京太郎「操り人形よ、糸を切れ」 前編

165: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:28:44.93 ID:z6esO8tE0

京太郎がさらに質問した。

確信はすでに得ている。

ブラウニーたちの情報からごみの山とマネキンが関係していることを知っているからだ。

もう一度質問をするのは最後の確認のためだ。

「何でゴミの山を作ったんだ。

ちょっとした疑問だよ。

あんたたちがあのゴミの山を作ったんだろう?

まさか不法投棄がしたかったわけじゃないよな。

秘密かな?」

 京太郎の背後、交渉を見守っていた仲魔たちが身構えた。

京太郎の心が完全に固まるのを感じたのだ。

京太郎は質問の答えがどうなろうと戦いを始めるつもりだ。

 ゾウマさんは京太郎の質問に正直に答えてくれた。

道徳的に問題がある行動をとったとゾウマさんが告白してもまったく京太郎が動じなかったからである。

そのため本当に興味本位で京太郎は話を聞いているのだとゾウマさんは判断した。

 さらにこの判断を導く助けが会話とは関係のないところにある。

それは京太郎が生き残っているという事実である。

悪魔に出会って生き残っている人間なのだから、一本ねじが飛んでいてもおかしくないという思い込みがあった。


「人間を人形に変えるための実験途中にできたごみです。

あのごみ山は実験の残骸です」


 京太郎の予想した答えではなかった。

せいぜい、マネキンに関連した何かがごみの山にあるとしか京太郎は考えていなかった。

雷を操れるようになっても、まだ何でもありの世界になじめていないのだ。

 しかし、いまとなってはどうでもいい。

 この言葉が京太郎のトリガーを引いた。

引用元: ・京太郎「操り人形よ、糸を切れ」 



166: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:29:56.53 ID:z6esO8tE0

京太郎の脳裏に稲妻が走った。

 行方不明になった男子高校生の行方。

積み上げられた大量の残骸の正体。

ごみの山からただよう気分の悪い臭い。

人間の持つ正体不明のエネルギーマグネタイトの存在。

悪魔たちの実在。

悪魔たちのマグネタイトを求める性質。

フードをかぶった人間の商売。

ヤタガラスという権力をもつ組織の存在。

ヤタガラスに追われているという情報から推測できる犯罪性。

167: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:32:09.99 ID:z6esO8tE0

何もかもがつながっていくが、京太郎は事件の真相などどうでもよかった。



狂人扱いされて何もかもあきらめてしまった友人の悲しそうな笑顔がはっきりと思い出せたからである。


 撤退の二文字が消えた。

 京太郎は冒険の始まりを思い出した。

「お前たちが!」

今までにないくらいに魂が荒ぶった。

 ゾウマさんは一気に京太郎と距離を離した。

さらに十メートルほど後ろに飛んだ。

これは反射行動だ。

交渉の失敗に気がついたからではない。

熱いヤカンに触れたとき、さっと手を引っ込めるように命の危機を感じて本能に任せて後ろに下がったのだ。

京太郎の変貌があまりにも強烈な破壊のイメージをゾウマさんに与えた結果だ。

168: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:36:33.80 ID:z6esO8tE0

戦いの再開は

「ジオダイン!」

の一言で始まった。

教えられた呪文ではない。

稲妻が京太郎の意志に応えたのだ。

 深化した稲妻の威力が造る景色は壮観だった。

稲妻が走ると地面が深くえぐれ、それでも足らんと地の果てへ稲妻がかけていく。

打ち砕くのだという強い願いそのものを形にしたような威力だった。

射線上にあったごみの山に稲妻が噛み付いてごみの山がいくつも崩れた。

 稲妻の威力を至近距離で受けたゾウマさんは、全身に深い傷を負っていた。

相性が悪いのも加わって、被害は甚大である。

 しかしまだ生きながらえていた。

スーツはぼろぼろになり、体がしびれて動かせていない。

しかしまだ、命をつないでいる。

京太郎にかかった能力低下の呪文のおかげである。

 次の一撃を打てば京太郎の勝利は間違いない。

 しかし次の一撃を京太郎は打ち込めなかった。

情けのためではない。

ナイフが京太郎ののどに突き刺さっていたからだ。

ゾウマさんの技だ。

打ち込まれるまで京太郎は気がつかなかった。

 のどに深くナイフが突き刺さっても京太郎の戦意は衰えていなかった。

 のどのナイフを抜くと、力任せにゾウマさんに投げつけた。

 ナイフはゾウマさんの肩にぶつかった。

刺さらなかった。

京太郎にナイフ投げの技術はない。

 ゾウマさんはいった。

「びっくりしちゃいました。

まさか呪文を深化させるなんて。

ゾウマさん一人ではもう京太郎さんを倒せないでしょう。

しかしゾウマさんはマスターの命令を実行します。

京太郎さんが戦うというのならばしかたありません。

命令どおり京太郎さんをこの世界に閉じ込めるだけ。

命令を忠実に実行するだけ。

それだけです」

 ゾウマさんはそういうと姿をくらました。

魔道具の効果である。

すでに安全な場所に離脱していることだろう。

追跡は無駄だ。

169: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:38:39.02 ID:z6esO8tE0

京太郎はゾウマさんを取り逃がした。

 京太郎ののどから流れていた血液は止まっている。

アンヘルの支援の賜物だ。

 ふわふわと浮きながら人形とアンヘルが彼の元にやってきた。

「どうやらやる気になったらしいな。

それに呪文を深化させるとはたいしたもんだ」

といってふわふわと風船みたいに京太郎の頭の上を人形が飛んで見せた。

 京太郎は二人に謝った。

「わるかったな。お前たちの目的を達成するチャンスだったのに」

 人形は笑った。

「気にするなよ。たいしたことじゃない。

すぐに外に出るのか、お茶して外に出て行くのかって違いしかないさ」

 アンヘルは

「マスターの好きなようにしたらいいです。見ていて楽しいですから。でも命は大事に使ってくださいね」

といって、京太郎の肩に手を置いた。


 京太郎の胸の奥の霧が晴れた。異界でやるべきことが見つかったからだ。
 

170: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:41:12.00 ID:z6esO8tE0

戦いの後少ししてから世界の色が変わった。

地面が震えた。

そして生臭い風が吹いた。

異界を埋め尽くすゴミの山から強力な力が生み出されたのである。

 京太郎たちが何事と構えていると、砦のようなものが現れた。

ゾウマさんが京太郎を異界から逃さないために作った砦である。


 砦は遠目から見てもわかるくらい粗末なつくりだった。

ごみの山を一箇所にまとめて、とりあえず砦の形を取っているだけだ。

 ごみの山が異界から消えたが、汚れは消えていなかった。

いまだに空は曇り、大地と川は腐っている。

砦が消えるまでは、汚れもこのまま居座るのだ。

 ごみの砦を京太郎はにらんだ。

ごみの砦を抜くことが京太郎の目的を達する一つ目の関門だからである。

最終的に求めるものは、奪われたものたちを取り戻すこと。

まずはそのために、砦を抜く。

そうしなければならない道。


 京太郎は砦から奇妙なものが空に立ち上っているのを見つけた。

京太郎が見つけたのは赤いおたまじゃくしのような煙である。

一つや二つではない。

何百と赤いおたまじゃくしのようなものが空に向かって上っていくのだ。

しかしおたまじゃくしといっても実体がない。

煙のように頼りない。

171: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:43:44.84 ID:z6esO8tE0

京太郎が不思議がっているとアンヘルが話しかけてきた。

「あれはですね、マスター。マガツヒですよ。

無理やり結界の範囲を絞ったせいで溜め込んでいたマガツヒをこぼしてしまったんでしょう。

マグネタイトがガソリンならばマガツヒは原油みたいなものですね。

細かく見ると少し違いますがそれで問題ありません」

 人形が笑って京太郎に言った。

「あそこにいるってことだろうな。わかりやすい。

なあ、少年。

もしかしたら俺たちに申し訳ないって気持ちになっているかもしれないが、気にすんなよ。

さっきも言ったが、たいした問題じゃないのさ。

正直、惜しいことをしたって気はしているが、これで外に出る方法が確定したと捉えることもできる。

もしかしたらさっきの造魔の言葉は嘘だったかもしれない。

もしかしたらライドウが俺たちを助けてくれるかもしれない。

しかし、見逃される可能性もなくはない。

間違いなく外に出る方法が見えたのならそれでいいのさ。

まあ、ちょっとしんどくなったのは本当だがな」

 そういうと人形は京太郎の肩に腰を下ろした。

疲れたのだろう。

 京太郎は砦の中にいるのだろうゾウマさんのことを考えた。

ゾウマさんのことを思い出すと不思議な感覚が胸の奥から沸いてくるのだ。

その心をを京太郎ははっきりと定めることができない。

怒りなのか、憎しみなのか。

さっぱりわからない。

京太郎は思う。


「この心の動きはいったい何なのだろう。この心は」

172: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:46:40.48 ID:z6esO8tE0

ゾウマさん襲撃の後、京太郎はブラウニーたちに砦に挑むと告げた。

迷惑がかかるかもしれないからだ。

京太郎が砦に挑み、敗北したとしたらおそらくブラウニーたちにも被害が及ぶだろう。

それを避けるために、京太郎はブラウニーたちに告白したのである。

逃げたほうがいいぞと。

 京太郎がごみでできた砦に向かうという話をすると、ブラウニーたちに手を引かれた。

ブラウニーたちは掘っ立て小屋のおく、鉱山の入り口に京太郎たちを引っ張ってきた。

 鉱山の入り口でブラウニーの代表者が京太郎に教えてくれた。

「どうやら現世に一番近いところを押さえられたようです。

あれは現世とこの異界をふさぐふたの役割をやっているのです。

私たちは困りませんが、あなたはきっと苦労することになるでしょう。

あの砦の中に結界を担当していた四体の悪魔もいるはずです。

あなたの障害となることは間違いない」

 ブラウニーの代表者は悲しげな目でいった。

「私たちに力がないのが本当に悔しい。

あなたを助けることができない。

自分たちを守ることさえ満足にできないのです。

しかしできる限りのことはして差し上げたい、古い時代の業を使うサマナーよ」

そういってブラウニーの代表は京太郎に不思議な金属を渡した。

鉱山の中から泥だらけになったブラウニーたちが現れ、代表者に金属を渡したのだ。

そして代表者が金属の汚れを拭いて、京太郎に渡した。

ブラウニーたちはこの金属を渡すために京太郎たちを鉱山の入り口に連れてきたのである。

173: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:49:24.85 ID:z6esO8tE0

なぞの金属をみてアンヘルと人形が驚いていた。

京太郎にはただの金属の塊にしか見えなかった。

少し前衛的な形をしているだけの金属である。

人形が教えてくれた。

「こいつは驚いた、こんな浅い異界で取れるなんて。

少年、いい物をもらったな。

こいつは命をもった金属なのさ。

なかなかお目にかかれない素材だ」

 ブラウニーの代表者が説明してくれた。

「これが鉱山にとどまっている理由です。

私たち妖精族は生き残るためにさまざまな道具を作ります。

その道具の中でもこの金属を使って作る道具は格別の力を持ちます。

たとえば魔法を反射する鏡とかですな。

どうか、お役に立てていただきたい」

 しかし京太郎は困ってしまった。

使い方がわからない。

見たところただの金属なのだ。

 京太郎が困っていると人形が助けてくれた。

「ちょっと待ちな。俺が仕込んでやるよ」

といって京太郎の肩に乗った。

そして京太郎と力のやり取りを行い始めた。

グロテスクなマネキンのエネルギーを奪い取ったときと同じ要領である。

 それに合わせて、京太郎の手のひらの金属がうごめき始めた。

人形が操っているのだ。

うごめいていた金属は、京太郎がはめている右手中指にはまっている植物の指輪に向かって突撃した。

指輪に金属が触れると、どんどん指輪の表面が金属に包まれていく。

そしてついに指輪全体が金属に覆われてしまった。

174: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:52:32.95 ID:z6esO8tE0

人形は

「これでいい」

といって肩から離れていった。

人形はこのように説明をした。

「これで少年に合わせて力を使ってくれるようになる。

どんな風に変化するのかは少年しだいだ。

戦いたいと願えば少年にあった形に変わる。

そういう風にした。

生きている金属なんてめったにお目にかかれないからな、少し試してみてくれよ。

うまくできたかは、わからん」

 このように人形が説明をするので、京太郎は試してみた。

 京太郎が戦うのだという意思を持つと、指輪が勝手に姿を変えた。

植物の蔓のようなものが、右手全体を包み込んだ。

植物の蔓はそれだけでは止まらない。

そのまま右腕を駆け上る。

そして背中を通り抜けた。

通り抜けた植物の蔓は、左手に届き、左手全体を包み込んだ。

見事、人形は仕事をやり遂げていたのだ。

 ぱっと見ると両手に有刺鉄線のグローブをつけているように見える。

しかし京太郎は痛くもかゆくもない。

 微妙に有刺鉄線が帯電していた。

彼の得意な属性に染まってしまったからだ。

 その姿を見て、人形は

「問題なさそうだな。

非常によくなじんでいる。

討ち入り前の新撰組みたいだな。

すごくいい。

すごくいいぞ。

なあ、アンヘル。

お前は新撰組を知っているか? 

俺はあの話が好きなんだ。

もしかしたら俺の趣味が出たのかもしれないな」

といって笑った。

京太郎の周りを人形がくるくる飛び回っている。

175: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:54:33.32 ID:z6esO8tE0

人形がそういうのでアンヘルが話に乗ってきた。

「しってますよ。

天使人間のサカモトが当時のライドウに討ち取られる話ですよね。

天使の界隈だと有名な話です。

四大天使がでばったのに成果がまったくでなかったって」

アンヘルは当然知っているというような顔をしていた。

常識だといわんばかりである。

人形の言い方にカチンときていたのである。

 人形は言った。

「えっ? なにそれ、どういうこと。きいたことないわ」


 京太郎はあまり興味がなかったので突っ込んでいかなかった。

アンヘルと人形は白熱していた。

 京太郎が戦う意思を引っ込めると有刺鉄線は、指輪の形に戻っていった。

 京太郎は申し訳ないような気持ちになった。

とんでもなく貴重なものをもらったとわかったからだ。

 彼は何度もお礼を言った。

言わなくてはいけないような気持ちがあるのだ。

176: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:56:52.52 ID:z6esO8tE0

しっかりと力を回復させてから、京太郎は旅立った。

 休んでいる間、ブラウニーたちがあれこれ世話を焼いてくれたのが、京太郎はうれしかった。

人間世界を思い出して懐かしい気持ちになったのだ。

 休憩中、アンヘルと人形はお母さんみたいな口調のブラウニーに捕まっていた。

「若い女が、あんな格好してから!」

といって肌を見せるなとアンヘルに説教をしている。

人形も一緒につかまっているのは、アンヘルが道ずれにしたからである。

アンヘルの右手が人形をつかんで逃がさない。

助けてくれとアンヘルが目線を向けてきた。

 しかしどうすることもできないのがなんとなく京太郎はわかったので、あきらめるように視線で答えた。

 京太郎はブラウニーたちに別れを告げた。

すっかり回復して、気力も満ちてきたからである。

彼は代表者とブラウニーたちの見送りにこんな挨拶をした。

「皆さんお元気で。

俺、精一杯がんばってみます。

いろいろありがとうございました」

これから戦いに向かうのに、京太郎はとてもさわやかだった。

深く礼をしてから、アンヘルと人形を引き連れてマガツヒが立ち上るごみの砦へと旅立った。

177: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 05:58:54.40 ID:z6esO8tE0

ゴミの砦に向かう間にガキの群れが京太郎たちを襲った。

ガキはどこまで言ってもガキである。

腹が減っているのだ。

京太郎のような若い肉体をみれば食べたいと思うのもしょうがないことである。

しかし無謀だった。

 京太郎は瞬く間にガキの群れを退治した。

この世界に流れ着くときに命を奪われかけたというのに、まったく相手になっていない。

二十近いガキの群れであっても鼻歌交じりに退けるのだ。

それを助けているのは二つある。

 ひとつはブラウニーたちの贈り物である。

両手に絡み付いている有刺鉄線のグローブは京太郎の拳を守るのと同時に、強力な武器になっている。

 もうひとつは京太郎が積み上げた経験である。

修羅場をくぐった経験が、魂を磨き、肉体を力で満たしている。

 ごみの砦に向かう道のりにはガキの死体だけが残された。

178: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 06:02:22.10 ID:z6esO8tE0

ごみの砦へと向かう京太郎はゾウマさんのことを考えていた。

恋愛感情ではない。

怒りでもない。

言葉にできない不思議な感覚が、京太郎の心を乱すのだ。

京太郎はその心の動きを今まで感じたことがなかった。

そのため、どうしても不思議に思ってしまう。

 砦へと向かう道の途中では人形がよく口を開いていた。

「なぁ、少年。

さっきの女悪魔いただろ?

 あれはさ、ゾウマさん、なんて名前じゃないぜ。

作られた悪魔っていう意味なのさ。

アンヘルの種族が天使なのかは怪しいところだが、アンヘルを天使って呼んでいるようなもんさ。

人間を人間って呼ぶようなものだといったほうが感覚的にわかりやすいかもしれないな。

たぶんだが、あの悪魔に名前はないぜ」

人形が話をするのは、間違いを正すためではない。

京太郎のケアのためだ。

ショッキングな事実が判明した以上、京太郎の心には衝撃が届いているはず。

心に衝撃を受けることは恥ずかしいことではない。

誰にでもあること。

問題なのは衝撃を受けて傷つくこと。

そして心の傷が肉体にまで作用することだ。

 今の京太郎には目立った変化はない。

普通に歩いている。

普通に戦えている。

表情も普通だ。

しかし緊張している状態だから気がついていない可能性が非常に高い。

人間は肉体が壊れかけていても心の力で乗り切ることができる。

しかし乗り切ることができるだけなのだ。

戦いの中であるからはっきりと目には見えないけれども、いつ心の痛みが限界点をこえ、肉体に作用するかはわからない。

それを心配したのだ。

戦いの中で限界がきたら終わりしかない。

179: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 06:04:35.47 ID:z6esO8tE0

人形の話に京太郎はこんな風に返した。

「え? それだと困らないか。名前がないと呼びにくい」

 人形が答えた。

「問題ないさ。名前は必要ないのさ」

 京太郎が返した。

「問題あるだろ。名前が呼べなきゃ話がしにくい。おいとか、お前とか言わなきゃならなくなる」

 人形が答えた。

「それでいいのさ。

造魔ってのは大量に作れる消耗品だ。

名前なんて上等なものはない。

番号を割り振られて、名前代わりにしているのが普通だろうな」

 京太郎が質問をした。

「なあ、ちょっといいか? 

悪魔ってのはつくれるのか?

 いや、そもそも常識が成立するほど悪魔と接して生きている人たちがいるのか? 」

 人形が答えた。

「そうだな、少年が思っているよりも人間世界は悪魔とべったりくっついていると思っていいぞ。

金持ちから権力者、宗教家。

当然ながら国家も悪魔と接している。

そもそもヤタガラスってのは公務員みたいなもんだからな。知らないわけがない」

180: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 06:07:30.34 ID:z6esO8tE0

人形が続けた。

「それで、悪魔を作ることができるのかって質問に対しての答えだが、できる。

しかし悪魔に接している人間の誰もが作れるわけじゃない。

悪魔というのは普通に生きて暮らしている。

呼び方が悪魔ってだけでブラウニーみたいなやつだっておおい。

むしろそういうやつのほうが多いのが本当さ。

人間とは少し違っているだけで生命体だ。

それは少年も交流してみてわかったと思う。

それをまず忘れないでほしい。

 悪魔を作るってのは闇の世界でも深いところにある闇なのさ。

悪魔と接するというのが世間の路地裏に入ったくらいだとしたら、悪魔を作るってのは完全にアンダーグラウンド。

あえてそこにいくものは少ない」

 京太郎が質問をした。

「なら、ゾウマさんは闇の中の深いところで作られた悪魔、だから名前がない、でいいのか?」

 人形が答えた。

「いや、あの女悪魔は作られた悪魔の中でも特殊な悪魔だ。

人間の都合のいいようにつくられた悪魔。

フランケンシュタインの怪物の主人に忠実なやつを思い浮かべてもらえたらそれで正解だ」

 京太郎が言った。

「なんとなくわかったよ。

闇の世界には悪魔を作る方法がある。

そして作られた悪魔の中には主人に忠実なやつがいる。

だからか、ゾウマさんがやたらと命令を守ろうとしていたのは」

 人形が「そのとおり」といった。

181: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 06:10:40.02 ID:z6esO8tE0

人形が続けていった。

「十五年くらい前に造魔作りの技術が確立されて、一気に造魔を所有するサマナーが増えたのさ。

そこで話しのはじめに戻る。

サマナーたちは造魔を大量に所有するようになったため、管理するのが面倒くさくなった。

結果いちいち名前をつけるのをやめた。


番号を振って番号で呼んでいる、そんなのはまだましで、おいとかあれとか、それとかいって呼んでいるサマナーのほうが多いってのが今の状況だ

 京太郎が不思議に思った。

「なあ、何で造魔をほしがるんだ?

 別にブラウニーだとかでも悪くないはずだろ?

 ブラウニーたちと仲良くなればいろいろと世話を焼いてくれるし、それこそ御伽噺の登場人物とだって」

 人形が答えた。

「難しいのさ。

契約が、じゃない。

仲良くなれないのさ。

サマナーたちのほとんどは悪魔を使いこなせない。

悪魔も生きているといったな。

悪魔たちにも性格がある。

人間だってそうだろ。

自分が雇われたからといって雇い主に忠誠を誓うことはない。

なぜ働いているのかといえば、報酬をもらっているからだ。

それだけなのさ。

好きで一緒にいるわけじゃない。

悪魔も同じさ。サマナーのほとんどは契約しか結べない。

だからいちいちサマナーは悪魔に命令を出すのさ。

そうしないと悪魔は働かないからな。

最悪なのは命令をしても聞いてもらえないことかな」

 京太郎が人形に言った。

「命令を聞かないくらいなら問題ないだろう? 自分で戦えばいい」

182: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 06:13:02.24 ID:z6esO8tE0

人形とアンヘルが笑った。

人形が答えた。

「はっきりいって少年みたいなのはサマナーとは言わない。

どっちかといえばハンターだろうな。

ほとんどのサマナーは仲魔にまかせて隠れているもんさ。

物量で押しつぶして隠れたところから打つ。

そのほうが安全だからな。

ソロモン王と同じやりかたさ。

下手したら生涯で一回も悪魔を直接、倒していないサマナーがいるかもしれない。

わかるだろ、社長と社員の関係だ。

社長は何とか社員を動かさなければならない。

もしも誰もいうことを聞かなくなったら、社長は終わりだ。

社長とサマナーで違うのは命が一発で失われるかどうか、だな。

サマナーにとって仲魔ってのは生命線なのさ。

命令を聞いてもらえないなんてことがあったら一発アウト。

仲が悪くても命令を聞いてもらえているだけましよ」

 ここで京太郎は納得する。

「ああ、それで問答無用で命令を聞いてくれる悪魔をほしがるのか。

そりゃほしいよな。

有名な悪魔よりも、自分のいうことを聞いてくれる悪魔がほしい。

ということは、お金持ちだとか、権力者のところには造魔が大量に所属しているって発想でいいのか? 

たぶん、一番ほしがるよな、こういう人たちが」

183: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/07(土) 06:16:09.15 ID:z6esO8tE0

人形が笑った。

「飲み込みが早くて助かるよ。

そのとおり。

というか、開発に金を出してたのはそういうやつらだろうよ。

金があろうと権力があろうと、悪魔はなびかない。

しかし悪魔の力はほしい。

剣にも盾にもなる。

いうことを聞いてくれる悪魔なんてのどから手が出るほどほしいだろうさ」

 京太郎は少し黙った。

今まで自分が見ていた世界が一気に広がったからだ。

カルチャーショックである。

世界には悪魔がいて、悪魔と触れ合っている人間がいる。

そして邪法があり、邪法を自分のために使っている人間がいる。

六時間くらい前の京太郎ならこんなことがあるとも思わなかった。

せいぜい、権力者と金持ちは後ろ暗いことをやっているくらいにしか思っていなかった。

 京太郎が黙っているとアンヘルがいった。

「マスターは大丈夫ですよ。

少なくとも私はマスターのことが好きですから。

たぶん、人形さんも、マスターのことは好きだと思います。

ブラウニーさんたちも好いてくれてましたよ」

アンヘルは京太郎に気を使ったのだ。

黙っている京太郎が自分たちの関係を深刻に捉えているのではないかと思い、誤解を解きたかったのだ。

 アンヘルは正直な気持ちを伝えていた。

アンヘルは京太郎をいい人間だと思っている。

見ていて面白い人間だと。

そして自分と同じような気持ちを人形も持っているだろうとアンヘルは思っている。

 砦までの道は長かったが、それほどつらい道ではなかった。

京太郎の仲魔たちが騒がしかったからである。

194: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:19:54.11 ID:TgoZAE5K0

砦にたどり着いた京太郎たちは困っていた。

砦にたどり着いたのはいい。

しかし、砦の入り口がなかったのだ。

人形がいった。

「そうだよな、結界を壊されたくないわけだから、砦に進入させなければいいだけの話だわ。

門を開いて待っていてくれたりはしないよな」

 砦自体はたいしたつくりではない。

山のような形をしていて、一番高いところでも十五メートルほどしかない。

ただ、ごみ山の裾野が広かった。

 京太郎たちは砦の構造を把握するために砦の周りを歩いてみて回ってみた。

陸上競技をするときに使う運動場を少し大きくしたくらいの面積に、ごみが集まって砦になっている。

見て回ってみても残念ながら入り口になるようなところはなかった。

 ごみの山で作った砦を見て回っているときにアンヘルがこういった。

「雑なつくりですね。

とりあえず境界線をふさいでいるように見えます。

あまり結界には詳しくありませんが、すこしつつけば砂のお城みたいに簡単に崩れそうです」

 アンヘルの意見に、人形がうなずいた。

「そうだな。本当に雑なつくりだ。

おそらくこのごみの山を作ったサマナー自体がこの異界を重要と思っていないのだろう。

とりあえずごみを捨てるためだけにブラウニーのような悪魔たちを押しのけた。

ちょっと結界を絞ったくらいでマガツヒが漏れ出すのを見てうすうすそんな気はしていたが、確定だな。

結界は雑に張られている」

195: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:24:05.46 ID:TgoZAE5K0

砦の周りを一週回ってきたところで人形が京太郎にいった。

「少年。見て回ってわかったことが二つある。

ひとつは結界が非常に雑に張られていること。

どうやらあの女悪魔の話のとおりこの異界はごみを捨てるために汚されている。

それ以上の理由はないだろう。

二つ目にわかったことは結界の破壊が簡単に済みそうだということ。

試してみないとはっきりとしない

しかしおそらく、結界を担当している悪魔を二体つぶせば、この世界からごみの山は消えるだろう」


 人形の話で少し、京太郎はわからないことがあった。

京太郎は人形に質問した。

「結界を担当しているのは四体の悪魔のはず。二つでは足りないだろう?」

 人形が答えた。

「その疑問はもっともだ。

四つの守護者がいるのだから、四つ抜くべき。

しかし、結界を壊すだけでいいのなら、四つ倒す必要はない。

難しく考える必要はない、囲めなくなったら、結界は壊れるのさ。

結界というのは縄張りのようなもの。

四角形を思い浮かべてくれ。

もしも四角形の角をひとつ取ったらどうなる。

四角形の角をひとつとったら三角形になるだろう。

三角形の角をひとつ取ったらどうなる。

それはもう、ただの線だ。

囲めなくなる。

これはどこで結界を作っても同じことが言える」

 京太郎は

「なるほど」

といった。

196: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:27:42.46 ID:TgoZAE5K0

人形が続けてこんなことをいった。

「だが、まったく油断する理由にはならないな。

これだけ雑な結界だからこそ必死で守りにくるだろう。

ひとつでも守護者が落ちれば、結界はすぐに破綻する。

おそらく、ごみの山の守護者たちは一番戦闘能力の高いものを一番に出してくる。

ひとつでも落としたらまずいのだから、一発目にすべてをつぎ込んでくる可能性が高い」

 さらに続けて人形がいった。

「少年、やばいと俺たちが判断したらすぐに戦いをやめて逃げると約束してほしい。

俺たちは一蓮托生。

少年が死んだら俺たちも終わりになる。

それはとても困るんだ。

俺たちには俺たちの目的がある。

もしも撤退したら少年の目的は達成できなくなる可能性が非常に高くなるだろう。

少年の人探しは失敗、人攫いを制裁することもできなくなるだろう。

ライドウが動いているからな。

しかし、約束してくれるというのなら俺たちは一生懸命サポートさせてもらう。

絶対に見捨てたりしない。

約束してくれないか?」

 アンヘルと人形が京太郎をじっと見つめていた。

仲魔たちにも目的がある。

その目的を達成するためには京太郎が生きていなければならないのだ。

京太郎が無茶な戦いを続ければ、当然目的が達成できなくなる可能性が高くなる。

そしてこれから立ち向かおうとする相手は仲魔の予想するところによれば、相手側の一番強い守護者である。

もしものときは京太郎の意地よりも自分たちの目的を優先させてほしいというお願いなのだ。

197: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:30:41.95 ID:TgoZAE5K0

京太郎は少し考えた。

もしも仲魔立場だったらどうするだろうかと考えたのだ。

冷静が考える力をくれていた。

 京太郎は仲魔たちの気持ちがよくわかっていた。

元の世界に戻り空を飛びたいという人形。

人間世界を探索したいというアンヘル。

二人ともこの世界から出て行かなければ達成できない願いである。

その願いを達成するためには契約を結んでいる自分が生き延びていなければならないという話なのだから、命を大切にしろというのは当然の話。


 かといって、まったく命の危険がない方法だけを選んで、外に出て行くことはできない。

何せ、砦が外の世界への道をふさいでいるのだから。

命がけになるけれども、命を捨てるわけにはいかない。

少しでも安全策をとりたいと思うのはしょうがないこと。

 そして仲魔たちが、お願いをしてくるのもしょうがない。

京太郎は自分の戦い方が、頭のいい戦いではないとわかっているのだ。

サマナーらしくない無鉄砲なやり方。

京太郎は自分がアンヘルと人形の立場ならば、おそらく同じことを願っただろうと思った。

 京太郎はこのように答えた。

「わかった。

一番目の守護者との戦いで、どうやっても勝てないとはっきりしたらおとなしく逃げ出すよ。

だが、もしも勝てそうになかったらどうやって外に出るつもりだ? 

