5: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 00:13:34.80 ID:MKhqyQX10
とある土曜。
学生ならば部活にいそしんだり、友達と遊んだり、はたまた勉学に励んだりするそんな普通の土曜日。私はそのどの目的とも違った目的で街をを歩く。

大通りを外れて小道に入り、そこからさらに細い道へと入っていく。こんな道、普通の学生、ましてや私のような女子高生ならば普通は誰も入らないだろう。

そうして辿りついた私の目的地はこれまた胡散臭い建物であった。その建物の二階へと続く外付けの古びた階段を上っていく。

こんな古びていて、胡散臭くて、怪しい建物でもここは私が、いや私たちが光輝くために必要不可欠な場所であった。

私は渋谷凛。女子高生で、花屋の娘で━━アイドルだ。

引用元: 凛「smile」 

 

8: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 00:41:05.18 ID:MKhqyQX10
「おはようござい「卯月はかわいいなぁぁぁぁぁぁぁ!!」

挨拶をしながら扉を開けるとうるさい声が聞こえてきた。

またか。またあのプロデューサーは騒いでいるのか……。

「えへへ、そんなプロデューサーさん。お世辞をいっても何も出ませんよ?」

卯月は卯月でいつも言われてそろそろ慣れてもいい頃なのに、いまだに照れてるし。

「いやいや、マジでかわいいんだって!!お願いもう一回、もう一回やって!!」

「えー、仕方ないですねぇ。いきますよー……ブイ!!」

「え、その笑顔反則でしょ?結婚しよう卯月。」

「そんな……私……でもプロデューサーさんなら。」

いやいやそれはプロデューサーとして、アイドルとしてどうなんだ。

「はいはい、くだらないことやってないで。最後に来た私が言うのもなんだけど、仕事の
話するよ。」

茶番はさっさと止めに入るに限る。

「なんだいしぶりん。嫉妬かい?もー、しぶりんったら嫉妬深い女は嫌われちゃうよ。」

そんなことはない。私はべつにプロデューサーが好きなわけではない。

「あれ?未央いたんだ?」

「ちょっとそれはひどくないかなしぶりん!?」

だからちょっとした意趣返しをしておく。

「んじゃまぁ、卯月へのプロポーズはまたあらためてするとして……。」

「待ってますね!プロデューサーさん!!」

もうどうにでもなれ……。

「今日は未央はグラビアの撮影。○×スタジオだからかって知ったるなんとやらだろ?悪いが1人で行ってくれ。午後はレッスンで頼む。」

「あいあいさー!!」

「卯月はラジオの仕事して、その後は未央と同じでレッスンな。凛は音楽番組の撮影し
て、その後は未央とはまた別のところでグラビアの撮影だな。初めてのところだから俺も
一緒に行く。」

「はいっ。島村卯月がんばります!!」

「了解。」

「卯月と未央はレッスン終了しだい直帰してくれてかまわないからな。凛は多分今日は
最後まで一緒だから送ってくよ。」

「ん……ありがと。プロデューサー。」

「よーし、それじゃニュージェネレーション+俺。今日も一日がんばるぞー!!!!」

「「「おー!!」」」

最初は恥ずかしかったこの掛け声も、最近はなんだか楽しくなってきた。

さぁ、今日もシンデレラへの一歩を踏み出そう。



12: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 01:31:26.67 ID:MKhqyQX10
今回の音楽番組は『アイドル特集』ということで、スタジオにはたくさんのアイドルが集まっていた。

着物を着た落ち着いた華やかさをもつ子。働きたくないとアイドルらしからぬ発言を連発する子、そしてその子を抱き上げる長身の子。猫キャラの子、ゴスロリっぽい格好をした子、神秘的な雰囲気をもつ女性……。

