1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 05:17:50.63 ID:KmqRKDbT0
男「あー」 
黒髪娘「きょろきょろするな」 

男「うん」 
黒髪娘「やれやれ。茶はどうだ?」 

男「いただき、ます。はい」 
黒髪娘「しばしまて」 

ことん 

男「……熱ッ」 
黒髪娘「猫舌なのか。ふふふっ」 

男「悪いですかよ」 

黒髪娘「いいや。似ているな、と」 


聞くだけで黒髪がよみがえるCDブック
平田 彩友瑠
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2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 05:21:12.88 ID:KmqRKDbT0
さらさらさらさら…… 

男「……」 

黒髪娘「ずいぶん落ち着いているのだな」 

男「いや、結構一杯一杯」 
黒髪娘「そうか」 

男「質問は可?」 

黒髪娘「もちろん」 

男「ここはどこで、あなたは誰?」 

黒髪娘「ここは温明殿(うんめいでん)と梨壺の間の 
 あたりにある小さな東屋の一つだ。 
 おおむねわたしの住処と云って良いだろうな。 
 と、云っても質問の答えには不十分か。 
 おそらく、質問の正答は、こうだ。 
 ――ここは平安時代とよばれている」 

男「……マジすか」 



4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 05:23:24.49 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「私は尚侍(ないしのかみ)だ。 
 内侍司(ないしのつかさ)を掌握する役目を 
 承っている。従三位となるな」 

男「……なにそれ?」 

黒髪娘「判らなければ、そのままでよいと思う。 
 まぁ、政どころの女性の役人だ」 

男(官僚なのか……) 

黒髪娘「そちらの方は……」 
男「あー。男です。多分、助けてくれたんでしょ? 
 ありがとうね。これも」 

黒髪娘「ああ、その塗り薬は……。うむ。 
 傷によく効く生薬なのだ」 

男「もう平気。かすり傷だし」 

黒髪娘「ずいぶんと、落ち着いているのだな」 
男「まぁねー」 


5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 05:25:46.85 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「聞いて良ければ、なぜ?」 

男「あー。ないしのかみ……さん? が」 
黒髪娘「黒髪でよい」 

男「ああ、んじゃ。黒髪が、さっき『似ている』って。 
 云ったじゃね? だから、もうちょっと詳しい事情も 
 知っているんだろうな、と。 
 その説明を聞くまでは仕方ないじゃん?」 

黒髪娘「察しも良いのだな。敬服する」 
男「そんなことは、ないけど」 

黒髪娘「わたしは、その。……その方の」 
男「俺も同じだ。男でいいよ」 

黒髪娘「感謝する。男殿の、祖父君とは知己であってな」 
男「爺ちゃん?」 

黒髪娘「うむ、茶飲み友達というか。生徒というか」 
男「……あ。ああっ!」 


6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 05:29:08.82 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「?」 

男(あな。そうだ。俺、爺ちゃんの家、掃除してた 
 納戸の奥の長びつのうち側が真っ黒で、 
 俺はその中に“落ち”て……) 

黒髪娘「……我が東屋に唐突に現われたので、 
 祖父君との知り合いか親族だと考えていたのだ。 
 幸い祖父君から男殿の容姿は聞き及んでいた」 

男「そっか……」 

黒髪娘「祖父君は何度もこの東屋を訪れてくれた。 
 わたしに色々と教えてくれたのだ」 

男「爺ちゃんは、小学校の先生だったんだよ。 
 引退した後もちゃんと先生だったんだな……」 

黒髪娘「尊敬申し上げている」 

男「……」 
黒髪娘「祖父君は……」 

男「うん」 


7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 05:37:49.46 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「やはり……身罷られたのか」 
男「……うん。癌」 

黒髪娘「病か」 
男「うん」 

黒髪娘「何とはなしにそんな気がしていた。 
 痩せていったし、疲れやすくなっていた。 
 返せそうもないほどの恩を受けている。 
 最期の様子を聞いても良いだろうか? 

男「病院で、家族に囲まれて。最期まで冗談言ってたよ。 
 俺には優しくてさ。おれ、ほら。 
 名前の一文字は、爺ちゃんからもらったから。 
 二束三文だろうけれど、爺ちゃんの家も俺がもらった。 
 山の麓だし、古い平屋だけど。庭が綺麗だからって。 
 その二話で、小さい頃は良く爺ちゃんに遊んでもらった」 

黒髪娘「祖父君は磊落な方だった」 

男「うん。あんなシモネタばっかり 
 小学校で云ってたのかよってな」 

黒髪娘「ははははっ」 くすっ 

8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 05:51:13.56 ID:KmqRKDbT0
男「納戸の掃除をしていて、あの長びつに……」 

黒髪娘「判っている。それと対になるのが、 
 あちらの奥部屋に置いてある長びつなのだ。 
 唐渡りのものらしいが」 

男「そっか。帰れるんだな」 
黒髪娘「もちろんだ」 

男「よかったぜー。ほっとしたよ。 
 大学だってバイトだってあるって云うのにさぁ」 

黒髪娘「ふふふっ」 

 すっ 

男「うわぅ」 
黒髪娘「何を頓狂な声を」きょとん 

男「急に触ろうとするから」 
黒髪娘「なんだ。別に私は怪物じゃないぞ」 

男(つか、近くで見るとすげぇ美人じゃんかよ。 
 人形みたいっていうか、すげぇ美少女って云うか。 
 いきなりひんやりした指で触わるな。慌てるだろがっ) 

男「び、びっくりしただけ」 

黒髪娘「ふむ。――まぁ、礼を逸していたか。すまぬ」 


11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 05:57:50.33 ID:KmqRKDbT0
男「いや、そのっ」 
黒髪娘「?」 

男「ご、豪華で綺麗だからっ。びっくりした」 
黒髪娘「? ああ。これか」 

さらり 

男「つか、すごい格好なんですけれど」 
黒髪娘「萌葱の襲だ。普段着だな」 

男「ハイスペック過ぎでしょ。 
 それ、和服……なの? めちゃくちゃ刺繍はいって 
 あれ、刺繍じゃないの?」 

黒髪娘「こういう浮織なのだ」 

男「すげぇなぁ」 

黒髪娘「まぁ。尚侍ともなればな。これくらいは」 

男「それに、その髪、すごいな! 
 真っ黒で、サラサラで、ろうそくの光できらきらで。 
 滝みたいに豪華だよなぁ!」 

12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 06:08:51.57 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「それはっ……。褒めて頂いたのか? そうなのか?」 
男「そうだけど?」 

黒髪娘「そうか。ありがとう。――そうか」 

男「なんか悪い事言った?」 

黒髪娘「いや、嬉しかっただけだ。 
 そう言ってくれる人は、多くはないから」 

男「そうなのか? ものすごく豪華なのに」 

黒髪娘「ふふふっ。わたしは変わり者で……。 
 ああ、そうだな。ヒキコモリなのだ」 
男「引きこもり?」 

黒髪娘「そうだ。祖父君に聞いたのだが。 
 家に籠もって読書三昧の日々を過ごす 
 放蕩者を言うらしいではないか」 

男「えー、っと。まぁ……間違ってはいないか」 
黒髪娘「それゆえ、女房以外、余り人と会うこともなくてな」 

男「そか(……美人なのに、もったいない話だなぁ)」 

黒髪娘「しかし、夜も更けた」 
男「あぁ、そうかも」 

13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 06:15:12.36 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「男殿のお陰で、祖父君の最期を聞くことも出来た」 
男「ん? そだな」 

黒髪娘「感謝に堪えない」 ふかぶか 
男「そんなに頭下げることないじゃん。 
 正座とか、土下座っぽくて怖いよっ」 

黒髪娘「いや、気にかかっていたのだ。 
 お見舞いに行くことも出来ないゆえ。 
 物忌みはしていたのだが……」 

男「いいっていいって。爺ちゃんの生徒さんじゃん」 

黒髪娘「……あの長びつに入れば戻れる。 
 酒でも飲んで忘れてしまうと良い」 
男「?」 

黒髪娘「こんな気持ち悪い話は、 
 一夜の夢として忘れてしまった方が良い。 
 手間を取らせて本当に申し訳なかった」 

男「へ?」 

黒髪娘「時を超えて漂流するなど、出来の悪い戯作の 
 ような物語だろう? 祖父君は哀れみ深くわたしの 
 我が儘に付き合ってくださったが、普通に考えて 
 気持ちの悪い話だ」 


14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 06:26:52.20 ID:KmqRKDbT0
男「それは……そなのかな」 
黒髪娘「男殿には、大きな感謝を」 

男「あのさ」 
黒髪娘「なんだろう?」 

男「黒髪は、いくつ?」 
黒髪娘「歳か? 15になった」 

男「中学生じゃんよっ!」 
黒髪娘「はぅわっ」びくっ 

男「なんでそんなに落ち着いちゃっているわけ?」 
黒髪娘「びっくりするではないか。 
 ――ごく普通かと思うが」 

男「……」 

黒髪娘「何か、まずかったのだろうか?」 
男「……なんでもないけど」 


15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 06:29:24.90 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「礼節を失うのは人として恥ずべきだ」 
男「そりゃそうだけど」 

黒髪娘「恩人の孫でもあり、また恩人の消息を伝えてくれた 
 この上なき恩人でもある。その男殿の平安を祈念したいのだ」 
男「それはもう判ったけどよ」 

黒髪娘「そうか」 ほっ 
男「なんで、爺さんが何度も来たのかも判る気がするな」 

黒髪娘「?」 

男「俺も、また来るから」 
黒髪娘「……良いのか? 気持ち悪くないのか?」 

男「爺さんが出来たんだし、俺に出来ないわけがねぇ。 
 それに、爺さんが『あの家を頼む』って云った意味が 
 これじゃないかって云う気もする」 

黒髪娘「よく判らないが」 

男「また来っから」 
黒髪娘「あの、それはっ」 

男「また来っからな!」 

ざくっ、ばたんっ 

17 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 07:32:19.26 ID:KmqRKDbT0
――祖父の平屋。納戸 

どてっ。ごろっ 

男「……って、ってって。脚! 小指! ぶっけたっ!!」 

男「くはぁ痛ってぇ……。って」 

男「どうやら」 

男(戻れたか。……してみると、最初のは、 
 頭から落ちたせいで気絶したのか。 
 普通に足から入れば、ちょっと飛び降りるような 
 感覚なのかね……) 

男「ま、いっか。安全に往復できるって判れば」 

……良いのか? 気持ち悪くないのか? 

男「なんか、物わかりの云い中学生とか気持ちわりぃっつの」 

男「ったく。ヒッキーなめんな」 

18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 07:43:19.06 ID:KmqRKDbT0
――数日後、典侍の東屋 

ぼて。がたっ 

男「おーい! 黒髪~」 

からから 

黒髪娘「男殿ではないか。本当に来てくれたんだなっ」 
男「ちゃんとそう言ったじゃねぇか」 

黒髪娘「いや、あれは。その……。 
 社交辞令というか、虚ろ言かと」 
男「なんでそう思うかなぁ」 

黒髪娘「それは、女房達がそういう風に」 
男「女房ってなに?」 

黒髪娘「ああ。それは、ん……。侍女? 召使い? 
 そのような存在だ。生活を補佐してくれる」 

男「ああ。うん(そか、こいつかなり偉いんだもんな)」 

黒髪娘「男性の去り際の言葉は信じるものではない、と」 
男「なんだかなぁ。すげぇ耳年増な」 

黒髪娘「そ、そうか? すまない」 しゅん 


19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 07:49:52.05 ID:KmqRKDbT0
男「まぁ、いいや。黒髪はヒッキーなんだろう?」 
黒髪娘「うむ、ヒキコモリだぞ」 

男「まぁ、そんなわけで色々もってきたわけだ」 
黒髪娘「?」 

男「まずはー。びゃーん。シュークリームっ!」 
黒髪娘「お、おおっ!!」 

男「お、すげぇ反応」 
黒髪娘「それは知っている!!」 

男「なんと!」 
黒髪娘「祖父君に頂いたことがあるっ」 

男(熱い視線だ。ふふんっ。やはりな。作戦成功だ) 

黒髪娘「頂けるのか」 
男「うむ」 

黒髪娘「感謝する」 ふかぶか、ぺとり 
男「だからいきなり土下座はやめれっ」 

20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 07:55:43.68 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「そう言うことならば、一席設けよう」 
男「一席って?」 

黒髪娘「飲むものくらい欲しいのではないか?」 
男「ああ、うん」 

黒髪娘「茶を入れる」 
男「ああ。そう言えば前ももらったっけ。茶、あるんだ」 

黒髪娘「うむ、飲むのは貴族だけだが。 
 祖父君も好きだったゆえこの庵でも沸かすことが出来る」 
男「そかそか」 

黒髪娘「ぬるめがよいのであろう?」 にこっ 
男「あ。……うん」 
黒髪娘「?」 

男(不意打ちで笑われるとびっくりするな。 
 やべぇやべぇ。こっちも引きこもり同然だと見破られちまう) 

黒髪娘「しばし待っていてくれ」 
男「おーけー。この部屋にいればいいのか?」 

黒髪娘「うむ、準備をしてくる」 

21 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 08:00:26.75 ID:KmqRKDbT0
男「ふぅむ。なんか、すかすかした部屋の作りだなぁ」 

男(これは……箱? ああ、本か。和綴じの) 

ぺらぺら 

男「うへぇ。古典だ。あいつ古文読めるのか? 
 ってあたりまえか。これがあいつらの現代語か。 
 ……これは植物か、薬草かな? 
 こっちのは、なんだろう。 
 オカルトか? こっちは漢文か 
 毎日本を読んでいるとか云ったもんな。 
 結構あるなぁ」 

ぺらぺら 

男「ってか、多いな。おいおい。こっちのは天文に見えるな」 

男「……よく分かんないけど、平安の中学生って 
 こんなに勉強するのか? どんだけやってんだ?」 

からん 

男「お」 
黒髪娘「待たせたな」 
男「いやいや」 

22 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 08:02:53.39 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「冷ましてある」 
男「ありがとう。ほら、これ、シュークリームだろ」 

黒髪娘「わぁ」 

男「で。これが堅焼ポテチ。 
 こっちは俺の好きなサラダせんべい。 
 で、カントリーマァムと、 
 抹茶ポッキーと、羊羹と……」 

黒髪娘「なんだ、それらは」 
男「おやつだよ」 

黒髪娘「菓子……なのか?」 
男「そうだね」 

黒髪娘「こんなにか?」 
男「うん、何が気に入るか判らなかったしさ」 

黒髪娘「……」そわそわ 
男「もしかして、結構気になっている?」 

黒髪娘「そんなに不作法ではない」 


23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 08:18:51.97 ID:KmqRKDbT0
男「これ、ちょと開けてみ?」 
黒髪娘「?」 

男「これは包装って云って、まぁ、包む紙みたいなもの」 
黒髪娘「うむ」 

男「ここを引っ張って」 

ぺりぺり 

黒髪娘「良い香りが」 
男「で、あとはこの内側の小さな包装も」 ペリペリ 

黒髪娘「! このように愛らしい菓子が出てきたぞ」 

男「食べて」 
黒髪娘「頂く……」ちらっ 
男「いいよ、どうぞどうぞ」 

黒髪娘「甘いっ! これは美味しい」 にこっ 
男「そうかそうか」 


24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 08:25:47.47 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「こちらも美味しいな」 
男「うん。……爺ちゃんはあんまりもってこなかったの?」 

黒髪娘「うむ。あ、いや。理屈は判っているのだ。 
 このような物は、本来手に入るはずもないわけで。 
 もし何らかの手違いでこの時代に残しては 
 大問題になってしまう、と」 

男(ああ、そうか。……プラスチックやビニールが 
 遺跡から出土したら大変だもんな) 

黒髪娘「そう考えれば、これらも……」 

男「ああ、いいよ。そんなにしょんぼりしないで。 
 要するにばれなきゃ良いんだろう? 
 俺は爺ちゃんとはちょっと考えも違うしさ。 
 食い終わったら、残った包装紙とかは 
 全部きれいにこのコンビニ袋に入れてさ。 
 俺が持って帰れば、問題なしって訳だ」 

黒髪娘「そうしてもらえるか?」 

男「ああ。もちろんだ」 

黒髪娘「しかし、このように高価な土産を頂いても 
 わたしには返せる物が余りにもないのだが……」 

25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 08:30:16.08 ID:KmqRKDbT0
男「いやいや。構わないよ。 
 こっちって俺から見たら知らない国だからさ。 
 来てみると、どきどきして楽しいし」 

黒髪娘「はははっ。祖父君も、あれは何か、これは何かと 
 いくつもいくつも問いを重ねてきたなぁ」 

男「俺も聞いちゃうと思うけれど、ごめんな」 

黒髪娘「かまわない。……その、男殿は、先生? 
 ……それとも卜筮官や陰陽師なのか?」 

男「へ?」 

黒髪娘「いや、だから。祖父君は、子弟に学問全般を 
 指南する事を生業にしていたと聞く。 
 で、あるから、家系的に男殿もそうなのかと」 

男「いや、俺は違うよ。まだ学生だよ。 
 教育いこうかどうかは、悩んでるなー」 

黒髪娘「学生とは? 祖父君の言う生徒とは違うのか?」 

男「あー。似たようなもの。ちょっと年が上になって 
 専門的なことを学んだり研究したり……」 

黒髪娘「ふむ」 

26 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 08:42:07.22 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「よければ……」 
男「?」 

黒髪娘「わたしに祖父君に続いて、 
 学問の手ほどきをしてくれないか?」 

男「えーっ。俺はそこまでの学識はねぇよ」 
黒髪娘「そうなのか? 先ほどから話していても 
 知恵深く、賢者を感じるのだが」 

男(そりゃ時代による格差だよ) 

黒髪娘「……」 

男「そんなにしょんぼりしないでくれ」 
黒髪娘「していない」 

男(表情に出ないけど、なんか判っちまうんだよな) 

黒髪娘「していないのだぞ?」 

男「何を勉強しているんだ?」 
黒髪娘「それは、色々と」 

男「ふむ。どんな?」 



28 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 08:54:03.76 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「大きく、文章、明経、明法、算だな。 
 他にも本草、天文、暦法なども調べている」 
男「ちょっと聞きたいな」 

黒髪娘「まず、文章(もんじょう)は、唐の歴史と漢文だ。 
 唐は我が国から見ても隣国だし文化も花開いている。 
 我が国は唐を手本にして居るから、それを知るのは重要だ」 
男(歴史と漢文って事ね。この場合漢文ってのは 
 大学の一般教養で英語やるくらい必須って訳だ) 

黒髪娘「明経は儒学を教える。この世の理と礼節についてだな。 
 明法は律令についてだ。法……律というのか? あれだ。 
 この辺は実学なので、位をえるためにはどうしたって必要だ。 
 算は算術だ。えっと、祖父君によれば、算数? だそうだ」 

男「ああ、うん。だいたいは判った。 
 えっと、学ぶとどうなるんだ?」 
黒髪娘「学ぶと?」 
男「ほら。位がどうとか」 

黒髪娘「ああ。大学寮というのがあって」 
男「大学あるのか!?」 

黒髪娘「もちろんあるぞ? 大学寮は式部省の一部なんだ。 
 ここは将来の有力な文官や武官を育てるところで、 
 陰陽寮とともに、この国の学問の頂点だ。 
 例えば明経道を教える大学博士ともなると正六位下 
 という非常に高い位階をえることが出来る」 

男「そうなのかぁ。結構きっちりとした機構なんだな」 


31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 08:57:46.78 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「殿上人にとって学識は、とても重要なんだ」 
男「あれ?」 
黒髪娘「?」 

男「でもさ。黒髪ってさ」 
黒髪娘「うむ」 

男「なんだっけ、その。典侍(ないしのすけ)だっけ?」 
黒髪娘「そうだ、従四位となる」 

男「数字が小さい方が偉いんだろう?」 
黒髪娘「そうだな」 

男「じゃ、もうすでに偉いんじゃないか」 
黒髪娘「……そうかもしれない」 

男「じゃぁ、勉強する必要なくないか?」 

黒髪娘「ああ。……うん。そうかもしれない。 
 でも……わたしは女だからな。 
 そもそも、この従四位も 
 学識で手に入れたものでもなければ、 
 自分で手に入れたものでもないのだ」 

男「?」 

32 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 09:01:08.85 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「いや、よそ事をいった」 
男「う、うん」 

ことことこと 

黒髪娘「もう一杯いかがだろうか?」 
男「お、もらう」 

黒髪娘「煎れよう」 
男「えっとさ」 

黒髪娘「ん?」 
男「次は、サラダせんべい行っておくか?」 

黒髪娘「開けさせてくれるのか?」 にこっ 
男「ああ、いいぞっ」 

黒髪娘「嬉しいぞ。かたじけない、男殿」 

男(なんだか、中学生なのになぁ……。 
 年相応なんだか、大人びちゃってるんだかわからねぇ) 

黒髪娘「~♪」 

男(あんな表情も出来るのになぁ……) 



34 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 09:27:24.57 ID:KmqRKDbT0
――男の実家 

姉「あら、あんたどこ行ってたの?」 
男「あ? 爺ちゃんの家」 

姉「ああ。あそこ、どう?」 

男「んー。荒れ果ててないよ。何日か掃除したけどさ。 
 わりと良いな、あそこ。 
 俺バイクあるし、あそこ済もうかな」 

姉「そうねぇ。人がいないと荒れ果てるって云うしねぇ」 

男「なんか、結構愛着あるかも。俺」 
姉「あんた子供の時はあそこの庭で 
 相当やんちゃだったからね」 

男「そう?」 
姉「まったくよぉ。心配で心配で母さん育児放棄よ」 
男「心配してねぇじゃん」 

姉「まぁ、お爺ちゃんも、すぐ取り壊したり 
 売られちゃったりしたら寂しいだろうしねぇ」 

男「そうだなー」 


35 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 09:34:00.23 ID:KmqRKDbT0
姉「夜は?」 
男「もちろん食うよ」 

姉「父さんも母さんも遅いみたいだか、先食べちゃおっか」 
男「うん。何食うの?」 

姉「メンチと煮物」 
男「む。良いね。庶民って物がわかってるね」 

姉「あったり前よ。わたしクラスになるとね。 
 足の爪先から黄金の庶民オーラが出て 
 髪の毛金色で逆立つわけ」 

男「すげぇな」 

姉「サイバイマンくらいなら鼻歌交じりで倒せるのよ。 
 んっ。ほら、運んで」 

男「へいへーい」 

姉「あんたちゃんとやってんの?」 
男「やってる」 こくこく 

姉「ならいいけど」 
男「さすがに、中学生に後ろから煽られると 
 勉強する気に多少なるわ」 


36 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 10:06:20.67 ID:KmqRKDbT0
――黒髪の四阿 

がつんっ。すたっ 

男 きょろきょろ 

しーん 

男「おーい、黒髪? いるかー?」 

男「いないのかな。おーい?」 

ぱたぱたぱたっ 

友女房「お、男様っ」 
男「!?」 

友女房「男様でございますね。ほ、本日はっ。 
 はぁ、はぁっ」 

男「いや、一つ落ち着いて」 

友女房「は、はいっ」 
男(なんか面白い女の人だな) 

37 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 10:09:14.87 ID:KmqRKDbT0
友女房「済みません。取り乱しました。 
 ……黒髪の姫はご実家の方に向かっておられまして。 
 本日のところは、この友っ。 
 黒髪姫の腹心の女房、友女房がお相手いたします」 

男「はぁ」 

友女房「お疑いですか? 男様の件は姫より聞いています。 
 祖父君とも面識がありますし、そのぅ……」 

男「あの、爺ちゃんさ。もしかして失礼なコトしなかった?」 

友女房「……」 
男「その、えーっと。ね?」 

友女房「そ、それは……その。 
 めいど●●●●とか云いまして」 ごにょごにょ 
男「良し、合格。面識があるのは判った」 

友女房「ほっといたしました」 
男「苦労してるんだね」 ほろり 

友女房「そう言ってくださると幸いです」 
男「そっか、黒髪、居ないのか」 

友女房「ええ。申し訳ありません」 


38 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 10:33:04.50 ID:KmqRKDbT0
男「まぁ、それはしかたないよ。 
 ケイタイで様子聞いてから来るわけにも行かないし」 

友女房「ケイタイ?」 
男「いや、こっちの話」 

友女房「姫より、もし男様が来られるようならば 
 お相手をしてくつろいでいただけと 
 仰せつかっております」 

男「そっか、どうしようかな」 

友女房「?」 
男「……。ん、いいや、 んじゃしばらく 
 お邪魔させてもらう。ってか、俺ここにしばらく居て良いの?」 

友女房「ええ、ここは姫の引きこもりの砦ですから。 
 滅多に客人も来ません。少なくとも奥までは。 
 安心してくださって大丈夫ですよ」 

男「ありがとう。ああ、女房さん、だっけ?」 

友女房「友女とお呼びください」 
男「友女さん。女房さんって結構人数居るんでしょ?」 

友女房「この四阿には数人ですね」 
男「じゃ、このお菓子、みんなで分けて食べてよ」 


39 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 10:35:13.99 ID:KmqRKDbT0
――四阿の一室 

友女房「お茶を……あら、書ですか?」 
男「ああ、うん。俺も勉強しようと思って」 

友女房「そちらの書ですか? ずいぶん厚いですね」 
男「面倒なんだわ、それ」 

友女房「どうぞ」 ことり 
男「ありがとう」 

友女房「……」 
男「……」 

カリカリカリ 

友女房「えーっと、その。男様」 
男「ん?」 

友女房「宜しければ、お召し替えをなさいませんか?」 
男「なんで?」 

友女房「実は前回いらっしゃった時も思ったのですが 
 男様は見た目はわたし達とたいして変わりませんから 
 狩衣でも着て頂ければ、もし誰かに見かけられた場合も」 

男「ああ。あんまり不審に思われないで済む、と」 


40 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 10:44:13.17 ID:KmqRKDbT0
友女房「ええ、そうです」 
男「いいですけど。そういう服ってあるんですか?」 

友女房「ございますよ。僭越ながら用意させて頂きました」 
男「申し訳ないです。じゃ、着ちゃった方がいいかな」 

――着替え中 

  友女房「いえ、それは後ろ前が逆です」 
  男「え? え?」 

  友女房「紐を先に締めてから」 
  男「こうです?」 

  友女房「あら。意外に……」 
  男「うわぁぁん。見るなぁ!!」 

友女房「ご立派ですよ? 男様」 
男「生温かい励ましは要りません。 
 でも結構温かいですね。見た目よりは」 

友女房「外歩き用の衣装ですからね」 
男「はぁ」 

友女房「太刀でも佩けばご立派な公達でございますよ」 


41 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 10:52:44.06 ID:KmqRKDbT0
そよそよそそよ 

友女房「良い風でございますねぇ」 
男「静かだなぁ。こんなに静かなの?」 

友女房「もう夕暮れでございますから」 
男「?」 

友女房「内裏に出仕……勤めにいらっしゃる方は、 
 夜明け前にはいらっしゃいます。 
 昼には勤務を終えて帰られるのが普通ですよ」 

男「そうなの?」 

友女房「ええ、灯りがありませんから。 
 祖父君も驚いていらっしゃいましたが」 

男「そっか」 

そよそよそそよ 

友女房「ささでもお持ちしましょうか?」 
男「ささ?」 

友女房「お酒ですよ」 
男「え。あ。いや……。きゅるる」 

友女房「むしろお食事ですね」くすっ 
男「面目ない」 


42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 11:01:26.00 ID:KmqRKDbT0
――四阿の一室 

友女房「たいしたお持てなしも出来ませんが」 
男「いえいえ。温かい匂いします。ご馳走の雰囲気!」 

ことん、かちん 

友女房「こちらは瓜の漬け、ササゲ豆の煮物、 
 赤魚の醤付けの干物です。あとは豆飯と 
 酒(ささ)を――」 

男「あ、どうも」 

とぷとぷとぷ 

友女房「どうぞ」 
男「頂きます」 

友女房「……」にこっ 
男「友さんは飲みませんか?」 

友女房「わたしは女房ですからね」 
男「……んー。頂きます」 

友女房「召上がれ」 
男「あ。美味いです! 魚すげー美味いっ!」 

友女房「それは良かった」 
男「いや、ほんと……ん。美味いです」 

43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 11:04:26.91 ID:KmqRKDbT0
友女房「……男様は、姫様を普通に扱ってくださいますね」 
男「へ? 普通って?」 

友女房「いえ」 
男「んー。俺は爺ちゃんと違って学が足りてないんで、 
 まだ色々と判って無いんですよね。多分」 

友女房「ええ、まぁ……」 
男「?」 

友女房「我が姫にこんなことを言うのも何ですが、 
 姫は皆からは…… 
 妖憑きのキチガイ姫だと云われておりまして」 

男「なんでまた?」 

友女房「まぁ、もう14ですし?」 
男「――?」 

友女房「14ですし」 
男「よく判らないです」 

友女房「14でまだ嫁いでも居ないわけでして。 
 もう時間の問題で15です。完全な嫁き遅れです。 
 それなのに宴にも出ず引きこもりで、お恥ずかしい」 

男「!?」 


44 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 11:11:37.99 ID:KmqRKDbT0
友女房「なんですか、うちの姫は」 
男(目が座ってる……) 

友女房「幼い頃はそれはそれは清らかな心優しく 
 学問に優れた、それはそれは聡明な姫だったのですが」 

男(いまでも勉強好きなのじゃないか?) 

