「じゃあ、お言葉に甘えて」と和が私の言葉に従って、席の近くまで移動する。
バランス的に澪の席に座るんだと思ってたけど、
それから和が選んだのは意外にも私のすぐ隣の梓の席(と言うより椅子)だった。
予想外に和と接近する事になって、私は少し緊張してしまう。
同時に普段梓が座っている席に和が座っている状況に新鮮さを感じる。
ありえない話ではあるんだけど、
もしも和が軽音部に入ってくれていたら、
こういう席割で一緒にお茶してたりしてたのかな。
「どうしたの、律?」
「ん、あ、いや、何となく……さ。
新鮮だなー、って思って」
「何が?」
「和と二人でこんなに近くで話すなんて、あんまりなかったじゃん?」
私がそう言うと、和が何となく悪戯っぽい顔を見せた。
最近、和がたまに見せてくれるようになった顔だ。
「そうね。
私が律に話し掛ける時は、大抵がお説教だったものね」
「いやいや、そんな事はありませんって。
和様にはいつも本当に感謝しておりますって。
たまに頂くお説教もありがたい事ですって」
笑いながら私が言うと、和も小さく微笑んでくれた。
いつも真面目で優等生な和だけど、冗談が通じないわけじゃない。
本当にたまにだけど、和の方から冗談を言ってくれる事も最近は増えてきた。
確信はないけど、それが私達の仲良くなった証拠だったら嬉しい。
バランス的に澪の席に座るんだと思ってたけど、
それから和が選んだのは意外にも私のすぐ隣の梓の席(と言うより椅子)だった。
予想外に和と接近する事になって、私は少し緊張してしまう。
同時に普段梓が座っている席に和が座っている状況に新鮮さを感じる。
ありえない話ではあるんだけど、
もしも和が軽音部に入ってくれていたら、
こういう席割で一緒にお茶してたりしてたのかな。
「どうしたの、律?」
「ん、あ、いや、何となく……さ。
新鮮だなー、って思って」
「何が?」
「和と二人でこんなに近くで話すなんて、あんまりなかったじゃん?」
私がそう言うと、和が何となく悪戯っぽい顔を見せた。
最近、和がたまに見せてくれるようになった顔だ。
「そうね。
私が律に話し掛ける時は、大抵がお説教だったものね」
「いやいや、そんな事はありませんって。
和様にはいつも本当に感謝しておりますって。
たまに頂くお説教もありがたい事ですって」
笑いながら私が言うと、和も小さく微笑んでくれた。
いつも真面目で優等生な和だけど、冗談が通じないわけじゃない。
本当にたまにだけど、和の方から冗談を言ってくれる事も最近は増えてきた。
確信はないけど、それが私達の仲良くなった証拠だったら嬉しい。
引用元: ・律「終末の過ごし方」
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282: にゃんこ 2011/06/23(木) 02:02:23.39 ID:74LZJUpb0
「そういえば、それは何なの?」
微笑みながら和が指差したのは、唯の置いた書き置きだった。
机の上に置いたままにしてたから、目に入って気になったんだろう。
私はその質問には答えずに、「あいよ」と和にその書き置きを手渡した。
見てもらった方が分かりやすいし、自分で考えた方が面白いだろうと思ったからだ。
渡された書き置きを見た和は一瞬困った顔をしたけど、
すぐに「ああ、そっか」と明るい顔になって呟いた。
「この猫みたいな何かが『あずにゃん』って事ね」
「分かるの早いな!
私でも分かるのに二十秒くらい掛かったぞ?
流石は幼馴染みってやつか?」
軽くからかったつもりだったけど、
急に和の表情が萎んでいくのが目に見えて分かった。
あんまり急激に表情が変わるもんだから、
何かまずい事を言っちゃったのかって私が不安になるくらいに。
冗談を言う時の悪戯っぽい顔は見せてくれるようになった和だけど、
そんな本当に辛そうな表情の和を見るのは初めてだった。
そんな今にも泣き出しそうな和なんて……。
何て声を掛ければいいのか迷ったけど、私はまずは謝る事にした。
和の表情が辛そうに変わった原因が私の言葉なんだとしたら、
私は和に謝らないといけない。
微笑みながら和が指差したのは、唯の置いた書き置きだった。
机の上に置いたままにしてたから、目に入って気になったんだろう。
私はその質問には答えずに、「あいよ」と和にその書き置きを手渡した。
見てもらった方が分かりやすいし、自分で考えた方が面白いだろうと思ったからだ。
渡された書き置きを見た和は一瞬困った顔をしたけど、
すぐに「ああ、そっか」と明るい顔になって呟いた。
「この猫みたいな何かが『あずにゃん』って事ね」
「分かるの早いな!
私でも分かるのに二十秒くらい掛かったぞ?
流石は幼馴染みってやつか?」
軽くからかったつもりだったけど、
急に和の表情が萎んでいくのが目に見えて分かった。
あんまり急激に表情が変わるもんだから、
何かまずい事を言っちゃったのかって私が不安になるくらいに。
冗談を言う時の悪戯っぽい顔は見せてくれるようになった和だけど、
そんな本当に辛そうな表情の和を見るのは初めてだった。
そんな今にも泣き出しそうな和なんて……。
何て声を掛ければいいのか迷ったけど、私はまずは謝る事にした。
和の表情が辛そうに変わった原因が私の言葉なんだとしたら、
私は和に謝らないといけない。
283: にゃんこ 2011/06/23(木) 02:15:39.18 ID:74LZJUpb0
「あの、和……。
ごめん……な」
「何……が……?」
「だって、そんな……。
そんな辛そうな顔してるの、私のせいなんだろ……?
ごめん……。いつも私、そういうのに気付けなくて……」
「律のせいじゃないわ……」
「だけど……」
「いいのよ。私の方こそごめんなさい、律……。
律相手なら、何とか耐えられるって思ってたんだけど……。
駄目みたいね。本当にごめんなさい……」
「耐えられる……って?」
一瞬、弱気な私が顔を出して、
和が私の事を嫌いだからその嫌悪感に耐えてる、って後ろ向きな考えをしてしまう。
和がそんな人じゃないのは分かっているのに。
分かり切ってるのに。
何を考えてるんだよ、私。
本当におかしいぞ、今日の私は……。
勿論、和の「耐えられる」って言葉は、そういう意味じゃなかった。
和は静かに私のその被害妄想を解き放つ言葉を口にしてくれた。
「唯の事を考えるとね……。
駄目なのよ……」
ごめん……な」
「何……が……?」
「だって、そんな……。
そんな辛そうな顔してるの、私のせいなんだろ……?
ごめん……。いつも私、そういうのに気付けなくて……」
「律のせいじゃないわ……」
「だけど……」
「いいのよ。私の方こそごめんなさい、律……。
律相手なら、何とか耐えられるって思ってたんだけど……。
駄目みたいね。本当にごめんなさい……」
「耐えられる……って?」
一瞬、弱気な私が顔を出して、
和が私の事を嫌いだからその嫌悪感に耐えてる、って後ろ向きな考えをしてしまう。
和がそんな人じゃないのは分かっているのに。
分かり切ってるのに。
何を考えてるんだよ、私。
本当におかしいぞ、今日の私は……。
勿論、和の「耐えられる」って言葉は、そういう意味じゃなかった。
和は静かに私のその被害妄想を解き放つ言葉を口にしてくれた。
「唯の事を考えるとね……。
駄目なのよ……」
284: にゃんこ 2011/06/23(木) 02:27:11.90 ID:74LZJUpb0
私は自分の被害妄想を恥じながら、
それでも今は和の言葉の続きを聞く事にした。
恥ずかしがるのは後からでも出来る。
今は和に失礼な考えをした分、和の言葉を聞かなきゃいけない時だった。
「唯と……、何かあったのか……?」
「ううん、そうじゃないわ。
唯はずっと私の幼馴染みで腐れ縁で、こんな時でも明るく話し掛けて来てくれる。
本当に明るい顔で笑ってくれる。
だから、唯の事を思うと、辛くなるの……」
「だけど、さっきは……」
「ええ。唯の話で笑えたわ。笑えてたと……思う。
でも、それはライブをするっていう未来の事を考えられるからなのよ。
まだ先に唯の笑顔を見られる時間があるって、それが嬉しくて安心出来るのよ。
だから、先の話じゃなくて、昔の話を思い出しちゃうと駄目だわ。
まだ私達が小さくて、小さい唯が笑ってた頃を思い出しちゃったら、
否応無しに私達に残された時間は本当に短い事に気付いちゃって……。
それが、辛いのよ……」
それでも今は和の言葉の続きを聞く事にした。
恥ずかしがるのは後からでも出来る。
今は和に失礼な考えをした分、和の言葉を聞かなきゃいけない時だった。
「唯と……、何かあったのか……?」
「ううん、そうじゃないわ。
唯はずっと私の幼馴染みで腐れ縁で、こんな時でも明るく話し掛けて来てくれる。
本当に明るい顔で笑ってくれる。
だから、唯の事を思うと、辛くなるの……」
「だけど、さっきは……」
「ええ。唯の話で笑えたわ。笑えてたと……思う。
でも、それはライブをするっていう未来の事を考えられるからなのよ。
まだ先に唯の笑顔を見られる時間があるって、それが嬉しくて安心出来るのよ。
だから、先の話じゃなくて、昔の話を思い出しちゃうと駄目だわ。
まだ私達が小さくて、小さい唯が笑ってた頃を思い出しちゃったら、
否応無しに私達に残された時間は本当に短い事に気付いちゃって……。
それが、辛いのよ……」
285: にゃんこ 2011/06/23(木) 02:44:53.66 ID:74LZJUpb0
和の言葉を聞いていて、私は一つ気付いた。
さっき和は軽音部に入る前に、ドアの隙間から部室の中を覗いていた。
それは私がトンちゃんに話し掛けているところを覗き見したかったからじゃない。
きっと和は唯が部室の中に居るかどうかを確かめてたんだ。
唯の顔を見ると辛くなるから、
私一人しか居ない事を確かめてから部室に入ってきたんだ。
今の私が澪と顔を合わせる事が恐いのと同じように。
和はまた言葉を続けようと口を開く。
多分、ずっと我慢していたんだろう。
和の言葉は止まる事はなかったし、私も止めようとは思わなかった。
タイプは違っているけれど、私と和は本当はかなり似てるんじゃないかと思えたんだ。
「もうすぐ終末が来るらしいわよね……。
それは私も分かってるし、もう逃れられないってのも分かってる。
勿論、私自身が死ぬのは恐いし、嫌だわ。
私だってまだやりたい事が沢山あるもの。まだ死にたくないわよ。
でも、私が死ぬ事よりもっと恐い事があるの。
それは多分、律も同じだと思う」
「私も……?
そうか……。うん、そうだよ……。
私だって死にたくない。死ぬのは本当に恐い。
周りに恐がってる様には見せないけど、やっぱり恐いよ。
でも、私も和と同じにもっと恐い事があるな……」
そのもっと恐い事について、
和はとりあえずは触れなかった。私も今は触れなかった。
その代わり、和が少しだけ落ち着いた表情になってから、私に訊ねた。
さっき和は軽音部に入る前に、ドアの隙間から部室の中を覗いていた。
それは私がトンちゃんに話し掛けているところを覗き見したかったからじゃない。
きっと和は唯が部室の中に居るかどうかを確かめてたんだ。
唯の顔を見ると辛くなるから、
私一人しか居ない事を確かめてから部室に入ってきたんだ。
今の私が澪と顔を合わせる事が恐いのと同じように。
和はまた言葉を続けようと口を開く。
多分、ずっと我慢していたんだろう。
和の言葉は止まる事はなかったし、私も止めようとは思わなかった。
タイプは違っているけれど、私と和は本当はかなり似てるんじゃないかと思えたんだ。
「もうすぐ終末が来るらしいわよね……。
それは私も分かってるし、もう逃れられないってのも分かってる。
勿論、私自身が死ぬのは恐いし、嫌だわ。
私だってまだやりたい事が沢山あるもの。まだ死にたくないわよ。
でも、私が死ぬ事よりもっと恐い事があるの。
それは多分、律も同じだと思う」
「私も……?
そうか……。うん、そうだよ……。
私だって死にたくない。死ぬのは本当に恐い。
周りに恐がってる様には見せないけど、やっぱり恐いよ。
でも、私も和と同じにもっと恐い事があるな……」
そのもっと恐い事について、
和はとりあえずは触れなかった。私も今は触れなかった。
その代わり、和が少しだけ落ち着いた表情になってから、私に訊ねた。
286: にゃんこ 2011/06/23(木) 02:55:45.29 ID:74LZJUpb0
「律もやっぱり恐いのよね……」
「和もな」
「私が言うのも何だけどね。
律ってこんな時でも毎日学校に登校してるみたいだし、
いつも唯と一緒に楽しそうに遊んでるから、終末なんて恐くないように見えたのよ」
「和が言うなよ。
和だって毎日じゃないけど学校で見るし、
ちょっとボケてみてもすごい冷静な顔で私に突っ込むじゃんか。
和には世界の終わりなんて何ともないんだって思ってたぞ」
「失礼ね。私を何だと思ってるのよ、律は」
「和の方こそ、私を何だと思ってんだよ」
言って、私は頬を膨らませて和を軽く睨む。
和も少し不機嫌そうな顔で私を見つめて……。
それから、すぐ後に二人して苦笑した。
何だよ。
二人ともお互いを同じ様な目で見てたってわけか。
やっぱり私達は何処か似てる所があるのかもしれない。
「和もな」
「私が言うのも何だけどね。
律ってこんな時でも毎日学校に登校してるみたいだし、
いつも唯と一緒に楽しそうに遊んでるから、終末なんて恐くないように見えたのよ」
「和が言うなよ。
和だって毎日じゃないけど学校で見るし、
ちょっとボケてみてもすごい冷静な顔で私に突っ込むじゃんか。
和には世界の終わりなんて何ともないんだって思ってたぞ」
「失礼ね。私を何だと思ってるのよ、律は」
「和の方こそ、私を何だと思ってんだよ」
言って、私は頬を膨らませて和を軽く睨む。
和も少し不機嫌そうな顔で私を見つめて……。
それから、すぐ後に二人して苦笑した。
何だよ。
二人ともお互いを同じ様な目で見てたってわけか。
やっぱり私達は何処か似てる所があるのかもしれない。
287: にゃんこ 2011/06/23(木) 03:15:30.36 ID:74LZJUpb0
「何かさ……。
強がっちゃうんだよな……」
つい私は口に出していた。
和の前だと何故か素直になれている気がする。
近過ぎず、遠過ぎず、とても微妙な距離感の仲の私と和。
遠い他人じゃないけど、近くて本音を言えない相手とも違う。
二人きりになる事は少ないし、ずっと傍に居たいと依存してるわけでもない。
それでも、絶対失いたくない相手。
多分だけど、私と和はそんな関係の大切な友達なんだろう。
和もそう思ってくれているのかもしれない。
辛そうな表情は完全になくなってはいなかったけど、
それでも少しの優しさと穏やかさを取り戻した表情で和が言った。
「私は強がりとは違うんだけど……、
どんな時も落ち着いてなきゃって思ってたわ。
兄弟も小さいし、恐がってる姿なんて見せられないもの。
でも、それってやっぱり強がりなのかしらね?
下手に落ち着こうとするのは、逆に恐がりな証拠って話もよく聞くし……」
「難しい話はよく分かんないけど、でも、言いたい事は分かるな。
私は世界の終わりが恐くて、それよりも恐がってる自分がもっと恐くて……さ。
上手く言えないけど、だから、恐がりたくなかったんだよな。
多分、いつもの自分じゃない自分になるのが、本当に恐かったんだと思う。
でも、それよりももっと恐いのが……、悲しいのが……」
強がっちゃうんだよな……」
つい私は口に出していた。
和の前だと何故か素直になれている気がする。
近過ぎず、遠過ぎず、とても微妙な距離感の仲の私と和。
遠い他人じゃないけど、近くて本音を言えない相手とも違う。
二人きりになる事は少ないし、ずっと傍に居たいと依存してるわけでもない。
それでも、絶対失いたくない相手。
多分だけど、私と和はそんな関係の大切な友達なんだろう。
和もそう思ってくれているのかもしれない。
辛そうな表情は完全になくなってはいなかったけど、
それでも少しの優しさと穏やかさを取り戻した表情で和が言った。
「私は強がりとは違うんだけど……、
どんな時も落ち着いてなきゃって思ってたわ。
兄弟も小さいし、恐がってる姿なんて見せられないもの。
でも、それってやっぱり強がりなのかしらね?
下手に落ち着こうとするのは、逆に恐がりな証拠って話もよく聞くし……」
「難しい話はよく分かんないけど、でも、言いたい事は分かるな。
私は世界の終わりが恐くて、それよりも恐がってる自分がもっと恐くて……さ。
上手く言えないけど、だから、恐がりたくなかったんだよな。
多分、いつもの自分じゃない自分になるのが、本当に恐かったんだと思う。
でも、それよりももっと恐いのが……、悲しいのが……」
288: にゃんこ 2011/06/23(木) 03:29:43.94 ID:74LZJUpb0
そこで私は口ごもる。
言葉にするのが恐かった。
言葉にして実感してしまうのが恐かったし、
言葉にして和に実感させてしまうのが恐かった。
これからも強がるためには、それに気付かないふりをしている方がいいんだろう。
でも、その私の言葉は和が力強く継いでくれた。
そう。和は見ないふりをするのをやめたんだ。
「死ぬのは恐いわ。
きっと色んな物を失っちゃうんだろうって思うと恐いわよね……。
だけど、そんな事より、皆が死んじゃう事の方がずっと恐いわ。
家族が、唯が、憂が死ぬ事を考えたら、自分が死ぬ事を考えるより嫌な気分になる。
悲しくなるのよ、とても……」
「そうだよな……。
そう……なんだよな……」
私も父さんや母さんに聡……、
澪がもうすぐ死んでしまうって現実がすごく恐くて、悲しかった。
自分が死ぬのは嫌だけど、多分、それだけなら私も耐えられると思う。
だけど、私以外の誰かが死ぬって想像だけは、恐くてたまらなかった。
私自身より、澪が死んでしまう事の方が、何倍も辛かった。
だから、和は泣きそうな顔をしてるんだ。
私も泣き出したくなってるんだ。
言葉にするのが恐かった。
言葉にして実感してしまうのが恐かったし、
言葉にして和に実感させてしまうのが恐かった。
これからも強がるためには、それに気付かないふりをしている方がいいんだろう。
でも、その私の言葉は和が力強く継いでくれた。
そう。和は見ないふりをするのをやめたんだ。
「死ぬのは恐いわ。
きっと色んな物を失っちゃうんだろうって思うと恐いわよね……。
だけど、そんな事より、皆が死んじゃう事の方がずっと恐いわ。
家族が、唯が、憂が死ぬ事を考えたら、自分が死ぬ事を考えるより嫌な気分になる。
悲しくなるのよ、とても……」
「そうだよな……。
そう……なんだよな……」
私も父さんや母さんに聡……、
澪がもうすぐ死んでしまうって現実がすごく恐くて、悲しかった。
自分が死ぬのは嫌だけど、多分、それだけなら私も耐えられると思う。
だけど、私以外の誰かが死ぬって想像だけは、恐くてたまらなかった。
私自身より、澪が死んでしまう事の方が、何倍も辛かった。
だから、和は泣きそうな顔をしてるんだ。
私も泣き出したくなってるんだ。
291: にゃんこ 2011/06/25(土) 01:48:08.98 ID:NEewVLDL0
もうすぐ私達は消えていなくなってしまう。
人間も、人生も、歴史も、何もかもが消え去ってしまう。
大切で、大好きな人が跡形もなく消えてしまう。
残された時間は本当に少なくて、
それまでの時間を私はせめて大切な幼馴染みと過ごしたいと思った。
幼馴染みに無理をさせて、自分で無理をして、
お互いに無理ばかり重ねながらだけど、それでも一緒の時間が欲しかったんだ。
もうすぐ終わる世界で、泣きながら過ごしたくなかったから。
「友達が居なくなるのは、嫌だもんな……」
私は自分に言い聞かせるように呟いてみる。
言葉にしてみると、少しずつ実感出来てくる気がした。
そうだよな。
別に難しい事じゃなかったんだ。
この世界の終わりが恐くて、悲しい理由は本当はすごく単純だったんだ。
友達を無くしたくないんだ、私は。
だから、澪を無理して学校に登校させてる。
だから、梓に嫌われたと思うのが、本当に悲しかったんだ。
人間も、人生も、歴史も、何もかもが消え去ってしまう。
大切で、大好きな人が跡形もなく消えてしまう。
残された時間は本当に少なくて、
それまでの時間を私はせめて大切な幼馴染みと過ごしたいと思った。
幼馴染みに無理をさせて、自分で無理をして、
お互いに無理ばかり重ねながらだけど、それでも一緒の時間が欲しかったんだ。
もうすぐ終わる世界で、泣きながら過ごしたくなかったから。
「友達が居なくなるのは、嫌だもんな……」
私は自分に言い聞かせるように呟いてみる。
言葉にしてみると、少しずつ実感出来てくる気がした。
そうだよな。
別に難しい事じゃなかったんだ。
この世界の終わりが恐くて、悲しい理由は本当はすごく単純だったんだ。
友達を無くしたくないんだ、私は。
だから、澪を無理して学校に登校させてる。
だから、梓に嫌われたと思うのが、本当に悲しかったんだ。
292: にゃんこ 2011/06/25(土) 02:07:45.82 ID:NEewVLDL0
「そうよね。
自分の傍に居てくれた誰かが居なくなるなんて、嫌よね……」
私の呟きは和にも聞こえていたらしい。
和も私の言葉に頷きながら呟いた。
馬鹿みたいに単純だけど、
人が死にたくない本当の理由はそんなものなのかもしれないよな。
勿論、友達が死んでほしくない理由も。
少し違うかもしれないけど、
前は私はこういう話を聞いて不安になった事がある。
自分が二十歳前後で自立するとして、両親が七十歳まで生きるとする。
そうすると、自分が年に十日の里帰りを毎年行ったとしても、
両親と一緒に過ごせる時間は、合計しても半年と少しという計算になるんだそうだ。
その話を高橋さん(だったと思う)から聞いた時、私はとても不安になった。
受かればの話だけど、大学生になったら寮に入るつもりだったし、
将来的には家自体の事を聡に任せて、私は家から出てく事になってたんだろうと思う。
それは普通の事で、特に意識した事もなかったけど……。
それでも、具体的に数字にして表されると、何だか焦ってしまって仕方がなかった。
そんなに短いんだ……、ってそう思えて不安だった。
いつかは居なくなる両親なんだって分かってたつもりだったけど、
単に私は考えないようにしてただけなのかな……、どうにも分かってなかったみたいだ。
自分の傍に居てくれた誰かが居なくなるなんて、嫌よね……」
私の呟きは和にも聞こえていたらしい。
和も私の言葉に頷きながら呟いた。
馬鹿みたいに単純だけど、
人が死にたくない本当の理由はそんなものなのかもしれないよな。
勿論、友達が死んでほしくない理由も。
少し違うかもしれないけど、
前は私はこういう話を聞いて不安になった事がある。
自分が二十歳前後で自立するとして、両親が七十歳まで生きるとする。
そうすると、自分が年に十日の里帰りを毎年行ったとしても、
両親と一緒に過ごせる時間は、合計しても半年と少しという計算になるんだそうだ。
その話を高橋さん(だったと思う)から聞いた時、私はとても不安になった。
受かればの話だけど、大学生になったら寮に入るつもりだったし、
将来的には家自体の事を聡に任せて、私は家から出てく事になってたんだろうと思う。
それは普通の事で、特に意識した事もなかったけど……。
それでも、具体的に数字にして表されると、何だか焦ってしまって仕方がなかった。
そんなに短いんだ……、ってそう思えて不安だった。
いつかは居なくなる両親なんだって分かってたつもりだったけど、
単に私は考えないようにしてただけなのかな……、どうにも分かってなかったみたいだ。
293: にゃんこ 2011/06/25(土) 02:24:50.78 ID:NEewVLDL0
自分と誰かの関係は時間制限付きなんだ。
両親とだってそうなんだから、誰とだってそうなんだ。
世界が終わるからってだけじゃなくて、
普通に生きてても、友達との時間制限は一つずつ尽きていってたんだろう。
こう考えるのは嫌だけど、
澪との関係もいつかは尽きてたんだろうな……。
その原因が喧嘩別れなのか、どっちかの死なのかは分かんないけどさ。
「頑張らないと、いけないわよね」
急に和が言った。
これまでみたいな呟きじゃなくて、少しだけど力強い言葉だった。
「唯の顔を見てると泣きそうになるし、辛いけど……。
でも、私は唯と一緒に居たいもの。
残された時間は少ないから、早く唯の顔を見ても泣かないように頑張るわ」
「無理はするなよ……って、そんな事は言ってられないか。
ははっ、こう言うのも変だけどさ」
お決まりの台詞と逆の言葉を言ってしまって、私はちょっと笑ってしまう。
和も眼鏡の奥の表情が緩んだように見えた。
「でも、終末だからってだけじゃなくて、
どんな時だって、誰だって無理して生きてるものだって私も思うわ。
勿論、無理せずに生きられるなら、
それに越した事は無いんでしょうけど、中々そうはいかないものね。
……頑張らなくちゃね」
両親とだってそうなんだから、誰とだってそうなんだ。
世界が終わるからってだけじゃなくて、
普通に生きてても、友達との時間制限は一つずつ尽きていってたんだろう。
こう考えるのは嫌だけど、
澪との関係もいつかは尽きてたんだろうな……。
その原因が喧嘩別れなのか、どっちかの死なのかは分かんないけどさ。
「頑張らないと、いけないわよね」
急に和が言った。
これまでみたいな呟きじゃなくて、少しだけど力強い言葉だった。
「唯の顔を見てると泣きそうになるし、辛いけど……。
でも、私は唯と一緒に居たいもの。
残された時間は少ないから、早く唯の顔を見ても泣かないように頑張るわ」
「無理はするなよ……って、そんな事は言ってられないか。
ははっ、こう言うのも変だけどさ」
お決まりの台詞と逆の言葉を言ってしまって、私はちょっと笑ってしまう。
和も眼鏡の奥の表情が緩んだように見えた。
「でも、終末だからってだけじゃなくて、
どんな時だって、誰だって無理して生きてるものだって私も思うわ。
勿論、無理せずに生きられるなら、
それに越した事は無いんでしょうけど、中々そうはいかないものね。
……頑張らなくちゃね」
294: にゃんこ 2011/06/25(土) 02:36:56.60 ID:NEewVLDL0
「そうだな、和。
だからさ」
「そうね」
「これからも無理しよう、和」
「これからも無理しましょう、律」
二人の言葉が重なって、二人で笑った。
「無理しよう」なんて、基本努力が苦手な私に言えた事じゃないけど、
それでも多分、今は無理した方がいい時なんだろうって思えた。
私達に残された時間は少ないし、悲しくて辛い事も多い。
だけど、私達は立ち止まってなんかいられない。
立ち止まってるわけにはいかないんだ。
こう言うと少年漫画の台詞みたいだけど、実はそんな格好のいい決意表明じゃない。
本当は立ち止まっていられないから。
立ち止まったら不安で死にそうになるから。
泳いでないと死んでしまうらしいイルカやマグロ的な意味で、
無理をしてでも、私達は立ち止まっていられないんだ。
それがいい事なのか、悪い事なのかは分からない。
無理をする事で、また誰かを傷付けてしまうかもしれない。
また自分が傷付くかもしれない。
だけど、そうしながら、私と和は進み続けていくんだと思う。
和ならきっと大丈夫。
和ならもうすぐ立ち直れて、いつもみたいな冷静な突っ込みを見せてくれるようになれる。
最後の日まで唯と笑い合えるようになれるはずだ。
だからさ」
「そうね」
「これからも無理しよう、和」
「これからも無理しましょう、律」
二人の言葉が重なって、二人で笑った。
「無理しよう」なんて、基本努力が苦手な私に言えた事じゃないけど、
それでも多分、今は無理した方がいい時なんだろうって思えた。
私達に残された時間は少ないし、悲しくて辛い事も多い。
だけど、私達は立ち止まってなんかいられない。
立ち止まってるわけにはいかないんだ。
こう言うと少年漫画の台詞みたいだけど、実はそんな格好のいい決意表明じゃない。
本当は立ち止まっていられないから。
立ち止まったら不安で死にそうになるから。
泳いでないと死んでしまうらしいイルカやマグロ的な意味で、
無理をしてでも、私達は立ち止まっていられないんだ。
それがいい事なのか、悪い事なのかは分からない。
無理をする事で、また誰かを傷付けてしまうかもしれない。
また自分が傷付くかもしれない。
だけど、そうしながら、私と和は進み続けていくんだと思う。
和ならきっと大丈夫。
和ならもうすぐ立ち直れて、いつもみたいな冷静な突っ込みを見せてくれるようになれる。
最後の日まで唯と笑い合えるようになれるはずだ。
295: にゃんこ 2011/06/25(土) 02:51:56.45 ID:NEewVLDL0
私の方は……、まだ分からない。
進み続けるのはやめないと思う。
もしかしたら、その先には誰からも嫌われて、
一人で生きていくしかない未来が待っているのかもしれないけど……。
また少し気弱になってる私の考えを察したんだろう。
机の上に出してる私の右手に、和が軽く自分の右手を乗せた。
唯や私とは違って、普段は決して誰かの身体に触ったりしない和の意外な行動だった。
「後悔だけは、したくないものね」
それは私に向けられた言葉ではあったけど、
きっと和自身にも向けられた言葉でもあったと思う。
どんな結果になっても、後悔はしたくない。
それは世界の終わりが近くなくても当たり前の事だったけど、
世界の終わりが近いからこそ、よくある言葉だけど重く心に残る言葉になった。
「確かに後悔は、したくないな……。
もう残り少ない時間だけど、せめて自分の気持ちに正直に……。
最後まで……」
進み続けるのはやめないと思う。
もしかしたら、その先には誰からも嫌われて、
一人で生きていくしかない未来が待っているのかもしれないけど……。
また少し気弱になってる私の考えを察したんだろう。
机の上に出してる私の右手に、和が軽く自分の右手を乗せた。
唯や私とは違って、普段は決して誰かの身体に触ったりしない和の意外な行動だった。
「後悔だけは、したくないものね」
それは私に向けられた言葉ではあったけど、
きっと和自身にも向けられた言葉でもあったと思う。
どんな結果になっても、後悔はしたくない。
それは世界の終わりが近くなくても当たり前の事だったけど、
世界の終わりが近いからこそ、よくある言葉だけど重く心に残る言葉になった。
「確かに後悔は、したくないな……。
もう残り少ない時間だけど、せめて自分の気持ちに正直に……。
最後まで……」
301: にゃんこ 2011/06/29(水) 22:09:31.41 ID:6fUAm3zg0
後悔は、したくない。
和の手の温かさを感じながら、思う。
おかげで一つだけだけど、答えも出せた。
「決めたよ、和」
「決まったの?」
「ライブだけど、土曜日の夕方にする事にする」
「それでいいのね?」
「ああ」
私が言うと、和は頷いて、私の答えを受け入れてくれた。
本当は金曜日の夕方にライブをした方がいいんだろう。
私もそう思わなくはないし、和もそっちの方がいいと考えてるはずだ。
でも。
金曜日じゃ、間に合わない。
今のままの私たちじゃ、どうやっても満足のいくライブは出来ない。
絶対、悔いの残るライブになってしまうだろうから。
そう思ったから。
私は土曜日の夕方に、最後のライブをする事に決めた。
勿論、一日の猶予じゃ、ライブの出来にそう変わりはないかもしれないけど……。
少しでも私達の目指す「歴史に残すライブ」に近付けるのなら、そうするべきなんだ。
私は後悔はしたくないし、誰にも後悔させたくない。
和の手の温かさを感じながら、思う。
おかげで一つだけだけど、答えも出せた。
「決めたよ、和」
「決まったの?」
「ライブだけど、土曜日の夕方にする事にする」
「それでいいのね?」
「ああ」
私が言うと、和は頷いて、私の答えを受け入れてくれた。
本当は金曜日の夕方にライブをした方がいいんだろう。
私もそう思わなくはないし、和もそっちの方がいいと考えてるはずだ。
でも。
金曜日じゃ、間に合わない。
今のままの私たちじゃ、どうやっても満足のいくライブは出来ない。
絶対、悔いの残るライブになってしまうだろうから。
そう思ったから。
私は土曜日の夕方に、最後のライブをする事に決めた。
勿論、一日の猶予じゃ、ライブの出来にそう変わりはないかもしれないけど……。
少しでも私達の目指す「歴史に残すライブ」に近付けるのなら、そうするべきなんだ。
私は後悔はしたくないし、誰にも後悔させたくない。
302: にゃんこ 2011/06/29(水) 22:11:57.16 ID:6fUAm3zg0
ライブを見に来てくれる人は大幅に減るだろう。
今のところ三十人くらいを呼ぶ予定だけど、何しろ世界の最後の日の前日の事だ。
誰にだって私達のライブなんかより大切な予定があるだろうし、それは仕方のない事だと思う。
大体、土曜日の夕方にライブをする事自体、私の我儘なんだ。
ライブに来れない人達を責める事なんて出来ない。
最低、本当に数少ない身内だけのライブになる可能性も大きいな。
憂ちゃんはまず間違いなく来てくれるだろうけど、
放任主義の私の家族はどうなるかは分からないな。
聡にだって最後に何か予定があるかもしれないし。
それも仕方なかったし、それでいいんだと私は思った。
私達は最後に私達の満足のいくライブをやりたい。
多分それが世界の終わりに対して出来る、私の最後の抵抗だ。
「ねえ、律」
不意に和が温かい指を私の指に強く絡める。
強く強く、包んでくれる。
私は少し気恥ずかしい気分になりながら、でも訊ねた。
「どうしたんだ、和?」
「私、軽音部の最後のライブ、絶対見に行くから」
「いいのか?」
今のところ三十人くらいを呼ぶ予定だけど、何しろ世界の最後の日の前日の事だ。
誰にだって私達のライブなんかより大切な予定があるだろうし、それは仕方のない事だと思う。
大体、土曜日の夕方にライブをする事自体、私の我儘なんだ。
ライブに来れない人達を責める事なんて出来ない。
最低、本当に数少ない身内だけのライブになる可能性も大きいな。
憂ちゃんはまず間違いなく来てくれるだろうけど、
放任主義の私の家族はどうなるかは分からないな。
聡にだって最後に何か予定があるかもしれないし。
それも仕方なかったし、それでいいんだと私は思った。
私達は最後に私達の満足のいくライブをやりたい。
多分それが世界の終わりに対して出来る、私の最後の抵抗だ。
「ねえ、律」
不意に和が温かい指を私の指に強く絡める。
強く強く、包んでくれる。
私は少し気恥ずかしい気分になりながら、でも訊ねた。
「どうしたんだ、和?」
「私、軽音部の最後のライブ、絶対見に行くから」
「いいのか?」
303: にゃんこ 2011/06/29(水) 22:19:13.83 ID:6fUAm3zg0
予定とか大丈夫か?
私がそう言うより先に、和は優しく静かに頷いてくれた。
「スケジュールは絶対に空ける。
貴方達のライブ、絶対に見届けるわ。
見届けたいもの。唯が夢中になった音楽の魅力を。
唯を夢中にしてくれた律の音楽をね」
「そんな大したもんじゃ……」
「ううん、そんな事ないわ。
動機はどうであっても、律はぼんやりしてた唯の生きる理由を見つけてくれた。
そのきっかけになってくれた。そんな音楽を律は作ってくれた。
あんまり上手くなくても、お茶ばかりしてても、
それは全部、貴方達の音楽に、放課後ティータイムに必要なものだったんだって思うもの。
だから、見届けたいのよ、私のためにもね」
和の言葉に私は目を伏せてしまう。
滅多に自分の音楽について褒められた事がないから、
嬉しいんだか恥ずかしいんだか、どうにも身体中がむず痒かった。
その私の気恥ずかしさも察したんだろう。
本当に気の利く和は微笑んで、自分の制服のポケットの中から何かを取り出した。
何かと思えば、それは澪ファンクラブの会員証だった。
私がそう言うより先に、和は優しく静かに頷いてくれた。
「スケジュールは絶対に空ける。
貴方達のライブ、絶対に見届けるわ。
見届けたいもの。唯が夢中になった音楽の魅力を。
唯を夢中にしてくれた律の音楽をね」
「そんな大したもんじゃ……」
「ううん、そんな事ないわ。
動機はどうであっても、律はぼんやりしてた唯の生きる理由を見つけてくれた。
そのきっかけになってくれた。そんな音楽を律は作ってくれた。
あんまり上手くなくても、お茶ばかりしてても、
それは全部、貴方達の音楽に、放課後ティータイムに必要なものだったんだって思うもの。
だから、見届けたいのよ、私のためにもね」
和の言葉に私は目を伏せてしまう。
滅多に自分の音楽について褒められた事がないから、
嬉しいんだか恥ずかしいんだか、どうにも身体中がむず痒かった。
その私の気恥ずかしさも察したんだろう。
本当に気の利く和は微笑んで、自分の制服のポケットの中から何かを取り出した。
何かと思えば、それは澪ファンクラブの会員証だった。
304: にゃんこ 2011/06/29(水) 22:21:57.44 ID:6fUAm3zg0
「それに私、ファンクラブの会長だしね。
会長として、澪の演奏も見ておきたいしね。
勿論、律の演奏も楽しみにしてるわ」
「律義だよなー、和も……」
「『律』に『義』を通すから、『律義』ってところかしらね」
「また和がボケた!」
「たまにはね」
ボケはボケなんだけど、
ちょっと難しくて理知的なところが和らしく、それがおかしくて私は軽く笑った。
和も微笑んでいた。
その笑顔は不安を拭い切れていなかったかもしれないけど、私達は笑い合えていた。
世界の終わりまで、あとほんの少し。
それまでに出来る事は本当に少ない。
力のない凡人の私に出来る事は、ライブの成功のために駆け回る事だけだろう。
唯のように天才肌じゃなく、澪みたいな努力家でもなく、
梓やムギみたいな幼い頃からのサラブレッドでもなく、単に部長ってだけの私。
軽音部の中で一番足を引っ張ってるのは、多分私なんだろうって自覚はある。
でも、私は部長だから。
こんなんでも部長だから、最後くらいは部のために何かをしないといけないと思う。
会長として、澪の演奏も見ておきたいしね。
勿論、律の演奏も楽しみにしてるわ」
「律義だよなー、和も……」
「『律』に『義』を通すから、『律義』ってところかしらね」
「また和がボケた!」
「たまにはね」
ボケはボケなんだけど、
ちょっと難しくて理知的なところが和らしく、それがおかしくて私は軽く笑った。
和も微笑んでいた。
その笑顔は不安を拭い切れていなかったかもしれないけど、私達は笑い合えていた。
世界の終わりまで、あとほんの少し。
それまでに出来る事は本当に少ない。
力のない凡人の私に出来る事は、ライブの成功のために駆け回る事だけだろう。
唯のように天才肌じゃなく、澪みたいな努力家でもなく、
梓やムギみたいな幼い頃からのサラブレッドでもなく、単に部長ってだけの私。
軽音部の中で一番足を引っ張ってるのは、多分私なんだろうって自覚はある。
でも、私は部長だから。
こんなんでも部長だから、最後くらいは部のために何かをしないといけないと思う。
305: にゃんこ 2011/06/29(水) 22:22:37.14 ID:6fUAm3zg0
何かを……、出来るだろうか……?
いいや、やるんだ。やらなきゃいけないんだ。
これが無理を出来る最後の機会なんだ。
ここで無理をしなきゃ、きっと私は世界の最後の日まで後悔をし続ける事になる。
「大丈夫よ」
和が私に視線を向けて力強く言った。
励ましでも気休めでもなく、心の底からそう思ってくれているみたいだった。
「律なら大丈夫。
それに梓ちゃんも、律の事を大好きだと思うわよ」
「「大好き」……って、流石にそれは言い過ぎだろ……。
せめて「嫌いじゃない」くらいならいいな、って私も思うけどさ……」
「ううん。梓ちゃんは絶対に律の事が「大好き」だと思うわ。
だから、言えないのよ、色んな事が。
本当に辛い事ほど、「大好き」な人には言えないものだから……」
そうかな、と言おうと口を開いて、私はすぐに口を閉じた。
そうだったな。
和は唯が「大好き」だから顔を合わせられなくて、
私も多分、澪が「大好き」だから逃げ出しちゃったんだ。
梓も、そうなんだろうか……?
こう思うのは不謹慎過ぎるけど、そうだったらいいな、と私は思った。
もしもそうだとしたら、私の手がまだ梓に届くかもしれないから。
まだ梓の力になれるんだから。
いいや、やるんだ。やらなきゃいけないんだ。
これが無理を出来る最後の機会なんだ。
ここで無理をしなきゃ、きっと私は世界の最後の日まで後悔をし続ける事になる。
「大丈夫よ」
和が私に視線を向けて力強く言った。
励ましでも気休めでもなく、心の底からそう思ってくれているみたいだった。
「律なら大丈夫。
それに梓ちゃんも、律の事を大好きだと思うわよ」
「「大好き」……って、流石にそれは言い過ぎだろ……。
せめて「嫌いじゃない」くらいならいいな、って私も思うけどさ……」
「ううん。梓ちゃんは絶対に律の事が「大好き」だと思うわ。
だから、言えないのよ、色んな事が。
本当に辛い事ほど、「大好き」な人には言えないものだから……」
そうかな、と言おうと口を開いて、私はすぐに口を閉じた。
そうだったな。
和は唯が「大好き」だから顔を合わせられなくて、
私も多分、澪が「大好き」だから逃げ出しちゃったんだ。
梓も、そうなんだろうか……?
こう思うのは不謹慎過ぎるけど、そうだったらいいな、と私は思った。
もしもそうだとしたら、私の手がまだ梓に届くかもしれないから。
まだ梓の力になれるんだから。
306: にゃんこ 2011/06/29(水) 22:25:25.97 ID:6fUAm3zg0
○
和は唯達が戻って来るより先に軽音部から出て行った。
生徒会の仕事が残ってるみたいだったし、
唯と顔を合わせるにはまだ心の整理が出来ていないらしかった。
和にもまだ少しだけ迷いが残っているんだろう。
それについて私が和に出来る事はなかったし、逆にしなくていいんだって思った。
和は一人で立ち直れるし、一人で立ち直りたいんだ。
最後まで和が私に助けを求めなかったのは、そういう事なんだと思うから。
私に出来るのは、その和を見守る事だけなんだ。
軽音部から出て行く時、和は私の顔色が悪い事を指摘してくれた。
鞄の中に入れっ放しだった手鏡で自分の顔を見てみると、確かに酷い顔をしていた。
別に和との会話で疲れ果てたってわけじゃない。
さっきまで吐いてたんだから、この顔色はある意味当然だった。
いちごや和のおかげで気分の方は良くなっていたけど、顔色はまだ正直だ。
私は洗面所で顔を洗い、一足先に弁当を食べる事でどうにか顔色を誤魔化す事にした。
それがどれくらい効果があるかは分からないけど、
軽音部の皆の前では少しでも落ち着いた顔をしておきたかった。
弁当を半分くらい食べ終わった頃、唯達が梓を連れて部室に戻って来た。
唯達が梓を探しに行ったのは、今日は昼前から梓が来ているはずだったのに、
全然姿を見せる気配が無かったのを不安に思ったからだそうだった。
その時の唯とムギはいつも通りに見えたけど、澪と梓の様子はどうもよくないように見えた。
とは言っても、澪と梓が昨日の険悪な雰囲気を引きずってるわけじゃなく、
お互いがお互いに別の事を悩んでいるようだった。
307: にゃんこ 2011/06/29(水) 22:28:35.66 ID:6fUAm3zg0
まず澪の方は私と目を合わせず、唯やムギとばかり話している。
それも話しているのはイルクーツクとか、カムチャッカとか、
明らかに何かを誤魔化しているような内容ばかりだった。
オカルト研の部室の中の二人の事を考えてしまっているのか、
それとも全く違う事を考えて私から目を逸らしているのか、それは分からない。
梓は梓でまた無理をして笑っていた。
学校を一人でうろついていた事も、今日軽音部に中々顔を出さなかった事も、
「何でもないです」と口癖みたいに繰り返しながら、澪とは違って何度も私の方に視線を向けていた。
声を掛けようとした私の前から逃げ出した事を気にしているんだろう。
それについて、私は梓に何も聞かなかった。
聞かなかった理由は私にも分からない。
今聞くべき事じゃないのは確かだったけど、もしかしたら私もまだ恐かったのかもしれない。
うっかり訊ねてしまって、梓から嫌悪感に満ちた視線を向けられるのが恐かったのかも。
勿論、そうやって恐がり続けていいはずがないし、いつかは梓にそれを訊ねないといけない。
だけど、流石に澪と梓の二人の事を同時に考えるのは、私には出来そうもなかった。
まずは片方の問題から解決しないといけないだろう。
二人とも大切な仲間なんだし、
どちらかに優先順位を付けるのは嫌だったけど、そうも言っていられない。
少し悩んだけど、私はまず澪との問題を解決しようと思った。
澪の方が好きだったから。
……という理由ならまだよかったのかもしれない。
澪の方を選んだのは、本当はもっと消極的な理由からだった。
簡単な理由だ。
澪との関係に対する問題は、私が勇気を出して澪に訊ねるだけで済む事だ。
それはそれでとても難しい事だけど、少なくとも自分の意志だけでどうにかなる事だった。
それも話しているのはイルクーツクとか、カムチャッカとか、
明らかに何かを誤魔化しているような内容ばかりだった。
オカルト研の部室の中の二人の事を考えてしまっているのか、
それとも全く違う事を考えて私から目を逸らしているのか、それは分からない。
梓は梓でまた無理をして笑っていた。
学校を一人でうろついていた事も、今日軽音部に中々顔を出さなかった事も、
「何でもないです」と口癖みたいに繰り返しながら、澪とは違って何度も私の方に視線を向けていた。
声を掛けようとした私の前から逃げ出した事を気にしているんだろう。
それについて、私は梓に何も聞かなかった。
聞かなかった理由は私にも分からない。
今聞くべき事じゃないのは確かだったけど、もしかしたら私もまだ恐かったのかもしれない。
うっかり訊ねてしまって、梓から嫌悪感に満ちた視線を向けられるのが恐かったのかも。
勿論、そうやって恐がり続けていいはずがないし、いつかは梓にそれを訊ねないといけない。
だけど、流石に澪と梓の二人の事を同時に考えるのは、私には出来そうもなかった。
まずは片方の問題から解決しないといけないだろう。
二人とも大切な仲間なんだし、
どちらかに優先順位を付けるのは嫌だったけど、そうも言っていられない。
少し悩んだけど、私はまず澪との問題を解決しようと思った。
澪の方が好きだったから。
……という理由ならまだよかったのかもしれない。
澪の方を選んだのは、本当はもっと消極的な理由からだった。
簡単な理由だ。
澪との関係に対する問題は、私が勇気を出して澪に訊ねるだけで済む事だ。
それはそれでとても難しい事だけど、少なくとも自分の意志だけでどうにかなる事だった。
308: にゃんこ 2011/06/29(水) 22:30:15.11 ID:6fUAm3zg0
それに対して、梓の悩みに関しては私はまだその解決の入口にも立てていない。
梓が何に対して悩んでいるのか、全然見当も付いてない有様だ。
梓は何も言ってくれないし、言ってくれないからこそ、余計に不安が募ってくる。
まさか……、まさかだけど……、こんな事は考えたくないけど……。
家庭内暴力……とか……、麻薬……とか……、○○……とか……。
悲惨過ぎて逆にリアリティの無い話が、私の頭の中に浮かんで離れなくなる。
まさか、とは思う。
そんなはずがない、とも思う。
でも、今はそういう事が起こってもおかしくない状況で、
梓の様子はそれくらい重大な何かが起こっているようにしか思えなくて……。
もしそうだとしたら、梓の悩みの件は私だけではとても手に負えない。
唯やムギ、それに澪の力を借りなければ、梓を助ける事なんてとても出来ない。
だから、私は勇気を出そうと思った。
まずは澪の考えをはっきりと聞いて、それから梓の問題を少しでも好転させたい。
澪との関係については、多分私の自意識過剰だろう。
澪が私の事を好きだなんて、
そんな事を考えてるなんて事を知られたら、誰からも笑われるだろうな。
女同士とかいう問題以前に、澪が私なんかを好きになるはずがなかった。
澪には、そう、もっと釣り合いの取れた素敵な相手が似合うだろう。
あいつにはそれだけの価値があるんだ。
だからこそ、私はあいつと話そうと思う。
私の我儘で無理に外に連れ出してしまってる事を謝ろう。
寂しいけれど、他に一緒に過ごしたい人が居たら、その人と過ごしてくれていい事を伝えよう。
その結果、澪が私達から離れていく事になっても、私はそれで後悔しないと思う。
友達を無くしたくはないけど、無理して友達でいてもらう事の方が、ずっと辛い事だから。
梓が何に対して悩んでいるのか、全然見当も付いてない有様だ。
梓は何も言ってくれないし、言ってくれないからこそ、余計に不安が募ってくる。
まさか……、まさかだけど……、こんな事は考えたくないけど……。
家庭内暴力……とか……、麻薬……とか……、○○……とか……。
悲惨過ぎて逆にリアリティの無い話が、私の頭の中に浮かんで離れなくなる。
まさか、とは思う。
そんなはずがない、とも思う。
でも、今はそういう事が起こってもおかしくない状況で、
梓の様子はそれくらい重大な何かが起こっているようにしか思えなくて……。
もしそうだとしたら、梓の悩みの件は私だけではとても手に負えない。
唯やムギ、それに澪の力を借りなければ、梓を助ける事なんてとても出来ない。
だから、私は勇気を出そうと思った。
まずは澪の考えをはっきりと聞いて、それから梓の問題を少しでも好転させたい。
澪との関係については、多分私の自意識過剰だろう。
澪が私の事を好きだなんて、
そんな事を考えてるなんて事を知られたら、誰からも笑われるだろうな。
女同士とかいう問題以前に、澪が私なんかを好きになるはずがなかった。
澪には、そう、もっと釣り合いの取れた素敵な相手が似合うだろう。
あいつにはそれだけの価値があるんだ。
だからこそ、私はあいつと話そうと思う。
私の我儘で無理に外に連れ出してしまってる事を謝ろう。
寂しいけれど、他に一緒に過ごしたい人が居たら、その人と過ごしてくれていい事を伝えよう。
その結果、澪が私達から離れていく事になっても、私はそれで後悔しないと思う。
友達を無くしたくはないけど、無理して友達でいてもらう事の方が、ずっと辛い事だから。
309: にゃんこ 2011/06/29(水) 22:30:40.97 ID:6fUAm3zg0
でも、ひとまず今は全員で演奏をするべき時間だった。
これから離れ離れになってしまうとしても、
五人で居られた時間をもう少しだけでも感じていたかったから。
今の皆の気持ちはバラバラかもしれないけど、その想いだけは一緒だったはずだ。
その日の練習でぎこちないながら完璧に演奏出来たのは『冬の日』。
意識して選んだわけじゃなく、元々、今日練習する予定だった曲で、
澪が作詞したけど、私が没にしたはずの歌詞の曲だった。
澪には悪いとは思ったけど、
自分へのラブレターだと勘違いした歌詞を歌われるなんて、恥ずかしいにも程があるじゃないか。
でも、今日、私達はその曲を演奏していた。
何故かと言うと、ちょっと前、
澪がパソコンに残していた『冬の日』の歌詞を唯が見つけて、
「すごくいい歌詞だから私が歌いたい」と言って譲らなかったんだ。
私が何を言っても唯はその私の言葉を聞かずに、
「逆にりっちゃんはこの曲の何が駄目だと思ってるの?」と言った。
そう言われると私も弱くて、没にするのを断念するしかなかった。
悔しいけど、私も歌詞自体はとても気に入ってたからな。
そんなわけで、私達の曲に『冬の日』が追加される事になったわけだ。
まあ、今は気に入ってる曲で、私も大好きなんだけど……。
よりにもよって今日この日に練習する事になるなんて、何だかとても因縁めいたものを感じてしまう。
ひょっとしたら、澪じゃなくて、私の方が澪を意識してしまってるのかもしれない。
これから離れ離れになってしまうとしても、
五人で居られた時間をもう少しだけでも感じていたかったから。
今の皆の気持ちはバラバラかもしれないけど、その想いだけは一緒だったはずだ。
その日の練習でぎこちないながら完璧に演奏出来たのは『冬の日』。
意識して選んだわけじゃなく、元々、今日練習する予定だった曲で、
澪が作詞したけど、私が没にしたはずの歌詞の曲だった。
澪には悪いとは思ったけど、
自分へのラブレターだと勘違いした歌詞を歌われるなんて、恥ずかしいにも程があるじゃないか。
でも、今日、私達はその曲を演奏していた。
何故かと言うと、ちょっと前、
澪がパソコンに残していた『冬の日』の歌詞を唯が見つけて、
「すごくいい歌詞だから私が歌いたい」と言って譲らなかったんだ。
私が何を言っても唯はその私の言葉を聞かずに、
「逆にりっちゃんはこの曲の何が駄目だと思ってるの?」と言った。
そう言われると私も弱くて、没にするのを断念するしかなかった。
悔しいけど、私も歌詞自体はとても気に入ってたからな。
そんなわけで、私達の曲に『冬の日』が追加される事になったわけだ。
まあ、今は気に入ってる曲で、私も大好きなんだけど……。
よりにもよって今日この日に練習する事になるなんて、何だかとても因縁めいたものを感じてしまう。
ひょっとしたら、澪じゃなくて、私の方が澪を意識してしまってるのかもしれない。
314: にゃんこ 2011/07/02(土) 02:26:05.60 ID:LzvfiuWO0
○
夕焼けで街中が赤く染まる。
世界が終わると言っても、夕焼けが赤いのは変わらない。
多分、私達が居なくなっても、街は同じ様な時間帯に赤くなり続けるんだろう。
私達も私の部屋で赤く染まっていた。
来週には感じられなくなる夕焼けを特別感じてたいわけじゃないけど、
それでも今の私達は夕焼けに照らされ、赤く染まっている。染まっているんだ。
私達の頬も何となく赤く染まってるのは、そういう事のはずなんだ。
私達というのは、私と澪だった。
軽音部での練習が終わって皆と別れて、
二人きりの帰り道になった時、自分の家に帰ろうとする澪を私は呼び止めた。
少し戸惑ってる感じの澪に、私は私の家で話したい事があると伝えた。
これから私が話そうとしている事は、道端で話すような内容でもないと思ったからだ。
今、その自分の行動を、ほんの少し反省してる。
だって、自分の家の自分の部屋なんて、完全に私に都合のいい舞台じゃないか。
私はこれから勇気を出さなきゃいけないのに、
最初から自分に有利な状況を作り出しておくなんて、
情けないし、これじゃ澪にも申し訳なかった。
でも、だからと言って、今の私には澪の部屋に自分から行く事も出来なかった。
澪の部屋で、もしかしたら今生の別れになるかもしれない話を切り出すなんて、私にはとても出来ない。
そんな状況、考えただけで震えてしまう。
その話を終えた帰り道、自宅に帰れるかどうかも自信がないよ……。
315: にゃんこ 2011/07/02(土) 02:48:11.77 ID:LzvfiuWO0
だから、私は卑怯だと思いながら、
私の部屋で澪と二人で夕焼けに照らされてる。
私はベッドの上で足を崩して。
澪は私のその隣で上品に足を揃えて。
二人、沈黙して、静かに。
たまに目に入る夕焼けに目を細めて。
私の部屋に入って十分……、いや、五分か……?
私達はずっとそうしていた。
本当に珍しい状況だった。
普段は私の方から澪に思い付いた事を何でも話した。何でも話せてた。
澪も私の話を真面目に聞いたり、私の話が下らないと思った時はスルーしたり。
スルーされると少し悔しかったりもしたけれど、
面白いと感じた時は二人で心の底から笑い合えて……。
澪とはずっとそういう風に過ごせると思ってた。
ずっとそんな感じで居たかった。
もう、そういうわけには、いかないのかな?
そうしてちゃ、いけないのか?
私はどうしてもそう思ってしまう。
世の中は緊急事態で、自分の命すらももうすぐ消えてしまいそうで、
そんな状況で、普段の私達のままでいちゃ、駄目なんだろうか?
答えを出さなくちゃいけないんだろうか?
分かってる。
時間がないのは、分かってる。
時間が解決してくれるなんて、悠長な事を言ってられないんだって分かってる。
時間は、もう無い。
なのに迷ってしまうのは、単に弱気な私が逃げ出したいからだ。
だから、普段のままの自分達でいたい、ってそう思ってしまうんだろう。
私の部屋で澪と二人で夕焼けに照らされてる。
私はベッドの上で足を崩して。
澪は私のその隣で上品に足を揃えて。
二人、沈黙して、静かに。
たまに目に入る夕焼けに目を細めて。
私の部屋に入って十分……、いや、五分か……?
私達はずっとそうしていた。
本当に珍しい状況だった。
普段は私の方から澪に思い付いた事を何でも話した。何でも話せてた。
澪も私の話を真面目に聞いたり、私の話が下らないと思った時はスルーしたり。
スルーされると少し悔しかったりもしたけれど、
面白いと感じた時は二人で心の底から笑い合えて……。
澪とはずっとそういう風に過ごせると思ってた。
ずっとそんな感じで居たかった。
もう、そういうわけには、いかないのかな?
そうしてちゃ、いけないのか?
私はどうしてもそう思ってしまう。
世の中は緊急事態で、自分の命すらももうすぐ消えてしまいそうで、
そんな状況で、普段の私達のままでいちゃ、駄目なんだろうか?
答えを出さなくちゃいけないんだろうか?