ライドウとかいうのを待つのか?」

198: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:32:46.96 ID:TgoZAE5K0

 人形が答えた。

「ああ、それは気にしなくていい。

時間をかけていけばいいだけのことだ」

 京太郎は人形が何を言っているのかわからなかった。

「どういうことだ?

 時間が解決してくれるって話なら先に教えておいてくれよ」

 人形がこういった。

「熟成させることになるって話だな。

完成するまで修行するってことだよ。

ライドウがこの世界を見つけてくれるとは限らないからな。

自力で出て行けるまでずっと修行する」

 人形に続いてアンヘルがいう。

「そうですね、完成しちゃえばたぶん楽に終わります。

ただ、ブラウニーたちのところに戻っていって、気まずい空気に耐える必要がありますけどね。

修行したいから居候させてくれって」

 京太郎はぞっとした。

送り出してくれたブラウニーたちの集落に守護者にへこまされた自分が戻っていく姿を思い浮かべてしまったのだ。

あまりにも恐ろしい光景である。

199: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:37:36.88 ID:TgoZAE5K0

京太郎たちの前には問題があった。

守護者を討ち取って結界を崩すという目的を達成したい。

そのためにはまず守護者と出会わなければならない。

しかし守護者は砦の外に出てきてくれない。

中に入ろうと思っても入り口がない。

ものすごく強い守護者が一番手に出てくるだろうという予想がついても、中に入れないのならば、どうしようもない。


 アンヘルと人形が困っていると、京太郎が

「よしわかった」

といった。

守護者を呼び出す方法を思いついたのである。

 京太郎は人形に質問した。

「なあ、どのあたりが一番弱いところなんだ?

 俺にはどこも汚らしいごみにしか見えねぇけど壁が薄いところがあるんじゃないか」

 人形が京太郎に答えた。

「まあ、これだけ雑な結界ならどこもかしこも弱いと思うぞ。

もしも無理に入ろうって話なら、やめておいたほうがいい。

悪魔の張っている結界だからな、見たままの内部構造はしてないぞ」

 京太郎はこのように返した。

「いや、それだけわかればいいよ。

ちょっと試したいことがある。

二人とも砦から離れてくれ」

 京太郎は仲魔を下がらせると集中し始めた。

京太郎の両手を包んでいる有刺鉄線のグローブが強く帯電して火花を散らしている。

 京太郎の後ろで様子を見ている仲魔たちは主人が何をしようとしているのか予想がついてしまった。

見ればわかる。

深く集中することで魔法の威力を高めている京太郎。

その前に立ちふさがる、守護者に合わせたくない砦。

 人形がつぶやいた。

「見逃してもらえないだろうな、たぶん」

 アンヘルが答えた。

「無理でしょうね」

200: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:42:04.56 ID:TgoZAE5K0

集中を終えた京太郎が呪文を唱えた。

「ジオダイン!」

魔力を集中させることで強烈な火を生み出した怪物のことを京太郎は覚えていた。

自分自身に稲妻を打ち込む技が使えるのならば、魔力を集中させることもできるだろうと考えたのである。

 集中を重ねた稲妻は見事、砦をぶち抜いた。

もくもくと土煙が上がった。

ごみが稲妻で焼けたのか、いやなにおいが漂った。

 稲妻は守護者たちの気持ちなど少しも考えなかった。

稲妻は砦の入り口を作るなどとケチなことをいわず、砦の横っ腹を貫いた。

直径五メートルほどのトンネルが出来上がった。

トンネルはすぐに崩れた。

 砦は半分に切られたケーキのような状態になってしまっている。

 大量の赤いおたまじゃくしがとりでからあふれてきた。

マガツヒである。

雑なつくりで何とか形を成しているだけのところに強力な稲妻をぶち込むのだから漏れ出すのもしょうがないことだ。

 京太郎はとてもすっきりしていた。

崩れかけている醜い砦をみてさわやかな気持ちになっている。

ごみの山が外道の目的のために作られたと知ってから、ごみの山に強烈な嫌悪感を抱いているのだ。


 人形が京太郎に伝えた。

「少年、どうやら向こうから会いにきてくれたみたいだ。

ちょっとノックが強すぎたみたいだな。

くるぞ!」

 ぼろぼろの砦から守護者が現れた。

鎧武者だ。

身長二メートル。

鎧とかぶとを身につけている。

鎧武者の手には四メートルを超える大なぎなたが握られていた。

砦を崩した京太郎を討ち取るつもりなのだ。

京太郎と鎧武者は十メートルほど離れていた。

 鎧武者は京太郎をじっと見つめていた。

 京太郎はすぐにその視線に気がついた。

戦う相手から視線をきることはない。

 京太郎は鎧武者と目を合わせたときに不思議に思った。

「怒りがない?

 こんな無作法をした俺に、何も感じていないのか?」

201: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:44:54.11 ID:TgoZAE5K0

目の中に力がないのだ。

憎しみだとか怒りだとかがない。

あまりにも感情らしいものがない。

すこしくらい、感情のリアクションがあるはずなのにそれがないのが、不思議なのだ。

 一方で、仲魔たちの動きはすばやかった。

アンヘルと人形は空に飛び上がり、鎧武者から距離をとった。

京太郎ならばまだしも二人の耐久力では一発で命を奪われる可能性が非常に高い。

ゾウマさんと京太郎のやり取りについていけなかった二人が戦場に割り込んでいくのは自殺と変わらない。

 二人の役割は京太郎のサポートである。

邪魔をしないことが二人の役割なのだ。

 二人のサポートを受ける京太郎はすぐに心を切り替えていた。

命の取り合いである。

油断して敗北したら、次のチャンスなどない。

 守護者と京太郎は、見詰め合ったまま動かなかった。

のんきに見詰め合っているわけではない。

二人の距離は十メートル。

二人にとって一歩でつめていける距離である。

 呪文を唱えたいところだが、二人とも唱えられない。

一秒未満の時間が、惜しいのだ。

二人とも一秒あれば、十メートルの距離をつめて相手の首を落とせる技量を持っている。

 かといってむやみに直接攻撃を仕掛けるには恐ろしすぎた。

守護者は京太郎の帯電する両手が恐ろしくみえ、京太郎は四メートルのなぎなたが恐ろしく見えていた。

どうやって攻略すればいいか、二人はそれを考え、動けない。

202: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:48:04.90 ID:TgoZAE5K0

動きのきっかけになったのはアンヘルの弓矢での攻撃だった。

一対一ならばこのままにらみ合うことになるだろう。

しかし京太郎には仲魔がいる。

アンヘルは京太郎が動けなくなっていることを察すると、相手の油断を生み出すために弓矢での攻撃を仕掛けたのだ。

あたらずともかまわない。

弓矢をさばく、その瞬間に生まれる隙間を京太郎がつけばいい。

 守護者は弓矢での攻撃を回避した。

ほんの少し体を背後にそらして顔面を狙う弓矢を避けたのだ。

 京太郎から視線をきっていない。

切る必要さえない攻撃だからだ。

 なぎなたを使わなかったのは、回避したほうが京太郎に隙を与えないだろうと考えてのことである。

 万全の回避を鎧武者はとった。

 しかし、京太郎はわずかな体のブレを隙と判断した。

わずかな体のブレが、大なぎなたを振るうまでの遅れにつながるからだ。

 普通なら見逃すわずかな動きを京太郎はチャンスにかえた。

わずかに体が揺れたそのときを狙い、間合いをつめた。

京太郎が一瞬でつめた間合い八メートル。

四メートルのなぎなたを振るうには近すぎる距離。

相手の武器がなぎなたである以上間合いをつめてしまえば、満足に武器を振り回すことはできない。

京太郎はそのように考え、ほんの少しの隙が生まれたときには突っ込むと決めていた。

賭けに出る決意があったためにアンヘルの無言の支援を生かすことができた。

203: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:52:55.99 ID:TgoZAE5K0

しかし京太郎は拳を打ち込めなかった。

守護者のカウンターが決まったからだ。

守護者のけりが京太郎の腹に入った。

守護者は自分の弱点をよくわかっていた。

「懐に入られたら面倒くさいことになる。

しかし問題はない。

懐に入りたいという敵の気持ちを理解した上で行動すればいい」

守護者にはその発想があったため、京太郎が懐に入ってきても簡単にカウンターを打ち込むことができた。

「入ってきやすいのならば、くればいい」

セオリーを狙い撃ちにしたのだ。

 鎧武者のけりを腹に受けて京太郎は六メートルほど吹っ飛んだ。

数十キロの重さがある人間の肉体などあってないようなもの。

怪物の力の前にはたいした重さではないのだ。
 
 京太郎はすぐに持ち直した。

痛みはある。

しかしそれだけだ。

腕が壊れたわけでもなければ、背骨が折れたわけでもない。

そして吹っ飛ばされた位置は鎧武者の攻撃範囲内である。

のんきに転がっていられない。

 即座に持ち直した京太郎を見て、鎧武者が大きな声を出した。

雄たけびだ。

何をしたのかはすぐにわかる。

ぼろぼろの砦から、マネキンの群れが現れた。

その数、十五体。

鎧武者は助けを呼んだのだ。

 マネキンを呼び出した鎧武者の心中は乱れていた。

一見すると鎧武者が優位。

人間では扱えない四メートルの大なぎなたを持ち、射程距離の優位を持っている。

そして京太郎の一撃に足でカウンターを入れる身体能力を持っている。


 一方で、仲魔の助けを借りても京太郎は攻撃を入れることができなかった。

行動を読まれて、きれいに打ち返された。

京太郎が押されていると見える。

それがやり取りの結果である。

 しかしこの結果を出してみて鎧武者は死の予感を覚えた。

「なんとなくいやな予感がする。動きをこれ以上見せたくない」

この予感が、過剰な戦力を用意するきっかけになった。

 砦からマネキンたちがぞろぞろと現れてくるのを見て京太郎は

「少ない」と思った。

要所を守っているというのに、この程度しか用意できないのかと思ったのである。

204: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:56:13.94 ID:TgoZAE5K0

京太郎は鎧武者に向けて稲妻を放った。

マネキンを鎧武者が呼び出したことで、呪文を唱える隙が生まれたからである。

マネキンたちに稲妻が通じにくいことは京太郎も承知している。

鎧武者が稲妻に対して何かしらの対策をしてきているのだろうと予想もしている。

しかし、一応試してみないことにはわからないことがある。

 これは損傷を与えるための攻撃ではない。


 深化した京太郎の稲妻が鎧武者を捕らえた。

稲妻が走り、大きく土煙が上がる。

土煙で視界が悪くなった。

 京太郎は、自分の予想が正しいと判断した。

「間違いないな。

ジオダインの対策をしてきている。

おそらくゾウマさんが伝えたのだろう」

悪くなった視界の中で京太郎は耳を澄ましていた。

京太郎は敵の動く音を聞いていた。

稲妻が走った後、一秒ほどしてマネキンたちが動く音が聞こえてきた。

少し遅れて鎧武者が動く音が聞こえてきた。

鎧を着ているため、聞き分けるのは簡単だった。

 土煙が晴れると京太郎を囲うようにマネキンたちが広がりつつあった。

京太郎の真正面には鎧武者がなぎなたを構えて距離をじりじりとつめてきている。

マネキンたちが作ろうとしているのは円である。

土俵のようなものを作ろうとしているのだ。

なぎなたの有利を存分に使うための場を用意しようとしている。

 京太郎のサポートに回っている人形が叫んだ。

「少年! 囲まれるな! 詰むぞ!」

 京太郎は囲まれる前に地面に向けて、二つ目の稲妻を放った。

先ほどよりも大きく土煙が上がる。

目くらましである。

205: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 02:58:56.40 ID:TgoZAE5K0

人形が悲鳴を上げた。

京太郎が何をしようとしているのか予想がついたからだ。

「やめろ少年! そいつには通じないぞ!」

土煙にかくれて京太郎は鎧武者に攻撃を仕掛けるはずと、人形は考えていた。

稲妻に対策がされた以上、相手の命をとるためには直接攻撃を仕掛けるしかない。

そのためにはなぎなたが邪魔だ。

邪魔ならばどうするのか。

使わせないようにするしかない。

そのためにはどうすればいいか、視界を奪えばいい。

見えなければ当てようがない。

その間に懐に入ればいい。

 この流れを人形はすぐに思いついた。


 しかしそれは、鎧武者も予想がついているだろう流れである。

あまりにもよくある方法だからだ。

 そして予想がついているのならば、カウンターを打ち込まれる可能性が高い。

先のやり取りだけでも鎧武者が高い技量を持っていることがわかる。

こんな方法ならば簡単に対応してくるだろう。

 先ほどは蹴られるだけで済んだが、今回失うことになるのは間違いなく命だろう。

絶好球を見逃すものはいない。

 そして京太郎が目くらましに一工夫するだろうというのも人形は予想していた。

たとえば、周りにいるマネキンを捕まえて、自分の身代わりに仕立てるというような工夫である。

優れた身体能力を持ち、成長した京太郎ならばできるだろうと人形は見ていた。

206: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 03:02:37.44 ID:TgoZAE5K0

人形の予想は正しかった。


 鎧武者が土煙を風で払った。

鎧武者を中心にして風が吹いた。

風の魔法

「ガル」

の効果である。

目的は視界を確保するため。

そして、京太郎を迎撃する準備のためである。

 視界がはっきりとしたところで鎧武者が大なぎなたを横に振りはらう構えを取った。

自分に向けて投げ込まれてきたマネキンが、はれた視界の中に見えたからだ。

鎧武者はこれらを空中で断ち切るつもりである。

 投げ込まれてきたマネキンの数、五体。

これをなぎなたの横一線の攻撃で迎撃した。

マネキンたちは真っ二つになった。

 迎撃の勢いを殺さずに、大上段の構えになぎなたを鎧武者は持っていった。

投げ込まれた五体のマネキンの影に隠れて突撃してくるだろう京太郎を両断するためである。

 「懐に入りたいのならば、来るがいい。

こちらはそれを狙い打つだけのこと。

見え透いているのならしっかりと対応するだけだ。

絶好球を前にして力むようなこともない。

われらにそんな上等なものはない。

さあ来い。

回復などできないように両断してやろう」

と鎧武者は考えた。

207: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 03:06:30.70 ID:TgoZAE5K0

鎧武者のカウンターに入るまでの流れは見事だった。

しかしすべてが段取りに入っていれば、難しいことではない。

仕事と同じだ。

その場その場で考えて動くよりも、パターンにはまっているもののほうがすばやく動いていける。

鎧武者の予想したパターンに京太郎の攻撃は見事にはまっていた。

 鎧武者が大上段に構えた瞬間、戦場を俯瞰するアンヘルと人形はぞっとした。

京太郎が鎧武者のカウンターを受け、両断される姿が予想できたのだ。

たてに切り裂かれてしまえば、即死である。

回復の魔法「ディア」では対応できない。

 仲魔の横槍は期待できなかった。

京太郎と鎧武者の動きはアンヘルの弓矢よりもすばやいからだ。


 空中で切り裂かれた五体のマネキンたちが地面に落ちる間に決着はついた。

 空を舞うマネキンたちの影から、鎧武者の予想通り京太郎が突撃してきた。

その動きはすばやかった。

突撃してくる京太郎めがけて、鎧武者の大なぎなたが振り下ろされた。

すべてが鎧武者の予想通りだった。

 しかし、大なぎなたは京太郎を捕らえられなかった。

大なぎなたの攻撃を軽いステップで京太郎が避けたのだ。

 それどころか、振り下ろされたなぎなたの刃を京太郎は強く踏み込んでみせた。

地面にめり込ませたのだ。

使わせないようにするためだ。

 一連の流れに驚いている鎧武者を尻目に三度目の稲妻が放たれ、土煙が舞った。

終わらせるためである。

 両断されたマネキンが地面に墜落する音が聞こえた。

 土煙が落ち着いてきた。

 戦いは終わっていた。

鎧武者の首が落ちている。

鎧武者から奪ったなぎなたで京太郎が首を落としたのだ。

 そして鎧武者の敗北のすぐ後、十体のマネキンの首が飛んだ。

京太郎を囲むために集まっていたところをなぎなたで狙われたのだ。

208: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 03:09:42.56 ID:TgoZAE5K0

 京太郎が狙っていたのは鎧武者の命ではない。

京太郎が戦いの中で狙っていたのは守護者が持つ「大なぎなた」だった。

命を一番脅かすのはなぎなたであると感覚が叫んでいた。

 なぎなたを何よりも恐ろしいと判断した時点で、京太郎の戦いは薙刀の無力化を目指していた。

命を奪い結界を壊すのは大きな目的だ。

しかしその前になぎなたを奪うことでリスクを減らす努力をした。

仲魔たちのお願いがきいていた。

 ジオダインに対して対策をとっている相手にあえてジオダインを仕掛けたのは、ダメージが相手に通るかどうかを見たのではなく、相手がしびれるかどうかを確かめるため。

 二度目のジオダインを使い土煙を上げたのも、土煙に乗じてマネキンを投げ込んだのもなぎなたを無力化するための行動である。


 三度目のジオダインもダメージを与えるために打ち込まれたものではない。

しびれさせて武器を奪うために行われていた。

人間の腕力では扱えない大なぎなたを扱う力を持っていても、コントロールできないのならば奪い取るのは簡単だ。

 神業じみた回避を取れたのは段取りの中に入っていたからである。

 京太郎は二つ予想を立てていた。

 ひとつは、簡単に懐に入ることができる結末。

投げ飛ばしたマネキンに気を取られている間に楽に鎧武者の懐に入る。

そんな道。

 もうひとつは自分の攻撃を見切りカウンターを鎧武者が仕掛けてくる道。

 京太郎は、おそらくカウンターを仕掛けてくるだろうと思っていた。

一発目の見事なカウンターを受けた感覚からそう判断した。

 しかし実際は、どちらになるのかがわからないので京太郎は、どちらでもいいように心の準備をして突撃した。

心の準備だけしていけばいい。

何もかも段取りに入れた上で動けば、動きは非常に滑らかになる。

 京太郎のあまりにもわかりやすい作戦に鎧武者がカウンターを仕掛けたのと同じように。

 

209: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 03:14:11.03 ID:TgoZAE5K0

戦いが終わると、京太郎はひざをついた。

京太郎の顔から血の気が引いている。

仲魔たちがすぐに京太郎のもとへ飛んできた。

人形が声をかけた。

「大丈夫か?

 顔色が悪すぎるな。

おそらく、魔力を使い切ったせいだろう。

上級呪文をあんなにパカパカうてばそうなるさ。

ちょっと待ってろよ、俺の魔力を分けてやる」

 京太郎は少しだけ気分がよくなった。

京太郎に触れている人形が魔力を分けてくれたからだ。

 人形が京太郎に言った。

「これで少しはよくなるだろう。

しかし無理はするなよ。

少年は自分のことだからわからないかもしれないが、戦い続ければ、心が消耗していく。

こればかりは魔法でどうにもできない。

肉体だとか、魔力ならばどうにでもできる。

だが心は別だ。

消耗すれば時間をかけるしか回復させる方法がない。

魔法は万能ではないんだ」

 京太郎は人形に言った。

「わかってるよ。

変な気分だ。

体力は有り余っているが、それだけだ。

感覚と肉体に温度差がある」

京太郎は自分の胸に手を当てた。

言いようのない焦りのようなものを胸の奥に感じていたからだ。

京太郎はこの感覚を、心が消耗するという状態なのだと捕らえている。

 アンヘルが京太郎の肩を抱いた。

安心させるためである。

 人形がふわふわと浮き上がり、京太郎に言った。

「なあ、少年。

落ち着いていないところで申し訳ないが、少し試したいことがある。

思いついたことがあるのよ。

もしかしたらさらに少年の力を高めることができるかもしれない。

そのために少年のピアスと腕輪と、守護者から奪った薙刀が必要になるのだけれども。

どうだろう、任せてもらえないだろうか?」

どことなく、わくわくしているような調子だった。

210: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 03:16:53.38 ID:TgoZAE5K0
 
京太郎は

「任せる」

といった。

ピアスと腕輪をはずして、大薙刀を手放した。

ちょっと変わった仲魔だがそれなりに信用しているのだ。

 人形は喜んだ。

「よし、じゃあすぐに始めよう。

こういうことは早いほうがいい。

さっさとやろう。

そうしよう。

少年、ちょっと右手を伸ばしてくれ」

 テンションの高い人形に右手を伸ばした。

 すると人形が呪文を唱え始めた。

人形の呪文にあわせて、右手の中指に収まっている指輪がうごめきだした。

金属の蔓がたこの足のようにうねっている。

 京太郎の右手が痛み始めた。

右手から血が流れた。

指輪に生えている金属のとげが、京太郎の右手に深く刺さっているからだ。

指輪が宿主の血を吸っているのだ。

 右手に収まっている指輪は京太郎の血だけでは物足りないらしく、ピアスと腕輪と大薙刀まで喰らった。

あっという間に、ピアスと腕輪と大薙刀の形が有刺鉄線の蛸足に飲み込まれて消えてしまった

211: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 03:20:25.90 ID:TgoZAE5K0

用意した餌をすべて食べてしまうと指輪は元の形に戻っていた。

人形がいった。

「これで出来上がったはずだ。

ごめんな少年。

できるだけ痛くしないようにしたが、その顔じゃあ、大分痛かったよな。

まあ、出来上がったものを見て、許してくれ。

痛みの分だけ強くなっているはずさ。

たぶん」

 少し不安になる言い草であるが、京太郎は人形の言うとおり出来上がったものを見てみることにした。

見てみないことにはどうにもしようがない。

 京太郎が戦う意思を持つと指輪の形が変わった。

金属の蔓がうごめいて、京太郎の右腕を包み込んだ。

先ほどまでと違うのは、有刺鉄線のような金属の蔓は右腕だけしか包まなかったことだ。

 有刺鉄線に包まれている右腕を見て京太郎は怪物の右腕だと思った。

有刺鉄線で作られた右腕は大きかった。

人間の身長というのは両手を広げた大きさと大体同じだという話がある。

もしも有刺鉄線が作った右腕と同じサイズの腕を持つ人間がいたとしたら、身長は三メートル近い理屈になる。

長いだけなら人間にもいるだろう。

問題なのは長さだけではない。

 右手の爪だ。

五本の指には小刀サイズの鋭い爪が生えていた。

人の爪でもなければ、腕でもない。

怪物だ。

 そして京太郎は、奇妙だとも思った。

右腕が自在に動くのだ。

明らかに自分のものでない延長された腕が動くのだ。

しかも自分の右腕のような感覚がある。

おかしなことだ。

212: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 03:24:12.21 ID:TgoZAE5K0

人形が京太郎に言った。

「いい具合にチューニングできたな。

ブラウニーたちの贈り物は少年と相性がいいらしい。

まあ、俺の腕がいいってのもあるけどな。

自分でもびっくりしたわ」

 人形がのんきなことをいっていると、砦が大きな音を立てて崩れた。

守護者が失われたため、形を維持できなくなったのだ。

 首を失った守護者に京太郎は視線をやった。

「不思議な相手だった。

ゾウマさんと同じような不思議な目をしていた。

そして、何だろう、この気持ちは。

言いようのない気持ちがわいてくる」

と京太郎は思う。


 守護者のなきがらは光に包まれて消えてしまった。

京太郎は驚いた。

死体がなくなることなどいままでなかったからだ。

京太郎の肩を抱いているアンヘルが教えてくれた。

「造魔は命を失うと、ドリーカドモンに戻るのです。

悪魔の中でも特殊な悪魔ですから、ちょっと事情が違うんです。

見えるでしょうか、守護者がいたところに人形みたいなものがあるでしょう?

