フレンダ「麦野は今、恋をしているんだね」 前編

436: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:35:12.88 ID:dWbbv3Io

―――――――


廃墟が並ぶ元スキルアウトのアジト。
麦野は膨大なAIM拡散力場のうねりを肌にビリビリと感じていた。
足を一歩前に突き出すだけでも額に汗が滲み、
どこから飛んでくるか分からない電撃への警戒を一瞬たりとも緩めるわけには行かなかった。


(なんだこの気配…。あいつにはもう見えてるっての?)


ギラつく視線で全身をねめつけられるようなおぞましい敵意。
土御門は拳銃を携え辺りを警戒しながら前を歩く。
そのときだった。
バチッ。
空気が震えるその音を、麦野は聴き逃さない。
およそ頭上20メートル。
廃墟の屋根から屋根に渡すように張られた鉄筋に磁石のように足の裏を張り付かせ。
真っ逆さまの状態で彼女はこちらを見ていた。
光を宿さない淀んだ瞳。体を覆う薄い『駆動鎧』。右手の黒い手甲。
そして突き出されている左手。
一条の稲妻が暗闇を白く照らして奔る。


「お出ましね!『超電磁砲』!」


最初に動いたのは結標だった。軍用懐中電灯を引き抜き、4人の頭上に光を走らせると、
巨大なコンクリートの塊が雷の進路を妨げるように現出する。
『座標移動(ムーブポイント)』。
物体との接触無しに最大4520kgの物体を800m以上に渡って移動させることが可能な、
『空間移動系能力』の最高峰。
彼女の隣に鎮座していた廃墟の壁の一部がまるごと盾となって建物間に橋を架ける。

引用元: ・フレンダ「麦野は今、恋をしているんだね」 



とある魔術の禁書目録外伝 とある科学の超電磁砲(15) (電撃コミックス)
冬川 基
KADOKAWA (2019-10-10)
売り上げランキング: 3,031
438: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:36:43.20 ID:dWbbv3Io

「お化け屋敷にいる気分だわ!」

「もう気付かれていたようですね」


頬に汗を一筋流し、海原が呟く。
電撃が轟音と共にそのコンクリートを打ち抜く前に、4人は散開して敵の姿を捕捉する。
逆さまに張り付いていたはずの御坂はどこかへと消えていた。


「建物の中だ!奴には見えてる!止まるな死ぬぞ!」


土御門の言葉通り、次の瞬間コンクリートの壁をぶち破って3枚のコインが音速の3倍で射出される。
麦野はその方向に向けて右手を突き出し、青白い電子線を放った。
豆腐をハンマーで叩くような容易さで壁は砕け散るが、御坂を仕留めるには至らない。
ジャングルジムのような廃墟街を縦横無尽に駆け回り、あらゆる角度から的確に放たれるコイン。
その方向に向けて結標も電柱や鉄筋を飛ばしているようだが、御坂からの攻撃が止むことはない。


(とにかく視界が悪すぎる…まずは建物をどうにかしないと!)


麦野は莫大な威力を持つ電子線で堅牢な壁をなぎ払う。


「お前ら滅茶苦茶してくれるな」

「なに?問題ある?」

「いいや、頼りにしてるぜ」

439: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:37:43.58 ID:dWbbv3Io

降り注ぐ粉塵の中に微かに御坂の姿が見えてきた。
しかし、この廃墟街は広大だ。
彼女はコインで建物をぶち抜きながらその奥へ奥へと駆けていく。
そのときだった。
今度は御坂が逃げていくのとは逆方向。
そちらにあったはずの建物が、ガラガラという轟音と共に崩れ去っていく。
4人が入ってきた路地の方からカツンカツンという足音が聞こえてきた。
御坂に仲間がいたのか?



「レェェェェェェエエエエルガァァァァァァアアアアアアアアアンッ…!」



違う。この声は。
焼け爛れ、黒く焦げ付いた皮膚を張り付かせながらも整った顔立ちに浮かぶ憤怒と憎悪。
煤けた明るい色の髪を靡かせて、体中から医療器具のチューブを突き出した男は吼える。
肉食獣のような瞳をギラつかせ、行く手に立ちはだかるもの全てを粉砕するように。
その男の背中には、3対の巨大な翼が白く輝いていた。

440: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:39:37.35 ID:dWbbv3Io

「垣根……帝督…」


麦野が呟く。
『未元物質』。垣根帝督。
御坂美琴の10億ボルトの電撃を食らい、死んだはずの男。
背中に天使の翼を携えて、レベル5の悪魔は瓦礫を背に降り立った。


「ちっ!第二位が何でこんなところにいるのよ!」

「まるでレベル5のデパートだな」


土御門は軽口を叩いて突如現れた垣根に向けて引き金を引き絞る。
だがその弾丸は垣根に届くことなく彼の前方1メートルのところで彗星のように燃え尽きた。


「…何してやがる?俺の『未元物質』に常識は通用しねえ。
 そこをどけ三下共がァッ!」


20メートルもの翼を振り回し、建造物をおもちゃのようになぎ払う。
その瓦礫をかわしながら、海原が黒曜石のナイフを垣根に向けた。
『トラウィスカルパンテクウトリの槍』。
金星の光を不可視の光線として放ち、直撃したものを『分解』する一撃必殺の魔術だ。


「そういうわけにはいきませんね。あなたは御坂さんを殺そうとしていますね?」


上空から収束された一条の光が垣根に向けて迸る。
だが垣根の白い翼はその光を受け止め、速度を殺さず海原に襲い掛かった。

441: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:41:14.95 ID:dWbbv3Io

「さすがは第二位だ。そう簡単に当てさせてはもらえませんね」


その翼が海原の首を切り離そうと疾走した瞬間、彼の体は音も無く消え失せた。


「嫌になるわよねほんと!」

「すみません、結標さん」


結標が海原を能力で自らの側まで引き寄せ、攻撃をかわす。


「ウザってぇゴキブリ共だ。テメェら邪魔する気か?いいぜ、ムカついた。
 クソと一緒に埋めてやる」


ゴバッ、という音と共に翼が展開され、それそのものが生きているかのように暴れだす。


「麦野!『超電磁砲』を追え!」


土御門が叫ぶ。


「とにかく目的を果たせば退却できる。ここは引き受けてやるから急げ!」

「そ、分かったわ。がんばって」


442: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:41:50.96 ID:dWbbv3Io

麦野は即答で頷いた。
彼らがこんな面倒な相手を引き受けてくれるというなら拒む手はない。


「ちょっとは躊躇いなさいよね!」


呆れたように結標が言う。


「冗談。アンタらは私のためにせいぜい時間稼ぎでもしてろよ」


と麦野は路地の奥深くへと駆け出した。


「むかつく女!」


背後から届けられる破壊の音。
彼らの安否に興味はない。
御坂との戦いを終えるだけの時間を稼いでくれるなら、それで麦野には充分だった。

443: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:43:08.14 ID:dWbbv3Io

―――――――


しばらく走ると、奥に広い空間があった。
噴水のようなものの跡地が残っていることから、どうやらここは広場だったらしい。
周りを取り囲むのは相変わらず人気の無い建造物。
学園都市の都市開発はもう少し落ち着いてやるべきだと麦野は思った。


「しつこいわね、そんなに死にたいの?」


その広場のド真ん中に、御坂は立っている。
バチバチと体中から電流を迸らせ、麦野と対峙する彼女は挑発するように言葉を投げつけてきた。


「こっちの台詞だバカ中学生。こんなとこに隠れ家作っちゃうなんて、あたしだけの秘密基地ってか?
 今時こんなこと小学生だってやらねえぞォ?」


麦野もそれに呼応するように彼女を嘲り笑う。


「ここなら誰も来ないからね。今はスキルアウトだって近づかない場所だから。
 ウザったい『警備員(アンチスキル)』とかにも気付かれないの」

「アンタ、もう戻れないけど覚悟できてんでしょね?暗部に堕ちた人間は、二度と表舞台に這い上がれないわよ?」

「ええ、そうね。だから私は最後まで戦うしかないのよ。
 アンタ達暗部なんて訳の分からないもんが、この街から消えてなくなるまで」

「そんなこと本当にできると思ってんのかよ?」


444: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:44:14.65 ID:dWbbv3Io

麦野は顔を歪めて御坂に問いかける。
学園都市暗部は強大だ。麦野でさえ見えない闇の底に、こんな中学生一人が立ち向かって、一体どうなると言うのか。
吐き捨てるような言葉に、御坂は迷わず答える。


「思ってるわ」


何一つとして疑わない。そんな表情だった。
彼女は心の底から信じている。かつての眩しい輝きを失って、闇に染まっていたとしても。
御坂美琴は、己の行動を一切疑わない。
彼女は本当に信じているのだ。この学園都市の裏側に戦いを挑んで、最後まで勝ち残ることを。
御坂の視線に、麦野は奥歯を噛んで言葉を返す。


「悪いけどさせるわけにはいかねえんだよ。こっちにも色々都合があるもんでさ」

「じゃあ止めてみれば?」


淡々と御坂は言い放つ。
それは自信の表れか、それとも後には引かぬ覚悟だったのか。
堅く引き結ばれた口元で、澱み無く、彼女は言った。


「アンタに、一万人の脳を統べるこの私を止められるかしら?」

445: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:45:34.80 ID:dWbbv3Io

叩きつけるような声。そして左手を麦野に向けて突き出し、コインを射出する。
音速の3倍の砲弾が麦野へ向けて放たれる。
だが麦野は『原子崩し』の噴出でそれをかわし反撃に転じる。
御坂に向けて放たれた青白い閃光は彼女の右手によって打ち消された。


「ムカツクおもちゃだこと」


奥歯を噛む麦野。
その瞬間。


「アンタも、あの時はよくもやってくれたわね」

「ガ…ぁッ…!」


ポツリと御坂が呟いた瞬間、彼女の膝が麦野の肉の薄い腹へとねじ込まれた。
磁力を宿した体が建物の鉄筋に引き寄せられるように加速したのだ。
見えていても避けられなかった。
麦野は腹を押さえてうずくまる。
追い討ちをかけるように御坂の手には剣が握られていた。
砂鉄を収束し、振動させることによってあらゆるものを切断する電動鋸。
それは麦野の首に向って容赦なく振り下ろされる。


「げほっ…!さ…せるかッ!」

446: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:46:45.99 ID:dWbbv3Io

右手から放射される『原子崩し』が麦野の体を反動で弾き飛ばす。
しかし御坂は脳内を走る自らの電気信号を操れる。
あまりにも不自然な動きでこちらに向き直りながら麦野に飛び掛ってきた。
左手を突き出してコインを放つ。
慌てて遮蔽物の陰に飛び込む麦野。
攻撃をかわしてチラリと敵の姿を覗きこむが、そこには御坂の姿はなかった。


(どこへ…?…しまった!)


麦野は慌てて瓦礫の陰から飛び出す。
すると、1秒前に麦野がいた地点に巨大な鉄筋が轟音と共に突き刺さった。
麦野は走る。
彼女の後を突いて回るように、鉄筋が天から降り注ぎ、コンクリートの大地に突きたてられていく。


「こんなもんまで磁力で操れんのか!便利な能力をお持ちで羨ましいことですわねお姉様!」


麦野は姿の見えない御坂を探しながら、鉄筋を電子線で融解させていく。
ふと、目の前の建物の三階で、キラリと何かが光った。


「クソッ!あんなとこにいやがったか!」


そちらの方へ向けて電子線を放つ。同時に超音速のコインが麦野の背後の建物の壁を粉々に吹き飛ばした。
砂埃に視界を隠されながら、麦野は御坂の姿を探す。
巻き上げられたコンクリートの細かい破片が視界を悪くしているため、うまく視認できない。

447: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:48:34.77 ID:dWbbv3Io

「出て来い 女がァ!」


言われて出てくるようではそもそもこんな苦労はしないわけだが。
絶えず降り注ぐ裂空の弾丸。
どこから見られているか分からない麦野は建物の内部に飛び込む。


「どこ行きやがったァ!出てこいコラァッ!」


声を張り上げる麦野。
すると、窓の外から建物内に次々と鉄筋が差し込まれていく。
壁が。窓が。床が微塵に砕け散る。
さらに、今度は上階から超電磁砲を撃ち込まれ、麦野は『原子崩し』の放射によって咄嗟にかわした。


(おかしい…。今の明らかに真上の階から撃ってきたし、こんなポンポンコインぶち込めるもんなの?)


肩で息をしながら、あちこちにできた擦り傷を拭う。
またしても立ち止まった瞬間にコインが上階からほぼ垂直に撃ち込まれた。
飛ぶようにそれをかわして、麦野は天井に向けて電子線を奔らせる。


(加えてこの索敵範囲。遮蔽物やらデカい建物やらで入り組んだこの廃墟街で、あまりにも的確に私の位置を掴みすぎてる…!)


まるで滝壺の能力のように。
麦野はぜぇぜぇと息を荒くし、体力をジリジリと削られていることを実感する。


(こいつ…何かドーピングしてる…!?)

448: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:51:30.15 ID:dWbbv3Io

「気付いた?」

「!」


天井から、御坂が眼前に降り立つ。
同時に彼女は砂鉄の剣を麦野の首めがけて振り抜いた。


「出やがったなジャンキーがァっ!」


右手を突き出して放っていたいたのでは間に合わない。
麦野は御坂と自らの間に電子線の壁を構築する。
御坂に向けて放射されることはないが、それに触れた砂鉄の剣が一瞬にして消滅した。
さらに麦野は電子線で構成される数個の白い球体を生み出し、複数の角度から細い電子線を御坂めがけて放出する。
しかし。
ゴキゴキ。バキバキ。
そんな音が聞こえてきそうな、歪な光景。
その細い電子線の合間を縫うように、御坂の体は脱臼し、元に戻るを繰り返す。
あまりにも不気味な動きで全ての電子線をかわしきった御坂は、もう一度砂鉄の剣で麦野を袈裟懸けに切りつける。
反射的に背後に飛ぶが、麦野は前髪と額の薄皮を斬られた。


「惜しいわ。薬じゃない。私は体から常に微弱な電磁波が出てるの。その反射波で相手の位置を察知できるってわけ。
 それがちょっとばかし範囲が広がっただけよ」


ジワリと滲み流れる血が包帯に染み込むのを感じながら、驚愕の視線を御坂に向けた。


「その気持ち悪ぃ動きもドーピングの効果ってわけかよ?」

449: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:52:54.34 ID:dWbbv3Io

「そうよ。ドーピングじゃなくて、演算能力を補強してるだけだけど。
 脳の電気信号を操れるようになったから、それで自分の体を動かしてるの。
 筋肉の収縮、弛緩を利用して骨を外してるってこと。
 脳内麻薬の分泌も操作できるから、痛みも無いし。
 頭の中にゴリゴリッて音が聞こえてくるのは、ちょっと気分悪いけどね。
 あー、アンタの痛覚とか操れたらいいのに。そしたら、いっぱいいっぱい苦しめてあげられるのに」


狂っている。
麦野も戦闘中の自分はそうとうハイになっていると自覚しているが、そういうレベルではない。
頬を流れていく赤い血混じりの汗が麦野の同様を如実に示していた。


「イカれてるわね、アンタ」

「暗部なんかで人殺すのが趣味みたいなアンタなんかに言われたくないわよ」

「人を変 扱いできる立場か」

「アンタ達を殺すのは好きでやってることじゃないわ。仕方なくやってるのよ。
 そこで呼吸してるアンタ達が悪いんじゃない!?
 生まれてきてごめんなさいって言えたら、自殺する許可をあげるわ」


御坂は大きく一歩を踏み込み真一文字に切り裂く。
さらにすぐさま砂鉄の剣を消滅させてその左手をバキバキとこちらに向ける。
親指以外の骨が滅茶苦茶に歪んだ左腕の手首からコインが零れ、雷を宿す。
麦野との間に一直線に稲妻のレールが敷かれた。
麦野は横に転がり、広場に出ながら御坂に向けて電子線を放つも、真正面からの攻撃ではその右手以前に
彼女自身の電子操作で弾かれ、上手く当たらない。


「はいお疲れさまっ!」

450: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:55:17.55 ID:dWbbv3Io

さらに今度は一発のコインが麦野の足元をめくりあげる。
直撃はまぬがれたが、爆風と共に麦野の軽い体がかなりの長さの滞空時間で宙を舞う。


「はぐっ…!」


バランスを崩して吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる麦野。
すかさず飛んでくる御坂の蹴りが麦野の胸に突き刺さり、起き上がろうとしていた体を再び大地に横たえた。


「弱すぎね。アンタ私のこと見下してたみたいだけど、やっぱ第四位で合ってるわよ。
 だってこんなとこで、このザマなんだもんね」


体中の傷が開き、服の下にぬるりとした血の感触を感じる。
倒れたときに麦野のポケットから携帯電話が零れ落ちた。
地面に叩きつけられた、裏蓋が外れて中の電池パックが露になる。
その電池パックに張られた二枚のプリクラが麦野の視界に入った。
照れくさそうに笑う自分と浜面。
笑顔を浮かべる『アイテム』の4人と浜面。
それがやけに鮮明に頭の中に入ってくる。
それを御坂は、渾身の力で踏みにじった。


「何コレ?暗部のクズでもプリクラなんか撮るのね。
 最近のプリクラてほんとすごい修正入って目とかもめちゃくちゃ大きく撮れるよね。
 でもさ、アンタみたいに全身から真っ黒いオーラ出てる外道はその汚いのまでは隠しきれないから」


御坂は何度も何度もそれを踵で蹂躙する。
麦野を心底見下した目で、いい気味だと嘲る瞳で。

451: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:56:40.32 ID:dWbbv3Io

「あーあー、腹立つ笑顔なんか浮かべちゃって。似合わないのよね。
 こっちは彼氏?こいつは暗部なの?この女共はこの前見たから、やっぱこっちも暗部か。
 まあどっちにしても殺すけどさ。私生活は仲良しグループで?夜は皆で殺しのピクニック?
 充実してて結構なことだわ。ムカつくわねー。ほんと早く死ねばいいのに」


ブツブツと狂ったように携帯を踏み砕いてゆく御坂の足を、麦野は無意識のうちに掴んでいた。


「それは…駄目」

「はぁ?」

「それだけは…許して…お願い」


力無い声で懇願するように御坂を見上げる。
だが御坂は、口を引き裂き嗤う。
携帯電話に向けて、御坂の靴底から稲妻が一筋迸った。


「ごっめーん。電気が漏れちゃったみただわ。
 こんなんなっちゃったけど、許してくれるよね?同じレベル5だもんね?」


無残にも粉々に砕け散った携帯電話の破片と、焦げ付き煤けた電池パックが麦野の眼前に蹴飛ばされる。 
麦野はよろよろと震える手でそれを掴んだ。
心底可笑しそうに笑っていた御坂の顔が、再び表情を消す。


「惨めでしょ?暗部なんてもんにいるからそういう目に会うんじゃない?
 たっぷり後悔してよね。特にアンタみたいのにはとびっきりの屈辱を味合わせてから殺さないと、
 私、ほんと…憎くて変身とかしちゃいそうよ」

454: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 01:58:25.11 ID:dWbbv3Io

麦野の頭上に砂鉄の剣が突きつけられた。
体がうまく動かない。足を挫いたらしく、素早く起き上がることもできない。
麦野は前回と同じようにまたも敵の前に倒れ伏すことを忌々しく思いながら、
御坂の瞳を覗き込むように見上げる。


「けほっ…!アンタ…『風紀委員(ジャッジメント)』の後輩が探してたわよ…」


御坂はピクリと反応を見せた。


「アンタ、黒子に会ったの?」

「ええ、会ったわよ…他にも何人か。
 憧れのお姉様が、こんなとこで、このザマとも、知らずにね」


その言葉に、御坂の目が鋭く細められ、靴底で麦野の頭を勢いよく踏みつける。


「ぐぅ…ッ!」


腕を振り上げて、御坂は宣告した。

455: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:00:34.08 ID:dWbbv3Io

「根っから暗部に浸かってるような奴に言われる筋合いは無いわ。
 もういいや、死んで、目障りだから。すぐに仲間も送り届けてあげるから心配しなくていいわよ。
 どうせアンタ達みたいな下衆には、死んで哀しむ人なんていないでしょ」


その言葉に、麦野は大きく左目を見開いた。
振動する砂鉄の剣が振り下ろされる。
しかしそれは麦野の首を切り落とすことはない。
伏した麦野の右手から閃光が迸り、御坂の足元をめくり上げたからだ。
吹き飛ばされる御坂。
麦野は壁に手を着いてヨロヨロと立ち上がった。
黒焦げの電池パックを握り締め、ギュッと胸に抱えて。


「そうね…その通りよ『超電磁砲』…。
 こんなクソッタレのクズに、死んで哀しむ奴なんていない…。
 でもね、私だって…好きでこんなことしてんじゃないわよ…」


搾り出すような言葉だった。
起き上がった御坂はバチバチと音を鳴らしながら麦野を睨みつける。
壁に体重を預け、痛む右目を抑えながら、麦野は遠い日の記憶を思い返していた。


「中学のとき、ムカつくクラスメイトを学校ごと全員ブチ殺してなきゃあ…私だって暇な学生やってこれたはずなんだよ…」

456: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:01:51.81 ID:dWbbv3Io

愚痴るような物言い。
救いを求めるように、電池パックを握り締めた。


「同情を引こうってのなら時間の無駄だから止めてくれる?
 アンタのそういう身の上話は悪寒が走るくらい気持ち悪い。
 アンタ達にそういう風に同じ人間だって思われるのが最悪に不快なのよね」


御坂は平坦な声で応じる。


「そんなんじゃないわよ…私はね、今アンタを少し尊敬したの」

「は?アンタ詰られて悦ぶド変 なの?
 ここまでされてそんなこと言えるなんて、やっぱ暗部の奴は頭おかしいわね」

「アンタは大事な人のためにこんなとこまで堕ちてきたんでしょ…?」

「……」


その問いかけに、御坂は答えない。
だが、その無言を肯定と受け取った麦野は言葉を続ける。


「何も知らずにのうのうと生きていけばよかったのに…暗部なんてもんと関わらずに、
 そいつの側で手を握りながら目を醒ますのを待つ健気な女の子でいればよかったのに…!」


麦野は奥歯を噛む。
御坂も同じ仕草をした。

457: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:03:23.88 ID:dWbbv3Io

「アンタに何が分かるのよッ…!」

「分かんねえよ…。いいや、分かんなかった…」


今の自分たちはよく似ている。麦野はそう思っていた。
同じレベル5で、同質の能力で、暗部に堕ちた。目的のために敵を殺すことを厭わない。
しかし二人の間には、決定的な差がある。
麦野には暗部に居る理由が無いのだ。
孤独な少女は、その抑圧された感情を暴走させて、取り返しのつかない事態を招いた。
その日から、麦野にはこの道だけしか残されていなかった。
いつしか組織での活動そのものが目的となった自分には、御坂のような強い行動原理を持たない。
そう思い込んでいた。
だからこそ麦野は、そんな自分に憤る。


「でも本当は、初めからわかってたんだよ…。
 私が何でこんなとこで、こんなことをしてるのか…そんなこと、もう分かってんのよ…」

「ほんと…言っている意味が分からないわね…」


守りたいものなんてない。助けたい人なんていない。だから組織にいる理由なんてない。
本当にそうなのか?
いや、そんなの嘘だ。
ずっと目を逸らしてきた。そんな簡単なこと、きっと初めから分かっていたんだ。
気付かないフリをして、逃げていただけ。
本当はずっと、自分の心の中にあった畏れは何一つ変わってなんかいなかった。
私の出した答えが、あいつらに受け入れられないんじゃないかって。


 ―――私は怖かったんだ


458: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:05:01.36 ID:dWbbv3Io

「だから、今日アンタの後輩に会って…そして今…
 …この闇の中を迷いも恐れも無く真っ直ぐに堕ちて行くアンタの姿を見て、私も腹括ることにしたんだ」


片方の目で、麦野は真っ直ぐに御坂を捉えた。
御坂の眉間に皴が深く刻まれた。
開いた傷の痛みが体を駆け巡る。
だけど麦野はもう目を逸らさない。


「私は、あいつらを失うわけにはいかない…」


囁くような声。崖の淵に立つような声。
認めるのが怖い。
信じるのが怖い。
麦野沈利は孤独な少女だったから。
他人に好意を向けられることなど無いと思っていたから。

―――私なんかを好きになってくれる人なんていないって、そう思っていたから。

自分に向けられた好意を最後まで信じられなかった。
だから浜面を、滝壺を傷つけた。
だけど、


「あいつらが死んだら、私は哀しい。私が死んだら、あいつらはどう思うかな?」


だから、


「『超電磁砲』。アンタと同じよ。
 私も、私の大事なもんを、テメェに奪われるわけにはいかねえんだよ―――!!」

459: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:07:53.99 ID:dWbbv3Io

後悔や怒りじゃない。同情を引くためでも、時間を稼ぐためでもない。
その独白は、麦野が自分自身の心と真っ直ぐに向き合う覚悟を決めることを意味していた。
心が高ぶる。怖れは今捨てた。
麦野は認めたのだ、自らの胸の中でずっと隠してきた想いを。


「そう…でも、私だってね…ここまで来たらもう止まるわけにはいかないのよ!」


御坂は疾駆する。麦野の真っ直ぐな視線を振り払うように。
電撃も、コインも放たない。
ただ己の手で彼女を断罪するために、砂鉄の剣を携えてよろめく麦野に向けて振り下ろした。


「あのときの決着をつけようじゃないの。
 誰かが言ったわ。私たちはレベル5。
 出会ってしまった以上…どっちかが死ぬしかねえんだとよ!」


右手を伸ばす。
間に合わない。悔いはなかった。だがせめて相打ちを望む。


「上ッ等じゃないのッ!初めて意見が合ったわね!そういうノリは嫌いじゃないわよ!」


足が痛い。体が痛い。右目が痛い。
だけどもう、心は痛くない。
かつてないほど穏やかな表情で、『原子崩し』は点火する。
腕が引きちぎれようとも。脚がへし折れようとも。体が砕けようとも。頭が吹き飛ぼうとも。
もう何も成さずに死ぬわけにはいかない。
全力の『原子崩し』を。自らの体ごと、広大な範囲を地図上から消し去る荷電粒子の暴風雨を。
麦野沈利の、成層圏の遥か彼方に在るプライドが、敗北の二文字を許さない。
彼女達を守るために、その敵を、ここで始末する。


「麦野。私たちだって、あなたを奪われるわけには超いきませんよ」

461: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:09:51.35 ID:dWbbv3Io

声が聴こえた。
麦野が寄りかかる建造物の壁を突き破って華奢な腕が生えてくる。
襟首を掴まれ、その壁を砕きながら麦野は建物の中へと吸い込まれる。
鼻先数センチのところを砂鉄が掠めていくのを見ながら。
御坂の目が驚きに見開かれるのを眺めながら。
麦野はバランスを崩して誰かの腕に抱きとめられた。


「麦野、今度は間に合ったな」


鼓動が跳ねる。
世界で一番聞きたかった声。
砕かれた壁の中。
彼らは居た。居てくれた。
そこにいたのは、麦野が思い描いていた仲間の姿だった。
笑顔を浮かべる浜面が、高らかにそう告げた。


「あなた達…どうして…」

「麦野、私たちを誘ってくれないなんて、超ひどいです」


麦野の襟首を掴んでいる絹旗。
呆れたような顔でその手を離し、ため息をつく。
よろめき、そのまま浜面に体重を預ける形となる。


「まあ来るなって言われたって、私らは来る訳よ」


フレンダが笑顔でそう言うと、麦野をかばうように立ち、絹旗と共に御坂の前に立ちはだかる。


「むぎの。むぎのの気持ち、確かに聴いたよ」


滝壺もまた、微笑を滲ませて麦野の手を取る。
麦野は浜面の腕の中から立ち上がり、その瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

462: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:11:43.54 ID:dWbbv3Io

「滝壺…アンタ体晶を…」


眠そうにとろけた目蓋も、黒い瞳孔もはっきりと開き、覚醒状態にある滝壺が頷く。


「むぎのが待ってるから。むぎのが死んじゃったら、悲しいから…」


滝壺の言葉に、麦野は頬を紅く染め、照れたように上目遣いで彼女を睨む。


「私に断り無く…勝手に使ってんじゃないわよ」

「ごめんね。こうするしかなかったから」


苦笑する滝壺。しばらく頬を膨らませていた麦野も、やがて綻ぶように微笑んだ。


「ありがとね。来てくれて」


状況はこちらに味方をした。
あるいは、御坂のためにこの舞台が用意されたのか。
御坂を見据える。『アイテム』が、敵を捕捉する。
麦野沈利はもう迷わない。躊躇わない。
彼女はもう認めてしまったから。
『アイテム』という小組織 が、麦野の中でどうしようもないほど大きな存在になっていることを。
ずっと心の中で認識することを避けてきた事実を。


「おイタが過ぎたわね、クソガキ」

463: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:12:54.27 ID:dWbbv3Io

ここが私の居場所。
学園都市の闇の中。クソの掃き溜め。
そんな暗がりだから、彼女たちに出会えた。
二度と表舞台へ戻れない。それがどうした。
暴力では何も解決しない。それがどうした。
自分の欲しかったものは、ずっとここにあったんだ。


「オシオキの時間よ」

「急に強気なっちゃって。さっきまでのアンタと今のアンタ…何が変わったって言うの?」


御坂美琴にとって、上条当麻がそうであったように。
麦野沈利にとって、『アイテム』 がそうであるように。

―――私は、彼女達を守りたかったんだ。


「変わったよ。これで私は、もう絶対に勝たなくちゃいけなくなっちまったんだ」


麦野は何もかもを振り切ったように、淀み無く告げる。


「見せてあげましょう。『アイテム(わたしたち)』のやり方を」

464: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:14:21.56 ID:dWbbv3Io

そう高らかに宣言すると、御坂に向けて電子線を解き放つ。
青白い荷電粒子は加速する。
進路上にある全てを粉砕し、コンクリートの大地を噛み千切り。
己が『原子崩し』であることを誇示するように、吼え猛る。
それが、試合開始のゴングだった。


「仲間が来てテンション上がっちゃうのは分かるけど、無駄よ!
 それで勝ったつもりだなんて思い上がりもいいとこだわ」


御坂は右手で電子線を打ち消しコインを放出する。
だが麦野の微笑みは消えない。眩い閃光に隠れるように、絹旗が『窒素装甲』の拳で殴りかかる。
そして麦野も宙を翔ける。『原子崩し』による爆発的な加速。
尾を引く青い粒子は翼のように麦野を追いかける。
絹旗の拳を受けてなお体中に電気を流して体勢を立て直し、御坂は再びコインを放とうと左手を突き出すが、
もはや間に合わない。
この電子の翼の前には一呼吸ばかり遅すぎる。
麦野の飛び蹴りを胸に受けた御坂の体は、実に50メートル以上も吹き飛んで遥か前方の壁を粉砕し、
建物へ吸い込まれていくまで止まらなかった。


「滝壺」

「うん」

465: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:15:30.34 ID:dWbbv3Io

麦野と滝壺の会話は、それで充分だった。
散開する絹旗、フレンダ、浜面の3人。
御坂は先ほどのように建物内から超電磁砲を射出するが、先ほどまでとは状況がまるで異なることを
彼女はまだ理解できていない。
御坂だけに見えていることがアドバンテージだった。
だが、その前提条件はもはや意味を持たない。
彼女が相対するのは『アイテム』が誇る最強の観測手。
太陽系を駆け抜けて、その彼方までも永劫追い続ける悪魔の追跡者。
滝壺理后に死角は無い。


「むぎの、2時の方向、2階。3、2、1」


滝壺のカウントダウンと共に、言われた場所へ電子線を叩き込む。
崩れ落ちた壁の向こうに御坂がいた。
滝壺はさらに懐から無線機を取り出し指示を飛ばす。


「フレンダ、敵は2階を正面から東へ移動中。その辺りにトラップを仕掛けたよね?」

『オーケー!すぐにそっちに届けてやるからね』


騒がしいフレンダの声がした直後、御坂が疾走しているらしき場所で爆風が巻き起こる。
飛び散る瓦礫に目もくれず、滝壺は次の指示を飛ばすために無線機を構えた。
もうコインがこちらに飛んでくることはない。
御坂は開始5分も経たないうちに追い詰められていた。

466: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:17:45.97 ID:dWbbv3Io

「はまづら、そっちに言ったよ。足を撃って。5、4、3、2、1」


乾いた音が廃墟に木霊する。


『うぉ!すげぇ!敵の足をブチ抜いた!元の道に転がりこんだけど、どうする!?追うか?!』

「だめ、攻撃されないように走り回って。むぎの。同じく2階5時の方向。3、2、1」


放たれる青白い閃光。消滅した壁の向こうに足を引き摺る御坂の姿があった。
滝壺の『能力追跡』の前では彼女の動きなど手に取るように見えていた。
おまけにこの廃墟は浜面もかつて利用していたことのあるスキルアウトのアジト。
彼がフレンダを伴い、退路を封じて逃げ道を減らすためにあらかじめ各所に爆弾を仕掛けておいたのだ。
もはや地の利すら失った御坂美琴は、逃げ場も無くただ追い詰められる兎でしかなかった。


「きぬはた、その子をこっちに」

『超了解です。お届けものですよ』


滝壺の無線の後、御坂の足を掴んだ絹旗が壁の穴から彼女をこちらに投げ飛ばす。
2階の高さから50mをゆうに超える距離を吹っ飛ばされ、地面を転がりながら麦野の前に
引きずり出された御坂はボロボロだった。
思った通りだった。彼女の右手の能力は、ただの銃弾や爆風を防ぐ効果はない。
もちろん銃や爆弾単体では彼女の相手にもならないだろう。
しかし、麦野の『原子崩し』による圧倒的なプレッシャーと、滝壺の追跡能力で
彼女は成す術も無くその攻撃に体を晒すしかなかった。
足を浜面の銃弾で撃ち抜かれて血を流し、体中が爆風と瓦礫を浴びて煤けている。

467: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:18:56.26 ID:dWbbv3Io

「く…そ…!」


膝を付き、御坂は左手を麦野に向けて突き出しうめき声を上げた。
唇をかみ締め、眉間にしわを寄せて睨みつけてくる。


「少しは分かってもらえた?私たちのやり方」


麦野も御坂に向けて右手を突き出す。
彼女を殺す気はなかった。だが、御坂がそのコインを背後の滝壺に向けるのなら、容赦はしない。
麦野も御坂を鋭く睨む。


「何で…アンタたちみたいのに…!」


悔しげに叫ぶ。そのまま攻撃をすれば、眼前の麦野と相打ちくらいには出来たかもしれない。
だが、自分の勝利がもはや無いと悟ったのだろう。
勝てなくなっていい。だが、負ければもう復讐を続けられない。
御坂から戦意が薄れていくのを感じた。
そんな敵の様子を見て、かつての麦野なら、きっと高笑いを上げながら喜び勇んで全身を蜂の巣にしただろう。
だが、


「アンタ、もうこんなことやめなよ」

468: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:20:24.68 ID:dWbbv3Io

ポツリと麦野は言う。後ろでは滝壺の息を呑む音が聞こえた。
麦野が敵にこんな風な言葉を投げかけることなんて今までなかったから。
逆らう奴は当然の如く処刑。命乞いも逃走も一切許さない悪の女王が、
己の右目を奪った女子中学生を見逃そうとしている。
しかしそれに反して御坂の顔が怒りに歪んだ。


「なんですって…?なめてんのあんた?」

「こんなことしたって、アンタの大切な人は喜ばない。
 なんて分かりやすい理屈が欲しいならそれでもいいけど」


麦野は哀れむように御坂を見下ろす。
彼女の純粋さ、度胸、大胆な行動力、それを実現するだけの実力。
麦野にとってもそれは賞賛に値するものだと本心で思っている。
だが、御坂は決定的なことを見落としている。


「アンタ周り見えてなさすぎね。暗部組織を全て壊滅したとして、アンタはその人のところに戻れるの?」


確かに御坂は学園都市暗部を全て潰せるのだと心の底から信じている。
だが、それが彼女の望む結果に繋がるかと言われれば話は別だ。
復讐を目的とすることは別に御坂の勝手だろう。
しかし、復讐を達成したからと言って、彼女の想い人が蘇るわけではない。

469: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:22:40.06 ID:dWbbv3Io

「…ッ!」

「全てを終えた後、胸を張ってそいつのところに報告に行けるのかって訊いてんだよ。
 私、頑張って復讐して一杯一杯ブチ殺したよ?目が覚めてよかったね?ってかぁ?
 何言ってるか分かる?アンタの行動の先に、アンタの望む結果は無いってことよ。
 アンタのしてることって、結局無駄なの。独りよがり。●●●●ってやつだ」

「分かってるわよ!」

「分かってねえよ!」


喉を引き裂くように叫ぶ御坂に麦野は吐き捨てるように叫び返した。


「テメェみたいなクソすっ呆けた中坊が、この街の闇に首突っ込んでくんじゃねぇっつってんだよ!」


それは願うように放たれた言葉だった。


「この街全部に喧嘩売ってまで報いたいと思えるような奴が、
 中学生のガキに自分のためにクソ溜めに落ちていかれて喜ぶような人間なのかよ!?
 だったらソイツは正真正銘のクソ野朗だ!私なんか比較にならねえくらいのクズだ!
 復讐なんてやめてそいつとはスッパリ縁切っちまえよ!」

「当麻はそんな奴じゃないッ!!」


麦野の暴言に御坂は眉間に深く皴を刻んで言葉を返す。


「当麻は私を助けようとしてくれたのよ!『妹達』を助けるために、『一方通行』に挑んで、
 あいつの実験を止めてくれたの!あんたみたいな奴らと一緒にしないで!
 当麻はいつだって私に優しく接してくれた!私の大事な…ッ―――!」

471: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:24:19.85 ID:dWbbv3Io

そこで御坂は言葉に詰まる。視線を宙に泳がせ、唇を噛んで頬を赤らめる。
その瞳にはわずかに涙も滲んでいた。


「これが最後だ、『超電磁砲』…」


麦野はもう一度、御坂に右手を突きつけたまま告げる。
冷たく見下ろすその視線は、御坂に選択を迫った。


「続けるなら、私も顔に傷つけられた恨みがある。次は間違いなく殺す。
 でも止めるって言うんなら…」


麦野は、なんて自分らしくない発言だと思っていた。
敵を見逃すなんて選択肢、今まで一度だって考えたことなかったから。
だが、目の前のこの少女はあまりに自分に似すぎていると思っていた。
なのに、自分には無かったものを持っているのに、それでもここに堕ちてきた。
そこに尊敬と、怒りを感じる。


「いいよ。アンタを殺さない。アンタの尻ぬぐいも、私がやってやる」

472: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:25:50.25 ID:dWbbv3Io

御坂にはきっとこれから暗部の追っ手がかかることだろう。
『上』の連中の思惑だけでなく、彼女に恨みを持つ人間は今大勢いる。
だから彼女は引き返せない。
だが、麦野は決めた。
この麦野沈利自らが、わざわざ見逃して生かしてやった人間を、誰に殺されてたまるものかと。


(らしくねえ…。何口走ってんだ私は。…くそっ、やっぱコイツ嫌いだわ)


御坂の想い人は暗部の人間ではない。
『一方通行』の実験を阻止しようなんて無謀を行い、しかも結果的には成功させた、タダの馬鹿のお人よしだ。
そんな奴らは、とっと自分のいるべき場所に帰ってくれ。
麦野にとって、彼らの存在はあまりに眩しすぎた。
土御門の言葉も、今なら分かる。
―――ああ、確かにそうね
こんな奴らに、路地裏で野垂れ死なれることほど、寝覚めの悪いことはない。
御坂は唇を震わせて俯く。左腕を麦野に向けたまま。
灰色のコンクリートに雫が一つ零れ落ちた。


「だって…当麻がいないんだよ…」

473: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:27:25.92 ID:dWbbv3Io

雫は止め処なく地面を濡らす。
御坂の頬を、涙が通り過ぎていた。


「私があいつに『一方通行』の場所を教えたりしなければ…当麻は今も病院で寝ていたりしなくて済んだのにッ!」


左手がとうとう下ろされる。
それに応えるように麦野も腕を下ろした。
別に彼女の身の上話に麦野は興味なかった。
全てを元の場所に納めることができたなら、それでよかった。
だが、麦野は彼女の話を止めない。無視もしない。
白井黒子の言葉が頭を過ぎったから。

 ―――お姉様も、麦野さんのような年上のお姉様にご指導頂きたいときもあると思いますの

レベル5は孤独な生き物だ。学園都市の頂点として、後続の能力者たちを導くことを求められる。
彼らの悩み、怒り、喜びを受け止める義務を求めてくる。
麦野はそんなことまっぴら御免だった。きっと誰もがそうだ。
『一方通行』だって、『未元物質』だって、そして『超電磁砲』だって。
他人の感情を押し付けられる謂れなどどこにもないと思っているはずだ。
御坂美琴はましてや思春期の中学生。
普段は大人びた彼女も、対等に接してくれる数少ない存在を失えば混乱くらいするだろう。
だから麦野は、白井黒子に情報提供の借りを返す意味で、御坂美琴の言葉をただ受け止めてやることにした。
行き場のない怒りを。耐え難い悲しみを。
その全てを吐き出すまで、麦野は付き合ってやるつもりだった。

474: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:29:09.46 ID:dWbbv3Io

「じゃあ私はどうすりゃいいのよ!?大人しくあいつの目が覚めるまで待ってろっての!?」


地面を殴る御坂。彼女の心の叫びを麦野は黙って聴いている。
悲しみが、戸惑いが、涙となって溢れていく。
しかし、麦野は少し迷った。
どちらかと言えば自分も御坂と同じような行動に走るタイプなので、気持ちが分かりすぎてうまく答えてやれない。
そこへ、


