末妹「…いつでも行き来できるかもなんて、考えたことなかったわ」

次兄「まあ父さんの…家の状況次第だけど」

次兄「って言うかさ、お前にまたここに来る気があるのが前提だけどさ」

次兄(俺にはあるけど)

末妹「…うん」

(野獣「…そうだな…いつか…洗いざらい話そう、言えなかった理由も含めて」)

末妹「そうね、私…またここに来る、戻って来たい」

(末妹「さっきのお話…いつか……」)

(末妹「いつか、ずっとずっと先になっても」)

(末妹「約束、してくださいますか…?」)

(野獣「ああ、いつか」)

(野獣「その日を迎えられるように、努力しよう」)

末妹「約束したもの……」


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1426508868

引用元: 末妹「赤いバラの花が一輪ほしいわ、お父さん」 (旧タイトル【BとYとK】) 




美女と野獣 MovieNEX(実写版) [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]
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280: ◆54DIlPdu2E 2015/04/06(月) 21:03:25.71 ID:yR8ElJ8i0
少しのち、野獣の自室。

メイド「末妹様、末妹様に会えばお父様はすぐ良くなりますよ。だから元気出してくださいね」

末妹「ありがとう、メイドちゃん」

末妹「また来るからね」ナデナデ

メイド「待っています」スリスリ

次兄(末妹とメイドさんが抱き合って別れを惜しんでいる)

次兄(正確には末妹に抱き上げられたメイドさんが短い前足を肩に立てかけている状態だが)

次兄(とにかく俺も執事さんと別れの熱き抱擁を交わしても許されるのでは?)チラ

執事「……」ジー

次兄(…こっち見てる)

次兄(野生の勘で何かを察したか、さすが執事さん、隙がない)

次兄(でもそんな執事さんやっぱり素敵)

281: ◆54DIlPdu2E 2015/04/06(月) 21:06:08.80 ID:yR8ElJ8i0
末妹「料理長さん、庭師くん……」

料理長「人間は疲れた時には甘い物を食べるといいと聞きます、これは少しですが」

料理長「日持ちのするお菓子を作りました。お二人で食べてください」

庭師「今回は僕も手伝いました…へへ」

末妹「ありがとう…嬉しいわ」

野獣「…さあ、お前達。気持ちはわかるが、そろそろ……」

メイド「…はい。またお会いできますものね」

庭師「『しばしのお別れ』ですよね」

料理長「強い魔法を使うにはご主人様も集中しなくては、わしらは退室しよう」

メイド「末妹様……」

末妹「また会おうね、メイドちゃん」

野獣「執事、お前は立ち会ってくれ」

執事「そのつもりです」

282: ◆54DIlPdu2E 2015/04/06(月) 21:09:41.83 ID:yR8ElJ8i0
野獣「さあ…始めようか」

野獣「まず末妹にはそこの魔法陣に入ってもらう、当然、次兄にもだが」

次兄「複雑な形だなあ、描くのに時間かかりそう」

末妹「……」

野獣「不気味に見えるだろうが、怖い物ではないぞ、安心しろ」

末妹「は、はい」

野獣「真ん中の小さい円の中へ、そう…次兄はその隣に」

野獣「ここで末妹に魔法をかけるが、そのためには」

野獣「お前自身が心を平穏にして、家に帰りたいと強く願うことが大切だ」

野獣「どんなに家に帰りたいと思っても、心が乱れていては、うまくかからない恐れがあるのだよ」

野獣「大丈夫か、末妹?」

末妹「…ええ」コクン

283: ◆54DIlPdu2E 2015/04/06(月) 21:12:06.74 ID:yR8ElJ8i0
次兄「んで、この屋敷に戻る時はどうすればいいんでしょ?」

野獣「……」

野獣「…うむ…これは往路と復路、1回ずつ有効でな」

野獣「戻る時に魔法陣は必要ない、他に誰もいない静かな部屋で同じように強く念じれば良いだけ」

野獣「ただし、今回はこちらに戻る魔法を安易に使えないようにしておく」

野獣「親孝行に専念して欲しいからね」

野獣「二週間を過ぎなければ、どれだけこっちに戻ろうと思っても何も起こらない」

次兄「時限装置つきの魔法ですか」

野獣「そういうことだな。末妹よ、準備はいいか?」

次兄「…あの、俺には?」

野獣「この魔法は魔力を一度に大量に消耗するので、一回一人分しかかけられないのだ」

284: ◆54DIlPdu2E 2015/04/06(月) 21:15:28.45 ID:yR8ElJ8i0
野獣「しかし、術をかけられる末妹嬢としっかり手をつないでいれば」

野獣「荷物と見なされて一緒に運ぶことができるから安心しろ」

次兄「俺の扱いはついに手回り品にまで堕ちた模様」テツナギ

野獣「次兄は手荷物だから、普段通り雑念や邪念しか心になくても一向に構わんぞ」

次兄「手荷物だって帰りたいパワーの援護射撃できますよ」

野獣「さあ、末妹…心は落ち着いているか?」

末妹「大丈夫です、野獣様」

野獣「家に帰りたい、父親に会いたいと、強く願うのだ」

末妹「…野獣様、ありがとうございます」

末妹「向こうが落ち着いたら、お父さんにきちんと話をして、安心してもらった上で」

末妹「正々堂々とまたここに来ます、約束します」

野獣「……」

285: ◆54DIlPdu2E 2015/04/06(月) 21:20:41.43 ID:yR8ElJ8i0
野獣「家に帰ることだけを考えて…集中しなさい」

末妹「はい」

野獣「二人とも、ここから先は何も喋ってはならぬ。目を閉じるのだ」

末妹「……」

次兄(…野獣様と執事さんもしばらく見おさめ)

野獣「…ブツブツ……」(小さな声で詠唱)

野獣「…っ」

執事「!」

執事(…お二人の姿が、消えた)

野獣「終わった……」

286: ◆54DIlPdu2E 2015/04/06(月) 21:22:32.35 ID:yR8ElJ8i0
野獣の膝が、がっくりと折れ、巨体は床に○餅をついた。

執事「ご主人様っ!?」

野獣「だ、大丈夫だ、緊張と共に足の力も抜けただけ……」

野獣「…執事よ、私の態度は不自然ではなかったか?」

執事「何を仰っているのかよくわかりませんが」

執事「さ、わたくしの前足におつかまり下さい」

執事「お寂しいのを我慢しておられたのですね、無理もありません」ヨイショっと

野獣「……」

執事「しかし、また戻って来られますよ。あちらが早く平穏になって、末妹様も安心できますよう」

執事「こういう時は、祈る、と言うのでしたっけ。祈りましょう」

野獣「そうだな…末妹の心が安らかであるよう」

野獣「…家族と幸せに過ごせるよう……」

……

289: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 19:30:02.85 ID:ExCsWG7M0
南の港町、商人の家の裏庭。

末妹「……」

次兄「末妹?」

末妹「お兄…ちゃん?」

次兄「なんか…そろそろ目を開けてもいいような気がするんだけど」

末妹「私もそう思う、なんだか懐かしい…潮風の香りがするもの」

家政婦「…末妹様? 次兄様?」

末妹「その声は」

次兄「(東洋人を祖母に持つご近所からクールビューティーと評判の)通いの家政婦さん(24)」

家政婦「…そんな所で、何をされているのです?」

末妹「え?」目パッチリ

次兄「そんな所?」目パカ

290: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 19:30:54.13 ID:ExCsWG7M0
末妹「……! お兄ちゃん、ここ、屋根の上!!」

次兄「のおおおお!?」アタフタアタフタアタフタ

末妹「とりあえず煙突につかまって、ほら」ガッシ

次兄「…はふぅん」ヒッシ

家政婦「連絡もなしに久し振りにお家に戻られたのはいいとして、お転婆が過ぎましてよ、末妹様」梯子テニトリ

家政婦「次兄様も、女の子をやんちゃな遊びに付き合わせてはいけません」梯子タテカケ

次兄「…しばらく顔を見なかった我々が忽然と屋根の上に現れたという最大の突っ込みどころを軽くあしらい」ソローリ

次兄「淡々と適切に対処する家政婦さん、さすがだな」梯子オリオリ

長兄「どうした、何の騒ぎ……」

末妹「お兄さん」梯子ノトチュウ

次兄「やあ兄さん」

長兄「」

291: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 19:35:10.59 ID:ExCsWG7M0
商人の部屋。

末妹「…お父さん」

商人「…ぐー…ぐー…」熟睡

長兄「横になったままだというのに、こんな事になってからは『眠って』いなくてね」

長兄「このままでは身体がもたないので、今朝、往診に見えた先生(医者)が薬で眠らせることにした」

長兄「一応安全な薬だが、切れるまではちょっとやそっとでは目覚めないそうだ」

長兄「しかし…こうして目の前にお前達がいて」

長兄「お前達からどうやって帰って来たのかを聞いた後でも、まだ信じられんのだが……」カイツマンデハナシタヨ

次兄「兄さんは堅物だから自分の目より常識に重きを置くタイプ」

長兄「…本当に…その野獣というのは魔法の使い手なんだな……」

次兄「姉さん達は付き添いもしないのかい?」

長兄「…次姉は俺以上に父さんに付いている」

長兄「お前達がいなくなってからは店の手伝いでも頑張ってくれたが」

次兄「次姉ねえさんが……」

長兄「今は店も閉めているから、看病は主に次姉にお願いしているんだ」

長兄「でも、今日はどうしても出掛けなければならない用事ができてね」


292: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 19:38:11.86 ID:ExCsWG7M0
長兄「早い話、クレーム客の対応だが、その品物を直接売ったのが次姉だったから」

長兄「相手方も俺が代わりに行くどころか、付き添っても納得してくれないみたいで……」

長兄「次姉ひとりじゃどうかと言ったけど、あいつも頑固でね」

次兄「長姉ねえさんは何をやってるんだ?」

長兄「…だいたい部屋に閉じこもっているみたいだな」

長兄「たまにどこかフラっと出掛けるが、もう殆ど小遣いもないからあまり派手な事もしていないようで」

長兄「どっかで時間を潰しているんだろう」

次兄「……」

末妹「お父さん、こんなに痩せてしまって…」

次兄「痩せたと言うよりしぼんだ感じ」

次兄「身体は悪い所ないって本当に?」

長兄「ろくに飲み食いしていないから、脱水症状はあるらしいけどな、今の所はそれだけ」

長兄「ただ、この状態が続くと身体のあちこちどんどん弱ってくるから、そうなると……」

次兄「でも末妹が帰って来たからね」

末妹「…早く目を覚ましてほしいわ。私はここにいますよ、お父さん…」

……

293: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 19:41:52.87 ID:ExCsWG7M0
同時刻、野獣の部屋。

鏡「…ダソウデスヨ」

野獣「まだ会話は出来ないようだが、父親には会えたのだな」

執事「一安心です」ホッ

庭師「無事に帰られてよかったですね」

料理長「こうして遠く離れても様子を見ることができるとは」

料理長「ご主人様の魔法というものは、本当にありがたいお力ですな」

鏡の覆い布:ファッサリ

メイド「ねえご主人様、魔法の鏡の合言葉をお二人にも教えておけばよかったですね」

野獣「ん?」

メイド「お二人だって、お父様が落ち着かれたら、今度はご主人様の様子を知りたくなると思いますよ?」

野獣「……」

294: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 19:46:30.33 ID:ExCsWG7M0
午後、引き続き、商人の部屋。

長兄「父さんはそろそろ目を覚ましてもおかしくない頃だが」

長兄「しかし、お前達も旅の疲れがあるだろうに」

次兄「マジで一瞬にして帰って来たんだってば、言っただろ?」

長兄「そ、そうだったな…どうもお前の言うとおり、常識が先立ってしまうんだよな……」

末妹「お父さん、私は元気でしたよ、怖い目にも一度も遭いませんでした」

末妹「野獣様が本当は優しいかただと最初からわかっていれば、お父さんも安心だったのに……」

商人「…む…?」ピク

末妹「お父さん?」

商人「…うー…ん…?」モゾ

末妹「お父さん! 私ですよ、末妹です…!」

商人「…う? む??」マバタキ

末妹「こっちを見てくれた…お父さん」

商人「…お、お、おおお……」ワナワナ

295: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 19:51:10.46 ID:ExCsWG7M0
商人「ああああ神様…ありがとうございます」ウルウル

商人「…最後の最期に、末妹の幻を…見せてくださるとは……」

商人「これで…これで、幸せに妻の所に旅立てます…待ってろよ妻……」

次兄「ちょ、ちょっと待て父さん」ズイッ

次兄「いまわの際の幻覚だったら、俺までいるのに疑問は持たないのか?」ドッコイショ

次兄「しかも今ほら、こんな変な姿勢で父さんの視界に割り込んでいるのは不自然だろ?」ヌオーン

商人「…次兄……」

商人「お前のことだって、忘れてはいなかったよ…一日何回かは思い出していたからね」

次兄「それ以外の時間は忘れていたと言っているのと同じだ」

次兄「とにかく、父さんはまだ死なないから」

次兄「死にかけ経験についてはベテランの俺が言うんだから間違いない」

次兄「今も父さんを診に来る先生から過去3回は『覚悟した方がいいでしょう』発言を引き出したんだからな?」

商人「……」

商人「…次兄…本物の…実体の、生身の次兄…なのか?」

296: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 19:53:44.08 ID:ExCsWG7M0
次兄「俺だけじゃない、末妹だって実体だ」

長兄「末妹、父さんの手を握ってあげて」

末妹「お父さん、私は本当に目の前にいますよ」ギュ

商人「…暖かい…本当に…本物の末妹……」

商人「末妹、ああおうおあああおおおおおおおお」ガバァ

末妹「お父さん!」ヒシッ

長兄「父さんが久し振りに生きた人間らしく…よかった……」

次兄「…兄さんにはずいぶん苦労をかけたみたいだね」

長兄「」

次兄「兄さん?」

長兄「……お前、確実に、額の、生え際を見て、言ったよな????」ソフトクビシメ

次兄「自意識過剰被害妄想」ジタバタ

297: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 19:59:57.89 ID:ExCsWG7M0
商人「本当に…お前達が無事でよかったよ……」

末妹「お父さんも元気を出してね」

商人「…よし、まずは着替えるぞ、いつまでも寝間着を着ていては末妹に心配をかけるからな」ヌギカケ

末妹「お父さ」

次兄「待て父さん、実の娘とは言え乙女の前でいきなり裸身を晒すのは紳士失格だ」

長兄「そうそう、落ち着きなよ。俺と次兄で手伝うからさ」

商人「そ、それもそうか、すまんすまん」

長兄「着替えたら少し何か食べようか、父さん?」

次兄「そもそも俺だって実の父とは言え」

次兄「人間の中年男性の緩んだ腹肉だの存在意義のわからない胸毛だの本当は見たくもない」

長兄「親に向かってその言い草は」

商人「…よくわからんがとりあえず謝った方がいいかな」

298: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:02:48.10 ID:ExCsWG7M0
次兄「父さんが悪いんじゃない。神様からつるすべの肌と面白味のない体毛しか与えてもらえなかった人類全体の不幸だ」

次兄「何故、神は人間をわっざわざ御自身の似姿に創りたもうた?」

次兄「獣達を作った素材と勢いで一緒に創造してくれたら充分だったのに余計なひと手間加えやがって」

商人「次兄次兄、ちょっと危険な発言だよ」アワアワ

長兄「…末妹、次兄は向こうで何かあったのか?」

末妹(ふっさふさの獣さん達に囲まれて暮らしていた所を、突然この家に戻って来たから)

末妹(でも迂闊に言うともっと心配されそう……)

次兄「着替えは渋々手伝うよ、嫌々手伝うから、末妹は席を外して」

長兄「だからどうして余計な副詞をつける」

商人「…見苦しい父親で本当にすまん……」

末妹「わ、私、部屋で荷物を片づけてくる!」ピュン

299: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:06:36.46 ID:ExCsWG7M0
で、末妹の部屋……

末妹「…自分の部屋も久しぶり」

末妹「片付けると言うほど大げさな物はないけれど」

蓋付きの小さな缶:カラン

末妹「…料理長さんのお菓子」

末妹「今朝の話なのに、ずいぶん昔のような気がする……」

厚紙の筒:コロン

末妹「…バラの花」

末妹「身近に置きたくて持って来ちゃった」

末妹「うちの一輪差しはどこにあったかな、家政婦さんに聞いた方が早いかも?」

次姉の声「…あの子達が帰って来たって本当!?」バタバタ

家政婦の声「ええ、次姉様がお出かけになられてすぐ……」

300: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:11:55.93 ID:ExCsWG7M0
長兄の声「次姉戻ったのか、あの客は」

次姉の声「その話はあと!! 末妹は!?」

長兄の声「…じ、自分の部屋に」

迫り来る足音:ダダダダダダダダダダダダ

部屋のドア:バタン!!

次姉「…末妹……」

末妹「お姉さん」

次姉「末妹…本物なのね…幽霊でも妖精でもないのね…?」

末妹「ええ、本物よ」ニコ

次姉「……」

ポロッ

末妹「え」

ポロポロボロボロボロボロボタボタボタボタボタ

末妹「お姉さん!?」

301: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:15:04.05 ID:ExCsWG7M0
次姉は床にへなへなと座り込んで泣きじゃくり始めた。

次姉「…い…生きてた…生きていたなんて……」ぐしぐし

末妹「…お姉さん」

次姉「しかも元気で…生きていても、酷い目に遭ってるだろう、とか……」ぐしぐし

末妹「…野獣さ…お屋敷のご主人様は、親切なひとだったのよ」

末妹「お姉さんにも心配かけちゃった…ごめんなさい、泣かないで」

次姉「…この涙は違うの……」ぐじぐじ

次姉「確かにあんたが無事でよかったとは思ったけど」ぐじ

次姉「これで私は許されるって……」ハンカチダシ

次姉「あんたがいなくなってせいせいした、いなくなってよかったと思った私が許されるって」ズビー

次姉「…そう思って安堵した、身勝手極まりない醜い涙よ…!」ぐしゅ

末妹「……」

302: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:19:37.95 ID:ExCsWG7M0
末妹「私も…お屋敷ではお姉さん達がいなかったから」

末妹「誰にも嫌味とか言われないのは気が楽だなあ、って思ったことあるんだ」

末妹「…『せいせいした』はお互い様だと思うの」テヘ

次姉「一緒にしないでよ…悪いのはこっち」

末妹「でも私、小さい頃からお父さんを独り占めして…お姉さん達はいつも……」

次姉「その話はやめて」

末妹「……」

次姉「『今は』やめて、そのことについては私も話し出したら止まらなくなるから」

次姉「今さら仲良し姉妹になろうなんて、虫のいい事は考えていないけど」

次姉「あんたが嫌じゃなければ…私達これからもっと……」

末妹「もっと…?」

次姉「!…ごめん、なんでもない! 忘れて!!」

末妹「お姉さん、私達もっと色んな話をした方がいいと思う、時間はこれから沢山あるから」

末妹「私も、そう思っているの……」

次姉「末妹……」ぐしゅ

次姉「あんたには…勝てないわ、降参……」ハナカミズビー

303: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:23:45.99 ID:ExCsWG7M0
商人の部屋。

長兄「次姉と末妹はまだ話をしているのか」

商人「…次姉にもずいぶん負担をかけてしまった」

商人「ずっと付いていてくれたのに、海に飛び込んでから末妹に会うまでの記憶が殆どないんだ……」

ドア:カチャ……

次兄「お、末妹」

次兄「…と、次姉(ねえ)さん」

次姉「…お父さん!?」

商人「おお、本当にすまなかったな次姉…もう心配いらないよ」

長兄「まだ歩き回るのは無理だけどさ」

長兄「さっき久し振りに食事もできたんだ、きっと近いうち元の生活に戻れるよ」

次兄「姉さんと話をしてたのか?」

末妹「うん、でも…まだまだこれから、もっといっぱいお話ししなくちゃ」

次姉「次兄、あんたも生きてたのね」

次姉「…しかもなんとなく以前より無駄に元気そうで」

304: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:28:32.06 ID:ExCsWG7M0
次兄「姉さんのそんなシンプルで堅実そうな服装と髪型は何年ぶりかな」

次兄「でも意外と似合っているよ」

次姉「…ふん、褒めたって何もあげないからね」

次兄「…あれ? 姉さん、目が赤い?」

次姉「……」ヒュッ

次姉のミドルキック:ズム

次兄「」ドサリ

末妹「お、お兄ちゃん…!? しっかり!」ユサユサ

商人「これこれ、年頃の娘が…弟を蹴っちゃいかん」

長兄「年頃とか関係ないと思うけど…鈍い音したし」

次兄「」

305: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:33:05.80 ID:ExCsWG7M0
商人の部屋のドアの前。

……

長姉「…何よ、この家族団欒風景……」弟シロメムイテイマスガ

家政婦「あら、長姉様、そんな所で何をなさって」

長姉「しーーーーーーっ!!」

家政婦「……」

家政婦「黙っていろと仰るのなら黙っていますね」

家政婦「ところで…お夕食は今日もお部屋に運びますか?」

長姉「……」コクコク

長姉「あと、夕食まで少し出掛けるわ」(小声)

家政婦「承知致しました」

306: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:39:46.21 ID:ExCsWG7M0
街のちょっとした広場、のベンチ。

長姉「……二人が帰って来てお父さんが元気になって」

長姉「いよいよ私が家の手伝いをする理由も入る場もないじゃない」

長姉「次姉だって…末妹が帰ってきたらもう用済みになるんだから」

長姉「私と違って賢いくせにわからないのかしら?」

長姉「…そうよ……」

長姉「…何が『姉妹揃って成績優秀』よ……」

?「…長姉?」

長姉「誰っ!?」バッ

幼馴染男「そ、そんな激しい勢いでしかも怖い顔で振り返らないでくれる?」ドキドキ

長姉「…幼馴染男」

幼馴染男「ベンチの隣…いいかな?」

長姉「隣のベンチなら座っていいわ」

幼馴染男「…ありがと」トン

307: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:41:48.73 ID:ExCsWG7M0
幼馴染男「あの…君んち、何日か前からお店も閉めて…お父さんが前よりもっと大変だって聞いたよ」

長姉「にも関わらずブラブラしている不良娘でございます」

幼馴染男「そ、そんな事が言いたいんじゃない」

幼馴染男「…君がわりと元気そうなだけでも…よかった。心配したよ」

長姉「…近々店は再開すると思う。お父さんも何日かしたら仕事に戻るんじゃないの」

幼馴染男「え、本当かい?」

長姉「末妹が…次兄もだけど…今日突然帰って来たの。寝たきりがあっという間に起き上がって」

幼馴染男「そうなんだ、嫁ぎ先から…って、次兄くんも家にいなかったのか?」

幼馴染男「街の噂じゃ末妹ちゃんが嫁いだらしいって話だけで、次兄くんの話は一切出て来なかったなあ」

長姉(…次兄は元から引きこもりだから、誰もいなくなったのに気付かなかったのね)

長姉「正確には嫁いだとはちょっと違ったんだけど…表向きそっちの方がわかりやすいからよ」

幼馴染男「何やら色々事情があるみたいだが……」

幼馴染男「まあ…よかったよ。これで一安心だね」

長姉「あんたもあの子が帰って来て良かったと思う?」

308: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:46:08.20 ID:ExCsWG7M0
幼馴染男「だって、そのことでお父さんが元気になったんだろ?」

幼馴染男「君の心配や負担が軽くなったのは良い事だ」

長姉「別に私には負担なんてかかっていなかったわ」

長姉「お父さんが寝込んで忙しかったのは兄と次姉だけ」

長姉「私なんか役立たずだもの、二人とも私には期待しないで、私抜きで、店や家を取り回していたの」

長姉「私はヘソクリの残額ばかり心配していた、やっぱり不良娘よ」

長姉(…なんで私こんな話を幼馴染男にしているんだろ…?)

幼馴染男「…人には向き不向きってものがあるよ」

幼馴染男「俺が父親の仕事を引き継ぐには適性がなかったのと同じで」

幼馴染男「たまたま、今回の事では君を活かせる場面も仕事もなかっただけなんだろう」

長姉「…慰めているつもりかしら」

長姉「じゃあ、私はどんなことなら向いていると思う? 私の役目って何?」

幼馴染男「君は……」

幼馴染男「…美しいことが大切な役目」キリッ

309: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 20:59:43.95 ID:ExCsWG7M0
長姉「ああん!!!???」ビキビキビキブチブチブチブチブチブチィ

長姉「バ・カ・に・し・て・る・の!?!?」ゴゴゴゴゴゴ

幼馴染男「ヒィィ!?」

幼馴染男「そ、そんなメドゥーサみたいな表情で睨むなよ…石になりそう……」

長姉「なれるもんならなればいいのよ! 学者で成功するより早く広場の名物オブジェとして歴史に残るわね!!」

幼馴染男「別にふざけて言ったんじゃない。人を和ませるのも才能だと考えている」

幼馴染男「子供の頃の君はとても…昔から顔立ちも整っていたとは思うけど」

幼馴染男「それ以上に、すごく笑顔のきれいな女の子だと思っていたんだ」

幼馴染男「笑顔だけじゃない、君の話し方、仕草、人の話を聞く時の表情……」

幼馴染男「全部がすごく…なんて言うのか、キラキラしててさ」

幼馴染男「ここ何年かの、着飾って歩いてた君よりよほど…お姫様みたいで、花みたいで、太陽みたいで」

幼馴染男「輝く星みたいで…大好きだったんだよ?」

長姉「」

310: ◆54DIlPdu2E 2015/04/08(水) 21:10:06.27 ID:ExCsWG7M0
幼馴染男「…今度はベンチごと僕をひっくり返すつもりか」

幼馴染男「無理だよ、固定してあるから」

長姉「…ハァハァゼェゼェ」汗ダクー

長姉「…なんなの、なんなのあんた、なんなのよ!?」

長姉「ご機嫌取ったって相手になんかしてやらないんだからねこの甲斐性無し!!!!」ブンッ

長姉の靴が片方、幼馴染男の顔面に飛んできた!

幼馴染男「おうっ!?」キャッチ!

幼馴染男「そう何度も痛い目に会うわけには行かないぞ」ホッ

幼馴染男「長姉……」

幼馴染男「……片足しか靴を履いてないのに、もうあんな遠くへ走り去って」

幼馴染男の視線:長姉の靴をジー

幼馴染男「この片っぽの靴、どうしよう?」

幼馴染男「…しかし、短気なシンデレラだなあ」

幼馴染男「前途多難だ……」フゥ

313: ◆54DIlPdu2E 2015/04/09(木) 22:43:52.49 ID:e3qlsV5d0
野獣の屋敷。

野獣「私の様子を知りたくなる、…か」

野獣「次兄と末妹もだが、メイド達も何も知らないからな」

野獣「私が既にあの兄妹に嘘をついていると言う事を」

野獣「末妹にかけた魔法は往復ではない、家に帰るだけの片道の魔法だった」

(師匠「……一度受け入れた相手と信頼を築きあげる途中で、お前からそれを諦め、放棄して」)

(師匠「そんなお前に対し、相手が怒り、悲しみ、失望、拭えない不信…このような感情を表した時には」)

(師匠「……お前はバラと共に死にゆくだろう」)

野獣「……」

314: ◆54DIlPdu2E 2015/04/09(木) 22:45:18.44 ID:e3qlsV5d0
野獣「二週間を過ぎて、末妹にまだこちらに戻る気があれば……」

野獣「私が教えた通りに戻る方法を試すその時、私の嘘に気付く」

野獣「彼女は純真ゆえに傷付くだろう…が」

野獣「家族の愛情で癒される傷だ、実際それだけ愛されてもいる」

野獣「向こうからこちらの顛末を知る手立てはないのだから、私が死にゆく事も知らないまま」

野獣「所詮は人と相容れぬ存在、気まぐれで弄んだ人間を不要になったから手放しただけ」

野獣「…そう思って、二度とこのような化け物とは関わらぬよう」

野獣「平穏な生活の中で暮らしてくれれば良い。」

野獣「末妹が騙されたと知れば、あの次兄さえも私に愛想を尽かすだろう」

野獣「…あとは、使用人達…皆の事もきちんと片を付けてやらなくては……」

315: ◆54DIlPdu2E 2015/04/09(木) 22:46:22.83 ID:e3qlsV5d0
商人の家の居間。

次姉「…つまり、弁償金目的の完全な言いがかりだったのよ。品物には何の問題もないわ」

次姉「口煩い小金持ちのマダムが、たぶん他の店相手に上手く行ったので味を占めたんでしょ」

次兄「小金持ちの店と小金持ちの客の一騎打ち」

次姉「小娘1人なら言いくるめるのは容易いと思ったみたい」

次兄「ノッポの大娘だけどね」ボソリ

長兄「本気出した次姉の頭と口の回転には敵わないだろうよ」

長兄「お前もすっかり頼もしくなったもんだ」

長兄「…これで、長姉とせめて普通の会話ができるようになれば文句なしなのに……」

次兄「食事の時も顔を出さないの?」

長兄「あいつの分は、家政婦さんに部屋に運んでもらっている」

長兄「俺としては長姉から歩み寄ってくれるのを待ちたいので、あまりこちらから構わないようにしているが……」

次姉「私の事も最大限避けているみたいで」

次姉「たまに視界の端を一瞬横切るから呼び止めても、無視、徹底無視よ」

316: ◆54DIlPdu2E 2015/04/09(木) 22:48:24.44 ID:e3qlsV5d0
次兄「…次姉ねえさん相手にさえ、そんななのか」

次姉「誰とも顔を合わせないよう、外出時も窓から出入りしているくらいだもの」

長兄「次兄も心配だろうが…長姉の事はとりあえず俺と次姉に任せてほしい」

長兄「末妹にもそう伝えてくれ」

家政婦「長兄様」

長兄「なんですか、家政婦さん」

家政婦「先程、お店の入り口の前にこれが」

次姉「…姉さんの靴だわ?」

次姉「きれいに磨いてあるけど…どうしてそんな場所に、しかも片方だけ?」

長兄「…よくわからんが長姉の部屋の前に置いておくか」

長兄「そうしておけばいつの間にか部屋の中に回収されていると思う」

次兄「野生動物の餌付けに近いものが」

長兄「餌じゃ釣られてくれない分だけ、動物より厄介かもしれないな」フゥ

317: ◆54DIlPdu2E 2015/04/09(木) 22:50:14.23 ID:e3qlsV5d0
商人の部屋。

商人「すこー……」ネイキ

末妹「お父さんたら、お話ししているうちにソファに座ったまま眠っちゃった」

末妹「毛布を掛けて、と……」ファサ

末妹「今日は暖かいし、風邪はひかないと思うけど」

商人「…うーん…末妹……」ネゴト

末妹「はい、私はここにいますよ、お父さん?」

末妹「……」

(野獣「ただし、今回はこちらに戻る魔法を安易に使えないようにしておく」)

(野獣「親孝行に専念して欲しいからね」)

318: ◆54DIlPdu2E 2015/04/09(木) 23:02:19.15 ID:e3qlsV5d0
末妹「野獣様の優しいお心遣い」

末妹「お父さんがもっと元気になったら、きちんと話そう、きっとわかってくれる」

商人「…くかー…お前が無事で…よかったよ…すこー……」コレモネゴト

末妹「そしたら今度はお父さんに笑って送り出してもらえる」

末妹「だって、友達の家に行くだけだもの」

末妹「…あれ?」

末妹「『これから友達になるひとの家』が正しいのかな?」

末妹「メイドちゃん達とはもう友達になれたけど…あのお家のご主人様は野獣様だし」

末妹「…順番がおかしいって思われるかな?」

末妹「お父さんにどうやって話すか、もっと綿密に考えた方がいいのかしら……?」ウムム

末妹「……」

末妹「あの約束が果たされる『いつか』……私はとても楽しみです、野獣様……」


321: ◆54DIlPdu2E 2015/04/10(金) 23:34:05.41 ID:E0nTsba90
翌朝、誰かの夢の中。

(幼長姉「ねえ幼馴染男くん」)

(幼長姉「わたしの名前をつけてくれるお星さまはいつ見つかるの?」)

(幼幼馴染男「ぼくが大人になって、りっぱな天文学者になってからだよ」)

(幼長姉「それじゃあ、ずーっと先の話なのね」)

(幼幼馴染男「そうなんだ、ごめんね……」)

(幼長姉「ううん、ずっとまってる。楽しみは長いこととっておくほうがワクワクがつづいてすてきだもの」)

(幼幼馴染男「ほんとうに? まっててくれる?」)

(幼長姉「うん、10年でも20年でも30年でもまってる! やくそくする!」)

(幼幼馴染「ぼくもできるだけ早く見つけられるようにがんばるよ!! やくそくする!」)

目覚まし時計:ジリンジリン

ベシッ★

目覚まし時計:ジリ…シーン

長姉「……」ノソリ

322: ◆54DIlPdu2E 2015/04/10(金) 23:36:05.81 ID:E0nTsba90
長姉「…そう言えば…確かに、10年以上前、そんな話をしたような気がする……」

長姉「だからって、しょせん、たかが、小さな子供の頃の約束じゃないの」

長姉「……」

長姉「昨日の夕方」

(長姉「なぜこの(幼馴染男に投げつけた)靴が私の部屋の前にあったの……?」)

(夕食を運んで来た家政婦「ああ、お店の前に置いてあったのですよ」)

(家政婦「次姉様が、長姉様の靴だと仰るので、ならばお部屋の前に置いておこうと長兄様が」)

(長姉「…お店の前に持って来た人を誰か見た?」)

(家政婦「いいえ、靴を見つけたのは私ですが、気がついた時には既に靴だけが……」)

(長姉「…そう。わかった、ありがと」)

長姉「幼馴染男……」

長姉「質屋の帰りにぶん殴った時のこと、まだ謝っていなかったわ……」

324: ◆54DIlPdu2E 2015/04/11(土) 21:29:32.62 ID:t5a2k5kx0
同じ朝、別の誰かの……

(次兄「俺はついに桃源郷に辿り着いたようだ……」)

(次兄「『世界大動物図鑑』で見たあらゆる国のさまざまな獣達が俺を取り囲んでいる」)

(次兄「比較的大型な獣が中心、且つ要所要所に小獣もちりばめられた隙のない配置」)

(次兄「しかも俺の一番近くにいるのは野獣様と執事さん」)

(次兄「そして微妙な隙間にジャストフィットしている料理長さん、庭師くん、メイドさん」)

(庭師「僕の肉球、プニプニしていいんですよ。なんなら○○○○しても」プッニィ)

(メイド「ほら、私の○尾とお○が見たかったんでしょう?」プリーン)

(料理長「わしの腹肉も、何度でもタプタプして構いません」タプタプゥ)

(野獣「さあ次兄、私を好きなだけモフモフするがよい。ほら、夢に見た胸毛だぞ」モファサァァァァ)

(執事「わたくしの首毛と○尾も、ご遠慮なく堪能ください」フッサリャァァァァァァァ)

(次兄「いやあああああああ幸せでマジどうにかなっちゃうのおおおおおおお」)ハーレムエンド

長兄の声「次兄、いつまで寝てるんだ!!」

325: ◆54DIlPdu2E 2015/04/11(土) 21:50:49.08 ID:t5a2k5kx0
次兄「」目パカー

次兄「……夢かよ」チッ!