分かってる。
時間がないのは、分かってる。
時間が解決してくれるなんて、悠長な事を言ってられないんだって分かってる。
時間は、もう無い。
なのに迷ってしまうのは、単に弱気な私が逃げ出したいからだ。
だから、普段のままの自分達でいたい、ってそう思ってしまうんだろう。
316: にゃんこ 2011/07/02(土) 03:02:22.09 ID:LzvfiuWO0
「そういうわけにも、いかないよな……」
私は小さく呟いてみる。
逃げてばかりいられないんだ。
立ち向かわなきゃいけないんだ。
澪のためにも、私は私の我儘を終わらせなきゃいけないんだ。
きっとそれが一番いいんだ。
「え、何?」
私の呟きは澪の耳にも聞こえていたらしい。
ずっと黙ってたんだから、それも当然かな。
ちょっとだけ隣の澪に視線を向けてみる。
澪は顔を赤く染めて、何かに緊張しているみたいに見えた。
まるで小さな頃に戻ったみたいだ。澪だけじゃなくて、私も。
私の部屋で、今よりもずっと恥ずかしがり屋だった澪と二人きり。
確かあれは澪の作文の朗読の特訓中だったか。
何だか懐かしくて、微笑ましくて、楽しかった頃が思い出されて……、
………。
って、うおっと、危ない。
今、泣きそうだったな。
何だよ、どうも感傷的だなあ、私。
でも、駄目だ。今は泣いちゃいけない。
何をするべきなのか、何をすればいいのか確信は持てないけど、
少なくとも泣いてる場合じゃない事だけは、私にも分かってるんだから。
私は深呼吸して心を落ち着かせて、出来る限り笑ってみせる。
私は小さく呟いてみる。
逃げてばかりいられないんだ。
立ち向かわなきゃいけないんだ。
澪のためにも、私は私の我儘を終わらせなきゃいけないんだ。
きっとそれが一番いいんだ。
「え、何?」
私の呟きは澪の耳にも聞こえていたらしい。
ずっと黙ってたんだから、それも当然かな。
ちょっとだけ隣の澪に視線を向けてみる。
澪は顔を赤く染めて、何かに緊張しているみたいに見えた。
まるで小さな頃に戻ったみたいだ。澪だけじゃなくて、私も。
私の部屋で、今よりもずっと恥ずかしがり屋だった澪と二人きり。
確かあれは澪の作文の朗読の特訓中だったか。
何だか懐かしくて、微笑ましくて、楽しかった頃が思い出されて……、
………。
って、うおっと、危ない。
今、泣きそうだったな。
何だよ、どうも感傷的だなあ、私。
でも、駄目だ。今は泣いちゃいけない。
何をするべきなのか、何をすればいいのか確信は持てないけど、
少なくとも泣いてる場合じゃない事だけは、私にも分かってるんだから。
私は深呼吸して心を落ち着かせて、出来る限り笑ってみせる。
317: にゃんこ 2011/07/02(土) 03:22:12.21 ID:LzvfiuWO0
「いや、さ。
そういや澪と私の部屋で二人きりになるのは、久し振りだと思ってさ。
最近は澪の部屋の方にばっか行ってたじゃん?」
「そう……だな。
ごめん……」
澪の顔が少し曇る。
部屋の中に閉じこもってた自分を思い出したんだろう。
それでも、だからこそ、私は澪に向けて微笑んだ。
そんな事は気にしなくていいんだって。
むしろ私の我儘の方を責めてくれていいんだって。
そう澪に伝えられるように。
「謝んなくてもいいって。
私の方こそ、何度も澪の部屋に押し掛けちゃっててごめんな。
何か他にしたい事があったんだったら悪かったな、って今更だけど思ってる。
だから、それはごめんな」
私の言葉に澪が目を伏せる。
でも、表情が暗くなったわけじゃないし、
よく見ると少しだけ顔が赤くなってるのも分かる。
きっと何かを言おうとしてくれてるんだけど、
何を言えばいいのか迷って、それが頭の中で一周して、
照れ臭い言葉や気恥ずかしい言葉なんかを思い付いたんだろうな。
そういや澪と私の部屋で二人きりになるのは、久し振りだと思ってさ。
最近は澪の部屋の方にばっか行ってたじゃん?」
「そう……だな。
ごめん……」
澪の顔が少し曇る。
部屋の中に閉じこもってた自分を思い出したんだろう。
それでも、だからこそ、私は澪に向けて微笑んだ。
そんな事は気にしなくていいんだって。
むしろ私の我儘の方を責めてくれていいんだって。
そう澪に伝えられるように。
「謝んなくてもいいって。
私の方こそ、何度も澪の部屋に押し掛けちゃっててごめんな。
何か他にしたい事があったんだったら悪かったな、って今更だけど思ってる。
だから、それはごめんな」
私の言葉に澪が目を伏せる。
でも、表情が暗くなったわけじゃないし、
よく見ると少しだけ顔が赤くなってるのも分かる。
きっと何かを言おうとしてくれてるんだけど、
何を言えばいいのか迷って、それが頭の中で一周して、
照れ臭い言葉や気恥ずかしい言葉なんかを思い付いたんだろうな。
318: にゃんこ 2011/07/02(土) 03:37:50.09 ID:LzvfiuWO0
『終末宣言』前の私だったら、そんな澪をからかったりしてたんだろう。
でも、今日はそんな気分は起きなかった。
そんな普段と変わらない澪の姿に私は安心した。
これでいいんだって、思えたんだ。
「いいんだよ、律。
謝らなくてもいい……、ううん、謝らないでほしい。
だって……、私、嬉しかったんだよ?」
澪が顔を赤くして目を伏せたままで、
私よりも大きいくせに物凄く縮こまって、それでも想いを言葉にしてくれた。
「一ヶ月前……にさ……。
世界が終わっちゃうって聞いて、本当に恐かったんだ……。
自分でもおかしいと思うけど、外に出るのが恐かったんだよ。
家の中に居ても何も変わんないって分かってるのにさ……。
でも恐くて……、本当に恐くて……さ。
分かってても、外に出られない自分がまた情けなくて、ずっと泣いてた。
律が来てくれなかったら、多分まだ泣いてたと思う」
「私の方こそ……」
こんな事を言うつもりはなかった。
こんな事を言ったら、澪に呆れられると思ってたから、ずっと言わずにいようって思ってた。
でも、気が付けば、言葉にしてた。
呆れられても、軽蔑されても、澪には聞いてほしい事だったのかもしれない。
でも、今日はそんな気分は起きなかった。
そんな普段と変わらない澪の姿に私は安心した。
これでいいんだって、思えたんだ。
「いいんだよ、律。
謝らなくてもいい……、ううん、謝らないでほしい。
だって……、私、嬉しかったんだよ?」
澪が顔を赤くして目を伏せたままで、
私よりも大きいくせに物凄く縮こまって、それでも想いを言葉にしてくれた。
「一ヶ月前……にさ……。
世界が終わっちゃうって聞いて、本当に恐かったんだ……。
自分でもおかしいと思うけど、外に出るのが恐かったんだよ。
家の中に居ても何も変わんないって分かってるのにさ……。
でも恐くて……、本当に恐くて……さ。
分かってても、外に出られない自分がまた情けなくて、ずっと泣いてた。
律が来てくれなかったら、多分まだ泣いてたと思う」
「私の方こそ……」
こんな事を言うつもりはなかった。
こんな事を言ったら、澪に呆れられると思ってたから、ずっと言わずにいようって思ってた。
でも、気が付けば、言葉にしてた。
呆れられても、軽蔑されても、澪には聞いてほしい事だったのかもしれない。
319: にゃんこ 2011/07/02(土) 03:47:58.39 ID:LzvfiuWO0
「私もさ……。
澪が部屋から出てきてくれなかったら、ずっと泣いてたかもな……」
「律……も……?」
澪が顔を上げて、意外そうな顔で私を見上げる。
その表情は何故か少し嬉しそうに見えた。
「何だよ。そんなに意外か?
私だってそんなに図太いわけじゃないんだぜ?
恐いものは恐いし、泣く時は泣いてるじゃんか。
それに今だから言うけどさ、本当はずっと恐かったんだ。
私が澪の迷惑になってたら、どうしよう……ってさ」
「迷惑って……、何で?」
「断っておくけど、今だからだぞ?
今だから言う事だぞ。この事、誰にも言うなよ?」
「分かったってば」
「ほら、小さい頃からさ。
私って結構、澪を引っ張ってたじゃん?
軽音部だって、私が引っ張る形で澪に入ってもらったわけだし。
……入りたかったんだろ、文芸部」
「そりゃ入ろうとは思ってたけど……。
と言うか、よく覚えてるな、私が文芸部に入ろうとしてたこと」
澪が部屋から出てきてくれなかったら、ずっと泣いてたかもな……」
「律……も……?」
澪が顔を上げて、意外そうな顔で私を見上げる。
その表情は何故か少し嬉しそうに見えた。
「何だよ。そんなに意外か?
私だってそんなに図太いわけじゃないんだぜ?
恐いものは恐いし、泣く時は泣いてるじゃんか。
それに今だから言うけどさ、本当はずっと恐かったんだ。
私が澪の迷惑になってたら、どうしよう……ってさ」
「迷惑って……、何で?」
「断っておくけど、今だからだぞ?
今だから言う事だぞ。この事、誰にも言うなよ?」
「分かったってば」
「ほら、小さい頃からさ。
私って結構、澪を引っ張ってたじゃん?
軽音部だって、私が引っ張る形で澪に入ってもらったわけだし。
……入りたかったんだろ、文芸部」
「そりゃ入ろうとは思ってたけど……。
と言うか、よく覚えてるな、私が文芸部に入ろうとしてたこと」
320: にゃんこ 2011/07/02(土) 03:55:38.61 ID:LzvfiuWO0
「覚えてるよ。
澪との事は……、全部覚えてるよ。
澪との事だもんな」
「真顔で恥ずかしい嘘を言うな」
少し笑って、澪が私の胸を軽く叩いた。
私は頭を掻きながら、それについては笑って誤魔化した。
でも、全部覚えてるってのは流石に嘘だけど、
文芸部の事についてはずっと気に掛かってたのは確かだった。
小さな頃から、澪にはずっと私の我儘に付き合ってもらってた。
嫌な顔もせずに……は言い過ぎか、
だけど、嫌な顔をしながらも、澪は私の我儘に付き合ってくれていた。
軽音部に入ってくれた事もそうだし、
今、こんな時期に学校に来てくれてる事だって……。
澪との事は……、全部覚えてるよ。
澪との事だもんな」
「真顔で恥ずかしい嘘を言うな」
少し笑って、澪が私の胸を軽く叩いた。
私は頭を掻きながら、それについては笑って誤魔化した。
でも、全部覚えてるってのは流石に嘘だけど、
文芸部の事についてはずっと気に掛かってたのは確かだった。
小さな頃から、澪にはずっと私の我儘に付き合ってもらってた。
嫌な顔もせずに……は言い過ぎか、
だけど、嫌な顔をしながらも、澪は私の我儘に付き合ってくれていた。
軽音部に入ってくれた事もそうだし、
今、こんな時期に学校に来てくれてる事だって……。
325: にゃんこ 2011/07/05(火) 22:49:08.40 ID:DuUAFoKR0
私はどれだけ澪に頼ってきたんだろう。
私はどれだけ澪に迷惑を掛けてきたんだろう。
残り少ない時間、迷惑を掛け続けていいわけがない。
本当はこれからも傍にいたかったけど……、
こんな負い目を感じたままで一緒にいちゃいけないんだ。
だから、私は本当の事を伝えようと口を開いたんだ。
「文芸部の事もそうだけどさ。
今だってそうなんだよ。
迷惑掛けてるんじゃないかって、そう思うんだ。
なあ、だから、今更だけど……、聞いておきたいんだよ。
澪はさ、世界の終わりまで……」
言葉が止まる。
喉が渇く。
手足が震えて、全身が震えて、私の言葉が止められてしまう。
本当は聞かなくてもいい事。
聞かずにいれば、気付かないふりをすれば、私達はこのままでいられる。
それでもいいんじゃないか、と考えてしまう。
逃げたって悪くないじゃないか。
逃げ出したからって、誰も私を責めたりしないだろう。
だけど、その逃げた先の私達の関係は、何もかも誤魔化した関係だ。
今だって誤魔化してる。それを死ぬまで続ける事になる。
それが嫌だから、私は勇気を出すんだろう?
私は唾を飲み込んで、拳を握り締めて、言葉を続ける。
私の言葉を待ってくれている大切な幼馴染みに向けて。
私はどれだけ澪に迷惑を掛けてきたんだろう。
残り少ない時間、迷惑を掛け続けていいわけがない。
本当はこれからも傍にいたかったけど……、
こんな負い目を感じたままで一緒にいちゃいけないんだ。
だから、私は本当の事を伝えようと口を開いたんだ。
「文芸部の事もそうだけどさ。
今だってそうなんだよ。
迷惑掛けてるんじゃないかって、そう思うんだ。
なあ、だから、今更だけど……、聞いておきたいんだよ。
澪はさ、世界の終わりまで……」
言葉が止まる。
喉が渇く。
手足が震えて、全身が震えて、私の言葉が止められてしまう。
本当は聞かなくてもいい事。
聞かずにいれば、気付かないふりをすれば、私達はこのままでいられる。
それでもいいんじゃないか、と考えてしまう。
逃げたって悪くないじゃないか。
逃げ出したからって、誰も私を責めたりしないだろう。
だけど、その逃げた先の私達の関係は、何もかも誤魔化した関係だ。
今だって誤魔化してる。それを死ぬまで続ける事になる。
それが嫌だから、私は勇気を出すんだろう?
私は唾を飲み込んで、拳を握り締めて、言葉を続ける。
私の言葉を待ってくれている大切な幼馴染みに向けて。
326: にゃんこ 2011/07/05(火) 22:51:08.25 ID:DuUAFoKR0
「世界の終わりまで……、終わりまでさ……、
他に過ごしたい誰かはいないのか……?」
私は言ってしまった。
今の私達の関係を終わりにしてしまうかもしれないその言葉を。
だけど、不思議と後悔はなかった。
ずっと聞きたかった事だったからだ。
世界が終わるからってだけじゃない。本当はずっと聞きたかった。
聞きたかったけど、恐くて聞けずにいた。
もしも、私の存在を澪が迷惑に感じていたとしたら、
そんな答えを澪の口から聞いてしまったら、
私は……、私は……。
でも、もう誤魔化したくはないから。
自分の気持ちもそうだし、澪にも自分の気持ちを誤魔化してほしくなかったから。
今は一歩を踏み出すべき時なんだ。
「他に過ごしたい人って……?」
澪が静かな声で私に訊ねる。
そう言った澪の表情は分からない。
私は視線を足下に落としたままで、隣の澪の表情なんてとても見られない。
それでも、どうにか口だけは動かした。
他に過ごしたい誰かはいないのか……?」
私は言ってしまった。
今の私達の関係を終わりにしてしまうかもしれないその言葉を。
だけど、不思議と後悔はなかった。
ずっと聞きたかった事だったからだ。
世界が終わるからってだけじゃない。本当はずっと聞きたかった。
聞きたかったけど、恐くて聞けずにいた。
もしも、私の存在を澪が迷惑に感じていたとしたら、
そんな答えを澪の口から聞いてしまったら、
私は……、私は……。
でも、もう誤魔化したくはないから。
自分の気持ちもそうだし、澪にも自分の気持ちを誤魔化してほしくなかったから。
今は一歩を踏み出すべき時なんだ。
「他に過ごしたい人って……?」
澪が静かな声で私に訊ねる。
そう言った澪の表情は分からない。
私は視線を足下に落としたままで、隣の澪の表情なんてとても見られない。
それでも、どうにか口だけは動かした。
327: にゃんこ 2011/07/05(火) 22:52:38.98 ID:DuUAFoKR0
「えっと、ほら……、あのさ……。
私、いつも澪に付き合ってもらってて……。
軽音部に入ってくれた事も、ずっと傍にいてくれた事も、
楽しくて、嬉しくて、本当に感謝してる……んだけど……。
でも……、でもさ……。
澪は本当にそれでよかったのかなって、
考え出したら申し訳なくなってきて……。
それで……、えっと……」
言葉がまとまらない。
頭の中が色んな言葉が渦巻いて、混乱して、ぐちゃぐちゃになっちゃってる。
こんなんで本当に私の気持ちは伝わるのか?
でも、もう途中で言葉を止めるわけにもいかなかった。
「今だってそうだよ。
『終末宣言』の後さ……、
澪は別に自分の家にいてもよかったんじゃないかって思っちゃうんだ。
もうすぐ世界が終わるなら、
澪の好きなように過ごさせるべきだったんじゃないかって……。
それを私が私の都合で、私の我儘で無理矢理に連れ出しちゃって、
澪はこんな時期まで私に付き合ってくれて、それが嬉しくて、それが申し訳なくて……。
だから……、今更だけど聞かせてくれ。
澪はこれから世界の終わりまで、誰か他に過ごしたい人はいないか……?
何か他にしたい事はないのか……?
私に遠慮せずに正直に言ってくれ。
澪が他の誰かと過ごしたいなら、私はそれを止めない。止められないよ……。
軽音部の事も気にしなくていいから、本当の事を言ってほしい。
最後のライブだって何とかする。
だから……」
上手く伝えられなかったのは自分でも分かってる。
我ながら酷い言い回しだ。
だけど、これまで恐くて言えなかった言葉は、全部言えたと思う。
もう後戻りはできない。
後は澪が出す答えを、どんなに辛くても受け止めるだけなんだ。
私、いつも澪に付き合ってもらってて……。
軽音部に入ってくれた事も、ずっと傍にいてくれた事も、
楽しくて、嬉しくて、本当に感謝してる……んだけど……。
でも……、でもさ……。
澪は本当にそれでよかったのかなって、
考え出したら申し訳なくなってきて……。
それで……、えっと……」
言葉がまとまらない。
頭の中が色んな言葉が渦巻いて、混乱して、ぐちゃぐちゃになっちゃってる。
こんなんで本当に私の気持ちは伝わるのか?
でも、もう途中で言葉を止めるわけにもいかなかった。
「今だってそうだよ。
『終末宣言』の後さ……、
澪は別に自分の家にいてもよかったんじゃないかって思っちゃうんだ。
もうすぐ世界が終わるなら、
澪の好きなように過ごさせるべきだったんじゃないかって……。
それを私が私の都合で、私の我儘で無理矢理に連れ出しちゃって、
澪はこんな時期まで私に付き合ってくれて、それが嬉しくて、それが申し訳なくて……。
だから……、今更だけど聞かせてくれ。
澪はこれから世界の終わりまで、誰か他に過ごしたい人はいないか……?
何か他にしたい事はないのか……?
私に遠慮せずに正直に言ってくれ。
澪が他の誰かと過ごしたいなら、私はそれを止めない。止められないよ……。
軽音部の事も気にしなくていいから、本当の事を言ってほしい。
最後のライブだって何とかする。
だから……」
上手く伝えられなかったのは自分でも分かってる。
我ながら酷い言い回しだ。
だけど、これまで恐くて言えなかった言葉は、全部言えたと思う。
もう後戻りはできない。
後は澪が出す答えを、どんなに辛くても受け止めるだけなんだ。
328: にゃんこ 2011/07/05(火) 23:08:17.84 ID:DuUAFoKR0
澪はしばらく何も言わなかった。
澪はどんな表情をしてるんだろう。
私の今更な質問に怒ってるんだろうか。悲しんでるんだろうか。
だけど、澪がどんな表情をしていても、私はそれを受け止めないといけない。
足下にやっていた視線を少しずつ上げていく。
恐い。逃げ出したい。身体中が震えてしまう。
それでも、私は何とか顔を上げて、隣にいる澪の方に視線を向けた。
「やっとこっちを向いてくれたな、馬鹿律」
そう言った澪の顔は静かに微笑んでくれていた。
私が我儘を言った時や私が失敗してしまった時、
そんな時にいつも澪が見せてくれる優しい笑顔だった。
「何を気にしてるんだよ、律。
律の言うとおり文芸部には入りたかったし、終末まで家に閉じこもってもいたかったよ。
でも、それを律が引っ張ってくれたんじゃないか。
私は律に引っ張られて軽音部に入ったし、
律に引っ張られて終末の前に最後のライブをやる事にしたんだ。
それは律のせいでもあるけど、それ以上に律のおかげなんだよ」
「私の……おかげ……?」
「成り行きで入部する事になった軽音部だけど、私はそれを後悔してないよ。
終末の事だって、律のおかげで最後まで頑張ろうって思えたんだ。
すごく恐かったけど、律のおかげで恐いままじゃなくなったんだ。
全部、律のおかげなんだよ。
だからさ、他に過ごしたい誰かなんていないんだ。
そんな寂しい事を言わないでくれよ、律。
終末まで一緒に過ごしたいのは、軽音部の皆なんだから……」
澪はどんな表情をしてるんだろう。
私の今更な質問に怒ってるんだろうか。悲しんでるんだろうか。
だけど、澪がどんな表情をしていても、私はそれを受け止めないといけない。
足下にやっていた視線を少しずつ上げていく。
恐い。逃げ出したい。身体中が震えてしまう。
それでも、私は何とか顔を上げて、隣にいる澪の方に視線を向けた。
「やっとこっちを向いてくれたな、馬鹿律」
そう言った澪の顔は静かに微笑んでくれていた。
私が我儘を言った時や私が失敗してしまった時、
そんな時にいつも澪が見せてくれる優しい笑顔だった。
「何を気にしてるんだよ、律。
律の言うとおり文芸部には入りたかったし、終末まで家に閉じこもってもいたかったよ。
でも、それを律が引っ張ってくれたんじゃないか。
私は律に引っ張られて軽音部に入ったし、
律に引っ張られて終末の前に最後のライブをやる事にしたんだ。
それは律のせいでもあるけど、それ以上に律のおかげなんだよ」
「私の……おかげ……?」
「成り行きで入部する事になった軽音部だけど、私はそれを後悔してないよ。
終末の事だって、律のおかげで最後まで頑張ろうって思えたんだ。
すごく恐かったけど、律のおかげで恐いままじゃなくなったんだ。
全部、律のおかげなんだよ。
だからさ、他に過ごしたい誰かなんていないんだ。
そんな寂しい事を言わないでくれよ、律。
終末まで一緒に過ごしたいのは、軽音部の皆なんだから……」
329: にゃんこ 2011/07/05(火) 23:09:18.41 ID:DuUAFoKR0
語り過ぎたと思ったのか、澪は赤くなって、
だけど、私から視線を逸らさなかった。
私も澪から視線を逸らさなかった。逸らしたくなかった。
二人の視線が合って、二人でお互いの気持ちを確かめ合ってたんだと思う。
でも、そんな事をしなくても分かり切ってた。
お互いに本音を伝え合ってるって事を。
気が付けば、私は小さく笑ってしまっていた。
澪の様子がおかしかったわけじゃない。
自分のしてきた事がとても滑稽に思えたんだ。
「あ、何笑ってんだよ、馬鹿律」
「馬鹿って言うなよ、馬鹿澪」
そう言いながらも、確かに馬鹿だったな、って思った。
私は何を考えていたんだろう。
考えてみれば、澪の好きにしてほしい、ってのも私の我儘だったかもしれない。
それもまた私の考えの押し付けだったんだ。
澪の事を考えているようで、
本当は自分の中の不安に耐えられなかっただけなんだろう。
自分が嫌われてるかもしれないと思うと、
それをどうにか確かめたくなってしまう時みたいに。
だけど、澪は私のその不安に付き合ってくれた。
また澪は私の我儘に付き合ってくれたんだ。
でも、多分、それでよかった。
勿論、度の過ぎた我儘は問題だろうけど、そういうのが私達の関係なんだろうな。
それをまた申し訳なくは感じたけど、
それ以上に私はそんな澪を幼馴染みに持てて喜ぶべきだと思った。
だけど、私から視線を逸らさなかった。
私も澪から視線を逸らさなかった。逸らしたくなかった。
二人の視線が合って、二人でお互いの気持ちを確かめ合ってたんだと思う。
でも、そんな事をしなくても分かり切ってた。
お互いに本音を伝え合ってるって事を。
気が付けば、私は小さく笑ってしまっていた。
澪の様子がおかしかったわけじゃない。
自分のしてきた事がとても滑稽に思えたんだ。
「あ、何笑ってんだよ、馬鹿律」
「馬鹿って言うなよ、馬鹿澪」
そう言いながらも、確かに馬鹿だったな、って思った。
私は何を考えていたんだろう。
考えてみれば、澪の好きにしてほしい、ってのも私の我儘だったかもしれない。
それもまた私の考えの押し付けだったんだ。
澪の事を考えているようで、
本当は自分の中の不安に耐えられなかっただけなんだろう。
自分が嫌われてるかもしれないと思うと、
それをどうにか確かめたくなってしまう時みたいに。
だけど、澪は私のその不安に付き合ってくれた。
また澪は私の我儘に付き合ってくれたんだ。
でも、多分、それでよかった。
勿論、度の過ぎた我儘は問題だろうけど、そういうのが私達の関係なんだろうな。
それをまた申し訳なくは感じたけど、
それ以上に私はそんな澪を幼馴染みに持てて喜ぶべきだと思った。
330: にゃんこ 2011/07/05(火) 23:10:52.26 ID:DuUAFoKR0
「……悪かったな、澪。
変な事、聞いたりして」
「いいよ。律の気持ち、分かったから。
こう言うのも何だけど、律も不安なんだって分かって、嬉しかったから」
「何だよ、それ。
でも……、ありがとな」
照れ臭くなって私が笑うと、澪も顔を赤らめて笑った。
夕焼けの中の二人。穏やかな時間を過ごせている二人。
もう残り少ない時間だけど、私達はこうして大切な幼馴染みとしていられる。
大切な存在でいられるはずだった。
このままの二人だったなら。
変な事、聞いたりして」
「いいよ。律の気持ち、分かったから。
こう言うのも何だけど、律も不安なんだって分かって、嬉しかったから」
「何だよ、それ。
でも……、ありがとな」
照れ臭くなって私が笑うと、澪も顔を赤らめて笑った。
夕焼けの中の二人。穏やかな時間を過ごせている二人。
もう残り少ない時間だけど、私達はこうして大切な幼馴染みとしていられる。
大切な存在でいられるはずだった。
このままの二人だったなら。
331: にゃんこ 2011/07/05(火) 23:15:21.37 ID:DuUAFoKR0
○
それから私は、澪と最後のライブについて少しだけ話す事にした。
今日会った和にライブの会場を用意してもらっている事は話したけど、
和に口止めされてた事もあって、ライブの日付と会場が講堂だって事は話さなかった。
和が言うには、講堂の使用届自体は完璧に受理したんだけど、
一介の生徒会長程度の権限じゃ、非常時には講堂を会場として用意出来ないかもしれないらしい。
非常時ってのは、世界の終わりの前に災害や暴動が起こった時の事だ。
確かにそんな事が起こってしまったら、講堂でライブなんてとてもできないだろう。
会場が確保できるかどうかの返事は、最低でも予定日の二日前までは待ってほしいとの事だった。
皆をぬか喜びさせたくないから、と和は真剣な表情で言っていた。
別にいいんだけどな、と私は思う。
もしも講堂が使えなくなったとしても和の責任じゃないし、
講堂を用意しようと提案してくれただけでも嬉しかった。
講堂が使えなくたって、唯達だってぬか喜びだなんて思わないだろう。
でも、和としてはそれだけは避けたいらしかった。
少しでも唯が悲しむ可能性のある事はしたくないんだろう。
本当に唯の事が大切なんだな……。
それが何だか嬉しい。
そんなわけで会場と日付については隠しながら、
私は澪と最後のライブについてどうにか話を進める。
「最後のライブか……。
ちゃんと練習してるんだろうな、律?」
言葉は厳しかったけど、そう言った澪の唇の形は笑っていた。
どうもからかってるつもりらしい。
やれやれ。
そういう態度に対しては、私もこのキャラを使わざるを得ない。
332: にゃんこ 2011/07/05(火) 23:17:45.78 ID:DuUAFoKR0
「んまっ、失礼ね、澪ちゃん。
私の練習は完璧でしてよ。
そう言う澪ちゃんこそ、新曲の歌詞は完成してるのかしらん?」
「うっ……」
痛い所を突かれたって感じの表情を澪が見せる。
私は苦笑して、軽く澪の頭に手を置いた。
「おいおい……。
まだ出来ないのか、新曲の歌詞?」
「うん……。
どうしても納得のいく歌詞が書けなくてさ……」
「まあ、曲はもう出来てるし、
歌うのは澪の予定だから焦る事はないんだけど……。
そんなに悩む歌詞なのか?」
「だって、私達の最後の曲じゃないか。
最後に相応しい悔いの無い曲を作りたいんだよ。
私達の集大成って言えるみたいなさ……」
「そっか……」
澪がそう言うんなら、私から言える事は何もなさそうだ。
私は作詞の専門家じゃないし、甘々ながら澪の歌詞は観客に好評なんだ。
私があれこれ言うより、ギリギリまで澪に悩んでもらった方が、いい歌詞ができるだろう。
そうは思ったんけど、私は澪に一つだけ伝える事にした。
伝えた方がいい事だと思ったからだ。
私の練習は完璧でしてよ。
そう言う澪ちゃんこそ、新曲の歌詞は完成してるのかしらん?」
「うっ……」
痛い所を突かれたって感じの表情を澪が見せる。
私は苦笑して、軽く澪の頭に手を置いた。
「おいおい……。
まだ出来ないのか、新曲の歌詞?」
「うん……。
どうしても納得のいく歌詞が書けなくてさ……」
「まあ、曲はもう出来てるし、
歌うのは澪の予定だから焦る事はないんだけど……。
そんなに悩む歌詞なのか?」
「だって、私達の最後の曲じゃないか。
最後に相応しい悔いの無い曲を作りたいんだよ。
私達の集大成って言えるみたいなさ……」
「そっか……」
澪がそう言うんなら、私から言える事は何もなさそうだ。
私は作詞の専門家じゃないし、甘々ながら澪の歌詞は観客に好評なんだ。
私があれこれ言うより、ギリギリまで澪に悩んでもらった方が、いい歌詞ができるだろう。
そうは思ったんけど、私は澪に一つだけ伝える事にした。
伝えた方がいい事だと思ったからだ。
333: にゃんこ 2011/07/05(火) 23:18:22.81 ID:DuUAFoKR0
「なあ、澪」
「どうしたの、律?」
「私には作詞はよく分かんないし、
お節介だとは思うけど言わせてもらうよ。
多分だけどさ……、最後とか集大成とか、
そういう事は考えなくていいんじゃないか?」
「でも……、最後の曲なんだよ?」
「いや、よくあるじゃん?
歌手が「私の集大成としてこの歌詞を書きました!」って言う曲。
ああいう曲って大抵が今までの曲の歌詞をつぎはぎしたり、
完結してた前の曲の続きの曲を蛇足で作ったりで微妙だったりするんだ。
過去の曲に引きずられまくってるんだよな。
お祭り曲としてはアリだと思うけど、そういうのは集大成とは違うと思うんだ」
「それは……、そうかもな。
思い当たる曲は何曲もあるし、作詞してる身としては耳に痛いな……」
「大切なのは過去よりも今なんだって私は思うな。
こう言うのも何だけど、最後の曲とは言っても単なる完全新曲のつもりでいいはずだよ。
前の曲なんて関係なくて、今の自分に作詞できる精一杯の歌詞でいいんだよ」
「驚いた。律も色々と考えてるんだな……」
「ふふふ。もっと褒めたまえ」
「いや、本当にすごいよ、律。
私、そんな事、考えもしなかったから」
珍しく澪が私に賞賛の視線を向けて来る。
自分で「褒めたまえ」と言った身だけど、
そこまで褒められるとどうにも気恥ずかしくなってくる。
頭を掻きながら私はベッドから立ち上がって言った。
「どうしたの、律?」
「私には作詞はよく分かんないし、
お節介だとは思うけど言わせてもらうよ。
多分だけどさ……、最後とか集大成とか、
そういう事は考えなくていいんじゃないか?」
「でも……、最後の曲なんだよ?」
「いや、よくあるじゃん?
歌手が「私の集大成としてこの歌詞を書きました!」って言う曲。
ああいう曲って大抵が今までの曲の歌詞をつぎはぎしたり、
完結してた前の曲の続きの曲を蛇足で作ったりで微妙だったりするんだ。
過去の曲に引きずられまくってるんだよな。
お祭り曲としてはアリだと思うけど、そういうのは集大成とは違うと思うんだ」
「それは……、そうかもな。
思い当たる曲は何曲もあるし、作詞してる身としては耳に痛いな……」
「大切なのは過去よりも今なんだって私は思うな。
こう言うのも何だけど、最後の曲とは言っても単なる完全新曲のつもりでいいはずだよ。
前の曲なんて関係なくて、今の自分に作詞できる精一杯の歌詞でいいんだよ」
「驚いた。律も色々と考えてるんだな……」
「ふふふ。もっと褒めたまえ」
「いや、本当にすごいよ、律。
私、そんな事、考えもしなかったから」
珍しく澪が私に賞賛の視線を向けて来る。
自分で「褒めたまえ」と言った身だけど、
そこまで褒められるとどうにも気恥ずかしくなってくる。
頭を掻きながら私はベッドから立ち上がって言った。
334: にゃんこ 2011/07/05(火) 23:20:04.25 ID:DuUAFoKR0
「そういや、喉乾いてないか?
ずっと話しっぱなしだったしな。
冷蔵庫から何か飲み物持って来るよ。
私はコーラでも飲もうかな」
「えっと、律……」
「分かってるって。澪のは炭酸じゃないやつな」
「なあ、律……」
「澪は紅茶がいいか?
確か缶のやつの買い置きがあったはず……」
「律!」
何だよ、と言おうとしたけど、その言葉が私の口から出てくる事はなかった。
いつの間にか背中にとても柔らかい感触を感じていたからだ。
澪に抱き付かれたんだと気付いたのは、十秒くらい経ってからの事だった。
別に澪に抱き付かれる事自体は珍しい事じゃない。
基本は恐がりな澪だ。何かあればよく私に抱き付いてきていた。
面倒ではあったけど、よく抱き付いてくる澪の事を私は嫌いじゃなかった。
澪の身体は柔らくて気持ち良かったし、頼られているんだと思うのは嬉しかった。
でも、今回の抱き付きは違った。
普通なら澪は私の腰かお腹に手を回して抱き付いてくる事が多い。
抱き付きなんだ。そりゃ手を回すのは腰かお腹だろう。
ずっと話しっぱなしだったしな。
冷蔵庫から何か飲み物持って来るよ。
私はコーラでも飲もうかな」
「えっと、律……」
「分かってるって。澪のは炭酸じゃないやつな」
「なあ、律……」
「澪は紅茶がいいか?
確か缶のやつの買い置きがあったはず……」
「律!」
何だよ、と言おうとしたけど、その言葉が私の口から出てくる事はなかった。
いつの間にか背中にとても柔らかい感触を感じていたからだ。
澪に抱き付かれたんだと気付いたのは、十秒くらい経ってからの事だった。
別に澪に抱き付かれる事自体は珍しい事じゃない。
基本は恐がりな澪だ。何かあればよく私に抱き付いてきていた。
面倒ではあったけど、よく抱き付いてくる澪の事を私は嫌いじゃなかった。
澪の身体は柔らくて気持ち良かったし、頼られているんだと思うのは嬉しかった。
でも、今回の抱き付きは違った。
普通なら澪は私の腰かお腹に手を回して抱き付いてくる事が多い。
抱き付きなんだ。そりゃ手を回すのは腰かお腹だろう。
335: にゃんこ 2011/07/05(火) 23:20:30.36 ID:DuUAFoKR0
今回は違った。何もかもが違った。
澪は私の肩から手を回して、私の背中に全身を預けて抱き付いてきていた。
いや、そうじゃない。
これは抱き付かれたって言うより、抱き締められたって言う方が正しいか。
澪に抱き締められるのも初めてじゃない。
あれは学園祭の時、『ロミオとジュリエット』を演じた時にも澪に抱き締められた事がある。
劇の演出上、抱き合わなきゃいけなかったあの時、確かに私は澪に抱き締められた。
それに関して私は特に何も感じなかった。
劇の配役の事だし、相手が澪なんだ。
抱き締められる事には特に何の抵抗もなかった。
澪も私を抱き締める事について感じるものはないみたいで、
私を抱き締める澪の胸や腕から特別な感情は何も感じなかった。
でも、
これは、
違う。
私には分かる。分かってしまう。
澪は心の底から私を抱き締めている。
腕の中に抱き止めようとしているんだって。
それについて私は何も言えない。
言葉が見つからない。
さっき今生の別れになるかもしれない話を切り出した時よりも、頭が混乱してしまっている。
まさか……、やっぱり……、だけど……。
何も言えない私の様子を不安に感じたんだろう。
澪が震えながら、言葉を絞り出した。
私は背中で澪の震えを感じながら、その言葉を聞いた。
「……行かないでよ」
「……み……お……?」
「行かないで……。
傍にいてよ、律……!」
澪は私の肩から手を回して、私の背中に全身を預けて抱き付いてきていた。
いや、そうじゃない。
これは抱き付かれたって言うより、抱き締められたって言う方が正しいか。
澪に抱き締められるのも初めてじゃない。
あれは学園祭の時、『ロミオとジュリエット』を演じた時にも澪に抱き締められた事がある。
劇の演出上、抱き合わなきゃいけなかったあの時、確かに私は澪に抱き締められた。
それに関して私は特に何も感じなかった。
劇の配役の事だし、相手が澪なんだ。
抱き締められる事には特に何の抵抗もなかった。
澪も私を抱き締める事について感じるものはないみたいで、
私を抱き締める澪の胸や腕から特別な感情は何も感じなかった。
でも、
これは、
違う。
私には分かる。分かってしまう。
澪は心の底から私を抱き締めている。
腕の中に抱き止めようとしているんだって。
それについて私は何も言えない。
言葉が見つからない。
さっき今生の別れになるかもしれない話を切り出した時よりも、頭が混乱してしまっている。
まさか……、やっぱり……、だけど……。
何も言えない私の様子を不安に感じたんだろう。
澪が震えながら、言葉を絞り出した。
私は背中で澪の震えを感じながら、その言葉を聞いた。
「……行かないでよ」
「……み……お……?」
「行かないで……。
傍にいてよ、律……!」
340: にゃんこ 2011/07/08(金) 00:33:05.09 ID:scC/KyzD0
澪ちゃんは甘えんぼでちゅねー、とからかう事は出来なかった。
肝試しの時や怪談を話してみた時、色んな場面で澪は私に抱き付いてきた。
その時も澪は震えていたけど、
今回の澪の震えはそのどれよりも強く、心の底から震えてる感じがした。
さっき頼もしい姿で私の弱音を受け止めてくれたのは、強がりだったのか?
いや、それも違う。
あの姿とあの言葉は澪の本音だと思うし、強がってたわけじゃないはずだ。
だけど、今の澪は心底怯えてる様子だ。
という事は、さっきまでの頼もしい姿の真実は、つまり……。
「大丈夫だって、澪。
飲み物取ってくるだけだから。
ほんの少し離れるだけなんだからさ」
私は背中に澪の感触を感じながら囁いた。
そう囁いてあげる以外、どうすればいいかは思い付かなかった。
それにこれでよかったはずだ。
澪の姿を見て、私は一つの事を考えていた。
こう考えるのは、何度も感じてきた事だけど自意識過剰だと思う。
だけど、必要以上に卑屈でいる事も、もうやめるべきなんだろう。
私はあまり自分に自信がないけど……、
自信があるように見せておいて、本当はとても自分に自信が持てないけど……、
でも、分かった。
もう目を逸らさずに、そう考えなきゃいけなかった。
さっき澪が私の前で頼もしい姿を見せられたのは、私の前だったからだ。
私が傍にいたからなんだ。
私が近くにいたから、澪は強い姿の澪でいられた。
私の悩みを吹き飛ばしてくれる頼れる幼馴染みでいられたんだ。
肝試しの時や怪談を話してみた時、色んな場面で澪は私に抱き付いてきた。
その時も澪は震えていたけど、
今回の澪の震えはそのどれよりも強く、心の底から震えてる感じがした。
さっき頼もしい姿で私の弱音を受け止めてくれたのは、強がりだったのか?
いや、それも違う。
あの姿とあの言葉は澪の本音だと思うし、強がってたわけじゃないはずだ。
だけど、今の澪は心底怯えてる様子だ。
という事は、さっきまでの頼もしい姿の真実は、つまり……。
「大丈夫だって、澪。
飲み物取ってくるだけだから。
ほんの少し離れるだけなんだからさ」
私は背中に澪の感触を感じながら囁いた。
そう囁いてあげる以外、どうすればいいかは思い付かなかった。
それにこれでよかったはずだ。
澪の姿を見て、私は一つの事を考えていた。
こう考えるのは、何度も感じてきた事だけど自意識過剰だと思う。
だけど、必要以上に卑屈でいる事も、もうやめるべきなんだろう。
私はあまり自分に自信がないけど……、
自信があるように見せておいて、本当はとても自分に自信が持てないけど……、
でも、分かった。
もう目を逸らさずに、そう考えなきゃいけなかった。
さっき澪が私の前で頼もしい姿を見せられたのは、私の前だったからだ。
私が傍にいたからなんだ。
私が近くにいたから、澪は強い姿の澪でいられた。
私の悩みを吹き飛ばしてくれる頼れる幼馴染みでいられたんだ。
341: にゃんこ 2011/07/08(金) 00:35:35.13 ID:scC/KyzD0
だからこそ、今の澪は震えてるんだ。
怯え切って、私を行かせまいと私に縋り付いているんだ。
一人になってしまったら強い自分でいられなくなるから。
世界の終わりが恐ろしくて、居ても立ってもいられなくなるからだ。
その気持ちは私にもよく分かる。私だからこそよく分かる。
私も澪と同じだった。
流石に誰かと一瞬でも離れたくないほど怯えてたわけじゃないけど、
私だって世界の終わりが恐かったし、自分が死んでしまう事が嫌だった。
だから、澪に傍にいてもらいたくて、学校に連れ出したんだ。
澪にはそれに無理に付き合ってもらってるんだって、私はさっきまで思ってた。
それが負い目で、それが辛くて、
もう無理に付き合ってくれなくてもいいって、なけなしの勇気で澪に切り出した。
でも、澪は顔を横に振ってくれた。
他に過ごしたい誰かなんかいない。
最後まで一緒に過ごしたいのは軽音部の皆だって言ってくれた。
それはとても嬉しかったけど……。
違ったのか?
本当に一人でいる事が恐くて耐えられないのは、
私じゃなくて澪だったのか?
私が澪を必要とするよりも、澪の方がずっと私を必要としてたのか?
私は自分に自信が持てなくて、そう考えないようにしてた。
自分が誰かに必要にされるなんて、そんなの恥ずかしくて考えられなかった。
特に前に和と澪の仲の良さを見て、つい嫌な気分になって皆に迷惑を掛けちゃった私だ。
あれ以来、自分が澪に必要な人間だなんて、出来るだけ考えないようにしてたしな。
勿論、誰かに……、それも澪に必要にされる事が嫌なわけがない。
本当に嬉しい。
どうにか澪を助けてあげたい。
澪が私を支えてくれたみたいに、私も澪を支えてあげられたら……。
そう思えたから、私はもう一言だけ澪に伝えられた。
「大丈夫。傍にいるよ。
世界の終わりまで、もう澪が嫌だって言っても傍にいるぞ?
だからさ、そんなに抱き付かなくっても大丈夫だって」
恥ずかしい言葉だった気は自分でもする。
でも、それが私の本音だったし、今はそんな言葉を言ってもいい時だったと思う。
その私の言葉は、全部は無理だったけれど、
少しは私の後ろの澪の震えを弱めてあげられたみたいだった。
震えより柔らかさの方が気になるくらいになった頃、
落ち着いた声色を取り戻した澪は私の耳元で小さく囁いた。
怯え切って、私を行かせまいと私に縋り付いているんだ。
一人になってしまったら強い自分でいられなくなるから。
世界の終わりが恐ろしくて、居ても立ってもいられなくなるからだ。
その気持ちは私にもよく分かる。私だからこそよく分かる。
私も澪と同じだった。
流石に誰かと一瞬でも離れたくないほど怯えてたわけじゃないけど、
私だって世界の終わりが恐かったし、自分が死んでしまう事が嫌だった。
だから、澪に傍にいてもらいたくて、学校に連れ出したんだ。
澪にはそれに無理に付き合ってもらってるんだって、私はさっきまで思ってた。
それが負い目で、それが辛くて、
もう無理に付き合ってくれなくてもいいって、なけなしの勇気で澪に切り出した。
でも、澪は顔を横に振ってくれた。
他に過ごしたい誰かなんかいない。
最後まで一緒に過ごしたいのは軽音部の皆だって言ってくれた。
それはとても嬉しかったけど……。
違ったのか?
本当に一人でいる事が恐くて耐えられないのは、
私じゃなくて澪だったのか?
私が澪を必要とするよりも、澪の方がずっと私を必要としてたのか?
私は自分に自信が持てなくて、そう考えないようにしてた。
自分が誰かに必要にされるなんて、そんなの恥ずかしくて考えられなかった。
特に前に和と澪の仲の良さを見て、つい嫌な気分になって皆に迷惑を掛けちゃった私だ。
あれ以来、自分が澪に必要な人間だなんて、出来るだけ考えないようにしてたしな。
勿論、誰かに……、それも澪に必要にされる事が嫌なわけがない。
本当に嬉しい。
どうにか澪を助けてあげたい。
澪が私を支えてくれたみたいに、私も澪を支えてあげられたら……。
そう思えたから、私はもう一言だけ澪に伝えられた。
「大丈夫。傍にいるよ。
世界の終わりまで、もう澪が嫌だって言っても傍にいるぞ?
だからさ、そんなに抱き付かなくっても大丈夫だって」
恥ずかしい言葉だった気は自分でもする。
でも、それが私の本音だったし、今はそんな言葉を言ってもいい時だったと思う。
その私の言葉は、全部は無理だったけれど、
少しは私の後ろの澪の震えを弱めてあげられたみたいだった。
震えより柔らかさの方が気になるくらいになった頃、
落ち着いた声色を取り戻した澪は私の耳元で小さく囁いた。
342: にゃんこ 2011/07/08(金) 00:36:20.98 ID:scC/KyzD0
「ごめん……。
ありがとう、律……。
何だかすごく不安になっちゃって。
私の隣から律が離れるのがすごく恐くて、行ってほしくなくて……。
こんな急に……、ごめん……」
「いいよ」
「傍に……、いてくれる?」
「いるよ」
私が言うと、澪はしばらく黙った。
私達二人には珍しい沈黙の時間。
でも、それが嫌じゃない。
澪は私から身体を離しはしなかったけど、
それでも震えを少しずつ弱めていって、その内に完全に震えを感じなくなった。
腕の力は弱めずに、少し強く私を抱き締めたままで澪が続ける。
「考えてみたら、私って律に抱き付いてばっかりだよな……」
「もう慣れたから気にすんなって。
でも、気を付けろよ?
相手が私だからいいけど、間違って男子になんか抱き付いてみろ。
澪は美人さんだからな、一発で恋されちゃうぞ?」
「美人……かな……」
「ファンクラブもある澪さんが何をおっしゃる。
間違いなく美人だよ、澪は。
いいよなー。羨ましいよ。
私が男子に抱き付いたりした日にゃ、「さば折りかと思った」とか言われる有様だし」
「……っ!
男子に抱き付いた事……、あるの……?」
「いや、ないけど。
同じ学校のおまえに言う事じゃないけど、うち女子高じゃんか。
単なる予測だよ、予測」
「びっくりさせるなよ……」
「そんな驚く事じゃないだろ、失礼な奴だな。
くそー、今に見てろよ。
私だって澪が羨ましがるようなセレブリティなイケてるメンズを彼氏に……、って、痛!」
ありがとう、律……。
何だかすごく不安になっちゃって。
私の隣から律が離れるのがすごく恐くて、行ってほしくなくて……。
こんな急に……、ごめん……」
「いいよ」
「傍に……、いてくれる?」
「いるよ」
私が言うと、澪はしばらく黙った。
私達二人には珍しい沈黙の時間。
でも、それが嫌じゃない。
澪は私から身体を離しはしなかったけど、
それでも震えを少しずつ弱めていって、その内に完全に震えを感じなくなった。
腕の力は弱めずに、少し強く私を抱き締めたままで澪が続ける。
「考えてみたら、私って律に抱き付いてばっかりだよな……」
「もう慣れたから気にすんなって。
でも、気を付けろよ?
相手が私だからいいけど、間違って男子になんか抱き付いてみろ。
澪は美人さんだからな、一発で恋されちゃうぞ?」
「美人……かな……」
「ファンクラブもある澪さんが何をおっしゃる。
間違いなく美人だよ、澪は。
いいよなー。羨ましいよ。
私が男子に抱き付いたりした日にゃ、「さば折りかと思った」とか言われる有様だし」
「……っ!
男子に抱き付いた事……、あるの……?」
「いや、ないけど。
同じ学校のおまえに言う事じゃないけど、うち女子高じゃんか。
単なる予測だよ、予測」
「びっくりさせるなよ……」
「そんな驚く事じゃないだろ、失礼な奴だな。
くそー、今に見てろよ。
私だって澪が羨ましがるようなセレブリティなイケてるメンズを彼氏に……、って、痛!」
343: にゃんこ 2011/07/08(金) 00:37:38.25 ID:scC/KyzD0
急に私を抱き締める澪の腕に力が入って、私はつい叫んでしまう。
正直、かなり苦しい。
単なる冗談なのに、何がそんなに気に入らないんだ。
私はわざと少し不機嫌な声色になって、後ろの澪に不満をぶつけてやる。
「私、何か変な事言ったか?」
「なあ、律……。
一つ聞いて欲しいんだけど……」
「何だよ……。
先に腕の力を緩めてくれよ。ちょっと苦しいぞ……」
「先に聞いてほしいんだ」
「……あ、ああ」
澪の妙に真剣な声に私は頷く事しかできなかった。
澪の言葉を聞かなきゃいけないと思った。
その時、私には一つの予感があったからだ。
できる限りだけど目を逸らす事をやめて、
目の前の事を受け入れようと思った私が正面から向かい合わないといけない問題。
その問題と向き合う時が目前に迫ってるって予感が。
「さっき律は間違えて誰かに抱き付くなって言った」
「……言ったな」
「でも、私は他の誰かに抱き付いたりなんかしないよ。
私が抱き付くのは、律だけだから。
いや、違うか。
抱き付くくらいなら、女子限定だけど誰かにする事はあるかもしれない。
でも……、私が自分の意志で、自分から抱き締めるのは律だけなんだ」
正直、かなり苦しい。
単なる冗談なのに、何がそんなに気に入らないんだ。
私はわざと少し不機嫌な声色になって、後ろの澪に不満をぶつけてやる。
「私、何か変な事言ったか?」
「なあ、律……。
一つ聞いて欲しいんだけど……」
「何だよ……。
先に腕の力を緩めてくれよ。ちょっと苦しいぞ……」
「先に聞いてほしいんだ」
「……あ、ああ」
澪の妙に真剣な声に私は頷く事しかできなかった。
澪の言葉を聞かなきゃいけないと思った。
その時、私には一つの予感があったからだ。
できる限りだけど目を逸らす事をやめて、
目の前の事を受け入れようと思った私が正面から向かい合わないといけない問題。
その問題と向き合う時が目前に迫ってるって予感が。
「さっき律は間違えて誰かに抱き付くなって言った」
「……言ったな」
「でも、私は他の誰かに抱き付いたりなんかしないよ。
私が抱き付くのは、律だけだから。
いや、違うか。
抱き付くくらいなら、女子限定だけど誰かにする事はあるかもしれない。
でも……、私が自分の意志で、自分から抱き締めるのは律だけなんだ」
344: にゃんこ 2011/07/08(金) 00:39:03.98 ID:scC/KyzD0
どういう意味?
って聞くのも不躾だろうし、もう今更過ぎる気もした。
澪の言いたい事は、さっき分かったんだ。
いや、分かってたんだ。自分で見ないようにしてただけで。
私はそれに応えないといけない。
また少しだけ二人で黙る。
それは多分、これから向き合わなきゃいけない事があるって、お互いに知ってるからだ。
しばらく経って、後ろの澪がほんの少し震え始めて、でも、強い言葉で澪が言った。
「私は律に傍にいてほしいんだ」
「……傍にいるよ」
「うん……。それは嬉しいけど、そうじゃないんだよ。
私……、私はもっと違った形で律と一緒にいたい。
私は……、律の事が好きだから」
「……私だって好きだよ」
「それは友達として……だよね?
私は、そう……、上手く言えないけど……、そうじゃなくて……。
そう……だな……。えっと……。
例に出すのは変だと思うけど……、
私は律と……、今日見たオカルト研の中の二人みたいになりたいんだ」
って聞くのも不躾だろうし、もう今更過ぎる気もした。
澪の言いたい事は、さっき分かったんだ。
いや、分かってたんだ。自分で見ないようにしてただけで。
私はそれに応えないといけない。
また少しだけ二人で黙る。
それは多分、これから向き合わなきゃいけない事があるって、お互いに知ってるからだ。
しばらく経って、後ろの澪がほんの少し震え始めて、でも、強い言葉で澪が言った。
「私は律に傍にいてほしいんだ」
「……傍にいるよ」
「うん……。それは嬉しいけど、そうじゃないんだよ。
私……、私はもっと違った形で律と一緒にいたい。
私は……、律の事が好きだから」
「……私だって好きだよ」
「それは友達として……だよね?
私は、そう……、上手く言えないけど……、そうじゃなくて……。
そう……だな……。えっと……。
例に出すのは変だと思うけど……、
私は律と……、今日見たオカルト研の中の二人みたいになりたいんだ」
349: にゃんこ 2011/07/09(土) 22:09:40.09 ID:VESLlKEp0
オカルト研の中の二人……。
その澪の言葉で最初に思い浮かんだのは、裸の二人の姿だった。
いや、それは勿論、単なる分かりやすい例えで、
澪が言いたいのはそういう意味じゃないのは分かってるんだけど、
どうしてもあの裸の二人を思い出してしまう。
仕方ないじゃないか。
忘れるにはまだ時間が全然経ってないし、それくらい衝撃的な光景だったし。
何も言わない私の姿を見て、澪も自分が何を言ったのか気付いたんだろう。
顔が見えないから分からないけど、多分顔を真っ赤にしながら焦って訂正した。
「いや、オカルト研の中の二人っていうのは、違くて……。
そういう意味じゃなくて……。
あ、でも……、そういう意味に、なっちゃう……のかな……。
私は律が好きで……、
友達よりも……、親友よりも深い関係になりたくて……。
つまり……ね?
それは……、恋人……って事に……なる……のかな。
恋人……って事はやっぱりあのオカルト研の中の二人みたいに……。
いや、でもでも……」
私の後ろで澪はまた自分の発言の恥ずかしさに悶え始める。
私も何だか顔中が熱くなるのを感じながら、
澪の言った事を頭の中で何度も噛み締めていた。
律と恋人になりたい。
はっきりと言ったわけじゃないけど、澪はそういう意味の事を言った。
多分、私はその澪の言葉が嬉しかったと思う。
赤くなってるんだろう自分の顔を隠したくなるくらい、
澪に悟られないように自分の震えを止めるのが大変なくらいに、
多分、私は嬉しかった。
でも。
恋人というのがどんな物なのか、私は知らない。
恋愛漫画を読んだ事はあるし、
普通の女子高生より遥かに少ないだろうけど、恋愛モノのドラマも何本か観た事はある。
ただ、大抵の恋愛モノは主人公と相手役の恋模様や修羅場はよく見られるけど、
主人公が相手役を好きになった理由を深く表現した作品は少なかった気がする。
相手役が好みだったからとか、少し優しくしてもらえたからとか、
そんな理由で恋に落ちるもんなのか? って、私は何度も思ったもんだ。
格好いいな、と思う男子も何人かいた事はあるけど、
それだけで恋に落ちた事もないし、男子を恋愛的な意味で好きになった事もなかった。
恋を知らない女……なんて、まるで安い恋愛モノのキャッチフレーズみたいだけど、
そういう意味で私は確かに恋を知らない女なんだよな。
その澪の言葉で最初に思い浮かんだのは、裸の二人の姿だった。
いや、それは勿論、単なる分かりやすい例えで、
澪が言いたいのはそういう意味じゃないのは分かってるんだけど、
どうしてもあの裸の二人を思い出してしまう。
仕方ないじゃないか。
忘れるにはまだ時間が全然経ってないし、それくらい衝撃的な光景だったし。
何も言わない私の姿を見て、澪も自分が何を言ったのか気付いたんだろう。
顔が見えないから分からないけど、多分顔を真っ赤にしながら焦って訂正した。
「いや、オカルト研の中の二人っていうのは、違くて……。
そういう意味じゃなくて……。
あ、でも……、そういう意味に、なっちゃう……のかな……。
私は律が好きで……、
友達よりも……、親友よりも深い関係になりたくて……。
つまり……ね?
それは……、恋人……って事に……なる……のかな。
恋人……って事はやっぱりあのオカルト研の中の二人みたいに……。
いや、でもでも……」
私の後ろで澪はまた自分の発言の恥ずかしさに悶え始める。
私も何だか顔中が熱くなるのを感じながら、
澪の言った事を頭の中で何度も噛み締めていた。
律と恋人になりたい。
はっきりと言ったわけじゃないけど、澪はそういう意味の事を言った。
多分、私はその澪の言葉が嬉しかったと思う。
赤くなってるんだろう自分の顔を隠したくなるくらい、
澪に悟られないように自分の震えを止めるのが大変なくらいに、
多分、私は嬉しかった。
でも。
恋人というのがどんな物なのか、私は知らない。
恋愛漫画を読んだ事はあるし、
普通の女子高生より遥かに少ないだろうけど、恋愛モノのドラマも何本か観た事はある。
ただ、大抵の恋愛モノは主人公と相手役の恋模様や修羅場はよく見られるけど、
主人公が相手役を好きになった理由を深く表現した作品は少なかった気がする。
相手役が好みだったからとか、少し優しくしてもらえたからとか、
そんな理由で恋に落ちるもんなのか? って、私は何度も思ったもんだ。
格好いいな、と思う男子も何人かいた事はあるけど、
それだけで恋に落ちた事もないし、男子を恋愛的な意味で好きになった事もなかった。
恋を知らない女……なんて、まるで安い恋愛モノのキャッチフレーズみたいだけど、
そういう意味で私は確かに恋を知らない女なんだよな。
350: にゃんこ 2011/07/09(土) 22:12:18.10 ID:VESLlKEp0
澪の事は好きだ。
幼馴染みで親友だし、澪とはもっと仲良くなりたいっていつも思ってる。
その先に澪との恋愛関係を期待してたのかどうかは分からないけど、
少なくともこれまでも、これからも私の人生から澪を外して考えるのは無理だった。
私の心のずっと深い所に澪がいるし、多分澪の深い所にも私がいる。
もう今生の別れになるような話は二度と切り出したくないし、
澪とはもう離れたくないよ……。
だから、私は澪に言ったんだ。できる限り私の想いが届くように。
「なあ、澪。
手を放してくれないか?」
「えっ……。
ご……ごめんなさい、私……。
律の気持ちも考えずに……、律の迷惑も考えずにこんな……、
ごめ……ん……」
澪が消え入りそうな声で呟いて、私を抱き締めていた手から力を緩める。
今にも泣き出してしまいそうな小さくて震える声。
きっとすごく悲しい顔をしてるんだろう。
でも、私は澪から身体を離して、向き合ってかなり久し振りに澪と顔を合わせて。
行き場を無くした澪の手を取って、できるだけ優しく包み込んで。
伝えられるように。
そうじゃないんだと。
「違うって、澪。
ほら、おまえだけ後ろで私の様子を見られるなんて、ずるいじゃん。
私にも澪の顔を見せてくれよ」
「えっ……」
やっぱりすごく悲しそうな顔をしてた澪が戸惑った表情に変わる。
こんな時に私と顔を合わせるなんて、恥ずかしがり屋の澪には難しい事だろう。
だけど、私は澪と顔を向け合いたかった。
私だって顔が赤い自分を見られる恥ずかしさに耐えてるんだ。
澪にだってその恥ずかしさには耐えてほしい。
まだ何が起こってるのか分からないといった感じで澪が呟く。
幼馴染みで親友だし、澪とはもっと仲良くなりたいっていつも思ってる。
その先に澪との恋愛関係を期待してたのかどうかは分からないけど、
少なくともこれまでも、これからも私の人生から澪を外して考えるのは無理だった。
私の心のずっと深い所に澪がいるし、多分澪の深い所にも私がいる。
もう今生の別れになるような話は二度と切り出したくないし、
澪とはもう離れたくないよ……。
だから、私は澪に言ったんだ。できる限り私の想いが届くように。
「なあ、澪。
手を放してくれないか?」
「えっ……。
ご……ごめんなさい、私……。
律の気持ちも考えずに……、律の迷惑も考えずにこんな……、
ごめ……ん……」
澪が消え入りそうな声で呟いて、私を抱き締めていた手から力を緩める。
今にも泣き出してしまいそうな小さくて震える声。
きっとすごく悲しい顔をしてるんだろう。
でも、私は澪から身体を離して、向き合ってかなり久し振りに澪と顔を合わせて。
行き場を無くした澪の手を取って、できるだけ優しく包み込んで。
伝えられるように。
そうじゃないんだと。
「違うって、澪。
ほら、おまえだけ後ろで私の様子を見られるなんて、ずるいじゃん。
私にも澪の顔を見せてくれよ」
「えっ……」
やっぱりすごく悲しそうな顔をしてた澪が戸惑った表情に変わる。
こんな時に私と顔を合わせるなんて、恥ずかしがり屋の澪には難しい事だろう。
だけど、私は澪と顔を向け合いたかった。
私だって顔が赤い自分を見られる恥ずかしさに耐えてるんだ。
澪にだってその恥ずかしさには耐えてほしい。
まだ何が起こってるのか分からないといった感じで澪が呟く。
351: にゃんこ 2011/07/09(土) 22:18:04.29 ID:VESLlKEp0
「り……つ……?
