野獣の屋敷、前庭。

次兄「……お前も同じ経験をしたという事は、やはり昨夜のはただの夢ではなかった」

次兄「ということは、俺もお前も野獣様も、あの場ではそれぞれ自分の意思で動けるわけだ」

末妹「私も、きっとお兄ちゃんにも同じ事が起こったとは信じていたけど」

末妹「いざこうやって確認して間違いないとわかってみたら、やっぱり不思議……」

次兄「そもそも野獣様と関わってから俺達に起こった出来事は不思議まみれだけど」

次兄「改めて思った、野獣様がすごい実力の魔法使いだからできたんだよ」

次兄「……それでも、師匠とか言う人達の……魔術師ギルドの凄腕連中にかけられた術には勝てないわけだが」

末妹「……」

次兄「野獣様は物質的な実体を失った、でも精神体としては存在する」

次兄「そして俺達は目覚めている間は野獣様に会う事はできない……これが俺達の向き合うべき現実だ」

末妹「……っ」ジワ

次兄「! お、おい、泣くなよ!? そんなつもりはなかった、ごめんごめん!!」アタフタ

次兄「お前が泣いちゃったら野獣様の存在が危うくなるっぽいし、そのためにも泣いたららめぇぇ!」ヌユデゥーム

末妹「   」

末妹「……お兄ちゃんとしては面白い顔とポーズのつもりだと思うけど」

末妹「それがあまりに独創的過ぎると、笑うより前に途方に暮れてしまうものなのね……」

次兄「くっ、やはり末妹の真っ当な感性には受けが悪かったようだな……」シュルルン

末妹「でも、笑わせようとしてくれたのはわかるわ、ありがとう……」

末妹「後ろ向きになるのはやめる、って何度も自分にも言い聞かせているのに、ごめんねお兄ちゃん」

次兄「いやいや、お前は優しい子、この件に関しては多少過敏で繊細な反応を示して当然であろう」

次兄「俺も野獣様の実体が無い事実は残念だが、それにはいかがわしい意味しかない気がしてきた……」ボソ

末妹「いかがわしい」

次兄「……にょっ!? 今のは独り言だから聞き流してくれ」


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1426508868

引用元: 末妹「赤いバラの花が一輪ほしいわ、お父さん」 (旧タイトル【BとYとK】) 




※妹を攻略するのも大切なお仕事です。 (MF文庫J)
弥生志郎
KADOKAWA (2018-03-24)
売り上げランキング: 136,738
788: ◆54DIlPdu2E 2015/07/16(木) 00:30:30.44 ID:B46cPJRp0
次兄「俺とお前が悲しくなったり自己嫌悪に陥ったりするためにこの話を始めたつもりはないぞ」

次兄「どんな形であれ、俺たち野獣様が好きなんだから、野獣様の言うとおり前向きに考えて笑っていようじゃないか?」

次兄「今までだって不思議だらけなら、この先も何が起きるかはわからないわけだし」

次兄(……肉体を持って復活の可能性云々の話は、まだ誰にもしない方がいいだろう)

末妹「……うん、お兄ちゃんの言うとおりね」

末妹「野獣様の望みは、私達に笑っていて欲しい…だもの、それが、私達が野獣様のためにできることだもの」

末妹「またあの場所で会う約束もしてくれた、それが楽しみなのは違いないわ」ニコ

次兄「…やっと笑ってくれた」ヒヘヘ

次兄「ま、元気出そうぜ。執事さんやメイドちゃんみたいな、シンプルな考え方を見習うのも有りかもな」ポン

末妹「……うん」コクリ

次兄「んじゃ、また後で。天気が良い内に、パンt……○○を洗濯して干します」タッタッタ

末妹「お洗濯」

末妹「お兄ちゃん、成長したのね……」シミジミ

末妹「……」

末妹「野獣様が実体を失ったのは、私だって寂しいと思う」

末妹「でも、そう思うのが『いかがわしい』事になるのかな?」

末妹「お兄ちゃんが残念に思う理由……モフモフしたり○○○○したり吸ったりできないから……」

末妹「私は別にそんな事をしたかったわけじゃないから、うん、やっぱりお兄ちゃんとは違う。……のかしら」

末妹「……今度は一人ずつと会うかもしれない、って野獣様は」

末妹「私とは、いつ会ってくださるのかなあ……」

……

791: ◆54DIlPdu2E 2015/07/16(木) 23:44:55.33 ID:WRZ5DUF30
同日、南の港町。天文学者の家……

天文学者「商人さんとは、3年前の市の記念行事でお会いした際に少しお話をして…それ以来ですな」

商人「覚えていてくださいましたか、先生のような我が町の名士に……光栄です」

天文学者「で、折り入ってお話とは……どのような?」

学者妻「商人様、お茶どうぞ」カチャ

商人「ああ奥様、恐れ入ります」ペコリ「実は……」

~かくかくしかじか~

天文学者「長姉さん……ですか。ええ、あの子から話は時どき聞いております。小さい頃よく遊んだ可愛らしい娘さんで」

天文学者「今となってはそれはそれは美しい、そして素敵なお嬢さんだとか」

商人「……ええまあ」

学者妻「私の友達も、素晴らしいお嬢さんが料理教室の助手になってくれたって、大喜びですのよ」

商人「……褒めてくださるのは本当に親としてはありがたいのですが、あの子はまだまだ……」

商人「私が甘やかして育てたばかりに家事も殆ど、いや全くと言っていいほどできませんし、お恥ずかしい話、金銭感覚も……」

商人「働き出したのも、初心者向けの料理教室と聞いて通い始めたのがきっかけですし」

学者妻「それなら心配いりません。幼馴染男でしたら料理以外たいがいの家事はこなせますし、当然私だって現役です」

学者妻「結婚してから家事や家計のやりくりを少しずつ覚えて行くのも、私は決して悪くはないと思うのですが……」

商人「            え?」

天文学者「ということで、ご安心ください商人さん」

天文学者「我が家では明日からでも、長姉さんを幼馴染男の花嫁として歓迎しますよ!」

天文学者「……と言いたいところですが、私達夫婦は今月の中旬から、ちょっと長めの旅行に出掛けるのです」

天文学者「戻ってくるのはどんなに早くても来月末でしょうか」

天文学者「結婚式や、若夫婦が寝食を共にするための準備などは、それから始めることになると思うのですが……」

商人「は? へ? あの?」

学者妻「ああ、それでしたら年明け早々を目標にしてはどうかしらね、区切りもいいわ」

商人「……ちょっ

天文学者「いいねえ、幼馴染男が用事から帰って来たらさっそく話をしよう、あの子にも心の準備が必要だからな」

商人「   」パクパク

敗色濃厚。

792: ◆54DIlPdu2E 2015/07/16(木) 23:49:31.73 ID:WRZ5DUF30
野獣の屋敷。末妹の客間。

末妹「野獣様にいただいた、ドレスとオルゴール……」

執事「ええ、貴女様達がお家にいらっしゃる間は主人の部屋にあったのですが」

メイド「当然、これはもう末妹様の物ですからね、またこのお部屋に戻しましょう」

執事「今度お帰りになる際は、これもお持ちになってください」

末妹「……ありがとうございます」

末妹「でもなぜ、野獣様のお部屋に移したのかしら」

メイド「ご主人様、末妹様にお会いできなくて寂しかったんですよぉ」

末妹「…っ」

執事「メイド!!」

メイド「あ」

執事「この部屋はあまりに日当たりがよすぎするので、それが理由ですよ」

執事「今後は壁に掛けないで、クローゼットの中に吊るされたほうがよいでしょうね」

末妹「そうですね、そうします。大事にしなくちゃ……」

メイド「あの、ごめんなさい、ほんと私バカで、どうしましょ」オロオロアタフタ

末妹「気にしないで、メイドちゃん」

末妹「野獣様のことで泣かないって決めたの、だから私は大丈夫。心配掛けてごめんね」ニコ

メイド「……ふあああ、笑ってくださったあ……よかったああああ」フゥゥー

執事「……」

執事「…さて、そろそろお茶の時間ですな」

執事「今日は料理長が林檎とカスタードのたっぷり詰まったタルトを焼きましたよ」

末妹「わあ……私の大好物です」

執事「それはよかった。さて、次兄様はお部屋ですかな、声を掛けて一緒に行きましょうか」

……

793: ◆54DIlPdu2E 2015/07/16(木) 23:53:41.70 ID:WRZ5DUF30
その夜。誰かの『夢』……

野獣「……全く。予定が狂ってしまった、今夜は末妹を呼ぶつもりだったのに……」

野獣「しかし奴にはここらで一度、ガツンと言っておかねばなるまい……」

次兄「ひゃっほぅ野獣様ぁ!! 俺をピンで呼んでくださるとはぁぁ!!」ドドドドドド

野獣「」ヒョイッ

ビッターーーーーン

次兄「いでで……なんで夢の中に石壁があるんだ」ヨロ

次兄「って言うか、ここはお屋敷の中の一室ですね。前回は今思うとお屋敷の前庭でしたが……」

野獣「次兄は入ったことのない空き部屋だが、基本的にお前達の客間と造りは変わらん」

次兄「調度品もない、殺風景な部屋ですね。どうせなら野獣様のお部屋がいいのにぃ」

次兄「……って言うか、夢なのに痛みは感じるんだな、この前は野獣様のぬくもりも」

野獣「夢のような現実だからな。ただ、私も実際の皮膚感覚なのか記憶による錯覚なのか、いまいち区別はつかないが」

次兄「難しいことはさておき、今宵はお招きありがとうございましたあぁぁぁ!」ピョーン

ペチッ

次兄「」

次兄「うううう、ハエでも叩くよに……」

野獣「お前を呼んだのは他でもない」

野獣「次兄、お前……最低最悪だな。下衆度合いに磨きがかかって来たぞ」ハアァ

次兄「う゛ぇ?」

794: ◆54DIlPdu2E 2015/07/16(木) 23:55:15.24 ID:WRZ5DUF30
次兄「な、何のことかなフフフ……○○○なら紳士のたしなみとして1日置きに交換していますよ!?」

野獣「そんな話ではない」

野獣「あのな、次兄。私を慕ってくれるのは嬉しいが……私の肉体を物質世界に呼び出す黒魔術など存在しないし」

次兄「う」

野獣「あったとしても、少なくともお前に習得できるような代物ではない」

野獣「まして、王子の……菫花の肉体を礎にしようとかなあ……」

次兄「えーとえーと」タラーリ

野獣「しかも……もっと呆れた事には…」

野獣「お前、私を……本気で、○○○○○目で見ていたのか……」ハァァァァァ

次兄「○○○○○目」

野獣「言い逃れはできんぞ、しかと聞いたのだから」

野獣「……私を……モ…モノにしたかっただの何だの……」ボソボソ

次兄「う、うう……」

次兄「い、○○○○○のはどちらでしょうね野獣様!?」

野獣「何?」

次兄「俺はぼかした表現しかしていません、野獣様の言う『モノにする』とはどういう意味ですか!? 説明して御覧なさい!」

野獣「お、お前な」

次兄「それともなんですか、野獣様は凸と凹とが合体した状態しか思い浮かべなかったとでも仰るので!?」

野獣「おい」

795: ◆54DIlPdu2E 2015/07/16(木) 23:58:21.06 ID:WRZ5DUF30
次兄「快楽とは、愛の最終形態とは、果たして粘膜同士の接触のみなのでしょうか、いや、ない!」

野獣「あの…」

次兄「そのような固定観念こそが様々な可能性を、多種多様な愛の形を、人類自ら狭めているのです!!」ドバーン

次兄「……そんなわけで、俺の望みは野獣様の○○○想像に比べたら、実に小さくてささやかでお手軽な行為なのですよ」

次兄「ただ、俺はキモいから拒まれてしまうのです……」ショボン

野獣「な、なんかよくわからんが、一応、言い過ぎたと謝っておくか」

野獣「それより、お前……私に何か話をしたい事があったのでは? 雰囲気的に、まじめな話のようだが?」

次兄「……野獣様、俺達が起きている間の出来事もお見通しなので?」

野獣「ああ、この姿になってからな。屋敷の敷地内限定だし、鏡の魔法と同じで一度に一か所しか見えないが」

野獣「鏡は必要ないし、時間の制限もない、いつでも見たい相手の状況を何度でも見ることができる」

次兄「そうなんだ……うーん、迂闊な言動は差し控えたほうがいいのかしら」

次兄「逆に言うなら、下手に取り繕ってもあんまり意味はないって事でしょうかねえ」

野獣「お前の場合は見え見えのバレバレでも少しくらいは取り繕って貰いたいのだがなあ……」

次兄野獣様にしたかったお話ですが、もう少し自分の中で整理して、改めて」ヌギ

野獣「そうか、うむ、今夜のお前を説教するつもりで呼んだ状況よりは機会を改めたほうが良いな」

次兄「そうです、今夜はもっと違う話をしましょう」ヌギ

野獣「……次兄、なぜ服を脱ぐのだ?」

次兄「ご安心ください、上半身のみです。ズボンのベルトさえ緩めません」バサリ

次兄「野獣様も上半身だけで構いません。俺一人さっさと脱いでしまうのは恥ずかしいから一緒に、ささ」

796: ◆54DIlPdu2E 2015/07/17(金) 00:00:07.21 ID:WRZ5DUF30
野獣「だから、理由を聞いておるのだ!!」

次兄「俺の主張する多様な快楽の形のひとつを実践してみせましょう」

次兄「俺のスベっとした少年の素肌と野獣様のモッフモフ、二つの異なる触感が絡み合い織りなすハーモニー」ウットリ

野獣「」

次兄「物質世界ではとても実現不可能ですが、ここは皮膚感覚は現実そのものな夢の世界」

次兄「そう、夢では何をしても自由、夢では何をしても自由!!」ニジリ

野獣「おい! 私はお前の記憶が構築した都合の良い私ではないぞ!?」

次兄「そんなことは百も承知、寧ろ、だ か ら こ そ !!」ジリジリ

野獣「前言撤回……言い過ぎどころかまだまだ甘かった…… ……?」

野獣(……なんだ、この…何かの、力? 私の屋敷に向かって来ようとしている?)

野獣(まずいな、こんな事をしている場合ではないかも。だがまだ次兄達に知らせる段階ではない……)

野獣「次兄よ、私は今夜はここで去る。お前は朝まで熟睡するがいい」

次兄「野獣様ったらそんなこと言って逃げる気でしょ!?」ニジリニジリ

野獣「いずれにしても逃げるつもりだったが、とにかく行くぞ、おやすみ」パチン

次兄「へ?」

次兄「……あぅん、意識がブラックアウトすりゅう……」ヘナヘナ

野獣「……眠ったか。こいつはこれでいいとして」

野獣「こっちはどうしたものか、まずはもう少し状況を正確に見極めねば……」

…………

800: ◆54DIlPdu2E 2015/07/18(土) 00:28:54.91 ID:wiCJSumU0
少し時間は戻って、夕方。商人の家。

商人「……ただいま……」ドヨ~ン

家政婦「お帰りなさいませ旦那様。お出かけになられた後、お客様が……」

……

長兄「お帰り父さん」

次姉「お帰りなさい」

長姉「お父さん!」

商人「なななな、なんで君がウチにいるんだ幼馴染男君!?」

幼馴染男「お邪魔しております。休養日だったので、私用で書店に入ろうとした所、靴の革紐が切れたせいで転倒しまして」

幼馴染男「確かこちらのお店では靴紐も扱っていたはず、と立ち寄り、買い物だけ済ませて帰ろうとしたのですが」

幼馴染男「長兄君と次姉さんに引き留められまして……」

商人「長兄、次姉、お前達いいいいいいいいいいい!?」

長兄「だって、転んだ時にできた擦り傷の手当てもしてあげたかったし」

次姉「お仕事のない日なら、いい機会だと思って……」

次姉(姉さんがすっかり忘れていた彼のジャケットも返せるし)

長姉「お父さん、実はね」

商人「うわあああああああこうして外堀が埋められて行くうううううううううううう」オロオロジタバタ

次姉「……」

次姉の営業用ボイス「お願いですあなた、落ち着いてくださいな」

商人「は、はいっ!?」ピシ!

次姉の地声「落ち着いたところで、話を聞いてくれる?お父さん」

商人「…………はい」

長兄(さすがお母さんそっくりの声、父さんに効果抜群)


801: ◆54DIlPdu2E 2015/07/18(土) 00:31:38.71 ID:wiCJSumU0
次姉「まず結論を最初に話すわ。私からでいい? 姉さん」

長姉「う、うん」

次姉「姉さんは、将来的に添い遂げたい相手は幼馴染男以外に考えられない」

次姉「だけど、今までまともに男の人と付き合った経験もないので、正直しばらくは恋人気分を味わいたい」

次姉「お付き合いする中で天文学者さんご夫婦とも親しくなれたらいい、何しろ姉さんはお二人と面識がないから」

次姉「幼馴染男の話では、ご夫妻は心の広い方々だから」

次姉「至らない嫁でも寛容と忍耐を持って接してくださるだろうけど、それを当てにして甘えてしまうのはあまりに申し訳ない」

商人「……」

次姉「だからもう少しだけ、最低でも春まで、いいえ、1年くらいは自分の家で花嫁修業を積みたい……」

次姉「せめて、今よりはマシになりたい、なれたらいいな、って」

次姉「あと……続きは姉さん、自分で話して」

長姉「……あのね、お父さん」

商人「長姉……」

長姉「天文学者さんご夫妻や、お父さんに認められた上で幼馴染男と付き合えるのは、すごく嬉しい」

長姉「でもね、私……お父さんとまともに話しができるようになったの、ついこの間でしょ」

長姉「……もう少しの間、お父さんの娘として、お父さんの家で、お父さんに親孝行をさせてほしいの」

長姉「幼馴染男も、それが一番いい方法だねって、言ってくれたし」

幼馴染「そもそも両想いと初めて知ったのは今日ここで、ですから僕も頭と心が追い付いていません」

商人「…………」うるうるうるうる

商人「長姉……!!」ガバァ

長姉「お父さん、もうしばらく、お世話になります……」

長兄「……そういうわけで、よろしく頼むよ、幼馴染男」

幼馴染男「う、うん……君と義兄弟なんて不思議な気持ちだけど、こちらこそよろしく……」

次姉「しかし、次兄と末妹が帰って来たら……びっくりするわねこりゃ」

…………

802: ◆54DIlPdu2E 2015/07/18(土) 00:33:45.27 ID:wiCJSumU0
次兄の夢の翌朝、野獣の屋敷。

庭師「魔法の鏡が?」

執事「ああ、合言葉だけで使えるようになっていたはずの、ご主人様の部屋の壁掛け鏡がな」

執事「……菫花様が現れて以来、使えなくなってしまったんだ」

執事「末妹様に、お家のご様子を時々見せて差し上げたかったのだが……」

執事「菫花様の話では、最初に魔法を掛けた術者が『いなくなる』と効果が消える魔法があって、鏡の魔法もその一つだそうだ」

メイド「じゃあ、菫花様に改めて最初から魔法をかけてもらえば……?」

執事「試していただいたが、何故か鏡が……あの銀板鏡だけでなく、鏡という鏡が反応しない」

執事「それは菫花様にもはっきりとした理由はわからないそうで、あくまでも推測で、と前置きをされて仰るには……」

(王子「おそらく、この家の鏡という鏡が、自分達を自由にできる術者として『野獣』を強く認識してしまったのでは?」)

(王子「野獣自身が解除しなければ、おそらく新しい術者を認識できないのだろう」)

執事「……と」

料理長「うーん、菫花様がご主人様の元々の姿、と言っても鏡にとっては判断基準が違うのでしょうなあ……」

……

そのころ、屋敷の別の場所。

末妹「おはよう、お兄ちゃん」

末妹「今日もいいお天気よ、昨日お洗濯した物は今日中に乾きそう」

次兄「おはよう。うむ、パ…○○と畳はフレッシュなほうが良い、ってね」

末妹「……タタミ??」

次兄「東洋の諺だ、畳は絨毯と床板を足しっぱなしにしたような敷物らしい。うろ覚えだから間違っているかもしれんが」

次兄「それはさておき、昨夜……お前、野獣様に呼ばれたか?」

末妹「野獣様?」

末妹「ううん、気が付いたらもう朝だったわ」

次兄「なんと」

次兄「昨夜は俺の(アレな)夢からさっさと立ち去ってしまったから、てっきり(口直しに)末妹に会いに行くと思ったんだがなあ」

803: ◆54DIlPdu2E 2015/07/18(土) 00:36:26.77 ID:wiCJSumU0
末妹「え……」

末妹「……後回し、ううん、それはいいけど……ちょっとでも時間を取ってくれなかったんだ……」ボソボソ

次兄「ん? 何か言った?」

末妹「そうね、野獣様も、私にばかり時間と魔法の力を割くわけにはいかないものね……」ボソ

次兄「……俺とどんな話をしたとか、ひょっとして聞きたい?」

次兄(聞かれても、アレをありのまま答えるわけには行かないが。哲学的論議を交わしたと婉曲的表現でもしておくか)

末妹「ううん、いい」フルフル

末妹「それより、もう朝ごはんの時間よ。私、先に行くから」タタッ

次兄「あ、おーい…」

次兄「……なんだか、素っ気ないですわねえ……?」

……

別の誰かの朝寝の夢。

(??「おい……私の声…聞こえるだろう?……」)

(「……?」)

(王子「!」バッ)

(野獣「やっと気づいてくれたか。こうして『お前』と二人称で話しかけるのも妙なものだが」)

(王子「……野獣」)

(野獣「やれやれ、回復してきたとはいえ、気力はともかく体力もかなり衰えているな。私のせいかも知れんが」)

(野獣「しかし、お前が元気になるのを待っているわけにも行かなくなった」)

(王子「執事さん達が言っていたのは、本当だったんだ……君が肉体を失ったまま存在しているなんて」)

(野獣「その話をゆっくりするのはまた後で」)

(野獣「いいか、よく聞くんだ。この屋敷に強い意志を持って向かってくる人間の集団がある」)

(王子「……!?」)

(野獣「偶然迷い込んで来た連中とは全く違う。二十数年前に金品狙いでやって来た3人の盗賊とも違う」)

804: ◆54DIlPdu2E 2015/07/18(土) 00:46:04.36 ID:wiCJSumU0
(野獣「昨夜のうちはまだ確証が持てず、先ほどようやく形になった」)

(野獣「屋敷近辺より遠くにあるものは今の私には見えないので、思念だけを感じ取っているに過ぎないが」)

(野獣「10人ばかりの人間が見事なほど迷わず、真直ぐ此処へ向かっているのだ」)

(王子「ど、どういう事?」)

(野獣「盗賊達ですら、小国があった頃の古地図を頼りに、長い年月の間、途中に出来た地図にない障害物……」)

(野獣「歴史の新しい建物や町や森林に戸惑い、考えながらやって来たのだからな」)

(野獣「ところが、連中はそれらを実に効率的に避けて通り、正確に元の道に戻っては進んで来る」)

(野獣「魔法の地図か、違う方法か、いずれにせよ魔法を使わなければあり得ない」)

(野獣「……私以外の、この時代に存在する魔法使いの協力を仰いでいる可能性はある」)

(王子「でも……攻撃的な存在とは限らないでしょう?」)

(野獣「友好的とも限らんだろうが。とにかく、私には使えなくなったが、お前には出来ることがある」)

(野獣「鏡の魔法を使うのだ、連中も鏡でなくとも光る金属のひとつも持っているだろう」)

(王子「そ、それが、屋敷のあらゆる鏡が反応しなくなっていて……」)

(野獣「それも承知している、だから鏡に知らせた、『お前達の術者は消えていない』とな」)

(野獣「さあ、目を覚まして、壁にかかった銀板鏡に合言葉を言うのだ」)

(王子「め……目を覚ましたら、君と相談ができなくなる」)

(野獣「この屋敷でお前は独りではないだろう!?」)

(野獣「皆と相談し、お前が長き眠りの『夢』で見た私の三十年から必要な情報を思い出し、使える魔法を見極め」)

(王子「そう言えば…あの盗賊達は屋敷の建物そのものが主たる狙いだったのでは?」)キンピンジャナク

(野獣「ええい昔の事だから間違えたわ。しかしお前、あんなことまで思い出せるのなら、意外と頼もしいかもしれんな…」)

(野獣「……もう一度言う、皆と話し合って、お前と皆にとって最も善い方法を探るのだ」)

(野獣「いいか、今や私は直接物質世界に干渉できないのだから、お前達しかいないのだ」)

(野獣「幸い此処に到着するまで時間はありそうだ、場合によっては逃げるのも手だがな」)

(王子「……」)

(野獣「頼むぞ……守るべき者を、守ってくれ……」)

…………

807: ◆54DIlPdu2E 2015/07/21(火) 22:10:54.02 ID:BRYhgXTe0
野獣の部屋。

毛布「……」

毛布「ハッ」

王子「こうしてはいられない」ガバッ

王子「しかし今の自分は体力だけではなく魔力も低下している、いざという時のため、上手に節約しないと……」

王子「……銀板の鏡」

鏡「マスターカラオネガイサレマシタ、ヨロシクー」

王子「よろしく……よし、特定の人間の位置を探る魔法と組み合わせて」

王子「名前もどんな人物達かも知らないが『この屋敷に向かって移動している人間』で絞り込めば」

王子「……見えた! 南西から、山裾を馬に乗って進んでいる、武器……殆どが銃剣つきの長銃、何人かは短銃も持っているな」

王子「武器や装身具、金属ならばたくさん所持してはいるが、やはり平らな鏡面と違って見辛い」

王子「……重そうな甲冑はつけていない、私の頃とは服装がかなり違うが、この時代の軽騎兵か」

王子「だが、魔法の地図を使っていれば、こうして周囲の景色まで確認できるのはあり得ない」

王子「中心に貴族風の男…ひときわ大男に囲まれているからよく見えないが、この人物の私兵達と考えるのが自然かな?」

王子「貴族風の男が1人、あとは武装した男達が……9人」

王子「あの中に魔法使いらしき人間はいなさそうだ。道を探すために魔法を使えば私にはわかるし」

王子「あ、あっちの金属面が曇った、馬の鼻息か……あ、戻った」

王子「……知識でしか知らないが、地図以外の道案内の魔法具もかつては存在していた」

王子「二世紀前でも、魔術師ギルドの高位の魔法使いしか所持していない貴重な品だったが」

王子「『魔法使いも表社会に出ないだけで少数は現存する可能性もある』とは、野獣を通して読んだこの時代の本にもあったし」

王子(『ジュニア黒魔術入門』とかいう怪しげな本だったけど)

王子「とにかく、魔法使いの協力を仰げば、地図と同じように誰にでも使えるようにはしてくれるだろう」

王子「距離を測定できるかな? あれとあの呪文を組み合わせてみるか」

王子「……ふむ、あのペースを維持するならば、屋敷に到着するまで……あと3時間くらい?」

王子「よし、ここまでわかれば……皆を集めて、次の事を進めなくちゃ。鏡、また後で頼むよ」

鏡の覆い布:パサリ

808: ◆54DIlPdu2E 2015/07/21(火) 22:14:54.68 ID:BRYhgXTe0
しばらく後、野獣の部屋。

王子「……というわけで、身を隠すか屋敷から逃げる、これが最も確実な方法だと思いますが」

王子「逃げると言っても、今の私の魔力では、残念ながら一度に全員を瞬間移動させることはできません」

王子「微弱な魔力でも数回は書き換えのできる魔法の地図を使って、ここから離れるのが確実でしょう」

執事「ここから逃げる……」

次兄「……屋敷を離れたら、野獣様は」ボソ

末妹「……」

王子「……次兄君?」

執事「主人が我々の夢に現れるのは、我々がこの屋敷にいる間だけなのです」

王子「……!」

王子(そうか、彼はいまだにこの場所に囚われたままなのか)

王子(もしも離れている間に、屋敷を他人に奪われたら……)

王子「……私は残りましょう。彼等の目的はわかりませんが、話し合ってみます」

王子「離れた場所に避難した君達は、鏡でこちらの様子を伺い、安全を確認してから戻ってください」

王子「そのため、地図には屋敷の場所も刻んでおきましょう」

末妹「で、ですが、菫花様おひとりで……」

執事「あまりにも危険です」

王子「……もしも私が失敗した場合は、ここへは戻って来ないでください」

末妹「……!」

執事「菫花様!」

王子「なあに、二世紀前の呪いなど信じない物好きな貴族が、単なる興味本位でやって来たという可能性もあるのです」

王子「『人間』が普通に暮らしていれば、興味をなくして立ち去ってくれるのでは?」

次兄「ええええい、この世間知らずの脳味噌お花畑のポンコツ王子様め!!」

次兄「あっ王子って呼ばれたくないんだっけ、じゃあポンコツ様!!」

王子「へ」

末妹「お、お兄ちゃん!?」

809: ◆54DIlPdu2E 2015/07/21(火) 22:18:08.46 ID:BRYhgXTe0
次兄「黙って聞いてりゃ、国籍なし戸籍なし職歴なし生年月日は自称250年前の引き籠り軟弱甘党男子……」

次兄「こんな怪しい人物に居住権? 永住権?? ……いずれにせよ、認められるものですか!!」

次兄「最悪死刑か終身刑……は無いにしても前科が付くのは間違いなし」

次兄「良くても『頭と生い立ちのかわいそうな青年』として修道院かどこかに保護されて数年間は監視付き生活」

次兄「いずれにしても、世間から社会復帰を果たしたと認められる日が来ても」

次兄「この屋敷はポンコツ様の『家』ではなくなってしまう……そうなったら俺達も二度とここには足を踏み入れられない」

次兄「それは駄目! 絶対駄目! 俺達は認めないし許しません!!」ブンブン

王子「し、しかし……他にどうすれば良いと」

次兄「うちの父さんがここを別荘として購入します!!」ドドーン

末妹「」

執事「次兄様!?」

次兄「俺と末妹は忙しい父親や兄姉に代わって現地視察、その結果、めでたくお買い上げお金は後払い」

王子「だ、誰にお金を払うと?」

次兄「うーん、とりあえず個人の土地でないのなら、国…王様に払うって言っておけばいいんじゃない?」

次兄「執事さん達4匹は我が家の可愛いペット、ポンコツ様はまあ……存在が大っぴらになっても不味いでしょ?」

次兄「洋の東西を問わず、世界各国には家に住み着く妖精伝説があり、大事にすれば家人に幸運をもたらすとか何とか」

次兄「だいたいどこでも、なんとなく家に住みついているらしいけど姿は見えず、でも時々ご飯はあげとくかー、みたいな存在です」

次兄「うん、ポンコツ様はこの屋敷に暮らしているっぽい曖昧な妖精的存在、これが一番しっくり来る!」

次兄「妙案だろう末妹!?」ドヤ

末妹「…………」

王子「む、無理ですよね? そもそも、お父上の知らない所で」

末妹「……私、働くわ。一生かかってもそのお金を稼ぐ」

王子「ちょ」

次兄「勿論俺も将来的には働きます。具体的には野獣様に真っ先に話したい内容に関わるので、ここでは言えませんが」

次兄「無理があると言えば無理があるので、相手の出方を見てからこの作戦を決行するのを前提とした上で」

810: ◆54DIlPdu2E 2015/07/21(火) 22:21:34.85 ID:BRYhgXTe0
次兄「魔法の地図には屋敷と我が家の往復にしてもらい、俺が合図をしたら末妹は早馬で帰宅」

