前回 【デレマス時代劇】土屋亜子「そろばん侍」

2: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:00:14.58 ID:fH8Z0+6b0
 大日本帝国は、露戦において戦術的な勝利をおさめた。

 しかし真に大衆が望んでいたのは、不敗の大和神話の幕開けではなく、

 困窮した生活を潤す賠償金であった。

 北方の島がいくらか手に入ったところで、なんだと言うのか。

 連日のデモ、打ち壊し、

 華族や富裕層を狙った強盗、焼き討ち、

 民衆の怒りはとどまるところを知らぬように見えた。


引用元: 【デレマス近代劇】渋谷凛「Cad Keener Moon 」 


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3: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:00:53.64 ID:fH8Z0+6b0
だが、彼らの心に、

「この国は変わらない。

自分達は搾取の構造から抜け出すことはできない」

という一種の諦観がなかったとは言い切れない。

いくらデモを行っても、状況は一向に改善しない。

憲兵達の目は、ぞっとするほど冷ややかだった。

4: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:01:38.77 ID:fH8Z0+6b0
 それでも一縷の希望にすがって、運動は継続された。

 いつかきっと、いつかきっと。

 その“いつか”は、誰にも分からなかった。

5: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:02:09.00 ID:fH8Z0+6b0
今年30になる海軍将校は、生娘のように恥じらった。
 
見合いの席だったのだが、婦女相手に相応しくない話をしてしまった。

「軍艦のお話、とても興味深かったです」

そう言って微笑むのは、神谷奈緒という少女。

燻んだような栗色の髪。くっきりとした眉。

夕暮れのように、静かな情熱を秘めた瞳。

一般的には、小生意気という印象を与える容貌。

だが、将校は彼女を一目で気に入った。

仕事上留守にすることが多く、なよっと儚い女では、

家を回していけないと思うからだ。

6: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:03:02.03 ID:fH8Z0+6b0
「いや、申し訳ない。

 女性のお方にはつまならい話を…」

その言葉を聞いて、奈緒の眉がぴくりと動いた。

「あたしを普通の女と一緒にしないで欲しい」

 先ほどと、口調ががらりと変わった。

“化けの皮が剥がれた”、将校はそんな印象を受けた。

生意気で、無礼な口の聞き方。 

しかしそれが彼にとっては、

かえって打ち解けているように感じられた。

「だから軍艦のお話、もっと聞かせて?」

夕暮れが、とろん、と揺らめいた。

将校は彼女に勧められるまま、話を続けた。

7: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:03:44.28 ID:fH8Z0+6b0
留置所の看守は眉をひそめた。

先日逮捕された女が、牢の中で騒いでいる。

「キャハ~っ!
 
 加蓮ちゃん最ッ高!!」

長い髪をぶんぶん振り回して笑い転げている。

同じ牢の女がなにか面白い冗談を言ったらしい。

8: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:05:26.94 ID:fH8Z0+6b0
「大槻っ!

 静かにしろ!!」

 「あぅ…スイマセーン…」

 看守が怒鳴ると、彼女はしおらしくなった。

 その仕草に嗜虐心か、ある種の意外性が

 喚起されたのか、彼の胸は高鳴った。

 大槻唯。

 埼玉から東京のデモに合流し、商家の打ち壊しを行った。

 素性を調べると、女学校を中退して、

 ほぼ家出状態だという。

 彼女にとっては、日露戦争の実質的な敗北など

 どうでもよく、ただの気晴らしなのかもしれない。

 看守は唯を見つめながら、自身の太ももをさすった。

9: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:06:32.21 ID:fH8Z0+6b0
 ひゅうひゅうひゅうと、激しい風が、

 橘ありすの髪をさらった。

 彼女はいま、炭水車の上部にいた。

 なぜ自分がこんな場所にいるのか、

 自分でも分かりかねていた。

 数年前まで、自分は巴里にいて、

 学友達にからかわれながらも、

 そこそこ楽しく毎日を過ごしていたはず。

 それなのになぜ。


 考えても疑問は尽きない。

 結局速水奏という女がどうなったのかも分からないし、

 隣室の安部菜々が、政府直属のスパイだったことに対しても。

 京の老舗塩見屋に、娘などいなかったことも。

 世界は、ありすにとって分からないことだらけ。

10: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:07:01.30 ID:fH8Z0+6b0
 もしかすると、橘ありすの人生は、誰かしらの作為によって、

