2: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:23:52 ID:3IL
【オードブル:ありがとうの作法】



 ────夢を見た。秋の日差しに包まれ、涼しくも表面に確かに熱を感じる。銀色のススキの色は緩やかに君の髪の色へと変わっていく。
 
 目を瞑ると、柔らかく暖かい匂いがする。
 振り向いた君の笑顔が、朱い光に包まれる。
「────さん。」
 君の声に返事を返そうとして、だけど穏やかな風がそんな気持ちを宥めていく。
 君が笑う姿を、俺も笑って眺めていた。そんな時間が、ただ幸せだった。
  
 ────そんな、夢を見た。

引用元: 【モバマスss】腹ペコシスターの今日の一品;肉じゃが 



THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTER COLLABORATION!  無重力シャトル
歌:安部菜々(CV:三宅麻理恵)、城ヶ崎莉嘉(CV:山本希望)、新田美波(CV:洲崎綾)、相葉夕美(CV:木村珠莉)、多田李衣菜(CV:青木瑠璃子)
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3: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:24:43 ID:3IL


 ……どうしてだろうか、4つもあるはずの目覚ましは機能していない。
 スマートフォンで時間を確認すると、始業時間の15分前だ。俺の家から事務所まで、どんなに急いでも30分はかかる。こりゃあ遅刻だな、と重苦しい今日を始めようとした矢先、あることに気づく。

 ……ここはどこだ。いや、知っているから言わなくても良い。
 深呼吸して自らの格好を眺めてみると、パリッとしていないスーツを着たままである。薄いベッドの横には革靴が並べて置いてあり、その中に無造作に靴下が脱ぎ捨てられている。掛け布団は下半身だけにしかかかっておらず、朝の寒さがいまだ微睡の中にいる頭を一気に現実に引き戻す。

4: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:24:58 ID:3IL
「仮眠のつもりだったのに……!」

 とにかく最低限の身嗜みを整えなければ。口をすすぎ歯を磨く。シャワーは……ショートミーティングの後に浴びよう。髪は……ああもう、寝癖を直す時間も勿体無い。せめて、顔を洗ってから出よう。急がないと……!

5: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:25:40 ID:3IL
 慌てて一つ下の階へと階段を駆け下りる。廊下を走ってはいけないんだよな、などと小学生の学級目標みたいなことを思い返しつつ、小走りで幾つもの部屋の前を通り過ぎる。
 事務員室のガラス張りの自動ドアが遅れて開いて、虚しく閉じていく。足は飛ぶように動き、今時こんなでかい会社でなんでこんなものが残ってるんだと思えるくらいの、すすけた白く重いドアの前へとようやく辿り着く。
 勢い良くそのドアを開け、「遅れました」と謝罪すると、老人の小さな、しかししっかりとした笑い声が部屋中にこだまする。
 
 部屋には鋭く刺すような視線の老人以外に、誰の姿も見つけることはできなかった。
 「やあ、おはよう──くん。今日は管理職以外は出勤禁止のはずだが?」
 「……えー……や、その。俺も出世した時のことを考えてると言いますか……」
 「仕事にやる気があるようで何よりだ。詳しいことは聞かないでいてあげるから、早く帰りなさい。 二度寝はきっと気持ちがいいよ。」

 ……次の出勤日、何か時代劇のDVDでも持って行こうかと思案し、俺は会社を後にした。

6: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:26:17 ID:3IL


 「ははは。だいぶ絞られたみたいだな、その様子じゃ。」
 「……うっせぇよ。笑ってんじゃねーっつーの。めっちゃ怖かったんだぞ……!?」
 「ああ、俺も一回やらかしたことあるからよく知ってる……部長は怒らせちゃいけねえよ。」
 「ほんとだよ。それがよく身に染みた。これから一週間、残業も許しちゃくれねぇらしい。」
 「……普通にいい話なんだけどな、実際。」

 次の出勤日。ニコニコと笑う部長の部屋に個人的に呼ばれた俺は、冗談でもなんでもなく明日の命を諦めかけた。
 部長のこめかみにピキッと青筋が浮かんだ瞬間から、俺の記憶は数分飛んでしまっている。最終的にはこっぴどく叱られただけでこの件は手打ちになったものの、二度と危険な行動をしないということを心に固く誓った。