長兄の声「次兄、起きたか? お前が来ないと朝食が始まらないんだ」

次兄「もうそんな時間か……はいはい、起きますよーだ」モゾモゾ……

ドア:ガチャ

長兄「おはよう」

次兄「おはよ…先に食べててよかったのに」

長兄「長姉だけじゃなくお前までいないのはどうかと」

長兄「久しぶりに父さんが居間に出てきて食事をするんだ、可能な限りきょうだい揃っていた方がいい」

次兄「へえ…昨日の今日でずいぶん元気になったね」

長兄「無理はきかないし、外出や来客の相手もまださせられないが、あまり俺達には病人扱いされたくないようで」

長兄「少しでも早く元の生活に戻れるようにって、父さん自分から言い出したんだ」

次兄「……末妹パワーだなあ」

326: ◆54DIlPdu2E 2015/04/11(土) 22:24:45.29 ID:t5a2k5kx0
野獣の屋敷。

メイド「さてと、末妹様と次兄様のお部屋をお掃除して、お二人が戻って来た時にそなえなきゃ……」

庭師「きのう発たれたばかりで掃除? 二週間しないと戻れないのに」

メイド「ほこりは毎日だって溜まるわ」

メイド「……それに…末妹様がいなくなってから、時間を持て余している気がするの」

メイド「末妹様達がここに来る前だって忙しく働いていたはずなのに、どうしてかなあ……」

庭師「…確かに、僕もなんだか物足りないよ」

庭師「僕らとご主人様、5人の暮らしに『戻っただけ』なのにね」

庭師「……?」

庭師「ご主人様だ」

メイド「末妹様のお部屋から出て来たわ」

327: ◆54DIlPdu2E 2015/04/11(土) 22:43:15.78 ID:t5a2k5kx0
庭師「手に持っているのはドレスと、確かあれ、オルゴールだっけ?」

メイド「ご主人様?」

野獣「お前達……」

野獣「……末妹達の客間を、掃除に来たのか」

メイド「ご主人様、末妹様のドレスとオルゴールを持ち出されたんですか?」

庭師「僕らに言いつけてくれたらいいのに」

野獣「うむ…屋敷の中を歩き回っている時に、ふと思い立ったのでな」

野獣「誰かを呼びつけるまでもなく、自分でやろうと思ったのだ」

メイド「どこに運ばれるんですか」

野獣「……私の部屋だ」

野獣「このオルゴールの音楽が私も気に入ってな、使ってくれる末妹がいない間は、勿体ないではないか」

メイド「ドレスも勿体ないからご自分でお召しになるんですか?」

328: ◆54DIlPdu2E 2015/04/11(土) 22:48:14.44 ID:t5a2k5kx0
庭師(…実際はこのドレス、ご主人様が頭に被った段階で破れてしまうだろうけど)

庭師(ピッチピチのドレスを無理やり着たご主人様をうっかり想像して僕うわあって気分)

野獣「いやその…ほら、末妹の部屋は日当たりがあまりに良いから」

野獣「二週間とは言え、少しは色褪せてしまうだろう?」

野獣「同じ壁にかけておくなら、私の部屋の方がマシだと思ってな」

庭師(衣装箱に納めるか、カーテン閉めておけばいいんじゃないかな?)

メイド「……」

メイド「わかりました、では私達はお掃除をしてきますね」

野獣「あ、ああ、頼んだぞ」

庭師「え、いつの間にか僕も手伝うことになってる?」

329: ◆54DIlPdu2E 2015/04/11(土) 23:05:43.45 ID:t5a2k5kx0
メイド「……苦しい言い訳ってああいうのかしら」

庭師「?」

メイド「ご主人様、お寂しいんだわ」

メイド「末妹様のドレスとオルゴール、見える場所に置いておきたいのね」

庭師「…ああ、そうか」

庭師「鏡で向こうの様子を見ることはできても、短い時間だし、お話ができるわけでもないもんな」

庭師「昨日からなんとなく元気もないし……」

メイド「でも、たった二週間だもの」

メイド「必ず戻るって約束されたもの、末妹様」

庭師「うん、そうだよね」

庭師「僕は末妹様にまた喜んでもらえるよう、それまで庭の花と野菜の世話を頑張るよ」

メイド「でも今は掃除を手伝ってね?」

332: ◆54DIlPdu2E 2015/04/12(日) 21:48:32.00 ID:yZMEN04T0
商人の家、朝食後の居間。

長兄「…で、明後日には、あずけている馬を引き取りに行こうと思うんだ」

商人「あいつ(馬)の元の持ち主、牧場主さんか。それなら安心だ」

商人「色々ありがとう、長兄。牧場主さんへのお礼のことを、後で話し合おう」

末妹「あの子が戻って来たら、私もお世話を手伝うわ」

長兄「末妹はあいつに好かれているからな」

次兄「俺とは正反対……」ボソ

商人「店のお客様や取引先にも色々と心配をかけてしまったな」

長兄「店は明日にでも再開しようと思う。次姉もその準備に取り掛かっている所だ」

長兄「しばらくはまた俺と次姉が中心でやって行くから、父さんはしっかり養生してくれ」

商人「本当に、お前達すっかり頼もしくなって……父さん嬉しいよ」

333: ◆54DIlPdu2E 2015/04/12(日) 21:53:22.92 ID:yZMEN04T0
少し後、次兄の部屋。

次兄「……という感じで我が家の状況は順調に良い方向へ向かっている模様」

次兄「末妹はもうしばらく父さん係として配置」

次兄「理由は、中途半端に回復して来た病み上がりにうろつかれても正直困るので、という意味をもっと表現は遠回しに兄さんが」

次兄「俺も何かしようか? と申し出たのだが」

次兄「それならお前の部屋を何とかしてくれ、と」

次兄「……野獣様の屋敷に旅立つ前と同じ状態だが」

次兄「そんなにひどいかなこれ?」

次兄「愛読書と画材とスケッチブックと着替えと寝具が極めて合理的に配置されているではないか」

次兄「だってよく使う物なのに何故いちいち収納しなければならないのか?」

次兄「……世間ではこの状態を『散らかっている』と呼ぶんだけどさ」

で、野獣の屋敷。

メイド「……次兄様、滞在中は『掃除はいらない』って仰っていたから言われるままにしていたけれど」

メイド「何これ何これ何よこれ!?」

メイド「助手(庭師)がいてよかった、さあ、今日は一日かけてこの部屋やっつけるわよ!!」ウデマクリー

庭師「うひぇぇぇ……どうせ次兄様が戻って来たら元の木阿弥なのに……」

334: ◆54DIlPdu2E 2015/04/12(日) 22:12:26.38 ID:yZMEN04T0
商人の家、次兄の部屋。掃除開始から15分経過。

次兄「…よし、第一段階突破。本は全て本棚に納めたぞ」

次兄「ああ疲れた、休憩休憩」ベッドニゴローン

次兄「……屋敷の俺が使っていた客間も」

次兄「野獣様や執事さんやメイドさんが見たら『何だこれは!?』状態なのかな」

次兄「一日しか経っていないけど、みんな今ごろ何やっているんだろう?」

次兄「……もしかすると、リアルタイムで野獣様に魔法の鏡で覗かれているのでは?」ムッハー

次兄「……」

次兄「俺だけは鏡に映れば速攻で場面転換させられるのが現実だろうなあ、うむ……」

次兄「……?」

次兄「しまったああ! 合い言葉を知ってたら、こっちの鏡からお屋敷を覗くこともできるんだった!!」ジタバタ

次兄「…あの時はさすがに動転していて、そこまで頭が回らなかったからなあ」

次兄「まあ、親孝行に専念しろと言ってくれてたし……聞いた所で教えてはもらえなかっただろう」

335: ◆54DIlPdu2E 2015/04/12(日) 23:28:29.77 ID:yZMEN04T0
次兄「末妹と改めて話し合う必要はあるが、二週間を過ぎれば例の魔法で手荷物として戻れるんだし」

次兄「…妹にしか魔法を掛けてくれなかった真の理由は、俺が単独で戻ることを警戒したためであろう……」

次兄「深く考えると悲しくなってくるが俺は強い子めげない子」

次兄「別方面のアプローチから野獣様との距離を縮めてみようと画策した」

次兄「頭の中を整理するためにもメモ書きしてみよう」カキカキ

次兄「まず」

次兄「南の港町を含むこの地域は我が国のかなりの南部に位置するが、父さんの世代くらいまでの人は」

次兄「子供の頃に『北部の国境付近には呪われた地として誰も近寄らない森がある』と聞かされて育ったという」

次兄「父さんも最初に森で迷った時にそう思ったらしい」

次兄「田舎の初等学校レベルの歴史の授業でも習う、昔あったという小国の位置が国の北東部」

次兄「馬車で向かった時の所要時間を考えると明らかにおかしいが、それは野獣様の魔法の効果だからな」

336: ◆54DIlPdu2E 2015/04/12(日) 23:31:04.41 ID:yZMEN04T0
次兄「昔の小国の位置と森を含む一帯は、重なるのに間違いないだろう」

次兄「そして、言い伝えで言う呪われた云々は小国が滅んだことと関わりがあるらしい」

次兄「もっと近隣の地域なら詳しい話が伝わっているだろうが、何百年も経ち、距離的にもここくらい離れると曖昧だ」

次兄「実際、父さんは迷い込んだのに呪われたりなんかしていない」

次兄「野獣様に出会ってからが父さんには災難だったかもしれないが、バラの件がなければ無事に帰れたと思われる」

次兄「まともな人間は自分の意思で踏み込もうと思わない場所ってことで、長いこと野獣様もお屋敷も守られて来たんだ」

次兄「我が家の人間は一連の出来事を大っぴらに口外はしていないしそのつもりもないが」

次兄「また誰かがあの森に、お屋敷に迷い込んで、呪いの存在を疑い出したら? 野獣様の魔法を恐れない人間だったら?」

次兄「魔法だの呪いだの恐るるに足らんと豪語する人間だって少数派とはいえ今の世の中には少なくないし」

次兄「うちだって兄さんがちょっと脳筋程度だが、もし家族全員がガチで脳筋だったりしたら本気で武装して乗り込んでいたかも」

次兄「呪術師や魔法使いがどこの町や村にも暮らしていた時代とは違うんだ」

337: ◆54DIlPdu2E 2015/04/12(日) 23:33:15.12 ID:yZMEN04T0
次兄「知りたいのは呪われた地と呼ばれる由来の詳しい内容」

次兄「知ったところで、すぐさま野獣様に直結するとは限らないが」

次兄「それを取っ掛かりに新たな扉が開く可能性は大いにある」

次兄「野獣様の過去や正体にこだわるつもりはない、これは誓ってもいい、がそれとは別に」

次兄「ほら、好きな人の事は色々知っていたいでしょ? な気持ちが半分」

次兄「あと半分は……俺が野獣様達を守ろうとか言うのはおこがましいけどさ」

次兄「いつかもしかして人間と接触せざるを得なくなった状況が来たら、アドバイスくらいできたらいいじゃん? な気持ち」

次兄「……とりあえず、図書館で歴史や民間伝承の本を漁ってみるか」

次兄「地方都市にしては充実した蔵書が売りだからな、この町の図書館は」

次兄「……ふあ」アクビ

次兄「ちょっと寝てから…掃除で疲れちゃった……」フニュニュ

339: ◆54DIlPdu2E 2015/04/13(月) 22:23:12.44 ID:GktGlVIA0
南の港町、とある安宿。

宿の従業員(以下、従業員)「ご滞在は一週間っすね。では、料金前払いでお願いしやっす」

白髪の五十代半ばと思しき男(以下、白髪)「うむ…これくらいで良いか?」チャリンチャリン

従業員「……お客さん、なんすかこれ? 見たことないコインっすよ」

白髪「これで払ってはいかんのか?」

従業員「うーん……困ったな……おやっさんを呼ぶか」

従業員「おやっさん! おやっさん!!」

宿屋の主人(以下主人)「なんだ従業員、昼寝するから呼ぶなと言ったろう……」フアァ

主人「こちらのお客さんがどうかしたのか? …ん? 見たことないコインだと、どれどれ……」タメツスガメツ

主人「……うーん、こりゃ古い時代に作られた物だが、本物の金貨だぞ」

主人「お客さん、失礼しました。うちの若いもんが無知なばかりに…… ほらお前も謝らんか」ペコリ

従業員「すんませんっした」ペコリ

白髪「いやいや、こちらも準備が悪かったようだ、泊めて貰えるだけでもありがたい」

従業員「んじゃ、部屋に案内しやっすね」

340: ◆54DIlPdu2E 2015/04/13(月) 22:24:55.29 ID:GktGlVIA0
宿の客室。

従業員「これ、今朝の新聞っす」

白髪「ありがとう」

従業員「夕食は6時っす。それまでごゆっくり~」パタン

白髪「やれやれ、最近の若い娘は言葉遣いがなっとらん」

白髪「おっと、一例を見て『最近の若者』と一括りにしてしまうのはよくないな」

白髪「これでは自分が若いころ忌み嫌っていた頭の固い年寄りと同じだ、気をつけねば……」

白髪「どれ、新聞を読むか。……印刷技術や紙の質はずいぶん向上したようだな」バサリ

白髪「ん? この日付????」

白髪「なんという事だ、儂は30年も寝過してしまったのか!?」

白髪「2~3年の誤差ならば想定内だったが、眠りの魔法の効き目を強めるための処置を念入りにやり過ぎたのだろう」

白髪「……ま、過ぎてしまったことは仕方ない」

341: ◆54DIlPdu2E 2015/04/13(月) 22:29:07.28 ID:GktGlVIA0
白髪「ということは…あの『愚か者』が予定通りに目覚めていれば」

白髪「儂と大して変わらん年代になっているわけか」

白髪「しかし、30年か……」

白髪「ううむ、こうなるとまだ『あの場所』にいるかどうか……」

白髪「その前に…まだ生きているのかどうかすら怪しいぞ」

白髪「まず、『あの場所』の様子を探ってみるか」

宿屋のフロント。

従業員「しっかし、何者っすかね、あのおっさ…お客」

従業員「まだ9月だってのに、ローブでしたっけ? あんな暑そうなもん着込んで」

従業員「お話に出てくる魔法使いみたいっすよ」

主人「何者でもいいさ、金を払ってくれたらお客様だ」

主人「しかも外国から来たのか知らんが、こっちの貨幣に換算すればかなり多めに払ってくれた」

主人「良いお客様だ、滞在中はサービスしてやろうじゃないか」

従業員「ウチではおかず一品増やすとか、その程度しかできませんけどねー」

344: ◆54DIlPdu2E 2015/04/15(水) 22:51:27.60 ID:Z09Nws6N0
誰の夢かはお察しください。

(野獣「……と言うわけで、悪い子にはお仕置きが必要だ」)

(執事「ご主人様の仰る通りです。次兄様にはお仕置きをたっぷり差し上げましょう」

(次兄「おほおおおおおおおご褒美ご褒美いいいいいいいいいい!!」)

雨音:サーサー……

次兄「んあ?」パカ

次兄「……また夢だったか」ガックリ

次兄「ま、考えたら夢に決まっているわな、野獣様と執事さんが俺にあんなことやこんなことを」

次兄「しかし、家に戻ってきたのは昨日の朝だというのに、今朝の夢といい」

次兄「今の昼寝の夢といい、自覚している以上に欲求が不満していないか俺?」

次兄「うっかり過ちを犯さないように気をつけねば」

次兄「……想定するに他人様の飼育動物に飛びかかってモフり倒し舐め回す行為くらいだけどさ、俺の場合の過ち」ジュウブンメイワク

雨音:サーサー……

次兄「…雨か。図書館行こうと思ったのにな、今日は諦めよう」

次兄「さっきの夢の続きを期待して、二度寝でもするか……」モニュニュ

345: ◆54DIlPdu2E 2015/04/15(水) 22:54:07.74 ID:Z09Nws6N0
安宿の一室。

白髪「鏡の魔法」

白髪「教授所で教えていたこの魔法には使用制限があったが、オリジナルは何時間でも使えるのだ」

宿の鏡「ぽわ~ん」

白髪「む、あの屋敷には誰かが住んでいるのは間違いないな」

白髪「お、動く者がいる。服を着ているが…ずいぶん大きな……」

白髪「まさか、この服を着た褐色の毛むくじゃらの巨体があいつなのか?」

白髪「……瞳の色が同じ、それに鏡を通して伝わってくる魔力は紛れもなく奴のものだ」

白髪「なるほど、泣き叫びたくても出来ない苦しみが200年積み重なって、この姿を作ったか」

白髪「かつての砂糖菓子で拵えたような若造とは似ても似つかん」

白髪「これでは人間だれもが恐れをなし遠ざかるだろう、バラの呪縛から解放される望みも薄いな……」

白髪「……?」

346: ◆54DIlPdu2E 2015/04/15(水) 22:57:11.09 ID:Z09Nws6N0
白髪「なんと、服を着た狼と話をしているぞ」

白髪「狼だけではない、小さな動物達も。狼、穴熊、山猫、穴兎……全部で4匹いる」

白髪「みんな二本足で立ち、人語を喋っている、あいつの魔法か」

白髪「……奴の魔法の力があれば、工夫次第で一人でじゅうぶん暮らして行けるだろうに」

白髪「話し相手が欲しかったのだろう、あの寂しがり屋め……」

白髪「…しかし」

白髪「人間と関わることを諦めて、獣の屋敷の主として一生を終えるつもりだろうか?」

白髪「その方が確かに平穏かもしれんが……」

白髪「ま、とりあえず様子を窺おう。何しろ情報が少なすぎる」

白髪「情報といえば、今の時代の世の中はどうなっているのか」

白髪「とりあえずこの町の治安が悪くないのは幸いだが、当面は慎重に行動せねばな」

白髪「ん? 魔法を使ったな、何をしている?」

白髪「この角度だとよく見えんな、鏡ほど鮮明ではないが、奴の背後の窓ガラスに切り替えよう」

347: ◆54DIlPdu2E 2015/04/15(水) 22:58:23.61 ID:Z09Nws6N0
白髪「……向こうも鏡の魔法を使っている所だ。儂の呪文と違って、一回に使える時間は短いが……」

白髪「ふむ…鏡に映るは、どこかの家の中か。あいつとはどんな関係があるのやら?」

白髪「ソファに掛けた髪の薄い中年男に小さな少女が寄り添っている」

白髪「和やかな雰囲気で談笑している、どうやら親子らしい」

白髪「今度は…何かの店の中か。若い男女が…どういう関係かはわからないが…帳簿を見たり棚の品物を確認したり」

白髪「お次は、なんだ? 部屋の窓から金髪の女が外に出ようとしているぞ??」

白髪「……外から窓を閉めて、そのままどこかへ行ってしまったようだ。なんなんだいったい」

白髪「今度はまた別の部屋か。えらく散らかって、ベッドの上では少年が眠りこけている」

白髪「……ニヤニヤしたり手足をジタバタさせたり枕を抱きしめてゴロゴロしたり、しかも眠ったまま」

白髪「ヨダレを垂らして不気味な笑みを浮かべた寝顔」

白髪「……あんまり長く見ていたい光景ではないな」

白髪「多少、奇行の見られる家族もいるようだが、まあごく普通の家庭だな」

白髪「単なる覗き見趣味か、それとも縁のある人物があの中にいるのか」

348: ◆54DIlPdu2E 2015/04/15(水) 23:06:05.34 ID:Z09Nws6N0
白髪「ん? 誰もいない部屋が映ったぞ……」

白髪「少年の部屋とは対照的にきれいに片付いた、うーん、女の子の部屋だな、さっきの幼い少女か」

白髪「いよいよこれでは覗き趣味だ……困った奴め」

白髪「……?」

白髪「机の上の一輪差し…あの赤いバラは…普通のバラではないな」

白髪「強い、しかも、儂にも覚えのある魔力を纏っている」

白髪「あいつの、『王子』の心臓に根を張ったバラだ」

白髪「あの娘が…バラを欲し折り取った人間…あいつとバラを通じて関わった人間というわけか」

白髪「……事は既に動き出していたのだな」

白髪「やれやれ、この時代に目覚めてまだ右も左もわからぬと言うのに、あいつの一大事に立ち会う羽目になるとは」

白髪「儂の役目は、見届ける事。愚かな元弟子と、バラの呪縛の行く末を」

白髪「関わって選んで結果を導き出すのは、当事者にしかできないのだ、儂は何もしてやれんぞ……」

白髪「してやれんからな?」

352: ◆54DIlPdu2E 2015/04/16(木) 21:48:16.10 ID:legVBBpD0
覗かれているとは露知らぬ、野獣の屋敷……

メイド「ご主人様、次兄様の客間を掃除していたら、こんなものを見つけたんですよ」

料理長「何だい、紙切れかい?」

野獣「それは……」

メイド「これも次兄様が描いた『絵』でしょうか?」

メイド「でも……何でしょう『これ』は??」

執事「葉っぱが貼り付いた干からびかけの蛙にしか見えませんな」

野獣「…これは、次兄が末妹を描いたものだ」

野獣「庭師とメイドと、前庭を散歩した時のな」

メイド「末妹様ですって????????」

庭師「でもあの時、僕やメイドちゃんの絵はすごく上手で…どうしてこんな……?」

353: ◆54DIlPdu2E 2015/04/16(木) 21:51:11.83 ID:legVBBpD0
野獣「次兄はな、人間だけはまともに描く事ができないのだ」

料理長「ご自分と同じ人間を、ですか? …不思議ですねえ」

野獣「ああ、不思議な…変な奴だ」

野獣「しかもあんなに仲の良い妹だというのに、全く……ふふ……」

執事(末妹様達が帰宅されて以来、ずっと笑顔を見せなかったのに)

執事(ようやく笑ってくださいましたね)

野獣「私の部屋に…私を描いてくれた絵の横に飾っておこう」

メイド「こ、こんなもんをですかあ??」

野獣「これだって、末妹の絵姿だし、次兄の『作品』だからな」

庭師(確か『ぜんえーげーじゅつ』ってこういう物だったかも?)

354: ◆54DIlPdu2E 2015/04/16(木) 22:08:52.39 ID:legVBBpD0
白髪の男の回想。

(白髪「この地方支部も、おおかた撤退のための整理が付いた」)

(白髪「後はお前達だけでなんとか始末ができるはずだ、頼んだぞ」)

(魔法使い1「支部としてはたった10年の歴史ですが…これも時代ですかねえ」)

(魔法使い2「しかし先生、お考えは変わりませんか?」)

(白髪「儂はもう今の時代での仕事はすべて終えた、個人的な心残りももう持っていない」)

(魔法使い2「魔法図書館の手伝いだった娘の事ですか」)

(白髪「彼女を辛抱強く待ち続けた男の求婚を、あの娘が受け入れたのが2年前」)

(白髪「19で知り合った娘が27の年増になるまで、熱心に求婚し続けた男も実に粘り強いが」)トシマウンヌンハムカシノハナシナノデ

(白髪「接吻どころか告白もしないまま『死んでしまった』相手を理由に、男を拒んできた娘も相当な頑固者よ」)

(白髪「とにかく、あの夫婦がどうにか円満で子供も生まれたのを見届けた儂には」)

(白髪「本当に『この時代に』思い残す事はない」)

355: ◆54DIlPdu2E 2015/04/16(木) 22:10:56.45 ID:legVBBpD0
(魔法使い1「あとは、200年後…いや、190年後に心残りがあるのみ、というわけですね」)

(白髪「ああ、あの愚か者を、我々ギルドの魔法使いの誰もがいない時代に送り出すのは色んな意味で……」

(白髪「その、気になると言うか」)

(白髪「とにかく、結果を見届けすらしないのはあまりにも無責任だと思ってな、実行した者として」)

(魔法使い1「元師匠として元弟子が心配だ、と正直に仰っても構いませんよ?」)

(魔法使い2「約束通り、先生が眠りに付いたら地下室は封印して」)

(魔法使い2「中からしか、しかも魔法でなければ開けられないようにしますが……」)

(魔法使い2「190年後がどんな時代になっているかは誰にもわかりません」)

(魔法使い2「目覚める前に地下室ごと埋もれる危険もあれば、魔法使いが迫害される時代になっているかもしれません」)

(白髪「埋もれる危険があるのはともかく、後半はお前らが頑張らんか」)

(白髪「我々は『円満に』この国や周辺諸国から姿を消す努力をして来た」)

(白髪「お前達も、これから何年もかけてその仕事を続けるのだ」)

356: ◆54DIlPdu2E 2015/04/16(木) 22:12:28.22 ID:legVBBpD0
(魔法使い1「この建物の跡地は、何か住民に役立つ施設として利用してもらえるよう有力者に交渉中です」)

(魔法使い1「とにかく堅牢で見た目も優美ですからね」)

(魔法使い1「これを壊そうって人間は今後少なくとも200年は現れやしませんよ」)

(白髪「では、そろそろ行くぞ。世話になったな、重ね重ね、後を頼む……」)

(魔法使い1「…この言い方が正しいかわかりませんが、お達者で、先生」)

(魔法使い2「190年後の世界がよい世界でありますよう、祈って…いえ、そうなるように、頑張ります……」)

現在。

白髪「……結局、儂は190年に加えて30年…合計220年後の世界で目覚めたわけだが」

白髪「後を託した弟子達も、どういう人生を送ったのだろうな」

白髪「そして、あの娘」

白髪「夫になった男は平民ではあったが貧しくもなく、だったが、あれから幸福な生涯を過ごせたのだろうか……」

361: ◆54DIlPdu2E 2015/04/18(土) 22:30:28.90 ID:Y8Mmt0id0
南の港町……

次兄「昨日の雨も無事あがり、目の前には市立図書館、うーん、ここに来るのも久しぶりだ」

次兄「そもそも外出じたい滅多にしないからな俺は……」

次兄「200年以上前に当時の技術の粋を集めて建てられた…何かの施設…の再利用らしいが」

次兄「現代の一流建築家さえハンカチ噛んで悔しがるほどの美しさと頑丈さは外観だけでも観光スポットとして名高いとか」

次兄「……おかげで周囲には本も読まないのに人間がやたら多い、これだけが俺には難点だなあ」

次兄「ま、足早にすり抜けて建物に入ってしまえばあとは静謐な空間が待っているのです」サササ



白髪「目覚めてここの地下室から出て来たのは早朝で、誰もいなかったから気付かなかったが……」

白髪「地方支部の跡地が図書館になっていたとはな」

(魔法使い1「この建物の跡地は、何か住民に役立つ施設として利用してもらえるよう有力者に交渉中です」)

白髪「……交渉が実を結んだようで、何よりだ」

白髪「儂が眠っていた間はどのような歴史だったのか、ここで調べてみよう……」

362: ◆54DIlPdu2E 2015/04/18(土) 22:31:43.88 ID:Y8Mmt0id0
次兄「……むーん、滅びた小国のことはどの本を読んでも同じような書かれ方」

次兄「昔、あの森を含む一帯を治めていた小国の王家はある日…何年の何月何日かまで明確に、突然滅んだ」

次兄「歴史書では、王と王妃、そして唯一の後継ぎだった王子の3人が流行り病で死亡したため」

次兄「尤も、人々の言い伝えでは呪いとか怨念とかで殺された説が有力」

次兄「例の屋敷の最初の持ち主だった伯爵が屋敷を無理矢理奪った王家を恨んで…と」

次兄「王家が滅びて以降、呪われた地として人々が近づかなくなり、そのまま現在に至る」

次兄「…ここから先はなんの記述も見つからないので、俺の推測」

次兄「王家が滅んでから、いつ頃からかはわからないが空家になった屋敷に野獣様が住み付いた」

次兄「伯爵の呪いとやらは野獣様がなんとか出来る程度のものか、やっぱり最初からなかったか、だろう」

次兄「そもそも…屋敷を明け渡してからの伯爵がどうなったかの記録がない」

363: ◆54DIlPdu2E 2015/04/18(土) 22:33:06.20 ID:Y8Mmt0id0
次兄「人を直接殺すほどの怨念を持つならよっぽど残忍に殺されたとか、そんな最期なんだろうけど……」

次兄「固い歴史書でも脚色された歴史読み物でも、筆者により伯爵の最期の描写はまちまちなんだよな」

次兄「要するに真相は後世の歴史家にも不明ってことで」

次兄「とりあえず、閲覧した本を書架に戻すか……」ヨイショ



白髪「やれやれ、なぜ儂が読もうとした本の場所にはことごとく『閲覧中』の札が置かれているのだ」

白髪「『貸出中』でないだけマシだが……返却を待つしかないな」

白髪「む、ちょうど戻しに来たな」

白髪「見たとこ13かそこらの、しかもとても難しい本など読むようには見えない子供だが」

白髪「はて、あの顔と、ぼやけたような色調の赤毛、どこかで見たような……?」

次兄「……んしょ、っと。ふう。」

次兄「本は重いから、数冊に及ぶと、か弱い俺には重労働」

364: ◆54DIlPdu2E 2015/04/18(土) 22:35:06.18 ID:Y8Mmt0id0
白髪「思い出した! あいつが覗いていた家の少年だ」

白髪「散らかった部屋で、昼寝をしながらジタバタしてニヤついていた挙動不審な少年だったな」

白髪「……これも何かの縁だ。声を掛けてみよう」スタスタ

白髪「なあ坊や…そこの少年?」

次兄「うぃ? 俺?」

次兄「……誰、この白髪頭のおっさん?」

次兄「う、よく見ると意外と目が鋭いな。どことなく猛禽類っぽい」

次兄「鳥類は個人的な守備範囲からは外れるが、大型猛禽類にはちょっとだけ興味があるのは秘密です」

白髪「……奇妙な独り言だのう」

次兄「しまった、音量に注意を払っていなかったぞ」

次兄(野獣様の屋敷で独り言をメイドさんに聞かれツッコミ入れられるのがいつの間にかクセになっていたかもしれん)ヤバイヤバイ

365: ◆54DIlPdu2E 2015/04/18(土) 23:03:44.18 ID:Y8Mmt0id0
白髪「この本が戻ってくるのを待っていたんだよ」

次兄「あ……すんません」

白髪「いやいや、謝るような事じゃない。若い者が勉強するのは良いことだ」

白髪「歴史に興味があるのかね? それとも学校の宿題か何かで?」

次兄「前者っす。地域と時代限定ですけどね」

白髪「ほほう。ところで、君はここにはよく来るのか?」

次兄「んー、今日は久しぶりだけど、この後ちょっと通う気はあります」

白髪「ほう。ではまた会うかもしれんな」

次兄(……このおっさん、もしかして、俺のけつを狙う、じゃなかった、俺をつけ狙う…変態!?)オマエガイウナ

白髪「…男の子をどうこうしようと言う趣味は、まっっっっっっったく持ち合わせていないから、安心しろ」

次兄「やべ、聞こえていました?」タラリ

白髪「何を思ったか知らんが、顔に警戒の色を浮かべたからな」

366: ◆54DIlPdu2E 2015/04/18(土) 23:38:08.90 ID:Y8Mmt0id0
白髪「ま、気にしないでくれ。儂は本を閲覧することにするよ」

白髪「……私語が過ぎるのも、この場所では好ましくなさそうだしな…それじゃ」スタスタ

警備員「……」ジー

次兄「うむ、警備の人の『静かにしやがれオーラ』が出まくりだな」

次兄「…俺も新しい本を探そう」

次兄「民間伝承の本を、もう少し漁ってみようかな……」テクテク



次兄「しかしもう夕刻も近い、手早く本を借りて帰るかな」

次兄「地域別に分類されているのはありがたい」

次兄「…ん? なんだ、ここにある場違いみたいな変なタイトル」

367: ◆54DIlPdu2E 2015/04/18(土) 23:52:23.40 ID:Y8Mmt0id0
次兄「背表紙には『今だから話せる!あの真相』……」

次兄「どう見てもゴシップ本です」

次兄「オモテ表紙には副題が。『私は機械仕掛けの屋敷を作った伯爵の子孫だ!』……」

次兄「…………」

次兄「なんですと!???」

次兄「薄いけどまだきれいな本だ、最近入ったのか? …司書さんに聞いてみるか」

~数分後。

次兄「何年か前に、町の本屋から売れない本を買い取った中の一冊だそうだ」

次兄「私家版なので最初から十数冊、あまり大事にもされなかったせいか、現存する物は2~3冊もないらしいが……」

次兄「この本と、もう2~3冊めぼしい本を借りて、家でゆっくり読もう」

370: ◆54DIlPdu2E 2015/04/19(日) 20:05:29.38 ID:V0rfl3130
商人の家、次兄の部屋。

次兄「編者前書き」ペラリ

次兄「本の編者として名前が出ている人物は『伯爵の子孫』」

次兄「七代前の先祖は例の『小国』の人間だったが、国が滅びる数年前に『西の島国』に移住」

次兄「先祖が小国にいた頃はどういう仕事をしてどんな人物だったかは子孫もよく知らないらしい」

次兄「更に、三代前の女性…曾祖母に当たる人物…が嫁いで来たのが、この国の王都のとある家」

次兄「編者は王都で生まれ育ち、本が書かれた今から数年前の、更にもう少し前のこと」

次兄「曾祖母の遺品を整理中に、七代前の先祖の『手記』を発見」

次兄「それを紐解いて初めて先祖が何者だったかを知り、手記を私家版として出版することを決めた」

次兄「そんな事ができるから、そこそこ裕福ではあるんだろうな、殆ど売れなかったのは痛手には違いないだろうけど」

次兄「というわけで、前書き以外は見つかった伯爵の手記そのままだそうだ」パラリ

371: ◆54DIlPdu2E 2015/04/19(日) 20:07:28.40 ID:V0rfl3130
数時間経過……

次兄「……この本に書かれた内容が事実だとして」

次兄「どの歴史書でも『ひでえ国王』となっていた小国の王はこの本でもひでえおっさん」

次兄「最後に寄越した交渉役に『一週間以内に良い返事がなければ殺す』と言わせ、しかも交渉役は年端も行かぬ王子」

次兄「強面の側近に囲まれて、いかにもやむを得ずこの役を引き受けたその姿は、伯爵さえ同情を禁じ得ず」

次兄「交渉はあくまでも形式上に過ぎず、目的はその脅し文句を伝えるためだと伯爵にもバレバレ」

次兄「そんな王の真意を幼い王子には理解できるはずもなく、『失敗に終わった結果』に青ざめ震えながら城に帰った」

次兄「王の詰めが甘かったのは機械マニアの横の繋がりを舐めていた事」

次兄「伯爵には周辺諸国に機械いじり趣味の仲間がいて、王に目を付けられているのを知った彼等から心配されており」

次兄「さすがに身の危険を感じた伯爵は、早くに親兄弟を亡くし未だ独身だったので身軽だったことも幸いして」

次兄「屋敷を諦め、持てるだけの財産を抱え、協力者達の助けもあって、西の島国の機械仲間の元へ身を寄せた」

372: ◆54DIlPdu2E 2015/04/19(日) 20:09:23.69 ID:V0rfl3130
次兄「一週間目、王の命を受けた兵隊達が屋敷に踏み込んだ時には誰もいませんでしたとさ」

次兄「王はそれが悔しかったのか、国民達に『伯爵は最後まで抵抗したのでその場で処刑した』と公式発表」

次兄「そして異国の地に骨を埋める決意をした伯爵は」

次兄「身分を隠し、名前を変え、仲間の協力で機械技師の仕事を得」

次兄「結婚もして平穏な生涯を終えて」

次兄「その血筋は現在に至る」

次兄「……」

次兄「王に残忍に殺された伯爵なんかいなかったわけで、つまり王家を恨んだ呪いもなかった事になるんじゃないかな」

次兄「勿論、手記が眉唾物なら話は別だけどさ」

次兄「……」パラ…

373: ◆54DIlPdu2E 2015/04/19(日) 20:11:52.41 ID:V0rfl3130
次兄「小国が滅んだ後」

次兄「伯爵自身も『自分の呪いで王家が滅ぼされた』と言う噂を聞き、後年こんな感想を手記に残した」

『私(伯爵)も名を変え過去を隠し別人として暮らしていたから、今更否定しようとは当時は思わなかったが』

『ただ本当に私が王家を呪ったとしても、哀れな王子を一夜で白骨にするなどという』

『恐ろしい殺し方だけはやらないだろう、これは誓ってもよい』

『あの日、私の前に交渉役として現れた小さな王子は、単に自分の父親である王を恐れていただけには思えず』

『私を死なせずに済む方法を、彼なりに探って、頭を巡らせ心を砕き』

『王の作った台本から外れても、言葉を選んで交渉に臨んでいた……少なくとも私にはそう見えた』

『あれからまた何十年も経って、今まで誰にも語ったことは無いが』

『王子がどこかにひっそり生き延びて、私のように自由になっていれば良いのに、と』

『ある意味、身勝手極まりないかもしれない思いを、私は心の片隅に抱き続けている……』

374: ◆54DIlPdu2E 2015/04/19(日) 21:39:42.86 ID:V0rfl3130
安宿の一室。

白髪「……」

宿の鏡「ソンナニジックリミツメチャイヤ///」

白髪「……お前そのものを見ているわけではないぞ、鏡」

白髪「そもそも野太い声でその台詞はやめんか」

白髪「……魔法で追跡したが、少年の家は港の比較的近くにある雑貨屋なのだな」

白髪「何の本を借りて帰ったのかと思えば、あの屋敷に関する本だとは」

白髪「細部を見るに内容には信憑性がある」

白髪「手記を書いたのは本物の伯爵に違いない、異国で生き延びたのか」

白髪「儂と出会った頃の王子は15歳だったか、既に屋敷は王の手に渡っていて……」

375: ◆54DIlPdu2E 2015/04/19(日) 21:42:29.04 ID:V0rfl3130
(王子「……あの時、交渉を上手にこなしていれば、伯爵は死なずに済んだのです」)