次兄「父さんを連れてまた戻って来る、往復時間は多く見積もっても4時間」

次兄「俺は交渉しつつ時間稼ぎ、まさかたかが地方都市の小売店主が魔法の地図なんか持っているとは思わないので」

次兄「『もうそろそろ父が予定通り到着する頃です』と言ってる間に本当に父さんが現れたら信憑性アップ」

次兄「後は交渉のプロ(=商人)に任せておけばなんとかなりますよ」

執事「……商人様が協力してくださるでしょうか?」

次兄「末妹がおねだりすればイチコロ。『ねえお父さん、私あのお屋敷がほしいの♥』これっすよ」」

末妹「……(複雑)」

次兄「第一『呪われているから要らん』と200年以上放って置かれた土地屋敷、我が家が潰れるほどの金額にはなりますまい」

王子「……お金なら、この家にありますよ」

次兄「なんですと?」

王子「執事さん、食糧や本を屋敷の外から手に入れる魔法には、物と引き換えに金貨が必要でした」

王子「元はと言えば私の父親……小国の王がこの屋敷に持ち込んだお金です、異国から招いた来賓達への賄賂として」

王子「野獣は物と引き換えるため少しずつ使っては来ましたが、それでもまだかなり残っている」

王子「現代の相場に換算した貨幣価値はわかりませんが、溶かして金塊にしても大層な量になるはずです」

王子「ほら、この箱です」ガパァ「ね?」ピカピカジャラジャラー

一同「「「「「「」」」」」」

次兄「……これなら一括払いで釣銭が来そうだが、父さんが脱税容疑でもっとえらいことになりかねん」

次兄「見つからないよう箱は隠して、小出しで支払うのが無難?」ムム

次兄「しかし現金があれば話は早いぞ。購入する意思と頭金を払える財力があるとアピールできれば有利に働く」

執事「本当にそれで相手を説得できるのでしょうか?」

次兄「所詮、人間の大人なんぞ金持ってる奴に弱い、汚い生き物ですからねえ」ゲヘ

執事(次兄様はその汚い生き物を詐欺紛いで出し抜こうとしている少年ですがね)

次兄「正直、行き当たりばったりという不安はあるけど、他に方法はない、最善を尽くすのみ」

次兄「残り時間は僅かだが、皆ともっと細かい打ち合わせを……」

……

811: ◆54DIlPdu2E 2015/07/21(火) 22:24:14.40 ID:BRYhgXTe0
屋敷を囲む森の中。

馬の足音:カッポカッポザッシザッシ

軽騎兵8「旦那、あの建物でしょ。ほら、見えてきた」

軽騎兵5「お前は目がいいなあ、木立に隠れて見えん」

貴族?「この先は面倒な遠回りは要らん。あと少しだ、馬も頑張れ」

遮眼帯着けた芦毛の馬×10「ぶるるる」「ひひん」メンドウナノデイゴ芦毛馬

軽騎兵9「……呪いの地……呪いの屋敷……怖いよ怖いよぉ」カタカタワナワナ

軽騎兵7「……ちっ、なんで志願したんだよこの腰抜け小僧」

軽騎兵3「しっかりしろ9、我らのご主人様も迷信に過ぎないと言ってたではないか」

軽騎兵5「しかし、綿密な測量と国内最高の地図職人によって造られた地図とはねえ」

軽騎兵6「そうでもなければ通常の地図からは失われた土地、こんな効率よい道を選べるものか」

軽騎兵7「魔法でも使えりゃ別だがね」

軽騎兵4「お前らお喋りが過ぎるぞ、黙って進め」

馬の足音:カッポザッシカッポザッシ

……

屋敷内某所。

執事「主人が時折動かしていた動く壁」

執事「初めてここを訪れた人間ならば、壁を下ろして出来たこの空間の存在にはすぐに気付かない」

メイド「次兄様が仰るには……」

812: ◆54DIlPdu2E 2015/07/21(火) 22:29:20.42 ID:BRYhgXTe0
(次兄「作戦はすばしっこく立体的に動ける庭師くんに手伝ってもらおう」)

(次兄「料理長さんはお年もあるし、幅広のボディがもちもちぽってんと動く姿は射撃心を煽りそう」)

(次兄「執事さんは何しろでかいから、いくら足が速くても目立ってしまう、その上」)

(次兄「狼は多くの人間には恐怖、一分の人間には憎悪の対象、見つかった途端に撃たれてしまうかもしれない」)

(次兄「あと兎は美味しい食材。特にメイドさんは若くてぽっちゃり系だから空腹の兵隊に耳を掴まれ煮立った鍋の中にポーイ」)

(メイド「耳を掴まれぶら下げられたらその時点で致命傷ですよ」ガクブルガク)

(次兄「だから三人は隠れていて、末妹と一緒に」)

(次兄「俺が合図を出せば庭師くんが伝言としてここへ伝えに来る」)

(次兄「壁越しでも執事さんやメイドさんなら聞きとってくれる」)

(次兄「そしたら執事さんが仕掛けを動かして、西側の壁だけ開く。末妹が出たら次の合図までは、また閉じ籠って欲しい」)

(次兄「末妹は馬に乗ってポンコツ様が魔法で開錠してくれた裏門を開けて出て行く。でいいよなポンコツ様」)

(王子「ええ、門を抜けてすぐ地図を使えば普通の人間には決して見つかりません」)

(次兄「これはパターンA。うちの父親をここへ連れてくる場合」)

(次兄「パターンB。馬を出す際、全員が脱出する方法」

(次兄「全員を詰め込んだ軽装馬車を我が家の馬一頭に引かせる事になるが」)

(次兄「父さんと荷物が乗った我が家の大きいほうの馬車を普段から引いている馬だ、許容範囲かな、と)

(次兄「馬が怯えることを考えたら、執事さんは身を隠す必要があるかもだけど」)

(次兄「二つの合図の違いを混同しないように、庭師くんしっかり覚えてね」)

(次兄「で、ポンコツ様は……仕方ないけど我が家の長男、俺の兄と言う設定で交渉役」)

(次兄「子供にしか見えない俺一人が前に出るよりは話を聞いてもらえるでしょう、一応」)

メイド「……と、このように」

813: ◆54DIlPdu2E 2015/07/21(火) 22:35:40.72 ID:BRYhgXTe0
料理長「確かに、お二人が『忌み嫌われる』狼を手懐ける人間と受け取られるのも、交渉に不利な材料となりましょうが」

執事「このわたくしが、何もできないのは実に歯痒い……」

末妹「執事さん達を守っていると思えばこそ、兄も良い結果を出すため最善を尽くせます」

末妹「私もできることを精一杯するだけです、皆さんのため、野獣様のため……私自身のため」

末妹(……野獣様、昨夜は私を呼ぶ暇もなかったのはこれが理由ですね)

末妹(やきもち焼いてごめんなさい)

末妹(小さな手助けで精一杯ですが、私も頑張りますね)

……

屋敷正面玄関前。

王子(今度こそ、今度こそ失敗はできない。救うため、守るための戦いだ……)

次兄「……大丈夫ですか、ポンコツ様」

王子「え、ええ。君こそ」

次兄「俺は大丈夫。貴方はなんだかわからないけど半病人のような状態だし」

王子「……無意識のうちに二人分を捻り出すのは大変だったのでしょう。私も野獣も」

王子「物質世界にいる私は消耗しても、いずれ回復は可能なので」

王子「一時的に私の体力と魔力をギリギリまで削って、それを材料に創られた野獣が私から切り離される」

王子「結果論ですが、ふたりが別々の存在になった理屈は、こういう事だったのでしょうね」

次兄「……ポンコツ様、出産並みの大仕事だったんだなあ」

王子「しゅっさ」

王子「なななななな、何を言うんだ君は!?」

次兄「生身の野獣様とポンコツ様、二人で創った新生・精神体の野獣様を、命懸けで生み出しちゃったんでしょ?」

次兄「うちの母親とちょっと重なったような気がして胸がキュンとしてしまった」

王子「重ねなくていいよ、誤解、錯覚なんだから!! 何より君の母上様にたいへん失礼だよ!!!!」プツン

王子「……あ、逆上したら目眩が…………」フラフラパッタン

次兄「え」

次兄「っちょ、気絶しちゃった!? 産後の肥立ちが悪い人に無理させすぎた!!」アタフタ

次兄「庭師くん、大至急執事さん呼んで!!」

814: ◆54DIlPdu2E 2015/07/21(火) 22:38:01.46 ID:BRYhgXTe0


執事「……菫花様に何をしたんですか次兄様」ジー

次兄「悪いことは全て俺のせいにしないでください。あながち間違いでもないけど」ヨイショ

執事「手を離して大丈夫です、しっかり背負えました」

次兄「このまま皆が隠れている場所へ運んでください、今は寝室よりも安全だからね」

次兄「……手足が冷たいから、意識が戻るまで執事さんが寄り添って暖めてあげると良いかと思いますがね」ギリギリギリギリ

執事「なぜ貴方様が歯軋りを?」

次兄「この胸に燃え盛る嫉妬の炎を抑え込みながらの経験者によるアドヴァイスです」

次兄「執事さんの密な下毛と美しい上毛からなる保温性に優れた被毛および人間より高い体温で包み込んであげて、どうぞ」クッ…

執事「……とにかく心を込めて介抱させていただきます。では次兄様、ご武運を」タッタッタ

次兄「さて」

次兄「計画に少々の変更はあるが、やれるところまで頑張るだけです」

次兄「……鏡は『覆い』をめくるだけで使えるんだったな」

次兄「二人とも手が塞がるのは避けたかった、あとポンコツ様が鏡に向かって魔法を使うのが楽なようにと……」モゾモゾ

次兄「俺のシャツをめくると上半身の前面に肩から紐で下げた銀板鏡」バッ

次兄「……下を持ちあげるように傾けると、なんとか自分でも見えるのです」

鏡「ショウジュンハ、アワセタママナノデ、ダイジョウブー」

次兄「……ふむ、こいつらの前方の視界を捉えている鏡面はあるかな?」

鏡「セントウノヤツノ、ボウシカザリニウツル、フウケイデス」

次兄「……! 屋敷の正門がもう見えているんだ」

次兄「ありがとう鏡、また後で」ゴソゴソ

次兄「あと少し、ここまで来たら対峙は免れない」

次兄「ポンコツ様に協力してもらう予定だった作戦の他にも、いくつか対抗手段は考えているけど……」

次兄「まずはこの外見を最大限に活かし、『何も知らない無邪気な少年』を装って相手の出方を見よう」

次兄「庭師くんは引き続き木の上に身を隠し待機してくれ」

庭師「了解」

819: ◆54DIlPdu2E 2015/07/24(金) 23:39:09.20 ID:5FbVwp4V0
屋敷の手前、森の中。

貴族?「目的地は目前だが……ここで一旦、止まってくれ」

軽騎兵1「畏まりました。全員、馬を止めろ!」

葦毛馬達「ひひん!」ザッシ「ぶるる?」ザザッ「ぶひひん…」カッ…ポ

軽騎兵5「高い塀に囲まれているなあ」

貴族?「すまんが、周辺を一回りして来る。君達はここで待機していて欲しい。戻って来るまでは1殿に従ってくれ」

軽騎兵2「お一人で? 大丈夫ですか、誰か付けましょうか」

貴族?「いや、心配は要らない。まずいと思ったらすぐ戻って来るさ。では、馬、行こうか」ピシリ

葦毛馬10「ひん!」カッポ カッポ

軽騎兵5「やれやれ、ご主人様の友人だか恩人だか知らんが、気紛れなお方だねえ」

軽騎兵6「ご主人様の命令ならば従うのみだろ」

軽騎兵5「ま、報酬を前払いしてくれたんだから文句は言えねーよな」

軽騎兵9「……な、なんて不気味な屋敷だろう……」プルプルカタカタ

軽騎兵3「9よ、落ち着け。我々がついているんだぞ、何を恐れる事がある」

軽騎兵7「無理っすよ、こいつは俺と同じ山奥村の出身だが、村長さん家の末息子で」

軽騎兵7「祖父さん祖母さんに育てられたせいか、過剰に呪いだのバチだの化け物だの怖がるんすよ」

軽騎兵2「山奥村か…教会の教えと土俗の宗教が混じる、珍しい信仰の根づいた土地だったっけ」

軽騎兵7「さすがに今時そんなのは年寄りくらいっすよ」

軽騎兵1「よし、みんな馬から降りて、少しの時間だが休ませよう」

軽騎兵4「馬は意外と元気だな。俺達も小休止とするか……、おい、7、来た道を戻ってどこに行く!?」

軽騎兵7「小便っすよ小便!」ガササ

820: ◆54DIlPdu2E 2015/07/24(金) 23:44:38.67 ID:5FbVwp4V0
軽騎兵5「……暇だな」

軽騎兵8「ああ、暇だ」

軽騎兵9「コワクナイコワクナイコワクナイ……」ブツブツ

軽騎兵5「……なあ、9よ。このへんでちょっと男を上げてみちゃどうだ?」

軽騎兵9「ひ、ひえっ!?」ビクッ

軽騎兵5「こっそり屋敷の様子を見て来いよ。なに、門扉の鉄格子からちらっと伺うくらいさ」

軽騎兵9「で、でも……依頼主さんが屋敷周辺を見回っていて、僕達はここにいろと……」

軽騎兵8「馬から降りて、木々に身を隠しながら行けば誰にも見つからないさ」

軽騎兵5「それで何もないとわかればもうお前も怖くないだろ? 何か怪しい様子があってもすぐ引き返せばいいだけだ」

軽騎兵9「で、でも、5さん……」オロオロ

軽騎兵8「3さんの言うとおり、背後には俺達が控えているんだし、万一の時はお前も銃を持っている」

軽騎兵8「それに、目のいい俺が見ていてやるよ」

軽騎兵5「第一、いつもいつもいつも7に腰抜け呼ばわりされて悔しくないのか? いくら同郷の先輩だからって」

軽騎兵9「うぐ……」

軽騎兵5「勇気のあるところを見せたら、7だってお前を見直すと思うぜ?」

軽騎兵9「わ、わかった……行って、きます!」

軽騎兵5「その意気だ、だが、銃は簡単にぶっ放すんじゃねえぞ?」

軽騎兵9「だ、大丈夫です! ちょっと見て戻って来るだけですから!」

軽騎兵8「……行っちまった」

軽騎兵5「ま、あの小僧の事だ、半分も行かずに葉擦れの音にびびって戻って来るだろうさ、へへ」

軽騎兵8「小便漏らさなきゃいいが」

……

821: ◆54DIlPdu2E 2015/07/24(金) 23:46:36.12 ID:5FbVwp4V0
野獣の屋敷内某所。

末妹「……で、私が父の元へ向かった場合、父の事ですから」

末妹「あの子……今ここにいるうちの馬をそのまま使いはしないと思うのです」

末妹「代わりの馬を手配して、それからこちらへ向かうことになるでしょう」

末妹「ですから、その分すこし時間がかかってしまうとは思いますが、皆さん心配しないでくださいね」

執事「貴重な馬を貸してくださいますかね?」

末妹「牧場主さんをはじめ、馬仲間といいますか、馬友達とも言うべき知り合いは何人かいますし」

末妹「父の馬扱いは本職並みと言われていると噂で聞いたことはあります、信用はあると思うのですが……」

料理長「尤も、末妹様を一人旅立たせることなく、収まってくれるのが一番でしょうな……」

王子「……」グッタリー

末妹「菫花様、大丈夫でしょうか?」

執事「最初よりはいくらか顔色もよくなられて来ました。いまだに目を覚ます気配はありませんが」

執事「……貴女様という淑女の前ですが、もうしばらく、わたくしが裸でいる事をお許しください」

末妹「暖めるには毛皮で直に包んであげなくちゃ、それに狼さんなら服を着ていないほうが普通かな? と思いますよ」

末妹(……いつもの姿に慣れていたせいか、執事さんが服を脱ぎ出した時は目のやり場がないような気が一瞬したけど)

末妹(錯覚だったみたい)

メイド(次兄様がご覧になったら嫉妬で気絶しそうな光景ですねえ)

……

屋敷を囲む塀の外側。

貴族?「『隠蔽』は完璧、例え屋根や木の上からでも、馬も自分も見えはしまい」

葦毛馬10「ぶるる……」

貴族「……このへんでいいか」ゴソゴソ……

貴族?「いくら身嗜みを整える仕草をしても、移動中の馬上で頻繁に覗き込むのは不自然だからな」

小さな手鏡:キラリン☆

貴族?「全く、護衛なんぞ不要と言ったのだが……おかげで余計に気を遣うばかり」

貴族?「ま、あの若者達のせいではないが」

……

822: ◆54DIlPdu2E 2015/07/24(金) 23:50:07.21 ID:5FbVwp4V0
末妹達。

王子「……うーん?」

メイド「あ」

末妹「菫花様? よかった……」

王子「……ああ、そうか。気を失っていたのですね」

王子(夢の中で野獣が何かを伝えようとしてくれていたようだが、話を聞く前に目覚めてしまった……)

料理長「無理はなさらず、このままここで休んでいてください。お水、飲みますか?」

王子「……」ムクリ

執事「菫花様、駄目ですよ起き上がっては」

王子「……トイレに行きたいのです」ヨロ

執事「では、わたくしがお伴を」

王子「大丈夫です、心配しないで、すぐ戻りますよ。その代わり、動く壁の仕掛けを操作してくれたら助かります」

王子「外に出たら、今度は私が閉めますから……」

料理長「仕掛けは普段隠れているだけで、意外とあちこちにありますからな」

メイド「でも、菫花様か執事様でないと、壁の仕掛けに手が届かないですものね」

動く壁:ゴゴゴ…↑(ヒラク)

王子「ほら、意外と足取りがしっかりしているでしょう? では、行ってきます(トイレに)」

末妹「お気をつけて……(おトイレとはわかっていても)」

動く壁:ゴゴゴ…↓(トジル)

末妹「……」

メイド「末妹様、そんな不安そうなお顔しないでください」

末妹「え…私、そんな顔してたんだ」

末妹「…菫花様もだけど、見えない場所にいるひと達…庭師くんと兄も、どうしているのかと」

執事「外が騒がしくなれば、わたくしにはわかります。馬が十頭もいれば多少の嘶きも聞こえましょう」

執事「遭遇せずに引き返してくれないかとは、『祈って』おりますが……」

……

823: ◆54DIlPdu2E 2015/07/24(金) 23:52:57.57 ID:5FbVwp4V0
屋敷内、一階の廊下。

王子「次兄君一人に任せてしまうのは申し訳ない、私は一応、この家の主人なのだから」

フラフラ…トス

王子「……まだ無理だったか、壁伝いで歩くのが精一杯……」

王子「いやいや、しっかりしないと、野獣とも約束したんだ」グッ



正面門扉の外側。

軽騎兵9「……12、3歳の赤毛の男の子がいる、普通の子供にしか見えないが」チラ

軽騎兵9「こんな場所に普通の子供がいるわけない、となるとあれは、おばあ様の言ってた小鬼か、やはりこの屋敷は……」ゾーッ

軽騎兵9「幻術で人間の振りをしているんだ……くっ、僕は騙されないぞ」

軽騎兵9「しかし、おばあ様の話では小鬼は多少の悪戯者なだけで、さほど危害はないらしいが」

軽騎兵9「せめて他に魔物の仲間がいないか確かめてから戻ろう……怖いけど」

玄関の戸:ギ……

軽騎兵9「!」

王子「……次兄君」ヨロ

次兄「ポンコツ様!?」

軽騎兵9「や、屋敷の中から出てきた人物……死人のように青白い顔、折れそうな細い体」

軽騎兵9「おじい様が読んでくれた西の島国の本に出てきた、悲しげな声で嘆く、不吉な妖精に違いない」ガクガクガク

軽騎兵9「でも確か話では女の妖精……言われてみれば、男か女か、よくわからない顔立ちだけど……」

軽騎兵9「とにかく、まだあいつらに気付かれないうちに、みんなに知らせ……」

樹上の庭師「誰っ!?」

軽騎兵9「!!」ビビビックゥ!

王子「!?」

次兄「」

軽騎兵9「」


鉄格子を挟んで、次兄と軽騎兵9の、目が合った。

826: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 20:26:40.60 ID:rhUBWTQc0
軽騎兵達。

軽騎兵7「ふー、ジョロジョロ出続けてキレが悪かったのなんの、年寄りか俺は……」ガサ

軽騎兵6「はは、我慢し過ぎだったんだろう」

軽騎兵4「遅いから熊にでも襲われたのかと思ったぞ、7」

軽騎兵7「途中で見つけた足跡の事ですか? たしかにデカさなら熊並みですが」

軽騎兵7「だとしたら相当前についたやつでしょ。細部…指や爪の跡がわらからないほど形が崩れていたし」

軽騎兵6「さすが山育ち」

軽騎兵7「靴でも履いていたような…となると、熊どころか足跡かも怪しいね、あんな巨大な靴を履く生き物なんて」

軽騎兵7「さてと……ん、9の奴はどこ行った?」

軽騎兵8「あいつなら屋敷の様子を見に行ったぜ」

軽騎兵7「!? 誰かと一緒なのか!?」

軽騎兵5「一人でだよ。男を上げたいんだとさ」

軽騎兵7「あのガキにそんな発想があるか、この状況でそんな命令が出るわけもないし……さてはお前らだな!?」

軽騎兵5「おい心配すんなよ、どうせすぐベソかきながら戻ってくるって」

軽騎兵7「ちっ……」

軽騎兵7「ったく、連れ戻して来る!!」ザッ

軽騎兵5「……本人の前だと悪口ばっかりの癖に」

軽騎兵8「素直じゃないねえ」

……

末妹達。

末妹「……菫花様、遅いですね」

料理長「途中で倒れてでもいたら大変ですな、探してきましょうか」

執事「いや、わたくしが行く。本当に倒れておられても、そのまま運んで来れるからな」ゴゴゴ↑

執事「思い過ごしだと良いが……」ゴゴゴ↓

……

827: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 20:29:44.17 ID:rhUBWTQc0
正面玄関前の次兄達。

樹上の庭師(ああ、思わず声が出てしまった、こんなことになったのは僕のせいだ)

庭師(銃を持った人間を見て、恐怖で次兄様の言いつけも吹っ飛んでしまったんだ、僕の臆病者……)

庭師(死角になっている窓からそっと入って執事さんにこの状況をお知らせしよう、他の人間達が来ないうちになんとかしないと)

庭師(どんな方法で解決できるか、見当もつかないけど……)ヒラリ


次兄(……どうしよう)

次兄(兵士の格好とはいえ俺とあんまり年齢の変わらん奴だが、銃持ってますよ?)

次兄(おまけに筒先こっち向いてんですけど、無暗に人間に向けちゃいけないって躾は受けていないのかしらん?)

次兄(……おかげで微動だにできないではありませんか)


王子「」←目を見開いたまま意識混濁中


鉄格子の向こうの軽騎兵9(どうしよう……)

軽騎兵9(正面からだとますます僕より幼いただの子供にしか見えないが、逆に後ろの妖精は更に死霊のような顔色に)

軽騎兵9(おまけにさっき、木の上から聞こえた声、あれも小鬼の仲間に違いない)

軽騎兵9(この銃を下ろしたら何をされるかわからないぞ、これでは微動だにできない……)

……

屋敷裏手。

貴族?「む、この状況は非常にまずい」

貴族?「臆病な少年兵を面白半分にけしかけた阿呆がいるようだな」

貴族?「とにかく今は彼を刺激しないようにせねば、その裏で迅速に対応策も……」ブツブツ

貴族?「まずは『隠蔽』を維持したまま裏門を開いて、塀の内側に入る、と……よし、馬、行くぞ」

葦毛馬10「ぶるる」カッポ

……

森の中、屋敷正門まであと少し。

軽騎兵7(いたいた、いやがった、あのバカ、立ち尽くしてやがる)

軽騎兵7(……う、門の中に…建物の前に誰かいるぞ、無人の屋敷じゃなかったのか)

軽騎兵7(門扉と9との間にも草木が茂っているからよく見えんが……子供と……なんだあのまっ白い、幽霊みたいな……)

軽騎兵7(けっ、何が幽霊だ、9じゃあるまいし!)ブンブン

……

828: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 20:33:23.60 ID:rhUBWTQc0
屋敷内、一階廊下。

庭師「執事さん!?」

執事「おお、庭師どうした、もう早や次兄様の合図があったか!?」

庭師「執事さんこそ、末妹様達と隠れていたんじゃ」

執事「目を覚ました菫花様がお手洗いに出て行ったまま戻られないのだ、見なかったか?」

庭師「菫花様なら次兄様と一緒に玄関の前にいますよ、それで……大変なんです!!」

執事「!?」

……

現実の時間では数秒間と過ぎていない、夢の中。

(「……ろ、しっかりしろ!」)

(王子「……野獣!?」)

(野獣「いいか、気をしっかり持つんだ、皆を守りたければな」)

(野獣「私が……野獣が盗賊を追い払った時の『夢』を思い出せ、あの呪文……お前にも使えるはずだ」)

(野獣「いざという時はあれを使え。発動のタイミングさえ間違わなければ」)

(王子「……あ、あれは『我が身』のためだったから、一か八かの勝負にも出ることができた」)

(王子「しかし、今度はまかり間違えたら、次兄君が……!」)

(野獣「それでもお前にしかできん、そしてお前には他の手立てはない」)

(王子「……」)

(野獣「お前を弱らせた要因の私が言うのもどうかとは思うが、意識が遠くなっている場合ではないぞ、頑張れよ」)

王子「……」

王子(!)

王子(そうだ、気をしっかり持たないと)

王子(門の向こうにいる少年兵を刺激しないよう、聞こえないように、詠唱を……)

王子(距離が近い、発動のタイミングが遅ければ最悪だ)

王子(……この少年兵はひどく怯えている、まるで私のように臆病なのだな……)

王子(願わくば、引き金を引かずにいてくれよ、頼む)



829: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 20:40:23.87 ID:rhUBWTQc0
軽騎兵7(ちくしょう、9め、自分が何をしているのか、わかっているのか?)

軽騎兵7(中の奴が人間だろと化け物だろうと、この状況で引き金を引かせるわけには行かねえ)

軽騎兵7(不意を突いて、固まっている隙に銃を奪うか……?)



執事「この窓から出るか。庭師はここにいろよ」

庭師「執事さん……」オロオロ

執事「お前のせいではない、気に病むな」

執事「おそらくその人間は、若いせいもあるだろうが、銃の扱いに熟練しているとは思えない」

執事「至近距離ならともかく、離れた場所ならばなかなか『動く的』には当たらないものだ」

庭師「……狙撃手の気を引く作戦なら、執事さんより僕の方が」

執事「お前のような小さな生き物にはそもそも気付かないかもしれないぞ、大丈夫、ヘマはしない」バッ



貴族?「!!」

貴族?「『執事』め、早まりおって!! 馬、急げ!」ピシン!

……

軽騎兵9(……どうしたらいいんだ、もう緊張感に、耐えられない……)

執事「ウォォォーン!!」ザザザザッ!

王子「っ!?」

次兄「執事さん!? 来ちゃだめだ!!」

軽騎兵7「9!! 俺だ、7だ!!」バッ

軽騎兵9「う、うわあああああああ!?」




 乾いた音が響いた。




……

830: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 20:45:56.36 ID:rhUBWTQc0
末妹「っ!?」

メイド「……この音、私知ってる」

料理長「!!」

貴族?「くっ、『間に合った』か、それとも……」

葦毛馬1~9「ひひーん!?」「ひひん」「ぶひひん!」

軽騎兵3「馬達が……どうどう、静まれ!」

軽騎兵2「屋敷の方から!?」

軽騎兵5「や……やべえ」

軽騎兵8「あ、あいつ……」

軽騎兵1「全員、直ちに屋敷に向かえ! 馬はそのままここに残し、銃は忘れるな!」


……


…………


軽騎兵9「う、撃つ気はなかった、撃つつもりなかった、で、でも、指、指が……!」ガタガタガタガタ

軽騎兵7「落ち着け、9! 糞め、指が硬直してやがる……」ググ

軽騎兵7「いいか、俺がやった、今のは俺なんだ! 撃った銃を俺の手に……早く、皆が来る前に……!」


……


…………

831: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 20:52:33.58 ID:rhUBWTQc0
次兄()

次兄(ぱぁんって言いました。ぱぁんって)

次兄(銃声ですよね? 今の銃声ですよね??)

次兄(あ、あれ? 空が見えますよ? 俺、地面に仰向けに倒れていますか?)

次兄(なんか衝撃受けたかなーとは思ったけど)

次兄(……そっか、死んじゃうのか、死にかけるのは人生四度目だが今度こそ本気で)

次兄(ということは)

次兄(…………家の机のカギのかかる引き出しの中身)

次兄(あれを開くのは器用な父さんか、それとも次姉ねえさんが力づくでか、いずれにせよ)

次兄(発見→家族会議→焼却→家族の秘密=あと末妹にも超秘密。この流れは避けられまい)

次兄(そして俺の葬式では)

次兄(司祭様の『家族思いの健気な少年でした、穢れなき魂に救いあれ』というお決まりの文句が墓地に響く中で)

次兄(父さんと兄さんと姉さん達の脳裏に浮かぶのは……)

次兄(『次兄が紙に描いた絵』という名の、各自が生涯胸に秘めて行くであろう家族の秘密)

次兄(…………)

次兄(何という、血も凍るほどの恐怖でしょうか)ゾゾー…

次兄(せめて、せめて! すぐ傍らにいるポンコツ様に『机ごと燃やして』と一言告げねば! 最後の力を振り絞ーり!!)

