1: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 19:54:01.96 ID:p+8xgFFU0


捏造多数

アイドル養成所設定
(練習生→デビュー候補生)→プロダクション所属アイドル


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1470048841

引用元: 姫川友紀「あたしはマウンドに立ちたいだけ」橘ありす「アイドルに興味はありません」 


 

2: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 19:55:42.34 ID:p+8xgFFU0
アイドルになりたい

そう願った人間は今までに星の数ほど存在し、彼らはそれぞれの経験から、アイドルを目指す動機を見つけ出しているはずだ

時に、その動機はアイドルとしてデビューしたその先にある、ということもあるかもしれない。私もその例に含まれる

3: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 19:56:30.11 ID:p+8xgFFU0
ただ、何となく。純粋にアイドルになりたいと願う者こそが、アイドルに相応しいのではないかと感じていた

アイドルとなる宿星を持つ者こそがアイドルとなる。それは至極当然で、残酷で、とても美しいことのように思えた

私の動機はそれに比べてまったく不純であり、目を輝かせた周囲の候補生達との競争の中で生き残れるか不安だった

4: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 19:57:02.80 ID:p+8xgFFU0


しかし彼女は言った

全身に気を張って、目をぎらつかせながら

アイドルになることは『過程』だと言い切ったのだった


5: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 19:58:06.60 ID:p+8xgFFU0


彼女は、ハンドグリップを掌に収めて、レッスンルームに面した休憩室の隅に座っていた

ここに居るのに相応しくない人だと思った。おそらく何か屋外で行うスポーツの経験者だろうか、その肌は周囲のいかにも女の子、といった人達と比べてやや浅黒い

茶色がかった長い髪はお世辞にも整えられているとは言えそうにない、ボサボサの髪だ

アイドルの卵として集まった数十人の女の子たちの中で、その雰囲気は浮いていた

6: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 19:58:50.98 ID:p+8xgFFU0
「大切な、候補生としての最初のレッスンの前に握力を鍛えるって……何を考えているんだろう、あの人」

「ジムにでも行った方がいいんじゃない?」

潜められた声で彼女に対する評が発された。私も同じような感想を持ったが、彼女はその声に対しては特に反応せずに黙々とグリップを軋ませていた

7: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 19:59:36.88 ID:p+8xgFFU0
しばらくして、扉が開く音が聞こえ、休憩所に居た皆が一斉に緊張を高める

レッスンルームからトレーナーの女性が現れ、入室するように指示された

グリップを乱雑に鞄に放り込み、ピンと背を張って、行進のようにきびきび歩くその姿

彼女は来る場所を間違えているのではないかという疑問を捨てきれることができなかった

8: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:00:23.42 ID:p+8xgFFU0


「そうだな……まずは、おめでとう」

「君たちは、この養成所グループに所属する数百という練習生の中から選ばれ、晴れてデビュー候補生となった」

「もちろん、ここにきて緊張を緩める者は居ないだろう」

「ここにいる数十人、全員がアイドルデビューする者として選ばれるかもしれないし、もしかしたら全員がアイドルにはなれないかもしれない。ここが厳しい世界であることは、皆は既に十分、分かっていると思う」

不可解なセンスの服を着た女性トレーナーの説明を聞きながら、私はゆっくりと深呼吸をした

9: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:02:06.37 ID:p+8xgFFU0
「ボーカルレッスン、ダンスレッスン、各種のレッスンで、各々が切磋琢磨し……」

このレッスンルームに集められた候補生の中で、アイドル業界に出ることができる人間が一人でもいれば割合としては上等なのかもしれない

その中で、私は戦っていくのだ

10: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:02:35.75 ID:p+8xgFFU0
「……そんな心構えで、ぜひ、諸君の夢を追い続けてもらいたい。ここでは、その夢のために必要なことを、全力でサポートしていくつもりだ」