友女房「そのうち勉学にどっぷりつかってしまい 
 時間さえあれば、やれ漢詩がどうのこうの、 
 天文が巡ってどうのこうのと」 

男(あー) 

友女房「私どもがお世話をしない限り 
 碌に髪もとかさぬような出不精のダメ人間に」 

男(あー) 

友女房「届かれる恋文にも、漢詩で返事を…… 
 しかも痛烈なのを送りつける始末。 
 和歌ならばともかく、あんなに堅い漢詩で 
 議論をふっかけられてしまっては返答できるのは、 
 いまは亡き道真様くらいにちがいなく」 

男(あー) 

45 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 11:17:32.05 ID:KmqRKDbT0
友女房「わたし達も頑張ったんですけれどね。 
 すごく頑張って色々可愛い襲(衣服)を集めたり 
 年頃の女性の好む絵巻物をみせたり。 
 そんなものにはまったく興味もなく、 
 それでも身分だけは高いものですから 
 内侍司(ないしのつかさ)入りが決まって 
 これでなんとか普通になるかと思えば……」 

男「?」 

友女房「こんな秘密の離れを造って引きこもり三昧」がくり 

男「はぁ……。もぐもぐ」 

友女房「いえ、姫は悪い訳じゃないんですよ。 
 悪い姫じゃないんです。 
 ……下々に至るまで優しいですし」 

男「はぁ」 

友女房「それにしたって、学問に操を捧げるとは 
 あんまりにもお労しいと……」 

男「だってまだ14でしょ?」 
友女房「もうすでに残念なことに14なんです」 

男「はぁ」 


47 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 11:21:11.53 ID:KmqRKDbT0
友女房「ですから、せめて男様には姫のお心を 
 こう、軽やかに、出来れば浮き立った感じに 
 して頂きたいとか思うんですが」 
男「それは本人のつもりがないとあんまり意味がないかと」 

友女房「ダメですか」 
男「ダメでしょ……もぐもぐ」 

友女房「……」 がくり 
男(つか、嫁き遅れなのか……) 

友女房「なぁ、運も色々なかったんですが」 
男「そうなんです?」 

友女房「右大臣家のご息女ともなりますと。 
 お相手にも不足いたしますし……。 
 当代の東宮はまだ八つにしかなりませんしね。 
 本来であれば尚侍として後宮に権勢を振るうことも 
 いえ、我が姫には、似合いもしませんが……」 

男「よく判らないけど。身分の高い姫が学問没頭で 
 婿捜しも放り出して恋愛音痴で婚期を逃したと。 
 そんな感じ?」 

友女房「そうです」 こくり 
男(つまり婚活放置で賞味期限間近の腐女子?) 

友女房「どこでこうなっちゃったんでしょうか」 
男「それは俺に聞かれてもなぁ」 


49 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 11:25:27.28 ID:KmqRKDbT0
さらさらさらさら 

男「ごちそうさまでした」 

友女房「お粗末様でした。ささは?」 
男「いえ、もう結構です」 

友女房「はい。では灯明はこちらに」 
男「はい。もう少しレポートを薦めます」 

友女房「レポート……勉学ですね?」 
男「ええ、なぁ。こっちでやると捗るんで」 

友女房「さようですか。姫からくれぐれも粗相の 
 無いようにと申し使っております。ご存分に」 

男「ありがとうございます」 

友女房「では……」 
男「ふぅ」 

男(まぁ、こっちの方が時間の流れが遅いみたいだし。 
 こっちで三日くらい勉強して帰っても 
 向こうでは数時間だしな。レポートあげるには都合がいいや) 


53 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 11:50:10.64 ID:KmqRKDbT0
――四阿。夜 

こつん。かたん。 

男「……?」 

こつん。……きぃ。……きぃ。 

男(だれだ? 泥棒?) 

黒髪娘「……」こそっ 
男「黒髪じゃん」 

黒髪娘 びくっ。くるっ 
男「あ。俺。お邪魔してる」 

黒髪娘「男か。まだ起きていたか」 
男「来てるの、知ってた?」 

黒髪娘「ああ。女房が知らせてくれた」 
男「どうしたんだ? こんな時間に」 

黒髪娘「父様の説教がうるさくて、逃げてきた」 
男「そうか」 




55 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 11:56:56.00 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「ん。ん」 
男「どした?」 

黒髪娘「火鉢を、かき混ぜて欲しい」 
男「判ったよ。寒いのか?」 
黒髪娘「こっそり牛車で帰ってきたのだ」 
男「そうか」 

がさごそ。……がさがさ。……ぽぅ。 

黒髪娘「かたじけない」 
男「いやいや。飯食わせてもらったぞ?」 

黒髪娘「ああ。出来ればわたしが一緒にいて 
 世話を出来れば良かったのだが」 

男「黒髪はずいぶん身分が高いらしいじゃないか」 

黒髪娘「聞いたのか。友女だな。 
 ……でも、身分なんて当てになるものではない。 
 わたしの物ではなくて、家のものだ」 

男「そんなものか?」 

黒髪娘 ふいっ 
男(機嫌悪くしちゃったかな) 


56 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 12:00:26.22 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「男殿は、なぜ学生に?」 

男「んーっと。それは進学ってことか? 
 やっぱし、就職。いや、何となくもあったかなぁ」 

黒髪娘「そうか……」 
男「寒いのか?」 

黒髪娘「いや……。うむ。少し寒いな」 
男「えっと、ごめん。ここ姫の部屋なんだよな?」 

黒髪娘「部屋というかなんというか。 
 この時間では女房も起きていないだろう。 
 すまないが、その記帳を動かすのを手伝ってもらえぬか?」 
男「ああ。これか? 間仕切りか」 

ずり、ずりっ 

黒髪娘「ん。これで多少は良いだろう」 
男「えっと」 

黒髪娘「そういえば」 くるっ 
男「なに?」 

黒髪娘「狩衣は似合っているな。始め誰だか判らなかった」 
男「そうか。ははっ」 


57 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 12:03:44.69 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「ほら」 
男「?」 

黒髪娘「襲だ。それだけでは寒かろう?」 
男「女物じゃん」 

黒髪娘「蒲団のようにも使うのだ」 
男「そうなのか?」 

黒髪娘「わたしを信じろ。ほら、そこに座って」 
男「ん」 

すとん、ふわり 

黒髪娘「こうすれば温かいだろう?」 
男「あ。あ」 

黒髪娘「?」 
男「あったかいけど、近くない?」 

黒髪娘「夜中に話すのだから、仕方ない」 
男「そか」 


58 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 12:06:49.64 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「何をしていたのだ?」 
男「レポート……あー。つまり、その。書き物だ」 

黒髪娘「手紙か?」 
男「いや、手紙ではなく、報告書みたいなものだな」 

黒髪娘「そか。……うん、読んでも判らぬ」 
男「あー。英文だから。つまり、唐じゃないところの詩だ」 
黒髪娘「そうか。……これは?」 

男「あ。お土産だ」 
黒髪娘「漢詩ではないか!」 

男「そうだよ。ほら、前回紙をもらってっただろ? 
 あれにな。図書館で漢詩を書き写してきたぞ。 
 マイナ処そろえたけど、どうよ?」 

黒髪娘「……ふむ。……半分ぐらいは見覚えがあるな」 
男「うわ。だめか」 

黒髪娘「いや、とんでもない。 
 これだけ新しい漢詩をもらえるなんて、感激だ」 

男「よかったよ」 にこっ 


59 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 12:19:59.58 ID:KmqRKDbT0
――夜。ふたりの襲の中 

黒髪娘「温かいな。これはなかなか新規な経験だ」 
男「あー。おう。その、さ」 

黒髪娘「?」 
男「菓子食うか?」 

黒髪娘「いただこう」 
男「……」 

黒髪娘「……ふむ」 
男(漢詩に夢中なのな) 

黒髪娘「ん?」 くるっ 
男「っ! なんだよ」 

黒髪娘「いや、不思議そうにうなっていたから」 
男「別になんでもない。ほら、食え」 

黒髪娘「んっ。美味しいぞ」 
男「そっか。ふぅ」 



60 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 12:27:41.59 ID:KmqRKDbT0
――。――ほぅ。 

男「あれは?」 
黒髪娘「?」 

――ほぅ。――ほぅ。 

黒髪娘「夜啼き鳥だろう」 
男「そうか」 

黒髪娘「まさか怖いのか? 怨霊は最近出るとは聞かないぞ」 
男「いや、怖い訳じゃない。ちょっと緊張してるだけ」 

黒髪娘「ふふふっ」 かさり 
男「漢詩は良いのか?」 

黒髪娘「あれは逃げない。少し男殿と話そう」 
男「そうか。……何を話すんだ?」 

黒髪娘「何でも良いぞ」 
男「んー。そうだなぁ。こないだの音楽の話を聞かせてくれよ」 


61 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 12:31:22.75 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「あれに興味があるのか。あれは笙の笛だったかな」 
男「笛か」 

黒髪娘「この間は内裏で出世するのに学識が必要だと云ったが 
 やはり学識だけというわけには行かない」 
男「ふむふむ」 

黒髪娘「おおざっぱに言って、まず身分。次に学識。 
 さらには技芸……音楽などの雅ごとだな。 
 そして人柄が必要となる」 

男「その辺は、何となく判ってた」 

黒髪娘「正直に告白すると、わたしは技芸がさっぱりでな」 
男「そうなのか?」 

黒髪娘「声が細くて高すぎる」 
男「綺麗な声だと思うけどな。透明感があって可愛いじゃないか」 

黒髪娘「ふふふっ。有り難いが、世辞には及ばないのだ」 
男(世辞でもないんだけどな) 

黒髪娘「黒髪は、なんで引きこもりなんだ?」 
男「……」 


62 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 12:35:20.62 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「――」 
男「黒髪?」 

黒髪娘「何でだろうな。 
 改めて考えると引きこもりたいわけではなくて」 
男「うん」 

黒髪娘「帰るところが、なくなってしまったのだ」 
男「よく判らないな」 

黒髪娘「……説明しても、これは難しいやも知れぬ」 
男「そうなのか?」 

黒髪娘「わたしは……何と言えばいいのかな。 
 憧れてしまったんだ。憧れて、頑張ってしまった。 
 それは言葉にすれば、博士とか云うものかも知れない。 
 あんまりにも薄っぺらに聞こえるのだけれど」 

男「博士……って。博士のことか?」 

黒髪娘「ああ。文章博士でも明法博士でも良いんだけれど。 
 いや、陰陽博士でも……つまり、博士そのものではなく 
 学んで、その至る所に憧れたのだと思う」 
男「うん」 

黒髪娘「でも、それにはなれない」 
男「なんで?」 

63 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 12:38:11.40 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「女はなれぬのだ」 
男「――あ」 

黒髪娘「でも、わたしはもうそちらに 
 歩き始めてしまったから、今さら別の夢は見れない。 
 どうも、わたしは少しとろかったんだな。 
 もっと早く気が付いておくべきだったのに、気が付き損ねた。 
 あるいはもう少し賢ければ、器用に方向転換できたかも知れない」 

男「……」 

黒髪娘「それに、祖父君に出会ってしまった。 
 未来からやってきて、わたしに学問を授けてくださる 
 祖父君をわたしは長い間、観音菩薩かと思っていた」 くすくすっ 

男「そんなに良い爺ちゃんじゃねぇよ」 

黒髪娘「尊敬申し上げている」にこっ 
男「いいけどさっ」 

黒髪娘「そんなわけで、女にしては知恵をつけすぎたけれど 
 男になることも出来ない半端者として引きこもっているのだ。 
 幸い尚侍の処のほうも、私のことを物狂いの姫として 
 遠ざけていてくれる。わたしがいなくても、仕事は回っている」 

男「そっか」 

黒髪娘「大臣家の娘が、 
 名前だけでも入っていれば都合がよいのだ」 
男「うん……」 


66 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/19(火) 12:43:57.16 ID:KmqRKDbT0
黒髪娘「今度は、男のことを聞かせてくれ」 
男「俺か? うーん」 

黒髪娘「ここに居座って平気なのか?」 

男「ああ、時間の流れがずれて居るみたいだし。 
 大学生は暇な時は暇なんだよ。 
 むしろこっちの方が勉強するには良い環境だしな」 

黒髪娘「いくらでも居てくれ。歓迎する」 
男「いいのかな」 

黒髪娘「もちろんだ。男殿と話してると、安らぐ」 
男(うわっ。……津か、あんな事言われたせいで 
 すげー可愛い女の子に見えるぞ。これで嫁ぎ遅れかよ) 

黒髪娘「同じ学究の徒だからかな」 
男「え?」 

黒髪娘「祖父君のお引き合わせかな」 
男「えー」 

黒髪娘「こうしてくっついているのも、何とも心楽しいことだ」 
男「え゛~っ」 


99 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 01:07:48.92 ID:2rbnko+MP
――黒髪の四阿 

黒髪娘「んぅー」 
男「どうした?」 

黒髪娘「いや。ん。ちょっと肩が痛くなった」 
男「根を詰めすぎだろ」 

黒髪娘「そうは云ってもな。 
 ……確かに半日筆写してしまったか」 
男「ああ」 

黒髪娘「男殿は?」 
男「あー。俺の方は一段落。てか、かなり進んだ」 
黒髪娘「それは良きことだな」 

男「三食つきで勉強三昧ならそりゃ捗るよ」 
黒髪娘「そうか……」ぷらぷら 

男「何してるの?」 
黒髪娘「手が疲れているので、振っているのだ」 

男「そか」 


103 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 01:12:55.97 ID:2rbnko+MP
男「……」ぷらぷら 
黒髪娘「?」 

男「いや、俺も振ってみてる」 
黒髪娘「殿方はそのようなことをする物ではない」 

男「そうなのか?」 
黒髪娘「格に関わる。こっちへ来てくれ」 

男「いいけど」 もそもそ 
黒髪娘「指の間がだるいのだろう?」 

男「ずっと書いたりキー打ったりだったしな」 
黒髪娘「こうして、先の方から」 

ぺと、きゅ 

男「うぁ」 

黒髪娘「指圧していくのだ。ぎゅ、ぎゅっとな」 
男「いいよ。悪いよ」 

黒髪娘「気にすることはない」 


104 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 01:17:05.10 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「……ん」 きゅ、きゅ 
男「ほっそい指だなぁ」 

黒髪娘「そうか……嬉しいな。私の数少ない長所だ」 
男「そなのか?」 

黒髪娘「うん。器量が悪いのだ」 
男「へ?」 

黒髪娘「何度も言わせるな。私は、その…… 
 生まれつき器量が悪くてな。それでも、幼子は愛らしい。 
 また賢ければそれだけで清らかなどと云われるだろうが 
 この歳になっては良い訳は何もつかぬ」 

男「美人なのに」 

黒髪娘 ぴきっ 

男「?」 

黒髪娘「そんな事はないっ。それは男殿の世辞だ」 
男「そんな事ないんだけどなぁ」 

黒髪娘「――では、おそらく価値観だろう」 
男「あー。それはあるかもな」 



107 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 01:25:01.39 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「……」 きゅ、きゅ 
男「ちなみにさ、この時代だと美人はどんな感じ?」 

黒髪娘「んー」じろっ 
男「いや、不愉快な話題なら良いんだけどさ」 

黒髪娘「ふぅ……。いや、良い。 
 知識を共有するのは善だ。 
 そうだなぁ。瓜実と云う言葉があるが、 
 顔はふっくら目がよいそうだ」 

男「黒髪だってふっくらじゃないか」 

黒髪娘「足りてないのだ。あとは、黒髪だな」 
男「それは合格か」 

黒髪娘「うむ。これは最大と云って良い自慢だろうな」 
男(それで褒められた時に照れていたのか……) 

黒髪娘「顔の造作については、まぁ好みもあるだろうから 
 細かいことは私はよく判らない。 
 ただ私は化粧なんて殆どしないから」 

男「そだな」 

黒髪娘「あとは、雰囲気と体型だな」 
男「ふむ」 


108 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 01:31:54.81 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「まず、雰囲気だがこれはもはや決定的で 
 かそけき風情が無いとダメだ」 
男「かそけきってなんだ?」 

黒髪娘「え? 判らないのか。うーむ。 
 儚げというか、日を当てたら消えてしまいそうな 
 弱々しい感じだとか、たおやかで女性らしい様子だ」 

男「あー」 
 (つまり線の細い病弱美少女で従順系ね……。 
 そんで13で結婚ってどんだけロリコン天国だよっ!?) 

黒髪娘「わたしは、ほら」 
男「?」 
黒髪娘「言葉遣いがきっぱりしてしまっているし、 
 変に漢詩や明法を学んでしまっているし。 
 そういうたおやかは雰囲気が全くないんだ」 

男(そういや、凛々しい美少女系だもんな……。 
 時代のニーズにはまったく合ってないか) 

黒髪娘「和歌や大和歌を女性が学ぶのは良い。 
 むしろ推奨されるけれど、漢詩はなかなか珍しいしな」 
男「そっか」 

黒髪娘「それに」 きゅ、きゅ 
男「どした?」 
黒髪娘「あ、いや。……うん」 かぁっ 
男「?」 


113 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 01:48:34.74 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「ほら。さっきの話の続きの、体型だ」 
男「あ、ああ」 

黒髪娘「もう判っていると思うが、 
 雰囲気の麗質がそうだから、美人の条件って云うのは 
 儚げな雰囲気なんだ。具体的に云うと、 
 首筋がほっそりしていて全体的に細くて 
 む、むねとか……。無ければ無いほどよくて……」 

男(無 最強世界っ!?) 

黒髪娘「わたしは、その。けっこう、太ってる」 

男(ふとってないふとってない! 俺基準で十分小柄っ!) 

黒髪娘「あちこち出っ張ってて不格好だ」 

男(その出っ張りを捨てるなんて、とんでもないっ!) 

黒髪娘「こほんっ」 きゅ、きゅっ 
男「おう」 

黒髪娘「そう言うことなのだっ」 
男「そ、そっか」 

黒髪娘「まぁ……。本質はそこじゃないのだが」 
男「?」 


116 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 01:53:30.12 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「この時代では、男女は顔を合わせないで 
 恋をするのが普通なのだ。祖父君が教えてくれたが 
 そちらの時代では違うのだろう?」 
男「ああ、そうだな」 

黒髪娘「この時代では、女性は几帳や御簾ごしに 
 声を掛けるのが常識だ。初めは直接声を掛けもせずに 
 目の前に相手が居ても女房に伝言を頼むほどだ。 
 まぁ、これは先ほど云ったかそけき風情とかに 
 関係あるのだがな」 
男「ふぅん」 

黒髪娘「だから男女間において、容姿はさほど重要ではない。 
 まぁ、少なくとも貴族の間ではそう聞いている。 
 私はなにぶん経験に乏しいのだが……。 
 むしろ第一印象は、文のやりとりだ」 

男「文か~」 

黒髪娘「うむ。和歌でも短信でも何でも良いのだが」 
男「ふむふむ」 

黒髪娘「この時代の恋は、その殆どの部分が 
 文のやりとりだ。 
 上手に文で恋の気持ちを盛り上げて、盛り上げて、 
 盛り上げて後は怒濤のようにそのぅ……」 ごにょごにょ 

男「?」 



118 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 02:02:08.66 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「とにかくっ。 
 最期は一気に燃え上がるのが 
 基本であり完成度の高い恋の形であると云うことになっている。 
 会えなければ会えないほど 
 あなたの顔が浮かんで恋い焦がれる……とか。 
 そういう世界の話……らしい。 
 わたしなど、会ったこともない相手の顔が浮かんでくるなど 
 酒にでも酔って居るのではないかと思うのだけれど」 

男「あはははっ」 

黒髪娘「笑わないでくれ。 
 まぁ、そんな事情だから、本当はそこまで姿形や容姿が 
 重要なわけではないのだ」 

男「そうだよなぁ。容姿にびっくりした時って、 
 要するに手遅れなんだろ? あははっ」 

黒髪娘「うむ」 きゅ、きゅっ 

男「そんで?」 

黒髪娘「だから、要は文のやりとりの中で、 
 相手が望むような線が細くて弱々しい、 
 でも一身に相手に恋い焦がれるような女性を演じられれば 
 それは“美人”といっても良いかと思う」 

男「ああー。うん。納得したぜ」 
 (つか、それってネット美人とかネカマの論理じゃね?) 



120 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 02:10:42.99 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「でも、ほら。私は性格も不器用だから」 
男「……」 

黒髪娘「相手を騙すような歌は、読めない」 
男「歌は得意だろう? 
 あれだって学問の大きな分野だって聞いたぜ?」 

黒髪娘「嘘をつくのは苦手だ。 
 嘘をつけるくらいなら、きっと引きこもりなんてやってない」 
男「――そっか」 

黒髪娘「でも、この世界では、恋は嘘を基本にしてる。 
 最初から相手はこうだと決めてかからないとだめなんだ」 

きゅ、きゅっ 

男「……」 

黒髪娘「反対」 
男「?」 

黒髪娘「反対の手もしよう」 
男「え? あ。すごい! 手が軽くなった!」ぶんぶんっ 

黒髪娘「そうであろう?」 にこっ 


121 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 02:17:21.25 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「……」 きゅぅ、きゅぅっ 

男(こんな風にしてるところなんて、 
 すごく可愛い和風美少女なのになぁ……) 

黒髪娘「そちらはどうなのだ?」 
男「?」 

黒髪娘「祖父君に少しは尋ねたのだが。 
 祖父君は、ほら。お年を召していられたから……」 
男「あー」 
黒髪娘「そちらの恋はどのようなのだ?」 

男「こっちかー。んー。 
 まず、男女が顔をあわせないと言うことはないな」 
黒髪娘「うむ」 

男「爺ちゃんから聞いたかと思うけど 
 義務教育って云って、こっちの世界の日本。 
 つまり大和では、平民まで含めて全員学校に行くんだ。 
 えーっと、6、3で9年。殆ど全員が高校まで含めて12年」 

黒髪娘「うん、聞いている」 

男「男のみ、女性のみの学舎もあるけれど 
 殆どは驚愕と云って、男女が一緒に学ぶ。 
 一つの学舎に同じ年齢の子供が百人以上居ることが多い。 
 学舎全体では数百人ということもあるな」 

黒髪娘「ふむ」 

122 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 02:20:22.85 ID:2rbnko+MP
男「で、それだけ学ぶ期間が長いから 
 学舎では友人も作るし、年頃になると異性に興味も出るよな。 
 まぁ、なんだ。 
 改めて説明すると照れくさいな。 
 なんの罰ゲームだよこれっ」 

黒髪娘「ん? 興味深い話だぞ?」 

男「で、そういう状況で、大抵は気になる異性が出来てー」 
黒髪娘「ふむ」 

男「紆余曲折があるな」 
黒髪娘「その紆余曲折が重要ではないかっ」 

男「ぐっ」 
黒髪娘「話して欲しい」 
男(なんでおれは中学生の女子に圧倒されてるんだっ) 

黒髪娘「ほら、丁寧に指圧するから」 きゅぅっ 
男「……うう」 

黒髪娘「ほら」 
男「わぁったよ」 


125 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 02:23:03.89 ID:2rbnko+MP
男「まぁ、その辺は年齢に寄るんだよ。 
 幼い時――おおむね10歳前後とかは、一緒に遊ぶだけだ」 
黒髪娘「ふむぅ。筒井筒か?」 

男「なにそれ」 
黒髪娘「幼なじみ」 きゅっきゅっ 
男「ああ、それだ」 

黒髪娘「それで?」 
男「そっちと違ってこっちには顔を隠す習慣はないからな。 
 その後もずっと一緒に学び続ける。 
 あー。最初に云っておくと、こっちの世界では 
 寿命伸びてるからな? 平均寿命も70超えてるし。 
 結婚は25~30位が多い。だから、恋愛のペースもずれてるぜ?」 

黒髪娘「ふむ。――承知した」 

男「15歳くらいになると、やっぱり異性に興味が出てくるな。 
 で、みんなに隠れてこっそり二人で遊びに 
 行ったりすることも覚える。 
 これをデートという」 
黒髪娘「それは自宅ではダメなのか?」 

男「自宅でも良いけどな。まぁ、人目に触れないというか 
 ドキドキがほしいんだろ。たぶんな」 

黒髪娘「ふむぅ」きゅむ、きゅむ 


126 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 02:26:27.78 ID:2rbnko+MP
男「でも、この年齢ではあんまり 
 身体を――あれだ。その“最期”ってのは推奨されないな」 
黒髪娘「そ、そうなのか?」 

男「こっちでは成人ってのが20歳なんだ。 
 結婚も出来ないのにいたずらに 
 相手とそう言うことするのは、不道徳って云う考えがある。 
 まぁ、実際には17,8になれば経験してるやつも多いんだけどな」 

黒髪娘「そのぅ、男殿は」 
男「黙秘する」 きっぱり 
黒髪娘「むぅー」 

男「20前後になると、お金を稼ぐ方法も増える。 
 さらに上の学舎、大学に行くやつや、職に就くやつも出る。 
 そうなると二人のデートも本格的になるな。 
 遠出したり、食事をしたり、プレゼントをしたり」 

黒髪娘「そうか。平民でも貴族のような 
 贈り物をするようになるのだな」 

男「そうだなぁ。つまりあれだ。 
 みんなが貴族と平民の中間みたいな世界なんだよ」 
黒髪娘「ふむふむ」 

男「で、その間に出会いと別れがあって。 
 一人の相手のみで思いを遂げる一対もあれば 
 相手を変えて恋を楽しむような人もいるわけだ」 

黒髪娘「それはこちらも大差ないな」 きゅむ、きゅむ 

127 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 02:30:03.77 ID:2rbnko+MP
男「20を越えたあたりで、世間的には成人。 
 でも、一人前と認められるのは、 
 特に男は25を超えてからかな。 
 そうなると思いをさだめた相手に結婚の申し込みをする」 
黒髪娘「ふむ」 

男「男からが多いけれど、 
 女性からってのも最近はあるようだな。 
 ……退屈じゃないか?」 

黒髪娘「そんな事はない」 

男「そか。でも、もう話も終わりだ。 
 結婚しても良いな、となったら二人で両家の両親に報告して」 

黒髪娘「え? そこで報告するのかっ!?」 

男「ん? そうだよ。 
 もちろん許婚とか、両親主導のお見合いなんて 
 云うのも残っちゃ居る習慣だけれど、少数だ。 
 結婚は当事者二人の問題だからな。 
 まぁ、場合によっては反対されたりもするけれど。 
 最終的には当事者二人の決意が固ければ結婚を阻む物は、 
 そうはないよ」 

黒髪娘「そ……そうなのか……」 

男「で、結婚する。めでたしめでたし」 



129 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 02:33:23.65 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「想像もつかない世界だ」 
男「そりゃ、まぁ。俺だってこっちの世界のことは 
 見てるけれど判らないことばかりだ」 

