1: 1 2017/03/31(金) 01:55:17.83 ID:irS+EJtK0
プレオーフェン二次創作

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1490892917

引用元: 魔術士オーフェン休息編・骨身に染み入る魔女の情 


 

 
2: 1 2017/03/31(金) 01:55:39.82 ID:irS+EJtK0
◇◇◇

 休息は如何なる存在にも必要だ。

 それは、強力無比な魔力を保有していたウィールド・ドラゴン種族も例外ではなかったらしい。

 ウィールド・ドラゴン=ノルニル。

 あるいは単に天人とも。彼女たちはかつてキエサルヒマ大陸に漂着した人間種族を迎え入れ、庇護してくれた存在である。

 天人の容姿は、ドラゴン種族特有の緑眼を除けば人間とほぼ変わらず、両者の間で混血が生まれるほどだった。

 紆余曲折あって天人は大陸から姿を消したが、彼女達が何も残さなかったわけではない。

 天人との混血は魔術を行使できる人間種族、所謂魔術士の誕生を齎したし、
 もっと直接的に、彼女たちの強力な魔術が込められた遺産が大陸各地にばら撒かれていた。

(まあ、遺産なんて呼び方は、人間が勝手に言ってるようなもんだけどね。
 言外にこれは我々のものだー、なんてアピールしちゃって、ほんと意地汚いっていうか)

 そんな風に胸中で他愛もない愚痴を零しながら、彼女――アザリーはため息をついた。

 アザリー。不動産を持たない為、家名はない。
 現在は魔術士養成施設である≪牙の塔≫のチャイルドマン教室に在籍している。

 彼女は強力な黒魔術士で、同時に白魔術の素養すら持つ怪物であるが、
 専攻しているのは主に滅びた天人種族に関することだった。そこには当然、彼女達の遺産に対する取り扱いも含まれている。

 天人の魔術は、声を媒介にする人間種族の音声魔術とは違い、魔術文字を用いて構成を編むため沈黙魔術と呼ばれている。

 この魔術の特性は、その保存性にあった。

 風に紛れてしまう声とは違い、文字は記せば半永久的に残る。

 つまりは魔術の効果を長時間維持できるし、また、天人以外の者でもその力を行使することができるというわけだ。

 彼女たちの残した魔術的な道具が遺産と呼ばれるのは、この辺りが原因だった。

とはいえ、誰もが遺産の力を十全に発揮できるわけではない。

 手に取っただけで効果が発動するような危険極まりない道具もないではないが、
 おおむね、彼女たちの遺産にはセーフティが掛けられていた。

 つまりは、彼女たちの魔術である沈黙魔術、
 それに使用される魔術文字の意味を理解しているものだけが正しく効力を発動できる、というものだ。

(といってもねー、いちいち魔術文字解読するのもかったるいのよね。
 一週間徹夜して解読した結果が意味不明なポエムだったりしたら、
 思わず全方向無差別に憂さ晴らししちゃいそうだし……さすがにそれは不味いって私でもわかるわよ)

 もっとも、不味いと理解していながらそれを実行してしまうであろうことが、彼女が彼女である所以でもあった。

「まあ、そんなわけで……」

 呟いて、アザリーは自分が腰かけている緑色の台座に指を這わせた。

 その台座は、まるで大理石のような光沢と硬質さを併せ持った物質で出来ている。

 高さは40センチ程で、人がゆったりと横になれる程度の大きさだ。

 この台座の本来の用途を考えれば、それは当然のことだといえた。

 アザリーの指が描いた軌跡をなぞるように、台座の上に光の文字が浮かび上がる。

 やがて文字はひときわ強い光を放つと消失した。それと入れ替わるように、それまで石のようだった台座が性質を変化させる。

(全部、このくらいわかりやすければいいんだけど)

 柔らかく、そして適度な弾力がある物質に変じた台座に寝転がりながら、アザリーは満足げに息を吐いた。

 その台座は天人種族が使用していたと思われるベッド(のようなもの)だった。
 わざわざ硬質化させているのは、きっと水洗いしやすいようにしたのだろう、というのがアザリーの見解である。

「……意外と寝心地良いわね。一個くらい持って帰ってもばれないかしら?」

 辺りを見渡せば、緑を基調とした広い部屋の中に、同じ台座がいくつも設置されていた。

 およそ、十数個といったところか。また、この遺跡にはこれと同じような部屋がいくつもある

 そう、遺跡。ここは、かつて天人種族が生活していた場所の一つだった。

「ま、ここの用途を考えればそんなに危ないこともないでしょうけど、頼んだわよ二人とも。起きた時には全部終わらせてくれてると……」

 無責任にそんなことを言いながら、天魔の魔女は静かに寝息を立て始めた。

3: 1 2017/03/31(金) 01:56:18.88 ID:irS+EJtK0
◇◇◇

 一方その頃、彼らはまさに危険の真っただ中にいた。

「う――わあああああああああああ!」

 緑色をした廊下を、ひとりの少年が絶叫しながら全力で走っている。

 キリランシェロ。チャイルドマン教室における七番目の生徒。

 専攻は暗殺技能。人を殺害する"技術"に関して、彼は大陸でもトップクラスのアスリートだった。

 そんな彼が酷く焦燥した様子で喚きながら逃げ回っているというのは、この少年の素性を知る者にとっては奇妙に映るかもしれない。

 もっともこの場に他人などいる筈もないのだから、それに関しては気にせずともいいだろう。

 もちろん大声を出せばもっと凶悪な危険を呼び寄せる可能性はあったが、それでも叫ばずにはいられない。

 少なくとも、すぐ後ろに迫るギッチャンギッチャンゴキメキバッキン――とまあ、
 そのような破滅的な音が止まない限り、冷静さを取り戻せる自信は無かった。

「もう嫌だなんで僕がこんな目に遭うんだよ折角の休暇だっていうのにっていうか割と真面目に命の危機だぞこれ!」

 ならば対応をしなくてはならない。

 魔術士とはそういうものだ。いかなる状況でも、常に的確な行動をしなければならない。
 生身で扱うには強大すぎる力を扱う身ならば、それは当然のこと。

 廊下の曲がり角を曲がった瞬間、キリランシェロは走りながら少しずつ編んでいた魔術の構成を解き放った。

「我は駆ける――天の銀嶺!」

 魔力を乗せた声が、構成に従って世界を書き換える。

 無我夢中で発動させた重力制御の魔術は思いのほか上手くいった。

 体が自重を失い、一歩の踏み出しで天井まで跳ね上がる。

 魔術の効果が切れる前に、キリランシェロは両手足を突っ張って天井に張り付いた。

(気づかないでくれよ……)