7: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:26:49 ID:3IL
 しかし、「この一週間は残業完全禁止」というのは地味に痛い。
 年少組や中高生アイドルの担当が中心とはいえ、送迎が重なると、どうしても事務仕事は後回しになる。ちひろさんは「いつになっても大丈夫です」とはいうものの、どうしていつになっても大丈夫なのかその理由がイマイチわからない。仕事の方法を考え直さなきゃいけないかもな……
 
 さて、激動の幕開けを果たした今日であるが、そうはいっても仕事が始まる。
 今日の外出予定は……歌のお姉さんたちの迎えが16時30分に入っている。彼女たちを連れて帰ってきたら定時を超えるだろう。それまでに仕事はできるだけ片付けておこう。

 だから今日の仕事は、16時まで。そのあと30分で、いろいろ作っとかなきゃいけないからな。

8: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:27:07 ID:3IL


 「お疲れ様です、クラリスさん、ライラさん。それに薫と仁奈も。」
 「おつかれでごぜーますプロデューサー! 聞いてくだせー、今日の仁奈はすげーうまく歌えたでごぜーますよー!」
 「そうなんだよせんせー! 薫もね、仁奈ちゃんもね、すっごく上手にできたの! えへへ、ライラさんが一緒に練習してくれたからだよ! ありがとね、ライラさん!」

 今日は年少組とクラリスさんがレギュラーとして出演している子供向け歌番組の季節スペシャルの収録だった。そのゲストとして呼ばれたのが、ライラさん、と呼ばれる金髪碧眼の少女だった。

 「いえー。ライラさんはみんなで楽しく歌いたかっただけでございますですよー。ニナさんもカオルさんも楽しく歌っていらっしゃいまして、それが『コーをソーした』というやつでございます。」

9: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:27:40 ID:3IL
 ライラさんの素性は謎に包まれている。もちろん基本的なプロフィールは俺も把握しているが、彼女が抱える複雑な事情の全てを知っているわけではない。
 だが後輩がスカウトしてきて、ちひろさんが「大丈夫」と言い、部長から「頼んだ」と言われれば、俺が担当をする他はないのである。
 俺が担当することになったアイドルの中では、シスターに次いで新顔だった。無論、シスターは一時期部長が担当をしていたこともあり、事務所に所属している歴としては彼女の方が長いのだが。
 最初は言葉が通じるかといった基本的な部分から心配だったものの、基本的なコミュニケーションはしっかり取れたので安心したものだ。
 今となっては年少組の世話まで任せてしまうこともあるが、仲良くやってくれていると思う。最近は「ライラさんと勉強をする」などといって国語の教科書を一緒に読んだりしているそうだ。

10: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:27:55 ID:3IL
 「そうか。いや、それは何よりだよ。そう言ってもらえると安心するな。……クラリスさんもお疲れ様です。どうでしたか? 」
 「……はい。言うまでもなく、とても、とても楽しいお仕事でした……! 皆さん、本当に楽しく歌っていらっしゃいまして、私も皆さんに乗せられ連れられ、今日という日を幸福に過ごすことができました……! 」
 「……それはよかった。さ。みんな、お腹も空いた頃でしょう。事務所に帰ったらカレーが作ってありますから、是非それを食べて帰ってください。」

11: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:28:07 ID:3IL
 そう。いつもならもう少し遅い時間に君はお腹を空かせて現れるのだけど。少なくともこの一週間、俺は残業ができないのだ。
 だから、労いの気持ちを込めたまかないは、早めに作ってあげたいなと思っているんだ。……我ながら、なんでこんなことに拘るのかわからない。ただ、やはり自分の料理を待っている人がいる以上、その責務から逃げ出すことはできない……じゃないか。

12: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:28:35 ID:3IL
「やったー! ね。クラリスさん、よかったね! せんせーのてりょーり、食べられるって!」
 「か、薫さん……どうか、どうかそれは内密に……!」
 「? なんのことだ?」

 シスターの顔が桃色に赤くなる。あわあわとうろたえる様子は年相応の幼さを感じる。……そうだ、クラリスさんだってまだ20歳の女性なのだ。ふとそんなことを思い出す。

 「えっへん! それは今日のお仕事を頑張った4人での秘密でごぜーますよ! いくらプロデューサーといえど、こればっかりは教えられねーのです!」
 「教えられねー……でごぜーますですよ……」