黒髪娘「……うむ」 きゅ…… 
男「どした?」 

黒髪娘「あ。いや。すまん。さぼってしまった」きゅむっ 
男「いや、それは良いんだけど」 

黒髪娘「はははっ。 
 いや、ちょっと空想してしまっただけだ。 
 酒を頂いたわけでもないのにな」 

男「……」 
黒髪娘「……」 

きゅむっ、きゅむっ 

黒髪娘「男殿の手は、大きいな」 
男「そっか?」 

黒髪娘「うむ。大きい」 
男「そうか」 


138 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 03:45:09.41 ID:2rbnko+MP
――黒髪の四阿 

黒髪娘「~♪」 
友女房「ごきげんですね、姫?」 にこにこ 

黒髪娘「ああ。友か。見てくれ、立派だろう?」 
友女房「あらあら。これはこれは」 

黒髪娘「上の兄様からだ。見事な鯛だ」 
友女房「ですねぇ、美味しそうです」 

黒髪娘「塩をして干そう」 
友女房「お食べにならないので?」 

黒髪娘「沢山届いたのだ。 
 食べるのはもうちょっと小さいやつでも良いだろう? 
 これはひときわ立派だから、男殿にとっておきたい」 

友女房「あらあら。そうですねぇ」 

黒髪娘「女房達の分もあるから、みんなで食べると良い」 
友女房「それはありがとうございます」 

139 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 03:48:29.80 ID:2rbnko+MP
かたかた、ぱさり 

黒髪娘「うん。その荷物も運んでいってくれ」 
友女房「対の部屋も整いましたねぇ」 

黒髪娘「男殿もいつまでも自室がないのは居心地も悪かろう」 
友女房「そうですね。まぁ、この程度の調度ならば 
 豪華すぎることもなく、不審なこともなく」 

黒髪娘「そうかな。不調法ではないかな?」 
友女房「雑色(※)だとすれば過ぎた部屋です」 

黒髪娘「男殿は客人だ」 
友女房「客人だとばれるとやっかいですよ?」 

黒髪娘「それはそうだが……」 
友女房「男様は異界のお客人です。 
この世界での豪華さなどを気にされないですよ」 

黒髪娘「それもそうだな」 
友女房「とは言え、右大臣家の格という物がありますからね。 
 ええ、この友女房が一肌脱ぐといたしましょう」 

※雑色:男の使用人 



141 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 04:09:55.08 ID:2rbnko+MP
――男の実家 

男「おろ。姉ちゃんいたの」 
姉「うん、休み~」 ぽりぽり 

男「すげぇ格好な」 
姉「うっさい」 

男「水、飲む?」 
姉「あー。ミネラルで。氷一個」 

男「寒いのに」 
姉「頭はっきりさせたい~」 

からん 

男「はいよ」 
姉「さんくー。この恩は返さないけど」 
男「いーよいーよ」 


143 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 04:12:18.92 ID:2rbnko+MP
姉「んっく、んっく。……どうしたー?」 
男「あー。いやねー。中学生くらいの娘の家庭教師を」 
姉「バイト?」 
男「似たようなもん」 

姉「あんた教育課程いくの?」 
男「いや、わかんないけど」 
姉「まぁそういうの良いかもね。あんたヘタレだけど。 
 一応お爺ちゃんに似て責任感強そうだし?」 

男「あんまり適正ある気がしないんだけどね」 
姉「そこは、ほら。庶民パワーで」 

男「そうな。……でも、中学生くらいの女の子の 
 考えは判らないわ、本当」 

姉「会ったり前じゃない。素人●●なんだから」 
男「玄人では経験済みみたいな表現やめろよっ。 
 誤解を招くよっ! あちこちにっ」 

姉「仕方ないじゃない。両面●●なんだから。 
 む、両穴●●って新しくない?」 
男「くわぁ~っ」 


144 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 04:15:13.36 ID:2rbnko+MP
姉「まぁ子供扱いしない事ね」 
男「そうなの?」 

姉「女の子は成長早いのよ。 
 中学生になったら女としてはもういっちょ前。 
 昔なら子供産んでた年齢よ? 
 子供扱いなんてとんでもない。 
 ●●ごとき、のど笛食い破られるわよ」 

男「こわっ!? 肉食系にもほどがあるよっ。 
 んじゃ、大人扱いなのか」 

姉「ばっかねー。大人扱いなんてしたら 
 碌なことになるわけ無いでしょ。 
 相手は中坊なんだから」 

男「どうしろってのさ」 

姉「ちゃんと目線会わせて相手の話聞けば? 
 生徒じゃないんでしょ。 
 その顔じゃ」 

男「う……」 

姉「捨てるなら体温覚えさせる前にしなさいよ。 
 それ、最低限の男の義務だからね」 


146 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 04:20:35.80 ID:2rbnko+MP
――黒髪の四阿、炬燵部屋 

男「これ、たまらんなぁ」 
黒髪娘「悔しいがこの知恵、認めざるをえない」 
友女房「さようですねぇ」 

男「火事だけは気をつけないと」 
黒髪娘「もっともだ」 
友女房「祖父君に話を聞いて、 
 いつか作ろうと計画を練っていた甲斐がありました」 

男「でも良く掘りコタツなんて出来たな」 
黒髪娘「うむ、驚きだ」 

友女房「火鉢がありますからね。 
 床下に設置して、換気と手入れさえすれば、 
 後は描いてもらったとおりです。 
 そもそも火闥(こたつ)といって、 
 似たものはありましたからね」 

男「そうなのかぁ」 
黒髪娘「しかし、このふすまを櫓に掛けるという発想」 
友女房「ええ、ええ……」 

男「和むわぁ」 


147 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 04:22:55.32 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「天板も便利だな。寒いのに書を読んでかじかまないぞ」 
友女房「そうですねぇ。お茶もおけますし」 

 ことり 

男「あ。どーも」 
友女房「馴染んでますね」 

男「うち、炬燵ないんだよね。爺ちゃんちにはあったけど。 
 そのせいか、めちゃくちゃおちつきます。はい」 

友女房「お気に入りいただけましたか?」 

男「もちろん。こんな部屋もらっちゃって良いんですか?」 
友女房「ええ。この友女房が監督させて頂きました」 

男「むちゃくちゃ感謝します。正座とかも苦手だしね。 
 掘りごたつ最高だな。膝が楽だ」 

黒髪娘「友、甘い物が食べたい」 
友女房「そですね」 

男「ああ。俺お土産もってきてる」 

148 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 04:31:01.81 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「これは……?」 
友女房「なんでしょう。面妖な」 

男「あー。これ、カステラってんだ」 
黒髪娘「これは……大きい」 

男「一人で全部食うつもりかよっ!?」 
黒髪娘「む。すまぬ。違ったのか」 

友女房「これは切り分けて食べる菓子なのですね」 

男「そうそう。なんか刃物ある?」 
友女房「お任せあれ」 

とててて 

黒髪娘「……」そわそわ 
男「そんなに食べたいのか?」 

黒髪娘「そんな事はないっ」 
男「美味しいよ。これ」 

友女房「お皿ももって参りました」 

151 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 04:59:44.79 ID:2rbnko+MP
――黒髪の四阿、炬燵部屋 

黒髪娘「甘い。なんと美味しいのだ」じぃん 
友女房「これは誠に甘露ですねぇ」じぃん 

男「涙ぐむほどかな?」 

黒髪娘「何を言う、この黄色と茶色の美しいこと」 
友女房「ええ、ええっ!」 じぃっ 

男「だめ。全部食べちゃダメ」 
黒髪娘「お土産ではなかったのか!?」 
友女房 こくこく 

男「他にも何人か居るでしょうに」 
黒髪娘「う゛」 
友女房「しかし」 

男「しかしもなにも。みんなにお裾分け。 
 お裾分けしたらまた美味しいのもってくるけれど 
 お裾分けしないと二度ともってきません」 

友女房「そんな」しょぼん 

黒髪娘「そういえばそうだ。甘露の美味に我を忘れては 
 上に立つ物としての示しもつかぬ」 


152 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 05:05:49.00 ID:2rbnko+MP
男「よしよし。黒髪はよい子」 くしゃ 
黒髪娘「っ」 

友女房(あら) 

男「また持ってきてやるぞ」 

黒髪娘「別に、土産目当てでもてなしているわけではない。 
 男殿はいつでも我が庵の客人として歓迎する」 

男「それはありがたいなぁ。別荘気分」 

黒髪娘「うむ。別荘気分でくつろいでくれればそれでよい」 
友女房「姫も楽しいですしね」 

男「そなの?」 
黒髪娘「うむ。男殿と過ごす時間は心楽しい。 
 知識にすれ違いはあれ、お互い知らぬ分野の 
 それがある上に、男殿はわたしを一人前の 
 人間としてみてくれるからな」 

男「……」 

黒髪娘「話して論を戦わせられるというのは 
 この上なく愉快なことだ。……蝶よ花よと 
 扱われるのは、やはり寂しい」 


153 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 05:08:31.34 ID:2rbnko+MP
男「そういう物か?」 
黒髪娘「うむ」 

男「じゃぁ、今日はなんの話をする?」 
黒髪娘「男はれぽをとは終わったのか?」 
男「終わったよ」 

黒髪娘「では、付き合え」 
男「なんの話がよい?」 

黒髪娘「んーぅ。どうするか」 
男「うーん」 

黒髪娘「?」 

男「いや、話。しなきゃダメか?」 
黒髪娘「どういうことだ?」 

男「結構勉強、根詰めてただろう?」 
黒髪娘「うむ」 

154 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 05:13:09.18 ID:2rbnko+MP
男「じゃぁ、しばらく茶を飲んで」 
黒髪娘「うむ」 

男「で、ゆっくりしろ」 
黒髪娘「ゆっくりか……」 

男「……」ずずずっ 
黒髪娘「温かいな」 

男「だなぁ」 

友女房「わたしは、このカステラを女房や雑色に 
 分けて参りますね。珍しい菓子だと云っておきましょう」 

黒髪娘「すまぬな」 
男「行ってらっしゃい」 

ぽやぁ 

黒髪娘「……ほぅ」 
男「……」 

黒髪娘「どうした?」 
男「髪、見てた」 

155 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 05:23:50.66 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「そ、そうか……。どうして?」 
男「こんなに綺麗な髪は、こっちではまず見ないから」 

黒髪娘「そうか……。この髪だけは藤壺の上にも 
 褒められたことがあるのだ」 

男「そっか」 

黒髪娘「……その」 
男「?」 

黒髪娘「触って、見るか?」 
男「良いのか?」 

黒髪娘「うむ」 
男「じゃ、ちょこっとだけ」 ひょいっ 

黒髪娘「っ!」ひくんっ 
男「びびってるじゃないか」 

黒髪娘「そんな事はない」 
男「そっか」 


156 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 05:30:29.74 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「ど、どうだ? 綺麗か?」 
男「うん。すごい、すべすべ」 

黒髪娘「女房が毎朝とかしてくれるのだ。 
 多い時は日に何度も……」 

男「そうか」 

黒髪娘「引きこもりゆえな。湯浴みや髪梳きの時間はある」 
男「世話してもらっている間にも、本読んでるんだろう」 

黒髪娘「そう言うことも、まぁ、ある」 
男「やっぱし」 

黒髪娘「……男殿は短いな」 
男「この時代は男も長いのか?」 

黒髪娘「いろいろだ」 
男「そっか」 

黒髪娘「……」ふわり 
男「なんか、優しい顔してるな」 

157 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 05:32:56.55 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「そうかな?」 きょとん 
男「うん、良い顔だったよ」 

黒髪娘「……くっ」かぁ 
男「どしたんだよ」 
黒髪娘「眉も描いてないのにっ」 
男「は?」 

黒髪娘「いや、なんでもない。油断しすぎだ。わたし」 
男「よく判らん」 

黒髪娘「炬燵でのぼせただけだ」 
すっ 
黒髪娘「ひゃわっ!」 

男「おい、危ないな。髪の毛長いんだから」 
黒髪娘「ううう」 

男「もう少し、落ち着きなさいって」 
黒髪娘「ううっ。不覚だ」 

160 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 05:58:58.34 ID:2rbnko+MP
――黒髪の四阿 

友女房「あらあら、どうなさいました? 
 燭灯も着けずに、こんな場所で」 

黒髪娘「うん……」 
友女房「男様は?」 

黒髪娘「今日は、帰った。 
 バイトとか言うのがあるらしい」 

友女房「そうですか。お茶を一旦下げますよ?」 
黒髪娘「……」 

かちゃかちゃ…… 

黒髪娘「……」 
友女房「どうされました?」 

黒髪娘「ん?」 
友女房「どうか、なされました?」 



163 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 06:01:17.60 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「男殿に」 
友女房「男様に?」 

黒髪娘「髪を触られた」 

友女房「なっ!? なんてことを!! 
 これは気が付かずに申し訳ありませんっ。 
 すぐお櫛をけずりましょうね。 
 この友が清らかになるまでお梳かしします。 
 それにしても男様も、男様ですっ。 
 いくら異界の方とは言え、姫の髪に手を触れるなどっ。 
 冗談で済ませられることではございませんよっ。 
 常識という物を弁えて頂かないとっ」 

黒髪娘「いや、違うっ」 
友女房「ど、どうしたんですか? 姫」 

黒髪娘「その……」 
友女房「??」 

黒髪娘「触るのを、許したのは、わたしだ」 
友女房「ひ、め……?」 

黒髪娘「私が、触って良いと云ったんだ」 
友女房「ひょぇぇ」 

164 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 06:03:43.04 ID:2rbnko+MP
友女房「大丈夫ですか、お熱ですか? 
 さっきのカステラに酒でも入ってたのでしょうか」 

黒髪娘「いや、違うと思う……」 
友女房「……」 

黒髪娘「どうすればいいだろう?」 
友女房「……姫。姫?」 

黒髪娘「……」 
友女房「いや、でしたか?」 

黒髪娘「――」ふるふる 
友女房「どんな感じがしましたか?」 

黒髪娘「楽の音と、鳥の囀りが。 
 聞こえた訳じゃないんだけど、溢れそうになって。 
 どきどきして頬が熱くなって。 
 ……それに」 

友女房「それに?」 

黒髪娘「こんなに不器量じゃなければいいのにって。 
 ――泣きたくなった」 



166 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 06:10:28.19 ID:2rbnko+MP
友女房「さようですか」 

黒髪娘「……」 

友女房「姫はなぁんにも悪くありませんよ」 

黒髪娘「そうだろうか」 

友女房「それはもう。友が気を利かせすぎましたか」 
黒髪娘「?」 

友女房「いえいえ。何でもございません。 
 姫は……清らかでいらっしゃるから」 

黒髪娘「そんな事はない。もう15にもなる。 
 塵にも埃にもまみれた、みっともない黒い鳥だ」 
友女房「……」 

黒髪娘「……」 
友女房「さ。髪を梳きましょう」 にこりっ 

黒髪娘「……ん」 
友女房「今晩は温かくして寝ませんとね」 



175 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 07:24:04.78 ID:2rbnko+MP
――黒髪の四阿 

ことん、かたん 

男「んっと。ほいさ」 すたんっ 
友女房「男様」 

男「お。友さん」 
友女房「いらっしゃいませ」 

男「お邪魔します。平気そう? 黒髪は居る?」 

友女房「いまはお留守にしていらっしゃいますよ。 
 外せない御用事で尚侍処へいらっしゃっています」 

男「ああ。仕事か」 
友女房「ええ。おそらくすぐに戻ってらっしゃいますよ。 
 顔を見せに、と云うか、出仕したという形式のための 
 出仕ですからね」 

男「そっか。待ってて良い?」 

友女房「ええ、おこたにどうぞ。お茶をお持ちしますよ」 
男「助かる」 


177 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 07:27:15.49 ID:2rbnko+MP
こぽこぽこぽ 

男「寒いな」 
友女房「ええ、寒さが続きますね」 

男「ありがとう」 
友女房「いえいえ、どういたしまして。 
 しばらくご一緒して宜しいですか?」 

男「もちろん」 
友女房「では、失礼します」 

男「ふー。温まる」 
友女房「ですねぇ」 

男「……黒髪は、元気?」 
友女房「はい」 

男「そっか」 
友女房「何かありましたか?」 

男「いや、なんか色々抱え込んじゃいそうな人だから?」 
友女房「そうですねぇ」 


179 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 07:31:22.13 ID:2rbnko+MP
男「……」 
友女房「尚侍(ないしのかみ)という官職はですね。 
 帝に仕えて、皇室行事を取り仕切る秘書のような役割です」 

男「ふむ」 

友女房「その権力は、時に大臣を凌ぎますね。 
 『位人臣を極める』等と申しますが、 
 女性としてはまさに最高位の官職だと云えるでしょう」 
男「そう……なのか?」 

友女房「ええ。もちろん何事にも例外はありますが。 
 姫は尚侍としては、規格外です。 
 何しろ仕事していませんからね」 
男「そうだなぁ」 

友女房「尚侍、尚侍所の重要な役割の一つに東宮の教育があります」 
男「東宮って云うのは、確か帝の息子だろ」 

友女房「そうですね。子供の頃から云うことを良く言い聞かせて 
 育てるわけですから、歴代の帝でも、育ての尚侍には 
 頭が上がらないことも少なくありませんね。 
 内裏における影響力は絶大な物があるわけです。 
 こほん。 
 その。 
 下世話な話をすればですね」 

男「?」 

友女房「察しが悪いですね」 


182 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 07:35:46.48 ID:2rbnko+MP
男「ごめん」 
友女房「いえ、すみません。 
 照れ隠しですからお気に為されぬよう。 
 ――こういう事です。 
 幼い東宮にそば近く接して、その心も身体も導く。 
 それは、往々にして、えーと、その。 
 祖父君のいうところの、その……ほら初物を」 

男「●●!?」 

友女房「それです。ええ。 
 それをですね、こう。シてしまうこともあるというか 
 むしろそれが推奨されているというか……。 
 東宮の身体を大人にして差し上げるというか。 
 妃になる尚侍所の女性も少なくはありません」 

男「そんなのありか-!?」 

友女房「ええ。そもそも、尚侍所に娘を『あげる』というのは 
 高度に政治的な問題なのです。 
 もちろんその背景には政治的な闘争もありますし 
 右大臣家としても後に引くわけにはいかない。 
 たとえ、東宮が8歳で、姫より6つもお若くとも」 

男「……」 

友女房「身体のつながりが有れど、無けれど。 
 姫は東宮の『もの』です。それが尚侍というものですし、 
 この内裏の秩序なのです」 


184 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 07:55:00.98 ID:2rbnko+MP
友女房「――なんて」 にっこり 
男「え?」 

友女房「まぁ、そういう俗世の噂もあったり 
 無かったりするのですが、男様は異界より来られたる客人。 
 内裏の事情などお気になさることもないでしょう。 
 ましてやうちの姫は妖憑きの変わり者。 
 東宮のお召しもあるはずもない。 
 このまま庭の片隅で咲いて、 
 誰見ることなくひっそり朽ちるのでしょうし。 
 そのような姿は、見たくありません」 

男「……」 
友女房「余計なことを申し上げましたか?」 

男「あのさ。俺の世界での話したっけ? 
 黒髪は、今年14だよね。 
 それは俺の常識では、まだ子供の部類なんだよ」 

友女房「ええ、存じておりますよ」 
男「だからそういう艶っぽい話はさ、まだ早くてさ」 

友女房「そう思うなら、それはそれで結構かと」 
男「……うう。とりつく島もない」 


187 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 08:09:38.95 ID:2rbnko+MP
――黒髪の四阿、炬燵の間 

黒髪娘「ただいま帰参した」 
男「おかえりー」 

黒髪娘「寒かった。すごく寒いぞ」 
男「入れ入れ」 
黒髪娘「ありがたい」 

いそいそ、ばふっ 

黒髪娘「はふぅぅ~」 
男「温まった?」 

黒髪娘「いや、まだ指先が痺れている」 
男「重症だな」 

黒髪娘「冬の出仕は大変なのだ」 
男「この季節はなぁ。ヒートテックなさそうだし」 

黒髪娘「?」 
男「いや、こっちの話」 


190 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 08:19:12.61 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「まぁ。物の怪じみた娘だからな。 
 仕事らしい仕事もない。気楽と云えば、気楽だ」 

男「んー」 

黒髪娘「どうした?」 

きゅむ 

黒髪娘「らにをひゅる?」 
男「いや、ほっぺた引っ張ってみたんだよ」 

黒髪娘「らかや、いったひ、なんてそんな」 
男「んー」 
黒髪娘「むぅー」 

男「突っ張ってるのかなぁ、って」 
黒髪娘「う゛ぅ?」 

男「仕事。出来るよな。案だけ学んだもんな。 
 漢詩も報告書も、上奏文だって律令だって 
 何でもござれでしょう?」 
黒髪娘「……」 

男「身につけたもの、使いたくないなんて変じゃない?」 



192 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 08:28:36.31 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「……」じぃっ 
男「三白眼で睨んでも、普段可愛いんだから意味ありません」 

黒髪娘「う゛ぅー」 
男「ぷぷっ」 

黒髪娘「いいかけん、はらさるかっ」 
男「ほいほいっ」 

黒髪娘「ふむっ……。そのようなことを」 
男「気を張り過ぎなんだよ」 

黒髪娘「内裏に云っていたのだ。多少は気を張らねば、 
 どのような政争に巻き込まれるか知れた物ではない」 
男「そりゃ、そうか」 

黒髪娘「……それは、わたしだって」 
男「……」 

黒髪娘「学んだ物を、試したい気持ちがないわけではない」 
男「うん」 

193 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 08:36:12.39 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「しかし、この身は女だ。 
 ……望むと望まないとに関わらず。 
 内裏で女が仕事を為そうとすれば方法は二つしかない。 
 何らかの閥を率いて、邪魔者を廃するための 
 権力工作を常にしながら事を為すか、 
 東宮か帝にはべり、その愛妻、愛妾として 
 権勢を振るうか……。 
 多分、私にはどちらも無理だと思う」 

男「そっか」 

黒髪娘「不器量だからとかではないぞ? 
 いや、その。もうちょっと目鼻立ちが 
 整っていればよいとは思うのだが」 

男(現代美少女ですからな。きみは) 

黒髪娘「性格として、受け入れがたい。……のだと思う。 
 あるいは無駄な矜持か、こだわりなのかとも思うのだが 
 それは自らが身につけた学識ではないような気がするのだ」 

男「……」 

黒髪娘「どうも釣り合いが取れていないのだ。私は」 
男「……そっか」 

黒髪娘「考えても仕方ないだろう」 
男「そだな」 

195 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 08:55:39.77 ID:2rbnko+MP
――黒髪の四阿、炬燵の間 

黒髪娘「……昴は船乗りの星にて」こくっ 
男「眠そうな」 

黒髪娘「う……む」こくり 
男「寝れば?」 

黒髪娘「しかし、うむぅ……」 
男「どうしたのさ?」 

黒髪娘「部屋に戻るには炬燵から出る必要がある」 
男「当たり前だな」 

黒髪娘「寒い」 
男「うん」 

黒髪娘「……寒いではないか」 
男「ここで寝たらダメだぞ? 事故があるかも知れないし。 
 火事なんてまっぴらだろう? 低温火傷も怖い」 

黒髪娘「そうは云うが……」 
男「仕方ないなぁ。友さーん。友さーん」 


196 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 08:58:49.61 ID:2rbnko+MP
友女房「はい、なんでしょう?」 

男「黒髪が寒がって動かないから。 
 ここに褥(しとね)と、掻巻(かいまき)※かなんか 
 持ってきて貰える?」 

友女房「判りました」 
黒髪娘「これでは子供みたいだ」 
男「寒いから動きたくないなんて 
 子供のようなことを云うからだろう?」 

黒髪娘「そうは言ったって」 
男「じゃ、部屋に引き上げるか?」 

黒髪娘「寝ている間に男が帰るのは……不本意だ」 
男「別にそれはないけどさ」 

きぃ、ふぁさん 

友女房「寝具の準備が整いましたよ」 

黒髪娘「む」 
男「どうする?」 

黒髪娘「せっかくだから、今宵はここで」 
男「ふっ」 
黒髪娘「馬鹿にしないで欲しいのだ」 

※褥(しとね)と、掻巻(かいまき):平安時代の寝具 
 麻などで作られた敷き布団と、袖のついた掛布団 

198 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 09:12:59.78 ID:2rbnko+MP
男「温かいか-?」 
黒髪娘「うむ、期待以上だ」 

男「おっと。爪先を炬燵に突っ込むのは禁止だぞ」 
黒髪娘「そうなのか?」 

男「ちらちら見えるだろ」 
黒髪娘「なにがだ?」 きょとん 

男「うるせぇ。禁止だ」 
黒髪娘「横暴だな」 

男「いいのっ。禁止」 
黒髪娘「判った。 
 ところで……男殿は、何を読んでいるんだ?」 

男「持ってきた本。勉強してるの」 
黒髪娘「なにを?」 

男「料理の基本」 
黒髪娘「男殿は庖丁(料理人)なのか?」 

男「違うから勉強してるんだよ」 

199 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 09:17:04.32 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「未来の料理か……。 
 いつも美味しい土産を頂いている」 
男「んー。気にしないでくれ。たいした物じゃないからさ。 
 そもそも、ここで結構飯とかご馳走になってるし」 

黒髪娘「ここで供されるのは、ありふれた物だ」 
男「あの菓子だって、向こうではコンビニに 
 売ってる程度の物だよ」 

黒髪娘「こんびに?」 
男「ああ。えっと、街のあちこちにある商店だ」 

黒髪娘「そうか。何が売っているんだ?」 
男「飲み物、食べ物、菓子、本」 
黒髪娘「本が売っているのか!?」 

男「コンビニに売ってるのは漫画や雑誌がせいぜいだけどな。 
 本は専門の本屋に売っていて、たいがい本屋ってのは 
 一つの街に一つや二つはあるな」 
黒髪娘「そうなのかぁ」 

男「布団に入ったら元気だな」 
黒髪娘「う」 

男「眠くないのかー?」 
黒髪娘「少し眠気が去ったのだ」 



201 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 09:26:04.04 ID:2rbnko+MP
男「なんだよ、構って欲しいのか?」 
黒髪娘「話し相手になって欲しいのだ」 

男「素直だな」 
黒髪娘「わたしは率直だ」 

男「そっか。そういやそうだな」 

黒髪娘「男殿の世界では、女も学問を修められるのだろう?」 

男「ああ、そうだな」 

黒髪娘「学識や技芸をもって宮仕えも叶う」 
男「公務員とか、会社員とかな」 

黒髪娘「そうか。……ふふふっ」にこっ 
男「どした?」 

黒髪娘「良い世界だな。 
 ――そんな世界、早く……来ると良いなぁ」 

男「……」 


202 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 09:29:54.36 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「ん?」 
男「あのさ」 

黒髪娘「うむ」 
男「……」 

黒髪娘「どうしたのだ」 
男「……っ」 

黒髪娘「なんだ。変な顔をして」 

男「なんでもない。1分くれ」 

黒髪娘「……」 
男「……」 

黒髪娘「?」 
男「……あー」 

黒髪娘「?」 

男「黒髪の。髪の毛、触りたい」 
黒髪娘「――え」 


204 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 09:42:23.30 ID:2rbnko+MP
男「ダメかな?」 
黒髪娘「……駄目……じゃない」 

男「触るな?」 

さら……さら…… 

黒髪娘「……うぅ」 
男「手触り、良いな」 

黒髪娘「あの……ど……どうし……男殿は……」 
男「ん?」 
黒髪娘「なんで、髪を……」 

男「あー。んー。……触りたかったから」 
黒髪娘「そ、そうか」 

さら……さら…… 

男「豪華な感じ。……宝物みたいな」 
黒髪娘「褒められたみたいだ」 

男(なんか、いろいろこだわりとか倫理観とか。 
 越えちゃってるよな。この髪の感触も、気持ちも) 

.,;',_,,_;:'(ノ ヽ ) 

215 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 12:21:33.12 ID:2rbnko+MP
――黒髪の四阿 

友女房「姫~。ひーめーっ」 

がたっがたたっ 

黒髪娘「どうしたのだ?」 

友女房「文ですよっ。藤壺の方から」 
黒髪娘「……珍しい」 

友女房「遅くなってはいけませんから」 
黒髪娘「……梅の香」 

友女房「あらあら。まぁまぁ。寒中梅でございますね」 
黒髪娘「むぅ……」 

友女房「なんで困りますか。 
 雅やかな心遣いではございませんか」 

黒髪娘「こう言うところが隙がない。困る」 
友女房「そういう物でございましょうかね」 

黒髪娘「……うー」 
友女房「なんと?」 

216 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 12:27:02.04 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「……歌会の誘いだ」 
友女房「さようですか。これはまた」 