「そうしなよ」


滝壺が地に膝を着き、御坂の頭を撫でる。
顔を濡らした御坂が滝壺を見上げた。


「それがいいよ。信じるの、怖いよね。もし目が覚めなかったらって、自分の所為だって、思っちゃうよね…」
 

優しく滝壺が御坂に語り掛ける。
麦野も御坂も、驚きを顔に浮かべてその言葉を聞いていた。


「でも出来るよ。むぎのにだって、出来たんだから」


おい、と突っ込みそうになる麦野。
御坂は滝壺の胸に飛び込み、震える腕で彼女を抱きしめた。

475: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:30:18.56 ID:dWbbv3Io

「知ったようなこと言えないけど。あなたにこんな風に泣いてほしくて、その人は戦ったんじゃないと思うんだ。
 だからあなたは、こんなところに居ないで、お家に帰ろうね」

「私…怖かったの…!当麻がもう戻ってこないんじゃないかって!
 もう私に笑いかけてくれないんじゃないかって…!
 怖くて…怖くて…私どうしたらいいか…!」

「分かるよ。でも、その人が目を覚ましたとき、きっとあなたには笑っていて欲しいんじゃないかな。
 胸を張って、その人が目覚めたのを喜べるように、信じよう」


諭すような、滝壺の優しい声。御坂にはもう戦意など欠片も残ってはいない。
胸の中にあった黒く渦巻く感情を全て吐き出して、彼女は元のタダのレベル5に戻っていった。


「……うん」


やがて御坂が小さく頷く。
応えるように、滝壺は彼女の頭を胸に抱いた。


「大丈夫、私はそんな優しいあなたを、応援してる」


御坂の頭を優しく撫でながら滝壺が語りかける。
結局美味しいところは滝壺に持っていかれたが、落としどころを探しあぐねていた
麦野はホッと胸を撫で下ろす、。
こういう場面が苦手なので、髪をかき上げて所在無さげにキョロキョロしながら
なんと声をかけるかと思案する。

476: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:31:32.63 ID:dWbbv3Io

「ったく『超電磁砲』。アンタには心配してくれる後輩がいっぱいいるでしょが。
 似合わないことしてんじゃないわよ。
 ま、あの様子だと帰ったら一発くらいは殴られるかも知れないけどね」


まあこんなもんかと軽くそう言うと、ビクリと御坂が肩を震わせる。
やがて先ほどとは明らかに違う震え方で顔が青ざめていった。


「どしたの…?」


不穏な気配を感じる麦野。


「どうしよう…」

「は?」

「殴られるなんてもんじゃ済まないかも知れない…黒子に…黒子に●●れる!」

「おかっ…え?」


異様な震え方で滝壺から体を離し、御坂が頭を抱える。
さすがの滝壺もおろおろと何と声をかけていいかわからない様子。
白井黒子、恐ろしい子。

478: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:33:01.00 ID:dWbbv3Io

それから数分後、御坂も落ち着きを取り戻したころ、フレンダ達がパタパタと足音を鳴らして戻ってきた。


「お、なになに、スパッと解決って訳?」

「私たちがいない間に超面白そうなことになってますね、説明してください」


皆爆風や粉塵を浴びたせいでところどころ汚れているが、怪我は特に無いようだった。


「麦野、大丈夫か?」


浜面が近づいてくる。
視線が合うと、麦野は頬を赤く染めてプイッとそっぽを向いた。


「大丈夫に決まってんでしょ。足ひねっただけ。来るのが遅いのよ、バカ
 でも来てくれて助かったわよ、バカ!」

「お、おう?なんで怒ってんだよ?いや、何言ってんだお前?」


先日あんなことがあったものだから、自分の中の気持ちはもう整理がついているのに
混乱してよく分からないことを言ってしまう麦野。
いくら自分の気持ちと向き合えたからと言って、この男にそれを告げられるかどうかは話が別だ。
鼓動が苦しいのは浜面の側にいる所為か、体中の傷が開いている所為か。


「うるっさい!それよりアンタ、『ピンセット』まだ持ってるんでしょね?」

480: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:34:59.82 ID:dWbbv3Io

恥ずかしくて浜面をまともに見れない麦野は、体ごと御坂の方を向いて問いかける。
御坂も足を銃で撃たれているが出血は少ないようで、ゆっくりと立ち上がった。


「『ピンセット』?ああ、第二位が持ってたアレか。背中のに入ってるけど」


そう言って御坂は『駆動鎧』に取り付けられた薄型のバックパックを麦野に向ける。
結構な勢いで飛び跳ねたり叩きつけられたりしていたが大丈夫だろうか。


「それもらってくけどいいよね?」

「良いも悪いも、勝ったのはアンタなんだから好きにしなさいよ」


御坂の目にはいつしか光が戻っていた。
麦野や滝壺にその胸中を吐露して、気が楽になったのか、自らの力を解放し尽くして、
鬱屈し、抑圧されたストレスが発散されたのかもしれない。


「よろしい。素直なのはいいことだわ。アンタやっぱそっちのほうがいい感じにムカつくわ」

「なんでよ」

「いいのいいの気にしないで。結局麦野は自分より心の綺麗な人が嫌いなだけだから」

「ほんと外道なのね。そこまで徹するなら好きなだけ自分を貫いてちょうだい」


と、御坂が取り外したバックパックを麦野に渡したそのとき。


「麦野!あぶねえ!」


浜面が麦野に覆いかぶさるように突撃する。
瞬間、ゴバァッという音ともに、麦野と御坂の間をかまいたちのような衝撃が走った。
地面に尻餅をつく麦野、何事だと覆いかぶさる浜面を見下ろす。
真っ赤に染まった彼の背中があった。

481: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 02:36:33.78 ID:dWbbv3Io

「は…まづら…?」


彼の背中をそっと撫でる。
ヌルリとした感触が麦野の掌に伝わった。
ドクンッと心臓が悲鳴をあげる。
何が起こった。烈風が吹いたことはかろうじて分かった。
だが、浜面の背中がパックリと切り裂かれ、彼がうめき声を上げるこの状況。
麦野はカタカタと震える手で浜面を抱きとめ、その烈風が吹いた方向を見る。
皆、同じものを見ていた。


「わりーな、手が滑っちまった。
 第三位と第四位を纏めて消して、俺が唯一無二のレベル5になれるかもって、ちょっとは期待したんだぜ?」


月を背に、男は立つ。
悪びれも無く、3階建ての建物の屋上、背中に3対6枚の翼を背負う男が告げる。
堅牢なはずの鉄筋コンクリートを粉々に粉砕して、終末の使者のような様相を呈して彼は降り立った。
それは最強の元第二位。
精悍だったはずの顔は焼け爛れ、髪も皮膚も焦げ付き、生命維持のチューブを体から突き出してなお、
その端整な面立ちは消え失せない。
彼こそが、学園都市最強の男。
現第一位。
『未元物質(ダークマター)』。
物理法則を創り出す者。
そう。
『グループ』と戦っていたはずの、
垣根帝督だった。


509: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:28:45.80 ID:dWbbv3Io

―――――


浜面仕上は倒れていく体から意識が薄れていくのを感じながら、『アイテム』の下っ端になる前のことを思い返していた。
鼻ピアスのチンピラ、浜面仕上はスキルアウトのリーダーだった。
ほんの数時間前に、スキルアウトのリーダーになった。
かつてのリーダー、駒場利徳はどこかの暗部組織の能力者と戦い、敗北したのだ。
突然スキルアウト100人近くのリーダーとなった彼は、とある人物の殺害を二束三文で依頼され遂行しようとしているところだった。


『無能力者狩り』というものがここ最近学園都市の裏通りで横行している。
スキルアウト以外のレベル0の無能力者達を集団で狩りの対象とするゲームが、一部の能力者たちの間で流行していた。
現在、それの主犯と思われるグループの一つが、この仕事のターゲットだった。
能力者達に対して強い劣等感を持っていたスキルアウト達は、その依頼を二つ返事で受け入れた。
今まで馬鹿にされてきた能力者を、金までもらえてボロ雑巾にできるのだから。


(なんで今更…こんなこと思い出すんだよ…)


簡単な仕事だと思っていた。
平凡な人相の奴をおとりにして、情報のあった路地裏でそいつらをおびき出す。
案の定、指定された場所で何人かの能力者が自分たちの前に現れた。
銃火器や凶器で武装したスキルアウト達は、その能力者たちを数十人がかり滅茶苦茶に叩きのめした。


―――お前らみたいな奴がいるから、能力者は嫌いなんだ


だが能力者達もいつしか反撃に転じた。
無慈悲に壊されていくスキルアウト達の肉体。


―――お前らみたいな奴がいるから無能力者が馬鹿にされるんだ

511: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:30:42.93 ID:dWbbv3Io

無能力者と能力者は分かり合えないことを証明するように、その血みどろの争いは無惨なものへと変わっていった
多少の能力者なら数で渡り合えるスキルアウト達。
だがその拮抗したバランスを崩すように、能力者側に強力な使い手が現れた。
恐らくは集団のリーダーだったのだろう。
レベル4の『念動力(テレキネシス)』 。
あらゆる能力の中でも割とポピュラーな部類になるが、レベル4ともなるとその力は強大だ。
あっという間にスキルアウト達はその数を減らしていくこととなる。


「クソッ!簡単な仕事だっつってたのに!なんでこんなことになるんだ!」


目の前で十数人の仲間達が瓦礫の下に押しつぶされたのを見て、浜面は銃を片手に逃げているところだった。
しかし、路地裏の奥深くまで逃げ込んだ時、彼の前に瓦礫の山が積み上げられていた。
立ち往生する浜面。
知らず知らずのうち、追い込まれていたのだ。


「ばぁか、俺たちはいつもここで狩りしてんだぜ?一人になっちまった時点でテメェの負けよ、ド低能の雑魚野朗」


その辺を歩いていても全く気にも留めないような顔の男だった。
浜面の方が人相も悪いくらいのはずなのに、そいつは口元を歪めて嘲るように舌を出す。


「クソっ!」


浜面は拳銃の引き金を引くが、その弾道は男から逸れるように曲がっていく。

512: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:33:47.22 ID:dWbbv3Io

「ギャハハハハッ!銃に頼るしかねえよなぁ!無能くんは!」


ゲラゲラと嗤う男。浜面は奥歯を強く噛んだ。


「能力者がそんなに偉いのかよ!」
「無駄なんだよ。これがテメェら無能力者と、俺たち能力者様の違いだ。
 現実として、学園都市は無能力者を無価値と断じている。
 無能なテメェらじゃ自分の命だってロクに守れやしねえし、そもそも居場所だってねえんだぜ?
 仲間を何人かやってくれたよなぁ?地面に頭こすり付けて靴底でも舐めりゃ、見逃してやってもいいぜぇ?」


浜面はブルブルと拳を震わせて、怒りを表情に表す。
能力者は嫌いだ。いつだって俺たちを馬鹿にして、見下してきやがる。


「っざけんじゃねえぞ!テメェ何様だコラァッ!」


浜面はヤケになって殴りかかる。
だがその拳が男の顔に届く前に、浜面の体は『念動力』の強大な圧力によって体勢を保てず地面へと叩き付けられた。
コンクリートにへばりつくように体が押し付けられる。
体の上に巨大な岩が圧し掛かっているような重圧。
屈辱だった。能力者の前にただ平伏するしかない現実が。


「言ったろうが?能力者様だ。
 大体元はと言えばテメェらみたいな無能が群れて、人畜無害でいたいけな俺たち能力者を僻んで
 襲うからこういうことになるんだよ。自業自得って言葉知ってるか?」


血が滲むほど拳を握る。
能力者を僻んでいるという事実が、浜面の胸に突き刺る。
そのときだった。


「こりゃスゲェ。こんな根性無しは初めて見た」

513: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:37:43.73 ID:dWbbv3Io

路地の向こう側に仁王立ちする男がいた。
白い学ランの下に旭日旗を抱き、昔のアニメキャラのようなハードな髪に鉢巻を巻いた、
暑苦しいにも程がある男。
番長?応援団長?
浜面は地に伏せていることも忘れて、その男の異様な姿に呆気にとられていた。


「ああん?何だお前。取り込み中だ、失せろ。殺すぞ」


白ランの男はつまらなそうに歯噛みする。


「お前の全身から滲み出る小物臭さ。根性が足りねえぞ根性無しがぁっ―――!!」


さっきから根性しか口にしていない白ランの男。
その男は、鋭い視線でズンズンとこちらに向って歩いてくる。


「そういう精神論は流行らねえぜ。テメェも伏せてろ!」


男が右手を伸ばすと、白ランの男は案の定ズシリと重圧を感じて前のめりになる。
だが、踏みとどまった。
肩に巨大な岩石を乗せるように、眉間に深く皴を寄せ、空腹の熊のような目線で念動力者を睨みつける。


「精神論?違うな、心意気だ。気合がありゃあこんなもんトレーニングにだってならねえ。
 どうした。お前の根性は軽すぎるぞー―――ッ!!」


気合で念を弾き飛ばす。
滅茶苦茶だった。浜面は既に男として彼に見惚れていた。
まるで少年漫画からそのまま出てきたような恐るべき根性論者。
こいつがいる運動部だけには絶対入りたくねえとぼんやり思っていた。

514: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:40:08.64 ID:dWbbv3Io

「な、なんだこいつ!チッ!なら死ねよ!」


両側の建物の壁が崩れ、白ランの男の頭上から降り注ぐ。
仲間のスキルアウト達もこれにやられたのだった。
だが、男は雄々しく笑う。ヒーローのように。


「死ね、だと?そいつは悪の下っ端戦闘員の台詞だ!お前の根性はそんなものかァ―――ッ!」


拳を頭上高く突き上げると、まるで火山が噴火するように瓦礫が粉々に吹き飛んだ。


「な、なんだと。そ、そういや聞いたことがある…。このめちゃくちゃな根性論。
 お前…まさか!」

「俺が誰かなんて、どうだっていい」


白ランの男はその勢いのまま、踏み込む。
戦慄する念動力者の顔を掴み、手近な壁に向けて叩きつけた。


「今重要なのは、お前には圧倒的に根性が足りてねぇってことだァァアアああああああああああああああ――――ッ!」

「うぼぁっ!」


踏み込み、顔を掴み、叩きつける。
それを、浜面は目で追うことすらできなかった。
ビルの壁は盛大にブチ抜かれ、何十メートルも先までその穴は続いている。


(死んだんじゃねえかこれ…)

「おい」

515: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:43:09.40 ID:dWbbv3Io

起き上がりながら、浜面は開いた口が塞がらなかった。
突如白ランの男が浜面の前に立塞がる。


「お前もだ。集団でリンチなんて男らしくねえ真似、オレが見逃すわけにはいかねえな」

「んだと?悪ぃのは向こうじゃねえのかよ」


浜面は男にメンチを切りながら悪態をつく。
だが、男の燃え滾るような視線は全く揺らがない。


「だからどうした。どっちが先だろうと、お前らが奴らを殺そうとしたことには変わりねえだろうが」

「綺麗ごと言ってんじゃねえよ!テメェみたいなすげぇ能力者様にはわかんねえだろうさ!
 どこに行っても馬鹿にされる俺たちレベル0は、他人を食い物にしなくちゃ生きていkバキュラッ!」


浜面の体が5メートルほど吹き飛ぶ。
全身にジンジンとした痛みが走った。


「ああ、分かんねえな!スキルアウトを結成して大規模な行動を起こすだけの根性がありながら、
 その力を仕返しの道具にしか使い道を思いつけねえキ   の小さい軟弱野朗の気持ちなんざ、
 オレには何一つわからァァァアアアんッ――――!」

「テメブギュルワッ!」


もう一度浜面の言葉を遮るように体が中を舞う。
鼻に着けられていたピアスが千切れて盛大に空を舞った。
男との間に巨大な爆発が起きたような感覚。
旭日旗を胸に抱く男は、太陽を背にまさしく仁王の如く浜面を見下ろしていた。

517: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:45:48.52 ID:dWbbv3Io

「立て、お前の根性をオレが叩きなおしてやる」

「勝手なこと言ってんじゃねえぞ!
 そういう風に生きようとした駒場利徳ってリーダーはな、ほんの半日前に死んじまったよ!
 場違いにも弱者を守ろうとしてなぁ!路地裏の落ちこぼれが、綺麗ごとを並べたって鼻で
 笑われるだけなんだよ!」


痛む鼻を押さえながら浜面が叫ぶ。
男の瞳の灯は消えない。


「そうか。心意気のある奴だ。
 お前、そいつを見ててそんなことしか思わなかったのか?
 どんな奴かは知らねえが、その男は『弱者』を守るために戦ったんじゃねえ!
 『仲間』を守るために戦ったんじゃねえのかッ!?」

「あァ!?知ったようなこと言うな!」

「その根性を、困ってる奴に手を差し伸べることに使っていれば、
 お前達だって学園都市中の人間から認められてたんじゃねえのか!?
 その男が本当に鼻で笑われてたっていうんなら謝ろう。
 だが、オレはその男を、絶対に!笑わねぇぇええ―――――ッ!」


男の言うとおりだった。
駒場は寡黙な男だったが、それでも彼の周りにはいつだって人が集まっていたし、
仲間を守るために行動をしてくれる頼れるリーダーだった。
自分なんかとは違う。こんな即席のリーダーなんかとは比べ物にならないくらい、いい奴だった。
なのに、そんな男が死んだんだ。
だから浜面は、その悔しさと、己のふがいなさに憤るように猛る。


「ふざけんなよ!俺たちを馬鹿にしやがって!!
 無能力者はなぁ、無価値なんかじゃねぇぇぇええええッ!!!」

518: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:48:39.42 ID:dWbbv3Io

浜面が拳を握り、渾身の力を込めて男の顔面に叩き込む。
男は瞬き一つすることなく、この拳を、鼻っ面で受け止めた。
拳が男の顔にめり込む。だが男は腕を組んだまま微動だにしなかった。


「やればできるもんさ。いい根性だ。男は拳で語りあうもんだよな」


男は鼻血を出しながらニヤリと、腹の立つほど格好良い笑みを口元に滲ませる。


「て…め…」

「だがまだ足りんっ!お前達が馬鹿にされてきた理由ってのは、力の有る無しなんかじゃねえ」


男が浜面の拳を握り締め、恐るべき握力で顔からジリジリと離す。
その眼光は、もはや直視するのも躊躇う程の熱い輝きを放っていた。
男はもう片方の空いた手を、堅く堅く握り締めて振りかぶる。


「オレは自分がレベル5じゃなくたって、お前達の前に立ちはだかったろうさ。
 今見せてやる。能力なんて関係ねえ!
 これがオレとお前の!根性の違いだらっしゃぁァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ―――――!!!!!!」


そうか、こいつ、レベル5だったんだ。
浜面が気付いたときにはもう遅い。
男は能力など何一つ使わなくたって。絶対に倒れるはずがないんだ。
何故ならば。
浜面は、戦う前に、既に男の熱い魂の前に屈していたのだから。
一切の揺ぎ無いその闘志を拳に乗せて、ただの大振りのパンチのその衝撃が、浜面の顔面から全身を稲妻のように走り抜けた。


「あとは好きにしろ。お前の魂を信じる。いいパンチだったぜ」

519: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:51:27.16 ID:dWbbv3Io

拳は顔を殴り飛ばすことなく寸止めの状態でピタリと止まる。その拳圧だけで、浜面は大地に膝をついた。
振り返り、夕陽の中に消えていく男の背中。
その男。学園都市第七位。削板軍覇。通称ナンバーセブン。
愛と根性のヲトコだった。
浜面はその後、仕事の失敗からスキルアウトを抜け、その器用さを買われて暗部の下部組織に所属することになった。
ナンバーセブンの言葉通り、困った人に手を差し伸べることはまだできていない。
だが。


―――『仲間』のために、ここで倒れるわけにはいかない!


(このままやられるわけには…いかねえよな…麦野!)


浜面の眼球に、闘志が漲る。
だから浜面は踏みとどまるのだ。
彼女たちと、最後まで戦い抜くために。
ナンバーセブンの言葉を思い出す。


―――その気合を、困ってる奴に手を差し伸べることに使っていれば、

  ―――お前達も学園都市中の人間から認められてたんじゃねえのか!?


能力なんて関係ねえ。その言葉、今なら頷ける。
胸を張って言える。レベル5の麦野だって、俺の『仲間』だ。
浜面は奥歯を噛んで呟く。


「その通りだ、クソったれ…!」


浜面の意識の中に、火が灯る。

521: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:55:13.16 ID:dWbbv3Io

―――――


「ダァァァァァァァアアアクマタァァァァァァアアア―――ッッッ!!!!!!!!!!」


麦野は邪竜の如く吼える。
浜面をその胸に抱えたまま、すぐさま『原子崩し』を発動させようと右手を振り上げる。
しかし


「麦野…!俺は…大丈夫だ…!だから、落ち着け…!」


麦野の腕を息絶え絶えな浜面が掴んだ。
血の気が引いているが、その顔にはまだ幾分かの余裕が見て取れる。
彼の声を聞いて、麦野は少しだけ理性を取り戻す。


「大丈夫って…何言ってんのよ!」

「怒ったって、あいつには勝てないだろ。
 もうキレるな麦野…」


そう言い、背中から血をドロドロと垂れ流してゆらりと立ち上がる。
今にも倒れそうで、顔も青白い。
だがその口元には、確かな笑みが浮かんでいた。


「こんなイケメン野朗の攻撃で、俺が死ぬわけねえだろうが…!」

「あァ?何笑ってんだ三下。言っとくが、今のは誰に殺されるかわからねぇんじゃテメェらがあまりに不憫だから、
 わざわざ勝利宣言をしてやったんだぜ?」

「うるせえよ。こっちにゃ麦野と滝壺がいる。おまけに『超電磁砲』だっているんだぜ!
 高いところからそよ風吹かすだけのチキン野朗は家で扇風機とでもよろしくやってろ!」

522: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:56:55.80 ID:dWbbv3Io

清々しい程の人任せ。麦野は上空の垣根を指差し虚勢を張る浜面を呆気にとられたように見上げるが、
それだけ元気があれば大丈夫だと苦笑しながら立ち上がる。
挑発された垣根は滾る獣の眼光で浜面を睨みつけ、宣告する。


「オーケー。次からはノンストップだ。着いてこれるかな?低能諸君」


3対の翼が爆ぜる。
空を裂き、烈風が全てを粉砕する。
垣根帝督が暗黒の夜空を飛翔した。


「ま、こいつがここにいるのはどうやら私のせいみたいだし、
 きっちり落とし前つけて帰らないとね」


御坂が右手を構え、中空から飛来する烈風を打ち抜く。
案の定それは乾いた音ともに打ち消されるが、垣根の顔から余裕が消えない。


「この前は余裕ぶっこいてたのもあるが、厄介なもん持ってやがるな。
 まずはテメェだッ!」
 

空を舞う垣根が両手を開く。
それに呼応するように6枚の翼が月を背にして広がった。
透明の翼の向こう側に朧の月が揺れた。


「『超電磁砲』!」


ハッとなって麦野は御坂の腕を引っ張り自らのほうに引き寄せる。

524: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 21:58:56.49 ID:dWbbv3Io

「何、今の…?ぐぅっ!」


ふと見ると、御坂が右腕を押さえて痛みをこらえるような声をあげた。
彼女の右腕が『駆動鎧』の装甲を溶解させ、その下にある皮膚を赤く焼かれている。


「よく気付いたな。回折って知ってるか?
 そいつと俺の『未元物質』が合わされば、月光を殺人光線にだってしちまえるってことだ」


垣根が宙を踊る。建物から建物へ縦横無尽に飛び回る。
翼はその長さを、その質量を、その重量を変貌させて大地を引き裂いていく。


「麦野!退却しよう!」

「誰が逃がすかバァカ」

「フレンダ!」


麦野に向けて叫んだフレンダのわき腹から、暗闇を彩るように鮮血が噴き出す。
彼女の背後に降り立った垣根の翼に切り裂かれたのだ。
倒れるフレンダを浜面が飛び込み受け止める。


「ちょこまかと鬱陶しいわね!」


御坂が周囲に電撃を放つも、すぐに垣根の翼でかき消される。
物理法則を創り出すことの出来る彼にとって、正面からの攻撃など何の意味も無いと告げるように。


「ダセェな、テメェらいつからそんな仲良しグループになったんだ?人類皆兄弟って柄じゃねえだろう!」

525: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:00:39.73 ID:dWbbv3Io

口元を歪めて垣根が嗤う。


「アンタに言われたくないわよメルヘン野朗!」


烈風が御坂を襲い、それを負うようにして接近してきた垣根の翼が彼女を袈裟懸けに切りつける。
背後に飛んでなんとかそれをかわすが、足に傷を負っている今の御坂に、そのリーチは長すぎた。
胸元を切り裂かれ、赤い血を撒き散らしながら御坂が地面を転がる。


「心配するな、自覚はしてる」


あまりにも圧倒的。麦野が御坂と戦ったときのような競り合いなどそこにはない。
ただただ一方的な、蹂躙という名の敗北を突きつけられるのみ。


「…痛いわね…」

「いい根性だ。第七位とは仲良くやれる」

「知らないわよ、誰それ…」


胸元を押さえながら御坂がよろめき立ち上がる。


「中学生虐めて楽しい?いい年した男が情けないわよ」


ふらふらと足元がおぼつかない御坂の前に、かばうように麦野が立った。


「楽しくはねえさ。俺はこれでも心の優しい男なんだ。正直辛い。本当だ。
 だがやられたらやりかえすのが、俺達の数少ねえマナーってもんだろ?」

526: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:02:52.11 ID:dWbbv3Io

冷たく笑う垣根。
御坂も、麦野の意外すぎる行動に、訝しげに声をかけてきた。


「何のつもりよ…?あんたに守ってもらう義理なんて…」

「うるさい。私がせっかく生かしてやったのに、勝手に死なないでくれる?
 あんたの命はこの私がくれてやったの。もっと大事にしろっつのよねクソガキ」


垣根から視線は外さず言い放つ。
もし一瞬でも目を逸らしたら、二人とも粉々になってコンクリートの上に赤い華を咲かせることになる。


「なんてやつ…もうそこまでいくと清清しいわ」


呆れたような御坂の声に、麦野は表情を隠して垣根を見据える。


「ねぇ。アンタは何のためにこんなことしてんの?」

「ちょ、何言ってんの?!」


痛む足を引き摺りながら、クリーム色のコートに滲む血を隠そうともせず、
垣根の前に立ちはだかる。
背後の御坂からも驚きの声が投げかけられた。


「あァ?そいつの言う通りだな。マジで何言ってんだテメェは?」

「超油断大敵ですよ!」


目元を歪めた垣根の背後から、絹旗は広場の噴水の中に横たえてあった石像を投げつける。
垣根の頭に激突したそれは、しかし彼に一切のダメージを与えることを良しとせず、無残に砕け散った。

527: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:06:16.49 ID:dWbbv3Io

「うるっせぇガキだ!」

絹旗に向けて大地を蹴る垣根。鋭い刃となった白い羽が、容赦なく絹旗を襲う。
その刃が絹旗の喉笛をかき切る前に、麦野は彼の背中に向けて電子線を放った。
翼が振るわれ、難なくそれをかき消す。


「私が話してんのよ。余所見なんてしてんじゃねえぞホスト野朗」


垣根は鬱陶しそうにこちらを振り返った。


「ウゼェ女だな…」

「質問を変えるわ。アンタは自分がレベル5だってことをどう思ってるわけ?」

「麦野、お前何を…」


浜面が訝しげに呟く。
麦野は一つ、確かめたかった。きっとこんな機会はもうないから。
今日、この中から少なくとも1人のレベル5が消える。
学園都市の頂点に君臨する彼は、一体何を想い、何を果たすために反乱という暴挙に出たのか。


「いいから答えろ。それくらいいいでしょ」


彼にだって、学園都市全てに喧嘩を売った理由があるはず。
別に垣根の事情で彼の結末が左右されるわけじゃないし、悲しい過去や納得の動機が欲しいんじゃない。
この戦いにそんな生易しい結末が待っているはずもなく、彼と自分の間に「許し」は無い。
ただ、興味が湧いたのだ。学園都市の闇を相手取るほどの、彼が導き出したものへ。
死ぬのは彼か、自分たちか。
故に、この最後の問いかけが、自分のわずかな気がかりをこの世から抹消してくれると信じた。

528: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:08:45.54 ID:dWbbv3Io

「めんどくせぇ野朗だ。
 テメェはアレか?自分がレベル5にカミサマから選ばれちまったとか思ってるクチか?
 自分は選ばれし勇者で、世界を救うために戦うことを義務付けられた正義の超能力者ってな具合に勘違いしてる、
 思春期からいつまで経っても抜けられねえカワイソーな奴は、学園都市には結構いるぜ?」


鼻で笑い飛ばす垣根。だが彼はそれを一笑に付しても、無言で麦野に襲い掛かることはしなかった。
それは王者の余裕か、それとも彼の懐の深さ故か。
彼は自分なりの答えを麦野に対して返してくる。
麦野は彼から絶対に目を逸らさない。
7人しかいない同列達の答えを、麦野はただひたすらに待つ。


「ふざけんじゃねぇぞお花畑野朗。この場にいる奴ぁ全員クズだ。俺が断言してやる。
 学園都市暗部なんて言い方してるがやってることはその辺のお掃除ロボットと変わりねえ。
 むしろゴミがゴミ掃除してる分俺らの方が笑えるくらいだ。
 清く正しく今日まで生きてきましたって宣言できる奴がこんなところにいるわけねえだろ」

「何を今更。当然でしょ、そんなこと。それがどうしたのよ」

「だからなぁ!レベル5がどうとか、そんなことはどうだっていいんだよ!
 レベル5を目標にがんばってますなんて言う奴ぁ、もうその時点で器が知れてんだ。
 レベル5なんてモンはただの過程だ!便利な道具に過ぎねぇ。
 重要なのはその先。そいつを使って、テメェに何ができて何ができねぇのか。
 そして最後に何が残んのかってことなんだよッ!」


吐き捨てるような彼の言葉。
奇しくも麦野は、その彼の言葉に胸を打たれた。
レベル5はただの過程。
目的を果たすための手段の一つに過ぎない。
自分に何が出来て。何が出来ないのか。
レベル5に到達した者が導き出した一つの解答。
俯き、麦野は口元に微笑を滲ませる。

529: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:11:14.21 ID:dWbbv3Io

(面ッ白ぇ…垣根帝督。悔しいけど、同感だわ)

「会話で解決しようとしてんじゃねえぞ『原子崩し』ァッ!
 俺やテメェみてぇなクソッタレの悪党は、そんなやり方じゃあ終われねぇだろうがぁッ!!」


垣根の翼が解放される。
それは壮大で、果てしなく、そして美しい、夜空を包み込むような幻想的な光景だった。
垣根は傲岸不遜に笑みを浮かべる。全てを嘲るように。


「俺たち暗部は互いを否定し合わなくちゃ生きられねえ本物のクソだ。そうだろ?
 さあ、踊ろうぜ『原子崩し』。答えってのはなぁ、テメェの手で導き出すモンなんだよッ!」


純白の翼は天を覆い隠して月明かりに願いを託す。
滅びを。破壊を。絶対の崩壊を。
そして地を薄く照らす朧月夜は、全てを焼き尽くす断罪の光と成り果てる。


「痺れるわね。こいつ言ってることは結構まともじゃない」

「感心してる場合じゃないでしょ。どうすんの?」


ゾクゾクと体を震わせる麦野に、御坂が呆れたように問いかける。
そこへ、


「ねえむぎの、試してみたいことがあるの」


滝壺が麦野の側へ来て告げる。
麦野は彼女の瞳を見つめ、ただ頷いた。


「たぶん、向こうに警戒されたらできないことだと思う。だから最初で最後。信じてくれる?」

530: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:13:00.34 ID:dWbbv3Io

滝壺は問う。
広大な範囲を焼き尽くすために変換する月光の量はかなりのものだ。
だが既にジリジリと肌を焼くような感触は伝わってくる。
これが完成すれば、後に待つのは月光に焼かれて死体と成り果てた自分達の姿だ。
だから攻撃の機会はただの一度。
滝壺を見る。浜面を見る。全ては整った。何を疑う必要があるというのか。


「信じるよ、滝壺」


麦野は迷い無く、垣根を見据えてそう言った。


「何する気か知らないけど、最後に叩き込むのってどうせあんたの電子線でしょ?
 だったら、私が道を開けてあげるわ」


御坂が二人の前に出てくる。
瞳には光を宿して。あの日の御坂美琴で。


「いいけど、アンタごとブチ抜かせてもらうわよ?」


麦野は試すように彼女の背中に声を投げる。


「当然でしょ?あんたの攻撃なんて、それくらいしないと当たんないんだから。
 せいぜいしっかり狙ってよね。頼りにしてるわよ、『原子崩し』!」

531: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:15:14.39 ID:dWbbv3Io

御坂は麦野に屈託無く笑顔を向けた。
迷い無く、怖れなく。闇の奥深くへと前進していく彼女は、今もなお止まることなくその最奥部を目指す。


「いつまでもゴチャゴチャ言ってんじゃねぇぞ三下共ッ!
 あと十数秒で、テメェら全員月に焦がされる。世界で一番ロマンティックな死体になるのさ。
 早くしねぇと、俺の演算が終わっちまうぜぇ?」


挑発するように垣根が両腕を広げ、誘う。
皮膚がジリジリと痛む。眩いほどの月明かりが、廃墟街全てを焦土と化していく。
銃創から零れる血を気にもせず、御坂が彼に対峙した。


「あんたこそゴチャゴチャうるさいわね。あとで泣き言言っても―――」


御坂が地を蹴り垣根に飛び込む。
彼女の左右上下から『未元物質』の翼が襲い掛かる。
わき腹を、頬を、腕を、脚を、切り裂かれながらも御坂は止まらない。


「―――遅いわよ!」


左手をかざして電撃を叩き込む。
轟音と共に垣根に向けて一条の稲妻が迸るも、やはりそれは垣根の体を焦がすには至らない。
歯を食いしばり、苦痛に顔を歪めて、希望を掴むかのように御坂は右手を伸ばした。

532: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:16:29.56 ID:dWbbv3Io

「無駄だ、もうテメェじゃ届かねぇ!!」


ゴバッと翼の刃が飛び込んでくる御坂を両断すべく空を斬る。
そのときだった。
麦野の隣で、滝壺が大きく目を見開き垣根を網膜に投影する。
『能力追跡』。もう一つの力。
垣根のAIM拡散力場に干渉し、その力を乗っ取るべくかき乱す。


「ぐっ…!やっぱりテメェから殺しておくべきだったな!」

「捕まえたわよ!」


本当に一瞬の隙だった。
垣根の体を覆うAIM拡散力場の鎧に歪が生じる。
『未元物質』によってコーティングされたその壁に、御坂の右手が差し込まれた。


「これで…終わりよ!」


そして麦野は叫ぶ。垣根は抗う。
扉をこじ開けるように歪む力場をすぐさま再構築するが、彼の眼前に映る光景はあまりにも強大で、
彼の心にわずかな空白をもたらしてしまった。
麦野沈利による、『原子崩し』の壁が押し迫る。
青白い光が視界を覆い尽くす。

533: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:18:05.86 ID:dWbbv3Io

「くっ…はははは!最後までムカつかせてくれるな!テメェらは俺の期待以上だ!
 対応してやるぜ!俺を誰だと思っていやがる!」


月光の殺人光線への変換。
御坂美琴の電撃の絶縁。
彼女の右手によって打ち消された『未元物質』の壁の再構築。
滝壺理后によるAIM拡散力場への干渉の妨害。
そして、麦野沈利による『原子崩し』への防御。
その全てを平行して処理するなど、並大抵の演算能力でできる数ではない。
だが。
彼は垣根帝督。学園都市第二位の超能力者。

故に、その全てを可能とする

あらゆる物理法則を総動員し、否定する。
麦野達が渾身の力を混めたその波状攻撃を、垣根帝督は。
その全てに


―――対応した


「よくやったよテメェらは!この俺とここまで渡り合えただけでも誇っていい。
 だが、俺の…勝ちだ!」

534: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:21:01.46 ID:dWbbv3Io

電撃も、無効化も、干渉も、必殺の電子線すらも。
この男の前には無力。
故に。
垣根帝督は。
『未元物質』は。


―――胸に鮮血の華を咲かせて倒れ伏した。


ドサリとコンクリートの大地に声もなく。
天を覆いつくす白い翼がスッと消えていく。
彼は気付けなかった。
警戒し過ぎた疑似『幻想殺し』。
力づくでねじ伏せるべき滝壺の能力阻害。
そしてとてつもなくド派手な御坂の電撃、麦野の電子線。
その全てが、垣根にとって不足の無い敵。目を逸らすにはあまりにも大きな障害。
だからこそ、些細なものを彼は見落とす。路傍の小石を目に留める者などいないように。
多大な演算に意識を向けすぎた。目立ち過ぎる彼女たちに対応し過ぎた。
だから。
その心臓を貫いた文字通りの銀の弾丸が、


―――背後で銃を構えた浜面が放ったものだと言うことに彼は気付けない。

536: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:22:08.44 ID:dWbbv3Io

「お前、俺なんか相手にしてなかったろ?
 あれから一回も攻撃されてねぇしな。
 だがな、それが狙いだ。
 最初っからお前への最後の一撃は決まってたんだよ」


硝煙をくゆらせる銃を下ろし、浜面は事切れた垣根に淡々と告げる。
垣根がもし月光への演算を止めていれば、あるいは結果は違っただろう。
能力が高すぎる故に、全てを同時に行おうとしたことが彼の敗因だった。


「楽勝だ、レベル5。根性が足りねえ。無能力者を舐めすぎたな」


銃をくるくると回し、浜面が勝利宣言をしたところで、場の空気がようやく少し緩んだ。


「はまづら、かっこいい」

「はぁ、まさかアンタにまで美味しいトコもってかれるなんてね」


麦野は額に手を当てやれやれと首を振る。
もう見慣れたその仕草に、浜面はふっと顔を綻ばせた。

538: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:24:18.22 ID:dWbbv3Io

「浜面、ちょっとだけ見直しましたよ」

「だねー、やるじゃん浜面」


フレンダが切られたわき腹を押さえ、絹旗に支えられながら笑顔を見せる。
皆軽傷とは言いがたいが、死人が出なかったのは本当に奇跡と言えるだろう。
場の空気が勝利に弛緩していく。


「ま、滝壺や麦野に伝わってなかったら終わりだったけどな」


浜面は苦笑した。
滝壺が麦野に作戦を持ちかけたとき、あからさまに二人は相談を始めていた。
もちろんそれが彼女たちの狙い。そこに垣根は釣られたのだ。
だが無理もない、浜面とは本当になんの打ち合わせも行っていないのだから。
あのとき、3人は目線で合図を飛ばしあっていた。
言葉を使わなかったので、伝わっているのか麦野は不安だったが、やはり彼を信じることにした。
麦野が『原子崩し』を放ったその向こう側で浜面が銃を構えるのを見て、ようやく上手く行ったことに気がついた。
機転を利かせて先陣を切ってくれた御坂を始め、ただ互いを信じて行動に出た結果の辛勝だ。


「ねぇ、これ、どう思う?」

539: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:26:26.55 ID:dWbbv3Io

御坂は平坦な声で皆に問いかけてきた。
その声に不穏な気配を感じ、麦野はその視線を追う。
垣根帝督は浜面の銃弾に胸を貫かれ死んだ。
まずはじめに確認しておかなければならないことがある。

彼は無敵の超能力者ではない。

常に体を守るバリアが張られているわけではなく、銃弾から身を守るならそれに対応する物理法則を
創造しなくてはならない。
だから、何が起ころうと結果として心の臓を貫かれたら、人間である彼は必ず死ぬのだ。

そう―――

彼が人間であったなら


「……やってくれたなぁ。さすがに死んだと思ったぜ?」


ゆらりと立ち上がる垣根。


「マジかよ、ほんとに人間かこいつ」


胸から濁った血をどろどろと溢れさせながら、麦野を、御坂を、滝壺を、絹旗を、フレンダを、そして浜面を射殺すように
睨みつけて、焦点の合わない瞳を揺らす。


「気にいらないわね」


御坂は呟く。

540: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:28:26.10 ID:dWbbv3Io

「ええ、同感ね」


麦野が頷く。
これがレベル5の末路。二人は忌々しげに奥歯を噛む。
土御門は言っていた。『上』は自分たちを能力を吐き出す機械にだってできると。
垣根の体にまだ演算能力が残されているのかは分からない。
だが、白い翼を顕現させるその様子にはこちらへの殺意以外が見てとれなかった。
故に、彼はまだ自分達と戦うことを終えてはいない。


「っざけてんじゃねぇぞ雑魚共ガぁぁァァアアアアッッ!」


垣根の怒声が夜空へ駆け上る。
翼は再び彼の背中で雄雄しく開かれた。
だが麦野は、彼に哀れみの視線を向ける。


「ねぇ、麦野だっけ?私すごいこと思いついちゃったんだけど。乗る?」


御坂が麦野に語りかける


「私は今一万人の脳波ネットワークを利用して演算能力を補強してるんだけどさ…」


それがあの超広範囲に渡る索敵や歪に動く体の秘密か。
何それずるいと麦野は思ったが、黙って御坂の話に耳を傾ける。

543: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:32:39.13 ID:dWbbv3Io

「でも私の電撃だけじゃいくら出力を上げてもあいつには効かない。
 だから、あんたがそのネットワークを試してみない?
 というより、私の脳波をそのリンクに加えたら、面白いことが起きそうな気がするのよね」