次兄(いや、って言うか人生の最後に一番心配するのはそれかよ俺!? もっとこう、人として、最後に思いを馳せるのは!!)

次兄(最後に……最後、の?)

次兄(……あ、あれ? 死ぬような気がまるでしませんが??)


……


…………

832: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 21:01:02.02 ID:rhUBWTQc0
王子「……」ゴクリ…

王子「!!」

宙に舞う羽毛:ヒラ……

羽毛:ヒラ……ヒ

鉛玉:ポトン

次兄「……」

次兄「…………な」

次兄「何が、あった、の……?」ムクリ…

王子「次兄君っ!!」

執事「次兄様っ!!」ダダッ

貴族?「いかん、『沈黙の術』」ピローン

執事「!?」ビクッ!

執事「」パクパク

次兄「し、執事、さん……?」

次兄「…………執事さんが全裸!!??」

軽騎兵7「起き上がった!? あのガキ、生きてるのか!?」

軽騎兵7「おい9、お前が撃ったガキは無事だ、お前は人を殺しちゃいねえ!!」

軽騎兵9「……あ……7さん? どうしよう、僕……」

軽騎兵7「落ち着いてよく見ろ、中にいる奴は生きてるぞ!!」

軽騎兵9「で、でも、血が、血が出ています!」

軽騎兵7「あァ? ついさっきは何ともなかったのに? しかしよくわからんが元気だぞ、喜色満面で小躍りしてるじゃねえか!?」

王子「次兄君、鼻血鼻血、すごい鼻血……」アワアワ

次兄「むほぉぉ、執事さんの…執事さんの美しい銀色の毛並みが惜しげもなく太陽の下に晒されて!!」スキップスキップ

次兄「ここは天国、いや、天国以上の天国みたいな地上の楽園かあああああ!!」ピョンピョン

執事「    」

833: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 21:05:30.00 ID:rhUBWTQc0
貴族?「……ふう、脅かしおって」

王子「……!」ハッ

王子「あ、あなたは!?」

次兄「…………へ?」クル

次兄「お、おっさん!?」

次兄「そんな立派な恰好だからわかんなかったよ、あの怪しいローブはどこに、ってか何故ここにいるの!?!?」

貴族?「余計なこと喋るな、まとめて……」ピローン

王子「」

次兄「」

庭師&料理長&メイド「次兄様、菫花様、執事さん(様)!!」ダダダッ

貴族?「こいつら、ああもう……」ピローン

庭師&料理長&メイド「「「」」」

末妹「お兄ちゃん!!」トタタタタ

次兄(末妹!?)

ガバァ!

末妹「……びっくりした……銃声が聞こえたから……」

末妹「私が料理長さんを肩車して、なんとか壁の仕掛けを動かして……」

末妹「……窓から顔を出したら、お兄ちゃん、地面に倒れているんだもの……」ギュウ

次兄(……末妹、心配掛けたな)ギュー

次兄(俺は確かに撃たれた、真正面から、至近距離で。なのに、どうして……?)

末妹「……でも、無事でよかった……怖かった、怖かったんだから」グスッ

末妹「その血は鼻血でしょ? わかっているから大丈夫」フキフキ

次兄(さすが我が妹です)

次兄(……ん、シャツに焼け焦げたような穴が)

次兄(!! 銀板鏡!?)ヌギッ

834: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 21:08:42.99 ID:rhUBWTQc0
軽騎兵7「……あのガキ、服の中に金属板を仕込んでいた!?」

軽騎兵9「だ、だから無事だったのか」

軽騎兵7「子供のくせになんて周到な、あいつ只者じゃねえ……何者だ」

次兄(鏡、返事しろ鏡ぃーーーー!!)ユサユサ

鏡「……ハイヨ」小声

鏡「ナンダカネ、アタルシュンカンニ鉛玉ガ羽根ニカワリマシテ」

鏡「マトモニクラッテイテモ、アナタサマヲムキズデマモルジシンハアリマシタガネ」フンス

鏡「キョウハイロイロアッテツカレマシタ、マタアシタ」

次兄(お、おう……また明日)

軽騎兵1「9、7!! 何があった!?」

軽騎兵8「9!!」

軽騎兵5「7、9!! 大丈夫か!?」

軽騎兵2「あっ……依頼主様、いつの間に中へ!?」

貴族?「お、おおう、それにはまあ色々あってな」

軽騎兵1「さっきの銃声は何だったのですか!? そしてこの……」

軽騎兵1(どういう取り合わせなんだ、服を着た穴熊と猫と兎と…何も着ていない狼)

軽騎兵1(いやいや、こんな美しい人慣れした狼がいるものか、犬に違いない、あとは男の子と女の子と、もう一人……)

軽騎兵1「……この、子供達と動物達と、瀕死にしか見えない若者は!?」

貴族?「そう…この若者こそ儂が20年ほど前に旅の途中で恋に落ちた……行きずりの女性に生き写し」

次兄(はあ!?)

王子(し、師匠!?!?)

軽騎兵1「このお方が、あなたの仰っていたご子息でしたか」


835: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 21:12:57.27 ID:rhUBWTQc0
師匠「風の噂で彼女が儂の子を産み落としたとは聞いていたが、その子が回り回ってこんな辺鄙な地に流れ着いていたとは」

師匠「儂が命がけで手に入れた裏社会の情報は、真実だったのだ」

師匠「呪われた言い伝えのあるこの屋敷が、この気まぐれで煩悩具足な独身放浪貴族の私生児を守ってくれたのだな……」

師匠「可哀そうに、あまりの衝撃にこんな蒼白になって、声も出ないか、悪い父親を許してくれ息子よ……」ヨヨヨ

王子「  」

次兄「……ん、やっと声が出せるな」ンン

末妹「……お兄ちゃん、あの人、うちのお店に来たお客様……」

次兄「しっ、ここは何も知らないふりをするんだ」

次兄「なんだかよくわからんが、ポンコツ様達にとって悪い展開にはならない気がする、野生の勘だけどな」

師匠「この動物達は孤独な我が息子の心を慰めていた可愛いペット達」

師匠「少年と少女は旅の途中で父親とはぐれ森で迷子になった兄妹、数日前、偶然この屋敷に辿り着いた子供達だそうだ」

師匠「……そうだったな、坊や?」

次兄「は、はい、そうです、初対面の立派なおじさん!! な、妹よ!?」

末妹「ええ、何もかもその通りです!!」コクコクコクコク

軽騎兵7&9「」ポカーン

軽騎兵6「1さん、いったいどういうことですか?」

軽騎兵1「すまん、聞いての通り複雑な事情で、尚且つ依頼人様も確証が持てない情報だと悩んでおられた」

軽騎兵1「そこで、表向きは屋敷と付近一帯の下見と称して……」

軽騎兵1「我々の主人の他には、私と2、3、4にしか知らされなかった秘密の任務だったのだ」

師匠「頼む、我が息子だけではない、子供達にもこの動物達にもいっさい危害を加えないようお願いしたい」

師匠「……無事息子が発見されたから、追加報酬はこんなもので」金袋ドッサ

師匠「さて、『息子』よ」スッ

王子「」

836: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 21:18:19.20 ID:rhUBWTQc0
師匠「……お前への沈黙の呪文はもうしばらく解けない、我慢しろ」ヒソヒソ

師匠「230年ぶりの再会だ。儂はあの頃より10年ほど年は取ったがな」

王子「……」

師匠「詳しい事情は後で説明するが、とにかくだ、お前と獣達はこの先もこの屋敷に住むことができる」

師匠「この屋敷は儂の所有物、そしてお前はさっきの話の通り、『儂の隠し子』だからな」

王子「!?」

師匠「今は儂に話を合わせろ、大丈夫だ、悪いようにはせん」

師匠「……あと、あの娘は、あの後どうにか幸福な人生を送ったようだ。これも後でゆっくり話してやる」

王子「……!!」フラッ…

師匠「おっと」ドサ

末妹「!」

軽騎兵1「ご子息!?」

師匠「心配するな、あまり体調が優れない所に予想もつかない出来事が重なって、その緊張が一気に解けたのだ」ウソデハナイ

師匠「……本来ならばこの場で君達の労を労うべきだと思うが、息子がこの状態では……」チラッ

軽騎兵1「いいえ、もう充分過ぎるほどの報酬はいただきました、その上、無事ご子息と対面されて……本当によかった」

軽騎兵1「馬の疲れも取れました、我々は元来た道を引き返します、主人にも良い報告が出来ることを嬉しく思います」

軽騎兵4「えー…あの可愛い子に酒でも注いで貰えるかと期待したのだが」ユビサシ

末妹(わ、私!?)

軽騎兵3「き、君、小さい女の子を愛好する趣味があったのか……」ヒイタヨ

軽騎兵1「そうだ、その子達、迷子ならば我々が預かって家に帰しましょうか?」

軽騎兵4「いい考えです!」キラキラ

次兄「おいこら」

末妹「」

師匠「いやいや、それには及ばん。儂が責任を持って送り届けよう、それまでは引き続きこの屋敷に滞在させる」

次兄&末妹「「……ホッ」」

837: ◆54DIlPdu2E 2015/07/26(日) 21:22:16.28 ID:rhUBWTQc0
軽騎兵6「……あ、そう言えば」

軽騎兵6「すっかり忘れていましたが、さっきの銃声は」

軽騎兵7&9「!!」

師匠「何、あれは息子と少年に、あの大きな『犬』が近付いて来たのを9殿が見たので」

師匠「驚いて狼と見間違えて…こんなにそっくりではやむを得まい、追い払おうと空中に向かって威嚇射撃をしたのだ」

次兄「う、うん、俺も見ていただけだけど、だいたいその通りでしたー!」

師匠「……な、そうだな? 7殿、9殿」

軽騎兵7「は、はい、間違いありません!!」

軽騎兵9「……あ、ありがとうございます……」

執事「」コクコク

師匠(執事まで首を縦に振らんでもいい、全くこの家の動物達は……)

師匠「子供達を怖がらせてしまったようだが、勘違いとはいえ人命救助のためだ、誰も傷つかなかったし…許してやっておくれ」

軽騎兵5「……すまなかった、俺の悪ふざけのせいで」

軽騎兵8「俺も調子に乗っていた、本当に悪かった」

軽騎兵7「……ふん、俺じゃなくて9に謝れよ」

軽騎兵9「いいえ、僕も……改めて、武器を持つ立場の重みを思い知りました……」

軽騎兵7「運が良かった。たった15のお前が、何の罪もない子供を死なせなくて、本当に……」

次兄(俺の方が年上ですけどねー)

軽騎兵9「……あと、7さん、ありがとうございます」

軽騎兵7「な、なんだよ!? 礼を言われる筋合いはねえぞ!!」

軽騎兵2「何を赤くなっている、7。さあ皆、馬の所に戻って帰り支度をしよう」

軽騎兵1「依頼成功のお祝いに…旅の前にご主人様の許可もいただいている、途中の商業都市で宴会だぞ!」

軽騎兵達「おおー!」「やった!!」「酒が飲めるー」「行っとくが、1さんが選ぶ酒場に幼女はいないからなー!」

軽騎兵1「では、また後日、依頼人様」

師匠「ああ、君らのご主人の家にまた顔を出すよ」

……

……

840: ◆54DIlPdu2E 2015/07/29(水) 22:37:51.33 ID:oMLOPWZi0
引き続き、屋敷前庭。

師匠「……行ったか。さて、とにかくこいつを部屋に運ぶか。執事、手伝ってくれんか?」

執事「!」

師匠「安心しろ、おぬしが二本足で歩き人語を解することはわかっておる。沈黙状態も解除してやろう」ピロン

執事「……あ、貴方様は、いったい……」

師匠「後で説明してやる。それより……菫花だが、思ったより状態が悪い、早く寝室へ」

執事「は、はい!!」

次兄「ポンコツ様、確かにひどい顔色だ」

末妹「私にもできることがあれば……」

料理長「お、わしらも話せるようになった」ホッ

メイド「わ、私は何を手伝えばいいでしょう、えーとえーと、老けておられる人間様!!」

庭師「……あのさぁ、メイドちゃん」

師匠「儂のことは師匠と呼ぶがいい。そうだな、全員…とにかく一緒に来てもらおうか」

……

野獣の部屋。

末妹「菫花様、しっかりしてください……」

執事「またわたくしが暖めましょうか?」

次兄「ううううう羨まけしからんううううう」

師匠「いや、それには及ばん」

師匠「みんな疲れただろう、朝までここで休むがいい」ポワワン

次兄「へ?」

末妹「え」

メイド「ふぁ」

841: ◆54DIlPdu2E 2015/07/29(水) 22:40:07.80 ID:oMLOPWZi0
ズルズル……コテン

一同「「「「「「スー…スー…」」」」」」

師匠「ふむ。4匹と2人、こんなにあっさり眠りの魔法にかかるということは、やはり疲れもあったのだろう」

師匠「掛け布団の代わりに、各自に最適な温度を保てるように特殊な空気の膜を纏わせる、と……」フワワーン

師匠「これで風邪はひくまい」

末妹「スヤスヤ……」

師匠「正直、今の菫花に彼等がしてやれる事は何もないのだ」

師匠「心配するあまり神経を擦り減らすよりは、この方が余程……」

師匠「さてと、儂はあいつと一緒に、こいつの治療に取り掛かるか」

…………

……

夢の中、のような場所。

(師匠「おい、元弟子」)

(野獣「師匠……」)

(師匠「230年ぶりの再会、積もる話もしたい所だが、後回しにしなければならん理由ができた」)

(師匠「王子……菫花がちょっとマズい状態でな。かなり無理をした上に、安堵で気が緩んだせいだろう」)

(師匠「お前を生み出すために消費した力は、本来、時間が経てば回復するが…それを待つほどの余裕が無い」)

(野獣「で、では、どうしたら良いのですか」)

(野獣「……執事達や末妹達の前から、また誰かがいなくなってしまうのは……」)

(師匠「ふむ、お前と儂が元凶だ、我々が責任を持って助けてやらねばならん」)

(師匠「ちょっと良いか?」ムンズ)

(野獣「え、師匠、私のどこを掴んで」)

(師匠「これくらいちぎっておくか」ブチブチブチブチー)

(野獣「!?!?」)

842: ◆54DIlPdu2E 2015/07/29(水) 22:43:44.88 ID:oMLOPWZi0
(師匠「見てみろ。お前の一部だ」フワフワ…)

(野獣「……透き通った、見えるような見えないような? フワフワした? 丸いかたまり……?」

(師匠「儂でもなければこんな芸当はできないとは言え、肉体がないお前だからな、どこを引きちぎっても『欠損』はしない」)

(師匠「ただ、ちぎり取った後のお前は全体的に小さくなっている」)

(野獣「……あ、そう言えば、師匠との身長差が」)

(師匠「背丈だけではないぞ」)

(師匠「言わば、お前の縮尺1/10の粘土像から少し粘土を引きちぎって玉にし、残った分で縮尺1/12の像を作るようなものだ」)

(師匠「これくらいの量ならサイズが変わる以外に特に影響もないし、しばらく立てば元に戻る」)

(師匠「そして菫花には応急処置として充分な量だろう、これを受け取れば後は2~3日ですっかり回復する」フワフワー)

(野獣「そうですか、助かるんですね……」ホッ)

(野獣「では、早く菫花に」)

(師匠「あー、それは『本人同士』の方がよい。儂では、ちぎるのは簡単でもくっつけるのは面倒でな」ポイッ)

(野獣「私が?」キャッチ「どうすれば?」)

(師匠「夢に呼び出して、どこでもいいからちょっと強めに押し付けてでもやればよい」)

(野獣「……と言うことは、菫花は逆に大きくなったりするのでしょうか?」)

(師匠「それはない、吸収されて……要するに、内部の虫食い穴に『それ』を充填して修復する、これが近いかな」)

(野獣「建築材みたいですね」)

(師匠「さて、儂も少し疲れた。お前が菫花を相手にしている間、休ませてもらおう」)

(師匠「終わったら私を呼べ、今夜は儂と話をしよう」)

(師匠「……使用人と兄妹は、朝までゆっくり休ませて、目覚めてから話をしようと思う」)

(師匠「彼等、特に兄妹には謝らねばならんこともあるのでな」)

(師匠「南の港町で出会って、お前と関わりがあると知ったので正体を隠して近付いたのだ。無論それだけではないが」)

(野獣「……」)

(野獣「とりあえず菫花にこれを渡して…くっつけて? …きましょう。また後ほど、師匠」)

……

843: ◆54DIlPdu2E 2015/07/29(水) 22:46:52.62 ID:oMLOPWZi0
(野獣「師匠、終わりました」)

(師匠「おお、どうだった、あいつは」)

(野獣「夢の中でもぐったりとして、死にそうな顔で、それでも…どこか、満足そうで」)

(野獣「呼びかければ反応はありましたが、殆ど口も聞けないほど弱っていたため、これは急いだ方がいいかと」)

(野獣「先ほどのフワフワを胸のあたりに置いて、上からゆっくり押し付けたところ」)

(野獣「師匠の仰る通り、すーーーーっと溶け込むように入りこんで……消えて」)

(野獣「顔色が良くなったかと思うと、安らかな寝息を立て始め……もう大丈夫だろうと、そのままにして戻って来ました」)

(師匠「そうか、うむ、儂のちぎった量は適切だったようだ」)

(野獣「……師匠、私を追って、この時代に来たのですか」)

(師匠「うむ、お前のような間抜けの阿呆の世間知らずを、ひとり放り出すのもあまりに無責任かと思ってな」)

(師匠「この時代で人々に迷惑をかけられても困るし、うむ」

(野獣「どんな理由であれ、嬉しいですよ私は」ニコ)

(師匠「……笑った顔がまた怖い。よくあの少女は平気だな」)

(野獣「慣れだと思います。あと、ここが貴方の所有物という話についてですが……ハッタリではないでしょうね」)

(師匠「正真正銘、私の持ち物だ。現国王の本物の署名が入った証文だってあるぞ」)

(野獣「いったい、どうやって……」)

(野獣「本当に大丈夫なのですか? 後々、大変なことになりませんか?」)

(師匠「お前、儂の弟子だった魔法使い1と2のことは知っておるだろう。正式な儂の弟子であり助手の」)

(野獣「ええ、お二人とも私より少し年上でしたね。確か小国の民ではなく、とある国の民でしたっけ」)

(師匠「そうだ。そして、当時の小国の王、お前の父が出入りを許す異国人ということは……わかるな?」)

(野獣「……かなり地位の高い家柄の子息、というわけですね」)

(師匠「彼等の子孫の家系はいまだに大きな力を持っている、王族との繋がりも」)

(師匠「そして、二人とも子孫に『師匠という人物が自分の時代に現れたら力になって欲しい』と引き継いでいた」)

(師匠「公式には『師匠』は197年前にひっそり亡くなった事になっているが、その前に」)

844: ◆54DIlPdu2E 2015/07/29(水) 22:49:35.11 ID:oMLOPWZi0
(師匠「221年前に爵位を授かって男爵となった」)

(師匠「金で買った爵位と一部で噂されたが、そんな人間は掃いて捨てるほどたくさんおるから問題なし、そして」)

(師匠「更に翌年、55歳にして若い愛人との間に長男が誕生した」)

(野獣「……は?」)

(師匠「あくまでもそういう設定なのだ、正式な妻ではないのはどうせ架空の人物ならばその方がボロが出ないからな」)

(師匠「『師匠男爵家』は細々と続き、しかし代々が人嫌いのためか世間に顔を出すことは滅多になく」)

(師匠「この時代に生きている儂はその子孫で、今から55年前に生まれ」)

(師匠「成人すると同時に遺産を散財し始め、30年前には気まぐれで『呪われた屋敷』を遺産で購入した」)

(野獣「……屋敷にかかっていた師匠達の隠蔽魔法が解かれた頃ですね」)

(師匠「おそらくお前が知っている以上に世間ではひどい噂が出回っていたので、誰も欲しがる者のいない土地屋敷」)

(師匠「……ま、魔術師ギルドが意図的に念入りにばら撒いた噂だがな」)

(師匠「驚くほど安く、国王の許可もあっさり降り、人々の話題に上ることもなかった」)

(師匠「ついでに、その5年くらい後に盗賊ギルドの下っ端連中が何やら屋敷に興味を持ち動き出したようだから」)

(師匠「裏ルート経由でちょいと揺さぶってやったら、あっさり手を引きおったらしいぞ」)

(野獣「え」)

(野獣「……私ひとりの力で追い出せたわけではなかったのですね。なんだか残念です……」ションボリ)

(師匠「いやいや、揺さぶっただけで簡単に退くとは思えず、賄賂や少々の揉め事は覚悟していたそうだが」)

(師匠「盗賊どもはなんだか願ったり叶ったりという雰囲気で、拍子抜けするほどだったらしい」)

(師匠「実際にここに足を踏み入れた経験のある連中は、化け物がどうとか言っておったそうだ」)

(師匠「お前の『戦い』は無駄ではなかった、自信を持て」)

(野獣「……ということは、師匠は私と盗賊とのいざこざを御存知だったのですか?」)

(師匠「お前、あの兄妹が家に帰っている間、あらゆる時期の日記をひもといては読み返してばかりいたではないか」)

(野獣「あ、鏡の魔法……ですね」)

(師匠「さよう。で、話を戻すが」)

845: ◆54DIlPdu2E 2015/07/29(水) 22:58:22.71 ID:oMLOPWZi0
(師匠「この屋敷に住んでいる若者は、20年前、放浪癖のある儂がとある町の行きずりの女性との間に成した子」)

(師匠「身籠ったと知るや儂は女性の前から姿を消し」)

(師匠「女性は男の子を産んで10年後、極貧の中で亡くなり、子供は縁者や孤児院をたらい回しにされながら育ち」)

(野獣「なんというひどい父親」)

(師匠「全くだ。哀れな母親が実在しないのは救いだが」)

(師匠「さて、母親から『まだ見ぬ父親は八代目師匠男爵』と聞かされて育った少年はやがて青年となり」)

(師匠「あれこれ調べた末、呪われた屋敷が父親の家の所有物と知り、苦労した揚句辿り着いた。今から2年ほど前だ」)

(師匠「世間の冷たい風に晒されすっかり傷心の私生児は、そのまま無人だった屋敷に住み着き」)

(師匠「動物だけを友にして暮らしている……と、そんな噂を裏社会から入手した儂は数少ない『旧友』を訪ね」)

(師匠「我が子に詫びるべく、旧友の協力を得て到達困難な屋敷に向かったのである」)

(師匠「……と、これが筋書きだ」)

(野獣「実際は、どのように『旧友』ことお弟子さんのご子孫との繋がりを得たのです?」)

(師匠「儂はギルドの支部だった建物の、秘密の地下室で眠りについていたわけだが」)

(師匠「魔法使い1の子孫が一応は監視をしていたそうで、儂が目覚めた事はすぐに知れた」)

(師匠「宿屋に滞在中の儂に手紙をよこし、家に招かれ、そこで初めて『儂』が30年前に屋敷を買ったところまでを聞いた」)

(師匠「菫花が私生児云々は、儂から提案した話でな」)

(師匠「弟子達は子孫も含め、王子が眠りに付いた直後の魔術師ギルド内での取り決めにより」)

(師匠「この屋敷に直接関わることはできなかったからな、『王子』の生死すら知らずにいた」)

(師匠「で、ここへ来る時は一人で十分、というか魔法で一瞬でも来られたのだが……」)

(師匠「話の流れで、子孫の私兵達が護衛で付いてくれることになり、そうなれば大っぴらに魔法を使うわけにもいかん」)

(師匠「表向きは精密な地図を持っているということにして」)

(師匠「実際は、気付かれないよう地味に最短距離を探る魔法を使って、勿体ぶって辿り着いたわけさ)

(師匠「お前も、菫花も、他の皆も生きた心地がしなかっただろう、本当にそれはすまなかった」)

(師匠「……あの少年、次兄も危ない所だった」)

846: ◆54DIlPdu2E 2015/07/29(水) 23:01:40.14 ID:oMLOPWZi0
(野獣「あれこそ、生きた心地のしない瞬間でした……」)

(師匠「心臓ぶち抜かれても直後ならば儂の力で救命してはやれるのだが、そういう問題でもないからな」)

(師匠「菫花の呪文で助けられたのは色々な意味でよかった」)

(野獣「……隠しておられたのは止むを得ません、この時代の人々に、魔法使いが現存していることを知られるわけには」)

(野獣「お弟子さんのご子孫達は例外でしょうが、彼等だって非常に気を遣って暮らしておられるのでしょうね」)

(師匠「どちらの弟子の子孫達も、連絡を取り協力し合いながら、儂の存在と秘密を守り続けてくれたのだ」)

(師匠「護衛に付いて来た軽騎兵達も、自分の主人には忠実であっても、魔法はとうの昔に失われた力という認識で」)

(師匠「出自や育ちは様々、魔法を忌み嫌う者がいたり、極端に恐れおののく者がいても仕方がないことだ」)

(野獣「みんな無事でした、誰も傷ついてはいません、今はそれが全てです」)

(野獣「それに、菫花は長い年月を越えてこの時代に存在することを許されました、師匠達のおかげで。そうなのでしょう?」)

(師匠「そうだな。儂も許されたようだが」)

(野獣「私はこれからは自信を持って、こう言えますよ」)

(師匠「うん?」)

(野獣「あの舞踏会の夜に王子が受けたのは、死に行くための罰ではない、生きて行くための試練だったのだ、と」)

(師匠「ようやく気付いたのか、この愚か者で鈍感で臆病者の愚かな弟子め」)

(野獣「愚かって2回も言われてしまいました」)

(師匠「何度でも言うわ、そう簡単にバカが治ってたまるか……」)

(師匠「……」)

(師匠「……『お前』を生かしてやれなくて、本当にすまなかった。それだけは、どうあっても不可能だった……」)

(野獣「いえ、私は『生きて』いるじゃないですか、ここに」)

(野獣「師匠の、魔術師ギルド幹部の強力な呪術に逆らって、こうして」)

(師匠「…確かに予想外だった。あり得ないことが起きて儂も驚いたよ」)

(野獣「でも、私ひとりの力ではありません」)

(師匠「ああ、それもわかっている……」

(野獣「……師匠、ありがとうございます。見捨てないで下さって」)

847: ◆54DIlPdu2E 2015/07/29(水) 23:03:09.92 ID:oMLOPWZi0
(師匠「よい、もうよい。礼を言うのはこちらだ、儂こそ報われた、お前に救われたのだ……」)

(野獣「師匠のそんな顔、初めて見ました」)

(師匠「ああ全くもう、こんなこと口に出すつもりはなかったのだぞ!? この話は本当に終わりだ!」)

(野獣「はいはい……ところで」)

(野獣「執事達はあまり人間社会のゴタゴタには疑問を持たないかもしれませんが」)

(野獣「当事者の菫花はともかく、次兄や末妹にもこの話をするのですか?」)

(師匠「……何も説明しないわけには行くまい。かいつまんで話しはする」)

(師匠「次兄には『汚い大人』呼ばわりされそうだが」)

(野獣「似たような発想で窮地を乗り切る方法は考えていたようですけど」)

(野獣「それより、師匠が二回も愛人に子を産ませ、うち一人は見捨てたなんて話、末妹には聞かせたくないのですが……」)

(師匠「……うむ、先祖と子孫だから別人だし、儂も女も独身だから不倫ではないし、なにより架空の話だが」)

(師匠「あまりあの年頃の娘に話すような内容でもないわな」)

(師匠「ま、そこらへんはどうにかするから任せておけ」)

(野獣「うーん、ちょっと不安ですが、信用しましょうか」)

(師匠「あとは……別の話をお前は聞きたいのではないか?」)

(野獣「別の話」)

(師匠「菫花が気絶する直前の儂の言葉。お前も『聞いていた』のだろう?」)

(野獣「……菫花に後で詳しく話してやるとも仰っていましたよね? 私もその時に聞きますよ」)

(野獣「師匠もそろそろお休みになりたいでしょう? 夜が明けてしまいますよ」)

(師匠「お前がそう言うなら……」)

(野獣「師匠の一言が事実ならば、私も胸を撫で下ろせます」)

(野獣「何度か調べようとはしましたが、ありふれた女性名、小国の貧民には苗字もなかった」)

(野獣「いくら魔法が使えても、屋敷に居ながらの調べ物は限界がありましたね」)

(師匠「平凡ながら幸福な人生だった事は保証しよう」)

(野獣「平凡な幸せ、何よりではありませんか」)

(師匠「そうだな。儂とお前には、縁のないものだったがな……」)

………… 

853: 850修正版 2015/07/30(木) 21:39:42.54 ID:/bCMlXGe0
翌朝。

スズメ:チュンチュン

末妹「ん……」モソ

末妹「……やだ、いつも間にか眠っちゃってた?」ガバ

メイド「……ふぇ、末妹様……?」ピョコ

末妹「メイドちゃん、あ、料理長さんと庭師君も……?」

料理長「…うむむ……ふわぁ」モゾリ

庭師「……くあぁぁぁぁぁ~」ノビー

末妹「思い出した、皆で集まった時に、師匠様が……、菫花様は!?」

毛布の塊「……スースー」

末妹「全身潜ってしまうのは癖なのかしら。そーっと……」メクリ

末妹「……顔色は良さそうね。どうかしら?」

料理長「ええ、昨日よりはずいぶん良さそうですなあ。よかった」

末妹「このまま眠らせておきましょう」ファサリ

メイド「師匠様と……執事様と次兄様がいらっしゃいませんね」

庭師「師匠様が看病されていたのかな? 僕の記憶では、執事さんと次兄様も僕らと一緒に眠っちゃったと思ったけど」

ドア:カチャ…

執事(着衣)「…………」ノソリ……

メイド「あっ執事様…………すっごい御機嫌悪そう」

執事「……おや末妹様、お目覚めでしたか。皆も……」

末妹「おはようございます、執事さん」

執事「師匠様が一晩中ついておられたそうで、菫花様はもう心配いらないそうですよ」

執事「料理長、メイド。末妹様達の朝食の支度を。菫花様には、目を覚まされるのを待って、ご本人に確かめてからで良いだろう」

執事「その間に、私は師匠様のためのお部屋を用意しよう。メイドは手を離せんから、庭師、手伝っておくれ」

庭師「は、はい」

執事「末妹様はいつもの席でお待ちください、師匠様もすぐに参られます。お腹がお空きでしょう」

末妹「あの……兄がどこにいるかご存知でしょうか」

執事の首毛:ブワワッ

854: 851修正版 2015/07/30(木) 21:40:42.82 ID:/bCMlXGe0
末妹「」

末妹「……なんでもありません、ごめんなさい」

末妹(今度は何をしたのかしら、お兄ちゃんたら……)