黒髪娘「……」 
友女房「何かあるので?」 

黒髪娘「形勢を明らかにしないわたしを 
 哀れにおもってくださったのであろう」 
友女房「……」 

黒髪娘「このままでは私に風あたりが強くなりすぎると 
 そう考えてくださったのではないかな」 
友女房「さようですか」 

黒髪娘「……」 

友女房「お返事はいかがいたしましょう」 
黒髪娘「……」 

友女房「しばらくお考えになられますか」 
黒髪娘「そうする」 

友女房「姫の良いように」 



218 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 12:48:15.19 ID:2rbnko+MP
――夕刻 

ごとん、とさっ 

男「ふぅ。到着、っと」 
黒髪娘「男殿」 

男「お。黒髪。お出迎えありがとう」 
黒髪娘「出迎えたわけではないが。 
 しかし、男殿を迎えられると気持ちが暖まる」 にこっ 

男(うわ。……すげぇ可愛い。 
 やばいな。この間髪触ってから、 
 どんどん可愛く見えるよ。 
 病気だぞ、これ……) 

黒髪娘「どうした? 寒かろう?」 
男「おう」 

黒髪娘「丁度昼餉だ。いま友に云って用意させる」 

男「へぇ、何食べるの?」 

黒髪娘「雑煮だ。餅なのだが……。 
 餅は食べれるだろう?」 

男「おー。大好きだぜ」 

219 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 12:53:32.61 ID:2rbnko+MP
――黒髪の四阿、炬燵 

友女房「さぁ、どうぞ」 

黒髪娘「頂こう、男殿」 
男「ああ、頂きます。ん。美味しいな」 

黒髪娘「温かいなぁ」 
男「……お、雑煮は魚なんだ?」 

友女房「鯛で出汁を取らせて頂きました」 

黒髪娘「餅はそれで良いのか?」 
男「おう、とりあえず二つでな」 

黒髪娘「んぅ……」 
男「お、すごく伸びてるな」 

黒髪娘「……ん。んく……。 
 そんなにじろじろ見るものではないぞ」 

男「そっか」 

友女房「美味しゅうございますか?」 

男「ええ、ばっちりですよ」 


222 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 12:57:59.56 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「うぅ。美味だ。私は雑煮は大好きだな」 
男「カブの葉が美味いよな」 

黒髪娘「そちらでも食べるのか?」 
男「もちろんだ。味噌汁とかにもいれるぞ」 

黒髪娘「うむ。煮るのも旨いな。ひたしもよい」こくり 
男「……」 じぃ 

黒髪娘「ん? どうした、男殿」 
男「いやいや。なんでもないよ」 

黒髪娘「?」 
男(一瞬見とれたとか、いえねぇし) 

黒髪娘「……ふぅ」 
男「どした?」 

黒髪娘「ん? いや。んー」ぽて 
男「??」 


223 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 13:07:54.83 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「お腹がいっぱいで、温かい炬燵。 
 駄目になってしまいそうだ」 

男「多少駄目になっておいた方がいいよ」 
黒髪娘「そうかな」 

男「そう思うね」 

黒髪娘「男殿」 
男「ん?」 

黒髪娘「……掌を、借りれるだろうか?」 
男「いいけど」 

黒髪娘「額に」 
男「ん……。うん」 

黒髪娘「ああ……」 
男「どうしたんだ?」 

黒髪娘「温かくて。嬉しい」 くすっ 
男「そか」 



225 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 13:19:07.16 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「……」 
男「寝ても、構わないぞ」 

黒髪娘「眠いわけではない」 
男「そなのか」 

黒髪娘「私が、男殿の半分ほどでも 
 他人を思いやって気を遣える性分であったならなぁ」 

男「なんだそれ」 

黒髪娘「いいや。……うん」 
男「何かあったんだろう? 云ってみろよ」 

黒髪娘「……歌会の誘いがあってな」 
男「ふむ。パーティーか」 

黒髪娘「私の立場もかなり厳しいのだ。 
 藤壺様がそれに気遣って誘ってくださった」 

男「藤壺様って云うのは、良いやつなのか?」 

黒髪娘「ああ。世話になっている。 
 心遣いの細やかなたおやかな方だ。 
 今上帝の寵をうける妃の一人なのだ」 


227 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 13:31:53.62 ID:2rbnko+MP
男「で、何を悩んでいるんだ?」 

黒髪娘「そんなわけで藤壺様は後宮では 
 大きな存在感を持っているが、唯一ではないのだ。 
 妾妃はひとりではないからな。 
 私を呼んでくださるのは嬉しい。 
 私は確かに引きこもりの出不精だが 
 呼んでくださるのならばはせ参じるくらいのことはしたいのだ。 
 ……しかし、私は気も遣えない不調法物だし 
 他人の言葉を上手に受け流すことも出来ないし……」 

男「そうか? そんなに気にしなくても良いかと思うけど」 

黒髪娘「そうはいかない。 
 宮中では目に見えない諍いや政争が続いているんだ……。 
 私が参加してみっともないところを見せれば 
 それは、藤壺の方の恥にもなってしまう」 

男「ん~」 

黒髪娘「私が恥をかくのは、かまわない。 
 どうせ物の怪憑きの引きこもりだから。 
 でも、誘って下さった方に恥をかかせるのは 
 忍びない……」 

男「断れないの?」 


228 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 13:35:23.08 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「それは、出来る」 
男「そっか」 

黒髪娘「……でも、藤壺様は、お悲しみになるかな」 
男「……」 

黒髪娘「いつも断ってきたんだ」 
男(――本当は、行きたいんだな) 

黒髪娘「……」 
男「なんだ、手のひら気に入ったのか?」 

黒髪娘「落ち着く」 
男「へこんでるな」 

黒髪娘「そう言うことではないんだが」 
男「?」 

黒髪娘「なんでもない。……私の顔をじろじろ見るな」 
男「へいへい」 

229 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 13:41:01.05 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「んぅ……」 
男「あのさ」 

黒髪娘「うん」 くてっ 
男「出ろ、って云ったらどうする?」 

黒髪娘「男殿が?」 
男「うん」 

黒髪娘「……」 

男「確かに責任は重大だけどさ。 
 黒髪がそんなに駄目だってのが、 
 ちょっと想像できないんだよな」 

黒髪娘「……私は本当に不器用なのだ。癇癪持ちだし」 
男「癇癪持ってるのか?」 

黒髪娘「うん。――やっぱり、悔しいとつらい。 
 私を人間としてみてくれない人には、優しくできない」 
男「それは癇癪じゃないと思うけど」 

黒髪娘「そうかな……」 


230 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 13:44:02.93 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「男殿は、出た方が良いと思うか?」 
男「ああ」 

黒髪娘「……」 
男「思うんだけどさ。あんまり一人で戦う必要も 
 ないんじゃないか?」 

黒髪娘「え?」 

男「友さん何回か云ってたよ。“右大臣家の格”とか。 
 “姫様の名誉”とかさ。それって、つまり名前だよな」 

黒髪娘「名前……」 

男「あー。よく判らないけどさ。 
 そう言うのってチーム戦なんじゃないのかな。 
 現場に行って恥をかくか恥をかかないかは、 
 黒髪の腕もあるけれど、優秀な女房が居るかどうかにも 
 左右されるんじゃないの?」 

黒髪娘「それは……。確かにその通りだが」 

男「友さんって、出来るんじゃねぇの?」 

黒髪娘「……う」 

男「投げちゃっても良いんじゃないの?」 

231 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 13:46:45.76 ID:2rbnko+MP
黒髪娘「男殿……」 
男「手を貸すからさ」 

黒髪娘「男殿も?」 
男「うん」 

黒髪娘「なぜっ?」 
男「そんなにびっくりするところか?」 
黒髪娘「祖父君はそんな事は言わなかった」 

男「爺ちゃんと俺は違うよ。 
 爺ちゃんは、ここに来たことを…… 
 多分、黒髪に何かを教えるためだと思ってたと思う。 
 黒髪が余りにも希っていたから」 

黒髪娘「……」 

男「でも、俺は違うからさ」 

黒髪娘「……うん」 

男「俺としては、もうちょっと 
 格好良い引きこもりが見たいんだよ」 



242 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 15:10:15.58 ID:2rbnko+MP
――『和名類聚抄』より 

穀類では、稲類、麦類(大麦、小麦、カラスムギ)、 
アワ、キビ、ヒエ。主食は米。小麦はうどんのように 
して食す。 
豆類は、大豆、小豆、クロマメ、ササゲ、エンドウマメ。 
イモ類には山芋やクワイ。 
野菜は瓜類各種、蒜類(ねぎ、にら、にんにく)、 
水菜類(せり、ジュンサイなど)、 
園菜類(アオナ、カブラ、タカナ、カラシナ、フキ) 
野菜類(ナスビ、アブラナ、ワラビ、ゴボウなど) 
草類(ウド、イタドリ、蓬、ユリなど) 
蓮類、葛類、たけのこ、タラノメ、ククタチ、キノコetc。 

動物性蛋白の補給源としては、魚介類が中心であった。 
近海魚は殆ど今日の日本と変わらない物が食されており 
庶民は鰯やあじなど。貴族においては鮎や鯛が珍重された。 
また貝の類、海草などの水産物が大いに食べられた。 

動物も多量にではないが、ヤマドリ、ハト、カモ、ウズラ 
またクマ、カモシカ、タヌキ、イノシシ、ウサギなどが 
食用として記録に残る。鶏も唐から輸入されたが、卵は 
薬用として用いられた。 

果実は主に桃、スモモ、ウメ、カキ、タチバナ、梨、 
ザクロ、ビワなどが…… 


243 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 15:15:14.61 ID:2rbnko+MP
――男の実家 

男「なんだなんだ。結構食材豊かだな。 
 もちろん輸送の関係で、いつでも食べられる 
 訳じゃないんだろうけど。結構あるじゃん」 

男「味付けは……」 

ぺらっ 

男「基本的には、基本は塩と酢か。酢は米酢なのか? 
 そのほかに、醤(ひしほ)、味醤(ミソ)。 
 大豆に小麦の麹か。塩分は低そうだなあ。 
 そのほか、わさびは、あると」 

男「あ-。……そゆことね。 
 砂糖がないわけだ。そんであんなに 
 美味しい美味し云ってたのか。 
 砂糖、砂糖……砂糖の歴史ってなんの本に載ってるんだ? 
 Wikiりゃでてくっか?」 

男「砂糖は……奈良時代に輸入。当初は薬用。 
 ふむ……サトウキビの栽培は江戸時代か。 
 こりゃ、到底手に入るわけもないな。 
 いんちきで、黒糖持って行っちまうか」 

男(許されないのかも知れないけどなー) 

男「まぁ、その辺俺は爺ちゃんとは違うし?」 


246 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 15:21:08.64 ID:2rbnko+MP
がちゃ 

姉「あら。あんたいたの?」 

男「あー。んー。いたよ。ちっと台所使ってる」 
姉「なに」 

男「いや、ゲル化実験?」 
姉「料理してるだけじゃん」 

男「まぁね」 
姉「ふぅん」 

くつくつ、くつくつ 

男「……」 
姉「ミネラルウォーターとって」 

男「はい」 きゅぽ 
姉「ん。あんがと」 

男「庶民は水道水じゃない?」 
姉「ビールの代わりなの」 


247 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 15:24:31.23 ID:2rbnko+MP
男「言いたい放題無敵キャラな」 
姉「これくらいの強度ないとね。荒くれ者どもの 
 リーダーはつとまらん!」 
男「Aチームかよ」 


姉「うはははは! ははっ。そういえば……例のさあ」 
男「?」 

姉「例の中学の」 
男「ああ」 

姉「どうなった?」 
男「なんでそんな事聞くのさ?」 
姉「聞いた方が良いから」 

男「なんで?」 

姉「まぁ、なんだかんだ云ってさ。 
 あんた、出来の良い弟だし? 
 あたしより高給取りになりそうだしさ。 
 ……姉ぶりたいのよ」 

男「……そっか」 
姉「白状なさいよ。あんた最近、むちゃくちゃ 
 勉強とかしてるじゃん。バイトも詰め込んでるし」 

248 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 15:28:38.74 ID:2rbnko+MP
男「うん、覚悟決まった」 
姉「へぇ……」にやにや 

男「話すのやめた。中止~」 

姉「ちょ。待った待った! もう茶化さないっ!! 
 教えてよ。ねぇってば」 

男「だから、覚悟決まったって」 
姉「へぇ。どんな娘? 可愛い? 美少女? 
 チチの大きさどんなもん? まさかあたしより 
 でかくないでしょうねっ」 

男「すげぇ、頑張り屋さんだよ」 
姉「……おやおや。なんか父性じみたこといっちゃって。 
 もうちゅーしたのか? あん? この●●。うりうり」 

男「してませんー」 
姉「なんだよ。チキンだな。ゴム無かったのか?」 

男「そう言うんじゃないわけ」 
姉「覚悟決まったんでしょ? 条例を突破する 
 覚悟とか。アグネスを敵に回す覚悟とか。 
 上野千鶴子あたりから朝まで精神攻撃受けたりして」 

男「いや、もうマジ姉ちゃんキツイす」 
姉「なーによ~」 



251 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 15:34:42.34 ID:2rbnko+MP
男「そう言うんじゃないくて。頑張り屋だからさー。 
 覚悟決めて、助けて上げなきゃなぁ、と」 
姉「わお。なんだ。らぶじゃないのかー。家庭教師路線? 
 てっきり彼女にして調教飼育するのかと」 
男「そうじゃないって」 

姉「でもあんたねー。子供だからって女は女なの。 
 そういう態度ってすげぇ、傷つけると思うよ?」 

男「傷つけるとこも含めて。覚悟決めたって事」 
姉「……」 

男「傷つく覚悟も決めたし。 
 それで、まぁ。なんか色々あって。 
 ……そういう未来もあれば、それはそれで、善し。かな」 

姉「……難しい娘なんだ?」 

男「難易度SSだね」 
姉「あんたそれローマの休日クラスだから」 

男「うっは。まさにその難易度だわ。弾幕で画面見えない系」 
姉「ふぅん。よく判らないけど。……いいわね」 

男「……ん?」 
姉「まぁ、いんじゃない? 一回くらい。 
 ……そういうの。一回くらい賭けてさ。しないと。 
 人生生きてる意味なんてさ、無いのかも知れないし。 
 いいんじゃない? あたしは。 
 そういうの悪くないと思うよ」 

254 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 15:56:39.36 ID:2rbnko+MP
――黒髪の四阿 

友女房「ええ、その箱はこちらへ。 
 えーい、それは絹ですよ!? もっと丁寧に運びなさい。 
 真珠は文箱です。間違えてはなりません」 

黒髪娘「あの」 
友女房「姫はそこで黙って座っていて下さいっ」 

黒髪娘「う、うむ」 
友女房「襲は何にいたしましょうね。 
 右大臣家の何かけて、仇やおろそかな衣装で 
 歌会に出るわけには参りませんが。 
 この衣装の色合いこそ最初の関門。 
 一遍の落ち度もあってはなりませんっ」 

ごごごごっ 

黒髪娘「いや、友? そこまで殺気立たなくとも……」 

友女房「紅梅匂ですかね。柳桜……いや、もう一目華やかに 
 樺桜と云う手も。しかし人妻ではない乙女ですからね。 
 乙女で14であると。 
 ……我が姫の異能はその才気と知性ですから」 

黒髪娘「……わたしは異能者だったのか」 

255 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 16:00:02.61 ID:2rbnko+MP
友女房「成熟した、しとやかな色気。 
 そして乙女の清らかさ。 
 しかしそれらはすべて内側から照らしにじむような 
 知性を基調として表現されなくては。 
 そうですね……。 
 やはり、基調は春ですから梅、桜。それに知性の藤色」 

黒髪娘「藤壺の君が、藤は使うであろう」 

友女房「では、表着は藤色を避けて、 
 胸元から覗かせましょう。薄色と紗の梅を合わせ 
 扇には、緑柱石の勾玉をっ!」 

黒髪娘「すごい張り切り用だな」 

友女房「あたりまえでございますよ。 
 姫様がとうとう藤壺の君の宴へと参加する。 
 おつきの女房としてこれほど晴れがましいことは 
 ございませんですよっ」 

黒髪娘「そ、そうか」 
友女房「ええ。かくなるうえは、どんな手段を用いても 
 準備万端、万事遺漏無きよう整えさせて頂きます」 

黒髪娘「むぅ」 
友女房「後は、お化粧ですね」 

黒髪娘「そ、それは……」 きょろきょろ 


258 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 16:12:16.78 ID:2rbnko+MP
がたんっ 

男「化粧はいいんじゃね?」 

黒髪娘「男殿っ」 
友女房「男様、いらしてたんですかっ?」 

男「うん。まぁ、紅をさすくらいはしないと 
 まずいけれどさ。黒髪は、黒髪じゃない。 
 化粧して誤魔化すのも、面倒だろう?」 

黒髪娘「……」 こくん 
友女房「しかし、それでは……」 

男「いや、考えたんだけどさ。 
 今さら手のひらを返して『普通の姫君』やったって 
 もう高得点は狙えないだろ? 
 こんだけ引きこもりもしてれば、 
 トンデモ噂だって流れちゃってるんだろうし。 
 いまから一夜漬けで話し方だのなんだの 
 仕込んでもそうそう上手くいきゃしないよ」 

友女房「それはそうかもしれませんが」 

男「黒髪は、黒髪のまんまでいいって。 
 正面突破で。黒髪は、黒髪の積み重ねてきた物で 
 それだけでみんなを振り向かせないと」 

黒髪娘「男殿……」 

259 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/20(水) 16:14:51.49 ID:2rbnko+MP
男「信じないとさ。自分の姫だろー?」 
友女房「それはそうですが……」 

男「それとも、自信ないのか?」 

友女房「いえっ。確かに姫様は変わり者ですが 
 その賢さ聡明さ、そして優しい心根だけは 
 どこに出しても恥じる事なき、最高の主でございますっ」 

男「だってさ」 
黒髪娘「……友も、ありがとう」 
友女房「もったいないお言葉です」 

男「まぁ、実際それ『だけ』って云うわけには 
 行かないからさ。幾つか仕込みはするんだけど」 

黒髪娘「仕込み……?」 
友女房「仕込み、ですか?」 

男「うん、だから衣服を整えるのは重要だ。 
 それから参加するメンバーも調べてくれ」 

黒髪娘「判った。何か意味があるのか?」 
男「賢いんだから、脳みそ使わないとな」 

黒髪娘「やってみる」 こくん 


304 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 01:47:24.40 ID:cN7NTMxiP
――夜の都大路 

ギィ、ギィ…… 

友女房「すみません。本当に色々お世話になって」 
男「いや。今回のことは、俺も言い出しっぺだし」 

友女房「それにしても、こんなに助けて頂けるとは」 
男「乗りかかった船って云うか」 

友女房「あの小豆はどうすればよろしいですか?」 

男「朝にもう一回、右大臣家いくよ。 
 いや、昼前が良いかな。あとは煮るんだけど、コツがあるし」 

友女房「さようでございますか……」 
男「自信なさそうな」 

友女房「それは……まぁ。 
 もちろん、この友。 
 姫付きの女房としてどこへ出しても恥ずかしくない 
 身だしなみを整えさせて頂きます。 
 今回は男様から香油等も頂いておりますし……。 
 ただ、やはり歌会ともなりますと、 
 多くの方がお見えになられます。 
 出席するのは10名だったとしても、 
 そのお付きの数たるや数倍にもあがるでしょう。 
 姫にはぶしつけな視線も突き刺さるでしょうし、 
 なにか事があればその噂は宮中を駆け回ること必至」 


307 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 01:52:13.24 ID:cN7NTMxiP
男「……」 

友女房「姫は……。どなたよりも、学問に打ち込んで 
 いらっしゃったので、そのことでからかわれよう物ならば 
 きっと癇癪を起こしてしまいます。 
 その癇癪が大きな傷口になるのではないかと」 

ギィ、ギィ…… 

男「黒髪もそんな事を云っていたけれど、 
 それって本当かな。嘘……つくつもりはないんだろうけど 
 間違いというか、真実ではないんじゃないかなぁ」 

友女房「え?」 

男「黒髪が癇癪? かっとなって? 
 ……なんだか違和感がないか? 俺は信じないけどな」 

友女房「でも、現に何回も何回も……」 

男「違うね。絶対に違うね」 

友女房「わたくしには判りません。 
 男様には判るのですか? 癇癪ではないのですか?」 

男「ああ。判るな。俺には……うん。身に覚えがあるもん」 

友女房「どのようなことなのでしょう……」 


309 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 01:56:35.90 ID:cN7NTMxiP
男「つまりさ。説明しずらいな……」 
黒髪娘「?」 

男「黒髪は、学問が好きなんだよ。 
 見たろう? あの蔵書。金に飽かせて買ったモノが 
 ないとは言わないけれど、殆ど黒髪が自分で筆写 
 したんだぜ? どんだけ時間かかるんだよ。 
 漢詩も、薬草の絵も、天文の図も。 
 漢書に晋書。全部手書きだ……」 

黒髪娘「はぁ……。私は無学でして……。 
 詳しいことは判らないのです。 
 姫がたいそうな、それこそ博士にも勝るような 
 学識をお持ちなのは確信しているのですが」 

男「あいつが筆写してるところ見たことある? 
 星を見るために夜空をじーっと見てるところは?」 

友女房「それはもう」 
男「すっげぇ嬉しそうじゃなかった? 
 にやにや笑ったりしてなかった? 
 楽しそうだったろう」 

友女房「ええ。そうですね。この友にはまったく判りませんが」 

男「黒髪はさ……あー。面倒だなぁ、言葉が通じないのも。 
 おたくなんだよ。勉強おたくなんだ。 
 好きなんだよ、あれが。大好きなの」 

友女房「は、はぁ……」 

310 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 02:03:04.81 ID:cN7NTMxiP
男「だから、黒髪や友が云ってるのは癇癪じゃなくてさ。 
 いや、もしかしたら癇癪の成分も含まれてるかも 
 知れないけれど……」 

男(それはさ。ほら。あれだよ。通じろよっ。 
 おたくが、オフ会に行ったとき、 
 テンションあがりすぎて知識自慢大会始めちゃうとか。 
 語り始めるとストッパー書きかなくなっちゃって 
 些細な論争が蘊蓄まみれで無制限になっちゃうとかっ。 
 うっわぁ、もどかしい。 
 なんでこれが伝わらないかなぁっ! 
 つまりあれだよ。 
 ●●がちょっと可愛い女の子の前で見栄張りすぎて 
 挙動不審になっちゃうのと大差ねぇんだよっ) 

友女房「どう、されました……?」 

男「えー。こほんこほんっ」 

友女房「お熱でもあるのですか? 頬が赤いような」 

男「いや、なんでもねぇですよ?」 

友女房「さようですか」 

男「……黒髪は、人嫌いじゃないよ。 
 “みんなに嫌われてる”と思い込んでるだけだ。 
 だから歌や漢詩や学問の話が出来ると、嬉しい。 
 周囲から見てると怒ってる風に見えるほど、嬉しいだけだよ」 


319 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 02:55:04.07 ID:cN7NTMxiP
――数日後、藤壺。早春の歌会。 

友女房「大丈夫でございますか? 姫」 
黒髪娘「大丈夫。これくらい」 

友女房「昨晩は」 
黒髪娘「練習した。男殿の注意書きも百回は読んだ」 

友女房「いえ、それではお眠りは……」 
黒髪娘「寝てなんかいられない」 

友女房「はぁ」 

黒髪娘「えっと~気持ちを落ち着けよいとは思わなくて良い。 
 自分の姿勢に気をつけて、相手のことをよく見る。 
 相手をよく見て、相手の話を聞くこと。 
 正しく聞くこと。相手が何を言っているかではなくて 
 “何を言いたいか”を聞くこと」 

友女房「男様ですか?」 

黒髪娘「うむ。……そういえば、男殿は?」 

友女房「流石に歌会の席にはあがれませんから。 
 雑色と一緒に牛車止まりにいらっしゃると思いますが」 

黒髪娘「手間を掛けさせているな」 
友女房「そうお思いならば、今日の歌会を乗り切りませんと」 



321 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 02:59:26.24 ID:cN7NTMxiP
――藤壺の広間 

藤壺の君「本日は良くおいで下さいました」 

黒髪娘「お招きありがとう……ござい、ます。 
 ……いままでも何度もお呼び頂いたのに 
 そのたびに断って参りました。 
 申し訳ありません」 

藤壺の君「いえ、よろしいのですよ。 
 体調が優れなければ、このような宴も楽しめません。 
 全ては御身が一番大切です。黒髪の姫」 

黒髪娘「でも、わたしは……」 

藤壺の君「体調、そして吉凶。 
 そう言うことにしておきましょうよ、姫」 にこり 
黒髪娘「お気遣い、ありがとうございます」 

藤壺の君「面を伏せるのは、おやめになったのですね」 
黒髪娘「あ、あ……。記帳越しでも、判りますか」 

藤壺の君「ええ。良いことかと思います。 
 今日の黒髪の姫は、いままでで一番素敵ですよ」 
黒髪娘「……それは」 

藤壺の君「参りましょう。本日お招きしたのは 
 中納言の二の姫を始め親しい方8人ほどです。 
 心案じて過ごして下さいね」 

323 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 03:13:44.38 ID:cN7NTMxiP
からり、しず、しず 

黒髪娘「お招き頂きました。 
 右大臣家、尚侍を勤めまする黒髪と云います」 

ひそひそひそ 
 ……噂の妖憑きの姫よ。まぁ、あの格好。 
 右大臣家の娘だもの、服が豪華なのは当たり前よね。 
 面を伏せもせずに、醜女のくせに。 
 ……あの言葉遣い、殿方のようではありませんか。 

二の姫 パチンッ 

 ……! ……。……。 

黒髪娘「生来身体弱く、尚侍の職分も十全に果たせぬ身。 
 このような席に呼ばれ皆様の不興を買うことを恐れ 
 いままでは庵に閉じこもっていました。 
 しかし藤壺の君のご厚情あつく、 
 早春、梅の香かおる歌会に呼ばれましたので 
 この身を運ばさせて頂きました。 
 藤壺の君には厚くお礼申し上げさせて頂きます」 

藤壺の君「本日は歌会とは言え、ごくごく私的なもの。 
 後ほどお茶なども振る舞いましょう。 
 皆様で、歌を詠み、過ごして頂ければ 
 私としても嬉しく思います」 

324 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 03:32:39.25 ID:cN7NTMxiP
しずしずしず 
 雪融けてまもなき春ですが梅のつぼみほころび…… 

  友女房「姫、先ほどの口上はお見事でしたよ」ひそひそ 
  黒髪娘「あれしきのことなら。 
   それより、緊張でどうにかなりそうだ。 
   胸が早打ちして血の気が引く」 

  友女房「頑張って下さい」 

しずしず 
 本日はお招き頂きありがとうございます…… 

  友女房「それにしてもそうそうたる顔ぶれですね」 
  黒髪娘「藤壺の君の歌会だ。招かれただけで 
   宮廷雀からは一段高い扱いを受けるのだぞ。 
   当たり前と云えば云えるだろう」 

藤壺の君「それでは、歌の方を……そうですね」 

  友女房「始まりましたね」 
  黒髪娘「うむ」 

  友女房「大丈夫ですか?」 
  黒髪娘「漢詩が得手とはいえ、歌が不得手なわけではない。 
   このような歌会ならば容易くこなせる、はずだ」 



327 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 03:41:00.20 ID:cN7NTMxiP
~ゐぐひにいとどかかるしらなみ 

  友女房「ど、どんな感じですか?」 

  黒髪娘「みな無難な歌を詠んでいるな。 
   藤壺様がやはり一枚上手というか 
   艶麗な歌を詠んでいなさるが」 

  友女房「大丈夫ですか?」 
  黒髪娘「こちらだって無難な歌ならば 
   いくらだってやりようはある。 
   ここは波風をたてずにこなすのが良いだろう」 

藤壺の君「では、黒髪の姫?」 

黒髪娘「うむ……。私の番か。 
 そうだな……。 

 ――淡雪ににほへる色もあかなくに 
  香さへなつかしこぼれたる梅」 

藤壺の君「香りさえ懐かしい……。そうですね」 

……ちゃんと詠めるではないですか。 
 いやしかし一首ではまだ噂どおりの文殊の申し子とは。 
 詠むには詠んだけれど、そこまで素晴らしいかしら。 
 淡雪を読み込むのは色合いが素敵ですけどねっ。 

328 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 03:44:28.41 ID:cN7NTMxiP
藤壺の君「では……そうですね」 

二の姫「私がその歌を受けましょう。 
  
 ――梅が枝に啼きてうつろふ鶯の 
 羽しらたへに淡雪の降る」 

藤壺の君「おや、中納言の二の姫」 にこり 

  黒髪娘「っ!?」 
  友女房「ど、どうしたんですか?」 

同じ淡雪を詠みこむなら二の姫様の方がよほど艶麗ですわ。 
鶯の羽の白さを淡雪の降り積もる色合いと重ねるなんて 
やはり人前に顔も見せることが出来ない醜女の歌とはねぇ 

  黒髪娘「こちらの歌に中納言の二の姫が 
   切り返してきたのだ。 
   くっ。しかも淡雪の梅を重ねて見事な出来だ。 
   このような才媛が居たとは……」 

  友女房「どうしましょう」 おろおろ 

  黒髪娘「どうしようもこうしようも 
   むこうがヤる気ならばヤらない訳にはっ」 

  友女房「姫様ぁ」 


332 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 04:03:28.82 ID:cN7NTMxiP
黒髪娘「――淡雪は誰に零るとも梅の枝に 
 零れてのこらじいにしえの花」 

ひそひそ……ひそひそ…… 

  黒髪娘「この切り返しでどうだ? 
   受ける太刀が有るかどうか、見せてもらおう」 

零る(ふる)と零れる(こぼれる)の重ね遊びだと? 
いにしへの花、は「香さへなつかし」を引くのか 
……妖憑きの姫は古今万巻に通じるとは聞きましたが。 
くぅ、歌がいくら上手くたって、あのように高慢なっ 

二の姫「――」 

(相手をよく見て、相手の話を聞くこと。 
 正しく聞くこと。相手が何を言っているかではなくて 
 “何を言いたいか”を聞くこと) 

黒髪娘「あ……」 
  友女房「ひめ、さま?」 

(喧嘩したいの? 相手がそんなに嫌いなの? 
 違うでしょう。相手の気持ち、見て。 
 よく見ないと駄目だよ。 
 自分が言いたい事じゃなくて相手に届く言葉を選んで) 

黒髪娘「……済まぬ。詠み損じた。 
 ――梅が……梅が香にむかしをとへば淡雪の 
  こたへぬ白よ吾が袖にやどれ」 

333 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 04:08:38.18 ID:cN7NTMxiP
何を……詠んで? 
梅の香りに昔のことを尋ねてみれば答えず 
淡雪の白さもまた答えてくれず、でも、それでも 
袖に留まってくれ? 
なんの歌なの。それは、梅と泡雪で春の歌だけど。 
でも、なんだかとても想いのこもった……。 

黒髪娘「う゛。うぅう……」 

  友女房「姫様。姫様真っ赤です」 

  黒髪娘「恥ずかしいのだ。 
   こ、このような歌っ。頼むから虐めないでくれ」 

  友女房「どういう事か判りませんが……」 

藤壺の君「ふふふふっ」 にこにこ 

  友女房「え? え?」 

二の姫「淡雪と?」 

黒髪娘「その……。二の姫の、唐衣の白が。 
 朧にかすみ、煙ったように美しかったゆえ……」おどおど 

  友女房「へ?」 

二の姫「吾が袖に?」 
黒髪娘「ご、ご迷惑だろうか?」 


335 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 04:17:23.07 ID:cN7NTMxiP
二の姫「いえ。最初から、そう願っていました」 
黒髪娘「あ……」 

二の姫「お友達になりましょう」 にこり 

黒髪娘「感謝する」 ぱぁっ 

え? え? なんで……。 
答えず、なんじゃないのか? それでも……? 