(白髪(まだ髪は白くない)「本気で思っているのか? あの王が、お前の交渉に期待していた、と?」)

(王子「じゃあ、僕が屋敷に行っても行かなくても、結果は同じだったと…あなたは、師匠はそう仰るのですか?」)

(白髪(以下師匠)「ああ、どう考えても、お前を送り込んだのは形だけの交渉の場を設けるためだ」)

(王子「僕のしたことは、無駄だったのですね……」)

(王子「今に始まったことじゃない、物心ついた時から、父の掌で踊らされるだけ」

(王子「いいえ、踊ることもできない、僕はその飾り棚にある陶器の人形と同じ」)

(王子「生まれてから死ぬまで、同じ姿勢、同じ顔で、持ち歩かれて置かれた場所で微動だにしない、あの人形と同じ」)

(師匠「そういじけるな、何しろ伯爵が本当に処刑された証拠は残っていないのだ」)

(王子「生きていれば……魔法で探し出すことはできないのですか?」)

(師匠「ギルドの魔法使いでも(現在では、数百キロに及ぶ追跡の魔法を使えるのは儂だけだが)直接面識がない相手を追跡し」)

(師匠「探し出すことは、不可能なのだよ」)

376: ◆54DIlPdu2E 2015/04/19(日) 21:44:35.43 ID:V0rfl3130
(王子「そうだ、それなら僕にその魔法を教えてください、伯爵と面識がある僕ならば」)

(師匠「(お前ならすぐ習得できるだろうが)距離があまりに離れ過ぎていると、面識があっても探し出すのは無理だ」)

(師匠「それでも構わないのなら、教えてやろう」)

(師匠「で……あれからどうだ? 伯爵を探してみたのか?」)

(王子「いいえ、だめでした……見つかりません」ションボリ)

(師匠「まあ、遠くに逃げて生きている可能性もあるからな、そう思って…あまり気に病むな」)

(師匠「伯爵の件は、お前が罪の意識を感じる理由はないのだから」)

(師匠(…と言った所で、はいそうですねと納得するようなこいつではないがな……))

(王子「……」)

師匠「……この少年とあいつに接点があるのかどうかはまだわからん」

師匠「しかし、縁があれば、いつかあいつも伯爵が生き延びたと知る日が来るだろう」

377: ◆54DIlPdu2E 2015/04/19(日) 22:14:04.81 ID:V0rfl3130
師匠「しかし、本当にあいつは、魔力だけは逸材だった」

師匠「一気に魔力を使うと、体力と精神力も消耗して回復まで時間がかかる欠点があり」

師匠「殺傷能力のある魔法は全く身に付かないという、これまた珍しい素質の持ち主だった」

師匠「何よりもあの弱すぎる心をどうにかしなければ」

師匠「あの国の王子として生まれなくても、本格的な魔法使いになるのは困難だっただろう」

師匠「しかしそのおかげで、父王に、人畜無害な魔法しか覚えられない『無能』な王子と思いこませることもできた」

師匠「王があいつの高い魔力に気づけば、戦闘用の魔法は使えなくとも」

師匠「何らかの形で必ず利用しようと考えただろうからな」

師匠「王だけではない」

378: ◆54DIlPdu2E 2015/04/19(日) 22:17:51.82 ID:V0rfl3130
師匠「王家が滅びてまだ間もない頃、恩恵を受けていた一部の貴族の中には」

師匠「王子が生きていると信じて探し出し、担ぎ上げて、王家を復活させようと目論む動きもあった」

師匠「それも数年間のうちに消失したが」

師匠「…………」

師匠「200年間眠らせたのは確かに『罰』」

師匠「同時に、あらゆる物から王子を守るためでもあった」

師匠「あいつが自分の正体やバラの秘密を誰にも語れないのと同じように」

師匠「儂もあいつにそれを伝えるわけには行かない」

師匠「バラの呪縛から完全に解放されるまでは……」

381: ◆54DIlPdu2E 2015/04/20(月) 22:09:32.62 ID:eUmZW4uY0
早朝。

雨音:ザーザー……

長姉「…スー…スー…」

(次姉「姉さん、こんな所にいたの? …何泣いてるのよ?」)

(長姉「ぐす……もうだめ。私、ついて行けない……」グシュグシュ)

(長姉「今度の試験、私、ぜったい落第するわ。もう限界……」グシュ)

(次姉「姉さん頑張って来たじゃない、弱気になっちゃ駄目。それに落第したら、私達、クラスが別れるのよ」)

(長姉「そうよ、だから来期からあんたと私は別クラスになるの、寄宿舎の部屋も離れちゃうのよ!」ズビー)

(長姉「だいたい私には無理だったの、あんたほど頭良くないんだから、なのに年々、勉強は難しくなって……」グシ)

(長姉「次姉が休み時間も寄宿舎でも付きっ切りでわからない所を教えてくれたし」)

(長姉「私も『さすがお母様の娘』と言われるのが嬉しくて、あんたについて行こうと頑張ったけど……ここまでよ」ズビビー)

382: ◆54DIlPdu2E 2015/04/20(月) 22:11:32.84 ID:eUmZW4uY0
(次姉「……それなら私も、今度の試験は半分くらい白紙で出すわ。一緒に下位のクラスに行きましょ」)

(長姉「あんたにはお母様の娘ってプライドはないの!!??」キシャー)

(次姉「そりゃ私だってそれが誇らしくて頑張っているけど……じゃあ、どうすりゃいいのよ?」)

(長姉「わかんないっ! それがわかれば苦労しないわよおおお!!」ビャー)

(次姉「全く……」フゥ)

(次姉「……この手は使いたくなかったけど…仕方ない」)

(次姉「私もこのギスギスした寄宿学校で、姉さんと離れるのは嫌だもの」)

(次姉「姉さん、ちょっと危険な方法だけど……聞いて?」ボソボソ)

雨音:ザアアアアアアア

長姉「……あぅ」パチ

長姉「雨の音で、目覚ましより前に目が覚めちゃった……」モゾモゾ

383: ◆54DIlPdu2E 2015/04/20(月) 22:14:11.89 ID:eUmZW4uY0
長姉「いつ頃だっけ……入学して3年くらい経ってたかな」

長姉「次姉は1年飛び級にも関わらず、入学以来、不動の学年上位の常連」

長姉「私もそれまではなんとか上位にぶら下がっていたけど、急に授業内容が難しくなって」

長姉「進級試験を目前に、心折れちゃったのよね。そしたら次姉が……」

(次姉『ちょっと危険な方法だけど……聞いて? 試験の時に姉さんに答えを教えてあげる』)

(次姉『念のため、予想問題の解答を仕込んでおく方法も考えてみるけど』)

(次姉『バレるようなヘマはしないわ、まかせて……でも、姉さんは姉さんでしっかり勉強もするのよ?』)

長姉「次姉の提案には驚いたけど、おかげで試験は合格点、進級後のクラスでも……」

長姉「カンニングの方法をあれこれ考えてくれたり、宿題を見つからないように写させてくれたり」

長姉「……あの娘(次姉)は厳しいから、それと並行して授業の予習復習も鬼のようにさせられたけど」

長姉「でもやっぱり私は、あの学校のレベルに合わなかった……」

長姉「最後まで実力は身に付かないまま、インチキで成績上位に残ったまま卒業」

384: ◆54DIlPdu2E 2015/04/20(月) 22:18:35.82 ID:eUmZW4uY0
長姉「これは墓場まで抱えて行く、次姉と二人だけの秘密」

長姉「真面目なお父さん、型物の兄さん、いい子ちゃんの末妹には絶対わかってもらえないもの」

長姉「……あと、人の心の機微が理解できそうにない次兄にも」

雨音:ザアア……

長姉「この雨じゃ今日は出かける気にならないわ」

長姉「……そうよ、次姉とはいつも一緒で、あの娘は誰より私をわかってくれた」

長姉「学校でも、実力で首席になれる頭のあの娘が、根気よくこんな私の勉強に付き合ってくれた」

長姉「なのに…もう何日、次姉と話をしていないんだっけ……?」

長姉「…………」

雨音:ザアアア……

長姉「……何よ」

長姉「私ひとり悪者にして、仲間外れにして、音を上げるのを待つつもりなら、こっちだって意地があるんだから」

388: ◆54DIlPdu2E 2015/04/22(水) 22:29:55.39 ID:dv2Uj+Rj0
野獣の屋敷、野獣の部屋……

オルゴール:~♪~♪~~♪~

執事「ご主人様、料理長が今夜はヤマドリタケのクリーム煮を作るそうですよ、お好きですよね」モリデトレルキノコ

執事「……ご主人様?」

野獣「スースー……」

執事「……読書しながら椅子にもたれて眠ってしまわれたか、本が膝の上に落ちている」ヒョイ

執事「ん? 本と思ったが、『日記帳』?」

執事「いかんいかん、『日記とは見てはいけないもの』だったな、ご主人様からそう教わった」イソイデトジー

執事「このまま起こさずに退室するか」コソーリ

野獣「…スースー」

オルゴール:♪~~♪♪~

……野獣が読んでいた日記のページ

『一週間ぶりに魔法ギルドの図書館に行き、彼女と話をした』

389: ◆54DIlPdu2E 2015/04/22(水) 22:31:42.75 ID:dv2Uj+Rj0
『彼女が図書館に入り三か月、最初に言葉を交わした日から二か月半』

『今日初めて私がこの国の王子と知ったそうで、物凄く驚いていた』

『もちろん今まで通り接してほしいので、そうお願いした後、彼女の年齢を聞いてみた』

『年齢は十七、私よりひとつ下。年下とは思わなかったと言うと……』

『「そんなに老けて見えますか?」と、どうやら少し機嫌を損ねてしまったようだ』

『彼女はとてもきれいで笑顔もかわいらしいので、老けているとは思わないが』

『本当に親切でしっかりしていて、まるで姉ができたみたいだと思っていたから……』

『思っていた通りを告げてみたところ』

『彼女は一瞬きょとんとして、噴き出して、それからしばらくの間、笑い続けていた』

『それで私の失言はうやむやになってしまったが、彼女の機嫌は治ったと思っていいのかな?』

390: ◆54DIlPdu2E 2015/04/22(水) 22:33:44.31 ID:dv2Uj+Rj0
(……出会ってから永遠に別れたあの日まで、二年足らずの短い月日)

(日記に書き残した彼女とのたわいもない会話、当時の私には本当に楽しく)

(確かに愛らしい顔立ちではあったが、それ以上に笑顔が、人柄が素敵だと思った)

(今もそう思う気持ちに変わりは無い)

(……)

(商人が末妹を語った言葉)

(商人「それもあの子が働き者で人懐っこい、心の優しい、謙虚な娘だからです」)

(商人「…お洒落に目覚める年頃になっても、ドレスや宝石など一度もねだったことのない子」)

(年頃も違うし、商人の身なりからある程度裕福なのはわかったから、育った境遇も違うのは容易に想像できたのに)

(彼のあの言葉で、私は何故か図書館の娘を思い出し、その少女に会ってみたくなったのだ)

391: ◆54DIlPdu2E 2015/04/22(水) 22:36:16.00 ID:dv2Uj+Rj0
(そうして連れてこられた末妹は)

(あまりに小さくあまりに華奢な体、あどけない容貌、栗色の髪、緑の瞳)

(年齢を聞いて想像した以上に幼い外見、髪と瞳の色も違う)

(そう、図書館の娘とはまるで似ていないのに)

(私はふたりを重ねて見ていた)

(……私は歳を取り過ぎ末妹は若過ぎて、王子が図書館の娘を想うのとは違う想いだとしても)

(だとしても、末妹が傍に居てくれたなら)

(傍にいてくれるのが末妹だったら)

(私はバラの呪縛からも、過去からも、自由になれるのでは、と)

(小さな女の子の形で目の前に現れた『希望』に)

(私は縋ったのだ……)

398: ◆54DIlPdu2E 2015/04/26(日) 19:10:09.70 ID:gG35B+QE0
商人の店。

雨音:サーサー……

次姉「せっかく店を再開したのはいいけれど、こう何日も雨続きじゃお客様の入りはいまいちね」

長兄「この地方は秋が深まる今時期だけ雨が多いから、これで通常運行だけどさ」

長兄「そんな中でも、常連の方が父さんの顔を見に来てくれたのはありがたいよ」

呼び鈴:チリンチリン

長兄「お客様だ、いらっしゃいませ」

次姉「いらっしゃいませ」

師匠「ふむ……様々なものが売っているのだな……お嬢さん、鉛筆はあるかね?」

次姉「そちらの棚の……兄さん、取ってあげて」チカクニイルノデ

師匠(この二人は兄妹だったのか)

長兄「はい、こちらです」

師匠「ありがとう(ふむ、二世紀前の品より随分使いやすそうだ)」

師匠「(これも技術の進歩だな)では、3本もらおうか」

師匠「では代金を(この国の現行貨幣に両替済みなので問題なし)」チャリン

次姉「丁度いただきます」


399: ◆54DIlPdu2E 2015/04/26(日) 19:12:48.89 ID:gG35B+QE0
師匠「なかなかいい店だ。また来よう」チリンチリン

長兄「ありがとうございました」

次姉「……」

長兄「どうした? 次姉」

次姉「何か違和感あると思ったら……今のお客様、少しも雨に濡れていなかったの」

長兄「えっ?」

次姉「店のすぐ前まで馬車で来た様子でもなかったし、あの上に外套を着ていたら、入る時に脱ぐのが見える筈だし」

長兄「店の前の庇に入ってから、傘を扉の外に置いて入って来たんだろう」

次姉「それにしても……」

長兄「今は小降りだし、近くの辻馬車の停留所から傘をさして来たとしたらそんなに濡れないだろ?」

次姉「……そういうものかしら」

雨:サー…ザー…ザーザーザー

師匠「またも雨足が強くなってきたが、雨を弾く呪文は便利だのう」パシパシ

師匠「この呪文、あいつには教えないまま終わってしまったな」

400: ◆54DIlPdu2E 2015/04/26(日) 19:15:04.68 ID:gG35B+QE0
??「んほおおお雨やなのおおお雨らめええええええ」バチャバチャバチャバチャ

師匠「ん? 向こうから(奇声を発しつつ)上着を頭から被って走って来る少年は……」

次兄「っと、おっさんじゃないですか」バチャ

師匠「そこの酒場の軒先で雨宿りでもしないかね」

次兄「ん、でも、家まであと少しだから」

師匠「雨雲の様子を見るに、すぐまた小降りになるだろう、それを待った方がましだ」

師匠(この子にも雨を弾く魔法を怪しまれない程度……五割くらいかけてやるか)ポエン

酒場(昼間は閉店中)の軒先。

次兄「やーんジャケットぐっしょり」シボッテジャー

師匠「君の家はこの近くなのか(我ながら白々しいがな)?」

次兄「ええ、ここからも見える、ほら、あの雑貨店っす」

師匠「ほう、儂はさっきあそこで鉛筆を買ったのだよ、偶然だな(これも白々しいが)」

次兄「店番におっかないネーチャンがいたでしょ?」

師匠「ん? 黒髪の背が高い娘か? かなりの美人ではないか」

次兄「え? よその人にはそう見えるんだ」


401: ◆54DIlPdu2E 2015/04/26(日) 19:18:36.17 ID:gG35B+QE0
師匠「君の姉なのか? 特に態度も愛想も悪くはなかったぞ、むしろ印象良かった」

次兄「ふーん……俺が思っている以上に(兄さんの贔屓目だけじゃなく)ちゃんと仕事しているんだ」

師匠「君はまた図書館に?」

次兄「ん、そうです。朝はまだ霧雨だったし、戻る時も小降りになったのを見計らって走って来たのにな」

師匠「面倒がらずに傘を持ち歩くことだ」

次兄「むー、おっさんだって手ぶらじゃないですか」

次兄「……その割に、濡れていませんね?」

師匠(おっと、意外になかなか鋭いぞ)

師匠「……このローブは特殊な薬剤を塗布してあってな、雨をはじくのだ」

次兄「マジで? 便利だな、父さんにそんな製品があるのか聞いてみようっと」

師匠(ああしまった、商売人の子供だった!)

師匠「……ここだけの話、まだ開発途中の薬剤で……儂は研究者から高額の報酬で極秘の任務を引き受けておる」ヒソヒソ

師匠「自分が軽率だったとはいえ、口外したことがバレたら儂は無報酬の上に罰金まで払わされるのだ……」ションボリーナ

師匠「誰にも言わず、これ以上詮索しないでくれたら、完成の暁には君の店に安く卸してもらえるよう話をしてみよう」

次兄「……うん、わかった。誰にも言わないよ。しかし、世の中にはまだまだ知らない職業があるんだなあ」

師匠「すまんな、恩に着るよ(咄嗟の出まかせを信じてくれるとは、顔の割に素直な子だ)」

402: ◆54DIlPdu2E 2015/04/26(日) 20:26:53.84 ID:gG35B+QE0
師匠「今日は本を借りてこなかったのか」

次兄「今日は借りた本を返却して、後は閲覧だけです」

次兄「さすがに借りた本が雨に濡れたらえらいこっちゃですし」

師匠「意外と常識があるな。お、雨雲の切れ間に差し掛かった、雨が弱まったぞ」

次兄「ホントだ。じゃ、俺行きますね、また!」バッサ

師匠「ああ、またな」

バッターンチリリン タッダイマー! イラッシャ…ナニアンタミセカラハイッテキテ!! バチコーン

師匠「……ここまで聞こえるぞ」

師匠「……」

師匠「あの少女……少年の妹か、接触できる機会はなさそうだな」

師匠「尤も、女の子に理由なく近付いても家族に怪しまれそうだし」

師匠「いきなりこちらから、あいつやあいつの屋敷の話を振ろうものなら尚更怪しまれるだろう」

師匠「…バラを通じて出会い、あいつを解放してくれる可能性を持つ少女」

師匠「それをなぜ今、手放して家に帰しているかはなんとなく理解できる」

師匠「問題はこの後、あいつは少女をどうするのか、だ」

403: ◆54DIlPdu2E 2015/04/26(日) 21:07:56.76 ID:gG35B+QE0
師匠「……まあ、どうするのか知ったところで」

師匠「余程他人に危害でも及ばない限り、あくまでも儂の立場は見守るのみ」

師匠「その姿勢は変わらんぞ」

師匠「……腹が空いたな、どこかで飯でも食うか」

師匠「宿屋の従業員のおすすめにでも行ってみるか」

師匠「あの小娘、口は悪いが人柄は悪くない、信用しよう」

雨音:サーサー……

商人の自室。

末妹「雨続きね、お父さん」

商人「天気がよければ友達とでも遊びに行けるのに、私の相手ばかりで退屈だろう?」

末妹「まだお父さんを置いて出かけたりなんてできないわ」

商人「私ならもう大丈夫だよ、雨さえ降っていなければそろそろ外出しようとも思っていたんだ」

商人「取引先のご心配かけた皆さんとかね、この市内だけでも回ろうかと」

404: ◆54DIlPdu2E 2015/04/26(日) 22:01:50.50 ID:gG35B+QE0
末妹「大丈夫なの?」

商人「身体の調子もお前達のお陰ですっかり良くなった、近いうち仕事にも戻りたい」

商人「その前に、最低限でも挨拶回りをしておきたくてね」

商人「私もこれからは気をしっかり持って、皆に今回のような心配を掛けないと約束するよ」

末妹「……」

末妹「お父さん、私ね……」

次兄の声「ぴああああああああああああああああ」

商人「な、何事!?」

末妹「!?」

次兄の声「ほっぺ痛いよおおおおおおおおお」

末妹「お兄ちゃんの声だ。どうしたの?」ドアガチャ

次兄「おう、末妹……姉さんに、次姉ねえさんに引っ叩かれたよお」ヒリヒリジンジン

末妹「うわあ、ほっぺ真っ赤……」

次兄「図書館帰りに雨に降られ、自宅玄関まで回るのが面倒で店舗側に飛び込んだらこのざまです」シクシク

末妹「よく見たらずぶ濡れ……風邪ひいちゃう、早く着替えないと」

次兄「昔と違って、これくらいでは風邪ひかないから大丈夫」ポタポタ

次兄「でもこの格好で家の中うろうろしていたら家政婦さんにも叱られそうだから、着替えてこよう……」

末妹「ほら、このタオル使って」ファサ

次兄「お前だけは俺にいつでも優しい」ウルウル

405: ◆54DIlPdu2E 2015/04/26(日) 22:40:37.14 ID:gG35B+QE0
末妹「まあ、廊下にも水滴が点々と……私が拭いておくから、お兄ちゃんはお部屋に行っててね」

次兄「末妹は我が家の天使です」オガミツツタイジョー

末妹「もう、ふざけないで……さてと、雑巾はっと」

商人「……」

商人「そうしていると、お母さん(=商人の妻)みたいだよ」

商人「髪や瞳の色だけじゃない、顔もますますそっくりになって」

末妹「……」

家政婦「あら末妹様、そんなことは私がやりますのに」

末妹「あ、家政婦さん(見つかっちゃった……)」

家政婦「次兄様でしょう? ずぶ濡れで帰って来られたのは存じています」

家政婦「廊下を拭くのは私がします。長兄様達も休憩に入られるそうなので、次兄様のお着替えが済みましたら」

家政婦「旦那様と三人で居間においでください。暖かいココアを用意していますので」

商人「気が利くなあ。ありがとう家政婦さん、次兄も体が冷えているだろうから……」

家政婦「長姉様のお部屋にも運びますから、冷めないうちに召し上がっていただきますわね」キコエルヨウナコエデ

長姉(自室のドアの内側)「まるでドアにへばりついて聞き耳立てているのがバレているかのように」

長姉「……ココアは大好物だからありがたいけど」

長姉「何よ、お父さんたら相変わらず……何が『お母さんそっくり』よ」

406: ◆54DIlPdu2E 2015/04/26(日) 22:43:38.62 ID:gG35B+QE0
安宿の一室。

師匠「ただいま」

師匠「……人柄は信用できても」

師匠「味覚は信用ならん、そんな人間もいるのだな」

師匠「残すのは性に合わんので、頑張って平らげたが……」フゥゥゥゥゥゥゥゥ

師匠「それとも、宿の食事が素朴な家庭料理だから気付かなかっただけで」

師匠「儂の味覚が今の時代について行けないだけなのか?」

師匠「……鏡であいつの屋敷でも見てみようかと思ったが、少し休もう」

師匠「おっと、買ってきた鉛筆を鞄から出しておくか」トリダシ

師匠「そう言えば、少年の部屋のあちこちにいくつもいくつも転がっていた指先ほどの木片」

師匠「今思うと、この鉛筆を限界まで使い込んだ成れの果てだな」

師匠「儂が知っている昔の鉛筆とは形状が違うから、最初はわからなかった」

師匠「それにしても読書は好きそうだが、だからってそんな勉強熱心にも見えないが」

師匠「何よりゴミ箱の概念がないのか? あの少年には」

時間は少し前後するが、次兄の部屋。

次兄「うお痛ってえ!?」

次兄「……あーあ、裸足で鉛筆の残骸踏んじゃったよ」アシノウラニクイコミー

次兄「そう言えばここ1年ほど、俺の部屋のゴミ箱を見た覚えがない」

次兄「この部屋のどこかに埋まっているだろうから、暇な時に発掘しよう。それより替えの靴下っと……」ゴソゴソ

411: ◆54DIlPdu2E 2015/04/29(水) 20:29:52.08 ID:eI4EYdAJ0
居間。

次兄「あーあったまる」ココアズビー

商人「……もう痛くないかい、次兄?」

長兄「確かに俺達、物心ついた頃から『店側から出入りするな』って躾けられていたけどさ」

長兄「だからっていきなり引っ叩くのはどうかと」

次姉「……今後は気を付けるわ。ごめんね」ボソ

次兄(次姉ねえさんも丸くなったというか成長したもんだ)

次兄(口に出すと反対側も引っ叩かれそうだから黙っているけどね)

末妹「……」

末妹(野獣様とのお茶の時間にココアが出た時は)

末妹(うちの味より甘かったなあ)

末妹(メイドちゃんが言うには、野獣様が甘いものお好きだからって)

末妹(明日で一週間、みんな今頃どうしているのかなあ)

窓越しの雨音:サーサー

末妹(あっちも雨が降っているかしら……)

412: ◆54DIlPdu2E 2015/04/29(水) 20:31:44.56 ID:eI4EYdAJ0
野獣の屋敷。

雨音:サーサー……

執事「ご主人様、何も雨の中にバラの様子を見に行かなくとも」フキフキ

野獣「それくらい好きにさせてくれ。止むのを待っていては、いつ外に出られるかわからないではないか」

執事「それにしても、(特注サイズの)雨傘もささずに……」フキフキ

庭師「ご主人様、僕らみたいに体ブルブルして水払うの苦手ですものねえ」フキフキテツダイ

メイド「あったかいココアですよ、ご主人様。」

野獣「……すまんな」

メイド「雨が冷たくなってきましたね、そろそろお山の上に雪が見られるかもしれません」

メイド「『南の港町』は雪なんてめったに降らないのでしょうね」

野獣「……」

庭師「今度また末妹様が来られる頃には、このへんも初雪かな?」

メイド「やーね、まだ早いわ。あと一週間後の話じゃない」

庭師「それもそうだね」

執事「戻りの魔法が使えるようになっても、すぐに来られるとは限らないぞ?」

執事「お家の都合もあるし、ご家族ともよく話し合われてから、こちらに来る日を決めるだろう」

庭師「うーん、人間というものは色々めんどうですね?」

413: ◆54DIlPdu2E 2015/04/29(水) 22:25:23.59 ID:eI4EYdAJ0
しばらくのち。野獣の部屋。

野獣「……メイドと庭師」

野獣「やはりまだ子供だ、無邪気に『末妹の戻る日』を楽しみにしている、そして、おそらく末妹と次兄も」

野獣「…期待を持たせているのは私だがな……」

鏡「」シーン

野獣「……何をしているかな」



次兄「うーん、もう少しこのへんの毛並みは濃い色合いで」カキカキ

次兄「……うむ、執事さん喜んでくれるかな?」



野獣「次兄、執事の絵を描いているのか」

野獣「再びこちらへ来た時の、執事への手土産か……」

野獣「末妹は何をしているだろう」

野獣「……?」

野獣「なんだろう、この動きは」

野獣「一人でダンスの練習……か?」

野獣「足元に開いて置いてある本は…入門書のようだな、図書館からでも借りて来たか」

野獣「……」

野獣「何年か後に役立つだろう」

野獣「彼女に本来そうするべき相手が現れた時に」

414: ◆54DIlPdu2E 2015/04/29(水) 23:07:39.09 ID:eI4EYdAJ0
商人の家、末妹の部屋。

末妹「……思っていた以上に、一人じゃ練習にならないなあ」フゥ

末妹「次姉おねえさんが『読まなくなった本あげるわ』って、私にくれた中にダンスの入門書があったから」

末妹「思い付きでちょっとやってみようと思ったけど、先は長そうね……」本パタン

末妹「……」

末妹「知識のない私でも、野獣様のダンスがお上手だったのはわかるわ」

(野獣「最後に踊ったのは、とんでもない昔だから、古い時代のステップしか知らないし」)

末妹「つまり、誰かと踊ったことがあるんだ……」

末妹「……当たり前よね、私よりずっと長く生きていらっしゃるんだもの」

(執事「主人はあまり自身のことを語りません、わたくし達相手にも」)

(執事「特にこの屋敷に来る以前のことは、欠片ほども言葉にしたことはありません」)

末妹「……野獣様は、どんな人生(獣生?)を送って来られたのかな」

末妹「生まれた時からずっと一人ぼっちだったわけではないでしょう、きっと」

末妹「お屋敷で一人で暮らす前は、どんな方が野獣様のそばにいたんだろう……」

末妹「いつか、そのこともお話してくださるのかな」

末妹「私も、もっと野獣様に話をしたい、家族のこと、友達のこと、それから」

末妹「……私は14年しか生きていないし、この町以外で暮らしたことはないし、その中で出会った人しか知らないけれど」

末妹「それでも、優しい野獣様なら『つまらない話だ』なんて思わないで、聞いてくださるよね?」

末妹「……」

末妹「その前に、お父さん達とよく話し合わないと」

末妹「あと一週間で戻る魔法が使えると思ったら、気が急いちゃったみたい」

末妹「やっぱりまだまだ子供だわ、私……」

417: ◆54DIlPdu2E 2015/04/30(木) 21:56:48.01 ID:yCbCbh+n0
翌日。

末妹「おはよう、お父さん。久しぶりにいいお天気よ」

商人「おはよう。そうだな、いい天気だ」

商人「朝食が済んだら、出掛けるよ。昨日言ったとおり、ご心配をかけた皆さんに顔見せをしなくちゃ」

長兄「俺も一緒に行くよ、父さん」

次兄「久しぶりの外出だからって、調子に乗って無理して体調でも崩されたら困るから、だよね」

長兄「俺は(さすがにそこまでハッキリとは)言っていない」

商人「……私も長兄が一緒なら心強いが、店はいいのか?」

次姉「私がいるから大丈夫」

末妹「じゃあ、私がお店を手伝う」

末妹「……お姉さんがよければ、だけど……」

次姉「何言ってるの、こっちから頼もうと思っていたくらいよ」

末妹「…!」

次姉「このお天気ならお客様も大勢押し掛けそうだけどね、あんたこそ大丈夫?」

末妹「うん、頑張る!」

次兄「ふむぅ、この二人がまともに姉妹しているのを初めて見たぞ」

418: ◆54DIlPdu2E 2015/04/30(木) 22:15:05.05 ID:yCbCbh+n0
長兄「馬車は、箱馬車まではいらないよね?」

次兄(荷物も積める、父さんが仕事で遠出したり、俺達が野獣様の家に行った時の馬車だな)

商人「ああ、小さいほうで充分だ」

次兄(二人掛けの座席に幌をかけただけの簡素な軽装馬車)

次兄「どっちも父さんが知り合いから捨てる筈の中古を引き取って修理したもの、父さん手先は器用だもんな」

次兄「人生は何かにつけ不器用だけど」

末妹「お兄ちゃん、独り言がまた大きい声になってる……」ツンツン

次兄「おっとっと」

次兄「いかんな、俺はこんなにも脳と声帯がゆるい男だったか」ジチョウジチョウ

次姉「……ほんと、次兄は無駄に口数が多くなって」

次姉「小さい頃……と言ってもそんなに昔でもないか」

次姉「確か12、3歳まで、不安になるくらい無口だったのが今では信じられないわ」

商人「性格明るくなったのは良いことだよ」

次姉「明るくなったと言うか……」

次姉「やめた。今度は言葉の暴力って言われそう」

次兄「聞かずともだいたい酷い言葉が出かかっていたのは理解できました」

419: ◆54DIlPdu2E 2015/04/30(木) 22:35:53.69 ID:yCbCbh+n0
長兄「……次姉も、末妹や次兄に(も一応)優しくなって来たな」

長兄「これで長姉が、せめて会話だけでもしてくれたら……」

商人「長姉……もうずっとまともに姿を見ていない」

商人「やはりここは、私が父親としてあの子に」

長兄「いや、直接のきっかけを作ったのは俺なんだ」

長兄「父さんは心配しないで」

長兄(……かと言って、打開策があるわけでもないが)

長兄(あの娘があんなに意地っ張りだったのはさすがに予想外だったなあ)

そのころ、長姉の部屋。

目覚まし時計:ジリンジリン

長姉「はうあ」パチ

長姉「……久しぶりに雨音の聞こえない朝ね、ふああ……」

長姉「カーテンの向こうはさしずめ陽光が降り注いで、ってところかしら」

長姉「……だからこそ、開けたくない……」モソモソゴロゴロ

長姉「朝ごはん食べ終わるまで、閉めたままにしておこう」ノソリノタリ

420: ◆54DIlPdu2E 2015/04/30(木) 22:51:40.09 ID:yCbCbh+n0
長姉「でも、何日かぶりに外で気晴らしが出来るなあ」

長姉「ありがたいことに、雨で暇な時に箪笥をくまなく漁ってみたら、銀貨が何枚か見つかったし」

長姉「ま、大事に使わないとね。まずはご飯ご飯……ドアの外に」ガチャ

朝食のプレート:テテーン

長姉「うん、家政婦さんは時間に正確ね♪」



長姉「こっそり洗面所も使った、着替えもした、小銭も持った、さて出掛けますか」

長姉「今日も窓からね」コソコソ

商人の声「じゃあ行ってくるよ」 末妹の声「行ってらっしゃい」

長姉「っと、お父さんお出掛け!?」ピタッ

軽装馬車:カラカラカラ……

長姉「……小さい馬車が出て行くわ、兄さんも一緒ね」

長姉「街なかで出会わなきゃいいけど……」

長姉「髪形変えて、あまり着たことない服を着て行くかな」

長姉「……おさげにして、スカーフ頭に被って、一番地味なブラウス着て……」

長姉「あーあ、せっかくいい気分だったのにケチがついた気分よ」

長姉「……どこ行こうかな、お父さん達に出会いそうにない場所……」

423: ◆54DIlPdu2E 2015/05/01(金) 23:58:38.26 ID:j4RgHdC60
そして、街のちょっとした広場。

長姉「多分お父さんはお得意さん達の家を挨拶回りだから、こんなところには来ないでしょ」

長姉「まだ午前中だから人影もまばらね」

長姉「小さな孫を遊ばせているお年寄り、犬を連れての散歩、ベンチで日向ぼっこする若い男性……」

長姉「日向ぼっこどころかグースカ眠ってるわ、だらしない格好……」

長姉「しかもよく見りゃ幼馴染男じゃない」

長姉「……殴った時の謝罪とか靴を届けてくれたお礼とか色々あるけど」

長姉「今日は関わらないでおこうっと」ススス

長姉「それにしれも、本当に昨日までの雨が嘘みたいな、さわやかな秋晴れ」

長姉「上手く行かないことも面白くないことも忘れて、こう両腕を広げて」

長姉「深呼吸なんかしてみたくなっちゃう♪」スウゥゥゥー……パシュン

長姉「……『ぱしゅん』?」



長姉「……ボタン!? ブラウスのボタン! 胸のボタンが弾け飛んだ!? やだ、三つも取れてる!!!!」アセアセ

長姉「とりあえず、しゃがんで胸を隠そう……」

長姉「しゃがんだまま大きな木の陰に移動、っと」カサカサカサカサカサ

長姉「……下着はつけているとは言え、こんな所を人に見られたら」

長姉「学校に行ってた頃のブラウスだから、確かに今の私には胸がきつかったけど、糸も古くなっていたのね」

長姉「頭のスカーフを首に巻けば胸元が隠せるかしら?」

長姉「……いっそ胸丸出しで、誰かわからないように顔のほうを隠す?」

424: ◆54DIlPdu2E 2015/05/02(土) 00:00:49.19 ID:ER4ED++M0
長姉「それはないわ、落ち着くのよ私」

長姉「もっと安心して体を隠せる物は……」キョロキョロ

長姉「あ、上半身カバーできそうな板切れを発見……壊れたベンチの残骸ね」

長姉「どう考えても広場の管理者がずさんだけど、今だけは感謝」ヒョイ

長姉「……」

長姉「この格好、他人から見たら、じゅうぶん変な女ね」ハァ

長姉「これで街を歩いて家まで帰れとか、どんな罰ゲームよ……」

若い男性「あ、あの……」肩トントン

長姉「!?」

長姉「いやあああああああああ!! ○○!! 変態いいいいいいいい!!!!」ブンッ!!

