前回 千歌「――私はある日、恋をした。」

2: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 00:42:14.86 ID:Tx30bpDoo
山々の木々の葉が散り始めた冬の頭。

生徒会室の張り詰めた空気の中、二人で黙々と仕事を進める。


ダイヤ「……」


書類に目を通して、必要なものには判を押す。

そんな流れ作業に少し辟易しながらも、やらないわけにはいかない。

それが生徒会の仕事だから。

わたくしはふと、一緒に仕事をこなしている向かいの席に座る人を見る。

赤い髪を両側に揺らしながら、黙々と作業を進める、最愛の妹を──


ルビィ「……?お姉ちゃん、どうかしたの?」


わたくしの視線に気付いてルビィが問いかけてくる。


ダイヤ「あ、いえ。……生徒会の仕事も随分板についてきたなと」

ルビィ「ホントに?えへへ、嬉しいな」


ルビィが無邪気に笑う。

だけど、それが意味するものを考えて少しだけ胸がチクリとした気がした。


ルビィ「お姉ちゃん」


そんなわたくしの様子に気付いたのか


ルビィ「ルビィが好きでやってることだから、気負わないで」


そう言う。


ダイヤ「……ありがとう」


わたくしは、そう返すことしか出来なかった。





    *    *    *





ルビィ「最近、千歌ちゃんとはどう?」


仕事をひと段落させ、小休憩を取っていると、ルビィがそう尋ねてきた。


ダイヤ「滞りなく、清いお付き合いをさせていただいていますわ。」

ルビィ「そっか」

ダイヤ「ええ……」


引用元: ダイヤ「貴女と選んだ」千歌「道の先で」 



3: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 00:42:56.65 ID:Tx30bpDoo
わたくしは少し迷ってから


ダイヤ「ルビィ……生徒会は楽しい?」


そう続けた。


ルビィ「……うん。お仕事は大変だけど、ルビィにも出来ることがあるんだって感じることも一杯増えてきて、楽しいよ」


ルビィは生徒会に前向きだ。だが、肯定の前の僅かな沈黙。わたくしは──


ダイヤ「ねぇ、ルビィ……やっぱり」

ルビィ「お姉ちゃん」


でも、言葉を遮られる。


ルビィ「そろそろ休憩終わりにして、続きはじめよ?」


ルビィにそう促された。


ルビィ「今日は千歌ちゃんち泊まるんでしょ?」

ダイヤ「……ルビィ」

ルビィ「お仕事早く終わらせていってあげないと! 千歌ちゃんね、お姉ちゃんにおいしい手作り料理、振舞うんだって張り切ってたんだから」

ダイヤ「……それは、楽しみですわね」

ルビィ「うん! だから──」

ダイヤ「ねえ、ルビィ」


でも、それでもわたくしの中のつっかえたものが消えることはなくて


ルビィ「お姉ちゃん……前にも言ったけど、ルビィはお姉ちゃんにはお姉ちゃんのために生きて欲しい」

ダイヤ「……」

ルビィ「ルビィのこと信用できない?」


──噫、その言葉はずるい。最近はどうやっても、この言葉で、最終的に煙に撒かれてしまう。


ダイヤ「……信用してますわ。だから、こうして生徒会に入ってもらっているのですから。」


わたくしはそれ以上は何も言えなくなって、目を伏せた。





    *    *    *





千歌「ダイヤさん」


千歌さんがわたくしの名前を呼んで、自分の膝をぽんぽんと叩いた。

4: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 00:43:23.50 ID:Tx30bpDoo

ダイヤ「ん……」


わたくしは二の句を告げずに千歌さんに近付き、そのまま彼女の膝に頭を乗せて横になる。


千歌「よしよし……」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「なぁに?」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「うん……大丈夫、ちゃんと傍にいるよ。」


優しく頭を撫でてくれていた彼女の手が滑らかな動作で、そのままわたくしの手を握り締める。


千歌「ルビィちゃんのこと?」

ダイヤ「……」

千歌「……そっか」

ダイヤ「……ごめんなさい」

千歌「どうして謝るの?」

ダイヤ「わたくしの悩みは……貴女に失礼だと思って……」

千歌「そうかな?」

ダイヤ「……」

千歌「考えすぎだよ。きっと疲れてるんだと思う。今日はもう寝ちゃう?」

ダイヤ「まだ、ご飯食べただけじゃない……。せっかく、お呼ばれしてるのに勿体無いですわ。」

千歌「そっか。じゃあ、眠くなるまでお話しよっか。」

ダイヤ「千歌さん……」

千歌「んー?」

ダイヤ「好き……」

千歌「うん、私も好きだよ。」


零れ出る幸せな言葉。なのに……なのに

心の中に黒い霧のような不安が沸き立つようで


ダイヤ「好き……好きよ……」


それを振り払うように


千歌「うん、知ってる。」

ダイヤ「千歌さん……」


わたくしは起き上がって、彼女の唇を塞いだ。


ダイヤ「──ん」

千歌「──んっ」

5: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 00:43:54.98 ID:Tx30bpDoo

短い、口付け。


千歌「えへへ、落ち着いた?」

ダイヤ「千歌さん……千歌さん……」

千歌「だいじょぶだよ。ちゃんと、ここにいるから。」


抱きしめて、千歌さんを感じて。


千歌「よしよし……」


優しく頭を撫でてくれる貴女に甘えて、わたくしは──





    *    *    *





黒澤家を継ぐ人間として、生まれたときからわたくしはいろいろな習い事をこなして来た。

お琴、日舞、華道、茶道、書道……数え切れないくらいに

それも全て黒澤の娘として、家を継ぐため……なのに

──ある日、家の郵便受に入っていた、綺麗に包まれた便箋を見て。

わたくしは……わたくしは──





    *    *    *





ダイヤ「わたくしは……!!」


そんな言葉と共に覚醒する。

暗い部屋と……もはや見慣れた天井。


ダイヤ「……夢」


すぐ横に目を配らせると


千歌「……ん……ダイヤさん……?」


千歌さんに寝ぼけ眼でこちらを見上げていた。


ダイヤ「あ、わたくし、あのまま寝ちゃって……」

千歌「ん……怖い夢見た?」

ダイヤ「……」

6: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 00:44:52.39 ID:Tx30bpDoo
千歌「また寝たら怖い夢見ちゃうかもしれないし、楽しいお話しよっか」

ダイヤ「なんで……」

千歌「ん」

ダイヤ「なんで、貴女はそんなに優しいの……」

千歌「……うーん、ダイヤさんがチカに優しくしてくれるからじゃないかな」

ダイヤ「……わたくしのは、そんな高潔なものじゃない」

千歌「高潔……かはよくわかんないけど、ダイヤさん優しいよ」

ダイヤ「ねえ、優しくしないで……わたくし、どんどん弱くなってしまう……」


黒澤の女は常に強くあらねばならない。

なのに。


千歌「……」


ふわりと……千歌さんに抱きしめられる。


千歌「弱くなっちゃ……ダメなの?」

ダイヤ「ダメなの……わたくしは……強くなくちゃ……」


自分に言い聞かせるように、言葉を搾り出す。


千歌「そっか……」

ダイヤ「だから、弱いわたくしを受け止めないで……お願いだから」

千歌「それは出来ないかなぁ……」

ダイヤ「どうして……」

千歌「だって、それもチカの大好きなダイヤさんだから。」

ダイヤ「……」

千歌「ダイヤさんだって、チカが泣いてたら抱きしめてくれたもん」

ダイヤ「……」

千歌「同じだよ」


その言葉を聞いて、堅くなっていた肩から少し力が抜ける。


ダイヤ「……ここ数日わたくし、少し動揺が過ぎますわね……」

千歌「しょうがないよ。でも、チカの前ではどんなダイヤさんでも大丈夫だから。……ね?」

ダイヤ「……ありがとう。千歌さん。」


抱きしめられたまま、深呼吸をする。千歌の匂いに包まれていて、すごく……すごく安心する。


ダイヤ「貴女でよかった……」

千歌「うん。チカもおんなじ気持ちだよ」


再び眠りに落ちるまで、千歌さんは優しく頭を撫でてくれていた。

7: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 00:45:36.78 ID:Tx30bpDoo
今日はここまで。
おやすみなさい。

9: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 10:12:41.58 ID:Tx30bpDoo




    *    *    *





梨子「おはよう、千歌ちゃん。今日も早いね。」

千歌「あ、梨子ちゃん。おはよ」


朝起きるとベランダ越しから梨子ちゃんが声を掛けてきた。


梨子「今週もダイヤさん泊まってるの?」

千歌「うん。まだ寝てるけど」

梨子「……珍しいね。ダイヤさんも早起きなイメージなんだけど。」

千歌「あーうん。ちょっと疲れてるみたいで」

梨子「そっか……。ねえ……」


梨子ちゃんが不安そうに私を見つめているのがわかった。


梨子「千歌ちゃんは大丈夫……?」


ずっと、私とダイヤさんのことを想って見守ってきてくれた梨子ちゃん。

だから、今回のこともすごく心配している。


千歌「チカは大丈夫だよ。」

梨子「ホントに?無理してない?」

千歌「ん、全く無理してないかと言われると……ちょっと嘘になるかもしれないけど」

梨子「けど?」

千歌「……ルビィちゃんにも頼まれてるから」

梨子「ダイヤさんのこと?」

千歌「うん」

梨子「……」

千歌「これは私の憶測だけどね。……きっと、ルビィちゃんが私に『お姉ちゃんをお願いね』って言ったのはこういうことだと思うから。」


ダイヤさんにとっては今が一番しんどいタイミングだと思うから……だから

10: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 10:13:28.18 ID:Tx30bpDoo

千歌「今はチカがしっかりしてないといけないと思う。」

梨子「そっか……」

千歌「ねねね。それより、梨子ちゃん今日暇?」

梨子「え?あ、まあ、それなりに……」

千歌「じゃあ、うちに遊びに来てよ」

梨子「ダイヤさんと二人っきりなのに、お邪魔していいの?」

千歌「ちょっとダイヤさん、ここ数日思考がループしてるから……皆で遊べば少し気分転換になるかなって。お昼過ぎから果南ちゃんも来ることになってるから。」

梨子「あぁ……果南ちゃんもだいぶ心配してたもんね。」

千歌「うん。だから今日は4人で遊べないかなって」

梨子「そういうことなら。私もお昼過ぎに行けばいい?」

千歌「うん。それで大丈夫」

梨子「そっか、それじゃまた後でね」


梨子ちゃんが部屋に戻っていくのを確認してから、私も部屋に戻る。

部屋の奥、自分のベッドの上ですぅすぅと可愛らしく寝息を立てるダイヤさんを確認して。

その横に腰掛ける。


ダイヤ「ち……か……さん……」

千歌「ん」

ダイヤ「すぅ……すぅ……」


これは寝言だったみたい。

ダイヤさんの頭を撫でる。


ダイヤ「んゅ……」


少し身動ぎして、声をあげる。

無防備なダイヤさん。

きっと私しか知らない、安心しきったダイヤさん。


千歌「今は傍にいてあげないと……」


考えすぎかなって思うけど、起きて私がいなかったら

また寂しくなっちゃうかなって思って

なんて思ってたら──

11: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 10:14:11.85 ID:Tx30bpDoo

