やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている ) その2
419 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:31:00.86 ID:oXMFQ7UX0
第23章
7月4日 水曜日
俺は、弥生先生に連れられ、正門を抜ける。
前の講義が終わってからしばらくたっていることもあり、学生の数は少ない。
別に大学教師と一緒のところを誰かに見られてもかまわないが、
陽乃さんのストーカー騒動もあって、人の目を気にしてしまう。
弥生「比企谷君。Dクラスの子たちを見て、どう思いましたか?」
突然の質問に身構えてしまう。
ラーメン脳を頭の隅に追いやり、目の前の問題に意識を向けた。
Dクラスの担当講師に会った時点で、聞かれる可能性が高い質問であると警戒はしていた。
そりゃあ、いきなり小テストの点数が上がったら、俺でも気になる。
八幡「そうですね・・・・・・・」
俺は一呼吸置き、弥生先生の様子を観察するが、俺を警戒するそぶりはない。
ここは、正直に答えておくべきか。
八幡「頭がいい奴らだとは思っていましたよ。今は点数が落ち込みはしていますけど
この大学に入れた時点で優秀なのは証明されていますからね」
弥生「それは、自分も優秀だといいたいわけですか?」
八幡「いや、そういうわけでは」
俺もあいつらと同じ大学だし、俺の言い方だと、俺も優秀だって事になってしまう。
でも、そういう事を言いたいわけじゃないって、弥生先生もわかっているはずだから、
思いがけない返答に慌ててしまう。
弥生「すみません。意地悪な事を言ってしまって」
八幡「いや、大丈夫です」
転載元:やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている )
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420 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:31:32.88 ID:oXMFQ7UX0
弥生「私も、比企谷君の意見に賛成です。大学受験で燃え尽きてしまう生徒もいますが、
Dクラスの子達は、少し事情が違いますね。中にはいるでしょうけど、
それは少数派でしょうね」
八幡「はぁ・・・・・・・」
何を言いたいのか、注意深く探る。遠くを見つめ、まるで今までを振り返っている気がした。
今年のDクラスの生徒は十数人だけど、何年も続ければ数もそれだけ増えていく。
きっと、今までも毎年同じことが繰り返されてきたに違いなかった。
弥生「うちの大学は、全国クラスで見ても優秀な方だと思います。
だから、全国から優秀な子たちが毎年入ってきます。
きっとその子たちは、地元の高校では優秀な成績だったのでしょうね。
クラスメイトからは羨ましがられたり、尊敬されたりしてたのでしょう。
先生達からの信頼もあったはずです。
でも、そういう子達が一か所に集められてしまったら、優秀な子達だけで
順位が付けられてしまい、今までトップ集団であっても、
いきなり下位グループに落とされてしまう子達が必ず出てしまうのですよね」
八幡「そうですね」
俺と同じことを考えていたことに、驚きを覚える。
いや、そうでもないか。当然のことだ。この人は、毎年見て、実感してきている。
俺よりも深く関わってしまっている。
弥生「今まで挫折を知らなかった子達は、打たれ弱い。
一度沈み込んでしまったら、立ち上がるまで時間がかかってしまう。
大学を卒業するまでかかってしまう子もいるし、卒業しても無理な子もいる。
でも、どの子たちにも共通して言えることは、大学で勉強している間に
立ち上がれる子は極めて少ないということです。
立ち上がろうにも、化け物のような才能の持ち主が毎年入学してきますから
その子たちには勝てないって、諦めてしまうのでしょうね。
勉強は勝ち負けだけではないというのに」
八幡「理屈からすれば、そうなんでしょうね。でも、理屈ではわかっていても
人間だれしも強くはありませんし、簡単には立ち上がれませんよ」
弥生「そうでしょうね。私も一人だったら立ち上がれなかったでしょう」
立ち上がれなかった? うちの大学で、英語講師にまでなったこの人が挫折してるのか?
弥生「そんなに驚いた顔しないでくださいよ。私も長く生きていますから、
挫折くらい何度もしています」
421 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:32:00.55 ID:oXMFQ7UX0
八幡「すみません」
弥生「いいんですけどね。私もね、うちの大学のDクラス出身なんです」
八幡「はっ?」
俺は盛大に驚きの声をあげてしまった。
その声を聞いた弥生先生は、無邪気に俺の顔を見て笑っている。
俺の反応が予想通りだったのか、俺の顔が変だったのか、それとも他の要因かは
わからないけれど、弥生先生は満足している感じであった。
弥生「ふつうは、比企谷君のような反応しますよね。
私だって、私が大学で英語講師になってるなんて夢にも思っていませんでした。
でもね、私の場合は、挫折しても手を差し伸べてくれた友人がいたんです。
彼女はAクラスで、どの教科であっても優秀でした。
今は、就職して、出世街道まっしぐらって感じですかね。
勉強だけではなく、人当たりもよかったですし、彼女ならどこであっても
うまくやっていけると思いますよ」
八幡「そうでしょうね」
俺もそういう奴を知ってるが、そういう奴はどこであっても根をしっかり張り、
ぐいぐい成長していくはずだ。
弥生「だから私は、自分がDクラスのときそうだったように、今のDクラスの生徒たち
にも、再び立ち上がって勉強を楽しんでもらいたいんです」
やはり人からの噂はあてにならない。だって、この人はDクラスの為を思って行動していた。
きっと、きつくあたっていたのは、彼らに頑張ってほしいから。
きつく当たるだけではなく、フレンドリーに接してみたり、
講義内容も初歩からやったりと、長年思考錯誤を繰り返してたのかもしれない。
だけど、弥生先生だけが頑張ったとしても、人は簡単には変われない。
本人が変わりたいって望み、行動しなければ変わることなんかできやしない。
きっと、このまま手を引っ張り続けていたならば、弥生先生は重みに耐えられなくなって
いつかは弥生先生まで引っ張りこまれて倒れてしまったことだろう。
弥生「だからね、本当の事をいうと、比企谷君がDクラスの子たちを立ち直らせて
くれたのを見て、悔しくもあったんですよ。
だって、私が何年かけてもできなかったことを数週間で解決してしまったのですから」
八幡「俺は、彼らに動いてもらっただけですよ。
動かざるをえない状態に追いやっただけです。そして、動きだしてしまえば、
あとは勝手に動いてくれているだけなんですよ」
422 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:32:29.59 ID:oXMFQ7UX0
弥生「それをやるのが難しいんですけどね」
弥生先生は、頭をかきつつ、あきれ顔をみせる。
だけど、そんなこと言われても、俺が成功したのも運があったからとしかいえない。
俺も勝算があってやったわけでもない。
俺が思い付いた方法が、たまたま当てはまっただけ。
八幡「運が良かったんですよ」
弥生「そうですか? それでも、君には人を引き付ける魅力があったことだけは
たしかですよ」
八幡「そうだったら、いいんですけどね」
弥生「失敗続きの私が言っても、説得力に欠けますか」
八幡「そんなことは・・・・・・・」
弥生「いいですって。・・・・・・あっ、ここですよ。
私の行きつけのラーメン屋は」
目の前には見覚えがある店舗がそびえている。それもそのはず。
俺も平塚先生もよくこの店に来ているのだから。
俺は、弥生先生との会話に集中しまくってて気がつかなかったけど、
歩き慣れた道ならば、違和感もなく歩けるわけだよな。
店ののれんには、総武家と書かれていた。
弥生「もしかして、比企谷君もここ知っていましたか?」
八幡「あぁ、はい。よく来ています」
弥生「そうですか。それはよかった。私もここの大ファンでしてね。
でも、今度の道路拡張工事でこのビルも取り壊しになってしまい、
店も閉店しなくてはならなくなり、とても残念ですね」
八幡「それを聞いたときは、急なことで驚きましたよ」
今でも覚えているあの感覚。自分は無力だって思い知らされる脱力感。
人生思い通りにならないことが多々あるけど、大切なものほど失った後にたくさん後悔する。
過去を振り返らないなんて無理だ。きっと何度も思い出してしまう。
時間がたつにつれて、記憶が薄れてはいくけれど、いつかまた何かのきっかけで
鮮明に思い出し、より深く傷つく。
弥生「それにしても、この辺の再開発は大規模ですね。
ここの道路だけじゃなくて、隣の道路のほうも拡張工事らしいですから」
八幡「えっ? 向こうの道路の拡張工事するんですか」
弥生「ああ、これはまだ内密にしておいてほしいんだけど、いいかな」
423 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:33:05.09 ID:oXMFQ7UX0
八幡「あ、はい」
弥生「私の同級生に議員の秘書をやってる人がいましてね。
この前食事をしたときに聞いたんですよ。
彼女も議員の秘書をやってるのだから、秘密にしなければいけないことも
あるのでしょうに。私みたいなしがない大学講師に話しても実害はありませんけどね」
弥生先生は、苦笑いを浮かべる。きっと酒が入ってしまうと、本当に言ってはいけない事
までも話してしまっているのかもしれない。
その辺は推測にすぎないけれど、もしかしたら、
それだけ弥生先生が信用できる人ってことなのかもな。
八幡「その辺は、弥生先生を信じてるんじゃないですか。
でも、話す方もどうかと思いますけど」
弥生「そうですよね。今度きつく言っておきます」
八幡「あの・・・・・・」
弥生「なんでしょう?」
八幡「拡張工事って、最初から両方ともする予定だったんですか?」
弥生「違いますよ。正確に言いますと、ここの道路の拡張工事は既に公示されて
いますので秘密でもなんでもないんですよ。
ただ、向こう側の道路の方が現在交渉中といいますか、内密にことを
進めているらしいです」
八幡「そうなんですか」
弥生「あっ、でも、比企谷君も秘密でお願いしますよ」
八幡「はい」
俺の返事を見届けると、食券を2枚購入して弥生先生はのれんをくぐって店内に入っていく。
俺は弥生先生の話を検証してみたい気持ちが強かったが、待たせるわけにもいかない。
はやる気持ちを抑え、俺は後に続く。
やはり裏で何か動いているのかもしれない。
公共工事ならば、雪乃の親父さんに聞けば何かわかるかもな。
でも、今は目の前のラーメンだな。
店内に充満するラーメンの臭いの誘惑には勝てる気がしなかった。
424 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:33:51.62 ID:oXMFQ7UX0
陽乃「へぇ・・・。そんなことがあったの。私は弥生先生の講義とったことなかったけど、
結構よさそうな先生だったのね」
弥生先生とラーメンと食べた後、俺は急ぎ待ち合わせの場所に戻る。
時間はたっぷりあったはずなのに、時間を忘れ、話に夢中になっていた。
もちろん拡張工事の話をもっと聞きたかったが、これ以上の情報は期待できなかったと思う。
それよりも勉強論というか、大学の実情や問題点の話が興味深かった。
俺は将来先生になりたいわけでも大学に残りたいわけでもないが、
弥生先生の人柄に強く関心を持ってしまった。
人の縁って不思議だよな。
些細なきっかけで、縁がないと思っていた弥生先生と巡り合ったわけだ。
そう考えて過去にさかのぼると、雪乃に会わせてくれた平塚先生には一生頭が
上がらないかもな。
八幡「それで、拡張工事について、お義父さんに聞いてもらえませんか?」
陽乃「それは構わないけど、大したことは聞けないと思うわよ」
雪乃「姉さん、私からもお願いするわ」
雪乃は、紅茶をトレーに載せてソファーに戻ってくる。
リビングには、うっすらと紅茶のフルーティーな香りが囁きだす。
コーヒーのように強烈な香りってわけでもないけれど、優しい香りが心を緩める。
陽乃さんは、満足そうに紅茶を一口飲むと、いつもの頼れる姉の顔をみせる。
陽乃さんも一時はどうなるかと心配はしていたが、最近は明るさを取り戻しつつある。
やはり犯人の目星がついたことが大きいかもな。
それでも、決定打にかけるのがつらいところだけど、味方も増えた。
きっとうまくいくさ。
陽乃「善処するけど、あまり期待しないでよ。お父さんったら、
仕事の事はあまり話してくれないから」
八幡「そこをなんとか頑張ってください」
陽乃「わかったわ。比企谷君には迷惑かけてるからね」
八幡「迷惑なんかじゃないですよ。陽乃さんだから手を貸しているだけです」
陽乃「そう?」
陽乃さんには意外な答えだったらしく、わずかに驚く。
しかし、雪乃を見つめると、少し残念そうな笑顔を見せ、目を伏せる。
まあ、拡張工事の裏事情を調べたところで総武家が助かるとは思えない。
だけど、急な立ち退きだ。きっと何か裏で動いているはず。
425 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:34:34.02 ID:oXMFQ7UX0
わずかな望みかもしれないけど、これも弥生先生からの縁だ。
当たってみて、損はないだろう。
7月5日 木曜日
前日、弥生先生からテストの点数具合を聞いてはいたが、あまりにも好調すぎて
俺でも驚いてしまう。
弥生先生が暗躍している俺の事を気にする気持ちもわからなくもない。
短期間でここまで改善するとは誰も思っていなかったはずだ。
俺は朝からすこぶる機嫌がよかった。
こんなに晴れ晴れとした朝はひさしぶりだと思う。
英語の勉強会もそうだが、今朝陽乃さんを迎えに行くと、昨日の解答を聞くことができた。
それによると、総武家に面している道路を計画したのは
親父さんとは別グループのものらしい。
それに対抗して打ち出した計画が、
親父さんが所属するグループが推し進めている隣の道路の拡張工事だったようだ。
素人の俺としては、隣接する道路を二つも拡張しても税金の無駄遣いだって思えて
しまうが、実情としては総武家の方の道路は通学路、主に人の通りがメインの工事らしい。
そして、親父さんの方の道路は、
トラックや車などの交通渋滞を改善する為のものらしい。
どちらも必要な工事だとは思うけど、やはりそこには利権問題が絡まっていた。
その辺は推測が含んでしまうが、所属するグループの議員の利益になるように
動いていることはたしかである。
もちろん陽乃さんであっても親父さんからお金がらみの事は聞き出せはしなかったけど、
あの道路には雪ノ下の企業のビルもあるらしかった。
あとでこっそり雪乃が教えてくれたけど、きっと陽乃さんも知ってたはず。
身内のちょっと汚い裏事情。それは陽乃さんであっても隠したいはずだけど、
俺は親父さんが汚い大人だとは思ってはいない。
それは俺が一歩大人に近づいたことなのかもしれないけど、
企業の経営者としての判断としては間違いではないと思えてしまった。
426 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:35:18.76 ID:oXMFQ7UX0
7月7日 土曜日
7月7日、七夕。今日は天候にも恵まれ、各地でイベントが行われるのだろう。
街のあちらこちらには、七夕特有の飾りがにぎやかになびいている。
毎年新しいのを買ってるのならば、無駄な遣いじゃないかって捻くれてた意見を
もってしまう。また、去年のを使っているのなら、ほこりがかぶったものを
頭上につるすなよと、これまた皮肉を言ってしまう。
まあ、どっちにしろ邪魔なディスプレイだって思うんだけど、
七夕を感じるには見慣れ過ぎた光景が広がっていた。
駅前もひときわ盛大な七夕飾りと、笹が飾られ、否応にも今日が七夕だと実感する。
浴衣を着飾った女性たちも多くいて、駅の中へと消えていく。
街はいつもより活気づき、落ち着かない雰囲気を醸し出す。
しかし、俺達が発する落ち着かない雰囲気は意味が違う。皆堅い表情をしていた。
結衣「いよいよだね」
雰囲気に敏感な由比ヶ浜は、場を和ませようとあれこれ画策するが、全て霧散していた。
なにせ、今日の為に考えうる手は打ってきたし、協力も取り付けてきた。
陽乃さんや雪乃だけではなく、ここにはDクラスのメンツも勢ぞろいしている。
本当に他にやれることはなかったのか?
あとで後悔するのは自分なんだぞと、何度も自問してきたけれど、効果はない。
雪乃にしたって、陽乃さんであっても、万能ではない。
それは、この数日間で実感してきたことでもある。
人は失敗するからこそ、成長する。いや、ちがうか。
失敗して、そこから這い上がるからこそ成長する。
這いつくばったままの奴は、それまでだ。
だけど、一人でなんでもやろうだなんて、子供じみた考えはもはや俺にはない。
高校時代の俺が知ったら笑い転げるかもしれないけど、事実だからしょうがないじゃないか。
自分の限界を知っているはずの高校時代の俺であっても、
自分の限界を知った上で行動している高校時代の俺であったとしても、
みっともなく這いつくばりながらも懸命に立ち上がろうとしている奴の方が強いって
今の俺なら胸を張って言える。
だって、かっこいいだろ弥生先生やDクラスの連中。
一度は泥水にまみれながらも、今は懸命に前に突き進んでいる。
427 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:35:52.06 ID:oXMFQ7UX0
まあ、俺に手を貸してくれているっていう個人的な理由も加点事由かもしれないけど、
それは、まああれだ。人の印象だからしょうがない。
それに陽乃さん。なんでもできるスーパーウーマンって勝手に思ってたけど、
それも間違いであった。笑いながらトラブルをぶん投げてくる迷惑な人っていう
強烈な印象もこびり付いているけれど、それは陽乃さんの一つの側面でしかない。
この数日間で俺が勝手に抱いた印象もほんの少しの陽乃さんのでしかなく、
きっと俺が知らない一面がまだたくさんあるのだろう。
そして、陽乃さんもやっぱり女の子であった。
俺は、役に立ちもしない男かもしれい。それでも、守ってあげたいと思ってしまう。
そういう普通すぎる女の子でもあったんだって気がついてしまった。
その普通すぎる女の子の笑顔を取り戻せるかどうかがかかった七夕祭り。
準備は整っている。あとは臨機応変にやっていくしかない。
八幡「準備はいいか」
結衣「たぶん大丈夫」
八幡「たぶんかよ」
雪乃「由比ヶ浜さんのサポートは私がするのだから問題ないわ」
結衣「ゆきのん」
由比ヶ浜は、雪乃の腕をとりじゃれつくが、最近雪乃はそれを嫌そうにはしない。
慣れかもしれないけど、雪乃も丸くなったものだな。
作戦前の緊張を和ませるゆりゆりしい光景を堪能したところで、今日の主役が登場する。
ま、由比ヶ浜は雪乃と一緒に行動する予定だから問題ないか。
むしろ雪乃が無理をしないように由比ヶ浜が見張ってると言ってもいいほどだけどな。
陽乃「みんな、今日はほんとうにありがとう。
感謝しきれないほどのことをこれからしてもらうけど、いつかきっと恩は返します」
俺、雪乃、由比ヶ浜。それに、Dクラスの連中。石川君は、俺達と一緒のところを
他のストーカー連中に見られるとやばいので別行動中だけど、みんな頼もしい連中だ。
八幡「そういうしんみりする言葉は、全てが終わってからにしてくださいよ」
雪乃「姉さんらしくないわ」
結衣「そうですよ。もっとこう、元気になるような檄を下さいよ」
陽乃「そう? だったら・・・・・・、私の雪乃ちゃんに害をなそうとする連中は
一人残らず皆殺しよ!」
いや、まあ、雪乃も危ない立場かもしれないけど、ちょっと違わなくない?
428 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:36:35.69 ID:oXMFQ7UX0
陽乃さんの隠れシスコンが公になっただけで、みんなどんひきじゃねえか。
雪乃なんかは、他人のふりしてるぞ。
今さらだけどよ・・・・・・・。
八幡「なにかあったらすぐに連絡してくれ。危険だと思ったら逃げていい。
みんなの安全が第一だけど、今日だけは、ちょっとだけ力を貸してくれると助かる。
だから今日一日、俺達に力を貸してくれ」
あれ? 俺、けっこういいこと言ったよね?
でも、なにこの静けさ。
雪乃や陽乃さんに助けを求めて顔を見ると、なんだか意地悪そうな笑顔をしている。
由比ヶ浜は、失礼にも笑いをこらえようと悶えてさえもいる。
やはり慣れないことはすべきじゃねぇなあと、Dクラスの連中の顔を見回すと、
各々表情は違うけれど、どうにか俺の思いは届いてはいた。
腕を組んで場の雰囲気を満喫してい者、ニヤニヤ笑いながらも頼もしい目をしている者、
頷く者、手を取り合い緊張を共有している者。
人それぞれのリアクションが違うけれど、なんとも頼もしいことか。
陽乃「さ、みんな打ち合わせの配置に着く時間ね。
ちょっと痛い事言う子もいたけれど、それは寛大な目で見てくれると助かるわ」
そう陽乃さんが身も蓋もないことをいうと、皆何故だか失笑を洩らす。
俺って、そんなに恥ずかしい事いったか?
陽乃「じゃあ、みんなよろしくね」
陽乃さんが作戦開始を宣言すると、皆それぞれの場所へと散っていく。
ただ、散っていく前に、俺の肩やら手を叩いていった。
それは、これから戦いにいく戦士の別れのようでもあり、なんとも頼もしく、
俺に勇気を奮い立たせる気もした・・・・・・なんて、どっかのワンフレーズを思い出す。
ちょっとはかっこつけた言葉を言ったかいもあったかなと
小説のワンシーンのような光景に思いがけず感動してしまった。
第23章 終劇
第24章に続く
435 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:31:07.50 ID:y5ROlF8O0
第24章
7月7日 土曜日
午後0時35分。約束の待ち合わせ時間まで、あと5分。
安達の性格からすると、待ち合わせ時間からわずかに遅れてくるらしい。
よくて時間ちょうどくらいで、遅れてきても悪びれもしない態度に
みんないつも内心イラっとくるとのこと。
それでも、陽乃さんのことだからにこやかに出迎えるんだろうな。
裏事情を知らないって、ほんとに幸せだよ。
でも、陽乃さんがストーカーの事で相談にのってもらっているお礼として
映画に誘いだしたのだから、いつもよりは若干早くは来るかもしれない。
誰もが振り向く美人に映画に誘ってもらったんだ。
うきうきしない男はいない。
前日の夜は早めに寝ようとするけど、なかなか寝付けることはできないだろう。
それでも、目覚ましより早く目が覚めてしまうあたりは、人間よくできているものだ。
約束の時間までは十分すぎる時間があっても、家にいてもそわそわしてしまって、
早めに家を出てしまうかもしれない。そうしても、早く待ち合わせ場所についてしまって、
今度は早すぎないか、とか考えだしてしまって、余計な悩み事さえ増えてしまう。
それが一般的なデート慣れしていない男かもしれないけど、俺は違う。
もし、初めて誘われたデートならば、相手が待ち合わせ場所に来ているかをまず確認する。
そして、周りにクラスメイトなどが潜伏していないかを用心深く観察するだろう。
なにせ、どっきりの可能性が高い。
だから、用心深く行動してもしきれないほど、用心したほうがいいに決まってるじゃないか。
一応どっきりである場合の返しの言葉もいくつか考えておき、
翌日学校であっても、俺は空気になって、静かに過ごすことになるだけだ。
被害は最小限に。
でも、せっかく女の子から誘われたんだから、罠であっても行きたいってものなんだよ。
さて、現場の陽乃さんはというと、手首を返し、腕時計で時間を確認していた。
俺もつられて時間を確認すると、0時41分。
秒針がもうする頂上に戻ってきそうだからほぼ42分か。
安達はデートだというのに、いつもと同じペースで、しかも遅刻して登場かよ。
436 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:31:51.43 ID:y5ROlF8O0
それとも、俺と同じように警戒しているのか?
と、少し不安になってきたところで安達が登場。
不安にさせるなって。せっかくデートなんだから、早く来いよと悪態をついたのは
俺だけじゃないはずよ。
とくに、あとで女性陣からの意見を聞いてみたいかも。
そう考えると、女子会トークなんかで、自分のデートを採点なんかされた日には
当分寝込みそうだな・・・・・・。雪乃は、由比ヶ浜であっても話すとは思えないけど
ちょっと怖いかも。あっ・・・・・、今度雪乃にデートの不満点とか、
日常の不満点とか聞いておこうかな・・・・・・・・。
安達「お待たせぇ。今日は七夕だし、人が多くて、まいっちゃうよな」
陽乃「そうね。七夕祭りとかあるし、しょうがないんじゃないかな」
安達「浴衣女子がわんさかいちゃって、目がいっちゃってさ。
俺もおっさんになってきちゃったかもって思うと切ないわ」
陽乃「そう・・・・・」
わぁ・・・・、めっちゃ陽乃さんひいてないか。
確かに七夕だし、浴衣来てる女性多いけど、これからデートの相手の事も考えろよ
って、男の俺でも思ってしまう。
たしかに映画だし、陽乃さんも浴衣は着てこないだろうけど、
他の女の事を誉めるのはやばいだろうに。
ただ、それさえも気にしないのが安達クオリティー。我が道を行くつわものだった。
陽乃「はい、映画のチケット。今日はお礼だし、私のおごりだから」
安達「あ、サンキュ~」
安達はチケットを受け取ると、一人映画館の中に入っていく。
陽乃さんも、俺に目配せを送ると、その後を追いかけるように中に入っていった。
中では既にDクラスのうち4人が二手に分かれて待機中のはず。
後ろの両隅を抑えてると連絡があったから、これで監視は万全。
あとで遊撃部隊として、俺が中に入っていけばいい。
外のことは雪乃達に任せておけば十分。
ま、中の仕事なんて、とりあえず監視するだけだし、楽なもんだよな。
陽乃さんたちの少し後ろに座らないといけないんで
陽乃さんがチケットを買った後に自分のチケットを買ったが
リバイバル上映らしいんで、席もたいして埋まってはいない。
なんか南極基地に行かされた料理人がひたすら料理しまくる映画らしい。
そんなの見て面白いのか?
437 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:32:27.78 ID:y5ROlF8O0
デートだし、もっとこう恋愛ものとか選ぶかと思ってたけど、
まじで陽乃さんの趣味で選んだのかもな。
なにせ料理が趣味だって言ってたし、あとで聞いてみっかな。
そうだな、陽乃さんらしいイメージの映画って何だ?
マフィアの抗争とか似合うか? それとも本格的な社会派映画?
うぅ~ん、いまいち思い付かないものだな。
そう考えると、料理の映画って似合ってるのかもしれないか。
安達に顔を見られないように、いそいそと後ろの席に着くと、
安達は俺の事など気にする余裕などなかった。
陽乃さんばかり見ていた。
陽乃「映画館で携帯がならないようにするのがマナーだけど、マナーモードにするだけ
というのもマナー違反だと思わない?」
安達「なんで?」
陽乃「だって、時間やメール確認したりすれば、必然的に画面が光るじゃない。
ほんの小さな光であっても、暗い映画館の中で突然光を発するだなんて迷惑だわ」
安達「あぁ・・・・そうかもね。さっそく携帯の電源切っとこうかな」
陽乃「そうね」
陽乃さんはにっこり笑顔で頷いているけど、実は本心なんじゃないか。
しかし、きっと安達は上映中だろうと携帯いじるタイプだろうな。
携帯持ってると腕時計なくても時間わかるから、腕時計持つ人は少なくなってるらしい。
「高級腕時計」イコール「ステイタス」みたいなのは残っているけど、
一般人が使うような普通の腕時計の必要性は減少している。
それはそれで時代に即したスタイルだと思う。
だけど、そのおかげで、今まであり得なかったマナー違反も出来上がってしまったことも
事実であり、マナー意識の改善が追い付いていないよな。
陽乃「せっかくだから、今日は携帯なしで楽しもうっかな」
安達「え? それいいかもね。縛られない感じが、フリーダムで面白いかも」
陽乃「でしょう。携帯持ってると、便利だけど、縛られた感じがすることもあるから
ちょっと面倒に感じてしまうことがあるわよね」
安達「いいね、いいね。じゃあ、今日は携帯フリーデイでいこう」
陽乃「そうね」
と、頬笑みながら返事をする。でも、俺は知っている。
顔が引きつっていると。あの不自然なまでも自然な笑みを作り出せる陽乃さんに
頬笑みを失敗させるって、ある意味安達ってすごいやつだよな。
438 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:33:02.62 ID:y5ROlF8O0
俺が話相手しろって言われたら、5分も経たないうちに逃げ出す自信がある。
雪乃だったら、相手に話す暇を与える間もなく言葉で叩き潰すだろうな。
ま、安達タイプの相手をできるのは、陽乃さんか由比ヶ浜ぐらいか。
そうこう無駄話を聞き流しているうちに上映時間になる。
最後にもう一度メールを確認するが問題はないと思われる。
最後尾列のDクラスの仲間を確認すると、皆辺りを警戒しつつも、映画を楽しむようだ。
さてと・・・・2時間半。映画でも楽しみますか。
多少は防音処理がなされているといっても、隣の部屋からの歌声は漏れてくる。
陽気なメロディーに、ちょっと音程が不安定ながらも、曲のコミカルな陽気で
おしきって歌い続ける。それがちょっと調子っぱずれていても
曲のイメージは壊していない。
終盤にいくにつれ、マイクの主は勢いに任せて声を張り上げていく。
一緒に楽しいんでいる同室の連中ならば楽しいだろうけど、
隣の部屋の連中にとっては、はた迷惑極まりなかった。
それも本来ならば、自分たちも歌を歌いさえすれば、他の部屋からの歌声も気には
ならないだろう。
でも、ここに集まった3人は、誰一人してマイクを掴もうとはしない。
皆、PCモニターと時計の針に注目していた。
ここはカラオケボックスなのだから、歌うのが普通だが、雪乃・由比ヶ浜・石川の
3人は、作戦本部として利用していた。
映画館が見渡せる喫茶店のほうが都合がよさそうだが、石川と雪乃が一緒のところを
みられるのはまずい。SFC会員に陽乃のスケジュールがばれていないといっても
いつどこで遭遇するかわからない。
だから、人目を忍べる場所としてはカラオケボックスは最適であった。
結衣「そろそろ時間だね」
石川「はじめていいですか?」
雪乃「ええ、お願いするわ」
石川は、雪乃のゴーサインに頷くと、あらかじめ作っていた文章をSFCサイトに
アップする。いつもの日曜日なら賑わっているはずのSFCサイト。
でも、今日はぱったりと情報更新は止まっている。
それもそのはず。情報提供者である安達が、陽乃とのデートを邪魔されない為に
陽乃のスケジュールをアップしていないからである。
439 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:33:50.89 ID:y5ROlF8O0
だから、ときおり街を巡回でもしているやつの「陽乃情報求む」「陽乃行方不明」
などの書き込みはあるが、陽乃さんの足取りはつかめてはいない。
すると、石川がコメントをアップしてから1分も経たないうちに返答がくる。
いつもと違う日曜日。情報に飢えているメンバーも多いはずだ。
計算通りなんだが、これほどまで注目されているSFCサイトだと思うと、
背筋が凍りもしたが・・・・・・。
石川があげた情報は、いたってシンプルだ。
「SFC会員の抜け駆け報告! メンバーの一人が陽乃さんと千葉駅の映画館に
入っていくところを確認。至急制裁決議を問う」
ちょっと大げさかもしれないけれど、餌としての効果はあるはずだ。
現にさっそくおひとり様ご来店。
「本当なら死刑。今すぐ映画館に向かうべし」
さすが最初の来訪者。根っからのストーカーかもな。
結衣「なんか怖いね」
雪乃「大丈夫よ。私がついているし、八幡もいるわ」
結衣「うん」
石川「ごめんなさい」
結衣「あぁうん。いいよ、大丈夫。今は改心したって陽乃さんが言ってたから
石川君の事は信じているよ」
石川君も元ストーカー。ストーキングしていた相手ではないにしろ、
生の女の子の感想は身にしみるだろう。
しかも、今回はストーカー壊滅作戦をしているから、なおさらストーカーへの
批判は根強い。Dクラスの女子生徒の友人にも被害者がいたわけで、
その話を横で聞いていた石川君の表情は青ざめていた。
俺や雪乃、由比ヶ浜、そして陽乃さんしか石川君が元ストーカーだとは知らされは
していなかったけれど、石川君は居づらそうであった。
こっそりと由比ヶ浜が声をかけてフォローしてはいたが、これも罰だとまっすぐと
受け止めていたとか。
停滞していたSFCサイトは、石川君の発言が波紋を広げ、盛り上がりをみせていく。
過激な発言も多いが、事が事だけに慎重論も根強い。
たしかに今まではSFCの理念の通りに「そっと見続けて」いたわけだ。
それを破棄して目の前に出るとなると躊躇してしまうだろう。
でも、過激に踊る発言は、普段は慎重な性格であってもつられて踊り始める。
一度感情が流されてしまえば、理性はけし飛び、過剰に反応せざるを得ない。
一人、また一人と過激派が生まれるたびに、加速的にSFCメンバーは過激派へと
変貌していった。
440 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:34:20.32 ID:y5ROlF8O0
たった一つの波紋。激動を引き寄せるには十分すぎる一石であった。
スケジュールを隠しているだけあって、SFCメンバーは映画館の中にはいないようだ。
一応俺もDクラスの仲間も警戒はしているが、時間がたつにつれて映画に
夢中になっていた。
いやな、まじで面白い。最初は、南極で料理するだけで、あとは食事のシーンくらいしか
ないんだろうとたかをくくっていたが、今や俺達全員が画面に引き付けられている。
陽乃さんは見たことある映画だそうだが、それでも時折笑いをこぼしながらも
映画に集中していた。
ま、安達だけは、映画始まってしばらくは陽乃さんを横目で観察していたけど、
それも飽きたのか、30分も経たないうちに眠りこけていた。
そのほうが都合がいいから起こさないけどな。
映画も終盤に入り、残り30分ほどで終わるはずだ。
俺は、予定通り一度トイレに行くふりをして、外に出る。
率直な話、まじで映画見いっていた。本当は外に出たくなかったけど、これも仕事だ。
今度DVD借りようかな。最初の方は全然集中できていなかったし・・・・・・・。
今は、作戦に集中しないとな、と雑念を追いやり、携帯を取り出す。
辺りを見渡しで人がいないことを確認すると、雪乃に電話をかけた。
雪乃「そちらは異常ないかしら?」
八幡「あぁ、大丈夫だよ。安達は寝こけてるし、SFCメンバーもいないようだ。
そっちの方はうまくいってるか?」
雪乃「うまくいってるわ。映画館になだれ込もうとするのを抑えるのが難しかったけれど、
そこはどうにか予定の場所の方に誘導したわ」
八幡「よく誘導できたな」
雪乃「そうね。今思うと理屈じゃないってよくわかるわ。
戦争のときなんてよく引き合いに出されるけれど、異常な興奮状態であると
妄想が現実になってしまうみたいだわ。
予定の場所で安達さんが告白なんてする確定要素などあるわけないのに、
それでも興奮している集団には理屈など必要ないようね」
八幡「そうか、うまくいってくれてよかったよ」
雪乃「でも、ちょっと怖いわね。私も姉さんもうまくいくと思ってはいたのだけれど、
こんなにも盲目的に人は行動できるだなんて、わかってはいても
実際に体験すると怖いものね」
八幡「悪かったな。嫌な役押し付けてしまって」
441 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:35:13.80 ID:y5ROlF8O0
雪乃「いいの。私は八幡の役に立てれば、それで」
八幡「それはありがたい発言だけど、でも、それって、
雪乃がいう盲目的に信じるってやつじゃないか?」
雪乃「そうかもしれないわね。ふふ・・・・、可憐な美女を虜にできてうれしい?」
みんな緊張して作戦に励んでいるというのに、どこか場違いな明るい笑い声が
携帯のスピーカーから聞こえてくる。
からかい成分が混じっている分、受け入れられることができる内容だと思う。
ただ、ほんのわずかだけ本気の部分があるのは、雪乃の偽らざる本心だろう。
人を愛せば盲目的になってしまう部分もある。
はたから見れば、滑稽であると思う。俺も高校時代はそう思っていた。
結婚なんて打算だし、恋人も一時の気も迷い。
ふとしたきっかけで現実を直視し、破局に繋がる。
でも、実際破局しないのは、今ある生活を守る為の打算的な妥協。
そんな冷めきった目をしていたけど、今なら盲目的もいいじゃないかって感じている。
だって、永遠の愛なんてありえはしないだろうけど、
いつかは嫌いな部分もみつけて、毛嫌いするかもしれないけれど、
一生側にいたいっていう気持ちだけは本物だって信じたいじゃないか。
八幡「すっげえ、うれしいよ」
だから、俺は本心をマイクに向かってつぶやく。
雪乃「そう・・・?」
雪乃は、不意打ちを喰らい、ちょっとうわずった声を洩らす。
可愛らしい戸惑いに、俺の嗜虐心は満足を覚える。
虜にしたのはどっちだよと言ってやりたい。
俺を変えたのは雪乃であって、孤独な檻から引っ張り出してくれたのも雪乃なんだ。
だから、すでに俺は雪乃の虜なんだけどな。
言っても信じやしないから、これから少しずつ教えてあげればいと思うと
俺の嗜虐心は再び頬笑みだしていた。
トイレに行って用を足し、席に戻ると映画はラストシーンが終わるらしい。
もうちょっと早く戻ってきて、ラストシーンくらいは見たかったと本気で後悔しかける。
まじでDVDを借りようと心に誓うと、映画も終わり、席を立つ者も出始める。
442 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:35:53.13 ID:y5ROlF8O0
陽乃さんは、エンディングが終わるまで座っていると言ってたから、
まだ動く必要はないはず。
トイレから戻ってくるときに、問題なしとサインは送っていたから大丈夫だとは思うが、
これからが本番なので自然と肩に力が入っていった。
陽乃さん達が席を立つと、俺も少し離れて後を追う。
Dクラスの仲間の一方は陽乃さん達より先に席を立って、出口を確認している。
俺は、なるべく安達からは死角になる位置を取り、二人を追った。
用心して、キャップと伊達メガネをして変装もどきもしてあるから大丈夫なはず。
それでも、安達が気がつくわけないと分かっていても緊張はしてしまう。
一応もう二人のDクラスの仲間は、最後まで映画館に残ってもらい、全員が退室した後に
出てもらう予定だ。
ここまで用心深くする必要があるのか疑問に思ったが、
陽乃さんと雪乃がいうのだから必要なのだろう。
真っ直ぐ出口に向かうもの、一度トイレに向かうものの、おおむね二つの流れが出来上がる。
パンフとかは開演前に買っているから少数派だろう。
もし安達がパンフやトイレに行くとなると、不自然にならないように映画館に残らなければ
ならなくなり面倒だ。
しかし、どうも出口に向かうようであった。
これで一安心と思いきや、出口を見やると、見覚えがあるお団子頭が・・・・・・・。
お前、たしかカラオケボックスに詰めていたはずだよな。
たしかにこれから予定の場所に集合だけどさ、安達も由比ヶ浜の事も知ってるだろうから、
危ないだろって・・・・・・、雪乃もるのかよ!
遅いかもしれないけど、メールを送るか。
着信のバイブで反応して気がついてくれるかもしれないし、と淡い期待を抱き携帯を
覗くと、湯川さんからメールが届く。たしか、映画館前で待機していたはず。
湯川(安達の弟が来ています。このまま安達と弟を会わせると危険ですから、
雪乃さんと由比ヶ浜さんが注意をひきつけます)
まじかよ。安達弟がSFCメンバーかは不明だ。
でも、予定の場所に行かないとなると大問題になってしまう。
ここは雪乃達に任せるしかない。雪乃って人見知りだし、大丈夫なのか?
由比ヶ浜がいればフォローしてくれるか。
あれ? あいつら安達弟と面識あるのか?
面識ないとしたら、どうやって話しかけるんだよ。
443 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:36:24.91 ID:y5ROlF8O0
映画がそろそろ終わるころ、緊急連絡が由比ヶ浜に届く。
電話の相手は、工学部の湯川さんであった。
湯川(緊急事態です。安達の弟が映画館の前に来ています。
おそらく安達を待ってるんじゃないでしょうか?)
結衣(安達って、弟いたんだ。うぅ~ん、でも、どうなんだろ。
ふつうに映画館に来ているだけってこともないかな?)
湯川(それは、わかりません。でも、偶然にしては出来過ぎていると思いませんか)
結衣(そうかなぁ・・・・。ちょっと待ってね。ゆきのんに聞いてみるから)
雪乃は、由比ヶ浜が電話で話している内容からだいたいの事情は把握していた。
そして、由比ヶ浜から説明を受けると、断片的な把握は正しかったと結論づける。
すると、あらかじめ用意してた解決策を実行に移した。
雪乃「由比ヶ浜さん。緊急メールをお願い。
安達弟と面識がある人がいるかどうか聞いてくれない」
結衣「うん、わかった」
由比ヶ浜は素早くメールを作成すると一斉送信する。
すると続々と返事がくる。八幡をはじめとする映画館組の返送はなかったが、
あいにく安達弟と面識がある人はいなかった。
サークルにでも所属していたら面識くらいあったかもしれないが、
大学1年生と2年生。面識があるほうが奇跡かもしれなかった。
雪乃は予想通りの返事を確認すると、次の行動に移る。
雪乃「今すぐ私たちが直接確認に行くわ。そうみんなに伝えてくれるかしら」
結衣「うん、わかった」
由比ヶ浜がみんなににメールを出すのを確認すると、
次は隣に待機いしていた石川にも指示を出す。
雪乃「私と由比ヶ浜さんは、このまま映画館に向かうわ。
石川君は、時間になったら、公園の側で待機してください」
石川「わかりました」
444 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:37:18.42 ID:y5ROlF8O0
雪乃の行動は早い。メール待ちをしている間に自分の荷物もまとめていた。
雪乃は、カラオケボックス代を全額テーブルの上に置くと、
由比ヶ浜を引き連れ、映画館に向かう。
足取りは速く、テンポがよい足音が鳴り響く。もうすぐ映画が終わってしまう。
その前に安達弟を捕獲しないといけない。
カツカツと響く足音は、いつしか力強く跳ねるような音へと変わっていった。
第24章 終劇
第25章に続く
452 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:30:36.18 ID:II7GFxdy0
第25章
7月7日 土曜日
雪乃達が映画館に着くと、湯川さん達と合流して映画館の入り口を見張る。
映画館からわずかに離れた陰に身をひそめた。
湯川「あの派手なシャツを着ている人が安達弟です」
雪乃「あの蛍光色みたいな?」
湯川「はい、それです」
雪乃「人の趣味をどうこういうのはどうかと思うのだけれど、
ああいった服を着て、恥ずかしくないのかしら?」
湯川「さあ・・・・・」
湯川は曖昧な返事を返すしかなかった。仮にも安達は2年生で先輩にあたる。
その辺の礼儀はいくら作戦対象であってもわきまえていた。
結衣「湯川さんの友達が安達弟と同じサークルなんだよね」
湯川「はい、そうです。何度か友達が話しているところを見たことがあるので
たしかです」
結衣「そっかぁ・・・。その友達を今すぐ呼ぶことってできない?」
湯川「呼ぶことはできますけど、もう映画終わってしまいますよ」
結衣「そだね・・・・・・」
映画が終わる。安達弟が作戦の破滅を引き寄せる情報を安達に渡す可能性は未知数。
焦る気持ちが現場にたちこめる。
知り合いでもない相手に突然話しかけるのは危ない。
ここはいっそのこと、逆ナン?でもしてみようかと、小さな勇気を振り絞ろうとしたが、
そもそも経験がないので却下。
いや、雪乃の自尊心が許しはしなかった。
フェイクとはいえ、八幡以外の相手に好意を持つ「ふり」であっても耐えがたい。
そうこうあてもない打開策を模索していても、時間が過ぎていくだけであった。
結衣「ねえ、ゆきのん」
雪乃「なにかしら」
453 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:31:07.13 ID:II7GFxdy0
とくに作戦が思い付くわけでもないのに、思考を中断されて棘がある返事をしてしまう。
それでも由比ヶ浜は気にする様子はない。
それよりも安達弟を凝視していた。
結衣「あの人ってさ、工学部の2年だよね」
雪乃「そうだったわよね、湯川さん」
湯川「はい、工学部の2年です。だから雪ノ下さんと同じ学部ですね」
結衣「そうだよ。前にゆきのんに話しかけてきたグループにいたじゃん」
雪乃「そうなの?」
見覚えがない。声をかけてくる男は学年、学部を問わずに現れる。
それをいちいち全部覚えているはずもなく。
結衣「そうだよ。何度か声をかけてきたグループだったから覚えていたんだ。
だって、ゆきのん、すっごく迷惑そうだったから。
あのさ、ゆきのん。・・・・・その時助けてあげなくてごめんね」
由比ヶ浜は申し訳なさそうにつぶやく。そして、雪乃の反応を探ろうと伏し目がち
ながら、しっかりと雪乃の出方を待った。
雪乃「由比ヶ浜さんにお礼を言うことがあっても、批難することはないわ。
いつもの事だし、もし言うとしたら、自分で言うべきよ」
雪乃の柔らかい笑みをみて、由比ヶ浜の緊張もとけていく。
結衣「ううん、でもぉ・・・・・・」
雪乃「それで由比ヶ浜さんが嫌な目にあったり、批難を受けてしまう方が
私にとっては悲しいわ。もし、今度同じようなことがあるのだったら
由比ヶ浜さんに相談するわ」
結衣「うん、相談してくれたら、私頑張るね」
由比ヶ浜は、大きく頷くと、雪乃の腕に絡みつく。
これが平常時であったのならば、雪乃も由比ヶ浜が満足するまでじゃれつかせていただろう。
いかんせ今は時間がない。既に映画は終わり、観客が外に出始めていた。
雪乃「由比ヶ浜さん。悪いのだけれど、今は時間が惜しいわ。
由比ヶ浜さんの記憶が正しいのならば、私と安達弟には面識があるということね」
454 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:31:46.01 ID:II7GFxdy0
結衣「そうだよ」
雪乃「そう・・・・・」
雪乃は由比ヶ浜をやんわりと引き離すと、顎に手をあて思案する。
その間、数秒。即断した雪乃は、由比ヶ浜の手を引いて、歩きだしていた。
雪乃「湯川さん。ここはまかせるわ」
湯川「はい」
雪乃「由比ヶ浜さん。私は安達弟の事は覚えていないし、うまく話をする自信もないの」
由比ヶ浜は、手を引かれるまま、雪乃の言葉を待つ。
雪乃「私は、誰にであっても物怖じしないで話ができる由比ヶ浜さんを尊敬しているわ。
だから、期待してもいいかしら。彼と面識がある私が話をするきかっけを作るわ。
でも、その後の話は出来そうもないから、由比ヶ浜さんに任せても」
結衣「任せておいて」
由比ヶ浜は、歩く速度を上げ、雪乃の隣に並び立つ。
大学では、いつも雪乃に勉強の世話になってしまっている。
雪乃も自分の勉強に忙しいのに、嫌な顔を見せたことがない。
だから、雪乃が素直に頼ってくれることは、なによりも嬉しく思える。
由比ヶ浜は、雪乃が損得で由比ヶ浜の友達をしていないってわかっていても、
頼られたことが心地よく感じられた。
雪乃は安達弟の前に躍り出ると、由比ヶ浜と二人で映画館から出てくる客からは
安達弟が見えないポジションを選びとる。
安達弟の方が背が高く、安達兄に気がつかれてしまう恐れもあるが。
まずは安達弟の動きを抑えなければ作戦が崩れ去ってしまう。
雪乃「安達君・・・ですよね?」
安達弟「あっ、雪ノ下さん」
雪乃「安達君も映画ですか?」
安達「えっと・・・、そんなところかな」
安達は予期せぬ来訪者にうろたえていた。それも、普段声をかけても邪険に扱われていた
相手ともなると、緊張と警戒の色が混じり合っている。
雪乃「私は、友達と遊びに来ていて」
安達弟「へぇ・・・」
455 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:32:19.04 ID:II7GFxdy0
安達弟は、由比ヶ浜の顔を確認すると、大きな胸へと視線を落とす。
そりゃあ、目がいくよな。大きいし、雪乃のとは違って、インパクトでかいしさ。
雪乃達が安達弟にくいついたのを確認した湯川さんは、
雪乃から指示されていた作戦を決行する。
これはタイミングが重要だ。なにせ、湯川さん達と映画館での見張り役が、
偶然映画館の出入り口で友人が出くわし、そして、邪魔にならないように雪乃達の
ほうへと移動するというタイミング命の壁作戦。
日曜で人も多いし、多少は位置がずれても修正できるが、大きく位置がずれると
不審に思われてしまう。
雪乃「それで・・・・・、普段私、大学では一人でいることが多いでしょ。
それでも、私に声をかけてくれる人はいるのに、何を話せばいいのか
わからなくて、冷たい態度を取ってしまうことが多いの」
安達弟「そうなんだ」
雪乃「だからその・・・・、友達に言われてしまったの。
もう少し話をするのを頑張ってみたほうがいいって。
それで、この前声をかけてくれた安達君がいたから、迷惑かもしれないのだけれど、
声をかけてみたの」
雪乃は、言葉を選び、しどろもどろに声を絞り出す。
実際緊張しまくっているんだろう。全く知らない相手に好意的な雰囲気を出しながら
話をしなければならないんだから。
これが相手を非難して、叩きのめすのなら得意中の得意だろうけど・・・・・・。
雪乃は、ここまでのセリフは考えていたみたいだ。
しかし、これ以上は無理そうだ。雪乃は由比ヶ浜の顔を不安そうに何度も見て、
援護を待っている。
この不安そうな雪乃の顔さえも、効果的な演出になり、安達弟は不審がってはいなかった。
と、このタイミングでDクラスの連中がうまく合流する。
雪乃達の背後から湯川さん達の明るい声が聞こえてくる。
そして、湯川さん達が雪乃達の方へと位置をずらすと、由比ヶ浜はそのタイミングで
一歩安達弟の前に詰め寄った。
結衣「ごめんねぇ。私がゆきのんたきつけちゃったんだ。
私達、高校では一緒の部活だったけど、大学では別々の学部でなかなか会えなくて。
それで、ゆきのんに友達できたかなぁって心配してたら、やっぱ簡単にはね・・・」
安達弟「そうなんだ」
456 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:32:53.28 ID:II7GFxdy0
結衣「うん、それでね。安達君を見かけて、安達達がゆきのんに話しかけたことがあるって
きいたんで、これだぁって思って、声かけちゃったんだ。
ごめんね、びっくりしたよね」
安達弟「いや、大丈夫だよ。びっくりはしたけど、・・・・そっか。そうなんだ」
安達弟はうまく雪乃たちが食い止めたようだ。これなら大丈夫なはず。
そして、安達兄が出口をくぐる時がやってくる。
安達兄からは見えないとわかっていても緊張してしまう。
雪乃も、後ろに回した手でスカートの裾をいじり、落ち着かない様子であった。
ましてや、湯川さん達はみるからにして緊張している。
幸い、安達兄を目で追ったりはしてないので、問題はないはずだ。
安達兄と陽乃さんが出口を出たところで二人は立ち止まる。
左右どちらの道へ行こうか迷って止まったのだろうか。
雪乃達のほうを見られるとまずい。
公園とは逆方向であるのもあるが、安達弟に気がつく可能性もある。
この瞬間、息が詰まったのは俺だけではないはずだ。
もはや俺達に打つ手はない。あとは運しか・・・・・・。
そう願った瞬間、陽乃さんが安達兄の腕をひき、公園の方へと歩み出す。
陽乃さんは、メールを見ていないし、陽乃さんからだって安達弟を見ることはできないはず。
雪乃を見て反応したのだろうか? それとも、公園に行く予定であったわけだし、
その一環の行動だろうか?
陽乃さんに聞かなければ答えはでやしないが、とりあえず助かったことは確かだ。
これで目の前の問題は解決された。あとは雪乃を安達弟から撤退させないとな。
俺は携帯を手に取り、雪乃のアドレスを呼び出す。
いやまてよ。由比ヶ浜の方がこういう人間関係の時は機転がきくか。
俺は改めて由比ヶ浜のアドレスを呼び出しと、メールを作成し出した。
そして、送信ボタンを押すとき、少しばかり目線を上げると、由比ヶ浜はすでに
携帯を確認している。
あれ? 俺はまだ送信ボタン押してないぞ。
そして、俺が携帯と由比ヶ浜の二つを行ったり来たり見つめていると、
雪乃達は安達弟と別れ、公園へと向かっていく。
唖然とその光景を見ていると、安達弟が映画館の中をのぞきだす。
このまま居ても危ないし、早く公園に行かないとな。
俺は、俯き加減で素早く映画館を後にする。
しばらく歩いてから振り返ると、安達はまだ映画館の中をのぞいていた。
安達弟がSFCに関係しているかはわからない。
仮にSFCメンバーだとしたら、早く公園でSFCメンバー達と安達兄を会わせないと
時間が足りなくなる。
457 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:33:50.83 ID:II7GFxdy0
もう少しなら時間を稼げるかなとふんだ俺は、早足で最終地点の公園へと急ぐ。
そういえば、雪乃の事だ。逃げ出す準備もしているよな。
なにも策もなしでつっこむわけないか。
となると、俺の心配なんて無駄だったわけで、俺が今さら到達した問題など
とうにわかりきってて対応策を考えているか。
やっぱり、陽乃さんにしろ、雪乃にしろ、かなわない。
ならば、俺が公園に着いたころにはクライマックスかな・・・・・・。
今度こそラストシーンを見逃すわけにはいかなかった。
俺が公園に着くと、すでににらみ合いが始まっている。
SFCメンバーの数は、なんと予想以上の人数がいて驚いた。
なにせ安達兄と石川を抜きにしても、14人。
芸能人の追っかけじゃないんだから、大すぎやしないか。
これもネットの力というか、安達がよくも集めたと誉めるべきかわからない。
それでも、今はその多すぎる数が作戦をうまく誘導していた。
SFC「会長! 抜け駆けは禁止のはずですよね。なんで、陽乃と一緒なんですか」
SFC「抜け駆けして陽乃さんとデートだなんて、ずるすぎます!」
SFC「よくも俺達を利用してくれたな」
とうとう、口々に安達兄を非難する。
安達兄は慌てふためき、明らかに動揺している。
安達兄「お前たちだって、面白がってやってたじゃないか。
お互い利用し合ってたんだから、お互い様だ。
俺がデートできたのも、俺の努力が実ったにすぎない」
売り言葉に買い言葉。SFCメンバーの安い挑発にのった安達兄は、自分の正当性を
陽乃さんがいるのに叫び、SFCメンバーを糾弾する。
SFC「なに言ってんだよ。お前の努力なんて大したことないだろ。
いつも陽乃のスケジュールをリークするだけで、あとの面倒事は
俺達に押しつけやがって」
安達兄「頭脳労働と肉体動労の間には、大きな壁があるんだよ。
俺は頭脳派だから、肉体動労はお前達の仕事だ」
その後も、陽乃さんを忘れて怒号が飛び交う。
458 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:34:19.84 ID:II7GFxdy0
大騒ぎではないが、道を行き交う人々は、関わらないようにと公園を側に来ると
足を速めている。俺も、無関係だったらそうしてたはず。
だって、面倒だし、逆恨みほど怖いものはない。
陽乃「そろそろいいかしら」
陽乃さんの凛とした声が怒号を収める。それはけっして大きな声ではなかった。
むしろ、怒号の前ではかき消されるほどの普通すぎる声量。
それなのに、誰しも注目してしまうのは、陽乃さんのカリスマ性なのだろうか。
みんな声の主のほうへと顔を向ける。
興奮していた安達兄さえも振り返り、陽乃さんを見つめている。
そこには無表情までの笑顔が待ちうけていた。
その笑顔はいつもの笑顔にすぎない。
けれど、いつもの笑顔ということは感情を押し殺した笑顔と同じだ。
けっして誰にも本心を見せない為の仮面。
陽乃「ねえ、安達君。なんで私をつけ回しているストーカーの顔を知ってるのかしら?」
顔は笑顔のはずなのに、声は凍えるほど冷たい。
安達兄「なんで知ってるかだって・・・・・」
安達兄は、SFCメンバーを見渡す。手を握っては閉じ、握っては閉じと落ち着かない。
非常に焦って出した言葉は、意外にも冷静であった。
安達兄「それは・・・、雪ノ下と一緒に解決したストーカーでしょ。
だから、知ってるに決まってるだろ」
陽乃「そう・・・・・」
安達兄は、わずかに熱を帯びた陽乃さんの声に安堵する。
けれど、手の動きは激しさを増すばかりであった。
陽乃「でも、私が知らない顔もあるんだけど?」
安達兄「それは・・・・・・」
陽乃「それに、さっき自分で自分がSFCの会長だって言ってたじゃない」
安達兄「俺は会長だなんて言ってない。言ったのはあいつらだ」
陽乃「そう? でも、SFCって、メンバー同士、お互いの顔を知らないんでしょ。
それでも、安達君は、彼らを見てすぐにSFCメンバーだって気が付いた。
それは、あなたが会長で、彼らを集めたから知ってるんじゃなくて?」
459 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:35:19.45 ID:II7GFxdy0
安達兄の手の動きが止まる。今や力強く手を握りしめていた。
陽乃「それにね、あなたがさっき散々自分がSFCで活動してた内容言ってたじゃない」
安達兄「あっ・・・・・・」
陽乃さんも人が悪すぎる。自分は全てわかっているのに、それなのに
相手を泳がして、その後にとどめをさすなんて容赦ないよな。
安達は、陽乃さんの言葉に体から力が抜け落ち、手のひらもだらんと垂れさがっていた。
安達兄「俺だって、告白して振られはしたけど、友達でもいいやって思ってたんだよ。
でも、弟がSFCなんてものを作ったりするから、いけないとわかっていても
淡い夢を見ちまったんだ」
陽乃「え?」
陽乃さんの笑顔から消え去り、驚きを見せる。
俺もそうだし、雪乃やDクラスの連中もそうだろう。
だって、SFC会長は安達兄だと思って行動していた。
陽乃「安達君が会長じゃないの?」
安達兄「だから、俺が会長だなんて言ってないだろ。
言ってたのはあいつらであって、俺は否定したじゃん」
陽乃「そうかもしれないけど・・・どういうこと?」
安達兄「だからぁ、弟が雪ノ下の妹の方には恋人がいるけど、姉の方にはいないとわかると
俺が同級生だからって、どういう人か教えてくれってしつこかったんだよ。
それで、ストーカーを退治した話もして、その時の名簿もちらっと見せたのが
いけなかったんだ。あいつったら、俺の目を盗んで勝手に名簿持ち出して、
挙句の果てにはストーカーを集めてSFCなんてものを作っちまった」
陽乃「あなたの弟が私と雪乃ちゃんに好意を持ってたってこと?」
安達兄「どうだろうな。好意は持ってたと思うけど、
なんか変なこだわりみたいのをもってたんじゃないか」
陽乃「そっか。あれ? 安達君って私に告白したって本当?」
安達は陽乃の言葉に完全に体から力が抜け、その場に座り込む。
こればっかりは陽乃さんを擁護できない。告白した事さえ忘れるのはひどすぎやしないか。
俺も若干じとめで陽乃さんを見つめてしまう。
安達兄「したよ。したけど結構前だから、忘れたちゃったのかもな。
雪ノ下はもてるし」
460 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:36:00.38 ID:II7GFxdy0
陽乃「ううん、完全に覚えてない」
安達兄「大学3年の夏、定期試験の打ち上げでカラオケ行っただろ。
酒覚えたばっかで、飲めない酒飲みまくって、酔いつぶれが続出したやつ。
それも覚えてない?」
陽乃「それなら覚えてるかな」
安達兄「みんな酔いつぶれて、俺と雪ノ下が会計に行ったよな」
陽乃「たしか、そうだったような」
安達兄「そのとき、告白したんだよ」
陽乃「うぅ~ん・・・・・・」
陽乃さんは腕を組み考えだす。安達兄の顔をまじまじを凝視するもんだから、
安達兄も照れて顔をそらすしまつ。
陽乃「あっ、うん。あったね」
安達兄「だろ」
陽乃「でも、あれって冗談じゃなかったの?」
安達兄「そんなわけあるかよ」
陽乃「でもね、あまりにも軽い感じのノリの告白で真剣身がなかったじゃない。
しかも、普段から軽いノリだし、友達としてなら楽しいけど、
恋人はNGかな」
無念。思いもしないタイミングで2度振られるとは同情してしまう。
それも、日ごろの行いだよな。
うなだれる安達を横目に、陽乃さんはSFCメンバーを見つめる。
元々ネット弁慶の連中だけあって、対人スキルは低い。
目の前にいる陽乃さんに委縮して、動けないでいた。
しかし、・・・・・・。
安達弟「兄ちゃん、なんでまんまと罠にひっかかっちゃうんだよ。
せっかく俺が作り上げたSFCがぱあじゃないか」
一足遅れてやってきた安達弟が、怒りを兄に向ける。
兄の方はもう観念したのか、表情がうつろだ。
安達兄「もういいだろ。終わりだよ」
安達弟「くそっ!」
陽乃「兄弟喧嘩はもういいかしら?」
怒りにまかせてやってきた弟は、状況を判断できてはいなかった。
461 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:37:46.75 ID:II7GFxdy0
陽乃さんに、SFCメンバー。多勢が弟を囲んでいる。
それに気が付いた弟は、逃げ出そうとするが、SFCメンバーが壁になる。
陽乃「説明してもらえるかしら」
陽乃さんの迫力に弟の勢いは止まる。兄の元へと戻ると、俯き加減で話しだした。
安達弟「SFCを作った経緯は、兄ちゃんが話した通りだよ。
妹の方に話しかけても邪険に扱われて、取り合ってさえもらえなかった。
しかも恋人までいやがって。だから、姉がいるって知ったときは
嬉しかったよ。顔は似てるし、いいかなって。
でも、兄ちゃんに姉の方のこと聞いても彼女にするきっかけ思い付かないし、
だったらなにか共通の話題とか見つければいいかと思って始めたのが
SFCだったんだ」
陽乃「ちょっとそれって、飛躍しすぎてない?」
安達弟「そうか? 兄ちゃんにあんたのこと聞いても、なんかいまいちなんだよな。
顔は好みだけど、上っ面だけみたいで、どこかふわふわして掴みどころがない。
だから、兄ちゃんを介して話しかけても意味ないって思って、
どうにかして裏の顔を覗いてやろうって思ったんだよ」
陽乃「そう・・・・・・」
意外や意外。安達弟は陽乃さんの本質を見抜いていた。
俺を同じように、斜めから世間を見ているから気が付いたようなものだ。
真っ直ぐ正面から世間を見ている一般人なら、陽乃さんの笑顔は
まさしく笑顔なんだろう。
第25章 終劇
第26章に続く
471 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:30:11.47 ID:F5/DL4iU0
第26章
7月7日 土曜日
陽乃「弟君の経緯はわかったわ。でも、なんで安達君まで参加してるの?」
安達兄「未練が復活したんだよ。弟の活動を知って、雪ノ下をもう一度
知りたいって思ってしまったんだ。
だから、スケジュールも提供した」
陽乃「なるほどね」
安達兄「俺達を警察に突き出すのか?」
安達兄の覚悟に、SFCメンバー達の顔が青くなる。
今は被害者面してるけど、彼らも立派な犯罪者に変わりない。
陽乃「ねえ、あなたたち」
陽乃さんの呼びかけにSFCメンバーは、さらに表情が曇る。
中には、逃げ出そうとしている者もいる。逃げてもすぐ住所わかるのに。
陽乃「この中に、私とストーカーやめるようにって楽しい話し合いした人いるよね?」
この言葉に反応した数人は、顔色を失い、震えだす。唇は震え、手はガタガタと
大きく震わせていた。
陽乃「その後、SFCに入るまでにストーカーしていた人いる?
素直に答えてくれるとありがたいわ」
陽乃さんの問いに、楽しい話し合い経験者は、一斉に顔を横にふる。
奇妙な一体感に、不思議な感覚を覚えた。一体なにやったんだよ、陽乃さん・・・・・。
陽乃「そう? だったら、あなた達がどういう経験をしたか
他の人たちにもお話してくれると助かるわ。
でも、してくれないっていうんなら、もう一度、みんなでしようか?」
陽乃さんの抉るような問いかけと圧力を与える笑顔が彼らを追い詰める。
472 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:30:46.76 ID:F5/DL4iU0
答えなど聞かなくても俺でもわかる。
だって、俺も逃げ出したいし・・・・・・。
陽乃「助かるわ。じゃあ、もうSFCは解散して、ストーカーもしないわよね。
あと写真とかも処分してね。もちろんネットに散らばった画像も
できる限り死ぬ気で回収するのよ」
もう笑顔じゃないよ、あれは。プレッシャーしか感じやしない。
笑顔という名の凶器。
SFCメンバー達は、陽乃さんの要求を受け入れ、呆然とことが終わるのを待っていた。
陽乃「さて、安達君兄弟だけど、警察に突き出したりしないわ。
だって、せっかく大学に入ったのに、今さら大学やめたりしたら
親が悲しむでしょ。
それにね、安達君はノリが軽くてどうしようもないところはあるけど
研究に関しては尊敬してるとこともあるのよ。
それなのに、大学やめちゃったら、もったいないわ」
安達兄「雪ノ下は、それでいいのか?」
陽乃「別にかまわないわ。でも、今まで通りにあなたと関われるかって聞かれると
難しいわね。だから、みんなには、ちょっと喧嘩しちゃったって言っておくわ。
でも、もうプライベートでは話すことはないでしょうけど、
研究では、今まで通りにしてくれると私も助かるわ」
安達兄「俺の方こそ、すまなかった。怖い目にあってるの知っていながら、
それを利用して」
陽乃「そのことに関しては許してないわ」
安達兄「そうだよな」
安達兄は、陽乃さんをゆっくりと見つめると、陽乃さんの鋭い視線にひるみ、
視線をそらす。もはやそこには笑顔など存在していない。
あるのは、むき出しの憎しみがあるだけであった。
陽乃「弟君のほうも、それでいいかな」
安達弟「わかったよ。ごめん」
陽乃「雪乃ちゃんにも、今後近づかないでね」
安達弟「あぁ? さっきよろしくって言われたんだけど」
陽乃「あれね。嘘に決まってるじゃない。あなたを引き止める為よ」
安達弟は、文句を言おうと顔を上げる。見つめる先には、兄が経験した以上の
憎しみがこもった陽乃さんの表情が待ちうけていた。
473 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:31:23.35 ID:F5/DL4iU0
俺も遠目で見ているけど、感情むき出しの陽乃さんの方がらしい気がして
好感が持ててしまう。いやでも、憎悪の視線は丁重に辞退すますよ。
それでも、感情的な陽乃さんは、人間っぽくて、デパートや自宅で見た陽乃さんが
幻じゃなかったんだって、俺に伝えてくれた。
7月8日 日曜日
安達弟も観念すると、あとはあっという間に事は終わった。
もとよりSFCメンバーは、その場から逃げ出したかったはず。
だから解散の合図とともにいなくなった。
あいつらも楽しい話し合いのことは知っていたのかもしれない。
知らなくても後で仲間から聞いて青ざめることだろう。
安達兄弟も、すごすごと去っていった。
兄の方は、ノリは軽いし、時間にルーズなところもあるが、
もうストーカー行為なんてしないだろう。
弟の方は反省しているか不安なところもある。そこは兄に任せるしかないか。
で、俺はというと、今、雪ノ下邸にて、
雪乃の両親と楽しい話し合いを繰り広げようとしていた。
八幡「総武家のテナント受け入れ、ありがとうございました」
雪父「かまわないよ。ちょうどテナント探していたし、
総武家は私も通っていてね。だから、総武家さんがうちのビルに
入ってくれるというなら、大歓迎だよ」
八幡「そうはいっても、急な話でしたので」
陽乃「大歓迎っていってるんだから、素直に受け取っておきなさい」
雪乃「そうよ。お父さんがビジネスに私情は挟まないのだから、
利益が出ると踏んだんでしょうし」
雪父「雪乃は鋭いなぁ」
雪乃の母一人は、厳しい顔で俺達を見つめている。
女帝以外の俺達は和やかに話をしていると言ってもよかった。
474 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:32:04.85 ID:F5/DL4iU0
話を戻すと、総武家の移転先は現在工事予定の道路の向こう側の新たな道路拡張予定地に
面している雪ノ下の企業所有のビルに移転する予定だ。
現在の道路も人の通りがよい。しかし、移転地は車の通りも多いながら
道路拡張も行われることで人の通りも大幅に増加すると予想される。
こういってはなんだが、現在の場所に残るよりも、新店舗の方が利益がだせるはずだ。
雪乃「普段の行いのせいよ」
雪父「まいったなぁ・・・」
親父さんは、雪乃に鋭い突っ込みを入れられるも、頬笑みながら受け止めている。
雪乃もそんな父を軽く苦笑いを浮かべながらも、会話を楽しいんでいる模様だ。
ただ、いくら対立議員グループが計画していた道路拡張工事の横に
親父さんの議員グループが新たな道路拡張工事をするからといって、
こうも簡単に総武家を受け入れてくれるものだろうか?
陽乃「母さんも、いつまでもしかめっ面してないでよ。
いつもお父さんの事目の敵にしている議員に、一泡喰らわせることができたって
喜んでいたじゃない。
あの議員ったら、自分のビルに人気チェーン店のラーメン屋を入れるらしいけど
総武家が隣の道路に新店舗作るって知ったら、どう思うのかしらねって
豪快に笑ってた気もするなぁ」
雪母「わ・・・私は、そんな下品な物言いはしていないわ。
たしかに、いつも嫌がらせばかり受けていて、歯がゆい思いをしていたわ。
・・・・あなたも何か言ってください。いつも嫌がらせを受けても
何食わぬ顔をしていたのは、あなたの方なのよ。
私がどんな思いであなたを心配していたことか」
女帝は、頬を少し染め上げながら親父さんに詰め寄る。
女帝も照れたりするんだなと、意外すぎる一面を見て驚くが、
雪乃と陽乃さんは特に反応はない。
ということは、いつもの光景なのか?
え?
女帝って、親父さんだけには弱い・・・・でいいの?
雪父「いいんだよ。お前が心配してくれるだけで、私は十分助かってるんだから」
親父さんは、ゆっくりと女帝の手の甲に手を重ね合わせる。
ちょっと待て。なんだこのラブラブしすぎる甘ったるい空気。
475 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:32:39.20 ID:F5/DL4iU0
娘がいる前で、よくもまあ・・・・・・。
再び、雪乃と陽乃さんの様子を見るが、変わりはない。
やはり日常茶飯事だったのか!
もう、いいや。俺の負けです。
と、やけくそになりつつ、女帝が満足するまでの間、紅茶でも飲んで待とうとする。
しかし、以前にも感じた見られている感覚が俺を襲う。
顔を上げ、視線の元に顔を向ける。そこには奇妙な光景が待ちうけていた。
なにせ毎日鏡で見ている腐った目が俺の事を見ている。
一瞬鏡があったのかと疑いもしたが、目の持ち主は俺ではない。
そこにいたのは、雪乃の父親。つまり親父さんが俺を見ていた。
親父さんは、いつもは腐った目などしていない。
たまに仕事がかったるいとか、疲れているとか、面倒事は自分にばかりまわってくるとか、
休みがないのは社会が悪いとか・・・・・・・、あれ?
なんか聞きおぼえがあるようなセリフだよな。
思い返してみれば、穏やかな雰囲気はある。仕事もきっちりこなし、責任感も強い。
だけど、それは仕事をしているときの親父さんであって、プライベートの親父さんではない。
俺と会ってるときも、最初は雪乃の彼氏で、お客さんにすぎない。
だから、今目の前にいる親父さんこそがプライベートの本来の姿というわけか。
もう一度親父さんを見やると、腐って目をしている。
俺が凝視していると、親父さんの目は、穏やかな目に変わっていく。
やはり親父さんも自分をある程度作ってたのかよ。
さすがは陽乃さんに似ているだけはある。
・・・・・・・俺は、ここで重大な事実に直面する。しかも、二つもだ。
一つ目は、親父さんが腐った目をしていること。
そして、その腐った目の持ち主を心底愛している女帝がいるんだが、
もしかして、雪ノ下家の女性って男の趣味が悪いのか?
こういっちゃなんだが、俺はもてない。
それなのに雪乃が彼女なわけで、一生分とさらに来世での運も使いはたしているはず。
そんな俺と付き合ってくれている雪乃には悪いが、腐った目をした俺や親父さんに
惚れているなんて、ある意味男の趣味が悪いって断言できる。
さて、二つ目の重大事実だが、それは俺が親父さんに似ていることだ。
そのことはさらに親父さんが陽乃さんに似ていることに直結し、
陽乃さんは俺にも似ていることとなるわけで。
たしかに論理の飛躍はある。欠点だらけで、穴ぼこだらけの推理に違いない。
それでも、俺と陽乃さんが似ている一面を持ってるとかもしれない可能性があることは、
ちょっとなぁ・・・と、俺を複雑な気持ちへと引きずりこんでいった。
雪父「そうだ。陽乃に言うことがあったんだろ」
476 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:33:18.89 ID:F5/DL4iU0
親父さんは、女帝の背中を柔らかく押しだす。女帝は、親父さんに抗いながらも
陽乃さんの顔を見て一度逡巡するが、たどたどしく話し始めた。
雪母「陽乃」
陽乃「はい」
雪母「お見合いの件、なかったことにしてもいいわ」
陽乃「え?」
突然の宣告に俺も、陽乃さんも、雪乃だって、うれしい戸惑いをみせる。
どういう心境の変化が? また、面倒な条件をつけるのか?
俺は、すぐにでも聞きだしたく身を乗り出しそうになるが、雪乃がそっと俺の膝に
手を載せ、俺を押しとどめる。
陽乃「本当にいいの?」
雪母「ええ、後継者候補ができたから、
もうよそから後継者を連れてくる必要がなくなったわ」
女帝は、俺を一瞥すると、軽く鼻を鳴らしてから陽乃さんと向きあう。
雪母「だから、自由に結婚してもいいし、いつまでも独身でもかまわないわ」
陽乃「えっと・・・・・、独身はちょっと」
陽さんは苦笑いを見せるが、それも一瞬。自由になった喜びが陽乃さんを襲いかかる。
そこにはもはや「笑顔」はない。陽乃さんによって作られた仮面の笑顔は
もはや存在していなかった。
陽乃「それに、いいなぁって思う人もできたんだ。だからね・・・・・」
陽乃さんは照れくさそうにそうつぶやくと、静かに温かい涙をこぼし始めた。
雪母「比企谷君」
女帝から呼ばれた俺は、身を堅くする。だって、俺に話すことってないだろ。
いったいなんでだ?
八幡「はい」
反射的に背筋を伸ばし、腹に力を込めて返事をしてしまった。
ほのぼの雰囲気でも、女帝オーラは健在かよ。
477 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:33:50.94 ID:F5/DL4iU0
雪母「あなたが後継者候補として、世界ランク一ケタのMBAに入って、
一ケタの順位で卒業するという条件を覚えているかしら」
八幡「覚えています」
雪母「そう・・・・・・・。だったら、その条件をクリアしなさい」
八幡「え?・・・・・・はい、努力します」
あの陽乃さんを助ける為の条件って、本気だったのかよ。
ってことは、俺はこれから勉強漬けの毎日?