麦野と御坂は根元では同質の能力者だ。
どちらも電子を操る力を持ち、その方向性だけが異なる。
様々な事柄に応用できる反面、『原子崩し』に比べれば威力に乏しい『超電磁砲』。
せっかくの一万人の脳波リンクを利用しても根が善人である御坂には無意識下で能力にセーブがかかってしまう。
さらに、彼女はそのネットワークのほとんどを疑似『幻想殺し』への演算処理と、超広範囲に渡る電磁波の放出に利用しており、
また、通常10億ボルトの電流を体に流されて生きていられる人間などいないため、
実質電撃そのものの威力はさほど上がってはいないのが現状だった。
しかし。
麦野は違う。彼女の能力はただただ純粋な破壊の力。
そこにもし、一万人の脳波リンクによって補強された電子操作能力と、レベル5の演算能力までもがプラスされれば
どうなるのか麦野自身にも分からない。
現状垣根を倒す方法は全て使い果たした。
可能性があるとすれば、あとはそこしかない。


「私に他人の脳みそ使って戦えって?
 言っておくわ、私はね、人に指図されるのが死ぬ程嫌いなのよ」


もちろん仲間の命がかかったこの状況でのその言葉は単なる御坂への軽口だ。
だが、御坂は笑う。
そう言うと思ったと。彼女の中で、既に勝利の方程式は組み上げられていると言いたげな顔で。


「だからさ―――」


御坂は笑う。何が起こるか分からない。
だからこそ、信じよう。麦野沈利が会得した揺ぎ無い『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を。
メンタルに問題を抱えていてなお第四位に君臨していた彼女が、堅牢な精神的支柱を手にしたこの状況下で何を創造するのか。
その『原子崩し』の先にあるものを。
御坂は万感の想いを込めるかのような口調で、不敵な笑みを顔に浮かべて麦野を見つめる。


「―――私達が、あんたに合わせてあげるっつってんのよ!」

544: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:34:07.02 ID:dWbbv3Io

御坂の宣言に、麦野は口元をブチブチと真横に引き裂き、応えた。


「乗るわ!」


垣根の翼が二人に迫る。御坂の手が麦野の頭部へと触れられる。


「はははははは!ハハハハハハハハハハハッ!!!!!!」


垣根は嗤う。
彼が人間であったことを忘れさせるかのような無機質で、狂った笑い声が木霊する。
垣根帝督は二度死んでなお蘇り、神の振るう力の片鱗を手にしていた。
空を、大地を、世界を、次元を裂くように爆発的に展開された翼が猛り狂う。
彼は繰り上がりの一位などではない。
今まさに、彼こそが学園都市第一位。
あらゆる事象において彼を優先するものは無く。彼を倒せるレベル5など存在しない。


「…麦野ッ!」


浜面の声が麦野へ向けて放たれる。


「長時間使用は勘弁してよね。他人の脳波を強要され続けると昏睡状態になるらしいから」


麦野に到達したのは浜面の声でも、垣根の翼でもなく、御坂の電撃。
跳ね上がる麦野の体。御坂の電撃を通して、二人の脳波が繋がる。

545: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:35:34.93 ID:dWbbv3Io


―――ミサカネットワークへの接続を開始

 ―――御坂美琴を中継し、脳波リンクを構築


麦野沈利の脳波パターンを御坂を通して全ての『妹達』が複製し、彼女の力を補強する。
麦野は大地を踏みしめる。
ここが最後の砦。


「ああ…成程ね。素敵な結末が見えそうだ」


『原子崩し』は加速する。右目の包帯が燃え上がる。
かくして、ここに、電子の女王が、舞い降りる。
核融合を起こすように。
赤黒い眼窩に白い閃光が迸る。
麦野の左手が吹き飛び、輝く粒子が散布されるように辺りを照らした。
そして彼女は『原子崩し』となる。
一万人の発電能力者と、一人のレベル5の脳波ネットワークが、電子を操ることのみに特化したレベル5を進化させる。
その腕を失ったのではない。
今、麦野沈利は、『原子崩し』そのものに成ったのだ。

546: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:37:35.79 ID:dWbbv3Io

「ォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!!」


垣根の翼が秒速30万キロの速度で麦野の全てを粉砕するべく疾走する。
空気が慄く。轟音が鳴り響く。世界が悲鳴をあげる。
彼こそが、この世の理。
だが。
それでも。
その光速でさえ。
遅すぎる。
この空間は既に麦野の掌の中。
閃光と化した麦野のアームが、バチバチと青白い粒子を放ちながらその場全てを包み込んでいた。


「はっ…!すげぇな!そういうことか!惚れるぜ…テメェが第四位だと―――」

「言ったよね。好みじゃないのよ、『未元物質』。アンタ―――」


『原子崩し』は微笑む。これは礼だ。答えをくれた垣根への餞。

『原子崩し』は告げる。哀れなレベル5に、引導を渡すときが来た。

見せてやろう。レベル5のその先を。


―――  ブ   チ   コ   ロ   シ   か   く   て   い   ね


547: ◆S83tyvVumI 2010/04/30(金) 22:39:12.76 ID:dWbbv3Io

無限にループする膨大な荷電粒子のアームが、垣根を、『未元物質』ごと、握りつぶす。
どんな法則を創り出そうとも。その小さな彼の世界ごと、流動する青白い光のうねりに飲み込まれる。
これが結末。絶対消滅。
誕生の曙光の中に、全てが魅せられた。


「…俺は、学園都市最強の…―――」

「そうね。だから何?
 アンタがまだ私に勝てるなんて思ってるんなら、いいわよ―――」

「メェェェエエルトダァァアウナァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!!!!」


故に、麦野沈利は揺らがない。


「―――まずはそのふざけた幻想ごと、ブチ殺してあげるッ!」


夜が光の中に消える。月光すらその渦に溶けていく。
麦野沈利が、悪魔の左手が、全てを喰らう。
ただ一度限りの『絶対能力』で。ただ一瞬の『レベル6』で。
1万人のバックアップと二人の同質のレベル5の力を以って、学園都市で最も堅牢な『自分だけの現実』を確立した少女が今、
この街が目指した答え、『神ならぬ身にて天上の意志に辿り着くもの』を証明した。
その無限に展開するAIM拡散力場の中で、麦野沈利は残酷に微笑う。

590: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 01:41:51.34 ID:dpCXOh2o

後には文字通り何も残らなかった。
垣根帝督が立っていた場所を中心にして円形に荒野が広がっている。
『原子崩し(メルトダウナー)』と化した麦野の左腕が建造物も、コンクリートの地面も、
電柱やゴミまで全てを粉砕して更地に変えてしまったのだ。
かつて広場だった場所で、月明かりが地面にへたりこんでいる麦野を照らし出す。


「…終わった」


呟く。
仲間に一人の犠牲もなく、垣根帝督を消滅させ、ようやくほっと胸を撫で下ろしたところだった。
辺りを見回すと、皆呆けたようにその場に立ち尽くし、麦野を見つめている。


「な…何?」

「そりゃあんなもん見せられちゃあねえ」


隣で同じように座り込む御坂が呆れたように呟く。
ハッとなって自らの左腕を見ると、そこにはいつも通り細っこい腕が存在していた。
左腕が電子のアームにすり替わっていたらどうしようと思ったところだったので、
再び安堵の吐息を漏らす。


「むーぎのん!」

「げふっ!」

フレンダが勢い良く突進してくる。ボロボロになったコートの下は傷が開ききっているというのに
容赦のない奴だと、みぞおちにめりこんでいる彼女をを見下ろすと脇腹から血を流しながらも
血色のいい顔でこちらを見上げていた。

593: 今日は後日談的なものなので地の文あっさり目です ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 01:43:50.52 ID:dpCXOh2o

「麦野、すごい!何アレ!」

「アレって?」

「ほら、ゴバー!っとなってズババババーって周りの建物吹っ飛ばしてさ」

「なんじゃそら…」

「私たち超死んだかと思いましたよ。でも、周りはこんな状態なのに私たちは生きてます。
 どんな能力だったんですか?」


そう言って絹旗達が近寄ってきた。
彼女らの顔を一人一人見回しながら、麦野はフッと笑みを零す。


「バカね。掌に握ったものへの力加減を間違えたりしないよ」


彼女の攻撃は、あくまで垣根帝督ごと空間を握りつぶしただけ。
電子そのものとなった麦野の腕は、麦野の能力である留まる性質を発揮せず、ただ彼らの体を通り過ぎたのだ。
かつての麦野ならそんな器用なことは出来なかったろう。
だが彼らを守ると堅く決意した麦野は、確立された『自分だけの現実』によってその現象を可能としたのだった。


「みんな。来てくれてありがと。すごく、嬉しかったよ」


麦野は『アイテム』の3人と浜面の顔をしっかりと見つめながらそう言った。
皆の顔にも笑顔が浮かぶ。

594: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 01:46:01.24 ID:dpCXOh2o

「麦野がそんな殊勝なことを言うなんて、超怖いですね。悪いものでも食べました?」

「うるさいなー」


なんとなく気持ちが高ぶって言ってしまったが、ニヤニヤと絹旗がそんなことを言うものだから
恥ずかしくなってきた麦野。


「結局、ちょっとだけ素直になった麦野でも私は全然愛せる訳よ。
 麦野に罵られるのもそれはそれで快感だけれど」

「さぶいぼ出るからマジでやめて」


抱きついてくるフレンダを突き放す。
こいつ脇腹ざっくりいかれてるくせに随分余裕あるなとげんなりする麦野だった。


「大丈夫、そんな可愛い麦野を私は応援してる」

「滝壺まで…もう好きに言っててくれ」


キラキラと輝く滝壺に、麦野はついに言い返すことを諦めた。


「よし、『警備員(アンチスキル)』や野次馬が集まってくる前に撤収しようぜ」


一同の様子を一通り眺めていたらしい浜面が近寄ってきた。

595: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 01:48:26.44 ID:dpCXOh2o

「そうですね。『ピンセット』も取り返したことですし」

「じゃあ俺は車を取りに…ん?」


浜面が来るときに乗ってきたと思われる車両を取るために踵を返す。
麦野は思わず、彼の腕を掴んでいた。


「麦野…」

「………」


顔が熱くなるのを感じながら、麦野はキョロキョロと皆の様子を伺いながら、おずおずと呟く。


「歩けない…」

「は?」


麦野は立ち上がろうとするが、足を挫いている上に腰が抜けていた。
自らの全力を振り絞ったために、もう一歩も歩けないほど消耗している。
だから


「…歩けないって言ってんの!」


真っ直ぐに浜面に要求する。何をか?
そんなこと、言えるわけがなかった。
浜面は焦ったように周りのメンバーに視線を移す。

596: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 01:49:44.97 ID:dpCXOh2o

「いえ、私フレンダ超いますし」

「ぐふぉっ!斬られた箇所がぁぁ!痛い訳でぇぇ」


絹旗は首を振る。脇腹に傷を負ってフレンダが苦しげに、そしてわざとらしく呻いている。


「はまづら、私もこの子がいるから…」

「悪いわね。さすがにもう限界だわ。電池切れ」


体晶の効果が切れたらしい滝壺もぼんやりとした瞳で御坂を見ながらそう言う。
浜面がぶち抜いた脚の銃創が痛々しく、御坂は弱弱しく答えた。
ダラダラと汗を流す浜面の顔が、紅く染まっていった。


「し、仕方ねえな。ほら、乗れよ」


浜面が麦野に背中を向けて膝をつく。
自分を背負ってくれるようだ。だが麦野は頬を膨らませ、その頭に向けて『ピンセット』が入ったバックパックを投げつけた。
呆れたように御坂がそれを拾い上げる。


「アンタこれ大事なもんなんじゃないの…?」

「いてえなっ!なにすんだよ!」

「そっちじゃないわよバカッ!」

597: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 01:51:35.77 ID:dpCXOh2o

―――――


麦野は、やっぱりおんぶにしておけばよかったと後悔していた。
今彼女は浜面の腕の中に、所謂お姫様抱っこをされる形で収まっていた。
後ろの方からの絹旗やフレンダ、滝壺に御坂まで、皆のニヤニヤした視線が非常に腹立たしい。
浜面も浜面で、何を照れているのか顔を赤くしてこちらと目を合わせないようにぎこちなく路地裏を歩いていた。


「む、麦野。傷は大丈夫か?」

「う…うん。浜面こそ、背中の傷は?」


妙にぎこちない二人。
そんな空気すらもが恥ずかしい麦野は、気を紛らわせようと浜面との会話に応じる。


「こんなもん、どうってことねえよ。それにしても…」

「ん?」

「お前、結構おも…」


浜面の顎に掌を当てる。


「…あァん?」

「おも…おもったより軽いですね…」


命の危険を感じたらしい浜面が冷や汗を流して咄嗟にそう答えた。


「終わったようだな『原子崩し』」

599: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 01:55:26.31 ID:dpCXOh2o

路地裏の陰から、金髪アロハのサングラス男が姿を現す。
土御門だ。体中傷だらけで、服もボロボロの痛々しい姿だった。
同じように海原と結標も傷だらけで姿を現した。
彼らの進路に立ちふさがるように『グループ』のメンバーが集結する。
彼らの姿を確認した絹旗やフレンダ、それに御坂が足をひきずりながら麦野と浜面を
かばうように前に躍り出る。


「ああ、生きてたのアンタら」

「おかげさまでな」

「あんた達、まだやろうっての!?」


警戒している御坂に、海原が柔和な笑みを浮かべて語りかける。


「ご心配無く御坂さん。あなた方に危害を加えるつもりはありませんよ」

「え…そうなの?」

「任務は終了だ。一応お前を『グループ』に誘った手前、報告だけはしておく」

「誘ったぁ!?」

「どういうことですか麦野!?」


フレンダと絹旗が土御門の言葉に驚き、こちらを振り返った。


「誰がアンタらとなんか組むかっつの。『未元物質』にどんだけ私たちが苦労したか」

「あんなもんに勝てるわけないでしょ。私たちだってギリギリまで粘ったんだから」

601: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 01:57:40.36 ID:dpCXOh2o

麦野の言葉に、結標が「無理無理」と顔の前で手を振る。


「生き残ってたことを褒めて欲しいくらいね」

「アンタらの生死なんか知ったこっちゃないわよ。
 アンタのだっせぇ服装の理由くらいどうでもいいわ」

「なんですってぇ?男の腕の中で吼えてんじゃないわよ?」

「なによ?抱き上げてくれる男もいない露出狂は黙っててくれる?」

「い、いるわよ!私にだって可愛い少年達が…!」

「あら、露出狂の上にショタコンまでくっついて。キャラ濃すぎんだよ変 女ァッ!」


バチバチと火花を散らす麦野と結標。
ヒクヒクと口元を引きつらせて結標が言い返す。


「トサカに来たわ。むっかつく巻髪女だこと。だいたいあんたこそ何なのその全身黄色は。バナナの仲間かなんかだったわけ?」

「お洒落とバナナの区別もつかないのダサ子ちゃん。チンパンジーだから人間の文化は分からないってこと?
 アンタその髪型はしずかちゃんでも目指してるのかしら?」

「誰の髪型が国民的アニメのヒロインみたいですってぇ?!私はノブヨしか認めないわよ!」


実は一目見たときから絶対こいつとは仲良くなれないなと思っていた麦野。
もちろんそれは結標も同様に感じていたようで、堰を切ったように口喧嘩を始める二人を見かねて
滝壺と海原が二人の間に割って入る。

606: ていとくんはいつも僕らの心の中で微笑んでいます ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:02:10.10 ID:dpCXOh2o

「まぁまぁ結標さん、あまりゆっくりもしていられませんし」

「どいて海原!私は私のことをダサいとかしずかちゃんみたいだとか言う巻髪女だけは壁の中に埋めろって
 死んだおばあちゃんの遺言でも言われてるのよ!」

「ショタコンは否定しないんですね…」

「何度だって言ってやるっつの。
 最初から思ってたけどその服、もうこれ以上無いってくらいダッサいわよ?
 その服どこ売ってるんですかぁ?なんでそれ買おうと思ったんですかぁ?気になって夜も眠れなぁい。
 かっこいいと思ってやってるわけぇ?お腹冷やして万年下痢に襲われて、
 パ  の中クソで汚れてんじゃないの・し・ず・か・ちゃァァん?」

「殺すっ!どいて海原そいつ殺せない!あんたケバいのよ年増!」


舌戦においては間違いなく学園都市第一位の性悪、麦野に対抗できず、涙目になって麦野に襲いかかろうとする結標を
体を張って食い止める海原。
しかし最後に麦野に決して言ってはいけない言葉を言われ、麦野の眉間に皴が深く刻まれた。


「あァッ!?女捨ててるテメェに言われたくないわよ!
 テメェの臭そうな×××に焼きゴテぶち込んで真っ黒焦げにしてやろうかァッ!?」

「あらやだ下品だこと。もともと真っ黒なあんたと違って清純な私にその発言は耳が腐り落ちそうだから
 とっとと抱かれた男の数増やす作業に戻ってくれない!?」

「真っ黒じゃないわよ!ち、ちゃんとピンクなんだから!だいたい露出変 女のどこが清純だって!?寝言は寝て言え変 !」

「むぎの、めっ!」


と麦野の頭にデコピンを食らわせる滝壺。
麦野は麦野で、今にも電子線を放ちそうな形相だ。

609: セロリはしばらくお待ちを ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:04:46.49 ID:dpCXOh2o

「いたっ、滝壺もどいて。私はこいつの格好だけは許せない。先人達が築き上げてきたファッションの歴史に対する冒涜だわ。
 おまけにこいつ私のこと年増だのxxxだの言ったのよ!絶対殺す!」

「麦野止めろって、興奮してまた傷開くぞ。それに暴れられたら落としちまう」

「は、浜面!私、そんなんじゃないからね!」

「はぁ?」

「あ、そういやお前らの車レッカー移動されてたぜい」


土御門がそんな永遠の宿敵となった二人のキャットファイトや麦野の言い訳をまるで無視して、
ポンと掌を叩いて思い出したように言った。


「げぇっ!?マジかよ…!
 まいったな、下部組織の連中待ってるわけにもいかねえしな」


うろたえる浜面。


「というわけでほらよ」


土御門が両手が塞がっている浜面の代わりに近くにいたフレンダに車の鍵を手渡す。


「なんだこれ…?」

「真っ直ぐ行ったとこに停めてある。俺たちの仕事まで果たしてくれた報酬だと思ってくれりゃいい」

「お前ら…」

「勘違いするなよ。俺らもお前らもクズの中のクズだ。馴れ合いはごめんだぜ」

「ああ、そうだな」

611: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:07:06.60 ID:dpCXOh2o

あっけらかんと言って捨てる土御門が道を開ける。
海原も暴れ馬と化した結標を壁に追いやり、道を譲った。


「麦野」

「ん?」


すれ違いざま土御門が麦野に語りかける。


「また、闇の中で」


彼のその呟きに、麦野も不敵に笑みを滲ませて、応える。


「ええ。機会があれば、この暗闇でまた踊ってあげる」


土御門達の顔は見ない。
次に顔を付き合わせるときは、殺し合いの相手かもしれないから。


「にゃー。お姫様抱っこじゃかっこつかないにゃー」

「っ!うるっさい!」


後ろから最後に投げかけられた気の抜けた土御門の言葉に麦野が顔を赤くしてそう叫ぶ。
次にそちらを見たとき、もう彼らの姿はどこかへと消えていた。

617: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:09:47.87 ID:dpCXOh2o

―――――


「はぁ、早くお風呂入りたい…眠い」


しばらく歩いたところで、コートの下の服も下着も血が乾いてとても不快なことに気付き、
そんなことを呟く。


「風呂…ね」


意味深な浜面の呟き。


「なぁに?一緒に入りたいのかにゃーん?」


挑発するように、浜面の頬に指を這わせながら妖艶に微笑む麦野。
内心は自分でもなんて恥ずかしいことを言ってるんだと思いつつ。


「入りたい」

「へっ…!?」


浜面が真剣な顔で、麦野を見つめていた。


「な…ななななななな何バカなこと言ってんのよ…!」

623: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:11:56.03 ID:dpCXOh2o

どうしよう。どうしよう。
浜面がこんな反応を返してくるなんて思ってもいなかった。
この前までちょっとからかってやったら顔を真っ赤にしてあたふたしていたくせに。
麦野の心中は墜落することが決まった飛行機の乗客のようなパニックに陥っていた。


「ア、アンタバカじゃないの!…ほんと、バカじゃないの!
 何言ってんのよ!で、でもどうしても入りたいって言うなら私も別に…。
 ウチのお風呂大きいし…水着を着ればなんとか…一人じゃ寂しい時だってたまに…ああでもでもさすがにそれは」

「冗談だよバァカ」


浜面が歯を見せて悪戯が成功した子供のような顔で笑う。
トクン、と麦野の胸の中で鼓動が加速する。
そんな顔を見せられたら、意識しないようにしてきた気持ちがまた目覚めてしまう。


「…バカ、浜面のくせに、生意気なのよ…」


ギュッと胸元を握り、麦野がポツリとささやくような声で悪態をつき、俯く。


「あー、ゴホンゴホン!あんた達一応仕事中じゃないの?」

「私たちもいる訳なんだけどー?」

「ラブコメは超自重してもらいたいもんですね」

「…砂吐きそう」

624: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:13:57.35 ID:dpCXOh2o

滝壺にまでそんな風に言われ、麦野は顔を真っ赤にして押し黙った。
ふと上を見上げると、浜面も所在無さげに頬を紅潮させて麦野と目を合わせないようにしている。


「恥ずかしいなら言うなっつのよ…ばか」

「ん?何か言ったか?」

「なんでもなーい」


もうすぐ路地裏を出てしまう。
そこには言われた通り車が停めてあって、きっと自分は後部座席に寝かされる。
このお姫様ごっこももうおしまいというわけだ。
麦野は胸の中を寂しさが駆け抜けていくのを感じた。


(でも…まだいいよね)


心の中で、浜面に問いかける。
もう少しだけ、この温もりを感じていたい。
だから麦野は目蓋を閉じて、浜面に嘘をつく。

625: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:15:50.56 ID:dpCXOh2o

「お、麦野寝ちまった」

「マジ?麦野の寝顔見たーい」

「フレンダ…起こしちゃかわいそうだよ。病室で見てないの?」

「昏睡と睡眠は違う訳よ。リラックスした麦野も美しいよね。眼福眼福」

「と言いつつ滝壺さんも見に行くんですね。」

「きぬはただって」

「『原子崩し』でも寝るのね」

「『超電磁砲』 、人間は皆超寝るんですよ」


目蓋の向こう側で、皆のそんな声が聴こえる。
心臓の音でバレてしまいそうだけれど。
きっと大丈夫だ。


(…浜面の心臓だって、こんなにドキドキしてるもんね―――)


 ―――だから、私の嘘を許してね


浜面の腕の中で、溶け合う体温を感じて麦野は想う。
目が覚めたら、自分の気持ちと向き合おう。
だから今は、私の我侭を少しだけ許して欲しい。
そんな風に、やがて麦野は浜面の心臓の鼓動を聞きながら眠りに落ちていた。

629: そしてヒーロー達は帰還する ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:19:42.96 ID:dpCXOh2o

―――――


かくして麦野は振り出しへ戻った。
それからまた数日目を覚まさなかった麦野は、ある日の昼過ぎに目覚めた。
気がつくとまた病院のベッドの上で、医者や看護師たちからこっぴどく叱られた。
右目には相変わらず包帯が巻かれ、開ききった全身の傷も再び同じく包帯で覆われている。
加えて、戦闘中に捻った足にはギブスが巻かれ、ベッドの傍らには一対の松葉杖が立て掛けられていた。
『アイテム』の連中は全員割と健康体で、浜面やフレンダの怪我も見た目程は大したことはなかったと聞いている。


「…くそっ!」


そんなのどかな昼。麦野は大層ご立腹だった。
現在皆各自の家に戻っているため、暇だった麦野は病院内の談話コーナーにある自販機の前で
プリプリと怒っている。
何故か。


(飲み物が…取れない)


慣れない松葉杖を両手でついているためフラフラと危なっかしい。
頑張ってなんとかお金を入れ、ボタンを押したところまではよかったのだが、取り出し口が下のほうにあるので
上手くしゃがみこめない麦野はその缶ジュースを取り出すことができなかったのだ。


(今日に限って打ち止めはいないし…)


だいたいいつもこの時間はこの辺りに打ち止めがいるのだが。
保護者らしき若い女と一緒にいるところを見たこともある。
あの時自販機のボタンに背が届かない打ち止めを見捨てようとしたバチが当たったなと
麦野は仕方なくその缶を諦めようとため息をついたとき。


「あ、よかったら俺とりますよ」

632: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:22:08.01 ID:dpCXOh2o

スッと、隣から少年が麦野の缶ジュースを取り出し、手渡してくる。
ツンツンとした黒髪のごく普通の高校生といった感じで、入院患者だろうか、
頭や腕に包帯が巻かれている。
細くて身長も標準的だが意外とガッシリとした印象だった。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがと…」

「いやいやなんのなんの。俺もちょうど飲み物買いにきたところでしたから」


と、財布を取り出した少年が、小銭を取り出そうと指を突っ込んだ瞬間。


「ん?」


少年は不思議なものを見る目で首を傾げる。


「うわあああ!しまったぁあ!」


椅子に座って飲み物を飲んでいた麦野が、突如叫び声を上げる少年の背中を見る。


「…くそー、インデックスはいないし、仕方ない、誰かに持ってきてもらうか…」

633: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:23:15.71 ID:dpCXOh2o

ブツブツとよく聞こえない独り言を言って、彼は何故かそのまま財布をポケットに突っ込んで
とぼとぼと病室に戻ろうとする。
麦野は咄嗟に声をかけた。


「ねえ、ちょっと…!」


麦野の声に、少年が先ほどまでの快活な表情どこへやったのか、
げんなりした顔でこちらを振り返る。


「はい?なんでせうか…。上条さんは今とても小さな不幸に見舞われているんですが」

「はあ。どうしたの?飲み物買わないの?」


麦野の問いかけに、少年は困ったような笑みを浮かべた。


「いや、それが財布の中にあんまり金入ってないの忘れてて」

「そう。どれが欲しいの?」


麦野は松葉杖を付いて器用に立ち上がり、自販機の前に立つ。

635: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:25:35.98 ID:dpCXOh2o

「は?」

「だから、奢ってあげるって言ってんのよ」

「え!?いやいやいいですよそんなの!」

「困ってたところを助けてくれたお礼よ」

「お礼って、そんな大したことじゃ…」


少し困った様子の少年を無視して、麦野は小銭を投入する。
困っていたところを助けてもらったという事実は自分だけのものだ。
彼がそんなつもりがなくてもこっちは現実として助かった。
そのお礼として、120円の缶ジュースを奢ったって何も悪いことじゃないだろう。


「アンタ私より年下でしょ?いいから黙って欲しいもん言いなさいよ。
 じゃないとスープカレー押すわよ」


胃腸が弱ってたりして刺激物が駄目な患者もいるだろうに、なんでこんなもんが
自販機に並んでいるんだと思いながら麦野がそう言う。
少年は観念したように緑茶の缶を指差した。


「黙って言うのってどうすりゃいいんだ…。じゃ、じゃあお茶を」

「はいはい」


ボタンを押してやると、少年が緑茶の缶を取り出し麦野に頭を下げる。


「どうもありがとうございます」

「よろしい」

636: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:27:20.87 ID:dpCXOh2o

麦野は頷き、再びソファに腰を下ろす。
少年は余程喉が渇いていたのか、プルトップを開けるとグビグビと喉を鳴らしている。


「あなた見ない顔ね。最近ここに来た人?」

「あ?ああ。実は俺4日前まで二ヶ月くらい意識不明だったらしくて」


結構衝撃的なことを少年は苦笑いしながら告げた。
が、麦野は大して興味無さそうに頷く。


「はー、そりゃ大変だったわね」

「いやもうほんとですよ。居候は国に帰国しちまったらしいし、学校は夏休みだったからまあ大丈夫だけど、
 せっかくの夏が一眠りしたら終わってるし…ああ、言葉にすると不幸だなあ」


少年の瞳からホロリと切ない涙が零れる。
苦労してるんだなと麦野も缶に口を付けながら人事のように思っていると、ふと何かが頭の中をチラついた。


「ん?二ヶ月?」

「え?ああ、そうだけど」

「んん?黒髪で…ツンツン頭…」

「あ…あの?なんでせうか…?」


あれあれ?さっきこいつ自分の名前言ってなかったか?
ドサリ。
通路の方から、ビニール袋が落ちる音が聞こえた。
二人の視線がそちらに移る。
そこに立っていたのは。

637: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:28:33.60 ID:dpCXOh2o

「あ、『超電磁砲』」

「おう、みさ…」

「当麻ぁっ!」

「…か?」

「あ?」


常盤台中学の制服を着た御坂美琴だ。
御坂は麦野をまるで無視して少年に抱きついた。
少年はポカンと口を開けて自らの体に張り付いた少女を見下ろす。


「へ?ビリビリ?御坂妹じゃないよな?」

「バカぁっ!ビリビリ言うなぁっ!」

「ええ?」


涙をポロポロと零しながら、御坂が切ない叫び声をあげる。
何度も少年の名を呼び、彼の胸に顔をこすりつけている。
麦野は開いた口が塞がらない。
黒髪ツンツン頭の男子高校生。
2ヶ月前から行方不明。
そして彼の名前は上条…


「当麻ぁっ!よかったよぅ…っ!ぅえええ…」

「ええええええええ!!!!!?????????」


麦野は思わず病院の中だということも忘れて大声で叫んでいた。

638: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:30:04.73 ID:dpCXOh2o

「み、御坂、どうしたんだ…?」

(あの『超電磁砲』がこんな風に…)

「あ、あははは、どうしちまったんですかねー。こ、こんな奴じゃなかったんですけど」


麦野の視線が恥ずかしいのか、上条は顔を真っ赤にしてすがりつく御坂を所在無さげに見下ろし乾いた笑いを零す。
杖をついて麦野は立ち上がり、彼の緑茶の缶を奪い取った。


「やっぱこれ返して」

「あれ?」

「お邪魔虫は退散するわ。その子、アンタのこともう死ぬほど心配してたんだからね」

「そ、そうなのか御坂…」


ええ、それはもう人の眼球吹っ飛ばすわレベル5ぶっ殺すわの大暴れでしたよ。
麦野は心の中で付け加えた。
まだ中身の残った缶をくずかごに捨て、麦野は上条の手を片方ずつ御坂の背中に回してやる。


「はい。これが正解」

「え?いや…ええー?!」

「あんた…」


御坂がチラリとこっちに視線を送ってきた。

641: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:31:27.83 ID:dpCXOh2o

「何よ」

「当麻と何話してたの…?」


ジトリと、上条の腕を自らの胸に引き寄せる。
麦野はうんざりしたため息をついて手をヒラヒラ振ってやった。


「アンタが心配することなんて何一つ無いからどうぞ続けてちょうだい。私はもう帰る」

「そう。だったらいいわ。ありがと」


ケロッとそう告げて、御坂は再び緩みきった視線を上条に向ける。
麦野と御坂が知り合いだったことを意外に思ったのか、ポカンとしていた彼は再びゴクリと生唾を飲み込んで、
彼女の次の行動を待つ。


「な、なあ御坂…とりあえず一旦落ち着いてだな」

「当麻ぁ、いっぱいいっぱい心配したんだから…ばか。
 好きだよ…大好き!んっ」

「ちょっ。みさ…むぐっ!」


御坂が上条の顔目掛けて飛び込むように口付けを交わす。
麦野は少しだけ頬を紅くして、彼らの側から退散することにした。

642: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:33:20.70 ID:dpCXOh2o

―――――


(ああ…なんかショックだ。私をブチ殺そうとしてた奴があんな乙女な反応を…ってか気持ち悪い)


先ほどの御坂の反応を思い出し、悪態をつきながらも麦野は自分の胸がドキドキと高鳴っているのを感じていた。


「あ!ムギノー!ってミサカはミサカは大きな声で呼び止めてみる」


通路の向こう側から、打ち止めが麦野に飛び込むように走ってきた。
それを受け止め、麦野は打ち止めを見下ろす。


「こら、病院内は走っちゃ駄目でしょ」

「ごめんなさい。でも今日はすっごく良いニュースがあるから、早くムギノに教えてあげたくて、
 ってミサカはミサカは言い訳してみたり」

「いいニュース?」

「うん、ってミサカはミサカは元来た道を指差してみる」

「おい、クソガキィっ!オマエ俺が走れねェの知ってて全力疾走してンじゃねェぞ!」


通路の向こうから、歪な少年が近代的なデザインの杖を着いてカツンカツンと歩いてきた。

645: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:35:34.38 ID:dpCXOh2o

「あン?おい打ち止め。コイツは誰だ?」


打ち止めと一緒にいる自分を隻眼の怪しい女だと思ったが、少年はジロジロと品定めするような視線を向けてくる。
少年は恐ろしく繊細なイメージを抱かせる、華奢な体つきだった。
真紅の瞳と真っ白な頭髪が非現実的な存在であるようにすら映る。
打ち止めは彼の手を取り、麦野に花の咲くような笑顔を向けた。


「この人の目が覚めたの!ってミサカはミサカはムギノに報告してみたり!」

「ああ、このモヤシがあなたの命の恩人なんだ?」


初対面でコイツ呼ばわりされたことに少しカチンときた麦野。
笑顔で白い少年をモヤシっ子呼ばわりしてみる。


「あァ?おいクソガキィ、このクソなめたこと言ってやがるのはどこのどなたさンですかァ?!」


ヒクッと、彼の口元が引きつったのを見逃さない。


「もうっ!話したでしょ!ムギノだよ!ってミサカはミサカは不穏な気配を感じて明るく振舞ってみたり!」

「オマエがこのガキのオトモダチか。性格の悪そうな面してやがンなァ」


垣根にも言われたがそんなに性格が悪そうな見た目をしているだろうか?
実は少しだけ気にしていた麦野。

646: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:36:57.82 ID:dpCXOh2o

「人のこと言えんの?」

「ま、同情してやンよ。ガキのお守りは大変だったろォ?」

「別に。よかったわね、打ち止め。このモヤシっ子も元気そうだし、もう退院するの?」

「うん!来週退院だから、ムギノも新しいお家に遊びに来てね、ってミサカはミサカは退院しても
 お友達でいたいって告白してみたり」


モジモジとちょっと恥ずかしそうに打ち止めが上目遣いで告げる。
麦野はそれを微笑ましく思いながら、打ち止めの頭を撫でてやる。


「二人は一緒に暮らすの?」

「うん。ヨミカワの家でお世話になるの、ってミサカはミサカは期待に胸を膨らませてみる」

「そう大勢で暮らしているところに押しかけるのはご迷惑ね。
 じゃあ打ち止めがウチに遊びにいらっしゃい。私は寮だから大丈夫よ」


このモヤシと一緒にいたら家を壊さんばかりの喧嘩に発展しそうな気がするし。


「ほんとに!?いいの!?ってミサカはミサカは喜びに飛び上がってみたり!」


二人の関係がどんなものかはそう深く詮索しないでおこう。
打ち止めが喜んでいるのだから、それでいいじゃないか。
麦野はそう思った。

647: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:38:16.36 ID:dpCXOh2o

「もちろんいいわよ。大きいお風呂が着いてるから、一緒に入ろうね」

「やったー!ってミサカはミサカはあなたにもこの喜びを体で伝えてみたり!」

「おい打ち止めァ。飲み物買いに行くンだろォが。とっとと行くぞ」

「あ、今は駄目!」


麦野は打ち止めの手を引いて談話コーナーに向おうとするモヤシの前に両手を広げて立ちふさがった。
今あそこでは子供の教育によろしくないラブシーンが展開されているところだ。


「あァ?なンでだよ。邪魔だ」

「ちょ、ちょっとこっち来なさい」


モヤシを通路の端に引き寄せ、麦野は彼に耳打ちする。


「ンだよ。何か文句でもあるンですかァ?」

「今あっちでイタイカップルの濃厚なキスシーンが絶賛上映中だから…打ち止めには…」

「…ア?…あァ…おォ、そうだな、悪ィ。確かにそりゃァあのガキには刺激が…ン?あいつどこ行きやがったァ!?」


ちょっと目を離した瞬間に打ち止めがどこかへ姿を消している。
これはまさかと談話室の方を見ると


「ぉおお!見て見て『一方通行(アクセラレータ)』!自動販売機の前でチューしてる人がいるってミサカはミサカは…もがっ!」

「らめえ!『超電磁砲』!アンタらまだやってんのか!」

648: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:39:54.77 ID:dpCXOh2o

松葉杖で廊下を疾走し、すぐさま打ち止めの顔を自分の胸元に押し付けてその光景を隠す。


「もがっ!…むー!何も見えないってミサカはミサカは突然の柔らかい感触にー…もがもが」

「あんた子供いたの…?」

「あァ?!なんで私にこんなでかい子供がいるんだよ!?」

「いやだってあんた…」

「それ以上ほざきやがったらマジで殺す!いいから●●なら部屋戻って●●ってろ!」

「ヤ、●●って何をよ!」

「気取ってんじゃねえぞお嬢様ァ!中学生なら分かんだろぉ?
 テメェの×××にコイツの×××ぶっxxのに決まってんだろ!」


打ち止めの耳をしっかりと塞いで麦野は暴言を吐く。


「うわぁ…あんた本気でヒクわ…」

「御坂、この人お前の知り合いだったのか?
 上条さんは綺麗な女の人の口からこんな単語が飛び出す場面に出くわしたことがないので
 大変ショックを受けてるんですが…」

「ちょ、ちょっとね…。いや、悪い奴じゃないから。たぶん。
 ほら、年だから色々と欲求が…ね?」

650: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:41:51.61 ID:dpCXOh2o

麦野の発言に上条も御坂も少しヒキ気味の視線を送ってきた。
ビキビキと麦野のこめかみ付近に血管がどんどん浮き出てくるが、
このままではラチが開かないので広い心で受け流してやることにする。


「な、何で私がそんな目で見られんのよ。悪いのはアンタらでしょ!
 ほらもういいから戻って戻って。せっかく再会できたんだから 欲に任せてやることやってこい」


シッシッと手を払って二人を部屋に戻らせる。


「ま、とりあえず戻りましょ」

「なあ御坂…それってつまり…」

「んなっ!んなわけないでしょ!?さっきの…キ、キスだって勢いなんだから!
 もう二度としないんだからね!」

「いやでも俺のこと好きって…」

「…うぁ…そ、それは…ついよ!うっかりうっかり!
 ほ、ほら!行くわよ!変なことしたら承知しないからね!」


部屋に戻りながらの上条と御坂のそのやりとりを見て少しイラッとする麦野だった。
もうお前らさっさと付き合えよと思いながら打ち止めの手を引いて麦野もモヤシのもとへ戻る。


「こっちまで聴こえてンぞ。オマエ何か色々とすげェな…」


病院の中だというのに大汗をかいて戻ってきた麦野にモヤシが奇妙な生物でも見るような目で言った。

651: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:43:22.84 ID:dpCXOh2o

「えー、もっと見たかったってミサカはミサカはしょんぼりしてみたり」

「ああいうのは邪魔しちゃ駄目なの!」

「ムギノはしたことあるの?ってミサカはミサカはストレートに疑問をぶつけてみる」

「え…?」


ドキッと麦野の胸が強い鼓動を刻む。
酔ったフレンダにされたことなら、と思ったが、そんなもんをカウントに入れるわけにはいかない。
となれば、恋人同士のキスということになる。
麦野はもちろんキスなどしたこと無い。手だって繋いだことは無いし、小学校時好きだった男の子には
レベル5だからという理由でいじめられたりもした。
中学に入ってからはもう擦れに擦れて教室の隅でポツンとしているような暗い子だったし。
高校はロクに通ってないからクラスメイトの顔だってほとんど覚えていない。
だから麦野は、咄嗟に浜面のことを思い出す。
麦野は唇に手を当てて、もし彼とキスすることになったら、などという恥ずかしすぎて悶絶しそうな
シーンが思い浮かんだ瞬間、モヤシが打ち止めの手を掴んだことでそれが中断された。


「おいクソガキ、また後でもいいだろ。困らせてンじゃねェよ。部屋戻ンぞ」

「はーい。ってミサカはミサカはしぶしぶ返事をしてみたり」

「ったく。じゃァな、ガキの世話してくれてありがとよ」


特に表情を変えず、モヤシがぶっきらぼうに礼を言ってくる。
とりあえず言っておいたみたいな感じではあるが、乱暴な口調の彼からそんな殊勝な言葉が出てくるとは
思わず、麦野は一瞬呆気に取られた。

652: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:44:15.65 ID:dpCXOh2o

「え?ああ…何回かお話したくらいだし、そんなの全然構わないわよ」

「そうだよ!私とムギノは友達なんだから!ってミサカはミサカは自慢げに言ってみたり!」

「そォかよ。ほら行くぞ」

「じゃあねムギノー!まだしばらく病院にいるから、また遊んでね!ってミサカはミサカはお願いしてみたり!」

「ええ、もちろんよ」


ところで、麦野は一つ気になっていることがあった。
それはさっき、打ち止めが何気なく発した言葉。


「…一方通行?」


それが思わず口を突いて出た。


「あン?」


あ。
麦野はポカンとなる。
どうやらこのモヤシが、行方不明になっていた『一方通行』らしい。
ヒョロっちい奴だとは聞いていたが、想像以上のモヤシっぷりに唖然とする。


「アンタが…一方通行?」

「そォですけど?俺に何か用ですかァ?」

653: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:45:28.38 ID:dpCXOh2o

一方通行はめんどくさそうに表情を歪めた。
麦野はドキリとなる。彼が学園都市第一位。
レベル6に最も近い男。
それがこんなところにいるとは。


(ってちょっと待て、それじゃ、ここには例の実験に関わった奴が全員集合か…まずくない?)