ダイヤ「……るび……ぃ……」


ダイヤさんがルビィちゃんの名前を呼んだ。


ダイヤ「……ごめん……なさい……」

千歌「……」


また、夢を見てるのかな。

さっきまでおだやかだった寝顔が少し息苦しそうになっていた。

私はダイヤさんの手を優しく握る。


千歌「だいじょぶだよ……」

ダイヤ「ん……。……すぅ……すぅ……」


私の声が聞こえたのか、またおだやかに寝息を立て始める。


ダイヤ「ちか……さん……」

千歌「ここにいるよ」


私がそう言葉にしたら、繋いだ手が少しだけ強く握り返された気がした。

……まだ、朝も早いから。

しばらくはダイヤさんが落ち着いて眠っていられるように。

こうしていようと思う。





    *    *    *





もはや見慣れた便箋。

ただ、見慣れていないことがただ一つ。

そこに書いてある宛名はわたくしの名ではなく。

…………。

いつか来る未来だとわかっていたはずなのに。

自分でそうなる道を選んだはずなのに。

その便箋の宛名を見て、わたくしはうろたえずにはいられなかった。





    *    *    *






12: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 15:26:03.03 ID:Tx30bpDoo

沼津の冬はリリーの話によると、東京よりはやや温かいらしい。

とは言っても、すぐそこにある海から吹いてくる風はもう冷たい。

ってか、そういう理由どうこう以前に主観的に寒い。


善子「元引きこもりが、気まぐれでうっかり散歩なんて、するもんじゃないわね……」


どこかの誰かに触発されたのか、最近はどうも晴れ模様を見ると身体を動かしたくなる。

晴れていてもだんだん近付いてくる冬の足音──跫が確実に聞こえてきている。

身も心も凍て付かせる、終焉の季節が……。

……ちょっと、このフレーズかっこいいわね。

そんなことを考えていると茶々を入れるように冷たい風が吹き付けてきた。


善子「さむ……」


風を避けるように商店街に逃げ込む。


善子「はぁ……本屋でも行こうかな……」


見慣れた商店街で一人のときに行く先なんて、だいたい決まってるようなもので

本屋へと足を運ぶ。

店内に入り、サブカルコーナーを物色しようとしていたら、本棚の前に見覚えのあるちっこいのがいるのに気付く。


善子「ずら丸?あんた何してんのよ?」


そこにはずら丸が本棚の前で立ち尽くしていた。


善子「まさか、貴方もついにリトルデーモンとしての宿命を自覚したというの!?」

花丸「……」

善子「……えーと、ずら丸?さすがに無視は堪えるんだけど……」

花丸「……あ、ここ文庫の棚じゃない」


そう呟いてずら丸が私の方に方向転換して。


花丸「ずらっ!?」


ぶつかった。


花丸「ご、ごめんなさい!オラぼーっとしてて……善子ちゃん?」

善子「……」

花丸「あ、えっと、ごめんね」

善子「いや、いいけど。大丈夫? 普通文庫の棚とサブカル棚間違えないわよ?」

花丸「あ、うん。……ちょっと、考え事してて。」

善子「まあ、いいけど……。あんたが沼津に一人で来るなんて珍しいわね? バス間違えなかった?」

花丸「む……マルもそこまでじゃないずら。今日は1回しか降りる場所、間違えなかったし。」

13: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 15:26:29.15 ID:Tx30bpDoo

沼津、終点なんだけど、どうやって間違えたのかしら……。


善子「ルビィはどうしたのよ」

花丸「今日はお稽古だって」

善子「今日も?」

花丸「そうみたい」

善子「ふーん……」

花丸「うん……」


ずら丸が僅かに目を伏せた。


善子「本、買うんじゃないの?」

花丸「あ、うん」


そう促すと、とてとてと文庫棚に向かって歩いていく。

その後ろをついていく。


花丸「えっと、これとこれと……これとこれと」

善子「相変わらずたくさん買うわね」

花丸「あ、善子ちゃんちょっと持ってもらっていい?」

善子「……リトルデーモンの分際で私を使おうと言うのね?いい度胸だわ。」

花丸「これと……あと、これと……」


有無を言わさず私の両手に本が積み重ねられていく。


善子「……」

花丸「えっと、これ……あと、これ」

善子「あんたホント本好きよね」

花丸「これと……これとこれと、これ。……あとこれ」

善子「あの、花丸さん?」

花丸「あ、これも……あと、これとこっちも……あ、これ新刊読んでなかった。あとこっちのシリーズを……」

善子「ずら丸ッ!?」

花丸「ずら!?い、いきなりおっきな声出さないでよ、善子ちゃん。」

善子「いやいやいや、あんたどんだけ人に本持たせるつもりよ!」

花丸「え、まだ半分もないけど……」

善子「店員さーん!台車貸してくださーい!!」


このままじゃ腕が?げる……





    *    *    *


15: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 15:28:30.33 ID:Tx30bpDoo



花丸「全く善子ちゃんは情けないずら」

善子「あんた、そんなに本持ち歩いてて重くないの?」

花丸「本は別腹ずら」

善子「いや、意味わかんないし……」


一先ず買い物を済ませて、今は近くのカフェで腰を落ち着けている。

ずら丸の隣の席には風呂敷に包まれた大量の本が置いてある。

20冊……いや、30冊くらいある?


善子「普段からそんなに買うの?」

花丸「買うときは……でも、最近はあんまりなかったかな」


店内の窓ガラス越しに空を仰ぎながら


花丸「最近はあんまりお休みに沼津も来てなかったし……」


ぼんやりとそう言葉を零した。


善子「……」


理由はなんとなくわかる。


善子「……あんま、気にしてもしょうがないんじゃない」

花丸「……うん」


行間を読んだのか、唐突な言葉にもしっかり相槌を打つずら丸。


花丸「……ルビィちゃん最近、大人っぽくなったよね。しっかりした……というか」

善子「……そうね」

花丸「それって、いいことだよね……」

善子「……そうね」

花丸「なのに、それが寂しいって思うのは……マルの心が汚れてるからだよね」

善子「それは違うと思うけど……」

花丸「……マル、どうしたらいいんだろ」

善子「ずら丸はどうしたの?」

花丸「……わかんない」

善子「そう……」


相槌を打ちながら、最近の練習風景に記憶を廻らせる。

練習はいつも通り。

ただ、ダイヤだけはなんだか雰囲気が違う。

言葉や態度に出ていない……というか、出さないようにしてる雰囲気が伝わってきていて、皆その違和感に気付いてはいるが口にはしない。

16: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 15:29:37.46 ID:Tx30bpDoo

たぶん、ダイヤの彼女である千歌と妹のルビィはその原因を知ってるんだろうけど……。

ずら丸も口のこそ出さないが、そんな空気に当てられてしまったのかもしれない。

これは正直、直感なのだけど。

ダイヤが落ち込むのに反比例して、ルビィが忙しくなっている気がする。

……いや、逆かしら。

ルビィが忙しくなっていくことにダイヤが落ち込んでいる。

……まあ、こんなのは自明かしら。

ことがことだけに。


善子「全く難儀よね……」


私もそう呟きながら、窓の外を仰ぎ見た。

店の外は太陽が雲に隠れて、陽の光を遮られていた。

それを受けてか、さっきよりも外の通行人が寒そうにしているのが目に入ってきて、たまらず追加でホットコーヒーを頼もうと決意した。





    *    *    *







18: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 20:38:17.74 ID:Tx30bpDoo

ダイヤ「ん……」

千歌「あ、起きた。おはよ、ダイヤさん」

ダイヤ「おはよう……。今、何時ですか……?」

千歌「10時過ぎだよ」

ダイヤ「……随分寝坊してしまいましたわね。」

千歌「昨日遅かったからいいんじゃないかな?気持ちよさそうに寝てたし。」

ダイヤ「ええ、お陰でぐっすり……」


半身を起こしたダイヤさんはしばらく時計をぼーっと見つめて

突然はっとしたような顔になった。


千歌「……ダイヤさん?」

ダイヤ「い、いえ……」


ダイヤさんの目が泳いでいる。


千歌「だいじょぶ……?」

ダイヤ「ごめんなさい……」

千歌「ん……」


真っ青な顔をしたダイヤさんを抱きしめる。


千歌「……」


抱きしめた腕の中で


ダイヤ「わたくしだけ、こんな……」


と小さく呟くのが聞こえた。

そういえば、ルビィちゃん……今日は朝からお稽古なんだっけ。

どう言うのが一番かなと少しだけ考える。


千歌「ダイヤさん」

ダイヤ「なん、ですか……?」

千歌「チカと一緒にいるときは何も考えなくていいから」

ダイヤ「……」

千歌「私が全部許すから……ね?」

ダイヤ「……ちかさん」

千歌「だいじょぶだから」


その場しのぎの言葉だなんてことはお互いわかっている。

でも、こんなにことあるごとに気に病んでいたら、本当にダイヤさんの心が押しつぶされちゃう。

だから、私と一緒にいる間だけは……忘れていいと言うことにしてあげたい。

忘れられない、忘れてはいけないことなんだとしても……ね。

19: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/12(土) 20:56:20.62 ID:Tx30bpDoo


    *    *    *





しばらくしてダイヤさんが落ち着いてきた頃合で私は一旦一階に降りてきた。


志満「あ、千歌ちゃん。ダイヤちゃんまだ寝てる?」


早速、志満姉に遭遇する。


千歌「ううん、さっき起きたところ。」

志満「そっか、じゃあこれ」


と言ってお皿に盛られたおにぎりを手渡される。


志満「朝ごはん……と言っても、もうお昼前だけど。二人で食べて。」

千歌「うん、ありがと。」

志満「そういえば、千歌ちゃん。」

千歌「ん?」

志満「ダイヤちゃんとのことって、お母さんに言ったの?」

千歌「え? ……いや、特に言ってないけど。なんで?」

志満「お母さん、電話でダイヤちゃんのこと心配してて……」

千歌「どゆこと……?」


お母さんとダイヤさんって面識あったっけ……?