 ……ライラさん、ちょっと仁奈の口調が伝染(うつ)ってきてるな……

 「そ、そうか…… いや、でも一緒にお仕事をしたメンバーだけでの秘密とかって、いいよな。俺にも昔あったよ、一緒に遊んだ友達との約束……」
 「それって、せんせーのお友達?」
 
 一瞬言葉に詰まる。頭の後ろに汗をかくが、なんとか誤魔化して言葉を繋げる。
 
 「…………ああ。大事な、な。」

 「……? プロデューサー、さん……?」
 「……あ、ああ! すいません、ボーッとしてしまって……さ、じゃあ帰ろうか。」

 ────みんなで、さ。おいしいカレーが待っているよ。

 沈みかけの太陽の光は雲に阻まれる。秋雨に濡れる街路樹を進む時、グゥ~~~…………というわんぱくな音が車内に響いたが、これは車の中にいた、俺たちだけの秘密にしておこう。

13: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:30:13 ID:3IL


 「美味しそうな匂い! ねぇねぇ、早く食べよう!」
 「あっダメでごぜーますよ薫、しっかりうがい手洗いをしてからじゃねーと!」
 「おっ偉いぞ仁奈。二人とも、俺がよそっといてあげるから、落ち着いてからおいで。」
 
 はーい、と元気な声が二つ聞こえる。出かける前に仕込んだカレーはもう食べごろだ。
 俺がいない間火の管理をしてくれた前川さんに一杯ご馳走したところ、たいそう気に入ってくれたようだ。
 ペロリと平らげたあと、ゴニョゴニョと小さな声でおかわりをねだってきた。そんなの別に構わないのに、と言うと前川さんは?を赤らめ口を尖らせ、こう言った。「Pチャンに、食べさせてあげたいのにゃ…」と。

 その言葉を聞いた時、俺は自身の想像力の欠如を実に嘆かわしく思った。
 そりゃそうだ。
 俺が早く帰ることになっても、別に仕事の総量が減るわけじゃない。
 俺個人の仕事は片付けてきたものの、仕事柄どうしても遅い時間に全体を調整しなければいけない事態も生じる。残業している時は俺も対応していたものの、そこにぽっかり穴が開けば……

 だから僕がやるよと。飄々と部長はそう言うのだ。
 
 ……会社の仕事はキツい。なんでこんなこと、と思ったのは一度や二度ではない。
 でも、いつも裏から表から助けてくれたのは部長だったな。……まったく、カッコいいお爺ちゃんムーブもほどほどにしておけって。そういうのは若い俺らに任せて、猫と戯れていればいい。飼い猫もきっと喜ぶだろう。

 「な、前川さん。これ、キミの分と、部長の分。持って行ってくれるかい?」

 ……上司に夕飯をプレゼントなんて、笑っちゃうよな。でも、猫がご飯を運んでくるなんて、もっと笑っちゃうだろう? 面白いのが一番だとあなたは言うだろうから、これで良いだろう。

14: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:30:53 ID:3IL


 「っっぅうひゃーーー! 美味しかったーー!」
 「プロデューサーの作りやがるご飯はいつもいつもすんげーうめーでごぜーますよ!」
 「はは、お粗末様。ありがとうな。」
 「おかわり……はないかー。でも、美味しかったよ!ありがとうせんせー!」

 ちょっと多めに作っておいたつもりだけど、まあ今回は仕方がないかな。……いや、そうか。

 「いや、大丈夫だよ。一杯だけあるから。」
 「ぷ、プロデューサーさん……それは……」

 ……本当に、シスターはよく気づく。でも、俺なら大丈夫ですよ。後で適当になんか食べますから……育ち盛りの子がお腹いっぱい食べられた方が良いでしょうって。


 「……それなら、ライラさんの分をどうぞー。先程おかわりをよそっていただいたばかりで、まだ手付かずなのでございます。」
 「え、いいのでごぜーますか! わーい!」
 「ライラさんありがとー!今度、アイスの大きい方分けてあげるね! 」
 「それは嬉しいのですねー。」

 ……口を挟む間もない電光石火。俺がぽかんとしている間にライラさんは綺麗にカレーを三等分し、三人ぱくぱくと笑顔で平らげていく。

 「あの、ライラさん……?」
 「プロデューサー殿のカレー、とても美味しかったでございます。美味しいものは、みんなで食べるともっと美味しいのでございます。そう教わったでごぜーますよ。」
 
 ……少女の面影と、女性の蕾を矛盾なく滑らかに繋いだ笑顔だった。彼女のそんな表情は、初めてみた気がする。
 ライラさん。君がそれを教わった相手、わかった気がするよ。きっとすごく優しくて、安らかで、穏やかで……いつもお腹が空いていている人なんだろう?