「もういいか?」

「え…ああ、ごめん。ちょっとビックリして」

「そォかよ。まァ、オマエとはまたどっかで会いそうだな。『原子崩し』」

「え…?」


麦野の呟きには答えず、彼は打ち止めの手を引いて杖を突き自らの部屋に向って歩いていった。
最後には不敵な笑みを残して。


「バレてたか。ムカツク奴」


まあいいか。麦野は思う。その時はその時だ。
それに、御坂美琴も、一方通行も、上条当麻も、三人とも出会ったところで殺し合いにはならない。
そんな気がした。
彼がここにいると言うことは、きっと御坂は彼を許したんだ。
それが上条当麻が現れたことと関係があるのかはわからない。
でも、今この学園都市は、麦野が思っているほど悪い状況下には無い。そう思えた。
誰もが闇の中に飲み込まれたのに、世界はまたこうして自分を含めて正しく回り始めた。
だから麦野は、フッと笑みを零して踵を返す。
またどこかで。きっとそれが闇の中だとしても、悪くない。
麦野はそう思える自分自身に、少しだけ成長を感じたのだった。

654: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:46:44.89 ID:dpCXOh2o

―――――


「まったく、どうしてこんなことが起こったんだろうな」


研究者、木山春生はやれやれと呆れたように笑っていた。
隣にはカエル顔の医者。彼もまた、困ったように眉間に皴を寄せている。


「さて、何だろうね?
 人間の脳は、まだまだ不可解なことが多いからね?」

「…彼女が病院に運び込まれたと同時に彼は目を醒ました。
 私は彼女のAIM拡散力場が彼の脳に何らかの影響を与えていたのだと踏んでいるが…」


木山は腕を組み、そう言う。


「だがそうすると彼に自分のこんな姿を見られたくないという願いが、彼の脳が目覚めることを妨げたの
 かもしれないということになるが。非科学的だな…」


自分で言った言葉にため息をつく木山。
カエル顔の医者がそれに続くように言葉を繋げた。


「そうでもないさ。彼らの脳はもしかすると繋がっていたのかもしれないね?
 自らの脳波を操る程の能力者なら、他人の脳波に影響を与えることも可能なはずだよ」

「つまり、彼女が復讐を止めなければ、彼は永遠に目覚めることは無かったというわけか。
 彼が目覚めなければ復讐も終わらない。無限ループだな。皮肉というか、哀れな子だ」

655: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:48:08.00 ID:dpCXOh2o

「しかし、彼が目覚めたということは、彼女の戦いは終わったんだろう?
 無限に続くメビウスの輪から、彼女を外へ引き上げたのは誰だったんだろうね?」


カエル顔の医者は、口元に笑みを称え、木山を見やる。


「…そのようだな。やれやれ、私が何を言っても聞かなかったと言うのに。
 一体どこの誰にどのような説得を受けたのやら」

「どちらにせよ、彼女にとっては良いことだ。
 僕としても、患者が二人も同時に目を覚ましてくれたわけだしね?
 でも、これからが大変だよ?既にあの子は学園都市の暗部に、片足を突っ込んでしまっているからね」


カエル顔の医者は試すように木山に問いかける。


「…あの子なら何とかするだろうさ。これまでも、そうしてきたんだ。
 きっと彼女は、今まで持っていなかった新しい何かを得たんだろう。
 …それが何かは、我々の与り知るところではないが」


きっと大丈夫だ。
闇の中からでも、彼女はまた舞い戻ってきたのだ。
木山はふぅっと気だるそうに吐息を漏らし、薄く微笑んだ。
視線の先。
ガラスの向こうのベッドには、もう誰もいない。

656: 少年達の物語は再開された ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:50:27.85 ID:dpCXOh2o

―――――


「でね、その第一位が真っ白いモヤシっ子でさー」

「まあ能力に筋力は超無関係ですからねー」

「殴り合ったら麦野の方が強そうだねそれ」

「悪いけど筋力なら勝てそうだったね。腕相撲とか申し込みに行こうかしら。
 すげー嫌そうな顔で『なめてンですかァ?』とか言われそうだけど」


それから麦野は、お見舞いに来てくれたフレンダと絹旗と一緒に談笑していた。
時刻は間も無く午後七時。八時までの面会までまだ約1時間ある。
例の一件以来絆を深めた『アイテム』の面々は、時間を忘れて会話に花を咲かせている。


「んでその打ち止めって子が可愛くてね。ちょっと『超電磁砲』に似てんだけど」

「へぇ、会ってみたいなぁ。麦野が可愛いって言うくらいだから期待しちゃう訳よ」

「ムギノはムギノはーって語尾移ったりしないんですか?キャラ付けに超いいかと」

「私がそれ言うとすげーきつくない?まあ明日会ったら連れてくるよ。モヤシっ子が嫌がったら無理だけど」


本日の話題は『一方通行』についてだった。
そんな折のこと、会話をさえぎるようにして、病室のドアが開かれる。


「ん?……滝壺…」

658: 少女の物語はまだ終わらない ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:51:29.04 ID:dpCXOh2o

麦野が呟くと、ベッド脇の椅子に腰掛けていた二人もそちらを振り返る。
そこに立っていたのは、麦野がここに入院して初めて訪れる滝壺だった。


「むぎの…体の具合、どう…?」


おずおずと近づいてきて、お見舞い品らしきバナナの束が手渡される。


「だ、大丈夫だけど…何でバナナ?」

「栄養あるみたいだから」

「アンタあのムカつく結標との会話聴いてて思いついたろ」

「……屋上から信号が来ています」

「誤魔化すな」


コツンと滝壺の額を優しく小突く。
少しだけぎこちなかった部屋の空気が、先ほど同様柔らかいものになった。


「ありがと、来てくれて。すごく嬉しいよ」


麦野が滝壺に笑いかける。
相変わらずぼんやりした瞳の滝壺も、少し照れくさそうに小さく頷いた。


「あのね、むぎの…今日はちゃんと麦野と話そうと思って」

659: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:52:49.59 ID:dpCXOh2o


フレンダが新しく出してくれた来客用のパイプ椅子に腰掛けながら、滝壺がそう言う。
彼女の言葉に、フレンダと絹旗が顔を見合わせておずおずと手を挙げた。


「あの…私たち席超外しましょうか…?」

「そだね、二人で積もる話もあるだろうし」

「ううん。二人にも聴いて欲しいんだ」

「「え…?」」


二人の言葉が重なる。
そして滝壺ははっきりと、いつも通りの調子でこう言った。


「仲間だから、友達だから聴いていてほしい」


麦野は深く呼吸をした。
仲間。友達。
学園都市暗部から最も遠い言葉。
かつては麦野もそれは反吐が出るほど甘ったるくて嫌いな言葉だった。
今でも口に出すのは躊躇う。
でも、麦野はもうその言葉を否定はしない。
結局自分の根幹にあったのは、他人を求める気持ちだと認めてしまったから。
だから、フレンダ達もその言葉を聴いて少し驚いていたようだが、特にそれ以上何も言わずに部屋に留まった。

660: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:53:51.17 ID:dpCXOh2o

「麦野。どうして私があの時、浜面の家に居たか。言うね」

「待って滝壺」


滝壺の言葉をさえぎり、麦野は真っ直ぐに彼女を見つめる。
シーツをギュッと握り締め、麦野は頭を深く下げた。


「あの時はごめんなさい!私…いっぱいいっぱい滝壺に酷いこと言ったよね。
 先にそれを謝らせて。じゃないと、その話を聴けない。
 許してくれなくてもいいの。でも…本当にごめん!」


深く深く頭を垂れる。
足がこんな状態でなければ、本当は地に膝を着いて謝りたかった。
それくらい滝壺には酷いことを言って傷つけたのだから。
そして何より、滝壺が麦野に対して怒っていたのは、
自分の心を守るために他人を否定して、悪意で壁を作ろうとするその臆病さ。
それが麦野の中にある限り、麦野は浜面を傷つける。
そのことに、ようやく気付くことができた。
滝壺はしばらくそんな麦野を見つめていたが、やがてポツリと呟くように言う。


「許さなくてもいいの?」


滝壺の平坦な声が胸に深く突き刺さった。


「…嘘ついた。お願いだから許して欲しい…滝壺に、嫌われたままでいたくない」

661: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:55:20.59 ID:dpCXOh2o

下を向いたまま顔が上げられない。
長い沈黙。やがてそれを破ったのは、滝壺の体温だった。


「むぎの」


滝壺が抱きついてくる。細い、小さな体で。
強く強く麦野を抱きしめた。
石鹸の香りが胸の中を満たしていく。その感触に、麦野も彼女を抱き締め返す。


「誤解をさせた私も悪かったね。ごめんね。だからもういいよ。仲直りしよう。
 …あの路地裏でむぎのの言葉を聴いて、私も自分の中でむぎののことが、
 みんなのことがすごく大切なものになってたんだって気付いたの。
 本当はもっと早くここに来たかったけど…怖かったんだ。
 むぎののこと分かってたはずなのに、私もカッとなってむぎのを受け止められなかった。
 もうむぎのと、本当に二度と仲直りできなくなっちゃったんじゃないかって…。すごく怖かったの。
 だから…むぎののあの言葉を聴いて、私もむぎのに伝えなくちゃって思ったよ。
 ねえ、むぎの…

 私、むぎののこと、大好きなんだよ…」


眠そうな目だった。
だけど、滝壺の言葉ははっきりと麦野の胸に入り込んでくる。
彼女の気持ちが、真っ直ぐに伝わってくる。
気付けば、麦野の頬を涙が流れていった。
悲しくなんてない。嬉しい。すごく嬉しい。
滝壺と気持ちを伝え合うときは、自分はいつだって泣いているなと麦野は思う。

662: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:57:23.49 ID:dpCXOh2o

「…滝壺。アンタが私を追いかけてきてくれたとき、私は気付くべきだったんだよ。
 だって滝壺はいつだって私に好きだって伝えてくれてた。信頼を向けてくれてた。
 私は滝壺が自分の後ろにいつだっていてくれるんだって勘違いして、アンタに酷いことを言ったんだ。
 アンタの信頼に、何を返せるんだろうって、今もずっと考えてるんだよ。
 滝壺、私も気付けた。私もアンタに伝えたいことがある。
 私もね、ずっとずっと、滝壺のことが大好きだったんだ…」


涙が溢れて止まらない。滝壺への想いが止められない。
強く強く滝壺を抱きしめる。いつしか滝壺も泣いていた。
凍り付いていた二人が溶け合うように、涙を零した。


「ありがとう。むぎの。あのね、私あの時はまづらの家に、
 『はまづらはむぎののことどう思ってるの?』って訊きに言ったんだ」

「え…?」

「むぎのがはまづらのことどう思ってるのかは何となく分かってたけど、はまづらのことはよく分からなかったから」


滝壺が体を離し、涙で顔をくしゃくしゃにしながらそう言う。


「でも、滝壺は浜面のこと好きだって」

「好きだよ。大好き。だけど、むぎののことも好きだから、はまづらがむぎののこと好きだって言うなら、
 私はむぎのを応援しようと思ったの」

「…そんな、じゃあアンタの気持ちは…」

664: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 02:58:44.32 ID:dpCXOh2o

自分の気持ちを押し殺してまで応援されても嬉しくない。
自分のために滝壺の気持ちが押し隠されてしまうのは麦野にだって辛い。
麦野の言葉に、滝壺は首を振った。


「違うよむぎの。
 大好きなはまづらと、大好きなむぎのが幸せになってくれるなら、私は本当にそれが一番素敵なことだって思ってたんだ。
 ううん、思い込もうとしてたの。私がむぎのに勝てるわけない。はまづらは私よりむぎのを選んじゃう。
 だからむぎのを応援して、自分を納得させようとしてたんだよ」

「そんなこと…。それにそれは私だって…」


麦野は衝撃を受けていた。
滝壺が麦野に対して思っていたことは、自分が滝壺に対して思っていたこととまるで同じだったから。
可愛い滝壺。大人しくて、優しい滝壺。
そんな滝壺を、浜面だってきっと好きなんだ。だから、自分のことを、浜面が一番に想ってくれるはずなんてない。
そう思っていた。


「分かってる。逃げてたのは、私も同じだったんだ。
 だけど、自分の気持ちを伝えずにいたら後悔するって、もう気付いたから…
 むぎのが気付かせてくれたから…」

「滝壺…」


滝壺の表情は今もずっと優しいままだった。
そして、とても大事なことを報告するように。滝壺は大きく息を吸って、麦野から目を逸らさず、真っ直ぐに告げた。

665: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 03:00:35.88 ID:dpCXOh2o

「だからね、むぎの。やっぱり私もはまづらを諦められない。
 はまづらの気持ちが誰に向いてるのか知ってるけど、もう伝えずにはいられない。
 むぎの、私、今日はまづらに告白しようと思うんだ」

「え…?」

「いいよね、麦野」

「…どうしてそんなことを私に言うの?」

「私はむぎのがはまづらをどう思ってるのか知ってるから。むぎのにも知っていて欲しかったんだよ」


滝壺は口元にほんのわずかな微笑を称えて、麦野の手を握る。
麦野は視線を少し泳がせて、それでも彼女の視線を受け止める。


「…でも滝壺。私、滝壺の恋敵なのよ…。私、滝壺のライバルなんだよ!?」


麦野の問いかけに、何故か滝壺は驚いたようにと麦野を見ている。
妙な空気が流れる室内。
ふと見ると、今まで二人の様子を見守っていたフレンダと絹旗まで、口を閉じることも忘れてこちらを見ていた。


「む、麦野…」

「超言いましたね」

「うん。むぎの、やっと言ったね」


滝壺は顔一杯に喜びを露にする。
そして、彼女は告げた。


「むぎの、恋だって、認めたよ」

666: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 03:02:01.78 ID:dpCXOh2o

「ぁ…あ…わ、私」


カァッと、顔が熱くなっていく。
確かにこれが恋だと言葉に出したのは初めてだ。
浜面の顔が頭に浮かぶ。ドキドキと胸が高鳴る。
そうか、これが恋なんだ。
頭の中で何度も否定してきた言葉。そんなわけがないと、認めなかった言葉。
麦野を胸を押さえ、その心臓の鼓動を確かめるように目を伏せた。


「それにね、むぎの。嬉しいな、私たち、ライバルだ」


それは、麦野と滝壺の新たな関係。
『アイテム』としてではなく、日常を共有したことの証。
麦野と滝壺の、二人だけの世界だった。


「や、やだ…ええっ?…ど、どうしたらいいの…?」

「嫌なの?」

「い、いや、嫌ってわけじゃなくて…えっと、ライバルって、何したらいいのよ?!」


頭の中が混乱して、思わずフレンダに問いかける麦野。
話を振られたフレンダは、絹旗と顔を見合わせてニヤリと笑った。


「知らなーい。結局、自分で考えろって訳よ」

「そうですね。指し当たって、どうやって滝壺さんと超決着つけるかってことですよね」

667: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 03:03:09.34 ID:dpCXOh2o

絹旗の一言で、室内が沈黙する。
滝壺は今日、浜面に告白するのだ。麦野は、自分にそんな勇気があるだろうかと
再び爆音を鳴らし始めた心臓に問いかける。


「じゃあ、むぎの。私はまづらと会うから、帰るね」


滝壺は席を立ち、麦野に最後にそう言い残し、部屋を出て行く。
沈黙が室内を包み込む。
麦野は俯いたまま、シーツをギュッと握り締めて何も言えずにいた。
浜面への告白。
そんなこと、自分だったらできるだろうか。
もし断られたらどうしよう。そんな辛い思いをするなら、今のまま浜面との良好な関係を続けていてもいいんじゃないのか。
いや、それ以前に自分は浜面の告白を一度断っているんだ。今更そんなこと言えない。
あのときの自分の言葉を無かったことにして、告白なんて、できるわけが無い。
たくさんの逃げ道が、言い訳が麦野の前に用意された。
麦野は手を震わせる。


「…今の麦野って、結局キモいよね」


フレンダの平坦な言葉が聞こえた。
耳を疑う。フレンダが、何を言ったか分からない。


「フレンダ…?」

「ええ、超キモいですね」


絹旗も、賛同するように頷く。
何を、言ってるんだろうと麦野は驚いたように二人を見る。

669: ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 03:04:45.38 ID:dpCXOh2o

「…そう…だよね。…ごめん、私…でも、震えが止まらなくて…」

「違うよ麦野」


それは懐かしむような声だった。


「麦野はいっつも自信過剰でさ、高飛車で、傲慢で、我が侭で、理不尽で、乱暴で」

「そうですよ。寝起きは悪いし、すぐ機嫌が悪くなるし、絶対自分でドリンクバー行かないですし、
 後輩の私たちに全然奢ってくれないですし、そのくせ命令だけは超しますし…」


何故か始まる悪口のオンパレード。
麦野は何が何だか分からなくなり、ポカンと口を開け放った。


「でもさ、麦野は覚えてる?
 私が風邪で倒れてたときは、わざわざ家までいっぱいお土産もって看病しに来てくれたよね。
 文句言いながら、治るまで毎日来てくれたんだよ」

「私が夏休みの宿題が終わらなくて嘆いてた時も、麦野はブツブツ言いながらも朝まで付き合ってくれましたよ」

「あー、あれは?滝壺がお化粧したことないって言うから、麦野妙に張り切って化粧品全部用意して滝壺にプレゼントしてさ、
 ずっと付きっきりで教えてあげたりしてたよね」

「超ありましたね。フレンダと滝壺さんが高校に入学したときは、お祝いでケーキ作ってパーティしようって言い出したのも麦野でした」

「アンタ達…何言ってんの?」


今度は褒められた。麦野は呆気にとられたまま首を傾げる。
そして、フレンダは麦野に指を突き付ける。

670: 麦野沈利、最後の戦い ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 03:07:09.92 ID:dpCXOh2o

「…私たちみんな、結局いいとこも悪いとこも含めて、そんな麦野に憧れてた訳よ」

「麦野が根っこのところでは結構優しい人だってこと、もうみんな超知ってますから」

「だから麦野!このままだと後悔するぞ!自信持て!」

「何カワイコぶって怖がってんですか超麦野のくせに!戦う前からビビらないのがうちのリーダーなんですよ!
 麦野だったらこんなとき、どうするかなんて、超決まってるじゃないですか!!」

「…ッ!」


フレンダと絹旗の言葉が、麦野の心に勇気をくれた気がした。
いつしか震えは治まっていた。
フレンダと絹旗はほとんど同時に席を立ち、麦野を見つめて優しく笑う。


「私たちも帰るね麦野。結局、あとは自分で考えなよ」

「麦野の選んだものを、私たちは超応援しますよ。
 滝壺さんをライバルだって思うんなら、ライバルでいたいって思うんなら、
 胸を張ってそう名乗れるような選択をしてください」


最後にそう言い残し、二人も帰っていく。
一人取り残された部屋で麦野は思う。
迷う理由なんて、あるのかと。
浜面に対してしたことが悪いと思うなら、どうしてその気持ちを伝えられないのか。
許してくれるわけがないと端から諦めて、何も行動を起こさないことを選ぶなんて、そんなこと馬鹿げている。
許す許さないは浜面が決めること。
だから今自分に出来ることは、分かりもしない結果をあれこれ考えることじゃなく、
自分の気持ちを素直に伝えることだ。
今の自分なら、きっとできる。

麦野は自らに言い聞かせるように頷き、仲間の顔を思い浮かべながら、枕元に置いてある携帯電話を手に取った。
ディスプレイに表示された名前は、浜面仕上。
思えば、彼がどこに住んでいるのか、なんて些細なことからこの恋は始まった。

671: 浜面仕上と決着を着ける時が来た ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 03:08:34.84 ID:dpCXOh2o

(始まってしまったこの恋に、ケリを着けなくちゃ、私は浜面やみんなと先に進めない。
 そして戦うなら、今しかない…!)


あの時の鼓動をそのままに。
だけどより明確な想いを胸に、通話ボタンを麦野は押した。


1コール


(もう滝壺のところに向ってるよね…)


2コール


(二人がもし上手くいったら…私は祝福してあげられるかな…)


3コール


(ううん、きっとできる。私が自分の気持ちを浜面に伝えることができたなら…)


4コール


(お願い浜面…。私…浜面に言いたいことがいっぱいあるんだよ…)


672: 次回、最終話 ◆S83tyvVumI 2010/05/02(日) 03:10:27.73 ID:dpCXOh2o


…ガチャッ


「…浜面?私だけど…」


『ただいま電話に出ることが出来ません。ピーという発信音の後に、メッセージをどうぞ』


無機質な音声が流れる。
かつての麦野だったら、きっとそこでタイミングが悪かったと諦めただろう。
機会を先送りする体の良い理由として、そのまま電話を切っただろう。
だが、今の麦野はそんなことで諦めたりしない。


「麦野です。浜面…大事な話があるから、今夜10時に病院の屋上まで来てください…。ごめん、待ってるからね…お願い」


麦野は留守電メッセージを残した。
それはきっと誰にだってできる、本当に些細なこと。
しかし麦野にとっては、浜面と会うことを決定付ける、浜面と真正面から向き合うための、とても大きな一歩だった。
鼓動が強く刻まれていく。
会って、何を話そう。何を伝えよう。ドキドキと高鳴る心臓を押さえながら、麦野は時計を見る。
時刻は8時。

決戦まで、あと2時間。


713: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 00:47:45.96 ID:4T5e0LYo


病室を一歩出て、杖をつき、私は想う


思えば長くて遠い道のりだった


彼と初めて出会った夜。
彼はただの冴えない腐った人間の一人だった。
どんな経緯があってここにやってきたのかなんて、興味が出てくるわけもない。
ただ図体がでかくてちょっと器用なだけの、本当にどこにでもいるクズの一人だと思っていた。
レベル0のスキルアウトなんて、能力も無ければ努力するだけの根性も無い、私は心底彼を軽蔑していた。


彼と初めて仕事をした夜。
私は少しだけ彼を見直した。
能力は無くとも技術はある。実力が全ての暗部組織の中で、レベル0でありながら
彼は下っ端としてはそれなりに有能な男だった。
周りの連中からの評判も悪くない。だから私は、彼を自分たちの側に置く程度には興味を持った。

714: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 00:50:28.60 ID:4T5e0LYo


屋上への階段を上りながら、私は想う


哀しくて辛い、だけど儚い夢のような道行きだった


彼と初めて●●り場のファミレスで仲間を交えて食事をした昼。
私は彼ともっと話をしてみたいと思った。
馬鹿でデリカシーは無いが、自らの領分を把握した的確な行動には少しだけ関心した。
下っ端の雑用係としてではあるが、彼はすぐに私たちの中へ溶け込んでくる。
レベル0なのに、私は少しだけ彼に嫉妬をした。


再び仕事を共にしたあの夜。

幾度となく超えたあの夜。

そして彼と言葉を交わした次の朝。


私はきっと、彼に恋をした

715: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 00:52:17.43 ID:4T5e0LYo

―――――


そして時は来た。
冷たい夜風が麦野に吹き付ける。
だが麦野にはそんなもの全く気にならなかった。
体が熱い。心臓が砕けそうなほどの脈動。骨が蕩けそうな衝動。
あれから2時間。じっとしていることなんて、出来るわけがなかった。
シャワーを浴びて、入院してからは久しぶりに化粧もした。髪も巻いた。
服も浜面が似合うと言ってくれたピンク色。
お気に入りのワンピースを着て、いつもより少しだけ深めに胸も開けて。
自分がただの女の子なんだって、分かってもらいたい。
少しでも浜面に可愛いって思ってもらいたいという打算を許して欲しい。
頑固で、わがままで、意地っ張りだけど、今日だけは、誰より素直な人間になろうって、そう決めたんだ。


(ちゃんと笑って話せるかな…ちゃんと目を見て言えるかな…)


鉄柵越しに見る学園都市の夜景。ポツリポツリとした住宅街の明かりだけが見えている。
この街の夜は長く、その中で自分は今日まで生きてきた。きっとこれからも。
なのに、こんなにもドキドキとする夜は今までに無い。
初めて暗部の仕事をしたあの日だって。
初めて滝壺たちと出会ったあの日だって。
初めて浜面を迎え入れたあの日だって。
こんな気持ちになったりしなかった。

716: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 00:53:26.41 ID:4T5e0LYo

(すごいな…滝壺は)


きっともう浜面に告白を終えたのだろうな。
こんな気持ちを抱えて、彼女も想いを告げたのか。
腕時計を見る。
もうとうに十時を過ぎていた。
浜面からの返事もない。
開くことのない重い扉が、麦野に語りかけてくる。 


   来るわけがない。二度と来るなと言ったのはお前だ。

 滝壺の告白を受け入れて、きっと今頃は二人で過ごしているのだろう。

    自分の言動を思い返してみるがいい。

 お前が他人に優しくしてもらえるような人間か?

    お前のようなどうしようもない人格破綻者に、どうして好意を向けてくれる人間がいると思えるんだ?


そんな言葉が聞こえてくるようだ。
浜面と滝壺が一緒にいるところが頭の中をチラつく。
だが麦野は頭を振ってそれを吹き飛ばした。


(滝壺がどうかなんて関係ない。私は伝えなくちゃいけないの。
 浜面は私に自分の気持ちを素直に言ってくれたんだ。
 だから私も、それに応えなくちゃ。嬉しかったって。あの時はごめんって。
 それが、浜面に対する礼儀ってもんでしょ)

718: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 00:55:38.75 ID:4T5e0LYo

根暗をこじらせてとうとう防火扉と会話できるようになったことはとりあえず置いておく。
だが現に浜面は来ない。
とうとうそれから、日付が変わろうかという時間まで、彼は現れなかった。
誰もいない寂しい屋上で、麦野は膝を抱えて座っている。


(…どうしたんだろ浜面…。何かあったのかな…?)


悲しい気持ちが胸の中を満たしていく。
伝えたいのに伝えられない。話したいのに、話す相手がいない。
それがこんなに辛いことだったなんて、初めて知った。
空に輝く月を見上げる。
上を見ていなければ、涙が溢れてきそうだった。


(お願い浜面…。アンタがいないだけで…私こんなになっちゃうんだ…。一人は嫌だよ…)


体が震える。自らを抱きしめる。
もしこのまま来てくれなかったら。
このまま浜面に会えなかったら。
そんな不安が胸を過ぎる。
ジワリと目頭が熱くなる。唇が震える。


こんな辛くて悲しい気持ちになるなら、恋なんて―――

719: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 00:56:42.78 ID:4T5e0LYo

そんな考えが頭にチラついたときだった。


ドサリ


ふと、敷地の端で音がした。
何かが落ちるような音。
何気なく、そちらを見る。


「麦野ッ!」


ドアではなく、何故か鉄柵を乗り越えて。
茶色の髪をボサボサにして、体のあちこちに葉っぱや枝を引っ掛けながら。
苦笑いをして、はにかんで。
彼はそこにいた。
麦野の涙は、もう止まらない。
この2週間で、自分がこんなに泣き虫だったんだって思い知らされた。
でも別に構わない。
だって今この左目から流れる涙は。
彼に会えた喜びで。
彼を信じきった喜びで。
零れ落ちた心の証だったから。


「はま…づら…?」

721: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 00:58:11.84 ID:4T5e0LYo

麦野は松葉杖を突いて立ち上がった。
ポツリと呟く。
世界で一番大切な名前。
言葉にしただけで、胸が張り裂けそうになる。
彼がそこにいるだけで、鼓動は加速する。


「遅れてすまん麦野!」


彼はこちらの姿を確認するなり歩いてきて、顔の前で両手を合わせて頭を下げる。


「…遅刻よ、ばか」


ぐしぐしと袖で涙を拭きながら、麦野は呟く。


「ごめんな、本当は時間通りに来てたんだけどさ、入り口閉まってんじゃん。
 ウロウロしてて、お前に電話しようとしたらたまたま運悪く知り合いの『警備員(アンチスキル)』に捕まっちまってよ。
 急いでこっちに戻ってきたら携帯の電池は切れるわこんな時間になるわでめちゃくちゃ焦ったんだぞ?」


苦笑しながらそう言う。
確かに面会時間は八時まで。その時間を過ぎたら病院の入り口が封鎖されるなんて、よく考えなくても全然普通のことだ。
浜面への気持ちで胸がいっぱいで、混乱してそんなことも気がつかなかった。
麦野は唖然としながら彼に問いかける。

722: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:00:17.59 ID:4T5e0LYo

「ってかなんであんなところから入ってきたの?」

「だって入り口から入れねえし、仕方ないから裏から木登って非常階段の手すりに飛びついたんだよ。
 んで、雨どいからこっちまで渡ってきたんだ。結構死ぬとこだったぞ」


もうやりたくねえと付け加えて浜面は身震いした。
だが彼は次の瞬間にはこちらを真っ直ぐに見下ろして、歯を見せて笑った。


「それで…わざわざ危ない真似してここまで来てくれたの?」

「ああ。だってお前なんかすげー深刻な声で話があるって言うから。
 来てください、なんつって。麦野のくせに命令形じゃないんだぜ?そりゃ焦るっつの」


麦野はもう、頭の中がどうにかなりそうだった。
いや、もうどうにかなったっていい。
こんな溢れて零れて、抱えきれない大きな気持ちに、身を委ねたって。
もういいよね。


「んで、話って何だ、むぎ…」


浜面の言葉が終わる前に、麦野は杖を放り捨てて彼に飛びついていた。
御坂美琴が、上条当麻にそうしたように。
普通はみんなそうしてしまうのだ。
だから自分の行動は、何もおかしくなんてないのだ。
だって。
私はあなたの前では。


―――ただの女の子なんだから


「…の?」

724: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:01:37.00 ID:4T5e0LYo

呆けた浜面の声が聴こえる。
強く強く彼を抱きしめた。
浜面の温もりが、匂いが、鼓動が、麦野の中に溶けていく。
彼に伝えようと思っていた言葉なんて、もうとっくにどこかに吹き飛んでいた。
何も考えられない。何も言えない。
口から吐き出す言葉なんて、この感情の一欠片にだって満たない。


「お、おいおい。麦野、当たってるぞ」

「…ばか、●●●」


大きな胸が形が変わる程強く押し付けられている。
彼は顔を赤くして頬を掻いている。
だが、麦野は抱きしめ、もっと強く強く彼に押し付けた。
この厚い脂肪の向こう側。皮膚の向こう側。骨の向こう側。
そこにあるこの心臓の、鼓動の速さを彼に届けたい。
私はこんなにあなたでドキドキできるんだよって、浜面に知ってほしい。


「どうしたんだ、麦野?なんかあったのか?」

「あったよ」


その問いかけに即答する。
迷いなんてない。怖くなんてない。
体中から溢れる気持ちを止めることなんて、もう誰にもできない。

725: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:03:49.91 ID:4T5e0LYo

「お、おう?どうした?」

「浜面…、私、あの日のアンタの言葉にちゃんと答えなかったよね。
 ごめんなさい…アンタもきっと、こんな気持ちを抱えて私に告白してくれたんだね。
 なのに、私はアンタの言葉から目を逸らして、正しく受け止めてあげることができなかった…」


言葉が震える。恐れているからじゃない。
止め処ない感情が、麦野の体で暴れているからだ。
浜面は麦野の言葉を、ただ黙って聴いてくれていた。


「滝壺がアンタの部屋にいた時だってそう。
 ほんとは誤解だったって分かってたのに。私はもしそうじゃなかったらって怖くて、逃げ出したんだ。
 アンタや自分を信じられなかった私の弱さが、アンタを傷つけたんだって、ずっと後悔してた。
 だから、本当にごめん!ムシの良いことだって分かってる。
 だけど…お願い…許して!ごめんなさい!」


奥歯を噛み、懇願するように。
浜面から体を離して、麦野は深く頭を下げた。
倒れそうになる体を彼に支えてもらいながら。


「麦野…お前…」


何と返していいか分からず、困ったように呟く浜面。
麦野はゆっくりと顔を上げ、左目で彼の瞳を見つめる。


「そして浜面…聴いて。浜面―――」

726: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:04:58.38 ID:4T5e0LYo

大きく息を吸う。ずっと言いたかった言葉。伝えたかった言葉。
これ以上の言葉が見つからない。
心をそのまま明け渡せたらいいのに。
正しく伝えたい。間違いなく、伝えたい。
浜面の心に届いて欲しい。
麦野は己の願いの全てを託して、ただ一言を告げる。



「―――私、アンタが大好き…」



呼吸が出来ない。心臓が破裂しそう。
たったそれだけの言葉を言うだけなのに、体の全てが何もかもをかなぐり捨てる。
浜面は驚いたようにこちらを見ていた。
目は逸らさない。決して逸らさずに言葉を紡ぐ。

727: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:07:39.43 ID:4T5e0LYo

「浜面が好きです…付き合ってください…」


消え入るような声で、しかしはっきりと告げる。
心の中だって、音にだって、今まで出したことのない言葉だった。
背中を押してくれたみんながくれた、大切な言葉だった。


「……麦野、えっとだな…」


何を言っていいのか分からないという具合にオロオロしている浜面。
頭を掻きながら、照れくさそうにこちらにチラチラと視線を行き来させる。


「なんつーのか…俺でいいのか?」

「…どういう意味?」

「いや、確かに俺から告白したんだけどよ。あー…なんつか、現実感ねえっていうか…
 俺、お前の彼氏ってことでいいの?マジで?」

「え、アンタ、滝壺は…?」


思わず訊いてしまっていた。
付き合って欲しいと言ったのは自分だが、何で滝壺を今気にするんだ。順番が逆だろう。
まあ気にならないと言えば嘘になるが、どちらにせよ彼に告白というか、気持ちは伝えるつもりだった。
麦野も浜面もその妙な間に首を傾げた。
やがていまいち噛み合わない二人の会話に、浜面が苦笑いする。

729: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:09:15.94 ID:4T5e0LYo

「なんだ。知ってたのか。まあお前ら仲直りしたみたいだし、そりゃそうか」


浜面は少し考えて、真剣な表情で口を開いた。


「滝壺は、告白してくれたけど。断った」


ドクンと、麦野の心臓が主張する。
彼が言っていることがそういうことなら。つまり…。


「…なんで?」

「それ訊くか?…最初から言ってんだろ?…俺が好きなのはさ」


浜面は大きく呼吸をする。彼の視線が、麦野を捉える。
麦野も、それにつられるように息を止めた。


「お前なんだよ。麦野」


浜面からの、二度目の告白。
あの時はただ辛いだけの言葉だったのに。
今はもう、何度でも聴きたい、宝物のような言葉になっていた。

731: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:10:52.14 ID:4T5e0LYo

「浜面…それって、そういうことなのよね?」

「…どういうことだよ?」

「だから…あの、私、浜面の、こ、恋人ってこと…なんだよね?」


現実感がまるでなくて、これは夢なんじゃないかって、何度も彼に確認する。


「そうだろ?」


浜面は優しく笑った。
麦野はもう一度彼を抱きしめる。
嬉しい。嬉しい。
こんなに嬉しくて幸せなことが、この世界の、私の知らないところに、あったんだ。


「浜面…いいの?私、すごくわがままだよ…?」


体を離して、彼を見上げて問う。


「今更何言ってんだよ。いいよ」


微笑む浜面。

733: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:13:37.04 ID:4T5e0LYo

「私、全然素直じゃないよ…?」

「知ってるよ。いいんじゃねえの?それが麦野だろ」


苦笑する浜面。


「私、怒りっぽくて口も悪いよ?」

「それは直そうぜ。別にいいけどさ」


諭すように、頭を撫でてくれる浜面。


「浮気したら、殺しちゃうよ?絶対」

「うっ…いや、いいよ。殺せ」


笑顔が引きつる浜面。


「私…顔、こんなだよ?」

「おい、怒るぞ?だいたい、お前の顔を『こんな』呼ばわりされたら、俺なんかどうなるんだよ」


少しムッとして、その後は呆れたように力なく笑う浜面。
浜面がどんな表情をしたって、麦野の心中にはただ幸福と歓喜の二語だけが
手を取り合い踊っている。

735: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:15:45.28 ID:4T5e0LYo

「それもそうね」


麦野は悪戯っぽく笑みを浮かべた。


「待て待て。そこは『浜面はかっこいーよ』とか言うとこだろ」

「言って欲しかったの?でもそれバカップルぽくない?私あーゆーの見てるとイラついてブチ殺したくなるのよねー。
 それにカッコよくないものをカッコいいとは言えないわよ」

「お前めちゃくちゃヒドい奴だな…。
 まあ確かに気持ちは分かる。俺も前はそうだった」

「アンタのそれは独り身の僻みでしょうが」


浜面を小突く麦野。


「うぐっ、否定はできねえ。っつかお前は違うのかよ?まあいい。
 俺にはもうこんなに可愛い彼女がいる!だからもう僻まねえ!」

「はいはい。でも彼女…嬉しい。初めて恋人ができた」

「え、嘘だろ?」

「何よ、そんなに意外?悪かったわね。どうせ性格悪すぎて今まで一度も告白だってされたことない女よ」

736: 恋は落ちた方が負けだと誰かが言った ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:17:56.87 ID:4T5e0LYo

訝しむ彼にプイッと顔を背ける。
麦野の暴言を乗り越えて告白までこぎつけた人間なんて、今までいなかった。
だから浜面は実は結構な偉業を成し遂げたのだが、本人はあまり気がついていない。
そんないつもの軽口。
彼とこんな関係で、こんな風に話せるようになるなんて、2週間前は想像もしてなかった。


「悪くねえよ」

「え…?」

「言ったろ?お前は面倒見が良くて、本当は優しい女の子だってよ。
 俺がソレを分かってるんだから、それでいいだろ?」


頬をかいて、恥ずかしそうに浜面は言った。


「ばぁか、はーまづらぁ!」


浜面を見ているだけで、何もかもが喜びに満ち溢れていて
麦野は自分の周りの世界の色が変わっていくのを実感していた。
これが現実だって。誰かに証明して欲しい。

738: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:19:43.92 ID:4T5e0LYo

「な、なんだよ。まだ何かあんのか?」

「これ、夢じゃないよね?」


だから私は訊くんだ。
誰でもないあなたに応えてほしくて。


「確かめてみろよ。いつもみたいにコレで」


浜面は握りこぶしを作って自分を叩いてみろと言った。
だから麦野は、ひねくれ者の麦野は、その言葉に従わない。


「…ん」

「あ?…むぎ―――」


彼の唇に自らのそれを押し当てる。



時が止まった



「ふふっ、はーまづらぁ。どうだった?」


驚きに見開かれていた浜面の目が閉じられる前に、麦野は唇を離す。
上目遣いに、真っ赤に染まった浜面の顔を見上げて、彼の唇に人差し指を押し当てる。

740: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:21:43.16 ID:4T5e0LYo

「えっと…一瞬で何がなんだか…。で、でも、現実みたいだぞ。一応」


照れまくっている浜面にかまわず、麦野はさらに意地悪をすることにした。


「私は、分からなかったな」


嘯く麦野に、浜面が呆けた声を出した。


「は?」

「だからさ―――」


瞳を閉じて、少しだけ顎を彼に向けて突き出す。
捧げるように、ねだるように。


「―――今度は浜面が教えてよ」


「麦野…よ、よし」


ゴクリと生唾を飲み込む浜面。
肩に手が置かれ、麦野の体が小さくピクンと跳ねた。


「…好きだよ、浜面…」


囁く声が、数センチ先の彼の唇に吹きかかる。
体の芯から蕩けていきそうな空気の中。麦野が薄く瞳を開ける。

743: 大団円って好きかい? ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:24:28.09 ID:4T5e0LYo

そのとき。


「ふぎゃぁっ!」


ガシャーンという音がして、防火扉が勢いよく開けられる。
甘い空気を粉々に吹き飛ばされ、二人はバッと体を離してそちらを見る。
下からフレンダ、絹旗、滝壺の順で積みあがっていた。
麦野の体がわなわなと震える。


「あ、あああ…アンタたち…!ま、まさか…今の見て…!」


一番下でヤベェと言いたげな顔をしているフレンダに、麦野は顔を真っ赤にして詰め寄る。


「てへ☆」


自分の頭を小突き、可愛く舌を出すフレンダだった。


「いやぁぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


髪を振り乱して夜空に向って吼える。
見られていた。あの恥ずかしい台詞の数々を、よりにもよってこいつらに見られていた。
世界よどうか滅びて下さいと、麦野は生まれて初めて神様に祈った。


「むぎの、病院だから…静かに静かに」


滝壺に諭され、口元を押さえて、立ち上がった彼女たちに視線を戻す。
バツが悪そうに3人は互いの顔を見合っていた。

745: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:26:26.07 ID:4T5e0LYo

「ど、どっから見てたの?」

「えーっと…麦野が待ち合わせ時間になっても浜面が来なくて絶望的な顔で夜空を見上げてたあたりから…」


フレンダが頭をかきながら苦笑しつつそう言う。
最初っからじゃねえか。
麦野は頭を抱えてへたりこんだ。
その姿を見ながら、絹旗が麦野の頭上でニヤリと笑った。


「私ぃ…すっごくわがままだょぅ?」

「ぶふぉっ!」

「はうっ!」


麦野の声真似をする絹旗と、吹き出すフレンダ。
麦野は肩をビクンと肩を跳ね上げて絹旗を見上げた。
そこに、勝ち誇ったように笑う悪の中学生の姿があった。


「嬉しいな、初めて恋人ができたぴょん」

「ぷっ…!」

「聴こえない聴こえない!」


浜面も吹き出す。
耳を塞ぐと、今度は絹旗も座り込んで麦野の耳元に口を寄せる。


「だから、今度は浜面が教えてにゃん」

「……フフッ」

「あああああああ!やめろおおおお!!!」

748: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:28:01.89 ID:4T5e0LYo

とうとう滝壺まで笑いだした。
目に涙を溜めながら、キッと絹旗を睨みつけると、彼女は心底楽しそうに笑っている。


「ふふん、いつも私をいじめて遊んでいる超仕返しです。
 麦野も恋をするとこんなに可愛いこと超言っちゃうようになるんですね。ぷふー。
 はーまづらぁん、これ、夢じゃないよねぇん?」