まあ、Aqoursのメンバーだから、一方的に知ってはいるだろうけど……


志満「まあ、知らないならいいの。えっと……それと、お母さんから千歌ちゃんに伝言があって」

千歌「でんごん……?」

志満「『しっかりやりなさい』って……」

千歌「……」

志満「お母さん、どこまで知ってるのかしら」


昔っから見透かしたようなことを言うんだよなぁ……お母さん。

あんまり家に居なかった癖に……。


志満「やっぱり、離れてても親子なのね」

千歌「そうだね……」


家族って、そうなんだなって思い知らされる。

……いろんな意味で、ね。


22: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/14(月) 13:49:16.18 ID:3eNuSAZNo


    *    *    *





予兆はあった。


ダイヤ『はい、黒澤です。……え? 明日のお稽古はお休み? ……はい。はい。……わかりました。』


最近、自分のお稽古事が頻繁に休みになるようになった。

理由は──なんとなくわかる。


ダイヤ『……。』


考え事をしながら、ぼんやりと開きっぱなしになった、自分のガラパゴス携帯を見つめていると。

手元のソレから簡素な着信音が流れる。

画面には【高海千歌】と表示されていた。


ダイヤ『もしもし』

千歌『あ、ダイヤさん? すごい、すぐ出てくれた!』

ダイヤ『たまたま今、携帯を開いていたところだったので』

千歌『ホントに? えへへ、私たちなんか繋がってるみたいだねっ』

ダイヤ『もう……それで、どうかしたの?』

千歌『あ、うんっ 声……聞きたくなって。』

ダイヤ『千歌さん……』

千歌『ん……?』

ダイヤ『?』

千歌『ダイヤさん、何かあった?』

ダイヤ『……え?』


一言二言しか交わしていないのに、千歌さんはそう言う。


ダイヤ『……わたくし、何か変なこと言ってましたか?』

千歌『うぅん、何か言ってたとかじゃなくて、なんとなくなんだけど……』


噫そうかと思う。

わたくしは本当にこの人と繋がっているのかもしれない。


ダイヤ『……。あの……わたくし──』





    *    *    *






23: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/14(月) 14:19:06.28 ID:3eNuSAZNo


千歌「えっと、ここだっけ……」


トランプを捲る。


千歌「……違う」

梨子「千歌ちゃん、さっきも同じところ捲ってたよ」

千歌「え、ホント……?」

果南「全く、こっちでしょ」


果南ちゃんがそう言ってトランプを2枚続けて捲る。


果南「あ、あれ? おっかしいな……」


絵柄が違ったのでまた元に戻す。


ダイヤ「千歌さん、果南さん。そんなに無策に捲ってしまって良いのですか?」


今度はダイヤさんの番だ。


ダイヤ「ここと……ここ」

千歌「むむ……」

ダイヤ「あと、こっちも確定ですわね」

果南「あ、そこさっき私が捲った場所! ずるい!」

梨子「いや、そういうゲームだから……」

ダイヤ「あと、ここもですわね。」


ダイヤさん、3連取。


ダイヤ「……さっき、梨子さんが開いたところがそこだから。……こっち。……ふふ、運がいいですわね」


さっき、梨子ちゃんの手番で開いた数字が出たので更にもう一組。


梨子「……4連取! すごい!」

ダイヤ「まだ、行きますわよ!」

千歌「っく……さすがダイヤさんっ! 千歌も負けてられない……!!」

果南「ちなみにこの時点で千歌は最下位がほぼ確定なんだけど」

千歌「なんですと!?」

24: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/14(月) 14:19:32.91 ID:3eNuSAZNo

ダイヤ「貴女は無計画にあっちこっち捲りすぎなのよ。周りに情報を与えすぎですわ。……あ、また揃いましたわ。」

千歌「ぜ、絶望……」

梨子「千歌ちゃんスピードは強いのにね」

千歌「ソリティアもだよ!」

果南「いや、それ対戦ゲームじゃないし……。というか、千歌が無駄にソリティアうまそうなのはなんだろう……」

千歌「作詞の合間によくやってたからね! じゅくれんのわざだよ!」

梨子「へー……」

果南「まあ、千歌に神経衰弱みたいな、記憶力が必要なゲームは向いてないよね。」

千歌「果南ちゃんに言われたくないよ!? 千歌がぶっちぎりでビリなだけで、果南ちゃんもほとんど揃えられてないからねっ!?」

ダイヤ「千歌さん……自分で言ってて悲しくなりませんか……?」

千歌「ダイヤさんっ そんな目でチカのこと見ないでっ」

ダイヤ「……んじゃ、あとはここ……。あ、これたぶん残り全部わたくしの手番の間に取れますわね。」

梨子「……ですね。」

果南「え、マジで?」

千歌「お、終わった……」


私は立ち上がってふらふらと廊下に向かっていく。


ダイヤ「あら、千歌さんどこへ行くの?」

千歌「頭がおーばーひーとしそうだから、外の空気を吸いに……もうチカの負けなんでしょ。」

ダイヤ「そう、いってらっしゃい」

千歌「ダイヤさん冷たくない!?」

ダイヤ「ほら、わたくしまだ自分の順番の最中なので」

千歌「うー……いーよーだっ! 一人でいってくるもん!」


そう言い放って、廊下に出る。

暖房の効いた、自室から出た廊下の床からひんやりとした冷気が身体から熱を奪っていく。


千歌「さむ……」


すぐに戻ろうかと思ったけど、なんかすぐに帰るのは悔しい。

しいたけでももふもふしてこようかな……。





    *    *    *






25: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/14(月) 14:25:31.38 ID:3eNuSAZNo
>>24 ちょっと修正


ダイヤ「貴女は無計画にあっちこっち捲りすぎなのよ。周りに情報を与えすぎですわ。……あ、また揃いましたわ。」

千歌「ぜ、絶望……」

梨子「千歌ちゃんスピードは強いのにね」

千歌「ソリティアもだよ!」

果南「いや、それ対戦ゲームじゃないし……。というか、千歌が無駄にソリティアうまそうなのはなんだろう……」

千歌「作詞の合間によくやってたからね! じゅくれんのわざだよ!」

梨子「へー……」

果南「まあ、千歌に神経衰弱みたいな、記憶力が必要なゲームは向いてないよね。」

千歌「果南ちゃんに言われたくないよ!? 千歌がぶっちぎりでビリなだけで、果南ちゃんもほとんど揃えられてないからねっ!?」

ダイヤ「千歌さん……自分で言ってて悲しくなりませんか……?」

千歌「ダイヤさんっ そんな目でチカのこと見ないでっ」

ダイヤ「……それでは、あとはここ……。あ、これたぶん残り全部わたくしの手番の間に取れますわね。」

梨子「……ですね。」

果南「え、マジで?」

千歌「お、終わった……」


私は立ち上がってふらふらと廊下に向かっていく。


ダイヤ「あら、千歌さんどこへ行くの?」

千歌「頭がおーばーひーとしそうだから、外の空気を吸いに……もうチカの負けなんでしょ。」

ダイヤ「そう、いってらっしゃい」

千歌「ダイヤさん冷たくない!?」

ダイヤ「ほら、わたくしまだ自分の順番の最中なので」

千歌「うー……いーよーだっ! 一人でいってくるもん!」


そう言い放って、廊下に出る。

暖房の効いた、自室から出ると、廊下のひんやりとした冷気が身体から熱を奪っていく。


千歌「さむ……」


すぐに戻ろうかと思ったけど、なんかすぐに戻るのは悔しい。

しいたけでも、もふもふしてこようかな……。





    *    *    *






26: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/15(火) 01:48:44.07 ID:L6UfyqFHo

千歌「しいたけ~。お~い。」

しいたけ「……」

千歌「真昼間から寝てるし……。しいたけも千歌の相手をしてくれないなんて、悲しいぞっ」

しいたけ「……わふっ」

千歌「……うーん。こりゃ、経験上動かないな。」


はーっと両手に息をかける。

真っ白な吐息が冬の到来を色濃く示している。


千歌「さむ……」

果南「そりゃ、そんな薄着で出るからでしょ」


そんな声と共にばさっと上着が被せられる。


千歌「あ、果南ちゃん」

果南「風邪引くよ?」

千歌「あはは、ありがと。……でも、チカはバカだから風邪ひかないしー」

果南「悪かったって、もう……」

千歌「えへへ、冗談だよ」


しいたけの犬小屋の前にしゃがみこんでいた私の隣に、習うように果南ちゃんもしゃがみこむ。


果南「しいたけ~、出ておいで~」

千歌「たぶん、無理かな……これは出てこない。」

果南「だねぇ……。」


二人で小屋の中に手を伸ばして、撫でてみる。あったかい。

けど、外に出てくる気配はなかった。

二人で白い息を吐きながら、ぼんやりとしいたけを撫でる。


千歌「ダイヤさんは?」

果南「梨子ちゃんと一緒に効率のいい神経衰弱の記憶法の話してたよ。私にはさっぱりだったから、出てきた。」

千歌「そっか」

果南「それにしても千歌も優しいね」

千歌「ん、なにが?」

果南「いや、自分から神経衰弱やろうなんて言い出すとは思わなくってさ」

千歌「あー……」

27: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/15(火) 01:49:27.38 ID:L6UfyqFHo


私は少し、言おうか迷ってから


千歌「大富豪とかババ抜きだと……まあ、その」

果南「ダイヤって結構表情に出るからそういうの弱いんだよね」

千歌「果南ちゃんは知ってるんだね」

果南「子供の頃はよく鞠莉と……たまにルビィも含めて一緒に遊んでたからね。ダイヤはああ見えて根が素直だから、顔に出ちゃうんだよね。」

千歌「しかも負けず嫌いだから大変……」

果南「だろうね。それこそ百人一首とかだったらダイヤは強いよ?」

千歌「それだと、ダイヤさんが強すぎてゲームにならないんだよー……」

果南「まあ、そんなゲームにならないゲームを選んであげたのはダイヤに勝たせてあげるためでしょ?千歌ったらやっさしー」

千歌「い、いや……一応いい勝負になるんじゃないかなと思って選んだんだけど……」

果南「え、そうなの?あそこまでボロ負けだからてっきりわざとかと……」

千歌「ぶー!! どーせチカはバカですよー!! バカチカですよー!!」

果南「ああ、ごめんごめん。機嫌直してよ」

千歌「はぁ……まあ、ダイヤさんにはいい気分転換になったみたいでよかったよ。」

果南「……やっぱり、あの噂本当なの?」

千歌「ん……じゃあ島の方まで噂言ってるんだね」

果南「まあ、島って言ってもすぐそこだからね」


二人で海の方を見るとすぐそこには淡島が鎮座している。


果南「実のところ、どうなの?」

千歌「正直、正確のところはダイヤさんにもわかんないみたい」

果南「……まあ、本人に確認しろって言っても酷な話だしね」

千歌「ただ、本人は当たらずとも遠からずだとは思うって言ってる」

果南「……」


果南ちゃんは少しの無言のあと、少し申し訳なさそうな顔をして


果南「ねぇ、千歌……なんというか、ダイヤとのこと、なんだけどさ」


そう歯切れの悪い言葉を続ける。

28: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/15(火) 01:50:10.29 ID:L6UfyqFHo


千歌「……今なら噂程度で済むかもって話でしょ?」

果南「ん……まあ、うん」

千歌「これに関してはダイヤさんの人生に関わる問題だと思うから……ダイヤさんの意思を尊重したいと思ってる、かな。」

果南「……千歌はそれでいいの?」

千歌「んー……出来れば自分が悲しい結果にはなって欲しくはないけどさ」


私は2階の──今は自分の世界一大好きな人がいるであろう自室の方を外観から眺めながら。


千歌「ダイヤさんが悲しむことの方が悲しいって思うから……」

果南「……そっか」


そう言って、果南ちゃんが私の頭をぽんぽんと軽く叩く。


千歌「もう、なにさー」

果南「いや、千歌も頼もしくなったなって」

千歌「ふふふ、恋する乙女は強いのだよ!」

果南「あはは、そうかもね」

千歌「あはは……へくしっ!」

果南「そろそろ戻ろうか」

千歌「うん……。しいたけ最後まで起きなかったね。」

果南「まあ、もう老犬だからね……」


私は立ち上がって踵を返して、屋内に入ろうとする。


果南「千歌」


そのとき、果南ちゃんが後ろから声を掛けてきた。


果南「こんなこと、私が言う筋合いはないかもしれないんだけどさ……。ダイヤのこと、お願いね。」


私はくるっと回って。


千歌「うんっ任せてっ」


そう朗らかに返事をした。





    *    *    *






32: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/22(火) 13:24:43.93 ID:o39F6EG+o