15: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:31:54 ID:3IL


 「……っと、薫、お母様がいらっしゃったみたいだよ。」
 「あ、本当だー! えへへ、今日は仁奈ちゃんと一緒に帰るんだよー!」
 「お、そうなの?」
 「……薫のおかーさんが、今日は泊まって行ったらって言ってくれたのでごぜーます。」
 「そうか、今日もまだ雨が降ってるからな……」

 仁奈は普段女子寮に住んでいる。
 たまに三船さんたちの部屋に泊まることもあると聞くが、昨日の雨で交通機関は未だ麻痺している。だから寮に帰っても、仁奈の寝る部屋は今日も暗いままなのだ。きっと夜は心細いだろう。
 そんな中でも、友達と一緒に過ごせれば……という先方からの配慮だと、ちひろさんから聞いた。

 食器の後片付けをクラリスさんとライラさんに任せ、ちひろさんと一緒に薫のお母様に挨拶をする。
 仁奈のことまでありがとうございますと伝えると、もう一人娘ができたみたいで嬉しいと。快く引き受けてくださったそうで、感謝の念に耐えない。

 そうこうしているうちに、帰り支度を済ませた仁奈と薫が階段を降りてきた。ばいばい、とさよならの挨拶をする。また明日、と約束を交わし、笑顔で一日の物語を閉じる。

16: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:32:45 ID:3IL


 「クラリスさん、ライラさん、片付けをお任せしてしまってすいません。」
 「とんでもないです……いつもプロデューサーさんにお世話になっていますから、せめてこのくらいはさせてください……」
 「『インガオーホー』というやつですねー。良いことをしてくれましたですから、良いことがプロデューサー殿には待っているでごぜーますですよ。」

 ……『因果応報』ってその使い方は正しいのか? なんとなくマイナスの意味の文脈で使われる言葉のような気がするが……
 でも、まあ。
 確かに、ライラさんの言うとおりの世界の方が、きっと俺たちの世界はもっと綺麗に見えるだろう。なら、そっちの方が俺は好きだな。

17: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:33:00 ID:3IL
 「……そういえば、二人とも。今日のカレーは、どうでしたか?」
 「とても、とても美味しかったです……! 何杯でも食べられますし、もしよろしければまた食べたいです……!」

 ……シスターが今日一番の素早い動きで俺との距離を詰める。洗い途中の皿が数秒自由落下をしてギョッとしたが、ライラさんが空中でそれを掴み取る。……ナイスキャッチ。

 「ライラさんも、とても満足でしたのです。プロデューサー殿の料理の腕は『テンカイッピン』とお聞きしていましたが、聞きしに勝る腕前でございました。」
 皿の洗剤を綺麗に洗い流した後、ライラさんもふわりと微笑み嬉しい言葉をかけてくれる。

 「でも、少し量が足りなかったでしょう? ごめんなさい、今度はもっと多めに作っておきますね。次はおかわりももっとできるように……ね?」
「わ、私は神に仕える者である以上、必要以上の施しを受けることは……ぅぅ。」

 ……喋っているうちに、過去の自分の行動に押し潰されてしまったようだ。合掌。

18: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:33:32 ID:3IL
 「ライラさんは」

 と。ビタリと空気を留めるような透き通る声で、彼女が話し始める。

「昔は……お腹いっぱい食べることが幸せでございました。でも、日本に来て、アイドルに誘っていただいて……」
「誰と一緒に食べるか。そこに違う形の幸せがあるということを、わたくしは『彼女』を含め、いろんな人から教えていただきました……だから、今日は本当に嬉しかったのでございます。」

19: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:33:52 ID:3IL
 彼女は滔々と言葉を紡ぐ。その姿は今までに見たことがないくらいの迫力を携えていた。

