1: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 02:57:21.29 ID:/AJ7ca.o


不規則な風が宵闇の中に吹き荒ぶ。
巨大なコンテナや鉄筋が幼児の玩具のように辺りに散らばっていた。
金網に囲まれたその場所で、少年が二人、陽炎のように揺らめく。


「……面白ェよ…お前」


闇の中にくっきりと浮かび上がる白く繊細な影。
幻想的とすら言える鮮烈な赤い瞳に焦りの色を浮かべて忌々しげに呟く。
その瞳に映る敵。
もう一人の少年は全身に傷を負い、体中から血を流しながらも決して倒れることなく
粉塵の中で己の存在を誇示するように立ちはだかる。
劣勢は明らかに相手の方であるはずなのに、白い少年の顔から焦りが消えることは無かった。


「最っ高に…面白ェぞオマエ!!!」


それは焦りなのか、怒りなのか、それとも少年の知らぬ感情であったのか。
慄く自らの心を欺くように、白い影がか細い腕を振り上げて恐るべき速度で飛び掛る。
しかし、対峙する彼は揺らがない。
人間には到底不可能な動きで襲い来るその腕をかわして、打ち払った。

引用元: ・フレンダ「麦野は今、恋をしているんだね」 



創約 とある魔術の禁書目録 (電撃文庫)
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2: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:00:34.10 ID:/AJ7ca.o


「―――ちィッ!」


白い少年はバランスを崩す。
慌てて踏みとどまるが、もはやそこには何の意味もない。


「歯を食いしばれよ、最強―――」


驚きに見開かれた赤い眼球に映る光景は、容赦なく現実を突きつける。
握られた拳。強い意志を感じるその瞳。
最後の力を振り絞るように、彼は告げた。


「俺の最弱は、ちっとばっか響くぞ」


命の灯を燃やし尽くすように叩きつけられる一撃。
白い少年の頭の中をたった二文字の言葉が支配した。
粉砕の音と共に倒れ伏す二つの体。
少女の叫び声が遠くに聴こえる。


―――その日、ヒーローになるはずだった少年が消えた。

3: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:04:46.93 ID:/AJ7ca.o


―――――


麦野沈利は深々とため息をついて大の字にベッドに倒れこんだ。
ここは彼女の学校の寮の自室。使用感のないキッチンが隣接した12畳ほどの室内は、
クローゼットに入りきらない大量の服やバッグがそこら中に散乱していることを除けば、
少し広いだけのごく普通の女子学生の部屋だ。
数ある『アイテム』の隠れ家に比べればなんということの無い部屋だが、
麦野にとっては数少ない心休まる場所であった。


「はー、疲れたー…」


ふかふかの枕に顔を沈ませながら、思わずそんな言葉が口をついて出る。
時刻は深夜2時。
仕事を終えた彼女は、下っ端の少年、浜面仕上に自宅まで車で送らせ帰宅したところだった。
彼女が所属する学園都市の暗部組織『アイテム』は、学園都市内の不穏分子の抹殺を任務の一つとしている。
今日も、どこかの大学の教授だか理事長だかの殺害を目論んだ組織の構成員を数十人ばかり血祭りにあげてきたところである。
見も知らぬ他人が100人死のうが1兆人死のうが小指の甘皮程にも気にもとめない麦野にとって、
この仕事は天職とも言えると自分でも思っていた。
確かに、美容やファッションに人一倍気を遣っている彼女にとって、連日不規則な睡眠を強いられることには少々の不満もある。
しかし、それ以外に関しては今の生活に概ね満足している麦野だった。


(あー…ダメだ寝ちゃう。お風呂入んないと…)


ベッドに全意識を預けそうになった頃、麦野はヨロヨロと起き上がってジャグジーとミストサウナ付の浴室へと向った。
先ほど、彼女の部屋をごく普通と称したが、訂正しよう。
学園都市第四位のレベル5『原子崩し(メルトダウナー)』である彼女は、それなりに名門と呼ばれる学校に籍を置いているし、
暗部組織での少なくない報酬から、かなり高いレベルの学生寮に部屋を借りていた。
もっとも常盤台の寮に比べれば、これでもまるで普通の部屋のようにしか見えないというのだから、
金というのはつくづく有るところには有るらしい。
などと、どうでもいいことを考えながら砂埃や汗で汚れた服と下着を脱ぎ捨て浴室に入る。
シャワーの栓をひねって熱いお湯を頭からかぶったところでようやくはっきりと意識を覚醒させた。
ふと浴室内の鏡で自らの体を見て、なんとなく『アイテム』の同僚達の顔を思い出した。


4: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:08:11.35 ID:/AJ7ca.o

麦野沈利はモデルのようなルックスをした美人である。
ゆるく巻かれたサラサラの栗色の髪は10日に1回美容院に通って整え、
毎朝1時間かけて丁寧にセットし、夜はトリートメントや枝毛の処理も欠かさない。
休みの日はエステやジムに通ってそのしなやかで女性らしい肉付きの肢体を徹底的に磨き上げ、
寝る前にはストレッチや美顔機に乳液等で肌の調子を整える。
大好物のシャケ弁だけでは足りない栄養は各種サプリメントで補っているし、
栄養が偏らないよう苦手な料理もたまにはこなしている。
女子高生らしくお菓子は大好きだけれども、なんとなく太りそうな気がして手が伸びない日だってあった。
メイクもしっかりやりたいが、肌への影響とまだまだ若さで勝負できることを考え最低限に留めている。
見た目だけのアホだと思われたくないから、新聞やニュースはもちろん、
大して興味もない学園都市の研究論文やら実用書にも目を通すようにしていた。


(人がこんなに努力してるってのにあいつらは)


嫌なことを思い出して頭にカチンとくる。
かつて麦野が『アイテム』のメンバーとして迎え入れられたころ、
暗部組織なのに同世代の女子だけで構成されていることが少し嬉しくて、
学園都市に新しく出来た会員制のスパに3人を誘って行ったことがある。
当時、レベル5であるために受けた数々の実験で報酬を得ていたこともあり、
莫大な貯蓄のあった彼女はそれを自らの体を磨くことに利用していた。
比較的裕福な家庭で育ったことや、そうした背景から、自分の容姿にそこそこの自信とプライドを麦野はもっていた。
だがしかし、特に他意無く誘った3人の体を見て、彼女は生まれて初めての挫折を味わったのだ。
容姿がどう見ても小学生の少女、絹旗最愛は、痩せっぽちだがその見た目通り珠のお肌だし、
欧米人のフレンダは持って生まれたものの違いか、肌は白いし輝くような金髪はふわっふわっのサラサラ。
滝壺理后に至っては、真っ黒な髪も適当に切り落としたようにしか見えないし、ジャージかTシャツしか見たことのない
くらいお洒落には無頓着。そのくせ何が作用しているのかやたら綺麗な肌と可愛らしい容姿をしていた。


(ま、胸は余裕で勝ってるけど…なんかムカツいてきた…。明日浜面はドリンクバー水だけね)


それは能力開発を受けてからずっとレベル5だった麦野にとっては、今まで他人に与え続けてきた劣等感と、
自らの努力を軽々と超えていかれることへの絶望感を同時に叩きつけられた初めての経験であった。
一緒にするなという批判を受けそうだが、とにかく彼女にはそれくらいの衝撃だったのだ。
結局、生まれて初めて買ったコンビニ弁当をヤケ食いして5キロ太ったところで、
腐っててもしょうがないと今まで通り努力し続けることを選んだ。
そのあたりは、やはり学園都市第四位に君臨し続ける者としてのプライドが大いに関与しているのだが、
そのことに彼女はいまいち気がついていない。
余談ではあるが、大好物のシャケ弁と運命の出会いを果たしたのはその時である。

5: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:10:59.84 ID:/AJ7ca.o


(あれ、浜面と言えば…)


シャワーを止めて愛用のスポンジをボディソープに伸ばしたとき、ふと麦野の頭の中をある考えが過ぎった。
本当にどうしてこんなことを考えたのかわからない。
彼女の日常において瑣末過ぎるにも程がある事柄だった。


(あいつ、どこに住んでるんだろ)



―――――



(ま、ふつーに考えりゃどっかに部屋借りてるよね)


シャワーもそこそこに、浴室を出た麦野は寝巻きのジャージに着替え、
帰ってきてから床に転がしていたままの携帯電話を手にとってベッドに腰掛けた。
携帯の電話帳に彼の名前を表示する。
無能力者集団『スキルアウト』の元リーダーだった茶髪で大柄の不良少年、浜面仕上は、
今は『アイテム』の下っ端雑用係となっている。
免許証の偽造から車や扉のピッキングに、運転センスまで、スキルアウト時代に培った能力を麦野は
(絶対に口には出さないが)それなりには評価しているつもりだった。
学校に通っていない彼が、この学園都市の何処に拠点を置いているのかが何となく気にかかったのだ。
一見アホなチンピラにしか見えないが、実は本当にアホなチンピラのどうしようもない浜面でも、
一応このチームにとってそれなりに利用価値のある奴だ。
さすがに路上生活をしているとは思えないが、彼がどこで生活しているのか、
仕事に支障が出ないようリーダーとしてきっちりと認識しておかなくてはいけない。
なんとなく電話をかける気まずさから、自分に言い聞かせるようにそう頷く。
浜面は全員を車で送り届けてから帰路につくはずなので、家が遠くの学区にあればまだ着いていないかもしれない。
電話をかけるかどうか迷ったが、なんで自分が浜面如きに気を遣わなければならないのかと、
勢いよく発信ボタンを押して電話を鳴らした。

6: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:13:19.75 ID:/AJ7ca.o

1コール


(スキルアウト時代の仲間の家とかもありえるな)


2コール


(それか恋人とか…いやいやあいつにソレはないか)


3コール


(車で生活してるのも有り得るなー。一番それっぽい)


4コー…ガチャッ


(何やってんだあのバカっ。早く出ろっての…)イライライラ


『おう、どした麦野?』
「ひゃっ!」
『ん?』


コール中、色々と思考を巡らせていたため、咄嗟に変な声をあげてしまう麦野。
口元を押さえ「何焦ってんだ私は」と一呼吸おいて応える。


「いやちょっと気になることがあって。アンタ今何してんの?」
『今か?えっと…飯食ってるよ』


一瞬言い淀んだのを麦野は見逃さなかった。浜面のくせに何か隠してやがる。
大人しく答えていれば気にも留めなかっただろうが、ちょっとした綻びや気がかりが許せない
神経質な完璧主義者の麦野にとって、下っ端の浜面ごときが自分に隠し事をするのが大層気に障り、
やや語気を強めて詰問する。

7: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:15:19.45 ID:/AJ7ca.o

「ふぅん、こんな時間にねぇ。そういやアンタってどこ住んでるんだっけ?つか今どこなのよ?」
『え、あー、第七学区に部屋借りてるからそこ住んでるけど。お前ん家結構近いぞ?』
「うん、で?」
『あ?』


何か分からないが、浜面はどうも今どこで何をしているのかを聞かれたくないらしい。
妙な焦りの見える彼の言葉に麦野も徐々に苛立ちを積もらせていった。


「だーかーらー。今アンタはどこにいんのかって訊いてんのよはーまづらァ」
『お、おう!だからっ!俺は自分のへ…はまづら、電話誰から?ご飯冷めちゃうよ?』


麦野の瞳が大きく見開かれた。割り込むように電話の向こうに聴こえた声。
聴き間違えるはずなどない。
それは毎日耳にしている声。
滝壺理后の声だった。

8: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:17:48.35 ID:/AJ7ca.o

―――――


(あー…!ムカツク!ムカツクムカツク…!)


麦野は朝から恐ろしく不機嫌だった。
結局、昨日はあれから「そう」とだけ応えて電話を切り、正体不明のイライラに襲われて寝付きは悪く、
寝起きも最悪に不快だったのだ。
こういう日は朝からロクな目にあわない。
朝の星座占いは最下位で、化粧のノリもなんだか悪いし、湿度が高いせいか髪も上手くまとまらない。
せめて気分を変えようとお気に入りのピンクのワンピースを着て部屋を出たら、数分で雨が降ってきた。
時刻は間もなく正午。
わざわざ取りに戻った傘を差しながらいつものファミレスに向かう。
今から昨夜の仕事内容についての反省会兼昼食だ。
鬼のような目つきで歩いている麦野は、すれ違う人々が目を逸らして避けていくのにも気付かず
ただ昨夜の滝壺の声を思い出していた。


(なんなのあいつら。っていうか浜面。滝壺がいるならいるって言えよバカ面ァッ!
 なんで隠す!っつかなんで私があんな奴のことでこんなイライラしなくちゃいけないのよ。
 あーもうっ腹立つ~!)


麦野は段々、というより初めから、何に対してイラついているのか自分でも分かっていなかった。

―――滝壺と浜面があんな時間に一緒にいたから?

(なんで?あいつらがプライベートで何をしていようと私には関係ない)

―――浜面が滝壺と一緒にいることを私に隠していたから?

(なんで?浜面だってアホな無能力者だけど人間だ。言いたくないことだってあるでしょ。
 ●●本隠すみたいなしょうもない隠し事の一つじゃない…)

9: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:19:49.56 ID:/AJ7ca.o

グルグルと頭の中を色々な仮定が浮かんでは消えていく。


(だからなんで隠すのよ!なんかやましいことでもあるわけ?!)


あーもう!となんとかセットしたばかりの髪をくしゃくしゃとかき乱して、麦野はファミレスの前に到着した。
ポケットから携帯を取り出して画面を見る。
朝起きると浜面から

『 昨日は悪い!ちゃんと説明するから!』

という文面でメールが届いていた。


(ふん、まあどんな言葉を吐くか、楽しみにしといたげる)


とそのとき、眉間に皴を寄せて携帯を睨みつけていた麦野の背後から、声が投げかけられた。


「おはよー!麦野ー!結局昨日帰ったら即寝でさー、って麦野どしたの?」


振り返ると、そこには金髪にいつもの制服姿に紺色のベレー帽をかぶった欧米人、フレンダが笑顔で佇んでいた。


「なんだ、フレンダか。おはよ」
「え、なんだって、何が?」


麦野の冷たい微笑に、フレンダはキョトンとした様子で首を傾げる。

10: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:22:20.71 ID:/AJ7ca.o

「別に。今日は浜面のドリンクバー往復距離でフルマラソン超えてやろうと思ってただけだよ」
「それいい考え。でも結局それ飲むの私らって訳じゃないよねー?」
「ばかね、冗談よ」


キャッキャッと笑うフレンダと連れ添って、麦野はファミレスのいつもの窓際6人掛けのテーブル席に向かう。
ウェイトレスも毎日のようにやってくる傍若無人な客の顔を覚えているのか、店に入るなりすぐに案内してくれた。


「あっ、麦野、フレンダ、おはようございます」


席には既に絹旗最愛の姿があった。裾丈の短いウールのワンピースに身を包んだ小さな体が大きなシートに収まり、
足をブラブラさせてメニューを眺めている姿は麦野でさえ不覚にも「可愛いかも」と思ってしまう。


「も、超眠いです。昨日ご飯も食べずに寝ましたから超お腹減りました」
「私もだよ。じゃーん、今日は新作のラムレーズン鯖缶といつものフツーのやつ」


言いながら、好物の鯖の缶詰を二つゴトリとテーブルに取り出すフレンダ。


「げっ、なんでそんなの買うかな」
「わかってないなー麦野。結局、冒険心を忘れたら終わりって訳よ」
「だったら保険かけて普通のも買ってんじゃないわよ」


確かにー、と笑う絹旗と鯖缶のロマンについて語りだすフレンダを見ていると、多少気が楽になったと麦野は気付く。
ここに来るまで原子力発電所に向けて『原子崩し』の電子線をぶち込みたくなるくらいの最悪の気分だったが、
なんだ、全然私大丈夫じゃん、と先ほどまでのイライラも幾分陰を潜めていた。
そう、次の一言までは。

11: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:24:58.02 ID:/AJ7ca.o

「あれ、そう言えば麦野、今日はいつものシャケ弁は?」
「へっ?」


何気なく放たれたフレンダの言葉に、麦野は虚を突かれたように呆けた声を出した。


「む、麦野がお昼のシャケ弁を忘れるなんて…これは学園都市も超崩壊の始まりかもしれませんね」


毎朝このファミレスに行く前に途中のコンビニに寄り、お気に入りのシャケ弁を買うのが彼女の日課だった。
それを今日は忘れるどころか頭の片隅にさえなかったという事実が、麦野が自分で思っている以上に
動揺していることを気付かせる。
ギリリと奥歯を噛んだ麦野を見て、絹旗とフレンダも何か雲行きが怪しくなってきたと慌ただしくメニューを広げ始めた。


「ま、まぁそういう日もあるよね!け、結局私も今日はミラノ風ドリアとか食べたくなってきた訳よっ!」


地雷を踏んだフレンダは上ずった声で逆さまのメニューに目を走らせている。


「そう!そうですよね!そ、それにしても浜面と滝壺さんは超遅いですねー、何してるのかなぁもう」


超困ったもんですねーあははと乾いた笑いを漏らす絹旗のその言葉が麦野に追い討ちをかける。
落ち着こうとウェイトレスの運んできたお冷に手を伸ばした麦野が、絹旗のその言葉でグラスにバッキィ!とヒビを入れた。


「「ひぃっ!!」」


二人の目にはとうとう涙が浮かんだ。
麦野の背後に見えるどす黒く歪んだオーラに、何事かと駆け寄ってきたウェイトレスも半歩後ずさる。
とそのとき。


「わりぃわりぃ、寝坊しちまった。待たせた…か…?」
「この超浜面!こんな時にっっ!」


そう。
絹旗もフレンダももちろん知らないが、事の元凶、浜面仕上その人が小走りでやってきてしまったのである。
寝ぼけ眼の滝壺理后を横に引き連れて。

12: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:26:17.38 ID:/AJ7ca.o

―――――


なんだこの状況は、とフレンダは絹旗と二人でドリンクバーに避難してきたところだった。
滝壺と連れ添って現れたバカ面の浜面と、今にもビームを発射せんばかりにピリピリしている麦野。
滝壺はまあいつも通りだが、何はともあれ全員ぶんのドリンクを入れ終えてしまい、
今からあの地獄に帰還するのかと生唾を飲み込む。


「結局、なんでこんなことになってんの?」
「私に聞かれても超分かりませんよ。でもどうせ浜面がいつもの超浜面をやらかしたんじゃないんですか?」
「浜面ェ…麦野もなんか怖いし、戻りたくないなぁ」
「超同感です。もうこのまま帰っちゃ駄目ですかね?」
「いやー、それはそれで後が怖い訳よ」


面白そうだけど被害の及ばないところで観戦したい、と頭を抱えるフレンダ。
いい加減助けを求める浜面の視線がウザくなったので、絹旗と顔を見合わせて大きく頷く。
ラストダンジョンに向う勇者一行のような面持ちで、フレンダは大魔王麦野の待つ席へと歩を進めるのだった。


13: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:28:36.05 ID:/AJ7ca.o

―――――


浜面が滝壺と一緒に現れたとき、麦野は怒りを特に感じなかった。
それよりも、胸を内側からチクチクと刺す痛みのほうに意識が向いたからだ。
滝壺と隣同士で座る浜面。その姿を見ていると胸の中の痛みがわずかに増していく気がする。


「えーと、飲み物超持ってきましたけど…」
「お、おう、ありがとよ絹旗」


飲み物をもってドリンクバーから帰ってきたフレンダと絹旗が、それぞれにグラスを渡して席に着く。


「ま、結局浜面はコンソメスープだけどね」
「ブボォッ!」


空気に耐え切れなくなったのか、真っ先にグラスに口をつけた浜面は、フレンダのその言葉と同時にスープをぶちまけた。


「スープバーをグラスにいれるんじゃねえ!!」
「どう見てもスープなのにちゃんと口に含んでリアクションをとる、そんなはまづらを私は応援してる」


メロンソーダを啜りながら滝壺が言う。
いや飲むまで気づかなかったという浜面にストローを差し出した。
それで俺にどうしろってんだと浜面はげんなりしている。
そんな二人の和気藹々とした様子を見て、麦野は突如口を開いた。


「でさ、いつ説明してくれんのかにゃーん?浜面クゥゥン?」


わずかに和み始めた空気を一瞬にして永久凍土に押し戻す一言。
口調はおどけているが目はまるで笑っていない。

14: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:30:54.16 ID:/AJ7ca.o

「あ、あのー何のことですか?」


恐る恐る絹旗が挙手して尋ねる。


「さぁね、コイツが説明してくれんじゃないかなー」


絹旗をチラリとも見ずに絶対零度の視線のままそう言う麦野。
浜面は麦野が何をそんなに怒ってるのか分からないと言いたげに、冷や汗を流している。


「も、もしかして麦野サン、昨日の電話のこと怒ってらっしゃいますの…?」


どもっておかしな口調になりながら浜面が恐る恐る尋ねる。


「べっつにー。浜面が深夜3時に滝壺の家でご飯食べてたことも、それをどういうわけか私に隠そうとしていたことも、
 これっっっっっっっっっっっっっぽっちも!怒ってなんかいないわよ?」


フレンダと絹旗の頭の上に?マークが浮かんでいるのも無視して、麦野は井戸の底から響くような声で応えた。


「って、えぇ!?麦野それマジ!?」
「超どういうことですか浜面!滝壺さん!超大丈夫だったんですか!?
 こんな北京原人級脳みその超雄、超野生浜面なんか家の中に超招きいれるなんて!
 巨人グッズに身を固めて阪神スタンドに座るくらい超危険ですよ」


麦野の発言に身を乗り出して浜面と滝壺に詰め寄る二人。
浜面はあたふたしているが、滝壺は特に反応を見せるわけでもなく、メロンソーダを飲みながらぼんやりと頷く。


「大丈夫だよ。はまづら家に帰ってもご飯ないって言うから、作ってあげただけだから」

15: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:34:08.69 ID:/AJ7ca.o

その言葉に麦野は眉間に皴を寄せる。


「そ、そうなんだよ!最後滝壺送るってなったときにたまたま腹減ったなーって話してて、
 それで、飯食わせてもらってたんだ!」
「じゃなんで隠そうとしたの?」


麦野の追及は止まらない。あからさまに怒気を孕んだ口調に、絹旗とフレンダもビクリと肩を震わせた。


「いや、それは…」


浜面は言うべきか言うまいか迷っている様子だったが、滝壺のほうをチラリと一瞥して頬をポリポリとかきながら
照れくさそうに麦野を見る。
その視線に、麦野は胸の奥がドキリとなる。
この先を聞いていいのか。聞かずに終わらせるという選択肢もあるんじゃないのか。
迷いが生じる麦野の胸の内には気づかず、浜面が言葉を続ける。


「俺みたいなのが部屋に入って、滝壺がお前らに誤解されたら嫌だったからだよ。
 飯食わせてもらってすぐ帰ろうと思ってたし、実際すぐ帰ったから。
 女の部屋に入ったのなんて生まれて初めてだから、なんか恥ずかしくって、言いづらかったのもあるしよ」


は?と絹旗フレンダの二人が呟く。
麦野も怪訝そうに眉を顰めながら、しかし追及を止めることはしない。


「じゃあ今一緒に来たのは?アンタが滝壺の部屋に泊ったからじゃないの?」
「とっ、泊まるぅっ!?ば、バカ言ってんじゃねえ!
 来る途中に会っただけだよ!お前らだってこの辺に住んでんだからよくあることだろ!?」


浜面は顔を真っ赤にしてうろたえる。
何想像してんだこのバカと思いながら、麦野はその答えを聞いて自分の中の怒りや色々な感情が
どこかに吹っ飛んでいることに気がついた。
確かに浜面の言い分は一応筋が通っている。
まあ嘘をつこうと思えばいくらでもどうにでもなりそうだが、この様子を見る限りその線は薄そうだ。
そこでようやく張り詰めた糸を緩めるように、麦野は一つ息を吐いてやれやれと首を振った。

16: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:35:50.95 ID:/AJ7ca.o

「アホくさ」
「あぁ?」


恐る恐る浜面が麦野の顔を覗き込む。


「どうせそんなことだろうと思ったわよ。●●野朗の浜面に滝壺をどうこうする勇気なんてないよね」
「麦野お前なんてことを!」


くっだらないと笑う麦野の表情を見て、絹旗もフレンダもようやく安堵したらしく、ほっと息を吐いて人騒がせな浜面に
コンソメスープ入りのグラスへ塩を注いで押し付ける作業に戻った。


「ごめんね、なんかイライラしてたみたい。でも滝壺も気をつけなよ。
 迂闊に部屋に入れるといくらヘタレオリンピック代表の浜面でも何やらかすかわかんないからさ」


麦野の軽口に滝壺はぼんやりした瞳でじっと見つめることで返す。


「そうですよ。浜面なんて超お腹減ってもそのへんの花でも超引っこ抜いて食べれるんですから、
 餌付けすると毎日寄ってきますよ」
「食わねえよ」
「結局浜面って●●野朗のくせにあつかましいんだよね。滝壺も気をつけないと食べられちゃうよー」
「お前らほんと好き勝手言ってくれんね」
「ね、滝壺。あなた可愛いんだからさ、次から浜面なんか部屋に入れちゃ駄目だよ?」


すっかり機嫌の治った麦野は笑顔でそう言う。
今となってはなんでそんなに怒っていたのか、何がそんなに気になったのか。
自分でも分からないし、どうでもよくなっていた。


「…うん。わかった」


うんざりする浜面を横目で見て、滝壺は小さく首肯した。

17: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:38:31.98 ID:/AJ7ca.o

―――――


昨夜の反省会(主に浜面への駄目出し)を終えて、ファミレスの外に出るといつしか雨は止んで
雲の切れ間から太陽が顔を出していた。
その後の麦野は不気味なほどの機嫌の良さを見せていた。
自ら進んでドリンクバーに向ったし、その日の会計を麦野が浜面を加えた全員ぶん奢った上にデザートまで付けてくれた。
いよいよ本格的に天変地異が来るのではと震える絹旗をよそに、フレンダはある種の疑問を抱いていた。


「超お腹いっぱいです。麦野、ごちそうさまです」
「いやー、まさか麦野が俺の分まで奢ってくれるなんて、こりゃ槍が降るな」
「はまづらそれは言いすぎだよ…」
「いいのよはーまづらぁ。でもテメェの脳天に新しい  穴こさえるだけなら今すぐにでもやってあげるけど☆」


キャピッと可愛らしいウインクで汚い言葉を放ちながら指先を浜面の額にくっつける。
浜面はすかさず「申し訳ございませんでした、大変美味しゅうございました麦野サマ」とアスファルトに頭をこすりつけた。


「さってと、今日は仕事も無いしこれで解散しよっか」


麦野が腕を伸ばしながら一同に告げる。


「わかりました」
「ひゃっほう、久しぶりの半日休みだぜー」


浜面がアホ面を晒しながら喜んでいるのを横目に、フレンダがすっと麦野の袖を掴む。


「麦野、これから暇?だったらちょっと私とデートしよ」
「私?別にいいけど…。新しい鯖缶探すとかじゃないでしょね?」


首を傾げながらフレンダを見やる麦野。

18: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:42:29.48 ID:/AJ7ca.o

「あはは、結局それも目的の一つな訳だけど、いいじゃんいいじゃん」
「ま、いいか。滝壺、絹旗、あなた達は?」


フレンダは心の中にある疑念の真偽を確かめるために麦野を誘ったわけだが、
彼女がそんな行動に出たものだから、「ヤバッ」と慌てて二人の様子を伺う。


「私たちは超遠慮しときます。今日は滝壺さんに付き合ってもらって超映画見る予定なんで。
 そちらこそ、一緒にどうです?」


絹旗好みの映画ということはきっと何故生み出されてしまったのか理解不能なB級C級D級映画に違いない。
寝不足の頭で地雷を踏んだらチケット代丸々をドブに捨てることになるのでぜひとも遠慮したいところだ。
何度か付き合って苦い思い出のある二人はすぐさま首を横に振る。


「超残念です。面白い予感が超するんですが」
「おー、じゃあ俺は帰るわ!」
「うん、バイバイはまづら。また明日。迷子にならないようにね」
「変なおっさんに超声かけられても着いてっちゃ駄目ですよー」
「お前ら俺をどんだけ馬鹿だと思ってんだよ。んじゃな」


皆の予定が決まったところで、浜面は足早に帰っていった。
その背中を見送り、フレンダ麦野組は滝壺達と別れ、歩き出す。


「で、どこ行くの?マジでサバ缶?勘弁してよ」
「そう?じゃあ結局、こういうときはセブンスミストが無難じゃない?」
「あー、あんま行ったことないわ。案内よろしく」


麦野っていつもどこで買い物してるの?などと世間話を交わしつつしばらく歩き、
二人は女子学生向けの服屋が多数入っているショッピング施設、『セブンスミスト』に入ることにした。
麦野の私服の恐ろしい金額にフレンダは驚愕しながら、どうやって話を切り出していくかと思案しているそのとき。

19: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:45:40.46 ID:/AJ7ca.o

「お、常盤台」


と少し遠くの売り場に、学園都市有数のお嬢様学校『常盤台中学』の制服を着たツインテールの女子学生が、
セーラー服を着た同世代くらいの学生達と連れ立って歩いているのを見つけて思わず呟いてしまう。
隣で麦野がチッと舌打ちをするのが聴こえ、フレンダは慌てて視線を麦野に向けた。
『アイテム』の面々は常盤台中学に在籍する学園都市第三位通称『超電磁砲(レールガン)』こと御坂美琴と
少し関わったことがあり、麦野はその時のことをあまり思い出したがらない。
それに気づいたフレンダは、何とか話題を変えようとするが、うまく思いつかず、こんなことを言ってしまった。


「そ、そう言えば、最近『超電磁砲』が行方不明らしいよ!」
「あっそ。それで?」


麦野の目つきが鋭く釣り上がる。


(ぎゃー!結局、油注いでどうすんの私のバカー!)


しかしこのまま話を止めるわけにもいかず、何とか落としどころを考えながら言葉を続ける。


「ほら、結構前に大規模な停電があったじゃない?
 あれって結局『超電磁砲』が原因って情報がある訳よ。
 で、それ以来どこかに消えたって…」
「バカね」


フレンダの言葉を麦野は一笑に付した。
麦野に笑顔が浮かんだのでフレンダとしてはもうそれで満足だったが、
意外にも彼女はまだ話を続けるつもりらしく


「『超電磁砲』の目撃証言はそこそこあるよ。
 そいつによく似た能力者に潰されたっていう組織は最近多いみたいだし」
「えっ、マジ?」
「さあ?『こっち』じゃ割と有名な噂だけどね。『超電磁砲』が暗部堕ちしたなんて、結構なニュースだし」

20: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:48:19.39 ID:/AJ7ca.o

適当に店内を歩いていると、麦野が好みのぬいぐるみでも見つけたらしく、ファンシーショップに入りながら続ける。


「それに、行方不明なのは『超電磁砲』よりむしろ一位のほうでしょ」


麦野が手近の目が一つに脚が3つくらいあるシュールなぬいぐるみを手にとる。
うわ、それはない。
とフレンダが顔をしかめた。


「第一位って。えっと…」
「『一方通行(アクセラレータ)』」
「あーそれそれ」


学園都市第一位。最強の超能力者である『一方通行』が行方不明になっているというのもまた、
ここ最近『こちら側』の世界で噂になっていることだった。
彼を戦力として欲しがる暗部組織は多いが、今現在はどこにいるのかすら分からないということでそうした計画が
頓挫している組織が増えていると聞く。


「ま、何にせよ、『超電磁砲』は生きてんじゃないの?図太そうだったし」
「はー。結局、そういう話聴くとちょっと家帰るの怖くなるよね。麦野ーもう今日泊めてー」


ぬいぐるみを戻して麦野に抱きつくフレンダ。


「離せ暑苦しい」
「やだー、ぬいぐるみだと思ってくれていいからー。麦野とおっきいお風呂入りたいー。ギュッと!ギュッと!」
「こら、やめろ変態」
「わー、麦野あったかーい。やわらかーい。いいにおーい」


ぐいっと肩を持って突き放そうとするがフレンダは麦野の大きな胸に顔をうずめて離れない。

21: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:50:51.72 ID:/AJ7ca.o

「あの、今の話、本当ですの?」


麦野がフレンダのベレー帽を取り上げられ、頭頂部を肘でグリグリやられていると、背後から声がかかった。
ヤバイ、聞かれたかと何食わぬ顔で振り返ると、そこには先ほど見かけた常盤台のツインテールの少女が
沈痛な面持ちで立っていた。
赤いリボンがよく似合う小柄な少女だったが、腕には『風紀委員(ジャッジメント)』の腕章がついている。
また面倒なのに捕まったと、麦野はあからさまに嫌そうな顔で相手の顔を睨み付けている。


「何アンタ?人の話盗み聞きしてんじゃないわよ。それって、『風紀委員』の活動の一環?越権行為でしょ」


まくしたてるように麦野に言われても、慣れているのか少女は一切ひるまなかった。
だが、先ほどから険しい表情は変わらない。


(へー、麦野美人だし凄まれると大抵の奴はビビるけど、この子やるじゃん)


とフレンダは関心しながら少女に視線を送る。


「違いますの。これは、お願いですの。
 『超電磁砲』が生きているという今の話は、本当のことですの!?」


懇願するように、少女は麦野の両肩にくってかかった。
かなり必死な様子だが、『超電磁砲』の関係者だろうか。


「なに触ってんのよクソガキ。アンタ誰に口利いてるかわかってんの?」
(ヤバッ、麦野怒ってる。結局、こんなところで問題起こすわけにはいかない訳よ!)


フレンダは麦野のこめかみあたりがピクピクしているのを見逃さなかった。
こんな往来で殺傷騒ぎを起こすと後が色々と面倒だ。
すかさずフレンダは二人の間に割って入る。

22: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:53:30.58 ID:/AJ7ca.o

「ま、まぁまぁ。あなた常盤台中学の生徒さんだよね?『超電磁砲』の知り合いか何か?」
「申し遅れましたの、わたくし常盤台中学の白井黒子と申します。『超電磁砲』こと御坂美琴お姉さまの後輩ですの」
(お姉さまって…。とにかく穏便に済ませないと)


麦野の顔色をチラリと伺う。
そこには既に「いつでもブッ殺し準備オッケーだよ★」と言いたげにギラギラと瞳の奥を光らせる学園都市第四位がいた。
この白井黒子という少女の命は、どうやらフレンダのさじ加減一つのようだ。


「そ、それで、白井さんは何を知りたいのかなー?」


少女の命の重さを双肩に感じながら、自分でもこんな声出るのかというくらいやさしーい声色で白井に問いかける。
もちろん、その口調は背後で沸騰寸前のヤカンのようになっている麦野に配慮したものだ。


「ですから、お姉さまがご無事だという話は本当なのかと…!」


白井の言葉をさえぎるようにフレンダの顔の横から細い腕がニュッと伸びてきた。
その白く細長い指で白井の胸倉を掴みあげると、自らの方に引き寄せる麦野。


(ァあぁあ…もーだめだ、ごめん白井さん、結局私じゃ力不足って訳ね)
「知らねーよ。噂だっつってんでしょ。あんましつこいと…」
「くっ!離してくださいませ!」


どうやって人目を減らすかを考えていたとき、信じられないことが起こった。
白井がブラウスを掴みあげる腕に触れると、次の瞬間麦野は床に尻餅をついて彼女を見上げていたのだ。
\(^o^)/←こんな状態になるフレンダ。


(てか、『空間移動能力者(テレポーター)』!?)

23: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:55:37.46 ID:/AJ7ca.o

驚くフレンダだが、もはやそんなことはどうでもいい。
今はいかに麦野の戦いに巻き込まれてデッドエンドにならないようにするかを考えなくてはならない。
さすがに騒ぎを聞きつけて野次馬が集まってくる中、唇をわなわなと震わせ、右手に閃光を迸らせ始める麦野。
前髪で表情が隠れてどんな顔をしているのか分からないが、きっと美人が台無しに違いない。


(結局、あとはもう逃げるしかないって…)


フレンダがさっさと逃げようとしていると、パァンッと頭をはたくような音が聞こえた。


「え?」


白井黒子の頭が吹っ飛んだんじゃないかと恐る恐る振り返ると、そこで頭にお花畑を乗っけたセーラー服の少女が、
彼女の頭を本当にはたいたところだった。


「もうっ!白井さん何やってるんですか!?ごめんなさいごめんなさい!」


どうやら先ほど見かけた彼女の友人らしい。
白井が能力を使って一般人を攻撃したと思ったらしい。
虚を突かれたように立ち尽くす麦野の前で何度もペコペコと頭を下げている


(おお、死亡フラグを折ったぜ)
「う、初春…」
「どうしたんですかー?」


と、今度は人垣の中からお花畑の少女と同じセーラー服を着た長い黒髪の女子学生が現れた。

24: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 03:57:51.87 ID:/AJ7ca.o

「どしたの初春?」
「佐天さん!白井さんがこの女の人を能力で攻撃して…!」
「ええっ!」
「い、いえ違いますのよ!この方が…!」


と、そこまで言いかけたところで我に返ったのか、白井黒子はお花畑を押しのけて麦野の前で深々と頭を下げた。


「違わないですわね。元はと言えばわたくしがしつこく食い下がったのが原因。
 申し訳ありませんでした。どうかお許しくださいですの」


それに倣って他の二人の少女も頭を下げた。
呆然とそれを見下ろす麦野が、所在無さげにこちらに助けを求める視線を送ってきた。


(うほっ、珍しく麦野のSOS!結局、ここは私の出番って訳よね!)

すかさず麦野の前に出てフレンダが腰の低い口調で笑顔を浮かべた。


「ま、まーまー、こっちにも落ち度はありましたから!ね、白井さん!制服破れたりしてないですか?」


麦野を刺激しないよう早くこの場を立ち去らなければと、3人に頭を上げさせる。


「ええ、大丈夫ですの。そちらこそ、お召し物が汚れてしまったのでは」
「大丈夫よね!ね!麦野!」
「あ?ええ…まあ」
「ここはもうお互いさまってことで解散しよう!なんか目立っちゃってるし!ね!いいよね麦野!?」


フレンダが何度も念を押すように麦野に確認する。
そのあまりの勢いに、興を殺がれたのか麦野はコクリと首肯した。


25: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 04:01:25.50 ID:/AJ7ca.o

――――――


「本当に申し訳ありませんでしたの」
「もういいよ」


白井黒子にそれから何度か頭を下げられ、ようやく落ち着きを取り戻した麦野が、フレンダを伴って店を出ようとする。
最後に一度振り返り、バツの悪そうな顔でこう告げた。


「アンタのお姉さま、だっけ。目撃証言自体は結構あるみたいだよ。ま、アンタの知ってるお姉さまかどうかは知らないけどね」


その時最後に見えた白井黒子の顔は、喜びとも戸惑いともとれない微妙な表情だったが、ひとまず慕っている
先輩が生きていたということで安堵の表情を浮かべていた。
その表情を思い出しながら、なんだか店内に居辛くなった二人はしばらくそのあたりをブラブラすることにする。


「はー、もう麦野怖いよー。結局、死ぬかと思った」
「うっさいなー。いきなりあんなふうに来られたら誰だってカチンとくるでしょ」


こねえよ。というツッコミは心の奥に閉まっておいて、『超電磁砲』が行方不明だというのはどうやら本当らしい。


「それにしても常盤台のガキはやっぱムカツクわね。いっそ学校ごと吹っ飛ばしてやろうかしらね」


右手でグシャリと握りつぶす動作をしながら物騒なことを口走っている麦野。
やろうと思えば本当に可能なのだから手に負えない。


「その仕事だけはやりたくない。生徒全員レベル3以上でレベル5が二人もいる学校と正面から戦争なんて、
 結局命がいくつあっても足りないでしょ」
「だから『超電磁砲』のいない今やるんでしょ。『心理掌握(メンタルアウト)』なんて所詮『精神感応』系。
 学校ごとぶっ飛ばせばそれでオシマイじゃないの」

26: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 04:04:11.25 ID:/AJ7ca.o

麦野のような圧倒的な能力を持たないフレンダからすれば、レベル5を本格的に抹殺する計画を立てること自体が恐ろしい。
というかレベル5を普通に見下すその傲慢さに惚れ惚れするフレンダだった。
このままほっとくとマジでやりかねないと身震いしてきたので、慌てて他の話題を探す。


「そういや今日の浜面ってばアホだったねー。帰ってもご飯ないから滝壺にたかるって。
 結局、浜面ってばどこまでいっても浜面っていうか」
「そうね」


あれ、意外と乗ってこない。浜面の悪口は絹旗とも麦野とも結構盛り上がる話題のはずなのにと、
隣を歩く麦野を見やると、麦野は何か考えているのか、柔らかそうな唇を引き結んで顎に指を当てている。


(おいおいおい、まさかほんとに常盤台爆破テロとか計画してるんじゃないでしょーね)


あわあわと慌てふためくフレンダ。
そんなもんに協力できるかと、思考を止めさせるべく言葉を続ける。


「け、結局給料一応もらってんだろって感じだよね。もういっそ浜面の餌係でも決めてあげたりしちゃう?
 なんて!あはは…」


その言葉に、ピタリと麦野が足を止める。
フレンダがどうしたのかと振り返ると、麦野は「そうか…なるほど」と何かに納得したように頷いている。


「ど、どしたの麦野?」
「ごめんフレンダ!私今日帰る!」
「ええ!?私のデートは…」


突然何かいいことを思いついたような顔で、麦野はフレンダにそう告げて走り去っていく。


「また今度ね!今度はみんなで行こう!」
「みんなでって…デートは…」


先ほどまでの怖い顔はどこへやら。そんないい笑顔で言われると、もはやフレンダには何も言い返せない。
結局、今日の目的であるとある質問も麦野にし損ねて、ただただ呆然とその美しい後姿を見送ることしかできないのだった。

27: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 04:05:52.40 ID:/AJ7ca.o

―――――――


一方そのころ、滝壺を伴った絹旗最愛は映画館のシートにゆったりと座っていた。
いつも見ているマイナー映画なら、観客の数が自分以外にいないということも珍しくない。
だが、今日の映画は一味違う。


(ふふん、今日はハリウッドが数百億かけて生み出したゴミと超評判の大作映画を見に来たのです)


なんでも前情報によると、とある名作マンガをハリウッドが映画化したということらしい。
しかし、原作と違って主人公が何故か学生だったり、無駄にラブロマンスを入れてよく分からないことになっていたり、
敵キャラは緑色のオッサンだったりと、誰が得するんだこれと素人でも突っ込みたくなる内容だという。
絹旗はそういうところが気に入っていた。


(前評判は確かに超散々ですが、そういう超本気で作ったら何故か産業廃棄物が超できちゃいました、てへっ♪
 って感じが超面白そうだと思ったんです)


そう。
映画館は最近学園都市にオープンした巨大スクリーン配備のシネコン。
劇場に入るまでにしっかりとトイレも済ませ、滝壺が退屈しないようにポップコーンを買ってあげ、
途中でトイレに行きたくならないように炭酸飲料とカフェインも避けるようアドバイスをした。
席も予約で真ん中辺りをキープ。寒さ対策に二人分のブランケットを借りて超準備完了。
あとはこのワクワク感と共に映画を超楽しむだけ。
そう思っていたが

28: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/21(水) 04:07:46.96 ID:/AJ7ca.o

(ヤッベェ、超つまんねぇ…)


まだ開始1時間も経っていないが、これはまずい。
既にトイレに行きたいし、ポップコーンも食べ終えてしまった。
劇場内で携帯を開くわけにもいかないし、劇場のど真ん中に席をキープしたためトイレにも立ち辛い。
普段だったらとっくに退場して帰宅しているところだがそれもできない。
何故か。


(滝壺さん超楽しそうです…)


ハチャメチャが押し寄せてくるようなわくわくがいっぱいの眼差しで一心にスクリーンを見つめる滝壺の横顔を一瞥する。
これのどこが面白いのかさっぱり分からないが、まあせめて私の分まで超楽しんでくださいと絹旗は目を瞑って
現実から逃げ去ることにした。
すると、すぐに隣からトントンと肩を叩かれる。


(なんすか滝壺さん…)


仕方なく目を開いてそちらを見ると、「この感動を共有しようよ」とばかりに瞳をキラキラさせた滝壺が絹旗に
腕を絡めてスクリーンを見るよう促してきた。


(マ…マジですか…)


絹旗は目でそう問いかける。
その目蓋は能力使用時のようにパッチリと開かれ、キラキラと眼球に宇宙を創造しながら頷いた。
絹旗はその後たっぷり2時間弱。滝壺に腕を組まれたまま離してもらえず、映画が終わるころには膀胱炎寸前でトイレに駆け込んだという。


47: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/04/22(木) 01:19:21.43 ID:AnKJp9co

―――――――


麦野沈利はドキドキと胸を高鳴らせながら足早に帰宅した。
その手にはパンパンに食材の詰まったスーパーの袋が握られている。
何故彼女がそんなものを手に持っているのか。
別にお腹が空いているわけではない。
食事なら先ほどとったばかりだし、夕食にはまだ幾分かの余裕がある時間帯だ。
決め手は先ほどのフレンダの言葉。

――もういっそ浜面の餌係でも決めてあげたりしちゃう?