執事「し、失礼致しました、つい過剰反応してしまいました」アワワ

執事「次兄様ならお風呂場です、少し遅れましょうが、じきに食卓にお見えになるでしょう……」

末妹「お風呂場?」

風呂場。

次兄「うん、服の洗濯終わり。俺の手と顔から胸にかけて広範囲の洗浄も終了」

次兄「……スズメのさえずりに目を覚ますと、目の前に執事さんのふっさふさの首毛」

次兄「昨日は結局全裸のまま眠ってしまった執事さんの胸に抱(いだ)かれ、逞しい前肢はさりげなく俺の肩に」

次兄「そして、安らかな寝息を立てる執事さんの美しい横顔がカーテン越しのまろやかな朝の光を浴びて……」

次兄「自分が着衣である状況だけが恨めしかったとは言え」

次兄「なんという絵に描いたような朝チュン、これが興奮せずにいられましょうか」

次兄「……執事さんの毛皮と俺の上半身は次の瞬間、赤い血潮にまみれました。鼻血ですよ」

次兄「目を覚まし状況を理解し怒りを隠さず尚且つ他の皆を起こさないよう気遣う執事さん、使用人の長の鑑(かがみ)」

次兄「……」

次兄「……さて、どうやって謝ろうか……」

次兄「とにかく、末妹達が待っているだろう、朝食の場へ行かねば」

次兄「……あ、着ていた服、全部洗っちゃった…………」ドウシヨウ

見苦しいシーン省略。

……

朝食後の調理場。

料理長「わしの料理は師匠様のお口にも合ったようで、よかったよ」カチャカチャ

メイド「次兄様はおとなしかったと言うか、誰とも目を合わせませんでしたねえ」カチャ

師匠のための客間。

執事「さて、こんな感じで良いか。あとはご本人の希望を聞いてから整えよう。庭師、ご苦労だったな」

庭師「へへ、僕もなかなかベッドメイキングが上手でしょ?」

ドア:コンコン……

855: ◆54DIlPdu2E 2015/07/30(木) 23:38:15.78 ID:/bCMlXGe0
庭師「あれっ、どなた? カギはかかっていませんよ」

執事「……この匂いは……」ピク

ドア;キィ……

次兄「……えーと、執事さんこちらだって聞いたから……」ヌー

庭師「あ、僕、席外しましょうか?」

執事「いや、いてくれ。すまんが一切口を挟まず、緩衝材として」ピリピリ

庭師「なんだかよくわかりませんが、承知しました」

次兄「あのー、執事さん、今朝は失礼致しました、いやホンットすみませんでした!!」ドゲザー

執事「故意でないのはわかっていますよ、仕方がないんですよね、貴方様はそういうお方なのですからね、わかっています」

次兄「ううううう……トゲトゲしいよぉ……」

次兄「……俺の事は嫌いになってもいいですが、見てほしいものがあります」ドサ

執事「?」

次兄「……色々タイミングが悪くて渡しそびれていたお土産……」

次兄「先に渡した食料品は父から、これは俺からです」

執事「……庭師、その包みを開いてくれ」

庭師「はい……ん、紙の束、『絵』ですね」パラ

庭師「僕やメイドちゃんや料理長さん。あ、執事さんの絵もありますよ。ほら、こんなに」

次兄「家で描いてきました、あの二週間の間に」

執事「……わたくしは絵なぞわかりませんし、貴方様に描いてくれと頼んだ覚えも」

856: ◆54DIlPdu2E 2015/07/30(木) 23:40:02.29 ID:/bCMlXGe0
庭師「あ、ご主人様」パラ

執事「…!」

庭師「たくさんありますよ、あ、これ、末妹様と踊られた時の服だ」

執事「……細かい所までよく見ていらっしゃるのは、わたくしにも理解できますが」

庭師「執事さん、これ、お屋敷のどこかに飾りませんか」

庭師「それならご主人様にも見えるでしょ?」

庭師「夢の中に絵は持って行けないですから」

執事「……」

執事「そうだな、ご主人様の絵は皆が出入りする居間に飾ろう」

執事「お前達の絵は描かれた各自に渡そう、それでいいですかな、次兄様」

次兄「ふぇ? は、はい、よろしかったら皆さんがお持ちになってください、その後は煮ても焼いてもー!!」

執事「よし、では分けるか。これはお前、これは料理長、こっちはメイド……そしてこれはわたくし」

次兄「へ」

次兄「執事さんも、もらってくださるんですか?」

執事「……他の者に渡してもどうしようもないでしょう、それだけですよ」

執事「それにいただいた限りはわたくしの所有物です、どうしようと勝手ですからね」

次兄「ありがとうございます、ありがとうございますうぅぅぅぅぅぅぅ!!」ゴタイトウチー

執事「……ふー」タメイキ

執事「貴方様は本当に奇妙な人間です……充分わかっていたはずなのに」

執事「……もっとこちらも貴方様に慣れたほうが、後々お付き合いも楽になるかもしれませんね」

……

859: ◆54DIlPdu2E 2015/08/01(土) 09:27:30.69 ID:8MlgZ+m+0
野獣の部屋。

毛布「……うー…ん?」モソ

師匠「おう、目が覚めたか」

毛布「……!?」モゾッ

王子「師匠……!!」バサッ

師匠「おはよう」

王子「……本当に、貴方は師匠なのですね……まだ信じられない」

師匠「挨拶は返さんか」

王子「……おはようございます」

師匠「背中の後ろにクッション積んでやったから凭れ掛れ、ほれ」

師匠「メイドに暖かいカミツレ茶を持ってきてもらった」

師匠「1時間くらい前だが、儂の魔法で適温に保っておいてやったぞ。まずは水分を摂れ」

王子「は、はい……」クピ

王子「……おいしい」フゥ

師匠「まったく、料理長の料理といい、メイドの淹れる茶といい、高級ホテルにも劣らんわな」

王子「……夢に野獣が出て来まして……彼と師匠が、私の命を助けてくれたのですね」

師匠「お前を弱らせたあいつと、そんな状態のお前に無理をさせた儂が責任を取っただけだ」

師匠「さて、食事と話、どちらを先にしようか?」

王子「……では、お話からお願いします」

師匠「よし」

860: ◆54DIlPdu2E 2015/08/01(土) 09:37:44.65 ID:8MlgZ+m+0
休憩をはさみ、小一時間後……

王子「……師匠男爵家、ですか」

師匠「儂が予定より30年も遅れて目覚めたせいで大変だったらしいが、そこはなんとか弟子の子孫達が頑張ってくれた」

師匠「まあ、文字通り名ばかりの貴族とはいえ、『身分』に、その時代に存在しない人間が200年以上守られたのだ」

師匠「それに貴族でもなければこんな怪しい屋敷など手に入れたがるものか」

師匠「世間に知れたとて『貴族ってのは物好きだな』で済まされるのだ」

王子「そんなものですか」

師匠「そんなものさ」

王子「……私を、その物好きな男爵の『息子』としたのは何故ですか」

師匠「存在するのだかしないのだかわからん、家に憑いた妖精の方がよかったか?」

王子「次兄君の提案、鏡で知ったのですね」

師匠「少年もなかなか考えたな、とは思ったが」

師匠「お前には人間として世間の中で生きて欲しかったのだ、それにはこの時代での出生の証拠がないとな」

王子「世間の中で……」

師匠「さて、『初代は愛人に産ませた子を認知し二代目として爵位を相続させ、なんだかんだと家は続いて来た』が」

師匠「『八代目は愛した女性とその子を20年間も放置した罪滅ぼしに、遡って亡くなった女性と正式な婚姻手続きを取る』」

師匠「『男爵は妻子を日陰者から引き上げる代わり、自分の爵位を国王に返上することを申し出た』」

師匠「『二代目以降、社会に貢献した実績もないことから、返上はすんなりと認められようが』」

師匠「『寛容な我らが国王は、屋敷と周辺の土地、必要最低限の財産だけは元男爵の手元に残してくださるだろう』」

王子「…………は?」

師匠「……儂が手紙を魔法で『旧友』に届ければ、後は彼が面倒な手続きをしてくれる手筈になっておる」

師匠「一応、数か月じっくり考えた事にして、手続きを始めるのは年が明けてからにしてもらうがな」

師匠「『父親は庶民に格下げ、子は師匠男爵の庶子ではなく、庶民師匠の正式な嫡出子になる』」

師匠「『今後、親子は労働による対価を得て暮らすことになるだろう』」

王子「男爵の身分を捨てるのですか?」

師匠「長き眠りについていた間は守ってくれた肩書とは言え、今となっては必要ない、むしろ重荷だわい」

861: ◆54DIlPdu2E 2015/08/01(土) 09:39:53.27 ID:8MlgZ+m+0
師匠「書類上は継続していた証拠があっても実在しない男爵家だ、国から給付金が払われた事実もなければ」

師匠「我が男爵家に搾取されていた人間も当然おらん、ならば『貴族として社会的責任を果たす』義務はどこにもなかろう?」

師匠「ならば放棄して誰が困るか傷つくか、なあ?」

王子「……えーと、えーと……そういうものですか……??」

王子「……結局のところ、お弟子さんのご子孫ばかりに、多大な苦労を掛けていませんか?」

師匠「彼等とは約束を交わしてある」

師匠「儂にしか出来ない方法で、今後たっっっぷり恩返しをしてやる約束だ」

王子「師匠にしか?」

師匠「儂の最も得意な魔法は攻撃系だが、今の世の中さすがに戦でもない限り、活用の場はない」

師匠「だが、次に得意なのはなんだった? これもお前は不得手だったが」

王子「…………呪術でしたね」

師匠「『本物の』身分の高い人間は何かと大変でなあ、ずいぶん助かります、と儂に感謝しておったわ」ニヤリ

王子「」

王子「……詳しく内容を聞かない方が賢明なようですね」ゾワワ

師匠「話すつもりもないが、お前が考えた最悪の行為よりはなんぼか穏便だから安心しろ」

王子「……だからもういいですってば」

師匠「わかったわかった」

王子「……あの、師匠」

王子「感謝はしているんですよ。私と、使用人の獣達が、暮らして行ける場所を……ありがとうございます」

師匠「何を言う、お前の真の試練はこれからだぞ」

師匠「晴れて庶民となったからには世間に揉まれ働き対価を得て暮らす、お前には未知の世界で未知の体験だ。大丈夫か?」

王子「頑張ります。今の私には、守るものがありますから」

師匠「その言葉、しかと聞いたぞ」

師匠(正直不安は拭えんが、今は言うまい)

862: ◆54DIlPdu2E 2015/08/01(土) 09:43:19.47 ID:8MlgZ+m+0
師匠「……さて、お前が良ければ、次の話をしようかの」

王子「……図書館の彼女の話、ですか? 聞かせてください!」

師匠「簡単に話すと、彼女は27歳で誠実な男と結婚し、28歳で長男、30歳で長女を授かり」

師匠「孫は合計5人、72歳の時に夫に先立たれるが」

師匠「その後も子や孫達と共に暮らし、76歳の生涯を安らかに眠るように終えた。おしまい」

王子「…………」

王子「いくらなんでも簡単過ぎやしませんか」

師匠「これ以上、何か必要か?」

王子「……いいです。ちょっと疲れて来ましたし」ゴソゴソ「寝ます」バッサ

師匠「拗ねたか。不貞寝か」

毛布「……」シーン

師匠「ちょっとからかい過ぎたか。あのな、あの娘の子孫に会いたくないか?」

毛布「……!!」

王子「ご存知なのですか!?」バサリ

師匠「もちろん、全員には会わせられないぞ。ごくごく一部になる」

師匠「ひ孫は12人、その子供らは27人……更に代を重ねていけばどえらい人数になるからな」

師匠「そして200年以上経っているぞ、何代も替わって、そこまで離れるともはやあの娘とは他人と変わらん」

王子「……それでもいいです」

王子「彼女が幸せな母親になったのなら、孫も、そのまた子供も、ずっと平穏であるようにと望んだでしょう」

王子「子孫がいるのは、その望みが叶った証拠ですから、それを私の目で確かめたい」

王子「一人でもいい、姿を見るだけでも」

王子「その人が幸福に暮らしてさえすれば……」

師匠「わかった、いずれ会わせてやろう」

師匠「まずは元気になって、そこから先こそお前には大変だろうが、少なくとも今よりはマシな人間になってからな」

王子「……頑張ります。約束しましたからね」

師匠「おう、せいぜい頑張れ、書類上の我が息子よ」

……

873: ◆54DIlPdu2E 2015/08/13(木) 23:12:24.49 ID:fr00ougs0
引き続き、師匠と弟子であり書類上の父子……

王子「……そう言えば」

師匠「なんだ?」

王子「貴方は『おはよう』なんて仰っていましたが、窓の状態から考えると、夕方近いですよねこれもう」

王子「今、何時ですか? 私はどれくらい眠りこけていたのでしょう?」

師匠「午後四時半だな。ほぼ丸一日近く眠っていた計算になる」

王子「……そうでしたか」

王子「あの、他の皆さんに事情の説明は……」

師匠「兄妹と使用人達にはもう話したぞ。当事者のお前に先にするつもりだったが、いつになっても目を覚まさんのでな」

師匠「危ない目にも合わせてしまったし、兄妹の事は騙してもいた、それを詫びたが」

師匠「儂の行動はお前や野獣のためだからと、許してくれた、というか怒ってもいないと」

師匠「優しい子達だな」

王子「……そうですね。野獣が思い入れるのもわかります」

師匠「で、話は変わるが」

師匠「お前は、屋敷を儂のものとすることを許してくれるのか?」

王子「……もちろんです。そうでなければこの場所を守れない」

王子「そもそも、私自体がこの屋敷に暮らしてよいものか……」

師匠「使用人達は野獣にお前の事をよろしくされたのだ、あとはお前がお前の意思で決めろ」

王子「私の意思……」

師匠「あともうひとつ……公的には儂がお前の『父親』となるが、それは構わないか?」

師匠「事後承諾と言ってしまえばそれまでだが、お前の気持ちとして」

師匠「お前の両親を殺したのは」

王子「…………」

王子「このことで、師匠達や依頼をした民への恨みはありません」

王子「遅かれ、魔術師ギルドでなくても、誰かがきっと王家を……」

874: ◆54DIlPdu2E 2015/08/13(木) 23:14:37.33 ID:fr00ougs0
王子「多くの犠牲を生み出した上で滅ぼされるよりは、こうなったのはきっとずっと良いやり方だったと思います」

王子「しかし、私だけが生き残ったのはまた別の話です」

王子「私が両親の屍の上で生きて行くのは、人として、両親の子として、正しい事なのでしょうか?」

師匠「……お前な、執事に言われた事を忘れたか?」

師匠「儂は鏡で見ていたからな」

王子「執事さん……」

(執事「しかし、どこにいても、ご自分を大切に、できるだけ長く生きて、そして幸せになって欲しい」)

(執事「わたくし達の主人が過ごした日々を、無駄にしないで欲しい、それだけなのです」)

王子「……私そう簡単に死ぬわけにはいかないような、そんな言葉でした……」

師匠「だろう? 野獣も言っていた、230年前のあれは、死に行くための罰ではない、生きて行くための試練だったのだ、と」

王子「……『彼』の場合、30年間を生きてきた実感ですよね。でも、『私』の時間は……」

王子「あの舞踏会の夜から、いくらも経ってはいないのです」

師匠「ああああ、もう、いつまでもグダグダぐじぐじグルグル堂々巡りか!!!!」

王子「」ビクッ

師匠「ついさっきお前は図書館の娘の子孫に会うため頑張ると言ったではないか!!」

王子「会いたいとは思います、でも」

師匠「会えたら、もう思い残すことは無いとか言い出すつもりではあるまいな!?」

王子「ええと、あの……」オロオロ

師匠「『それ』だけを人生の目標とか思わせるつもりで言ったのではない!!」

師匠「こうなったら本音を言うぞ、儂の本音!! 言わぬが花と思って黙っていたが、もう我慢できんわ!!」

師匠「執事達の思いだの、野獣の生きてきた時間だの、それを慮る事は否定しないが……」

師匠「儂の苦労だのここまで追って来た決意だのを、本当にわかっているのかお前は!!」

師匠「お前の気持ちがどうだろうと、他の者たちが何を考えていようと、儂はお前に人並みの人生を生きてもらいた……いや」

師匠「何がなんでもお前に人並みの人生を全うさせるぞ!! 中途半端で投げ出す事は神や民が許しても儂が許さん!!!!」

師匠「儂はそうとう長生きする予定だから、お前は簡単には儂から解放されんぞ!?」

師匠いいか、何が正しいとかどう在るべきとか、そんなもんは後からついて来るのだ」

875: ◆54DIlPdu2E 2015/08/13(木) 23:16:34.59 ID:fr00ougs0
師匠「とにかくまずは生きる事に必死になってみろ、出来るはずだ、お前にだって……」

師匠「昨日のお前は屋敷を、獣達を、兄妹を守るために動こうとしたではないか、結果はさて置いてもな」

王子「あ……」

師匠「……両親の件で気持ちの整理がつかないのなら、そうだな、いつか墓参りにでも行くか?」

王子「え」

王子「墓、ですって? あのような最期を遂げた二人に?」

師匠「200年以上過ぎて、元の国もない、既に史跡扱いだわな。非常に地味ではあるが隠れた観光名所にもなっているぞ」

王子「か、観光名所…」

師匠「多くの人間には忘れ去られているが」

師匠「少なくとも、今の時代は唾を吐きかける人間よりは、花を供えてくれる人間の方がいくらか多いだろう」

師匠「『人の上に立つ者として、この暴君のようにはなるまい』という反面教師的価値かもしれないが、な」

王子「……父上と母上の、墓……」

師匠「既に歴史上の人物なのだ、小国の王と王妃も」

師匠「……世継ぎだった王子も、儂含め魔術師ギルドの魔法使い達も」

師匠「今を生きている我々には、遠い過去の物語になったのだ」

王子「……」

王子(師匠、まるでご自分に言い聞かせているようだ)

師匠「とにかく、お前のスカスカ脳味噌に難しい事を考えろとは言わん」

王子(スカスカって)

師匠「まずはお前にどちらかと言えば生きていて欲しい者達のために、しばらくは生きてみろ」

師匠「そのうち、自発的に生きたくなる理由もついて来るだろうて」

王子「……それで本当にいいのですか」

師匠「それで構わん、いずれお前も忙しくなったら考えるより行動する方を優先せざるを得なくなる」

師匠「体が回復したら、いろいろ忙しくさせてやるからな?」

王子「……今度こそ、頑張りますと、誓います」

師匠「どうせお前の事だから何かあればまた折れそうだがそれも込みで人生だ、改めて、せいぜい頑張るがいい」

876: ◆54DIlPdu2E 2015/08/13(木) 23:19:42.03 ID:fr00ougs0
ドア:…コンコン?

師匠「ん? ためらいがちなノックが。 誰だね、お入り」

ガチャ…

王子「次兄君?」

師匠「おう、少年ではないか。菫花に用か?」

次兄「ええ、少々時間をおくれやすです」ヌルン

師匠「ドアを大きく開けて入って来んか、なぜ狭い隙間からすり抜けるように入って来る」

次兄「癖なもので」

次兄「えーと、手短に済ませます」

次兄「俺が銃で撃たれたのに助かったのは、実はポンコツ様の呪文のおかげだとおっさんに聞きました」

次兄「で、お礼を言いに来たんです、早い方がいいかなと思って。本当に、ありがとうござっした!」オジギー

王子「……間に合うかどうか、いちかばちだったけどね。上手くいってよかった」

次兄「おっと、さすがに命の恩人にポンコツ様はひどいよね? なので、呼び方を変えることにしました」

次兄「今までポンコツ様とかへなちょこ様とか使えない様とかへっぽこ様とか言って、本当にごめんなさい!!」ドゲザー

王子「ポンコツ以外は初めて聞いたんだけど……」

次兄「名前の意味から可愛らしくスミレちゃんとか呼んでみようかな案も浮かんだが、それはそれでハードル高かったんでやめて」

王子「うん、やめてくれて正解」

次兄「普通に『菫花さん』って呼びます。いいですか?」

王子「私もそう呼んでもらえるとありがたいよ、次兄君(普通でよかった)」ニコ

次兄「……よかった」ニヘヘ

次兄「じゃ、それだけです。お大事に菫花さん」ススス

王子「は、はい。またね次兄君……」

次兄「あ、お邪魔しました、引き続き親子水入らずでどうぞ、おっさん」パタン

師匠「…………」

師匠「…儂の呼び方は『おっさん』のままなのか」フゥ

…………

877: ◆54DIlPdu2E 2015/08/13(木) 23:21:50.42 ID:fr00ougs0
その夜……

(次兄「……お屋敷の応接室だな、ここは」)

(次兄「この『夢』の感じは、野獣様かな?」)

(野獣「ああ、今夜は手っ取り早く済ますぞ」ヒョッコリ)

(次兄「きぃぃぃぃぃぃえぇぇぇぇぇぃやっほぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」カンキノサケビ)

(野獣「奇声を発するのはやめろと言うのだ」デコピン)

(次兄「おぅぐ!?」)

(次兄「……野獣様の力でデコピンって現実世界なら洒落にならんのですが……」イッテェ)

(野獣「手加減はしている。さて、本題に入る前に……お前、よく頑張ったな」)

(野獣「智恵を巡らせ、武装した兵士達に何の武器も持たずによく立ち向かって皆を守り抜いた、お前は勇敢な少年だ」)

(次兄「……結局のところ、俺は何にもできませんでしたよ」)

(次兄「元々相手に敵対するつもりはなかったんだもの、野獣様達のお師さんだし。俺も最後は菫花さんに助けられたし……」)

(次兄「誰にでもヒーローになれる瞬間があるかもとうっかり思ってしまいましたが、残念ながら例外はつきもの」)

(次兄「……っつーか、日頃の行いの当然の帰結かもしれませんけどー」)

(野獣「そう卑下するな、何より私が手放しで褒めているのだぞ、素直に喜んだらどうだ?」)

(次兄「……褒めてくれるんですか、俺の事」)

(野獣「いつも次兄に(だけ)は辛辣だから信じて貰えんかもしれんが、今回を労わなくていつ労えばいいのだ、お前を」)

(次兄「……ふぇ」)

(次兄「嬉しいよぉぉぉ」エーン)

(野獣「おいおいおい、泣くほどか。余程、褒められ慣れていないのだな……」)

(野獣「さて、そろそろ本題に入りたいのだが、お前、私に話したい事ってなんだ?」)

(次兄「……あの話ですか。うん、お話しします」)

(次兄「野獣様、俺ね、王都の美術学校に行こうと思うんです」)

(野獣「……!! 画家を目指すのか!?」)

(次兄「ええ、モノになるかは当然わかりませんが、とにかくそれに近付く一歩として」)

878: ◆54DIlPdu2E 2015/08/13(木) 23:25:19.53 ID:fr00ougs0
(野獣「しかし……商人には、父親には話したのか? 学費もそれなりにかかるだろう」)

(次兄「……うちの父、俺には店の手伝いはいよいよ人手の足りない時しか頼まないし」)

(次兄「病弱だったころはともかく、まあまあ健康になってからも上の学校に行くよう勧めたりはしなかったから」)

(次兄「我が家は小金持ちだし、父には俺を職歴なしのままなんとなく養う覚悟もあるのかもしれないけれど」)

(次兄「そんな父親なのを良い事に、俺はもう少し甘えてみたくなって」)

(次兄「次に家に帰ったら、一生かけても返すから俺を美術学校に通わせる学費を出して欲しい、と頼むつもりです」)

(次兄「……父親とは、すぐに承諾の返事は貰えなくても速攻で拒絶もして欲しくないから、じっくり色々話をしたい」)

(次兄「もちろん野獣様がきっかけを作ってくださったことは、しっかり伝えるつもりです」)

(野獣「私が」)

(次兄「野獣様は、俺に絵を描いて欲しい人がきっと現れる、それだけの力が俺の絵にある、と言ってくれたひとだ、と」)

(次兄「完全に自分のためだけだった絵を、他の誰かのために描いてみたいと思ったのは、あの後ですし」)

(野獣「次兄、お前……」)

(野獣「私の言葉で自分の将来を決めたと、そう言ってくれるのか……?」)

(次兄「ま、家を離れてひとりでどう生活するかとか、それより何より人物画が描けないのはどうするか、とか」)

(次兄「入学試験を受ける前になんとかしなきゃならない課題はあるのですがね」)

(次兄「とにかく、野獣様にお話ししたら、家に帰る前に次は末妹に話をします」)

(次兄「きっと理解して、応援してくれるはず」)

(次兄「練習してまともに人間が描けるようになったら、作品として初めて描く『人物』画は末妹にしようと決めているんです」)

(野獣「お前達、本当に良い兄妹だな。私は一人っ子だったからわからんが」)

(次兄「俺と末妹は同志……今は野獣様と友達になりたい同盟の、だけど、きっとその前から」)

(次兄「小さい頃から、なんだか同志だったような気がするんです」)

(野獣「同志?」)

(次兄「お互い物心ついてから、一番一緒に過ごした時間の長い家族で、でも、そろそろ俺達も大人になるから」)

(次兄「今後は今までのようにはいられない、少しずつ、あるいは突然、距離が離れては行くんだろう。それでも」)

(次兄「お互いが別々に、どこにいても何をしていても、違うものを見ていても、誰と一緒にいても」)

(次兄「俺はいつでもいつまでもあの子の味方でありたいし、励ましていたい」)

879: ◆54DIlPdu2E 2015/08/13(木) 23:27:15.66 ID:fr00ougs0
(次兄「俺は充分、味方して貰ったし励ましても貰ったから、その分さえ一生かかっても返せるかわかんないけど」)

(次兄「うまく言えないけど、なんつーか、そんな存在なんです、兄妹である以外に呼び名をつけるなら『同志』」)

(次兄「……と、俺だけが勝手に思っているだけなんですがね」)

(野獣「……」)

(野獣「ふふ……本当に良い兄だな、良い兄妹だな、お前達は……」)

(次兄「ふへへ……話、逸れちゃいましたね」)

(次兄「俺の話は終わり。で、野獣様も陰ながら応援してくれたら嬉しいな、と……」)

(野獣「当たり前だ、応援するぞ、応援させてほしいぞ」)

(野獣「続報があれば、また知らせておくれ、必ずだ」)

(次兄「もちろんです、嬉しい、うへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ」)

(野獣「……人の多い王都で暮らすなら、もう少し鏡を見ながら笑顔の練習をした方がいいかな……」)

(野獣「さて、お前とはまた後日ゆっくり話すとして、今夜は妹に時間を取ってやるつもりなのだ」)

(野獣「そろそろ行くぞ、またな」)

(次兄「……そう言えば野獣様、今夜の格好は末妹と踊った時の服だ?」)

(野獣「ああ、ちょっと気が早かったな。この世界では誰でも一瞬で着替える事が出来るのだが」)

(次兄「誰でも」)

(次兄「なーんだ、じゃあ俺も一瞬で脱ぐことだって可能なんですね」)

(野獣「 や め ろ 」ゾワッ)

(野獣「今夜は良い気分のままで末妹に会いたいのだ、頼む……」)

(次兄「大丈夫、俺だってたまには空気を読めるのです。『読むのです』ではないところに注目」)

(次兄「話せてよかった。今夜は心から安眠できます、またね、野獣様」)

(野獣「ああ、またな。……頑張れよ」)

(野獣「……さて、末妹を呼ぼうか」)

(野獣「『舞台』はどこがいいかな……大広間、それとも……」)

…………

883: ◆54DIlPdu2E 2015/08/16(日) 22:21:45.19 ID:UANlOHkJ0
……まだ同じ夜……

(末妹「ここは……?」)

(末妹「……裏庭のバラ園ね。でも、塀もお屋敷の建物も見えない、バラの植え込みが遠くまで拡がっている」)

(末妹「本当のバラ園とは違うのに、この香りは全く同じ」)

(末妹「ここは野獣様の夢の世界ね……」)

(「昨日も一昨日もお前を呼べなくてすまなかった、末妹よ」)

(末妹「野獣様……!」)

(末妹「いいえ、昨日は菫花様が大変でしたし、それに一昨日だって……」)

(末妹「……ごめんなさい、野獣様」)

(野獣「うん? 何を謝るのだ?」)

(末妹「……あの、私……昨日の朝、兄を相手にヘソを曲げてしまいました、ご存知かもしれませんが……」)

(野獣「なんだ、あのことか。ヘソを曲げたと言うほどでもないだろうに」)

(野獣「少しばかりの膨れっ面なぞ可愛らしいものではないか、気にするな」)

(末妹「やだ、やっぱりご覧になっていたんですね……」カァ)

(野獣「本当はお前も呼ぶつもりでいたのだが、次兄と話している間に屋敷に近付いて来る存在を知ってな」)

(野獣(その前に、あの夜、先に次兄を呼んだ事こそ予定外だったのだが…目的は説教、末妹には話しづらい内容だし……))

(末妹「一時はどうなる事かと思いましたが、お屋敷に害を成す人達ではなくて、本当によかった」)

(末妹「……私は隠れていただけですが、菫花様や兄が守ってくれたおかげで……」)

(野獣「お前だって次兄の作戦では重要な位置にあったのだ、それにお前がそばにいてメイドも料理長も心強かったと思う」)

(野獣「さて……そろそろ本題に入ろう」)


884: ◆54DIlPdu2E 2015/08/16(日) 22:24:15.51 ID:UANlOHkJ0
(野獣「私のこの服装、覚えているね?」)

(末妹「ええ、大広間で踊った時の」)

(野獣「そうだ。さあ、お前もあの夜の自分の姿を思い起こしてごらん」)

(末妹「……あ、普段着が赤いドレスに変わって……」)

(野獣「そう、そして……ほら、聞こえるだろう?」)

……♪~♪~~♪~

(末妹「オルゴールの曲……」)

(野獣「さあ末妹、一緒に踊ってくれるね?」)