えっと……、私は……ごめん、その……」
「私はさ、澪の事が好きだよ」
「えっ……」
澪が驚いた表情に変わる。
まさかそんな事を言われるなんて思ってなかったんだろうか。
確かに私も自分の口からそんな言葉が出るなんて思ってなかった。
でも、その私の言葉に嘘はなかった。
私は澪が好きだ。大好きだ。
それが恋愛感情なのかどうかは分からないけど、
私と恋愛関係になりたいと、あの恥ずかしがり屋の澪が言ってくれた。
だから、私は澪の気持ちに応えていいんだと思った。
「澪は私の恋人になってくれるんだろ?」
「……いいの?」
「いいよ。
……澪こそいいのかよ、私なんかで。
もっと素敵な誰かは他にたくさんいるだろ……?」
そうだ。
澪には私なんかより他に相応しい相手がいるはずだ。
ずっとそう思ってた。
だから、こんな世界の終わりを間近にして、
私なんかが澪の傍にいていいのかって思えてしまって辛かった。
でも、澪は言ってくれた。
私の両手を握り返して、伝えてくれた。
「ううん……、そんな人なんていないし、
例えどんなに素敵な人がたくさんいたとしても、
私は……、その誰よりも律がいい。律の傍がいい。
律が一番いい」
「そっか……。
ありがとう……」
ずっと近くにいた私と澪。
女同士ではあるけれど、この気持ちに嘘はないはずだ。
私達の結末は恋人同士という関係でいいはずなんだ。
二人とも分かってる。
もう私達には時間が無い。解決してくれる猶予もない。
はっきりとさせないまま世界が終わるって結末に至っていいはずがない。
本当の事を言うと、私は澪の事を恋愛対象として好きなのかまだ分からない。
でも、それでいいんだ。
恋愛モノの作品で、恋に落ちるきっかけが腑に落ちないのも、そういう事のはずなんだ。
恋に落ちるきっかけなんてなくて、愛に理由なんてなくて、
恋人として付き合っていくうちに、本当の恋愛感情を抱くようになるはずなんだ。
もうすぐ世界が終わる。
それまで自分を好きでいてくれる人の気持ちに応え続けるのが、一番いい選択肢だと思ったから。
私は、澪の、恋人になろうと思う。
えっと……、私は……ごめん、その……」
「私はさ、澪の事が好きだよ」
「えっ……」
澪が驚いた表情に変わる。
まさかそんな事を言われるなんて思ってなかったんだろうか。
確かに私も自分の口からそんな言葉が出るなんて思ってなかった。
でも、その私の言葉に嘘はなかった。
私は澪が好きだ。大好きだ。
それが恋愛感情なのかどうかは分からないけど、
私と恋愛関係になりたいと、あの恥ずかしがり屋の澪が言ってくれた。
だから、私は澪の気持ちに応えていいんだと思った。
「澪は私の恋人になってくれるんだろ?」
「……いいの?」
「いいよ。
……澪こそいいのかよ、私なんかで。
もっと素敵な誰かは他にたくさんいるだろ……?」
そうだ。
澪には私なんかより他に相応しい相手がいるはずだ。
ずっとそう思ってた。
だから、こんな世界の終わりを間近にして、
私なんかが澪の傍にいていいのかって思えてしまって辛かった。
でも、澪は言ってくれた。
私の両手を握り返して、伝えてくれた。
「ううん……、そんな人なんていないし、
例えどんなに素敵な人がたくさんいたとしても、
私は……、その誰よりも律がいい。律の傍がいい。
律が一番いい」
「そっか……。
ありがとう……」
ずっと近くにいた私と澪。
女同士ではあるけれど、この気持ちに嘘はないはずだ。
私達の結末は恋人同士という関係でいいはずなんだ。
二人とも分かってる。
もう私達には時間が無い。解決してくれる猶予もない。
はっきりとさせないまま世界が終わるって結末に至っていいはずがない。
本当の事を言うと、私は澪の事を恋愛対象として好きなのかまだ分からない。
でも、それでいいんだ。
恋愛モノの作品で、恋に落ちるきっかけが腑に落ちないのも、そういう事のはずなんだ。
恋に落ちるきっかけなんてなくて、愛に理由なんてなくて、
恋人として付き合っていくうちに、本当の恋愛感情を抱くようになるはずなんだ。
もうすぐ世界が終わる。
それまで自分を好きでいてくれる人の気持ちに応え続けるのが、一番いい選択肢だと思ったから。
私は、澪の、恋人になろうと思う。
352: にゃんこ 2011/07/09(土) 22:19:21.73 ID:VESLlKEp0
澪と無言で見つめ合う。
かなり色の濃くなった夕焼けに二人で照らされる。
二人の顔が赤いのは、その夕焼けのせいだけじゃない。
お互いに恋人になれた気恥ずかしさと緊張に頬を赤く染めながら、
すごく自然に……、誰かに操られるみたいに唇を近付けて……。
………。
瞬間。
何故だか目の前がぼやけた。
水の中にいるみたいに、焦点がはっきりしない。
何が起こったんだ……?
澪の手を握っていた右手を放して、私は自分の目尻を擦ってみる。
それで私はやっと気付いた。
自分が涙を流してる事に。
あれ……?
何でだ……?
どうして私は涙を流してるんだ……?
澪と恋人になれた嬉し涙なのか……?
いや……、違う……? 哀しく……て……?
いいや、駄目だ、泣くな、私!
こんな時に泣いてどうするんだ。
私は澪と恋人になるって決めたんだ。
こんな涙なんて澪に見せられないんだ!
私は急いで何で流れるのか分からない自分の涙を拭って、
もう一度澪と視線を合わせようと瞳を動かして……、
そこでまた気付いた。
澪も涙を流していた。
嬉し涙なんかじゃなく、澪が悲しい時に何度か見せたのと同じ顔で涙を流していた。
二人で、
顔を合わせて、
泣いていた。
どうして泣く?
何で泣いちゃってるんだよ、私達は……!
もう時間が無い私達を、どうして涙なんかが邪魔するんだよ……!
世界が終わるって聞いた時も、
今日の朝に死を実感した時にも流れなかったくせに、どうして……!
どうして、こんな今更……!
かなり色の濃くなった夕焼けに二人で照らされる。
二人の顔が赤いのは、その夕焼けのせいだけじゃない。
お互いに恋人になれた気恥ずかしさと緊張に頬を赤く染めながら、
すごく自然に……、誰かに操られるみたいに唇を近付けて……。
………。
瞬間。
何故だか目の前がぼやけた。
水の中にいるみたいに、焦点がはっきりしない。
何が起こったんだ……?
澪の手を握っていた右手を放して、私は自分の目尻を擦ってみる。
それで私はやっと気付いた。
自分が涙を流してる事に。
あれ……?
何でだ……?
どうして私は涙を流してるんだ……?
澪と恋人になれた嬉し涙なのか……?
いや……、違う……? 哀しく……て……?
いいや、駄目だ、泣くな、私!
こんな時に泣いてどうするんだ。
私は澪と恋人になるって決めたんだ。
こんな涙なんて澪に見せられないんだ!
私は急いで何で流れるのか分からない自分の涙を拭って、
もう一度澪と視線を合わせようと瞳を動かして……、
そこでまた気付いた。
澪も涙を流していた。
嬉し涙なんかじゃなく、澪が悲しい時に何度か見せたのと同じ顔で涙を流していた。
二人で、
顔を合わせて、
泣いていた。
どうして泣く?
何で泣いちゃってるんだよ、私達は……!
もう時間が無い私達を、どうして涙なんかが邪魔するんだよ……!
世界が終わるって聞いた時も、
今日の朝に死を実感した時にも流れなかったくせに、どうして……!
どうして、こんな今更……!
353: にゃんこ 2011/07/09(土) 22:22:16.36 ID:VESLlKEp0
「違……っ。
こんな……泣いてなんか……」
止まらない涙を拭いながら、私はどうにか言い繕おうとする。
涙を流しながら説得力はないけれど、これを涙だと澪に思わせたくなかった。
これは汗なんだ。
単に澪と唇が近付いたから緊張して流れただけの汗なんだ。
どんなに無理があっても、そうでなくちゃいけないんだ。
だけど、やっぱり私のその言葉には無理があった。
澪も自分の涙を拭いながら私から手を放すと、
急いで自分の鞄を担いで私の部屋の扉を開けた。
「律、ごめん……」
「澪……、これは違くて……、その……」
「ごめん、今は……、帰らせて……。
本当に……ごめん……」
澪がそう言う以上、私には何もできなかった。
何かをしようにも、私の邪魔をする涙は次から次へと溢れ出て来てしまって、何もできなくなる。
涙の海に溺れて、動き出せなくなる。
部屋から出て行く時、澪は最後に一つだけ言った。
「明日、学校には行けない……。
ごめん……。律を嫌いになったわけじゃ……ない。
でも……、無理……。無理なの……。
こんな時に……、本当にごめんなさい……」
私の部屋の扉が閉まり、私は一人部屋の中に取り残される。
結局、最後まで、意味の分からない二人の涙は止まらなかった。
もうほとんど残されていない私達の時間が、どんどん削ぎ取られていく。
「何だよ……。
何だってんだよ……」
夕焼けが落ちても、
部屋を月明かりが照らすようになっても、
私はベッドに顔を埋めてわけの分からない涙を流し続けた。
何度も、ベッドに拳を叩き付けながら。
こんな……泣いてなんか……」
止まらない涙を拭いながら、私はどうにか言い繕おうとする。
涙を流しながら説得力はないけれど、これを涙だと澪に思わせたくなかった。
これは汗なんだ。
単に澪と唇が近付いたから緊張して流れただけの汗なんだ。
どんなに無理があっても、そうでなくちゃいけないんだ。
だけど、やっぱり私のその言葉には無理があった。
澪も自分の涙を拭いながら私から手を放すと、
急いで自分の鞄を担いで私の部屋の扉を開けた。
「律、ごめん……」
「澪……、これは違くて……、その……」
「ごめん、今は……、帰らせて……。
本当に……ごめん……」
澪がそう言う以上、私には何もできなかった。
何かをしようにも、私の邪魔をする涙は次から次へと溢れ出て来てしまって、何もできなくなる。
涙の海に溺れて、動き出せなくなる。
部屋から出て行く時、澪は最後に一つだけ言った。
「明日、学校には行けない……。
ごめん……。律を嫌いになったわけじゃ……ない。
でも……、無理……。無理なの……。
こんな時に……、本当にごめんなさい……」
私の部屋の扉が閉まり、私は一人部屋の中に取り残される。
結局、最後まで、意味の分からない二人の涙は止まらなかった。
もうほとんど残されていない私達の時間が、どんどん削ぎ取られていく。
「何だよ……。
何だってんだよ……」
夕焼けが落ちても、
部屋を月明かりが照らすようになっても、
私はベッドに顔を埋めてわけの分からない涙を流し続けた。
何度も、ベッドに拳を叩き付けながら。
354: にゃんこ 2011/07/09(土) 22:24:37.13 ID:VESLlKEp0
○
――水曜日
泣いているうちに眠っていたらしい。
気が付けばセットしている携帯のアラームが鳴り響いていた。
アラームを解除して、私は何も考えないようにしながらラジカセの電源を入れる。
軽快な音楽が……、流れない。
雑音だけがスピーカーから耳障りな音を立てる。
358: にゃんこ 2011/07/11(月) 19:09:54.61 ID:XhGUk/oI0
○
私は電気を点けて、もう一度ラジカセを確認してみる。
コンセントは抜けてないし(雑音が出てるんだから抜けてるはずないけど)、
周波数も間違ってないし、AMとFMの切り替えを間違ってるわけでもなかった。
じゃあ、どうしてなんだろう、と思うけど、答えは出ない。
ラジオ局や電波自体に何かトラブルが起こったんだろうか?
「世界の終わり……か」
何となく呟いてみる。
正直な話、まだあまり実感は湧いてない。
でも、少しずつ、その終わりに近付いてる。
何かが一つずつ終わっていって、最後の日には何もかも無くしてしまう。
そんな気だけはする。
私は深い溜息を吐いて、自分の携帯電話を手に取った。
他の家のラジオの状況を確認してみようと思ったからだ。
ほとんど無い可能性だけど、
私の家だけ電波の入りが悪いとかそういう可能性がないわけじゃないしな。
それに何かが一つずつ終わってしまうとしても、
紀美さんのラジオ番組をもう無くしてしまうのはきつい。
世界の終わりが近付いていても、
そんな事関係なく発信してくれるラジオ『DEATH DEVIL』が私は好きだ。
言い過ぎな気もするけど、救いだったって言えるかもしれない。
本当はすごく恐くて、逃げ出したくて、
それでも、紀美さんの元気な声を聴いてるだけで、私は今までやってこれた。
だから、私はあの番組を無くしてしまいたくない。
「週末まではお前らと一緒!」と紀美さんは言ってくれた。
週末まで……、終末まで……。
だから、何があっても、何が起こったとしても、
それまでは紀美さんとあのスタッフは放送を続けてくれるはず。
私はそう信じたい。
携帯電話の電話帳を開いて、誰に電話を掛けようかと私は少し迷う。
軽音部のメンバーはさわちゃん含めて全員があのラジオを聴いてるらしかったけど、
流石に全員が全員、毎日聴いてるわけじゃないみたいだった。
唯は早寝に定評があるし、ムギも家の手伝い(社交的な意味で)で聴けない日が多いらしい。
さわちゃんも「恥ずかしいから何回かに一回聴くだけで十分」と苦笑してた。
そんなわけで、ラジオを毎日聴いてるのは私と澪、それと梓になる。
359: にゃんこ 2011/07/11(月) 19:11:46.20 ID:XhGUk/oI0
澪……にはまだ電話を掛けられない。
あんな別れをした後だし、私もまだ自分の涙の理由を見つけられてない。
涙の理由が分かるまで、私は澪に会っちゃいけないし、何かを話せもしないと思う。
何かを話そうとしたって、また私達は涙を流し合ってしまうだけになるだろう。
勿論、澪とはもう一度話し合わないといけないけれど、今は無理だ。
もう時間は無いけれど、でも、今は駄目だと思う。
となると……。
「梓になる……よな」
自分に言い聞かせるように呟く。
考えるまでもない。
今の私が連絡を取るべきなのは梓だ。
最近、梓にはあんまりいい印象を持たれてないみたいだけど、
電話をすればラジオの受信状況くらいは教えてくれるだろう。
でも、それだけでいいのか?
折角のチャンスなんだ。
その電話で梓の悩みを聞いておく方がいいんじゃないのか?
そう思い始めると、梓の番号に発信できなくなる。
梓の悩みについても、もう触れてあげられるだけの時間も少ない。
部長として……、じゃないか。
一人の梓の友達として、本当は梓の悩みを解決してあげたい。
だけど、こんな私に何かできるのかって、不安になる。
動かなきゃ何も始まらない。
それを分かってるから、昨日私は動いた。
でも、動いた結果がどうだ?
意味不明の涙に縛られて、何もいい方向には動かなかった。
分かり合ってるはずの幼馴染みの澪との問題すら、何も解決させられなかった。
そんな私に何ができる?
まだ梓の悩みが何なのかさえ分かってない私に何をしてやれる?
何度も立ち止まりそうになる。
恐くて動き出せなくなる。
それでも……。
私はやっぱり馬鹿なのかもしれない。
気が付けば梓の電話番号に発信しようと、私は携帯電話の発信ボタンに指を置いていた。
動かないままでいる方が恐いから。
私の知らない所で梓が苦しんでると考える方が何倍も恐いから。
私は梓に電話を掛けようと思った。
いや、掛けようと思ったんだけど……。
ふと重大な事に気が付いて、私はベッドに全身から沈み込んだ。
身体から力が抜けていくのを感じる。
自分が情けなくて無力感に支配されてるとか、そういう事じゃない。
私は枕に顔を沈めて、自分の間の悪さに呆れながら呟く。
あんな別れをした後だし、私もまだ自分の涙の理由を見つけられてない。
涙の理由が分かるまで、私は澪に会っちゃいけないし、何かを話せもしないと思う。
何かを話そうとしたって、また私達は涙を流し合ってしまうだけになるだろう。
勿論、澪とはもう一度話し合わないといけないけれど、今は無理だ。
もう時間は無いけれど、でも、今は駄目だと思う。
となると……。
「梓になる……よな」
自分に言い聞かせるように呟く。
考えるまでもない。
今の私が連絡を取るべきなのは梓だ。
最近、梓にはあんまりいい印象を持たれてないみたいだけど、
電話をすればラジオの受信状況くらいは教えてくれるだろう。
でも、それだけでいいのか?
折角のチャンスなんだ。
その電話で梓の悩みを聞いておく方がいいんじゃないのか?
そう思い始めると、梓の番号に発信できなくなる。
梓の悩みについても、もう触れてあげられるだけの時間も少ない。
部長として……、じゃないか。
一人の梓の友達として、本当は梓の悩みを解決してあげたい。
だけど、こんな私に何かできるのかって、不安になる。
動かなきゃ何も始まらない。
それを分かってるから、昨日私は動いた。
でも、動いた結果がどうだ?
意味不明の涙に縛られて、何もいい方向には動かなかった。
分かり合ってるはずの幼馴染みの澪との問題すら、何も解決させられなかった。
そんな私に何ができる?
まだ梓の悩みが何なのかさえ分かってない私に何をしてやれる?
何度も立ち止まりそうになる。
恐くて動き出せなくなる。
それでも……。
私はやっぱり馬鹿なのかもしれない。
気が付けば梓の電話番号に発信しようと、私は携帯電話の発信ボタンに指を置いていた。
動かないままでいる方が恐いから。
私の知らない所で梓が苦しんでると考える方が何倍も恐いから。
私は梓に電話を掛けようと思った。
いや、掛けようと思ったんだけど……。
ふと重大な事に気が付いて、私はベッドに全身から沈み込んだ。
身体から力が抜けていくのを感じる。
自分が情けなくて無力感に支配されてるとか、そういう事じゃない。
私は枕に顔を沈めて、自分の間の悪さに呆れながら呟く。
360: にゃんこ 2011/07/11(月) 19:16:36.58 ID:XhGUk/oI0
「圏外かよー……」
そう。
私の携帯電話の電波状況は圏外を示していた。
これだけ気合を入れておいて、電波が圏外とかギャグかよ……。
私らしいと言えば私らしいんだけど、こりゃあんまりだ……。
でも、まあ、よかったと言えば、よかったのかもしれない。
これでとりあえずラジオ局の方に問題がある可能性は少なくなった。
こんな住宅地で携帯電話の電波が圏外になるなんて、普通はありえない。
そうなると電波塔か、衛星か、
とにかく電波そのものにトラブルがあったって事になる。
ラジオ局がテロか何かで壊された可能性も少しは考えていただけに、
ひとまずは胸を撫で下ろしたくなる気分だった。
「それにしても、どうするかなー……」
私は立ち上がって、自室の窓に近寄りながら呟く。
澪本人が言っていた事だし、今日、澪は登校してこないだろう。
家の中で一人、私と同じように涙の理由を考えるんだろう。
私は学校に行こうと思う。
澪が登校してこなくても、私は軽音部に行かなきゃいけない。
言い方は悪いけど、私は軽音部の最後のライブの主犯格で首謀者なんだ。
誰が来ても、誰も来なくても、私は軽音部の部室に行かなきゃいけない。
間違ってばかりの私だけど、それだけは間違ってないと思う。
でも、それを部の皆に押し付けるのはよくないとも思う。
今日、澪は登校しない。軽音部の皆が揃う事はない。
それなら、その事を皆にも伝えておくべきだ。
それで澪のいない軽音部に、
皆が揃わない軽音部に意味がないと思ったなら、
今日は登校せず思うように過ごす方が皆のためになるはずだ。
だけど、携帯電話が使えないとなると、それを伝えようがない。
どうしたものか……、と唸ってみたけど、
またそこで私は簡単な事に気付いて、またも脱力してしまった。
家の電話があるじゃんか。
最近、全然使ってなかったから、存在自体忘れてた。
ごめんな、家の電話。
電波が悪いと言っても、流石に電話線で繋がってる家の電話は無事なはずだ。
もしかしたら家の電話も使えなくなってるかもしれないけど、まだ試してみる価値はある。
窓の外を見ながら、自分の間抜けさ加減に何となく苦笑してしまう。
そういやカーテンも閉めずに寝ちゃったな、
と思いながらカーテンを閉めようと手に持って、そこで私の手が止まった。
そう。
私の携帯電話の電波状況は圏外を示していた。
これだけ気合を入れておいて、電波が圏外とかギャグかよ……。
私らしいと言えば私らしいんだけど、こりゃあんまりだ……。
でも、まあ、よかったと言えば、よかったのかもしれない。
これでとりあえずラジオ局の方に問題がある可能性は少なくなった。
こんな住宅地で携帯電話の電波が圏外になるなんて、普通はありえない。
そうなると電波塔か、衛星か、
とにかく電波そのものにトラブルがあったって事になる。
ラジオ局がテロか何かで壊された可能性も少しは考えていただけに、
ひとまずは胸を撫で下ろしたくなる気分だった。
「それにしても、どうするかなー……」
私は立ち上がって、自室の窓に近寄りながら呟く。
澪本人が言っていた事だし、今日、澪は登校してこないだろう。
家の中で一人、私と同じように涙の理由を考えるんだろう。
私は学校に行こうと思う。
澪が登校してこなくても、私は軽音部に行かなきゃいけない。
言い方は悪いけど、私は軽音部の最後のライブの主犯格で首謀者なんだ。
誰が来ても、誰も来なくても、私は軽音部の部室に行かなきゃいけない。
間違ってばかりの私だけど、それだけは間違ってないと思う。
でも、それを部の皆に押し付けるのはよくないとも思う。
今日、澪は登校しない。軽音部の皆が揃う事はない。
それなら、その事を皆にも伝えておくべきだ。
それで澪のいない軽音部に、
皆が揃わない軽音部に意味がないと思ったなら、
今日は登校せず思うように過ごす方が皆のためになるはずだ。
だけど、携帯電話が使えないとなると、それを伝えようがない。
どうしたものか……、と唸ってみたけど、
またそこで私は簡単な事に気付いて、またも脱力してしまった。
家の電話があるじゃんか。
最近、全然使ってなかったから、存在自体忘れてた。
ごめんな、家の電話。
電波が悪いと言っても、流石に電話線で繋がってる家の電話は無事なはずだ。
もしかしたら家の電話も使えなくなってるかもしれないけど、まだ試してみる価値はある。
窓の外を見ながら、自分の間抜けさ加減に何となく苦笑してしまう。
そういやカーテンも閉めずに寝ちゃったな、
と思いながらカーテンを閉めようと手に持って、そこで私の手が止まった。
361: にゃんこ 2011/07/11(月) 19:17:02.66 ID:XhGUk/oI0
それは偶然なのか……、必然なのか……、
あってはいけないものがそこにあった。いてはいけない人がそこにいた。
見つけてしまったんだ。
それが私の妄想か幻覚ならどんなによかっただろう。
よく見えたわけじゃない。
そいつは窓の外でほんのちょっと私の視界の隅に入り込んで、すぐに消えていった。
だから、気のせいだと思ってもいいはずだった。
妄想や幻覚だと思い込んでも、何の問題もなかった。
だけど……!
万が一にでもそれがそいつである可能性があるのなら……!
放っておけるか!
「あの……馬鹿!」
思わず叫んで、朝から着たままの制服姿で私は部屋から飛び出る。
玄関まで走り、靴を履く時間ももどかしく感じながら、無我夢中で駆ける。
あいつが何処に行ったのかは分からない。
進んだ大体の方向も分かるかどうかだ。
それで十分だった。
こんな時期、こんな真夜中に、たった一人で出歩くなんて、正気の沙汰とは思えない。
それもあんな小さな……、
私よりも小さな後輩が……、
梓が……!
こんな真夜中に……!
放っておく事は出来なかった。
無視する事なんて出来なかった。
嫌になるほど泣いていたせいか、
普段使ってない身体の筋肉が筋肉痛で悲鳴を上げる。
それでも駆ける。
夜の闇の中、申し訳程度に点いた街灯の下を精一杯走る。
走らないといけなかった。見つけ出さないといけなかった。
あいつは馬鹿か。
あいつが何を悩んでいるのか知らない。
あいつに何が起こっているのかも知らない。
だけど、こんな何が起こるか分からない状況で、
何が起こっても自己責任で片付けられてしまうような状況で、
こんな真夜中にあんな女の子が一人きりでいていいはずがない。
別に戒厳令が出てるわけじゃない。
夜間外出禁止令が出てるわけでもない。
この付近は比較的治安のいい方だとも聞いてる。
でも、そんな事は関係ない!
私の後輩に……、大切な後輩に……、
嫌われていたとしても大好きな後輩に……、
何かが起こってほしくないんだ。
何かが起こってからじゃ遅いんだ!
私の間抜けな気のせいならそれでいい。
万が一にでもあの影が梓の可能性があるなら、私は走らなきゃ後悔する。
絶対に後悔するから。
だから!
私は夜の暗がりの中、目を凝らして梓を捜し続ける。
失いたくない後輩を走り回って探す。
かなり肌寒い季節、汗だくになって走る。
走り続ける。
息を切らす。
身体が軋む。
それでも、走り続け……。
あってはいけないものがそこにあった。いてはいけない人がそこにいた。
見つけてしまったんだ。
それが私の妄想か幻覚ならどんなによかっただろう。
よく見えたわけじゃない。
そいつは窓の外でほんのちょっと私の視界の隅に入り込んで、すぐに消えていった。
だから、気のせいだと思ってもいいはずだった。
妄想や幻覚だと思い込んでも、何の問題もなかった。
だけど……!
万が一にでもそれがそいつである可能性があるのなら……!
放っておけるか!
「あの……馬鹿!」
思わず叫んで、朝から着たままの制服姿で私は部屋から飛び出る。
玄関まで走り、靴を履く時間ももどかしく感じながら、無我夢中で駆ける。
あいつが何処に行ったのかは分からない。
進んだ大体の方向も分かるかどうかだ。
それで十分だった。
こんな時期、こんな真夜中に、たった一人で出歩くなんて、正気の沙汰とは思えない。
それもあんな小さな……、
私よりも小さな後輩が……、
梓が……!
こんな真夜中に……!
放っておく事は出来なかった。
無視する事なんて出来なかった。
嫌になるほど泣いていたせいか、
普段使ってない身体の筋肉が筋肉痛で悲鳴を上げる。
それでも駆ける。
夜の闇の中、申し訳程度に点いた街灯の下を精一杯走る。
走らないといけなかった。見つけ出さないといけなかった。
あいつは馬鹿か。
あいつが何を悩んでいるのか知らない。
あいつに何が起こっているのかも知らない。
だけど、こんな何が起こるか分からない状況で、
何が起こっても自己責任で片付けられてしまうような状況で、
こんな真夜中にあんな女の子が一人きりでいていいはずがない。
別に戒厳令が出てるわけじゃない。
夜間外出禁止令が出てるわけでもない。
この付近は比較的治安のいい方だとも聞いてる。
でも、そんな事は関係ない!
私の後輩に……、大切な後輩に……、
嫌われていたとしても大好きな後輩に……、
何かが起こってほしくないんだ。
何かが起こってからじゃ遅いんだ!
私の間抜けな気のせいならそれでいい。
万が一にでもあの影が梓の可能性があるなら、私は走らなきゃ後悔する。
絶対に後悔するから。
だから!
私は夜の暗がりの中、目を凝らして梓を捜し続ける。
失いたくない後輩を走り回って探す。
かなり肌寒い季節、汗だくになって走る。
走り続ける。
息を切らす。
身体が軋む。
それでも、走り続け……。
362: にゃんこ 2011/07/11(月) 19:24:10.11 ID:XhGUk/oI0
気が付けば、あまり知らない公園に私は辿り着いていた。
汗まみれで、息を切らして、
さっき転んだ時に膝を擦りむいて血を流しながら、私は一人で公園に立っていた。
三十分は捜していたはずだ。
ドラムをやってるんだし、
体力的にはかなり自信のある私が本気で限界を感じるくらいに走り回った。
梓は何処にも見付からなかった。
やっぱり私の見間違いだったんだろうか……。
気のせいだったんだろうか……。
何にしろ、これ以上捜し回っていても意味が無いかもしれない。
ひとまずは梓の家に連絡を取ろう。
間抜けな事に、さっきまでの私にはそこまで思いが至らなかった。
そうだ。連絡を取るべきだったんだ。
連絡を取って、その後にどうするか考えよう。
私は息を切らしながら、
持ち出していた携帯電話に目を向け、
瞬間、背筋が凍った。
分かっていた事だ。
分かっていたのに、動揺して忘れてしまっていた。
携帯電話の画面には、圏外と表示されていた。
そこでようやく私は気付いたんだ。
さっきまで馬鹿と責めていた梓と同じ状況に自分が陥ってしまっている事に。
急に身体が震え始める。
冬の夜の肌寒さだけじゃない。
恐怖と不安で、全身の震えを止める事が出来ない。
「大丈夫……。
大丈夫……のはずだ……」
自分に言い聞かせるけど、自分自身が納得できていない。
梓よりは背が高いけれども、男の子っぽいともよく言われるけども、
結局、私は平均よりも背の低くて力の弱い、小さな女の子でしかなかった。
考え始めると止まらない。
さっき梓に対して考えていた事が、そのまま自分に跳ね返ってくる。
酷いなあ……。
我ながら本当に酷いブーメランだよ……。
汗まみれで、息を切らして、
さっき転んだ時に膝を擦りむいて血を流しながら、私は一人で公園に立っていた。
三十分は捜していたはずだ。
ドラムをやってるんだし、
体力的にはかなり自信のある私が本気で限界を感じるくらいに走り回った。
梓は何処にも見付からなかった。
やっぱり私の見間違いだったんだろうか……。
気のせいだったんだろうか……。
何にしろ、これ以上捜し回っていても意味が無いかもしれない。
ひとまずは梓の家に連絡を取ろう。
間抜けな事に、さっきまでの私にはそこまで思いが至らなかった。
そうだ。連絡を取るべきだったんだ。
連絡を取って、その後にどうするか考えよう。
私は息を切らしながら、
持ち出していた携帯電話に目を向け、
瞬間、背筋が凍った。
分かっていた事だ。
分かっていたのに、動揺して忘れてしまっていた。
携帯電話の画面には、圏外と表示されていた。
そこでようやく私は気付いたんだ。
さっきまで馬鹿と責めていた梓と同じ状況に自分が陥ってしまっている事に。
急に身体が震え始める。
冬の夜の肌寒さだけじゃない。
恐怖と不安で、全身の震えを止める事が出来ない。
「大丈夫……。
大丈夫……のはずだ……」
自分に言い聞かせるけど、自分自身が納得できていない。
梓よりは背が高いけれども、男の子っぽいともよく言われるけども、
結局、私は平均よりも背の低くて力の弱い、小さな女の子でしかなかった。
考え始めると止まらない。
さっき梓に対して考えていた事が、そのまま自分に跳ね返ってくる。
酷いなあ……。
我ながら本当に酷いブーメランだよ……。
363: にゃんこ 2011/07/11(月) 19:24:38.45 ID:XhGUk/oI0
少しの物音に怯える。
何かと思えば猫で胸を撫で下ろすけど、逆に人通りの無い事が余計不安に感じる。
夜の闇は深く、誰の気配もない。
世界にひとりぼっちになってしまったのような不安感。
いや、平気なはずだ。単に私はこのまま家に帰ればいいだけだ。
家に帰って、梓の家に連絡するだけだ。
分かっているのに、足を踏み出せない。
さっきまで三十分も走ってここまで辿り着いた。
家までの帰り道は何となく分かるけれど、
単純に計算して一時間近くは掛かる計算になってしまう。
一時間……。
この闇の中を一時間も歩くなんて、意識し出すと恐ろしくてたまらない。
誰か知り合いの家が近くに無いかと考えてみるけど、どうしても思い当たらなかった。
叫び出したくなる恐怖。
逃げ出したくなる現実。
恐い……。
恐いよ……。
と。
立ち竦む私を急に小さなライトが照らした。
「ひっ……」
小さく呻いて、身体を強張らせる私。
逃げ出したくても、足が動かない。
本当に弱い私……。
泣き出したくなるくらいに……。
でも。
こんな所で終わってしまうわけにはいかないから。
涙の理由を澪に伝えられてないから。
拳を握り締めて、勇気を出して、そのライトの光源に視線を向けて……。
「あれ……?」
またそこで私は力が抜けた。
今日は何だか空回りする事が多い気がする。
そういう星回りなのか?
「まったく、しょうがねえな……。
帰るぞ、姉ちゃん」
そうやって頭を掻きながら言ったのは、
母さんのママチャリに乗った私の弟……、聡だった。
何かと思えば猫で胸を撫で下ろすけど、逆に人通りの無い事が余計不安に感じる。
夜の闇は深く、誰の気配もない。
世界にひとりぼっちになってしまったのような不安感。
いや、平気なはずだ。単に私はこのまま家に帰ればいいだけだ。
家に帰って、梓の家に連絡するだけだ。
分かっているのに、足を踏み出せない。
さっきまで三十分も走ってここまで辿り着いた。
家までの帰り道は何となく分かるけれど、
単純に計算して一時間近くは掛かる計算になってしまう。
一時間……。
この闇の中を一時間も歩くなんて、意識し出すと恐ろしくてたまらない。
誰か知り合いの家が近くに無いかと考えてみるけど、どうしても思い当たらなかった。
叫び出したくなる恐怖。
逃げ出したくなる現実。
恐い……。
恐いよ……。
と。
立ち竦む私を急に小さなライトが照らした。
「ひっ……」
小さく呻いて、身体を強張らせる私。
逃げ出したくても、足が動かない。
本当に弱い私……。
泣き出したくなるくらいに……。
でも。
こんな所で終わってしまうわけにはいかないから。
涙の理由を澪に伝えられてないから。
拳を握り締めて、勇気を出して、そのライトの光源に視線を向けて……。
「あれ……?」
またそこで私は力が抜けた。
今日は何だか空回りする事が多い気がする。
そういう星回りなのか?
「まったく、しょうがねえな……。
帰るぞ、姉ちゃん」
そうやって頭を掻きながら言ったのは、
母さんのママチャリに乗った私の弟……、聡だった。
366: にゃんこ 2011/07/15(金) 22:21:13.86 ID:HiDnOgid0
○
夜道、聡の後ろ、ママチャリの荷台に乗って、私は運ばれていた。
さっき何で聡は自分のマウンテンバイクじゃなくて、
どうして母さんのママチャリに乗ってるんだろうと思ったけど、
それは私を後ろに乗せるためだったんだな。
確かにマウンテンバイクじゃ二人乗りは難しいだろう。
ちゃんと先まで考えてる聡の行動に私は何とも言えない気分になる。
「ごめんな、聡。
迷惑掛けちゃったな、また……」
荷台で揺られ、私は小さく呟いた。
後先を考えない自分の行動と、先まで見据えた弟の行動を比べてしまうと、
こんな自分が本当に梓を助けてやれるつもりだったんだろうか、とつい自虐的になる。
空回りばかりしてしまう自分。
情けなくて、不安で、溜息ばかりが出て来て、止まらない。
そんな私に向けて、聡は自転車を漕ぎながら軽く笑った。
「いいよ。姉ちゃんに迷惑掛けられるのは慣れてるしな」
「何だよ、もう……」
私は頬を膨らませてみるけど、言い返す言葉は無かった。
聡の言う通りだ。
私はいつも後先考えずに動いちゃって、人に迷惑を掛けてばかりだ。
友達だけじゃなく、弟の聡にだって……。
世界の終わりの直前のこんな夜道、
軽口を叩いているけど聡だって恐かったはずだ。
それなのに私を見付けて、駆け付けてくれるなんて、
私と違って本当によくできた弟だと思う。
「ごめん……な」
無力感が私の身体に広がりながら、消え入りそうな言葉で言った。
走り回って疲れ果てたせいもあるけど、勿論それだけじゃなかった。
世界の終わりまで残り四日。
日曜日は実質的に無いも等しい日だと聞いてるから、
普通通りに過ごせるのは土曜日が最後になる。
私はその土曜日を後悔なく過ごせるんだろうか。
最後のライブを悔いなくやり遂げられるんだろうか。
……今の状況じゃ、どう考えてもそれは無理そうだ。
だから、私は「ごめん」と言った。
「ごめん」としか言えなかった。
聡にだけじゃなく、何もしてやれない澪と梓に。
最後のライブを楽しみにしてるムギと唯に。
私を気に掛けてくれている全ての人に。
367: にゃんこ 2011/07/15(金) 22:29:40.12 ID:HiDnOgid0
「おいおい、姉ちゃん。
そんなに落ち込まないでくれよ。俺、気にしてないしさ」
笑顔を消して、真剣な表情で聡が言ってくれる。
ふざけた感じじゃなくて、本気でそう思ってくれているみたいだった。
その様子が、私にはまた心苦しい。
「だけど……、聡にだって最後の日まで、
したい事や、それの準備なんかもあるだろ?
それをこんな……、私の考えなしの行動に時間を取られちゃって……。
そんなの……、いいわけないじゃんか……。
だから……」
「いいんだって。
だって、姉ちゃんだもんな。
そんな姉ちゃんでいいんだよ、俺」
「……どういう事?」
「姉ちゃんってさ。
自分に何か起こった時より、誰かに何か起こった時の方が心配そうな顔してるよな。
自分の事より、誰かの事を心配してるって思うんだよな。
だから、気が付いたら動いちゃってるんだよ、姉ちゃんは。
考えなしではあるけど、考えるより先に誰かの事を心配しちゃってるんだよ。
それってすごく馬鹿みたいだけど……、すごく嬉しいんだ」
何も言えない。
聡の言葉が正しいのかどうかは分からないし、
自分が何を考えて梓を追い掛けたのかも分からない。
聡が言ってくれるように、
梓の事が心配でそれ以上の事を考えられなかったのかもしれないし、
もしかしたらそうじゃない可能性もある。
でも、迷惑を掛けてばかりなのに、聡はそれを「すごく嬉しい」と言ってくれた。
それだけで私は救われた気になって、何だかとても安心できて、
気が付けば前でペダルを漕ぐ聡に手を回して、全身で抱き付いてしまっていた。
とてもそうしたい気分だった。
そんなに落ち込まないでくれよ。俺、気にしてないしさ」
笑顔を消して、真剣な表情で聡が言ってくれる。
ふざけた感じじゃなくて、本気でそう思ってくれているみたいだった。
その様子が、私にはまた心苦しい。
「だけど……、聡にだって最後の日まで、
したい事や、それの準備なんかもあるだろ?
それをこんな……、私の考えなしの行動に時間を取られちゃって……。
そんなの……、いいわけないじゃんか……。
だから……」
「いいんだって。
だって、姉ちゃんだもんな。
そんな姉ちゃんでいいんだよ、俺」
「……どういう事?」
「姉ちゃんってさ。
自分に何か起こった時より、誰かに何か起こった時の方が心配そうな顔してるよな。
自分の事より、誰かの事を心配してるって思うんだよな。
だから、気が付いたら動いちゃってるんだよ、姉ちゃんは。
考えなしではあるけど、考えるより先に誰かの事を心配しちゃってるんだよ。
それってすごく馬鹿みたいだけど……、すごく嬉しいんだ」
何も言えない。
聡の言葉が正しいのかどうかは分からないし、
自分が何を考えて梓を追い掛けたのかも分からない。
聡が言ってくれるように、
梓の事が心配でそれ以上の事を考えられなかったのかもしれないし、
もしかしたらそうじゃない可能性もある。
でも、迷惑を掛けてばかりなのに、聡はそれを「すごく嬉しい」と言ってくれた。
それだけで私は救われた気になって、何だかとても安心できて、
気が付けば前でペダルを漕ぐ聡に手を回して、全身で抱き付いてしまっていた。
とてもそうしたい気分だった。
368: にゃんこ 2011/07/15(金) 22:34:21.03 ID:HiDnOgid0
「ちょっと、姉ちゃん……。
くっ付くなよ、暑苦しいぞ……」
嫌がってるわけじゃない口振りで聡が呟く。
姉とは言っても、年の近い異性に抱き付かれて照れてるのかもしれない。
そんな反応をされてしまうと、私の方も少し恥ずかしくなってくる。
だけど、まだ聡から離れたくもなくて……。
「あててんだよ」
ちょっと上擦った声で、前に唯から流行ってると聞いた事のある漫画の台詞を言ってみる。
「あててんのよ」だったっけ?
まあ、いいか。
とにかく私は恥ずかしさを誤魔化すために、そうやってボケてみた。
だけど……。
「何をだよ」
と、そうやって聡が真顔で返すから、私は悔しくなって軽く聡の頭を小突いた。
「何すんだよ」と聡が非難の声を上げたけど、私はそれを無視した。
いや、自分でも分かってんだよ……。
最近、梓にすら追い抜かれそうで辛いんだよ……。
前に色々あって梓に胸を触られる事があった時、
これなら勝てると言わんばかりの表情を浮かべられた時の屈辱を私は忘れん。
流石に梓になら負ける事は無いだろう、と思いたいけど、
今じゃ化物レベルの澪だって中学の頃は私よりも小さかったんだ。
油断は出来ない。
豊胸のストレッチやら何やらは当てにならないけど、
少なくとも栄養だけは確実に摂取しておかないとな……。
そう思った瞬間、急に私のお腹が大きく鳴った。
考えてみれば、夕飯も食べてなかった。
夕食抜きで泣き疲れた上に三十分以上も走り回ったんだ。
そりゃ私のお腹も大声で鳴くよな。
仕方がない。それは必然的な生理現象なのである。
生理現象なのである……のに、振り向いた聡がとても嫌そうな顔で言った。
くっ付くなよ、暑苦しいぞ……」
嫌がってるわけじゃない口振りで聡が呟く。
姉とは言っても、年の近い異性に抱き付かれて照れてるのかもしれない。
そんな反応をされてしまうと、私の方も少し恥ずかしくなってくる。
だけど、まだ聡から離れたくもなくて……。
「あててんだよ」
ちょっと上擦った声で、前に唯から流行ってると聞いた事のある漫画の台詞を言ってみる。
「あててんのよ」だったっけ?
まあ、いいか。
とにかく私は恥ずかしさを誤魔化すために、そうやってボケてみた。
だけど……。
「何をだよ」
と、そうやって聡が真顔で返すから、私は悔しくなって軽く聡の頭を小突いた。
「何すんだよ」と聡が非難の声を上げたけど、私はそれを無視した。
いや、自分でも分かってんだよ……。
最近、梓にすら追い抜かれそうで辛いんだよ……。
前に色々あって梓に胸を触られる事があった時、
これなら勝てると言わんばかりの表情を浮かべられた時の屈辱を私は忘れん。
流石に梓になら負ける事は無いだろう、と思いたいけど、
今じゃ化物レベルの澪だって中学の頃は私よりも小さかったんだ。
油断は出来ない。
豊胸のストレッチやら何やらは当てにならないけど、
少なくとも栄養だけは確実に摂取しておかないとな……。
そう思った瞬間、急に私のお腹が大きく鳴った。
考えてみれば、夕飯も食べてなかった。
夕食抜きで泣き疲れた上に三十分以上も走り回ったんだ。
そりゃ私のお腹も大声で鳴くよな。
仕方がない。それは必然的な生理現象なのである。
生理現象なのである……のに、振り向いた聡がとても嫌そうな顔で言った。
369: にゃんこ 2011/07/15(金) 22:36:00.50 ID:HiDnOgid0
「うわー……。
姉とは言え、女の人のそんなでかい腹の音を聞きたくなかった……」
「うっさい。誰だって鳴る時は鳴るんだ。
澪だって、唯だって、ムギだって、梓だって鳴るんだ。
おまえの好きなアイドルのあの子だって、腹が減ったら腹が鳴るんだ」
「嘘だ!
春香さんはお腹を鳴らしたりなんかしない!」
「昭和のアイドルかよ……」
呆れて私が突っ込むと聡は小さく笑った。
どうやら冗談だったらしい。
流石にアイドルでもお腹を鳴らすという現実くらいは分かってたか。
それは何よりだ。たまに分かってない人もいるからなあ……。
そうして二人で小さく笑いながら、自転車で帰り道を走る。
たまに不満を口にしながらも、聡は後ろでくっ付く私を振り払いはしなかった。
私の好きにさせてくれるつもりなんだろう。
今更ながら、聡と二人乗りをするのはとても久し振りだと気付いた。
特に聡が漕ぐ方の二人乗りは初めてのはずだ。
聡も私を乗せて二人乗りできるくらいに成長したんだな、と何だか姉みたいな事を思ってしまう。
って、実際にも姉なんだけどさ。
「そういえば……」
不意に気になって、私は気になっていた事を訊ねる事にした。
少しだけ聡に回す手に力が入る。
「どうして私があんな所にいるって分かったんだ?」
「超能力だよ。
姉ちゃんも知ってるだろ?
双子には超常的なシンクロ能力が……」
「冗談はよせい。と言うか、私ら双子じゃねーし」
「はいはい、分かったって。
いや、部屋で漫画読んでたらさ、急に家の中がバタバタ騒々しくなったんだよ。
何かと思って部屋から出てみたら、姉ちゃんが家から出てくところじゃんか。
まるで親と喧嘩して家出してく娘みたいだったぞ?
それで一応、父さんに事情を聞いてみようと思って部屋に行ったら、父さんと母さん寝てたし……。
しかも、姉ちゃんに電話掛けようと思ったのに圏外だし……。
それで母さんのママチャリ借りて、姉ちゃんを追い掛けてきたんだよ。
結構捜し回ったんだぞ? 姉ちゃんって足速いよな」
「家出娘みたいだったか、私?」
「うん。とても必死で、何かに焦ってて、すごく泣きそうな顔に見えたし」
「……泣いてねーよ」
「見えたってだけだよ」
「泣きそうな顔に見えた……か」
姉とは言え、女の人のそんなでかい腹の音を聞きたくなかった……」
「うっさい。誰だって鳴る時は鳴るんだ。
澪だって、唯だって、ムギだって、梓だって鳴るんだ。
おまえの好きなアイドルのあの子だって、腹が減ったら腹が鳴るんだ」
「嘘だ!
春香さんはお腹を鳴らしたりなんかしない!」
「昭和のアイドルかよ……」
呆れて私が突っ込むと聡は小さく笑った。
どうやら冗談だったらしい。
流石にアイドルでもお腹を鳴らすという現実くらいは分かってたか。
それは何よりだ。たまに分かってない人もいるからなあ……。
そうして二人で小さく笑いながら、自転車で帰り道を走る。
たまに不満を口にしながらも、聡は後ろでくっ付く私を振り払いはしなかった。
私の好きにさせてくれるつもりなんだろう。
今更ながら、聡と二人乗りをするのはとても久し振りだと気付いた。
特に聡が漕ぐ方の二人乗りは初めてのはずだ。
聡も私を乗せて二人乗りできるくらいに成長したんだな、と何だか姉みたいな事を思ってしまう。
って、実際にも姉なんだけどさ。
「そういえば……」
不意に気になって、私は気になっていた事を訊ねる事にした。
少しだけ聡に回す手に力が入る。
「どうして私があんな所にいるって分かったんだ?」
「超能力だよ。
姉ちゃんも知ってるだろ?
双子には超常的なシンクロ能力が……」
「冗談はよせい。と言うか、私ら双子じゃねーし」
「はいはい、分かったって。
いや、部屋で漫画読んでたらさ、急に家の中がバタバタ騒々しくなったんだよ。
何かと思って部屋から出てみたら、姉ちゃんが家から出てくところじゃんか。
まるで親と喧嘩して家出してく娘みたいだったぞ?
それで一応、父さんに事情を聞いてみようと思って部屋に行ったら、父さんと母さん寝てたし……。
しかも、姉ちゃんに電話掛けようと思ったのに圏外だし……。
それで母さんのママチャリ借りて、姉ちゃんを追い掛けてきたんだよ。
結構捜し回ったんだぞ? 姉ちゃんって足速いよな」
「家出娘みたいだったか、私?」
「うん。とても必死で、何かに焦ってて、すごく泣きそうな顔に見えたし」
「……泣いてねーよ」
「見えたってだけだよ」
「泣きそうな顔に見えた……か」
370: にゃんこ 2011/07/15(金) 22:36:41.40 ID:HiDnOgid0
弟の聡にそう見えたって事は、私は本当に泣きそうだったのかもしれない。
それは梓の事が心配だったからってのもあるんだろうけど、
これ以上、何かを無くしたくないっていう自己中心的な悲しみが原因でもあるような気もした。
聡は私が誰かを心配すると、考えるより先に動くと言ってくれた。
それは私自身もそう思わなくもないけど、
その心の奥底では誰かを失う事が恐くて、
自分が悲しみたくなくて、居ても立ってもいられなかっただけかもしれない。
勿論、そんな事を口に出す事はできなかった。
だけど……、それでも……。
聡は一人で怯えていた私の所に来てくれた。
それだけは本当に嬉しくて、私はまた全身で強く聡を抱き締めた。
そんな私の姿に、また聡が苦笑して言う。
「痛いよ、姉ちゃん」
「あててんだよ」
「肋骨を?」
「肋骨が当たったら、そりゃ痛いわな……。
って、何でやねん!」
「だから、冗談だって。
でも、何はともあれ、家に帰ったらゆっくり休めよ、姉ちゃん。
ライブやるんだろ? 体調管理も大事な仕事だぜ」
「ライブやるって伝えたっけ?」
「前にたまたま会った澪ちゃんに聞いたんだよ。
澪ちゃん、すごく楽しみにしてるみたいだった」
「澪ちゃん……ねえ」
「いや、澪さんな、澪さん!」
焦って聡が訂正する。別に恥ずかしがらなくてもいいのにな。
最近、聡は澪の事を『澪さん』と呼ぶようになった。
小学生の頃までは『澪ちゃん』と呼んでいたのだが、
中学生男子にとって、年上の女をちゃん付けで呼ぶのは抵抗があるものらしかった。
我が弟ながら、よく分からない所で繊細な男心だ。
いや、今はそれよりも……。
それは梓の事が心配だったからってのもあるんだろうけど、
これ以上、何かを無くしたくないっていう自己中心的な悲しみが原因でもあるような気もした。
聡は私が誰かを心配すると、考えるより先に動くと言ってくれた。
それは私自身もそう思わなくもないけど、
その心の奥底では誰かを失う事が恐くて、
自分が悲しみたくなくて、居ても立ってもいられなかっただけかもしれない。
勿論、そんな事を口に出す事はできなかった。
だけど……、それでも……。
聡は一人で怯えていた私の所に来てくれた。
それだけは本当に嬉しくて、私はまた全身で強く聡を抱き締めた。
そんな私の姿に、また聡が苦笑して言う。
「痛いよ、姉ちゃん」
「あててんだよ」
「肋骨を?」
「肋骨が当たったら、そりゃ痛いわな……。
って、何でやねん!」
「だから、冗談だって。
でも、何はともあれ、家に帰ったらゆっくり休めよ、姉ちゃん。
ライブやるんだろ? 体調管理も大事な仕事だぜ」
「ライブやるって伝えたっけ?」
「前にたまたま会った澪ちゃんに聞いたんだよ。
澪ちゃん、すごく楽しみにしてるみたいだった」
「澪ちゃん……ねえ」
「いや、澪さんな、澪さん!」
焦って聡が訂正する。別に恥ずかしがらなくてもいいのにな。
最近、聡は澪の事を『澪さん』と呼ぶようになった。
小学生の頃までは『澪ちゃん』と呼んでいたのだが、
中学生男子にとって、年上の女をちゃん付けで呼ぶのは抵抗があるものらしかった。
我が弟ながら、よく分からない所で繊細な男心だ。
いや、今はそれよりも……。
371: にゃんこ 2011/07/15(金) 22:38:29.80 ID:HiDnOgid0
「そうか……。
あいつも楽しみにしてくれてるのか……」
私は声に出して呟いてしまっていた。
私だけじゃなく、聡もそう感じるって事は、
澪も本当に最後のライブを楽しみにしてくれてるんだろう。
「成功させたいな……」
本当に、成功させたい。
笑って、終わらせたい。
楽しみにしてくれてる皆の期待に応えたい。
そうして、最後に私達の結末を見せ付けたい。
世界に刻み込んでやりたい。
私達は軽音部でよかったんだと。
そのために越えなきゃいけない壁は大きいけど、
ライブを成功させたいのは自己中心的な理由ばかりかもしれないけど、
それでも……。
私の考えを感じ取ってくれたんだろうか。
不意に優しい声色になって、聡が言った。
「とにかく頑張ってくれよ、姉ちゃん。
ライブ、俺も観に行こうと思ってんだからさ」
「いいのか?」
「何だよ。俺が観に行っちゃ駄目なの?」
「いやいや、そうじゃなくて……。
実はさ、まだ確定じゃないけど、ライブは土曜日にやる予定なんだよ。
土曜日……、つまり世界の終わりの日の前日だぞ?
いいのかよ? 聡にだって予定があるんじゃないのか?」
「残念だが、無い!」
「うわっ、言い切りおった!
言い切りおったぞ、我が弟め!」
あいつも楽しみにしてくれてるのか……」
私は声に出して呟いてしまっていた。
私だけじゃなく、聡もそう感じるって事は、
澪も本当に最後のライブを楽しみにしてくれてるんだろう。
「成功させたいな……」
本当に、成功させたい。
笑って、終わらせたい。
楽しみにしてくれてる皆の期待に応えたい。
そうして、最後に私達の結末を見せ付けたい。
世界に刻み込んでやりたい。
私達は軽音部でよかったんだと。
そのために越えなきゃいけない壁は大きいけど、
ライブを成功させたいのは自己中心的な理由ばかりかもしれないけど、
それでも……。
私の考えを感じ取ってくれたんだろうか。
不意に優しい声色になって、聡が言った。
「とにかく頑張ってくれよ、姉ちゃん。
ライブ、俺も観に行こうと思ってんだからさ」
「いいのか?」
「何だよ。俺が観に行っちゃ駄目なの?」
「いやいや、そうじゃなくて……。
実はさ、まだ確定じゃないけど、ライブは土曜日にやる予定なんだよ。
土曜日……、つまり世界の終わりの日の前日だぞ?
いいのかよ? 聡にだって予定があるんじゃないのか?」
「残念だが、無い!」
「うわっ、言い切りおった!
言い切りおったぞ、我が弟め!」
372: にゃんこ 2011/07/15(金) 22:39:07.74 ID:HiDnOgid0
「実はさ、俺が世界が終わるまでにやりたかったのは、あのRPGのコンプリートなんだ。
いや、焦ったよ。始めたばかりの頃に『終末宣言』だったからさ。
大作RPGでコンプまで300時間は掛かるって聞いてたから、本気で頑張ったんだよ。
でも、それもこの前、鈴木と手分けして終わらせたから、後の予定は何もないんだ。
いや、本当はあったのかもしれないけど……」
「何かあったのか?」
「これ恥ずかしいから、あんまり言いたくないんだけど……」
「何だよ?」
「同じクラスの女子に告白したら、振られた。
だから、もう予定はないし、できる予定もないんだよな」
「あちゃー……」
言いたくない事まで言わせちゃっただろうか?
私は申し訳なくなって聡の顔を覗き込んだけど、
月明かりに照らされる聡の顔は何故かとても清々しく見えた。
「まあ、駄目で元々だったしさ。
告白できただけで十分……、なんて言うほど割り切れてはないけど、すっきりはしたよ。
だからさ、姉ちゃんのライブを観に行くよ。
鈴木達も予定無さそうだし、誘ってみる。
実は鈴木の奴、「おまえの姉ちゃん可愛いな」って言ってたから、多分姉ちゃんに気があるぞ?」
「マジな話?」
「うん。髪が長くてスタイルいいし、ツリ目な所も本当に可愛いって……」
「それ澪じゃねえか!」
「いや、実は姉ちゃんが澪さんと遊んでる時に見掛けた事があって、
「あれが俺の姉ちゃんなんだ」って鈴木に言ったら、
澪さんの方が俺の姉ちゃんだって勘違いされて、何となく訂正できなかった……」
「訂正しとこうぜ、そういう時は!」
「安心して。ライブの日に訂正しとくから」
「それ恥ずかしいの私じゃねえか!
やめてくれ……。
その鈴木君が幻滅した目で私を見るのが想像できる……」
げんなりと私が呟くと、本当に楽しそうに聡が笑った。
本当に生意気な弟だ。
でも、そんな所がやっぱり私の弟だな、って思えて、何だか私も笑えた。
これだけは『終末宣言』前からも変わらない私達の関係。
変わり行く世界で、変わらないものもあるんだ。
本当は私も変わらなきゃいけないのかもしれない。
でも、『変わらない』事がその時の私には嬉しかった。
いや、焦ったよ。始めたばかりの頃に『終末宣言』だったからさ。
大作RPGでコンプまで300時間は掛かるって聞いてたから、本気で頑張ったんだよ。
でも、それもこの前、鈴木と手分けして終わらせたから、後の予定は何もないんだ。
いや、本当はあったのかもしれないけど……」
「何かあったのか?」
「これ恥ずかしいから、あんまり言いたくないんだけど……」
「何だよ?」
「同じクラスの女子に告白したら、振られた。
だから、もう予定はないし、できる予定もないんだよな」
「あちゃー……」
言いたくない事まで言わせちゃっただろうか?
私は申し訳なくなって聡の顔を覗き込んだけど、
月明かりに照らされる聡の顔は何故かとても清々しく見えた。
「まあ、駄目で元々だったしさ。
告白できただけで十分……、なんて言うほど割り切れてはないけど、すっきりはしたよ。
だからさ、姉ちゃんのライブを観に行くよ。
鈴木達も予定無さそうだし、誘ってみる。
実は鈴木の奴、「おまえの姉ちゃん可愛いな」って言ってたから、多分姉ちゃんに気があるぞ?」
「マジな話?」
「うん。髪が長くてスタイルいいし、ツリ目な所も本当に可愛いって……」
「それ澪じゃねえか!」
「いや、実は姉ちゃんが澪さんと遊んでる時に見掛けた事があって、
「あれが俺の姉ちゃんなんだ」って鈴木に言ったら、
澪さんの方が俺の姉ちゃんだって勘違いされて、何となく訂正できなかった……」
「訂正しとこうぜ、そういう時は!」
「安心して。ライブの日に訂正しとくから」
「それ恥ずかしいの私じゃねえか!