由比ヶ浜の受験勉強じゃないけど、あれが英検3級の試験だって思えるくらい生易しい
レベルに思えてくる。
雪母「はぁ・・・・。そんな意気込みでやっていけるのかしら。
でも、いいわ。もしできなかったら、雪乃と別れればいいだけですからね」
八幡「え?」
雪母「当然でしょ。約束を守れない男に用はないわ」
雪乃「ちょっと待ってお母さん。私も留学するわ。
もし八幡が達成できないとしても、私が条件を満たしてみせるわ」
雪母「そう? だったら、それでもいいわ」
女帝は満足そうにうなずくと、俺への関心は途切れ、紅茶に興味を移していった。
雪父「悪いね。これでも大変感謝してるんだよ」
八幡「感謝されるようなことはなにも」
雪父「総武家の件も感謝しているし、ストーカーの件については
感謝しきれないほどに感謝している」
八幡「総武家の事は、こっちがお願いしたことで、感謝されることはなにも」
雪父「そんなことはない。ライバル議員に一泡吹かせてくれたじゃないか」
八幡「それは偶然であって、結果論にすぎません」
雪父「そうかい? じゃあ、ストーカーの件は、陽乃の父親として感謝してるんだけどな」
八幡「それも、俺だけが頑張ったわけじゃないです。
陽乃さんや雪乃、大学の友達も大勢協力してくれたからできたことです」
雪父「でも、それができたのも、君が大学で人脈を作ったから成し得たことじゃないかい」
たしかに、大学での人脈を作れって言われたけど、偶然にも作れている。
これがこの先どうなるかなんてわからない。
損得で付き合ってるわけでもない。
だけれど、これからも長い付き合いになっていくってことだけは、不思議と確信してしまう。
478 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:34:19.99 ID:F5/DL4iU0
雪父「君に人脈はあるかって、きつい問いかけもしたけど、これさえも成し遂げた。
だからね・・・・、あれも君の事を認めているんだよ」
親父さんは、そっと女帝に視線を向ける。女帝も俺達の会話が聞こえているはずだけど、
ダンマリを決め込んだようで、一切反応をみせようとはしない。
雪父「今日はゆっくりしていきなさい。
きっと陽乃が美味しい料理をつくってくれるはずだから」
穏やかな時間が紡ぎ出され、いつしか日が傾いてくる。
雪乃と陽乃さんは、夕食の準備をしにキッチンに向かい、ここにはいない。
陽乃さん曰く、ささっと簡単に作ってくるわ、とのこと。
前回ご馳走になったことを思い出すと、その簡単にのレベルが非常に高い。
きっと俺の予想以上のご馳走がくるはずだ。
だから、俺は目の前の光景を直視することも耐えられれるはず。
なにせ、実際にいちゃついてはいないけれど、雪乃の両親、目で語っちゃってるだろ。
しかもそうとうのろけている。
俺がこの場にいなければと思うと、気まずいくなってしまう。
俺は、目のやり場を適当に泳がせながら、この数日間を思い出す。
そういえば、平塚先生って、誰から総武家の立ち退き話を聞いたのだろうか?
誰かしらから聞かないと、平塚先生が知ることはない。では、誰からか。
そして、雪ノ下の企業所有のビルが、
「たまたま」1階のテナントを募集しているのは偶然なのか。
しかも、新しい道路計画に合わせて、客が入る見込みがある場所で。
仮に、平塚先生が雪ノ下の誰かから、話を聞いたとする。
そして、仮定だが、平塚先生が俺とよくラーメン屋に行っていたとすれば、
なおかつ、総武家の常連だと知っていたとすれば、総武家の事を聞いた直後に
平塚先生と俺は総武家に行く可能性が高い。
また、俺と平塚先生がラーメンを食べに行くって約束していたのさえ知っていたとしたら。
もはや仮定の連続であるが、最後の仮定として、陽乃さんが親父さん似であることは、
逆をいえば、親父さんも陽乃さん似であるわけで。そうなると、その陽乃さん似の
親父さんが陽乃さんのような策略を展開する可能性も高いわけで・・・・・・。
と、仮定に仮定を重ねまくる机上の空論が出来上がる。
もし、これが正しいとしたら。
もし、途中の仮定が若干違くとも結論までたどり着くことができるとしたらと
憶測を重ねずにはいられなかった。
479 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:35:10.00 ID:F5/DL4iU0
夕食も終わり、家に帰る時間となる。
雪乃は、女帝から家に持って行けと、あれこれ紙袋を渡されているようだ。
ほんと素直じゃないところも多いけど、どこにでもいる親子でもあるんだよなぁ。
親父さんも席をはずしていて、リビングには俺と陽乃さんの二人が残っていた。
八幡「なんか、うまくまとまってよかったですね」
陽乃「そうね。なんか、終わってみると拍子抜けかも」
陽乃さんは、両手を伸ばし、軽く体を伸ばす。
この数日、ストーカー問題が出てから、いや、生まれて物心がついた時から陽乃さんは
常に緊張を強いられていたのかもしれない。
その枷が外れた今、仮面をかぶっていない素顔の陽乃さんが屈託のない笑顔でくつろいでした。
陽乃「何か顔についてる?
そんなに真剣にじぃ~っと見られたら、お姉ちゃん、ちょっと恥ずかしいかも」
八幡「いや、そんなことは。ちょっと気が抜けただけです」
陽乃「そうなの?」
陽乃さんは、俺が面白い事を言ったわけでもないのに柔和な笑顔をはじけ出す。
八幡「そうです」
陽乃「そっか」
八幡「あの、陽乃さん」
陽乃「なぁに」
俺は自分の鞄から、リボンでラッピングされたプレゼントを陽乃さんの前に差し出す。
陽乃「これは?」
八幡「昨日は忙しかったんで、あれでしたけど、一日遅れの誕生日プレゼントです」
陽乃「そっか。誕生日だったね」
八幡「そうですよ。雪乃も誕生日会やるつもりで、今度の休みでもやるみたいですよ」
陽乃「えぇ~、雪乃ちゃんが? 意外。・・・・ねえ?」
八幡「はい?」
陽乃「それって、由比ヶ浜ちゃんが発案したんでしょ」
八幡「そうですかね? もしそうだとしても、計画したのは雪乃ですよ」
陽乃「そうなんだぁ・・・・・・・。あぁ、エプロン」
480 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:35:44.13 ID:F5/DL4iU0
陽乃さんは、丁寧にラッピングをはいでいくと、中から深い藍色のエプロンをとりだし、
頭上に掲げる。
八幡「料理が趣味って言ってたんで、エプロンなら気にいらなくても、
適当に使いつぶせるかなって」
陽乃「そんなことないって。すっごく気にいってるよ。うれしすぎて抱きつきたいくらい」
陽乃さんは、真剣に笑みを俺に示すと、さっそくエプロンを試着する。
陽乃「どう? 似合ってる?」
八幡「似合ってますよ」
陽乃「そっか。似合ってるか。でも、比企谷君の私のイメージって、こんなのなんだ」
八幡「インスピレーションですよ。そのとき思った色がそれだっただけです」
陽乃「ふぅ~ん・・・・・・」
陽乃さんは、俺の顔をしばらく観察すると、なにか納得して離れて行く。
そして、くるくる回りながらエプロンを確認していく。
普段の陽乃さんだけを知っていたら、きっと地味な色のエプロンなんだろう。
オレンジとかよく似合ってそうだと思う。
だけど、俺が見ている陽乃さんは、情が深くて、そしてなによりも、
人とために自分を犠牲にできる強い女性であった。
陽乃「ねえ、比企谷君」
八幡「はい? えっと、かわいいし、似合ってますよ」
陽乃「なにその適当な感想」
八幡「すみません」
陽乃「まっ、いっか。誕生日の七夕には間に合わなかったけど、
しっかりと彦星様が来てくれたんだから。
一日遅れっていうのが比企谷君らしくていいわね」
八幡「それだと陽乃さんが織姫様ですか?」
陽乃「私じゃ不満かしら?」
陽乃さんは、そう意地悪そうに呟くと、俺に詰め寄る。
このままだと、陽乃さんのおもちゃにされそうで、今すぐ逃げ出したい。
しかも、なんて答えればいいかなんてわかるはずもない。
でも、逃げようにも体が密着しすぎていて逃げられないし、
逃げれば逃げたで後が怖そうだ。だから俺は、観念するしかなかった。
八幡「不満なんてないですよ。むしろ光栄ですって」
481 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:36:15.27 ID:F5/DL4iU0
陽乃「そう? だったら、今度このエプロン着て、ご希望の●エプロンで八幡の為に
料理作ってあげちゃうね。
でも、料理が出来上がる前に私を食べちゃってもいいわよ」
陽乃さんは、軽くウインクをして、冗談とも本気ともとれる申し入れを告げてくる。
またもやどうこたえればいいか途方に暮れたが、親父さんがやってきて
どうにか難を逃れることができたのであった。
俺から体を離して玄関向かう陽乃さんの後姿は、根拠はないが、どこか寂しさを
漂わせていた。だから俺は、声をかけてしまう。
八幡「陽乃さん?」
陽乃「ん?」
振りかえって見せた陽乃さんの笑顔は、もはやいつもの笑顔の仮面ではなかった。
どこか崩れ去りそうな、ぎこちないながらもどうにか作り上げた儚い笑顔。
ちょっと触れただけでも崩れ落ちそうな寂しさを漂わせていた。
八幡「陽乃さんの手料理、楽しみにしていますよ」
陽乃「うん。楽しみにしておいて」
八幡「二人前だろうが三人前だろうが全部食べますから、盛大に作っちゃってください」
陽乃「うん。期待してる」
八幡「あと、・・・・・・来年の七夕は遅刻しませんから、盛大にやりましょう」
陽乃「うぅ~ん・・・。そっちのほうは・・・、期待しないでおこうかな」
陽乃さんは、少し困ったような笑顔を見せると、俺に背を向ける。
八幡「そうですか? じゃあ、俺が勝手に迎えに行きますから、
そのときは、うまい飯でも用意してくれると助かります」
陽乃さんは、俺の声に何も反応を見せず、一歩また一歩と玄関に向け足を進める。
そして、4歩目の足を上げようとした時、その体は硬直する。
堅く握られていた両手のこぶしを広げると、ゆっくりと俺の方へと振り返る。
陽乃「やっぱり期待はしないでおくけど、食事の材料だけは用意しておくわね」
そう俺に宣言する顔には、もはや儚さは消え去っていた。
いつもの陽乃さんのように前をしっかり見つめ、
自分の意思で突き進む凛々しさがよみがえっていた。
482 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:36:42.59 ID:F5/DL4iU0
しかし、もはやそこには作りものの笑顔はない。
優しい温もりを俺の心に満ち溢れさせていく、とても魅力的な笑顔がそこにはあった。
陽乃さんが残した甘い香りが俺の鼻をくすぐるのを、俺は気持ちよく受け入れていた。
第26章 終劇
第27章に続く
491 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:29:23.79 ID:yqOLm6oL0
第27章
7月10日 火曜日
激動の週末を過ごし、疲れと興奮が収まらない中、月曜を迎える。
週の始まりといえば、かったるくて、その日から週末までを指折り数えだす日と
決まっていた。
一週間前の俺だったら同じようにカウントダウンを開始していただろう。
しかし、この週の月曜日だけは特別であった。
そわそわして落ち着かない。
目覚ましよりも早く起床すると、すでに雪乃は目を覚ましている。
なにをしているわけもなく、俺の頭をゆっくりと撫でて愛でているだけだが、
やっと平穏な日常を取り戻したことを実感させてくれた。
俺達は平穏な大学生活を取り戻し、いつものように大学に通う。
以前と同じ日常もあれば、変化した日常もある。
日常は、俺達が気がつかないうちに毎日緩やかに変化していく。
劇的に変化することなんて稀だ。
先の騒動で大きな変化をもたらすとは考えてはいない。
ストーカー騒動の前に戻っただけ。
仮に変化があったとしても、それは俺が気がつかないうちにゆっくりとゆっくりと
変化を繰り返して、やっと芽が出て、俺が気がつく状況まで変化したにすぎない。
ストーカー問題は解決されたから、もう陽乃さんを送り迎えをする必要はない。
これから新たなストーカーも現れる懸念も捨てきれないが、当分は大丈夫なはず。
ただ、危険は過ぎ去りはしたが、陽乃さんの送り迎えは続いている。
陽乃さんの強い要望によって。
雪ノ下家から車を預かっている身としては断れないし、
たいした遠回りでもないので、これからも続くと思われる。
雪乃は、話を聞いた直後はふくれっ面であった。抗議もしようとしたが、
いかんせ実家での事なので、強くもいえず、あっというまに決定事項となってしまった。
もちろんマンションにもどってから散々俺に対して文句を言っている。
それは彼氏としては受け止めたが、陽乃さんも姉妹の仲を深めたいんじゃないかって
思えてもいる。
492 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:29:53.02 ID:yqOLm6oL0
だから、俺としては陽乃さんの提案は賛成であった事は、雪乃には内緒である。
そして、もうひとつ変化があったことといえば、雪乃と陽乃さんが
Dクラスの勉強会で先生役として参加するようになったことだ。
二人とも元々優秀であることから、みんな大歓迎で迎え入れた。
週末までの騒動も、仲を深めるきっかけになっていたはずだ。
今も二人に授業後の質問をする生徒で溢れている。
湯川「陽乃さん。今度大学院について質問してもいいですか。
私、できれば大学院に行きたいって思ってて。
今は曖昧で、ぼんやりとした目標しかないんですけど、もっと勉強したくて」
陽乃「いいよ、いいよ。いつでも大歓迎。湯川さんみたいな後輩ができるんなら
お姉さん協力しちゃうよ。それに
教授にも紹介してあげるから、いつでもおいでよ。
工学部って男ばっかだし、みんな喜んでちやほやしてくれるはずよ」
湯川「ありがとうございます。ちやほやはいいですけど、実際研究室を目にした方が
明確なビジョンができて、もっと頑張れる気がするんです。
それに私、Dクラスに入ったとき、諦めていたんです。
地元の高校ではずっと1位だったんですよ。先生も同級生もみんな私を
ちやほやじゃないですけど、頼ってくれて。
だけど、大学に入ったら、一番下のクラスじゃないですか。
すっごく落ち込んだし、地元にも帰りたくなくなっちゃって、
地元の友達からメール来ても、当たり障りのない内容ばっかで・・・・。
でも、私にもチャンスがあるってわかって、もう一度頑張ろうって」
陽乃「そっか。でも、うちの大学院って倍率高いし、大変だよ。
Aクラスだろうが、Dクラスだろうが、他の大学からも勉強したい、
研究したいって望んで入ってきてるしね」
湯川「そう・・・ですよね」
湯川さんの跳ねるような勢いは、陽乃さんによって叩き落とされる。
陽乃さんが自ら通ってきた道である分説得力があった。
陽乃「でもね、今の気持ちを4年間忘れずに勉強を続けられたら、
きっと道は開けてくるんじゃないかな。もちろん大学院だけがゴールじゃないし、
色々勉強しているうちに、うちの大学院じゃなくて海外留学なんて
考えちゃうかもしれないよ」
湯川「そんな。私が海外留学だなんて」
陽乃「その考えはいただけないなぁ。自分で限界を作っちゃってる」
湯川「あっ・・・」
493 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:30:21.09 ID:yqOLm6oL0
陽乃「でしょ?」
湯川「はい、私、今の気持ちを大切に、頑張ってみます」
陽乃「うん、頑張ってね」
湯川さんは、陽乃さんからエールを貰うと、
足取り軽く廊下で待っている友達のもとへと小走りで戻っていく。
俺は、陽乃さんも後輩にいいこと言うなぁと感心して陽乃さんを見つめると、
ニヒルな笑顔を俺に返す。
これって絶対俺に対しても言ってるだろ。
俺が聞いてるとわかってて言ってるあたり、憎みきれない。
むしろありがたいんだけど、ありがたいお言葉言ったんだから誉めてよって
顔で訴えなければ、もっと最高なのに。
陽乃さんは、最後に満面な笑顔を見せると、自分も授業に行こうと荷物をまとめ出した。
もし劇的変化があったとしたら、それはきっと陽乃さんの素顔だろう。
今までは、なにかにつけて演じてきた部分が表層を覆い隠し、本心を見せてはこなかった。
それが今回の事件をきっかけに、いつもではないが、
ときおり本心を見せてくれるようになったのは大きな成果だと思える。
世間一般では、今までも十分すぎるほどに魅力的な女性であったし、
女性からも好かれもしていた。
これからは、ふとしたきっかけに見せるなにげない本音が出た表情に
魅了されてしまう信者も増えてくるのだろう。
個人的な見解としては、本音を見せた陽乃さんのほうが、カリスマ性を演じた仮面よりも
数段も魅力的だと思っている。
楓「それでですね、聞いてくださいよ」
雪乃の方の質問も終わり、今は雑談の花を咲かせていた。
英語の質問ではないので、ここぞとばかり前に出る由比ヶ浜が輝いて見えるのは
気のせいだろうか。
大丈夫。勉強だけがすべてじゃないぞ、由比ヶ浜。
結衣「それで、どうしたの?」
楓「はい、この前の安達弟なんですけど・・・」
安達の名前が出ると、その場にいた全ての生徒の顔がこわばる。
陽乃さんも、バッグにノートをしまう手を止めてしまい、楓の声に耳を傾けてしまう。
雪乃も顔から表情が抜け落ち、顔がこわばる。
楓と葵は、雪乃の変化を察知して、言葉を詰まらせてしまった。
494 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:30:47.61 ID:yqOLm6oL0
雪乃は、やんわりと微妙な笑顔をむけて、話を促すが、二人は遠慮してしまう。
由比ヶ浜だけは、場を盛り上げようと楓達の話の相槌を打つ。
結衣「へえ、弟の方がどうしたの」
葵「弟のほうが雪乃さんを好きだったけど、比企谷さんが恋人だってわかり
諦めたって言ってたじゃないですか」
結衣「うん、まあ、そうだったね」
楓「それだけでも軽い男だってわかって失格なんですけどね」
結衣「そだね」
葵「実は、ストーカーをするだけじゃなくて、デマまで流してたんです」
結衣「それは知らなかったなぁ」
葵「はい。男子生徒中心にまわっていたらしくて、
女子生徒の方へは流れてこなかったから、今まで知らなかったんですけどね」
ということは、雪乃がいる工学部2年から広まった雪ノ下姉妹がストーカー被害に
あっているっていう噂も安達弟ルートから流れてきたものだろうか。
どんな理由で噂を流してのかはわからないが、
もはやそんな理由を聞きだしたいとは思えなかった。
結衣「で、どんな内容なの?」
葵「比企谷さんが、財産目当てで雪乃さんに近づいているって」
結衣「ゆきのんち、お金持ちだし、そう思ってしまう人もいるかもね」
楓「違うんですよ。それだけじゃないんです」
葵「比企谷さんは、雪乃さんだけじゃなく、保険として陽乃さんまで手をだして、
ゆくゆくはお父様の会社までも手に入れようとしてるって」
結衣「そこまでは・・・・できないんじゃないかなぁ?」
由比ヶ浜は、明らかに不可能なデマを聞き、顔をひきつらせてしまう。
さすがに雪乃の両親を少しは知っている由比ヶ浜は、
会社乗っ取りなんてできないってわかっている。
もし会社を手に入れようとするんなら、雪乃や陽乃さんだけじゃ不可能すぎる。
いっそ、親父さんや女帝までも騙さないと、うまくいくとは思えなかった。
でも、俺なら絶対そんな面倒な事はしない。
自分で会社を立ち上げて雪ノ下の企業まで成長させる方が
よっぽど現実的だと教えてやりたいほどだ。
葵「それに、由比ヶ浜さんも被害者なんですよ」
結衣「私?」
495 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:31:27.75 ID:yqOLm6oL0
ストーカー騒動。
今までずっと蚊帳の外にいた由比ヶ浜までもが被害者になっていたとは驚きだ。
由比ヶ浜の名が呼ばれた時、雪乃の肩がわずかに震えたのを俺は見逃さなかった。
葵「そうです。比企谷さんの愛人として、囲ってるって。
いつも一緒にいるのは愛人契約してるからとか」
結衣「それ、ぜったい違うから。
ヒッキーと一緒にいるのは勉強を教えてもらってるのもあるし、
・・・・・・友達・・・でもあるからさぁ」
由比ヶ浜は、胸のあたりでぶんぶんと両手をふって否定する。
楓「そうですよね。私も男子から話を聞いたとき、それは嘘だって言ったもん」
葵「でも、どの噂も嘘しかなくて、笑っちゃったよね。
・・・・・・あっ、ごめんなさい」
結衣「いいよ、いいよ。私もゆきのんも、その場にいたら一緒に笑ってたと思うし」
葵「それでも、ごめんなさい」
その後もあらぬ噂を延々とお披露目されていく。
よくもまあ、ここまでたくさんのデマを考えたって、そっちのほうを感心してしまう。
由比ヶ浜も表情をころころを切り替えながら相槌を打つもんだから、
楓も葵も話の勢いが止まらなくなって、延々と話が止まらなかった。
しばらく好きなように話をさせておくかと、ほっとくことにする。
本でも読んでるかと鞄を取ろうとしたとき、室内を見渡すと、
話をしている由比ヶ浜、葵、楓しか室内には残ってはいなかった。
雪乃と陽乃さんは、先に行ったのか?
ということは、そろそろ時間かなと時計をみると、朝の講義までは時間があった。
それでも、このまま話を続けられてもやばいし
そろそろ終わりにさせるかなと、椅子代わりにしていた机から腰を上げる。
俺たちも遅れないようにしようと、話に夢中の三人に声をかける決意をした。
昼休み。これも俺達の日常の変化の一つであるといえよう。
お弁当を食べようと空き教室に集まった四人は、持ち寄ったお弁当を囲んでいる。
昨日は、陽乃さんが4人分のお弁当を持ってきてくれたので豪勢であった。
ただ、雪乃は俺の分も入れて二人前。由比ヶ浜も最近お弁当を作るようになったので
自分の分を持ってきている。
そこに陽乃さんの四人分となると、合計7人前のお弁当が勢ぞろいとなる。
由比ヶ浜の弁当は、まさに女の子のお弁当って感じで量は少ない。
496 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:31:56.24 ID:yqOLm6oL0
雪乃のは、俺の分は俺に合わせて作って、自分の分は少なめだ。
しかし、陽乃さんの豪勢すぎるお弁当は、まさに運動会のお弁当。
男性4人がめいっぱい食べられる量が詰まっていた。
7月に入り、気温も高くなってきているので、冷蔵機能もない昼の弁当を
夕食として食べるわけにもいかず、唯一の男の俺が頑張って食べたが、食べきることは
できなかった。
その後、俺の様子を見て判断してくれたのか、
翌日の今日からはお弁当当番らしきものが作られたらしい。
「らしい」というのは、俺の意見が全く聞き入れてもらえず、
勝手に取り決めを作られたからなのだが、俺自身もお弁当を作らないといけないのは
なんとかならないのだろうか?
家に帰ってから、雪乃に弁当作るの手伝ってほしいと懇願したが、
笑顔で断られた時は、ちょっと絶望してしまったのは内緒だ。
でも、そのあときっちりと
雪乃「だって、八幡が作ったお弁当、食べたいから」
って、恥じらいながら笑顔でアフターケアーもなさるんだから、雪乃にはかなわない。
結衣「ねえ、ゆきのん。朝はごめんね。話に夢中になって、ゆきのんが
先に行っちゃったの気がつかなかったよ」
雪乃「いいのよ。私の方も急用ができたから」
結衣「そう? だったらいいけど」
由比ヶ浜は、雪乃の返事に満足してか、うまそうに弁当をパクつき始める。
それを見た雪乃も、優しく由比ヶ浜を頬笑みながら、自分も食事に入っていった。
八幡「陽乃さんも、朝の勉強会、ありがとうございました。
勉強会の後にお礼を言おうと思ってたんですけど、いなかったんで
いまさらですけど、ちゃんとお礼が言いたくて」
陽乃「いいのよ。私が好きで手伝ってるんだから。
それに、私もちょっと急用ができちゃってね。
だから、何も言わないで行っちゃってごめんね」
八幡「いや、いいですよ。あの後、時間ぎりぎりまで由比ヶ浜たちは
喋りまくってたんですから」
楽しいお弁当タイムは続く。
雪乃と陽乃さんの朝の急用がなんだったかだの、なにも疑問を感じることもせず。
497 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:32:28.88 ID:yqOLm6oL0
勉強会の後、工学部の教室で「楽しい話し合い」があったなんて、
気がつくことなどありはしなかった。
火曜日の朝。誰の元にも平等に訪れる月曜日の次の日。
一昨日までの休日の疲れも月曜日に別れを告げ、どうにか平日に慣れつつある。
慣れない者は、通勤通学ラッシュにもまれて、水曜日までには強制的に
平日を実感するようになるはずだ。
それは、工学部の教室であっても等しく訪れ、朝一番の授業を憂鬱と共に
過ごすことになるのだろう。
ここにいる二人を除いて。
雪乃「おはよう、安達君」
陽乃「元気そうでよかったわ」
雪乃達は、それぞれ若干ニュアンスは違うが、安達弟に朝の挨拶をする。
それを聞いた安達は怪訝そうな顔をするも、一応挨拶の返事をする。
安達弟「おはよう・・・ございます」
そりゃそうだ。もう関わりもないと思っていた相手からの朝一での訪問。
安達弟にしろ、雪乃達にしろ、金輪際関わりたいとは思っていないはず。
朝が苦手で、授業開始ギリギリに入ってくる連中なら、
いつもと同じ光景を見るだけですんだかもしれない。
しかし、今の時間帯に入ってくる生徒は、いつもと違う光景に目を疑った。
雪乃も、挨拶をされれば、丁寧に挨拶を返す。
それは、長年にわたって身につけてきた礼儀作法によるものだが、
雪乃が安達の元へ自分から赴いて挨拶することなんて、
今まであり得なかった光景であった。
しかも、姉の陽乃さんまでいるのだから、誰しも驚いただろう。
そして、ただならぬ雰囲気が雪ノ下姉妹を中心に教室中に侵食していき、
いつしか朝の憂鬱な雰囲気が一転する。
緊迫した雰囲気に捕まり、一人、また一人と雪乃たちを注目してしまう。
これから始まるであろうまだ見ぬ展開に恐怖心と好奇心を同居させ、
教室内にいた生徒は事の顛末を探ろうと声を押しとどめて、静かに三人に目を向けていた。
498 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:33:25.74 ID:yqOLm6oL0
雪乃「2年の工学部から流れている噂、聞いたわ」
雪乃の目は安達弟を捉えて離さない。安達弟は昨日の事もあって、
落ち着かない様子である。
そっと雪乃から目をそらすが、それさえも雪乃にとっては興味の対象にはならなかった。
雪乃「私と・・・・、ここにいる姉さんのことは構わないわ。
でもね、私の恋人と友達を傷つけるような真似を今後もするんなら、
社会的に殺します」
背筋が凍りつくセリフをこともなさげに宣言する。
雪乃の顔からは表情が冷たく砕け散り、ただ事務的に決定事項を伝えているだけであった。
身を震わせる他の生徒たちは、声をわずかに洩らしはしたが、
場の雰囲気にのまれて沈黙を守る。
後から来た生徒は、ただならぬ雰囲気に、遅刻したわけでもないのに身をかがめて、
逃げるように席についていった。
陽乃「あなたがどんな社会的な影響力を持つ後ろ盾を持ってるかなんて知らないわ。
でも、使いたいならご自由に。私は、大切な人を守る為に、
その後ろ盾やそのシステムごと叩きの潰すだけだから、安心してね」
口調も笑顔も、以前の陽乃さんそのものであったが、それがかえって人の心を委縮させる。
震え上がる安達弟に、楓たちから聞いた噂のうっぷんを全て吐き出した雪乃達は、
ようやく晴れ晴れとした笑顔で、自分の場所へと戻っていく。
もはや安達弟のことなど、日常の記憶からは抹消されていることだろう。
残っている記憶といえば、攻撃対象リストの記載のみ。
朝から工学部二年の教室を震え上がらせた騒動は、翌日までには他学部まで広がっていく。
ただ、誰一人、雪ノ下姉妹を批判する者など現れはしなかった。
日ごろからの行いってものもあるが、正面切って雪ノ下姉妹にたてつく者などは、
よっぽどの変わりものかマゾしかいないだろう。
7月14日 土曜日
首元やら鼻やら目元など顔中がこそばゆい。
まだ起きる時間ではないはずなのに、どうやらちょっかいを受けているらしい。
まどろみの中、薄く眼を開けると、雪乃が長い漆黒の髪でくすぐってきていた。
499 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:34:01.57 ID:yqOLm6oL0
綺麗な髪をそんなくだらないことで使うなって説教してやろうかと思いもしたが、
甘ったるい朝の空気が俺を駄目にする。
雪乃「おはよう」
俺の目覚めをいち早く察知した雪乃は、柔らかな笑みとともに朝の挨拶を告げる。
俺もしゃがれた声で、すかさず返事する。
八幡「おはよう。・・・・いま何時なんだ?」
雪乃「さあ?」
八幡「さあって・・・・。まだ5時過ぎじゃないか」
俺は目覚まし時計を確認すると、軽く非難の声をあげる。
さすがに早すぎる。少なくとも6時までは寝ていても大丈夫なはず。
・・・今日は土曜日か。だったら、もっとゆっくりしていても。
雪乃「そう?」
八幡「そうって・・・・・、くすぐったいって」
俺は、優しく黒髪を押し戻す。
おはようの挨拶をしているときだって、雪乃はずっと俺をくすぐり続けていた。
悪くはないんだけど、さすがにこそばゆい。
雪乃「もうっ」
雪乃は全然怒った風でもないのに、一応は怒ったつもりの非難を洩らす。
と思ったら、今度は俺の頭を雪乃の小さな胸で包み込み、優しく撫で始める。
たしかに、色々トラブルもあって忙しかったし、
今朝みたいに甘美な朝がここ数日続いてはいた。
それでも大学もあり、ゆっくりと朝を楽しむ時間は限られていた。
そう考えると、今日は貴重な朝だよな。
俺は、雪乃の背中に手を回し、小さく力を込めてると、
ゆっくりと雪乃の香りを肺に満たす。
雪乃は、胸元で動かれたのがくすぐったかったのか、小さくとろけるような吐息を洩らした。
色っぽく身悶える雪乃を下から覗き込むと、視線が交わる。
雪乃「もう・・・・・・」
500 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:34:37.61 ID:yqOLm6oL0
はにかんだ笑顔が俺を幸せに導く。
今日は最高な一日になるはずだ。
だって、最高の朝の目覚めを得られたんだから、今日一日うまくいくに決まっている。
そして、きっと明日の朝も最高なはずだ。
なにせ、俺の隣には、いつも雪乃がいるから。
第27章 終劇
はるのん狂想曲編 終劇
第28章に続く
インターミッション・短編
『その瞳に映る景色~雪乃の場合』に続く
507 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:30:35.04 ID:XYU0qp7F0
第28章
インターミッション・短編
『その瞳に映る光景~雪乃の場合』
著:黒猫
約束の時刻は、とうにすぎている。
11時にはデートに出かけられると言っていたのに、今はもう12時になろうとしていた。
いくら我慢強い私だって、今日だけはもう我慢できない。
いらだちを募らせて、おもわず爪を噛みそうになるのをぐっとこらえた。
今日という日を一週間も指折り数えて、八幡に甘えるのを待ち望んでいたのだから。
それは一週間前のこと。
これはけっして八幡が悪いわけでも、由比ヶ浜さんが悪いわけでもないわ。
私も八幡も、由比ヶ浜さんの勉強スケジュールを詰め過ぎていたからいけなかったのよ。
由比ヶ浜さんが風邪で倒れて、グループ研究での由比ヶ浜さん担当箇所に出てしまった。
結果としては、八幡が由比ヶ浜さんの分までレポートを
やることになっても、それは当然の流れよね。
八幡が由比ヶ浜さんを見捨てるわけないし、
私も八幡が由比ヶ浜さんを見捨てる事を許すわけがないもの。
それに、風邪で勉強が遅れてしまうのだから、由比ヶ浜さんの負担も減らさなければ、
今後の勉強予定にも負担がかかってしまう。
だから、私が八幡に甘えるのを我慢して、八幡がレポートに集中できるように
サポートするのが当然の流れだった。
でも、それも今日の午前で終わる。
朝食時に、遅くても11時には終わるから、そうしたらデートに出かけようって
約束してくれた時には、情けないけれど、泣きそうになってしまった。
この男を、こうまで好きになるだなんて、出会ったころには思いもしなかったわね。
ふふん・・・、でも、悪くはない、か。
むしろ、心地よい敗北感に満たされている。
さてと、約束の時間から1時間も過ぎたのだがら、デートの約束をしている彼女としては、
彼氏の様子をみるくらい問題なし、文句も言わせないわ。
私は、ひんやりとするドアノブをゆっくりと音をたてないように回す。
5センチほどドアを開けて、耳に意識を集中させると、
せわしなく鳴り響くパソコンのキータッチの音も、参考書を漁る音も聞こえてはこなかった。
けたましい音で溢れていた部屋も、レポートにいそしむ熱気も既に冷やされ、
部屋は緩やかな時間を取り戻しているようであった。ファーストステップでの成果は
芳しくなかった私はドアの隙間から覗き込むが、八幡の後ろ姿しか見えない。
508 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:31:05.74 ID:XYU0qp7F0
ここからでは、よく見えないわね。
動いている様子もないし、約束の時間も過ぎているのだから、部屋に入っても大丈夫よね?
私は、もう一度自分に言い訳をすると、意を決して部屋のドアを全て開けた。
けれど、八幡は振り返りはしなかった。
音をたてないようにあけたから、気がつかなかったのかしら?
何かおかしいと少しだけ不審に思ったのだけれど、
八幡に早く会いたいという誘惑には抵抗できなかった。
雪乃「八幡?」
私は、声を小さく震わせる。彼女だというのに、おどおどしすぎね。
でも、八幡が悪いのよ。大切な彼女を一週間もほうっておいたのだから。
雪乃「八幡?」
もう一度声をかけてみたのだけれど、八幡の声を聞くことができなかった。
どうしたのかしら?
私は、八幡が座るローテーブルの隣まで歩み寄る。
膝を折り、八幡の隣に座ってみたのだけれど、それでも反応がなかった。
それもそのはず。なにせ八幡はテーブルに顔を突っ伏して寝ているのだもの。
どおりで部屋が静かなわけね。時間が過ぎても出てこれないわけだわ。
私は、うきうき気分で部屋のドアの前で朝から待機していたというのに、
八幡はそんな彼女の気持ちも知らずに、よくもぐうすか寝られるわね。
最近私の存在を軽くみているのかしら?
それとも、今日のデートを楽しみにしていたのは、私だけだったのかしら?
不安を募らせながら八幡の寝顔を見つめていると、その不安はいつしか不満へと
変化していく。
どうして私ばかり我慢しなければいけないのかしら?
大学でだって、学部が違うから、ずっと一緒にいられるわけでもない。
その点、由比ヶ浜さんはいいわね。八幡の隣に常にいられて。
ガタっ。
突然発せられた物音に、私は身を固くする。
八幡を見つめながら、いつしか思考に没頭してしまったようだ。
八幡「う、うぅん・・・」
どうやら八幡が寝返りをうったらしい。
509 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:31:35.21 ID:XYU0qp7F0
今までは、八幡の後頭部しか見えてはいなかったのだけれど、
寝返りを打つことにより、八幡の寝顔を私の目の前に放り出される。
私は、思わず目を見開いて凝視してしまった。
八幡の寝顔なんて、毎日のように見ているはずなのに、
今朝だって、八幡への可愛い恨みを込めながら寝顔を堪能していたというのに、
急に無防備な姿をさらけ出されては、きゅんってしてしまう。
・・・・・・そうだわ。この寝顔をいつでも見られるように、写真を撮っておきましょう。
どうして今まで気がつかなかったのかしら?
もし毎日写真を撮っていたのならば、この一週間、
もう少し元気に過ごせていたかもしれないのに。けれど、無駄ね。
私がそんな写真だけで満足するわけがないもの。
写真を撮ることよりも、今目の前に八幡の寝顔を堪能し始めようとしたが、
うずうずしだしてしまう。このままでは、落ち着かない。
私は、声が出ないようにひっそりとため息をつくと、リビングに戻ることにした。
1分後。
私は、再び音も立てずに八幡の隣へと戻ってきてしまった。
いいえ。戻ってきてしまったのではなく、本当はリビングに携帯を取りに行っただけ。
だって、この寝顔。携帯に保存しておけば、いつでも見られるじゃない。
だから私は、携帯のカメラ機能を起動すると、ゆっくりとレンズを八幡に近付けていった。
ピントが合い、これでようやく八幡の寝顔を手に入れられる思いを胸に
シャッターボタンを押す指に力を加えようとしたが、すんでのところで指が止まる。
・・・・・・・このままでは駄目だわ。このままシャッターを押してしまったら、
シャッター音がしてしまうもの。
耳ものとシャッター音がしてしまったら、いくら気持ちよく寝ている八幡でも起きてしまう。
うかつだったわ。早く写真が欲しいからといって、
安易に携帯を選択したのが間違いだったようね。
これは、いつも冷静な私からすれば、あってはならないミス。
危うく最高の機会を見逃すところだったわ。
私は、再び小さくため息をつくと、再びリビングに戻ることにした。
40分後
雪乃「むふぅ~・・・」
鼻息荒くミラーレス一眼カメラを手から離す頃には、幸せで満ち溢れていた。
もうお腹いっぱいだわ。さすが私。カメラの才能もあって、よかったわ。
510 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:32:02.68 ID:XYU0qp7F0
いいえ、才能なんて陳腐な言葉で片付けるなんて、私も撮影で疲れているのかしらね。
魂を込めて八幡をカメラのレンズに収めてきた結果がここにあるんだわ。
今までの撮影がなければ、きっと今日の収穫に満足できずに、絶望を味わっていたはず。
昔はカメラで撮られると魂がとられてしまうだなんて迷信があったけれど、
あれは嘘ね。被写体の魂ではなくて、撮影者の魂が削れられいるもの。
さてと・・・、そろそろ八幡を起こさないといけないわね。
私が壁時計を見ると、時計の針はもうすぐ1時を示そうとしていた。
私ったら、40分以上も撮影していたのね。
もともと体力に自信がないのだけれど、日ごろの鍛錬のおかげで、
多少は体力がついたのかしら。
それに、八幡と毎日大学まで自転車で通っているのも、いい結果をうんでくれたみたいね。
八幡を起こそうと肩に手を伸ばそうとしたが、私は途中で動きを止めた。
もう少しだけ見ていても、問題ないわよね?
あと10分くらい遅くなったとしても、たいして変わり映えしないもの。
それに、レンズ越しよりも、生身の八幡をもっと見ておきたいわ。
けれど、人の欲なんて際限ないのだから、ここは心を鬼にして起こすべきね。
私は、再び八幡を起こそうと、今度は耳元に顔を寄せていく。
肩を揺さぶって起こすよりも、私の声の方がいいわね。
私だったら、八幡の声で目覚めたいもの。
さらりと顔に垂れ下がってくる髪を耳の後ろへと撫で流して、顔を近づけていく。
ゆっくりと、ゆっくりと近づけていったが、八幡まであと5センチと迫っても、
その勢いを減速させる事はなかった。
私の唇が、八幡の頬によって軽く押し返される。
何度もキスを繰り返してきたというのに、味わったことがない高揚感が私を襲う。
可愛らしく頬へのキスだというのに、情熱的なキスと同じくらい私を熱くさせる。
体中に厚い衝動が駆け巡り、体がピクリと反応してしまう。
その衝撃が私の唇から八幡に伝わってしまうんじゃないかと思えて、
おもわず八幡の頬から唇を離してしまった。
キスを終えた私には、今までにない恍惚と背徳感が溢れていた。
今までだって、寝ているときにキスしたり、いたずらしたこともあるし、
写真だって撮ったこともある。
でも、今の気持ち・・・・、一週間も我慢していたせいかしら?
未知なる衝動に戸惑いを隠せない。
いくら考えたとしても、答えなんて出ないのかもしれないわね。
だったら、もう一度経験すれば、済む事だわ。
もう一度頬にキスしようと近づいていくと・・・・・。
八幡「ん、・・・うぅん・・・」
511 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:32:29.58 ID:XYU0qp7F0
八幡が寝返りをうつ。この時ばかりは、背徳感というよりも罪悪感が優先されていた。
猫のように物音を立てずに身を浮かせると、ふわりとその場を離れる。
二メートルくらい八幡から距離をとると、まさしく猫のごとく警戒した。
両手を前に伸ばして、しっかりと両手両足で床を掴む。
身を低くして様子を伺っていると、どうやら今回も寝返りだけですんだみたいだった。
警戒感が少しずつ解けていく私は、前方でしっかりと床を掴んでいる両手の方へと
体重を移していく。
そして、両手両足を器用に使ってペタペタと再び八幡の元へと戻っていった。
なんで私がこそこそとしないといけないのかしら?
でも、このスリル、悪くはないわね。
そう妖艶に頬笑みを浮かべると、もう一度キスをしようと顔を近づけようとする。
今度は口にしようかしら?
もう、起こさないといけないのだし、キスで起こすのもいいわね。
しかし、すぐさまそれは断念しなければならなかった。。
この角度からではキスができない。
八幡が寝返りを打ったせいで、キスをすることができなかった。
どうしようかしら?
私は、ローテーブルに両腕をのせて顔をうずめると、じぃっと八幡を見つめながら
考えを巡らせていく。
ほんとう、気持ちよさそうに寝ているわね。
効率が悪くなるからって、徹夜はしないっていってたのに、
期日に間に合わせる為に、相当無理をしていたわね。
私は、無意識のうちに手を伸ばして、八幡の髪を撫でていた。
慣れ親しんだ柔らかい感触が手と溶け合ってゆく。
指先と絡み合う髪がすり抜けていくのを、何度も何度も堪能する。
私が隣にいるっていうのに、なんで寝ているのよ。
いつしか私の瞼も重くなってゆく。
きっと幸せそうに寝ている八幡を見ているせいね。
でも、このまま寝てしまうと、ちょっと寒いかもしれないわね。
私は、八幡の体に身を寄せて暖をとると、睡魔に身を任せることにした。
私が目を覚ますと、すっかりと日は暮れて、西日が差しこんできていた。
ぬくぬくと身をくるむ温かさが気持ちいい。
それもそのはず。八幡という暖房器具だけでなく、タオルケットまでかけられていた。
八幡の肩を借りたまま、寝てしまったのね。
でも、タオルケット?
512 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:32:57.12 ID:XYU0qp7F0
私は、タオルケットの真実を探ろうと、目をしっかりと開くと、
目の前には八幡の顔が迫って来ていた。
閉じかけていた八幡の目が、私の目とあい、大きく見開いていく。
けれど、八幡の反応はそれだけで、驚いたのは私だけであった。
八幡「おはよう」
八幡は、さも当然という顔をして、目覚めの挨拶をしてくる。
私に勝手にキスをしようとした事を悪びれる様子もなく、いつもの心を落ち着かす声。
私も勝手にキスをしたけれど、少しは慌ててくれてもいいじゃない。
雪乃「おはようのキスはしてくれないのかしら?」
八幡は、もうキスをしようとはしていなかった。
息遣いさえ聞こえる位置まで接近していた顔は、すでに十分距離をとっている。
八幡「あぁ、それな。タイミングっていうか、なんというか・・・・・・。
一度タイミングを逃してしまうと、気まずいんだよ」
雪乃「そうかしら? 私がしてもいいって言っているのだから、
気まずいはずなんてないわ」
八幡「どういう理論だよ。俺の気持ちの問題だぞ」
私が不満げな表情を浮かべても、八幡はキスをするつもりはないようだ。
もう少し女心というか、私の気持ちを理解してほしいわね。
この際女心はいいから、雪乃心だけはマスターさせるべきね。
そう小さく盛大な決心を秘めると、今回のキスはなくなく諦めることにした。
八幡「もう5時だな。どうする? 時間が時間だし、外に何か食べに行くか?
昼も食べていないし、お腹すいてるんだよな」
雪乃「そうね。誰かさんが居眠りしているからいけないんだわ。
レポートが大変だったのは、よく知っているから、約束の時間に遅れた事は
いいとしましょう。でも、寝てしまうのはよろしくないわね」
八幡「雪乃も一緒に寝てたじゃないか?
起こしてくれてもよかったんだぞ」
雪乃「だって、八幡が気持ちよさそうに寝ているからわるいのよ。
だから、私も睡魔に襲われて・・・・・・。
このタオルケットは八幡が?」
八幡「あぁ、手に届く範囲に置いてあったからな」
雪乃「そう・・・、ありがとう」
513 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:33:30.29 ID:XYU0qp7F0
私がにっこりとほほ笑みかけると、八幡は照れくさそうに少し顔を背けた。
相変わらず感謝の言葉に弱いのね。
感謝の言葉に慣れていないのも、八幡の魅力かしら。
なんでも当たり前の事にしないところが、いつも新鮮でいられる秘訣かもしれないわね。
でも、いまだになんでも自分一人で背負いこもうとするところだけはなおしてほしいわ。
私たちを守ろうとしているのはわかるのだけれど、
それで心配する私の身も考えて欲しいわね。
・・・・・・今では八幡も、私が心配している事をわかっている・・・か。
わかっていても一人でやる事を許してしまう私が悪いのかしら?
そうね。八幡は、ずっとそうやって生きてきたんだもの。
私の方から歩み寄って、抱きしめてあげないと駄目ね。
雪乃「ねえ、八幡」
八幡「な・・・んでそうか?」
やはり警戒してくるわね。
ほんと、私の言葉の意図するところを読みとる力は相変わらずすごいわね。
私が呼びかけた「八幡」という言葉一つだけで、私が何が言いたいかを
すばやく読みとってしまう。
ある意味、子供ね。子供が母親の顔色を伺うそれと同じ、か。
雪乃「私、怒っているのよ」
八幡「起こさなかった事か? 気持ちよさそうに眠っていたんで、つい見惚れてしまって」
雪乃「それは、仕方ないわね。見惚れていたのでは、致し方ないわね」
八幡「だろ?」
雪乃「たしかにそうだけれど、私が怒っているのは別の事よ」
八幡「約束の時間が過ぎているのに、俺が寝ていた事か?
それは、悪かったよ。レポートが終わった~ッと思ったら、つい気が緩んでな。
10時には終わったんだけど、ほんの少しだけ仮眠をと思ったら、
熟睡してしまった。ほんとっ、ごめん」
雪乃「私に一言声をかけてくれればよかったのに。
そうすれば、座ったままではなくて、ベッドでゆっくりと寝て、
時間がきたら私が起こしたわ。
そうね、八幡も疲れているのだから、終わったのが10時だとしたら、
3時頃まで寝ていればよかったのではないかしら?」
八幡「そうだな。徹夜続きで、だいぶ判断力が鈍ってたようだな。
だとすると、レポートの方も不安だな。なんか適当な事を書いていそう」
八幡は、レポートの束を気にするそぶりを見せるけれど、本当は自信があるくせに。
514 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:34:03.11 ID:XYU0qp7F0
あなたは、いくら疲れていても、手を抜かない人よ。
それは、私が保証する。だって、ずっと見てきたのだもの。
雪乃「だったら、あとで私が目を通しておくわ。
専門的な所はわからないけれど、レポートとしての体裁を見るくらいなら
可能だと思うわ」
八幡「それは助かるよ。でも、採点は甘くしてくれよ。雪乃のチェックはいつも厳しいからな」
雪乃「それだとチェックの意味がないわ。やるからには本気よ」
八幡「・・・お手柔らかに、お願い・・・します、ね」
私は、自然と笑みが漏れる。八幡が私に脅えているところも可愛いと思うわ。
でも、違うの。だって、八幡が「今、私を」頼ってくれるのですもの。
本当は、レポートをやっているときに頼って欲しかった。
私も課題やテスト対策に追われていて、忙しかったけれど、八幡もそれは同じ。
だから、いくら私が忙しいといっても、私を頼ってほしかった。
いつか、きっと、八幡の隣に常にいられるようになっていたいから。
雪乃「それで、私が怒っている事は、わかったかしら?」
八幡「俺が寝ていた事じゃないのか?」
雪乃「違うわ」
八幡は、私の言葉を噛み締めると、一呼吸おいてから声を絞り出した。
八幡「じゃあ・・・、寝ているときに、キスしようとした事か?」
八幡が照れながら言うものだから、私もつられて照れてしまう。
私は、怒っているのだから、照れてはいけないわ。
あたしの顔が赤くなっているとしても、それは照れているからではなく、
怒っているからよ。
雪乃「そ・・・そ・そ、そそそ、・・・・はぁ、・・・それは、怒っていはいないわ。
むしろキスで私を起こそうだなんて、八幡も存外ロマンチストね」
八幡「それは、まあ・・・、なんというか、な。
それで、なんで怒ってるんだよ。もうお手上げ。
わかりません。教えてください」
こんなこともわからないなんて。八幡も、雪乃心の勉強がまだまだ必要ね。
雪乃「キスよ」
八幡「キス? 俺がキスしようとした事は、怒ってないって言ったじゃないか」
515 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:34:30.21 ID:XYU0qp7F0
雪乃「逆よ」
八幡「は?」
雪乃「だから、キスしようとして、・・・・・・それを途中でやめたからよ」
八幡は、相変わらず理解できないとぼけぼけっとした情けない顔をしていたが、
ゆっくりとだが私の意図をかみ砕いていった。
そうよ。途中でやめるだなんて、意地悪すぎるわ。
私は、一週間も我慢していたのよ。
それを、目の前まで迫っていて、最高にドキドキしていてのに、それをお預けだなんて、
あまりにもむごい仕打ちよ。
八幡「それを理解しろっていうのは、あまりにも難しいだろ。
こっちは、勝手にキスしようとして罪悪感があったんだぞ。
それを逆に解釈しろだなんて、無理すぎる」
雪乃「そうかしら?」
八幡「そうだよ」
雪乃「だったら、今ならどうかしら? その時は無理でも、今なら可能でしょ」
今度は、私の言葉をすんなりと理解した八幡は、そっと私の肩を引き寄せる。
だから、私は目を閉じる。その瞬間を待ちうける為に。
けれど、期待していた感触は、頬に優しく触れただけであった。
これはこれで嬉しいのだけれど、これでは満足できないわ。
私は、すうっと目を開くと、はにかみそうな笑顔をうち消して八幡を睨みつける。
八幡もわかっているはずなの、どうして?
そう思うと、私は怒りよりも、悲しみが満ち溢れていってしまった。
八幡「ごめん。泣くとは思ってなかった」
え? 泣いているの、私。
涙の感触を確かめようと目元に手をもっていこうとしたが、涙の感触を確かめる事は
できなかった。なにせ、八幡が私の腕ごとぐずつく私を優しく包み込むんだもの。
さすがの私も、健気にデートは待っていられても、
目の前まで迫ったキスの「待て」だけは我慢できないみたいね。
八幡「ほら、さ。雪乃は、さっきフライングで、俺の頬にキスしただろ?
だから、そのお返しっていうか、なんていうか。
まあ・・・、本番のキスは、デートに行ってからのほうがいいかなってさ」
八幡の衝撃すぎる告白に、私の肩がピクリと震えた。
516 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:35:09.78 ID:XYU0qp7F0
だって、八幡は、12時に私がこの部屋に来た時、起きていたって事よね。
いつ起きたのかしら? そんなそぶりは見せなかったのに。
だったら・・・、私が、じぃっと八幡の寝顔を見ていた事も、
八幡の頬にキスした事も、
口にキスしようとして失敗した事も、
そして、長々とその寝顔を写真に収めていた事も。
もしかしたら、その全てがばれていたっていう事、かしら?
・・・恥ずかしすぎる。きっと、今日一番の顔の赤さを誇っているわね。
尋常じゃない熱をもった血液が私の中を駆け巡った。
これでは、八幡の胸にうずめている顔を上げることができないじゃない。
どうしてくれるのよ。
と、責任転換をしているときではないわね。
雪乃「ねえ、八幡」
八幡「ん?」
雪乃「目を閉じててくれないかしら」
八幡「ああ、閉じたぞ」
雪乃「ほんとうに閉じたかしら?」
八幡「信じろって」
雪乃「なら、いいわ。信じてあげる」
八幡の胸元に潜っていた顔を恐る恐るあげると、宣言通り、八幡は目を閉じていた。
・・・でも、さっきは寝ている振りをしていたのよね。
本当に、目を閉じているのかしら?
私は、息を止めると、ゆっくりと八幡の顔に近寄っていく。
八幡の呼吸を感じ、こそばゆいが、そこはぐっと我慢する。
どうやら、今回は本当に目を閉じているようね。
私が目の前まで迫っても、平然としているられるのだから、これで目を開けているのなら、
もはや判断する事はできないわね。
八幡「まだ目を閉じていないといけないのか?」
雪乃「もう少しよ」
私は、意を決すると、再び八幡の顔に唇を寄せていく。
今度は、八幡の言い訳も、反論も、戸惑いも、全て許さないわ。
だから、私は八幡の唇を私の唇で覆う。
これ以上の言葉を紡がせない為に。
・・・それに、キスをしているのならば、顔が赤くても、不思議ではないわ。
だから、私の顔が真っ赤であっても、それは当然なのよ、八幡。
521 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:33:31.29 ID:6V9OUwvH0
第29章
クリスマス特別短編
『パーティー×パーティー(前編)』
著:黒猫
12月に入り、急に皆が忙しく動き出していく。
ニュースを見ていても、年が暮れ、新年を迎える準備におわれているとか、
受験勉強もラストスパートなど、
なんとなく俺までもが忙しくしていないと申し訳なくなってしまいそうになる。
誰が年末は忙しいって言ったんだよ。師走っていう言葉が悪いのか?
まず、「走」という漢字が入っている時点で、走り回っていろっていう強迫観念を
植え付けようとしていないか。
そもそも、本当に12月は忙しいのだろうか?
1月は、新年の始まりであり、あいさつ回りや仕事始めで忙しい。
しかも、正月休み中で滞っていた仕事や、年末に見ないふりをしていた仕事も
ダブルパンチでやってくる。
2月は、3月の年度末に向けての調整や、大学・高校受験生の入試も山ほどあって
忙しく見える。
3月は、まあ、年度末で忙しい。さらに、卒業って聞くと、引っ越しやら
新たな生活の準備もしなきゃいけないなぁって憂鬱になってしまう。
じゃあ、フレッシュな4月はどうか。やっぱり憂鬱だ。新入生なんて
新たな学校に行って、新しい環境になじまなくてはいけないから、まじで勘弁してほしい。
5月も、ようやくなじんできた新しい環境もひと段落できると思いきや、
ゴールデンウィークで、混雑しているのに遊びに行かなくてはいけないっていう
強迫観念が押し寄せる。社畜なんて、連休獲得のために前倒しで仕事したり、
後回しにした仕事が連休後に顔をみせて、ぞっとして卒倒しそうじゃないか。
俺だったら、そのまま気絶して、なんならもう一回連休ゲットしたいほどだ。
・・・・・・なんて、12月まで忙しい理由を考えてみたが
どれもかれも似たような理由で忙しい。
じゃあ、なんで12月だけが忙しいって言うんだよって、文句を言いたくもなる。
というわけで、世間の波にのまれない男比企谷八幡は、自分のペースを守ることを
堅く誓う。マイペース最高じゃないか。人に合わせて自分のペースを乱すなんて、
馬鹿がやる事だ。
522 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:34:02.88 ID:6V9OUwvH0
そんなかんだで、有意義な休日を過ごすべく、広いダブルベッドを一人で占拠しながら
うつろな目つきで出窓を眺めていた。
窓の外には、寒々しさを五割増しするようなどんよりとした雲が広がっている。
ただでさえ寒いのに、見た目まで寒くするのはやめて欲しい。
ぬくぬくと心地よい羽根布団を身にまとっているのに、温かさが半減するだろ。
気分を変えるべく、冷え切った空から目線を下に移していくと、
雪乃が置いたサンタ人形が目に入ってくる。
これは、たぶん12月に入ったころにおかれたんだと思う。
シックな装いの寝室に仕上がったこの部屋には、ある意味不釣り合いの
クリスマスオブジェともいえよう。
部屋の中央に置かれたどっかの高級ホテルにあるんじゃないの?って
思ってしまうダブルベッド。
そのシーツは、淡いクリーム色に統一されていて、ほんのりとした温かさを感じさせる。
たしか、夏は薄いブルーだった気もするから、
雪乃が季節に合わせて色を変えているのかもしれない。
他には、ナイトテーブルに置かれている読みかけの本や淡い光を生み出すテーブルランプ
くらいしかない。
この寝室に、外での生活を一切寄せ付けたくない主の性格を
よく反映されていた。
だからといってなんなんだが、新たに加わった季節限定の人形といえども、
どうも異物に思えてしまった。
それに、初めてこのサンタ人形が置かれた日に、まじまじと確認したんだが、
どうもこのサンタ、おかしい。
赤いコートに、白い髭。いかにもサンタっていう恰好はしている。
しかし、どう見てもサンタ採用試験があったら、間違いなく不採用になるはずだ。
どうおかしいかというと、なんだが普段は社畜やってて、兼業でサンタやってますって
言われてもおかしくない疲れ切った目をしている。
いやいや、ストレートに言ってしまえば、目が腐っていた。
夢を配るサンタが疲れててどうするんだって言いたくもなるし、
全国の親御さんからのクレームもきてしまうほどの代物をよくも販売してるものだ。
きっと雪乃の事だから、売り残ってかわいそうなサンタオブジェを見かけて、
店員が試しに一個だけ入荷させた現品限りの埃をかぶった新品オブジェを
同情心から買ったのかもしれない。
ただなぁ、このサンタだけはないだろ・・・。
リビングには、人の背丈ほどあるツリーがいかにもクリスマスですって存在感を
アピールしているし、玄関にもクリスマスリースがかけられ、訪問者を歓迎する。
キッチンでされスノードームが置かれて、どの部屋であってもクリスマスを
感じられるように配置されていた。
おそらくだけれど、雪乃がどこでもクリスマスの温もりを手放したくない現れだって
思えてしまう。
523 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:34:34.31 ID:6V9OUwvH0
だけど、ある意味統一されたクリスマスムードの中で、この部屋のオブジェだけは
選択ミスだと、この俺でさえ判断できる。
まあ、いいか。雪乃が好きで選んでるんだから、俺がけちをつけれべきでもないか。
さてと、とりあえず雪乃に頼まれていた買い物だけでも済ませておくかな。
朝から雪乃は由比ヶ浜と一緒にお菓子作りの練習だし、俺の出番はない。
むしろ毒味という死刑を回避すべく、早々に外に退避すべきだな。
そんなわけで、寒い寒いと思っていた北風が吹き狂う空の下へとやってきたわけだ。
ただし、ダークレッドのダウンジャケットに、墨のマフラーは標準装備。
これに、黒のニット帽をかぶってるんだから防寒は完璧。
あとは、登山用タイツも装着したのならば完全なる装備だけど、
今日は近場だし、いらないかな。
このままスーパーに行ってもいいのだが、せっかく外に出たんだしと、
クリスマス気分を味わうべく、クリスマスカラーに彩られたショップを眺めつつ
散歩をすることにした。
寒いというのに子供は元気なもので、親よ早く来いとせかしながら走っていく。
今日は休日ともあって、家族連れが多かった。
だから、むしろ俺みたいな一人身の方が返って目立ってしまう。
通い慣れた街中は、特にみたいものがあるわけもなく、
店の中を外から冷やかす事はあっても、中に入る事はまずない。
でも、せっかくだし一軒くらいは、・・・と、ようやく見つけた店は、
雪乃と何度も来た事がある雑貨屋であった。
店内に一歩入ると、効きすぎた暖房が暴力的に俺を歓迎してくる。
こんな歓迎お断りなんだけれど、無料で暖房を提供してくれるんだし文句は言えまい。
俺に出来る抗議運動といったら、マフラーをさりげなく外すくらいだろう。
首もとを緩めて店内を見渡すと、女友達同士の客がメインだが、親子連れも少しはいた。
たしかに、キッチングッズや女性用のちょっとした衣料品が置かれているんだから
男性客がいる方が目立ってしまう。
俺も何度か雪乃がこの店でエプロンなんかを買っていなければ、一人で入ろうとは
思いはしなかったはずだ。
まあ、用がなければ俺が立ち寄ることもないだろうけど、
今日は寝室で見た悲哀に満ちたサンタクロースを思い出してしまったので、
この店に入ったわけなのだが。
この店は、なぜかクリスマスが近づくと、クリスマスグッズが増えていく。
クリスマス直前となると、その華やかさに釣られて、新規のお客も来るそうだ。
おそらくなのだが、あのサンタオブジェ。この店で買った可能性が高い。
去年はなかったはずだし、最近買ったのならば、近所のこの店だと思われる。
俺は、ひときわ赤や緑に彩られているコーナーを見つけると、一直線に足をむける。
小さな店内。他のコーナーにあるとも思えないし、あるとしたらここだろう。
あんな残念なサンタが盛大に売り出されてはいないだろうなぁと
目を走らせていくと・・・・・・ありました。
524 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:35:02.36 ID:6V9OUwvH0
なんで? これって、売れるの?
なんと、下の方の棚ではあったが、クリスマスオブジェの一角に堂々と存在感を
醸し出していた。雪乃が買ったのが最後一体ではないってことか。
とりあえず、その一体を手に取り裏返して見ると値段は980円。
まあ、妥当な値段なんだろう。
でも、980円出しても欲しいか、これ?
世の中のはやりや流行に疑問を持ってしまう。
俺の感覚が変なのかなって、ちょっと自信を失いかけたので、急ぎ手にしていた元凶を
元ある場所へと置きなおした。
もう一度、まじまじと見つめてはみるが、やばいだろ。
近くで親にじゃれついている子供が見たら、きっと泣きだすはず。
だって、隣にある普通すぎる陽気なサンタのほうが子供も喜びそうだし。
・・・・・・いっか、俺の店じゃないし。
売れ残って在庫処分に困るのは、ここのオーナーだしな。
残念なサンタの出所と値段を確認した俺には、もはや残念すぎるサンタへの興味は
失っていた。
むしろ一番上の棚に輝く元気があふれまくっているトナカイに興味が移っていた。
なにせこのトナカイ。他のトナカイよりも一回り体つきが小さいんだけど、
どうも元気が有り余っている感が漂っている。
しかも、なんだか小生意気そうな表情を浮かべているのも、なんだか愛らしい。
なんだ、この親近感。つき離したくなるほどイラッとくることもあるんだけど、
どうしても愛でてしまうその個性。
なんだか小町みたいな気もするな。
あの残念サンタには、小町みたいな愛らしくもあり、
ときには檄をとばしてくれるトナカイの方が必要かもな。
ただし、出だしは快調にソリを引っ張ってくれそうだけれど、
途中からソリにはトナカイがのって、ソリはサンタが引っ張ってそうだが、
俺が実際ソリを引くわけでもないから、かまわんか・・・・・・。
俺は、震えそうな手を必死に隠しながら、そのトナカイを手に取ると、
値段も見ずにレジへと向かっていった。
雪乃「遅かったわね」
八幡「ああ、ちょっと散歩がてら見て回ってたからな」
俺を出迎えてくれた雪乃は、朝着ていたセーターは脱いでいて、
セーターの下に着ていたシャツの上に赤と緑で彩られたクリスマスっぽいエプロンを
身につけていた。
525 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:35:28.70 ID:6V9OUwvH0
重労働なお菓子作りの為に低く温度設定してあるエアコンではあるが、
雪乃をせわしなく動かしていたのは、お菓子作りの為だけではあるまい。
雪乃「そう、ならちょうどいいわ」
やっぱりそうなのね。玄関のドアを開けた時から気が付いていましたよ。
むあって漂ってくる甘い香り。
それにちょっとだけアクセントで漂う怪しげな焦げくさい臭い。
どうして雪乃がついているのに失敗してるんだ。
ねえ、妖怪がついているの? 今はやりの妖怪のせいって、疑いたくもなる。
結衣「ねえ、ねえ、ヒッキー。みてみて。美味しそうでしょ」
雪乃を通常以上に疲れさせた元凶由比ヶ浜結衣は、パタパタとスリッパを鳴らして
俺の元へと駆け寄ってくる。
フリルいっぱいの白いエプロンも、その可愛らしい新妻エプロンで隠された大きな胸も
俺の視界に収まってはいるが、興味の対象にはならなかった。
なにせ、本来ならばインパクト絶大なコンビネーションだろうと、
それよりも命の危険を感じ取ってしまう物体に目がいってしまう。
由比ヶ浜が手にするお皿には、出来たてのクッキーが盛られていた。
なかには少し焦げているのある。でも、食べられないレベルではないのか?
じゃあ、この焦げた臭いの原因は?
と、無造作に手にしたクッキーを一つ頬張りながら考えていると、
その答えはすぐに見つかった。
とりあえず、隣でクッキーの感想を求めている由比ヶ浜はあと回した。
こちらは生命の危機だからな。
雪乃が俺の目に触れさせないように隠すそのビニール袋には、真っ黒な消し炭をなった
おそらくクッキーになるはずだっただろう残骸が収められていた。
俺がかえってくる前に処分するのを忘れたのか、
それとも生存クッキーを救出するのに手間だったのか。
とりあえず、俺の生存が確認できたことがなによりだ。
結衣「ねえ・・・、どうかな?」
八幡「ん? 食えない事はない、かな?」
結衣「ええ~。美味しいでしょ? 見た目もだいじょぶな感じだし、
毒味、・・・味見してみても大丈夫だったよ」
八幡「いや、いや。味見って、食べられるかどうかじゃなくて、
美味しいかどうかだから・・・」
結衣「これでも頑張ったんだけどなぁ」
526 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:35:54.12 ID:6V9OUwvH0
八幡「でも、だいぶよくなってきているんだろ?
もうちょいなんじゃね?」
結衣「うん、頑張る」
なんて、由比ヶ浜と出来が悪すぎる生徒ドラマをほのぼのと演じていたら、
雪乃の姿が消えていた。
けれど、雪乃の居場所は雪乃が倒れた音で示されていた。
八幡「雪乃? 大丈夫か? おい・・・」
ただ事ではないと感じ取った俺からは、由比ヶ浜をからかっていた時の余裕なんて
消え去っていた。スリッパをバタバタとかき鳴らしながら走り寄る。
腕の中の雪乃は、いつもより小さく見えてしまう。
白い白いと思っていたその顔も、いつもより青白く陰りを見せ、
力強い瞳には焦燥感を漂わせていた。
そして、形が整った艶やかな口元の横には、黒くくすんだ消し炭が・・・。
ん? 炭がなんで口元に付いているんだ?
八幡「雪乃、しっかりしろ。救急車よんだ方がいいか?」
雪乃「救急車はいらないわ」
八幡「なら、どうしたんだよ?」
雪乃「ちょっと失敗しちゃっただけよ。
そうね、八幡にも毒味してほしいわ・・・」
そう弱々しく呟くと、雪乃は瞳を閉じた。
雪乃・・・、お前の死は無駄にはしない。
だから最初に言っただろ。
甘やかして育てちゃ駄目だって。
しっかりしつけないと、犬と飼い主が不幸になるだけだって。
これで雪乃も目が覚めるはず。尊い犠牲だったけれど、雪乃の死は無駄にしないよ。
・・・悪いけど、遺言の毒味役だけは、絶対に引き受けないけどさ。
雪緒「八幡・・・」
俺の腕の中で小刻みに震える雪乃が弱々しく最後の吐息を洩らす。
あんなに光輝いていた意思が強い瞳も陰りをみせ、俺の手を握ろうと宙をさまよわせている。
八幡「雪乃、大丈夫だ。俺はここにいる」
雪乃「八幡」
527 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:36:34.37 ID:6V9OUwvH0
俺が雪乃の手を握りしめても、雪乃は俺の手を握り返してはこなかった。
もう時間がないのかもな。すでに雪乃の体力は限界か。
八幡「くそっ・・・。雪乃を一人にしないって約束したもんな」
雪乃「ええ、ずっと一緒よ」
俺は静かに頷くと、雪乃が床に落としたビニール袋を手に取った。
そして、中に入っている黒い炭化した物体を一つ手に握りしめると、
一口でそれを飲み込んだ。
八幡「これでいつまでも一緒だ」
雪乃「ありがとう」
口の中に残った粉っぽい感触も、喉をひりひりさせる刺激も、
胃の中で暴れまくっている胸糞悪い由比ヶ浜のクッキーも、
そんなものは全て忘れよう。
腕の中にいる雪乃だけが俺の全てなんだから。
八幡「あっ! 雪乃、先に行くな。俺が先にトイレに入る」
雪乃「駄目よ。私が食べたのは一つではないのよ」
八幡「ここは病弱な俺を優先すべきだ」
雪乃「悪いわね。トイレは早いもの勝ちなのよ」
やっぱり勢いで食うものじゃない。
どうして雪乃がついていながら毒物を作り出せるんだ。
しかも、初めて由比ヶ浜が奉仕部に依頼に来た時よりも料理の腕が悪化しているじゃないか。
とりあえず俺は、口の中の不快物だけは取り除く為に水をがぶ飲みすると、
最重要危険物が入ったビニール袋を燃えるごみの中に放り込んだ。
今日も今日とて年末に近づいてゆく。
先日購入したトナカイのオブジェは、今は寝室の出窓にて、
残念サンタの相棒をしていた。
ただ、どういうわけか、俺がこのトナカイを置いたら、
雪乃がもう一体トナカイを飾ることになった。
俺が置いたトナカイを撤去しないあたりからすると、展示を許可されたのだろう。
528 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:37:07.86 ID:6V9OUwvH0
それに、トナカイ一匹だと寂しいし、ソリを引っ張るのも大変そうだ。
そこんとこを考えて雪乃が新たなトナカイを置いたのかもしれないが、
このトナカイも変わっている。
俺が選んだトナカイも普通ではないが、雪乃が選んだトナカイも普通ではない。
大きさは、サンタとのバランスを考えれば妥当な大きさだ。
元気もありそうだし、陽気な笑顔を皆を振りまいてくれてはいる。
でも、な~んか人に合わせてしまうような気の弱い部分もありそうな瞳に
既視感を抱いてしまう。
ただ、な。なんでこうも色っぽいんだ?
いくら人形だからといって、デフォルメしすぎてないか。
なんとなぁく由比ヶ浜みたいな気もするのは、目の錯覚か?
雪乃が好きで選らんだんだからいいんだけどさ、
雪乃がどういう基準で選んでいるか聞きたいところだ。
・・・・・・いっか、なんだか賑やかそうだし、悪くはない。
クリスマスだし、深く考えることではないのだろう。
なんて考えながら、雪乃に任された寝室の大掃除を進めるていく。
年末は忙しいから、時間があるときに掃除をしておかなければならない。
それに、文句を言うのはいいけれど、文句を言われるのだけは勘弁だ。
雪乃「八幡・・・。こちらも休憩にするから、一緒に休憩にしましょう」
八幡「おう、わかった。すぐ行くよ」
雪乃「ええ。御苦労さま」
雪乃の言いつけ通り寝室の掃除を初めて2時間を過ぎようとしている。
雪乃も雪乃で、由比ヶ浜のお勉強を見てあげていた。
午前中は俺が面倒を見て、午後からは雪乃が英語の面倒を見ているはずだ。
年が明ければすぐさま期末試験だし、年末年始は遊んでいるはずだからとのことでの
勉強会、主に由比ヶ浜の、がここ数日開催されている。
リビングに行くと、芳しい紅茶の香りが疲れた体をいたわってくる。
そう、香りだけは俺をいたわってくれるし、蓄積した疲労も和らぎそうだった。
ただ、リビングで展開しているこの惨状。この光景からは、ゆっくりと休憩なんか
出来るとは思えない。むしろ、寝室よりもリビングの掃除を先にすべきださえ思えてしまう。
・・・なんだ、テーブルの上でうなだれているこのトド。
どうにかならないのか? ぐでんと力尽きている様子は、生存競争に敗れ去った感が
まじまじと漂ってくる。
八幡「由比ヶ浜、生きてるか? 死んでるんなら、明日、燃えるごみと一緒に出してやるぞ」
結衣「うぅ・・・」
529 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:37:36.75 ID:6V9OUwvH0
雪乃「駄目よ、八幡。由比ヶ浜さんは、燃えるごみには出さないわ」
結衣「ゆきのん」
雪乃の援護に、由比ヶ浜は最後の力を振り絞ってひょこりと顔を上げる。
雪乃「だって、ゴミ袋に入らないじゃない。指定のごみ袋に入らないゴミは
捨てられない決まりよ」
八幡「そうだったな。だったら、粗大ごみか?
持ち込みしたら安くならねぇかな」
雪乃「リサイクルショップという手もあるわね」
八幡「だな。由比ヶ浜ごときにお金を出すなんてぜいたくすぎる」
結衣「ちょっと、ゆきのんまで酷いっ。
あたしは粗大ゴミでも不用品でもないし」
八幡「死んでないんなら、とっとと起きろ。
こちらもお前の為に勉強教えてて疲れてるんだよ。
しかも、大掃除までやってるんだぞ」
結衣「それは・・・、友情協力ってやつ?」
なにそれ? 映画とかである友情出演の類似品かよ。
あれって、お金貰えてるのかな? 貰えてなくても、世間様にお金なしで
出演してあげてるんだぜ感アピール丸出しだし、宣伝効果もあるか。
やっぱ、どう転んでもリアルマネー絡んでるだろ。
八幡「その友情協力っていうのは、一方通行みたいだけどな」
結衣「そんなことないしっ」
雪乃「紅茶冷めてしまうわよ。由比ヶ浜さんが買ってきたお茶菓子もあるのだから、
しっかりと休憩をして、勉強を再開させましょう」
なるほどね。だから雪乃が買わないようなお菓子があるわけか。
雪乃調停にのることにして、俺は休憩に入ろうとする。
由比ヶ浜はまだ何かいいたそうな目つきを俺に突きさすが、ここは無視するにかぎる。
無益な戦いはしないほうがいいし、なによりも、雪乃の紅茶を冷ましてしまうのは、
俺の損失になってしまうから。
第29章 クリスマス特別短編『パーティー×パーティー(前編)』終劇
第30章 クリスマス特別短編『パーティー×パーティー(後編)』に続く
536 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:30:42.35 ID:HH2/WTQh0
第30章
クリスマス特別短編
『パーティー×パーティー(後編)』
彩り溢れるスナック菓子がコンビニ袋からこぼれ出ている。
脂ぎったその風体と、毒々しすぎるまで人工的に味付けした感のコラボを
無性に食べたくなる時がある。
ぜったい食べすぎたら体に悪いだろって子供でもわかりそうなのに、
いまだにコンビニの目立つ所に陳列されているところをみると、
俺と同じようなリピーター以上に、スナックジャンキーが多くいると思える。
ここにいる由比ヶ浜結衣も、きっとそのスナックジャンキーの一人なのだろう。
結衣「ねえねえ、これね、新商品なんだよ。
焼きイモ味に、コーンポタージュ。
あとこれは、ホワイトチョコレートのもあるんだよ」
八幡「毎年、企業も期間限定って書けばいいって思ってるのかね。
どれも去年も似たような商品あっただろ」
結衣「違うよぉ。これは、濃厚さがアップされているし、
こっちのホワイトチョコは、いつもは普通の茶色いチョコなんだから」
八幡「誰基準での濃厚さアップだよ。
企業か? それとも開発部か?」
結衣「それは、えぇ~っと・・・、開発スタッフ?」
八幡「それこそ個人の感想じゃねぇか」
結衣「違うからっ。去年より美味しくなってたもん」
八幡「ふぅ~ん」
結衣「信じてないでしょ」
八幡「信じてるって」
結衣「信じてないって。ほら、その目。絶対信じてないもん」
俺の表情を細かくチェックするその能力。人をよく見ている由比ヶ浜はさすがっすね。
うん、信じてないし、これからも信じないと思うぞ。
だって、企業の買ってくださいアピール感しか伝わってこないからさ。
と、世間の世知辛い実情を噛み締めていると、俺の口元まで自称「濃厚さ130%up」の
コーンポタージュ味スナック菓子が迫っていた。
537 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:31:12.49 ID:HH2/WTQh0
結衣「ほら、ヒッキーも食べてみてよ。文句を言うんなら、食べてからにして」
八幡「そのな・・・」
由比ヶ浜がスナック菓子を手に、俺の口へと放り込もうとする。
迷いがないその軌道は、黙っていればそのまま俺の口内へと運ばれてくるのだろう。
けれどな、由比ヶ浜。お前が俺の口にお菓子を放り込むのと同時に
俺は修羅場へと放り込まれないか?