そう言っていた。
きっと本人は冗談のつもりだったろうし、機嫌の悪かった自分のために空気を和ませようとして言ってくれたいつもの軽口だ。
だがしかし。
麦野は思いついてしまった。
思いついてしまったのだから仕方がない。


(浜面にご飯を作ってやろう…)


別に浜面がどうということではない。断じて無いと何度も心の中で反芻する。
ただ、滝壺にできて自分にできないなどと言うことは、ドがつく負けず嫌いの麦野には許せないことだった。
滝壺よりも美味しいと言わせてやろう。
滝壺よりも料理が上手いと言わせてやろう。
滝壺よりも私のほうが良いと…


(って違う違う!そんなんじゃない!)


咄嗟に浮かんでしまった考えを首を振って慌てて散らす。
しっかりと何パターンかの献立に対応できるよう材料を選んである。
麦野の好きなファッション雑誌にあった『男性が彼女に作って欲しい手料理ランキング』上位に食い込むようなものだ。
普段そのテの雑誌の情報など話題半分にしか見ていないが、こういうことに関しては他に情報源もなく、
仕方なく根拠の無い情報に頼るしかない。


(別に深い意味があるわけじゃないんだから…!い、いくわよ!)


携帯が「痛いっす姉さん」とミシミシ悲鳴をあげるほど握り締め、浜面仕上と表示されたディスプレイを睨み付ける。
かくして、女麦野沈利、一世一代の大勝負が始まるのである。

48: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:23:02.88 ID:AnKJp9co

―――――――


少年、浜面仕上は人生で体験したことのない恐怖に駆られていた。

事は数分前。
昼間別れたはずの麦野から、震える声で電話がかかってきたのだ。
そのとき浜面はついに死を覚悟した。
麦野の沸点は確かに低い。低すぎる。
だが、彼女が唇を震わせるほどの憤怒に囚われている姿はそうそうお目にかかれるものでは無かった。
俺は一体どんな地雷を踏んだのだ。
そうして、麦野という核爆弾に火を付けてしまわぬよう、慎重に彼女の言葉に耳を傾けていると、
彼女は仄暗い闇の底から手招きするかのような声でこう告げた


『今から…行くから…』

「ギャァァァァアアアアアアアアアアアアアア!!」


浜面は叫んだ。泣いた。もう何年も会っていない親の顔も思い出した。
彼女は明日まで待てぬと言っている。
それほどの怒りと憎しみを、俺にぶつけようとしている。
学園都市第四位の超能力者、『原子崩し』こと麦野沈利の粒機波形高速砲が、
超無能力者浜面仕上のか弱い肉体をその一欠片すら残さず消滅させようとしているのか。


『ちょ、ちょっと、どうしたの?』


焦ったような麦野の声で、ようやく我に返る浜面。
意外と普通の声色だった。
震えも特には感じられない。気のせいだったのだろうか。
麦野から電話がかかってくると大抵仕事で死にそうな目に合うので体が勘違いしているらしい。
よくよく話を聴いてみると、今日の浜面の話に同情したか面白がったか、なんと麦野が料理を作りに来てくれると言う。
せっかくの休み、今日は溜めてたA でも観ますかと虚しいことを考えていた矢先のことだったので、
特に深く考えずに家の場所を教え、今は部屋の片付け中である。


(料理なんて、あいつでもやっぱり女の子なんだなぁ…)


49: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:25:05.63 ID:AnKJp9co

今更ながらにそう思う。
美少女揃いのアイテムの中でも一際輝く端整な顔立ち。
肉体的にも艶めかしい肉付きで、街中ですれ違ったら思わず振り返ってしまうだろう。


(毎日顔を突き合わせてるから意識してなかったけど、麦野が俺の部屋に来るってのは、
 実は結構すごいことなんじゃねえのか?)


そう思うと急に緊張してきたヘタレの浜面は、脱ぎ散らかした洗濯物やその辺にあるものを全部浴室に突っ込み、
女の子にはとても見せられない己の 癖丸出しの数々のブツを押入れやタンスの中に隠し始めた。

窓を開けて換気をしようとしたそのとき
ピンポーンとインターホンの音が室内に響き渡った。
ドキリと肩を震わせる浜面。既に緊張は最高潮に達しているが、外で待たせるわけにはいかないと、
ドアを開けてそこにいる人物を迎え入れる。


「よー。来てあげたよ」


ぎこちない笑顔でそこに立っていた麦野は、いつもより何故か小さく見えた。
帰って着替えたのか、昼とは違い水色のワンピースに白い薄手のカーディガンを羽織っている。


(ワンピースが好きなのか?)


と、どうでもいいこと考えながら彼女を中へと招きいれる。
先に中へ通してすれ違った瞬間、風呂にでも入ってきたのか、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。


(くそっ、どうしたんだ今日の麦野は…)


部屋に入って荷物を取り出す麦野を見ながら、浜面は顔がやけに熱くなるのを感じていた。
ピンク色の唇。長い睫に大きな目。柔らかい布地をぐぐっと突き上げている豊かな胸。
やや短めのスカート丈にふわりと舞う栗色の髪の毛。
今日の麦野がやけに女の子に見えてくる。
失礼な話ではあるが、普段の麦野を女として見たことはない。
自分より頭も良く、能力もあり、金も持っている。おまけに一癖も二癖もあるアイテムの面々を束ねる女王様だ。
もはや下っ端根性がすっかり染み付いた浜面にとって、麦野は雲の上のような存在だった。

50: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:27:26.57 ID:AnKJp9co

(その麦野が、この汚ねぇ6畳1間に…。なんつーか、麦野も人間だったんだな)


もし彼女が心の中を覗ける類の能力者だったら、浜面など既に3回は死んでいるだろう。
荷物を出し終えたのか、彼女は浜面のベッドの上に腰掛けて室内をキョロキョロと見回している。
ベッドの上という辺りで浜面はゴクリと生唾を飲み込んでしまったが、気をつけなければいけない。
もし彼女に何かしようものなら、一瞬にして塵芥と化してしまうのだから。


「何見てんのー?言っとくけど、妙な考え起こしたら灰にするからそこんとこよろしくね」


立ち上がり、悪戯っぽく笑みを浮かべて浜面の額を小突く。
その仕草だけもう浜面は鼓動の回数がえらいことになるのだが、麦野は気付いていないらしい。


「そんなんじゃねえよ。っつか、今日滝壺に部屋に俺を入れるなって言っといて、お前は自分から来るんだな」


心の中を見透かされているような気がして、バツが悪そうに浜面は頬をかいてそう言う。


「ふぅん。じゃあ浜面は私に何かするつもりなのかにゃーん?」


小悪魔的に小首を傾げて微笑む麦野。
浜面はゾクリと背中の皮の内側を何かが這い上がってくるような感覚に襲われ、
耳まで真っ赤にしてバッと後ろを向いた。


(ヤベェ…今のはやばかった…!くそうっ!こいつ俺を弄んでやがる!)


悔しいが、今の麦野は完膚なきまでに可愛い。
こいつはそれを分かっていて、俺を玩具にしに来やがったんだ!
当然浜面は麦野の心中など知る由もない。
このままいいように遊ばれてたまるかと、硬派な不良を頭の中に思い浮かべて麦野に向き直る。


51: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:30:50.34 ID:AnKJp9co

「それにしても、なかなかいい部屋じゃない。ちゃんと綺麗にしてるのね」
「え、そうか?」
「うん。浜面にしては意外だったよ」


と、浴室や押入れを見ていないのでそんなことを言う麦野。
麦野に褒められた経験があまりない浜面は、そんな言葉についついニヘラッとたるみきった笑顔を浮かべてしまう。
硬派な不良浜面は3秒ともたなかった。


(騙されるな俺。この部屋がいい部屋だと?嘘つくんじゃねえぜ。
 俺は知ってるんだ、お前の部屋がどんな部屋なのかをなぁっ)


もちろん入ったことがあるわけではない。
しかし、『アイテム』の女子連中は、何度か麦野の部屋に遊びに行ったこともあるらしい。
なんでも、風呂にジャグジーだかサウナだかが付いていて、部屋はこの部屋の倍くらいあって、コンロもガスじゃなくて電気で、
家具家電も学園都市の最新式のもので、巨大なクローゼットに入りきらないほど高そうな服とかアクセサリーとか化粧品が
そこら中に置いてあったと言う。


(金持ちが庶民の暮らしを褒めるのは物珍しいだけなんだぜ。
 本気で良いと思ってんなら1ヶ月暮らしてから言ってみやがれ。絶対前の部屋に戻りてぇって言うからよー)


緩みきった顔から上流階級への嫉妬の炎を燃やしたり、顔つきをころころと変えていると、そんな浜面を見飽きたのか、
麦野はエプロンを付けてさっさと調理の準備に取り掛かっていた。
そのエプロンは、ピンク色を基調として胸元にリボンのワンポイントがついたシンプルなデザインながら、
悔しいほど麦野に似合っていた。


「麦野はピンクが似合うな」


思わず口を突いて出る言葉。


「ひぇっ!」


麦野は持っていた包丁を取りこぼして、それはそのまま浜面の足元にドスッと突き刺さった。

52: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:33:49.94 ID:AnKJp9co
「うぉおお!ついに俺の命もここまでなのか!?」
「ぁ…あぁ、ごめん!アンタがふざけたこと言うから…」


慌ててその包丁を拾い上げる。落として焦ったのか、ほんのり顔が赤くなっている。
あれ、俺何か言ったっけと首を傾げる。


「そ、そういや何作ってくれんだっけ?」


平常心を保ちながら、なんとか食欲に意識を向けようと話題を変えてみる。


「アンタさっき電話で肉が食いたいって言ってたよね。だからハンバーグにしようと思ったけど、良かった?」
「お、おう。作ってもらえるんだし、何でもかまわねえよ」
「肉、なんてアバウト過ぎんだよね。男の子ってそんなもん?」


実は昼にハンバーグランチを食べたところだったのだが、今更そんなこと言えない。
弁当を忘れた麦野はパスタ的なものを食べていたような気がするし、電話のときの混乱してYESを吐き出す機械になっていた。
だが麦野が作ってくれるハンバーグを、チェーン店の冷凍ハンバーグと比べていいはずが無い。
デリカシーというものを母親のお腹の中に置き忘れてきた浜面でも、女の子の手料理を
調理場のおっさんだか兄ちゃんだかが作るフリーズドライと同列に置いていいわけないというのは分かる。


「チョロチョロされると蝿みたいで鬱陶しいからからテレビでも見て大人しく待っといて」


これほどまでストレートに悪意無く邪魔だと言われるといっそ清清しい。
浜面はへーいとベッドに腰掛けてテレビのリモコンを取って電源を入れた。
いまいち面白そうな番組もやっていなかったのでゴロリと横になり、玄関と6畳間の間にある短い廊下に設置されたキッチンを見る。


(麦野が俺の部屋で料理をしている。なんだこれ、わけわかんねえ)


調理中の麦野の背中を見ながらぼんやりと考える。


(麦野だって、こんな仕事してなかったら…レベル5の超能力者じゃなかったら、
 普通に彼氏でも作って、普通に友達と遊んで、適当に学校行きながら暮らしてたんだよな)


それは浜面自身にも言えたことだが、果たして麦野は、自ら進んでこの道を選んできたのだろうか。
能力者には無能力者の気持ちが分からないと突っ張っていたかつての自分のように、
無能力者や低能力者にレベル5の気持ちは分からないと思ったことは無いのだろうか。
そんな考えが浮かんでは消え、少しだけ麦野沈利という女に興味が湧いたころ、浜面は眠りに落ちていた。

53: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:36:36.88 ID:AnKJp9co
―――――――


少女、麦野沈利は人生で体験したことのない羞恥を感じていた。

いよいよ料理を作りに行くことが決まってしまった。
妙に高鳴る鼓動を抑えつけ、混乱して何故かシャワーまで浴びてから彼の部屋に向かい、
なんとなく高まったテンションで恥ずかしいことをいくつか口走ったような気がする。思い出したくは無いが。
調理を始めて数分。近くで見られると緊張するので浜面を部屋に追いやったが、
勢いだけでここまで来ていざ冷静になってみると自分は今ものすごい状況下にいるのではないだろうか。
チラリと浜面のほうを見やる。テレビは点けたものの、目ぼしい番組はやっていなかったのか、
横になって寝息を立てているようだ。変に起きてこちらを注目されても困るのでそのほうがありがたい。


(浜面もこんな組織にいなかったら、スキルアウトだか何だかもテキトーに切り上げて、
 普通に彼女でも作って、学校サボりながらフツーに暮らしてたのかね)


じゃあこんな世界に巻き込んだのは私か?
いや、浜面は自分で選択してここまできたはずだ。彼を取り巻く環境がそれを選ばざるを得ないものだったとしても。
浜面にはいつだって逃げようと思えばどこへだって行けた。
とうに戻れない一線を越えてしまっている麦野はそれを少しだけ寂しく思った。


(私とは違う、か。ま、無能力者にレベル5の気持ちはわかんないだろうし…)


手元で玉ねぎを炒めながらそう考える。
窓の外は既に日が落ち、夜の帳に包まれようとしている。
静かな部屋の中で、麦野はぼんやりと思考を巡らせていた。


(その逆も然りよね)


それにしてもだ。


(ピンクが似合う、かー。ヤバ、恥ずかしくなってきた。
 あーもうなんでそんなこと言うのよ浜面のくせに!)


ピンク色は大好きな色だ。
だけどそんなことを言われたら、次からその色を見るたびさっきの言葉を思い出して恥ずかしいじゃないか。
ガシガシフライパンをかき混ぜ、顔が赤くなりそうなのを誰にともなく誤魔化す。
ふとアメ色になった玉ねぎを見て、麦野はあることに気づいた。


「あっ」

54: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:39:11.56 ID:AnKJp9co

―――――――


「……づら…。は……づら!」


なんだかいい匂いに誘われて、浜面は現実世界へと回帰する。


「浜面起きて!晩ご飯できたよ」
「ん、おお、マジか。悪い、寝ちまったみたいだ」


麦野に揺り起こされ、あくびを噛み殺しながら浜面は体を起こす。
時計を見ると、既に七時を回っており、窓の外はすっかり暗がりに包まれていた。
小さなテーブルには麦野の手料理であるハンバーグとサラダ、茶碗に入れられた白米が2人分並べられている。
どう見ても美味そうだったし、自分で作ったもの以外がここに並ぶことなど無かったので色々と感慨深いものがあった。


「つか浜面悪い。アンタ昼ハンバーグ食べてたよね。さっき気づいた」


寝ぼけたまま麦野の料理を食うのは申し訳ないと、立ち上がって伸びをしていた浜面に、麦野が所在無さげに謝ってきた。
こちらとしては麦野のハンバーグとファミレスのハンバーグは完全に別の料理だと思っているし、
作り起きして毎食同じものを食べることがざらにある浜面にとっては何の問題もないことだった。


「そんなの気にすんなよ。俺は麦野のが食いたかったんだから」
「んなっ…!」


そう返すと、麦野は言葉を詰まらせて耳をほんのりと赤らめていた。


「ったく、先に言えってのよ。そうすりゃもっと別のもん考えてあげたんだから」
「もういいからさっさと食おうぜ。この状態でおあずけはきついって」


ごにょごにょと何か言っている麦野をなだめて、箸を手に取る。
いただきますと両手を合わせてハンバーグを口に運ぶ。

55: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:41:40.66 ID:AnKJp9co

「ど、どう…?」


麦野にしては珍しくややぎこちない口調でそう問いかけてくる。


「こ、これは…!」


カッと眼を見開く浜面。


(肉汁をしっかりと閉じ込め、黒胡椒がいいアクセントとなって食欲を刺激してきやがる…。
 ナツメグの香りもいい具合に肉の臭みを消して、繋ぎにはちぎって牛乳に浸した食パンを使っているのか、
 食べ盛りの男の胃袋にもしっかり対応してくるボリューム感を持っている。
 赤ワインがベースとなったソースは荒挽きミンチと複雑に絡みあい、
 俺の口の中でマイムマイムを踊っているみたいだっ!
 こちらのサラダもさっぱりした醤油ドレッシングが濃厚な肉の味を一度リセットさせる効果を発揮しているし、
 それによってまた次の一口を運びたくなり、新たな味の発見を促してくる。さらに横に添えられたシーチキンが実にグッド!
 ご飯の炊き具合も俺好みのやや固め。これならカレーにかけてもうまいだろうし、研ぎすぎて米が崩れたり
 旨みが失われているということもない。2980円の安炊飯器で炊いたものとは思えないほどの米の存在感。
 すげぇ…。肉、野菜、米の三者三様が互いを引き立てあい、味の高みへと俺を誘っていくっ!
 うまい、うますぎるぜぇっ!)


「ちょ、ちょっと、何か言ってよ」


ガツガツと一心不乱に喰らいつく浜面の様子に、ひとまず安心している様子の麦野だが、
あまりにも必死の形相に少し驚いている様だった。
浜面は口元にご飯粒をつけながら、ニヤリと笑みをこぼす。


「やるな、麦野。すげーうまかったぜ。ありがとな、ごちそうさま」
「そう。ならいいわ」

56: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:44:16.43 ID:AnKJp9co

ぶっきらぼうにそう言い、だが少し照れくさそうに麦野は微笑んだ。
結局あっと言う間に完食した浜面は、麦野に淹れてもらったお茶を飲みながら、
彼女がもそもそと食事を続けるのをゆったりと眺めていた。


(あー…なんかすげえ落ち着くな。一人で飯食ってるとこんな風に考えることないし)


ふう、と息を吐きながら、当初の緊張感はどこへ消えたのか、まったりとした空気が室内に流れていた。


(こうやって二人でゆっくり飯食う機会があるなんてなぁ。こうしてるとまるで……)


ガチャン!と浜面は額をテーブルに叩きつけた。
目の前に座る麦野がビクリと肩を震わせて何事かとこちらに視線を向ける。


「な、何!?」
「あ…あぁ、わりぃ。腹いっぱいになったらちょっと眠くなっちゃってさ。今ので目ぇ覚めたから」
「あっそ。アンタ子供じゃないんだから、食べてすぐ寝るなんてやめてよね。太るよ」
「はははは、そうだな、気をつける」


乾いた笑いを漏らす浜面。


(何考えてんだ俺…。何がこうしてるとまるで…だよ!こいつは俺をからかって遊んでるんだぞ。
 騙されるなー、平常心平常心)


お茶を口に含みながら精神を落ち着けた。
なんとか気を紛らわせないと向こうの思うツボだと、浜面は話題を探る。


「なあ麦野。今日はどこ行ってたんだ?」
「ん?フレンダとセブンスミスト行ったよ。すぐ帰ったけど」
「すぐ帰ったって…何かあったのか?」

57: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:46:26.78 ID:AnKJp9co

何気なくそう問いかけると、麦野は苦虫を噛み潰すような面持ちで「別に」と応える。
フレンダが調子に乗って麦野にじゃれついたかと、容易に想像できる光景が思い浮かんだ。


「そういや、フレンダが今度みんなで遊びに行こうってさ」


実はフレンダが言ったわけではないのだが、麦野は浮き足立っていたのでそのあたりの会話をあまり覚えていない。


「へー、フレンダがねえ。って、俺もいいのか?」


食事を終え、ご馳走様と手を合わせる麦野を見ながら意外そうに言う。
滝壺ならともかく、フレンダがそんなことを言うとは本当に予想外だった。


「みんな、って言うからみんななんじゃないの?」
「そっか。そりゃ楽しみだな」


『みんな』に自分が含まれていることがちょっと嬉しい浜面。


「どこ行くかアンタ考えといてよ」
「俺がかよ」
「あら、女の子4人も連れて遊びに行けるんだから、それぐらいやってもらわないとね」


どこに連れていっても文句言われそうな気がするし、どこ行ってもいつもの調子で騒がしいだけのような気もするが、
まあ5人でどこかに行くなんてこと仕事以外ではない訳で、浜面は自分でも意外なほど楽しそうだと考えていることに気づいた。


「日焼けするところと濡れるところと映画館はパスね」
「あ?前二つは分かるけど、なんで映画は駄目なんだよ?」

58: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:48:46.44 ID:AnKJp9co

実は浜面にはちょっとだけ見たい映画があった。
とある名作マンガをハリウッドが映画化しているという話を、前に絹旗が持っていた映画雑誌で
チラリと見かけていた。
子供のときからそのマンガの大ファンである浜面としては、是非それを見に行きたかったのだが。


「絹旗と絶対趣味合わないからよ。私らが見たいと思う映画なんて、全くあいつの守備範囲外なの」
「あぁ、確かにそうかもな。んじゃまあそれ以外で何か考えとくぞ」
「お願いね。じゃ、食べ終わったことだし私は食器洗って帰るね」
「え、もう?つか片付けなんて俺やっとくからいいよ」
「あのね、料理は片付けまでが料理なの。そこんとこ分かってない奴が食器溜め込むんだよ」


いそいそと立ち上がって皿を重ね始める麦野。


(こいつ…本当に遊んでるのか…?本当に親切心から俺に飯を食わせに来てくれたんじゃ…)


あまりにあっさりとした麦野の行動に、浜面はだんだんそんな風に思えてきた。
せっかく来たんだからゆっくりして行けばいいのにと、浜面も彼女に倣って立ち上がろうとする。


「うぉっ!」
「きゃっ!」


と、結構長い間座っていたため脚がしびれてしまっていたようで、バランスを崩す浜面。
驚いた麦野が手を伸ばした瞬間、反射的にそれを掴んでしまっていた。
ガラガラガシャーンとあたりに皿やコップが散乱する。
だが、そんなことは浜面の意識からは一瞬にして吹き飛んでいた。


「いたた…」
「悪い…。だ、大丈夫か麦野」
「うん…」

59: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:51:28.46 ID:AnKJp9co

麦野を抱きとめるような形で浜面は背中から倒れこんでいた。
幸い頭を一度ベッドのクッションにぶつけただけで、特に大怪我を負ったということもない。
しかし、ベッドの角に頭をぶつけてカチ割れていたほうがまだマシだというくらいの恐ろしい事態に巻き込まれていた。
どういうわけか、浜面の腕の中に麦野がいる。


(うお…これは…。麦野…意外と小さいし、なんかすげーいい匂いだ…)


彼女とすれ違った時とは比べ物にならないほどの甘い香りが鼻腔をくすぐり浜面の脳を蕩かしていく。
ふわりとした服のシルエットの上からでも圧倒的に主張する柔らかい二つの双丘が胸板に押し付けられ、
浜面から正常な思考能力を奪っていった。
おまけに倒れたときに乱れたらしく、胸元からわずかに覗くxxとそこに寄り添う黄色のレースがチラリと視界に
入ってしまい、もはや浜面は時が止まっているかのように身動きがとれなくなっている。


「はーまづらぁ…」


麦野が腕の中で震えている。
そしてその背中からゴゴゴゴとマグマが競りあがってくるような音が聴こえた気がした。
気がつくと、浜面は麦野を抱きしめていたようだ。
慌てて腕を開くが時既に遅し。


「ち、違う!これは不可抗力なんだ!ビームだけは!ビームだけはァァアアッ!!!」


涙目の浜面から飛び上がるように離れ、麦野は何事かを呟いている。
よく聞こえなかったが、唇の動きで全身の血の気がサッと引いていくのを感じた。




  ブ   チ   コ   ロ   シ   か   く   て   い   ね  



60: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:54:24.02 ID:AnKJp9co

小さなアパートに浜面の悲鳴が木霊する。
なんとか電子線だけは勘弁してもらえたが、結局全力で殴られ、ボロボロになった浜面は、
せめてものお詫びにと片づけを引き受けることにし、夜も遅いので麦野を帰すことにした。


「本当に送って行かなくていいのか?」


玄関で靴を履いている麦野の背中に声をかける。
夜の学園都市は決して治安が良いとは言えないため、送ってやろうと申し出たが、余計なお世話だと一蹴された。


「誰に言ってんの?
 私をどうにかできる奴なんてどうせレベル5なんだから、どっちにしろアンタじゃ何の役にも立たないっての」
「いやそうだけどよ…」


全くの事実ではあるが、そこまでハッキリ言われるとちょっと傷つく繊細な男浜面。


「さっきは押し倒して今度は送り狼?明日あいつらに言いふらしてやるからね」
「悪かったって、許してください。このとーり」


『アイテム』の連中からのドン引きの視線を想像して、深々と頭を下げる浜面。
麦野は立ち上がってこちらを振り返り、「よし」と頷いて扉を開けた。
あれ?と浜面は思った。


「じゃ、帰るわ。片付けしてもらって悪いけど」


麦野、もう帰っちまうんだと今更実感が湧いてくる。


「いやこれくらいさせてくれ。美味かったよ、ごっそさん」

61: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 01:57:15.00 ID:AnKJp9co

こんな機会、次またあるのか?
そう考えると少し寂しかった。


「よろしい。そんじゃね」


手をヒラヒラと振って部屋を出ていく。
このままでいいのか?
その背中を見送り、扉は閉まる。
遠ざかっていく足音。

―――いけよ、俺。

そんな言葉が頭の中に響いた。
浜面は意を決したように拳を強く握る。


「麦野!」


強い衝動が背中を押した。
浜面の部屋はアパートの二階だったため、麦野は既に一階に下りて敷地を出ようとしているところだ。
結構な大声に、麦野は驚いた様子でこちらを見上げている。


「あ…その…」


何故飛び出してしまったのか分からない。
だがこのまま黙って帰してしまったら、今までとてつもなく遠かった麦野との距離が、きっとこの先も縮まらないような気がした。
この気持ちが何なのか、自分でも分からない。
でもきっと今日麦野に感じた気持ちは、麦野に見た別の一面は、もっと大切にしなくてはならないものであるように思えたのだ。

62: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 02:00:34.68 ID:AnKJp9co

「なーに?寂しくなっちゃったのかにゃー?
 鍋の蓋とでも会話してれば?気がちょっとは紛れるかもね」


茶化すような麦野の言葉。
浜面は俯く。
だが麦野は待ってくれた。言葉を探す自分を。
言葉なんて何でもよかった。
麦野の新しいタチの悪い遊びに付き合わされたのだとしても。
暇つぶしの一環だったのだとしても。
もうどうだっていい。
今日だけの、いつもの麦野の気まぐれを、今日だけで終わらせてほしくはなかったのだ。


「また、来てくれねえかな?」
「え…?」


暗闇が麦野の表情を隠している。
麦野の声だけがやけにはっきりと聴こえた。
それでよかった。浜面は、麦野の顔を真っ直ぐに見る自信が無かったから。


「いや、俺料理あんま得意じゃねえっていうか、一人じゃめんどくさくってやらないっていうか。
 カップラーメン好きだし、コンビニ弁当も嫌いじゃねえし。
 だけど、やっぱり自炊じゃないと栄養偏るし金かかるし。ああダメだ何言ってんだ俺は…。
 とにかくお前の手料理すげー美味かったから!また食いたいんだ!」


沈黙が心臓の鼓動を鮮明にする。
全身の血管が沸き立つような熱を宿す。
取り返しのつかない言葉を口にしたのではと呼吸が止まった。
やり直しが効くなら、もっと気の利いた言葉で彼女を引き止めたい。
もう後悔しても遅いが。
そして少しの間を置いて、麦野はこちらを見上げたまま、口元に微笑を浮かべる。


「私はアンタの飯炊き係じゃないんだけど?」
「は、はは。そりゃそうだ」

63: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 02:03:24.11 ID:AnKJp9co

響かない笑い声で返す。
あれ、俺ショック受けてる?と浜面は肩から力が抜けていくのを感じた。


「…いいよ」
「冗談冗談、さすがに天下のレベル5、麦野サマにそんな……なんだって?」


さすがにそう上手くいかないな。
自嘲しながら頭をボリボリかいてため息をついていたものだから、麦野の小さな声を聞き漏らした。
思わず手すりに身を乗り出して聞き返す。


「だから…その、来てあげるっつってんの。明日も来るっつってんの!」


今度は一言一句聞き漏らさない。唇を引き結び、ほんのり頬を赤らめて、麦野は高らかに宣言してくれた。
予想だにしなかった返事に、浜面は自分の顔が熱を帯びていくのを感じていた。


「ぅぇぇええ!!マ、マジですか!?」
「明後日も来る!毎日来る!」
「ま、毎日!?」


いやそこまでしてくれなくても、と麦野のどこまで本気か分からない答えに浜面がうろたえる。
だが麦野は視線を逸らさない。本気で言っているのか、この女は。


「勘違いしないでよ。最近料理が趣味なだけだから。別にアンタの為じゃ…ってなんてベタなこと言ってんだ私は」


いかんいかんと首を振っている麦野。なんだ、やっぱり結構面白い奴だと浜面は思った。口に出す勇気はないが。


「と、とにかく気が向いたらね!あ、それから今日のことはあいつらには内緒だよ!じゃ、おやすみ!」


まくしたてるようにそう言って、麦野は一度も振り返らずに軽やかな足取りで薄暗がりの住宅街に消えていった。
残された浜面は、麦野がそんな風に言ってくれた嬉しさと、自分の言動の恥ずかしさに膝から崩れ落ち、
そんな複雑な気持ちをブチマケるように夜空に向って咆哮した。

80: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 21:39:23.96 ID:AnKJp9co

―――――――


「んー?なんか遠吼えみたいなの聞こえるね」


滝壺は絹旗と共に住宅街を歩きながら、微かに聞こえてくる声に耳を傾けた。


「どーせ浜面みたいに盛りのついた超アホな野犬かなんかでしょう…ぐふぅ」


絹旗はグッタリとした表情で滝壺に連れられ夜道を歩いていた。


「ごめんね、きぬはた。お手洗行きたかったんだね、気づかなかったよ…」


映画が終わり、トイレに駆け込んでからずっとこの調子の絹旗。
確かに3時間トイレを我慢するハメになり、もう少しで膀胱炎になるところであったが、
絹旗がゲッソリとした顔になっているのはそれだけが原因ではない。


「イエイエ、イインデスヨ滝壺サン。滝壺サンニ楽シンデモラエタナラ私ハソレデ超満足デス」
「うん、楽しかった。誘ってくれてありがとね。すごい面白かった…カメハメ」
「うぎゃぁあ!」


未だにキラキラしている滝壺。
映画終了後、夕食がてら入ったカフェで滝壺がそれはそれは饒舌だったのだ。
トイレを我慢しながら好みではない映画を3時間近く見てしまったうえにその感想を同じ時間だけ聴かされたものだから、
絹旗はその作品に関連するワードを聴いただけで膀胱の痛みが誘発されるような可哀想な体に開発されてしまっていた。


(ううぅ…この苦しみを一人で超味わうなんて理不尽です。浜面や麦野も超同じメに合わせてやるとしましょう)

81: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 21:41:35.10 ID:AnKJp9co

「この映画をもっとみんなで語り合いたいな。明日むぎの達にも教えてあげよう」
「そ、それは超いい考えですね!ぜひそうしてあげてください!できれば私の超いないところで!
 そしてくれぐれも私のいないところで超語り合っていてください、そう超永遠に」
「……」


と、そこで何かを思いついたらしく、滝壺がジットリとした視線で絹旗を見つめる。
頬に汗が流れていくのを感じながら、「なんですか?」と首を傾げると。


「ピッk…」
「ひぎぃっ!」
「ヤムch」
「ひでぶっ!」
「亀s…」
「らめぇええええ!」


禁止ワードを連呼され、ビクンビクンなっている絹旗。
滝壺の口からの「おもろい…」という言葉は、自らの悲鳴で聴こえなかった。


「ううう、超ひどいです滝壺さん」
「ごめんごめん。もうしないから許して」


涙目の絹旗は頭を撫でられながら歩いていると、暗がりのむこうからよく見知った顔の人物がこちらに向ってきていた。


「あれ、むぎの」
「え?あ、ほんとですね。おーい、麦野ー」


鼻歌を歌いながら歩いてくる麦野。どうやらすこぶる機嫌がよろしいようだ。
手には大きめのバッグを持っており、どこかで暴れてでもいたのか、少し髪が乱れていた。

82: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 21:47:02.93 ID:AnKJp9co

「ん、あなた達。今帰り?」
「そうです。超色々ありまして。辛いことが」
「はぁ?」


半泣きの絹旗を見て意味がわからないと言いたげな顔をする麦野。


「むぎのはどこか行ってたの?」


眠そうな目で滝壺が尋ねる。


「ああ…。ジム行ってきた」


麦野は一瞬言葉を選んでいるような間を空けたが、すぐにカードケースから会員制スポーツジムのvip会員証を取り出した。
彼女が休みの日やちょっとした空き時間にスポーツジムに通っているという話は聴いたことがあったので、
二人は特に深く考えずにそうなんだと頷く。


「ちょっとの合間にでも超通わないとそのわがままボディは超完成しないんですねー」


と感心したように絹旗は唸る。


「そうだよ、続けなきゃ意味ないの。あなた達も行ってみれば?紹介するよ。
 滝壺とか運動好きじゃないの分かるけど、運動不足は自分に返ってくるよ?」
「うん。寝てるだけで運動になる器具とかあるなら」


んなもんあるかと麦野に脇腹を小突かれながら、しばし談笑していると、
絹旗がふと腕時計を見て時間を確認する。


「あ、ヤバ、そろそろ帰りますね。明日私超学校なんです」
「私も。宿題やってない…」


83: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 21:50:32.93 ID:AnKJp9co

『アイテム』での活動が生活の中心とはなっているが、学園都市にいる以上彼女達は当然学生である。
滝壺は高校生、絹旗は中学生。
フレンダだって女子高に通っているようだし、麦野ももちろんそうだ。
サボっても学園都市上層部と密に繋がっている彼女らはある程度出席に関して融通が利くが、
そういう問題ではない。
授業は能力開発だけではないし、行かなければ様々な科目についていけなくなってしまい、
クラスメイトとも疎遠になってしまう。
それゆえ、絹旗達は皆『アイテム』の仕事が無いときにはちゃんとそれぞれの学校に登校しているのである。
ちなみに本日は平日だが、昨夜遅くまで仕事が入っていたので皆休むことにしたのだ。
しかしそう告げると、麦野は学校という言葉にあからさまに嫌そうな表情を返した。


「ガッコーねぇ」
「麦野もちゃんと行ったほうがいいんじゃないですか?」
「めんどくさ。行ってもすることないしなー」


授業聞けよと中学生絹旗に思われる麦野沈利女子高生。


「あんまり行かないと不審がられるんじゃないかな?」
「そうですよ。麦野、超不登校児だと思われますよ」


確かに、いくら『上』の連中が便宜を図ってくれるとは言え、あまりに学校に来ていないのに進級している姿を見れば
周りの目は少なからず麦野に注目する。
レベル5でしかもこの性格の麦野に堂々と文句を言ってくる人間は少ないだろうが、それでも一応表舞台には存在しない組織であるはずの
暗部の人間が衆目を集めるのは、あまり芳しい事態とは言えないだろう。
ただでさえ高レベルの能力者は羨望と嫉妬の対象となりやすいのだから、麦野は自分たちよりさらに慎重に行動するべきなのだと
絹旗は常日頃から思っていた。


「あーはいはい。まさかあなた達に学校のことで説教されるとはね。来週からがんばるよー」

84: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 21:52:49.15 ID:AnKJp9co

めんどくさそうに苦笑して、雲行きが怪しくなってきたことに気づいた麦野はさっさとこの話題を
終わらせようとしているのか、適当な口調でそう言った。


「むぎの、ダメな大人みたいなこと言ってる…」
「はいはい気をつけますって。ほら、明日早いんでしょ?帰った帰った。
 子供は寝る時間だよ。危ないから送ったげよっか?」


矛先が自分のほうを向いているのが嫌らしく、結局麦野は話題を無理やり打ち切る。


「キー!余計なお世話ですっ!人を超子ども扱いしないでください。
 今に麦野よりダイナマイツになってやりますから超覚悟しといてください!吐いた唾は飲めませんよ!」
「そ。まあせいぜいがんばりな。絹旗がそうなれたら、川に全裸で飛び込んで鮭捕って弁当作ってあげるわよ」


オーホッホッホとわざとらしく小馬鹿にするように笑って、麦野は再び鼻歌交じりに住宅街を闊歩して行った。


「うぐぐ、私今超バカにされましたよね!超くやしいです!」


立ち去る麦野の背中を見ながらやいやい言う絹旗。


「売り言葉に買い言葉だと思うけど…。それにしても、むぎのすごく機嫌よかったね」

85: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 21:53:59.06 ID:AnKJp9co

徐々に小さくなっていく麦野から視線を外さず滝壺は言う。


「あ、それは超思いました。送っていこーか?なんて。
 朝のことと言い今日の麦野はいつにも増して超変でしたね」
「………」


ぼんやりとした瞳。だが、滝壺の視線は既に見えなくなった麦野を追って離れなかった。


「どうしました滝壺さん?私たちも帰りましょう」
「ん、分かった」


言われ、絹旗と共に歩き出す滝壺。
だが彼女はもう一度振り返り、ほんの少しだけ首を傾げて誰もいない空間を訝しげに見つめていたことに、
絹旗は気がつかなかったのだった。


86: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 21:55:20.63 ID:AnKJp9co

―――――――


麦野は、大きな浴槽で口元まで湯に浸かり、ブクブクと空気を吐きながら今日のことを思い返していた。


(恥ずかしい一日だった…)


脚を伸ばして、むくみを取るマッサージをしながらそんなことを想う。
浜面に料理を作ったこと、浜面の寝顔を見たこと、浜面と二人きりで話をしたこと。
当然ながら、全てが麦野にとって初めての経験だった。
それ加えて、最後の彼からの申し出。


(また、行っていいんだよね…)


部屋を出るとき、本当に少しだけ名残惜しいと思っている自分に気づいていた。
だが、またここに来たいという明確な欲求があったわけではないし、機会があればそういうことがあっても
まあいいかという風にしか思っていなかった。
でも彼は言ってくれた。
また来て欲しいと。また私の料理が食べたいと。
素直に嬉しかった。
些細なことかもしれないが、学園都市第四位として以外のことで誰かに必要とされるのはあまり記憶にないことだったから。
だから、彼に「また来てくれ」と言われたとき、全身の血液が逆流したかようなゾクゾクとした感覚に襲われた。


(でもあれはさすがに…)

87: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 21:57:34.08 ID:AnKJp9co

ギュッと自らの肩を抱く麦野。
浜面に抱きしめられた。
そう思い出すだけで自分の心臓が骨や皮を突き破って外に出てきそうなほど脈動する。
思っていた以上に大きかった浜面の体。力強く、硬かった彼の腕。
あの時は驚きが勝っていたためそれどころではなかったが、今になって思う。
恥ずかしすぎると。
最後はなんだか自分もテンションがあがって毎日来るとか叫んでしまったし、
あの時の顔を見られていなかっただろうか。きっと強張ってブサイクだっただろうし、
出来れば見えてなかったらいいなと麦野は思った。


(あぁあやめよやめよ。考え出すと止まらないし。
 いずれにせよ行くって言っちゃったわけだし、次何作るか考えとかないとダメだ)


ブルンブルンと首を振り、思考の深みにハマりそうな自分を現実に引き戻す。
実際普段から料理をする方ではない麦野は、冷蔵庫に入ってるものを見てパパッと何かを作るなんてことは
到底不可能だ。
前もって何を作るか考え、その上で計画的に手順を踏んでいかなくてはいけないのだ。
浜面は美味しいと言ってくれたが、正直美味しいのは当たり前だった。
肉が食いたいと言われ、ハンバーグを作ろうと思った後、ネットで作り方を調べて分量もきっちり量って作ったのだから。
失敗するほうがおかしい。
今回で最大限引き上げてしまったハードルを次も超えて行くために、日々のたゆまぬ努力を欠かすわけには
いかなくなってしまった。


(ええい、やるだけやってやるわ。見てろよはーまづらぁ!次はもっと美味しいって言わせてやるから!)