説明に区切りがついたところで、トレーナーはこう言った

「では、早速レッスンに……おっと、その前に軽く、自己紹介をしてもらおうか。志望動機も含めて頼む」

「一番後ろの列の、こちらから見て右側から……」

11: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:03:22.45 ID:p+8xgFFU0


「私は、高垣楓さんに憧れてーーー」

「小さい頃からダンスのレッスンを行っていてーーー」

「昔、握手会に参加した際に元気をもらい、私も誰かに幸せを届けられるようにーーー」

順次、候補生たちが志望動機を話していった

みんな目を輝かせて、キラキラしていた

12: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:04:13.44 ID:p+8xgFFU0
……私は

私は大人になったら、歌や音楽を仕事にしたかった。その過程でアイドルになることが出来たら、その後の仕事が色々とやりやすくなるのではないかと思い、アイドルを志したのだ

母も、当初はその理由に心配な様子だったようで、アイドル目前であるこの候補生となったことを伝えたときにようやく安心した顔を見せてくれた

私は、アイドル自体に興味は無かった

13: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:05:14.73 ID:p+8xgFFU0
かと言って、ここで

「アイドルに興味はありません」

なんて。言えるはずもない

とりあえず、志望動機の指南書の例文にあるような無難な内容を述べた

名前を省き、橘という苗字のみを名乗ったが、特に何か言われたりはしなかった

14: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:06:39.35 ID:p+8xgFFU0
「ーーーです。よろしくお願いします!」

「ありがとう。では、次の人」

そうこうしているうちに、あの彼女の番が来た。正直、気になっていた

彼女はどんな自己紹介をするのだろうか、と

15: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:08:34.86 ID:p+8xgFFU0


「姫川友紀。宮崎出身です」


16: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:09:21.01 ID:p+8xgFFU0
「あたしはアイドルになることを目標として、アイドルを志したわけではありません」

「あたしの目標は、東京ドームのマウンドに立つことです」

「よろしくお願いします」

17: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:10:05.34 ID:p+8xgFFU0


……彼女は、そう言い切ったのだった


18: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:12:38.77 ID:p+8xgFFU0


翌日の朝はスッキリしないものだった

あまり眠れた気がしない

レッスンが始まる前に一通り昨日のおさらいをするつもりで、予定時刻よりもかなり早めに家を出た

そのために、大分早めに養成所に到着した

19: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:14:10.70 ID:p+8xgFFU0
先客は、彼女……姫川友紀さんだった

彼女は黙々とステップを踏んでいた

昨日見た彼女のダンスは、アイドルとして育ってきた者のダンスとは全く異なっていた

彼女の動きの中では、体軸のブレが殆ど無い

マイク以上の重さの物を持つ事がないアイドルと違って、そのガッチリとした腕はきっちりと美しい円弧を描いて飛んでいく

そして脚部を上げる際には、やはりピッチャーの投球フォームの如く、筋肉のついた足が太腿から高々と上げられた

20: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:14:52.50 ID:p+8xgFFU0
彼女は、おそらく野球のプレイヤーとして優秀だったのだと思う

野球とダンスという全く異なる運動に跨る剥離感覚を乗り越え、身体を自分の思い通りに動かすレベルに達し始めているのだろう

21: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:15:26.08 ID:p+8xgFFU0
彼女は、トン、と前方に大きく飛び、そこで足を止めた

……驚くべきことに、彼女は息切れ一つしていなかった。私が彼女を観察していた時間は、決して短くはなかったのに

扉に嵌められたガラスの向こうに映る彼女を見て、私はレッスンルームの入り口で呆然と立ち尽くすことしかできなかった

22: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:16:58.46 ID:p+8xgFFU0
「……ん、誰?」

バサリ、と長い髪が翻り、彼女がこちらを向いた。私は扉を開け、適当に挨拶をした

「……おはようございます」

「あー、おはよう……えっと、橘ちゃん、だっけ」

「……はい」

「橘ちゃんは鏡の前、使うかな?」

「いえ、今日はいいです」

「そう……」

彼女が私の苗字を覚えていたのは驚きだった。私が彼女を忘れるはずはないが、彼女にとっては私は数十人の候補生の中の一人だと思っていたから

23: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:18:29.02 ID:p+8xgFFU0
「……姫川さん、あの……」