 あれがドリーカドモン。

造魔を作るために必要な道具です」

 光が収まったところには、壊れた奇妙な人形が落ちていた。

前衛芸術のセンスを取り入れた人形である。

京太郎の仲魔の人形とは少し趣が違っていた。

213: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/14(土) 03:27:21.85 ID:TgoZAE5K0

守護者のなきがらが消えてしまった後、砦から大量のマガツヒがあふれ出した。

結界を担当する守護者のひとつが落ちたことで、結界の形が保てなくなったのだ。

そして形が保てなくなったため溜め込んでいたマガツヒが流れ出してしまった。


 マガツヒが流れ出すと、風が吹き、よどんだ空に光が差し込んできた。

ブラウニーたちのような弱い悪魔たちが暮らす世界がごみの山を排除するために、動き出したのである。

あるべきものがあるべき形へと戻ろうとしているのだ。


 京太郎の視界が真っ赤に染まった。

砦からあふれたマガツヒの流れが京太郎を飲み込んだのである。

人形が京太郎の胸に飛び込んできた。

そしてアンヘルが京太郎を抱きしめた。


 マガツヒの濁流が収まった後、ブラウニーたちの世界から異物の一切が消えうせた。

曇っていた空は晴れ、よどんでいた水は流れ始めた。

耐え切れない臭いもなくなっている。

ゴミもなければ、マネキンも、当然ガキどももいない。


 そして、京太郎たちもブラウニーたちの世界から消えていた。

222: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:15:57.71 ID:DW3a13xa0

マガツヒに飲み込まれた京太郎が思ったのは

「ひどいにおいがする」

だった。

目の前が真っ赤に染まったすぐの話だ。

京太郎は、目が見えないことよりも、気分の悪くなる臭いがどうしても気になってしょうがなくなっていた。

この臭いがどういうものが発しているのかに京太郎は気がついている。

そのためにひどい臭いだという以上の嫌悪感がわいていた。

胸がざわつく臭いである。


 マガツヒの濁流が視界をふさいでいて見えないけれども、京太郎は気分の悪いごみどもに囲まれているのだ。

 マガツヒの濁流は一分ほどして収まった。

 マガツヒの濁流が収まるとすぐに京太郎は自分がどこにいるのかを確認した。

まずは状況を確認しなければ、どうしようもないからだ。

敵に囲まれているのか。

それとも安全などこかにいるのか。

目が見えなくなってしまったために状況がさっぱりわからないのだ。

これは困ったことである。

次につなげることができない。

 京太郎は周りを見渡してとても驚いた。

今まで自分がいた場所とはまったく違ったところに自分たちがいたからである。

京太郎は自分が動いたというような気持ちがしていなかった。

マガツヒが邪魔をして前が見えなくなっていただけだと思っていたのだ。

体に触れられた気もしなかったのだからおかしなことである。

223: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:18:48.23 ID:DW3a13xa0

京太郎たちは穴の中にいた。

穴といっても落とし穴のようなものではない。

ぶち抜かれた縦長の空間といったほうがいい。

四方が鉄で作った壁で囲われている。

壁の高さは三十メートルほど、たてと横の長さはほとんど同じで、一辺が二十五メートルほど。

ゴミ処分場の焼却炉というのを見たことがある人がいれば、それとそっくりなことに気がつくだろう。

 状況をのみこんで余計に京太郎は困った。

状況はわかるが、どういう理屈なのかがわからないのだ。

今までは空があり、地面があった。

しかし今は、上には天井と、つめのついたクレーン。

下にはごみの山、四方は鉄の壁が囲んでいる。理解が追いつかない。

 そんな京太郎の混乱を見抜いて人形が教えてくれた。

「どうやら、的中していたみたいだな。結界が機能不全を起こしたんだ。

四つで安定していたものが、ひとつ落とされて、不安定になった。

何とか取り繕うために三つで安定する形をとった。

だが、あまりにも急いで仕事をしたせいで、周りの者を一緒に連れてきてしまった。

俺たちのことだ。少年」

 京太郎に引っ付いていた仲魔たちが離れた。

もう、離れ離れになることはないからだ。

仲魔たちは結界が壊れたときに離れ離れになる可能性を考えて、引っ付いていたのである。

 京太郎が人形にたずねた。

「もしかして、守護者がすぐ近くにいるのか?」

224: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:22:53.59 ID:DW3a13xa0

人形が答えた。

「ああ、近くにいる。

俺たちを引き込んだことにも気がついているみたいだな。

直線距離で二百メートルほど離れたところに、強いマグネタイトの揺らぎを感じた。

さっき少年が倒した守護者と同じような波長だ。おそらく、間違いないだろう」

 続けてこういった。

「休ませてやりたいところだが、無理そうだ。

守護者が何かを送り出してきやがった。

守護者よりもマグネタイトを保有している。

かなりでかいぞ。五メートルくらいか?」

 京太郎は何もいわなかった。

指輪に命じて怪物の右腕を作り出した。

右手の中指に納まっている指輪がうごめいて、京太郎の腕を包みこんだ。

右腕を包み込んだ有刺鉄線が京太郎の腕を延長する。

有刺鉄線が作った右腕の指には小刀のようなつめが五本生えていた。

戦うと決めて、動き出したのだ。

いちいち泣き言などいっていられない。京太郎は思う。

「来るならこい、討ち取ってやる」

 人形がいった。

「これが終わったら、ゆっくり休もう。

少年、俺たちにはわかるんだ、少年の消耗が」

 京太郎は返事をしなかった。

巨大な肉の塊が落ちてきたからである。

落ちてきた衝撃で、足元がおぼつかなくなった。

四方を囲んでいる鉄の壁の高さ、二十メートルほどのところが開いている。

ごみを放り込むための出入り口の役割をしている出入り口だ。そこから落ちてきたのだ。

 京太郎は落ちてきたものをはっきりと視界に納めて、眉間にしわを寄せた。

京太郎は、肉の塊を見て醜いと思った。

肉の塊は、結果的に肉の塊になっているだけで、おそらく少し前は人の形をしていたのだろうと予想がついたのだ。

人の手だとか、悪魔の足だとかがいろいろと固まって、大きな肉の塊を作っていたのである。

京太郎はその大きさと醜さに思考が追いついていかなかった。

 京太郎は吐き気を覚えた。

マネキンに悪魔の一部を突っ込んでいたのを見たことがあったが、あれを突き詰めていけば、こういう形になるのではないかと考えたのだ。


 直径約五メートルの巨大なミートボールが回転を始めてごみを巻き上げた。

回転しながら、ここまで来たのだろう。

 しかしなかなか勢いがつかない。ゴミくずが、勢いを殺しているのだ。

225: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:25:57.10 ID:DW3a13xa0

ガゴガゴと奇妙な音が聞こえてきた。

音は京太郎の頭上から聞こえてきている。

 京太郎が、音のするほうを見た。

目の前のミートボールを京太郎は恐ろしいと思っていないのだ。

ガキの集団に襲われたときのような感覚しかない。

だから視線をきるようなことをした。

 肉の塊が飛び出してきた扉が元の形に戻れずにいったりきたりを繰り返しているのを京太郎は見つけた。

無理やりに大きなものが通ったせいで、扉のフレームがゆがんだのだ。


 京太郎は仲魔たちに命じた。

「二人とも、空中から支援を頼む。

あのミートボールの体当たりを食らったら、二人とも一発アウトだろ?」

 アンヘルと人形が飛び上がった。

京太郎の命令を聞いたというのもあるが、言われなくとも二人は自分の役割を理解していた。

そして自分たちの耐久力ではミートボール相手にどうしようもないということもわかっている。

 京太郎は動き出そうとして、少し困った。

足元が悪いのだ。京太郎の足元はごみの山である。地面ではないのだ。

思い切り踏み込もうとしてもごみが崩れて、しっかりとした反応を返してくれない。

ドンくさい巨大ミートボールを切り裂こうとしても踏み込めないのだからどうしようもない。

スピードの有利を生かせそうにないのだ。

 ジオダインを使うことも考えたが、京太郎はうたなかった。

温存したわけではない。魔力が足りていないのだ。

先ほどの鎧武者との戦闘で許容できないほどのジオダインを放っている。

何とか仲魔の支援で行動はできている。しかしやっとやっとの状態である。

感覚的にこれ以上ジオダインを使えば、危険な状態に突入するだろうと京太郎は予想していた。

ひざを突くくらいではすまないことになると。

 巨大な肉の塊が回転の勢いを強めてきた。

やる気だ。

足元が悪かろうが、回転してぶつかれば攻撃となるのだからこんなに便利なことはない。

質量に物を言わせて、勢いをつけて削りつぶすつもりである。

226: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:30:08.98 ID:DW3a13xa0

京太郎は肉の塊に跳ね飛ばされた。

つぶされてはいない。

勢いをつけて突っ込んできた肉の塊に右腕をたたきつけて、何とかつぶされることを回避したのである。

しかしダメージを受けている。鉄の壁にぶつかって、衝撃を受けた。


 すぐにアンヘルが回復魔法の支援を送った。

 一方的な展開なのかといえばそうでもない。

高速回転する相手にも京太郎の攻撃は通っている。

ミートボールから血が流れ出している。

 怪物の右腕の攻撃で肉の塊は深く切り裂かれていた。

小刀のような五本のつめと、京太郎の腕力の威力である。

回転と質量に頼った攻撃にも歯が立つのだ。

 しかし見る見るうちに肉の塊は元の形へと戻っていった。

回復魔法「ディア」の効果である。

アンヘルが使ったのではない。

守護者である。二人目の守護者が、離れたところからこの肉の塊に支援を送っている。

二百メートル程度の距離など無いようなものなのだ。

 鉄の壁にぶつかった京太郎は、空中で待機している仲魔に命令を出した。

「二人ともこいつが落ちてきた入り口で待ってろ!」

 アンヘルと人形は京太郎が何をしようとしているのかがわからなかった。

二人の頭はミートボールの攻略に回っていたからである。

 しかしフヨフヨと空中を移動した。命令だからだ。

わからなくとも命じられたら動かなくてはならないのが、契約した悪魔の運命である。

 ミートボールが再び回転し始めた。京太郎をひき潰すつもりである。

ミートボールと守護者は何度でもこれを続けるつもりだ。

とんでもない耐久力を持つ肉の塊と、回復を行う守護者。

これが一番効果的なのだ。やられる身になるとつらい。

 守護者が取れる正しい方法だった。

守護者はなんとしても京太郎と出会いたくない。

京太郎がここにいるのは、一番強い守護者を京太郎がつぶしたという証拠だ。

出会いたくないのはしょうがない。

出会えば間違いなく京太郎に狩られるのだから。

 二回目の攻撃に向けて、回転を高めていくミートボールを京太郎は無視していた。

視線をきって、アンヘルと人形のいる出入り口をにらんでいる。

 何度か鉄の壁を京太郎はつま先でけった。硬さを確かめているのだ。

「よし」

と京太郎は言った。

227: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:34:21.05 ID:DW3a13xa0

二回目の回転を伴った突撃が京太郎を狙うが、あたらなかった。

京太郎が鉄の壁を足場にして回避したからだ。

巨大ミートボールは鉄の壁に激突した。

 壁を足場にして攻撃を回避した京太郎は、それだけでは止まらなかった。

京太郎は、ごみに着地せずに、四方を囲む鉄の壁のひとつに着地したのである。

猫のような身のこなしだった。

 めんどくさそうな相手ならば、戦わなければいいだけのこと。

消耗戦をやりたい相手に、付き合ってやるやさしさなどないのだ。

戦闘を回避して、守護者だけを京太郎は狙い打つつもりである。

四方が、鉄の壁で、高いところに出入り口があるというのならば、そこまでいけばいいだけのこと。

 三角とびの要領で壁を足場にして高さ二十メートル先の出入り口を京太郎は目指した。

落ちていく前に重力を振り切って、飛ぶ。

そしてまた鉄の壁に着地して、重力を振り切りさらに高く飛ぶ。

これを繰り返した。

 四方を囲む鉄の壁を足がかりにして、どんどん上っていった。

ダン、ダン、ダンと鉄をたたくブーツの音が聞こえたかとおもえば、あっという間にアンヘルと人形が待ち構えている出入り口に到着して見せた。


戦いを潜り抜けた京太郎に与えられた身体能力が、彼の発想を現実のものにしたのだ。

 人形がいった。

「サルか?」

 呆然としている人形とアンヘルを尻目に、京太郎は下を見た。

厄介な相手がここで終わってくれることを期待したのである。

落ちてくることはできるだろうが、あの巨体では追ってこれまいと。

 京太郎は少しだけがっかりした。

京太郎が、追ってこれないだろうと下を見ていると、頭の上から機械の動く音が聞こえてきたのである。

京太郎が不思議がっていると、天井から大きな鉄のつめが降りていった。

クレーンの一部である。

そして鉄のつめが、肉の塊をしっかりとつかんだ。

ゲームセンターで景品をつかむような調子だった。

そして肉の塊を引き上げ始めた。何を目的としているのかはすぐにわかった。

228: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:38:14.63 ID:DW3a13xa0

京太郎はミートボールが通ってきた道を見た。まっすぐな道だった。

ごみを捨てるために使っていたのであろう、傾きがある。上り坂だ。

 京太郎が仲魔にきいた。

「俺が走るのとお前たちが飛ぶのとではどっちが早い?」

 アンヘルが答えた。

「空を飛ぶなら、私たちのほうが早いと思います。

狭いところを飛ぶのなら、間違いなくマスターのほうが早いでしょうね」

 人形も同じ意見だったらしく、うなずいていた。

 京太郎は、二人に命じた。

「二人とも俺にしがみつけ、守護者のところまで走る」

 怪物の右手を引っ込めて京太郎は身軽になった。

ここからは、どれだけ早く守護者にたどり着けるかが勝負になるからだ。

でかい右腕はバランスを崩すのでふさわしくない。

壁を飛び上がっているときに気がついたことである。

 京太郎の背中にアンヘルが子供みたいにしがみついた。

足をしっかりと京太郎の胴体に絡みつかせている。

京太郎が走る邪魔にならないようにしているのだ。

人形はアンヘルの胸元に突っ込まれている。

守護者の下まで走る準備が整った。

 準備が整うとすぐ、京太郎は走り出した。

競争相手の準備を待ってやる必要などない。

 京太郎のスタートから三秒ほどおくれて、ミートボールが出発した。

京太郎をひき潰すためである。
 

 三秒の有利は京太郎の助けになっていた。

京太郎はあっという間に坂道を駆け抜けた。


 坂道を登りきったところで京太郎は不思議な光景を見た。

坂道は外に通じていたのである。

しかし不思議な光景だった。

京太郎が見つけたのは、奇妙な空と、奇妙な病院のような建物である。

病院があるというだけなら特別不思議なことはない。不思議なのはその見た目である。

統一感がないのだ。病院として活躍しているだろう建物をいろいろなところから引っ張ってきたような印象がある。

パッチワークされているといったらいいかもしれない。

 そして空の色である。白と黒が混じらないでよどんでいるのだ。

灰色ではなく白と黒がせめぎあっている。

自然界ではこんな空の色にはならないだろう。

気分が沈んでいる印象派の画家が空を書いたら、こんな空になるだろう。

229: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:41:36.78 ID:DW3a13xa0

人形が京太郎に言った。

「少年、守護者はこの病院の中にいる。マグネタイトの波長を、しっかりと感じ取れる。

どうする? 突っ込むか?」

 京太郎が答えた。

「当たり前だ。そうしなきゃ、いつまでも追いかけっこをしなきゃならならん!」

 湿り気を含んだ音が徐々に近づいてきていた。

ごみ焼却場に続く道の向こうから、肉と金属がぶつかる音が聞こえてきている。

肉の塊が追いかけてきているのだ。

 京太郎は病院に突入した。守護者を討ち取るためである。


 パッチワークされた病院の玄関ホールに入った京太郎は奇妙な音を聞いた。

ガシャン、ガシャン、ガシャンと何か重たいものが落ちる音がしたのである。

 気持ちが悪いと京太郎は思った。

たいしたことのない音のはず。物が落ちたというだけのことのはずだ。

しかしたいしたことがないものでも、状況が違えば感じ方も変わる。

心が不安定だと風の音が人の叫び声に聞こえたり柳の木が幽霊に見えたりするようなもの。

人気のない病院の玄関ホールなどは不気味に感じられてもしょうがない。

 アンヘルの胸元に突っ込まれている人形が、京太郎にこういった。

「少年。どうやら守護者は上にいるらしい。階段を探せ。

少年が階段を探している間に、俺は守護者の詳しい居場所を突き止める」

 人形が言ってすぐ、京太郎は走り出した。

背後から追いかけてくるものがいるからである。

直径約五メートルの肉の塊が、湿った音をさせながら京太郎を追いかけてきているのだ。

すでに玄関ホールの入り口まで迫っていた。

 京太郎はすぐに階段を見つけた。螺旋階段である。

まっすぐ上に向かって伸びていた。

簡単に見つけられたのは病院の内部構造がとてもユニークだったからである。

病院の外側を見たときにも奇妙なガラクタの寄せ集めになっているという印象があったのだが、内部もそれに負けないくらいに寄せ集めで作られていた。


 この寄せ集めの建物の内部で、螺旋階段の周りだけが規則正しく配置されていた。

この建物を使っていただろう存在が整えたのだ。

230: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:44:36.14 ID:DW3a13xa0

京太郎は階段を一気に駆け上がっていった。落ち着いている時間などない。

大きなミートボールが玄関ホールの入り口を粉砕して、京太郎を追いかけてきている。

湿った音がホール全体に響いて気持ちが悪い。

 螺旋階段を半分ほど京太郎が駆け上がったとき、人形が大きな声を出した。

「ここだ少年! ここにいるぞ!」

 京太郎は人形の導きに従って、守護者が待ち構えているフロアの廊下へ飛び込んだ。

少しも疑わない。巨大な肉の塊が追いついてくる前に、守護者を始末しなければならないからだ。

考えている時間がもったいない。

 京太郎は眉間にしわを寄せた。京太郎は自分の行く道をさえぎる障害物を見つけたからである。

金属の壁が京太郎を守護者に近づけまいとして立ちふさがっている。防火シャッターである。

 京太郎は防火シャッターは三枚あると考えた。

玄関ホールで聞いたガシャン、ガシャンという音の正体に思い当たったのだ。

 アンヘルが京太郎の背中から降りた。

ここからは走る速さよりも、京太郎の攻撃の早さがものをいうようになるからだ。

背中にアンヘルがいると邪魔になる。

 右腕を怪物の腕に変化させて、すみやかに京太郎は防火シャッターへ挑みかかった。

まったく後のことなど考えない必死さだった。

呼吸さえ忘れて右腕を振るった。

当然のことだ。もしも巨大な肉の塊に追いつかれたら、どうしようもなくなるのだから。

 防火シャッターを小刀のような爪があっという間に切り裂いた。

障子でも破くような簡単さだった。

 これを成し遂げた京太郎は滝のような汗を流していた。

心臓は破裂しそうなほど高鳴っている。

ペース配分を考えていないのだ。

 余裕などない。

京太郎の背後、螺旋階段がきしむ音が聞こえているからだ。

 肉の塊が、徐々に距離をつめてきていた。

幸いなのは、螺旋階段の横幅が狭いことだ。

大きすぎる肉の塊の勢いを階段の構造がそいでくれている。

肉の塊が大きすぎて、螺旋階段をうまく通れないのだ。

231: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:47:51.39 ID:DW3a13xa0

一枚目の防火シャッターを切り裂いた京太郎は

「やっぱり」

と思った。

京太郎の予想したとおり、二枚目の防火シャッターが下りていたのである。

 京太郎は二枚目の防火シャッターに挑みかかった。

息は切れているけれども、まだまだ気力は残っている。

 アンヘルが弓矢を構えた。守護者が潜んでいるフロアに、肉の塊が到着したからである。

 幸い、肉の塊は勢いが完全に死んでいる。

肉の塊の回転は広い場所でなければ通用しないのだ。

狭い螺旋階段を上ってくるには勢いを殺さなければならなかった。

そして、廊下の天井が三メートルほどしかないのも京太郎たちを助けてくれている。

肉の塊の大きさでは、廊下は狭すぎるのだ。

 アンヘルは少しでもこの肉の塊の勢いを弱めるため、弓矢での攻撃を仕掛けるつもりである。

命令は受けていない。

しかしできることはする。

そう約束した。

 二枚目の防火シャッターを京太郎が切り裂いたとき、肉の塊が一枚目の防火シャッターに激突した。

アンヘルの弓矢での足止めも、尺の足りない天井も、肉の塊はまったく気にも留めなかったのだ。

物量と悪魔の持つ怪力に物を言わせて、突っ込んできた。

しかし勢いは自在に動けるときよりもずっと遅い。

狭すぎるのだ。

 しかし、京太郎たちは無事だった。

すでに三枚目の防火シャッターへと挑んでいるからである。

肉の塊は、一枚目と二枚目の防火シャッターを完全に破壊しなければ、京太郎を押しつぶすことができない。

自分たちが通れるくらいの大きさしか、シャッターを切り裂いていないのだ。

相手が通れるほど大きく切り裂いてやるやさしさなどない。

 三枚目の防火シャッターを京太郎が切り裂いた。

京太郎の腕力と、怪物の右腕がかみ合えば、防火シャッターだろうと切り抜けられるのだ。

命がけなのだから、余計に力も入る。

 京太郎は肩で息をしていた。

呼吸を忘れて、攻撃に徹したというのもある。

しかしほかにも原因がある。

232: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:51:12.78 ID:DW3a13xa0

ひとつは怪物の右腕を完全に扱いきれていないこと。

怪物の右腕と出会ったのは、つい先ほどのことだ。

確かに自分の右腕のような気安さがある。

しかし、どうしても重心がずれ、体の動かし方が変わってきてしまう。

新しい靴を履いたときのような違和感が、怪物の右腕を振るうときにある。

靴擦れするように、怪物の右腕を使うたびに消耗してしまうのだ。

 もうひとつの原因は、後ろから迫ってくる肉の塊である。

魔力が切れつつある京太郎と肉の塊はとても相性が悪い。

無理をして稲妻を放つとひどい消耗につながる現状では京太郎の攻撃手段は怪物の右腕だけに限られる。

相手がただのマネキンだとか、守護者ならばいい。首をはねれば終わるのだから。

 しかしこの肉の塊はいくら削り飛ばしても、致命傷にならない。

表面だけが削れて、それだけである。

しかも回復魔法の支援を送られているため、削りきれない。

稲妻で焼きたいところだが、表面を焦がすだけにとどまる可能性が高い。

でかいからだ。

消滅させられなければ、焼けたミートボールにつぶされるだろう。

仮にしびれたとしても勢いまで殺せなければ意味がない。

 こんな相手とはやっていられない。相性が悪すぎる。

そして今のように、狭い場所に入り込んでいる状態だとなおさらである。

 追い詰められたら間違いなくつぶされて、おしまいである。必死にもなる。

この焦りが、京太郎に更なる消耗を強いるのだ。

 
 肉の塊が二枚目の防火シャッターにぶつかった。

一枚目の防火シャッターは、肉の塊の物量と、悪魔の怪力がつくる回転の勢いで壊されてしまった。

 二枚目をすりつぶすために、肉の塊が回転を始めている。

 肉の焼けるにおいが漂ってきた。自分の体が削れたとしても京太郎の命をとるつもりだ。

 三枚目の防火シャッターを切り裂いた京太郎の前には、扉があった。

豪華なつくりである。院長という名札がかかっている。

人形がいった。

「よくやった少年。この扉の向こうに、守護者がいる。気を抜くなよ」

233: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:54:32.37 ID:DW3a13xa0
 
豪華なつくりの扉は、あっという間に見る影もなくなった。

京太郎が蹴ってせいだ。ドミノが倒れるようにバタンと倒れて、粉々に砕けた。

 部屋に入った京太郎は歓迎を受けた。

守護者の攻撃である。

スーツを着た男の守護者が拳銃を構えていた。

そして京太郎を狙い撃ちにした。

京太郎の胸に銃弾が六発打ち込まれた。

 決着は早かった。銃弾に京太郎がまったくひるまなかったのだ。

銃弾を受けた京太郎は一気に間合いをつめた。

そして守護者の腹部に怪物の右腕を叩き込んだ。

怪物の右腕は簡単に守護者を貫いた。

攻撃の勢いが死なず、京太郎は守護者を持ち上げる形になってしまっていた。

守護者の口から血が流れた。即死である。

あっという間の出来事だった。

アンヘルの回復が行われたのは、守護者が持ち上げられてからのことだった。

 京太郎と、守護者の目が合った。

右腕を引き抜こうとしたときに、目が合ったのだ。

 京太郎は、

「またか」

とおもった。

「こいつも、ゾウマさんたちと同じだ。まったく何もない。

必死になって俺を遠ざけていたのは死にたくないからだと思っていたが、違うらしい。

何だこの目は。これから死ぬというのに、何もない。

気に入らない目だ」

 息絶えた守護者と見詰め合っていると、廊下から大きな音が聞こえてきた。

肉の塊が、二つ目のシャッターを壊したのだ。

肉の塊はのろのろと回転して、三枚目の防火シャッターへ向かっている。

 京太郎はあわてて守護者の体を引き抜いた。

残った敵を始末しなければならないからだ。

回復を担当していただろう守護者が消えた。

そして肉の塊の勢いが死んでいる。

京太郎に勝機が見えている。

 肉の塊は、三枚目の防火シャッターの手前にたどり着いていた。

これから回転数をあげていき、三枚目の防火シャッターを壊すつもりだ。

234: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/20(金) 23:58:09.21 ID:DW3a13xa0

しかし肉の塊は、京太郎たちを押しつぶすことはできなかった。

怪物のような右腕を京太郎が槍に見立てて、突っ込んだからだ。

そして、深く突き刺さったところで稲妻を放った。

無理やりに引き出した魔力をつかったのだ。ここが使い時だった。

深く突き刺さった右腕から、稲妻がほとばしり肉が内側から焼けた。肉の塊はもう動かない。


 肉の塊を焼き尽くしたところで、京太郎はめまいに襲われた。

人形が京太郎をしかった。

「無茶をするなっていっただろうが!

 今の行動でマグネタイトまで消費した!