蛍光灯に照らされた水面にパシャパシャと水音が響いている。


曜「ルビィちゃん、その調子……」

ルビィ「は、はい……!!」


私はプールに浸かり、ルビィちゃんの両の手を掴んだまま、声をかける。

ルビィちゃんは沈まないように必死にバタ足をしている。


曜「そうそう、いい感じだよ」


冬の日は短く、もうすでに外は暗い。

そんな中で室内プールを貸しきってもらって、ルビィちゃんの水泳の練習に付き合っている。


ルビィ「ぅ……ぅゅっ……」

曜「あ、ルビィちゃん! もっと頭上げて……」

ルビィ「……ごぼぼ」

曜「あわわ、ルビィちゃん!?」


水面から出した頭がだんだんと下がっていき、そのまま水に沈んでしまう。

私は抱き寄せるにようにルビィちゃんを水面から引っ張り上げた。


ルビィ「はぁ……はぁ……」

曜「ルビィちゃん、大丈夫?」

ルビィ「ご、ごめんなさい、曜さん……もう一回お願いできますか……?」

曜「いや、一回休憩した方が……」

ルビィ「お願いします……!!」


頑張っているルビィちゃんに、こうしてお願いされると弱い。


曜「う、うーん……じゃあ、もう一回だけ……」


と、私が了承しようとしたところに


鞠莉「はい二人ともStop!」


プールサイドにいた、鞠莉ちゃんがパンパンと手を打ち鳴らして、静止を呼びかけてきた。


鞠莉「曜、あなた推しに弱すぎよ」

曜「う……ごめんなさい」

鞠莉「ルビィも貴女、今日は朝からLesson尽くしだったんでしょ? 少しは休憩することも覚えなさい」

ルビィ「ぅゅ……でも……」

鞠莉「溺れたら命に関わることもあるんだから、疲れたままやりすぎないの。あなたに何かあったら悲しむ人がいるのよ?」

ルビィ「は、はい……わかりました。」


ルビィちゃんが少し顔を伏せながら、プールからあがる。

33: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/22(火) 13:25:09.87 ID:o39F6EG+o

曜「後片付けは私たちがしておくから、ルビィちゃんは先に着替えてて」

ルビィ「あ、はい。ありがとうございます」

鞠莉「ルビィ、ちゃんと髪拭くのよ? 濡れたままだと風邪引いちゃうから。」

ルビィ「はぁい」


そう返事をして、ルビィちゃんが奥の更衣室に入っていったのを確認してから、鞠莉ちゃんが口を開く。


鞠莉「全く、姉妹揃ってStoicというか、頑固親父というか……」

曜「親父ではないと思うけど……」

鞠莉「曜も曜よ? あんまりルビィに無理させないの」

曜「あはは、強くお願いされると弱くて……正直、意外だったし」

鞠莉「意外?」

曜「ルビィちゃんが自分から水泳を教えて欲しいなんて言い出すなんて思わなかったから。前は結構いやいや泳ぎの練習してた気がするし。」

鞠莉「あぁ……」


ちょっと前にルビィちゃんから、直々に私に水泳のコーチをして欲しいと頼まれて、たまにこうして水泳の特訓に付き合っている。

だけど、冬の時期に市民プールに行くわけにもいかず、こうして自分の通っている屋内プールを使わせてもらっているわけなのだけど……。


曜「それにしても、鞠莉ちゃんすごいね。プールを貸しきりにしてもらうなんて……。ここの施設の人となんかいろいろ話してたけど、どうやって許可貰ったの?」

鞠莉「ん? 知りたい?」


鞠莉ちゃんは私の疑問を聞いてにこりと笑った。


曜「……いや、やっぱいいや」


なんか、聞いてはいけない気がした。


曜「でも、貸切にまでする必要あったのかな?」


ルビィちゃんからの提案で出来るだけ人目が付かない場所で練習したいとのことで、鞠莉ちゃんに相談したところ、こうやって貸切の手続きをしてもらったのだけど。


鞠莉「まあ、そうね……状況が状況だし。……うちのホテルのプールが屋内プールだったらよかったんだけどね」

曜「あの高級そうなプールだよね。それはそれで恐れ多いかも……。それより、状況って?」

鞠莉「ん……曜は沼津の方に住んでるからそこまではあんまり届いてないんだ」

曜「……?」

鞠莉「あー、後で話すわ。直にルビィも戻ってくるだろうし、さっさと後片付けしちゃいましょ」

曜「う、うん?わかった。」


ルビィちゃんの前では余り話さない方がいいことなのかな?

そんなことを考えながら、私たちは後片付けに取り掛かった。





    *    *    *






36: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/26(土) 09:59:47.00 ID:JgS4ljCho

片付けも終わった頃には、もう外は暗くなっていて、もちろん帰りのバスもないので、鞠莉ちゃんが手配してくれた車に乗せて貰っている。


曜「ねぇ、鞠莉ちゃん」

鞠莉「ん?なにかしら」

曜「聞きたいことはいろいろあるんだけど……」


窓の外の流れる景色をぼんやり眺めている鞠莉ちゃん。

現在車内には二人っきり。

ルビィちゃんはこの場にはいなかった。


曜「なんで、ルビィちゃんは違う車で帰ったの?」

鞠莉「あーうーん……面子の問題?」

曜「面子……? さっき言ってたルビィちゃんの前では話せないことと関係してるの?」

鞠莉「別に話せないってわけじゃないけど……まあ、そうね」

曜「さっき状況がどうたら言ってたけど……」

鞠莉「んー……黒澤家の跡取り問題でちょっと噂が立っててね」

曜「噂?」

鞠莉「……ダイヤを次期当主から降ろして、ルビィが黒澤家を継ぐって噂」


鞠莉ちゃんは視線を外したまま、そういう。

私は首をかしげた。


曜「……? ……でも、そうなるんでしょ?」

鞠莉「それはわたしにはわからないけど……ダイヤが黒澤家を継ぐのをやめました。はい、じゃあルビィが次期当主です。なんて簡単に行かないじゃない」

曜「そう……なのかな?」

鞠莉「わたしも果南に聞くまではピンとこなかったんだけど……。……昔からここ内浦では黒澤家の長女として、ダイヤがいろんなところに挨拶に行ったりしていたわけじゃない?」

曜「ああ、確かに……。それが突然、変わっちゃったら何かあったのかなって思われるか」

鞠莉「誰もがダイヤが跡を継ぐんだと思ってたけど、最近になって状況が変わったから噂になってるのよ」

曜「その状況って言うのがよくわからないんだけど……」

鞠莉「……最近、ダイヤってお稽古事──Lessonをほとんどしてないのよ」

曜「え?」


そう言われて、私は眉根を顰めた。あのダイヤさんがサボり……?

その様子を見てか


鞠莉「ああ、ううん。サボりとかじゃなくてね。」


鞠莉ちゃんがすかさず訂正をしてくる。


鞠莉「ダイヤのLessonの時間にルビィが頼み込んでLessonをさせてもらってるみたいなのよ」

曜「んっと……それって何か問題なの?」

37: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/26(土) 10:00:13.10 ID:JgS4ljCho


どうにも、要領を得ない。


鞠莉「ん、なんというか……」


さっきから、鞠莉ちゃんの歯切れが悪い。


鞠莉「……一部でルビィがダイヤから、当主の座を奪おうとしてるんじゃないかって噂になってるのよ」

曜「……は?」


私はまたポカンとする。


曜「ど、どうしてそうなるの……?」

鞠莉「わたしもこの立場から、話だけ聞いてると飛躍した噂だなとは思うけど……。昔から勤勉で通っていた姉ダイヤと、余り家業や政に関わってこなかった妹ルビィの立場が急に逆転したのよ? 傍から見たら、そう思うのも無理もないかなって」

曜「でも、それこそちゃんと説明すればいいんじゃ……」

鞠莉「黒澤家長女は高海の娘と恋人同士になったから、跡継ぎにはなりませんってこと?」

曜「いや、そっちじゃなくて、ルビィちゃんの方」

鞠莉「ああ、なるほど。……わたしもそう思うんだけど」

曜「……けど?」

鞠莉「ダイヤが今まで結果を残しすぎてきたと言うか……周りの期待にうまく応えられ過ぎていたというか……。ダイヤに期待してた人たちが、不審がってるのよ」


だんだんと話が読めてきた。


曜「じゃあ、さっき行ってた面子って言うのは……」

鞠莉「つまりはそういうこと。小原の車でルビィの送り迎えなんかしてたら、それこそルビィが小原家と結託してダイヤを追い出そうと画策してるんじゃないかって思われるかもってこと。考えすぎかもしれないけど……」


考えすぎだよ。そう言おうと思った私の脳裏に、内浦の夏祭りで涼しい顔をして、座っていた在りし日のダイヤさんの姿が想起される。

皆が求めた、黒澤家の長女の姿。これから、皆を率いることになる時期当主の姿。


曜「……」

鞠莉「だから、プールでも人払いした。幸い黒澤家の人間が水泳の練習をするのに使いたいから、少しだけ貸切にして欲しいって話したら、快く貸してくれたわ。それがダイヤなのかルビィなのか、詮索してこなかったのは先方の気遣いかしらね。」

曜「あ、そうやって貸し切ってたんだ……。私、てっきりもっと黒いやり方かと……」


私の言葉に鞠莉ちゃんがこっちを向いて、軽くジト目になった。


鞠莉「曜はわたしのことなんだと思ってるのよ……」

曜「あはは……ごめん」


しかし、そうなるとこの問題はどうすれば解決するのだろうか。

私の胸中に気付いたのか

38: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/26(土) 10:02:19.62 ID:JgS4ljCho

鞠莉「関係者が皆、身の振り方をしっかり定めるしかないのよね。」


そう言う。


曜「身の振り方……」

鞠莉「ダイヤが家を継ぐのか、ルビィが家を継ぐのか、そして千歌はどうするのか。」

曜「え、千歌ちゃんも?」

鞠莉「これからもあの関係を続けるならね。周りにそれを言うのかは別問題として」

曜「でも、それなら答えは決まってない?」


千歌ちゃんもダイヤさんもあんなに仲の良いカップルだ。二人がくっつく以外に選択肢があるのだろうか?