 こればかりは声に出さず、胸中で切に祈る。と。

4: 1 2017/03/31(金) 01:56:46.71 ID:irS+EJtK0

 自分の後を追って、曲がり角の向こうからやって来るものがあった。

 一言でいえば、それは動く刃物の山だ。

 直方体の側面から蟹の足のようなものが無法図に付きだした物体に、
 これでもかというほど刃物やら鉄管やらを括りつければこうもなるだろう。

 刃物の種類は多岐にわたっていて、槍のような鋭い刃先を持つ物から、鉄板の親戚かというようなものまで取りそろえられていた。

 それらが独立した意思を持つように動き、ぶつかり合い、先ほどの奇妙な音を立てていたのだ。不気味なことこの上ない。

 ところどころ焦げているのは出会い頭に熱衝撃波をしこたま叩き込んだせいだろうが、
 特にダメージになった様子はなく、活動にも支障はないらしい。

 刃物の山は唐突に消えてしまったこちらの姿を探すように、
 ぎちぎちと金属を擦り合わせる音を響かせていたが、やがて諦めたのか、歩行を再開した。

「はあ、なんだっていうんだよ、まったく……」

 敵の姿が通路の向こうに消えたのを確認してから、キリランシェロは手足の力を抜いて床に着地した。

 小刻みに震える両腕をぶらぶらと振りながら、辺りを見渡す。周囲に人影はない。

「ハーティアは無事かな……?」

「なんとかな」

 独り言に呼応して、ひょい、と通路の曲がり角から赤毛の友人が顔を出した。

「ああ、良かった。生きてたんだ。いつの間にかはぐれてたから、てっきりミンチにされたのかと」

「まあね。あの刃物男爵、咄嗟に物陰に隠れたら、お前の方を追って行ったからさ」

「……あれのどこに男爵の要素があったんだよ。外見だけならコミクロンが工作するガラクタと大差ないぞ、あれ」

 まあそれはさておき、とキリランシェロは降参するように両手を挙げながら嘆息した。

「僕ら、またアザリーに騙されたみたいだね」

5: 1 2017/03/31(金) 01:57:24.05 ID:irS+EJtK0

◇◇◇


 数日前のことである。

 チャイルドマン教師が最年長の生徒であるフォルテを連れて≪塔≫外任務に出てしまった為、
 教室の生徒たちは各々暇を持て余していた。

 こういうことは結構な頻度であるため、大抵の者は暇の潰し方を心得ている。

 コルゴンは屋根裏の自室に籠り(あるいは塔の外に脱走していても誰も気に留めない)、
 コミクロンは人造人間(と、本人は言い張っている)の設計製造を始め、
 レティシャは優等生らしく(暴走した際、もっとも周囲に被害を出すのは彼女だ)自主練を怠らない。

 そしてその日のキリランシェロとハーティアはというと、キリランシェロが日課で集めている古新聞を教室で回し読みしていたのだった。

「タフレム・ビッグハンド――あのゴシップ紙、まだ出てるんだ。社員全員捕まったのに」

「獄中で刷ってるってさ……でもそれって全部ガセってことだよなぁ。取材もできないだろうし」

「もとから全部ガセだろう、あそこは――」

 新聞を肴にしながら、キリランシェロとハーティアはぐだぐだと会話を続ける。

 黒魔術師養成機関の最高峰、≪牙の塔≫の生徒の大半は身寄りがなく、また金銭を稼ぐ手段も乏しい為、常に娯楽に飢えていた。

 こんなくだらないゴシップ紙でも、貴重な楽しみだ――楽しみなのだが。

「……さすがに飽きるよなぁ」

 そう言って古新聞をおざなりに畳み机上に放るハーティアに、キリランシェロは口を尖らせた。

「じゃあ自主練でもするか? いまの時間なら、ティッシが校庭を走ってると思うけど」

「嫌だよ。その後の格闘訓練に付き合わされてみろ、この貴重な休みを医務室のベッドで過ごすことになるじゃないか」

「貴重って言っても……」

 キリランシェロは手元の新聞を一瞥した。広告が載っている――『レジボーン温泉郷。秘湯で疲れを癒してはいかが?』

 そこから少し視線を落とす――続きはこう書かれていた。『お値段、800ソケットより』

「……先立つものがない以上、こうして≪塔≫の中で過ごす他ないだろ?」

「そりゃ、そうだけどさ……はぁ、何か他に楽しいことってないかなぁ」

 いま思い返せば、切っ掛けはこの発言だったのではないだろうか。

6: 1 2017/03/31(金) 01:58:01.02 ID:irS+EJtK0

「そんな後輩たちを慮って、私が良いニュースを持ってきてあげたわ!」

 そんなセリフと共に、教室のドアを吹き飛ばすような勢いで入ってきたのはアザリーである。

 ブラウンの瞳を細めてにこにこと機嫌よさげに笑いながら、
 とてとてと素早く――獲物に忍び寄る凶悪な肉食獣のように――こちらに近づいて来る。

「良いニュース、って?」

「ラッキーよーあんた達。とてつもないラッキーよ。今日、この場にいることを私に感謝した方がいいわよほんと」

 警戒しながらも話を聞く姿勢を見せたキリランシェロに、アザリーはさらにその警戒を深めさせるような態度で口早に畳みかけてきた。

「実はね、これから養生地に行くのよ。だからあんた達も連れてってあげる」

「養生地……? それって、レジボーンみたいな?」

「あんたあんなとこ行きたいの?」

 不審げな目つきでアザリーが聞き返してくる。

 が、すぐに話の本筋とは関係ないと気づいたのかぱたぱたと否定るように手を振った。

「あんなとこより格段に良い場所よ。もうね、いたれりつくせりって言うか、ほんと凄いんだから」

「なにひとつ具体的な情報がないんだけど」

「詳しくは行ってのお楽しみってところね。ね、来るでしょ? 来るわよね?」

「えーと……」

 キリランシェロが迷うようにハーティアを見ると、彼は肩を竦めてアザリーに訝しげな視線を向けた。

「あのさ、アザリー。僕ら、お金持ってないんだけど。旅行ってそれなりに費用がかかるんじゃないの?」

「心配ないわ。だってタダだし――ごほん。別にお金出せなんて言ってないでしょ。お姉さんが奢ったげる」

「アザリーが?」

 再び、キリランシェロとハーティアは顔を見合わせた。

 金銭的な事情において、自分らとアザリーにさしたる違いはないだろう。

 当然、後輩二人を旅行に連れて行く甲斐性などある筈もない。

 ――仮にあっても、彼女はそういうことに自分の財産を使わないだろうという意見は胸の奥にしまい込んだ。

7: 1 2017/03/31(金) 01:58:33.40 ID:irS+EJtK0

 そんな乗り気でない二人の態度が予想外だったのか、アザリーは言い訳するように言葉を続けた。

「そりゃあ、私だってお金に余裕があるわけじゃないわよ。でも、ほら、あの」

 十秒ほど考え込むように視線をあちこちへ彷徨わせてから、アザリーはぽんと手を打ち合せた。

「そう! ほら、この前のワニの杖事件の時に、二人には迷惑かけちゃったでしょ。そのお詫びってことで」

「ああ、あれか……」

 少し前に、アザリーが≪塔≫で保管されていた天人種族の遺産をうっかりゴミと混ぜて出してしまい、
 その回収に半ば無理やり狩りだされたことがある。

 幸い、人的な被害はさほど――その遺産による被害は、だが――出ずに解決したものの、
 連日真夜中まで調査をすることになり、ハーティアに至っては色々あって野良犬の群れにずたぼろにされた。

 確かに、あの事件は完全にアザリーの尻拭いだった。

 支給された捜査資金も彼女が管理していた為、二人には何の旨みもなかったと言っていい。

「でもアザリー、先生が帰ってくるまであと五日だよ。それまでに戻ってこれるの?」

「おい、まてキリランシェロ――」

「大丈夫よ! 往復で二日と掛からない距離だから。≪塔≫からの乗合馬車にはもう話もつけてあんのよ。
 んじゃ決まりね。ほらほら、早く荷物を纏めなさい。次の便で行くわよ!」

 ハーティアの制止を遮るような大声で、アザリーが次々とこれからの予定を捲し立てる。

 既に彼女の中では、二人が行くことは確定事項になってしまったらしい。

 こうなるともうなにを言っても無駄だ。夏の夕立のようなもので、過ぎ去るのをじっと待つよりない。
 下手に反論しようとしても、より被害を蒙るだけである。

 だからキリランシェロは諦めて頷こうとしたのだが、

「あー、いや! 悪いけど僕はこれから予定があるんだった! 姉弟二人、水入らずで楽しんでくれ――」

 ガタリ、とハーティアが椅子から立ち上がり、教室の出口に向かって跳躍した。

 アザリーが制止の声をあげる前に扉を開き、そのまま物凄い勢いで廊下に飛び出していく。

「……別に、遠慮なんてしなくていいのに」

「遠慮だったかな、いまの」

「遠慮よ、遠慮。まったく、先輩の好意をなんだと思ってるのかしら。
 こうなったら押し付けるしかないわね。この溢れんばかりの好意を」

「押し付けるんだ」

「なによ、いいでしょ。素敵なものはどんな風に手に入れても素敵よ」

(……どんなに美味しいパンでも、超音速で飛んできたらそれは純粋な凶器に他ならないと思うけど)