二の姫「歌をかわせば判りますよね。 
 どれだけの歌をご存じなのか、どれだけ気持ちに 
 共感されているか。 
 歌の善し悪しなど、評定するものでもありますまい? 
 黒髪さまの歌はどれも美しかったです」 

黒髪娘「いや、それは……」 

二の姫「でも、最期の歌が一番 
 お心が入っていたように思います」 

藤壺の君「ええ」 

黒髪娘「あれは、その。とっさの……不出来な物で」 
二の姫「良いではありませんか」 

ひそひそ……ひそひそ…… 


337 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 04:26:09.78 ID:cN7NTMxiP
名ばかりの尚侍が……。右大臣家の権力を笠に着て。 
中納言家の二の姫とご友誼を? 信じられません。 
あのような醜女、人と会うことも出来ぬ山だしでは 
ありませんか。話によれば、あれは正腹とも限らぬ 
そうで…… 

二の姫 パチンッ!! 
  友女房 びくっ 

二の姫「藤壺の上の歌会です。 
 自ずと場の品格と云うものが求められましょう。 
 付き人の恥は主の恥……そう思います」 

友女房(うわぁ。二の姫も華奢な姿で 
 清らかでなよやかな姫君かと思いましたが……。 
 その実は悋気の激しい、清冽なお方ですのね) 

黒髪娘「……」 

藤壺の君「歌も一巡りしましたね? 
 では、お茶のご用意などをいたしましょう。 
 宇治よりのものがありまして、先日いただいたのです。 
 皆様にもぜひ……」 

友女房(ふぅ……。これでなんとか一息……) 

黒髪娘「かたじけない」 
二の姫「いいえ。わたくしの我が儘でもありますもの」 

341 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 04:48:12.36 ID:cN7NTMxiP
――藤壺の広間 

しずしず、とぽぽぽ 

  友女房(流石、藤壺の上……。 
   ※女房の一人一人に至るまで洗練されていて 
   流れるような給仕ですね……) 

  黒髪娘「どうした? 友」 

  友女房「あ、いえ。藤壺の上のところの女房さん 
   太刀は立ち居振る舞いが洗練されていて、すごいな、と」 

  黒髪娘「友が一番だ」 
  友女房「――え」 

  黒髪娘「友が一番すごい」 
  友女房「姫様……」 

藤壺の君「お茶が入りました。皆さんどうぞ? 
 それから、茶菓もまた頂きまして」 

友女房 ごくりっ 

※女房:女性の使用人。和製メイド。下級貴族の娘や 
 親戚、妾腹の娘等がなることが多かった。 

342 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 04:51:20.34 ID:cN7NTMxiP
藤壺の君「茶菓の方は、先ほど黒髪の姫から頂きました」 

黒髪娘「うむ。唐渡りの茶菓を 
 当家の料理人に作らせたものだ。 
 今日は梅の香会と云うことで 
 梅の香りにあやかったものを用意してみた」 

参加者「これは……?」 

ふわり 

二の姫「梅の香り、ですね」 
藤壺の君「梅酒の香りでしょうか?」 

友女房(男さんが作ってくれた、梅饅頭です。 
 あの爽やかな甘さならば、 
 きっと居並ぶ姫君の心を開かせることも叶うはず……) 

黒髪娘「桐箱に入っているゆえ、開けて食べてみて欲しい」 

二の姫「これは可愛らしいですね」 
藤壺の君「これは、麦団子なのですか?」 

黒髪娘「麦粉をねって蒸した饅頭という物だ。 
 中身には、小豆の餡が入っている」 

二の姫「小豆の……?」 



350 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 07:14:09.61 ID:cN7NTMxiP
――藤壺の殿、牛車止まり 

男「どうだい、それ?」 

舎人「なんだこりゃ! 美味ぇぇぇ!!」 
雑色「ああ、甘い。食ったこともない味だ!」 

男「梅饅頭、ってんだよ。唐わたりの菓子さ」 

下級女房「おいしいねぇ。すごいねぇ」 
男「もう一個食えよ」 

舎人「でも。んぐっ。良いのかい?」 
雑色「ああ、そうだそうだ」 

男「ん? なんで?」 

舎人「唐渡りってことは、特別な材料が使ってあるんだろう? 
 それに、こんなに綺麗に小さく作ってあって。 
 俺たちみたいな下っ端に振る舞うような……」 

雑色「ああ。これは、もしかしたら雲上人が食うような 
 とんでもないご馳走なんじゃないのかい?」 

※舎人、雑色:男の雑用係。執事、召使い、ガードマン 
時に牛車の御者なども行なう運転手にも。 


351 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 07:21:44.19 ID:cN7NTMxiP
男「あはははっ。いいってことさ。 
 確かに珍しい材料は使っちゃ居るし、 
 滅多に食べられない物だけれど、 
 だからといって遠慮してどうするよ。 
 こいつは右大臣家、黒髪の姫の心遣い。 
 寒い中で待っている舎人や雑色のみなさん 
 女房の皆さんにも差し入れしてあげろってさ」 

下級女房「そうなの? あ、あの……」 
男「ん?」 

下級女房「私の友達は、その。 
 うちの姫のお付きだから、藤壺の中に……」 

男「ああ。うん。わかるわかる。 
 うちのほかの女房さん達もそうだ。お土産だろ? 
 こっちに少しよけてある。悪いな。 
 こっちに持ってきてあるのは、 
 姫達が食べるのを作る時の失敗作とか、 
 半端モノなんだけどさ」 

舎人「とんでもない! 天竺の菓子とはこれのことかと思うぜ」 
雑色「ああ、ほんとうだ。妻にも食わせてやりたいもんだよ」 

下級女房「ありがとうね。雑色さん」 

男「まぁ、今後とも一つ頼むよ」 


353 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 07:29:34.44 ID:cN7NTMxiP
――藤壺の広間 

黒髪娘「梅の実と梅酒の香り付けがある。 
 茶に合うと思うので、良かったら。その…… 
 食べて欲しい」 

ひそひそ……。ひそひそ……。 

二の姫「頂きますわ」 
藤壺の君「ええ、もちろん」 

  友女房(どうですか? どうですか、それ?) 

黒髪娘「……」じぃっ 

藤壺の君「これは……」 
二の姫「甘い。……それに梅の香りと、爽やかさが 
 なんて清々しいのでしょう!」 

  友女房(やった! やりましたよ! 
   これが未来の甘味の実力。いわゆる仕込みですねっ。 
   さすが男さんっ。あの祖父君のお孫さんです) 

黒髪娘「よかった」 ほっ 

二の姫「それにしてもこれは初めて経験する甘露です」 

藤壺の君「ええ。干し柿のようにとろりと甘いですが 
 それよりも蜜のように心くすぐるような……」 

354 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 07:32:11.81 ID:cN7NTMxiP
これは……お……美味しいですわね 
確かにこの蕩けるような小豆の味が……。 
別にこの程度の物、あ。それはわたしのぶんでしてよっ。 
唐わたりの製菓の技まで持つとは。文章博士に匹敵する 
学識を持つというのもあながち…… 

 友女房「姫様。姫さまっ。 
  ……気に入って下さったみたいですよ?」わたわた 
 黒髪娘「うむ」 

二の姫「雅やかな銘菓です」 
藤壺の君「ええ、ありがとうございます」 

黒髪娘「あ、いや……それは男ど……こほんっ。 
 実を言えば、その。 
 まだ余っているのだ。 
 お帰りの時に持ち帰れるよう包んであるゆえ 
 皆様、宜しかったらいかがだろうか? 
 ……。その……。皆様方。 
 わたしは、生来不調法で、このような席を避けていた」 

藤壺の君「黒髪の姫……」 

黒髪娘「にもかかわらずこのような席でご厚情を頂き 
 感謝に堪えぬ。みな、私を悪し様に罵るのも当たり前だ。 
 仕事を果たしてこれなかったし、 
 今後はすこしでも出仕しなければと思っている。 
 ただ、感謝の気持ちだけ、受け取って欲しい……」 


359 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 07:44:18.67 ID:cN7NTMxiP
――藤壺の前庭。 

ざわざわ……牛車回しを……姫のお帰り…… 

藤壺の君「本日はおいで下さって、嬉しかったですわ。 
 黒髪の姫君。美味しい、唐渡りの菓子を、ありがとう」 にこり 

黒髪娘「いえ……その……。 
 藤壺の上のお心遣いで、胸のつかえもとれました」 

藤壺の君「取れたとすれば、それは姫の手柄でしょう?」 

黒髪娘「私はこんなに癇癪持ちなのに、良くして頂いて……」 

藤壺の君「寂しかっただけではないの?」 

二の姫「黒髪の姫の才気は男にも負けないのですから 
 そんなに背を丸めていると世を見誤りますわ」 

黒髪娘「二の姫……」 

二の姫「今度は私の宮にも遊びに来て下さい。 
 黒髪の姫には物足りないかも知れませんが、 
 古謡の歌合わせでも、お茶でもいたしましょう」 

黒髪娘「ありがとう。その……。 
 わたしを、きらわないでくれて」 

二の姫「そのようなことを仰っては駄目ですよ」にこり 


361 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 07:58:46.53 ID:cN7NTMxiP
――建春門の梅の下 

黒髪娘「男殿、男殿っ」 
男「黒髪、そんなばたばた……おいっ」 

かたっ。とっとっと…… 

黒髪娘「っと……。んっ。大丈夫だ。 
 少し躓いただけで。 
 牛車ではまだるっこしくて困る」 

男「なんだなんだ。貴婦人して疲れたのか?」 
黒髪娘「うむ」 

男「クチ尖らせたって駄目だ」 
黒髪娘「そのようなことはない」 

男「ん? どした」 
黒髪娘「いや、ううん」 

男「なんだよ、変だなぁ」 
黒髪娘「胸がいっぱいで」 

男「上手く行ったのか?」 
黒髪娘「全てみんなのお陰だ」 

362 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 08:00:53.47 ID:cN7NTMxiP
男「よかったなぁ、おい。ちゃんと歌も詠めたのか?」 
黒髪娘「わっ。よ、よめた」 

男「偉いな、おい」 わしゃわしゃ 
黒髪娘「男殿に云われたとおり、皆の声を聞いた」 

男「聞こえたか?」 
黒髪娘「……聞こえた」 

男「みんなに嫌われてばかりだったか?」 

黒髪娘「嫌われてもいた。疎まれてもいた。 
 侮られても恨まれてもいた。 
 ……でも、それだけじゃなかった」 

男「そっか」 
黒髪娘「たぶん……おそらく、友人も。 
 できたのだと……思う……」 

男「予想以上の戦火だな」 
黒髪娘「うん……。男殿の……おかげ……」 

男「なんだよ、鼻赤くなって。泣くのか?」 
黒髪娘「泣かないっ」 ふいっ 

363 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 08:04:45.00 ID:cN7NTMxiP
黒髪娘「男殿に、その……」 
男「なに?」 
黒髪娘「礼をしなければならない」 
男「気にするなよ」 

黒髪娘「気になる。私はこれでもう大臣家の娘だ。 
 明経を学んだ身でもある。礼節を逸したくはない」 
男「それはそれで、めんどうだなぁ……」 

黒髪娘「男殿は望まれることはないのか?」 
男「んー」 

黒髪娘「……」じぃ 
男「望み、ねぇ……」 

黒髪娘「私でかなえられる……ことは、その…… 
 たいしてないのだが……何か……」 

男「んー」 
黒髪娘「男殿……」 

男(これは、その……。あれかな。フラグ、なのか? 
 人生初めて過ぎてさっぱり判らんぞ……。 
 どう答えりゃ良いんだ!? 
 女の考えてることわからねぇぞ……) 


365 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 08:15:23.84 ID:cN7NTMxiP
むにっ 

黒髪娘「ひゃい?」 
男「いや、水くさいって云うか」 

黒髪娘「られ、ほっぺらをひっふぁるのらっ」 
男「……雰囲気に耐えきれなかったって云うか?」 

黒髪娘「う゛うう」 

男「礼かぁ。なんか考えておくよ。 
 それより、祝いの方が先だろう?」 

黒髪娘「りわい?」 

男「今回の作戦も成功だったし。 
 舎人や雑色にも恩は売ったしな。いくら貴族がサーバでも 
 結局噂の流通はネットワークである女房や召使いに 
 頼っているようなこの世界じゃ、下を味方につけるのは 
 大きいと思うぞー」 

黒髪娘「??」 

男「いや。友女房とかにも世話になっただろう?」 
黒髪娘 こくり 

男「美味い物でも出して、ねぎらってやれ?」 
黒髪娘「もりろんだ」 


378 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 09:38:20.99 ID:cN7NTMxiP
―― 一月後、黒髪の四阿、炬燵の間 

男「まだまだ炬燵が有り難いなぁ」 
黒髪娘「そうだな。朝夕は特にだ」 

男「それなに?」 
黒髪娘「宿曜道の本だ」 

男「宿曜道ってなに?」 

黒髪娘「暦道と占いの混ぜたような物かな。 
 僧都が学ぶ物だけど、なかなか興味深い」 
男「勉強好きな」 

ペラッ 

黒髪娘「むぅ……。その……好きだぞ? 勉強は。 
 以前みたいに、出世とか、そう言うことを 
 考えなくても。私が、私のままで……。 
 好きだ……けっこう」 

男「それでいーじゃんよ」 
黒髪娘「む」 

男「?」 

黒髪娘「そのミカンは私の分ではないか?」 
男「あ。すまん」 

379 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 09:44:23.04 ID:cN7NTMxiP
黒髪娘「最期の一個とっておいたのに!」 
男「いや、悪い悪い。半分食うか?」 

黒髪娘「当たり前だ」 
男「ふふふっ」 

黒髪娘「ミカンは丁寧に剥くのが……ん?」 
男「いいや、なんかさ」 

ぺらっ 

黒髪娘「うん」 
男「ずいぶん打ち解けたというか。良い感じになったよな」 

黒髪娘「?」 

男「黒髪もさ、表情が柔らかくなった」 

黒髪娘「そのようなことはない。 
 私は常に礼節には気を遣うほうだ」 
男「そりゃ最初からだったけどさ」 

黒髪娘「うむ」 
男「いまは、結構なれてきたでしょ?」 

黒髪娘「そうかな?」 


380 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 09:47:29.68 ID:cN7NTMxiP
男「馴れた馴れた」 
黒髪娘「何か釈然としない物を感じるが」 

ペラッ 

男「そうか?」 
黒髪娘「うむ」 

男「ほら。剥けたぞ。……ほれ」 

黒髪娘「ん」ぱくっ 「……美味しい。ありがとう」 

男「どういたしまして」 

黒髪娘「……むむむ。戌羯羅は金星にして宵を過ぐる、か」 
男「難しそうだな」 むきむき 

黒髪娘「夜空を彷徨う九星についてらしいのだが。 
 これは明けの明星について話しているようだ。 
 しゅくら、と読むのかな? 梵語は話せないから」 

男「ほれ、もう一個……」 

黒髪娘「ん」ぱくっ 「……ひんやりして美味しいな」 

男「だよなぁ」 


383 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 10:07:21.49 ID:cN7NTMxiP
 がたーん! 

黒髪娘「?」 
男「どうしたんだ」 

ばたーん。どたたたたっ。 

黒髪娘「なんだ、騒がしい」 

友女房「姫様っ。大変ですっ」 
黒髪娘「何があったのだ。友」 

男「どうしたんだ?」 

友女房「桐壺様のお付きの者がこちらにっ」 
黒髪娘「なにゆえっ!?」 

男「どうゆうこと?」 

友女房「た、大変ですよ。 
 どうやら今回ばかりは探索というか、 
 無理矢理にでも見つけるつもりかと」 

黒髪娘「いや、それどころではない。 
 ほら、先月末の楽の会を」 

友女房「そ、そうでしたっ」 


384 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 10:11:43.42 ID:cN7NTMxiP
男「ちょっとまってくれよ。どういう事なんだ?」 
友女房「男様っ。そうだ、男様だってまずいですよっ!」 

黒髪娘「いや、今さら些末なことだっ。 
 それよりまずい。まずいな……。 
 私はここにいないことになってるし……」 

男「どうゆう事なんだ?」 

友女房「先月の歌会から、話が姫も多少は 
 宮中での株が持ち直しまして」 

黒髪娘「多少と云ってくれるな」 

友女房「珍しい物見たさと云いますか、 
 あちこちの歌会やらお茶会からたまに声が 
 かかるようになったのですよ。 
 姫君も、時間が余りかからないような 
 小さな会を選んで数回は顔を見せたのですが、 
 中でも強烈にお招きを下さっているのが 
 桐壺さまでして……」 

黒髪娘「はぁぁ……」 

男「それが、どうだめなんだ?」 

386 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 10:15:11.82 ID:cN7NTMxiP
黒髪娘「桐壺様は後宮では大きな権勢を 
 持っていらっしゃるのだ。 
 しかしもうお歳もめしはじめていらっしゃるし 
 今上帝の寵も薄れつつあるとの噂。 
 要するに、藤壺の上に強烈な対抗意識を 
 持っているのだ。 
 私を誘うのも私自身に興味があるわけではなく、 
 藤壺の上との間のもめ事に利用しようという気持ちなのだろう。 
 それが面倒で、何回も断っていたのだ」 

男「ふぅん。断っていたのなら別にいいんじゃね?」 

黒髪娘「いや、そのぅ……」 

友女房「断る時の口実が問題でして。 
 姫は気鬱の病のせいで吉野の別宅へ 
 静養に行っていると云うことになっているのです。 
 ひと月ほどのことですが」 

男「え?」 

友女房「ですからここにいるのが見つかると 
 非常にまずいんですよ」 

黒髪娘「引きこもっていれば 
 絶対にばれないと思ったんだが……」 


388 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 10:18:45.20 ID:cN7NTMxiP
男「どうしてそう言う隙だらけの作戦を立てるっ」 

黒髪娘「う゛。し、しかしっ。 
 この庵を留守にすると、男殿の長びつが 
 無防備になってしまうではないか」 

男「連絡しておいてくれるなりすれば、そんなのさ」 

友女房「す、すみませんっ。お二方。 
 いまは火急の時ですので、どうかご容赦をっ」 

黒髪娘「そうだな。えっと、その使いの者は 
 どれくらいでこちらにくるのか?」 

友女房「おそらく、半時もかからぬうちに」 

黒髪娘「ではいまから牛車を仕立てても……」 

友女房「ええ、絶対ばれてしまいますね」 
黒髪娘「くっ……。何か手はないのか」 

友女房「いっそ、女房の服で夕闇に紛れ……」 
黒髪娘「しかしそれで実家へ帰ろうと、 
 実家の方も張られている公算が高い。 
 どうも私に疑いを持って確認に来ているようだし」 

男「……あー。んぅ……なんだ。 
 ひとつばかり、一応思案があると云えば……あるんだが」 

390 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 10:30:50.69 ID:cN7NTMxiP
――祖父の田舎屋 

がたがたっ。どてっ。 

黒髪娘「っくぅっ」 
男「大丈夫か?」 

黒髪娘「かたじけない。男殿。……風の香が」 
男「やっぱ違うよな」 

黒髪娘「ここは……」 
男「話しただろう。爺ちゃん家の納戸だ」 

黒髪娘「そうか。ん……」 
男「足とか、平気か? 捻ってないか?」 

黒髪娘「大丈夫のようだ。いまは何時頃なのだろう? 
 表はほのかに明るいようだが、夜明け前だろうか?」 

男「いや」すちゃっ 「――殆ど真夜中だな」 

黒髪娘「あの白い灯りは?」 

男「水銀灯だよ。防犯のために、夜を照らしている」 

黒髪娘「そうか……。本当に、別の世界なのだな」 

男「まぁ、気楽にしてよ。ようこそ、二十一世紀へ」 


394 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 10:40:03.65 ID:cN7NTMxiP
――男の実家 

姉「どーしたのよ、あんた。こんな時間に」 
男「しーっ。声、でかい姉ちゃん」 

姉「なんなの? 父さんの出張に母さんも 
くっついてっちゃったから誰もいないわよ?」 

男「そっか、なら、まぁ。いいけど」 

姉「どうしたのよ? こんな夜中に? 犯罪?」 
男「いや、ちげぇって」 

姉「むー。たいした用事じゃないんだったら老後にしてよ。 
 あたし年金生活になったら暇になる予定だから」 

男「姉ちゃんを見込んでたのみがあるんだ」 
姉「金なら借りたい位よ?」 

男「ちがうって、その……さ。 
 いや、なんて云えばいいかな。そのぅ……。 
 決して問題がある事情って訳じゃないんだけど」 

そぉ 

黒髪娘 ぺこりっ 


395 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 10:53:58.80 ID:cN7NTMxiP
姉「かっ!」 
黒髪娘 びくっ 

姉「可愛い~♪ わ。わ。なにこれ! まじ!?」 

ぎゅむっぎゅむぅぅぅ~!! 