拳を握って一人風呂の中で天に突き出す。
このとき麦野はまだ気づいていなかった。
最初は滝壺に負けたくないという気持ちから始めたこの気まぐれが、
今はもう浜面を喜ばせたいという気持ちに変わっていることに。


88: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 22:01:24.35 ID:AnKJp9co

―――――――


「じゃーん。今日は鯛の煮付けだよん」


浜面宅の台所での料理姿がすっかり板についた麦野。料理のレベルもかなり上がっていた。
その成長ぶりはさすがレベル5の学習能力と言ったところか。
現在、初めて浜面の家を訪れてから1週間が経過していた。
あの日以来、学校が終わった『アイテム』の面々といつものファミレスで駄弁った後、
そのまま一度解散して一人浜面の家に向かうというのが、麦野の毎日の予定に追加されていた。
別に皆に隠す必要は無いと自分でも思うのだが、なんとなく気恥ずかしいのと、
二人だけの秘密を共有しているというところに少しだけ特別な感情を抱いていた。
浜面との約束通り、麦野は毎日浜面の家に通ってやった。
当初は驚いていた浜面だったが、彼にとっても麦野が家にやってくるということが一日のライフサイクルに追加され、
かつてのような変な緊張感もなくなり、端から見れば非常に良好な関係であるように見えた。


「ヒャッハー!ここ最近の我が家の食卓は豪華だぜぇええ!」


お皿に乗った鯛の煮付けを高々と掲げて笑顔を向けると、並み居る強豪を押しのけて甲子園行きのチケットを手にした
万年1回戦負け高校の球児のように喜びを露にした浜面が小躍りする。
最初の日は麦野が食材を色々と買っていったが、さすがに申し訳ないと思ったのか、
今は浜面と折半して材料代を出し合っている。
有り余る財力を持つ麦野としては金銭面のことなど考えもしていなかったが、
浜面からその申し出を受けたとき、その気遣いが嬉しかったため素直に受け入れることにしたのだった。


「いやー、麦野さまさまだな。おかげで何だか健康になった気がするなー」


涙で前が見えない浜面に麦野が苦笑する。
両手を合わせて食事を開始する二人。

89: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 22:03:41.70 ID:AnKJp9co

「大げさだっての。アンタ普段どんなご飯食べてたの?」


うめぇうめぇと連呼している浜面。
本当は嬉しいが麦野はあくまで平静を装う。
こういうとき可愛げのある反応を返せたらいいのだろうなと思ったが、
何故浜面に愛想を振りまかなくちゃいけないんだと慌てて自分に取り繕う。


「まースキルアウトだった頃は皆で色々作ったりもしたけど、お前らと行動するようになってからはさっぱりだなー。
 やっぱ一人で作って一人で食うのって結構虚しいもんよ。麦野が来てくれるまではカップラーメンとかそんなんばっか」


もごもごと咀嚼しながら浜面がそう言う。
それは麦野にもなんとなく分かる。
つい1週間前までは自分だって一人のとき適当に済ませることが多かった。


「麦野はどうだったんだよ?」
「私は滝壺達を誘って外食することが多かったな。
 みんな一人じゃ自炊すんのめんどくさいもんだから、自然に今日どこ行く?みたいになってさ」


麦野はぼんやりと思い出しながらそう言う。


「滝壺は好き嫌いあんまり無いけどめちゃくちゃ少食なんだ。
 絹旗も結構なんでも食べるけど妙にグロイもん注文するし。
 店選ぶの大変だったんだから」


楽しそうに話す麦野。
浜面も機嫌良さげに話す麦野を見ながらうんうんと頷く。

90: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 22:06:42.21 ID:AnKJp9co

「へー、フレンダは?やっぱサバなのか?」
「サバだね。っていうかあいつはものっっすごい偏食。
 っつか店選べない原因の大半はあいつだもん」
「なんで?」
「まず米が嫌い。欧米人だからなのかな?って思ってたらパンもダメらしいの。
 でもドリアとか炒飯とかはいけるんだよ。どういうことって感じよね。
 そんなわけだからみんな好みが違いすぎて、自然と色んなもん置いてる店に入るようになって」
「あー、それであのファミレスなのか」
「そ」
「お前ら金持ってんのになんであんな安レストランなんだよってずっと疑問だったんだ」
「ドリンクバーある店このへんじゃあそこだけってのもあるけど」
「てかお前ら勝手に持ち込んでんじゃん。シャケ弁とかサバ缶とか」
「ダメなの?何も言われたことないけど」
「堂々とし過ぎてて逆に突っ込めねえってことか…」


麦野はもう食べることも忘れているようだった。
キラキラと輝くような優しい表情で『アイテム』の女子連中のことを話している。


「なんつーか、お前ら結構仲良いよな」
「はぁ?」


少し空気が落ち着いたので、浜面は食事を再開しながらポツリと言った。
魚をほぐしていた麦野は作業を止めて浜面に視線を移す。


「いや、暗部組織って言うくらいだし、もっとドロドロと互いに互いを牽制しあってる感じなのかと思ってたんだ。
 でも仕事上だけの付き合いってわけでもないし、なんだかんだ言ってお前らいつも一緒にいるしな」

91: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 22:08:35.53 ID:AnKJp9co

言われ、確かにと麦野は思った。
でもあの連中のことを友達だとかそういう風に思ったことは無い。
情が移りすぎるのも仕事の上では好ましいことではないだろうし、一定の距離を保って付き合ってきたはずだ。
もちろん無碍にする理由が無いから誘われれば遊びにだって行くし、長い付き合いだからそれなりに彼女らの
長所も短所も受け入れられるだけだ。
だから別に仲が良いとかそういうわけじゃないのだ。
というようなことを浜面に告げると。


「いやお前な。それを世間一般では仲が良いって言うんじゃねえの?
 正直女だらけの組織なんて言うから、あいつがいないとこじゃあいつの陰口。
 そいつのいないとこじゃそいつのって感じなのかと思ってたよ」
「うん、まあ分からなくはないけどね」


麦野は苦々しい表情になる。少し嫌なことを思い出したような顔だった。


「けど一応命張って仕事してんだから、こんな小さな組織内で足の引っ張り合いしてるようじゃ駄目でしょ。
 つか、もし私らがそんなんだったらとっくに潰れてるっつの」
「なるほど。確かにそーだな」
「それに絹旗なんか中学生だよ?もし私らがあいつの陰口とか言ってたらなんかもう人として恥ずかしいって」


中学生絹旗をいびる麦野の図を思い浮かべたのか、浜面が「全然ありえる画だ」と呟いたのを
麦野は見逃さずに、彼の足を思い切り蹴り返した。
仰け反る浜面を鼻で笑い、加えてこう言う。


「ああ言い忘れてたけど、私ら浜面の陰口はいっつも言ってるよん」

92: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 22:13:07.72 ID:AnKJp9co

ペロリと舌を出し、ウィンクする麦野。


「ぅおい!俺の褒め言葉返せ!」


麦野に掴みかかる浜面。


「えー、女の子4人からいっつも噂されるなんて浜面クンてばモテモテー、ウラヤマシー。
 カッコイー!惚れちゃいそうだぜ☆」


白々しい笑顔だった。


「ギャー普段何を言ってやがるんだー」と大騒ぎする浜面に両手を掴まれる。


「こらこらいかんな浜面クゥン。ドサクサに紛れて私の両手を封じて、どうするつもりかにゃー?」


気がつくと浜面に両手首を掴まれて壁際に追い詰められている麦野。
ドラマとかなら「もう逃げられないぜ、観念しなお嬢ちゃんグヘヘ」となるところだが、もちろんそんなことになるわけがない。
よく見ると麦野のピンクのミニスカートの裾が乱れ、白い太ももの付け根までもが見えそうになっている。
と言う事は、当然そこに付随するのはレースをあしらった、スカートと同色のベビーピンク。
大人の妖艶さと無垢な清純さを併せ持った麦野の下着。
浜面の鼻の下をドロリと赤いモノが流れ落ちる。


「すまん!わ、わざとじゃないんだ…!」


我に返った浜面はすぐに手を放し、麦野の眼前で土下座する。
しかしそこでまたこの男はミスを●●た。
下着が見えるほどめくれあがってしまっているスカートの直前での土下座。
これはもはやヤケクソの覗き行為に他ならない。
当然数十センチ先にはベピーピンクのレースが鎮座ましましているわけで。
柔らかそうな、真っ白い太ももに挟まれたピンクの布地は、浜面が視線を逸らすことを決して許さず、
暴力的なまでの視覚攻撃によって体は微動だにできなかった。

93: ◆S83tyvVumI 2010/04/22(木) 22:14:54.94 ID:AnKJp9co

「はーまづらぁ。顔をあげてよ。私、怒ってないよ?」


麦野の優しい声が頭上から降りてくる。
浜面はギリギリと噛み合わない歯車のようにぎこちなく彼女の顔を見上げた。
天使のような微笑だった。
ほんの少し。
ほんのわずかの希望を持ってしまったが故に、浜面ははっきりと見てしまった。
そのまま頭を下げたままだったら、こんな絶望、味合わなくて済んだのに。
そう。
彼は見た。
麗しくも慈愛に満ちたその微笑が。
口元を真横に引き裂き変貌するその瞬間を。


「スクラップの時間だぜぇ!クッソ野朗がッ!」


夜のアパートに、浜面の絶叫が木霊する。
浜面の肉体が愉快なオブジェに変えられていく。
死ぬのが先か。アパートから追い出されるのが先か。
全てはこの男の耐久力にかかっているのだった。


102: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:10:23.68 ID:iGh8Xjso

―――――――


学園都市史上に残る猟奇的殺人事件一歩手前から数日後。
瀕死の状態から生還した浜面仕上の前で、『アイテム』の女子4名は整列していた。


「えー本日はお日柄もよくお集まり下さいましてありがとうございます」

「生憎の超曇天でしょうどう見ても。超アホなんですか?超死ぬんですか?」
「っつかめんどくさいから早く案内してくんない?」
「結局、浜面ってば段取り悪いのよね。何で整列する必要があんの?」
「がんばってはまづら、それでもめげないはまづらを私は応援してる」

「テメェらはほんの数秒も大人しくできねえのか…」


時刻は間も無く午前11時。
ボロッボロのくそみそに言われている浜面と、私服姿の美少女4名は、第6学区に最近オープンした
総合アミューズメント施設へと訪れていた。
本日は、以前にフレンダと麦野が話していた皆でどこかに行こうという計画を浜面に押し付けた結果、
ここがオープンするらしいから行こうぜということになって皆で遊びに来たというわけである。
この施設は、カラオケやボーリング、ゲームセンターなど、多種多様な娯楽施設が入った若者向けの
最近はどこでも割りとよくあるアミューズメント施設である。
しかもそれに加えて大きな浴場や飲食施設等等、ここにいればとりあえず一日は余裕で過ごせてしまう
とても書き手に優しい素敵スポットなのだ。
やや遠出と言うことで、普段よりも少しだけおめかししている女子一同を引き連れ、浜面は施設の中へと先導した。


「お、受付はこっちみたいだぞ」


振り返る浜面。

103: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:11:53.09 ID:iGh8Xjso

「すごーい!きれー!新しいー!麦野見て見て!水槽あるよ!鮫泳いでる!」
「なんで鮫なのかしら?」
「この鮫ってむぎのに似てるよね…」
「は?どこが?顔とか言ったらいくら滝壺のいつもの電波発言でもぶっ殺すわよ」
「……。咬むところとか」
「おー、滝壺さんが超焦ってます」

「君たち聞きなさい」


玄関ロビーに置いてある巨大な水槽の前でくっちゃべっている女子連中がそこにいた。


「私がいつ噛みついたのかしら滝壺ちゃん?んー?」
「……2階から信号が来ています」
「こら、誤魔化すな」
「いた。むぎのがぶった…」
「もう麦野。ジャイアンですか」
「誰がジャイアンだ。じゃああんたはドラちゃんかしら?」
「だ、誰がタヌキですか!?」
「あははー、じゃあ私はしずかちゃんって訳ね?」
「「いや、アンタはスネオ」」

「君たち…」


浜面の言葉は届かない。


「二人ともひどい!私のママはざますなんて言わないもん!」
「元気出して、すねおくん」
「滝壺まで!」
「ほーらスネちゃま。新しいマンガとゲームとラジコンは私のところまで持ってくるのよ」
「ぬうう…!麦野のバカー!ジャイアン!出べそー!乱暴ものー!」
「ほほほ、なんとでもおっしゃい」

「あの…」

104: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:13:11.08 ID:iGh8Xjso

お喋りに夢中な彼女達だった。


(女三人寄れば姦しいって上手いこと言うよな)

「ボソッ…年増」
「テメェ絹旗今なんつったぁ!?」
「大丈夫むぎの。麦野は年増なんかじゃない。大人っぽいだけ。そんな素敵な麦野を私は応援してる」
「滝壺、やっぱあなたは心の友ね。さっきは叩いてごめんなさい。いい子いい子」
「…お母さんみたいなだけ」
「滝壺。アンタ今日は随分反抗的ね。たっぷりお仕置きしてあげなくちゃ駄目かしらぁ?」
「麦野ぉ!私にもお仕置きしてぇ! 的な意味で!痛くても麦野にされるなら我慢できる訳よ!」
「お前は寄るな変態!」

「もうほっとくか」


と浜面はとうとう諦めて一人で受付へ向おうとしたが、一応着いてきている様子で
ギャーギャー騒がしい4人を引き連れ何とか移動する。
建物の中は新しくオープンしたばかりということで非常に綺麗だった。
ピカピカに磨かれた床と、高い天井一杯に敷き詰められた電灯がキラキラと施設内を輝かせており、
なかなかの高級感を醸し出している。
本日は休日であるため入場できるか不安だった浜面だが、やや高めの料金設定と、かなり大きく広い施設であるということもあって
人でごった返している印象は受けなかった。
それでも普段会員制サロンやvipルーム、施設の貸切等でゆったり遊んでいるため人ごみに縁のない彼女らからすれば
充分大混雑している部類に入るのだろうが。

105: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:14:30.97 ID:iGh8Xjso

「ふーん、なるほどね。浜面にしてはまあまあ悪くない選択じゃない?」
「そうかい、ありがとよ」


褒めているんだか貶しているんだかよく分からないが、これは一応麦野なりに褒めている。
いつもヒラヒラのスカートやワンピースという出で立ちの麦野。
もちろん今日も例に漏れず、ざっくり開いた胸元にレースをあしらった白いシフォンのチュニックワンピース。
ただしいつもと違うのは、ジーンズを合わせているということだ。
先日浜面にスカートの中身を覗かれるというベタなラブコメのような事態に遭遇してしまい、
それからというもの下にショートパンツやレギンスを穿くことが多くなった麦野。
もっとも、ピッタリと麦野の脚線美をするローライズのジーンズは、それはそれで浜面的にグッとくるものがあるのだが、
再び内臓をこねくりまわされるような攻撃を受けるのは辛いので顔には出さないように意識する。
先日も、下手にボロボロにすると皆の追及を受けると思ったのか、麦野は「顔はやめな、ボディボディ」と
浜面のレバーをしこたまぶん殴っていた。


(人多いとこにいるとやっぱ麦野は目立つな。あちこちから視線を感じるぞ。
 お前ら騙されるんじゃねえ!確かに顔は可愛いし胸もでかいしスタイルもよくってお洒落だが、
 ゴジラ並に乱暴なんだぜ!)


周りの男からのチラチラとしたし視線を感じる浜面。
変なナンパ野朗が寄ってきませんようにと思いつつそれらに牽制を送る。
しかし、ファッション雑誌からそのまま出てきたかのような麦野に、自分でも目がいってしまう浜面だった。


106: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:16:20.57 ID:iGh8Xjso

「まあここならお前らでも何かしら楽しめるだろ」
「新オープンという言葉に超逃げたとも取れますけどね。で、どこから行くんですか?」


デニム生地のサロペットを着ている絹旗がそう言う。
やれやれと落ち着いた振る舞いを見せているが、先ほどから眼を輝かせて今にも走り出しそうにウズウズしている。
尻尾がついていればかなりの速度でパタパタ振っていることだろう。
彼女はよく着ているウールのワンピースもそうだが、とにかく足をかなり際どい位置まで出している。
だがそれでいて絶妙な丈をキープしており、決してやり過ぎ感を感じさせないところがさすがと言ったところか。
明るい色のカットソーと相まった活動的なコーディネートに年相応の可愛らしさが見て取れる。


「どうすっかな。誰か何かリクエストあるか?」
「そうねー。お昼前だし、軽く運動するのもいいけど、いきなり汗かくのもしんどいわねえ」
「結局何でもいいけど、まずはカラオケとかどう?」


もの珍しそうに辺りをキョロキョロ見回していたフレンダは、壁の案内版にデカデカと表示されているメニューを指差しそう言った。
普段の制服のものとは違い、緑系のチェックのプリーツスカートを穿き、白いシャツにスカートと同系色のカーディガンを羽織っている。
キャンバス地のハイカットスニーカーが足の細いフレンダによく似合っていた。


「カラオケ苦手だな…。歌わなくてもいい?」
「だーめ。滝壺いつもあまり歌わないでしょ。たまには歌いなさい」


麦野に言われ、渋い顔をするものの、抗議しても無駄だと思ったのか、滝壺はそれ以上何も言わなかった。
どことなく浮き足立っている面々と比べて、今日も滝壺は眠そうな眼でぼんやりと突っ立っている。
しかしなんと彼女も今日はジャージではない。
白いTシャツに黒のショートパンツ。
他の面々にも言えたことだが、シンプルな格好ながらそのルックスと細身の体系に良く似合っている。


(滝壺もみんなで遠くに出かけるとなれば多少はオシャレをしたくなるのか)


と浜面は嬉しいような気恥ずかしいような妙な気分になるのだった。
ちなみに、かくいう浜面はいつもの茶色いジャージにジーンズ姿である。

107: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:17:59.61 ID:iGh8Xjso

「んじゃまとめて受付してくるから待っててくれ。あ、入場料は一人5000円な」
「ありがとう、はまづら」
「気が利くじゃない。いつもそうだといいのに」


そう言って浜面に財布から五千円札を取り出し手渡す滝壺と麦野。


「えー、浜面の奢りじゃないのー?」
「美少女達と一日一緒にいられるなら超安いもんじゃないですか。
 それくらい超払ってやろうという殊勝な心がけは無いんですか浜面」
「んなもんあるか!お前らの財布にはそれよりゼロ二つくらい増やして金入ってんだろ!」


フレンダや絹旗のブーブーというコールに浜面が結構本気で抗議する。
『アイテム』と違ってあくまで下部組織に所属している浜面には彼女ら全員に奢ってやれるだけの財力など
あるわけもない。


「はあ、今日も超浜面ですね。いくら私達でも50万も入ってるわけないでしょう。それは麦野だけです」
「バカ、入ってるか」
「あてっ!うう、超痛いですジャイアン」
「まだ殴られ足りないのかしらドラちゃぁん?」
「…ボソッ…更年期障害ですか…」
「絹旗ァッ!」


麦野に頭頂部に数十発の手刀を入れられる絹旗。


(麦野。俺は知っている。お前の財布には俺が今後一生手にすることのないであろう色のクレジットカードがあることを)


とファミレスでいつもカード払いしている麦野の姿を思い浮かべる浜面。
世の中の不公平を嘆きながら、何とか全員から入場料を回収し終えて受付カウンターへと向かう。
入場するまででこんなに騒がしいのに、一体今日一日でどんな目に合うのかと不安になるが、
なんだかんだ言ってテンションが上がっているからこその彼女たちの言動だと思えば、
多少の面倒もまあいいかと思えてくるような気がする浜面なのであった。

108: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:20:11.01 ID:iGh8Xjso

―――――――


というわけで施設内の至る所に置いてある無料飲み放題の自動販売機で飲み物を入れて
カラオケルームに入った一同。
ソファ、テーブル、カラオケの機械が置かれたごく一般的な構造だった。


「ふぅ、よっこいせ」
「おっさんですか浜面」


オヤジくさい掛け声でどっかりとソファに腰掛ける浜面。


「はい、はまづら」


座って一呼吸も置かないうちにマイクと、曲を検索入力する電子目録を隣に座る滝壺から手渡される。


「あ?なんだこれ?」
「見ての通りのデンモクな訳よ」


受け取り、皆の顔を見渡す。
全員が全員当然のような顔で飲み物を飲んだり施設のパンフレットを読んだり携帯をいじったりして好き勝手に行動している。


「おいおい、まさか…」
「一番最初ってみんな嫌がるから…。悪いんだけど、はまづら、お願いできないかな?」
「お、おう。わかったよ、まかせとけ」


まあ気持ちは分からなくも無い。
自分だって最初に歌うのは気恥ずかしいものがあるが、滝壺に上目遣いでお願いされたら応えぬわけにはいかない。
なんとなく向い側に座る麦野の視線が怖い気がするが、触れるのもそれはそれで怖いので気づかぬふりをして電子目録を操作する。

109: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:21:45.60 ID:iGh8Xjso

(麦野なんて普段はマジでジャイアンみたいな性格してるくせに一番最初に歌うのは恥ずかしいってのか。
 女ってわかんねーな)
「せっかくの機会ですし採点機能で超遊びましょう。一番合計点が低かった人は超罰ゲームってことで」


そこそこに好きなJ-POPの曲を入力した瞬間、絹旗がそんなことを言って別のリモコンを操作する。
もっと簡単そうな曲を入れればよかったと後悔する浜面。


「ちょ、テメ絹旗!罰ゲームはなんだよ?!」
「おやおやぁ、いきなり負ける気とは負け犬根性超丸出しですね。
 ま、結果を見てから考えるとしましょう」
「はまづら、始まるよ」
「ちくしょーっ!」


既にイントロに入っていたので仕方なく歌い出す。
女の子とカラオケなど行ったことのない浜面はこういうとき何を歌えばいいか分からなかったため、
とりあえずは一般的に有名な男性アーティストの曲を入れた。
テンポも速くもなく遅くもないし、キーの上がり下がりも激しくは無いというのが不幸中の幸いか。
しかしやはり初めてのメンバーの前でいきなり歌わなくてはいけないということもあって
いまいちノリきれない。
皆の反応が気になり画面の字幕から視線を外してチラリと周りを見渡すと、
次の順番であろうフレンダが目録を操作している以外は浜面の歌を聴いているようだった。


(なんでちゃんと聴いてんだよ!ジュースでも飲んどけよ!
 あーくそっ、滝壺なんか手拍子までしてくれちゃって!
 なんだこれ、めちゃくちゃ恥ずかしいぞ)


歌は上手いほうでないことを自覚している浜面としては、興味なさげにしてくれてたほうが気分的に楽だった。
それが意外や意外、絹旗や麦野は普通に画面を見ながら体でリズムをとっている様子だし、
滝壺に至っては小さく手拍子で盛り上げようとしてくれている。

110: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:23:27.12 ID:iGh8Xjso

「はぁ、なんか緊張するなこれ」


結局、妙に体が強張ってしまった浜面は背中に変な汗をかきながら歌い終えた。


「お疲れさまはまづら。一番最初だし私も歌うの苦手だから気持ち分かるよ」


ぼんやりとした表情だが微かに笑顔が浮かんでいる。


「なんていうか、超普通ですね。もっとド下手くそだと面白かったのに」


普通、と言うのは漠然としているものの、もっとボロクソにバカにされるのではと思っていた
浜面としては拍子抜けだった。


「お、点数出るよ」


フレンダが画面を指差す。
そこに表示された点数は


「63点か」
「惜しかったね、はまづら」


慰めてくれる滝壺の声にかぶさるように悪魔二人の声が聴こえてくる。


111: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:24:30.58 ID:iGh8Xjso

「うわ、びっみょー」
「超いかにも浜面って感じの点数ですね」
「結局、勝つ気ある訳?こりゃ楽勝かもねー」


クスクスと笑っているフレンダと絹旗。


「うるせーな。オラフレンダ!次お前の番だろ!」


赤面しながらフレンダに乱暴にマイクを押し付ける。
立ち上がり、ヒラリとしたスカートを翻してマイクを握ったフレンダは新人アイドルのような出で立ちだ。


「さあ麦野、私からのラブソングを受け取ってよね!」


ズビシと麦野に人差し指を突きつけるフレンダ。
それを受けた麦野だが、まるで意に介さずオレンジジュースの入った紙コップに口をつける。


「はいはい。いいからさっさと歌えば?」
「ふふん、結局、なんだかんだの麦野の拍手が最高に快感な訳よ!」


イントロが流れ出す。かなりのハイテンポだ。
曲は浜面も名前くらいしか知らない洋楽アーティストのロックチューン。
やっぱフレンダは洋楽なのかーと思いながら聴いていると、今回も滝壺は隣で小さく手拍子をしていた。
せっかくだからと浜面も一緒になって手を叩く。
激しいドラムの音が室内に響く中、キレよく足と体でリズムを刻むフレンダに注目する。
次の瞬間、浜面は彼女の歌に引き込まれていた。

112: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:26:04.50 ID:iGh8Xjso

「こ、これは…!」
「はまづら…?」

(す…すげぇ…!切り裂くような鋭い声で場の空気を一瞬にして変えやがった!
 全く知らない曲なのに、欧米人らしく抜群の発音と滑舌で一気に引き込まれる!
 ヤベェ、この原曲はどんな曲なんだ!そう思わせる確かな歌唱力には溜飲が下がる想いだ!
 声量も申し分ない。金髪の小柄な女がベースとバスドラムの重厚な音の中でも全くヒケをとらず、
 その見た目のギャップが逆に圧倒的な存在感を与えてきやがる。
 しかももはや画面を見ずに麦野ばかり見ている。ハードなロックナンバーながらその情感こもった
 力強い歌は英語の分からない俺にも紛れも無くラブソングだと思わせる説得力を宿している。
 そう、それはまるで音のオーロラッ!俺の耳も目も既にフレンダの歌に奪われて離せない!
 やるじゃねえかフレンダ!俺はもうお前のファンになっちまいそうだぜぇぇエエっ!)

「だいじょうぶ?はまづら?」


プルプルと震えて尋常ではない様子にヒキまくっている滝壺にも気づかず、すっかり聴き入ってしまった。
いつの間にか手拍子も止まっている。
こんなにフレンダが歌が上手いとは知らなかった。


「ふぅ。どう!?どう!?麦野!」


歌が終わると目を大きく開いて麦野の顔を覗き込むフレンダ。


「わかったわかった。確かに上手いわよ。顔近いっつの」
「えへへー、麦野、撫で撫でしてー」
「はいはい。えらいえらいよくできました」

113: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:27:52.45 ID:iGh8Xjso

めんどくさそうに拍手をし、フレンダの頭を撫でてやる麦野。
フレンダは満足げに座ってアイスココアで喉を潤した。


「フレンダ。お前めちゃくちゃ上手いじゃねえか。ビックリしたぞ」


浜面も心からの拍手をフレンダに送った。


「ありがと。ま、結局麦野への愛によって成せる技って訳よ」
「アンタキモい」
「あぁん、麦野の罵声でも私は全然言葉攻めに脳内変換余裕な訳よ」
「うぜぇ…」


麦野云々の件はどこまで本気かは分からないが、素直に笑顔で返すフレンダ。
すると間も無く採点結果発表に画面が切り替わった。
いずれにせよ自分の点数よりは高そうだ。


「98点…だと」


浜面は開いた口が塞がらない。
いきなりこんな点差を見せ付けられると一歩罰ゲームに近づいたことを意識させられる。
今になって考えれば、カラオケに行きたいと言い出したのはフレンダだ。
彼女は罰ゲームを賭けた戦いが始まることを見越して自分の得意な土俵に皆を誘いこんだらしい。
もっと警戒すべきだったと今更考える浜面だった。


「ま、いつも通りって感じねフレンダ」
「あー、やっぱ100は厳しいよね」


下のほうに全国順位1位と出てますがそれの何が不満なんでしょうと浜面が考えていると、
次は絹旗がマイクを受け取る。

114: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:29:31.65 ID:iGh8Xjso

「超充分だと思いますけど。あ、次私です」


絹旗の選曲は浜面でも聞いたことのある最近若者に人気の女性アイドルの曲だった。
こちらもフレンダ程の衝撃は受けないものの普通に上手い。
やや高めの絹旗の声はアイドルの歌がよく似合うなという印象を受けた。
ふと向い側を見ると、麦野が目録を操作している。
どうやら次は彼女の番らしい。


(麦野ってどんな歌唄うんだろうな。歌上手そうな感じはするけど)


コーラの入った紙コップに口を付けながら麦野を見つめる。
すると、突然麦野がこちらを向いて眼が合った。


(ヤベッ)


慌てて目を逸らす。
と同時に手で持っていた紙コップをひざの上に落として中身をぶち撒けてしまった。


「うぉ!やっちまった!」
「何やってる訳よアホ面。麦野の歌のときだったら私殺してるよ」
「そこまで言うかお前」
「はまづら、大丈夫?私拭くもの持ってるから」


滝壺は小さな肩掛けのポーチの中からタオル地のハンカチを取り出して膝を拭いてくれる。
結構きわどい位置を手が行き来するのでドキリとなった。

116: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:31:32.68 ID:iGh8Xjso

「いや滝壺、いいっていいって!自分でやるから!悪いな…、洗って返すからよ」


浜面は慌てて滝壺の手を止めてハンカチを受け取り、ゴシゴシとかかったコーラを拭き取る。


「気にしなくていいよ。ハンカチは拭くためにあるの」
「滝壺の綺麗なハンカチを汚しちまったのは申し訳ない!ぜひ持って帰らせてくれ!」
「……?うん、はまづらがそこまで言うなら…」


そんなやりとりでハンカチを結局滝壺から受け取る。
先ほど視線の合った麦野を一瞥すると、彼女も何やら不機嫌そうにこちらを見ており、
浜面が自分のことを見ているのに気づくとプイと顔を背けた。


(怒ってる…のか?何見てんのよ、ブッ殺すわよ?ってことなのか!?
 こいつたまによくわからねえことで怒るから怖ぇなぁ…)


さっきまで機嫌良かったのにと思いながら浜面は再び絹旗の歌に耳を傾ける。


(触らぬ麦野に祟りなし。今日は麦野に下手に近づかないようにしておこう)


密かにそう決心したところで絹旗の歌が終了し、得点発表となる。
結果は89点とかなりの高得点を記録していた。


「あちゃー、90の壁は超厚いですね。フレンダには全然及ばなかったです」
「そんなことないよ。絹旗もすごい上手だった」
「結局、曲の所為もあるんじゃない?結構難しい曲だった訳だしさ」
「ですかねー。っていうか、浜面超コーラ臭いですよ」
「悪い悪い、手が滑ったんだよ。あ、麦野。次お前だぞ」


曲のタイトルが表示されても動かない麦野にマイクを渡してやる。

117: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:34:04.24 ID:iGh8Xjso

「……言われなくても分かってるわよバカ」
「ん?ああ、おう」


考え事でもしていたのか、ジロリとこちらを睨むと、そのマイクを受け取って画面に視線を送った。


(怒らせたのって俺…だよな?謝ろうにも何で怒らせたのかわからんから謝れん…。
 ま、いつものことか。ほっときゃ機嫌直るだろ)


とりあえずそのことは保留にして麦野の歌を聴く。
曲は最近テレビ等でよく耳にするバラード調のラブソングだった。
やはり当初の想像通り上手い。しっとりとした歌声が透き通るように室内に響き渡る。
現在の彼女のアンニュイな雰囲気が切なさを表した歌詞に上手くマッチしていた。


(うめえな。フレンダ並だ…。
 やっぱレベル5は何やらしてもソツなくこなしやがるな)


劣等感を持っている自分が嫌で、少しだけ胸がチクリと痛んだ。
歌っている麦野の横顔を見る。
決して大きく口を開いているわけではないのにかなりの声量がある。
音程を一切はずさないその安定感もさることながら、ラブバラードに欠かせない情感が抜群に篭っている。
気がつくと彼女の歌に聞き入っていた。
その姿が目に焼きついて離れない。恋に破れた女の切なさがストレートに伝わってくるようだ。


(麦野は恋愛経験豊富そうだよな。そりゃこんだけ可愛けりゃ男なんていくらでも寄ってくるだろうし。
 こいつもそのへんのカップルみたいに腕でも組みながらデートとかしちゃったりしてたのか?)

118: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:35:24.08 ID:iGh8Xjso

そんな考えが頭の中に浮かんだ瞬間、ドクンと心臓が脈打った。
麦野も誰かと付き合ったことがあるのだろうか。
誰かに特別な笑顔を向けて、誰かに特別な好意を向けたのだろうか。
相手の誕生日には無理してケーキとか焼いてみたり。
自分の誕生日にはもらったプレゼントをはにかみながら開けて喜んで。
クリスマスにでかいツリーとイルミネーションを寄り添って眺めることを望んだりもしたのだろうか。
浜面は思った。


麦野も誰かに恋をしたのだろうかと。


麦野は今誰かを焦がれているのだろうかと。


(ま、そりゃそれくらい麦野ならあるよな)


チクリと原因不明の痛みが胸を刺す。
最近仲良くなれてきたと思っていたためか、なんとなく麦野のそういう面は見たくないような気がした。


「ブラボー!さっすが麦野!惚れるね!」
「これは90超越えたかもしれないですね」
「ああ、麦野に子守唄を耳元で囁かれながら胸に抱かれて朝まで眠りたい訳よ」
「フレンダは一回病院に超行ったほうがいいかもですね」


頬に手をあててクネクネしているフレンダ。
気がつくと麦野の曲は終わっている。
マイクを持った手を膝の上に置き、一瞬だけこちらを見たような気がした。

119: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:38:17.80 ID:iGh8Xjso

「すげぇな麦野。聴き入っちまったよ」
「褒めても何も出ないわよ。アンタの罰ゲームが近づくだけなんだからもっと焦りなよ」


こちらを見ずに不機嫌そうに麦野は言う。
得点発表の結果、点数は94点だった。


「うへぇ。これは俺ヤバイよなぁ。ま、でも麦野のいい声が聴けたからいいか」
「…っ!ゴホッ!ゴホッ!」


飲み物を飲んでいた麦野が突然咽て顔を紅くしていた。
変なところにでも入ってしまったのだろうか。


「どした麦野?」
「あんたのせいでしょ!?」
「え、何が?」
「ば、バカじゃないの!何でもないわよ!」


麦野が何だかよく分からない状態だが、それはともかく状況はよろしくない。
皆レベルが高すぎて自分では着いていけそうもないのだ。
次の滝壺が高得点を叩き出したら恐らく罰ゲームが現実のものとなるだろう。
既にマイクを持って立ち上がり、滝壺は眠そうな目で画面を見つめていた。


(滝壺の歌か…。苦手って言ってたからこの中じゃ一番俺と競るかな。
 でもカラオケが嫌いで普段歌わない滝壺が罰ゲームてのもなんか可哀想だよな。
 いや、けど俺も罰ゲームは嫌だし…うーむ、ジレンマだ)
「はまづら、ビックリしちゃ嫌だよ…?」


うんうん唸っている浜面の頭上から滝壺の声がポツリと降ってきた。


「え?」
(あれ、この曲って…)

120: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:41:46.33 ID:iGh8Xjso

次の瞬間。浜面は白目を剥いた。



「ヴォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!」


ジャイアンはお前だったのか。
ゲロをぶちまける様な壮絶なデスボイスだった。
こんな汚ねぇ声がこの世にあるのかという、まさに地獄の底から響いてくるような声。
ドラムセットをハンマーでぶん殴ってんじゃねえかと錯覚してしまうような爆音と、
奏でているというより掻き鳴らしているだけのギターが室内を侵していく。
肩で切り落とされた真っ黒の髪を振り乱し、鬼気迫るように一心不乱にヘッドバンキングをする滝壺。
かろうじて音楽だと分かる程度のイントロが終わると、
滝壺は喉を磨り潰すかの如き金切り声でAメロを絶叫し始める。
これは上手いとか下手だとかそういう次元じゃない。
きっと原曲もこんな感じなんだろうなとかそんな些細なことではなく、
浜面が思うのはただただ一点に尽きる。


(やめてくれっ!もうやめてくれ滝壺!俺の滝壺はそんな奴じゃねぇええ!)