 もちろん、それを本当に口に出すなどという愚は犯さなかった。

 そうやって適当な応えを考えている内に、アザリーは勝手に納得したらしい。ハーティアの後を追って扉に歩いて行く。

 ハーティアが逃げ切れる可能性は限りなくゼロに近いだろう。

 友人の悲惨な末路を想像して、キリランシェロは軽く身震いした。

 それを憐れんで――というわけでもないが、

「アザリー」 

 呼びとめるこちらの声に、存外素直に彼女は足を止め、振り向いてくれた。その彼女に、言う。

「その、本当に良いのかな?」

「何よ。あんたも遠慮するわけ?」

「いや、そうじゃなくてさ――アザリーだって余裕はないんだろ?
 確かに例の件では骨折り損のくたびれもうけだったけど、無理することは――」

「あーあー。いいって言ったでしょ。全く……あんたとティッシは、いつまで経ったって心配しいなんだから」

 にこりと、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて、

「たまには先輩らしく、後輩をねぎらわないとね」

8: 1 2017/03/31(金) 01:59:04.04 ID:irS+EJtK0

◇◇◇


「……全く、なぁにが『たまには先輩らしく、後輩をねぎらわないとね』、だよ」

「騙されたのはお前だけだろキリランシェロ。シスコンのお前とは違って、僕はあの後、泣き喚いて抗議したぞ。
 結局、鳩尾に一撃入れられて意識を失ったけど」

「なんでそんな情けないことを胸張って言えるんだろう……」

「いや、アザリーに真正面から抗議ってだけでもだいぶ勇気が必要なんだけど。
 まあいいや。それより、どうにかしてこの遺跡から出ないと不味いな」

 言って、ハーティアは周囲を見渡した。

 改めて見たところで、何かが変わるわけでもない。

 この建物の中は一面緑色で、床から天井まで全く同じ材質で出来ている――
 つまりは、数分も走り回ればここがどこなのか全く分からなくなってしまうということだ。

 とはいえ、ここが遺跡のどの辺りなのか分かったとしてもあまり意味は無いだろう。なにせ、どこから入ったのかもよくわからないのだから。

「キリランシェロ。僕は気づいたらこの中に居たんだけど……」

「たぶんハーティア、白魔術で操られてたんだろうなぁ。白目剥いて僕らの後ついてきたし」

「いや、止めろよ。もしくは医者を呼んでくれ。それで?」

「うん。塔から乗合馬車で出て、フェンリルの森の手前くらいで降りてさ。
 道を外れたところまで引っ張られていって、『さ、好きなだけ休んでいいわよ』って言われて……」

 指折り数えながら事情を説明し――そして説明しても無駄だということを思い出して、キリランシェロは頭を振った。

「……気づいたら、お前と一緒に遺跡の中だったよ。一瞬足元が光ったから、転移用の魔術文字が作動したんだと思う」

「ってことは、実質的に出る為にはアザリーを見つけなきゃならんってことか……この中にいるのかは知らないけど」

「怖いこと言うなよ……」

 一瞬、自分たちが遺跡の中で右往左往している様をけらけらと笑いながら見物しているアザリーの姿を想像してしまい
 ――さらにはそれがどうしようもないほどしっくりきてしまい――キリランシェロはげんなりと肩を落とした。

9: 1 2017/03/31(金) 01:59:31.92 ID:irS+EJtK0

 とはいえ、ずっと落ち込んでいるわけにもいかない。
 仕切り直すように、キリランシェロはこめかみの辺りを揉み解しながら、思考をまとめはじめた。

「……アザリーの無謀な振る舞いには、僕ら、何度も被害を受けてきたけどさ。
 理由もなくこういうことはしないよね、彼女」

「……理由があるって言っても、アザリーなりの理由だろ?
 楽しいからってだけの理由で、何度人の恋愛事情に首を突っ込んできたか……」

「そ、そういうのもあるけどさ、確かに。でも、今回のこれは手間がかかりすぎてるとは思わないか?」

「……続けろよ」

「乗合馬車は……塔からトトカンタへ出る定期便だったけど、道中の食事代とかはアザリーが出してくれたろ?」

「ちょっと待て。僕、食べた記憶がないんだけど……」

「食べてたよ。白目剥きながら。とにかくただの暇つぶし、ってだけじゃないと思う……
 そもそも、流石のアザリーも後輩をいびる為だけに天人種族の遺跡を使うなんてことしないよ」

「それはまあ、確かにな」

 そこだけは納得する、といったようにハーティアが頷く。

 基本的に、天人の遺跡は大陸を統治している貴族連盟が管理している。
 その内いくつかは、≪塔≫が何らかの取引を行って公的に管理下に置いていたり、あるいは単に、連盟には極秘に隠匿しているものもあった。

 この遺跡もそのどちらかだろう。なんにせよ、一学生が好き勝手にできるものではない。

 じゃあ考えられるのは、とハーティアが口を開く。

「もしかしてアザリーの奴、この遺跡の調査を僕らに丸投げしようと画策したんじゃないか?」

「天人の遺跡は彼女が専門だろ? それを僕らに押し付けるかなぁ」

「やるよ。この前のダンスパーティの時もアザリーに天人の遺跡の調査を押し付けられたし」

「ああ、あれそうだったんだ」

「そーだよ。とにかく、あの天魔の魔女め。平気で後輩を死の淵に叩き落とすからな。早いとこ出口かアザリーを見つけて逃げ出さんと。
 で、僕らが入ってきた部屋はどっちだ?」

「それが分かったら苦労はしないって……とりあえず、来た道を戻るしかないだろ」

 言いながらキリランシェロは走ってきた方の道を指さしてみせる――と、

「……あ」

 別のルートでもあるのか、あるいは通路がループでもしているのか。

 さっきまで自分達を追い回していた刃物男爵が静かに佇み、こちらの様子を蛇の様にじっと伺っていた。

「う……わああああああああああああああああ!?」

 叫び声を呪文にして、熱衝撃を叩き込みながら。

 キリランシェロとハーティアは、再び命の掛かった鬼ごっこを再開した。

10: 1 2017/03/31(金) 02:00:49.45 ID:irS+EJtK0
◇◇◇

「はぁ、はぁ……くっそ。どうにか撒いたか?」

「た、多分……」

 逃走を始めてから数分か、あるいは数十分か――いずれにせよ二人は息も絶え絶えといった有様で、どこかの部屋に逃げ込むことに成功していた。

 ここも通路と同じく、緑一色で構成された部屋である。天人種族はこの色を好んだらしく、ほとんどの遺跡には何らかの形で緑色が使われていた。

 とはいえ、

「……さすがに完全に緑一色っていうのはさ。天人の美的センスって奴を疑っちまうね」

 ハーティアが吐き捨てる様に呟く。

 実際、このほとんど変化のない通路のせいで、自分たちがどこをどう通って来たのか分かりかねるというのだから、恨み言のひとつでも言いたくなるというものだ。

 地図を作ろうにも道具は無く、どの道あの刃物男爵に追い回されているのだから目印を作るような暇もない。

 ついでにいえば既に体力と気力も尽きかけていた。走りながら魔術を連発したためである。

 ハーティアは疲れたように顔を覆いながら、その辺にいくつか並んでいる緑色の肘掛け椅子
 ――床と同じ素材、なおかつ一体化しているので、椅子の形をした彫刻と言った方が正確かもしれない――にどっかりと座りこむ。

「もう嫌だ……何で僕がこんな目に合わないといけないんだ。折角の休暇だっていうのに!」

「アザリーに目を付けられたからだろ……」

「その一言で納得できるようになったらお終いだろ!? くそう! こんなことなら思い切ってイトラ教室のミラベルをデートに誘っていれば!」

「徒労って意味なら、今の状況と一緒なんじゃないかな……」

 椅子の上で発憤するハーティアとは逆に、キリランシェロの気分はどんどん沈んでいった。
 自分も地面にへたり込もうとしたが、あの刃物マシーンが再び襲い掛かって来た時、すぐ動けない姿勢でいるのは危険だ。