 生まれた時から操作されているのではないか。

 真実などどこにもなく、 

 自分は、自分が知らぬうちに喜劇の役者として、

 物語の中で生きているのでは。

 そんな真っ暗な不安が、頭のなかをぐるぐるした。

 しかしありすの身体は思考に関係なく動いた。

 炭水車の外壁に4、5箇所適当な穴を開ける。

 水がしゅるしゅると、風に流れて散っていった。

11: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:08:02.50 ID:fH8Z0+6b0
 日本人の若き外交官は赤面した。

 目の前の、露西亞語の通訳の女。

 新雪を思わせるような、爽やかな銀髪。

 とろりと滑めらかに白い肌。

 高すぎず、ちょうどいい形の鼻。

 そして星空のように、深みのある碧眼。

 名前はアナスタシア。

 半分露西亞の血が入っているらしいが、

 そんなことは頭から吹き飛んでしまうくらい、

 彼女は美しかった。

12: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:08:34.93 ID:fH8Z0+6b0
 内閣は外務に、露西亞との交渉を試みるよう指示している。

 あくまで、“試みる”ように。

 はじめから何かが引き出せるとは、誰も思っていない。

 ただ、努力はしたというポーズを

 国民に見せることが重要なのだ。

 若い外交官は、根室に新設された、

 対露専用の来賓館に派遣された。

 実質これは、左遷に近かった。

 成果を期待されない仕事に従事するのは、

 同じく期待されない人間のみ。

 彼は自身の身を嘆いていた。

13: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:09:09.65 ID:fH8Z0+6b0
 しかし、アナスタシアを見ていると、

 別にいいかという気がしてくる。

 公職という立場で、見目麗しい女性と

 忌憚ない言葉を交わせるなら、

 肌寒い境遇も少しは温められる。

 いやむしろ、なにもせずとも給料が払われるだけ、

 自分が随分な身分になったような気さえした。

「どうか、しましたか?」

 黙っている青年を見て、アナスタシアが首をかしげた

 その仕草が愛らしくて、彼は心中で、

 露西亞万歳を三唱した。

14: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:09:36.26 ID:fH8Z0+6b0
ある意味、幸福な男であった。

15: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:10:19.77 ID:fH8Z0+6b0
記者の渋谷凛は、目の前の女を吟味した。

流れるような蒼の短髪。

サングラスをかけていて、目線は分からない。

季節は冬だが、肌はすべすべとしている。

唇がやけに艶かしく、同性の凛でも妙な気持ちになる。

「さて、どんな話を聞きたいのかしら」

彼女は、情報屋を名乗った。本名は教えてくれない。

「そうだね…とりあえず、

 軍部について…」

内容ゆえ、声量は下げた。

料亭の個室とはいえ、安心はできない。

隣に聞かれるのも不都合で、

一見おすまし顔の女中なども、“口が滑りすぎる”。

16: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:10:51.26 ID:fH8Z0+6b0
「…ざっくりね」

女は苦笑した。


軍部は対露戦の勝利に酔い、

新たな戦争の準備を始めているという噂があった。

さらに国民には秘密にスパイの

養成機関を作ったという情報も凛は掴んでいた。


17: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:11:33.90 ID:fH8Z0+6b0

「…英吉利から最新の軍艦を買い付けるらしいわ。

 それも三隻」

凛は言葉を失った。

今の日本のどこから、そんな金が出てくるのか。

「…軍部は、国会に圧力をかけてる…」

軍事予算の拡大、つまるところ大増税。

公表されれば国民は激怒を通り越して、卒倒するやも。

「…証拠は?」

凛は尋ねた。口先の言葉だけで、記事は書くことはできない。

巷には根拠のない風説を垂れ流す新聞社があふれているが、

凛のプライドはそれを許さない。

異端ともいえる女の記者であったが、

彼女の職業精神はきわめて高潔である。

18: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:12:21.35 ID:fH8Z0+6b0
「証拠ね…ふふっ、少しは自分で努力をしたら?」

お前自身で探せ、というつもりらしい。

「その件は…まず保留で…

 次は…デモの動向について」

凛は尋ねた。

小規模ではあるが、

打ち壊し、焼き討ちは確実に増えている。

警官隊、憲兵との衝突もあり逮捕者、

および死傷者の数も増大している。

いまだ運動は決め手に欠けるところがあるが、

記者としては見過ごせない。

19: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:13:45.97 ID:fH8Z0+6b0
「…デモはもうすぐ終わるわ。