私のまわりには個性の光る、アイドルとしての経験を多く積んだ子たちがいた。

対して私はつい最近デビューしたばかりの人間だ。最近でこそ少しずつ安定して仕事がまわってくるようになったものの、それでもまだテレビに出る機会などほとんどない。自分が好きで、そして得意でもある歌の仕事ということで自信を持ってやって来たものの、周りの人をみて完全に怖気づいてしまった。きちんと声は出るだろうか、歌詞が突然とんだりしないだろうか、音程を間違えたりしないだろうか。

そしてなにより、果たして自分はこの個性光るアイドルたちに混ざってやっていけるのだろうか。

13: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 01:33:18.52 ID:MKhqyQX10
緊張で体が強張り、様々な不安が頭の中を駆け巡る。その緊張や不安は表情に露骨にでていたようで、

「そんなに緊張したり、不安になったりなくていいんですよ。ほら、仕事はわーくわーくしながらやらないと。」

と声をかけられてしまうほどだった。

そんな担当アイドル━つまり私が━目に見えて緊張と不安で押しつぶされようとしているなか、

うちのプロデューサーは……。

14: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 02:03:50.34 ID:MKhqyQX10
「うっお!!あの子の笑顔かわいい!!cute!!pretty!!」

「いいね~あの微笑み最高だ。嫁にしたい。」

「おっ!元気いいなあの子。笑って白い歯がきらりと輝く……wonderful!」

他のアイドルの笑顔を見て、興奮していた。隣の私のことなど視界にまるではいらない様子。

……普通こういう時、プロデューサーというのはアイドルを励ましたりするものではないだろうか?

実際私の他にもう1人いる新人の子は傍らの、おそらくプロデューサーと思われる人にに叱咤激励されていた。

小さくて、守ってあげたくなるような保護欲をさそうかわいらしい女の子は、その叱咤激励によって笑顔になる。

「うーん、あの泣き顔からの笑顔。反則だろおい!審判!!あれイエローどころかレッドレベルだって!!」

そしてその笑顔にも反応するプロデューサー。

なんというか……もう……。

16: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 03:07:46.28 ID:MKhqyQX10
「……プロデューサー。」

「ん?どうした凛??」

満面の笑みでこちらを振り向くプロデューサー。

……なんかむかついてきた。

「私結構緊張してるんだけど。」

「ん、そうなのか?まぁ、凛なら大丈夫だよ。」

何だその根拠のない自信は。

「かなり不安なんだけど。」

「まぁ、凛なら大丈夫だよ。」

ほんとなんなんだろうこの人。

「はぁ……。」

ため息とともに全身の力が抜ける。

ここまでこの人について来たわけだが、今更不安になってきた。

普段はこうしておちゃらけているけれど、なんだかんだで頼りになる人だと思っていたのだが……。

17: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 03:09:22.00 ID:MKhqyQX10
「凛。」

突然の真剣な声。先ほどまでの適当な声とうってかわったその声につられてプロデューサーのほうを見る。

「凛はここまでレッスンたくさんこなしてきたんだろ?別に不安がることはないさ。過度な緊張をする必要もない……まぁ不安になるな、緊張するなってのは難しいと思うけどさ。」

優しい笑み。普段のおちゃらけた表情とは違う、慈愛にみちた表情に少しびっくりする。

「あらためて言うぞ。」

肩をぽんぽんと優しくたたかれる。

「凛なら大丈夫だよ。」

18: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 03:23:03.63 ID:MKhqyQX10
あぁ、何だ。やっぱり何だかんだでこの人はプロデューサーなのだ。

この人に触れられて、言葉をかけられて……たったそれだけなのに先ほどまで感じていた緊張や不安は和らぎ、気力が、自信がみなぎってきた。

緊張や不安がなくなったわけではない。いまだに手は震えているし、表情だってかたいままだ。

でも、そうであっても、もう私にはそれらをこえていく自信が十分にあった。

19: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 03:24:16.79 ID:MKhqyQX10
「ありきたりな言葉ばっかで悪いな……本当はもっとオリジナリティーあふれる、いい言葉をかけられればいいんだけどさ。」