「ブツブツブツブツ…」

「麦野、バカップル嫌いなんだっけ?
 ププッ……結局麦野って案外自分のこと見えてないよねー」

「……プルプルプルプル…」

「二人とも…そのへんにしておかないとむぎのが…破裂しそう」

「ブチッ」


滝壺の言葉にハッとなって麦野を見る二人。
顔を真っ赤にして、プルプルと体を震わせて俯く麦野がいた。


「テメェら…」

751: 浜面と麦野はみんなの妄想の中でいちゃいちゃさせて下さい ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:30:21.58 ID:4T5e0LYo

恥ずかしさでパンク寸前の麦野がゆらりと立ち上がる。
浜面も含めた4人の顔が見る見る青ざめていく。


「む、麦野!落ち着いて!ね?可愛いイタズラだよ!」

「そ、そうです!言い過ぎました!超謝りますから!」


麦野は口を真横に引き裂き、嗤った。


「…ブ・チ・コ・ロ・ス」


夜の病院に少女の悲鳴が木霊する。
それは後にこの病院の怪談としてしばらく語り継がれることになるのだが、それはまた別のお話。


「むぎの」


麦野の拳を脳天に食らって煙を上げて倒れ伏した二名の前で、息を荒くする麦野の袖を滝壺がスッと掴む。


「滝壺、どしたの?」

「よかったね、むぎの。私も…ちょっと悔しいけど、嬉しいよ」

「あ、そっか、アンタ…」

754: そしてここでそれを吐き出して俺をニヤニヤさせてくれ ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:32:58.24 ID:4T5e0LYo

浜面に告白をして、彼はそれを断ったのだった。
麦野はそれに対してどう答えればいいか分からず、言葉を詰まらせる。
チラリと浜面の方を見やると、彼も所在なさげに視線を泳がせていた。


「気にしないで、むぎの。二人を応援したいって気持ちも本当だから」

「…滝壺…アンタ」


よく見ると、彼女の目の周りは赤く腫れている。
それは麦野の病室で泣いたせいか。それとも。
だが麦野の考えを読み取るように、滝壺は応える。


「大丈夫。私、まだ諦めたわけじゃないから」

「え?」


滝壺の言葉に、麦野は問い返す。
滝壺は優しい瞳で微笑んだ。


「だって私たち、ライバルなんでしょ?
 むぎのが油断してたら、私、はまづらをさらっていくからね」


彼女のその言葉に、浜面はドキリと肩を跳ねさせていた。
麦野はフッと息を吐き、自信に満ち溢れた表情で滝壺に答えを返す。


「上等じゃないの、滝壺。浜面は、絶対渡さないわよ!」

757: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:35:59.21 ID:4T5e0LYo

麦野は不敵に笑う。滝壺もそれに応える。
そこに険悪な感情は無い。
二人は、今日生まれたばかりの新たな関係を祝い合うように互いを見詰め合った。


「麦野と滝壺のほうが通じ合っちゃってる感じで妬ける訳よ」


蘇ったフレンダがカチ割られた脳天を押さえつつ浜面に言う。


「だな。お邪魔虫は俺の方じゃねえのか?」

「さっきも病室で二人で抱き合ってお互いに大好きだよって超言い合ってましたからね」


涙目で立ち上がった絹旗も呆れたようにため息をつき、苦笑した。


「マジか!まさか麦野達にそんな妖しい関係が…!」

「普段は強気な麦野が滝壺を引っ張ってるけど、ベッドの上では滝壺が麦野を泣かせまくる訳よ。
 ああ、それを木陰からそっと眺めたい。むしろ撮影したい。むしろ加わりたい」

「うぉお!フレンダお前天才か!想像したら鼻血がぁッ!」

「二人とも超馬鹿ですか」


月夜の晩に百合の花咲く丘の上で生まれたままの姿で妖しく抱き合う切なくも悩ましい二人の姿を
想像したらしい超馬鹿、浜面が鼻を押さえながら、クネクネする同志フレンダと共に息を荒くしていく。
麦野はもうお決まりのため息をつき、やれやれと首を振るのだった。

760: 滝壺×麦野が流行ればいいと思っているのは俺だけでいい ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:38:18.58 ID:4T5e0LYo

「アホなこと言ってんなよ。どこをどう見たらそんな風に映r…」

「はまづらも、むぎのを哀しませたら…私、むぎのをとっちゃうよ?」

「なん…だと…?」

「ばっ…!滝壺まで何言ってやがる!」


驚愕して仰け反る麦野。


「クソっ!俺はどうすればいいんだ!麦野をとられたくねえ!でもそんな二人も見てみたいと俺のジュニアが囁いてくる!
 うぉおおお!!フレンダ!絹旗!俺はどうすりゃいい!?」

「病院に超行けばいいと思いますよ。あ、ここ病院ですね。脳神経外科とかありましたっけ」

「私は滝壺×麦野を推奨する訳よ。何故ならその方が美しいから」

「浜面!フレンダ!テメェらはいっぺん死んでこい!」


そんな皆の様子を見守りながら、滝壺は眠たげな目を優しく細めて、麦野に微笑みかけた。


「ね?むぎの」

「うっ…し、知らない!」

「可愛いな、むぎのは」


プイッとそっぽを向く麦野。
滝壺は麦野の頭を優しく撫でた。


「もっと見てたい訳だけど。こっちもそろそろ」

761: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:39:32.02 ID:4T5e0LYo

と、フレンダがぱたぱたと防火扉の方に駆け寄り、手にビニールの買い物袋を持って戻ってきた。


「ま、それはそれとしてさ。はい麦野」

「ん?何だこれ?」


そこに手を突っ込み、麦野に銀色の缶を一つ押し付ける。
フレンダは他の面々にも同じ缶を渡していく。
その缶のラベルを見ると


「ビール…何故」


眉を顰めてフレンダに尋ねる。
彼女は最後に自分の分を取り出して、輝くような笑顔を浮かべた。


「お仕事お疲れ様ーと、滝壺めげるなーと、麦野浜面おめでとーと、麦野滝壺仲直りよかったねーと、
 あとはあとは…そう!私たちのこれからに!お祝いしようって訳よ!」

「お前よくこんなもん買えたな」


どう見ても未成年のフレンダに売ってくれる店などあるのか?と浜面が呆れながら缶の蓋を開ける。


「下部組織の連中に買ってきてもらった。まだまだいっぱいあるから今日は飲み放題だぜ☆」


舌を出して可愛くウィンクするフレンダ。
手に持ったビニール袋の中には缶やら瓶やらがまだまだゴロゴロとひしめいていた。

764: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:40:51.24 ID:4T5e0LYo

「アンタそんなことのためにわざわざ…」

「フレンダ、私お酒飲めないよ…」

「そんなことって何よー。こういう区切りは大事でしょ?」

「ま、そりゃ確かにそうですね。フレンダの超奢りということなら、私もやぶさかではありませんよ」


フレンダと絹旗もプルトップの蓋を開ける。


「あ、御代はあとで割り勘な訳よ」

「だと思いました」

「きぬはた、私お酒駄目なんだけど…」

「げぇっ、俺マジで金ねえぞ。経費とかで落ちねえの?」

「落ちるかバカ!いいよいいよ、色々心配かけたお詫びに、私が奢ったげるから」


麦野もため息をつきながら同じく蓋を開けた。


「さっすが麦野!よっ!太っ腹!伊達に最年長じゃない訳よ」

「ビール頭からかけるぞ」

「…むぎの、私飲めない…」

「ここ病院だから大丈夫よ、がんばれ」

「そっか、確かにそだね。…じゃあちょっとだけ」

「いいのかよそれで」

766: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:42:37.43 ID:4T5e0LYo

スルーされ続けてきたが、変なところで納得した滝壺が、ようやくそこで蓋を開け、全員の手に
ビールの缶が握られる。
フレンダはコホンと咳払いをして一歩前へ躍り出た。


「えーではでは皆さん。今回は色々ありましたが、なんとか全員無事にお仕事終えることができました。
 これからもがんばっていきましょう。そもそもこの度は浜面と我らが麦野の…」

「いいから早くしてちょうだい」

「前置きの長い音頭は超嫌われますよ」

「ビール温くなっちまうぞ」

「ビールおいしくない…苦い」

「滝壺、もうそれは浜面に飲んでもらったらいいから、アンタはこっちの甘いのにしな」

「おう、そうしろそうしろ。ちょっと寒いし、これじゃビールの美味さも半減てもんだしな」

「ほんと…?おお、これは飲んだことあるよ。甘くて美味しかった」

「あ、私もそっちのほうがいいです」

「アンタは駄目」

「麦野の超いけず」

「冗談だよ。じゃあそのビールも浜面にあげな」

「3本も同じもんいらねえよ。お前は手伝え麦野」

「ビール太るから嫌」

「こらー!フレンダさんの話を聴きなさい!あ、麦野、そっちの梅酒は私も飲みたいから置いといてね」

768: ん?何がですか? ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:44:28.37 ID:4T5e0LYo

「アンタはいいちこでも飲んでろ」

「いいちこ馬鹿にしたね!?いくら麦野でもそれは許せない訳よ!」

「私がお酌したげるよ?」

「いいちこなんてクソくらえよ!樽ごと持ってこいやぁ!」

「いいちこって何…?」

「いいちことはですね、下町の超ナポレオンと呼ばれる…」

「なあ、いつになったら始まるんだ…?」

「ハッ!そうだった。麦野の誘惑につい…!ちゅうもーく!」


ぶーぶーと文句が出てくるやいなや、いつも通り脱線を始める一同。


「今度はちゃんとしてくださいよ」

「できるだけ手短にね。グラスだったらとっくに泡無くなってるわ」

「おつまみは何があるんだろう。ハッピーターンは…」

「滝壺、また脱線するからとりあえず待つんだ」

「はいはい。それじゃあもう私たちの未来に!かんぱーい!」

770: ハッピーエンドとは限らない? ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:46:03.10 ID:4T5e0LYo

フレンダはもう一度咳払いをして、今度は勢いよく缶を頭上に掲げた。
その掛け声と共に、全員の缶が夜空に掲げられる。
病院の屋上で突如始まった非常識にも程がある『アイテム』の打ち上げだった。
麦野は缶に口を着けながら、想う。
本当にこの3週間、色々なことがあった。
初めて浜面を含めた全員で遊びに行った。
初めて滝壺と喧嘩をした。
初めて自分の心と向き合った。
初めて仲直りをした


(初めて、恋をした…―――)


隣で早速ビールをぶっかけられている浜面をチラリと見る。
それだけで鼓動が早まるのは、苦しいけど、とても心地がいい。
皆笑顔で、この前まで殺し合いのさ中にいたことを忘れているような表情だった。
それでいい。
暗部の人間がこうやって笑顔で酒を酌み交わすなんてと、誰かは言うかもしれない。
仲間意識なんてものを持って、情を移して、それは甘すぎるんじゃないのかと、かつての自分に言われるかもしれない。
だが、それがどうしたと、今の麦野は吐き捨てる。
この闇の中は、一人で歩いていくにはあまりにも心細くて、遠すぎて。
その導となるものが彼女たちだと言うなら、麦野はそれを守ろうと決めたのだ。
御坂との決戦前に、思い浮かんだ疑問を頭に浮かべる。


―――果たして自分は彼女たちのために行動することができるのだろうか?

773: うるせえバカ。ハッピーエンドに決まってんだろ ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:47:15.29 ID:4T5e0LYo

(決まってんでしょ、そんなこと)


答えなど、言うまでもなかった。
暗部組織は利用価値だけの繋がり。能力が有効価値。弱者は敗者となり、ただ死すのみ。
それは紛れも無く純然たる事実であり、こちら側にあるただ一つの法則。
しかしと、麦野は思う。
この暗闇の中で、一つくらい、手を取り合って歩いていく奴がいてもいいじゃないか。
私は『アイテム』。
私は『原子崩し』。
私は『麦野沈利』。
誰にも文句は言わせない。
麦野は無邪気に騒ぐ彼女たちの姿を見据える。


―――私はこいつらのことが、いつの間にか大好きになっていたのね


麦野は、優しく微笑みを浮かべ、紅潮する頬を隠すように缶の中身を飲み干す。
口元を拭い、赤らんだ己の顔に向けて悪態をついた。
それはきっと、祝杯の酒の所為だったから。

776: 引き返してもおk。ここからは本当に蛇足 ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:51:44.51 ID:4T5e0LYo

~エピローグ~


「で、どうすんだコレ」


麦野は鉄柵にもたれかかるように座ったまま、ため息をついて一人呟いた。
死屍累々という言葉がある。
そう。目の前に広がる光景がそれだ。


「ん~ムニャムニャ…むぎの~……愛してるよ」


フレンダは早々に泥酔していいちこの瓶を愛しげに抱きながら眠っている。


「これでも超くらいなさい…はまづらぁ~」

「うぐぉ……駒場さん…重いっす…うぐっ!」


大の字に寝転んでいる浜面は、同じく眠っている絹旗の踵落としを喰らってうめき声をあげていた。
絹旗起きてるのか?と思ったが、可愛らしいパ  が丸見えになっているのでそうでもなさそうだ。
ムニャムニャ呻いていた浜面が、今度はニヤニヤとその顔を綻ばせ始める。


「フヒヒ…郭ちゃん、そのおぱーいは反則だぜぇい……爆 ヤバス」

「…(ムカッ)」


夢で他の女の名前を呼ぶとはいい度胸だ。
私だって●に関して は一家言あるぞこっち見ろと妙な対抗心を燃やしながら、
麦野は目下最大級に厄介な酔っ払いの相手を再開する。

778: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:52:39.69 ID:4T5e0LYo

「フフッ…むぎのの太もも…気持ちいい」


麦野のギブスが嵌っていないほうの脚に頭を乗せ、太ももをスリスリしてくる滝壺。


「やめろ。フレンダの真似なんかしちゃいけません。馬鹿がうつるわよ」

「むぎのの●●●●も…ヤバスだよぉ…」


妙にスキンシップが過剰な滝壺。
目がトロンとなっているのはいつものことだが、顔が真っ赤で、薄ら笑いを浮かべてとにかく上機嫌だ。
フレンダが滝壺×麦野推奨とか言っていたが首を振ってそれを否定する。
ふと見ると、滝壺が膝の上からこちらを見つめてくる。


「…むぎのの唇、やわらかそう…」

「は?」

「私もむぎのと…したい…」

「ちょっ!」


ガッチリと頭を捕まれ、滝壺の顔が近づいてくる。
顔を少しだけ紅潮させて、麦野はめくるめく女の園へと足を踏み入れた。
かに見えた。


「おーっす。あんたたちまだやってんのー?廊下まで聴こえてんだけど…」


ガチャリと防火扉を開けて、御坂美琴が屋上に現れた。
滝壺の唇があと数センチのところで止まる。
思わず目を閉じてしまっていた麦野が、慌てて飛び跳ねた。

779: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:54:11.06 ID:4T5e0LYo

「うわっ!あんたたちそんな関係だったの!?ごめん、邪魔したわ!」

「ちげーよ!そんなんじゃないの!ほら、滝壺、アンタも説明を…」


滝壺の肩を叩くて、彼女は既に小さく寝息を立てて眠っていた。


「全員潰れやがった…」


部屋に放り込みたいが、こんな足でそんなことができるわけもなく。
もうお前ら全員風邪ひけと麦野は彼女たちを放って杖を着いて立ち上がった。


「なに?アンタまだいたの?
 ははぁん、今の今まで腰振ってやがったな●●ガキが」

「ふざけたこと言ってんじゃないわよ!部屋にいたのは本当だけど…別に何にもなかったんだから!」

「ええ?つまんない。二ヶ月も●●ってりゃさぞかし●●の出るだろうに」


からかうように下品な単語を連発する麦野。
浜面が起きていないものだから言いたい放題だ。


「●●とか言うな!あんた恥ずかしくないの!?」

「あれー?私何のことか言ったわけじゃないのに分かっちゃうのかにゃーん?あれー?」

「あ、あんたほんと最低ねっ!」


ぷりぷりと怒る御坂。
先日戦ったときのような憎悪に満ち溢れた彼女はもうそこにはいない。


「そういやアンタ、『一方通行』のことだけど…」

781: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:55:53.03 ID:4T5e0LYo

思い出したように、麦野は問いかける。
御坂はわずかに俯き、頷く。


「…うん。あいつのしたことは許せないけど、当麻は帰ってきてくれたからね。
 『妹達』はもう死ななくても済むんだもん。だから当麻だったらきっと、あいつのこと許すと思うから…。
 それにね。あんたが…それを気付かせてくれたから…」


一瞬だけ間を置き。御坂は少しだけ悔しそうにそう言った。
割り切れない部分もあることだろう。だが、自分だけがそこに留まっているわけにはいかない。
きっと御坂は、麦野と戦い、託すことを決めたんだ。
『上条当麻』の運命や、『一方通行』の運命を、『麦野沈利』という一枚のコインに。
御坂美琴はそうやって、前に突き進んでいくことを怖れない人間だから。
麦野はそれ以上は聞かず、御坂を手招きし、二人で鉄柵に寄りかかって学園都市の夜景を見る。


「そう、余計なこと聞いたわね。それはそうと、何よ?何か用があるんでしょ?」


暗闇の中には、相変わらずポツポツと家の明かりしか見えなかった。
今度は自分が彼女の言葉を聴く番だ。キョロキョロと言い出すタイミングを見計らっているような御坂に、
麦野は自分から切り出してやった。


「うん、あのさ…麦野…さん?」

「麦野でいいよ。今更年下面すんな。アンタは私の宿敵。いつか決着つけるからね」


麦野はおずおずと話す御坂に隻眼で笑いかける。
御坂も力強く頷くと、夜の街を見下ろしながらポツリと御坂が呟く。

783: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:57:11.31 ID:4T5e0LYo

「うん…。あのね、麦野。私を、あんたたちの仲間に入れてくれない?」

「はぁ?」


麦野は驚き御坂を見つめる。
せっかく暗部から引き上げてやったのに、また戻りたいと言うのか。
だが御坂の視線は揺らがない。


「あんた、言ったよね。暗部に堕ちた奴はもう戻れないって」

「そうだけど、アンタはそんなこと忘れて…」

「ううん、私、もう殺しちゃってるから…」


自分の掌に切なげに視線を送る御坂。
確かに、彼女はもう取り返しの着かないことをしてしまった。
暗部組織や関連施設、スキルアウトなど、御坂がその手で殺害した人間の数は既に浜面やフレンダ達など
比べ物にならないほど多い。
だが麦野は、別にそんなこと気にする必要はないと思っていた。
暗部の連中なんて、自分たちも含めて死んで当然なことを行っている人間の集まりだ。
だから他人を容赦なく殺せるし、相手だって自分を躊躇いなく殺しにかかってくる。
そう言った暗黙のルールが暗部にはあるのだ。
だからこそ、自分が死ぬ可能性を常に頭に入れておけない奴は暗部になんて関わるべきではない。


「『超電磁砲』 。アンタがクズ共の命を背負うことは無いんだよ。
 怖いの分かるけどさ、気にすんなよ」


麦野は平坦に言い放つ。御坂に暗部は似合わない。そう思った。


「そうなの…?」

784: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:58:22.07 ID:4T5e0LYo

おずおずと御坂が訊いてくる。
麦野は御坂が迷わないよう、強く頷いてやった。


「そんなくだらねーこと考える前に、アンタは自分の身をしっかり守ること考えな。
 ま、アンタに勝てる奴なんて今や『一方通行』か私くらいのもんだけどね」


その麦野の言葉に、御坂がピクリと口元を引きつらせた。


「それは聞き捨てならないわね。私はあんたに負けたわけじゃないでしょ。
 そっちの女の能力がなかったら、どう考えたって私の勝ちだったわよ」


むにゃむにゃ寝息を立てる滝壺を指差して御坂。
麦野もその言葉にカチンときた。


「あァん?テメェこそ何言ってんだ?
 『アイテム』は私がリーダーなんだから、みんなの勝利は私の勝利なのよ」

「ジャイアンかあんたは。
 面白いじゃない。あんたには昔一回勝ってるし、演算能力の補強が無くたって負ける気がしないわね」


だんだんとヒートアップしてくる二人。


「勝っただァ?あの時の決着はまだ着いてないでしょが。
 ここでケリけてやったっていいんだけど。ク・ソ・ガ・キ?」

「望むところじゃないの。あの時あんた達は施設防衛を失敗してんだから私の勝ちに決まってるでしょ?
 どうしてそれが認められないのかしらねー。オ・バ・サ・ン?」

785: 暗部に堕ちた人間は、二度と戻れない ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 01:59:52.01 ID:4T5e0LYo

額を突き合わせて睨み合う女が二人。
バチバチと空気震わせる音が辺りに響き渡る。
誇張などではない。本当に放電しているのだ。
だがひとしきり睨み合った後、麦野はため息をついて首を横に振る。


「くっだらない。何で私がアンタと無駄に喧嘩しなくちゃいけないんだか。ガキはもう帰って寝なさい。」

「私を子ども扱いしないでくれる?なによ急に年上ぶっちゃって…。
 あっ、そだ。一個訊きたいことあるんだけどさ」

「年上なの。敬え。…ったく、何よ?」

「さっきと言ってること違くない?まいいや、あのさ」


麦野は床に置いてあった水の入ったペットボトルを拾い上げて中身を飲み干す。
御坂も、フレンダがどっさり買ってきたビニール袋の中に残っていた烏龍茶のペットボトルを取り出して、
キャップを開けながら何気なく呟いた。


「『ドラゴン』て何?」

786: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:01:00.97 ID:4T5e0LYo

麦野の動きが止まる。
手を下ろしながら思案した。絵本に出てくる怪物のことか?
だがそんなことをこのタイミングで麦野に問いかける意味が分からない。
御坂に視線を向けて麦野は首を傾げた。


「はぁ?アンタもメルヘン野朗がうつったんじゃないの?」

「違うわよ。『スクール』、『グループ』、『アイテム』、『メンバー』、『ブロック』…そして『ドラゴン』。
 他の組織の情報は結構掴んでたから知ってたんだけど、これだけ初めて知ったのよね」

「おいおい、そいつら全部学園都市の結構な重要機密よ。それを掴んだってだけでもヤバイのに…」


麦野の額に汗が滲む。
そう言えば、確かに確認するのを忘れていた。
御坂はネットワークへのハッキングを可能とする能力者だから、『グループ』や『アイテム』のことを知ったところまでは
よしとしよう。下部組織から出回って存在自体を知られるということも、まあ考えられない話ではない。
しかし、その御坂ですら知りえなかった情報。
存在すら誰も知らない、その組織。否、組織かどうかすらも分からない、得体の知れない存在。
麦野の体から酔いが急速に冷めていく。


「アンタまさか『ピンセット』…使ったんじゃ…」

「使ったっていうか、何なのか一応調べたら手の甲のとこにあったモニターが起動して…」

「『未元物質』が知ってしまった情報を、アンタも知っちゃったってことね」


麦野は焦りを隠すように忌々しげに笑った。

787: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:02:06.03 ID:4T5e0LYo

「え、何?もしかして私結構ヤバイ?」


御坂は麦野の言葉に恐る恐る尋ねてくる。


「たぶんね。誰にも言うんじゃないわよ。何も見なかったことにしなさい」


このとき麦野はある考えを頭の中に思い浮かべていた。
しかし、それを口には出すことは躊躇われた。それは、太陽の下に戻ってきた御坂を、
再び闇の中に引き摺りこむものだったから。


「私…大丈夫なのよね?」

「まだその段階ならね。その情報を使ってアンタが何かコトを企てようって言うなら、もしそれを統括理事会に気付かれたら、
 また命を狙われることになるわ。もしかしたら私達にもアンタを殺せっていう仕事が回ってくるかもしれない」

「う、うん。肝に銘じとく」


御坂は神妙な顔つきでそれを聞いていた。
自分の心配と言うより、白井や上条などの周りの人間へ危害が加わることを危惧していると言いたげに。


「じゃあさ…こういうのはどう?」


それを見て、麦野は御坂の耳元で囁く。
御坂はふんふんと頷きながら、やがて驚きに目を見開き麦野を見つめた。
彼女からそんな提案を受けることになるなんて、夢にも思わなかったのだ。


「…それ、大丈夫なの…?」


おずおずと御坂が問いかけてくる。

789: 本当にそうか? ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:03:42.21 ID:4T5e0LYo

「いい機会だと思ってたのよね。『未元物質(ダークマター)』のこともそうだし、何よりアンタと約束しちゃったから」

「でもそれってあんた達が…」

「誰に言ってんの?この私を飼いならしてるなんて思われてるのがムカつくのよね」


麦野の冷徹な視線に、御坂がゴクリと生唾を飲み込んだ。


「…なんて奴。ムカつくから?それだけの理由でそんなことするの…?」

「言っただろ?私は暗部に根っから染まってるクズだって。
 だからさ、アンタはただYESと言えばいい。お願いしますって、言ってごらん?
 そうすれば、私がアンタを本当の意味で救ってやるよ」


麦野は御坂に向けて手を伸ばす。
その悪魔の左手を。
麦野の不敵な笑みにゾクゾクと体を震わせる御坂。
これが暗部。愚か者の極致。闇の最奥。
自らをそう称するように、冷たい笑みを浮かべたまま麦野は嗤う。
沈黙する世界を嘲笑うかのように月明かりが二人を照らしていた。
ここはただの病院の殺風景な屋上のはずなのに、
どうしようもなく深い闇の底にいるかのような錯覚を御坂に与えていた。
その認識に間違いはない。
麦野は闇の底の底から、今、太陽を握り潰すべく手を伸ばすのだ。

791: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:05:20.79 ID:4T5e0LYo

―――――


それから10日後、無事麦野は病院を退院した。
眼球と眼窩周辺の手術はまだ行われていないが、後日ゆっくりと回復させていくということで話もついている。
現在『アイテム』の面々は、麦野の退院記念パーティの計画をたてながら、いつものファミレスで麦野を
待っているところだった。


「結局、やっぱケーキはサバでしょサバ」

「超お断りです。それよりみんなで今度こそ映画を見に行きましょう」

「ゆっくりお昼寝パーティとかどうかな」

「それはただのお泊り会だ滝壺…。普通に隠れ家でわいわいやりゃあいいだろ?」


4者4様の思惑を交わらせつつ、今日も遠巻きにウェイトレスがヒキ気味の視線を送っている
平和なファミレス。
時刻は午後5時。秋も中盤に差し掛かり、外は夕焼けに染まり宵闇の中へと足を進めているところだった。
そこへ現れる人影が2つ。


「悪い、待たせたわね」

「あんた達騒がしいわねー。店員さん引いてるじゃない」


シャケ弁の入ったコンビニ袋を手に、右目に包帯を巻いた麦野が御坂を伴って現れた。


「おお、麦野。遅かっ……」

「む、麦野…その格好は…何な訳?」

「超天変地異が起こりましたね…。くわばらくわばら」

「むぎの、かわいい」

792: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:07:17.38 ID:4T5e0LYo

4人は驚愕の視線で麦野を出迎える。
何故か。


「何よ?私が制服着てちゃいけない?」


淡い色のブレザーと、プリーツスカートに身を包んだ麦野がそこでぶすっくれて立っていた。
いつもの一番窓際席に入れてもらい、向かい側には御坂を座らせる。
ちなみに麦野が窓際が好きなのは、自分でドリンクバーに行かなくてもいいからである。
麦野が学校の制服を着てこの場に現れることなど今までに無かったものだから、皆
未だに口を開け放ってその様子をただ見ていることしかできなかった。


「学校、行ったんだね」


滝壺が切り出す。嬉しそうな笑顔が顔に浮かんでいた。


「気が向いたからね。クラスの奴ら私が教室入るなり初めて火を見た猿みたいな顔してたわよ。
 あームカつく」


シャケ弁を取り出しながらそう言う麦野。
だが言葉とは裏腹にさほどイライラしている様子はない。
滝壺は優しく「そっか」と頷いた。
やがて割り箸を割ろうとしたところで、浜面からの視線に気付き、麦野はそちらを見る。


「…何よ?」

「…い、いや…制服の麦野も可愛いなと思ってさ」

793: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:08:08.89 ID:4T5e0LYo

浜面の正直な言葉に、麦野の顔が見る見る赤らんでいった。


「ば…ばか…恥ずかしいこと言うな…ばか!」

「ばか=嬉しい愛してると解釈すれば良い訳よ浜面」 

「そ、そうだな。そうする」


茶化すフレンダ。
その言葉に麦野はますます頬を紅潮させていった。


「変なこと言わないで!」

「おやぁん?麦野ぉ、あれから浜面とは毎日逢ってる訳だし、何回くらい好きって言ったのかなーん?」


気持ち悪い口調でニヤけるフレンダに、麦野が口に運ぼうとしていたシャケをポロリとご飯の上に落とす。


「超詳しく聞きたいところですね。二人はデートはどこに行ったんですか?」


絹旗がそれに続く。
御坂や滝壺の興味深げな視線が鬱陶しい。


「まだ…どこも。入院してたし…」


794: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:09:14.02 ID:4T5e0LYo

正直に答える麦野だった。
実際、麦野はもう毎日初めてのデートはどこに行こうかということで頭の中が一杯だった。
特別なことなんてしてくれなくていい。二人で一緒にいられるなら、それでいい。
麦野沈利はこれでも乙女である。
ギャグではない。
普段の言動からは欠片も想像できないだろうが、彼女にも一応彼女なりの理想や妄想があるわけである。
ありきたりな遊園地や水族館に行ってみたいし、誕生日には一緒にケーキを食べたりしたい。
他愛の無い会話をしながらショッピングに出かけて、浜面とお互いの洋服を選びあったり、手を繋いで歩きたい。
クリスマスの夜は大きなツリーやイルミネーションを見に行ったり、
大晦日に一緒にカウントダウンをして新年の一番最初に会って今年もよろしくと言い合いたい。
月並みと言われようが構わない。あれからずっとそんなことを考えていた。
今はとにかく二人の時間をゆっくりと紡いでいきたいというのが、ただの女の子麦野沈利の率直な意見だった。


「ま、まあ退院したし。どこ行くか二人で考えようぜ」


浜面も照れくさそうに言う。


「う…うん。楽しみにしてる」


もそもそシャケ弁を食べながらボソボソと答える麦野。
それを見た絹旗とフレンダの二人がいやらしい笑みを浮かべて互いに顔を寄せ合う。


「あらやだ聞きました絹旗さん?二人で、ですってよ?」

「ええ超聞きましたよフレンダさん。いちゃいちゃしちゃって鬱陶しいですねぇ」

「うるせえばか!アンタ達はもう黙ってろ!」


顔を真っ赤にして怒られても普段の麦野に比べれば全然怖くない二人。
しばらくニヤニヤして麦野の照れ顔を堪能した後、満足げな顔で麦野が弁当を食べ終わるのを待つ。
やがて箸を置いた麦野がお冷を口に含み、グラスを置くと、一同は真剣な顔つきで彼女の言葉を待つ。
ピンと張り詰めた空気が急速に一同を包み込んでいく。

795: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:10:03.85 ID:4T5e0LYo

「…さて。仕事の話だ」


麦野は不敵に笑う。
先ほどまで頬を赤く染めていた純情な少女はもうそこにはいない。
傍から見ればただの仲良しグループが談笑しているようにしか映らない。
ファミレスの喧騒に紛れて、麦野達は御坂も含めて暗部の顔へと切り替わる。


「私たちの次の仕事は、

 『御坂美琴の護衛』。

 依頼者は御坂本人」


空気は留まることなく張り詰める。


「むぎの、どういうこと?御坂はもう暗部とは関係無いはずじゃ…」


滝壺が尋ねてきた。すかさず麦野は頷き答える。


「そんなわけないでしょ。
 御坂は今後しばらくは暗部に追われる立場になる。あれだけのことをやらかしたんだから当然ね。 
 その追っ手からこいつを守るのが、私たちの仕事だよ」


796: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:10:41.15 ID:4T5e0LYo

続けて絹旗が手を挙げる。


「それは分かります。御坂が暗部から超追われるということは、私たちにもそういう指令が来るんじゃないですか?」

「かもね。だから先手を打った」


麦野はあっさりと言い放つ。まるで『上』からの指令に抗うように。

「御坂を『アイテム』の保護下にいるとなれば、他の暗部組織の連中は迂闊に手を出せないし、
 一応『電話の女』の許可もとった。
 渋々だったけど、『上』もまだ積極的に御坂を殺したいわけじゃない。レベル5にはいくらでも利用価値があるからね」

「じゃあさ麦野、結局、麦野はどっち側につくの?」


フレンダが問いかける。神妙な顔つきで。
この仕事は、ただの護衛任務ではない。統括理事会の方針の変更次第では、
御坂を速やかに処分する判断が下される可能性だって無いわけではなかった。
だから麦野達『アイテム』の学園都市における立場を明確にして行動指針を決めなくてはならない。
いざという時、『上』の尖兵として動くのか、仕事内容である御坂を守ることを優先して動くのか。


「決まってるでしょ。私はここに立っているんだから」


麦野の言葉は、一同を驚嘆させるに値するものだった。
何故ならば、それは麦野が己の価値観と判断によって行動するという、
暗部組織として最もとってはいけない第3の選択肢だった。

797: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:11:29.49 ID:4T5e0LYo

「麦野。あんた、本気なのよね?」


御坂が確認するように、ポツリと呟く。
麦野は惨劇のように微笑んだ。


「当然よ。『上』が『私たち』を食い殺そうとするなら…相手になってやるわ」

「マジかよ…それってつまり、学園都市暗部に喧嘩を売るってことか?」


浜面がゴクリと唾を飲み込む。
みな呼吸の止まったかのように張り詰めた顔で麦野を見つめていた。


「違うわ…。私たちのするべきことは今までと何も変わらない。
 『上』からの指令通りに命令をこなしていく。だけれど…一つだけ違うことがある」


淡々と、だが不気味なまでの冷静さで麦野が言葉を紡いでいく。


「私たちは『上』の便利な『道具(アイテム)』を辞める。
 結果として彼らの望む通りの行動を続けるけれど、私たちの行動指針は私たちが決めるのよ」

「どうして…そんなこと?」


滝壺が平坦な声でぼんやりと尋ねた。
麦野は優しく彼女に微笑み返す。


「このままいいように使われて、ゆっくりと潰されていくのはムカつくじゃない?」

798: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:12:31.34 ID:4T5e0LYo

その言葉に、一同は麦野の心中を少しだけ理解した。
麦野はきっと、滝壺を救うことも念頭に入れてこれから動き始めるのだろう。
麦野は土御門の言葉で迷いを与えられ、人知を超えた手段で蘇った垣根を見たとき、決心した。
このままいけば、自分たちもあのような哀れな末路を辿ることになると。
仲間のそんな姿を、麦野は絶対に見たくはなかったのだ。
だから決めた。
土御門達と同じように。
『上』の連中を出し抜き、あるはずの無い勝利条件を探してこの手で掴み取る。
これは離反でも、暴走でもない。


「『ドラゴン』」

「麦野、あんた…」


御坂が驚きに目を見開く御坂。


「みんな、よく覚えておいてね。これが私たちの反撃の糸口。
 ああ念のため訊くけど、辞めるならいまのうちだよ?
 私はアンタ達を守る。何があっても、絶対に。
 緩やかな崩壊を、止めてみせる。私一人でもね」


麦野が真っ直ぐに全員を見据えた。
誰一人として目を逸らさない。
それどころか、やがて皆くすくすと笑みを滲ませて麦野を見つめ返す。

799: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:14:09.92 ID:4T5e0LYo

「そうまで言われて、じゃあ辞めますなんて言えるわけないじゃないですか。
 麦野がやるなら、私も超やりますよ」

「愚問ってやつだね。麦野となら結局、地獄の底までだって一緒に着いていきたい訳よ」

「むぎのが私たちの居場所を守ってくれるなら、私も、むぎのの居場所を守るよ」


口々にそう言う『アイテム』の正規メンバーが三人。
口に出さなくたって、麦野が考えていることなんてすぐ分かると言いたげに。


「面白いじゃない麦野。ほんとあんたって、性格悪いわよね」


興奮したように肩を上下させながら頷く『アイテム』の協力者が一人。
自分勝手で理不尽。だからこそ、その矛先が敵に向けられたとき、同じ方向を向く者達には心強くもあった。


「何が待ってんのか分からねえし、どうなるかも分からねえ。
 でも、出来るって信じるしかねえよな。そうだろ、麦野?」


そして『アイテム』の下っ端が一人。
麦野はいつだって気まぐれで、わがままだ。
だけど、そんな彼女の行動の先に、あるはずの無い未来が見えるとするなら。
それを信じてみるのは決して悪いことじゃない。
全員が瞳の奥にギラギラとした暗黒の光を称えて笑みを滲ませる。
不気味な様相を呈して、彼らが所詮暗部に堕ちた人間でしかないことを証明するかのように。

800: ハッピーエンドに変わりは無い ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:16:08.31 ID:4T5e0LYo

「決まりね。着いてきなさい、そろそろ反撃するわよ。
 この私を怒らせたことを、あいつらに後悔させてあげるんだから」


最後に麦野が煮え立つように嗤う。
そう、彼女たちは紛れもなく暗部の人間。
突けば壊れる砂上の楼閣のような存在。
だが、それはとうに昔の話。
いまや彼女たちはとてつもなく膨大な一つのうねりとなった。
闇を為して闇を欺くために。
かくして一連の物語は幕を閉じる。


上条当麻は「誰に教えられなくても、自身の内から湧く感情に従って真っ直ぐに進もうとする者」。


一方通行は「過去に大きな過ちを●●、その罪に苦悩しながらも正しい道を歩もうとする者」。


浜面仕上は「誰にも選ばれず、資質らしいものを何一つ持っていなくても、たった一人の大切な者のためにヒーローになれる者」。


失われたはずのヒーロー達は元の巨大な流れの中へと戻り、予定調和の物語を再び紡ぎだす。
そして二人のレベル5。
『原子崩し』と『超電磁砲』が交錯するとき物語は再び始まる。
完成されていたはずのこの街の未来に、一つの亀裂が入り、ジワリジワリと腐食させるよう侵食を始める。
今、『アイテム』という、不気味なイレギュラーが、この学園都市に産み落とされた。


――――――――――

―――――――

―――――

――

802: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:17:30.83 ID:4T5e0LYo

皆さんこんにちわ。フレンダです。
今日は皆さんに、とても重大な事件が起こったことをご報告しなくてはなりません。
それは何か。


「そう。今日は麦野と浜面の初デートな訳よ」


フレンダ達は今、カップル達が賑わう街中で、そわそわと腕時計を眺めながら嬉しそうに待ち合わせ場所に立つ麦野を
少し離れた場所にあるオープンカフェから眺めていた。


「フレンダ…誰に喋ってるの?」


アイスレモンティーを啜る滝壺が、ブツブツと独り言を呟くフレンダにそう問いかけた。


「いやなんでもないよ滝壺。それより御坂、何であんたもいる訳よ?」

「るっさいフレンダ。当麻と出かけるときに参考に…じゃなかった、暇だったからよ!悪い?!」


冷たいレモネードをズビズビと飲み干しながら、最近『アイテム』の面々と行動を共にすることの多い御坂が
慌てたように弁解する。
いい店やポイントがあれば、自分が上条と行くときにも利用しようという魂胆であることは
フレンダはとっくにお見通しであったが、御坂は麦野同様想い人に関することでいじると
とても面白いので、恋が成就した麦野の代わりに彼女をからかうのが趣味になっていた。


「でも、こうしてみると超感慨深いものですね。ここまで来るのがどれだけ大変だったか」

「そうだね…。むぎの可愛い…」

804: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:18:48.69 ID:4T5e0LYo

しみじみと絹旗が言い、滝壺も優しい笑みを浮かべてそれに同意する。
麦野が浜面との初デートの日取りを決めたあとはそれはそれは大変だった。
浜面と行く場所や内容については二人で考えたようだが、着ていく服から、当日のデートプランから、
とにかくパニック状態に陥った麦野がフレンダ達に助けを求めて大騒ぎだったのだ。
だが一同のかいがいしい世話焼きの結果、髪は美しく纏まり、服もいつにも増してよく似合い、
化粧のノリもバッチリで、遠目から見ても通常の5割り増しくらいで今日の麦野は綺麗だった。


「まだ30分前なのにあんなにニコニコしちゃって。結局、麦野の乙女っぷりは見てるこっちが恥ずかしい訳よ」


頬杖を突きながら、フレンダがやれやれと呟くと、他のみんなもつられるようにクスクスと笑い始めた。


「あ、浜面来たわよ」


御坂の視線の先に、小走りで麦野に駆け寄る浜面の姿。


「ほんとだ。はまづら偉い。むぎのをほとんど待たせなかったね」


滝壺が関心したように微笑む。


「浜面のくせに、なかなかやりますね。超関心しました。これで私たちも安心して帰れますね」


絹旗がふうと吐息を漏らして胸を撫で下ろす。


(ほんと、世話のかかる子だね、麦野は)

806: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 02:20:21.94 ID:4T5e0LYo

そう思いながらも、フレンダは満更でもない笑顔を浮かべる。
こんなに愛らしくて、素直な麦野とだったら、どこへでも行ける。
そんな風に、フレンダは思った。


「さ、帰ってきた麦野達を冷やかす楽しみが出来た訳だし。帰ろうか」


フレンダのその言葉に、ぽつぽつと席を立つ一同。
麦野と出会えってくれたことを、フレンダは浜面に感謝する。
傲慢なレベル5の女王様を変えたのは、他ならぬレベル0の凡人だった。
言葉にすれば陳腐かもしれない。
でも、フレンダは想う。

とても素敵な結末を、見せてくれてありがとう。

麦野を好きになってくれてありがとう。

他人を遠ざける、孤独な彼女を救ってくれて、ありがとう。


「ほんと、よかったね、麦野―――」


カフェから出て、寄り添い歩いていく二人の姿を見る。
とても幸福な笑みを浮かべた麦野の姿。
その麦野の後姿は、今まで見たどの彼女の姿よりも、麗しく煌めいていた。


 ―――麦野はこれからも、恋をしていくんだね


833: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 04:43:41.83 ID:4T5e0LYo
明日から旅行だから準備してたらこんなレスがw
インデックスさんはまあ気がつくとロンドンから戻ってきてるんじゃないでしょうかw

こんなにたくさんの人が読んでくれていたとは知りませんでした。
でもたくさん感想を頂けてテンション上がったので、感謝の気持ちを込めてこんなん書いてみた。
ヤマなしオチなしのイチャラブってこんな風に盛り上がりないけどいいのか?w


おまけ

時刻は夕方。
退院後、麦野は浜面に車で家に送ってもらい、浜面は入院中病室に置いてあった麦野の着替えや私物を
自室に運びこんだところだった。

「ありがと。助かった」

ダンボール一箱を部屋の隅に置いてもらい、麦野は浜面に微笑みかける。

「なんのなんの。じゃ、退院したからって調子乗って夜更かしすんなよ?それじゃな」

カラッと笑顔を返して浜面は部屋を出て行こうとする。
その手を、麦野が強く掴んだ。

「お茶くらい飲んでいきなよ…」

頬を赤くし、おずおずとそう言う麦野。

「お、おう…」

浜面も落ち着かない様子で頷く。
お茶くらい、なんて言うのは建前だ。
いつもは病院の中だし、フレンダ達も退院するまで毎日お見舞いに来てくれていた。
それはとてもとても嬉しいことだったし、彼女達との他愛無い会話も麦野にとっては
幸せな時間だった。
だが、麦野と浜面は付き合ってまだ十日のカップル。
告白した日以来キスだってしていないし、それどころか二人きりになる時間もほとんど無かった。
毎日夜遅くまでのとても人には見せられない鬱陶しいメールだけが、彼女達の二人だけの会話だった。
つまり何が言いたいのか。
要は、今日から人目を気にせず思い切りいちゃいちゃ出来るってことだ。

「お待たせ」

834: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 04:45:39.35 ID:4T5e0LYo

何気なく礼を言う浜面。
もう言うまでもないと思うが、彼は心中も下半身的な意味でも大変なことになっていた。
初めて入る麦野の部屋。
クローゼットに入りきらない無数の服や装飾品やバッグ。
室内はとんでもなく良い香りがするし、起き抜けのままの状態のベッドが生活感を感じさせて
妙に生々しい。ついキョロキョロと室内を見回してしまう。

「………」

沈黙する二人。お互い純情過ぎて何をすればいいか分からない。
子供ではないのだから、少し訂正しよう。どこまで踏み込んでいいのかが分からないのだ。

「の、飲まないの?」
「お、おう、飲む。ズズーッ…うまいな」
「それ結構好きなんだ」
「そうなのか」
「うん」

沈黙。

(な、何話せばいいの…?紅茶の話なんかしたって浜面はつまんないだろうし…)
(どうすりゃいいんだ…。麦野の好きそうな話題ってなんだ…?服とかそんなの分からねえし)

妙に緊張感のある空気が室内に流れる。
遂にその空気に耐え切れなくなったか、先に動いたのは麦野だった。

ピトッ
「!」

ソファにもたれかかるようにして座っていた麦野が、ほんのわずかに浜面の方へと距離を詰め、
膝に乗せられていた彼の左手に自らの右手を重ねる。
浜面は麦野を直視できず、所在無さげに紅茶を啜り続ける。
麦野も耳まで真っ赤になって俯いた。

(…何やってんだ私は…。ここからどうしよう…。手握っちゃったよ…)
(何が起こっている…?おちけつ…。よし、俺も男だ。麦野にやられっぱなしな訳にはいかねえ)

スッ…ピトッ
「!」

上に重ねられた麦野の右手から左手を抜き取り、彼女の右手の上に重ねる。

835: ◆S83tyvVumI 2010/05/03(月) 04:51:13.51 ID:4T5e0LYo

(…何やってんだ俺は…。上下入れ替わっただけじゃねえか…!)
(…浜面の手、大きいな。それに温かい。…よし)

ピトッ
「うぉ!」

今度は自分の右手を握る浜面の左手の上に自分の右手を重ねる。

(三段重ね完成よ!…ってアホか私は。変な奴だと思われたりしてないよね?)
(…負けず嫌いなのか?俺に手を押さえられてるのが嫌なのか?…麦野怒ってないよな?)