 魔力を補給しても減るものは減るんだぞ!」

 人形が京太郎に触れた。

限界を超えて魔力を解き放った京太郎に魔力を渡すためである。

 息が切れている京太郎をアンヘルが支えて、豪華なイスに座らせた。

休ませるためである。

 守護者のなきがらが消え去っても大きな変化は起こらなかった。

 小さな変化はあった。あたりが真っ暗になったのだ。夜になったようだった。

 ためしにアンヘルが照明のスイッチを入れてみると電気がついた。

どうやら、電気が通っているらしい。

ごく普通の家庭のように電気が通っているのか。

それとも病院に設置されている発電機から引かれているのかはわからない。

 人形がいった。

「一人目の守護者を始末した時点で、結界はほとんど壊れていたのさ。

前みたいに大きな変化はおきないとおもうぜ。

しかし現世にたどり着いたってことではないだろうな。

俺の感覚的には現世によく似た異界ってところだろうな。

空間を曲げていろいろとやっているみたいだし。

 まあ、細かいところはいい。これでほとんど外に出られたようなものさ。

後は現世に近い場所を見つけて、抜けていけばいい。

もちろん、少年の願いもかなえるために働くぜ。

さらわれた人間を見つけよう。そういう約束をしたからな。

でも、俺たちとの約束も忘れんなよ。俺たちがムリだと思ったら、そこで探索は終了だ」

 続けて人形がいった。

「まあ、ちょっと休んでろよ。アンヘルと俺で、手がかりを探してみる。

心の消耗を自分でも感じているだろう? ひどい顔色になっている。

守護者を始末したとき、心が乱れたのを俺は知っているぞ。

余裕がなくなっている証拠だ。

おとなしく休んでおいてちょうだいな。

少年が万全なら、何だってやっていけるさ」

 などといって、家捜しを始めた。

235: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/21(土) 00:01:26.47 ID:C+yvqRhX0

京太郎はおとなしくいすに座って休んでいた。

人形にいわれるまでもなく、自分が今までにないくらいに疲れていることを感じているからだ。

特に肉体よりも心が消耗しているのがわかる。

心がすさんでいるのだ。二人目の守護者を倒したときに心があらぶったのを覚えている。

 雨が降り始めているのに京太郎は気がついた。

音が聞こえてきたのだ。パタパタと窓ガラスを雨が打っている。

 京太郎はいすから立ち上がって、窓に近づいていった。

外を見てみようと思ったのだ。

 しかし外の景色はうまく見えなかった。

外が暗く中が明るい状態であるから窓ガラスが鏡みたいになっている。

 自分の顔に手を当てた。凶悪な面構えの自分が、窓ガラスに映っていた。
 
戦いを潜り抜けた結果だ。ほほがこけて、獣のような鋭い目に変わってしまっている。

自分の顔を見て恐ろしい顔だ、などと思う日が来るとは京太郎はまったく考えもしなかった。

 自分の昔の顔を京太郎は思い出そうとした。

自分顔はこんなに恐ろしい顔だっただろうかと不思議に思ったからだ。

ここまで激変するものかと。

 京太郎は不思議な気持ちになった。

昨日までの自分の顔を思い出そうとすると胸がざわつくのだ。

何か、いやな気持ちがする。

 それ以上考えなかった。これ以上考えれば、更なる消耗につながるだろうと考えたからである。

 イスにおとなしく京太郎は座った。

アンヘルと人形が

「休んでろっていったよなぁ?」

というような目を京太郎に向けていたからである。


 イスに座っている、ぼんやりとした京太郎の耳に、アンヘルと人形の会話が聞こえてきた。

人形が何か見つけたらしい。

「アンヘル、これみてみ」

 人形の見つけたものをアンヘルが調べて驚いた。

「あら、すごいですね。全部そろってます。

オリジナル版の絵本って、結構なお値段するんですよね。

かさばりますし。最近だと電子書籍でそろえるのが普通でしょうに。

ファンなんでしょうかね」

 人形がわくわくしながらいった。

「俺、この絵本好きなんだよ。ストーリーもいいし、登場人物もいい。特にグウェンドリンがすきなんだ」
 
 アンヘルが応えた。

「私はメルセデスちゃんですね。ちょっと影が薄いですけど、かわいいじゃないですか」

236: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/21(土) 00:05:34.02 ID:C+yvqRhX0

さっぱり何を言っているのかがわからない。
 
考えてもしょうがないので京太郎は自分の手が届く範囲にあるものを調べてみることにきめた。

休むにしてもまったく何もしないのは疲れるからだ。

京太郎の目の見える範囲にあるのは、豪華ないすと、机。

そして、少しはなれたところでアンヘルと人形があさっている本棚。後は細かい装飾品があるだけである。

 何かないかなと思い机を探してみた。

机くらいしかいじれそうなものがないのだ。下手に動き回れば、仲魔にとがめられる。

 するとチラシを見つけた。新聞紙に挟まっているようなチラシである。

引き出しの中に入っていて、これだけ何か様子が違った。危機感をあおるようなデザインだった。


 骸骨がヴァイオリンを構えている絵がかかれたチラシを京太郎は調べた。

チラシには文章が書かれていた。内容をまとめてみるとこのようになる。

「最近、デイビットという悪魔が出現するようになってサマナーの被害が続出している。

被害を回避するために、自分たちが作った警戒アブリを使ってみないか。

危険な悪魔が近づいたら大きな音を出して警告する仕掛けになっている。

このアプリがあれば生存率がぐっと上がるはずだ。

特に、一つ目の警告を受けてすぐに立ち去れば間違いなく戦闘を回避できるだろう。

高価なアプリではある。しかし命があってこそだろう?」

 サマナーの世界にも営業の仕事があるのだ。

 サマナーの世界も大変なんだなと思っていると人形が京太郎を呼んだ。

「少年、休んでいるところ申し訳ないが、ちょっと手を貸してくれ。

隠し部屋があるみたいなんだ。俺たちじゃ動かせそうにない」

どうやら本棚の裏に、隠し部屋の入り口があるようだった。

本棚くらいならアンヘルの腕力でどうにかできたようだが、さすがに壁を抜くのは難しいらしい。

 怪物の右腕を呼び出して、隠し部屋の扉を京太郎は切り裂いた。

人形が、「力押しでいいよ」といったからだ。

 隠し部屋は研究室だった。

見たことのない機材が転がっていて、書類が撒き散らされている。

整理整頓はされていないようだった。人形がいった。

「あわててこの場所を放棄したらしいな。

ライドウが現れたという情報をきいて、みられたらまずいものを持って逃げ出したってところか。

少年がつぶした守護者はここの守護も担っていたんだろうな。

まあ、俺たちにはどうでもいいことだな、人攫いどもの事情なんて」

 続けて人形がいった。

「何かあるかもしれない。調べてみよう。

少年は、休んでいたらいい。

俺も大分力が回復しているからな、ちょっと書類をいじるくらいならできるさ。

それにアンヘルもいるしな」

 人形がそういうので、隠し部屋を一周だけ京太郎は見て回った。暇だったのだ。

237: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/21(土) 00:09:30.36 ID:C+yvqRhX0

アンヘルと人形が調べていた本棚を京太郎は見ていた。

隠し部屋の何を調べていいのか京太郎はさっぱりわからなかったからである。

散らばっている書類を見ても、書いている内容がさっぱりわからない。

あまり見て回っても、仲魔たちを困らせるだけだろうと思い、隠し部屋から出てきたのだ。

 本棚を見た京太郎は、ずいぶん辞書が多いなと不思議がっていた。

本棚の中段あたりがすべて辞書で埋まっているのだ。

日本語、中国語、英語、フランス語、イタリア語。京太郎が何の辞書なのかわかったのがここまで。

後の辞書は、そもそも何の辞書なのかがわからなかった。

日本語すら出てこなくなっていたからである。

最悪なのは、見たこともない文字があったことだ。この星の言葉なのかさえ怪しかった。

本の形式から見て、辞書だろうと判断することはできたが、それ以上のことはわからなかった。

そして、不思議なことで、手話の本まで用意されていた。

 京太郎が不思議がっていると書類を持ってアンヘルが隠し部屋から出てきた。

家捜しが終わったのだ。

 京太郎が

「もう一人は?」

とたずねると

「もう少し探してみるそうです。

人攫いの中にネクロマンサーがいるかもしれないらしくて、確証がほしいみたいです」

とアンヘルが応えた。

 本棚の前で考えている京太郎を見てアンヘルがいった。

「辞書が多いのはサマナーの特徴ですね。

マスターから見ると不思議に思うかもしれませんが、特におかしなことではないのですよ。

魔術書を読むのにも辞書が要りますし、契約書を作るのにも、辞書が必要です。

そもそも、言葉を覚えなければ、交渉できませんからね。

日本人が、海外に出て行く前に言葉を覚えるようなものですね。

まずは、言葉を知らなければどうにもなりません。

サマナーたちが一番に試されるのは忍耐力だ、という文句が成り立つくらいに言葉の勉強が必要だったんです」

 京太郎は少し不思議に思った。

「サマナーってのは結構多いって話だったと思うんだけど、みんな勉強家なのか?

 この辞書の数を見ると、何十年勉強しても追いつきそうにないが」

238: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/21(土) 00:12:30.80 ID:C+yvqRhX0
アンヘルが答えた。

「昔はそうだったでしょうね。

でも今の時代はコンピューターがありますから、ぜんぜん勉強をする必要はありませんよ。

辞書の情報量なんて、何十冊放り込んでもたいした量にはなりませんからね。

契約も言語の翻訳も報酬の支払いも機械任せです。

サマナーにとってはいい時代になったんではないでしょうか」
 
 京太郎は少し疑問を持った。

「サマナーが出てくるまではどうやって人間は悪魔とかかわっていたんだ?

 機械が発達する前の話じゃなくて、サマナーという職業が生まれる前の時代の話さ。

 サマナーがいるから悪魔がいるわけじゃないよな?

 悪魔がいたから、サマナーが生まれたって考えるのが自然だ。

動物がいたからハンターという職業が生まれるわけだからな。

 それに辞書を作った人がいるわけだから、サマナーの先駆者みたいなものもいたはずだ。

ジョン万次郎みたいな人が」

 アンヘルが答えた。

「そうですねいいでしょう、少しお話しましょうか。

ちょっと、神話の時代に入っちゃうんですけど、マスターの気晴らしにはいいかもしれませんね。

 マスターの疑問は正しいです。

サマナーというのは最近になって勢力を広げてきた職業なんです。

 特に、この十年でサマナーの数は爆発的に増えました。

これは機械が勉強という面倒を省いてくれたおかげですね。

翻訳も、契約も、報酬の支払いも全部機械がやってくれます。

これはとても便利ですから、みんなこっちにくるわけです。

 面倒な修行が一切省かれるわけですからね。

自転車よりも自動車、自動車よりも電車、電車よりも飛行機みたいな感覚です。

 しかも機械を使うといっても費用がほとんどかかりません。

十万円前後の初期費用ではじめられます。

高校生でもなれちゃいますね。

 質を問わないのならスマートフォンひとつあれば足りますから、修行なんてまともに積む人はめったにいません。

海外にいきたいからといって、体を鍛えて海を泳いでいく人はいないでしょう?」

239: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/21(土) 00:17:01.97 ID:C+yvqRhX0

続けてアンヘルが話し始めた。

 「サマナーが職業として成り立つ前の時代は才能と血縁と運命の世界でした。

今の時代のようなサマナーはほとんどいません。

ものすごく有名なサマナーといってもせいぜいソロモン王程度ですからね。

よほど運がよくないとサマナーにはなれませんでした。

勉強もできませんし、そもそも出会うこともありません」

 ここで京太郎が突っ込んだ。

「ソロモン王ってさ、結構功績を残してなかったか? 大量の悪魔を従えてさ」

 アンヘルが答えた。

「残念ですけど、その程度かって感じになっちゃいますね、比べてしまうと。

 交流する技術が学問として確立する前の時代は、英雄たちに頼っていたんですよ。

神様と人間のハーフの話を聞いたことがあるでしょう?

 俗に言う黄金の時代ですね。

マスターみたいな人たちがいっぱいいた時代があったんです。

神様と殴り合いをしてみたり、芸術で争ってみたり、恋をしてみたり、武勇をたたえて星座を作ってみたり。

そういう時代がサマナーという職業が出来上がる前にあるわけです。

 黄金の時代と見比べてみると現代が暗黒の時代といわれてしまうのもしょうがないことだと思いますね、私は」


 書類の束を机の上において、アンヘルはさらに続けた。

 「私たちが好きなのは黄金の時代を生きている人たちですね。

人としての輝きが違いますから近くにいるだけで元気になれます。

でも、ものすごく少ないんです。

残念ですけど、仕方がありません。

合理的とはいえない生き方ですから」

 アンヘルが続けた。

「マスターが今ここに生きているということが、私の話の証拠でしょうね。

私たちと出会い、生き延びている。

ブラウニーたちと出会い、仲良くなった。

特殊な訓練をマスターは受けたりはしていないのでしょう?

 そういうことです。暗黒の時代に生れ落ちても黄金の時代を生きることができるのです」

 京太郎はうなずいた。

「なるほど、それで辞書が作れたわけか。

昔にも俺みたいなやつがいた。

そういうやつらが、仲良くなった神様だとか悪魔に言葉を教えてもらった、と」

 アンヘルは少し言葉を濁していった。

「まぁ、そうなりますね。

でもたぶん、辞書を作ったのは悪魔と仲良くなった人じゃないと思います。

英雄たちにはそんなもの必要ありませんから。

英雄にあこがれたか、対抗しようとした人が必死になって作ったんでしょうね」

240: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/21(土) 00:21:43.21 ID:C+yvqRhX0

アンヘルがもやっとする言い方をしたすぐ後のこと、人形が隠し部屋から出てきた。

「どうやら間違いないな。人攫いの中にネクロマンサーの技術を持ったやつがいる。

あの肉の塊は、そいつの仕業だろう。まあ、どうでもいい。

少年、わかったことがあるから、聞いてくれ。

話が長くなるから、イスに座ってリラックスだ。」

 京太郎は人形に促されいすに座った。

アンヘルは机をはさんだところにたっている。人形の説明を助けるためだ。

人形の力は回復し始めているが、人間並みの動きをすることはできない。

 人形は、机の上に乗っている。

 人形が話を始めた。

「まず、調べてわかったことは少年が探している人間は生きているということだ。

しかし、人の形をしてはいないだろう。のろわれて、人形に変えられている。

 これは間違いないはずだ。生贄にされてもいなければ、ごみ山に混ぜられたりもしていない。

 人攫いどもは、脅迫の材料にするために人をさらっている。少なくとも今回はそうだろう。

アンヘル、書類を見せてやってくれ」

 アンヘルが京太郎に書類を差し出した。書類には人の名前がずらりと並んでいた。

その中にリュウモンブチの名前もあった。

 人形がいう。

「何を狙いにした脅迫なのか、断言はしたくない。情報が少なすぎるからだ。

 しかし、おおよその予想は立てられる。

 今の時点で考えられるのは二つ。ひとつは金。一番わかりやすい目的だ。

人攫いが主体になって動いているパターン。

人形にしてから誰かに売る。もしくは身代金を要求する。

人形にできた時点で警察には捕まえられないだろう。
 
 もうひとつは行動の支配を目的にした脅迫。

たとえば、サマナーとして戦力になれだとか、逆に、動いてくれるなといって命令をする。

 おそらく、行動の支配が人攫いの目的だろう。アンヘル、次の書類を見せてやってくれ」

241: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/21(土) 00:25:48.45 ID:C+yvqRhX0

書類を京太郎にアンヘルが差し出した。履歴書のような書類だった。

顔写真と、行動パターンについて書かれている。

それが数人分。獲物の数だけあるのだろう。

 アンヘルが履歴書の一枚を指差した。

瞳が赤く髪が長い少女の履歴書だった。

備考欄にクズノハ関係者と書かれてある。

「書類だけでは金目的ではないと言い切れない、と正直思うところだ。

金持ちの関係者もいるだろうからな。

 しかし実を言うと書類などみなくとも、金目的ではないと判断を下せる。

書類はダメ押しさ。

 少年、こいつらの設備というのは度が過ぎているとは思わないか?

 異界にごみの山を作れるほど実験をしてみたり、異界を曲げて、研究施設を作ってみたり。

 つまり、この病院のことだ。

金をかけすぎている。かける費用にたいして見込めるリターンが少なすぎる。

 道楽だろうか。おそらく違う。

 何か仕事をやっている口ぶりだった。

 人攫いは雇われているのさ。とんでもない金持ちにな。アンヘル、次のやつを」

 次の書類を京太郎にアンヘルが差し出した。

始末書と地図である。始末書は何枚かあった。書き損じている。

しかし内容は同じようなものだった。資材を使い切ってしまったことへの反省が書かれていた。

 地図は何枚もあった。どれも違った地方、地名が書かれてある。

 人形がいった。

「なあ少年、人攫いはどのくらい失敗を重ねて、人間を人形にできるようになったんだろうな。

少なくとも一発ってことはない。

 試行錯誤があったはずだ。

 日誌によると、人攫いたちは悪魔を人形にする技術から研究を始めていた。

一ヶ月ほどで悪魔を人形の形で維持できるようになっていた。

 かなり熱心にやっていたみたいで、人形への変化が悪魔で成功した時点で異界がみっつ消えている。

おそらくブラウニーみたいなのが暮らしていたところを狙い撃ちにしたんだろう

 そしてすぐ人間に移っている。しかし人形の状態でなかなか固定できていない。

数十人単位で失敗して始末書を書いているのが証拠だ。

 何がいいたいのかわかるか?

 実験には大量の人間と悪魔が使われたってことだ。

 しかも、失敗続きで研究が止まったのかといえば違う。研究は止まっていない。

それどころか加速しているくらいだった。

 ではいったいどうやって実験の材料をつれてきていたのか」

 人形がいったんきった。そして続けた。

242: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/21(土) 00:30:06.41 ID:C+yvqRhX0

「桁違いの被害者が出ているのに不思議なことにヤタガラスは気がつかなかった。

人が消えるってのはとんでもない事件だ。それに気がつかないのはおかしなことだ。

 ヤタガラスが無能だったからか。警察は見落としていたのか。

それはちがう。非常に静かに気取られないようにこいつらが動いていたからだ。

 ヤタガラスが気がつかなかった理由が少年の前にある地図だ。

 これらの地図はすべて自殺の名所、もしくは準名所の地図。

こいつらは、死にたがりを異界に引きずり込み実験に使っていた。

数年に渡り、自ら消えていく命のいくらかを掠め取っていたのさ。

 だからヤタガラスは気がつかなかった。

 しかしこれはとんでもなく金のかかる方法だ。

人間世界の空間を曲げて、異界につなぐ必要がある。

人の手も借りなくてはならない。大仕事だろうな。

 ヤタガラスの目をごまかし続け、この仕事をするのは難しい。

 しかしこの難しい仕事が長い間ばれなかった。

これはもうとんでもなく大きな力を持った集団の仕事と推測できる。

 人攫いどもは、この大きな集団の一部だ。

ちょっとした身代金なんてほしいとは思わないだろう」

 人形がテンションをあげながら続けた。

 「そしてライドウが動いているという事実が俺の予想の真実味を強くしてくれる。

 ヤタガラスには大量のサマナーがいるからな。

ライドウがじきじきに出てくるなんて事はまずない。

しかし今回は違う。出てきているってんなら、そういうことだろう?
 
 相当でかいのが絡んできているのさ。

 残念なことだが、人攫いのスポンサーの姿は見えてこない。

人攫いも知らないのだろう。下っ端だからな。おしえる必要がない。

ただ、ライドウの追う事件が面倒なのは確かだ。

 サマナーの家族を人質にとり、金では実現できない目的を持つスポンサーがどこかにいるってことだからな」

 ここまで言い切って、人形が明るくいった。

243: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/21(土) 00:33:01.79 ID:C+yvqRhX0

「まあ、面倒なのはライドウに任せよう。

 俺たちは俺たちの目的を達成すればいいさ。

 大切なことは、少年の探している人は生きていて、そして助け出せる可能性があるってことだ。

 強大なサマナーに喧嘩を売るわけだから怪我なんてひとつもない状態だろうよ。

もしも怪我なんてさせたら地の底まで追いかけてくるからな。

そこは慎重に扱っているはずさ。

 研究室の様子から推測できるあわてようなら、まだ逃げている途中だろう。

期待できるはずだ。

百パーセント見つけられる保証はないが、ゼロじゃない。

 さらに、いい報せがある。

回復させる方法が俺には見えているんだ。

呪いは維持するのが難しいからな、奪い返せば楽勝で解呪できる。

先は明るいぞ少年」

 長い話を人形はがんばった。

「やらねばならないこと」

と人形はおもったからだ。

人形は京太郎の心を軽くしてやりたかったのだ。

消耗している京太郎の心を助けたかった。

少し重たい話もあったが、それでも希望を見せたかったのだ。


 話を聞いた京太郎はさらに、決意を固めていた。

こんなことを京太郎は考えていた。

 「つれさられるときには雨が振るのだろうな。前が見えなくなるくらい激しい雨が。

この事件の背後に何が潜んでいようとも、俺にはどうでもいいことだ。

奪われたものを取り戻すと決めた。ならば、何が待ち構えていようと、いけばいい。

それだけあれば十分だ」

254: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:11:36.97 ID:7HJ6LhjU0

人形が事件の真相についての話を終えたとき、ほんの少しだけ京太郎は渋い顔をした。

違和感を感じたのだ。違和感といっても機械が感知しないほど小さなゆれを感じるような気持ちである。

京太郎の状態が限界を迎えつつあることで、精神が鋭く研ぎ澄まされているのだ。

かき消える前にいっそう赤くろうそくが燃え上がるのと同じように。

 「ゆれたか?」と京太郎が声に出した。

京太郎たちが今いるのは、現世ではない。

もしかすると面倒なことが起きたのかもしれないので、一応確認のために仲魔たちに聞いたのだ。

問題がないのならば、それでいい質問である。

 京太郎の確認に対して、アンヘルは「ゆれてないと思いますよ?」と答えた。

アンヘルはさっぱり何も感じていなかったのだ。これはアンヘルの感覚が鈍いためではない。

消耗している京太郎に意識が向いていたので細かい変化を感じ取れなかったのだ。

 また京太郎の確認に対して人形も「ゆれてないだろ?」と答えた。

人形も何も感じていなかったからだ。理由はアンヘルと同じである。

周囲の状況よりも、目の前の京太郎に意識が向いていて気がつかなかった。

 しかしすぐに人形が「まずいことになってる。人攫いどもが本気でつぶしにかかってきた!」と大きな声を出した。

人形は京太郎の違和感をくみ取って、周りの状況を調べてみたのである。

単なる勘違いならば、それで問題ない。

しかしもしも重大な問題が起きているというのならば、それはとても困ることになる。

念のために調べたのだ。

そうすると、京太郎の感じた違和感が、とんでもない状況の余波を感じ取った結果なのだと知ることができた。

 人形があわてていった。

「異界ごと俺たちをやるつもりだ! とんでもないスピードで異界が縮んでいる!

 少年、病院の外に出ろ、状況を正確に確認したい!」

 怪物の右腕を呼び起こすとあっというまに部屋の壁を京太郎は切り裂いた。

 壁の外を見た京太郎は何もいえなかった。奇妙な光景が広がっていたからだ。

夜の向こう側に、何もない空間が広がっていた。

何もない世界というのを京太郎は見たことがあった。

世界と世界の触れ合う場所、境界線上の世界である。

あの何もない世界が、夜を取り囲み、夜を砕いてつぶすために働いている。

そして京太郎は直感する。

「あれは前に見た境界線の世界じゃない。

今回の何もない世界に飲み込まれたら、自分たちも夜と同じように砕かれて消える。

この異界は世界に嫌われている」

255: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:15:05.31 ID:7HJ6LhjU0

人形が大きな声を出した。

「少年! この場所から直線距離で二キロ先に現世への道を見つけた!

 見てみろ! そこから出るぞ!

 崩壊に飲み込まれたら問答無用で終わりだ!

 期待をこめても三分が限界だ! 急げ!」

 真っ暗闇の中に一筋の光が空に上っているのを京太郎は見つけることができた。

地獄にたらされた蜘蛛の糸のようだった。

雨が降る夜、電灯などない異界である。

二キロメートル先のか細い光でも簡単に見つけることができた。

 このときわずかに京太郎の眉間にしわがよった。

体に何かまとわりついたような気がしたからだ。

しかし京太郎はこの違和感を無視した。

考えてもしょうがないからだ。まずは先に進まなくてはいけない。


 「二人は空から支援! 俺は走る!」といって、壁にあいた穴から京太郎は飛び降りた。

死ぬつもりはない。なんとして自分の目的を達成したいと京太郎は思っている。

しかしそのためには生きなければならない。

そして生きるためには崩れていく世界に飲み込まれる前に蜘蛛の糸に手を伸ばす必要がある。

アンヘルと人形のペアは空を飛んでいけばいい。

アンヘルが人形をつれて飛べば楽に距離をつめられるだろう。

しかし京太郎を連れて、空を飛んでいくのは難しい。

腕力の問題ではなく、スピードの問題である。

飛べるだろうが、遅い。それは問題があるのだ。

だから、京太郎は走ることにきめた。生き延びるため、目的を果たすためだ。


 京太郎から少し遅れて、雨の降り続く暗黒の空へ壁の穴からアンヘルと人形が飛び出した。

人形はアンヘルの胸元に突っ込まれている。アンヘルが一人で飛ぶほうがはるかに早いからだ。

 アンヘルは一気に羽ばたいて高度を上げた。京太郎の一歩先を行き、仲魔たちは道案内をするつもりなのだ。

雨が降り続いている上に真っ暗闇の異界である。

現世へと帰還する道がわずかに光を放っているが、それだけしか頼れるものがない。

危ないのだ。こんなところを走るなんて。

しかも時間制限がある。

だから前に出て、京太郎の支援をするつもりである。

256: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:19:10.10 ID:7HJ6LhjU0

銃声が聞こえてきた。「パンッ!」という軽い音だった。

雨の音にかき消されなかったのが不思議だった。

 着地を成功させていた京太郎の一メートルほど横の地面が銃声とほとんど同時にえぐれた。

京太郎が目を向けると、三十センチほどの岩の塊が地面に突き刺さっている。

先端部分が地面に突き刺さって見えないが、銃弾のような形をしているのだろうと予想がついた。

銃弾の向きから考えて、狙撃地点は京太郎の目指すところ、脱出地点だ。

 京太郎はすぐに、弾丸から視線をきった。目的がすぐにわかったからだ。

守護者の残り二人、どちらかの攻撃だ。

見当がついているのなら、いちいち考える必要はない。

卑怯だとも思わないし、怒りもわいてこない。

 京太郎は前を見ていた。覚悟を決めたからだ。

雨が降り続く暗黒の異界を、守護者の妨害をくぐりぬけながら駆け抜ける覚悟である。

成し遂げたい目的を阻むものがいる。

そのものたちは強くて大きいとわかっている。しかしやると決めた。

自分が決めたのだ。

 
「くるならこい。邪魔をするならすればいい。それを乗り越えて、飛ぶ」

すべては願いを果たすためである。


 右腕を元に戻して、体を低くして京太郎はスタートの姿勢をとった。

陸上競技にはクラウチングスタートという姿勢がある。その格好に非常に近い。

少しだけ違っているところがある。

それは京太郎が地面につめを立てていること。

京太郎の握力に耐え切れず地面がえぐれていること。

また、爛々と輝く京太郎の目が獣そのものとしか言いようがないこと。

肉食動物が、獣を狙うときの格好を人が取れば京太郎の姿に近くなるだろう。

はるか彼方、姿の見えない狙撃手を、京太郎は狩るつもりだ。

 奇妙な音が京太郎の体から発せられていた。

降り続いている雨の音よりも大きなギチギチという音だ。

この音の正体は、京太郎の肉体。京太郎の筋肉の脈動である。

ぶっ壊れてもかまうものかと全身の筋肉が動き始めている。

すべては、相手を倒すため。

 また、京太郎の目は夜の闇を見通し始めていた。

わずかな光を逃さないように、京太郎の願いをかなえるように、神経が動き始めている。

暗闇と雨に沈んで見えなくなっていたはずの異界の町が京太郎にはよく見えた。

 すべてが、一秒に満たない時間の中で行われた。

限界に近づきつつあるからこそ、すべての力を出し切ることができるのだ。次のことなど考えていない。
 
 