「ハーティア、ほら、立てよ。アレがきたらどうするつもりさ?」

「お前が倒しておいてくれよ。膝を狙え。パンチを喰らわせろ」

「膝らしき部分が多すぎるだろ……でもさ、良く考えたらあれも意味分からなくないか?」

「何が?」

「だって天人種族のガーディアンにしては全然危険じゃないだろ?」

 無論、これはキリランシェロが全身を刃物で固めた謎生物をこよなく愛する性癖を持っている、という訳ではない。

 天人種族の沈黙魔術は、人間の扱える音声魔術より遥かに強力な力だ。

 彼女達が本気でこの遺跡を守るための存在を用意していたのなら、自分達は抗う暇もなく死んでいるだろう。

 だからあれがこの遺跡を侵入者から守るための装置だとしたら、こうして自分たちが会話できている現状は奇妙だ。

 その意見にはハーティアも賛成のようで、「そうだよな……」と、ぐったりと首を縦に振った。

「でも、だとしたらあれは何だっていうんだ? 無理やりランニングさせる、新手の健康器具?」

「僕に聞かれたって分からないけどさ……刃物がついてる以上、殺傷を目的にしてるのは間違いないんだろうけど」

「そういや、やけに刃物の種類が多彩だったな……」

 考え込む二人。僅かに沈黙がその場を支配する――その、前に。

 再び、彼らの耳にあのやかましい金属の合唱が届いてきた。部屋の外から、だんだんと近づいてきているのがわかる。

11: 1 2017/03/31(金) 02:01:42.73 ID:irS+EJtK0

「くそ! おい、いい加減に立てって!」

 毒づいて、キリランシェロは先ほどから椅子に座ったまま微動だにしない友人の袖を引っ張った。
 こんな状況に陥るなど想定していなかった為、戦闘服でも何でもない、ただのトレーナーだ。

 だが、その袖が伸びもしない。まるで糊付けでもされたように肘置きにぴったりとくっついていた。

「……?」

 不審に思ったキリランシェロが何となくハーティアの顔を覗きこむと、彼はそばかすの残る顔にだらだらと冷や汗を浮かべ、

「あの、キリランシェロ。なんか僕、椅子に飲み込まれてる気がするんだけど」

「なっ……」

 言われてみると、確かに石造りだった筈の緑のソファが、本物のクッションのように柔らかくなり、ハーティアの身体はその中に沈み始めている。

 その上でがっちりと固定されているようで、キリランシェロがさらに力を込めても引っ張り出せそうな気配はない。まるで底なし沼に沈んでいくようだ。

「天人のトラップか!?」

「な、なあ。僕ら、友達だよな? 友達のことを見捨てて行かないよな?」

「……友情って実際口に出すと凄く安っぽくなるのは何でだろうな?」

「キリランシェロォーーーーーーー!?」

 絶叫するハーティアをよそに、キリランシェロはこの窮地を脱するべく思考をめぐらせ始めた。

(どうする……? 周りと同じ素材なら、この椅子にも魔術は通じないだろう。
 物質崩壊か意味消滅まで行けばさすがに何とかなるだろうけど、あんな魔術はそれこそアザリーくらいにしか……)

 時間はなかった。少なくとも、妙案が浮かぶほどの時間は。

 耳障りな金属音が最大にまで膨れ上がる。例の多脚刃物がこの部屋に飛び込んできたのだ。

「くそっ、我は放つ光の白刃――!」

 熱衝撃波の構成を編み上げ、刃物の塊を打ちのめす。白い閃光が目標に収束し、爆発を轟かせた。

 足と刃物が床を擦る悲鳴のような擦過音を響かせて、ガーディアンが廊下にまで後退する。だが、稼働に支障をきたす様子は一切見受けられない。

「我は呼ぶ破裂の姉妹!」

 続けざまに衝撃波を放つ。通じないことは分かっていたが、時間を稼ぐ以上のことができるとも思えない。

 無色の圧力に、飛び掛かろうとしていた刃物の塊がたたらを踏む――だが、それは近づけないことを悟ったのか、いままでにない動きを見せてきた。

 無数の刃の中に紛れていた鉄管のひとつが動き、先端をこちらに向けてくる。

(なんだ……?)

 疑問に思う、よりも早く。

 鉄管の内側で魔術文字が輝き、生み出された紅蓮の炎が閃く。それは火炎放射器さながらに、こちらに膨大な熱量を吹き付けてくる!

12: 1 2017/03/31(金) 02:02:11.16 ID:irS+EJtK0

「――っ、我は紡ぐ光輪の鎧!」

 咄嗟に展開させた力場と熱による防御の魔術は、迫り来る赤の殺意をぎりぎりで相殺した。

 だが敵の足を止めていた攻撃が出来なくなってしまったのだから、再びそれが近づいてくるのは自明の理だ。

 ガーディアンが飛びかかてくる。無数の刃物を気味悪くぎちぎちと蠢かせながら、こちらをなます斬りにしようと――

「うどぅわあああああああ!?」

 絶叫しながらキリランシェロは横に転がった。すでに魔術の間合いではなく、そして全身に刃物を括りつけた存在と殴り合いが出来る筈もない。

 ぎりぎりで死の抱擁を躱す。がちゃんと金属質の音を鳴らしてガーディアンが着地する――既に体の半分を椅子に飲み込まれた、ハーティアの目の前に。

「ハーティア!」

 咄嗟に叫ぶ。叫ぶだけだ。彼を庇うための魔術の構成を編むのは間に合わない。

 一瞬後には、赤毛の友人が串刺しになっているという予感に目を瞑りたくなるが、戦闘訓練で刷り込まれた常識が戦場で目を閉ざすことを止めさせた。

 結果的には、それがよかったのだろう。
 予想とは裏腹に、刃物の群れはハーティアを襲おうとはせず、多脚を器用に蠢かせ、キリランシェロに向けて反転した。

「何だ……?」

 見れば、ハーティアも表情をきょとんとさせて目の前の脅威を不思議そうに眺めている。

(ハーティアを襲わない……目標の選定基準がある?)

 再び飛び掛かってくるガーディアンを、キリランシェロは大きく体捌きをして躱す――だが、続けて放った渾身の魔術の影響で疲労は限界にまで達していた。

 息が上がる。長くは避けられない。逃走も難しい。出来るのは、煮えはじめた頭で考えることだけだった。

(いや……逃げてる時はハーティアも狙われてた。ハーティアは奴の選定基準から"外れた"んだ)

 その理由は、何か。

 視線をずらし、ハーティアを見る。椅子に沈み込む現象は止まったようで、
 ハーティアはちょうど体の後ろ半分――背中や腿裏、ふくらはぎを椅子に飲み込まれた状態で、きょとんと状況の推移を眺めていた。

「こういうことか!?」

 キリランシェロは叫び、飛び掛かってくる刃の切っ先を見つめた。

 精神を制御し、恐怖心を黙らせた。時間の流れが遅くなる。付き出される鋼の群れ。その先端の一本一本を認識する。

 短く息吹を吐いて、固く握った拳を突きだす。

 極度の集中は無数の剣閃の軌道を見極め、付き出した右手を傷つけずにガーディアンの本体へ接近させることに成功した。

 殴り合いは出来ない。大規模な魔術ももはや使えない。だから接近し、極単純な構成を編み、展開させ、僅かな範囲へ影響を及ぼした。

「我は撃つ光靂の魔弾!」

 拳の先から光弾が生み出され、ガーディアンを数メートル吹き飛ばす。ただそれだけの効果だが、時間が稼げればよかった。

 最後の力を振り絞り、キリランシェロは後ろに跳躍した。同時、ガーディアンも体勢を立て直し、飽きることなく襲い掛かってくる。

 疲労困憊しているキリランシェロが飛び退く速度よりも、刃物の方が早い。もともと僅かだった距離はすぐに縮まり、刃がその全身を――

13: 1 2017/03/31(金) 02:02:49.08 ID:irS+EJtK0
◇◇◇

「……で? どーいうことだよ、これ」

 誰にともなく呟かれるハーティアの台詞を耳にして。

 キリランシェロは自分が生きていることと、推察が正しかったことを改めて実感した。

 ガーディアンの刃は既に引かれている。キリランシェロが飛び退り、ハーティアが飲み込まれているのと同じ種類の椅子に腰を下ろした瞬間から。

「この椅子……最初は罠かと思ったけど、だったら動けないお前を狙わないのは変だと思ってさ」

 視線を向ければ、ガーディアンは部屋の隅に移動し、
 どうやっても収まりきる筈のない無数の刃や鉄管、多脚構造を本体であるらしい立方体に収納して、彫像のように固まっていた。