やめてくれ……。
その鈴木君が幻滅した目で私を見るのが想像できる……」
げんなりと私が呟くと、本当に楽しそうに聡が笑った。
本当に生意気な弟だ。
でも、そんな所がやっぱり私の弟だな、って思えて、何だか私も笑えた。
これだけは『終末宣言』前からも変わらない私達の関係。
変わり行く世界で、変わらないものもあるんだ。
本当は私も変わらなきゃいけないのかもしれない。
でも、『変わらない』事がその時の私には嬉しかった。
373: にゃんこ 2011/07/15(金) 22:39:43.19 ID:HiDnOgid0
○
結構長い時間、自転車の後ろで揺られて、自宅に戻った私を誰かが待っていた。
私の家の前、二つの影が寄り添って立っている。
誰だろう、と思って目を凝らすと、それは和と唯だった。
こんな時間に何の用なのか見当も付かないけど、少なくとも変質者の類じゃなくて安心した。
私は自転車から降りて、二人に近付いて話し掛けようとする。
瞬間、唯が予想外な行動を取って、私は言葉を失った。
行動自体は普通だったんだけど、普通なら唯が取るはずもない行動だったからだ。
だって、唯は膝の前で手を揃え、深々とお辞儀をしたんだ。
こんな事されたら、何かの異常事態じゃないかと思えて、硬直するしかないじゃないか。
そんな私の様子を分かっているのかどうなのか、
唯は頭を上げてから、柔らかく微笑んで続けた。
「こんばんは、律さん。
こんな時間にごめんなさい。今、お時間よろしいですか?」
そこでようやく私は気付いた。
唯が取るはずもない行動を取るのも当然だ。
和の隣で私に頭を下げたのは唯じゃなく、
髪を下ろした唯の妹の憂ちゃんだったんだ。
380: にゃんこ 2011/07/18(月) 21:56:19.96 ID:ETGi5jXN0
○
「ごめんね、待たせて」
シャワーを浴びて、少しの腹ごしらえを終えてから、
私は私の部屋で待っててもらっていた憂ちゃんに声を掛けた。
「いいえ、こちらこそごめんなさい、律さん。
こんな時間に非常識だと思いますけど、律さんにどうしても話したい事があったんです」
申し訳なさそうな顔で憂ちゃんが頭を下げる。
私はそれを軽く微笑む事で制した。
私の方こそ、こんな時間に来てくれた人を待たせるなんてとんだ非常識だ。
でも、流石に空腹な上に汗まみれで話を聞く方が何倍も失礼だったし、
私の方も多少はマシな状態になってから、憂ちゃんの話を聞きたかった。
こんな時間に真面目で良識的な憂ちゃんが来てくれたんだ。
きっとよっぽどの事情があるんだろう。
少なくとも、疲れ果てて身の入らない状態で聞き流せる話じゃない事だけは確かだった。
ちなみに現在、和はリビングで聡と話をしている。
和はボディガードとして憂ちゃんに付き添ってきただけらしく、
私と憂ちゃんの話が終わるまでリビングで待っていると言っていた。
風呂上りにリビングをちょっと覗いてみた時、意外にも二人の話は盛り上がっていた。
聡がコンプリートしたらしいあの大作RPGは和の兄弟もプレイしているそうで、
攻略法やストーリー、キャラクターを演じている声優に至るまで幅広く会話してるみたいだった。
澪以外の女子と話す弟の姿は新鮮で、照れた様子で年上の女と会話する姿が可愛らしくて、
姉としてはいつまでも見ていたくはあったけど、そういうわけにもいかない。
少し後ろ髪を引かれる気分ながら、
どうにかその誘惑を振り切って、こうして私は自分の部屋に戻って来たわけだ。
「えっと……、ですね……」
何だか緊張した面持ちで憂ちゃんが目を伏せている。
とても話しにくい、だけど、話したい何かがあるんだろう。
私は律義に座布団に正座してる憂ちゃんの手を取って、私のベッドまで誘導する事にした。
少し躊躇いがちではあったけど、
すぐに私の考えが分かってくれたらしく、憂ちゃんは私のベッドに腰を下してくれた。
その横に私も腰を下ろし、憂ちゃんと肩を並べる。
憂ちゃんとこんなに近くで話をした事はあんまりないけど、
多分、今回の憂ちゃんの話はこれくらい近い距離で話し合うべき事のはずだと思った。
381: にゃんこ 2011/07/18(月) 21:57:22.64 ID:ETGi5jXN0
「それでどうしたの、こんな時間に?
唯の事?」
私と憂ちゃんの間に他に話題が無いわけじゃない。
それでも、私は唯の事について訊ねていた。
これまでも私と憂ちゃんの会話で一番話題に上っていたのは唯の事だったし、
憂ちゃんがこんな真剣な表情で緊張しているなんて、その緊張の理由は唯以外に絶対にない。
「はい、お姉ちゃんの事なんですけど……、
あのですね……、明日……、いえ、もう今日ですね。
今日……なんですけど、お姉ちゃん、学校には行かないそうなんです」
「……来ない……のか?」
呟きながら、不安になる。呼吸が苦しくなるのを感じる。
唯も何かを悩んでいたんだろうか。
それとも、私が唯の気に障る何かをしてしまったんだろうか。
少しずつ、一人ずつ、軽音部から去ってしまうのか?
澪、唯、次は梓、最後にムギと去って、私だけが部室に取り残されちゃうのか?
その私の不安を感じ取ったんだろう。
憂ちゃんが軽く頭を振って、隣にいる私の瞳を覗き込んで言ってくれた。
「あ……、違うんです。
律さんが何かしたとか、軽音部に行きたくないとか、そんな事はないんです。
お姉ちゃん、ずっと……、今でも勿論、軽音部の事が大好きなんですよ?
いいえ、違いますね……。
大好きって言葉じゃ言い表せないくらい、
お姉ちゃんの中では軽音部の事が大きい存在なんだと思います」
だったら、唯はどうして?
ついそう訊きそうになってしまったけど、私はどうにかその言葉を押し留めた。
憂ちゃんはそれを話しに来てくれたんだ。
急いじゃいけない。焦っちゃいけない。
どんなに時間が無くても、憂ちゃんが言葉にしてくれるまで、それを待つだけだ。
それに急ぐ理由は私の中から一つ減っていた。
さっきシャワーを浴びる前、「先に梓の家に電話させて」と憂ちゃん達に伝え、
私が梓の家に電話しようと受話器を上げた時、憂ちゃんは首を傾げながら言ったんだ。
「梓ちゃんの家ならついさっき行って来ましたけど、梓ちゃんに何かご用なんですか?」
憂ちゃんの言葉に私は張り詰めていた糸が切れて、しばらくその場に座り込んだ。
ひとまずは安心できる気分だった。
憂ちゃんが言うには、私の家に来る二十分前には梓の家に行って、
話をしてきたばかりなんだそうだった。
夜道に私が見た梓の姿は単なる見間違いだったのか、
それとも何かの用事が終わった後の帰り道の梓を見たのか、
色んな可能性がありはしたけど、そんな事はどうでもよかった。
今は梓が無事に自分の家にいてくれるだけで十分だった。
唯の事?」
私と憂ちゃんの間に他に話題が無いわけじゃない。
それでも、私は唯の事について訊ねていた。
これまでも私と憂ちゃんの会話で一番話題に上っていたのは唯の事だったし、
憂ちゃんがこんな真剣な表情で緊張しているなんて、その緊張の理由は唯以外に絶対にない。
「はい、お姉ちゃんの事なんですけど……、
あのですね……、明日……、いえ、もう今日ですね。
今日……なんですけど、お姉ちゃん、学校には行かないそうなんです」
「……来ない……のか?」
呟きながら、不安になる。呼吸が苦しくなるのを感じる。
唯も何かを悩んでいたんだろうか。
それとも、私が唯の気に障る何かをしてしまったんだろうか。
少しずつ、一人ずつ、軽音部から去ってしまうのか?
澪、唯、次は梓、最後にムギと去って、私だけが部室に取り残されちゃうのか?
その私の不安を感じ取ったんだろう。
憂ちゃんが軽く頭を振って、隣にいる私の瞳を覗き込んで言ってくれた。
「あ……、違うんです。
律さんが何かしたとか、軽音部に行きたくないとか、そんな事はないんです。
お姉ちゃん、ずっと……、今でも勿論、軽音部の事が大好きなんですよ?
いいえ、違いますね……。
大好きって言葉じゃ言い表せないくらい、
お姉ちゃんの中では軽音部の事が大きい存在なんだと思います」
だったら、唯はどうして?
ついそう訊きそうになってしまったけど、私はどうにかその言葉を押し留めた。
憂ちゃんはそれを話しに来てくれたんだ。
急いじゃいけない。焦っちゃいけない。
どんなに時間が無くても、憂ちゃんが言葉にしてくれるまで、それを待つだけだ。
それに急ぐ理由は私の中から一つ減っていた。
さっきシャワーを浴びる前、「先に梓の家に電話させて」と憂ちゃん達に伝え、
私が梓の家に電話しようと受話器を上げた時、憂ちゃんは首を傾げながら言ったんだ。
「梓ちゃんの家ならついさっき行って来ましたけど、梓ちゃんに何かご用なんですか?」
憂ちゃんの言葉に私は張り詰めていた糸が切れて、しばらくその場に座り込んだ。
ひとまずは安心できる気分だった。
憂ちゃんが言うには、私の家に来る二十分前には梓の家に行って、
話をしてきたばかりなんだそうだった。
夜道に私が見た梓の姿は単なる見間違いだったのか、
それとも何かの用事が終わった後の帰り道の梓を見たのか、
色んな可能性がありはしたけど、そんな事はどうでもよかった。
今は梓が無事に自分の家にいてくれるだけで十分だった。
382: にゃんこ 2011/07/18(月) 22:01:25.69 ID:ETGi5jXN0
私は上げた受話器を元に戻し、
「用事はあったけど、やっぱり学校で会った時でいいや」と憂ちゃん達に伝えた。
梓の悩みについては、電話で話すような内容でもない。
直接あいつから聞き出さないといけない事だ。
今日、学校で会ったら、それを梓に聞こうと思う。
もしも本当に梓に嫌われていたとしても構わない。
それでも私は梓の悩みの力になるべきなんだ。
私はあいつの先輩で、軽音部の部長で、嫌われていてもあいつが大切なんだから。
そういうわけで、今の私は焦ってはいない。
時間が無い私だけど、焦る事だけはしちゃいけない気がする。
焦ると正常な判断ができなくなる。
当然の事だけど、私は少しずつ身に染みてそれを理解し始めていた。
はっきりとは言えないけど、澪との事も焦っちゃいけない気がする。
いや、違うな。
焦っちゃいけなかったんだ。
あの時、私は焦ってしまってたんだ。
だから……。
小さく溜息を吐いて、私は憂ちゃんの次の言葉を待つ。
今は梓の事、澪の事より、目の前の憂ちゃんの事だ。
じっと憂ちゃんの瞳を覗き込んで、話してくれるのを待ち続ける。
少しもどかしい時間だったけど、それはきっと私達に必要な時間だった。
しばらく経って……。
考えがまとまったのか、憂ちゃんがまっすぐな瞳で私を見つめながら口を開いた。
「お姉ちゃん、軽音部の事がすごく大切なんです。
軽音部の事も、律さんの事も、大切で仕方が無いんだと思います。
それでも、今日は部に顔を出さないって、お姉ちゃんは言ってました。
水曜日は……、「今日一日は憂と二人で過ごしたいから」って言ってくれたんです……」
そういう事か、と私は思った。
残り少ない時間、唯はその内の一日を大切な妹と過ごす事に決めたんだ。
それはそれで構わなかった。
軽音部の事も大切ではあるけど、私は唯の選択肢を尊重したい。
家族と過ごしたいのなら、私達に遠慮なんかせずにそうするべきなんだ。
「ごめんなさい、律さん……」
言葉も弱く、辛そうな表情に変わりながらも、
視線だけは私から逸らさずに憂ちゃんが言ってくれた。
本当に申し訳ないと思ってくれてるんだろう。
でも、本当に謝るべきなのは私の方だった。
こんなにお互いを大切に思い合ってる姉妹に気を遣わせるなんて、
私の方こそ謝るべきなんだ。
そう思って私は口を開いたけど、その言葉より先に憂ちゃんがまた言った。
「用事はあったけど、やっぱり学校で会った時でいいや」と憂ちゃん達に伝えた。
梓の悩みについては、電話で話すような内容でもない。
直接あいつから聞き出さないといけない事だ。
今日、学校で会ったら、それを梓に聞こうと思う。
もしも本当に梓に嫌われていたとしても構わない。
それでも私は梓の悩みの力になるべきなんだ。
私はあいつの先輩で、軽音部の部長で、嫌われていてもあいつが大切なんだから。
そういうわけで、今の私は焦ってはいない。
時間が無い私だけど、焦る事だけはしちゃいけない気がする。
焦ると正常な判断ができなくなる。
当然の事だけど、私は少しずつ身に染みてそれを理解し始めていた。
はっきりとは言えないけど、澪との事も焦っちゃいけない気がする。
いや、違うな。
焦っちゃいけなかったんだ。
あの時、私は焦ってしまってたんだ。
だから……。
小さく溜息を吐いて、私は憂ちゃんの次の言葉を待つ。
今は梓の事、澪の事より、目の前の憂ちゃんの事だ。
じっと憂ちゃんの瞳を覗き込んで、話してくれるのを待ち続ける。
少しもどかしい時間だったけど、それはきっと私達に必要な時間だった。
しばらく経って……。
考えがまとまったのか、憂ちゃんがまっすぐな瞳で私を見つめながら口を開いた。
「お姉ちゃん、軽音部の事がすごく大切なんです。
軽音部の事も、律さんの事も、大切で仕方が無いんだと思います。
それでも、今日は部に顔を出さないって、お姉ちゃんは言ってました。
水曜日は……、「今日一日は憂と二人で過ごしたいから」って言ってくれたんです……」
そういう事か、と私は思った。
残り少ない時間、唯はその内の一日を大切な妹と過ごす事に決めたんだ。
それはそれで構わなかった。
軽音部の事も大切ではあるけど、私は唯の選択肢を尊重したい。
家族と過ごしたいのなら、私達に遠慮なんかせずにそうするべきなんだ。
「ごめんなさい、律さん……」
言葉も弱く、辛そうな表情に変わりながらも、
視線だけは私から逸らさずに憂ちゃんが言ってくれた。
本当に申し訳ないと思ってくれてるんだろう。
でも、本当に謝るべきなのは私の方だった。
こんなにお互いを大切に思い合ってる姉妹に気を遣わせるなんて、
私の方こそ謝るべきなんだ。
そう思って私は口を開いたけど、その言葉より先に憂ちゃんがまた言った。
383: にゃんこ 2011/07/18(月) 22:03:09.10 ID:ETGi5jXN0
「私の事は気にしなくてもいいって、お姉ちゃんに何度も伝えたのに、
お姉ちゃんは絶対に私と過ごすって言ってくれて……。
ライブの準備がとても楽しいって、お姉ちゃん言ってたのに、それなのに……。
それが律さん達に申し訳ないのに、本当はすごく嬉しくって……。
そんな私が嫌で、せめて今日お姉ちゃんが軽音部に行かない事だけは、
皆さんに直接伝えたいと思って……。
それが私にできる精一杯で……。
ごめんなさい、律さん。本当にごめんなさい……」
「唯……は今、どうしてる?」
「最初……、本当はお姉ちゃんが皆さんの家を直接回るって言ってました。
でも、無理を言って、私と手分けして回ってもらう事にしたんです。
それで私は梓ちゃんと律さんの家に、
お姉ちゃんは紬さんの家と澪さんの家に、直接話しに行く事になったんです。
先に紬さんの家に向かったから、多分、今は澪さんの家で話をしてると思います」
「一人で?」
「いえ、それは大丈夫です。
お父さんが車で送ってくれてますから。
私の方はお母さんが付き添いで来てくれるはずだったんですけど、
うちのお母さん、ボディガードにはちょっと頼りなくて……。
それで、お姉ちゃんが和さんに電話で私の付き添いを頼んでくれたんです」
「そっか……。だったら、二人とも安心だな」
「それで……、実はですね、律さん……」
憂ちゃんの顔が辛そうな表情から、何かを決心した表情に変わる。
憂ちゃんは決して弱い子じゃない。
強い子ではないかもしれないけど、唯の事が関係するなら強くいられる子だ。
つまり、これから唯に関する大切な話を始めるんだろう。
「私、最初は軽音部の事が好きじゃありませんでした」
「そうなんだ……」
憂ちゃんの言葉に、意外と驚きはなかった。
何となくそんな気がしていた。
仲のいい姉妹の間に入って、
二人の関係を邪魔してしまっていいのかって思わなくもなかったんだ。
憂ちゃんは続ける。
「少しの時間、部活に行ってるだけなら気になりませんでした。
でも、少しずつ……、どんどんお姉ちゃんが家に帰ってくる時間が遅くなって……。
お休みの日も家にいてくれる事が少なくって、それが嫌で……。
軽音部の部長の会った事もない『りっちゃん』って人が嫌いになりそうでした。
確かお姉ちゃんが一年生の頃のテスト勉強の日だったと思うんですけど、
初めてその『りっちゃん』……、律さんに会って、その顔を見てるのが辛くて……。
それでついゲームの律さんとの対戦で本気を出しちゃったんです。
『これ以上、お姉ちゃんを私から取らないで』って、そんな気持ちで……。
あの時はごめんなさい……」
「えっ? あれってそんな意図がある重大な戦いだったの?
いや、マジで強いなー、とは思ってたんだけど……」
思いも寄らなかった真相に私は驚きを隠せない。
勿論、多少は大袈裟に言ってるんだろうけど、人には色んな考えがあるもんなんだな……。
憂ちゃんがその私の様子に表情を緩める。
お姉ちゃんは絶対に私と過ごすって言ってくれて……。
ライブの準備がとても楽しいって、お姉ちゃん言ってたのに、それなのに……。
それが律さん達に申し訳ないのに、本当はすごく嬉しくって……。
そんな私が嫌で、せめて今日お姉ちゃんが軽音部に行かない事だけは、
皆さんに直接伝えたいと思って……。
それが私にできる精一杯で……。
ごめんなさい、律さん。本当にごめんなさい……」
「唯……は今、どうしてる?」
「最初……、本当はお姉ちゃんが皆さんの家を直接回るって言ってました。
でも、無理を言って、私と手分けして回ってもらう事にしたんです。
それで私は梓ちゃんと律さんの家に、
お姉ちゃんは紬さんの家と澪さんの家に、直接話しに行く事になったんです。
先に紬さんの家に向かったから、多分、今は澪さんの家で話をしてると思います」
「一人で?」
「いえ、それは大丈夫です。
お父さんが車で送ってくれてますから。
私の方はお母さんが付き添いで来てくれるはずだったんですけど、
うちのお母さん、ボディガードにはちょっと頼りなくて……。
それで、お姉ちゃんが和さんに電話で私の付き添いを頼んでくれたんです」
「そっか……。だったら、二人とも安心だな」
「それで……、実はですね、律さん……」
憂ちゃんの顔が辛そうな表情から、何かを決心した表情に変わる。
憂ちゃんは決して弱い子じゃない。
強い子ではないかもしれないけど、唯の事が関係するなら強くいられる子だ。
つまり、これから唯に関する大切な話を始めるんだろう。
「私、最初は軽音部の事が好きじゃありませんでした」
「そうなんだ……」
憂ちゃんの言葉に、意外と驚きはなかった。
何となくそんな気がしていた。
仲のいい姉妹の間に入って、
二人の関係を邪魔してしまっていいのかって思わなくもなかったんだ。
憂ちゃんは続ける。
「少しの時間、部活に行ってるだけなら気になりませんでした。
でも、少しずつ……、どんどんお姉ちゃんが家に帰ってくる時間が遅くなって……。
お休みの日も家にいてくれる事が少なくって、それが嫌で……。
軽音部の部長の会った事もない『りっちゃん』って人が嫌いになりそうでした。
確かお姉ちゃんが一年生の頃のテスト勉強の日だったと思うんですけど、
初めてその『りっちゃん』……、律さんに会って、その顔を見てるのが辛くて……。
それでついゲームの律さんとの対戦で本気を出しちゃったんです。
『これ以上、お姉ちゃんを私から取らないで』って、そんな気持ちで……。
あの時はごめんなさい……」
「えっ? あれってそんな意図がある重大な戦いだったの?
いや、マジで強いなー、とは思ってたんだけど……」
思いも寄らなかった真相に私は驚きを隠せない。
勿論、多少は大袈裟に言ってるんだろうけど、人には色んな考えがあるもんなんだな……。
憂ちゃんがその私の様子に表情を緩める。
384: にゃんこ 2011/07/18(月) 22:03:55.45 ID:ETGi5jXN0
「でも、学園祭で初めてのお姉ちゃん達のライブを見て、
ライブ中のお姉ちゃんはすっごく格好良くて、すっごく楽しそうで……。
私……、思ったんです。
軽音部のお姉ちゃんが、今までのお姉ちゃんよりもずっと好きだって。
それから、お姉ちゃんが大好きな軽音部の事も、好きになっていきました。
もう、軽音部じゃないお姉ちゃんなんて、考えられないです。
私、軽音部の……、放課後ティータイムのお姉ちゃんが大好きです。
それを私、律さんにずっと伝えたかったんです。
軽音部の部長でいてくれて、ありがとうございます。
お姉ちゃんをもっと好きにさせてくれて、本当にありがとうございます」
憂ちゃんが頭を下げながら、私の手を握る。
私の方こそ、お礼を言いたい気分だった。
大好きなお姉ちゃんと一緒にいさせてくれてありがとう、と。
最初こそ頼りない初心者だったけど、唯はもう軽音部に無くてはならない存在だ。
軽音部はあいつの才能に引っ張られて機能していると言っても過言じゃない。
唯がいたからこそ、軽音部はこんなに楽しく、大切な部活にできた。
それは私達だけじゃどうやっても辿り着けなかった境地だろうし、
例え他にギター担当の誰かが入部して来てくれていたとしても、やっぱり無理だったと思う。
三年間、こんなに楽しかったのは、唯がいたからこそ、だ。
だから、私は唯に、憂ちゃんに感謝しなきゃいけない。
同時にやっぱり申し訳なくなった。
私は目を伏せたかったけど、どうにか耐えて憂ちゃんの瞳から目を逸らさずに言った。
「ありがとう、憂ちゃん。
そんなに私達を好きでいてくれて、本当に嬉しいよ。
でも……、これまではそれでよかったかもしれないけど、
この状況でも、それでいいの?
『今日一日は一緒にいる』って事は、逆に言うと今日一日って事でしょ?
世界の終わりを間近にして、たった一日だけで本当にいいの?」
憂ちゃんはその私の言葉に微笑んだ。
無理をしているわけでもなく、強がりでもなく、本当に心からの笑顔に見えた。
ライブ中のお姉ちゃんはすっごく格好良くて、すっごく楽しそうで……。
私……、思ったんです。
軽音部のお姉ちゃんが、今までのお姉ちゃんよりもずっと好きだって。
それから、お姉ちゃんが大好きな軽音部の事も、好きになっていきました。
もう、軽音部じゃないお姉ちゃんなんて、考えられないです。
私、軽音部の……、放課後ティータイムのお姉ちゃんが大好きです。
それを私、律さんにずっと伝えたかったんです。
軽音部の部長でいてくれて、ありがとうございます。
お姉ちゃんをもっと好きにさせてくれて、本当にありがとうございます」
憂ちゃんが頭を下げながら、私の手を握る。
私の方こそ、お礼を言いたい気分だった。
大好きなお姉ちゃんと一緒にいさせてくれてありがとう、と。
最初こそ頼りない初心者だったけど、唯はもう軽音部に無くてはならない存在だ。
軽音部はあいつの才能に引っ張られて機能していると言っても過言じゃない。
唯がいたからこそ、軽音部はこんなに楽しく、大切な部活にできた。
それは私達だけじゃどうやっても辿り着けなかった境地だろうし、
例え他にギター担当の誰かが入部して来てくれていたとしても、やっぱり無理だったと思う。
三年間、こんなに楽しかったのは、唯がいたからこそ、だ。
だから、私は唯に、憂ちゃんに感謝しなきゃいけない。
同時にやっぱり申し訳なくなった。
私は目を伏せたかったけど、どうにか耐えて憂ちゃんの瞳から目を逸らさずに言った。
「ありがとう、憂ちゃん。
そんなに私達を好きでいてくれて、本当に嬉しいよ。
でも……、これまではそれでよかったかもしれないけど、
この状況でも、それでいいの?
『今日一日は一緒にいる』って事は、逆に言うと今日一日って事でしょ?
世界の終わりを間近にして、たった一日だけで本当にいいの?」
憂ちゃんはその私の言葉に微笑んだ。
無理をしているわけでもなく、強がりでもなく、本当に心からの笑顔に見えた。
385: にゃんこ 2011/07/18(月) 22:04:48.20 ID:ETGi5jXN0
「違いますよ、律さん。
『一日だけ』じゃありません。『一日も』ですよ、律さん。
こんなおしまいの日まで残り少ないのに、
お姉ちゃんはそんな貴重な時間を、私に『一日も』くれるんです。
私はそれがすっごく……、
すっごく嬉しいです……!」
そう言った憂ちゃんの笑顔は輝いていた。
眩しいくらいの笑顔。
そんな笑顔をさせる唯の時間を、私が一日以上も貰うんだと思うと少し震えた。
参ったなあ……。
絶対にライブを成功させなくちゃならなくなったじゃないか……。
恐いわけじゃないし、重圧に負けそうってわけでもない。
これは武者震い……、とりあえずはそういう事にしておこう。
何はともあれ、私は私のためにも、憂ちゃんのためにも、
私達は何としてもライブを成功させなくちゃならない。
ふと思い立って、私は隣に座る憂ちゃんの肩を抱き寄せて囁いた。
「成功させるよ。
最後のライブ、絶対に成功させる。
憂ちゃんに、これまで以上に格好いい唯の姿を見せたいからさ」
憂ちゃんは私の腕の中で、
「はい」と、笑顔で頷いてくれた。
『一日だけ』じゃありません。『一日も』ですよ、律さん。
こんなおしまいの日まで残り少ないのに、
お姉ちゃんはそんな貴重な時間を、私に『一日も』くれるんです。
私はそれがすっごく……、
すっごく嬉しいです……!」
そう言った憂ちゃんの笑顔は輝いていた。
眩しいくらいの笑顔。
そんな笑顔をさせる唯の時間を、私が一日以上も貰うんだと思うと少し震えた。
参ったなあ……。
絶対にライブを成功させなくちゃならなくなったじゃないか……。
恐いわけじゃないし、重圧に負けそうってわけでもない。
これは武者震い……、とりあえずはそういう事にしておこう。
何はともあれ、私は私のためにも、憂ちゃんのためにも、
私達は何としてもライブを成功させなくちゃならない。
ふと思い立って、私は隣に座る憂ちゃんの肩を抱き寄せて囁いた。
「成功させるよ。
最後のライブ、絶対に成功させる。
憂ちゃんに、これまで以上に格好いい唯の姿を見せたいからさ」
憂ちゃんは私の腕の中で、
「はい」と、笑顔で頷いてくれた。
390: にゃんこ 2011/07/21(木) 23:47:10.34 ID:Pj2QSlyz0
○
朝、軽音部の部室で私は一人座っていた。
ほんの少し曇っているけど、雨は降りそうにない空模様を私は見上げる。
太陽にたまに雲が掛かる程度のよくある天気。
確か数日前に天気予報で聞いた限りでは、世界の終わりの日まで雨は降らないらしい。
雨が好きなわけじゃないけど、もう体験できないと思うと何だか名残惜しかった。
でも、空模様に関しては私には何もできない。
何となく溜息を吐くけど、別に憂鬱ってわけでもない。
ただちょっと寂しかっただけだ。
それにできない事を考えていても仕方が無かった。
私にできない事はいくらでもある。
多分、できる事よりもできない事の方が遥かに多いだろうな。
でも、そんな事より、今の私にできる事を考えるべきだろう。
それは憂ちゃんのためでもあるけれど、それ以上に私のためでもあるんだから。
夜、話が終わり、和と一緒に家に帰る直前、
「梓ちゃんの事、助けてあげてください」と憂ちゃんは言った。
唯の事が大好きだけど、唯の事ばかり考えてるわけじゃない。
憂ちゃんはちゃんと友達の事にも目を向けられる子だ。
だから、自分が唯と二人で過ごすのが申し訳なくて、嬉しくて辛かったんだろう。
私の家に来る前、憂ちゃんが梓の家を訪ねた時、
頭を下げる憂ちゃんに梓は笑顔で答えたらしい。
「大丈夫だから」と。
「でも、唯先輩がいなくて、
全員が揃わない中で律先輩がちゃんと練習するか心配だな」と。
普段と変わらない様子と口調で笑っていたらしい。
泣きそうな顔で、笑っていたらしい。
梓の親友の憂ちゃんにも、その梓の表情をどうにかする事は出来なかった。
本当に大丈夫なのか、
悩み事があったら何でも言ってほしい、
そんな事を何度伝えても、梓は微笑むだけ。
今にも泣き出しそうな顔で微笑むだけ。
軽音部の皆にも、親友にも、誰にも、本心を見せずに辛そうに笑うだけ。
そんな梓を見て、憂ちゃんは一日も唯を独占してしまう自分に罪悪感を抱いてるみたいだった。
心の底から唯を必要としてるのは梓じゃないかと思うのに、
憂ちゃん自身も唯から離れたくないし、
唯と最後に一緒に過ごせる一日がどうしようもないくらいに嬉しくて……。
だからこそ、罪悪感ばかりが膨らんでいるみたいだった。
391: にゃんこ 2011/07/21(木) 23:48:08.14 ID:Pj2QSlyz0
でも、それは憂ちゃんが悪いわけじゃない。
唯が悪いわけでもない。
唯だって梓の異変には気付いていた。
梓の悩みを何とかしてあげたいと考えていた。
だけど、梓は自分の悩みを一言も口にしなかったし、
その気遣い自体を誰にもしてほしくないみたいに見えた。
梓がそう振る舞う以上、
唯には何もできないし、憂ちゃんにも、誰にも何もしてあげられない。
どんなに辛い事でも、口にしない限りは他人には何もしてあげられないんだから。
それで迷った末に唯はこの水曜日って中途半端な時に、憂ちゃんと過ごす事に決めたんだと思う。
梓の悩みを解決したいとは勿論、思ってる。
でも、梓の悩みはいつになれば解決するのか分からないし、
下手をすれば世界の終わりの時に至っても解決する事はないかもしれない。
だから、その前に妹と過ごしたいと考えたんだ。
梓の事も大切だけど、妹の憂ちゃんの事だって同じくらい大切だからだ。
それに憂ちゃんと過ごすのが水曜日だけなら、
まだ木、金曜、土曜日と三日間を梓のために使えるから。
それで水曜日を選んだんだ。
いや、本当にそこまで考えてたのかどうかは分からないけど、
私の中では唯はそういう事を考えて行動する奴だった。
きっとそうなんだろうと思う。
だから、悪いのは梓なんだ。
自分の抱えている何かを隠し通そうとする梓が一番問題なんだ。
どんなに辛くても、恐くても、誰かに伝えるべきなんだ。
私に何ができるかは分からないけど、それでも伝えてほしかった。
例えその悩みが人の生死に関わるような重大な問題でも……。
それを想像すると震えてしまうくらいに恐いけど……。
だけど、それでもいいと思う。
そんな問題を梓が抱えてるとしても、私はそれを梓の口から聞きたい。
最後に部長として梓のために何かできるんだったら、私はそうしたいんだ。
困った後輩を持って災難だよな、まったく。
でも……。
唯が悪いわけでもない。
唯だって梓の異変には気付いていた。
梓の悩みを何とかしてあげたいと考えていた。
だけど、梓は自分の悩みを一言も口にしなかったし、
その気遣い自体を誰にもしてほしくないみたいに見えた。
梓がそう振る舞う以上、
唯には何もできないし、憂ちゃんにも、誰にも何もしてあげられない。
どんなに辛い事でも、口にしない限りは他人には何もしてあげられないんだから。
それで迷った末に唯はこの水曜日って中途半端な時に、憂ちゃんと過ごす事に決めたんだと思う。
梓の悩みを解決したいとは勿論、思ってる。
でも、梓の悩みはいつになれば解決するのか分からないし、
下手をすれば世界の終わりの時に至っても解決する事はないかもしれない。
だから、その前に妹と過ごしたいと考えたんだ。
梓の事も大切だけど、妹の憂ちゃんの事だって同じくらい大切だからだ。
それに憂ちゃんと過ごすのが水曜日だけなら、
まだ木、金曜、土曜日と三日間を梓のために使えるから。
それで水曜日を選んだんだ。
いや、本当にそこまで考えてたのかどうかは分からないけど、
私の中では唯はそういう事を考えて行動する奴だった。
きっとそうなんだろうと思う。
だから、悪いのは梓なんだ。
自分の抱えている何かを隠し通そうとする梓が一番問題なんだ。
どんなに辛くても、恐くても、誰かに伝えるべきなんだ。
私に何ができるかは分からないけど、それでも伝えてほしかった。
例えその悩みが人の生死に関わるような重大な問題でも……。
それを想像すると震えてしまうくらいに恐いけど……。
だけど、それでもいいと思う。
そんな問題を梓が抱えてるとしても、私はそれを梓の口から聞きたい。
最後に部長として梓のために何かできるんだったら、私はそうしたいんだ。
困った後輩を持って災難だよな、まったく。
でも……。
392: にゃんこ 2011/07/21(木) 23:49:14.27 ID:Pj2QSlyz0
「部長だからな」
自分に言い聞かせる。
そうだ。
私が部長。五人だけの部だけど、部長は部長だ。
それにドラマーでもある。
皆の背中を見ながら、何かを感じ取れるパートでもあるんだからな。
そういや前に唯が言ってたっけか。
「大丈夫。りっちゃんならできる。
部長だし、お姉ちゃんだし、ドラマーだし!」って。
何の保障にもなってないし、何の説明にもなってないけど、
それでも何かができそうな気になってくるから不思議だ。
よし、と私は一人で拳を握り締めて頷く。
と。
急に何の前触れもなく軽音部の扉が開いた。
「おはよう。早いね、りっちゃん」
自分だけでなく、周りまで優しい気分にさせてくれる声色が部室に響く。
顔を上げて確認するまでもなく、それはムギの声だった。
いや、そもそも何の前触れもなく扉が開いた時点で、
部室に来た人の選択肢はムギかさわちゃんの二人に絞られてたけどな。
足音も立てずに部室にやってくるのはこの二人くらいだ。
二人とも神出鬼没なんだよなあ……。
まあ、ムギの方はお嬢様的な教育か何かで、
足音を立てないよう歩く練習をしているとしても(勝手な推測だけど)、
さわちゃんの方はマジでどうやって足音も立てずに現れてるんだろうか。
……別にどうでもいい事だった。
私は顔を上げてムギの顔を見つめ、「おはよう、ムギ」と言った。
自分に言い聞かせる。
そうだ。
私が部長。五人だけの部だけど、部長は部長だ。
それにドラマーでもある。
皆の背中を見ながら、何かを感じ取れるパートでもあるんだからな。
そういや前に唯が言ってたっけか。
「大丈夫。りっちゃんならできる。
部長だし、お姉ちゃんだし、ドラマーだし!」って。
何の保障にもなってないし、何の説明にもなってないけど、
それでも何かができそうな気になってくるから不思議だ。
よし、と私は一人で拳を握り締めて頷く。
と。
急に何の前触れもなく軽音部の扉が開いた。
「おはよう。早いね、りっちゃん」
自分だけでなく、周りまで優しい気分にさせてくれる声色が部室に響く。
顔を上げて確認するまでもなく、それはムギの声だった。
いや、そもそも何の前触れもなく扉が開いた時点で、
部室に来た人の選択肢はムギかさわちゃんの二人に絞られてたけどな。
足音も立てずに部室にやってくるのはこの二人くらいだ。
二人とも神出鬼没なんだよなあ……。
まあ、ムギの方はお嬢様的な教育か何かで、
足音を立てないよう歩く練習をしているとしても(勝手な推測だけど)、
さわちゃんの方はマジでどうやって足音も立てずに現れてるんだろうか。
……別にどうでもいい事だった。
私は顔を上げてムギの顔を見つめ、「おはよう、ムギ」と言った。
396: にゃんこ 2011/07/23(土) 23:32:01.72 ID:XoDlxcvB0
部室に入ったムギは長椅子に自分の鞄を置きに行く。
私はムギに気付かれないよう、少しだけ微笑んだ。
ひとまずは安心した。
下手をすれば、今日は誰も軽音部に来ないかもと思わなくはなかったんだ。
憂ちゃんの話では、唯が来なくても梓は登校して来るつもりみたいだったけど、
それにしたってちゃんとした確証がある話じゃないしな。
だから、嬉しかった。
ムギが部室に顔を出してくれた事が、私は本当に心から嬉しい。
「ムギと部室で二人きりってのも珍しいよな」
胸の中だけでムギに感謝しながら私が言うと、
鞄を置き終わったムギが顔を上げて応じてくれた。
「そうだね。りっちゃんと二人きりなんて、何だかとっても久し振り。
ひょっとしたら、夏に二人で遊んだ時以来じゃないかな?」
「そうだっけ?」
夏に二人で遊んだ時……、確か夏期講習が始まる前日くらいの事だ。
まだ四ヶ月くらいしか経ってないはずなのに、随分と前の出来事の様な気がする。
『終末宣言』以来、この一ヶ月半、本当に色んな事があった。
世界が終わるなんて夢にも思わなかった事が現実になったし、
変わらないと思ってた私と澪の関係も、今更だけど大きく動き出そうとしている。
目眩がしそうなくらい多くの事があった。
でも、それも終わる。もうすぐ終わる。
その終わりがどんな形になるかは分からないけど、
少なくとも最後のライブだけは私達の結末として成功させたい。
……ムギはどうなんだろうか?
不意に気になって、私の胸が騒いだ。
そうやって人の考えが気になってしまうのは、私の悪い癖かもしれない。
でも、考え出すとどうにも止まらなかったし、胸の鼓動がどんどん大きくなった。
琴吹紬……、ムギ。
合唱部に入ろうとしてたところを私が引き止めて、軽音部に入ってもらったお嬢様。
キーボード担当で、放課後ティータイムの作曲のほとんどを任せてる。
いつも美味しいお茶とお菓子を振る舞ってくれて、
それ以外にも合宿場所とか多くの事で助けになってくれる縁の下の力持ち。
実際にもキーボードを軽々と運べる力持ちでもある。
私はムギに気付かれないよう、少しだけ微笑んだ。
ひとまずは安心した。
下手をすれば、今日は誰も軽音部に来ないかもと思わなくはなかったんだ。
憂ちゃんの話では、唯が来なくても梓は登校して来るつもりみたいだったけど、
それにしたってちゃんとした確証がある話じゃないしな。
だから、嬉しかった。
ムギが部室に顔を出してくれた事が、私は本当に心から嬉しい。
「ムギと部室で二人きりってのも珍しいよな」
胸の中だけでムギに感謝しながら私が言うと、
鞄を置き終わったムギが顔を上げて応じてくれた。
「そうだね。りっちゃんと二人きりなんて、何だかとっても久し振り。
ひょっとしたら、夏に二人で遊んだ時以来じゃないかな?」
「そうだっけ?」
夏に二人で遊んだ時……、確か夏期講習が始まる前日くらいの事だ。
まだ四ヶ月くらいしか経ってないはずなのに、随分と前の出来事の様な気がする。
『終末宣言』以来、この一ヶ月半、本当に色んな事があった。
世界が終わるなんて夢にも思わなかった事が現実になったし、
変わらないと思ってた私と澪の関係も、今更だけど大きく動き出そうとしている。
目眩がしそうなくらい多くの事があった。
でも、それも終わる。もうすぐ終わる。
その終わりがどんな形になるかは分からないけど、
少なくとも最後のライブだけは私達の結末として成功させたい。
……ムギはどうなんだろうか?
不意に気になって、私の胸が騒いだ。
そうやって人の考えが気になってしまうのは、私の悪い癖かもしれない。
でも、考え出すとどうにも止まらなかったし、胸の鼓動がどんどん大きくなった。
琴吹紬……、ムギ。
合唱部に入ろうとしてたところを私が引き止めて、軽音部に入ってもらったお嬢様。
キーボード担当で、放課後ティータイムの作曲のほとんどを任せてる。
いつも美味しいお茶とお菓子を振る舞ってくれて、
それ以外にも合宿場所とか多くの事で助けになってくれる縁の下の力持ち。
実際にもキーボードを軽々と運べる力持ちでもある。
397: にゃんこ 2011/07/23(土) 23:36:49.58 ID:XoDlxcvB0
『終末宣言』直後から、ムギが軽音部に顔を出す事は少なくなった。
深く踏み込んで聞いた事はないけど、どうも家の事情が関係しているらしい。
世界の終わりが間近になったと言っても、いや、間近だからこそ、
名家と言えるレベルのムギの家にはやるべき事がたくさんあったみたいだ。
眉唾な話だけど、人類存続のためにそれこそSF的な対策への協力も行われたんだとか。
人類の遺伝子を地下深くに封印するとか、
超強力なシェルターを急ピッチで開発したりとか、
できる限り多くの人達を宇宙ステーションに避難させてみたりとか、
とにかくムギの家はそういう冗談みたいな世界の終わりへの対抗策に追われていたらしい。
家族思いのムギはこの約一ヶ月のほとんどを、
それらの対抗策に追われる両親の手伝いをする事で過ごしてたみたいだ。
「心配しないで」と月曜日に久し振りに会えたムギは言った。
「これからはずっと部活に顔を出せるから」と笑ってくれた。
家の事情で大変だったはずなのに、
登校するのもやっとの状況のはずなのに、
ムギは疲れを感じさせない笑顔でそう言ってくれた。
それ以来、ムギは一日も欠かさずに登校して来てくれている。
対抗策が成功したのかどうかは聞いてない。
国もやれる事はやったみたいだけど、それ以上の事はムギも分からないみたいだった。
まあ、名家とは言え、ムギの家も協力程度で深くは関わってないんだろうし、
もしも対抗策が成功していたとしても、庶民の私達には多分関係ない事だろう。
だから、それに関してはそれ以上の話をしない。
聞いたところで、ムギが困るだけだろうしな。
そんな事よりも、私はムギが登校してくれる事の方が嬉しかった。
それだけで十分だ。
それに最後のライブなんだけど、ムギは誰よりも成功させたいと思ってる気がするんだ。
家の手伝いをしている時でも、メールで澪のパソコンに新曲の楽譜を送って来てくれてたし、
久し振りに合わせたセッションでも全くブランクを感じさせなかった。
きっと時間を見ては練習をしてくれてたんだろう。
今でこそ何としても成功させたいと私も思ってるけど、
憂ちゃんと話すまではムギほど最後のライブに熱心じゃなかった。
軽い思い出作り程度にしか考えてなかったんだ。
考えてみれば、ムギは『終末宣言』前から軽音部の活動に本当に熱心だった。
いつも一生懸命に楽しんで、練習も、練習以外も楽しそうで、
そんなムギの楽しそうな姿が私には嬉しかった。
それだけで軽音部を立ち上げた甲斐があったって思えるくらいに。
私達の軽音部が、この五人の音楽が一番なんだって思えるくらいに。
だから、私はムギに訊ねる。
五人揃っての放課後ティータイムの今と先を考えるために。
深く踏み込んで聞いた事はないけど、どうも家の事情が関係しているらしい。
世界の終わりが間近になったと言っても、いや、間近だからこそ、
名家と言えるレベルのムギの家にはやるべき事がたくさんあったみたいだ。
眉唾な話だけど、人類存続のためにそれこそSF的な対策への協力も行われたんだとか。
人類の遺伝子を地下深くに封印するとか、
超強力なシェルターを急ピッチで開発したりとか、
できる限り多くの人達を宇宙ステーションに避難させてみたりとか、
とにかくムギの家はそういう冗談みたいな世界の終わりへの対抗策に追われていたらしい。
家族思いのムギはこの約一ヶ月のほとんどを、
それらの対抗策に追われる両親の手伝いをする事で過ごしてたみたいだ。
「心配しないで」と月曜日に久し振りに会えたムギは言った。
「これからはずっと部活に顔を出せるから」と笑ってくれた。
家の事情で大変だったはずなのに、
登校するのもやっとの状況のはずなのに、
ムギは疲れを感じさせない笑顔でそう言ってくれた。
それ以来、ムギは一日も欠かさずに登校して来てくれている。
対抗策が成功したのかどうかは聞いてない。
国もやれる事はやったみたいだけど、それ以上の事はムギも分からないみたいだった。
まあ、名家とは言え、ムギの家も協力程度で深くは関わってないんだろうし、
もしも対抗策が成功していたとしても、庶民の私達には多分関係ない事だろう。
だから、それに関してはそれ以上の話をしない。
聞いたところで、ムギが困るだけだろうしな。
そんな事よりも、私はムギが登校してくれる事の方が嬉しかった。
それだけで十分だ。
それに最後のライブなんだけど、ムギは誰よりも成功させたいと思ってる気がするんだ。
家の手伝いをしている時でも、メールで澪のパソコンに新曲の楽譜を送って来てくれてたし、
久し振りに合わせたセッションでも全くブランクを感じさせなかった。
きっと時間を見ては練習をしてくれてたんだろう。
今でこそ何としても成功させたいと私も思ってるけど、
憂ちゃんと話すまではムギほど最後のライブに熱心じゃなかった。
軽い思い出作り程度にしか考えてなかったんだ。
考えてみれば、ムギは『終末宣言』前から軽音部の活動に本当に熱心だった。
いつも一生懸命に楽しんで、練習も、練習以外も楽しそうで、
そんなムギの楽しそうな姿が私には嬉しかった。
それだけで軽音部を立ち上げた甲斐があったって思えるくらいに。
私達の軽音部が、この五人の音楽が一番なんだって思えるくらいに。
だから、私はムギに訊ねる。
五人揃っての放課後ティータイムの今と先を考えるために。
398: にゃんこ 2011/07/23(土) 23:37:46.44 ID:XoDlxcvB0
「ムギは私と二人で寂しかったりしない?」
持って回った言い方だったかもしれない。
でも、それ以上の言葉は思い付かなかったし、
思い付いたとしても口に出しては言えなかっただろう。
ムギは自分の椅子の前まで移動しながら、私の言葉に首を傾げる。
「どうして?
私、寂しくなんかないよ?
どうして、そんな事を聞くの?」
「いや……、折角家の用事も終わって、
部活に顔を出してくれてるのに、今日は全員揃えないじゃんか。
一番忙しいムギが参加してくれてるのに、何か悪いなって思ってさ」
私が頭を掻きながら言うと、ムギがまた微笑んだ。
優しい笑顔で、「心配しないで」と言ってくれた。
言葉自体は最近梓が泣きそうな笑顔で言う物と同じだったけど、
ムギのその言葉は梓の言葉とは優しさとか、想いとか、色んな物が違う気がした。
「大丈夫よ、りっちゃん。
勿論、今日唯ちゃんと会えないのは残念だけど、それは仕方の無い事だもの。
私だってずっと部活に来れなかったじゃない?
そんな事で唯ちゃんを責めたりしないし、それならむしろ責められるのは私の方。
ずっと出て来れなくて、私の方こそごめんね、りっちゃん……」
自分の椅子に手を置きながら、
それでも自分の椅子に腰を下ろさないままで、ムギが困ったように笑った。
困らせないようにしようと思っていたのに、
結局は私の行動がムギを困らせてしまったみたいだ。
私は自分の馬鹿さ加減に大きく溜息を吐いて、椅子から立ち上がった。
ムギが立って謝ってくれてるのに、私だけ座ったままじゃいられなかった。
立ち上がって目線をムギと合わせて、私は真正面からムギに頭を下げた。
持って回った言い方だったかもしれない。
でも、それ以上の言葉は思い付かなかったし、
思い付いたとしても口に出しては言えなかっただろう。
ムギは自分の椅子の前まで移動しながら、私の言葉に首を傾げる。
「どうして?
私、寂しくなんかないよ?
どうして、そんな事を聞くの?」
「いや……、折角家の用事も終わって、
部活に顔を出してくれてるのに、今日は全員揃えないじゃんか。
一番忙しいムギが参加してくれてるのに、何か悪いなって思ってさ」
私が頭を掻きながら言うと、ムギがまた微笑んだ。
優しい笑顔で、「心配しないで」と言ってくれた。
言葉自体は最近梓が泣きそうな笑顔で言う物と同じだったけど、
ムギのその言葉は梓の言葉とは優しさとか、想いとか、色んな物が違う気がした。
「大丈夫よ、りっちゃん。
勿論、今日唯ちゃんと会えないのは残念だけど、それは仕方の無い事だもの。
私だってずっと部活に来れなかったじゃない?
そんな事で唯ちゃんを責めたりしないし、それならむしろ責められるのは私の方。
ずっと出て来れなくて、私の方こそごめんね、りっちゃん……」
自分の椅子に手を置きながら、
それでも自分の椅子に腰を下ろさないままで、ムギが困ったように笑った。
困らせないようにしようと思っていたのに、
結局は私の行動がムギを困らせてしまったみたいだ。
私は自分の馬鹿さ加減に大きく溜息を吐いて、椅子から立ち上がった。
ムギが立って謝ってくれてるのに、私だけ座ったままじゃいられなかった。
立ち上がって目線をムギと合わせて、私は真正面からムギに頭を下げた。
399: にゃんこ 2011/07/23(土) 23:39:10.37 ID:XoDlxcvB0
「謝らないでくれよ、ムギ。
こっちこそ変な事を言っちゃったみたいでごめんな。
だけど、気になったんだ。
唯もそうなんだけど、今日は……、澪も来ないからさ」
今日は澪も来ない。
それはとても言いにくい事だったけど、伝えないわけにもいかなかった。
「澪ちゃんも? 何かあったの?」
ムギが残念そうな声を上げる。
昨日、唯はムギの家に行った後、澪の家を訪ねたと憂ちゃんが言っていた。
例え澪が唯に今日登校しない事を伝えていたとしても、
それが唯からムギに伝える事は時間的にもできなかったんだろう。
結局、夜から携帯電話の電波も、ラジオ電波も、
それどころかテレビ回線と家の電話の電話回線も切れていて、復旧されていなかった。
連絡手段が無い私達は、お互いの出欠確認もままならなかった。
信じるしかなかったんだ。皆で交わした約束を。
部室に集まるって約束を。
だからこそ、私はムギの顔を見るのがとても恐かった。
唯も澪もいない軽音部に、ムギはがっかりしてるんじゃないだろうか。
約束を果たせなかった軽音部に、少なからず失望してるんじゃないだろうか。
しかも、それは澪が悪いわけでも、唯が悪いわけでもない。
この場合、梓だって悪くない。
梓に嫌われてると思えて仕方なくて、梓の悩みから逃げ出した私が無力だったんだ。
今日、全員が揃えない責任は全部部長の私にある。
だから、私はムギの顔を見られないんだ。
「ごめんな……」
顔を上げられないまま、私は絞り出すようにどうにか言葉を出した。
「澪に何かあったんじゃない。
澪が来ないのは私のせいなんだ。
こんな状況なのに、もう時間も残り少ないのに、
それでも答えが出せなくて、悩まずにはいられない私の責任なんだ。
本当にごめん……」
こっちこそ変な事を言っちゃったみたいでごめんな。
だけど、気になったんだ。
唯もそうなんだけど、今日は……、澪も来ないからさ」
今日は澪も来ない。
それはとても言いにくい事だったけど、伝えないわけにもいかなかった。
「澪ちゃんも? 何かあったの?」
ムギが残念そうな声を上げる。
昨日、唯はムギの家に行った後、澪の家を訪ねたと憂ちゃんが言っていた。
例え澪が唯に今日登校しない事を伝えていたとしても、
それが唯からムギに伝える事は時間的にもできなかったんだろう。
結局、夜から携帯電話の電波も、ラジオ電波も、
それどころかテレビ回線と家の電話の電話回線も切れていて、復旧されていなかった。
連絡手段が無い私達は、お互いの出欠確認もままならなかった。
信じるしかなかったんだ。皆で交わした約束を。
部室に集まるって約束を。
だからこそ、私はムギの顔を見るのがとても恐かった。
唯も澪もいない軽音部に、ムギはがっかりしてるんじゃないだろうか。
約束を果たせなかった軽音部に、少なからず失望してるんじゃないだろうか。
しかも、それは澪が悪いわけでも、唯が悪いわけでもない。
この場合、梓だって悪くない。
梓に嫌われてると思えて仕方なくて、梓の悩みから逃げ出した私が無力だったんだ。
今日、全員が揃えない責任は全部部長の私にある。
だから、私はムギの顔を見られないんだ。
「ごめんな……」
顔を上げられないまま、私は絞り出すようにどうにか言葉を出した。
「澪に何かあったんじゃない。
澪が来ないのは私のせいなんだ。
こんな状況なのに、もう時間も残り少ないのに、
それでも答えが出せなくて、悩まずにはいられない私の責任なんだ。
本当にごめん……」
400: にゃんこ 2011/07/23(土) 23:45:04.00 ID:XoDlxcvB0
実を言うと、澪の件に関しては私の中で一つの答えが固まりつつあった。
今からでもそれを澪の家に行って伝えたなら、
もしかすると澪の悩みは晴れるのかもしれない。
今日の昼過ぎからでも、登校して来てくれるかもしれない。
だけど、私はそれをしたくなかった。
それを澪に伝えるのが恐いって事もあるけど、
曖昧なままでその答えを伝えたくなかったし、
こう言うのも変かもしれないけど、私は悩んでいたかった。
澪にも今日一日は悩んでいてほしかった。
悩んでいたいなんて、滑稽で無茶苦茶にも程がある。
きっとそれは私の我儘なんだろうと思うけど、簡単に答えを出したくないんだ。
世界の終わりも間近なのに、
とても自分勝手で、周りにすごく迷惑を掛けてしまってる。
勿論、ムギにだって……。
だから、私はムギに謝るしかないんだ。
頭を下げる私に、ムギはしばらく何も言わなかった。
何を思って私を見てるのかは分からない。
胸の中で私を責めているのかもしれない。
でも、責められても仕方ないし、私はムギのどんな言葉でも受け入れようと思う。
どれくらい経ったんだろう。
突然、普段より低い声色で、ムギが深刻そうに呟いた。
「りっちゃんは……、澪ちゃんと喧嘩したの?」
何て答えるべきか少し迷ったけど、私は大きく頭を横に振った。
「いや……、喧嘩じゃ……ないな。
喧嘩じゃないんだけど、今日は会えないんだよ。
変な事を言ってるとは思うんだけど、悩んでるんだよ、お互いに……。
悩まなきゃ……、駄目なんだよ、私達は。
こんな状況で何を悠長な、って思われても仕方ないのは分かってる。
でも……、でもさ……」
上手く言葉にできない。
自分の中でも曖昧にしか固まってない考えなんだ。
そんな考えを人に上手く伝えられるはずなんてない。
だけど、上手くなくても私はムギに伝えなきゃいけなかった。
ムギも当事者だ。軽音部の仲間なんだ。
そんな私の我儘や曖昧な考えで振り回してしまってる事だけは、謝らなきゃならない。
勿論、まだムギの表情を見るのが恐くて堪らなかったけど、私は顔を上げた。
謝り続けたくはあったけど、単に頭を下げ続けるのも逃げの様な気がしたからだ。
これから責められるにしても、
私はムギの顔を見ながら責められるべきなんだと思うから。
だから、私は伏せていた視線をムギの顔に向ける。真正面から見つめる。
今からでもそれを澪の家に行って伝えたなら、
もしかすると澪の悩みは晴れるのかもしれない。
今日の昼過ぎからでも、登校して来てくれるかもしれない。
だけど、私はそれをしたくなかった。
それを澪に伝えるのが恐いって事もあるけど、
曖昧なままでその答えを伝えたくなかったし、
こう言うのも変かもしれないけど、私は悩んでいたかった。
澪にも今日一日は悩んでいてほしかった。
悩んでいたいなんて、滑稽で無茶苦茶にも程がある。
きっとそれは私の我儘なんだろうと思うけど、簡単に答えを出したくないんだ。
世界の終わりも間近なのに、
とても自分勝手で、周りにすごく迷惑を掛けてしまってる。
勿論、ムギにだって……。
だから、私はムギに謝るしかないんだ。
頭を下げる私に、ムギはしばらく何も言わなかった。
何を思って私を見てるのかは分からない。
胸の中で私を責めているのかもしれない。
でも、責められても仕方ないし、私はムギのどんな言葉でも受け入れようと思う。
どれくらい経ったんだろう。
突然、普段より低い声色で、ムギが深刻そうに呟いた。
「りっちゃんは……、澪ちゃんと喧嘩したの?」
何て答えるべきか少し迷ったけど、私は大きく頭を横に振った。
「いや……、喧嘩じゃ……ないな。
喧嘩じゃないんだけど、今日は会えないんだよ。
変な事を言ってるとは思うんだけど、悩んでるんだよ、お互いに……。
悩まなきゃ……、駄目なんだよ、私達は。
こんな状況で何を悠長な、って思われても仕方ないのは分かってる。
でも……、でもさ……」
上手く言葉にできない。
自分の中でも曖昧にしか固まってない考えなんだ。
そんな考えを人に上手く伝えられるはずなんてない。
だけど、上手くなくても私はムギに伝えなきゃいけなかった。
ムギも当事者だ。軽音部の仲間なんだ。
そんな私の我儘や曖昧な考えで振り回してしまってる事だけは、謝らなきゃならない。
勿論、まだムギの表情を見るのが恐くて堪らなかったけど、私は顔を上げた。
謝り続けたくはあったけど、単に頭を下げ続けるのも逃げの様な気がしたからだ。
これから責められるにしても、
私はムギの顔を見ながら責められるべきなんだと思うから。
だから、私は伏せていた視線をムギの顔に向ける。真正面から見つめる。
401: にゃんこ 2011/07/23(土) 23:46:08.47 ID:XoDlxcvB0
「やっと顔を上げてくれたね、りっちゃん」
視線を合わせたムギは微笑んでいた。
さっきまでの困ったような笑顔じゃない。
安堵……って言うのかな。
すごくほっとしたみたいな笑顔だった。すごく意外な表情だった。
「よかった……。喧嘩じゃなかったんだね。
りっちゃんと澪ちゃんが喧嘩してるわけじゃないなら、私はそれで十分よ。
勿論、今日澪ちゃんと会えないのは残念だけど、
誰よりも澪ちゃんと付き合いの長いりっちゃんが言う事だもん。
きっとりっちゃんも澪ちゃんも今日は悩まなきゃいけない日なんだよね。
だったら、私も応援する。応援したいの、二人の事を」
責められると思ってた。
責められるだけの事はしたと思ってたし、今でも思ってる。
だけど、ムギは笑顔で私を見守ってくれている。
ムギの笑顔は本当に温かくて、それが辛くて、私はまた呟いた。
「でも……、それは私の我儘で、こんな状況なのに……。
それなのに応援してくれるなんて……、こんな私の我儘を……」
「ねえ、りっちゃん?
りっちゃんは優しくて、誰のためにでも一生懸命になってくれるよね?
私はそれが嬉しいし、そんなりっちゃんが大好きよ。
でも……、でもね……、
私、りっちゃんにはもっと自分に自信を持ってほしい。
我儘だって、もっと言ってほしいの」
視線を合わせたムギは微笑んでいた。
さっきまでの困ったような笑顔じゃない。
安堵……って言うのかな。
すごくほっとしたみたいな笑顔だった。すごく意外な表情だった。
「よかった……。喧嘩じゃなかったんだね。
りっちゃんと澪ちゃんが喧嘩してるわけじゃないなら、私はそれで十分よ。
勿論、今日澪ちゃんと会えないのは残念だけど、
誰よりも澪ちゃんと付き合いの長いりっちゃんが言う事だもん。
きっとりっちゃんも澪ちゃんも今日は悩まなきゃいけない日なんだよね。
だったら、私も応援する。応援したいの、二人の事を」
責められると思ってた。
責められるだけの事はしたと思ってたし、今でも思ってる。
だけど、ムギは笑顔で私を見守ってくれている。
ムギの笑顔は本当に温かくて、それが辛くて、私はまた呟いた。
「でも……、それは私の我儘で、こんな状況なのに……。
それなのに応援してくれるなんて……、こんな私の我儘を……」
「ねえ、りっちゃん?
りっちゃんは優しくて、誰のためにでも一生懸命になってくれるよね?
私はそれが嬉しいし、そんなりっちゃんが大好きよ。
でも……、でもね……、
私、りっちゃんにはもっと自分に自信を持ってほしい。
我儘だって、もっと言ってほしいの」
404: にゃんこ 2011/07/25(月) 23:18:51.01 ID:mNeqt+dR0
「自信って……、だけど私は……」
「学園祭の時だってそう。
メンバー紹介の時、りっちゃんの自分の紹介がすごく短かったじゃない?