麦野にボロボロにされても優しい言葉をかけてくれた滝壺。
絹旗にバカにされても甲斐甲斐しく応援してくれた滝壺。
フレンダに嫌味を言われても慰めてくれた滝壺。
眠そうな瞳で、感情の起伏が乏しくても確かな笑顔が眩しく愛らしい滝壺。
ピンクのジャージの下に女性らしい体つきを隠した悩ましい滝壺。
ちょっと天然でも。たまに毒を吐いても。浜面はそんな滝壺にいつも癒されていた。
その幻想をこんなところでブチ殺された浜面は現実に心が耐えることが出来ず、
宇宙怪獣の断末魔の悲鳴のようなサビに入ったところでホロリと涙を零して意識が吹っ飛んだ。


「ふー、スッキリした」


白い肌をツヤツヤとさせて滝壺がマイクを置く。
灰になって口元から魂がピョッコリと顔を出していた浜面は、歌が終わったことによってなんとか息を吹き返した。


「な、なんというか…すごいな。てかカッコイーよお前…」
「ごめん、ビックリしたよね」


あれだけ喉を震わせて歌っていたのにケロリとした様子で、だが少し心配そうに滝壺が話しかけてくる。

121: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:44:03.33 ID:iGh8Xjso

「ああ、いや別に…ちょっと意外だっただけで…」
「女の子が男の人の曲歌うのって変だよね」
(変じゃねえしそこじゃねえ…)


と心の中で突っ込みながら周りを見渡すと皆明後日の方向を向いている。
この状況を直視したくないのは皆も同じらしい。
かつて無い連帯感に包まれる『アイテム』の三人と下っ端一人。


「お、おい絹旗ちょっと来い!」
「は?ちょ、ちょっと!」


浜面は慌てて立ち上がり、絹旗の手を掴んで部屋の端に行くと、声を潜めて問いかける。


「なあ、滝壺っていつもこんな感じなのか?」
「は?ああ…そうですね。マイク渡すと嫌がるんですけど、いざ歌い始めたら超スイッチ入っちゃうみたいで」
「そ、そうか…」
「ああ、でも今日のは超新曲ですね」


どうでもいいわと思っていると背後で得点発表を示す効果音が鳴っている。
とりあえずこの歌なら罰ゲームはまぬがれそうだなと席に戻りながら画面を見る。
そこには99と表示されていた。


「どういうことだ…」
「うわ、負けたよ。今日の滝壺は絶好調って訳ね」
「まぁ確かに音は一切外してなかったしね」
「ここまで結果出されるともう素直に超褒めるしかないですよね」


再び真っ白になる浜面。
その後さらに2曲滝壺のデスメタルだかラウドパンクだかサファリパークだかよく分からないものを聞かされて精神を病んだころ、
罰ゲームはめでたく浜面に決定してカラオケを終えることになったのだった。

122: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:46:21.43 ID:iGh8Xjso

―――――――


紆余曲折あったものの小一時間カラオケを楽しんだ一同は、施設上階に固まっている飲食店で昼食を
摂った後、今度は屋上のスポーツ施設へと足を運んだ。
バッティングセンターにガスガンやアーチェリーでの射撃場。
テニス、バレー、バスケットボールなどのコートがネットで区切られ所狭しと並んでいる。
フレンダは麦野と一緒にバッティング場を訪れていた。


(うっはー、麦野飛ばすなぁ)


ベンチに座ったフレンダが口元を引きつらせて思う。
金網の向こうのバッターボックスに立つ麦野が金属バットを振りかぶると、次の瞬間快音を響かせて天高く張られたネットに
ホームランボールを突き刺した。
先ほどからずっとこの調子だ。
どことなく機嫌の悪い麦野はその細腕で何度も何度も飽きることなく一心不乱にバットを振り、
周りの男達からの視線を集めて天を硬球で貫いていく。
そのボールを何かに見立てているかのように。
具体的には人間の頭部とか。


(結局、原因は分かってる訳だけど…)


チラリと50メートルほど離れたところにあるフリーコートで絹旗、滝壺と一緒にバドミントンをしている浜面を見る。


「そーら、いくぞ絹旗ー」

「わひゃー!浜面ぁ!ぜぇぜぇ…」

「おらおら今度はこっちだぜい」

「うへぇ…恥ずかしくないんですか!?」

「ああん?そうら今度はそっちだ!」

「ぜぇぜぇ…こんないたいけな女の子をコートの端から端まで超走り回らせて…!」

「ぐへへへ、これが勝負の世界だぜ!」

123: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:48:32.07 ID:iGh8Xjso

「がぁぁ!久々に超キレちゃいましたよー!死ねぇ浜面ァッ!」

「ギャァア!能力使うんじゃねー!そのスマッシュは死ぬ!マジで死ぬ!」

「スポーツの世界では敗者は超死あるのみなんですよー!」

「暴力反対!ネットぶち破ってきてるんですけどー!?これもうバドミントンじゃねえだろ!」

「超浜面ですねっ!バドミントンは古代ローマで生まれた大砲の弾をラケットで相手に叩きこむスポーツが
 元になってるんですよー!」

「嘘つけー!そんな本当くさい情報に騙されるかー!」

「今から頭に真っ赤な花を超咲かせる浜面には、どっちでもいいことですよ!」

「うぉー!滝壺!何してんだ!止めれー!」

「北北東から信号が来てる…」

「滝壺さんに助けを求めようったってそうは問屋が超卸しませんよ!
 ほらほら、足を動かしてせいぜい長生きしてみせて下さい!」

「くそっ!これでどうだ!」

「なっ!滝壺さんを盾にするなんて!どこまで超下衆なんですか浜面!」

「ふひひー、俺は自分が助かるためなら何だってする男だぜ」

「パターゴルフの方から信号が来てる…」

「ちぃっ!浜面!滝壺さんを離しなさい!」

「やーなこった。じゃねえと俺がマジで殺されるからな。
 悔しかったら土下座してお許し下さい浜面サマと言って俺のケツにキスをしな!」

「浜面、私ちょっとお手洗い行ってくるね」

「え?あ…滝壺ーーー!!…ハッ」

「くたばれぇ浜面ァ!」

「ぎゃぁあああ!ラケットで殴るなー!」


ギャーギャー騒がしいが、何だか楽しそうだ。

124: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:49:53.68 ID:iGh8Xjso

(楽しそうにしやがって浜面ェ。こっちにはパンパンに膨れ上がったポップコーンみたいになってる麦野がいるってのにー)
「ちょっとスッキリした。フレンダ、あんたはやらなくていいの?」
「ひゃっ!」


人の気も知らないでバカ面が、鳥の糞落ちてこいと大きな瞳で睨んでいると、
ジットリと額に汗を浮かべた麦野がフレンダの前に立っていた。


「フルスイングすると気持ちいいね。人の頭でやれたらもっと気持ちよさそうだわ」
(さっすが麦野。発言がナチュラルに外道な訳よ)
「ほら、フレンダもやりなよ。気持ちいいよ」


いいストレス解消になったのか、先ほどよりは幾分表情が柔らかい麦野がフレンダにそう告げる。


「うん、私はだいじょぶ。麦野、次は…」
「ングッ…ングッ…ぷはっ…。え?」


近くにあった自販機から飲み物を取り出して一気に飲み干している麦野の背中に声をかける。
汗で長い髪を顔に張り付かせ、口元をぬぐいながら振り返った彼女の表情にドキリとなった。


(おっほ、汗かいてる麦野はムラッとくるぜぇ。命が惜しいから何もできない訳だけど)
「ちょ!何してんのよ!」


心と裏腹に、体は勝手に麦野を抱きしめ、彼女の胸に顔をうずめて汗の混じった甘い香りを肺いっぱいに吸い込んでいた。

125: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:52:57.73 ID:iGh8Xjso

「スーハースーハー。麦野の汗…なんて悩ましいの…」
「やだっ!ちょっと!アンタバカじゃないの!?」


麦野の掌に納まらない大きな胸で顔を挟み込み、柔らかさと香りを同時に堪能する学園都市が誇るド変態フレンダ。
興奮して耳まで真っ赤にした彼女はもう止まらない。


「ハッ…!麦野のフェロモンに誘われてつい。スハー、ああ…幸せ…」
「離せこの…!んっ…!フレンダ、言い残すことはそれだけ?」
「ハッ!違うんだよ麦野!分かっていてもやめられない!能力による攻撃を受けている訳よ!
 麦野も気をつけて!スハー…はぁん…もう飛んじゃいそ…スハー」
「ブチッ…成層圏までぶっ飛ばしてやるよ」


麦野に体を抱きしめられ、そのまま宙に浮かぶフレンダ。
やがて麦野がブリッジの体勢になると、フレンダの脳天が床に突き刺さった。
麦野のバックドロップである。

膨れ上がったコブを押さえながら、麦野と共にはベンチに腰掛ける。


「ったく。アンタの 癖はアンタの自由だけど、私に危害を加えるなっつの」
「いたた…いいもん、もう今日の分は堪能したから。それより次どうする?」
「次やったら鼻削ぐ。…そうね。ちょっと疲れたからゆっくりしようかな」


そう言ってジーンズのポケットから取り出したハンカチで額の汗を拭く。
せめてそのハンカチぜひ下さいと息を荒くするこりないフレンダだった。
と、そこに3つの人影が近づいてきた。


「ねぇねぇ君たち。さっきすげぇバッティングしてた子だよね」
「うぉ!二人とも超可愛いじゃん!」
「二人で来てるの?こっちも3人しかいないしよかったら一緒に遊ばない?」

126: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:54:52.82 ID:iGh8Xjso

もう説明するのも億劫だが、「いかにも」な3人組の男が寄ってきた。
機嫌が直りかけていた麦野の眉間に再び皺が寄る。


「あ、悪いんだけど他にも連れがいるからそれ無理だわ」


慌ててフレンダが愛想よくに断ったが、男たちは引き下がらない。


「えー、いいじゃんいいじゃん。抜けてこっち来なよ、奢るからさ」
(あんたらのために言ってる訳よ)
「…るっせぇんだよクソが…」


ポツリと呟かれる殺意に満ちた声。
ゆらりと麦野が立ち上がる。


「む…ぎの?」
「あァ!?」


思ったよりも早い麦野の限界だった。
殺意を隠そうともせず、冷徹な視線を男たちに向ける。
その手には既にバチバチと閃光を迸らせ、いつでも放てる準備が完了しているようだった。


「麦野麦野、こんなとこでソレやられると建物滅茶苦茶になっちゃう訳よ。ね、やめよ?」


男達との間に入って彼女を止めるフレンダ。
だが麦野はまるで話を聴いていない様子で男たちを睨みつけていた。

127: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:57:52.85 ID:iGh8Xjso

「テメェ今なんつったんだコラ!?」
「クセェっつったんだよ雑魚共。
 汚ねぇクソを3つも胴体に乗っけて人間みたいに歩いてんじゃないわよ。
 テメェらのお頭にクソしか詰まってねえのは臭いで分かるからとっとと消えてくんない?」


モデルのような美人の口から放たれるクソの連打にさすがの男たちも怯む。
だがそれ以上に怯えているのはフレンダだ。
とにかく浜面達を呼ばなくちゃと思っていると、フレンダを突き飛ばして金髪の男が麦野の胸倉を掴みあげて見下ろす。


「口の悪りぃ女だな。俺はこれでもレベル3の『発火能力者(パイロキネシスト)』だぜ?
 二度と表歩けねえ顔にされたくなかったら今すぐ膝を着いて謝ってもらおうか?」


勝ち誇ったような男の顔。後ろで残りの男達がゲヒャゲヒャと分かりやすい笑い声をあげる。
レベル3と言えばまあそこそこの能力だ。だが麦野の能力を知っている身としては
当然そんなことは何の脅しにもならないし、格下を無抵抗なままグチャグチャにすることに
何の躊躇もしない麦野にとっては手の内をバラしただけという以上の意味を持たない。


「だから?」
「あァ?」
「だからさぁ。テメェの無能力者具合は分かったよ。
 あぁちなみに…」


麦野の口が真横に引き裂かれる。


「私はこれでもレベル5の『原子崩し』だぜ?」


右手を金網に向けると、溶解してそのまま遥か向こうのピッチングマシーンごとまるごと無くなった。
下品な笑い声をあげていた男たちの顔から一瞬にして血の気が引いた。
彼女の胸倉を掴みあげていた金髪の手から力が抜ける。
グロテスクに口元を歪めたまま、麦野の青白い閃光の迸る右手が
真っ青になる男の顔面に向ってゆっくりと近づいていった。

128: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 21:59:59.46 ID:iGh8Xjso

「た、頼むやめ…っ!」
「だァめェ」
「やめろ麦野ぉっ!!!」


男の鼻先1cmでピタリと止まる手。閃光がわずかに男の皮膚を焦がしたとき、浜面の声が場内に響いた。
実はフレンダは先ほど突き飛ばされたとき、ドサクサに紛れて携帯で浜面の番号に発信していたのだ。
こんなに近くにいるのに電話をしてきたとなれば当然こちらを見るはず。
案の定様子がおかしいことに気づいて絹旗達と共に駆け寄って来た浜面が麦野と男の間に割って入った。


「悪いな、こいつ俺の連れなんだ。
 せっかくの休みなんだし、お互い楽しく過ごしたいだろ?
 だからここは俺に免じて退いてくれないか!?」


愛想笑いを浮かべて、でも必死の冷や汗を流しながらなんとか死人が出ないように男を説得する浜面。
麦野に殺されかけた金髪の男はぎこちなく頷いたが、後ろの二人はそうはいかないようだった。


「こっちは殺されかけてんだっ!そうはいかねえぞ!」
「っだゴルァ!っぞコルァ!」
「わっかんない人達ですね。別に私たちは超構いませんよ?」


男たちの背後で今度は絹旗がポツリを口を開く。
そちらを見ると、絹旗は先ほどまでフレンダと麦野が座っていたベンチを肩に担ぎ上げていた。
仕方ないなとフレンダも懐から小さなウサギとクマのぬいぐるみを二つ取り出した。
その頭からは手錠の輪が出ており、絹旗を見て呆気に取られている2人の男の腕に取り付けた。


「それ、爆弾ね。私の半径500メートル以内がリモコンの電波が届く範囲って訳なんだけど、意味わかる?」

2人はダラダラと汗を流して互いの顔を見合わせる。
先ほどまで愛想よく笑っていたフレンダの顔から、笑顔が消えた。

129: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:02:25.04 ID:iGh8Xjso

「腕吹っ飛ばされたくなかったら必死で走れ。制限時間は3分間。はい、よーいどん!」


パンと両手を叩くと、悲鳴をあげて男二人は走り去った。
一瞬間を置いて、へたり込んでいた金髪もヨロヨロとそれを追う。


「お前、そんなもん普段から持ち歩いてんのか?」


浜面がマジかよと引き気味の視線を送ってくる。
滝壺や絹旗でもちょっと微妙な顔だ。


「んなわけないでしょ。ハッタリだよ。麦野の能力見せ付けた後だから効果抜群って訳よ」


いちいち死人出してたらキリない訳よと付け足す。
実はさっきトイレに行ったときに、手錠のあたりのデザインが気に入ってあとで麦野に逮捕してもらおうと
ガチャガチャで当てた景品だった。


「何邪魔してくれてんのよはーまづらァ。関係ないんだから引っ込んでろっての。
 せっかく全身真っ赤な穴ぼこだらけの面白オブジェにしてやろうと思ってたのに」
「麦野、ちょっと来い」


浜面が真剣な表情で真っ直ぐに麦野を見つめる。
たじろぐ麦野。
浜面は彼女の手首を強く握ると、屋上の端っこまで彼女を引っ張っていった。
互いに顔を見合わせるフレンダ達3人。
頼むから余計なことを言うなよと同じ建物内にいることが急に怖くなるフレンダだった。

130: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:04:11.32 ID:iGh8Xjso

―――――――


麦野沈利は自分でもこの怒りが何であるのかを理解しつつあった。
でもそれを決して言葉として思い浮かべることはしない。
そんなことがあるわけがないと自分に強く言い聞かせ続けている。
だが、カラオケで滝壺と仲良くしている浜面を見たとき。
滝壺と楽しそうにバドミントンをしている姿を見たとき。
抑えきれない嫌な気持ちが溢れてきた。
その怒りを、たまたまタイミング悪く話しかけてきた男たちにぶつけ、あまつさえ殺そうとした。
別にそれはいい。
機嫌がいいときだって殺すかはともかく、しつこくされれば同じように攻撃くらいはしただろう。
今問題なのは、その原因が目の前のこいつにあるということだった。


「麦野、お前どうかしたのか?」


浜面が話があるというので他の3人を別の階に行くように促し、
麦野は屋上の人気の少ない端の方まで連れてこられていた。


「何がよ」


言わんとしていることは分かるし、多少反省だってしている。
こんな場所で問題を起こすことは得策ではないだろう。
実生活に支障が出るレベルのことは自分だってしたくない。
でも、怒りを抑え切れなかった。
好き好んで人を殺そうとしているわけじゃない。
そんな風に思われても仕方ないことなのかもしれないが。


「お前、カラオケからなんか機嫌悪いし、俺また何かしちまったのか?
 だったら言ってくれよ…知らない間に麦野を傷つけたんなら謝るからさ」

131: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:06:25.09 ID:iGh8Xjso

真剣な顔でそう言う浜面。
違う、アンタは悪くない。
悪いのはつまらないことを気にする私だと言いたいのに、
言葉はそれと裏腹に下らない意地を張ってしまう。


「誰もそんなこと言ってないし、機嫌も悪くない。
 そういうのウザいから止めてくれる?アンタいつから私の保護者面出来るようになったわけ?」


言いたいのはそんなことじゃないのに。
浜面はきっと本気で私のことを心配してくれている。
もう浜面を直視できなかった。
自分が馬鹿だと自覚しているから、気づかないところで私を傷つけたと思っている。
本当に馬鹿なのはそんな心配させていてなお、彼を詰る言葉しか出てこない私だと言うのに。


「そうか、ならいいんだけどよ…。怪我は無かったのか?」
「余計なお世話よ。アンタには関係ないでしょ。私なんか構ってないでもっと…」
「なら問題ないな、麦野」


呼ばれ、彼の顔を見たと同時に、左頬に衝撃が走る。
驚きの余り微動だにできなかった。
浜面が自分の頬を叩いたのだと気付くまでに10秒以上の時間が必要だった。
フツフツと怒りがこみ上げてくる。
下っ端の浜面如きが、学園都市第四位のこの私に手を挙げた。
プライドの高い麦野にその事実は頭に血を上らせるのに充分すぎる出来事だった。
鋭く目を吊り上げ浜面の顔を睨み付けると、いつになく険しい表情の彼がこちらを見下ろしている。

132: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:08:44.83 ID:iGh8Xjso

「アンタ…誰に何してくれてんのか分かってんでしょうね…?」
「ああ、分かってる。で、お前はどうするんだ?」
「決まってるでしょ浜面ぁ。お前とは今日で永遠にお別れよ」


だが浜面はバチバチと両手から迸る青白い閃光にまるで怯む様子を見せず、麦野の大きな瞳から視線を逸らさない。


「そうかよ。じゃあお前はそうやって一生同じコトを繰り返してろ」
「ハァ?お前まさかこの私に説教くれるつもりじゃないでしょね?
 あのクソ共をブッ殺そうとしたことをご丁寧に指摘してくれてるってわけ?」
「そうだ。悪いか」


悪びれもせず、そう言う浜面。
あまりにあっさりとした言葉に、麦野は思わず言葉を失う。
そして次の瞬間、頭の中で何かがプツンと音を立てて切れた。


「…ッ!はァアまづらぁぁぁぁァアアアアアア!!!!!!
 つまらねえ軽犯罪者のチンピラがこの学園都市第四位に倫理の授業ってかぁ!?
 私はレベル5!超能力者!『原子崩し』! 『アイテム』のリーダーだ!
 テメェの●●●●であのクソ共の命を救ってやったからどうした!
 私はその100倍も200倍も人間ブチ殺してきてんだよぉッ!そんなことはテメェでも分かってんだろ!
 今更人殺しはいけないことですなんて置き去り(チャイルドエラー)のガキでも分かることを得意げにほざいてんじゃねぇぇええッ!」

「違うッ!!!!」


阿修羅の如き表情で美しい顔を歪めて浜面に掴みかかる麦野。
だが浜面はその勢いを真正面から受け止めるように、それ以上の力強い声で吼える。

133: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:11:04.18 ID:iGh8Xjso

「今ここにいるお前はそんなんじゃねえ!
 今日は『アイテム』でも『原子崩し』でも人殺しでもない!
 友達と遠くへ出かけるのにいつもよりちょっとだけオシャレしてきちまうような普通の女の子だ!
 なんだかんだテンションあげて普通に休日を楽しんでるタダの女子高生だ!
 殺したければ殺せよ麦野ぉッ!それで気が済むならそうすりゃいい!
 気に入らない奴は全部ブッ殺して最後に一人で死んじまえばいいだろ麦野沈利ィイイ!」 
「アンタ…!何なのよ…ソレ…!」


滅茶苦茶な浜面の言い分に何故か言い返せない。
彼の気迫に完全に圧されてしまっている。
怯んだ麦野にさらに浜面は追い討ちをかけるように叫ぶ。


「もし俺を殺さないなら約束しろ麦野!そんなのは今日で最後だって!
 『アイテム』の麦野沈利は普段はただの女の子でいるって!
 暗部のお前を否定はしない!
 だけどなぁ!
 暗部のお前だけがお前だなんて、俺は絶対に認めないッッ!!」


ゼェゼェと肩で息をする浜面。
麦野は毒気を抜かれてしまったように呆気に取られた表情を浮かべている。


「アンタ…私に何を期待してんのよ…。私はアンタが思ってるような女じゃない…。
 …人殺しの…学園都市で最も多く脳みそ弄くりまわされた7人の化け物の1人なのよ…」


ダムが決壊したように、麦野の両目からポロポロと涙が零れる。
嬉しかったのか。悲しかったのか。
自分でも何故涙が出るのか分からない。
ただただ抑えられなくなった感情が止め処なく溢れてきて、頬を滑り落ちていった。

134: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:13:07.43 ID:iGh8Xjso


「違う。お前はちょっとプライドが高いだけの、面倒見の良い優しい女の子だよ。
 俺は…そんな麦野が好きなんだ」


「……っ!」


その言葉に、麦野の脳を痺れるような感覚が襲った
麦野の両手から迸っていた閃光が消える。
浜面は麦野の目から溢れている涙をジャージの袖で拭うと、膝を曲げてその顔を覗き込んでくる。


「み、見るんじゃないわよ!化粧崩れてパンダみたいになってるから!」
「あ、わ、悪りぃ。じゃあそのまま聴いてくれ」


そんなブサイクな顔を浜面に見られたくなかった。
浜面も察してくれたようで、慌ててそっぽを向いて頬を掻く。


「俺を殺さなかったってことは…約束してくれるんだよな」


学園都市の暗部組織『アイテム』。その仕事が無いとき、私はタダの女の子でいること。
別に今と何かが大きく変わるわけじゃない。
でも彼がそれを望むなら。
私にタダの女の子でいて欲しいと思うなら、少しだけその妄言に付き合ってやるのも悪くない。
命がけで私を殴った勇気を称えて、ということにでもしておこう。


「うん…分かった…」
「ありがとな、麦野」

135: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:15:26.58 ID:iGh8Xjso

小さく頷く。
浜面から一つ枷をはめられた。
それは人に行動を左右されることを何より嫌う自分を拘束するものであるはずなのに、
たった一つのその枷が、猛り狂うこの心に静かな安寧をもたらしてくれた。
浜面の顔をチラリを見る。
優しい視線をこちらに向けられて、麦野は自分の心臓がかつてないほど脈動していることに気づいた。


(やだ…何これ違うでしょ…。ここは浜面をブチのめして、私に楯突いたことを後悔させるところでしょ…。
 なんでこんな気持ちになるのよ…)


胸を押さえる麦野。顔が燃え上がりそうなほど熱い。
怒りで彼を叩きのめすのがいつもの自分のはずなのに、どうして素直に浜面の言葉に頷いてしまったのだろう。
どうして下っ端の立場の弁えない言動に、自分は涙まで流して悪くないなんて思ってるんだと頭の中が混乱していく。


(なんでこんな…ドキドキしなくちゃなんないのよ…!)


これが何であるのか。麦野にはもう分かる。
だが、認めるわけにはいかない。そんなわけがないと一生懸命に否定する。
浜面がずっとこちらを見ていた。
麦野はギュッと目蓋を閉じて首を振る。


「結局、話は終わりかなお二人さん?」


二人のすぐ側でフレンダが腕を組み仁王立ちしていた。
だが少し様子が変だ。
こめかみに血管を浮かび上がらせて、声は不自然に震えている。

136: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:16:50.98 ID:iGh8Xjso

「はーまづらぁ。私の麦野のしっとりやわらかほっぺを引っ叩くとはどういう了見かしらぁ?」
「い、いやそれはだな…!」


表情は笑顔だが背後には黒いオーラが見える。
浜面は顔を青くしながら言い訳を考えていたが、ビシィ!と力強く指差され、仰け反る。


「浜面、罰ゲームの時間だぜ」
「うぇええ?!心の準備がまだできてねえ!ってか罰ゲームはなんだ!」


さっきまであんなに真剣に話していたのにもうアホ面になっている浜面。
それを見て、麦野のどうにかなってしまいそうだった頭の中が少し冷静になっていくのを感じた。
麦野は思わずくすくすと笑い声を漏らしてしまう。


「麦野!笑いごとじゃねぇえ!」
「そうだよ麦野。麦野も罰ゲームだし」


は?
と一瞬聞き間違えたかと思ったが、フレンダは思いっきりこっちを見ている。


「何言ってんのフレンダ?私の聞き間違いじゃないよね?」
「麦野ぉ。こんな人の多いところでやれ暗部だのやれ『アイテム』だの叫んじゃダメでしょー。
 幸い近くに人がいなかったからいいものの、きっちり罰を受けてもらわないとって訳よね」
「いや、だからそれはコイツが…」
「うん、だから浜面と一緒のハズかしー罰ゲームを考えたって訳よ」


輝くような満面の笑みを浮かべるフレンダ。
麦野はたまに火が付くフレンダのS心に一抹の不安を抱えながら、浜面と共に
下の階へと連行されることになったのだった。

137: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:18:58.64 ID:iGh8Xjso

―――――――


(感謝してよねー、麦野。今日の私は気が利きすぎって訳よ)


滝壺達と合流したフレンダは、浜面、麦野の両名をゲームセンターに連行した。
何事が始まるのかとビクビクしていた二人だったが、向った先は最奥部。
色鮮やかな幕と白い筐体。異様に目の大きなギャルの写真が外にプリントされたそれらの物体が多数並んでいる場所。
平たく言うとプリクラコーナーというやつだ。
先ほどなかなか戻ってこない二人を探しに屋上へ戻ったところ、案の定口論になっていた。
浜面が麦野をぶん殴るし、ブチ切れた麦野は能力を使おうとしていた。
慌てて止めようとしたが、少し雲行きが変わってきたので話を聴いているとなんだかいい雰囲気になっていることに
気づいたフレンダは、咄嗟に下の二人に電話をして罰ゲームを思いついたと告げたのだ。
麦野のことは、「先ほどバッティングで私に負けた」とか適当なことを言って二人を納得させた。
正直罰ゲームなんて既にどうでもよかった絹旗はすぐ納得してくれたし、滝壺は少し渋っているような様子を見せたが、
浜面がそんなに酷い目に合うわけじゃないと分かるとなんとかOKしてくれた。
かくして、「二人で超バカップル的なプリクラを撮る」という、アホな罰ゲームが始まっている。


「浜面っ!もっと超くっついてください!麦野も腰を超抱くんです腰を!」

「バカ絹旗!そんなことできるか!」

「浜面ぁ!んなこと言って腰に手まわすな!」

「わ、わりぃ!わざとじゃ!」

「わざとだろ馬鹿!うわ!今のシャッター下りた!?」

「麦野!もっとギュッと腕組んで!●●●●を押し付けて!」

「アホか絹旗ぁ!アンタあとで覚えてろよ!」

「超聞こえませーん。敗者は大人しく恥ずかしい思いをしてくださーい」

「くそっ!浜面お前はお前で何前かがみになってんだこの変態野朗!」

「ちっ!ちがう!これは男の生理現象で!ほ、ほら麦野カウントしてるぞ!
 可愛い笑顔を浮かべるんだ!」

138: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:20:30.08 ID:iGh8Xjso

「粗  ●●させてる奴の横で笑えるかぁ!」

「女の子がそんなこと言っちゃいけません!」

「お…女の子って…!恥ずかしいこと言うんじゃないわよ!」

「え、何が?」

「テメェ…はまづらァ!」

「なんでだぁあ!だいたい粗  とはなんだ!俺の雄雄しくそそり立つジュニアを知らねえだろ!」

「知るか!だったら見せてみろよ●●野朗!」

「言ったな!吠え面かくなよ!」

「キャァァア!ほ、ほんとに脱ぎだすんじゃないわよバカァ!」

「ぷふー!路地裏のスキルアウトを舐めるなよ!俺たちにとって路上で全裸になることなど何の造作も無い!」

「威張るなあ!もうやだぁ!脱ぐなぁ!」

「ちゃんと撮って…って浜面何脱いでるんですか!超死ねぇ!」

「ぐはぁっ!」

「麦野!麦野もちゃんとやらないなら何枚でも撮りますよ!」

「うぐぐっ!ほらこっち来なさいよバカ面!」


ギャーギャーと恐ろしく騒がしいプリクラ内。
なんだか楽しくなってきたらしい絹旗が二人にあれこれ好き勝手指示を飛ばしている。
その声を聴きながら、少し離れたところでぼんやり見ている滝壺に視線を移す。


(ごめんね滝壺、私は麦野の精神が安定してくれるならあえて非情の道を選ぶって訳よ!)

139: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:22:08.20 ID:iGh8Xjso

グッと拳を握るが、少し寂しそうな滝壺を見ていられなくなり、フレンダはパタパタと彼女に近づいて話しかける。


「ねえ滝壺。この後みんなでも一緒に撮ろうよ。浜面も入れてやってさ」
「え?どうして?」
「ど、どうしてって…」


眠そうな目で聞き返してくるが、わずかに焦りも見て取れる。
だがここで変に指摘するとまたややこしくなりそうだったので、フレンダはあえて自分が犠牲になることにした。


「私が撮りたい訳よ。記念記念。思い出って言うかさ」


言ってて恥ずかしくなってきたが、滝壺はそれを察してくれたのか、小さく微笑みを浮かべてフレンダの頭を撫でる。


「ありがとうフレンダ。フレンダは優しいね、私は大丈夫だから」
(わちゃー、滝壺のほうが大人だったわ。
 こんな良い子にこんな想いさせて、浜面は本気で一回地獄に堕ちるべきよね)


姉に褒められる妹のように、フレンダが心地よく滝壺に撫でられていると、顔を真っ赤にした麦野と浜面がプリクラの筐体から出てきた。


「はーもう最悪。なんで私が浜面なんかとこんなもんを…」
「罰ゲームなんだからしょうがねえだろ。俺だって恥ずかしいんだからよ」
「アンタは今後こんなチャンスあるか分からないんだから、もっと喜ぶべきよ」

140: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:23:17.67 ID:iGh8Xjso

髪をかき上げながらやれやれとため息をつく麦野。
だが切り分けられたプリクラを浜面から受け取ると、満更でも無さそうな表情でそれを胸に抱えた。


「麦野、見せて見せてー」
「だ、ダメ!これは見せられない!」


フレンダが完成品を覗こうとすると、慌ててそれを後ろ手に隠す。
愛い奴愛い奴と手をわきわきさせるフレンダだが、別にわざわざ難易度の高い方を選ぶ必要は無い。
すぐにターゲットをもう一人のほうに移す。


「何言ってんの!それじゃ罰ゲームにならない訳よ!じゃあ浜面それを寄越せい!」
「止めろー!これは墓まで隠し通すんだー!」
「ふふん、超浜面如きの戦闘力では私達は倒せませんよー」
「はまづら、私も見たい」


だが3人がかりではどうしようもない。
絹旗とフレンダに取り押さえられ、最終的には滝壺にまで裏切られてあっさりとプリクラを奪われた浜面。
麦野はもう諦めたのか、額に手をあて首を振り、もう一度自らのプリクラを見て頬を赤らめる。
そして3人はその戦利品をニヤニヤワクワク覗き込んだ。


「よし、浜面が私らから逃げようなんて10年早い訳よ」
「どれどれ、浜面のアホ面を超拝見しましょう」
「おお、麦野の目がいつもよりさらに大きく。プリクラすごい…」

141: ◆S83tyvVumI 2010/04/23(金) 22:24:04.74 ID:iGh8Xjso


(ふーん、なるほどね)


フレンダは想う。
この前から、麦野に訊きたいことがあった。
麦野がどう思っているのか、知りたいことがあった。
たぶん麦野は否定するのだろうけれど。
顔を紅くして、だけど少しだけ言葉を詰まらせて。
そんな照れ屋で素直じゃない麦野がたまらなく愛おしい。
あの時訊かなくてよかったとフレンダは思った。
だって麦野は今日、きっとその気持ちに自分から気付けたんだから。
プリクラの中で優しい微笑みを浮かべた麦野の表情を見て、フレンダも笑みを滲ませる。


(よかったね麦野…―――)




   ―――麦野は今、恋をしているんだね



154: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 21:58:11.12 ID:sYxBAJAo

麦野は自室のベッドの上で、携帯の電池パックに貼られた二枚のプリクラを眺めていた。
一つは浜面との罰ゲームで撮ったもの。二人で寄り添い、ぎこちなく笑顔を浮かべている。
ハートマークを絹旗に無理やり散りばめられてとんでもなく恥ずかしいが、これでも他のものに比べればまだソフトなほうだった。
もう一つは5人皆で撮ったものだ。
こちらはごく普通の女子学生のプリクラと言った感じ。
浜面も、滝壺も、フレンダも、絹旗も、自分も、みんな笑っている。


(浜面か…。今度は二人で…なんて言ったら行ってくれるかな…)


あれからもゲームセンターでクレーンゲームにフレンダが数千円つぎ込んでいたり、
ボーリングで浜面が異様に上手いことをみんなに「キモい」と言われたり、
リラックスルームで滝壺が普通に寝ていたり、様々なことがあった。
悔しいが認めよう。浜面企画の本日は、なかなか楽しい一日だった。
だが、麦野には一つ気にかかっていることがある。


―――お前はちょっとプライドが高いだけの、面倒見の良い優しい女の子だよ

 ―――俺は…そんな麦野が好きなんだ


浜面は言った。
どんなつもりでそう言ったのか。フレンダが途中で入ってきたため訊きそびれたが、
この言葉の所為でそれから一日ドキドキしっぱなしだ。

155: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 21:59:57.40 ID:sYxBAJAo

(バカじゃないの…そんなこと言われたら私…困る)


ちゃんと返事を聞きたかった。
ちゃんと真っ直ぐに受け止めたかった。
そうしてくれれば、自分も素直な気持ちを言葉に出来るかもしれない。
たった二文字の言葉が頭に浮かぶ。
だが、まだそれを自覚することを受け入れられなかった。


(今日のことも謝りたいし、やっぱり直接会って訊こう)


いてもたってもいられない。
じっとしているだけで気が狂いそうなほどの強い想いが麦野の胸の中で暴れまわる。
麦野は携帯だけをポケットに突っ込んで、勢いよく立ち上がると、
もう通い慣れた浜面の家に向って飛び出した。

156: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:02:49.53 ID:sYxBAJAo

―――――――


浜面は携帯の電池パックに貼った麦野との2ショットプリクラを眺めていた。
自分で貼ったのではなくフレンダに貼られたのだが、無理にはがさなくてもいいかとそのままにしていた。
麦野が浜面の腕をその豊満な胸に抱き寄せている。
笑顔は二人とも引きつっているが、仲良さげに写っているところが気に入っていた。。


(俺はとんでもないことを言っちまったんじゃねえか…)


浜面は、昼間麦野に衝動的に告げた言葉を思い返していた。


―――お前はちょっとプライドが高いだけの、面倒見の良い優しい女の子だよ

 ―――俺は…そんな麦野が好きなんだ


なんつー恥ずかしいセリフだと足をバタバタとベッドに叩きつける。


「俺は麦野が好きだったのか…?」


157: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:06:26.90 ID:sYxBAJAo

自然に出てしまったその言葉に顔が熱を帯びていく。
確かに最近はよく部屋に来てくれるし、麦野がそんなに悪い奴じゃないと言うことも充分分かっている。
一挙一動逐一可愛いと思うことだってある。
でも、麦野のことを好きだって思っていいのか?


(だってあいつは美人だし、口は滅茶苦茶悪いけど黙ってりゃいくらでも男が寄ってくるような奴だ。
 俺みたいな馬鹿な無能力者を好きになってくれるなんてことありえねえだろ…)


麦野はもう何度も言うように学園都市の第四位で、7人しかいない超能力者の一人で、『アイテム』の女王様だ。
そんな雲の上の相手に、たかが下っ端の自分が「好きだ」と言ったところで、鼻で笑われるだけじゃないのか?
連日作ってくれる料理だって長いドッキリの最中じゃないのかと疑っているくらいだ。


(いやさすがにそれはねえか。そんなに暇じゃねえだろ。
 それに麦野は今日約束してくれたぞ)


『アイテム』の仕事において、彼女が殺人を犯すことははっきり言って止められない。
そうしなければ彼女が死ぬことになるし、相手も同じように他人を殺すことを生業とする者ばかりだ。
人殺しを容認したくはないが、学園都市の暗部に堕ちた自分達のような人間がそんな当たり前の倫理観を
語ったところで意味が無い。
だが長い暗部での活動は彼女の精神に確実に負担を強いている。
麦野はかなり精神的に不安定な少女であることは浜面も何となく分かっているし、
実際、たまに麦野は自分が今どちら側にいるのか分からなくなっているときがあるように思えた。
今日も何かの拍子にスイッチが入ってしまったのか、向こうに原因があるとは言え一般人を殺そうとした。
昼間普通に笑ってバカ話していたのに、その夜には何十人もの人間を殺害するようなことが続けば、
誰だってそうなってしまうのかもしれないが。

158: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:07:33.60 ID:sYxBAJAo

(普通の女の子か…そうだよな。麦野と、もっと普通に遊んだりするのもいいかもな…。
 でも例えば今日のところだって、二人で行こうって誘ったら、来てくれるのか…?)


彼女にだって日常がある。
普通に笑って、怒って、泣いて、学校に行って、皆でバカ騒ぎして、恋をする権利がある。
そんな彼女の日常まで、暗部という深い闇の中に侵されたくはなかった。
だから浜面は望んだ。
せめて自分の前でだけは。
『アイテム』として活動していない時だけは。
ただの女の子、ただレベル5だったというだけの女子高生、麦野沈利を望んだのだ。


「無理だよなぁ、やっぱ。…ん?」


そこまで考えたとき、室内にインターホンの音が鳴り響く。
今日は夜も皆で食べたから麦野が夕食を作りに来るということはないはず。
宅配でも来たかとドアを開けると、そこに立っていたのは意外な人物だった。



159: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:09:08.02 ID:sYxBAJAo

―――――――


麦野は浜面の部屋のドアの前に立っていた。
ここまで走ってきたから、少し息が切れ、髪も乱れている。
手櫛で髪を整えて、部屋のインターホンを押す。
少ししてドアノブが回り、中から出てきたのはもちろん浜面だ。


「ん、麦野か。どうしたんだ?こんな時間に」


浜面の顔を見て、自然と頬が緩んでしまう。
認めたくなかった。
だけどもう、この気持ちを抑えられない。


「中入ってもいい?話したいこと…あるんだ」
「え…なんでだ?」
「…浜面と…一緒にいたくて」


麦野は高鳴る鼓動を感じながら、胸元をギュッと握り締め、ストレートにそう言う。
だがそのとき、視界に入ってしまった。
玄関に見覚えのあるピンクのラインが入ったスニーカー。
嘘だ。
嘘だ。
だってこれは。
何度目を閉じても、そこにあるソレは消えてはくれなかった。
足元が無くなったかのような浮遊感。
麦野はフラフラと浜面を押しのけて土足のまま中に入る。
現実は、何一つとして彼女に優しくなかった。

160: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:11:19.75 ID:sYxBAJAo

「どうしてアンタがここにいるのよ…」


麦野は搾りだすような声で問いかける。
目の前で。
浜面の部屋で。
もう通い慣れた彼の部屋で。
二人で笑いあったこの部屋で。
眠そうな目を驚きに見開いている人物に。
麦野は願うように、悲鳴のように問いかける。


「なんでなのよ!滝壺…!!」


そこにいた、滝壺理后に。


161: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:13:38.13 ID:sYxBAJAo

―――――――


浜面は人生で最大と言っても過言ではないミスを●●た。
原因は二つ。
一つは麦野に昼間告げた言葉を思い出して動揺していたから。
一つは突如訪れた人物が滝壺だったことに動揺していたから。
少し考えれば分かることだった。
先日のファミレスでの状況と似ていると、浜面はぼんやりと思う。


「むぎのこそ…どうしてここに…」


麦野が訪れたと分かったとき、何が何でも麦野を部屋に入れるべきでなかった。


「あ、違うんだ。麦野は最近貧乏な俺に同情して飯作りに来てくれてるんだよ、な!麦野!」
「はまづらっ…!」


どうすればいいか分からず、とりあえず滝壺に言い訳をしてみる。
すると何故か滝壺に物凄い剣幕で制される。
端から見れば完全にドがつく修羅場だというのは浜面にも分かった。
自分の名誉のために言おう。
どちらも決して恋人なんかじゃないし、やましいことも断じて無い。


「ふーん…そうよね…違うよね」

162: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:15:04.15 ID:sYxBAJAo

麦野は滝壺を見下ろしながらポツリと呟く。


「…グスッ…ヒグッ…バカみたい…」


すすり泣く声。
よく見ると、麦野の両目からは涙が零れていた。


「む、麦野?どどどどうした?」


麦野の涙は今日二度目だ。
だが感情を爆発させていたあのときとは明らかに違う。
その涙は明らかに悲しみに心が耐え切れなくなって零れ落ちたもの。
何がそんなに悲しかったのか。浜面は自惚れが脳裏を掠めるが頭を振ってそれを否定する。


「…帰る」


どう声をかけるかと迷っていると、麦野は踵を返してドアのほうに一直線に歩いていく。
玄関で一度止まり、冷たい声で麦野は告げた。


「…ごめんね浜面。もう二度と来ないから」


麦野は震えた言葉を残して走り去る。


「麦野!待て!」


慌てて追いかけようとする浜面の手を掴み、滝壺が立ち上がった。

163: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:15:59.30 ID:sYxBAJAo


「ごめんはまづら、私が悪いね。はまづらはここにいて。私が麦野にちゃんと話すから」


滝壺は今まで見たことないような機敏な動きで玄関まで駆け出す。


「いや俺も行く!」


浜面の言葉に靴を履いた滝壺が振り返る。


「ダメだよ、はまづらじゃ全然ダメ。
 はまづらは、むぎののこと全然分かってない。
 はまづらは私じゃなくて、むぎのに言い訳をするべきだったんだ」


怒っているような冷たい滝壺の口調。
それだけを言い残して、滝壺も麦野を追って夜の中に走り去った。
浜面は何も言い返せなかった。
自惚れがもう一度頭を掠める。


「最低だな、俺」

164: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:19:36.00 ID:sYxBAJAo


膝から崩れ、床を思い切り殴る。
何度も何度も
皮が破れ、血が滲んでも構わずに。


「バカだよな…ビビッてたのか…俺は。
 最初からずっとそうだったんじゃねえか!
 麦野にまた来て欲しいって、言ったのは俺じゃねえのかよッ…!」


自分を責め立て、詰る。
己の愚かさが許せない。
麦野が自分を好きになってくれるはず無いと、自分の気持ちから逃げていた。
だから今、麦野を傷つけたんだ。
最初から分かっていたはずなのに。
麦野を呼び止めたあの時から、ずっと分かっていたくせに。
ふがいない自分を殺してやりたいと奥歯を噛み締めながら、
浜面はそのときようやく自覚した。


  ―――俺は麦野が好きなんだ


165: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:20:58.40 ID:sYxBAJAo

―――――――


涙が溢れて止まらなかった。
こんなに哀しいことがこの世にあるのかと思った。
自分の気持ちを最後まで認めなくてよかった。
もし彼にあの気持ちを伝えていたら、今きっと私は心を壊していたから。
あても無く夜の学園都市を駆け抜ける。
抑えきれない感情の暴走。
体から迸る青白い閃光。
『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』が音を立てて崩れていく。
私を支えていたあらゆるものが失われていく。


(光栄に思いなさいよ…私をここまで壊せたんだから…)


気がつくとどこかの公園にいた。
車両進入防止用の太い鉄柵が、麦野が近づくだけで溶解していく。
公園のド真ん中で立ち止まり、曇天の空を見上げた。
唇が震えて、視界は波のようにたゆたう。


「むぎの…」


声がかかる。
今世界で二番目に聞きたくない声。
肩で息をした滝壺が、麦野の前に立っていた。

166: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:22:32.97 ID:sYxBAJAo

「まだ私を笑い足りないの…?
 どんな気持ち?
 天下無敵のレベル5を完膚なきまで叩きのめした感想は?
 気持ちいい?●●ちゃった?
 喜んでいいよ、私、今さいっっっっこうに最低な気分だ」


止め処ない涙が溢れる。
滝壺の眉が顰められているのがやけに気に障った。


「違うよむぎの。私は…」
「黙れ…」
「っ…!」
「黙れよ…!」


麦野の体から迸る閃光が勢いを増す。
それ以上気に障る言葉を続けたら殺すと。


「別にもうあんなヤツどうだっていいよ…。
 ちょっと優しくしてやったらコロッとなびいてきやがった●●野朗だし」
「そんな…」


麦野は顔をグシャグシャに歪めて思ってもない言葉を吐き出す。

167: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:24:06.28 ID:sYxBAJAo

「どうせ最初っからアンタと仲良いのがムカついて遊んでやろうと思ってただけだしさ。
 まあ最後はちょっと私も本気になっちゃったけど…」
「むぎの!そんなこと言わないで!」


確かに浜面に料理を作ってやろうと思ったきっかけは、滝壺の家で浜面がご飯を食べていったという話を聴いたからだ。
それくらい自分でもできると…いや違う、もう意地を張っても仕方がない。
私は、それを羨ましいと思ったんだ。
でも、そこに滝壺に対する悪意なんてなかった。
なのに、言葉は自らを蔑むように醜く歪んでいく。


「ま、今となっては気づかされてよかったよ…。
 あんな冴えない低脳クソ野朗は根暗なテメェにお似合いだ。
 せいぜい×××だけが取り柄の便器扱いされないようにしっかりアイツの汚ねぇ×××咥えとくんだね!」
「はまづらを悪く言わないで!!!」


滝壺は珍しく怒声を上げた。
一瞬だけ麦野の言葉が詰まるが、口元を醜く歪めて見下すような視線を滝壺に浴びせる。


「本性出したな根暗女。そんなにあのxxxx野朗が好きならさっさと消えろ。
 私はもうあんな無能力者に興味ないから、冴えねえクソ同士よろしくやってなよ」
「…むぎの、本気で言ってるの?」

168: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:25:23.88 ID:sYxBAJAo

そんなわけがない。
だって私は。
だって私は浜面のことが。
心では分かっているのに、止められない。
そうしなければ、自分の心が耐えられない。


「もちろん本気だよ。一発くらいヤラせてやればよかったかなぁ?
 テメェの貧相な体よりはだいぶ楽しめたと思うけどねー。
 ま、あんなレベル0のド低能野朗の×××咥えるくらいならゲロでも飲んでたほうがまだマシだわ」
「むぎの…」


滝壺の冷たい視線が突き刺さる。
こんな滝壺の顔は見たことが無い。
ゾクゾクと背中の内側を数万匹の虫が這い上がってくるような感覚。
滝壺をもっと貶めたい。
浜面をもっと蔑みたい。
滝壺に謝りたい。
浜面とちゃんと話がしたい。
どっちが本当の自分なのか、だんだんわからなくなってきた。


「むぎの…私、はまづらが好きだよ」
「…ッ!」

169: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:26:51.72 ID:sYxBAJAo

奥歯をギリリと噛み締める。
惨めな負け犬の自分にこれ以上追い討ちをかけてどうするといいのだろうか。
意外と残酷な性格をしているようだ。


「私、むぎのみたいに綺麗じゃないし…。むぎのみたいに頭もよくない…。
 むぎのみたいに強くないし…むぎのみたいに胸も大きくない。
 むぎのみたいに頼りがいないし…むぎのみたいに面倒見もよくない…。
 むぎのみたいに自信無いし…むぎのみたいに…っ!
 だから。
 私はそんなむぎのが…大好きだったのに…っ!」


俯く滝壺の目から涙が零れる。勝利宣言をしに来たくせに何故泣くのか。
私より何がどう負けていたってそれが何だと言うんだ。
アンタは私が一番欲しかったものを持っている。
私が欲しかったものは、もう二度と手に入らない。
少しだけ落ち着きを取り戻した麦野がその言葉に耳を傾ける。
だが、次に顔を上げた滝壺の顔には、麦野に対する明確な敵意があった。
そんな滝壺の顔を見たことが無い麦野は、思わずたじろぐ。


「酷いよむぎの…。
 だけど…むぎのがはまづらを悪く言うなら…。はまづらを傷つけようとするなら…!」

170: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:30:01.57 ID:sYxBAJAo

(なに…?何なの…?)