 とはいえ、動けないのはキリランシェロも同じだ。ハーティアと同じく、ずぶずぶと柔らかくなった緑のソファに体が沈み取られていく。

「最初から、僕らをここに座らせるのが目的だったってことか?」

「……いや、それがさ」

 深いため息をついて、キリランシェロは動かなくなったガーディアンを目線で示し、

「最後の一撃の時、刃物の隙間から本体に刻まれた魔術文字が見えたんだ。
 もちろん読めないし、今は刃が引っ込んだから丸見えなんだけど――」

 目線の指示棒を、ハーティアは器用に読み取ったらしい。げんなりと表情をゆがめるので、それを察する。

 ガーディアンの本体には、決して通常の魔術では傷つかない筈の構造体には、まるで何かをこそぎ取ったような跡が残されていた。

 柔らかくなったバターをスプーンで掬ったかのような、けばりのない痕跡。それはつまり、

「意味消滅で削った後だ。チャイルドマン教室の秘奥……まともに使えるのは先生を除いたら、年長組の三人くらいのもんだろ。
 で、天人の遺産の専門は」

「アザリーか……制御用の魔術文字を削って、僕たちを襲わせるように仕向けたんだな。お前の姉はどれだけ準備周到なんだよ。
 ま、それでも一応はこうして助かったわけだけど」

「どうかな……脱出の目途が立ったわけじゃないし、この椅子から立ち上がったらまた襲ってくるんじゃない?
 ……立ち上がれれば、だけど」

 椅子に飲み込まれた体はほとんど動かない。重い粘液のような感触を伝えてくるそれは、不思議と心地は悪くなかったが。

「大人しく救助を待つか? さすがに休暇が終わっても僕らが帰らなければ、先生が不審に思うだろ」

「で、僕らを見つけてこう言うわけだ。"基礎体力が足りないな。これから毎日走り込みを追加するか?"。
 どの道、最低でもあと5日は飲まず食わずになるじゃないか。さすがに耐えられないよ」

「お前も何か考えろよ、キリランシェロ。とりあえず考える時間は確保できたわけだしさ」

「……とりあえずさ、やっぱりあれはガーディアンの類じゃないよね。
 火を噴いてきたけど、魔術で防御出来た……本気で殺傷用に造られているなら有り得ないよ」

14: 1 2017/03/31(金) 02:03:36.24 ID:irS+EJtK0
 無論のこと、天人の創りだした武器に殺傷能力の低いものがない、という訳ではない。

 投石器の一撃でも受ければ粉々になってしまうような巨岩歩兵や、どうしてこんなものを作ったのかというガラクタ同然の物も発掘されていた。

 だがそれらの多くは魔術士狩りに参加していたドラゴン信仰者に貸与されたものであり、
 威力や使用用途が限定されているのは、それを魔術士側に奪われた際のことを想定して、というのが定説だ。

 この刃物マシーンが如何なる目的で造られたのかは分からないが、
 こちらを襲ってくるのがアザリーの画策によるものであるというなら本来の機能は別にある筈である。

「でも、大量の刃物と火だぜ? 人殺し用以外の何だって言うんだよ?」

「……考え方を変えてみようか。こいつが僕たちを襲わなくなったのは、この椅子に座ってからだけど。
 たぶん、これはこの遺跡の――施設の利用者だとみなされたからだよね」

「まあ、だろうな。アザリーが削った部分とは別に、判別の為の仕組みがあるってことか」

「そう考えると、この椅子も罠の類じゃないってことだ。
 そこからこの遺跡の本来の用途を推測できれば、脱出の糸口くらいにはなるんじゃない?」

「人を椅子に沈めて固定する施設の用途ねぇ……剥製を作るとか?」

 冗談めかした台詞をハーティアが口にした、次の瞬間。

 ぶるり、とキリランシェロを拘束している椅子が震えた。

「うん……?」

 一度だけではない。椅子の蠢きは連続し、それは豪雨がトタン屋根を叩くような小刻みな振動となった。

 飲み込まれていた背中、足にその振動が伝わり、肉や骨がそれに同調しだす。

「うわぁ!? おい待てマジか! マジに剥製か!?」

 ハーティアの方でも同じ現象が起きているらしく、どうにかして椅子から脱出しようともがいている様子が見えた。

 そんな風にこれ以上ないほど取り乱している人間が隣にいるなら、自分は嫌でも冷静になれるというものだ。

(この拘束から逃げるのは現実的じゃない……天人が何かを目的にして造ったモノなら、それは覆せない。
 ガーディアンが設置されていないことを考えると、そもそもこの施設は危険なものじゃなくて……)

 椅子の振動は続いている。心なしか、身体を取り込んでいる椅子の温度も高くなってきているようだった。

 ぬるま湯のような程よい温度と、小刻みな振動は、この様な状況でなかったら実に心地よいものだっただろうが――

「……いや、待てよ。もしかしてそれが本来の目的か?」

「なんか分かったのか? もったいぶってないで早く言ってくれ!」

「いや――だからさ。この椅子って、ただマッサージしてくれてるだけなんじゃない?」

15: 1 2017/03/31(金) 02:05:01.22 ID:irS+EJtK0

「……はぁ?」

 きょとん、とした顔で疑問符を上げるハーティアだが、すぐに納得したらしい。

 恐怖心さえ取り払ってしまえば、この緑色の椅子は実にリラックスできる代物だった。

 思い切って背中を預けると、適度な弾力が体重を受け止めてくれる。
 さらには何らかの魔術文字が働いているのだろう。断裂した筋繊維が修復され、酷使した足の痛みがじわじわと薄れていく。

「つまりここって――天人の医療施設ってわけ?」

「保養寮ってところじゃないかな? あの刃物マシーンも」

 キリランシェロが部屋の隅で四角くなっているそれを示し、

「たぶんあれ、自動化した調理器具でしょ。料理なんてほとんどしないから気づかなかったけど、あの刃物、全部包丁だよ」

「あー、魚用の包丁とか、何種類もあるっていうしな。そういや逆に、戦闘用のナイフなんかは一つも無かった気がするよ。
 ……ってことは何か。あれは僕らを食材と間違えたってことか!?」