私、それがとても残念だったの。
私達の軽音部の部長なんだって、自慢の部長なんだって、もっと皆に紹介したかったな」
「それは……、確かにそうだったけどさ……」
学園祭の時は夢中で記憶はあんまりないけど、何となくは覚えてる。
ムギの言葉通り、学園祭のメンバー紹介の時、私は自分の自己紹介を早々に切り上げた。
それは照れ臭かったからってのもあるけど、
私よりも他のメンバーの紹介をした方が観客の皆も喜んでくれると思ったからでもある。
部長ではある私だけど、
私自身を目当てにライブに来てくれた人はあんまりいないはずだと思ったんだ。
だから、皆の紹介を優先した。
その方が多くの人に喜んでもらえると思ったんだけど、ムギはそれを残念だと言った。
自慢の部長だって言ってくれた。
私はそのムギの言葉にどう反応したらいいのか分からない。
自慢の部長だと言ってくれるのは嬉しいけど、
私にそう言われるだけの価値があるのか自身が無かったからだ。
自身が無い……か。
考えていて、気付いた。
ムギが言うように、確かに私は自分に自信があんまり持ててないみたいだ。
それはもしかすると無意識の内に、
部のメンバーと自分を比較してるからかもしれなかったけど、それは別の問題だった。
ムギが私に自信を持ってほしいと言ってくれている。
今はそれを優先的に考えるべきなんだろう。
少し声を落として、小さな声でムギに訊ねる。
「私、自慢の部長かな……?」
「勿論!」
即答だった。
迷いがなく、お世辞でもなく、ムギは強い瞳でそう言った。
拳まで握り締めて、強く主張してくれた。
元々、ムギは嘘が吐けるタイプでもないし、本気でそう思ってくれてるんだろう。
でも、その理由が私にはどうしても分からなかった。
悪い部長ではなかったと思うけど、
ムギに力強く主張されるほどいい部長だったとも思えないんだ。
私のその疑問を感じ取ってくれたのか、ムギがまた珍しく強い語調で続けた。
「さっきも言ったけど、りっちゃんは部員の私達の事を考えてくれてる。
自分よりも優先して考えてくれてるよね。
いつも明るいし、楽しませてくれるし、
軽音部の皆もそんなりっちゃんの事が大好きだと思うわ。
この高校生活、途中で終わっちゃう事になっちゃったけど……、
それはすごく残念だけど……、
でも、これまでずっとずっと楽しかった。
本当に本当に嬉しくて……、楽しくて……、
それは軽音部の部長でいてくれたりっちゃんのおかげよ。
だから、りっちゃんは自慢の部長よ。
何度でも自信を持って言えるわ。
りっちゃんは私達の自慢の部長なの」
「学園祭の時だってそう。
メンバー紹介の時、りっちゃんの自分の紹介がすごく短かったじゃない?
私、それがとても残念だったの。
私達の軽音部の部長なんだって、自慢の部長なんだって、もっと皆に紹介したかったな」
「それは……、確かにそうだったけどさ……」
学園祭の時は夢中で記憶はあんまりないけど、何となくは覚えてる。
ムギの言葉通り、学園祭のメンバー紹介の時、私は自分の自己紹介を早々に切り上げた。
それは照れ臭かったからってのもあるけど、
私よりも他のメンバーの紹介をした方が観客の皆も喜んでくれると思ったからでもある。
部長ではある私だけど、
私自身を目当てにライブに来てくれた人はあんまりいないはずだと思ったんだ。
だから、皆の紹介を優先した。
その方が多くの人に喜んでもらえると思ったんだけど、ムギはそれを残念だと言った。
自慢の部長だって言ってくれた。
私はそのムギの言葉にどう反応したらいいのか分からない。
自慢の部長だと言ってくれるのは嬉しいけど、
私にそう言われるだけの価値があるのか自身が無かったからだ。
自身が無い……か。
考えていて、気付いた。
ムギが言うように、確かに私は自分に自信があんまり持ててないみたいだ。
それはもしかすると無意識の内に、
部のメンバーと自分を比較してるからかもしれなかったけど、それは別の問題だった。
ムギが私に自信を持ってほしいと言ってくれている。
今はそれを優先的に考えるべきなんだろう。
少し声を落として、小さな声でムギに訊ねる。
「私、自慢の部長かな……?」
「勿論!」
即答だった。
迷いがなく、お世辞でもなく、ムギは強い瞳でそう言った。
拳まで握り締めて、強く主張してくれた。
元々、ムギは嘘が吐けるタイプでもないし、本気でそう思ってくれてるんだろう。
でも、その理由が私にはどうしても分からなかった。
悪い部長ではなかったと思うけど、
ムギに力強く主張されるほどいい部長だったとも思えないんだ。
私のその疑問を感じ取ってくれたのか、ムギがまた珍しく強い語調で続けた。
「さっきも言ったけど、りっちゃんは部員の私達の事を考えてくれてる。
自分よりも優先して考えてくれてるよね。
いつも明るいし、楽しませてくれるし、
軽音部の皆もそんなりっちゃんの事が大好きだと思うわ。
この高校生活、途中で終わっちゃう事になっちゃったけど……、
それはすごく残念だけど……、
でも、これまでずっとずっと楽しかった。
本当に本当に嬉しくて……、楽しくて……、
それは軽音部の部長でいてくれたりっちゃんのおかげよ。
だから、りっちゃんは自慢の部長よ。
何度でも自信を持って言えるわ。
りっちゃんは私達の自慢の部長なの」
405: にゃんこ 2011/07/25(月) 23:21:10.71 ID:mNeqt+dR0
嬉しかった。
そのムギの言葉が心から嬉しくて、舞い上がってしまいそうだった。
私はそんな部長でいられたんだな……。
それだけで軽音部を立ち上げた意味があったと思える。
だけど、同時にそれでいいのかって思ってしまう自分もいた。
ムギが軽音部を楽しんでくれたのは本当に嬉しい。
でも、それは……、それは……。
「ありがとう、ムギ。
私の事、自慢の部長って呼んでくれて嬉しい。
楽しんでくれて、私も嬉しい。
だけど……、それもさ……、私の我儘なんだ……」
私は言ってしまった。
言わない方がいい事だったんだろうけど、私はそれを伝えたかった。
ずっと心の中に引っ掛かっていた事、
皆と笑顔でいながらも少しの罪悪感に囚われてしまっていた事を。
伝えたかったんだ、ずっと。
「私はさ、皆にはいつも楽しんでほしいし、笑っててほしいよ。
そのためには何だってしてあげたいし、そうしてきたと思う。
さっきムギは私が優しくて、皆のために一生懸命になれるって言ってくれたけど、
それは全部、皆のためじゃなくて自分のためなんだよ。
私は皆が楽しんでるのが嬉しくて、自分が喜びたくて、皆を楽しませてるんだ。
軽音部の部長をやってるのも、自分が楽しみたかったからで……。
ごめんな……。
私はそんな自慢の部長なんかじゃなくて……。
澪との事でもムギに迷惑掛けてる自分勝手な奴なんだよ……」
私の言葉はどんどん小さくなって、最後には止まった。
こんな事を伝えてもムギが困るだけって事は分かってたのに、
私は何でこんな事を言っちゃってるんだろう。
でも、ずっと気になってる事だった。
皆の……、特にムギと唯の笑顔を見ると、たまに不安になってたんだ。
私は私のために軽音部をやってて、
自己満足のためにムギや唯を楽しませてて、
そんな自分勝手な私の姿を知られたくなくて……、
でも、知ってほしかった。
謝りたかったんだ、それだけは。
急にムギが歩き始める。
手を伸ばせば私に届く距離にまで近付く。
誰かのために一生懸命のようで、
その実は自分の事ばかり考えてた私にムギは失望したんだろうか。
平手打ちの一つでも来るんだろうか。
それも構わない、と私は思った。
平手打ちの一つどころか、好きなだけ叩いてくれていい。
ムギが私の目の前で両腕を上げ、勢いよく振り下ろす。
衝撃に備え、私は覚悟を決めて瞼を閉じる。
一瞬後、私の両側の頬に衝撃が走った。
そのムギの言葉が心から嬉しくて、舞い上がってしまいそうだった。
私はそんな部長でいられたんだな……。
それだけで軽音部を立ち上げた意味があったと思える。
だけど、同時にそれでいいのかって思ってしまう自分もいた。
ムギが軽音部を楽しんでくれたのは本当に嬉しい。
でも、それは……、それは……。
「ありがとう、ムギ。
私の事、自慢の部長って呼んでくれて嬉しい。
楽しんでくれて、私も嬉しい。
だけど……、それもさ……、私の我儘なんだ……」
私は言ってしまった。
言わない方がいい事だったんだろうけど、私はそれを伝えたかった。
ずっと心の中に引っ掛かっていた事、
皆と笑顔でいながらも少しの罪悪感に囚われてしまっていた事を。
伝えたかったんだ、ずっと。
「私はさ、皆にはいつも楽しんでほしいし、笑っててほしいよ。
そのためには何だってしてあげたいし、そうしてきたと思う。
さっきムギは私が優しくて、皆のために一生懸命になれるって言ってくれたけど、
それは全部、皆のためじゃなくて自分のためなんだよ。
私は皆が楽しんでるのが嬉しくて、自分が喜びたくて、皆を楽しませてるんだ。
軽音部の部長をやってるのも、自分が楽しみたかったからで……。
ごめんな……。
私はそんな自慢の部長なんかじゃなくて……。
澪との事でもムギに迷惑掛けてる自分勝手な奴なんだよ……」
私の言葉はどんどん小さくなって、最後には止まった。
こんな事を伝えてもムギが困るだけって事は分かってたのに、
私は何でこんな事を言っちゃってるんだろう。
でも、ずっと気になってる事だった。
皆の……、特にムギと唯の笑顔を見ると、たまに不安になってたんだ。
私は私のために軽音部をやってて、
自己満足のためにムギや唯を楽しませてて、
そんな自分勝手な私の姿を知られたくなくて……、
でも、知ってほしかった。
謝りたかったんだ、それだけは。
急にムギが歩き始める。
手を伸ばせば私に届く距離にまで近付く。
誰かのために一生懸命のようで、
その実は自分の事ばかり考えてた私にムギは失望したんだろうか。
平手打ちの一つでも来るんだろうか。
それも構わない、と私は思った。
平手打ちの一つどころか、好きなだけ叩いてくれていい。
ムギが私の目の前で両腕を上げ、勢いよく振り下ろす。
衝撃に備え、私は覚悟を決めて瞼を閉じる。
一瞬後、私の両側の頬に衝撃が走った。
406: にゃんこ 2011/07/25(月) 23:23:37.61 ID:mNeqt+dR0
だけど……。
その衝撃は私の想像していたそれとは、痛みが全然違った。
平手打ちなんてものじゃない。
友達を呼び止める時、ちょっと勢いよく肩を叩く程度の衝撃だった。
「もう……。駄目よ、りっちゃん」
ムギの穏やかな声が響き、閉じていた瞼を開いてみて、気付く。
ムギが私の頬を両手で優しく包んでいる事に。
気が付けば、私は絞り出すように呟いていた
「何……で……?」
「いいんだよ、りっちゃん。
恐がらなくても、大丈夫。恐がる必要なんてないわ。
だからね、そんなに自分を責めちゃ駄目よ、りっちゃん」
「私が恐がってる……?」
私の言葉にムギがゆっくり頷く。
そのムギの頷きを見て、
そうか、私は恐かったのか、と妙に冷静に私は考えていた。
世界の終わりは勿論恐いけど、それ以外の事も多分恐かった。
澪との関係に答えを出す事も恐かったし、梓の問題を解決できるかも不安でたまらない。
これからの事に不安は山積みだ。
でも、何より恐いのは、最後のライブを成功できるのかって重圧かもしれなかった。
それは聡や憂ちゃんのせいじゃない。
ライブを楽しみにしてくれる人が想像以上に多かった事を、自分一人で恐がってたんだと思う。
「そうだな……。恐かったのかもな……」
軽く私が頷くと、「うん」とムギもまた頷いた。
それから困ったような笑顔を浮かべる。
微苦笑とでも言うんだろうか。私が困らせてしまった時、ムギが浮かべる表情だ。
その衝撃は私の想像していたそれとは、痛みが全然違った。
平手打ちなんてものじゃない。
友達を呼び止める時、ちょっと勢いよく肩を叩く程度の衝撃だった。
「もう……。駄目よ、りっちゃん」
ムギの穏やかな声が響き、閉じていた瞼を開いてみて、気付く。
ムギが私の頬を両手で優しく包んでいる事に。
気が付けば、私は絞り出すように呟いていた
「何……で……?」
「いいんだよ、りっちゃん。
恐がらなくても、大丈夫。恐がる必要なんてないわ。
だからね、そんなに自分を責めちゃ駄目よ、りっちゃん」
「私が恐がってる……?」
私の言葉にムギがゆっくり頷く。
そのムギの頷きを見て、
そうか、私は恐かったのか、と妙に冷静に私は考えていた。
世界の終わりは勿論恐いけど、それ以外の事も多分恐かった。
澪との関係に答えを出す事も恐かったし、梓の問題を解決できるかも不安でたまらない。
これからの事に不安は山積みだ。
でも、何より恐いのは、最後のライブを成功できるのかって重圧かもしれなかった。
それは聡や憂ちゃんのせいじゃない。
ライブを楽しみにしてくれる人が想像以上に多かった事を、自分一人で恐がってたんだと思う。
「そうだな……。恐かったのかもな……」
軽く私が頷くと、「うん」とムギもまた頷いた。
それから困ったような笑顔を浮かべる。
微苦笑とでも言うんだろうか。私が困らせてしまった時、ムギが浮かべる表情だ。
407: にゃんこ 2011/07/25(月) 23:25:31.44 ID:mNeqt+dR0
「私もね……、本当はすっごく恐かったの。
この一ヶ月、私、お家のお手伝いをしてたじゃない?
詳しい事は分からないんだけど、でもね、ずっとお手伝いをしてると実感してくるの。
家族や、お手伝いの皆や、色んな人が必死に頑張ってる姿を見てると、感じるの。
世界の終わりの日は冗談なんかじゃなくって、本当に来るんだって。
それを皆、分かってるんだって……。
私、恐かったわ。
世界の終わりも恐かったし、私の大好きな皆も消えちゃうのがすっごく恐かった。
だからね、私、お家で何度も泣いちゃったわ」
「泣いちゃったのか?」
「うん。自分で言うのは、ちょっと恥ずかしいね……。
でも、本当よ?
毎日、お家のお手伝いが終わったら、ベッドの中でずっと泣いてたの。
お手伝い中、泣かないように我慢してた涙を全部流しちゃうくらい、大声で泣いてた。
しばらくの間、朝起きたらすごい顔してたな」
そう言うと、ムギの微苦笑から苦笑が消えた。
簡単に言えば、普段の優しい微笑みに戻ってた。
こんな時だけど、私は気が付けば軽口を叩いていた。
「そっか……。見たかったな、その時のムギの顔」
「駄目よ。その時の顔だけはりっちゃんにも見せられないわ」
「そりゃ残念だ」
わざと悪い顔になって私が言うと、「もう」とムギは軽く私の頬を抓った。
いや、これも抓ったってほどじゃない。
指に少し力を入れただけなのが、どうにもムギらしい。
そう感じがら、私は安心してる自分に気付いていた。
この一ヶ月、泣き過ぎてすごい顔になってたとムギは言った。
毎日じゃないだろうけど、学校に来なかった日にはそういうすごい顔をしてた日もあったんだろう。
だけど、少なくとも今のムギはそんなすごい顔をしてなかった。
今のムギは私達を安心させてくれる優しい顔をしてる。
つまり、ムギは泣かなくなったんだ。
世界の終わりに対する恐怖は完全には消えてないにしても、泣く事だけはやめたんだ。
笑顔でいる事に決めたんだ、最後まで。
この一ヶ月、私、お家のお手伝いをしてたじゃない?
詳しい事は分からないんだけど、でもね、ずっとお手伝いをしてると実感してくるの。
家族や、お手伝いの皆や、色んな人が必死に頑張ってる姿を見てると、感じるの。
世界の終わりの日は冗談なんかじゃなくって、本当に来るんだって。
それを皆、分かってるんだって……。
私、恐かったわ。
世界の終わりも恐かったし、私の大好きな皆も消えちゃうのがすっごく恐かった。
だからね、私、お家で何度も泣いちゃったわ」
「泣いちゃったのか?」
「うん。自分で言うのは、ちょっと恥ずかしいね……。
でも、本当よ?
毎日、お家のお手伝いが終わったら、ベッドの中でずっと泣いてたの。
お手伝い中、泣かないように我慢してた涙を全部流しちゃうくらい、大声で泣いてた。
しばらくの間、朝起きたらすごい顔してたな」
そう言うと、ムギの微苦笑から苦笑が消えた。
簡単に言えば、普段の優しい微笑みに戻ってた。
こんな時だけど、私は気が付けば軽口を叩いていた。
「そっか……。見たかったな、その時のムギの顔」
「駄目よ。その時の顔だけはりっちゃんにも見せられないわ」
「そりゃ残念だ」
わざと悪い顔になって私が言うと、「もう」とムギは軽く私の頬を抓った。
いや、これも抓ったってほどじゃない。
指に少し力を入れただけなのが、どうにもムギらしい。
そう感じがら、私は安心してる自分に気付いていた。
この一ヶ月、泣き過ぎてすごい顔になってたとムギは言った。
毎日じゃないだろうけど、学校に来なかった日にはそういうすごい顔をしてた日もあったんだろう。
だけど、少なくとも今のムギはそんなすごい顔をしてなかった。
今のムギは私達を安心させてくれる優しい顔をしてる。
つまり、ムギは泣かなくなったんだ。
世界の終わりに対する恐怖は完全には消えてないにしても、泣く事だけはやめたんだ。
笑顔でいる事に決めたんだ、最後まで。
408: にゃんこ 2011/07/25(月) 23:26:02.46 ID:mNeqt+dR0
「ムギはいい子だな」
言いながら、私も右手を伸ばしてムギの頬を触る。
柔らかく、温かいムギの頬。
ムギは首を傾げながら、少しだけ赤くなる。
もしかしたら、珍しい私の言動に照れてるのかもしれない。
顔を赤くしたまま、またムギが優しく微笑んで言った。
「りっちゃんだって素敵よ。
とっても素敵な私達の自慢の部長。
だって、世界の終わりの日が恐くなくなったのは、りっちゃんのおかげだもの」
「私の……?
でも、私は何も……」
してない、と言うより先に、ムギは首を横に振った。
癖のある柔らかいムギの髪が私の手をくすぐる。
その後に私に向けたムギの顔は、これまで見たどんなムギの顔より綺麗に見えた。
「ううん。
りっちゃんの……、りっちゃん達のおかげで私は恐くなくなったよ。
確かに『終末宣言』の後、りっちゃん達と話す機会は少なかったけど、
私の中のりっちゃん達が私を励ましてくれたの。
離れていたけど、ずっと傍にいてくれたの」
「ムギの中の私達……?」
「うん。私の中のりっちゃん達が……。
あ、でもね、妄想とか、妖精さんとかね、そういう事じゃないの。
泣いてた時、本当に恐かったのは世界が終わる事より、
りっちゃん達ともう会えなくなるって考える事だったんだ。
あんなに楽しかったのに、あんなに夢中になれたのに、
その時間がもうすぐ終わっちゃうなんて、とっても辛かった。
りっちゃん達が私と同じ大学を受けてくれるって聞いて、
まだ楽しい時間を続けられるって思ってたのに、それができなくなるのが嫌だったの。
だから、何度も何度も泣いちゃった」
言いながら、私も右手を伸ばしてムギの頬を触る。
柔らかく、温かいムギの頬。
ムギは首を傾げながら、少しだけ赤くなる。
もしかしたら、珍しい私の言動に照れてるのかもしれない。
顔を赤くしたまま、またムギが優しく微笑んで言った。
「りっちゃんだって素敵よ。
とっても素敵な私達の自慢の部長。
だって、世界の終わりの日が恐くなくなったのは、りっちゃんのおかげだもの」
「私の……?
でも、私は何も……」
してない、と言うより先に、ムギは首を横に振った。
癖のある柔らかいムギの髪が私の手をくすぐる。
その後に私に向けたムギの顔は、これまで見たどんなムギの顔より綺麗に見えた。
「ううん。
りっちゃんの……、りっちゃん達のおかげで私は恐くなくなったよ。
確かに『終末宣言』の後、りっちゃん達と話す機会は少なかったけど、
私の中のりっちゃん達が私を励ましてくれたの。
離れていたけど、ずっと傍にいてくれたの」
「ムギの中の私達……?」
「うん。私の中のりっちゃん達が……。
あ、でもね、妄想とか、妖精さんとかね、そういう事じゃないの。
泣いてた時、本当に恐かったのは世界が終わる事より、
りっちゃん達ともう会えなくなるって考える事だったんだ。
あんなに楽しかったのに、あんなに夢中になれたのに、
その時間がもうすぐ終わっちゃうなんて、とっても辛かった。
りっちゃん達が私と同じ大学を受けてくれるって聞いて、
まだ楽しい時間を続けられるって思ってたのに、それができなくなるのが嫌だったの。
だから、何度も何度も泣いちゃった」
409: にゃんこ 2011/07/25(月) 23:27:36.50 ID:mNeqt+dR0
「私も……、そうだよ、ムギ……。
自分が死ぬとかより、皆と会えなくなる事の方が辛かった」
「でもね、泣きながら気付いたんだ。
離れてても、りっちゃん達が私の中にいる事に。
勿論、離れてても平気って事じゃなくて、
上手く言えないけど、上手く言えないんだけど……」
ムギが言葉を失う。
何か大切な事を伝えようとしてくれてるんだろうけれど、いい言葉が見つからないに違いない。
でも、それをムギには言葉にしてほしいし、私もそのムギの言葉を聞きたかった。
その手助けをしてあげたかったけれど、私はどうにも無力だった。
自分の想いすら曖昧にしか表現できない私には、ムギのその言葉を導いてあげられない。
くそっ……、何やってんだ、私は……!
どうにか……、どうにかしたいのに、してあげたいのに……!
左手で頭を抱え、私はつい唸り声を上げてしまう。
瞬間、ムギが笑った。
これまでの優しい微笑みとは違う、何かが楽しくて浮かべる様な笑顔だった。
「もう、りっちゃんたら……。
また私のために一生懸命になっちゃうんだから……。
本当に優しいよね、りっちゃんは」
「あっ……」
今度は私が赤くなる番だった。
ムギの頬から手を放して、視線を逸らす。
その私の様子をムギは嬉しそうに見てたみたいだったけど、
しばらくしてから、「そうだわ」と何かを思い付いたように言った。
「ねえ、りっちゃん?
これから新曲を合わせてみない?
微調整をしておきたい所もあるし、私、りっちゃんのドラムが聞きたいな」
自分が死ぬとかより、皆と会えなくなる事の方が辛かった」
「でもね、泣きながら気付いたんだ。
離れてても、りっちゃん達が私の中にいる事に。
勿論、離れてても平気って事じゃなくて、
上手く言えないけど、上手く言えないんだけど……」
ムギが言葉を失う。
何か大切な事を伝えようとしてくれてるんだろうけれど、いい言葉が見つからないに違いない。
でも、それをムギには言葉にしてほしいし、私もそのムギの言葉を聞きたかった。
その手助けをしてあげたかったけれど、私はどうにも無力だった。
自分の想いすら曖昧にしか表現できない私には、ムギのその言葉を導いてあげられない。
くそっ……、何やってんだ、私は……!
どうにか……、どうにかしたいのに、してあげたいのに……!
左手で頭を抱え、私はつい唸り声を上げてしまう。
瞬間、ムギが笑った。
これまでの優しい微笑みとは違う、何かが楽しくて浮かべる様な笑顔だった。
「もう、りっちゃんたら……。
また私のために一生懸命になっちゃうんだから……。
本当に優しいよね、りっちゃんは」
「あっ……」
今度は私が赤くなる番だった。
ムギの頬から手を放して、視線を逸らす。
その私の様子をムギは嬉しそうに見てたみたいだったけど、
しばらくしてから、「そうだわ」と何かを思い付いたように言った。
「ねえ、りっちゃん?
これから新曲を合わせてみない?
微調整をしておきたい所もあるし、私、りっちゃんのドラムが聞きたいな」
413: にゃんこ 2011/07/27(水) 22:49:40.83 ID:X9dpuirv0
○
ドラムとキーボートだけの曲合わせ。
前代未聞ってほどじゃないけど、結構珍しい事だとは思う。
私もムギと二人だけで曲を合わせるなんてほとんどした事なかったし、
二人だけで合わせるのが完全な新曲なんて事は初めてのはずだった。
それにドラムとキーボートだけで曲の微調整なんてできるものなのか?
私は少しそう思ったけど、
作曲なんてした事ない私に詳しい事は分からなかったし、
こう言うのもなんだけど、曲の微調整の方は別にどうでもよかった。
「りっちゃんのドラムが聞きたい」とムギは言った。
そう言ってくれるならすぐにでも聞かせてあげたいし、
私の方だってムギのキーボードが聞きたかった。
この三日間、ムギが登校して来てくれるようになったおかげで、
ムギのキーボードを全然聞けてないってわけじゃないけど、
月曜日も火曜日も私の心に迷いがあったせいで集中しては聞けてなかった。
だから、私はムギのキーボードを聞きたい。
いや、違う。聞きたいんじゃなくて、聴きたい。
耳を澄まして、肌を震わせて、身体全身でムギのキーボードを感じたいんだ。
勿論、私の方にはまだ多くの迷いや恐怖がある。
それを忘れる事はできないし、しちゃいけないと思うけど、
せめて迷いは頭の片隅に置くだけにしておいて、気合を入れて演奏したいと思う。
……って、気合を入れてみたんだけど、私にはまだ不安があった。
だけど、その不安の原因は澪の事でも、梓の事でもなかった。
実は我ながら恥ずかしいんだけど、新曲を上手く叩けるか自信が無いんだよな……。
だって、新曲、超難しいんだぜ?
いや、難しい事は難しいんだけど、
それより新曲のジャンルに慣れてないからってのが大きいかな。
新曲とは言ってもいつもの甘々な曲調になるだろうって思ってたんだけど、
ムギの作曲した新曲は何故か今までの放課後ティータイムには無い激しい曲だったんだ。
ひょっとすると、澪の意向があったせいかもしれないな。
何故だか分からないけど、澪は今回の曲だけは激しい曲に仕上げたいらしかった。
恩那組って感じの熱く激しいロックスピリッツなバンドをしたかった私としては嬉しい限りなんだけど、
いくら何でもバンドを結成して二年以上経ったこの時期に、
いきなりこれまでと全然違うジャンルの曲をやれと言われても難しいってもんだ。
まったく……。
困ったもんだよ、澪の気紛れも……。
でも、そう思いながら、気が付けば私は頬が緩んでいた。
何だかとても懐かしい感覚が身体中に広がってる。
新曲を上手く演奏できるかどうかで不安になれるなんて久し振りだ。
あんまり褒められた話でもないけど、
そんな事で不安になれる感覚が自分に残ってた事がとても嬉しい。
キーボードの準備をするムギに視線を向けて、気付かれないように頭を下げる。
これから先も私は迷い続けていくんだろうけど、
今だけだとしてもこんなに落ちつけてるのはムギのおかげだ。
私の視線に気付いたのか、ムギが私の方に向いて首を傾げる。
私は頭を上げて、何もなかったみたいに笑顔で手に持ったスティックを振る。
まだ少し首を傾げながらも、ムギは微笑んで右手の親指と人差し指で丸を作る。
キーボードの準備が完了したって事だ。
私は椅子に座り直し、背筋を伸ばしてから深呼吸する。
上手く演奏できるか分からないし、
そもそもドラムとキーボートだけでどれだけ合わせられるかも微妙なところだ。
だけど、それでも構わない。
これはこれからも私達が放課後ティータイムでいられるかの再確認なんだから。
414: にゃんこ 2011/07/27(水) 22:50:16.34 ID:X9dpuirv0
頭上にスティックを掲げる。
両手のスティックをぶつけ、リズムを取る。
ムギのキーボードが奏でられ始める。
普段の甘い曲調かと錯覚させられる穏やかな曲の始まり。
だけど、即座に変調する。
激しく、滾るような、今までの私達には無い曲調に移行する。
歌詞が無いどころか、まだ曲名すら決まってない未完成の新曲。
でも、この曲は間違いなく私達の新曲で、恐らくは遺作となるだろう最後の曲。
私は全身で、これまでの曲以上に激しくリズムを刻む。
曲は所々で止まる。サビの部分も満足な形で演奏できない。
リードギターも、リズムギターも、ベースすらもいないんだから当然だ。
ドラムとキーボードだけの、ひどく間抜けなセッション。
セッションと呼んでいいのかも分からない曲合わせ。
でも、私とムギは目配せもなしに、演奏を合わせられる。
確かに私達の出番が無い箇所では演奏が短く止まる。
そればかりは誰だってどうしようもない事だ。
だけど、再開のタイミングを合わせる必要は私達には無い。
そりゃ楽譜通りに確実に演奏すれば、
タイミングを合わせる必要なんて無いだろうけど、残念ながら私にはそこまでの実力はない。
楽譜通りに完璧に演奏できれば、ドラムが走り過ぎてるなんて言われないだろうしな。
それでも私が確実に合わせられるのは、聞こえるからだ。
私だけじゃない。きっとムギも聞こえてるはずだ。
私達以外のメンバーの演奏が。
勿論、こう言うと台無しなんだけど、それは幻聴だ。
今ここにいないメンバーの演奏が聞こえるなんて、幻聴以外の何物でもない。
幻聴が聞こえる理由だって分かってる。
覚えてるからだ。
耳が、身体が、心が、皆の演奏を刻み込んでるからだ。
何度も練習した新曲を覚えてるから。覚えていられたから。
上達の早い唯のリードギターを。
努力の果てに手に入れた堅実な澪のベースを。
安定して皆を支える梓のリズムギターを。
仲間の、音楽を。
だから、そこにいなくても、私達は皆の演奏を心で聴く事ができる。
その演奏に合わせる事ができるんだ。
何も奇蹟って呼べるほどの現象じゃないだろう。
こんな事、多分、誰にだってできる。
仲間がいれば、きっと誰にでも起こるはずの日常だ。
日常で上等だ。特別なんて私には必要ない。
私は嬉しかった、その日常が。
さっきムギの言っていた事が理解できてくる。
「私の中のりっちゃん達が私を励ましてくれたの」ってムギの言葉。
傍にいるだけが仲間じゃない。
傍にいる事に越した事はないけど、傍にいなくても仲間は胸の中にいてくれる。
だから、ムギは泣くのをやめる事ができたんだ。
私もそうなんだって気付いた。
世界の終わりが辛くて悲しいのは仲間がいるからだけど、
世界の終わりを直前にしても前に進もうと思えるのは仲間のおかげなんだ。
当然だけど、皆が傍にいないのは寂しくて胸が痛む。
でも、それ以上に安心できて嬉しくなるし、胸が熱くなってくる。
私はまだ生きている。
私達はまだ生きていられる。
だから、逃げたくないし、世界の終わりに負けたくない。
もうすぐ死んでしまうとしても、それだけは嫌だ。嫌なんだ。
そうか……。
私があの時、澪の前で泣き出してしまった理由は……。
両手のスティックをぶつけ、リズムを取る。
ムギのキーボードが奏でられ始める。
普段の甘い曲調かと錯覚させられる穏やかな曲の始まり。
だけど、即座に変調する。
激しく、滾るような、今までの私達には無い曲調に移行する。
歌詞が無いどころか、まだ曲名すら決まってない未完成の新曲。
でも、この曲は間違いなく私達の新曲で、恐らくは遺作となるだろう最後の曲。
私は全身で、これまでの曲以上に激しくリズムを刻む。
曲は所々で止まる。サビの部分も満足な形で演奏できない。
リードギターも、リズムギターも、ベースすらもいないんだから当然だ。
ドラムとキーボードだけの、ひどく間抜けなセッション。
セッションと呼んでいいのかも分からない曲合わせ。
でも、私とムギは目配せもなしに、演奏を合わせられる。
確かに私達の出番が無い箇所では演奏が短く止まる。
そればかりは誰だってどうしようもない事だ。
だけど、再開のタイミングを合わせる必要は私達には無い。
そりゃ楽譜通りに確実に演奏すれば、
タイミングを合わせる必要なんて無いだろうけど、残念ながら私にはそこまでの実力はない。
楽譜通りに完璧に演奏できれば、ドラムが走り過ぎてるなんて言われないだろうしな。
それでも私が確実に合わせられるのは、聞こえるからだ。
私だけじゃない。きっとムギも聞こえてるはずだ。
私達以外のメンバーの演奏が。
勿論、こう言うと台無しなんだけど、それは幻聴だ。
今ここにいないメンバーの演奏が聞こえるなんて、幻聴以外の何物でもない。
幻聴が聞こえる理由だって分かってる。
覚えてるからだ。
耳が、身体が、心が、皆の演奏を刻み込んでるからだ。
何度も練習した新曲を覚えてるから。覚えていられたから。
上達の早い唯のリードギターを。
努力の果てに手に入れた堅実な澪のベースを。
安定して皆を支える梓のリズムギターを。
仲間の、音楽を。
だから、そこにいなくても、私達は皆の演奏を心で聴く事ができる。
その演奏に合わせる事ができるんだ。
何も奇蹟って呼べるほどの現象じゃないだろう。
こんな事、多分、誰にだってできる。
仲間がいれば、きっと誰にでも起こるはずの日常だ。
日常で上等だ。特別なんて私には必要ない。
私は嬉しかった、その日常が。
さっきムギの言っていた事が理解できてくる。
「私の中のりっちゃん達が私を励ましてくれたの」ってムギの言葉。
傍にいるだけが仲間じゃない。
傍にいる事に越した事はないけど、傍にいなくても仲間は胸の中にいてくれる。
だから、ムギは泣くのをやめる事ができたんだ。
私もそうなんだって気付いた。
世界の終わりが辛くて悲しいのは仲間がいるからだけど、
世界の終わりを直前にしても前に進もうと思えるのは仲間のおかげなんだ。
当然だけど、皆が傍にいないのは寂しくて胸が痛む。
でも、それ以上に安心できて嬉しくなるし、胸が熱くなってくる。
私はまだ生きている。
私達はまだ生きていられる。
だから、逃げたくないし、世界の終わりに負けたくない。
もうすぐ死んでしまうとしても、それだけは嫌だ。嫌なんだ。
そうか……。
私があの時、澪の前で泣き出してしまった理由は……。
415: にゃんこ 2011/07/27(水) 22:52:45.37 ID:X9dpuirv0
演奏が終わる。
一度もミスをする事なく、ムギとの演奏を終えられた。
完璧に合わせる事ができた。
ムギの演奏だけじゃなくて、私の中の皆の演奏とも。
心地良い疲れを感じながら、私はムギに声を掛ける。
「やっぱドラムとキーボードだけってのは寂しいよな」
「うん。それはそうよね。流石に少し無理があったね」
そう言いながら、ムギも微笑んで私を見ていた。
多分、私がすごく嬉しそうな顔をしてたからだろう。
仕方ないじゃないか。すごく嬉しかったんだから。
「ありがと、ムギ。
ムギの言いたい事、何となく分かったよ。
言葉にはしにくいけど、心の中では分かった気がする。
仲間と離れたくはない。離れてても平気なはずない。
だけど……、離れてても私達の中には、良くも悪くも仲間がいるんだよな……。
ドラムを叩いてると聞こえるんだよ、皆の演奏が。
それが辛いんだけど、悲しいんだけど……、それ以上に嬉しい……な」
「私も聞こえたよ、皆の演奏。
だから、もっと頑張らなくちゃって思うの。
それと、私の方こそありがとう、りっちゃん。
涙が止まらなったのはりっちゃん達がいたからだけど、
涙を止められたのもりっちゃん達のおかげなの。
だから、本当にありがとう、りっちゃん」
「考えてみりゃ、
私の勝手でムギを軽音部に引きずり込んだわけだけど、
今思うとそうしてて本当によかったと思うよ。
私の我儘に付き合ってくれて、ありがとな、ムギ」
「ねえ、りっちゃん?
私の持って来るお菓子、好き?」
唐突に話題が変わった。
ムギが何の話をしようとしているのか分からない。
私は面食らって変な顔をしてしまったけど、素直に頷く事にした。
「勿論好きだぜ?
美味しいもんな、ムギの持って来るおやつ。
前持って来てくれたFT何とかって紅茶も美味しかったしな」
「FTGFOPね。
今日も持って来てるから、後で淹れてあげるね」
「おっ、ありがとな、ムギ。
そういや、もしかしたら軽音部が廃部にならなかったのって、ムギのおかげかもな。
唯が入らなきゃ廃部になってたわけだけど、
唯の奴、ムギのおやつがなかったら、うちに入ってなかった可能性が高いからな……。
あっ、やべっ。冗談のつもりだったけど、何だか本当にそんな気がしてきた……。
……本当にありがとな、ムギ。その意味でも!」
一度もミスをする事なく、ムギとの演奏を終えられた。
完璧に合わせる事ができた。
ムギの演奏だけじゃなくて、私の中の皆の演奏とも。
心地良い疲れを感じながら、私はムギに声を掛ける。
「やっぱドラムとキーボードだけってのは寂しいよな」
「うん。それはそうよね。流石に少し無理があったね」
そう言いながら、ムギも微笑んで私を見ていた。
多分、私がすごく嬉しそうな顔をしてたからだろう。
仕方ないじゃないか。すごく嬉しかったんだから。
「ありがと、ムギ。
ムギの言いたい事、何となく分かったよ。
言葉にはしにくいけど、心の中では分かった気がする。
仲間と離れたくはない。離れてても平気なはずない。
だけど……、離れてても私達の中には、良くも悪くも仲間がいるんだよな……。
ドラムを叩いてると聞こえるんだよ、皆の演奏が。
それが辛いんだけど、悲しいんだけど……、それ以上に嬉しい……な」
「私も聞こえたよ、皆の演奏。
だから、もっと頑張らなくちゃって思うの。
それと、私の方こそありがとう、りっちゃん。
涙が止まらなったのはりっちゃん達がいたからだけど、
涙を止められたのもりっちゃん達のおかげなの。
だから、本当にありがとう、りっちゃん」
「考えてみりゃ、
私の勝手でムギを軽音部に引きずり込んだわけだけど、
今思うとそうしてて本当によかったと思うよ。
私の我儘に付き合ってくれて、ありがとな、ムギ」
「ねえ、りっちゃん?
私の持って来るお菓子、好き?」
唐突に話題が変わった。
ムギが何の話をしようとしているのか分からない。
私は面食らって変な顔をしてしまったけど、素直に頷く事にした。
「勿論好きだぜ?
美味しいもんな、ムギの持って来るおやつ。
前持って来てくれたFT何とかって紅茶も美味しかったしな」
「FTGFOPね。
今日も持って来てるから、後で淹れてあげるね」
「おっ、ありがとな、ムギ。
そういや、もしかしたら軽音部が廃部にならなかったのって、ムギのおかげかもな。
唯が入らなきゃ廃部になってたわけだけど、
唯の奴、ムギのおやつがなかったら、うちに入ってなかった可能性が高いからな……。
あっ、やべっ。冗談のつもりだったけど、何だか本当にそんな気がしてきた……。
……本当にありがとな、ムギ。その意味でも!」
416: にゃんこ 2011/07/27(水) 22:54:58.75 ID:X9dpuirv0
私のお礼にムギは微笑んだけど、急に表情を曇らせて目を伏せた。
ムギがそんな表情をする必要なんて無いのに、何があったのか不安になった。
目を伏せたままで、ムギが小さな声で呟く
「そのお菓子をね……、
本当は私のために持って来てたって言ったら、りっちゃんは私を嫌いになる?」
「え? 何だよ、いきなり……」
「私ね、皆に美味しいお菓子を食べてもらいたかったの。
皆が喜んでくれるのは嬉しいし、皆の笑顔を見るのが好きだったから。
でもね……、それだけじゃないの。
ずっと隠してたけど、私ね、皆が喜んでくれるのが嬉しいから、
自分が嬉しくなりたいから、お菓子を持って来てたんだ。
「ムギちゃん、すごい」って言われたくて、自分のために持って来てたの」
「でも、それくらい誰だって……」
「ううん、最後まで聞いて。
それにもう一つ隠してた事があるの。
私、恐かったの……。
お菓子を持って来ない私を好きになってもらえる自信がなかったの……。
お菓子を持って来ない私なんて要らないって言われるのが恐くて、
だから、そんな私の我儘を通すためにずっとお菓子を持って来てた。
ねえ、りっちゃん?
そんな自分勝手な私の話を聞いてどう思う?
嫌いに……、なっちゃったかな……?」
そんな事で嫌いになるかよ!
ムギの気持ちは分かる。本当によく分かる。
私も恐かった。
いつも明るく楽しいりっちゃんって言われるけど、
そうじゃない私が人に好かれるか恐くなった事は何度もある。
たまに落ち込んで辛い時もあったけど、
そんな時でも無理して明るい顔をしてた。
恐かったからだ。明るくない自分が拒絶されるのが恐かったから。
だから、ムギの言う事がよく分かるんだ。
確かにそれは自分勝手かもしれないけど、そんな事で嫌いになるわけなんてない。
私はそれをムギに伝えようと口を開いたけど、それが言葉になる事はなかった。
言葉にする直前になって、
そのムギの言葉が新曲の演奏前に、私がムギに言っていた事と同じだと気付いたからだ。
そうだよ……、何を言っちゃってたんだよ、私は……。
自分勝手に動いてる罪悪感に耐え切れなくて、ムギに弱音を吐いてただけじゃんかよ……。
真の意味で自分の馬鹿さ加減に呆れてきて、放心してしまう。
そんな間抜けな表情を浮かべる私とは逆に、柔らかく微笑んだムギが続けた。
ムギがそんな表情をする必要なんて無いのに、何があったのか不安になった。
目を伏せたままで、ムギが小さな声で呟く
「そのお菓子をね……、
本当は私のために持って来てたって言ったら、りっちゃんは私を嫌いになる?」
「え? 何だよ、いきなり……」
「私ね、皆に美味しいお菓子を食べてもらいたかったの。
皆が喜んでくれるのは嬉しいし、皆の笑顔を見るのが好きだったから。
でもね……、それだけじゃないの。
ずっと隠してたけど、私ね、皆が喜んでくれるのが嬉しいから、
自分が嬉しくなりたいから、お菓子を持って来てたんだ。
「ムギちゃん、すごい」って言われたくて、自分のために持って来てたの」
「でも、それくらい誰だって……」
「ううん、最後まで聞いて。
それにもう一つ隠してた事があるの。
私、恐かったの……。
お菓子を持って来ない私を好きになってもらえる自信がなかったの……。
お菓子を持って来ない私なんて要らないって言われるのが恐くて、
だから、そんな私の我儘を通すためにずっとお菓子を持って来てた。
ねえ、りっちゃん?
そんな自分勝手な私の話を聞いてどう思う?
嫌いに……、なっちゃったかな……?」
そんな事で嫌いになるかよ!
ムギの気持ちは分かる。本当によく分かる。
私も恐かった。
いつも明るく楽しいりっちゃんって言われるけど、
そうじゃない私が人に好かれるか恐くなった事は何度もある。
たまに落ち込んで辛い時もあったけど、
そんな時でも無理して明るい顔をしてた。
恐かったからだ。明るくない自分が拒絶されるのが恐かったから。
だから、ムギの言う事がよく分かるんだ。
確かにそれは自分勝手かもしれないけど、そんな事で嫌いになるわけなんてない。
私はそれをムギに伝えようと口を開いたけど、それが言葉になる事はなかった。
言葉にする直前になって、
そのムギの言葉が新曲の演奏前に、私がムギに言っていた事と同じだと気付いたからだ。
そうだよ……、何を言っちゃってたんだよ、私は……。
自分勝手に動いてる罪悪感に耐え切れなくて、ムギに弱音を吐いてただけじゃんかよ……。
真の意味で自分の馬鹿さ加減に呆れてきて、放心してしまう。
そんな間抜けな表情を浮かべる私とは逆に、柔らかく微笑んだムギが続けた。
417: にゃんこ 2011/07/27(水) 22:58:57.52 ID:X9dpuirv0
「分かってくれたみたいね、りっちゃん。
だから、自分の事を自分勝手だなんて、我儘だなんて思わないで。
誰かのために何かをしてるみたいで、
本当は全部自分のためだったなんて、誰だってそうなんだって私は思うの。
私だってそうだし、本当の意味で誰かのために何かを行動できる人なんていないと思うわ。
皆、自分の得のために、誰かの手助けをするの。
自分を好きになってもらうためだったり、自分をいい人だと思うためだったり、
でも、それでいいんだと思うわ。
それにね……、それでも私は嬉しかったの。
軽音部に入って、皆の仲間に入れてもらえて、すっごく嬉しかった」
「私だって……。
私だって、ムギが仲間に入ってくれてすごく嬉しかった。
澪にも言ってないけど、実はムギが入部してくれた日さ、
家に帰った後も布団の中で何度も何度もガッツポーズするくらい嬉しかったんだ。
本当に嬉しかった」
二人とも、いや、多分、誰でも自分のために生きてる。
自分のためにしか生きられない。
でも、ムギはそれでいいと言ってくれた。
私が私のためにムギを部に誘ったとしても、それがすごく嬉しかったからだ。
それを私に気付かせてくれるために、
隠してたかったはずのムギ自身の本音まで教えてくれて……。
私のせいでそんな事をさせてしまって、またムギに謝りたくなってしまう。
いや、きっとムギはそんなの望まないだろう。
今はごめんなさいって言葉よりも、ありがとうって言葉が必要なんだ。
だから、私はムギに感謝する。
仲間になってくれて、親友になってくれてありがとう。
心からそう伝えたい。
だけど、最後に一つだけ……。
私の最後の不安をムギに聞いてもらいたいと思う。
「私は我儘だと自分でも思う。でも、本当にそれでいいのか?」
「いいの。りっちゃんは我儘でもいい。
りっちゃんの我儘の中は、単に我儘だけじゃなくて、
私達の事を考えて言ってくれる我儘の方が多いんだから。
それが私達には嬉しいの。
りっちゃんの我儘のおかげで、私達は軽音部でとても楽しかったんだしね。
だから、もっと自分に自信を持って。
私達に自慢の部長って自慢させてほしいな」
「だけど、思うんだよな。
たまに私は度の過ぎた我儘を言っちゃう事があるって。
それで何度も皆を傷付けた事があると思ってる。
もしもまたそうなっちゃったら……。
気が付かないうちに皆を傷付ける我儘を言っちゃってたら……」
「大丈夫よ。その時は……」
言葉を止めたムギが、右手で自分の右目を吊り上げ、左手で何もない場所を軽く殴る。
何だか見慣れた光景を思い出す。
「その時は澪ちゃんが叩いてくれるよ」
言って、ムギが吊り上げてた目を元に戻す。
ツリ目で左利きの拳骨……、澪の物真似のつもりだったらしい。
そういや、マンボウ以外のムギの物真似は珍しい。
少しおかしくなって笑いをこぼしながら、私は自分に言い聞かせるように呟いた。
だから、自分の事を自分勝手だなんて、我儘だなんて思わないで。
誰かのために何かをしてるみたいで、
本当は全部自分のためだったなんて、誰だってそうなんだって私は思うの。
私だってそうだし、本当の意味で誰かのために何かを行動できる人なんていないと思うわ。
皆、自分の得のために、誰かの手助けをするの。
自分を好きになってもらうためだったり、自分をいい人だと思うためだったり、
でも、それでいいんだと思うわ。
それにね……、それでも私は嬉しかったの。
軽音部に入って、皆の仲間に入れてもらえて、すっごく嬉しかった」
「私だって……。
私だって、ムギが仲間に入ってくれてすごく嬉しかった。
澪にも言ってないけど、実はムギが入部してくれた日さ、
家に帰った後も布団の中で何度も何度もガッツポーズするくらい嬉しかったんだ。
本当に嬉しかった」
二人とも、いや、多分、誰でも自分のために生きてる。
自分のためにしか生きられない。
でも、ムギはそれでいいと言ってくれた。
私が私のためにムギを部に誘ったとしても、それがすごく嬉しかったからだ。
それを私に気付かせてくれるために、
隠してたかったはずのムギ自身の本音まで教えてくれて……。
私のせいでそんな事をさせてしまって、またムギに謝りたくなってしまう。
いや、きっとムギはそんなの望まないだろう。
今はごめんなさいって言葉よりも、ありがとうって言葉が必要なんだ。
だから、私はムギに感謝する。
仲間になってくれて、親友になってくれてありがとう。
心からそう伝えたい。
だけど、最後に一つだけ……。
私の最後の不安をムギに聞いてもらいたいと思う。
「私は我儘だと自分でも思う。でも、本当にそれでいいのか?」
「いいの。りっちゃんは我儘でもいい。
りっちゃんの我儘の中は、単に我儘だけじゃなくて、
私達の事を考えて言ってくれる我儘の方が多いんだから。
それが私達には嬉しいの。
りっちゃんの我儘のおかげで、私達は軽音部でとても楽しかったんだしね。
だから、もっと自分に自信を持って。
私達に自慢の部長って自慢させてほしいな」
「だけど、思うんだよな。
たまに私は度の過ぎた我儘を言っちゃう事があるって。
それで何度も皆を傷付けた事があると思ってる。
もしもまたそうなっちゃったら……。
気が付かないうちに皆を傷付ける我儘を言っちゃってたら……」
「大丈夫よ。その時は……」
言葉を止めたムギが、右手で自分の右目を吊り上げ、左手で何もない場所を軽く殴る。
何だか見慣れた光景を思い出す。
「その時は澪ちゃんが叩いてくれるよ」
言って、ムギが吊り上げてた目を元に戻す。
ツリ目で左利きの拳骨……、澪の物真似のつもりだったらしい。
そういや、マンボウ以外のムギの物真似は珍しい。
少しおかしくなって笑いをこぼしながら、私は自分に言い聞かせるように呟いた。
418: にゃんこ 2011/07/27(水) 22:59:29.67 ID:X9dpuirv0
「そっか……。そうだよな……」
「勿論、そんな時は私達だってちゃんと言うよ。
唯ちゃんは突っ込んでくれるだろうし、きっと梓ちゃんも注意してくれる。
私だってりっちゃんのおやつを抜きにしちゃうからね」
「それだけは勘弁してくれ……」
うなだれて呟きながらも、私は嬉しくて泣きそうになっていた。
私が失敗してしまっても、注意してくれる仲間がいる。
そう思う事で、すごく安心できる。
おやつ抜きは嫌だしな。
最初こそ私の我儘から始まった部活だったけど、
皆にとってこんなにも大切な居場所にする事ができたのか……。
もうすぐ失ってしまうこの部活だけど、
このままじゃ終わらせない。絶対に終わらせてやらない。
もう世界の終わりになんか負けるもんか。
「ありがとう、ムギ」
これまで何度も言ってきた言葉だけど、
こんなに心の底から滲み出て、極自然にありがとうと言えたのは初めての気がする。
「どういたしまして」
ムギがとても綺麗な笑顔で微笑む。
私は照れ臭くなって、両手に持ったスティックを叩き合わせる事で誤魔化す事にした。
「よし。じゃあ、練習続けるぞ、ムギ!」
「あいよー!」
唯みたいな返事をして、ムギがまた演奏を始める。
私も難しい新曲に体当たりでぶつかっていく。
私達の音楽を、奏でる。
そこにいないメンバーの曲を心で再現しながら、未完成な曲を心で完成させる。
難易度の高いパートを終え、曲の繋ぎのパートに入った時、急にムギが演奏を止めた。
私も手を止め、振り返って私の方を見るムギに視線を向ける。
ムギがミスをしたわけじゃないし、私だってミスしてない。
急な訪問者があったわけでもない。
何の前触れもなく、唐突にムギが演奏を止めたんだ。
でも、その急展開の理由には、私にも心当たりがあった。
もしかしたら……。
「なあ、ムギ。ひょっとして……」
「うん、ごめんね……。
難しい所が終わって気を抜いてる私の中の唯ちゃんがギターを失敗しちゃって……。
それが気になって演奏止めちゃった……」
「確かにそこ何度も唯がミスした所だよな。
実を言うと、さっき私の思い出してる時も唯がそこでミスしてたし。
難易度の高い所はできるのに、何でそこが終わると気を抜いちゃうんだ……、
って、うおい!
そこまで再現せんでいい!」
長い乗り突っ込みだった。
私達の心の中にはいつだって軽音部の仲間がいる。
いい意味でも、悪い意味でも……。
今回は悪い意味だったみたいだけど。
勿論、それが嫌なわけじゃない。
ムギがばつの悪そうに苦笑して、私もそのムギに合わせて笑った。
明日、唯に会ったら、このパートを重点的に気を付けるように言っておこう。
「勿論、そんな時は私達だってちゃんと言うよ。
唯ちゃんは突っ込んでくれるだろうし、きっと梓ちゃんも注意してくれる。
私だってりっちゃんのおやつを抜きにしちゃうからね」
「それだけは勘弁してくれ……」
うなだれて呟きながらも、私は嬉しくて泣きそうになっていた。
私が失敗してしまっても、注意してくれる仲間がいる。
そう思う事で、すごく安心できる。
おやつ抜きは嫌だしな。
最初こそ私の我儘から始まった部活だったけど、
皆にとってこんなにも大切な居場所にする事ができたのか……。
もうすぐ失ってしまうこの部活だけど、
このままじゃ終わらせない。絶対に終わらせてやらない。
もう世界の終わりになんか負けるもんか。
「ありがとう、ムギ」
これまで何度も言ってきた言葉だけど、
こんなに心の底から滲み出て、極自然にありがとうと言えたのは初めての気がする。
「どういたしまして」
ムギがとても綺麗な笑顔で微笑む。
私は照れ臭くなって、両手に持ったスティックを叩き合わせる事で誤魔化す事にした。
「よし。じゃあ、練習続けるぞ、ムギ!」
「あいよー!」
唯みたいな返事をして、ムギがまた演奏を始める。
私も難しい新曲に体当たりでぶつかっていく。
私達の音楽を、奏でる。
そこにいないメンバーの曲を心で再現しながら、未完成な曲を心で完成させる。
難易度の高いパートを終え、曲の繋ぎのパートに入った時、急にムギが演奏を止めた。
私も手を止め、振り返って私の方を見るムギに視線を向ける。
ムギがミスをしたわけじゃないし、私だってミスしてない。
急な訪問者があったわけでもない。
何の前触れもなく、唐突にムギが演奏を止めたんだ。
でも、その急展開の理由には、私にも心当たりがあった。
もしかしたら……。
「なあ、ムギ。ひょっとして……」
「うん、ごめんね……。
難しい所が終わって気を抜いてる私の中の唯ちゃんがギターを失敗しちゃって……。
それが気になって演奏止めちゃった……」
「確かにそこ何度も唯がミスした所だよな。
実を言うと、さっき私の思い出してる時も唯がそこでミスしてたし。
難易度の高い所はできるのに、何でそこが終わると気を抜いちゃうんだ……、
って、うおい!
そこまで再現せんでいい!」
長い乗り突っ込みだった。
私達の心の中にはいつだって軽音部の仲間がいる。
いい意味でも、悪い意味でも……。
今回は悪い意味だったみたいだけど。
勿論、それが嫌なわけじゃない。
ムギがばつの悪そうに苦笑して、私もそのムギに合わせて笑った。
明日、唯に会ったら、このパートを重点的に気を付けるように言っておこう。
421: にゃんこ 2011/07/31(日) 21:15:23.78 ID:bwm/XcdO0
○
六回くらいムギと新曲を合わせ終わった時、
私は軽音部に向かってくる忙しない足音に気が付いた。
多分、走ってるんだろうその足音。
それは待ち合わせに遅刻しそうな時に唯が立てる足音に似てたけど、
今日は唯は憂ちゃんと過ごすはずで、ここには来ないはずだった。
勿論、澪の足音ともかなり違う気がする。
つまり、軽音部に近付いて来ているこの足音の持ち主は……。
私の身体が小さく硬直する。
心臓の鼓動が僅かにだけど速くなる。
逃げ出したあいつの姿を思い出して、胸が痛んでくる。
正直、辛いし、若干逃げ出したくもある。
でも、もう逃げられないし、逃げたくない。
まだ確認は取れてないけど、何が起こってもおかしくないこの時期、
あいつにあんな夜の道を一人で出歩かせるような事だけは、もうさせちゃいけない。
もう私があいつに嫌われているんだとしても、
嫌われてるなりにしなきゃいけない事もあるはずだ。
私は頷いて、スティックを片付ける。
近付いて来る足音をじっと待つ。
ふと視線を送ると、ムギもどこか緊張した表情で唇を閉じていた。
ムギは鈍感じゃない。
人の気持ちを察する事ができるし、近付く足音の持ち主が誰かも分かってるはずだ。
ムギも私と同じ気持ちなんだな……。
そう思うと勇気が湧いてくる。
今度こそあいつと向き合うんだって、そんな気持ちにさせてくれた。
「おはようございます!
すみません、遅くなりました!」
扉が開いて、挨拶が部室内に響く。
私はムギと二人で部室の扉の方向に視線を向ける。
勿論、扉を開いたのは私達の小さくて唯一の後輩の梓だった。
走ってたせいか息を上げて、ほんの少し汗も掻いてるみたいだ。
昨日までは制服で部室に来てたのに、
今日の梓は何故か私服なのが少し気になる。
「おう、おはよう」
自分の掌にも汗を掻くのを感じながら、私は何気ない素振りで声を掛ける。
これから重大な話をしなきゃいけないんだと思うと、やっぱり緊張してしまう。
「梓ちゃん、おはよう」
ムギの声も何だか上擦ってるように聞こえた。
ムギも緊張してるんだ。
梓は自分の悩みを私だけじゃなく、誰にも語らなかったし、
それどころか自分が悩んでいる素振りすら誰にも見せないようにしていた。
自分は悩んでない。
誰にも心配される必要はない。
梓のそんな姿はかえって私達を不安にさせる。
『本当に辛い事ほど、「大好き」な人には言えないものだから』。
不意に昨日聞いた和の言葉を思い出す。
梓が私達の事を大好きかどうかは別問題としても、
本当に辛い事ほど誰かに話す事ができないのは確かだと私も思う。
私だってそうだったし、誰だってそうだと思う。
本気で悩んでるんだけど……、
って、自分から切り出すような悩みなんて、きっと本当は大した事じゃない悩みなんだ。
だから、恐い。
梓がどれだけ大きな悩みを抱えてるのか、想像もできない。
そんな悩みを私なんかがどうにかできるんだろうか。
無理じゃないかと思えて仕方がない。
私はちっぽけで凡人の単なる女子高生なんだ。
きっと、私が梓の悩みを探るのは、梓にとっても迷惑に違いない。
それでも、このまま逃げる事だけはしちゃいけないはずだ。
私と梓のお互い……な。
422: にゃんこ 2011/07/31(日) 21:16:07.36 ID:bwm/XcdO0
「今日、唯先輩が来ないらしいですね。
憂から聞きました。今日唯先輩と会えないのは残念ですけど……。
でも、唯先輩もちゃんと憂の事を考えてたみたいで、何だか嬉しいです」
寂しげな笑顔で呟きながら、
梓が長椅子に自分の鞄を置きに……いかない。
そりゃそうだ。
今日の梓は私服姿で自分のギターを持ってるだけだった。
どうして私は梓が長椅子に自分の鞄を置きに行くと思ったんだ?
いや、答えは簡単だった。
梓だけじゃない。部室に入った時、私達はまず長椅子に自分の鞄を置きに行くからだ。
誰が決めたわけでもない。
その方が楽だから誰もがそうしてるってだけの習慣だ。
考えてみれば、ここ最近、梓は自分の鞄を持って来てない気がする。
まあ、授業も無いんだから、かさばる鞄を家に置いてるだけなのかもしれないけど。
「あれ?