 貴女が調べる必要はまったくない。」

凛はむっと、声を漏らした。

お前がやる必要はない。彼女が一番嫌いな言葉である。

それと、凛の私感から言って、デモはまだ終わらない。

まだまだ、本番前の余興といってもよいくらいだ。

「…ずいぶんな決め付けだね…証拠は…自分で探せ?」

凛が尋ねると、情報屋はにっこりと笑った。

そして、それじゃあ、と

別れの投げキッスをして部屋から退出した。

不覚にも、凛の胸は高鳴った。

20: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:14:27.16 ID:fH8Z0+6b0
鷺沢文香は、数年前に欧州で出版された、

天文学の論文を読んでいた。

コーヒーが空になって、すでに数時間が経過しているが、

喫茶店の店主は咎めない。

文香は馴染みの客である。

「お腹すいた~ん♪」

喫茶店のドアが、少々乱雑に開かれた。

入ってきた女は、空いているのに文香の横に

どっかりと腰をかけた。

「ん、何読んでんの?」

彼女は、文香の読んでいた本をばしりと取り上げ、

ぱらぱらめくった。

「つっまんない本」

そして、乱雑に文香の前に放った。

21: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:15:25.24 ID:fH8Z0+6b0
「そんな本ばっかり読んでるから、表情も暗いし、

 雰囲気も暗いんだよ。

 もう、ちょっと新しくて過激なことでも始めたら?」

 打ち壊しとか、そう言って、女はけらけら笑った。

 文香は眉をひそめた。

「…言葉を…つつしんで……ください…」

 喫茶店の店主が、おや、という顔をした。

 文香が怒るのは珍しい。

 まあ、あれだけ失礼な態度をとられれば、

 無理もないが…。

「“つつしみ”……?

 帰ったら辞書で調べとくよ!」

 そう言って、また女はけらけら笑った。


22: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:16:09.69 ID:fH8Z0+6b0
陸軍の大将は、執務室で傲岸な息を吐いた。

20年ほど前、海軍および政府と共同で、諜報機関を作った。

スパイなどという卑劣で陰湿な行為は、軍人としての矜持に

反していたが、女がやるということで溜飲を下げた。

その諜報機関が、巴里で目覚ましい成果を上げた。

欧州列強のアジア戦略に関する機密文書を、

そっくり写して持ち帰ったのだ。

大活躍といっていい。

そのおかげで、戦略的にも少なからぬ利を得た。

23: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:17:07.81 ID:fH8Z0+6b0
だが最近の諜報機関は、

どうも軍の意向から離れていっている。

政府と協同で、軍部の政治的な

台頭を抑えようとしているのではないか。

単なるやっかみなのかもしれないが、

機関の存在を知る者は、次第に懐疑的になりつつある。

たとえば、文書を国内でも暗号で

やりとりしている、という点が不審だった。

なぜ同郷の者に対してまで情報を隠そうとするのか。

自国にスパイが入り込んでいることを、

欠片も考慮できない人間達には、

それが重大な裏切りのように感じられる。

陸軍大将は部下に命じて、暗号の解析を命じた。

女性を蔑視している彼にとって、これ以上機関が

隠れて成果を上げるのは、許し難いことであった。

24: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:18:03.68 ID:fH8Z0+6b0
渋谷凛は、あてもなく町をさまよっていた。

デモ隊のビラは、そこかしこに溢れかえっている。

運動が鎮まるような気配はない。

文学を専攻していた大人しい学生なども、

『革命』と題した詩集を

自費で出版するなどしている。

これが民衆の間では流行っているらしい。

気取った羅甸語などの詩を、読

めもしないのに囃し立てている。

馬鹿馬鹿しい。

凛は詩集を手に取った。

ぱらぱらと適当にめくる。

するとほどなく、

アルファベットの文字列が見つかった。

25: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:18:50.95 ID:fH8Z0+6b0
凛は伊太利亜語に多少の覚えがあったので、

内容の咀嚼を試みた。

しかし、文章はまったく意味の通らないものだった。

読者どころか、書いている者も読めないのでは。

凛は苦笑した。

ナンセンスな文章を書き散らす

文豪気取りは山ほどいるが。

これもその類いか。

やはり馬鹿馬鹿しいと思いながらも、ページをめくる。

だが次第に、ページをめくる手がゆっくりになった。

詩集は流行している。

一般大衆の間で読まれている。

もちろん、デモに参加する人間も目にするだろう。

この一見不可解な文章は、もしかしたら…。

凛の、記者としての勘が疼いた。

26: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:19:19.51 ID:fH8Z0+6b0
看守は、大槻唯の叫びを聞いた。