(末妹「……」コクン)

(末妹「相変わらず、下手ですけど」エヘ)

(野獣「ふふ……私がそれでも一向に構わないのも、相変わらずだ」)

(野獣「……さあ、私の手を取っておくれ、末妹」)

(末妹「はい、野獣様……」)

オルゴール:♪~~♪~♪♪~♪~~

(野獣「うん、確実に上手になっているな」)

(末妹「……次姉がくれた本の中にダンスの入門書があって」)

(末妹「少しだけ、家で練習していたのです」)

(末妹「やはり一人だと、あまり捗りませんでしたが……」)

(野獣「お前は運動神経が良いのだ、正式に習えば誰より上達するぞ」)

(末妹「……そこまでして習うほど、私には踊る機会もありませんから」)

(末妹(野獣様とこうして踊れたら、それでいいんです……))

885: ◆54DIlPdu2E 2015/08/16(日) 22:25:11.17 ID:UANlOHkJ0

※短いけどここまで、ごめんなさい。二度目の舞踏会編、しばらく続きますので……※

887: ◆54DIlPdu2E 2015/08/18(火) 23:02:23.92 ID:yHOYtniK0
~♪~♪~~♪~

(末妹「……今お話しした3人が、私の一番仲が良い友達です」)

(野獣「ふむ。男の子の親しい友達はいないのか?」)

(末妹「? 学校で会えば、皆と普通にお話しはしますけど、6歳からほぼ同じ顔触れなので」)

(末妹「小さい頃ならともかく、大きくなるにつれ自然と男女それぞれ別行動になって行ったと思います」)

(野獣(……友達の一人は年上の少年ともう婚約していると聞いたし))

(野獣(これだけ可愛らしくて優しい末妹なら、男子にもモテるのではと思っていたが))

(野獣(この様子では特にボーイフレンドもいなさそうだ))

(野獣(しっかりしてはいるが、その方面はまだまだ子供なのだな))

……

(末妹「……で、父が言うには、東洋の小鳥占いという見世物だそうです」)

(末妹「翼は灰色で、頭が黒くてほっぺは白、嘴の赤い、きれいな可愛い小鳥」)

(末妹「私は初めて見ましたし、この国では珍しいけど、東洋ではよく飼われているそうです」)

(野獣「それは文鳥という鳥だろう」)

(野獣「昔、東洋から招いた客が私の父…小国の王に献上するつもりで持って来たが」)

(野獣「王も王妃も生き物を好まなかったので持ち帰らせた、父王も馬には乗れるが自ら世話はした事もない」)

(野獣「当時の私はお前よりもっと幼く、その小鳥が欲しくてたまらなかったが、勿論、言い出せなかった」)

(末妹「……」)

(野獣「だがそのお陰と言うか……植物ならば自室や庭の片隅でこっそり育てる事も出来ることに気付いてな」)

(野獣「それらの世話で覚えた事は、後に、踏み荒らされたバラ園を蘇らせるのに役立ったよ」)

(末妹「お世話の丁寧さに加えて、お優しい心がきっと植物にも伝わるのでしょうね」)

888: ◆54DIlPdu2E 2015/08/18(火) 23:03:49.97 ID:yHOYtniK0
(末妹「ところで、野獣様ご自身は馬には乗れるのですか?」)

(野獣「……むむ」)

(野獣「今のこの体格(体重?)ではどうあっても無理だが、王子だった頃から……な」)

(野獣「菫花を見ればなんとなくわかるだろう、運動神経はとにかく鈍かったので」)

(野獣「そうだ、末妹。ここにいる間だけでも、あいつに乗馬を教えてやってはもらえないかね」)

(末妹「私が、ですか?」)

(野獣「この屋敷で暮らすと言っても、たまには人里に用事もあるだろう、しかし最も近い村さえここからは遠い」)

(野獣「普通の生活が送れる立場で無闇に移動魔法を使うのもどうかと思うし、馬を扱えた方が便利かと思ってな」)

(末妹「……うちの馬ならばおとなしく賢い子ですから、初心者の練習向きかもしれませんが」)

(末妹「何よりご本人にやる気さえあれば……私の教えは大したことなくても……」)

(野獣「ううむ、本人のやる気か……」)

(野獣(そこが一番の難関かもしれんな、元気になったらちょっと話してみるか))

……

(末妹「大広間での舞踏会の夜にした話……覚えていますか?」)

(野獣「ああ、5年前の話だな」)

(末妹「実は、家に戻っていた時に……」)

……

(野獣「……そうか。で、次姉の呼び方を変える事はできたのか?」)

(末妹「いいえ、それはまだです」)

(末妹「……練習も殆どできなかったので、人前で『お姉ちゃん』と呼んでいい許可も出ていません」)

(野獣「はは……お前の姉も、そんなに恥ずかしがらないでも良いのになあ」)

(末妹「ふふ……」)

(末妹「……」)

889: ◆54DIlPdu2E 2015/08/18(火) 23:04:28.43 ID:yHOYtniK0
(末妹「野獣様、私、あの日は頑張ったんですよ。泣かないように、負けないように」)

(野獣「……ああ、わかるぞ。頑張った、立派だったと、わかる」)

(末妹「負けなかったのは、野獣様がくださった勇気のおかげなんです」)

(野獣「勇気?」)

(末妹「自分が間違っていないと信じられる、私の大切な人達もそれを支えてくれると信じられる、勇気です」)

(末妹「……5年前の自分にはただ辛く悲しく、仕方ないと思い込んで、心が小さくなって」)

(末妹「持つ事ができなかった、勇気……」)

(野獣「お前の心は元から強くてしなやかだと私は思っているが」)

(野獣「ひとつ成長するきっかけを作ったのが私だと言ってくれるのなら、それは素直に喜びたい……」)

(末妹「……私、野獣様と出会えて、本当によかった」)

(末妹「今もこうしてお話もできるし、一緒に踊る事も」)

(末妹「野獣様があのまま消えてしまわなくて、本当によかった……」)

(野獣「……」)

(末妹「今の言葉に偽りはありません、私の本当の気持ちです、心の底からの」)

(末妹「……なのに、なぜ」)

(末妹「なぜ今の私は、こんなに寂しさを感じているのでしょうか……?」ジワ)

(野獣「!?」)

(末妹「ごめんなさい、これは後悔とかじゃないんです、出会えてよかったからこそ、今こうしていられるからこそ……」ポロポロ)

(末妹「だからこその、涙なんです……」ポロポロ)

(末妹「……だって…私、私っ……」グシ)

(野獣「あ、あの、末妹……」オロオロ)

894: ◆54DIlPdu2E 2015/08/23(日) 00:48:10.00 ID:heNyPIn40
(野獣「と……とにかく泣くんじゃない、お前が泣くと、私は正直、どうしていいのかわからなくなる……」)

(末妹「……」グシ)

(末妹「……私も…どうしていいか、わかんなくなっちゃいました……」ポロ)

(末妹「泣かないって決めたのに、笑顔を見せると約束もしたのに……」ポロポロ)

(野獣「……」)

(野獣「……末妹が良ければ、だが」)

(野獣「お前達を家に帰す前の日にバラ園で話をした時のように、自分の思いを口に出してごらん?」)

(野獣「言葉にすることで、自分の気持ちを整理できる」)

(野獣「……かもしれないから、やってみる価値はあると思うが……」)

(野獣「な、お前の心の内を聞かせておくれ、まとまりがなくても良いから……」)

(末妹「野獣様……」グス)

(末妹「……野獣様の姿が消えて」)

(末妹「兄が一時は寝込んでしまって、メイドちゃん達も戸惑って、だから私はしっかりしなくちゃと思って……」)

(末妹「今思うと、あの時は、野獣様が『いなくなった』事を悲しむのは後回しに……いいえ」)

(末妹「できるだけ、『もうお会いできないかも』とかは、考えないようにしていたのですね……」)

(末妹「さっきの言葉の通り、夢の中で再会できた時、野獣様が消えていないとわかった時は嬉しくて……」)

(末妹「……ですけど、目が覚めて」)

(末妹「眠っている間にしか、夢の中でしか会えないのを寂しいと思ってしまって」)

(末妹「それではいけないって、野獣様を悲しませてしまうって、自分に言い聞かせても」)

(末妹「そう思ってしまうのを、自分で止められなくって……」)

(末妹「お屋敷の客間で目が覚めて、皆さんと会っても、野獣様とおはようの挨拶を交わすことはない」)

(末妹「料理長さんのお料理、メイドちゃんの淹れてくれるお茶、野獣様と一緒にいただくことはできない」)

(末妹「バラも庭師君の手入れが必要になったけど、その花に野獣様の手が触れることはない」)

(末妹「執事さんが、メイドちゃんには重くて運べない野獣様の靴をお手入れすることもない……」)

895: ◆54DIlPdu2E 2015/08/23(日) 00:49:17.68 ID:heNyPIn40
(末妹「……お屋敷の皆さんと一緒に、お日様の下にいる野獣様を見ることは、もう……」ジワ)

(野獣「……」)

(末妹「……私、わかりました」)

(末妹「野獣様と同じ世界で生きて行けないことが、すごく寂しいのです……」ポロポロ)

(野獣「末妹……」)

(末妹「ごめんなさい、わかっています、それは誰にもどうにも出来ない事だと」)

(末妹「こうしてまた会えるのに、こうしてお話しする時の野獣様は何も変わっていないのに……」ポロポロ)

(野獣「末妹が寂しいと思うのは、悪い事ではないぞ、泣くことも」)

(野獣「私はお前に救われた、だからそれをお前にも喜んでほしいと、単純に考えていたが」)

(野獣「お前の気持ちをしっかりと考えてはいなかった……」)

(野獣「……お前の罪悪感を消したくて、泣くのを見たくなくて、笑顔でいてほしくて」)

(野獣「脅すような嘘までついてしまった、すまなかった」)

(末妹「……」グシュ)

(末妹「私次第で夢の世界からも消えてしまうってお話……ですか?」グシ…)

(野獣「ああ、あれは嘘なのだ。悪かった、すまない」)

(末妹「野獣様ったら……」ポロ)

(末妹「……野獣様の嘘は、いつも優しい嘘……」ポロポロポロポロ)

(野獣「」)

(野獣「お、おい、あの、その、そこは怒る部分だと思ったのだが……」アタフタ)

(末妹「……っ、ひっく、ひっく……」グス)

(野獣「……本当に、すまん、私は何度お前を泣かせただろうか……」ギュッ)

(末妹「…っ」)
 

896: ◆54DIlPdu2E 2015/08/23(日) 00:50:25.73 ID:heNyPIn40
(野獣「……こうしてしゃがみ込んでも、私はお前よりまだこんなに大きい」)

(野獣「こうして胸に抱けば私の両腕で隠れてしまうほど、お前は小さい」)

(野獣「……そんなお前が泣くと、私は本当に」)

(野獣「実際に消えたりはしないが、消えてしまいたくなるほど辛くなってしまう」)

(末妹「野獣様……」)

(野獣「……しかし、今はお前が泣くのを堪えている姿のほうがもっと辛い」)

(野獣「どうか……気の済むまで泣いておくれ」)

(野獣「お前が泣きやむまで、こうしているからな」)

(野獣「……それとも、嫌か?」)

(末妹「……」フルフル)

(末妹「……私、ごちゃごちゃになってきました」)

(末妹「野獣様とお話ができて、一緒に踊れて、嬉しくて」)

(末妹「でも、夢の中でしかそれができないと思えば寂しくて」)

(末妹「だけど、こうしていると、なんだかとても心が安らいで、落ち着いて……」)

(末妹「なのに、やっぱり泣きたいです、思い切り、泣きたい……」)

(末妹「そして、その理由がわからなくなって来ました……」)

(末妹「自分のことなのに」)

(野獣「誰しもそんな時はある、とりあえず泣くがいい、気が晴れるとは思う」)

(末妹「……本当に、泣いていいんですか……?」)

(野獣「私がいいと言うのだから、いいのだよ」)

(末妹「……うう」ポタポタ)

 わあぁぁぁぁ……ん
 

899: ◆54DIlPdu2E 2015/08/25(火) 23:42:10.06 ID:7j3OYcJl0
夢の中のバラ園。

(野獣「……」)

(末妹「……」スン…)

(野獣(…泣き止んだか?))

(野獣(……よしよし)ポンポン)

(末妹「……っ」ジワ)

(末妹「……ふぅぇ…っ」ポロ…ポロ)

(野獣「 」)

(野獣(ど、どうしよう、再び泣き出してしまった……))

……

同じく夢の中のバラ園、別の一画。

(白バラの茂み(……))

(白バラの茂み(困った))

(白バラの茂み(そもそも野獣がこのような形で残った例は、儂も生まれてこのかた初めてだし知る限り文献にも載っていないし))

(白バラの茂み(寝入り端になんとなくあいつの事を思い浮かべただけで、勝手に此処に来てしまうとは……))

(白バラの茂み(誰でも出来るとは思えん、儂の魔力があってこその成せる技とは容易に推測できるが今はそれより))

(白バラの茂み(帰り方がわからん))

(白バ(以下略)に隠れている師匠(この『夢の中』で眠ってしまえば離脱できるようだが、欠片ほどの眠気も感じない))

(師匠(……肉体は部屋で眠っておるのにな))

(師匠(儂は確かに野獣の意思の如何に関わらず此処にいるのは事実だが))

(師匠(だからと言って、自分の意思で来たわけでもない))

(師匠(要するに、儂は覗きをしているわけではない! 断じて!!))

(師匠(……相手が例えば少年ならば平気で出て行けるのだが、この雰囲気では存在を気付かれるのさえ拙いではないか……))

(師匠(……))

(師匠(どう解釈すれば良いやら、あのふたりの関係を、いや……))

(師匠(本人達もおそらくは、自分達に呼び名は付けられないのではなかろうか……?))

……
 

900: ◆54DIlPdu2E 2015/08/25(火) 23:44:02.15 ID:7j3OYcJl0
(末妹「……」グシ)

(末妹「ご、ごめんなさい、野獣さ、ま……」)

(末妹「私ったら…こんなに、泣き虫だったなんて……」スン)

(野獣「……気にするな」)

(野獣(お前を泣かせているのは間違いなく私なのだろうが))

(野獣(それを口にすれば余計、泣かせてしまいそうな気がするのでな))

(末妹「……野獣様」)

(野獣「ん? なんだ?」)

(末妹「大広間で踊った時、野獣様に寄り添っているあいだ」)

(末妹「暖かくて、気持が安らいで」)

(末妹「私、『お父さんじゃないけどお父さんみたい』って思ったんです」)

(野獣「……お前の大好きな父親みたいか、光栄だな」フフ)

(末妹「ええ、でも……」)

(末妹「あのあと野獣様が家に私たちを帰してくださって、父と再会して、以前のようにすぐそばで暮して」)

(末妹「そうしているうち、『父みたい』よりも『父じゃないけど』の方が、より重要みたいな気がしてきて……」)

(野獣「?? どういうことだ??」)

(末妹「肉親じゃないのに、家族じゃないのに、触れ合っていてこんなに落ち着くことができて」)

(末妹「……安心して涙も見せられる男のひとは、野獣様の他にいないんですもの、なんだか不思議です……」)

(野獣「……」)

(末妹「……私がいつまでも悲しいのは、きっと」)

(末妹「私にとって、野獣様の存在が、特別だから、掛け替えがない……から」)

(末妹「もちろん、家族も友達も、どのひとも、それぞれ掛け替えのないひと、ですけど」)

(末妹「……野獣様は、その……何と言えばいいのでしょう」)

(末妹「『友達』という存在はどんどん増えて行くし、増えるほど幸せだと思うのですけど)

(末妹「たったひとりしかいない方がいいって、ひとりしかいないからこそ幸せだって、そう思える」)

(末妹「……私にとってそう思える存在なんです、野獣様って……」)

(野獣「末妹……」)

(師匠(……なんとまあ))
 

907: ◆54DIlPdu2E 2015/08/30(日) 19:47:20.97 ID:ZWBACRJh0
(末妹「でも、その野獣様と出会えるのは、もう……夢の世界だけ……」)

(末妹「……ぐす……」)

(野獣「末妹」)

(野獣「私が思っていたほど、お前は幼くなかったのだな……」)

(野獣「……いや……本当に幼い女の子と思っていれば、贈り物にドレスを選んだりはしないか」)

(野獣「……」)

(野獣「私は最悪の男だ、お前の心を弄んでおいて」)

(野獣「その責任も取れない身だと言うのに、まだお前と親しくありたいという図々しい願いを持っている」)

(末妹「ぐすっ……最悪でもなければ、図々しくもありません!!」)

(野獣「 」)

(野獣「……ふふ、お前は怒らせると恐いな」)

(末妹「からかわないでください……」グシュ)

(末妹「ご自分を蔑むような言葉、私は聞きたくないだけです……」ポロポロ)

(野獣(ああ、また))

(野獣(……夢の中とは言え、泣かせているのは私にしても、こんなに泣いて大丈夫だろうか?))

(野獣(えーと、末妹に気付かれないように、今の彼女の部屋を見れるだろうか?))

(師匠(……あいつ、何をやっておるのだ、少女を胸に抱えたまま右手をまっすぐ前に突き出して))

(師匠(ん、人差し指と親指を、寸法でも計るように何もない空中で開いて……))

(師匠(……開いた指の間に何かが現れた?))

(師匠(別の場所の風景だ、まるで魔法の鏡をそこに作ったかのような))

(師匠(なるほど、あいつはああやって夢の世界から物質世界での出来事を見ていたのか))

(野獣(……案の定、身体も眠りながら泣いているな))

(野獣(よし、閉じるか)シュッ)

(師匠(ふむ、手の平で拭き取るように撫でれば閉じるのか)コウキシン)
 

908: ◆54DIlPdu2E 2015/08/30(日) 19:49:36.75 ID:ZWBACRJh0
(野獣(私も子供の頃は覚えがあるが、大泣きした後は脱水症状起こして頭痛はするわ吐くわで))

(野獣(実年齢はともかく、こんな華奢で小さな体、すぐに水源が尽きてしまうのでは))

(野獣(しかし気の済むまで泣いてくれと言った手前、そう簡単に今度は泣くなとも……)ウウム)

(末妹(……すん、くすん……))

(師匠(……どうせあいつだ、少女が泣き続けるのを何とかしたいと思いつつ、手立てもなくグダグダ考え込んでいるのだろう))

(師匠(魔法使い同士限定の初歩的な『念話』、あいつはいまいち苦手だったが……))

(師匠(お互い肉体という器がない今なら、逆にうまく行くかもな))

(野獣(……?))

(野獣(誰かが私を呼んでいる……?))

(師匠(おいこら、弟子。儂が教えた念話を忘れてはいないだろう?))

(野獣(師匠っ!?))

(師匠(儂もバラ園にいる、身を隠してはいるがお前たちの姿は見えている))

(師匠(教えた通り、口で話す時と同じように、儂に伝えたい言葉だけを頭の中で組み立てろ))

(師匠(組み立てたら、儂に向かってそれを『押し出せ』))

(師匠(貴様が使った禁忌と違って、勝手に思考を読むことはできないのだ、それも知ってるだろう?))

(野獣(…………))

(野獣(あ、あの、何故この場にいるのですか……?))

(師匠(後で話す、何にせよお前の責任であろう事は間違いないと思うが)フンッ)

(師匠(それより、この修羅場をどう収拾を付ける、この色男め))

(野獣(修羅場? 色男?))

(野獣(……なななななな、何を仰るのですか師匠!? そんなんじゃありませんよ!!))

(師匠(ふむ、意外と容易く念話を使いこなしているではないか))

(師匠(で、どうする? このまま少女の気が済むまで黙ってじっとしているか?))

(野獣(……私は彼女にそうするように告げましたが))

(野獣(どうも私がいる限り、泣きやませることはできないような気がしてきて……))

(師匠(じゃあどうする? 呪文で眠らせて強制退場させる手もあるな、それなら休養にはなるだろう))
 

909: ◆54DIlPdu2E 2015/08/30(日) 23:10:55.82 ID:ZWBACRJh0
(野獣(彼女の意志を無視して、勝手にそんなことはできませんよ、今回に限って言えば))

(師匠(と言って、このまま夜が明けるまで泣きやまなかったら))

(野獣(……師匠))

(師匠(何だ?))

(野獣(末妹の心配をされるのはわかります、が……))

(野獣(それ以前に、私に対して、つくづく過保護ですよねえ))

(師匠「なっ」)

(野獣(しっ、声に出ていますよ))

(師匠(こ、この……))

(師匠(……生意気になったなあ、ポンコツ弟子め))

(師匠(正直言って、どうして良いのかわからなくなっていた癖に、全く……))

(野獣(ええ、ですから師匠に声を掛けていただいて良かった))

(野獣(驚かされたおかげで、私の凝り固まった頭がほぐれましたよ、ありがとうございます))

(師匠( ))

(師匠(……ったく、自分で何とかできるならやってみろ、黙って見ていてやる))

(野獣(重ね重ね、感謝します、師匠……))

(野獣「……」)

(野獣「末妹?」)

(末妹「…っ」ピク)

(末妹「な、何でしょう……?」グシ)

(野獣「予定外で申し訳ないが」)

(野獣「このまま、少し私の話を聞いてもらっても良いか……?」)

(末妹「野獣様……は、はい」)
 

912: ◆54DIlPdu2E 2015/09/04(金) 00:27:35.16 ID:32Os+5r60
(野獣「『王子』だった頃の私にも、心を許し、傍にいると落ち着く相手がいたよ」)

(野獣「誰の事か、もうお前は知っているよな?」)

(末妹「……ええ、魔法図書館の娘さん……ですね」)

(野獣「そうだ」)

(野獣「お前と違って、血の繋がった肉親は安らぐ存在ではなかったが……」)

(野獣「それは別にしても、やはり彼女は私にとって唯一と言える存在だ」)

(野獣「生まれて初めて、恋をした相手だからな」)

(末妹「恋……」)

(野獣「ああ、末妹に恋の話は少し早いかもしれないな?」)

(末妹「……!」)

(末妹「野獣様、さっき私を『思っていたほど幼くはない』って、仰っていたではありませんか」)

(末妹「私、物知らずで苦労知らずで確かにまだまだ子供ですけど」)

(末妹「それでも、野獣様が図書館の娘さんの傍にいて、どんなに幸せを感じていたか」)

(末妹「それをわからないほどの、何も知らない小さな子供ではありません……」)

(野獣「……そうか、わかるのか」フフ)

(末妹「ええ、だって私も……」)

(末妹「野獣様にきっと……恋をしているのだと……思います……」)

(末妹「私の、初めて、恋をした相手、です……」ギュ)

(師匠(……))

(野獣「……とうとう、お前の想いに呼び名を付けてしまったな」)

(末妹「いいえ、私、もっと前からわかっていた……」)

(末妹「でも、でも……これを恋だと呼ぶ資格、私には無いのです」)

(野獣「何故そう思うのかね?」)

(末妹「…………次姉(あね)のくれた本の中に」)

(野獣「え?」)

(師匠(へ?))
 

913: ◆54DIlPdu2E 2015/09/04(金) 00:28:54.67 ID:32Os+5r60
(末妹「恋愛小説がいくつかあって、主人公の女の子達は……」)

(末妹「……好きになったひとのためなら、他の何もかも捨てても良いと」)

(末妹「友達すら、家族すら、時には捨ててまで、好きなひとと共に生きようとしていました」)

(末妹「……そうでなければ恋と言えないのなら、私は……」)

(末妹「私の場合は、恋ではないのかも知れません、いえ、きっと違うのでしょう……」)

(野獣「……っく」)

(末妹「?」)

(野獣「くくく、はは、なんだ、そんな理由か、ふふふ、ははははは……」)

(末妹「な、何がおかしいんですか!?」)

(野獣「なあ、お前はきっと考えたのだろう、私がお前達と同じ世界で生きられないのなら」)

(野獣「逆にお前が此方の…私の夢の世界で暮せはしないか、と」)

(末妹「……」)

(野獣「しかし、朝になればお前は必ず目が覚めて此処から出て行く」)

(野獣「もしかしたら、私や師匠のような長き眠りの魔法を思い出したかもしれない」)

(野獣「私や師匠の話で理解できたと思うが、その魔法が解けない限り現実世界での肉体はいっさい年老いる事がない」)

(野獣「末妹の家族や友人達が年齢を重ね、いずれ寿命が尽きても……」)

(野獣「あるいは、私のように肉体を失えば」)

(野獣「しかし普通の人間であるお前の精神だけが、この夢の世界に残れるという保証はどこにもないし、それに」)

(野獣「……早い話が、現実世界での死を選ぶ事だと、お前ならば理解できるだろう?」)

(末妹「……」コク)

(野獣「例え可能であっても、方法がいくつかあっても、お前が何を失い、誰がお前を失い」)

(野獣「それを思えば、踏み切れるわけがない」)

(末妹「……」)

(野獣「お前が家族を捨てられない娘なのは知っている、捨てられないほどの良い家族であることも」)

(野獣「話は簡単だ、私はそんなお前がとても気に入っている、それでこそ私の好きな末妹だ」)

(野獣「……だから、私と家族を天秤にかける事じたいが無意味なのだよ、末妹」)
 

917: ◆54DIlPdu2E 2015/09/07(月) 21:51:43.68 ID:CTHn/6F50
(末妹「…………」)

(末妹「どうしましょう、私」)

(末妹「今になって、なんだか恥ずかしくなってきました……」カァァ)

(野獣「末妹」)

(末妹「やだ、ほっぺた熱いです、どうしよう、どうしましょう」ペチペチペチペチペチペチ)

(野獣「お、おい」オロオロ)

(野獣「叩けばますます熱くなるではないか、恥ずかしがることはないぞ、私なら……その、気にしていないから」)

(野獣「い、いやいやいや!? 違うぞ! 気にしていないわけがない、なんとも思っていないという意味ではなくて、あの……」)

(野獣「えーと、うん、末妹に好意を持たれて私は嬉しい、だからお前は恥じる事なぞ何もない、堂々としていろ!」)

(末妹「そ、そういうものなのでしょうか……?」)

(野獣「そういうものだ、信じろ!」デーン)

(師匠(……そうだろうか)ハァ)

(末妹「……くす」)

(末妹「ふふ…なんだか…落ち着きました。ありがとうございます…」)

(野獣「そうか、ふふ……」)

(野獣「……末妹よ」)

(野獣「私はな…自分の気持ちを誰かに伝える事ができなくて後悔した事が、たくさんある」)

(野獣「お前にはそんな後悔はしてほしくない、過去を振り返って嘆くばかりの、私のような生き方はしてほしくない」)

(末妹「野獣様……」)

(野獣「でもお前は言えたな、自分の想いを私に伝える事が出来た、私とは違う……」)

(野獣「私はそれを受け止めて、そしてその上で」)

(野獣「……お前が前に進むための、手助けをしてやりたいと思う」)

(末妹「……前、に」)

(野獣「末妹、よくお聞き」)
 

918: ◆54DIlPdu2E 2015/09/07(月) 21:53:33.23 ID:CTHn/6F50
(野獣「私もお前が大好きだ、大切に思う、いとおしい、お前の幸せを願ってやまない」)

(野獣「しかし……お前のこれからの長い人生に幸福を与え続けてやれるのは、私ではない、理由はさっきも言った通りだ」)

(末妹「……っ」ジワ)

(野獣「お前と私は、結ばれる事はできないのだ、わかるな?」)

(末妹「……わかっています、それは、無理……だと……」ポロ…)

(野獣「……」)

(野獣「…だがな、恋の結末とは実を結ぶか壊れるしかないのだろうか、と私は思うのだよ」)

(野獣「想い人の幸せを願って、願い続けて、そしてそのひとが幸せになったのなら」)

(野獣「例え傍にいるのが自分ではなくとも」)

(野獣「そのひとへの想いは無駄にならず、報われたと思っても良いのではないかと」)

(野獣「恋の結末が、まるで親が独り立ちする我が子を見送るような形で終わっても」)

(野獣「逆に、子が親に見送られ独り立ちするような形で終わっても」)

(野獣「……お互いが友人に戻ることで終わっても、決して虚しい結末ではないと、私はそう思う」)

(野獣「いや……そうだと信じたい」)

(師匠(あいつ……))

(末妹「……野獣様……」)

(野獣「負け惜しみに聞こえるだろうか、結局、欲したものを手に入れられず、誰も何も守れなかった弱い人間の」)

(末妹「……いいえ」フルフル)

(野獣「ありがとう」)

(師匠(……ああ、図書館の娘の言葉を思い出したぞ))

(師匠(王子は生きてはいるが、二度と会うことはできないと告げた時の、あの娘の言葉……))

…………
 

919: ◆54DIlPdu2E 2015/09/07(月) 21:58:44.61 ID:CTHn/6F50
……………………

図書館の娘「それでも私は、結ばれなくても報われる想いもあると、信じたいのです」

図書館の娘「王子様が幸せになってくだされば、きっと私の心も報われる、そう信じたい……」

師匠「……ならば、お前も幸せにならなくては駄目だな」

師匠「あいつもきっと、お前の幸福を願っていることだろう……」

図書館の娘「時間が必要かもしれません、でも」

図書館の娘「師匠様の仰る通り、王子様が私の幸福を願っていらっしゃるのが本当なら、私も」

図書館の娘「王子様のお心を裏切ることのないように、生きて行ければと、思います……」

……………………

…………

(師匠(……結ばれずとも、報われる、か……))

(野獣「……次兄も言っていたな、愛の行き着く形はひとつではない、と」)

(野獣(めいっぱい省略してみたが、間違ってはいないと思うぞ))

(末妹「次兄(あに)が……?」)

(野獣「あいつはどれほど邪険にされようとも私や執事に」ミナマデイワナイ)

(末妹「……実は、私も少しだけ羨ましかったんです」)

(末妹「あんなふうに、好きですって真っ直ぐに言える、次兄の強さが……」)

(師匠(あれが羨ましいかなあ、少女よ))

(野獣「むしろ図太さという気もするが」)

(野獣「あいつの発想の柔軟さやめげなさには、多少は見習うべき部分もなくもないのかもしれない、例えば」)

(野獣「私相手のお前の初恋が終わっても、お前は決して何かに負けたわけではないぞ、そう考えてみてはどうだ」)

(末妹「……」)

(野獣「……そして、お前がいつか……他の誰かに恋をしても、それは自然なことだ」)

(野獣「その時が来たら、余程ひどい相手でもない限り、私は応援するぞ」)

(末妹「!!」)

(末妹「野獣様、いくらなんでもひどいです!! なんでそういう話をするんですか!?」)

(師匠(どこまでバカだ、あの男は……)ヤレヤレ)

(野獣「う、そうか、すまん、また私は失敗してしまったようだな」)
 

920: ◆54DIlPdu2E 2015/09/07(月) 22:01:45.92 ID:CTHn/6F50
(野獣(図書館の彼女が幸せな家庭を持った話を思い出して、つい、末妹の将来に重ね合わせてしまった……))

(末妹「あんまりです、あんまりです!!」ポスポスポスポス)

(野獣「すまん、はは、悪かった、本当に私は愚かだ、悪かった……よしよし、ちっとも痛くないな、末妹の拳は」)

(師匠(笑っとる場合か、嘘でも痛がってやれっつーの))

(末妹「……」ポス…ポス)

(末妹「……野獣様」キュ)

(野獣「……」)

(野獣「……すまなかった」ギュ)

(末妹「私、幸せになりますから、野獣様の望みなんですよね、それが」)

(末妹「……けれども、何が幸せかは私が決めます」)

(末妹「それでも、いいですか……?」)

(野獣「……ああ、いいさ」)

(野獣(今は、な))

(野獣「お前の思うように、お前らしく生きておくれ、私はそれを見守っている、ここで……」)

(末妹「…………」ギュ)

(野獣(……人は変わり行く、先の事は誰にもわからない))

(野獣(そして、末妹の前に広がる未来の可能性は、果てしないはず))

(野獣(だが、もう少し時間が必要なのだろう))

(末妹「……グス」)

(野獣(……また泣かせてしまったか))

(野獣(そうだな、うーむ……師匠?))