「アザリーが削ったのが、たぶんそれを判別する部分だったんだろうね……で、施設利用者を認識する部分はまた別と」

「合点が行ったよ……ああ、そういえば、クソ! アザリー言ってたよな、養生地に行く、って!」

「一応、嘘じゃなかったわけか」

 ふー、と息を吐いて、キリランシェロは椅子の感触を意識した。

 ぐねぐねと動く緑色の粘液は、疲労を揉み出すように足に刺激を与え続けている。

 トトカンタやレジボーン辺りでは人の手によるマッサージを売り物にした店があると言うが、おそらくそれよりも格段に心地よい。

「だから何だって話だけどな。刃物の群れに追いかけられる養生地って聞いたことあるか?」

「で、でもまあ、これで先行きは明るくなったんじゃない? 保養施設なら、あれを除けば危険なモノもないだろうし。
 それに、こうしている内は狙われないわけだし……」

 その台詞が契機になった、というわけでもないだろうが。

 ぴたり、と椅子の振動が止む。それと同時、椅子は取り込んでいた二人の身体を排出し、再び元の硬度を取り戻した。

 彫刻に腰掛けてる状態になった二人が、まったく同じタイミングで首をかしげる。

「……あれ?」

 変化は続いた。部屋の隅で大人しくしていた刃物男爵改め自動調理器具が、再び足や刃物や鉄管やらを突きだして再起動。

 目や口があるわけでもないが、雰囲気で分かる――それは再び、自分たちに狙いを定めていた。

「光よ!」

「我は放つ光の白刃!」

 示し合わせたわけでもないが、同じタイミングで放たれた熱衝撃波に、飛び掛かってこようとした自動調理装置が体勢を崩す。
 その隙に二人は全力で部屋の出口に殺到した。

 再び通路を疾走しながら、背後に迫る例の物騒な足音を耳にし、叫ぶ。

「おおいどういうことだよキリランシェロ! 座ってるうちは安全じゃなかったのか!」

「た、たぶん、あの椅子は疲労を感知して作動するんじゃないかな。で、僕らはもう元気いっぱいになったろ!?」

「頷きかねるぜ、それは! 確かに足は動くようになったけどさぁ!」

 どういう効果があったのか、魔術を連発した疲労も消えていた。

 疲労回復としては破格の性能だが、しかし、それで再び走ることを強要されるというのであれば感謝する気には到底なれない。

「で、これからどうする!?」

「どうするもこうするも、繰り返すしかないだろ!?
 施設を利用している間しかあれは襲って来なくて、施設を利用するためには疲れてなきゃいけないんだから――」

 背後に向けて破壊的な魔術を連発し、アザリーへの罵倒を胸中で繰り返しながら。

 地獄のコックに追いかけられる二人は、次の部屋へと向かった……

16: 1 2017/03/31(金) 02:05:30.96 ID:irS+EJtK0
◇◇◇

 次の部屋。真ん中にある広めの台座に、緑色の粉末が二山ほど山積みになっている。

 その内の片方からずぼり、と赤い球状の物体がが生えてきた。ハーティアの頭部である。

「……っぺ! ぺっ! なんだよ、ここは! いきなり緑色の粉が降って来たぞ!? 体が完全に埋まっちゃったし」

「砂風呂……かなぁ? 温いけど、うぇ、首元から入り込んだ……」

「……洗い流す為のシャワーとか、あるんだろうね、ここは」

◇◇◇

 さらにその次の部屋。椅子とテーブルがセットでいくつも置いてあり、キリランシェロとハーティアはその内のひとつに座っていた。

「――だからぁ、この台の表面に映像が投影されるだろ?
 で、手元のこのレバーと連動して動くこれが自機で、ボタンを押すとビームを発射して上からくるこいつらを倒して――」

「複雑すぎる……っていうか、どういうシチュエーションなんだよ、これは。
 大陸古語でほとんど読めないけど……宇宙人でも侵略してきたわけ? 天人の遊技台なんだろうけど」

「いやまあ、でも楽しいぞ? ほら、上のこれが得点だろ? いま増えた僕のがこれで――」

◇◇◇

 次の部屋。

「犬だ! 犬だぞキリランシェロ!」

「本当だ……いや、なんで保養寮に犬が?」

「なんだ、知らないのか、キリランシェロ。動物と触れ合うと癒されるって、最近なんとかという博士が論文をだしたじゃないか」

「知らないし。ハーティアは何でそんなもん読んでるのさ?」

「犬と僕は切っても切れない縁だしね。ほーら、おいでおいで――おああああああああああああ!?」

「ハーティアが犬に襲われた!? あ、でも負けてない。殴り合ってる」

「冷静に見てないで助けろよ! くそっ、くそっ、畜生め!」

◇◇◇

 次の部屋――

17: 1 2017/03/31(金) 02:06:18.24 ID:irS+EJtK0
◇◇◇

 そうして回った部屋が5つを超えた辺りだろうか。

 設備は疲労していなければ使用できず、連続使用は疲労が消えるまでに限られている為、
 強制的にこの施設を巡る羽目になったキリランシェロ達は、
 いまは慣れた様子で新たな設備――緑色のしょっぱいお湯を柄杓で掬って飲む――を利用しているところだった。

「――ぷはぁ。うげぇ、不味い……けど、水分は助かるね。できれば冷水がよかったけど」

「……なぁ、キリランシェロ。この施設、おかしいと思わないか?」

 柄杓を握りしめ、疑問に顔をしかめて見せたのはハーティアだった。
 再び部屋の隅で立方体と化した自動調理装置に油断なく気を配りながら、言ってくる。

「おかしいって何が? そりゃあ、天人の造るものだから……」

「感性はともかくさ、僕らの体力が回復するのは沈黙魔術によるものだろ? マッサージの効果とかじゃなくてさ」

 ハーティアの視線は、眼前のお湯で満たされた石造りのバスタブのようなものに向けられていた。
 正確には、その底に記された、ぼんやりと輝く魔術文字に、だ。

「砂風呂では砂が動いて文字を形成してたし、犬も舌に刻印があったろ? あの投影台もそうだ。
 夢中になってるうちに体力が戻って来たけど、マッサージなんかと比べると投影台自体には回復する要素ないし」

 疲労とは何か、と言えば医療魔術を専門にしているコミクロン辺りが詳しいのだろうが。

 全力でマラソンを行った後に、小一時間ほど休んでみたところで、
 再び同じ距離を同じタイムで走るのは無理、ということはキリランシェロにも感覚的に分かる。

 ハーティアが言っているのは、マッサージや砂風呂、ゲームで遊んだからといって、
 魔術が連発できるようになるまで回復することはないということだろう。

 では何故実際に、再びあの自動調理装置から逃げ続けられているのかと言えば、
 ここの設備の全てに"疲労を癒す"という効果の魔術文字が仕込まれているからとしか考えられなかった。

 そこまでは、キリランシェロも分かったが、

「で、何が言いたいわけ?」

「要はさ、天人の魔術なら、こんな施設造らなくても疲労の回復くらいは出来たと思うんだよな。
 っていうか、建てるにしてももっと効率よくできた筈だろ。なんでわざわざあんな自動調理装置とか造ったのかな、と思ってさ」