鞠莉「ダイヤは負い目を感じてるのよ。」

曜「負い目……?」

鞠莉「……自分が果たすべき役割を妹に押し付けてしまうことに」

曜「……」

鞠莉「自分が千歌を選べば、ルビィに責任を押し付ける。ルビィを選べば、千歌が……そしてダイヤ自身も悲しい想いをすることになる。」

曜「そんな……」

鞠莉「恋心は罪深いわね。……千歌とダイヤがお互いを好きにならなければ、こうはならなかったのに。でも、好きの気持ちを止めることなんて出来ないもの。」


「不憫よね。」いつか善子ちゃんが言っていた台詞を吐く鞠莉ちゃん。

私はそれ以上何を言えばいいのかが、わからなかった。

ただ、車の中から鞠莉ちゃんと一緒に外を流れる街頭を眺めているのだった。





    *    *    *





すっかり日も暮れて、果南ちゃんも帰ったあと、梨子ちゃんもそろそろ帰るということだったので


梨子「すぐそこなんだし、わざわざ見送りしなくても大丈夫だったのに……」


桜内家の玄関先で梨子ちゃんにそういわれる。


千歌「だって、ダイヤさんが送ってけ言うんだもん。……これ帰りはチカ一人になっちゃうじゃん。」

梨子「あはは……。気遣ってくれたのかもよ?」

千歌「ん?どゆこと?」

梨子「ダイヤさん、きっと自分が千歌ちゃんの重荷になってないかって考えてるんじゃないかな。だから、自分以外の人と話す時間を設けてあげたいんじゃないかって。」

千歌「あー……別に重荷とかは思ってないんだけどな」

39: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/26(土) 10:02:46.57 ID:JgS4ljCho

梨子「それはわかってるけど、そう思うところがあるかもって話。今日もダイヤさん泊まっていくんでしょ?」

千歌「うん。……今、家に帰っても何をすればいいのかわからないって言ってたから」

梨子「そっか……」

千歌「……ねぇ、梨子ちゃん」

梨子「なに?」

千歌「私……ダイヤさんから何か奪っちゃったのかな」

梨子「……」


梨子ちゃんは少し考える素振りを見せてから。


梨子「……そうだね。」


肯定した。


千歌「……」

梨子「でもね。」

千歌「?」

梨子「ダイヤさんはそれと同じくらい、大切なものを千歌ちゃんから貰ったんだと思う」

千歌「梨子ちゃん……」

梨子「私はそういう相手がいたことがないから、断定は出来ないけど……。誰かと一緒になるってそういうことなんじゃないかな。……相手からいろんな時間を貰う代わりに、たくさんの物をあげるの。きっとそれって素敵なことだと思うよ。だから、自信持って?」

千歌「……うん、ありがと。えへへ、ダメだね。チカ、梨子ちゃんの前だとちょっと弱音吐いちゃう。」

梨子「それでいいと思うよ。人間、強いだけでなんか居られないもの。……それでも今はダイヤさんのために強くありたいんでしょ? なら、弱い自分は私の前で出し切って、その分ダイヤさんのこと安心させてあげて?」

千歌「……うん、そうする!」


真っ直ぐな気持ちでチカたちの恋を応援してくれる梨子ちゃん。

梨子ちゃんが友達で本当によかった。


千歌「梨子ちゃん、ありがと」

梨子「ふふ、どういたしまして。それじゃ、おやすみなさい。千歌ちゃん。」

千歌「うん、おやすみ。」


家に入っていく梨子ちゃんを見送ってから、何気なく空を仰ぐ。

澄み切った冬空を満月が照らしている。


千歌「さて、戻ろっと」


私は踵を返して、家の方へ戻ると──


ダイヤ「あら、おかえりなさい」

千歌「あ、あれ? ダイヤさん?」

40: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/26(土) 10:03:24.33 ID:JgS4ljCho


ダイヤさんがしいたけの犬小屋の前にしゃがみこんでいた。


千歌「待っててくれたの?」

ダイヤ「いえ、しいたけが遊んで欲しいと言うので……お手」

しいたけ「わふっ」

千歌「……えー、そこは待っててくれたって言うところじゃないのー? というか、しいたけさっきは私のこと無視してたのに……」

ダイヤ「人徳の差かしら? おかわり」

しいたけ「わふっ」

ダイヤ「ふふ、良い子ね」

千歌「むむ……本当のご主人様が誰かわからせる必要がありそうだね。しいたけ、部屋おいで。遊んであげるから。」

しいたけ「……」

ダイヤ「しいたけ、千歌さんの部屋まで行きましょうか」

しいたけ「わふっ」

千歌「えぇ……」

ダイヤ「ふふ、空気の読める子ですわね。」

千歌「むぅ……いいもんいいもん。千歌は一人で遊びますよーだ」

ダイヤ「ほら、もう拗ねないの。三人で一緒に遊びましょ? ……いや、二人と一匹かしら?」

しいたけ「わふっ」


ダイヤさんがそういうと、しいたけが寄って来て、私の手を舐める。


千歌「おお、よしよし。……じゃあ、お部屋いこっか」

しいたけ「わふっ」

ダイヤ「ふふ……」


チラリと横目で見ると、ダイヤさんが楽しそうに笑っている。

こうしている間は悩みを忘れられているんだ。

今は少しでも、少しでもダイヤさんが多く笑っていられるようにしなくちゃね。





    *    *    *






42: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/26(土) 18:53:16.07 ID:JgS4ljCho

ひとしきり、しいたけと遊んで、いい時間になってきた頃

志満さんから、お客さんの利用時間の終わった温泉を使って良いと言われたので

千歌さんと二人でのんびりと湯船に浸かっている。


ダイヤ「……いつ入っても、ここの温泉は良いですわね」

千歌「我が旅館の自慢の湯ですから!」

ダイヤ「こうしてのんびり……湯船に浸かることが出来るのも貴女のお陰ね」


──そう、貴女のお陰。貴女と一緒に居るお陰。

わたくしはそう想いながら、ぼんやりと水面を見つめた。

今日までに起こった、いろいろなことが脳裏に浮かんでは消えていく。

わたくしが考え込んでいると


千歌「……えいっ」

ダイヤ「……きゃっ!?/// え、ちょ、ちょっと千歌さん、なにして……!?///」


いつのまにか、背後に回りこんで千歌さんの指がわたくしの胸部のセックスシンボルを手で包み込んでいた。


千歌「鞠莉ちゃんの真似。ダイヤさんまた難しい顔してる。」

ダイヤ「だ、だからって胸揉まないで……っ///」

千歌「……/// そ、そんな塩らしい反応される逆に困る……///」

ダイヤ「もう……! せめて、恋人なんだから、もうちょっとムードのあるときに……///」

千歌「え、ムードがあればいいの……?」

ダイヤ「……/// 知りません!!///」


わたくしは思わずプイっと顔を背けた。顔が熱い。

はぁ……全く、鞠莉さんの悪影響を受けすぎですわ。


千歌「ダ、ダイヤさーん?」

ダイヤ「……ふん。エッチな千歌さんのことなんて知りません。」

千歌「別にそういうつもりじゃなかったんだけど……」

ダイヤ「そういうつもりがなくても、こういうことする人なんですか?」

千歌「いや、えっと……ごめんなさい」

ダイヤ「女同士とか関係なく、やめてください……恋人なんですから、びっくりするでしょう」

千歌「うん……」

43: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/26(土) 18:55:14.17 ID:JgS4ljCho

千歌さんはわたくしに叱られてシュンとしている。

二人とも黙り込むと静かだ。ピチョン。天井の水滴が湯船に滴って、音が響く。


ダイヤ「……そういえば、最近は鞠莉さんからも胸を揉まれなくなりましたわね」


わたくしはふと、そう呟く。


ダイヤ「きっと、貴女がいるから」


そう言いながら、ちゃぷちゃぷと静かに音を立て、千歌さんのすぐ横に腰を落ち着ける。


千歌「……ダイヤさん?」

ダイヤ「女同士なら、日常でこうして触れ合うのもそこまで変なことではないのに」


湯船の中でわたくしは自らの手を千歌さんの手と繋ぎ、指を絡める。


ダイヤ「……貴女に触れている手が熱い。……貴女の触れる手が熱い。……貴女と触れる身体は心は、違うんだと。」

千歌「……」

ダイヤ「……わたくしたちは違うんだと」


千歌さんの肩にこてんと頭を預けて、そう言った。


千歌「違う……かぁ」

ダイヤ「でも、好きなの……。貴女が……貴女だけが……」

千歌「……うん。」

ダイヤ「……わたくし、生まれてからずっと、黒澤家の長女で、当たり前のように習い事をこなして、政に顔を出して。そしていつか誰とも知らない人を婿に取って。黒澤の跡を継いで行くんだと思っていた。」

千歌「うん」

ダイヤ「考えたことがなかった。自分の代わりが必要とか、自分がその立場から降りるとか。」


絡められた指に力がこもる。


ダイヤ「……わたくしがいなくなったら、どうなるのか。その尻拭いを誰がするのか……考えたことがなかった。」

千歌「……うん」

ダイヤ「わたくしが継ぐの当たり前のことだと思っていたから」

千歌「……」

ダイヤ「いつの日か、ルビィに言われたことがありますの。『本当に嫌だったら家出しちゃえばいいんだよ』と」

千歌「……うん」

ダイヤ「冗談だとわかっていても、少しだけ胸が軽くなったのを覚えています。……でも、いざしてみようと思ったら、足が竦んだ。」

44: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/26(土) 19:03:54.42 ID:JgS4ljCho

わたくしはふーっと軽く一息吐いて、続ける。


ダイヤ「期待からも、責任からも……わたくしは逃げられなかった。」


わたくしは唇をきゅっと結ぶ。


ダイヤ「……一度、目を逸らしてみて、思い知った……。自分の背負っていた、責任と期待の重さを……。」


──その言葉と共に、わたくしは自ら、繋がれた指をほどいて

ゆっくりと、千歌さんの正面に、移動する。


ダイヤ「わたくしは……ルビィにこんな重いもの背負わせられない……」


千歌さんの眼を真っ直ぐ見据えて、そう言った。


ダイヤ「……でも、貴女が好き。……好きなの。」

千歌「──」


貴女は反射的に何かを言いかけて、すぐに口を噤んだ。

噫、貴女は今からわたくしが言おうとしていることがわかっているのね。

わたくしが恣意的にならないように、貴女は口を噤むのね。


ダイヤ「……貴女とルビィ……選べない……。そんなの選べないわ……。」


少し伏せた、わたくしの顔をツーっと……雫が伝う。

それが涙なのか、汗なのか、自分でもよくわからなかった。


ダイヤ「だから、千歌さん……。お願い。……貴女が決──」


言葉を遮るように千歌さんの人差し指がわたくしの口を塞いだ。


千歌「……ダメだよ」

ダイヤ「……どうして」

千歌「それはチカが決めていいことじゃないよ」

ダイヤ「……」

千歌「それに……もしチカが決めたら、チカの立場だったら、なんて言うかなんてわかってるじゃん。」


貴女の立場……ね。

45: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/26(土) 19:05:05.18 ID:JgS4ljCho