257: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:22:57.46 ID:7HJ6LhjU0

 二発目の銃声が聞こえた。

 岩石の弾丸は、京太郎を撃ち抜けなかった。

京太郎のはるか背後に着弾して、地面をえぐっただけである。

狙いがまずかったからではない。

二発目の銃声をスタートの合図にして京太郎が走り出していたからだ。

相手の銃弾が打ち込まれるとわかっているのならば、移動すればいいだけのこと。

タイムリミットがある以上、立ち止まってはいられないのだ。

脱出経路が前にあり、脱出経路をふさぐように狙撃手が陣取っているのならば、前によけていけばいい。

脱出ついでに喰らいついていけばいい。


 空を飛ぶ仲魔たちはあせっていた。

降り続く雨と夜の闇で視界が悪い異界の構成が思いのほか奇妙であることに気がついたからではない。

また、守護者が二人がかりで京太郎を狙っていることに気がついたからでもない。

空を飛んでいるはずのアンヘルが、京太郎に追い抜かされたからあせっているのだ。

あっという間の出来事だった。二発目の銃声と同時に二人は京太郎の姿を見失った。

人形があわててマグネタイトのつながりを追いかけてみた。

するとアンヘルと人形の先を京太郎が走っているのを発見した。

 アンヘルがあわてて上空から追いかけていくが、それでも距離は縮まらなかった。

狙撃手が邪魔をしているわけではない。

狙撃手は京太郎を狙い続けている。

空を飛ぶアンヘルよりも京太郎のほうがすばやかったのだ。

 三発目の岩石の弾丸が、京太郎めがけて打ち込まれていた。

 しかし京太郎には当たらなかった。京太郎はジグザグに走ることで回避している。

しかし走るといっても人間らしく走っているわけではない。

ネコ科動物のように全身の筋肉を使って、京太郎は、地面すれすれを飛んでいるのだ。

おかしな表現だが、自分の肉体の力を使い、自分の肉体を進行方向に投げ続けている。

しかも手が触れられるもの、足場になるものに触れるたび加速している。

これはなかなか追いつけない。

 誰もができる移動術ではない。

自分の肉体程度の重量を指先ひとつで投げる力があって始めて成り立つ移動方法である。

 しかしとまだアンヘルには余裕があった。人形がこういったからだ。

「アンヘル、少年の道をさえぎるようにでかい川が流れている。

川幅が四十メートル近くある。俺たちの出番だ。少年の足を止めさせるな。踏み台になれ」

 アンヘルは、「わかりました」といった。

まったく異論がないからである。京太郎の移動速度はとても速い。

しかし空は飛べない。泳いでわたるというのもひとつの方法だ。

しかしできる限りすばやく脱出しなければならない現状では泳いでわたるなどという選択肢はない。

ということは空を飛べるアンヘルを使わなくてはならないということになるだろう。

足場にするとか、抱えて飛んでみるとかの方法である。

 そうなると、アンヘルを待つためにいったん止まるだろう。そこで追いつけるはずとアンヘルも人形も考えた。

258: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:26:59.49 ID:7HJ6LhjU0

そして回復魔法の準備をアンヘルは始めていた。

京太郎が足を止めたところで、狙撃手の攻撃を受ける可能性があるからだ。

 しかしアンヘルの心配は必要なかった。

狙撃手の四発目が外れたからだ。

濁流の前で立ち往生するだろうと思っていたらしく京太郎が止まるだろう場所に銃弾は打ち込まれた。

あたっていたらひどい損傷を与えていただろう。

 
「えっ?」

といったのはアンヘルなのか人形なのか、それとも狙撃手と観測手なのかはわからない。

誰もがその光景を観て、同じ感想を持ったからだ。

川幅四十メートルを京太郎は一気に飛んだのだ。

走り幅跳びの選手のようだった。少しもためらいがなかった。

 しかし残念なことに完全にはわたりきれなかった。

流石に四十メートルを飛びきることは無理だった。エネルギーが足りていない。

かかとが川に触れてしまっていた。

 しかしそれだけだ。すぐに体勢をひくくして地面を手がかりにして京太郎は先を目指して飛んだ。

 アンヘルは必死に飛んだ。完全においていかれたからだ。


 濁流を飛び越えて少し進んだところで京太郎は立ち止まっていた。

恐ろしい光景を前にしていたからだ。

空に向かって伸びる一筋の光に向けて、たくさんの人影が、集まっているのがわかったのである。

よく目を凝らしてみると、人の影ではないことがわかる。

マネキンである。

マネキンどもが光に向けて集まってきているのだ。

かつて地獄にあらわれた蜘蛛の糸もこのような光景を生み出したのだろう。

胸がざわつく光景である。

 さらに京太郎は先に進み、はっきりと何が起きているのかを確認した。

悪夢のような光景であるが、目の前で起きてしまっているのだから、確認せずに済ませるわけにはいかない。

もしかするととんでもなく面倒な問題が生まれているかもしれないからだ。

 数え切れないほどのマネキンたちが、真っ暗闇の中雨も気にせずに光が立ち上るビルに向かっていた。

高さ百メートルほどのビルに向かって、ぞろぞろと、マネキンたちが集合しているのだ。

砂糖菓子に、アリが集まるような調子である。

 京太郎ははっとした。

何を目的としているのかが、察せられたからだ。

目を凝らすとビルの周りにいろいろな残骸が転がっているのが見える。

十メートル近い大きさの巨大マネキンの残骸。

そのマネキンの頭に刺さったブーメランのようなもの。

半分にたたき折られたビルだった建物。数々の残骸は戦いがあったという証拠だろう。

剣呑としか言いようがない爪あとまである。

259: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:30:49.40 ID:7HJ6LhjU0

誰がやったのかというのはすぐに予想がつく。

葛葉ライドウである。あつまったマネキンの軍勢は、ライドウを落とすための軍勢なのだ。

 そして、京太郎の表情が険しくなった。

どうして異界ごと始末するなどという行動に出たのかというのも予想が立てられたからだ。

ライドウをここで始末するつもりなのだ。全戦力が、ここに集まっているのだろう。


 京太郎は笑った。

「どうやら俺はライドウのついでらしい」

鎧武者の配下が少なかった理由に思い当たったからだ。

 五発目の銃弾が京太郎に放たれた。

京太郎が立ち止まって状況を確認していたからである。狙撃手も必死である。

 京太郎を銃弾は捕らえた。京太郎が動かなかったからだ。

 しかし、京太郎はぴんぴんしていた。

雨でぬれた前髪を左手でかきあげている。

たいした損傷は与えられなかった。

怪物の右腕を呼び出して、岩石の銃弾を京太郎が叩き落してしまったからだ。

損傷といっていいのかわからないような汚れが右手についただけである。

 右腕の調子を確認して京太郎はマネキンの軍勢をにらんだ。

 光が立ち上っているビルを目指して京太郎は走り出した。

怪物の右腕を呼んでいるので、先ほどのように進むことはできなかった。

それでも十分早かった。

マネキンが道をふさいでいようが、ライドウが戦っていようが、脱出口に行かなければ、助からないのは間違いないこと。


成し遂げたい目的はこの道の先にある。

ならば走らなければならないだろう。

たとえ、心臓が張り裂けんばかりに高鳴っていたとしても。

 

 空から京太郎を追いかける仲魔たちは驚いていた。

現世へ帰還するための道がビルの屋上から生み出されていることに気がついたからではない。

また、自分たちとは比較にならないほど強大なマグネタイトを持つ多数の存在が、ビルの中で動き回っていることに気がついたからでもない。


五発目の岩石の弾丸と、六発目の岩石の弾丸を京太郎がたやすく打ち落とすのを見て驚いたのである。

 アンヘルが人形にこういった。

 「ちょっとまずいですよね。加減がきかなくなっているように見えます」

 人形が答えた。

「ああ、感覚が麻痺してんだろうな。アンヘル、少年に嫌われる覚悟だけはしとけよ。

脱出可能になったら無理やりにでも現世への道を開く。お前が少年を運べ。俺にはできないからな」


260: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:35:03.76 ID:7HJ6LhjU0

 アンヘルが答えた。

「まあ、仕方がありませんね。でも、無事に守護者を倒せたらの話でしょう。気を抜いたらいけませんよ」


 普通に会話をする二人だったがアンヘルも人形も元気とは言いがたい声の調子だった。

なぜならば、このパフォーマンスを発揮できるほど、京太郎の状態はよろしくないからだ。

京太郎は激戦を潜り抜けてきて疲労が蓄積している。

実際二人目の守護者を始末したとき、京太郎はまともに歩けないほどではなかったか。

ほんの少しの時間、休ませることはできたが、それだけだ。

肉体の損傷はない。それだけである。

内側にあるものがどんどん削られている。

手放しで喜べるような状態ではないのだ。

 アンヘルは黙って空を飛んだ。

わかっていてもやるしかない状況にいるからだ。

パッチワークされている異界ごと始末されようとしている現状で、無理をするなとはいえない。

ここで手を抜けば、終わりである。やめろなどとはいえない。それはできないのだ。


 ビルの上に陣取っている守護者二人をアンヘルと人形が発見した。

ビルの屋上には陣が敷かれている。陣からは光が立ち上っている。

その陣の中心に守護者が二人いた。

京太郎が向かってくる方向に向けてひざを立てて銃器を構えている守護者が一人。

銃口からは奇妙な光が漏れている。

そのすぐそばには、杖を持った守護者が控えている。

上空からならば、戦場の様子を見るのはそれほど難しいことではない。

また、マグネタイトを感知することで状況を把握する人形にとっては、暗黒と雨の障害も、たいした問題ではない。

 ビルの屋上の陣が外へつながっていると人形は看破した。

光が差しているという見た目の問題ではない。

屋上の部分だけが現世に近くなっているのを探知したのである。

 ビルの屋上に陣取っている狙撃手が銃器を抱えて移動し始めた。

 高度を上げてあわててアンヘルはビルから離れた。

自分たちを狙っていると思ったからだ。

 しかし間違いだった。

狙撃手は角度を調整するために陣の中心部分から移動したのである。

高いところから打ち下ろしているのだから、あまり近くによられると銃弾は当たらなくなる。

角度の問題だ。まっすぐ立つと足元が見えにくいようなもの。

ビルに群がるマネキンどもを踏み台にして守護者たちの足元まで京太郎がたどり着いていたのだ。

 七発目の岩石の弾丸が、京太郎に向けて打ち込まれた。


261: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:38:22.24 ID:7HJ6LhjU0

七発目の弾丸は、マネキンに当たった。

京太郎の仕業である。

足場にできるほどたくさん群れているマネキンのひとつをひょいと京太郎が持ち上げて、弾丸にぶつけて落としたのだ。

見え透いている攻撃に対する挑発だ。

 京太郎と狙撃手の目が合った。

高さ百メートルのビルを京太郎が見上げ、狙撃手が見下ろす形である。

お互いが命を狙っていた。
 

 地面を覗き込む形で狙撃手は銃器を構えた。

こうしなければ、銃弾をぶつけることができないからだ。

人間ならば腕力の問題で無理な格好だが、怪物の力を持つのならそれほど難しいことではない。

 京太郎がビルの入り口付近で動きを止めているのを狙撃手は見た。

地面を埋め尽くすマネキンの肩に京太郎は乗っている。

京太郎が動きを止めているのもしょうがないことだ。

ビルの入り口はライドウを始末するために集められたマネキンたちの大群で埋め尽くされている。

入り込むことなどできない。

 八発目の岩石の弾丸が京太郎に向けて放たれた。

ここで弾丸を放ち、足をとめることができれば守護者の目的は達成できる。

足止めが成功すれば、京太郎は異界の崩壊に巻き込まれて終わり。

勝利できなくてもいい。

時間いっぱいまで、ここに引き止めていればいいのだ。

だから当たらないとわかっていても弾丸を打ち続ける。

 八発目の弾丸はビルの入り口を埋め尽くしているマネキンたちを粉々にした。

京太郎には当たらなかった。

標的の京太郎は、ビルの玄関入り口にはいない。

ビルの正式な入り口から入ることをあきらめて、京太郎は直接的な道を選ぶことにきめたのだ。

八発目が打ち込まれる前に、自分の行くべき道を決めて行動した。

その結果、無関係なマネキンが粉々に砕かれる結果になった。

 京太郎は、ビルの側面を走っていた。

コンクリートの壁に怪物のつめを立てながら上を目指して駆け上がっている。

道があるところをいけばいいという考えを、力に物を言わせて行ったのである。

 九発目の弾丸が、京太郎に放たれた。狙撃手はスコープをのぞくこともない。

京太郎の顔がはっきりと見えているからだ。

 九発目の弾丸はかすりもせずにあらぬ方向へ飛んでいった。

ビルの側面を這うようにして移動する京太郎がすばやかったからというのもあるだろう。

しかしこの弾丸は京太郎の命をとるために打ち込まれた弾丸ではないのだ。

京太郎が弾丸の回避についやすわずかな時間を手に入れるための弾丸である。

ほんの数秒の時間を狙撃手はほしかった。弾丸は京太郎の勢いを少しだけ殺すことができた。

262: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:41:47.41 ID:7HJ6LhjU0

狙撃手は急いで陣地の中心へと戻っていった。

ビルの屋上の陣で迎え撃つつもりだ。

 狙撃手は銃器を地面に設置した。

両腕で構えるよりも、地面において攻撃を仕掛けたほうが命中率がたかまるからである。

人間の腕力とは比較にならない力を持っているけれどもそれでも手で持って構えるよりも地面を支えにして攻撃したほうがいい。

 そしてひざを立ててすわり、京太郎が現れるだろう方向に銃口を向けた。

 狙撃手が十発目の弾丸を装填したとき、京太郎がビルの屋上に到着した。

あっという間のクライミングだった。

ビルの屋上まで怪物の右腕は簡単に京太郎を連れてきてくれた。

 屋上に到着した京太郎はすぐに体を低くした。

狙い撃ちされる可能性を考えて、回避運動の準備をしたのである。

 しかし回避運動を京太郎はとらなかった。

狙撃手はまだ引き金に指をかけていなかった。京太郎の到着が少し早かった。

 攻撃がこないとわかると、京太郎はすぐにスタートの姿勢をとった。

京太郎は、十発目の銃弾を回避して獲物をとるつもりだ。

 二つ獲物がいるのに気がついているが京太郎の顔色は変わらない。

両方とればいいだけのことだ。獲物までの距離は約二十メートル。

少し離れてはいるが、京太郎は恐れていなかった。

全力でとびだせば、簡単につめられる距離だ。


 十発目の銃弾が装填されたとき、上空から戦場を眺めていたアンヘルと人形が動揺した。

ほんのわずかだが、マグネタイトと魔力が揺らいだのである。

京太郎は何も気がつかなかった。

京太郎は目で見ることはできるが、目で見えないものを感じ取ることができていない。

しかし、京太郎の仲魔たちは違う。

 人形が叫んだ。

「反射系を張りやがった!」

魔法には、魔法を跳ね返す魔法というのがある。

ブラウニーたちが道具を使って再現していたのを覚えているだろうか。

 そして魔法には、魔法以外の攻撃を跳ね返す魔法がある。

魔法以外の攻撃を跳ね返す魔法を、テトラカーンという。

 この魔法が張られると、魔法以外の攻撃はすべて跳ね返される。

拳での攻撃も。つめでの攻撃も。銃撃も。

 狙撃手の相棒役、観測手がこのテトラカーンを唱えたと人形は当たりをつけた。

なぜならば、狙撃手が暗闇で長距離の狙撃を行えている理屈を見抜いているからだ。

263: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:45:14.26 ID:7HJ6LhjU0

観測手は京太郎に情報分析の魔法「アナライズ」をかけ続けていた。

この魔法というのは名前のとおり相手の情報を調べる魔法だ。

体力の減り具合も、魔力の減り具合も、大体の戦力も見抜くことができる。

それだけなら便利なだけの魔法だ。しかし少し面倒なところもある。

 アナライズの魔法を使うものたちは情報を手に入れるとすぐ移動する。

この魔法を使うと、ほとんど間違いなく自分の居場所がばれるからだ。

この情報分析の魔法「アナライズ」は相手と自分を魔力のラインでつなげる効果がある。

情報分析の魔法であるから、相手に撃ちっぱなしにすることができないのだ。

情報がほしいのならば、相手につなげて、反応を待たなくてはならない。

インターネットと同じだ。

 この特性は、戦いを不利にすることがあった。

情報を手に入れるために魔力のラインを結ぶので、相手に自分の位置がばれてしまうのだ。

不意打ちはできなくなるし、情報を知りたがったということで、相手からの印象もかなり悪くなる。

もしも魔力が見える相手だったとしたら逃げるのも難しくなるだろう。

何せ魔力の糸がつながっているのが見えるのだから。

情報を相手に与えたくないと思っているときには使いたくない魔法だ。

 病院から飛び出してきた京太郎に観測手はアナライズを成功させ、今の今までつなげたままにしていた。

相手の居場所がはっきりとわかるようになるからだ。

ばれてもいいのならば目印代わりに使えるのだ。

そうして京太郎が暗闇のどこにいるのかを観ていた。

 狙撃手はこの魔力の流れに乗せるように弾丸を放っていた。

暗闇と雨が邪魔をする異界では、狙撃は不可能に近い。

はっきり言って無理である。

暗闇と雨に邪魔をされて普通の弾丸はあらぬ方向へと飛んでいく。

しかし、魔力の流れが出来上がっているところに、自分の魔法をあわせるのはそう難しいことではない。

京太郎の姿が暗闇で見えずとも、観測手が発動させている魔力の流れが見えていれば、それに合わせて、自分の魔法をあわせていけばいい。

つながっているのだからあたるだろう。

 京太郎の体にまとわりつく魔力の糸が人形には見えていた。

人形は、目で見ないものを見て状況を把握している。

マグネタイトの流れを感じ、魔力の状況を感じ、何が起きているのかを観る。

京太郎は気がつかないかもしれないが人形にとっては丸見えだった。
 
 
 人形の叫びを聞いたアンヘルは守護者に向けて上空からの突撃を仕掛けた。

人形の予想が的中していたら、京太郎の攻撃は、守護者二人に届くことはない。

なぜなら、京太郎が放つことができる攻撃は、怪物の右腕を使う攻撃のみだからだ。

もしも京太郎が守護者のどちらかに攻撃を仕掛けたとしたら、京太郎は自分の攻撃を自分で受けることになる。

そうなったとき、京太郎は生きていられるのか。


 

264: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:48:44.68 ID:7HJ6LhjU0

 無理だろう。即死の可能性が高い。

一撃で守護者の命を刈り取った怪物の右腕は、京太郎さえ脅かす。

怪物の右腕を引っ込めたとしても同じような状況になるだろう。

即死になるか瀕死になるかの違いがあるだけだ。

 胸元に突っ込んでいる人形をアンヘルが引っ張り出した。

守護者が二人いるからだ。二人は、京太郎の代わりにテトラカーンを受けるつもりである。


 姿勢を低くして、スタートの姿勢をとっている京太郎は一瞬だけ目を泳がせた。

困ったのだ。自分の仲魔たちが、空から守護者めがけて落ちてきているのを視界の端に見つけてしまった。

京太郎は二人が馬鹿ではないことをよくわかっている。

二人が特に何の理由もなく死にに来るようなこともないとわかっていた。

だから何かしらの理由があるだろうというのも感じ取れる。しかし、今は修羅場である。

 一瞬、目が泳いだ京太郎だがすぐに狙撃手を注目した。

推理する時間などないのだ。十発目の銃弾が京太郎を狙っているからだ。

考えていたら、銃弾は京太郎を打ち抜くだろう。

岩石の魔法、「マグナ」をかけているため、わずかに弾速が遅くなってはいる。

しかしそれでも、銃弾は銃弾である。

まともに頭にでもぶつかればとんでもないことになるのは見えている。

打ち込まれるとわかっているのならば対応するしかない。

考えたいからといって時間をとめることはできないのだ。

 十発目の弾丸が放たれた。

銃弾で京太郎が終わればそれでよく、京太郎が弾丸を避けて、攻撃を仕掛けてきても守護者たちには都合がいい。

テトラカーンが攻撃を跳ね返すからだ。

 十発目の発射のタイミングに合わせて京太郎は飛んだ。弾丸を避けるためである。

そして回避の後、守護者の首を取るためである。

京太郎は全身の筋肉をばねのように使い、放物線を描いて飛んだ。

山なりの軌道で、守護者たちにぶつかるつもりだ。

地面をけって、ジグザグに避けることもできた。

 しかしやらなかった。

到達まで時間がかかる放物線の軌道を選んだのは、仲魔の奇妙な行動の行方を確かめるためである。

 十発目の銃弾は京太郎を捕らえられなかった。

京太郎が、放物線を描いたからである。

銃器を地面に設置する形で発砲している以上、設置されている地面と水平にしか弾丸は飛んでいかない。

そして、タイミングを京太郎に見切られているのが一番の原因である。

装填から引き金を引くまでのリズムがほとんど同じなのがまずかった。

265: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:53:01.90 ID:7HJ6LhjU0

京太郎よりも少しだけ早くアンヘルと人形が守護者二人に攻撃した。

アンヘルは狙撃手の頭を狙って突撃を行い、アンヘルに投げられて人形は観測手にぶつかっていった。

仲魔の行方を見届けるためにとった京太郎の配慮がきいていた。

もしも機転を利かせずにジグザグに突っ込んでいたら、上空から墜落する二人よりも早く京太郎が到達していただろう。

 二人は、守護者にぶつかることはなかった。

テトラカーンが発動したのだ。二人ははじかれて、屋上に転がった。

 テトラカーンとマカラカーンの魔法には共通する弱点があった。

二つの魔法はとんでもない効果を発揮する魔法である。

ほとんどすべての魔法をはじき返す魔法と、魔法以外の攻撃をはじき返す魔法なのだから、その効果というのは数ある魔法の中でも目を引く。

 しかし、二つの反射魔法には融通が利かなかった。

テトラカーンとマカラカーンの魔法は、どの攻撃をはじき返すのか選ぶことができないのだ。

そういう魔法だからとしか言いようがない。

何でも跳ね返すという魔法であるから、跳ね返すものを選ばない。

 仮にテトラカーンを発動さている人間がいるとする。

もしもその人間に向けて小石を投げてみたとしたら、魔法の効果で小石が跳ね返ってくるだろう。

当然、銃器で攻撃を仕掛けても発動する。

もちろん戦車で攻撃しても、戦艦で砲撃しても同じだ。

弾丸が魔法に跳ね返されて、戻ってくる。

 一度発動してしまえば、攻撃であれば間違いなくはじき返す。

マカラカーンとテトラカーンのすさまじいところである。

 しかしそれは、どんなものにも発動するという弱点になる。

つまりものすごく弱い攻撃でも発動してしまうのだ。

たたくようなまねを小さな子供がしてもテトラカーンは発動する。

マカラカーンも同じである。

静電気程度のジオだろうが、小石程度のマグナだろうが、間違いなく発動して相手に返す。

弱いものは見逃して、強い攻撃だけ跳ね返せなどという融通は利かない。

そして、一度でも発動してしまえば、次はない。

また新しくテトラカーンとマカラカーンを張り返す必要がある。

 二人は弱点を理解していた。

 だからアンヘルと人形は無謀にみえる攻撃を仕掛けたのだ。

京太郎の前に立ちふさがったテトラカーンの効果を剥ぎ取るためである。

二人の攻撃などでは、まったく守護者は動じないだろう。

しかし魔法は反応するのだ。ならばやるべきだろう。

何でもやると約束したのだから。

266: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:56:19.27 ID:7HJ6LhjU0

狙撃手が動かなくなった。放物線を描いていた京太郎が着地してすぐに首をはねた。

 次の獲物を狙ったとき、京太郎の心がざわついた。

観測手が京太郎をじっと見つめていたからだ。無機質な目だった。

光がない。生きているのか死んでいるのかもわからないような目だった。

京太郎はこの目を見たとき、どうしようもなく心がざわついた。
 

 京太郎はすみやかに、観測手を始末した。攻撃のチャンスだからだ。

相手は目で追うのがやっとの状態である。

目が合ったが、体がついてきていない。

京太郎のほうがずっと早い。ならばこの機会を逃さずに命をとればいい。

 京太郎は自分の耳を疑った。

守護者の首をはねたときに京太郎が無意識に叫んでいたからだ。

「その目で、俺を見るな!」と。

 守護者の首をはねた京太郎は、立ち尽くしていた。

自分が何を言っているのか、どうしてそんな言葉を吐いたのか、さっぱりわからなかったからだ。

 怪物の右腕を京太郎は維持できなくなった。

混乱したからだ。

戦う心が消えたため怪物の右腕は指輪に戻った。

 京太郎は、「俺は今、何を言った?」とつぶやいた。

自分を理解し切れていない様子だった。

考えもしていないところから言葉が出てきたのだから、それはもう混乱のきわみだろう。

そして嘘のない自分の気持ちだという直感もある。

自分の限界のところで吐き出された飾らない言葉だったからだ。

しかしだからこそ、わからないのだ。

何が気に入らないのかと。


 雨が降り続いているビルの屋上で、勝利したはずの京太郎が敗北者のようにひざをついていた。

 雨でぬれた前髪を、かき上げることさえしなかった。

できないのだ。限界が訪れたのである。

心臓は激しく脈打ち、雨の振る音をさえぎるほど。

いくら、息をしてみても呼吸が楽になることがない。

全身の筋肉は戦いのあとから、痙攣を起こしている。

今まで闇を見透かしていた京太郎の目は、急激に力を失い、近くにいるはずの仲魔たちの姿さえ、はっきりと映してくれない。

京太郎の顔からは血の気が引き、唇は真っ青になっていた。

 京太郎の命の火が消えようとしていた。消耗だ。

ただでさえ、無理をしていたところに、約二キロメートルの命をかけたレースを加えたのだ。

無事なままでいられるわけがない。

そして、どうしようもない混乱まで襲い掛かってきている。

 京太郎の頭の上にアンヘルが翼を広げた。

京太郎を雨から守るためにかさの役をしてくれているのだ。


267: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 04:59:33.64 ID:7HJ6LhjU0

消耗を防ぐためである。これ以上消耗させるわけにはいかない。

今の京太郎ならば、雨に打たれるだけでも悪い方向へと進むだろう。

アンヘルには、血の気を失った京太郎の顔がはっきりとみえている。
 
 人形がいった。

「少年、約束をしたのを覚えているか?

 もしも俺たちがこれ以上戦えないと判断したら、そこで冒険はおしまいにするという約束だ。

覚えているよな。

約束したよな?

 俺たちは少年が約束を守ってくれるなら、何だってやるといった。

そして俺たちは少年との約束を誠実に守ってきたつもりだ。

少年の役に立てたのかはわからないが、行動で示したつもりだ。

 少年は、約束を守ってくれるよな?