そういえば澪先輩は?」
梓は唯だけじゃなく、澪も部室にいない事に気付いたらしい。
部室内を見回しながら、何でもない事みたいに訊ねてきた。
そうだ。梓は今日澪も来ない事を知らなかったんだ。
澪が今日来ないのを知ってるのは、私がそれを話した憂ちゃんだけだからそれも当然だった。
ムギに伝える時もそうだったけど、他に悩みを持ってるはずの梓にはそれ以上に言いにくい。
嫌でも自分の身勝手さを実感させられて、ひどく申し訳なくなってくる。
でも、私はまっすぐに梓の瞳を見つめて、その言いにくい事を伝える事にした。
言わないで終わらせられる事じゃなかったし、
これから私は梓にそれよりもずっと言いにくい事を何度も言わなきゃいけないんだから。
「澪は今日、来ないんだ」
私の言葉に、梓の寂しげな笑顔が硬直した。
私が何を言っているのか理解できないって表情だった。
胸が強く痛い。心が折れそうだ。
梓は特に澪に憧れていた。その先輩と会えないなんて、かなりの衝撃だろう。
私なんかで澪や唯の代わりが務まるとも、とても思えない。
梓の中の自分の立ち位置を実感させられて、私の方が辛くなってきそうだ。
自業自得……かもな。
いや、私の辛さなんて、今は関係ないか。
今は梓の辛さや迷いの方に目を向けなきゃいけない時だ。
私は言葉を絞り出して続ける。
「ごめんな……。
別に喧嘩したわけじゃないんだけど、今日はさ、澪は……」
私のその言葉は最後まで伝える事はできなかった。
突然、梓が泣き出しそうな表情に変わって、
ギターの『むったん』も置かず、そのまま部室から飛び出してしまったからだ。
止める時間も隙もない。
本当に一瞬と言えるくらいの時間に、梓は部室からいなくなってしまった。
憂から聞きました。今日唯先輩と会えないのは残念ですけど……。
でも、唯先輩もちゃんと憂の事を考えてたみたいで、何だか嬉しいです」
寂しげな笑顔で呟きながら、
梓が長椅子に自分の鞄を置きに……いかない。
そりゃそうだ。
今日の梓は私服姿で自分のギターを持ってるだけだった。
どうして私は梓が長椅子に自分の鞄を置きに行くと思ったんだ?
いや、答えは簡単だった。
梓だけじゃない。部室に入った時、私達はまず長椅子に自分の鞄を置きに行くからだ。
誰が決めたわけでもない。
その方が楽だから誰もがそうしてるってだけの習慣だ。
考えてみれば、ここ最近、梓は自分の鞄を持って来てない気がする。
まあ、授業も無いんだから、かさばる鞄を家に置いてるだけなのかもしれないけど。
「あれ?
そういえば澪先輩は?」
梓は唯だけじゃなく、澪も部室にいない事に気付いたらしい。
部室内を見回しながら、何でもない事みたいに訊ねてきた。
そうだ。梓は今日澪も来ない事を知らなかったんだ。
澪が今日来ないのを知ってるのは、私がそれを話した憂ちゃんだけだからそれも当然だった。
ムギに伝える時もそうだったけど、他に悩みを持ってるはずの梓にはそれ以上に言いにくい。
嫌でも自分の身勝手さを実感させられて、ひどく申し訳なくなってくる。
でも、私はまっすぐに梓の瞳を見つめて、その言いにくい事を伝える事にした。
言わないで終わらせられる事じゃなかったし、
これから私は梓にそれよりもずっと言いにくい事を何度も言わなきゃいけないんだから。
「澪は今日、来ないんだ」
私の言葉に、梓の寂しげな笑顔が硬直した。
私が何を言っているのか理解できないって表情だった。
胸が強く痛い。心が折れそうだ。
梓は特に澪に憧れていた。その先輩と会えないなんて、かなりの衝撃だろう。
私なんかで澪や唯の代わりが務まるとも、とても思えない。
梓の中の自分の立ち位置を実感させられて、私の方が辛くなってきそうだ。
自業自得……かもな。
いや、私の辛さなんて、今は関係ないか。
今は梓の辛さや迷いの方に目を向けなきゃいけない時だ。
私は言葉を絞り出して続ける。
「ごめんな……。
別に喧嘩したわけじゃないんだけど、今日はさ、澪は……」
私のその言葉は最後まで伝える事はできなかった。
突然、梓が泣き出しそうな表情に変わって、
ギターの『むったん』も置かず、そのまま部室から飛び出してしまったからだ。
止める時間も隙もない。
本当に一瞬と言えるくらいの時間に、梓は部室からいなくなってしまった。
423: にゃんこ 2011/07/31(日) 21:18:31.29 ID:bwm/XcdO0
私は呆然とするしかなかった。
そこまで……なのか?
そこまで私は梓に疎ましく思われてるのか?
唯と澪が傍にいなければ、話もしたくないくらいに私を嫌ってるのか?
嫌われてるなりに……とは思ってたけど、
ここまで嫌われてるなんて私は……、もう……。
陳腐な言い方だけど、心のダムが決壊してしまいそうだった。
ダムが決壊して、涙腺が崩壊して、その場で壊れるくらいに泣きじゃくりたい気分だ。
そんなに梓は私の事を嫌ってたのかよ……。
「りっちゃん……」
ムギが私に声を掛ける。
考えてみれば、ムギも同じ立場と言えるのかもしれない。
こんなのムギだって辛いはずだ。
泣きたくて仕方がないはずだ。
そう考えて、振り返って見てみたムギの表情は辛そう……じゃなかった。
私の予想とは裏腹に、ムギは意志を固めた強い表情で私を見ていた。
自分の辛さなんかより、優先しなきゃいけない事を分かっいてる表情。
「りっちゃん!」
もう一度ムギが言うけれど、
やっぱり情けなくて弱い私は、
辛さに沈み込みそうで、
今にも泣きそうで仕方がなくて、
私は……、私は……。
「うおりゃあっ!」
大声を出して、私はドラムの椅子から立ち上がる。
歯を食い縛り、なけなしの想いを奮い立たせて、無理矢理に立ってみせる。
「追い掛けるぞ、ムギ!」
大声でムギに宣言する。
ムギが嬉しそうに私を見てくれる。
分かってる。
立ち上がれたのは別に私自身の力ってわけじゃない。
だからってムギが励ましてくれたからでもない。
そうだ。私達は二人だから……、今は二人だから、一緒に強くいられたんだ。
その場で泣くんじゃなくて、梓をどうにかしなきゃって思えたんだ。
そういう事なんだ。
そこまで……なのか?
そこまで私は梓に疎ましく思われてるのか?
唯と澪が傍にいなければ、話もしたくないくらいに私を嫌ってるのか?
嫌われてるなりに……とは思ってたけど、
ここまで嫌われてるなんて私は……、もう……。
陳腐な言い方だけど、心のダムが決壊してしまいそうだった。
ダムが決壊して、涙腺が崩壊して、その場で壊れるくらいに泣きじゃくりたい気分だ。
そんなに梓は私の事を嫌ってたのかよ……。
「りっちゃん……」
ムギが私に声を掛ける。
考えてみれば、ムギも同じ立場と言えるのかもしれない。
こんなのムギだって辛いはずだ。
泣きたくて仕方がないはずだ。
そう考えて、振り返って見てみたムギの表情は辛そう……じゃなかった。
私の予想とは裏腹に、ムギは意志を固めた強い表情で私を見ていた。
自分の辛さなんかより、優先しなきゃいけない事を分かっいてる表情。
「りっちゃん!」
もう一度ムギが言うけれど、
やっぱり情けなくて弱い私は、
辛さに沈み込みそうで、
今にも泣きそうで仕方がなくて、
私は……、私は……。
「うおりゃあっ!」
大声を出して、私はドラムの椅子から立ち上がる。
歯を食い縛り、なけなしの想いを奮い立たせて、無理矢理に立ってみせる。
「追い掛けるぞ、ムギ!」
大声でムギに宣言する。
ムギが嬉しそうに私を見てくれる。
分かってる。
立ち上がれたのは別に私自身の力ってわけじゃない。
だからってムギが励ましてくれたからでもない。
そうだ。私達は二人だから……、今は二人だから、一緒に強くいられたんだ。
その場で泣くんじゃなくて、梓をどうにかしなきゃって思えたんだ。
そういう事なんだ。
424: にゃんこ 2011/07/31(日) 21:19:42.30 ID:bwm/XcdO0
「うん!」
ムギがキーボードの電源を落として、力強く頷く。
二人で部室の扉を開き、お互いにお互いを奮い立たせて駆け出していく。
部室を飛び出し、階段を駆け降りて、一瞬私達の動きが止まる。
梓の事で不安になったわけじゃない。
その気持ちはずっと心に抱いてるけど、
そんな事ではもう私達の脚や心は止められない。
動きが止まったのは、単に梓がどこに走って行ったのか見当も付かなかったからだ。
普通ならここで私達の思い出の場所なんかを捜すんだろうけど、
残念だけど私達と梓の思い出の場所は軽音部の部室なんだ。
軽音部の部室から出てきた以上、私達はどこか別の場所を捜さなくちゃいけない。
梓はどこだ……?
教室か? 体育館か? 保健室か?
それとももっと予想外の場所なのか?
下手すりゃ学校外に出てる可能性も……?
仕方ない。
ひとまずムギとは二手に分かれて片っ端から……。
「律先輩! ムギ先輩!」
瞬間、私達は呼ばれ慣れた呼び方で、遠くから誰かに呼ばれた。
でも、そう呼ぶのは梓だけのはずだなんだけど、その声は梓の声とは違っていた。
それなら誰が私達を呼んだんだ?
声がした方向を見回し、その声の持ち主が近付いて来るのを見付けて思い出した。
そういえば、あの子も私達を梓と同じ呼び方で呼んでいた。
クルクルしたツインテールの梓の親友……、純ちゃんも。
ムギがキーボードの電源を落として、力強く頷く。
二人で部室の扉を開き、お互いにお互いを奮い立たせて駆け出していく。
部室を飛び出し、階段を駆け降りて、一瞬私達の動きが止まる。
梓の事で不安になったわけじゃない。
その気持ちはずっと心に抱いてるけど、
そんな事ではもう私達の脚や心は止められない。
動きが止まったのは、単に梓がどこに走って行ったのか見当も付かなかったからだ。
普通ならここで私達の思い出の場所なんかを捜すんだろうけど、
残念だけど私達と梓の思い出の場所は軽音部の部室なんだ。
軽音部の部室から出てきた以上、私達はどこか別の場所を捜さなくちゃいけない。
梓はどこだ……?
教室か? 体育館か? 保健室か?
それとももっと予想外の場所なのか?
下手すりゃ学校外に出てる可能性も……?
仕方ない。
ひとまずムギとは二手に分かれて片っ端から……。
「律先輩! ムギ先輩!」
瞬間、私達は呼ばれ慣れた呼び方で、遠くから誰かに呼ばれた。
でも、そう呼ぶのは梓だけのはずだなんだけど、その声は梓の声とは違っていた。
それなら誰が私達を呼んだんだ?
声がした方向を見回し、その声の持ち主が近付いて来るのを見付けて思い出した。
そういえば、あの子も私達を梓と同じ呼び方で呼んでいた。
クルクルしたツインテールの梓の親友……、純ちゃんも。
429: にゃんこ 2011/08/02(火) 22:27:09.14 ID:02RQBnjM0
○
純ちゃんが息を切らし、可愛らしい癖毛を振り乱して駆け寄って来る。
今まで見た事もない、とても深刻な表情を浮かべて。
純ちゃんの事をそんなによく知ってるわけじゃない。
だけど、純ちゃんがこんなに必死な表情を浮かべる事なんて、滅多にないはずだった。
いつも笑顔ってわけじゃないけど、
私の知ってる純ちゃんは静かに微笑んで梓を見守ってくれる子だった。
つまり、よっぽどの事が起こったんだ、きっと。
「どうしたんだ、純ちゃん?」
駆け寄って来る純ちゃんの方に私達も向かう。
今は梓を追い掛けなきゃいけない時だけど、純ちゃんの事も放ってはおけなかった。
それに純ちゃんが深刻な表情で私達を呼び止める理由なんて、梓以外の理由であるはずがない。
私とムギも必死に廊下を駆ける。
私達と純ちゃんの距離は歩いて十秒掛かる距離ですらなかったけど、今はそんな時間ももどかしかった。
一秒でも早く純ちゃんと話がしたかったんだ。
私達と純ちゃんの距離が手が届くくらいになった時、私は純ちゃんの両肩を掴んで矢継ぎ早に訊ねた。
「何? どうしたの? 梓に何かあったの?
もしかして走るスピードが速過ぎて、転んで怪我したとか?
それとも、階段から転がり落ちたとかか?
梓は大丈夫なのか? 無事なのか?
怪我してるんだったら、すぐに保健室かどこかで治療しないと……」
早口にまくしたて過ぎてたかもしれない。
でも、私の言葉は止まらなかった。
梓が私の事を嫌いでもいい。
この際、世界が終わるのだって別問題だ。
せめて世界が終わるまでは、梓には怪我もなく無事にいてほしい。
誰だろうと何だろうと梓を傷付けさせたくない。
勿論、私自身も含めて、梓を傷付けるものを許したくなかった。
「りっちゃん、落ち着いて」
私の後ろまで駆け寄って来ていたムギが私の肩に手を置く。
落ち着けるはずない。そんな事をしている余裕なんてない。
落ち着いてなんて……。
不意に。
目の前の純ちゃんの表情が少し緩んだ事に私は気が付いた。
「純ちゃん……?」
「いえ、すみません。ちょっと嬉しくて……」
必死だった表情がどこへ行ったのか、
純ちゃんの表情は普段梓を見守ってくれるような優しく静かな微笑みになっていた。
嬉しい……?
純ちゃんが何を言っているのかは分からない。
でも、少なくとも純ちゃんの表情を見る限りは、
梓が怪我をしたとか、梓に何かの危険が迫ってるとか、そういう事は無さそうだった。
私は純ちゃんの両肩を掴んでいた手から力を抜いて言った。
「梓は無事なんだよね……?」
「はい、お騒がせしてすみません、律先輩。ムギ先輩も……。
梓は怪我なんかしてません。変質者に襲われてるって事もないですよ。
そういう意味では梓は大丈夫です」
「そういう意味で……?」
私がそう疑問を口にすると、また急に純ちゃんが真剣な表情になった。
さっきまでの深刻そうな表情とは違って、
自分が言うべき事を口にしようって強い意志を感じる表情に見えた。
純ちゃんは真剣な表情のままで口を開く。
「あの……、律先輩……?
律先輩は梓を苛めたりなんかしてませんよね?」
「え? 何なの、いきなり……。
そんな……。私は梓を苛めてなんて……」
430: にゃんこ 2011/08/02(火) 22:29:32.52 ID:02RQBnjM0
いきなり過ぎる。純ちゃんは何を言ってるんだ。
私は梓を苛めてない。苛めるはずなんかない。
でも、自信を持って「苛めてない」と言えない自分も確かにいた。
梓が軽音部に入って以来、私は小さな後輩ができた事が嬉しくて、
梓をいじったりからかってきたし、何度も迷惑を掛けてきたとも思う。
だけど、それは全部梓が可愛くてやってきた事だ。
梓の事が好きだから、からかいながら一緒に楽しみたかった。
梓はそれをどう思っていたんだろう?
やっぱり迷惑で頼りない部長だって思ってたんだろうか?
もしかしたら、自分は苛められてると思っていたのかもしれない。
だから、この時期になって、私から何度も逃げ出しているのかもしれない。
梓は私に苛められてると思ってたのかもしれない。
私に苛められてるって純ちゃんに相談したりもしてたのかもしれない。
……私は梓にどう思われてるんだ?
どんなに決心しても、結局は何度も考えてきた壁にぶち当たる。
無限に迷路を迷い続けてるみたいに、無限に何度も……。
「違うよ!」
唐突に廊下に大きな声が響いた。
私の声でも、純ちゃんの声でもない。
勿論、私と純ちゃんのやりとりを後ろから見ていたムギの声だった。
振り返って見てみると、ムギが今にも泣きそうな顔で胸の前で拳を握り締めていた。
「違うよ、純ちゃん……!
りっちゃんは梓ちゃんを苛めたりしてない。
苛めたりなんかしない!
りっちゃんは……、りっちゃんはとっても梓ちゃんの事を大切に思ってるもの!
りっちゃんは私達の自慢の部長なんだから……!
勿論、私だって梓ちゃんの事が大切で……。
だから……、だからね……、りっちゃんは……!」
それ以上、言葉にならない。
涙を堪えるので精一杯なんだ、って思った。
何だよ……。
ムギは世界が終わる事も我慢できるのに……、
それだけの強さがあるくせに……、
私の事なんかで泣きそうにならないでくれよ……。
涙を流しそうにならないでくれよ……。
でも、思った。
梓にどう思われてるのかは分からないけど、
少なくともムギは私をそういう風に見てくれてたんだって。
梓を大切にしてると思ってくれてたんだって。
こんなに皆に支えられてる私を自慢の部長だって思ってくれるんだって……。
だから、私は言った。
少なくともムギの前では自慢の部長でいられるように。
「私はさ、純ちゃん……。
これまで梓を苛めた気はこれっぽっちもないけど、梓にどう思われてるか分からない。
ひょっとしたら、梓の方は私の事を嫌な先輩だって思ってたのかも……。
でもさ、本当にそうだとしたら私は梓に謝るよ。
だって、私は梓が大切だし、梓にとっても自慢の部長になりたいからさ」
まったく……、私は何度も回り道をし過ぎだった。
どんなに決心しても、結局は何度も考えてきた壁にぶち当たる。
無限に迷路を迷い続けてるみたいに、無限に何度も……。
でも、発想の転換が得意なひらめきりっちゃんと言われる私とした事が、
どうしてこんなに単純な事に気が付かなかったんだろう。
無限に迷い続けて何度も壁にぶつかるなら、その壁を壊せばいいだけの事なんだ。
どう思われてるかなんて、結局は本人に聞くしかないんだ。
そして、今がその時だった。
いや、ひらめきりっちゃんって呼び名を考えたのも、今だけどな。
「ごめんな、何度も何度も……。
でも、もう大丈夫。大丈夫だよ。
無理もしてないし、落ち着いて梓と話せると思う。
もしも梓に本当に嫌われてたらさ……。
その時はムギが慰めてくれよな」
私は梓を苛めてない。苛めるはずなんかない。
でも、自信を持って「苛めてない」と言えない自分も確かにいた。
梓が軽音部に入って以来、私は小さな後輩ができた事が嬉しくて、
梓をいじったりからかってきたし、何度も迷惑を掛けてきたとも思う。
だけど、それは全部梓が可愛くてやってきた事だ。
梓の事が好きだから、からかいながら一緒に楽しみたかった。
梓はそれをどう思っていたんだろう?
やっぱり迷惑で頼りない部長だって思ってたんだろうか?
もしかしたら、自分は苛められてると思っていたのかもしれない。
だから、この時期になって、私から何度も逃げ出しているのかもしれない。
梓は私に苛められてると思ってたのかもしれない。
私に苛められてるって純ちゃんに相談したりもしてたのかもしれない。
……私は梓にどう思われてるんだ?
どんなに決心しても、結局は何度も考えてきた壁にぶち当たる。
無限に迷路を迷い続けてるみたいに、無限に何度も……。
「違うよ!」
唐突に廊下に大きな声が響いた。
私の声でも、純ちゃんの声でもない。
勿論、私と純ちゃんのやりとりを後ろから見ていたムギの声だった。
振り返って見てみると、ムギが今にも泣きそうな顔で胸の前で拳を握り締めていた。
「違うよ、純ちゃん……!
りっちゃんは梓ちゃんを苛めたりしてない。
苛めたりなんかしない!
りっちゃんは……、りっちゃんはとっても梓ちゃんの事を大切に思ってるもの!
りっちゃんは私達の自慢の部長なんだから……!
勿論、私だって梓ちゃんの事が大切で……。
だから……、だからね……、りっちゃんは……!」
それ以上、言葉にならない。
涙を堪えるので精一杯なんだ、って思った。
何だよ……。
ムギは世界が終わる事も我慢できるのに……、
それだけの強さがあるくせに……、
私の事なんかで泣きそうにならないでくれよ……。
涙を流しそうにならないでくれよ……。
でも、思った。
梓にどう思われてるのかは分からないけど、
少なくともムギは私をそういう風に見てくれてたんだって。
梓を大切にしてると思ってくれてたんだって。
こんなに皆に支えられてる私を自慢の部長だって思ってくれるんだって……。
だから、私は言った。
少なくともムギの前では自慢の部長でいられるように。
「私はさ、純ちゃん……。
これまで梓を苛めた気はこれっぽっちもないけど、梓にどう思われてるか分からない。
ひょっとしたら、梓の方は私の事を嫌な先輩だって思ってたのかも……。
でもさ、本当にそうだとしたら私は梓に謝るよ。
だって、私は梓が大切だし、梓にとっても自慢の部長になりたいからさ」
まったく……、私は何度も回り道をし過ぎだった。
どんなに決心しても、結局は何度も考えてきた壁にぶち当たる。
無限に迷路を迷い続けてるみたいに、無限に何度も……。
でも、発想の転換が得意なひらめきりっちゃんと言われる私とした事が、
どうしてこんなに単純な事に気が付かなかったんだろう。
無限に迷い続けて何度も壁にぶつかるなら、その壁を壊せばいいだけの事なんだ。
どう思われてるかなんて、結局は本人に聞くしかないんだ。
そして、今がその時だった。
いや、ひらめきりっちゃんって呼び名を考えたのも、今だけどな。
「ごめんな、何度も何度も……。
でも、もう大丈夫。大丈夫だよ。
無理もしてないし、落ち着いて梓と話せると思う。
もしも梓に本当に嫌われてたらさ……。
その時はムギが慰めてくれよな」
431: にゃんこ 2011/08/02(火) 22:30:19.03 ID:02RQBnjM0
私は軽く微笑みながら、まだ泣きそうな顔をしてるムギの頭を撫でる。
私は本当に無力で、一人じゃ何もできない。
仲間がいなきゃ、何もできやしない。
でも、仲間がいるから……、もう大丈夫だと思う。
またいつか迷う事もあるだろうけど、その時もきっと仲間がいてくれるだろう。
「うん……。
うん……!」
泣きそうな顔で、ムギが笑う。
その顔を見て、ムギは本当に可愛いな、ってこんな時だけど私は思った。
可愛くて、無邪気で、優しくて、強くて……。
そんなムギが部員でいてくれて、よかった。
唇を引き締め、純ちゃんに視線を戻す。
上手く伝わったかは分からないけど、
私達の梓に対する想いが少しでも伝わってたらいいなと思う。
純ちゃんはもう少しだけ真剣な顔を崩さなかったけど、
いつしか安心したような笑顔になっていた。
「変な事を聞いてすみません、律先輩。
だけど、確かめておきたかったんです。
今日、私、最近の梓の様子が気になって学校に来たんですけど、
さっき廊下を泣きそうな顔で走ってく梓を見たんです。
私が声を掛けても、返事もしないですごい勢いで走り去って行きました。
すごく……辛そうな顔で走って行ったんです」
「確かめておきたかった……、って?」
「まさかとは思ったんですけど、
もしかしたら、梓は軽音部の皆さんに苛められてるんじゃないかって思ったんです。
そんな事はないって信じてます。
信じてましたけど……、あんな顔の梓を見るとどうしても不安になっちゃって……。
律先輩だけじゃなくて、ムギ先輩にも失礼な事をしてしまって……、本当にすみませんでした」
「ううん、いいの。
純ちゃんは本気で梓ちゃんを心配しててくれたんでしょ?
だから、いいの。
私の方こそ、大きな声を出しちゃってごめんね……」
ムギが申し訳なさそうに頭を下げる。
純ちゃんの方は少し動揺した表情になって、胸の前で手を振った。
「い、いえいえ!
失礼な事をしたのは私の方なんですから、謝らないで下さい。
悪いのは私の方なんで……!
でも……」
「でも?」
「苛めはないにしても、梓が悩んでるのは軽音部の事だと思うんです。
この一週間、梓の様子がおかしいのは皆さんも分かってると思います。
私もそれを何度か梓に訊ねてみたんですけど、
梓ってば辛そうに「大丈夫。何でもないから」って答えるんですよ。
何でもないはずないのに、梓ってば何を言ってるのよ、もう……!」
苛立たしそうに純ちゃんが地団太を踏む。
何も言わない梓に苛立ってるってのもあるんだろうけど、
そんな親友に何もしてあげられない自分にも苛立ってるんだろう。
これまでの私達がそうだったみたいに……。
私は本当に無力で、一人じゃ何もできない。
仲間がいなきゃ、何もできやしない。
でも、仲間がいるから……、もう大丈夫だと思う。
またいつか迷う事もあるだろうけど、その時もきっと仲間がいてくれるだろう。
「うん……。
うん……!」
泣きそうな顔で、ムギが笑う。
その顔を見て、ムギは本当に可愛いな、ってこんな時だけど私は思った。
可愛くて、無邪気で、優しくて、強くて……。
そんなムギが部員でいてくれて、よかった。
唇を引き締め、純ちゃんに視線を戻す。
上手く伝わったかは分からないけど、
私達の梓に対する想いが少しでも伝わってたらいいなと思う。
純ちゃんはもう少しだけ真剣な顔を崩さなかったけど、
いつしか安心したような笑顔になっていた。
「変な事を聞いてすみません、律先輩。
だけど、確かめておきたかったんです。
今日、私、最近の梓の様子が気になって学校に来たんですけど、
さっき廊下を泣きそうな顔で走ってく梓を見たんです。
私が声を掛けても、返事もしないですごい勢いで走り去って行きました。
すごく……辛そうな顔で走って行ったんです」
「確かめておきたかった……、って?」
「まさかとは思ったんですけど、
もしかしたら、梓は軽音部の皆さんに苛められてるんじゃないかって思ったんです。
そんな事はないって信じてます。
信じてましたけど……、あんな顔の梓を見るとどうしても不安になっちゃって……。
律先輩だけじゃなくて、ムギ先輩にも失礼な事をしてしまって……、本当にすみませんでした」
「ううん、いいの。
純ちゃんは本気で梓ちゃんを心配しててくれたんでしょ?
だから、いいの。
私の方こそ、大きな声を出しちゃってごめんね……」
ムギが申し訳なさそうに頭を下げる。
純ちゃんの方は少し動揺した表情になって、胸の前で手を振った。
「い、いえいえ!
失礼な事をしたのは私の方なんですから、謝らないで下さい。
悪いのは私の方なんで……!
でも……」
「でも?」
「苛めはないにしても、梓が悩んでるのは軽音部の事だと思うんです。
この一週間、梓の様子がおかしいのは皆さんも分かってると思います。
私もそれを何度か梓に訊ねてみたんですけど、
梓ってば辛そうに「大丈夫。何でもないから」って答えるんですよ。
何でもないはずないのに、梓ってば何を言ってるのよ、もう……!」
苛立たしそうに純ちゃんが地団太を踏む。
何も言わない梓に苛立ってるってのもあるんだろうけど、
そんな親友に何もしてあげられない自分にも苛立ってるんだろう。
これまでの私達がそうだったみたいに……。
432: にゃんこ 2011/08/02(火) 22:30:56.03 ID:02RQBnjM0
だけど、そうなると梓は軽音部どころか、親友にも何も相談してないみたいだ。
この調子だと家族にも何も伝えずに、自分一人で悩みを抱え込んでるんだろう。
一体、何をそんなに悩んでるってんだ……。
って、そういやさっき純ちゃんが気になる事を言ってなかったか?
私はおずおずとそれを純ちゃんに訊ねてみる。
「なあ、純ちゃん。
梓の悩みが軽音部の事……、ってのは?」
「あ、いえ、確証はないんですけど、何となくそう思うんです。
私が軽音部の事を話題に出す度に、梓が本当に辛そうな顔をするんですよ。
梓、『終末宣言』の前から皆さんの卒業が近付いてるのが寂しいみたいで、たまに憂鬱そうでした。
最近の梓の様子は何だかその憂鬱が悪化したみたいに見えるんです。
私が軽音部の話をしようとすると、怯えてるみたいに小刻みに震え出すくらいなんです。
梓は必死にそれを私や憂に気付かれないようにしてるみたいですけど……」
「そっか……。
そりゃ確かに軽音部で苛めがあるんじゃないか、って純ちゃんが思っても仕方ないな。
でも、軽音部の事で、一体何の悩みがあるんだ……?
私の事が嫌いなら、もうそれでもいい。
だけど、話を聞く限りじゃ、どうもそんな程度の問題じゃなさそうだし……」
「梓はその何かを終焉よりも恐がってると思います。
梓にとって、終焉より、自分の死よりも恐い何かって、何なんでしょう……。
それもそれが軽音部の事でなんて……。
悔しいなあ……。こんな事ならもっと早く軽音部に入っておけばよかった……」
「純ちゃん、軽音部に入ってくれるつもりだったの?」
私が訊ねるより先に、ムギが言葉に出していた。
何だかその声色には喜びが混じってるような感じもする。
ムギの言葉に、純ちゃんは「しまったなあ」と呟いて苦笑した。
「梓には言わないで下さいよ?
実は私、皆さんが卒業した後、憂と一緒に軽音部に入部するつもりだったんです」
「憂ちゃんも?」
「はい。私が頼んだら憂は梓のためならって、快く引き受けてくれました。
私もジャズ研の事は惜しいですけど、やっぱり梓を放っておけませんから。
これ本当に梓には言わないで下さいよ?
こういうのは相手に知られないでやるのがカッコいいんですから」
照れ臭そうに純ちゃんが笑う。
梓もいい親友を持ったんだな、と嬉しくなってくる。
私の隣にいるムギも嬉しそうだ。
でも、その純ちゃんの笑顔が少しだけ曇った。
「まあ、終焉のせいで、その計画も無駄になっちゃいましたけどね……」
終焉……、世界の終わりは私達からあらゆるものを奪っていく。
計画や予定、未来を奪い去る。
だけど……。
「無駄にさせないよ」
私は言った。
まだ遅くはないはずだ。まだ間に合うはずなんだ。
「世界の終わりを止めるのは無理だけど、純ちゃんのその気持ちは絶対に無駄にしない。
軽音部に入ろうとしてくれてた事は秘密にするけど、
それくらい梓の事を思ってくれた親友がいた事だけは絶対に梓に伝える。
無駄にしちゃいけないんだ」
純ちゃんの瞳を覗き込んで、私は心の底から宣言する。
強がりじゃないし、純ちゃんのためでもない。
私がそうしたいと感じたいから、そうするんだ。
この調子だと家族にも何も伝えずに、自分一人で悩みを抱え込んでるんだろう。
一体、何をそんなに悩んでるってんだ……。
って、そういやさっき純ちゃんが気になる事を言ってなかったか?
私はおずおずとそれを純ちゃんに訊ねてみる。
「なあ、純ちゃん。
梓の悩みが軽音部の事……、ってのは?」
「あ、いえ、確証はないんですけど、何となくそう思うんです。
私が軽音部の事を話題に出す度に、梓が本当に辛そうな顔をするんですよ。
梓、『終末宣言』の前から皆さんの卒業が近付いてるのが寂しいみたいで、たまに憂鬱そうでした。
最近の梓の様子は何だかその憂鬱が悪化したみたいに見えるんです。
私が軽音部の話をしようとすると、怯えてるみたいに小刻みに震え出すくらいなんです。
梓は必死にそれを私や憂に気付かれないようにしてるみたいですけど……」
「そっか……。
そりゃ確かに軽音部で苛めがあるんじゃないか、って純ちゃんが思っても仕方ないな。
でも、軽音部の事で、一体何の悩みがあるんだ……?
私の事が嫌いなら、もうそれでもいい。
だけど、話を聞く限りじゃ、どうもそんな程度の問題じゃなさそうだし……」
「梓はその何かを終焉よりも恐がってると思います。
梓にとって、終焉より、自分の死よりも恐い何かって、何なんでしょう……。
それもそれが軽音部の事でなんて……。
悔しいなあ……。こんな事ならもっと早く軽音部に入っておけばよかった……」
「純ちゃん、軽音部に入ってくれるつもりだったの?」
私が訊ねるより先に、ムギが言葉に出していた。
何だかその声色には喜びが混じってるような感じもする。
ムギの言葉に、純ちゃんは「しまったなあ」と呟いて苦笑した。
「梓には言わないで下さいよ?
実は私、皆さんが卒業した後、憂と一緒に軽音部に入部するつもりだったんです」
「憂ちゃんも?」
「はい。私が頼んだら憂は梓のためならって、快く引き受けてくれました。
私もジャズ研の事は惜しいですけど、やっぱり梓を放っておけませんから。
これ本当に梓には言わないで下さいよ?
こういうのは相手に知られないでやるのがカッコいいんですから」
照れ臭そうに純ちゃんが笑う。
梓もいい親友を持ったんだな、と嬉しくなってくる。
私の隣にいるムギも嬉しそうだ。
でも、その純ちゃんの笑顔が少しだけ曇った。
「まあ、終焉のせいで、その計画も無駄になっちゃいましたけどね……」
終焉……、世界の終わりは私達からあらゆるものを奪っていく。
計画や予定、未来を奪い去る。
だけど……。
「無駄にさせないよ」
私は言った。
まだ遅くはないはずだ。まだ間に合うはずなんだ。
「世界の終わりを止めるのは無理だけど、純ちゃんのその気持ちは絶対に無駄にしない。
軽音部に入ろうとしてくれてた事は秘密にするけど、
それくらい梓の事を思ってくれた親友がいた事だけは絶対に梓に伝える。
無駄にしちゃいけないんだ」
純ちゃんの瞳を覗き込んで、私は心の底から宣言する。
強がりじゃないし、純ちゃんのためでもない。
私がそうしたいと感じたいから、そうするんだ。
433: にゃんこ 2011/08/02(火) 22:31:48.05 ID:02RQBnjM0
「カッコいい……」
不意に純ちゃんがそう呟いたけど、すぐにはっとして自分の口元を押さえる。
私は悪戯っぽく微笑み、照れた様子の純ちゃんの前で右手の親指を立てた。
「お、私に惚れ直したかい? 私に惚れると火傷するぜ?」
「え……、遠慮しときます! 私には澪先輩がいるんで!」
そりゃ残念だ、と私が頬を膨らませると、純ちゃんが小さく笑う。
それから聞き取るのが難しいくらい小さな声で、何かを呟いた。
「もう……、面白いなあ、律先輩は……。
本当に先輩なのかな、この人は……。
でも、そんな律先輩が梓も好きなんだよね……。
ちょっと悔しいけど、律先輩なら……」
「ん? どしたの?」
「律先輩。
実は私、梓が今どこにいるか知ってるんです」
「本当っ?」
「はい。梓を追い掛けて、どこに入っていくかも見届けましたから。
ここから距離はありませんし、まだそこにいるはずです。
でも……」
そこで言葉を止め、純ちゃんは人差し指を立てて凛々しい顔になった。
何だか年上のお姉さんのような仕種だった。
「最初に言っておきますよ?
これから私は先輩達に梓の居場所を教えます。
でも、それは先輩達に梓の事を任せるって事じゃありませんよ。
多分、梓の抱えてる悩みは軽音部の事だから、
私は先輩達に梓の居場所を教えてあげるんです。
軽音部の悩みじゃ、私には梓に何もしてあげられないじゃないですか。
だから、軽音部の問題は軽音部の皆さんで解決して下さい」
そう言った純ちゃんの頬は少し赤味を帯びていた。
梓の問題を私達に任せるのが悔しく、
同時にそれを素直に表現できない自分が恥ずかしいんだろう。
その気持ちは私にも分かる。
もしも澪が何かの悩みを抱えていて(今抱えてる悩みじゃなくて、あくまで仮の話で)、
それを解決できるのが自分じゃない誰かだったとしたら、私も悔しくて堪らないと思う。
気が付けば私は口を開いていた。
純ちゃんを気遣ったわけじゃなく、素直な気持ちが言葉になっていた。
「分かってるよ。任されたなんて思ってない。
そうだな……。
言うならこれは軽音部の私達と、梓の親友の純ちゃんの共同作業なんだ。
純ちゃんは軽音部の問題に口出しできないから、私達が梓と話をする。
私達は梓の悩みが軽音部の何かだって事を分かってなくて、それを教えてもらえた。
これから梓の居場所も教えてもらえるしな。
だからこれは、誰が欠けてもできない律ムギ純の共同作業なんだよ」
伝えるべき事は全て伝えたつもりだ。
純ちゃんがそれをどう受け取ったかは分からなかったけど、
しばらくして純ちゃんは困った顔で微笑んでくれた。
不意に純ちゃんがそう呟いたけど、すぐにはっとして自分の口元を押さえる。
私は悪戯っぽく微笑み、照れた様子の純ちゃんの前で右手の親指を立てた。
「お、私に惚れ直したかい? 私に惚れると火傷するぜ?」
「え……、遠慮しときます! 私には澪先輩がいるんで!」
そりゃ残念だ、と私が頬を膨らませると、純ちゃんが小さく笑う。
それから聞き取るのが難しいくらい小さな声で、何かを呟いた。
「もう……、面白いなあ、律先輩は……。
本当に先輩なのかな、この人は……。
でも、そんな律先輩が梓も好きなんだよね……。
ちょっと悔しいけど、律先輩なら……」
「ん? どしたの?」
「律先輩。
実は私、梓が今どこにいるか知ってるんです」
「本当っ?」
「はい。梓を追い掛けて、どこに入っていくかも見届けましたから。
ここから距離はありませんし、まだそこにいるはずです。
でも……」
そこで言葉を止め、純ちゃんは人差し指を立てて凛々しい顔になった。
何だか年上のお姉さんのような仕種だった。
「最初に言っておきますよ?
これから私は先輩達に梓の居場所を教えます。
でも、それは先輩達に梓の事を任せるって事じゃありませんよ。
多分、梓の抱えてる悩みは軽音部の事だから、
私は先輩達に梓の居場所を教えてあげるんです。
軽音部の悩みじゃ、私には梓に何もしてあげられないじゃないですか。
だから、軽音部の問題は軽音部の皆さんで解決して下さい」
そう言った純ちゃんの頬は少し赤味を帯びていた。
梓の問題を私達に任せるのが悔しく、
同時にそれを素直に表現できない自分が恥ずかしいんだろう。
その気持ちは私にも分かる。
もしも澪が何かの悩みを抱えていて(今抱えてる悩みじゃなくて、あくまで仮の話で)、
それを解決できるのが自分じゃない誰かだったとしたら、私も悔しくて堪らないと思う。
気が付けば私は口を開いていた。
純ちゃんを気遣ったわけじゃなく、素直な気持ちが言葉になっていた。
「分かってるよ。任されたなんて思ってない。
そうだな……。
言うならこれは軽音部の私達と、梓の親友の純ちゃんの共同作業なんだ。
純ちゃんは軽音部の問題に口出しできないから、私達が梓と話をする。
私達は梓の悩みが軽音部の何かだって事を分かってなくて、それを教えてもらえた。
これから梓の居場所も教えてもらえるしな。
だからこれは、誰が欠けてもできない律ムギ純の共同作業なんだよ」
伝えるべき事は全て伝えたつもりだ。
純ちゃんがそれをどう受け取ったかは分からなかったけど、
しばらくして純ちゃんは困った顔で微笑んでくれた。
434: にゃんこ 2011/08/02(火) 22:32:25.16 ID:02RQBnjM0
「律ムギ純って……。
他に言い方なかったんですか?」
「え? 駄目だった?
私的に会心の出来だったんだけど……」
「全然駄目ですよ。カッコよくないです。
でも、共同作業って言葉は気に入りました。
意外とやりますね、律先輩」
「意外とってどゆことかなー……」
手を伸ばして、純ちゃんのモコモコしたツインテールをくしゃくしゃに弄ってやる。
癖毛を弄るのはあんまり好ましいと思われないだろう事だったけど、
純ちゃんは梓がたまに見せる甘えたような表情を見せた。
こう見えて、純ちゃんもやっぱり後輩なんだな。
「最後に一つだけ聞きたい事があります」
私にツインテールを弄られながら、純ちゃんが真顔で私とムギの顔を見渡して言った。
「先輩達は梓の事をどう思ってるんですか?」
「大切な仲間だ!」
「大事な後輩よ!」
私とムギの答えが重なる。
流石に一言一句同じとはいかなかったけど、二人の想いは一緒みたいだった。
私達の答えを聞いて、純ちゃんは満足そうに頷く。
「分かりました。これから梓の居場所を教えます。
軽音部の部室で待ってますから……、
絶対に笑顔の梓を連れて帰って来て下さいよ?」
「当然だ!」
「勿論!」
また私とムギの言葉が重なって、純ちゃんが嬉しそうに笑った。
他に言い方なかったんですか?」
「え? 駄目だった?
私的に会心の出来だったんだけど……」
「全然駄目ですよ。カッコよくないです。
でも、共同作業って言葉は気に入りました。
意外とやりますね、律先輩」
「意外とってどゆことかなー……」
手を伸ばして、純ちゃんのモコモコしたツインテールをくしゃくしゃに弄ってやる。
癖毛を弄るのはあんまり好ましいと思われないだろう事だったけど、
純ちゃんは梓がたまに見せる甘えたような表情を見せた。
こう見えて、純ちゃんもやっぱり後輩なんだな。
「最後に一つだけ聞きたい事があります」
私にツインテールを弄られながら、純ちゃんが真顔で私とムギの顔を見渡して言った。
「先輩達は梓の事をどう思ってるんですか?」
「大切な仲間だ!」
「大事な後輩よ!」
私とムギの答えが重なる。
流石に一言一句同じとはいかなかったけど、二人の想いは一緒みたいだった。
私達の答えを聞いて、純ちゃんは満足そうに頷く。
「分かりました。これから梓の居場所を教えます。
軽音部の部室で待ってますから……、
絶対に笑顔の梓を連れて帰って来て下さいよ?」
「当然だ!」
「勿論!」
また私とムギの言葉が重なって、純ちゃんが嬉しそうに笑った。
438: にゃんこ 2011/08/07(日) 22:33:20.38 ID:9FBCI9DI0
○
教室に前後があるかどうかは分からないけど、
教壇の方を前と考えると、二年一組の教室の後ろの扉の前。
梓の居場所を教えてもらった後、純ちゃんと別れた私達はそこに立っていた。
梓の居場所がそのまま梓の教室だなんて、何だか馬鹿みたいに単純な答えだった。
分かってみれば簡単ではあるけど、
純ちゃんに教えてもらえてなければ、私達はこんなに早くここには辿り着けなかった。
ずっと後で辿り着けていたとしても、その時間にはもう梓は教室の中に居なかっただろう。
さっき自分で言った事だけど、
確かにそれは私達と純ちゃんの共同作業のおかげだな、と思った。
そうだ。
ムギの励ましと純ちゃんの想いが無ければ、私はここには辿り着けなかった。
辿り着こうとも思えなかったんじゃないだろうか。
勿論、今の私の支えはその二人だけじゃない。
振り返ってみれば、
私の周りでは色んな人たちが世界の終わりを目の前にして、精一杯生きていた。
人を気遣い、たくさんの人を心配している憂ちゃん。
軽音部のために動いてくれてる和。
強く生きるための笑顔を見せた信代。
関係なく見える誰かと誰かでも、決して無関係ではない事を教えてくれたいちご。
人のために動ける私を嬉しいと言ってくれた聡。
この状況でも自分を変えずに生きている唯。
自分を変えて、私達の関係を変えたいと思っている澪。
あれ?
さわちゃんからは何か支えてもらったっけ?
……思い付かない。
突っ込みを鍛えてもらった気はする。
いや、鍛えてもらったっていうか、必然的に鍛えさせられたというか……。
ごめん、さわちゃん。
今度会う時までに考えとくよ。
439: にゃんこ 2011/08/07(日) 22:35:10.28 ID:9FBCI9DI0
でも、思った。
多くの人達の生き方が私の胸の中でまだ生きてるんだって。
ほんの小さな支えが重なって、そのおかげで私は今ここにいられるんだって。
だから、進める。
進もうって思える。
緊張して胸が張り裂けそうなほど高鳴るけど、足を動かせる。
震える手を押し留めて、二年一組の教室の扉に手を掛ける事ができる。
後ろにいるムギに私は軽く視線を向けた。
胸の前で拳を握り締め、ムギが強い視線を返してくれる。
頑張って、とその視線は言っているように思えた。
そうだ。頑張らないといけない。
梓の悩みを聞き出すのは、私の役目なんだから。
さっき少し相談して、ムギは教室の中に入らない事に決めていた。
それはもしまた梓が逃げ出しても、
すぐに追いかけられるようにムギが待機しておくって意味もあったけど、
それ以上にムギが私を信じてくれてるのが大きかった。
「りっちゃんが梓ちゃんと話すのが一番いいと思う」ってムギは言った。
「私は口下手だし……」と苦笑交じりにそうも言ってたけど、
私は別にムギが口下手だとは思わない。
確かにムギは私達の中では比較的口数が少なめだし、
自分の想いを難しい言葉なんかで表現する事も少なかったけど、
その分自分の考えを単純な言葉でストレートに表現してくれてると私は思う。
「楽しい」とか、「素敵」とか、「面白い」とか、
ムギの言う言葉は本当に単純で、単純なのが嬉しかった。
自分の気持ちを的確に表現できてるし、そういうのは口下手とは言わないはずだ。
むしろ妙に持って回った言い方をしてしまう私の方こそ、本当に口下手って言えるかもしれない。
それでも、ムギは私に梓を任せてくれた。
私なら梓の悩みを聞き出せると信じてくれた。
「梓ちゃんが一番悩みを話しやすいのは、りっちゃんだと思うから」と言ってくれた。
ムギは教室の外で私達を待つ事に決めてくれた。
その想いに応えられるかどうかは分からない。
だけど、もう私は梓の前から逃げたくなかったから。
自分自身の迷いを断ち切るためにも、梓と正面から向き合いたかったから。
私は梓と話をしたい。話したいんだ。
考えてみれば、この一週間、梓とはろくに会話もできてないしな。
顔を合わせながら、一週間も会話できてないなんて辛過ぎるじゃないか……。
ひょっとしたら、ムギは私のその考えを感じ取ってもくれたのかもしれなかった。
どちらにしろ、私にできるのは進む事だけだ。
ムギにもう一度だけ視線を向けてから、私は教室の扉を引いた。
梓から見えないように、一歩引いてムギが廊下に身体を隠す。
結果がどうなろうと、ムギはそこで待っててくれるだろう。
多くの人達の生き方が私の胸の中でまだ生きてるんだって。
ほんの小さな支えが重なって、そのおかげで私は今ここにいられるんだって。
だから、進める。
進もうって思える。
緊張して胸が張り裂けそうなほど高鳴るけど、足を動かせる。
震える手を押し留めて、二年一組の教室の扉に手を掛ける事ができる。
後ろにいるムギに私は軽く視線を向けた。
胸の前で拳を握り締め、ムギが強い視線を返してくれる。
頑張って、とその視線は言っているように思えた。
そうだ。頑張らないといけない。
梓の悩みを聞き出すのは、私の役目なんだから。
さっき少し相談して、ムギは教室の中に入らない事に決めていた。
それはもしまた梓が逃げ出しても、
すぐに追いかけられるようにムギが待機しておくって意味もあったけど、
それ以上にムギが私を信じてくれてるのが大きかった。
「りっちゃんが梓ちゃんと話すのが一番いいと思う」ってムギは言った。
「私は口下手だし……」と苦笑交じりにそうも言ってたけど、
私は別にムギが口下手だとは思わない。
確かにムギは私達の中では比較的口数が少なめだし、
自分の想いを難しい言葉なんかで表現する事も少なかったけど、
その分自分の考えを単純な言葉でストレートに表現してくれてると私は思う。
「楽しい」とか、「素敵」とか、「面白い」とか、
ムギの言う言葉は本当に単純で、単純なのが嬉しかった。
自分の気持ちを的確に表現できてるし、そういうのは口下手とは言わないはずだ。
むしろ妙に持って回った言い方をしてしまう私の方こそ、本当に口下手って言えるかもしれない。
それでも、ムギは私に梓を任せてくれた。
私なら梓の悩みを聞き出せると信じてくれた。
「梓ちゃんが一番悩みを話しやすいのは、りっちゃんだと思うから」と言ってくれた。
ムギは教室の外で私達を待つ事に決めてくれた。
その想いに応えられるかどうかは分からない。
だけど、もう私は梓の前から逃げたくなかったから。
自分自身の迷いを断ち切るためにも、梓と正面から向き合いたかったから。
私は梓と話をしたい。話したいんだ。
考えてみれば、この一週間、梓とはろくに会話もできてないしな。
顔を合わせながら、一週間も会話できてないなんて辛過ぎるじゃないか……。
ひょっとしたら、ムギは私のその考えを感じ取ってもくれたのかもしれなかった。
どちらにしろ、私にできるのは進む事だけだ。
ムギにもう一度だけ視線を向けてから、私は教室の扉を引いた。
梓から見えないように、一歩引いてムギが廊下に身体を隠す。
結果がどうなろうと、ムギはそこで待っててくれるだろう。
440: にゃんこ 2011/08/07(日) 22:37:27.71 ID:9FBCI9DI0
「頼もう」
小さく呟いて、私は二年一組の教室の中に足を踏み入れる。
何度か来た事のある教室だけど、入り慣れない梓の教室はとても新鮮に見えた。
いや、そんな事は別にどうでもいい。
教室の扉を軽く閉めてから、私はこの教室に居るはずの梓を捜し始める。
梓はすぐに見つかった。
と言うか、すぐ傍に居た。
教室の廊下側、後ろから三番目の梓の席だった。
私は後ろの扉の方から教室に入ったわけだから、
私から数歩ほどしか離れてない距離に梓は座っていた。
だけど、梓は私の存在には一切気付いてないみたいだった。
私は扉を開いて、「頼もう」と呟き、扉を閉めまでしたのに、
梓はその私の動きに全く気付かなかったようで、自分の席で微動たりともしなかった。
ただ両手で頬杖を付いて、何の動きも見せない。
そんな梓の後ろ姿を見て、私はひどく不安になる。
私はこれまで何度も梓に迷惑を掛けてきたと思うし、それで何度も梓に叱られてきた。
生意気な後輩だと思ったけど、同時に私に突っ掛かって来る梓の姿が嬉しかった。
その梓が私に文句の一つも言わずに、自分の中に悩みを抱え込んでいるなんて。
ずっと逃げ出してた私の姿に気付かないほど、胸の中の悩みに支配されてるなんて……。
この数日で何度も梓から逃げられてしまった私だけど、
そんな抜け殻みたいな梓の姿を見る方が、逃げられるよりも何倍も辛かった。
何とかしないと……。
私が……、何とかしないと……!
唇を閉じ、私は梓との数歩の距離を縮めるために足を動かす。
一歩。
梓が何を悩んでいるのかは分からない。
二歩。
純ちゃんの言うように、本当に軽音部の事を悩んでいるんなら、多分その原因は私だろう。
三歩。
私が原因なら、私はもう梓の目の前から消えよう。それで梓の悩みが晴れるんなら、それもいい。
四歩。
だけど、最後のライブは梓に参加させてやりたい。きっとそれが梓の心の支えになる。
五歩。
そうなると私は最後のライブには参加できなくなるのか。ドラムだけ録音しておくべきか?
六歩。
嫌だ! 本当は私も梓と一緒にライブに参加したい。皆と曲を合わせたいんだ!
そのためには……。
そのために私がするべき事は……!
「……確保」
私は手を伸ばし、梓の頬杖の左腕を軽く掴む。
梓に私の存在を気付かせるために、
それ以上に私の中の不安感を振り払うために、それは必要な行動だった。
小さく呟いて、私は二年一組の教室の中に足を踏み入れる。
何度か来た事のある教室だけど、入り慣れない梓の教室はとても新鮮に見えた。
いや、そんな事は別にどうでもいい。
教室の扉を軽く閉めてから、私はこの教室に居るはずの梓を捜し始める。
梓はすぐに見つかった。
と言うか、すぐ傍に居た。
教室の廊下側、後ろから三番目の梓の席だった。
私は後ろの扉の方から教室に入ったわけだから、
私から数歩ほどしか離れてない距離に梓は座っていた。
だけど、梓は私の存在には一切気付いてないみたいだった。
私は扉を開いて、「頼もう」と呟き、扉を閉めまでしたのに、
梓はその私の動きに全く気付かなかったようで、自分の席で微動たりともしなかった。
ただ両手で頬杖を付いて、何の動きも見せない。
そんな梓の後ろ姿を見て、私はひどく不安になる。
私はこれまで何度も梓に迷惑を掛けてきたと思うし、それで何度も梓に叱られてきた。
生意気な後輩だと思ったけど、同時に私に突っ掛かって来る梓の姿が嬉しかった。
その梓が私に文句の一つも言わずに、自分の中に悩みを抱え込んでいるなんて。
ずっと逃げ出してた私の姿に気付かないほど、胸の中の悩みに支配されてるなんて……。
この数日で何度も梓から逃げられてしまった私だけど、
そんな抜け殻みたいな梓の姿を見る方が、逃げられるよりも何倍も辛かった。
何とかしないと……。
私が……、何とかしないと……!
唇を閉じ、私は梓との数歩の距離を縮めるために足を動かす。
一歩。
梓が何を悩んでいるのかは分からない。
二歩。
純ちゃんの言うように、本当に軽音部の事を悩んでいるんなら、多分その原因は私だろう。
三歩。
私が原因なら、私はもう梓の目の前から消えよう。それで梓の悩みが晴れるんなら、それもいい。
四歩。
だけど、最後のライブは梓に参加させてやりたい。きっとそれが梓の心の支えになる。
五歩。
そうなると私は最後のライブには参加できなくなるのか。ドラムだけ録音しておくべきか?
六歩。
嫌だ! 本当は私も梓と一緒にライブに参加したい。皆と曲を合わせたいんだ!
そのためには……。
そのために私がするべき事は……!
「……確保」
私は手を伸ばし、梓の頬杖の左腕を軽く掴む。
梓に私の存在を気付かせるために、
それ以上に私の中の不安感を振り払うために、それは必要な行動だった。
441: にゃんこ 2011/08/07(日) 22:39:04.25 ID:9FBCI9DI0
「えっ……?」
突然の事に驚いた梓が身体を震わせる。
自分の手を掴んだのが誰なのかを確認するために、私の方に視線を向ける。
梓と私の視線が合う。
その一瞬に、気付いた。
梓の顔がひどくやつれ果ててる事に。
頬は軽くこけ、目には深い隈が刻まれて、自慢のツインテールも左右非対称だ。
元気が無いとは思っていたけど、こんなにやつれてるなんて私は気付いてなかった。
気付けなかったのは、ずっと梓が私から視線を逸らしていたからだ。
それでも、梓が視線を逸らすだけなら、私は梓のやつれた顔に気付けたはずだ。
本当に気付けなかった理由はたった一つ。
梓に目を逸らされるのが恐くて、私の方もチラチラとしか梓の姿を見ていなかったからだ。
昨日一度だけ視線が合ったが、その時も遠目で何も気付く事ができなかった。
梓の何を分かってやれる気でいたんだよ、私は……!
心底、自分を軽蔑したくなる。
思わず梓の腕を掴んでいた手に力を入れてしまう。
だけど、梓は言った。
驚いた顔を無理に隠して、力の入らない笑顔まで浮かべて。
「さっきはすみません、律先輩……」
「すみませんって……、おまえ……」
まさか梓の方から謝られるなんて思ってなかった。
面食らった私は、掛けるつもりだった言葉が頭の中で真っ白になっていくのを感じた。
「驚かせちゃいましたよね、
急に逃げ出しなんかしちゃったりして……。
驚くなって言う方が無理な話ですよね。
本当にすみません。
でも、私、すごく寂しくなっちゃって……。
それで……」
「寂しく……なった……?」
「いえ……、ほら、今日唯先輩が来ないって事は私も分かってたんですけど、
澪先輩まで来ないなんて知らなくって……。
それが辛くて、何だか恐くなっちゃって……。
気が付いたら軽音部から飛び出してたんです」
「澪が来ないのが、そんなに辛かったか……?」
「はい……。あ、いえ、ちょっと違います。
澪先輩って言うか……、先輩達が一人ずつ減っていくのが恐くて……。
今冷静に考えると偶然だって事は分かるんですけど、
唯先輩に続いて澪先輩まで部活に来なくなって、
最後にはムギ先輩や律先輩まで来なくなっちゃうんじゃないかって。
そんな風に思っちゃって……」
「そんな事はないぞ。
私もムギも、週末までずっと部活に出るつもりだぜ?
唯だって明日には来るし、澪も今日は考え事があるから家に居るだけだ。
明日には全員揃う。全員揃って練習できるし、お茶だってできる。
ムギがFTG何とかって美味しい紅茶も入れてくれる」
「そう……ですよね。
そうですよね……。不安になる必要なんて、無いですよね」
言って、梓が笑う。
力無く、自信も無さそうに。
その表情のまま、梓は続けた。
突然の事に驚いた梓が身体を震わせる。
自分の手を掴んだのが誰なのかを確認するために、私の方に視線を向ける。
梓と私の視線が合う。
その一瞬に、気付いた。
梓の顔がひどくやつれ果ててる事に。
頬は軽くこけ、目には深い隈が刻まれて、自慢のツインテールも左右非対称だ。
元気が無いとは思っていたけど、こんなにやつれてるなんて私は気付いてなかった。
気付けなかったのは、ずっと梓が私から視線を逸らしていたからだ。
それでも、梓が視線を逸らすだけなら、私は梓のやつれた顔に気付けたはずだ。
本当に気付けなかった理由はたった一つ。
梓に目を逸らされるのが恐くて、私の方もチラチラとしか梓の姿を見ていなかったからだ。
昨日一度だけ視線が合ったが、その時も遠目で何も気付く事ができなかった。
梓の何を分かってやれる気でいたんだよ、私は……!
心底、自分を軽蔑したくなる。
思わず梓の腕を掴んでいた手に力を入れてしまう。
だけど、梓は言った。
驚いた顔を無理に隠して、力の入らない笑顔まで浮かべて。
「さっきはすみません、律先輩……」
「すみませんって……、おまえ……」
まさか梓の方から謝られるなんて思ってなかった。
面食らった私は、掛けるつもりだった言葉が頭の中で真っ白になっていくのを感じた。
「驚かせちゃいましたよね、
急に逃げ出しなんかしちゃったりして……。
驚くなって言う方が無理な話ですよね。
本当にすみません。
でも、私、すごく寂しくなっちゃって……。
それで……」
「寂しく……なった……?」
「いえ……、ほら、今日唯先輩が来ないって事は私も分かってたんですけど、
澪先輩まで来ないなんて知らなくって……。
それが辛くて、何だか恐くなっちゃって……。
気が付いたら軽音部から飛び出してたんです」
「澪が来ないのが、そんなに辛かったか……?」
「はい……。あ、いえ、ちょっと違います。
澪先輩って言うか……、先輩達が一人ずつ減っていくのが恐くて……。
今冷静に考えると偶然だって事は分かるんですけど、
唯先輩に続いて澪先輩まで部活に来なくなって、
最後にはムギ先輩や律先輩まで来なくなっちゃうんじゃないかって。
そんな風に思っちゃって……」
「そんな事はないぞ。
私もムギも、週末までずっと部活に出るつもりだぜ?