板:ズバキャッ

幼馴染男「」

長姉「板が割れちゃった!? って、幼馴染男!!??」

幼馴染男「……お、驚かせて悪かった、でも見ていない、見ていないから……」ユラァ

長姉「こっち向かないでええええええ!!!!」グキッ

幼馴染男「」

長姉「しまった、首、首が!?」アタフタ

幼馴染男「……だ、大丈夫、この程度じゃ死なない、たぶん……」クビダケアサッテノホウヲムイテイマス

幼馴染男「う、上着。上着を貸すよ、これ着て帰りな、長姉……」ヌギヌギ

男物のジャケット:バサァ

425: ◆54DIlPdu2E 2015/05/02(土) 00:02:58.49 ID:ER4ED++M0
長姉「血がついてる」

幼馴染男「うん、板でぶん殴られた時に出た鼻血だね……」クビハソノママデス

長姉「……ごめんなさい」

長姉「着たわ。もうこっち向いていいわよ?」

幼馴染男「……わかった。でも首がなんだか動かせないから、体ごと方向転換しないと」ヨタヨタ

長姉(今度は首だけこっち向いて首から下は違う方を向いているわ……)

長姉「首は私にはどうしていいかわからないけど、鼻血だけでも拭いてあげる」フキフキ

幼馴染男「ありがとう……」

長姉「……ねえ、どうしてベンチで眠っていたの?」

幼馴染男「ああ、それは」

幼馴染男「昨夜、久しぶりに雨が上がったからね、先生と二人で久しぶりに星の観測をしたんだ」

幼馴染男「いつも以上に星がきれいに見えて捗った、その記録をまとめたりしているうちに徹夜してしまって」

幼馴染男「先生も今日は休養日にしてくれると言うので、朝の空気を吸いに散歩に出て」

幼馴染男「広場のベンチで一休みと思ったら、いつの間にか眠ってしまったんだ」

長姉「そう、とにかく、あなたがここにいたおかげで助かったわ…………ありがとう」

幼馴染男「うん、君の助けになれて、よかった……」

幼馴染男「……話しているうちに、首も少しずつ動かせるようになってきた。心配いらないよ」

長姉「本当にごめんなさい。あの……この間、ぶん殴っちゃったことも含めて。あと、靴を届けてくれて、ありがとう」

長姉(……言えた)

426: ◆54DIlPdu2E 2015/05/02(土) 00:22:43.71 ID:ER4ED++M0
幼馴染男「……なんだか今日の君は、そのおさげの髪形のせいだけじゃないと思うけど」

幼馴染男「昔の君みたい、あ、殴るなよ??」

長姉「首の角度がまだ半分くらいしか戻っていない人なんか殴れないわよ」

幼馴染男「うん、君ともう少し話をしたいけど、俺はこんなんだし……」

幼馴染男「君も血飛沫のついた男物の服を着たままじゃ落ちつかないだろう」

長姉「そうね(どちらも私のせいだけどね……)」

幼馴染男「今日は帰るよ。君も家に帰って着替えるといい」

長姉「ええ、そうするわ」

幼馴染男「送って行きたいところだけど」

長姉「気にしないで、家までそう遠くもないから」

長姉「じゃあ、またね?」

幼馴染男「ああ、またね……」

429: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 18:27:11.28 ID:TPwHPt0/0
商人の店。

客「それじゃ、これ蝋燭の代金ね」

末妹「ありがとうございます」

客「あと、薪はまだないのかい?」

末妹「あ、すみません、薪は10月からなんですよ」

客「だろうね、いやいいんだ、気にしないで。もしかしたら…と聞いてみたが、来週また来るよ、じゃあね」

次姉「そっちの棚は並べ終わった? 次兄」

次兄「……なぜか俺も手伝わされる羽目に」ドウシテコウナッタ

次兄「しかし、薪なんてうちで扱っていたんだな」

末妹「季節商品ね、10月から3月までしか置いてないの」

末妹「町はずれにある…ほら、お父さんのお友達の材木屋さん、知っているでしょ?」

末妹「そこから切れ端とか枝とか、不要になった部分を買い取って、重さで揃えた束にしたものを…」

末妹「薪として、買い取り価格で売っているの」

次兄「…それなら儲けがないじゃん」

次姉「湿気らないように保管して束にする手間を考えたら、儲けがないどころか損だけどね」

末妹「でも、この町は近くに薪を拾えるような森や山がないから」

末妹「まとめ買いを切らした時の間に合わせに丁度いいって、喜ばれているのよ」

次姉「薪をメインで買いに来る人はうちに来ないから、おまけのような物よ、サービスの一環」

次姉「材木屋さんも自分の所で薪として売るより手間は省けるし、入ってくるお金は同じだし、で助かるもんね」

次姉「しかし今から期待しているお客様がいるなら、少し店頭に置いてみようかしら? 今週中に10月になるのだし」

430: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 18:29:10.47 ID:TPwHPt0/0
次姉「……というわけで倉庫から運ぶわよ、次兄、手伝いなさい」

次兄「うええええ!?」

次姉「……」ギロリ

次兄「手伝います手伝います、お姉さまあ……」トホホ

次姉「末妹、戻るまでこっち頼むわね」

末妹「はい」



末妹「おつりです、お確かめください」

女性客「末妹ちゃん、少し見ない間になんだか大人っぽくなったわねえ」

末妹「そ、そうでしょうか?」



末妹「遅いな……お兄ちゃんが慣れない力仕事で怪我していないといいけど」

呼び鈴:チリンチリン……

末妹「いらっしゃいま……」

親戚2「おや、末妹じゃないか。お前一人かい?」

親戚3「商人さんはいるかな?」

末妹「…!」

親戚2「5年ぶりだ。覚えているか?」

末妹「……親戚2さんと、親戚3さんですね。お久しぶりです」

431: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 18:33:17.31 ID:TPwHPt0/0
末妹「父は兄…長兄と出掛けています」

親戚2「それでお前ひとりで店番か。不用心だな」

末妹「次姉と次兄も一緒です、今は物を取りに倉庫へ」

親戚2「おお、次姉がいるなら安心だ。ま、弟妹を子守しながらでは大変だがな」

親戚3「姉さんに迷惑をかけるんじゃないぞ?」

末妹「はい」

親戚3「……店番ならもっと愛想よくしなさい、そんな硬い表情では客が逃げるぞ」

親戚2「全く、甘やかされた末っ子はこれだから……」ブツブツ

末妹「……」

親戚2「ところで、末妹、お前はいくつになったっけ?」

末妹「今月、14になりました」

親戚2「相変わらずとてもそうは見えんが、言われてみればあれから14年か、もうすぐ命日だな、親戚3」

親戚3「ああ、彼女が出産で亡くなってからな」

末妹(……お母様)ギュッ

親戚2「……」

親戚2「下唇を噛んで眉間に皺を寄せて、人前でそんな可愛げのない表情をするのは感心しないね」

親戚2「ましてや客商売、お前の父さんはそんなことも教えてくれないのか?」

親戚3「全くだ。お前の母親も姉達も、もっと幼い頃から厳しい寄宿学校で勉強も礼儀も教え込まれていたのだぞ」

親戚2「商人さんは礼儀正しい商売人と評判らしいが、手元に置いた子供の躾は行き届かなかったようだ」

親戚3「……それでも顔立ちはますます母親似になって来た、余計面白くない」ボソ

432: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 18:40:39.89 ID:TPwHPt0/0
親戚2「ここに来る前、カフェで町の噂を聞いてな」

親戚2「なんでも末妹がどこかへ嫁に出されてまたすぐ戻って来た、とか」

親戚3「何かの間違いだと言う人も多かったが、噂が出るくらいだ、何事もない筈ないだろう?」

末妹「……(だめ、話せない)」

末妹「か、勝手に、父に勝手にその話をしては駄目だと、言われています……」

親戚3「ふん、『赤の他人』には駄目だろうな、だが我々は親戚だ、お前の母親の従兄だよ」

親戚2「それに……知っているとは思うが、商人さんが困っていた時に助けてあげた事もある。いわば恩人だ」

末妹「ごめんなさい、それでも……お話できません」

親戚3「つまり、とても人に話せない真相ってわけか」

親戚2「その歳で、そんな幼いなりをして、知らない所では何をやっているやら……」フフン

末妹「……」

親戚3「……泣きもしないか。5年前と同じだな」

末妹「!」

親戚2「我々だって、9つにもなろうという子供が、本当に『あの話』を少しも理解できないとは思わないさ」

親戚3「あの場で泣き出せば、少しはご機嫌でも取ってやろうと思っていたのに、本当に可愛げのない」

末妹「……」グッ

(野獣「『仕方ない』などと自分を納得させる理由はどこにもないのだぞ」)

末妹(……野獣様、私はこの人達の前では泣きません、頑張ります……)

親戚3「強情だな、はっきり言ってやろうか、お前は」

次姉「待たせたわね末妹! 次兄が手間取っちゃって!」ザッ

次兄(姉さん俺には口を出すなって)ヌッ

433: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 18:45:10.58 ID:TPwHPt0/0
親戚2&3「「おお、次姉」」ニパー

次兄(予想に違わず俺のことはガン無視です)

次姉「あらまあ、親戚2と親戚3のおじさま達じゃありませんか、ご無沙汰しておりますわ」ニッコリ

親戚3「すっかり美しくなって、それに声が従妹ちゃん(=商人の妻)そっくりじゃないか」ホクホク

次兄(この声は姉さんの営業用ボイスだが、それはさて置き『従妹ちゃん』呼びですと?)

次姉「お二人には私がお相手を努めさせていただきますわ、次兄、末妹を連れて奥へ」

次姉(早くしなさい)ギラリ

次兄(は、はいっ)コクコク

次兄「行こう、末妹。あとは姉さんに任せて」

次兄「……遅くなってごめん」ボソ

末妹「お兄ちゃ……」ジワ

次兄「もう少し我慢」

末妹「う、うん」ササッ

次姉「……さて、こちら(店舗)からおいでになったと言う事は、何か品物を買っていただけるのでしょうか?」

親戚3「え? あ、なんだ、お小遣いか?? それなら最初から渡すつもりだったよ、いくら欲しいの?」

434: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 18:52:10.02 ID:TPwHPt0/0
次姉「あら、買ってくださらないのですか? 置いてある品物はお気に召しませんこと?」

親戚2「いやそうじゃなくてね、店の客として来たんじゃない、商人さんの具合が悪いとかで、お見舞いにね」

親戚3「しかしもう元気になられたようだな、忙しくてなかなか日程が取れなかったんだよ、悪かったねえ」

次姉「……三番街のカフェに入られた時、その少し前に父と兄が立ち寄った、つまり外出中だと知ったそうですね」

親戚3「え?」

次姉「そこでこの5年間で、末妹がうちの看板娘としてちょっと名が知れたことも」

次姉「突然姿が見えなくなったと思ったら一週間前に戻ってきたこと、一部では嫁いだとの噂もあること」

次姉(出どころは私と姉さんで店番をした時の世間話だろうけど)

次姉「それから、寄宿学校から帰ってきた私と姉がここ3、4年ほど遊び歩いていた話と」

次姉「末妹がいなくなった時から、少しはまじめにやっているようだ、って話も」

次姉「お聞きになったそうですね、あのカフェはひときわ常連で賑わうから、この町の噂話が絶えないのですよ」

親戚2「……親戚1に会ったのか」

…………

少し前、住居側の玄関先。

親戚1「……では、親戚2と親戚3はまだ来ていないのですね」

家政婦「ええ、お見えになっておりません」

親戚1「おかしいなあ、先に行っているから後は商人さんの家で、と話していたのに……」

435: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 18:58:56.66 ID:TPwHPt0/0
次姉「あら、どなたかと思ったら親戚1のおじさま」庭ヲヨコギリ中

次兄「あ、見覚えあるな。お母さんの従兄さん3人組で、いちばん影の薄い人だ」

次姉「声、声、音量!」ガスッ

次兄「薪の束で豪快にツッコミ入れないで……」イテエヨ

親戚1「次姉と……まさか、次兄なのか?」

次兄「はい、他ならぬ次兄ですけど」

親戚1「(体型は相変わらずだが)ずいぶん顔色もよくなって、見違えるほど健康そうだなあ」

親戚1「我々が来る時は、いつも寝込んでいたのにな」

親戚1「ところで、親戚2と親戚3を近くで見かけなかったかい?」

次兄(なんとなく感じ悪いほうの二人か)

次姉「いいえ、お見かけしておりませんわ、ご一緒でしたの?」

親戚1「うん、商人さんが病気だと聞いたのが何日か前でね」

親戚1「日程の調整がうまく行かず、ようやく今日、3人揃ってこの町に来れたのだが」

親戚1「ここへ来る前に立ち寄った三番街のカフェで色々と…この家の最近の様子を…聞いてね」

次姉「……この家の様子?」

436: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 19:10:32.61 ID:TPwHPt0/0
親戚1「カフェを出るなり私一人が手土産の買い物を任されてね、あとの二人は先に行っているから、と」

次姉「カフェで何がありましたの? どんな話を聞きましたの? 手短に説明お願いしますわ、おじさま」ズンズンズンズン

親戚1「……ちょ、わかった、話すよ」タジタジ

…………

次姉「……5年前あなた方がこの家…この町に来た頃は」

次姉「末妹はただの普通の小さな子供、私と長姉はこの町ではちょっと評判の『名門』女学校での優等生」

次姉「それがあなた方の知らない5年の間に評価は一変」

次姉「町の人には、派手に着飾って遊び歩く私や長姉より、真面目で勤勉な末妹のほうがずっと評判がいい」

次姉「あなた達には面白くないでしょうね、兄や姉、私を、ことさら可愛がってくださいましたもの」

親戚3「次姉は噂を否定しないのかい、お前達がここ何年も、店も手伝わず遊び歩いていたなんて」

次姉「……ろくに花嫁修業もしないくせに、名門女学校とやらの卒業生、店の名前と父の経済力、これだけを武器に」

次姉「財産持ちで家柄のよい結婚相手を求めて、あらゆるパーティーに出ていたのは事実ですもの」

次姉「ま、相手が見つからなかったから、今もこうして家にいるのですけど……」

親戚2「け、結婚相手なら私達が探してあげよう。資産家の知人ならたくさんいるんだ、なあ?」

親戚3「あ、ああ、王都にいる貴族の子息達と知り合うチャンスも作ってあげるよ?」

次姉「せっかくのお申し出ですけど」

次姉「姉はどうかわかりませんが、私は今のところ商売の仕事が楽しくてたまりませんから」

437: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 19:21:37.76 ID:TPwHPt0/0
次姉「……ところで、当初の目的は果たせませんでしたが」

次姉「上流階級の方々とわずかばかりの繋がりが出来たおかげで」

次姉「色々と余計な話も耳に入って来ましたのよ、色々とね」

親戚3「余計な話……?」

次姉「母が生まれ育った、つまりあなた方が今も住んでおられる西端都市では」

次姉「母は若い頃、才色兼備と呼ばれ、同年代の殿方の人気者だったそうで」

次姉「年頃になればあちこちの……上流階級の複数の男性からも求婚されたと聞きます」

次姉「しかし母には幼い頃から兄妹のように育った従兄達がいて、彼等のガードはたいそう堅く」

次姉「しかもそのうち二人は兄や従兄としてどころか、異性として一方的に彼女に熱を上げていたとかなんとか」

親戚2&3「「そ、そ、それは」」アワワ

次姉「それ自体は一向に構いませんわ、従兄妹婚だって法的に問題ありませんし、青春の思い出は恥じることでもありません」

次姉「ですが、あなた方の従妹…私達の母は19になって間もなく」

次姉「南の港町では老舗と呼ばれる雑貨店の、跡取り息子の元へ嫁いでしまった」

次姉「ひょんなことで知り合って半年後、確かに短い期間かもしれませんが、地道に交際を続けていた二人」

次姉「とは言えあなた方にしてみれば寝耳に水、どこぞの馬の骨に掻っ攫われた想いでしょう」

次姉「そう思うのも人間の感情です、それが悪いとは誰も言いません」

次姉「……問題は、そのあと」

親戚3「な、なんだね?」

次姉「ここから先は、私達の父から聞いた話です」

438: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 19:32:18.05 ID:TPwHPt0/0
次姉「父は祖父母が年老いてからの子、結婚して数年間で祖父母は相次いで亡くなり、店を継ぐことに」

次姉「地方都市ながら、貿易で栄える町でそれなりの歴史を持つ店」

次姉「当時二人はまだ二十代、乳飲み子含む幼い3人の子を抱え、苦労はあって当然でしょう」

次姉「そんな矢先」

次姉「何代も良い関係を保ってきたはずの西端都市の仕入れ先が、先代が亡くなると同時に一斉に手を引いてしまった」

次姉「勿論、全てではなかったとは言え、南の港町ではうちの店でしか手に入らない品物が店頭から消えて」

次姉「おまけに、それに纏わるそれこそ根も葉もない噂まで飛び交い、日ごとに経営は悪化」

次姉「母とばあやも、子供達の世話に追われながらも内職で家計を支え」

次姉「それでも僅かに残ったお得意さんのため、父は何とか自力で店を立て直そうとするも、過労で体を壊し」

次姉「……そこへ噂を聞いて駆け付けたのがあなた達二人と親戚1さん」

次姉「各自の経済力に応じ、具体的にはあなた達が四割ずつ、親戚1さんは二割」

次姉「無担保無期限で、当面の生活費には充分な金額を貸してくださいました」

次姉「その上、件の仕入れ先と親交のあったあなた方は彼らを説得して回り、その甲斐あって取引も元通り復活」

次姉「あなた方三人には、感謝してもし切れない……と、ここまでが父の話」

親戚2「そ、そうだよ。商人さんは借金をすぐに返してくれたし、こちらには最初から恩に着せるつもりもなかったが……」

親戚3「大事な従妹の子供である、可愛いお前達を見捨てておけなかったんだよ」

次姉「で、ここからは、私が某公爵夫人主催のパーティーで聞いた話」

親戚3「」

439: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 19:39:53.28 ID:TPwHPt0/0
次姉「父が店を継いだ途端、取引を切った業者で一番影響力のあった経営者は、あなた方と旧知の仲」

次姉「百年以上の関係をひっくり返したと思えば、あなた方の説得であっさりと元鞘」

次姉「誰かさんの台本通りに事が運んだ……そう考える人がいたっておかしくないでしょう?」

親戚2「ちょっ、台本だなんて」

次姉「先代は高齢とは言え突然亡くなったのです、ろくに引き継ぐための整理もできていないまま」

次姉「ですから、もともと店の経営が危うくなる要素はありました」

次姉「『誰かさん』が具体的にどのような手を使ったかは推測の域を出ませんし」

次姉「何よりパーティーの席での噂話です、どこまで根拠があるかは確かめようもありません」

次姉「おじさま達がどのような感想を持つかもおじさま達の自由です」

親戚3「なんだ、そんないいかげんな話か……」ホッ

親戚2「やはり次姉は賢い、噂話を頭から信じ込むような愚かな娘である筈がない」ウムウム

次姉「そして最後に、ここからは、先程そこのドアの背後で私が耳にした話」

親戚2&3「「」」

次姉「今度は説明するまでもありませんね」

次姉「パーティーで聞いた噂の数々より、正直、今日のこちらの方が私には衝撃でしたわ」

440: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 19:47:00.70 ID:TPwHPt0/0
次姉「とりあえず我が家の名誉のために……末妹が嫁に行った云々の真相ですが」

次姉「こちらにも色々と事情があるのです、家庭の事情というものが」

次姉「あの子の言うとおり、家長である父の許可も得ずに詳細をお話しするわけにはいきません」

次姉「ただひとつ確かなことは」

次姉「おじさま達が期待するような下品で下種で下劣で下卑た裏事情は全くございません、残念ながら」

次姉「そんな噂を立てさせてしまったのは、あくまでも保護者である私達の過ち、お恥ずかしい限りです」

次姉「……で、あの子に『5年前』と仰いましたね、一体なんの話ですの?」

親戚3「さ、さあ、な、な、何の話かな、お前の聞き間違いじゃないのかな……」ハハハ

次姉「……」

次姉「この薪、うちの売り物ですけど」ドン

親戚2「は?」

次姉「見てくださいな。薪と呼ぶには太過ぎませんこと?」

親戚3「??」

次姉「一般家庭のかまどには、ちょっと入りにくいでしょう」

次姉「買ってくださったお客様に手間をかけさせては申し訳ありませんから……」スッ……

親戚2「な、何を」

次姉の右拳:ズダーン!!

親戚2&3「「」」

薪:パカーン

次姉「……まあ、きれいに四つに割れましたわ。この調子で、太い薪を全て割ってしまいましょう♪」ゴクジョウノエガオ

441: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 19:53:18.96 ID:TPwHPt0/0
親戚3「わ」

親戚3「わかった、わかったから! 全て話す! 白状する! 懺悔する! そして……」

親戚2「謝るから、我々が悪かった、許してくれ!!!!」

次姉(うまく行った。この薪だけ、あらかじめ細工をしておいたのよね)

親戚3「……子供の頃から仲の良かった従妹が、お前達の父親と結婚したのは、確かに面白くはなかった」

親戚2「親戚1だけは、彼女が選んだ人ならばと祝福していたが」

親戚2「我々二人は子供じみた嫉妬を捨てられず……」

親戚3「しかしやがてお前達という子も生まれ、我々もそれぞれ結婚して家庭を持った」

親戚3「こちらも大人になって普通の親戚付き合いをしていこうと決心した頃だ、商人さんの父上…先代さんが亡くなった」

親戚3「西端都市の商売人の間でも、先代さんの急逝は話題になってな」

親戚2「この店と取引のある我々の知り合い…学生時代の友人だが、酒の席で漏らした」

親戚2「『南の港町の老舗雑貨屋、跡継ぎは少しばかり小心者の坊ちゃん気質と聞くが』」

親戚2「『今後もあの店と取引を続けて大丈夫だろうか、跡継ぎと親戚関係になった君達に相談したい』と」

親戚3「我々は酒に酔って悪乗りを……いや、酒のせいにしては駄目だな、とにかく彼にこう言った」

親戚3「『商人さんはああ見えて女好き、浮気をしては従妹を泣かせていると聞く』」

親戚2「『もちろん従妹はそんなことをおくびにも出さないし、あくまで人伝の噂だ、しかし』」

親戚2「『しかし確かに彼女は結婚してから少しばかり痩せてしまった、これは間違いなく事実だ』…と」

次姉「……」

親戚2「……幼い年子3人抱えている母親は痩せても不思議じゃないのにな」

442: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 20:00:55.53 ID:TPwHPt0/0
親戚3「抑え込んだはずの嫉妬が根底にあったのは確かだけど」

親戚3「冗談のつもりだった、酒の席での悪ふざけ、軽い気持ちだった、なのに……」

親戚2「気がつけば本当に知人はこの店、商人さんとの取引をやめてしまっていた、他の仲の良い経営者数名と共に」

親戚2「商人さん一家は困るだろう、が、真っ先に我々に助けを求めてくるだろう、そう思っていた」

親戚3「しかし商人さんは誰も頼らず一人で頑張った挙句、とうとう倒れてしまい」

親戚2「このままでは従妹も子供達もどうなるかわからない、ようやく私達は援助を申し出た」

親戚3「親戚1は真相を知らないまま、援助に賛同してくれただけだ」

親戚3「知り合い達の説得には確かに時間も労力もかかったが」

親戚3「結局のところは、商人さんの地道な努力と実直な人柄が関係を回復させたのだ」

親戚2「最終的には、噂に流された自分達が悪かったと、彼等から商人さんのため謝罪の席を設けたくらいだ」

次姉「……それは初めて知りましたわ。父は、全てはあなた方のおかげとしか」

親戚3「そういう人なんだ、わかっている、我々が……敵うわけがない」

次姉「では次に、末妹とあなた方の間に何があったかと言う話……」

次姉「実は、5年前のことは親戚1さんから聞きました、時間がなかったので要点だけですが」

次姉「ご自分の口から出た言葉、5年前とは言え、覚えていらっしゃいますよね?」

親戚2&3「「う」」

次姉「私の口からはとても出せない酷い言葉ですから、ここでは繰り返しません」

親戚2&3「「……」」

443: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 20:07:13.70 ID:TPwHPt0/0
親戚2「わ、我々にとって、長兄と長姉とお前は、従妹…お前達母親の思い出を共有できる血の繋がった存在だ」

親戚2「だから正直、下の二人よりずっと可愛かった、しかも幼くして親元を離れて、余計に目をかけてやりたかった」

親戚3「そして母親の記憶が強く残っている、それ故に悲しみが深いお前達が、あまりにも可哀想で」

親戚3「間違っていたかも、いや明らかに間違っていたが、お前達可愛さで出た言葉なんだよ、それは本当だ」

次姉「……人は間違いを犯します」

次姉「私もかつては父の愛情を独占されたという思い込みから、末妹に嫌味な態度を取っていました」

次姉「おじさま達の心の内を責める資格は私にはありません、実際に可愛がってくださった恩もあります」

次姉「が」

親戚2&3「「」」

次姉「心の内に留まらず、態度や言葉で表したのなら、別です」

次姉「人間として情けないとは思わないのですか、大の大人が親子ほど年の離れた、あんな子供に」

親戚3「……と、ところで次姉、声がさっきまでと違うのだが?」

次姉「こちらが私の地声ですのよ」

次姉「……あんな子供が、何年間誰にも、仲の良い次兄にも言わず」

次姉「末妹は私よりもずっと、家族から、周囲の人から愛され、だからもっと堂々としていればいいものを」

次姉「明るく振舞っていてもどことなく自分に自信なさげ、それが余計にイライラさせたけど、やっとわかった」

次姉「あの子はお母様の事で、ずっと『負い目』を感じていたのね」

親戚2&3「「……」」

444: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 20:14:39.22 ID:TPwHPt0/0
次姉「私は、寄宿学校で辛いことがあっても常に姉が一緒」

次姉「お互い慰め合い時には八つ当たりし合い、そんな相手がいた」

次姉「あの子は一人で我慢し続けて、なのに家族の誰もそれに気付いてあげられず……」

次姉「そればかりか、私はあの子がいなければいいとさえ思っていたなんて……」

次姉「情けないったらありゃしない!!!!」ズドドドドドドドドド

細工していない薪:パカーンパカーンパカーンパカーン

親戚2&3「「 」」シロメ

次姉「……」ハァハァ……

次姉「……そう、人間ですから、あなた達が末妹を気に入らなくとも、愛せなくとも、それは仕方がないことです」

次姉「たとえ客観的には理不尽極まりない理由であっても」

次姉「ただあの子の、いえ、私達家族のいる場ではそれを表に出さないで欲しいのです」

次姉「一時的に取り繕えばいいだけ、おじさま達はいい大人なのです、それくらいできるでしょう?」

次姉「それともできないほどの愚か者なのですか、お母様の従兄のあなた方は!?」

親戚3「……本当に、本当に、すまなかった。人として最低だった」

親戚2「彼女がいなくなった悲しみ、商人さんへの嫉妬、お前達への同情、全てがごちゃ混ぜの」

親戚2「やり場のない気持ちの矛先を、何の落ち度もない……」

親戚2「わかってはいるんだ、何の落ち度もない末妹へ、ぶつけてしまった」

親戚3「謝って済むことではないが、私達は従妹にも顔向けできない事をしてしまった、恥ずかしい……」

親戚1「……次姉、私からも謝るよ」

次姉「親戚1おじさま」

445: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 20:23:22.36 ID:TPwHPt0/0
親戚1「3人の中では私が一番年長、本来なら諌める役でなければならないし、子供の頃はそうしていたが」

親戚1「いつの間にか、若くして財産を持った彼等と力関係が逆転していた」

親戚1「5年前だって……私はもっと真剣に止めるべきだった、そうすれば末妹に残酷な言葉を聞かせずに済んだのに」

次姉「……」

親戚1「親戚2、親戚3。もう帰ろう」

親戚1「次姉。商人さんへの謝罪の場は、日と場所を改めて、必ず持つよ」

次姉「おじさま……」

親戚1「お前達」

親戚2&3「「は、はい」」

親戚1「今、我々三人にできることはひとつしかない」

親戚1「この子達の心にこれ以上さざ波を立てないよう、一刻も早くこの家を立ち去るだけだ」

親戚1「本来なら三人とも、この子達から『顔も見たくない』と罵られて然るべき存在なんだぞ?」

親戚2&3「「……」」

親戚1「まだ言い足りない事があるなら、見当違いの相手にぶつける前に、私に打ち明けてくれ」

親戚1「子供の時と同じようにじっくりと聞いてやる、兄貴分としてな」

…………

446: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 20:37:51.38 ID:TPwHPt0/0
その日の夕方。

商人「……私の留守中にそんなことがあったのか」

商人「本当に自分が情けない、5年前のことも……なぜそばにいて気付いてやれなかった、駄目な父親だ……」

長兄「俺も同じだ、あの子がそんなに辛い思いをしていたなんて」

次姉「済んだことはどうにもしようがないわ、それよりこれからの話でしょ」

商人「……末妹への仕打ちは許せないが、本来ならあの二人は私を責めたかったのだろう」

商人「親戚1さんは謝罪の場を持つと言ってくれたそうだが、私もなるべく冷静になって、彼等とよく話し合おうと思う」

商人「もちろん大人同士の問題だ」

商人「お前達は、頼りないとは思うだろうが、ここは父さんを信じて任せておくれ」

次姉「おじさま達に…あの二人にもうへりくだる必要はないわ、百歩譲っても対等の立場なのよお父さんは」

次兄「そうそう。反省の言葉に偽りがないとして、今後はおとなしいだろうけどさ、とにかく父さんは堂々としていなよ」

長兄「で、末妹は大丈夫か? あの子が熱を出すなんて滅多になかったが」

次姉「医者(せんせい)の話では、神経的な疲労が一気に出たのだろうって」

次姉「でも、明日にでも下がる熱だから心配はいらないと」

商人「可哀想に、私のことも含めて、以前から気疲れが溜まっていたのだろう……」

次姉「ちょっと様子を見てくるわ。汗をかいてたら着替えが必要だし」ガタ

447: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 20:47:11.78 ID:TPwHPt0/0
末妹の部屋。

次姉「末妹?」ガチャ

末妹「……お姉さん」ヨイショ

次姉「ああ、起き上がっちゃ駄目、ほら、ちゃんと毛布かけて」バフ

次姉「昼間よりは少し良くなってきたかしら、でもゆっくり休むのよ?」

末妹「ごめんなさい……」

次姉「嫌ね、どうして謝るの?」クス

末妹「お兄ちゃんから、何があったか聞いたわ。かいつまんで、だけど」

次姉「……あいつめ。ま、でも、あの子ならあんたが余分に気を遣うような話し方はしないでしょう」

末妹「あのね、話してくれた最後に」

末妹「『悪いオジサン達は姉さんが成敗したからおとなしくなるでしょう、だから何も心配するなよ』って」

末妹「で、今のお姉さん、右手に湿布している……」ユビサシ

次姉「……成敗……」

次姉「ち、違うの、暴力はふるっていないから! た、薪を割っただけだから!!」

次姉「次兄ったらどこをどうかいつまんだのよ……」

末妹「でも、私のために怒ってくれたのは違わないでしょ?」

次姉「うーん、あんたのためでもあるけど、私のためでもあるからね」

末妹「お姉さんのため……?」

次姉(一緒に過去の悪い私も『成敗』できたからね、これからは本当に前を向けるわ)

448: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 20:52:47.18 ID:TPwHPt0/0
次姉「今のは独り言だから聞き流して。それよりも、ね」

末妹「?」

次姉「前から思っていたのだけど、あなた次兄だけは『お兄ちゃん』呼ばわりで」

次姉「兄さんや姉さん、私にはちょっとだけ、他人行儀なのよね?」

次姉「そりゃ私達3人とは、離れて暮らした時間が長かったけど……」

末妹「ご、ごめんなさい」

次姉「だからね、謝ってほしいんじゃなくて、その……」

次姉「そろそろ、呼び方を変えても、ってそう思っただけ」

次姉「順序として次兄の次に年の近い私から、くだけた感じで……どうかしら?」

末妹「くだけた感じ」

末妹「『お姉ちゃん』……とか?」

次姉「」ピクッ

末妹「や、やっぱり駄目だった?」ハラハラ

次姉「……うひ、うひ、うひひひひひひ……」

末妹「お姉さ」

449: ◆54DIlPdu2E 2015/05/06(水) 20:57:13.94 ID:TPwHPt0/0
次姉「うひひ、うはは、『お姉ちゃん』、くすぐったい、くすぐったいわ、なんなのこれ」ドコドコドコドコドコドコ

末妹「ひ、左手も痛めちゃうわ!?」

次姉「手加減してる、手加減してるから、私の手もあんたの箪笥も壊れやしないわ、うはははは」ドコドコドドドドドドドドドド

末妹(なぜこんなに高速で連打できるのかしら)

次姉「……うん、いきなりはちょっと無理があるわね、私の精神的な問題で」

次姉「思った以上にハードルが高かった」

次姉「当面は二人きりの時だけで、少しずつ慣らして行きましょうか、うん、そうしましょう」ウンウン

末妹「お姉…さんが、それで良ければ」

次姉「だから、私の許可が出ないうちに人前で『お姉ちゃん』と呼んだら……」

末妹「は、はい」ゴクリ

次姉「私、顔から火を噴いて周囲を焼き尽くすからね?」

末妹「…それは困るから気を付けます」シンミョー

末妹「……」

末妹(お話ししたいことが増えました、野獣様……)

454: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 19:01:04.27 ID:wYQp4pPK0
野獣の屋敷……

鏡「……トイウワケデシタ」

メイド「ご主人様、よかったですね! わるもの達は末妹様の姉上様がやっつけてくれましたよ!」ピョンピョン

メイド「あいつら、すっごく嫌あぁな感じで現れたのに、最後はシュンとしちゃって」ビョンビョン

メイド「こういうのが『ざまあ見やがれ』ですよね!?」バッタンバッタン!