 俺たちは一蓮托生なんだ。

外に出たいという俺たちの目的を達成するためには少年が生きていてくれなければいけない。

 少年に残されているエネルギーはほとんどない。

ぎりぎり生きているだけの状態だ。

ゆっくりと休まなければならない状態だ。

戦いなんてもってのほかだ。

 少年の戦いはここで終わりだ。

もう絶対に戦わせない。

 今から俺が呪文を唱え、現世へと帰還する道を開く。

もしも少年がこの結末を気に入らないというのならば、命令すればいい。

アンヘルの拘束をふりきって、呪文を唱える俺に、やめろと命令すればいい。

俺たちは少年の命令に従おう。

できないと思うけどな」

 人形はそういうと、呪文を唱え始めた。

京太郎の消耗が限界を超えたのを人形は見抜いている。

仲魔たちには仲魔たちの目的がある。外に出なければ達成できない目的である。

目的を達成するためには京太郎が生きていてくれなければならない。

京太郎は、さらわれた人たちを助けたいと思っているけれども仲魔たちはちがうのだ。

アンヘルと人形は、外に出て自分の目的を達成したいのだ。

そのためには京太郎が生きていなければならない。

この状態で、無理をさせれば間違いなく京太郎は死ぬだろう。

ならば、無理やりにでも外に出なければなるまい。

268: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 05:02:30.59 ID:7HJ6LhjU0

アンヘルが京太郎の背中をさすっていた。

人形が厳しいことをいったが、誰の目から見ても京太郎の消耗は見過ごせない状態だ。

背中をさするようなちょっとした手当てでさえも必要な状態なのだ。

 アンヘルに背中をさすってもらっている京太郎は何も言わなかった。

もしも先に進みたいというのならば人形がいうように命令を飛ばせば済むことである。

それは本当のことだ。仲魔は命令を守る。

約束など知ったことではないと切り捨てることもできる。

しかししなかった。

声すら出せないほど消耗しているからだ。

 人形が現世への門を開くのを京太郎はぼんやりと見つめていた。

体の力が抜け、目がかすみ、感覚がぼんやりとしてきている。

呼吸さえ満足にできず、意識が朦朧とするのだ。無理をしすぎた結果だ。

そして混乱も心を削っている。

つい先ほどの、自分の言動がさっぱり理解できていないのだ。

理解ができない。

理屈に合わない自分の感情を割り切れず、ほとんど残っていない気力がじわじわと消えていっていた。

 
 アンヘルが京太郎にこういった。

「マスター、後はライドウに任せましょう。

マスターはよくがんばりました。

人攫いにさらわれた人たちのことならば、私たちに任せてください。

ライドウに私たちが手に入れた情報を渡して、助けに行ってもらいましょう。

ここまで一生懸命に戦って、生き残れているだけでもいいと思うようにしましょう。

少なくともマスターはブラウニーたちを救ったのですから、あまり多く求めてはいけません」

 アンヘルがこういったのは、京太郎の心を考えたからである。

限界ぎりぎりまで消耗した京太郎を思いやった。
 
 ビルの屋上からは、異界が崩壊していく様子がよく見えた。

世界がどんどんとしぼんでいくのだ。

雨のふりつづく異界の四方から真っ白い世界が、徐々に迫ってきている。

 人形の呪文が進むにつれて、ビルの屋上から発する光は強くなった。

人形が、現世への道を開きつつあるからである。

 京太郎の表情が少しだけ和らいだ。

光の向こう側に、自分が生きていた世界があると感じられたのだ。

懐かしいような気持ちになった。

 人形が、呪文を唱えているとビルが大きく揺れた。

大きく揺れた後、爆発が起きた。

269: ◆hSU3iHKACOC4 2014/06/28(土) 05:05:45.99 ID:7HJ6LhjU0
 
ビルが大きく揺れてから少ししてのことだった、人形が、悪態をついた。

「ライドウの仕事はどうにも、とんでもなく速いらしいな」

ビルの屋上に、きてほしくない人影が二つ現れたからである。

人形は、その人影に覚えがあった。

 二つの人影はひどい有様だった。

ひとつの人影は、ぼろぼろになって足を引きずっている。

服もすすだらけになり、切り刻まれているところがある。

フードだったのだろう部分は、もうない。

戦ったのか、余波に巻き込まれたのだろう。

 もうひとつの人影もひどい有様だった。

高そうなスーツがすすまみれになり、あちこちが千切れてしまっている。

スーツだったのだといわれたら、そうなのだろうなと思う。

しかし、人前に出て行くことはできないだろう。

こんなスーツを着ていたら、人に笑われる。

おそらく戦ったのはいいが、力及ばず逃げてきたのだろう。

 二つの人影が現れてからほんの少ししてから、再び爆発が起きた。

ビルが大きく揺れた。

爆発にライドウを巻き込むつもりなのだろう。

そして屋上に現れたのは逃げ延びるため。

 人形が呪文を唱えるのをやめた。

悠長に呪文を唱えていられなくなりつつあるからだ。

 京太郎を雨から守っていたアンヘルの翼が引っ込んだ。

京太郎の視界を翼がふさいでしまって状況を確認できないからである。

状況が確認できなければ戦うことはできない。

たとえ、限界ぎりぎりの状況であろうとも、生き残れる道を選ばなければならない。

 ビルの屋上にあらわれた二つの人影を京太郎は見た。

京太郎の体力はほとんどない状態である。

しかし、仲魔たちのようすからして友好的な存在ではないとすぐにわかる。

見ることに京太郎は力を注いだ。

かすむ目をこすりながらでも戦う相手を確認した。

 ひざをついていた京太郎は、立ち上がった。

そばにいたアンヘルの助けを借りて、やっと立ち上がれた。

戦えるほどの力がないとしても、戦う姿勢を作らなければならないこともある。

 京太郎は息を整えた。

まだ呼吸は荒いままだ。息をするのがやっとで、声も出したくない状態である。

しかしそうもいっていられない。

弱みなど見せられない。みえみえの虚勢でも張らなければならないときがある。

 二人の人影に向けて京太郎はこういった。

「久しぶり、ゾウマさん」

276: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 20:52:20.77 ID:s124umPT0

京太郎に名前を呼ばれた人影が一歩前に出た。京太郎の呼びかけにこたえることはしない。

なぜなら、ゾウマさんという呼び方は彼女の正式な呼び方ではないからだ。

一歩前に出てきたのは、自分のサマナーを守るためである。

京太郎が何を目的としているのかというのを、彼女らはしらない。

しかしここまで京太郎が到着しているということは四人いた守護者がすべて討ち取られたという証拠である。

京太郎には戦う意思があり、そして倒せないだろうと思っていた守護者を討ち取る力があるということの証明でもある。

また、京太郎が激しい怒りを自分たちに持つ何かがあるということもよく体験しているので、当然だが、無害な相手であるとは思えない。

たとえ客観的に見て、京太郎の状態が、死に掛けであるとしても、まったく油断ならないのである。

細腕でも地面をえぐるほどの力を怪物は発揮することができる。京太郎も同じだろう。

 ゾウマさんの背後にいた男が、大きな声を出した。

「おい何をしている! さっさと帰還の呪文を唱えろ!

 畜生、何もかもめちゃくちゃだ。研究も、仕事も、仲間も何もかも!

 どこからおかしくなった。完全にライドウの動きは予想していたはずなのに。

あまりに早すぎる。リュウモンブチで一日は時間が稼げたはずなのに、いったいどこでつまずいた?

 おい、早くしろ! 何をしている!」


ライドウにぼこぼこにされたせいだろう。

今まで大切にしてきたもの、手に入れたものをいっぺんに失った。

そして戦いでも敗北した。心身ともにぼろぼろにされたのだ。

少しくらいあらぶってもしょうがないことである。

277: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 20:54:38.99 ID:s124umPT0

異変に気がついた人攫いが、京太郎を見つけた。

これから逃げ出そうとしている脱出経路の中心に京太郎とその仲魔たちがいるのだ。いやでも目を引くだろう。

 人攫いは京太郎にこういった。

「お前か? お前が俺たちの計画を台無しにしたのか?

 あぁ!? ヤタガラスの犬が! 異能力者風情が!」

つかみかかってきそうな勢いだった。

 しかしつかみかかってくることはない。

 ゾウマさんの背後から京太郎にアナライズをかけた。

スマートフォンのようなものをポケットから引っ張ってきて、操作し始めたのだ。

サマナーとして生きてきた結果、サマナーらしい戦い方が体に染み付いてしまっている。

とりあえず敵とであったときには相手の戦力をアナライズする。

そしてそれから戦いを組み立てていくという習慣である。

たとえ、ぎりぎりまで追い詰められている状態でも、今まで積み重ねてきた習慣というのはなかなか振り切れないものである。


 分析結果を見て

「はぁ? くそっ! 戦いでぶっ壊れたか?」

と人攫いが言った。

スマートフォンの画面に映し出されている分析結果がおかしかったからである。

分析結果には京太郎たちの状態が映し出されている。マグネタイトをどのくらい保持しているのか。

およその体力と魔力。およその性能。そして種族についてである。

そこに書かれている分析結果には分析できていない項目があった。

種族の部分である。三人とも、種族の部分が文字化けしている。

こんな経験を人攫いはしてこなかったのだ。だからまず、戦いでの余波で壊れてしまったのだと考えた。

 しかしすぐに人攫いは持ち直して、こういった。

「まあいい。脅かしやがって。ぼろぼろじゃねぇか。

体力も魔力もほぼゼロ。マグネタイトにいたっては生きているのが不思議なくらいまで減ってやがる。

仲魔も貧弱そのもの。どういうからくりだ?

 おまえらのレベルじゃ、ここまでくることもできないはずだ。

魔道具でも使ったか? それともまだ、仲間がいるのか? まあいい。いいことを思いついた」

 ビルの屋上の陣が光を強めた。人攫いの仕業である。

「一緒に来てもらおう。一緒にな!」

 ビルの屋上から京太郎たちの姿が消え去った。人攫いもゾウマさんの姿もない。

人形が半開きにしていた陣の力を発動させて、異界から脱出したのである。

京太郎たちは人攫いの脱出に巻き込まれてしまったのだ。

278: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 20:55:55.21 ID:s124umPT0

京太郎たちの姿が消えてほんの少ししてから、ビルの屋上に黒猫と老人が現れた。

切り株みたいな頭の悪魔と羽の生えた少女のような悪魔が老人の後ろにいる。

黒猫が鳴いた。老人にはこのように聞こえていた。

「追いかけるぞライドウ。異界も破壊した。くずどももあらかた始末した。あとは、逃げた一人だけだ」

 そしてすぐに老人たちの姿が消えた。

 老人たちが消えてから少ししてからパッチワークされた異界が消滅した。

あるべきではない世界はあるべき世界に嫌われる。

いろいろな場所の異界を引っ張ってきて作られた奇妙な異界は本来あってはならないものである。

保持しようとする力が失われた今、大きな流れがこの世界を許さない。

川の流れが海へ続いていくのが自然の流れであるように、この異界もまたあるべき状態へと戻るのだ。

忌まわしい目的のために生まれた異界は完全に消滅した。
 

279: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 20:58:46.98 ID:s124umPT0

人攫いの脱出に巻き込まれた京太郎は、見たことのない部屋の中にいた。

しかしただの部屋というものではない。

とても広かった。

よく、成金がやたら広い部屋を借りていることがあるが、その無駄に使い道のない大きな部屋とそっくりな部屋だった。

少しだけ成金が借りるような部屋と違っているのは、部屋の中にいろいろな研究の資料だとか、何か忌まわしい気配を発する品物が転がっているというところである。


京太郎たちは人攫いの隠れ家、もしくはそれに近いところに引きずられてきてしまったのだ。

 京太郎たちを連れ去ってきた人攫いは、大きなキャリーケースを引っ張ってきていた。

このキャリーケースは少し様子が違っていて、金属で作られている。

そしてやたらとでかかった。このキャリーケースを使えば、一ヶ月くらいは旅行に出ていられるだろう。

人攫いは金庫を開けるとその中から小さな人形を取り出した。

この人形はタバコの箱程度の大きさである。

特に細工がされている様子はない。

十数年前に流行ったケシゴムのフィギュアみたいな質感だった。

この人形を次々と、大きな金属製のキャリーケースに詰め込んでいった。

そして詰め込むと、キャリーケースに鍵をつけ、封印を施した。


 一方で京太郎とゾウマさんは向き合っていた。

二人の距離は三メートルほど離れている。京太郎はやっと立っているという状況。

ゾウマさんは服装こそぼろぼろだが、まったく問題なさそうであった。

京太郎が動かないのは、動けないからである。

体力がもうまったく残っていない。やっと立っているだけの状態。

動くにしてもあと、スリーアクションが限界というところ。

ゾウマさんが動かないのは、命令されていないからだ。

ゾウマさんは造魔であるから、自発的に動くことはない。

契約しているサマナーが望まなければ動かないのだ。

 京太郎の眉間にしわが寄っていた。ゾウマさんと目があっているからだ。

言いようのない不快感が、京太郎の胸の奥から沸いてきている。

そして同時に、胸の空白も感じていた。

 人攫いが何かごちゃごちゃとやっている間に、ゾウマさんと京太郎の間にアンヘルと人形が立ちふさがった。

アンヘルと人形はとても弱い。人形などはガキ一匹倒すこともできないだろう。

アンヘルもガキのようなものならば何とかなるが、守護者に近い相手になると手も足も出ないだろう。

しかし、現状ではこういう形になってしまうのもしょうがないことだ。アンヘルと人形の主、京太郎は本当に限界だ。

しかしおそらく戦いは避けられないだろう。

無残にやられる前にやることをやらなければならないという気持ちで、京太郎の仲魔は動いている。

もしかしたら勝てるかもしれないなどとは考えていない。しかしそれでも、最後までやりるつもりなのだ。

280: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:01:30.67 ID:s124umPT0

 一仕事終えた人攫いが状況を見てこういった。

「いつの間に命令を出したんだ? まあいい。

いくら作戦を立てても、お前はもう終わりさ。こいつがお前を押さえ込めなかったのは残念なことだ。

まあ、大体どういうことなのかは察しがついている。

大方、何か道具でも使ったんだろう? そうでもしないと、お前みたいなのが生き残れるわけがねえ。

いや、答えなくてもいいぜ。道具がうまく使えるっていうのも、サマナーには必要な才能だからな。

恥ずかしいことじゃない。まぁ、お前の今の状態なら答えたくても答えられないだろうけどな。

アナライズの結果からわかっている。口を利くのもつらいだろう?」

 そして京太郎にこんなことを言った。

「なぁお前、俺のパシリになれよ。ちょっと人手が足りないんだ。

今は、お前みたいな雑魚サマナーの手もほしい。

今の状況がわかるはずだ。お前は俺に命を握られている。

ヤタガラスに雇われているってんならよ、鞍替えしたらいい。

死ぬよりはいいだろ? それともここで死にたいか?」

 京太郎は答えなかった。戯言に答える余裕がないからである。

 人攫いが、ゾウマさんに命じた。

「おい。そいつら邪魔だな。どかせろ」

アンヘルと人形のことだ。本当に邪魔だったわけではない。

京太郎の姿は、はっきりと見えている。話をするのも問題ない。

ただ、力関係をはっきりとさせるためだけに、アンヘルと人形をどかせろと命じたのだ。

そうすることで、京太郎を屈服させるつもりである。

 ゾウマさんは速やかに命令を実行した。

京太郎と自分の間にわって入っているアンヘル、そして人形を平手打ちにした。

造魔というのはそういう悪魔なのだ。命令されたら、命令を果たすように動く。

そこにいちいち意思を割り込ませてくることはない。

 アンヘルと人形がどかされた。丁寧な扱いではない。

人形は叩き落とされて床に転がり、アンヘルはほほを打たれて、床に倒れふした。

二人とも、命はある。しかし回復魔法をかけなければならない状態である。

ただの平手打ちだが、二人にとっては十分な攻撃だった。

京太郎の目にはゾウマさんの動きがよく見えていたが、仲魔たちにはまったく追いかけられない動きであった。

281: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:04:15.50 ID:s124umPT0

人攫いが笑った。

「やっぱ、めちゃくちゃ弱い! アナライズどおりだ。

何か仕掛けでもあるかと思ったが、そんなことはなかったな。

やっぱりだ。やっぱりこれはお前が道具を使ってここまでやってきたという証拠だろう?

 おそらく、雷の異能力と道具の組み合わせだ。

こいつでこそこそ隠れて進んできたんだ。
  
雷の異能力は便利だからな、これに道具を使えば逃げ延びるのも簡単だったろう。

いや、でもこれではっきりした。やっとわかった。

お前が俺たちの情報をこそこそかぎまわってライドウに渡したんだ。

ということは、お前はとんでもないスパイの技術を持っているってことになる。

信じられない話だ。こんなガキが、俺たちの目をかいくぐるなんて!

 しかし実際にここまで追い込まれたんだから、信じるしかないな」

自分たちの失敗の原因を見つけたと思ったのだ。

人攫いはライドウが自分たちのところに来るまでにはもう少し時間がかかると踏んでいた。

数年間ヤタガラスをごまかせたのだ。信頼できる情報だったのだろう。

しかしそれが簡単に崩れた。しかし、自分たちの行動を見直してみても穴らしいところがない。

まったく理屈がわからない。そんなところに京太郎が現れた。

現れたものだから京太郎を理由にこじつけて、自分たちが追い込まれた理由にしてしまった。

それがどうにもうれしくて推理を京太郎に話した。

 まったく的外れである。人攫いは探偵には向いていない。

しかし部分点はでるだろう。

京太郎が交差点でライドウと出会わなければ、人攫いは逃げ延びていただろうから。

ライドウの情報収集の手間をあの出会いが大幅に省いたのだ。


 人攫いがさらに続けていった。

「さぁどうする。サマナーの命綱が切れたぞ!

 もうお前は俺のパシリになるしか生き残る方法がないぜ!

 どうする、こそこそかぎまわるだけしか能がねぇのによぉ!」

人攫いは、鬱憤を晴らしたいのだ。

八つ当たりといってもいい。

ライドウにぼろぼろにされた自分を慰めるために、京太郎をいじめようとしている。

 サマナーだったらこの対応で間違いない。

また、京太郎が道具を使って生き延びるタイプだったのならばこれでよかっただろう。

サマナーの常識から考えると仲魔がいなくなったのだから絶体絶命である。

脅しをかければ折れるものもいるだろう。

サマナーだったのならば。

282: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:06:48.12 ID:s124umPT0

 京太郎は答えなかった。

朦朧としていても取り合う必要がない戯言を吐いているのがわかるからだ。

京太郎にしてみれば少しもかすりもしない推理である。

そもそもヤタガラスもライドウも関係がないところで京太郎は動いている。

ライドウにしても、そもそも誰がライドウなのかがわかっていない。

それに加えて人攫いどもの事情など知ったことではないし興味がない。

かすりもしない推理など取り合う余裕がない。

 そんな京太郎を見て、人攫いはこういった。

「はっ! うなずきもしないか。気に入らないな。追い込まれているのはお前なんだぜ。

何もかもばれてんだぞ。少しはへこんで見せろよ。

それに、その目。まだあきらめていないって感じが、余計にむかつくんだよ!

 誰のせいで、こんなことになったと思ってんだ!」

 人攫いはゾウマさんに命令した。

「くそっ! もういい! こいつを始末しろ!」

いくら脅しても表情ひとつ変えない京太郎にいらだったのだ。

 ゾウマさんが拳を固めた。命令を受けたからである。

 ゾウマさんの灰色の長い髪の毛が翻った。

初めて会ったあの時と同じように拳での攻撃を仕掛けてきたのである。


 
 床に倒れ付しているアンヘルが京太郎をじっと見つめていた。

その表情は穏やかだった。すべてを受け入れているような様子である。

残念ながら回復の魔法を唱えることはできない。

それはゾウマさんの一発が気絶に近い状態にアンヘルを追い込んでいるからだ。

急いで回復したいところだが、できない。

集中できないからだ。

できることは、視線を京太郎に向けることくらいのものである。

 間違いなく、これで終わり。

京太郎は、ゾウマさんに頭を砕かれて自分たちは一緒に消えていく。そんな状況である。

 そんな状況だから、視線を京太郎にアンヘルは向けたのだ。

京太郎がここで終わるだろうということをアンヘルは予想している。

ゾウマさんの攻撃を受けて、命を奪われる。そして一蓮托生の自分もまた、終わる。

アンヘルはそれでかまわないと思っていた。うらみはない。情けなく泣くつもりもない。

一度は死に掛けたのだ。それがここまでくることができた。

京太郎を見つめているのは、最後まで京太郎を見ていたかったから。

立つのもやっとなのに、最後まで戦おうとする京太郎を目に焼き付けて消えていきたかった。

283: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:09:37.73 ID:s124umPT0

 アンヘルは目を見開いた。信じられないものを見たからである。

糸の切れた操り人形のようにひざを突くゾウマさんをアンヘルは見た。

あっという間の出来事で、アンヘルは自分の見ているものを疑った。

しかしそれは、人攫いも、人形も同じ気持ちだっただろう。

しかし何が起きたのかを理解するのはそう難しいことではない。


 京太郎がほんの少しだけ姿勢を変えていた。右手の拳を前に突き出して、わずかに、顔を傾けている。

京太郎の右の頬にまっすぐな切り傷がうまれている。頬が切れているのは、ゾウマさんの拳が掠めたから。

ゾウマさんがひざをついているのは、京太郎がゾウマさんの攻撃を迎え撃ったからだ。

右手の拳をゾウマさんのあごに当てて、カウンターとして脳みそを揺らした。

 人攫いが吼えた。

「ありえねぇ! こんなことがあるわけが!」

京太郎はすでに限界ぎりぎりである。たっているのもやっと。声を出すのも苦しい。それは確かである。

姿勢を変えるだけの行動で、京太郎はへとへとになっている。

しかしそれなのに、ゾウマさんの攻撃を迎え撃つことができた。

これはおかしなこと。理屈に合わない。


 一方で、場を混乱を起こさせた京太郎は少しも表情を変えていなかった。

特に、驚くようなことがおきたわけではないと思っているからだ。

 京太郎は予想を立てていた。ゾウマさんがかつて自分に放ったのと同じような攻撃を放ってくると。

 そしてその予想に自分の命を賭けた。結果、京太郎が賭けに勝った。

京太郎は、それだけのことだと思っている。だから表情が変わらない。

 予想を立てることができたのは

「造魔という種族が命令を守るようになっている」

という話をしたのを覚えていたからだ。

 つまり、サマナーの命令がわかっているのならば、造魔の攻撃が予想できるということになる。

「魔法を打て」

とか

「攻撃しろ」

とかいう命令が、そのまま造魔の行動につながるのだ。

次にどういう行動をとるのかがわかっているのにどうしてカウンターを放てないのだろうか。

284: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:11:48.07 ID:s124umPT0

 賭けの要素もあった。もしかしたらまったく別の行動を取る可能性がある。

魔法の可能性、足での攻撃。可能性はある。

もしもその行動をとられたら終わりだろう。しかしほとんどないとあたりをつけていた。

それは、京太郎自身があまりにもぼろぼろだから。

こんな状況の相手を前にすると、油断してしまうのもしょうがない。

死にかけの虫のように見えているのなら、手を抜く可能性がある。

実際、人攫いは油断して「始末しろ」としか言わなかった。

魔法を撃てと命じておけば、終わりだったはず。

 あるのかないのかもわからないような根拠の上に出来上がった賭けだ。

しかし賭けるには十分過ぎる状況だった。何もやらないよりはましだった。


 京太郎の力というのはほとんど残されていない。そのとおりである。正しい。

確かに京太郎の肉体には攻撃するだけの能力はもうない。

しかし、体をわずかに、ずらすことはできる。京太郎は攻撃したのではないのだ。

京太郎は姿勢を整えただけ。拳を前に出して、頭を傾けただけ。

ゾウマさんは自分から拳に突っ込んできて、あごを強打し頭を揺らしたのだ。

勢いのついた自動車が電信柱にぶつかったらどうなるのかという話である。

 もしも京太郎が万全であったのならば、ゾウマさんの頭部は消滅していただろう。


 しかしゾウマさんの動きというのは目で追うことができないほどの速度であったはず。

いくらコースを指定されていても、百七十キロのストレートをバッターは打てないはずだ。

特にぼろぼろならば、見送るだけしかないはず。

 それもまた正しい。かつては追いきれなかった。

それは真実だ。ブラウニーたちの集落で、いいようにやられた。

両腕を使えない状況にまで持っていかれた。防御が精一杯だった。

しかしこの件に関して説明など必要ないはずだ。



 試練が京太郎を強くした。これに尽きる。この結末に不思議はない。

285: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:14:44.02 ID:s124umPT0

 人攫いがまた吼えた。

「いったいどういう仕掛けだ! 道具を使っているのか!」

この結末は人攫いにしてみれば悪夢同然だろう。人攫いは、京太郎を知らなさ過ぎる。

京太郎がただの巻き込まれただけの人間だったということも。

運よく人形と出会えたことも。アンヘルを救い出し仲魔にしたことも。

友達の願いを聞いて守護者たちを真正面から始末してきたことも。

まったく知らない。

ただのサマナーなどと思っている人間には、理解できない光景である。

サマナーは前に出て戦わない。したがって戦闘技術も低い。

それが当然の理解の仕方だからだ。

サマナーと接しているような気持ちで京太郎を見るから理解できないのだ。

そしてわからないから、無様に吼えるようなことになる。

 京太郎は拳を突き出したままの姿勢で動かなかった。

動けないのだ。姿勢を変えるというだけの行動が、京太郎にはとんでもない重労働だった。

無理やりに動かしたことで、いよいよ京太郎は目の前が見えなくなっていた。

視界はもう、ほとんど意味を成していない。白くぼやけている。


 人攫いが呪文を唱えた。すると京太郎の体がしびれた。

体を縛る呪文「シバブー」の効果だ。

京太郎のみならず、回復し始めたアンヘルと人形にも効果が及んでいる。

人攫いは京太郎に動いてもらいたくないのだ。

ゾウマさんの攻撃を打ち落とす人間などに動かれると恐ろしいだろう。

少なくとも人攫いはゾウマさんの動きを目で追うこともできないのだ。当然京太郎の動きも。

 人攫いは、ゾウマさんに命じた。

「おい! そいつにしがみつけ!」

まだ、体の自由が聞かないゾウマさんを京太郎にしがみつかせた。

京太郎の胴にゾウマさんがしがみついてしまった。

京太郎はこれで動けなくなった。なんとしても京太郎には自由になってほしくないのだ。

人攫いは、京太郎が恐ろしくてしょうがないのだ。

 人攫いが、京太郎にこういった。

「ははっ! すげえなお前。どういう仕掛けなのかさっぱりわからないが、すげえよ。

さっきは、パシリにするなって言って悪かったな。

考えが変わったよ。どうだ、俺の部下にならないか。

当然、報酬も支払うよ。ヤタガラスからいくらもらってんだ?