同じ牢にいる北条加蓮が、

胸の痛みを訴え倒れたという。

駆けつけると、加蓮は蒼白して

ひゅう、ひゅうと、不規則な息を吐いていた。

「このままじゃ加蓮が死んじゃうよ!!」

医者を呼んでほしい、と唯はすがりついて

看守に懇願した。

ここで、彼の嗜虐心が疼いた。

27: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:19:49.46 ID:fH8Z0+6b0

「俺はその女が死のうと困らないな。

 どうせ外に出たら、またデモに参加して、

 世間様の迷惑になるんだ」

冷たい声で、そう言い放った。

唯は涙を浮かべてズボンを引っ張った。

彼女は荒い息を吐いて、服が乱れていた。

「助けて欲しいなら……どうする?」

下卑な顔をして、看守は尋ねた。

唯は、はっとした表情になった。

「分からない…」

「分かってるくせに」

看守は、唯のあごに手を添えた。

そしてもう片方の手では、ベルトを外した。

「やめて…」

唯が、ふるふると顔を横に振った。

そこで火がついた。

28: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:20:27.59 ID:fH8Z0+6b0
「いい加減にしろよクソ野郎」

 看守の身体は炎に包まれていた。

 北条加蓮が、石油ランプを彼にぶつけたのだった。



29: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:20:58.56 ID:fH8Z0+6b0
デモ参加者2名が留置所から脱走。

当直の看守1人が重度の火傷。

この知らせは醜聞として世間に流れた。

他に囚われていた人間が釈放された後、

外で看守の不埒な行為を証言したのだ。
 
警察と憲兵らは握りつぶそうとしたが、

ある出版者に切れ者の記者がいて、すっぱ抜かれてしまった。

30: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:21:43.04 ID:fH8Z0+6b0
 さらにその記者は、恐れを知らぬのか、
 
 白昼堂々と警察署を訪ねてきた。

 だが、署内の皆が彼女の言葉に耳を傾けた。

 近日中に、大規模なデモ活動が

 神戸で展開されるという。

 それは『革命』という詩集の中に

 暗号として記されていて、

 過去の号の解読と、デモの発生を照らし合わせれば

 確かな情報だった。

31: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:22:11.86 ID:fH8Z0+6b0
 これに応じて警官や憲兵だけでなく、

 陸軍からも大量の人間が

 次の活動地とされる神戸に配置された。

 対露戦の後も、東北に駐留していた兵士らもかき集められ、

 歴史上例を見ない大弾圧が始まろうとしていた。
 

32: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:23:12.47 ID:fH8Z0+6b0

 陸軍大将は机を叩いた。

 怒りではない。喜びゆえに。

 渋谷という記者が解読した暗号は、

 機関で用いられていたものと一致した。

 これまで不透明だった作戦の数々が、

 陸軍にとっても明らかとなった。

 さらに、機関はデモ運動を操作し、

 軍部を意図的に疲弊させようとしている、

 という事実も分かった。

 これから、目にもの見せてくれる。

 陸軍大将は鼻息を荒くした。

 彼は、渋谷凛が女性であることを知らなかった。

33: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:23:46.31 ID:fH8Z0+6b0
 最新式の軍艦は、まず大湊に入港する計画になっていた。

 都市部に近い横須賀などに置けば、国民が騒ぐ。

 既成事実として世論に受け入れさせるためには、

 周到な準備が必要なのだ。

 今はまだ、時期が悪い。

 軍艦を受け入れるにあたっての細かな

 日程の調整はすでに済んでいる。

 それが記された書類は、大湊から東京まで

 現在郵送中である。

34: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:24:21.20 ID:fH8Z0+6b0
「うーん、まずい…」

 貨物列車の機関士は低く唸った。

 出発する前にはなかったはずの穴が、

 炭水車に空いている。

 このままでは運行に支障が出る。

 軍事に関わる書類なども運んでいるから、

 迅速な対処が必要だ。

35: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:25:33.65 ID:fH8Z0+6b0
幸い、車両基地がすぐ近くにあった。