これ以上滝壺は何をしようとしている?
滝壺は何を言おうとしている?


「私…むぎのを許さない…!」


カチリと、頭の中で何かがはまった。
そして体中から血の気が引いていく。


(もしコレが私の想像通りだとしたら、もしかして私…―――)


  ―――とてつもなく酷い言葉で滝壺を傷つけた?


滝壺の視線は真っ直ぐに麦野を見据えている。
揺るぎの無い、軽蔑と敵意が自分に向けられている。


(私…なんてこと…)


麦野の腕がブラリと垂れ下がる。
きっと滝壺は私に事の経緯を説明しに走ってきてくれたのだろう。
だがそんな彼女を待っていたのは醜い嫉妬にかられた私の心無い言葉。
自分のことを言われるだけなら彼女はこうも敵意を向けてこなかったはずだ。
しかし、私は浜面を侮辱した。
彼女が好きだと言った浜面を貶めた。
自分の気持ちを、汚い嘘で塗り固めた言葉で。

171: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:31:55.51 ID:sYxBAJAo

「滝壺…私ね…」
「むぎのと話すことなんてもう無い」


取り繕う私の言葉なんてもう通じない。


「ち、違うの…私が…」
「むぎのがそんなに酷い人間だなんて、思わなかったよ」


微動だにしない二人。滝壺との修復できない溝。
冷たい目はもう私に二度と笑いかけてくれない。それを埋めることは、もう出来ない。
全ての原因は私にあった。
浜面を信じ切れなかった。
滝壺を信じ切れなかった。
そして何より、自分の気持ちを真っ直ぐに信じられなかった。


(所詮私は…心まで醜い化け物でしかなかったわけか…)

172: ◆S83tyvVumI 2010/04/24(土) 22:34:21.96 ID:sYxBAJAo

腕が震える。今分かった。
他人を否定しなくては自分の心を守れない臆病な怪物。
他人から向けられた好意を信じられない哀れで愚かな化け物。
必死で牙を剥いて、人を傷つけて遠ざけて、自分の弱い心を守ろうとするクソッタレの外道。
それが自分の本質だ。
空虚感と絶望感が胸に去来する。
ポツリと麦野の高い鼻先に雫が落ちた。
やがてそれは間隔を狭めて降りてくる。
雨は容赦なく降り注ぐ。
二人の涙を隠すように。
そして雨音の静寂の中に、無機質な携帯電話の音が鳴り響いた。
麦野はヨロヨロと携帯を取り出し、滝壺を一瞥してディスプレイを見る。
そこに表示されているのは

『電話の女』


「仕事だ…」


麦野は歯噛みし、呟いた。

196: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 00:50:05.10 ID:.1uzavYo

―――――――


ステーションワゴンの車内は緊迫した空気に包まれていた。
久しぶりの仕事前だからではない。
明らかに麦野、滝壺、浜面の様子がおかしい。
フレンダは、「今日はみんな機嫌よく帰ったはずなのになんで数時間でこうなるんだ?」と
後部座席で頭を抱えていた。


「仕事内容を説明するからみんなよく聴いてね」


隣で努めていつも通りに振舞おうとする麦野。
だが、顔は涙の跡でクシャクシャに腫れているし、雨で体中ボトボトだ。
同じように隣に座る滝壺も目元に涙の跡があり、びしょ濡れだった。
浜面はハンドルを握る右手の拳に真っ赤な血が滲んでいて痛々しい。


「私達の仕事は二つ。
 正式名称『超微粒物体干渉吸着式マニピュレーター』。通称『ピンセット』を奪った奴らから取り返すこと。
 そして今私達が向っているのは『ピンセット』を奪った組織のうちの主犯が隠れ住んでいる場所ね。
 そこでこれを奪った『スクール』という暗部組織のリーダーを殺害することがもう一つ」


メールで送られてきた資料を見ながら指を立て、車内でキビキビと説明するところが逆に痛々しい。
フレンダは助手席の絹旗と顔を見合わせながら、心配そうに眉を寄せた。


「相手はリーダーだけなのか?」


自分達に気を遣わせないようにだろうか、浜面はいつもより少しだけ低い声で普通に問いかけた。
麦野も気にしないよう努めて頷く。

197: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 00:52:15.59 ID:.1uzavYo

「そうみたい。今回だけはどうしても私じゃないとダメみたいね。他に構わずそいつだけに集中しろってこと」
「今回だけはって?」


まあとにかく仕事に集中しようと、フレンダが首を傾げた。


「『スクール』のリーダーの名前は『垣根帝督』。
 私と同じレベル5の第二位だから」


車内にまた別の種類の緊迫感が走る。
第二位のレベル5ということは、麦野よりも二つも上だ。
どんな能力かは知らないが、麦野でアレなのだからきっと冗談みたいな力を持っているに違いない。
フレンダは背中に妙な汗が流れてくるのを感じた。


「勝てないようなら最悪『ピンセット』だけは取り戻せってさ」
「ってことは、最優先は『ピンセット』で、ついでにレベル5を超抹殺ってわけですね?」
「そういうことね。ということで、今回の作戦を指示するわよ」


フレンダはゴクリと生唾を飲み込む。
第二位を殺害だと?今回の仕事はヤバすぎる。
あっけらかんとする麦野に頼もしさを感じながらも、彼女の心理状態が心配だった。
とにかくやらなきゃ生き残れない。
彼女の立てる作戦とやらが自分の命を握っているのだと、フレンダは震える手を押さえつけながら続きを待つのだった。

198: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 00:53:57.89 ID:.1uzavYo

―――――――


「ふぁあ~、ねみーな。腹も減ってきたぜ」


第三学区、とある会員制サロンの一室。
中指と人差し指からガラス質の爪が伸びた、金属製のグローブを右手に装着している
ホスト風の男がソファの上で欠伸を噛み殺した。
彼の名は垣根帝督。
学園都市第二位のレベル5にして、暗部組織『スクール』のリーダーだ。
現在学園都市の様々な組織から追われる身の重要人物だが、彼はここに留まらざるを得ない理由があった。


「次の隠れ家手配の連絡予定時刻から既に1時間経過。これは殺されたわね」


反対側のソファで、背中の広く開いた真紅のドレスを身に纏う少女がそう言った。


「だろうな」


興味無さそうに垣根。
室内の大型テレビでつまらない深夜番組を見ながら、手に装着した『ピンセット』を弄んでいる。


「いいの?あまり一箇所に留まるのは危険じゃない?」
「ああ、お前はそろそろ移動してもいいぞ。って言うか、移動したほうがいいかもな。
 見張りを始め、他にも何人も連絡の無いチームがある。これは既に俺達は包囲されてるってことだ。
 お前なら能力で適当に煙に巻けるだろうし、ここにいられてもウゼェからさっさとどっか行け」
「あら、逃がしてくれるのね」

199: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 00:56:14.83 ID:.1uzavYo

口元に笑みを浮かべて少女は立ち上がった。


「ああ、お前にいられても巻き込んじまうからだけだからな」
「ならもっと早く逃がしてくれればよかったのに」
「見張りの下っ端共の配置で敵の動きを測ってたんだ。
 むしろ感謝して欲しいくらいだな。既に俺の居場所を突き止めた連中はここに集まりつつある。
 つまり、包囲網は狭まってるってことだ。そこから外に出られれば、しばらくは追っ手も来ない」


立ち上がり、長い髪をかき上げながら垣根は冷たく笑った。
ドレスの少女は手をヒラヒラと振り、ドアへと向う。


「じゃ、お先に失礼するわ。落ち合うのは例の場所でいいわね?」
「ああ、俺も来客のようだぜ。待たせやがって。さくっとぶっ殺してくるとするか」


首をコキコキと鳴らして去っていくドレスの少女の背中を見送る。
垣根は、このサロンに配置した最後の見張りから通信が途絶えるのを確認した。

202: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 00:58:30.82 ID:.1uzavYo

―――――――


麦野沈利は無心でサロン内を歩き回っていた。
外に配置してあった見張りらしき連中はフレンダ達に任せてある。
レベル5同士の、しかも規格外の第二位を相手に、彼女らに居られても邪魔になるだけだと判断したためだ。
もちろんそれ以外にも理由はある。
滝壺の能力があればより心強いが、今は彼女と連携をとれるような状態ではないし、
そもそも体晶を使ってくれなんて言えるわけがなかった。
麦野は半ばヤケになっていたのかもしれない。
滝壺との間に決定的な溝を生み出して、浜面との関係は破綻した。
もう私には戦うことしか残されていないのだと、麦野は死を賭して戦いに臨んでいる。
だから、情報のあった部屋の扉を開けることに何の躊躇いも無かったし、
そこで余裕の笑みを口元に称えた第二位が立っていても、何とも思わなかった。


「よぉ、美人だな。あんた知ってるぜ、麦野沈利。第四位だ」


第二位は人好きのする笑みで麦野を迎えた。
ポケットに手を突っ込んだままとは随分余裕だ。
所詮は格下に見られているということか。
そして彼の右手に装着されているのが恐らく『ピンセット』だろう。
ガチャガチャと見せびらかすように顔の前でガラス質の爪を動かしている。


「あんたの噂は色々聞いてる。下っ端の雑魚でも容赦なくグッチャグチャにしちまうド外道野朗だとかな。
 どんなおっかねー女かと思えば、意外と可愛い。
 あーでも外は雨か?化粧が崩れてるぜ。髪もボサボサだ。そこは俺としちゃあ減点だな」


よく喋る男だ。だが迂闊に動くわけにはいかない。
能力名が『未元物質(ダークマター)』という以外に、どんな能力か分からない上に
目標である『ピンセット』を装着している。
破壊してしまうのもそれはそれでまずいのだ。

203: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:00:44.26 ID:.1uzavYo

「私はアンタみたいなヤツこれっぽっちも好みじゃないけどね。
 一応訊くけど、アンタが第二位でいいのね?」


麦野の問いに、くつくつと第二位は笑う。
何が可笑しいのか、麦野は少しカチンときた。


「そいつは違うな。間違えてもらっちゃ困る。俺は今、学園都市第一位のレベル5なのさ」
「…なんですって?」


今、と言ったということはやはりかつての第二位本人で間違いなさそうだ。
しかし、彼の言っていることの意味がわからなかった。
第一位の『一方通行』が行方不明だという噂と関係があるのだろうか。


「あんた知らないのか?
 今元第一位の『一方通行』は『こっち側』じゃもう死んだものとして扱われてるんだぜ。
 ま、本当かどうかはともかくな。ただ確かにここ1ヶ月くらいは全く目撃情報もない。
 既に学園都市にはいないのか、マジでくたばったのか…ま、どっちでもいいか」


ポケットから手を取り出し、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
身構える麦野。どんな攻撃を繰り出してくるか分からない以上、いつでも迎撃できるよう態勢を整える。


「つまり、どういうことか分かるかい?『原子崩し』―――」


二人の距離は1メートル。
この部屋全てが麦野の間合いだし、相手にとってもそれはそうだろう。
だから、距離はまるで問題ではなかった。


「さあ、教えてくれるかしら?『未元物質』」

204: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:02:28.78 ID:.1uzavYo

麦野は挑発するように笑みを浮かべる。
垣根も呼応するように冷たい笑みを滲ませた。


「―――俺が学園都市で、一番強ぇってことだよ!」


ゾワリと、体中を悪寒が走り抜ける。
次の瞬間、麦野は全身を切り裂かれて床に膝を着いていた。
学園都市第一位という言葉の重みが脳裏を過ぎる。
何をされたのかまるで分からない。
本当に一瞬の一瞬、刹那の刹那。
瞬き一つの間よりも早く体から血が吹き出て視界を赤く染め上げていく。


(何だ…この能力は…)


麦野はかろうじて倒れ伏すのをこらえると、精悍に笑う垣根を見上げた。


「ぁ…ぁが…何…よこれ」
「所詮第四位、おっと失礼、今は第三位か。まあ分かりにくいし第四位でいいよな。
 こんな小手先の攻撃にも対応できないようじゃ、テメェ死んでも俺には勝てないぜ」


右手の『ピンセット』をカチャカチャと弄んで麦野の腹に思い切り蹴りを入れる。


「ぅぐぅっ…!」

205: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:03:36.47 ID:.1uzavYo

かろうじて支えられていた体が無残にも地べたに叩きつけられる。


「…クソっ!!」


麦野は受身を取るよりも先に垣根の顔に右手を向けて閃光を放つ。
しかし、それは垣根に届くことなく霧散した。


「遅いな。発射までにタイムラグがありすぎる。余裕で対応だ。
 テメェは貴重な一発目を外しちまったぜ」


余裕の笑みはまるで崩れない。
駄目だ、差がありすぎる。
こんなのをどう倒せというのかと麦野の心を弱さが支配する。


「これが『未元物質』 」


垣根は謡うように呟く。


「異物の混ざった空間。ここはテメェの知る場所じゃねえんだよッ!」


精悍だった彼の顔つきが今、初めて獰猛な獣のものへと変貌した。

206: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:06:19.21 ID:.1uzavYo

―――――――


ドレスの少女はサロンの廊下を優雅に歩いていた。
現在学園都市第一位である垣根帝督が負けることはまずありえない。
となればあとは自分がどう逃げるかという話になってくる。
建物内にいると彼の能力でどうなるか分かったものではないため、彼の戦いが終わるまで身を隠すというのは無理だ。


(少しリスクはあるけど、能力を使って逃げるしかないわね)


彼女の能力は『心理定規(メジャーハート)』
対象が「他人に対して置いている心理的な距離」を識別し、
それを参考にして相手の自分に対する心理的距離を自在に調整できる能力だ。
他人の感情を塗り替えることのできる強力な能力ではあるが、不確定要素も非常に多い。
人の心は不可解だ。他人との距離が縮まったからと言って、必ずしもこちらに好意的になるとは限らない。
だから彼女は極力この能力に頼り過ぎないようにしてきた。


(状況が状況だから仕方ないわね。このくらいは全然予想の範囲内。ピンチのうちには入らないわ)


コツコツとヒールの底を鳴らしながら大理石の床を歩いていると、5メートルほど先の曲がり角から
足音が聞こえてきた。


「ん…?」

207: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:08:18.95 ID:.1uzavYo

先ほど敵が突入してきたときに中にいた人間はあらかた逃げ出してしまっている。
こんな余裕の足取りでウロウロしているということは、大体自分の敵だろうと、少女は警戒しながら歩みを止める。


「………」


二人の視線が交錯する。
目の前に立ちはだかったのは、自分と同じくらいの年の少女だった。
肩くらいの長さの茶色い髪に、細い体と鋭い目つき。


(『駆動鎧(パワードスーツ)』?)


相手の少女は『駆動鎧』と呼ばれる、学園都市の治安維持組織等に配備された、人間の身体能力を強化するための
スーツに似たものを身に纏っていた。
似たものと言うのは、本来なら幾重にも装甲板が重ねられ、巨大な安全装置や、ドラム缶のような頭部パーツを乗っけているせいで
結構なずんぐりむっくりとなるのだが、彼女にはそれがない。
細身の体のラインが分かる程度の装甲に、ドラム缶も乗っけていない。
右手の手甲になんらかの装置が取り付けられているようだが、それ以外は比較的軽装だ。
伝説の傭兵のようなその格好に、新手の警備会社でも来たのかと少女は警戒する。
しかもその顔は、どこかで見たような顔だった。


「……アンタ、バンクで見たわ。『心理定規』ね?」


感情を表さず、淡々とした口調で相手は言う。
学園都市の能力者データバンクでわざわざ自分のことを調べて、しかも顔を覚えている。
なるほど、敵だ。

208: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:10:04.86 ID:.1uzavYo


「ええ、そうだけど。そういうあなたはどこのどなた様なのかしら?」


少女は能力を発動し、敵の心の奥深くに入り込む。
相手の最も近しい人間の名前を探し、その距離を自分との距離に設定する。
名前は難なく発見された。


「ふぅん。それがあなたの愛しい彼の名前なのね」


挑発するように笑うドレスの少女。
しかし次の瞬間、その表情が凍りついた。


「なるほど、通りで見たことある顔だと思った」


彼女の名を知って驚いた。だが勝算が揺らぐほどではない。
慌てずすぐさま彼女の中の最短距離を設定する。
距離単位は1。


「妬けるわね、心の全てを占める圧倒的な感情。
 好きで好きでたまらない。私がなくちゃ生きていけない。
 そうでしょう?」

209: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:12:51.87 ID:.1uzavYo

勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
特に変わった様子を見せずに、スタスタと敵はこちらに歩いてくる。
様子がおかしい。効いていないのだろうか。
そんなはずはない。心に干渉する能力は目に見えないものであるが故、直接の攻撃性を持たない代わりに非常に防ぎにくい。
一歩後ずさるドレスの少女だが、敵はすぐに間を詰め、少女の額に左手を当てる。


「冗談でしょ?」


少女の笑顔がわずかに引きつる。
そんなこちらの様子を気に留めるのも煩わしいと言いたげに、敵は唇を小さく動かして、
淡々と言葉を紡いでゆく。


「知ってるわよね?私は最強の『電撃使い(エレクトロマスター)』。
 今の私は自分の脳内を走る電気信号すら自在に操ることが出来る。
 アンタの心理攻撃は私には効かないわ」


その言葉に、ドレスの少女は、観念したかのように瞳を閉じて肩の力を抜いた。
次の瞬間、バチバチという音とともに少女の体は壊れた操り人形のように跳ね上がり、
プスプスと黒い煙を上げながら硬い床に沈みこんでいく。
倒れてゆく彼女の体に興味を無くしたように、『電撃使い』の少女はゆっくりと何かを探すようにサロン内を歩いていった。

210: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:15:19.08 ID:.1uzavYo

―――――――


浜面仕上は目的地であるサロンから少し離れたところに停めた車の中で思考の迷路に嵌っていた。
現在、麦野は単独で敵のリーダーの元へと向かい、他のメンバーは絹旗が見張りの兵を退けつつ、
万が一のとき仲間を回収するために滝壺を守りながらフレンダが敷地内にトラップを仕掛けて回っている。
麦野の戦いに新手の組織や敵の仲間が介入されると邪魔になるからという判断だった。


(何せ相手は学園都市第二位。麦野より強いのがあと3人もいるって、どんなヤツなんだ?)


麦野は強い。
正直やり過ぎだって思うこともよくあるが、とにかく『原子崩し』は徹底的に攻撃力に特化した能力だった。
防御や心への攻撃、他方面への応用性、それら一切を持たない代わりに、
どんな遮蔽物でも関係なしに貫き、溶解させ、跡形も残らず破壊する。
射程距離、効果範囲も莫大に広いし何より当たった箇所はその時点で原子レベルで分解される一撃必殺の能力。
反面、威力を上げて発動するためにはそれなり時間を要するし、フルパワーで放つと麦野の体も吹き飛ぶらしいため
それは出来ないということだった。
非常に分かりやすい長距離移動砲台。
本来なら遠くからこのサロンごと消滅させるというのが麦野好みの作戦だろう。
だが、今回の仕事は『ピンセット』とかいう装置を奪還しなくてはならない。
故に、能力を最大限活かしきれない近距離戦に及ばざるを得なかった。


(本当に勝てるのか、麦野?)

211: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:18:04.46 ID:.1uzavYo

浜面は作戦開始前の麦野の顔を思い出した。
泣きはらし、雨でグシャグシャになっていた麦野。
麦野に誤解を与えて悲しませてしまった。
同じく滝壺も様子が変だったし、麦野との間に明らかな確執が見て取れた。
説得は失敗したらしい。


(俺のせいだよな…やっぱり)


やはりこの仕事が終わったら謝ろう。
と思っていたそのとき、車のウインドウを誰かが叩く。
小柄な金髪がピョコピョコ上下しているのが見えた。


「どうした、フレンダ。終わったのか?」


浜面は窓を開けてフレンダに問いかける。


「うん、あとは絹旗が入り口を固めといてくれるし、他の場所からの進入はもうできないよ。
 万が一のために滝壺もいるし」


なら中に入ればいいのにと浜面は思ったが、真剣な面持ちのフレンダがこちらをまるで睨むように見つめている。


「ん?なんだ?」
「浜面…ちょっと降りて話しない?」
「あ?仕事中だろ。そんな呑気な…」
「いいから。大事な話なの」


言われて浜面は車から降りる。
するといきなりフレンダは浜面の胸倉を両手で掴み、車体へ叩きつけるように押し付けた。

212: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:21:01.06 ID:.1uzavYo

「つっ!何しやがんだよ!」


硬い車に叩きつけられ、浜面は自分より頭一つ以上小さな少女を見下ろす。
彼女は怒りの形相でこちらを睨みつけていた。


「お前、麦野に何した!?」
「何って、何が!?」


結構な力で締め上げられる。
護身術の心得でもあるのか、思った以上に力が入らないし身動きも取れない。


「麦野、泣いてたよ!あんなボロボロの麦野…何か余計なこと言ったの!?」


わなわなと唇を震わせて、フレンダが詰め寄る。
浜面は彼女の瞳を真っ直ぐに見られない。
心当たりがありすぎた。


「…滝壺が部屋にいるところに麦野が来た…」
「はぁ!?」
「ち、違うぞ!お前が思ってるようなんじゃない!
 滝壺が来てすぐ麦野が来たんだ!滝壺が何しに来たのか訊く前に来たから、
 上手く説明できなくて…麦野を傷つけた」


次の瞬間。浜面は足を引っ掛けられ、硬いアスファルトに後頭部から叩きつけられた。
一歩間違えたら死ぬぞ思っていると、フレンダの靴の踵で心臓部分を強く踏みつけられる。
プリーツスカートの中から下着が見えるのも構わず、フレンダは今まで見たこともないような冷たい目で
浜面を見下ろした。

214: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:22:42.21 ID:.1uzavYo

「ぐっ…!」
「詳しく説明してよ。結局、もしあんたが取り返しのつかないことを麦野にしていたら、殺す訳だけど」


フレンダの青い目は拒否を一切許さない。
普段の騒がしくて誰彼構わずちょっかいを出してケラケラ笑っている明るい彼女はもういなかった。
彼女も麦野と同じだ。
学園都市暗部組織、『アイテム』の正規メンバーがそこにいた。


「…最後までちゃんと聞けよ?」


浜面はもうどうにでもなれとありのままを説明した。
麦野が普段家に料理を作りに来てくれていること。
家に帰ってゴロゴロしていたら滝壺がやってきたこと。
部屋に通したらすぐに麦野が来て、滝壺と気まずい雰囲気になったこと。
滝壺に言い訳をして怒られたこと。
滝壺が麦野を説得すると部屋を出て行ったこと。
次に麦野から仕事の連絡を受けたとき、彼女達はもうボロボロだったことも。
全て説明した。


「……浜面お前、やっぱ死ねよ」


フレンダの靴底がもう一度浜面の胸に突き下ろされる。
ミシミシと音を立てるあばら骨。
呼吸が止まり、激痛が全身を駆け巡った。

218: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:26:14.59 ID:.1uzavYo

「ぐぉっ…!!」
「と言いたいトコだけどまだ間に合うか。あんたが滝壺と麦野に二股かけてたとかだったら
 もう死ぬより辛い目に合わせて磨り潰してやるとこだったけど」
「じゃあなんで踏み潰したんだよ…」


ゲホゲホと浜面は咳き込みながら苦しそうに言う。


「今のは浜面のバカさ加減に対しての制裁って訳よ。
 半分はあんたが悪いしね」


フレンダの表情はいつものフレンダに戻っていた。
浜面は咳き込みながらよろよろと状態を起こして彼女を見上げる。


「なんで俺があいつらに二股かけるんだよ…俺が好きなのは…」


拳を握ってステーションワゴンに思い切り叩く。
静寂に包まれた街に、驚くほど大きな音が木霊した。
ビクッと肩を震わせたフレンダは、だがその続きを待つようにクリッとした大きな目を見開く。


「俺が好きなのは、麦野なんだよ!」


浜面は自らを奮い立たせるように叫んだ。
驚いたようにフレンダが浜面を見つめている。

219: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:29:24.55 ID:.1uzavYo

「悪いかよ!ああ!俺はあいつが好きだ!
 最近一緒にいるようになってどうしようもなく好きになっちまった単純な男だよ!
 料理作ってもらってさ、あいつの優しい言葉と笑顔にやられちまったクソッタレの●●野朗だ!文句あるか!」


その咆哮を耳にしたフレンダは、口元を柔らかく綻ばせると、浜面に向って手を差し伸べた。


「そんなのさ、私に言われても困る訳よ。行こうよ浜面。もう半分のバカを助けにさ。
 このままじゃ、あんたの大事なお姫様が死んじゃうよ」
「フレンダ…」


浜面は迷わず手を取った。
少し考えれば分かることだったんだ。
麦野が何故単独で圧倒的な敵に挑んだのか。
もっと効率よく『ピンセット』だけ回収して、あとから第二位を遠距離射撃で消滅させる手を選ばなかったのか。
どちらが成功率が高いかなど、もう麦野にはどうでもよかったんだ。
傷ついた麦野は暗部としての自分だけに自分の居場所を見出した。


(滝壺と…俺を失って、混乱した麦野がとる行動なんて決まってたんだ…。
 キレた麦野がやることなんて、後先考えない大暴れしかねえだろっ…!)


浜面はフレンダともにステーションワゴンに乗り込み、イグニションキーを回す。
アクセルを最大限に踏み込み、不自然なくらい静かなサロンへ向って走り出した。

221: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:31:25.57 ID:.1uzavYo

―――――――


麦野が死ぬかもしれない。
フレンダは確証はなくとも確信していた。
積極的に死のうとは思っていないかも知れないが、死んでも構わないとは間違いなく思っている。
浜面の話を聴いてなんとなく事態は飲み込めた。


(xxと●●のカップルはこれだから困るのよね…。端から見てたらあんたらどう見ても恋人同士なのにさ、
 恋愛に自信が無いもんだから無駄に奥手になって…ああもうじれったい!)


麦野はきっと、浜面の気持ちを確かめに行ったんだ。
だからそこで待っていた光景を受け入れられなかった。
滝壺が浜面の家に何をしに言ったのかは分からない。
だがそれが何であれ、浜面の気持ちが麦野に向いている以上もはや関係はない。
滝壺が説得をしに麦野のところに向ったということも照らし合わせれば、
決して麦野にとって不幸な結末は待っていなかったはずだった。


(麦野、結局どんだけ不器用な訳よ…。まあそういうとこが可愛いんだけど)


きっと麦野のことだ。大暴れしながら走り去って、追ってきた滝壺にそれはそれは筆舌に尽くしがたい暴言を吐いたのだろう。
浜面のことをボロクソに貶して、まるで自分の精神の安定を図るかのように。
滝壺が浜面のことが好きなのはたぶん間違いない。一時は両思いだと思っていたくらいだ。
きっと麦野だってそう思っていた。
だからドキドキを胸に幸せな気持ちで浜面の部屋を訪れたとき、そこにいた滝壺を説明付ける理由が思い浮かばなかったんだ。
浜面のことを貶された滝壺は怒り、結局麦野を説得できずに二人の関係にヒビを入れただけに終わったのだろう。
そこまで考えて、フレンダは辻褄が合いまくっていることにゾクゾクと体を震わせた。

222: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:33:40.25 ID:.1uzavYo

(どいつもこいつも…人の話に聴く耳持てってのよね…。)


間も無くサロンがある敷地の大きな門が見えてくる。


(全く、しょうがないなあ麦野は)


フレンダはため息をついて首を振る。


(こうなったら最後まで面倒見てあげるよ。麦野の初恋は、もうハッピーエンドが用意されてるんだから)


そこの門に立っている絹旗達を見つけると、浜面はブレーキを踏んで横付けした。


「はーい、乗った乗った!」


フレンダはワゴンのスライドドアを勢いよく開けて絹旗、滝壺を中に手招きする。


「どうしたんですか?まだ麦野が…」
「だから、あの馬鹿を回収しにいくの!今日の麦野じゃ駄目だ、一旦退いて立て直そう!」
「わ、わかりました!」


よく分からないといった感じだが、絹旗は車内に飛び乗り、滝壺もそれに続く。
滝壺の表情に特に変わりは無いが、幾分ピリピリとした雰囲気が見て取れる。

223: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:35:10.43 ID:.1uzavYo

「車で入れるんですか!?」
「歩いて行ったほうがいいんじゃ…」
(さすがに体晶使ってくれとは言えない訳よ。あとで滝壺にもゆっくり説明しないと。
 えっと確か麦野がいるのは…)


フレンダは麦野が情報を得ていたサロンの部屋の場所を先ほど中で手に入れた室内見取り図で確認する。


(お、これならいけそうだ)


フレンダは浜面に見取り図を投げて渡し、皆に説明する。


「相手は学園都市第二位。どんな能力か知らないけど、たぶん私らじゃ裸で逆立ちしても勝てっこない訳よ。
 麦野を回収したら即離脱するよ。浜面、その印のついてるとこまで全速力!」
「お、おう?え?」
「詳しい説明はあとあと!麦野が死ぬトコ見たくなかったら、あんたは黙ってアクセル踏むの!
 絶対ブレーキ踏んじゃ駄目だからね!」


生き生きとした様子のフレンダに皆唖然としている。
こんなに真面目に仕事をしているフレンダなんて初めて見たと言わんばかりの一同。
浜面は言われたとおり、ギュッとハンドルを握ってアクセルを踏み込んだ。


「あーくそッ!頼むぜフレンダぁ!いくぞお前ら、舌噛むなよ!」

224: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:37:12.10 ID:.1uzavYo

―――――――


「あっさりしすぎててつまんねーな。もちっと歯ごたえあるかと思ったが」


垣根は床に倒れ伏した麦野を見下ろし、頭をポリポリとかいた。
全身から血を噴出し、服もボロボロに破れているが、体中真っ赤に染まっているためどこが肌でどこが布か分からない。
ヒューヒューと隙間風のような呼吸でかろうじて意識を保っている状態の麦野は、
自分の体がまるで動かないことが悔しくて、せめてもの抵抗で垣根を睨み付けた。


「あァ?まだやる気ってか?やめとけよ。まあテメェを生かしてやるわけにはいかねえけど、
 大人しくしてりゃ仲間の何人かは見逃してやるからさ」
「じゃあ…さっさと……殺せよ」
「おいおい、俺はテメェをここで6時間も待ってたんだぜ。
 それくらいは楽しませてくれないと割にあわねーだろ」


麦野はこの男が何を言っているのか分からなかった。
私をたっぷりと●●て辱めるために生かしているのだろうか。
汚いものでも見るかのような麦野の視線に、垣根は獰猛に牙を見せて嘲笑う。


「勘違いするなよ。何考えてるか分かるぜ。確かにそそる体してるけど、俺はそんな小悪党じゃねえ。
 分かるか?くたばった『一方通行』。どこで何をしてるか分からねえ『超電磁砲』。今ここにいる俺とテメェ。
 実質これはレベル5の頂上決戦なんだ。もっと手に汗握る白熱バトルを期待してたんだが、なんか冷めちまったな」
「クソが…何が目的だ」
「だが、レベル5じゃなくても、そこに程近いめんどくせえ能力者は学園都市にはそこそこいる。
 テメェを殺すのは、そいつを殺した後だ」

225: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:39:42.20 ID:.1uzavYo

そうか、今分かった。
こいつは滝壺を殺そうとしている。滝壺の能力は『能力追跡(AIMストーカー)』。
一度記録したAIM拡散力場の持ち主を、たとえ太陽系の外に出ても追い続け検索・補足出来る能力だ。。
さらにAIM拡散力場に干渉して能力者の『自分だけの現実』を乱すことで、暴走を誘発、攻撃への応用も可能な、
レベル4の中でもとびきり珍しく、強力な力だった。
滝壺が生き残っている限り、垣根はこの地球上のどこにいても居場所がバレてしまう。
麦野を餌に、ここで彼女を釣り上げて殺そうという算段ということだ。


「だったら…こんなとこにいないで直接あいつのところに行けばいいでしょ…」
「無駄だぜ『原子崩し』 。レベル5に背中を見せるのはアホのすることだ。
 俺とテメェは出会っちまった以上。どっちかが死ぬしかねえのさ」


バレバレか。最悪一度距離を置けば体制を立て直して遠距離から『ピンセット』ごと破壊してやることもできると思ったが、
この垣根帝督はその見た目に反して慎重な男のようだった。


「にしてもおっせえな。テメェ人望ないのか?ってか友達いねえだろ?性格悪そうだしなあ。
 いくら見た目綺麗でもそれじゃ男はできねえな」


ククッと馬鹿にしたように笑う。
別に腹は立たなかった。割と自覚していることだったし。


「もう少し悲鳴でもあげてくれりゃ、あいつらも焦るか?」


近づいてきた垣根は、麦野の手首を革靴の底で踏みにじった。

226: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:41:13.13 ID:.1uzavYo

「あぐぅっ…!」
「いいねえ。雑魚をじわじわ嬲るのは心が痛むが、目的のためなら仕方ないよな?」
「…っざけんなぁっ!!」


踏みにじられた手から、青白い閃光を放出する。
それは意外にも垣根の靴の先を焦がし、彼の右足薬指と小指を消滅させた。


「ぐぉおああ!」
(効いた…?)
「っぶねー!さすがに触れてたら通っちまうな。
 そしてムカついた。テメェ、やっぱ今死んどけ」


垣根が両手を広げて何かをしようとしている。
現時点で彼が本気を出していないのは明白だ。
何かを本格的にやられる前に手を講じなくては逃げ出すことすら困難になってしまう。
いつ切れてもおかしくない意識の糸を必死で手繰り寄せて、自らを奮い立たせる。
そのときだった。
バチバチと、どこからか漏電するかのような音が聞こえてくる。
垣根もそれに気づいたのか、辺りを警戒するように室内に視線を送っていた。
麦野はこの感覚に、少しだけ嫌な思い出があった。
そしてそれは2秒後に、現実のものとなる。
轟音が鳴り響く。
部屋のドアを吹き飛ばし、そこから一人の少女が入ってきた。


「なんだお前?」

229: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:44:23.71 ID:.1uzavYo

それは細く小柄な、どこか品のある中学生くらいの少女だった。
全身を薄い『駆動鎧』が覆い、肩くらいの長さの茶色い髪を靡かせてこちらに真っ直ぐ歩いてくる。
麦野は反射的に、飛び上がるように体を起こした。


「お前…なんで…ここにいるのっ…!」


苦虫を噛み潰すような麦野の声。
麦野は彼女を知っていた。


「…意外な奴が来たな。テメェは確か、あいつだろ?」


立ちはだかる少女は二人の顔を汚物を見る目で交互に見やる。
次に放つ言葉は、垣根と麦野で見事に重なった。


「常盤台の、『超電磁砲』」


そう。
彼女は学園都市第三位のレベル5。
最強の『電撃使い(エレクトロマスター)』。
通称『超電磁砲(レールガン)』。
御坂美琴だった。
しかしその雰囲気は麦野の知っている彼女とは少し違うものだ。
自分達が心底憎いとでも言いたげな冷たい視線。
彼女が学園都市暗部に堕ちたという噂は本当だったということだろうか。


「理由なんてどうでもいいわ。あんた達のこともどうだっていい。
 でも、一気に二人まとめて消せるのはラッキーだって思っていいわよね?」

232: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:47:08.74 ID:.1uzavYo

垣根だけでなく、麦野も彼女の標的となっているようだ。
正直他の暗部の人間に消される理由など思い浮かばない麦野。
恨みを買った数なら暗部一を自称してもいいが、少なくともこんなタイミングで
『超電磁砲』が介入してくる理由など思い浮かばない。


「へえ。どうやって?俺が知りたいくらいだ。
 言っとくが、お前の能力じゃ俺には勝てないぜ」


垣根は一先ず瀕死の麦野は放置しておいて、先に御坂と戦うつもりのようだ。
体をそちらに向けた瞬間、御坂が大理石の床を蹴った。
恐るべき跳躍力。一蹴りで御坂は垣根に向って美しく弧を描いて飛び上がる。
垣根がニヤリと笑い、能力で何かをしようと手を振り上げた。
しかし御坂は引かない。
彼女は黒い手甲がついた右手で垣根に向って殴りかかる。


「ハッ!拳で来るとは意外だったが、そんなもん俺には何の意味もねえ!」


嘲る垣根。
パンッ!と何かが弾ける音がした。
御坂の体が弾け飛んだのではない。
垣根の顔面を御坂の右手が殴りつけたのだ。


「あァ?」

234: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:49:13.10 ID:.1uzavYo

驚きと怒りと焦りが初めて表情に出た垣根。
彼は何故能力を使わなかったのか?
それとも見えない攻撃を御坂が避けたのか?
麦野が瞬きをする間に考えたその問いの答えは、もう出ることは無い。
御坂は垣根の顔面を左手で掴んで唇を小さく動かした。


「第二位、垣根帝督。意外と大したことなかったわね」
「テメェッ!今何しやが…!」


バシィッ!と今度は雷が空気を震わせる音が鳴り響く。
垣根の体が歪に跳ね上がった。
『超電磁砲』は最大十億ボルトの電気ショックを体から放つことができる。
そんな電流を体に流されれば、一瞬にして絶命することは間違いない。
ブスブスと黒い煙を体中から吹きだして、垣根帝督の体がドサリと床に転がった。
麦野は両目を見開き、驚愕を露にする。
自分が何も出来ずにいたあの垣根帝督を、何をしたかも分からぬうちに倒してしまった。
これは本当に御坂美琴なのか?
第三位が第二位をこんなにあっさり倒せてしまうなら、
どうして彼女は第三位の位置にいたというのだ。


「アンタ、何やったの…?」


少なくとも麦野の知る『超電磁砲』 はこんな強大な力を振るえる奴じゃない。
威力だけなら麦野の『原子崩し』にも劣っている。
確かに、『超電磁砲』はネットワークへのハッキングから電磁浮遊までその応用力の高さこそがキモであり、
それ故の第三位だ。
だが、とどめの電撃はともかく最初の拳は明らかに不自然だった。
どこかイレギュラーな、不気味な要素を持っている。
麦野にはそう思えてならなかった。

237: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:51:08.13 ID:.1uzavYo

「知る必要は無いでしょ。アンタも今からこうなるんだから」


垣根の右手から『ピンセット』を取り外し、背中のバックパックに収納する。
御坂はこちらに向って歩いてくる。
そのときだ。
部屋の壁から爆発音とともに壁が吹き飛び、そこから一台のステーションワゴンが飛び込んできた。
そちらに視線を向けたその一瞬を麦野は見逃さなかった。
右手から御坂に向って青白い閃光が迸る。
さらに背中からロケットエンジンのように『原子崩し』の電子線を噴出させ、
一瞬して列車にも勝る速度に加速した麦野は、彼女の顔目掛けて膝蹴りを放った。


「チッ!」


理解の及ばない垣根の能力とは違う。
不可解な点はあるが御坂の能力はあくまで電撃だ。


「余所見なんて随分余裕じゃない!小さなお顔が無くなっちゃうわよ!?」


襲い掛かってくる攻撃が想像できる範囲内に収まっているから、麦野は迷わず御坂に最後の力を振り絞って突撃を仕掛けた。
まるで見えていたかのような反応で、右手で電子線を受け止めたことには驚いたが、それは最初からおとりだ。
麦野の膝が御坂の顎に炸裂する。


「ガ…ァガッ…!」

238: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:53:01.55 ID:.1uzavYo

常人なら首がもげてぶちぶちと引きちぎれる威力だが、『駆動鎧』の効果なのだろうか、ゴキュッと鈍い音をあげただけに留まる。
だがそこで勝負は決しない。
顎に膝をめり込ませたまま、御坂は口を真横に引き裂き不気味に笑う。
驚いたことに彼女はその状態にも関わらず、バチバチを音を鳴らしながら左腕を異様な勢いで振り上げた。
麦野は咄嗟に気づく。


(コイツ、筋肉に電気を流して無理やり動かしてる…!?)