庭師「メイドちゃん、テンション高過ぎ……と言うか、跳ね過ぎ」

メイド「庭師君だって、後半はあの二人…ゲスオヤジーズが鏡に映ったら毛を逆立てて威嚇してたくせに」

庭師「勝手にコンビ名つけてるし」

料理長「しかし、末妹様がお部屋でグッタリされているのを見た時はわしも血の気が引いたが……」

料理長「どうにか落ち着かれたようで安心したよ、すぐ元気になるといいな」

執事「あれほどの目に遭えば具合が悪くもなるさ、まったく、あんな優しくて可愛らしいお方を……」

執事「……」チラ

野獣「……」

執事(ご主人様、向こうの家のあらゆる鏡やガラスや金属反射を使って、最後まで様子を見守って)

執事(メイド達と同じように一喜一憂されていたのに、事態が一段落して安心した途端に……)

メイド「ねえご主人様、もっと喜びましょうよ、鏡をご覧になっている間はあんなに興奮されていたのに」

455: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 19:06:01.38 ID:wYQp4pPK0
野獣「……うん? ああ、私も喜んでいるぞ。鏡の向こうの出来事に、こちらは為す術なく歯痒かったが……」

野獣「あの姉があんなに頼もしいとは思わなかった、嬉しい驚きだよ」

メイド「嬉しいって言う割に、今はなんか冷静だしめっちゃ真顔だし……」ムー

執事「メイド、いい加減にしろ。失礼が過ぎるぞ、お調子者め」

メイド「はぁい、ごめんなさい」ショボン

執事(……メイドの言う通りではあるのだがな)

執事(ここ数日のご主人様は、どこかおかしいと言うか…今までとは何かが違う)

執事(鏡で末妹様の様子をご覧になりながら顔をほころばせたり心配したり、それはいいとして)

執事(突然、今のように無表情で心はここにあらず、という様子になられる事もしばしば)

執事(他には…末妹様の赤いドレスと、次兄様が描いてくれたご主人様の肖像画、同じく末妹様(?)の抽象画)

執事(お部屋の壁に並べて掛けたこれらを眺めながらボーッとされていたり、かと思えば)

執事(雨や風の日、真夜中に、黙って外の様子を見に行かれ、邸内に戻られた際に初めて我々も気付く始末)

執事(……単に寂しさだけが原因とは思えない)

執事(そもそも約束の『二週間後』が近付いているのに……)

執事(ご主人が何を考えておられても、言動にどのような意図があっても、わたくしは従うのみ、とは言え)

執事(何故だかはわからないが、何なのだろう、この気持ち、この感覚)

執事(これが人間の言う『胸騒ぎ』なる物かもしれない……)

456: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 19:09:56.07 ID:wYQp4pPK0
翌朝、商人の家、末妹の部屋。

次兄「入るよ、末妹? おはよ。ついでに姉さんも」ニュイ

末妹「お兄ちゃん、おはよう」

次姉「おはよ……もー、お父さんと兄さんとあんたが取っ替え引っ替えで来るんだから、末妹も疲れちゃうわ」

次兄「昨日よりはずっと元気そうだけど、まだ熱あるの?」

末妹「だいぶ引いて微熱程度なの、昨夜は汗かいちゃったけど、そのおかげで」

次姉「そういうわけだから、取り敢えず出てってくれない?」

次姉「寝間着を替えに来たんだけど、さっきからお父さんも兄さんもあんたも、タイミング悪いったらありゃしない」

次兄「おぅふ」

次兄「それは大いにすまなかった、俺は慎み深い紳士なので即座に席を外しましょう」ソソクサ

次兄「末妹、また後で」

末妹「うん、ごめんねお兄ちゃん」

次姉「次兄が紳士ならこの世に変質者は存在しないわ」ボソ

ドア:バタン

457: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 19:13:01.80 ID:wYQp4pPK0
末妹の声「自分でできるわ、お姉…さん」

次兄(『さん』の前の妙な間はなんだろう)

次姉の声「背中の汗を拭かないと、一人じゃ無理」

次兄(おっとこれでは立ち聞き、紳士失格だ、早く離れなくては)ソロリ

次姉の声「……あんたって、本っっっっ当に『ない』のねえ」シミジミ

末妹の声「…!? や、やだぁ!? 次姉お姉さんだって長姉お姉さんと一歳しか違わないのに」アワアワ

次姉の声「これだけあったら充分でしょ、むしろ私のほうが標準、あっちが規格外なの!」

次兄「こ」

次兄「これが世に聞く……女子同士の会話ってやつですかい?」

次兄「やばい俺の危険察知器官(どこにあるのかわからんけど)が警戒音を発している、マジで離れよう」ッピュー

次兄「……」

次兄「なんか昨日を機に距離が一気に縮まったなあ、あの二人」

次兄「あともうひとつわかったこと」

次兄「俺は人体を構成する部位には軒並み興味が希薄だからよくわからんが……」

次兄「……末妹も、一応『気にしていた』のか……な????」ジブンノムネポンポン

458: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 19:18:40.54 ID:wYQp4pPK0
……

次姉「これでよし、と。少し眠りなさい、お昼近くにまた来るわ」

末妹「ありがと、あの……お姉ちy」

次姉「ストップ!! 部屋を立ち去る直前は禁止!!」

末妹「(ビクッ)は、はい」

次姉(廊下に出たら誰に顔見られるか、わかったもんじゃないからね)

次姉「……じゃ、また後で」

ドア:パタン

次姉「末妹の着替えた寝間着」テニモッテルヨ

次姉「今日は家政婦さんが午後から来る日だっけ、これくらい私が洗濯しちゃえ」

次姉「……洗濯なんて寄宿舎生活以来だから、うちではやった事ないけど……」

次姉「水と石鹸……とりあえずお風呂場、かしら?」

風呂場へ続くドア:ガチャ

??「ぎゃああああああああああ!!??」

次姉「ひゃあああ!?」

461: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 19:24:28.34 ID:wYQp4pPK0
次姉「……ね」

次姉「姉さんじゃないの、朝からここで何やっているのよ」

次姉「あと、悲鳴を上げるのは服を脱いでからでも遅くないんじゃないの?」

長姉「……次姉……」ドキドキ

長姉(くっ、私とドアの間には次姉、背後はお風呂場で行き止まり……し、進退窮まったわ)

次姉「……そう言えば、家族の誰もお風呂場で姉さんとカチ合った事ないわね」

次姉「姉さんがこんなに何日もお風呂を我慢できそうにも思えないし、いつ入浴していたのかしら」

長姉「……」ムゴン

次姉「ま、家政婦さんでしょ? 家政婦さんがうまいことみんなの入浴時間を調整してくれて」

次姉「姉さんが部屋からお風呂場を往復する間も、誰とも会わないように気を配ってくれたのでしょうね」

長姉(……図星)

次姉「全くもう、みんなに迷惑掛けて、何やってんだか、この頑固者の姉は……」フゥ

長姉「……通して」

次姉「?」

長姉「そこ通して、ここから出たいの」

462: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 19:26:46.11 ID:wYQp4pPK0
次姉「まあまあ、ここで私と鉢合わせたのも何かの縁、久しぶりに少しだけ話さない?」

次姉「お父さんや兄さんには黙っておくから、二人とも今日はずっと店舗に出ているし」

長姉「……あんた風呂場に用があったんじゃないの」

次姉「これ洗濯したかっただけだから後でも大丈夫、姉さんこそ」

長姉「……私もこの服を洗いに来ただけよ」

次姉「男物のジャケットじゃない、誰の?」

長姉「誰のでもいいでしょ、あれこれ詮索したいなら何も話したくないわ」プン

次姉「はいはい、わかったわかった。とりあえず、私の部屋にいらっしゃいよ」

次姉「姉さんだって、今日は『聞きたいこと』があるんじゃないの?」

長姉「う」

長姉「……少し、だけよ? あと、話の流れによっては黙秘権を使うからね?」

次姉「はいはい」

……

463: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 20:28:51.22 ID:wYQp4pPK0
次姉の部屋。

次姉「……姉さん知っているんでしょ、きのう西端都市からおじさま達が来ていたの」

長姉「……」

長姉「昨日は図書館に閉館時間までいたのよ、珍しくね」

長姉(幼馴染男は帰宅した方がいいと言ったけど、なんとなくすぐ戻るのは嫌で、図書館に行ったのよね)

長姉(血飛沫を見られないようジャケットは裏返して着たわ)

長姉(それはそれで人から見れば妙な格好だったでしょうね)

長姉「で、夕方に帰って来たら」

次姉「窓から帰って来たのね」

長姉「……なんとなく家の中の雰囲気が変で、家政婦さん捕まえて聞いたら、末妹が熱を出したって」

長姉「あの子は見た目より丈夫だから病気なんて珍しいとはいえ、そんな事だってあるでしょうに」

長姉「またお父さん達は大袈裟に心配するのかしらと思っていたら、家政婦さんが話を続けて」

長姉「おじさま達がいらしていたけど、もう帰られた、って……」

464: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 20:30:04.13 ID:wYQp4pPK0
次姉「で、家政婦さんからはどこまで聞いているの?」

長姉「……5年ぶりに来たのに、すぐ帰られるなんて」

長姉「何があったのか家政婦さんに尋ねても」

長姉「『詳しいことは存じ上げません、ご家族の方にお聞きになられてはいかがでしょう』…の一点張り」

次姉「そうね、彼女ならそう言うでしょうね」

長姉「……」

次姉「聞きたい?」

長姉「……聞く代わりに、一緒に食事をしたり、兄さんたちと話をしろ、って交換条件なら聞きたくない」

次姉「あっはは、姉さん相手にそんな手段は無意味なことくらい知ってるわ」

次姉「無条件で話すし、姉さんが聞いた後に何をするかもしないかも、好きにしたらいいのよ」

長姉「……」

次姉「で、聞きたい?」

長姉「……聞きたい」ポツリ

465: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 22:42:32.86 ID:wYQp4pPK0
…………

長姉「親戚2おじさまと親戚3おじさまが、お母様を好きだったとは……」

次姉「本人達も認めたも同然ね、あの態度は」

長姉「……お父さんを援助してくれた時も、裏にはそんなことがあったなんて」

長姉「しかもあんた、私達が出席したパーティで聞いたのね、なのに今まで知らなかった話だわ」

次姉「姉さんは会場に入ったらすぐ男の人達に取り囲まれて、そのまま踊りに行っちゃうでしょ」

次姉「私は最初に主催者の奥様や、その取り巻きのご婦人がたのグループに挨拶に行ってたの」

次姉「すべてを鵜呑みにする価値はなくても、選別すれば貴重な情報を収集できる機会だからね」

長姉「だけど、後から私にも教えてくれた話の中には覚えがないわ」

次姉「我が家に関係の深い、しかも良くないほうの話は、姉さんに聞かせたくなかったの」

次姉「鵜呑みにしちゃダメって前置きしても、姉さんの中でふるいに掛けたら、印象の強い部分しか残らないんだもの」

長姉「……」プー

次姉「……ごめん」

長姉「いいの、少なくともあんたよりはずっとバカなのは自覚しているもの」

長姉「しかも……末妹にあの二人が」

長姉「私達は家にいなかったけど、5年前に来た時も、8つか9つのあの子相手に……」

次姉「私達と兄さん、それと次兄と末妹、扱いに違いがあったのは姉さんも気付いていたでしょ?」

次姉「訪ねて来たのは5年ぶりでも、家に帰った私達には手紙をくれて、たまにこっそりお小遣いを忍ばせてある時も……」

長姉「うん、兄さんはお金だけ送り返したらしいけどね、五人に公平でなくちゃ受け取れないって」

長姉「それも私達三人が学校を優秀な成績で卒業した(私は実際はインチキだけど)ご褒美だと思っていたわ」

466: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 22:44:16.69 ID:wYQp4pPK0
長姉「なんにせよ、『末妹憎し』だったなんて思いもよらなかったわよ」

長姉「だいたい5年前も昨日も、お父さんにバレることは考えていなかったのかしら?」

次姉「……私達が末妹に嫌味を言う時、お父さんに言いつけるかも、なんて考えた?」

長姉「……」

長姉「考えていたら最初から言わないし、あの子は言いつけたりするような性格じゃないし……」

次姉「あの二人もそう思ったのよ」

次姉「まあ言いつけたとて、お父さんの性格と立場なら『恩人』である自分達には強く出ないという自負もあっただろうし」

次姉「更に言うなら、借金を返し終わったお父さんと繋がりが切れたって、彼等にはなんの損もない」

次姉「兄さんと私達、ううん、最悪、私達二人だけでも味方につけていれば、それで構わなかったんでしょうよ」

長姉「……」

次姉「まだ聞きたいことある? なければ、この話はおしまい」

長姉「あんた、今日は」

次姉「?」

長姉「店を手伝うようになったからあんたは変わったけど、今日はひときわ、なんて言うのかな」

長姉「晴れ晴れとした、というか、身軽になった、って表情なのは、そのせいなの?」

長姉「おじさま達をえーと、ドーナツじゃない、ど…ど」

次姉「もしかして『恫喝』?」

長姉「そう、ドウカツした時に、あんたも色々な物が、吹っ切れちゃったの?」

長姉「不満も寂しさも悔しさも……」

次姉「……」

467: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 22:46:17.90 ID:wYQp4pPK0
次姉「私は不満も寂しさも悔しさも、違う物に置き換えることができたわ」

次姉「結果的に、だけどね。気が付いたら、それらのあった場所に違う物が置いてあったの」

次姉「もちろん、小さな不満や寂しさや悔しさは、まだあるわ」

次姉「完全に消えはしない、でもそれは誰だって持っているの、兄さんも次兄も、末妹も、お父さんも」

次姉「それなら、誰でも持っているような物に振り回されて暮らすのは、なんだか……勿体なく思えて」

長姉「勿体ない……?」

次姉「ええ、時間も、私自身も」

長姉「……あんたはいいわよ。才能も生き甲斐もあるもの、それを見つけたんだもの」

長姉「私にはなんの取り柄もない、誰かに必要とされる価値もないもの」

(幼馴染男「君は……」)

(幼馴染男「…美しいことが大切な役目」)

長姉(って、なんで今こんなこと思い出すのよ!?)

次姉「……そうかしら」

次姉「私は姉さんがそばにいただけで、何度も救われたわ、今でも感謝しているのに」

長姉「」

長姉「かかか、感謝しているくらいならなんで……」

長姉「なんで、あんたは私を置き去りにするのよ……」ポロ

次姉「姉さん」

長姉「どうして、私を置いて、どんどん先に行っちゃったのよお……」ボロボロ

次姉「ちょ、泣かないでよ」アタフタ

468: ◆54DIlPdu2E 2015/05/10(日) 22:49:04.24 ID:wYQp4pPK0
長姉「寂しかった、寂しかったの、あんたが私のそばにいてくれない事が、何より寂しかったの……!」グシグシズビー!

次姉「ね、姉さん、ジャケットで鼻かまないの!?」

次姉「しかもさっき洗濯するとか言ってたジャケット……誰のなのよ本当に」

長姉「次姉のバカ、冷血女……嫌いよ、嫌い!」グスグス

次姉「嫌いとか言いながら、なに私にしがみついてんの」ヨシヨシ

長姉「うえっく……ぐす、ぐしゅ……」

次姉「……姉さん?」

次姉「……放ったらかしにして、ごめんね?」

…………

次姉「……落ち着いた?」

長姉「……うん」グスッ

次姉「焦らなくてもいいけど、姉さんがこれから何をしようと、私は味方。約束する」

次姉「あまりにも酷すぎる場合は除くけど、そうなっても私は愛を持って接するからね?」

長姉「……うん、ありがとう」

長姉「あのね、今は…もう少しだけこのまま見守っていて欲しいの」

次姉「ふんふん」

長姉「……私だって、次姉みたいに前を向きたいけど」

長姉「そのために必要な『何か』が、あんたとは違うと思うから」

長姉「だから、それを探すのを邪魔しないで、結論を急がせないで?」

次姉「わかった。もし私にできる事があれば協力するから」

471: ◆54DIlPdu2E 2015/05/11(月) 23:30:30.36 ID:2W7NvU5o0
その日の午後、商人の家の居間。

商人「……このお金は何だい、次姉?」

次姉「私と姉さんの二人だけが、親戚2おじさまと親戚3おじさまに貰ったお小遣い……と、同額のお金」

次姉「金額はそのつど日記に付けていたのを確認したから、間違いないわ」

長兄「長姉がよくこれだけの金額を出せたな」

次姉「姉さんの分は私が立て替えています」

次姉(姉さんは手持ちのアクセサリーでも売らない限り、現在ほぼ文無しだからね)

次姉「親戚1おじさまが設けてくださる席で、お父さんからお返しして欲しいの」

長兄「二人分ならけっこうな額だと思うが、まだそんなに持っていたのか」

次姉「結果として、私のヘソクリ残額は銀貨3枚になったわ」

商人「……」ウーム

次姉「お父さんの立場を少しでも弱くする要素は、可能な限り排除した方がいいと思うんだけど」

商人「お前達が彼等を信頼して、可愛がってもらったことは、恥じる事ではないと私は思うが……」

次姉「……」

472: ◆54DIlPdu2E 2015/05/11(月) 23:33:47.75 ID:2W7NvU5o0
次姉「私達可愛さで、と二人が言っていたのは嘘ではないと私も思うし」

次姉「手紙や、掛けてもらった優しい言葉まで、なかった事にするつもりはないわ」

商人「うむ、それでは、こうしよう」

商人「柔らかい物腰だろうと、その場で目に見える形で『突き返す』のは場の雰囲気を荒立てる」

商人「だから、私はお前達の意思だけを伝えようと思う、これだけはお返ししたいと言う、ね」

商人「お金の行き先は、全てを話し合った末に決まるだろう」

商人「彼等と話し合う場には持って行かないが、決まるまでこのまま父さんが預かろう」

次姉「……わかった。お父さんに任せます」

長兄「じゃあ、俺が金庫に入れて来るよ」

商人「ああ、では金庫の鍵を……」ゴソゴソ

長兄「俺も持っているよ、大丈夫」

商人「……私の鍵は、誰が持っていてくれているんだい?」

長兄「……えっ?」

次姉「?」

473: ◆54DIlPdu2E 2015/05/11(月) 23:35:38.84 ID:2W7NvU5o0
そのころ、末妹の部屋。

次兄「末妹、入っていい?」コンコン

末妹「うん、どうぞ、お兄ちゃん」

次兄「失礼します」シュルン

次兄(裏声)「さて、お加減いかがでしょうか、末妹様?」

末妹「……メイドちゃんの声真似じょうずね、驚いちゃった」

末妹「お昼過ぎからまた少し眠って、さっき目が覚めたんだけど、もうすっかり良くなったみたい」

末妹「自分ではもう起きてもいいと思うけど、次姉お姉さんもお父さんもまだ駄目だって……」

次兄「俺だって駄目だと言うよ?」

末妹「……そうよね」フゥ

次兄「とは言え回復具合を考えると、そろそろ退屈している頃と思われます」

次兄「少し話をしていい? 疲れない程度で引き揚げるけどね」

末妹「いいわ」コクリ

次兄「んじゃ、あまり時間をかけたくないので手っ取り早くね」

次兄「お前さ、また野獣様の屋敷に行くという意思はある?」

末妹「うん、帰りの魔法が使えるようになったら、すぐにでも!」

次兄(裏声)「即答ですのね」

末妹「だけど、お父さんにはまだ話をしていないの」

末妹「お父さんが元気になったと思ったら、私がこんななっちゃって」

次兄「……そうだな、今日や明日に切り出しても、許可を得られない可能性が高い」

次兄「しかし、ま、末妹の意思が確認できただけでも収穫があった」

474: ◆54DIlPdu2E 2015/05/11(月) 23:37:30.10 ID:2W7NvU5o0
次兄「お前が父さんに付き添ってた間はそんな話ができなかったからな……」

次兄「次にどうするかは明確になった、お前が全快したら二人で今後の事を相談しよう」

次兄「だから、明日の朝まで充分に静養して回復に努めるがよろし」

末妹「……やっぱりお兄ちゃんがいると心強いな」エヘヘ

次兄「……」

次兄「5年前の事、気付いてあげられなくて、ごめん?」

末妹「え……」

末妹「お兄ちゃんが謝るようなことじゃないわ」

末妹「……私、誰にも知られちゃいけないと思って、隠していたもの」

末妹「悲しかったのと同じくらい、自分が悪い事には違いないって思い込んでいたし……」

次兄「お前が悪いなんて、そんな」

末妹「でも、野獣様は、それは理不尽だって教えてくれたの」

次兄「……野獣様が?」

末妹「踊りながら、お話をした時よ」

次兄「あの舞踏会の夜か」

475: ◆54DIlPdu2E 2015/05/11(月) 23:39:17.03 ID:2W7NvU5o0
末妹「だから、昨日だって頑張れた」

末妹「お母様が守ってくれて、お兄ちゃんもお父さん達も私を理解してくれるって、信じる事ができた」

末妹「お姉さんが来てくれるまで、自分に負けないで頑張れた」

末妹「野獣様がその勇気をくれたの」

末妹「……情けない事に、体のほうが心より先に折れちゃったけどね」

次兄「……」

次兄「そっか」フヘヘヘヘ

次兄「偉いよ末妹、立派だよ。褒めてつかわす」ナデ

ナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデ

末妹「ちょ、お兄ちゃん」

末妹「そんなに頭なでられたら、擦り減ってますます背が縮んじゃう……」

次兄「今のうちに一生分なでておきたいんだ、おとなしく従いなさい」ナデナデナデナデ

末妹「……変なお兄ちゃん」ナデラレナデラレ

次兄「変なのは今に始まった事でしょうか、いや、ない(自覚はあります)」ナデナデナデナデ

次兄(兄が知らない間に妹は大人になって行くんだなあ、嬉しいような寂しいような)ナデナデナデナデ

479: ◆54DIlPdu2E 2015/05/16(土) 19:59:36.00 ID:XPlAUfRd0
いっぽう、安宿の一室。

師匠「……鏡の魔法で、あいつの屋敷とこの町の雑貨屋を交互に覗いて来たが」

師匠「あいつ…『野獣』と名乗る『王子のなれの果て』と、図書館で会った少年とその妹に、面識があるのは間違いない」

師匠「肝心のあいつ自身が何を考えているかはいまいちわからんが」

師匠「ウサギのメイドはじめ、あいつに仕える動物達は兄妹との再会を心待ちにしているようだ」

師匠「そしてどうやら兄妹の方も、『野獣』達に再び会う事を望んでいる」

師匠「……言葉を話す『獣』達」

師匠「屋敷で共に暮らす4匹の獣達に使われた魔法」

師匠「呪文を組み合わせて使う方法はひとつではないが、いずれにしても」

師匠「例えば…此方にある物をあちらに移動させるような単純な効果とは、まるで訳が違う」

師匠「物の在りようを変えてしまうのだからからな」

師匠「しかし在りようを変えられた物は元の姿に戻ろうとする、その力は地味なれども強い」

師匠「仮に、意思のある生き物が変化した姿で在り続けることを望んでも、一切お構いなし」

師匠「従って(術者の生存中はともかく)、術者の死後まで効果を維持するには強大な魔力が必要になる」

師匠「我ら魔法ギルドの魔術師集団が、王子とバラと屋敷に掛けた魔法のように……」

師匠「問題は……あいつはそれをどこまで理解しているか、だ」

480: ◆54DIlPdu2E 2015/05/16(土) 20:00:44.22 ID:XPlAUfRd0
師匠「王子の能力が並外れているとは言え、そこまでの力は持ってはいない筈」

師匠「おそらく奴の命が尽きれば、人語を解し二本足で歩き、異種同士が仲良く助け合うあの獣達は」

師匠「魔法を掛けられていた間の事も忘れて、元に戻ってしまうだろう、単なる森の野生動物に」

師匠「……」

師匠「だがな、そうなったとて」

師匠「元々野生だった獣が、飼い主の管理下から再び森に放たれるだけ、それだけだ」

師匠「4匹とも今さら野生に帰って生き延びる事ができるとも思えんが、たかが獣ではないか」

師匠「儂の知った事では……」

師匠「………………」

師匠「……全く無責任な『主人』だな、どこまで情けないのだ我が元弟子は!?」

師匠「ペットであろうと召使であろうと、一旦引き受けたからには相手の一生に責任を持たんか!!」プンスカ

師匠「……」

師匠「この時代に目覚めるまでは想定もしていなかった」

師匠「…何より儂が30年も目覚める時を間違えてしまったのが一番でかいが……」

481: ◆54DIlPdu2E 2015/05/16(土) 20:01:54.01 ID:XPlAUfRd0
師匠「その30年間もの長い間、あいつがあの変化した姿で生き続けていたこと」

師匠「そして『あの姿』のあいつを慕う存在が現れたこと」

師匠「召使の動物達と、人間の子供達……雑貨屋の年端も行かぬ末娘と、すぐ上の兄」

師匠「鏡を通して様子を伺うだけではなかなか掴めないが」

師匠「……我々が昔かけた魔法に、なんらかの変化が起きている可能性もなきにしもあらず」

師匠「覗き込むだけではない、違う方法を使えば探りを入れる事もできるのだが」

師匠「あいつに儂の魔力を、儂の存在を覚られないようにするのは、ちょっと困難だろうな……」

師匠「だが、バラの呪縛の件に決着が付けば、儂もあいつにどう関わろうと自由だ」

師匠「獣達の処遇だけではない、今後のあらゆる事をもっと真剣に考えさせねばならん」

師匠「屋敷や森から外の世界へ行き来可能な身になったあいつに、この時代であちこちに迷惑を掛けられてもたまらんからな」

宿の鏡「……」シーン

師匠「……思った以上にもどかしいものよ」

師匠「ギルドの魔術師仲間と『王子には直接関わらない』という契約を交わし、覚悟の上でこの時代に来たとは言え」

師匠「決着が付くまで、見守る事しかできないとは……」

482: ◆54DIlPdu2E 2015/05/16(土) 20:28:16.64 ID:XPlAUfRd0
商人の家、居間。

長兄「……と、これが今の状況だ。で、末妹はどうだ?」

次兄「兄さんが見た時とあまり変わらないと思うよ、順調に回復している」

次兄「……それで、父さんがどよーんとしている理由は」

次兄「確認のため繰り返すけど、父さんと兄さんしか持っていない我が家で一番重要な金庫の鍵を紛失した、と」

次兄「肌身離さず持っていた鍵がないことに気付いたのは、ついさっきの話だが」

次兄「てっきり、自分が正気ではない間に、次兄か次姉が鍵を預かってくれていると思い込んでしまった、と」

次兄「で、紛失したことと、今の今までそれに気付かなかったことにショックを受けて」

次兄「更に、これからは家族のために以前以上にしっかりせねばと決意した反動もあって、余計落ち込んでいると」

次兄「……整理すると、こういうことだよね?」

商人「ああああああああああああああああああああああああああ」アタマカカエテミモダエ

次姉「傷口に塩と辛子と胡椒と酢を塗り込んでどうするのよ!?」ゲシッ!

長兄「……父さんが何だかスパイシーなマリネにでもされそうだな」

長兄「次兄はデリカシーに欠ける発言を慎むべきだが、事実は事実、認識した上で対策を講じないと」

長兄「合鍵を作るのは簡単だけど、念のため金庫の錠前ごと交換した方が安全だと思う」

商人「……私も賛成だよ……」フラァ

483: ◆54DIlPdu2E 2015/05/16(土) 20:52:41.47 ID:XPlAUfRd0
商人「肌身離さず持ち歩くため、靴の内側に専用のポケットを作った」

商人「自分の家以外で靴を脱ぐことはまずないし、逆立ちでもしなければ鍵は落ちない構造になっていて、安全だと思った」

商人「それを失ったということは、恐らく、いや、疑いようもなく、私は港で鍵を紛失したのだと思う」

商人「海に飛び込んだ時にね……」

長兄「……」

商人「そうなると、港の海底の泥に埋まっている可能性が最も高いが、もしも……」

商人「港で救助してくれた人達を疑いたくはないけれど、仮に彼等に悪意はないとしても」

商人「私の手元にない以上、悪意のある人間の手に渡っている可能性がないとも限らない」

商人「その人物がこの家の重要な鍵だと気付かないという保証もない」

商人「……少しでも危険性がある以上、錠前も鍵も取り換えるべきだ」

次姉「でも、うちの金庫の錠前はかなり特殊で複雑な作りをしているんでしょ?」

次姉「この町の錠前屋さんで大丈夫なの?」

長兄「あれを作った時は、父さん馴染みの錠前屋を通して、王都の職人に依頼したんだ」

長兄「今回もその方法になるだろう、いいよね、父さん?」

商人「それしか方法はないからね……日数はかかってしまうが、仕方ない」

長兄「それじゃ、さっそく行ってくるよ」

484: ◆54DIlPdu2E 2015/05/16(土) 21:11:26.05 ID:XPlAUfRd0
商人「待て、私が行くよ」

商人「錠前屋は…彼は私のここ最近の事情も知っている友人だ、失くした状況も説明した上でお願いをする」

商人「お前達ばかり頼りにしていては申し訳ないし」

商人「頭を抱えて沈み込むのは、さっきまでの30分間でもうやめにした」

商人「それに、せっかく病気が治った末妹に、また暗い顔を見せるわけには行かないだろう?」

長兄「父さん」

商人「ここ一週間ほどで、弱くて情けない駄目な自分と向き合ってきたつもりだったが、まだまだ足りなかったようだ」

商人「この先もまた、今はまだ気が付いていないだけの、向き合う場面に出くわすかもしれないが……」

商人「その度にいちいち落ち込んではいられないからな」

次姉「……お父さん」

次兄「」

商人「……それより、次兄は大丈夫かい? 次姉の足元に突っ伏したまま動かないが」

次姉「ハッ」

長兄「そ、そうだった、おい次兄しっかりしろ!?」

次姉「……だいぶ自制が効くようになったと思っていたけど」

次姉「私も、この反射的に手や足が出る自分ともっと向き合わないと……」

485: ◆54DIlPdu2E 2015/05/16(土) 22:44:08.60 ID:XPlAUfRd0
翌早朝、商人の家の馬小屋……

商人「さて愛馬よ、今日のご機嫌は……」

馬「ひひひんひんひひひ(おはよう旦那様)」

末妹「おはよう、お父さん」

商人「末妹!?」

商人「お前の様子を見に行くにはまだ早すぎる時間と思っていたが……こんなに早起きをして」

商人「しかも病み上がりなのに、外の仕事かい!?」

末妹「私もう大丈夫よ、昨日の午後にはほとんど治っていたもの」

末妹「それに、いっぱい寝すぎて早く目が覚めちゃった」

末妹「外の空気が吸いたくなって、この子(馬)の世話をしに来たのよ」

商人「確かに顔色もいいし元気になったのは認めるが、あとは父さんがするよ、中に戻りなさい」

末妹「でも」

次兄「よう末妹、ここにいたのか。父さんも、おはよう」

486: ◆54DIlPdu2E 2015/05/16(土) 22:46:18.76 ID:XPlAUfRd0
末妹「お兄ちゃん」

商人「!? い、いったいどうしたんだ、次兄がこんなに朝早く自力で目を覚ましているなんて!?!?」ガクガクブルブル

次兄「天変地異でもあるまいに、そのリアクションは大袈裟だ父さん」

次兄「昨日は気絶から部屋に運ばれてそのまま眠ってしまったらしく、13時間も経てば流石の俺も目が覚める」

末妹「気絶??」

次兄「おっと、なんでもないからね」

次兄(鍵を失くした話は父さん自ら追い追いする予定だし、姉さんに拳骨でぶん殴られた話は騎士の情け(?)で黙っておこう)

商人「……ちょうどよかった、次兄、末妹を連れて家に入っておくれ」

次兄「そうだね、まだ無理はさせられないからね。おいで」

次兄「朝食まで暇だったら、少し『あの話』をしよう」ボソ

末妹「あ……わ、わかったわ」ボソ

末妹「また後でね、お父さん、馬さん」

商人「ああ、朝ごはんの席でね」

馬「ひひんぶるるひん(またねお嬢さん)」

492: ◆54DIlPdu2E 2015/05/21(木) 23:51:38.33 ID:atj23C6N0
……回想。

魔術師ギルド幹部…以下「幹部」

(幹部1「結局、王子の扱いについては今の時点では決められないということか」)

(幹部2「暗殺依頼の最低限の成功条件は王と王妃のみ、後は魔術師ギルドの裁量に任せる、との一文もある」)

(幹部3「依頼人達の中にも、王子には同情する意見が少数ながらあったそうだ」)

(幹部3「先の一文は最終的に全員が合意したそうだが」)

(師匠(=幹部4)「……」)

(幹部1「幹部4、正式ではないとは言え自分の弟子も同然だから複雑なのはわかるが、今さら私情は挟むなよ?」)

(幹部3「……やはり君は外れた方がよいのでは?」)

(師匠「いや、暗殺依頼は別にしても、あいつは禁忌を習得した件の責任を負わねばならん」)

(師匠「それに…王が死ねば王族寄りの貴族達は黙ってはいないだろう」)

(師匠「王子だけ生きていると知った時の彼等が、どのように動くかは想像がつく」)

(師匠「王子も公式には『死んで』貰わねばならない事に変わりない」)

(師匠「……あいつが禁忌を実際に使用するか、罪の意識はあるのか、それにも左右されるがな」)

(師匠(いずれにせよ、こうなってしまっては図書館の娘と平穏に暮らせる未来だけは与えてやれそうにない……))

…………

493: ◆54DIlPdu2E 2015/05/21(木) 23:53:47.36 ID:atj23C6N0
…………

(師匠「お前を信用して明かすが、王子は、本当は死んではいない。だが、お前とは永遠に会えなくなった」)

(図書館の娘「……!!」)

(師匠「……儂をいくら責めても良い。だが、どうかお前には自分の幸福を掴んで欲しい」)

(師匠「それがあいつの願いでもあるはずだ」)

(図書館の娘「王子様は…遠いところにいらっしゃるのですね。そこで生きて行かれるのですね?」)

(師匠「あ、ああ……そういうことになるな」)

(図書館の娘「そのほうが安全で平穏に暮らせるのならば、私も遠くから王子様の幸せを祈って暮らすことにします」)

(図書館の娘「元々、王子様と私のような卑しい身分の娘では、結ばれるなどとは望む事も許されないこと」)

(師匠「……」)

(師匠(お前のその『物分かりの良さ』に救われたと思っている儂は、つくづく最低だと自分でも思う……))

(図書館の娘「それでも私は」)

(…………)

師匠「『それでも私は』」

師匠「……その後、あの娘はなんと言葉を続けたっけな……」

494: ◆54DIlPdu2E 2015/05/21(木) 23:55:07.70 ID:atj23C6N0
商人の家、末妹の部屋。

次兄「野獣様が俺達を送り出す時に話していた『二週間』まであと五日となったわけだが」

次兄「今日1日くらいは、お屋敷に戻る話を切り出さない方がいいと思うんだ」

末妹「でも、そうなるとお父さん達を短い日にちで説得しないとならなくなるわ」

次兄「まあ……こうなっては五日後にすぐ戻れない覚悟も必要かもしれない」

次兄「俺だって、早く野獣様達に会いたいけどね」

次兄「と同時に、父さん達を納得させる手立ても講じなければならないだろう」

次兄「だから、今度は向こうでの滞在期間を限定して『○日後に家に帰ってくる』と父さんに約束をするんだ」

次兄「家族と約束したと言えば、野獣様も当然、その期日を守ってまた俺達を家に帰してくださるだろう」

末妹「お父さんが信じてくれるかしら……」

次兄「そう、そこで、野獣様がいかにジェントルマンで誠実なお方かをアピールしなくては」

末妹「……私達が行き来するために野獣様に魔法の力を使わせて」

末妹「本当にご迷惑にならないのかな」

次兄「そこをためらうか妹よ!?」ヌババーン

末妹「そ、そうじゃないの、ただ……もっと野獣様に負担をかけずに済む方法があれば、って思っただけ」

495: ◆54DIlPdu2E 2015/05/21(木) 23:56:01.32 ID:atj23C6N0
末妹「……あと、お兄ちゃんのその不思議なポーズの意味がわからない」

次兄「……うむ、これは確かに奇抜すぎたか」

次兄「この体勢は見た目以上に本人は苦しいのだ。やっぱり楽な姿勢に戻そう」シュピン

末妹(だからその理由は、って疑問を持っては駄目なのよね、きっと……)フゥ

次兄「とりあえず、既にかけてもらった魔法で屋敷を再び訪れた後は」

次兄「また家に帰るため、最低一回は野獣様に魔法を使っていただかねばならん」

次兄「それはやむを得ない所だが、ここでひとつ兄ちゃんには考えがある」

次兄「帰還するための魔法は、大量の魔力を使い、しかも使用時は集中しなければならないと仰ってた」

次兄「それに比べ、鏡の魔法は……もう少し気軽に使っていたようなフシがないか?」

末妹「そう言えば……」

次兄「んで、一度呪文をかけた鏡は、同じ合言葉を使うだけで双方向にできるとも仰っていた」

次兄「……だから、野獣様に再会した時、俺からある提案を持ちかけようと思う」

次兄「鏡の魔法の合言葉を教えてもらって、自分の家にいながらお互い様子をやり取りできるようにするのだ」

末妹「!」

次兄「初めは野獣様たちと文通ができればと思っていたが……」

496: ◆54DIlPdu2E 2015/05/21(木) 23:57:16.63 ID:atj23C6N0
次兄「まともにあの屋敷へ行きつく道もなければそんな場所へ手紙を運んでくれる郵便屋もいそうにない」

次兄「手紙の行き来にも魔法を使うしか手段がなさそうなら、鏡を使っても同じこと」

次兄「おまけにお互いの顔を見ながら会話ができるんだ」

次兄「通信手段として実に斬新」デンワモナイジダイデス

次兄「これならいつでも話せるし、お互いの今の様子を知ることもできる」

次兄「しかも、野獣様の魔力も(たぶん)無駄に大量消費しなくて済む(と思われる)」

次兄「末妹が家を空ける回数や時間が少なくなれば、父さんも安心するよ」

末妹「お兄ちゃんすごい……鏡の魔法を使うなんて考え付きもしなかった」

次兄「もちろん、野獣様がこの提案に賛同してくれるかどうかだけど」

次兄「お互いの良い関係を築くために努力することには、それだけでも意義があると思う」

末妹「……お兄ちゃんが一緒に野獣様のお屋敷にいてくれて、本当によかった」

次兄「ああ、俺達は同志だ。野獣様と友達になりたい同盟の同志だ」

次兄「ともに頑張ろう!!」

末妹「うん!!」

次兄(末妹は純粋に、俺は欲望を過積載という、些細な違いはありますけどね)

497: ◆54DIlPdu2E 2015/05/21(木) 23:58:23.37 ID:atj23C6N0
……

…………

誰も覚えていない話。

小国の王の別荘、森の中の、機械仕掛けの屋敷。

師匠「……王子よ。我が弟子よ。お前は既に200年の眠りの中にいるが、この声だけは聞こえるはずだ」

師匠「これから話す内容は、お前が再び目を覚ました時には記憶から消えてしまう」

師匠「そして、お前のバラの呪縛が解ける時に、再び思い出すだろう」

師匠「目覚めたお前は恐らく……まともにヒトの姿はしていないはずだ」

師匠「その姿でお前は呪縛から解放される日まで生きていかねばならないが」

師匠「解放されたお前は人間の姿に戻る」

師匠「と同時に、異形の姿で過ごした日々を失う」

師匠「……正確には、完全に忘れはしないけれど」

師匠「その日々を『自分の実際の体験』とは思わずに、『長い夢を見ていた』と認識するだろう」

師匠「王子ではない姿で過ごした日々が、何年だろうと、何十年だろうとな」

498: ◆54DIlPdu2E 2015/05/21(木) 23:59:53.22 ID:atj23C6N0
師匠「それがお前にとって、その時お前の傍にいる『誰か』にとって」

師匠「喜びとなるか、新たな試練の始まりとなるかは……お前次第だ」

…………

南の港町、いずれ図書館となる魔法ギルド地方支部の地下。

(魔法使い1「……確認ですが、先生はご存知ですよね?」)

(魔法使い1「190年後に目覚めて、王子が生きている時代に一緒に存在するからには」)

(魔法使い1「王子と同様に『あの話』を、先生もお忘れになる、ということを」)

(師匠「ああ、王子が呪縛から解放される時までは、儂も完全に忘れ去っていると、充分にわかっておる」)

(魔法使い2「その時が来れば、場合によっては、先生も辛い思いをされるかもしれませんね……」)

(師匠「儂の精神はそこまでヤワではないわ」)

(師匠「あの愚か者が『自由』と共に何かを得るのか、引き換えに何かを失うのか、全てあいつ次第」)

(師匠「そして、その日が来れば儂がどう関わろうとも、それももう自由だ」)

(師匠「儂はあいつを見守り、場合によっては色々叩き直してやらねばならんかもしれん」)

(師匠「……この会話も、儂は190年後には忘れているのだろうな」)

…………

今は、誰も覚えていない話……

501: ◆54DIlPdu2E 2015/05/24(日) 21:40:03.15 ID:FmxrVQVg0
次兄の部屋。

鉛筆:カキカキ……

次兄「うむ、お土産にする絵はこんなもんかな」

次兄「束ねて、汚れないように軽く包装して、忘れないうちに鞄に入れておこう」ガサガサ

次兄(……ここから独り言を無音にします)シー

次兄(机の上に残った絵は、お土産用の絵を描く際の余った勢いで内面より湧き出すごとく紙に叩きつけられた……)

次兄(完全なる個人的な趣味の絵です!)デデーン

次兄(今は裏向きに伏せてあるから鏡の魔法でも見つかりません…たぶん)

次兄(こちらは野獣様や執事さん、いや末妹にさえ見られてはならない)

次兄(これ以上人格を疑われては、さすがに……)

次兄(鍵のかかる引き出しにこのまましまっちゃいましょう)ゴソゴソ

次兄(これだって、対象や方向性や発散方法が違うだけで若者にはありがちな現象と言えない事もないと信じたい)ガチャガチャ

次兄「……さて、お昼ごはんの時間だなあ」ノビー

次兄「そして午後からは末妹と交代で店の手伝いだ」

次兄「父さんの心証アップ狙いは否めないが、何より末妹が昨日の今日で俺一人遊んで過ごすわけにも行かないからな」

502: ◆54DIlPdu2E 2015/05/24(日) 21:41:42.92 ID:FmxrVQVg0
安宿の一室。

師匠「ふむ、あの少年の鉛筆は絵を描くために使われた物か」

師匠「動物の……あいつの屋敷の動物達と獣の姿をしたあいつの絵ばかり」

師匠「芸術はさっぱりだが、少年にしてはかなりの腕前のようだな」

師匠「……時々、机の下に潜って他にも描いていたらしい様子もあったが」

師匠「妹の方はすっかり元気になったようで、朝から働いている」

師匠「それが嬉しいのか、今朝、黒髪の姉が心底からの良い笑顔で妹の頭を撫でていた」

師匠「……兄弟姉妹とは良いものだな、儂もあいつも一人っ子だが」

師匠「しかし、もう一人の姉はと言えば……」

師匠「ん、ちょうどその姉の部屋に家政婦が昼食を運んできたようだな」

商人の家、長姉の部屋。

部屋のドア:……

長姉「昼食の時間……この足音……家政婦さんね」ドアニヘバリツキー

部屋の外の家政婦(さて、いつも通りお盆をドアの前に置いて、っと)

部屋のドア:バッタン!!