 「だから……だから、プロデューサーさんがごめんなさいする必要はないのでございます。本当にわたくしは……ライラさんは、嬉しかったのでございますから。」

 「……ああ、すまんライラさん、そういうことじゃないんだ──ええと、どう言えば良いんだろう。」

  『ごめんなさい』。何気なく放った俺の言葉が彼女をこんなにも駆り立たせてしまう。彼女の優しさに応えるには。素直さを受け止めるには。俺は何をすればいいのだろう。何をしてやれるのだろう。

 「……ライラさんは、とても正直で、優しい方、ですね……」

 シスターが彼女の頭を撫でる。その所作は美しく、俺の絡まった思考回路をひゅるひゅるとほどいていく。ゆっくりと。そして、柔らかく。

20: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:34:05 ID:3IL
 ライラさんにかける言葉の最適解は浮かばない。
 でもだからと言って、何もしないなんてことはありえない。
 その翡翠色の瞳が映す今日という一日を曇らせないために、せめて俺は正直であろうと決めた。

 「……不安にさせて、ごめんな。ライラさんが優しい子で、嬉しいよ。」

 ああ、また謝ってしまった。でも、これは許してくれよ。

 「そうさな。嬉しいことは、嬉しいと言わせて欲しいもんな。きっとそれは幸せなことだ。」
 「……ライラさんも、そう思います。」
 「……うん。だったら、俺が言う言葉は、どういたしまして、だよな。そうだ、そうだな。」

 ありがとうという言葉は仕事上もよく使うけど。
 どういたしまして、か。そういえば最近、使ったことがなかったかな。
 ……そんな当たり前のことを忘れていたんだな。

21: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:34:22 ID:3IL
 「……ありがとう、ライラさん。」
 「……? ライラさんはプロデューサー殿に、何もしていないのでございますが……?」

 いや。

 「……そんなことないさ。だから、ライラさんも、『どういたしまして』って言ってくれると、嬉しいな。」
 「……わかりました。では、ライラさんも、『どういたしまして』でございます。」
 「……それと、クラリスさんも。ありがとうございます。」
 「え、ええっ!? 私は本当に何もしていないのですが……!?」
 「……シスター。ありがとう、ございます。」
 「え、ええと……? ど、どういたしまして……?」

 ……最後のは、俺の自己満足だ。付き合わせてしまったみたいだが、でも普段から思っていることだ。男らしくないかもしれないが、この機会に紛れて言ってしまうのも、言わないよりずっといいだろう。なんか、今日は俺がいろいろ教えてもらってばっかりだな。

 「……お礼、というわけではないんだけど。俺もまだ少し物足りなくてさ。……パパッと作るから、一緒に食べてくれると嬉しいんだが……どうかな。」
 「よ、よろしいのですか!?!?!? い、いただきます!」
 「ライラさんも、いただきますー。プロデューサーさんとお話ししながら食べると、きっともっと美味しいと思うのです。」

 ……よし。じゃあ、何を作ろうか。白米は残っている。材料も、カレーを作った余りがもう少しだけあったはずだ。パパッと作って、一緒に食べようか。

22: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:35:10 ID:3IL
【今日の一品:肉じゃが】



 じっくり煮込んで作ればもちろん美味しい。でも、素早く作れて美味しいのも、それはそれで良いものだ。
 だから今日は、電子レンジで「煮込まない肉じゃが」を作ろうか。火を使わないから、温めている間も自由の時間だ。

 ────まず、大きめジャガイモ2個(小さめなら思い切って3個!)を一口大に切る。玉ねぎ1/2個は薄切りに、にんじん1/2個は一口小に乱切りで。
     肉は……豚肉を使うことが多いのだろうか。個人的には牛肉でも美味しいと思うのだが……とにかく、肉を150g、食べやすい大きさに切る。糸こんにゃくも同様だ。

 ────耐熱容器に糸こんにゃくを一番下に、肉、玉ねぎ、ジャガイモ、にんじんの順に敷いていく。『柔らかいものを下に』と考えるといい。

 ────ここに醤油大さじ2、料理酒、みりん、白だしを大さじ1、砂糖小さじ2を混ぜたタレを入れる。その後、ふわっとラップをしてレンジで加熱する。ジッ○ロッ○などでやる場合は、備え付けの蓋をずらして乗せるだけでもいい。