手首からコイン状の金属版を射出し、仰け反ったまま左腕を麦野の顔面に向けて伸ばすと雷が一筋走った。
これこそが彼女が『超電磁砲』たる所以。
親指で弾いたコインは轟音と共に空を裂く。
音速を超える弾丸を視認したときにはもう遅い。
左手が振りあがったとき反射的に首を逸らしたため直撃による頭部の粉砕はまぬがれたが、
その衝撃と雷の尾が麦野の右目を弾き飛ばした。


「ぐっ、ぉおおああああああああああああああああ!!!!!!!」


烈火の如き激痛が右目に走る。
御坂の体も勢いは殺しきれずに壁に叩きつけられるように床を転がった。
天井を吹き飛ばし、2階の屋根までも軽く突き破った弾丸が天に穴を開ける。
その降り注ぐ瓦礫の下で麦野は右目を押さえて絶叫した。
この間、突っ込んできたステーションワゴンが急ブレーキをかけてスライドドアを開くまでのわずか5秒ほどの出来事だった。


「麦野!!」


浜面の声がした。
だが真っ赤に染まった視界の中でパニックに陥っている麦野にその声は届かない。

240: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 01:55:34.19 ID:.1uzavYo

「ぁぁぁあアアアアアアあああああああああァああアあああああああああああッッ!!!!!!」
「私が行きます!」


車の中から絹旗が飛び出してきた。
『窒素装甲(オフェンスアーマー)』の力でのた打ち回る麦野の体を担ぎ上げると、すぐさま車の中に飛び込む。
ドアを閉める間も無く浜面はバックで元来た穴から車を外に出すと、
勢いよくハンドルを切り返して敷地の外に出ようとアクセルを踏み込んだ。


「逃がさないわよッ!!」


御坂の叫び声が聞こえる。
フレンダはまだ開けっ放しのドアからぬいぐるみに偽装された爆弾を外に放り投げる。
ぐんぐんとサロンを突き放す速度だが、背後から御坂の『超電磁砲』がいくつも繰り出される。
フレンダの投げた爆弾の爆風によってほんのわずかにだが軌道を変えられたか、
それともめくれあがった石畳がうまく逸らしてくれたのか、その弾丸は車体のすぐ横をすり抜けて
車が敷地を出るまで直撃は免れることができた。


「浜面!とにかく麦野を病院へ!血を超流しすぎてます!このままじゃ本当に死んでしまいますよ!」
「分かってる!もう向ってるよ!」


麦野は歯をガチガチと鳴らし、顔面を蒼白にしながら焦点の合わない目で震えていた。
フレンダが麦野の名前を一心不乱に呼び続けている。
真っ赤に染まった体がレベル5同士の戦闘の壮絶さを物語っていた。
右目をずっと抑えて離さないその様子から、車内の一同は麦野の眼球が一つ失われたことを知ったのだった。

243: ◆S83tyvVumI 2010/04/26(月) 02:01:59.18 ID:.1uzavYo
本日は以上です。
フレンダの行動に関して不快に感じた方は申し訳ありません。
フレンダは極麦野派の人間なので基本的に麦野のために怒り、麦野のために行動しますので
仕様とお考えください。
ただ、麦野の理不尽な怒りや行動については、ある程度の決着を作中で着けるようにしてます。
「怒るとすぐ人をぶっ殺したくなるメンヘラ麦のんのがんばり物語」くらいに思って頂けたらと思います。

260: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:21:42.19 ID:wdvRG3go

第七学区のとある病院。
集中治療室の前のソファで、浜面は無言で座りこんでいた。
周りには他のメンバーもいる。フレンダは壁際で膝を抱えてグスグスと震えているし、
絹旗はボロボロになったステーションワゴンを下部組織の連中に処分を依頼して戻ってきたところだった。
麦野と絶対何かあったはずの滝壺も心配そうな顔でフレンダの背中をさすってやっている。


(こうして見ると…やっぱ麦野の存在はでかいな)


傲岸不遜な麦野の態度を思い出す。
常に自信を崩さず、皆の先頭に立ち、なんだかんだ文句を言いながらもこいつらの面倒を見ていたのは麦野だ。
すぐに機嫌は悪くなるし、ウルトラ自己中だし、プライドは高くて扱いにくいが、それでもみんなの中心的な存在として
やるべきことはきっちりやっていた。そんな麦野に、みんな引っ張られてきたんだ。


(すげえな麦野。お前がいないだけで、俺たちはこんだけ沈めるんだぞ…気付いてるか…?)


なのにその麦野がいない。
浜面はまだ現実感が無く、どこか宙をふわふわ漂っているような感覚で、彼女らよりは幾分か冷静にしていられた。
皆が沈み込んでいるから自分まで落ち込んでいる余裕がなかったのかもしれないが。
フレンダが壁際に仕掛けていた爆弾を利用して室内に車で突っ込んだとき、
垣根帝督らしき男は煤だらけになって倒れていたし、麦野は別の少女と血だらけで戦っていた。
完敗だった。勝者はいない。
あえて言うなら、最後まで場に立っていたあの少女だが、麦野を取り逃がしている。

261: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:23:47.08 ID:wdvRG3go

(あれ…誰だったんだ…?)


麦野の稲妻のような蹴りを小さな顎で受けきり、しかも反撃して彼女の顔面を吹き飛ばそうとするような相手だ。
そんな人外の知り合いに心当たりなどあるはずない浜面だったが、ふとある人物の名前を思い浮かべる。


(常盤台の『超電磁砲』だっけか?『電撃使い』のレベル5って言えば有名人だけど、こいつも暗部の人間だったのか?)


スキルアウトだった浜面は、能力者を相手に、リーダーの駒場利徳と共に戦っていたことがある。
結局駒場はどこかの暗部組織の人間に殺されてしまい、浜面もその後のつまらない仕事でヘマをして
今はアイテムの下っ端をやってるわけだが、当時ある程度有力な能力者の情報は見たことがあった。
一位や二位もなんとなく聞いたことがあるが、情報も少なかったし能力の内容を聞いてもさっぱり分からなかったので記憶に残っていない。
だが、常盤台の『超電磁砲』は違う。
恐らく彼女はこの学園都市で最も有名な超能力者。
レベル1から努力を重ねてレベル5までになった、誰もが一度は憧れる夢を中学生にして実現した生き証人だ。
浜面はそれも含めての才能だと断じていたが、彼女の噂に羨望を向けたこともある。
結局は無能力者でいることに耐え切れず、努力し続けるだけの根性もなく、路地裏に落ちて腐っていった
自分とはまるで正反対の人間だったはず。


(そんな奴が…どうして『こんなとこ』にいるんだよ)


努力できなかった凡人の自分とも違う。
天性のレベル5である麦野とも違う。
なのに行き着いた果てが同じ場所だと言うことに、浜面は悔しさがこみ上げてきた。

262: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:25:17.57 ID:wdvRG3go

(どんなに頑張って努力した奴も、どんだけ正しく生きてきた奴も、この街の闇はみんな飲み込んじまうのかよ…)


浜面が壁を殴る音に、滝壺たちが肩をビクリと跳ね上げてこちらを見る。


「はまづら…?」
「あ…悪りぃ、なんでもねえんだ」


心配そうに問いかける滝壺をなだめるように力なく笑い、浜面は再び俯く。


(麦野…お前は『超電磁砲』がお前の前に現れたとき、どう思ったんだ…)


手術中のランプが点った扉を見つめる。


(死ぬなよ麦野…。お前もたぶん、俺と同じ気持ちだよな…。
 お前だって初めはきっと、『こんなとこ』に来るために学園都市へ来たんじゃないんだろ。
 こんな目にあうために、この街へ来たんじゃないんだろ?)


浜面は爪が食い込むほど拳を握る。
麦野と別れて床を殴ったときの傷から血が滲んだ。


(頼む麦野。俺は、まだお前に何も伝えてないんだ…)

263: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:27:24.01 ID:wdvRG3go

携帯を取り出して電池パックに張られたプリクラを見る。
ぎこちない麦野の微笑。
照れくさそうな自分の気持ち悪い笑顔。
ギュッと携帯を握り締める。
浅はかな自分の行動で麦野を傷つけた。
ちゃんと謝りたい。
許してくれなくても、ちゃんと伝えたい。
ずっと遠回りをしてきたけど、ようやく自分の気持ちを自覚できたんだから。
祈るように携帯を額に押し当てる。
やがて集中治療室のランプが消えて、中から手術を終えた医者達が数人出てきた。


「麦野は、大丈夫なんですか!?」


絹旗の声と共に、浜面達は皆そのカエル顔の医者の下に駆け寄る。


「深夜だから静かにね?ここは病院だよ」


そのあまりの勢いにカエル顔の医者はゴホンと咳払いをして場を落ち着けると、
ゆっくりとした口調で麦野の現状を語り始めた。


「一命は取り留めたからまずは安心していいね。
 失血によるショック死の心配があったが、あれは彼女の能力かい?
 青白い光が傷口をループして出血を抑えていたから見た目ほど血は失われていなかったよ」


死という言葉に浜面はドキリとなる。
麦野じゃなかったらとっくにそうなっていてもおかしくなかったということが、背中に薄ら寒いものを感じさせる。
だが、とりあえず命は取り留めたことに、一同は安堵の吐息を漏らした。

264: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:29:11.44 ID:wdvRG3go

「よかった…」
「うぇぇえええええ!よかった!よかったよぉ…!」
「よしよし。もう大丈夫だからね」


滝壺も胸を撫で下ろして隣でビービー泣いているフレンダを抱き寄せた。


「うん。あとは膝に打撲痕があるが、間接を少し痛めただけで骨は折れていないようだね。
 それから、彼女の右目なんだが」


一呼吸置いて一同の顔を見回す医者。
麦野がずっと呻き声をあげながら押さえていた右目だ。
浜面はゴクリと生唾を飲み込んだ。


「残念ながら眼球が蒸発してしまっているね?
 加えて右眼窩周辺の火傷が重傷だよ。
 不幸中の幸いか、狭い範囲だから命に関わるほどではないが」


無情に突きつけられる言葉。フレンダが医者の白衣に掴みかかる。


「そ…んな!先生!麦野は女の子なんだよ!お願い!麦野を助けて…!」
「フレンダ、落ち着いて…」
「ひぐっ…えぐっ…だって…麦野あんなに綺麗な顔なのに…火傷の痕なんて…ぐすっ…」


滝壺がフレンダを医者から引き剥がしてその胸に抱き寄せる。
女の子である麦野が、顔に傷を負うことがどれほどのことなのか浜面には想像もつかない。
それ以上にこの事実を麦野にどう伝えればいいのだと、浜面は絶望感に膝から崩れ落ちた。

265: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:30:51.73 ID:wdvRG3go

「む、麦野の顔は、元どおりにはならないんですか…?」


絹旗がおずおずと訊く。
カエル顔の医者はコホンと再び咳払いをした。


「まあまあ、落ち着いてね?人の話は最後まで聴くものだよ。
 視力は元通りとは行かないが、光を取り戻すことは可能だね。
 また、皮膚も眼球も見た目にはほとんど分からないよう回復はできる。だから安心していいよ」
「ほ、本当か…?本当かよ!?」


浜面はその言葉を聞いて、何度も確認するように医者の顔を見る。
医者は頷く。フレンダも滝壺の胸から顔をあげて、彼のカエル顔に視線を映す。


「ほんと?麦野の顔…元の綺麗な顔に戻るんだよね…?」
「当然だよ。僕を誰だと思っているんだね?」
「ぅ…ぅええええええ!!!!!」


大泣きし始めるフレンダ。
だが浜面にもその気持ちはよくわかった。
さも当然のように言ってのけたその年老いた医者の顔が、
浜面には最高にかっこいいヒーローのように見えたのだから。

266: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:33:01.51 ID:wdvRG3go
―――――――


次に目が覚めた時、私の世界は何もかもが変わっていた。


午後3時。
麦野沈利は窓の外をぼんやりと眺めていた。
全身の皮が突っ張るような感覚と、右目が時折ズキリと痛む。
右目には顔をぐるりと一周するように包帯が巻かれ、視界が狭くて違和感があった。
これが今日から私が見る世界。


(これが文字通り、合わせる顔がないってやつか…)


麦野はついさっき目覚めたばかりだった。
この病院に担ぎ込まれて3日。昨日までは体中から多数のチューブが生えていたらしいが、
今は点滴のチューブが一本伸びているだけで体調もどちらかといえば良好と言える状態だ。
目が覚めるなりカエル顔の医者が来たため現状もある程度理解している。
しかし正直、皆には申し訳ないが体のことはわりとどうでもよかった。
いや、考えることが多すぎて、もはやそこまで頭を回す余裕が無いと言ったほうが正しい。


(さて、これからどうするか…)


今麦野の中にある懸念事項は3つ。

268: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:34:21.04 ID:wdvRG3go

一つ。
浜面仕上について。
仕事の前にあんなことがあったばかりで、どんな顔をして合えばいいのか分からない。
あの時よりは精神も落ち着いているが、会うのが怖かった。


二つ。
滝壺理后について。
こちらはどうすればいいのか分からない。
今さらどの面を下げて彼女に会えと言うのか。
現在最大の懸念事項はそれだ。


三つ。
御坂美琴について。
当然のことながら、まだ仕事は継続中だ。
垣根帝督がどうなったのかは分からないが、『ピンセット』は御坂の手に渡っている。
これを回収するまでは、例え右目が無くなろうが手足が引きちぎれようが仕事は終わらない。


つまり結局のところ、何もかもが分からないことだらけだった。


(とりあえず、『超電磁砲』の情報を集める必要がありそうね…)


自分の身辺のことは仕事を終わらせてからゆっくり考えてもいいだろう。
とそのとき、コンコンというノックが個室の病室に響く。
恐らく自分がまだ眠っていると思ったのだろう。
こちらの返事を待たずにノックの主が入ってくる。

269: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:36:21.21 ID:wdvRG3go

「麦野…」


フレンダだった。
起き上がっているこちらの姿を見るなり、じわりと目に涙を溜めてこちらに飛び掛ろうと両手を広げる。


「むぎのーん!!」
「ちょっ!駄目!傷開く!」
「やだっ!そんなの知らない!むぎのぉっ!よかったぁっ!よかったよ…!」


こちらの制止も無視して飛び掛り、麦野にギュッと抱きつく。
体にまだあまり力が入らないので、ゆっくりと彼女の頭を撫でながらなだめるように引き剥がす。
よく見ると学校帰りなのか、いつもの制服姿に革の薄いリュックを背負っていた。
喜びを顔一杯に表現して、涙と鼻水にまみれたフレンダがようやく離れてくれた。
麦野は嬉しいような恥ずかしいような申し訳ないような、よく分からない複雑な気分だった。


「ぐすっ…いつ起きたの?」


ベッドの側の椅子に腰掛けて、学校帰りに買ってきたらしいスーパーの袋から缶詰を取り出し、
缶切りで開け始ながら尋ねてくる。


「お昼ぐらいかな。って、あんた何ソレ?まさか鯖じゃないでしょうね?」
「やだなー麦野。さすがの私もお見舞いにサバ缶は持ってこない訳よ。
 じゃーん、桃缶だよ」

270: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:38:38.99 ID:wdvRG3go

ラベルを見せながら無邪気に笑う。
甘いシロップに漬けられた、よくある黄桃の缶詰だった。


「嘘つくな、しっかりサバ缶見えてるわよ」
「え?あはは、これは私の晩御飯な訳よ」


ビニール袋を足元に隠して言う。
まあ電気信管で開けなかったところだけは褒めてあげるとしよう。


「あんた学校終わるの随分早いね」


フレンダが器に取り分けてくれた黄色い桃を食べながら問いかける。
時刻は現在午後3時を回ったところ。
通常ならまだ午後の授業を行っている学校がほとんどのはずだが、
フレンダはあっけらかんとした様子で答えた。


「麦野が目が覚めたとき誰もいなかったら泣いちゃうかもって思ったら居ても立ってもいられなくなって
 早退してきちゃった訳よ」
「泣くかっつの。サボリたかっただけでしょ」


ため息をつきながら桃を口に運ぶ。


「そんなことないよ」


フレンダは少しだけ真面目な口調で、麦野にもう一度縋るように抱きついた。

271: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:39:35.13 ID:wdvRG3go

「心配したもん…。麦野、ほんとに死んじゃうかと思ったんだから」
「フレンダ…」
「うえぇぇ…」
「あー…はいはい」


すすり泣くフレンダ。
麦野は彼女の頭にそっと手を添え


「いたっ!」


手刀を振り下ろした。


「ドサクサにまぎれてお尻を触るな」
「チッばれたか」


頭を押さえながら涙目でフレンダは椅子に座りなおす。


「ま、ありがと。心配かけてごめん」


頬を赤らめて麦野がぶっきらぼうに言い放つ。
それを見てフレンダは嬉しそうに微笑んだ。


「あ、麦野。今みんなに麦野が起きたってメールするね。
 みんな毎日お見舞い来てくれてるんだよ」

273: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:41:50.75 ID:wdvRG3go

携帯電話を取り出しながらフレンダがそう言う。


「みんなって…?」


麦野は恐る恐る問いかけた。


「絹旗も、浜面も…」
「そっか…二人も、来てくれてたんだね」


滝壺の名前が出ない。
麦野は少しだけ悲しそうに眉を寄せた。


「アンタ…知ってるの?」


それはもちろん滝壺と喧嘩していることについてだ。
話しておいたほうがいいか迷っていたので、フレンダがそのことについて知っているならば話が早い。


「うん。滝壺に教えてもらった。
 あ、麦野のこと、滝壺はもう怒ってないと思うよ?
 一応誤解だったってことは滝壺も分かってるみたいだったし」
「…たぶん、それは滝壺が冷静になったらすぐ気付いたと思うよ」


麦野が遠い目をして窓の外を見る。
フレンダはメールを打つ手を止めて麦野に視線を移した。


「え?」
「滝壺が怒ってるのは、滝壺に私がひどいことを言ったり、浜面を貶したりしたからだけじゃないんだよ…」
「結局、どういうこと…?」
「なんとなくは分かるんだけど、上手く言葉にできない」

275: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:43:48.25 ID:wdvRG3go

麦野は表情を隠すようにフレンダに語りかける。
彼女は一つ嘘をついた。
確かに麦野は滝壺に罵詈雑言をぶつけて貶めた。
浜面を侮辱するような言葉を吐いた。
でもそれだけじゃない。
きっと滝壺が怒っているのはもっと根本的なことだから。
それが何であるかは麦野はもう分かっていた。分かっていたけれど、それを認める勇気がまだ出なかったのだ。


「ね、フレンダ。お願いがあるんだけど」
「え、何?」


頭にクエスチョンマークを浮かべていたフレンダに、話題を変えるように明るく話しかける。
自分の問題も大事だが、まだ自分達にはやらなくてはならないことがある。
そちらを片付けることをまずは優先しよう。


「『超電磁砲』のことを調べてくれない?」
「うん、いいけど、なんで?」
「あいつが『ピンセット』もってるからよ。取り返さなくっちゃね」


思った以上に麦野が元気だったことに安心したのか、
フレンダは二つ返事で頷いた。
戦いはまだ終わっていない。
あの御坂美琴は何を思い、何を考えてあの場所に現れたのか。
暗部というものから最も遠かったはずのレベル5が、今自分と同じステージの上で踊っている。
麦野には、その事実が何より許しがたいことだったのだ。

276: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:46:09.83 ID:wdvRG3go

―――――――


(あー、暇だ…)


麦野は欠伸をしながら歩いている。
あれからすぐにフレンダは帰った。
自分に依頼された御坂美琴のことを調べるために今頃は奔走しているだろう。
夕方頃に浜面と絹旗が来るということなのでそろそろだと思うが、
部屋にいるのがあまりに退屈だったので点滴を勝手に抜いて病院内をうろついているところだった。
明日フレンダに雑誌でも買ってきてもらおうと思っていると、妙なものが視界に入った。


「ん?何だあれ」


思わず呟く。飲み物でも買おうと病院の談話スペースに向っていると、
自販機の前でアホ毛の少女がピョンピョンと手を伸ばして飛び跳ねている。


「んー…!んー…!もう!どうしてあなたはそんなに背が高いの、ってミサカはミサカは
 自動販売機に向って説教を食らわしてみたり」


自動販売機を叱り付けているその少女。
年は10歳前後。茶色の髪の頭頂部から鋭いアホ毛がピョコピョコと揺れている。


(だめだめ、あれは関わっちゃ駄目だわ)


めんどくさそうにもと来た道を引き返そうとする麦野。
誰か周りの大人に助けてもらいなと思ってチラリと彼女を見ると、少女は思いっきりこちらに視線を向けていた。


「そこの包帯のおばさーん!ってミサカはミサカはいいカモが来たぜと喜びを露に呼び止めてみる!」

278: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:48:50.71 ID:wdvRG3go

せめてお姉さんと言え。
麦野は口元を引きつらせながら仕方なくそちらに近づいていく。


「どうしたの?お姉さんに何かご用?」


さすがの麦野でも小さな子供に「おばさん」呼ばわりされたくらいで機嫌を悪くしたりはしない。断じてしない。
中腰になって少女の目線で柔和に笑みを浮かべた。


「うん、実は自動販売機のボタンに背が届かないからお姉さんに押してほしい、
 ってミサカはミサカは何気なくお姉さんを強調して気を遣ってみたり」


いちいち心の中が漏れているのが腹立たしい。
なんとなく分かっていたが案の定のお願い。
まあそれくらいなら別にいいかと麦野は自動販売機に向かい合う。


「いいよ。どれが欲しいの?」
「いちごおでん!ってミサカはミサカは燃え滾る冒険心を抑えきれずに注文してみたり」


なんだそのグロい飲み物はと麦野が戸惑いつつボタンを押してやる。
ガコンと出てきたそれをいそいそと取り出し少女は言った。


「ありがとう!お姉さんも一緒に飲も、ってミサカはミサカは女同士の親睦を深めることを期待してみたり」
「はあ?なんで私が…」
「うるうるうるうる…ってミサカはミサカはいたいけな視線であなたの良心に訴えかけてみる」

279: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:50:22.90 ID:wdvRG3go

心底めんどくさそうな顔をした麦野に少女は涙目で見つめ返してきた。
まあ暇だからいいか。


「わ、わかったわよ。じゃあ私も飲み物を…」
「あ、ヤシの実サイダーを飲んでみたい!ってミサカはミサカは密かな願望を打ち明けてみたり」


500円玉を入れてどれにしようか思案していると少女がリクエストをする。


(一緒に飲もうって、マジで一緒に飲む気か)


しかもそんな得体の知れない飲み物を誰が買うんだと思いながらヤシの実サイダーのボタンを押す。
さらにお釣りをもう一度投入し、普通のミルクティーを購入した。


「あれ?二本も飲むの?ってミサカはミサカはあなたの喉の乾き具合を心配してみたり」


缶を二本取り出し、ヤシの実サイダーを不思議そうにしている少女に押し付ける。


「え?え?え?ってミサカはミサカは突然の事態に困惑してみたり」
「それ飲みたかったんでしょ?あげるわ。
 あ、でもお腹壊すといけないから一気に飲んだら駄目だよ」


アホ毛のふよふよしている頭を一撫でして、麦野はミルクティーのプルトップを開けながら談話コーナーのソファに腰掛ける。


「おおお!お姉さんありがとう!ってミサカはミサカは世間の温かさに感動してみたり!」

281: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:52:38.46 ID:wdvRG3go


ものすごく嬉しそうにパタパタとアホ毛を振りながら、少女は麦野の隣にちょこんと腰掛ける。
ここまで喜んでもらえると麦野も少し嬉しかったりするのだが、決して表情には出さない。


「あなたここに入院してる子?」


隣で美味しそうにいちごおでんをグビグビいっている少女に問いかける。
少女は病院用の入院服ではなく、水色のワンピースに明らかにブカブカのYシャツを羽織っていた。


「ううん、ミサカの知り合いが入院してるの、ってミサカはミサカは素直に答えてみたり」
「そう。ミ●●っていうのはあなたのお名前?」


さっきからあまりにもエキセントリックすぎて突っ込めなかったが、ミサカと言えば御坂だ。
よく見ると顔もなんとなく似ているような気がするが、まさか姉妹とかじゃないだろうなと
麦野は恐る恐る尋ねた。


「ミサカの名前は打ち止め(ラストオーダー)、ってミサカはミサカは今更ながら自己紹介してみたり」


ミサカ=ラストオーダー?
何人だと思いながらも、学園都市はやけに変な名前の人間も多いので深くは追及しない。


「ふうん、入院しているのはあなたのお友達か誰かなの?それか、兄弟とか」


姉妹だったら困るので一応確認してみる。
案の定打ち止めは首を振った。


「入院してるのはミサカの命の恩人。でももう一ヶ月以上も目を覚まさないの、ってミサカはミサカは少ししょんぼりしてみる」

282: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:54:39.36 ID:wdvRG3go

アホ毛を垂れ下げて打ち止めは言う。
少し可哀想なことを聞いてしまっただろうか。
命の恩人というから、きっと交通事故から救ってくれたとかそういうことなんだろう。
麦野は気まずくなった空気をどうしようかと思案していると、打ち止めが麦野の袖口を引っ張った。


「お姉さんの名前は?ってミサカはミサカは沈黙に耐え切れず尋ねてみたり」


逆に気を遣われてしまったようだ。


「麦野!」
「そう、麦野…って、え?」


名前を呼ばれ、その方向を見る。
浜面と絹旗が呆れたような顔でそこに立っていた。


「お前、何やってんだ?」
「おー、ムギノって呼んでもいい?ってミサカはミサカは距離感を縮めようと提案してみる」
「いいわよ、打ち止め」


柔和に微笑んで麦野は打ち止めの頭を撫でてやると、気持ちよさそうに打ち止めは顔を綻ばせた。


「無視すんな!」
「っさいわねー。ちょっと待てないの?
 ごめんね打ち止め。私そろそろ戻るわね」
「またお話できる?ってミサカはミサカは期待を込めた眼差しを新しいお友達に向けてみたり」
「そうね、別に構わないわよ。それじゃあね」

285: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:56:30.74 ID:wdvRG3go

もう一度打ち止めに笑いかけてやってから、浜面達のもとへ駆け寄る麦野。


「バイバイ、ムギノ、ってミサカはミサカは覚えた名前を早速呼んでみたり」
「はいはい、またね」


手をヒラヒラと振り返して、麦野は部屋へと戻った。
扉を閉め、ベッドによじ登って布団を膝にかける。


「お前なあ、昨日まで点滴だらけだったくせにもうチビッ子と仲良くなったのか?」
「確かに超意外でした。麦野って子供好きですか?」


絹旗がベッド脇の冷蔵庫にお見舞い品を入れながら言う。
浜面は病室とは言え女の子の部屋にいささか緊張しているのか、
まだ入り口付近でキョロキョロしていた。


「アンタ、何しに来たの?」


窓の外を見つめたまま麦野は言い放った。
側で絹旗が凍りつく。
もちろんそれは彼女に向けられた言葉ではない。
ドアの前で突っ立っている男に向けてだ。


「麦野、俺は…」
「やめて」


ズキリと右目の傷が痛んだ。


「私、二度とアンタの家には行かないって言ったよね。
 それの意味わかってる?」

286: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:58:22.66 ID:wdvRG3go

もちろんそれは彼の部屋を訪れないという意味。
だがその言葉には、もう彼と日常を共有しないという意味が含まれている。
あの一件が自分の誤解だったことはもう分かっているし、浜面の言い訳に悪気がないのも知っている。
だが麦野はもう信じ切れなかった。
浜面をではない。
浜面に対する自分の心をだ。


「麦野、聞いてくれ。俺はお前に言いたいことが…」
「絹旗、せっかく来てくれたのにごめんね。ちょっとコイツと話したいことがあるから少しだけ外してもらってもいい?」


浜面の方は一切見ず、絹旗に力なく笑いかける。
すると絹旗は、自分の手荷物を持って何かを思案するように顎に人差し指を当てて言った。


「あー、そう言えば私今日友達と超約束があるんでした。
 今日はもう戻って来れそうにないですね。トンボ帰りですみません。
 二人で超ゆっくり話でもしててください」


分かりやすい嘘をついて絹旗は「じゃ」と出て行く。


(優しいね、絹旗。あんた達はどうしてそんなに良い奴なのよ…。
 私がどうしようもないクズだって…突きつけられてるみたいだよ)


絹旗が浜面の横をすり抜け、扉を閉めた。
すぐに浜面がこちらに近づいてくる。

288: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 01:59:49.50 ID:wdvRG3go

「来ないで!」


彼の足が止まった。
麦野は夕焼けに染まる学園都市から視線を外さない。


「それ以上近づかないで。私はもう、アンタとはいられない」
「なんでだ麦野!あの時は俺が悪かった。あんなヘラヘラと言い訳をしちまってごめん!
 もっと堂々としていれば、お前に迷わせちまうこともなかったのに…。
 だからハッキリと言わせてくれ!俺は…麦野!お前が―――!」


心臓が高鳴る。
ずっと聴きたかった答えが、そこにある。
ずっと欲しかった言葉が、もうそこにあるのに。
麦野は唇を強く噛む。
弱さに負けるわけにはいかない。


「―――お前が好きなんだ、麦野!!」


唇に血が滲む。
浜面の顔は見ない。
見たらきっと、私の弱い心は彼を受け入れることを望むだろう。
一時の感情に流されて、私は分かっているはずの問題から目を逸らしてしまう。
ここでそれを受け入れたら、私は本当に取り返しの着かない事態を招いてしまうことになるのだ。


「……で?」

289: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 02:01:25.40 ID:wdvRG3go

震えていなかっただろうか?
抑えられていただろうか?
麦野は平坦な声で浜面にぞんざいな言葉を投げつける。


「で…って、何がだ」
「だから、私が好きだから、何?
 私とヤリたいの?だったらいいよ、一回だけさせてあげるから、もうそれで帰って」
「お前…それ本気で…」


浜面の言葉に悲しみと、怒りと、失望が宿る。
嘆く彼の言葉を受け止めよう。
麦野は拳を握ってそう決意する。


「違うの?じゃあ何?アンタは私に何を望んでるの?」


そんなの、言葉にすることじゃないって分かっている。
付き合って欲しいとか、そんなのを望んでるんじゃない。
ただ彼を遠ざけたかっただけの意地悪な言葉。
このまま浜面を手に入れてしまったら、きっと滝壺の怒りから目を逸らしたまま緩やかに崩壊の道を辿っていくことになる。
だから、私はそれが分かるまで浜面から離れたかった。
それで彼が私から離れていくことになったとしてもだ。


「俺は麦野と一緒にいたいんだ!
 俺の自惚れならそう言ってくれ。でも、麦野だってそう思ってくれてたんじゃないのか!?」

290: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 02:02:42.06 ID:wdvRG3go

浜面の言葉には力がある。
迷いもない。
彼はきっとただその言葉を私に放つために悩んで、苦しんで、ここまで来たんだ。
嬉しい。
嬉しい。


「無理だよ…」


もう震えは隠せない。
麦野は右目を守るように巻かれた包帯を、ガチガチと鳴く指で外す。
怖い。
怖い。
シュルシュルと解けていく包帯。
赤く血に染まったそれがシーツの上に柔らかく落とされていく。
視界に変化はない。だが、包帯の圧迫感を失ってもなお半分のままの世界が、私が隻眼であることを嫌でも認識させる。
この左目だけで見る世界は思いのほか普通で、だけど真っ直ぐに彼を見つめることを決して許さなかった。


「私、こんな顔になっちゃったんだよ?」


ポッカリと赤黒く空いた眼窩。その周りをケロイド状になったピンクの肌が覆っている。

291: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 02:04:21.84 ID:wdvRG3go

「それがどうした。そんなもんで俺がお前を諦めるとでも思ったのか?」


揺らがない浜面。
むしろ卑怯な手を使った私を嘲るように見つめる。


「バカだなぁ…浜面は」


でも浜面ならそう言うと思っていた。それは素直に嬉しい。
でも顔は元に戻ると言われていた。
だから私が言いたいのはそうじゃない。


「もう帰ってよ、浜面」
「麦野!」


傷を負ったことで、私は浜面に対する甘えが芽生えることが怖かったのだ。
私は無意識のうちに誰かに心を開くことを恐れている。
誰かを信じることができないでいる。
だからきっとこのまま浜面を受け入れたら、いつか私は傷を負わせてしまった責任を感じて
私と一緒にいてくれるんじゃないかと思ってしまう。


「帰って!もう嫌なの!これ以上私を惑わせないで!おかしくなっちゃいそうなんだよ…!」

292: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 02:06:22.23 ID:wdvRG3go

浜面はそんなこと思う奴じゃない。
信じたいけど、信じきれない。
あの滝壺との一件で麦野が気づかされたのはそれだった。
信じて、裏切られるのが怖い。自分がこれ以上傷つくのが怖くて怖くてたまらない。
そんな自分に反吐が出るような思いだった。



「浜面の気持ち…すごくすごく嬉しいよ。
 浜面のこと、嫌いじゃない。ううん、きっとあの時は浜面のこと…。
 でももう駄目なのよ…。私、浜面の気持ちに応えてあげられない」


左目から涙が零れる。
右目を無くして涙が流れないなら、哀しみも半分になってくれればいいのにと麦野は思った。
シーツを強く強く、引き裂くように握り締める。


「今のままじゃ、浜面にちゃんと伝えられない!浜面に嘘をつきたくない!」


麦野は叫んだ。
強固に自分を守っているものは未だ崩れない。
浜面の心をぶつけてもらっても、まだそれを掴みきれないでいる。


「じゃあ、待っててもいいんだろ?麦野」
「っ…!」

293: ◆S83tyvVumI 2010/04/27(火) 02:10:06.64 ID:wdvRG3go

麦野は涙で揺らめく景色の中、真っ直ぐな浜面の視線に目を奪われた。


「お前が自分の気持ちを信じられるようになるまで、待っててもいいんだよな!?」


麦野は言葉を失う。
どうして浜面はそんなにも想ってくれるのだろう。
わがままで、乱暴で、臆病で、可愛げのないこんな私に、どうしてそこまでの言葉をかけてくれるのだろう。


「ごめんね…浜面。もう来ないで…お願いだから…」
「麦野…」
「こんな私でごめん…好きになってくれて、ありがとう」


浜面の問いに麦野は答えられなかった。
明確な拒絶ができるほど強くもなく、彼を受け入れられるほど割り切れない。
自分でも呆れるほどのクズっぷりに、胃の奥のモノが喉までせりあがってきて嗚咽する。
その日、浜面はそれで帰っていった。
本当にあと少し。
あともう少しで自分の中での何かが変わりそうなのに。
浜面との約束を麦野は思い出す。
普段の自分はただの女の子でいること。
今の自分を支える最後の生命線。
彼を遠ざけてなお、彼とのただ一つのその約束が、狂いそうな麦野の心をここに繋ぎとめていた。
だから麦野は浜面の想いを正しく受け止められない自分を責めるように、その歯がゆさに爪を立てるように、
一人誰もいない病室で声をあげて泣いた。
閉ざされたままの心は、未だ開くことは無く。

313: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:09:53.48 ID:DaR6wgwo

―――――――


辺りは静寂に包まれていた。
まるでこの世界には彼らしかいなかったかのように。
辺りに散乱する瓦礫の山が、その戦いがいかに激しいものであったかを物語っていた。


「■■ッ!■■ッ…!」


少女は倒れ伏した黒髪の少年に縋りつき、何度も何度も彼の名を呼んでいる。
やがて彼女たちの側で、もう一つの白い影がゆらりと立ち上がった。


「…クソがァ…」


白い影は、口や鼻から止め処ない鮮血を垂らして体を揺らしている。
ボタボタと冷たいコンクリートの上に血●●りを作り、目の焦点も合っていない。
黒髪の少年の渾身の一撃を顔に喰らい、もはや立ち上がれたことが奇跡だった。
それは本当に些細な神の悪戯。
黒髪の少年にもし、あとほんの少しだけの力が残っていたら、倒れていたはずの人物は逆だったかもしれない。
あるいはそんな未来もあったのだろうか。


「あんた…絶対許さないからッ…!」


少女は白い影を睨みつける。
この世のありとあらゆる恨みと呪いをかき集めたような視線だった。

314: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:12:16.58 ID:DaR6wgwo

「うる、せェよ…三下がァ」


白い影は力なく応える。彼にももはや体力が残っていないのは明白だった。
確かに彼は生き残った。絶対的な勝者となったのは、その白い少年であるかのように思えた。
しかし。
彼自身や、彼を取り巻く環境はそう思ってはいなかった。
それを証明するかのように、金網を突き破って何台ものトラックが進入してくる。
黒い『駆動鎧』がトラックの荷台からバタバタと降りてきて、少女に手に持った大きな銃の照準を向けた。


『実験は中断。目撃者を排除します』


頭に乗せたドラム缶の中から、そんな声が聴こえたのを、少女はぼんやりと聞いていた。
ああ、どうやら自分はここで死ぬらしい。
自分の最も大切なものを失って、目的も果たせず、ただその巨大な銃弾によって全身を穴だらけにされて。
そんなことが、許せるか?