「そんなことないよ。ありがとうプロデューサー。元気出てきた。」

「そうか?なら良かったよ。そうだな……あと、俺なりに言えることっていったらこれくらいかな。」

そう言ってプロデューサーは私の口角を指で持ち上げて

「笑顔でやってこい。」

この場にいる誰よりも、輝く笑顔でそういった。

20: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 03:45:03.13 ID:MKhqyQX10
「そろそろ本番入りまーす。皆さん準備お願いしまーーーす。」

スタッフさんの声がスタジオに響く。

「そろそろ行ってくるね。」

「おう、行ってこい。お前の持ちうる全てをぶつけてこい。主に笑顔とか、笑顔とか、笑顔とか!!!」

「これ歌メインの番組だけどいいのそれで?」

「あぁいいとも!!俺が得するからな!!!!」

「なにそれ。」

思わず笑みが漏れる。

まったくこの人は……。ちょっと前までの雰囲気はどこへやら。いつのまにかいつものおちゃらけた雰囲気に戻ってる。でもだからこそ変に考え込んでしまう私にはぴったりなんだろう。

「じゃあ、いってきます。」

「いってらっしゃい!」

私が始めてライブに出たときと同じ様にハイタッチをして、照明に照らされた場所へと向かう。

さぁ、勝負の時間だ。周りにいるたくさんのアイドルたちのようなたくさんの経験は私にはない。けれども、自分がレッスンで培ってきた自信と、そして何よりプロデューサーからの信頼を武器に華麗に戦って見せよう。

「だから見ててね、プロデューサー。」

21: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 05:10:23.51 ID:MKhqyQX10
「いやー、いい笑顔だったぞ凛。昔よりよく笑うようになったし、より自然になったよな!!」

「そうかな?そうだと嬉しいんだけど……。」

帰りの車。仕事終わりの心地よい疲労感を感じる。

あのあとの仕事は全てうまくいった。もちろん反省点がないわけではない。

けれども、今自分の持ちうる全ての力は出し切れたと思う。

プロデューサーのほうも次の仕事をとることができたらしく機嫌がいい。

機嫌がいいからだろうか、はたまた普段と違うプロデューサーの一面をみたからだろうか。普段なら聞かないことが聞いてみたくなった。

22: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 05:13:46.96 ID:MKhqyQX10
「……プロデューサーって笑顔好きなの?」

「あぁ好きだな。三度の飯より笑顔が好きだ。」

「どんだけ好きなの……。」

ちなみにこの人、昼食を食べ損ないそうになったとき事務員さんに『飯が食えないぐらいなら俺は人間をやめるぞ、ちひろーーーー!!』とすごい形相で叫び始めたぐらい食事が好きな人である。

その食事さえもこえるとは……。

「何でそんなこと聞いたんだ?」

普段私はプロデューサーのことについてあまり聞かない。こうして毎日のように一緒にいれば大抵のことはわかるし、そうして一緒にいてもわからないことはきっと知られたくない、隠していることだと思うからだ。

ゆえに、プロデューサーは私がプロデューサーについて聞いたことを不思議に思ったのだろう。

やっぱり聞いちゃまずかったかな?とも思ったが一度出した話題を引っ込めても仕方あるまい。

「いやなんか今日、いや割といつもだけどえらく笑顔がいいとか、かわいいとか言ってたからさ。」

「そうだったかな……。まぁ、笑顔は好きだよ。ぶっちゃけスカウトとかするとき基本笑顔で決めてる。」

「そうなんだ……。」

初めて聞いたことだった。プロデューサーのことを知れたことに不思議とわずかなうれしさを感じた。

23: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 05:14:22.36 ID:MKhqyQX10
だがそうなると疑問に思うことがある。