だってさ、隣見てみろよ。深夜の外気よりも重い冷気を身にまとった雪乃が
ぷるぷると肩を震わせているぞ。
あれは、自分の冷気が寒いんじゃなくて、自分の体を拘束している振動。
今雪乃がおとなしくしているのも、お前だから強硬手段に出てないだけだ。
八幡「すまん。紅茶は、戻って来てからもう一度淹れてくれよ。
由比ヶ浜の勉強を見る前に、ちょっと本屋にいっておきたかったからさ。
夕方からは雨かもしれないって言ってたからな。
じゃあ、なにか買うもなったら、あとでメールしてくれ」
俺は、一息で今出来上がった急用を告げると、
足をもつれさせながらリビングから逃げ出す。
結衣「ちょっと、ヒッキー」
雪乃「ええ、行ってらっしゃい。その腐りかけた脳が形を崩れなくなるくらいまで
じっくりと凍らせてくればいいと思うわ」
玄関まで恨み言が追いかけてきたが、俺は玄関のドアを閉めることで、
どうにか振り切ることができた。
駅前まで行くと、クリスマスムードで盛り上がっている。
自宅マンションそばの商店街も、落ち着きがあるクリスマスムードで好きではある。
一方で、駅前のクリスマス。
クリスマスセールののぼりや年末セールのチラシ。
クリスマスケーキの予約の呼び込みなど、
いたって健全で商魂たくましい日本のクリスマスだ。
どこかロマンチックな飾り付けがある所に、ふらふらっと立ち寄ってみても
なんたらセールや威勢がいい呼び込みをする店員がいて、
どこまでがクリスマスの為で、どこからが商売のためなのか、わからなくなることはない。
538 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:31:47.86 ID:HH2/WTQh0
絶対100%商売だなと、世知辛い世の中を見渡しながら本屋がある階へと登っていく。
本音を言うと、本屋に用事などなかった。
休暇中読もうと思っている本は、既に雪乃の本棚から借りているし、
ラノベなどの純粋なる娯楽は、先日雪乃と来た時にチェック済みでもある。
だから、一応本屋に一歩踏み入れて、ちょっと買い忘れがあるからというポーズを
作ってから、本屋から出ていく事にした。
そもそも外出したのだって、由比ヶ浜の鈍感力から逃げる為であるわけだしな。
というわけで、どことなく行くあてもなく、他のショップを見て回ることにした。
ここでも、テナントビルがあれば一件くらいある雑貨屋があり、
クリスマスを前面に押し出した品をアピールしまくっている。
ん? この店でも最近はやりのちょっと痛い子をイメージしたクリスマスオブジェが
あるのかよ。なんでもかんでも斜め上をいけばいいってものじゃぁあるまい。
でも、俺みたいな奴がいるから仕入れるわけで、俺は店員の期待を背負って
とりあえず人形をひっくり返して、その値札を見ることにした。
1200円。駅前だし、その分割高なのか?
サイズは、手のひらサイズで、寝室の出窓に置かれているのと同じくらい。
天使をイメージして造られたクリスマスオブジェであり、
一般的なイメージ通りにこやかに笑顔を振りまきまくってはいる。
だが、なんで口は笑っているのに、目だけは冷ややかなんだ。
その瞳に吸い込まれそうなって見つめていると、なんだが
うちにいる残念サンタのけつでも蹴飛ばして、気合を注入しそうな気がしてくる。
天使っつっても、神様の使者で、日々中間管理職としての悲哀を嘆いでいるのかなぁと
自分に重ねてしまう。
ただ、この冷たい瞳の天使は、きっと俺と同じにするなっていいたそうだった。
よし、決めた。そこまで俺を毛嫌いするんなら、俺んとこのぐぅたらサンタの
けつを蹴っ飛ばしてくれ。きっと最悪の中間管理職間違いなしだ。
と、俺は、人形相手に大人げない態度をとって、帰宅することにする。
ん~ん・・・、もう一度まじまじと人形を凝視すると、
なんだか俺の事を見て、微笑んでいる気がした。
その頬笑みは、なんだか雪乃に似ている気もしたが、おそらく気のせいだという事にした。
八幡「なんだかんだいって、由比ヶ浜の奴、けっこうやばいんじゃないか?」
雪乃「どうかしらね。最近の頑張りをみていると、年末年始も頑張れば
期末試験も大丈夫なような気もするのだけれど」
八幡「普段から勉強するように目を光らせてはいたんだけどな。
ここまで覚えたものを忘れちまうとは、想定外だったな」
539 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:32:22.53 ID:HH2/WTQh0
雪乃「それは仕方がない事よ。大学受験以上に覚える範囲が増えているんですもの。
これ以上由比ヶ浜さんに勉強を押しつけても、潰れてしまうだけだわ」
八幡「だよなぁ・・・。新学期からは、普段の復習方法を変えてみるか」
雪乃「そうね。普段からの復習がうまくいけば、効率もあがるわね」
なんかなぁ・・・、俺達ってまだ子供いないはずなのに。
話している内容が、どこか出来が悪い子供をもった親じゃないか。
寝室のベッドに身を沈め、読んでもない小説を片手に近況報告をする。
本ばっかり読まないで、子供の事をしっかり考えてちょうだいって
聞こえてきそうなシチュエーション。
なぁんて考えてもしょうがない。
大学は義務教育ではないんだよ、由比ヶ浜君。
俺は、早々にホームドラマ(脚本:比企谷八幡)を打ち切ることにして、
新たにベッドに加わった重みを受け入れる準備に取り掛かった。
そんな目で見るなって。
俺を見つめてくるその視線。俺が今日買ってきた天使の人形なんだけど、
その天使の視線も気にはなるんだが、その隣にいる女神の方がより不気味な視線を
感じずにはいられなかった。
今朝はなかったし、由比ヶ浜が置いていったのだろうか?
なんで俺が人形買ってくると、すぐさま増えるんだよ。
しかも今度のは、女神つっても、どこか底意地が悪そうで、何を考えているか
わからない笑顔なんだよな。もちろん女神様なので、ニッコニコして、
頬笑みを垂れ流しまくってはいる。
この女神、絶対内心と外見とでは全く違う事考えているな。
どこの雪ノ下陽乃さんだよ。
だけどなぁ、こいつもどこかクリスマスオブジェとしては規格外。
なんで、この部屋には変わりものばかりが集まってくるんだよ。
朝早くから、俺が引っ越してきてからそのままにしていた荷物をひっくり返していた。
そもそも小町が俺の部屋にあったものを適当に突っ込んだものであるわけで、
引っ越しの際捨てるべき荷物の選別さえされていないでいた。
だったらこのマンションに引っ越してきた時に捨てればいいって思うかもしれないが、
突如実家を追い出され、あっという間に新たな生活の場に放り込まれてしまった俺の
気持ちも考えて欲しい。
新生活への適応。新生活への不安。新生活への葛藤。新生活への希望。
新生活というものは、新たな生活リズムを掴むまでが大変であって、
エネルギー消費も割高になってしまう。
540 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:32:56.31 ID:HH2/WTQh0
だから、引っ越しの作業に不備があったとしても、俺は悪くない、はずだ。
ま、新しい生活といっても、俺の場合は、もともと雪乃とは半同棲状態だったわけで、
新生活への順応なんて必要なかったんだけどね。
ようは、俺がずぼらだったから、不用品が未だに残っていたわけだ。
しかし、今回ばかりは俺ナイスと誉めてやりたい。
俺は、目当ての品物を手にすると、ニヤリと赤ん坊が泣きだすような笑みを浮かべていた。
雪乃「朝から大掃除をしていたかと思えば、思い出の品を見つめて下衆な笑いを
洩らすのはやめてくれないかしら」
俺の抗議の視線の先には、ティーカップを軽くつまんで優雅にティータイムを
楽しんでいる雪乃がいた。
腰まで伸びた黒髪は、雪乃にしては珍しく、ゆるふわルーズな三つ編みで一本に束ねている。
白いハイネックカシミアセーターは、ほっそりとした体の輪郭を形作り、
申し訳程度に膨らんだ胸も、妙に艶っぽさを増大させていた。
クリーム色やブラウン系で構成されたレースやニットを重ねて作られたロングスカートも、
どこか品の良さを漂わせ、まさしくお嬢様といったイメージを強調させる。
雪乃自身が本当にお嬢様なのだから、イメージ通りの服装ってわけだ。
一方、俺の服装といったら、ザ・ジャージ。
高校のジャージじゃないところが唯一の救いなのだろうか。
一応アディダスのジャージだし、安くはないのよ。
八幡「思い出の品ってわけじゃない。以前小町と人形作ったときに余った材料だよ。
色々買ってみたんだけど、買っただけで未開封のまま、結構残ってたんだな」
雪乃「小町さんも大変ね。話をする相手がいないかわいそうな兄の為に、
話相手代わりの人形まで作ってあげていたなんて」
八幡「そこも違うから」
見た目だけは、まさにお嬢様なのに、どうして毒舌ばかり乱れ撃ってくるんだ。
これさえなければ文句のつけようがないお嬢様なのに、ほんともったいなくない。
雪乃「そうなの?」
八幡「そうなんだよ。これはだな、・・・・・・たしかハロウィンかなにかで
飾りつけで人形作ったんだったと思う。もしかしたら、他の行事かもしれないけど
似たようなものだ」
雪乃「それでクリスマスの飾り付けでも作るのかしら?」
八幡「そうだよ。寝室の出窓に飾ってあるオブジェあるだろ?」
雪乃「ええ、あるわね」
541 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:33:30.87 ID:HH2/WTQh0
八幡「なんで俺が新しいオブジェ買ってくると、すぐに対抗してもう一体買ってくるんだよ。
ふつうは毎年一体ずつ買って増やしていくものじゃないのか?」
雪乃「別に毎年少しずつ増やしていってるわけではないのよ」
八幡「だったら、なんで俺が買ってくると、雪乃も買い増すんだよ?」
雪乃「それは・・・」
雪乃は、どこか宙に浮く何かを捕まえようと視線をさまよわしていたが、
俺の視線と衝突すると、観念したの、ぽつりぽつりと語りだした。
雪乃「最初追加した一体は、たまたまだったのだけれど、私がおいてもすぐに八幡が
もう一体追加してきたじゃない。だから、このままにしておいたら
負けたような気がしたのよ」
は? 何に勝ち負けがつくっていうんだ。
雪乃が根っからの負けず嫌いだっていうことは知っていたが、なぜ今回の事で
勝ち負けがつくんだよ。
八幡「だったら、俺の負けでいいよ。すでに俺の財布が負けている。
これ以上の出費は、痛いからな」
なにせ一体1000円くらいするわけで、それを何体も買っていくのならば
数千円にも積み上がってしまう。
だから、今日俺が人形を自作するのだって、お金をかけないで済むようにするためで。
雪乃「それなら、無理して買わなければよかったじゃない」
八幡「なんとなく、気にいったのがあっただけだよ。
それに、なんか人形が増えていくのも、見ていて面白かったしな。
あっ、でも、まじで勝ち負けなんか気にしてないからな」
雪乃「わかってるわよ、もう。でも、今日はなにを作るのかしら?」
八幡「サンタ、トナカイ、天使、女神ってきたら、あとはキリストとかその辺だろうけど、
俺は、プレゼントを貰う子供を作ろうかなって思っている」
雪乃「へぇ・・・、で、なんでキリスト作るのやめたのかしら?」
八幡「なんでキリスト作ろうと思って挫折したことが前提なんだよ」
雪乃「なんとなくよ」
八幡「まあ、間違っちゃいない、か。なんとなく、作るのが難しいと思ったんだよ。
小さな子供だったら適当に作ればいいだけだろ」
雪乃「八幡らしい理由で安心したわ」
八幡「出来ないものを作ろうとしても、時間と材料の無駄だしな」
542 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:34:03.83 ID:HH2/WTQh0
雪乃に見つめられながら、俺は制作活動に取り掛かる。
材料は、パン粘土と毛糸。これがあれば、なんとなく味がある人形が出来上がるのだが、
雪乃が自身の三杯目の紅茶と俺の紅茶を用意してくれているときに出来上がった人形は、
どうみたってクリスマスを待ち望む子供としては不釣り合いであった。
雪乃「それで完成なのかしら?」
八幡「一応な」
雪乃が顔を引きつらせながら聞いてくるのを、俺も顔をひきつらせて受け答える。
どうしてこうなったのだろうか。
雪乃「怨念がこもっていそうね」
八幡「そこまで年くってないだろ」
雪乃「なら、結婚できなそうね」
八幡「だろうな」
俺達が見つめる先にあるサンタを待ちわびる子供の人形。
期待を胸一杯にして、その時を待っているのがよくわかる。
よくわかるんだけど、・・・なんか待っているのはサンタじゃなくて旦那さんじゃないか?
正確に言うんなら、結婚相手の男性だな。
この人形、我ながらよくできていると思う。よくできているんだけど、どうみても、
平塚先生の幼少期、見た事はないけど、って感じがしてしまう。
俺だけじゃなくて、雪乃もそう感じているのだから、間違いない。
雪乃「一応聞いておくけど、わざと作ったのかしら?」
八幡「んなわけないだろ。まがまがしすぎる」
雪乃「そうよねぇ・・・」
紅茶を一口口に含み、この人形、どうしようかと考えをめぐらす。
めぐらす、めぐらす、めぐらす・・・・・・。
いくら考えたって、答えは一つしかないか。
ここで仲間外れにでもしたら、
本人さえも寂しい一人身でのクリスマスを迎えてしまいそうなのだから、かわいそすぎる。
だったら、快く寝室の出窓に迎え入れるべきだな。
テーブルの上に現れた珍獣を興味深く、いろんな角度から見ている雪乃に
聞いてみることにした。
ここで聞いておかないと、おそらく俺も疑問に思った事さえ忘れてしまうような
小さな事なんだけど、なんだか今聞いておいた方がいいような気がした。
543 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:34:42.66 ID:HH2/WTQh0
八幡「人形買いそろえていくのを雪乃は勝ち負けだっていってた事だけどさ、
俺はけっこう楽しかったぞ。
なんかわくわくするってうか、クリスマス特有のドキドキ感も相乗効果で
発揮されてたのかもな」
雪乃「そうね。私も楽しかったわ。最後は、八幡が財政難で自分で人形を
作るとは思いもしなかったわね」
八幡「だな。俺も思いもしなかったよ。小町が荷に突っ込んでおいてくれたから
作る気になっただけだがな。あぁ、そうだ。小町もクリスマスパーティー
是非参加させて下さいってさ」
雪乃「わかったわ。小町さんが来てくれて、よかったわね。シスコンのお兄ちゃん」
どこか意地が悪そうな笑みを浮かべるのは、
小町でさえも焼きもちを焼いているのでしょうか?
ちょっと聞くのが怖いので、聞かないけどさ。
八幡「シスコンでけっこう。今年も小町に彼氏がいなかったとが証明されて、
お兄ちゃんとしては、ホッとするところだ」
雪乃「でも、イブにデートしなかったからといって、彼氏がいないということには
ならないのではないかしら?」
八幡「やめろ。考えたくもない」
雪乃「まあ、いいわ。これで由比ヶ浜さんも入れて四人ね」
やっぱ小町相手にやいてただろう?
俺に八つ当たりして、ちょっとすっきりした感がはっきりと出てるぞ。
八幡「それ、四人じゃなくて、六人しておいてくれ」
雪乃「それは構わないのだけれど、でも、どうしてそんなにも暗い表情なのかしら?」
八幡「暗い気持ちってわけじゃないんだ。ただ、面倒を起こしそうな人たちなんでな」
雪乃「それってまさか・・・」
八幡「ああ、陽乃さんと平塚先生が来る。
なんか知らないけど、あの二人にばったり会ってしまってな。
しかも、あの二人が一緒にいるのさえ不思議なのに、
こっちがパーティーの話をしていないのに、向こうから切りだしてくるんだぞ。
断ることなんでできやしない」
今でも夢に出てきそうな迫力だったよな。
あれはきっと、クリスマスへの怨念も加わっているはず。
成仏してくれよ、平塚先生。いや、まだ諦めるのには早いですって。
544 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:35:15.54 ID:HH2/WTQh0
雪乃「そう、それは災難だったわね」
八幡「災難なんて生易しいものじゃあない。天災だな。疫病神だ。
神様レベルの避けられない運命って感じだよ」
雪乃「でも、いいじゃない。賑やかなクリスマスになりそうよ」
そう雪乃は呟くと、温かさが宿った瞳で静ちゃん人形を眺めていた。
雪乃も最初から一人がいいってわけではなかったと思う。
小学校、中学校の事を考えれば、人を信じきれないことも理解はできる。
だからといって、人の温もりを求めていないだなんて思えはしなかった。
だってさ、どの部屋であっても飾られているクリスマスグッズ。
どこにいても優しい気持ちになれるクリスマスの雰囲気を味わいたいって事だろ。
寝室のオブジェだって、一人だけの残念サンタに仲間を与えてあげたいって
思っていたのかもしれない。
いくらサンタだからといっても、プレゼントをあげる相手がいなければ、
サンタクロースにはなれないし、トナカイがいなければ、プレゼントを配りにもいけない。
今までの一人でいた俺や雪乃を否定したいわけじゃあない。
一人もいい。所詮人間、一人でやらないといけない事がほとんどだ。
しかし、寒い冬の日、凍えるような夜、華やかな賑わいで満ちているクリスマスイブ。
そんな時くらい誰かと身を寄せ合って、温もりを共有したっていいじゃないか。
八幡「なぁ、雪乃」
雪乃「なにかしら?」
八幡「ほんとうに勝ち負けだけで人形を買っていたのか?」
雪乃は、静ちゃん人形をつついていた指を止めて、数秒間人形を凝視する。
そして、ふっと息を抜くと、俺の方に一度睨みつけてから
柔らかい口調で告白してきた。
雪乃「それは嘘ではないわ。でも、一番の理由でもないわね」
八幡「じゃあ、なんだったんだよ?」
雪乃「気がつかなかったの?」
八幡「なににだよ」
雪乃「はぁ・・・。あのサンタクロースって、誰かさんに似ていると思わない?」
八幡「残念サンタって、俺は呼んでたけどな」
雪乃「その認識で間違いないわ」
八幡「それが、なんなんだよ」
雪乃「だから・・・、あなたが最初に買ってきた人形は、トナカイだったじゃない。
しかも、小町さんみたいな元気一杯なトナカイ」
545 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:36:47.03 ID:HH2/WTQh0
・・・・・・あぁ、なるほど。
だから、シスコンのお兄ちゃんって事なのか。
これは、雪乃の焼きもち確定だな。
俺が二番目に買ってきた天使のオブジェ。
あれこそが雪乃のイメージだったのだから。
それを一番目に買ってこなかったのが、原因だったのね。
それと、寝室のイメージ。
雪乃が外での生活を一切寄せ付けたくないのが反映されているっていうイメージだが、
やはりその寝室のコンセプトは一貫しているのかもしれない。
あの残念サンタのイメージが、俺の想像通りの人物だとしたら、それは雪乃にとっては
内なる存在であるはずだから。
まあ、そう思ってしまう事自体うぬぼれているっていわれそうだが。
だから、あの寝室には異物など最初から存在していなかったというわけか。
暖房は十分効いているし、寒い夜でもない。クリスマスだって、まだ先だ。
だけど、俺を求めてくれる最愛の彼女がいる。
だったら、二人身を寄せ合って、これから来るクリスマスに向けて、
幸せを共有していったって、サンタも不満は言うまい。
だから俺は、そっと雪乃の肩を引き寄せた。
第30章 終劇 クリスマス特別短編『パーティー×パーティー(後編)』終劇
第31章に続く 新章『愛の悲しみ編』開幕
551 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:30:33.42 ID:raeklLg30
第31章
『愛の悲しみ編』
7月11日 水曜日
初夏を匂わす日差しも、心地よく吹き抜けて行く風も、
目の前で繰り広げられている惨劇を直視すれば、どうでもいいような気がしてしまう。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
どうして止めることができなかったのだろうか。
どうしてもっと強く言うことができなかったのだろうか。
目の前の惨劇の全ての原因が自分にあるとは思わないが、
そうであってもあんまりではないか。
自分が何をしたっていうんだ。
俺はちょっと二人の仲が良くなればいいと思っただけなのに。
そう、数分前までは平和だったんだ。
陽乃「ねえ比企谷君。今夜もうちに食べにおいでよ」
車を大学近くの駐車場に止め、大学の正門へと足を進めている朝。
昨日に引き続き、今日も食事の招待を受けていた。
別にいやってわけでもない。
むしろ美味しい食事にありつけるわけなのだから、嬉しいともいえる。
もちろん雪乃の手料理は何物にも代えられないほどの大切な食事ではあるが、
先日のストーカー騒動を思い出すと、
どうしても陽乃さんを一人にしておくことができないでいた。
だから、もはやストーカーが待ち伏せしているわけでもないのに、
今朝も車で送り迎えをしているわけで。
そして、雪乃も姉の陽乃を心配して、むげに断ることができないでいた。
俺の数歩前を颯爽と歩く二人の姿は、もはや今の時間帯の名物となっている。
美人姉妹がそろって登校するのだから、目の保養になるのかもしれない。
ただ、二人が話している会話内容を知らないから無責任に眺めていられるんだ。
常に俺達の日常を面白おかしくかき乱す姉の雪ノ下陽乃。
今日は珍しく活発さを前面に押し出している服装をしていた。
肩をむき出しにした黒のタンクトップは、これでもかっていうほど肌の白さと
胸の大きさを強調させ、
洗いざらしのスキニーデニムは、腰から足首にかけての優雅な女性らしい曲線を
浮かび上がらせていた。
552 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:31:09.09 ID:raeklLg30
さらに膝からももにかけてクラッシュ加工されてできた隙間から覗く素肌には
それほど露出部分が多いわけでもないのにドギマギしてしまう。
そして、肩まで伸びている黒髪は、ポニーテールにして揺らし、
どこか人をからかっているような気さえしていた。
雪乃「昨日もそうなのだけれど、月曜も食事に招待されているだから
今日もとなると三日連続になってしまうわ」
陽乃「どうせうちに私を送ってから帰るのだから、食事をしてから帰ってもいいじゃない。
それにあなた達も料理をする手間が省けるのだから、
勉強する時間も増えるんじゃないかな」
雪乃は、陽乃さんが勉強ネタを先回りしてふさいでしまった為に、きゅっと唇を噛んでいる。
姉に反論しても見事に潰された妹の雪ノ下雪乃は、
姉とは対称的な落ち着きみせる夏の高原がよく似合いそうな服装をしていた。
アイボリーホワイトのワンピースは、胸元のレースとスカート部分のこげ茶色のラインが
アクセントになっていた。
膝元まで伸びたスカートは、夏を強く意識させるミニスカートのような
華やかさはないが、その分、風が通り抜けているたびに揺れるスカートの裾が
なにか見てはいけないようなものに思えて、目をそらしてしまう。
ただ、背中の部分だけは、大胆に肌を見せていた。
腰まで届く光り輝く黒髪が、その白い素肌を守るようにガードを固めているのが、
彼氏としては心強く思えてしまう。
俺も雪乃も、雪乃の母との約束によって海外留学をしなくてはならなくなり
今まで以上に勉強しなくてはならなくなった。
とくに英語での講義を受けねばならなくなるわけで、
英語力向上はさしせまった最優先課題といえる。
ましてや、雪乃に関しては、三年次に経済学部に学部変更しなければならないので
そのための試験対策もせねばならなく、俺以上に大変そうであった。
雪乃「そうなのだけれど・・・・・・」
陽乃「それに今日も両親は帰ってくるのが遅いし、気兼ねなくゆっくりしていけるわよ」
雪乃「ええ・・・」
もう全てに関して先回りされているな。
勉強に、雪乃の母親。俺達が実家に近寄りにくくなる要因をすべて排除されていては
断ることなどできないだろう。
八幡「あのぅ」
553 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:31:43.83 ID:raeklLg30
陽乃「なにかな?」
八幡「今日もご両親いらっしゃらないんですか?」
陽乃さん相手では、雪乃だけでは分が悪い。
俺がいたとしてもたいした戦力にはならないけれど、いないよりはなしか。
二人に追いついて横に並んで歩くと、美人姉妹を眺めていた通行人が俺の事を見て
訝しげな表情を浮かべてしまう。
たしかに、この二人と見比べてしまえば、その落差に驚くかもしれない。
だからといって、俺もいたって夏という服装をして、おかしくはないはずなのに。
リブ織りの薄水色のTシャツに、七分丈のバギーデニム。それとスニーカー。
いたって平均レベルのファッションに、平均レベルを少し超えるルックス。
だから、俺の事を見て怪訝な顔をされるようなレベルではないはずなのだけれど、
やはり俺が一緒にいる二人のレベルが遥か上を突き抜けまくっているのが原因なのだろう。
陽乃「ああ、そうね。今日もっていうか、たいていいないわよ」
八幡「え?」
陽乃「雪乃ちゃんから聞いていないの?」
八幡「何をですか」
陽乃「うちは両親ともに仕事で忙しいから、自宅で食事をするのは珍しいのよ」
八幡「まあ、うちも共働きですから、同じような物ですよ」
陽乃「そう? でも、うちの場合は、極端に干渉してくるわりに、
普段はほったらかしなのよね。どっちか一方に偏ってくれた方が
子供としては対処しやすいんだけどな」
八幡「どこの家庭でも同じですよ。全てが満遍なく均一にだなんて不可能ですから」
陽乃「それもそうね。・・・・・・どうしたの雪乃ちゃん?」
雪乃「姉さん。ごめんなさい」
陽乃「どうしたの? 雪乃ちゃん。そんな神妙な顔をして」
振りかえると、俺と陽乃さんに置いて行かれた雪乃がポツリと立ち止まっていた。
やや俯き加減なのでよくは見えないが、表情を曇らせているようにも見える。
俺は訳がわからず、陽乃さんに助けを求めようと視線を動かすと、
陽乃さんは、元来た道を引き返し、雪乃の元へと歩み進めていた。
陽乃「雪乃ちゃんが気にすることなんて、何もないのよ。
私が好きでやってるんだから、あなたは好きなように生きなさい」
雪乃「それはできないわ。私は、一度はあの家から逃げ出したけれど、
それでも姉さんに全てを押しつけることなんてできない」
554 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:32:57.98 ID:raeklLg30
陽乃さんの政略結婚はなくなったが、それでも雪ノ下家をしょっていかなければ
ならないことには違いはない。
自由に結婚できるようになった分、陽乃さんの責任は増したともいえる。
勝手に結婚するのだから、政略結婚に劣らないくらいの成果をあげなくてはならないだろう。
つまり、言葉通りの自由なんて存在しない。
自由であるからこそ責任が生じ、責任を果たすからこそ自由を得られる。
一見矛盾しているように聞こえるが、そもそも自由なんてものは根源的には存在しないの
だからしょうがないと思える。
たとえば、空を自由に飛ぶ鳥であっても、自由に空を飛ぶ事は出来ない。
重力の影響は受けるし、体力がなくなれば羽ばたく事も出来ない。
しかも、空を飛んでいるときは外敵に身を晒すわけなのだから、危険も伴ってしまう。
だったら、自由とは何かという哲学的な思考に突入しそうだが、
そこまで俺は暇人でもないし、哲学が好きなわけでもない。
ただ、なんとなく「自由」という言葉は「権利」という言葉の方があっている気がするのは
俺が捻くれているからだろうか。
陽乃「私は、十分雪乃ちゃんに助けられているわ。だから、責任を感じる必要なんて
なにもないのに。それに、これからは比企谷君も助けてくれるんでしょ?」
八幡「自分ができることならやりますよ」
陽乃「だそうよ。ね、だから、雪乃ちゃんは今まで通りでいいの」
雪乃「でも、あのただでかいだけの家で、一人でずっと食事をしてきたのでしょ。
それに、姉さんが料理が好きなのも知っていたわ。
でも、私はそれを知らないふりをしていた。食べてくれる相手もいないのに
ずっと一人で作り続ける孤独を見ないふりをしていた」
そっか。
陽乃さんが誰かの為に食事を作った事がないって言っていた意味がこれで理解できた。
料理をするようになって、最初に食べてもらう相手といったら、
一緒に生活している親か兄弟が最初の相手になるだろう。
だけど、もともと家政婦が雪ノ下家にはいるわけだから、陽乃さんが料理をする必要はない。
それでも陽乃さんが料理をしたとしても、食べてくれる相手が仕事で家に帰ってこない
のならば、誰かの為に料理をすることなどないはずだ。
また、雪乃も実家を出てしまって、家にはいない。
ましてや、得られないのならば、
最初から手に入れる事を諦めてしまうことに慣れてしまった陽乃さんだ。
無駄な期待などしないで、最初から誰かの為に料理をすることを諦めていても
おかしくはないと思えた。
この位置からでは陽乃さんの後姿しか見えない。
苦笑いでもしているのだろうか。それとも、優しく微笑んでいるのかもしれない。
555 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:33:28.51 ID:raeklLg30
ただ、これだけは言える。
今まで作り上げてきた理想の雪ノ下陽乃を演じる為に被ってきた作り笑いだけは
していないはずだ。
陽乃「それはそれで仕方がないわ。そういう雪乃ちゃんの選択も私は受け入れていたんだし」
雪乃「でもっ!」
陽乃「はいはい、この話はここまでね。だって、今、私は幸せなのよ。
だから、過去がどうであろうと、問題ないわ」
そう雪乃に告げると、陽乃さんは俺の方に振りかえる。
振りかえったその顔は、晴れ晴れとしているのだが、それも見間違えかと思うくらい
ほんのわずかな時間で、・・・・・・・今はニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
陽乃「ねぇ~、比企谷くぅ~ん」
甘い声色で俺を呼ぶと、つかつかと俺に近寄ってきて、そのまま俺の腕に体をからませ、
雪乃をおいて大学へと歩き出す。
甘い声色と同等以上の陽乃さんの甘い香りが俺を駄目にしそうにする。
俺は、てくてくと陽乃さんに引きつられるまま歩み出すが、
雪乃の声がどうにか意識を現実につなぎとめてくれていた。
雪乃「ちょっと姉さん。八幡から離れなさい」
陽乃「だって、そろそろ大学に向かわないと遅くなっちゃうでしょ?」
雪乃「それと八幡に抱きつくのとは関係ないわ」
陽乃「だってだって、比企谷君の腕の絡み心地っていうの?
なんかだ落ち着くんですもの。さっきまでおも~くて、くら~いお話していて
なんだかお姉ちゃん、精神的に疲れちゃった」
雪乃「だからといって、八幡に抱きついていい理由にはならないわ」
陽乃「えぇ~・・・。
これから大学行くんだし、ちょっとは回復しないとやってけないでしょ。
だ・か・ら、栄養補給よ」
首をひねって後ろにいる雪乃を見ると、陽乃さんの言葉にあっけにとられ
口をぽかんとあけていた。
しかし、すぐさま唇を強く噛み締めると、つかつかと早足で俺達に追いつくてくる。
俺の隣まで来ると、空いているもう片方の腕に自分の腕を絡ませて
自分が本来いるべき場所を陽乃さんに見せつけようとする。
といっても、その雪乃の可愛らしい自己主張さえ、陽乃さんが雪乃をからかう為の
材料にしてしまいそうであったが。
556 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:34:11.71 ID:raeklLg30
雪乃「姉さんは、普段からエネルギー過剰なのだから、多少いつもより少ない方が
バランスがとれて、周りに迷惑もかけなくなるからちょうどいいと思うわ」
陽乃「その理論だと、普段と違うバランスということで、いつも以上にピーキーに
なって、周りに迷惑をかけてしまうリスクが考慮されていないんじゃない?」
雪乃も陽乃さんも、お互いに話がヒートアップしていっているはずなのに、
俺の腕に自分の臭いを染み込ませるべく腕と胸を擦りつけることを忘れてはいない。
頭と体に二つの脳があるかのように、理屈と本能を使い分けているところが姉妹共に
似ていると思うが、朝からこの二人に付き合う俺のエネルギー残量も考慮してほしい。
なにせ、この二人が表面上は争ってはいるけれど、
実は仲睦まじく、普通とは違う姉妹関係を築きあげている。
それは、俺としても嬉しい事だ。だが、二人のじゃれあいは、俺の精神もすりへらす事も
忘れないでくださると八幡も大変助かります。
雪乃「姉さんがもたらす周りへの被害は、常に極限値なのだから、これ以上の被害は
考慮する必要はないわ。
だから、リスクを考慮する必要性はないといえるのではなくて」
陽乃「えぇ・・・。雪乃ちゃん酷い。私の事を台風みたいな存在だと認識していたのね。
それは多少は周りに迷惑はかけはしているけど、それでも学園生活を
楽しむ潤滑油みたいなものじゃない。それなのに、これ以上のリスクを
考える必要がないって断言するなんて、酷過ぎるわ」
と、悲しむふりをしながら、俺に体重を預けてくるのはやめてください。
ただでさえ夏の装いで薄着なのに、こうまで肌をこすりつけられては、
意識しないように意識しても意味をなしえません。
雪乃以上に女性らしさを強調する胸や体の柔らかさが俺に直撃して、防御不能です。
しかも、陽乃さんの様子を見て、
隣の国の雪乃さまは核ミサイルの発射装置に指をのせていますよ。
雪乃「姉さんは、周りに迷惑をかけているという自覚があるのならば、
少しは自重すべきね」
そろそろ大学の近くまでやってきた事もあって、電車通学の連中の姿も見え始めている。
このままだと、ただでさえ大学で有名な雪乃下姉妹なのに、
それが一人の男を挟んで言いあいなんて、格好のゴシップネタにされてしまう。
学園生活に潤いをもたせる潤滑油として俺を犠牲にするのは、
俺にとってはた迷惑なことなので、できればやめていただきたい。
この辺で二人を言い争いを終わらせないとな。
557 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:34:49.35 ID:raeklLg30
八幡「この辺で終わりにしときましょう。
そろそろ大学に着きますし、人も増えてきたので」
雪乃「そうね」
雪乃は俺に指摘にすぐさま反応して、耳を真っ赤に染め上げる。
しかし、もう一方の陽乃さんといえば、不敵な笑みをうかべ、
さらに攻撃的な瞳を輝かせてしまっていた。
陽乃「そうよねぇ。言葉なんて、いつでも嘘をつけるもの。
その点、体は正直よね」
陽乃さんは、俺の腕に絡みつき、ぐいぐいと豊満な胸を押しつけてくるものだから、
気になってしょうがない。
視線を斜め下に向けてはいけないと堅い決意をしても、甘い誘惑がその決意を崩壊させる。
それでも幾度も決意を再構築させてはいるものの、視線がその胸に釘つけになるのも
時間の問題であった。
雪乃「なにを言いたいのかしら」
引きつった笑顔を見せる雪乃に、俺はもはや打てる手はないと降参する。
もはや核戦争に突入とは、思いもしなかった。
核なんて、抑止力程度のもので、実際に打ち合いなんかしないから効果があるのに
実際の撃ち合いになったら、どんな結果になるかわかったものじゃない。
陽乃「そうねえ・・・」
陽乃さんは、自分の胸に視線を向けてから、雪乃の胸に視線を持っていく。
俺もその視線につられてしまい、陽乃さんの視線が雪乃の胸から陽乃さんの胸に
戻っていくので、つい陽乃さんの胸を見てしまった。
でかい! そして、柔らかい。
柔らかいといっても、適度の弾力があり、張りも最高品質だった。
その魅惑の胸が、俺の腕によって形を変えているのだから、
俺の意識は目と腕に全てを持っていかれていた。
だから、雪乃の痛い視線に気がつくわけもなく・・・・・・。
陽乃「どちらの体に魅力を感じているかなんて、言葉にしなくてもいいってことよ」
雪乃「それは、私に魅力がないといいたいのかしら?」
陽乃「そんなこと言っていないわ」
558 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:35:19.02 ID:raeklLg30
雪乃「そうかしら?」
陽乃「そうよ。だって、女の私から見ても、雪乃ちゃんは綺麗よ。
でも、私と比べると、どうなのかなって話なのよ」
雪乃「それは、私は姉さんより劣るといいたいのかしら?」
陽乃「だ・か・ら、そうじゃないのよ。
比企谷君が、どちらが好みかっていうのが問題でしょ?」
そう陽乃さんは呟くと、下から俺の顔を覗き込む。
俺は、二人の言い争いを聞きながらも、陽乃さんの胸から視線をはぎ取ることができずに
鼻を伸ばしていたので、実に気まずかった。
しかも、陽乃さんの視線から逃れようと視線を横にそらすと、そこには雪乃が
じっと見つめているのだから、さらに気まずい。
俺にどうしろっていうんだ。
俺に非がないわけではないが、俺を挟んで核戦争を勃発させないでほしい。
雪乃「ねえ、八幡。私の方が魅力的よね?」
陽乃「そうかしら? 雪乃ちゃんの慎ましすぎるものよりも、
自己主張をはっきりさせている私の方が好きよね?」
八幡「あの・・・、その」
俺はこの場からとりあえず離脱しようと思いをはせるが、いかんせ両腕をしっかりと
腕と胸とで挟み込まれているのだから、逃げる事はできない。
都合よく由比ヶ浜あたりが乱入してくれれば、逃げるチャンスができそうかもと
淡い期待を抱くが、人生甘くはなかった。
むしろ厳しい現実が、俺を路頭に迷わす。
腕からは、甘美な誘惑が俺を酔わせているのに、俺に向けられている視線は
俺の命を削るのだから、釣り合いが取れていないんじゃないかって、
俺の運命を呪いそうであった。
雪乃「八幡」
俺をきっと睨む雪乃にうろたえてしまう。
理性では、雪乃の言い分が正しいって理解はしている。
それでも、陽乃さんの攻撃はそれを上回っていた。
だが、陽乃さんは、挑発的な表情を一転させ、いつものひょうひょうとした顔にもどすと
とんでもない事実を俺に突き付けてくる。
陽乃「さてと、大学に着いたし、そろそろ終わりにしようか」
559 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:35:58.59 ID:raeklLg30
俺は、二人に連行されていた為に気がつかないでいたが、俺達は既に大学の敷地内に
入っていた。だから、周りを見渡すと、俺達に近づいてはこないが、
遠くから俺達の様子を伺う目が数多く存在していた。
雪乃「あっ」
雪乃は小さく吐息をもらすと、自分が置かれている現状を把握して
首を小さく縮こませる。
頬はすでに赤く染め上げてはいるが、俺の腕を放さないところをみると、
雪乃の負けず嫌いの性格がよく反映されていた。
陽乃「雪乃ちゃんは戦意喪失みたいだし、比企谷君もこれ以上の惨劇は困るでしょ?」
八幡「俺としては、こうなるのがわかっているのだから、初めから遠慮してくださると
大変助かるんですけどね」
陽乃「それは無理よ。だって、これが姉妹のコミュニケーションだもの」
俺は、その異常な姉妹関係に深い深いため息をつくしかなかった。
その深すぎるため息さえも、陽乃さんを満足させる一動作にすぎないようだが。
陽乃「それはそうと、比企谷君は、午後からうちの父の所に行くんでしょ?」
八幡「あ、はい」
落差がある会話に俺は陽乃さんについていけなくなりそうになる。
今まで散々核戦争さながらの話をしていたのに、今度は真面目な話なのだから。
それでも、陽乃さんにとっては、どちらも同列の内容なのかもしれない。
陽乃「総武家の正式契約の話し合いに同席したいだなんて、変わってるわね」
八幡「俺が関わった話ですから、ちゃんと結末まで見ておきたいんだすよ」
陽乃「そうはいっても、すでに細かい所まで話は詰めてあるから、
今日は最終確認みたいなものらしいわよ」
八幡「それは俺も伺ってますよ。でも、見ておきたいんです」
陽乃「そう? だったら、しっかり見ておきなさいね。
父もあなたの事を期待しているみたいだし」
八幡「あまり期待されても困るんですけどね」
陽乃「期待されないよりはいいじゃない」
雪乃「そうよ。あなたは自分がしてきたことを誇りに思うべきよ」
八幡「そうは言ってもなぁ」
なにせ、今回の契約は俺が口を出したせいで動きだしたかのように見えても、
裏では、初めから雪乃の父が手を貸してくれているふしがあった。
560 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:36:42.80 ID:raeklLg30
俺は親父さんの筋書き通りに動いていた気がしてしょうがない。
だから、それを見極める為にも今日の会談に出席したかった。
もちろん、今日の会談で親父さんがぼろを出すとは到底思えないが。
陽乃「まっ、それが比企谷君らしいところなんだから、いいんじゃない?
雪乃ちゃんは、しっかりと私が預かっておくから安心してね」
雪乃「預かるではなくて、送っていくの間違いではなくて?
いえ、むしろ、車は私が運転するのだから、姉さんを預かるのは私の方だと思うわ」
たしかに陽乃さんの言いようは、間違っているはずだった。
陽乃「ううん。間違ってないわよ。だって、会談って夜までやるわけじゃないし
今日の会談はすぐに終わるはずよ。
だから、うちで食事していく時間もあるはずだから、雪乃ちゃんは
うちで預かっておくねってことよ」
陽乃さんは、さも当然っていう顔をみせるので、
俺も雪乃も肩を落とすことしかできなかった。
俺達は、これ以上の言い争いは無駄だと実感していた。
初夏の陽気が俺達から体力を容赦なくじわじわと奪っていく。
これから日が高く昇り、昼前には焼けるような日差しが降り注いでくるはずだが、
俺達の隣にいる太陽は、朝から元気良すぎるようであった。
第31章 終劇
第32章に続く
567 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:20:00.38 ID:x/Aex12G0
第32章
7月11日 水曜日
朝の雪乃と陽乃さんとの一悶着はあったが、それ以外はいたって平穏な一日が過ぎてゆく。
俺の隣に座っている由比ヶ浜は、一日中ボケボケっとしており、
つい先ほど食後の眠気に敗北してお昼寝タイムに突入していた。
そう、俺の周りはちょっとしたいさかいがあっても、もっとも原因は陽乃さんで
攻撃対象は雪乃だが、とても緩やかな日常を取り戻しつつあった。
ただ、今日の午後に限っては、俺は頭を悩ましていた。
どう考えてもスケジュールがきつすぎる。
というか、時間が足りない。この後ある午後一の橘教授の講義を終えれば
今日の講義は全て終了する。
講義は終了するけれど、その後の予定がないわけではない。
とても重要な予定が組まれていた。
その予定とは、雪乃の親父さんに会いに行くのだが、
橘教授の講義を最後まで受講してしまうと、どうしても遅刻してしまう。
そもそも講義日程は毎回同じなのだから、親父さんに頼んで最初から約束の時間を
ずらしてもらうべきなのだが、今回の会談は俺が急遽同席させてもらえるように
頭を下げてお願いしたもので、俺の都合で会談時間を変更することはできない。
今回の会談は、ラーメン店総武家の移転問題で、俺がほんのわずかながらも
関わってしまったわけで、その行く末を見届けたく、
本日の契約締結に立ち会いたいと思ったわけだ。
細かい契約内容の話し合いは終わっているが、
契約が完了するまでは安心する事はできない。
まあ、相手が雪乃の親父さんなわけで、信用できないわけではないが、
それでも最後くらいは見ておきたかった。
というわけで、由比ヶ浜が隣で熟睡している中、どうやったら遅刻しないですむか、
俺と悪友の弥生昴は頭を悩ましていた。
八幡「ほら、学年次席。頭いいんだから、ちょっとはましなアイディアをだせ」
昴「だったら、学年主席のお前が知恵を絞れ。もうさ、諦めろよ。
どう考えたって、電車の時間に間に合わない」
俺の理不尽な要請に、いたって冷静に反論してくる弥生昴。
背は俺よりも高く、180くらいはあり、少々やせ気味なのも、
クールなルックスのプラス要素にしかならない。
568 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:20:27.17 ID:x/Aex12G0
弥生本人が嫌がっているくせ毛も、耳を隠すくらいまで伸びた黒髪は、
緩やかなウェーブを作り出し、その独特な雰囲気にさらなる加点を与えてしまう。
カルバンクラインのカットソーも、ディーゼルのデニムも
自分おしゃれ頑張ってます感がまるっきりないのも好印象を与えている。
まあ、要するに、服装には肩に力が入っていないのにうまくまとめられていて、
こいつの話しやすい性格がなかったら、相手にしたくない奴筆頭だったはずだった。
八幡「せめて20分早く講義が終わってくれたらな」
昴「無理だって。それだったら、講義後の小テストを受けなければ20分稼げるぞ」
八幡「そんなことしたら、出席点もらえないだろ。お前馬鹿だろ」
昴「へいへい。主席様よりは馬鹿ですよぉだ」
八幡「お前、俺を馬鹿にしているだろ?」
昴「あっ、わかる? でも、正確に言うんなら、馬鹿にしているんじゃなくて、
いつも馬鹿にしているんだけどな」
八幡「お前なぁ。真正の馬鹿だったら、俺の隣で寝てるから、そいつに言ってやれ。
でも、何度馬鹿だって教えたとしても、すぐに忘れてしまうけどな」
昴「由比ヶ浜さんは、いいんだよ。馬鹿じゃない。むしろ天使」
八幡「はぁ・・・」
昴「女の子は、可愛ければ問題ない」
八幡「だったら、俺の代わりにこいつの勉強みてやれよ。
可愛ければ問題ないんだろ?」
昴「俺は忙しいから無理だ。比企谷も知ってるだろ?」
こいつは俺と同じで、講義終わるとすぐに帰るんだよなぁ。
友達がいないってわけでもないし、けっこういろんな奴と話したりしてる。
そう、由比ヶ浜や雪乃レベルの有名人であり、2年の経済学部生で
弥生昴のことを知らない奴はほとんどいないんじゃないかってくらいの有名人だった。
いや、むしろ由比ヶ浜や雪乃の場合は、相手が一方的に知っているだけの場合がほとんだが、
弥生昴の場合は、わずかな会話であっても、会話をした事があるからこそ
相手が弥生昴のことを知っていると言ったほうがいい。
それでも、目立つ容姿もあって、会話をした事がなくとも、初めから弥生昴の事を
相手は知っていたのかもしれないが。
ただ、だからといって特別に親しい友達がいるってわけでもないから不思議だと思っていた。
八幡「俺だって、忙しいんだよ。じゃあ、あれか?
もし、お前に時間の余裕があったら、由比ヶ浜の面倒みてやるのか?」
弥生の顔が微妙に引きつっている。
ポーカーフェイスを装うとしてはいるが、残念な事に成功してはいないみたいだ。
569 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:20:55.71 ID:x/Aex12G0
こいつは、むしろ感情のコントロールがうまい方だとみている。
その弥生が感情を制御できないとは、恐るべし由比ヶ浜結衣。
八幡「ごめん、弥生。泣くなよ」
昴「泣いてない! 俺は断じて泣いてないからな」
八幡「いいから、いいから。俺が悪かった。だから、すまん」
俺は、弥生の方に体の向きを変えると、軽く頭を下げて謝罪する。
昴「いいんだ。比企谷の日ごろの苦労を茶化すような発言をした俺の方も悪かったんだ。
だから、俺の方こそ、すまん」
弥生は、俺の肩に手をかけ、全く涙を浮かべていない瞳を俺に向ける。
俺は、そんな馬鹿げた猿芝居をしている暇なんてないのに、
つい後ろの観客の為に演劇を上演してしまった。
結衣「もう、いいかな?」
振り向かなくてもわかる。にっこり笑いながら怒り狂ってる由比ヶ浜がいるって。
だって、俺の肩を掴む手が、肩に食い込んでいるもの。
ぎしぎしと指を骨に食い込ませながら、鎖骨をほじるのはやめてください!
非常に痛いですっ!
いや、まじでやめて。手がしびれてきてるよっ。
目の前の弥生の顔が青ざめていくのが、よりいっそう精神にダメージを与えてくる。
八幡「いつっ・・・。ギブギブ。まじで痛いからっ!」
首を後ろに回し、振りかえると、やはり般若のような笑顔の由比ヶ浜が出迎える。
弥生がいう天使こと由比ヶ浜結衣は、堕天していた。
すらりと伸びた健康的な腕に絡まる細いシルバーチェーンのブレスレットさえ、
なにか呪術が刻まれているんじゃないかって疑ってしまう。
まあ、いくら肩まで伸びた茶色い髪を揺らして怒ろうとも、
人を安心させる柔和な顔つきは、いくら怒っていても損なわれてはいない。
けれど、いまだ内に秘めた由比ヶ浜の怒りは収まらないようで、
俺の顔を見たことでさらに手の力を強めてしまった。
八幡「ごめん、由比ヶ浜。本当にシャレにならないほど痛いからっ」
結衣「ほんとうに反省してる?」
そう可愛らしく、俺の顔色を下から覗き込むように問いながらも、
全く肩に加える力は衰える事はない。
570 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:21:21.98 ID:x/Aex12G0
むしろ由比ヶ浜の口がひくついていることからしても、
少しも怒りは衰えていないようだった。
八幡「反省してるって。飼い犬は、最後まで面倒見ないといけないからな」
結衣「ペットじゃないし・・・・・・」
ちょっと落ち込んだ表情をして俯いて、可憐な少女を演出しても、
まったく手の力弱めていないのは、どうしてですか~?
なにがまずかったんだ? 反省してるとか、謝罪の言葉じゃいけないのか?
俺は、どうすればいいか困り果て、わらにもすがる思いで弥生に助けを求める視線を送る。
すると、さすが弥生。伊達に学年次席をやってないすばらしさ。
俺のSOSを感じ取って、俺の耳元に助言を囁いてくれた。
いや・・・、たぶん、俺の涙目を見て、本気で心配してくれたんだろけど・・・・・・。
昴「なあ、比企谷。由比ヶ浜さんは、謝罪を求めているようじゃないぞ」
謝罪じゃないって、なんだよ? 反省しているかって、由比ヶ浜は聞いているんだぞ。
それなのに、・・・・・・俺からどんな言葉を引き出したいんだ?
・・・・・・・・・・・・・・ふぅ~。やっぱあれかな?
俺が由比ヶ浜の事を投げ出そうとした事か?
俺が言った発言を思い返してみても、たいした数の発言をしたわけでもない。
だから、必然的に候補は絞られてしまう。
候補としては、二つしかない。
由比ヶ浜を馬鹿だと認定した事。
そして、もうひとつは弥生に由比ヶ浜に勉強教えるのを変わってほしいって言った事だ。
だとしたら、やはり後者の方で怒ってるとしか思えない。
怒っているというよりは、悲しんでいるのかもな。
だから、俺が謝罪しても許してくれないわけか。
八幡「俺は、お前の事を重荷にだなんて思ってない。
むしろ、こんな俺に飽きずに付きまとってくれて感謝してるくらいだ。
だから、これからも俺の馬鹿な行動に付き合ってほしい」
やばっ。恥ずかしすぎる発言を言い終わって、そこで正気に戻ってしまた。
なんだかだ、教室内が静かすぎるなぁって見渡すと、
みんな俺達を注目している。
しかも、目の前の由比ヶ浜ときたら、はにかんで、
顔がうっすらと赤く染まってるじゃないか。
これはあれか。青春の一ページという名の黒歴史確定か?
571 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:21:49.36 ID:x/Aex12G0
弥生なんか、うんうんと頷きながらも、俺から少し距離とってるやがる。
八幡「ごほん」
俺がわざとらしく咳払いをすると、俺達に集まっていた視線はどうにかばらける。
もちろん注目はされ続けてはいる。
それでも、直接見ようとしている奴はいなくなったからよしとするか。
結衣「まあ、いいかな。・・・・・うん」
そう由比ヶ浜は呟き、一人納得すると、俺の方に詰め寄ってきて、俺がさっきまで
弥生と格闘していたノートを覗きこんできた。
結衣「さっきから何をやってたの? ヒッキーこの後何かあるの?」
寝てたと思ったら、寝たふりして聞いていたのかよ。
それでも半分くらいは寝てたみたいだけど。
昴「ああ、これね。比企谷が授業の後に約束しているみたいなんだけど、
どうしても間に合わないんだってさ。
だから、どうやったら間に合うか考えてるんだよ」
結衣「へぇ~」
由比ヶ浜は、さらにノートに書かれている電車の時刻表などを見ようと
俺にぴたっとくっついてくる。
俺の腕に柔らかいふくらみがぶつかって、その形をかえてくるものだから、気が気じゃない。
さらには、俺の腕に沿って由比ヶ浜の体の曲線が伝わってきて、
その女性らしい適度に引き締まったウエストラインとか、形のいい大きな胸だとか、
由比ヶ浜結衣を形作っている全ての女性らしさが俺の腕が記憶してしまう。
俺がその甘美の測定から逃れようと腕を動かそうと考えはしたが、
いかんせ由比ヶ浜は俺にくっついているわで、腕を動かせば一度は由比ヶ浜の方に
腕を動かして今以上に由比ヶ浜の体を感じ取らねばならない。
その時俺はそのまま腕を逃がすことができるだろうか。
今でさえギリギリなのに、これ以上由比ヶ浜を感じ取ってしまったら
甘い沼地に望んで沈んでいってしまいそうだった。
昴「だけどさ、そんな都合がいい方法なんてなくて困ってるんだよ」
フリーズしている俺越しで話を進める二人なのだが、
弥生は俺が困ってるのわかってるんだから助けろよ。
572 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:22:18.24 ID:x/Aex12G0
由比ヶ浜は、無意識なのか、馬鹿なのか、意識してるのかわからないが、
俺から離れてくれとは言いづらいし・・・。
結衣「だったら、授業休んじゃえばいいんじゃない?
ヒッキー、この授業休んだことないし、期末試験もどうせいい点とるんでしょ?」
昴「そうなんだよ。俺もそう進言したんだけど、こいつが頑固でさ」
結衣「へえ・・・・」
由比ヶ浜は、俺が勉強熱心なのを感心したのか、俺の横顔を見つめてくる。
しかし、俺の顔をしばらくきょとんとみつめると、俺達のあまりにも近すぎる距離に
気が付いたのか、頬を染めて、気持ち程度だが距離をとる。
俺の顔が不自然なほど赤くなっていただろうから、
さすがの由比ヶ浜でも気が付いたんだろう。
これで少しは平常心を取り戻せたし、話に参加できるな。
あと、俺と由比ヶ浜がくっつきすぎていた事は、弥生もスルーしてくれたし、
あえて由比ヶ浜に指摘して、どつぼにはまるくらいなら、黙ってた方がいいな。
八幡「橘教授の授業は休みたくても休めないだろ。
だから困ってるんだ」
結衣「へぇ・・・。そんなに橘先生の授業好きだったの?」
八幡「好きなわけあるか。むしろ必修科目じゃなかったら、とってない」
結衣「まあ、ね。あたしも必修じゃなかったらとってなかったかも」
八幡「だろ? 毎回授業の後に小テストやるなんて、この講義以外だと聞いたことないぞ」
結衣「Dクラスの英語もそうだよ」
八幡「あ、そっか。自分の講義じゃないから、ど忘れしてた」
結衣「でも、そうかもね。自分が受けてない講義だと、なんか実感わかないというか」
昴「比企谷が授業休むのに躊躇してるのって、小テストの授業点だろ?」
八幡「まあ、な」
雪乃の母に大学での成績だけでなく、大学院での留学も約束しちまった手前、
小さな失点だろうととりこぼしたくはない。
実際問題、今回休んだとしても、大したマイナス点にはならないだろう。
しかし、小さな失点を仕方ないで諦めるくせを付けたくはなかった。
一度だけの甘えが、次の甘えをよんでしまう気がしてならない。
小さな失点も、積み上がれば大きな失点になってしまい、
ここぞというときに取り返しのつかない失敗に繋がってしまう。
俺と雪乃の人生がかかっている大事な時期に、精神面での緩みは作りたくはなかった。
573 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:22:44.39 ID:x/Aex12G0
昴「橘教授も意地が悪いよな。小テストの答案が出席票の変わりで、
しかも、授業の開始の時しか答案用紙を配らないからな」
結衣「あぁ、それ。女子の間でも評判悪いかも。
遅刻したら、遅刻専用の答案用紙くれるし、あまりにも遅くきたら、
答案用紙くれないもんね」
八幡「俺は、その辺については、合理的だなって思うぞ」
結衣「なんで?」
由比ヶ浜は、俺の事を理解者だと思っていたせいか、裏切られたと感じたらしい。
別に裏切っちゃいないが、よくできたシステムだとは思ってしまう。
八幡「10分遅刻したやつと、1時間遅刻したやつを同じ土俵に上げるんじゃ
不公平だろ」
結衣「そうだけどさぁ・・・」
いまいち納得できていない由比ヶ浜は、まだ何か言いたげであった。
それでも、俺が話を進めるてしまうから、これ以上の不満は押しとどめたようだ。
昴「たしかに橘教授は合理的だよ」
結衣「そうなの?」
八幡「お前、最初の講義の時の単位評価の説明聞いてなかったのか?」
結衣「たぶん聞いてたと思うけど、ほとんど覚えてないかも」
八幡「はぁ・・・。お前なぁ、自分が受ける講義の評価方法くらい知っとけよ」
結衣「えぇ~。だって、わからなくなったらヒッキーに聞けばいいじゃん」
どうなってるんだよ、こいつの思考構造。
大学入ってから、いや大学受験の時から面倒見過ぎたのが悪かったのか。
こいつに頼られるのは悪い気はしないが、だけど、それが当然になって
自分でできなくなってしまうのは悪影響すぎるぞ。
昴「大丈夫だって、比企谷。由比ヶ浜さんは、自分一人でもやっていけるって」
八幡「そうか?」
昴「比企谷が一番そばでみてるんだろ?」
八幡「まあ、そうかもな」
なんで弥生は、俺が考えていることがわかるんだよ。
もしかしたら、ほんのわずかだが顔に出たかもしれない。
それでも、些細な変化に気がつくなんて、普通できないって。
574 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:23:13.95 ID:x/Aex12G0
たしかに、こいつの人を見る目というか、雰囲気を感じ取る力は、
たぶん由比ヶ浜を上回ると思う。由比ヶ浜が直感とかのなんとなくの感覚だとしたら、
こいつのは理詰めの論理的思考だ。
ある意味陽乃さん以上に手ごわい相手なんだけど、
どうしていつも俺の側にいるのか疑問に思う事がある。
俺が知っている弥生昴は、俺と同じようにある意味一人でいることに慣れている。
でも、だからといって社交的でないわけではない。
むしろ、この学部のほとんどの生徒が弥生と一度くらいは話をしているはずだ。
うちの学部に何人いるかだなんて正確な人数は知らない。
それでも、少なくない人数がいるわけで、波長が合わない奴が必ずといっていいほど
出てくるのが当たり前だ。
人当たりがいい由比ヶ浜でさえ苦手としている人物がいるし、
本人は隠しているようだが、誰だって苦手なやつがいるのが当たり前だ。
それなのにこの弥生昴っていう男は、相手がどんなやつであっても
会話に潜り込んでいってしまう。
これは一つの才能だって誉めたたえるべきであろう。
しかしだ。そんな人間関係のスペシャリストのはずなのに、
こいつと親しくしている友人というものを見たことがない。
ある意味、誰とでも仲良く会話ができるが、それはうわべだけだから成立してしまう。
本音を言わず、相手の意見に逆らわずに、
どんな場面でも感情をコントトールしているのなら、
それは友人関係ではなく、単なる交渉相手としか見ていないともいえるかもしれない。
そんな男が、何故俺の側にいることが多いのだろうか。
昴「比企谷?」
やばい。普段疑問に思ってたけど、考えないようにしていた事を考えてしまった。
八幡「すまない。ちょっとぼ~っとしてただけだ」
昴「そうか」
弥生は、とくに気にする事もなく、再び由比ヶ浜の相手へと戻っていく。
ただ、本当に「なにも気にする事もなかったか」疑わしいが。
結衣「で、ヒッキー。橘教授の評価方法ってなんなの?」
八幡「ああ、そうだったな。俺が詳しく教えてやるから、今度こそ覚えておけよ」
結衣「・・・・・善処します」
八幡「ふぅ・・・、まっいっか」
こいつに教えるのは、犬に芸を覚えさせるようにするより難しいって
理解しているだろ、俺。だから、我慢だ。頑張れ、俺。
575 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:24:12.78 ID:x/Aex12G0
八幡「小テストが出席の確認の代りだっていうのは、知ってるだろ?」
結衣「うん」
八幡「ふつうの授業の評価方法は、授業点の割合の大小があるにせよ、
それほどウェートが大きいわけではない。
レポートとかもあるけど、橘教授ほど明確に数値化されてないんだよ」
結衣「へぇ・・・、そなんだ」
八幡「そうなんだよ。数値化されているせいで、今の自分の評価が丸見えになるから
嫌だっていう奴もいるはずだ」
結衣「へぇ・・・、自分で計算してる人もいるんだ」
八幡「もう、いい・・・」
結衣「えっ? ちゃんと話してよ。しっかりと聞いているでしょ」
こういう奴だったよ。何も考えない奴だって、わかってたさ。
八幡「いや、違う。一人事だから気にするな。ちょっと気になって事があって
それを急に思いだして、おもいっきり沈んでただけだ」
結衣「ふぅ~ん。あるよね、そういう事。あたしも急に昨日見たテレビの事を思い出して
授業中に笑いだしそうになる事がしょっちゅうあるもん」
八幡「そ・・・そうか」
顔が引きつりそうになるのを、強制的に押しとどめて、話を元に戻すことにする。
お前の事で悩んでたんだよって、両手でこいつの頭を掴んで揺さぶりたい気持ち。
あと数ミリで溢れ出そうだけど、どうにか保ちそうだ。
だから、これ以上俺を刺激するなよ。
八幡「で、だ。他に評価の内訳として、期末試験が5割。そして、授業点が5割に
なっている。もちろん授業点っていうのは、小テストの点数が直接反映される。
だから、一回でも小テストを受けないと、それだけで総合評価が下がるんだよ」
結衣「へぇ・・・、面倒なんだね」
八幡「面倒か? これほどすっきりと明確な評価方法はないと思うぞ。
レポートなんか、字が汚いだけで評価下がりそうな気もするしな」
結衣「まあ、今はパソコンで印刷したのが多いから、関係ないんじゃない?」
八幡「そうかもな。評価方法の話に戻るけど、遅刻したやつは、いくら小テスト受けても
7割しか点数もらえないんだぞ。知ってたか?」
結衣「そなんだ。遅刻すると、答案用紙が違うから気にはなってたんだけど
今その疑問が解決したよ」
八幡「お前、今頃知ってどうするんだよ。もう期末試験始まるんだぞ」
結衣「でも、あたし遅刻したことないし」
576 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:24:49.82 ID:x/Aex12G0
たしかに遅刻した事はないか。この授業の前に必修科目があるし、
通常ならば遅刻なんてする奴はいない。
それでも、遅刻する奴は出てくるから不思議だよな。
八幡「遅刻はしないけど、授業中寝てるだろ」
結衣「そう?」
八幡「そうだよ」
俺の追及から逃れようと由比ヶ浜は視線を横にそらそうとする。
しかし、俺は成長した。いや、成長せざるをえなかった。
なにせ、この野生の珍獣を大学に合格させるという至難の調教をしてきたのだ。
由比ヶ浜の扱いには慣れざるをえなかった。
俺はおもむろに由比ヶ浜に両手を伸ばすと、そのまま柔らかい頬を両手で思いっきり
つまみ取り、強引に前を向かせる。
不平を口にしてきているようだが、両頬をつままれている為に言葉にできないでいた。
だから、目でも不満を訴えてはきているが、そんなのは無視だ。
八幡「いっつも言ってるよな。授業はつまらない。とってもつまらなくて退屈だ。
でも、あとで試験勉強に明け暮れるんなら、退屈な授業をしっかり聞いて、
暇つぶしで授業をしっかり受けろって言ってるよな」
結衣「ふぁい」
八幡「どうせ勉強しなきゃいけないんだから、わざわざ授業に来てるんだから
授業をしっかり聞けよ。後で自分で勉強するより、よっぽどわかりやすいだろ」
結衣「ふぁい」
八幡「わかったか」
結衣「ふぁい」
俺は、由比ヶ浜が頷くのを確認すると、頬から手を放す。
由比ヶ浜は、たいして痛くはないはずなのに、頬を手でさすりながら
反抗的な目を向けてくる。
もう一度手を両頬に伸ばすふりをすると、今度はようやくぎこちない笑顔で
頷いてくれた。
結衣「でもでもっ、あたしが隣で寝ていても、ヒッキー起こしてくれないじゃん。
寝てるのが駄目だったら、起こしてくれないヒッキーにだって問題あるんじゃない?」
はぁ、まだ反抗するか。でも、俺にも言い分ってものがあるんだ。
577 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:25:19.09 ID:x/Aex12G0
八幡「橘教授の講義って、小テストが授業ラスト20分に毎回あるから
その分早口だし、授業の進行ペースも速いんだよ。
だから、授業中はお前のおもりはできないっつーの」
結衣「ああ、そんな感じするよね。なんか早すぎて、ついていけないっていうか」
それは、お前が授業内容を理解してないだけだろ。
今それを指摘すると長くなるから言わんけど。
結衣「あれ? でも、人気がない授業だけど、いっつも教室は満席だよね?
なんで?」
八幡「お前、本当に大丈夫か?」
結衣「なにが?」
きょとんと首をかしげ、俺を見つめてくるその瞳には、嘘偽りはないようだ。
しかし、今はそれでは救われない。なにせ・・・・・・。
八幡「なにがって、この講義って、必修科目だぞ。
必修科目は一つでも落としたら留年しちまうんだよ。
だから、みんないやいやでも授業に真面目に出てるの」
結衣「そなんだ」
もういいや。ため息も出ない。
俺は、これ以上由比ヶ浜を見ていると、頭が痛くなりそうなので、視線を外す。
すると、俺を見つめているもう一人の視線の人物に気がつく。
正確に言うと、俺と由比ヶ浜を見つめる視線だったが。
昴「なに?」
八幡「なんだよ、さっきからニヤニヤしてみてやがって」
昴「いやね、仲がいいなって」
八幡「まあ、そうかもな。なんとなくだけど、憎めない奴だから、
こうやって付き合いが長くなったのかもな」
結衣「ちょっと、ヒッキー。きもい。そんな恥ずかしいセリフ真顔で言わないでよ」
八幡「心外だな。きもいはないだろ」
結衣「きもいから、きもいの。い~っだ」
なんだよ、こいつ。たしかに、昔の俺ならこんな恥ずかしいセリフは言わなかった。
最近、いや、雪乃と付き合うようになって、変わったのかもしれない。
言葉にしなければ、伝えられない事があるって知ったからな。
578 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:25:50.25 ID:x/Aex12G0
昴「仲がいいね」
八幡「どうだか」
昴「でも、仲がいいところ悪いけど、このままだと会談に遅刻するよ」
そうだった。
どうやったら橘教授の授業を早く切り上げられるか弥生と相談していたのに、
いつの間にか由比ヶ浜の相手をしていた話がそれてしまった。
まったく、こいつは和むんだけど、時と場合を選んでくれよ。
第32章 終劇
第33章に続く
582 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:30:13.94 ID:PACE+wQi0
第33章
7月11日 水曜日
さて、さてさてさてさて、どうしたものか?
いくら考えようとも、都合よく打開案なんて思い浮かびやしやしない。
いたずらに思考を繰り返しても、時間だけが過ぎ去ってゆくだけだ。
ここは、由比ヶ浜のいう通り、欠席するか。
ここで休んだとしても、だらだらと休み癖がつくとは思えないし、
雪乃の父親の仕事現場をみることで、よりいっそう気を引き締められるとも考えられる。
ならば、ここは潔く自主休講としてもいいかもしれない。
ただ、諦めが悪すぎる俺は、すぐさま代替案を模索してしまう。
出席がそのまま単位評価に結び付いてしまう為に、病欠などの場合は、
しかるべく証明書を提出して、なおかつレポートも提出すれば、
小テストの8割の点数を貰える事が出来る。
つまり、満点のレポートならば、欠席しても80点の評価が貰えるのだから、
俺も初めに欠席してレポートを提出するという選択肢を考えなかったわけではない。
ここで問題となるのは、仕事の契約締結の場に参加することが、
橘教授が認める欠席理由になるかである。
一応未来の仕事に関わっているわけで、またとない社会経験を得るという大義名分も
あることにはある。
でもなぁ、これが橘教授の講義を休むことと釣り合うかと問われると、微妙だ。
ならば、欠席証明書を提出しないで、小テストの五割の評価も貰う事もできるので、
これだったら問題は少ない。
そう、あくまで「問題が少ない」にすぎないのが、このレポートの落とし穴だった。
なにせ、授業は眠いし、実際由比ヶ浜はよく爆睡しているし、他にも多くの学生が
夢の中で受講しているといってもいい。
そんな夢の中の受講生は、講義ラストに待ち受けている小テストで痛い目にあうんだから
うまくできている講義システムだと、
授業を真面目に受けている俺からすると評価してしまう。
そう、俺が眠いの我慢して授業に参加しているのに、
由比ヶ浜とかなにを眠りこけてるんだよ。
そんな奴にかぎって、小テストの時答えを見せてくれとか、どの辺がヒントになるか
教えてくれとか言ってきやがる。
俺はそういう由比ヶ浜みたいなやつは、毎回無視してやっている。
隣で由比ヶ浜が小さな声で不平をぶちまけまくりまくって、
最後の方には俺の肩を揺さぶりまくるのが、いつものパターンだ。
583 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:30:46.74 ID:PACE+wQi0
まあ、由比ヶ浜が実力行使に来る時間あたりには、俺も解答を埋め終わってるから、
由比ヶ浜に一瞬ちらっと解答用紙を見せるふりをして、ニヤッと優しい笑顔を見せてから
席を立つんだけどな。
毎回猿みたいに「ムキ~」とかわめくけど、そろそろ猿でも自分でやるって事を
学習してるはずなのに、俺にまとわりついてくる牝猿もそろそろ学習しろよ・・・。
話は大きく脱線してしまったが、誰しもが受けたくない講義をレポートで出席の
代わりにできるというのに、誰もレポートを選択せず、
一応講義に出席して小テストを受けているかというと、それはすなわち、
レポートの量が半端なく多いからである。
他の講義もあるわけで、レポートだけに時間を割いていられるわけではない。
しかも講義は90分で終わるというのに、レポートはどう見積もっても
休日が丸一日つぶれること必至だ。
誰もが望む夢の日曜日に、誰が好き好んで陰気なレポートをやらねばならない。
どう考えても、講義に出たほうがいいに決まっている。
そんなわけで俺は、大切な大切な日曜日を献上して契約締結の場に出席しようと
苦渋の決断に迫られていた。
まあ、色々御託を並べたが、誰が橘教授の講義を必修科目にしようだなんて考えたんだよ。
きっと、決めた人間は悪魔に違いない。
それだけは、はっきりと確信できた。
結衣「ねえ、ヒッキー。もうそろそろ諦めたら?」
八幡「諦められるわけないだろ。講義休んだら、日曜が潰れるレポートがあるんだぞ」
結衣「じゃあ、いっそのこと、レポートもやらなきゃいいじゃん」
八幡「そんなことできるかよ。成績が落ちるだろ」
昴「一回くらい休んだところで、最終的な成績は変わらないと思うけど」
八幡「そういった油断が、成績をじわじわ下降させるんだ」
結衣「もう、意地っ張りなんだから。
ん~・・・。だったらさあ、問題の山はって、先生が黒板に問題書く前に
解答用紙に答え書いちゃえばいいんじゃない?
そうすれば、ちょうど20分短縮できて、電車に間に合うんじゃない?
問題解く時間の20分をあらかじめ解答書いとけば、
20分使わないで済むでしょ」
昴「ちょうどいいじゃないか。20分早ければ電車に間に合うんだし、
いっそのこと山はって、外れたら諦めて遅刻して出席すればいいじゃないか。
そもそも遅刻しても怒られはしないんだろ」
結衣「ちょっと、ヒッキー、黙らないでよ。
そんなに怖い顔して黙っていると、怖いよ。
・・・・・・ねえ、ヒッキー?」
昴「おい、比企谷?」
584 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:31:10.64 ID:PACE+wQi0
結衣「ごめんね。そんなに真剣に悩んでいたなんてわからなかったから、
ちょっと調子に乗りすぎて、言いすぎたのかもしれない。
ねえ、・・・ねえったら」
由比ヶ浜が俺の肩を揺さぶってくる。最初は遠慮がちに小さく揺さぶってきたが、
俺が何も反応を示さないでいると、意地になってか、激しく揺らしてきた。
八幡「ええい、うるさい。ちょっとは静かに出来ないのかよ」
結衣「だから、謝ってるんじゃない」
八幡「それが謝ってるやつの態度かよ」
結衣「いくら謝っても、そっちが無視していたんでしょ」
八幡「別に無視してないだろ。ちょっと考え事をしていたから、気がつかなかっただけだ」
結衣「え?」
八幡「え?って、なんだよ。お前が問題の山はって、解答あらかじめ書いとけって
言ったんだろ」
結衣「え? えぇ~?!」
八幡「なにをそんなに驚いてんだ。自分で言っておきながら、驚くなんて。
ん? 自画自賛しているのか?
たまに、ほんとうにごくまれに役に立つこと言ったんだから、
そういうときくらい自己満足に浸りたいよな。
気がつかなくて、ごめんな」
結衣「いや、いや、いや。なんかヒッキーがあたしの事で酷いこと言ってるみたいだけど
この際今はどうでもいっか。
なに、なに。ヒッキー、山はって書くの?」
昴「由比ヶ浜さんは、どうでも、いいんだ?」
弥生なら、そう思うよな。
でもな、由比ヶ浜の思考回路には、二つの事を同時処理なんてできやしないんだよ。
一つの事でさえも、途中でセーブもできない年代物なんだぞ。
きっとレトロマニアには、もろうけること間違いなしだけど、
最先端を突っ走ってるやつには、理解できない代物なんだよ。
八幡「ああ、山はって書いてみようと思う」
結衣「そっか。なにもやらないよりいいもんね。運がよかったら、間に合うかもしれないし
やらないよりはやったほうがいいもんね」
八幡「それは違う。やるからには、確実に問題を当てる」
結衣「そんなのは無理だって。だって、問題は、黒板に書くまでわからないじゃん」
八幡「そんなことはない。なんとなくだけど、傾向くらいはあるもんさ」
昴「たしかに出題傾向はあるけど、論述問題なんだから、問題のキーワードを
全て当てないと、見当外れの解答になってしまうぞ」
585 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:31:54.42 ID:PACE+wQi0
結衣「そうだよ。あたしも軽々しく山はりなよって言ったけど、
やっぱ絶対無理だよ。当たりっこないって」
八幡「問題のキーワードを全て当てるんだろ?
