてしまいそうなぐらい恥ずかしい。

300: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 16:05:17.58 ID:8VbR5ZDS0
涼「その……、秘密は望まない形で知っちゃったけど、僕は千早さんが……」

千早「秋月君。私、つまらないし重い女よ? それに、まだ心のどこかで優の影を求めているかもしれない。きっとまた貴方のことを優と被せてしまうと思うの。それでも」

涼「千早」

千早「え?」

誰かが憑りついたみたいに、自然と口が動く。

涼「優君は、こう呼びませんよね。良いんです、おかげで僕も気合が入りました。今年のIU、僕は頂点に立ちます。そして来年、貴女を挑戦者として待ちます」

涼「僕が千早に勝った時、千早を僕のものにします。心の闇も、優君の思い出も、如月千早を構成するもの、全てを貰います。僕の女にしてみせます」

千早「秋月君……」

涼「僕なりのエゴです」

千早「そう……。なら私も自分のエゴを通そうかしら? 来年私は貴方に挑む。そして勝ってみせる。その時は、私が貴方を貰うわ」

恋なんて、いわばエゴとエゴのシーソーゲーム。

涼「あはは! なんですかそれ。結局結ばれるじゃないですか!」

千早「……っ、そうね……っ!」

2人しておかしなことを言って、笑いが生まれる。

千早「私、もう一度出直すわ。今度は誰のためでもなく、自分のための歌を見つける。その時、武田さんも曲を書いてくれる気がするから」

涼「それは楽しみです。僕もDazzling Worldと一緒に進化していきます」

301: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 16:07:47.42 ID:Lqnn1a0Z0
きっと僕達は、素晴らしい世界へ歩いて行ける。
千早となら、何でも出来そうな気がする。

だけど今は……。

涼「待ってる、千早」

千早「待ってて、涼」

1人で歩くのも、悪くないかもしれない。

302: ◆dj46uVZbVI 2012/06/18(月) 16:27:37.38 ID:Lqnn1a0Z0
『トオシタノリコのシンデレラスカイ、今宵も流れ星という宇宙の涙に心を寄せましょう』

『ではメールを読みます。Uさんから頂きました、ありがとうございます』

『私のお父さんとお母さんはとても凄い人です。名前を出したら、大きな騒ぎになりそうなので黙っておきます。そのせいで、いつも親に比べられます。お父さんはこうだとか、お母さんはこうだったとか』

『2人のことは大好きですが、時々周囲の期待が私を追い詰めます。私は普通の中学生です。2人を超えたいだなんて、夢を見ちゃいけないんでしょうか?』

『Uさん。誰にでも夢を見る権利はあります。そして夢は、大きくても小さくても変わりはありません。Uさんの夢が何かは分かりませんが、きっと素敵なものだと思います。諦めたら終わりですが、夢を見る限り、負けたってまた歩いて行けます』

『それに、UさんにはUさんの良さがあるはずです。お父さんもお母さんも持ってい無いような、オンリーワンの良さが眠っています』

『不安になるなら、一歩踏み出してみてください。案外、自分が思っているよりもシンプルなものかもしれませんよ?』

『ではここで一曲、秋月涼でDazzling World』

www.youtube.com/watch?v=5QLhp7a-ycI

『おや、もうすぐ魔法は解けますね。トオシタノリコのシンデレラスカイ、いつかまたどこかでお会いしましょう。バイバイ』

Dazzling World is waiting for you.



Fin.