手が三段に重ねられたおかしな体勢で、チラリと同時に互いを見る。
バチリと視線が合い、二人は慌ててそっぽを向いた。

(何でこっち見てんのよ!どうしよう…)
「なあ、麦野」
「ひゃっ!」

浜面に声をかけられ、肩を跳ね上げる麦野。
恐る恐る彼を見ると、彼は少し照れくさそうに言った。

「紅茶、お代わりもらえるか?これ美味い」

麦野が好きなものを褒めることで機嫌を回復させようという作戦に出た浜面。
麦野は別に機嫌が悪いわけではなかった。しかし、彼のその言葉に、麦野は綻ぶように笑う。

「いいわよ。ちょっと待っててね」
「ありがとな。喉かわいてたんだ」

テーブル上のポットを手に取り、彼のカップに注ぎながら、麦野は次第に緊張が解けていくのを感じていた。

(私に気を遣ってくれたのかな…。何焦ってたんだろね私)
(お、意外と怒ってねえ。ま、焦ることねえか…)
(私たちには…これからたっぷりと時間があるんだもんね)

二人の仲進展していく速度は、きっと途轍もなく遅い。
だけど、別にいいじゃないかと麦野は思う。せっつかれて進める関係なんかじゃない。
焦る必要なんかどこにもないんだ。
私の速さで、浜面に近づいていこうと、麦野は淡い決意を胸に微笑を浮かべた。


以上で。
初デートに関してはまだ確約はできませんw
けどとりあえず書き始めてみます。では。


878: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:18:30.95 ID:OyIkeBgo

「麦野ー!おっ邪魔っしまー…」


太陽が西に傾く頃、フレンダは麦野の寮を訪れた。
麦野の部屋に足を踏み入れた瞬間、手に持っていたボストンバッグをドサリと床に落としてしまう。
何が起こっている?
誰にともなくそう呟いてしまうの無理はない。
12畳ほどの室内。開け放たれたクローゼットからは雪崩のように高そうな服やバッグが室内に零れ、
ベッドの上からテレビ、ソファにいたるまで全てが彼女のお洒落用品達で覆い隠されている。
その中心で、右目に眼帯をした麦野が膝を抱えて真っ白になってすんすん鼻を啜っていた。


(匂いが無いだけで散らかり具合はゴミ屋敷と変わらない訳よ)


一先ず自分のバッグは玄関先に放置しておいて、キッチンを抜けて服山のど真ん中で絶望的な
表情をしている麦野に近寄るフレンダ。
一着買うだけでフレンダの服全身が揃えられる程の超ブランド品の数々を足で押しのけながら近づいていく。
ちなみに浜面であれば一週間分のコーディネートが出来る程の額である。


(これ何回着たんだろ、新品みたい。うわ、こっちなんか値札付きっぱなし…カットソー一枚7万て…。
 ゲェッ、このバッグ確か700万くらいする奴じゃ…雑誌で見たことある。
 こっちの時計はスイスの職人が一個一個手作業で作ってる値段の付けられない品物とか
 聞いたことあるようなないような…)


直視するのも躊躇われる麦野の私物の高額さ。
だが麦野はあれもこれもと節操無くブランド品を買い漁っているのではない。
服一着買うにあたり、縫製がどうだとか、使っている生地がどうだとか、今期のコンセプトが云々、デザイナーの思想と
ブランドの歴史がどうのこうの等ととにかく面倒くさい諸々のハードルを超えたのが、たまたまこれら高額な商品だっただけである。
一般的に広く認知されている知名度の高いブランド品も所々あるにはあるが、ミーハーを嫌う麦野は
日本国内ではほとんど知られていない、知る人ぞ知るデザイナーズブランドの服やバッグを
わざわざ海外から取り寄せているといったような話をチラッと聞いたことがあった。


「ど、どうしたの麦野?」


そうしたお宝の山達をそろりそろりと通り抜けて、フランダが体育座りで灰になっている麦野にそっと声をかけてやった。


「…フレンダ?」

879: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:21:20.66 ID:OyIkeBgo

こちらに気付いていなかったらしい。
麦野は驚いたように顔をあげて、ジワリと目に涙を溜めた次の瞬間、ガバリとフレンダに抱きついた。


「フレンダー!!」

(おっほ!今日の麦野は積極的だぜ。服の山でベッドみたくなってるし、このまま押し倒して…って違う違う!)


鼻腔をくすぐる麦野の甘い香りに理性を吹っ飛ばしかけたフレンダが、慌てて首を振り、麦野の両肩を押さえて体を離す。


「ど、どうしたの?ってか結局何これ。私今日来るって言ったよね…?」


恐る恐るフレンダが問いかける。
そもそも今日何故麦野の家に来たのか。今日は麦野が病院を無事退院してか5日目。
麦野の退院記念に隠れ家あたりで一騒ぎしようという計画を伝えに来たのと、
浜面とのその後の進展をじっくり聞いて冷やかそうと考えて泊まりに来たところだった。
学校終わりに来たので現在時刻は夕方5時前。夜には滝壺と絹旗も来ることになっていた。
それが蓋を開けてみればこの有様である。
女の子四人、仕事抜きでガールズトークに花を咲かせようという日に、こんな散らかした部屋で出迎えてくれるとは
なかなかに挑戦的だ。


「ご、ごめん。気がつけばこんなことに…」


しゅんとうなだれる麦野。
こんなに片付けの出来ない子だっただろうか。
フレンダは呆れたようにため息をつき、とりあえず自分たちの周りの服を畳みながら話を聴いてみることにする。


「結局、分かるように説明してくれる?」

「聞いてくれるの?」


目尻に涙を光らせながら、麦野がおずおずと尋ねる。
しおらしい麦野にム ム するのをこらえながら、フレンダは頷く。


「実はさ、昨日こんなことがあって…」

881: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:25:52.69 ID:OyIkeBgo

―――――


昨晩、麦野は浜面に告白された日から日課となった彼との電話を胸の高鳴りと共に楽しんでいた。
入院中、日中の面会時間中はほとんど『アイテム』の女子連中や打ち止めが麦野の部屋にいたため、浜面と
二人きりになる時間が無かった。
しかも浜面もどうも学校に通い始めたようで、そもそも彼が籍を置いている学校があること自体にも
驚いたが、何よりそれによって二人きりの時間というのはあの日以来退院するまで皆無であったのだ。
そうした寂しさを紛らわせるために始めたのが、この電話という手段だった。
だが、既に退院して二人きりの時間を作れるようになった今であっても、二人のその習慣は変わることなく、
今日も麦野はベッドの上で枕を抱えながら浜面と電話をしている。


「それにしても、何でアンタ急に学校なんか行き始めたの?」


麦野の何気ない問いかけに、浜面は携帯電話の向こうで照れ隠しのそっけない口調で答えを返してきた。


『なんでって…麦野と付き合うんだから、高校くらい出てねえとまずいかなって思ったんだよ。
 今年は出席足りなくて留年しそうだけどな」


その答えに、麦野は頬を赤くしながら息を呑む。
彼と付き合っているということを意識しただけで、未だに鼓動が速まる純情な麦野。
しかも自分のためにそういう行動に出たと言うのだから、バカップル街道絶賛全力疾走中の麦野からすれば
とんでもなく嬉しい言葉に違いなかった。


「ばぁか。アンタはそのまんまでいいのよ」

『そうかい。ま、お前が学校通い始めたの見て触発されたってのもあるけど』


退院翌日のファミレスでの一件以来、割と真面目に学校へと通っている麦野。
クラスメイトの中にはまだまだ自分のことを腫れ物でも触るかのように扱う人間も多いが、
それでも何人かは仲良くなれそうな女子生徒とも知り合えたし、元々勉強も運動も人並み以上にこなせる
麦野としては学校に通うことそれ自体は大して苦痛ではなかった。
朝起きるのが面倒なことと、私服を着てお洒落をする機会が減ったのが少し残念だと思う程度の不満しか無い。
しかも、後者に関しては制服を浜面が可愛いと言ってくれたので着るのが好きになってきたくらいだった。


「そう。まあせいぜいがんばりな。クラスの女の子に鼻の下伸ばしてたらブチ殺すんだからね」

882: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:29:38.57 ID:OyIkeBgo

軽い口調でそう返すが、浜面は向こうでゲッと焦ったような声を出す。


「なにそれ?気になる女の子でもいるってわけ?ねえはーまづらぁ?」

『ばっ!ちげえよ!そんなわけないだろ。それより、お前どっか行きたいとこないのか?』


うろたえる浜面は、慌てて話題を変えてきた。彼の問いに、麦野はドキリとなる。


「…なんのことよ?」

『あー…だからな、ほら…二人でどっか行こうぜってことだよ』

「そんなんじゃ分かんない」


もちろん言われなくても分かっているのだが、照れている浜面をからかうのが面白いのと、
自分の恥ずかしさを誤魔化すためにあえて意地悪をする麦野。
向こうで頬をポリポリ掻いている図が簡単に想像できて、麦野は必死でにやにやするのをこらえる。


『…俺たちの初めてのデートってやつだろ」


観念したように浜面がそう言った。
くすくすと笑い声を零す麦野だが、その心中は推して知るべしと言ったところ。
もちろん心臓爆音、妄想全開、乙女回路フル回転だ。
彼と恋人同士になってから、この日をどれだけ待ちわびただろう。
大好きな浜面と、二人きりで、二人だけの思い出を作ることが出来る。
もう正直場所なんてどうだっていい。月並みでアホなカップル達がやるようなことを自分もやってみたい。
ただそれだけだった。


「行きたいところねー。こういうのは男がエスコートしてくれるもんじゃないの?」

『別に俺が考えてもいいけどよ、一応二人で考えようって言ってたからな。俺に任せるか?』


どうしようかな。麦野は思案する。
女の子としてリードしてもらうのも捨てがたいし、記念すべき初デートはやはり二人で考えるのも楽しそうだ。
しばし唸ったあと、麦野は手近な情報雑誌をめくりながら言う。


「第六学区にさ、学園都市の夜景が一望できるタワービルが先月完成したんだって。
 夜は…そこ行きたいな」

883: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:33:24.92 ID:OyIkeBgo

そのタワービルについて書かれたページに付箋が張ってある。
他にもカップルが利用しそうなデートスポットの悉くに赤丸が記されてあった。
入院中、浜面と行きたい場所に印を付けていたら全ページの至るところが真っ赤に染まっていたのだ。


『ん、そうか。じゃあ夜集合にするか?』

「バカ」

『お、おう。なんだ?』

「もっと早くからがいい…」


小さな声で願望を告げる麦野。
夜からだなんて寂しいこと言わないでほしい。せっかくの初デート。その日くらい、一日中彼の時間を独占したい。
その意図を汲んだのか浜面はあたふたした様子で慌てて言葉を返してくる。


『わ、悪ぃ。じゃあ朝11時に集合ってことで。場所はまたメールするわ』

「うん、お願いね。それじゃ、今日はそろそろ寝よっか」


実は既に時刻は夜中二時。
最近電話の通話プランを、カップルは何時間通話しても料金定額というものに変えてから
毎日3時間くらい喋り続けている。
それでもなお名残惜しく思いながら、麦野が少し寂しげに言った。


『あいよ。また明日な』

「…何か忘れてない?」

『……』

「はーまづらぁ?そんなんじゃ寂しくて眠れないよ…』

『…す、好きだぞ、麦野』

「ん。よろしい。じゃね、おやすみ浜面、私も好きだぞ☆」


ほっこりとした笑顔で電話を切る麦野。
ほぅと息を吐き、電話を胸に抱える。
いよいよ彼との初デート。楽しみすぎて胸が苦しい。
思い出に残る素敵なデートにしたいなと、麦野はとどまる事の無い笑顔で日付的には明日に控えた
彼との二人のお出かけに想いを馳せた。

884: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:35:10.09 ID:OyIkeBgo

―――――


「で、明日何を着ていこうか悩んでたんだ…って何よその顔」


麦野の話が終わった時、フレンダは全身に鳥肌を立たせて、眉間に深く深く皴を寄せ、
口元を引きつらせながら引きまくっていた。


「まず一言いい?あんたらウゼぇ」

「なっ!何がよ!?」


突然のふてくされたようなフレンダの言葉に麦野が驚く。


「自分を省みてみなよ麦野!なんだ最後のやりとりは!そんなもん人に話すな!
 私は悲しい訳よ麦野。麦野がそんなアホな会話を浜面なんかとするようになっちゃうなんてさ。
 もう私は何も言わないから存分に二人でいちゃいちゃしててくれ」


ため息をつき、まくしたてるフレンダ。
その言葉を聴きながら、麦野は頬を膨らませて可愛らしくこちらを睨んでくる。


「なによ。仕方ないでしょ、好きなんだから!」

「かー!これだよ!ケッ!あんたらみたいのが公共の場でちゅっちゅちゅっちゅウゼェくらいに 繰り合うんだよ!
 そんなバカップルに麦野にはなってほしくない!」


がぁあと吼えながらフレンダが叫ぶ。
その勢いに押されながら、麦野は定まらない視線で頬を赤くし、口を尖らせながら言う。


「分かってるわよ…。公衆の面前でそんなことしない。恥ずかしいもん…。
 でもいいでしょ二人の時くらい…まだ付き合ったばっかりなんだから…」


ちょっとだけ悲しそうに麦野が俯く。フレンダはその様子を見て罪悪感でわずかに胸が痛んだ。


(言い過ぎたかな…。まあ付き合い始めなんて誰でもこんなもんよね)


そのうち落ち着くだろうと思い、フレンダはもう一度ため息をついて麦野の頭をぽんぽんと撫でてやった。

885: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:38:30.50 ID:OyIkeBgo

「ごめんごめん、ちょっとムキになっちゃったね。で、何でこんなことになってるんだっけ」

「…だから、明日何を着ればいいか分からなくて」


軽く涙目だった麦野をなだめながら、フレンダは尋ねる。
なるほど、デートに着ていく服がないと。
フレンダは再びこめかみあたりに青筋を浮かべた。


「このでかい部屋が埋まるくらいの服の量で、何で決められない訳よ」

「え?だってその辺去年のだし。
 そっちのはもう定番化しちゃって街中じゃ馬鹿の一つ覚えみたいにみんなそれ着てるよ?
 同じような格好した奴とすれ違ったときの気まずさったら無いんだから」


ケロッとした様子でそんなことを言う。
そんなことを言われたらフレンダの今穿いてるチェックのスカートは1年くらい前にセブンスミストの
お正月セールで買ったものだし、お泊りグッズの入った大きめのバッグは中学の修学旅行用に買ったものだ。


「だぁああ! 麦野あんたは芸能人か!いやもうオタクだオタク!ファッションオタク!
 あんたがどんな格好してようが誰も別に気にしないから大丈夫!美人なんだからどうせ何着たって一緒一緒!
 それなりに似合うし服なんかよりあんたの顔と●見るっつの! 
 滝壺なんか初めて会ったときからあのジャージ着てるよ! 去年のだろうがどうでもいいから好きなの着りゃいいでしょ!」

「分かってるわよ! お洒落は私の趣味なの! 私は自己満足に妥協はしないの! 
 完璧な●●●●をしないと気が済まないんだよ! けど今回は自分だけ気持ちよくなるわけにはいかないのよ!
 分かる?! 浜面に可愛いって思ってもらわなくちゃ意味ないんだからっ!!」


ぜぇぜぇと肩で息をして視線を交錯させる二人。
喧嘩の内容はとんでもなくくだらないが、麦野にとっては割りと重要な問題のようだ。
やがてフレンダは頭をくしゃくしゃとかいて、壁際の天井近くまである巨大な本棚の最下段に綺麗に並べられた
ファッション雑誌を数冊抜き出し、そのうちの半分を麦野に手渡した。
麦野が訝しげに雑誌とフレンダを交互に見やる。

886: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:40:43.09 ID:OyIkeBgo

「男ウケする服とか、そういうの載ってんでしょ。服なんて正直浜面に分かると思わないけどさ、
 麦野がそこまで言うなら一緒に考えてあげるよ」

「フレンダ…アンタ…」


驚いたように麦野。フレンダはもう麦野の気の済むまで付き合ってやろうと意気込み、
ベッドの上にどっかりと腰掛けて雑誌のページをめくっていく。


「浜面は結局麦野にベタ惚れな訳よ。いちいち服まで完璧にしなくたって大丈夫なのにさ。
 あんたは浜面がいつも通りの格好で来たって別にそれであいつに幻滅したりするわけじゃないでしょ?」

「当たり前でしょ。でも私はただでさえキズモノの顔なんだから、せめて着飾って浜面に少しでも
 優越感を持たせてあげたいじゃない」


麦野の言葉に、バンッ!と雑誌を閉じてフレンダは憤る。


「呆れた!結局麦野まだそんなこと言ってんの!?あんたは他人の目を気にしなくちゃ浜面と付き合えない訳!?
 浜面がそんなこと気にするような男だって、本気で思ってんの!?」

「馬鹿にしないで!浜面がそんな奴なわけないでしょ!でもね、周りはそうは思ってくれないのよ!」


そこでフレンダはハッとなって気付く。
確かに、麦野のような目立つ顔立ちの人間が、眼帯から覗く傷ついた肌を露出させて歩いていれば、
嫌でも好奇の視線が寄せられる。
そんな中で、純粋にデートを楽しめるかと言われれば、迷い無く頷くことはできない。
麦野は、浜面にそんな嫌な思いをしてほしくなかったのだろう。


「ったく、分かったよ…。ごめん、もう文句言わないから。
 でさ、結局麦野にこういうの訊くのもどうかと思うけど、浜面はどんな雰囲気の子が好きなんだろね」

「正直、外見だけ言えば私みたいのはあんまり好みのタイプじゃないと思うのよね。
 どっちかと言うと滝壺みたいなおっとりした子が好きそうな感じはするな」

887: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:43:05.08 ID:OyIkeBgo

二人で雑誌をめくりながら考える。


「結局、浜面は●●いから胸開けて太ももくらいまで見せとけばいいような気もするけどね」

「それって見る分にはいいかもしれないけど、彼女がそんな格好してくるのもどうなの?
 誘ってるみたいだし、むしろ清楚系で露出抑えたほうがいいんじゃない?」

「あー、それはそうかもね。意外とフリルとかレースとかで甘甘の格好も好み分かれるし。
 シンプルでお上品かつ清潔感ある感じなら嫌いな人は少ない訳よ。
 麦野はお嬢様だからそういうの似合うだろうしね」

「となるとパ  も今回は外すか。運動するわけじゃないし」

「ヒールも麦野の好きな高さ凄い奴はやめときなよ。歩くの遅くなるし、いくら浜面が合わせてくれるって言っても
 やっぱり歩幅が違いすぎるのは問題だと思う訳よ」

「なるほどね。ワンピースとスカートだとどっちがいいかな?」

「うーん、麦野はワンピースが多いから、たまには膝丈くらいのスカートもいいんじゃない?
 新鮮な印象与られて浜面的にもグッとくるかも。ほらこれとか」


辺りに散らばっている服を手に取りながら、あーでもないこーでもないと試行錯誤を始める二人。
ひと悶着あったものの、その後は二人とも同じ方向を向いて考え始める。
その辺の服を整理しながら、結局2時間ほどかけて明日のコーディネートを選別し、何とか決めることができた。
さきほどまで声を張り上げて言い争いをしていた二人だが、終わったときには思わず手を取り合って飛び跳ねて喜んだ。
フレンダは「なんてめんどくせえ女」だと思いつつも、心底嬉しそうな笑みを浮かべる麦野の表情を前に、
ここまでの疲れなど一瞬にして吹き飛んでいくのを感じるのだった。

888: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:45:23.10 ID:OyIkeBgo

―――――

時計が夜の七時半を回ったころ、何とか部屋も綺麗に片付き、フレンダと二人夕食の準備を始めたところで
滝壺と絹旗の二人が部屋を訪れた。


「久しぶりのむぎのの部屋。ご飯のいい匂いがする…」

「お邪魔します。ん?二人ともどうしたんですか?何か超埃まみれじゃないですか?」


服選びと部屋の片付けで髪をぼさぼさにして埃をかぶっている二人。
夕飯用のパスタを茹でながら、二人は顔を見合わせて苦笑い。
今日の一連の流れの顛末を説明しつつ、一先ず全員で食事を摂ることにしたのだった。


「なるほど、明日は浜面と超デートですか」


本日の夕飯は鯖とほうれん草の和風クリームパスタに、サーモンマリネサラダ。
フォークでくるくるとパスタを絡めとりながら、絹旗がにやにやと笑みを滲ませる。


「何よその顔は」


サーモンを口に運ぶ手を止め、麦野はヒクつく口元で問いかける。


「いえいえ。デート前にあたふたする麦野を見損ねたのが超残念だなと思いまして。
 デートくらいで超悩むなんて、麦野も丸くなりましたよね」

「鬼の首とったようにいじってくれるわね。フォークで目玉ブチ抜くわよ?」

「あ、むぎの。それならこれあげる」


パスタをちまちま食べていた滝壺が、麦野の目の前にとあるブツを差し出す。
銀色の包装に包まれた、4センチ四方くらいの正方形の袋。
リング状に形が浮かび上がり、表面に「safe xxx」と書かれたそれを見た瞬間、
滝壺以外の顔が真っ赤に染まる。

889: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:47:45.47 ID:OyIkeBgo

「た、滝壺さん…これは…所謂コ、コン…」

「ゴクリ…こんな生々しいものを食事の席に…さすがは滝壺って訳よ」

「……な、なななな、なっ!何よコレ!」


三者三様のうろたえ方で、滝壺を見つめる。
ぼんやりとした眼をパチパチとさせて、ぽりぽりときゅうりを小動物のようにかじる滝壺。


「さっき駅前で配ってたよ?カップルの人は持ってたほうがいいんだって…」

「い、いらない!私まだ浜面とそんなことするつもり無いわよ!」


その物体を滝壺のほうに恐々と押し返して麦野は首を横に振る。
包装袋越しに感じるブニブニとしたゴムとジェルの感触があまりに生々しくて、
麦野は小さく「ひっ」と悲鳴を上げる。


「チッチッチ、甘いね麦野は。いつ理性を失った浜面にホテルに連れ込まれるか分からないんだから、
 持ってて損は無い訳よ」

「む、無理無理無理!」


ブルンブルン首を振る麦野。浜面との場面を想像してしまい、沸騰しそうな顔になっていくのを感じる。


「じゃあ麦野は浜面と超したくないんですか?」


『アイテム』も所詮は年頃の女子学生。
恋の話は大好きな訳で、食事の手が止まるのも構わず段々と盛り上がってくる。


「そ、そんなこと言ってんじゃないのよ!そんなのずっと先の話でしょ!」

「麦野駄目駄目。浜面だって男なんだから、いつでもその覚悟くらいは決めとかないと」

「じゃ、じゃあアンタ達はしたことあるのかよ!?怖くないの!?」

890: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:50:05.04 ID:OyIkeBgo

ムキになって顔を赤く染めたまま問いかける。
人を●●な単語の羅列で赤面させるのは得意でも、自分にその矛先が向いた途端に崩れる耳年増麦野。
その言葉に、フレンダも絹旗もスッと目を逸らす。
滝壺だけは話を聴いているのかいないのか、ぼんやりと食事を続けながら首を傾げていた。


「ま、まあ無いんですけどね…」

「うん…実際そう訊かれると答えに困る訳よ…」

「ねえみんな…」


ご意見番滝壺のポツリと呟く言葉に、全員が注目する。
一同のやりとりをおっとりした様子で眺めていた滝壺が何事かを言おうとしている。
いつも突然爆弾を投下するのは彼女であるため、次の発言を前にして皆ゴクリと唾を飲みこんだ。


「ところでそれってどうやって使うの?」


沈黙が場を支配する。
本気で言っているのかこの電波娘は?それともツッコミ待ちか?
麦野は絹旗やフレンダと目線だけで会話をしながら慎重に次の手を思考する。
詳しく説明するのは恥ずかしいが、しかし滝壺が本当に知らないならしっかりと教育してあげたほうがいいだろう。
皆同じように考えているのか、誰も一言も喋らない。
やがて沈黙に耐えかねて、最初に口を開いたのはやはりフレンダだった。


「滝壺。そういうのは麦野が詳しい訳よ」

「はァ!?」


キラーパス。否、押し付けやがった。


「ほんと?麦野?どうするの?」

891: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:51:38.28 ID:OyIkeBgo

そう言われた滝壺は案の定麦野に期待の眼差しをキラキラと向けてくる。
その後ろでフレンダが顔の前に手を合わせて謝ってきた。


(アンタ、オ・シ・オ・キ・カ・ク・テ・イ・ネ)


唇の動きでそう伝え、引きつった笑顔で滝壺に向き直る。


「た、滝壺?まさかとは思うけど、アンタ子供がどうやってできるかは知ってるよね?」

「…むぎの何言ってるの?もちろん知ってるけど、何でそんな…」

「だからさ、男側の方にこれをこう…」


ソレを手にとり、麦野は手に持っていたフォークの柄にかぶせる動作をする。
それを見ていた滝壺が、珍しく目をパッチリと開いて顔を真っ赤に染め上げていった。


「あ…わ、私…し、知らなくて」


あわあわと落ち着かない様子で、自分の落とした爆弾がどんなものなのかをようやく認識した滝壺。
皆は小動物を愛でるような目で、にやにやほかほかとそれを見守っている。


「ふふっ分かるぜぇ?ゴム被せて●●しさせねえようにするなんて、清純無垢な滝壺ちゃんじゃ思いつかねえよなぁ?」

「やだぁっ!そんなこと言わないでむぎの…」

「…麦野、私はたまにあんたが分からない…」

「麦野は人を虐めて遊ぶことが三度の飯より好きな超筋金入りのドサドですからね。
 自分の恥ずかしさより滝壺さんの反応見たさのほうが勝ったんでしょう」


さっきまで恥ずかしかったのに、もう麦野はそんなこと忘れて猥褻な言葉で滝壺を言葉攻めする。
何かの錠剤とでも思っていたのだろうか、これは忘れたころに思い出させてからかってやろう。
こんなに頬を赤くして、照れまくっている可愛い滝壺が見れるなら、ちょっとの意地悪くらいいくらだってしてやる。
麦野はそう心に固く誓ったのだった。

892: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:55:49.65 ID:OyIkeBgo

―――――

「というわけで麦野、明後日隠れ家で退院祝いをしようと思うんですけど、大丈夫ですか?」

「ん、いいの?私は全然構わないけど。この近所のとこでいい?」

「うん。はまづらが車出してくれるみたいだから、どこでもいいけど、近い方がいいね」

フレンダは今、この世の天国にいた。
もうお気づきの方も多いと思うが、フレンダは女の子が好きな女の子である。
生来女性を恋愛対象としてきたわけではなく、たまたま好きになる人に女の子も含まれることが
あるという程度ではあるが。
しかし、麦野にムラッときた数は今月だけで数百回。滝壺や絹旗にも稀に食指が動くこともある。
そんな彼女が、もし麦野以下二名と共に入浴する機会に恵まれたとしたら、どうだろうか?

(…嗚呼、生きててよかった。三人ともすっごく美味しそうな訳よ…)

1人湯船に浸かり、洗い場で思い思いに体を磨いている3人の背中を熱い視線で見つめるフレンダ。
現在4人は麦野宅自慢のお風呂に一緒に入っているところだった。
4人入っても湯船がきつくないどころか足を伸ばせるという時点で、それがどれほどすごいことなのか
お分かりいただけるだろうか?
ミストサウナとジャグジー機能付き。壁には風呂用テレビが埋め込まれ、清潔感溢れる白い浴室内を
オレンジ色の暖かな光が照らしていた。

(滝壺。意外と出るとこ出ちゃって…なんて甘美な…。文字通りxx雪のような体な訳よ)

シミ一つない雪原のような肌に見とれるフレンダ。
普段ジャージ姿だから分かりにくいが、滝壺はなかなかに女性的な体つきで、
一糸纏わぬ姿となれば、決して主張しすぎるということはなく、均整の取れた
美しくしなやかな肢体を有していた。

(絹旗…あんたはそれでも中学生な訳?私より胸大きいし、チビっこくて細っこい割に柔らかそう。
 …犯罪●●ちゃうかもしれないぜ)

鼻息荒く、新たな 癖の目覚めを感じているフレンダ。
まだ膨らみかけで発展途中のその体を見て、フレンダは全身にゾワリといけない欲望が
湧き上がってくるのを感じた。

(YEAAAAAHHHHHH!!!結局、やっぱ麦野の全裸は凄すぎる。どうなってる訳よその●は。そのくびれは。
 腰細すぎ足長すぎ顔ちっちゃすぎ。その●●●に満ち溢れた裸体もいつか浜面のいいようにこねくり
 回されるのかと思うと、あいつを殺す他無いことを嫌でも自覚しちゃうよね)

893: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 22:57:57.67 ID:OyIkeBgo

湯船の中で一人大幅にテンションを上げるフレンダ。
麦野の裸体に関してはもはや説明するのもおこがましい。
トリートメントでヘアケア中の麦野のうなじがこちらから見え、しかもその下には
フレンダ的にベストな形の曲線を持つ麦野のお尻がある。
しかし、フレンダはそこで何か違和感を感じた。
麦野達とスパやら銭湯やらに行って裸の付き合いをすることはさほど珍しいことではない。
なのに今日は、不自然なまでに胸が苦しく、麦野の顔から視線を外すことができなかった。


「どうしたのフレンダ?」


熱っぽい視線のフレンダ。その隣に滝壺が入り込んできた。
ほのかに上気した白い膨らみを間近に見たフレンダは、そのあまりの刺激に呼吸を止めた。


「い、いや…何でも無い訳よ」

「大丈夫ですか?のぼせたんじゃありません?超顔が赤いですよ」


発展途上の痩せっぽちな、だが肝心なところにはしっかりと肉を着けた身体をバスタブ内に沈めていく絹旗。
心配そうな視線を送ってくるが、自分でも良く分からなかった。
3人の体を見てテンションがあがるのはいつものことだが、どうも今日は自分でもよく分からない事態に陥っているように思えた。


(浴場だけに 情って訳ね。くっだらね)


そんなことを考える程度にはまだ余裕のあるフレンダ。
それでもフレンダは、ここまでは自らの欲望に忠実なフリを演じているだけだった。


―――なのに、そんなものを見てしまったものだから


お調子者でちょっとだけスキンシップが好きなキャラクターの裏側にある、
もっとドロドロとした自分の醜い情動に、嫌でも気付かされてしまった。
この不気味な胸の高鳴りの意味を今、理解してしまったのだ。

894: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 23:00:28.56 ID:OyIkeBgo

「ほんと大丈夫?無理せずあがったほうがいいんじゃない?」

「むぎ…の…」


あまりに美しく歪んでいて。
不気味なほどに荘厳で。
彼女の挙動の全てが、妖しく脳髄を蕩かせてゆく
腰に手を当て、麦野がどこか釈然としないと言いたげにフレンダの紅い顔を覗き込む。
調和のとれたのびやかな肢体と、体に張り付く茶色い髪から水気が滴り、
攻撃的な胸と大きな瞳がこちらを誘惑するように視界いっぱいに広がる。
フレンダは、知らず知らずそこで限界を迎えた。
端麗な肌のところどころに戦いの傷が残り、右目から一筋走るケロイド状の傷が、
完璧な麦野の裸身に歪な装飾を施し、そのアンバランスさが蠱惑的に彼女の美貌を彩る。
どこか背徳的な美しさを宿した躯体が、まるで悪魔に魅せられた狂信者のようにフレンダの頭に熱と血を上らせ、
意識をどこかへと追いやった。


「ちょっ!フレンダ!」


霞がかった意識の外で皆の叫ぶ声が聴こえてきた。
ここは天国なんかじゃない。
自分が異常なんだって自覚していたからこそ、今日まで耐えてくることが出来たのに。
永劫叶うことのない現実を突きつけられて、深い深い地獄へと、自分は今突き落とされたんだ。
この心を覗ける誰かがいるのなら、どうか知っていて欲しい。
一つの恋が結ばれた裏側で、戦うことすら許されずに、終わること無い苦しみに苛まれていく者がいたことを。

895: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 23:02:14.68 ID:OyIkeBgo

―――――


「……ん」


次に目を開けた時、フレンダは麦野のベッドの上で寝かされていた。
体を起こすと、何も身につけずにバスタオルを巻かれた状態で、平坦な胸からそれが解けそうになるのを慌てて押さえる。


「起きた?何のぼせてんのよ」


ベッドに腰掛け、パタパタと団扇で麦野が扇いでくれていた。
呆れたようなため息をついてそう言う。


「ご、ごめんね…ちょっと熱くて」


パチリと麦野と視線が合うと、すぐさまスッと逸らす。
妙に動悸が苦しく熱っぽい。それはのぼせたからでも、湯冷めをして風邪を引いたからでもない。


(ヤバイなぁ…何でこんなこと思っちゃう訳よ。気持ちの整理はつけたはずなんだけど)


恥ずかしいやら後ろめたいやらで麦野を直視できない。
麦野の裸身に魅了されてしまった。
隠してきた気持ちを呼び起こされてしまった。


「なにー?女の裸ばっかりで興奮しちゃったかにゃ?」

「……」

「おいおい、マジかよ」


分かりやすいフレンダの反応に、麦野が口元を引きつらせて笑う。
その所作に、少しだけ胸が痛んだ。
女の子の裸を見たからじゃない。それじゃ浜面だ。
自分が頭に血が上る程興奮したのは、相手が麦野だったから。
彼女の右目の傷痕が、周りの美しさを異様なまでに引き立てた。
あるいは、美しいモノに欠けたただ一点のその曇りこそが原因だったのかもしれない。
だからもう慣れたはずのあの衝動に、今日だけは耐えられなかったのだ。

896: ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 23:04:01.82 ID:OyIkeBgo

「えへへ、冗談冗談」

「ったく。アンタが言うとシャレに聞こえないんだよ」


おどけて笑うフレンダの頭を小突いて、麦野は立ち上がって台所でゴソゴソと何かをやっている。
言えるわけが無かった。
叶うはずが無いと知っていたから、今まで誰にも言わずにおいたのに。
だけど、毎日浜面のことを楽しそうに話す麦野を見ているうちに。
そうしてキラキラと輝いている麦野の笑顔を見ているうちに、胸が締め付けられるような想いを
フレンダは何度も抱いていた。
それでも今日までは耐えられた。麦野がとても幸せそうだったから。
彼女が幸せでいてくれることが、自分にとっても幸せなことだったから。
それなのに今更、鬱屈した感情が止め処なく溢れてくる。


(きっついなあ…結構…。もう病気だよねこれ)

「はい、水。しっかり飲みな。着替えそこあるから」


唇を引き結んで俯いていたフレンダの前に、麦野がミネラルウォーターの入ったペットボトルを差し出す。
寝巻きのスウェットを着た眼帯の麦野がこちらを見下ろしている。
彼女の瞳を見つめる。きっと自分がこんな気持ちを抱いているなんてことも知らずに。
胸の奥底で、ズルリと醜い生き物が首をもたげた。
フレンダはにこりと笑みを浮かべて、手を伸ばす。


「ありがと、麦野」

「きゃっ!」


それはミネラルウォーターを通り過ぎ、麦野の手首を掴んで思い切り引き寄せ、
彼女の油断しきった体をベッドに組み敷いた。
室内に木霊する静寂が、フレンダの黒い劣情に火を点ける。


「…ちょっと、何のつもり?」

898: 百合注意 ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 23:06:38.87 ID:OyIkeBgo

バスタオルがハラリと解けるのも構わずに麦野の両手首を押さえつけて馬乗りになる。
訝しげにこちらを見上げているが、いつものただのイタズラだと思っていることだろう。
今、麦野が自分の下にいる。このまま彼女を滅茶苦茶にしたい。欲望のままに●●てしまいたい。
フレンダの胸の奥にドロドロとした感情が沸きあがってきた。


「ねえ麦野。私、可愛い?」

「あ?」


何を言っているか分からないという表情で麦野が睨んでくる。
密室で二人きり。フレンダは自分の体がどんどんと熱を帯びてくるのを感じていた。
そう言えば絹旗と滝壺はどこに消えたのだろう。まあどうでもいい。
今なら麦野を自由にできる。この体中に渦巻いているドス黒い情欲を、麦野にぶつけて、
彼女の官能的な肢体の奥底までもを、ねぶり尽くしてしまいたい。
フレンダの頭の中でその欲望がどんどん大きくなっていった。


「ねえ麦野、●●●しようよ」

「なっ!ばっ、フレンダアンタねぇ!」


自分でも驚くほど震えた声だった。何を期待しているんだと己に嫌気が指す。
案の定、麦野の顔が真っ赤に染まった。
そりゃそうなるよね。それが普通の反応だ。
そうフレンダが自嘲気味に笑った時、玄関の方から扉が開く音が聞こえてきた。


「ただいま。むぎの、フレンダ起きた?」

「お酒はやっぱり超買えませんでしたから今日はジュースとお菓子だけですよー」


玄関からのゴソゴソという音を聞いて、フレンダは麦野の手をパッと離し、
ケロッとした笑顔を浮かべて立ち上がった。


「なぁんてね、ビックリした?」

「…はァ?」

899: 百合注意 ◆S83tyvVumI 2010/05/07(金) 23:09:08.48 ID:OyIkeBgo

ベッド脇に置いてあった下着を穿きながら、麦野にウィンクをする。
ズキリと心が痛む。そんな勇気あるわけが無かった。
麦野を傷つけることなんて、自分には絶対できない。
麦野が笑っていてくれないなら、生きていけないから。
だからこの気持ちは、きっとずっとずっと心の奥底にしまっておこう。
麦野の恋が叶わないことを、本当は少しだけ望んでしまった自分の悪い心に、神様が罰を与えたんだ。


「浜面がこんな風に麦野を押し倒してきたら、どうするの?
 麦野のさっきの反応は相手を喜ばせるだけって訳よ」

「っ!そ、それは…そうなの?そういうときはどうしたらいいのよ」

「さあねー。油断大敵、毅然とした態度が重要な訳よ」

「あ、フレンダ目が覚めたみたいですね」

「ほんとだ、大丈夫?」

「うん、心配かけてごめんね」


いつも通りに振舞う。だが心で咽び泣く。
麦野はきっと自分のことを、恋を応援してくれる優しい友達だと思っているんだろう。


(だけどね、麦野。この世に無償の愛なんて無い訳よ。私だって結局、暗部の人間なんだよ…?)