機関士は、同乗していた兵士に説明をして、

停車の許可を得た。

やれやれ、これで一件落着。

彼がそう思ったのもつかの間。

車両基地には、デモ隊がひしめき合っていた。

まさか、貨物を狙っているのか。

冷や汗を流した兵士の1人が、車外へ引きずり出された。

さらに、銃を構えようとした別の兵士は、首を斬り落とされた。

「フンフンフフーンフンフフー♪」

その女は、陽気な鼻歌まじりで死体に近づき、

流れ出る血を、傷口からちゅるちゅる吸った。

「うーん、不っ味い♪」

その様子を見た機関士は、意識を失った。

36: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:26:17.99 ID:fH8Z0+6b0
陸軍大将は机を叩いた。

今度は激怒と不安ゆえに。

神戸で起こった大規模デモの鎮圧には成功した。

だが、東北から東京に向かっていた貨物列車が襲われた。

それには、軍事機密の記された書類が荷物として積まれている。

37: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:26:50.95 ID:fH8Z0+6b0
かなり深刻な状況だ。

機密を守れないというレッテルを

貼られるのもまずいが、

なにより内容が明かされるのがまずい。

デモはさらに激化する。


国民を弾圧したという汚名は着慣れたが、

件の看守のせいで、“武力”そのものに対するイメージが

すこぶる悪くなっている。

そして今度は、くそったれ海軍の道連れで、陸軍までも。

政府は議員を少し入れ替えるだけで、

国民の信用を得られるのが恨めしい。

38: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:27:19.95 ID:fH8Z0+6b0
そうだ、機関のせいにしてしまえばいい。

もとはと言えば、奴らがはじめに企んだこと。

陸軍大将ははじめそう考えたが、実行には移せなかった。

自分たちは独断で機関の暗号を解読したのだ。

それを根拠に騒げば、どのみち陸軍の信用は失墜する。

どうすればいい…どうすれば…。

陸軍大将の胃は、ビーフシチューの

ようにとろけそうになった。
 

39: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:27:58.29 ID:fH8Z0+6b0
若い外交官は、極北の地での生活を満喫していた。

先週などは、近所の子どもたちと

かまくらを作ったり、雪合戦をしたりした。

アナスタシアも一緒だった。

仕事はないので、日誌にそのまま事実を書いた。

下手くそな絵も添えておいた。

また昨日は、アナスタシアと天体観測をした。

彼女は天文学に造詣が深く、無知な彼に対しても、

わかりやすく教えてくれた。

40: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:29:39.87 ID:fH8Z0+6b0
ずっとここにいたいなぁ。

彼はそう思いながら、日誌にアナスタシアの絵を描いた。

彼女のことは毎日描いていたので、

風景に比べて、グロテスクなほど際立っていた。



お絵かきが終わって、お昼寝タイムの男に、

アナスタシアはくすりと笑って、毛布をかけた。

そして、執務室の椅子に腰掛けて、本を読み始めた。

それは、『星の見る夢』と題されていた。

41: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:30:23.18 ID:fH8Z0+6b0
 陸軍大将の下に、塩見周子という女が現れた。

 彼女は紛失したはずの軍事機密書類を持っていた。

「ご機嫌いかが?」

 周子は尋ねた。

 まんまと出し抜かれ、生命線を握られている気分はどうだ。

 陸軍大将にはそう聞こえた。

42: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:30:51.79 ID:fH8Z0+6b0
「貴様…」

「ああちなみに、これコピーして

 露西亞に送付する手筈もついてるから。

 最高のカードになるしね。

 “政府にとっては”、だけど」
 
 彼の言葉を、周子がさえぎった。

 無礼で、生意気で、鼻持ちならない。

 女の分際で。

 陸軍大将にとっては、我慢の限界だった。

43: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:31:29.55 ID:fH8Z0+6b0
「お前達のやることなど、はじめから知っていたんだ!!」

 暗号は解読した、

 これからやろうとしている事も分かっている。

 彼はそう叫んだ。

 しかし周子はけらけら笑うだけだった。

「暗号を解読したって、相手に教えてどうすんの?

 まあ、もう手遅れなんだけど」

 彼女はある文章を口ずさんだ。

 その意味が、陸軍大将には全く分からなかった。


44: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:32:08.54 ID:fH8Z0+6b0
「それでは“つつしんで”、失礼致しま~す♪」

 閉じたドアに、彼は階級章を投げつけた。

45: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/14(水) 12:32:36.61 ID:fH8Z0+6b0
おしまい