家政婦「」

長姉「び、びっくりさせちゃった?」

503: ◆54DIlPdu2E 2015/05/24(日) 21:45:24.47 ID:FmxrVQVg0
家政婦「……長姉様」

長姉「あ、あ、あの、家政婦さん、いつもありがとうね!?」

長姉「に、兄さんの言いつけだとわかっているけど、私のために余分な仕事を増やさせて」

長姉「言いつけ以上に気を遣ってくれているのも知ってるわ、だから本当はずっと……かかか、感謝してたのありがとう!」

家政婦「……」

長姉「……でも、もう少しだけ、この生活を続けるから……」

長姉「もうしばらく…迷惑もかけ続けます、ごめんなさい……」

家政婦「……長姉様ったら」

長姉「は、はいっ!?」

家政婦「なんなんですかいきなり、面白いお方ですねえ本当に」クスクスクス

長姉「」

家政婦「お昼ごはんが冷めてしまいます、はい、温かいうちに召し上がってくださいね」テワタシ

長姉「は、はい、いただきます!」ウケトリ

家政婦「では、また後ほど……」

長姉「……」オボンモッタママ

長姉「家政婦さん、笑うんだ……今まで見た事なかった」

504: ◆54DIlPdu2E 2015/05/24(日) 21:46:08.66 ID:FmxrVQVg0

※読んでくれてありがとうございます。今回はここまで、短くてすみません※

506: ◆54DIlPdu2E 2015/05/29(金) 01:05:19.10 ID:f76a8VDW0
商人の家、居間。

商人「金庫の新しい錠前と鍵もあと10日ほどで届くだろう」

商人「それまで1本だけの古い鍵は引き続き長兄が持つ」

商人「新しい鍵は私と長兄、そして次姉にも管理してもらうことにした、だから合計3本だ」

商人「次姉ももう一人前だからね」

商人「本人は最初まだ自分には早いと言ってたが、私と長兄と3人で話し合った結果、最後は承諾してくれたよ」

商人「……と、ここまでが今お前に話せることだ」

商人「私が鍵を失くしたと聞いた時は心配しただろう、だが、こうして家族が支えてくれる」

商人「父さんまだまだ頼りないけど、皆のおかげで頑張れる」

商人「お前のためにも、もっと強く前向きな父親にならないとね」

末妹「……」

末妹「よかった、お父さんが(また)気落ちしているんじゃないかって思っていたの」

507: ◆54DIlPdu2E 2015/05/29(金) 01:06:28.15 ID:f76a8VDW0
商人「全く落ち込まないのは無理でも、立ち直るまでの時間は格段に短くなったね」

商人「……って次兄に言われたよ」

末妹(お父さんに面と向かって言うあたりどうかなって思うけど、お兄ちゃんお世辞を言えない人だからきっと本当ね)

末妹「今お父さんが元気なら、私は何も心配しないわ」

商人「お前も顔色がいいし、すっかり体の具合もよくなったようだね。安心したよ」ナデナデ

末妹「……今朝、次姉おねえさんにも同じこと言われてめいっぱい頭なでられたの」

末妹「昨日のお兄ちゃんといい、本当に擦り減っちゃったらどうしよう私……」

商人「はっはっは、父さんは正直、今のままでいて欲しいけど」

商人「何しろ成長期だからな、しっかりごはん食べてよく眠ったらどんどん大きくなるさ」ナデナデ

末妹「だといいけど……」

末妹(早く背が伸びたらいいのにな)

末妹(今のままじゃ、本当に野獣様の半分しかないんだもの……)

……


508: ◆54DIlPdu2E 2015/05/29(金) 01:07:36.65 ID:f76a8VDW0
野獣の屋敷、野獣の部屋。

鏡「デスッテヨ」

野獣「末妹も元気になったな、もう心配なさそうだ、よかった」

野獣「…次にあの顔を曇らせるのは、間違いなく私だが……」

鏡「キョウハオヒトリデスネ」

野獣「?」

鏡「シツジサンタチハイッショニゴランニナラナイノデ?」

野獣「……」

鏡の覆い布:バサリ

鏡「」

野獣「我ながら未練がましいものだ」

野獣「終わりが来るのを知っているのに、いや、私自身の手で終わらせようとしているのに」

野獣「まだ何も知らずに幸せそうな末妹の姿を、少しでも多く記憶に刻みつけておきたいとは……」

509: ◆54DIlPdu2E 2015/05/29(金) 01:09:53.31 ID:f76a8VDW0
商人の店。

呼び鈴:チリンチリン

次兄「いぃりゃっしゃああせえぇぇい!!」

常連客(ビクッ)

次姉「次兄、変な声出さないの、真面目にやりなさい!!」

次兄「ふざけていません、大真面目ですー!」ナミダメ

次姉「……ええ、そうね、引き籠りで人見知りのあんたに慣れないことをさせるほうが悪いわね」

次姉「お客様のお相手は私がするから、できるだけ口をきかないで、私に言われたことだけやってなさい」

次兄「畏まりましたお姉様……」

常連客「……珍しい組み合わせだねえ、今日は君たち二人かい」

次姉「弟が自分から店を手伝うと言い出したので、姉としては応援したい所ですけどね」

次姉「お客様がいらっしゃる度、第一声で驚かせてしまうので……」

常連客「次兄くんは内気な子だから緊張してしまうんだろう、確かにちょっとびっくりしたが、気にしていないよ」

510: ◆54DIlPdu2E 2015/05/29(金) 01:11:16.86 ID:f76a8VDW0
常連客「ところで、末妹ちゃんの具合はまだ悪いのかね?」

次姉「いいえ、お陰様ですっかり元気になって、午前中は店にも出ていました」

次姉「大事を取らせて午後から次兄と交代させているだけです、ご心配おかけしました」

常連客「そうか、それなら安心だ」

常連客「さてと、いつもの石鹸を三つと……ランプのホヤを一ついただこうかな」

次姉「ランプのホヤですか、あちらの棚にサイズが三種類ありますが?」

常連客「いちばん大きいやつを」

次姉「次兄、大きいホヤを取って」

次兄「これだね? よっ、と……」

次姉「あああ、あんたは背伸び程度じゃ無理、踏み台があるでしょう!?」

次姉「ちょ、限界まで背伸びするから足が攣ってるじゃないのバカなの!?」

次姉「その棚は割れ物が多いから寄り掛からないでぇ!! あああああ!!」

(数分後)

次姉「……ふうぅ、なんでランプのホヤ一つ割らずに取ってもらうだけで、こんなに疲れなきゃならないの……」

常連客「……なんだか申し訳なかったねえ」

511: ◆54DIlPdu2E 2015/05/29(金) 01:12:26.40 ID:f76a8VDW0
次姉「いいえ、私の判断ミスでした。私が監督責任者として至らなかったのです、ええ、そうですとも、ええ」

次兄「……ごめんなさい」

常連客「ありがとう、それじゃ帰るよ。商人さんにもよろしく伝えておくれ」チリンチリン…

次兄「まいどありぃ……」ペコリ

次姉「……ったく、結局、品物は無事だったからよかったものを、あんたって子は!!」

次兄「ごめんなさいごめんなさい! 反省してるから殴らないで蹴らないでええ!!」オドオドビクビク

次姉「……」

次姉「殴る蹴るは(一応)封印したから、代わりにほっぺでもつねろうと思っていたけど」

次姉「そこまで怯えられたんじゃね、やめておくわ」

次兄「……おやめになってくださるの?」チラ

次兄(よ、よかった……あの剛腕でつねられた日には頬の肉が回復困難なほど変形しかねん、びろーんって)ホッ

次姉「但し、二度目はないからねっ!!」

次兄「はっはい!」ピシィ

512: ◆54DIlPdu2E 2015/05/29(金) 01:13:54.44 ID:f76a8VDW0
そのころ、街のちょっとした広場。

長姉「……」

長姉「一昨日貸してくれた、幼馴染男のジャケット」

長姉「洗ったらどうにか汚れも落ちたし」

長姉「生乾きに家政婦さんから借りたアイロンかけて、乾燥具合やシワ伸ばしもまあまあ及第点よね?」炭火式アイロン

長姉「…使い慣れないからちょっとこのへんが…薄く焦げちゃったけど、目立たないわよね?」

キョロキョロ

長姉「……今日はいないか」

長姉「まあ、ほぼ毎日この辺りをぶらついているようじゃ、逆に不安だわ」

長姉「……」

長姉「たった今、自分の発言が思いっきり自分に刺さったけれどね……」ココロズキズキ

長姉「でも仕事で忙しいならともかく、ひょっとして(私が捻じった)首の具合が悪くて……?」

長姉「あれから寝込んでいるとか、最悪、死……」

長姉「いやいやいや! それはないわ!」

長姉「毎朝じっくり新聞読んでる兄さんが知った名前の死亡記事に気づかないわけないもの!」ブンブンブンブン

513: ◆54DIlPdu2E 2015/05/29(金) 01:15:31.71 ID:f76a8VDW0
長姉「そもそも兄さんと同い年で、次姉も交えて三人で遊んだこともあるけど、いつの頃からか」

長姉「遊びに来る時に、兄さんじゃなくて私を名指ししてくるようになったのよね」

長姉「幼馴染男は男子にしてはおとなしい子だから、単に兄さんと好みの遊びが合わないのかな、と思っていたけれど……」

長姉「……もしかして、私のことが好きだったりしていた…とか?」

(幼馴染男「『新しい星を発見して、長姉の名前を付けるんだ』って」)

(幼馴染男「君の心配や負担が軽くなったのは良い事だ」)

(幼馴染男「輝く星みたいで…大好きだったんだよ?」)

(幼馴染男「うん、君の助けになれて、よかった……」)

長姉「…………」

(幼幼馴染男「ほんとうに? まっててくれる?」)

(幼長姉「うん、10年でも20年でも30年でもまってる! やくそくする!」)

(幼幼馴染男「ぼくもできるだけ早く見つけられるようにがんばるよ!! やくそくする!」)

シュボッ

長姉「あれ全部、本気だったの……?」

514: ◆54DIlPdu2E 2015/05/29(金) 01:18:17.38 ID:f76a8VDW0
長姉「昔なじみのよしみってレベルじゃなくて……小さい頃も、今も……ずっと私のこと……?」カァァァァァァァ

長姉「やだやだ、顔が熱い! 池、池! それとも噴水がいい!?」アタフタ

長姉「いやいやいやいや、何をしようとしているの私!? 落ち着くのよ!!」

長姉「深呼吸深呼吸」スーハー

長姉「……」

長姉「私ったら、今まで彼のこと、何だと思っていたのかしら……」

長姉「……」

長姉「真面目に考えてみようかな」

長姉「ここ最近の私の所業を考えると、まだ間に合うのなら、って気分になってきたけど」

長姉「……今日はこのまま帰りましょう」

長姉「ジャケットもただ返すだけじゃなくて」

長姉「何か気のきいたお礼の品、手作りのクッキーとか添えて?」

長姉「…………クッキーって、小麦粉と砂糖と、あと何で出来ているんだっけ??」

長姉「また家政婦さんの協力を仰ぐか、その前に…次姉にも相談してみようかな……」

523: ◆54DIlPdu2E 2015/06/11(木) 21:56:52.05 ID:vrHzsV9e0
その夜、長姉の部屋。

次姉「で、相談したいことってなあに?」

長姉「その前に、今日のうちの様子は?」

次姉「そーね、お父さんは金庫の鍵紛失事件から、一応は立ち直ったみたい」

次姉「冬向け商品の仕入れの計画を立てるからって、書斎で帳簿や資料の山を相手にしていたわ」

次姉「兄さんは男子校時代の友達という人がはるばる王都から訪ねて来たので、珍しく私用でお出掛け」

次姉「家政婦さんはいつも通り、今日はお天気がいいからって応接間と客間の窓をピカピカに磨いてくれた」

次姉「私は午前中は末妹と、午後は次兄と二人で店番」

次姉「次兄にだけは、まだまだ一人で店の仕事を任せられないって、改めて思った……」ハァ

長姉「末妹、もう元気になったのね」

長姉「ほんと、あんなちっちゃい割に丈夫なんだから」

次姉「……」ジー

長姉「な、何よ」

長姉「あの子に対する皮肉でも嫌味でもないからね!? そんな棘のある言い方しなかったでしょう!?」

長姉「……しなかったつもり」ボソ

次姉「いきなり全部変われるとは思っていないし」

次姉「末妹関連で姉さんを責める資格はないもの、私には、ね」

524: ◆54DIlPdu2E 2015/06/11(木) 21:58:32.81 ID:vrHzsV9e0
長姉「私だって……これからは少しでも末妹に、ついでに次兄にも優しくしなきゃ、って思っているもん……」

次姉「うん、だけど、それ『も』焦らなくていい」

長姉「わかってる」

次姉「話を戻しましょ。今日の出来事はこれくらい、で、相談したいことって?」

長姉「……クッキーって、小麦粉と砂糖と、あと何で出来ているの?」

次姉「……………………はあ?」

……

次兄の部屋。

次兄「ふええ、今日は疲れたよお……」ベッドニボフ

次兄「人見知りはほぼ解消されたつもりでいたが、接客と思えばついつい身構えてしまうなあ」

次兄「その上、姉さんがすぐそばで睨み効かせていたら出来る事だって出来なくなっちゃう、そう思わなくて奥様?」

次兄「……今のは言い訳ですけどね」

次兄「しかし、暴力が行使されなかっただけまだマシと言えよう」

次兄「……明日はいよいよ父さんにあの話をするんだ」

次兄「あくまでメインは末妹、俺はフォロー役に徹する予定」

次兄「…俺の場合は徹底した沈黙こそが最大の防御にして最強の攻撃ではなかろうかと思わんでもないが」

次兄「とにかく、明日はもう一度、末妹とリハーサルをしてから臨もう」

525: ◆54DIlPdu2E 2015/06/11(木) 22:00:23.87 ID:vrHzsV9e0
次兄「……でも今夜は疲れた、もう眠りたい」

次兄「俺の趣味の絵のような(あられもない姿の)野獣様と執事さんが、夢に出てくることを祈りながら……」

次兄「夢の中だけでも、俺とめくるめく…かんのー…の…」ウトウト

次兄「……ぐぅ……」ネオチ

……

再び、長姉の部屋。

次姉「へえー、幼馴染男に。幼馴染男ねえ、ふーん」

長姉「な、何よ」

長姉「お礼と、親切を暴力で返してきたお詫びを兼ねているのよ、手作りのお菓子くらい添えたっていいじゃない」

次姉「そうね、お礼とお詫びは大切だからね、人間関係の基本だものね」ニマニマ

長姉「あーもう感じ悪い! いいから材料さっさと教えなさいよ!!」プンスカ

次姉「説明することはできるけど…まさか姉さん、材料さえ揃えたらできると思っている?」

長姉「え、だって……材料全部混ぜて形を整えてオーブンで焼けばできあがり、でしょ?」

次姉「……なんだか不安になってきた」

次姉「『初めてのお菓子作り』が『初めての消し炭製造』になりかねないわ」

次姉「焦っちゃだめよ、姉さん。材料云々の前に、もう少しきちんと計画を立てるべきよ、ねっ?」

526: ◆54DIlPdu2E 2015/06/11(木) 22:02:38.64 ID:vrHzsV9e0
末妹の部屋。

末妹「明日はお父さんにあの話をするのね」

末妹「お兄ちゃんも助けてくれると言ってくれたけど、どうなるのかな……」チラ

一輪差のバラ:「」

末妹「……野獣様のバラ」

末妹「お屋敷にいた時は、このバラを見るたびにお父さん達や家の事を思い出して」

末妹「戻ってからは野獣様やメイドちゃん達、お屋敷の出来事を思い出す」

(メイド「…はい。またお会いできますものね」)

(執事「ですが、今、主人の近くにいる人間である末妹様にはどうか…主人に親しみを持っていただきたい」)

(野獣「今度からは、末妹から裏庭が見たいと言った時に来ような」)

末妹「もっと近くに住んでいたら、お屋敷の皆さんが人間だったら」

末妹「……あんなことが出会うきっかけでなかったら」

末妹「自由に行き来することが、もっとすんなりと許されたのかな?」

末妹「それとも、今頃まだ、ううん、このさき一生、出会うことさえなかったのかな……」

末妹「……」

末妹「どんなきっかけでも、皆さんが人間じゃなくても、出会う前には戻れないもの、それだけは確かなこと」

末妹「わかってもらえるように、頑張らなくちゃ……」

末妹「……ふあ」アクビ

末妹「寝不足じゃ頭も働かないものね、もう寝ようっと……」

……

530: ◆54DIlPdu2E 2015/06/13(土) 00:06:24.87 ID:jX3XKLMJ0
そして長姉の部屋。

次姉「姉さん、このチラシ見て」ピラッ

長姉「なあに……『料理教室』? 『受講生募集』……」

次姉「講師の名前は知ってるでしょ? 市長さんの親戚筋の、西通りの未亡人」

長姉「ああ……その昔、今は亡き旦那様の胃袋を掴んで虜にしたとかで有名な」

次姉「そう、それに姉さんは知らないだろうけど」

次姉「足が少し悪い本人に代わって、娘さんが時々うちの店にタワシや食器の磨き粉をなんかを買いに来るの」

次姉「で、今月から週に2回、自宅で料理教室を開くことにしたそうよ」

次姉「愛妻家の旦那様が料理上手の彼女のために家を大改装して作った、レストラン並みの立派な厨房だとか」

長姉「うん、自宅一階の三分の一を占めるって私も聞いたことあるわ……」

次姉「ほら、ここ、今月の予定が書いてあるけど」

次姉「10月の1回目は『クッキーをはじめとした簡単なお菓子作り』だって」

長姉「……!」

次姉「どう? 習ってみる?」

長姉「で、でも、受講料はどうするの? 私もあんたも、今はほとんど自由になるお金がないじゃない」

次姉「兄さんが月末…と言っても昨日の事だけど、お給料をくれたのよ」

次姉「必要な金額は無期限無担保で貸してあげる、そんなに高い金額じゃないし、ね」

531: ◆54DIlPdu2E 2015/06/13(土) 00:07:36.05 ID:jX3XKLMJ0
長姉「……次姉」ガッシ

次姉「な、何? 私の腕を掴んだりして」

長姉「あんたも一緒に来てよ」

次姉「……」

次姉「だめ、姉さんもう子供じゃないんだから、それに二人分払うには金額的にちょっと心もとないの」

長姉「でも、でも……一人だと恥ずかしい……」

次姉「『超初心者対象』って書いてあるでしょ、ここに来るみんな条件は同じよ」

次姉「それに姉さん意外と器用だもの、手を使う作業は一度やり方を覚えたら、きっと大丈夫」

次姉(カンニングのテクニックも早く身に付いたし)

長姉「わ、わかった……ちょっと不安だけど、頑張ってみる!」

次姉「その意気よ! 応援するからね!」

次姉(……よかった)