それなら問題ない。むしろキーワードほど当てやすい」
結衣「そんなことないって。一回の講義の内容も広いんだし、無理だよ」
たしかにな。無鉄砲に、なんとなく探すんなら、無理に決まっている。
だけど、解答に導くために、キーワードなんて、なにかしらの繋がりを持ってるんだよ。
一つの論述を完成させるわけなんだから、一つ一つのキーワードには、
他のキーワードとのつながりがあって、その繋がりがあるからこそ、
一つの論述が意味を持って完成する。
仮に、キーワード一つ一つに、全くの因果関係がないとしたら、
それは論述ではなくて、一問一答形式の、穴埋め問題に過ぎない。
八幡「論述問題に必要なキーワードなんて、だいたい決まってるんだよ。
そもそもそのキーワードが一つでも欠けていたら、減点ものだ。
だから、キーワードを全てそろえること自体はたいしたことではない」
昴「たしかにそうだな。でも、キーワードがわかったとしても、
問題自体を当てるのは難しくないか?」
結衣「ちょっと、ちょっと待ってよ。今、ゆっくりとだけど、ヒッキーが言った事を
理解するから」
八幡「悪い、由比ヶ浜。今お前の相手をしている時間も惜しい。
だから、この説明は、また今度な」
結衣「あたしの事を馬鹿にし過ぎてない?」
八幡「だったら、もう理解できたのかよ?」
結衣「それは無理だけど」
八幡「だろ?」
昴「由比ヶ浜さんには、授業のあとで、俺が説明してあげるよ」
結衣「え? ほんとう?」
ぱっと笑顔を咲かせる由比ヶ浜を横目に、俺は弥生が渋い顔を見せたのを
見逃さなかった。
何度か俺の代りに弥生が由比ヶ浜に説明した事があった。
だがしかし、何度やっても由比ヶ浜は理解できなかった。
弥生昴の名誉のために言っておくが、けっして弥生の説明が下手なわけではない。
むしろ上手な方だと思う。俺以上に論理的で、道筋をはっきりと示す解説だとさえ思える。
だけど、相手があの由比ヶ浜結衣だ。
普通じゃない。俺も雪乃も、高校三年の夏、何度挫折を味わったことか。
まあ、一応、お情け程度のフォローになってしまうが、由比ヶ浜結衣も
けっして馬鹿ではないということは伝えておきたい。
586 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:32:45.03 ID:PACE+wQi0
なにせ、俺と同じ大学の同じ学部に、一緒に現役合格できるくらいの学力はあるのだから。
しかし、こいつの思考回路はとびまくっているんだ。
俺も雪乃もこいつに勉強を教えるコツみたいなのを、
わずかだが習得できたから言えること何だが、
どうやら由比ヶ浜は感覚で理解しているらしい。
とくに数学なんかは、どういう感覚で理解しているのか、雪乃でさえ理解できなかった。
それでもどうにか教える事はできるようになったから、
こうして同じ大学に通えているんだが。
だから、弥生のように、理路整然としている理論派の極致の説明は、
由比ヶ浜にとっては天敵だと言えるのかもしれなかった。
八幡「まあ、お前ら。二人ともお手柔らかにやっておけよ」
昴「わかってるって。無理はしない」
結衣「ん?」
どうやら弥生だけは、俺の意図を理解したみたいだな。
だとすると、俺の感覚が由比ヶ浜に偏ってないってことか。
うし・・・、俺の感覚は由比ヶ浜化してないぞ。
な~んか、由比ヶ浜とつるんでいると、おつむが由比ヶ浜化しそうで怖いんだよな。
八幡「なあ弥生。このノート見てくれよ」
昴「これって、橘教授の講義のか?」
八幡「そうだ」
昴「なんでノートの真ん中で折り目が付いているんだ?」
八幡「ああ、これな」
こら、由比ヶ浜。弥生とは反対側から俺のノートを覗き込んできたけど、
そのドヤ顔やめろ。さっきまでまったく話についてこれなかったからって、
ここぞとばかりに誉めて誉めてって尻尾を振るな。
このノートの折り目を、お前が知っているのは当然なんだよ。
何度も俺のノートのお世話になってるからな。
まあ・・・、普段の俺なら、ちょっとくらいかまってやってかもしれないけど・・・。
八幡「弥生は、この講義のノート見るの初めてだっけ?」
昴「どうだったかな? 他の科目のならあったと思うけど、
あとで調べてみないとわからないな」
八幡「さすがのコピー王も、俺の対橘用のノートは初見か」
昴「この講義は、小テストが毎回ある分、みんな自分でノートとってるから需要がないしな。
それと、そのコピー王っていうのは、やめろって。学部中に広がってしまったのは、
比企谷のせいだろ」
587 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:33:37.73 ID:PACE+wQi0
八幡「それは違う」
昴「どうしてだよ。お前が言いだしたんだろ」
コピー王。たしかに、俺が命名した弥生昴の二つ名だ。
といっても、中二病全開で命名したわけではない。
なんとなくこいつの行動を見ていたら、ふと口にしただけだ。
それに、何度もコピー王なんて言ったとも思えない。
たしかに、こいつはコピー王だとは思う。
なにせ、こいつはコンパクトスキャナーを随時携帯して、
レポート、ノート、過去門などなど、あらゆるデータをコピーしまくっている。
まず、突出すべきところは、その交渉術と行動力だろう。
図書館で、同じ学科の奴を見つけたら、友達でなくても、しかも、話した事がない相手でも、
顔を知っていれば突撃して、ノートの交換をしてくるのだ。
そして、その行動範囲は同学年にだけで終わらず、大学一年次の前期日程、正確にいえば、
五月の下旬には全学年で弥生昴の名と顔を知らない奴はいなくなってしまった。
一見弥生の行動は、無謀にも絶大なる行動力を有しているようにも見える。
しかし、本人曰く、一人のつてがいれば、その人を介して十人は声をかけられるとのこと。
俺からすれば、図書館で、いきなり顔しか知らない奴に声をかけているのを
目撃しているので、一人のつてもいなくても、もしかしたら全学年制覇はきっと
可能なんじゃないかって思えていた。
いやいや、俺が言ってる事は矛盾しているな。
俺みたいなぼっちは例外としても、一般的な大学生ならば、一人か二人くらいの連れはいる。
ならば、一人のつれがいれば、ドミノ式に全生徒に繋がっているとも言えなくはない。
たしかに、ぼっちは、誰ともつるんでいないので、どの組織にも接点がないともいえる。
それでも、大学生をやっていれば、グループ学習やら、ペアでの講義も必ずあるわけで
大学生活を誰とも接点を持たずに生活することは事実上不可能である。
ここで言いたいのは、事実上不可能であるということだ。
理論上は、なんかしらのつながりがあるかもしれない。
しかし、その繋がりは儚いくらいに細いもので、それが人と人との伝手であると
言ってもいいのか疑問に残る。
おそらくその伝手は、一般的に言ったら赤の他人というべきだ。
だが、弥生ならば、強引に、そのあるかどうかも疑わしい伝手を使って
交渉ができてしまうのだから、これはある種の尊敬すべき能力といえるだろう。
ここで話を戻すが、コピー王たる弥生昴のすごさはわかってもらえたと思うが、
そのデータ量のすごさは、既存の試験レポート対策委員会とかいうサークルを
上回ってるんじゃないかと思えるほどだった。
八幡「たしかに、俺が言いだしたのは認める」
昴「だろ? だったら、お前の責任じゃないか」
588 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:34:24.01 ID:PACE+wQi0
八幡「いいや、違う」
昴「なんでだよ」
八幡「俺がお前にコピー王って連呼したとしても、誰がお前の事をコピー王って呼ぶだよ。
俺は自慢じゃないが、友達はほとんどいないぞ。
だから、お前の事をコピー王だなんて、伝える相手がそもそもいないんだよ」
昴「そうだな。この学部で、お前の話相手といったら、俺か由比ヶ浜さんくらいしか
いないんだよな」
八幡「だろ?」
昴「比企谷の友達の少なさを忘れるところだったよ」
八幡「それさえも忘れてしまうほどの存在感のなさなんだよ。俺って奴は」
昴「そんなことないだろ。お前、この学部で、ダントツに目立っているぞ」
八幡「それはないだろ。お前も俺の友達の少なさを認めたじゃないか。
友達もいないから、ひっそりと教室の片隅に座っていたら目立たないだろ」
昴「由比ヶ浜さんがいつも隣にいるだろ」
八幡「由比ヶ浜は友達多いし、そりゃあ、目立ちはするけど、だからといって
俺が目立つわけじゃあない」
昴「いやいやいや、違うって。人気がある由比ヶ浜さんを比企谷がいつも独占しているから
必然的に比企谷も目立ってるんだよ」
八幡「俺は由比ヶ浜を独占した覚えはないんだけどな」
ほら、俺の横の由比ヶ浜結衣とかいう人。
頬を両手で押さえて、ぽっと頬を染めて、デレない!
お前の責任問題を話し合ってるんだろ?
って、俺達って、なに話してたんだっけ? 時間ないとか言ってたような。
昴「工学部に綺麗な彼女がいるくせに、ここでも学部のヒロインを一人占めしているんだから
恨みもかっているぞ」
八幡「雪乃は、あまりここの学部棟には来ないから、関係ないだろ」
昴「雪ノ下姉妹っていったら、うちの大学で知らない奴がいないほどの美人姉妹だぞ。
その妹の彼氏といったら、注目されるに決まってるじゃないか」
八幡「雪乃が美人っていうのは認めるけど、だけどなぁ・・・」
結衣「ねえ、ヒッキー」
八幡「なんだよ」
せっかく危機的状況で、パニクっていたのを雪乃の事を思い出して和んでいたのに
なんで横槍を入れてくるんだよ。
俺に恨みでもあるのか?
だから、必然的に由比ヶ浜に向ける視線も、投げ返す返事も荒っぽくなってしまう。
由比ヶ浜は、むっとした表情で、やや批判を込めて訴えてきた。
589 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:34:57.49 ID:PACE+wQi0
結衣「別にヒッキーがゆきのんのことで、でれでれしているのは、あたしは、
かまわないんだけどさ」
八幡「なんだよ。時間がないんだから、とっとと言えよ」
ん? なんで時間がないんだっけ?
結衣「別にあたしはいいんだけど、早く小テストの山をはらないと
授業始まっちゃうよ」
血の気を失うとはこの事だろう。
さあっと体温が低下するのと同時に、体中の汗腺から汗が噴き出してきて体が火照る。
やばい、やばい、やばい。
時間がないのに何を白熱してるんだよ。
コピー王って、学部中に広めたのは、俺じゃなくて由比ヶ浜だっていうことを伝える為に、
なんだってこんなに話に夢中になってるんだよ、俺。
八幡「ありがとよ、由比ヶ浜。助かった」
結衣「いいんだけどさ。・・・いつもお世話になってるし」
俺は、もじもじしながら口ごもる由比ヶ浜を横目に、
弥生に向けて応援要請を手短に伝えていく。
もうすぐ講義が始まって、橘教授がきてしまう。
その前に、一応保険として、弥生にも問題の山を一緒にはってもらわなくてはいけない。
なぁに、たぶん俺一人でも大丈夫だけど、念には念をいれないとな。
普段俺のレポートやらノートのコピーをしてるんだ。
このくらいの労働、対価としては安いだろう。
八幡「弥生、山はるの手伝ってほしい」
昴「それはかまわないけど、あと五分もないぞ」
八幡「それだけあれば十分だ。山をはるのは講義を聞きながらじゃないとできないからな」
俺は、にやりと不敵な笑みを浮かべるのだった。
第33章 終劇
第34章に続く
595 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:28:23.82 ID:2jPBwEpe0
第34章
7月11日 水曜日
俺が弥生に頼んだ事は、いたってシンプルなノートの使い方だった。
まず、ノートを半分に折り、左側を授業の内容を筆記する。
これは、一般的なノートを取り方と変わりがない。
黒板を板書して、必要ならば解説を自分で付け加える。
黒板には書かないで口頭のみの説明時に聞きそびれて、
書き損ねそうになる事もあるが、悪態を心でつきながら、教科書とノートを見比べて
聞きそびれた個所を自分の言葉で埋めていく。
左側は誰もが小学生の時からやっている事だから、特に説明はいらないだろう。
俺が弥生に指示したのは、ノート右側の書き方であり、
この講義特有の事情から生まれた手法だ。
小テストは、必ずと言っていいほど「説明せよ」という設問であった。
授業で習ったばかりの知識を思い出して、論述を書きあげていく。
だとすれば、授業を受けながら、小テスト用の論述を書いておけばいいんじゃないかと
思って始めたのが、右ページの使い方であった。
つまり、左側に書かれている授業で示された記号を、右側ページに論述形式で
書きなおしていくってことだ。
一見、人からみれば二度手間だろう。
なにせ、左側に書かれている内容を単に文章にしただけなのだから。
雪乃も最初は二度手間だからやらないといっていたが、
俺からの説明を聞いたら納得してくれた。でも、結局は、雪乃はやらないらしいが。
俺からノートをよく借りる由比ヶ浜は、まあ、理解しているのか、してないのか
怪しいところだから保留にしておこう。
この二度手間ともいえる右ページ。
なにがいいかっていうと、解答の文章量がはっきりとわかることだ。
左ページの記号のみでの説明だと、シンプルでわかりやすいのだが、
文章にしてみると文章量が予想以上に多い時があったりする。
それに気がつかずに実際解答用紙に書いてみたりすると、文字数オーバーに
なったりすることがざらである。
また、文字数がオーバーしてしまうから、他の本来必要なキーワードをいれないで
減点くらう事も多くなってしまう。
ほとんどのやつが指定の文字数を埋めることで満足して、キーワード不足を
気がつかないんだよな。
つまり、あらかじめ文章量がわかるから、キーワードも落とさないし、文章量からの優先度
も明らかにわかるわけで、省くべき説明も最初から書かないですむ。
596 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:28:51.70 ID:2jPBwEpe0
なんて理屈を上げてみたが、本当の狙いは、文章を書く練習だったりする。
要点のみをわかりやすく説明するっていうのは、案外難しい。
キーワードがわかっていても、実際文章を書くとなると、文章の構成がちぐはぐだったり、
短くまとめるべきところをダラダラと書いてしまったりもする。
だったら日ごろから鍛錬すればいいじゃないかという事で始めたのが
このノートの使い方だった。
嬉しい副作用としては、授業の復習時間が短縮された事と、
自分の言葉で今受けたばかりの授業内容を書く作業によって印象を深める事だろう。
雪乃みたいな才能がない俺にとっては、嬉しすぎる副作用であった。
さて、これが表の右ページの効用なのだが、今回は、これを逆手にとって
隠された右ページの効用を試してみたいと思う。
昴「比企谷って、ほんとうにこういうせこい方法を思いつくのがうまいな」
八幡「せこいっていうな。要領がいいって言え」
昴「はい、はい。要領がいいですね」
絶対心がこもってないだろ。
結衣「あたし、説明聞いてたんだけど、それでもよくわからないんだけど」
八幡「だからな、俺が由比ヶ浜を起こさない理由にもなるんだけど、
この授業は、そうとう忙しいってことなんだよ」
結衣「それはわかったんだけど・・・」
八幡「ノートの左側に黒板の板書を写して、
右側には、小テストにそのまま使えるように書き直した文章を書いていく。
ここまではいいな」
結衣「なんとなく・・・」
わかってないな。
うん、弥生も、由比ヶ浜はわかってないねって顔をしている。
八幡「で、だ。ここからなんだけど、一回の授業で習った範囲で、試験に出そうなのは
多くて三つが限度だ。下手したら一つって事もある。
これは、論述形式にするから、それなりの容量が必要って事もあるけど、
一回の授業で何個も試験で出題するようなものが出てこないんだよ。
たいていは、一つの主題を補足する為の説明がほとんだ」
結衣「はぁ・・・。ん、それで」
わかってないのに相槌うつなよ・・・・。
いっか。時間ないし。俺は、しかめっ面になりそうなのを無理やりうやむやにする。
597 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:29:29.96 ID:2jPBwEpe0
八幡「だからな、小テストで書かす文章量と、これは出題傾向でもあるんだけど、
橘教授はその日一番重要な個所を出題する傾向があるところから、
この二つをあわせもつ個所を授業を聞きながら探せばいいんだよ。
いくら重要でも、小テストにするには文章量が少なすぎたりするのはNG。
また、次の週にまたがるのもNGだな」
結衣「ふぅ~ん」
もう、適当に相槌うってるな。
それでも、この由比ヶ浜を相手しちゃうんだよな。
それは、俺がこいつに助けられているからかもな。
八幡「ま、あとは慣れだな。他の講義も聞いていると、なんとなく、この辺を試験に
だしたいだろうなっていう所がわかるようになるから」
結衣「え? そうなの? だったら、もっと早く教えてよ。
とくに期末試験なんて、それやってくれたら勉強する量が減って助かったのに」
自分にとって有用な情報だけは聞きながさないんだな。
食い付きが違いすぎるだろ。さっきまでの、はいはい、
付き合ってあげてますよオーラ全開の態度はどこにやったんだ。
いまや尻尾を振って、襲い掛かる勢いじゃねぇか。
八幡「う・る・さ・い。今は忙しいんだよ。
それに、試験直前には、いつも試験の山みたいなのは教えてるだろ」
結衣「それは教えてくれているけど、それっていつも、最後の最後でぎりぎりにならないと
教えてくれないじゃん」
八幡「当たり前だろ。試験に出そうな所だけを覚えたって、知識としては不完全で
役にたたないだろ」
結衣「・・・そうかもしれないけどぉ」
昴「ほらほら、橘教授がきたよ」
八幡「弥生、悪いけど頼むわ。由比ヶ浜は、前を向けよ」
昴「貸しにしておくよ」
結衣「あたしだけ態度が違うのは気になるんだけど」
騒がしかった教室も、講義が始まれば静まり返る。
教室の前にある二つの扉も閉められ、外から聞こえてきていた喧騒もかき消される。
どこか几帳面そうな声色と、ペンがノートとこすれる音だけで構成される時間が始まった。
いたって普通。どこまでも先週受けた時と同じ時間が繰り返される。
598 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:29:57.72 ID:2jPBwEpe0
始まって間もないのにどこか眠そうな生徒達の横顔も、
やる気だけは空回りしている由比ヶ浜も、
教室の前の方に陣取っている真面目そうな生徒達も、
先週見た風景と重なっていた。
ただ違う事があるとしたら、俺の期末試験と同じレベルの集中力と
隣で手伝ってくれている弥生の姿くらいだろう。
・・・・・・講義時間も残り少なくなり、あとは小テストを受けるのみとなった。
弥生と予想問題と解答を確認したら、ほぼ同じ内容なのは安心材料なのだが、
実際黒板に問題が書かれるまでは落ち着かなかった。
けれど、その緊張も今は新たな緊張へと変わっていっていた。
昴「おめでとう」
八幡「ああ、サンキューな。じゃあ、また明日」
昴「あせってこけるなよ」
結衣「ヒッキー、頑張ってね」
俺は二人に向かって頷くと、あらかじめ片付けておいた教科書を入れた鞄を手に
教室の前に向かって歩き出す。
試験問題は、ばっちし予想通りだった。
あとは、解答用紙を提出して、全速力で駅まで走るだけだ。
予想通りの設問に興奮状態で席を立ったまでは良かったのだが、
今俺が置かれている状態を予想するのを忘れていた。
いや、ちょっと考えれば誰もが気がつく事だし、気がつかない方がおかしいほどだ。
そう、小テスト開始直後に席を立つなんて、通常ではありえない。
どんなに急いで書いたとしても5分はかかる。
それも、解答があらかじめ分かっている事が前提でだ。
それなのに俺ときたら、誰しもがこいつなにやってるの?って気になってしまう状態を
作りだしてしまっていた。
最初は、俺達がひそひそ声で別れの挨拶をしているのに気が付いた比較的席が近くの
連中だけだったが、教室の通路を歩く俺の足音が響くたびに、俺を見つめる観衆の目が
増えていってしまう。
俺は、まとわりつく視線を強引に振り払い教卓の前へと向かっていく。
一段高い教卓を見上げると、訝しげに俺を見つめる橘教授がそこにはいた。
悪い事をしているわけでもないのに目をそらしてしまう。
ちょっとチートすぎる手を使ってはいるが、問題ない範囲だと思える。
弥生に応援を頼んだのだって、そもそもこの小テストはテキスト・ノートの持ち込み可
だけでなくて、周りの生徒との相談だって可能なのだ。
もちろん授業中であるからして大声を出すことはできないが、
ある程度の会話は認められていた。
599 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:30:24.64 ID:2jPBwEpe0
由比ヶ浜なんかは、毎回俺に質問してくるんだから、ちょっとは自分一人でやれよと
言いたくなる事もあるが。
俺はするりと解答用紙を教卓の上に提出し、橘教授を見ないように出口の方へと向きを変えた。
提出完了。あとは早足でここを切りぬけて、室外に逃げるのみ。
テクテクと突き進み、あと少しで教室の出口というところで、聞きたくない音を
耳が拾ってしまった。
なんでこういう音だけは拾ってしまうんだよ。
たくさんある音の中で、しかも似たような音がいくつも重なっている場面で、
たった一つ、俺が一番聞きたくない音だけを耳が拾ってきてしまう。
全速力の早足が、徐々に勢いに陰りを見せ、通常歩行へと移行する。
それでも出口までの距離は短かったおかげでどうにかドアノブを掴むことができた。
けれど、怖いもの見たさっていうの?
見たくはないんだけど、知らないままでおくのも怖い。
だったら見ておいてから後悔するほうがましなのだろうか。
ここで結論が見えない迷宮に深入りする時間もないし、なによりも現在進行形で目立ち
まくっているわけで、俺が取るべき行動はこのドアノブをまわして、
出口から室外に出る事だ。
しかし、人の意思は弱いもので、ドアノブをまわしてドアを開け、
一歩外へと踏み出した瞬間に、見たくもなかった光景を見てしまう。
振り返らなければ、見ることもなかったのに。でも、見てしまった。
もちろん後悔しまくりだ。
俺の視線の先には、俺の解答用紙を凝視している橘教授がいた。
俺が見たその姿は、数秒だけれども、死ぬ前の走馬灯のごとき時間。
けっして死ぬわけではないのだけれど、閻魔さまは確かにそこにはいた。
ここから逃げ出して走ったのか、遅刻しない為に走ったのか。
もちろん後者のためなのだが、本能が前者を指し示す。
駅のホームに着いたところで時計を見ると、想定以上に早くつくことができていた。
電車がやってくるアナウンスもないし、慌てて階段を駆け上ってくる客も俺一人しかいない。
これは橘教授効果だなと、皮肉を思い浮かべることができるくらいまでは
精神は回復したいた。
電車に間に合った事で、自然と子供が見たら泣くかもしれない(雪乃談)笑顔を浮かべていると
マナーモードにしていた携帯が震え、俺も心臓を止めそうなくらい震えてしまう。
もう、やめてくれよな。びっくりさせるなよと、携帯の画面を確認すると、
弥生からの電話であった。
あいつも俺と同じように解答だけは出来上がっているんだから、
もう小テストは終わったのだろう。そうしないと、電話をする事は出来ないし。
・・・・・・でも、もし、いや、あり得ないとは思うけど、でも、ん、なくはないが、
橘教授が弥生の携帯を借りて俺に電話したとしたら?
600 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:30:54.83 ID:2jPBwEpe0
橘教授も、生徒一人に時間をかける余裕なんてないんだしと、心に嘘をつきながら
通話開始ボタンを押した。
八幡「もしもし?」
昴「電車間に合ったか?」
八幡「なんだよ、弥生かよ」
昴「俺の携帯なんだから当然だろ。
それに、心配してやってるのに、そのいいようはないと思うよ」
安堵のあまり人目を気にしないでその場に座り込んでしまった。
せめてもの抵抗として、片膝を立てて座っているのが救いだろうか。
・・・誰も気にしないだろうけど、男の意地ってうやつで。
八幡「全速力で走ってきたから疲れてるんだよ。
今日は手伝ってくれて、ありがとな。だから、感謝してるって」
昴「そう? 感謝してるんなら、そのうち恩返しを期待してるからな」
八幡「俺に出来る事ならな。あと、時間に余裕があるとき限定で」
昴「それって、恩を返す気がないって事だろ」
八幡「返さないとは言っていないだろ。そろそろ電車も来るし、用件はそれだけか?」
昴「いや、伝言を頼まれて」
八幡「由比ヶ浜か? 無事に着いたって言っておいてくれよ」
昴「それは伝えておくけど、伝言を頼んだ人ではないよ。
ちなみに由比ヶ浜さんは、今も教室でテストやってると思う」
八幡「じゃあ、誰だよ?」
嫌な汗が額から滑り落ちる。
これは走ったからでた汗だ。そう、走ったからね。
と、俺の考えたくもない人物を全力で拒否しているっていうのに弥生の奴は
無情にも判決を下してしまった。
昴「橘教授からなんだけど、聞く?」
八幡「聞かないわけにはいかないだろ。一応聞くけど、聞かないという選択肢は可能か?」
昴「それは無理」
八幡「とっとと言ってくれ」
ちょっとは期待させる言い回しをしろよと、批難も込めて伝言の再生を催促した。
昴「そんなにびくつくなって。橘教授は笑っていたぞ。
あの橘教授が大爆笑していたんだから、研究室に一人で行っても殺されはしないって」
601 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:31:27.68 ID:2jPBwEpe0
八幡「ちょっと待て。前半部分はいいんだけど、後半部分はサラっという内容じゃないだろ」
昴「とりあえず、伝言伝えるよ」
こいつマイペースすぎるだろ。だからこそ、俺と一緒にいられるんだろうけどさ。
でも、こいつったら友人関係は広いくせに、なんだって俺の側にいるんだろうか。
八幡「はいはい、どうぞご勝手に」
昴「比企谷みたいにまでとはいかないけど、毎年何人かは去年の問題使って
解答をそのまま提出する人がいるんだってさ」
八幡「たしか試験対策委員会のやつが出回っているらしいな」
昴「らしいね。でも、教授も言ってたけど、去年の問題は使えないように
若干設問を変えているんだってさ」
八幡「論述だし、設問変えたって、似たような解答になるんじゃないか?」
昴「その辺の違いは教授も説明してくれなかったけど、今回のは、
授業中の例え話が違っていたらしいよ。
今日授業でやった例を用いて説明せよってなってただろ?」
八幡「なるほどな」
たしかに、去年の問題を持っていたら、俺も過去問をそのまま使っていたかもしれない。
俺の場合は、過去問をくれる相手がいないんだけど・・・。
でも、弥生だったら持っていてもおかしくないか。
昴「だから、去年までのをそのまま使って解答書いた答案は、出来の良しあしにかかわらず
3割までしか点数をくれないそうだよ」
八幡「設問の要求を満たしていない解答だし、当然だろうな」
昴「それで、今回の比企谷の方法なんだけどさ」
八幡「ああ」
昴「橘教授、大絶賛だったよ。面白いってさ。
面白ければOKとか、あのしかめっ面でいったんだから、みんな唖然としてたよ。
できれば写真に撮って、比企谷にも見せてやりたかったな」
八幡「いや、遠慮しとく。想像だけでも、ちょっときついものがある」
昴「ということで、橘教授の研究室に来てくれってさ」
八幡「だから、どうして俺が行かないといけないんだよ」
昴「気にいられたからじゃないのか?」
八幡「なんで気にいられるんだよ」
昴「比企谷が今回とった方法を、自分が橘教授に教えたからかな?」
八幡「なんで馬鹿正直に教えてるんだよ」
昴「そりゃあ、聞かれたからだよ」
八幡「だとしても・・・」
昴「電車来るんじゃない? アナウンスしてるんじゃないか」
602 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:32:00.05 ID:2jPBwEpe0
八幡「ああ、もう電車がくるけど、・・・いつこいって?」
昴「いつでもいいって言ってたけど、来週も授業あるんだから、早めに行っておいた方が
いいと思うよ」
八幡「わかったよ」
駅のホームに来るまでは絶好調だったのに。
どこかしらに落とし穴が待ち受けている。
注意深く突き進んできても、どこかでエラーが出てしまう。
あの時、教室を出る時、教授の顔を一瞬でも見たのが悪かったのか?
運命論なんて信じないし、俺のちょっとした行動が運命を、未来を変えてしまうとは
思えないが、それでも、あの時橘教授の顔を見なければよかったと、
電車を降りるまで何度も後悔を繰り返した。
無事遅刻する事もなく到着し、雪乃の親父さんと総武家の大将との話し合いも
和やかムードで終えることができた。
結論から言うと、俺が遅刻しようと、その場に全くいまいと、話し合いには
これっぽちも影響はない。
契約書の内容も、突っ込んだ内容になってしまうとあやふやだし、
これを自分一人で精査しろといわれたら無理だってこたえるしかない。
それは大将だって同じはずなのに、
そこは当事者としての意識の差がでてしまったかもしれない。
たしかに雪乃の親父さんがわかりやすいように説明していたけれど。
これは、陽乃さんから聞いた話だが、本来ならば親父さんが直接契約の場に
出てくる事などないそうだ。
もちろん大型案件ならば違うだろうが、企業所有のテナント一つの賃貸契約で
企業のトップが出てくるなど、あり得ない話であった。
となると、これは俺の勝手な想像になるのだけれど、この会談、もしかしたら
俺の為に設けられた部分もあるんじゃないかと思ってしまう。
ならば、俺が遅刻しないで到着した事も、意味があるのだといえるかもしれない。
さて、俺は親父さんにお礼を言ってから本社ビルをあとにする。
緊張しまくっていた体がほぐれ出し、肺に過剰に詰まっていた空気も、
どっと口から抜け出てくる。
振り返り、ビルを見上げると、さっきまであの上層階にいたことが幻のように思えてくる。
俺があの場にいられたのは、親父さんの計らいであって、俺の実力ではない。
いつか俺の実力で・・・・・・、いや、雪乃と二人の力で昇り詰めなければならない。
具体的な目標を目にできた事は、モチベーションの向上につながる。
けれど、今は鳴りやまない携帯メールの対応が優先だな。
603 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:33:22.29 ID:2jPBwEpe0
マナーモードにしてあった携帯は、ビルから出る直前に解除したのだが、
ひきりなしに鳴り響くメール着信音に、再びマナーモードにしていた。
なにせ着信メール数が二桁を超えている。
現在進行形で増え続け、もうすぐ三桁になりそうであった。
チェーンメールではないよな?
アマゾンや楽天であっても、こんなにはメール来ないし、
●●●●関係は雪乃の目が光っているから完全に隔離状態だしなぁ。
となると、小町か戸塚か?
だったら、徹夜してでも全メールに返事を書くまでであるが、
どう考えたってあの二人だよな。
先ほどまでいた会談とは違う緊張感を身にまとい、とりあえずメールフォルダを
クリックした。
第34章 終劇
第35章に続く
604 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:33:54.97 ID:2jPBwEpe0
第34章 あとがき
八幡「どうしたんだよ。さっきから落ち着きがないぞ」
雪乃「そのようなことはないと思うのだけれど」
八幡「どうみたって、うずうずしてるだろ。
・・・はぁ、その黒い猫は著者が自分の代わりに置いてった猫だぞ」
雪乃「そう? だから、なにかしら?」
八幡「・・・なんでもねえよ。ちょっと猫缶とってくるな。餌の時間らしい」
雪乃「早くしなさい。猫がお腹をすかせているわ。ほら、さっさと行きなさい」
八幡「わかったよ」
・・・・・・・・・・
雪乃「にゅあ~・・・。にゃぁ~」
八幡「(その猫じゃらし。どこに隠し持ってたんだよ?)」
雪乃「あら八幡。戻っていたの」
八幡「前から思ってたんだけど、猫と会話できるの?」
雪乃「なにを言ってるのかしら? 夢は寝ているときに見るものよ」
八幡「(これ以上追及するなって、無言のプレッシャーが・・・)
ほら、猫缶」
雪乃「遅かったわね」
八幡「餌やる前に、締めのフレーズ言ってくれよ。・・・って、聞いてないし。
今週は俺がやるか。
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので
また読んでくださると、大変うれしいです」
雪乃「にゃにゃ、にゃぁ~」
八幡「(やっぱり、猫と会話してるにゃないか)」
黒猫 with かずさ派
610 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:28:50.26 ID:rAodTcpR0
第35章
7月11日 水曜日
俺が携帯画面を見るのを拒むように差し込む西日を避ける為、ビルの柱の陰に入り込む。
夏のむっとする空気が幾分か和らぎはしたものの、携帯に蓄積され続けているメールは
俺の汗腺を緩めてしまう。首も元にねっとりとまとわりつく汗を和らげるために、
ネクタイを緩めて、Yシャツの第二ボタンまで外す。
一応商談ともあるわけでスーツに着替えてはいた。
雪乃の親父さんからは、服装は普段着でいいとのお許しを得てはいたが、
総武家の大将が、ラーメンを作るときのユニホームからスーツへと着替えているのを
見た時は、親父さんのご厚意をやんわり返上していた事に、ほっと息をついてしまった。
やはりビジネスであるわけで、第三者である俺もマナーを守るべきである。
今はいいかもしれないが、雪ノ下の関係者という甘えがなあなあの関係からの甘えを生み、
いつ落とし穴に落ちてしまうかわかったものではない。
とりあえず商談も終わり、大学生に戻った俺は、スーツの上着を鞄と一緒に抱え込み
臨戦態勢で目の前まで迫った恐怖に立ち向かう事にした。
俺が商談中に舞い込んだ携帯データによると、
86通のメールと10件の留守番電話メッセージが届けられている。
雪乃と陽乃さんの二人によるもので、おおよそ半分ずつといった感じだろうか。
内容をまとめると、陽乃さんからは、雪乃を預かった。
返してほしかったら雪ノ下邸まで来い、といった感じだ。
一方、雪乃からは、陽乃さんの戯言に付き合っている時間はないから、
私を迎えにきたら、そのまま帰りましょうといったものだ。
この内容で、どうして86通ものメールを送る事になったのか、
今も送られてきているメールも含めると91通になるのだが、
このメール合戦にいたるまでの経緯など知りたいなど思えなかった。
どうせ陽乃さんが雪乃を挑発して、雪乃が負けじと応戦したのだろう。
とにかく夕方になっても気温は低下してくれないし、
暑苦しい事は極力さけるべきだ。
だから俺は、ビルの陰から西日が強く叩きつけられるアスファルトを早足で歩きだす。
一刻も早く次の日陰に逃げ込もうとテンポよく進む。
だが、一通だけ趣旨が違うメールが着ていた事を思い出し、早足だった足が止まってしまう。
脳にインプットされたメール情報が誤情報でないか確認する為に携帯で再度確認したが、
やはり誤情報ではなかった。
送信者は、雪ノ下陽乃。
611 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:29:20.40 ID:rAodTcpR0
メールの内容は、ペリエ750mL瓶を五本買ってきて。
最後にハートマークやら、うざったい記号が羅列していた事は、この際デリート。
なんだって、このくそ暑い中、4キロほどの水を買って帰らないといけないんだよ。
そもそも俺は歩きなんだぞ。
俺の代りに陽乃さんが運転して帰っているんだから、
その時買えばいいじゃないか。なんだって車の陽乃さんじゃなくて、
徒歩の俺がくそ重い荷物を持って帰らにゃならん。
きっと、これは嫌がらせなんだろうけど、このとき雪乃が陽乃さんをやりこめていたんじゃ
ないかって思えてもきてしまう。
だって、これってただの姉妹喧嘩のたばっちりである事は確定しているのだから。
陽乃「御苦労さまぁ。2本は冷蔵庫に入れて冷やしておいてね。
あとの3本は、あとで片付けるからその辺の置いておいていいわ」
手に食い込んだスーパーの袋を床に置くと、ようやく苦行から解放される。
若干手に食い込んだビニール袋によってしびれは残るが、快適な温度まで気温が下げられて
いるリビングは、俺の疲れを癒してくれていた。
雪乃「八幡は休んでいていいわ。冷蔵庫には私がいれるから」
と、雪乃は冷たく冷えたタオルを俺に渡し、重いビニール袋を運んでいく。
いつもならば俺が重いものを率先として運ぶのだが、ここは雪乃の好意を素直に
受け取っておこう。
八幡「買い物だったら、車で行けばよかったじゃないですか。
しかも、重い瓶だったし。これって嫌がらせですよね?」
陽乃「嫌がらせではないわよ。だって、家に着いてからメールした内容だしね。
もし家にいた時かどうかを疑うっていうのならば、雪乃ちゃんに家に着いた時刻を
確かめてもらっても構わないわ」
毅然とした態度で俺に反論するのだから、本当の事なのだろう。
あまりにも俺の駄々っ子ぶりの嫌味に、ちょっと大人げなかった発言だと反省してしまう。
冷たいタオルが俺の体を癒していくにつれて、どうにか正常モードの思考を取り戻せ
つつあるようだった。
612 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:29:50.69 ID:rAodTcpR0
八幡「いや、陽乃さんがそういうんなら、本当の事なんでしょう?
だったら雪乃に聞くまでもないですよ」
陽乃「そう?」
八幡「でも、ペリエ5本はないでしょ。俺は歩きなんですよ。せめて車の時に
言って下さいよ」
陽乃「うぅ~ん・・・。それはちょっと悪いことしたなって、メール送った後に
気がついたんだけど、でも比企谷君なら断ったりしないでしょ」
八幡「断りはしなかったと思いますけど、俺をいたわってくださると助かりますね」
陽乃「だったらちょうどいいわ」
ちょうどキッチンから戻ってきた雪乃は、陽乃さんの発言を聞きつけて、
綺麗な曲線を描いている眉毛をピクンと歪な曲線に変えてしまう。
雪乃「だったらちょうどいいわではないわ。
最初から姉さんはそうしようと考えていたじゃない」
陽乃「そうだったかしら?」
陽乃さんは、まったく悪びれた顔もせずに、雪乃の追及をさらりとかわす。
だもんだから、雪乃の眉毛はさらに歪さを増してしまうわけで。
八幡「で、なんなんですか?」
陽乃「うん。今日も夕食準備したから、二人とも食べていってほしいなってね」
そう温かく微笑むものだから、俺はもとより、雪乃でさえ反論はできないでいた。
今の陽乃さんの笑顔の前では、雪乃も強くは出られない。
昨日、強引に帰宅しようとした雪乃を見て、陽乃さんが見せた寂しそうな姿を
雪乃も忘れることができないはずだ。
どこかおどおどしく、子供が親に許しを乞おうとする姿に重なってしまう陽乃さんを
見ては、強気でなんていけはしないのだから。
雪乃「わかったわ。食べていくわ」
陽乃「そう? 雪乃ちゃんがOKだしたからには、比企谷君も問題ないわよね?」
八幡「ええ、食べていきますよ。だけど、今度からは、重いものを頼む時は
車の時にしてくださいよ」
陽乃「ええ、わかったわよ。でも、帰宅する前に買い物を頼むって、なんだか
ホームドラマの一場面に出てきそうで、ほのぼのするでしょ?
お帰りぃ。今日も暑かったね。はい、これ頼まれていたやつって感じでさ」
八幡「そんなこと考えてたんですか?」
613 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:30:22.53 ID:rAodTcpR0
陽乃さんの求めるものがちょっと意外すぎて、批難っぽい声をあげてしまったものだから、
陽乃さんはすかさず俺に食いついてきてしまう。
陽乃「そんなことってなによ。
私がいわるゆ家庭的な場面を求めるのが似合わないっていうの?」
八幡「馬鹿にしたわけじゃないですよ。それに、似合わないとも思ってませんって」
陽乃「本当かしら? なんだか比企谷君お得意の論理のすり替えをして、これからうやむやに
しようとしているんじゃなないかしら?」
八幡「違いますって」
この人、どこまで俺の事好きなんだよ。
俺の行動パターン全てお見通しってわけか。
俺の事を時間かけて研究したって、何もメリットなんてないですよって言ってやりたい。
ただ、言ったところで面白いからやだって即時却下されるだけだろうな。
しかし、八幡マイスターたる陽乃さんであっても、今回の分析は間違いなんですよ。
八幡「俺が言いたかったのは、そんな意図的にホームドラマの一場面みたいな状況を
作りださなくても、俺達ってもう家族みたいなものじゃないですか。
だったら、人のまねなんてしないで、自分達らしいホームドラマをやっていけば
いいだけだと思うんですよ。
といっても、俺も雪乃も家庭的って何?って人間なんで、
どうすればいいか、わからないんですけど」
陽乃「えっと、それって、私もその家族の一人に入ってるのかな?」
八幡「入っていますよ。そもそも陽乃さんは雪乃の姉じゃないですか。
だったら、その時点で家族ですけど、・・・・まあ、今俺が言っているのは、
それに陽乃さんが言ってるのも形式的な家族ごっこじゃなくて、
精神的な繋がりをもった家族ドラマだと思うんですけど、
そういう精神的繋がりを持った家族、俺達はやってると思うんですよね。
俺の勝手な思い込みかもしれないですけど・・・」
陽乃「うれしぃ」
八幡「ん?」
陽乃さんの声が、陽乃さんに似合わず小さすぎたんで、戸惑い気味に聞き返してしまった。
陽乃「うれしいって言ってるのよ。たしかに、比企谷君も雪乃ちゃんも、
もちろん私だって、ホームドラマみたいな家族なんて似合わないし、
どうやればそうなるかもわからないけど、・・・もうなってたのか。
そうか、これが家族なのか、な」
八幡「どうなんでしょうね?」
雪乃「あいかわらず適当な事を言う人ね。たまにはいい事を言うものだから
感動しかけてのたのに、なんだか騙された気分ね」
614 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:30:55.75 ID:rAodTcpR0
八幡「俺は適当なことなんて一言も言ってないぞ」
雪乃「たった今言ったばかりじゃない。どうなんでしょうね?って」
八幡「それは、俺達の関係だけが家族じゃないって言っただけさ」
雪乃「もう少しわかりやすく言ってくれないかしらね。
コミュニケーションって知っているかしら?
自分一人が理解しているだけではコミュニケーションは成立しないのよ」
八幡「はいはい、わかっていますよ。これから説明するって。
だからさ、雪乃の親父さんも、そしてあの母ちゃんだって、俺から見たら
家族やってるって思えるだけさ。そりゃあ、あの母ちゃんだし、きついし
相手したくないし、逃げられるんなら即刻退却するけどさ、
それでも、雪乃や陽乃さんのことを大切にしてるなって思えるんだよ」
雪乃「あの母が? 冗談でしょ。あの人は、自分の着せ替え人形が欲しいだけよ。
自分の思い通りに動かない人形には、興味はないわ」
八幡「たしかに、そういう一面は否定できないし、俺もそうだと思う」
雪乃「だったら、あの母のどこに家族ドラマみたいな家庭があるのかしら?
雪ノ下の為。企業だけの為に行動してきたのよ。
現に姉さんのお見合いだって、進められてきたじゃない」
八幡「陽乃さんのお見合いは中止になっただろ」
雪乃「それは八幡のおかげでどうにか取りやめになっただけじゃない」
八幡「俺のおかげかは議論の余地が多大にあると思うけど、
雪乃や陽乃さんを大切に思っていることは間違いないと思うぞ」
雪乃「自分の人形コレクションの一つとして大切にしているだけだわ」
平行線だな。いや、俺があの女帝をフォローするたびに距離が広がっている。
だったら地球を一周回ったら線が交わりそうな気もするが、
ねじれの位置ならば、永久に交わらないし、永遠に距離が広がっていってしまう。
いわゆる「どうあっても交わることのない存在」を表す比喩を思い浮かべるが、
それは直接交わらないだけだと俺は捻くれた横槍を入れたりしたもんだ。
直接交わらないのなら、間接的に交わればいい。
どうせ人間一人では生きられない、ぼっちという意味ではなく、人間社会という意味で、
ならば、誰かしらが緩衝材として働けばいいだけだ。
だったら俺は、雪乃の為ならば、少しくらいあの女帝に近づいてもいいって思えてしまう。
この行動さえも雪乃からすれば余計なお節介なのかもしれないが。
八幡「その辺の事は今回は横に置いといてもいいか?
今回の話とは論旨がずれているからさ」
雪乃「いいわ。べつに、あの人の事を話したいわけでもないのだから」
八幡「助かるよ」
陽乃「それで、私と母達がどうして家族ドラマみたいな家族なのかしら?」
615 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:31:33.62 ID:rAodTcpR0
八幡「どんな家族であっても、なんかしらの問題を抱えているからですよ。
うちだって父親が小町ばかり溺愛して、息子の方にお金をかけてくれないとか、
仕送りをもっとしてほしいって申請しても即時却下だとか、
たまに家族で食事に行くとしても俺の意見は全く聞いてくれないとか、
・・・小町優先なのは俺もだからいいんだけど、
親くらいは俺の事を気遣ってくれと言いたい」
雪乃「それは、八幡が愛されていないだけで、家族の問題にさえならないのではなくて?」
陽乃「そうね。問題意識を持たないのならば、問題にはならないわ」
八幡「そこの冷血姉妹。ちょっとは俺の事を大切にしてくれない?
そもそも雪ノ下家の話をスムーズに進める為に比企谷家の例を出しただけなのに、
どうして俺を揶揄することに全力をあげるんだよ」
雪乃「あら? 揶揄なんてしてないわ」
八幡「どこがだよ」
雪乃「私は、事実をそのまま言ったまでで、人を貶める発言など一切していないわ。
そもそも私があげた事実を聞いて、それで自分が馬鹿にされたと思うのならば、
その本人が自分の悪い点を自覚していると考えるべきだわ。
そうね、補足するならば、見たくもない事実を目にしてしまったということかしら」
雪乃は首を傾げながら饒舌に語りだす
そして、顔にかかった長い髪を耳の後ろに流す為に胸の前で組んでいた腕を解く。
八幡「別に認めたくない事実でもないし、仮に事実だとしても、
親が俺の事を放任してくれていて助かってるから問題にはならない」
雪乃「強がっている人間ほど、認めないものよ。
早く楽になりなさい。人間、一度認めてしまえば、あとは落ちるだけよ。
最低人間の極悪息子なのだから、仕送りをしてもらっている事実だけで
ご両親に最大限の感謝をすべきだわ」
八幡「なあ、雪乃。お前って、俺の彼女だったよな?」
最近では、あまりく聞くことがなくなってきた雪乃の毒舌。
久しぶりすぎて耐性が落ちてきている気もする。
ある意味新鮮で、高校時代を思い出してしまい、感慨深かった。
雪乃「そうよ。あなたみたいな男の彼女をやっていけるのは、私しかいないわ。
だから、・・・感謝するのと同時に、けっして手放さないことね」
訂正。高校時代とは違って、現在はデレが入っております。
頬を赤く染めて視線をそらす雪乃を見て、これが典型的なツンデレかと感動してしまった。
これがツンデレが。ツンデレだったのか。
616 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:32:02.24 ID:rAodTcpR0
高校時代の雪乃の場合、ツンはツンだけど、そのツンの破壊力がでかすぎて、
殲滅兵器だったからなぁ。
たとえデレがあったとしても、ツンによって殲滅された後に雪乃しか立っていなければ
ツンデレは成立しない。
八幡「そうだな・・・そうすることにするよ」
雪乃「ええ、そうすることを強くお勧めするわ」
陽乃「あぁら、私は一言も比企谷君を傷つけたりしないわよ。
どこかの言語破壊兵器娘とは違って、大切な人がいるのならば、
自分自身が傷つけることはもちろん、他人にだって傷付けさせないわ」
八幡「いやいやいや・・・、さっき雪乃と一緒に言っていましたよね?」
陽乃「私が言ったのは、問題意識を持たないのならば、問題にはならないわって
言っただけよ」
八幡「それが揶揄しているって言うんじゃないですか」
陽乃「違うわね」
八幡「陽乃さんの中だけでは、そうなのですか?
でも、俺の中ではそれを揶揄しているっていうんですよ」
陽乃「私の中でも相手に向かって言ったのならば、揶揄しているというわ」
八幡「だったら、俺に対して揶揄したことになるじゃないですか」
陽乃「それは違うわね」
あくまで強気で、挑戦的な瞳をしている陽乃さんにくいついてしまう。
この人に立ち向かったって、痛い目をみるだけの時間の無駄だってわかっている。
だから、むしろ立てつかないで、うまく受け流すべきなのだろう。
だけど、この人を知っていくうちに、深く関わりたいと思ってしまう自分がいた。
八幡「どう違うんですかね?」
陽乃「それは、私が比企谷君に対して言った言葉ではないからよ」
八幡「はぁ?」
要領をえない。陽乃さんが何を言っているのか理解できず、
気が抜けた短い返事しかできないでいた。
陽乃「だから、私は比企谷君に向かって発言していないって言ってるのよ。
私がした発言は、雪乃ちゃんが言った発言に対する同意意見であって、
比企谷君をさして発言した内容ではないってことよ。
つまり、一般論を言ったってことかしらね」
八幡「はぁ・・・」
陽乃さんが言っている意味はわかる。わかるんだけど、ずるくないか?
617 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:32:33.07 ID:rAodTcpR0
いくつかの意味にとれる言葉を使って、責任をうまく回避していて、
なんだが政治家が使う口述技法と重なってしまう。
陽乃「ね? 比企谷君を傷つける言葉なんて、どこかの自称彼女とは違って
一言も言っていないでしょ」
八幡「たしかにそうなんでしょうが・・・」
と、陽乃さんは、自分はいつだって味方だと言わんばかりに俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
自分を大切にしてくれて、いつも味方でいてくれるというのならば、それは俺だって
嬉しく思える。
だけど、陽乃さんの行動が、さらなる危機を招くってわかっていてやっているのだから、
これは完全なる味方だって言えるのか?
げんに雪乃の殲滅兵器起動のセーフティーロックが外された音がはっきりと耳がとらえたし。
それは陽乃さんだって、知覚しているはずだ。
陽乃「ねぇ、酷いわよねぇ。暑い中帰って来たというのに、冷たい麦茶の一つも
用意しないだなんて、そんな彼女はいないわよね。
はい、八幡。これ飲んで」
陽乃さんは、いつの間に用意したのか、氷が適度に溶けだし、グラスがうっすらと
曇り始めた麦茶を俺に手渡す。
八幡「あ、ありがとう、ございます」
陽乃「もう、他人行儀なんだから。暑かったから喉が渇いたでしょ」
八幡「そうですね。夕方なのに蒸し暑いし、なれないスーツっていうのもきつかったですよ」
陽乃「そうでしょ、そうでしょ、ささ、ぐぐっと飲んで」
八幡「あ、はい」
きんとくる爽快感が喉を駆け巡る。熱くほてっていた体も、この麦茶を皮切りに
クールダウンに入ってくれそうだ。
雪乃の親父さんとの会談。その後の雪ノ下姉妹の対決。
おっと、大学での時間調節もあったか。・・・あれは、明日にでも橘教授の元に
行かなくてはならないから、問題ありだけど、今日はもういいか。
色々面倒事の目白押しだったけれど、今日はもういいよ。
喉の渇きが癒されたら、今度は胃袋が陳情してくる。
ただでさえ暑くて燃費が悪いのに、緊張の連続で激しくエネルギーを消費してしまった俺の
エネルギーは枯渇間近であった。
陽乃「ねえ、比企谷君。今日は、銀むつの煮付けを作ったのよ。
食べたいって言ってたわよね」
618 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:33:04.75 ID:rAodTcpR0
八幡「え? 本当に作ってくれたんですか?」
陽乃「もちろんよ。先日デートに行った時、デパ地下でお惣菜を見ていたときに
食べたいって言ってたじゃない」
たしかにデートはデートだけど、ストーカーをいぶりだす為の偽デートじゃないですか。
でもここで訂正入れても面倒事を増やしそうだし、かといってこのまま受け入れたら
雪乃が黙ってない、か。
と、雪乃の出方を伺おうと視線だけ動かすと、雪乃は俺の視線を感じて
ゆっくりと瞬きを一つ送ってよこしてきた。
・・・・・・セーフってことかな?
八幡「たしかにいましたけど、覚えていたんですか?
でも、あの時見たのは西京焼きでしたよね」
陽乃「そうよ。西京焼きも好きだけど、煮付けの方が好きだって言ってたから、
作ってみたのよ。でも、味付けが比企谷君好みだといいんだけどね」
八幡「そんなの陽乃さんの作ってくれるものだったら、
美味しいに決まってるじゃないですか」
陽乃「もうっ、嬉しいこと言ってくれるわね。でも、比企谷君好みの味付けも覚えたいから
ちゃんと意見を言ってくれると助かるわ」
八幡「あ、是非」
と、空腹の俺に好物を目の前に放り込まれてしまっては、雪乃の痛い視線に気がつくのに
遅れてしまっても、しょうがないじゃないか。
だって、疲れているし、好物だし、嫌な事忘れて食事にしたいし・・・。
はい、ごめんなさい。
俺は、やんわりと陽乃さんが絡めて来ていた腕をほどくと、雪乃に謝るべく膝を床についた。
第35章 終劇
第36章に続く
619 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:33:33.88 ID:rAodTcpR0
第35章 あとがき
八幡「もう一方の連載のあとがきには、サブヒロインの和泉千晶って人が
出ているらしいな」
雪乃「そう・・・。だとしたら、こちらもサブヒロインの姉さんが出ればいいのに。
私、ヒロインだし・・・、忙しいのよね」
八幡「それは著者に文句を言って欲しいけど、でもそうなるとなぁ・・・」
雪乃「姉さんだと何か不都合でもあるのかしら?
ん? どこを見ているの、八幡?
・・・・・・・さすがに外で胸をじっと見つめられるのは恥ずかしいわ」
八幡「いや、なあ・・・」
雪乃「後ろに隠したのを見せなさい」
八幡「はい」
雪乃「和泉千晶のプロフィールじゃない」
八幡「別に隠したわけじゃないって。ただ、なんとなく、他の女のプロフィールを
俺が持っていたら、雪乃に悪いかなってさ」
雪乃「そう?(にっこり)
だったら、いいわ。・・・・・・・・・・・あら?」
八幡「(ぎくっ)」
雪乃「ねえ、八幡」
八幡「なんでしょう」
雪乃「この和泉千晶って人は、胸が大きいのね。しかも、全登場人物中最大なのね。
それで、もし、姉さんがこちらで登場でもしたら
胸の大きさで登場人物を選んだって考えたのではないでしょうね?」
八幡「滅相もありません(冷や汗)」
雪乃「とりあえず、
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので
また読んでくださると、大変うれしいです。
さあ、八幡。楽しい話し合いを始めましょうね」
黒猫 with かずさ派
623 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:30:11.41 ID:ebUOfYOG0
第36章
7月11日 水曜日
陽乃さんの指示の元、俺と雪乃はその手足となって料理を運んでゆく。
三人が一斉にキッチンを動きまわったら身動きがとりにくくなって非効率かと思いきや
そこは雪ノ下邸。比企谷宅とは違って三人が一同に行動しても問題はなかった。
どことなく注意深くキッチンを観察すると、俺と雪乃が暮らすマンションのキッチンと
どことなく雰囲気が似ている気がする。
もちろん部屋の作りが違うし、規模だって違う。
だけど、なんとなくだけど使い慣れた感じがするっていうか、
違和感を感じないのは、
雪乃が実家キッチンの仕様をそのまま導入しているからだと思えた。
比企谷家の台所にだって比企谷家なりのルールがあって、主に台所の支配者たる小町が
作ったルールが絶対なのだが、その小町が作ったルールでさえ俺の母親が
台所を自分なりに使いやすいようにアレンジしたものが源流だ。
そう考えると、いくら実家を飛び出して高校から一人暮らしをしだした雪乃であっても
実家での生活の全てを実家に置いてくることなんてできなかったんだって
今さらながら思いいたってしまうわけで。
ま、だからなんだって話で、雪乃に話したら、自分が使いやすいようになっているだけよって
そっけなく突き放されそうだけどさ。
陽乃「あまり改善点らしい意見はなかったわね。
本当にこのままでいいの?」
食事が進み、陽乃さんから依頼を受けていた銀むつの煮込みへの意見。
俺好みの味を知りたいって言われても、俺が今まで食べた中で最高に美味しかった。
なにせ俺が初めて食べたのは、親父が東京駅のデパ地下で買ってきたものであり、
そして、それを俺が大絶賛したものだから母親が自分なりに作るようになった。
そもそも親父だって、しょっちゅうそのデパ地下に行けないわけで、だからこそ
母親が作ってくれるようになり、そして平日夜の料理番を任されるようになった小町
が比企谷家標準の味付けとなった。
味付けに関しては、お店の物とは違うのだけれど、俺好みに改良されており、
なにより小町が作ってくれているんだから文句はない。
文句がないのは陽乃さんが作ってくれたものも同じだ。
624 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:30:40.18 ID:ebUOfYOG0
でも、同じ文句がないでも、その方向性が違うのが大きな差なのだろう。
八幡「俺が今まで食べた銀むつの煮付けの中で、ダントツで美味しいですって。
だから、これをどう改善すればいいかなんてわからないですよ。
むしろなにか俺の意見を取りいれることで味のバランスが崩れかねませんか?」
陽乃「その辺の味のバランスは、私の方で調整するから、比企谷君がもっと甘い方が
いいとか、しょっぱい方がいいとか言ってくれると助かるんだけどな」
八幡「味加減も抜群だと思いますよ」
陽乃「それじゃあ、面白みがないじゃない。
私の味付けを比企谷君に押し付けているみたいで。
私は、比企谷君の好みが知りたいのよ」
八幡「そう言われましても・・・」
雪乃「八幡に無理難題を押し付けても、八幡が困るだけよ。
それに、私も姉さんの味付けはバランスがとれていると思うわ」
八幡「そうですって。俺の意見を聞くまでもないほど美味しいんですから」
陽乃「そ~お? だったら雪乃ちゃんが作ってくれたのと比べたらどうかしら?
作った人が違ったら、味付けが変わるでしょ」
八幡「いや・・・、その」
雪乃「ないわ」
陽乃さんが望むアットホームというべき温もりに満ちた食卓が、
雪乃を中心に遥か遠くの南極の風を吹き乱す。
室温は一気にマイナスを振り切り、絶対零度。
この極寒の世界で生きられるのは、
雪の女王たる雪乃とパーフェクトクィーンたる陽乃さんくらいだろう。
あとは雪乃と陽乃さんの母親を思い浮かべるが、
あれはあれで別次元の生き物って感じだし。
そんなわけで小市民たる俺は、吹雪が止むのを黙って見ているしかなかった。
陽乃「ないって?」
雪乃「銀むつの煮付けを作った事がないっていっているのよ」
陽乃「そうなの?」
雪乃「ええ、そうよ」
陽乃「一応言っておくけど、銀むつってメロのことよ」
雪乃「そのくらいは知っているわ」
陽乃「雪乃ちゃんって、銀むつ嫌いだったっけ?」
雪乃「嫌いではないわ。ただ・・・」
陽乃「ただ?」
雪乃「・・・・・・・知らなかったのよ」
625 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:31:07.55 ID:ebUOfYOG0
雪乃の小さな呟きは、俺達の耳までは届かなかった。
けれど、雪乃の姿を見れば、陽乃さんはもちろん、俺だって見当はつく。
その言葉の裏に込められた意味までも、しっかりと。
雪乃「知らなかったのよ。だって八幡、言ってくれなかったじゃない」
八幡「言う機会がなかっただけだって。スーパーに行っても、銀むつって
サンマやイワシみたいなメジャーな魚じゃないだろ。
だから、陽乃さんが知っているのも、
たまたまデパ地下の総菜コーナーで見かけたからにすぎない」
雪乃「そうかもしれないけれど、だからといって・・・」
陽乃「姉の私が知っていて、彼女たる雪乃ちゃんが知らないのは許せない?」
だから、やめて下さいって、煽るのは。
挑発的な顔をして雪乃を追い詰めるのは、ただただ姉妹喧嘩に発展するだけじゃないですか。
いまや絶対零度の吹雪を撒き散らしていた雪乃王国の氷塊は溶け始めていた。
なにせ熱砂の女王陽乃さんが雪乃国に熱波をたたきこんで
食卓を混乱に引きずり込もうといしているのだから。
雪乃「姉さん!」
陽乃「彼女だからって、全てにおいて他者よりも優れていたい?」
雪乃「そんなことは・・・」
陽乃「彼女だから、誰よりも比企谷君を理解している?」
雪乃「それは・・・」
陽乃「彼女だから、他の女を寄せ付けたくない?」
雪乃「だから、姉さん・・・」
陽乃「彼女だから、比企谷君の・・・」
八幡「陽乃さん、もうその辺にしときましょうよ」
陽乃「そう?」
雪乃は俯き、膝の上で握りしめているだろう拳をじっと見つめていた。
その表情は黒髪が覆い尽くしている為に確認できないが、
きっと打ちひしがれているのだろう。
・・・いや、負けず嫌いの雪乃のことだから、陽乃さんを睨みつけながら反旗の機会を
探っているか?
どちらにせよ、ここで止めないとせっかく改善した姉妹関係が壊れかねない。
それにしても今日の陽乃さんは、踏み込み過ぎていないか?
今までだって小競り合い程度のコミュニケーションは何度もあったけれど、
今日みたく雪乃を追い詰めようとしたことはない。
だから、不安になってしまう。
626 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:31:39.78 ID:ebUOfYOG0
何を考えているかわからない陽乃さんに逆戻りしてしまうんじゃないかって、
陽乃さんから漏れ出ているかもしれない不気味な雰囲気を探してしまいそうになってしまう。
八幡「雪乃もいいな」
雪乃「私は・・・、構わないわ」
八幡「あとな、雪乃・・・」
雪乃「なにかしら?」
雪乃を顔をまっすぐ見つめて、言うべきか迷ってしまう。
俺がこれから言おうとしている事は間違いではない。
おそらく正しい。けれど、今の精神状態の雪乃が理解してくれるだろうか?
人は時として、事実を受け入れられなくなる。
正しいのだけれど、正しいと理解できなくなってしまう。
それでも今の雪乃には必要な言葉だと、信じたい。
八幡「雪乃が俺の事を理解するなんて、無理だと思う」
このたった一言で、雪乃の顔が凍りつく。
うつろな目で俺を見つめ返し、膝の上になったはずの手は、
だらりの椅子の下の方へと垂れ下がる。
裏切られたと思っているはずだ。
どんなときだって味方だと思っていた俺に見捨てられたと思っているはず。
なんだけど、こればっかりは言っておかないといけない、と思う。
八幡「長年一緒に育った小町だって、俺の事を全ては知らないし、
俺だって小町の事を誰よりも理解しているって、うぬぼれてはいない。
そもそもこんな一般論を言う事自体必要な事ではないと思うんだけどさ、
なんだか今の雪乃には、こんな教科書に載っているような一般論が必要かなって」
陽乃「ある人物の全てを知る事はできない。
知ることができるのは、ほんのわずかな一面のみ。
親しい人ほど、その人物が持つ一面を数多く手にしてくけれど、
それは多いだけであって、すべてではない。
裏を返せば、親友が知らなくても、顔見知り程度の人が知っている事さえ
あり得るってことかしらね」
八幡「まさしく教科書通りの解説ですね。まあ、そんなところですよ」
雪乃「いまさら小学校の教科書に出てくるような事例を八幡に上から目線で
ご演説して頂けるとは思ってもいなかったわ」
雪乃の力が抜けきっていた肩がピクリと反応したかと見受けられると、
半分虚勢が入りつつも胸をしっかりと張る。
627 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:32:14.42 ID:ebUOfYOG0
そんな雪乃を見ていると、
どこまでも負けず嫌いなんだよって誉め撫でまわしたい衝動に駆られてしまう。
なんて自制心を鍛えていると、俺の漏れ出たわずかの衝動を察知した雪乃の瞳が
笑いかけてきているのは思いすごしではないだろう。
なにせ陽乃さんがむすぅっと俺を雪乃を見比べているのだから、ほぼ確定事項といえた。
陽乃「そうね。雪乃ちゃんなんて、涙ながらも比企谷君の演説を聞いていたんだから、
なかなかの演説だったといえるんじゃない?」
雪乃「姉さん・・・」
陽乃さんに険しい視線を向ける雪乃を見て、俺はため息しか出てこなかった。
陽乃さんも陽乃さんで、どうして雪乃に挑戦的なんだよ。
これが雪ノ下姉妹の正常な関係って言われてしまえば、そうなんだけど、
その姉妹の間に置かれている俺の事も考えてほしいものだ。
八幡「もう、いいでしょ。俺だって雪乃の事を全て知っているわけじゃないし、
俺よりも陽乃さんの方が雪乃の事を知っている事は多いはずだ。
その一方で、ここ数年の雪乃に関しては、
誰よりも俺が知っていると自負しているけどな」
陽乃「はい、そこ。のろけない」
八幡「のろけていませんって。それに陽乃さんのことだって、ここ数日で大きく印象が
変わってきているのも事実なんですよ。
はっきりいって、今までの印象との落差がありすぎて、戸惑っているというか
・・・・いや、当然の結末だったというか、かな?」
陽乃「どうなんでしょうね? 比企谷君が今見ている私も、それ以前の私も、
同じ雪ノ下陽乃だと思うよ。だって、私は私だもの」
八幡「それは事実ですけど、俺の頭の中でイメージされている雪ノ下陽乃は
やはり変化していますよ」
陽乃「それは、比企谷君が私の事を知らないだけよ」
八幡「ですよねぇ・・・」
雪乃「落ち込むことなんてないわ。なにせ私なんて、生まれてきた時から姉さんの事を
見てきたけれど、全く理解できないもの。
・・・・そうね、理解しないほうが幸せなのかもしれないわ」
そっと頬に手を当てて陽乃さんを流し見る雪乃の姿に艶っぽさを感じてしまったのは
ここでは内緒だが、陽乃さんを理解しようと踏み込むのは、雪乃が言うような不幸せには
ならないと思う。ただし、空回りしてしまうとは思ってしまうが。
なにせ、陽乃さんは自分を見せない人だ。だから、ひょんなことがきっかけで
突然垣間見せる陽乃さんの本心を見逃さないように注意深く見守るしかないのだろう。
628 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:32:42.59 ID:ebUOfYOG0
陽乃「女はね、謎があったほうが魅力的なのよ。
男は理解できないから理解したくなるってものじゃない」
雪乃「理解したいって思って下さる殿方がいらっしゃればいいわね、姉さん」
言葉づかいこそ丁寧だが、絶対雪乃の言葉の裏には悪意がこもっているだろ。
にっこりと細めた目の奥には、きっと陽乃さんへの反骨心がこもっているはずだ。
陽乃「そうねぇ・・・」
陽乃さんも陽乃さんで、妖艶な瞳を俺に送ってくるのはよしてください。
陽乃「まずは自分を理解してもらおうと思ったら、相手の事を理解しないと。
だ・か・ら、今日は銀むつの煮付けを作ってみたけど、
今度は、西京漬けの方を作ってみるわね」
八幡「宜しくお願いします」
陽乃「それと、煮付けの方も私の方で研究してみて、ちょっと味付け変えたのが出来たら
また食べてくれると嬉しいな」
八幡「絶対食べますって。俺の方がお願いしたいほどですよ」
陽乃さんは、俺の返事に頬笑みで返事を返してきた。
もう終わりだよね? 大怪獣戦争は終わりだよね?
食事の話に戻ってきたし、核戦争は防がれたんですよね?
俺は、ある意味「楽しい話し合い」が終わりを迎えた事に胸を撫でおろす。
やや雪乃の方には不満がくすぶっているみたいだが、ここは我慢してくださると助かります。
波乱に満ちた食事も終わり、食後のコーヒータイムとしゃれこんでいた。
香り高いコーヒーの誘いが鼻腔をくすぐる。
これといってコーヒーにこだわりがあるわけではないし、
人に自慢するような知識もあるわけでもない。
だからといって、コーヒーの香りの魅力が落ちるわけはなく、
陽乃さんが淹れるコーヒーの香りに体は素直に反応する。
コーヒーの臭いを嗅ぐと、体がコーヒーを渇望してしまう。
まっ、MAXコーヒーはコーヒーのジャンルではあるが、それはそれ、あれはあれだ。
むしろマッカンは、MAXコーヒーというジャンルだと思える。
コーヒーに格別詳しいわけではない俺であっても、
毎日のように嗅いでいる特定のコーヒー豆ならば、
なんとなくだけど、いつものコーヒーだなって気がつくことができる。
629 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:33:08.66 ID:ebUOfYOG0
雪乃の紅茶を淹れる動作もそうだが、陽乃さんのコーヒーを淹れる仕草は絵になっていた。
雪乃が柔らかい物腰だとしたら、陽乃さんはきりっとした優雅さを描いている。
いつもはコーヒーメーカーで淹れるらしいが、今日は特別にハンドドリップだそうだ。
本人いわく、コーヒーメーカーでやっても、自分でいれても大した差はないわ。
自分でやるのは面倒だし、時間と手間がかかるだけ。
だったら、機械に任せた方が効率的なのよ、とのことだったが、
俺からしたら、陽乃さんがコーヒーを淹れてくれている動きそのものがご馳走であり、
コーヒーの魅惑をより高めているとさえ思えてしまった。
先日も陽乃さんに手料理をご馳走になったが、
そのときも包丁の選択を気持ちの問題で選んだところがあった。
普段の陽乃さんの行いを見ていると、なにかしらの意味・効率があると思えていた。
人の気持ちを手玉にすることも多々あるが、面白半分で行動に起こす事はない。
むしろ明確な目的があって行動するわけで、気持ちの問題で選択などしないと思える。
人間なんて気持ちでモチベーションや成功率が大きく変化するのだから、
陽乃さんに限って気持ちの部分を切り離して語ろうだなんて論理的ではない。
ただ、自分の気持ちを切り離して、親の期待を優先して行動してきた陽乃さんだからこそ、
俺は陽乃さんの行動原理においては気持ちの部分を切り離して考えてしまう悪い癖が
ついてしまったのかもしれなかった。
だから、真心というか、陽乃さんがそういった気持ちの部分を大切にしてくれて
いる事自体が、無性に嬉しくも思えていた。
陽乃「鼻がひくひく動いて可愛いわね」
俺の鼻を見て、小さく笑顔を洩らす陽乃さんに、俺は顔が赤くなってしまう。
コーヒーに誘われて、体が反応してしまったのも恥ずかしかったが、
それよりも、陽乃さんのコーヒーを淹れる姿に魅入っていたことに
気がつかれてしまったことに恥じらいを覚えた。
その俺の恥じらいさえも陽乃さんにとっては、歓迎すべき振るまいなのだろうか。
機嫌が悪くなるどころか、鼻歌まで歌いそうな勢いで準備を進めていく。
八幡「なあ、雪乃。これって、いつも家で飲んでいるコーヒーじゃないか?」
陽乃「そうなの?」
俺と陽乃さんは、雪乃にコーヒー豆の答えを求める。
急に雪乃に話が振られたせいで、雪乃は一瞬キョトンとしたが、
すぐさまいつもの調子でたんたんと解説をしてくれた。
ただ、俺と目が合った時、ちょっと不機嫌そうになったのは気のせいだろうか?
なにか雪乃の機嫌を損ねることなんてしたかなぁ・・・・・・。
雪乃「ええ、うちのと同じコナコーヒーよ」
630 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:33:44.25 ID:ebUOfYOG0
八幡「いつも飲んでるのって、コナコーヒーだったのか」
雪乃「自分が飲んでいるコーヒーくらい知っておきなさい」
陽乃「でも、雪乃ちゃんがコナコーヒーを選ぶなんて意外ね。
いや、想像通りっていうのかな?」
陽乃さんは、ひとり何やら疑問に思ったり、納得したりとニヤついているので
この際ほっとこう。むやみに突っ込むと、被害を受けるのはこっちのほうだ。
八幡「てっきりスーパーで買ってきた何かのブレンドか何かかと思ってたんだよ。
だってさ、雪乃ってコーヒーにはこだわりがなさそうだから」
陽乃「そう? 雪乃ちゃんもコーヒー飲まないわけじゃないわよ」
八幡「そうなんですか?」
陽乃「だって、雪乃ちゃんが実家にいた時、私がコーヒー淹れてあげてたんだから。
今日淹れたコナコーヒーも、私が特に好きな銘柄で、
雪乃ちゃんも好きだと思うわよ」
八幡「へぇ・・・」
意外だった。雪乃は、いつも紅茶ばかり飲んでいるから、コーヒーはそれほど好みが
あるとは思いもしなかった。
いや、紅茶が好きだからといって、コーヒーの好みがないって決めるけるのは早計か。
陽乃「雪乃ちゃんって、私の事がちょっと苦手なことろもあったから、
比企谷君に私が好きなコーヒーを勧めるなんて意外だったわ」
雪乃「八幡がいつも甘いコーヒーばかり飲んでいるから、心配になったのよ。
外ではいつも甘すぎるMAXコーヒーだし、家ではインスタントコーヒーに
練乳をたっぷり入れて飲んでいるのよ。
いつか糖尿になるんじゃないかって心配になるじゃない。
・・・・・・・だから、美味しいコーヒーを八幡に飲ませれば、
少しは甘くないコーヒーも飲むかなって・・・。
だからね・・・、コーヒーなら姉さんのチョイスを信じたほうがいいかと」
陽乃「うぅ~んっ。雪乃ちゃんってば、健気で可愛いすぎるっ。
思わず抱きしめたくなるわ」
雪乃「姉さん。抱きしめたくなるわではなくて、既に抱きついているのだけれど」
すでにコーヒーを淹れ終わったのか、コーヒーカップを3つのせたトレーとテーブルに
置くと、陽乃さんは雪乃の後ろから抱きついていた。
そのあまりにも素早すぎる動きに俺も雪乃も気がつかないでいた。
気がつかないというよりは、一連の動作があまりにも自然すぎて違和感がなかった。
だから、陽乃さんが雪乃の後ろに回り込んでいた事に気がつかなかったのかもしれない。
631 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:34:12.25 ID:ebUOfYOG0
雪乃「ちょっと、・・・姉さん、苦しいわ」
陽乃さんの強烈な胸に頭を圧迫されている雪乃が、目で俺に助けを求めてくる。
どうしろっていうんだよ?
下手に手を出したら、二次被害に陥るぞ。
ましてや、どこにどう手を出せばいいんだ。
百合百合しい光景に目が奪われていたわけではない事は、主張しておこう。
だから俺は、トレーからカップを一つ手に取って、
そのまま口にカップをよせたとしても、なにを非難されよう。
うん、うまい。この前も陽乃さんのコーヒーを飲んだけど、さすがだ。
ま、俺に味の違いなんてわからなくて、気持ちの問題なんだけどさ。
俺が優雅にコーヒーを楽しんでいると、ちょっと忘れようとしていた問題が蒸し返される。
先ほどより強く鋭い雪乃の視線が俺に突き刺さっている。
おそらく、早く助けなさいって、雪乃が目で訴えているんだろう。
その必死な視線を貰い受けたのならば、彼氏としては助けるべきなのだろうな。
でも、相手はあの陽乃さんなんだよなぁ・・・。
へたに助けに入ると俺の方がさらなる被害をうけちゃうし。
だから、雪乃。ここは一つ自分で頑張ってくれ。
俺は、再び雪乃達の百合百合しい姿緒堪能・・・いや、静かに見守るとするよ。
きっと陽乃さんも飽きれば解放してくれるはずだしさ。
さて、俺は陽乃さんが淹れてくれたコーヒーを飲んで待ちますか。
第36章 終劇
第37章に続く
632 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:34:41.78 ID:ebUOfYOG0
第36章 あとがき
八幡「今週は雪乃の代りに他の奴がきているらしいんだけど、まだ来てないじゃないか。
俺一人にあとがきを任せるだなんて無謀すぎるだろ、著者のやつ」
千晶「どこを見ているのかしら?