「……っざけんなぁ!!」


少女は己に問う。誰がそれを、許す?
こんな結末を誰が認めるものか。
少女は黒髪の少年を背負い、『駆動鎧』に向けて稲妻の弾丸を放つ。
音速の三倍の速度を持つ彼女の弾丸は、眼前の『駆動鎧』が銃弾を放つよりも速く。
何の躊躇いもなくその装甲を粉々に吹き飛ばした。
初めて人を殺した感触は、少女に何を与えたのか。

316: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:14:52.41 ID:DaR6wgwo

『抵抗は止めろ。大人しくs』


辺りの『駆動鎧』は次から次へと雷に打たれ、中の人間を電子レンジのように沸騰させていく。
悲鳴もなく、ただプラスチックのプラモデルをバーナーで炙るように。
少女の体はいつしかバリバリと放電を起こし、近づいてくる者全てをなぎ払う。


「…あんたら、私を誰だと思ってんの…?」


『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』の崩壊は、彼女に暴走という形で力を与える。
だがそんな天災と化した彼女も、既に手負いの無勢。
あっという間に囲まれ、対能力者用の装備で全身を包んだその『駆動鎧』達に追い詰められていた。


『手間かけさせてくれたな。後ろのガキもろとも…ゴキュッ』


目の前の駆動鎧から、不可思議な音が鳴る。
その音は伝染するように、全ての駆動鎧が歪な方向に折れ曲がっていく。
ごきごき。
ぶちぶち。
びちゃびちゃ。
人間の壊れていく音。無機質な破壊の音。
少女は垣間見た。その奥で、忌々しく歯噛みする白い影を。


「…いけばいいだろォが」

317: 姫神は好きです。でも出ません ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:17:07.91 ID:DaR6wgwo

白い少年は呟く。血の色をした瞳を腹立たしげに細めて。


「はぁ?何のつもり?」


少女は顔を歪めて首を傾げた。いつしか、彼女の瞳からは光が消えていた。


「今回だけは見逃してやる…。気が変わらねェうちに…とっと失せろ」


白い少年も、今や自らの口や鼻から流れる血で体は真っ赤に染まっていた。
少女は黒髪の少年を背負ったまま、白い少年に宣告する。


「…絶対殺してやる。あんたも、こいつらの仲間も…全部、全部」


自らに言い聞かせるように。
微動だにしない黒髪の少年の体温を感じながら、少女の心は凍り付いていく。


「■■をこんな風にした奴は…みんな殺してやるから」


その日、少女の復讐が始まった。

318: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:20:20.53 ID:DaR6wgwo

―――――――


次の日もその次の日も病室に浜面は現れなかった。
浜面に告白されたその日の麦野の様子は酷いものだった。
自己嫌悪で何度も何度も嘔吐を繰り返し、それに呼応するように右目の痛みがその存在を主張する。
次の日は幾分か平静を取り戻したが、相変わらず右目が痛んだ。
しかし、麦野にはその痛みや苦しみがとても心地の良いものだった。
ここで呼吸をしているだけで浜面や滝壺を傷つける自分には、このジリジリとした焼け付くような痛みは似合いの罰だと思っていたから。
もう心なんて壊れてしまえばいいのにと思うが、浜面との最後の約束が未だ自分をこの現実に押しとどめている。


(甘えてるな…私は…)


最後の一線を踏み越えることも出来ない腑抜けに成り下がった己の腐った性根にまた吐きそうだ。
でも、一人でいられるのはそう悪いことばかりでもない。
一人になって考えられる時間が増えたので麦野にとってはありがたいことだった。
とにかく今は御坂美琴から『ピンセット』を取り返さなくてはならないため、それに対して時間を割くことができる。
他にも、毎日欠かさず来てくれている絹旗やフレンダとの何気ない会話も、麦野の心に少しだけ安らぎを与えてくれていた。
浜面との一件から2日後。今日も、病室には絹旗とフレンダが二人で訪れている。


「御坂美琴。
 常盤台中学2年生。成績優秀、品行方正。
 飾らず誰にでも分け隔てなく接し、多くの同級生や後輩から慕われている絵に描いたような理想のお嬢様
 っていうのが、常盤台中学の生徒から聞いた情報な訳なんだけど…」


フレンダが困ったような声で手元のメモを見ながらそう言う。

319: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:22:36.25 ID:DaR6wgwo

「「嘘だ」」


麦野と絹旗の声が揃う。


「だよね、やっぱり」


フレンダは一日走り回って得た情報の書かれたメモをクシャクシャにしてゴミ箱にポイと捨てた。
御坂美琴はかつて『絶対能力進化計画』関連施設に単身乗り込んでその悉くを破壊し尽くそうとしていた女だ。
それをどの口が品行方正だとか言っているのか。
麦野は額に手をあててやれやれと首を振る。


「学校だと割と大人しいのかもしれませんよ?一応学園都市最大の超お嬢様学校ですし。
 それとも物凄い超猫かぶりとか」
「うーん、それが意外と大した情報が出てこないんだよね。
 裏表のない人格なのか、腐ってもレベル5だから情報統制されてるっていう可能性も捨てきれない。
 常盤台の子達みんな明後日の方向見ながら嬉々として語ってたし。憧れというより崇拝だよね」
「何にせよまともな人間が人の顔面ふっ飛ばそうとしないって」


麦野が右目を押さえながら言う。


「でさ、『超電磁砲』本人周辺からじゃロクな情報が出ないもんだから、
 あいつが壊して回ってた研究所の『絶対能力進化計画』ってのについて調べてみた訳よ」


メモを一枚めくり、フレンダがもったいぶったように言う。

320: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:24:20.11 ID:DaR6wgwo

「それって確か、『一方通行』がレベル6に進化するための実験ってやつでしょ?
 それが『超電磁砲』にどう関係があるの?」
「そう思うよね?じゃあどうしてあいつは例の施設を破壊して回ってたのか。
 面白いワードが出てきちゃったわけよ」


ふふん、とフレンダがペンを口元にあててニヤリと笑う。


「もったいぶらないで話してください。面会時間超終わりますよ」
「えー、だって朝までかかって調べたんだもーん。麦野のおねだりだからもうこっちも全力な訳よ」


ブーブーと唸るフレンダの頭を撫でてやる麦野。


「はいはい、感謝してるわよ。で、何がでてきたの?」


麦野の言葉に満足そうに頷き、フレンダは息を大きく吸って言葉を放つ。


「『量産型能力者(レディオノイズ)計画 』」


フレンダの顔つきが変わった。それは一つ核心に近づく情報であることを言外にほのめかす。


「遺伝子配列のパターンを解明し、偶発的に生まれるレベル5を確実に生み出すことを目的として、
 『超電磁砲』のDNAマップから量産軍用モデル、いわゆるクローン、『妹達(シスターズ』を誕生させる
 って計画なんだけど、これがもう大失敗。
 『妹達』の能力は『超電磁砲』の1%の力にも満たない文字通りの『欠陥電気(レディオノイズ)』だったもんだから計画は凍結。
 一旦は頓挫しちゃった訳ね」

321: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:28:09.24 ID:DaR6wgwo

フレンダが一呼吸置き、飲み物を口に含む。


「そして、行き場を失った『妹達』は今度は『絶対能力進化(レベル6シフト) 』って実験に送られることになった訳よ。
 で、この実験内容ってのが『一方通行』が『20000通りの戦闘環境で「妹達」を20000回殺害する』
 っていうものだったみたい」
「それは知ってる。20000人全員同時にぶっ殺していいなら私もやってみたいもんだわ」
「なるほど。それを止めようとして『超電磁砲』は研究施設を超破壊して回ってたってことですね?」


絹旗の言葉にフレンダが頷く。


「計画は途中までは順調に行われた。
 でも『超電磁砲』の妨害が入り、『絶対能力進化』も先送り。事実上の凍結となったみたい。
 さらにそれからしばらくして何かの事故で『一方通行』も行方をくらませてしまった」
「ちょっと待って、それって『超電磁砲』が消えたことに本当に関係あるの?
 今のままだと何もかも『超電磁砲』の望んだ通りの結末になるわよ」


麦野が話を止めるが、フレンダはペンを彼女の顔の前で揺らして口元に
笑みを浮かべたままチッチッチと舌を鳴らした。


「まあ最後まで聞きなよ麦野。
 このとき『一方通行』の実験を妨害したのは『超電磁砲』ともう一人いたって話がある訳よ。
 実はこの妨害の後、『超電磁砲』は学校にも寮にも戻らなくなってるらしいの。
 もしかしたら、このときにもう一人の協力者を失って…」


麦野の頭の中でカチリとピースがはまった。


「そうか、そいつを助けるためか、もしくは復讐か。
 確かに実験を止めるために関連施設をぶっ潰して回るような奴ならやりかねない」
「たぶんそれが正解だよ麦野。
 それから、学園都市各地で『超電磁砲』が路地裏のスキルアウトや暗部組織、それに関わる研究施設等を
 潰して回っているという目撃談がそこそこに出るようになったってわけ。
 『上』の連中も動いてるみたいなんだけど、何せ相手はレベル5だから、まだ上手く成果が出せてないみたいだね」

322: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:31:09.49 ID:DaR6wgwo

なるほどと思った。
そう考えれば、垣根にも麦野にもどちらにも攻撃を仕掛けてきたことが納得できる。


「『一方通行』が未だに行方不明っていうのも、もしかすると『超電磁砲』が超関わってるのかも知れないですね。
 でもどうして『絶対能力進化』は先送りになったんでしょう?」


絹旗は顎に手を当てて思案する。
続けてこんなことを言った。


「『一方通行』が超負けた、とか」
「…まさかー。相手は第一位でしょ?」
「いいえ、ありえるわ。負けたとまでは行かなくても、妨害が成功してしまったとしたら。
 絶対無敵の能力者を作り出す実験が、そもそも妨害される次元にあること自体、
 計画の見直しが検討されるには充分な理由になるから」


今度は麦野がそう答えた。


「その後『一方通行』がどうして行方不明になったのかは超分かりませんし、何とも言えませんね」
「ま、そこまでは私たちが考える必要は無いわ。
 『超電磁砲』から『ピンセット』を取り返すところまでが私たちのお仕事だし。
 第一位の居所自体は別にどうだっていいからね。
 よく調べてくれたね、ご苦労様フレンダ」
「えへへー、ではでは麦野、ご褒美のチューを」


唇を突き出し両手を広げてこちらに迫ってくるフレンダ。
麦野は右手で彼女の額を押さえつけて突き放す。


「しねーっつの。
 確かに『超電磁砲』の目的は分かったけど、だからってあいつの居場所が分かったわけじゃないでしょ。
 暗部を全て潰そうとしてるって言うならいずれ放っておいても私らのところに来るんだろうけど…」

323: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:32:51.37 ID:DaR6wgwo

そんなものを手をこまねいて待っていられない。
現に、彼女によって攻め込まれた組織や施設は全て潰されているじゃないか。
単独行動である分動きを掴みにくいが、このまま各個撃破されるのを待つわけにも行かないだろう。


「まあとにかく『超電磁砲』の身辺をもうちょっと洗ってみるか。
 まだ決定的な何かが足りない気もするし…」
「だね。いつ攻めてくるか分からないから、麦野も気をつけて」
「ですね、怪我人なんですから仕事もいいですけど、早く回復できるように超心がけてください」


フレンダと絹旗は立ち上がる。


「あ、もう帰るの?」


麦野は少し名残惜しそうにそう言った。


「うん。長居して体に障ると良くないし。けど寂しいなら朝まで添い寝してあげるよ?」
「いらん、帰れ」
「ああん、つれないなー」


抱きついてくるフレンダを両手で突き放し、部屋を出ようとする二人をベッドから見送る。


「わざわざありがとね、あなた達も気をつけて」
「超余計な心配ですよ。じゃ、また明日来ますから」
「お大事に麦野!まったねー」


そう言って部屋を出て行く二人。
がらんとした部屋の中で麦野はすぐさまある心当たりを思い浮かべた。
そろそろ体調も完璧に整ってきたところだし、このままじっとしていると余計なことまで考えたりして
体も鈍りそうだ。
麦野は一人グッと拳を握って窓の外に視線を送るのだった。

325: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:36:17.27 ID:DaR6wgwo

―――――――


次の日、麦野は病院を抜け出して第七学区の南西端まで来ていた。
ここは『学舎の園』と呼ばれる5つのお嬢様学校が作る共用地帯。
地中海沿岸を思わせる白い屋根と石畳が敷かれた洋風の町並みで、
道路標識や信号機も同じ日本国内とは思えないほどデザインの違いがある。
街の入り口となる入場ゲートの前で、麦野は腕を組んで難しい顔をしている。


「さて、どうするか」


昼食には久しぶりにお気に入りのシャケ弁を食べてご満悦だったが、彼女は今一つの問題に直面していた。
この『学舎の園』は筋金入りの箱入りお嬢様がこの中だけでも生活できる程に設備が整っている反面、
並みの学校の15倍以上もの敷地の周りは高い煉瓦造りの壁を積み上げ、内部には無数の監視カメラが
仕掛けられているという完全に外界と隔離された街だった。
そのため警備も異様に厳重であり、麦野は今進入方法を考えているところだった。


(適当に壁壊すか…?いやいや、騒ぎになったら人探しどころじゃなくなる。
 いっそその辺の奴の制服を脱がして…この私に追い剥ぎやれっての…?)


クリーム色の半袖コートを羽織り、同系色のギンガムチェックのストールを首に巻いたモデル風の女が
門から出てくる学生たちを餓えた野犬のような隻眼でねめつけている。
どこかの学生へのお礼参りかとヒソヒソこちらに好奇の視線が集まっているので、麦野は段々イライラしてきていた。


(クソ、ムカつくな。これだからお嬢様は…)

327: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:39:30.53 ID:DaR6wgwo

育ちの良さそうな令嬢達が麦野と視線を合わせないようにビクビクと通り過ぎていくのを横目に見ながら
門周辺に女性警備員が増えているのを忌々しげに思い、口元をヒクつかせる。


(何見てんのよ…。私がそんなに怪しい人間に見えるってわけ!?
 まぁ見えるか。顔に包帯巻いてこんなとこに突っ立ってたらそりゃね。
 けど取り押さえるためのこの人数よね…。
 そんなに大暴れしそうに映るのか私って奴は)


そもそも麦野はこんなところに何をしに来たのか。
簡単に言えば、白井黒子を探しに来たのだ。
御坂美琴のことを「お姉さま」と呼び慕っていた彼女なら、もう少し御坂についての詳しい情報を聞きだせるかも
しれないとの考えからここまで来たが、門の前で立ち往生するハメになり、困っていたところだ。


(うーん、やっぱ警備員に事情話して呼び出してもらうか…?今更無理よねぇ)


しかも、今になって気づくが、彼女が敷地内に寮を持つ学生だったらこんなところで何時間待っていても
現れないのではないのだろうか。
休日であるこの前とは違い、真っ直ぐ家に帰ってそのまま明日の宿題でも始めてしまっていたら完全な無駄足だ。
少し焦ってきた麦野は、丁度そのとき目があった常盤台の学生の腕を掴んで可能な限りの笑顔を浮かべて話しかけた。


「ねえあなた。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


学内できっと有名人であるはずの御坂の腰巾着なら、もしかしたら知っている人間もいるかもしれない。
フレンダだって常盤台の生徒に聞き込みしたんだから自分にだってできるはずだ。
試しに尋ねてみようと少女に微笑むが、彼女から反応が返ってこない。
しかも顔が妙だ。頬を赤らめ、トロンとした目線で麦野を見つめている。

328: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:41:41.32 ID:DaR6wgwo

「は、はい…私に何か御用でしょうか…お姉さま」
「ひっ!」


お前はフレンダかと薄ら寒いものを背中に感じながら慌てて手を離す。


「なんでもないよ、ごめんなさい…」
「そ、そうですか…あの…もしよろしければお友達に…」
「ご、ごめん間に合ってる!」
「そうですか…」


胸元をキュッと握り締めて切なげな表情で少女は足早に去っていく。
お嬢様学校とはかくも恐ろしいものかと思いながら次のターゲットを探す。
今度は快活そうな女性徒が目の前を通ったので、肩をポンポンと叩く。


「キャァァァァアアアアアッッ!誰かぁ!!誰か助けてぇええ!!」


先ほどから門を睨みつけている麦野を見ていたのだろう、こちらの顔を確認するなり女生徒は
涙を目に溜めて絹を裂くような悲鳴をあげた。


「えっ!?ちょ!?何!?何もしてない!」
「そこのあなた、何をしているの!」
「だから何もしてねーっつってんだろ!」


すぐに声を聞きつけた女性警備員がわらわらと集まってきた。


(常盤台、潰す!潰す!絶対潰す!)


心の中で誓いを立てて、麦野は一目散に逃げ出した。
しばらく走り、肩で息をしながらもう二度とあそこには行けないなと立ち止まる。
そのときだった。

329: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:42:52.73 ID:DaR6wgwo

「逃がしませんわよ、変質者さん」


背後から聞き覚えのある声がかけられる。
まだ追ってくるかと慌てて振り返ると、そこではツインテールを揺らした小柄な女生徒が
腕章をこちらに見せ付けるように向けて高々と宣言するところだった。


「『風紀委員(ジャッジメント)』ですの」


結果オーライ。
麦野は白井黒子がそこに立っていると認識すると、「よくぞ来てくれた」と胸を撫で下ろす。


「女性を狙う女性の変質者とは、世も末ですわね。
 あなたには恥も外聞もありませんの?大人しくお縄を頂戴してくださいな」


スタスタとこちらに歩いてくる白井。


「あら、あなたは…?」
「そうよ。分かるでしょ?」


ようやく気づいたようだ。
彼女はこちらの顔を確認すると、呆れたような表情でこう言った。


「まあまあまあ。まさかあなたが 女でしたとは…」
「…。もうなんでもいいわよ」


麦野は体中の傷がぷちぷちと開いていくのを感じながらうなだれるのであった。

330: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:44:43.03 ID:DaR6wgwo

―――――――


なんとか道すがら白井の誤解を解いた麦野は、常盤台とは別の学校にこの辺りの『風紀委員』が
所属している支部があるらしく、彼女に着いてその中学校にやってきたところだった。
『学舎の園』とは違ってごく普通の公立中学校の敷地に入り、その校内の一室が彼女たちの詰め所らしい。


「まったく、わたくしを探しておられるのでしたら『風紀委員』の詰め所を訪ねてくださればよろしかったですのに」


第百七十七支部と書かれたその部屋の前で、白井は指紋認証の機械に指を当て、扉のロックを解除する。


「あなたが『風紀委員』だなんて、そんなこといちいち覚えてないっての。
 あの時は頭に血が上ってたし」


バツが悪そうに通された室内に入る。校内というよりはごく普通のオフィスと言った様子の室内。


「そう言えばあの時は胸倉掴まれてそれはそれは恐ろしい顔で睨まれましたものね」
「あ、白井さん。お客さんですか?」


からかうような口調で白井が部屋の隅にある来客用の小さな応接コーナーに麦野を案内する。
室内でパソコンに向ってカタカタやっていた頭がお花畑の地味目の少女がひょっこりとこちらを向いた。
セブンスミストで見たような気がするとぼんやりと思い出す。


「ええ。常盤台の女生徒ばかりを狙う悪質な 女ですけれど」
「ふぇええ!白井さんどうしてそんな危険な人を入れちゃったんですか!?」
「あの時のこと根に持ってんの?悪かったって」

331: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:46:10.07 ID:DaR6wgwo

向かい合って座り、白井が軽口を叩く。
麦野は額に手を当ててうんざりしたようなため息をついた。


「冗談ですの。それで?わたくしにお姉様の何を聞きたいんですの?
 最初に申し上げておきますけれど、お姉様のスリーサイズと所有しておられる下着の数は
 黒子だけの秘密ですのよ」
「えっそんな…」


興味ないと一蹴してやるのもよかったが、なんとなく向こうはその反応を待っているような気がするので
わざと驚いてみる。
すると案の定白井は怪訝そうな眼差しをこちらに向けてきた。


「えっ…本気ですの?」
「嘘よ。どうでもいいわそんなもん。お金貰っても聞きたくない」
「キー!なんなんですのあなたは!わたくしをからかうためにここまで来たんですの!?」
「オーライオーライ、よくわかったわ」
「はぁ?なにがですの?」


こいつもフレンダだ。
と麦野が白井の扱い方を確認したところでお花畑の少女がお盆の上にお茶を乗せて近づいてきた。


「楽しそうですね。どうぞ」


お茶を麦野の前に置いて柔らかく微笑む。

332: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:47:17.76 ID:DaR6wgwo

「ありがとう、可愛らしい髪飾りだね」


頭頂部はド派手だが素朴ないい子だと思いながら色とりどりのお花畑を褒めてやる。
だが彼女はキョトンとした表情を作ると、笑顔のまま首をかしげる。


「なんのことですか?」
「ん?」
「そんなことより!ほんとにあなたは何をしにいらしたんですの!?
 お茶を飲みに来ただけならわたくし忙しいので仕事に戻らせて頂きたいんですけれど!」


どう反応を返すべきかと迷っていると、キーキーと白井が喚き散らす。
彼女をいじり倒すのは面白そうだが、こちらもそんなことにかまけているほど暇じゃないので
本題に移ることにした。


「そうね、率直に訊くけど、『超電磁砲』の行きそうな場所に心当たり無い?」
「はあ?やっぱりあなたお姉様のお知り合いでしたの?
 前は知らないと言ってらしたのに」
「細かいことはいいのよ。あいつを探してるの。
 二ヶ月前に『超電磁砲』が行方を眩ませてからどこへ行ったのか、知ってることない?」


ストッキングで覆われた足を組んで、麦野は問う。
顎に手を当てて思案するような仕草をする白井。

333: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:49:37.36 ID:DaR6wgwo

「当然のことながら、わたくしもお姉様の行きそうな所は定期的に探して回っていますの。
 ご学友の方々にもお話をお伺いしましたし、お姉様好みのファンシーグッズが売っている
 ショップの方にも聞き込みをしましたけれど…残念ながら」


眉を顰めて首を横に振る。
まあここまでは予想通りだ。だが麦野は何かが引っかかっていた。
そう例えば、御坂の協力者について。
もしかしたら選択肢から外している人物がいるかもしれない。


「行ってない場所とかはないの?例えば…恋人とか」
「んまっ!お姉様に恋人なんておりませんの!絶対絶対絶ぇっ対ッ!いませんの!」


ムキーッとツインテールをぶるんぶるん揺らしながら白井が怒り狂う。
恋人がいないと頑なに言い張っているが、『一方通行』の実験場に乗り込むなどそれこそ正気の沙汰ではない。
偶然居合わせた可能性もあるが、その後の彼女の行動を考えれば、
やはり御坂にとってかなり信頼のおける人物であったはずだ。
それこそ、その人物を失った御坂が学園都市の闇全てに喧嘩を売るほどに。
となればやはり家族や恋人、親密な友人。
でなければ余程のお人よしだろう。


「じゃあさ、『超電磁砲』が消えてから同時期に見なくなった人とかいない?」
「見かけなくなった方ですの?そんなこと訊いてどうするんですか?
 それにそんな方に心当たりなんて…あっ」

334: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:50:59.80 ID:DaR6wgwo

白井は何かを思い出したようだ。
少し忌々しそうに。しかし頭の中に引っかかっていた問題がスッキリと解決したかのような表情で。


「そう言われてみれば最近あの殿方を見ませんわね…。
 これはもしかして…」


まずい、気づかれたか。
白井のような『風紀委員』とは言え一般の学生を学園都市暗部という掃き溜めに
関わらせるわけにはいかない。
どう取り繕うかと麦野が思案し始めたとき、白井はわなわなと震えて勢いよく立ち上がった 
 

「もしかして駆け落ちではなくてー!!!?」


この世の終わりのような顔で頭を抱えて髪をグッシャグッシャとかき回している。


(よかったバカで)


ますますフレンダの顔を思い浮かべながら、麦野は白井が落ち着くのを待つ。
下手に絡むと盛大な脱線事故を起こすということを、フレンダ達との普段の会話から学習している。


「もう白井さん!うるさいですよ!」


席に戻っていたお花畑の少女に怒られた。
しかし白井はキッと少女を睨みつけるとさらに大暴れを続ける。

335: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:52:28.30 ID:DaR6wgwo

「初春ェっ!これが静かにしてなんていられますかっ!お姉様があの殿方と行方を眩ませてしまったんですのよっ!
 今頃遠い異国の地で爽やかな青春の汗と共に愛情を育んでいらっしゃるかと思うと黒子は!黒子はぁっ!」
「ふぇぇ!御坂さん駆け落ちしちゃったんですか!?大人ですねー」
「がぁぁ!そんなはずありませんのー!滅多なこと言わないでくださいましっ!
 そんなこと、たとえ天が許してもこの白井黒子が断じて許すわけにはいきませんわー!」
「白井さんが自分で言ったんじゃないですかー」


そうら、脱線事故だ。
これに巻き込まれるなんてまっぴらごめんな麦野は出されたお茶を啜り、足を組みなおしてソファに沈み込む。
早く終わってくれないかなあと思いながらため息をつくと、部屋のドアが開かれ女生徒が二人入ってくる。


「もう白井さん、外まで声聴こえてるわよ。何騒いでるの?」


眼鏡の女生徒は『風紀委員』の腕章をつけている。
彼女は麦野と同い年くらいだろうか、白井達よりは随分と大人っぽい。
自分よりも大きな胸が麦野の自尊心をちょっぴり刺激した。


「こんちわー!そこで固法先輩に会ったんで遊びに来ましたー!」


今度はロングヘアを靡かせた快活そうな少女だ。
お花畑少女と同じ制服を着ていることから、この学校の生徒だろう。

336: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:56:38.52 ID:DaR6wgwo

「あ、固法先輩。佐天さん。お疲れさまです」
「お疲れさま、初春さん。あら、お客さん?ごめんなさい、騒がしくて」
「白井さんのお知り合いの方だそうですよ」
「へー、そうなんだー。はじめまして!」
「お邪魔してます」


目が合ったので麦野は会釈する。
そこでようやく白井が大人しくなった。


「取り乱しましたの。ええと、それで…なんでしたかしら?」
「ああ。だからその駆け落ちした男のことを詳しく…」
「駆け落ちなんてー!黒子はぁ!黒子はぁぁあ!」
「白井さんうるさいっ!」


眼鏡の女生徒に怒られ、再び暴走した白井が額に汗を滲ませながら座る。


「落ち着いた?んでね、その殿方ってのは、『超電磁砲』にとってどんな相手だったの?」


麦野も変な爆弾に触れてしまったと冷や汗を流しながら問いかける。
落ち着きを取り戻した白井が顎に指をあてて「そうですわねー」と唸った。


「認めたくはありませんが、確かにあの殿方とお姉様は喧嘩する程度には仲が良いと言わざるを得ませんわね」

337: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 00:58:30.13 ID:DaR6wgwo

喧嘩という言葉に一瞬滝壺を思い出す。
が、すぐにその考えを頭から追い出し、白井に尋ねる。


「喧嘩?レベル5と?ああ、痴話喧嘩ね」
「まっ!そんな不愉快な言葉おっしゃらないでくださいまし!
 お姉様は毎日のようにその殿方に電撃を放つわ飛び蹴りを食らわすわ、それはそれは楽しそうに…」
「楽しいのかそれ…。殺そうとしているようにしか聴こえないんだけど」


こんな情報役に立つんだろうかと思いつつ、麦野は続きを待つ。
もう打ち切ってもよかったのだが、白井の顔が少し曇ったのが気にかかったからだ。


「いいえ、楽しかったのだと思いますわ。お姉さまは常盤台のエースにして学園都市第三位のレベル5ですもの。
 お姉様が喧嘩を出来る相手なんて、ルームメイトである黒子やその殿方くらいしか存じ上げませんの」


御坂美琴に友人はいないのか?なんて野暮なことは麦野は訊かなかった。
その気持ちは、きっと麦野が誰より分かっていることだったから。
レベル5は人の輪の中心に立つことはできても、輪の中に加わることはできない。
望む望まざるに関わらず、彼らは常に他人からの嫉妬と羨望の中に在る。
それは麦野も例外ではなかった。
小学生のとき、初めての能力測定でレベル5判定を受けた麦野は、己の溢れる才能を誇示するわけでもなく、
ただその力を在るがままに受け入れていた。
自らと比較して他人を貶めたわけではない。
圧倒的な力を他人に突きつけたわけでもない。
だが麦野はその能力測定の日を境に、孤独な少女になった。

338: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:01:11.53 ID:DaR6wgwo

「ッ!」


歯噛みし、右目の傷が痛むのを押さえる。
様子に気づいた白井がこちらのを顔を覗き込むのに気づいて、嫌な記憶を振り払うように首を振って笑う。


「ちょっと傷が痛くて」
「そう言えば確かにそのお顔、どうなさいましたの?不躾なことを訊くようで申し訳ありませんが」
「ああ、大したことないから気にしないで。ちょっと怪我しちゃっただけ」


間違ってもアンタのお姉様に吹っ飛ばされたんだよとは言えない。
話を戻すが、御坂美琴がその少年に自らと対等な関係を求め、少年は自覚の有無はともかくそれに応えていたのだろう。
なんとなく浜面の顔を思い出す。
彼もまた、自分の理不尽な言葉にも文句を言いつつ付き合ってくれた。
気がつけば彼のことを思い出していることが気恥ずかしくて、慌てて首を振って思考を元に戻す。


「それより、その男はよく『超電磁砲』の能力を受けて今まで平気だったね?
 まあ手加減はもちろんしてたんだろうけどさ」
「それが妙なんですの。
 わたくしも詳しいことは分かりませんけれど、どうもその殿方、お姉様の攻撃から必死に逃げるんですが、
 それで怪我を負った所を見たことがありませんの」


確かにそれは妙だ。
それだけ毎日のように攻撃を受けて、愛想も尽かさずしかも無傷とは。
と、そこで御坂が繰り出した不可解な右手のことを思い出す。


(もしかしてあの女、能力を打ち消すものを持っていた…?例えばAIMジャマー。例えばキャパシティダウン)

339: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:02:22.35 ID:DaR6wgwo

暗部にいる者なら、どちらも一度くらいは耳にしたことのある代物。
前者は各種重要施設ではたまに見るものだし、キャパシティダウンは何ヶ月か前にスキルアウト間で流行した装置だと言う。
御坂はそれを小型化したようなものを所持していたのではないだろうか。
かなりの電力を消費すると聞くが、彼女の能力ならば全く問題ない。


(じゃあその男は…?そんな能力聞いたことないけど、私が知らないだけ…?
 ま、ビリビリされて喜ぶ頑丈なマゾ太クンだったってことでもいいけど)


今はそこは大した問題ではない。
とにかくだ。御坂がその男を失うことで学園都市暗部に対する復讐を行う動機は充分分かった。


「アンタのお姉様、その男のこと好きだったのかもね」
「んなっ!なんということをっ!」


ついうっかり口に出してしまった。
白井はわなわなと青ざめていくが、後ろからの先輩の視線が怖いのか三度大暴れするようなことはない。


「ま、まあ確かになんとなくそうなのかとはわたくしも思っておりましたけれど…。
 あの殿方のことを話すときのお姉様はとても嬉しそうでしたし、休みの日にはあの殿方を探しに街に繰り出しているのでは
 ないかと思うときもありましたから」

341: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:05:14.35 ID:DaR6wgwo

納得いかなそうな白井だが、きっと心の中では御坂の淡い恋を受け入れようとしていたのだろう。
最後には少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「その男、学校分かる?どこに住んでるとか、見た目とか」
「えーと、髪は黒くてこうツンツンで…まあ見た目はごく普通の男子学生という感じですわね。
 ヘラヘラしつつも力強い印象は受けましたけれど」


身振り手振りを交え、思い出すように白井。


「学校もご自宅も知りませんの。名前も忘れましたわ。興味もありませんでしたし。
 でもお姉様とよく公園で談笑してらしたから、この近くの方ではありませんの?」
「そう。ありがとう。最後に公園の場所だけ教えてもらってもいいかな?」
「ええ、今プリントして差し上げますわ」


これ以上は情報も出なさそうだ。
とりあえず男の家の近所まで行ってみて、また聞き込みでもしてみようと麦野は立ち上がって白井に礼を言う。


「そう言えば、まだお名前を伺ってませんでしたわね」


お花畑少女の席に行き、地図を検索してもらっていると白井が思い出したように尋ねてくる。


「あれ、そうだっけ?麦野だよ。麦野沈利」
「「え?」」

342: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:06:49.36 ID:DaR6wgwo

ピタリと、白井と眼鏡の女生徒の手が止まる。
この反応は麦野にとっては慣れたものだった。


「ん?なになに?みんなどうしたんですかー?」


適当な席に座ってネットサーフィンをしていたロングヘアの少女がキョロキョロと皆の様子を交互に見る。


「麦野沈利さんって…もしかしてレベル5の…」


眼鏡の女生徒が驚愕の表情で麦野に声をかける。


「「レベル5ぅぅうう!!!???」」


ロングヘアとお花畑が目をグルグル回してこちらの顔をまじまじと見る。
こうなるとめんどくさいと麦野がため息をついた。


「って、御坂さんと同じじゃないですか!?第何位なんですか!?」


お花畑が悪気無くそう訊いてくる。
その目にはこれほどまでに詰め込めるのかというくらいのとびきりの尊敬の念が見て取れた。


「麦野さんは第四位のレベル5よ」


と、呆れたような声で眼鏡。


「初春は学園都市に来て何年になるんですの?そんなことも知らないなんて、『風紀委員』としての自覚に欠けてますわよ」

343: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:08:45.83 ID:DaR6wgwo

白井も「はぁ」とあからさまなため息をつく。


「白井さんだって気づいてなかったくせにー」
「初春ゥ!わ、わたくしはお姉様以外の方の能力には興味ありませんの!」
「はー、どうやってレベル5になったんですかー?」


興味津々と言いたげにロングヘアが話しかけてくる。


「どうやってって…測定したらそう出たんだけど」
「わひゃー、やっぱり出る人は出ちゃうんだなー。天才ってのはいるんですねー。
 私なんてレベル0ですよ。うらやましいなあ」


きっと本人に悪気はないのだろう。それはもちろん分かっている。
だが麦野は彼女の言葉に憤りを感じた。
麦野はその言葉が反吐が出るほど嫌いだったのだ。
それは自分がまだちゃんと学校に通っていたころ、耳が腐り落ちるんじゃないかというくらい聞かされた言葉だったから。
自分がどんなに努力をしたって「レベル5だから」「天才だから」。
確かに自分は初めての能力測定からレベル5認定を受けた。
だがその判定にあぐらをかいて今日まで生きてきたわけじゃない。
もちろん、レベル5認定されるということはそれなりの演算能力を有しているということだから、
頭の回転や要領の良さという意味では人並み以上にはあるのかもしれない。

しかしだ。

『原子崩し』だから頭がいいのか?
『原子崩し』だからスポーツができるのか?
レベル5なんていうのは、そんな都合のいい言葉じゃない。
努力できなかった多くの人々が自分を納得させるために用意した便利な言い訳じゃない。
そんな二文字の漢字如きに、自分の全ての能力を一括りにされる謂れなどないはずだ。
追いすがる後続たちに抜かれぬよう、常に先んじようと努力を繰り返してきた自分をそんな言葉で否定されることが、
麦野はいつも我慢ならなかった。

346: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:11:09.35 ID:DaR6wgwo

「佐天さん失礼ですよそんな言い方!」
「そうですわよ。この方だってお姉様のように、今日までレベル5を維持するための並々ならぬ努力をされてきたはずなんですから」


麦野の不穏な空気を感じ取ったのか、白井とお花畑の少女がロングヘアに声を投げかける。


「あ、ごめんなさい!そんなつもりじゃ…」


慌てて立ち上がって頭を下げるロングヘア。
麦野は笑顔でそれをたしなめた。


「いいのよ。慣れているから」


だが気分を害されたことは否定しない。
彼女にとってはきっと何気なく放った言葉だったろう。
だが麦野にはそんな言葉が出てくることがもう許せない。


「ごめんなさいね麦野さん。佐天さん、能力者に憧れているから。悪気はないの」
「わかってる、ほんとに気にしてないわ。あなた、無能力者なの?」
「あ…はい」


佐天と呼ばれた少女に笑顔のまま話しかける。
あえてレベル0とは言わなかった。
能力者に憧れる気持ちは、自分だって学園都市に来る前は持っていたものだから。
彼女の気持ちが分からないわけじゃない。

347: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:13:13.95 ID:DaR6wgwo

「そう。私の知り合いにもレベル0が一人いるの。
 そいつは能力者を僻んでスキルアウトになった、馬鹿でデリカシーのないどうしようもない奴。
 だけど、高レベルでなくちゃいけないなんてそいつはもう思ってない。
 自分に今できることをすればいいのよ。そうすれば結果は…」
「でもそれって、持ってる人の余裕ですよね?」


上辺で人に説教なんてするもんじゃない。
麦野はそう思った。
だって、それは彼女がずっと言われて不愉快なことだったはずなのに。
「今できることを」なんて、まるでできることをしていないかのように決め付けて。
だから彼女が麦野に言い返したことは、何も間違ったことなんかじゃなかった。


「学園都市は高レベルの能力者になることを目標として様々なカリキュラムを提供してくれるんです。
 それを高位能力者にならなくていいなんて、ちょっと私には理解できないなあ」
「佐天…さん…?」


プリントアウトした地図をプリンターから取り出して、お花畑は不穏な空気の中で居心地悪そうに二人の顔を交互に見る。
麦野は口元に笑みを滲ませたまま、佐天を見つめる。
彼女は悔しいのだ。努力を怠っているわけじゃない。努力が足りないなんて言われたくない。
精一杯やっているはずなのに、結果が出ない。
今の自らに歯がゆさを感じているという点において、彼女と麦野は同じだった。


「だってそうじゃないですか。みんなレベル5に憧れます。それってそんなに悪いことなんですか?
 なのにそれを否定するなんておかしいですよ」

348: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:15:02.43 ID:DaR6wgwo

佐天はもうこちらを睨むように見つめている。
レベル0だって、レベル5だって、同じように悩み、苦しむ。
今の自らを変えて、何者かに成りたいと思い、皆あがいている。
白井も眼鏡も何も言わなかった。


「…そうね、私が悪かったわ。あなたは焦ってるんだと思って、無理をする必要はないと言いたかったの。
 別に上からお説教したかったわけじゃないんだ。だから…」


まだ中学生のこの少女がこのまま腐っていくのを見たくない。
ここは黙って彼女の言葉を受けとめるのが大人の対応と言うものだろう。

だが、麦野はそんなもの、クソくらえと吐き捨てる。

憧れるのは悪いことじゃない。でも彼女のそれは、諦めにほど近い感情であるように思えてならなかった。
そして、麦野の顔から最後の笑みが消えた。


「…はっきり言ってやるよ。
 無能力者であったはずの御坂美琴は、アンタらの先輩は努力を繰り返して、アンタらが「天才」と
 断じたこの第四位を超えたんじゃないか。
 そんな見本が側にいるのに、テメェは何でそんな言葉が吐けるんだ?
 卑屈な言葉で他人に縋ってんじゃねえよクソッタレ」
「……ッ!」

349: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:16:54.02 ID:DaR6wgwo

一瞬にして張り詰める室内の空気。
麦野の手は少し震えていた。その言葉は、そっくり自分に返ってくるものだったから。
何が問題なのか、もう分かっているのに。何で自分は変わろうとしないんだ?
俯く佐天に背を向け、お花畑から地図を受け取り礼を言う。


「ごめんね。ウダウダ文句言ってる暇があるんなら、どうすりゃいいか考えれば?
 嫌味にしか聞こえないんだろうけど、正直私はもう、レベルなんて、どうでもいいよ」


そんなものよりもっと私は…。その先を麦野は言わない。
自分に言い聞かせるような言葉だった。彼女に当り散らしているようにすら思えた。


(人には偉そうに…。ほんと最低だな私は)


それ以上何を言えばいいか分からず、麦野は無言で地図を持って扉に向う。
慌てて白井がその後ろを着いてきた。


「麦野さん!」


部屋を出たところで背中に佐天から声がかかる。
立ち止まるが、振り返らない。

350: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:17:56.03 ID:DaR6wgwo

「レベルなんてどうでもいい。その言葉、後悔させてあげますからね!
 あなたには、絶対負けたくありません!」


驚き、振り返る。
佐天は不敵な笑みを浮かべてこちらを指差していた。
慣れないことはしたくない。他人にお説教なんてしたくない。
人が何を想い、何をして生きているかなんて、所詮他人には分からない。
自分の気持ちを押し付けていいわけがないのに。
だけど今、少しだけ、通じ合えた気がした。
ゴトリと心で何かが動く。


「そっか。言い過ぎたね、ごめん。応援してるよ。
 何か分からないことがあったら、いつでも訊いてね」
「は?え?あの」


キョトンと、拍子抜けしたように佐天は呟く。
麦野は微笑み、手をヒラヒラと振って扉を閉めた。


「驚かさないでくださいまし…。心臓に悪いですわよ」
「悪い。空気悪くしちゃったね。
 なんとなく通じたからよかったものの、これ失敗してたら私最悪の女だったわ」

352: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:19:16.31 ID:DaR6wgwo

佐天は自分よりずっと大人で、前に進んでいくことを怖れたりしない。
5歳近くも歳の離れた少女に出来ることが、どうして自分に出来ない。
麦野は彼女を素直に尊敬した。


「ほんとですわよ…。でもま、結果オーライということにしておきますの。
 それはそうと、地図の場所は分かりまして?」
「うん。そこまで遠くないしね、行ってみるよ。色々ありがとう、参考になった」
「い、いえそれは構いませんけれど、お姉様と同じレベル5のあなたが、お姉様に一体何の御用ですの?
 わたくしお姉様にそんなお友達がいらっしゃるなんて聞いたことありませんわ」


白井がおずおずと訊いてくる。
名前も名乗らなかった不審な包帯女によくもまあ協力してくれたものだ。
御坂が見つかる可能性にはできるだけ賭けたいということなのかもしれないが。


「ま、ちょっと野暮用でね」


傷のことを訊かれたときもそうだが、アンタのお姉様に右目ぶっ潰されたからちょいとブチ殺しにね。
とは言えない麦野だった。


「そうですの。いずれにせよ、何か分かったらわたくしにも教えてくださいましね」
「うん、わかったらね」

353: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:21:11.54 ID:DaR6wgwo

そのときアンタのお姉様はこの世にいないかもしんないけどね。
しかし、垣根と違ってどうにも御坂を殺す気にはなれない麦野。
白井達に触れて情が移ってしまったのだろうか。
いや、病院で目覚めたときからいまいちそういう憎しみのような感情が沸いてこない。
今までの麦野だったら、きっと全身を焼き尽くされても憎悪で蘇るだろうし、
国外逃亡を企てられたって戦闘機をハイジャックしてでも追い詰めてやるだろうに。
自分でも意外なくらいだ。


(私がまだあいつを一般人だと思ってるからか?
 …仕事内容に『超電磁砲』を殺せってのは入ってないけど)
「あ、麦野さん」


白井が、立ち去ろうとした麦野に声をかけてくる。
言い忘れたことでもあるのかと振り返ると、寂しそうな顔で白井が笑っていた。


「よろしければお姉様と、これからも仲良くして差し上げてくださいまし。
 お姉様はああ見えて子供っぽいところのあるお方ですから、麦野さんのような年上のお姉様に
 ご指導頂きたいときもあると思いますの」
「…気が向いたらね」


そこにはどんな感情がこめられていたのだろう。
麦野は白井の言葉に応えるように薄く笑い、だが曖昧な返事を返して学校を出た。

357: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:25:53.79 ID:DaR6wgwo

―――――――


麦野は白井と別れ、既に夕日が落ちた住宅街を小走りする。
とにもかくにも『ピンセット』だ。
病院の回診時間はもうとっくに過ぎているし、今頃結構大騒ぎになっているだろう。
何せほんの数日前まで全身ズタボロだった奴が抜け出してるんだから。


(あいつらにも連絡がいってるんだろうなあ…。フレンダあたりがうるさそー…。まあ後で謝ればいいか)


十分ほど走ると指定の公園が見えてきた。


(ここか。まあ公園自体には何もないだろうし、誰か人は…いないか)


なんということのない、ただの公園だった。
今日は一人二人聞き込みして帰ろうと思っていたが、既に日が落ちたためか人の姿はなかった。
丁度走って喉が渇いていたので公園に設置してある自販機に向う。


(うわっ!なんだこのラインナップ!)