 ────レンジで加熱。600Wで10分。500Wなら12分。……ちなみに、電子レンジの出力に応じて加熱時間が変わるが、その原理と計算方法を簡単に解説しておこう。

23: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:35:48 ID:3IL
 まず、Wは「ワット」と読み、物理学のカッコ良い言葉を使うと仕事率だ。これは1秒あたりどれだけの仕事(エネルギーを変化させること)をする能力があるかを表す量のこと。
 また、結局どれだけの仕事が合計されたか? ということを表すエネルギー(仕事量)の単位のことをJ(ジュール)と呼ぶ。
 ということは、W数が大きければ大きいほど。かける時間が長くなれば長くなるほど、多くのエネルギーを与えることができる。つまり、次の式が成り立つ。
      J(仕事量)= W(仕事率)× s(時間(秒で定義することが多い。))
 さて、1分は60秒だから、例えば600Wで10分加熱した時の仕事量は次のように計算できる。
        600[W] × 10[分]× 60[秒/分]= 360000[J]
 さて、同じエネルギーを500Wの電子レンジを使って与えるには、何分加熱すればいいだろうか? これをt[分]と仮定すると
          500[W] × t[分] × 60[秒/分] = 360000[J]
これより
           t = (600×10×60)/(500×60) = 12[分]
となる。これが一番初等的な変換方法だ。……しかし計算の手続きを見れば明らかなように、途中で × 60[秒/分] という計算をするのは無駄だよな。だからまとめると、結局次のようになることがわかるかな。
  t = (600[W]/500[W] ) ×(600W での加熱時間[分])= 1.2 ×(600W での加熱時間 [分])
 最終的にはこの式だけ頭に入れておけばすぐに変換できる。また、自明だが
                0.1[分] = 6[秒]
なので、たとえば 600W での加熱時間が11分 のとき、 t = 13.2[分]となるが、これは13分12秒のことだ。だから 500W の電子レンジでは13分20秒ほど加熱しておけば大丈夫だろう。
 ただ、最終的な結果を公式として覚えても世界は広がらないので、根本的なところを心から納得しておくのが大事だ。……ちょっと説教臭くなってしまったね。
 
 さて、長々とむつかしい話をしているうちに、温め終わったみたいだ。

24: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:36:02 ID:3IL
 ────レンジの中で1分ほど置いておき、余熱を利用し火を通す。その後レンジから取り出し、ごま油を小さじ1ほど垂らし、やや雑めにかき混ぜ──これで出来上がりだ。

25: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:36:20 ID:3IL


 「さ、二人とも、少し待たせましたが、どうぞ。……ご飯はたっぷりありますので。」
 「ああ、なんていい匂い……! ごま油がアクセントになっていますね!」
 「おお……美味しそうなのですー。」
 「では早速……いただきます……ん、んんー! じっくり煮込んでいるわけではないのに、しっかり味が染み込んだ肉じゃがになっています!」
 「おおー。こんなに簡単なら、ライラさんにも作れますねー。……それに、ライラさん家のメイドさんはいつも忙しいので、火を使わないのはありがたいのでございます。料理をしている間にも、色々なことができますので。」
 「ああ、こうやってパパッと作れるのも悪くないだろう? それに美味しいんなら尚更だ。ちゃんと時間をかけた肉じゃがも、今度作ってあげるよ。どちらにも、どちらなりの良いところがあるからさ。」
 「……プロデューサー殿、また作ってくださるのですかー。なるほど、クラリスさんがこの瞬間を楽しみにしている気持ちがわかるような気がしますー。」
 「ラ、ライラさん……! そのことは、どうか内密に……!」

 ……シスターがここまで赤くなってるのはどうしてなんだろう。あわあわとする姿も割合珍しい……のだろう。俺は、彼女のそういう姿をよく知っているつもりだけど。他の人は、きっと知らないだろう。彼女のこんな──こんな、可愛らしい姿は。

 少しばかりの優越感を感じつつ。俺も腹を満たすとしよう。

 ────いただきます。

26: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:36:58 ID:3IL
【デザート:秋の気配】



 「────残業禁止って言ったよね?」
 「………………………………はい。」
 「…………昨日のカレー、とても美味しかったよ。まあ、今回はそれでチャラにしようか。」
 