その腐った目は、ただの飾りなのかしら?」
八幡「遅刻しておいて、いきなり毒舌だなんて、どういう事だよ」
千晶「あら? やはり腐っている目の持ち主は、脳まで腐りかけているみたいなのね。
あなたがここに来る三十分前には、既にここに来ていたわよ」
八幡「いや、それは、嘘だろ。って、お前誰だよ?」
千晶「和泉千晶だけど?」
八幡「ああ、あの(胸がでかい)
ん?」
千晶「どこをみてるの? そんなに胸が見たいの? 警察をよんだ方がいいわね」
八幡「違うって。プロフィールの胸のサイズが違うなって思ってさ」
千晶「それは、サラシを巻いているからだよ。だって、
雪ノ下雪乃って人は、胸が著しく小さくて、毒舌を吐くヒロインなんでしょ。
だったら、雪ノ下雪乃を演技するんなら、
私みたいに胸が大きすぎると、やっぱちがうじゃない」
八幡「そりゃあ、なあ」
千晶「でしょ。ま、遅刻してごめんね」
八幡「やっぱ、遅刻してるじゃないか」
千晶「来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので
また読んでくださると、大変うれしいです。
来週もこっちで仕事しろってさ」
八幡「来週もかよ」
黒猫 with かずさ派
次回 やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている ) その4
弥生「私も、比企谷君の意見に賛成です。大学受験で燃え尽きてしまう生徒もいますが、
Dクラスの子達は、少し事情が違いますね。中にはいるでしょうけど、
それは少数派でしょうね」
八幡「はぁ・・・・・・・」
何を言いたいのか、注意深く探る。遠くを見つめ、まるで今までを振り返っている気がした。
今年のDクラスの生徒は十数人だけど、何年も続ければ数もそれだけ増えていく。
きっと、今までも毎年同じことが繰り返されてきたに違いなかった。
弥生「うちの大学は、全国クラスで見ても優秀な方だと思います。
だから、全国から優秀な子たちが毎年入ってきます。
きっとその子たちは、地元の高校では優秀な成績だったのでしょうね。
クラスメイトからは羨ましがられたり、尊敬されたりしてたのでしょう。
先生達からの信頼もあったはずです。
でも、そういう子達が一か所に集められてしまったら、優秀な子達だけで
順位が付けられてしまい、今までトップ集団であっても、
いきなり下位グループに落とされてしまう子達が必ず出てしまうのですよね」
八幡「そうですね」
俺と同じことを考えていたことに、驚きを覚える。
いや、そうでもないか。当然のことだ。この人は、毎年見て、実感してきている。
俺よりも深く関わってしまっている。
弥生「今まで挫折を知らなかった子達は、打たれ弱い。
一度沈み込んでしまったら、立ち上がるまで時間がかかってしまう。
大学を卒業するまでかかってしまう子もいるし、卒業しても無理な子もいる。
でも、どの子たちにも共通して言えることは、大学で勉強している間に
立ち上がれる子は極めて少ないということです。
立ち上がろうにも、化け物のような才能の持ち主が毎年入学してきますから
その子たちには勝てないって、諦めてしまうのでしょうね。
勉強は勝ち負けだけではないというのに」
八幡「理屈からすれば、そうなんでしょうね。でも、理屈ではわかっていても
人間だれしも強くはありませんし、簡単には立ち上がれませんよ」
弥生「そうでしょうね。私も一人だったら立ち上がれなかったでしょう」
立ち上がれなかった? うちの大学で、英語講師にまでなったこの人が挫折してるのか?
弥生「そんなに驚いた顔しないでくださいよ。私も長く生きていますから、
挫折くらい何度もしています」
421 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:32:00.55 ID:oXMFQ7UX0
八幡「すみません」
弥生「いいんですけどね。私もね、うちの大学のDクラス出身なんです」
八幡「はっ?」
俺は盛大に驚きの声をあげてしまった。
その声を聞いた弥生先生は、無邪気に俺の顔を見て笑っている。
俺の反応が予想通りだったのか、俺の顔が変だったのか、それとも他の要因かは
わからないけれど、弥生先生は満足している感じであった。
弥生「ふつうは、比企谷君のような反応しますよね。
私だって、私が大学で英語講師になってるなんて夢にも思っていませんでした。
でもね、私の場合は、挫折しても手を差し伸べてくれた友人がいたんです。
彼女はAクラスで、どの教科であっても優秀でした。
今は、就職して、出世街道まっしぐらって感じですかね。
勉強だけではなく、人当たりもよかったですし、彼女ならどこであっても
うまくやっていけると思いますよ」
八幡「そうでしょうね」
俺もそういう奴を知ってるが、そういう奴はどこであっても根をしっかり張り、
ぐいぐい成長していくはずだ。
弥生「だから私は、自分がDクラスのときそうだったように、今のDクラスの生徒たち
にも、再び立ち上がって勉強を楽しんでもらいたいんです」
やはり人からの噂はあてにならない。だって、この人はDクラスの為を思って行動していた。
きっと、きつくあたっていたのは、彼らに頑張ってほしいから。
きつく当たるだけではなく、フレンドリーに接してみたり、
講義内容も初歩からやったりと、長年思考錯誤を繰り返してたのかもしれない。
だけど、弥生先生だけが頑張ったとしても、人は簡単には変われない。
本人が変わりたいって望み、行動しなければ変わることなんかできやしない。
きっと、このまま手を引っ張り続けていたならば、弥生先生は重みに耐えられなくなって
いつかは弥生先生まで引っ張りこまれて倒れてしまったことだろう。
弥生「だからね、本当の事をいうと、比企谷君がDクラスの子たちを立ち直らせて
くれたのを見て、悔しくもあったんですよ。
だって、私が何年かけてもできなかったことを数週間で解決してしまったのですから」
八幡「俺は、彼らに動いてもらっただけですよ。
動かざるをえない状態に追いやっただけです。そして、動きだしてしまえば、
あとは勝手に動いてくれているだけなんですよ」
422 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:32:29.59 ID:oXMFQ7UX0
弥生「それをやるのが難しいんですけどね」
弥生先生は、頭をかきつつ、あきれ顔をみせる。
だけど、そんなこと言われても、俺が成功したのも運があったからとしかいえない。
俺も勝算があってやったわけでもない。
俺が思い付いた方法が、たまたま当てはまっただけ。
八幡「運が良かったんですよ」
弥生「そうですか? それでも、君には人を引き付ける魅力があったことだけは
たしかですよ」
八幡「そうだったら、いいんですけどね」
弥生「失敗続きの私が言っても、説得力に欠けますか」
八幡「そんなことは・・・・・・・」
弥生「いいですって。・・・・・・あっ、ここですよ。
私の行きつけのラーメン屋は」
目の前には見覚えがある店舗がそびえている。それもそのはず。
俺も平塚先生もよくこの店に来ているのだから。
俺は、弥生先生との会話に集中しまくってて気がつかなかったけど、
歩き慣れた道ならば、違和感もなく歩けるわけだよな。
店ののれんには、総武家と書かれていた。
弥生「もしかして、比企谷君もここ知っていましたか?」
八幡「あぁ、はい。よく来ています」
弥生「そうですか。それはよかった。私もここの大ファンでしてね。
でも、今度の道路拡張工事でこのビルも取り壊しになってしまい、
店も閉店しなくてはならなくなり、とても残念ですね」
八幡「それを聞いたときは、急なことで驚きましたよ」
今でも覚えているあの感覚。自分は無力だって思い知らされる脱力感。
人生思い通りにならないことが多々あるけど、大切なものほど失った後にたくさん後悔する。
過去を振り返らないなんて無理だ。きっと何度も思い出してしまう。
時間がたつにつれて、記憶が薄れてはいくけれど、いつかまた何かのきっかけで
鮮明に思い出し、より深く傷つく。
弥生「それにしても、この辺の再開発は大規模ですね。
ここの道路だけじゃなくて、隣の道路のほうも拡張工事らしいですから」
八幡「えっ? 向こうの道路の拡張工事するんですか」
弥生「ああ、これはまだ内密にしておいてほしいんだけど、いいかな」
423 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:33:05.09 ID:oXMFQ7UX0
八幡「あ、はい」
弥生「私の同級生に議員の秘書をやってる人がいましてね。
この前食事をしたときに聞いたんですよ。
彼女も議員の秘書をやってるのだから、秘密にしなければいけないことも
あるのでしょうに。私みたいなしがない大学講師に話しても実害はありませんけどね」
弥生先生は、苦笑いを浮かべる。きっと酒が入ってしまうと、本当に言ってはいけない事
までも話してしまっているのかもしれない。
その辺は推測にすぎないけれど、もしかしたら、
それだけ弥生先生が信用できる人ってことなのかもな。
八幡「その辺は、弥生先生を信じてるんじゃないですか。
でも、話す方もどうかと思いますけど」
弥生「そうですよね。今度きつく言っておきます」
八幡「あの・・・・・・」
弥生「なんでしょう?」
八幡「拡張工事って、最初から両方ともする予定だったんですか?」
弥生「違いますよ。正確に言いますと、ここの道路の拡張工事は既に公示されて
いますので秘密でもなんでもないんですよ。
ただ、向こう側の道路の方が現在交渉中といいますか、内密にことを
進めているらしいです」
八幡「そうなんですか」
弥生「あっ、でも、比企谷君も秘密でお願いしますよ」
八幡「はい」
俺の返事を見届けると、食券を2枚購入して弥生先生はのれんをくぐって店内に入っていく。
俺は弥生先生の話を検証してみたい気持ちが強かったが、待たせるわけにもいかない。
はやる気持ちを抑え、俺は後に続く。
やはり裏で何か動いているのかもしれない。
公共工事ならば、雪乃の親父さんに聞けば何かわかるかもな。
でも、今は目の前のラーメンだな。
店内に充満するラーメンの臭いの誘惑には勝てる気がしなかった。
424 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:33:51.62 ID:oXMFQ7UX0
陽乃「へぇ・・・。そんなことがあったの。私は弥生先生の講義とったことなかったけど、
結構よさそうな先生だったのね」
弥生先生とラーメンと食べた後、俺は急ぎ待ち合わせの場所に戻る。
時間はたっぷりあったはずなのに、時間を忘れ、話に夢中になっていた。
もちろん拡張工事の話をもっと聞きたかったが、これ以上の情報は期待できなかったと思う。
それよりも勉強論というか、大学の実情や問題点の話が興味深かった。
俺は将来先生になりたいわけでも大学に残りたいわけでもないが、
弥生先生の人柄に強く関心を持ってしまった。
人の縁って不思議だよな。
些細なきっかけで、縁がないと思っていた弥生先生と巡り合ったわけだ。
そう考えて過去にさかのぼると、雪乃に会わせてくれた平塚先生には一生頭が
上がらないかもな。
八幡「それで、拡張工事について、お義父さんに聞いてもらえませんか?」
陽乃「それは構わないけど、大したことは聞けないと思うわよ」
雪乃「姉さん、私からもお願いするわ」
雪乃は、紅茶をトレーに載せてソファーに戻ってくる。
リビングには、うっすらと紅茶のフルーティーな香りが囁きだす。
コーヒーのように強烈な香りってわけでもないけれど、優しい香りが心を緩める。
陽乃さんは、満足そうに紅茶を一口飲むと、いつもの頼れる姉の顔をみせる。
陽乃さんも一時はどうなるかと心配はしていたが、最近は明るさを取り戻しつつある。
やはり犯人の目星がついたことが大きいかもな。
それでも、決定打にかけるのがつらいところだけど、味方も増えた。
きっとうまくいくさ。
陽乃「善処するけど、あまり期待しないでよ。お父さんったら、
仕事の事はあまり話してくれないから」
八幡「そこをなんとか頑張ってください」
陽乃「わかったわ。比企谷君には迷惑かけてるからね」
八幡「迷惑なんかじゃないですよ。陽乃さんだから手を貸しているだけです」
陽乃「そう?」
陽乃さんには意外な答えだったらしく、わずかに驚く。
しかし、雪乃を見つめると、少し残念そうな笑顔を見せ、目を伏せる。
まあ、拡張工事の裏事情を調べたところで総武家が助かるとは思えない。
だけど、急な立ち退きだ。きっと何か裏で動いているはず。
425 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:34:34.02 ID:oXMFQ7UX0
わずかな望みかもしれないけど、これも弥生先生からの縁だ。
当たってみて、損はないだろう。
7月5日 木曜日
前日、弥生先生からテストの点数具合を聞いてはいたが、あまりにも好調すぎて
俺でも驚いてしまう。
弥生先生が暗躍している俺の事を気にする気持ちもわからなくもない。
短期間でここまで改善するとは誰も思っていなかったはずだ。
俺は朝からすこぶる機嫌がよかった。
こんなに晴れ晴れとした朝はひさしぶりだと思う。
英語の勉強会もそうだが、今朝陽乃さんを迎えに行くと、昨日の解答を聞くことができた。
それによると、総武家に面している道路を計画したのは
親父さんとは別グループのものらしい。
それに対抗して打ち出した計画が、
親父さんが所属するグループが推し進めている隣の道路の拡張工事だったようだ。
素人の俺としては、隣接する道路を二つも拡張しても税金の無駄遣いだって思えて
しまうが、実情としては総武家の方の道路は通学路、主に人の通りがメインの工事らしい。
そして、親父さんの方の道路は、
トラックや車などの交通渋滞を改善する為のものらしい。
どちらも必要な工事だとは思うけど、やはりそこには利権問題が絡まっていた。
その辺は推測が含んでしまうが、所属するグループの議員の利益になるように
動いていることはたしかである。
もちろん陽乃さんであっても親父さんからお金がらみの事は聞き出せはしなかったけど、
あの道路には雪ノ下の企業のビルもあるらしかった。
あとでこっそり雪乃が教えてくれたけど、きっと陽乃さんも知ってたはず。
身内のちょっと汚い裏事情。それは陽乃さんであっても隠したいはずだけど、
俺は親父さんが汚い大人だとは思ってはいない。
それは俺が一歩大人に近づいたことなのかもしれないけど、
企業の経営者としての判断としては間違いではないと思えてしまった。
426 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:35:18.76 ID:oXMFQ7UX0
7月7日 土曜日
7月7日、七夕。今日は天候にも恵まれ、各地でイベントが行われるのだろう。
街のあちらこちらには、七夕特有の飾りがにぎやかになびいている。
毎年新しいのを買ってるのならば、無駄な遣いじゃないかって捻くれてた意見を
もってしまう。また、去年のを使っているのなら、ほこりがかぶったものを
頭上につるすなよと、これまた皮肉を言ってしまう。
まあ、どっちにしろ邪魔なディスプレイだって思うんだけど、
七夕を感じるには見慣れ過ぎた光景が広がっていた。
駅前もひときわ盛大な七夕飾りと、笹が飾られ、否応にも今日が七夕だと実感する。
浴衣を着飾った女性たちも多くいて、駅の中へと消えていく。
街はいつもより活気づき、落ち着かない雰囲気を醸し出す。
しかし、俺達が発する落ち着かない雰囲気は意味が違う。皆堅い表情をしていた。
結衣「いよいよだね」
雰囲気に敏感な由比ヶ浜は、場を和ませようとあれこれ画策するが、全て霧散していた。
なにせ、今日の為に考えうる手は打ってきたし、協力も取り付けてきた。
陽乃さんや雪乃だけではなく、ここにはDクラスのメンツも勢ぞろいしている。
本当に他にやれることはなかったのか?
あとで後悔するのは自分なんだぞと、何度も自問してきたけれど、効果はない。
雪乃にしたって、陽乃さんであっても、万能ではない。
それは、この数日間で実感してきたことでもある。
人は失敗するからこそ、成長する。いや、ちがうか。
失敗して、そこから這い上がるからこそ成長する。
這いつくばったままの奴は、それまでだ。
だけど、一人でなんでもやろうだなんて、子供じみた考えはもはや俺にはない。
高校時代の俺が知ったら笑い転げるかもしれないけど、事実だからしょうがないじゃないか。
自分の限界を知っているはずの高校時代の俺であっても、
自分の限界を知った上で行動している高校時代の俺であったとしても、
みっともなく這いつくばりながらも懸命に立ち上がろうとしている奴の方が強いって
今の俺なら胸を張って言える。
だって、かっこいいだろ弥生先生やDクラスの連中。
一度は泥水にまみれながらも、今は懸命に前に突き進んでいる。
427 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:35:52.06 ID:oXMFQ7UX0
まあ、俺に手を貸してくれているっていう個人的な理由も加点事由かもしれないけど、
それは、まああれだ。人の印象だからしょうがない。
それに陽乃さん。なんでもできるスーパーウーマンって勝手に思ってたけど、
それも間違いであった。笑いながらトラブルをぶん投げてくる迷惑な人っていう
強烈な印象もこびり付いているけれど、それは陽乃さんの一つの側面でしかない。
この数日間で俺が勝手に抱いた印象もほんの少しの陽乃さんのでしかなく、
きっと俺が知らない一面がまだたくさんあるのだろう。
そして、陽乃さんもやっぱり女の子であった。
俺は、役に立ちもしない男かもしれい。それでも、守ってあげたいと思ってしまう。
そういう普通すぎる女の子でもあったんだって気がついてしまった。
その普通すぎる女の子の笑顔を取り戻せるかどうかがかかった七夕祭り。
準備は整っている。あとは臨機応変にやっていくしかない。
八幡「準備はいいか」
結衣「たぶん大丈夫」
八幡「たぶんかよ」
雪乃「由比ヶ浜さんのサポートは私がするのだから問題ないわ」
結衣「ゆきのん」
由比ヶ浜は、雪乃の腕をとりじゃれつくが、最近雪乃はそれを嫌そうにはしない。
慣れかもしれないけど、雪乃も丸くなったものだな。
作戦前の緊張を和ませるゆりゆりしい光景を堪能したところで、今日の主役が登場する。
ま、由比ヶ浜は雪乃と一緒に行動する予定だから問題ないか。
むしろ雪乃が無理をしないように由比ヶ浜が見張ってると言ってもいいほどだけどな。
陽乃「みんな、今日はほんとうにありがとう。
感謝しきれないほどのことをこれからしてもらうけど、いつかきっと恩は返します」
俺、雪乃、由比ヶ浜。それに、Dクラスの連中。石川君は、俺達と一緒のところを
他のストーカー連中に見られるとやばいので別行動中だけど、みんな頼もしい連中だ。
八幡「そういうしんみりする言葉は、全てが終わってからにしてくださいよ」
雪乃「姉さんらしくないわ」
結衣「そうですよ。もっとこう、元気になるような檄を下さいよ」
陽乃「そう? だったら・・・・・・、私の雪乃ちゃんに害をなそうとする連中は
一人残らず皆殺しよ!」
いや、まあ、雪乃も危ない立場かもしれないけど、ちょっと違わなくない?
428 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/10/30(木) 17:36:35.69 ID:oXMFQ7UX0
陽乃さんの隠れシスコンが公になっただけで、みんなどんひきじゃねえか。
雪乃なんかは、他人のふりしてるぞ。
今さらだけどよ・・・・・・・。
八幡「なにかあったらすぐに連絡してくれ。危険だと思ったら逃げていい。
みんなの安全が第一だけど、今日だけは、ちょっとだけ力を貸してくれると助かる。
だから今日一日、俺達に力を貸してくれ」
あれ? 俺、けっこういいこと言ったよね?
でも、なにこの静けさ。
雪乃や陽乃さんに助けを求めて顔を見ると、なんだか意地悪そうな笑顔をしている。
由比ヶ浜は、失礼にも笑いをこらえようと悶えてさえもいる。
やはり慣れないことはすべきじゃねぇなあと、Dクラスの連中の顔を見回すと、
各々表情は違うけれど、どうにか俺の思いは届いてはいた。
腕を組んで場の雰囲気を満喫してい者、ニヤニヤ笑いながらも頼もしい目をしている者、
頷く者、手を取り合い緊張を共有している者。
人それぞれのリアクションが違うけれど、なんとも頼もしいことか。
陽乃「さ、みんな打ち合わせの配置に着く時間ね。
ちょっと痛い事言う子もいたけれど、それは寛大な目で見てくれると助かるわ」
そう陽乃さんが身も蓋もないことをいうと、皆何故だか失笑を洩らす。
俺って、そんなに恥ずかしい事いったか?
陽乃「じゃあ、みんなよろしくね」
陽乃さんが作戦開始を宣言すると、皆それぞれの場所へと散っていく。
ただ、散っていく前に、俺の肩やら手を叩いていった。
それは、これから戦いにいく戦士の別れのようでもあり、なんとも頼もしく、
俺に勇気を奮い立たせる気もした・・・・・・なんて、どっかのワンフレーズを思い出す。
ちょっとはかっこつけた言葉を言ったかいもあったかなと
小説のワンシーンのような光景に思いがけず感動してしまった。
第23章 終劇
第24章に続く
435 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:31:07.50 ID:y5ROlF8O0
第24章
7月7日 土曜日
午後0時35分。約束の待ち合わせ時間まで、あと5分。
安達の性格からすると、待ち合わせ時間からわずかに遅れてくるらしい。
よくて時間ちょうどくらいで、遅れてきても悪びれもしない態度に
みんないつも内心イラっとくるとのこと。
それでも、陽乃さんのことだからにこやかに出迎えるんだろうな。
裏事情を知らないって、ほんとに幸せだよ。
でも、陽乃さんがストーカーの事で相談にのってもらっているお礼として
映画に誘いだしたのだから、いつもよりは若干早くは来るかもしれない。
誰もが振り向く美人に映画に誘ってもらったんだ。
うきうきしない男はいない。
前日の夜は早めに寝ようとするけど、なかなか寝付けることはできないだろう。
それでも、目覚ましより早く目が覚めてしまうあたりは、人間よくできているものだ。
約束の時間までは十分すぎる時間があっても、家にいてもそわそわしてしまって、
早めに家を出てしまうかもしれない。そうしても、早く待ち合わせ場所についてしまって、
今度は早すぎないか、とか考えだしてしまって、余計な悩み事さえ増えてしまう。
それが一般的なデート慣れしていない男かもしれないけど、俺は違う。
もし、初めて誘われたデートならば、相手が待ち合わせ場所に来ているかをまず確認する。
そして、周りにクラスメイトなどが潜伏していないかを用心深く観察するだろう。
なにせ、どっきりの可能性が高い。
だから、用心深く行動してもしきれないほど、用心したほうがいいに決まってるじゃないか。
一応どっきりである場合の返しの言葉もいくつか考えておき、
翌日学校であっても、俺は空気になって、静かに過ごすことになるだけだ。
被害は最小限に。
でも、せっかく女の子から誘われたんだから、罠であっても行きたいってものなんだよ。
さて、現場の陽乃さんはというと、手首を返し、腕時計で時間を確認していた。
俺もつられて時間を確認すると、0時41分。
秒針がもうする頂上に戻ってきそうだからほぼ42分か。
安達はデートだというのに、いつもと同じペースで、しかも遅刻して登場かよ。
436 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:31:51.43 ID:y5ROlF8O0
それとも、俺と同じように警戒しているのか?
と、少し不安になってきたところで安達が登場。
不安にさせるなって。せっかくデートなんだから、早く来いよと悪態をついたのは
俺だけじゃないはずよ。
とくに、あとで女性陣からの意見を聞いてみたいかも。
そう考えると、女子会トークなんかで、自分のデートを採点なんかされた日には
当分寝込みそうだな・・・・・・。雪乃は、由比ヶ浜であっても話すとは思えないけど
ちょっと怖いかも。あっ・・・・・、今度雪乃にデートの不満点とか、
日常の不満点とか聞いておこうかな・・・・・・・・。
安達「お待たせぇ。今日は七夕だし、人が多くて、まいっちゃうよな」
陽乃「そうね。七夕祭りとかあるし、しょうがないんじゃないかな」
安達「浴衣女子がわんさかいちゃって、目がいっちゃってさ。
俺もおっさんになってきちゃったかもって思うと切ないわ」
陽乃「そう・・・・・」
わぁ・・・・、めっちゃ陽乃さんひいてないか。
確かに七夕だし、浴衣来てる女性多いけど、これからデートの相手の事も考えろよ
って、男の俺でも思ってしまう。
たしかに映画だし、陽乃さんも浴衣は着てこないだろうけど、
他の女の事を誉めるのはやばいだろうに。
ただ、それさえも気にしないのが安達クオリティー。我が道を行くつわものだった。
陽乃「はい、映画のチケット。今日はお礼だし、私のおごりだから」
安達「あ、サンキュ~」
安達はチケットを受け取ると、一人映画館の中に入っていく。
陽乃さんも、俺に目配せを送ると、その後を追いかけるように中に入っていった。
中では既にDクラスのうち4人が二手に分かれて待機中のはず。
後ろの両隅を抑えてると連絡があったから、これで監視は万全。
あとで遊撃部隊として、俺が中に入っていけばいい。
外のことは雪乃達に任せておけば十分。
ま、中の仕事なんて、とりあえず監視するだけだし、楽なもんだよな。
陽乃さんたちの少し後ろに座らないといけないんで
陽乃さんがチケットを買った後に自分のチケットを買ったが
リバイバル上映らしいんで、席もたいして埋まってはいない。
なんか南極基地に行かされた料理人がひたすら料理しまくる映画らしい。
そんなの見て面白いのか?
437 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:32:27.78 ID:y5ROlF8O0
デートだし、もっとこう恋愛ものとか選ぶかと思ってたけど、
まじで陽乃さんの趣味で選んだのかもな。
なにせ料理が趣味だって言ってたし、あとで聞いてみっかな。
そうだな、陽乃さんらしいイメージの映画って何だ?
マフィアの抗争とか似合うか? それとも本格的な社会派映画?
うぅ~ん、いまいち思い付かないものだな。
そう考えると、料理の映画って似合ってるのかもしれないか。
安達に顔を見られないように、いそいそと後ろの席に着くと、
安達は俺の事など気にする余裕などなかった。
陽乃さんばかり見ていた。
陽乃「映画館で携帯がならないようにするのがマナーだけど、マナーモードにするだけ
というのもマナー違反だと思わない?」
安達「なんで?」
陽乃「だって、時間やメール確認したりすれば、必然的に画面が光るじゃない。
ほんの小さな光であっても、暗い映画館の中で突然光を発するだなんて迷惑だわ」
安達「あぁ・・・・そうかもね。さっそく携帯の電源切っとこうかな」
陽乃「そうね」
陽乃さんはにっこり笑顔で頷いているけど、実は本心なんじゃないか。
しかし、きっと安達は上映中だろうと携帯いじるタイプだろうな。
携帯持ってると腕時計なくても時間わかるから、腕時計持つ人は少なくなってるらしい。
「高級腕時計」イコール「ステイタス」みたいなのは残っているけど、
一般人が使うような普通の腕時計の必要性は減少している。
それはそれで時代に即したスタイルだと思う。
だけど、そのおかげで、今まであり得なかったマナー違反も出来上がってしまったことも
事実であり、マナー意識の改善が追い付いていないよな。
陽乃「せっかくだから、今日は携帯なしで楽しもうっかな」
安達「え? それいいかもね。縛られない感じが、フリーダムで面白いかも」
陽乃「でしょう。携帯持ってると、便利だけど、縛られた感じがすることもあるから
ちょっと面倒に感じてしまうことがあるわよね」
安達「いいね、いいね。じゃあ、今日は携帯フリーデイでいこう」
陽乃「そうね」
と、頬笑みながら返事をする。でも、俺は知っている。
顔が引きつっていると。あの不自然なまでも自然な笑みを作り出せる陽乃さんに
頬笑みを失敗させるって、ある意味安達ってすごいやつだよな。
438 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:33:02.62 ID:y5ROlF8O0
俺が話相手しろって言われたら、5分も経たないうちに逃げ出す自信がある。
雪乃だったら、相手に話す暇を与える間もなく言葉で叩き潰すだろうな。
ま、安達タイプの相手をできるのは、陽乃さんか由比ヶ浜ぐらいか。
そうこう無駄話を聞き流しているうちに上映時間になる。
最後にもう一度メールを確認するが問題はないと思われる。
最後尾列のDクラスの仲間を確認すると、皆辺りを警戒しつつも、映画を楽しむようだ。
さてと・・・・2時間半。映画でも楽しみますか。
多少は防音処理がなされているといっても、隣の部屋からの歌声は漏れてくる。
陽気なメロディーに、ちょっと音程が不安定ながらも、曲のコミカルな陽気で
おしきって歌い続ける。それがちょっと調子っぱずれていても
曲のイメージは壊していない。
終盤にいくにつれ、マイクの主は勢いに任せて声を張り上げていく。
一緒に楽しいんでいる同室の連中ならば楽しいだろうけど、
隣の部屋の連中にとっては、はた迷惑極まりなかった。
それも本来ならば、自分たちも歌を歌いさえすれば、他の部屋からの歌声も気には
ならないだろう。
でも、ここに集まった3人は、誰一人してマイクを掴もうとはしない。
皆、PCモニターと時計の針に注目していた。
ここはカラオケボックスなのだから、歌うのが普通だが、雪乃・由比ヶ浜・石川の
3人は、作戦本部として利用していた。
映画館が見渡せる喫茶店のほうが都合がよさそうだが、石川と雪乃が一緒のところを
みられるのはまずい。SFC会員に陽乃のスケジュールがばれていないといっても
いつどこで遭遇するかわからない。
だから、人目を忍べる場所としてはカラオケボックスは最適であった。
結衣「そろそろ時間だね」
石川「はじめていいですか?」
雪乃「ええ、お願いするわ」
石川は、雪乃のゴーサインに頷くと、あらかじめ作っていた文章をSFCサイトに
アップする。いつもの日曜日なら賑わっているはずのSFCサイト。
でも、今日はぱったりと情報更新は止まっている。
それもそのはず。情報提供者である安達が、陽乃とのデートを邪魔されない為に
陽乃のスケジュールをアップしていないからである。
439 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:33:50.89 ID:y5ROlF8O0
だから、ときおり街を巡回でもしているやつの「陽乃情報求む」「陽乃行方不明」
などの書き込みはあるが、陽乃さんの足取りはつかめてはいない。
すると、石川がコメントをアップしてから1分も経たないうちに返答がくる。
いつもと違う日曜日。情報に飢えているメンバーも多いはずだ。
計算通りなんだが、これほどまで注目されているSFCサイトだと思うと、
背筋が凍りもしたが・・・・・・。
石川があげた情報は、いたってシンプルだ。
「SFC会員の抜け駆け報告! メンバーの一人が陽乃さんと千葉駅の映画館に
入っていくところを確認。至急制裁決議を問う」
ちょっと大げさかもしれないけれど、餌としての効果はあるはずだ。
現にさっそくおひとり様ご来店。
「本当なら死刑。今すぐ映画館に向かうべし」
さすが最初の来訪者。根っからのストーカーかもな。
結衣「なんか怖いね」
雪乃「大丈夫よ。私がついているし、八幡もいるわ」
結衣「うん」
石川「ごめんなさい」
結衣「あぁうん。いいよ、大丈夫。今は改心したって陽乃さんが言ってたから
石川君の事は信じているよ」
石川君も元ストーカー。ストーキングしていた相手ではないにしろ、
生の女の子の感想は身にしみるだろう。
しかも、今回はストーカー壊滅作戦をしているから、なおさらストーカーへの
批判は根強い。Dクラスの女子生徒の友人にも被害者がいたわけで、
その話を横で聞いていた石川君の表情は青ざめていた。
俺や雪乃、由比ヶ浜、そして陽乃さんしか石川君が元ストーカーだとは知らされは
していなかったけれど、石川君は居づらそうであった。
こっそりと由比ヶ浜が声をかけてフォローしてはいたが、これも罰だとまっすぐと
受け止めていたとか。
停滞していたSFCサイトは、石川君の発言が波紋を広げ、盛り上がりをみせていく。
過激な発言も多いが、事が事だけに慎重論も根強い。
たしかに今まではSFCの理念の通りに「そっと見続けて」いたわけだ。
それを破棄して目の前に出るとなると躊躇してしまうだろう。
でも、過激に踊る発言は、普段は慎重な性格であってもつられて踊り始める。
一度感情が流されてしまえば、理性はけし飛び、過剰に反応せざるを得ない。
一人、また一人と過激派が生まれるたびに、加速的にSFCメンバーは過激派へと
変貌していった。
440 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:34:20.32 ID:y5ROlF8O0
たった一つの波紋。激動を引き寄せるには十分すぎる一石であった。
スケジュールを隠しているだけあって、SFCメンバーは映画館の中にはいないようだ。
一応俺もDクラスの仲間も警戒はしているが、時間がたつにつれて映画に
夢中になっていた。
いやな、まじで面白い。最初は、南極で料理するだけで、あとは食事のシーンくらいしか
ないんだろうとたかをくくっていたが、今や俺達全員が画面に引き付けられている。
陽乃さんは見たことある映画だそうだが、それでも時折笑いをこぼしながらも
映画に集中していた。
ま、安達だけは、映画始まってしばらくは陽乃さんを横目で観察していたけど、
それも飽きたのか、30分も経たないうちに眠りこけていた。
そのほうが都合がいいから起こさないけどな。
映画も終盤に入り、残り30分ほどで終わるはずだ。
俺は、予定通り一度トイレに行くふりをして、外に出る。
率直な話、まじで映画見いっていた。本当は外に出たくなかったけど、これも仕事だ。
今度DVD借りようかな。最初の方は全然集中できていなかったし・・・・・・・。
今は、作戦に集中しないとな、と雑念を追いやり、携帯を取り出す。
辺りを見渡しで人がいないことを確認すると、雪乃に電話をかけた。
雪乃「そちらは異常ないかしら?」
八幡「あぁ、大丈夫だよ。安達は寝こけてるし、SFCメンバーもいないようだ。
そっちの方はうまくいってるか?」
雪乃「うまくいってるわ。映画館になだれ込もうとするのを抑えるのが難しかったけれど、
そこはどうにか予定の場所の方に誘導したわ」
八幡「よく誘導できたな」
雪乃「そうね。今思うと理屈じゃないってよくわかるわ。
戦争のときなんてよく引き合いに出されるけれど、異常な興奮状態であると
妄想が現実になってしまうみたいだわ。
予定の場所で安達さんが告白なんてする確定要素などあるわけないのに、
それでも興奮している集団には理屈など必要ないようね」
八幡「そうか、うまくいってくれてよかったよ」
雪乃「でも、ちょっと怖いわね。私も姉さんもうまくいくと思ってはいたのだけれど、
こんなにも盲目的に人は行動できるだなんて、わかってはいても
実際に体験すると怖いものね」
八幡「悪かったな。嫌な役押し付けてしまって」
441 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:35:13.80 ID:y5ROlF8O0
雪乃「いいの。私は八幡の役に立てれば、それで」
八幡「それはありがたい発言だけど、でも、それって、
雪乃がいう盲目的に信じるってやつじゃないか?」
雪乃「そうかもしれないわね。ふふ・・・・、可憐な美女を虜にできてうれしい?」
みんな緊張して作戦に励んでいるというのに、どこか場違いな明るい笑い声が
携帯のスピーカーから聞こえてくる。
からかい成分が混じっている分、受け入れられることができる内容だと思う。
ただ、ほんのわずかだけ本気の部分があるのは、雪乃の偽らざる本心だろう。
人を愛せば盲目的になってしまう部分もある。
はたから見れば、滑稽であると思う。俺も高校時代はそう思っていた。
結婚なんて打算だし、恋人も一時の気も迷い。
ふとしたきっかけで現実を直視し、破局に繋がる。
でも、実際破局しないのは、今ある生活を守る為の打算的な妥協。
そんな冷めきった目をしていたけど、今なら盲目的もいいじゃないかって感じている。
だって、永遠の愛なんてありえはしないだろうけど、
いつかは嫌いな部分もみつけて、毛嫌いするかもしれないけれど、
一生側にいたいっていう気持ちだけは本物だって信じたいじゃないか。
八幡「すっげえ、うれしいよ」
だから、俺は本心をマイクに向かってつぶやく。
雪乃「そう・・・?」
雪乃は、不意打ちを喰らい、ちょっとうわずった声を洩らす。
可愛らしい戸惑いに、俺の嗜虐心は満足を覚える。
虜にしたのはどっちだよと言ってやりたい。
俺を変えたのは雪乃であって、孤独な檻から引っ張り出してくれたのも雪乃なんだ。
だから、すでに俺は雪乃の虜なんだけどな。
言っても信じやしないから、これから少しずつ教えてあげればいと思うと
俺の嗜虐心は再び頬笑みだしていた。
トイレに行って用を足し、席に戻ると映画はラストシーンが終わるらしい。
もうちょっと早く戻ってきて、ラストシーンくらいは見たかったと本気で後悔しかける。
まじでDVDを借りようと心に誓うと、映画も終わり、席を立つ者も出始める。
442 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:35:53.13 ID:y5ROlF8O0
陽乃さんは、エンディングが終わるまで座っていると言ってたから、
まだ動く必要はないはず。
トイレから戻ってくるときに、問題なしとサインは送っていたから大丈夫だとは思うが、
これからが本番なので自然と肩に力が入っていった。
陽乃さん達が席を立つと、俺も少し離れて後を追う。
Dクラスの仲間の一方は陽乃さん達より先に席を立って、出口を確認している。
俺は、なるべく安達からは死角になる位置を取り、二人を追った。
用心して、キャップと伊達メガネをして変装もどきもしてあるから大丈夫なはず。
それでも、安達が気がつくわけないと分かっていても緊張はしてしまう。
一応もう二人のDクラスの仲間は、最後まで映画館に残ってもらい、全員が退室した後に
出てもらう予定だ。
ここまで用心深くする必要があるのか疑問に思ったが、
陽乃さんと雪乃がいうのだから必要なのだろう。
真っ直ぐ出口に向かうもの、一度トイレに向かうものの、おおむね二つの流れが出来上がる。
パンフとかは開演前に買っているから少数派だろう。
もし安達がパンフやトイレに行くとなると、不自然にならないように映画館に残らなければ
ならなくなり面倒だ。
しかし、どうも出口に向かうようであった。
これで一安心と思いきや、出口を見やると、見覚えがあるお団子頭が・・・・・・・。
お前、たしかカラオケボックスに詰めていたはずだよな。
たしかにこれから予定の場所に集合だけどさ、安達も由比ヶ浜の事も知ってるだろうから、
危ないだろって・・・・・・、雪乃もるのかよ!
遅いかもしれないけど、メールを送るか。
着信のバイブで反応して気がついてくれるかもしれないし、と淡い期待を抱き携帯を
覗くと、湯川さんからメールが届く。たしか、映画館前で待機していたはず。
湯川(安達の弟が来ています。このまま安達と弟を会わせると危険ですから、
雪乃さんと由比ヶ浜さんが注意をひきつけます)
まじかよ。安達弟がSFCメンバーかは不明だ。
でも、予定の場所に行かないとなると大問題になってしまう。
ここは雪乃達に任せるしかない。雪乃って人見知りだし、大丈夫なのか?
由比ヶ浜がいればフォローしてくれるか。
あれ? あいつら安達弟と面識あるのか?
面識ないとしたら、どうやって話しかけるんだよ。
443 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:36:24.91 ID:y5ROlF8O0
映画がそろそろ終わるころ、緊急連絡が由比ヶ浜に届く。
電話の相手は、工学部の湯川さんであった。
湯川(緊急事態です。安達の弟が映画館の前に来ています。
おそらく安達を待ってるんじゃないでしょうか?)
結衣(安達って、弟いたんだ。うぅ~ん、でも、どうなんだろ。
ふつうに映画館に来ているだけってこともないかな?)
湯川(それは、わかりません。でも、偶然にしては出来過ぎていると思いませんか)
結衣(そうかなぁ・・・・。ちょっと待ってね。ゆきのんに聞いてみるから)
雪乃は、由比ヶ浜が電話で話している内容からだいたいの事情は把握していた。
そして、由比ヶ浜から説明を受けると、断片的な把握は正しかったと結論づける。
すると、あらかじめ用意してた解決策を実行に移した。
雪乃「由比ヶ浜さん。緊急メールをお願い。
安達弟と面識がある人がいるかどうか聞いてくれない」
結衣「うん、わかった」
由比ヶ浜は素早くメールを作成すると一斉送信する。
すると続々と返事がくる。八幡をはじめとする映画館組の返送はなかったが、
あいにく安達弟と面識がある人はいなかった。
サークルにでも所属していたら面識くらいあったかもしれないが、
大学1年生と2年生。面識があるほうが奇跡かもしれなかった。
雪乃は予想通りの返事を確認すると、次の行動に移る。
雪乃「今すぐ私たちが直接確認に行くわ。そうみんなに伝えてくれるかしら」
結衣「うん、わかった」
由比ヶ浜がみんなににメールを出すのを確認すると、
次は隣に待機いしていた石川にも指示を出す。
雪乃「私と由比ヶ浜さんは、このまま映画館に向かうわ。
石川君は、時間になったら、公園の側で待機してください」
石川「わかりました」
444 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/06(木) 17:37:18.42 ID:y5ROlF8O0
雪乃の行動は早い。メール待ちをしている間に自分の荷物もまとめていた。
雪乃は、カラオケボックス代を全額テーブルの上に置くと、
由比ヶ浜を引き連れ、映画館に向かう。
足取りは速く、テンポがよい足音が鳴り響く。もうすぐ映画が終わってしまう。
その前に安達弟を捕獲しないといけない。
カツカツと響く足音は、いつしか力強く跳ねるような音へと変わっていった。
第24章 終劇
第25章に続く
452 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:30:36.18 ID:II7GFxdy0
第25章
7月7日 土曜日
雪乃達が映画館に着くと、湯川さん達と合流して映画館の入り口を見張る。
映画館からわずかに離れた陰に身をひそめた。
湯川「あの派手なシャツを着ている人が安達弟です」
雪乃「あの蛍光色みたいな?」
湯川「はい、それです」
雪乃「人の趣味をどうこういうのはどうかと思うのだけれど、
ああいった服を着て、恥ずかしくないのかしら?」
湯川「さあ・・・・・」
湯川は曖昧な返事を返すしかなかった。仮にも安達は2年生で先輩にあたる。
その辺の礼儀はいくら作戦対象であってもわきまえていた。
結衣「湯川さんの友達が安達弟と同じサークルなんだよね」
湯川「はい、そうです。何度か友達が話しているところを見たことがあるので
たしかです」
結衣「そっかぁ・・・。その友達を今すぐ呼ぶことってできない?」
湯川「呼ぶことはできますけど、もう映画終わってしまいますよ」
結衣「そだね・・・・・・」
映画が終わる。安達弟が作戦の破滅を引き寄せる情報を安達に渡す可能性は未知数。
焦る気持ちが現場にたちこめる。
知り合いでもない相手に突然話しかけるのは危ない。
ここはいっそのこと、逆ナン?でもしてみようかと、小さな勇気を振り絞ろうとしたが、
そもそも経験がないので却下。
いや、雪乃の自尊心が許しはしなかった。
フェイクとはいえ、八幡以外の相手に好意を持つ「ふり」であっても耐えがたい。
そうこうあてもない打開策を模索していても、時間が過ぎていくだけであった。
結衣「ねえ、ゆきのん」
雪乃「なにかしら」
453 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:31:07.13 ID:II7GFxdy0
とくに作戦が思い付くわけでもないのに、思考を中断されて棘がある返事をしてしまう。
それでも由比ヶ浜は気にする様子はない。
それよりも安達弟を凝視していた。
結衣「あの人ってさ、工学部の2年だよね」
雪乃「そうだったわよね、湯川さん」
湯川「はい、工学部の2年です。だから雪ノ下さんと同じ学部ですね」
結衣「そうだよ。前にゆきのんに話しかけてきたグループにいたじゃん」
雪乃「そうなの?」
見覚えがない。声をかけてくる男は学年、学部を問わずに現れる。
それをいちいち全部覚えているはずもなく。
結衣「そうだよ。何度か声をかけてきたグループだったから覚えていたんだ。
だって、ゆきのん、すっごく迷惑そうだったから。
あのさ、ゆきのん。・・・・・その時助けてあげなくてごめんね」
由比ヶ浜は申し訳なさそうにつぶやく。そして、雪乃の反応を探ろうと伏し目がち
ながら、しっかりと雪乃の出方を待った。
雪乃「由比ヶ浜さんにお礼を言うことがあっても、批難することはないわ。
いつもの事だし、もし言うとしたら、自分で言うべきよ」
雪乃の柔らかい笑みをみて、由比ヶ浜の緊張もとけていく。
結衣「ううん、でもぉ・・・・・・」
雪乃「それで由比ヶ浜さんが嫌な目にあったり、批難を受けてしまう方が
私にとっては悲しいわ。もし、今度同じようなことがあるのだったら
由比ヶ浜さんに相談するわ」
結衣「うん、相談してくれたら、私頑張るね」
由比ヶ浜は、大きく頷くと、雪乃の腕に絡みつく。
これが平常時であったのならば、雪乃も由比ヶ浜が満足するまでじゃれつかせていただろう。
いかんせ今は時間がない。既に映画は終わり、観客が外に出始めていた。
雪乃「由比ヶ浜さん。悪いのだけれど、今は時間が惜しいわ。
由比ヶ浜さんの記憶が正しいのならば、私と安達弟には面識があるということね」
454 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:31:46.01 ID:II7GFxdy0
結衣「そうだよ」
雪乃「そう・・・・・」
雪乃は由比ヶ浜をやんわりと引き離すと、顎に手をあて思案する。
その間、数秒。即断した雪乃は、由比ヶ浜の手を引いて、歩きだしていた。
雪乃「湯川さん。ここはまかせるわ」
湯川「はい」
雪乃「由比ヶ浜さん。私は安達弟の事は覚えていないし、うまく話をする自信もないの」
由比ヶ浜は、手を引かれるまま、雪乃の言葉を待つ。
雪乃「私は、誰にであっても物怖じしないで話ができる由比ヶ浜さんを尊敬しているわ。
だから、期待してもいいかしら。彼と面識がある私が話をするきかっけを作るわ。
でも、その後の話は出来そうもないから、由比ヶ浜さんに任せても」
結衣「任せておいて」
由比ヶ浜は、歩く速度を上げ、雪乃の隣に並び立つ。
大学では、いつも雪乃に勉強の世話になってしまっている。
雪乃も自分の勉強に忙しいのに、嫌な顔を見せたことがない。
だから、雪乃が素直に頼ってくれることは、なによりも嬉しく思える。
由比ヶ浜は、雪乃が損得で由比ヶ浜の友達をしていないってわかっていても、
頼られたことが心地よく感じられた。
雪乃は安達弟の前に躍り出ると、由比ヶ浜と二人で映画館から出てくる客からは
安達弟が見えないポジションを選びとる。
安達弟の方が背が高く、安達兄に気がつかれてしまう恐れもあるが。
まずは安達弟の動きを抑えなければ作戦が崩れ去ってしまう。
雪乃「安達君・・・ですよね?」
安達弟「あっ、雪ノ下さん」
雪乃「安達君も映画ですか?」
安達「えっと・・・、そんなところかな」
安達は予期せぬ来訪者にうろたえていた。それも、普段声をかけても邪険に扱われていた
相手ともなると、緊張と警戒の色が混じり合っている。
雪乃「私は、友達と遊びに来ていて」
安達弟「へぇ・・・」
455 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:32:19.04 ID:II7GFxdy0
安達弟は、由比ヶ浜の顔を確認すると、大きな胸へと視線を落とす。
そりゃあ、目がいくよな。大きいし、雪乃のとは違って、インパクトでかいしさ。
雪乃達が安達弟にくいついたのを確認した湯川さんは、
雪乃から指示されていた作戦を決行する。
これはタイミングが重要だ。なにせ、湯川さん達と映画館での見張り役が、
偶然映画館の出入り口で友人が出くわし、そして、邪魔にならないように雪乃達の
ほうへと移動するというタイミング命の壁作戦。
日曜で人も多いし、多少は位置がずれても修正できるが、大きく位置がずれると
不審に思われてしまう。
雪乃「それで・・・・・、普段私、大学では一人でいることが多いでしょ。
それでも、私に声をかけてくれる人はいるのに、何を話せばいいのか
わからなくて、冷たい態度を取ってしまうことが多いの」
安達弟「そうなんだ」
雪乃「だからその・・・・、友達に言われてしまったの。
もう少し話をするのを頑張ってみたほうがいいって。
それで、この前声をかけてくれた安達君がいたから、迷惑かもしれないのだけれど、
声をかけてみたの」
雪乃は、言葉を選び、しどろもどろに声を絞り出す。
実際緊張しまくっているんだろう。全く知らない相手に好意的な雰囲気を出しながら
話をしなければならないんだから。
これが相手を非難して、叩きのめすのなら得意中の得意だろうけど・・・・・・。
雪乃は、ここまでのセリフは考えていたみたいだ。
しかし、これ以上は無理そうだ。雪乃は由比ヶ浜の顔を不安そうに何度も見て、
援護を待っている。
この不安そうな雪乃の顔さえも、効果的な演出になり、安達弟は不審がってはいなかった。
と、このタイミングでDクラスの連中がうまく合流する。
雪乃達の背後から湯川さん達の明るい声が聞こえてくる。
そして、湯川さん達が雪乃達の方へと位置をずらすと、由比ヶ浜はそのタイミングで
一歩安達弟の前に詰め寄った。
結衣「ごめんねぇ。私がゆきのんたきつけちゃったんだ。
私達、高校では一緒の部活だったけど、大学では別々の学部でなかなか会えなくて。
それで、ゆきのんに友達できたかなぁって心配してたら、やっぱ簡単にはね・・・」
安達弟「そうなんだ」
456 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:32:53.28 ID:II7GFxdy0
結衣「うん、それでね。安達君を見かけて、安達達がゆきのんに話しかけたことがあるって
きいたんで、これだぁって思って、声かけちゃったんだ。
ごめんね、びっくりしたよね」
安達弟「いや、大丈夫だよ。びっくりはしたけど、・・・・そっか。そうなんだ」
安達弟はうまく雪乃たちが食い止めたようだ。これなら大丈夫なはず。
そして、安達兄が出口をくぐる時がやってくる。
安達兄からは見えないとわかっていても緊張してしまう。
雪乃も、後ろに回した手でスカートの裾をいじり、落ち着かない様子であった。
ましてや、湯川さん達はみるからにして緊張している。
幸い、安達兄を目で追ったりはしてないので、問題はないはずだ。
安達兄と陽乃さんが出口を出たところで二人は立ち止まる。
左右どちらの道へ行こうか迷って止まったのだろうか。
雪乃達のほうを見られるとまずい。
公園とは逆方向であるのもあるが、安達弟に気がつく可能性もある。
この瞬間、息が詰まったのは俺だけではないはずだ。
もはや俺達に打つ手はない。あとは運しか・・・・・・。
そう願った瞬間、陽乃さんが安達兄の腕をひき、公園の方へと歩み出す。
陽乃さんは、メールを見ていないし、陽乃さんからだって安達弟を見ることはできないはず。
雪乃を見て反応したのだろうか? それとも、公園に行く予定であったわけだし、
その一環の行動だろうか?
陽乃さんに聞かなければ答えはでやしないが、とりあえず助かったことは確かだ。
これで目の前の問題は解決された。あとは雪乃を安達弟から撤退させないとな。
俺は携帯を手に取り、雪乃のアドレスを呼び出す。
いやまてよ。由比ヶ浜の方がこういう人間関係の時は機転がきくか。
俺は改めて由比ヶ浜のアドレスを呼び出しと、メールを作成し出した。
そして、送信ボタンを押すとき、少しばかり目線を上げると、由比ヶ浜はすでに
携帯を確認している。
あれ? 俺はまだ送信ボタン押してないぞ。
そして、俺が携帯と由比ヶ浜の二つを行ったり来たり見つめていると、
雪乃達は安達弟と別れ、公園へと向かっていく。
唖然とその光景を見ていると、安達弟が映画館の中をのぞきだす。
このまま居ても危ないし、早く公園に行かないとな。
俺は、俯き加減で素早く映画館を後にする。
しばらく歩いてから振り返ると、安達はまだ映画館の中をのぞいていた。
安達弟がSFCに関係しているかはわからない。
仮にSFCメンバーだとしたら、早く公園でSFCメンバー達と安達兄を会わせないと
時間が足りなくなる。
457 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:33:50.83 ID:II7GFxdy0
もう少しなら時間を稼げるかなとふんだ俺は、早足で最終地点の公園へと急ぐ。
そういえば、雪乃の事だ。逃げ出す準備もしているよな。
なにも策もなしでつっこむわけないか。
となると、俺の心配なんて無駄だったわけで、俺が今さら到達した問題など
とうにわかりきってて対応策を考えているか。
やっぱり、陽乃さんにしろ、雪乃にしろ、かなわない。
ならば、俺が公園に着いたころにはクライマックスかな・・・・・・。
今度こそラストシーンを見逃すわけにはいかなかった。
俺が公園に着くと、すでににらみ合いが始まっている。
SFCメンバーの数は、なんと予想以上の人数がいて驚いた。
なにせ安達兄と石川を抜きにしても、14人。
芸能人の追っかけじゃないんだから、大すぎやしないか。
これもネットの力というか、安達がよくも集めたと誉めるべきかわからない。
それでも、今はその多すぎる数が作戦をうまく誘導していた。
SFC「会長! 抜け駆けは禁止のはずですよね。なんで、陽乃と一緒なんですか」
SFC「抜け駆けして陽乃さんとデートだなんて、ずるすぎます!」
SFC「よくも俺達を利用してくれたな」
とうとう、口々に安達兄を非難する。
安達兄は慌てふためき、明らかに動揺している。
安達兄「お前たちだって、面白がってやってたじゃないか。
お互い利用し合ってたんだから、お互い様だ。
俺がデートできたのも、俺の努力が実ったにすぎない」
売り言葉に買い言葉。SFCメンバーの安い挑発にのった安達兄は、自分の正当性を
陽乃さんがいるのに叫び、SFCメンバーを糾弾する。
SFC「なに言ってんだよ。お前の努力なんて大したことないだろ。
いつも陽乃のスケジュールをリークするだけで、あとの面倒事は
俺達に押しつけやがって」
安達兄「頭脳労働と肉体動労の間には、大きな壁があるんだよ。
俺は頭脳派だから、肉体動労はお前達の仕事だ」
その後も、陽乃さんを忘れて怒号が飛び交う。
458 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:34:19.84 ID:II7GFxdy0
大騒ぎではないが、道を行き交う人々は、関わらないようにと公園を側に来ると
足を速めている。俺も、無関係だったらそうしてたはず。
だって、面倒だし、逆恨みほど怖いものはない。
陽乃「そろそろいいかしら」
陽乃さんの凛とした声が怒号を収める。それはけっして大きな声ではなかった。
むしろ、怒号の前ではかき消されるほどの普通すぎる声量。
それなのに、誰しも注目してしまうのは、陽乃さんのカリスマ性なのだろうか。
みんな声の主のほうへと顔を向ける。
興奮していた安達兄さえも振り返り、陽乃さんを見つめている。
そこには無表情までの笑顔が待ちうけていた。
その笑顔はいつもの笑顔にすぎない。
けれど、いつもの笑顔ということは感情を押し殺した笑顔と同じだ。
けっして誰にも本心を見せない為の仮面。
陽乃「ねえ、安達君。なんで私をつけ回しているストーカーの顔を知ってるのかしら?」
顔は笑顔のはずなのに、声は凍えるほど冷たい。
安達兄「なんで知ってるかだって・・・・・」
安達兄は、SFCメンバーを見渡す。手を握っては閉じ、握っては閉じと落ち着かない。
非常に焦って出した言葉は、意外にも冷静であった。
安達兄「それは・・・、雪ノ下と一緒に解決したストーカーでしょ。
だから、知ってるに決まってるだろ」
陽乃「そう・・・・・」
安達兄は、わずかに熱を帯びた陽乃さんの声に安堵する。
けれど、手の動きは激しさを増すばかりであった。
陽乃「でも、私が知らない顔もあるんだけど?」
安達兄「それは・・・・・・」
陽乃「それに、さっき自分で自分がSFCの会長だって言ってたじゃない」
安達兄「俺は会長だなんて言ってない。言ったのはあいつらだ」
陽乃「そう? でも、SFCって、メンバー同士、お互いの顔を知らないんでしょ。
それでも、安達君は、彼らを見てすぐにSFCメンバーだって気が付いた。
それは、あなたが会長で、彼らを集めたから知ってるんじゃなくて?」
459 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:35:19.45 ID:II7GFxdy0
安達兄の手の動きが止まる。今や力強く手を握りしめていた。
陽乃「それにね、あなたがさっき散々自分がSFCで活動してた内容言ってたじゃない」
安達兄「あっ・・・・・・」
陽乃さんも人が悪すぎる。自分は全てわかっているのに、それなのに
相手を泳がして、その後にとどめをさすなんて容赦ないよな。
安達は、陽乃さんの言葉に体から力が抜け落ち、手のひらもだらんと垂れさがっていた。
安達兄「俺だって、告白して振られはしたけど、友達でもいいやって思ってたんだよ。
でも、弟がSFCなんてものを作ったりするから、いけないとわかっていても
淡い夢を見ちまったんだ」
陽乃「え?」
陽乃さんの笑顔から消え去り、驚きを見せる。
俺もそうだし、雪乃やDクラスの連中もそうだろう。
だって、SFC会長は安達兄だと思って行動していた。
陽乃「安達君が会長じゃないの?」
安達兄「だから、俺が会長だなんて言ってないだろ。
言ってたのはあいつらであって、俺は否定したじゃん」
陽乃「そうかもしれないけど・・・どういうこと?」
安達兄「だからぁ、弟が雪ノ下の妹の方には恋人がいるけど、姉の方にはいないとわかると
俺が同級生だからって、どういう人か教えてくれってしつこかったんだよ。
それで、ストーカーを退治した話もして、その時の名簿もちらっと見せたのが
いけなかったんだ。あいつったら、俺の目を盗んで勝手に名簿持ち出して、
挙句の果てにはストーカーを集めてSFCなんてものを作っちまった」
陽乃「あなたの弟が私と雪乃ちゃんに好意を持ってたってこと?」
安達兄「どうだろうな。好意は持ってたと思うけど、
なんか変なこだわりみたいのをもってたんじゃないか」
陽乃「そっか。あれ? 安達君って私に告白したって本当?」
安達は陽乃の言葉に完全に体から力が抜け、その場に座り込む。
こればっかりは陽乃さんを擁護できない。告白した事さえ忘れるのはひどすぎやしないか。
俺も若干じとめで陽乃さんを見つめてしまう。
安達兄「したよ。したけど結構前だから、忘れたちゃったのかもな。
雪ノ下はもてるし」
460 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:36:00.38 ID:II7GFxdy0
陽乃「ううん、完全に覚えてない」
安達兄「大学3年の夏、定期試験の打ち上げでカラオケ行っただろ。
酒覚えたばっかで、飲めない酒飲みまくって、酔いつぶれが続出したやつ。
それも覚えてない?」
陽乃「それなら覚えてるかな」
安達兄「みんな酔いつぶれて、俺と雪ノ下が会計に行ったよな」
陽乃「たしか、そうだったような」
安達兄「そのとき、告白したんだよ」
陽乃「うぅ~ん・・・・・・」
陽乃さんは腕を組み考えだす。安達兄の顔をまじまじを凝視するもんだから、
安達兄も照れて顔をそらすしまつ。
陽乃「あっ、うん。あったね」
安達兄「だろ」
陽乃「でも、あれって冗談じゃなかったの?」
安達兄「そんなわけあるかよ」
陽乃「でもね、あまりにも軽い感じのノリの告白で真剣身がなかったじゃない。
しかも、普段から軽いノリだし、友達としてなら楽しいけど、
恋人はNGかな」
無念。思いもしないタイミングで2度振られるとは同情してしまう。
それも、日ごろの行いだよな。
うなだれる安達を横目に、陽乃さんはSFCメンバーを見つめる。
元々ネット弁慶の連中だけあって、対人スキルは低い。
目の前にいる陽乃さんに委縮して、動けないでいた。
しかし、・・・・・・。
安達弟「兄ちゃん、なんでまんまと罠にひっかかっちゃうんだよ。
せっかく俺が作り上げたSFCがぱあじゃないか」
一足遅れてやってきた安達弟が、怒りを兄に向ける。
兄の方はもう観念したのか、表情がうつろだ。
安達兄「もういいだろ。終わりだよ」
安達弟「くそっ!」
陽乃「兄弟喧嘩はもういいかしら?」
怒りにまかせてやってきた弟は、状況を判断できてはいなかった。
461 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/13(木) 17:37:46.75 ID:II7GFxdy0
陽乃さんに、SFCメンバー。多勢が弟を囲んでいる。
それに気が付いた弟は、逃げ出そうとするが、SFCメンバーが壁になる。
陽乃「説明してもらえるかしら」
陽乃さんの迫力に弟の勢いは止まる。兄の元へと戻ると、俯き加減で話しだした。
安達弟「SFCを作った経緯は、兄ちゃんが話した通りだよ。
妹の方に話しかけても邪険に扱われて、取り合ってさえもらえなかった。
しかも恋人までいやがって。だから、姉がいるって知ったときは
嬉しかったよ。顔は似てるし、いいかなって。
でも、兄ちゃんに姉の方のこと聞いても彼女にするきっかけ思い付かないし、
だったらなにか共通の話題とか見つければいいかと思って始めたのが
SFCだったんだ」
陽乃「ちょっとそれって、飛躍しすぎてない?」
安達弟「そうか? 兄ちゃんにあんたのこと聞いても、なんかいまいちなんだよな。
顔は好みだけど、上っ面だけみたいで、どこかふわふわして掴みどころがない。
だから、兄ちゃんを介して話しかけても意味ないって思って、
どうにかして裏の顔を覗いてやろうって思ったんだよ」
陽乃「そう・・・・・・」
意外や意外。安達弟は陽乃さんの本質を見抜いていた。
俺を同じように、斜めから世間を見ているから気が付いたようなものだ。
真っ直ぐ正面から世間を見ている一般人なら、陽乃さんの笑顔は
まさしく笑顔なんだろう。
第25章 終劇
第26章に続く
471 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:30:11.47 ID:F5/DL4iU0
第26章
7月7日 土曜日
陽乃「弟君の経緯はわかったわ。でも、なんで安達君まで参加してるの?」
安達兄「未練が復活したんだよ。弟の活動を知って、雪ノ下をもう一度
知りたいって思ってしまったんだ。
だから、スケジュールも提供した」
陽乃「なるほどね」
安達兄「俺達を警察に突き出すのか?」
安達兄の覚悟に、SFCメンバー達の顔が青くなる。
今は被害者面してるけど、彼らも立派な犯罪者に変わりない。
陽乃「ねえ、あなたたち」
陽乃さんの呼びかけにSFCメンバーは、さらに表情が曇る。
中には、逃げ出そうとしている者もいる。逃げてもすぐ住所わかるのに。
陽乃「この中に、私とストーカーやめるようにって楽しい話し合いした人いるよね?」
この言葉に反応した数人は、顔色を失い、震えだす。唇は震え、手はガタガタと
大きく震わせていた。
陽乃「その後、SFCに入るまでにストーカーしていた人いる?
素直に答えてくれるとありがたいわ」
陽乃さんの問いに、楽しい話し合い経験者は、一斉に顔を横にふる。
奇妙な一体感に、不思議な感覚を覚えた。一体なにやったんだよ、陽乃さん・・・・・。
陽乃「そう? だったら、あなた達がどういう経験をしたか
他の人たちにもお話してくれると助かるわ。
でも、してくれないっていうんなら、もう一度、みんなでしようか?」
陽乃さんの抉るような問いかけと圧力を与える笑顔が彼らを追い詰める。
472 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:30:46.76 ID:F5/DL4iU0
答えなど聞かなくても俺でもわかる。
だって、俺も逃げ出したいし・・・・・・。
陽乃「助かるわ。じゃあ、もうSFCは解散して、ストーカーもしないわよね。
あと写真とかも処分してね。もちろんネットに散らばった画像も
できる限り死ぬ気で回収するのよ」
もう笑顔じゃないよ、あれは。プレッシャーしか感じやしない。
笑顔という名の凶器。
SFCメンバー達は、陽乃さんの要求を受け入れ、呆然とことが終わるのを待っていた。
陽乃「さて、安達君兄弟だけど、警察に突き出したりしないわ。
だって、せっかく大学に入ったのに、今さら大学やめたりしたら
親が悲しむでしょ。
それにね、安達君はノリが軽くてどうしようもないところはあるけど
研究に関しては尊敬してるとこともあるのよ。
それなのに、大学やめちゃったら、もったいないわ」
安達兄「雪ノ下は、それでいいのか?」
陽乃「別にかまわないわ。でも、今まで通りにあなたと関われるかって聞かれると
難しいわね。だから、みんなには、ちょっと喧嘩しちゃったって言っておくわ。
でも、もうプライベートでは話すことはないでしょうけど、
研究では、今まで通りにしてくれると私も助かるわ」
安達兄「俺の方こそ、すまなかった。怖い目にあってるの知っていながら、
それを利用して」
陽乃「そのことに関しては許してないわ」
安達兄「そうだよな」
安達兄は、陽乃さんをゆっくりと見つめると、陽乃さんの鋭い視線にひるみ、
視線をそらす。もはやそこには笑顔など存在していない。
あるのは、むき出しの憎しみがあるだけであった。
陽乃「弟君のほうも、それでいいかな」
安達弟「わかったよ。ごめん」
陽乃「雪乃ちゃんにも、今後近づかないでね」
安達弟「あぁ? さっきよろしくって言われたんだけど」
陽乃「あれね。嘘に決まってるじゃない。あなたを引き止める為よ」
安達弟は、文句を言おうと顔を上げる。見つめる先には、兄が経験した以上の
憎しみがこもった陽乃さんの表情が待ちうけていた。
473 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:31:23.35 ID:F5/DL4iU0
俺も遠目で見ているけど、感情むき出しの陽乃さんの方がらしい気がして
好感が持ててしまう。いやでも、憎悪の視線は丁重に辞退すますよ。
それでも、感情的な陽乃さんは、人間っぽくて、デパートや自宅で見た陽乃さんが
幻じゃなかったんだって、俺に伝えてくれた。
7月8日 日曜日
安達弟も観念すると、あとはあっという間に事は終わった。
もとよりSFCメンバーは、その場から逃げ出したかったはず。
だから解散の合図とともにいなくなった。
あいつらも楽しい話し合いのことは知っていたのかもしれない。
知らなくても後で仲間から聞いて青ざめることだろう。
安達兄弟も、すごすごと去っていった。
兄の方は、ノリは軽いし、時間にルーズなところもあるが、
もうストーカー行為なんてしないだろう。
弟の方は反省しているか不安なところもある。そこは兄に任せるしかないか。
で、俺はというと、今、雪ノ下邸にて、
雪乃の両親と楽しい話し合いを繰り広げようとしていた。
八幡「総武家のテナント受け入れ、ありがとうございました」
雪父「かまわないよ。ちょうどテナント探していたし、
総武家は私も通っていてね。だから、総武家さんがうちのビルに
入ってくれるというなら、大歓迎だよ」
八幡「そうはいっても、急な話でしたので」
陽乃「大歓迎っていってるんだから、素直に受け取っておきなさい」
雪乃「そうよ。お父さんがビジネスに私情は挟まないのだから、
利益が出ると踏んだんでしょうし」
雪父「雪乃は鋭いなぁ」
雪乃の母一人は、厳しい顔で俺達を見つめている。
女帝以外の俺達は和やかに話をしていると言ってもよかった。
474 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:32:04.85 ID:F5/DL4iU0
話を戻すと、総武家の移転先は現在工事予定の道路の向こう側の新たな道路拡張予定地に
面している雪ノ下の企業所有のビルに移転する予定だ。
現在の道路も人の通りがよい。しかし、移転地は車の通りも多いながら
道路拡張も行われることで人の通りも大幅に増加すると予想される。
こういってはなんだが、現在の場所に残るよりも、新店舗の方が利益がだせるはずだ。
雪乃「普段の行いのせいよ」
雪父「まいったなぁ・・・」
親父さんは、雪乃に鋭い突っ込みを入れられるも、頬笑みながら受け止めている。
雪乃もそんな父を軽く苦笑いを浮かべながらも、会話を楽しいんでいる模様だ。
ただ、いくら対立議員グループが計画していた道路拡張工事の横に
親父さんの議員グループが新たな道路拡張工事をするからといって、
こうも簡単に総武家を受け入れてくれるものだろうか?
陽乃「母さんも、いつまでもしかめっ面してないでよ。
いつもお父さんの事目の敵にしている議員に、一泡喰らわせることができたって
喜んでいたじゃない。
あの議員ったら、自分のビルに人気チェーン店のラーメン屋を入れるらしいけど
総武家が隣の道路に新店舗作るって知ったら、どう思うのかしらねって
豪快に笑ってた気もするなぁ」
雪母「わ・・・私は、そんな下品な物言いはしていないわ。
たしかに、いつも嫌がらせばかり受けていて、歯がゆい思いをしていたわ。
・・・・あなたも何か言ってください。いつも嫌がらせを受けても
何食わぬ顔をしていたのは、あなたの方なのよ。
私がどんな思いであなたを心配していたことか」
女帝は、頬を少し染め上げながら親父さんに詰め寄る。
女帝も照れたりするんだなと、意外すぎる一面を見て驚くが、
雪乃と陽乃さんは特に反応はない。
ということは、いつもの光景なのか?
え?
女帝って、親父さんだけには弱い・・・・でいいの?
雪父「いいんだよ。お前が心配してくれるだけで、私は十分助かってるんだから」
親父さんは、ゆっくりと女帝の手の甲に手を重ね合わせる。
ちょっと待て。なんだこのラブラブしすぎる甘ったるい空気。
475 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:32:39.20 ID:F5/DL4iU0
娘がいる前で、よくもまあ・・・・・・。
再び、雪乃と陽乃さんの様子を見るが、変わりはない。
やはり日常茶飯事だったのか!
もう、いいや。俺の負けです。
と、やけくそになりつつ、女帝が満足するまでの間、紅茶でも飲んで待とうとする。
しかし、以前にも感じた見られている感覚が俺を襲う。
顔を上げ、視線の元に顔を向ける。そこには奇妙な光景が待ちうけていた。
なにせ毎日鏡で見ている腐った目が俺の事を見ている。
一瞬鏡があったのかと疑いもしたが、目の持ち主は俺ではない。
そこにいたのは、雪乃の父親。つまり親父さんが俺を見ていた。
親父さんは、いつもは腐った目などしていない。
たまに仕事がかったるいとか、疲れているとか、面倒事は自分にばかりまわってくるとか、
休みがないのは社会が悪いとか・・・・・・・、あれ?
なんか聞きおぼえがあるようなセリフだよな。
思い返してみれば、穏やかな雰囲気はある。仕事もきっちりこなし、責任感も強い。
だけど、それは仕事をしているときの親父さんであって、プライベートの親父さんではない。
俺と会ってるときも、最初は雪乃の彼氏で、お客さんにすぎない。
だから、今目の前にいる親父さんこそがプライベートの本来の姿というわけか。
もう一度親父さんを見やると、腐って目をしている。
俺が凝視していると、親父さんの目は、穏やかな目に変わっていく。
やはり親父さんも自分をある程度作ってたのかよ。
さすがは陽乃さんに似ているだけはある。
・・・・・・・俺は、ここで重大な事実に直面する。しかも、二つもだ。
一つ目は、親父さんが腐った目をしていること。
そして、その腐った目の持ち主を心底愛している女帝がいるんだが、
もしかして、雪ノ下家の女性って男の趣味が悪いのか?
こういっちゃなんだが、俺はもてない。
それなのに雪乃が彼女なわけで、一生分とさらに来世での運も使いはたしているはず。
そんな俺と付き合ってくれている雪乃には悪いが、腐った目をした俺や親父さんに
惚れているなんて、ある意味男の趣味が悪いって断言できる。
さて、二つ目の重大事実だが、それは俺が親父さんに似ていることだ。
そのことはさらに親父さんが陽乃さんに似ていることに直結し、
陽乃さんは俺にも似ていることとなるわけで。
たしかに論理の飛躍はある。欠点だらけで、穴ぼこだらけの推理に違いない。
それでも、俺と陽乃さんが似ている一面を持ってるとかもしれない可能性があることは、
ちょっとなぁ・・・と、俺を複雑な気持ちへと引きずりこんでいった。
雪父「そうだ。陽乃に言うことがあったんだろ」
476 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:33:18.89 ID:F5/DL4iU0
親父さんは、女帝の背中を柔らかく押しだす。女帝は、親父さんに抗いながらも
陽乃さんの顔を見て一度逡巡するが、たどたどしく話し始めた。
雪母「陽乃」
陽乃「はい」
雪母「お見合いの件、なかったことにしてもいいわ」
陽乃「え?」
突然の宣告に俺も、陽乃さんも、雪乃だって、うれしい戸惑いをみせる。
どういう心境の変化が? また、面倒な条件をつけるのか?
俺は、すぐにでも聞きだしたく身を乗り出しそうになるが、雪乃がそっと俺の膝に
手を載せ、俺を押しとどめる。
陽乃「本当にいいの?」
雪母「ええ、後継者候補ができたから、
もうよそから後継者を連れてくる必要がなくなったわ」
女帝は、俺を一瞥すると、軽く鼻を鳴らしてから陽乃さんと向きあう。
雪母「だから、自由に結婚してもいいし、いつまでも独身でもかまわないわ」
陽乃「えっと・・・・・、独身はちょっと」
陽さんは苦笑いを見せるが、それも一瞬。自由になった喜びが陽乃さんを襲いかかる。
そこにはもはや「笑顔」はない。陽乃さんによって作られた仮面の笑顔は
もはや存在していなかった。
陽乃「それに、いいなぁって思う人もできたんだ。だからね・・・・・」
陽乃さんは照れくさそうにそうつぶやくと、静かに温かい涙をこぼし始めた。
雪母「比企谷君」
女帝から呼ばれた俺は、身を堅くする。だって、俺に話すことってないだろ。
いったいなんでだ?
八幡「はい」
反射的に背筋を伸ばし、腹に力を込めて返事をしてしまった。
ほのぼの雰囲気でも、女帝オーラは健在かよ。
477 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:33:50.94 ID:F5/DL4iU0
雪母「あなたが後継者候補として、世界ランク一ケタのMBAに入って、
一ケタの順位で卒業するという条件を覚えているかしら」
八幡「覚えています」
雪母「そう・・・・・・・。だったら、その条件をクリアしなさい」
八幡「え?・・・・・・はい、努力します」
あの陽乃さんを助ける為の条件って、本気だったのかよ。
ってことは、俺はこれから勉強漬けの毎日?
由比ヶ浜の受験勉強じゃないけど、あれが英検3級の試験だって思えるくらい生易しい
レベルに思えてくる。
雪母「はぁ・・・・。そんな意気込みでやっていけるのかしら。
でも、いいわ。もしできなかったら、雪乃と別れればいいだけですからね」
八幡「え?」
雪母「当然でしょ。約束を守れない男に用はないわ」
雪乃「ちょっと待ってお母さん。私も留学するわ。
もし八幡が達成できないとしても、私が条件を満たしてみせるわ」
雪母「そう? だったら、それでもいいわ」
女帝は満足そうにうなずくと、俺への関心は途切れ、紅茶に興味を移していった。
雪父「悪いね。これでも大変感謝してるんだよ」
八幡「感謝されるようなことはなにも」
雪父「総武家の件も感謝しているし、ストーカーの件については
感謝しきれないほどに感謝している」
八幡「総武家の事は、こっちがお願いしたことで、感謝されることはなにも」
雪父「そんなことはない。ライバル議員に一泡吹かせてくれたじゃないか」
八幡「それは偶然であって、結果論にすぎません」
雪父「そうかい? じゃあ、ストーカーの件は、陽乃の父親として感謝してるんだけどな」
八幡「それも、俺だけが頑張ったわけじゃないです。
陽乃さんや雪乃、大学の友達も大勢協力してくれたからできたことです」
雪父「でも、それができたのも、君が大学で人脈を作ったから成し得たことじゃないかい」
たしかに、大学での人脈を作れって言われたけど、偶然にも作れている。
これがこの先どうなるかなんてわからない。
損得で付き合ってるわけでもない。
だけれど、これからも長い付き合いになっていくってことだけは、不思議と確信してしまう。
478 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:34:19.99 ID:F5/DL4iU0
雪父「君に人脈はあるかって、きつい問いかけもしたけど、これさえも成し遂げた。
だからね・・・・、あれも君の事を認めているんだよ」
親父さんは、そっと女帝に視線を向ける。女帝も俺達の会話が聞こえているはずだけど、
ダンマリを決め込んだようで、一切反応をみせようとはしない。
雪父「今日はゆっくりしていきなさい。
きっと陽乃が美味しい料理をつくってくれるはずだから」
穏やかな時間が紡ぎ出され、いつしか日が傾いてくる。
雪乃と陽乃さんは、夕食の準備をしにキッチンに向かい、ここにはいない。
陽乃さん曰く、ささっと簡単に作ってくるわ、とのこと。
前回ご馳走になったことを思い出すと、その簡単にのレベルが非常に高い。
きっと俺の予想以上のご馳走がくるはずだ。
だから、俺は目の前の光景を直視することも耐えられれるはず。
なにせ、実際にいちゃついてはいないけれど、雪乃の両親、目で語っちゃってるだろ。
しかもそうとうのろけている。
俺がこの場にいなければと思うと、気まずいくなってしまう。
俺は、目のやり場を適当に泳がせながら、この数日間を思い出す。
そういえば、平塚先生って、誰から総武家の立ち退き話を聞いたのだろうか?