黒髪娘「!?」 

男「いや、姉ちゃん。ごめん、そいつ死んじゃうから」 

姉「なによ。ははぁん。これがあれ? 例の。 
 難易度SSの女子中学生?」 

男「まぁ……そうなる……かな」 

姉「可愛いわねぇ。すっごいちいさいのっ。 
 それに何これ、こんなに長い黒髪とかっ。 
 あんたどんだけフェチはいってるのよっ!? 
 いっやぁ。フィギュア買う程度かと思ってたけど 
 この姉ちゃんもおそれいったわ! いやぁ参った!!」 

男「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」 

397 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 11:02:32.32 ID:cN7NTMxiP
――男の実家、居間 

姉「やぁ。ごめんね。あたし、こいつの姉。 
 この家に一緒に住んでる。 
 まぁ、こいつはいまは半分くらい爺ちゃんの家に 
 寝泊まりしてるんだけどねー」 

黒髪娘「お初にお目にかかります。 
 わたしは黒髪ともうします。 
 弟御にはいつもいつもお世話になっています。 
 その恩を返す事も出来ずこのように 
 尋ねてきてしまいましたが 
 どうかお見知りおき下さい……」 おずおず 

男「あー」 おろおろ 

姉「ちょ……ごめ……」 ぐいっ 
黒髪娘「?」 

  姉「ちょっとあんた、あたしを萌え殺す気? 
   鼻血でそうじゃない、あの態度。 
   髪の毛サラサラで卵肌に潤んだ瞳よ。 
   なんであんなに奥ゆかしくて清楚なのよ!? 
   あれ絶滅危惧種だから。大和撫子だから。 
   お姉ちゃんの物にするから」 

  男「なんでそこでそうなるっ」 

黒髪娘「あの……。こんな余分に、本当にご迷惑を」 



399 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 11:09:27.33 ID:cN7NTMxiP
姉「いや、迷惑なんかじゃないですから」くるっ 
黒髪娘「そう……ですか?」 

男「お茶、煎れようか」 
姉「ああ、さっさと煎れてくるように」 
男「わかったよ」 

姉「黒髪ちゃんか。ん、素敵な名前だね」 
黒髪娘「ありがとうございます」 

姉(ふぅん……。男のTシャツにカーゴパンツ、ねぇ。 
 どこで着せたのか。“着る物もなかった”のか……。 
 やっぱり訳ありの“難しい娘”ってやつなのねぇ) 

黒髪娘「どうされました?」 

姉「ううん。なんでもないよ」 

男「おー。茶を入れたぞ」 
姉「どうぞ、温かいよ」 
黒髪娘「はい」 

姉「ハイとか言って。すげぇ清楚だよ。撫子だよっ」 
男「興奮するなよ。姉ちゃん」 


402 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 11:15:36.82 ID:cN7NTMxiP
姉「で、弟はお姉ちゃんになんのお願い有るのかな」 

男「まぁ、幾つかあるんだけどさ。 
 まずはこの黒髪を風呂入れてやって欲しいんだ。 
 こいつ、多分こっちのことは相当に疎いから」 

姉「ふぅん。……聞かない方が良い?」 
男「事情は聞かないでくれれば助かる。 
 そうだなぁ……帰国子女だと思ってもらって間違いない」 

姉「いいよ。それくらい」 

男「それから着る物なんだけどさ。 
 適当な女物見繕ってやってくれるかなぁ」 
姉「んー。あたしの古着って訳にもいかないよね」 

男「バイト代入ってるから、出せる」 

姉「夜が明けたら買いに行くとかで良いの?」 

男「うん」 

姉「一応聞いておくけどさ。しばらく一緒に住むつもり?」 

男「爺ちゃんの家でな。大丈夫。五日間だけだし 
 姉ちゃんがおもってるような悪いことはなんにもないし 
 俺も、そんな事するつもりはないから」 


446 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 19:10:18.23 ID:cN7NTMxiP
――夜中のバスルーム 

姉「さ、脱いだ脱いだ」 
黒髪娘「あ、いえっ。その。うわぁ」 

姉「ん? ん? やっぱりちょっと小さめね」 
黒髪娘「ううう。このように明るいところで。 
 まるで昼間のような灯りではないか……ですか」 

姉「そりゃお風呂だもん。寝室みたいに 
 暗くするわけにもいかないでしょ。……恥ずかしい?」 

黒髪娘「恥ずかしく……ありますが」 

姉「大丈夫大丈夫。気を楽に」 
黒髪娘「……う゛ぅぅ」 

姉(それにしても、このうっすらあばらの浮いた 
 細っこい身体とか。そのくせ膨らんじゃってる胸とかっ。 
 その身体に絡みつく滑らかな黒髪とかっ!! 
 弟、あんた趣味よすぎっ) 

黒髪娘「その……」 

姉「ん?」 

黒髪娘「私はどこか変か……ですか?」 


449 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 19:12:58.54 ID:cN7NTMxiP
姉「いやいや。綺麗な物だよ」 
黒髪娘「そうですか」 ほっ 

姉「ほら、こっちきて。流すから」 
黒髪娘「あっ……」 

姉「熱かった?」 
黒髪娘「いえ、温かいです」 

姉「おっけーおっけー」 

黒髪娘(こんなに明るくて、夜中に誰の助けも 
 借りることなく湯殿に湯を用意させられる……。 
 男殿の家は貴族なのか? それともこの世界では 
 全ての人々がこうなのだろうか……) 

姉「ん。まずは暖まろうか。髪の毛はまとめちゃおうね」 
黒髪娘「まとめる?」 

姉「うん、束ねて、結おう。大丈夫後で綺麗に洗って上げる」 
黒髪娘「お手数をおかけします」 

姉「ううん。こんなに綺麗だもの。触っていて楽しいよ」 
黒髪娘「そうですか?」 かぁっ 

姉「これは、宝物だね」 
黒髪娘「はい……」 

451 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 19:19:08.12 ID:cN7NTMxiP
姉「熱くない?」 
黒髪娘「心地良い……です」 

姉「んー。堅いかな-。もっと砕けた口調でも良いんだよ?」 
黒髪娘「う、う……む」 かぁっ 

姉「ふふふっ」 

ざっぱぁ~ 

黒髪娘「姉御殿は子細を詮索せぬのだ……ですね」 
姉「まぁね」 

黒髪娘「……」 
姉「あのばか弟が内緒だっつーんだから内緒なんでしょうよ」 

黒髪娘「弟御を信用なさっておいでだ」 

姉「あはははは。信用じゃないんだってさ」ははっ 
黒髪娘「?」 


452 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 19:23:40.58 ID:cN7NTMxiP
姉「あれはねぇ、へたれだからね。 
 へたれが昂じてDTだからね~」 

黒髪娘「??」 

姉「まぁ、その分大事なものは判るでしょうよ。 
 人の大事な物に口出しするのは 
 無粋って。ただそれだけよ」 

黒髪娘「無粋、ですか」 

姉「おやおや。真っ赤だ」 
黒髪娘「はい」 にこっ 

姉「ゆだったかなぁ。おいで。髪の毛洗おう?」 
黒髪娘「はい、姉御殿」 

姉(む。……良いわぁぁ。 
 この腕の中にすっぽり収まる華奢な身体。 
 まじで鼻血物だわ、さすが難易度SS!) 

黒髪娘「どうされました?」 

姉「いえいえ。さ、座って」 

黒髪娘 ちょこん 




457 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 19:40:44.64 ID:cN7NTMxiP
――男の実家、男の自室 

かちゃ…… 

黒髪娘「……湯浴みからあがった」 
男「ん。そか」 

黒髪娘「その、服を、貸してもらった」おろおろ 
男「どうした? 入れば? 廊下寒いだろう」 

黒髪娘「湯浴み上がりで寒くはないのだが。 
 ……服が落ち着かない」 

男「どうした……う」 
黒髪娘「変か? やはり変なのだな? 薄物だし」 

男(なんで素肌ワイシャツなんだよ……!? 
 ね、姉ちゃん。あんた何考えてるんだっ) 

黒髪娘「寝具に入れてもらうと良いと」 
男「あ。ああ。ほら、ベッド使って良いぞ」 

黒髪娘「べっど……」 
男「この台だ。布団ひいてあっから」 


462 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 19:45:16.56 ID:cN7NTMxiP
もそもそ 

黒髪娘「男殿は眠らぬのか?」 
男「あー。うん」 

黒髪娘「それでは寒かろう?」 
男「気にするな」 

黒髪娘「この寝具は男殿のものではないのか?」 
男「うん、そうだ。……悪いな、そんなので」 

黒髪娘「いや……これが良い」 すりっ 
男「そっか」 

黒髪娘「温かくて、良い香りだ」 
男「そうかぁ?」 

黒髪娘「先ほど、姉御殿にしゃんぱうをして頂いた。 
 桃の香りなのだ。桃の湯で洗うとは驚いた」 

男「ああ」(そっちの匂いか。びびった) 

黒髪娘「ほら、男殿」 
男「?」 

464 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 19:52:49.03 ID:cN7NTMxiP
男「どうした?」 
黒髪娘「桃の香なのだ。そうであろう?」 くいっくいっ 

男「ああ。うん、そうだな」 
黒髪娘「姉御殿は優しくしてくれたし、褒めてくれた」 

男「そうか」 

黒髪娘「この髪を褒めてくれたのだ」 

男「ああ、立派な髪だ。 
 ……こっちでは、そこまで長い黒髪は珍しいんだよ。 
 女でもあちこち出掛ける時代だから。 
 長い髪は動くには不便だろう?」 

黒髪娘「わたしも切った方が良いだろうか?」 

男「もったいないよ」 

黒髪娘「そうか。……そうだな。 
 私の女としての麗質の、殆ど唯一だし」 ごにょごにょ 

男「肩まで布団に入らないと寒いぞ」 

黒髪娘「でも、男殿と話していたいのだ」 

465 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 19:59:57.34 ID:cN7NTMxiP
男(やばいな。……なんか、こっち来てから 
 可愛らしさが二倍に見える。 
 やっぱり平安時代の明かりやら服装じゃ 
 こっちからみたら駄目コスプレだもんなぁ。 
 普通<現代風>の格好してたら美少女じゃんよ。 
 犯罪だろ、これは) 

黒髪娘「どうされた?」 
男「いや、なんでもない」 

黒髪娘「全てが明るい。……闇がないのだな」 
男「うん、便利さを追い求めた結果だな」 

黒髪娘「なんだか……とても恥ずかしかった」 
男「明るかったからか?」 

黒髪娘「それもあるが、姉御殿が男殿の姉御だと 
 おもうと、その……とつぎ先のようで。 
 ううう……姉御殿には嫌われたくないので」 

男「ん? うちの姉ちゃんはそんなに簡単に 
 人を嫌ったりはしないよ。ああ見えて度量はあるから」 

黒髪娘「そうでもあろうが……。そうだ。 
 男殿も寒そうではないか、この寝具に」 

男「それはダメ」 
黒髪娘「そうすれば話しやすいのに」 

467 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 20:03:39.66 ID:cN7NTMxiP
男「良いから寝ちゃえ」 
黒髪娘「男殿……は?」 

男「俺はちゃんと毛布とか有るし、 
 暖房もあるし、平気なの。ちゃんとここにいるから」 

黒髪娘「ん……」ほっ 
男(やっぱ、一人で放り出されるのは、怖いよな……) 

黒髪娘「この寝具は……温かいな……」 
男「だな」 

黒髪娘「……すぅ」 
男「……」 

黒髪娘「……すぅ……くぅ」 

男(前髪、細いな……。額にかかって……)」 

黒髪娘「んぅ……」 

男(眠るとこんなに子供みたいな顔で……) 


472 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 20:33:18.36 ID:cN7NTMxiP
――男の自室、遅い朝 

男「……んぅ」 
黒髪娘「すぅ……すぅぅ……」 

男「……なんで。こっちにいる?」 
黒髪娘「すぅ……くぅ……」 きゅ 

男(落ち着け……おれ!! 
 多分寝ぼけて、じゃなきゃ心細くて 
 ベッドから俺の布団に来たんだろうけど……。 
 それにしたって、●ワイシャツ薄すぎだろっ! 
 相手は十二単での生活だったんだぞ。 
 こっちが馴れてないのに~っ) 

黒髪娘 もぞもぞ「あ……んぅ……」 

男「おはよう」 
黒髪娘「おはよう……男殿」 

男「肩、抜かせてな」 そぉっ 
黒髪娘「んぅ……温かい……」 

男「はいはい。もうちょっと寝てて良いから」 
黒髪娘「感謝する……すぅ……」 

男(心臓にわるい……) 

474 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 20:39:54.95 ID:cN7NTMxiP
黒髪娘「んぅ……おはよう、ございま……」 

黒髪娘「……うぅ。……ん」 ぽやぁ 

黒髪娘「友……? 友、手水を……。あ」 
 (そうか。私は……。男殿の世界に) 

かちゃ 

男「ああ、目が覚めたか? 
 ずいぶんしっかり寝ちゃったな。 
 もう昼前みたいだぞ」 

黒髪娘「そうか。あの……。 
 布団を奪ってしまったか? すまない」 

男「ああ、気にするな。おなかすいたか? 
 姉ちゃんはもう出掛けた。手紙残ってた。 
 服を調達に云ってくれたみたいだ。 
 行儀悪いけれど、もうちょっと俺の服で過ごしてくれ。 
 夕方前には戻ってくるよ」 

黒髪娘「色々お手数を掛ける」 
男「任せとけ」 

黒髪娘「うむ」 
男「飯にしようか」 


478 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 20:46:24.08 ID:cN7NTMxiP
――男の実家、ダイニングキッチン 

黒髪娘「これは……」 

男「えーっと。パンと目玉焼きと、ジャムと。 
 クラムチャウダーなんだけど……」 

黒髪娘「未来の料理か」 
男「まぁ、そうなる」 

黒髪娘 どきどき 
男「知的好奇心100%の表情だな」 

黒髪娘「食べてみたい」 
男「もちろん。どうぞ。……んじゃ頂きます」 

黒髪娘「頂きます」 

かちゃ、ちゃ…… 

男「どう?」 
黒髪娘「うむ。この汁物は……貝か。 
 何ともいえぬ豊かな味わいだ!」 にこっ 

男「良かった」 


482 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 20:52:12.55 ID:cN7NTMxiP
黒髪娘「このパンなるものの柔らかきこと……」はむっ 
男「気に入ったみたいで良かったよ」 

黒髪娘「朝からこのような馳走をいただいている。 
 感謝としか言いようがない」 

男「ん?」 

黒髪娘 もたもた 

男「ああ。ジャム塗るよ」 
黒髪娘「これは、塗る物なのか?」 

男「そう。パン貸してね。……こうやって、こう」 
黒髪娘「ふむ」 

男「わかった?」 
黒髪娘「理解した。……それにしても」 

かちゃ、ちゃ 

黒髪娘「何もかも手間を掛けさせることばかりだ。 
 申し訳なくて、消え入りたくなる」 

男「なんだそんなことか。俺が向こうに行ってた時は 
 俺の方が世話になっていたじゃないか。おあいこ様だよ」 

483 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 20:56:47.62 ID:cN7NTMxiP
黒髪娘「そうであってくれれば良いのだが」 
男「気にすることはないって」 

黒髪娘「ん。これは! この味覚は!」 
男「だめだった? うちは姉ちゃんの方針で 
 イチゴジャム禁止なんだわ」 

黒髪娘「それは判らぬが、これはミカンか。 
 なんと爽やかで、甘く、芳醇な味わいだろう!」 ぱぁっ 

男「気に入ったか」 

黒髪娘「うむ。これは美味しい! 大変美味しい!」 

男「あはははっ。いいから、ちょっと拭け」 くすくす 
黒髪娘「む?」 

男「ほら、口だして」 きゅっ 
黒髪娘「これははしたないところを見せた」 

男「いや、良いよ。くはははっ」 



485 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 21:04:10.57 ID:cN7NTMxiP
がちゃん 

姉「あ、ご飯中?」 
黒髪娘「姉御殿」 
男「お帰り、姉ちゃん。早かったね」 

姉「まぁね。朝早めから行ってきたし」 
黒髪娘「ど、どうぞ。こちらへ」 

姉「ありがとうねぇ、黒髪ちゃんっ」むぎゅん 
黒髪娘「うう」 

男「姉ちゃんも何か食うか?」 

姉「あたしテキサスマックバーガー食べてきたから」 
男「そっか。じゃ、何か入れるよ」 
姉「紅茶が良いな」 

男「ほいほい」 
姉「~♪」 
黒髪娘「どうしたのですか?」 

姉「いやいや。美少女と一緒のランチは目の保養ですよ」 
黒髪娘「??」 


497 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 21:24:12.97 ID:cN7NTMxiP
コトン 

男「ほいよ、紅茶だぞ」 
姉「さんきゅー!」 

男「黒髪のも入れるな。これは、紅い茶なんだ。 
 甘くして飲んだりする」 

黒髪娘「いただき……ます」 

男「姉ちゃんの前だと大人しいのな」 
姉「気にすること無いのに」 
黒髪娘「そんな事はない……です」じっ 

男「ぷくくっ」 

姉「まぁ、食事の後は着せ替えね! 自信作だからっ」 
男「なんか色々思いやられる」 

黒髪娘「お世話になります」 
姉「くぁ! 可愛いっ!」 

黒髪娘「うう」 

男「晩飯はどうしよっか?」 
姉「あ。鍋にする。弟が作って」 

男「ほいほい。飯の後、爺ちゃん家へ移動すっから」 

508 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 21:38:10.55 ID:cN7NTMxiP
――夕方、男の住む街 

黒髪娘「……」おどおど 
男「そんなにおっかなびっくりじゃなくても」 

黒髪娘「ばれたりはせぬか?」(小声) 
男「大丈夫だって。同じ人間じゃない」 

黒髪娘「そうでもあろうが、こ、このような髪の 
 持ち主は居ないではないか。みんな、短いし……」 

男「いーの。黒髪は、その髪が綺麗なのっ」 
黒髪娘「そう言ってくれるのは嬉しいが」びくっ 

男「?」 

黒髪娘「いますれ違った婦人、 
 こちらを見て笑っていなかったか? 
 くすくす笑っていなかったかっ!?」 

男「お前、本当に引きこもりなのな」 

黒髪娘「出歩く時に牛車がないなんてっ。 
 こうやって周囲に壁がない広い空間に出ると 
 落ち着かないんだっ。うううっ」 

男「ハムスターみたいなやつだなぁ」 


511 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 21:44:10.72 ID:cN7NTMxiP
黒髪娘「あれはなんだ?」 
男「ああ、ポストだ。郵便…… 
 んっと、手紙とかを入れると届けてくれる」 

黒髪娘「あの赤い箱が届けてくれるのか?」 

男「いや、ちがうちがう」はははっ 
 「こっちでは、雑色とか女房とか、居ないんだよ。 
 みんなが平民みたいな物だから。 
 だから、手紙を届ける専門の人がいて、 
 あの赤い箱からみんなの手紙を取り出して 
 一通ごとに、宛先の……つまり手紙を書いた人が 
 届けて欲しい相手に届けて回るんだよ」 

黒髪娘「ふむふむ……あ、あれは? もしかして」 

男「あれはただのラーメン屋だ」 
黒髪娘「らあめん? こんびにではないのか」 

男「こんびには、そら。あっちの明るいのだ」 

黒髪娘「おお。あれがコンビニか!」 
男「寄りたいのか?」 

黒髪娘「うむ。い、いや……沢山人がいるな。 
 いまは、その……任務があるからまたの機会に」 

男「くくくくっ。そうだな。先にスーパーいくか。 
 なぁに、スーパーもコンビニも似たようなものだ」 


518 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 22:03:59.41 ID:cN7NTMxiP
――スーパー「主婦の店いずみ」 

んがー 

黒髪娘「開いたっ」 
男「自動ドアだって。ほら、えーっと。なんだ。 
 俺の後くっついてきてな? 見回しても良いけれど 
  走り出したり迷子になったりするなよ」 

黒髪娘「自慢ではないが、走るほどの体力はない」 

男「ぷくくくっ」 

黒髪娘「この煌びやかな寺社はなんなのだ?」 

男「寺社じゃないよ。商店、つまりあー。 
 商いの店だ。こうやってた何ある物は全部売ってるんだよ」 

黒髪娘「これほどの物を商っているのか。 
 で、物売りはどこにいるのだ?」 

男「この加護に、欲しいものを入れていって、 
 最期に物売りと話をするわけ」 

黒髪娘「そうか……。今宵は何を買うのだ?」 

男「んー。そうだなぁ、今晩の食事と。 
 おやつを少しばかりと、明日の分と……」 



520 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 22:07:07.83 ID:cN7NTMxiP
男(こいつはこっちの世界のこと、何も知らないだけで 
 別に馬鹿じゃない門な。むしろ賢くて聡明といっても 
 良いくらいな訳で……) 

男「そうだな。普通の男が一日汗水流して働いて 
 5千から2万くらいかな。こっちの通貨は円と云うんだけど」 

姉「ふむ。では、この菜を毎日50個も食すことが出来るのか。 
 いや、しかし、一族郎党となるとそれでは」 

男「だから、貴族は居ないからさ。 
 もちろんそれ以上稼ぐ人もいるけれどな。 
 大抵は、お父さんが一家4、5人を食わせればそれで済む」 

黒髪娘「そうなるのか」 

男「豆腐と……何鍋が良いかな。黒髪は何が良い?」 
黒髪娘「判らない。男殿に従う」 

男(やっぱり、何となくでも覚えのある味だと安心するよな。 
 俺もそうだったし。そうなると、塩か、味噌か。 
 醤油は、醤(ひしお)とはちょっと味が違ったしな。 
 考えてみれば、みりんもないのか?) 

黒髪娘「?」 

男「うっし、きまった。味噌だな」 


527 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 22:21:50.50 ID:cN7NTMxiP
――男の自宅、夜の食卓 

ぐつぐつ 

黒髪娘「これはよい香りだ」 そわそわ 
男「まだ蓋開けちゃダメだからな」 

黒髪娘「心得ている」 
男「姉ちゃんも、開けようとしないっ」 

姉「いいじゃん、ちょっとくらい」 
男「湯気が逃げると、煮えるの遅くなるでしょ」 

姉「しゃぁないなぁ。あ。ビール」 
男「はいはい」 

姉「黒髪ちゃんは?」 
黒髪娘「わたしは」 
男「黒髪は、まだ酒はダメです。はい、お茶ね」 

姉「ちぇっ」 

黒髪娘「ふふふっ」 
男「ったく」 


529 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 22:29:52.93 ID:cN7NTMxiP
姉「それにしても、どう?」 
男「どうって?」 きょとん 

姉「とろいなぁ。黒髪ちゃんの格好よ」 
黒髪娘「あ……」 
男「それは、そのー」 かぁっ 

姉「どうよ、この姉! みんなの希望の星! 
 庶民のスーパースターお姉ちゃんの見立てはっ! 
 まず、この胸元のタックっ! 清楚な中にも 
 可憐さを演出する臙脂色のリボンタイっ!! 
 そして極めつけはっ!」 

がたっ、だたんっ。 

黒髪娘「ひゃっ!?」 

姉「この 黒 タ イ ツ っ!!」 
黒髪娘「うっ。ううっ」 

姉「黒髪っ娘×黒タイツっ。 
 この禁欲的な組み合わせに胸ときめかないやつは居る? 
 板としてもそいつ非国民だから。 
 割り当て的には衛星軌道の外だからっ!」 

男「それ非国民じゃなくて非地球民じゃんよ……」 


538 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 22:49:37.74 ID:cN7NTMxiP
姉「で、どうなの」ずいっ 
黒髪娘「……うう」 

男「な、なにが?」 
姉「黒タイツよ。黒髪ちゃんの……」 

男(あ、あ。ああ……う。 
 ……ぐ……。 
 く、悔しい。 
 悔しいがっ。 
 姉の云うことにも……一理ある……。 
 似合う。 
 似合いすぎている……っ。 
 俺が福本漫画なら悔し涙を流しているところだが……) 

姉 にやにや 
黒髪娘「……滑稽だろうか?」ちらっ 

男(上目遣いしないでくれっ。 
 ただでさえ、身長差があっていろいろ 
 いっぱいいっぱいなんだからっ) 

男「い、いや。似合う……んじゃねぇすか?」 
姉「あ。逃げた」 

男「ニゲテナイ」 
姉「●●が逃げた」 


545 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 23:00:18.08 ID:cN7NTMxiP
姉「あんたねー。女の子可愛い服着てたら 
 褒めるっしょ? それ基本でしょ? 
 基本外したら落とすよ? アクシヅ」 

男「うろ覚えのにわかオタネタやめようよ」 

黒髪娘「……」そわそわ 

男「あー。可愛い。すごく似合う。 
 こっちのどんな娘より 
 美人で綺麗だから、安心しろって」 

黒髪娘「う、うむ……。ありがとう」 

姉(“こっちの”?) 

黒髪娘「軽くてふわふわ頼りなくて落ち着かぬが 
 そう言って貰えると、本当に嬉しい……」 

男「調子狂うな」 
姉「まぁ、いいじゃない。煮えた?」 

男「もうちょっと」 

姉「ふぅん」 にやにや 
 「あんた達二人はゆでだこみたいに、 
  良く煮えてるみたいだけどね~」 

男「うっさい!!」 

556 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 23:24:35.66 ID:cN7NTMxiP
――その夜、男の祖父の家 

がらがらがら…… 

男「疲れただろう?」 
黒髪娘「少し」 

男「うそつけ。引きこもりなんだからぐったりのくせに。 
 わるいな、ほんとに。騒がしい姉ちゃんでさ。 
 悪いやつじゃないんだけどな。 
 ゆるしてくれよ。 
 まぁ、ほら、あがって」 

黒髪娘「ん。その……」 
男「?」 

黒髪娘「いや、その。この……」 
男「ああ。靴な」 

黒髪娘「沓(くつ)ならば判るのだが」 
男「いま、脱がしてやるよ」 

黒髪娘「んぅ……」 
男「ほら、もじもじしない」 


557 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 23:30:39.35 ID:cN7NTMxiP
黒髪娘「しかし。殿方に沓を脱がさせるとは。ううう」 
男「?」 

黒髪娘「恥ずかしい……」 

男「~っ! 恥ずかしがられると、 
 こっちが余計に恥ずかしいっ」 

黒髪娘「済まない。その……抵抗しないので…… 
 出来れば、手早く済ませてくれると……」 

男(こいつ計算抜きでこれ云ってるヨ……) 

黒髪娘「ひゃ……」 

男「なんだよ」 

黒髪娘「ちょっとヒヤっとしただけだ。 
 なんでもない。私は冷静だぞ」 かぁっ 

男「うううっ……」 

黒髪娘「もう、良いか?」 
男「うぐ。うんっ。もう出来た、ほら、行くぞっ?」 

黒髪娘「判った」 すくっ。……っとっと 
男「手を貸せ。……こっちな?」 

559 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 23:38:43.61 ID:cN7NTMxiP
――祖父の家、和室。並べた布団で。 

黒髪娘「姉御殿はよかったのかな……」 
男「良いんじゃないか。多分、明日か明後日には 
 こっちに顔を出すと思う」 

黒髪娘「うむ……。賑やかになるな」 
男「あっちの方が良かったか?」 

黒髪娘「あちらのほうが都の中心に近いのであろう?」 
男「都、と云うか……駅には近いかな」 

黒髪娘「で、あれば、こちらの方が落ち着く」 
男「そっか。うん、そのせいもあって 
 こっちに来たんだけどな。 
 急に色々見ちゃうと、パンクしちゃうだろう。 
 少し見聞をならさないとな」 

黒髪娘「感謝する」 

男「いえいえ。ちょっと馴れたら、お出かけにも 
 連れてってやるよ。本屋とか、見たいだろう?」 

黒髪娘「もちろんっ。それは、その……。 
 もしかすると、でいと、と云うものか?」 

男「でいと? あ。ああ……まぁ、そう……かな」 

黒髪娘「そうか」 にこり 

560 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 23:42:47.56 ID:cN7NTMxiP
黒髪娘「男殿……は」 
男「ん?」 

黒髪娘「いや……良いのか? こんなに世話をさせて」 

男「たかだか五日やそこらだろう? 心配するなよ。 
 黒髪はまだ14で子供なんだから甘えておけ」 

黒髪娘「わたしは……子供か……」 

男「あー。うん。……そだな。 
 前も話したけれど、こっちの世界では 
 二十歳で成人を迎える。元服、みたいなものかな。 
 だから、黒髪の歳は、まだ、子供だ」 

黒髪娘「……うん」 

男「でも、黒髪の世界では子供じゃないんだよな。 
 いや、それは判ってる」 

黒髪娘「いや……子供だ……」 

男「へ?」 

黒髪娘「成人とは元服のような物なのだよな? 
 女子のそれは裳着(もぎ)と呼ぶのだが……。 
 それはおそらく、この世界において 
 独り立ちを意味するのだろう……?」 

562 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/21(木) 23:45:55.59 ID:cN7NTMxiP
黒髪娘「よくは、そのぅ。判らないが……。 
 貴族の居ないこの世界にあって、働いて 
 菜を米を、味噌を購うと、それが成人なのだな。 
 成人というのは、我が道を戦える者だ。。 
 であれば……。 
 私は、やはり子供なのだろう。 
 右大臣家の娘として、 
 自分の口に糊することもせず今を過ごしている。 
 男の世界の目で見れば、 
 一人前の人間として扱われずともやむをえぬ……」 

男「……」 

黒髪娘「そんな私が、言の葉にする資格のない 
 そんな思いが沢山あるのだろうな……」 

男「……黒髪は」 

黒髪娘「……」 

男「黒髪が大人だか、子供だか。 
 あの長びつを見つけたこの屋根の下では 
 俺にはどっちが正しいのか、判らないよ。 
 でも、 
 黒髪は、俺の知ってる誰より、頑張り屋さんだよ」 

黒髪娘「……ありがとう。男殿」 

588 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 02:26:50.56 ID:fkJR1ewJP
――祖父の家、縁側 

チチチ、チチチチッ 

黒髪娘「四十雀だ」 
男「シジュウカラ?」 
黒髪娘「黄色い胸の小さな鳥だ」 
男「ああ。ここは、山近いからなー」 

黒髪娘「この時代にも居るんだな。……安心する」 
男「そりゃ、変わらない物だって沢山あるよ」 

黒髪娘「……」ぽやぁ 
男「……」ぽやぁ 

黒髪娘「今日はこんな感じか?」 
男「うん、そう」 

黒髪娘「日向ぼっこか……」 
男「陽がある間だけな。すぐ寒くなるから」 

黒髪娘「色々見聞を広めたい気もするのだが」 

男「無理だろ。ほれ」 ちょこんっ 

黒髪娘「くぅっ!」 

男「どれだけ引きこもりなんだよ。 
 スーパーに往復するだけで筋肉痛とか」 


590 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 02:32:31.31 ID:fkJR1ewJP
黒髪娘「いや、しかし。それはわたし個人と云うよりも 
 牛車によって生活している者全般にいえる事で」 

男「あと、動きが鈍い」 
黒髪娘「うう……」 

男「十二単って重いじゃない?」 
黒髪娘「うむ」 

男「だから、あれを脱いだら 
 サイヤ人みたく早くなるかとちょっと期待してた」 

黒髪娘「そんなわけ無いであろうっ。 
 そのなんとか人と云うのはわからぬが。 
 天竺の導師でもないのに器用に動けるものか」 

男「ほら、脚伸ばせ」 
黒髪娘「うむ……」おずおず 

男「痛いか?」 
黒髪娘「そうでもない。すぐに良くなる」 

男「まぁ、今日は一日ゆっくりしよう」 
黒髪娘「退屈はしないな」 

男「そうか?」 


591 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 02:34:42.01 ID:fkJR1ewJP
黒髪娘「家の中にも見知らぬものが沢山あるのだ。 
 てれびんとか、水のでる台とか」 
男「そりゃそうか」 
黒髪娘「こちらの家は、皆小さいのだなぁ」 
男「悪いな。ははっ」 

黒髪娘「ん?」 

男「人間が沢山増えたんだよ。 
 だから、土地が不足して高くなった。 
 宮古の中心部は、そりゃすごい価格だぞ」 

黒髪娘「そういうことなのか。 
 しかし、それら全ての家に湯浴みの施設があるのだろう? 
 さらに云えば、自動の竈(かまど)さえある」 

男「そうだな。殆どにはあるな。水洗のトイレも」 
黒髪娘「驚愕すべきことだ」 
男「かもなー」 

黒髪娘「それに、色々書籍もある」 
男「いや、それは本じゃなく出前のチラシだから」 

黒髪娘「このように色鮮やかな錦絵とは」 
男「ピザだって」 

黒髪娘「興味深い」 
男「うーん」 

595 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 03:02:13.72 ID:fkJR1ewJP
――祖父の家、納戸 

黒髪娘「これがこちらの長びつか」 
男「そうそう」 

がちゃ、かちゃ…… 

黒髪娘「何をさがしているのだ?」 

男「どっかに懐中電灯とか、そういうのないかなって。 
 この家、田舎やだから、夜のトイレの廻りとか暗いんだよ」 

黒髪娘「わたしなら平気だ。 
 暗いのは故郷で十分に経験している」 
男「まぁ、そりゃそうだろうけど」 

がちゃ、かちゃ…… 

黒髪娘「……ん?」 
男「どした?」 

黒髪娘「この長びつ、ずいぶん黒いな」 
男「ああ、汚れてるし、ここ暗いしな」 
黒髪娘「そういえばそうか」 

男「あったあった。……え、あっ」 がたっ 

むぎゅっ 

黒髪娘「っ!!」 


601 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 03:34:42.84 ID:fkJR1ewJP
男「ご、ごめんっ」 
黒髪娘「いや、この程度、なんでもない」 

男「いやいや、悪かった」 
黒髪娘「こ、こちらこそ……粗末なものを」 
男「そんな事無いぞ。ふっくら良い感じだ」 
黒髪娘「ふっくらしているからダメなのだ」 

男「……」 
黒髪娘「……?」 

男「あー」 
黒髪娘「ん?」 

男「いや、こう。色んな誤解がね」 
黒髪娘「誤解?」 

男「黒髪は、その卑屈なところは良くないぞ?」 
黒髪娘「仕方ないではないか。私は不器量なのだ」 

男「いいから、こっちこい」 
黒髪娘「へ? へ?」 


618 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 06:11:08.43 ID:fkJR1ewJP
――祖父の家、お茶の間 

TV:わははははは! あはははは! 