 二倍払おう。三倍でもいい。もちろん、命も保障しよう」

 人攫いの姿が京太郎には見えていなかった。

近くに人攫いがいる。しかしぼやけた視界がはっきりと見せてくれない。

声も遠い。意識を失う限界ぎりぎりのラインで京太郎は踏ん張っていた。

286: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:19:08.50 ID:s124umPT0

 人攫いに話しかけられている京太郎は、まったく別の幻を見ていた。

その幻は、冒険に出る前の自分の生活の幻だった。

自分にお願いをする人と、それを聞く自分の姿が見える。

限界ぎりぎりのところで踏ん張っている京太郎の意識は眠っているのかそれともおきているのかもわからない状態である。

そのため、今起きている出来事と重なる思い出が、夢を見るような調子で思い起こされているのだ。

すでに、人攫いの話など耳に入っていない。

 京太郎の幻にはいろいろな人が登場していた。

京太郎に、お願いをしてきた人の記憶である。いろいろな人が脈絡もなく現れて消えていった。

 学校の先生が「プリントをはこんでくれ」といった。

 部活動の先輩が「買い物にいってきてくれ」といった。

 自分の両親が「手伝ってくれ」といった。

 友達が、「助けてくれ」といった。

 そして人攫いが「部下になってくれ」といった。

 京太郎の表情は変わらない。お願いされることに悪い気持ちはないからだ。しかしまだ、幻は続いた。


 
 視点が切り替わって、京太郎はかつての自分自身と対面していた。

幻だからできることだ。

幻の中の自分は、生きているのか死んでいるのかも分からないようなうつろな眼でヘラヘラと笑っている。

「気に入らない目だ」

と京太郎は思う。

 京太郎の目に光がともった。

現実と幻想のはざまで、自分自身の胸の空白が何者から生まれていたのかに京太郎は気がついたのだ。

へらへらとした自分の幻を見たとき、はっきりと感じた強い気持ち。

それは守護者たちを前にしたときに感じた気持ちであり、ゾウマさんの目を見ていたときの気持ち。


 
 京太郎は、微笑を浮かべた。

人攫いの提案の裏に潜んでいるくだらない思惑に気がついたからではない。

胸の空白の理由に気がついたから、微笑んだのだ。

「どうして今まで、俺は気がつかなかったんだろう。

やっとわかった。胸の空白は、俺自身が生きる目的を持たなかったから生まれていた。

俺はゾウマさんたちに八つ当たりをしていただけだ。

ヘラヘラと笑って、他人に生きる目的を預けていた自分をゾウマさんたちに重ねていただけだ。

俺に足りなかったのは、俺自身から発する強い願い。

生きる目的」


287: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:23:46.41 ID:s124umPT0

命がけの冒険であったけれども、満ち足りた時間をすごすことができたことが、答えを見つける手助けになっている。

いきたいと願い。友達の願いを叶えたいと願った。

京太郎の心がしっかりと固まった時間があったからこそ、かつての自分を見ていられなくした。

そして気がつかないうちに自分を嫌った。

そんなときに自分とよく似ている存在を前にしていらだった。


 こんな簡単なことにいままで気がつかなかった自分を笑い。

やっと胸の空白に気がつくことができたことに京太郎は笑ったのだ。

 人攫いなど、眼中にない。


 ただ、京太郎の微笑を見た人攫いは顔を真っ赤にした。

京太郎が笑ったからなのだが少し事情が違う。

京太郎が自分の提案をけったから怒っているのではないのだ。

人攫いは、自分の提案の裏に隠されている、くだらない思惑を見透かされたのだと思い込み、怒りを感じている。

屈辱的だと。

 というのが、はじめから京太郎を助けるつもりなど人攫いにはない。

それは今の状況を見ていたらわかることだ。人攫いは、京太郎を呪文で縛り上げている。

しかもゾウマさんを使ってダメ押しをしている。

 命を助けるような話をしているが、これは少し無理がある。客観的に見れば、脅迫である。

そしてこの人攫いの様子を見て一番に思う印象は、自分の鬱憤を晴らすために、動いているということ。
 
 人攫いは、京太郎をいったん持ち上げておいて、裏切ってやろうとしているのがみえみえなのだ。

そもそも本当に交渉しようとしているのならば、呪文とゾウマさんを解除するのが道理だ。

 実際アンヘルと人形は、嘘だろうということを見抜いてしまっている。

 もしも京太郎が、この提案に乗ってきたら、人攫いはそこで自分の本心を明らかにするつもりだった。

期待させておいて絶望させて、鬱憤を晴らすつもりなのだ。

 それだけの屈辱をライドウと京太郎に受けたのだからやるだろう。


 ただ、京太郎は微笑みで答えた。

この微笑が、少しまずかったのだ。

何せ京太郎は自分の空白に気がつけたことでひとつ成長している。

肉体的にではなく精神的な成長である。そこから漂う自信が京太郎の目に光をともす。

ただでさえ京太郎の目を気に入らなかった人間にとってはたまらないだろう。

 くわえて京太郎の微笑が人攫いのゲスな目的を見抜いて生まれたものだとも取れた。

「お前のくだらない狙いなどすっかり見抜いているぞ」と

 結局、京太郎に非はない。人攫いが勝手に精神的な敗北したというだけのことである。

  それがどうにも人攫いには耐えられなかった。

楽勝だと思っていたところにゾウマさんの敗北と、人間的な敗北の両方を喫することになったのだ。

たまらない。

結果として怒りとしてあらわれたのだ。

288: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:27:01.29 ID:s124umPT0

 京太郎を人攫いが殴った。何度も何度も京太郎を殴った。

京太郎の唇が切れて、血が流れた。息が切れるまで殴って、やっと殴るのをやめた。

「気にいらねぇえんだよ。お前」

気に入らないからというのも嘘ではない。

京太郎を殴ったのは、精神的に敗北した自分を隠したかったからである。

精神的な敗北というのは自分自身がジャッジする。嘘偽りのない感情が襲ってくるのだ。

自分をごまかしたかった。だから身動きの取れない京太郎を殴った。

自分が勝利しているのだと。殴っているのは自分で、相手は動けない。

これは自分の勝利だろうと。

 人攫いはこういった。

「もういい。お前はここで終わりだ。ここで終わらせてやる。

おい、そのまま動かないようにしとけよ」

ゲスな作戦も発動させることができず、無様をさらしただけの人攫いにできることは、京太郎に死を与えるくらいのものである。

最終的に生き残れるものが正義であればいい。

そのくらいの気持ちで京太郎をつぶすのだ。

 
 人攫いが呪文を唱え始めた。

 呪文を聞いたアンヘルが真っ青になった。

アンヘルには呪文がどのような効果があるものかがわかったからだ。

今、人攫いが唱えようとしている呪文が発動して、その効果にさらされてしまえば、どれだけ強力な肉体を持っていたとしても、意味がない。

そういう魔法である。

 人攫いが呪文を発動させた。京太郎にしがみついているゾウマさんもろともである。

「ムドオン!」

 闇が京太郎とゾウマさんを包み込んだ。

京太郎とゾウマさんを中心にして直径二メートルの円が描かれた。

そしてその円から闇が噴出した。

 京太郎の視界が真っ黒に染まった。

 闇のなかにはたくさんの手があった。命をとるための闇の手である。

闇の手が、京太郎とゾウマさんに絡みついた。

 絡みついている闇の手が京太郎の体にしみこんでいった。

肉体の強さなどまったく関係がない。するすると入り込んでいく。

京太郎の心臓を奪うためだ。

 京太郎の心臓が止まった。

闇の手が、京太郎の心臓に触れ、心臓を止めてしまったのである。

死は平等に訪れる。

京太郎もゾウマさんも、区別はない。

大いなる導きにしたがって、誰もが同じ場所へ向かうだろう。

 しかしまだそのときではない。


289: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:28:59.74 ID:s124umPT0

 闇の中で、京太郎は食いしばっていた。

心臓は止まっている。後一秒もせず京太郎は死ぬだろう。

京太郎がまだ耐えているのは、京太郎にまだやるべきことが残っているからだ。

まだ終わっていない。まだ、さらわれた人たちを助けていない。

確かに心臓が止まった。このままなら、命が消えるのは間違いない。

ただ、まだ終われない。

 京太郎の混乱はもうない。自分の胸の空白に気がついたからだ。


 京太郎が願った。

 「動け心臓」

 心臓はピクリともしない。

当然だ。ムドオンが完全に決まったのだ。たとえ食いしばっても心臓が動き出さないのなら意味がない。

 京太郎は命じた。

 「動け心臓」

 心臓は当然動かない。ムドオンの呪縛は強い。

 京太郎が右手を振り上げた。拳を硬く固めている。

心臓が動かないと駄々をこねるのならば、無理やりにでも動かすだけだ。

 右手の中指に納まっている指輪に京太郎が命じた。

 「動かせ、心臓」

 指輪がうごめきだした。

迷いのない京太郎の願いをかなえるため。指輪が働こうとしている。

 振り上げられた拳が左胸をたたく。

 指輪が京太郎の右手中指から離れ、心臓に向かって走り出した。

 京太郎がうめき声を上げた。強烈な痛みを感じたからだ。

この痛みは、同化の痛みだ。

指輪が心臓に喰らいついてひとつになろうとしている。


 ムドオンの闇の中で稲妻が瞬いた。

290: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:32:15.32 ID:s124umPT0

 何千年も前の時代、神様が頭を抱えていた。ほかの神様がやってきて、

「どうしたの」

とたずねると、

「困ったことがある」

といった。神様はこう説明した。

「気に入った人間がいるのだけれども、言葉が通じない。

大雑把な気持ちならば、身振り手振りで伝えることができるが、細かい気持ちを伝えることができない。

自分はもっとあの人間と遊びたいのに、これではまったく遊べない」

 そうして神様たちは悩み始めた。同じような悩みをその神様も抱えていたからだ。

 どうしたらいいかと話していると、また別の神様がやってきて

「自分もそうなのだ」といった。

「すばらしい芸術を作る人間がいるのだけれども、言葉が通じなくて困っている。

作品を持って交流することで何とかやってはいるが、もどかしいものだ。

あの人間と言葉を交わすことができれば、もっと高いところへと、歩いていけるのに」

 神様たちは人間たちと会話ができなかった。人間もまた、神様と会話ができなかった。

なぜなら彼らは別の世界に生きていて、別の文明に生きていたからである。

神様たちは人間たちの言葉を勉強してみた。

しかし勉強している間に人間たちの命は終わり、彼らと出会うことはできなくなってしまうのがほとんどだった。

人間と、神様の命はあまりにも離れすぎていた。

 神様たちがいろいろと作戦を考えていると、

「思いついた」

といってひざをたたいた神様がいた。ひざをたたいた神様は悩んでいる神様たちにこういった。

「魂を混ぜようじゃないか諸君。彼らを私たちと同じものにしてしまえばいいのだ。

私たちと彼らが別の存在だから、言葉が通じないのだ。ならば、一緒のものになってしまえばいい。

そうすれば、もっと彼らと遊べる」

 神様たちはこの思いつきに乗った。

人間と交わるということに対してたいした危機感もなければ、嫌悪感もなかったからだ。

むしろいつの間にかどこかへ消えてしまう人間が、自分たちと同じ存在になるということがうれしかった。

そして、深く理解しあえるようになるだろうというのもうれしかった。

 神様に好かれた人間たちに、この計画をやっとのことで伝えた。

神様たちの作戦はお互いの同意が必要だったからだ。

 作戦は神様たちが身振り手振りで伝えた。

 そうすると、ほとんど間違いなく

「やってみるか。面白そうだし」

というような調子で答えた。神様に愛された人間はあっという間に神様と一緒になってしまった。

もともと神様に好かれるような人間であるから、線が一本切れているのだ。

大きなデメリットよりも、面白そうな小さなメリットに飛びついた。

 これが英雄の始まり。

291: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:35:28.39 ID:s124umPT0

 しかしこの出会いをよく思わないものたちがいた。神様の中にごくわずか。

人間の中にはたくさんである。理由は同じだ。共同体の邪魔になる。

この自由気ままな生き様は、共同体の中で生きるものたちにとってはあまりにも危険なのだ。

神様たちのほとんどは

「かまわないんじゃない」

というような反応だった。しかしそれは神様たちがそもそも自由気ままであるからである。

 人間は特に英雄を嫌った。なぜならば、共同体がなければ人間は生きていられない。

神様に愛される人間は、そこにいるだけで秩序を乱す。

 「宗教に惑わされることなく、権力に屈せず、金に支配されない」

 神様に好かれる人間というのは共同体に生きる人間にとってはただの脅威である。

自律している人間は、共同体秩序からはただの怪物にしか見えないのだ。

 神様と交渉する技術を共同体に生きる人間たちは身につけはじめた。

英雄たちに対抗するためである。英雄たちは、神様とつながっている。

神様とひとつになっている英雄はとんでもない力を発揮するので、人間の力だけでは対応することができない。

ならば、神様の力を借りればいい。

英雄たちを打ち倒すために英雄をよく思わない神様と交渉し、彼らは力を手に入れるようになった。
 
 サマナーの始まりである。

 しかしサマナーになっても歯軋りをしているものたちがいた。怒り収まらないという様子である。

英雄に何かされたからではない。何もされなかったから怒っていた。

 サマナーたちのことを英雄たちは気にも留めなかった。

もともと自由気ままな精神を持っていた人間が、神様と一緒になったことで余計に自由気ままになったのだ。

「どうしていちいち他人などにかかわってやらねばならないのだろうか」

といって自分の道を歩いていく。

 共同体で生きている人間たちの気持ちなどというのが理解できるわけもない。

自分は自分、人は人。英雄になっても心まで変わるわけではない。

 何か災いを英雄が振りまいたわけではない。普通に生きて、暮らしていただけ。

 それがまずかった。彼らがあまりにも自然体で、あまりにも共同体の人間たちに興味を持たなかったのがわるかった。

嫌いだとか好きではなく、英雄たちは共同体に無関心だった。

だから共同体の人間は怒ったのだ。

「自分たちはこんなにも必死になっているのに見てもくれないのか」

 怒りが収まらなかったものたちは英雄と神様たちを貶める呼び方をはじめた。

神様と英雄が、自分たちを見もしないという屈辱を晴らしたいと思ったのだ。

何とかその屈辱を晴らすために相手に嫌がらせをし始めた。

こんなことをしたところで、何になるわけでもない。

しかしこんなくだらないことでもやらなければ、小さなプライドが生きていられなかった。

 その結果、神様は「悪魔」と呼ばれ貶められるようになり、英雄は「魔人」と呼ばれ恐れられるようになった。

今から何千年も昔の話である。


 今はもう、魔人はいない。ただ、マガタマを残してどこかへと消えていった。
 

292: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:38:55.55 ID:s124umPT0


 そして現在、新たな魔人が生まれようとしている。



 警告音がなった。危機感をあおる音だった。

人攫いのスマートフォンが大きな音を出したのだ。

ムドオンの闇はまだ、京太郎とゾウマさんを包み込んでいる。

人攫いがスマートフォンの画面を見てみた。すると画面が切り替わっていて、アプリが起動していた。

高い金を払って導入した魔人警告アプリが、魔人の到来を予告している。

 人攫いの顔から血の気が引いた。魔人という存在が現れれば、ただの人間である人攫いに抗うすべはない。

魔人を倒せる人間などほんの一握りしか存在していないのだ。

それこそ人攫いが必死で逃げ回っている相手、ライドウのような人間でなければ討ち果たすことはできない。

もしも人攫いが、魔人と出会ってしまったらどうなるのか。

死ぬ。わかりきった結末である。

 人攫いはあたりを見渡した。

アプリが起動しているということは目に見える範囲、レーダーの範囲に魔人がいるという証拠である。

ということは、警告音がなっている以上、人攫いの借りているマンションのどこかに魔人が潜んでいるということになる。

逃げ出すにしてももしかしたら扉の向こう側、廊下の曲がり角に魔人が潜んでいるかもしれない。

すぐに飛び出てこないのは魔人特有の奇妙な思考があるからだろうと思っている。

魔人の思考回路は、普通の悪魔の思考回路とも人間の思考回路ともかみ合わない。

 人攫いは目を見開いた。

借りている部屋のどこにもいないというのならば、考えられる可能性というのは、今、確認できていないムドオンの闇の中だけであるからだ。

人攫いは、京太郎が何かしらの道具を使い、魔人を呼び込んだのかもしれないと考えた。

魔法の道具の中には自分をいけにえにささげることで、恐るべき存在を呼び込むものがある。

京太郎が、逃れられない結末に覚悟を決めて、人攫いもろとも終わることを選んだのかもしれないと考えたのである。


 人攫いは目を疑った。ムドオンの闇の中で光るものがある。

どうやら、人の形をしているらしい。

しかし光るその姿は、今まで自分の目の前にいた少年の姿とよく似ていた。人攫いはおかしいと思った。

魔人を呼び込んだというのならば、その姿が今のままであるわけがない。

 人攫いは自分の目をさらに見開いた。何が闇の中でうごめいているのかを確認するためだ。

しかしその目は、勇気に満ちているわけではない。恐怖しかない。恐怖が、視線をきることを許さない。

 人攫いの耳に奇妙な音が飛び込んできた。カチカチという音と、ズルズルという音である。

ズルズルという音は、ムドオンの闇の中で動いているものが発している。

音の様子からして、何か重たいものを引きずって、歩いているのが予想できる。

ズルズルという音はどんどん人攫いに近づいてきている。

 カチカチという音は、人攫いの口元から発している。

闇の向こうから現れる存在が、誰を狙っているのか予想がついてしまったのだ。

293: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:42:16.90 ID:s124umPT0


 二回目の警告音が鳴った。魔人との出会いが、間違いないものに変わったからだ。

 
 死にいざなう闇の拘束を断ち切って「魔人 スガ キョウタロウ」が姿を現した。すべては目的を果たすためである。


 京太郎の様子が変わっていた。

髪の毛が灰色になっている。

目はうつろだ。髪の毛の変化は転生を果たした結果であろう。

そして目に力がないのは限界ぎりぎりのラインをいったり来たりしているからである。

しがみついているゾウマさんも、自分の状態も無視してムドオンの闇から抜け出してきたのだ。

 ゆっくりとだけれども京太郎は歩いていた。京太郎のエネルギーが残っているからではない。

心臓そのものになった指輪がエネルギーを供給しているのだ。

このエネルギーは京太郎から吸い上げていたエネルギーである。

 人攫いが腰を抜かした。魔人が目の前に現れたからだ。

噂話の中でしかきいたことがない、恐るべき存在が今、人攫いの前にいる。

しかもこの恐るべき存在は、自分のことを狙っているのだ。

戦うしかない。しかし勝てるだろうか。

もう、戦力になる悪魔など残っていないというのに。

人攫いの心が絶望に染まった。そして力を失い腰を抜かす無様をさらした。

 人攫いは悲鳴を上げた。京太郎がゆっくりと人攫いに向けて歩いてきたからである。

体力も気力もほとんど残っていないので、その歩くスピードはとんでもなく遅い。

しかしそれが余計に恐ろしかった。じっくりと人攫いを狙っているように見えた。

 人攫いがもう一度悲鳴を上げた。

人攫いの斜め後ろに置かれてある、大きな金属製のキャリーバッグに京太郎がしがみついたからである。

京太郎の行動が自分の命をとるための行動のように人攫いには思えたのだ。

自分を狙ったが、たまたま狙いがそれて後ろのキャリーバックに向かったのだと。

 一方で京太郎は人攫いのことなど見ていなかった。

自分の状況も気にしていない。

京太郎がほしかったのは、人攫いの命ではない。

ほしかったのは、さらわれて人形にされてしまった人たちだ。
 

 京太郎は、ほしかったものを手に入れた。

294: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/04(金) 21:43:59.70 ID:s124umPT0


 人攫いは、泡を食いながら呪文を唱えた。人攫いはなんとしても生き残りたいと願っている。

死にたくない。そんな死にたくないという一生懸命さが、ひらめきを生み出した。

ひらめいた方法とは、戦わずに魔人をどこかへと飛ばしてしまうこと。

逃げられないのなら消えてもらえばいいという発想である。

幸い魔法には、そういう魔法がある。


 豪華なマンションの一室から、人攫い以外の姿が消えた。

アンヘルも人形もいない。当然京太郎もいない。

そしてゾウマさんの姿もない。

人攫いは自分の仲魔よりも、自分の安全を求めたのである。

細かい範囲を決めずに、京太郎をどこかへとはじき出した。

 人攫いが、笑った。

笑ったといっても楽しそうに笑ったわけではない。

引きつった笑いである。恐るべき存在が、目の前から消えうせて、ほっとしたのだ。


 人攫いが借りている豪華なマンションの一室に、猫のなき声が響いた。

人攫いが恐れなければならないのは本来、京太郎ではない。

自分の悪行を追い詰める葛葉ライドウ、その人である。

ライドウは人攫いを逃がすつもりなどない。

307: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 05:30:52.91 ID:/tQpYDqJ0

 取り戻した大切なキャリーバッグを京太郎はしっかりと抱きしめていた。

というのが、地上からはるか離れた空中に京太郎は転送されていたからだ。

人攫いというのは、京太郎をあまりにも恐れるあまり、おかしな場所に京太郎たちを弾き飛ばすようなことをしたのである。

そんなことをするものだから、地上からはるか彼方、雲の上に京太郎たちはじき出されてしまった。

もともと京太郎のことが心底恐ろしかったのだから、この扱いでもしょうがないことである。

できるだけ遠くに飛ばしたいという願いを、魔法がかなえたのだ。

結果、空に向かって投げられたボールが落ちてくるのと同じ理屈で、引力に惹かれて落下することになったのである。

京太郎は、目もあけられないくらいに疲労していたが、何かしら起きたのだということを察して、なんとしても大切なものを話すまいと必死になっていた。

京太郎にできることはしっかりとキャリーバッグを抱えるくらいのものだ。

 ほんの少しの間、京太郎は落ちていく感覚を楽しむことになった。

 しかし京太郎たちの落ちていく速度は緩んでいった。

京太郎の頼れる仲魔、アンヘルが京太郎をしっかりと抱きしめたからだ。

仲魔たちには京太郎にはない空を飛ぶ能力がある。

ゾウマさんの平手打ちで気絶に近い状態に陥っていたのだが、それも回復している。

空に弾き飛ばされたのだということがわかってしまえば、やることは単純である。

京太郎に命令されるまでもなく、京太郎を抱えて空を飛べばいい。

かつては京太郎を抱きかかえて飛ぶことができなかったアンヘルだが、今回は時間の制限がないので、まったく問題がない。

ゆっくりと地面に降りていって、それでおしまいである。

 京太郎の脇に手を入れて、しっかりと翼を羽ばたかせてアンヘルはゆっくりと地上に向けて降りていった。

アンヘルは、京太郎の耳元でこういった。

「マスター、やっと戻ってこれましたよ。現世です。ここは間違いなく現世です。

見てください。太陽が昇ろうとしていますよ」

地平線の向こう側から太陽が昇ってくるのをアンヘルはしっかりと捕らえていた。

そしてアンヘルは世界の匂いをかぎわけていた。

腐ったごみのような匂いも、不自然極まりない世界の匂いもないのだ。いやでもわかる。

そして、気がついたからには、伝えなくてはならないだろう。

アンヘル自身が望んだ、目的の達成の喜び。そして京太郎の冒険の成功を。

アンヘルの近くには気絶から回復した人形がふわふわと飛んでいた。

 人形は

「やったー!」

といって叫んでいる。

昇ってくる太陽をしっかりと受けることができたのがうれしいのだ。

現世の暖かい太陽の光を受けて、やっと戻ってくることができたとわかった。

それがどうにもうれしいのだ。

特に、ひどい状況でごみの山に捨てられていたのだから、はしゃぐのもしょうがないことだ。


308: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 05:34:07.11 ID:/tQpYDqJ0

 十字が二つ重なっている交差点に京太郎と荷物を抱えたアンヘルがゆっくりと舞い降りていった。

ここに降りてきたのは、近くにある商店街だとか住宅街が立っているのが見えたからである。

どこに下りるのも可能だろう。商店街に下りてもいいし、住宅街に下りてもいい。

しかし人に見られると面倒だとアンヘルは考えたのだ。

このご時勢に、羽の生えた人間が空から降ってくるなどというのはちょっと面倒くさいことになりかねない。

朝の早い時間であるから、まだ人気が少ないのが幸いであるということで、交差点に降りていくことにしたのだ。

もちろん人に見られる可能性はある。しかし、商店街だとか住宅地よりはましなのだ。

 地面に足をつけるやいなや、あっという間に京太郎からアンヘルが離れた。

京太郎はいまいち気にしていないが、京太郎にお邪魔虫がついているからである。

ゾウマさんだ。まだ、京太郎の体にゾウマさんが引っ付いている。

これが人形が引っ付いているのなら見逃していただろう。

当然アンヘルだけであったらそのまま引っ付いていたかもしれない。

問題なのはゾウマさんで、はっきり言って敵対者である。

それも先ほどまで戦っていた相手だ。しかも強い。生かしてはおけない。

 アンヘルは弓矢をどこからか取り出して、攻撃の準備をし始めた。

京太郎にしっかりとゾウマさんはしがみついている。アンヘルにゾウマさんは視線を向けるだけだ。

動こうとはしていない。アンヘルは不思議には思っていなかった。

弓矢を余裕を持って構えられるのも、特におかしなことではない。

なぜならサマナーの命令をまだ、ゾウマさんは守っているからである。

次の命令がなければ動かない。造魔というのはそういう生き物だ。

それがアンヘルにもわかっているので、ここで余裕を持った行動を取れるのだ。アンヘルはこう思っている。

「死ぬまで、そうしていなさい」と。

 ゾウマさんを射殺しようとしているアンヘルと、京太郎の目が合った。

京太郎とアンヘルのマグネタイトの供給ラインが微妙に揺れたのを京太郎が感じたのだ。

京太郎はそのゆれで、何事が起きたのかと思い、アンヘルに目を向けたのだ。

「なにか、もんだいでもおきたのか」と。

 目でアンヘルを京太郎が制した。京太郎がアンヘルの目的を察したのだ。

 アンヘルが「どうしてです?」とたずねた。

ゾウマさんはアンヘルを見つめている。両腕は京太郎の胴に回ったままだ。

ゾウマさんは京太郎の命を狙った敵である。たとえ敵のサマナーがいないからといって、

油断できるわけではない。主人思いの仲魔は危険を排除しようとして、行動しているのだ。

今この場で、どうして見逃すことがあるのだろうか。

309: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 05:37:56.44 ID:/tQpYDqJ0

 何とか意識をつないでいる京太郎が、短く

「俺と同じだから」

とこたえた。この答えは自分自身を自覚したから出てきたものだ。

殺す意味がないと京太郎は思っている。

かつての自分と、ゾウマさんが同じような生き方をしていることに京太郎は気がついている。

自分の生きる目的を持たず、人に生き方を任せる生き方である。

人任せなのだから、そのものを倒したところで、何が生まれるわけもない。

何せ操られているだけだから。いちいちかまっておく必要もない。

操られているだけのものなのだから、価値もなかろうと。

 京太郎の答えを聞いて、アンヘルの表情が露骨にゆがんだ。

「俺と同じ」というのが耳に入ってしまったからだ。アンヘルは京太郎の答えを少し勘違いしてしまった。

「かつての」と京太郎が伝えられたらよかったのだが、それができなかった。そこまでの力が残っていない。

力が足らず、言葉が足らないものだから、まるでゾウマさんと同じような生き様を京太郎がしているから助けるのだというように聞こえてしまった。


「造魔などとマスターが同じものであるわけがないでしょう?」

という気持ちがアンヘルにわいてきたのである。

 かなり不満ありげなアンヘルを尻目に、人形はこういった。

「少年、やっと現世へと帰還することができたな。本当に運よく、人攫いにさらわれた人たちも取り戻すことができた。

上出来だ。そして、アンヘルも俺も、目的を達することができた。

本当にすばらしいことだ」

アンヘルの表情を見たからだ。人形はこう思った。

「面倒くさい勘違いをしているな」と。

現状で、この勘違いをとくのは面倒くさいことこの上ない。

京太郎が元気なら、訂正していく余裕もあるだろう。

しかし今はその余裕もない。人形は後で訂正しようと考えた。

今はやらなくていい。そしてさっさと京太郎の意識が残っている間に話を先に進めることに決めた。

 人形が暗い口調で、こういった。

「しかし少し問題がある」人形が続けていった。

「できるならばキャリーバッグの中身を確かめたいところだ。しかしできそうにない。

どうにも人攫いがかけた封印が解けそうにないんだ。

中身をしっかりと確かめて、それで、終わりにしたいところなんだが、ちょっと難しそうだ。

呪文とかならば俺たちでどうにかできるが、物理的に封じられている。

俺もアンヘルもそこまで腕力がない。確認は、また後でやることにしよう。まずは、少年の回復が優先だ」

人形はキャリーバッグがしっかりと封印されているのを確認していた。呪文と物理的な封印である。

呪文は簡単に解ける。問題は物理的な封印である。残念なことにアンヘルも人形も金属を破壊するほど力が強くない。

京太郎が復活すれば問題がないのだが、今は無理だろう。
 

310: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 05:41:13.99 ID:/tQpYDqJ0