誰かしらから聞かないと、平塚先生が知ることはない。では、誰からか。
そして、雪ノ下の企業所有のビルが、
「たまたま」1階のテナントを募集しているのは偶然なのか。
しかも、新しい道路計画に合わせて、客が入る見込みがある場所で。
仮に、平塚先生が雪ノ下の誰かから、話を聞いたとする。
そして、仮定だが、平塚先生が俺とよくラーメン屋に行っていたとすれば、
なおかつ、総武家の常連だと知っていたとすれば、総武家の事を聞いた直後に
平塚先生と俺は総武家に行く可能性が高い。
また、俺と平塚先生がラーメンを食べに行くって約束していたのさえ知っていたとしたら。
もはや仮定の連続であるが、最後の仮定として、陽乃さんが親父さん似であることは、
逆をいえば、親父さんも陽乃さん似であるわけで。そうなると、その陽乃さん似の
親父さんが陽乃さんのような策略を展開する可能性も高いわけで・・・・・・。
と、仮定に仮定を重ねまくる机上の空論が出来上がる。
もし、これが正しいとしたら。
もし、途中の仮定が若干違くとも結論までたどり着くことができるとしたらと
憶測を重ねずにはいられなかった。
479 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:35:10.00 ID:F5/DL4iU0
夕食も終わり、家に帰る時間となる。
雪乃は、女帝から家に持って行けと、あれこれ紙袋を渡されているようだ。
ほんと素直じゃないところも多いけど、どこにでもいる親子でもあるんだよなぁ。
親父さんも席をはずしていて、リビングには俺と陽乃さんの二人が残っていた。
八幡「なんか、うまくまとまってよかったですね」
陽乃「そうね。なんか、終わってみると拍子抜けかも」
陽乃さんは、両手を伸ばし、軽く体を伸ばす。
この数日、ストーカー問題が出てから、いや、生まれて物心がついた時から陽乃さんは
常に緊張を強いられていたのかもしれない。
その枷が外れた今、仮面をかぶっていない素顔の陽乃さんが屈託のない笑顔でくつろいでした。
陽乃「何か顔についてる?
そんなに真剣にじぃ~っと見られたら、お姉ちゃん、ちょっと恥ずかしいかも」
八幡「いや、そんなことは。ちょっと気が抜けただけです」
陽乃「そうなの?」
陽乃さんは、俺が面白い事を言ったわけでもないのに柔和な笑顔をはじけ出す。
八幡「そうです」
陽乃「そっか」
八幡「あの、陽乃さん」
陽乃「なぁに」
俺は自分の鞄から、リボンでラッピングされたプレゼントを陽乃さんの前に差し出す。
陽乃「これは?」
八幡「昨日は忙しかったんで、あれでしたけど、一日遅れの誕生日プレゼントです」
陽乃「そっか。誕生日だったね」
八幡「そうですよ。雪乃も誕生日会やるつもりで、今度の休みでもやるみたいですよ」
陽乃「えぇ~、雪乃ちゃんが? 意外。・・・・ねえ?」
八幡「はい?」
陽乃「それって、由比ヶ浜ちゃんが発案したんでしょ」
八幡「そうですかね? もしそうだとしても、計画したのは雪乃ですよ」
陽乃「そうなんだぁ・・・・・・・。あぁ、エプロン」
480 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:35:44.13 ID:F5/DL4iU0
陽乃さんは、丁寧にラッピングをはいでいくと、中から深い藍色のエプロンをとりだし、
頭上に掲げる。
八幡「料理が趣味って言ってたんで、エプロンなら気にいらなくても、
適当に使いつぶせるかなって」
陽乃「そんなことないって。すっごく気にいってるよ。うれしすぎて抱きつきたいくらい」
陽乃さんは、真剣に笑みを俺に示すと、さっそくエプロンを試着する。
陽乃「どう? 似合ってる?」
八幡「似合ってますよ」
陽乃「そっか。似合ってるか。でも、比企谷君の私のイメージって、こんなのなんだ」
八幡「インスピレーションですよ。そのとき思った色がそれだっただけです」
陽乃「ふぅ~ん・・・・・・」
陽乃さんは、俺の顔をしばらく観察すると、なにか納得して離れて行く。
そして、くるくる回りながらエプロンを確認していく。
普段の陽乃さんだけを知っていたら、きっと地味な色のエプロンなんだろう。
オレンジとかよく似合ってそうだと思う。
だけど、俺が見ている陽乃さんは、情が深くて、そしてなによりも、
人とために自分を犠牲にできる強い女性であった。
陽乃「ねえ、比企谷君」
八幡「はい? えっと、かわいいし、似合ってますよ」
陽乃「なにその適当な感想」
八幡「すみません」
陽乃「まっ、いっか。誕生日の七夕には間に合わなかったけど、
しっかりと彦星様が来てくれたんだから。
一日遅れっていうのが比企谷君らしくていいわね」
八幡「それだと陽乃さんが織姫様ですか?」
陽乃「私じゃ不満かしら?」
陽乃さんは、そう意地悪そうに呟くと、俺に詰め寄る。
このままだと、陽乃さんのおもちゃにされそうで、今すぐ逃げ出したい。
しかも、なんて答えればいいかなんてわかるはずもない。
でも、逃げようにも体が密着しすぎていて逃げられないし、
逃げれば逃げたで後が怖そうだ。だから俺は、観念するしかなかった。
八幡「不満なんてないですよ。むしろ光栄ですって」
481 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:36:15.27 ID:F5/DL4iU0
陽乃「そう? だったら、今度このエプロン着て、ご希望の●エプロンで八幡の為に
料理作ってあげちゃうね。
でも、料理が出来上がる前に私を食べちゃってもいいわよ」
陽乃さんは、軽くウインクをして、冗談とも本気ともとれる申し入れを告げてくる。
またもやどうこたえればいいか途方に暮れたが、親父さんがやってきて
どうにか難を逃れることができたのであった。
俺から体を離して玄関向かう陽乃さんの後姿は、根拠はないが、どこか寂しさを
漂わせていた。だから俺は、声をかけてしまう。
八幡「陽乃さん?」
陽乃「ん?」
振りかえって見せた陽乃さんの笑顔は、もはやいつもの笑顔の仮面ではなかった。
どこか崩れ去りそうな、ぎこちないながらもどうにか作り上げた儚い笑顔。
ちょっと触れただけでも崩れ落ちそうな寂しさを漂わせていた。
八幡「陽乃さんの手料理、楽しみにしていますよ」
陽乃「うん。楽しみにしておいて」
八幡「二人前だろうが三人前だろうが全部食べますから、盛大に作っちゃってください」
陽乃「うん。期待してる」
八幡「あと、・・・・・・来年の七夕は遅刻しませんから、盛大にやりましょう」
陽乃「うぅ~ん・・・。そっちのほうは・・・、期待しないでおこうかな」
陽乃さんは、少し困ったような笑顔を見せると、俺に背を向ける。
八幡「そうですか? じゃあ、俺が勝手に迎えに行きますから、
そのときは、うまい飯でも用意してくれると助かります」
陽乃さんは、俺の声に何も反応を見せず、一歩また一歩と玄関に向け足を進める。
そして、4歩目の足を上げようとした時、その体は硬直する。
堅く握られていた両手のこぶしを広げると、ゆっくりと俺の方へと振り返る。
陽乃「やっぱり期待はしないでおくけど、食事の材料だけは用意しておくわね」
そう俺に宣言する顔には、もはや儚さは消え去っていた。
いつもの陽乃さんのように前をしっかり見つめ、
自分の意思で突き進む凛々しさがよみがえっていた。
482 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/20(木) 17:36:42.59 ID:F5/DL4iU0
しかし、もはやそこには作りものの笑顔はない。
優しい温もりを俺の心に満ち溢れさせていく、とても魅力的な笑顔がそこにはあった。
陽乃さんが残した甘い香りが俺の鼻をくすぐるのを、俺は気持ちよく受け入れていた。
第26章 終劇
第27章に続く
491 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:29:23.79 ID:yqOLm6oL0
第27章
7月10日 火曜日
激動の週末を過ごし、疲れと興奮が収まらない中、月曜を迎える。
週の始まりといえば、かったるくて、その日から週末までを指折り数えだす日と
決まっていた。
一週間前の俺だったら同じようにカウントダウンを開始していただろう。
しかし、この週の月曜日だけは特別であった。
そわそわして落ち着かない。
目覚ましよりも早く起床すると、すでに雪乃は目を覚ましている。
なにをしているわけもなく、俺の頭をゆっくりと撫でて愛でているだけだが、
やっと平穏な日常を取り戻したことを実感させてくれた。
俺達は平穏な大学生活を取り戻し、いつものように大学に通う。
以前と同じ日常もあれば、変化した日常もある。
日常は、俺達が気がつかないうちに毎日緩やかに変化していく。
劇的に変化することなんて稀だ。
先の騒動で大きな変化をもたらすとは考えてはいない。
ストーカー騒動の前に戻っただけ。
仮に変化があったとしても、それは俺が気がつかないうちにゆっくりとゆっくりと
変化を繰り返して、やっと芽が出て、俺が気がつく状況まで変化したにすぎない。
ストーカー問題は解決されたから、もう陽乃さんを送り迎えをする必要はない。
これから新たなストーカーも現れる懸念も捨てきれないが、当分は大丈夫なはず。
ただ、危険は過ぎ去りはしたが、陽乃さんの送り迎えは続いている。
陽乃さんの強い要望によって。
雪ノ下家から車を預かっている身としては断れないし、
たいした遠回りでもないので、これからも続くと思われる。
雪乃は、話を聞いた直後はふくれっ面であった。抗議もしようとしたが、
いかんせ実家での事なので、強くもいえず、あっというまに決定事項となってしまった。
もちろんマンションにもどってから散々俺に対して文句を言っている。
それは彼氏としては受け止めたが、陽乃さんも姉妹の仲を深めたいんじゃないかって
思えてもいる。
492 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:29:53.02 ID:yqOLm6oL0
だから、俺としては陽乃さんの提案は賛成であった事は、雪乃には内緒である。
そして、もうひとつ変化があったことといえば、雪乃と陽乃さんが
Dクラスの勉強会で先生役として参加するようになったことだ。
二人とも元々優秀であることから、みんな大歓迎で迎え入れた。
週末までの騒動も、仲を深めるきっかけになっていたはずだ。
今も二人に授業後の質問をする生徒で溢れている。
湯川「陽乃さん。今度大学院について質問してもいいですか。
私、できれば大学院に行きたいって思ってて。
今は曖昧で、ぼんやりとした目標しかないんですけど、もっと勉強したくて」
陽乃「いいよ、いいよ。いつでも大歓迎。湯川さんみたいな後輩ができるんなら
お姉さん協力しちゃうよ。それに
教授にも紹介してあげるから、いつでもおいでよ。
工学部って男ばっかだし、みんな喜んでちやほやしてくれるはずよ」
湯川「ありがとうございます。ちやほやはいいですけど、実際研究室を目にした方が
明確なビジョンができて、もっと頑張れる気がするんです。
それに私、Dクラスに入ったとき、諦めていたんです。
地元の高校ではずっと1位だったんですよ。先生も同級生もみんな私を
ちやほやじゃないですけど、頼ってくれて。
だけど、大学に入ったら、一番下のクラスじゃないですか。
すっごく落ち込んだし、地元にも帰りたくなくなっちゃって、
地元の友達からメール来ても、当たり障りのない内容ばっかで・・・・。
でも、私にもチャンスがあるってわかって、もう一度頑張ろうって」
陽乃「そっか。でも、うちの大学院って倍率高いし、大変だよ。
Aクラスだろうが、Dクラスだろうが、他の大学からも勉強したい、
研究したいって望んで入ってきてるしね」
湯川「そう・・・ですよね」
湯川さんの跳ねるような勢いは、陽乃さんによって叩き落とされる。
陽乃さんが自ら通ってきた道である分説得力があった。
陽乃「でもね、今の気持ちを4年間忘れずに勉強を続けられたら、
きっと道は開けてくるんじゃないかな。もちろん大学院だけがゴールじゃないし、
色々勉強しているうちに、うちの大学院じゃなくて海外留学なんて
考えちゃうかもしれないよ」
湯川「そんな。私が海外留学だなんて」
陽乃「その考えはいただけないなぁ。自分で限界を作っちゃってる」
湯川「あっ・・・」
493 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:30:21.09 ID:yqOLm6oL0
陽乃「でしょ?」
湯川「はい、私、今の気持ちを大切に、頑張ってみます」
陽乃「うん、頑張ってね」
湯川さんは、陽乃さんからエールを貰うと、
足取り軽く廊下で待っている友達のもとへと小走りで戻っていく。
俺は、陽乃さんも後輩にいいこと言うなぁと感心して陽乃さんを見つめると、
ニヒルな笑顔を俺に返す。
これって絶対俺に対しても言ってるだろ。
俺が聞いてるとわかってて言ってるあたり、憎みきれない。
むしろありがたいんだけど、ありがたいお言葉言ったんだから誉めてよって
顔で訴えなければ、もっと最高なのに。
陽乃さんは、最後に満面な笑顔を見せると、自分も授業に行こうと荷物をまとめ出した。
もし劇的変化があったとしたら、それはきっと陽乃さんの素顔だろう。
今までは、なにかにつけて演じてきた部分が表層を覆い隠し、本心を見せてはこなかった。
それが今回の事件をきっかけに、いつもではないが、
ときおり本心を見せてくれるようになったのは大きな成果だと思える。
世間一般では、今までも十分すぎるほどに魅力的な女性であったし、
女性からも好かれもしていた。
これからは、ふとしたきっかけに見せるなにげない本音が出た表情に
魅了されてしまう信者も増えてくるのだろう。
個人的な見解としては、本音を見せた陽乃さんのほうが、カリスマ性を演じた仮面よりも
数段も魅力的だと思っている。
楓「それでですね、聞いてくださいよ」
雪乃の方の質問も終わり、今は雑談の花を咲かせていた。
英語の質問ではないので、ここぞとばかり前に出る由比ヶ浜が輝いて見えるのは
気のせいだろうか。
大丈夫。勉強だけがすべてじゃないぞ、由比ヶ浜。
結衣「それで、どうしたの?」
楓「はい、この前の安達弟なんですけど・・・」
安達の名前が出ると、その場にいた全ての生徒の顔がこわばる。
陽乃さんも、バッグにノートをしまう手を止めてしまい、楓の声に耳を傾けてしまう。
雪乃も顔から表情が抜け落ち、顔がこわばる。
楓と葵は、雪乃の変化を察知して、言葉を詰まらせてしまった。
494 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:30:47.61 ID:yqOLm6oL0
雪乃は、やんわりと微妙な笑顔をむけて、話を促すが、二人は遠慮してしまう。
由比ヶ浜だけは、場を盛り上げようと楓達の話の相槌を打つ。
結衣「へえ、弟の方がどうしたの」
葵「弟のほうが雪乃さんを好きだったけど、比企谷さんが恋人だってわかり
諦めたって言ってたじゃないですか」
結衣「うん、まあ、そうだったね」
楓「それだけでも軽い男だってわかって失格なんですけどね」
結衣「そだね」
葵「実は、ストーカーをするだけじゃなくて、デマまで流してたんです」
結衣「それは知らなかったなぁ」
葵「はい。男子生徒中心にまわっていたらしくて、
女子生徒の方へは流れてこなかったから、今まで知らなかったんですけどね」
ということは、雪乃がいる工学部2年から広まった雪ノ下姉妹がストーカー被害に
あっているっていう噂も安達弟ルートから流れてきたものだろうか。
どんな理由で噂を流してのかはわからないが、
もはやそんな理由を聞きだしたいとは思えなかった。
結衣「で、どんな内容なの?」
葵「比企谷さんが、財産目当てで雪乃さんに近づいているって」
結衣「ゆきのんち、お金持ちだし、そう思ってしまう人もいるかもね」
楓「違うんですよ。それだけじゃないんです」
葵「比企谷さんは、雪乃さんだけじゃなく、保険として陽乃さんまで手をだして、
ゆくゆくはお父様の会社までも手に入れようとしてるって」
結衣「そこまでは・・・・できないんじゃないかなぁ?」
由比ヶ浜は、明らかに不可能なデマを聞き、顔をひきつらせてしまう。
さすがに雪乃の両親を少しは知っている由比ヶ浜は、
会社乗っ取りなんてできないってわかっている。
もし会社を手に入れようとするんなら、雪乃や陽乃さんだけじゃ不可能すぎる。
いっそ、親父さんや女帝までも騙さないと、うまくいくとは思えなかった。
でも、俺なら絶対そんな面倒な事はしない。
自分で会社を立ち上げて雪ノ下の企業まで成長させる方が
よっぽど現実的だと教えてやりたいほどだ。
葵「それに、由比ヶ浜さんも被害者なんですよ」
結衣「私?」
495 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:31:27.75 ID:yqOLm6oL0
ストーカー騒動。
今までずっと蚊帳の外にいた由比ヶ浜までもが被害者になっていたとは驚きだ。
由比ヶ浜の名が呼ばれた時、雪乃の肩がわずかに震えたのを俺は見逃さなかった。
葵「そうです。比企谷さんの愛人として、囲ってるって。
いつも一緒にいるのは愛人契約してるからとか」
結衣「それ、ぜったい違うから。
ヒッキーと一緒にいるのは勉強を教えてもらってるのもあるし、
・・・・・・友達・・・でもあるからさぁ」
由比ヶ浜は、胸のあたりでぶんぶんと両手をふって否定する。
楓「そうですよね。私も男子から話を聞いたとき、それは嘘だって言ったもん」
葵「でも、どの噂も嘘しかなくて、笑っちゃったよね。
・・・・・・あっ、ごめんなさい」
結衣「いいよ、いいよ。私もゆきのんも、その場にいたら一緒に笑ってたと思うし」
葵「それでも、ごめんなさい」
その後もあらぬ噂を延々とお披露目されていく。
よくもまあ、ここまでたくさんのデマを考えたって、そっちのほうを感心してしまう。
由比ヶ浜も表情をころころを切り替えながら相槌を打つもんだから、
楓も葵も話の勢いが止まらなくなって、延々と話が止まらなかった。
しばらく好きなように話をさせておくかと、ほっとくことにする。
本でも読んでるかと鞄を取ろうとしたとき、室内を見渡すと、
話をしている由比ヶ浜、葵、楓しか室内には残ってはいなかった。
雪乃と陽乃さんは、先に行ったのか?
ということは、そろそろ時間かなと時計をみると、朝の講義までは時間があった。
それでも、このまま話を続けられてもやばいし
そろそろ終わりにさせるかなと、椅子代わりにしていた机から腰を上げる。
俺たちも遅れないようにしようと、話に夢中の三人に声をかける決意をした。
昼休み。これも俺達の日常の変化の一つであるといえよう。
お弁当を食べようと空き教室に集まった四人は、持ち寄ったお弁当を囲んでいる。
昨日は、陽乃さんが4人分のお弁当を持ってきてくれたので豪勢であった。
ただ、雪乃は俺の分も入れて二人前。由比ヶ浜も最近お弁当を作るようになったので
自分の分を持ってきている。
そこに陽乃さんの四人分となると、合計7人前のお弁当が勢ぞろいとなる。
由比ヶ浜の弁当は、まさに女の子のお弁当って感じで量は少ない。
496 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:31:56.24 ID:yqOLm6oL0
雪乃のは、俺の分は俺に合わせて作って、自分の分は少なめだ。
しかし、陽乃さんの豪勢すぎるお弁当は、まさに運動会のお弁当。
男性4人がめいっぱい食べられる量が詰まっていた。
7月に入り、気温も高くなってきているので、冷蔵機能もない昼の弁当を
夕食として食べるわけにもいかず、唯一の男の俺が頑張って食べたが、食べきることは
できなかった。
その後、俺の様子を見て判断してくれたのか、
翌日の今日からはお弁当当番らしきものが作られたらしい。
「らしい」というのは、俺の意見が全く聞き入れてもらえず、
勝手に取り決めを作られたからなのだが、俺自身もお弁当を作らないといけないのは
なんとかならないのだろうか?
家に帰ってから、雪乃に弁当作るの手伝ってほしいと懇願したが、
笑顔で断られた時は、ちょっと絶望してしまったのは内緒だ。
でも、そのあときっちりと
雪乃「だって、八幡が作ったお弁当、食べたいから」
って、恥じらいながら笑顔でアフターケアーもなさるんだから、雪乃にはかなわない。
結衣「ねえ、ゆきのん。朝はごめんね。話に夢中になって、ゆきのんが
先に行っちゃったの気がつかなかったよ」
雪乃「いいのよ。私の方も急用ができたから」
結衣「そう? だったらいいけど」
由比ヶ浜は、雪乃の返事に満足してか、うまそうに弁当をパクつき始める。
それを見た雪乃も、優しく由比ヶ浜を頬笑みながら、自分も食事に入っていった。
八幡「陽乃さんも、朝の勉強会、ありがとうございました。
勉強会の後にお礼を言おうと思ってたんですけど、いなかったんで
いまさらですけど、ちゃんとお礼が言いたくて」
陽乃「いいのよ。私が好きで手伝ってるんだから。
それに、私もちょっと急用ができちゃってね。
だから、何も言わないで行っちゃってごめんね」
八幡「いや、いいですよ。あの後、時間ぎりぎりまで由比ヶ浜たちは
喋りまくってたんですから」
楽しいお弁当タイムは続く。
雪乃と陽乃さんの朝の急用がなんだったかだの、なにも疑問を感じることもせず。
497 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:32:28.88 ID:yqOLm6oL0
勉強会の後、工学部の教室で「楽しい話し合い」があったなんて、
気がつくことなどありはしなかった。
火曜日の朝。誰の元にも平等に訪れる月曜日の次の日。
一昨日までの休日の疲れも月曜日に別れを告げ、どうにか平日に慣れつつある。
慣れない者は、通勤通学ラッシュにもまれて、水曜日までには強制的に
平日を実感するようになるはずだ。
それは、工学部の教室であっても等しく訪れ、朝一番の授業を憂鬱と共に
過ごすことになるのだろう。
ここにいる二人を除いて。
雪乃「おはよう、安達君」
陽乃「元気そうでよかったわ」
雪乃達は、それぞれ若干ニュアンスは違うが、安達弟に朝の挨拶をする。
それを聞いた安達は怪訝そうな顔をするも、一応挨拶の返事をする。
安達弟「おはよう・・・ございます」
そりゃそうだ。もう関わりもないと思っていた相手からの朝一での訪問。
安達弟にしろ、雪乃達にしろ、金輪際関わりたいとは思っていないはず。
朝が苦手で、授業開始ギリギリに入ってくる連中なら、
いつもと同じ光景を見るだけですんだかもしれない。
しかし、今の時間帯に入ってくる生徒は、いつもと違う光景に目を疑った。
雪乃も、挨拶をされれば、丁寧に挨拶を返す。
それは、長年にわたって身につけてきた礼儀作法によるものだが、
雪乃が安達の元へ自分から赴いて挨拶することなんて、
今まであり得なかった光景であった。
しかも、姉の陽乃さんまでいるのだから、誰しも驚いただろう。
そして、ただならぬ雰囲気が雪ノ下姉妹を中心に教室中に侵食していき、
いつしか朝の憂鬱な雰囲気が一転する。
緊迫した雰囲気に捕まり、一人、また一人と雪乃たちを注目してしまう。
これから始まるであろうまだ見ぬ展開に恐怖心と好奇心を同居させ、
教室内にいた生徒は事の顛末を探ろうと声を押しとどめて、静かに三人に目を向けていた。
498 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:33:25.74 ID:yqOLm6oL0
雪乃「2年の工学部から流れている噂、聞いたわ」
雪乃の目は安達弟を捉えて離さない。安達弟は昨日の事もあって、
落ち着かない様子である。
そっと雪乃から目をそらすが、それさえも雪乃にとっては興味の対象にはならなかった。
雪乃「私と・・・・、ここにいる姉さんのことは構わないわ。
でもね、私の恋人と友達を傷つけるような真似を今後もするんなら、
社会的に殺します」
背筋が凍りつくセリフをこともなさげに宣言する。
雪乃の顔からは表情が冷たく砕け散り、ただ事務的に決定事項を伝えているだけであった。
身を震わせる他の生徒たちは、声をわずかに洩らしはしたが、
場の雰囲気にのまれて沈黙を守る。
後から来た生徒は、ただならぬ雰囲気に、遅刻したわけでもないのに身をかがめて、
逃げるように席についていった。
陽乃「あなたがどんな社会的な影響力を持つ後ろ盾を持ってるかなんて知らないわ。
でも、使いたいならご自由に。私は、大切な人を守る為に、
その後ろ盾やそのシステムごと叩きの潰すだけだから、安心してね」
口調も笑顔も、以前の陽乃さんそのものであったが、それがかえって人の心を委縮させる。
震え上がる安達弟に、楓たちから聞いた噂のうっぷんを全て吐き出した雪乃達は、
ようやく晴れ晴れとした笑顔で、自分の場所へと戻っていく。
もはや安達弟のことなど、日常の記憶からは抹消されていることだろう。
残っている記憶といえば、攻撃対象リストの記載のみ。
朝から工学部二年の教室を震え上がらせた騒動は、翌日までには他学部まで広がっていく。
ただ、誰一人、雪ノ下姉妹を批判する者など現れはしなかった。
日ごろからの行いってものもあるが、正面切って雪ノ下姉妹にたてつく者などは、
よっぽどの変わりものかマゾしかいないだろう。
7月14日 土曜日
首元やら鼻やら目元など顔中がこそばゆい。
まだ起きる時間ではないはずなのに、どうやらちょっかいを受けているらしい。
まどろみの中、薄く眼を開けると、雪乃が長い漆黒の髪でくすぐってきていた。
499 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:34:01.57 ID:yqOLm6oL0
綺麗な髪をそんなくだらないことで使うなって説教してやろうかと思いもしたが、
甘ったるい朝の空気が俺を駄目にする。
雪乃「おはよう」
俺の目覚めをいち早く察知した雪乃は、柔らかな笑みとともに朝の挨拶を告げる。
俺もしゃがれた声で、すかさず返事する。
八幡「おはよう。・・・・いま何時なんだ?」
雪乃「さあ?」
八幡「さあって・・・・。まだ5時過ぎじゃないか」
俺は目覚まし時計を確認すると、軽く非難の声をあげる。
さすがに早すぎる。少なくとも6時までは寝ていても大丈夫なはず。
・・・今日は土曜日か。だったら、もっとゆっくりしていても。
雪乃「そう?」
八幡「そうって・・・・・、くすぐったいって」
俺は、優しく黒髪を押し戻す。
おはようの挨拶をしているときだって、雪乃はずっと俺をくすぐり続けていた。
悪くはないんだけど、さすがにこそばゆい。
雪乃「もうっ」
雪乃は全然怒った風でもないのに、一応は怒ったつもりの非難を洩らす。
と思ったら、今度は俺の頭を雪乃の小さな胸で包み込み、優しく撫で始める。
たしかに、色々トラブルもあって忙しかったし、
今朝みたいに甘美な朝がここ数日続いてはいた。
それでも大学もあり、ゆっくりと朝を楽しむ時間は限られていた。
そう考えると、今日は貴重な朝だよな。
俺は、雪乃の背中に手を回し、小さく力を込めてると、
ゆっくりと雪乃の香りを肺に満たす。
雪乃は、胸元で動かれたのがくすぐったかったのか、小さくとろけるような吐息を洩らした。
色っぽく身悶える雪乃を下から覗き込むと、視線が交わる。
雪乃「もう・・・・・・」
500 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/11/27(木) 17:34:37.61 ID:yqOLm6oL0
はにかんだ笑顔が俺を幸せに導く。
今日は最高な一日になるはずだ。
だって、最高の朝の目覚めを得られたんだから、今日一日うまくいくに決まっている。
そして、きっと明日の朝も最高なはずだ。
なにせ、俺の隣には、いつも雪乃がいるから。
第27章 終劇
はるのん狂想曲編 終劇
第28章に続く
インターミッション・短編
『その瞳に映る景色~雪乃の場合』に続く
507 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:30:35.04 ID:XYU0qp7F0
第28章
インターミッション・短編
『その瞳に映る光景~雪乃の場合』
著:黒猫
約束の時刻は、とうにすぎている。
11時にはデートに出かけられると言っていたのに、今はもう12時になろうとしていた。
いくら我慢強い私だって、今日だけはもう我慢できない。
いらだちを募らせて、おもわず爪を噛みそうになるのをぐっとこらえた。
今日という日を一週間も指折り数えて、八幡に甘えるのを待ち望んでいたのだから。
それは一週間前のこと。
これはけっして八幡が悪いわけでも、由比ヶ浜さんが悪いわけでもないわ。
私も八幡も、由比ヶ浜さんの勉強スケジュールを詰め過ぎていたからいけなかったのよ。
由比ヶ浜さんが風邪で倒れて、グループ研究での由比ヶ浜さん担当箇所に出てしまった。
結果としては、八幡が由比ヶ浜さんの分までレポートを
やることになっても、それは当然の流れよね。
八幡が由比ヶ浜さんを見捨てるわけないし、
私も八幡が由比ヶ浜さんを見捨てる事を許すわけがないもの。
それに、風邪で勉強が遅れてしまうのだから、由比ヶ浜さんの負担も減らさなければ、
今後の勉強予定にも負担がかかってしまう。
だから、私が八幡に甘えるのを我慢して、八幡がレポートに集中できるように
サポートするのが当然の流れだった。
でも、それも今日の午前で終わる。
朝食時に、遅くても11時には終わるから、そうしたらデートに出かけようって
約束してくれた時には、情けないけれど、泣きそうになってしまった。
この男を、こうまで好きになるだなんて、出会ったころには思いもしなかったわね。
ふふん・・・、でも、悪くはない、か。
むしろ、心地よい敗北感に満たされている。
さてと、約束の時間から1時間も過ぎたのだがら、デートの約束をしている彼女としては、
彼氏の様子をみるくらい問題なし、文句も言わせないわ。
私は、ひんやりとするドアノブをゆっくりと音をたてないように回す。
5センチほどドアを開けて、耳に意識を集中させると、
せわしなく鳴り響くパソコンのキータッチの音も、参考書を漁る音も聞こえてはこなかった。
けたましい音で溢れていた部屋も、レポートにいそしむ熱気も既に冷やされ、
部屋は緩やかな時間を取り戻しているようであった。ファーストステップでの成果は
芳しくなかった私はドアの隙間から覗き込むが、八幡の後ろ姿しか見えない。
508 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:31:05.74 ID:XYU0qp7F0
ここからでは、よく見えないわね。
動いている様子もないし、約束の時間も過ぎているのだから、部屋に入っても大丈夫よね?
私は、もう一度自分に言い訳をすると、意を決して部屋のドアを全て開けた。
けれど、八幡は振り返りはしなかった。
音をたてないようにあけたから、気がつかなかったのかしら?
何かおかしいと少しだけ不審に思ったのだけれど、
八幡に早く会いたいという誘惑には抵抗できなかった。
雪乃「八幡?」
私は、声を小さく震わせる。彼女だというのに、おどおどしすぎね。
でも、八幡が悪いのよ。大切な彼女を一週間もほうっておいたのだから。
雪乃「八幡?」
もう一度声をかけてみたのだけれど、八幡の声を聞くことができなかった。
どうしたのかしら?
私は、八幡が座るローテーブルの隣まで歩み寄る。
膝を折り、八幡の隣に座ってみたのだけれど、それでも反応がなかった。
それもそのはず。なにせ八幡はテーブルに顔を突っ伏して寝ているのだもの。
どおりで部屋が静かなわけね。時間が過ぎても出てこれないわけだわ。
私は、うきうき気分で部屋のドアの前で朝から待機していたというのに、
八幡はそんな彼女の気持ちも知らずに、よくもぐうすか寝られるわね。
最近私の存在を軽くみているのかしら?
それとも、今日のデートを楽しみにしていたのは、私だけだったのかしら?
不安を募らせながら八幡の寝顔を見つめていると、その不安はいつしか不満へと
変化していく。
どうして私ばかり我慢しなければいけないのかしら?
大学でだって、学部が違うから、ずっと一緒にいられるわけでもない。
その点、由比ヶ浜さんはいいわね。八幡の隣に常にいられて。
ガタっ。
突然発せられた物音に、私は身を固くする。
八幡を見つめながら、いつしか思考に没頭してしまったようだ。
八幡「う、うぅん・・・」
どうやら八幡が寝返りをうったらしい。
509 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:31:35.21 ID:XYU0qp7F0
今までは、八幡の後頭部しか見えてはいなかったのだけれど、
寝返りを打つことにより、八幡の寝顔を私の目の前に放り出される。
私は、思わず目を見開いて凝視してしまった。
八幡の寝顔なんて、毎日のように見ているはずなのに、
今朝だって、八幡への可愛い恨みを込めながら寝顔を堪能していたというのに、
急に無防備な姿をさらけ出されては、きゅんってしてしまう。
・・・・・・そうだわ。この寝顔をいつでも見られるように、写真を撮っておきましょう。
どうして今まで気がつかなかったのかしら?
もし毎日写真を撮っていたのならば、この一週間、
もう少し元気に過ごせていたかもしれないのに。けれど、無駄ね。
私がそんな写真だけで満足するわけがないもの。
写真を撮ることよりも、今目の前に八幡の寝顔を堪能し始めようとしたが、
うずうずしだしてしまう。このままでは、落ち着かない。
私は、声が出ないようにひっそりとため息をつくと、リビングに戻ることにした。
1分後。
私は、再び音も立てずに八幡の隣へと戻ってきてしまった。
いいえ。戻ってきてしまったのではなく、本当はリビングに携帯を取りに行っただけ。
だって、この寝顔。携帯に保存しておけば、いつでも見られるじゃない。
だから私は、携帯のカメラ機能を起動すると、ゆっくりとレンズを八幡に近付けていった。
ピントが合い、これでようやく八幡の寝顔を手に入れられる思いを胸に
シャッターボタンを押す指に力を加えようとしたが、すんでのところで指が止まる。
・・・・・・・このままでは駄目だわ。このままシャッターを押してしまったら、
シャッター音がしてしまうもの。
耳ものとシャッター音がしてしまったら、いくら気持ちよく寝ている八幡でも起きてしまう。
うかつだったわ。早く写真が欲しいからといって、
安易に携帯を選択したのが間違いだったようね。
これは、いつも冷静な私からすれば、あってはならないミス。
危うく最高の機会を見逃すところだったわ。
私は、再び小さくため息をつくと、再びリビングに戻ることにした。
40分後
雪乃「むふぅ~・・・」
鼻息荒くミラーレス一眼カメラを手から離す頃には、幸せで満ち溢れていた。
もうお腹いっぱいだわ。さすが私。カメラの才能もあって、よかったわ。
510 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:32:02.68 ID:XYU0qp7F0
いいえ、才能なんて陳腐な言葉で片付けるなんて、私も撮影で疲れているのかしらね。
魂を込めて八幡をカメラのレンズに収めてきた結果がここにあるんだわ。
今までの撮影がなければ、きっと今日の収穫に満足できずに、絶望を味わっていたはず。
昔はカメラで撮られると魂がとられてしまうだなんて迷信があったけれど、
あれは嘘ね。被写体の魂ではなくて、撮影者の魂が削れられいるもの。
さてと・・・、そろそろ八幡を起こさないといけないわね。
私が壁時計を見ると、時計の針はもうすぐ1時を示そうとしていた。
私ったら、40分以上も撮影していたのね。
もともと体力に自信がないのだけれど、日ごろの鍛錬のおかげで、
多少は体力がついたのかしら。
それに、八幡と毎日大学まで自転車で通っているのも、いい結果をうんでくれたみたいね。
八幡を起こそうと肩に手を伸ばそうとしたが、私は途中で動きを止めた。
もう少しだけ見ていても、問題ないわよね?
あと10分くらい遅くなったとしても、たいして変わり映えしないもの。
それに、レンズ越しよりも、生身の八幡をもっと見ておきたいわ。
けれど、人の欲なんて際限ないのだから、ここは心を鬼にして起こすべきね。
私は、再び八幡を起こそうと、今度は耳元に顔を寄せていく。
肩を揺さぶって起こすよりも、私の声の方がいいわね。
私だったら、八幡の声で目覚めたいもの。
さらりと顔に垂れ下がってくる髪を耳の後ろへと撫で流して、顔を近づけていく。
ゆっくりと、ゆっくりと近づけていったが、八幡まであと5センチと迫っても、
その勢いを減速させる事はなかった。
私の唇が、八幡の頬によって軽く押し返される。
何度もキスを繰り返してきたというのに、味わったことがない高揚感が私を襲う。
可愛らしく頬へのキスだというのに、情熱的なキスと同じくらい私を熱くさせる。
体中に厚い衝動が駆け巡り、体がピクリと反応してしまう。
その衝撃が私の唇から八幡に伝わってしまうんじゃないかと思えて、
おもわず八幡の頬から唇を離してしまった。
キスを終えた私には、今までにない恍惚と背徳感が溢れていた。
今までだって、寝ているときにキスしたり、いたずらしたこともあるし、
写真だって撮ったこともある。
でも、今の気持ち・・・・、一週間も我慢していたせいかしら?
未知なる衝動に戸惑いを隠せない。
いくら考えたとしても、答えなんて出ないのかもしれないわね。
だったら、もう一度経験すれば、済む事だわ。
もう一度頬にキスしようと近づいていくと・・・・・。
八幡「ん、・・・うぅん・・・」
511 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:32:29.58 ID:XYU0qp7F0
八幡が寝返りをうつ。この時ばかりは、背徳感というよりも罪悪感が優先されていた。
猫のように物音を立てずに身を浮かせると、ふわりとその場を離れる。
二メートルくらい八幡から距離をとると、まさしく猫のごとく警戒した。
両手を前に伸ばして、しっかりと両手両足で床を掴む。
身を低くして様子を伺っていると、どうやら今回も寝返りだけですんだみたいだった。
警戒感が少しずつ解けていく私は、前方でしっかりと床を掴んでいる両手の方へと
体重を移していく。
そして、両手両足を器用に使ってペタペタと再び八幡の元へと戻っていった。
なんで私がこそこそとしないといけないのかしら?
でも、このスリル、悪くはないわね。
そう妖艶に頬笑みを浮かべると、もう一度キスをしようと顔を近づけようとする。
今度は口にしようかしら?
もう、起こさないといけないのだし、キスで起こすのもいいわね。
しかし、すぐさまそれは断念しなければならなかった。。
この角度からではキスができない。
八幡が寝返りを打ったせいで、キスをすることができなかった。
どうしようかしら?
私は、ローテーブルに両腕をのせて顔をうずめると、じぃっと八幡を見つめながら
考えを巡らせていく。
ほんとう、気持ちよさそうに寝ているわね。
効率が悪くなるからって、徹夜はしないっていってたのに、
期日に間に合わせる為に、相当無理をしていたわね。
私は、無意識のうちに手を伸ばして、八幡の髪を撫でていた。
慣れ親しんだ柔らかい感触が手と溶け合ってゆく。
指先と絡み合う髪がすり抜けていくのを、何度も何度も堪能する。
私が隣にいるっていうのに、なんで寝ているのよ。
いつしか私の瞼も重くなってゆく。
きっと幸せそうに寝ている八幡を見ているせいね。
でも、このまま寝てしまうと、ちょっと寒いかもしれないわね。
私は、八幡の体に身を寄せて暖をとると、睡魔に身を任せることにした。
私が目を覚ますと、すっかりと日は暮れて、西日が差しこんできていた。
ぬくぬくと身をくるむ温かさが気持ちいい。
それもそのはず。八幡という暖房器具だけでなく、タオルケットまでかけられていた。
八幡の肩を借りたまま、寝てしまったのね。
でも、タオルケット?
512 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:32:57.12 ID:XYU0qp7F0
私は、タオルケットの真実を探ろうと、目をしっかりと開くと、
目の前には八幡の顔が迫って来ていた。
閉じかけていた八幡の目が、私の目とあい、大きく見開いていく。
けれど、八幡の反応はそれだけで、驚いたのは私だけであった。
八幡「おはよう」
八幡は、さも当然という顔をして、目覚めの挨拶をしてくる。
私に勝手にキスをしようとした事を悪びれる様子もなく、いつもの心を落ち着かす声。
私も勝手にキスをしたけれど、少しは慌ててくれてもいいじゃない。
雪乃「おはようのキスはしてくれないのかしら?」
八幡は、もうキスをしようとはしていなかった。
息遣いさえ聞こえる位置まで接近していた顔は、すでに十分距離をとっている。
八幡「あぁ、それな。タイミングっていうか、なんというか・・・・・・。
一度タイミングを逃してしまうと、気まずいんだよ」
雪乃「そうかしら? 私がしてもいいって言っているのだから、
気まずいはずなんてないわ」
八幡「どういう理論だよ。俺の気持ちの問題だぞ」
私が不満げな表情を浮かべても、八幡はキスをするつもりはないようだ。
もう少し女心というか、私の気持ちを理解してほしいわね。
この際女心はいいから、雪乃心だけはマスターさせるべきね。
そう小さく盛大な決心を秘めると、今回のキスはなくなく諦めることにした。
八幡「もう5時だな。どうする? 時間が時間だし、外に何か食べに行くか?
昼も食べていないし、お腹すいてるんだよな」
雪乃「そうね。誰かさんが居眠りしているからいけないんだわ。
レポートが大変だったのは、よく知っているから、約束の時間に遅れた事は
いいとしましょう。でも、寝てしまうのはよろしくないわね」
八幡「雪乃も一緒に寝てたじゃないか?
起こしてくれてもよかったんだぞ」
雪乃「だって、八幡が気持ちよさそうに寝ているからわるいのよ。
だから、私も睡魔に襲われて・・・・・・。
このタオルケットは八幡が?」
八幡「あぁ、手に届く範囲に置いてあったからな」
雪乃「そう・・・、ありがとう」
513 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:33:30.29 ID:XYU0qp7F0
私がにっこりとほほ笑みかけると、八幡は照れくさそうに少し顔を背けた。
相変わらず感謝の言葉に弱いのね。
感謝の言葉に慣れていないのも、八幡の魅力かしら。
なんでも当たり前の事にしないところが、いつも新鮮でいられる秘訣かもしれないわね。
でも、いまだになんでも自分一人で背負いこもうとするところだけはなおしてほしいわ。
私たちを守ろうとしているのはわかるのだけれど、
それで心配する私の身も考えて欲しいわね。
・・・・・・今では八幡も、私が心配している事をわかっている・・・か。
わかっていても一人でやる事を許してしまう私が悪いのかしら?
そうね。八幡は、ずっとそうやって生きてきたんだもの。
私の方から歩み寄って、抱きしめてあげないと駄目ね。
雪乃「ねえ、八幡」
八幡「な・・・んでそうか?」
やはり警戒してくるわね。
ほんと、私の言葉の意図するところを読みとる力は相変わらずすごいわね。
私が呼びかけた「八幡」という言葉一つだけで、私が何が言いたいかを
すばやく読みとってしまう。
ある意味、子供ね。子供が母親の顔色を伺うそれと同じ、か。
雪乃「私、怒っているのよ」
八幡「起こさなかった事か? 気持ちよさそうに眠っていたんで、つい見惚れてしまって」
雪乃「それは、仕方ないわね。見惚れていたのでは、致し方ないわね」
八幡「だろ?」
雪乃「たしかにそうだけれど、私が怒っているのは別の事よ」
八幡「約束の時間が過ぎているのに、俺が寝ていた事か?
それは、悪かったよ。レポートが終わった~ッと思ったら、つい気が緩んでな。
10時には終わったんだけど、ほんの少しだけ仮眠をと思ったら、
熟睡してしまった。ほんとっ、ごめん」
雪乃「私に一言声をかけてくれればよかったのに。
そうすれば、座ったままではなくて、ベッドでゆっくりと寝て、
時間がきたら私が起こしたわ。
そうね、八幡も疲れているのだから、終わったのが10時だとしたら、
3時頃まで寝ていればよかったのではないかしら?」
八幡「そうだな。徹夜続きで、だいぶ判断力が鈍ってたようだな。
だとすると、レポートの方も不安だな。なんか適当な事を書いていそう」
八幡は、レポートの束を気にするそぶりを見せるけれど、本当は自信があるくせに。
514 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:34:03.11 ID:XYU0qp7F0
あなたは、いくら疲れていても、手を抜かない人よ。
それは、私が保証する。だって、ずっと見てきたのだもの。
雪乃「だったら、あとで私が目を通しておくわ。
専門的な所はわからないけれど、レポートとしての体裁を見るくらいなら
可能だと思うわ」
八幡「それは助かるよ。でも、採点は甘くしてくれよ。雪乃のチェックはいつも厳しいからな」
雪乃「それだとチェックの意味がないわ。やるからには本気よ」
八幡「・・・お手柔らかに、お願い・・・します、ね」
私は、自然と笑みが漏れる。八幡が私に脅えているところも可愛いと思うわ。
でも、違うの。だって、八幡が「今、私を」頼ってくれるのですもの。
本当は、レポートをやっているときに頼って欲しかった。
私も課題やテスト対策に追われていて、忙しかったけれど、八幡もそれは同じ。
だから、いくら私が忙しいといっても、私を頼ってほしかった。
いつか、きっと、八幡の隣に常にいられるようになっていたいから。
雪乃「それで、私が怒っている事は、わかったかしら?」
八幡「俺が寝ていた事じゃないのか?」
雪乃「違うわ」
八幡は、私の言葉を噛み締めると、一呼吸おいてから声を絞り出した。
八幡「じゃあ・・・、寝ているときに、キスしようとした事か?」
八幡が照れながら言うものだから、私もつられて照れてしまう。
私は、怒っているのだから、照れてはいけないわ。
あたしの顔が赤くなっているとしても、それは照れているからではなく、
怒っているからよ。
雪乃「そ・・・そ・そ、そそそ、・・・・はぁ、・・・それは、怒っていはいないわ。
むしろキスで私を起こそうだなんて、八幡も存外ロマンチストね」
八幡「それは、まあ・・・、なんというか、な。
それで、なんで怒ってるんだよ。もうお手上げ。
わかりません。教えてください」
こんなこともわからないなんて。八幡も、雪乃心の勉強がまだまだ必要ね。
雪乃「キスよ」
八幡「キス? 俺がキスしようとした事は、怒ってないって言ったじゃないか」
515 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:34:30.21 ID:XYU0qp7F0
雪乃「逆よ」
八幡「は?」
雪乃「だから、キスしようとして、・・・・・・それを途中でやめたからよ」
八幡は、相変わらず理解できないとぼけぼけっとした情けない顔をしていたが、
ゆっくりとだが私の意図をかみ砕いていった。
そうよ。途中でやめるだなんて、意地悪すぎるわ。
私は、一週間も我慢していたのよ。
それを、目の前まで迫っていて、最高にドキドキしていてのに、それをお預けだなんて、
あまりにもむごい仕打ちよ。
八幡「それを理解しろっていうのは、あまりにも難しいだろ。
こっちは、勝手にキスしようとして罪悪感があったんだぞ。
それを逆に解釈しろだなんて、無理すぎる」
雪乃「そうかしら?」
八幡「そうだよ」
雪乃「だったら、今ならどうかしら? その時は無理でも、今なら可能でしょ」
今度は、私の言葉をすんなりと理解した八幡は、そっと私の肩を引き寄せる。
だから、私は目を閉じる。その瞬間を待ちうける為に。
けれど、期待していた感触は、頬に優しく触れただけであった。
これはこれで嬉しいのだけれど、これでは満足できないわ。
私は、すうっと目を開くと、はにかみそうな笑顔をうち消して八幡を睨みつける。
八幡もわかっているはずなの、どうして?
そう思うと、私は怒りよりも、悲しみが満ち溢れていってしまった。
八幡「ごめん。泣くとは思ってなかった」
え? 泣いているの、私。
涙の感触を確かめようと目元に手をもっていこうとしたが、涙の感触を確かめる事は
できなかった。なにせ、八幡が私の腕ごとぐずつく私を優しく包み込むんだもの。
さすがの私も、健気にデートは待っていられても、
目の前まで迫ったキスの「待て」だけは我慢できないみたいね。
八幡「ほら、さ。雪乃は、さっきフライングで、俺の頬にキスしただろ?
だから、そのお返しっていうか、なんていうか。
まあ・・・、本番のキスは、デートに行ってからのほうがいいかなってさ」
八幡の衝撃すぎる告白に、私の肩がピクリと震えた。
516 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/04(木) 17:35:09.78 ID:XYU0qp7F0
だって、八幡は、12時に私がこの部屋に来た時、起きていたって事よね。
いつ起きたのかしら? そんなそぶりは見せなかったのに。
だったら・・・、私が、じぃっと八幡の寝顔を見ていた事も、
八幡の頬にキスした事も、
口にキスしようとして失敗した事も、
そして、長々とその寝顔を写真に収めていた事も。
もしかしたら、その全てがばれていたっていう事、かしら?
・・・恥ずかしすぎる。きっと、今日一番の顔の赤さを誇っているわね。
尋常じゃない熱をもった血液が私の中を駆け巡った。
これでは、八幡の胸にうずめている顔を上げることができないじゃない。
どうしてくれるのよ。
と、責任転換をしているときではないわね。
雪乃「ねえ、八幡」
八幡「ん?」
雪乃「目を閉じててくれないかしら」
八幡「ああ、閉じたぞ」
雪乃「ほんとうに閉じたかしら?」
八幡「信じろって」
雪乃「なら、いいわ。信じてあげる」
八幡の胸元に潜っていた顔を恐る恐るあげると、宣言通り、八幡は目を閉じていた。
・・・でも、さっきは寝ている振りをしていたのよね。
本当に、目を閉じているのかしら?
私は、息を止めると、ゆっくりと八幡の顔に近寄っていく。
八幡の呼吸を感じ、こそばゆいが、そこはぐっと我慢する。
どうやら、今回は本当に目を閉じているようね。
私が目の前まで迫っても、平然としているられるのだから、これで目を開けているのなら、
もはや判断する事はできないわね。
八幡「まだ目を閉じていないといけないのか?」
雪乃「もう少しよ」
私は、意を決すると、再び八幡の顔に唇を寄せていく。
今度は、八幡の言い訳も、反論も、戸惑いも、全て許さないわ。
だから、私は八幡の唇を私の唇で覆う。
これ以上の言葉を紡がせない為に。
・・・それに、キスをしているのならば、顔が赤くても、不思議ではないわ。
だから、私の顔が真っ赤であっても、それは当然なのよ、八幡。
521 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:33:31.29 ID:6V9OUwvH0
第29章
クリスマス特別短編
『パーティー×パーティー(前編)』
著:黒猫
12月に入り、急に皆が忙しく動き出していく。
ニュースを見ていても、年が暮れ、新年を迎える準備におわれているとか、
受験勉強もラストスパートなど、
なんとなく俺までもが忙しくしていないと申し訳なくなってしまいそうになる。
誰が年末は忙しいって言ったんだよ。師走っていう言葉が悪いのか?
まず、「走」という漢字が入っている時点で、走り回っていろっていう強迫観念を
植え付けようとしていないか。
そもそも、本当に12月は忙しいのだろうか?
1月は、新年の始まりであり、あいさつ回りや仕事始めで忙しい。
しかも、正月休み中で滞っていた仕事や、年末に見ないふりをしていた仕事も
ダブルパンチでやってくる。
2月は、3月の年度末に向けての調整や、大学・高校受験生の入試も山ほどあって
忙しく見える。
3月は、まあ、年度末で忙しい。さらに、卒業って聞くと、引っ越しやら
新たな生活の準備もしなきゃいけないなぁって憂鬱になってしまう。
じゃあ、フレッシュな4月はどうか。やっぱり憂鬱だ。新入生なんて
新たな学校に行って、新しい環境になじまなくてはいけないから、まじで勘弁してほしい。
5月も、ようやくなじんできた新しい環境もひと段落できると思いきや、
ゴールデンウィークで、混雑しているのに遊びに行かなくてはいけないっていう
強迫観念が押し寄せる。社畜なんて、連休獲得のために前倒しで仕事したり、
後回しにした仕事が連休後に顔をみせて、ぞっとして卒倒しそうじゃないか。
俺だったら、そのまま気絶して、なんならもう一回連休ゲットしたいほどだ。
・・・・・・なんて、12月まで忙しい理由を考えてみたが
どれもかれも似たような理由で忙しい。
じゃあ、なんで12月だけが忙しいって言うんだよって、文句を言いたくもなる。
というわけで、世間の波にのまれない男比企谷八幡は、自分のペースを守ることを
堅く誓う。マイペース最高じゃないか。人に合わせて自分のペースを乱すなんて、
馬鹿がやる事だ。
522 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:34:02.88 ID:6V9OUwvH0
そんなかんだで、有意義な休日を過ごすべく、広いダブルベッドを一人で占拠しながら
うつろな目つきで出窓を眺めていた。
窓の外には、寒々しさを五割増しするようなどんよりとした雲が広がっている。
ただでさえ寒いのに、見た目まで寒くするのはやめて欲しい。
ぬくぬくと心地よい羽根布団を身にまとっているのに、温かさが半減するだろ。
気分を変えるべく、冷え切った空から目線を下に移していくと、
雪乃が置いたサンタ人形が目に入ってくる。
これは、たぶん12月に入ったころにおかれたんだと思う。
シックな装いの寝室に仕上がったこの部屋には、ある意味不釣り合いの
クリスマスオブジェともいえよう。
部屋の中央に置かれたどっかの高級ホテルにあるんじゃないの?って
思ってしまうダブルベッド。
そのシーツは、淡いクリーム色に統一されていて、ほんのりとした温かさを感じさせる。
たしか、夏は薄いブルーだった気もするから、
雪乃が季節に合わせて色を変えているのかもしれない。
他には、ナイトテーブルに置かれている読みかけの本や淡い光を生み出すテーブルランプ
くらいしかない。
この寝室に、外での生活を一切寄せ付けたくない主の性格を
よく反映されていた。
だからといってなんなんだが、新たに加わった季節限定の人形といえども、
どうも異物に思えてしまった。
それに、初めてこのサンタ人形が置かれた日に、まじまじと確認したんだが、
どうもこのサンタ、おかしい。
赤いコートに、白い髭。いかにもサンタっていう恰好はしている。
しかし、どう見てもサンタ採用試験があったら、間違いなく不採用になるはずだ。
どうおかしいかというと、なんだが普段は社畜やってて、兼業でサンタやってますって
言われてもおかしくない疲れ切った目をしている。
いやいや、ストレートに言ってしまえば、目が腐っていた。
夢を配るサンタが疲れててどうするんだって言いたくもなるし、
全国の親御さんからのクレームもきてしまうほどの代物をよくも販売してるものだ。
きっと雪乃の事だから、売り残ってかわいそうなサンタオブジェを見かけて、
店員が試しに一個だけ入荷させた現品限りの埃をかぶった新品オブジェを
同情心から買ったのかもしれない。
ただなぁ、このサンタだけはないだろ・・・。
リビングには、人の背丈ほどあるツリーがいかにもクリスマスですって存在感を
アピールしているし、玄関にもクリスマスリースがかけられ、訪問者を歓迎する。
キッチンでされスノードームが置かれて、どの部屋であってもクリスマスを
感じられるように配置されていた。
おそらくだけれど、雪乃がどこでもクリスマスの温もりを手放したくない現れだって
思えてしまう。
523 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:34:34.31 ID:6V9OUwvH0
だけど、ある意味統一されたクリスマスムードの中で、この部屋のオブジェだけは
選択ミスだと、この俺でさえ判断できる。
まあ、いいか。雪乃が好きで選んでるんだから、俺がけちをつけれべきでもないか。
さてと、とりあえず雪乃に頼まれていた買い物だけでも済ませておくかな。
朝から雪乃は由比ヶ浜と一緒にお菓子作りの練習だし、俺の出番はない。
むしろ毒味という死刑を回避すべく、早々に外に退避すべきだな。
そんなわけで、寒い寒いと思っていた北風が吹き狂う空の下へとやってきたわけだ。
ただし、ダークレッドのダウンジャケットに、墨のマフラーは標準装備。
これに、黒のニット帽をかぶってるんだから防寒は完璧。
あとは、登山用タイツも装着したのならば完全なる装備だけど、
今日は近場だし、いらないかな。
このままスーパーに行ってもいいのだが、せっかく外に出たんだしと、
クリスマス気分を味わうべく、クリスマスカラーに彩られたショップを眺めつつ
散歩をすることにした。
寒いというのに子供は元気なもので、親よ早く来いとせかしながら走っていく。
今日は休日ともあって、家族連れが多かった。
だから、むしろ俺みたいな一人身の方が返って目立ってしまう。
通い慣れた街中は、特にみたいものがあるわけもなく、
店の中を外から冷やかす事はあっても、中に入る事はまずない。
でも、せっかくだし一軒くらいは、・・・と、ようやく見つけた店は、
雪乃と何度も来た事がある雑貨屋であった。
店内に一歩入ると、効きすぎた暖房が暴力的に俺を歓迎してくる。
こんな歓迎お断りなんだけれど、無料で暖房を提供してくれるんだし文句は言えまい。
俺に出来る抗議運動といったら、マフラーをさりげなく外すくらいだろう。
首もとを緩めて店内を見渡すと、女友達同士の客がメインだが、親子連れも少しはいた。
たしかに、キッチングッズや女性用のちょっとした衣料品が置かれているんだから
男性客がいる方が目立ってしまう。
俺も何度か雪乃がこの店でエプロンなんかを買っていなければ、一人で入ろうとは
思いはしなかったはずだ。
まあ、用がなければ俺が立ち寄ることもないだろうけど、
今日は寝室で見た悲哀に満ちたサンタクロースを思い出してしまったので、
この店に入ったわけなのだが。
この店は、なぜかクリスマスが近づくと、クリスマスグッズが増えていく。
クリスマス直前となると、その華やかさに釣られて、新規のお客も来るそうだ。
おそらくなのだが、あのサンタオブジェ。この店で買った可能性が高い。
去年はなかったはずだし、最近買ったのならば、近所のこの店だと思われる。
俺は、ひときわ赤や緑に彩られているコーナーを見つけると、一直線に足をむける。
小さな店内。他のコーナーにあるとも思えないし、あるとしたらここだろう。
あんな残念なサンタが盛大に売り出されてはいないだろうなぁと
目を走らせていくと・・・・・・ありました。
524 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:35:02.36 ID:6V9OUwvH0
なんで? これって、売れるの?
なんと、下の方の棚ではあったが、クリスマスオブジェの一角に堂々と存在感を
醸し出していた。雪乃が買ったのが最後一体ではないってことか。
とりあえず、その一体を手に取り裏返して見ると値段は980円。
まあ、妥当な値段なんだろう。
でも、980円出しても欲しいか、これ?
世の中のはやりや流行に疑問を持ってしまう。
俺の感覚が変なのかなって、ちょっと自信を失いかけたので、急ぎ手にしていた元凶を
元ある場所へと置きなおした。
もう一度、まじまじと見つめてはみるが、やばいだろ。
近くで親にじゃれついている子供が見たら、きっと泣きだすはず。
だって、隣にある普通すぎる陽気なサンタのほうが子供も喜びそうだし。
・・・・・・いっか、俺の店じゃないし。
売れ残って在庫処分に困るのは、ここのオーナーだしな。
残念なサンタの出所と値段を確認した俺には、もはや残念すぎるサンタへの興味は
失っていた。
むしろ一番上の棚に輝く元気があふれまくっているトナカイに興味が移っていた。
なにせこのトナカイ。他のトナカイよりも一回り体つきが小さいんだけど、
どうも元気が有り余っている感が漂っている。
しかも、なんだか小生意気そうな表情を浮かべているのも、なんだか愛らしい。
なんだ、この親近感。つき離したくなるほどイラッとくることもあるんだけど、
どうしても愛でてしまうその個性。
なんだか小町みたいな気もするな。
あの残念サンタには、小町みたいな愛らしくもあり、
ときには檄をとばしてくれるトナカイの方が必要かもな。
ただし、出だしは快調にソリを引っ張ってくれそうだけれど、
途中からソリにはトナカイがのって、ソリはサンタが引っ張ってそうだが、
俺が実際ソリを引くわけでもないから、かまわんか・・・・・・。
俺は、震えそうな手を必死に隠しながら、そのトナカイを手に取ると、
値段も見ずにレジへと向かっていった。
雪乃「遅かったわね」
八幡「ああ、ちょっと散歩がてら見て回ってたからな」
俺を出迎えてくれた雪乃は、朝着ていたセーターは脱いでいて、
セーターの下に着ていたシャツの上に赤と緑で彩られたクリスマスっぽいエプロンを
身につけていた。
525 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:35:28.70 ID:6V9OUwvH0
重労働なお菓子作りの為に低く温度設定してあるエアコンではあるが、
雪乃をせわしなく動かしていたのは、お菓子作りの為だけではあるまい。
雪乃「そう、ならちょうどいいわ」
やっぱりそうなのね。玄関のドアを開けた時から気が付いていましたよ。
むあって漂ってくる甘い香り。
それにちょっとだけアクセントで漂う怪しげな焦げくさい臭い。
どうして雪乃がついているのに失敗してるんだ。
ねえ、妖怪がついているの? 今はやりの妖怪のせいって、疑いたくもなる。
結衣「ねえ、ねえ、ヒッキー。みてみて。美味しそうでしょ」
雪乃を通常以上に疲れさせた元凶由比ヶ浜結衣は、パタパタとスリッパを鳴らして
俺の元へと駆け寄ってくる。
フリルいっぱいの白いエプロンも、その可愛らしい新妻エプロンで隠された大きな胸も
俺の視界に収まってはいるが、興味の対象にはならなかった。
なにせ、本来ならばインパクト絶大なコンビネーションだろうと、
それよりも命の危険を感じ取ってしまう物体に目がいってしまう。
由比ヶ浜が手にするお皿には、出来たてのクッキーが盛られていた。
なかには少し焦げているのある。でも、食べられないレベルではないのか?
じゃあ、この焦げた臭いの原因は?
と、無造作に手にしたクッキーを一つ頬張りながら考えていると、
その答えはすぐに見つかった。
とりあえず、隣でクッキーの感想を求めている由比ヶ浜はあと回した。
こちらは生命の危機だからな。
雪乃が俺の目に触れさせないように隠すそのビニール袋には、真っ黒な消し炭をなった
おそらくクッキーになるはずだっただろう残骸が収められていた。
俺がかえってくる前に処分するのを忘れたのか、
それとも生存クッキーを救出するのに手間だったのか。
とりあえず、俺の生存が確認できたことがなによりだ。
結衣「ねえ・・・、どうかな?」
八幡「ん? 食えない事はない、かな?」
結衣「ええ~。美味しいでしょ? 見た目もだいじょぶな感じだし、
毒味、・・・味見してみても大丈夫だったよ」
八幡「いや、いや。味見って、食べられるかどうかじゃなくて、
美味しいかどうかだから・・・」
結衣「これでも頑張ったんだけどなぁ」
526 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:35:54.12 ID:6V9OUwvH0
八幡「でも、だいぶよくなってきているんだろ?
もうちょいなんじゃね?」
結衣「うん、頑張る」
なんて、由比ヶ浜と出来が悪すぎる生徒ドラマをほのぼのと演じていたら、
雪乃の姿が消えていた。
けれど、雪乃の居場所は雪乃が倒れた音で示されていた。
八幡「雪乃? 大丈夫か? おい・・・」
ただ事ではないと感じ取った俺からは、由比ヶ浜をからかっていた時の余裕なんて
消え去っていた。スリッパをバタバタとかき鳴らしながら走り寄る。
腕の中の雪乃は、いつもより小さく見えてしまう。
白い白いと思っていたその顔も、いつもより青白く陰りを見せ、
力強い瞳には焦燥感を漂わせていた。
そして、形が整った艶やかな口元の横には、黒くくすんだ消し炭が・・・。
ん? 炭がなんで口元に付いているんだ?
八幡「雪乃、しっかりしろ。救急車よんだ方がいいか?」
雪乃「救急車はいらないわ」
八幡「なら、どうしたんだよ?」
雪乃「ちょっと失敗しちゃっただけよ。
そうね、八幡にも毒味してほしいわ・・・」
そう弱々しく呟くと、雪乃は瞳を閉じた。
雪乃・・・、お前の死は無駄にはしない。
だから最初に言っただろ。
甘やかして育てちゃ駄目だって。
しっかりしつけないと、犬と飼い主が不幸になるだけだって。
これで雪乃も目が覚めるはず。尊い犠牲だったけれど、雪乃の死は無駄にしないよ。
・・・悪いけど、遺言の毒味役だけは、絶対に引き受けないけどさ。
雪緒「八幡・・・」
俺の腕の中で小刻みに震える雪乃が弱々しく最後の吐息を洩らす。
あんなに光輝いていた意思が強い瞳も陰りをみせ、俺の手を握ろうと宙をさまよわせている。
八幡「雪乃、大丈夫だ。俺はここにいる」
雪乃「八幡」
527 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:36:34.37 ID:6V9OUwvH0
俺が雪乃の手を握りしめても、雪乃は俺の手を握り返してはこなかった。
もう時間がないのかもな。すでに雪乃の体力は限界か。
八幡「くそっ・・・。雪乃を一人にしないって約束したもんな」
雪乃「ええ、ずっと一緒よ」
俺は静かに頷くと、雪乃が床に落としたビニール袋を手に取った。
そして、中に入っている黒い炭化した物体を一つ手に握りしめると、
一口でそれを飲み込んだ。
八幡「これでいつまでも一緒だ」
雪乃「ありがとう」
口の中に残った粉っぽい感触も、喉をひりひりさせる刺激も、
胃の中で暴れまくっている胸糞悪い由比ヶ浜のクッキーも、
そんなものは全て忘れよう。
腕の中にいる雪乃だけが俺の全てなんだから。
八幡「あっ! 雪乃、先に行くな。俺が先にトイレに入る」
雪乃「駄目よ。私が食べたのは一つではないのよ」
八幡「ここは病弱な俺を優先すべきだ」
雪乃「悪いわね。トイレは早いもの勝ちなのよ」
やっぱり勢いで食うものじゃない。
どうして雪乃がついていながら毒物を作り出せるんだ。
しかも、初めて由比ヶ浜が奉仕部に依頼に来た時よりも料理の腕が悪化しているじゃないか。
とりあえず俺は、口の中の不快物だけは取り除く為に水をがぶ飲みすると、
最重要危険物が入ったビニール袋を燃えるごみの中に放り込んだ。
今日も今日とて年末に近づいてゆく。
先日購入したトナカイのオブジェは、今は寝室の出窓にて、
残念サンタの相棒をしていた。
ただ、どういうわけか、俺がこのトナカイを置いたら、
雪乃がもう一体トナカイを飾ることになった。
俺が置いたトナカイを撤去しないあたりからすると、展示を許可されたのだろう。
528 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:37:07.86 ID:6V9OUwvH0
それに、トナカイ一匹だと寂しいし、ソリを引っ張るのも大変そうだ。
そこんとこを考えて雪乃が新たなトナカイを置いたのかもしれないが、
このトナカイも変わっている。
俺が選んだトナカイも普通ではないが、雪乃が選んだトナカイも普通ではない。
大きさは、サンタとのバランスを考えれば妥当な大きさだ。
元気もありそうだし、陽気な笑顔を皆を振りまいてくれてはいる。
でも、な~んか人に合わせてしまうような気の弱い部分もありそうな瞳に
既視感を抱いてしまう。
ただ、な。なんでこうも色っぽいんだ?
いくら人形だからといって、デフォルメしすぎてないか。
なんとなぁく由比ヶ浜みたいな気もするのは、目の錯覚か?
雪乃が好きで選らんだんだからいいんだけどさ、
雪乃がどういう基準で選んでいるか聞きたいところだ。
・・・・・・いっか、なんだか賑やかそうだし、悪くはない。
クリスマスだし、深く考えることではないのだろう。
なんて考えながら、雪乃に任された寝室の大掃除を進めるていく。
年末は忙しいから、時間があるときに掃除をしておかなければならない。
それに、文句を言うのはいいけれど、文句を言われるのだけは勘弁だ。
雪乃「八幡・・・。こちらも休憩にするから、一緒に休憩にしましょう」
八幡「おう、わかった。すぐ行くよ」
雪乃「ええ。御苦労さま」
雪乃の言いつけ通り寝室の掃除を初めて2時間を過ぎようとしている。
雪乃も雪乃で、由比ヶ浜のお勉強を見てあげていた。
午前中は俺が面倒を見て、午後からは雪乃が英語の面倒を見ているはずだ。
年が明ければすぐさま期末試験だし、年末年始は遊んでいるはずだからとのことでの
勉強会、主に由比ヶ浜の、がここ数日開催されている。
リビングに行くと、芳しい紅茶の香りが疲れた体をいたわってくる。
そう、香りだけは俺をいたわってくれるし、蓄積した疲労も和らぎそうだった。
ただ、リビングで展開しているこの惨状。この光景からは、ゆっくりと休憩なんか
出来るとは思えない。むしろ、寝室よりもリビングの掃除を先にすべきださえ思えてしまう。
・・・なんだ、テーブルの上でうなだれているこのトド。
どうにかならないのか? ぐでんと力尽きている様子は、生存競争に敗れ去った感が
まじまじと漂ってくる。
八幡「由比ヶ浜、生きてるか? 死んでるんなら、明日、燃えるごみと一緒に出してやるぞ」
結衣「うぅ・・・」
529 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/11(木) 09:37:36.75 ID:6V9OUwvH0
雪乃「駄目よ、八幡。由比ヶ浜さんは、燃えるごみには出さないわ」
結衣「ゆきのん」
雪乃の援護に、由比ヶ浜は最後の力を振り絞ってひょこりと顔を上げる。
雪乃「だって、ゴミ袋に入らないじゃない。指定のごみ袋に入らないゴミは
捨てられない決まりよ」
八幡「そうだったな。だったら、粗大ごみか?
持ち込みしたら安くならねぇかな」
雪乃「リサイクルショップという手もあるわね」
八幡「だな。由比ヶ浜ごときにお金を出すなんてぜいたくすぎる」
結衣「ちょっと、ゆきのんまで酷いっ。
あたしは粗大ゴミでも不用品でもないし」
八幡「死んでないんなら、とっとと起きろ。
こちらもお前の為に勉強教えてて疲れてるんだよ。
しかも、大掃除までやってるんだぞ」
結衣「それは・・・、友情協力ってやつ?」
なにそれ? 映画とかである友情出演の類似品かよ。
あれって、お金貰えてるのかな? 貰えてなくても、世間様にお金なしで
出演してあげてるんだぜ感アピール丸出しだし、宣伝効果もあるか。
やっぱ、どう転んでもリアルマネー絡んでるだろ。
八幡「その友情協力っていうのは、一方通行みたいだけどな」
結衣「そんなことないしっ」
雪乃「紅茶冷めてしまうわよ。由比ヶ浜さんが買ってきたお茶菓子もあるのだから、
しっかりと休憩をして、勉強を再開させましょう」
なるほどね。だから雪乃が買わないようなお菓子があるわけか。
雪乃調停にのることにして、俺は休憩に入ろうとする。
由比ヶ浜はまだ何かいいたそうな目つきを俺に突きさすが、ここは無視するにかぎる。
無益な戦いはしないほうがいいし、なによりも、雪乃の紅茶を冷ましてしまうのは、
俺の損失になってしまうから。
第29章 クリスマス特別短編『パーティー×パーティー(前編)』終劇
第30章 クリスマス特別短編『パーティー×パーティー(後編)』に続く
536 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:30:42.35 ID:HH2/WTQh0
第30章
クリスマス特別短編
『パーティー×パーティー(後編)』
彩り溢れるスナック菓子がコンビニ袋からこぼれ出ている。
脂ぎったその風体と、毒々しすぎるまで人工的に味付けした感のコラボを
無性に食べたくなる時がある。
ぜったい食べすぎたら体に悪いだろって子供でもわかりそうなのに、
いまだにコンビニの目立つ所に陳列されているところをみると、
俺と同じようなリピーター以上に、スナックジャンキーが多くいると思える。
ここにいる由比ヶ浜結衣も、きっとそのスナックジャンキーの一人なのだろう。
結衣「ねえねえ、これね、新商品なんだよ。
焼きイモ味に、コーンポタージュ。
あとこれは、ホワイトチョコレートのもあるんだよ」
八幡「毎年、企業も期間限定って書けばいいって思ってるのかね。
どれも去年も似たような商品あっただろ」
結衣「違うよぉ。これは、濃厚さがアップされているし、
こっちのホワイトチョコは、いつもは普通の茶色いチョコなんだから」
八幡「誰基準での濃厚さアップだよ。
企業か? それとも開発部か?」
結衣「それは、えぇ~っと・・・、開発スタッフ?」
八幡「それこそ個人の感想じゃねぇか」
結衣「違うからっ。去年より美味しくなってたもん」
八幡「ふぅ~ん」
結衣「信じてないでしょ」
八幡「信じてるって」
結衣「信じてないって。ほら、その目。絶対信じてないもん」
俺の表情を細かくチェックするその能力。人をよく見ている由比ヶ浜はさすがっすね。
うん、信じてないし、これからも信じないと思うぞ。
だって、企業の買ってくださいアピール感しか伝わってこないからさ。
と、世間の世知辛い実情を噛み締めていると、俺の口元まで自称「濃厚さ130%up」の
コーンポタージュ味スナック菓子が迫っていた。
537 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:31:12.49 ID:HH2/WTQh0
結衣「ほら、ヒッキーも食べてみてよ。文句を言うんなら、食べてからにして」
八幡「そのな・・・」
由比ヶ浜がスナック菓子を手に、俺の口へと放り込もうとする。
迷いがないその軌道は、黙っていればそのまま俺の口内へと運ばれてくるのだろう。
けれどな、由比ヶ浜。お前が俺の口にお菓子を放り込むのと同時に
俺は修羅場へと放り込まれないか?