千歌「……そんなのどこにも公平性なんてないよ。きっといつものダイヤさんだったらそう言うよ。」

ダイヤ「いつものわたくしって何よ……」


その言葉にわたくしは唇を噛み締める。


ダイヤ「……わたくしの背負っているものの重さ、わかって……お願いだから。」

千歌「……わからないよ。わからないから──いや、わかったとしても、チカが決めちゃいけないと思う。」

ダイヤ「…………」

千歌「ごめんね。……でも、本当にそう思うんだ。だから私は答えない。」

ダイヤ「……うそつき」


そういいながら、ぎゅっと……千歌さんを抱きしめる。


千歌「……ばれた?」

ダイヤ「……うそつき」

千歌「……ごめんね。」

ダイヤ「……嘘を吐いてくれて、ありがとう。」

千歌「……うん。」

ダイヤ「嫌なこと、言わせようとして……ごめんなさい。」

千歌「……言わなくて、ごめんね。」

ダイヤ「……いいの。嬉しい……。」

千歌「……そう言ってくれて、チカも嬉しいよ。」

ダイヤ「千歌さん……好きよ。愛してる。」

千歌「うん……チカもダイヤさんのこと、愛してるよ。」


温かい湯船の中、口付けを交わす。


ダイヤ「……ちゃんと、選ぶから。もう少し待っていて」

千歌「……うん。いつまでも待つから。」


──先ほどの問い、貴女だったら、優しいいつもの貴女だったら……『ルビィちゃんを選んであげて』……そう言ったでしょう。

有難う。言わないでくれて。悲しい選択をしないでくれて。

わたくしは胸の内でそう呟いた。





    *    *    *






48: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/29(火) 01:42:15.93 ID:O3Whnf/5o
──さて、日も空けて、本日は日曜日。

昨日と同じく、沼津のマルサン書店にて


善子「──なんか、いる気がしてたのよね。」

花丸「……あ、善子ちゃん。」


ずら丸がいるんじゃないかと思い、足を向けた本屋にて、予想通りずら丸と遭遇する。

今日は幸い、ちゃんと文庫棚の前にいる。


善子「昨日あんだけ買ったのに、まだ買い足りないの?」

花丸「……今日は見てるだけかな。なんか、落ち着かなくて。……お休みの日は、いつもルビィちゃんと一緒だったから──」


ずら丸は言いかけてはっとする。


花丸「あ、えっと……でも、それはしょうがないことで……」


なんか勝手に言い訳始めてるし。


善子「……はぁ、みてらんないわね」

花丸「ずら……。」

善子「皆ルビィに対して過保護すぎるのよ」

花丸「善子ちゃんは心配じゃないの?」

善子「……別に」

花丸「善子ちゃんは冷たいずら」

善子「だって、ルビィが決めたことでしょ?」

花丸「本当にそうなのかな」

善子「……」

花丸「ルビィちゃんは優しいから……」

善子「だから、ルビィが自分から身代わりになったとでも?」

花丸「そう……だよ。……だから、本当はマルがあのとき止めてあげてれば──」

善子「あげてれば?」

花丸「ルビィちゃんは一人で無理して大人にならなくてよかったのに……っ」


ずら丸が静かに叫んだ。

声量はなかったけど、確かにそれは叫びだった。

49: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/29(火) 01:42:42.78 ID:O3Whnf/5o

善子「……場所変えましょうか」


静かではあったけど、その確かな感情の発露は、店内の雰囲気をわずかにざわつかせていた。

私はずら丸の手を取って、歩き出す。

とは言っても、商店街のど真ん中だし……どこに行こうかしら。

なんて考えていると。


花丸「オラはルビィちゃんを守ってあげられなかった……」


ずら丸が後ろでそう言葉を零した。





    *    *    *





花丸「オラはずっとルビィちゃんのこと見てたのに」

花丸「ルビィちゃんが習い事が嫌でお家から、飛び出してきて、かくまってあげたことだってあった」

花丸「ダイヤさんがスクールアイドル辞めちゃって、ルビィちゃんもスクールアイドル嫌いにならなくちゃって言ってたときもオラが傍に居て、少しでも役に立てればって思ってた。」

花丸「ルビィちゃんが悲しい想いするところ、辛い想いするところ、見たくなかったから、傍に居てオラが守ってあげなくちゃって、そう思ってたのに」

花丸「なんで、オラは……オラはあのときルビィちゃんを止めてあげられなかったんだって……っ……。……ずっと……っ……思ってて……っ……。」


沼津の港まで、私がずら丸の手を引く道すがら。

ずら丸は周りの目なんか、気にも止めず。心中を吐き続ける。


善子「違うのよ。ずら丸。」

花丸「違うって、何が違うのっ!? オラはルビィちゃんを止めてあげられなかった!! また、たった独りで、背負って、苦しい想いすることになるルビィちゃんを止められなかった……。」


港に着いた。私たちは足を止めた。


善子「ずら丸。貴方があのルビィを止められるはずなかったのよ。」

花丸「なんで……っ……。……なんでそんなこと言うの……っ……」


振り返って見てみれば、ずら丸はポロポロ大粒の涙を零しながら、精一杯、私を睨め付けていた。

50: ◆tdNJrUZxQg 2017/08/29(火) 01:44:44.31 ID:O3Whnf/5o


善子「だって、あれはルビィの……本心だから」

花丸「──っ!」

善子「ルビィは本心であの選択をしたのよ。」

花丸「なんで、そんなこと善子ちゃんにわかるの……っ」

善子「わかるわよ。……あの気弱なルビィが、自分で代わるって言ったのよ」


花丸の目をしっかり見て。


善子「自分の口で──」


はっきりと


善子「誰よりも尊敬している、誰よりも大好きな」


迷いなく


善子「姉のダイヤの役目を代わるって──そう、言ったのよ」


そう、伝えた。


花丸「…………ぁ」


その言葉を聞いて、花丸はへなへなとその場にへたり込んだ。

私はそんな花丸の前にかがんで


善子「ずっと、姉とうまく接することが出来なかった2年の間、ルビィを傍で支えてくれた貴方を遠ざけてでも、誰かのために強くなろうと"自分"で選んだのよ。」

花丸「善子……ちゃん……マルは……」

善子「どうして、止められなかったか、なんて……。そんなの当たり前じゃない。……そんな強い覚悟、簡単に止められる人なんて、この世にいないわ。」


今度は優しく諭すように


善子「──貴方の自慢の親友ほど、強い人。他にいないんだから。」





    *    *    *





51: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 06:52:08.65 ID:TCQYYDI0o

花丸……ずら丸はその後、しばらく呆然としていた。


善子「……落ち着いた?」


頃合を見て声を掛ける。


花丸「マル……ルビィちゃんの気持ち、わかってなかったのかな……」

善子「……まあ、ルビィ自信が急に成長する機会が来ちゃったから。……そのギャップにあんたの認識が追いつけてなかったのかもしれないわね。」

花丸「あはは……そうかも。……オラ一人相撲してたね。」

善子「ま、それもいいんじゃない? 親友のこと考えて悩めるなんて、きっと幸せなことよ。……それで、ずら丸。」

花丸「……ずら?」

善子「ずら丸はどうしたい?」


私は、昨日ずら丸に聞いた質問を再度、問いかけた。


花丸「……ルビィちゃんのこと応援したい。」


その返事は昨日のものとは違って、しっかりした答えだった。


善子「そっか」

花丸「でも……どうしよう。……ルビィちゃん、一人で頑張ってるから、マルに出来ることって……見守るしか出来ないのかな。」

善子「そうね……。」


確かに、いざルビィの気持ちが解ったからと言って、特別ずら丸に出来ることがあるわけではないのもまた事実。

でも、だからと言ってずら丸の心配が消えてなくなるわけでもない。

信じて見守ればいい……それは確かだけど、ルビィがダイヤ同様、無理をするタイプだと言うこともずら丸が一番知っている。

見守ることにだって体力や覚悟がいる。説教を垂れた手前でこういうのもおかしいのかもしれないけど、ただ待ち続けなさいというのも少し酷な気もする。

そんな風に悶々と考えていると──


「おーい! 花丸ちゃーん! 善子ちゃーん!」


遠方から私たちに呼びかける声が聞こえた。


花丸「……曜さん?」

善子「曜?」


それは曜だった。

……こんなところで、偶然……会わないわよね?

わざわざ人目に付かない場所を選んだんだから、何か目的があって来たんだと思うけど……。


曜「……はぁ、はぁ……っ……大丈夫……?」

善子「大丈夫って……何が?」


曜は息を切らせながら私たちの元へ駆け寄ってきて、私とずら丸の顔を順に見る。


曜「……」

花丸「……あ、あの、曜さん?」

曜「善子ちゃん!!」

52: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 06:53:36.59 ID:TCQYYDI0o


曜が声を挙げて、私に詰め寄ってくる


善子「な、なに…?」

曜「花丸ちゃん、泣かせちゃダメでしょ?」

善子「……はい?」

曜「さっき、沼津の商店街がざわついてたから、何があったのか聞いてみたら……黒髪でお団子作ってる子が、栗色の髪の子とケンカしながら、港の方に行ったって言われて……」

善子「あ、あー……」


そういえば、日曜の人の波の中でずら丸が叫ぶのを無視して、ここに来たんだった。

確かに周りの人から見たらケンカしてるように見えなくもないかもしれない。


曜「それに栗色の毛の子は泣きながらついていってたって聞いて……それで慌ててここまで来たら、ホントに善子ちゃんと花丸ちゃんいるし。花丸ちゃんは目元真っ赤で泣き腫らした後だし……。」


しかも、完全に私が悪者にしか見えないオマケ付きじゃない!


曜「二人がホントに仲良しなのは知ってるから、ケンカなんてしないで……お願いだから。悩みがあるなら相談に乗るから……」

花丸「あ、いや、えっと曜さん……! これはそういうことじゃなくて!」

曜「善子ちゃんに言いくるめられちゃったの……? 善子ちゃん、普段は善い子なのに、怒ると主張強いところあるもんね。大丈夫、私がちゃんと中に割って入ってお互いの主張を聞くからさ」

花丸「え、えっと……」


曜はもう完全にケンカの仲裁に入る気マンマンだった。

はぁ……今日もなんだかんだで不幸ね。……ずら丸が泣き止んだからいいけど。





    *    *    *





曜「──ごめん善子ちゃん!」

善子「……ん」

曜「じゃなかった、ヨハネちゃん! 私のはやとちりでした!」

善子「……まあ、もういいわよ。ずら丸泣かせたのは事実だし。」

花丸「え、えっと……マルからもごめんね、善子ちゃん」

善子「だから、もういいって……一度、ルビィのこと、ちゃんと腹割って話す機会を伺ってたところはあったし。あとヨハネだからね。」


曜に事情を説明するためにコーヒー店まで移動してきたわけだけど……

最初は私を叱る気マンマンだった曜も話を聞いてるうちに事情を察してきて、自分の早とちりだと気付く過程で顔が羞恥なのか、焦りなのか赤くなったり青くなったりしてるのは見ていて面白かったけど。

最終的には平謝りされて、それはそれで困るという状況になっている。


曜「……でも、そっか。花丸ちゃん、ルビィちゃんのこと……そんなに悩んでたんだね。」

花丸「……あはは、でも結局マルの取り越し苦労だったわけで……」

善子「そうは言っても、このあとじっとしてられる?」

花丸「……それは、その。……たぶんそれしかないんじゃないかな。」

曜「……二人とも、ルビィちゃんの真意はわかってるんだよね?」

53: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 06:55:06.47 ID:TCQYYDI0o