 もしかしたら、キャリーバッグの中身はまったく求めていたものとは違うという可能性もある。

何せ本当に偶然が重なって手に入ったものである。証拠などというのはひとつもないのだ。

だから確かめたかった。確かめることで京太郎の冒険が報われたのだと伝えたかったのだ。

 そして安心の中で京太郎が体を休められるようにしてやりたかった。

それができないことを、人形は悲しんだのだ。

 そんな時、京太郎にしがみついていたゾウマさんがこういった。

「京太郎さんは、キャリーバッグの封印をときたいのですか?」

命令がなければ動かない造魔であるが、話は聞こえている。

 京太郎は力を絞って答えた。

「はい」

 ゾウマさんが京太郎から少しだけ離れた。

京太郎に絡ませていた腕を放して、京太郎の後ろからキャリーバッグに手を伸ばしていった。

それを見てアンヘルが弓矢を放とうとした。しかし人形がとめた。

ゾウマさんがキャリーバッグに手を触れて、こういった。

「私が、といてあげましょう」

 アンヘルと人形が驚いた。ゾウマさんがマスターの命令もなしに行動したからである。

造魔というのは主人の命令が絶対の悪魔である。

そもそも悪魔というのは契約の関係上、命令されなければ自発的に動くことはない。

特に造魔というのがその傾向が強い。ありえないことがおきたのだ。

稲妻を自在に操る人間が目の前に現れたら誰でも驚くのと同じである。

 金属のひしゃげる音が、交差点に響いた。

ゾウマさんが封印の施されていた部分を、力ずくで引きちぎったからである。

朝の早い時間であるから、やたらと音が響いた。

夜明け前であるから生活の音もなく、車が走る音もない。

遠くから新聞配達でもしているのだろうバイクのエンジン音が聞こえるが、そのくらいのものだ。

夜の闇の中では時計の針がうるさく聞こえるのと同じ理屈で、やたらと大きな音に捉えられた。

 封印のとかれたキャリーバッグをアンヘルが開いた。

封印を引きちぎったゾウマさんの腕が、再び京太郎の胴に絡みついていったからである。

キャリーバッグを開くところまではやってくれないらしい。

そして今まともに動けるのは、アンヘルくらいのものである。

なのでさっさとアンヘルがキャリーバッグを開いて中身を確かめることになった。

311: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 05:44:18.21 ID:/tQpYDqJ0

 キャリーバッグの中にはたくさんの人形がしまわれていた。

 京太郎が人形たちにふれた。生きているものならば、そこにマグネタイトの脈動があるはずだからだ。

 京太郎のほほを涙が伝った。

キャリーバッグの中にしまわれていた人形たちからマグネタイトの脈動が感じ取れたことではっきりとしたからだ。

京太郎の冒険は無駄ではなかった。

そして、さらわれていた人たちは現世へと帰還することができた。

それがわかったことで、涙があふれたのだ。

達成感から来るものなのか、悲惨な扱いを受けた人たちの無念を感じ取ったのかはわからない。おそらく両方であろう。

 京太郎にゾウマさんがこういった。

「名前のお礼です。京太郎さんしか、呼んでくれませんでしたけど、うれしかったです。

ですから、お礼がしたくて、それで自分で動いてみたんです。喜んでくれますか?」

 何とか力を振り絞って京太郎は

「はい」

と答えた。

 ゾウマさんが微笑んだ。

「そうですか。よかったです。エヘヘ」

 京太郎は少しだけ目を閉じた。

しがみついていた人の体の重さを感じなくなったからだ。

ムドオンの闇はゾウマさんの命も狙っていたのである。

ゾウマさんの姿が消えたところにはドリーカドモンだけが残されている。

 交差点には、京太郎とアンヘルと人形しかいない。


 京太郎の体が、大きくぐらついた。京太郎にはもう、何の問題も残っていない。

今の今まで京太郎が動いていられたのは、「まだやりきっていない」という意識があったからに他ならない。

それは心ひとつでなんとかたもっている状態である。今の京太郎に心を支えるものは何もない。

助けたいものを助け、心の空白を見つけ、満ち足りている。

そして冒険の終わりが来たことを完全に理解したことで、心の糸が切れた。

もともと、限界ぎりぎりのラインで動いていたのだ。

当分休ませなければ、京太郎が目を覚ますことはないだろう。

京太郎に残されているエネルギーはもうない。

312: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 05:48:16.82 ID:/tQpYDqJ0

京太郎が意識を失うとすぐ、仲魔たちはこの場から逃げ出す態勢に入った。

京太郎のわきの下に手を伸ばして、アンヘルが空に飛び立つ準備をし始め、人形は周囲を警戒している。

大きなマグネタイトを保有している存在が近づいているのを感じ取ったのだ。

ただの人間が表れるくらいなら問題はない。

翼を隠し、普通の人形のまねをするだけで終わりだ。

しかし巨大な力を持つものが現れるのならば、話は変わる。

人攫いの仲間か、もしくはまったく別物なのか。正確に、何物なのかはわからない。

ただ、敵かもしれない。だったとしたら、逃げなくてはならないだろう。

仲魔たちがキャリーバッグに目もくれていないのは、京太郎を助けることが一番であって、人形に変えられた人たちのことは二番目であるからだ。

京太郎は怒るだろうが、優先順位は変わらない。

 交差点に、黒猫を連れた老人が現れた。黒猫が鳴いた。

京太郎を守る仲魔の姿を確認したからである。

普通、悪魔というのは契約した人間が、気絶するとそのままにしておくことが多い。

というのが、サマナーと悪魔の関係というのが割合、冷えていることが多いからだ。

報酬があるから付き合っているだけの関係である。しかし時々、サマナーを守る悪魔というのがいる。

大体そういうものたちは、主を守るために限界ぎりぎりの力を見せて、面倒くさい戦いを繰り広げることが多い。

何せサマナーを大切だと思っているのだ。守るため必死にもなる。で、黒猫はそれを避けたかったのだ。

「お前たちとやるつもりはない」

そう伝えるため、攻撃を仕掛けずに、あえておしえるように声を出したのだ。

 アンヘルと人形、そして老人には、猫の鳴き声はこのように聞こえている。

「どうやらあの少年に、先を越されたようだ。

年はとりたくないものだな、ライドウ。それに、どうやらとんでもない冒険をしてきたらしい。

普通の人間だったはずなのに、一晩でとんでもない存在になってしまっている。どうしたものか」

 アンヘルが翼を広げた。黒猫の「ライドウ」という言葉を聞いたからである。

京太郎たちが何か悪さをしたということはない。しかしアンヘルと人形の状況というのは、あまりよろしいものではない。

少なくとも黒猫に京太郎の状況を見抜かれているのだ。

自分たちが何者かというのもばれていると考えるのが普通であろう。

そしてライドウの性格を知らない以上、このままおとなしくしているというのはよろしくないのだ。

早い話が、警察官だとかの前に、黒に近いグレーゾーンの行動をとった人間がいるようなものである。

ライドウでよかったとは思えない。おそらく逃げても無駄だろうが、努力はするつもりなのだ。



313: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 05:50:03.39 ID:/tQpYDqJ0

 老人が手でアンヘルを制してこういった。アンヘルも人形もさっぱり話をする準備がない様子を見たからである。

「落ち着きなさい。君たちに危害を加えるつもりはない。

私は、一度その少年と出会っている。

だから、なんとなく何が起きたのかというのも推測することができている。

まったく君たちが知るところではないから、信用してもらえるかはわからない。

しかしその少年の性根が正しいことはよく承知しているのだ。

何せ心を覗かせてもらったからな」

 そして続けてこういった。

「名乗るのが遅くなって申し訳ない。私の名前は葛葉ライドウ。

君たちのマスターと同じ目的を持って、動いていたサマナーだ。

信用してもらいたいのだが、どうしたら信じてもらえるだろうか。

とりあえず、救急車をよぼうと思っているのだがどうだろう?

 それで一応、信用してもらえるかな? 携帯電話は持っていないだろう?」


 この出会いから十分後、救急車が交差点に到着した。老人が、電話をかけたのだ。


そのとき、救急車にはおかしな格好をした女性と老人が一緒に乗り合わせることになったのだが、警察はそのことを知らない。

314: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 05:53:29.79 ID:/tQpYDqJ0

 目を覚ました京太郎は、自分の周りをきょろきょろと見渡していた。

目を覚ましたとき、見慣れない天井をはじめに見ることになったからである。

もしも見慣れた自分の部屋の天井であったのならば、自分が今まで歩いてきた旅路というのは夢だったのではないかと思うところである。

しかし、目が覚めてみるとまったく知らない天井が入ってきたので、

「やはり、あの冒険は夢ではなかった。しかし何があった。俺は今どこにいる?」

という気持ちになったのである。しかし自分の近くに何か証明してくれそうなものというのがない。

それで何か証明してくれるものはないかと探したのである。

 自分の状況を確認しているときに京太郎は笑ってしまった。

というのが自分の体というのが元気なのにもかかわらず、包帯が巻かれていたからである。

まったく体に痛みなどないというのに、どうしてこんな状況なのかがさっぱりわからなかった。

そしていよいよ、夢を見ていたのではないかという気持ちが強くなってしまう。

何せ、本当にそれっぽいからだ。それで笑ってしまった。

あの冒険は嘘だったのではないかと。自分は長い夢を現実と勘違いしていたのではないかと。

 しかし京太郎の表情に、迷いというのは少なかった。窓ガラスに映った自分の姿を見たからである。

窓ガラスには、髪の色が変化した自分の姿が映っていた。元は金髪だったのが、今では灰色である。

何がどうしてこうなったのかというのは京太郎にはわからなかった。

しかし、これは何かのしるしであるというのはうすうす察することができる。

もちろん完全な証明にはならないだろう。しかし間違いなく何かがあったという証拠ではある。


そのため、まったく疑わないということもないけれども、完全に夢を見ていたということでもないだろうと算段をつけることができたのだ。
 
 どういう状況なのかいまいちわからないというところで、京太郎の両親が現れた。

両親は京太郎が動き回る音を聞いて駆けつけたのだ。

 京太郎が目覚めているのを確認して、両親は涙を流していた。

医者から「目覚めないかもしれない」という話を聞いていたのだ。

もしかしたら永遠に眠ったままかもしれない。それが目を覚ましたのである。うれしいことだ。

 京太郎は自分の身に何が起きたのかを聞いてみた。身の回りを見ての結果である。

何かいろいろとあったのだろうというのが予想がつく。しかしどうにも細かいところがわからない。ではどうするか。

「きいてみればいいじゃないか」

という判断である。

 両親の話を聞いて京太郎は呆然としてしまった。

自分が車にはねられて、そして今までずっと眠っていたというような話をしたからだ。

ということはつまり、今までの冒険というのは夢だったということになる。

悪夢のような冒険であったけれども、本当に悪夢であったとしたらそれはそれで困るのだ。

何がどう困るということはない。しかし、いろいろと失ってしまうような気がしてしまう。

315: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 05:56:55.46 ID:/tQpYDqJ0

 いよいよ、自分の冒険を京太郎が疑い始めたとき、「見知らぬ男子高校生」を引き連れて京太郎の友達が現れた。

京太郎が目覚めたと両親が連絡を取ったのだ。

すぐに姿を見せられたのは、見舞いに来てくれていたからである。

京太郎に人探しを頼んだ友達は目覚めない京太郎を心配して、ずっと通いつめていたのだ。

そしてやっと目覚めたということを聞いて、自分のお願いを聞いてくれた京太郎にお礼を言うために、病室に入ってきた。

 見たことのない顔の男子生徒というのも、同じように京太郎にお礼を言うために現れたのである。

「見つけてくれてありがとう」と

 京太郎は笑った。さらわれた人の姿をはっきりと見ることができたからだ。

そしてあの冒険は間違いないもので、そして、自分の願いはしっかりとかなったのだと。

 そうしていると、見知らぬ老人が病室に現れた。

ナースコールで動き出した病院関係者のあわてようから、老人は京太郎が目覚めたことを推測している。

老人もまた、京太郎に話したいことがあったのだ。

 老人が現れたとき両親が説明をしてくれた。

誰なのかさっぱりわからないというような顔を京太郎がしていたからだ。

ちょっと失礼な表情だったように両親には見えていた。だから説明をしたのだ、京太郎を見つけてくれた人だと。

この人がいなかったら、京太郎は、死んでしまっていただろうと。
 
 京太郎は老人にお礼を言った。

「ありがとうございます。あなたが助けてくれなかったら、俺は生きていられなかった。

友人も、あなたなのおかげでしょうか。もしそうなら、そのことについてもお礼をいいます」

 老人はうなずいた。

「察っしのとおりだ。交差点で君を見つけ、君が見つけた友人も私が助けた。

よく、見つけられたね。感心するよ。

そして最後まで、あきらめずに立ち向かった君の友人も」

 京太郎は老人にたずねた。

「失礼ですが、お名前を教えてください。俺は、須賀京太郎。いつまでも恩人の名前を知らないままではいられません」

 老人は答えた。

「私の名前は葛葉ライドウ。隠居だよ。昔は探偵をやっていた。

退院できたら私の友人に紹介したいとおもう。事故で傷ついた心を癒すことができる人物が知り合いにいるのだ。

気晴らしを用意しよう。京太郎君さえよければの話だがね」

 京太郎は老人に答えた。

「もちろん、ありがとうございます」

316: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 06:00:30.28 ID:/tQpYDqJ0

それからさらに数日間、穏やかに京太郎は過ごした。両親も病院も

「元気だから大丈夫だ」

といってもきいてくれなかったのだ。

数日にわたって目を覚まさなかった人間が、いくら元気であるといってもきいてもらえるわけがない。

もしかした何かちょっとした衝撃で動けなくなるかもしれないという可能性もなくはない。

特に事故の衝撃で意識が戻らなかった患者が言う大丈夫などというのを信じるものがいるだろうか。

「大丈夫だといわれてわかりました。などというものがいるか?」

と、そんな気持ちが両親や病院にはあるのだ。

 元気なのはよかったのだが、京太郎の表情は暗かった。仲魔たちの姿が一度も確認できていないからである。

冒険が嘘のないものであるというのならば、当然だが、自分の仲魔立ちも存在しているということである。

しかし数日の間、まったく仲魔たちは京太郎の前に姿を現してくれなかった。

京太郎はそれがどうにも不安でしょうがなかった。

もしかしたら何か意識を失っている間に、面倒なことに巻き込まれてしまったのではないかと。

特に、人攫いなどをしているような相手にけんかを売っていたのだ。

もしかしたら追っ手に倒されたということもありうる。それがどうにも心を締め付けるのだ。

 気持ちが暗くなった京太郎は病院の中庭で黒猫と遊ぶようになっていた。

中庭にいる黒猫がかまってくれるからだ。

かまっているといっても黒猫が本当にかまってくれているのかというのはわからない。

黒猫が人の言葉を話すということはない。そもそも鳴きもしなかった。

しかし、猫じゃらしを目の前で振ってみると決まって猫じゃらしに飛びついてくれるのだ。

これが心を軽くしてくれる。

ただでさえ気分が落ちているところであるからこういうちょっとした癒しというのが必要だったのだ。

しかし猫じゃらしで遊び終わると黒猫は肩を落としてがっくりとする。

なので、もしかしたら遊びたくないのかもしれない。


 やっと退院が許されたとき、京太郎をライドウがたずねてきた。

退院の準備をするためにいろいろと京太郎が作業をしているところだった。

両親は手続きのために病室を離れていた。ライドウは京太郎に

「君に合わせたい人たちがいる」

といった。

 ライドウの後ろから女性が二人、病室に入ってきた。

一人は、金髪の女性。京太郎よりも頭ひとつ分、背が低い。

もう一人は髪の長い女性。金髪の女性よりもさらに身長が低かった。

二人とも同じワンピースを着ていた。金髪の女性が、ライドウを押しのけて一歩前に出た。

そして京太郎にこういった。

「おひさしぶりです、マスター。私のこと、わかりますか?」

317: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 06:04:55.52 ID:/tQpYDqJ0

京太郎は

「もちろん」

といった。

「俺の頼れる仲魔、アンヘルだ。でもどうした?

 エンジェルの正装もブラウニーたちからプレゼントされた着物も着ていない。趣味が変わったのか?」

 そういうとアンヘルは頭をかきながら答えた。

「実を言うと正装で参上しようと思ったんですが、ライドウさんたちに止められてしまいました。

リュウモンブチのメイドさんは、ほめてくれたんですけれどね。

ちなみにこのワンピースは、クズノハのサポーターの方からいただきました」

 京太郎が、ライドウに視線を向けた。ライドウはうなずいた。

ライドウのセンスが正常であることに京太郎は感謝した。

ライドウがとめてくれなければ、京太郎は社会的に死ぬところだったらしい。

京太郎はアンヘルにこういった。

「ワンピースも似合ってるよ。そっちのほうが、なじみやすいだろう」

 アンヘルは、「そうですか。ちょっと残念です」といって何度かうなずいた。

どうやらまだ、こだわっているらしい。

 それから、自分の背中に隠れている女性を京太郎の前に引っ張り出した。そして

「では、この人が誰だか、わかりますか?」

といった。

 京太郎は、「もちろん」といった。

「俺の初めての仲魔だ。だが、どうした? 何だが、でかくなっているじゃないか?」

見た目はがらりと変わっているけれども、京太郎には自分の仲魔とのつながりがはっきりと感じられている。

人形の姿からがらりとかわっても、マグネタイトのつながりは切れたりしない。

冒険の中で生まれたつながりは、しっかりとまだ残っている。

 京太郎がこのように答えると、こそこそしていた黒髪の女性の表情がぱっと明るくなった。

「おぉ! よかった。そうだよな。やっぱりわかるよな。

わからないなんていわれてたら、どうしようかと思ったぞ。

そうだ。俺がお前の初めての仲魔だ。そして、やっと復活を果たしたお前の仲魔だ!」

アンヘルとライドウの表情をみれば、楽勝だろうなどと思っていなかったことがわかるだろう。


 黒髪の女性は、京太郎に手を伸ばした。握手の形である。黒髪の女性がこういった。

「少年。俺は、少年と正式に契約を結びたい。俺は、もう少し少年と一緒にやっていきたいと思っているんだ。

今の契約のままでも問題はない。

しかししっかりと結びたいんだ。やっと元に戻れたからこそ、しっかりと。

そして俺は謝らないといけない。俺はずっと少年に名前が思い出せないといって嘘をついていた。

人形の体では、本当の名前を名乗りたくなかったからだ。

自分勝手な嘘をついていた俺を許してくれるか?」

 黒髪の女性の手を京太郎は握った。

318: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 06:09:01.35 ID:/tQpYDqJ0

京太郎はこのように答えた。

「もちろん」

ちょっとした嘘くらいで、揺らぐような関係ではないと京太郎は思っている。

それに京太郎は、なんとなく嘘をついていることくらいわかっていた。

というより、あれだけいろいろなことを知っているのに、名前だけ都合よく忘れているなどということがあるかという気持ちがあった。

しかしそれはそれでかまわなかった。そして今、正直に告白してくれたのならば、それで十分だった。

 京太郎の答えを聞くと黒髪の女性は微笑んで、自分の名前を名乗った。

「俺の名前は、ソック。泣かない巨人ソックだ。今後ともよろしく。マスター」

 二人はしっかりと握手を交わした。痛みはない。ただの形式的な行動である。しかし大切な行動だった。

 握手をしたまま、京太郎がこういった。

「巨人? 背、低くない?」

 京太郎と比べると、頭二つ分ほど背が低いのだ。巨人という名乗りは正しくないだろう。

 人形改め、ソックがこう答えた。

「昔の時代はこれで大きい部類だったんだよ。それに、今は正装じゃないし」

 そして強く京太郎のてをにぎった。
 
 握手を終えたとき、人形改めソックが京太郎にこういった。

「お友達が迎えに来てくれているぞ。荷物なら、俺たちが運んでおく。

いっておいで。玄関ホール辺りにいたはずだ。あんまり待たせても悪いだろう?

 話したいことはいろいろとあるが、後でいい。時間はあるからな」

 そして京太郎の背中を押した。

 病室の入り口と、ライドウの顔を京太郎は見比べた。

お客さんがきているのに、出て行くのもどうかなという気持ちになったのである。

 ライドウは、

「私のことなら、気にしないでほしい。今日は、君たちを引き合わせるためにここに来たのだから。

いろいろと、ききたいことがあるかもしれないが、時間があるときでいいだろう。

急ぐことでもないだろうから」

といって京太郎を促した。

 京太郎は玄関ホールを目指して歩き出した。友達のところに行くためである。

 玄関ホールの待合でソファにすわる友達の姿を京太郎は見つけた。

その隣には、京太郎が助けたリュウモンブチの生徒も一緒にいる。

学生服で病院の玄関ホールにいたため、非常に目立っていた。

玄関ホールにいる人たちはほとんど私服なのだから。

 友達が京太郎を見つけて手を振った。

 京太郎が手を振り返した。

319: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 06:11:31.37 ID:/tQpYDqJ0

 友達が京太郎にこういった。

「なぁ京太郎、覚えているか?」

 京太郎が答えた。

「なにを?」

 友達はやっぱりという顔をした。

「昼飯だよ。昼飯。一か月分。見つけてくれたらって話をしたやつ。

しっかり用意させてもらうからな。忘れてくれるなよ。受け取ってくれなきゃ困るぜ」

 京太郎は自分の額をたたいた。完全に忘れていたからである。

そういえばそういう話もしていたという気持ちである。

 友達たちと京太郎が話をしていると、両親が京太郎に声をかけてきた。

退院の手続きが済んだのだ。これから帰るから、用意をしなさいということだった。

 このときに、ライドウと一緒にアンヘルとソックが両親の前に姿を現した。ライドウがこういった。

「ご両親、この二人が京太郎君のカウンセリングを担当する葛葉アンヘルと葛葉ソックです。

二人とも優秀な人材ですから、きっと大丈夫ですよ。すぐに心の傷も言えるでしょう」

 京太郎は仲魔二人に目を向けた。ライドウの話をきいてどういうことになっているのかさっぱり理解できなかったのだ。

 京太郎が見ていることに気がついた二人は、あさってのほうを向いた。京太郎の目が

「お前ら、大切なことを話していないな?」

という目をしていたからである。大切な話を勝手に進めたことを、とがめられたくないのだ。


 両親は、何度もライドウに頭を下げていた。ライドウが専門家を連れてきてくれたからだ。

それが本当に専門家なのかという問題はある。しかし、間違いなく両親の心の救いにはなる。

いきなり家族が事故にあい、数日眠ったまま。目覚めたのはいいが、精神的な問題で、髪の毛の色が変わっている。

しかも心に傷がついたせいだといわれる。困った問題だらけだ。

そんなときに、助けてくれる人がいるというのはうれしいことだ。

 両親は先に病院から出て行った。ライドウとのお辞儀合戦が終わったからだ。

大人の付き合いが終わったのなら、次にすることは決まっている。家に帰るだけだ。

病院から家までの道はそこそこ遠いので、車が必要だ。

そのため、ちょっと京太郎を置いておいて、車を取りにむかったのだ。

320: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 06:14:55.55 ID:/tQpYDqJ0

 いったんアンヘルとソックと京太郎は分かれることになった。ソックがこういったからだ。

「今は家族団らんを楽しんでおいてくれ。俺たちがいきなり押しかけたら困るだろうからな。

世間体もあるだろう? 後でカウンセラーとして、接触するよ」

いろいろと京太郎にはわからないことがある。しかし突っ込まなかった。

事後報告になるのがわかっているからだ。もう動き出しているのなら、後で説明をしてもらえばいいという気持ちである。

 京太郎は、荷物を持って、病院から出た。玄関前に両親の車が到着したからだ。


 病院から出たとき、京太郎はめまいがした。

空が青すぎた。

病院の薄暗いところから、急に明るいところに出てきたことで、ふらついてしまったのである。

 しかし京太郎はさわやかな表情であった。

いやなにおいも、曇った空もない。とてもいい世界だったからである。


 
 京太郎が病院から出て行ってから、ライドウとソックが話をし始めた。

ライドウが、こういった。

「これで君たちとの取引は完了だ。

君たちが黒幕の情報を提供し、私たちが情報に対して、戸籍と仮の住居を提供する」

そしてソックがこう返した。

「あぁ、助かったよ。昔ならいざ知らず、現代だとどうしても戸籍が必要になるからな。

あんたらと接触できてよかったと思うよ。

細かい配慮までしてもらって助かった。

後のことは我がマスターと話し合って決めさせてもらおう。

一応、クズノハに対してひいきするように話しをするつもりだ。

ただ、もう少し落ち着いてからだな。

いろいろと面倒な話しもしなくてはならないし」

 アンヘルにソックが合図を出した。問題はもう片付いたからだ。

これ以上ライドウと話をする必要はない。

世間話でもしたらいいような関係であったのならば、話もまだ続くだろう。

しかし彼らというのは仲良しな関係ではないのだ。

たまたま利害関係が一致して、うまい具合に話が進んだだけというだけ。

だから話が終われば、さっさと分かれてしまう。

 アンヘルとソックは病院から出て行った。取引で手に入れた住居がまだ散らかっているからだ。

取引で新しいねぐらを手に入れたのはいいが、生活を営むだけの準備がまだ出来上がっていない。

片付いていたのならもう少し余裕を持って動けるのだが、できていないのだからそうもいっていられない。

ということで二人は新生活に向けて掃除を始めることになる。

321: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 06:18:05.77 ID:/tQpYDqJ0

 病院から二人が出て行った後、ライドウも病院から出た。

会話をする必要がある人物はもう一人も残っていないのだ。

必要もないのに玄関ホールにとどまるのは、ほかの利用者たちの邪魔になるだけである。

京太郎とその仲魔たちを引き合わせることが、ライドウが病院に来た目的なのだ。

目的が済んでしまったら、次に進まなくてはならない。

 病院から出たところで、ライドウに黒猫が近寄ってきた。

やっとライドウが病院から出てきたからである。黒猫がどれだけ行儀よく振舞ったとしても、黒猫は黒猫である。

黒猫が悪いわけではない。犬だとかからすとかでも、黒猫は病院の中には入れなかっただろう。

色の問題でも当然関係ない。少し、不衛生であるからだ。

病院というのはきれいにしておきたい場所である。いくらきれいにしているといっても、やはり獣は獣である。

あまりよろしくない。

 ライドウに向けて黒猫が鳴いた。

「やれやれ、どうにも面倒くさそうなことになりそうだな。

今回の事件もそうだが、まさか新しい魔人が生まれるとは。

一応、あの少年の情報は外に出ないように計らっておいたが、おそらく長くは抑えられないだろう。

何せあの少年が助けた者たちは有力者たちの家族、もしくはそれに近いものたちばかりだ。

情報を管理する立場の者、もしくはさらにその上にいるような者たちが興味を持てば、今回の事件の真相にたどり着けないわけがない。

自分の大切なものを助けてくれた人間がいるということを知れば、間違いなく探すだろうからな。

 それにリュウモンブチは少年のことをはっきりと捉えている。

情報はいやでも漏れるだろう。そして早いうちに、動き出す。

勢力に加えるのか、それともただの興味で行うのかは、わからないがな」

 ライドウは黒猫にこういった。

「だろうな。まぁ、どうしようもないことだ。

京太郎君がどの道を選ぶのかというのは、私たちが決めることではない。

彼が自分で決めた道をいけばいい。しかしできるのならば、私たちの道と重なっていてほしいところだ」

 黒猫がこういった。

「のんきなことをいう。面倒くさい連中が動き出すのが見えているのに。

ただでさえ大きな事件を抱えているのだ、これ以上の面倒は勘弁してもらいたいぞ。

魔人が生まれたというだけでも大騒ぎになるのに、三体も生まれたのだ。

まったく、どうしたらいいものか」

 病院の前から、老人と黒猫の姿が消えた。次の仕事に向かったのだ。

老人と黒猫はいろいろと面倒な事件を抱えている。

そのためいつまでも同じ場所にとどまっていることはできないのだ。


322: ◆hSU3iHKACOC4 2014/07/12(土) 06:24:18.22 ID:/tQpYDqJ0

 京太郎「操り人形よ、糸を切れ」

 以上です。

 また何か思いついたら、忘れられたころにあげていこうと思っています。