だってさ、隣見てみろよ。深夜の外気よりも重い冷気を身にまとった雪乃が
ぷるぷると肩を震わせているぞ。
あれは、自分の冷気が寒いんじゃなくて、自分の体を拘束している振動。
今雪乃がおとなしくしているのも、お前だから強硬手段に出てないだけだ。
八幡「すまん。紅茶は、戻って来てからもう一度淹れてくれよ。
由比ヶ浜の勉強を見る前に、ちょっと本屋にいっておきたかったからさ。
夕方からは雨かもしれないって言ってたからな。
じゃあ、なにか買うもなったら、あとでメールしてくれ」
俺は、一息で今出来上がった急用を告げると、
足をもつれさせながらリビングから逃げ出す。
結衣「ちょっと、ヒッキー」
雪乃「ええ、行ってらっしゃい。その腐りかけた脳が形を崩れなくなるくらいまで
じっくりと凍らせてくればいいと思うわ」
玄関まで恨み言が追いかけてきたが、俺は玄関のドアを閉めることで、
どうにか振り切ることができた。
駅前まで行くと、クリスマスムードで盛り上がっている。
自宅マンションそばの商店街も、落ち着きがあるクリスマスムードで好きではある。
一方で、駅前のクリスマス。
クリスマスセールののぼりや年末セールのチラシ。
クリスマスケーキの予約の呼び込みなど、
いたって健全で商魂たくましい日本のクリスマスだ。
どこかロマンチックな飾り付けがある所に、ふらふらっと立ち寄ってみても
なんたらセールや威勢がいい呼び込みをする店員がいて、
どこまでがクリスマスの為で、どこからが商売のためなのか、わからなくなることはない。
538 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:31:47.86 ID:HH2/WTQh0
絶対100%商売だなと、世知辛い世の中を見渡しながら本屋がある階へと登っていく。
本音を言うと、本屋に用事などなかった。
休暇中読もうと思っている本は、既に雪乃の本棚から借りているし、
ラノベなどの純粋なる娯楽は、先日雪乃と来た時にチェック済みでもある。
だから、一応本屋に一歩踏み入れて、ちょっと買い忘れがあるからというポーズを
作ってから、本屋から出ていく事にした。
そもそも外出したのだって、由比ヶ浜の鈍感力から逃げる為であるわけだしな。
というわけで、どことなく行くあてもなく、他のショップを見て回ることにした。
ここでも、テナントビルがあれば一件くらいある雑貨屋があり、
クリスマスを前面に押し出した品をアピールしまくっている。
ん? この店でも最近はやりのちょっと痛い子をイメージしたクリスマスオブジェが
あるのかよ。なんでもかんでも斜め上をいけばいいってものじゃぁあるまい。
でも、俺みたいな奴がいるから仕入れるわけで、俺は店員の期待を背負って
とりあえず人形をひっくり返して、その値札を見ることにした。
1200円。駅前だし、その分割高なのか?
サイズは、手のひらサイズで、寝室の出窓に置かれているのと同じくらい。
天使をイメージして造られたクリスマスオブジェであり、
一般的なイメージ通りにこやかに笑顔を振りまきまくってはいる。
だが、なんで口は笑っているのに、目だけは冷ややかなんだ。
その瞳に吸い込まれそうなって見つめていると、なんだが
うちにいる残念サンタのけつでも蹴飛ばして、気合を注入しそうな気がしてくる。
天使っつっても、神様の使者で、日々中間管理職としての悲哀を嘆いでいるのかなぁと
自分に重ねてしまう。
ただ、この冷たい瞳の天使は、きっと俺と同じにするなっていいたそうだった。
よし、決めた。そこまで俺を毛嫌いするんなら、俺んとこのぐぅたらサンタの
けつを蹴っ飛ばしてくれ。きっと最悪の中間管理職間違いなしだ。
と、俺は、人形相手に大人げない態度をとって、帰宅することにする。
ん~ん・・・、もう一度まじまじと人形を凝視すると、
なんだか俺の事を見て、微笑んでいる気がした。
その頬笑みは、なんだか雪乃に似ている気もしたが、おそらく気のせいだという事にした。
八幡「なんだかんだいって、由比ヶ浜の奴、けっこうやばいんじゃないか?」
雪乃「どうかしらね。最近の頑張りをみていると、年末年始も頑張れば
期末試験も大丈夫なような気もするのだけれど」
八幡「普段から勉強するように目を光らせてはいたんだけどな。
ここまで覚えたものを忘れちまうとは、想定外だったな」
539 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:32:22.53 ID:HH2/WTQh0
雪乃「それは仕方がない事よ。大学受験以上に覚える範囲が増えているんですもの。
これ以上由比ヶ浜さんに勉強を押しつけても、潰れてしまうだけだわ」
八幡「だよなぁ・・・。新学期からは、普段の復習方法を変えてみるか」
雪乃「そうね。普段からの復習がうまくいけば、効率もあがるわね」
なんかなぁ・・・、俺達ってまだ子供いないはずなのに。
話している内容が、どこか出来が悪い子供をもった親じゃないか。
寝室のベッドに身を沈め、読んでもない小説を片手に近況報告をする。
本ばっかり読まないで、子供の事をしっかり考えてちょうだいって
聞こえてきそうなシチュエーション。
なぁんて考えてもしょうがない。
大学は義務教育ではないんだよ、由比ヶ浜君。
俺は、早々にホームドラマ(脚本:比企谷八幡)を打ち切ることにして、
新たにベッドに加わった重みを受け入れる準備に取り掛かった。
そんな目で見るなって。
俺を見つめてくるその視線。俺が今日買ってきた天使の人形なんだけど、
その天使の視線も気にはなるんだが、その隣にいる女神の方がより不気味な視線を
感じずにはいられなかった。
今朝はなかったし、由比ヶ浜が置いていったのだろうか?
なんで俺が人形買ってくると、すぐさま増えるんだよ。
しかも今度のは、女神つっても、どこか底意地が悪そうで、何を考えているか
わからない笑顔なんだよな。もちろん女神様なので、ニッコニコして、
頬笑みを垂れ流しまくってはいる。
この女神、絶対内心と外見とでは全く違う事考えているな。
どこの雪ノ下陽乃さんだよ。
だけどなぁ、こいつもどこかクリスマスオブジェとしては規格外。
なんで、この部屋には変わりものばかりが集まってくるんだよ。
朝早くから、俺が引っ越してきてからそのままにしていた荷物をひっくり返していた。
そもそも小町が俺の部屋にあったものを適当に突っ込んだものであるわけで、
引っ越しの際捨てるべき荷物の選別さえされていないでいた。
だったらこのマンションに引っ越してきた時に捨てればいいって思うかもしれないが、
突如実家を追い出され、あっという間に新たな生活の場に放り込まれてしまった俺の
気持ちも考えて欲しい。
新生活への適応。新生活への不安。新生活への葛藤。新生活への希望。
新生活というものは、新たな生活リズムを掴むまでが大変であって、
エネルギー消費も割高になってしまう。
540 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:32:56.31 ID:HH2/WTQh0
だから、引っ越しの作業に不備があったとしても、俺は悪くない、はずだ。
ま、新しい生活といっても、俺の場合は、もともと雪乃とは半同棲状態だったわけで、
新生活への順応なんて必要なかったんだけどね。
ようは、俺がずぼらだったから、不用品が未だに残っていたわけだ。
しかし、今回ばかりは俺ナイスと誉めてやりたい。
俺は、目当ての品物を手にすると、ニヤリと赤ん坊が泣きだすような笑みを浮かべていた。
雪乃「朝から大掃除をしていたかと思えば、思い出の品を見つめて下衆な笑いを
洩らすのはやめてくれないかしら」
俺の抗議の視線の先には、ティーカップを軽くつまんで優雅にティータイムを
楽しんでいる雪乃がいた。
腰まで伸びた黒髪は、雪乃にしては珍しく、ゆるふわルーズな三つ編みで一本に束ねている。
白いハイネックカシミアセーターは、ほっそりとした体の輪郭を形作り、
申し訳程度に膨らんだ胸も、妙に艶っぽさを増大させていた。
クリーム色やブラウン系で構成されたレースやニットを重ねて作られたロングスカートも、
どこか品の良さを漂わせ、まさしくお嬢様といったイメージを強調させる。
雪乃自身が本当にお嬢様なのだから、イメージ通りの服装ってわけだ。
一方、俺の服装といったら、ザ・ジャージ。
高校のジャージじゃないところが唯一の救いなのだろうか。
一応アディダスのジャージだし、安くはないのよ。
八幡「思い出の品ってわけじゃない。以前小町と人形作ったときに余った材料だよ。
色々買ってみたんだけど、買っただけで未開封のまま、結構残ってたんだな」
雪乃「小町さんも大変ね。話をする相手がいないかわいそうな兄の為に、
話相手代わりの人形まで作ってあげていたなんて」
八幡「そこも違うから」
見た目だけは、まさにお嬢様なのに、どうして毒舌ばかり乱れ撃ってくるんだ。
これさえなければ文句のつけようがないお嬢様なのに、ほんともったいなくない。
雪乃「そうなの?」
八幡「そうなんだよ。これはだな、・・・・・・たしかハロウィンかなにかで
飾りつけで人形作ったんだったと思う。もしかしたら、他の行事かもしれないけど
似たようなものだ」
雪乃「それでクリスマスの飾り付けでも作るのかしら?」
八幡「そうだよ。寝室の出窓に飾ってあるオブジェあるだろ?」
雪乃「ええ、あるわね」
541 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:33:30.87 ID:HH2/WTQh0
八幡「なんで俺が新しいオブジェ買ってくると、すぐに対抗してもう一体買ってくるんだよ。
ふつうは毎年一体ずつ買って増やしていくものじゃないのか?」
雪乃「別に毎年少しずつ増やしていってるわけではないのよ」
八幡「だったら、なんで俺が買ってくると、雪乃も買い増すんだよ?」
雪乃「それは・・・」
雪乃は、どこか宙に浮く何かを捕まえようと視線をさまよわしていたが、
俺の視線と衝突すると、観念したの、ぽつりぽつりと語りだした。
雪乃「最初追加した一体は、たまたまだったのだけれど、私がおいてもすぐに八幡が
もう一体追加してきたじゃない。だから、このままにしておいたら
負けたような気がしたのよ」
は? 何に勝ち負けがつくっていうんだ。
雪乃が根っからの負けず嫌いだっていうことは知っていたが、なぜ今回の事で
勝ち負けがつくんだよ。
八幡「だったら、俺の負けでいいよ。すでに俺の財布が負けている。
これ以上の出費は、痛いからな」
なにせ一体1000円くらいするわけで、それを何体も買っていくのならば
数千円にも積み上がってしまう。
だから、今日俺が人形を自作するのだって、お金をかけないで済むようにするためで。
雪乃「それなら、無理して買わなければよかったじゃない」
八幡「なんとなく、気にいったのがあっただけだよ。
それに、なんか人形が増えていくのも、見ていて面白かったしな。
あっ、でも、まじで勝ち負けなんか気にしてないからな」
雪乃「わかってるわよ、もう。でも、今日はなにを作るのかしら?」
八幡「サンタ、トナカイ、天使、女神ってきたら、あとはキリストとかその辺だろうけど、
俺は、プレゼントを貰う子供を作ろうかなって思っている」
雪乃「へぇ・・・、で、なんでキリスト作るのやめたのかしら?」
八幡「なんでキリスト作ろうと思って挫折したことが前提なんだよ」
雪乃「なんとなくよ」
八幡「まあ、間違っちゃいない、か。なんとなく、作るのが難しいと思ったんだよ。
小さな子供だったら適当に作ればいいだけだろ」
雪乃「八幡らしい理由で安心したわ」
八幡「出来ないものを作ろうとしても、時間と材料の無駄だしな」
542 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:34:03.83 ID:HH2/WTQh0
雪乃に見つめられながら、俺は制作活動に取り掛かる。
材料は、パン粘土と毛糸。これがあれば、なんとなく味がある人形が出来上がるのだが、
雪乃が自身の三杯目の紅茶と俺の紅茶を用意してくれているときに出来上がった人形は、
どうみたってクリスマスを待ち望む子供としては不釣り合いであった。
雪乃「それで完成なのかしら?」
八幡「一応な」
雪乃が顔を引きつらせながら聞いてくるのを、俺も顔をひきつらせて受け答える。
どうしてこうなったのだろうか。
雪乃「怨念がこもっていそうね」
八幡「そこまで年くってないだろ」
雪乃「なら、結婚できなそうね」
八幡「だろうな」
俺達が見つめる先にあるサンタを待ちわびる子供の人形。
期待を胸一杯にして、その時を待っているのがよくわかる。
よくわかるんだけど、・・・なんか待っているのはサンタじゃなくて旦那さんじゃないか?
正確に言うんなら、結婚相手の男性だな。
この人形、我ながらよくできていると思う。よくできているんだけど、どうみても、
平塚先生の幼少期、見た事はないけど、って感じがしてしまう。
俺だけじゃなくて、雪乃もそう感じているのだから、間違いない。
雪乃「一応聞いておくけど、わざと作ったのかしら?」
八幡「んなわけないだろ。まがまがしすぎる」
雪乃「そうよねぇ・・・」
紅茶を一口口に含み、この人形、どうしようかと考えをめぐらす。
めぐらす、めぐらす、めぐらす・・・・・・。
いくら考えたって、答えは一つしかないか。
ここで仲間外れにでもしたら、
本人さえも寂しい一人身でのクリスマスを迎えてしまいそうなのだから、かわいそすぎる。
だったら、快く寝室の出窓に迎え入れるべきだな。
テーブルの上に現れた珍獣を興味深く、いろんな角度から見ている雪乃に
聞いてみることにした。
ここで聞いておかないと、おそらく俺も疑問に思った事さえ忘れてしまうような
小さな事なんだけど、なんだか今聞いておいた方がいいような気がした。
543 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:34:42.66 ID:HH2/WTQh0
八幡「人形買いそろえていくのを雪乃は勝ち負けだっていってた事だけどさ、
俺はけっこう楽しかったぞ。
なんかわくわくするってうか、クリスマス特有のドキドキ感も相乗効果で
発揮されてたのかもな」
雪乃「そうね。私も楽しかったわ。最後は、八幡が財政難で自分で人形を
作るとは思いもしなかったわね」
八幡「だな。俺も思いもしなかったよ。小町が荷に突っ込んでおいてくれたから
作る気になっただけだがな。あぁ、そうだ。小町もクリスマスパーティー
是非参加させて下さいってさ」
雪乃「わかったわ。小町さんが来てくれて、よかったわね。シスコンのお兄ちゃん」
どこか意地が悪そうな笑みを浮かべるのは、
小町でさえも焼きもちを焼いているのでしょうか?
ちょっと聞くのが怖いので、聞かないけどさ。
八幡「シスコンでけっこう。今年も小町に彼氏がいなかったとが証明されて、
お兄ちゃんとしては、ホッとするところだ」
雪乃「でも、イブにデートしなかったからといって、彼氏がいないということには
ならないのではないかしら?」
八幡「やめろ。考えたくもない」
雪乃「まあ、いいわ。これで由比ヶ浜さんも入れて四人ね」
やっぱ小町相手にやいてただろう?
俺に八つ当たりして、ちょっとすっきりした感がはっきりと出てるぞ。
八幡「それ、四人じゃなくて、六人しておいてくれ」
雪乃「それは構わないのだけれど、でも、どうしてそんなにも暗い表情なのかしら?」
八幡「暗い気持ちってわけじゃないんだ。ただ、面倒を起こしそうな人たちなんでな」
雪乃「それってまさか・・・」
八幡「ああ、陽乃さんと平塚先生が来る。
なんか知らないけど、あの二人にばったり会ってしまってな。
しかも、あの二人が一緒にいるのさえ不思議なのに、
こっちがパーティーの話をしていないのに、向こうから切りだしてくるんだぞ。
断ることなんでできやしない」
今でも夢に出てきそうな迫力だったよな。
あれはきっと、クリスマスへの怨念も加わっているはず。
成仏してくれよ、平塚先生。いや、まだ諦めるのには早いですって。
544 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:35:15.54 ID:HH2/WTQh0
雪乃「そう、それは災難だったわね」
八幡「災難なんて生易しいものじゃあない。天災だな。疫病神だ。
神様レベルの避けられない運命って感じだよ」
雪乃「でも、いいじゃない。賑やかなクリスマスになりそうよ」
そう雪乃は呟くと、温かさが宿った瞳で静ちゃん人形を眺めていた。
雪乃も最初から一人がいいってわけではなかったと思う。
小学校、中学校の事を考えれば、人を信じきれないことも理解はできる。
だからといって、人の温もりを求めていないだなんて思えはしなかった。
だってさ、どの部屋であっても飾られているクリスマスグッズ。
どこにいても優しい気持ちになれるクリスマスの雰囲気を味わいたいって事だろ。
寝室のオブジェだって、一人だけの残念サンタに仲間を与えてあげたいって
思っていたのかもしれない。
いくらサンタだからといっても、プレゼントをあげる相手がいなければ、
サンタクロースにはなれないし、トナカイがいなければ、プレゼントを配りにもいけない。
今までの一人でいた俺や雪乃を否定したいわけじゃあない。
一人もいい。所詮人間、一人でやらないといけない事がほとんどだ。
しかし、寒い冬の日、凍えるような夜、華やかな賑わいで満ちているクリスマスイブ。
そんな時くらい誰かと身を寄せ合って、温もりを共有したっていいじゃないか。
八幡「なぁ、雪乃」
雪乃「なにかしら?」
八幡「ほんとうに勝ち負けだけで人形を買っていたのか?」
雪乃は、静ちゃん人形をつついていた指を止めて、数秒間人形を凝視する。
そして、ふっと息を抜くと、俺の方に一度睨みつけてから
柔らかい口調で告白してきた。
雪乃「それは嘘ではないわ。でも、一番の理由でもないわね」
八幡「じゃあ、なんだったんだよ?」
雪乃「気がつかなかったの?」
八幡「なににだよ」
雪乃「はぁ・・・。あのサンタクロースって、誰かさんに似ていると思わない?」
八幡「残念サンタって、俺は呼んでたけどな」
雪乃「その認識で間違いないわ」
八幡「それが、なんなんだよ」
雪乃「だから・・・、あなたが最初に買ってきた人形は、トナカイだったじゃない。
しかも、小町さんみたいな元気一杯なトナカイ」
545 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/18(木) 17:36:47.03 ID:HH2/WTQh0
・・・・・・あぁ、なるほど。
だから、シスコンのお兄ちゃんって事なのか。
これは、雪乃の焼きもち確定だな。
俺が二番目に買ってきた天使のオブジェ。
あれこそが雪乃のイメージだったのだから。
それを一番目に買ってこなかったのが、原因だったのね。
それと、寝室のイメージ。
雪乃が外での生活を一切寄せ付けたくないのが反映されているっていうイメージだが、
やはりその寝室のコンセプトは一貫しているのかもしれない。
あの残念サンタのイメージが、俺の想像通りの人物だとしたら、それは雪乃にとっては
内なる存在であるはずだから。
まあ、そう思ってしまう事自体うぬぼれているっていわれそうだが。
だから、あの寝室には異物など最初から存在していなかったというわけか。
暖房は十分効いているし、寒い夜でもない。クリスマスだって、まだ先だ。
だけど、俺を求めてくれる最愛の彼女がいる。
だったら、二人身を寄せ合って、これから来るクリスマスに向けて、
幸せを共有していったって、サンタも不満は言うまい。
だから俺は、そっと雪乃の肩を引き寄せた。
第30章 終劇 クリスマス特別短編『パーティー×パーティー(後編)』終劇
第31章に続く 新章『愛の悲しみ編』開幕
551 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:30:33.42 ID:raeklLg30
第31章
『愛の悲しみ編』
7月11日 水曜日
初夏を匂わす日差しも、心地よく吹き抜けて行く風も、
目の前で繰り広げられている惨劇を直視すれば、どうでもいいような気がしてしまう。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
どうして止めることができなかったのだろうか。
どうしてもっと強く言うことができなかったのだろうか。
目の前の惨劇の全ての原因が自分にあるとは思わないが、
そうであってもあんまりではないか。
自分が何をしたっていうんだ。
俺はちょっと二人の仲が良くなればいいと思っただけなのに。
そう、数分前までは平和だったんだ。
陽乃「ねえ比企谷君。今夜もうちに食べにおいでよ」
車を大学近くの駐車場に止め、大学の正門へと足を進めている朝。
昨日に引き続き、今日も食事の招待を受けていた。
別にいやってわけでもない。
むしろ美味しい食事にありつけるわけなのだから、嬉しいともいえる。
もちろん雪乃の手料理は何物にも代えられないほどの大切な食事ではあるが、
先日のストーカー騒動を思い出すと、
どうしても陽乃さんを一人にしておくことができないでいた。
だから、もはやストーカーが待ち伏せしているわけでもないのに、
今朝も車で送り迎えをしているわけで。
そして、雪乃も姉の陽乃を心配して、むげに断ることができないでいた。
俺の数歩前を颯爽と歩く二人の姿は、もはや今の時間帯の名物となっている。
美人姉妹がそろって登校するのだから、目の保養になるのかもしれない。
ただ、二人が話している会話内容を知らないから無責任に眺めていられるんだ。
常に俺達の日常を面白おかしくかき乱す姉の雪ノ下陽乃。
今日は珍しく活発さを前面に押し出している服装をしていた。
肩をむき出しにした黒のタンクトップは、これでもかっていうほど肌の白さと
胸の大きさを強調させ、
洗いざらしのスキニーデニムは、腰から足首にかけての優雅な女性らしい曲線を
浮かび上がらせていた。
552 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:31:09.09 ID:raeklLg30
さらに膝からももにかけてクラッシュ加工されてできた隙間から覗く素肌には
それほど露出部分が多いわけでもないのにドギマギしてしまう。
そして、肩まで伸びている黒髪は、ポニーテールにして揺らし、
どこか人をからかっているような気さえしていた。
雪乃「昨日もそうなのだけれど、月曜も食事に招待されているだから
今日もとなると三日連続になってしまうわ」
陽乃「どうせうちに私を送ってから帰るのだから、食事をしてから帰ってもいいじゃない。
それにあなた達も料理をする手間が省けるのだから、
勉強する時間も増えるんじゃないかな」
雪乃は、陽乃さんが勉強ネタを先回りしてふさいでしまった為に、きゅっと唇を噛んでいる。
姉に反論しても見事に潰された妹の雪ノ下雪乃は、
姉とは対称的な落ち着きみせる夏の高原がよく似合いそうな服装をしていた。
アイボリーホワイトのワンピースは、胸元のレースとスカート部分のこげ茶色のラインが
アクセントになっていた。
膝元まで伸びたスカートは、夏を強く意識させるミニスカートのような
華やかさはないが、その分、風が通り抜けているたびに揺れるスカートの裾が
なにか見てはいけないようなものに思えて、目をそらしてしまう。
ただ、背中の部分だけは、大胆に肌を見せていた。
腰まで届く光り輝く黒髪が、その白い素肌を守るようにガードを固めているのが、
彼氏としては心強く思えてしまう。
俺も雪乃も、雪乃の母との約束によって海外留学をしなくてはならなくなり
今まで以上に勉強しなくてはならなくなった。
とくに英語での講義を受けねばならなくなるわけで、
英語力向上はさしせまった最優先課題といえる。
ましてや、雪乃に関しては、三年次に経済学部に学部変更しなければならないので
そのための試験対策もせねばならなく、俺以上に大変そうであった。
雪乃「そうなのだけれど・・・・・・」
陽乃「それに今日も両親は帰ってくるのが遅いし、気兼ねなくゆっくりしていけるわよ」
雪乃「ええ・・・」
もう全てに関して先回りされているな。
勉強に、雪乃の母親。俺達が実家に近寄りにくくなる要因をすべて排除されていては
断ることなどできないだろう。
八幡「あのぅ」
553 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:31:43.83 ID:raeklLg30
陽乃「なにかな?」
八幡「今日もご両親いらっしゃらないんですか?」
陽乃さん相手では、雪乃だけでは分が悪い。
俺がいたとしてもたいした戦力にはならないけれど、いないよりはなしか。
二人に追いついて横に並んで歩くと、美人姉妹を眺めていた通行人が俺の事を見て
訝しげな表情を浮かべてしまう。
たしかに、この二人と見比べてしまえば、その落差に驚くかもしれない。
だからといって、俺もいたって夏という服装をして、おかしくはないはずなのに。
リブ織りの薄水色のTシャツに、七分丈のバギーデニム。それとスニーカー。
いたって平均レベルのファッションに、平均レベルを少し超えるルックス。
だから、俺の事を見て怪訝な顔をされるようなレベルではないはずなのだけれど、
やはり俺が一緒にいる二人のレベルが遥か上を突き抜けまくっているのが原因なのだろう。
陽乃「ああ、そうね。今日もっていうか、たいていいないわよ」
八幡「え?」
陽乃「雪乃ちゃんから聞いていないの?」
八幡「何をですか」
陽乃「うちは両親ともに仕事で忙しいから、自宅で食事をするのは珍しいのよ」
八幡「まあ、うちも共働きですから、同じような物ですよ」
陽乃「そう? でも、うちの場合は、極端に干渉してくるわりに、
普段はほったらかしなのよね。どっちか一方に偏ってくれた方が
子供としては対処しやすいんだけどな」
八幡「どこの家庭でも同じですよ。全てが満遍なく均一にだなんて不可能ですから」
陽乃「それもそうね。・・・・・・どうしたの雪乃ちゃん?」
雪乃「姉さん。ごめんなさい」
陽乃「どうしたの? 雪乃ちゃん。そんな神妙な顔をして」
振りかえると、俺と陽乃さんに置いて行かれた雪乃がポツリと立ち止まっていた。
やや俯き加減なのでよくは見えないが、表情を曇らせているようにも見える。
俺は訳がわからず、陽乃さんに助けを求めようと視線を動かすと、
陽乃さんは、元来た道を引き返し、雪乃の元へと歩み進めていた。
陽乃「雪乃ちゃんが気にすることなんて、何もないのよ。
私が好きでやってるんだから、あなたは好きなように生きなさい」
雪乃「それはできないわ。私は、一度はあの家から逃げ出したけれど、
それでも姉さんに全てを押しつけることなんてできない」
554 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:32:57.98 ID:raeklLg30
陽乃さんの政略結婚はなくなったが、それでも雪ノ下家をしょっていかなければ
ならないことには違いはない。
自由に結婚できるようになった分、陽乃さんの責任は増したともいえる。
勝手に結婚するのだから、政略結婚に劣らないくらいの成果をあげなくてはならないだろう。
つまり、言葉通りの自由なんて存在しない。
自由であるからこそ責任が生じ、責任を果たすからこそ自由を得られる。
一見矛盾しているように聞こえるが、そもそも自由なんてものは根源的には存在しないの
だからしょうがないと思える。
たとえば、空を自由に飛ぶ鳥であっても、自由に空を飛ぶ事は出来ない。
重力の影響は受けるし、体力がなくなれば羽ばたく事も出来ない。
しかも、空を飛んでいるときは外敵に身を晒すわけなのだから、危険も伴ってしまう。
だったら、自由とは何かという哲学的な思考に突入しそうだが、
そこまで俺は暇人でもないし、哲学が好きなわけでもない。
ただ、なんとなく「自由」という言葉は「権利」という言葉の方があっている気がするのは
俺が捻くれているからだろうか。
陽乃「私は、十分雪乃ちゃんに助けられているわ。だから、責任を感じる必要なんて
なにもないのに。それに、これからは比企谷君も助けてくれるんでしょ?」
八幡「自分ができることならやりますよ」
陽乃「だそうよ。ね、だから、雪乃ちゃんは今まで通りでいいの」
雪乃「でも、あのただでかいだけの家で、一人でずっと食事をしてきたのでしょ。
それに、姉さんが料理が好きなのも知っていたわ。
でも、私はそれを知らないふりをしていた。食べてくれる相手もいないのに
ずっと一人で作り続ける孤独を見ないふりをしていた」
そっか。
陽乃さんが誰かの為に食事を作った事がないって言っていた意味がこれで理解できた。
料理をするようになって、最初に食べてもらう相手といったら、
一緒に生活している親か兄弟が最初の相手になるだろう。
だけど、もともと家政婦が雪ノ下家にはいるわけだから、陽乃さんが料理をする必要はない。
それでも陽乃さんが料理をしたとしても、食べてくれる相手が仕事で家に帰ってこない
のならば、誰かの為に料理をすることなどないはずだ。
また、雪乃も実家を出てしまって、家にはいない。
ましてや、得られないのならば、
最初から手に入れる事を諦めてしまうことに慣れてしまった陽乃さんだ。
無駄な期待などしないで、最初から誰かの為に料理をすることを諦めていても
おかしくはないと思えた。
この位置からでは陽乃さんの後姿しか見えない。
苦笑いでもしているのだろうか。それとも、優しく微笑んでいるのかもしれない。
555 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:33:28.51 ID:raeklLg30
ただ、これだけは言える。
今まで作り上げてきた理想の雪ノ下陽乃を演じる為に被ってきた作り笑いだけは
していないはずだ。
陽乃「それはそれで仕方がないわ。そういう雪乃ちゃんの選択も私は受け入れていたんだし」
雪乃「でもっ!」
陽乃「はいはい、この話はここまでね。だって、今、私は幸せなのよ。
だから、過去がどうであろうと、問題ないわ」
そう雪乃に告げると、陽乃さんは俺の方に振りかえる。
振りかえったその顔は、晴れ晴れとしているのだが、それも見間違えかと思うくらい
ほんのわずかな時間で、・・・・・・・今はニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
陽乃「ねぇ~、比企谷くぅ~ん」
甘い声色で俺を呼ぶと、つかつかと俺に近寄ってきて、そのまま俺の腕に体をからませ、
雪乃をおいて大学へと歩き出す。
甘い声色と同等以上の陽乃さんの甘い香りが俺を駄目にしそうにする。
俺は、てくてくと陽乃さんに引きつられるまま歩み出すが、
雪乃の声がどうにか意識を現実につなぎとめてくれていた。
雪乃「ちょっと姉さん。八幡から離れなさい」
陽乃「だって、そろそろ大学に向かわないと遅くなっちゃうでしょ?」
雪乃「それと八幡に抱きつくのとは関係ないわ」
陽乃「だってだって、比企谷君の腕の絡み心地っていうの?
なんかだ落ち着くんですもの。さっきまでおも~くて、くら~いお話していて
なんだかお姉ちゃん、精神的に疲れちゃった」
雪乃「だからといって、八幡に抱きついていい理由にはならないわ」
陽乃「えぇ~・・・。
これから大学行くんだし、ちょっとは回復しないとやってけないでしょ。
だ・か・ら、栄養補給よ」
首をひねって後ろにいる雪乃を見ると、陽乃さんの言葉にあっけにとられ
口をぽかんとあけていた。
しかし、すぐさま唇を強く噛み締めると、つかつかと早足で俺達に追いつくてくる。
俺の隣まで来ると、空いているもう片方の腕に自分の腕を絡ませて
自分が本来いるべき場所を陽乃さんに見せつけようとする。
といっても、その雪乃の可愛らしい自己主張さえ、陽乃さんが雪乃をからかう為の
材料にしてしまいそうであったが。
556 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:34:11.71 ID:raeklLg30
雪乃「姉さんは、普段からエネルギー過剰なのだから、多少いつもより少ない方が
バランスがとれて、周りに迷惑もかけなくなるからちょうどいいと思うわ」
陽乃「その理論だと、普段と違うバランスということで、いつも以上にピーキーに
なって、周りに迷惑をかけてしまうリスクが考慮されていないんじゃない?」
雪乃も陽乃さんも、お互いに話がヒートアップしていっているはずなのに、
俺の腕に自分の臭いを染み込ませるべく腕と胸を擦りつけることを忘れてはいない。
頭と体に二つの脳があるかのように、理屈と本能を使い分けているところが姉妹共に
似ていると思うが、朝からこの二人に付き合う俺のエネルギー残量も考慮してほしい。
なにせ、この二人が表面上は争ってはいるけれど、
実は仲睦まじく、普通とは違う姉妹関係を築きあげている。
それは、俺としても嬉しい事だ。だが、二人のじゃれあいは、俺の精神もすりへらす事も
忘れないでくださると八幡も大変助かります。
雪乃「姉さんがもたらす周りへの被害は、常に極限値なのだから、これ以上の被害は
考慮する必要はないわ。
だから、リスクを考慮する必要性はないといえるのではなくて」
陽乃「えぇ・・・。雪乃ちゃん酷い。私の事を台風みたいな存在だと認識していたのね。
それは多少は周りに迷惑はかけはしているけど、それでも学園生活を
楽しむ潤滑油みたいなものじゃない。それなのに、これ以上のリスクを
考える必要がないって断言するなんて、酷過ぎるわ」
と、悲しむふりをしながら、俺に体重を預けてくるのはやめてください。
ただでさえ夏の装いで薄着なのに、こうまで肌をこすりつけられては、
意識しないように意識しても意味をなしえません。
雪乃以上に女性らしさを強調する胸や体の柔らかさが俺に直撃して、防御不能です。
しかも、陽乃さんの様子を見て、
隣の国の雪乃さまは核ミサイルの発射装置に指をのせていますよ。
雪乃「姉さんは、周りに迷惑をかけているという自覚があるのならば、
少しは自重すべきね」
そろそろ大学の近くまでやってきた事もあって、電車通学の連中の姿も見え始めている。
このままだと、ただでさえ大学で有名な雪乃下姉妹なのに、
それが一人の男を挟んで言いあいなんて、格好のゴシップネタにされてしまう。
学園生活に潤いをもたせる潤滑油として俺を犠牲にするのは、
俺にとってはた迷惑なことなので、できればやめていただきたい。
この辺で二人を言い争いを終わらせないとな。
557 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:34:49.35 ID:raeklLg30
八幡「この辺で終わりにしときましょう。
そろそろ大学に着きますし、人も増えてきたので」
雪乃「そうね」
雪乃は俺に指摘にすぐさま反応して、耳を真っ赤に染め上げる。
しかし、もう一方の陽乃さんといえば、不敵な笑みをうかべ、
さらに攻撃的な瞳を輝かせてしまっていた。
陽乃「そうよねぇ。言葉なんて、いつでも嘘をつけるもの。
その点、体は正直よね」
陽乃さんは、俺の腕に絡みつき、ぐいぐいと豊満な胸を押しつけてくるものだから、
気になってしょうがない。
視線を斜め下に向けてはいけないと堅い決意をしても、甘い誘惑がその決意を崩壊させる。
それでも幾度も決意を再構築させてはいるものの、視線がその胸に釘つけになるのも
時間の問題であった。
雪乃「なにを言いたいのかしら」
引きつった笑顔を見せる雪乃に、俺はもはや打てる手はないと降参する。
もはや核戦争に突入とは、思いもしなかった。
核なんて、抑止力程度のもので、実際に打ち合いなんかしないから効果があるのに
実際の撃ち合いになったら、どんな結果になるかわかったものじゃない。
陽乃「そうねえ・・・」
陽乃さんは、自分の胸に視線を向けてから、雪乃の胸に視線を持っていく。
俺もその視線につられてしまい、陽乃さんの視線が雪乃の胸から陽乃さんの胸に
戻っていくので、つい陽乃さんの胸を見てしまった。
でかい! そして、柔らかい。
柔らかいといっても、適度の弾力があり、張りも最高品質だった。
その魅惑の胸が、俺の腕によって形を変えているのだから、
俺の意識は目と腕に全てを持っていかれていた。
だから、雪乃の痛い視線に気がつくわけもなく・・・・・・。
陽乃「どちらの体に魅力を感じているかなんて、言葉にしなくてもいいってことよ」
雪乃「それは、私に魅力がないといいたいのかしら?」
陽乃「そんなこと言っていないわ」
558 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:35:19.02 ID:raeklLg30
雪乃「そうかしら?」
陽乃「そうよ。だって、女の私から見ても、雪乃ちゃんは綺麗よ。
でも、私と比べると、どうなのかなって話なのよ」
雪乃「それは、私は姉さんより劣るといいたいのかしら?」
陽乃「だ・か・ら、そうじゃないのよ。
比企谷君が、どちらが好みかっていうのが問題でしょ?」
そう陽乃さんは呟くと、下から俺の顔を覗き込む。
俺は、二人の言い争いを聞きながらも、陽乃さんの胸から視線をはぎ取ることができずに
鼻を伸ばしていたので、実に気まずかった。
しかも、陽乃さんの視線から逃れようと視線を横にそらすと、そこには雪乃が
じっと見つめているのだから、さらに気まずい。
俺にどうしろっていうんだ。
俺に非がないわけではないが、俺を挟んで核戦争を勃発させないでほしい。
雪乃「ねえ、八幡。私の方が魅力的よね?」
陽乃「そうかしら? 雪乃ちゃんの慎ましすぎるものよりも、
自己主張をはっきりさせている私の方が好きよね?」
八幡「あの・・・、その」
俺はこの場からとりあえず離脱しようと思いをはせるが、いかんせ両腕をしっかりと
腕と胸とで挟み込まれているのだから、逃げる事はできない。
都合よく由比ヶ浜あたりが乱入してくれれば、逃げるチャンスができそうかもと
淡い期待を抱くが、人生甘くはなかった。
むしろ厳しい現実が、俺を路頭に迷わす。
腕からは、甘美な誘惑が俺を酔わせているのに、俺に向けられている視線は
俺の命を削るのだから、釣り合いが取れていないんじゃないかって、
俺の運命を呪いそうであった。
雪乃「八幡」
俺をきっと睨む雪乃にうろたえてしまう。
理性では、雪乃の言い分が正しいって理解はしている。
それでも、陽乃さんの攻撃はそれを上回っていた。
だが、陽乃さんは、挑発的な表情を一転させ、いつものひょうひょうとした顔にもどすと
とんでもない事実を俺に突き付けてくる。
陽乃「さてと、大学に着いたし、そろそろ終わりにしようか」
559 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:35:58.59 ID:raeklLg30
俺は、二人に連行されていた為に気がつかないでいたが、俺達は既に大学の敷地内に
入っていた。だから、周りを見渡すと、俺達に近づいてはこないが、
遠くから俺達の様子を伺う目が数多く存在していた。
雪乃「あっ」
雪乃は小さく吐息をもらすと、自分が置かれている現状を把握して
首を小さく縮こませる。
頬はすでに赤く染め上げてはいるが、俺の腕を放さないところをみると、
雪乃の負けず嫌いの性格がよく反映されていた。
陽乃「雪乃ちゃんは戦意喪失みたいだし、比企谷君もこれ以上の惨劇は困るでしょ?」
八幡「俺としては、こうなるのがわかっているのだから、初めから遠慮してくださると
大変助かるんですけどね」
陽乃「それは無理よ。だって、これが姉妹のコミュニケーションだもの」
俺は、その異常な姉妹関係に深い深いため息をつくしかなかった。
その深すぎるため息さえも、陽乃さんを満足させる一動作にすぎないようだが。
陽乃「それはそうと、比企谷君は、午後からうちの父の所に行くんでしょ?」
八幡「あ、はい」
落差がある会話に俺は陽乃さんについていけなくなりそうになる。
今まで散々核戦争さながらの話をしていたのに、今度は真面目な話なのだから。
それでも、陽乃さんにとっては、どちらも同列の内容なのかもしれない。
陽乃「総武家の正式契約の話し合いに同席したいだなんて、変わってるわね」
八幡「俺が関わった話ですから、ちゃんと結末まで見ておきたいんだすよ」
陽乃「そうはいっても、すでに細かい所まで話は詰めてあるから、
今日は最終確認みたいなものらしいわよ」
八幡「それは俺も伺ってますよ。でも、見ておきたいんです」
陽乃「そう? だったら、しっかり見ておきなさいね。
父もあなたの事を期待しているみたいだし」
八幡「あまり期待されても困るんですけどね」
陽乃「期待されないよりはいいじゃない」
雪乃「そうよ。あなたは自分がしてきたことを誇りに思うべきよ」
八幡「そうは言ってもなぁ」
なにせ、今回の契約は俺が口を出したせいで動きだしたかのように見えても、
裏では、初めから雪乃の父が手を貸してくれているふしがあった。
560 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2014/12/25(木) 17:36:42.80 ID:raeklLg30
俺は親父さんの筋書き通りに動いていた気がしてしょうがない。
だから、それを見極める為にも今日の会談に出席したかった。
もちろん、今日の会談で親父さんがぼろを出すとは到底思えないが。
陽乃「まっ、それが比企谷君らしいところなんだから、いいんじゃない?
雪乃ちゃんは、しっかりと私が預かっておくから安心してね」
雪乃「預かるではなくて、送っていくの間違いではなくて?
いえ、むしろ、車は私が運転するのだから、姉さんを預かるのは私の方だと思うわ」
たしかに陽乃さんの言いようは、間違っているはずだった。
陽乃「ううん。間違ってないわよ。だって、会談って夜までやるわけじゃないし
今日の会談はすぐに終わるはずよ。
だから、うちで食事していく時間もあるはずだから、雪乃ちゃんは
うちで預かっておくねってことよ」
陽乃さんは、さも当然っていう顔をみせるので、
俺も雪乃も肩を落とすことしかできなかった。
俺達は、これ以上の言い争いは無駄だと実感していた。
初夏の陽気が俺達から体力を容赦なくじわじわと奪っていく。
これから日が高く昇り、昼前には焼けるような日差しが降り注いでくるはずだが、
俺達の隣にいる太陽は、朝から元気良すぎるようであった。
第31章 終劇
第32章に続く
567 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:20:00.38 ID:x/Aex12G0
第32章
7月11日 水曜日
朝の雪乃と陽乃さんとの一悶着はあったが、それ以外はいたって平穏な一日が過ぎてゆく。
俺の隣に座っている由比ヶ浜は、一日中ボケボケっとしており、
つい先ほど食後の眠気に敗北してお昼寝タイムに突入していた。
そう、俺の周りはちょっとしたいさかいがあっても、もっとも原因は陽乃さんで
攻撃対象は雪乃だが、とても緩やかな日常を取り戻しつつあった。
ただ、今日の午後に限っては、俺は頭を悩ましていた。
どう考えてもスケジュールがきつすぎる。
というか、時間が足りない。この後ある午後一の橘教授の講義を終えれば
今日の講義は全て終了する。
講義は終了するけれど、その後の予定がないわけではない。
とても重要な予定が組まれていた。
その予定とは、雪乃の親父さんに会いに行くのだが、
橘教授の講義を最後まで受講してしまうと、どうしても遅刻してしまう。
そもそも講義日程は毎回同じなのだから、親父さんに頼んで最初から約束の時間を
ずらしてもらうべきなのだが、今回の会談は俺が急遽同席させてもらえるように
頭を下げてお願いしたもので、俺の都合で会談時間を変更することはできない。
今回の会談は、ラーメン店総武家の移転問題で、俺がほんのわずかながらも
関わってしまったわけで、その行く末を見届けたく、
本日の契約締結に立ち会いたいと思ったわけだ。
細かい契約内容の話し合いは終わっているが、
契約が完了するまでは安心する事はできない。
まあ、相手が雪乃の親父さんなわけで、信用できないわけではないが、
それでも最後くらいは見ておきたかった。
というわけで、由比ヶ浜が隣で熟睡している中、どうやったら遅刻しないですむか、
俺と悪友の弥生昴は頭を悩ましていた。
八幡「ほら、学年次席。頭いいんだから、ちょっとはましなアイディアをだせ」
昴「だったら、学年主席のお前が知恵を絞れ。もうさ、諦めろよ。
どう考えたって、電車の時間に間に合わない」
俺の理不尽な要請に、いたって冷静に反論してくる弥生昴。
背は俺よりも高く、180くらいはあり、少々やせ気味なのも、
クールなルックスのプラス要素にしかならない。
568 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:20:27.17 ID:x/Aex12G0
弥生本人が嫌がっているくせ毛も、耳を隠すくらいまで伸びた黒髪は、
緩やかなウェーブを作り出し、その独特な雰囲気にさらなる加点を与えてしまう。
カルバンクラインのカットソーも、ディーゼルのデニムも
自分おしゃれ頑張ってます感がまるっきりないのも好印象を与えている。
まあ、要するに、服装には肩に力が入っていないのにうまくまとめられていて、
こいつの話しやすい性格がなかったら、相手にしたくない奴筆頭だったはずだった。
八幡「せめて20分早く講義が終わってくれたらな」
昴「無理だって。それだったら、講義後の小テストを受けなければ20分稼げるぞ」
八幡「そんなことしたら、出席点もらえないだろ。お前馬鹿だろ」
昴「へいへい。主席様よりは馬鹿ですよぉだ」
八幡「お前、俺を馬鹿にしているだろ?」
昴「あっ、わかる? でも、正確に言うんなら、馬鹿にしているんじゃなくて、
いつも馬鹿にしているんだけどな」
八幡「お前なぁ。真正の馬鹿だったら、俺の隣で寝てるから、そいつに言ってやれ。
でも、何度馬鹿だって教えたとしても、すぐに忘れてしまうけどな」
昴「由比ヶ浜さんは、いいんだよ。馬鹿じゃない。むしろ天使」
八幡「はぁ・・・」
昴「女の子は、可愛ければ問題ない」
八幡「だったら、俺の代わりにこいつの勉強みてやれよ。
可愛ければ問題ないんだろ?」
昴「俺は忙しいから無理だ。比企谷も知ってるだろ?」
こいつは俺と同じで、講義終わるとすぐに帰るんだよなぁ。
友達がいないってわけでもないし、けっこういろんな奴と話したりしてる。
そう、由比ヶ浜や雪乃レベルの有名人であり、2年の経済学部生で
弥生昴のことを知らない奴はほとんどいないんじゃないかってくらいの有名人だった。
いや、むしろ由比ヶ浜や雪乃の場合は、相手が一方的に知っているだけの場合がほとんだが、
弥生昴の場合は、わずかな会話であっても、会話をした事があるからこそ
相手が弥生昴のことを知っていると言ったほうがいい。
それでも、目立つ容姿もあって、会話をした事がなくとも、初めから弥生昴の事を
相手は知っていたのかもしれないが。
ただ、だからといって特別に親しい友達がいるってわけでもないから不思議だと思っていた。
八幡「俺だって、忙しいんだよ。じゃあ、あれか?
もし、お前に時間の余裕があったら、由比ヶ浜の面倒みてやるのか?」
弥生の顔が微妙に引きつっている。
ポーカーフェイスを装うとしてはいるが、残念な事に成功してはいないみたいだ。
569 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:20:55.71 ID:x/Aex12G0
こいつは、むしろ感情のコントロールがうまい方だとみている。
その弥生が感情を制御できないとは、恐るべし由比ヶ浜結衣。
八幡「ごめん、弥生。泣くなよ」
昴「泣いてない! 俺は断じて泣いてないからな」
八幡「いいから、いいから。俺が悪かった。だから、すまん」
俺は、弥生の方に体の向きを変えると、軽く頭を下げて謝罪する。
昴「いいんだ。比企谷の日ごろの苦労を茶化すような発言をした俺の方も悪かったんだ。
だから、俺の方こそ、すまん」
弥生は、俺の肩に手をかけ、全く涙を浮かべていない瞳を俺に向ける。
俺は、そんな馬鹿げた猿芝居をしている暇なんてないのに、
つい後ろの観客の為に演劇を上演してしまった。
結衣「もう、いいかな?」
振り向かなくてもわかる。にっこり笑いながら怒り狂ってる由比ヶ浜がいるって。
だって、俺の肩を掴む手が、肩に食い込んでいるもの。
ぎしぎしと指を骨に食い込ませながら、鎖骨をほじるのはやめてください!
非常に痛いですっ!
いや、まじでやめて。手がしびれてきてるよっ。
目の前の弥生の顔が青ざめていくのが、よりいっそう精神にダメージを与えてくる。
八幡「いつっ・・・。ギブギブ。まじで痛いからっ!」
首を後ろに回し、振りかえると、やはり般若のような笑顔の由比ヶ浜が出迎える。
弥生がいう天使こと由比ヶ浜結衣は、堕天していた。
すらりと伸びた健康的な腕に絡まる細いシルバーチェーンのブレスレットさえ、
なにか呪術が刻まれているんじゃないかって疑ってしまう。
まあ、いくら肩まで伸びた茶色い髪を揺らして怒ろうとも、
人を安心させる柔和な顔つきは、いくら怒っていても損なわれてはいない。
けれど、いまだ内に秘めた由比ヶ浜の怒りは収まらないようで、
俺の顔を見たことでさらに手の力を強めてしまった。
八幡「ごめん、由比ヶ浜。本当にシャレにならないほど痛いからっ」
結衣「ほんとうに反省してる?」
そう可愛らしく、俺の顔色を下から覗き込むように問いながらも、
全く肩に加える力は衰える事はない。
570 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:21:21.98 ID:x/Aex12G0
むしろ由比ヶ浜の口がひくついていることからしても、
少しも怒りは衰えていないようだった。
八幡「反省してるって。飼い犬は、最後まで面倒見ないといけないからな」
結衣「ペットじゃないし・・・・・・」
ちょっと落ち込んだ表情をして俯いて、可憐な少女を演出しても、
まったく手の力弱めていないのは、どうしてですか~?
なにがまずかったんだ? 反省してるとか、謝罪の言葉じゃいけないのか?
俺は、どうすればいいか困り果て、わらにもすがる思いで弥生に助けを求める視線を送る。
すると、さすが弥生。伊達に学年次席をやってないすばらしさ。
俺のSOSを感じ取って、俺の耳元に助言を囁いてくれた。
いや・・・、たぶん、俺の涙目を見て、本気で心配してくれたんだろけど・・・・・・。
昴「なあ、比企谷。由比ヶ浜さんは、謝罪を求めているようじゃないぞ」
謝罪じゃないって、なんだよ? 反省しているかって、由比ヶ浜は聞いているんだぞ。
それなのに、・・・・・・俺からどんな言葉を引き出したいんだ?
・・・・・・・・・・・・・・ふぅ~。やっぱあれかな?
俺が由比ヶ浜の事を投げ出そうとした事か?
俺が言った発言を思い返してみても、たいした数の発言をしたわけでもない。
だから、必然的に候補は絞られてしまう。
候補としては、二つしかない。
由比ヶ浜を馬鹿だと認定した事。
そして、もうひとつは弥生に由比ヶ浜に勉強教えるのを変わってほしいって言った事だ。
だとしたら、やはり後者の方で怒ってるとしか思えない。
怒っているというよりは、悲しんでいるのかもな。
だから、俺が謝罪しても許してくれないわけか。
八幡「俺は、お前の事を重荷にだなんて思ってない。
むしろ、こんな俺に飽きずに付きまとってくれて感謝してるくらいだ。
だから、これからも俺の馬鹿な行動に付き合ってほしい」
やばっ。恥ずかしすぎる発言を言い終わって、そこで正気に戻ってしまた。
なんだかだ、教室内が静かすぎるなぁって見渡すと、
みんな俺達を注目している。
しかも、目の前の由比ヶ浜ときたら、はにかんで、
顔がうっすらと赤く染まってるじゃないか。
これはあれか。青春の一ページという名の黒歴史確定か?
571 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:21:49.36 ID:x/Aex12G0
弥生なんか、うんうんと頷きながらも、俺から少し距離とってるやがる。
八幡「ごほん」
俺がわざとらしく咳払いをすると、俺達に集まっていた視線はどうにかばらける。
もちろん注目はされ続けてはいる。
それでも、直接見ようとしている奴はいなくなったからよしとするか。
結衣「まあ、いいかな。・・・・・うん」
そう由比ヶ浜は呟き、一人納得すると、俺の方に詰め寄ってきて、俺がさっきまで
弥生と格闘していたノートを覗きこんできた。
結衣「さっきから何をやってたの? ヒッキーこの後何かあるの?」
寝てたと思ったら、寝たふりして聞いていたのかよ。
それでも半分くらいは寝てたみたいだけど。
昴「ああ、これね。比企谷が授業の後に約束しているみたいなんだけど、
どうしても間に合わないんだってさ。
だから、どうやったら間に合うか考えてるんだよ」
結衣「へぇ~」
由比ヶ浜は、さらにノートに書かれている電車の時刻表などを見ようと
俺にぴたっとくっついてくる。
俺の腕に柔らかいふくらみがぶつかって、その形をかえてくるものだから、気が気じゃない。
さらには、俺の腕に沿って由比ヶ浜の体の曲線が伝わってきて、
その女性らしい適度に引き締まったウエストラインとか、形のいい大きな胸だとか、
由比ヶ浜結衣を形作っている全ての女性らしさが俺の腕が記憶してしまう。
俺がその甘美の測定から逃れようと腕を動かそうと考えはしたが、
いかんせ由比ヶ浜は俺にくっついているわで、腕を動かせば一度は由比ヶ浜の方に
腕を動かして今以上に由比ヶ浜の体を感じ取らねばならない。
その時俺はそのまま腕を逃がすことができるだろうか。
今でさえギリギリなのに、これ以上由比ヶ浜を感じ取ってしまったら
甘い沼地に望んで沈んでいってしまいそうだった。
昴「だけどさ、そんな都合がいい方法なんてなくて困ってるんだよ」
フリーズしている俺越しで話を進める二人なのだが、
弥生は俺が困ってるのわかってるんだから助けろよ。
572 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:22:18.24 ID:x/Aex12G0
由比ヶ浜は、無意識なのか、馬鹿なのか、意識してるのかわからないが、
俺から離れてくれとは言いづらいし・・・。
結衣「だったら、授業休んじゃえばいいんじゃない?
ヒッキー、この授業休んだことないし、期末試験もどうせいい点とるんでしょ?」
昴「そうなんだよ。俺もそう進言したんだけど、こいつが頑固でさ」
結衣「へえ・・・・」
由比ヶ浜は、俺が勉強熱心なのを感心したのか、俺の横顔を見つめてくる。
しかし、俺の顔をしばらくきょとんとみつめると、俺達のあまりにも近すぎる距離に
気が付いたのか、頬を染めて、気持ち程度だが距離をとる。
俺の顔が不自然なほど赤くなっていただろうから、
さすがの由比ヶ浜でも気が付いたんだろう。
これで少しは平常心を取り戻せたし、話に参加できるな。
あと、俺と由比ヶ浜がくっつきすぎていた事は、弥生もスルーしてくれたし、
あえて由比ヶ浜に指摘して、どつぼにはまるくらいなら、黙ってた方がいいな。
八幡「橘教授の授業は休みたくても休めないだろ。
だから困ってるんだ」
結衣「へぇ・・・。そんなに橘先生の授業好きだったの?」
八幡「好きなわけあるか。むしろ必修科目じゃなかったら、とってない」
結衣「まあ、ね。あたしも必修じゃなかったらとってなかったかも」
八幡「だろ? 毎回授業の後に小テストやるなんて、この講義以外だと聞いたことないぞ」
結衣「Dクラスの英語もそうだよ」
八幡「あ、そっか。自分の講義じゃないから、ど忘れしてた」
結衣「でも、そうかもね。自分が受けてない講義だと、なんか実感わかないというか」
昴「比企谷が授業休むのに躊躇してるのって、小テストの授業点だろ?」
八幡「まあ、な」
雪乃の母に大学での成績だけでなく、大学院での留学も約束しちまった手前、
小さな失点だろうととりこぼしたくはない。
実際問題、今回休んだとしても、大したマイナス点にはならないだろう。
しかし、小さな失点を仕方ないで諦めるくせを付けたくはなかった。
一度だけの甘えが、次の甘えをよんでしまう気がしてならない。
小さな失点も、積み上がれば大きな失点になってしまい、
ここぞというときに取り返しのつかない失敗に繋がってしまう。
俺と雪乃の人生がかかっている大事な時期に、精神面での緩みは作りたくはなかった。
573 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:22:44.39 ID:x/Aex12G0
昴「橘教授も意地が悪いよな。小テストの答案が出席票の変わりで、
しかも、授業の開始の時しか答案用紙を配らないからな」
結衣「あぁ、それ。女子の間でも評判悪いかも。
遅刻したら、遅刻専用の答案用紙くれるし、あまりにも遅くきたら、
答案用紙くれないもんね」
八幡「俺は、その辺については、合理的だなって思うぞ」
結衣「なんで?」
由比ヶ浜は、俺の事を理解者だと思っていたせいか、裏切られたと感じたらしい。
別に裏切っちゃいないが、よくできたシステムだとは思ってしまう。
八幡「10分遅刻したやつと、1時間遅刻したやつを同じ土俵に上げるんじゃ
不公平だろ」
結衣「そうだけどさぁ・・・」
いまいち納得できていない由比ヶ浜は、まだ何か言いたげであった。
それでも、俺が話を進めるてしまうから、これ以上の不満は押しとどめたようだ。
昴「たしかに橘教授は合理的だよ」
結衣「そうなの?」
八幡「お前、最初の講義の時の単位評価の説明聞いてなかったのか?」
結衣「たぶん聞いてたと思うけど、ほとんど覚えてないかも」
八幡「はぁ・・・。お前なぁ、自分が受ける講義の評価方法くらい知っとけよ」
結衣「えぇ~。だって、わからなくなったらヒッキーに聞けばいいじゃん」
どうなってるんだよ、こいつの思考構造。
大学入ってから、いや大学受験の時から面倒見過ぎたのが悪かったのか。
こいつに頼られるのは悪い気はしないが、だけど、それが当然になって
自分でできなくなってしまうのは悪影響すぎるぞ。
昴「大丈夫だって、比企谷。由比ヶ浜さんは、自分一人でもやっていけるって」
八幡「そうか?」
昴「比企谷が一番そばでみてるんだろ?」
八幡「まあ、そうかもな」
なんで弥生は、俺が考えていることがわかるんだよ。
もしかしたら、ほんのわずかだが顔に出たかもしれない。
それでも、些細な変化に気がつくなんて、普通できないって。
574 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:23:13.95 ID:x/Aex12G0
たしかに、こいつの人を見る目というか、雰囲気を感じ取る力は、
たぶん由比ヶ浜を上回ると思う。由比ヶ浜が直感とかのなんとなくの感覚だとしたら、
こいつのは理詰めの論理的思考だ。
ある意味陽乃さん以上に手ごわい相手なんだけど、
どうしていつも俺の側にいるのか疑問に思う事がある。
俺が知っている弥生昴は、俺と同じようにある意味一人でいることに慣れている。
でも、だからといって社交的でないわけではない。
むしろ、この学部のほとんどの生徒が弥生と一度くらいは話をしているはずだ。
うちの学部に何人いるかだなんて正確な人数は知らない。
それでも、少なくない人数がいるわけで、波長が合わない奴が必ずといっていいほど
出てくるのが当たり前だ。
人当たりがいい由比ヶ浜でさえ苦手としている人物がいるし、
本人は隠しているようだが、誰だって苦手なやつがいるのが当たり前だ。
それなのにこの弥生昴っていう男は、相手がどんなやつであっても
会話に潜り込んでいってしまう。
これは一つの才能だって誉めたたえるべきであろう。
しかしだ。そんな人間関係のスペシャリストのはずなのに、
こいつと親しくしている友人というものを見たことがない。
ある意味、誰とでも仲良く会話ができるが、それはうわべだけだから成立してしまう。
本音を言わず、相手の意見に逆らわずに、
どんな場面でも感情をコントトールしているのなら、
それは友人関係ではなく、単なる交渉相手としか見ていないともいえるかもしれない。
そんな男が、何故俺の側にいることが多いのだろうか。
昴「比企谷?」
やばい。普段疑問に思ってたけど、考えないようにしていた事を考えてしまった。
八幡「すまない。ちょっとぼ~っとしてただけだ」
昴「そうか」
弥生は、とくに気にする事もなく、再び由比ヶ浜の相手へと戻っていく。
ただ、本当に「なにも気にする事もなかったか」疑わしいが。
結衣「で、ヒッキー。橘教授の評価方法ってなんなの?」
八幡「ああ、そうだったな。俺が詳しく教えてやるから、今度こそ覚えておけよ」
結衣「・・・・・善処します」
八幡「ふぅ・・・、まっいっか」
こいつに教えるのは、犬に芸を覚えさせるようにするより難しいって
理解しているだろ、俺。だから、我慢だ。頑張れ、俺。
575 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:24:12.78 ID:x/Aex12G0
八幡「小テストが出席の確認の代りだっていうのは、知ってるだろ?」
結衣「うん」
八幡「ふつうの授業の評価方法は、授業点の割合の大小があるにせよ、
それほどウェートが大きいわけではない。
レポートとかもあるけど、橘教授ほど明確に数値化されてないんだよ」
結衣「へぇ・・・、そなんだ」
八幡「そうなんだよ。数値化されているせいで、今の自分の評価が丸見えになるから
嫌だっていう奴もいるはずだ」
結衣「へぇ・・・、自分で計算してる人もいるんだ」
八幡「もう、いい・・・」
結衣「えっ? ちゃんと話してよ。しっかりと聞いているでしょ」
こういう奴だったよ。何も考えない奴だって、わかってたさ。
八幡「いや、違う。一人事だから気にするな。ちょっと気になって事があって
それを急に思いだして、おもいっきり沈んでただけだ」
結衣「ふぅ~ん。あるよね、そういう事。あたしも急に昨日見たテレビの事を思い出して
授業中に笑いだしそうになる事がしょっちゅうあるもん」
八幡「そ・・・そうか」
顔が引きつりそうになるのを、強制的に押しとどめて、話を元に戻すことにする。
お前の事で悩んでたんだよって、両手でこいつの頭を掴んで揺さぶりたい気持ち。
あと数ミリで溢れ出そうだけど、どうにか保ちそうだ。
だから、これ以上俺を刺激するなよ。
八幡「で、だ。他に評価の内訳として、期末試験が5割。そして、授業点が5割に
なっている。もちろん授業点っていうのは、小テストの点数が直接反映される。
だから、一回でも小テストを受けないと、それだけで総合評価が下がるんだよ」
結衣「へぇ・・・、面倒なんだね」
八幡「面倒か? これほどすっきりと明確な評価方法はないと思うぞ。
レポートなんか、字が汚いだけで評価下がりそうな気もするしな」
結衣「まあ、今はパソコンで印刷したのが多いから、関係ないんじゃない?」
八幡「そうかもな。評価方法の話に戻るけど、遅刻したやつは、いくら小テスト受けても
7割しか点数もらえないんだぞ。知ってたか?」
結衣「そなんだ。遅刻すると、答案用紙が違うから気にはなってたんだけど
今その疑問が解決したよ」
八幡「お前、今頃知ってどうするんだよ。もう期末試験始まるんだぞ」
結衣「でも、あたし遅刻したことないし」
576 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:24:49.82 ID:x/Aex12G0
たしかに遅刻した事はないか。この授業の前に必修科目があるし、
通常ならば遅刻なんてする奴はいない。
それでも、遅刻する奴は出てくるから不思議だよな。
八幡「遅刻はしないけど、授業中寝てるだろ」
結衣「そう?」
八幡「そうだよ」
俺の追及から逃れようと由比ヶ浜は視線を横にそらそうとする。
しかし、俺は成長した。いや、成長せざるをえなかった。
なにせ、この野生の珍獣を大学に合格させるという至難の調教をしてきたのだ。
由比ヶ浜の扱いには慣れざるをえなかった。
俺はおもむろに由比ヶ浜に両手を伸ばすと、そのまま柔らかい頬を両手で思いっきり
つまみ取り、強引に前を向かせる。
不平を口にしてきているようだが、両頬をつままれている為に言葉にできないでいた。
だから、目でも不満を訴えてはきているが、そんなのは無視だ。
八幡「いっつも言ってるよな。授業はつまらない。とってもつまらなくて退屈だ。
でも、あとで試験勉強に明け暮れるんなら、退屈な授業をしっかり聞いて、
暇つぶしで授業をしっかり受けろって言ってるよな」
結衣「ふぁい」
八幡「どうせ勉強しなきゃいけないんだから、わざわざ授業に来てるんだから
授業をしっかり聞けよ。後で自分で勉強するより、よっぽどわかりやすいだろ」
結衣「ふぁい」
八幡「わかったか」
結衣「ふぁい」
俺は、由比ヶ浜が頷くのを確認すると、頬から手を放す。
由比ヶ浜は、たいして痛くはないはずなのに、頬を手でさすりながら
反抗的な目を向けてくる。
もう一度手を両頬に伸ばすふりをすると、今度はようやくぎこちない笑顔で
頷いてくれた。
結衣「でもでもっ、あたしが隣で寝ていても、ヒッキー起こしてくれないじゃん。
寝てるのが駄目だったら、起こしてくれないヒッキーにだって問題あるんじゃない?」
はぁ、まだ反抗するか。でも、俺にも言い分ってものがあるんだ。
577 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:25:19.09 ID:x/Aex12G0
八幡「橘教授の講義って、小テストが授業ラスト20分に毎回あるから
その分早口だし、授業の進行ペースも速いんだよ。
だから、授業中はお前のおもりはできないっつーの」
結衣「ああ、そんな感じするよね。なんか早すぎて、ついていけないっていうか」
それは、お前が授業内容を理解してないだけだろ。
今それを指摘すると長くなるから言わんけど。
結衣「あれ? でも、人気がない授業だけど、いっつも教室は満席だよね?
なんで?」
八幡「お前、本当に大丈夫か?」
結衣「なにが?」
きょとんと首をかしげ、俺を見つめてくるその瞳には、嘘偽りはないようだ。
しかし、今はそれでは救われない。なにせ・・・・・・。
八幡「なにがって、この講義って、必修科目だぞ。
必修科目は一つでも落としたら留年しちまうんだよ。
だから、みんないやいやでも授業に真面目に出てるの」
結衣「そなんだ」
もういいや。ため息も出ない。
俺は、これ以上由比ヶ浜を見ていると、頭が痛くなりそうなので、視線を外す。
すると、俺を見つめているもう一人の視線の人物に気がつく。
正確に言うと、俺と由比ヶ浜を見つめる視線だったが。
昴「なに?」
八幡「なんだよ、さっきからニヤニヤしてみてやがって」
昴「いやね、仲がいいなって」
八幡「まあ、そうかもな。なんとなくだけど、憎めない奴だから、
こうやって付き合いが長くなったのかもな」
結衣「ちょっと、ヒッキー。きもい。そんな恥ずかしいセリフ真顔で言わないでよ」
八幡「心外だな。きもいはないだろ」
結衣「きもいから、きもいの。い~っだ」
なんだよ、こいつ。たしかに、昔の俺ならこんな恥ずかしいセリフは言わなかった。
最近、いや、雪乃と付き合うようになって、変わったのかもしれない。
言葉にしなければ、伝えられない事があるって知ったからな。
578 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/01(木) 03:25:50.25 ID:x/Aex12G0
昴「仲がいいね」
八幡「どうだか」
昴「でも、仲がいいところ悪いけど、このままだと会談に遅刻するよ」
そうだった。
どうやったら橘教授の授業を早く切り上げられるか弥生と相談していたのに、
いつの間にか由比ヶ浜の相手をしていた話がそれてしまった。
まったく、こいつは和むんだけど、時と場合を選んでくれよ。
第32章 終劇
第33章に続く
582 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:30:13.94 ID:PACE+wQi0
第33章
7月11日 水曜日
さて、さてさてさてさて、どうしたものか?
いくら考えようとも、都合よく打開案なんて思い浮かびやしやしない。
いたずらに思考を繰り返しても、時間だけが過ぎ去ってゆくだけだ。
ここは、由比ヶ浜のいう通り、欠席するか。
ここで休んだとしても、だらだらと休み癖がつくとは思えないし、
雪乃の父親の仕事現場をみることで、よりいっそう気を引き締められるとも考えられる。
ならば、ここは潔く自主休講としてもいいかもしれない。
ただ、諦めが悪すぎる俺は、すぐさま代替案を模索してしまう。
出席がそのまま単位評価に結び付いてしまう為に、病欠などの場合は、
しかるべく証明書を提出して、なおかつレポートも提出すれば、
小テストの8割の点数を貰える事が出来る。
つまり、満点のレポートならば、欠席しても80点の評価が貰えるのだから、
俺も初めに欠席してレポートを提出するという選択肢を考えなかったわけではない。
ここで問題となるのは、仕事の契約締結の場に参加することが、
橘教授が認める欠席理由になるかである。
一応未来の仕事に関わっているわけで、またとない社会経験を得るという大義名分も
あることにはある。
でもなぁ、これが橘教授の講義を休むことと釣り合うかと問われると、微妙だ。
ならば、欠席証明書を提出しないで、小テストの五割の評価も貰う事もできるので、
これだったら問題は少ない。
そう、あくまで「問題が少ない」にすぎないのが、このレポートの落とし穴だった。
なにせ、授業は眠いし、実際由比ヶ浜はよく爆睡しているし、他にも多くの学生が
夢の中で受講しているといってもいい。
そんな夢の中の受講生は、講義ラストに待ち受けている小テストで痛い目にあうんだから
うまくできている講義システムだと、
授業を真面目に受けている俺からすると評価してしまう。
そう、俺が眠いの我慢して授業に参加しているのに、
由比ヶ浜とかなにを眠りこけてるんだよ。
そんな奴にかぎって、小テストの時答えを見せてくれとか、どの辺がヒントになるか
教えてくれとか言ってきやがる。
俺はそういう由比ヶ浜みたいなやつは、毎回無視してやっている。
隣で由比ヶ浜が小さな声で不平をぶちまけまくりまくって、
最後の方には俺の肩を揺さぶりまくるのが、いつものパターンだ。
583 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:30:46.74 ID:PACE+wQi0
まあ、由比ヶ浜が実力行使に来る時間あたりには、俺も解答を埋め終わってるから、
由比ヶ浜に一瞬ちらっと解答用紙を見せるふりをして、ニヤッと優しい笑顔を見せてから
席を立つんだけどな。
毎回猿みたいに「ムキ~」とかわめくけど、そろそろ猿でも自分でやるって事を
学習してるはずなのに、俺にまとわりついてくる牝猿もそろそろ学習しろよ・・・。
話は大きく脱線してしまったが、誰しもが受けたくない講義をレポートで出席の
代わりにできるというのに、誰もレポートを選択せず、
一応講義に出席して小テストを受けているかというと、それはすなわち、
レポートの量が半端なく多いからである。
他の講義もあるわけで、レポートだけに時間を割いていられるわけではない。
しかも講義は90分で終わるというのに、レポートはどう見積もっても
休日が丸一日つぶれること必至だ。
誰もが望む夢の日曜日に、誰が好き好んで陰気なレポートをやらねばならない。
どう考えても、講義に出たほうがいいに決まっている。
そんなわけで俺は、大切な大切な日曜日を献上して契約締結の場に出席しようと
苦渋の決断に迫られていた。
まあ、色々御託を並べたが、誰が橘教授の講義を必修科目にしようだなんて考えたんだよ。
きっと、決めた人間は悪魔に違いない。
それだけは、はっきりと確信できた。
結衣「ねえ、ヒッキー。もうそろそろ諦めたら?」
八幡「諦められるわけないだろ。講義休んだら、日曜が潰れるレポートがあるんだぞ」
結衣「じゃあ、いっそのこと、レポートもやらなきゃいいじゃん」
八幡「そんなことできるかよ。成績が落ちるだろ」
昴「一回くらい休んだところで、最終的な成績は変わらないと思うけど」
八幡「そういった油断が、成績をじわじわ下降させるんだ」
結衣「もう、意地っ張りなんだから。
ん~・・・。だったらさあ、問題の山はって、先生が黒板に問題書く前に
解答用紙に答え書いちゃえばいいんじゃない?
そうすれば、ちょうど20分短縮できて、電車に間に合うんじゃない?
問題解く時間の20分をあらかじめ解答書いとけば、
20分使わないで済むでしょ」
昴「ちょうどいいじゃないか。20分早ければ電車に間に合うんだし、
いっそのこと山はって、外れたら諦めて遅刻して出席すればいいじゃないか。
そもそも遅刻しても怒られはしないんだろ」
結衣「ちょっと、ヒッキー、黙らないでよ。
そんなに怖い顔して黙っていると、怖いよ。
・・・・・・ねえ、ヒッキー?」
昴「おい、比企谷?」
584 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:31:10.64 ID:PACE+wQi0
結衣「ごめんね。そんなに真剣に悩んでいたなんてわからなかったから、
ちょっと調子に乗りすぎて、言いすぎたのかもしれない。
ねえ、・・・ねえったら」
由比ヶ浜が俺の肩を揺さぶってくる。最初は遠慮がちに小さく揺さぶってきたが、
俺が何も反応を示さないでいると、意地になってか、激しく揺らしてきた。
八幡「ええい、うるさい。ちょっとは静かに出来ないのかよ」
結衣「だから、謝ってるんじゃない」
八幡「それが謝ってるやつの態度かよ」
結衣「いくら謝っても、そっちが無視していたんでしょ」
八幡「別に無視してないだろ。ちょっと考え事をしていたから、気がつかなかっただけだ」
結衣「え?」
八幡「え?って、なんだよ。お前が問題の山はって、解答あらかじめ書いとけって
言ったんだろ」
結衣「え? えぇ~?!」
八幡「なにをそんなに驚いてんだ。自分で言っておきながら、驚くなんて。
ん? 自画自賛しているのか?
たまに、ほんとうにごくまれに役に立つこと言ったんだから、
そういうときくらい自己満足に浸りたいよな。
気がつかなくて、ごめんな」
結衣「いや、いや、いや。なんかヒッキーがあたしの事で酷いこと言ってるみたいだけど
この際今はどうでもいっか。
なに、なに。ヒッキー、山はって書くの?」
昴「由比ヶ浜さんは、どうでも、いいんだ?」
弥生なら、そう思うよな。
でもな、由比ヶ浜の思考回路には、二つの事を同時処理なんてできやしないんだよ。
一つの事でさえも、途中でセーブもできない年代物なんだぞ。
きっとレトロマニアには、もろうけること間違いなしだけど、
最先端を突っ走ってるやつには、理解できない代物なんだよ。
八幡「ああ、山はって書いてみようと思う」
結衣「そっか。なにもやらないよりいいもんね。運がよかったら、間に合うかもしれないし
やらないよりはやったほうがいいもんね」
八幡「それは違う。やるからには、確実に問題を当てる」
結衣「そんなのは無理だって。だって、問題は、黒板に書くまでわからないじゃん」
八幡「そんなことはない。なんとなくだけど、傾向くらいはあるもんさ」
昴「たしかに出題傾向はあるけど、論述問題なんだから、問題のキーワードを
全て当てないと、見当外れの解答になってしまうぞ」
585 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:31:54.42 ID:PACE+wQi0
結衣「そうだよ。あたしも軽々しく山はりなよって言ったけど、
やっぱ絶対無理だよ。当たりっこないって」
八幡「問題のキーワードを全て当てるんだろ?