「私、プロデューサーにスカウトされたとき笑顔なんて見せたっけ?」

「いや、見てないよ。」

「じゃあ何で……。」

「笑顔にしたいと思ったんだ。」

「え?」

「お前をあの交差点で見たとき、お前の目がなんかこう……いいかた悪いけど死んでたんだよ。いや、そりゃただ交差点で信号待ちしてるだけだから、もう元気いっぱいですって人のほうが少ないんだけどさ。」

24: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 05:15:04.79 ID:MKhqyQX10
プロデューサーと初めて会ったときのことを思い出す。

休日。何の目的もなく、ただただ時間をつぶすためだけに街を歩いていたあの日。

そして世界はつまらないものだと、全てに諦めをつけていたあの頃。

あのとき、あの信号待ちをしていた交差点でこの変な人が声をかけてくれていなければ、私はもっとつまらない人生を歩んでいただろう。

25: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 05:16:48.79 ID:MKhqyQX10
「でもこう……この世の全てに諦めをつけたかんじがしててさ。若くて、綺麗なのにもったいないなって思ってさ。」

全てを諦めていたということを見透かされていたことに少し恥ずかしさを覚える。

「……なんかその言い方はおじさん臭いね。」

だからちょっとした意地悪を言ってしまう。

「何を!!俺はまだ20代だい!!」

「いや知ってるけどさ……。」

「まぁ、何よりさ。」

プロデューサーは一呼吸おいて。

「俺が凛の笑顔を、いや凛自身を見ていたいなって思ったんだよ。」

そう言った。

「凛をみた瞬間に周りが色あせた。凛しか視界に入らなくなった。目が吸いつけられて離れなくなった。……まぁ有り体に言えば一目ぼれしたんだよ。」

いきなりそんなことを言われても困る。自分の顔が気恥ずかしさでどんどん赤くなっていくのを感じる。

「そんな子の目が死んでるんだぜ?どうにかしてやりたいって思うのが男だろ?」

普段なら絶対に言わないような男らしい言葉に思わずどきりとする。

「凛をスカウトしてよかったよ。今は凛がファンや事務所のみんなに笑顔を見せてくれる。ありがとな、凛。」

感謝をするべきなのはこちらなのに、プロデューサーは私にお礼を言った。

色々伝えたいことはあるけれど、今はさっきのプロデューサーの言葉のせいでうまく言葉が紡げそうにない。

だから、

「ありがとね……プロデューサー。」

だからせめて、一番伝えたいこの言葉だけは伝えよう。

「こちらこそ。これからもよろしくな。」

「うん。」

26: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 05:18:34.80 ID:MKhqyQX10
その日の夜。

風呂上りの手入れをしてからばたりとベットに倒れこんだ。

「そっかプロデューサーは笑顔が好きなのか。……まぁ、聞かなくてもそうなんだろうなってことぐらい予想はつくけどさ。」

あれだけ毎日笑顔、笑顔言ってるのだ。そう思わないほうがおかしい。

私はお世辞にも笑顔が上手ってわけじゃない。プロデューサーはいい笑顔ができるようになったといってくれたけれど、卯月や未央のようにあんなに明るくは笑えない。

グラビアのときにも要求されるのは笑顔よりもクールな表情が多い。

27: ◆LbR.dnl/161l 2015/08/11(火) 05:19:24.49 ID:MKhqyQX10
「笑顔……か……。」

ゆったりと起き上がり鏡の前へと座る。

プロデューサーのことはもちろん好きだ。ただ、朝未央がいっていたような嫉妬するような、異性に対する好意ではない。

プロデューサーは相棒であり、恩人だ。だからこれは別にプロデューサーに好かれたいとか、そういう動機ではじめるわけじゃない。ただ、相棒が、感謝すべき人が、喜ぶことをしようとしているだけだ。

「うーん……。もうちょっとこう……自然と口角があがらないかな……。」

私はこの日から一日数十分の笑顔の練習を始めた。