「……なるほど」

 キリランシェロはとりあえず頷いた。ハーティアの言い分ももっともである。

 天人の行使する沈黙魔術は強大だが、こんな大仰な施設を造るとなればそれなりに労力を使うだろう。

 ならば、こんな施設を造った目的とは何なのか――

18: 1 2017/03/31(金) 02:06:49.58 ID:irS+EJtK0

 キリランシェロは特に考えもせず、頭に浮かんだままのことを口にした。

「それこそ、アザリーか先生に聞きでもしなきゃ」

「いや、まあ。そーなんだろうけどさ……おっと、ここももう終わりみたいだな」

 バスタブに満たされていたお湯が、排水溝もないのにどこかへ引いていく。

 柄杓をバスタブの中に戻しながら、キリランシェロは溜息をついた。首筋をぐりぐりと解しながら、呻く。

「やれやれ、また追いかけっこの始まりか……さすがにだれてきたな。身体の疲れは取れても、精神的に辛くなってきたよ」

「そうだよな……そもそもここが危険な場所でなくて、
 こうやって水場が確保できるって言うんなら、やっぱり救助を待つってのが現実的だろうな」

「あれに延々と追いかけらながら?」

 と、キリランシェロが視線を向けた先には、立方体の各所に刻まれた魔術文字を活性化させながら動き出そうとしている自動調理装置があった。

「いや、だからどうにかしてあれを行動不能にできないかなー、と思ってさ」

 そんなことができれば、そもそもこんな苦労はしていない筈だが。

 だが、どうやらハーティアには何か考えがあるらしい。頭の中で何かを天秤にかけるように黙考している。

「ハーティア?」

「……最初、僕とお前があれから逃げた時、あれは隠れた僕じゃなくて逃げ出したお前を追いかけたよな。なんでだと思う?」

「分からないけど、単純に捕まえやすい方を追いかけたんじゃない?
 ここまでパターンも変えずにひたすら追いかけてきてるだけだし、知能があるようには見えないけど」

「じゃあ、もっと扱いやすい獲物を用意すればいいわけだよな……」

 ぶつぶつと呟いて、だがさほど時間を掛けずにハーティアは決断したようだった。

「よし、僕に考えがある。先に部屋を出てろよ、キリランシェロ。見失わない程度に離れてついてきてくれ」

「ああ、それは良いけど……僕も何か手伝った方がいいか?」

「いらない――いや、そうだな。それなら一つだけ頼みがあるんだけど――」

 ハーティアは自分の首元に触れた。そこにある見えない何かを確認するかのような、そんな動作。

「――僕の方から接触するまで、きちんと離れてろよな」

19: 1 2017/03/31(金) 02:07:17.36 ID:irS+EJtK0
◇◇◇

 天人の遺産。

 これは天人から人間へ受け継がれたものだという意味を込められた呼称である。

 ここでいう"人間"とは、大陸の統治者である貴族連盟のことを指す。
 天人の遺した道具や遺跡の所有権は、基本的に彼らが全て独占しているからだ。

 その所有権を侵すこと――つまりは遺跡の盗掘、遺産の無断使用には、王権反逆罪という非常に重い罪が課されることになる。

 つまりは、ハーティアが心配していたのはそういうことだった。

20: 1 2017/03/31(金) 02:07:43.98 ID:irS+EJtK0
◇◇◇

「片付いたぞー」

「いや、片付いたぞーって言われても……」

 部屋から出てきたハーティアの気楽な様子に、キリランシェロは戸惑いの声を上げた。

 先ほどのお湯を飲む部屋から出て、ハーティアと調理装置の追走劇が始まり、彼らがまた別の部屋に入ったあとのことである。

 時間にして数分もかかっていまい。だが確かに部屋から出てきたのはハーティアだけであり、調理装置の追撃はないようだった。

「いったい何をしたんだよ……中見ても大丈夫か?」

「まー、別にいいけど。大したことはしてないぜ?」

 そういって入り口を譲るハーティアと入れ違いに、キリランシェロが部屋の中を覗き込むと――

「……牛?」

 牛であった。

 その部屋は一際広い作りになっている。≪塔≫の体技室よりもひとまわりは大きいだろう。

 その部屋の中に、無数の牛が蠢いていた。

「なんで牛?」

「いや、知らないけど。最初にお前と別れて行動してた時があったろ? そんときにこの部屋を見つけてさ」

 背中越しに親指で部屋の中を指す。見ると、例の自動調理装置は包丁を使って手早く一頭の牛を解体しているところだった。

 スプラッタさながらの光景だったが、他の牛は恐慌状態に陥るでもなくぶもぶもと部屋の中を歩き回っている。

「うげぇ……」

「僕らより組みしやすい食材のとこまで案内すれば、あれも大人しくなるんじゃないかと思って」

「良いけどさ、先に言っておいてくれればよかったのに」

 ぶつぶつと文句をいうキリランシェロに、ハーティアは軽く片手を上げて悪い悪いと苦笑を浮かべて見せた。

 共有されたピンチを乗り切った時、人々の間には特定の感情が生まれる。友情。連帯感。まあ、その類のものだ。

 苦難を耐え凌いだ。その成果に心から安堵する二人。

21: 1 2017/03/31(金) 02:08:18.39 ID:irS+EJtK0
「なになに? なんか楽しいことでもあったの?」

 ――だからこそ、彼らは背後に立つ天魔の魔女の存在に気づくのが遅れてしまった。

「アザリー!」

 驚愕と共に振り返り、キリランシェロは非難とも悲鳴ともつかないような叫びを上げる。

 一瞬前までは確かにいなかったはずだが、アザリーは何の気なしに、悪びれた様子もなく二人の背後に佇んでいた。

 持久戦を覚悟したところにこれである。もっとも、彼女と一緒にいる限りそれはよくあることではあった。

「なによぅ、うるさいわね」

「なによ、じゃないだろ!? 僕らをこんなとこに閉じ込めておいて!」

「やーねー、別に閉じ込めたわけじゃないわよ。ちょっと手伝ってもらっただけじゃない。
 それに養生地に連れてきてあげたんだから、ギブアンドテイクってやつよ」

 けらけらと笑ってそんなことをのたまうアザリーに、キリランシェロは頭がどんどん痛くなっていくのを感じた。

「じゃあ、やっぱり僕らにこの遺跡の機能を解明させるつもりだったのか……」

「あら、分かってるんじゃない。先生から休み中の課題として言い渡されてたんだけど、設備の数が数でしょ?
 魔術文字の解読も楽じゃないし。けど、具体的な機能が分かれば逆算できて簡単なのよねー」

「じゃあ、自分で試せばよかっただろ。何も後輩を地獄に叩き落とさなくても」

 半眼で抗議するハーティアに、アザリーは肩をすくめて見せた。

「だってここの施設、魔術文字を解読しない限りは対象の疲労を感知してしか動かないんだもの。私に走り回れって言うの?」

 堂々と無茶なことを言ってくるアザリーに、キリランシェロとハーティアはふたりそろって溜息を吐いた。

 そんな二人の様子を気にするでもなく、アザリーはキリランシェロの首元に手を伸ばしてきた。

「な、なに?」

「データ回収」

 咄嗟に退こうとする弟の動きをあっさりと制止して、うなじの生え際に手を伸ばす。
 ぷちり、という音と共に小さな疼痛が走った。

「痛っ」

「おー、撮れてる撮れてる。ナイスよ、二人とも」

 見ると、アザリーの手の中には緑色の細い針金のような物が握られていた。表面にはうっすらとひっかき傷の様な魔術文字が刻まれている。
 どうやらいつの間にか、キリランシェロの髪に紛れこませていたらしい。道中、そんな機会はいくらでもあっただろうが。

22: 1 2017/03/31(金) 02:08:50.73 ID:irS+EJtK0

「アザリー、何それ? いつの間に……」

「視覚情報を記録して、他人に出力する――まあ、盗聴の視覚版みたいなもんね。
 古代の魔術士っていっても、こういうの造るんじゃあやっぱり性格悪いのはいたのよねー」

「……アザリーにだけは言われたくないと思うけど」

「何か言った?」

 にんまりとした笑みを浮かべる天魔の魔女に、キリランシェロは慌ててぶんぶんと首を振った。

「い、いや、別になにも? なあ?」

「お、おう」

 ここで機嫌を損ねれば脱出が遠のくと思ったのだろう。ハーティアも追随するように頷いて見せる。

 その反応に満足したのか――あるいはどうでもよかったのか、存外アザリーはあっさりと追及を切り上げて見せた。

「まーいいけど。ところで、あんたたちの追い立て役にしたアレはどこ行ったのよ?
 生半可な魔術じゃ傷つきもしなかったと思うけど」

「そこの部屋の中で牛を料理してるよ」

「牛? なんで牛がここにいんのよ」

「僕らに聞かれてもね。設備の魔術文字で出てきたんじゃないの?」

「へー、そんな機能もあったのねー。前に来た時は気づかなかったけど……
 アニマルセラピー用の犬には反応しなかったから、食用ってことなのかしら?」

 ハーティアが軽く肩を竦めてそういうと、アザリーは素直に納得したらしい。

 やがて情報の読み出しが終わったのか、アザリーは針金をポケットに仕舞い込んだ。

 これでようやく帰れる――キリランシェロはそう思ったのだが、

「ところでね♪」

 ぞっとするような笑顔を浮かべたアザリーが、ぱんと手を打ち合せて見せる。

 猛烈に嫌な予感を覚えて、キリランシェロとハーティアは数歩、後退した。

「あと、調べて欲しい設備が2、3か所くらいあるんだけど、素直な後輩達はきっと快く協力してくれると思うの」

「……まあ、嫌だって言ってもどうなるかは目に見えてるし……」

 あきらめの境地でキリランシェロが呟くと、アザリーは機嫌を良くしたようだった。
 キリランシェロと似たような表情を浮かべるハーティアの問いかけにも、存外素直に答えて見せる。