(師匠(? なんの用だ、このデリカシーの欠片もない阿呆弟子め))

(野獣(昨日、菫花にくっつけた私の一部とやら、あれは私の生命力と考えていいですか?))

(師匠(う、うむ。そうだな、今のお前を作っている素材だ、現実世界の肉体を形作る血肉に相当する))

(野獣(ということは、あれ自体に私の魔力や記憶や知識は含まれませんね?))

(師匠(ああ、だからあくまでも素材で……))

(野獣(よいしょっと)ブチ)

(師匠(お、お前!?))
 

921: ◆54DIlPdu2E 2015/09/07(月) 22:05:39.61 ID:CTHn/6F50
(野獣(……真珠の一粒くらいですね))

(野獣(師匠、末妹はここでも、現実世界でも眠りながら泣きっぱなしで))

(野獣(泣き疲れて、身も心もかなり消耗してしまいますよね))

(野獣(ですが、これくらいあれば明日の朝に気分良く目覚められる程度には回復するんじゃありませんか?))

(師匠(『それ』を、まさか少女に与えるつもりか?))

(野獣「いけませんか? 彼女に何か悪影響があるならやめますが……」)

(師匠(いや……その量ならばまあ、お前の言う程度の効果で済むかと……))

(師匠(そもそも、お前と菫花とのやり取りとは違う、他人にうまく定着するとは限らんぞ))

(野獣(では、駄目元で))

(師匠(おい?))

(野獣(……)シーン)

(師匠(全く……それなら儂がこっそり回復魔法をかけてやったのに))

(野獣「末妹、これをごらん」)

(末妹「……小さなガラス玉?」グシ)

(末妹「でも、硬い物には見えない……透き通っているのになんだか、柔らかそうな……?」)

(野獣「お前の母親が、十字架の首飾りにお前を想う心を託したように」)

(野獣「私はこれをお前に与えたい」)

(野獣「お前がどこにいようとも、これを『持っている』限り、私の心もお前に寄り添っていると思っておくれ」)

(野獣「ただし、お前が受け入れてくれるのならば、だが……」)

(末妹「……『それ』は、何ですか? どうやって受け取れば良いのですか?」)

(野獣「お前は何もしなくてもいい」)

(野獣「これが何かは、受け取ってからお前が答えを出せばいい」)

(野獣「ほら、手を出して。渡すぞ」)

(末妹「え……これで、いいですか……?」スッ)

(末妹「……あ」)

(末妹「なんだか、すごく、暖かい……こんな小さなものなのに」)

(末妹「これは……野獣様に触れた時と、同じ暖かさ……」キュ)

末妹は『それ』を、思わず自分の胸にそっと押し抱く……
 

922: ◆54DIlPdu2E 2015/09/07(月) 22:24:04.78 ID:CTHn/6F50
(末妹「……?」)

(末妹「消えた、ううん、私の中に溶け込んで行く感じがする」)

(末妹「……暖かい、不思議……心が安らいで行く……」)

(野獣「……『それ』はお前の一部になったのだな」)

(野獣「お前ならきっと、受け入れてくれると思ったよ」)

(末妹「……」)

(末妹(これが何か、私、わかった……))

(末妹「……野獣様」)

(末妹「泣いてばかりで心配かけてごめんなさい、もう大丈夫です」)

(末妹「これから、もっと強くなれます、もっと笑えます、心から、そう思う」)

(末妹「野獣様から、すてきな贈り物をいただきましたから……」ニコ)

(野獣「……そうか」ニコ)

(野獣「さあ、もう朝まで時間がない、そろそろ眠ると良いかもな」)

(末妹「……はい」コク)

(野獣「寝付けなさそうなら、魔法をかけてやるが?」)

(末妹「大丈夫です、今は本当に静かな気持ちですから……」)

(末妹「……ひとつだけお願いです、もう一度オルゴールの音楽をかけてくれますか? あの曲を聴きながら眠りたいのです」)

(野獣「ああ、そう言えばいつの間にか鳴り止んでいたっけ」)

……♪~♪~~♪~

(末妹「……ありがとうございます」)

(野獣「また私の肩に凭れかかって良いぞ、ほら……」)

(末妹「……」トン)

(末妹「おやすみなさい、野獣様」)

(末妹「また……こちらの世界で、お話してくださいね……」)

(野獣「ああ、おやすみ……」ナデナデ)

(末妹「……スゥ」)

…………
 

926: ◆54DIlPdu2E 2015/09/12(土) 20:51:12.44 ID:MGb0E7VS0
(師匠「……少女は物質世界に戻ったか。眠ったのだな」)

(野獣「師匠」)

(師匠「……泣かせては慰め、慰めては泣かせ」)

(師匠「自ら放火しては消火し再び火を放ち、を繰り返すかの如き愚行だのう」)

(野獣「ええ、いくつになっても女心の、いえ、人の心の機微には鈍感なままですね、私は」)

(師匠「全く……お前なんぞのどこが良いのか、あの少女は」)

(野獣「本当にそうですね。私は最低です、最低な男です」)

(野獣「確かに、泣いて泣いて疲れ果てているであろう末妹が心配ではありました、それは嘘ではありませんが」)

(野獣「自分があの穢れを知らない少女の初恋の相手だと自覚した途端に、男としての欲が芽生えたようです」)

(師匠「欲、だと?」)

(野獣「結ばれぬ運命だと、友人同士であるべきだと、言い聞かせておきながら」)

(野獣「物質世界の人間には不可能な方法で、自分にしかできない方法で、彼女に私の痕跡を残したのです」)

(野獣「彼女の将来の、まだ見ぬ伴侶に嫉妬したのかもしれません」)

(師匠「……素材は素材に過ぎん」)

(師匠「それにあれっぽっちの欠片、少女の生命力と一体化した瞬間」)

(師匠「どころか、お前から切り離された時点で既にお前のものではなくなっている」)

(野獣「事実として師匠の仰る事が正しくても、彼女にとっては」)

(野獣「私の身の一部を分け与えられた、それが全て」)

(野獣「そう思わせるように仕向けましたからね、しかも母親の形見の話を絡ませて、卑怯の最たるものです」)

(師匠「……」)

(野獣「最低最悪の、助平爺ですよ」ポロポロ)

(師匠「……お前」)

(野獣「…………」ボロボロボタボタ)

(師匠「なあ、罪悪感を覚えるのは間違いだぞ」)

(師匠「お前は今更になって後悔しているのだろう、あの行為によって少女がお前に縛られてしまうのではないか、と」)

(野獣「……」コク)
 

927: ◆54DIlPdu2E 2015/09/12(土) 20:53:55.87 ID:MGb0E7VS0
(師匠「なに、心配はいらん」)

(師匠「もっと強くなれる、もっと笑えると、お前に約束していたではないか」)

(野獣「約束」)

(師匠「少女は強い娘だ、そしてそれは支えてくれる存在があってこそだと知っている賢い娘だ」)

(師匠「そして、支えてくれる者たちを裏切らない、誠実な娘だ」)

(師匠「そんなことはお前の方がよく知っている筈ではないか?」)

(野獣「……あ」)

(師匠「もっと信じろ、お前の愛する者達を、彼等に愛されているお前自身を」)

(野獣「……」)

(師匠「お前はこの先、今回以上に物質世界に存在できない故のもどかしさを味わうことになる」)

(師匠「時として生身の存在に嫉妬する事だってあるだろう、それは仕方のない話だ」)

(師匠「お前が『生きて』心を持っている限り」)

(野獣「……ええ」)

(野獣「泣いたり笑ったり、怒ったり、沈んだり凹んだり萎れたり腐ったりする心ですが」)

(野獣「手放すつもりは一切ありません」)

(師匠(マイナスな状態が多すぎるけどなこいつの場合))

(野獣「この心で感じてみたい事はこれからも沢山あります」)

(野獣「私の手で自然な在りようを変えてしまった使用人達」)

(野獣「人の世で自分が決めた人生を歩く菫花、将来の夢を叶えるため己を磨く次兄」)

(野獣「これからますます美しく成長し、素晴らしい女性になるであろう末妹」)

(野獣「物質世界で生きて行く皆の今後を見守りながら、今まで以上に一喜一憂していたい……」)

(野獣「……あ、もちろん師匠の人生も」)

(師匠「露骨に取って付けなくともいいわい」)

(師匠「さて、過ぎたことは取り戻せない、くっつけて溶け込ませた物は取り出せない」)

(師匠「そして、お前が少女への思い遣りに忍ばせた小さな下心には結局のところ実害はない」)

(師匠「儂もこんなことでお前を責めたくはない」)

(野獣「師匠」)
 

928: ◆54DIlPdu2E 2015/09/12(土) 20:57:23.53 ID:MGb0E7VS0
(師匠「末妹へ語った言葉をそのままお前の真実として、堂々としておればよい」)

(野獣「……ありがとうございます」)

(野獣「やはり、師匠と再会できてよかった……」ニコ)

(師匠「……うむ、儂もお前の獣の顔に慣れて来たようだな」)

(師匠「なかなか良い笑顔ではないか」

(師匠「……さて、うっかり紛れ込んでしまったが、こんなに長居するとは思わなかったわ」)

(野獣「そう言えば、そもそも何故この場に師匠が」)

(師匠「こっちが聞きたい。寝入り端にぼんやりお前のことを考えていたら、どういうわけかバラの茂みの陰にいた」)

(師匠「お前の魔力と儂の魔力の相乗効果だろう、今後は気をつけねば」)

(野獣「私のことを気にかけてくださっているのですね」)

(師匠「ふん、たまたまだ、たまたま」)

(師匠「疲れた、もう眠る、目覚めるまで儂を起こしに来るなと、執事に夢枕で伝えておけ」)

(野獣「は、はい、わかりました」)

(野獣「……寝付く時間が遅かろうと、いつも目覚めるのは早い時間でしょうに」)

(師匠「年寄りだと言いたいのか、さほど変わらん年齢のくせに!」)

(師匠「ふん、お前も休め、肉体がなくたって精神体にも休息は必要だ」)

(野獣「ええ、そうします、おやすみなさい師匠」)

(師匠「おう、おやすみ」)

日が昇るのは、もう少し先……

……

末妹「……すやすや」

末妹「…野獣様……」ムニャ

……

次兄「……くかーくかー」

次兄「…野獣様、げへへ……」ムニョ

…………

931: ◆54DIlPdu2E 2015/09/13(日) 20:02:26.83 ID:j/89xu610
翌朝、末妹の客間。

末妹「……ん、窓が明るい……朝ね……」モゾ

末妹「……眠りについたのはかなり遅かった筈なのに、ぐっすり眠れた感じがする」

末妹「野獣様…」キュ

末妹「……何事もなかったみたい、透き通った、柔らかな小さなガラス玉のような、暖かい」

末妹「あれは野獣様そのもの、私にはわかったわ。もう存在を感じることはできないけれど、すっかり溶け込んだからなのね」

末妹「これからも私と共にある、きっと私を守ってくれる……」

……

末妹「おはよう、お兄ちゃん」

次兄「おお、おはよう末妹!」キラキラ

末妹「なんだか、今朝は爽やかね、お兄ちゃ」

末妹「あ、いつもは違うって意味じゃなくて!」アワワ

次兄「いやいや、正直でこそお前。それより…末妹に話したい事があったんだよ、聞いてくれ」

末妹「私に?」

次兄「ああ、ようやっと野獣様に話をすることができた、だから次に話したいのはお前なんだ」

次兄「実は……」

……

末妹「美術学校、そして、絵の仕事を……」

末妹「すごい! お兄ちゃんならきっと成功する、私も応援するわ!」

次兄「ま、その前に父さんに許しを得ないとなあ」

次兄「きっと下宿か寮で暮らすことになるんだろうけど、一人暮らしが成り立つかって辺りも課題だしー」

末妹「……あ」

末妹「そうか、王都の美術学校に通うってことは、家を出るのよね……」

次兄「……寂しくなるけど、俺もまだ目指す学校に受験できる年齢じゃない、もう少し先だよ」

次兄「何より、離れていても兄妹だからね」キリッ

末妹「お兄ちゃん……」

末妹「そうね、ずっと一緒ね。別の場所にいても、私達は……」
 

932: ◆54DIlPdu2E 2015/09/13(日) 20:06:57.96 ID:j/89xu610
次兄(とか言って、俺ずーーーーっとこの先も家にいたりしてね、一生…)

次兄(…って、シャレになってませんけどー)トホホ

次兄「そうだ、お前の夢にも野獣様が現れたろ?」

次兄「俺との話を済ませたら、末妹に時間を取りたいって言ってたから……」

末妹「……」

末妹「…うん、私もお兄ちゃんに話さないとね」

……

次兄「……そうか」

次兄「お前も、本当に…大人になっていたんだなあ」シミジミ

次兄「野獣様に自分の気持ちを伝えられたんだ、それだけでも立派だよ」

末妹「でも、私は結局、泣くしかできなかった」

末妹「野獣様に心配をかけて、そんな私に贈り物まで……」

次兄「ふむ、女の子を慰めるにはやはりプレゼントってわけですね」

次兄「さすがは紳士、女性扱いのテクは侮れない、で……」

次兄「何もらったの?」

末妹「……えっ、と」

末妹「……どう言えばいいのかな、野獣様の……うーん」

末妹「野獣様そのもの、と言えばいいのかしら?」

次兄「 は へ ? 」

次兄「野獣様そのもの、つまり野獣様自身」

末妹「そうね、そんな感じかな?」

次兄「いや、夢の世界での話、野獣様の夢の世界、でも、感覚は現実世界と同じなんだよな……その世界で」ブツブツ

次兄「……野獣様の、野獣様を、もらっちゃった、と??」

末妹「え、ええ」

末妹「野獣様そのものだったって、私にはわかったわ。同じ暖かさだったもの……」

次兄「   」

……
 

933: ◆54DIlPdu2E 2015/09/13(日) 20:09:41.00 ID:j/89xu610
野獣の夢の世界……

(野獣「ああああ、一段落した話だと思っていたら、ややこしい事になってしまった」アタフタ)

(野獣「絶対誤解しているぞ次兄は、いや、これは私に言い逃れをするなという意味なのか、いやいや」)

(野獣「私が助平呼ばわりされるのはやむを得なくとも、何よりも末妹の名誉が危機に」)

(野獣「くっ、わかっている、それもこれも私が悪い、だからこそ一刻も早く私がなんとかせねば……しかしどうしたものか」)

(野獣「しめた、師匠がまだ眠っている、師匠!?」)

……

末妹「お兄ちゃん、お兄ちゃん……?」ユサユサ

次兄「」

末妹「目を開いたまま気絶している、どうしよう……いったい何がお兄ちゃんを」

師匠「……難儀しているようだなあ」ノッソリ

末妹「師匠様!?」

師匠「ああ眠い。……心配するな少女よ、兄は儂にまかせておけ」

末妹「で、でも……」

師匠「思春期の少年というものは複雑なのだ、時として男同士でなければ解決できない問題も生じる」トカナントカイッテミル

師匠「大丈夫、数時間後には元気になっておる、いいから君は朝食を食べておいで」

師匠「さあ次兄、儂の部屋に行こうか?」ガッシ

次兄「」ズルズルズルー

末妹「…引き摺られてる」ハラハラ

師匠「あ、石造りの廊下でこれは拙いか。魔法で数センチ浮かせて、っと」フワン

師匠「これで怪我はせん、心配いらん。では、また後で……」

末妹「は、はい……」

師匠(……部屋で眠りの魔法をかけて、そうでなければあいつに会えないからな)

師匠(あいつと儂で…あいつめ、ひとりじゃ自信が無いとかなんとか…少年の誤解を解く、と)

師匠(全く、野獣含めて世話の焼ける小僧しかおらんよな、面倒臭いったらないわ)フゥ

…………
 

934: ◆54DIlPdu2E 2015/09/13(日) 20:13:05.63 ID:j/89xu610
でもって、次兄と野獣と師匠……

(次兄「……だいたい理解しました」)

(次兄「野獣様の行動に肉欲的な意味はなし、実際にそのような効果もなし、当然末妹にもまっっっっったくそんな認識はなし」)

(次兄「でも精神的には嫉妬心が抑えきれなかった、と言うわけですね」)

(野獣「……そうだ、軽蔑しただろう? 彼女が純真なのを良い事に……」)

(次兄「末妹には言えませんねえ」)

(野獣「……ああ、虫のいい話だが黙っていてほしい」)

(師匠(儂が口を挟む必要はなさそうだな今のところ))

(次兄「…………ねえ、野獣様」)

(野獣「うん?」)

(次兄「野獣様も、神様でも聖人君子でもなく、ただの男だったのですね」)

(野獣「そうだ、聖人たれと振る舞った覚えもないが、むしろ普通以上に弱い男だ」)

(次兄「俺にだって末妹に一生言わずにおきたい事くらいあります、今の野獣様と一緒ですね」)

(次兄「そう、この前の野獣様の夢での出来事とか!」ヌギヌギッ)

(師匠「」)

(野獣「こ、ここで服を脱ぐな!!」)

(次兄「おっと」チャクイー「……ほんとに頭で思っただけで服の脱着可能なんだなあ」)

(次兄「話を戻して……末妹だっていつまでも純粋なだけの子供じゃありません」)

(次兄「いつか、何年先かわかりませんが、何かのきっかけで野獣様の本心に気づく可能性もあるでしょうね?」)

(野獣「う……」)

(次兄「でも末妹は野獣様を軽蔑したりしませんよ」)

(次兄「あの子は…野獣様の弱いところや残念なところもひっくるめて『愛して』います」)

(次兄「何しろ、この俺を変態ダメ兄貴としっかり認識したうえで大切にしてくれる妹ですから!」ドドーン)

(次兄「……野獣様が嫌われるくらいならその前に俺が見限られていますって、その時は二人で傷を○○合いましょう」)

(野獣「お前が○○合うと言えば物理的な意味にしか聞こえない」)

(次兄「とにかく我々は今後もあの子に嫌われないように」)

(次兄「表に出せないような言動は最低限に留められるよう、日々の努力を怠らずに暮らそうではありませんか!」キリッ)
 

935: ◆54DIlPdu2E 2015/09/13(日) 20:16:14.34 ID:j/89xu610
(師匠(どんな努力なのだそれは))

(野獣「……ありがとう、お前は優しいな、次兄……」)

(次兄「そうそう、しょっぱい顔はやめましょう」)

(次兄「もちろん約束通り俺からは決して話しませんよ、男同士の秘密ですからね」)

(野獣「……」)

(野獣「…私には、子供の頃から友達らしい友達がいたことがない」)

(次兄「だけど『ガールフレンド(図書館の娘さん)はいた』とか言おうものなら俺はともかく世間のモテない男子はキレますよ?」)

(野獣「しかし、対等な男友達がいたのなら、こんな感じだったのだろうか?」)

(野獣「……馬鹿な話も、弱みも、恥ずかしい秘密も打ち明けられる、お互い飾らずにいられる、そんな意味での友達が、な」)

(次兄「…………友達」)

(次兄「俺にも16年間、そう呼べる存在はいたことないし求めたこともないけれど」)

(次兄「野獣様とは友達になりたいって、漠然と思い続けては来たけれど」)

(次兄「そうか、世間一般の人々が持っている『友達』ってのは、こんな感じ……なのか?」)

(次兄「友達……」)

(次兄「……ふへ、ふへへへへへへへへ……」カァァァァァ)

(次兄「ふへ、恥ずかしい! 野獣様に愛してるとか大好きとかは言えるけど、友達って、マジに考えたらめっちゃ恥ずかしい!!」)

(野獣「は、恥ずかしい? 恥ずかしいのか!? こら、赤くなるな、私も恥ずかしくなって来るではないか……」ボッ)

(次兄「や、野獣様ったら、顔は毛に隠れているけど耳が! 耳介の毛の薄い部分が真っ赤!! ふへへ」)

(野獣「ぬ、お前こそ耳までどころか、つむじの地肌まで真っ赤ではないか!! うはは」)

(師匠「……………………」)

(師匠「……いったいなんなのだ、こいつらは」)

(師匠「こいつら精神年齢は大差ないとは前々から思っていたが」)

(師匠「ふたりとも、幼年期から段階を踏んで家族以外と人間関係を築く過程をすっ飛ばして成長した結果がこれか」)

(師匠「ま、当初の目的通り、少年の誤解が解けて元気にもなったから、良しとしようかの……」)

……
 

936: ◆54DIlPdu2E 2015/09/13(日) 21:55:58.43 ID:j/89xu610
野獣の部屋。

ドア:コンコン

王子「……どうぞ」

執事「おはようございます、菫花様」ガチャ

王子「おはよう、執事さん」ニコ

執事「お身体の具合はいかがですか、お食事はどうなさいます?」

王子「すっかりとは言えませんが、だいぶ好くなりました。そろそろ、食事は皆さん(人間限定)と同じでも問題なさそうです」

執事「そうですか、ええ、いつまでも病人食では力も湧きませんからね」

執事「さっそく運んで来ましょう」フリフリ

王子「執事さん尻尾を振ってる、もしかして自覚ない?」

王子「……私が回復しているのを心から喜んでくれているのか……」

厨房。

料理長「そうですか、多めにブリオッシュを焼いておいてよかったですよ」

料理長「夏に木苺を摘んで作ったジャムも今日開封しました、これも少し持って行ってください」トリワケー

料理長「ところで、師匠様も次兄様も朝食の席にはいらっしゃいませんでしたね?」

執事「ああ、何やら次兄様に起きたため、らしいが、末妹様もうまく説明できないようで」

執事「メイドが話し相手になっていたから、お一人でのお食事もさほど寂しくはなかったと思うが……」

師匠「何か食べるものはあるかね?」ヌッ

執事「っ!? 師匠様ではないですか!?」ビビクン

執事(このわたくしに気配を感じさせず背後に忍び寄るとは、やはり只者ではありませんな……)

師匠「二人分、頼む。儂も次兄も朝食を食べそびれての」

次兄「おはよ、執事さんと料理長さん。お腹空いたー」ハラノムシグー

料理長「すぐに温め直します、お二人の分は取って置きましたからね」

師匠「うん、その盆は菫花の分か。では、儂が運んでやろう。あいつと一緒に食べる」

執事「それは構いませんが…次兄様はどうされます?」

次兄「うーん、天気がいいから庭で食べようかなあ。おっさんとポn…菫花さんは親子水入らずで、どうぞ」

……

937: ◆54DIlPdu2E 2015/09/13(日) 21:58:10.09 ID:j/89xu610
前庭。

次兄「屋外がこんなに暖かいのも今のうちだろう、これからどんどん秋も深まって冬に近づく」

次兄「ティーセットも貸してくれた、セルフお茶淹れ」コポコポ

次兄「貴重な日光浴の機会です」ズスー

次兄「うーん、この場所はそう言えば野獣様に俺の絵を覗き込まれた場所」モグモグ

次兄「ああ、ジャムべっとりの焼き立てブリオッシュたまんねえ」

次兄「……あの時は、末妹と庭師くんとメイドさんが庭を散歩していたなあ」カチャカチャ

次兄「目の前で作ってくれたチーズオムレツも絶品……っと?」

…メキャベツガ、モウジキタベゴロデスヨ ワア、シュウカクノトキハテツダワセテ! シュウカクゴノクキトハッパモタノシミデスー

次兄「奇しくも三人が今日もお散歩しているではありませんか」

次兄「……相変わらず幼児向け絵本の挿絵のような光景」モグ

次兄「そうだよな、あんな末妹の見た目に…(自主規制)…する変態ではないよなあ、野獣様……」

次兄「その一方で、子供から少女へ、少女から女へ日々成長しつつある末妹」ズビー

次兄「と言うか、その精神は既に俺の精神年齢を追い越して…」

次兄「…物心ついた頃からこちらは後れを取っていたような気もしますが」

次兄「俺も負けずに『大人』にならないとね、色んな意味で」モグモグ

次兄「……それにしても」ゴクン

次兄「手に何か持ってるな、末妹」コポコポ

次兄「大事そうに抱えて、紙にくるんであるけど……」ソヨソヨ

次兄「お、風向きが変わった。こちら側が末妹達に対し風上に」



メイド「ふんふん、ミルクティの匂いがしますー?」

庭師「って言うか、次兄様の匂いだよ。この近くにいらっしゃるよ?」

末妹「お兄ちゃんが?」

灌木の茂み「……さすがにバレますわよね奥様」ガサ

次兄「末妹、今朝は心配かけたね、もう大丈夫」ニヘヘ

末妹「お兄ちゃん!」

……
 

941: ◆54DIlPdu2E 2015/09/15(火) 22:20:53.10 ID:m64gctSG0
末妹「もう大丈夫なの? いきなり気絶したから驚いちゃって……」

次兄「おっさん(と野獣様)のおかげですっかり元気に、だからもう忘れて? 忘れて忘れて」エコー

次兄「で、遅い朝食をおっさんは菫花さんの部屋で、お兄ちゃんはお庭で摂っていたわけです日光浴がてら」

末妹「そうだったの……よかった、何かとんでもない病気かと思っちゃった」ホッ

メイド「食べ終わったのでしたら、食器は下げてきましょうか?」

次兄「いいんだ、後から自分で持って行くよ」

次兄「それより、みんな何か用事があって庭に出たんだろう? 俺のことは気にしないで」

末妹「別にお兄ちゃんがいて困る事でもじゃないから、そうだ、よかったら一緒に来て?」

次兄「来て、って、どこへ?」

末妹「裏庭。バラ園に」

裏庭のバラ園。

次兄「……あれ、ずいぶん花や葉が落ちている」

末妹「今の時間は暖かいから意外かもしれないけれど、早朝は急激に冷え込んだの」

末妹「ここのバラは、本来、春から夏までに年一度だけ咲く種類を集めていたそうよ」

次兄「それをおっさんやおっさん仲間の魔法の力で枯らさずに咲かせていたんだな、そして、魔法が解けて」

次兄「よく考えたら200年以上咲き続けていたんだよな、寒さだけじゃなく、その反動もあったのかもね」

末妹「……ええ、そうかもしれない」

末妹「一輪差しのバラも、窓辺に置いていたら冷気に当たったみたいで……」ガサ

次兄「あ、お前の持ってたその包み」

末妹「……花弁も葉も、一気に落ちてしまったの、全部拾い集めたけれど」

末妹「お父さんが、この赤いバラの木から折り取ったバラ、私達が野獣様達に出会うきっかけになったバラ……」

次兄「……」

末妹「近いうち、ここのバラも寒さで全部枯れてしまうはず」

次兄「そうだな、寂しいよな……」シンミリ

末妹「だからね、寒さで枯れた葉や花、剪定した茎も集めて」

末妹「堆肥を作ってね、それで今度はもっと綺麗なバラを咲かせるの」

次兄「『今度』……」
 

942: ◆54DIlPdu2E 2015/09/15(火) 22:25:09.52 ID:m64gctSG0
末妹「野獣様が仰っていたの、植物は強い、簡単にその命は終わらない、って」

末妹「だから今は枯れて雪に埋もれても終わりじゃないわ、また春になったら花達に会える」

メイド「堆肥の作り方は、以前にご主人様が庭師くんに教えてくださったんです」

庭師「僕が来るまではご自分で野菜や花を育てておられたので、良い配合をあれこれ研究されたそうですよ」

庭師「もっとも、今までバラに堆肥は必要なかったので、初の試みになりますが…」

庭師「今朝このバラ園の様子を見て、せっかくだから落ちた葉を役立てようと思いついたんです」

庭師「みんな寒さで落ちただけで、病気はついていないんです、良い堆肥になると思います」

末妹「……私の一輪のバラは元の木に戻れないまま枯れたけど、今度はバラの木の糧として戻るのよ」

末妹「庭師くんのお話を聞いて、私から、一緒にこれも使ってほしいとお願いしたの」

次兄「……そうか。じゃあ、何を手伝えばいいかな?」

庭師「そうですね、落ちた葉っぱや花弁を拾い集めて、この木箱に入れてください」シャリンガツイテルヨ

メイド「私も非力ですが集めますー、次兄様は力持ちだから助かりますね」

次兄「……そりゃこのメンツの中じゃ一番力持ちだよなあ、俺」

末妹「地面も落ちている葉っぱも乾いているから拾い易いわ。茎の刺に気をつけてね、お兄ちゃん」

……

(野獣「……なるほど、堆肥を作るのか。ああ、うまく発酵してくれるか、カビを生やさないかと心配になるなあ……」ハラハラ)

(野獣「庭師には夢を通して助言を続けてやろう、その前によく思いついたと褒めてやらねばな」)

(野獣「……普通のバラになったからには、冬が近付けば枯れるのは当然だ」)

(野獣「しかし……同時に私の命と共に枯れる運命から解放されたのだ、来年以降も咲くことができる」)

(野獣「末妹は私だけではなく、バラ達をも救ってくれたのだよ……」)