男「判ったか!」 ばぁぁん!! 

黒髪娘「っく!!」 

男「これがこの時代的な『美人の女』だっ」 

黒髪娘「馬鹿な! これは肥満した年増ではないかっ!?」 
(注:別に1はTVに悪意があるわけではありあせん) 

男「時代と共に価値観は変わるのっ」 

黒髪娘「この時代だったら 
 私だって十人並みの器量だったのか……」 

男(いや、この時代だったら相当可愛いだろ) 

黒髪娘「しかし年齢はどうにもならない……。 
 どっちつかずなこの身が恨めしい……」 

男「いや、そのままでいいんだって。黒髪は」 



620 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 06:23:14.34 ID:fkJR1ewJP
黒髪娘「それにしても、このてれびは不思議だな」 
男「まぁ、そうな」 

黒髪娘「道術で動いているのか? 
 つまり、宝貝のごときものなのか?」 

男「当たらずとも遠からず、かなぁ」 

黒髪娘「それにしても……」 
男「ん?」 

黒髪娘「何でこの者たちは裸なのだ?」 
男「~~っ。ちがうって、着てるじゃん」 

黒髪娘「裸も同然ではないか。……デブなのに」 

男「デブじゃないって。しかも裸じゃないって。 
 ただのキャミソールだろうにっ」 

黒髪娘「むぅ」 

男「これがこっちの世界のスタンダードなのっ」 

黒髪娘「そうなのか。こういうのが人気があるのか……」 

621 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 06:54:20.49 ID:fkJR1ewJP
男「黒髪はこういうのの影響は受けないで良いんだからなっ」 
黒髪娘「むぅ……」 

男「こういうのは、そのー。 
 なんていうのかな、芸人というか。 
 人気商売で、男性受けを考えてやるものだからっ」 

黒髪娘「白拍子※なのか?」 
男「それは判らない」 
黒髪娘「つまり、その……。遊女、のような?」 

男「あー。そうそう。そういうことっ」 

黒髪娘「やはり異性への魅力ではないか」ぼそり 
男「?」 

黒髪娘「いや、なんでもない。いくらなんでも 
 右大臣家の娘が真似できることではない」 
男「そうそう。そのままが一番」 

黒髪娘「それはそれで成長を否定されているようでつらい」 
男「なんでそんなに急ぐかなぁ」 

黒髪娘「……う」 
男「まぁ、十分可愛いから心配無用だよ」 

※白拍子(しらびょうし):歌舞の一首でありその舞い手。 
美人の娘さんがなった。身分は卑しくても貴族の家で 
上演することも少なくなかった。 

622 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 07:19:30.94 ID:fkJR1ewJP
――祖父の家、勝手口 

からから 

姉「こんばんわー」 
男「あー。姉ちゃん。電話しようかと思ってた」 

姉「ちゃんと買い物行ってきたよ」 
男「さんきゅー。何にした?」 

姉「アジとハマグリとね、後は野菜はーカブと大根と、 
 適当に見繕ってきた。和食が良いんでしょ?」 
男「んだね。食べつけてるだろうし」 

姉「なんだかなぁ。めちゃ惚れじゃない」 
男「そういうんじゃないよ」 

ドサドサッ 

姉「んっと。黒髪ちゃんは?」 
男「ああ、いま部屋。布団ひいてるんじゃないかな」 

姉「ふぅん……」 
男「どったの?」 


623 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 07:22:38.22 ID:fkJR1ewJP
姉「いやいや。あんな娘、どこでモンスターボールに 
 閉じ込めやがったんだこのえろ人間と思って?」にやにや 

男「……」 

姉「お。なんか反応薄い?」 
男「可愛いとは思うけど、そういうのとはね」 

姉「違うの?」 
男「――わかんねーけど」 

姉「ま。難しいよね。中学生じゃ、ずいぶん年も違うし? 
 まぁ、歳以外にも色々違うみたいだし」 

男「え?」 

姉「あの子、ずいぶんお嬢様でしょ?」 
男「――どうして?」 

姉「だって、お風呂場で髪を洗う時、 
 明らかに“洗ってもらうことに馴れて”いたもの」 

男「……」 



625 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 07:28:09.80 ID:fkJR1ewJP
姉「それも、そんじょそこらの箱入り娘じゃないよね」 
男「駆け落ちとか誘拐とかじゃないからな」 

姉「あったりまえよ。あんたそんなに根性無いでしょ」 
男「う」 

姉「……ん? 違う?」 
男「ま、仰るとおり」 

姉「気持ちはわかるけれどね。 
 ――あんた甘いから。 
 相手の分まで臆病になるって云うのは」 

男「……」 
姉「でも、あんまり子供扱いしない方が良いよ」 

男「また、云われた」 

姉「説明無しで大人が全部責任取るって 
 まさに子供扱いでしょう? 
 でも、それでも、一緒にいたいって女が願ったら 
 そうゆうのってただのいじめだからね。 
 諦めるなら、相手にも諦めるチャンスくらい 
 あげなさいよね」 

男「経験者みたいだな、姉ちゃん」 

姉「うっさい。バカ弟」 

632 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 08:32:20.94 ID:fkJR1ewJP
――祖父の家、お茶の間 

姉「と、云うわけで!」 

男「本日は、アジフライとかぼちゃの煮物。 
 カブのクリーム詰め。大根のお味噌汁です」 

姉「いぇーいっ!」 
黒髪娘「……」じぃっ 

男「どしたの?」 
黒髪娘「あ。いえ、すごく美味しそうだ……です」 

姉「いいのよ。普段どおりで。黒髪ちゃんは」 
黒髪娘「すいません……。すごく美味しそう」 

男「ではいただきますっ」 
姉「頂きますっ!」 
黒髪娘「いた、だきます」 ちらっ 

男「そうそう、ご自由にどうぞ。 
 ああ、ソースかけるな、……んっしょっと」 
姉「お姉ちゃんもー!」 


634 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 08:37:29.13 ID:fkJR1ewJP
姉「美味しいねぇ。 
 ……こうやって、来てみるとさ。 
 お爺ちゃんの家も良いねぇ。 
 なんか、落ち着くね。木造住宅は」 

男「だろー? 俺なんか気に入っちゃってさ」 

黒髪娘 もぐもぐ 

姉「美味しい?」 

黒髪娘「はい。このカブがとても美味しい」 
姉「そっか」 にこにこ 

男「なんか予想外に仲が良いな」 

黒髪娘「そうか?」 
姉「そう? 仲がよいのは普通でしょう」 

男(連合軍を組まれた気がする……) 

黒髪娘「アジをこのように食べるのは初めてだ」 

姉「へ?」 


635 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 08:42:45.97 ID:fkJR1ewJP
黒髪娘「いつも、煮るか焼くかです」 
姉「そうなんだ。ふぅん」 

男「あー(たしか、まだ“揚げる”はないんだったな)」 

黒髪娘「外側のサクサクがとても美味だ」 
姉「だね」 にこっ 

男(くっ。姉ちゃん、また何か誤解してるだろう。 
 金持ちのお嬢様で世間知らずだとかっ。 
 いや、金持ちのお嬢様は間違いではないんだが) 

黒髪娘「ん……」もくもく 

姉「ねー。あんた達」 
男「ん?」 

姉「デートはいかないの?」 
男「っく。なっ……。なに云うの、姉ちゃん」 

姉「なんだって良いでしょ。黒髪ちゃんに聞いてるの」 

黒髪娘「明日連れてって頂けるのだ。 
 ……約束しているのです」 にこり 


638 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 08:48:46.29 ID:fkJR1ewJP
姉「わお! ね。どこどこ? どこいくの?」 
男「……う」 

黒髪娘「駅前と云うところの本屋です。 
 それから、みすどなる所も約束しました」 

姉「あんた相手14歳だからって 
 なに手抜きのコースですませようとしてんのよっ!! 
 駅前の本屋って何よ、それあんた散歩じゃないのよっ!」 

男「ちげーって!! これは手抜きとかじゃないんだって!!」 

黒髪娘「あっ。はい。姉御殿。ちがいます。 
 その、わたしがお願いしたのだ……です」 

姉「そなの?」 

男「そうなの。こいつ、本好きでさ」 

黒髪娘 こくこく 

姉「じゃ、しょうがないけど……」むぅ 

男「ったく。お味噌汁もう少しいる人ー」 
黒髪娘「はい」おずおず 
姉「お姉ちゃんもー!」 

男「あいあい。わっかりましたっての」 



644 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 09:24:32.30 ID:fkJR1ewJP
――祖父の家、客室、女性組 

姉「ふんふーん♪」 

しゃすっ、しゃすっ。 

黒髪娘「……」ぴしっ 

姉「そんなに緊張しないで良いよ? 黒髪ちゃん」 
黒髪娘「は、はい。姉御殿」 

姉「本当に、綺麗な髪ね」 

黒髪娘「ありがとうございます。 
 母上にも、その……親しき人にも、 
 それだけは褒められるのです」 

姉「そっか」 

黒髪娘「私は生まれつきかわいげのない性分だから」 
姉「そんな事無いのに」 

黒髪娘「……」 


645 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 09:29:42.97 ID:fkJR1ewJP
姉「ん。出来た。……黒髪ちゃんは奥ね。 
 その方が温かいから」 

黒髪娘「はい。その……」 
姉「ん? なに?」 

黒髪娘「髪をとかして頂きありがとうございます」ふかぶか 

姉「や、やだなぁ。そんな三つ指ついて頭下げないでよ。 
 そんなに大したことはしてないってば」 

黒髪娘「いえ、男殿もそうですが、 
 私には何一つ恩返しが出来る当てもないのに 
 これほどに受け入れてくださって。 
 感謝の言葉もないです」 

姉「やだな、そんなこと。 
 ……それに、私はともかくとしてね。 
 男相手には、お返しというか…… 
 ほら、あっちも下心も無きにしも……というか……」 

黒髪娘「はい?」 きょとん 

姉「ん~。お布団入ろうか」 

黒髪娘「はい」 


647 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 09:49:39.16 ID:fkJR1ewJP
ぱちんっ。 

姉「……ふぅ」 
黒髪娘「……お布団、柔らかい」 

姉「黒髪ちゃんは懐いてるね。うちのバカにさ」 

黒髪娘「男殿は聡明な方です。 
 私は何度も助けられました。 
 意地っ張りで人と衝突して、 
 それで拗ねて引きこもっていた私を歌会に連れ出してくれた」 

姉(引きこもり……か。なんだ、弟のやつ 
 ちょっとは考えて、手を貸してるんじゃない) 

黒髪娘「……初めて内裏の友人と云える人が出来たのも 
 男殿のお陰だと思ってる……です」 

姉「そっか」 

黒髪娘「男殿は私にいろいろなことを教えてくれます。 
 私の学んだことを飽きもせずにいつまでも聞いてくれますし。 
 寒い日に二人で炬燵に入って、互いに本を読んだり 
 喋らないで過ごしたりするのも 
 気持ちが和む……ます」 



649 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 09:58:55.52 ID:fkJR1ewJP
姉「黒髪ちゃんは、弟のこと……らぶ?」 

黒髪娘「らぶ?」 きょとん 
姉「あれ?」 

黒髪娘「らぶとは……なんでしょう?」 
姉「えっと……うぅ。困ったな……」 

黒髪娘「??」 
姉「弟のこと、好きなのかな、って」 

黒髪娘「……」 きゅぅっ 
姉「……?」 

黒髪娘「わか……りませぬ……」 
姉「へ?」 

黒髪娘「私は余りにも不調法で、 
 そんな事が赦されるような……身でも……」 
姉「……(っちゃぁ、地雷踏んじゃったかな)」 

黒髪娘「でも」 


652 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 10:10:43.68 ID:fkJR1ewJP
姉「……」 

黒髪娘「男殿に……触れてもらいたくなる時があって 
 髪の毛を撫でて欲しいとか。 
 背中に触りたいとか 
 その袖に掴まりたいとか……」 

姉「……」 

黒髪娘「自分でも、なんだかよく判らなくて。 
 友女にも相談したのですけれど 
 “姫は悪くない”っていわれて……。 
 でも、やはり私はそんな風に思えない。 
 なんだかとっても格好悪くて 
 情けない気持ちで 
 不器用すぎて何も出来ない気分で 
 優しくされてるのに、泣きたくなるし 
 些細なことで落ち込んでしまうし」 

姉「……」 

黒髪娘「いえ、その。良くしてもらって。 
 いつも一緒で、それは嬉しいのだ……です」 

姉「嬉しいのだ、でいいよ」 くすっ 
黒髪娘「はい」 しゅん 


654 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 10:16:26.75 ID:fkJR1ewJP
黒髪娘「ざわめいて、羽ばたいて。 
 心が魑魅(すだま)になって、飛んでいきそうで。 
 これはその……。好き――なのだろうか?」 

姉「……」 

黒髪娘「すみませぬ。 
 学問も儒教の礼は学んだつもりだが 
 怯懦な心を抑えきれぬ」 

姉「ううん。その……友さんだっけ?」 

黒髪娘「はい」 

姉「友さんの言うとおり。 
 黒髪ちゃんは、なんにも悪くないよ。 
 ……もうね、そりゃねー。 
 春になったら花が咲くとか、 
 夏になれば蝉が鳴くとか 
 秋になれば葉が染まるとか。 
 それくらい仕方がないよね」 

黒髪娘「そうなの……か?」 

姉「こればっかりは、胸の内側が 
 “そういうことだよ”って熟すまで 
 待つしかないもんね」 


711 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 21:07:41.41 ID:fkJR1ewJP
――駅前の本屋 

黒髪娘「なんという数の書だ!!」 
男「気に入ったか?」 

黒髪娘「うむ! すばらしいぞ。 
 い、いったい何冊有るのだっ!? 千冊か、二千冊か?」 

男「わかんないけど、一万くらいじゃないか?」 
黒髪娘「一万っ!?」 

男(テンション高いな……。なんかもう、ほんと。 
 こいつ、すげー可愛いよなぁ) 

黒髪娘「入って良いのか? 作法とかはあるのかっ?」 

男「この間のスーパーと大差ないよ。 
 カゴとかはないけれどな。あと、大きな声は出さないこと」 

黒髪娘「うむ、わかったぞ」 

男「じゃ、行くか」 

715 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 21:13:34.75 ID:fkJR1ewJP
黒髪娘 じぃっ 

男「どうした?」 

黒髪娘「余りにも沢山あって、どうすればいいのか判らぬ」 
男「あー」 

黒髪娘「どうしよう、男殿?」 おろおろ 
男「うーん。そうだなぁ」 

黒髪娘「そもそも、煌びやかな書が多すぎるではないか」むぅ 
男「そういう認識かもな。うん」 

黒髪娘 そぉっ。ちょん。 
男「なんでそんなにおっかなびっくりなんだ?」 

黒髪娘「書は慎重に触れねば壊れてしまうであろう?」 

男「ここにあるのは、そこまでボロくはないよ。 
 うーん。しかたない。まずは案内してやるから 
 一周ぐるっと回るとしようか」 

黒髪娘「手間をかけて申し訳ない」 

男「なーに。かえってデートらしいってもんだ」 



717 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 21:19:23.48 ID:fkJR1ewJP
男「まず、ここがマンガコーナーだ」 
黒髪娘「まんがこーなーとはなんだ?」 

男「コーナーは、場所って云うような意味だ。 
 棚によって異なる種類の書物が収められているって訳だよ」 

黒髪娘「ではマンガの棚か。……マンガってなんだ?」 
男「ぷくくっ」 

黒髪娘「笑うことはないではないか。真面目に質問しているのに」 

男「いやいや。おれもそっちに行ったばっかりの頃は 
 会話の殆どが“XXって何だ?”だったとおもってさ」 

黒髪娘「うむ。その通りだ。厠(かわや)ってなんだ? 
 と聞かれた時は、どこの知恵遅れかと思ったぞ」 

男「くっ。それはもう良いだろっ」 

黒髪娘「で、マンガとはなんなのだ?」どきどき 

男「それはこんな感じの……」 
黒髪娘「ふむ。おお!!」 

男「このちいさな四角の中に、絵と台詞が入ってるわけだ。 
 右上から読んでいって、物語になってるわけだな」 

黒髪娘「ふぅむ。興味深い……」 



720 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 21:26:20.46 ID:fkJR1ewJP
男「で、こっちは絵本コーナー」 
黒髪娘「絵本とは?」 

男「こんな感じだ」 
黒髪娘「マンガと一緒ではないか」 

男「こっちは、小さな四角がないんだよ。基本的にな」 

黒髪娘「ふむ。ああ。判るぞ。なぁんだ。 
 これは、要するに絵物語ではないか」 

男「あ、そうなの?」 

黒髪娘「うむ。このような物は貴族の間では特に珍重されるのだ。 
 もちろんこのような綴じ本ではなく巻物なのだが」 
男「ふむふむ」 

黒髪娘「書の執筆、編纂というのはあちらでは 
 学識や見識の集大成とも云えるもので 
 任じられたり人気が出たりするのはとても名誉なことなのだ。 
 絵物語を書く職人は珍重されている」 

男「そりゃこっちでも似たようなものかもなぁ。 
 ラノベ作家とか人気者だもんな」 



722 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 21:33:30.31 ID:fkJR1ewJP
黒髪娘「この棚は全て絵物語なのか?」 

男「うん、そうだよ。絵本っていうのは、 
 こちらでは多くの場合、子供向けなんだ。 
 子供が字を覚え始める頃に絵と一緒だと覚えやすい、 
 って云う配慮なのかな。 
 ほら、この本なんか、文字がとても大きいだろう?」 

黒髪娘「本当だ……。鮮やかな絵だなぁ」 

男「どうした?」 

黒髪娘「絵合(えあわせ)というものがあって」 
男「ふむ」 

黒髪娘「つまり、歌会のような集まりなのだが 
 みんなが持ち寄った絵を自慢し会うような会なのだ。 
 もちろん我が家も右大臣家であるから、 
 唐から取り寄せた秘蔵の絵巻物をいくつも所有している。 
 しかし、おそらくこの棚ひとつにも満たぬのだろうな、と」 

男「……」 

黒髪娘「いや、つまらないことを云った」 

男「いや。……黒髪は、いいこだな。 
 次に行くか。まだまだ色々あるんだぜ?」 

723 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 21:38:18.40 ID:fkJR1ewJP
男「このコーナーは、一般書籍。右は小説で、左は実用書だな」 
黒髪娘「小説とは何だ?」 

男「物語だよ。絵がついていない、文字だけのやつ」 
黒髪娘「ふむふむ。竹取物語のようなものだな」 

男「ああ、それってかぐや姫の話だろう? 
 それはこっちでも親しまれてるぞ?」 

黒髪娘「そうなのか? 女房や貴族達はあの美貌の姫を 
 うらやんだり褒めそやしたりするのだ。 
 公達がこぞって求婚するのが素敵らしい。 
 だが、わたしは幼い頃からあの、 
 殿方を手玉に取るやりようが気にくわなくてな。 
 いやならいやだと断れば良かろうものを」 

男「あー」 

黒髪娘「あのような宝物をねだって諦めさせるとは 
 如何にも不実なやりように思われてたまらぬ」 
男「まぁ、そうとも云えるかな」 

黒髪娘「これだから私は恋が―― 
 す、すまん。とにかく! 
 男女の機微が判らないなどと云われるのだ」 

男「ふぅん。そう言われるのか」 にやにや 


725 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 21:50:47.70 ID:fkJR1ewJP
黒髪娘「いいではないかっ。 
 ――で、こちらの実用書とは?」 

男「言葉のどおり、実用の書だ。 
 日常に役立つ技術の指南書だな。 
 仕事の本とか、資格の本とか、料理の本なんかも含まれる」 

黒髪娘「ふむふむ。職人の本と云うことか?」 
男「おおむね間違っちゃいないんだろうな」 

黒髪娘「それにしても膨大な数だな」 
男「前も云ったけれど、もう貴族はいないんだ。 
 逆に言えば全員が貴族だとも云える。 
 今では、誰でもが気軽に本が読めるからな」 

黒髪娘「全員文字が読めるのか?」 

男「読めるよ。もちろん、本を読むのが 
 好きな人も嫌いな人もいるけれどね」 

黒髪娘「うーむ。それでこんなにも書があるのか……」 
男「そういうことだな」 

726 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 21:59:54.26 ID:fkJR1ewJP
男「それから、こっちは雑誌だな」 
黒髪娘「雑誌とは何だ?」 

男「あー。んー。あれ? いざとなると結構説明が難しいな」 
黒髪娘「そうなのか?」 

男「この世界の書には大きく分けて二種類有るんだ。 
 1つは書。今まで見てきたの全部だ。 
 もう一つは雑誌、ここにあるようなものだな」 

黒髪娘「ふむふむ」 

男「書の方は、何か書きたいこと1つに搾って 
 それについて書かれているんだな。大抵はそうだ。 
 書き上げたら発表される。 
 中には長い時間かけて書かれるものもある。 
 雑誌の方は逆に、日取りを決めて定期的に出ている。 
 週に一回とか、月に一回とか、年に四回とか」 
黒髪娘「ふぅむ」 

男「で、色んな出来事が書いてあることが多いな。 
 例えばこれなんかは旅行についての雑誌だ」 

黒髪娘「“宇治”と読めたぞ?」 
男「うん、この季節……つまり、雪の宇治に行って 
 温泉につかろうと、そんな事が書いてあるみたいだ」 

黒髪娘「なんて精巧な錦絵なのだろうなぁ」 うっとり 


744 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 23:41:57.86 ID:fkJR1ewJP
男「さて。説明はこんなものかな」 
黒髪娘「手間を取らせた、男殿」 にこっ 

男「結構時間がたったな。面白かったか?」 
黒髪娘「うむ、目のくらむ思いであった」 

男「そっか」 なでなで 
黒髪娘「……むぅ」 

男「それじゃさ」 
黒髪娘「ん?」 

男「何か買ってやるよ」 
黒髪娘「え?」 

男「その予定だったんだ。沢山は買ってやれないけれど 
 買ってやるからさ。何が良い? 選んでみればいいよ」 

黒髪娘「よ、良いのか?」 どきどき 
男「まぁな。でもダメなものはキッパリダメだからなっ。 
 ……特に店のあっちの端には近づかないことっ!」 

黒髪娘「迫力があるぞ、男殿。……それなら」 
男「どうした?」 

黒髪娘「一緒に選んで欲しい」 



746 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 23:47:18.15 ID:s7gnoH1F0
男「どんな案配だ?」 

黒髪娘「えっと、えっと……もう少し」 
男「ああ。ゆっくりでいいぞ。時間をかけて」 

黒髪娘「選ぶのが楽しすぎるのが問題なのだ」 
男「楽しむのが良いって」 

黒髪娘 ぱたぱた、ぱたぱた 
男「……たのしいなぁ、あいつ」 

黒髪娘 ぴたっ 
男「お、止まった。実用書にするのか?」 

黒髪娘 ぱたぱた 
男「違うのか」 

黒髪娘 ぴたっ 
男「写真集か。そういやそんなのもあったなぁ」 

黒髪娘 ぱたぱた 
男「せわしないやつ」 ぷくくっ 


747 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/22(金) 23:51:41.53 ID:s7gnoH1F0
黒髪娘「男殿、男殿」 
男「決まったか?」 

黒髪娘「これにしようかと思う」 
男「これはまた。面白いのを選んだなぁ」 

黒髪娘「そうなのか?」 
男「いや、でもそれは読んだことがある。良い本だよ」 

黒髪娘「猫の絵が凛々しいと思うのだ」 

男「そうだな。小さくて黒いのは、黒髪みたいだ。 
 ……じゃ、それにしようか」 

黒髪娘「でも、その。……よいのか? 
 これは千三百もするから、あの大きな菜が十個も 
 買えるわけで……そのぅ」 

男「いいんだよ。それくらい。遠慮しすぎだ。 
 それからこっちの一冊は、俺からの贈り物」 

黒髪娘「え? え?」 

男「古語辞典だよ。黒神はこれがあると助かるだろう」 
黒髪娘「こんなに厚い書を頂くわけにはっ」 

男「なんだ。絵本を選んだのはそんな理由なのかぁ? 
 変なところで慎み深いんだなぁ。黒髪は」 


752 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 00:05:07.66 ID:J2V03bbQ0
黒髪娘「変ではない。それが儒教の礼節だ」 
男「いいのいいの。これは、俺が、黒髪にあげたいの」 

黒髪娘「そんなっ」 

男「――あの話だってさ」 

黒髪娘「へ?」 

男「あの姫が、蓬莱だ龍だなんて無茶振りして 
 取ってこれないようなものを 
 ねだったのがいけなかったんだよ。 
 そうでなければ、男の中にはごく当たり前の好意で 
 姫に贈り物をしようとした人もいたと思うぜ? 
 それこそ、送っただけで満足。 
 あの姫に使って貰えたら嬉しいなぁって、 
 それだけの気持ちだったヤツだって、 
 最期に残った五人の皇子以外にはいたと思うんだよなぁ」 