「それが終わったら、僕らをここから出してくれよ……ちなみに、どんな設備なのさ?」

「大したことじゃないんだけど」

 そう言って、彼女は牛の部屋を指さし、

「とりあえず、あの自動調理装置の料理を食べてみて貰って――」

 台詞の末尾を聞き終える前に反転して全力疾走を始めたのはハーティアだった。

23: 1 2017/03/31(金) 02:09:56.37 ID:irS+EJtK0

「おい、ハーティア!?」

「あー!」

 何とはなしに親友に倣うキリランシェロの背後で、アザリーが非難の声を上げるのが聞こえる。

 とりあえずそちらは無視して、キリランシェロはペースを上げ、先に逃げ出したハーティアに追いついた。問う。

「おい、どうしたんだよ――いや、確かに味の保証はないけどさ。遺跡から出れない以上、逃げたって無駄じゃないか」

「嫌だ! なんと言われようが、僕は絶対にあれを食べるなんてことはしないからな!」

「意地張ってたって、意識を失わされて口の中に詰め込まれるだけだと思うけど……」

「お前はなにも知らないからそんなこと言えるんだよ! そもそもあの牛はビーム代わりに運用されるよなものなんだからな!」

 訳のわからないことをいうハーティア。

 説得は無理なように思えたので、アザリーのところまで戻ろうと歩調を緩め、振り返ると――

「うわあああああああああ!」

 叫んで、キリランシェロは再び全力疾走に切り替えた。

 背後からは例の自動調理装置が3台、編隊を組むようにして追いかけてきていた。

「待ちなさいってば! 別にそんな無理なお願いしてないでしょ!」

 その内の1台に腰を下ろしたアザリーが叫ぶ。

 その装置だけは刃物を収納しており、足だけが生えていた。さながら生きている椅子である。

 暴走した自動調理装置と、それを従えるアザリー。まさしく悪夢のような取り合わせと言ってよかった。

「料理を食べて、運動して、休む! これ以上ないほど健康的な生活じゃない。何が不満よ!」

「強制されてるからに決まってるだろっ!?」

 通路を全力で駆け抜けながら、叫ぶ。
 前を見ると、ハーティアは既に逃げることに全神経を傾けているようで、無心のままに足を動かしていた。

「私が優しく提案してあげたのに、逃げたしたのはあんた達じゃない!」

「それはハーティアが――っていうか、じゃあ逃げるの止めたらそれどっかにやってくれる?」

「えっ、それは無理よ。もう魔術文字削っちゃったもの。私は施設利用者を示す鍵を持ってるから襲われないけど」

「どーしろって言うんだよ!?」

 その鍵とやららしい青い樹脂製の腕輪を掲げて見せるアザリーに、キリランシェロは思いっきり突っ込んだ。

 逃げ切れないことは分かっているが、ここで諦めると魂が何かに汚染されてしまいそうな気がする。

「しょーがないから、あんた達が疲れ切った頃合いを見て、設備に放り込むことにするわ。
 ちょっと血とか出るかもしれないけど、死にゃしないでしょうから安心なさい!」

「嫌だぁあああああああ!」

 がしゃんがしゃんという破滅的な足音と、アザリーの破滅的な宣告から逃れるように、緑の通路を曲がる。と――

24: 1 2017/03/31(金) 02:10:24.34 ID:irS+EJtK0

 声を聞いた。

「消えろ」

 短く、鋭い、鋼で出来た刃のような声。

 同時に曲がった先の通路から一条の光が奔る。

 光は意志を持つかのような軌跡を描き、キリランシェロを避けると、背後の自動調理装置を3つとも貫いた。

 光が通り過ぎた後には、何も残っていない――完全に消滅している。魔術の構成が、視界の端に閃いた。

(意味消滅? けど……)

 恐ろしいまでに精緻な構成だった。ただでさえ難易度の高い構成を変化させて、複数の標的を一度に撃ち抜くなど。

 それが出来るような人物を、キリランシェロはおよそひとりだけしか知らない。

「ちょっと、いったい何が――うっ」

 事前に飛び降りていたのだろう。危なげもなく着地したアザリーが、通路の先に佇む人影を認めて顔を青くしている。

 彼女にこんな顔色をさせる人物も、ひとりだけだった。

「さて――どういうことか、説明してもらえるかね?」

 チャイルドマン・パウダーフィールド教師が、相変わらずの鉄面皮で佇んでいた。

25: 1 2017/03/31(金) 02:11:19.26 ID:irS+EJtK0
◇◇◇

「≪塔≫外任務が予定より早く終わってな。フォルテを先に帰して、私は彼女の様子を見に来たのだが」

 と、湯船に肩まで浸かったチャイルドマンが呟く。

 施設の中にあった、巨大な浴場。どうやら複数人での使用を前提としたものらしい。
 当然のことながらチャイルドマンはここの設備を全て熟知しているらしく、彼が壁を一撫でするだけでお湯が張られた。

 あれから事情を説明して、キリランシェロとハーティアは何故かこの堅物教師と同じ湯に入ることになっている。

 浴槽は大人が10人くらいなら余裕で足を伸ばせるほどに広く、熱い湯は骨に沁みるようなくすぐったい感覚を伝えてきた。

「まさかこんな騒動になるとはな。これからは、彼女に課題を出す時はお前たちにも伝えておくとしよう」

「はぁ」

 生返事を返すキリランシェロに、チャイルドマンはひとつ頷くと視線を宙に彷徨わせた。誰ともなしに、呟く。

「……少し温いな」

「ううぅ、はーい」

 部屋の外から、アザリーの恨みがましい声が響く。しばし遅れて、湯の温度が少しだけ上がった。

 どうも隣接する小部屋に、湯の温度や泉質を調整する機能があるらしい。

 アザリーはそれとにらめっこして、時折、チャイルドマンが出す"課題"に応えるよう申し付けられていた。

「ここは私が個人的に秘匿している遺跡でね。長老どもにも秘密にしてある。
 無論のこと、露見すれば好ましい事態にはならないだろうが、まさかこうして一緒に利用しているお前たちは言うまい?」

「そりゃもちろん。共犯ですもんね」

 キリランシェロが頷いて見せると、チャイルドマンは疲れたように目を閉じて見せた。

(……もしかして、先生なりの冗談だったのかな)

 僅かに沈黙が落ちる。

 それを気まずくに思ったのか、湯を堪能していたハーティアが声を上げた。

「そういえば先生。天人って、なんで保養寮なんて造ったんですかね?
 魔術で疲労を癒せるなら、こんな大仰な施設は必要ないと思うんですけど」

「ふむ。いい着眼点だな、ハーティア。確かに彼女たちの魔術なら回復は容易だっただろうし、
 そういう効果を込めた持ち運びできる道具も造れただろう」

「じゃあ、何故?」

「こればかりは当人たちか、あるいは当時から生き残っている人間にでも聞かねば分からんだろうが」

 有り得ない前提の前置きをして、チャイルドマンは語った。

「単純に、味気なかったからではないかな」

「味気ない?」

「魔術を使えば、確かに回復は容易だろう。それはつまり、実質的に休息が不要であるということを意味する。
 だから、休むためにはこんな言い訳が必要だったのさ」

「休息が必要ないのに休むんですか」

「お前たちも実感したのではないかな? 体の疲労は癒えても、精神の疲労は癒えない。
 もっといえば、体はさほど疲れずとも精神だけが疲れることもある。
 天人も我々人と似たような生態、精神構造をしていた。違うのは扱う力の総量だけ。
 だから、頭を休ませる時間を作る為、お前の言うところの大仰さを求めたという訳だ。理解したか?」

「……まあ、なんとなくは」

「あるいは、こうして語らう為の時間を作るため、という意味合いもあったのかもしれないな。
 お前たちの育成が一段落したら、全員を連れてまたここに来るのもいいかもしれん」

 そう言うチャイルドマンの表情は、湯煙に隠れてよく見えなかったが――

 昔を懐かしむような、どこか遠くを見つめるようにも見えたのだった。

26: 1 2017/03/31(金) 02:11:47.87 ID:irS+EJtK0
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