麦野が笑ってくれるから、麦野が側に置いてくれるような人間でいたかった。
麦野を手に入れられないことが初めから運命付けられているのだから、せめて麦野だけのモノでいたかったんだ。
滝壺と絹旗がテーブルの上にお菓子やジュースを並べている。
これから麦野の初デートの前祝だ。
心から麦野を祝おう。彼女の幸せが、自分の幸せだから。
こんな苦しみを乗り越えて、麦野は望んだものを手に入れたのだから。
この苦しみを分かち合えることを、彼女が知ることは無いけれど。別にそれで構わない。
一人の女の子が恋を成就したあの夜に、一人の女の子の恋が破れただけのこと。


(麦野…私が恋をしていくことを、もう少しだけ、許してよね)


口元に今度ははっきりとした自嘲を浮かべる。
フレンダは麦野に願った。この恋を諦められるまで、あともう少しだけ。
貴女だけの私でいたいという独善的な盲愛をどうか許して欲しい。
麦野がそこに居てくれるという事実だけで、私は生きていけるから。
同じ女に生まれてしまったこの笑えない喜劇を、いつか笑い飛ばせるその日まで。

926: 集合 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:04:15.68 ID:5UB4Cm2o

―――――


「麦野!がんばってね!結局、もうここからは助け舟なんて出せないからね!
 麦野と浜面の関係は、しっかり恋人な訳だから、素直に浜面に甘えるんだよ!」

「土産話超期待してます。とびっきりニヤニヤできるやつをお願いしますね。
 あ、それから麦野の金銭感覚はちょっと一般人とずれてますから、
 お金に関しては浜面の言うことをよく聴くんですよ?」

「むぎの、ふぁいと、おー、だよ。ハンカチちり紙はちゃんと持った?」

「あー…はいはい。アンタら私のお母さんかっつの」

麦野は今朝家を出る前の皆からのエールを思い出しながら、浜面との約束場所である第六学区の広場に辿り着いた。
噴水前に11時待ち合わせということだが、時刻は10時20分。
居ても立ってもいられなくて、予定よりかなり早く家を出てしまったのだった。
行くのが早すぎると皆に止められると思ったが、意外や意外、「どうせ浜面も早く来る来る」と言って
力強く送り出された。

(これが…デート。いよいよなんだな…緊張するなあ)

自然と顔が綻ぶ麦野。昨日までの不安が嘘のような晴れやかな気分。
空は快晴。周りはたくさんのカップルが待ち合わせに利用しているようで、
自分も今日からその中の一組なんだと思うと恥ずかしいような嬉しいような気分だった。
 
(服…これで大丈夫よね?)

フレンダに一緒に選んでもらった自分の格好をチラリと眺める。
細いプリーツが可憐に揺れる黒いスカートに、パステルピンクの甘めなニット。
あまり冒険せず、シンプルかつ清楚な印象を与えられるということからこのコーディネートに決定した。
夜は冷えるかもしれないのでバッグの中に一応上着のパーカーも入っているし、
アクセサリーも控えめかつ上品なものを意識して選んだ。
メイクはいつもより気合を入れた。
もちろん格好に反して濃すぎるとアンバランスなので、ナチュラルを心がけたが、
誰かに見せるためのメイクとなると、やはりどうしても力が入るものだ。
麦野は何度もコンパクトで自分の顔を確認し、頷く。
眼帯が恨めしいが、今更そんなことを言っても遅い。

(早く会いたいな…まだかな?)

腕時計を見る。まだ5分しか経っていなかった。時間が経つのが遅く感じる。
きっと始まってしまったら一瞬なのだろうなと思いつつ、麦野は一つ、今日どうしてもしたいことがあった。

(今日はがんばって手を…繋ぎたい)

927: 集合 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:06:06.67 ID:5UB4Cm2o

純情すぎるだろうと笑い飛ばされても構わない。
手を握るくらいなら訳無いという気持ちもあるが、人前でそれをするとなるとなかなか思い切りがつかない麦野だった。

(そしてできれば…キスしたい)

告白の日以来まだ一度も出来ていない。夜景の見えるスポットに行きたいと言ったのは、
暗いところならもしかしたら出来るかもと思ったからだった。
だが、そもそもタワービルなどカップルの巣窟であり、当然周りにはたくさん人がいるわけで。
そんな場所で果たしてそんなことが出来るのかという疑問が今になって浮かんでくる。

(そろそろ時間かな?)

腕時計を見る。まだ2分しか進んでいない。
そわそわする麦野。ちょっと気が逸りすぎているので気分を落ち着けようと深呼吸をしたそのとき。

「悪ぃ麦野、待たせた!」

「げふっ!」

浜面が小走りに近寄ってきた。息を大きく吸った時に急に声をかけられたものだから、
咽て咳が止まらない麦野だった。

「だ、大丈夫か?」

「ごほっ、う、うるさい!遅刻よバカ!」

「ええっ!?まだ30分前なんだが…お前随分早く来てたんだな」

「う…楽しみにしてたのよ悪い!?」

「どんなキレ方なんだそりゃ」

苦笑する浜面。
今日もいつものジーンズ姿だが、ジャージの代わりにカーキ色のミリタリージャケットを羽織っている。
一応彼なりにデートを意識していつもの格好は止めておこうと思ったんだろうか。

「ふぅん」

「な、なんだよ」

「アンタもデートになるとお洒落するのね」

「ち、違ぇよ!そんなんじゃねえ」

「照れんな気持ち悪い。褒めてんのよ」

928: 集合 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:07:48.65 ID:5UB4Cm2o

いつも通り悪態をつき合いながらも、自然と笑顔が零れる麦野。
いよいよ始まるというワクワクした楽しさと、それを大きく上回るドキドキで胸が一杯になる。
照れくさそうにしている浜面をからかっていると、彼はこちらを見下ろしてニヤリと笑った。

「そういうお前だって今日は随分と、か、可愛らしいじゃねえか」

「はァ!?わ、私はいつだって可愛いんだよ!ってかドモんな!」

「自分で言うか。ほらもう行くぞ。すげえ注目されてる」

ギャーギャー痴話喧嘩を始めた二人に周りの人々から生暖かい視線が寄せられている。
バツが悪そうに浜面が移動するよう促してきた。
彼の背中を見ながら、麦野は生唾を飲み込む。

(今なら…繋げる!)

殺気を放ちながら、ゆっくりと彼に歩み寄り、自らの右手を彼の左手に近づけていく。
あと10センチ。
あと5センチ。

(よし…こ、ここ恋人つなぎとか、しちゃおうかな…しちゃってもいいよね?)

「あ、そだ。なあ、麦野…」

「っひゃぁっ!」

御坂の超電磁砲よりも速い速度で右手を胸元まで引き戻す。
急に振り返られて変な声まで出してしまい、恥ずかしさで顔が熱を帯びていく。

「な、何よ!ビックリさせないでよ!」

「お、おう?悪い。それでさ、麦野…」

おずおずと、浜面が視線を明後日のほうに向けて照れくさそうに頭をかきながら、左手をこちらに差し出した。

929: 集合 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:09:29.49 ID:5UB4Cm2o

「何なのその手?」

「よかったら手…繋がないか?」

「…っ!」

目を大きく見開く。心臓が急激に跳ね上がった。
浜面も同じコトをしたいと思ってくれてたんだ。
そう思うと、喜びがどんどん湧き上がってくる。
差し出された彼の左手と、紅潮した彼の顔を交互に見て、麦野は柔らかな微笑を浮かべた。

「そんなこといちいち訊くんじゃないの。私はアンタの彼女なんだから…いいに決まってんでしょ」

ゆっくりと彼の手を右手で掴み、しっかりと握った。
温かい体温が伝わってきて、自分たちは恋人なんだってことを自覚出来る。
それが麦野には何より嬉しいことだった。

「麦野、お前…その、何だ」

またしてもそわそわと何事かを言おうとする浜面。
いい加減慣れろと思いつつも、そんな浜面の様子がかわいくて、面白くて、麦野は黙って言葉を待つ。

「今日は何か一段と…可愛いな…」

「……ばか。い、行こ」

結局麦野も照れる。
大事なものを抱えるように互いの手を握り合い、ぼそぼそと言葉を交し合う二人。
これでもかというほど初々しく、二人は周りのカップル達の中へ溶け込んでいった。

930: ゲームセンター ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:12:13.96 ID:5UB4Cm2o

―――――

「そうら!死ねぇはまづらぁ!」

「ギャース!お前らの掛け声はそれしかねえのか!」

麦野のレベル5のスマッシュがコートに突き刺さる。
本日の目的であるタワービル展望台は夜に向かうため、ひとまずゲームセンターで昼食までの腹ごなしをすることにした。
そんなわけでエアホッケー中の二人。

「どうした浜面ぁ!愉快にケツ振ってんじゃねえぞ!」

ビュンビュンパックをかっ飛ばしてコートから吹っ飛ばしている麦野と、その攻撃から逃げる浜面。
周りのお客達からクスクスと微笑ましいものを見るような笑い声が聞こえてくる。
だが、テンションが上がりきっている麦野と、身の安全がかかっている浜面にそれは全く聞こえていない。

「ちくしょう!やられっぱなしじゃ男がすたるぜ!おい麦野!よく聴けよ!」

「何よ!命乞いなら聞かないんだからね!」

麦野がパックを砕かんばかりの弾丸スマッシュを放とうと振りかぶる。
ネットの向こう側で、浜面がニヤリと笑い、声を張り上げた。

「愛してるぞ!麦野ぉおおっっ!!」

「……!」

浜面の叫びに麦野は一瞬にして茹で上がった。
それはとても美しい空振りだった。ガシャコンと入る点数。
心臓の中から誰が蹴っているかのような拍動を感じながら、麦野が慌ててパックを拾い上げる。

「ば、バカなこと言ってんじゃないわよ!ほら、いくよ!」

「何でお前はそんなに可愛いんだ麦野ぉおおおお!!!!」

「……っ!」

またしても空振り、ガシャリとパックがゴールに落ちる。
何のつもりだこの男は。そんなこと叫ばれたら動揺するに決まってるじゃないか。
麦野は今度はずかずかと浜面のほうに歩み寄り、顔を真っ赤にさせて睨み付ける。

「何の冗談よ?アンタ恥ずかしくないの?」

「恥ずかしくねえ。俺がお前を愛してるのは事実だからだ」

「な、ななな!ななななな!」

931: ゲームセンター ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:15:23.79 ID:5UB4Cm2o

おちけつ私。そろそろ慣れろ心臓。
麦野は何度も何度も深呼吸し、もう一度浜面を見つめる。

「そ、そうよね…私も…アンタのこと…」

「なぁんてな!冗談冗談。ビックリしたか?」

「……冗談じゃないよ」

「あ?」

「ひどい…浜面…ぐすっ…えぐっ…私は浜面のこと大好きなんだから…冗談でそんなこと言わないで…ぅえっ…」

「お…おいおい、わ、悪かった!そんなつもりじゃなくて…」

両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。

「機嫌直してくれよ…ほ、ほら、何でもしてやるぞ!だから泣くのを…」

浜面があわあわと辺りをキョロキョロしながらこちらの顔を覗き込む。
そこにあったのは、残酷な笑みを浮かべた麦野の顔だった。

「なーんて言ってほしかったかにゃーん?」

「て、てめぇ!謀ったな麦野!」

「なんでもしてくれるんだよねえ?浜面クゥゥゥウウウン?」

心底楽しげな笑みを浮かべて麦野。
浜面は頭を抱えて肩を落とした。

「私をハメようなんて10年早いんだよ。さぁって、何してもらおっかなあ。
 忘れたころに命令してやるから覚悟しとけよぉ?今日とは限らねぇんだぜぇ?」

「くそう…自分の単純さが恨めしいぜ…って、何だ?」

ふと浜面が辺りを見回す。それにつられて麦野もキョロキョロと周囲に視線を巡らせると、
何とも言えない表情で多くのお客がこちらをチラチラニヤニヤと見ながらヒソヒソ言っている。

「あ、アンタのせいだからね、浜面…!」

「お、俺だけじゃねえだろ?ハッ、駄目だ、こんなことしてるから変な目で見られるんだ」

待ち合わせの時と同じ状況に襲われ、麦野は浜面に続いて恥ずかしそうにいそいそとその場をあとにした。

932: プリクラ ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:18:10.31 ID:5UB4Cm2o

―――――

「ったく恥ずかしい目に合ったわよ」

「まったくだ。んで、他何かするか?」

エアホッケーから少し離れ、自動販売機で飲み物を買った麦野は午前中でもそれなりに人のいるゲームセンター内を眺めていた。
だが、麦野の視線は自然と一箇所に向けられる。ここで浜面とやりたいことと言えば、麦野には一つしかなかった。

「…プリクラ撮りたい」

「ええ?この前撮ったじゃねえかよ」

「あれは罰ゲームでしょ。今度はちゃんと撮ろうよ」

「まあ別に構わねえけどさ」

浜面の手を取り、プリクラコーナーへと移動する。
あの時のような引きつった笑顔じゃなくて、今度はちゃんと笑った顔のプリクラが欲しかった。
初デートの記念になるというのもあるし。
麦野はうきうきとボックス内に入り、小銭を投入。画面の指示に従い、操作する。

「ポーズはどうすんだ?」

「は?」

「いやだからポーズだよ。ピースでいいか?」

「そうねえ…」

美白でおまかせコースに合わせたところで、浜面が声をかけてくる。
間も無く撮影が始まるようで、ノリのいい音楽と共に電子音声が馴れ馴れしい口調で説明を続けていた。
そう言えば何も考えてなかった。恋人らしいポーズといえばどんなものだろうか。
腕を組む?寄り添う?

(…それじゃこの前と一緒よね。はっ、でも待てよ。確かフレンダがこんなことを…)

と、そこで一つ思い出す。世のカップル達はチュープリとか言うものを撮ったりもするらしい。
チュープリとは何か。読んで字の如く。キスをしたまま撮影するというものだ。
そんなものを撮ってどうするのかという疑問が沸いてくる麦野だったが。カップルらしいと言えばもうこれしかない。
麦野はさっそく浜面に向けて唇を

「できるかバカァッ!」

「うぐぉっ!何だ突然!」

934: プリクラ ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:22:00.26 ID:5UB4Cm2o

突き出すわけがなかった。
代わりに拳を突き出す麦野。本日の最終目標がキスだというのに、そんなあっさりできたら誰も苦労などしない。
結局一枚目は浜面をブン殴っている写真が撮れてしまった。
いけないいけないと気分を変え、浜面の腕に思いっきり抱きつく麦野。

「む、麦野…当たって…」

「いいでしょ別に。アンタ彼氏なんだから、それくらい構わないって」

「お、おう…そうだよな。うう…柔らかさがハンパじゃねえ…」

「口に出すな。恥ずかしくなってくるでしょが」

麦野の大きな胸をグイグイと押し付けられている浜面がぎこちない笑みを浮かべる。
そういう反応をされると麦野としても少し恥ずかしいのだが、それ以上にもう浜面に胸を触られても何もおかしくない
関係にあるということが、嬉しかったり恥ずかしかったりを加速させる。
ちなみに麦野が逐一彼氏だから、彼女だからと念を押すのは、別に自信が無いというわけではなく、
そうやって確認することで喜びを何度も味わいたいがための発言なのであった。

「ほら、次アンタも何か考えてよ」

軽快な音楽と共に次のポーズを要求してくる筐体。こんな機械ごときに踊らされるのは腹立たしいが、
せっつかれると結構大胆なことも出来てしまうので麦野はグッジョブと機械を心の中で褒めてやった。
次のポーズを促された浜面が何をするか待っていると、彼は麦野の背後に回りこんで後ろからギュッと
抱きしめてきた。当然の如く心臓が飛び跳ねる。

「…はまづら!」

「駄目か?麦野…?」

耳元で囁く浜面の声。
麦野はくすぐったそうに目を細めながら、彼の腕にそっと手を添えた。

「駄目じゃない…。もっとギュッてして」

消え入るような声で浜面にねだる。
麦野たってのお願い通り、浜面は少しだけきつく麦野を抱きしめた。
浜面の大きな体に抱かれた麦野の華奢な体は、温かな彼の体温に心地よく包まれて自然と表情も柔和なものへと変化してゆく。

「…プリクラもなかなか楽しいわね」

「そだな、また撮ろうぜ」

936: プリクラ ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:24:33.93 ID:5UB4Cm2o

何とか無事6枚のプリクラを撮り終えた二人は、結局前回と同じように頬を赤くさせて撮影スペースから落書きコーナーへ移動する。
だがこの前と確実に違うところは、どちらも文句を言わなかったところだった。
麦野は恥ずかしくて何も喋れない状態だったが、実はとんでもなく喜んでいる。
何せまだ午前中だと言うのに、こんなゲーセンの一角で浜面とたくさん密着することができたのだから。
大胆な行動も、全て機械の所為に出来る。プリクラはデートの度にぜひ撮りたいと思う麦野だった。

「ちょっとちょっと、しずり☆しあげ★って何よ。アンタ女子高生か」

「いや、だってみんなそう書くんだろ?そういうお前だってハートがんがん散らしてんじゃん」

「こ、これはハートの形が可愛いからよ」

「いいんだいいんだみなまで言うな。お前にはそういう可愛いとこがあんだってこと、俺は知ってるんだからよ」

「っせえなあ。アンタなんかこうだ!」

「てめっ!俺をゆるキャラで囲むんじゃねえ!」

二人で仲良くプリクラに落書きをしていく。
やがて残り時間を知らせるアナウンスにせかされながら、何とか全てに落書きを終える。
ドサクサに紛れて恋人向けのスタンプを押してみたり、ハートマークをこれでもかと
散りばめたりして、二人分に切り分けたプリクラを早速新しい携帯の電池パックに貼る麦野。

「浜面、携帯かして」

「おう。なんで?」

「つべこべ言うなっつの」

麦野は浜面から携帯を奪い取り、同じく裏蓋を外して電池パックに今日撮ったプリクラを貼り付ける。
そこには先日撮った二枚のプリクラが既に貼ってあったが、麦野は構わず電池パックを埋める。

「おまっ、何勝手に貼ってんだよ」

「何?嫌なの?」

頬を膨らませる麦野。

「そうじゃねえよ。あいつらに見られたらめちゃくちゃ冷やかされるぞ?」

「あ」
「あ、じゃねえだろ」

「いいわよもう何言われたって」

そんなことより、浜面とのツーショットを張っておきたいという願望の方が勝る麦野。
浜面に後ろから抱きしめられた赤っ恥もののプリクラだが、麦野はゲームセンターを
後にするまで呆けた顔でずっとそれを眺めていたのだった。

937: ショッピング ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:27:35.69 ID:5UB4Cm2o

―――――


ゲームセンターを出た後は、ファーストフードで軽い食事を摂った二人。
ジャンクフードはカロリー高い割に大して美味しくないからと嫌がった麦野だったが、
お金の無い浜面が何とか彼女を説得して事無きを得た。
シャケ弁だってコンビニ弁当だし似たようなもんだろうと思う浜面だが、好物のシャケ弁の悪口を言うと
ブチキレられそうだったのでやめておいた。
そんなこんなで昼食を終え、浜面は今、麦野がよく買い物をするという路面の服屋へとやってきていた。

「いらっしゃいませ。麦野様。お久しぶりでございます」

何とも言えないアバンギャルドでモードテイスト溢れるスーツを着こなした20代くらいの女性店員が笑顔で麦野を出迎える。
白と黒を貴重としたモノクロームの店内は、先ほどまで若者たちでごったがえしていた第六学区の街並みとは打って変わり、
落ち着いたBGMの流れるオシャレな雰囲気を演出していた。
お客もまばらにしかおらず、大学生や20代中盤くらいの男女が皆お洒落な服に身を包んで楚々として買い物を楽しんでいる。
去年の冬物セールで買った8900円のミリタリージャケットなんかでこの店に入ってよかったのかと少し気になる浜面。

「冬物の新作が多数入荷しておりますよ。何かお探しのアイテムはございますか?」

「別に。ちょっと覗きに来ただけ。用があったら声かけるからお構いなく」

「かしこまりました。ごゆっくりご覧下さい」

店員の顔も見ず、陳列されている商品を眺めて言い放つ麦野。
柔和な営業スマイルを崩さず、浜面にも一礼をして商品整理に向かっていった。
浜面がたまに私服を買う時の店員などは、接客業としてそれはどうなんだという友達感覚の気の良い兄ちゃんだが、
こっちでは完全にVIP扱いだ。
浜面は手近に吊り下げてあったシャツの値札を何気なく見る。

(75000円…だと?ゼロ一個間違えてんじゃねえのか)

どうみても普通の白シャツなのに何でこんな値段になるのか。
でも麦野のことだからきっと毎度十万単位で買い物をして帰るのだろう。

「なあ麦野、お前いつもここで服とかアクセサリーとか買ってるのか?」

「まあここだけじゃないけど。仕事で服汚れる時はもっと安いの着てるよ」

でも基本はこれくらいするのか。浜面は雑誌などで10万くらいするようなジャケットをモデルが着ているのを見て、
いつも「誰がこんなん買うんだ」と思っていたが、まさかこんな近くに実在していたとは。

「浜面、ちょっとじっとして」

そう言うやいなや、麦野がドット柄の黒いシャツを持って浜面の体にあてがってくる。

938: ショッピング ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:29:35.38 ID:5UB4Cm2o

「え、俺?」

「うん。アンタに合いそうなの無いかなぁって思ってさ。これ結構かわいいね」

「か、かわいい?」

「浜面、それ脱いでこれ着てみてよ」

今度は少し離れたところからチャコールグレーのジャケットを持ってくる麦野。
反対の手には同色のズボンも持っているので、どうやらセットアップのようだ。
浜面は何が何やら理解できず、言われるがまま試着室に押し込まれて着替える。
値段がチラリと見えたが、上下で約20万円。
細身のスーツで、確かに高いだけあってシルエットは綺麗な気がする。
サイズも意外とピッタリだったし、なんとなくセレブになったようで気分が良い。

「ああ、似合う似合う。アンタ猫背だけど図体でかいしスタイルは悪くないから結構何でもいけるんじゃない?」

「そ、そうか?」

試着室のカーテンを開けて麦野が満足げに頷く。笑顔が眩しいが、着せ替え人形になっている意味がまだ
分からないので曖昧に頷くことしかできない浜面。
こんな高い服着たことが無いので、確かになんとなくいつもよりいい男に見えるような気はする。

「なあ麦野?俺はいいからお前の見たいもん見ろよ。俺に気ぃ使わなくたっていいんだぞ?」

「何言ってんの?アンタの服見に来たのよ?あ、お姉さん、このジャケットとパ  とシャツ買うわ。
 このまま着ていくけどいいよね?」

「かしこまりました、もちろんでございます。いつもありがとうございます麦野様。彼氏様ですか?」

試着室前で待機していた先ほどの女性店員がニコニコと麦野の後ろに控えていた。
お洒落な美人が二人並んでいるのは見ていて気分が良いが、いかんせん麦野の不穏な言葉が気にかかる。
これを、誰が、買うんだ?
ダラダラと冷や汗をかく浜面。
商品に汗がついたらどうすんだと思いつつ、麦野にお金を借りなければならないのかと借金の計算を始める。

「まあそんなとこね。ネクタイってどんなのが合うと思う?」

彼氏というところで少しだけ嬉しそうに微笑を浮かべて、麦野が機嫌良さそうに店員に問いかける。

「シャツがドットですが、お色はシンプルなので奇抜な柄以外でしたら何でも合うかと思いますよ。
 何かお好みはございますか?」

「そうねえ…。浜面、アンタ好きなの選びなよ」

「ちょ、ちょっと来いよ麦野」

939: ショッピング ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:32:50.93 ID:5UB4Cm2o

さすがにこのまま言われるがまま買い物をしてしまうのは不安なので、麦野を壁際まで手を引いて誘導し、ひそひそと耳打ちをする。

「おいおい、どういうことなんだ?俺こんな高い店で買える程金持ってないぞ?」

「知ってるわよ」

「じゃ何でこんな高いオシャレスーツ買うことになってんだよ」

「あ、言うの忘れてたわね。今日実はディナーの予約してるの。
 んでね、そこノーネクタイじゃ入れない店だから、せっかくの機会だしアンタに一式プレゼントしようと思って。
 だからお金の心配なんかしなくていいわよ」

肝心なことを忘れすぎだ。しかもこの上下20万スーツをプレゼントだと?

「すいません店員さん。これやっぱやめときたいんですけど、いいすか?」

「ちょっ!」

浜面は店員に向き直り、頭を深く下げる。
麦野は不満げな声をあげたが、放っておいて店員に申し訳ないと笑顔を向ける。

「左様でございますか。もちろん構いませんよ」

「すんません。悪いな麦野。着替えるからちょっと待っててくれ」

試着室に入り、元の安いジーンズとミリタリージャケットに戻る。
もう一度店員に謝ってからぶすっくれた麦野を引きつれ、店を出た。

「ちょっとどういうつもりよ?」

再び若者で溢れる町を歩きながら、後ろから麦野が苛立たしげに声を投げつけてくる。

「お前こそどういうつもりだよ?俺はお前のヒモに成り下がるつもりはねえぞ?」

「私そんなつもりじゃ…。アンタに喜んでもらいたくて…」

背後で麦野が立ち止まるのに合わせて振り返る。
麦野は唇をかみ締めてギュッと両手の拳を震わせていた。
だが庶民的感覚を忘れていない浜面としてはあんなものをもらうことなんて出来ない。
気が引けるとか、男としてのプライドがとか、そういうことではなく。
麦野の一般人と少しずれた感覚を放置しておくわけにはいかないという考えからの拒否だった。

「あのなあ麦野。俺はお前にそんなことしてもらわなくたって、今日一緒にいられるだけで十分嬉しいんだ。
 金なんか使わなくたって、お前と楽しく過ごす方法なんていくらでもあるんだぞ?」

「…アンタのために何かしたいって思うことがそんなにいけないわけ!?」

声を張り上げる麦野。周囲が驚きにザワつく。

940: ショッピング@スレ残り少ないから行間狭くするけど許してください ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:35:30.50 ID:5UB4Cm2o

「そうじゃねえって。別にお前からのものを一切受け取らないとかそういうことを言ってるんじゃねぇ。
 だけど常識の範囲ってのがあるだろ?言い方悪かったか、別に責めてるわけじゃないんだ
 俺だってお前のために色々したいって思う。お前の気持ちだって分かるし、それはすげぇ嬉しいよ、麦野」

「…それも、私に普通の女の子でいて欲しいってことの一環?」

「ちょっと違うな。お前はお前でいいんだ。だけど、どうせ金を使うなら、もっと二人で楽しんでできることも
 あるはずだろ?そうは思わないか、麦野」

「それは……」

浜面の問いかけに、麦野が俯いた。
内心ひやひやしている浜面。麦野のことだし、ここいらでキレて大暴れしてもおかしくない。
ビクビク彼女の様子を伺っていると、やがて顔をあげたその表情は意外に怒っている様子は無い。
それどころか、毒気が抜けたように晴れやかな笑顔を浮かべていた。

「それもそうね。ちょっとアンタを喜ばせようと必死になりすぎたわ。
 ごめんね浜面、嫌な思いさせちゃったかな」

その麦野の言葉に、浜面も歯を見せて笑みを返す。
麦野はやはりもう以前までの麦野ではない。人の言葉にちゃんと耳を傾けて、聞き入れることができるようになった。
まるで我が娘の成長を見守るようなぽかぽかした喜びを感じる浜面。

「麦野…。いや、全然平気だ!お前が分かってくれただけで俺はもうめちゃくちゃ嬉しい!」
「あ、でもそれじゃ晩御飯どうしようか」
「おっと、予約してるんだっけか?どうする、キャンセルするか?キャンセル料発生するなら俺の所為だし払うぞ」
「ううん。ここはご馳走させて。そんなに高いお店じゃないから。
 それくらいはいいでしょ?私も食べてみたいと思ってたし」

「そんなに」というところが若干気になるが、詳細を聴くとカップルコースみたいなメニューがあるらしく、
料金は二人で10000円だとのこと。
浜面からすればもちろん凄まじく高いが、コースであることと、ドレスコードを要求される格式高い店だと思えば
割とリーズナブルと言っても差し支えは無い。

「…お、おう。でもノーネクタイは駄目なんじゃねえのか?」
「たぶん大丈夫よ」
「本当か?」
「私が何とかしてあげる」

自信満々にそう言う麦野。何とかなるのか?と思いつつ、麦野がそこまで言うならと任せることにした浜面。
一瞬喧嘩になりかけたと思ったが、どうやら杞憂で済んだようだ。

「ほら、手がお留守よ。ちゃんと繋いでてくれないと怒るんだからね?」
「はいよ、お姫さま」

小悪魔的な笑みを浮かべ、右手を差し出してくる麦野。浜面は恥ずかしい台詞に顔を赤くしてその手をとる。
周囲からの痛々しい視線を意に介さず、二人は再びゆっくりと同じ歩幅で歩き始めるのだった。

941: おやつ ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:38:58.26 ID:5UB4Cm2o

―――――

「ラズベリークリームチーズとチョコバナナカスタード」

浜面は街中の少し開けた広場で麦野とクレープを食べることにした。
常識とかけ離れた行動とは言え、麦野の好意を無碍にしてしまったお詫びと、今日の夕食をご馳走になるせめてものお礼だ。
ここも例に漏れずにカップルが多く、広場のベンチのそこかしこに男女が寄り添い座っている。
浜面も両手に二つのクレープを持って、木製のベンチに腰掛けて待つ麦野の元へと戻る。

「お待たせ麦野」
「ありがと。わ、美味しそうね。食べよ食べよ」

機嫌よく受け取る麦野曰く、雑誌に載ってたお店とのことだが、クレープの違いなど分かるはずもない
浜面には見た目的にはただのクレープにしか見えない。
さっそく注文したチョコバナナクレープを齧ってみる。

「むぐむぐ。美味い…のか?甘くてよくわからん」
「男の子にはわからないかな。生地が全然違うよ」
「そうなのか?言われてみれば確かにしっとりモチモチと主張しすぎない食感と仄かな甘みが…」
「そうそう。クリームの甘さと絶妙にマッチしてるのよね。チョコバナナだと味強すぎて分かりにくいと思うけど。
 果物も新鮮だし、これはなかなか他のお店じゃこうはいかないんだよ」

もぐもぐと小動物のように小さく齧りつきながら美味しそうに咀嚼する麦野。
甘いものが好きなのはレベル5だろうが何だろうが古今東西あらゆる女子達に共通する事柄のようだ。
あまりに麦野が幸せそうな表情でかぶりついているので、そっちのクレープもなんだか美味しそうに見えてきた浜面。
思わずこんなことを言ってしまう。

「なあ麦野、一口くれよ」
「ごふっ!な!え?!」

咽る麦野。驚いたようにこちらに視線を向ける。

「交換しようぜ交換。はむっ!」
「きゃっ、浜面ぁ!」
「おお、これは確かになんとも言えぬ…」

麦野の返事を待たずにパクリとラズベリークリームチーズにかぶりつく。
クリームチーズの甘さとラズベリーの酸味のコントラストが絶妙だ。
チョコバナナクレープでは確かにこのバランスは楽しめない。
浜面が唸っていると、麦野が頬を赤く染めてこちらを見ている。

「うまいうまい。ん?どした?ほら、お前も食えよ」
「…う、うん…あむ」

943: おやつ ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:41:28.02 ID:5UB4Cm2o

小さく頷き、わずかに口を開けて差し出したクレープを齧る。
もぐもぐと可愛らしく咀嚼して、チラチラとこちらの様子を伺う麦野。

「な、なんだよ」

異様に可愛いその反応に、浜面も思わずたじろいだ。

「間接キスね」
「…!」

顔を赤くしてポツリと言う麦野。妙な沈黙が二人の間に流れた。
周囲の雑音だけが聞こえてくる。
食べる手の止まっていた麦野が、やがておずおずと言葉を紡ぎだした。

「浜面、次は間接じゃなくて…」
「あ、麦野さんじゃないですかー!こんちわー!」

麦野が何事かを言おうとしたとき、中学生くらいの長い黒髪を靡かせた少女がこちらに小走りで駆け寄ってきた。
その後ろのほうには口元を引きつらせた御坂美琴と、常盤台の制服を着たツインテールの女子学生、
それから頭にお花畑を乗っけた女子学生が見える。

「アンタ…佐天」
「覚えててくれたんですか。あ、美味しそうですね」
「ああ…一口食べる?」
「いただきまーす!おいしーい!」

人懐っこい笑顔を浮かべて麦野のクレープを小さく齧る佐天と呼ばれた少女。
恥ずかしい雰囲気をどこかに吹き飛ばしてくれたのは浜面としては少しありがたかった。

「佐天さん、邪魔しちゃ駄目よ。こいつ今デート中なんだから。
 恐そうに見えるけど彼氏の前じゃデレデレなんだもんね。待ち合わせの時あんなに嬉しそうに…ププッ」

後ろから歩み寄ってきた御坂が佐天の肩に手を置いてニヤリと悪戯っぽく笑う。
麦野がギリリと歯噛みした。

「あ、そうですよね!ごめんなさい!」
「御坂テメェ…見てやがったのか…!」
「あらあらまあまあ麦野先輩?彼氏様の前でそんな怖い顔しちゃ駄目ですわよー?」

使ったことなど無いくせにお嬢様言葉で麦野をからかってくる御坂。
麦野の顔が引きつる。

「テメェこそ例の男と一緒じゃねえのかよ?今頃他の女とよろしくやってんじゃねえの?」
「んなっ!」
「ええ!?御坂さん彼氏さんいるんですか!?」
「お姉様ぁぁぁぁああああああああああ!!今の発言は本当ですのー!!!?」

945: おやつ@リア充ェ…書いてる俺が一番そう思ってる ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:44:49.61 ID:5UB4Cm2o

麦野の言葉に、今度はツインテールの少女が飛びかかってきた。
『空間移動能力者』だろうか、一瞬にして御坂に抱きつき、髪を逆立てながらくってかかる。
その後方からお花畑の少女もゆっくり追いかけてきた。

「もう白井さんっ!急に消えないでくださいよー」
「初春ェ!そんなこと今はどうでもいいんですの!お姉様!麦野さんが今おっしゃったことは
 本当のことですの!?お姉様に恋人なんて…黒子は…黒子は…嗚呼」
「白井さん…重い…!」

全身の力が抜けたようにお花畑の少女に寄りかかる白井。
御坂と麦野は「忌々しい」を顔全体で表現しながらにらみ合っていた。

「余計なこと言ってくれたわねえ」
「テメェこそ目上に対する礼儀がなってねえなあ。やっぱここで決着着けるか?」

「望むところじゃないの。あんたにどっちが格上なのかを教えてあげなきゃいけないようね」
「あァ?コンセント代わりにしかならねえ電気屋が吼えるなよ?灰にするぞ」
「ちょちょちょ御坂さん、落ち着いて」
「そうだぞ麦野。御坂もやめろ。こんなとこで始められたら俺たち死ぬぞ」

街のド真ん中で第四位対第三位の三回戦を始められるわけにはいかない。
佐天と共に二人を止めに入る浜面。

「…ふん、まあ今日は機嫌がいいから見逃してあげるわ。クレープが美味しいから」
「こっちのセリフよ。あ、それやっぱ美味しいの?丁度私たちも買いに来たんだけど」
「さあ、私は嫌いじゃないけど。このコに聞けば?」
「佐天さんどうだった?」

一触即発の雰囲気だったのにもう日常会話に戻っている御坂と麦野。
お前ら本当は結構気ぃ合うんじゃないかとハラハラしつつも呆れる浜面だった。

「美味しかったですよ。麦野さん。一口もらったお返ししますよ。何がいいですか?」
「いらないいらない。細かいこと気にしなくていいからさっさと並びに行きな」

シッシッと追い払う仕草の麦野。佐天という少女はよくもまあこれだけおっかない麦野にずかずか入り込めるものだと浜面は素直に尊敬する。
麦野も人懐っこい佐天に何か思うところでもあるのか、ぶっきらぼうに対応しつつも、決して暴言を浴びせて追い払ったりすることはしない。
麦野なりに後輩を可愛がってやってるつもりなのだろうか。

「そうですか。あ、麦野さん、アドレス教えてくださいよ」
「ええ?何でよ?」
「分からないことがあったら何でも聞けって言ったの麦野さんじゃないですかー。ね、いいでしょ?」
「まあいいか。ほら、携帯だしなよ」
「どもー。やった、麦野さんの番号ゲットだぜ」
「変なとこに売るなよ?」

感心する浜面。麦野がこんなに他人と普通に会話しているところなどなかなか無い。
やはりもう以前までの麦野とは違うんだなと浜面は嬉しく思った。

946: おやつ ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:47:06.54 ID:5UB4Cm2o
「ありがとうございます。メールしますね。それじゃ並んできます!行こ初春」
「あ、待ってください佐天さん。白井さん…っ!いつまで気絶してるんですか!」

白目を剥いて灰になっていた白井がハッと体を起こし、側にいた御坂の腕に抱きつく。

「お姉様!今日こそはちゃんと説明して頂きますから覚悟してくださいましね!」
「はいはい、分かった分かった…。じゃね、麦野。で・ぇ・と・お楽しみにー」
「っぜえな。とっとと失せろ」

疲れたようにげんなりしている麦野。パタパタと駆けていく中学生達の後姿を見送っていると、
ツインテールの少女が足を止め、優雅な足取りでこちらに舞い戻ってきた。

「何よ白井。愛しのお姉様が待ってるわよ」
「麦野さん、ありがとうございましたの」

目の前に来るなり、白井と呼ばれた少女が麦野に頭を深々と下げた。
麦野が人からお礼を言われている姿なんてそうそうお目にかかれることではないため、浜面は驚愕する。

「お姉様が戻ってきてくださったのは、麦野さんのおかげなんですわよね?」
「…違うわよ。あいつが勝手に自己完結しただけ。私はあいつの独り言聞いてただけだから」
「そうなんですの?お姉様は麦野さんのことを思ったより話が分かる人だったと褒めてらしたのですが」

麦野が人に褒められるなんて、と浜面は息を呑む。先ほどから麦野に対してどれだけ失礼なことを思ってるんだと
苦笑するが、割と素直な感想なのだから仕方ない。褒められ慣れていない麦野も、視線を宙に泳がせて曖昧に答える。

「買いかぶりすぎね。私あいつのこと嫌いだもん」
「貴女がお姉様のことをどう思っていようと、わたくしには関係ありませんわ。お姉様は戻ってきて下さったんですもの。
 だから、お礼を言わせてくださいまし。麦野さん、本当にありがとうございました」

もう一度笑顔で頭を下げた白井。
麦野は困ったような表情で浜面を見てくる。相変わらず素直じゃないなと浜面は苦笑しながら、その背中を押してやる。

「素直に受け取っとけよ。お前が御坂を引き戻したのは事実だろ?」
「…うん。じゃあ、どういたしまして」
「ええ。これからもお姉様と仲良く喧嘩して差し上げてくださいましね。ではお二人とも、お邪魔いたしましたの」
「先輩がああなら後輩もこうかよ…はいはい、またね」

素直な笑顔を浮かべて白井が御坂のもとへと走り去っていく。

「仲良く喧嘩って。私とあいつはそんな関係じゃ…」
「まあいいじゃねえか。御坂はお前が思ってるほどお前のこと嫌いじゃねえよ。
 麦野だって、口ではそう言うけど、同じだろ?本当に嫌いだったら、お前なら無視するはずだしな」
「か、勝手なこと言うな!…ふん、年下のガキにキレるのは大人気ないと思ってるだけよ」

頬を膨らませて拗ねる麦野。
浜面は思った。麦野が変わったのは、何も『アイテム』を大切なものだと自覚したからだけじゃない。
こうやって他人と言葉を交わして、心を通わせて、自分でも気付かないうちに人と接することを学んでいったんだ。
他人を遠ざけようとしていても、麦野はきっとどこかで人との繋がりを求めていた。
こうやって近づいてきてくれた人たちがいたから、麦野は変われたんだろう。
そしていつしか麦野は、本当に優しい女の子になっていくんだろうなという予感を浜面感じたのだった。

947: ショッピング2 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:49:21.45 ID:5UB4Cm2o

―――――

一騒動あったものの楽しくクレープを食べ終え、夕食前の良い繋ぎになった二人は再び腹ごなしも兼ねて
その辺りの雑貨屋でも見て回ろうということになった。
ここも例に漏れずカップル達でごったがえしているファンシーショップ。
先ほどから少し思っていたが、麦野もしかして狙ってそういうスポットに行っていないだろうか?
そう考えれば、麦野がこのデートをとても楽しみにしていたという話が異様に信憑性を増してくる。

(デートスポットでデートしたいってか。麦野ってほんとめちゃくちゃ女の子らしいとこあるよな)

なんだか嬉しくなってきた浜面。視線の先には棚に並んだぬいぐるみをご機嫌で眺める麦野がいた。

「えい、すごーいパンチ!」

大きくてまんまるなひよこのぬいぐるみを抱え、そのもこもこの羽で浜面の頬を小突く麦野。
悪戯っぽい微笑を浮かべて、ひよこにアテレコする彼女に、浜面はどうすればいいのか困惑していた。