イチゴおでんをはじめとしたキワモノメニューの数々のみで構成されたその自動販売機。
こんな自販機で一体誰がジュース買うんだかと思いながら財布を取り出し。千円札を投入する。
とりあえずこの中ではマシそうなヤシの実サイダーを選択するとしよう。
あの後病院内で出会った打ち止めも美味しかったと言っていたし。


「ん?」


本来ならばそこで点灯するはずの商品ボタン。だが一行にランプが点かない。
どうなっていやがるとばかりにお釣りレバーを下ろす麦野。

359: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:27:36.11 ID:DaR6wgwo

「こ…いつ…!」


呑みやがった。
何度ガチャガチャレバーを下ろしても千円札は吐き出されないし、もちろん商品ボタンを押してもジュースは出てこない。
ここ数日すっかり気の長くなっている麦野でも、さすがに無機物ごときに馬鹿にされたのではプッツンくるのは仕方がない。
そう、この自販機の前では誰もが憤怒という大罪にとりつかれるのだから。


「死ねよクソがぁッ!!」


数歩後ずさり、『原子崩し』をロケットエンジンのように放射して自販機にドロップキックをぶちかます。
自動販売機に麦野のヒールが突き刺さる。
特に反応が見られなかったが、数瞬の後にガクガクと自販機が痙攣を始めて、
ジャックポットのようにガラガラと缶ジュースを吐き出しはじめた。


(こんなにいらないって)


種類もバラバラだったので、仕方なく麦野はその中からヤシの実サイダーだけを選択して拾い上げ、
缶のプルトップに指をかけてプシュッと開ける。


「…ンッ……ンッ……プハーッ!」


一気飲みで喉を潤し、思わず唸る。
走ってきたため実はかなり喉が渇いていたのだ。
乙女らしからぬ唸り声だが、周りに人はいないし構わないだろう。
ヤシの実サイダーは仄かにココナッツ風味の香るラムネ味。
なかなか悪くないと口元をぬぐっていたそのとき。


「いい飲みっぷりだにゃー」

360: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:29:21.78 ID:DaR6wgwo

不可思議な語尾の男の声がして、驚き振り返る。


「お前、麦野沈利だろ?第四位の」


口元に不敵な笑みを称えた学ランの男が立っていた。
大柄、金髪、夜だと言うのにサングラス。
もうこの時間はそこそこ冷えるのに、筋肉に覆われた素肌の上にはアロハシャツだ。
その異様な風貌を訝しげに上から下まで眺めて麦野は缶を遠くに放り投げる。
美しく放物線を描いたそれは難なくゴミ箱に吸い込まれた。


「コントロールいいぜよ。甲子園でもエースになれそうだにゃー」


ふざけた口調の野朗だ。
麦野は腹の中でぐるぐるとドス黒いものが蠢いてくるを感じた。
この感覚は幾度となく味わっている。暗部のクソ野朗と対峙したときはいつもこうだ。


「…で、そういうアンタは?ナンパならもっと繁華街でやってくれる?」


そんなナンパでないことはもちろん分かっている。
彼は自分の名を呼んだあと、第四位と言った。
レベル5としての自分に、この男は用があるのだ。


「率直に言おう。お前、『アイテム』を抜けて俺たちのところに来い」
「あぁ?じゃあ私は何テムに入ればいいわけ?」


小ばかにするように麦野は笑い返してやる。
しょうもない組織だったらこの場で塵芥と化してやる。そんな顔だった。

361: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:31:15.33 ID:DaR6wgwo

「『グループ』」
「ふうん」
「知らないか?機密レベルはお前達『アイテム』と同じだぜ」
「興味ないわね。簡単に組織を裏切るような奴をアンタらは信用できるっての?」
「『アイテム』は仲良しこよしのおままごとってのは本当らしいな」


挑発するような男の言葉に麦野はギロリと睨み返す。
夜の帳が下りた世界で、その異様な隻眼で射殺すような視線を受けても、
男は怯まず口元の笑みをも崩れない。


「アンタ…分かってんでしょね?アンタなんて、指一本動かさなくても殺せるのよ?」
「…もちろん分かってる。が、お前は出来ない」


男は余裕の態度だ。
よく見ると、公園の入り口にはキャンピングカーが止まっている。
先ほどは無かったものだ。
この男がどの程度の能力者かは知らないが、仲間があの中にいて、麦野を打倒し得る能力だったとしたら、
確かにこの男を殺すのは得策とは言えないだろう。
麦野の視線に気づいたらしい彼はくつくつと笑う。


「違うな、浅いぜ『原子崩し』。俺が言ってるのはそんなことじゃねぇ。
 確かにあの中には『座標移動(ムーブポイント)』って能力者がいる。
 お前が俺を殺せば、それは俺たち『グループ』 と敵対するってことになり、
 てめぇの体は晴れて車のシートと合体しちまうわけだが、そんなことは些細なことだ。
 俺を殺しててめぇも死ぬ。ただそれだけのことなのさ」

362: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:33:27.15 ID:DaR6wgwo

「浅いわね。私は体内への転移能力なんて効かない。この体に渦巻く『原子崩し』の前ではそんなもの無力なんだよ。
 私がアンタを殺したその後に、あの中にいる連中もまるごと皆殺しってことよ。
 対『グループ』?誰よアンタら。上等じゃない、全員地獄へ超特急で送り届けてあげるわ。
 『超電磁砲』も手間が省けていいかもね」


口を引き裂いて嗤う。嗤う。


「にゃー。おっかない女だぜい」


だが。
それでもなお、
この男は、


「浅いな」


崩れない。


「俺たちがその『超電磁砲』の居場所を知っていると言ったら?」
「……なんですって…?」

363: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:35:40.57 ID:DaR6wgwo

頬を汗が流れる。
御坂の居場所を知っているだと?
単独で逃げながら100以上の組織を潰している奴をどうやって捕捉したと言うのだ。
おまけに相手にも気づかれずに。
滝壺のような能力者がいるのだろうか。


「俺たちには今、ある任務が与えられている。何か分かるか?」
「さあ、見当もつかないわね」


麦野は嘯く。
その情報が本当だとすれば、ぜひとも欲しい。
この後御坂の協力者について調査し、さらに拠点を持っているとは限らない御坂の居所を調査するという作業が待っている。
そんなことをしているうちに、御坂は現状の弱った『アイテム』を個別に襲撃するかもしれないし、
『ピンセット』も失われてしまうかもしれない。
後手に回れば負けるこの状況下でその提案はあまりにも魅力的だった。
そんな麦野の心中を知ってか知らずか、男は言葉を続ける。


「『一連の暗部組織襲撃事件の犯人を突き止め、速やかに始末する』こと。
 つまり現状、御坂美琴の抹殺だ」


ちらりと脳裏を掠めた予感は的中する。


「既に奴の隠れ家も掴んでいるが、戦力だけが足りない。
 俺たちはお前の力が欲しい。お前は俺たちの情報が欲しい。ギャラももちろん主戦力のお前にはそれなりの額を用意させる。
 どうだ?悪い取引じゃないだろ?」

364: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 01:37:44.22 ID:DaR6wgwo

やはりこいつは私が御坂を探し回っていることを知っている。
気に食わないと思いながらも、こいつらも御坂を倒すための決定打が足りないのは事実なようだ。
何人いるのか知らないが、レベル5の『超電磁砲』を倒すには至らないということ。
第三位から第七位までは実力はほぼ団子状態。
なのに彼女を倒せないということは、彼らの中にレベル5はいないということになる。
裏切られて両側の敵に食い殺されるという心配はなさそうだが。果たして信用できるのか。


「仲間になるってのはちょっとね。今回だけなら、付き合ってあげてもいいわよ」


『アイテム』の連中とは付き合いも長い。それなりに信頼もしている。
しかもここ2週間ほどで、彼女らとの関係は仕事の利用価値での繋がりだけではもう割り切れないところまで来ているのだ。
だからその条件だけは麦野には受け入れられなかった。


「…いいだろう。俺は土御門。車に乗れ、他の連中も紹介する。
 今回限りの共同任務だが、よろしく頼むぜ、麦野」


土御門と名乗った男は公園前に止まったキャンピングカーに向って歩き出す。
麦野は油断しないようにしようとグッと拳を握り、彼の後に続いた。
彼女はこの時気づいていなかった。
キャンピングカーに乗っていく麦野の姿を見ている少女がいたことを。


「むぎ…の…?」

380: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:31:12.82 ID:DaR6wgwo

車の中には『グループ』のメンバーが土御門の他に二人いた。
部下の運転手はこちらの顔を確認しようともせずに、麦野がシートに座ると無言で車を発進させる。
自分の現在地を見失わないように、麦野は時折窓の外を見ながら彼らの顔を確認する。


「どうも、はじめまして。海原光貴と申します。彼女は結標淡希さん。よろしくお願いしますね」


席に着くなり、柔和な笑みを浮かべた不自然に爽やかな男が話しかけてきた。
訝しげな視線を返す麦野を特に気にした様子も無く、
海原光貴と名乗った男は隣に座る茶色い長髪を後ろで二つくくりにした少女も紹介する。


「貴女が『原子崩し』?話くらいは聞いたことあるけど、思ってたよりは普通ね」


そう言ったのは『グループ』の紅一点、結標淡希。
極端に短いスカートに軍用懐中電灯をぶら下げ、ブレザーの下にはピンク色の布を巻いただけの、
理解不能な服装をしている。


「『未元物質(ダークマター)』 にも言われたけどさ、普段どんな話が出回ってるのよ」


もはや露出癖があるとしか思えないその格好を眺めながら、麦野は結標の胸に向って言葉を返す。
結標はそんな麦野の視線を知ってか知らずか、腕を組んで豊かな胸元を強調しながら思い出すような仕草になる。

381: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:33:16.62 ID:DaR6wgwo

「どんなって…。施設に立てこもったスキルアウト達を肉の塊にした挙句にアジトだった一区画丸ごと灰にしたり、
 命乞いしながら逃げ惑う反乱分子の組織の連中を達磨に変えたりとか。それから…」
「ああ、もういいわ。妖怪扱いされるのは腹立つけど、大体合ってるみたいね」
「合ってるのか。そこは否定するとこじゃねえのか?」


土御門が口元を引きつらせてそう言う。
確かに戦いが始まるとついテンションが上がってオーバーキル気味になる麦野だが、
別に毎度毎度狙ってやっているわけではなかった。
何せ当たればほぼ必殺の『原子崩し』だ。逃げ惑う敵の背中に向けて電子線を放てば、
終わるころには大体いつもそんな感じになっている。
後処理を命じられた下っ端の連中からそうした噂が出回っていくのも、頷けないことではない。


「そんなことより麦野、一応言っておくが、お前御坂美琴を殺すなよ?」
「はぁ?」


土御門がそんなことを言うものだから、麦野は思わず浜面にそうするように聞き返してしまう。
だってそうだろう。
彼らの任務は御坂美琴の抹殺なのに、それを殺すなというのは意味が分からない。


「アンタらの仕事はあいつを抹殺することじゃないの?それじゃ仕事にならないでしょが」
「これだから『アイテム』の野朗は『上』の言うことをよくきく優等生だって言われるんだぜ?」


くくっと土御門は笑い、その反応に麦野はこめかみがピクピクとうずくのを感じて彼を睨み付けた。

382: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:35:33.55 ID:DaR6wgwo

「俺は俺たちに与えられている任務の内容をこう言ったはずだ。
 『一連の事件の犯人を始末する』ことだとな」
「だから、『超電磁砲』を…はぁーん、アンタもしかして」


麦野の呆れたような視線に、土御門は獰猛に歯を見せて笑う。


「そうだ。要はこの事件をこれ以上起こさないことを『超電磁砲』に確約させ、且つお前に奴の隠れ家一体を
 丸ごと灰にしてもらえば、奴を殺さずともこの事件の犯人は死んだことになる。
 お前の能力使用後には死体が残らないのも珍しいことじゃないらしいからな」
「そんな屁理屈が通るとでも…」
「通るさ」


土御門は一切の迷い無くそう言い切った。


「当然『上』の連中だって『超電磁砲』がこの事件を起こしていることを知っている。
 だが学園都市第三位を失うことは、下っ端の雑魚共が何百人何千人死ぬことよりも、
 連中にとって都合が悪いことなのさ。
 レベル5の命の価値ってのは、学園都市230万人の頂点にあるものなんだぜ?」


麦野は土御門の言葉が自分にも向けられていることに気づいて歯噛みする。
命の価値だ?
別に他人が何人死のうが知ったことではないが、そういう言い方をされるのは
麦野にとって決して心地の良いものではなかった。

383: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:38:24.50 ID:DaR6wgwo

「『超電磁砲』は確かに手に負えないほどの力で学園都市の闇に喧嘩を売っている。
 だが奴の行動は所詮氷山の一角を叩いて割っているようなものだ。
 ロクな情報源も後ろ盾もなく、たった一人で暗躍していても、永遠に水面下にある根元には届かない」

「あァ?あいつは『未元物質』を倒してんのよ?
 それに私たちは『上』から垣根帝督を殺せとも確かに明言された。
 第三位を生かしておきたいのに、第二位は殺せって言うのは、順番から言えばおかしいんじゃない?」

「だからそうなる前に、『超電磁砲』にこの件から手を引かせなくてはいけないのよ」


結標が今度は発言する。
そこまで言われても、麦野にはまだ理解できなかった。
垣根と御坂のしていることに、一体どんな違いがあるというのだろうか。
と、ここで麦野はハッとなる。
御坂と垣根の違い。それは


「『ピンセット』か」

「ご名答だ。『未元物質』はそいつを強奪したうえに、それを使って何か重大なことを知ってしまった。
 殺す他ないくらいの危険なことを、自らの意思でな。
 もちろん『超電磁砲』は自分が持ってるそれを暗部をおびき寄せる餌の一つくらいにしか思ってないはずだ。
 だが、もしそれを使ってしまったら、奴も『未元物質』と同じ道を辿るハメになる。
 奴がその使い方に気付く前に手を打たないと、取り返しがつかねえことになる」


時間がないのは誰もが同じだった。
統括理事会等の『上』の連中は第三位をまだ生かしておきたい。
麦野は早々に決着を着けて『アイテム』 への個別攻撃を回避したい。
御坂は一刻も早く暗部組織を消滅させたいし、なおかつ自分でも気づかずに時限爆弾を抱えている。
そして『グループ』は…
ここで麦野は「あれ?」と首を傾げた。

385: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:40:07.02 ID:DaR6wgwo

「ちょっと待って。アンタ達はどうなの?
 今のは所詮アンタらの深読みに過ぎないわけでしょ。
 ただ依頼通りに『超電磁砲』を殺したって文面上は全く問題ない。
 わざわざリスクを負って私に接触してまで、あいつを生かす理由が分からないわ」


麦野の問いに、土御門と結標の二人は今まで何も言わなかった海原に視線を送った。
彼は困ったような笑みを顔に張り付かせて肩をすくめる。


「御坂美琴はこの優男の想い人だからね。こういう方法をとるしかないってことよ。」

「お恥ずかしい話ですが、僕は御坂さんに一切攻撃することは出来ません。
 今回は後衛に徹することになりますので、どうしても麦野さんの協力が必要だったのです」


想い人ねえと麦野は興味なさげに呟き、鼻で笑いとばす。


「はっ、『グループ』総出で仲間の好きな子守るために無駄なリスク負うってか?
 ウチらのことおままごと呼ばわりしといて恥ずかしくないわけぇ?」


土御門にこれでもかと言う位見下した視線を向ける麦野。
だが彼は相変わらず余裕の態度でこちらを見据えていた。
やがて車が止まる。
学区は分からないが、窓ガラスの割れた建物や人気の無い建物がいくつも並ぶ裏通り。
どこぞのスキルアウト達がアジトとして使用していた区画だった。
明かりのほとんど無いその裏通りを照らすように、空には円い月が輝いている。
一同は車を降り、キャンピングカーが走り去るのを見送った後、
土御門はポツリと呟くように言った。

386: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:42:22.67 ID:DaR6wgwo

「さっきの質問に答えてやるぜ。
 当然だ。『超電磁砲』 を失うってことは、海原も失うってことだからな。
 別に仲間意識じゃねえ。それじゃ『上』 の連中を出し抜けなくなっちまうからだ」

「出し抜く?」


歩きながら、土御門の背中に問いかける。
人気のまるで無い、月明かりだけの夜の静寂は、別世界に迷い込んでいるような錯覚を麦野に与えた。


「そうだ。俺や結標にもそれぞれ守らなくちゃならねえものがある。
 何の役にも立たねえはずなのに、どうしても捨てられねえもんがな。
 今回のことは分かりやすい例だ。
 『上』が与えてくることをただこなすだけじゃ、得をするのは奴らだけ。
 普通にやってるだけじゃ、大切なものは守れねえ」


結標や海原の顔をチラリと見る。
二人とも土御門の言葉に耳を傾けながら、周囲を注意深く見回していた。


「さっきは『上』は御坂美琴に死なれちゃ困ると言ったが、実際はどっちだっていいんだ。
 脳みそさえ残っていればあとはレベル5を吐き出すだけの機械にだってしちまえるからな。
 だからどっちにだって転ぶ勝利条件を突きつけて、終わってみれば奴らだけが
 勝つようになっている」


土御門は振り返り、黙って話を聴いている麦野の隻眼をサングラス越しに力強く見つめた。

387: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:45:03.54 ID:DaR6wgwo

「その仕組みが俺たちには我慢ならねえ」


強い意志を感じる言葉だった。
『上』の連中を出し抜く。
麦野には考えたこともないことだった。


「出し抜くって…何するつもりよ」
「そこまで話す義理があるか?俺たちと行動を共にするってのなら教えてやるよ」


土御門は肩をすくめた。


「御坂さんは、彼女の想い人のために行動しています。
 『一方通行』の実験に、たまたま関わってしまったただの一般人のね」

「…そいつ、よっぽどお人よしなのね」


麦野の呟きに、土御門も声をあげて笑う。


「違いないな。そいつ、上条当麻は俺の友達なんだ。いつも不幸だ不幸だ嘆いてるくせに、
 困った奴を見ると進んでトラブルに飛び込んでいく、ドが着くお人よしだった。
 そいつも今や病院のベッドで目を覚まさず、集中治療室から出られねえ」


懐かしそうに、そして忌々しげに土御門が言う。


「御坂さんも暗部とは一切関わりのない一般人でした。
 普通に学校に通う、ただの明るくて優しい女の子だったんです」

388: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:47:54.66 ID:DaR6wgwo

海原は苦笑しながらそう言う。
実際御坂は暗部と無関係というわけではない。麦野も一線交えたことがある。
しかし、程度で言えばやはり一般人と言っても差し支えはないだろう。
海原に続いて再び土御門が口を開く。


「だからな、麦野。そんな平和ボケした奴らがこんなとこでくたばっちまうってのも、
 胸クソ悪ぃ話だろ?」

「そんなこと、私に言ってしまってもいいの?優等生は、告げ口くらいするかもよ?」


挑発するように麦野。


「そりゃ困る。でもお前なら分かると思うんだがな」

「私が?んなもん分かるわけ…」


頭の中に『アイテム』の連中の顔が思い浮かぶ麦野。
土御門の言葉は、麦野に迷いを与えた。
暗部組織として、ただ学園都市の便利な矛で在ることに対して。
それはある種彼の思惑通りなのだが、もちろん麦野は気づかない。
だがもし今回のようなことが自分の身に降りかかったとき、
果たして自分は彼女たちのために行動することができるのだろうか。


「お喋りはここまでだ。そろそろ『超電磁砲』の隠れ家に入る。くれぐれも頼むぜ、麦野」

「…ま、保証はしないけど」


頭に浮かんだ疑問の答えを出すことはなく、麦野は土御門に平坦に応えた。
月明かりだけが狭い路地を上空よりわずかに照らす。
『超電磁砲』との最後の決戦が今、幕を開けようとしていた。

389: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:51:20.01 ID:DaR6wgwo

―――――――


時間は少し巻き戻る。
それは、麦野が病院に担ぎ込まれた次の日のことだった。
とある病院、白い壁に三方を囲まれた部屋の中で、黒髪の少年が呼吸器や無数の医療器具を体に
取り付けられて眠っていた。
その部屋を残りの一方、ガラス張りの壁で挟んだ隣の部屋に、白衣を着た一人の研究員らしき女性がパソコンの前に
座って作業をしている。
室内には少年の容態を示すように安定した軌跡を刻む心電図や、身体状況を表示するモニターが
長机の上にいくつも並んでいた。


「ん?ああ、君か。おかえり」


廊下への扉が開き、そこから少女が入ってくる。
ふわりと茶色い髪を揺らし、目の下に不健康な隈を乗せた研究員の女性は、平坦な声で少女を出迎えた。


「木山春生。当麻の容態は?」


少女の名は御坂美琴。
決して笑顔の浮かぶことのないその表情の先には、ガラスの向こうで眠る少年がいた。


「問題ない。今にでも目を覚ましそうなくらいだよ。いつも通りね。
 ところで、呆れるな。君はまだそんなものを着けているのかい?」


研究者、木山春生の視線の先には御坂が私服の袖口からチラリと覗く、体をピッタリと覆う『駆動鎧』。
最低限の装甲板を残し、もはや『駆動鎧』の本来の機能などそこにはなかった。
それはただ彼女の皮膚を守るためだけのものであり、『駆動鎧』の本来の効果である身体能力の強化は
全て彼女自身の能力によって賄われている。

390: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:52:58.78 ID:DaR6wgwo

「いつ襲われるか分からないからね。ま、保険よ。
 私は今や学園都市中の暗部組織から追われる身なんだから」


どこかの自販機で買ってきたらしいヤシの実サイダーとかいう不可解な飲み物を飲む御坂を見て木山は眉を顰める。


「君はいつまでこんなことを続けるつもりだね?」

「何がよ?」

「学園都市中の暗部組織を敵に回して、最後に何が残るというんだ」


淡々と言葉を続ける木山。
ジュースを飲みながら、御坂は何を今更と言いたげにとため息をついて虚空を見つめる。


「何も残らないわ」

「困った子だな。君には借りがあるからこうして協力しているが、君がそんな調子だと私も…」

「何言ってるの?」


御坂は立ち上がり、木山を真っ直ぐに見下ろしながら言った。


「もう何度も言ってるはずよ。
 私は当麻をこんな風にした奴らを全員この世から消すの。
 超能力者も。暗部だとかいうわけのわかんない連中も。
 この街に、何一つ、残さない」


いつしかかつてのキラキラとした輝きを失っていた瞳で、木山を見据える。

391: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:55:39.47 ID:DaR6wgwo

「それは大層なことだな。せいぜいがんばりたまえ。
 そんな未来の話をされても、私には付き合いきれないな」

「大丈夫よ。もうそんなに時間はかからないと思うから」

「何?」


木山は作業の手を止めて御坂を見上げる。


「昨日、第二位の垣根帝督を殺したわ。それから第四位の麦野沈利にも傷を負わせた。
 これも近々止めを刺しに行かないとね。
 これで一位から四位はほぼ完全に掌握済みってわけ」

「そうか。それはすごいな。『一方通行』の件は全くの偶然のようだが」

「そうね。でも、現に私は勝ってる」


ガラスの側に寄り、眠り続ける少年を見つめる。
黒髪の少年こと、上条当麻が意識不明の重体となったのはもう2ヶ月も前のことだった。
彼は御坂と共にとある実験を阻止するために学園都市第一位『一方通行』に戦いを挑んで、敗れたのだ。
いや、敗れたというよりは、引き分けたと言った方が正しい。
『一方通行』に確実にダメージは与えた。
だが意識を失った彼はそれきり目を覚まさない。
上条当麻を失った御坂美琴は『一方通行』に対する憎しみと、上条を失った悲しみで心を閉ざした。
だがそれからしばらくして、『一方通行』の実験は凍結されたという噂を聞き、彼のことを調査していたところ


「『一方通行』は脳に損傷を受けて、その演算能力を助けるための代替品として」


「ミサカネットワークが選ばれたんだね?」

392: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:57:33.49 ID:DaR6wgwo

背後から男の声。
カエル顔の医者がそこに立っていた。
ここは彼の病院の特別病棟の一つ。上条の健康状態を管理しているのは彼だった。


「ほんとにラッキーだったわ。『一方通行』があのまま健康体だったら勝ち目はなかったかもしれない」


そう。
『一方通行』が脳の演算能力を補うために利用しようとしたのは、御坂と同じDNAマップを持つ1万人の
『妹達(シスターズ)』による脳波リンクだった。
御坂は自らの能力で脳の波形パターンをそっくりそのまま『妹達』と同じものに変換し、
ミサカネットワークをハッキングしたのだ。
それは上条を失ったことで崩壊する『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』が引き起こした暴走だった。


「よくも僕が助けるはずだった患者の能力を奪ってくれたね?」

「ふん、だから生かしておいてあげてるんでしょ?
 こうして当麻の面倒を見てもらってることには感謝してるんだから」


恨めしそうに言うカエル顔の医者に、悪びれもせずそう返す。
1万人分のミサカネットワークによって脳の処理能力は格段に上昇。
それによって現在は上位固体すらネットワークへの介入は不可能となり、
今、ミサカネットワークは完全に彼女の支配下におかれている。


(最後にはきっちり死んでもらうけどね。当麻をこんな風にした奴を、どうして生かしておかなくちゃいけないのかしら)

393: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 21:59:33.28 ID:DaR6wgwo

故に『一方通行』も目を覚まさない。目を覚ましたところで、何も出来ない。
カエル顔の医者の顔を立てて命だけは奪わずにいるが、全てが終わったら『一方通行』も始末するつもりでいた。


「皮肉なものだな。君が止めたはずの『幻想御手(レベルアッパー)』のシステムを、まさか君自身が取り込むことになるとは」


カエル顔の医者が隣の部屋で上条の容態を確認するのを眺めながら木山がつまらなそうに言う。
これは、かつて木山春生が引き起こした『幻想御手』事件にもヒントを得た。
『幻想御手』は使用者を同じ脳派のネットワークに取り込むことで能力の幅と演算能力を大幅に高めるものだ。
同系統の能力者の思考パターンを共有することで効率的に能力を扱えるようにするという理論で、
系統がバラバラの無数の能力者を取り込んでもレベル2がレベル4相当にまで力を増すことになるというような、強力なものだった。


これを1万人の発電能力者でやるとどういうことになるのか。


答えは単純だ。
学園都市最強の能力者が出来上がる。
おまけに使用者は最初からレベル5。
もし相手に触れることが出来れば、その脳波信号を操ることだって可能なのだ。
『幻想御手』は最終的に他人の脳波を強要され続けることで脳の自由が奪われ、昏睡状態に陥ってしまう。
しかし、全て同じ脳波パターンを持つミサカネットワークならばその心配もないというわけだ。


「それでも全力の『一方通行』には指一本触れられない」

「なるほど、合点がいったよ。そこで、『ソレ』がでてくるわけか」


木山は御坂の右手に装着された手甲を見やる。


「そう。当麻が目を覚ますまで、私が上条当麻を続ける」

394: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:01:27.46 ID:DaR6wgwo

疑似『幻想殺し(イマジンブレイカー)』と御坂は呼んでいた。
学園都市にはAIMジャマーという装置がある。
AIM拡散力場を乱反射させることで能力使用を妨害する装置で、
主に少年院などの能力使用を制限する必要のある場所に設置された巨大な機械のことだ。
彼女は効果範囲を右拳周辺だけに限定することで小型化したものを装備している。
本来は大量の電力と演算能力を必要とする装置だが、どちらもミサカネットワークと彼女自身の
能力によって問題なくクリアされていた。
これを叩きつけるとどんな能力も一瞬だがその効果を失う。
本来、AIMジャマーもキャパシティダウンも、能力を完全に打ち消すものではない。
だが、ミサカネットワークにおける有り余る演算能力と、御坂自身の膨大な電力を悠々と注ぎ込み、
本来の装置ですら出せない圧倒的な出力によって、あたかも能力が一瞬にして打ち消されたように見えるのだ。
もちろん、レベル5に試したのは垣根が初めてだった。
しかし今の時点では問題は無く、垣根帝督も麦野沈利もこれを利用することでイニシアティブをとることができた。


「君は彼が本当にこんなことを望んでいると思っているのかね?」


木山春生は呆れたようにため息をつく。
上条当麻は御坂美琴に人殺しになってまで自分の仇を討って欲しいと思うだろうか。
御坂はこの質問をされるといつも言葉に詰まった。


「仕方ないじゃない…」


右手を胸に抱き、眠る上条の顔を見つめる。


「こうでもしなきゃ、壊れちゃいそうなんだから…」


距離単位1の相手。
彼を失ったその日から、御坂美琴は全てを捨てた。
学校にも通わず、暗部組織の情報をどこからか拾ってきては次へ次へと繰り返す。
路地裏のスキルアウトも含め、ここ2ヶ月で彼女が潰した組織の数は実に100にも上っていた。
確実に暗部の底の底へと、日に日に大きくなる彼への想いに胸を焦がして、
彼女は闇の奥深くへと全力疾走していくのだった。

395: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:04:27.94 ID:DaR6wgwo

―――――――


「っていう具合に、麦野は今日も健やかだった訳よ」


間も無く夜の帳が下りようとする時間帯。
フレンダが目の前に座る浜面に、本日の麦野の体調を報告し終えた。
3日前に麦野と一悶着起こした後、病室まで行けなくなってしまった浜面は
こうして毎日いつものファミレスで彼女の体調を確認しているのだ。
もちろん御坂美琴についての情報共有の意味合いもあるが、
浜面にとっては目下麦野のことを聴くのが主な目的となっていた。


「超情けないですね浜面は。男らしく直接会いに行けばいいんですよ」


絹旗が報告料として浜面に奢らせたパンケーキをハムハムと齧りながら言い放つ。


「そうはいかねえだろ、来るなって言われてんだから。
 もう行っても俺にできることはねえし、麦野が自分で自分に決着つけるしかねえんだ」

「案外冷たいなあ浜面は」


フレンダも浜面の奢りと言う事で苺生クリームパフェの牙城を切り崩しつつそう言う。


「そりゃ俺だって行きたいけどよ…」

397: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:08:58.60 ID:DaR6wgwo

行ってもまた先日と同じような状態になることは目に見えている。
説得してどうなるものでは無さそうだし、麦野の中に何らかの変化がなくては先へは進まない。
だからこそ寒い懐をさらに冷やしてまで麦野の様子を毎日聞いてそのきっかけを探そうとしているというのに。


「何で毎日奢らなくちゃいけねえんだ…。もう金ねえぞ」

「私らに依頼するんだから当然な訳よ。たかだか499円のデザートで『アイテム』に仕事頼めるなら安いもんでしょ」


パフェの頂上に乗ったサクランボをぱくりと食べてフレンダは笑う。


「そりゃそうだけどよ。っつか滝壺はどうしてるんだ?」

「一応メールは毎日してます。気にはしてるみたいですけど」

「どうしちまったんだよ二人とも。確かに正反対の性格だけど、喧嘩してるとこなんて見たことねえぞ」


浜面は頭を抱えてテーブルに突っ伏す。


「何言ってるんです。あの二人ああ見えて超仲良いんですよ。
 こんなこと今まで無かったから私たちだって困ってるんじゃないですか」

「え、そうなのか?」


皆を引っ張っていってくれる頼れる麦野と、皆の背中を押してくれるような優しい滝壺。
一見真逆のように見えるが、言われてみれば確かに相性は良いのかも知れない。

398: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:10:41.95 ID:DaR6wgwo

「結局、浜面ってば二人のこと何にも知らない訳よね。
 何で滝壺は体を蝕むと分かってて体晶使ってると思ってるの?」

「なんでってそりゃ…あれ、何でだ?」


滝壺の能力は確かに強力だが、体晶という意図的に拒絶反応を起こさせ能力を暴走状態にする
薬を使わなくてはその実力を発揮できない。
しかし、体晶を使えば滝壺の体は確実に崩壊へと近づいていくのだ。
だから普段の『アイテム』の仕事でも、敵に強力な能力者がいたり、速やかに仕事を終わらせる必要が無い限りは滝壺に
それを使用することを禁じている。
必要とあらば麦野は容赦なく滝壺に使用を命じるが、彼女はそれを拒んだことはなかった。
死の危険にすら繋がる劇薬であるはずなのに、滝壺は何故命令どおりにそれを使うのだろう。
浜面はかねてより疑問だった。


「結局、浜面は何にも分かってないね。滝壺が麦野の信頼に応えたいと思っているからだよ」

「あぁ?意味わかんねえよ。自分が死ぬかもしれないのになんでそんな…」

「うん、だからさ。滝壺は麦野のためなら死ねる訳よ」


フレンダはあまりにもあっさりと、衝撃的な言葉を口にした。


「なんだって?」


浜面はその言葉を受け止めきれず、思わず聞き返した。

399: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:12:48.36 ID:DaR6wgwo

「『暴走能力の法則解析用誘爆実験』って知ってる?」

「一つの単語に4つ以上漢字を使わないでくれ」

「バカ。ま、要は置き去り(チャイルドエラー)とかを使って、暴走の条件を探る為の実験なんだけど」


分かり易く言ってくれているつもりなのだろうが、もちろん浜面にはちんぷんかんぷんである。
一つ一つ理解していこうと何度も頭の中で繰り返す。
フレンダはやれやれと首を振りつつもそのまま続けた。


「滝壺は現状でその実験体な訳よ」


またしても恐ろしい言葉が飛び出してきた。
滝壺が実験体?
浜面はようやく自分の中で理解できてきた用語が一瞬にして吹き飛んでいくのを感じた。


「超正確には体晶の実験ですね。滝壺さんはその実地での実験体として『アイテム』に回されてきたんです。
 現場での有用性をテストして、体晶を利用した暴走能力を超実用化するために」

「暴走能力って…滝壺はここでそんなことをさせられてたってのか!?」


あのぼんやりとした少女がわけのわからない実験の被験者だった。
浜面はその事実がグルグルと頭の中を駆け回っている。
憤りと、驚きが同時にこみ上げてきた。


「お前達もそんな実験に加担してるってのかよ!?」

400: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:15:18.54 ID:DaR6wgwo

「じゃあ滝壺を『アイテム』から追い出してそれで実験は終わる?
 結局、浜面ってばバカなんだよね。
 ここからいなくなった滝壺は晴れて処分されるか、他の組織に押し付けられて
 死ぬまで使い潰されるってオチが待ってる訳よ」


鋭い目つきでフレンダが浜面の脊髄反射的な反応を罵る。
確かにそうかもと浜面は唸った。


「最初は麦野も超ご立腹でしたよ。
 変な実験のモルモットの面倒を見ろと言われて、暴走して自分たちに牙を向くかもしれない
 得体の知れない能力者を置いておけるかバカー!って」


麦野なら言いそうだと浜面は彼女の顔を思い出す。


「けどそこは麦野。滝壺さんの能力の有用性と、危険性に気付くと
 その使用を極力セーブするように命じたんです」

「麦野ってRPGとかでコンピュータにガンガンいこうぜしか命令しなさそうなイメージあるけど、意外だな」

「ゲームしないから意味が分からない。ま結局、麦野は独占欲の強い女だからね。
 自分の組織の人間のことについて『上』から色々言われることに段々腹が立ってきた訳よ。
 実際滝壺が死ぬとこっちも商売あがったりってこともあるしさ」

「だから滝壺の能力を極力使わないようにして実験の進行を遅らせてやろうってことか?
 まあ麦野らしいけど、どうせなら絶対使わせないようにして欲しかったもんだな」

401: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:16:37.69 ID:DaR6wgwo

呆れたような浜面。
必要な時は容赦なくその使用を命じるのは麦野らしいと言えばらしいが、
滝壺の命が関わってくることなので笑えない。
だが浜面の言葉に、フレンダと絹旗は冷たい視線で答える。


「ん?な、なんだよその顔は…」

「浜面ってどこまで超浜面なんですか?」

「ここまで言わせてそんな言葉がまだ出てくるなんてね…」


はぁーという心底呆れ返ったため息をつく二人。
フレンダが説明しようとしてくれたのか、身を乗り出してこちらの顔を覗き込んだそのとき、
彼女の目の前に置いてあった携帯がブルブルと振動して着信音を鳴らした。


「おっと、電話だ。あれ、病院?麦野が部屋でも壊したか…?はい、もしもし?」


やれやれとフレンダは席を立ち、電話を耳に当てる。
それを横目に身ながら、絹旗が浜面の顔に指を突きつけた。


「いいですか浜面?何で滝壺さんに能力を使ってもらうのか…」


「それはね、はまづら。私のためなんだよ」

402: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:20:00.00 ID:DaR6wgwo

浜面の背後から、聞き覚えのある声がかけられた。
振り返ると、ピンクのジャージ姿の滝壺が立っている。


「滝壺か、どうしてここに…」


彼女は電話をしているフレンダを一瞥すると、席には座らず立ったまま浜面に告げる。


「って言うか滝壺のためって…あっ、そういうことか!」


浜面は気付いた。
何故緩やかに崩壊へ向うと知って滝壺の力を麦野が利用するのか。
滝壺がどうなろうと知ったことじゃない?
使える能力なのだから使う?
違う。
確かに麦野ならそれもあるだろう。
彼女自身でもそう思い込んでいるだろうし、尋ねられてもそう答えるだろう。
だけど、麦野には他に理由があったんだ。


「滝壺を『アイテム』の一員として認めるためか…」


滝壺が首肯した。
麦野は滝壺の能力が『アイテム』に必要なものであるという証として、彼女に能力を使わせる。
もし滝壺が一切能力を使用することを禁じられたら、単なるお荷物として『アイテム』に置かれる身となる。
そんなとき滝壺は、一体どれほど惨めな気持ちで日々を過ごすことになるのだろうか。
運動神経が発達しているわけでもなく、演算能力が高いわけでもない。
そんな人間が、実力が全ての暗部組織において何ができるのだろう。
結果を出せない滝壺を『上』が『アイテム』 から追い出すよう命じてくるかもしれない。
一向に進展しない実験体を、研究所側は回収し、さらに効力の強い薬を使わせるかもしれない。

403: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:22:31.59 ID:DaR6wgwo

「むぎのは私に居場所を作ってくれたんだよ…」


そうならないためにも、適度に結果を出す必要があった。
現に、滝壺の能力は麦野の『原子崩し』を効率良く行使するための恐るべき観測手となり、
もはや『アイテム』の核として機能している。
麦野はいつしか彼女の能力を信頼し、ここぞというときにはためらい無く使用を命じた。
実験動物として死んでいくはずだった滝壺を守るために、あえてその実験を続け、居場所を作った。
麦野はきっと否定するだろう。
きっと自分でも気付いていないに違いない。
だが紛れもなく彼女は滝壺のために行動を起こし、結果として滝壺は現状を維持することが出来ている。
滝壺にとって、麦野のために体晶を使う理由としてはそれで充分だったはずだ。


「どこまで回りくどいんだ。自分まで徹底的にだまくらかして。
 マジでひねくれた奴だな…。けど、それなら滝壺のために実験施設の一つ二つ壊してやればいいのに」

「駄目だよはまづら。実験は必ずまた別の研究機関に引き継がれる。
 そうなったら、私以外にも犠牲者が出るかもしれない」

「それに浜面、私たちはこれでも超暗部側の人間なんですよ?正義の味方じゃありません」


実験を止めることは学園都市暗部全てに本格的に喧嘩を売らなければ無理ということだ。
だが、今それをやろうとしている人間が敵にいる。
ここにきて初めて浜面は、麦野と御坂のことを素直に尊敬した。

404: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:24:15.35 ID:DaR6wgwo

(麦野…お前にだってやればできるんじゃないのか?)


ちらりとそんなことを思う浜面。
滝壺を救うために、麦野が立ち上がってくれればと他人任せの希望を持ってしまう。
悔しさから浜面は拳を強く握った。


(じゃあ俺に出来ることはないのか…?
 麦野、お前は滝壺のそんな状態を知って、疑問を持たなかったのか?)


浜面の問いに答える者はない。
歯噛みする浜面の元に、フレンダが慌てた様子で戻ってきた。


「ヤバイヤバイ!麦野が病院抜け出した!!」

「あいつは…」


それを聞いて浜面は頭を抱える。
ほんの数日の入院でもう抜け出すとは相変わらず大人しくしていられない奴だ。
しかし、呆れ半分の浜面とは裏腹に、滝壺の表情が浮かない。


「むぎの、さっき知らない男の人と車に乗っていくのを見たよ」

「なんだと?」


驚きの表情を浮かべて浜面。


「むぎの、すごく怖い顔をしてたから…たぶん」

「麦野の顔が超怖いのは今に始まったことじゃないですが」

405: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:25:58.20 ID:DaR6wgwo

クソッと浜面はテーブルに拳を叩きつける。
これは自分にだって分かる。
御坂の情報を集めていたこと、その目的が分かったこと。
それと照らし合わせればすぐに分かることだ。
きっと彼女は今日、御坂の居場所を突き止めたんだ。
だから当然麦野の向った場所はそこになる。
皆同じように思ったか、ため息をつく音が重なった。


「なんで言わない訳よ麦野」

「まあ相手がレベル5ですからね。超足手まといなのは事実ですが」


自分たちは戦いの役には立たないか。
浜面は悔しさより怒りのほうが勝っていることに気付く。
それは麦野に対してというよりは、麦野と共に戦いたいと思っているのに、
それを許されない自分自身に対してだった。


「はまづら、車を用意して」

「ですね。それしかないです」

「え?」


これからどうしようと思案し始めたとき、滝壺がポツリと言う。
全員意外そうな視線で彼女に視線を集める。


「今は『そのとき』だよ」


滝壺がポケットから白いピルケースを取り出した。

407: ◆S83tyvVumI 2010/04/28(水) 22:29:37.47 ID:DaR6wgwo

「滝壺お前…」


それが何を意味するかは分かっていた。
『能力追跡(AIMストーカー)』。
袂を別ったはずの麦野のために、滝壺はそれを使おうとしている。


「むぎの、すごく反省してるみたいだね。
 私がむぎのに何を気付いて欲しかったのか、伝わっているなら、許してあげよう。
 伝わってるって、信じよう」


謡うように滝壺は呟く。


「だから、むぎのの答えを聴きに行こう」


そして滝壺はわずかな微笑を滲ませる。
その様子に、フレンダと絹旗は顔を見合わせ頷く。


「何してんの浜面?下っ端はさっさと動く動く!」

「独断先行に報告義務まで怠って、これは麦野、超オシオキですね」


3人は浜面に伝票を押し付けてファミレスを出て行く。
浜面は彼女たちの背中を見ながらフッと息を吐いて笑った。
特別な理由なんて必要ない。
麦野が自分たちを戦力として当てにしていなくたって。
彼女が『アイテム』という小さなチームに彼女なりの信頼を置いていることを、
浜面は知っているから。


「しょうがねえな。あのバカを迎えに行くとするか!」


自分たちが『アイテム』に存在していることを証明するために。
学園都市の掃き溜めのような場所で、いつだって4人は闇の中を足掻いてここまで生き残ってきた。
だから滝壺達は、何度だって麦野を追いかけるんだ。



次回 フレンダ「麦野は今、恋をしているんだね」 後編