それなら問題ない。むしろキーワードほど当てやすい」
結衣「そんなことないって。一回の講義の内容も広いんだし、無理だよ」
たしかにな。無鉄砲に、なんとなく探すんなら、無理に決まっている。
だけど、解答に導くために、キーワードなんて、なにかしらの繋がりを持ってるんだよ。
一つの論述を完成させるわけなんだから、一つ一つのキーワードには、
他のキーワードとのつながりがあって、その繋がりがあるからこそ、
一つの論述が意味を持って完成する。
仮に、キーワード一つ一つに、全くの因果関係がないとしたら、
それは論述ではなくて、一問一答形式の、穴埋め問題に過ぎない。
八幡「論述問題に必要なキーワードなんて、だいたい決まってるんだよ。
そもそもそのキーワードが一つでも欠けていたら、減点ものだ。
だから、キーワードを全てそろえること自体はたいしたことではない」
昴「たしかにそうだな。でも、キーワードがわかったとしても、
問題自体を当てるのは難しくないか?」
結衣「ちょっと、ちょっと待ってよ。今、ゆっくりとだけど、ヒッキーが言った事を
理解するから」
八幡「悪い、由比ヶ浜。今お前の相手をしている時間も惜しい。
だから、この説明は、また今度な」
結衣「あたしの事を馬鹿にし過ぎてない?」
八幡「だったら、もう理解できたのかよ?」
結衣「それは無理だけど」
八幡「だろ?」
昴「由比ヶ浜さんには、授業のあとで、俺が説明してあげるよ」
結衣「え? ほんとう?」
ぱっと笑顔を咲かせる由比ヶ浜を横目に、俺は弥生が渋い顔を見せたのを
見逃さなかった。
何度か俺の代りに弥生が由比ヶ浜に説明した事があった。
だがしかし、何度やっても由比ヶ浜は理解できなかった。
弥生昴の名誉のために言っておくが、けっして弥生の説明が下手なわけではない。
むしろ上手な方だと思う。俺以上に論理的で、道筋をはっきりと示す解説だとさえ思える。
だけど、相手があの由比ヶ浜結衣だ。
普通じゃない。俺も雪乃も、高校三年の夏、何度挫折を味わったことか。
まあ、一応、お情け程度のフォローになってしまうが、由比ヶ浜結衣も
けっして馬鹿ではないということは伝えておきたい。
586 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:32:45.03 ID:PACE+wQi0
なにせ、俺と同じ大学の同じ学部に、一緒に現役合格できるくらいの学力はあるのだから。
しかし、こいつの思考回路はとびまくっているんだ。
俺も雪乃もこいつに勉強を教えるコツみたいなのを、
わずかだが習得できたから言えること何だが、
どうやら由比ヶ浜は感覚で理解しているらしい。
とくに数学なんかは、どういう感覚で理解しているのか、雪乃でさえ理解できなかった。
それでもどうにか教える事はできるようになったから、
こうして同じ大学に通えているんだが。
だから、弥生のように、理路整然としている理論派の極致の説明は、
由比ヶ浜にとっては天敵だと言えるのかもしれなかった。
八幡「まあ、お前ら。二人ともお手柔らかにやっておけよ」
昴「わかってるって。無理はしない」
結衣「ん?」
どうやら弥生だけは、俺の意図を理解したみたいだな。
だとすると、俺の感覚が由比ヶ浜に偏ってないってことか。
うし・・・、俺の感覚は由比ヶ浜化してないぞ。
な~んか、由比ヶ浜とつるんでいると、おつむが由比ヶ浜化しそうで怖いんだよな。
八幡「なあ弥生。このノート見てくれよ」
昴「これって、橘教授の講義のか?」
八幡「そうだ」
昴「なんでノートの真ん中で折り目が付いているんだ?」
八幡「ああ、これな」
こら、由比ヶ浜。弥生とは反対側から俺のノートを覗き込んできたけど、
そのドヤ顔やめろ。さっきまでまったく話についてこれなかったからって、
ここぞとばかりに誉めて誉めてって尻尾を振るな。
このノートの折り目を、お前が知っているのは当然なんだよ。
何度も俺のノートのお世話になってるからな。
まあ・・・、普段の俺なら、ちょっとくらいかまってやってかもしれないけど・・・。
八幡「弥生は、この講義のノート見るの初めてだっけ?」
昴「どうだったかな? 他の科目のならあったと思うけど、
あとで調べてみないとわからないな」
八幡「さすがのコピー王も、俺の対橘用のノートは初見か」
昴「この講義は、小テストが毎回ある分、みんな自分でノートとってるから需要がないしな。
それと、そのコピー王っていうのは、やめろって。学部中に広がってしまったのは、
比企谷のせいだろ」
587 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:33:37.73 ID:PACE+wQi0
八幡「それは違う」
昴「どうしてだよ。お前が言いだしたんだろ」
コピー王。たしかに、俺が命名した弥生昴の二つ名だ。
といっても、中二病全開で命名したわけではない。
なんとなくこいつの行動を見ていたら、ふと口にしただけだ。
それに、何度もコピー王なんて言ったとも思えない。
たしかに、こいつはコピー王だとは思う。
なにせ、こいつはコンパクトスキャナーを随時携帯して、
レポート、ノート、過去門などなど、あらゆるデータをコピーしまくっている。
まず、突出すべきところは、その交渉術と行動力だろう。
図書館で、同じ学科の奴を見つけたら、友達でなくても、しかも、話した事がない相手でも、
顔を知っていれば突撃して、ノートの交換をしてくるのだ。
そして、その行動範囲は同学年にだけで終わらず、大学一年次の前期日程、正確にいえば、
五月の下旬には全学年で弥生昴の名と顔を知らない奴はいなくなってしまった。
一見弥生の行動は、無謀にも絶大なる行動力を有しているようにも見える。
しかし、本人曰く、一人のつてがいれば、その人を介して十人は声をかけられるとのこと。
俺からすれば、図書館で、いきなり顔しか知らない奴に声をかけているのを
目撃しているので、一人のつてもいなくても、もしかしたら全学年制覇はきっと
可能なんじゃないかって思えていた。
いやいや、俺が言ってる事は矛盾しているな。
俺みたいなぼっちは例外としても、一般的な大学生ならば、一人か二人くらいの連れはいる。
ならば、一人のつれがいれば、ドミノ式に全生徒に繋がっているとも言えなくはない。
たしかに、ぼっちは、誰ともつるんでいないので、どの組織にも接点がないともいえる。
それでも、大学生をやっていれば、グループ学習やら、ペアでの講義も必ずあるわけで
大学生活を誰とも接点を持たずに生活することは事実上不可能である。
ここで言いたいのは、事実上不可能であるということだ。
理論上は、なんかしらのつながりがあるかもしれない。
しかし、その繋がりは儚いくらいに細いもので、それが人と人との伝手であると
言ってもいいのか疑問に残る。
おそらくその伝手は、一般的に言ったら赤の他人というべきだ。
だが、弥生ならば、強引に、そのあるかどうかも疑わしい伝手を使って
交渉ができてしまうのだから、これはある種の尊敬すべき能力といえるだろう。
ここで話を戻すが、コピー王たる弥生昴のすごさはわかってもらえたと思うが、
そのデータ量のすごさは、既存の試験レポート対策委員会とかいうサークルを
上回ってるんじゃないかと思えるほどだった。
八幡「たしかに、俺が言いだしたのは認める」
昴「だろ? だったら、お前の責任じゃないか」
588 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:34:24.01 ID:PACE+wQi0
八幡「いいや、違う」
昴「なんでだよ」
八幡「俺がお前にコピー王って連呼したとしても、誰がお前の事をコピー王って呼ぶだよ。
俺は自慢じゃないが、友達はほとんどいないぞ。
だから、お前の事をコピー王だなんて、伝える相手がそもそもいないんだよ」
昴「そうだな。この学部で、お前の話相手といったら、俺か由比ヶ浜さんくらいしか
いないんだよな」
八幡「だろ?」
昴「比企谷の友達の少なさを忘れるところだったよ」
八幡「それさえも忘れてしまうほどの存在感のなさなんだよ。俺って奴は」
昴「そんなことないだろ。お前、この学部で、ダントツに目立っているぞ」
八幡「それはないだろ。お前も俺の友達の少なさを認めたじゃないか。
友達もいないから、ひっそりと教室の片隅に座っていたら目立たないだろ」
昴「由比ヶ浜さんがいつも隣にいるだろ」
八幡「由比ヶ浜は友達多いし、そりゃあ、目立ちはするけど、だからといって
俺が目立つわけじゃあない」
昴「いやいやいや、違うって。人気がある由比ヶ浜さんを比企谷がいつも独占しているから
必然的に比企谷も目立ってるんだよ」
八幡「俺は由比ヶ浜を独占した覚えはないんだけどな」
ほら、俺の横の由比ヶ浜結衣とかいう人。
頬を両手で押さえて、ぽっと頬を染めて、デレない!
お前の責任問題を話し合ってるんだろ?
って、俺達って、なに話してたんだっけ? 時間ないとか言ってたような。
昴「工学部に綺麗な彼女がいるくせに、ここでも学部のヒロインを一人占めしているんだから
恨みもかっているぞ」
八幡「雪乃は、あまりここの学部棟には来ないから、関係ないだろ」
昴「雪ノ下姉妹っていったら、うちの大学で知らない奴がいないほどの美人姉妹だぞ。
その妹の彼氏といったら、注目されるに決まってるじゃないか」
八幡「雪乃が美人っていうのは認めるけど、だけどなぁ・・・」
結衣「ねえ、ヒッキー」
八幡「なんだよ」
せっかく危機的状況で、パニクっていたのを雪乃の事を思い出して和んでいたのに
なんで横槍を入れてくるんだよ。
俺に恨みでもあるのか?
だから、必然的に由比ヶ浜に向ける視線も、投げ返す返事も荒っぽくなってしまう。
由比ヶ浜は、むっとした表情で、やや批判を込めて訴えてきた。
589 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/08(木) 17:34:57.49 ID:PACE+wQi0
結衣「別にヒッキーがゆきのんのことで、でれでれしているのは、あたしは、
かまわないんだけどさ」
八幡「なんだよ。時間がないんだから、とっとと言えよ」
ん? なんで時間がないんだっけ?
結衣「別にあたしはいいんだけど、早く小テストの山をはらないと
授業始まっちゃうよ」
血の気を失うとはこの事だろう。
さあっと体温が低下するのと同時に、体中の汗腺から汗が噴き出してきて体が火照る。
やばい、やばい、やばい。
時間がないのに何を白熱してるんだよ。
コピー王って、学部中に広めたのは、俺じゃなくて由比ヶ浜だっていうことを伝える為に、
なんだってこんなに話に夢中になってるんだよ、俺。
八幡「ありがとよ、由比ヶ浜。助かった」
結衣「いいんだけどさ。・・・いつもお世話になってるし」
俺は、もじもじしながら口ごもる由比ヶ浜を横目に、
弥生に向けて応援要請を手短に伝えていく。
もうすぐ講義が始まって、橘教授がきてしまう。
その前に、一応保険として、弥生にも問題の山を一緒にはってもらわなくてはいけない。
なぁに、たぶん俺一人でも大丈夫だけど、念には念をいれないとな。
普段俺のレポートやらノートのコピーをしてるんだ。
このくらいの労働、対価としては安いだろう。
八幡「弥生、山はるの手伝ってほしい」
昴「それはかまわないけど、あと五分もないぞ」
八幡「それだけあれば十分だ。山をはるのは講義を聞きながらじゃないとできないからな」
俺は、にやりと不敵な笑みを浮かべるのだった。
第33章 終劇
第34章に続く
595 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:28:23.82 ID:2jPBwEpe0
第34章
7月11日 水曜日
俺が弥生に頼んだ事は、いたってシンプルなノートの使い方だった。
まず、ノートを半分に折り、左側を授業の内容を筆記する。
これは、一般的なノートを取り方と変わりがない。
黒板を板書して、必要ならば解説を自分で付け加える。
黒板には書かないで口頭のみの説明時に聞きそびれて、
書き損ねそうになる事もあるが、悪態を心でつきながら、教科書とノートを見比べて
聞きそびれた個所を自分の言葉で埋めていく。
左側は誰もが小学生の時からやっている事だから、特に説明はいらないだろう。
俺が弥生に指示したのは、ノート右側の書き方であり、
この講義特有の事情から生まれた手法だ。
小テストは、必ずと言っていいほど「説明せよ」という設問であった。
授業で習ったばかりの知識を思い出して、論述を書きあげていく。
だとすれば、授業を受けながら、小テスト用の論述を書いておけばいいんじゃないかと
思って始めたのが、右ページの使い方であった。
つまり、左側に書かれている授業で示された記号を、右側ページに論述形式で
書きなおしていくってことだ。
一見、人からみれば二度手間だろう。
なにせ、左側に書かれている内容を単に文章にしただけなのだから。
雪乃も最初は二度手間だからやらないといっていたが、
俺からの説明を聞いたら納得してくれた。でも、結局は、雪乃はやらないらしいが。
俺からノートをよく借りる由比ヶ浜は、まあ、理解しているのか、してないのか
怪しいところだから保留にしておこう。
この二度手間ともいえる右ページ。
なにがいいかっていうと、解答の文章量がはっきりとわかることだ。
左ページの記号のみでの説明だと、シンプルでわかりやすいのだが、
文章にしてみると文章量が予想以上に多い時があったりする。
それに気がつかずに実際解答用紙に書いてみたりすると、文字数オーバーに
なったりすることがざらである。
また、文字数がオーバーしてしまうから、他の本来必要なキーワードをいれないで
減点くらう事も多くなってしまう。
ほとんどのやつが指定の文字数を埋めることで満足して、キーワード不足を
気がつかないんだよな。
つまり、あらかじめ文章量がわかるから、キーワードも落とさないし、文章量からの優先度
も明らかにわかるわけで、省くべき説明も最初から書かないですむ。
596 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:28:51.70 ID:2jPBwEpe0
なんて理屈を上げてみたが、本当の狙いは、文章を書く練習だったりする。
要点のみをわかりやすく説明するっていうのは、案外難しい。
キーワードがわかっていても、実際文章を書くとなると、文章の構成がちぐはぐだったり、
短くまとめるべきところをダラダラと書いてしまったりもする。
だったら日ごろから鍛錬すればいいじゃないかという事で始めたのが
このノートの使い方だった。
嬉しい副作用としては、授業の復習時間が短縮された事と、
自分の言葉で今受けたばかりの授業内容を書く作業によって印象を深める事だろう。
雪乃みたいな才能がない俺にとっては、嬉しすぎる副作用であった。
さて、これが表の右ページの効用なのだが、今回は、これを逆手にとって
隠された右ページの効用を試してみたいと思う。
昴「比企谷って、ほんとうにこういうせこい方法を思いつくのがうまいな」
八幡「せこいっていうな。要領がいいって言え」
昴「はい、はい。要領がいいですね」
絶対心がこもってないだろ。
結衣「あたし、説明聞いてたんだけど、それでもよくわからないんだけど」
八幡「だからな、俺が由比ヶ浜を起こさない理由にもなるんだけど、
この授業は、そうとう忙しいってことなんだよ」
結衣「それはわかったんだけど・・・」
八幡「ノートの左側に黒板の板書を写して、
右側には、小テストにそのまま使えるように書き直した文章を書いていく。
ここまではいいな」
結衣「なんとなく・・・」
わかってないな。
うん、弥生も、由比ヶ浜はわかってないねって顔をしている。
八幡「で、だ。ここからなんだけど、一回の授業で習った範囲で、試験に出そうなのは
多くて三つが限度だ。下手したら一つって事もある。
これは、論述形式にするから、それなりの容量が必要って事もあるけど、
一回の授業で何個も試験で出題するようなものが出てこないんだよ。
たいていは、一つの主題を補足する為の説明がほとんだ」
結衣「はぁ・・・。ん、それで」
わかってないのに相槌うつなよ・・・・。
いっか。時間ないし。俺は、しかめっ面になりそうなのを無理やりうやむやにする。
597 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:29:29.96 ID:2jPBwEpe0
八幡「だからな、小テストで書かす文章量と、これは出題傾向でもあるんだけど、
橘教授はその日一番重要な個所を出題する傾向があるところから、
この二つをあわせもつ個所を授業を聞きながら探せばいいんだよ。
いくら重要でも、小テストにするには文章量が少なすぎたりするのはNG。
また、次の週にまたがるのもNGだな」
結衣「ふぅ~ん」
もう、適当に相槌うってるな。
それでも、この由比ヶ浜を相手しちゃうんだよな。
それは、俺がこいつに助けられているからかもな。
八幡「ま、あとは慣れだな。他の講義も聞いていると、なんとなく、この辺を試験に
だしたいだろうなっていう所がわかるようになるから」
結衣「え? そうなの? だったら、もっと早く教えてよ。
とくに期末試験なんて、それやってくれたら勉強する量が減って助かったのに」
自分にとって有用な情報だけは聞きながさないんだな。
食い付きが違いすぎるだろ。さっきまでの、はいはい、
付き合ってあげてますよオーラ全開の態度はどこにやったんだ。
いまや尻尾を振って、襲い掛かる勢いじゃねぇか。
八幡「う・る・さ・い。今は忙しいんだよ。
それに、試験直前には、いつも試験の山みたいなのは教えてるだろ」
結衣「それは教えてくれているけど、それっていつも、最後の最後でぎりぎりにならないと
教えてくれないじゃん」
八幡「当たり前だろ。試験に出そうな所だけを覚えたって、知識としては不完全で
役にたたないだろ」
結衣「・・・そうかもしれないけどぉ」
昴「ほらほら、橘教授がきたよ」
八幡「弥生、悪いけど頼むわ。由比ヶ浜は、前を向けよ」
昴「貸しにしておくよ」
結衣「あたしだけ態度が違うのは気になるんだけど」
騒がしかった教室も、講義が始まれば静まり返る。
教室の前にある二つの扉も閉められ、外から聞こえてきていた喧騒もかき消される。
どこか几帳面そうな声色と、ペンがノートとこすれる音だけで構成される時間が始まった。
いたって普通。どこまでも先週受けた時と同じ時間が繰り返される。
598 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:29:57.72 ID:2jPBwEpe0
始まって間もないのにどこか眠そうな生徒達の横顔も、
やる気だけは空回りしている由比ヶ浜も、
教室の前の方に陣取っている真面目そうな生徒達も、
先週見た風景と重なっていた。
ただ違う事があるとしたら、俺の期末試験と同じレベルの集中力と
隣で手伝ってくれている弥生の姿くらいだろう。
・・・・・・講義時間も残り少なくなり、あとは小テストを受けるのみとなった。
弥生と予想問題と解答を確認したら、ほぼ同じ内容なのは安心材料なのだが、
実際黒板に問題が書かれるまでは落ち着かなかった。
けれど、その緊張も今は新たな緊張へと変わっていっていた。
昴「おめでとう」
八幡「ああ、サンキューな。じゃあ、また明日」
昴「あせってこけるなよ」
結衣「ヒッキー、頑張ってね」
俺は二人に向かって頷くと、あらかじめ片付けておいた教科書を入れた鞄を手に
教室の前に向かって歩き出す。
試験問題は、ばっちし予想通りだった。
あとは、解答用紙を提出して、全速力で駅まで走るだけだ。
予想通りの設問に興奮状態で席を立ったまでは良かったのだが、
今俺が置かれている状態を予想するのを忘れていた。
いや、ちょっと考えれば誰もが気がつく事だし、気がつかない方がおかしいほどだ。
そう、小テスト開始直後に席を立つなんて、通常ではありえない。
どんなに急いで書いたとしても5分はかかる。
それも、解答があらかじめ分かっている事が前提でだ。
それなのに俺ときたら、誰しもがこいつなにやってるの?って気になってしまう状態を
作りだしてしまっていた。
最初は、俺達がひそひそ声で別れの挨拶をしているのに気が付いた比較的席が近くの
連中だけだったが、教室の通路を歩く俺の足音が響くたびに、俺を見つめる観衆の目が
増えていってしまう。
俺は、まとわりつく視線を強引に振り払い教卓の前へと向かっていく。
一段高い教卓を見上げると、訝しげに俺を見つめる橘教授がそこにはいた。
悪い事をしているわけでもないのに目をそらしてしまう。
ちょっとチートすぎる手を使ってはいるが、問題ない範囲だと思える。
弥生に応援を頼んだのだって、そもそもこの小テストはテキスト・ノートの持ち込み可
だけでなくて、周りの生徒との相談だって可能なのだ。
もちろん授業中であるからして大声を出すことはできないが、
ある程度の会話は認められていた。
599 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:30:24.64 ID:2jPBwEpe0
由比ヶ浜なんかは、毎回俺に質問してくるんだから、ちょっとは自分一人でやれよと
言いたくなる事もあるが。
俺はするりと解答用紙を教卓の上に提出し、橘教授を見ないように出口の方へと向きを変えた。
提出完了。あとは早足でここを切りぬけて、室外に逃げるのみ。
テクテクと突き進み、あと少しで教室の出口というところで、聞きたくない音を
耳が拾ってしまった。
なんでこういう音だけは拾ってしまうんだよ。
たくさんある音の中で、しかも似たような音がいくつも重なっている場面で、
たった一つ、俺が一番聞きたくない音だけを耳が拾ってきてしまう。
全速力の早足が、徐々に勢いに陰りを見せ、通常歩行へと移行する。
それでも出口までの距離は短かったおかげでどうにかドアノブを掴むことができた。
けれど、怖いもの見たさっていうの?
見たくはないんだけど、知らないままでおくのも怖い。
だったら見ておいてから後悔するほうがましなのだろうか。
ここで結論が見えない迷宮に深入りする時間もないし、なによりも現在進行形で目立ち
まくっているわけで、俺が取るべき行動はこのドアノブをまわして、
出口から室外に出る事だ。
しかし、人の意思は弱いもので、ドアノブをまわしてドアを開け、
一歩外へと踏み出した瞬間に、見たくもなかった光景を見てしまう。
振り返らなければ、見ることもなかったのに。でも、見てしまった。
もちろん後悔しまくりだ。
俺の視線の先には、俺の解答用紙を凝視している橘教授がいた。
俺が見たその姿は、数秒だけれども、死ぬ前の走馬灯のごとき時間。
けっして死ぬわけではないのだけれど、閻魔さまは確かにそこにはいた。
ここから逃げ出して走ったのか、遅刻しない為に走ったのか。
もちろん後者のためなのだが、本能が前者を指し示す。
駅のホームに着いたところで時計を見ると、想定以上に早くつくことができていた。
電車がやってくるアナウンスもないし、慌てて階段を駆け上ってくる客も俺一人しかいない。
これは橘教授効果だなと、皮肉を思い浮かべることができるくらいまでは
精神は回復したいた。
電車に間に合った事で、自然と子供が見たら泣くかもしれない(雪乃談)笑顔を浮かべていると
マナーモードにしていた携帯が震え、俺も心臓を止めそうなくらい震えてしまう。
もう、やめてくれよな。びっくりさせるなよと、携帯の画面を確認すると、
弥生からの電話であった。
あいつも俺と同じように解答だけは出来上がっているんだから、
もう小テストは終わったのだろう。そうしないと、電話をする事は出来ないし。
・・・・・・でも、もし、いや、あり得ないとは思うけど、でも、ん、なくはないが、
橘教授が弥生の携帯を借りて俺に電話したとしたら?
600 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:30:54.83 ID:2jPBwEpe0
橘教授も、生徒一人に時間をかける余裕なんてないんだしと、心に嘘をつきながら
通話開始ボタンを押した。
八幡「もしもし?」
昴「電車間に合ったか?」
八幡「なんだよ、弥生かよ」
昴「俺の携帯なんだから当然だろ。
それに、心配してやってるのに、そのいいようはないと思うよ」
安堵のあまり人目を気にしないでその場に座り込んでしまった。
せめてもの抵抗として、片膝を立てて座っているのが救いだろうか。
・・・誰も気にしないだろうけど、男の意地ってうやつで。
八幡「全速力で走ってきたから疲れてるんだよ。
今日は手伝ってくれて、ありがとな。だから、感謝してるって」
昴「そう? 感謝してるんなら、そのうち恩返しを期待してるからな」
八幡「俺に出来る事ならな。あと、時間に余裕があるとき限定で」
昴「それって、恩を返す気がないって事だろ」
八幡「返さないとは言っていないだろ。そろそろ電車も来るし、用件はそれだけか?」
昴「いや、伝言を頼まれて」
八幡「由比ヶ浜か? 無事に着いたって言っておいてくれよ」
昴「それは伝えておくけど、伝言を頼んだ人ではないよ。
ちなみに由比ヶ浜さんは、今も教室でテストやってると思う」
八幡「じゃあ、誰だよ?」
嫌な汗が額から滑り落ちる。
これは走ったからでた汗だ。そう、走ったからね。
と、俺の考えたくもない人物を全力で拒否しているっていうのに弥生の奴は
無情にも判決を下してしまった。
昴「橘教授からなんだけど、聞く?」
八幡「聞かないわけにはいかないだろ。一応聞くけど、聞かないという選択肢は可能か?」
昴「それは無理」
八幡「とっとと言ってくれ」
ちょっとは期待させる言い回しをしろよと、批難も込めて伝言の再生を催促した。
昴「そんなにびくつくなって。橘教授は笑っていたぞ。
あの橘教授が大爆笑していたんだから、研究室に一人で行っても殺されはしないって」
601 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:31:27.68 ID:2jPBwEpe0
八幡「ちょっと待て。前半部分はいいんだけど、後半部分はサラっという内容じゃないだろ」
昴「とりあえず、伝言伝えるよ」
こいつマイペースすぎるだろ。だからこそ、俺と一緒にいられるんだろうけどさ。
でも、こいつったら友人関係は広いくせに、なんだって俺の側にいるんだろうか。
八幡「はいはい、どうぞご勝手に」
昴「比企谷みたいにまでとはいかないけど、毎年何人かは去年の問題使って
解答をそのまま提出する人がいるんだってさ」
八幡「たしか試験対策委員会のやつが出回っているらしいな」
昴「らしいね。でも、教授も言ってたけど、去年の問題は使えないように
若干設問を変えているんだってさ」
八幡「論述だし、設問変えたって、似たような解答になるんじゃないか?」
昴「その辺の違いは教授も説明してくれなかったけど、今回のは、
授業中の例え話が違っていたらしいよ。
今日授業でやった例を用いて説明せよってなってただろ?」
八幡「なるほどな」
たしかに、去年の問題を持っていたら、俺も過去問をそのまま使っていたかもしれない。
俺の場合は、過去問をくれる相手がいないんだけど・・・。
でも、弥生だったら持っていてもおかしくないか。
昴「だから、去年までのをそのまま使って解答書いた答案は、出来の良しあしにかかわらず
3割までしか点数をくれないそうだよ」
八幡「設問の要求を満たしていない解答だし、当然だろうな」
昴「それで、今回の比企谷の方法なんだけどさ」
八幡「ああ」
昴「橘教授、大絶賛だったよ。面白いってさ。
面白ければOKとか、あのしかめっ面でいったんだから、みんな唖然としてたよ。
できれば写真に撮って、比企谷にも見せてやりたかったな」
八幡「いや、遠慮しとく。想像だけでも、ちょっときついものがある」
昴「ということで、橘教授の研究室に来てくれってさ」
八幡「だから、どうして俺が行かないといけないんだよ」
昴「気にいられたからじゃないのか?」
八幡「なんで気にいられるんだよ」
昴「比企谷が今回とった方法を、自分が橘教授に教えたからかな?」
八幡「なんで馬鹿正直に教えてるんだよ」
昴「そりゃあ、聞かれたからだよ」
八幡「だとしても・・・」
昴「電車来るんじゃない? アナウンスしてるんじゃないか」
602 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:32:00.05 ID:2jPBwEpe0
八幡「ああ、もう電車がくるけど、・・・いつこいって?」
昴「いつでもいいって言ってたけど、来週も授業あるんだから、早めに行っておいた方が
いいと思うよ」
八幡「わかったよ」
駅のホームに来るまでは絶好調だったのに。
どこかしらに落とし穴が待ち受けている。
注意深く突き進んできても、どこかでエラーが出てしまう。
あの時、教室を出る時、教授の顔を一瞬でも見たのが悪かったのか?
運命論なんて信じないし、俺のちょっとした行動が運命を、未来を変えてしまうとは
思えないが、それでも、あの時橘教授の顔を見なければよかったと、
電車を降りるまで何度も後悔を繰り返した。
無事遅刻する事もなく到着し、雪乃の親父さんと総武家の大将との話し合いも
和やかムードで終えることができた。
結論から言うと、俺が遅刻しようと、その場に全くいまいと、話し合いには
これっぽちも影響はない。
契約書の内容も、突っ込んだ内容になってしまうとあやふやだし、
これを自分一人で精査しろといわれたら無理だってこたえるしかない。
それは大将だって同じはずなのに、
そこは当事者としての意識の差がでてしまったかもしれない。
たしかに雪乃の親父さんがわかりやすいように説明していたけれど。
これは、陽乃さんから聞いた話だが、本来ならば親父さんが直接契約の場に
出てくる事などないそうだ。
もちろん大型案件ならば違うだろうが、企業所有のテナント一つの賃貸契約で
企業のトップが出てくるなど、あり得ない話であった。
となると、これは俺の勝手な想像になるのだけれど、この会談、もしかしたら
俺の為に設けられた部分もあるんじゃないかと思ってしまう。
ならば、俺が遅刻しないで到着した事も、意味があるのだといえるかもしれない。
さて、俺は親父さんにお礼を言ってから本社ビルをあとにする。
緊張しまくっていた体がほぐれ出し、肺に過剰に詰まっていた空気も、
どっと口から抜け出てくる。
振り返り、ビルを見上げると、さっきまであの上層階にいたことが幻のように思えてくる。
俺があの場にいられたのは、親父さんの計らいであって、俺の実力ではない。
いつか俺の実力で・・・・・・、いや、雪乃と二人の力で昇り詰めなければならない。
具体的な目標を目にできた事は、モチベーションの向上につながる。
けれど、今は鳴りやまない携帯メールの対応が優先だな。
603 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:33:22.29 ID:2jPBwEpe0
マナーモードにしてあった携帯は、ビルから出る直前に解除したのだが、
ひきりなしに鳴り響くメール着信音に、再びマナーモードにしていた。
なにせ着信メール数が二桁を超えている。
現在進行形で増え続け、もうすぐ三桁になりそうであった。
チェーンメールではないよな?
アマゾンや楽天であっても、こんなにはメール来ないし、
●●●●関係は雪乃の目が光っているから完全に隔離状態だしなぁ。
となると、小町か戸塚か?
だったら、徹夜してでも全メールに返事を書くまでであるが、
どう考えたってあの二人だよな。
先ほどまでいた会談とは違う緊張感を身にまとい、とりあえずメールフォルダを
クリックした。
第34章 終劇
第35章に続く
604 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/15(木) 17:33:54.97 ID:2jPBwEpe0
第34章 あとがき
八幡「どうしたんだよ。さっきから落ち着きがないぞ」
雪乃「そのようなことはないと思うのだけれど」
八幡「どうみたって、うずうずしてるだろ。
・・・はぁ、その黒い猫は著者が自分の代わりに置いてった猫だぞ」
雪乃「そう? だから、なにかしら?」
八幡「・・・なんでもねえよ。ちょっと猫缶とってくるな。餌の時間らしい」
雪乃「早くしなさい。猫がお腹をすかせているわ。ほら、さっさと行きなさい」
八幡「わかったよ」
・・・・・・・・・・
雪乃「にゅあ~・・・。にゃぁ~」
八幡「(その猫じゃらし。どこに隠し持ってたんだよ?)」
雪乃「あら八幡。戻っていたの」
八幡「前から思ってたんだけど、猫と会話できるの?」
雪乃「なにを言ってるのかしら? 夢は寝ているときに見るものよ」
八幡「(これ以上追及するなって、無言のプレッシャーが・・・)
ほら、猫缶」
雪乃「遅かったわね」
八幡「餌やる前に、締めのフレーズ言ってくれよ。・・・って、聞いてないし。
今週は俺がやるか。
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので
また読んでくださると、大変うれしいです」
雪乃「にゃにゃ、にゃぁ~」
八幡「(やっぱり、猫と会話してるにゃないか)」
黒猫 with かずさ派
610 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:28:50.26 ID:rAodTcpR0
第35章
7月11日 水曜日
俺が携帯画面を見るのを拒むように差し込む西日を避ける為、ビルの柱の陰に入り込む。
夏のむっとする空気が幾分か和らぎはしたものの、携帯に蓄積され続けているメールは
俺の汗腺を緩めてしまう。首も元にねっとりとまとわりつく汗を和らげるために、
ネクタイを緩めて、Yシャツの第二ボタンまで外す。
一応商談ともあるわけでスーツに着替えてはいた。
雪乃の親父さんからは、服装は普段着でいいとのお許しを得てはいたが、
総武家の大将が、ラーメンを作るときのユニホームからスーツへと着替えているのを
見た時は、親父さんのご厚意をやんわり返上していた事に、ほっと息をついてしまった。
やはりビジネスであるわけで、第三者である俺もマナーを守るべきである。
今はいいかもしれないが、雪ノ下の関係者という甘えがなあなあの関係からの甘えを生み、
いつ落とし穴に落ちてしまうかわかったものではない。
とりあえず商談も終わり、大学生に戻った俺は、スーツの上着を鞄と一緒に抱え込み
臨戦態勢で目の前まで迫った恐怖に立ち向かう事にした。
俺が商談中に舞い込んだ携帯データによると、
86通のメールと10件の留守番電話メッセージが届けられている。
雪乃と陽乃さんの二人によるもので、おおよそ半分ずつといった感じだろうか。
内容をまとめると、陽乃さんからは、雪乃を預かった。
返してほしかったら雪ノ下邸まで来い、といった感じだ。
一方、雪乃からは、陽乃さんの戯言に付き合っている時間はないから、
私を迎えにきたら、そのまま帰りましょうといったものだ。
この内容で、どうして86通ものメールを送る事になったのか、
今も送られてきているメールも含めると91通になるのだが、
このメール合戦にいたるまでの経緯など知りたいなど思えなかった。
どうせ陽乃さんが雪乃を挑発して、雪乃が負けじと応戦したのだろう。
とにかく夕方になっても気温は低下してくれないし、
暑苦しい事は極力さけるべきだ。
だから俺は、ビルの陰から西日が強く叩きつけられるアスファルトを早足で歩きだす。
一刻も早く次の日陰に逃げ込もうとテンポよく進む。
だが、一通だけ趣旨が違うメールが着ていた事を思い出し、早足だった足が止まってしまう。
脳にインプットされたメール情報が誤情報でないか確認する為に携帯で再度確認したが、
やはり誤情報ではなかった。
送信者は、雪ノ下陽乃。
611 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:29:20.40 ID:rAodTcpR0
メールの内容は、ペリエ750mL瓶を五本買ってきて。
最後にハートマークやら、うざったい記号が羅列していた事は、この際デリート。
なんだって、このくそ暑い中、4キロほどの水を買って帰らないといけないんだよ。
そもそも俺は歩きなんだぞ。
俺の代りに陽乃さんが運転して帰っているんだから、
その時買えばいいじゃないか。なんだって車の陽乃さんじゃなくて、
徒歩の俺がくそ重い荷物を持って帰らにゃならん。
きっと、これは嫌がらせなんだろうけど、このとき雪乃が陽乃さんをやりこめていたんじゃ
ないかって思えてもきてしまう。
だって、これってただの姉妹喧嘩のたばっちりである事は確定しているのだから。
陽乃「御苦労さまぁ。2本は冷蔵庫に入れて冷やしておいてね。
あとの3本は、あとで片付けるからその辺の置いておいていいわ」
手に食い込んだスーパーの袋を床に置くと、ようやく苦行から解放される。
若干手に食い込んだビニール袋によってしびれは残るが、快適な温度まで気温が下げられて
いるリビングは、俺の疲れを癒してくれていた。
雪乃「八幡は休んでいていいわ。冷蔵庫には私がいれるから」
と、雪乃は冷たく冷えたタオルを俺に渡し、重いビニール袋を運んでいく。
いつもならば俺が重いものを率先として運ぶのだが、ここは雪乃の好意を素直に
受け取っておこう。
八幡「買い物だったら、車で行けばよかったじゃないですか。
しかも、重い瓶だったし。これって嫌がらせですよね?」
陽乃「嫌がらせではないわよ。だって、家に着いてからメールした内容だしね。
もし家にいた時かどうかを疑うっていうのならば、雪乃ちゃんに家に着いた時刻を
確かめてもらっても構わないわ」
毅然とした態度で俺に反論するのだから、本当の事なのだろう。
あまりにも俺の駄々っ子ぶりの嫌味に、ちょっと大人げなかった発言だと反省してしまう。
冷たいタオルが俺の体を癒していくにつれて、どうにか正常モードの思考を取り戻せ
つつあるようだった。
612 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:29:50.69 ID:rAodTcpR0
八幡「いや、陽乃さんがそういうんなら、本当の事なんでしょう?
だったら雪乃に聞くまでもないですよ」
陽乃「そう?」
八幡「でも、ペリエ5本はないでしょ。俺は歩きなんですよ。せめて車の時に
言って下さいよ」
陽乃「うぅ~ん・・・。それはちょっと悪いことしたなって、メール送った後に
気がついたんだけど、でも比企谷君なら断ったりしないでしょ」
八幡「断りはしなかったと思いますけど、俺をいたわってくださると助かりますね」
陽乃「だったらちょうどいいわ」
ちょうどキッチンから戻ってきた雪乃は、陽乃さんの発言を聞きつけて、
綺麗な曲線を描いている眉毛をピクンと歪な曲線に変えてしまう。
雪乃「だったらちょうどいいわではないわ。
最初から姉さんはそうしようと考えていたじゃない」
陽乃「そうだったかしら?」
陽乃さんは、まったく悪びれた顔もせずに、雪乃の追及をさらりとかわす。
だもんだから、雪乃の眉毛はさらに歪さを増してしまうわけで。
八幡「で、なんなんですか?」
陽乃「うん。今日も夕食準備したから、二人とも食べていってほしいなってね」
そう温かく微笑むものだから、俺はもとより、雪乃でさえ反論はできないでいた。
今の陽乃さんの笑顔の前では、雪乃も強くは出られない。
昨日、強引に帰宅しようとした雪乃を見て、陽乃さんが見せた寂しそうな姿を
雪乃も忘れることができないはずだ。
どこかおどおどしく、子供が親に許しを乞おうとする姿に重なってしまう陽乃さんを
見ては、強気でなんていけはしないのだから。
雪乃「わかったわ。食べていくわ」
陽乃「そう? 雪乃ちゃんがOKだしたからには、比企谷君も問題ないわよね?」
八幡「ええ、食べていきますよ。だけど、今度からは、重いものを頼む時は
車の時にしてくださいよ」
陽乃「ええ、わかったわよ。でも、帰宅する前に買い物を頼むって、なんだか
ホームドラマの一場面に出てきそうで、ほのぼのするでしょ?
お帰りぃ。今日も暑かったね。はい、これ頼まれていたやつって感じでさ」
八幡「そんなこと考えてたんですか?」
613 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:30:22.53 ID:rAodTcpR0
陽乃さんの求めるものがちょっと意外すぎて、批難っぽい声をあげてしまったものだから、
陽乃さんはすかさず俺に食いついてきてしまう。
陽乃「そんなことってなによ。
私がいわるゆ家庭的な場面を求めるのが似合わないっていうの?」
八幡「馬鹿にしたわけじゃないですよ。それに、似合わないとも思ってませんって」
陽乃「本当かしら? なんだか比企谷君お得意の論理のすり替えをして、これからうやむやに
しようとしているんじゃなないかしら?」
八幡「違いますって」
この人、どこまで俺の事好きなんだよ。
俺の行動パターン全てお見通しってわけか。
俺の事を時間かけて研究したって、何もメリットなんてないですよって言ってやりたい。
ただ、言ったところで面白いからやだって即時却下されるだけだろうな。
しかし、八幡マイスターたる陽乃さんであっても、今回の分析は間違いなんですよ。
八幡「俺が言いたかったのは、そんな意図的にホームドラマの一場面みたいな状況を
作りださなくても、俺達ってもう家族みたいなものじゃないですか。
だったら、人のまねなんてしないで、自分達らしいホームドラマをやっていけば
いいだけだと思うんですよ。
といっても、俺も雪乃も家庭的って何?って人間なんで、
どうすればいいか、わからないんですけど」
陽乃「えっと、それって、私もその家族の一人に入ってるのかな?」
八幡「入っていますよ。そもそも陽乃さんは雪乃の姉じゃないですか。
だったら、その時点で家族ですけど、・・・・まあ、今俺が言っているのは、
それに陽乃さんが言ってるのも形式的な家族ごっこじゃなくて、
精神的な繋がりをもった家族ドラマだと思うんですけど、
そういう精神的繋がりを持った家族、俺達はやってると思うんですよね。
俺の勝手な思い込みかもしれないですけど・・・」
陽乃「うれしぃ」
八幡「ん?」
陽乃さんの声が、陽乃さんに似合わず小さすぎたんで、戸惑い気味に聞き返してしまった。
陽乃「うれしいって言ってるのよ。たしかに、比企谷君も雪乃ちゃんも、
もちろん私だって、ホームドラマみたいな家族なんて似合わないし、
どうやればそうなるかもわからないけど、・・・もうなってたのか。
そうか、これが家族なのか、な」
八幡「どうなんでしょうね?」
雪乃「あいかわらず適当な事を言う人ね。たまにはいい事を言うものだから
感動しかけてのたのに、なんだか騙された気分ね」
614 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:30:55.75 ID:rAodTcpR0
八幡「俺は適当なことなんて一言も言ってないぞ」
雪乃「たった今言ったばかりじゃない。どうなんでしょうね?って」
八幡「それは、俺達の関係だけが家族じゃないって言っただけさ」
雪乃「もう少しわかりやすく言ってくれないかしらね。
コミュニケーションって知っているかしら?
自分一人が理解しているだけではコミュニケーションは成立しないのよ」
八幡「はいはい、わかっていますよ。これから説明するって。
だからさ、雪乃の親父さんも、そしてあの母ちゃんだって、俺から見たら
家族やってるって思えるだけさ。そりゃあ、あの母ちゃんだし、きついし
相手したくないし、逃げられるんなら即刻退却するけどさ、
それでも、雪乃や陽乃さんのことを大切にしてるなって思えるんだよ」
雪乃「あの母が? 冗談でしょ。あの人は、自分の着せ替え人形が欲しいだけよ。
自分の思い通りに動かない人形には、興味はないわ」
八幡「たしかに、そういう一面は否定できないし、俺もそうだと思う」
雪乃「だったら、あの母のどこに家族ドラマみたいな家庭があるのかしら?
雪ノ下の為。企業だけの為に行動してきたのよ。
現に姉さんのお見合いだって、進められてきたじゃない」
八幡「陽乃さんのお見合いは中止になっただろ」
雪乃「それは八幡のおかげでどうにか取りやめになっただけじゃない」
八幡「俺のおかげかは議論の余地が多大にあると思うけど、
雪乃や陽乃さんを大切に思っていることは間違いないと思うぞ」
雪乃「自分の人形コレクションの一つとして大切にしているだけだわ」
平行線だな。いや、俺があの女帝をフォローするたびに距離が広がっている。
だったら地球を一周回ったら線が交わりそうな気もするが、
ねじれの位置ならば、永久に交わらないし、永遠に距離が広がっていってしまう。
いわゆる「どうあっても交わることのない存在」を表す比喩を思い浮かべるが、
それは直接交わらないだけだと俺は捻くれた横槍を入れたりしたもんだ。
直接交わらないのなら、間接的に交わればいい。
どうせ人間一人では生きられない、ぼっちという意味ではなく、人間社会という意味で、
ならば、誰かしらが緩衝材として働けばいいだけだ。
だったら俺は、雪乃の為ならば、少しくらいあの女帝に近づいてもいいって思えてしまう。
この行動さえも雪乃からすれば余計なお節介なのかもしれないが。
八幡「その辺の事は今回は横に置いといてもいいか?
今回の話とは論旨がずれているからさ」
雪乃「いいわ。べつに、あの人の事を話したいわけでもないのだから」
八幡「助かるよ」
陽乃「それで、私と母達がどうして家族ドラマみたいな家族なのかしら?」
615 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:31:33.62 ID:rAodTcpR0
八幡「どんな家族であっても、なんかしらの問題を抱えているからですよ。
うちだって父親が小町ばかり溺愛して、息子の方にお金をかけてくれないとか、
仕送りをもっとしてほしいって申請しても即時却下だとか、
たまに家族で食事に行くとしても俺の意見は全く聞いてくれないとか、
・・・小町優先なのは俺もだからいいんだけど、
親くらいは俺の事を気遣ってくれと言いたい」
雪乃「それは、八幡が愛されていないだけで、家族の問題にさえならないのではなくて?」
陽乃「そうね。問題意識を持たないのならば、問題にはならないわ」
八幡「そこの冷血姉妹。ちょっとは俺の事を大切にしてくれない?
そもそも雪ノ下家の話をスムーズに進める為に比企谷家の例を出しただけなのに、
どうして俺を揶揄することに全力をあげるんだよ」
雪乃「あら? 揶揄なんてしてないわ」
八幡「どこがだよ」
雪乃「私は、事実をそのまま言ったまでで、人を貶める発言など一切していないわ。
そもそも私があげた事実を聞いて、それで自分が馬鹿にされたと思うのならば、
その本人が自分の悪い点を自覚していると考えるべきだわ。
そうね、補足するならば、見たくもない事実を目にしてしまったということかしら」
雪乃は首を傾げながら饒舌に語りだす
そして、顔にかかった長い髪を耳の後ろに流す為に胸の前で組んでいた腕を解く。
八幡「別に認めたくない事実でもないし、仮に事実だとしても、
親が俺の事を放任してくれていて助かってるから問題にはならない」
雪乃「強がっている人間ほど、認めないものよ。
早く楽になりなさい。人間、一度認めてしまえば、あとは落ちるだけよ。
最低人間の極悪息子なのだから、仕送りをしてもらっている事実だけで
ご両親に最大限の感謝をすべきだわ」
八幡「なあ、雪乃。お前って、俺の彼女だったよな?」
最近では、あまりく聞くことがなくなってきた雪乃の毒舌。
久しぶりすぎて耐性が落ちてきている気もする。
ある意味新鮮で、高校時代を思い出してしまい、感慨深かった。
雪乃「そうよ。あなたみたいな男の彼女をやっていけるのは、私しかいないわ。
だから、・・・感謝するのと同時に、けっして手放さないことね」
訂正。高校時代とは違って、現在はデレが入っております。
頬を赤く染めて視線をそらす雪乃を見て、これが典型的なツンデレかと感動してしまった。
これがツンデレが。ツンデレだったのか。
616 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:32:02.24 ID:rAodTcpR0
高校時代の雪乃の場合、ツンはツンだけど、そのツンの破壊力がでかすぎて、
殲滅兵器だったからなぁ。
たとえデレがあったとしても、ツンによって殲滅された後に雪乃しか立っていなければ
ツンデレは成立しない。
八幡「そうだな・・・そうすることにするよ」
雪乃「ええ、そうすることを強くお勧めするわ」
陽乃「あぁら、私は一言も比企谷君を傷つけたりしないわよ。
どこかの言語破壊兵器娘とは違って、大切な人がいるのならば、
自分自身が傷つけることはもちろん、他人にだって傷付けさせないわ」
八幡「いやいやいや・・・、さっき雪乃と一緒に言っていましたよね?」
陽乃「私が言ったのは、問題意識を持たないのならば、問題にはならないわって
言っただけよ」
八幡「それが揶揄しているって言うんじゃないですか」
陽乃「違うわね」
八幡「陽乃さんの中だけでは、そうなのですか?
でも、俺の中ではそれを揶揄しているっていうんですよ」
陽乃「私の中でも相手に向かって言ったのならば、揶揄しているというわ」
八幡「だったら、俺に対して揶揄したことになるじゃないですか」
陽乃「それは違うわね」
あくまで強気で、挑戦的な瞳をしている陽乃さんにくいついてしまう。
この人に立ち向かったって、痛い目をみるだけの時間の無駄だってわかっている。
だから、むしろ立てつかないで、うまく受け流すべきなのだろう。
だけど、この人を知っていくうちに、深く関わりたいと思ってしまう自分がいた。
八幡「どう違うんですかね?」
陽乃「それは、私が比企谷君に対して言った言葉ではないからよ」
八幡「はぁ?」
要領をえない。陽乃さんが何を言っているのか理解できず、
気が抜けた短い返事しかできないでいた。
陽乃「だから、私は比企谷君に向かって発言していないって言ってるのよ。
私がした発言は、雪乃ちゃんが言った発言に対する同意意見であって、
比企谷君をさして発言した内容ではないってことよ。
つまり、一般論を言ったってことかしらね」
八幡「はぁ・・・」
陽乃さんが言っている意味はわかる。わかるんだけど、ずるくないか?
617 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:32:33.07 ID:rAodTcpR0
いくつかの意味にとれる言葉を使って、責任をうまく回避していて、
なんだが政治家が使う口述技法と重なってしまう。
陽乃「ね? 比企谷君を傷つける言葉なんて、どこかの自称彼女とは違って
一言も言っていないでしょ」
八幡「たしかにそうなんでしょうが・・・」
と、陽乃さんは、自分はいつだって味方だと言わんばかりに俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
自分を大切にしてくれて、いつも味方でいてくれるというのならば、それは俺だって
嬉しく思える。
だけど、陽乃さんの行動が、さらなる危機を招くってわかっていてやっているのだから、
これは完全なる味方だって言えるのか?
げんに雪乃の殲滅兵器起動のセーフティーロックが外された音がはっきりと耳がとらえたし。
それは陽乃さんだって、知覚しているはずだ。
陽乃「ねぇ、酷いわよねぇ。暑い中帰って来たというのに、冷たい麦茶の一つも
用意しないだなんて、そんな彼女はいないわよね。
はい、八幡。これ飲んで」
陽乃さんは、いつの間に用意したのか、氷が適度に溶けだし、グラスがうっすらと
曇り始めた麦茶を俺に手渡す。
八幡「あ、ありがとう、ございます」
陽乃「もう、他人行儀なんだから。暑かったから喉が渇いたでしょ」
八幡「そうですね。夕方なのに蒸し暑いし、なれないスーツっていうのもきつかったですよ」
陽乃「そうでしょ、そうでしょ、ささ、ぐぐっと飲んで」
八幡「あ、はい」
きんとくる爽快感が喉を駆け巡る。熱くほてっていた体も、この麦茶を皮切りに
クールダウンに入ってくれそうだ。
雪乃の親父さんとの会談。その後の雪ノ下姉妹の対決。
おっと、大学での時間調節もあったか。・・・あれは、明日にでも橘教授の元に
行かなくてはならないから、問題ありだけど、今日はもういいか。
色々面倒事の目白押しだったけれど、今日はもういいよ。
喉の渇きが癒されたら、今度は胃袋が陳情してくる。
ただでさえ暑くて燃費が悪いのに、緊張の連続で激しくエネルギーを消費してしまった俺の
エネルギーは枯渇間近であった。
陽乃「ねえ、比企谷君。今日は、銀むつの煮付けを作ったのよ。
食べたいって言ってたわよね」
618 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:33:04.75 ID:rAodTcpR0
八幡「え? 本当に作ってくれたんですか?」
陽乃「もちろんよ。先日デートに行った時、デパ地下でお惣菜を見ていたときに
食べたいって言ってたじゃない」
たしかにデートはデートだけど、ストーカーをいぶりだす為の偽デートじゃないですか。
でもここで訂正入れても面倒事を増やしそうだし、かといってこのまま受け入れたら
雪乃が黙ってない、か。
と、雪乃の出方を伺おうと視線だけ動かすと、雪乃は俺の視線を感じて
ゆっくりと瞬きを一つ送ってよこしてきた。
・・・・・・セーフってことかな?
八幡「たしかにいましたけど、覚えていたんですか?
でも、あの時見たのは西京焼きでしたよね」
陽乃「そうよ。西京焼きも好きだけど、煮付けの方が好きだって言ってたから、
作ってみたのよ。でも、味付けが比企谷君好みだといいんだけどね」
八幡「そんなの陽乃さんの作ってくれるものだったら、
美味しいに決まってるじゃないですか」
陽乃「もうっ、嬉しいこと言ってくれるわね。でも、比企谷君好みの味付けも覚えたいから
ちゃんと意見を言ってくれると助かるわ」
八幡「あ、是非」
と、空腹の俺に好物を目の前に放り込まれてしまっては、雪乃の痛い視線に気がつくのに
遅れてしまっても、しょうがないじゃないか。
だって、疲れているし、好物だし、嫌な事忘れて食事にしたいし・・・。
はい、ごめんなさい。
俺は、やんわりと陽乃さんが絡めて来ていた腕をほどくと、雪乃に謝るべく膝を床についた。
第35章 終劇
第36章に続く
619 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/22(木) 17:33:33.88 ID:rAodTcpR0
第35章 あとがき
八幡「もう一方の連載のあとがきには、サブヒロインの和泉千晶って人が
出ているらしいな」
雪乃「そう・・・。だとしたら、こちらもサブヒロインの姉さんが出ればいいのに。
私、ヒロインだし・・・、忙しいのよね」
八幡「それは著者に文句を言って欲しいけど、でもそうなるとなぁ・・・」
雪乃「姉さんだと何か不都合でもあるのかしら?
ん? どこを見ているの、八幡?
・・・・・・・さすがに外で胸をじっと見つめられるのは恥ずかしいわ」
八幡「いや、なあ・・・」
雪乃「後ろに隠したのを見せなさい」
八幡「はい」
雪乃「和泉千晶のプロフィールじゃない」
八幡「別に隠したわけじゃないって。ただ、なんとなく、他の女のプロフィールを
俺が持っていたら、雪乃に悪いかなってさ」
雪乃「そう?(にっこり)
だったら、いいわ。・・・・・・・・・・・あら?」
八幡「(ぎくっ)」
雪乃「ねえ、八幡」
八幡「なんでしょう」
雪乃「この和泉千晶って人は、胸が大きいのね。しかも、全登場人物中最大なのね。
それで、もし、姉さんがこちらで登場でもしたら
胸の大きさで登場人物を選んだって考えたのではないでしょうね?」
八幡「滅相もありません(冷や汗)」
雪乃「とりあえず、
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので
また読んでくださると、大変うれしいです。
さあ、八幡。楽しい話し合いを始めましょうね」
黒猫 with かずさ派
623 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:30:11.41 ID:ebUOfYOG0
第36章
7月11日 水曜日
陽乃さんの指示の元、俺と雪乃はその手足となって料理を運んでゆく。
三人が一斉にキッチンを動きまわったら身動きがとりにくくなって非効率かと思いきや
そこは雪ノ下邸。比企谷宅とは違って三人が一同に行動しても問題はなかった。
どことなく注意深くキッチンを観察すると、俺と雪乃が暮らすマンションのキッチンと
どことなく雰囲気が似ている気がする。
もちろん部屋の作りが違うし、規模だって違う。
だけど、なんとなくだけど使い慣れた感じがするっていうか、
違和感を感じないのは、
雪乃が実家キッチンの仕様をそのまま導入しているからだと思えた。
比企谷家の台所にだって比企谷家なりのルールがあって、主に台所の支配者たる小町が
作ったルールが絶対なのだが、その小町が作ったルールでさえ俺の母親が
台所を自分なりに使いやすいようにアレンジしたものが源流だ。
そう考えると、いくら実家を飛び出して高校から一人暮らしをしだした雪乃であっても
実家での生活の全てを実家に置いてくることなんてできなかったんだって
今さらながら思いいたってしまうわけで。
ま、だからなんだって話で、雪乃に話したら、自分が使いやすいようになっているだけよって
そっけなく突き放されそうだけどさ。
陽乃「あまり改善点らしい意見はなかったわね。
本当にこのままでいいの?」
食事が進み、陽乃さんから依頼を受けていた銀むつの煮込みへの意見。
俺好みの味を知りたいって言われても、俺が今まで食べた中で最高に美味しかった。
なにせ俺が初めて食べたのは、親父が東京駅のデパ地下で買ってきたものであり、
そして、それを俺が大絶賛したものだから母親が自分なりに作るようになった。
そもそも親父だって、しょっちゅうそのデパ地下に行けないわけで、だからこそ
母親が作ってくれるようになり、そして平日夜の料理番を任されるようになった小町
が比企谷家標準の味付けとなった。
味付けに関しては、お店の物とは違うのだけれど、俺好みに改良されており、
なにより小町が作ってくれているんだから文句はない。
文句がないのは陽乃さんが作ってくれたものも同じだ。
624 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:30:40.18 ID:ebUOfYOG0
でも、同じ文句がないでも、その方向性が違うのが大きな差なのだろう。
八幡「俺が今まで食べた銀むつの煮付けの中で、ダントツで美味しいですって。
だから、これをどう改善すればいいかなんてわからないですよ。
むしろなにか俺の意見を取りいれることで味のバランスが崩れかねませんか?」
陽乃「その辺の味のバランスは、私の方で調整するから、比企谷君がもっと甘い方が
いいとか、しょっぱい方がいいとか言ってくれると助かるんだけどな」
八幡「味加減も抜群だと思いますよ」
陽乃「それじゃあ、面白みがないじゃない。
私の味付けを比企谷君に押し付けているみたいで。
私は、比企谷君の好みが知りたいのよ」
八幡「そう言われましても・・・」
雪乃「八幡に無理難題を押し付けても、八幡が困るだけよ。
それに、私も姉さんの味付けはバランスがとれていると思うわ」
八幡「そうですって。俺の意見を聞くまでもないほど美味しいんですから」
陽乃「そ~お? だったら雪乃ちゃんが作ってくれたのと比べたらどうかしら?
作った人が違ったら、味付けが変わるでしょ」
八幡「いや・・・、その」
雪乃「ないわ」
陽乃さんが望むアットホームというべき温もりに満ちた食卓が、
雪乃を中心に遥か遠くの南極の風を吹き乱す。
室温は一気にマイナスを振り切り、絶対零度。
この極寒の世界で生きられるのは、
雪の女王たる雪乃とパーフェクトクィーンたる陽乃さんくらいだろう。
あとは雪乃と陽乃さんの母親を思い浮かべるが、
あれはあれで別次元の生き物って感じだし。
そんなわけで小市民たる俺は、吹雪が止むのを黙って見ているしかなかった。
陽乃「ないって?」
雪乃「銀むつの煮付けを作った事がないっていっているのよ」
陽乃「そうなの?」
雪乃「ええ、そうよ」
陽乃「一応言っておくけど、銀むつってメロのことよ」
雪乃「そのくらいは知っているわ」
陽乃「雪乃ちゃんって、銀むつ嫌いだったっけ?」
雪乃「嫌いではないわ。ただ・・・」
陽乃「ただ?」
雪乃「・・・・・・・知らなかったのよ」
625 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:31:07.55 ID:ebUOfYOG0
雪乃の小さな呟きは、俺達の耳までは届かなかった。
けれど、雪乃の姿を見れば、陽乃さんはもちろん、俺だって見当はつく。
その言葉の裏に込められた意味までも、しっかりと。
雪乃「知らなかったのよ。だって八幡、言ってくれなかったじゃない」
八幡「言う機会がなかっただけだって。スーパーに行っても、銀むつって
サンマやイワシみたいなメジャーな魚じゃないだろ。
だから、陽乃さんが知っているのも、
たまたまデパ地下の総菜コーナーで見かけたからにすぎない」
雪乃「そうかもしれないけれど、だからといって・・・」
陽乃「姉の私が知っていて、彼女たる雪乃ちゃんが知らないのは許せない?」
だから、やめて下さいって、煽るのは。
挑発的な顔をして雪乃を追い詰めるのは、ただただ姉妹喧嘩に発展するだけじゃないですか。
いまや絶対零度の吹雪を撒き散らしていた雪乃王国の氷塊は溶け始めていた。
なにせ熱砂の女王陽乃さんが雪乃国に熱波をたたきこんで
食卓を混乱に引きずり込もうといしているのだから。
雪乃「姉さん!」
陽乃「彼女だからって、全てにおいて他者よりも優れていたい?」
雪乃「そんなことは・・・」
陽乃「彼女だから、誰よりも比企谷君を理解している?」
雪乃「それは・・・」
陽乃「彼女だから、他の女を寄せ付けたくない?」
雪乃「だから、姉さん・・・」
陽乃「彼女だから、比企谷君の・・・」
八幡「陽乃さん、もうその辺にしときましょうよ」
陽乃「そう?」
雪乃は俯き、膝の上で握りしめているだろう拳をじっと見つめていた。
その表情は黒髪が覆い尽くしている為に確認できないが、
きっと打ちひしがれているのだろう。
・・・いや、負けず嫌いの雪乃のことだから、陽乃さんを睨みつけながら反旗の機会を
探っているか?
どちらにせよ、ここで止めないとせっかく改善した姉妹関係が壊れかねない。
それにしても今日の陽乃さんは、踏み込み過ぎていないか?
今までだって小競り合い程度のコミュニケーションは何度もあったけれど、
今日みたく雪乃を追い詰めようとしたことはない。
だから、不安になってしまう。
626 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:31:39.78 ID:ebUOfYOG0
何を考えているかわからない陽乃さんに逆戻りしてしまうんじゃないかって、
陽乃さんから漏れ出ているかもしれない不気味な雰囲気を探してしまいそうになってしまう。
八幡「雪乃もいいな」
雪乃「私は・・・、構わないわ」
八幡「あとな、雪乃・・・」
雪乃「なにかしら?」
雪乃を顔をまっすぐ見つめて、言うべきか迷ってしまう。
俺がこれから言おうとしている事は間違いではない。
おそらく正しい。けれど、今の精神状態の雪乃が理解してくれるだろうか?
人は時として、事実を受け入れられなくなる。
正しいのだけれど、正しいと理解できなくなってしまう。
それでも今の雪乃には必要な言葉だと、信じたい。
八幡「雪乃が俺の事を理解するなんて、無理だと思う」
このたった一言で、雪乃の顔が凍りつく。
うつろな目で俺を見つめ返し、膝の上になったはずの手は、
だらりの椅子の下の方へと垂れ下がる。
裏切られたと思っているはずだ。
どんなときだって味方だと思っていた俺に見捨てられたと思っているはず。
なんだけど、こればっかりは言っておかないといけない、と思う。
八幡「長年一緒に育った小町だって、俺の事を全ては知らないし、
俺だって小町の事を誰よりも理解しているって、うぬぼれてはいない。
そもそもこんな一般論を言う事自体必要な事ではないと思うんだけどさ、
なんだか今の雪乃には、こんな教科書に載っているような一般論が必要かなって」
陽乃「ある人物の全てを知る事はできない。
知ることができるのは、ほんのわずかな一面のみ。
親しい人ほど、その人物が持つ一面を数多く手にしてくけれど、
それは多いだけであって、すべてではない。
裏を返せば、親友が知らなくても、顔見知り程度の人が知っている事さえ
あり得るってことかしらね」
八幡「まさしく教科書通りの解説ですね。まあ、そんなところですよ」
雪乃「いまさら小学校の教科書に出てくるような事例を八幡に上から目線で
ご演説して頂けるとは思ってもいなかったわ」
雪乃の力が抜けきっていた肩がピクリと反応したかと見受けられると、
半分虚勢が入りつつも胸をしっかりと張る。
627 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:32:14.42 ID:ebUOfYOG0
そんな雪乃を見ていると、
どこまでも負けず嫌いなんだよって誉め撫でまわしたい衝動に駆られてしまう。
なんて自制心を鍛えていると、俺の漏れ出たわずかの衝動を察知した雪乃の瞳が
笑いかけてきているのは思いすごしではないだろう。
なにせ陽乃さんがむすぅっと俺を雪乃を見比べているのだから、ほぼ確定事項といえた。
陽乃「そうね。雪乃ちゃんなんて、涙ながらも比企谷君の演説を聞いていたんだから、
なかなかの演説だったといえるんじゃない?」
雪乃「姉さん・・・」
陽乃さんに険しい視線を向ける雪乃を見て、俺はため息しか出てこなかった。
陽乃さんも陽乃さんで、どうして雪乃に挑戦的なんだよ。
これが雪ノ下姉妹の正常な関係って言われてしまえば、そうなんだけど、
その姉妹の間に置かれている俺の事も考えてほしいものだ。
八幡「もう、いいでしょ。俺だって雪乃の事を全て知っているわけじゃないし、
俺よりも陽乃さんの方が雪乃の事を知っている事は多いはずだ。
その一方で、ここ数年の雪乃に関しては、
誰よりも俺が知っていると自負しているけどな」
陽乃「はい、そこ。のろけない」
八幡「のろけていませんって。それに陽乃さんのことだって、ここ数日で大きく印象が
変わってきているのも事実なんですよ。
はっきりいって、今までの印象との落差がありすぎて、戸惑っているというか
・・・・いや、当然の結末だったというか、かな?」
陽乃「どうなんでしょうね? 比企谷君が今見ている私も、それ以前の私も、
同じ雪ノ下陽乃だと思うよ。だって、私は私だもの」
八幡「それは事実ですけど、俺の頭の中でイメージされている雪ノ下陽乃は
やはり変化していますよ」
陽乃「それは、比企谷君が私の事を知らないだけよ」
八幡「ですよねぇ・・・」
雪乃「落ち込むことなんてないわ。なにせ私なんて、生まれてきた時から姉さんの事を
見てきたけれど、全く理解できないもの。
・・・・そうね、理解しないほうが幸せなのかもしれないわ」
そっと頬に手を当てて陽乃さんを流し見る雪乃の姿に艶っぽさを感じてしまったのは
ここでは内緒だが、陽乃さんを理解しようと踏み込むのは、雪乃が言うような不幸せには
ならないと思う。ただし、空回りしてしまうとは思ってしまうが。
なにせ、陽乃さんは自分を見せない人だ。だから、ひょんなことがきっかけで
突然垣間見せる陽乃さんの本心を見逃さないように注意深く見守るしかないのだろう。
628 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:32:42.59 ID:ebUOfYOG0
陽乃「女はね、謎があったほうが魅力的なのよ。
男は理解できないから理解したくなるってものじゃない」
雪乃「理解したいって思って下さる殿方がいらっしゃればいいわね、姉さん」
言葉づかいこそ丁寧だが、絶対雪乃の言葉の裏には悪意がこもっているだろ。
にっこりと細めた目の奥には、きっと陽乃さんへの反骨心がこもっているはずだ。
陽乃「そうねぇ・・・」
陽乃さんも陽乃さんで、妖艶な瞳を俺に送ってくるのはよしてください。
陽乃「まずは自分を理解してもらおうと思ったら、相手の事を理解しないと。
だ・か・ら、今日は銀むつの煮付けを作ってみたけど、
今度は、西京漬けの方を作ってみるわね」
八幡「宜しくお願いします」
陽乃「それと、煮付けの方も私の方で研究してみて、ちょっと味付け変えたのが出来たら
また食べてくれると嬉しいな」
八幡「絶対食べますって。俺の方がお願いしたいほどですよ」
陽乃さんは、俺の返事に頬笑みで返事を返してきた。
もう終わりだよね? 大怪獣戦争は終わりだよね?
食事の話に戻ってきたし、核戦争は防がれたんですよね?
俺は、ある意味「楽しい話し合い」が終わりを迎えた事に胸を撫でおろす。
やや雪乃の方には不満がくすぶっているみたいだが、ここは我慢してくださると助かります。
波乱に満ちた食事も終わり、食後のコーヒータイムとしゃれこんでいた。
香り高いコーヒーの誘いが鼻腔をくすぐる。
これといってコーヒーにこだわりがあるわけではないし、
人に自慢するような知識もあるわけでもない。
だからといって、コーヒーの香りの魅力が落ちるわけはなく、
陽乃さんが淹れるコーヒーの香りに体は素直に反応する。
コーヒーの臭いを嗅ぐと、体がコーヒーを渇望してしまう。
まっ、MAXコーヒーはコーヒーのジャンルではあるが、それはそれ、あれはあれだ。
むしろマッカンは、MAXコーヒーというジャンルだと思える。
コーヒーに格別詳しいわけではない俺であっても、
毎日のように嗅いでいる特定のコーヒー豆ならば、
なんとなくだけど、いつものコーヒーだなって気がつくことができる。
629 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:33:08.66 ID:ebUOfYOG0
雪乃の紅茶を淹れる動作もそうだが、陽乃さんのコーヒーを淹れる仕草は絵になっていた。
雪乃が柔らかい物腰だとしたら、陽乃さんはきりっとした優雅さを描いている。
いつもはコーヒーメーカーで淹れるらしいが、今日は特別にハンドドリップだそうだ。
本人いわく、コーヒーメーカーでやっても、自分でいれても大した差はないわ。
自分でやるのは面倒だし、時間と手間がかかるだけ。
だったら、機械に任せた方が効率的なのよ、とのことだったが、
俺からしたら、陽乃さんがコーヒーを淹れてくれている動きそのものがご馳走であり、
コーヒーの魅惑をより高めているとさえ思えてしまった。
先日も陽乃さんに手料理をご馳走になったが、
そのときも包丁の選択を気持ちの問題で選んだところがあった。
普段の陽乃さんの行いを見ていると、なにかしらの意味・効率があると思えていた。
人の気持ちを手玉にすることも多々あるが、面白半分で行動に起こす事はない。
むしろ明確な目的があって行動するわけで、気持ちの問題で選択などしないと思える。
人間なんて気持ちでモチベーションや成功率が大きく変化するのだから、
陽乃さんに限って気持ちの部分を切り離して語ろうだなんて論理的ではない。
ただ、自分の気持ちを切り離して、親の期待を優先して行動してきた陽乃さんだからこそ、
俺は陽乃さんの行動原理においては気持ちの部分を切り離して考えてしまう悪い癖が
ついてしまったのかもしれなかった。
だから、真心というか、陽乃さんがそういった気持ちの部分を大切にしてくれて
いる事自体が、無性に嬉しくも思えていた。
陽乃「鼻がひくひく動いて可愛いわね」
俺の鼻を見て、小さく笑顔を洩らす陽乃さんに、俺は顔が赤くなってしまう。
コーヒーに誘われて、体が反応してしまったのも恥ずかしかったが、
それよりも、陽乃さんのコーヒーを淹れる姿に魅入っていたことに
気がつかれてしまったことに恥じらいを覚えた。
その俺の恥じらいさえも陽乃さんにとっては、歓迎すべき振るまいなのだろうか。
機嫌が悪くなるどころか、鼻歌まで歌いそうな勢いで準備を進めていく。
八幡「なあ、雪乃。これって、いつも家で飲んでいるコーヒーじゃないか?」
陽乃「そうなの?」
俺と陽乃さんは、雪乃にコーヒー豆の答えを求める。
急に雪乃に話が振られたせいで、雪乃は一瞬キョトンとしたが、
すぐさまいつもの調子でたんたんと解説をしてくれた。
ただ、俺と目が合った時、ちょっと不機嫌そうになったのは気のせいだろうか?
なにか雪乃の機嫌を損ねることなんてしたかなぁ・・・・・・。
雪乃「ええ、うちのと同じコナコーヒーよ」
630 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:33:44.25 ID:ebUOfYOG0
八幡「いつも飲んでるのって、コナコーヒーだったのか」
雪乃「自分が飲んでいるコーヒーくらい知っておきなさい」
陽乃「でも、雪乃ちゃんがコナコーヒーを選ぶなんて意外ね。
いや、想像通りっていうのかな?」
陽乃さんは、ひとり何やら疑問に思ったり、納得したりとニヤついているので
この際ほっとこう。むやみに突っ込むと、被害を受けるのはこっちのほうだ。
八幡「てっきりスーパーで買ってきた何かのブレンドか何かかと思ってたんだよ。
だってさ、雪乃ってコーヒーにはこだわりがなさそうだから」
陽乃「そう? 雪乃ちゃんもコーヒー飲まないわけじゃないわよ」
八幡「そうなんですか?」
陽乃「だって、雪乃ちゃんが実家にいた時、私がコーヒー淹れてあげてたんだから。
今日淹れたコナコーヒーも、私が特に好きな銘柄で、
雪乃ちゃんも好きだと思うわよ」
八幡「へぇ・・・」
意外だった。雪乃は、いつも紅茶ばかり飲んでいるから、コーヒーはそれほど好みが
あるとは思いもしなかった。
いや、紅茶が好きだからといって、コーヒーの好みがないって決めるけるのは早計か。
陽乃「雪乃ちゃんって、私の事がちょっと苦手なことろもあったから、
比企谷君に私が好きなコーヒーを勧めるなんて意外だったわ」
雪乃「八幡がいつも甘いコーヒーばかり飲んでいるから、心配になったのよ。
外ではいつも甘すぎるMAXコーヒーだし、家ではインスタントコーヒーに
練乳をたっぷり入れて飲んでいるのよ。
いつか糖尿になるんじゃないかって心配になるじゃない。
・・・・・・・だから、美味しいコーヒーを八幡に飲ませれば、
少しは甘くないコーヒーも飲むかなって・・・。
だからね・・・、コーヒーなら姉さんのチョイスを信じたほうがいいかと」
陽乃「うぅ~んっ。雪乃ちゃんってば、健気で可愛いすぎるっ。
思わず抱きしめたくなるわ」
雪乃「姉さん。抱きしめたくなるわではなくて、既に抱きついているのだけれど」
すでにコーヒーを淹れ終わったのか、コーヒーカップを3つのせたトレーとテーブルに
置くと、陽乃さんは雪乃の後ろから抱きついていた。
そのあまりにも素早すぎる動きに俺も雪乃も気がつかないでいた。
気がつかないというよりは、一連の動作があまりにも自然すぎて違和感がなかった。
だから、陽乃さんが雪乃の後ろに回り込んでいた事に気がつかなかったのかもしれない。
631 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:34:12.25 ID:ebUOfYOG0
雪乃「ちょっと、・・・姉さん、苦しいわ」
陽乃さんの強烈な胸に頭を圧迫されている雪乃が、目で俺に助けを求めてくる。
どうしろっていうんだよ?
下手に手を出したら、二次被害に陥るぞ。
ましてや、どこにどう手を出せばいいんだ。
百合百合しい光景に目が奪われていたわけではない事は、主張しておこう。
だから俺は、トレーからカップを一つ手に取って、
そのまま口にカップをよせたとしても、なにを非難されよう。
うん、うまい。この前も陽乃さんのコーヒーを飲んだけど、さすがだ。
ま、俺に味の違いなんてわからなくて、気持ちの問題なんだけどさ。
俺が優雅にコーヒーを楽しんでいると、ちょっと忘れようとしていた問題が蒸し返される。
先ほどより強く鋭い雪乃の視線が俺に突き刺さっている。
おそらく、早く助けなさいって、雪乃が目で訴えているんだろう。
その必死な視線を貰い受けたのならば、彼氏としては助けるべきなのだろうな。
でも、相手はあの陽乃さんなんだよなぁ・・・。
へたに助けに入ると俺の方がさらなる被害をうけちゃうし。
だから、雪乃。ここは一つ自分で頑張ってくれ。
俺は、再び雪乃達の百合百合しい姿緒堪能・・・いや、静かに見守るとするよ。
きっと陽乃さんも飽きれば解放してくれるはずだしさ。
さて、俺は陽乃さんが淹れてくれたコーヒーを飲んで待ちますか。
第36章 終劇
第37章に続く
632 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/01/29(木) 17:34:41.78 ID:ebUOfYOG0
第36章 あとがき
八幡「今週は雪乃の代りに他の奴がきているらしいんだけど、まだ来てないじゃないか。
俺一人にあとがきを任せるだなんて無謀すぎるだろ、著者のやつ」
千晶「どこを見ているのかしら?
その腐った目は、ただの飾りなのかしら?」
八幡「遅刻しておいて、いきなり毒舌だなんて、どういう事だよ」
千晶「あら? やはり腐っている目の持ち主は、脳まで腐りかけているみたいなのね。
あなたがここに来る三十分前には、既にここに来ていたわよ」
八幡「いや、それは、嘘だろ。って、お前誰だよ?」
千晶「和泉千晶だけど?」
八幡「ああ、あの(胸がでかい)
ん?」
千晶「どこをみてるの? そんなに胸が見たいの? 警察をよんだ方がいいわね」
八幡「違うって。プロフィールの胸のサイズが違うなって思ってさ」
千晶「それは、サラシを巻いているからだよ。だって、
雪ノ下雪乃って人は、胸が著しく小さくて、毒舌を吐くヒロインなんでしょ。
だったら、雪ノ下雪乃を演技するんなら、
私みたいに胸が大きすぎると、やっぱちがうじゃない」
八幡「そりゃあ、なあ」
千晶「でしょ。ま、遅刻してごめんね」
八幡「やっぱ、遅刻してるじゃないか」
千晶「来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので
また読んでくださると、大変うれしいです。
来週もこっちで仕事しろってさ」
八幡「来週もかよ」
黒猫 with かずさ派
次回 やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている ) その4
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