「私は世界に20匹弱しかいない聖ぴよこだ。無闇に喧嘩を売ると寿命を縮めるぞ」

(なんだこの可愛い生き物は)

もちろんそのもっちゃりしたひよこのことではない。
聖なるひよこって何だとか、匹じゃなくて羽じゃないのかとか、そんなツッコミをどこかに置き忘れてしまうほどの破壊力。

「アンタ可愛いね。買っちゃおっかなあ。ね、どう思う浜面?」
「ん、いいんじゃねえの?お前の方が全然可愛いけどな」
「はァ!?」
「あ」

思わず思ったことが口に出ていた浜面。慌てて口元を押さえる。
だが時既に遅し。聖ぴよこは麦野の巨 をぐにゅりと押しつぶすようにきつく抱きしめられている。
いいなあと思いながら、彼女の顔が見る見る真っ赤に染まっていく。

「あの…あ、ありがと…。えと…レジ行ってくるね…」

聖ぴよこを胸にうずめたままぱたぱたと麦野がレジカウンターへ逃げるように去っていった。
その背中を見ながら、麦野といると本当に飽きないなと思う浜面。
彼女がこちらに戻ってきても、まだ耳まで赤いままで、あまりに自然なふい打ちになかなか元に戻れない様子だった。

948: ショッピング2 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:50:48.13 ID:5UB4Cm2o

「か、買ってきた…」
「お、おう…。ぬいぐるみ、好きなのか?」
「べ、別に。でもこのコ触り心地が良いから抱いて寝ようと思って」
「だ、抱いてか…」
「変な想像すんな。枕よ枕。よだれだって着いたりするんだから汚いっての」
「むしろご褒美だろそれは」

羨ましいひよこめ。浜面が袋の中に詰め込まれた鳥を睨む。
たまたまラブリーに作られただけのくせに麦野の柔らかふわふわの●に包まれて毎晩過ごせるなんて、
鳥類の分際で生意気過ぎる。
浜面は袋の中の鳥公を永遠の宿敵と断定したのだった。

「なあ麦野…」

だから浜面には、哺乳類として。ヒトとして。この鳥にだけは負けられない。
だからこそ訊くのだ。麦野が答えをくれると信じて。

「な、なに?」

麦野が恐る恐る尋ね返す。
浜面は迷いも怖れもなく、彼女に問いを投げかけた。

「お前って何カップ?」

スカートの中の純白の下着が見えた。
次の瞬間。浜面の即頭部にあまりにも鋭いハイキックが叩き込まれる。
飾り気の無いものではなく、レースがあしらわれた大人の白。
麦野、今のお前にはよく似合うぜ。
浜面は最後にそう呟き、ファンシーショップの中で事切れる。

「Fよ。そして死ね」

麦野の恥じらいたっぷりの発言は、その耳に永劫届くことは無い。

949: 食事 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:54:20.93 ID:5UB4Cm2o

―――――

時刻は夜7時。いよいよデートも後半戦。
まだキーンとなっている耳の奥を押さえながら、浜面は麦野に連れられ本日の夕食を摂るべくレストランを訪れていた。
夜景スポットであるタワービルの近くに位置するオシャレなレストランだ。
格式高い店だと聞いていたが、確かに身なりのいい人々がゆったりと食事を楽しんでいる。
教師や研究者など、どちらかといえば学生以外の人間をターゲットとしているような店なのだろう。
麦野は店に入るなり、支配人を呼び出すという暴挙に出ていた。
まさか本当に脅迫するつもりじゃないだろうなとハラハラとその様子を見守っていた浜面だが、
ヒゲ面の几帳面そうな支配人はニコニコと笑顔で二人を個室まで案内してくれた。
去り際に、「お父様によろしくお伝えください」という謎の言葉を残して。
異様に広い、王族とかが使うんじゃねえの?というような豪奢な室内で、そわそわと落ち着かない浜面。

「なあ、どんな手使ったんだ?」

賄賂でも積んだのかと浜面が戦々恐々と尋ねると、少し言い淀む仕草を見せて麦野が言った。

「実はここ、私の父親が経営してる店なのよ。最近オープンしたから顔出すようにって言われてて」
「え、マジで?麦野の実家はやっぱそうとうな金持ちなのか」
「まあ…そうかもね。『学舎の園』の中にはもっと凄いお嬢様いくらでもいるみたいだけど」

なんとなくそうじゃないかとは思っていたが、やっぱりそうだった。
浜面は彼女の金銭感覚のずれは生まれの所為もあったんだなと妙に納得する。

「じゃあ家に執事とかいたりしてな。はは、なんて…」
「……うん」
「マジかよ…」
「メイドも庭師もシェフもいる…」
「わあ。日本にそんな家あるんだねー、わあ」

かなり筋金入りのお嬢様だ。麦野の高飛車な性格も頷けるというもの。

「ごめん、隠すつもりじゃなかったんだけど。引いた?」
「いやいや、何でそんなことで引くんだよ。ソレ逆に嫌味っぽいぞ。別にお前の実家がどうだって関係ねえよ。
 メイドさんは見てみたいけどな」

とそこで食前酒が運ばれてくる。メニューはあらかじめ麦野が頼んでいてくれたらしい。
仕事の出来そうな眼鏡のソムリエだかコックだかがごにょごにょと酒の説明をしてくるが、
浜面にはもちろんそんなこと分からないので、店員が出て行くまでうんうん頷き聞き流しておく。
それはそうと未成年なのに酒を普通に注文する辺りがさすが麦野だ。

「あー、来ないほうがいいよ。私に彼氏がいるなんてバレたらアンタも面倒なことになるし」
「ゲッ、そんな恐い親御さんなのか?」
「親はそうでもないけど、あんま家にいないしさ。けど私の教育係だった執事がもうね…」

950: 食事@執事は電撃最新号の扉絵の人 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:56:51.63 ID:5UB4Cm2o

視線を逸らして自らの肩を抱く動作をする麦野。
彼女がここまで脅えるということは、よっぽど凄いのだろう。
悪魔で執事だったり、もの凄い借金を抱えた完璧超人だったり、吸血鬼を殺すためにナチスの超技術で若返ったり。
いずれにせよ、この麦野を教育するような人間がまともな奴ははずが無い。
喉を鳴らす浜面。

「ごめんごめん。私の実家のことは気にしないで。飲もう飲もう。うちのお抱えのシェフだから、味は保証するよ」
「そか、そりゃ楽しみだな。じゃあ乾杯」
「うん、今日はありがとね。乾杯」

白ワインの入ったグラスを掲げて、笑顔を交し合う。グラスをぶつけ合うのはマナー違反らしい。
いつもいかに相手に缶を叩きつけて中身をぶっかけるかという戦いをフレンダや絹旗と行っている浜面としては、新鮮な、大人の乾杯だった。
グラスに口を付けた瞬間、芳醇な酸味と甘みが口の中に広がった。
鼻を通り抜けていくフルーティな香りが食欲を増進させていくような気がする。
安酒しか飲んだことない浜面には、具体的な良さなどまるで分からないが、
この酒が美味いものだということだけは確かに分かった。

「すげえなこれ…こんなワイン初めて飲んだ」
「これ、私が生まれた年の葡萄で作ったものなんだ。この店がオープンしたときに父親が私のために入れておいてくれたんだって。
 さっき支配人に聞いて始めて知ったよ」
「何てお洒落な親父さんなんだ…。発想がすごすぎる」

酒の所為か、顔が仄かに上気した麦野は妙に色っぽく見えた。
その後、ゆっくりと会話を楽しみながら料理に舌鼓を打つ。
舌平目のなんちゃらとか、何某のテリーヌとか、もう何語か分からないような料理までが順番に出てきた。
正直名前なんてどうでもよくなるくらいに美味かった。
その後たっぷり1時間半程かけて全てのコース料理を食べ終えた二人は、最後のデザートを堪能しているところである。

「これもうめぇ。これは何というか、それ以外の言葉が見つからないな」

真っ白い皿に載せられた、3種のベリーが乗せられた細長い小さなケーキに苺のソルベが添えられている。
それらは口に運びながら、毎度毎度浜面は感嘆の声をあげるばかりだ。
それを見ながら、麦野が嬉しそうに微笑を滲ませる。

「よかった。満足してくれたみたいね」
「ああもう大満足だぜ。ありがとな麦野!」
「い、いいのよ。…私も浜面と一緒に食べられたから…すごく美味しかったし…」

恥じらいながらそう言う麦野。そんな可愛い反応を見せられたら、浜面も急に恥ずかしくなって頬をポリポリとかく。
そのときだった。

「失礼します。麦野様…」

ノックし、支配人が柔和な笑みを浮かべて入ってきた。
二人の間に流れていた緩やかで甘い空気がどこかへと消えていく。

951: 食事@執事は電撃最新号の扉絵の人 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 01:59:47.09 ID:5UB4Cm2o

「何?食事中にずかずかと」
「申し訳ありません。実は…」

麦野に耳打ちをする支配人。彼の話をふんふんと聴いていた麦野だったが、やがてその眉間に皴が刻まれた。

「ちっ、タイミングの悪い…。大事な話中よ。後で連絡するからと伝えなさい」
「いえそれがその…」
「失礼致します。沈利お嬢様」

室内に、パリッとしたスーツを着こなしたとんでもなく大柄のロマンスグレーが現れた。
顔にはモノクルを着けた西欧人。年は60手前くらいだろうか、目尻や口元など、ところどころに皴が
刻まれているものの、その眼光の鋭さたるや、浜面はゴクリと唾を飲み込むことしかできなかった。

「アンタ、何しに来たの?」
「此度この店のオープンに祝いの品を届けることを旦那様より仰せつかり、罷り越した次第でございます」
「私は今食事中なの。話なら明日にでも電話するから、帰りなさい」
「学園都市滞在は本日中のみでございます故、間も無く帰参致します。
 ですが、もう2年近くお嬢様のお顔を拝見しておりませぬ故、一目にお目にかかろうと…」
「うるさい。分かりやすく喋れ」
「麦野…このお人は…?」

恐ろしい顔のジェントルマンに、吐き捨てるような言葉を投げつけている麦野に恐る恐る尋ねる。
すると、ため息をつく麦野が説明をしてくれる前に、威圧感たっぷりの男が浜面に向き直って美しく礼をした。

「申し遅れたことをお許し下さい。私は麦野家で家令(ハウススチュワート)を勤めさせて戴いております…」
「うるっせえつってんだろジジイ。テメェの名前なんてどうだっていんだよ。気にしないで浜面。こいつウチの執事なの」
「お嬢様。執事ではございません。家令でございます」
「どっちでもいいわよ」
「然様で。私が麦野の家にお仕えする家僕であるとご認識戴けているのであれば構いますまい。
 時にお嬢様、こちらの殿方は…?それから右目の眼帯はどうなさいました?よもやお怪我をされたのではありますまいな」

ギロリとこちらを見下ろしながら執事の男が渋い声で麦野に問いかける。
まさか右の眼球が丸々無いなんて聴いたらどんなことになるか分からない。
麦野は呆れたようにため息をついた。

「アンタには関係無いでしょ」
「然様で。されど私は旦那様にお嬢様の御様子もお伺いするよう仰せつかっております故、
 仮にこちらの殿方がお嬢様を誑かす悪漢であれば、少々の折檻をも辞さぬ所存でございます」

952: 食事 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:01:31.25 ID:5UB4Cm2o

何を言ってるのか分からない。日本語的な意味で。
浜面は二人のやりとりをハラハラしながら見守っていた。
どうやらそれは支配人も同じらしく、彼と目が合うと、何となく会釈を交し合ってしまった。

「家僕の分際で口が過ぎるわよ。彼は私の大切な恩人なの。彼への無礼は許さないわ」
「失礼を致しました。では私に誓って戴けますな?此方の殿方はお嬢様の恋人では無いと」
「それは…」
「違うっすよ」

浜面が咄嗟に助け舟を出す。恋人関係を他人に主張したい麦野にその嘘は付けないだろうと思ったのだ。
一瞬浜面も迷ったが、これが原因で麦野が怒られたりするのは見たくなかった。
こちらの言葉に、男がギロリと浜面を見下ろしてくる。

「誓って、戴けますな?」
「ああ、誓うよ」
「浜面…」

少しだけ哀しそうな麦野に心が痛む。が、後で説明すればいいと浜面は不敵に笑った。

「…然様で。失礼致しました。お名前を御伺いしてもよろしいでしょうか?」
「浜面仕上です」
「…以後お見知りおきを。それではお嬢様、私はこれにて失礼を致します」

頭を下げ、執事は麦野に向き直ってもう一度礼をする。

「はいはい。さっさと帰れ」
「支配人。手間をかけたな。お嬢様、勘定は私がお支払いしておきます故、
 その代金で浜面様の身なりを少々整えて差し上げると宜しいかと」
「大きなお世話よ」

いやまったく。そう言って男は支配人を伴い、結局一度も笑顔を見せることなく去って行った。
再び室内は二人だけになる。張り詰めていた空気が弛緩し、二人は同時にテーブルに突っ伏した。

「ごめんね浜面、あいつちょっと過保護すぎるってか口うるさいのよ」
「いやいや、お嬢様の苦労ってのがちょっと分かったいい体験だったよ」
「そう言ってもらえると助かる。ねえ浜面…私、浜面の恋人だよね…?」

953: 食事 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:02:37.48 ID:5UB4Cm2o

哀しそうな視線で浜面に問いかけてくる。先ほどの発言を気にしているらしい。

「ああ?当たり前だろ?俺は恋人じゃないなんて一言も言ってないぜ?」
「え、でもアンタさっき…」
「あのオッサン俺にこう言ったんだ。
 『お前お嬢様の 恋人じゃない よな?』 って。
 だから俺は『恋人じゃない』ってとこを否定して、『違うよ』って答えたんだ。
 つまり俺は、正直にオッサンに恋人だぜって宣言したんだけど、案の定勘違いしてくれたぜ」
「なるほど……さすがね。小ずるいことには頭が回る」

感心したように麦野が唸る。
あまり褒められた気がしないが、麦野の機嫌は元に戻ったのでよしとしよう。

「けどよかった。私、浜面にふられちゃったのかと思ったよ」
「なんでだよ。そんなわけないだろ」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあ好き?」
「…ああ」
「ちゃんと言ってくれないと分からないよ?」

毎晩電話口でしているやりとり。
分かっているくせに、その言葉が聴きたいがためにやるアホな会話だ。
だが浜面はいつまで経ってもそのやりとりには慣れなかった。
当然だ。恥ずかしい。だって男の子だもん。

「…好きだぞ、麦野」
「うん、私も大好き!」

けれど、そうやって華の咲くように笑ってくれる麦野が見れるなら、そんな馬鹿な会話に付き合ってやるのも悪くないと浜面は思った。
好きだって言われて嬉しいのは、何も麦野だけではないのだから。
彼女の言葉に、浜面はドキリとなる。
こんなに可愛い彼女が自分のことを好きだって言ってくれて、嬉しくないわけがない。
デートもいよいよ後少し。最後まで二人の時間を楽しもう。浜面は強くそう思うのだった。

954: タワービル近辺 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:04:24.86 ID:5UB4Cm2o

―――――

食事も終わり、いよいよ本日の目的であるタワービルへと手を繋ぎ歩いている二人。
麦野はドキドキと高鳴る胸を押さえながら歩いていた。
ほろ酔いでいい具合に気持ちがいいし、隣には大好きな浜面がいてくれる。
こんな気分のいい日はそうそう無い。このまま楽しく一日が終われそうだと思っていた時のことだった。

「なあ、アレ浜面じゃね?」
「うおマジだ」

柄の悪そうな男が数人、少し離れたところでそう言ったのを聴いた。
浜面にも聞こえたのか、舌打ちをして麦野手をギュッと握る。
麦野は浜面を見上げて、優しくその手を握り返した。

「おいコラ、浜面止まれよ」
「あれー?ほんとだ浜面クンじゃないですかー?女連れとは生意気ですねー?」

人数は7人。いかにもな外見のスキルアウトの男たち。
こちらを値踏みするようにニタニタと視線を這わせてくるのが気持ち悪い。
麦野の瞳が鋭く細められた。

「ほっとけ麦野」

浜面は麦野の手を引き、ビルのほうへと向うが、その前に男たちが立塞がる。
浜面が許してくれるなら、いつでも殺してやると平坦な表情になる麦野。

「おい浜面ぁ。テメェの所為で仲間が死んだってのにテメェは女とイチャイチャかよ」
「いいご身分だなあ。その女めちゃくちゃ可愛いじゃねえかよ。俺たちにも貸してくれない浜面クゥン?」

麦野の中で沸々と湧き上がってくる激情。ここが人目の無い路地裏だったら、とっくに消し炭にしているところだ。
だがまだ麦野が踏みとどまっているのは浜面が痛いほど握り締めてくる手のせいだった。
ふるふると震えている。恐いわけじゃない。「仲間が死んだ」。その発言の所為だ。

「シカトしてんじゃねえぞコラァ!テメェがトチリやがったせいでアイツらみんな死んじまったんだ!
 いい奴らだったのによぉ…なのに何でテメェが生きてんだよクソ野朗!」

浜面の胸倉を掴み上げる男。麦野の手からとうとう浜面の左手が離される。

「すまねえ…」

ポツリと呟く浜面。その声は悔しさと怒りに震えていた。
そんな彼の言葉に、怒りが心頭に発した男が顔面を殴りつける。
浜面の体が勢いよく地面に叩きつけられた。
口元から血を流しながらも、浜面は彼らに同じように謝ることしかできなかった。

956: タワービル近辺 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:06:12.29 ID:5UB4Cm2o

「すまなかった…俺のせいだ…」
「分かってんよそんなことは…。おら立てよ。テメェが気絶したらそっちの女はどうなっちまうかなぁ?」
「アンタ美人だなぁ。浜面みたいな冴えねえ奴ほっといて俺たちと…」
「手ぇ離せよゴミ蟲共…」
「あ?」

浜面を殴られた時、麦野の頭で血管が一つ吹き飛んだ。
それはただの、試合開始のゴングだった。

「テメ今なんつったんだ?」
「麦野…」
「私の浜面からその薄汚ねえ手を離せっつったんだよッ!!」

憤る麦野。レベル5の殺意の重圧が男達の体に圧し掛かる。
ゴクリと生唾を飲み込むスキルアウト達。
周りを行く人たちは、自分たちの様子を見て見ぬふりをしながら通り過ぎていく。
だがそれが普通だ。どう見ても襲われてるのは自分で、周りの男たちがそれを取り囲んでいる。
先ほどまではその見識で正しい。しかし、今状況は変わった。
殺意を持ったレベル5を前に、このスキルアウト達はもはやただ殺されるだけの案山子。
道行く人々は、まさかこの一人の少女が、7人の男達を殺そうとしているなどとは考えもつかないだろう。

「ハ…ハハ、何言ってんだぁ?こっちは7人もいるんだぜ?」
「そ、そうだぜ。オラ、とっとと拉致ってまわしちまうか」
「ギャハハハ!浜面テメェにはこの女がヒーヒー言ってるとこ生で見してやんよ!」
「バカ!逃げろ!」
「無駄だぴょーん、君にはボク達のおにんにん咥えてもらうお仕事が待ってるからねー」

愚か過ぎる。その浜面の言葉通り、一目散に逃げていれば、見逃してあげたのに。
その言葉が、自分たちに向けられたものだなんて気付けない。
生存本能の鈍い奴は、闇の世界じゃ生きていけないんだよ。

「私のたのしーたのしー休日を邪魔しやがって…テメェら―――」
「止めろ麦野!」


大丈夫だよ、浜面。


「―――ブ  チ  コ  ロ  シ  カ  ク  テ  イ  ネ  」


私はあなたとの約束は、一瞬たりとも忘れてなんか無いから。

957: タワービル近辺 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:08:18.78 ID:5UB4Cm2o

『原子崩し』を発動。場は一瞬にして光に包まれる。以前の麦野なら、彼らをこのまま肉の塊に変えてやったことだろう。
だが、麦野は浜面と約束をしたから。
彼の前では、ただの女の子でいるって。暗部の仕事以外で、もう人は殺さないって。
麦野は青い球体を無数に出現させ、彼らの頭上から雨のように電子線を注ぐ。
決して彼らには当てず、だが一歩でも動けば一瞬にしてこの世から消える。
整備されたビル前の床に無数の穴が開けられていく。隕石の落ちた跡のように。蜂の巣のように。
光が消えたとき、男たちは皆唖然とした顔で穴ぼこだらけになった大地に立ち尽くしていた。

「…ハ、ハハ、な、なんだよそりゃ。ただの脅しじゃねえか…!」
「まだやんの?言っとくけど、ここで止めないと本当に殺すしかなくなるんだけど…」

乾いた笑い声を漏らす一人の男。勝ち目なんて無いと分かっているはずなのに虚勢を張ることしかできない。
我に返った男達が皆互いの顔を見合って恐怖を拭い去ろうとする。
こうなると、後に待っている行動は単純だ。ヤケになって襲い掛かる。これしかない。

「ふざけんじゃねえぞ!テメェら!やっちまえ!」

三下の台詞を吐いて、懐からナイフを取り出した男達。

「もうゆるさねぇ。三度の飯よりxxxxが好きな体に開発してやビブルチッ!」

しかし、そのリーダー格の男の顔面を、横合いから思い切り浜面が殴りつけた。
数メートル吹き飛び、男は地面を転がった。

「俺は別にいい…でもそれ以上麦野に手ぇ出すってんなら、マジで殺す…」
「…テメェ…元はと言えばテメェがヘマしたせいで…」
「ああそうだ!」

折れた歯と鼻を押さえながら、ヨロヨロ立ち上がる男に浜面が吼える。

「あいつらが死んじまったのは俺の所為だよ!言い訳はしねえ!
 でもな、だからってこのまま俺は死ぬわけにはいかねえんだ!
 仲間を守ろうとしてくたばった駒場のリーダーは、絶対そんなこと褒めちゃくれねえ!
 取り返しのつかねえことをしちまったけど、それでも俺たちは生きていくしかねえだろうが!
 だから今度は守るんだ!俺は俺の仲間を、何があっても、絶対に!」

浜面が拳を血が滲むほど握り、叫ぶ。
男はなおも浜面にナイフを向けた。
 
「うるせぇえ!はまづらぁああああ!」

ナイフを腰で構え、浜面を殺そうとぼこぼこの大地を蹴る男。

「歯ァ食いしばれよ…テメェらが他人の所為にすることしかできねえってなら、俺がその根性…―――」

だが浜面は揺ぎ無い視線で、彼を真っ直ぐに見据えて拳を振り上げた。

「―――叩き直してやるぁぁぁァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ――――――!!!」

958: タワービル近辺 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:10:19.34 ID:5UB4Cm2o

男の顔面にねじこまれる浜面の拳。ナイフが浜面の胴体に差し込まれる前に、男の体は実に10メートルは吹っ飛ぶ。
ピクピクと痙攣して、男は気絶した。

「根性足りねえぞ。出直してきやがれ」

周りにいたスキルアウト達は、ゴクリと息を呑んだが、まだ数の利があると思っているのか、それで引くことはしない。

「逃げるぞ麦野!」

突然浜面が駆け出す。
彼のの咆哮に驚いていた麦野の手を、突然掴んで彼は走り始める。

「ちょっ!なになに!?」

引っ張られるように後を追う麦野。彼は走りながらこちらを振り返って精悍に笑った。

「よく殺さなかったな、偉いぞ麦野。後は逃げるが勝ちって奴だぜ!」

ドキリとなる麦野。浜面が褒めてくれた。背後から男たちが怒号を上げて追いかけてくるが、あんなに目立っていれば
そろそろ『警備員(アンチスキル)』が駆けつけてくるだろう。
浜面達はいくつも路地を曲がり、通りを出たり入ったりしてそれを撒く。

「ハァ…ハァ…よし、ここまで来れば大丈夫だろ」
「…はぁ…はぁ…ったく、この私を走らせるなんて…アンタふざけんじゃないわよ…ぜぇ…ぜぇ」

やがて立ち止まって息を荒くしながら、二人はネオン街の中で笑顔を向け合った。

「悪い悪い。あんなの一々相手にしてたら日付変わっちまうからな。
 あーでもどうするかな。タワービルの方は『警備員』が来てるかも…」
「そだね。別に今日じゃなくてもいいよ。あ…浜面ここ…」

麦野は自分の顔が赤くなるのを感じた。走り疲れたからではなく、このネオン街に原因があった。

「…お…おう…これは、わざとじゃないんだぞ…?」

そこは所謂ホテル街。キラキラと輝く可愛らしい外観のホテル達が皆口を開けてカップルを待っている。
よく見るとそこかしこにぴったりと密着していそいそとホテルに入っていくカップルが見受けられる。
デートのゴール地点としてはおあつらえ向けかもしれないが、麦野にはあまりに刺激が強すぎる場所だった。

「よ、よしタワービルに戻るぞっ!……麦野?」

959: ホテル街 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:12:25.62 ID:5UB4Cm2o

気がつくと、麦野は俯いて浜面のジャケットの袖を掴んでいた。
顔が真っ赤になっているのは自覚している。自分でも何故そんな行動に出たのか分からない。
だけど、これ以上デートを他の誰かに邪魔されたくなんかなかった。
二人で夜景を見るのも素敵だけれど、二人きりで過ごすのは、きっともっと素敵なことだから。
麦野はゆっくり、浜面の腕の中に自らの体を投げ込む。

「…浜面…もう終電なくなっちゃったよね…」

彼の顔を見れない。
だけど、分かって欲しい。
どんな気持ちで、自分がそんな行動に出ているのか。

「は?いや、まだそこそこ…ああ、いや…なんだ、そうだな…無くなっちゃったかもな」
「……家に帰れないよね…」
「ああ…帰れないな…」

そうして嘯く二人。
だけど、気持ちは同じだった。誰にも邪魔されずに、二人きりで過ごしたい。
家に帰るまでなんて待てない。
今すぐに、彼と、二人きりになりたい。

「……どこか…泊まるところ無いかしらね…」
「そう…だな」

面倒くさい女の子でごめん。だけど、自分からこんなこと、恥ずかしくて言えないから。
浜面が引っ張っていってくれるなら、自分はどこへだって行くから。
だから

「…じゃあ…ここ、とか?」

頭をかきながら、照れくさそうに浜面が指を指す。

「うん…いいよ、アンタとだったら、どこでも行く…」

予定調和の会話を終えて、麦野は浜面の腕に縋り付いて建物の中へ入る。
これで朝まで、誰にも邪魔はされない。
私だけの浜面でいてくれる。浜面だけの私でいられる。
麦野の心臓は、今日最高潮の喜びと拍動を記録した。

960: 麦野 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:14:14.97 ID:5UB4Cm2o

―――――


部屋の中で、麦野はひたすらに混乱していた。
一言で言えば。
どうしてこうなった?
いや全く全面的に自分から誘ったのだが、いざこうして室内に入るとドキドキがハンパではない。
恥ずかしくて浜面を直視できない麦野。
今二人は室内の二人掛けソファに無言で座っているところだった。

(…わ、私このまま浜面と…しちゃうの?)

若い男と女がホテルにいるということの意味を、麦野はよく理解していた。
浜面だって男だ。いくらなんでも自分とこのまま夜を共にすれば、当然そういうコトになってしまうだろう。

(そりゃいずれはそうなるんだろうけど…私達この前付き合ったばっかりなのよ…?
 んで今日初デートだし…。そんな決心つくわけないでしょが!)

男が怖がって近寄ってこなかったのだから当然だが、麦野にそういった経験はない。
故に、いずれは浜面に初めてを捧げることになる。
しかしだ。
付き合い始めてたかだか一週間でもうコトに及んでしまうのは、麦野としては色々と問題があった。

(軽い女って思われたらどうしよう…。結標のクソアマが私のことをxxxみたく言いやがったから
 ただでさえそういう先入観みたいなもんが浜面の中にあるかもしれないのに…)

結標の顔を思い出して自らのスカートを引き裂くように握る麦野。

(大体初めてがラブホテルって何よ。もっと夜景の綺麗に見えるホテルのスイートルームで、
 アロマの香りの中シャンパングラスを傾けながらゆったりとそういうムードになっていくのが本当じゃないの?)

重ね重ね言うが、麦野沈利はこれでも乙女である。
もちろんギャグではない。
あれだけピュアなデートを望んだのに、ましてや初めてを大好きな人に捧げるというのだから、
素敵な場所と甘いムードの中で来るべき時を迎えたいわけだ。
それは決して今じゃないし、まだまだずっと遠い先の話であってほしい。

(私は何でこうなんだ…。もっと落ち着いた人間になろう…)

散々回りから言われてきても治らなかったことを、自分のxxがかかったこの状況下でようやく誓う麦野。
自業自得で納得できることではないため、麦野は意を決して先ほどからそわそわ落ち着かない浜面のほうを振り返る。

「浜面、あのね…」

961: 浜面 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:15:54.20 ID:5UB4Cm2o

―――――

浜面は先ほどから心臓と下半身がえらいことになっていた。
麦野と恋人になれたということで人生でも最高点というくらいの喜びの頂に到達していた。
さらに今日は念願の初デートである。無理もない。

(麦野がさっきからこっちを向かないのは、俺がリードするのを待ってるからなのか…?)

突如一緒にホテルに入ろうと言われ、巨 を腕に押し付けられて部屋まで来た。
その言葉に浜面は気が気でなく、先ほどからずっと前かがみの状態になっている。
部屋の真ん中にドッカリと鎮座している巨大なベッドをチラチラと見ながら、浜面は荒くなりそうな呼吸を必死に抑えていた。

(いいのか麦野…?もう俺は限界だぞ…)

浜面は健全な少年である。
麦野のような恋人が出来たのだから、当然やりたいこともたくさんあった。
デートのことももちろんそうだ。色んな場所に麦野と行って、今日みたいに楽しみたい。
そしてDVDの中でしか拝めなかった生まれたままの女体を拝み、コトも致したいわけである。
麦野の肉体は艶めかしく扇情的で、男の欲望をぶつけたくなるような肉感を持っている。
平たく言うと●●い。
胸は柔らかそうに膨らんでいるし、腰のくびれもたまらない。
文句なしの美人で、髪はさらさらのふわふわ。わずかに上気した頬が何とも言えない悩ましさを放っている。
性格はきつめだが、そんな麦野の体をいつか自由にできるという事実は
浜面からすればそれだけで数日は●●●に困らないことだった。
だが浜面には気がかりもある。

(がっついてるみたいじゃねえか俺?そりゃいつかはするんだろうけど、それって本当に今なのか?)

ここで麦野を抱きしめてゆっくりとベッドに連れて行くことが、本当に正しいのだろうか?
麦野が望んでる望んでないの話ではない。
付き合ってたかだか1週間の自分たちが、こんなタイミングで初めての戦いに及んでいいのかという話だ。

(もしかして…何か別の意図があったんじゃないか?好きって言われたくらいであんなに喜ぶ奴だぞ?
 本気でコトに及ぶことを望んでいるとは考えにくい。危ない危ない。
 もし襲ってたら死ぬところだったぜ…)

息を吐いて自分の命を拾い上げたことを実感する浜面。
だが状況はこうである。誰が見たって、やることなんて一つしかない。
浜面は隣でスカートを握り締めて俯く麦野を見ながら生唾を飲み込んだ。
そのとき、麦野が突如こちらを向いて声をかけてくる。

「浜面、あのね…」

962: 浜面 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:17:36.19 ID:5UB4Cm2o

「お、おう…」

赤い頬と潤んだ瞳。隣に座っているととてつもなくいい匂いもする。
正直いつ理性のタガが外れてしまうか自分でも気が気で無い。
麦野を傷つけるわけにはいかないと、浜面は深く息を吸いながら彼女の言葉を待つ。

「浜面…私と●●●したい?」
「な、なんだと…?」

頼むからそんな生々しい単語を出さないでくれ。
その大きな胸に飛びつきたくて仕方が無いのだから。

「ごめんね…でも私、まだ怖くって…それは…待って欲しいんだ。
 …こんなところまで連れ込んだの私なのに…勝手なこと言って…ほんとごめん」
「麦野…」

理性を保ててよかったと浜面は心から思った。
唇をギュッと噛んで、麦野が申し訳無さそうしゅんとする。
浜面は慌てて麦野の肩を抱いてこちらを向かせた。

「そ、そんなの全然構わねえよ!」
「え…?でも浜面男の子なんだから…したいよね?」
「い、いや…したくないと言えば嘘だけど。だけどそんなの今じゃなくたっていいんだ!
 お前とはこれからも…ずっと一緒なんだし…」

浜面の言葉に、麦野が蕩けたような瞳でこちらを見た。
ずっと一緒。そう。ずっと一緒なんだ。
焦る必要なんてない。

「…うん、そうよね。嬉しいな…浜面と、ずっと一緒にいられるんだ」

麦野が自分の心臓辺りを押さえながら、微笑む。
麦野の笑顔を見ていると、浜面の心臓はいつも体の内側を叩く。
この顔が今日一晩中見れるなら、ここに来た意味が充分すぎるほどにあるなと浜面は思った。

「あっそだ。後でタワービルで渡そうと思ってたんだけどさ…」

浜面はポケットから、小さな長方形の箱を取り出す。包装紙に包まれ、プレゼント用に装飾されたそれを、
麦野の小さな手に握らせた。

963: 浜面 ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:19:32.15 ID:5UB4Cm2o

「…なに、これ?」

麦野が期待するような視線を向けてくる。

「今日の記念にって、お前へのプレゼント」
「アンタ、私のプレゼントは受け取らなかったくせに」

額を指で突いてくる麦野。嬉しそうな表情。早く開けたいとせがんでくる。

「そんな高いもんじゃねえよ。それにもう買っちまったから返品は受付けてねえな」
「ふふっ、冗談だよ。嬉しい。開けていい?」
「おう」

頷いてやると、麦野はわくわくとした面持ちでそれを開け始めた。
包装紙を丁寧に開き、大事に大事に折りたたんで。

「そんな丁寧にしなくてもいいぞ?」
「いいの。包装紙ごととっておきたいんだから…あ、ネックレスだ」

ピンクゴールドのオープンハートのネックレス。
細いチェーンと主張しすぎないペンダントトップだから、服を選ばず着けられるとショップの店員が言っていた。
麦野はピンクが似合うって、ずっと思っていたから。
それを言われた麦野が、ピンクを着る機会が増えたことを浜面は知っていたから。

「…麦野の趣味に合うか分からねえけど…」
「ううん、嬉しい。すっごく嬉しい…!ありがとう、大事にするね…」
「お、おう。着けてみろよ」
「浜面が着けてよ。私の首輪」
「ばぁか、変な言い方すんな」

そのネックレスをこちらに手渡し、麦野が嬉しそうに笑う。
背中を向ける麦野にソレを付けてやる。
鎖骨の間、少し下。さりげなく輝くピンクゴールドが麦野によく似合っていた。

「いいじゃん、似合ってるぞ」
「アンタにしちゃ悪くないセンスだわ。…お礼、させて」
「え…?」

蠱惑的に微笑む麦野。
彼女の唇が、近づいてくる。

964: もうすぐ終わります ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:21:44.86 ID:5UB4Cm2o

―――――


浜面に始めてプレゼントをもらった。
ずっと大事にしよう。
この感謝の気持ちを、喜びの気持ちを、彼に伝えたい。
だから今日、最後の最後で、ようやく、彼にキスができた。


「……キス、久しぶりだね」

「麦野…そ、そうだな」


鼻先5センチのところで、囁きあう。
彼の体に手を回し、自然と笑みがこぼれる。
浜面への大好きな気持ちが止められない。
首からかけられた彼の鎖が、自分は浜面のものなんだって自覚できて、とても嬉しい。


「ふふっ、あんまりしすぎると浜面色々と我慢できなくなっちゃうかにゃーん?」


小首を傾げて挑発する。
この部屋は朝まで自分たち二人だけ。夜明けが来るまで、自分は彼だけのものだ。


「だ、大丈夫だ!俺は硬派な男なんだぜ!」

「えらいぞ、浜面。ご褒美をあげるわ」


もう一度唇を重ねる。
口元の柔らかな感触が、粘膜を伝わって体に入り込んでくる。
体が溶け合うような感覚だった。脳が痺れて、蕩けて、何も考えることができない。
彼の体にすがりつくように抱きついて、もっとして欲しいとねだることしかできない。
啄ばむように唇を重ねる。舌先と舌先を突きあうように、互いを捜しあうように、口付けを交わす。
言葉じゃ足りない気持ちを、溶け合う体温と一緒に伝えられたらいいのに。


「……●●●はまだ怖いけど…キスは、いっぱいしようね」

「…そ、そだな…」


ぎこちなく言葉を交わす。足りない。言葉じゃ足りない。
とても幸せな一日だった。たった一言で終わってしまう。全然足りない。
今日一日というかけがえない日を、もっともっと彼に伝えたい。

966: むぎのんへの愛が止まらない ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:24:33.35 ID:5UB4Cm2o

「はまづらぁ…もっとして…」

「あ、あぁ…」


脳波を繋げたい。心を繋げたい。
こんなに好きだって気持ちを、もっともっと彼に伝えたい。
麦野はそう告げるように、優しくキスを続ける。


「…浜面、もっといっぱい、色んなところに行って。色んなことをしようね」

「そうだな、麦野。出来れば学園都市の外にも行きたいな」

「行こうよ。浜面と一緒なら、何だっていい。何処だっていい」


鼓動が聞こえる。
自分の呼吸なのか、彼の呼吸なのか。分からない。
分からないけれど、彼がここにいて、自分はここにいる。
その事実だけでよかった。好きな人が目の前にいてくれる幸せを麦野は噛み締める。


「好きだよ、浜面」


今自分にできる最高の微笑を浮かべて、そう告げる。
喜びを体で表すことしか出来ないなら、私は迷わずそうするんだ。
そして浜面の笑顔が返ってくる。麦野は彼を強く抱きしめた。


「俺も好きだ、麦野」


まだまだ夜明けまでは長い。学園都市の夜が更けていく。


「ふふっ…たーのしみだねぇ、はーまづらぁ」


闇に包まれていく世界の中で、ただの少女、麦野沈利は想う。
もっと、伝えていよう。長い夜の、今しかないこの気持ちを。明日になればまた形を変える愛しさを。
今日。現在。この瞬間の。



 ―――大好きを、彼に届けたいから


967: おまけ ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:26:29.23 ID:5UB4Cm2o

―――――

朝、二人は揃いも揃って目の下に隈を作り、ホテルを出た。
もちろんコトが起こったわけではない。朝まで色んな話をし過ぎて、ほぼ徹夜だった。
交代で風呂に入り、寝るときは一緒だったが何もやましいことは無い
そんな朝、手を繋いでホテルを出た二人の前に、何とも形容しがたく顔を紅くさせた『アイテム』の一同が現れた。


「な、なんでアンタ達こんなとこに…」

「こっちのセリフな訳よ麦野…」

「まさか本当にホテルから出てくるとは超思いませんでした」

「むぎの…えっと…おめでと」

「うっ、アンタらまさか後つけてたんじゃ!?」


問い詰める麦野に、フレンダ、絹旗、がギクリと肩を震わせる。


「だ、だって心配だったんだもん!」

「みんな解散した後それぞれむぎのを尾行してたもんね…」

「こんな超面白そうなの尾行しない手は無いでしょう」


プルプルと震える麦野。恥ずかしすぎる。浜面とのあんなことやこんなことも見られていたというのか。


「…な、何も無かったんだから勘違いしないでよ!」


こんな言い方だとまるで照れ隠しみたいだと思い、麦野はなおさら顔を引きつらせる。


「浜面!アンタもなんか言って!」

「…いや…その」

「テメェはーまづらァ!誤解招くような顔すんな!」

「お前だってしてんじゃねえか!」


朝のラブホ街でギャーギャーと騒ぎ始める。
やれやれと肩を竦めたフレンダが二人の間に割って入った。

968: おまけ ◆S83tyvVumI 2010/05/10(月) 02:29:58.50 ID:5UB4Cm2o


「ま、その話は今日ゆっくり聴く訳よ。さ、今日は麦野の退院パーティだ。
 みんな隠れ家行こっか」
「ですね。買出し先行きますか」
「お菓子何にしようかな」
「いえいえまずはお酒でしょう」
「私一回帰って着替えたいんだけど」
「大丈夫大丈夫、麦野ちゃんとお風呂入ったでしょ。浜面と」
「入ってねえよ!」
「そ、そうだぞ!入りたかったのに…」
「余計なこと言うんじゃねえ!」
「キスはしたの浜面!?」
「いや…まあ…」
「言うなバカァッ!」
「あ、むぎの、そのネックレス可愛いね」
「げっ、滝壺余計なこと言わないの!」
「ほっほー、それは何ですか麦野?超プレゼンツですか?」
「何ぃ!麦野に首輪着けるなんて変 過ぎるだろ浜面ぁ!」
「首輪じゃねえっつの!」
「見せて見せてむぎの」
「う、うん…」
「わあ、可愛いね」
「麦野!結局、私は麦野に犬扱いされても興奮できるわけよ!私ともホテル行こう!」
「あ、じゃあみんなで行こうよ」
「滝壺さん…その発言は超危険ですよ」
「みんなで…か」
「変な想像してんじゃねえぞ浜面。アンタは…私としか行っちゃ駄目」
「うへー、朝からウザいなあ」
「全くです。そろそろ自重して欲しいもんですね」
「砂吐く」
「テメェら全員ブチコロス!」
「ギャー!なんで俺まで!」


平和な学園都市。
『アイテム』の一同は今日も今日とて騒がしく街を歩く。
今日は麦野の退院パーティ。
そこで麦野と浜面はまたしても盛大にラブコメを始めて皆にからかわれるのだが、それはまた別のお話。


―――――おしまい―――――