「ん?」

「いえ……少しお聞きしたいことがあります。ほぼ初対面の人には失礼かもしれませんが……」

「?……何かな」

私は、昨日から聞いてみたかった。彼女の本心を

24: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:19:33.47 ID:p+8xgFFU0
「自己紹介の時に、言っていましたよね。マウンドに立つのが目標って。あれは……」

「うん。始球式でね」

「……姫川さんは、本当に始球式に出たいんですか?そのためだけに、本当にその目的のためにアイドルになりたいんですか?」

「……そうだね、あたしは……マウンドに立ちたいだけ。大観衆の中で、あたしの最速の球を投げる。それがあたしの夢」

「それが、アイドルになりたい理由の全てですか」

「……今は、ね」

25: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:20:09.33 ID:p+8xgFFU0
こんな人が……

本当に、こんな考えを持つ人が……そんなことのために、アイドルを志した人が……


「馬鹿な考えだと思うよね?」

「……は、はい」

思わず正直に言ってしまった

26: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:20:54.21 ID:p+8xgFFU0
「でも、そこに可能性が残されているって、凄いことだって。橘ちゃんは、そう思わない?」

「……?」

「だってさ」

27: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:22:07.40 ID:p+8xgFFU0
「あたしがプロ野球選手になること……ううん、違うな」

彼女は、過去を懐かしむかのような、優しい表情を浮かべていた。そこには、何か大きな『挫折』が含まれている。そんな気がした

28: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:22:35.89 ID:p+8xgFFU0
「あたしがキャッツに入団することよりも、アイドルになることの方がよっぽど簡単でしょ?」

ポツリと独り言のようにその言葉が発された

29: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:24:20.63 ID:p+8xgFFU0
衝撃だった

こんな価値観の人間が、存在するのかと

彼女にはある種の狂気的な背景が感じられる

もしかしたら、アイドルではなく、野球選手になりたいという思いを今でも持っているのかもしれない

30: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:26:24.48 ID:p+8xgFFU0
彼女に比べて私の悩みなど、なんと子供じみたことだろうか

小さなことだろうか、ささやかなことだろうか

……克服できないことだろうか

目指してやろうか、手段のための目的を!

31: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:27:45.68 ID:p+8xgFFU0
「……姫川さん。私に、体力をつけるコツを教えてくれませんか?」

「え……?」

「私。体力が無くて、ダンスレッスンで、すぐにへばってしまうんです。ダンスを克服して……アイドルに……なりたいんです」

「……ふぅん」

32: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:28:29.25 ID:p+8xgFFU0
彼女は、ニヤリと笑って、こんな条件を出してきた

「ライバルにタダで情報を教えるわけにはいかないけど……交換条件なら良いよ」

「私に出来ることなら、なんでも」

「自主レッスンの時に、あたしに歌のコツを教えてよ。トレーナーさんが付く時間も限りがあるしさ」

33: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:29:11.59 ID:p+8xgFFU0
「昨日のボーカルレッスンで聞いたけど、声、凄く綺麗だったよね。あたしもあんな感じで歌いたいんだ」

「……いいでしょう」

「へへ、同盟成立だね……えっと……」

彼女の言葉が淀んだ

「名前、教えてよ。昨日、苗字だけしか言わなかったから、気になってたんだけど」

そうだ、私も……ある意味印象に残っていたんだった

34: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:30:01.93 ID:p+8xgFFU0
「……橘ありすです」

「ありすちゃんね、よろしく……」

「いえ、橘と呼んでください」

「え?」

「ライバルでしょう、私たちは」

「!……そっか。じゃあ、アイドル仲間になった時は、思う存分呼ばせてもらうよ」

「ええ、お互いの健闘を祈りましょう」

35: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:30:34.65 ID:p+8xgFFU0

「よろしく、橘ちゃん」

「よろしくお願いします、姫川さん」

36: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:31:12.60 ID:p+8xgFFU0
彼女は私の手を柔らかく握った

マメの跡がはっきりとわかる

この硬い手は、野球選手になるための手だった

37: ◆wsSSA88MXU 2016/08/01(月) 20:31:55.51 ID:p+8xgFFU0
おしまい。

女子野球選手がキャッツの始球式に出る機会があるならアイドルになるよりも楽かもしれない