花丸「うん」

善子「ええ、さっき言ったとおりよ」

曜「……でも、花丸ちゃんは意味がわかっても、どこか納得出来ないでいるんだよね」

花丸「う、うん……」

曜「……たぶんだけど、ルビィちゃんがどれだけの覚悟を持ってるのか、体感すればいいんだと思う」

善子「覚悟を体感する……?」

花丸「どういうことずら……?」

曜「それなら、私にいい方法があるから、任せて!」


曜はそう言って胸を張った。





    *    *    *





パシャパシャと水の音だけが響く。

お稽古が終わって、昨日と同じように、曜ちゃんにお願いして、ルビィは水泳の秘密特訓中です。

昨日と同じように曜ちゃんに手を引っ張ってもらいながら、必死にバタ足をしています。


曜「ルビィちゃんいいよー。その調子。」

ルビィ「は、はい!」


昨日は途中で沈んでしまったけど、少しずつ水にも慣れてきた、落ち着いて……落ち着いてやればいいんだ。

こんなにいっぱい練習したんだもん。できるもん。

必死に水面に足をばたつかせる。バタバタ。バタバタ。

息継ぎのために水面から出した視界からは曜ちゃんの身体だけが目に入る。

そして、耳にはルビィの足が叩く水の音だけが聞こえる。

バタバタ、バタバタ。

沈まない。前に進める。出来る、きっと出来る。

そう思っていたら。


曜「ルビィちゃん」

ルビィ「は、はい!?」


曜ちゃんが突然私の名前を短く呼んできて、少しビクリとする。

あ、あ……やっぱ、ルビィ、どこかうまくできてなかったかな?フォームとか崩れてたかな??


曜「ルビィちゃん。これで25m、泳げたよ」

ルビィ「……え……ホント?」

曜「ほら、後ろ見て」


曜ちゃんに促されて、後ろを振り返ると、50mプールの半分まで──確かにルビィは辿り着いていた。


54: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 06:57:10.19 ID:TCQYYDI0o

ルビィ「ホントだ……ルビィ泳げたんだ」

曜「うん! ルビィちゃん、ホントに頑張ったね!」

ルビィ「えへへ……次は補助無しだね!」

曜「その前にビート板練習だけどね」

ルビィ「……あ、そっか」

曜「でも、すごいよ。」


ちょっとシュンとなったルビィの頭を曜さんが撫でてくれる。


曜「ホントに最初は水に顔付けるのも怖がってた、あのルビィちゃんが、短期間でここまで泳げるようになったんだから」

ルビィ「えへへ、ありがと、曜ちゃん。でも、これからだから」

曜「ルビィちゃん」

ルビィ「なぁに?」

曜「……私に水泳のコーチをお願いするときに言ってた目標、覚えてる?」

ルビィ「25m泳げるようになりたい」

曜「うん。……もし、よかったら、どうして25mだったのか聞いてもいい?」

ルビィ「あ、えっとね……これが、ルビィなりのけじめだと思ったから……なんだ」

曜「……けじめ?」


ルビィは軽く頷いて、話し始めました。

昔話を──





    *    *    *





あのね、ルビィどうしても、小学校のときから泳ぐのはへたっぴで、授業でプールがある日はよく朝からお腹が痛くなっちゃってお休みするってことも多かったんだぁ。

でも、中学生にあがってのことなんだけど、ある日お姉ちゃんにこう言われたの──


ダイヤ『ルビィ……貴方も黒澤家の娘なのよ? 元とは言え、網元の娘が泳げないだなんて、皆に笑われてしまいますわ。』

ルビィ『そ、そんなこと……言われても……』

ダイヤ『いきなり背泳ぎやバタフライをしろとは言いません。せめてバタ足で50m……いえ、25mくらいは泳げるようになってくださいませ。』

ルビィ『ぅ……ぅん……』

ダイヤ『苦手かもしれないけれど……ルビィ、少しだけでいいから、頑張ってみて?』

ルビィ『ぅ……うん……がんばってみる。』


正直、どうしようって思ったけど……。

でも、お姉ちゃんに言われたから、最初はちょっと頑張ろうとしたんだ。

まずは顔を水につけることから──怖い。

そして、水の中で目を開ける──怖い。

そのまま力を抜くと浮くって先生に言われた──力ってどうやって抜くの?力抜いたら沈んじゃうんじゃ。

それでもバタ足で進むって言うから。水の中でジタバタして、もがいてみる。と、全然浮かない身体はどんどん沈んでいく、周りは全部水だ息が出来ない。──怖い、……怖い……!! ……怖い怖い!!

気付いたら、ルビィは溺れかけてて、先生に引っ張りあげて貰って。

それでも……それでもルビィなりに頑張ったんだよ? だから、少しは前に進めたかなって思って、どれくらい進んだのか聞いてみたんだ。

55: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 06:58:18.27 ID:TCQYYDI0o

先生は言い辛そうにしてた。

うん、えっとね。1mも進んでなかったんだ。

その場でバタバタもがいて、溺れただけ。

25m……? そんなの一生辿りつけない。

でも、ルビィは元網元の娘だから、黒澤家の娘だから。……そして、何よりもお姉ちゃんの期待に応えたかったから。

やらなきゃ、やらなきゃ、無理でもやらなきゃ、やらなきゃ──怖い、怖い、怖い! 怖い!!

また息が出来なくなる。水の中は苦しい。怖い怖い怖い怖い……。

その日はもう水を見るのも怖くなっちゃって、結局ルビィはもう足が竦んで動けなくなっちゃって。

そんなとき、震えるルビィの手をぎゅっと握ってくれた人がいたんだ。


花丸『ルビィちゃん。怖いなら無理しなくて、いいんだよ。』


それが、花丸ちゃんだった。


ルビィ『花丸ちゃん……でも、でもルビィは……』

花丸『誰にだって苦手なことはあるよ』

ルビィ『でもルビィは網元の娘で、黒澤家の……娘で……』

花丸『違うよ。』

ルビィ『え……』

花丸『ルビィちゃんは、ルビィちゃんだよ。たまたま泳ぐのが苦手なルビィちゃんがたまたま元網元の娘に産まれたって、それだけだよ。』

ルビィ『……でも。……でも……』

花丸『……でも?』

ルビィ『お姉ちゃんに……頑張れって……』

花丸『……苦しい想いしてまで、頑張らなくていいんだよ』

ルビィ『……でも』

花丸『ダイヤさんが怖い?』

ルビィ『怖い……とかじゃないけど。……ルビィが諦めちゃったら、またお姉ちゃんのこと、ガッカリさせちゃう……』

花丸『……期待に応えなくちゃいけないの?』

ルビィ『ルビィは……お姉ちゃんと違って、なんにもできないから……それでも、頑張れってお姉ちゃんが言ってくれたのに……ルビィは……』

花丸『ルビィちゃんはダイヤさんになりたいの?』

ルビィ『え……?』

花丸『ダイヤさんは確かにマルもすごいと思う。マルも知ってる。でも、ルビィちゃんはダイヤさんじゃないんだよ』

ルビィ『花丸ちゃん……』

花丸『マルはルビィちゃんのいいところいっぱい知ってる。だから、きっとルビィちゃんにしか出来ないこと、いっぱいあると思う。最初からダイヤさんを基準にして、ルビィちゃんがダイヤさんと同じことが出来るようになろうとしなくていいんだよ』

ルビィ『…………』

花丸『ルビィちゃんはルビィちゃんなんだから。ね?』

ルビィ『お姉ちゃん……なんて言うかな……』

花丸『何か言ってきたら、マルに相談して。もし、怒られるようだったら、マルも一緒に謝るし、説得もするから。だから、無理しないで、ね?』

ルビィ『……うん』


そうして、ルビィは水泳を断念したんだ。

お姉ちゃんもルビィが水泳を諦めたことには、すぐ気付いたみたいなんだけど

56: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 07:01:08.84 ID:TCQYYDI0o


ダイヤ『ルビィ……泳ぎの練習はもうしないの?』

ルビィ『ぁ、ぃゃ……ぇっと……』

ダイヤ『……そう、もうしないのね。ならいいの。』

ルビィ『ぁ……ぅん……』


言われた事は、それだけだった。





    *    *    *





ルビィ「結果だけ見れば、無理をして欲しくなかったのは、花丸ちゃんだけじゃなかったみたい」

曜「…………」

ルビィ「……でも、今は違うから」

曜「どう、違うの?」

ルビィ「……お姉ちゃんがお姉ちゃんの幸せを自分で選べるようにするために」


ルビィは決めたんだ。


ルビィ「黒澤のお家は"黒澤ルビィ"が跡を継ぐんだって。」

曜「そっか……っ……」

ルビィ「え?な、なんで曜ちゃんが泣いちゃうの……!?」


曜ちゃんはいつのまにか目元を押さえていて、ルビィはびっくりしてしまう。


曜「あーごめん……。そんなこと考えてたんだって思ったら、ちょっと感極まっちゃって。……じゃあ、さっき言ってたけじめっていうのは……」

ルビィ「……お姉ちゃんの頑張れを裏切っちゃったことへのけじめ。それと」

曜「それと……?」

ルビィ「あのとき、花丸ちゃんの優しさに甘えちゃった、弱いルビィとバイバイする覚悟を決めるため。」

曜「……そっか。ちゃんと、バイバイできそう?」

ルビィ「うん。……最初は花丸ちゃんに甘えて、投げ出しちゃいそうに思うこともあったけど。……ルビィがあのとき花丸ちゃんに許してもらった、救ってもらった分を、一人でちゃんと出来たら、もうバイバイできると思うから。」

曜「そっか」

ルビィ「そしたら、ルビィがしなくちゃいけないことと、ルビィが花丸ちゃんに頼っていいこと、そういうことをちゃんと選べるようになると思うから。それまで、花丸ちゃんには寂しい想いさせちゃってるのかもしれないけど……」

曜「大丈夫だよ」


そういって、曜さんはまたルビィの頭の上にぽんと手をおいて、ルビィの頭を撫でながら言いました。


曜「ルビィちゃんの気持ちは伝わってるから……」


そう言いました。





    *    *    *





57: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 07:02:53.15 ID:TCQYYDI0o