唯だって明日には来るし、澪も今日は考え事があるから家に居るだけだ。
明日には全員揃う。全員揃って練習できるし、お茶だってできる。
ムギがFTG何とかって美味しい紅茶も入れてくれる」
「そう……ですよね。
そうですよね……。不安になる必要なんて、無いですよね」
言って、梓が笑う。
力無く、自信も無さそうに。
その表情のまま、梓は続けた。
442: にゃんこ 2011/08/07(日) 22:42:37.71 ID:9FBCI9DI0
「ごめんなさい、律先輩。
後でムギ先輩にも謝らないといけませんね。
部活に戻りましょう、律先輩。
すみません、お時間を取らせてしまって……。
恐かったけど……、もう大丈夫です。
明日には皆揃うんですもんね。だから、大丈夫です」
梓は自分の席から立ち上がる。
まだ不安感を完全には拭えてないけど、自分の力だけで立ち上がる。
自分を待つ軽音部の仲間の下に、無理をしながらでも歩き出していく。
私にできるのは、そんな梓を見守ってやる事だけだ。
梓の抱えてた悩みは、
軽音部の仲間が居なくなるかもしれないって不安感からだったんだな……。
世界の終わりを間近に迎えたこの状況だ。
確かに誰かが欠けてしまってもおかしくはない。
その不安感は私にもある。ムギや唯、澪にだってあるだろう。
でも、軽音部の全員は最後まで部活に出たいと思ってる。
明日には全員が勢揃いして、いつしか不安感だって消えていく。
それでいい。それでいいんだ。
私が嫌われてるわけじゃなくて、本当によかった。
後は梓を大切にしてやるだけだ。
梓は足を踏み出して、教室を後にしようと歩き出そうとする。
私もそんな梓を笑顔で見送って……。
って……。
「ちょっと……、律先輩……?」
私は梓の腕を掴んだままにしていた手に力を込める。
さっきみたいに自分自身を嫌悪してるからじゃない。
絶対に離さないって思ったからだ。
この手だけは絶対に離しちゃいけない。
後でムギ先輩にも謝らないといけませんね。
部活に戻りましょう、律先輩。
すみません、お時間を取らせてしまって……。
恐かったけど……、もう大丈夫です。
明日には皆揃うんですもんね。だから、大丈夫です」
梓は自分の席から立ち上がる。
まだ不安感を完全には拭えてないけど、自分の力だけで立ち上がる。
自分を待つ軽音部の仲間の下に、無理をしながらでも歩き出していく。
私にできるのは、そんな梓を見守ってやる事だけだ。
梓の抱えてた悩みは、
軽音部の仲間が居なくなるかもしれないって不安感からだったんだな……。
世界の終わりを間近に迎えたこの状況だ。
確かに誰かが欠けてしまってもおかしくはない。
その不安感は私にもある。ムギや唯、澪にだってあるだろう。
でも、軽音部の全員は最後まで部活に出たいと思ってる。
明日には全員が勢揃いして、いつしか不安感だって消えていく。
それでいい。それでいいんだ。
私が嫌われてるわけじゃなくて、本当によかった。
後は梓を大切にしてやるだけだ。
梓は足を踏み出して、教室を後にしようと歩き出そうとする。
私もそんな梓を笑顔で見送って……。
って……。
「ちょっと……、律先輩……?」
私は梓の腕を掴んだままにしていた手に力を込める。
さっきみたいに自分自身を嫌悪してるからじゃない。
絶対に離さないって思ったからだ。
この手だけは絶対に離しちゃいけない。
443: にゃんこ 2011/08/07(日) 22:47:16.84 ID:9FBCI9DI0
「……あるかよ」
「えっ……? 何ですか、律先輩?」
「って、そんなわけがあるかよ!
そんなのってあるかよ!」
私は腹の底から叫ぶ。
教室が揺れる。そう思えるくらいに精一杯の大声で。
今は絶叫しなきゃいけない時だった。
自分を誤魔化してはいけないんだって。
不安を見ないふりをしてちゃいけないんだって。
私は梓と自分にそれを分からせなきゃいけないんだ!
「律先輩……、何を……?
何を……言って……」
貼り付けたみたいな梓の笑顔が硬直する。
分かってないはずがない。
私より誰より、梓自身が自分に嘘を吐いている事をよく分かっているはずだった。
いや、完全には嘘じゃないか。
でも、だからこそ、余計に始末に負えない嘘なんだ。
さっきまでの梓の言葉に嘘はなかったと思う。
軽音部の仲間が減っていくのが不安だったのは確かだろうし、
それ以外の話もほとんどが梓の本心だったはずだ。
悩みの理由としては問題無かったし、よくできた話ではあった。
だけど、よく考えてみなくても分かる。
梓はこんなに簡単に誰かに悩みを語る子だったか?
抱え込んで、一人で悩み続けるのが梓って子じゃなかったか?
良くも悪くもそれが梓なんだ。
そんな梓が自分の本心を簡単に語る理由だって分かる。
本当に隠しておきたい事を隠すために、それ以外の本心を語ったんだ。
普段は隠している本心を語れば、それで納得してもらえるだろうって思ったんだろう。
部活の先輩達が居なくなるのが辛い、ってのは、それはそれで十分な悩みだ。
これが昨日の私なら、私もその梓の言葉を信じてたと思う。
梓が私の前から逃げ出した理由は、
居なくなるかもしれない私の顔を見るのが辛いから、だの何だのって適当な理由でも考えて。
だけど、残念ながらと言うべきなのかな、
今日の私にはその梓の誤魔化しは通用しなかった。
まずはこんな時期の深夜に動き回ってる梓の姿を見たからってのがある。
私はそれを梓にぶつけてみる。
「えっ……? 何ですか、律先輩?」
「って、そんなわけがあるかよ!
そんなのってあるかよ!」
私は腹の底から叫ぶ。
教室が揺れる。そう思えるくらいに精一杯の大声で。
今は絶叫しなきゃいけない時だった。
自分を誤魔化してはいけないんだって。
不安を見ないふりをしてちゃいけないんだって。
私は梓と自分にそれを分からせなきゃいけないんだ!
「律先輩……、何を……?
何を……言って……」
貼り付けたみたいな梓の笑顔が硬直する。
分かってないはずがない。
私より誰より、梓自身が自分に嘘を吐いている事をよく分かっているはずだった。
いや、完全には嘘じゃないか。
でも、だからこそ、余計に始末に負えない嘘なんだ。
さっきまでの梓の言葉に嘘はなかったと思う。
軽音部の仲間が減っていくのが不安だったのは確かだろうし、
それ以外の話もほとんどが梓の本心だったはずだ。
悩みの理由としては問題無かったし、よくできた話ではあった。
だけど、よく考えてみなくても分かる。
梓はこんなに簡単に誰かに悩みを語る子だったか?
抱え込んで、一人で悩み続けるのが梓って子じゃなかったか?
良くも悪くもそれが梓なんだ。
そんな梓が自分の本心を簡単に語る理由だって分かる。
本当に隠しておきたい事を隠すために、それ以外の本心を語ったんだ。
普段は隠している本心を語れば、それで納得してもらえるだろうって思ったんだろう。
部活の先輩達が居なくなるのが辛い、ってのは、それはそれで十分な悩みだ。
これが昨日の私なら、私もその梓の言葉を信じてたと思う。
梓が私の前から逃げ出した理由は、
居なくなるかもしれない私の顔を見るのが辛いから、だの何だのって適当な理由でも考えて。
だけど、残念ながらと言うべきなのかな、
今日の私にはその梓の誤魔化しは通用しなかった。
まずはこんな時期の深夜に動き回ってる梓の姿を見たからってのがある。
私はそれを梓にぶつけてみる。
444: にゃんこ 2011/08/07(日) 22:49:48.23 ID:9FBCI9DI0
「なあ、梓……。
おまえの悩みは本当にそれか?
そりゃ、私達と離れるのが辛かったって悩みは嬉しいし、それは本当だと思う。
でもさ、それじゃ説明が付かないんだよ。
おまえ……、昨日、いや、今日か。
今日の深夜に何してた?
憂ちゃんと会う前に外を走り回ってただろ?
見たんだよ、偶然」
梓の硬直した笑顔が今度は強張る。
私から視線を逸らして、足下に伏せる。
その様子が私の言葉を完全に認めていたけど、言葉だけは力強く梓が言った。
「何を言ってるんですか、律先輩。
夜は憂が来るまで、家でずっとギターの練習をしてましたよ?
それに、こんな時期の深夜に、どうして外を出歩かなきゃいけないんですか?
そんなはずないじゃないですか。
律先輩の見間違いですよ。見間違いに決まってるじゃないですか」
口早に梓が捲し立てる。
それだけでも嘘だと言ってる様なもんだけど、私はそれについて追及しなかった。
夜に見たあの影は間違いなく梓だったんだろうけど、
見間違いと言い切られたら、それ以上話を進めようがない。
水掛け論で終わっちゃうのが関の山だ。
だったら、私にできる事は結局はたった一つ。
それは梓の事を信じてやる事だ。
いや、梓の言う事を全面的に信じるって意味じゃない。
何度も語り掛けて、いつかは梓が本当の事を言ってくれるって信じる事だ。
これまでに積み重ねた私達の関係を信じるって事だ。
それを信じられなければ、私は梓の部長でいる意味も価値もないんだ。
ムギと純ちゃんと話してきた中で、私はそう思った。
私は自慢の部長と呼ばれるに相応しい部長になりたい。
そのためにも、梓の本心から逃げちゃいけない。
「梓。見間違いだっておまえが言うなら、それでいい。
無理をするなとも言わない。
無理しなきゃ、こんな状況で生きてけないもんな……。
でもさ、おまえのその無理は違う……。違うと思う。
無理しないおまえを受け止めてくれる人の前じゃ、無理しなくてもいいと思う。
そんなに私の事が信じられないか?
本当の悩みを口にしたら、見限られるとでも思ってるのか?
いや、確かに私はおまえにとっていい部長じゃなかったとは思うよ。
迷惑掛けてばっかりだったもんな……。
私を信じられないってんなら、それも仕方ない事だと思う。
おまえがそんなにやつれてるって事すら、
今日まで気付けなかった馬鹿な部長だもんな。仕方ないよ。
それなら……、それならさ……。
せめて……、せめて私以外の誰かには話してほしいんだ。
私じゃ役不足だと思うなら、唯にでも、憂ちゃんにでも、誰にでもいいから話してほしい。
おまえ自身のためだし、それが負い目になるってんなら、
駄目な部長の私の願いを聞いてやるって意味で、誰かに話してほしいんだよ……」
おまえの悩みは本当にそれか?
そりゃ、私達と離れるのが辛かったって悩みは嬉しいし、それは本当だと思う。
でもさ、それじゃ説明が付かないんだよ。
おまえ……、昨日、いや、今日か。
今日の深夜に何してた?
憂ちゃんと会う前に外を走り回ってただろ?
見たんだよ、偶然」
梓の硬直した笑顔が今度は強張る。
私から視線を逸らして、足下に伏せる。
その様子が私の言葉を完全に認めていたけど、言葉だけは力強く梓が言った。
「何を言ってるんですか、律先輩。
夜は憂が来るまで、家でずっとギターの練習をしてましたよ?
それに、こんな時期の深夜に、どうして外を出歩かなきゃいけないんですか?
そんなはずないじゃないですか。
律先輩の見間違いですよ。見間違いに決まってるじゃないですか」
口早に梓が捲し立てる。
それだけでも嘘だと言ってる様なもんだけど、私はそれについて追及しなかった。
夜に見たあの影は間違いなく梓だったんだろうけど、
見間違いと言い切られたら、それ以上話を進めようがない。
水掛け論で終わっちゃうのが関の山だ。
だったら、私にできる事は結局はたった一つ。
それは梓の事を信じてやる事だ。
いや、梓の言う事を全面的に信じるって意味じゃない。
何度も語り掛けて、いつかは梓が本当の事を言ってくれるって信じる事だ。
これまでに積み重ねた私達の関係を信じるって事だ。
それを信じられなければ、私は梓の部長でいる意味も価値もないんだ。
ムギと純ちゃんと話してきた中で、私はそう思った。
私は自慢の部長と呼ばれるに相応しい部長になりたい。
そのためにも、梓の本心から逃げちゃいけない。
「梓。見間違いだっておまえが言うなら、それでいい。
無理をするなとも言わない。
無理しなきゃ、こんな状況で生きてけないもんな……。
でもさ、おまえのその無理は違う……。違うと思う。
無理しないおまえを受け止めてくれる人の前じゃ、無理しなくてもいいと思う。
そんなに私の事が信じられないか?
本当の悩みを口にしたら、見限られるとでも思ってるのか?
いや、確かに私はおまえにとっていい部長じゃなかったとは思うよ。
迷惑掛けてばっかりだったもんな……。
私を信じられないってんなら、それも仕方ない事だと思う。
おまえがそんなにやつれてるって事すら、
今日まで気付けなかった馬鹿な部長だもんな。仕方ないよ。
それなら……、それならさ……。
せめて……、せめて私以外の誰かには話してほしいんだ。
私じゃ役不足だと思うなら、唯にでも、憂ちゃんにでも、誰にでもいいから話してほしい。
おまえ自身のためだし、それが負い目になるってんなら、
駄目な部長の私の願いを聞いてやるって意味で、誰かに話してほしいんだよ……」
445: にゃんこ 2011/08/07(日) 22:50:44.24 ID:9FBCI9DI0
話せば話すほど、自分自身の無力を実感させられる気がした。
私には梓に何かしてやれるほど、梓に信じられてなかったのかもしれない。
それを実感するのが恐くて、ずっと逃げ出してきた。
でも、もう逃げられない。逃げたくない。
私の胸の痛みなんかより、こんなに傷付いてる梓の姿こそどうにかしなきゃいけないんだ。
だから、梓の誤魔化しに騙されたふりをしちゃいけないんだ。
「そんな……、私が律先輩を信じてないなんて……。
そんな事……、そんな事ないよ……。
私は律先輩が……、律先輩の事が……。
でも……、でも……」
梓が呟きながら後ずさり、視線をあちこちに移動させる。
追い詰める形になってしまって、ひどく申し訳ない気分になってくる。
それでも、私は梓の腕を掴んだ手を離さなかった。
恨んでくれても構わない。
後で何度殴ってくれたっていい。
このままでいちゃいけないんだ。
梓の悩みがどんなに重い悩みでも、私はそれを受け止めたい。
それこそ犯罪が関わるような悩みだって構わない。
それを受け止めるのがここまで梓を追い詰めた私の責任だと思うから……。
不意に。
梓が視線を何度か自分の机の方に向けた。
さり気ない行為だったけど、
ずっと梓を見つめていた私は、それを見逃さなかった。
あらゆるものを見落としてきた私だけど、今度こそ見逃すわけにはいかなかった。
机の中に何かあるのか?
それが梓の悩みの原因なのか?
「机……?」
私が呟くと、梓がはっとした表情で急に動き始めた。
私が無理に机の中を覗こうとしたわけじゃない。
何となく疑問に思って呟いただけだったけど、
その事で梓は自分の机を探られるんじゃないかと過剰に反応していた。
身体を無理に動かし、私に掴まれた手を振りほどこうと暴れる。
危険だとは思ったけど、私としても梓の腕だけは離すわけにはいかない。
余計に力を込め、梓から離れないようにして……、それが悪かった。
私には梓に何かしてやれるほど、梓に信じられてなかったのかもしれない。
それを実感するのが恐くて、ずっと逃げ出してきた。
でも、もう逃げられない。逃げたくない。
私の胸の痛みなんかより、こんなに傷付いてる梓の姿こそどうにかしなきゃいけないんだ。
だから、梓の誤魔化しに騙されたふりをしちゃいけないんだ。
「そんな……、私が律先輩を信じてないなんて……。
そんな事……、そんな事ないよ……。
私は律先輩が……、律先輩の事が……。
でも……、でも……」
梓が呟きながら後ずさり、視線をあちこちに移動させる。
追い詰める形になってしまって、ひどく申し訳ない気分になってくる。
それでも、私は梓の腕を掴んだ手を離さなかった。
恨んでくれても構わない。
後で何度殴ってくれたっていい。
このままでいちゃいけないんだ。
梓の悩みがどんなに重い悩みでも、私はそれを受け止めたい。
それこそ犯罪が関わるような悩みだって構わない。
それを受け止めるのがここまで梓を追い詰めた私の責任だと思うから……。
不意に。
梓が視線を何度か自分の机の方に向けた。
さり気ない行為だったけど、
ずっと梓を見つめていた私は、それを見逃さなかった。
あらゆるものを見落としてきた私だけど、今度こそ見逃すわけにはいかなかった。
机の中に何かあるのか?
それが梓の悩みの原因なのか?
「机……?」
私が呟くと、梓がはっとした表情で急に動き始めた。
私が無理に机の中を覗こうとしたわけじゃない。
何となく疑問に思って呟いただけだったけど、
その事で梓は自分の机を探られるんじゃないかと過剰に反応していた。
身体を無理に動かし、私に掴まれた手を振りほどこうと暴れる。
危険だとは思ったけど、私としても梓の腕だけは離すわけにはいかない。
余計に力を込め、梓から離れないようにして……、それが悪かった。
446: にゃんこ 2011/08/07(日) 22:54:14.06 ID:9FBCI9DI0
「ちょっ……!」
「うわっ……!」
無理な体勢でいたせいでバランスを崩してしまい、
二人で小さく悲鳴を上げて、その場で折り重なって倒れてしまった。
周りの机や椅子も巻き込んで倒れてしまって、豪快な音が教室に響く。
「痛たたた……。
大丈夫か、梓?」
それでも梓の腕だけは離さずにいられたみたいだ。
私は梓の手を掴んだまま顔を上げ、その場に座り込んで訊ねる。
梓からの返事はなかった。
やばいっ。打ち所が悪かったかっ?
そうやって心配になって梓の方に顔を向けてみたけど、
幸い梓の方は自分の椅子に倒れ込むような形になっただけみたいで、私よりも無事な様子に見えた。
だったら、どうして返事がなかったんだ?
梓の顔を覗き込んでみると、梓は大きく目を見開いて私じゃない何処かを見ていた。
そこでようやく私は気が付いた。
倒れた衝撃で梓の机を横向きに倒してしまい、机の中身をその場にぶち撒けてしまっていた事に。
梓がその机の中身を見ているんだって事に。
事故とは言え、梓が隠そうとしてた物をこの目で確認していいんだろうか。
そう思わなくもなかったけど、それを確認しないのも不自然過ぎた。
心の中で梓に謝り、私もその机の中に入っていた物に視線を向ける。
「えっ……?」
そう呟いてしまうくらい、予想外の物がそこに転がっていた。
死体とか拳銃とか麻薬とか、そういう不謹慎な意味で予想外だったわけじゃない。
意外じゃなさ過ぎて、逆に意外な物だったんだ。
その場所には、うちの学校の学生鞄が転がっていた。
机の中に入れるために小さく潰されている。
多分、中には何も入ってないんだろう。
でも、どうして鞄を机の中に……?
疑問に思って私が梓に視線を向けると、急に梓の表情が大きく崩れた。
いや、崩れたってレベルじゃない。
大粒の涙を流して、大声で泣き声を上げ始めた。
「うわっ……!」
無理な体勢でいたせいでバランスを崩してしまい、
二人で小さく悲鳴を上げて、その場で折り重なって倒れてしまった。
周りの机や椅子も巻き込んで倒れてしまって、豪快な音が教室に響く。
「痛たたた……。
大丈夫か、梓?」
それでも梓の腕だけは離さずにいられたみたいだ。
私は梓の手を掴んだまま顔を上げ、その場に座り込んで訊ねる。
梓からの返事はなかった。
やばいっ。打ち所が悪かったかっ?
そうやって心配になって梓の方に顔を向けてみたけど、
幸い梓の方は自分の椅子に倒れ込むような形になっただけみたいで、私よりも無事な様子に見えた。
だったら、どうして返事がなかったんだ?
梓の顔を覗き込んでみると、梓は大きく目を見開いて私じゃない何処かを見ていた。
そこでようやく私は気が付いた。
倒れた衝撃で梓の机を横向きに倒してしまい、机の中身をその場にぶち撒けてしまっていた事に。
梓がその机の中身を見ているんだって事に。
事故とは言え、梓が隠そうとしてた物をこの目で確認していいんだろうか。
そう思わなくもなかったけど、それを確認しないのも不自然過ぎた。
心の中で梓に謝り、私もその机の中に入っていた物に視線を向ける。
「えっ……?」
そう呟いてしまうくらい、予想外の物がそこに転がっていた。
死体とか拳銃とか麻薬とか、そういう不謹慎な意味で予想外だったわけじゃない。
意外じゃなさ過ぎて、逆に意外な物だったんだ。
その場所には、うちの学校の学生鞄が転がっていた。
机の中に入れるために小さく潰されている。
多分、中には何も入ってないんだろう。
でも、どうして鞄を机の中に……?
疑問に思って私が梓に視線を向けると、急に梓の表情が大きく崩れた。
いや、崩れたってレベルじゃない。
大粒の涙を流して、大声で泣き声を上げ始めた。
447: にゃんこ 2011/08/07(日) 22:55:02.89 ID:9FBCI9DI0
「ごめんなさい!
ううっく……、う……、あ、ああ……!
うああああああああああああっ!」
梓が何を言っているのか見当も付かない。
鞄が何なんだ?
中には何も入ってなさそうだし、何で梓は泣き出してるんだよ?
突然の展開にこれまでと違った意味で不安になってくる。
「おい、ちょっと梓……」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!
本当にすみません! すみません、すみません、すみません!
すみま……せ……、うううう……!
ひぐっ……! あっ……、うわあああああああああああっ!」
梓の涙は止まらない。
その原因が私なら何とかしようもあるだろうけど、
本当に何が起こったのか私にはまだ何も理解できてない。
梓の涙の原因……、それはやっぱり机の中に隠されてた鞄なんだろう。
鞄といえば、考えてみれば、最近、梓は部室に鞄を持って来てなかった。
それは授業が少なくなって、荷物も無くなったからだと思ってたけど……。
そこで私は一つの事を思い出していた。
ああ、何で気付かなかったんだ。
授業がほとんど無くなったのは、当然だけど『終末宣言』の後だ。
『終末宣言』の後も、梓は普段通りに部室に学生鞄を持って来てたじゃないか。
そりゃそうだ。授業が無くたって、弁当やら何やらの荷物はあるんだから。
梓が部室に鞄を持って来なくなったのは、
そう、約一週間前……、梓の様子がおかしくなった頃からだ!
じゃあ、やっぱり梓の悩みは鞄に関係していて……。
そこでまた私の思考が止まる。
だから、鞄が何だってんだよ。
鞄の中身が悩みだって言うのか?
でも、中には何も入ってないだろうくらい小さく潰されてるし、
何かが入ってたとしても、そんな大袈裟な物が入ってるわけが……。
一瞬、また私の思考が止まった。
疑問に立ち止まってしまったわけじゃない。
梓の悩みと、梓の痛み、梓の隠してた事が分かったからだ。
やっぱり、梓の悩みは鞄の中身じゃなかった。
まだ見てないけど、鞄の中身なんて見る必要もなかったし、中身なんて何でもよかった。
でも、それじゃ……。
こんな……、こんな事で、梓は一週間も悩んでくれていたのか?
それもただの一週間じゃない。
世界の終わりを週末に控えたかけがえのないこの一週間を?
馬鹿だ。
本当に馬鹿な後輩だ、梓は……。
こんな取るに足らない事でずっと悩んでいただなんて……。
だけど、梓の辛さや不安は、私自身も痛いくらいに実感できた。
梓ほどじゃないにしても、同じ状況に置かれたら、
間違いなく私も同じ不安に襲われてただろう。
ううっく……、う……、あ、ああ……!
うああああああああああああっ!」
梓が何を言っているのか見当も付かない。
鞄が何なんだ?
中には何も入ってなさそうだし、何で梓は泣き出してるんだよ?
突然の展開にこれまでと違った意味で不安になってくる。
「おい、ちょっと梓……」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!
本当にすみません! すみません、すみません、すみません!
すみま……せ……、うううう……!
ひぐっ……! あっ……、うわあああああああああああっ!」
梓の涙は止まらない。
その原因が私なら何とかしようもあるだろうけど、
本当に何が起こったのか私にはまだ何も理解できてない。
梓の涙の原因……、それはやっぱり机の中に隠されてた鞄なんだろう。
鞄といえば、考えてみれば、最近、梓は部室に鞄を持って来てなかった。
それは授業が少なくなって、荷物も無くなったからだと思ってたけど……。
そこで私は一つの事を思い出していた。
ああ、何で気付かなかったんだ。
授業がほとんど無くなったのは、当然だけど『終末宣言』の後だ。
『終末宣言』の後も、梓は普段通りに部室に学生鞄を持って来てたじゃないか。
そりゃそうだ。授業が無くたって、弁当やら何やらの荷物はあるんだから。
梓が部室に鞄を持って来なくなったのは、
そう、約一週間前……、梓の様子がおかしくなった頃からだ!
じゃあ、やっぱり梓の悩みは鞄に関係していて……。
そこでまた私の思考が止まる。
だから、鞄が何だってんだよ。
鞄の中身が悩みだって言うのか?
でも、中には何も入ってないだろうくらい小さく潰されてるし、
何かが入ってたとしても、そんな大袈裟な物が入ってるわけが……。
一瞬、また私の思考が止まった。
疑問に立ち止まってしまったわけじゃない。
梓の悩みと、梓の痛み、梓の隠してた事が分かったからだ。
やっぱり、梓の悩みは鞄の中身じゃなかった。
まだ見てないけど、鞄の中身なんて見る必要もなかったし、中身なんて何でもよかった。
でも、それじゃ……。
こんな……、こんな事で、梓は一週間も悩んでくれていたのか?
それもただの一週間じゃない。
世界の終わりを週末に控えたかけがえのないこの一週間を?
馬鹿だ。
本当に馬鹿な後輩だ、梓は……。
こんな取るに足らない事でずっと悩んでいただなんて……。
だけど、梓の辛さや不安は、私自身も痛いくらいに実感できた。
梓ほどじゃないにしても、同じ状況に置かれたら、
間違いなく私も同じ不安に襲われてただろう。
448: にゃんこ 2011/08/07(日) 22:55:34.42 ID:9FBCI9DI0
私は掴んでいた梓の腕を離した。
もう掴んでいる必要はない。
必要なのは多分、私の言葉と心だ。
「失くしたんだな、梓……」
「ごめ……ひぐっ、なさい……。
大切にしてたのに……、大切だっ、ひっく、たのに……。
どうして……、こんな時に……、ううううう……。
ずっと探してるのに、どうして……、ひぐっ、どうして見つからないの……!」
「京都土産のキーホルダー……か」
梓じゃなくて、自分に言い聞かせるよう呟く。
修学旅行で行った京都で、
京都とは何の関係もないけど、私達が買ってきたお揃いのキーホルダー。
私が『け』。
ムギが『い』
澪が『お』。
唯が『ん』。
梓が『ぶ』。
五人合わせて『けいおんぶ』になる、そんな茶目っ気から購入したキーホルダーだ。
何気ないお土産だけど、梓がとても喜んでくれた事をよく覚えてる。
最初はそうでもなかったけど、梓の喜ぶ顔を見て、
私もこのキーホルダーを一生大切にしようって思った。
それくらい梓は喜んでくれたんだ。
少し大袈裟かもしれないけど、
多分他の部員の皆も軽音部の絆の品みたいな感じに思ってくれてるはずだ。
その『ぶ』のキーホルダーを梓は失くしてしまった。
梓の鞄をどう見回しても見つからないのは、そういう事なんだろう。
梓が隠したかったのは鞄そのものじゃない。
本当に隠したかったのは、キーホルダーを失くしてしまったって事実だったんだ。
これまでの梓の不審な行動も、
失くしてしまったキーホルダーを捜しての事だと考えて間違いない。
ずっと思いつめていたのは、
自分がキーホルダーを失くしてしまった事にいつ気付かれるかと気が気でなかったから。
昨日、校庭で私の前から逃げ出したのは、
キーホルダーを捜しているのを私に知られたくなかったから。
深夜に外を出歩いていたのは、
自分の身も案じずに必死にキーホルダーを捜していたからだ。
梓は本当に馬鹿だ。
小さなキーホルダーのために、どれだけ自分を追い詰めてしまったんだろう。
こんなにやつれ果ててまで、どうして……。
だけど、誰にそれが責められるだろう。
少なくとも私には、そんな梓を責める事なんてできない。
もう掴んでいる必要はない。
必要なのは多分、私の言葉と心だ。
「失くしたんだな、梓……」
「ごめ……ひぐっ、なさい……。
大切にしてたのに……、大切だっ、ひっく、たのに……。
どうして……、こんな時に……、ううううう……。
ずっと探してるのに、どうして……、ひぐっ、どうして見つからないの……!」
「京都土産のキーホルダー……か」
梓じゃなくて、自分に言い聞かせるよう呟く。
修学旅行で行った京都で、
京都とは何の関係もないけど、私達が買ってきたお揃いのキーホルダー。
私が『け』。
ムギが『い』
澪が『お』。
唯が『ん』。
梓が『ぶ』。
五人合わせて『けいおんぶ』になる、そんな茶目っ気から購入したキーホルダーだ。
何気ないお土産だけど、梓がとても喜んでくれた事をよく覚えてる。
最初はそうでもなかったけど、梓の喜ぶ顔を見て、
私もこのキーホルダーを一生大切にしようって思った。
それくらい梓は喜んでくれたんだ。
少し大袈裟かもしれないけど、
多分他の部員の皆も軽音部の絆の品みたいな感じに思ってくれてるはずだ。
その『ぶ』のキーホルダーを梓は失くしてしまった。
梓の鞄をどう見回しても見つからないのは、そういう事なんだろう。
梓が隠したかったのは鞄そのものじゃない。
本当に隠したかったのは、キーホルダーを失くしてしまったって事実だったんだ。
これまでの梓の不審な行動も、
失くしてしまったキーホルダーを捜しての事だと考えて間違いない。
ずっと思いつめていたのは、
自分がキーホルダーを失くしてしまった事にいつ気付かれるかと気が気でなかったから。
昨日、校庭で私の前から逃げ出したのは、
キーホルダーを捜しているのを私に知られたくなかったから。
深夜に外を出歩いていたのは、
自分の身も案じずに必死にキーホルダーを捜していたからだ。
梓は本当に馬鹿だ。
小さなキーホルダーのために、どれだけ自分を追い詰めてしまったんだろう。
こんなにやつれ果ててまで、どうして……。
だけど、誰にそれが責められるだろう。
少なくとも私には、そんな梓を責める事なんてできない。
454: にゃんこ 2011/08/11(木) 21:39:13.80 ID:okX2kLbx0
不安で仕方がなかったんだろうと思う。
ずっと不安で、誰にも言い出せずに胸の中に溜め込んで、
不自然なくらい過剰にキーホルダーを失くした事を隠してた梓。
考えてみれば、さっきの行動にしたってそうだ。
鞄が梓の机から飛び出た時、いくらでも誤魔化しようがあったのに。
私にしたって、鞄を目にした当初は何も分かってなかったのに。
なのに、梓は過剰に反応してしまって、涙までこぼしてしまっていた。
それはきっと恐かったからだ。
キーホルダーを失くした事を知られてしまう事が恐くて、
ほんの少し私がその真相に近付いただけで、
全ての隠し事を知られてしまったと勘違いしてしまったんだ。
更に言わせてもらうと、何も梓は机の中に鞄を隠す必要なんてなかった。
鞄が学校の机にあるという事は、
キーホルダーを失くしたと梓が気付いたのは学校だったんだろう。
小さく潰れた学生鞄を見る限り、鞄の中身は小分けにして家に持ち帰ってるんだと思う。
多分、違う鞄を自宅から持って来て、それに入れて持ち帰ったに違いない。
梓はその時、学生鞄も持って帰ればよかったんだ。
持ち帰る時、学生鞄を誰かに見られるのが不安なら、
小さく折り畳んでその違う鞄にでも入れておけばよかったんだ。
まあ、そりゃ少し不自然ではあるけど、
普段と違う鞄を持ち歩いてるくらいじゃ、誰も深く問い詰めたりなんてしない。
でも、梓はその少しの不自然さすら、不安でしょうがなかったんだ。
もしもいつもと違う鞄を持っているのを誰かに見られてしまったら。
その誰かにいつもの学生鞄はどうしたのかと訊ねられてしまったら。
それで万が一、鞄の中身について訊ねられてしまったら……。
冷静に考えればそんな事があるはずないのに、きっと梓はそう考えてしまったんだろう。
だから、一週間も机の中に鞄を入れたまま、放置する事しかできなかったんだ。
誰かに見られるのが不安で、机以外の何処かに隠す事さえできなかったんだ。
「恐かっ……た……。恐かったんです……」
不意に梓が言葉を続けた。
しゃくり上げるのは少しだけ治まっていたけど、
梓の目からは止まることなく大粒の涙が流れ続けている。
私は座り込んだままで、涙に濡れる梓の瞳をじっと見つめる。
ずっと不安で、誰にも言い出せずに胸の中に溜め込んで、
不自然なくらい過剰にキーホルダーを失くした事を隠してた梓。
考えてみれば、さっきの行動にしたってそうだ。
鞄が梓の机から飛び出た時、いくらでも誤魔化しようがあったのに。
私にしたって、鞄を目にした当初は何も分かってなかったのに。
なのに、梓は過剰に反応してしまって、涙までこぼしてしまっていた。
それはきっと恐かったからだ。
キーホルダーを失くした事を知られてしまう事が恐くて、
ほんの少し私がその真相に近付いただけで、
全ての隠し事を知られてしまったと勘違いしてしまったんだ。
更に言わせてもらうと、何も梓は机の中に鞄を隠す必要なんてなかった。
鞄が学校の机にあるという事は、
キーホルダーを失くしたと梓が気付いたのは学校だったんだろう。
小さく潰れた学生鞄を見る限り、鞄の中身は小分けにして家に持ち帰ってるんだと思う。
多分、違う鞄を自宅から持って来て、それに入れて持ち帰ったに違いない。
梓はその時、学生鞄も持って帰ればよかったんだ。
持ち帰る時、学生鞄を誰かに見られるのが不安なら、
小さく折り畳んでその違う鞄にでも入れておけばよかったんだ。
まあ、そりゃ少し不自然ではあるけど、
普段と違う鞄を持ち歩いてるくらいじゃ、誰も深く問い詰めたりなんてしない。
でも、梓はその少しの不自然さすら、不安でしょうがなかったんだ。
もしもいつもと違う鞄を持っているのを誰かに見られてしまったら。
その誰かにいつもの学生鞄はどうしたのかと訊ねられてしまったら。
それで万が一、鞄の中身について訊ねられてしまったら……。
冷静に考えればそんな事があるはずないのに、きっと梓はそう考えてしまったんだろう。
だから、一週間も机の中に鞄を入れたまま、放置する事しかできなかったんだ。
誰かに見られるのが不安で、机以外の何処かに隠す事さえできなかったんだ。
「恐かっ……た……。恐かったんです……」
不意に梓が言葉を続けた。
しゃくり上げるのは少しだけ治まっていたけど、
梓の目からは止まることなく大粒の涙が流れ続けている。
私は座り込んだままで、涙に濡れる梓の瞳をじっと見つめる。
455: にゃんこ 2011/08/11(木) 21:40:53.70 ID:okX2kLbx0
「『終末宣言』とか……、世界の終わりの日とか……、
それより前からずっと私、恐くて……。
不安で、寂しくて……。それで……」
「『終末宣言』の前から……?」
「はい……。私……、私、不安で……。
先輩達が卒業した後も、軽音部でやってけるのかなって……。
ひとりぼっちの軽音部で、
ちゃんと部を盛り上げていけるのかなって、そう思うと恐くて……。
それで私……、私……は……!
う……っ、ううううっ……!」
また梓の涙が激しさを増していく。
梓の言葉が涙に押し潰されそうになる。
だけど、梓は涙を流しながらも、しゃくり上げながらも言葉を止めなかった。
ずっと隠してた涙と同じように、ずっと隠してた言葉も止まらないんだと思う。
「ごめん……なさい、律先輩……!
私……、私、とんでもない事をして……!
皆さんに、ひっく、皆さんに……、私は……とんでもない事を……!」
「何だよっ? どうしたっ?
とんでもない事って何だよっ?」
梓の突然の告白。
気付けば私は立ち上がって梓の肩を掴んでいた。
梓の悩みはキーホルダーを失くした事だけじゃなかったのか?
新しい不安が悪寒となって私の全身を襲う気がした。
梓が「ごめんなさい」と言いながら、自らの涙を袖口で拭う。
「ごめ……んなさい……!
私、考えちゃったんです……。
願っちゃいけない事なのに、願って……しまったんです……。
『先輩達に卒業してほしくないな』って……。
『先輩達とまたライブしたいな』って……。
それが……、それがこんな……、こんな形で叶……、叶うなんて……!
私……が、願っちゃったから……! 終末なんて形で……、願いが叶って……!
そん……な……、そんなつもりじゃ、なかったのに……!」
おまえは何を言ってるんだ。
終末……、世界の終わりと梓の願いが関係してるはずがない。
それこそ自分が世界の中心だって、自分から宣言してるようなもんだ。
世界はおまえを中心に回ってない。
世界の終わりとおまえは考えるまでもなく無関係だ。
無関係に決まってる。
それより前からずっと私、恐くて……。
不安で、寂しくて……。それで……」
「『終末宣言』の前から……?」
「はい……。私……、私、不安で……。
先輩達が卒業した後も、軽音部でやってけるのかなって……。
ひとりぼっちの軽音部で、
ちゃんと部を盛り上げていけるのかなって、そう思うと恐くて……。
それで私……、私……は……!
う……っ、ううううっ……!」
また梓の涙が激しさを増していく。
梓の言葉が涙に押し潰されそうになる。
だけど、梓は涙を流しながらも、しゃくり上げながらも言葉を止めなかった。
ずっと隠してた涙と同じように、ずっと隠してた言葉も止まらないんだと思う。
「ごめん……なさい、律先輩……!
私……、私、とんでもない事をして……!
皆さんに、ひっく、皆さんに……、私は……とんでもない事を……!」
「何だよっ? どうしたっ?
とんでもない事って何だよっ?」
梓の突然の告白。
気付けば私は立ち上がって梓の肩を掴んでいた。
梓の悩みはキーホルダーを失くした事だけじゃなかったのか?
新しい不安が悪寒となって私の全身を襲う気がした。
梓が「ごめんなさい」と言いながら、自らの涙を袖口で拭う。
「ごめ……んなさい……!
私、考えちゃったんです……。
願っちゃいけない事なのに、願って……しまったんです……。
『先輩達に卒業してほしくないな』って……。
『先輩達とまたライブしたいな』って……。
それが……、それがこんな……、こんな形で叶……、叶うなんて……!
私……が、願っちゃったから……! 終末なんて形で……、願いが叶って……!
そん……な……、そんなつもりじゃ、なかったのに……!」
おまえは何を言ってるんだ。
終末……、世界の終わりと梓の願いが関係してるはずがない。
それこそ自分が世界の中心だって、自分から宣言してるようなもんだ。
世界はおまえを中心に回ってない。
世界の終わりとおまえは考えるまでもなく無関係だ。
無関係に決まってる。
456: にゃんこ 2011/08/11(木) 21:41:54.07 ID:okX2kLbx0
私はそう梓に伝えたかったけど、そうする事はできずに言葉を止めた。
そんなの私に言われるまでもない。
梓だって自分がどれだけ無茶な事を言っているか百も承知のはずだ。
梓は頭がいい後輩だ。私なんかよりずっと勉強もできる。
確かに梓の言葉通り、世界の終わりが来る事で私達の卒業は無くなったし、
あるはずがなかった最後のライブを開催する事ができるようにはなった。
だとしても、その自分の願いが世界の終わりと何の関係もない事は、梓だって理解してるだろう。
それでも……。
それでも梓がそう思わずにはいられない事も、私には痛いくらいに分かった。
世界の終わりがどうのこうのって話より、梓は多分、
間近に迫った私達の卒業を心から祝福できない自分に罪悪感を抱いてるんだと思う。
笑顔で見送りたいのに、私達を安心して卒業させたいのに、
それよりも自分の寂しさと不安を優先させてしまう自分が嫌なんだと思う。
梓は真面目な子で、いつも私達を気遣ってくれていて、
ちゃんとした部と呼ぶにはちょっと無理がある我が軽音部にも馴染んでくれて……。
梓はそんな私達には勿体無いよくできた後輩だ。
よくできた後輩だからこそ、色んな事に責任を感じてしまってるんだ。
そして、梓をそこまで追い込んでしまったのは、ある意味では私の責任でもあった。
二年生の部員は梓一人で、一年生の部員に至っては一人もいない我が軽音部。
五人だけの軽音部。
五人で居る事の居心地の良さに私は甘えてしまってた。
五人だけで私の部は十分だと思ってた。
それはそうかもしれないけれど、一人残される梓の気持ちをもっと考えるべきだったんだ。
五人でなくなった時の、軽音部の事を考えなきゃいけなかったんだ。
梓はずっとそれを考えてた。考えてくれてた。
だから、梓は私達の中の誰よりも、キーホルダーを大切にしてくれてたんだ。
世界の終わりの前の一週間を費やしてしまうくらいに。
そんなの私に言われるまでもない。
梓だって自分がどれだけ無茶な事を言っているか百も承知のはずだ。
梓は頭がいい後輩だ。私なんかよりずっと勉強もできる。
確かに梓の言葉通り、世界の終わりが来る事で私達の卒業は無くなったし、
あるはずがなかった最後のライブを開催する事ができるようにはなった。
だとしても、その自分の願いが世界の終わりと何の関係もない事は、梓だって理解してるだろう。
それでも……。
それでも梓がそう思わずにはいられない事も、私には痛いくらいに分かった。
世界の終わりがどうのこうのって話より、梓は多分、
間近に迫った私達の卒業を心から祝福できない自分に罪悪感を抱いてるんだと思う。
笑顔で見送りたいのに、私達を安心して卒業させたいのに、
それよりも自分の寂しさと不安を優先させてしまう自分が嫌なんだと思う。
梓は真面目な子で、いつも私達を気遣ってくれていて、
ちゃんとした部と呼ぶにはちょっと無理がある我が軽音部にも馴染んでくれて……。
梓はそんな私達には勿体無いよくできた後輩だ。
よくできた後輩だからこそ、色んな事に責任を感じてしまってるんだ。
そして、梓をそこまで追い込んでしまったのは、ある意味では私の責任でもあった。
二年生の部員は梓一人で、一年生の部員に至っては一人もいない我が軽音部。
五人だけの軽音部。
五人で居る事の居心地の良さに私は甘えてしまってた。
五人だけで私の部は十分だと思ってた。
それはそうかもしれないけれど、一人残される梓の気持ちをもっと考えるべきだったんだ。
五人でなくなった時の、軽音部の事を考えなきゃいけなかったんだ。
梓はずっとそれを考えてた。考えてくれてた。
だから、梓は私達の中の誰よりも、キーホルダーを大切にしてくれてたんだ。
世界の終わりの前の一週間を費やしてしまうくらいに。
457: にゃんこ 2011/08/11(木) 21:42:36.19 ID:okX2kLbx0
「キーホルダーだけどさ……」
私が小さく口にすると、目に見えて梓が大きく震え出した。
触れずにいた方がいい事かもしれなかったけど、触れずにいるわけにもいかなかった。
梓をこんなに辛い目に合わせているのはキーホルダーだ。
小さなキーホルダーのせいで、梓はこんなにも怯えてしまっている。
でも、梓を救えるのも、恐らくはその小さなキーホルダーだと思うから。
私はキーホルダーの事について、話を始めようと思った。
「梓がそんなに大切にしてくれてるとは思わなかったよ。
京都の土産なのに、京都とは何の関係もないしさ。
実は呆れられてるんじゃないかって、何となく思ってた」
「呆れるなんて……、そんな事……。
私、嬉しくて……、宝物にしようと思って……、
でも、大切にしてたのに……、落としちゃうなんて、私……。
こんなんじゃ……、こんなんじゃ私……、
先輩達の後輩でいる資格なんて……」
涙を流して、梓はその場に目を伏せようとする。
私は梓の肩を掴んでいる手に力を入れて、視線を私の方に向かせる。
梓と目を合わせて、視線を逸らさない。
泣き腫らした梓の瞼が痛々しくて、ひどく胸が痛くなってくる。
梓を悲しませているのは、軽音部の先輩である私達の無力が原因だ。
私の方も、梓と同じく大声で泣きたい気分だった。
役に立てず、負い目しか感じさせる事のできない無力過ぎる私達。
自分の情けなさに涙が滲んでくる。
だけど、泣いちゃいけない。視線を逸らしちゃいけない。
今一番泣きたいのは梓で、今泣いていいのは梓だけだ。
どうして、キーホルダーを失くしたって言ってくれなかったんだ?
そう言葉にしようとしてしまうけど、唇を噛み締めて必死に堪える。
梓がキーホルダーを失くした事を私達に話さなかった理由……、
それは訊くまでもないし、訊いちゃいけない事だ。
キーホルダーを失くしたと私達に話してしまったら、
いや、知られてしまったら、
私達の心が自分から離れていってしまうって、梓は考えたんだ。
キーホルダーを一週間も一人で捜し続けてた事から考えても、それは間違いない。
あのキーホルダーは私達にとって、単なる思い出の品なんかじゃない。
軽音部の絆の証、絆の品なんだ。
特に来年一人で取り残されるはずだった梓にとっては、私達以上にその意味があるだろう。
一人でも大丈夫だと思えるために、梓はきっとあのキーホルダーに頼ってくれてたんだ。
絆を信じられるために。
そうだ。
梓が本当に悲しんでる理由は、キーホルダーを失くしたからじゃない。
キーホルダーを失くした事で、
私達の絆その物も失くしてしまった気がしてしまって、それが悲しいんだ。
実際、私達だって、キーホルダーを失くされた事で梓を責めたりしない。
梓も私達から責められるとは思ってないだろう。
梓を責めているのは梓自身。
世界の終わりを間近にしたこの時期に、絆を失くしてしまった自分を許せないんだ。
だから、誰にも知られないままに、自分の力だけで失くしたキーホルダーを見付けたかったんだ。
でも、だからこそ、私には梓に掛けてやれる慰めの言葉が思い付かなかった。
キーホルダーを失くした事なんて気にするな、なんて簡単な言葉で片付く話じゃない。
そんな言葉を掛けてしまったら、それこそ梓は今以上に自分自身を責める事になるはずだ。
一瞬だけの笑顔は貰えるかもしれない。
その場限りの安心は得られるかもしれない。
でも、それだけだ。
それ以降、世界の終わりまで、梓は自分自身を責め続ける事になるだろう。
勿論、私だって、私自身を許せないまま、世界の終わりを迎える事になる。
なら、私に何ができる?
無力で、頼りなくて、後輩に気を遣わせて追い込んでしまった私に何が?
……何もできないのかもしれない。
何もしてやれないのかもしれない。
少なくとも、今の私にできる事は何もない。今の私には何もできないんだ。
でも……。
だからこそ、今の私じゃなく……。
私が小さく口にすると、目に見えて梓が大きく震え出した。
触れずにいた方がいい事かもしれなかったけど、触れずにいるわけにもいかなかった。
梓をこんなに辛い目に合わせているのはキーホルダーだ。
小さなキーホルダーのせいで、梓はこんなにも怯えてしまっている。
でも、梓を救えるのも、恐らくはその小さなキーホルダーだと思うから。
私はキーホルダーの事について、話を始めようと思った。
「梓がそんなに大切にしてくれてるとは思わなかったよ。
京都の土産なのに、京都とは何の関係もないしさ。
実は呆れられてるんじゃないかって、何となく思ってた」
「呆れるなんて……、そんな事……。
私、嬉しくて……、宝物にしようと思って……、
でも、大切にしてたのに……、落としちゃうなんて、私……。
こんなんじゃ……、こんなんじゃ私……、
先輩達の後輩でいる資格なんて……」
涙を流して、梓はその場に目を伏せようとする。
私は梓の肩を掴んでいる手に力を入れて、視線を私の方に向かせる。
梓と目を合わせて、視線を逸らさない。
泣き腫らした梓の瞼が痛々しくて、ひどく胸が痛くなってくる。
梓を悲しませているのは、軽音部の先輩である私達の無力が原因だ。
私の方も、梓と同じく大声で泣きたい気分だった。
役に立てず、負い目しか感じさせる事のできない無力過ぎる私達。
自分の情けなさに涙が滲んでくる。
だけど、泣いちゃいけない。視線を逸らしちゃいけない。
今一番泣きたいのは梓で、今泣いていいのは梓だけだ。
どうして、キーホルダーを失くしたって言ってくれなかったんだ?
そう言葉にしようとしてしまうけど、唇を噛み締めて必死に堪える。
梓がキーホルダーを失くした事を私達に話さなかった理由……、
それは訊くまでもないし、訊いちゃいけない事だ。
キーホルダーを失くしたと私達に話してしまったら、
いや、知られてしまったら、
私達の心が自分から離れていってしまうって、梓は考えたんだ。
キーホルダーを一週間も一人で捜し続けてた事から考えても、それは間違いない。
あのキーホルダーは私達にとって、単なる思い出の品なんかじゃない。
軽音部の絆の証、絆の品なんだ。
特に来年一人で取り残されるはずだった梓にとっては、私達以上にその意味があるだろう。
一人でも大丈夫だと思えるために、梓はきっとあのキーホルダーに頼ってくれてたんだ。
絆を信じられるために。
そうだ。
梓が本当に悲しんでる理由は、キーホルダーを失くしたからじゃない。
キーホルダーを失くした事で、
私達の絆その物も失くしてしまった気がしてしまって、それが悲しいんだ。
実際、私達だって、キーホルダーを失くされた事で梓を責めたりしない。
梓も私達から責められるとは思ってないだろう。
梓を責めているのは梓自身。
世界の終わりを間近にしたこの時期に、絆を失くしてしまった自分を許せないんだ。
だから、誰にも知られないままに、自分の力だけで失くしたキーホルダーを見付けたかったんだ。
でも、だからこそ、私には梓に掛けてやれる慰めの言葉が思い付かなかった。
キーホルダーを失くした事なんて気にするな、なんて簡単な言葉で片付く話じゃない。
そんな言葉を掛けてしまったら、それこそ梓は今以上に自分自身を責める事になるはずだ。
一瞬だけの笑顔は貰えるかもしれない。
その場限りの安心は得られるかもしれない。
でも、それだけだ。
それ以降、世界の終わりまで、梓は自分自身を責め続ける事になるだろう。
勿論、私だって、私自身を許せないまま、世界の終わりを迎える事になる。
なら、私に何ができる?
無力で、頼りなくて、後輩に気を遣わせて追い込んでしまった私に何が?
……何もできないのかもしれない。
何もしてやれないのかもしれない。
少なくとも、今の私にできる事は何もない。今の私には何もできないんだ。
でも……。
だからこそ、今の私じゃなく……。
462: にゃんこ 2011/08/13(土) 22:51:20.97 ID:A5NjIVI60
私は大きく溜息を吐く。
何もできない今の自分を情けなく思いながら、
それでも、掴んでいた梓の肩を思い切り自分の方に引き寄せる。
私の胸元に椅子から転がり込んでくる梓を座り込んで抱き締める。
「あの……っ、えっと……?
律……先輩……?」
小さな身体を震わせて、何をされたのか分からない様子の梓が呟く。
呟きながらも、梓の涙はとめどなく流れ続けている。
しゃくり上げながら、震える身体も治まる事がない。
今の私には梓の涙を止められない。震えも止めてやる事ができない。
梓の不安を止めてやれるのは、今の私じゃない。
だから、胸元に引き寄せた梓を、私は頭から包み込むように抱き締める。
強く強く、抱き締める。
まだ掛けてあげられる言葉は見つからない。
その代わりに、小さな梓を身体全体で受け止める。
小さな梓と同じくらい小さな私が、小さな身体で小さく包み込む。
どこまでも小さな存在の私達。
それでも、私達は小さいけれど、とんでもなくちっぽけな存在だけど、
信じてる事だって……、信じていたい事だってあるんだ。
「梓……。きっとさ……。
今の私が何を言っても、おまえの不安を消してはやれないと思う。
私は人を支えてあげられるタイプじゃないだろうし、
誰かの不安を消してあげられるくらい頼り甲斐のある部長でもないんだ。
逆に皆に支えられてばかりだしさ……」
やっと見付けた言葉が私の口からこぼれ出る。
でも、これは梓の耳元に囁いてはいるけど、梓だけに聞かせてる言葉でもなかった。
これは自分に言い聞かせてもいる言葉だ。
願いみたいなものだった。
祈りみたいなものだった。
私の胸の中で、梓は私の言葉を震えながら聞いている。
その震えを止めてやれる自信はない。
今の私に梓を安心させてあげる事はできないだろう。
私の気持ちを上手く伝える事もできないかもしれない。
でも……。
「でもさ、梓……。
こう言われるのは迷惑かもしれないけど、
私の勝手な勘違いかもしれないけど、一つだけ思い出してほしい事があるんだよ。
なあ、梓。
キーホルダーを失くしちゃった事は、梓も辛くて不安だったんだろう。
もっと早く気付いてやれなくて、悪かった。
私はさ……、こう言うのも情けないんだけど、
あんまり梓が私と目を合わせてくれないもんだから、梓に嫌われちゃったんだって思ってた。
それが不安で辛くてさ……、それで梓と話す勇気が中々持てなかったんだよな」
私の言葉を聞くと、腕の中の梓の震えが大きくなった。
その震えは不安が増したってわけじゃなく、自分の行為をはっと思い出したって感じだった。
「そんな……。そんな風に思われてたなんて……。
でも……、思い出してみたら、そう思われても仕方ない事を私は……。
すみません、律先輩!
私は律先輩の事を……、嫌いになってなんか……」
「いいよ」
言って、私はまた腕に力を込めて梓を抱き締める。
今話すべきなのは、梓が私を嫌ってるかどうかじゃない。
嫌われてたって、疎まれてたって、
それでも梓の悩みを晴らしてあげるのが、私のなりたい『自慢の部長』だと思うから。
勿論、梓に嫌われてなかったのは嬉しいけどな。
本当に泣き出してしまいそうなくらい嬉しいけど、それを噛み締めるのはまだお預けだ。
何もできない今の自分を情けなく思いながら、
それでも、掴んでいた梓の肩を思い切り自分の方に引き寄せる。
私の胸元に椅子から転がり込んでくる梓を座り込んで抱き締める。
「あの……っ、えっと……?
律……先輩……?」
小さな身体を震わせて、何をされたのか分からない様子の梓が呟く。
呟きながらも、梓の涙はとめどなく流れ続けている。
しゃくり上げながら、震える身体も治まる事がない。
今の私には梓の涙を止められない。震えも止めてやる事ができない。
梓の不安を止めてやれるのは、今の私じゃない。
だから、胸元に引き寄せた梓を、私は頭から包み込むように抱き締める。
強く強く、抱き締める。
まだ掛けてあげられる言葉は見つからない。
その代わりに、小さな梓を身体全体で受け止める。
小さな梓と同じくらい小さな私が、小さな身体で小さく包み込む。
どこまでも小さな存在の私達。
それでも、私達は小さいけれど、とんでもなくちっぽけな存在だけど、
信じてる事だって……、信じていたい事だってあるんだ。
「梓……。きっとさ……。
今の私が何を言っても、おまえの不安を消してはやれないと思う。
私は人を支えてあげられるタイプじゃないだろうし、
誰かの不安を消してあげられるくらい頼り甲斐のある部長でもないんだ。
逆に皆に支えられてばかりだしさ……」
やっと見付けた言葉が私の口からこぼれ出る。
でも、これは梓の耳元に囁いてはいるけど、梓だけに聞かせてる言葉でもなかった。
これは自分に言い聞かせてもいる言葉だ。
願いみたいなものだった。
祈りみたいなものだった。
私の胸の中で、梓は私の言葉を震えながら聞いている。
その震えを止めてやれる自信はない。
今の私に梓を安心させてあげる事はできないだろう。
私の気持ちを上手く伝える事もできないかもしれない。
でも……。
「でもさ、梓……。
こう言われるのは迷惑かもしれないけど、
私の勝手な勘違いかもしれないけど、一つだけ思い出してほしい事があるんだよ。
なあ、梓。
キーホルダーを失くしちゃった事は、梓も辛くて不安だったんだろう。
もっと早く気付いてやれなくて、悪かった。
私はさ……、こう言うのも情けないんだけど、
あんまり梓が私と目を合わせてくれないもんだから、梓に嫌われちゃったんだって思ってた。
それが不安で辛くてさ……、それで梓と話す勇気が中々持てなかったんだよな」
私の言葉を聞くと、腕の中の梓の震えが大きくなった。
その震えは不安が増したってわけじゃなく、自分の行為をはっと思い出したって感じだった。
「そんな……。そんな風に思われてたなんて……。
でも……、思い出してみたら、そう思われても仕方ない事を私は……。
すみません、律先輩!
私は律先輩の事を……、嫌いになってなんか……」
「いいよ」
言って、私はまた腕に力を込めて梓を抱き締める。
今話すべきなのは、梓が私を嫌ってるかどうかじゃない。
嫌われてたって、疎まれてたって、
それでも梓の悩みを晴らしてあげるのが、私のなりたい『自慢の部長』だと思うから。
勿論、梓に嫌われてなかったのは嬉しいけどな。
本当に泣き出してしまいそうなくらい嬉しいけど、それを噛み締めるのはまだお預けだ。
463: にゃんこ 2011/08/13(土) 22:52:25.97 ID:A5NjIVI60
「いいんだよ、梓。その言葉だけで私は十分だよ。
キーホルダーを失くして、梓がそんなに不安に思ってくれたのも嬉しい。
キーホルダーを失くした自分が許せなくて、必死に探してたんだろうって事も分かる。
こんなにやつれちゃってさ……、こんなになるまで……。
キーホルダーを失くしたからって、私達がおまえから離れてくって思ったのか?」
「いいえ……、そんな事考えてなんか……。
でも……、でも……、ひっく、そんな事あるはずがないって思ってても……、
心の何処かで考えちゃってたのかも……しれません……。
先輩達を信じてるのに、だけど……、夜に夢で見ちゃうんです……。
キーホルダーを失くした私の前から……、先輩が離れていく夢を……。
そんな……、そんな自分が、嫌で、本当に嫌で……。
うっ、ううっ……!」
梓の涙がまた強くなる。
もしもの話だけど、キーホルダーを失くしたのが『終末宣言』の前なら、
梓はこんなにも不安にならず、涙を流す事も無かったんじゃないだろうか。
世界の終わりっていう避けようがない非情な現実。
誰だってその現実に大きな不安を感じながら、それをどうにか耐えて生きている。
普段通りの生活を送る事で、世界の終わりから必死に目を背けたり。
秘密にしていた事を公表する事で、別の非日常の中に身を置いてみたり。
そんな風に何かを心の支えにしながら、どうにか生きていられる。
梓の場合は多分キーホルダーがそれだったんだと思う。
小さいけれど、目にするだけで私達の絆を思い出せるかけがえの無い宝物。
それを失くしてしまった梓の不安は、一体どれほどだったんだろう。
私も自分が世界の終わりから逃げてる事に気付いた時は、吐いてしまうくらいの不安と恐怖に襲われた。
その時の私はそれをいちごや和に支えてもらえたけど、
梓はずっと一人でその不安に耐えて、自分を責め続けていたんだ。
こんなにやつれるのも無理もない話だった。
小さい事だけど、きっと私達はそんな小さい事の積み重ねで生きていられる。
小さい物でも、失ってしまうと不安で仕方なくなるんだ。
だけど、不安になるという事はつまり……。
「なあ、梓。
話を戻させてもらうけど、一つだけ思い出してほしい」
「は……い……?」
「軽音部、楽しかったよな?
そりゃ普通の部とはかなり違ってたと思うけど、でも、すごく楽しかったよな?」
「あの……?」
「私は楽しかったよ。
ムギのおやつは美味しいし、ライブは熱かったし、楽しかった。
唯は面白いし、澪は楽しいし、ムギはいつも意外な事をやってくれるしな。
二年になって梓って生意気な後輩もできた。
楽しかったんだよ、本気で……。
軽音部、楽しかったよな……?
楽しかったのは、私だけじゃ……ないよな……?」
私の言葉の勢いが弱まっていく。
その私の姿を不審に思ったんだろう。
梓が少しだけ自分の腕を動かし、私の背中を軽く撫でてくれる。
「律先輩……? 急に何を……?」
「ああ、ごめんな……。ちょっと……さ。
梓はどうだったんだろうって思ってさ……」
「私……ですか……?」
「私ってさ、結構一人で空回りしちゃう事が多いだろ?