 ────捨てる神あれば拾う神あり。確実に今の俺はどこかの神に拾われた男である。
 
 昨日の夜。肉じゃがを食べ終わった後、時間を確認してみれば19時半。シスターやライラさんとしゃべりおしゃべり、気づけば定時はとうの過去へと走り去る。
 せめてバレないようにと足音を潜めて廊下を歩けば、狙ったように事務所出口で部長と遭遇する。
 「明日」
 とだけ告げられた俺の命運は確実に尽きたものと思われたので、家の外付け SSD を涙ながらに処理しようか迷い、しかし果たせなかった哀れな男は、ここに無事帰還したのである。
 「あ、生きてるな」
 などと軽口を叩く同僚をジロリと睨み、今日の仕事を始める。午後に送迎の予定は特にない。流石に今日は早めに帰ろうかな。

 椅子に座ると、覚えがないメモ用紙が一枚。恐々とその内容を確認すると……なるほど、そりゃありがたいことだ。
 拙い字だが気持ちがこもった文に、自然と笑顔が零れる。折角なので、仕事を始める前にいただいてしまおう。今日一日が良い日になりますようにと願いをかけて。

 「あー良いなー。俺も欲しい。」
 「バカもの、お前のぶんはねぇよ。」
 「え、ずるーい。なんだよ、どうしたんだよそれー」
 ────まったく、この男は。良いやつではあるのだが、察しが悪い。とにかく察しが悪い男なのだこやつは。そんなの決まっているだろう。



 「アイスが好きな子たちと、お喋りしたのさ。」

27: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:37:37 ID:3IL


 仕事を早々に終え、帰宅の途に着く。陽の入りはますます早くなるが、今はまだ空に輝いているはずだ────きっと、この雲の向こうに。
 
 秋の雨は随分と長く感じる。
 自分の周りに無数の細かい水泡が浮かんでいるような気分になる。見上げた空の、奥のそのまた奥の方まで雲が張り、灰色の蓋が宇宙(そら)からの光を遮る。
 
 ここ数日はずっと雨が続いている。濡れたアスファルトに音が染み込み、すぅと心に隙間が生まれる。
 
 だが、それは本当に雨のせいなのだろうか。
 
 雨のせいならば春夏秋冬同じことを思うだろうに。ここまで感傷的な気分になるのは秋という季節のせいだろう。巡り来る季節の度に同じことを言っているような気もするが、それはきっと本当に気のせいだ。

 ああ、秋の雨は本当に長い。何かを洗い流してくれるわけでも、新たな命を生むわけでもないのに。ただただ静かに、終わっていく営みを眺めるのが秋という季節なのだろう。だから秋は当事者にはなり得ず、この上なく優秀な観測者という役割から逃げ出すことはできない。

 多くのものを許容するようでいて、頑なであり。
 鋳型に嵌めたようで、掴みどころがない。
 気づいたら始まり、知らぬ間に終わっていく。

 ────雨がそんな季節の始まりを告げていた。
 
 

 しかし。

 雲の隙間から筋光が差し込み、黄色くなった葉を輝かせる──光の色が黄金(きいろ)味を帯びて描かれるのは、ぼくらの心象の原風景に、この景色があるからかもしれない。
 
 秋の街は弱い光に包まれ、ひんやりと目の奥を暖める。
 濡れた路面が黄色く反射し、鮮やかに空気を彩る。
 しっとりとした風の音は、少しでも優しい最期を告げているのだろう。

 雲のような季節の始まり。物哀しさを愛せるようになったわけではないだろうけど、それを受け入れることはできるようになってきたのかもしれない────俺も。

 ゆっくりと家へと歩みを進める。
 その途中の、特に意味があるように思えない自問自答に、何という名前をつけようか。
 ありふれた名前であることに気づくことになるのは、これからいくつか季節が過ぎた後のことだ。

28: 名無しさん@おーぷん 19/10/22(火)21:41:34 ID:3IL
以上です。
皆さんのオススメの料理がありましたら教えていただけると嬉しいです(私が)。
料理は好きですが、素人ですので、練習していきたいです。でも、最近少し(少しですよ)上達してきたかなと……
次回は……どうしましょうか。今度は少し時間をかける料理で書きたいと思います。まだ全然考えていませんが。

他には最近こんなものを書いていました(最近の3つです)。
これらも含め、過去作もよろしければぜひ。
よろしくお願いします。


【モバマスss】城ヶ崎家(見守り隊)は大変なのです。【LiPPS】