……

次兄「……あらかた集めたかな」フゥ

庭師「おかげで作業がはかどりました、ありがとうございます」

末妹「最後に……私のバラも、木箱の中に……」ガサ

末妹「さよなら」ソッ…

次兄「……」

末妹「……そして、またこのバラ園で会おうね」

…………
 

945: ◆54DIlPdu2E 2015/09/17(木) 23:10:30.61 ID:yUXeAouc0
屋敷内某所……

庭師「……で、最初に温度を上げさせると、悪いカビや嫌な臭いの元が退治されるそうです」ペラペラ

庭師「この工程が済めば、その後に出てくる白いモフモフしたカビはむしろありがたいんですって」ペラペラ

次兄(土には良くてもそのモフモフは愛でる気になれんなあ、俺は)

庭師「で、放ったらかしはいけません。時々かき混ぜる必要があります。微妙な変化を見るためにも……」ペラペラ

メイド「……すやぁ」

末妹「メイドちゃん、立ったまま眠ってる」

次兄「講義してくれるのはありがたいけど、そういう話は一緒に作業しながら聞いたほうが覚えられるからねえ」

庭師「それもそうですね。お二人とも滞在中はお手伝いしてくださるなんて、嬉しいけれど申し訳ありませんね……」

末妹「ううん、ぜひ手伝わせて欲しいの。だから色々教えてね」

末妹「ところで、堆肥が完成するのはいつ頃かしら?」

庭師「…………えっと」

庭師「実はですね、一から自分で作るのは初めてなんです」

次兄「はい?」

庭師「今迄、前庭の花や野菜用の堆肥は、ご主人様が以前から作って来たものに新しい材料を継ぎ足していたので」

庭師「いま使える分も裏庭に回すには量が足りないし、せっかくだからバラ専用のやつを最初からやってみようと……」

末妹「そうだったの……」

庭師「夢でご主人様に聞いておきますね」

……

(野獣「庭師め、以前に教えたような覚えがあるのだが、さては忘れてしまったか」)

(野獣「そう言えば講義形式で語ってやった時は居眠りしていたっけなあ……」)

(野獣「あの製法ならば一年ほど熟成させないと、だから来年の春咲きに使うには間に合わない」)

(野獣「……しかし、末妹は『あのバラ』との『再会』を楽しみにしているだろうな……」)

(野獣「それだけじゃない、あの四人の張り切りっぷり…………」ムムム)

(野獣「…………少しだけ魔法で発酵を促進してやるくらいならインチキではないよな? な? なあ?」)

(野獣「私には手を出せないから、菫花に頼まねばならんが」)

(野獣「庭師には『材料と温度湿度等の条件とお前の腕が良かった』と説明して手を打とう」ポン)

……

946: ◆54DIlPdu2E 2015/09/17(木) 23:13:06.75 ID:yUXeAouc0
メイド「ふあぁ、あれ、私、立ったまま寝ちゃってましたねえ」

次兄「器用だなメイドさん」

末妹「ふふ……あら、師匠様と菫花様よ、本のお部屋から出て来た……」

師匠「やあ、君達。窓から見ていたよ、裏庭で遊んでいたのかね」

次兄「庭師君の手伝いで働いていました」エッヘン

王子「ああ、もしやと思ったらやっぱり…堆肥を作ろうとしていたんだね」

庭師「そうか、菫花様に聞けばいいんだ。あのう、堆肥が熟成するまでどれくらいかかりますか?」

王子「…………えっと」

次兄「さっきの庭師君と同じリアクション」

王子「ごめん、城で暮らしていた時は確かに園芸が趣味で、堆肥作りも思い付いた事はあるけれど」

王子「……両親にとっては、作る過程は決して『きれいなもの』ではなかったからね、場所も必要だし」

王子「作り方を勉強するよりも前に、お小遣いで農家から買った方が手っ取り早く、目立たずにできたから」

王子「荒れたここのバラ園を手入れした時も、買った肥料しか使っていない」

次兄「そうか、野獣様の知識はここで一人暮らしを始めてから勉強した成果か」

王子「私も、野獣の経験や知識の全てを『夢で見た』わけじゃない、ところどころの断片しか残っていないんだ」

末妹「菫花様、お身体は大丈夫なんですか?」

次兄「わかった、トイレに行きたかったんでしょ」

王子「確かについでに行っては来たけど主目的じゃないからね、ありがとう、ずいぶん今日は体調がよくなったんだよ」ニコ

師匠「ちょっと屋敷の中をあちこち歩いてみたいと言うのでな、儂もド暇だから付き合ってやっておるのだ」フンス

メイド(ご心配なんですよねー、バレバレです)

次兄「で、次はこっちの部屋に入るんですか? ……俺は入った事ないな、ここ」

末妹「私もよ。メイドちゃん、ここは何のお部屋?」

メイド「……うーん、実は私も入った事ないのです、と言いますか……」

庭師「僕ら使用人、皆この部屋には入らないようにって言いつけられていたんですよ、執事さんさえ」

メイド「色んな理由でいくつか私達が入れないお部屋は他にもあるのですが、理由もなく、というのはここだけですー」

王子「……ここは、私が自分の足で入らなければならない部屋で、自分の目でしっかりと見なくてはならない物があるのです」

末妹「……?」
 

949: ◆54DIlPdu2E 2015/09/19(土) 02:00:08.37 ID:Ex3sgdIS0
師匠「……ひとりで本当に大丈夫か?」

王子「ええ……むしろ、誰かと一緒の方がキツいかもしれませんね」

師匠「それもそうか。では……がんばってこい」

王子「はい」カチャ…

ドア:パタン…

師匠「さて、頃合いを見て迎えに来てやるとして……」

末妹「…………」

師匠「……少女よ、そんなに不安そうな顔をするな。別に、あの部屋には魔物が棲んでいるわけではない」

次兄「そうなんだ、思い詰めた顔してたから、冒険小説にあるような試練の部屋かなんかかと思った」

師匠「……確かに、試練と言えば試練だな、あいつにはな」

師匠「あの部屋に何があるか、話してあげよう。皆、そこの…本の部屋へ」

……

本の部屋。

師匠「この本だったな」カタ

師匠「これはとある著名な画家の自伝だが……名に覚えはあるかね? 少年、君ならば」

次兄「…知ってるよ、自国や周辺国の美術史関係の本は一通り読んだし」

次兄「200年くらい前に活躍した大画家で、王族や貴族の肖像画をたくさん残している」

次兄「他の国の王家からも頼まれて描いていたくらいだって」

師匠「正解だ、少年。では聞くが……『他国の王家』とはどこの国々か知っているかね?」

次兄「え、んと、確か、西の島国と、東と南と北それぞれの大きな隣国、だったかな」

師匠「ああ、公式にはその四つの国だが……実はもうひとつ、異国の王族を描いている」

師匠「自伝にも書き残していないがな、この国から見ると北東に接して『いた』小国の、最後の王と王妃を」

末妹「もしかして……」

師匠「そう、あいつの両親だ。そして、あの部屋にはその肖像画がかかっている」

師匠「……野獣も200年の眠りから目覚めて間もなく、あの部屋を、肖像画を見つけた」

師匠「そこであいつは思い知らされた、幼い頃から両親に受けた扱いを、自分が両親の子である事実を」

師匠「両親が罪人として民と我々魔術師ギルドに処刑された夜を、両親を殺した我々によってまだ生かされている現実を」

末妹「……」
 

950: ◆54DIlPdu2E 2015/09/19(土) 02:01:29.41 ID:Ex3sgdIS0
師匠「一度に押し寄せるそれらにあいつは耐えられなかった、部屋を飛び出すと鍵と魔法の両方で施錠し、二度と立ち入らず」

師匠「その後に出会った使用人達にも入るなと言い付け、従順な彼らは理由を聞かされずとも素直に従った」

庭師&メイド「……」

師匠「そして、奴は30年ほど経って、ようやくあの部屋に足を踏み入れた」

師匠「肖像画を前に、自分の弱さと、自分の罪、近付いて来る自分の死を、再確認するために」

次兄「それは……!」

末妹「もしかしたら、それは……私達を、二度と会わないつもりで家に送り帰したあとの……?」

師匠「そうだ、その頃には使用人達を解放する決意もしていただろうな」

師匠「菫花は、夢の記憶としてその場面を『思い出し』」

師匠「野獣はひとりで死にゆく覚悟をするために、両親の姿に向き合ったと、知ったのだ」

末妹「……菫花様は……なぜ、あのお部屋に……?」

師匠「あいつはこう言った」

(王子「野獣にとってこの屋敷や森から出られない生活は、むしろ安らぎでもあったでしょう」)

(王子「そんな暮らしの中で最も恐ろしいものはあの部屋でした、ですから人生の最期を受け入れるため足を踏み入れました」)

(王子「私は外の世界と接して生きて行くことにしました、そこにどんな恐ろしい事が待ち受けているか想像もつきません」)

(王子「それならば、屋敷の中で最も恐ろしいものから目を背けていては、先が思いやられますよね」)

(王子「だから私は、皆と生きて行くために、両親の姿に向き合おうと思います」)

末妹「皆と……生きて行くために……」

師匠「続きがある」

(王子「野獣も、本来ならば、可能であるなら、皆と一緒にこの世界で生きていたはず、だとすればやはり同じ事をしたでしょう」)

(王子「これからの人生、私は野獣と共にあるのです。私から今の夢の世界にいる野獣が作られたのではない」)

(王子「本当は、野獣から今の私が切り分けられた」)

(王子「切り分けられたけれど、私は野獣の欠片、この私を作っているものは『野獣そのもの』なのです」)

末妹「……!」

師匠「野獣の『代わり』ではなく、野獣と『一緒に』試練を乗り越える、と……あいつの理屈だと、そう言う事らしい」

師匠「……とか言っておきながら、あいつ、絵を見た途端に気絶でもしていなければ良いのだが?」

師匠「そろそろ迎えに行こうか」

……

951: ◆54DIlPdu2E 2015/09/19(土) 02:03:01.04 ID:Ex3sgdIS0
肖像画の部屋の前…

師匠「……部屋から出るまでは頑張ったようだな」

末妹「菫花様!?」

メイド「しっかりしてくださいー!」パタパタ

王子「」グテー

師匠「しっかりせえ、ほれ、儂の苦手な(しかもしょぼい)回復魔法っと」ポニュン

王子「……あ?」パチ

師匠「どうだ、向き合えたか?」

王子「……皆さん……」

次兄「おっさんから聞いたよ」

王子「……ええ、どうにか、乗り越えることができました」

王子「絵は絵です、きっと、今度は普通にここへ立ち入れるようになるでしょう」

王子「……ただ、次回はもう少し時間を置かせてほしいですけどね」

師匠「ここに入るも入らないもお前の自由よ」

師匠「早い話が儀式に過ぎんからな。客観的には無意味でも、当事者が何かを得たと言うのなら、それが儀式の存在意義だ」

師匠「儂もそれに倣って、強くなったではないかお前も……と、言っといてやろう」

王子「……ありがとうございます、師匠」ヨイショ

末妹「立ち上がって大丈夫ですか?」ハラハラ

王子「ええ、身体はほとんど大丈夫です。……あの、そのうち、乗馬を教えてくださいね?」

王子「さっき気絶している間、野獣に『馬に乗れるようになれ、末妹(さん)の教えを乞え』と言われて……」

次兄「え、菫花さん馬に乗れないんだ、王子様なのに!?」

末妹「お兄ちゃんったら……私も野獣様と約束しました、私でお力になれるのなら」

メイド「打ち身の痛みに効くハーブティーってあったかしら?」

王子「もう落馬すること前提ですか……?」

庭師「末妹様の馬さんなら優しいから、きっと大丈夫です、僕も手伝いますよ!」

師匠「……ふむ」

師匠(お前に『も』友達がいつの間にかできたようだな、よかったではないか。自覚するまで儂からは言わないが)

…………

955: ◆54DIlPdu2E 2015/09/26(土) 23:13:44.57 ID:sPl1pAkE0
王子「気を失っている短い間の話ですが、野獣はよく頑張ったと言ってくれました。あと、これからも頑張れと」

王子「門の外に出て、森の外に出て、出来ることを増やし、出会う人々を増やし」

王子「……助けてくれる存在がいるのだから、恐れるなと」

末妹「……」

師匠「馬に乗れと言うのもその一環か」

王子「ええ、でも、その前に…」

…………

その夜。

(野獣「森の外側に本当に出られるか試してみたい、とそう言うのか…」)

(次兄「おっさんと二人で瞬間移動でもして森の端っこに飛んで行けばすぐ済むでしょーが」)

(次兄「おっさんが冗談で弁当持って遠足でもしてくるかと言ったもんだから」)

(次兄「メイドさんが本気に取った上に大乗り気で、張り切って準備しますよ、と」)

(次兄「となるとおっさんも冗談とは言えないし、じゃあせっかくだから皆で行こうかと」)

(次兄「おっさんの診立てでは、もう一晩も休めば菫花さんの体調も問題なかろうって話だし」)

(次兄「……と言うわけで明日は菫花さん父子と小獣コンビと俺達兄妹と執事さんと料理長さんでピクニックへ」)

(野獣「要するに全員ではないか」)

(次兄「執事さん料理長さんは残るから行ってらっしゃいと最初は」)

(次兄「でも留守の護りならおっさんが魔法で半日くらい屋敷を隠蔽するのは訳ないからって」)

(次兄「あとはついでにキノコや木の実狩りでもして来ようと、それなら料理長さんも仕事になるし」)

(次兄「執事さんは道中の対野生動物型護衛要員として」)

(野獣「師匠がいれば護衛は事足りるがな」)

(次兄「ええ、実際は大きな獣や人間には遭遇すらせずに済むよう対策するってコッソリおっさんは言ってました」)

(野獣「……執事が一緒で正直嬉しいのだろう? お前は」)

(次兄「はいそれはもう!!」キラッキラー)

(野獣「…………で、当の本人は?」)

(次兄「菫花さんは話の進行に置いてきぼりでポカーンと」)

(野獣「うむ、予想はできた」)

(次兄「末妹が心配して声かけたら、我に返って状況把握してると言ってたので大丈夫かと」)
 

956: ◆54DIlPdu2E 2015/09/26(土) 23:16:20.24 ID:sPl1pAkE0
(次兄「ところで野獣様、なぜ今夜も俺が最初なんです? 昨日の今日なら、真っ先に末妹でしょ?」)

(野獣「う」)

(次兄「ま、なんとなく気まずいのもわかりますがねー」)

(野獣「ううう」)

(次兄「……あの子なら大丈夫ですって、それより毎度俺の後回しにされたらいいかげん嫉妬しますよ?」

(次兄「俺個人としては、我が家の天使と呼んでも過言ではないと思っている程ですが」)

(次兄「末妹も聖女ならざる普通の女の子です、たまぁには拗ねたりヤキモチ焼いたりするんだから」)

(野獣「……」)

(野獣「そうだな、お前達の帰宅する日も近付いているし、私も…思い出を増やしたい…」)

(野獣「ありがとう、末妹に会いに行く。……気を遣わせてすまんな、次兄」)

(次兄「いえいえ、本当に恋敵になっちゃったとはいえ変わらず可愛い妹ですからねー」)

(次兄「では、このへんで眠りの呪文プリーズ。おやすみなさい」)

(野獣「ああ、またな」ニコ)

(次兄「ささやかな願望として、野獣様の胸に抱かれて眠りに落ちたいなー」チラッ)

(野獣「とっととおやすみ」ポワワン)

…………

(末妹「師匠様は、間違いなく呪縛は解けていると仰ったのですが」)

(野獣「……自分の目で自分の足で実感したいと、菫花はそう言うのだな?」)

(末妹「ええ、野獣様の記憶の夢では、それが野獣様の望みでもあったから、と……」)

(野獣「ああ、確かに解放された暁にはそうしたいと…思っていたよ」)

(野獣(末妹、本当に普段通りだ。次兄の思った通り、私が妙に意識し過ぎるのだな))

(末妹「野獣様、菫花様の新しい第一歩を見守っていて、見届けてくださいね」)

(野獣「ああ、勿論。お前達も、あいつをよろしく頼む」頭ポン)

(末妹「はい」エヘ)

(野獣「……もうひとつ頼みついでに」)
 

957: ◆54DIlPdu2E 2015/09/26(土) 23:27:43.37 ID:sPl1pAkE0
(野獣「菫花だがな、王子の地位は失ったし、お前や次兄とそう年代に差があるわけじゃない」)

(野獣「あいつは思ってもなかなか言い出せない性格だし」)

(野獣「礼儀正しさはお前の美点でもあるが」

(野獣「……『様』付けはそろそろ変えてやってもらえないだろうか?」)

(野獣「普通の、どこにでもいるようなハタチの若者として接してほしいのだ」)

(野獣(更に言うなら精神年齢は末妹より幼いぐらいだし……))

(末妹「……でしたら、次兄(あに)に倣って『さん』付けで」)

(野獣「うむ、そうしてくれるとありがたい」)

(末妹「……あの、野獣『様』は、そのままでもよろしい……でしょうか?」)

(野獣「……ううむ、そう言えばあまり意識していなかったが、なんとなく定着してしまった感があるからな……」)

(野獣「お前が呼び易ければそれが一番だと思うぞ」)

(末妹「……ちょっと試してみても……いいでしょうか?」)

(野獣「ああ、構わんよ」)

(末妹「……野獣『さん』……」ボソ)

(野獣「……はい。」オヘンジ)

(末妹「~~~~~~~~~~っ」ボボボッ)

(野獣「な、何故赤面するのだ!?」アワワ)

(末妹「わ、私にもよくわかりませんっ! でも、何故か気恥ずかしいのです!!」ペチペチペチペチ)

(野獣「ああ、こら、赤面する度に自分の頬を叩く癖は直しなさい!!」アタフタ)

(野獣「……な、今迄通りでよい、さっきも言ったが、お前がその方が自然に呼べるなら……」)

(末妹「……そ、そうですね……」シュゥゥゥ)

(野獣「ほら、深呼吸でもして」)

(末妹「え、ええ…」スーハー「……はふ。落ち着きました、すみませんでした……」)

(野獣「まあよい。とにかく、森の中は足場の悪い場所もあるから気を付けるんだぞ、お前は特に」)

(野獣「……いや、次兄や菫花の方が運動神経という点ではより不安かもなあ……」)

(末妹「あの、失礼かもしれませんが……師匠様は?」)

(野獣「あの人はああ見えて頑健かつ身軽なのだ、私が知っていた頃より多少お年を召したとは言え、まだまだ……」)

……
 

960: ◆54DIlPdu2E 2015/09/29(火) 23:10:05.50 ID:2MijoxQx0
翌朝、東屋。

馬「ひひひん!」

末妹「ごめんね、お留守番させちゃうけど、師匠様がお屋敷ごと魔法で隠してくださるから安心してね」

末妹「今日のコースは馬さんには足場の悪い所もあるし、明日から忙しくなる分、今日はゆっくり休んで」ポンポン

馬「ぶひひん♪」スリスリ

末妹「いい子ね」ナデナデ

庭師「ブラシ終わりましたよ、末妹様!」ピョン

末妹「庭師君、いつもありがとう」

師匠「ふむ、つくづく良い馬だな。明日からの菫花の訓練用には勿体ないくらいだが……」

師匠「ま、下手な馬に乗せてド初心者のあいつに怪我をされても困るからなあ。よろしく頼むよ、末妹嬢?」

末妹「……とにかく最初は慣れていただく事が大切です、私にできるのはそのためのささやかなお手伝い」

末妹「菫花様…さんは野獣様と同じで優しいかたです、だからいずれ相性の良い馬とも出会えるでしょう」

師匠「ふむ、確かに少年の頃から臆病者のくせに動物好きではあったからな……」

師匠「なあ馬よ、明日からあの腰抜けを頼むぞ、ん?」ポン

馬「ふひひんひぶるるひん」サイゼンヲツクシマス

末妹「じゃあ、また夕方にね、馬さん」

…………

少し後、屋敷正門の出口。

王子「……野獣は時々森に出掛けては、森と外との境界、自分の足が止まる場所は何処か、…を確かめるように歩き回りました」

王子「勿論、彼が森に出掛けたすべての回数を私は夢に見た(覚えていた)わけではありませんが」

王子「それぞれの方角がどのような場所かはだいたいわかります」

王子「この森は屋敷がほぼその中心にあり、四つの角が東西南北を指した正方形に近い形をしていて」

王子「北西には大きな川、南西や南東は人里や街道に近い、北東は平原と接しその先には隣国との国境である山脈が聳え」

王子「風景も一番良いけれど、人目につく可能性が薄いのはなお好都合、野獣が他の場所より多く北東の境界線へ足を運んだ理由です」

王子「……というわけで、北東の『森の出口』が今日の目的地です、皆さん」

師匠「ではそろそろ発つか。隠蔽魔法をかけるぞ」

961: ◆54DIlPdu2E 2015/09/29(火) 23:13:50.58 ID:2MijoxQx0
次兄「……すごい! 本当に見えなくなった、屋敷や塀のあった場所に森が広がっている」

師匠「巨大な鏡の箱ですっぽり覆ったと考えてよい。周囲の風景が映り込んでいるのだ」

師匠「それから、我々以外でここに近付く者は、理由はわからぬままにこの場所を回避するようにしてある」

師匠「塀より内側におれば何が変わったのかさっぱりわからないのだがな」

末妹「……行ってきます、馬さん、そして野獣様」

……
道中、森の中。

執事「メイド、わたくしから離れるなよ?」

メイド「は、はい!」ピッタリ

庭師「僕も料理長さんも周囲を見ているよ、安心して、メイドちゃん」

末妹「それに、私達もいるわ」

次兄「ん? 結局、執事さんが行くことに決まってから、おっさんは護衛の魔法のネタばらししたんでしょ?」

師匠「ああ、しかしそのことで執事と話していくうちに、メイドにはやはり護衛が必要とわかってな」

次兄「ということは……おっさんの魔法で避けられるのは大きな動物、ってあたりに問題が?」

師匠「鋭いな少年。この呪文は人間の旅の安全を図るため肉食の獣を近寄らせない効果がある」

師匠「かと言って、小獣まで避けていては、例えば旅の途中で毛皮が必要になった時に不便極まりない」

師匠「だから、大きさで言えば狼やせいぜい大山猫までが最小限度だ」

師匠「狐やイタチの類は人間にも同行する馬にも殆ど脅威にはならんし、同時に良い毛皮の供給者だ」

次兄「なるほど、でもウサギには充分過ぎる脅威ですもんね、その獣たち」

師匠「魔法とはあくまで人間を基準として発達し細分化し掘り下げられた、当然ではあるが、改めてそう感じたよ」

王子「……(人間が基準)」

師匠「どうした、もう疲れたか? かなりゆっくりペースで来ているのだがな」

王子「いいえ、ちょっと考え事を……」

王子「……我々が使う魔法の存在そのものが、人間の勝手ですよね、なんて事を……」

師匠「ああ、それだから今の時代には必要ない存在なのだ」

師匠「この200年間、魔法に代わってどんな人間にも使用可能な様々な『力』が、これまた人間の勝手で強くなりつつあるからな」

師匠「……ま、その手の話は退屈な秋の夜長にでもゆっくり語り合おうか、それより……料理長が立ち止まったぞ」
 

962: ◆54DIlPdu2E 2015/09/29(火) 23:32:07.86 ID:2MijoxQx0
料理長「くんくん……この匂い、周辺に食用キノコが生えています。採取は帰りにするとして、場所の確認だけしておきましょうか」

料理長「次兄様、末妹様。よろしかったらご一緒しませんか、見分け方を教えますよ」

末妹「わあ、いいんですか? 面白そう!」

次兄「『ジュニア毒キノコの見分け方入門』って本は読んだことはあるけど……」

料理長「それより食べられる種類を覚える方が早くて安全なのですよ。さ、こちらです」ポッテポッテ

庭師「僕も手伝いますよー」タッタッタ

執事「わたくしは荷物番も兼ねて待っています」オスワリ

メイド「当然私も」チョコン

師匠「儂も少し休むか、と」ドッコイショ

王子「……ふう」ヨッコラショ

師匠「やはり疲れたか。仕方ないか、思ったよりずっと回復は早かったが、まだ病み上がりには違いない」

王子「平気です、いえ、確かに疲れはしましたが、この程度は少し休めば」

王子「そもそも…ここまでほぼ平地で来ましたが、この先は歩きにくい斜面を登ります、今へばっている場合では!」キッ

師匠「うむ、頑張れ頑張れ。人生にはちょっとくらいの無理は必要なのだ、たまにはな」



料理長「……小さすぎるキノコや、逆に育ち過ぎたものは採りません。ほどよい大きさのものも採り尽くさず残しましょう」

料理長「この場所からこの種類の群生をなくさないためと、お仕えして間もない頃のご主人様の教えです」

次兄「さすがは野獣様」ウンウン

料理長「こちらのキノコ。人間には苦いだけらしく食用には向きませんが、毒ではないので山の動物達は食べます」

料理長「で、この2つはご覧の通りそっくりで生える場所も似ていますが、区別の仕方はわかりますかな?」

末妹「……え、ええっと……?」ミワケツカナイ

庭師(僕らは匂いで違いがわかるけどね)

次兄「……あ、裏側の色か、こっちは黄色がかった白、こっちはよく見ると薄い灰色だ」

料理長「正解です、さすが次兄様」

庭師「すごいなあ! 人間のひとだから鼻も利かないのにと思ったら、こんな微かな色の違いで見分けるなんて」

末妹「お兄ちゃんすごい、やっぱり絵を描く人は観察眼が違うのね」

次兄「うひょひょ、皆、もっと褒めてもいいのよ?」

963: ◆54DIlPdu2E 2015/09/29(火) 23:35:16.57 ID:2MijoxQx0


料理長「お待たせしました、皆様」

末妹「食用キノコが3種類も見つかったの」

師匠「ほうほう、それは後から楽しみだな。酒のつまみに持ってこいだ」



庭師「思っていたよりは急な斜面だなあ、僕にはなんでもないけれど」ヒョイヒョイ

料理長「わしもまだまだ若い者には負けないつもりですぞ」モッコモッコ

メイド「菫花様ぁ、大丈夫ですか?」ピョンピョン

王子「……ぜえはあ……や、野獣がここを登っている姿は、大した事ないように見えたけど……」フラフラ

王子「体のサイズからして違う事を忘れていました、彼との対比で、この斜面も小さく見えていた、のですね……」フラフラ

師匠「儂にもそれほどの斜面とは思えんのだが……それはともかく、手を貸そうか?」

王子「結構です……さっき拾った棒を…杖にしていますから……それに、この程度で……へこたれ……」ヒザガクガク

執事「末妹様は大丈夫ですか?」

末妹「私は平気、でも」チラ

次兄「ピ……ピクニックって…言ってたよねえ……登山とは、聞いていないわよ、奥様……」ヨロヨロ

末妹「二人とも、野獣様のご心配が当たっちゃった……」



そのころの野獣。

(野獣「指で『仮想の窓』を開く、と」シュパー)

(野獣「……此処に来てすぐの頃は、塀に囲まれた屋敷の敷地内しか見えなかったが」)

(野獣「この世界での力がまだ充分はなかったのだろう、日を重ねるごとに塀の外側の森の中も、遠くまで見えるようになった」)

(野獣「今日はもう森の境界線の様子も間違いなく見えそうだ。さて、あいつらは何処にいるやら」)

(野獣「お、いたいた。北東に向かっているか……」)

(野獣「…………あの斜面、菫花と次兄の体力ではやはりキツいようだなあ」フゥ)

(野獣「この二人に合わせて皆ゆっくりペースとは言え、末妹は元気で何より」)

(野獣「師匠も軽々と歩いている、あれで全く魔法を使っていないのだからなあ、相変わらず丈夫なかただ」)

(野獣「あ、菫花の足が縺れてよろけた、ああ、次兄にぶつかって、わああああ!?」)

(野獣「…………執事の支えと師匠の呪文が間に合った、危うく次兄も菫花も斜面から転げ落ちるところだった」ホッ)

(野獣「しっかりしてくれよ、本当に……」)


966: ◆54DIlPdu2E 2015/10/07(水) 00:06:21.97 ID:7J37tDHL0
師匠「もう少しだ、頑張れ。登り切ったら二人に(しょぼい)疲労回復魔法をかけてやるぞ」

次兄「……ほ、ほんと? ありがたひぃぃぃ……」フラフラ

王子「こ…これは私の試練なので…魔法での回復は不要です……次兄君にだけ、かけてあげてくださいぃぃ……」ヨタヨタ

次兄「」

次兄「……お、お気持ちだけで結構、俺もいりまへん」ヨレヨレシツツキリッ

メイド「次兄様、ここで張り合わなくたっていいんですよお」

師匠「気が変わったら儂はいつでも応じてやるぞ」

末妹「お兄ちゃん、本当にもう少しだからね……」



師匠「登り切ると……ほら、いい景色だぞ。ご覧」

執事「……ああ、なんとなく見覚えがあります。ただの狼だった頃に来た事があるのでしょうね」

料理長「狼さんは行動範囲が広いですからなあ……わしは森の暮らしは長かったが、この場所は初めてです」

メイド「ほあー、向こうの高いお山はもう雪化粧ですねえ」

庭師「あれー、この草原、草が枯れ始めて……なんだか菫花様の髪のような色になっていますよ」

末妹「わあ、草原がお日様の光できらきらしている、向こうのお山も真っ白で、きれい……」

(野獣「ふむ、境界線の外も壁に阻まれたように見えなくなるわけでもないのだな」)

(野獣「自身がこの場所に立った時と同じように、目が届く範囲の外の世界は見えるのか」)

師匠「夕日を受ければ金灰どころか黄金に輝いて見えるのだろが、帰り時間を考えるとそこまで長居はできないかな」

次兄「……にぇ? 帰りも、歩き、でひゅかぁ……」ヘロヘロ

末妹「お兄ちゃん、見て、素敵な景色よ」

王子「…………」ヘニョヘニョ

師匠「おう、既に声も出ないか、しかしよく頑張ったな」

王子「」ドサァ

末妹「!?」

師匠「大丈夫だ、このまま少し休ませてやれ」

次兄「俺も休憩しましゅ……」グニョー

師匠「二人とも、もう少したくさん食べて身体動かして日に当たらんとな、これからは」


967: ◆54DIlPdu2E 2015/10/07(水) 00:08:28.26 ID:7J37tDHL0


次兄「……んあ?」パチリ

末妹「目が覚めた? お昼にしましょう。料理長さんの作ってくれたお弁当よ」

料理長「チーズとハムのサンドイッチ、豆のピクルス、スモモの蜂蜜煮ですよ」

執事「わたくしと庭師は、塩もスパイスも使っていない特別製の茹でソーセージ」

庭師「これも料理長さんのお手製ですね、おいしそう」

執事(いつもの原形を留めた臓物では、人間の皆さんの前ではちょっと見た目が悪いですからな)