次姉(料理については私も知識と理屈ばかりで、実践が伴わないってバレずに済んだわ)ホッ

長姉「で、お菓子作りの回はいつかしら?」

次姉「そう言えば日にちまで確認していなかった。どれどれ……」ピラ…



長姉・次姉「「明日!?」」

532: ◆54DIlPdu2E 2015/06/13(土) 00:08:46.53 ID:jX3XKLMJ0
翌日、朝食後。末妹の部屋。

次兄「違う! そこはもっと感情を込めて!」

末妹「は、はい!」

末妹「お父さん、お話があります」

次兄「今の表情いいねえ! もう一回その顔で『お父さん』から行ってみよう!」

末妹「……いつになったら肝心な話の内容に入れるの?」

……

同時刻、長姉の部屋。

長姉「お金とエプロン、メモと鉛筆も持ったし、窓を開けて、っと」

次姉「じゃあ頑張ってね、姉さん。窓は私が閉めておくから」

長姉「……ねえ、誰にも言わないでよ?」

次姉「わかっているって。いつも通り、時間つぶしの散歩だとみんな思うわ」

次姉「この先は姉さん次第よ。ご武運を」

長姉「うん、また夕方にね、色々ありがとう」

窓:パタン……

~~~~

西通りの未亡人宅。

長姉「……な」

長姉「なんで……あんたが、ここにいるのよ……!?」

幼馴染男「やあ、長姉」

535: ◆54DIlPdu2E 2015/06/14(日) 00:35:03.51 ID:FMeNJPkh0
長姉「『やあ』じゃないわよ! なんで男のあんたが料理教室にいるのかって聞いてるの!!」

幼馴染男「なんでって、料理を覚えたい以外に理由はないけど、そんなにおかしいかな?」

幼馴染男「実は、先生(天文学者)と奥様がしばらく旅行に行くことになってね」

幼馴染男「東の国境都市に嫁いだ娘さんに赤ちゃんが生まれるので、結婚相手のご両親に招待されたんだって」

幼馴染男「助手として留守番を任されたけど、奥様がその間の食事の心配をしてくださって」

幼馴染男「他の家事は住み込み助手の仕事として分担もするが、食事だけは奥様が一手に引き受けていたから……」

幼馴染男「先生も、いい機会なので僕も料理を少し覚えたらどうか、と仰って」

幼馴染男「こっちも自由時間が多くなる分、遊び歩くより有効に使いたいし……帰る実家もないし、ね」

幼馴染男「そこへこちらのお宅で料理教室が開講になるとの話を聞いて、渡りに船というわけさ」

長姉「ででででで、でも、料理教室に男性が習いに来るなんて、講師だって断るに決まっているわ!!」

幼馴染男「夫人は奥様の古くからのお友達だから…先生の助手ならば大歓迎だってさ」

長姉「」

幼馴染男「……君も料理を習いに来たんだろ? お互い頑張ろう」

長姉「帰る」

幼馴染男「え?」

長姉「家に帰る! 幼馴染男と一緒に料理なんてできるもんですか!! 帰る!!!!」

536: ◆54DIlPdu2E 2015/06/14(日) 00:37:48.78 ID:FMeNJPkh0
未亡人「……あら、もしかして商人さんのところの……確か、長姉さん?」

長姉「っ!?」

未亡人「やっぱり! 大きくなったけど、その綺麗な金髪、若葉色のひとみ、可愛らしいお顔…昔の面影があるわ」

長姉「……」

未亡人「あなたは小さかったから覚えていないでしょうけどね、昔は商人さんのお店でよくお買い物したのよ」

未亡人「磨き粉といいタワシといい、質の良い品が揃っているからお気に入りだったの」

未亡人「8年前に足を痛めてからは遠出が辛くなって、娘に買い物は任せていたのだけど……」

長姉「は、はあ……」

未亡人「女学校に行く前のあなたとお話をしたこともあるのよ、本当に可愛らしくて、忘れられなかったわ」

未亡人「…あなた達のお母様、若いのにとてもよく気の付く素敵な方で、本当に親切にしていただいたのよ」シンミリ

長姉「う」

未亡人「あの方の小さな娘さんが美しいお嬢さんになって、うちに料理を習いに来てくれるなんて…本当に嬉しいわ…」ホロリ

長姉「ううううううううう」

長姉(お母様の話を出されると弱いわ……)

未亡人「あらもう10時、開講時間だわ。先に来ていた生徒さん達が待っているわね」

未亡人「さあ長姉さん、それから幼馴染男さん、厨房はこちらよ、どうぞ」

幼馴染男「こっちだって。行こう、長姉」

長姉「……くっ」

長姉「…わかったわよ、こうなったら腹を括る! 料理でも幼馴染男でもなんでも来やがれなのよ!!」ドスドスドスドス


537: ◆54DIlPdu2E 2015/06/14(日) 00:42:01.57 ID:FMeNJPkh0
商人の家、末妹の部屋。

次兄「よし、訴えかけのリハーサルはこんなもんでいいだろう」

末妹「……ホッ」

次兄「次は更に詳細なシミュレーションを。俺が父さんの役、熊のぬいぐるみが兄さんで着せ替え人形が次姉ねえさん」

末妹「」

商人の店。

次姉「そろそろ料理教室が始まる時間ね」

次姉「姉さんは一度パニくったらとんでもない方向に飛んで行くけど、今回はそこまでの要素はない……はず……」

長兄「……」ボー

次姉「……兄さん?」

長兄「…っ、はい、何、何ですか?」

次姉「どうしたのよ、兄さんらしくもない。今日は…と言うか、ゆうべ帰宅してから、何かおかしいわ?」

次姉「遅くまでお友達とお酒飲んで来たせいかと思ったけど、今朝になってもこれじゃ」

長兄「……なんでもない」

長兄「ちょっと疲れているだけ」

次姉「体力には自信のある兄さんが? まあ、無理はしないでね」

長兄「うん、本当になんでもないから、心配かけてすまん」

長兄(……)

538: ◆54DIlPdu2E 2015/06/14(日) 00:46:20.29 ID:FMeNJPkh0
時間は少し戻り、昨日の話。

友男「長兄、以前より更に背が伸びて肩幅も広くなって、しかもますます美形になりやがって、羨ましい限りだぞ!」ワハハ

長兄「何言ってるんだ、友男こそ婚約者がいるんだろ?」

友男「へへ、そのことなんだが……」ニマ

友男「彼女がさあぁ、もう可愛くって可愛くってえええぇ!」デヘヘヘ

長兄「惚気かい」

長兄「で、どんなひとなんだ? この際だから洗いざらい喋っちゃえよ」ツンツン

友男「それはさすがに恥ずかしい、酒の力を借りなきゃ……」テレテレ

長兄「じゃあ酒場が開く時間までおあずけだな」

夜の酒場。

長兄「そう言えばお前と酒を飲むのは初めてだなあ」ホロヨイ

友男「当然だ、学校で一緒だったのは15歳まで、手紙以外で実際に会うのは卒業以来だから……」グビー

友男「……」

友男「長兄。酒の力を借りて言う」キリッ

長兄「?? 友男、素面だった時よりしっかりしてないか?」

友男「俺はどうやら酔うとこうなるタイプらしい、それはさておき」

友男「長兄、すまん!!」

長兄「な、何だ? 何があった??」

539: ◆54DIlPdu2E 2015/06/14(日) 00:49:30.49 ID:FMeNJPkh0
友男「婚約者だが、俺達と同い年、5年前は王宮に一番近い立地の女学校の生徒で、父親の職は建築家」

長兄「……?」

友男「心当たりがあるがろう? 彼女はお前も知っている娘、どころか、お前の元カノなんだ!!」

長兄「!?」

友男「しかも…付き合いは俺達があの学校を卒業して間も無く始まった」

友男「交際2年目には、早くも親同士も婚約を勧めてくれるほどの仲に」

友男「……俺と彼女の名誉のために言っておくが」

友男「俺から彼女に告白したのは、お前達が完全に別れた後、お前がこの町に戻ってからだ」

長兄「……そ、そんな、だが、それなら何も……お前が謝る理由なんて……」

友男「だけど、お前が彼女に振られたと聞いて、俺はお前を慰めながら内心ほくそ笑んでしまったのは事実なんだ!」

長兄「友男!?」

友男「ずっと前から好きだったんだ、お前達が付き合い始める前から、彼女が好きだったんだよ!」

長兄「……知らなかったよ」

長兄「卒業と同時に、この町で将来家業を継ぐことを理由に振られた時は悲しかったが、今はわかる」

540: ◆54DIlPdu2E 2015/06/14(日) 00:56:40.84 ID:FMeNJPkh0
長兄「付き合っていると言いつつ、キスもしないばかりか肩を抱くこともせず、こっちから告白しといて手を繋ぐまで半年弱」

長兄「そんな俺は、彼女に愛想を尽かされても仕方なかったと、後になってつくづく思った」

長兄(今、次兄の声で 『それは果たして付き合っていたと言えるのでしょうか?』 という幻聴が聞こえたが)

長兄「そんな鈍感な俺だ、お前の秘めた想いにも気づかず、友男を…知らぬ間にずいぶん傷つけてしまったと思うと」

長兄「だから、俺に謝ることなんか何もない、むしろ……礼を言いたいくらいだ」

友男「お前……」

長兄「俺にこんなことを言う資格はないかもしれんが、彼女を幸せにしてやってくれ、いや、二人どうか幸福になってくれ」

友男「長兄、ちくしょう、なんて…なんて良い奴なんだ……」ウルウル

友男「こんなお前に、今現在、結婚の予定どころか彼女すらいないなんて!!」ブワワッ

長兄「」

長兄「……こ、これからも、変わらず友人でいてくれ、なっ?」

友男「長兄ーーーー!!」ガバァ

長兄「ははは、馬鹿だな、泣くなよ友男…」ポンポン

長兄(…泣きたいのは、号泣したいのはこっちですけどねこの野郎)グリグリスルマネ

長兄「……」

長兄(俺は鈍感な上にエエカッコしいだと自覚した、少なくとも友男が言うような良い奴なんかじゃない)

長兄(…こんな俺から妹の……長姉の心が離れていくのも当然だな……)

夜は更けて行く……

543: ◆54DIlPdu2E 2015/06/16(火) 23:21:20.18 ID:iLJciChX0
商人の書斎……

ドア:コンコン

商人「誰かな?」

次兄「父さん、入っていい?」

商人「次兄か。お入り」

ガチャ

次兄「お邪魔しやす」ニュッ

末妹「私も一緒」ヒョコッ

次兄(この場にいるのは父さん一人、パターンAか、展開によってはBもありだろう)

商人「おやおや、二人揃って、どうしたんだ?」ニコ

次兄(よし、Go!)ビッ

末妹(はい!)

末妹「お父さん、お話があります」

商人「うん? 何だい?」

末妹「…お父さん、今から10日前、私達がどうしてお家に戻って来れたか、その話…覚えている?」

商人「……」

商人「ああ、覚えているよ。野獣が……魔法でうちの様子を見て、私が『死にかけた』と知り」

商人「私の…父親のそばにいろと言って、家に返してくれた……そうだね?」

544: ◆54DIlPdu2E 2015/06/16(火) 23:22:42.84 ID:iLJciChX0
末妹「そうよ。お父さんは…そのことを、どう…思っているのかしら……?」

商人「どう、って……」

商人「…」チラ

次兄「……」

次兄(父さんが俺を一瞥したけど、とりあえず今は黙して語らぬ所存です)シーン

商人「…」

商人「そうだな、野獣という人物、正確にはヒトではないかもしれないが、とにかく恐ろしい存在で」

商人「私にとっては愛する我が子を奪った憎い存在でもあり」

商人「……元はと言えば私が罪を犯したためだが、それを頭で理解してはいても」

商人「『たかがバラ一輪、そのために何故、私達家族が離れ離れになって苦しまねばならないのか?』と」

商人「お前達がいない間、自分自身を責め続ける一方で、その感情が湧きあがるのを拭い切れなかった」

末妹「……」

商人「しかし、お前達はこうして無事に帰って来た」

商人「そもそも野獣は、彼は」

商人「森で迷った私を屋敷に招き入れ、温かい食事や寝床を用意して、馬の世話まで」

商人「魔法の地図まで貸してくれ、自分はついに顔を出さないまま立ち去らせようと」

商人「……それを私は一方的に全てぶち壊してしまったのだが」

末妹「お父さん…」

545: ◆54DIlPdu2E 2015/06/16(火) 23:25:04.92 ID:iLJciChX0
商人「で、帰って来たお前達の元気な様子に安心し、そしてお前達の話を聞いて、考えた」

商人「野獣は……彼は親切な人物には違いあるまい。少なくとも残忍とか凶暴とかそんな表現は似合わない」

商人「ただ、彼の所有するバラが絡むと話は別なのだ、おそらく」

商人「魔法を使う、しかもヒトならざる存在、私には計り知れない理由が何かあるのかも知れん」

商人「非常に重い意味のある大切なものなのだ、代償に私を殺しても、お前を囚われにしても釣り合う程に」

商人「……どうかな? 私の推測は、大きくずれてはいないと思うのだが?」

次兄「……」

末妹「…野獣様も、お屋敷の執事さんも、あのバラが、バラ園がどんなに野獣様にとって大切なものかをお話ししてくれました」

末妹「そして、バラの持つ意味は野獣様自身しかご存じなくて」

末妹「野獣様はバラの秘密を他人に伝えるができない…できない理由も含めて…誰にも語れないとも」

商人「そうか」

商人「彼がお前達を帰してくれたのは慈悲や親切といった心を持つ故だ」

商人「しかし、間違いなく予定外の出来事でもあったはず」

商人「……バラ盗人の『贖罪』は、終わったのだろうか?」

商人「最近はそれが少し気になるよ」

末妹「……」

末妹「野獣様は、私達が家に帰ってから二週間を過ぎた時に」

末妹「私にお屋敷に戻る意思があるのなら、家に帰って来た時と同じように、一瞬で戻れる魔法をかけてくれました」

商人「…」

次兄(…父さんの眉間にちょっと皺が寄った)

546: ◆54DIlPdu2E 2015/06/16(火) 23:26:26.19 ID:iLJciChX0
商人「家に残るもあちらに行くのも、お前の選択次第、というわけだね?」

末妹「そうです」

商人「二週間と言うと、あと四日、か」

商人「……末妹はどうするつもり、どうしたいのだい?」

末妹「私は」

末妹「四日後すぐにとは言わないけれど、近いうちに一度、お兄ちゃんと一緒にお屋敷に戻りたいです」

末妹「お父さんが元気になった報告と、お礼を言いたい」

末妹「……野獣様だけでなく、仲良くなったお屋敷のメイドさんにも、戻ると約束をしたので」

商人「……」

末妹「でも、滞在する日数を決めて、お父さんと約束して、その日にちゃんとお家に帰ります」

末妹「……野獣様は、私がそうしたいと言えば聞いてくださると思います」

商人「それは次兄と二人で決めたと解釈していいね?」

末妹「はい」

商人「ふむ……」

商人「……頭ごなしに『行っては駄目だ』とは言わないが、すぐに返事はできないね」

商人「少し、考えさせてくれないか?」

末妹(お兄ちゃん…?)チラ

次兄(よくやった)グッ

末妹「……ありがとう、お父さん」

547: ◆54DIlPdu2E 2015/06/16(火) 23:27:44.19 ID:iLJciChX0
末妹の部屋。

次兄「それでは反省会を始めます」ドッカリ

末妹「はい」チンマリ

次兄「100点満点の75…いや、80点だな。上出来です」

末妹「そうかしら…」

次兄「何よりも…気付かなかった? 父さん、俺達を子供扱いしていなかった、少なくとも今迄に比べたら」

末妹「え?」

次兄「元凶となった己の行為を責め苛みながら、野獣様への憎しみも拭えなかった、と言ってたよね」

次兄「自分の気持ち…塞ぎ込んでいた間のことも、かなり正直に話してくれた、俺はそう思うけど」

末妹「……」

次兄「有無を言わせぬ(あくまで父さんなりの)高圧的な態度も、子供騙しでお茶を濁す態度も」

次兄「今回は使えない、使うべきではないと思ったんだろうな」

次兄「だから、真剣に考えた上での返事をくれるのは間違いないだろう」

末妹「…お兄ちゃんがいたからよ」

末妹「私だけならやっぱりおチビ扱いだったと思う」

次兄「…そうかなあ??」

548: ◆54DIlPdu2E 2015/06/16(火) 23:30:15.14 ID:iLJciChX0
次兄「ま、それはさておき、今は父さんの返事を待とうじゃないの」

末妹「そうね…」

末妹「…お兄ちゃんには、いい返事を貰える確信があるのね?」

次兄「確信? ないよ?」

末妹「…………ないの?」

次兄「五分五分…や、6:4ってところかなあ」

次兄「4のほう、『ノー』という返事だった時はまた次の手で行きましょう」

次兄「実は水面下で次の手もあれこれ考えているけど、それはまた後でね」

末妹「……お兄ちゃんやっぱり頭いいのね、次から次へと色々考えて」

次兄「自分では賢いとはこれっぽっちも思わないが、(お前と野獣様と)俺自身の趣味のためなら最善を尽くすよ」キリッ

次兄「……間違えた、お前と野獣様(と俺自身の趣味)のためなら最善を尽くしますから許してください」ヘイシンテイトウ

末妹「……わかっているから、隠さなくていいのよ?」

末妹「…」

末妹「お兄ちゃん、ありがとう。やっぱり頼りになる」

549: ◆54DIlPdu2E 2015/06/16(火) 23:32:28.18 ID:iLJciChX0
次兄「お礼は不要だよ。言ったろ、お前と俺は同志なんだから」

次兄「それに、お前にはお前にしかできない事がある、その機が巡ってきたら頼むよ」

末妹「……私にしかできない事? それは何?」

次兄「教えてあげない、今はね」

末妹「えー…」ナニソレー

次兄(父さんが疑問を持ったとおり、『償い』は完遂していないはずだ)

次兄(それができるのは、やっぱり末妹しかいないのだろう)

次兄(ここから先は俺の勘と言うか願望も入っているかも知れんが)

次兄(おそらく『それ』は野獣様に関する何かを変える力があると思う)

次兄(そして『それ』が野獣様にとって良い変化であれば、ああなってこうなって更には……)

次兄「芋蔓式に俺との距離も縮まろうってもんですよ」フヒヒ

末妹「……」

末妹(何か聞こえたけど黙っていようっと…)

……

550: ◆54DIlPdu2E 2015/06/16(火) 23:35:10.69 ID:iLJciChX0
西通りの未亡人宅、料理教室会場。

未亡人「……どうですか、お菓子作りはひとつ間違うと台無しになってしまいますが…」

未亡人「逆に、手順が正しければ、このように立派な完成品ができあがるのです」

未亡人「私の料理教室の第一回目にお菓子作りを選んだのは、このため」

未亡人「レシピを守ることの重要性と、出来上がった時の喜び、これらを同時に、そしてわかりやすい形で味わうことができる」

幼馴染男「うんうん」ココロカラノウナズキ

長姉「…」チラリ

幼馴染男のクッキー:キラキラー

長姉のクッキー:モッサリー

長姉「……材料もレシピも同じなのに何が違うのかしら……」

幼馴染男「いやあ、いきなりお菓子作りとか実用的な意味でどうかなと思ったけど、楽しいものだね!」

長姉「ね、ねえ、幼馴染男?」

幼馴染男「何だい?」

長姉「何枚か交換しない? 他の人の作ったものを食べ比べてみたら勉強になると思うの」

幼馴染男「本当!? 嬉しいな、君の手作りを食べる事ができるなんて!」

長姉「くっ…」

長姉「は、初めてにしては、男の人にしては綺麗に美味しそうにできたじゃない? 褒めてあげるわ!」

551: ◆54DIlPdu2E 2015/06/16(火) 23:37:45.13 ID:iLJciChX0
幼馴染男「君のも素朴で……このイビツな所が、田舎のおふくろさん風でいいと思うな」

長姉(これで悪気ないのよね、こいつ……)

受講生1「ねえ、あの人…料理教室が始まった時から思っていたけど、ちょっと…よくない?」

受講生2「そうね、男の人なんて珍しいと思ったけど、よく見たら素敵」

長姉「」ピクッ

受講生1「生地を混ぜるときの手つきとか、恰好良かった」

受講生2「ただハンサムなだけじゃないわ、真面目で優しそう……」

長姉(あの娘達、私と同じ年か少し下? よく見たら幼馴染男以外の受講生は若い女の子ばかり……)

幼馴染男「ねえ長姉、俺は今月ずっと通うけど、君は?」

長姉「わ、私は……」

長姉(……当初の目的はお菓子作りのみ、次姉から受講料をもらうのも限りがある……)

受講生2「あの人、彼女とかいるのかしら?」

受講生1「フリーなら、私…ちょっと頑張っちゃおうかな!?」

長姉「」

長姉「もちろんよ! 毎回通うわ!!」

長姉の何かに火がついた……

554: ◆54DIlPdu2E 2015/06/17(水) 22:25:49.65 ID:9H1/5YcW0
商人の家、長姉の部屋。

次姉「へえー、なかなか上手にできたじゃない。しかも二種類作ったの?」

長姉「……」ダンマリ

次姉「ふーん、こっちの素朴な見た目の田舎風のタイプも、ざっくり感としっとり感が混在した面白い食感で悪くないけど」

次姉「やっぱり女の子が作るならこっちよね。表面のツヤといい、可愛らしい形といい、サクサク軽い口当たりといい」

長姉「…………」プルプル…

次姉「? どうしたの?」

長姉「…と、ところで、次姉。ちょっと客観的な意見を聞かせてくれないかしら?」

次姉「クッキーについてはじゅうぶん客観的に評価したつもりだけど」

長姉「クッキーじゃなくて!」

長姉「……幼馴染男だけど、あんた最後に会ったのはいつだっけ? 子供の時以来?」

次姉「幼馴染男に? そうね、去年の今頃、姉さんと港のお祭りに行った時に偶然会ったでしょ、私はあれ以来よ」

長姉「そうだった、それなら今と見た目は変わらないわね…」

555: ◆54DIlPdu2E 2015/06/17(水) 22:28:33.53 ID:9H1/5YcW0
長姉「でね、幼馴染男はうちの兄さん程には背が高くないし、兄さんよりかなりヒョロいし、兄さん程ハンサムでもないけど」

長姉「世間一般の同年代の男性の中では、どのくらいのレベルだと思う? あくまでもパッと見の印象で!」

次姉「……」

次姉「今更というか、なぜこのタイミングでそれを私に意見を求めるのか理解しかねるけど」

次姉「うーん……そうねえ、お父さんとお母様の結婚式の肖像画、思い出せる?」

長姉「? う、うん。」

次姉「髪の毛ふさふさでお腹が弛んでもいない、あの若いお父さんの礼装じゃない普段着の姿を想像してみて?」

長姉「……してみたわ?」

次姉「それを20代前半の男性の…背格好も平均的で、顔も実に平凡」

次姉「ありふれた、どこにでもいそうな容姿のサンプルにして」

次姉「幼馴染男は、比較すると……どう?」

長姉「……あれ? かなりカッコよく思える……」

次姉「でしょ? 比較の対象が最初から間違っていたのよ」

556: ◆54DIlPdu2E 2015/06/17(水) 22:32:05.67 ID:9H1/5YcW0
次姉「で、何かあったの? あったんでしょ? 幼馴染男の関係で」

長姉「……あんたには隠しても無駄ね。実は」

~かくかくしかじか~

次姉「……料理教室でばったり出会うとはね」

次姉「男性は彼一人なの? そしたら外見以外にも、その場での『希少価値』が付加されるから」

次姉「普段、街で出会う以上に『素敵な男性』に見られちゃうわねえ」

長姉「うううう……」

長姉「……で、ここから先は、言いにくい事なんだけど……」モジモジ

次姉「姉さんの発想なんてわかっている。皆まで言うな」

次姉「次回以降も料理教室に通いたい、でも受講料をどうしよう、でしょ?」

長姉「……そうよ」ボソ

次姉「…」フー

557: ◆54DIlPdu2E 2015/06/17(水) 22:34:49.24 ID:9H1/5YcW0
次姉「まだ、お父さんや兄さんに頭を下げようって気は起きないんでしょ?」

長姉「うん。兄さんには『まだ』こっちから折れたくはないし」

長姉「お父さんに謝った場合を想像しても、その横で兄さんがドヤ顔している場面まで浮かんで…だから嫌」

次姉「……週2回、次の給料日までにあと7回も開講されるのか……」

次姉「わかった、なんとかしましょう。姉さんの(成長の)ためだもの」

長姉「本当!? 嬉しい、次姉大好き!!」ガバッ

次姉「ちょ、姉さん姉さん」

次姉「単純に喜ぶのは早いわ、まずは発想の転換が必要よ」

長姉「発想の転換……?」

次姉「料理教室のチラシ、裏面にもこんな募集があったの」

長姉「何々…『準備・後片付け・材料購入の助手を募集しています』?」

長姉「『報酬もしくは受講料免除の特典を選択可能』……」

次姉「お菓子作りの一回だけならここまで考える必要はなかったんだけどね」

558: ◆54DIlPdu2E 2015/06/17(水) 22:37:57.99 ID:9H1/5YcW0
次姉「姉さん、どうせ自由になる時間は沢山ある(端的に言うと暇だ)し、どうかしら?」

長姉「でも……私、働いた事ないし……」

次姉「他の受講生がいない所で、材料や下準備を覚える事ができるのよ?」

次姉「これ以上の上達の早道は、ないと思うんだけど……?」

長姉「……できるかな、私に」

次姉「できるわ、どんな事だって寄宿学校での日々に比べたらずっとマシよ」

長姉「…うん、まずはやってみる、当たって砕けろって言うくらいだから!」

次姉「できれば砕けないでね」

次姉「……」

次姉(姉さんが前を向くための起爆剤は、恋だったみたい)

次姉(応援はしたいけど、なんとなく寂しいような……)フッ

次姉(…………何これ、まさか親心ってやつ?)

561: ◆54DIlPdu2E 2015/06/19(金) 21:20:07.45 ID:T/YKCfqa0
商人の店、閉店直後。

商人「今日もお疲れさん、長兄。今日は仕入れたばかりの毛糸がよく売れたのか」

商人「こんなに暖かい日でも暦はとうに秋、冬を意識する頃だものな」

長兄「……うん」ウワノソラ

商人「…どうしたんだ? お前がそんなにぼーっとしているのは珍しい」

長兄「なんにも……考え事してただけです」

商人「そうかい? お前は意外と抱え込むタイプだからちょっと心配だよ」

商人「それに、あまり思い悩むと頭が」

長兄「!」ビビッ

商人「頭が痛くなるぞ?」

長兄「…………大丈夫。生まれてこのかた、外傷以外の原因で頭痛なんか起こした事がない」

商人「お前は本当に丈夫で、3歳の時のハシカ以外に病気で寝込んだことなんかないものなあ」

商人「しかし、これは体力に限らないが、自分を過信していると痛い目を見るぞ」

長兄「…過信……」

562: ◆54DIlPdu2E 2015/06/19(金) 21:24:12.65 ID:T/YKCfqa0
商人「…なんてな、10日前まで生ける屍さながらだった私が、支えてくれたお前に忠告なんておかしな話だが」

長兄「いや……父さんの言う通り、俺は思い上がっていたのかもしれない」

商人「思い上がり? 長兄が?」

長兄「父さん…俺、男子校に通っていた15歳の時、恋人がいました。過去形です」

商人「……だ、男子校でっ!?」ハワワ

長兄「え? ……っ、いや、そうじゃなくて、同じ王都で女学生だった女の子ですよ!?」

商人「あ、そういう意味か……」ホッ

長兄「話を戻すと……俺の通っていたのは父さんの母校でもあるから、知っているとは思うけど」

長兄「校外奉仕活動のスケジュールがその女学校と重なる時があって、それで知り合ったんです」

長兄「数ヵ月間は奉仕活動の休憩時間に話をしたり、図書館で一緒に勉強をしたり、そんな中で徐々に親しくなって」

長兄「彼女が15歳の誕生日を迎えた日を機に、思い切って告白したんです」

商人「うんうん、私も昔は覚えがあるよ、青春だねえ」

長兄「……彼女はすごく喜んでくれて、だから彼女も前から俺の事が好きで、告白を待っていたんだろうと思っていました」

長兄「だから、俺がどんな事をしても彼女が俺に愛想をつかすことはないだろう、くらいに考えていた」

563: ◆54DIlPdu2E 2015/06/19(金) 21:27:34.32 ID:T/YKCfqa0
商人「……『どんな事をしても』」

商人「も、もしやお前は、その娘さんに対し欲望に任せて非道な行為を働いた、とか!?!?」アババババ

長兄「その逆。結果的には、いわゆる『釣った魚に餌はやらない』というやつでした」

長兄「俺としては、その……」

長兄「…二人で観劇やピクニックに出かけたり、えーと……キスしたり…なんかはまだ先でいいと気長に考えていて」

長兄「いいえ、彼女が求めていたのはきっと、もっとさりげない、小さな、でも明確に好意を現す態度だったのでしょうね」

長兄「俺はそれすらしなかった」

長兄「それどころか、告白後は『好きだ』と言った事さえ」

商人「……」

長兄「更に言うなら、俺は一般的に女の子が向こうから寄ってくるタイプだったらしく」

商人「…うん、私の息子とは思えないほど背も高いし美形だし」

商人「お前達の母方のお祖父様が若い頃にそっくりだけどね」

長兄「他の女の子に頼まれて奉仕活動中の力仕事に手を貸したり、図書館で高い所の本を取ってあげたり」

長兄「……それを恋人として交際を始めた彼女が見ている前で、しかも何度も」

564: ◆54DIlPdu2E 2015/06/19(金) 21:31:46.98 ID:T/YKCfqa0
長兄「そして俺はその『意味』にも気づいていなかったという」

商人「……ああ」

商人「それは減点が多すぎたよ、長兄……」

長兄「そうです。結論から言うと、交際が始まって7カ月後、お互いが自分の学校の卒業を間近にしたある日」

長兄「彼女の方から別れを切り出してきました……」

商人「そう……」

長兄「向こうから嫌われる事はないだろうと無意識のうちに思い上がっていた、その上、相手の心の変化にも気づかない鈍さ」

長兄「15歳当時ならまだ未熟だった、幼かった、と至らなさの言い訳もできるが」

長兄「……どうやら俺は成長していなかった」

商人「ま、またお付き合いしていた女の子に振られたのかい!?」

長兄「いえ、妹の……長姉のことです」

商人「長姉の……」

長兄「父さん、俺達が小さい頃のこと…男子校に行く前、覚えていますか?」

商人「覚えているよ。長姉も次姉も『お兄ちゃん、お兄ちゃん』と」

商人「長兄の後をついて回って、お前もなんだかんだ言って邪険にはせず、相手をしていたなあ」

565: ◆54DIlPdu2E 2015/06/19(金) 21:35:54.78 ID:T/YKCfqa0
商人「二人より1年早くお前を寄宿学校に送り出してからは、しばらくの間、寂しがって泣いていたな……」

長兄「ええ、だから俺は、妹達はいまだに『お兄ちゃん大好き』なんだと心のどこかで…思い上がって」

長兄「今、不貞腐れて閉じこもっている長姉も、きっと、必ず、向こうから折れて謝ってくれると」

長兄「疑いもせず信じ込んで、知らぬ間に…取り返しのつかないほど長姉の心を傷つけていたんです……」

商人「……」ウーム

商人「私も、長姉と次姉の育て方…自身のあの子達への接し方には思うところがある」

商人「野獣の屋敷と関わってからのここ1カ月で色々あった、その間、私もあれこれ考えたんだ」

商人「次姉はそれでも不甲斐ない父親などあっという間に乗り越えて、立派に成長した」

商人「元々とても賢くて逞しい子だった、だから自分の生き方を自分で見つけ出せたのだ」

商人「……長姉は、本当は人一倍寂しがりで傷つき易く、依存心も強い」

商人「幼いうちに寄宿学校に放りこんで寂しい思いをさせた後ろめたさから」

商人「家に戻ってからはねだるままに金品だけ与えて結局は放置した、それが大きな過ちだった」

商人「もっと目を掛け、話を聞いてやり、心を配ってやらないといけなかった」

商人「末妹をそうして育てたように……」

長兄「……」

566: ◆54DIlPdu2E 2015/06/19(金) 21:39:53.96 ID:T/YKCfqa0
商人「しかし、今からでも遅くない……私から長姉に謝って」

長兄「いや、それなら俺が先に。前にも言ったが、こうなった直接の原因は俺にあるから」

商人「とはいえ全ての元凶は私にある。それに女心は私の方がまだ理解できるつもりだ、とにかくここは任せてくれ」

長兄「……どうせ俺は、万が一妹達に聞こえたら思ってぼかした表現するけど、女性とどうにかなった経験もありませんよ!!」

商人「! お、お前、まだそういう経験がないのかい!?」

商人「去年の今頃に港のお祭りで一緒に歩いていたきれいな娘さんは? てっきり今も付き合っていると……」

長兄「父さんに見られていたとは……彼女とだったらお祭りの後の『今夜は帰りたくないの』というセリフに」

長兄「『ご家族と喧嘩したなら仲裁に入ってあげるよ』と本気で返したばかりに」

長兄「『乙女に恥をかかせるなんて!!』と引っ叩かれておしまいですよ!」

長兄「あっ、て言うかそこで自覚ができていれば今頃は!?」

長兄「……とにかく傷口抉らないでよぉ!!」ブワワッ

商人「お、おい、長兄!?」

長兄「うえっぐ……俺なんて、俺なんか……人の気持ちが理解できない顔だけの無神経男と呼ばれて、いずれは」

長兄「年齢とともに外見もどうにかなって身も心も醜い孤独な中年男として朽ちて行くのがお似合いなんだ…うえっぐ」

567: ◆54DIlPdu2E 2015/06/19(金) 21:43:25.45 ID:T/YKCfqa0
商人「取り乱しつつも『外見もどうにかなる』というぼかした表現に私への気遣いを感じるよ、どうせ頭髪の話だろう」

商人(……しかし、長兄が泣くのを見るのは妻が亡くなった時以来だな)

商人(思えば、小さな頃から兄だ、長子だ、跡取りだと、何かと重圧を掛けてしまっていたかも……)

商人(末妹達の話を相談しようかと迷っていたが、それは長兄に頼らず私が答えを出すべき問題なのだな)

商人(何より、今はこの子の悩みをこれ以上増やしては……)

商人「……なあ長兄、秋の夜長だ、今夜は二人、男同士で飲まないか?」

長兄「……」グシュ

商人「一人でちびちび楽しんでいた銘酒の味を、そろそろお前にも教えたい」

商人「そして、飲みながら長姉にどう接するか話し合おうじゃないか。大丈夫、あの子についてはまだ間に合う(はず)」

長兄「……」コクリ

商人「よし、弟妹が寝静まった頃に書斎へおいで」

商人「まずは落ち着いて、夕食、いやその前に(涙と鼻水でぐじゃぐじゃの)顔を洗わんとな……」

商人「……長兄は今や私の頼もしい相棒だ、そう思っていることは忘れないでおくれ」

…………

568: ◆54DIlPdu2E 2015/06/19(金) 23:25:50.04 ID:T/YKCfqa0
翌日、朝食後。

家政婦「末妹様に、お客様ですよ」

末妹「私に?」

家政婦「末妹様くらいのお歳のお嬢さんで、友1様と友2様、友3様です」

末妹「私の友達だわ!」パァァ

商人「おお、あの子達か。末妹、久しぶりに遊んでおいで」

末妹「でも」

末妹「お店は? お長兄(にい)さんの具合が悪いんでしょ?」

商人「長兄なら心配ない(二日酔いだからね)」

商人「店なら、私も次姉もいるよ。品物の出し入れなら次兄も手伝ってくれる」

商人「元気な顔を見せておいで」

末妹「……」

末妹「ありがとう、お父さん」タタッ

次兄「窓から見える、俺もあの子達の姿は久しぶりに見るな」

次兄「……みんなまた背が伸びて、末妹以外は俺の身長を既に抜いているのではなかろうか」

次兄「しかも3人とも決して大柄な方ではなく、ごく平均的な妹と同年齢の少女の体格と言えよう」

商人「お前もこれからまだまだ伸びるから安心しなさい」

569: ◆54DIlPdu2E 2015/06/19(金) 23:29:44.23 ID:T/YKCfqa0
次兄「俺もうすぐ17だもん、さすがに」

商人「お前の『もうすぐ』ってどれ程なんだ? まだ16歳3カ月、むしろ今の歳に『なったばかり』じゃないか」

次兄「時間の感覚には個人差があるとだけ言っておきましょう、それ以上のコメントは差し控えます」フンス

商人「……」

商人(考えたら、この子は赤ん坊の時は5歳まで生きられないと言われ)

商人(5歳を過ぎれば10まで、10を過ぎれば15まで生きられないと言われて)

商人(その頃から徐々に体力もついて、あまり寝込まなくもなり、やっと丈夫になってきたかと思った矢先)

商人(14の終わり頃に今迄で一番の重病になって、晩冬から初夏まで何カ月も容態は一進一退を繰り返し)

商人(15の誕生日も病床で迎えたのだっけな)

商人(……それから僅か1年で、この間、発熱や腹痛ひとつ起こさず)

商人(人並みとまでは言わないが、依然と比べ物にならないほど活発で健康になったので)

商人(昔をついつい忘れてしまいそうだが、きっと次兄には、年齢を重ねる事は普通以上に深い意味を持つのだろう)

商人(誕生日が来れば、すぐにその次の誕生日が心待ちになったとしても、無理はない……)

商人「……」ポン

次兄「…ふひゅえ!?」

次兄「な、なんすか父さん、俺の頭に手なんか置いて!?」

570: ◆54DIlPdu2E 2015/06/19(金) 23:33:16.37 ID:T/YKCfqa0
次兄「まさか、父さんと色が似ている俺の髪を手から吸引して自分の物にしようとか、そんな黒魔術か何か!?」

商人「違う」

商人「……お前の想像力、妄想力かな、独創的にも程があってそこまで来ると感動さえ覚えるよ」ワシャワシャ

商人「とりあえず、このひどい寝癖をきちんと整えないと女の子にモテないぞ?」ワシャ

次兄「人類の女子にはそそられないので」キッパリ

商人「……わかってはいたが、ううむ」ワシャ…

商人「……西の島国には女性の動物学者兼探検家がいると聞いたなあ」

商人「これからの時代、そんな女性学者も増えてくるかもしれない」

商人「お前が大人になって、そういう人とお近づきになれたら、世界の珍獣との出会いも期待できるかもしれないぞ?」ナデ

次兄「…!?」

商人「しかし、どんな女性に対しても、身だしなみは紳士として最低限のマナーだからね」ナデナデ

次兄「……なるほど、(動物との)出会いのチャンスはいつどこに転がっているかわからないから常に備えよ、という教えか!」

次兄「いいことを聞きました、ありがとう父さん、俺の髪30本くらいなら吸い取っていいよ!!」

商人「……………………だから違うと言ってるだろうがあ」グッシャグッシャグッシャラギリギリギリ

次兄「いて、いてて、やめ、ほんとに抜けちゃうやめてええぇ!?」バタバタ

…………

573: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 19:07:52.68 ID:KGMCjyt50
毎度おなじみ、街のちょっとした広場。

末妹「友1ちゃん、友2ちゃん、友3ちゃん……」

末妹「みんな久しぶり、会えてすごく嬉しい」

末妹「……でも、帰って来たのにこちらから連絡しなくてごめん、家も何かと忙しくて」

友1「私達も帰って来たとは聞いていたけど、商人さんの具合が悪いとも聞いていたの」

友1「だから気にしないで、仕方ないもの」

友2「でもよかった、元気そうで」

友3「お手紙もらった後に、何やら変な噂をあれこれ聞いて、皆で心配してたの」

末妹「ありがとう。噂は噂だもの、私はこのとおり何も変わりはないし、こんなに元気よ」

友2「そうよね。で…学校にはいつ来るの?」

友3「もう一カ月も来ていないものね、寂しいな」

末妹「……」

末妹「ごめんね。まだはっきり決まってはいないけれど、私またあちらにしばらく滞在するかもしれない……」

友3「また遠い親戚の人のお家に?」

友2「その人って、どれくらいの『遠い親戚』なの?」

574: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 19:10:30.78 ID:KGMCjyt50
末妹「……」

末妹(ごめんね、皆に心配かけたくないばかりの嘘だったけど……)

末妹(そこまで考えておけばよかったのかしら?)

末妹「わ、私も実はよくわからないんだけど、そのお家のご主人様は」

末妹「お父さんのお祖父様のそのまた従兄のお孫さん」

末妹「……少し間違っているかもしれないけど、だいたいそんな感じだったと思うわ」

末妹(本当はその後に『…の、見ず知らずの赤の他人』と続くのよね…)

友1「じゃあ、商人さんと同じ年代になるのかしら」

末妹「……たぶん、少しは上だと思う、正確には私も知らないの…」

末妹(野獣様っておいくつなのかしら? 人間だとしたら、なんとなくお父さんより年上になりそうだけど)

友3「ふうん、ねえ、それならその人には子供さんとかいないの?」

友2「そうそう、例えば私達と同じくらいの歳の人は、そのお家にいなかったの?」

末妹「……同じくらいの」

末妹「お子さんはいないけど、使用人の、庭師さんとメイドさんが(人間だとしたら)あまり変わらないのかな?」

575: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 19:12:55.90 ID:KGMCjyt50
友2「へえ……ねえねえ、その庭師さんって男の子? どんな感じ? 顔は?」

末妹「え」

末妹「えーと……男の子、よ。顔は……目がくりっと大きくて、可愛い」

友2「可愛いの!? じゃあ背は高い? 脚は長い!?」ズイ

友3「お話しした? 優しかった!?」ズズイ

末妹(な、なんなの、身を乗り出して?)タジタジ

末妹「……背や脚は(猫としては)普通じゃないかな」

末妹「お話もしたわ。優しいし、毎日忙しく働いて立派だと思う」

友2「いいじゃないいいじゃない!」ワクワク

友3「他に、例えば二十代くらいまでのイケメンな男の人とか……いなかった!?」ワクワク

末妹「(人間だったら)二十代」

末妹「……いないわ。執事さんが四十代くらいで、料理長さんはもっと上」

友2「おじさんばっかりなのね……」ガッカリ

友3「……なーんだ」ガッカリ

末妹(…なんなのこの反応)

576: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 19:15:57.96 ID:KGMCjyt50
友1「二人とも、それぐらいにしたら? 末妹ちゃん呆れているでしょ」

友3「友2ちゃんは彼氏がいるからほどほどにすべきだけど、私は別にいいじゃない」

末妹「カレシ」

友2「やだ、親同士が決めた婚約者だって言ったでしょ!」カァ

友1「あ、末妹ちゃんはまだ知らなかったっけ」

友3「ほら、一昨年に私達の学校を卒業した某先輩さん。私達の三つ上の」

末妹「ああ、友2ちゃんのお隣さんで小さい頃からのお知り合いの?」

友3「友2ちゃん、あの人と先月婚約したんだって」

友2「もー、形式だけだってば。私も彼も全く今までどおり」

友2「勉強を教えてもらったり、お互いの小さい弟妹も交えてみんなで遊びに行ったり…昔も今もそんな感じ」

友3「恋人通り越してもう家族…夫婦みたいなものねー」ニヤニヤ

友2「からかわないでったら!」プンスカ

友3「へへ、真っ赤になってるー」