花丸「…………っ」

鞠莉「話は以上みたいね」


マリーがそう言って曜と繋がっていた通話を終了する。


善子「マリーごめんね、突然嫌な役回りさせて」

鞠莉「別にいいわよ。あの頑固な姉妹には苦労させられたんだから、これくらいのお茶目は許されるでしょ。これは曜も共犯だし。それに、ちゃんと伝わったんだから、ね」


そう言って、マリーは私の隣に目を配らせた。


花丸「……ルビィ……っ……ちゃん……っ……。……ルビィ……っ……ちゃん……っ……。」


──ルビィの名前を呼びながら、大粒の涙を流す花丸へ。


鞠莉「わたしは帰りの手配があるから……。花丸のこと、お願いねヨハネ」

善子「了解。」

花丸「……っ……ルビィ……ちゃん……っ……」


これはなんの涙なんだろう。

自分が無責任に赦してしまったことに対する贖いだろうか。

親友を信頼できなかったことを恥じ入ってなのか。

弱さと向き合って、戦おうとする親友の覚悟への情動なのか。

それでも自分を信じて待っていて欲しいと言った、彼女からの変わらぬ信頼への感謝なのか。

──そんなの自明じゃない。

私は泣きじゃくる花丸を抱き寄せた。


花丸「ぅ……ぅう……っ……ぁあああっ……ルビィ…っ…ちゃん……っ……」

善子「……全部に決まってるじゃないの……っ……」


私はぽそりと一人そう呟いた。……もう私まで泣けてきちゃったじゃない。ばか。





    *    *    *





58: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 07:03:22.73 ID:TCQYYDI0o

──あの日、千歌さんにもう少しだけ待っていて、と言ってから。少しだけ時間が経ちました。

2週間ほど……。学校が終わり帰宅してすぐ──


ダイヤ「……あら……?」


わたくしは玄関先にいつもより、一足靴が多いことに気付きました。


ダイヤ「ルビィ……今日はもう帰って来ているのね……。」


そうひとりごちて、ぼんやりと自室に行こうとしたら。


ダイヤ「……ルビィ?」

ルビィ「お姉ちゃん、おかえり」


ルビィはわたくしの足音に気付くとゆっくりと閉じた両の目を開いて、わたくしを見上げました。


ダイヤ「どうしたの、わたくしの部屋の前に正座なんてして……。」

ルビィ「お姉ちゃん」


わたくしの疑問には答えず、少し凛とした空気を纏って


ルビィ「話したいことがあるんだ。」


そう言いました。





    *    *    *





59: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 07:05:16.68 ID:TCQYYDI0o

部屋の外で話すのも、と思ったのでルビィを部屋へ招き、向かい合う。


ルビィ「お姉ちゃん」

ダイヤ「なんですか」

ルビィ「ルビィは……"黒澤ルビィ"は、元網元黒澤家の時期当主として、この家を継ごうと思っています。」

ダイヤ「……」

ルビィ「お姉ちゃんはどうしたい?」

ダイヤ「……わたくしは……」


わたくしは……その後の言葉が続かない。


ルビィ「ふふ……そうだよね」

ダイヤ「え……?」

ルビィ「お姉ちゃんは優しいから、自分からは言い出せないの知ってるから」

ダイヤ「…………」

ルビィ「ちょっと待っててね」


そう言って、ルビィは1階のわたくしの自室から、中庭に通ずる廊下の障子を開けた。


ダイヤ「……ルビィ?」


そこにあったのはお琴。

わたくしがずっと習い続けた、いつの日かルビィが投げ出した……お琴。

ルビィは何も言わず、窓の外を見たまま──つまり、わたくしに背を向けたまま、琴の前に腰を降ろす。

今まで見たことがないほど、流麗な所作で滑らかに。

親指、人差し指、中指にそれぞれ、琴爪をして。

軽く調律をしてから、弾き始める。

まず琴をやるならば、誰もが最初に習うであろう曲。『さくら さくら』


ダイヤ「……」


その聞きなれた、曲を黙って聴く。

──綺麗な音色ね。

昔は少しでも難しいと思ったら、すぐに投げ出してしまう子だったのに。

こんなに綺麗にお琴が弾けるようになったのね……。

長い曲ではないので少しの間、聞き入っていると『さくら さくら』が弾き終わる。


ダイヤ「……これが、貴方の覚悟ということですか」


わたくしは、ルビィの背中にそう投げかけた。ですが、ルビィから返事は返ってきませんでした。

──ルビィはそのまま、次の曲を弾き始めたからです。


ダイヤ「え……」


儚げな音色、でも優しい音色。

小さな頃、母が歌ってくれた、そしてときにわたくしがルビィに歌ってあげた子守唄。

ねんねんころり。

60: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 07:06:51.87 ID:TCQYYDI0o

ダイヤ「『江戸の子守唄』……」


お琴の有名な曲の一つ。

ルビィが投げ出した曲の一つ。

数分の演奏の後、ゆっくりとルビィはわたくしの方に振り返り。


ルビィ「──」


静かに礼をした。


ルビィ「……まだ、この曲しか出来ないけど」


そういってからゆっくりと立ち上がる。

わたくしをまっすぐ見据えて。


ルビィ「お姉ちゃん」


ルビィの言葉に身構える。


ルビィ「扇子借りるね」


予想と違う言葉が──いえ、もう、ルビィが何をしようとしてるのかわかった気がして。

わたくしは何も言いませんでした。

扇子を手にルビィがゆっくりと──舞い始める。

──しゃなり。

──しゃなりと。

どこかで見たあの舞を。

どこかで見せたあの舞を。

──始まりの舞を。

そして、続いていく舞を──

舞が終わると。ルビィと目が合う

もうこの子に今伝える言葉は一つだけだと思った。

およそ15年間、苦楽を共にした、妹に。

ずっと、わたくしの後を付いて来てくれていた──愛しい妹に。

また、誰よりもわたくしの弱さを知って傍らで支えてくれた──優しい妹に。

そして、わたくしのこれから選び、迷い、歩く道を照らす、篝火のように──頼もしくなった妹に。


ダイヤ「黒澤家の跡継ぎのお役目──お願い致します。」


公式な取決めなんかではない。

それでも、わたくしとルビィの間で、何よりも大切な契りの言葉。

姉妹の契りを──わたくしはルビィに託すという形で、選びました。





    *    *    *

61: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 07:07:26.12 ID:TCQYYDI0o





──次の日の放課後。

いつも通り、放課後生徒会室でルビィを待っているときでした。


ルビィ「お姉ちゃん」

ダイヤ「ルビィ、遅かったわね。仕事、始めましょう?」

ルビィ「その前にね、ちょっと」

ダイヤ「え?」

ルビィ「……生徒会に推薦したい人がいるんだけど」

ダイヤ「推薦……誰ですか?」

ルビィ「……入ってきて」


ルビィの声で一人の少女が生徒会室に姿を現した。


花丸「国木田花丸です。」

ルビィ「……これからは花丸ちゃんにも手伝ってもらって生徒会を実行していこうと思うんだ。そのお姉ちゃん……いい?」

ダイヤ「……」


わたくしはゆっくりと天井を一度仰ぎ見てから、花丸さん、そしてルビィと順番に顔を見つめてから。


ダイヤ「……もう間もなく、わたくしは引退ですから、貴方たちで決めてこの学校を牽引してくださいませ。」

ルビィ「はい」

花丸「……はい!」


凛としたルビィの返事と、誠実で力強い花丸さんの返事が、静かな冬の生徒会室の中を反響しました。





    *    *    *

62: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 07:09:58.85 ID:TCQYYDI0o
>>61 訂正





──次の日の放課後。

いつも通り、放課後生徒会室でルビィを待っているときでした。


ルビィ「お姉ちゃん」

ダイヤ「ルビィ、遅かったわね。仕事、始めましょう?」

ルビィ「その前にね、ちょっと」

ダイヤ「え?」

ルビィ「……生徒会に推薦したい人がいるんだけど」

ダイヤ「推薦……誰ですか?」

ルビィ「……入ってきて」


ルビィの声で一人の少女が生徒会室に姿を現した。


花丸「国木田花丸です。」

ルビィ「……これからは花丸ちゃんにも手伝ってもらって生徒会を執行していこうと思うんだ。そのお姉ちゃん……いい?」

ダイヤ「……」


わたくしはゆっくりと天井を一度仰ぎ見てから、花丸さん、そしてルビィと順番に顔を見つめてから。


ダイヤ「……もう間もなく、わたくしは引退ですから、貴方たちで決めてこの学校を牽引してくださいませ。」

ルビィ「はい」

花丸「……はい!」


凛としたルビィの返事と、誠実で力強い花丸さんの返事が、静かな冬の生徒会室の中を反響しました。





    *    *    *

63: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 07:11:59.17 ID:TCQYYDI0o





千歌「そういえばさ」

ダイヤ「なんですか?」

千歌「あれ……結局どうなったの?」


千歌さんが両の手の親指を人差し指を使って、長方形のような形をなぞる。


ダイヤ「……ああ、あれ」


あの日届いた、わたくしの名前だけではなくなった便箋。

ルビィへのお見合いの申し込み。


ダイヤ「一先ず、高校を卒業するまでは断るみたいですわ。」

千歌「そっか。……ちなみにそれって、ダイヤさんにもまだ来るの?」

ダイヤ「まあ、一応……中身を開けてもいないのですが……。」


それこそ、見る意味もないし。


千歌「そっか」

ダイヤ「ええ」

千歌「ルビィちゃん、まだ心配?」

ダイヤ「……心配じゃなくなることなんて、一生ありませんよ。姉は死ぬまで妹を心配する生き物ですから。」

千歌「大変だね、お姉ちゃんって……。妹でよかったよ。」

ダイヤ「別に妹が姉を心配してもいいんですのよ?」

千歌「別に姉に対して、心配なことが何もないわけじゃないけど……」

ダイヤ「じゃあ、それと同じよ」

千歌「そっか」

ダイヤ「ただ……」

千歌「?」

ダイヤ「今は断わりこそするみたいですが、ルビィ本人としては実は、少し楽しみらしいのよ」

千歌「え?お見合いが?」

ダイヤ「『ルビィはまだ恋をしたことがないから、わからないけど。もしかしたら、そういう相手との出会いの機会なのかもしれないから』だそうで」

千歌「まあ、そういう相手ってどこで出会うかわかんないもんだからね」

ダイヤ「確かにそうかもしれないわね……。……でも、それにしたって妹は、姉が思ったよりは遥かに逞しい生き物なのねって、思ってしまったわ。」

千歌「取り越し苦労だったんなら、よかったじゃん」

ダイヤ「これからも一生取り越し苦労をし続けると思うと……」

千歌「お姉ちゃんは大変だね」

ダイヤ「妹も十分大変だと思いますわよ」

千歌「あははっ」

ダイヤ「ふふふっ」


なんだかそのやりとりがおかしくって、二人笑い合う。

64: ◆tdNJrUZxQg 2017/09/03(日) 07:13:15.09 ID:TCQYYDI0o


ダイヤ「千歌さん」

千歌「なぁに?」

ダイヤ「わたくしと貴女で選んだ道」


あの日、二人で選んだ道。


ダイヤ「仲間が居てくれたから、選べたこの道」


皆で泣いて怒って、そして祝福してくれた道。


ダイヤ「そして、妹がくれた──選ばせてくれたこの道」


わたくしを──姉を想って、慕って、その先で選ぶことが出来たこの道。


ダイヤ「わたくしと一緒に歩んでくれますか?」

千歌「えへへ……うん! ダイヤさんと一緒ならどこまでも!」


まだ問題は山積みだけれど

一つ一つ解決して進んでいこう。前に向かって。

迷ったときは、二人で手を取りあって、歩んでいく。これまでも、これからも、ただひたすらに未来へ向かって──




<終>