黒髪娘「……」 

男「まぁ、そいつらはあの話では、予選オチしたわけだけど」 

黒髪娘「あの女は見る目がなかったのだ」 

男「かもな」 

黒髪娘「ありがとう。大事にする。男殿っ」 にこっ 


754 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 00:11:07.27 ID:J2V03bbQ0
――駅前ドーナツチェーン店 

男「……っと、こんな感じかな」 
黒髪娘「何がなにやらさっぱり判らぬ」 

男「うん、説明しても良いんだけど、 
 後ろも並んでるから」 
黒髪娘「わっ」 

男「適当に俺が選んじゃうぞ」 
黒髪娘「う、うむ。頼む」 

男「ミートパイがないのが痛いよなぁ。 
 あれすげー美味いのに」 
黒髪娘「白やら桃色やら、美しいなぁ」 

男「甘いんだぜ?」 
黒髪娘「甘いのかっ」 

男「そりゃもう、大人気ですぜ」 
黒髪娘「むむむ……。梅饅頭よりもうまいか?」 

男「良い勝負かなぁ」 


756 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 00:18:29.74 ID:J2V03bbQ0
カタン、すとん。 

男「まぁ、どうぞ」 
黒髪娘「うむ」 きょろきょろ 

男「美味しいよ?」 
黒髪娘「頂きます」 
男「頂きますっ」 

黒髪娘 あむっ 「っ!」 
男「おお、びびってる。びびってる」 

黒髪娘「何という軽さなのだ! 淡雪のようだっ」 
男「エンゼルクリームって云うくらいだから」 

黒髪娘「どうなつとはこのような食べ物なのか」 
男「南蛮渡来の菓子なんだよ」 

黒髪娘「これは、なんとも……。 
 霞を食べているような心地よさではないか」 きらきら 

男「どんどんどうぞ?」 
黒髪娘「うむっ」 



758 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 00:20:53.74 ID:J2V03bbQ0
男「こっちのも行けるぞ? ジャム入りだ」 
黒髪娘「うむ。頂いている」 そわそわ 

男「どうしたんだ?」 
黒髪娘「いや」 

男「?」 
黒髪娘「男殿……」 ちらっ 

男「ん?」 

黒髪娘「その、わたしは、何か粗相をしているのではないか?」 
男「なんでさ?」 

黒髪娘「道行く人も店の人もこちらを見ていないか?」 
男「あー。うん」 

黒髪娘「なにか、悪いことをしてしまっただろうか」 

男(今日のも、お出かけ前に姉ちゃんが 
 わざわざ着飾らせたコーディネートだからなぁ。 
 悪い意味で手抜きがないって言うか……。 
 姉ちゃん無駄にきめまくりだろ……) 

黒髪娘「ううう」 おろおろ 

759 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 00:24:33.16 ID:J2V03bbQ0
男「いや、まて。落ち着け。説明するから」 
黒髪娘「?」 

男「その編み込み、姉ちゃんがやってくれたんだろう?」 

黒髪娘「ん? 髪か? そうだ。 
 姉御殿がそのままだと街歩きでは邪魔にもなるし、 
 重かろうと編んでくれたのだ」 

男「それと、服もさ」 
黒髪娘「軽すぎて、心許ない」 かぁっ 

男「そういうの、すごく可愛いんだよ。 
 ……タイツとか。似合ってっから」 
黒髪娘「――」 きょとん 

男「可愛く見えるの。すごく。TVに出てる子みたくっ」 
黒髪娘「そう……なのか?」 

男「ったく」 
黒髪娘「何で男殿が怒るのだ?」 むぅっ 

男「怒ってない」 
黒髪娘「そんな事無いではないか」 

男「なんでもないって。ほら、食べよう?」 
黒髪娘「……」 

762 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 00:32:57.50 ID:J2V03bbQ0
――帰りの夜道 

黒髪娘「男殿?」 
男「ん?」 

黒髪娘「その……なんでもない」しゅん 
男「そっか」 

黒髪娘「……」 
男「……」 

黒髪娘「……」 ぎゅっ 
男「荷物、持とうか?」 

黒髪娘「ううん。これは自分で持ちたいのだ」 
男「そうか」 

黒髪娘「…………機嫌が悪いの……か?」 ぼそぼそ 
男「どうした?」 

黒髪娘「なんでもない」 ふるふるっ 


764 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 00:40:27.06 ID:J2V03bbQ0
黒髪娘「男殿……」 
男「どした?」 

黒髪娘「頭を……撫でてくれないか?」 
男「……」 

黒髪娘「髪に触れて欲しいのだ」 
男「……ん」 

ふわり……。 
 なで……なで…… 

男「……こうか?」 

黒髪娘「……機嫌を直してくれ」 
男「怒ってないよ」 

黒髪娘 ぎゅっ 
男「……黒髪。ほんとだよ」 

黒髪娘「……」 
男「本当だってば」 なでなで 



777 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 01:08:39.92 ID:J2V03bbQ0
――翌日、祖父の実家 

さーーーー 

黒髪娘「雨だなぁ、男殿」 
男「そうだな」 

黒髪娘「春の初めの雨だ」 
男「そのへんちょっと感覚ずれてるよな。 
 まだまだ寒いじゃないか」 

黒髪娘「温かくならなくても、年さえ開ければ春だ。 
 同じ寒くても、これから小さく堅くなって行く年末の寒さと 
 どこかにほころびを感じさせる、年明けの寒さは違う」 

男「そっか? でもまぁ、そうかもな。 
 雪じゃなくて、雨だしな」 

黒髪娘「これでは今日は外には出られぬな」 
男「行けない訳じゃないけれど、 
 家にいるのが良さそうだ」 

黒髪娘「男殿は何をしているのだ?」 

男「調べ物と、レポート」 
黒髪娘「そうか。……私もここで本を読んでいて良いか?」 

男「もちろん」 

781 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 01:12:57.35 ID:J2V03bbQ0
ぺらり/カタカタカタ 

黒髪娘「……」 
男「……」 

黒髪娘「……」 もぞもぞ 
男「……どした?」 

黒髪娘「背中が温かくてくすぐったいのだ」 
男「何もこんなにくっつかなくても良いのに」 

黒髪娘「部屋の中で、ここが一番温かく思う」 
男「そうですか」 
黒髪娘「うむ」 

ぺらり/カタカタカタ 

男「……」 
黒髪娘「……」 

男「……」 



784 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 01:25:26.91 ID:J2V03bbQ0
黒髪娘「――我がせこが衣はる雨降るごとに 
      野辺の緑ぞ色まさりける」 

男「それ、どんな歌なんだ?」 

黒髪娘「それは、つまり…… 
 衣替えをして、雨が降るごとに、春の緑が濃くなる。 
 そういう歌だ」 そわそわ 

男「そうか。そういえば“一雨ごとに”なんて云うものな」 

黒髪娘「そういうことだ」 

男「ん?」 
黒髪娘「なんだ?」 

男「頬っぺ赤いぞ?」 
黒髪娘「そんなことはないっ」 

男「ふむ」 

ぺらり/カタカタカタ 

黒髪娘「……」 どきどき 

787 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 01:43:31.80 ID:J2V03bbQ0
男「……なんかさ」 
黒髪娘「うむ?」 

男「小腹減った」 

黒髪娘「……そうかも知れぬ」 
男「ドーナツは腹持ち悪いなぁ」 

黒髪娘「蕩けるばかりに美味であるのにな。 
 浮き世の栄華とは本当にむなしいものだ」しょんぼり 

男「栄華ってほどのものか?」 
黒髪娘「どおなつに勝る栄耀栄華はあるまいっ」 

男「そうかそうか。んー」のびっ 
黒髪娘「男殿は大きすぎる」 

男「何か言った?」 
黒髪娘「見上げるようだ」 

男「黒髪が小さいんだよ」 
黒髪娘「わたしは標準的な身長だ」 

男「……何か食べるとするか」 
黒髪娘「ご相伴する」 



790 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 01:56:12.86 ID:J2V03bbQ0
――祖父の家、台所 

男「黒髪ー?」 
黒髪娘「ん。ここにいるぞ」 

男「お前、餅何個食べる?」 
黒髪娘「餅を食べるのか?」 

男「このサイズだぞ。ほら」 
黒髪娘「存外小さいな。私は3つだ」 

男「んじゃ、俺は4つ~」 
黒髪娘「焼くのか? 雑煮か?」 

男「どうすっかね。チーズいれちゃおっかなぁ」 
黒髪娘「ちいず?」 

男「いや、間食で高カロリーは危険かな?」 
黒髪娘「ちいず……」どきどき 

男(まぁ、いいか。こいつそうゆうの関係なさそうだし) 

黒髪娘「ちいずとはなんだ?」 

男「美味い食べ物だよ」 
黒髪娘「それはたのしみだ!」 ぱあぁっ 



793 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:00:36.70 ID:J2V03bbQ0
――祖父の家、居間 

黒髪娘「美味しいではないか!」 
男「落ち着け」 

黒髪娘「餅と同じように伸びるとは」 
男(可愛いヤツだな。ぷくくっ) 

黒髪娘「熱くて、とろりとしていて」 

男「ほら、慌てると、髪についちゃうぞ。 
 右大臣家の娘なんだろう?」 

黒髪娘「それもそうだ」 あむ、あむっ 
男「ほら、お茶おくぞ。喉に詰まらせるなよ」 

黒髪娘「いくら何でもそこまで子供ではない」むっ 
男「くははっ。判った判った」 

黒髪娘「この、まろやかな塩味がたまらぬ。 
 美味く表現できぬが、一個食べるともう一個。 
 ふたつめを食べると三つめが食べたくなる味だ」 

男「ああ、チーズの溶けたヤツって 
 そう言うところ有るよなー。わかるわかる」 もぐもぐ 

黒髪娘「……」 じー 




798 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:08:44.01 ID:J2V03bbQ0
男「……」 もぐもぐ 
黒髪娘「……」 ちらっ 

男「もう一個欲しい?」 
黒髪娘「……そうとも云える」 

男「……半分こだからな」 
黒髪娘「うむ」 にこっ 

男「ん。美味いなぁ」 
黒髪娘「美味しいなぁ。こちらのものは何でも美味しい」 
男「あっちのだって美味しいぞ?」 

黒髪娘「もてなしの心で用意しているのだ」 
男「こっちだってそうさ」 

黒髪娘「そうなのか?」 

男「確かにこっちは変わった物があるように 
 見えるかも知れないけれど、例えば近海産の 
 天然の鯛やカニなんて、一人が食うくらいで 
 七千円とか八千円とかするものもあるんだぞ?」 

黒髪娘「なんとっ!?」 


801 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:13:04.37 ID:J2V03bbQ0
男「な? ものすごく値段が上がって 
 高級になったものもあるんだよ。 
 たとえば、生の山葵(わさび)なんて 
 いまは普通のご家庭じゃ高くて 
 滅多にお目にかかれるような食べ物じゃない」 

黒髪娘「そうであったのか」 

男「だから、おれがあっちで受けたもてなしは 
 本当に大盤振る舞いの、大ご馳走だったんだよ」 

黒髪娘「ふむ……。興味深いな」 

男「だから、あんまり気を遣うことはないぞ?」 
黒髪娘「うむ、わかった」にこっ 

男「腹が一杯になったらごきげんか?」 

黒髪娘「わたしはいつでも機嫌は良い。 
 男殿と一緒にいる時ならばなおさらだ」 

男「え。……あ」 
黒髪娘「どうしたのだ?」 

男「いや、その」 
 (そう言うこと、不意打ちで云うかな。この中学生めっ) 


807 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:37:29.15 ID:J2V03bbQ0
――夜中、祖父の家の廊下 

じゃぁぁ~ 

黒髪娘「寒い」 ぶるるっ 

黒髪娘「千年たっても厠(かわや)の寒さは変わらぬのだな。 
 何でそう言うところだけは変わらないのだろうな」 

ぶるるっ。 

黒髪娘「寒い……。早く布団に……。ん」 

黒髪娘「――」 

黒髪娘「これは、満月……か。 
 雨も上がり、なんと冴え冴えとした……春の、月」 

黒髪娘「変わらないのは、月の光」 

黒髪娘「……来て、良かった」 


809 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:52:35.64 ID:J2V03bbQ0
からり 

男「……すぅ。……ん」 

黒髪娘「……」 

男「……すぅ。…………くぅ」 

(あの髪に、触れたい。触れて、欲しい) 

黒髪娘「……」 おずおず 

さわっ。……なで。……なで。 

男「……んぅ」 
黒髪娘「っ」ぴくんっ 

男「……すぅ。……くぅー」 

黒髪娘 ほっ 

(月の光で……。男殿が。……なんだか) 

男「……んぅ? 黒髪……? といれか? 
 ――寒いぞ。……んぅ。 
 ……布団入らないと、寒く……なるぞ?」 

黒髪娘「あ……」 こくり 
男「……すぅ」 



811 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 02:59:43.91 ID:J2V03bbQ0
黒髪娘(いま……溢れた。 
 ……いま、判った) 

男「……すぅ。…………くぅ」 

黒髪娘(やっとわかった。 
 ……これが、そうなんだな。 
 そうか……。これは、知っている。 
 この気持ちは、ずっとわたしの中にあって……。 
 男殿に触れられる度に育って……。 
 今、溢れたんだ……。 
 こんなに近くにあったのだ……) 

男「……冷えちゃうぞ? んぅ。……黒髪」 

黒髪娘「はい」 

男「……ん?」 

黒髪娘「はい。男殿」 にこり 

男「……? ……すぅ」 

黒髪娘「月の光が凍ってる。 
 今晩は、特に冷える。 
 暖かい布団を分けて下さい。男殿」 


870 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:02:11.99 ID:J2V03bbQ0
――祖父の家、和室 

チチチ。チチチチッ。 

男「……すぅ。…………くぅ」 
黒髪娘「……すぅ。……んに」」 

男「……」ぽやぁ 
黒髪娘「……くぅん」 

男(何で……黒髪が同じ布団にいるんだ? 
 ……夜? トイレ帰りに……) 

――暖かい布団を分けて下さい。男殿。 

男「っ!?」 

黒髪娘「くぅ……。んむぅ……」 ぎゅっ 

 小さい/桃の匂い/鼓動ぎ/ 
 細い指/パジャマ/ 
 まつげ長い/体温/衣ずれ/ 
 甘い声/しがみついて/体温/くすぐったい―― 

がばっ! 

黒髪娘「んぅっ……」 

871 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:05:00.29 ID:J2V03bbQ0
男「……おはよ」 
黒髪娘「……はよ」ぽやっ 

男「……」 ばくばくっ 
黒髪娘「……眠ぃ」 くてっ 

 体温。 

男(ううっ。自覚無いのか、こいつ……。 
 何で布団に入ってるんだよっ。いくら寝ぼけてたって……) 

黒髪娘「……くぅ」 
男「そろそろ、起きない?」 

 しがみつく小ささ。 

黒髪娘「……いまひととき。もうちょっと」 
男「そうですか」 びくびく 

 みじろぎ。 

黒髪娘「男殿とくっついてると、温かいのだ」 
男「……そだけど」 

 甘い呼吸。 

黒髪娘「んぅ」 きゅっ 

873 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:07:10.40 ID:J2V03bbQ0
――祖父の家、朝の台所 

ジャァァァー。 

男(……) 

男(今朝のあれは……。多分……。 
 そう言うこと何だよなぁ。 
 ……。 
 フラグ立てちまったか……?) 

男(そりゃ心当たりは色々あるけどさ……) 

パチパチ。トントントン。 

男(いざ、そうなってみると、衝撃だわ。 
 ……抵抗できないとは思わなんだ。 
 どんだけ弱いんだよ、俺……) 

 くちびる。 

男(ううう……) 

 華奢なくびすじ。 

男(ううう……。うわぁぁっ!) 

874 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:10:39.84 ID:J2V03bbQ0
男「違うんだ。俺は決してロリではないっ!!」 

かちゃっ! 

黒髪娘「男殿、顔も洗ったし、衣服も改めたぞ」にこっ 

男「~っ!!」 びくっ 

黒髪娘「どうしたのだ?」 きょとん 
男「いや、なんでもないよ?」 あせっ 

黒髪娘「そうか。……ふふふっ。 
 どうだ? ちゃんと洗えただろう? 
 ハミガキもしたぞ? 桃の匂いだぞ」 つんつん 

男「お、おう。良くできた」 
黒髪娘「この程度、なんでもない」 

男「……」 
黒髪娘「……?」 

男「朝ご飯にするか?」 
黒髪娘「うむっ」 


876 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:17:22.56 ID:J2V03bbQ0
――祖父の家、居間 

男「もう一枚食べるか?」 
黒髪娘「いただく」 

男「ほいっと。……ジャムか?」 
黒髪娘「自分で塗れる……と思う。……ほら」にこっ 

男「覚えたな」 
黒髪娘「もちろんだ」 

男(機嫌良いな……。これは、その。 
 やっぱり、そう言うことなんだろうなぁ) 

黒髪娘「どうだ?」 
男「完璧だぞ」 

黒髪娘「うむ」 にこっ 

男「なんだかんだで、もう最終日か……」 
黒髪娘「そうだな」 


880 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:44:51.67 ID:J2V03bbQ0
男「今日はどうする? 
 帰還は夜の19時ってとこだと思うけど」 

黒髪娘「後どれくらいあるのだ?」 
男「11時間かな。昼は食べるとして、いや。 
 夜も食べた方が良いのか」 

黒髪娘「食事を決めるのか、予定を決めるのか」 
男「同じ事だろう?」 

黒髪娘「むぅ。……男殿と一緒ならば、それで良いな。 
 出掛けたとしても余り見て回ると、 
 体調に差し支えがありそうだ」 

男「体力ないもんなー」 
黒髪娘「淑女としてはしかたないのだ」 

男「……ノーパソで映画でも見るかぁ」 
黒髪娘「てれびんか?」 

男「似たようなものだよ」 
黒髪娘「楽しみだな」 にこっ 




886 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 12:58:03.66 ID:J2V03bbQ0
――夕刻、祖父の家 

かたたん。からり。 

姉「こーんばんわー♪」 
男「おう。姉ちゃん」 
黒髪娘「こんばんは、姉御殿」 

姉「黒髪ちゃん。可愛いねっ」 ぎゅっ 
男「抱きつきはやっ!?」 

黒髪娘「くすぐったいのだ」にこり 
姉「ぶぅぶぅ。いいじゃないのよ。 
 黒髪ちゃんはわたしのものなのよ?」 

男「それはないだろ」 

黒髪娘「姉御殿にはお世話になったのだ」 

姉「今日、帰るんだよね」 
男「そうだよ」 



887 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 13:00:27.96 ID:J2V03bbQ0
姉「いつごろ?」 

男「あと数時間で出る」 
黒髪娘 こくり 

姉「……ふむ」 
男「どした?」 

姉「ううん。えっと、お土産持ってきた」 
男「なにさ?」 

姉「んっとねー。桃シャンプーと、下着と、 
 ネイルケアの道具と、あとコンビニのお菓子と」 

男「姉ちゃん。こいつ、そんなに持ってくのは……」 
黒髪娘「いいのだ。男殿。有り難く頂きたい」 

男「そか……」 
黒髪娘「何から何までお世話になった。姉御殿」ぺこり 

姉「いーのいーの。可愛い黒髪ちゃんと 
 遊べて楽しかったわ」 

男「遊んだだけだもんな、ほんと」 

889 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 13:08:34.59 ID:J2V03bbQ0
姉(ふむふむ……。雰囲気がねー……) くいっ 

  男「なんだよ」 
  姉「どうしたのよ。黒髪ちゃんとの距離が近いじゃない。 
   具体的に云うと、この間より20cmくらい。 
   隣にいるのが当然みたいに座っちゃって」」 

  男「う゛」 

  姉「なんかあった?」 
  男「あったような……。無かったような……」 

黒髪娘「?」 

  姉「まーだ煮え切らないんだ。あんた」 
  男「煮え切ると各方面に迷惑掛けるのっ」 

  姉「物事の優先順位判定、間違えないようになさいよ」 
  男「……」 

  姉「“あんたの苦労”なんて一番優先度低いんだからね」 


892 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 13:14:29.86 ID:J2V03bbQ0
姉「ま、いいわ。ん。 
 ……今日は帰るね」 
男「へ? お茶くらい入れるぞ?」 
黒髪娘「そうです。こんな早々に」 

姉「いーのいーの。顔みてお土産渡したかっただけ。 
 それに、お迎えとか、送り届けとかさ。 
 私が見ない方が、良いんでしょ?」 

男「姉ちゃん……」 

姉「いや、違うよ? 時間がもうちょいだから 
 二人っきりにして上げようとか云う 
 そういうらぶろまな心遣いじゃないよ?」 にやにや 

男「とっとと帰れよ」 
黒髪娘「ふふふふっ」 

姉「ま、いいわ。……がんばんなさい」 

男「ったく。わかったよ」 
黒髪娘「ありがとうございました。姉御殿」 



894 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 13:40:08.42 ID:J2V03bbQ0
――夜、祖父の家の納戸 

黒髪娘「そろそろかの」 どきどき 

男「うん。もうちょい。時間がずれちゃうから、 
 なるべく正確に戻らないと菜」 

黒髪娘「あちらでは30日が経過しているのだな」 
男「そのはず。吉野で静養って話になってるんだよな?」 

黒髪娘「友が万事問題なく手配してくれているとは思うが」 
男「まぁ、大丈夫だろう」 

黒髪娘「……うん」 

男(――“花鳥文螺鈿作り黒檀長櫃”。 
 チャンスを捉えて何とか調べておかないとなぁ) 

黒髪娘「男殿……?」 
男「ん?」 

黒髪娘「その」 
男「うん」 

黒髪娘「……」 
男「大丈夫。ちゃんと帰れるよ」 ぽむぽむ 

黒髪娘「うむ。……友が待っていてくれるものな」 


896 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 13:54:25.33 ID:J2V03bbQ0
――黒髪の四阿、深夜 

がたがたがたっ。がぽんっ! 
……しゅとっ。 

男「っと、っと、っと。よいしょ」 
黒髪娘「す、すまぬ」 

男「二人一緒はさすがに狭かったか」 
黒髪娘「うむ。でもそれで良かった」 

友女房「姫様っ!」 
黒髪娘「友っ。どうだ? 今はいつだ?」 

友女房「きっかり30日、予定どおりでございますよ」 
男「ほっとした」 
友女房「ええ。男様、ありがとうございました!」 

黒髪娘「久しぶりの庵だなぁ。 
 真夜中だが、湯浴みの準備を頼んでも良いか? 友」 

友女房「ええ、もちろんでございます……が」 
黒髪娘「ん? どうした?」 


899 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 14:07:57.79 ID:J2V03bbQ0
友女房「いえ、多少いろいろがございまして……」 
黒髪娘「何があったのだ?」 

友女房「いえ、私からは何とも……。 
 まだ、確としたお話でもないと存じておりますし。 
 詳しくは藤壺の上からお聞きになられた方が良いかと。 
 “吉野からお戻り”の際は是非お会いしたいと 
 何度か文の連絡を頂いております」 

黒髪娘「そうなのか……。何があったのだろう。 
 わかった。明日にでも文を送ってみよう」 

友女房「それが宜しゅうございますよ」 

下級女房「――」 
友女房「姫、湯浴みの準備があるそうです。よろしいですか?」 
黒髪娘「うむ、わかった。 
 ……男殿、しばらくお待ちを。炬燵にでも入っていて欲しい」 

男「ああ、判ったよ」 

とててててっ。 

友女房「男殿、お時間を宜しいですか? お話があるのです」 
男「判った。こっちも聞きたいことがあったんだ」 



909 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 15:43:39.14 ID:J2V03bbQ0
――数日後、藤壺の宮 

藤壺の君「吉野から良くお戻りになられて、 
 黒髪の姫。皆も心配していたのですよ?」 

黒髪娘「はい。ありがとうございます……」 ふかぶか 

藤壺の君「さる歌会はまだ雪残る春でしたが、 
 はや、山裾には桜の袖がひろがっております」 

黒髪娘「はい。風に舞うは雪のよう……」 
藤壺の君「本当に……」 

黒髪娘「……」 
藤壺の君「お茶を入れさせましょう」 ぱちん 

しずしず 

藤壺の女房「……失礼いたします」 

藤壺の君「……」 
黒髪娘「……」 

藤壺の君「実は、お話ししたいことがありお呼びしたのです」 
黒髪娘「はい」 




911 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 15:50:12.39 ID:J2V03bbQ0
藤壺の君「……話は半月ほど遡るのですが 
 承香殿(じょうきょうでん)※で鶯の音を愛でる宴が 
 催された折のことです」 

黒髪娘「……」 

藤壺の君「宴そのものは、鶯の音こそ少ないものの 
 盛会でした。管弦の楽の音は素晴らしく 
 特に中将の笛は昨今にないあでやかさでした。 
 それはよいのですが、その宴の折に 
 黒髪の姫の話題が出たのです」 

黒髪娘「わたしの……?」 

藤壺の君「ええ。くだんの歌会からこちら 
 姫の話は宮中の噂の的でした。主にその学識や 
 見識の高さ、歌を詠む姿勢などですが 
 臨席された帝が興味を持たれて」 

黒髪娘「帝が?」 

※承香殿(じょうきょうでん):内裏(天皇の住む 
 私的な場所)の建物の一つ。かなり格が高い。 



919 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 16:06:54.53 ID:J2V03bbQ0
友女房「ええ、どうやら噂の方はもうすでに 
 ご存じのようでした。いえ、おそらくは…… 
 尚侍のこともお心をいためておいでだったのでしょう。 
 その席でも、哀れみ深いご様子で。 
 そして、ではならば、歌集の編纂でも、 
 とのお言葉があったのです」 

黒髪娘「歌集……ですか!?」 
友女房「まぁ」 

藤壺の君「ええ。ご存じの通り勅撰集※の選者は 
 今まで女性が選ばれたことはございません。 
 ですから戯れ言だという者もいますし 
 おそらくは帝のご意志とは言え、院か後宮を 
 通して私的な依頼で…… 
 私撰と云う形になるでしょうが。 
 しかし、いずれにせよ帝の口から零れた言葉。」 

黒髪娘「……」 

藤壺の君「宴の席のこととは言え、 
 仇やおろそかには出来ませぬ……」 

※勅撰集:帝もしくは上皇が命令して編集した歌集。 
国家の一大文化事業で、選者にえらばれるというのは 
「国で一番わかってるひと」認定だった。 
比して私人の資格で選定を行なった歌集は私撰和歌集という。 



924 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 16:15:00.26 ID:J2V03bbQ0
黒髪娘「……」 
友女房 がくがくぶるぶる 

藤壺の君「正式な勅は未だ出ておりませんが 
 女性でありながら、帝の信任を受けて 
 選者に選ばれるかも知れぬ姫の噂で持ちきりです。 
 このままで行けば、遠からず何らかの話が 
 持ち上がるでしょう。 
 帝自らが動かなくてもそのように進むのが内裏。 
 それは黒髪の姫も重々ご承知でしょう」 

黒髪娘「それは……」 

藤壺の君「黒髪の姫が代理への出仕を 
 避けていらっしゃったのはもちろん存じております。 
 もしかしたら出家を考えていらっしゃるのかとも 
 思いましたが、前回の宴で、遠慮深く恥じらいを持つ 
 清らかなる方と判りました」 

黒髪娘「……」 

藤壺の君「……。姫……」 

黒髪娘「はい……」 



935 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/01/23(土) 16:44:17.14 ID:J2V03bbQ0
藤壺の君「歌集の編纂ともなれば、 
 多くの時を必要としましょう。 
 短くとも一年。長ければ、それこそ十年が 
 かかってもおかしくはありません。 
 それだけにその名誉は計りがたいものがあります。 
 私的な依頼とは言え、帝のご意向の選者。 
 それは内裏……いえこの都一番の 
 歌い手、技芸の理解者と目されると云うこと」 

黒髪娘「わたしのような浅学非才のものに勤まるとは……」 

藤壺の君「……姫。あの日の姫の瞳を覚えています」 

すっ 

黒髪娘「あっ……」 

藤壺の君「たしかに、この任は重いでしょう。 
 姫が嫌悪されていた、内裏の政争の駒と 
 なることもあるでしょう……。 
 でも、本当の姫は“羽ばたいて”みたかったのでは 
 ありませぬか? 中納言の二の姫との歌合わせを 
 見て私はそう感じたのです」