友1「だーかーら、いい加減にしなさいってば!」

577: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 19:18:45.67 ID:KGMCjyt50
友1「だいたい、友2ちゃんが恋バナに持っていこうとしたからこうなったんでしょ?」

末妹「」

末妹「……やたら男の人について聞いてくるのは、そーゆー理由だったんだ……」

友2「なんだ、わかっていなかったのか」

友3「やっぱりお子様ねー」

友1「やめなさいってば……友3ちゃんはせめて毎朝自力で起きられるようになってからそのセリフ言いなさい」

末妹「いいの、友1ちゃん」

末妹「恋愛の話題を私に振られたのは初めてだけど」

末妹「みんなの雰囲気は今まで通り変わっていなくて、なんだか嬉しい…」

末妹「……あ、友2ちゃんはちょっと大人になったのかな?」

友2「なっ、末妹ちゃんまで、やーだー」

友1「自業自得でしょ、もう」

末妹「ふふ……」

…………

578: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 19:25:32.43 ID:KGMCjyt50
長兄の部屋。

ドア:ガチャ

商人「……少しはよくなったかい、長兄?」

長兄「……」モゾリ

長兄「…家政婦さんの持ってきてくれた蜂蜜入のハーブティが効いたようで、マシにはなりまひた…」ボヘー

商人「そうか、で、どこまで記憶があるかな……?」

長兄「……」

長兄「父さんがお母さんと知り会う前の彼女と既にどうにかなった経験があったのと」

長兄「お母さんとは結婚するまで清い仲だったと聞いて」

長兄「『なんとなくそれズルいいいいいい!!』と叫んでぶっ倒れた所までは…覚えています……」

商人「…酒に呑まれがちな割に酒席での記憶が飛ばないタイプか、それはそれで難儀な」

579: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 19:28:40.84 ID:KGMCjyt50
長兄「で、さっきまで眠っていた時の夢に、久しぶりにお母さんが出てきまして」

商人「妻が……」

長兄「記憶を元に俺の脳内で構築された都合のいい『お母さん』なのはわかってはいますが。曰く」

長兄「『お父さんは私と付き合い始めた頃、どのように交際を続けたいか、私をどのように想っているのか』」

長兄「『そして、もうお互い将来を意識する年頃だったから、二人の未来をどう考えているのか……』」

長兄「『きちんとお話してくれたの。だから、ほとんど手紙でしかやり取りできないお付き合いでも、安心していられたのよ』」

長兄「……と、このように」

商人「うむ……お前の脳内産物にしては実際のお母さんにかなり近いね」

長兄「俺に足りなかったのは触れ合いや言葉以前に、もっと根本的な」

長兄「相手への誠実さだと、つくづく痛感しましたよ」

長兄「自分は今まで、どちらかと言えば誠実な人間だと」

長兄「いや、少なくともそうあろうとしている人間だと、自負していたのにこれか、と……」

580: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 19:30:33.54 ID:KGMCjyt50
商人「恋愛に対してだけ重度の朴念仁なだけだと思うよ?」

長兄「しかし、落ち込むのはもうやめにします」

長兄「幸い、15の時の彼女も、去年別れた彼女も、今は幸せだと聞いているので」

長兄「俺も、もう過去は振り切って前向きに生きて行こう、そして」

長兄「恋愛対象に限らず、今まで以上に他者に誠実であろう、と思います」

商人「相変わらずお固いが、立ち直ってくれて何よりだ」

商人「お前も今からでも、時には私に甘えていい…と言うか、私に色々曝け出してくれて構わんぞ?」

商人「振り返ってみると、妻が亡くなってから、お前だけは殆ど年相応の子供扱いをしてやらなかったものな……」

長兄「……その言葉だけで充分ですよ」

長兄「それで、前向きの第一歩として、まずは長姉の問題を……」

商人「………………そうだったな」フゥ

…………

581: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 20:17:21.92 ID:KGMCjyt50
友1「もしも今度、そのお家に行ったら、どれくらいで戻るの?」

末妹「……まだ決まっていないし、お父さんともっとお話しなきゃならないけど」

末妹「きっと、そんなに長くはならないわ」

末妹「前は、戻る予定がはっきりしないまま出掛けたけど……」

末妹「今度は『何日後に戻って来る』とみんなに約束してから行けると思うの」

友3「そうなんだ……また寂しくなるけど、約束があれば安心して待てるわ」

友2「絶対、絶対戻って来てね!?」

友1「まだ決まってないって言ってたでしょ、気が早いなあ」

友1「……」

友1「北の地方だって言ってたね? これから寒くなるから、体に気を付けて……」

末妹「うん……みんな、ありがとう」

友2「友1ちゃんも気が早いじゃない!」

友1「だって、この前はいきなり私達の前からいなくなっちゃったから」

友1「なんだか…不安になってきて……」

末妹「本当にごめんねみんな、でも……大丈夫」

末妹「私、約束を守るから」

友1「…なんだか、末妹ちゃんが私達の中で一番大人っぽく見えるよ」

友2「そうね、どことなく、なんて言うか…強くなった? みたい」

友3「あの末妹ちゃんが、しばらく会わないうちに成長したのね…」シミジミ

友1「だから友3ちゃん、そのセリフはおかしいって」

582: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 20:20:26.65 ID:KGMCjyt50
末妹「そんなことない、私なんかまだまだ一人じゃ何にもできない子供だもの」

末妹「だけどね、大切に思える人が周りにいるって、私を大切に思ってくれる人が周りにいるって」

末妹「色んなひとに支えられているって」

末妹「前よりも、もっと信じられるように、強く思えるようになったんだ」

末妹「……もし私が成長したように見えるのなら、きっとそういう事かもしれない」

末妹「もちろん、みんなも私の大切な人達に入るからね」

友1「……末妹ちゃん!」ギュー

末妹「わ」

友3「あ、ずるい! 私も!」ギュッ

友2「私もー!」ムキュー

友1「ほんとに、ほんとに、早く、この町に戻って来てね」

末妹「……うん」コク

友2「また学校に来てね、一緒に遊ぼうね」

友3「……また勉強教えてね?」

末妹「ありがとう、みんな……大好き……」キュッ

…………

583: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 21:14:07.08 ID:KGMCjyt50
商人「……結局、昨夜は長姉対策までほとんど話ができなかったし」

商人「今も長兄を長姉に見立ててシミュレーションしてみたが、うまく行かないものだなあ……」ハァ

長兄「そりゃ無理があるでしょう、色んな意味で」

長兄「……そうだ。この、メロン大の半球型クッション」

商人「?」

長兄「これをこう、二つ並べて壁にぶら下げたら、長姉のモデルとしてかなりのリアリティが出せるのでは……?」

商人「長兄、長兄!! まだ昨夜の酒が残っているな、酔ってるな!?」ペシペシベシベシベチベチ!!

長兄「あうあう」イタイヨ

数分後…

長兄「……すみません、今度こそしっかり目が覚めました」ヒリヒリ

商人「本当にしっかりしておくれ……」

商人「……結局のところ私達も、一切構えたりせず、長姉に心の内を曝け出す事が必要なのではないだろうか?」

584: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 21:14:49.49 ID:KGMCjyt50
商人「我々側に父親だ、兄だという意識があるうちは、今のあの子は心を開かないと思うんだ」

長兄「曝け出す」

長兄「では、長姉の前で酒を飲んでグダグダな自分を」

商人「違うから」

商人「自分の考えを…長姉に望むことを、きちんとした言葉と態度で包み隠さず伝える、これしかないだろう」

長兄「……それにはまず、長姉が話を聞いてくれるように舞台を整えないと」

商人「それだが、ここで次姉の力を借りてはどうだろうか」

長兄「次姉……」

長兄「長姉は、次姉が店を手伝っていること面白く思っていないのですよ?」

次姉と長姉の和解は、長姉の希望により他の家族には秘密です。

商人「……ううむ…」

商人「強引な方法を使っては、ますます心を閉ざしてしまうだろうし……」

長兄「なんですか、女心はわかっている筈じゃなかったんですか、父さん」

585: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 22:18:26.96 ID:KGMCjyt50
商人「しかしね、次姉も長姉については色々考えていると思うんだ」

商人「とにかく、次姉に相談するだけでもいい手が見つかるかもしれない」

長兄「結局、今の我が家で最も頼りになるのは次姉ですね……」

……

次兄の部屋。

次兄「髪をきつめに引っ張られたけど、あれでも手加減してくれたおかげで無事、これがうちの父さんの優しさである」

次兄「毛根の痛みは一時的なものです」

次兄「さて、末妹は友達と、街の広場へ」

次兄「もしや父さんも『またしばらくの間、友人達とお別れ』を想定していたが故、末妹を送り出した?」

次兄「……いやいや、それはあまりにも我々に都合の良い解釈と言えましょう」フルフル

次兄「『友達』かあ」

次兄「俺にはひとりもおりません」

次兄「長姉と次姉が女学校に旅立った後だな、俺は6歳」

次兄「家庭教師が付いているとはいえ、やはり父さんは俺を」

次兄「せめて体調の良い時だけでも、町の学校に通わせたかったらしく」

586: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 22:22:20.77 ID:KGMCjyt50
次兄「かと言って、少し前まで姉達が通っていた、妹もいずれ入るであろう同じ初等学校は恥ずかしい、と俺は拒んで」

次兄「結果、家から離れた…市内では我が家から一番遠くにある初等学校に編入手続きをしてくれた」

次兄「そして初登校日。送ってくれた父さんの馬車が見えなくなると同時に、校地内の噴水に叩き込まれましたよ」

次兄「主犯は四つ上の上級生と聞く」

次兄「『お前は気持ち悪い顔をしているからこうなるんだ』」

次兄「もう相手の顔も忘れたのに、水に落ちる寸前、奴が放った一言は忘れられません」

次兄「……今思うと」

次兄「俺はそこの学校の近所に当然暮らしたこともなければ、立ち入ったこともない」

次兄「しょせんは子供、自分の周辺が世界の全て、見慣れない相手はそれだけの理由で『変』『怖い』『気持ち悪い』…」

次兄「…とレッテルを貼り付けることで排除という名の整頓をして、とりあえずの安心感を得る」

次兄「そこへ奴の取り巻き連中が煽るものだから、集団心理がエスカレートしてああなったと推理」

次兄「……笑顔が爽やかではないとは今でもたまに言われるので、本当に俺の顔は気持ち悪いのかもしれませんが」

次兄「まあとにかく、俺の次の記憶はこの部屋のベッド、そして二度と、父さんはどこの学校に行けとも言わなくなった」

次兄「……そのままなんとなく現在に至る」

587: ◆54DIlPdu2E 2015/06/21(日) 22:24:41.06 ID:KGMCjyt50
次兄「十年間、別に友達が欲しいとも、自分にいないことの自覚も、ほとんど意識した事さえなかった」

次兄「妹が家の近くの学校に入って、友達ができたと聞いた時は安心したし嬉しかったけど」

次兄「俺は別にこのままでいいのです、何よりも」

次兄「人間の同年代の友人よりも、もっともっと、親密になりたいと切に欲する存在に出会ったから!!」キラキラ

次兄「再開の暁にはまず…俺への態度が軟化してきた野獣様から攻略」

次兄「上手に事が運べば」

次兄「今はツンしかない執事さんも、あの野獣様への忠実さを考えたら、デレるのも時間の問題!!!!」ババーン

次兄「……おっと」

次兄「また独り言の音量がどんどんクレッシェンドして最終的にフォルティシモになっていた……」

次兄「誰かに聞かれていなかったろうな? 店の休憩時間だし、誰かが家の外にいる可能性も」カチャ

次兄「……おや」

次兄「長姉ねえさんが窓から出てくる所だが、窓の内側…長姉ねえさんの部屋に、誰かがいる?」

次兄「窓から手を振って長姉ねえさんを送り出して、長姉ねえさんも笑顔で応えて去って行った……」

次兄「あの服の袖……次姉ねえさんだ」

…………

590: ◆54DIlPdu2E 2015/06/22(月) 22:54:57.82 ID:jSFdJ8Ua0
昼下がり、商人の店。

長兄「次姉、午前中はお疲れ様」

次姉「あら兄さん、気分は良くなったの?」

長兄「ああ、もう大丈夫。で、このあとの店番は俺が替わろう、いや、替わってくれないか?」

次姉「でも」

商人「次姉、すまんな。私がお前と話しをしたいのでね」

次姉「お父さん?」

……

商人の部屋。

商人「そこの椅子にお掛け」

次姉「……」トン

商人「突然呼び出して悪かった、しかし、どうしても次姉の力が必要だと思ってね」

次姉「私の力を……」

次姉「……予想はつくわ。姉さんのことね」

商人「さすが、お前は察しがいいな」フゥ

商人「だかそれなら話は早い、実は長姉と話し合う場を持ちたいのだが……」


591: ◆54DIlPdu2E 2015/06/22(月) 22:57:36.89 ID:jSFdJ8Ua0
しばらくのち。

次姉「要するに、お父さんは長年姉さんに寂しい思いをさせてきた事を」

次姉「兄さんは、姉さんのほうから折れて来るのが当然と思っていた傲慢さを」

次姉「謝らなくては姉さんが心を開いてはくれない、とそう思った…と言うか、思い直したわけね」

商人「ああ、そうだよ」

次姉「……」

次姉「今はまだ詳しくは言えないけれど、姉さんは姉さんで、頑張っている所なの」

次姉「もう少しだけでいいの、もう少し、このままそっとしてあげてくれない?」

商人「しかし、もう何日もあの子の姿をまともに見ていないし、声も聞いていないし、1日でも早く……」

次姉「お父さん」

次姉「末妹と次兄が旅立つ前に、安心させてあげたいんでしょ?」

商人「っ」

商人「あの子達から、聞いたのか……」

次姉「…ううん。私が知ったのは偶然。あの子達は、私が知っている事を知らないはずよ」

次姉(そう、昨日……)



592: ◆54DIlPdu2E 2015/06/22(月) 23:00:23.08 ID:jSFdJ8Ua0
時は昨日、所は商人の店。

次姉「兄さん、ほんとにおかしいわ。ケガだけはしないでね?」

長兄「……うん」ウワノソラー

長兄「…いてっ!?」

次姉「兄さん!?」タタッ

次姉「……薪のささくれた棘が手に刺さったのね。いつもの兄さんなら気を付けて手に持つのに」

次姉「大きな棘、けっこう深いわ、血が出てる。手当しないと」

長兄「いいよ、こんなのケガのうちに入らない」

次姉「商品や帳簿に血が付いちゃうでしょ! 今日の兄さんならやりかねないわ!」

次姉「奥から包帯取ってくる。兄さんは傷口を軽く洗って来て」

次姉「そこの水差しの水を……流しかけるのよ、水差しに手を突っ込まない! 店の外に出てから!!」

次姉「……全く、常識までぶっ飛んでしまったのかしら?」

次姉「包帯は居間の戸棚に……」ツカツカ

次姉「……末妹の部屋」ピタ

593: ◆54DIlPdu2E 2015/06/22(月) 23:04:10.15 ID:jSFdJ8Ua0
次姉「あの子もすっかり快復したし、今夜あたりから……例の、二人きりの特訓を……」

(脳内次姉「それじゃ、まず朝一番に私と出会った場合を想定して、はいっ!」)

(脳内末妹「お…おはよう、お姉…ちゃん」)

(脳内次姉「『おはよう』まで、つっかえなくていいのに」)

(脳内末妹「だって…『おはよう』と『お姉ちゃん』どっち先にしようか、一瞬迷っちゃったの……」)

(脳内次姉「今の方が『お姉ちゃん』てすんなり言えたじゃない、もーこの子ったら!」

次姉「……」ボー

次姉「ハッ」

次姉「いけないいけない、妄想している場合じゃない、毛皮臭を嗅いでウットリしている次兄でもあるまいし」ブンブン

次姉「……次兄」

次姉「部屋の中から次兄の声がする、しかも……次姉ねえさんとか言ってるわ?」

次姉「二人で何の話を……」キキミミ

次兄の声「……もう一回、今度は兄さんも次姉ねえさんもいない場合」

次兄の声「二人に見立てたぬいぐるみと人形はこっちに寄せて、っと」

次兄の声「父さん一人のパターンで話を切り出してみよう、俺を父さんと思って、はいっ!」

末妹の声「お父さん、お話があります」

594: ◆54DIlPdu2E 2015/06/22(月) 23:07:21.20 ID:jSFdJ8Ua0
次姉(……何の練習をしているの?)ピタ

次姉(…………)

次姉(またあの怪物の屋敷に行きたい、って!?)



次姉「あらかじめ家に帰る日にちをお父さんと決めて、怪物…野獣にもそれを約束させる」

次姉「野獣が信用に値する存在かどうか、私にはまるでわからないけれど」

次姉「あの子達が野獣を信用しているのには、それだけの理由がちゃんとあるはず」

次姉「……お父さんもそう思って、二人を送り出すことにしたんでしょ?」

商人「……まだ返事はしていないが、ね」

次姉「お父さんの気持ちはわかるけれど……でもね」

次姉「今の姉さんには『末妹のため』このタイミングで仲直りしたがっているとしか取られない」

次姉「そしてそれは一番、思わせちゃいけないことよ」

商人「……」

次姉「姉さんなら大丈夫」

次姉「末妹には私から話すわ、また家に帰ってくる時には、今度は姉さんも二人を出迎えてくれる、って」

商人「……わかった」

商人「次姉を信じて、ここは任せるよ。長姉のことを一番理解できるのは、結局はお前だからな」

 

597: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 22:38:56.72 ID:fRc7bJZo0
商人の家。

末妹「……ただいま。遅くなってごめんなさい」

商人「いいんだよ、末妹。それより、お腹は空いていないか?」

末妹「友2ちゃんがみんなの分のアップルパイを焼いてきて……4人で広場で食べたの」

商人「そうか、それはよかったね」

商人「しかし、家政婦さんがお前の分の昼御飯を取っておいてくれた筈だが、どうしたものか……」

末妹「あ…」

末妹「家政婦さんに謝って来ます」トトト

台所。

家政婦「心配いりませんよ、末妹様」

家政婦「買い置きの食材ですぐ用意するつもりでしたから、無駄にはなりません、ご安心を」

末妹「よかった…」ホッ

家政婦「末妹様も、これからはご家族以外とのお付き合いが増えてくる年頃です」

家政婦「若いかたがお友達と出掛けられたら、外食される可能性も考えて臨機応変に対応しなければ」

末妹「……若いかた」

598: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 22:41:31.94 ID:fRc7bJZo0
家政婦「ええ、もう貴女もお姉様達と同じ、立派な淑女ですからね」

末妹「淑女」

末妹「……ピンと来ません……」

家政婦「今はそれで良いのです。周りからそのように扱われることによって、徐々に自覚も作られて来るのです」

家政婦「ここ一カ月ほど、お家から離れておられた時期を挟んで、末妹様はずいぶん大人になられました」

家政婦「少なくとも私はそう感じます。なので、私は貴女を一人前の淑女と思って接することにしました」

末妹「一人前」

家政婦「だからと言って、背伸びをすべきとは思いませんよ。自然な末妹様をご家族の皆様は愛しておられますから」

末妹「家政婦さん…」

家政婦「……あら、私としたことが、お喋りが過ぎましたわ」

家政婦「お願いですから、旦那様達には内緒にしてくださいね?」シー

末妹「くす……ええ、淑女同士の約束ですね?」シー

…………

599: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 22:44:34.31 ID:fRc7bJZo0
商人の店。

次兄「兄さん、頭痛薬持って来たよ」

長兄「…おう……」グンニョリー

次兄「午前中は寝込んでいたんだろ、無理することないのに」

長兄「……ああ、次姉と父さんの話が終わったら、どちらかにやっぱり店番を替わってもらおう……」

次兄(『次兄に任せるよ』とは言わないんだ)

次兄(尤も、本当にそう言われたら速攻でお断りする所存でしたがね)ソウイウヤツデス

次姉「兄さん、話しは終わったわ。もう休んで」

長兄「次姉」

次兄「姉さん」

次姉「次兄に頼まれて頭痛薬を渡したと家政婦さんから聞いたから…やっぱり兄さんだったのね」

長兄「うん、さっきはああ言ったが、今日は休ませてもらうよ……すまん」ガタ

長兄「で、話の方は…」

次姉「それはお父さんから聞いて?」

長兄「…わかった。じゃあな」タイジョウ

次兄「おだいじにー」フリフリ

600: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 22:47:23.33 ID:fRc7bJZo0
次姉「……何、次兄、手伝ってくれるの?」

次兄「接客以外ならば」

次姉「ま、ありがたいけどね。じゃあ早速、そこの毛糸玉を並べ直してくれる?」

次兄「ほいきた」サッサ

次兄「……」

次兄(姉さんと姉さん、いつの間に仲直りしたんだろう?)ホイホイ

次兄(たぶん、父さんや兄さんは知らないだろうなあ……)ホイホイ

次姉「……あんたには芸術的センスとかいう物が備わっているのかもしれないけれど」

次姉「同じ色の毛糸は一まとめにしてくれない? 1個だけ買っていくお客様は殆どいないのよ、探しにくいったらないわ」

次兄「あ、そういうものなの? じゃあ直す」ホイホイホイホイ

次姉「…………やればできるじゃないの」

次姉「しかも寒色と暖色で列を分け、濃淡で順に並べて…これならずいぶん探しやすいわ」

次兄「どんなもんですー」ドヤァ

次兄(…よかった。並べ方で遊ぶなとか言われながらビンタが飛んでくるかと、内心ヒヤヒヤしておりましたの)ホッ

次姉「誰にでも一つくらい、いい所があるものねえ。一つくらいは」

601: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 22:50:30.68 ID:fRc7bJZo0
次兄「そこ強調しなくても……」ショボン

呼び鈴:チリンチリン

次姉「お客様……次兄! あんたは『無言で』お辞儀っ!!」奇声ヲ規制

次兄「はいっ!?」ビビッ

次姉「いらっしゃいませ~」営業用ボイス

次兄「……」ペコリン

師匠「……戸を開けた一瞬、凄まじい緊張感を感じたのだが……?」

次兄「あ、おっさんだ!!」

次姉「次兄っ!?」ビュッ!

師匠「!!」

次姉「 あ あれ? 右腕が突然、異様に重くなって……?」ググッ

次兄「……?」ボウギョシセイ

次兄「……なんだかよくわからないけど、助かった模様…」

602: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 22:53:32.04 ID:fRc7bJZo0
次姉「……封印したはずなのに、つい手が出そうになっちゃった」

次姉「駄目ね、いくら次兄だって、噛んで含めるように言い聞かせれば理解できないこともないでしょうに」フッ

次兄「俺の理解力はその程度と認識しておられるのですね」

次姉「しかもお客様の前、私が悪かったわ次兄」

次兄「……ううん、姉さんから見たら、お客に無礼を働いたとしか思えないからね」

師匠(……振り上げた右腕だけに、過剰な空気抵抗を掛ける魔法が間に合った)ホー

師匠(幸い、娘の激情も瞬間的なもので、理性で治めてくれたようだ)

次兄「実は、この人、俺の知り合いなんだ」

次姉「ええっ!? お客様、本当ですか!?」

師匠「ああ、お嬢さんも覚えていてくれたかね、あの雨の日に鉛筆をここで買ったのを」

次姉(白髪の小柄な五十過ぎの男)

次姉(穏やかそうな顔立ちに不釣り合いな鋭い目つきといい、このローブ姿といい)

次姉(何よりも雨に濡れていなかった不自然さといい、忘れやしないわ……)

師匠「ここは品揃えが良いので、また買い物に来たよ」

次姉「本日はどのようなものをお探しですか?」

師匠「数日後、少し遠くまで旅に出る予定でね。旅行に便利な物を買いに来たんだ」

603: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 22:55:25.07 ID:fRc7bJZo0
次姉「あら、そうですの。お仕事か何かで?」ナニゲナイセケンバナシ

次兄「この人の仕事は、新薬の被験者だよ」

次姉「」

師匠「……少年」ギロリ

次兄(やばっ、極秘任務だった!!!!)アワワワワワ

次兄「俺の勘違いでしたー、本当は…よくわからないけどとにかく真っ当なお仕事でーす☆」テヘペロ

次姉(……この雰囲気、堅気の人ではないとは思ったけど、この年齢でそんな怪しい仕事にしか就けないなんて)

次姉(人には色々事情があるのね、でもリピーターになってくださるお客様は良いお客様)

次姉(それに、次兄が懐く(?)なら根はそんなに悪い人間じゃない筈、動物並みにそういう所『だけ』鋭いから)

師匠「さてと、まずは旅行鞄をいただこうかね、お嬢さん」

次姉「あ、はい、こちらの、王都の革細工職人の手によるものが、お薦めですが……」



次姉「色々買ってくれたわ。お金持ちなのは間違いなさそう」

次姉「……でも、本当にどこで知り合ったのよ、次兄」

604: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 22:58:03.55 ID:fRc7bJZo0
次兄「何日か前、市立図書館で同じ本を探していて、それが話すようになった切っ掛けだよ」

次姉「ふーん……ま、いいけどね」

次姉「しかし、そこで知り合うなら女の子にしておきなさいよ、状況だけなら恋愛小説の出会いの場面の定番よ?」

次兄「余計なお世話ですー、同族の異性との出会いなら姉さんこそ」

次兄「! っ、そっ、たっ、とお! なんでもありません! なんでもありませんからノーモア拳骨ノーモアビンタ!!」プルプルプルプル

次姉「……別に異性に飢えても焦ってもいないから、気にしていないわ」

次兄「……そう? 以前はやたらコシのタマ、じゃなかった、玉の輿、玉の輿! って結婚願望が」

次姉「あれは……以前はこの家へ『不満』があったし、自分の生き方が見つからないのもあって」

次姉「世間的に良い条件の結婚をすることだけが今より幸福になれる方法と信じて…ううん、信じ込もうとしていた…せいよ」

次兄「この家への不満」

次姉「……あんたから見たら、お父さんからお金もドレスも欲しいまま与えられ、好き放題やって暮らしていた私に」

次姉「なんの不満があった、って思うでしょうね」

次兄「好き放題暮らしなら俺もなかなかの物ですから」

次兄「欲しいままの毛皮と画材と書物、日がな毛皮を堪能しつつ自室でゴロゴロ……」

次姉「……言われてみればそうだった……」

605: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 23:01:21.89 ID:fRc7bJZo0
次姉「とにかく、家への不満というか、正直…お父さんへの不満だったの」

次姉「今だから言えるけど、ずっとずっと、お父さんの愛情が末妹にばかり注がれていると思い込んで」

次兄「……」

次姉「その間違った虚しさを、更に間違った方法で埋めようとしていたのね」

次姉「今は仕事も楽しいし、まだ見ぬ相手といつか出会いがあったら」

次姉「焦らずにその人とお互い納得できるお付き合いがしたい、そう今は思うわ」

次兄「……」ホヘー

次兄「姉さんホントに大人になったね……」

次姉「あんたがガキなのよ、全く」フフッ

次兄「」

次兄「…ね、姉さんが、俺に微笑みかけただとおぉぉーーーーーーっ!?」ガクガクガクガクガクガクガクガク

次姉「……」

次姉「今までのどんな失言より傷つくんだけど」

次姉(これでも、最近はだいぶ次兄にも優しく接してきた筈なのにな……)フー

…………

606: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 23:04:27.35 ID:fRc7bJZo0
時間は少し前、野獣の屋敷、野獣の部屋。

鏡「……」

野獣「ふむ……次姉と次兄の店番か」

野獣「…ほう、毛糸玉を……面白い並べ方じゃないか、何より美しい」

野獣「やはり次兄は、絵画的な才能に生まれながら恵まれているようだな」

野獣「……あれを生かせる道に進んで欲しいものだが」

野獣「ん、客か」

野獣「喋っている言葉がよく聞こえないので、どういう縁か知らんが、次兄と知り合い?」

野獣「仕立ての良い流行の服、黒々とした髪でまだ30歳くらいの、長身の青年紳士、そんな見た目だな」

野獣「……ん? 向こうの鏡が少し曇ったぞ」

野獣「接客サービス用のお茶の湯気か……」

野獣「この二人はこれくらいにして、末妹の様子を見てみよう」

野獣「台所にいるようだな、家政婦と何かを話している」

野獣「……楽しそうだな」

607: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 23:07:30.65 ID:fRc7bJZo0
野獣「年代は違っていても女同士、お喋り自体が楽しくもあるのだろう」

野獣「……」

野獣「…本当に、愛らしい笑顔だ」

野獣「この先も、いつまでもこの笑顔を見守っていられるのなら、もう実際に会えなくても構わない程なのに……」

……

野獣の部屋の外。

メイド「……ご主人様ったら」ウロウロ

メイド「末妹様が悪いオヤジに苛められてご病気になって元気になって、でもそれから後は」

メイド「私ばかりか執事様にも魔法の鏡を見せてくれないなんて……」ウロウロ

メイド「それどころか、部屋にも入れてくださらない」

メイド「お食事も摂らず、おそらくは水だけで三日間も過ごしていらっしゃる」ウロ……

メイド「……末妹様も近々ここに来られるでしょうに」ピタ

メイド「ご主人様が何を考えておられるか、何をされたいのか、私はわからなくなってしまいました……」

…………

608: ◆54DIlPdu2E 2015/06/24(水) 23:12:02.62 ID:fRc7bJZo0
安宿の一室。

師匠「ふむ、見た目以上に収納力が高い鞄だ、確かに価格以上の良品と呼ぶにふさわしい」

師匠「あの商人はなかなかの、いや、相当の目利きと見た」

師匠「……あいつが儂の買い物の様子を鏡で見ていたかどうかはこちらにはわからんが」

師匠「もしもの際の隠蔽工作は完璧なはずだ」

師匠「あいつの見ている鏡に映る儂の像はまるで別人の姿に」

師匠(少しくらい実物より見栄えを良くしても罰は当たらんだろうて)

師匠「儂が魔法を放てば、こちらの近くにある鏡は湯気を当てたように曇る」

師匠「これの方法を編み出すのはなかなか大変だったが、儂が眠っていた地下室に魔導書も保管しておいてよかったわ」

師匠「さて……ここしばらくは兄妹の家をつぶさに長時間、鏡で観察してきたが」

師匠「あの兄妹に屋敷を期限付きで再び訪れたい意思があること、父親もどうやら許そうとしていることがわかった」

師匠「いよいよ『その日』が目の前に迫ってきたようだ」

師匠「……今度は何日かぶりにあいつの屋敷を覗いてみようか」

宿の鏡「ハイハーイ」

…………

611: ◆54DIlPdu2E 2015/06/25(木) 23:37:02.47 ID:5L/OVKlZ0
野獣の屋敷。

執事「メイド、そんな所で何をしている」

メイド「あ……」

執事「……お前もご主人様が心配か」

メイド「一昨日、食欲がないから食事はいらないと断って」

メイド「その時は、そんな日もあるでしょう、くらいに思っていたのですが…そのまま昨日も今日もいらないって……」

メイド「ご病気だったらお世話だってするのに、部屋には入るなって」

執事「わたくしも、一昨日の夜を最後に、部屋に入れてもらえないまま」

執事「我々に隠れて何かを食べている様子もなさそうだ」

執事「第一そんな事をする意味もないが」

メイド「今のご主人様は、まるごと全部が意味不明です……」

メイド「弱っているご主人様の姿を見たら、末妹様だってどんなに悲しむか」

執事「……ううむ」

612: ◆54DIlPdu2E 2015/06/25(木) 23:38:26.38 ID:5L/OVKlZ0
執事「聞き耳を立てれば、物音もするし、お一人で何か喋ってもおられるので、まだ動けなくなるほどではなさそうだが」

執事「お命の危機の兆候が見られたら、どんな方法を使っても部屋に押し入らなくてはならないかもしれん」

メイド「そんな事態にならないことを、人間だったら神様あたりにお願いするんですよね?」

執事「そうだな」

メイド「つまり、それ以外のことは何もできないって意味ですよね……」

執事「ご主人様の命令に従うことが我々の『全て』だが、その命令がないというのは辛いものだな」

執事「自分達の存在意義まで見失ってしまいそうだ」

メイド「執事様まで弱音吐かないでくださいよお」クスン

執事「しかし、あと三日もすれば末妹様が来てくれる」

執事「末妹様が会いたいと仰ったら、さすがに顔を見せてくださるだろう」

メイド「……それでもご主人様が『会わない』って仰ったら、その時はどうしたらいいんですか……?」グシュ

執事「……」

執事「考えたくないことを考えさせないでくれ、お前という子は、本当に……」ハァ

……

613: ◆54DIlPdu2E 2015/06/25(木) 23:39:43.62 ID:5L/OVKlZ0
安宿の一室。

宿の鏡「コンナヨウスデス」

師匠「何をやっておるのだ、あの馬鹿者は」

師匠「人間よりはいくらか頑丈な肉体とはいえ、このまま水だけで凌いでいては弱るばかり」

師匠「あんなに自分を慕っている使用人達を不安にさせて……」

師匠「数日後にはあの兄妹も訪れるだろうに」

師匠「…………本当に、あの子らを再び来させるつもりがあるのか? あいつには」

師匠「発動まで時間制約をかけているとは言え、鏡越しでなく実際に少女に会えば」

師匠「実際に移動の呪文が掛けられているかどうか儂にはわかるはず」

師匠「今朝、彼女が友人達と広場に出かけたのはチャンスだったのかもしれないが」

師匠「……あの年頃の女の子の集団に、どのように言葉を掛ければ不審に思われないか、いまひとつ自信がなかった……」ハァ

師匠「こんなローブ姿でこの街を歩いている人間も他にいないものな」

師匠「儂のアイデンティティーとして、これを着替える気にはならんが」ガンコモノ

師匠「どうにもタイミングを外してばかりいるが、やはり店番と客という出会い方が最も自然だろう」

師匠「あいつの屋敷も気になるが、ちょっと今まで以上に少女をよく観察して、店に出る時を狙って訪ねてみるか」

…………

614: ◆54DIlPdu2E 2015/06/25(木) 23:41:44.82 ID:5L/OVKlZ0
夕方、商人の家、長姉の部屋。

窓:カタン

次姉「おかえり、姉さん」

長姉「ただいま次姉!」

次姉「嬉しそうね、面接はいい手ごたえだったの?」

長姉「その場で採用よ! 何より、私の字を気に入ってくれて……受講生に配るレシピも書いて欲しいって!」

次姉「姉さん、子供の頃から字は」

次姉「…字『が』きれいだったものねえ。よかったじゃない」

次姉(おかげで、女学校の教師陣からの良い印象を保ち続けられた感はあるのよね)

長姉「明後日、二回目の料理教室があるわ、準備のための仕事は明日からよ、頑張らなくちゃ!」

長姉「これも次姉のおかげよ!! ありがとう!」ギュー

次姉「私も嬉しいわ、頑張って、姉さん」

次姉「……」

次姉(あの子達が早くて三日後に旅立つかもって話は、まだしない方が良いわね)

……

615: ◆54DIlPdu2E 2015/06/25(木) 23:43:27.19 ID:5L/OVKlZ0
その夜の夢。

(次姉(9)「何見てるの、姉さん」)

(長姉(10)「次姉…どうしてあの子ばかり、毎月お父さんに来てもらえるの……?」クスン)

(次姉「…私達と同じクラスの、侯爵娘か」)

(次姉「入学と卒業の時のほかには、家と寄宿舎の行き帰り、つまり長期休暇の始めと終わり以外は」)

(次姉「家族は校舎にも寄宿舎にも入ることを許されない、ってきまりだけど」)

(次姉「侯爵娘は例外なのよ、最近ようやくわかってきたわ」)

(長姉「『れいがい』って、また難しい言葉使ってる! イヤな子!」ピー)

(次姉「……特別扱いってことよ。父親の侯爵様はこの学校にすごくたくさんのお金を寄付しているからね」)

(長姉「お金ならうちのお父さんだって持ってる、私達も特別扱いしてもらおうよ!?」)

(次姉「……『お金持ち』のレベルが違いすぎるわ」ハァ)

(次姉(しかも、私、去年の入学年度に見ちゃったのよね))

(次姉(訪問して来た侯爵様が学長にお金を渡して『うちの娘の成績を、これでどうか…』って』))

(次姉(身を潜めてじっくり話を聞いたら、要するに、侯爵様も自分の娘がそこまでバカとは入学させるまでわからなかった、って))

(次姉(同じ最上位クラスに彼女がいる理由に合点が行ったわ、どう考えてもうちの姉さんより遥かにひどいもの))

616: ◆54DIlPdu2E 2015/06/25(木) 23:45:21.54 ID:5L/OVKlZ0
(次姉(私は実力で絶対負けない自信があるけど、姉さんがもし今のクラスから落ちこぼれて、彼女が残っていたりしたら))

(次姉(それはあり得る話だけど、納得できない……))

(次姉(授業と課題だけじゃ不十分、私がついて、姉さんをみっちり勉強させないと))



(侯爵娘(11)「次姉、あんたなまいきなのよ」)

(子分8(11)「そーよ、そーよ」)

(子分9(11)「生意気なのよ」)

(次姉(10)「……侯爵娘様、私なんかに、何のご用で?」)

(次姉(学年で一番体格のいい二人を新たに子分に加えたのね、護衛のつもり?))

(侯爵娘「あんただけみんなよりひとつ下、とびきゅーのくせに、へーみんのくせに、どうしてそんなにえらそうなのよ!」)

(次姉「私は自然に振舞っているだけです、成績だって、学長も認めざるを得ない実力ですもの」シレッ)

(侯爵娘「ふん、しまいでひるもよるもがりべんしないと、いいせいせきとれないくせに」)

(侯爵娘「なーーーんにもべんきょうしなくたって、おなじくらいのせいせきのわたしのほうがあなたより上にきまってるわ!」)

617: ◆54DIlPdu2E 2015/06/25(木) 23:47:37.54 ID:5L/OVKlZ0
(子分8「そうよ、侯爵娘様は凄いのよ! 宿題忘れても、授業中眠っていても」)

(子分9「進級試験が白紙でも、上位クラスにいるのよ! 凄すぎるわ!」)

(次姉「……」)

(次姉(真正バカと、釈然としないものを感じつつ見返りを求めて離れられない子分、か……)フゥ)

(侯爵娘「ためいきとかますますなまいき、こぶんども、あなたたちのちらかをみせてやりなさい!」

(子分8「とえええい!」)バキッ

(子分9「おりゃああああ!」)グシャッ

(次姉「」)

(侯爵娘「どう、びびってこえもでないでしょ!?」フフン)

(次姉「細工した厚板を真っ二つにし、同じく細工したレンガを握り潰す、か。わかり易過ぎて、呆れた……」)

(侯爵娘「さっき長姉にみせたときも、あのこったらぷるぷるふるえて、けっさくだったわ!!」)

(次姉「…!」)

(侯爵「さあ、こぶんども、いくわよ! おとうさまのおみやげのこうきゅうなおかしで、おちゃにしましょう」)

(子分8「待ってました」)

(子分9「これがなきゃ、従ってなんかいないわ」ボソ)

618: ◆54DIlPdu2E 2015/06/25(木) 23:49:54.84 ID:5L/OVKlZ0
(次姉「……」)

(次姉「…負けてたまるか」クッ)



(長姉「ねえ、次姉。どうして勉強の前後に腕立て伏せなんかしているの?」)

(長姉「何これ、寝る前に腹筋1000回? …あんた何を目指しているの?」)

(長姉「あんた最近、手が空いていればいつも胡桃を片手に二個ずつ握っているわねえ」)



(次姉「体を鍛えたら思わぬ効果があったわ。長時間同じ姿勢を保つためにも、筋力が必要だったのね」)

(次姉「おかげで今まで以上に勉強がはかどる、授業に集中もできる!!」)



(長姉(12)「もうだめ…もうこのクラスについて行けない、落第するの、次姉とも離れちゃうの……」グシュグシュベソベソ)

(次姉(11)「……この手は使いたくなかったけど…仕方ない」)

(次姉「私もこのギスギスした寄宿学校で、姉さんと離れるのは嫌だもの」)

(次姉「姉さん、ちょっと危険な方法だけど……聞いて?」ボソボソ)

……

619: ◆54DIlPdu2E 2015/06/25(木) 23:52:39.23 ID:5L/OVKlZ0
真夜中、次姉の部屋。

次姉「……」パチ

次姉「目が覚めちゃった、でも夜明けまではまだまだね」ふあ

次姉「……子供心に、何の勉強もしない侯爵娘が賄賂で上位クラスに残るよりは」

次姉「長姉に人一倍勉強もさせながら試験はカンニングで乗り切らせた方が、それよりもマシだと思ったのよね」

次姉「なんにせよ、不正行為には違いないんだけどさ」

次姉「……私だって、姉さんと離れたくなかった、一緒にいたかっただけ」

次姉「姉さんが頑張ってくれるのも、好きな人が出来たのも、すごく嬉しいけど」

次姉「……寂しい、なんて言っちゃ駄目ね」

次姉「さて、朝まで寝なおすか。……昨夜の夢はよかったなあ、続き見れないかな」

次姉「姉さんと末妹が私を奪い合う嬉し恥かしい夢」キャッ

次姉「……………………あれ?」

次姉「……これって危険な兆候? 私、人として駄目になりかけている??」

次姉「一家に変態は(次兄が)一人いれば多過ぎるくらいと思っていたのに……」

次姉「……前言撤回して、夢も見ないで朝まで眠れますように……」ボフ

……