部長としても、役不足だったと思うし……。
でも、楽しかった事だけは、本当だったって信じてる。
……信じたいんだ。それだけは譲りたくないんだ。
だから、梓に思い出してほしいんだよ。
軽音部が楽しかったのかどうかを。私達のこれまでを。
今の私に梓の不安を消し去ってあげる事はできないと思う。
梓の不安を消せるのは梓だけだし、私にできるのはその手助けだけだ。
それも、その手助けができるのは今の私じゃなくて、梓の中の昔の私だけだと思うんだよ」
キーホルダーを失くして、梓がそんなに不安に思ってくれたのも嬉しい。
キーホルダーを失くした自分が許せなくて、必死に探してたんだろうって事も分かる。
こんなにやつれちゃってさ……、こんなになるまで……。
キーホルダーを失くしたからって、私達がおまえから離れてくって思ったのか?」
「いいえ……、そんな事考えてなんか……。
でも……、でも……、ひっく、そんな事あるはずがないって思ってても……、
心の何処かで考えちゃってたのかも……しれません……。
先輩達を信じてるのに、だけど……、夜に夢で見ちゃうんです……。
キーホルダーを失くした私の前から……、先輩が離れていく夢を……。
そんな……、そんな自分が、嫌で、本当に嫌で……。
うっ、ううっ……!」
梓の涙がまた強くなる。
もしもの話だけど、キーホルダーを失くしたのが『終末宣言』の前なら、
梓はこんなにも不安にならず、涙を流す事も無かったんじゃないだろうか。
世界の終わりっていう避けようがない非情な現実。
誰だってその現実に大きな不安を感じながら、それをどうにか耐えて生きている。
普段通りの生活を送る事で、世界の終わりから必死に目を背けたり。
秘密にしていた事を公表する事で、別の非日常の中に身を置いてみたり。
そんな風に何かを心の支えにしながら、どうにか生きていられる。
梓の場合は多分キーホルダーがそれだったんだと思う。
小さいけれど、目にするだけで私達の絆を思い出せるかけがえの無い宝物。
それを失くしてしまった梓の不安は、一体どれほどだったんだろう。
私も自分が世界の終わりから逃げてる事に気付いた時は、吐いてしまうくらいの不安と恐怖に襲われた。
その時の私はそれをいちごや和に支えてもらえたけど、
梓はずっと一人でその不安に耐えて、自分を責め続けていたんだ。
こんなにやつれるのも無理もない話だった。
小さい事だけど、きっと私達はそんな小さい事の積み重ねで生きていられる。
小さい物でも、失ってしまうと不安で仕方なくなるんだ。
だけど、不安になるという事はつまり……。
「なあ、梓。
話を戻させてもらうけど、一つだけ思い出してほしい」
「は……い……?」
「軽音部、楽しかったよな?
そりゃ普通の部とはかなり違ってたと思うけど、でも、すごく楽しかったよな?」
「あの……?」
「私は楽しかったよ。
ムギのおやつは美味しいし、ライブは熱かったし、楽しかった。
唯は面白いし、澪は楽しいし、ムギはいつも意外な事をやってくれるしな。
二年になって梓って生意気な後輩もできた。
楽しかったんだよ、本気で……。
軽音部、楽しかったよな……?
楽しかったのは、私だけじゃ……ないよな……?」
私の言葉の勢いが弱まっていく。
その私の姿を不審に思ったんだろう。
梓が少しだけ自分の腕を動かし、私の背中を軽く撫でてくれる。
「律先輩……? 急に何を……?」
「ああ、ごめんな……。ちょっと……さ。
梓はどうだったんだろうって思ってさ……」
「私……ですか……?」
「私ってさ、結構一人で空回りしちゃう事が多いだろ?
部長としても、役不足だったと思うし……。
でも、楽しかった事だけは、本当だったって信じてる。
……信じたいんだ。それだけは譲りたくないんだ。
だから、梓に思い出してほしいんだよ。
軽音部が楽しかったのかどうかを。私達のこれまでを。
今の私に梓の不安を消し去ってあげる事はできないと思う。
梓の不安を消せるのは梓だけだし、私にできるのはその手助けだけだ。
それも、その手助けができるのは今の私じゃなくて、梓の中の昔の私だけだと思うんだよ」
464: にゃんこ 2011/08/13(土) 22:53:10.02 ID:A5NjIVI60
「昔の……律先輩……?」
「これまで私が梓に何をしてあげられたか。
梓をどれだけ楽しませてあげられたか……。それを思い出してほしい。
自信なんてこれっぽっちも無いけど、ほんの少しでも手助けになればいいと思う。
なってほしいと思う。
私じゃ役不足だと思うなら、私以外とのこれまでを思い出してくれ。
澪やムギ、唯と過ごしてきたこれまでの自分を思い出してくれ。
そうすれば……、少しはその不安も晴れるんじゃないかって……、思うんだ……」
今の私に梓の不安を晴らすだけの力が無いのは、すごく無念だ。
やっぱり私は、梓にとっていい部長じゃなかったんだろう。
だけど、梓と笑い合えたあの頃の事は嘘じゃなかったはずだ。
梓も楽しんでくれていたはずだ。
私はいい部長ではなかったけど、いい友達としては梓と関係してこれたはずだ。
そのはずなんだって……、信じたい。
不安な自分を奮い立たせるのは、自分の中のかけがえのない過去。
今の自分を作り上げた誰かと積み重ねてきた楽しかった思い出だと思うから。
私は梓にもそれができると信じるしかない。
それができるくらいには、私は梓と信頼関係を積み重ねてこれたんだって信じるしかない。
そもそも不安や罪悪感ってのは、そういうもののはずなんだ。
楽しかったから、かけがえがないものだから、失うのを不安になってしまうんだ。
失ってしまった自分に罪悪感を抱いてしまうんだ。
失くすものが無ければ、大切なものが無ければ、不安なんて感じるはずがない。
それを梓が気付いてくれたなら……、
いや、気付いてはいるだろうけど、心から実感してくれたなら……。
その涙を少しは拭う事ができるかもしれない。
私は小さな身体で小さな梓を強く抱き締める。
それは小さな私にできる世界の終わりへの小さな反抗でもあった。
まだその日が来てもいないのに、世界の終わりってやつは色んな物を私達から奪おうとする。
小さなものから取り囲んで奪い去っていく。
そうはいくもんか。
もうすぐ死んでしまうとしても、それまでは何も奪わせてやるもんか。
過去も、現在も、未来だって、奪わせてなんかやらない。
私から、梓を奪わせたりしない。
不意に私の腕の中の梓が震えを止めて、小さく言った。
「そうですね。
律先輩じゃ役不足ですよ」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
梓じゃなくて、私の身体が震え始める。止められない。
全身から何かを成し遂げようとしてた気力が抜けていくのを感じる。
駄目だった……のか……?
私じゃ、梓のいい部長どころか、いい友達にもなれなかったってのか……?
私の小さな反抗は脆くも崩れ去ったってのか……?
信じたかった私の思い出は、全部無意味だったのか……。
梓は別に私を嫌ってはいなかった。
でも、力になってやれるほど、私は信頼されてもいなかったんだ。
抱き締めていた梓を、私の胸から解放する。
もう私に抱き締められる事なんて、もう梓は求めないだろう。
私には梓の不安を晴らしてやれないし、涙も止められないし、震えも治められない。
私は梓に……。
信じさせたかった。
信じられたかった。
信じていたかった。
でも、もう私は……、私は……。
身体を離したけれど、私はそこにいる梓の顔を見る事ができない。
その場から逃げ出したくなる。
もうこの場には居られない。
「これまで私が梓に何をしてあげられたか。
梓をどれだけ楽しませてあげられたか……。それを思い出してほしい。
自信なんてこれっぽっちも無いけど、ほんの少しでも手助けになればいいと思う。
なってほしいと思う。
私じゃ役不足だと思うなら、私以外とのこれまでを思い出してくれ。
澪やムギ、唯と過ごしてきたこれまでの自分を思い出してくれ。
そうすれば……、少しはその不安も晴れるんじゃないかって……、思うんだ……」
今の私に梓の不安を晴らすだけの力が無いのは、すごく無念だ。
やっぱり私は、梓にとっていい部長じゃなかったんだろう。
だけど、梓と笑い合えたあの頃の事は嘘じゃなかったはずだ。
梓も楽しんでくれていたはずだ。
私はいい部長ではなかったけど、いい友達としては梓と関係してこれたはずだ。
そのはずなんだって……、信じたい。
不安な自分を奮い立たせるのは、自分の中のかけがえのない過去。
今の自分を作り上げた誰かと積み重ねてきた楽しかった思い出だと思うから。
私は梓にもそれができると信じるしかない。
それができるくらいには、私は梓と信頼関係を積み重ねてこれたんだって信じるしかない。
そもそも不安や罪悪感ってのは、そういうもののはずなんだ。
楽しかったから、かけがえがないものだから、失うのを不安になってしまうんだ。
失ってしまった自分に罪悪感を抱いてしまうんだ。
失くすものが無ければ、大切なものが無ければ、不安なんて感じるはずがない。
それを梓が気付いてくれたなら……、
いや、気付いてはいるだろうけど、心から実感してくれたなら……。
その涙を少しは拭う事ができるかもしれない。
私は小さな身体で小さな梓を強く抱き締める。
それは小さな私にできる世界の終わりへの小さな反抗でもあった。
まだその日が来てもいないのに、世界の終わりってやつは色んな物を私達から奪おうとする。
小さなものから取り囲んで奪い去っていく。
そうはいくもんか。
もうすぐ死んでしまうとしても、それまでは何も奪わせてやるもんか。
過去も、現在も、未来だって、奪わせてなんかやらない。
私から、梓を奪わせたりしない。
不意に私の腕の中の梓が震えを止めて、小さく言った。
「そうですね。
律先輩じゃ役不足ですよ」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
梓じゃなくて、私の身体が震え始める。止められない。
全身から何かを成し遂げようとしてた気力が抜けていくのを感じる。
駄目だった……のか……?
私じゃ、梓のいい部長どころか、いい友達にもなれなかったってのか……?
私の小さな反抗は脆くも崩れ去ったってのか……?
信じたかった私の思い出は、全部無意味だったのか……。
梓は別に私を嫌ってはいなかった。
でも、力になってやれるほど、私は信頼されてもいなかったんだ。
抱き締めていた梓を、私の胸から解放する。
もう私に抱き締められる事なんて、もう梓は求めないだろう。
私には梓の不安を晴らしてやれないし、涙も止められないし、震えも治められない。
私は梓に……。
信じさせたかった。
信じられたかった。
信じていたかった。
でも、もう私は……、私は……。
身体を離したけれど、私はそこにいる梓の顔を見る事ができない。
その場から逃げ出したくなる。
もうこの場には居られない。
465: にゃんこ 2011/08/13(土) 22:54:15.96 ID:A5NjIVI60
「梓、ごめ……ん……」
喉の奥から絞り出して言って、
振り向きもせずに逃げ出そうとして……。
そんな私を華奢で柔らかい何かが包み込んだ。
何が起こったのか、数秒くらい私には分からなかった。
梓に抱き締められたんだって気付いたのは、それからしばらく経ってからの事だ。
私は私が梓にしたように、頭から胸の中に強く抱き留められていた。
「あず……さ……?」
何も分からなくて、間抜けな声を出してしまう。
ただ一つ分かるのは、抱き締められる一瞬前、梓が笑っていた事だった。
涙が止まったわけじゃない。
涙を止められたわけじゃない。
でも、梓は笑っていた。泣きながら、笑っていたんだ。
今梓の胸の中にいる私にとっては、もう確かめようもない事だけど……。
「ありがとうございます、律先輩……。
こんな面倒くさい後輩なのに、こんなに大切に思ってくれて、
私、嬉しいです」
「でも、梓、おまえ……。
えっと……、私を……」
言葉にできない。
梓の真意が掴めなくて、曖昧な言葉しか形にできない。
梓が明るい声を上げた。
「もう……、律先輩ったらこんな時にもいつもの律先輩で……。
真面目な話をしてるのに、普段通りのいい加減で大雑把な律先輩で……。
そんな律先輩を見てると……、何だか私、嬉しくなってきちゃうじゃないですか。
不安になってなんか、いられなくなっちゃうじゃないですか……」
「大雑把って、おまえ……。
いつもはともかく、さっきまではそんな変な事言ったつもりは……」
「もう一度、言いますよ。
律先輩は役不足です。
私の不安を晴らす役なんて、律先輩には役不足過ぎます」
「だから、そんなはっきり言うなよ……」
少しやけくそになって、吐き捨てるみたいに呟いてみる。
梓が明るい声になったのは嬉しいけど、そこまで馬鹿にされると釈然としない。
でも、梓はやっぱり明るい声を崩さなかった。
「ねえ、律先輩?
役不足の意味、知ってますか?」
「何だよ……。
その役を務めるには、実力が不足してるって事だろ……?」
「もう、やっぱり……。
受験生なんだから、ちゃんと勉強して下さいよ、律先輩。
役不足って、役の方が不足してるって意味なんですよ?」
「役の方が不足……って?」
「もういいです。これ以上は家で辞書で調べて下さい」
「何なんだよ、一体……」
「とにかく……、ありがとうございます、律先輩……。
私……、嬉しかったです。
律先輩との思い出……、思い出してみるとすごく楽しかった。
軽音部に入ってよかったって、思えました……」
まだ梓が何を言っているのかは分からない。
でも、梓の声が明るくなったのは何よりで、私の方も嬉しくなった。
梓の変な言葉も、まあ、いいか、と思える。
私の小さな反抗は、少しだけ成功したって事でいいんだろうか。
今の私も、過去の私も、結局は梓の涙を止める事はできなかった。
でも、少なくとも笑顔にしてあげる事はできたみたいだった。
それだけでも今は十分だ。
……役不足の意味は、後で純ちゃんにでも聞いてみる事にしよう。
喉の奥から絞り出して言って、
振り向きもせずに逃げ出そうとして……。
そんな私を華奢で柔らかい何かが包み込んだ。
何が起こったのか、数秒くらい私には分からなかった。
梓に抱き締められたんだって気付いたのは、それからしばらく経ってからの事だ。
私は私が梓にしたように、頭から胸の中に強く抱き留められていた。
「あず……さ……?」
何も分からなくて、間抜けな声を出してしまう。
ただ一つ分かるのは、抱き締められる一瞬前、梓が笑っていた事だった。
涙が止まったわけじゃない。
涙を止められたわけじゃない。
でも、梓は笑っていた。泣きながら、笑っていたんだ。
今梓の胸の中にいる私にとっては、もう確かめようもない事だけど……。
「ありがとうございます、律先輩……。
こんな面倒くさい後輩なのに、こんなに大切に思ってくれて、
私、嬉しいです」
「でも、梓、おまえ……。
えっと……、私を……」
言葉にできない。
梓の真意が掴めなくて、曖昧な言葉しか形にできない。
梓が明るい声を上げた。
「もう……、律先輩ったらこんな時にもいつもの律先輩で……。
真面目な話をしてるのに、普段通りのいい加減で大雑把な律先輩で……。
そんな律先輩を見てると……、何だか私、嬉しくなってきちゃうじゃないですか。
不安になってなんか、いられなくなっちゃうじゃないですか……」
「大雑把って、おまえ……。
いつもはともかく、さっきまではそんな変な事言ったつもりは……」
「もう一度、言いますよ。
律先輩は役不足です。
私の不安を晴らす役なんて、律先輩には役不足過ぎます」
「だから、そんなはっきり言うなよ……」
少しやけくそになって、吐き捨てるみたいに呟いてみる。
梓が明るい声になったのは嬉しいけど、そこまで馬鹿にされると釈然としない。
でも、梓はやっぱり明るい声を崩さなかった。
「ねえ、律先輩?
役不足の意味、知ってますか?」
「何だよ……。
その役を務めるには、実力が不足してるって事だろ……?」
「もう、やっぱり……。
受験生なんだから、ちゃんと勉強して下さいよ、律先輩。
役不足って、役の方が不足してるって意味なんですよ?」
「役の方が不足……って?」
「もういいです。これ以上は家で辞書で調べて下さい」
「何なんだよ、一体……」
「とにかく……、ありがとうございます、律先輩……。
私……、嬉しかったです。
律先輩との思い出……、思い出してみるとすごく楽しかった。
軽音部に入ってよかったって、思えました……」
まだ梓が何を言っているのかは分からない。
でも、梓の声が明るくなったのは何よりで、私の方も嬉しくなった。
梓の変な言葉も、まあ、いいか、と思える。
私の小さな反抗は、少しだけ成功したって事でいいんだろうか。
今の私も、過去の私も、結局は梓の涙を止める事はできなかった。
でも、少なくとも笑顔にしてあげる事はできたみたいだった。
それだけでも今は十分だ。
……役不足の意味は、後で純ちゃんにでも聞いてみる事にしよう。
471: にゃんこ 2011/08/16(火) 21:35:21.06 ID:bAeskBad0
○
梓は笑顔になったけれど、その涙が完全に止まるまでには、もう少しだけ時間が掛かった。
笑顔を取り戻したとは言っても、心の中に残るしこりを取り除くには、まだ涙が必要みたいだ。
好きなだけ、泣いたらよかった。
泣いた先に晴れやかに笑えるんなら、泣かずに耐えるよりその方がずっといい。
涙は必要なもので、どんな涙にも意味があるはずなんだ。
昨日、私が澪の前で訳も分からず流してしまったあの涙にも、きっと意味があるはずだ。
私は多分、あの涙の理由を分かりかけてきていた。
澪に伝えたい言葉もほとんど固まってる。
答えは、出ていた。
後はそれを声に出して、その答えを澪の耳と心に伝えるだけだ。
その答えを他人が聞けば、大概が馬鹿な答えだって笑うかもしれない。
確かに自分で出した答えながら、馬鹿な答えを出したもんだと思わなくもない。
それでも、よかった。
馬鹿な答えでも、それが私の答えだし、
軽音部の皆なら、その答えを笑って受け入れてくれると思う。
澪がどう受け取るかは分からないけど、
できれば澪もその答えを笑顔で受け取ってくれれば嬉しい。
受け取ってくれる……、と思う。
自信過剰かもしれないけど、澪が涙を流した理由は私と同じはずだから……。
そうやって梓の腕の中で私が澪への想いを再確認し終わった頃、
若干震えが止まった梓が私の身体を解放してから、落ち着いた声色で言った。
「ありがとうございます、律先輩……。
やっとですけど……、落ち着きました。
長い間、無理な体勢をさせてしまって、ご迷惑をお掛けしました」
「気にするな」
言ってから、私はしばらくぶりに梓の顔を正面から見る。
瞼を泣き腫らしてはいたけど、梓は照れ臭そうに笑っていた。
長く涙を流してしまった事を、少し気恥ずかしく感じてるんだろう。
梓があまり見せる事が無い可愛らしい照れ笑い。
その表情を見て、梓は笑顔を取り戻せたんだな、と私は胸を撫で下ろす。
残り少ない時間、笑顔を失くしたまま終わらせるなんて悲し過ぎるじゃないか。
勿論、深刻に世界の終わりについて考え続けて、
哲学的な答えを出したりするのも一つの生き方だろう。
そういう生き方を否定しないし、立派だとも思うけど、その生き方は私達には似合わない。
皆が笑顔で、お茶をしたり、雑談に花を咲かせたり、
そんな普段通りのままで世界の終わりを迎えるのが、私達の生き方なんだ。
多分、世界が終わる詳しい理由も分からないまま、その日を迎えるんじゃないだろうか。
正直言って、テレビで世界が終わる理由を何度説明されても、よく分からなかったしな。
とりあえず隕石やマヤの予言とかとは、一切関係ない事だけは確からしいけどさ。
まあ、世界が終わる理由なんてのは、別に知っても仕方がない事だ。
理由を知ったところで世界の終わりを回避できるわけでもないし。
そんな事よりも、今の私には気になる事がある。
私にとっては、世界の終わる理由よりもそっちの方が何倍も重要だ。
軽く微笑んでから、私は梓の耳元で囁く。
472: にゃんこ 2011/08/16(火) 21:36:27.91 ID:bAeskBad0
「梓、ちょっと後ろ向いてくれるか?」
「え、何ですか、いきなり?」
「ほら、早く早く」
「はあ……。分かりましたけど……」
狭いスペースだったけど、その場で梓が器用に半回転してくれる。
梓のうなじがちょうど私の目の前に来る体勢になる。
私は「ちょいと失礼」と手を伸ばして、梓の両側の髪留めをクルクル回して解いた。
「え? 律先輩……?」
「櫛は部室にあるから、手櫛で失礼」
「えっ……と……?」
「おまえさ、自慢のツインテールがボサボサだし、左右の位置も変になってんだよ。
気になるから、私に結び直させてもらうぞ」
「別にツインテールが自慢なわけじゃ……って、そうじゃなくて!
いいですって! 自分で結び直しますから! 大丈夫ですから!」
「何だよー、可愛くない後輩だなあ。
こういう時くらい、先輩の思いやりに身を任せたまえ、梓後輩」
私が言うと、少しだけ抵抗していた梓の動きが止まる。
私に結び直させてくれる気になったのか?
そう思った瞬間、梓が妙に重い声色で呟いた。
「大雑把な律先輩に、ちゃんと髪を結べるんですか?」
「中野ー!」
後輩の生意気な発言にいたく憤慨した私は、梓の首筋に自分の腕を回して力を入れる。
私の得意技、チョークスリーパーの体勢だ。
梓も私にそうされる事が分かってたらしく、
特に抵抗もせずに私のチョークスリーパーに身を任せた。
と言うか、チョークスリーパーに身を任せるって、言い得て妙だな……。
少しずつ力を込めると、チョークスリーパーって技の性質上、必然的に私達の顔は間近に近付いていく。
間近に見える梓の顔は笑うのを我慢してるように見えた。
どうもさっきの発言は冗談だったらしい。
私の方もいたく憤慨したってのは嘘だけどさ。
しばらくそのままの体勢でいたけど、先に根負けしたのは私の方だった。
気付けば私は笑顔になってしまっていて、梓も私につられて晴れやかな笑顔に変わっていた。
「ありがとうございます、律先輩」
何度目かのお礼の言葉を梓が口にする。
嬉しい言葉だけど、流石に何度も言われると私も背中がむず痒くなってくる。
「もう礼の言葉はいいって、梓」
「でも、伝えたいですから。
何度だって、言葉にしたいんです。
こんなに安心できたのはすごく久し振りで、すごく嬉しいんです。
律先輩が私の先輩でいてくれて、本当に嬉しいんです。
もうすぐ世界の終わりの日なのに、安心できるって変な話ですけど、でも……。
私……、幸せです」
「え、何ですか、いきなり?」
「ほら、早く早く」
「はあ……。分かりましたけど……」
狭いスペースだったけど、その場で梓が器用に半回転してくれる。
梓のうなじがちょうど私の目の前に来る体勢になる。
私は「ちょいと失礼」と手を伸ばして、梓の両側の髪留めをクルクル回して解いた。
「え? 律先輩……?」
「櫛は部室にあるから、手櫛で失礼」
「えっ……と……?」
「おまえさ、自慢のツインテールがボサボサだし、左右の位置も変になってんだよ。
気になるから、私に結び直させてもらうぞ」
「別にツインテールが自慢なわけじゃ……って、そうじゃなくて!
いいですって! 自分で結び直しますから! 大丈夫ですから!」
「何だよー、可愛くない後輩だなあ。
こういう時くらい、先輩の思いやりに身を任せたまえ、梓後輩」
私が言うと、少しだけ抵抗していた梓の動きが止まる。
私に結び直させてくれる気になったのか?
そう思った瞬間、梓が妙に重い声色で呟いた。
「大雑把な律先輩に、ちゃんと髪を結べるんですか?」
「中野ー!」
後輩の生意気な発言にいたく憤慨した私は、梓の首筋に自分の腕を回して力を入れる。
私の得意技、チョークスリーパーの体勢だ。
梓も私にそうされる事が分かってたらしく、
特に抵抗もせずに私のチョークスリーパーに身を任せた。
と言うか、チョークスリーパーに身を任せるって、言い得て妙だな……。
少しずつ力を込めると、チョークスリーパーって技の性質上、必然的に私達の顔は間近に近付いていく。
間近に見える梓の顔は笑うのを我慢してるように見えた。
どうもさっきの発言は冗談だったらしい。
私の方もいたく憤慨したってのは嘘だけどさ。
しばらくそのままの体勢でいたけど、先に根負けしたのは私の方だった。
気付けば私は笑顔になってしまっていて、梓も私につられて晴れやかな笑顔に変わっていた。
「ありがとうございます、律先輩」
何度目かのお礼の言葉を梓が口にする。
嬉しい言葉だけど、流石に何度も言われると私も背中がむず痒くなってくる。
「もう礼の言葉はいいって、梓」
「でも、伝えたいですから。
何度だって、言葉にしたいんです。
こんなに安心できたのはすごく久し振りで、すごく嬉しいんです。
律先輩が私の先輩でいてくれて、本当に嬉しいんです。
もうすぐ世界の終わりの日なのに、安心できるって変な話ですけど、でも……。
私……、幸せです」
473: にゃんこ 2011/08/16(火) 21:37:51.81 ID:bAeskBad0
幸せなのは私も一緒だ。
梓とすれ違ったまま世界の終わりを迎えなくて、すごく幸せだった。
もうすぐ死ぬ事は分かってるけど、この幸せな気持ちは無駄にはならないはずだ。
よくもうすぐ死ぬのに、短い幸福なんて無意味だって言葉を聞く。
でも、残された時間が短い事と、幸せ自体は何の関係も無い事だと私は思う。
短い時間の幸福が無意味なら、結局は長生きして得た幸福だって無意味って事になる。
長かろうと短かろうと、最終的には死ぬ事で何もかも失われるんだから。
どうやっても、人は死んでしまうんだから。
だから、私は短い時間の幸せでも無意味だなんて思わない。思いたくない。
そのためにも、私は梓に訊いておかなきゃいけない事があった。
「なあ、梓。
キーホルダー……、一緒に捜すか?」
軽く、囁いてみる。
失くしてしまったキーホルダーを見付けだす事も、梓には大きな幸せになるだろう。
その幸せを梓が求めるんなら、私もその力になりたいと思う。
残りの時間、キーホルダーを捜す事に力を尽くすのも、一つの道だ。
だけど、梓はゆっくりと首を横に振った。
「いえ……、もういいんです。
一週間ずっと、これだけ捜しても見つからないって事は、
誰かに拾われるかなんかして、もう何処か遠い所にあるのかもしれませんしね。
それに……、キーホルダーが無くても、先輩達は私を仲間でいさせてくれる。
それを律先輩が教えてくれたから……、だから、もう大丈夫です」
完全に吹っ切れたわけじゃないんだろう。
梓のその声は寂しげで、少し掠れて聞こえた。
でも、今度こそ、その梓の言葉は信じられる。
まだ無理はしてるんだろうけど、梓はキーホルダーという形のある絆の品じゃなくて、
私達との絆そのものっていう形の無いものを信じてくれる事にしたんだ。
形の無いものを信じるのは恐いし、不安になってしまうから、
そりゃ少しの無理はしないといけない。無理をしなきゃ信じ続けられない。
だけど、梓はそれを信じてくれる。
信じるために、今の寂しさも耐えてくれる。
何だか急に、そんな梓が愛おしく思えた。
私はチョークスリーパーの体勢を解いて、抱き締めるみたいに梓の背中から両腕を回す。
「ありがとな」
信じてくれて。
後半の方は言葉にしなかった。
照れ臭いのもあったし、その言葉を伝えるのも今更な気がした。
でも、言葉にしなくても、今だけは梓に私の気持ちが伝わってると思う。
不意に梓が明るく微笑む。
「だから、お礼を言いたいのは私の方ですよ、律先輩。
これじゃ逆じゃないですか」
「そう……かな。そうかも……な。
でも、私からも礼を言いたくてさ。ありがとう、梓」
「私こそ……って、これじゃきりが無いですね」
「そうだな。じゃあ、最後に梓が私に感謝の気持ちを示してくれ。
お礼の言い合いっこはそれで終わりにしようぜ?」
「感謝の気持ちを示すって……、どうすればいいんですか?」
「梓の髪を私に結び直させてもらう。
私に感謝してるんなら、それくらいの事はさせてもらおうじゃないか、梓くん」
「そうきましたか……。
いいでしょう。それくらいは我慢してあげます」
よっしゃ、と声を上げて、私は梓から身体を離して少し距離を取る。
解いた梓の髪は真っ黒でまっすぐで、女の私から見てもすごく綺麗に思えた。
手を伸ばして、手櫛で丁寧に梓の髪を梳いていく。
少し痛んでるのに、梳く指に引っ掛かりがほとんど無い。
もしかしたら、これは澪よりもいい髪質かもしれないな。
ちょっと悔しくなって、ぼやくみたいに呟いてみる。
梓とすれ違ったまま世界の終わりを迎えなくて、すごく幸せだった。
もうすぐ死ぬ事は分かってるけど、この幸せな気持ちは無駄にはならないはずだ。
よくもうすぐ死ぬのに、短い幸福なんて無意味だって言葉を聞く。
でも、残された時間が短い事と、幸せ自体は何の関係も無い事だと私は思う。
短い時間の幸福が無意味なら、結局は長生きして得た幸福だって無意味って事になる。
長かろうと短かろうと、最終的には死ぬ事で何もかも失われるんだから。
どうやっても、人は死んでしまうんだから。
だから、私は短い時間の幸せでも無意味だなんて思わない。思いたくない。
そのためにも、私は梓に訊いておかなきゃいけない事があった。
「なあ、梓。
キーホルダー……、一緒に捜すか?」
軽く、囁いてみる。
失くしてしまったキーホルダーを見付けだす事も、梓には大きな幸せになるだろう。
その幸せを梓が求めるんなら、私もその力になりたいと思う。
残りの時間、キーホルダーを捜す事に力を尽くすのも、一つの道だ。
だけど、梓はゆっくりと首を横に振った。
「いえ……、もういいんです。
一週間ずっと、これだけ捜しても見つからないって事は、
誰かに拾われるかなんかして、もう何処か遠い所にあるのかもしれませんしね。
それに……、キーホルダーが無くても、先輩達は私を仲間でいさせてくれる。
それを律先輩が教えてくれたから……、だから、もう大丈夫です」
完全に吹っ切れたわけじゃないんだろう。
梓のその声は寂しげで、少し掠れて聞こえた。
でも、今度こそ、その梓の言葉は信じられる。
まだ無理はしてるんだろうけど、梓はキーホルダーという形のある絆の品じゃなくて、
私達との絆そのものっていう形の無いものを信じてくれる事にしたんだ。
形の無いものを信じるのは恐いし、不安になってしまうから、
そりゃ少しの無理はしないといけない。無理をしなきゃ信じ続けられない。
だけど、梓はそれを信じてくれる。
信じるために、今の寂しさも耐えてくれる。
何だか急に、そんな梓が愛おしく思えた。
私はチョークスリーパーの体勢を解いて、抱き締めるみたいに梓の背中から両腕を回す。
「ありがとな」
信じてくれて。
後半の方は言葉にしなかった。
照れ臭いのもあったし、その言葉を伝えるのも今更な気がした。
でも、言葉にしなくても、今だけは梓に私の気持ちが伝わってると思う。
不意に梓が明るく微笑む。
「だから、お礼を言いたいのは私の方ですよ、律先輩。
これじゃ逆じゃないですか」
「そう……かな。そうかも……な。
でも、私からも礼を言いたくてさ。ありがとう、梓」
「私こそ……って、これじゃきりが無いですね」
「そうだな。じゃあ、最後に梓が私に感謝の気持ちを示してくれ。
お礼の言い合いっこはそれで終わりにしようぜ?」
「感謝の気持ちを示すって……、どうすればいいんですか?」
「梓の髪を私に結び直させてもらう。
私に感謝してるんなら、それくらいの事はさせてもらおうじゃないか、梓くん」
「そうきましたか……。
いいでしょう。それくらいは我慢してあげます」
よっしゃ、と声を上げて、私は梓から身体を離して少し距離を取る。
解いた梓の髪は真っ黒でまっすぐで、女の私から見てもすごく綺麗に思えた。
手を伸ばして、手櫛で丁寧に梓の髪を梳いていく。
少し痛んでるのに、梳く指に引っ掛かりがほとんど無い。
もしかしたら、これは澪よりもいい髪質かもしれないな。
ちょっと悔しくなって、ぼやくみたいに呟いてみる。
474: にゃんこ 2011/08/16(火) 21:38:28.96 ID:bAeskBad0
「ちくしょー。
マジでまっすぐな髪だな。生意気な奴め」
「羨ましいですか?」
「んまっ、本気で生意気な子ね!
でも、まあ……、羨ましい事は羨ましいけど、そこまででもないかな。
ストレートはストレートで苦労があるみたいだし、あんまり髪を伸ばすつもりもないしさ」
「そう言う割には、律先輩も髪の扱いが意外と上手じゃないですか」
「ふふふ、まあな。
暇な時、澪の髪を結ばせてもらってるし、髪の扱いにかけてはそれなりの腕前だと思うぞ。
だからさ、気になるんだよ、梓みたいに綺麗な髪が傷んでるとさ。
澪の奴も精神的に追い込まれるとそれが髪質に出る奴だから、余計に気になるんだよな」
「ご心配……、お掛けします」
申し訳なさそうに梓が縮こまり、頭を小さく下げる。
その梓の頭を撫でて、私はそれを軽く笑い飛ばしてやる事にした。
「気にするなって。
まあ、でも、深夜に一人で外を出歩くのだけは頂けないけどな。
キーホルダーの事が気になるからって、いくら何でも危ないだろ。
ただでさえ梓は……」
可愛いんだから。
そう言おうとしてる自分に気付いて、慌ててその言葉を止めた。
流石にその言葉を梓自身に届けるのは恥ずかし過ぎる。
私は一息吐いてから、訂正して言い直す。
「小学生みたいに小さいんだからな」
「なっ……!
律先輩だって、人の事言えないじゃないですか!」
「私はおまえよりは大きい」
「年の差です!」
梓が頬を膨らませて拗ねる。
って、年の差……か?
見る限り、梓は一年の頃から全然成長してないように見えるんだが……。
この調子じゃ、今後どれだけ年月を経たとしても、成長しなさそうだぞ。
いや、私も人の事は言えないくらい、一年の頃から成長してないんだけどな……。
……何か悲しくなってきた。
梓も自分が全然成長してない事を自覚してるみたいで、物悲しそうに沈黙していた。
発育不良な二人が、揃って大きく溜息を吐く。
いやいや、今は私達の発育の事なんてどうでもいい。
私は梓の右の髪を結びながら、できるだけ声色を明るく変えて言った。
「でも、危ないのは確かだ。
もうあんな事するのはやめてくれよ、梓。
と言うか、深夜に私の家の前を通ったのは梓で間違いないんだよな?
まだおまえから本当のところを聞いてないけど」
「はい……。律先輩が見たのは、確かに私だと思います。
深夜、キーホルダーを捜して、走り回ってましたから……。
見間違いだなんて言って、すみませんでした……」
「それはいいけどさ。
私はさ、梓の事が本当に心配だったよ。
私だけじゃない。
ムギも、唯も、澪も、憂ちゃんや純ちゃんもおまえを心配してたんだからな」
「純……も……?」
意外そうに梓が呟く。
それは純ちゃんが梓を心配してるのが意外なんじゃなくて、
私が純ちゃんの事を話題に出すのが意外だと感じてるみたいだった。
確かに私と純ちゃんって、あんまり関わりがなさそうだからなあ……。
マジでまっすぐな髪だな。生意気な奴め」
「羨ましいですか?」
「んまっ、本気で生意気な子ね!
でも、まあ……、羨ましい事は羨ましいけど、そこまででもないかな。
ストレートはストレートで苦労があるみたいだし、あんまり髪を伸ばすつもりもないしさ」
「そう言う割には、律先輩も髪の扱いが意外と上手じゃないですか」
「ふふふ、まあな。
暇な時、澪の髪を結ばせてもらってるし、髪の扱いにかけてはそれなりの腕前だと思うぞ。
だからさ、気になるんだよ、梓みたいに綺麗な髪が傷んでるとさ。
澪の奴も精神的に追い込まれるとそれが髪質に出る奴だから、余計に気になるんだよな」
「ご心配……、お掛けします」
申し訳なさそうに梓が縮こまり、頭を小さく下げる。
その梓の頭を撫でて、私はそれを軽く笑い飛ばしてやる事にした。
「気にするなって。
まあ、でも、深夜に一人で外を出歩くのだけは頂けないけどな。
キーホルダーの事が気になるからって、いくら何でも危ないだろ。
ただでさえ梓は……」
可愛いんだから。
そう言おうとしてる自分に気付いて、慌ててその言葉を止めた。
流石にその言葉を梓自身に届けるのは恥ずかし過ぎる。
私は一息吐いてから、訂正して言い直す。
「小学生みたいに小さいんだからな」
「なっ……!
律先輩だって、人の事言えないじゃないですか!」
「私はおまえよりは大きい」
「年の差です!」
梓が頬を膨らませて拗ねる。
って、年の差……か?
見る限り、梓は一年の頃から全然成長してないように見えるんだが……。
この調子じゃ、今後どれだけ年月を経たとしても、成長しなさそうだぞ。
いや、私も人の事は言えないくらい、一年の頃から成長してないんだけどな……。
……何か悲しくなってきた。
梓も自分が全然成長してない事を自覚してるみたいで、物悲しそうに沈黙していた。
発育不良な二人が、揃って大きく溜息を吐く。
いやいや、今は私達の発育の事なんてどうでもいい。
私は梓の右の髪を結びながら、できるだけ声色を明るく変えて言った。
「でも、危ないのは確かだ。
もうあんな事するのはやめてくれよ、梓。
と言うか、深夜に私の家の前を通ったのは梓で間違いないんだよな?
まだおまえから本当のところを聞いてないけど」
「はい……。律先輩が見たのは、確かに私だと思います。
深夜、キーホルダーを捜して、走り回ってましたから……。
見間違いだなんて言って、すみませんでした……」
「それはいいけどさ。
私はさ、梓の事が本当に心配だったよ。
私だけじゃない。
ムギも、唯も、澪も、憂ちゃんや純ちゃんもおまえを心配してたんだからな」
「純……も……?」
意外そうに梓が呟く。
それは純ちゃんが梓を心配してるのが意外なんじゃなくて、
私が純ちゃんの事を話題に出すのが意外だと感じてるみたいだった。
確かに私と純ちゃんって、あんまり関わりがなさそうだからなあ……。
480: にゃんこ 2011/08/18(木) 21:55:32.89 ID:Wnnpcz4x0
でも、私と純ちゃんが無関係に見えても、決して無関係じゃない。
いちごが言ってたみたいに、私達は自分でも知らない何処かで知らない誰かと必ず繋がってる。
何かと無関係ではいられないんだ。
特に私と純ちゃんには梓っていう大きな繋がりがある。
それだけで私と純ちゃんは、深い所で繋がり合ってるって言えるかもしれない。
今回、私はその繋がりに助けられ、梓の悩みを晴らす事ができた。
それは梓を大切に思う人間が多いって証拠でもある。
梓がそんな風に大切に思われるに足る子だから、
誰もが梓を放っておけなくて、結果的に梓自身を救う事になったんだ。
私はそれを梓に少しだけ伝えようと思った。
梓の悩みは私達の悩みでもあるんだって。
梓が悩んでいると、皆が梓を助けたくなるんだって。
梓は愛されてるんだって。
勿論、純ちゃんとの約束もあるから、
必要以上の事を伝えるわけにはいかないけど。
それでも、私は伝えるんだ。梓は一人じゃないんだと。
「この教室に来る前に、純ちゃんと話をしたんだよ。
梓が二年一組に居るって教えてくれたのも純ちゃんなんだぜ?
軽音部の部室から飛び出すおまえを見かけたって言ってた。
声も掛けたって言ってたけど、気付かなかったのか?」
「いえ……。無我夢中で走ってて、純が見てたなんて全然気付きませんでした。
でも、そうなんだ……、純が……。
純に……、悪い事しちゃったな……」
「後で純ちゃんに謝って……、いや、お礼の方が喜ぶな。
お礼を言っとけよ、梓。
純ちゃんが教えてくれなきゃ、私はこの教室まで来れなかった。
梓の悩みを聞き出す事もできなかったんだ。
今お前と私が笑えるのは、純ちゃんのおかげでもあるんだ」
「そうですね……。
いつもは好き勝手な事してるのに、純ったら……。
こんな時だけ……、こんな時だけ気が効くんだから……」
「いい友達だな」
「……はい!」
梓が感極まった様な大きな声を出す。
もしかしたら梓はまた少し泣いているのかもしれなかった。
でも、それはもう悲しい涙じゃなくて、胸が詰まるみたいな嬉しい涙なんだ。
少しだけ気難しい面がある梓にも、純ちゃんみたいな素敵な友達がいるんだな。
私はそれが嬉しくなって、梓の左側の髪を結び終えてから続けた。
「おまえが思う以上に、純ちゃんっていい子だぞ。
純ちゃんさ、おまえの知らない所で軽音部の新入部員を見つけてくれたらしい。
それも二人もだぜ。
入部してくれるのは来年度からみたいだけど、これで来年の軽音部も安泰だな」
「本当ですかっ?」
「ああ。でも、私が言ったって純ちゃんには内緒な。
純ちゃんから、新入部員の事は梓には内緒してくれって頼まれてるんだよ。
勿論、その新入部員が誰かも内緒なんだ。
だから、どうかここはご内密に頼むぜ、お代官様」
「そうですか……。二人も新入部員が……。
何だか……、来年度がすごく楽しみになってきました。
見てて下さいね、律先輩。
来年度の軽音部は、今の軽音部より絶対すごい部にしてやるです!」
「その意気だ」
いちごが言ってたみたいに、私達は自分でも知らない何処かで知らない誰かと必ず繋がってる。
何かと無関係ではいられないんだ。
特に私と純ちゃんには梓っていう大きな繋がりがある。
それだけで私と純ちゃんは、深い所で繋がり合ってるって言えるかもしれない。
今回、私はその繋がりに助けられ、梓の悩みを晴らす事ができた。
それは梓を大切に思う人間が多いって証拠でもある。
梓がそんな風に大切に思われるに足る子だから、
誰もが梓を放っておけなくて、結果的に梓自身を救う事になったんだ。
私はそれを梓に少しだけ伝えようと思った。
梓の悩みは私達の悩みでもあるんだって。
梓が悩んでいると、皆が梓を助けたくなるんだって。
梓は愛されてるんだって。
勿論、純ちゃんとの約束もあるから、
必要以上の事を伝えるわけにはいかないけど。
それでも、私は伝えるんだ。梓は一人じゃないんだと。
「この教室に来る前に、純ちゃんと話をしたんだよ。
梓が二年一組に居るって教えてくれたのも純ちゃんなんだぜ?
軽音部の部室から飛び出すおまえを見かけたって言ってた。
声も掛けたって言ってたけど、気付かなかったのか?」
「いえ……。無我夢中で走ってて、純が見てたなんて全然気付きませんでした。
でも、そうなんだ……、純が……。
純に……、悪い事しちゃったな……」
「後で純ちゃんに謝って……、いや、お礼の方が喜ぶな。
お礼を言っとけよ、梓。
純ちゃんが教えてくれなきゃ、私はこの教室まで来れなかった。
梓の悩みを聞き出す事もできなかったんだ。
今お前と私が笑えるのは、純ちゃんのおかげでもあるんだ」
「そうですね……。
いつもは好き勝手な事してるのに、純ったら……。
こんな時だけ……、こんな時だけ気が効くんだから……」
「いい友達だな」
「……はい!」
梓が感極まった様な大きな声を出す。
もしかしたら梓はまた少し泣いているのかもしれなかった。
でも、それはもう悲しい涙じゃなくて、胸が詰まるみたいな嬉しい涙なんだ。
少しだけ気難しい面がある梓にも、純ちゃんみたいな素敵な友達がいるんだな。
私はそれが嬉しくなって、梓の左側の髪を結び終えてから続けた。
「おまえが思う以上に、純ちゃんっていい子だぞ。
純ちゃんさ、おまえの知らない所で軽音部の新入部員を見つけてくれたらしい。
それも二人もだぜ。
入部してくれるのは来年度からみたいだけど、これで来年の軽音部も安泰だな」
「本当ですかっ?」
「ああ。でも、私が言ったって純ちゃんには内緒な。
純ちゃんから、新入部員の事は梓には内緒してくれって頼まれてるんだよ。
勿論、その新入部員が誰かも内緒なんだ。
だから、どうかここはご内密に頼むぜ、お代官様」
「そうですか……。二人も新入部員が……。
何だか……、来年度がすごく楽しみになってきました。
見てて下さいね、律先輩。
来年度の軽音部は、今の軽音部より絶対すごい部にしてやるです!」
「その意気だ」
481: にゃんこ 2011/08/18(木) 21:56:07.34 ID:Wnnpcz4x0
私が不敵に微笑んでやると、梓も私の方に振り向きながら柔らかく微笑んだ。
勿論、二人とも分かってる。
来年度は、多分、無い事を。
それでも、私達は笑うんだ。
私達が私達でいられるために。
「よし、完了」
手櫛でもう少しだけ髪を梳かしてから、梓のその場に立ち上がらせる。
私も立ち上がって、私に背を向けていた梓を私の方に向かせた。
何となく、嬉しくなる。
そこには若干疲れた感じがするけど、普段と変わらない梓の姿があったからだ。
普段と変わらない梓の姿だけど、そんな普段の梓の姿を見るのはすごく久し振りだ。
梓が自分の髪の位置を手で確認しながら、軽く笑って言う。
「ありがとうございます、律先輩。
髪の位置も完璧じゃないですか。
大雑把だと思ってましたけど、律先輩の事、見直しました!」
「素直に褒めるって事を知らないのかい、梓ちゃん。
それに見直したって事は、これまでは見損なってたって事かよ。
まあ、いいけどさ」
軽口を叩き合う私達。
やっぱりあんまり部長と部員の関係って感じがしないな。
どっちかと言うと、同級生の部員同士っぽい。
でも、まあ、それもいいか。
それも私と梓が付き合ってきた二年間の結果なんだ。
求めてた関係とはちょっと違うけど、こんな友達みたいな関係も悪くない。
いや、友達みたいな、じゃない。
私と梓は友達だ。
友達で、いいんだと思う。
急に梓が少しだけ寂しそうな顔になる。
世界の終わりの事を思い出したのかと思ったけど、そうじゃなかった。
「あーあ……。
考えてみたら、何だか勿体無い事しちゃいましたね……」
自嘲的に梓が小さく呟く。
悲しんでるわけじゃなく、自分に腹を立ててるわけでもなく、
ただ自分のしてしまった事を少しだけ後悔してるみたいに。
「私……、一週間も一人で何を抱え込んでたんでしょうか。
キーホルダーを失くした事……、早く律先輩達に伝えればよかったなあ……。
律先輩達を信じればよかったのに、自分を信じられればよかったのに、
それができずに深夜に駆け回ったりまでして……、必死に捜し回って……。
そんな私のせいで皆に心配掛けちゃって……、
律先輩にまで勿体無い無駄な時間を掛けさせてしまって……。
私が……、信じられなかったせいで……」
梓が小さい身体を更に縮ませるみたいに小さくなる。
一つの悩みは晴れたけど、
その副産物として、今度は自分の掛けた迷惑について罪悪感を抱いてしまってるんだろう。
梓は責任感の強い子だ。
自分のミスや失敗を抱え込んで、たまにそれに押し潰されそうになっちゃう子だ。
今までの私なら、そんな梓を心配そうに見つめる事しかできなかっただろうけど……。
でも、もう大丈夫。
梓は私を信じてくれた。
後は私が梓を信じて、梓に自分自身を信じさせてあげるだけだ。
私は手を伸ばして、梳いたばかりの梓の頭頂部をくしゃくしゃにしてやる。
勿論、二人とも分かってる。
来年度は、多分、無い事を。
それでも、私達は笑うんだ。
私達が私達でいられるために。
「よし、完了」
手櫛でもう少しだけ髪を梳かしてから、梓のその場に立ち上がらせる。
私も立ち上がって、私に背を向けていた梓を私の方に向かせた。
何となく、嬉しくなる。
そこには若干疲れた感じがするけど、普段と変わらない梓の姿があったからだ。
普段と変わらない梓の姿だけど、そんな普段の梓の姿を見るのはすごく久し振りだ。
梓が自分の髪の位置を手で確認しながら、軽く笑って言う。
「ありがとうございます、律先輩。
髪の位置も完璧じゃないですか。
大雑把だと思ってましたけど、律先輩の事、見直しました!」
「素直に褒めるって事を知らないのかい、梓ちゃん。
それに見直したって事は、これまでは見損なってたって事かよ。
まあ、いいけどさ」
軽口を叩き合う私達。
やっぱりあんまり部長と部員の関係って感じがしないな。
どっちかと言うと、同級生の部員同士っぽい。
でも、まあ、それもいいか。
それも私と梓が付き合ってきた二年間の結果なんだ。
求めてた関係とはちょっと違うけど、こんな友達みたいな関係も悪くない。
いや、友達みたいな、じゃない。
私と梓は友達だ。
友達で、いいんだと思う。
急に梓が少しだけ寂しそうな顔になる。
世界の終わりの事を思い出したのかと思ったけど、そうじゃなかった。
「あーあ……。
考えてみたら、何だか勿体無い事しちゃいましたね……」
自嘲的に梓が小さく呟く。
悲しんでるわけじゃなく、自分に腹を立ててるわけでもなく、
ただ自分のしてしまった事を少しだけ後悔してるみたいに。
「私……、一週間も一人で何を抱え込んでたんでしょうか。
キーホルダーを失くした事……、早く律先輩達に伝えればよかったなあ……。
律先輩達を信じればよかったのに、自分を信じられればよかったのに、
それができずに深夜に駆け回ったりまでして……、必死に捜し回って……。
そんな私のせいで皆に心配掛けちゃって……、
律先輩にまで勿体無い無駄な時間を掛けさせてしまって……。
私が……、信じられなかったせいで……」
梓が小さい身体を更に縮ませるみたいに小さくなる。
一つの悩みは晴れたけど、
その副産物として、今度は自分の掛けた迷惑について罪悪感を抱いてしまってるんだろう。
梓は責任感の強い子だ。
自分のミスや失敗を抱え込んで、たまにそれに押し潰されそうになっちゃう子だ。
今までの私なら、そんな梓を心配そうに見つめる事しかできなかっただろうけど……。
でも、もう大丈夫。
梓は私を信じてくれた。
後は私が梓を信じて、梓に自分自身を信じさせてあげるだけだ。
私は手を伸ばして、梳いたばかりの梓の頭頂部をくしゃくしゃにしてやる。
482: にゃんこ 2011/08/18(木) 21:59:42.15 ID:Wnnpcz4x0
「ちょ……っ? 律先輩……っ?」
「馬ー鹿。
確かにおまえのせいで長い事悩まされたけど、それは別に無駄な時間じゃなかったよ。
勿体無いなんて事も無い。こんな時だけど、私自身や軽音部の事について深く考えられた。
それはおまえのせいで……、おまえのおかげだ」
「どうして……」
また泣きそうな顔で、梓が掠れた声を上げた。
「どうして律先輩は……、そんなに優しいんですか……?
私の事なんて……、もっと責めてくれてもいいのに……」
「生憎、私には人を責める趣味はないのだ。
それにさ、優しいのはおまえもだよ、梓。
キーホルダーの事でそんなに悩んだのは、私達の事を大切に思ってくれてたからだろ?
そんなおまえを責められないし、それに……」
「それ……に……?」
「まだ取り戻せる。
思い悩んだ分、心配掛けちゃった分なんて、いくらでも取り戻せるよ。
だから、梓さえよければさ、今日、私んちに泊まりに来ないか?
何ならムギや純ちゃんも誘って、皆で色んな話をしようぜ。
私の部屋で布団並べてさ、「好きな子いる?」って話し合ったりとか」
私の言葉に、梓は呆気に取られたみたいにしばらく沈黙していた。
まさか私がそんな話を始めるなんて、考えてもなかったんだろう。
実を言うと、私も自分がこんな話をするなんて思ってなかった。
泊まりに来ないかって言葉も、その場の勢いで言っただけだ。
でも、勢いながら、いい提案だって自分で自分を褒めたい気分でもある。
そうなんだ。
勿体無い事をしたと思うんなら、取り戻せばいいだけなんだ。
それを自覚して一緒の時間を過ごせれば、
勿体無かったと思える時間以上の充実した時間を過ごせるはずだ。
「もう……」
梓が呆れた表情で小さく呟く。
でも、その表情の所々からは、隠し切れない笑顔が滲み出ていた。
「それじゃ修学旅行じゃないですか、律先輩」
「お、それ頂き。
いいじゃんか、修学旅行。
梓とは一緒に行けなかったわけだし、私達だけの修学旅行って事でどうだ?
勿論、梓の予定が合えばだけどさ」
「……仕方ないですね。
律先輩がそこまで言うなら、付き合ってあげます。
やりましょう。律先輩の家で、私達だけの修学旅行を」
「よっしゃ。そうと決まれば早速ムギ達を誘いに行こうぜ。
折角だから、夕食は私が腕に縒りを掛けて用意しよう。
何かリクエストないか?
何でも梓の好きな物を作ってやるぞ」
「馬ー鹿。
確かにおまえのせいで長い事悩まされたけど、それは別に無駄な時間じゃなかったよ。
勿体無いなんて事も無い。こんな時だけど、私自身や軽音部の事について深く考えられた。
それはおまえのせいで……、おまえのおかげだ」
「どうして……」
また泣きそうな顔で、梓が掠れた声を上げた。
「どうして律先輩は……、そんなに優しいんですか……?
私の事なんて……、もっと責めてくれてもいいのに……」
「生憎、私には人を責める趣味はないのだ。
それにさ、優しいのはおまえもだよ、梓。
キーホルダーの事でそんなに悩んだのは、私達の事を大切に思ってくれてたからだろ?
そんなおまえを責められないし、それに……」
「それ……に……?」
「まだ取り戻せる。
思い悩んだ分、心配掛けちゃった分なんて、いくらでも取り戻せるよ。
だから、梓さえよければさ、今日、私んちに泊まりに来ないか?
何ならムギや純ちゃんも誘って、皆で色んな話をしようぜ。
私の部屋で布団並べてさ、「好きな子いる?」って話し合ったりとか」
私の言葉に、梓は呆気に取られたみたいにしばらく沈黙していた。
まさか私がそんな話を始めるなんて、考えてもなかったんだろう。
実を言うと、私も自分がこんな話をするなんて思ってなかった。
泊まりに来ないかって言葉も、その場の勢いで言っただけだ。
でも、勢いながら、いい提案だって自分で自分を褒めたい気分でもある。
そうなんだ。
勿体無い事をしたと思うんなら、取り戻せばいいだけなんだ。
それを自覚して一緒の時間を過ごせれば、
勿体無かったと思える時間以上の充実した時間を過ごせるはずだ。
「もう……」
梓が呆れた表情で小さく呟く。
でも、その表情の所々からは、隠し切れない笑顔が滲み出ていた。
「それじゃ修学旅行じゃないですか、律先輩」
「お、それ頂き。
いいじゃんか、修学旅行。
梓とは一緒に行けなかったわけだし、私達だけの修学旅行って事でどうだ?
勿論、梓の予定が合えばだけどさ」
「……仕方ないですね。
律先輩がそこまで言うなら、付き合ってあげます。
やりましょう。律先輩の家で、私達だけの修学旅行を」
「よっしゃ。そうと決まれば早速ムギ達を誘いに行こうぜ。
折角だから、夕食は私が腕に縒りを掛けて用意しよう。
何かリクエストないか?
何でも梓の好きな物を作ってやるぞ」
483: にゃんこ 2011/08/18(木) 22:00:24.40 ID:Wnnpcz4x0
「じゃあ……、ハンバーグをお願いしていいですか?」
「ハンバーグかよ。別に何でも作ってやるのに。
……って、ひょっとしてハンバーグしか作れないって思われてる……?」
「いえいえ、違いますよ。
前に律先輩の家で食べたハンバーグが美味しかったから、また食べたいんです。
……駄目ですか?」
「そう言われると、私も腕に縒りを掛けざるを得ない。
そうだな、今日はハンバーグにしよう。
美味しいご飯も炊いてやる。
今日は梓のリクエスト通り、愛情込めてハンバーグを作ってやるぞ」
「あ、別に愛情はいいです」
「中野ー!」
私が声を荒げて掴み掛ろうとすると、
梓は上手い具合に私の腕を避けて教室の扉まで駆けて行く。
最近、生意気さに加減の無い後輩だけど、
そんな生意気さをどうにかながら取り戻せて、私は嬉しかった。
教室の扉を開きながら、梓が私の方に振り返る。
「ほら、早く行きましょう、律先輩」
「あいあい」
「それと……」
「どうした?」
「何度も言いましたし、さっき最後だって言いましたけど、でも、もう一度言わせて下さい。
私の先輩でいてくれて、本当にありがとうございます、律先輩」
「おうよ。
……おまえこそ、私の後輩でいてくれて、ありがとな」
「ハンバーグかよ。別に何でも作ってやるのに。
……って、ひょっとしてハンバーグしか作れないって思われてる……?」
「いえいえ、違いますよ。
前に律先輩の家で食べたハンバーグが美味しかったから、また食べたいんです。
……駄目ですか?」
「そう言われると、私も腕に縒りを掛けざるを得ない。
そうだな、今日はハンバーグにしよう。
美味しいご飯も炊いてやる。
今日は梓のリクエスト通り、愛情込めてハンバーグを作ってやるぞ」
「あ、別に愛情はいいです」
「中野ー!」
私が声を荒げて掴み掛ろうとすると、
梓は上手い具合に私の腕を避けて教室の扉まで駆けて行く。
最近、生意気さに加減の無い後輩だけど、
そんな生意気さをどうにかながら取り戻せて、私は嬉しかった。
教室の扉を開きながら、梓が私の方に振り返る。
「ほら、早く行きましょう、律先輩」
「あいあい」
「それと……」
「どうした?」
「何度も言いましたし、さっき最後だって言いましたけど、でも、もう一度言わせて下さい。
私の先輩でいてくれて、本当にありがとうございます、律先輩」
「おうよ。
……おまえこそ、私の後輩でいてくれて、ありがとな」
484: にゃんこ 2011/08/18(木) 22:01:32.16 ID:Wnnpcz4x0
○
二年一組の教室を出た瞬間、
笑顔の私達を見つけたムギが、泣き出しそうな梓の胸に飛び込んだ。
ずっと私達の事を信じて待っていてくれたんだろう。
申し訳なさそうに、でも嬉しそうに梓が謝り、
これまでの事情を説明すると、ムギは怒る事も無くそのまま梓を抱き締めた。
ずっと唯が身近に居たせいか、どうも私達には唯の抱き付き癖がうつってしまってるみたいだ。
抱き付かれ慣れてるみたいで、梓の方もムギに抱き締められるままにしていた。
妙な感じだけど、これが私達のコミュニケーションでもあるんだろう。
ムギがしばらく梓を抱き締めた後、
私の家で私達だけの修学旅行をしないかと伝えると、
「後輩とのそういうイベント、夢だったの」と言って、目に見えてはしゃぎ出した。
ムギにはどれだけ色んな夢があるんだ……。
でも、ムギが積極的になってくれるのは大歓迎だ。
梓だけじゃなく、ムギも喜んでくれるんなら、一石二鳥ってやつじゃないか。
勿論、ムギが楽しんでくれるのは、私だって嬉しい。
そうして盛り上がっていると、
不意に梓が廊下の角から私達を見ている何者かの視線に気付いた。
当然ながら、その何者かは純ちゃんだった。
軽音部の部室で待ってると言っていたけど、
やっぱり梓の様子が気になって教室の近くまで来てたんだろう。
梓が手招きすると、少しだけ恥ずかしそうに梓の傍まで近付いて、
それでも純ちゃんは急に笑顔になって、梓の頭を強めに撫で始めた。
元気そうな梓を見て嬉しかったんだろう。
頭を撫でるのは純ちゃんなりの愛情表現なんだろうけど、
「撫でないでよ、もー!」と梓はほんの少し不機嫌そうな声を上げていた。
私達には結構自由に頭を撫でさせてくれる梓だけど、
流石に同級生に頭を撫でられるのは恥ずかしいらしい。
これまで、私には二人の関係は梓が主導権を取ってる関係に見えてた。
でも、本当は自由に見える純ちゃんの方が、梓をリードしてるのかもしれない。
次回 律「終末の過ごし方」 その3
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