料理長「わし用は、今日はリンゴです、それからこれはメイドちゃんの干しクローバー」

メイド「フレッシュな草を現地調達すると食べ過ぎるから、自重して今回はこれだけですー」

師匠「湧き水を汲んで来たぞ。お茶にしよう」

執事「銅の茶器セットとヤカンを持っては来ましたが、しかしお湯は?」

師匠「そうだな、ここは遠足らしく、そのへんの石で簡易なかまどを組もう」



師匠「……できたな。では、水を満たしたヤカンをかまどの上に置いて……」キュリーン

ヤカン:フツフツ…シュンシュンシュンシュン

次兄「え、ここまでしたのに魔法で沸かすんですか? かまど組んだ意味は!?」

師匠「こういうものは雰囲気が重要なのだ、それに空気が乾燥しているから火を使いたくないのでな」

王子「……ふにょ?」パチリ

師匠「やっと目が覚めたか。ほれ、起き上がってまずは熱い紅茶でも飲め」

王子「……気絶していたようですね。我ながら情けない……」オチャズゾー

師匠「今更くよくよするな、お前が情けないのは周知の事実だからな」モグモグ

王子「」

次兄(おっさん辛辣)モグモグ

末妹「スモモの蜂蜜煮どうぞ。紅茶に合いますよ、菫花さん」

王子「あ、ありがとうございます」

次兄「……あれ、呼び方変えたの?」ヒソヒソ

末妹「う、うん。お兄ちゃんに合わせたの」ヒソヒソ

968: ◆54DIlPdu2E 2015/10/07(水) 00:11:09.57 ID:7J37tDHL0
王子「……」

王子(今朝がたに見た夢で、彼女からの呼び方が変わっても自然に受け入れるように、と野獣が言ってた)

王子(今日のこの様子も、きっと窺っているのだろうな)モグ

師匠「ふむ、シンプルだがいずれも美味いぞ、料理長」

料理長「ありがとうございます」

メイド「しゃくしゃくしゃく……」

庭師「メイドちゃん、現地調達はしないんじゃなかったの?」

メイド「草じゃなくて木の葉だからセーフですよーだ」



メイド「ちょっとだけ、食べすぎました……ちょっとだけ」グェプ

庭師「今度は僕には責任ないからね!」

王子「……」

師匠「……さて、昼食を食べて一息ついて、そろそろ今日の第一の目的に取り掛かろうか……?」

末妹「第一の目的」

王子「……野獣は、ここを訪れると……」ガサ

王子「ああ、ちょうどこの場所です。ここから見た向こうの山の形といい」

王子「……今、私が立っている場所から半歩前へ、両脇の2本の白樺を結んだ線があるとして」

王子「その線を越えようと試みた野獣の足は凍りついたように動かなくなった、何度試しても」

王子「……森と外の世界との境界が、そこなのです」

師匠「そう、そしてお前は、自分の足でその線を越えに来た」

師匠「いや、越えられるのか確かめに来たのか、それとも……」

師匠「……越えられるほどの度胸が自分にあるのか、それを試しに来た、かな?」

王子「…………」

王子「野獣と一緒に試練を乗り越え、野獣と共に生きて行く、そう誓いました、約束しました」

王子「……なのに、なぜ私の足はこれ以上前に進まないのか」

王子「きっと彼は今も見ているのでしょう、もどかしいと思っていることでしょう」

王子「……わかっています、わかっているのに……」

969: ◆54DIlPdu2E 2015/10/07(水) 00:12:49.31 ID:7J37tDHL0
(野獣「……短い期間に一度に何もかも乗り越えようなんて、お前には最初から無理なのだ」)

(野獣「焦らなくて良い、気負わなくて良い、お前が弱い事は私が誰よりもわかっている」)

(野獣「もう少しだけ時間が必要だ、師匠も皆も、それは理解を示してくれる筈だ、ゆっくりと……」)

師匠「……出直すか、何も今日でなければ駄目だと言う理由もない……」フゥ

末妹「…………」

末妹「菫花さん!!」ザッ

王子「……え?」

末妹「右手、失礼しますね!!」ギュ

王子「え? え??」アタフタ

末妹「お兄ちゃん、左手をお願い!!」

次兄「お、おうっ!?」パシッ

王子「」

メイド「あっこれ知ってます、『両手に花』って人間さんは言いますよね? 次兄様がお花かはさて置きー」

師匠(息の合った兄妹…と言うより、ほぼ条件反射だな)

末妹「さあ菫花さん、私達と一緒に」

末妹「……一緒に、前に進みましょう。野獣様もきっと背中を押してくれます」

末妹「この手、離しませんから」キュッ

王子「……末妹さん」

(野獣「末妹、お前……」)

次兄「お、俺も離さないからね!? 野獣様が一部始終見守っている限り、何が何でも!」ガッシ

次兄「って言うか、一回踏み越えない限りは絶対離さないよ! 屋敷に帰っても寝る時もトイレでも一緒、嫌でしょそんなのは!?」

王子「……う、うん。確かに」コクコク

末妹「さあ、1、2の3、で行きますよ、いいですか」

王子「……わかった」コク

メイド「がんばって、菫花様」 庭師「きっと大丈夫!!」

末妹「いーち、にー、の……」

三人「さんっ!!」

…………

970: ◆54DIlPdu2E 2015/10/07(水) 00:14:17.35 ID:7J37tDHL0
…………

何を恐れていたのだろう、外の世界をだろうか、いや、おそらく違う

閉じこもっていられる理由を、自分以外の何かのせいにできなくなる、そっちのほうを。

……そして、きっとそれは彼女に見抜かれていた……

…………

末妹「……『境界線』の外ですよ?」ニコ

王子「う、うん……出られた、出られるんだ……」ボー

次兄「野獣様ぁー、見てますかぁー?」テンヲミアゲテ

王子「……ありがとう、二人とも。たったこれだけの事なのに、僕は何を恐れていたんだろう……」

王子「そう、何も怖い事はなかったんだ」

王子「少なくとも、君達が……こんなに優しい君達が、生まれ育った世界で」

王子「……そして、図書館の娘さんが幸せに暮らしていた世界なのだから」ニコ

庭師「菫花様ー!」タタタタ

メイド「できたじゃないですか、信じてましたよー!」ピョンピョン

王子「ふふ、君達も応援してくれたね、ありがとう」

師匠「やれやれ、相変わらず子供だな、単細胞の弟子よ」

師匠「この程度で調子に乗って甘く見ていると……」

師匠「…………」チラ

料理長「よかった、本当に、よかった……長生きはするものです」

執事「ご主人様、ご覧になっていますか……貴方様が30年間夢見た外の世界へ、菫花様が……」

師匠「……ま、良いか。この光景に水を差すほど野暮でもない」

師匠「全く、どいつもこいつもあいつに過保護で、先が思いやられるわい」オチャズソー

(野獣「……貴方も相当ですよ、師匠」)

(野獣「菫花よ、お前の人生の時間では、愛する女性を永遠に失って見知らぬ時代に放り出されて、まだ日も浅い」)

(野獣「しかし今お前は孤独ではない。大丈夫、多少情けない程度では見捨てたりしない者達ばかりだからな」)

(野獣「……多少、で済むように頑張ってくれよ?」)

(野獣「そして、ありがとう末妹……お前という娘は、本当に……」)


971: ◆54DIlPdu2E 2015/10/07(水) 00:16:22.56 ID:7J37tDHL0
その日の夕方……

師匠「さて、隠蔽魔法は解いたぞ」

屋敷の門:ギイィィ…

次兄「たっだいまー!」

メイド「帰り道は師匠様の回復魔法のおかげでお元気でしたねー」

末妹「そうだ、馬を見て来なきゃ。餌やお水は置いてきたけど、寂しがっているかも……」

庭師「僕も行きますよ、ブラシかけてあげよっと」

次兄「水を新しいのに取り換えたりしなくていいかな? 手伝うよ」

メイド「うわー、次兄様が自分からお仕事を申し出るなんてどういう風の吹きまわしでしょう」

料理長「わしは帰り道で採って来たキノコをきれいに掃除して、そして夕食の準備をしましょう」

メイド「私もお夕食の準備にー」

料理長「今夜は三種のキノコのソテーですよ、師匠様。ワインもおつけしましょう」

師匠「うむ、楽しみにしているよ」ホクホク

執事「菫花様、お疲れですか?」

王子「いいえ、大丈夫です。ありがとう」

王子「なんだか、疲れているはずなのに今は体も心も、とても軽いのですよ」

王子「……あの線を越えてから、思い込みかもしれないけれど、何かが僕の中で変ったようで」

執事「ええ、表情が明るくなりましたねぇ」シッポユラユラ

師匠(一人称も変わった、と言うか、昔に戻った)

師匠(十代半ばから父王に威厳のある喋り方をしろと矯正されて、一人称は変わったが気弱そうな口調はとうとう変わらず)

師匠(王が後継ぎとしてのこいつを見限るようになったのは、そのあたりだったか)

師匠(今となっては、見限られて良かったわ。おかげで、性格は親に似ずに済んだからな)

師匠(……いいや、儂のその認識こそ間違いかもしれん。元々こいつは、親のようになる要素は持っていなかった)

師匠(王、いや、進む道の分かれた元・学友よ。お前の過ちは、自分の子を愛さなかったことだ)

師匠(この子は、お前の救いになったかもしれないのにな……)

王子「そうだ、馬に挨拶をしてこようかな? 明日からよろしく、と……」

…………

975: ◆54DIlPdu2E 2015/10/12(月) 00:41:52.21 ID:hrtIsVZ+0
…………

屋敷の中庭。前庭や裏庭と違い、芝生以外は特に何もない場所……

馬「ぶるる……」カッポカッポ

王子(鞍上)「……意外となんとかなるものですね、講師と馬が良いのは前提として」

庭師(馬の頭上)「僕はー?」

王子「勿論、君もいるおかげだよ。役目は助手ってところかな……」

末妹(手綱の引き手)「菫花さんが積極的な事が一番ですよ」

次兄(見てるだけ)「いや、末妹はやっぱり人に何か教えるのが上手なんだよ」

末妹「お兄ちゃん?」

次兄「お前の友達……友3ちゃんだよな、昔から勉強教えてあげていたんだろ? 放課後や休みの日にさ」

末妹「学校の、私達の先生はいい先生だけどちょっと厳しくて」

末妹「友3ちゃんは委縮しちゃうのね、気を楽にして取り掛かればちゃんと頭に入って行くのに」

末妹「でも最近は自信がついてきたみたいで成績も上がって、たまにしか聞いて来なくなったわ」

王子「……それが成果ですよ。お友達の成績が上がったのは、末妹さんのおかげ」

師匠(冷やかし)「成績が上がった以上に、自信がついたのはその子にとってよかったと思うぞ」

師匠「そんな素晴らしい先生がついているのだから、お前も成果を上げなくてはな、菫花」

王子「わかっています、既にほら、落ちずに馬に乗れているじゃありませんか」

師匠「ああ、以前のお前の乗馬はひどかったからなあ」

馬「ひん」カッポカッポ

末妹「友3ちゃんにも、菫花さんにも、私ができるのはちょっとしたお手伝い」

末妹「少しでもお役に立てるのなら、それだけで嬉しいです」

庭師「僕、これが終わったらバラの堆肥の様子を見てきますね」

…………

少しのち、裏庭の片隅……

木箱の蓋:カパァ

庭師「……あれ? 仕込んで二日しか経っていないのに、もう熟成完了している??」

…………

976: ◆54DIlPdu2E 2015/10/12(月) 00:43:16.60 ID:hrtIsVZ+0
昼食時後のくつろぎタイム。

次兄「あの堆肥がもうできているって?」

庭師「確かにあれから暖かい日が続いて、条件は悪くはなかったんですけどね」

庭師「菫花様にも見ていただいたのですけど、なかなか質の良い物が出来上がっているって、へへ」

末妹「すごい、庭師くんの腕が良かったのよ」

王子「……(夢で野獣が……)」



(野獣「……というわけで、お前には庭師達が作ったバラの堆肥を熟成させてほしい、秘密裏にな」)

(野獣「ほら、自家製酒の熟成期間を短縮させる呪文があっただろう、我々は下戸で酒に興味がないから忘れていると思うが」)

(野獣「短縮と言っても通常はせいぜい八掛け程度だが、そうだな、お前の魔力なら……」)



王子(……だからって、ちょっと短縮し過ぎたな、ついつい力を入れ過ぎて呪文が暴走してしまった……)

王子(幸い出来上がりは悪くなかったし、今のところバレてはいないみたいだけど)ドキドキ…

庭師「でも、これで確実に雪が降る前にバラ達に肥料をあげる事ができます」

末妹「ふふ、今から来年のバラが楽しみ! きっときれいに咲くわ……」

王子「……」

王子(ま、喜んでくれるなら、いいかな……)

……

夢の世界。

(末妹「菫花さん、頑張り屋さんです。お身体ももうすっかり心配なさそうですし、あの様子ならすぐに上達するでしょう」)

(野獣「末妹が付いていてくれるからだよ。昨日といい今日といい、お前のおかげであいつも……」)

(野獣「で、いずれこの屋敷でも馬を飼う話を師匠と菫花で検討しているそうだな?」)

(末妹「ええ、うちの子のような大きな馬までは必要なさそう、それでも丈夫であることに越した事はないだろう、と」)

(末妹「それなら騾馬がいいんじゃないか、って師匠様が」)

(野獣「ああ、いいかもしれん。騾馬と言っても色々いるから、一概には言えないが」)

(野獣「子供の頃に見た、司教様の乗っていた騾馬は本当に可愛らしかったなあ!」)

(末妹「……くす」)
 

977: ◆54DIlPdu2E 2015/10/12(月) 00:44:30.98 ID:hrtIsVZ+0
(野獣「ん? 何かおかしかったか?」)

(末妹「ご、ごめんなさい。騾馬の話を師匠様が出した時、菫花さんも『騾馬は可愛いから賛成です!』…って」)

(野獣「う、うむ……別にお前が謝ることではないが」コホン)

(末妹「騾馬、可愛いですよね。お耳とか特に」)

(野獣「そ、そうだな、可愛いよな……」)

(末妹「こんな感じですよね。兎さんみたいな耳で、よく動いて……」ピコピコ)

末妹は両手の指を頭の横に立てて動かした。騾馬の耳を真似ているのだろう。

(野獣(……そうしているお前はもっと可愛いぞ))

(末妹「そうだ、野獣様がご覧になった司教様の騾馬は、どんな子だったのですか?」)

(野獣「え」)

(野獣「……えーと……なにぶん昔の話だから、だが、覚えているぞ」)

(野獣「体の毛は灰褐色、鼻先と目の周りが白くて、長い耳の内側も白くてふかふかだったな」)

(野獣「そして、黒い目は笑っているようで……本当に愛らしくて美しい騾馬だったよ」)

(末妹「じゃあ、そういう子が来てくれたらいいですね」)

(野獣「ん、騾馬を飼うのはもう決定なのかい?」)

(末妹「はい、師匠様に協力してくださったお弟子様のご子孫のかたが、家畜の生産者にも顔が広いとのお話なので……と」)

(末妹「師匠様はさっそくお手紙を書かれるそうですよ」)

(野獣「なるほどね……楽しみだな」)

(末妹「楽しみと言えば、私たちもお手伝いした庭師君のバラの堆肥がもう完成したんですよ。ご存知でした?」)

(野獣「……お、おう、それは知っているぞ、すごいな、気候も材料もよかったが、何より庭師の腕がよかったのだ」)

(野獣「もちろん、末妹や次兄、メイドも手伝ってくれたおかげだな、ははは(……バレてないバレてない、大丈夫)」ドキドキ)

(末妹「明日、お天気が良ければみんなで堆肥をバラ園に埋める作業をしますよ」)

(野獣「お前も? お前に力仕事をさせると言うのか」)

(末妹「ぜひやらせて欲しいってお願いしました、迷惑にはならないよう頑張ります」ニコ)

(野獣「みんなって事は次兄もか? あいつも自分から申し出たのか?」)

(末妹「ええ、兄も。乗り掛かった船だしー、と言って、自分から」)

(野獣(遠足で体力のなさを改めて自覚したのかな……))

…………

980: ◆54DIlPdu2E 2015/10/12(月) 23:00:43.89 ID:EgrlXx620
……………………

(「…今日の昼間のこと、どのくらいご覧になっていました?」)

(「……」)

(「午前中から今日は裏庭のバラのために堆肥を埋める作業をしました、お天気も良かったので」)

(「庭師くんと執事さん、メイドちゃん、菫花さん、次兄(あに)、そして私の6人で」)

(「執事さんがいたので、力仕事は助かりました。メイドちゃんは穴掘るのが早いんですよ、道具もないのに」)

(「でも、今朝から兄と菫花さんは筋肉痛であちこち痛いって」)

(「師匠様が『一昨日の遠足が今頃来たか、お前たちそんなに若いのにどうなっておるのだ!?』って」)

(「ええ、畑作業はふたりとも頑張っていましたよ」)

(「執事さんの新調した作業着姿が新鮮だ、と痛がりながらも兄は喜んでいました……」)

……………………

(「…だって執事さんたら遠足の時もいつものスーツで来るんですよ?」)

(「だからおっさんが町まで瞬間移動して作業着を買ってきてあげたそうです」)

(「あ、菫花さんの社会復帰が本格的になってきたら、その手の魔法は極力使わないようにすると言ってましたよ」)

(「……?」)

(「筋肉痛ですか、いやいや、筋肉が作られるための通過儀礼ですからね、これは」ポージング)

(「でも心配してくださって嬉しいですよおおおお!!」ガバァ)

(デコピーン)

……………………

王子「次兄くん、末妹さん。ほら、お家の様子ですよ」

鏡「オヒサシブリー」

次兄「よう、鏡……あ、うちの居間だ」

末妹「……よかった、お父さん元気そう」

次兄「俺達と父さん約束しただろ、以前のようにクヨクヨ心配なんてしないさ」

次兄(……ここに来てからの話を聞いたらぶっ倒れそうだけど、射殺されかけたなんて)

末妹「そうね。あ、長姉おねえさん、切りっぱなしの髪を整えたのね。似合ってる、素敵……」

末妹「……表情が明るいわ、あんな楽しそうにお父さんや家政婦さんとお話ししている様子も、初めて見た……」

次兄「あれ、長姉ねえさん出かけるのか。きっと仕事……料理教室だな」
 

981: ◆54DIlPdu2E 2015/10/12(月) 23:03:11.83 ID:EgrlXx620
末妹「長兄おにいさんと次姉お姉ちゃんはお店に出ているのね」

次兄「『お姉ちゃん』?」

末妹「」

末妹「お、お願いだから内緒にしてねお兄ちゃん!? お家が火事になっちゃうから!!」アワワ

次兄「……なぜそこで火事が」

次兄「ま、ここは聞かなかったことにしましょ(いずれ知ることになりましょうから、ね)」

王子「……いいですね、仲のよさそうな家族……」

次兄「こう見えても色々あったんですけどね。結果オーライと言うべきか、それとも棚から豆と米のケーキとでも言うべきか」

王子「棚から何とかという言葉は知らないけど、たぶん…思いがけぬ幸運が転がり込んだ、くらいの意味でしょう?」

王子「色々あっても関係が修復できるならば、元々それだけの下地と、各自の努力もあった筈」

王子「やっぱり良い家族なのです、そして皆さんそれを大切にしたいと思っているから、仲直りしようと頑張れる筈です」

王子「黙って待っているだけでは、幸運は転がっては来ません」

王子「……僕の勝手な憶測ですけどね」

末妹「いいえ、きっと菫花さんの仰るとおり」

末妹「相手に気持ちを伝え、相手を受け入れて、それは時には大変かもしれないけれど、そうして私達はわかり合える」

末妹「家族であっても同じです、私はそう思います……」

次兄(俺空気)

次兄「……お。店にお客さんだ。あ、あれ? 何やってんだおっさん!?」

王子&末妹「!?」

王子「……師匠、瞬間移動ですね……」

末妹「あ、この前買って行かれたのと同じ紅茶を」

王子「そう言えば、君達のお家から買った紅茶をお弟子さんの子孫さんへの手土産にした、とか話していました」

王子「気に入ってもらえた、とも言っていたので、きっとまたその方へのお土産ですね……」

次兄「……店内の鏡に向かって手を振ってるぞ。俺達が見てるのバレてんじゃね?」

王子「師匠の実力ならば、魔力の反応に気付いたのかもしれません」

末妹「……お茶目なかたですね……」

…………

982: ◆54DIlPdu2E 2015/10/12(月) 23:04:10.13 ID:EgrlXx620
……………………

末妹の日記。

菫花さんの乗馬の腕前は、日ごとに上達しています。

秋が深まる中、約束通り、芽キャベツの収穫をお手伝いさせてもらって

それを使った料理長さんのお料理も、もちろん美味しかった……

……

楽しい日々は、あっと言う間。

野獣様には、昼間起こったことをお話しして、笑い合って。

夢の世界は時々お兄ちゃんが一緒だったり、菫花さんも一緒の三人で、野獣様と会った時もありました。

野獣様は呼んでいないのに師匠様が何故か一緒にいたことも1回だけ

お兄ちゃんは『俺も夢に乱入できるチャンスが!?』なんて言ってたけど、師匠様くらい魔力がないと無理だそうです。

もう10月も半ば…

メイドちゃんはじめ、獣の皆さん達はますますフカフカになって……

……お兄ちゃんが執事さんのますますキラキラフサフサの毛並みを見て……

……このことは書かないことにします。

でもね、メイドちゃんがこっそり教えてくれたけど、執事さんはご自分のお部屋にお土産の絵を貼っているそうです。

お兄ちゃんには、とりあえず家に帰るまでは秘密にしておこうかな?

そして…あと二日で、お父さんと約束した二週間が……

……………………
…………

メイド「もうすぐお別れですね、寂しいです……」シュン

末妹「また会えるわ。お手紙も書くね」ナデナデ

次兄「……そうだ、鏡を使うための呪文を教えてもらっていない」

次兄「うちの鏡に同じ合言葉を使えば、この屋敷と双方向で相手の様子を見られる、と」

次兄「執事さんも知っているらしいが、野獣様に無断で、しかも俺には教えてはくれないだろうなあ……」

次兄「菫花さんに聞くかな、いや、ここはやはり合言葉を設定した本人の野獣様に直接聞くべきだろう」

次兄「あと二晩ある、帰宅までに一度くらいは俺も呼んでもらえるだろ、うむ」

……

985: ◆54DIlPdu2E 2015/10/17(土) 23:35:05.13 ID:GrsVP+1j0
……

(野獣「ふむ、お前の家と鏡を双方向にして、実際に会えなくともお互いの様子を交流する、か……」)

(次兄「今回お屋敷に来る前に考えたんですよ。色々あって、帰宅間近の今まで頭から抜けていましたが」)

(野獣「なるほどな。しかし、お前たちの他…特に家族以外の人間には決して知られたくはないから、あまり迂闊には」)

(次兄「……信用してくださらないんですかぁ~?」クイッ)

(野獣「いやそうではなくて、いやすまん、わかったから顎に人差し指を当て小首を傾げての上目遣いはやめろ」)

(次兄「野獣様にお許しいただけたら、家族にはそういう手段を使う話はします。しかし、実際に鏡を使うのは俺と末妹だけ」)

(次兄「そこは一線を引きますよ。口止めなら大丈夫、すでに父も兄達もこのお屋敷と魔法の存在を知っているんですから」)

(野獣「……確かに、今更ではあるな」フゥ)

(次兄「では、合言葉を教えてくださいな」)

(野獣「それより、お前達が帰るまでに専用の鏡を用意しよう。屋敷内には使っていない鏡もたくさんあるからな」)

(野獣「合言葉を使わずとも、覆いを外すだけで使えるように調整しておく」)

(次兄「……・」)

(次兄「……野獣様、なんだか合言葉を俺達に知られまいとしていませんかぁ~?」クイッ)

(野獣「そのポーズでの上目遣いはやめろと」)

(次兄「実は○○○○言葉だったりしませんかぁ~?」クイッ「野獣様って意外と○○○だからあり得るかもぉ~?」クイッ)

(野獣「だから右に左に傾げるなと!! あと誰がムッツリ助平だ!?」ガシィ)

(次兄「ひええ、片手で頭つかんでぶら下げるの反則反則」ジタバタ)

(野獣「…………わかった、教えてやる。お前のうざさに負けた……」ストン)

(野獣「いいか、一度しか言わないぞ」)

(次兄「心して聞きます」正座)

(野獣「『かぐわしき小さな赤いバラ、陽だまりの庭に踊るそよ風、小雀のさえずりに耳を傾けまどろむひととき……』」)

(次兄「……」)

(次兄「率直に言って、乙女チックなカフェのメニュー表を読み上げているかのような印象を受けますね」)

(野獣「……………………」グワッシィ)

(次兄「やめやめやめごめんなさいすみませんもうしませんギブギブ」ジタバタジタバタ)

(野獣「なんにせよ専用の鏡は用意する。実際の作業は菫花になるが」ポイッ)

(次兄「……いでで…放り投げないで下さいよ、尻餅ついちゃったじゃないですか」サスリサスリ)

(次兄「お花とか小鳥とか…可愛いモノがお好きなのはわかっていますよ、そんなに恥ずかしがることないじゃないですか」)

(野獣「……むぅ」)

(次兄「魔法の鏡の提案、受け入れてくださってありがとうございます」)

(野獣「……末妹、いや、お前達の帰宅が近くてメイドが特に寂しがっているからな。あいつがしょぼくれていると、屋敷の空気が重くなる」)

(野獣「礼を言うのはこちらだ。ありがとう次兄」)

(次兄「…………うへへへへ」セキメン)

……

991: ◆54DIlPdu2E 2015/10/27(火) 21:24:36.99 ID:X6dTKHtI0
野獣の屋敷、中庭。

馬:カッポカッポ

師匠「馬に座る姿が安定してきたな」

次兄「そうだね、初日とは比べ物にならないや」

王子「末妹さんのおかげですよ」

馬「ひん?」

王子「馬くんも庭師くんも素晴らしかったよ」ポンポン

庭師「へへへー」

末妹「もう、この子以外の新しい馬でも心配はないと思います」

メイド「皆さーん、そろそろお茶の時間、ですよぉー……」デクレッシェンド

師匠「なんだ、あの元気なメイドが暗い声で?」

庭師「寂しいんですよ、僕だって……」ボソ

末妹「……」

次兄「ふむ、今回の滞在で最後のお茶会だな。みんなにあの話をしてみるか」

……

居間、お茶会…

次兄「……というわけで、野獣様からお許しも得ましたのでー」

メイド「では、お家に戻られた末妹様とお話をすることもできるのですね!?」

末妹「ええそうよ、メイドちゃん」

王子(元気のなかったメイドさんの表情が一気に明るくなった、よかった……)

師匠(考えたな少年……だが、わが弟子よ、そう簡単に許してしまってよいものか……)

次兄「そしてもうひとつ、最後に野獣様と約束したことがあります。末妹には、お茶会の前に話を済ませていますが」

師匠「……?」

次兄「野獣様は、魔法の鏡の使用を許してくださった後……」



(野獣「鏡で交流する周期をあらかじめ取り決めてはどうだね?」)

(野獣「その理由は一つではないが、使用の頻度が多くなるほど家族以外の人間に知れてしまう危険も大きくなる」)

(野獣「……何より、本来ならばこの時代には存在し得ない魔法技術を使うのだからな」

(次兄「……はい」)

(野獣「だからこそ便利な『力』に溺れることなく自制しなければ、自重しなければ」)
 

992: ◆54DIlPdu2E 2015/10/27(火) 21:27:47.63 ID:X6dTKHtI0
(野獣「私の言っていることがわかるか?」)

(次兄「わかりますよ。俺は野獣様に誓います」)

(次兄「魔法の力をちょっぴり貸していただきますが、それによってお屋敷の平穏が脅かされないよう努めます」)

(次兄「もしも俺達が誓いを破れば、即刻お屋敷を守るために、俺達に遠慮なく最善の策を取ってください」)

(次兄「現実世界で実行するのは菫花さんかおっさんになるのでしょうけど」)

(次兄「その後の『それ以上』のことは、野獣様と…おっさん達にゆだねます」)

(野獣「……よく言ってくれた」)

(野獣「実際のところ、師匠がいる限り、此処は何が何でも守ってくださるのだろうが」)

(野獣「屋敷と屋敷に生きる者達を、お前や末妹も大切に思い、守りたいと考えてくれていると私は信じている」)

(野獣「だからこそ、万一の際には厳しい決断も必要だと、お前はちゃんと理解できるのだな、おそらく末妹も……」)

(野獣「……昔の私にはなかった『強さ』だ」)

(次兄「野獣様……」)



次兄「末妹も納得してくれました」

末妹「ええ、私達、野獣様とのお約束を守ります」

次兄「その上で…俺達が過ちを犯さないよう、おっさんと菫花さんには厳しく見張っていて欲しいのです」

王子「僕もですか?」

次兄「できる範囲で構いませんから」

メイド「ど、どうしましょう次兄様が終始まともなことしか仰っていません!?」ヒィィィ

次兄「メイドさん、聞こえているからねー?」

師匠(多少のトラブルは儂がなんとかできるが、な。しかし、この子達ならとりあえず心配はいらんだろう……)

師匠「聡明な子供達よ、君等のような人間がもっと多く存在していれば、この世界から魔法を失わせる必要もなかっただろうに」

次兄「そりゃ言い過ぎですよ、買いかぶりです」

末妹「そうですよ、私達そんな大それた人間ではありません。このお屋敷の皆さんが大好きなだけの、普通の……」

次兄「俺だって『大好き』に変態要素がたっぷり含有されているだけの普通の少年です」

師匠「……普通、か。そんな所も君達の良い所だ」

師匠(そうだろう、わが弟子よ?)

(野獣「ええ、その通りです、師匠……」)

……………………