1: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/10(月) 23:32:55.82 ID:PIXaVb170
どうしてあんな提案を受け入れてしまったのだろう。
あんなことをしなければ――あんなことをしなければ、こんな気持ちにはならなかったのに。
なんとなくで、お姉ちゃんの提案を受け入れたせいで。

わたしはひたすら不安に苛まれる羽目になった。



唯「憂? どうしたの?」

憂「ううん、なんでもないよ」

酷い顔をしていたのかもしれない。
けれどもわたしは、お姉ちゃんに心配をかけたくなくて首をふった。

唯「本当に? 憂の顔色、すごく悪いよ」

憂「そうかな?」

わたしはとぼける。
わたしと同じ顔が不安げに覗きこむ。

引用元: 憂「わたしは誰?」 



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2: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/10(月) 23:36:05.86 ID:cn710hbDO
けれども、わたしの意図を汲み取ったのだろう。

唯「体調が悪いようだったら言ってね」

そう言ってわたしから顔を離した。
わたしは安堵から溜息をついて、ありがとうと一言だけ返した。
今のわたしはお姉ちゃんといっしょにいると不安になるのだ。
得体の知れない不安が沸き上がって、足許が沈むような感覚に陥ってしまう。

それもこれもあの出来事が原因だった。



純「なんか憂ってば体調悪い?」

ある日の昼休みに純ちゃんにそう言われた。

憂「どうして? 体調が悪いように見える?」

3: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/10(月) 23:40:23.33 ID:cn710hbDO
純「うん、なんとなくね」

そうかもしれない。
ただし、これは身体の問題じゃない。
これは心の問題だ。

憂「純ちゃん。少し聞いてほしい話があるんだけどいい?」

純「憂の話なら頼まれなくても聞いてあげるよ」

普段なら梓ちゃんも一緒にお昼ご飯を食べるが、今日は欠席していた。
純ちゃんがわたしの正面に座りつつ、自分のお弁当を広げる。

純「それで話ってなに?」

憂「あの……純ちゃんはわたしとお姉ちゃんが似てると思う?」

純「思う」

即答だった。

純「同じ髪型されたら、たぶんまず間違いなく気づけないと思う」

憂「そうなのかな……」

6: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/10(月) 23:45:49.20 ID:cn710hbDO
純「唯先輩と似てるのがイヤなの?」

憂「そうじゃないんだ。そうじゃないよ。
  わたしとお姉ちゃんが似てることは今に始まったことじゃないしね
  むしろ、お姉ちゃんのことは好きだから……」

純「じゃあいいんじゃないの?
  似てることに不満は全然ないんでしょ?」

憂「似てることにはね。でもわたしが厭なのは……」

声が上手に出せない。
浜辺に打ち上げられた魚のように、口を何度か開閉させてようやくわたしは言った。

憂「だんだん自分がわからなくなってくること」

純「……どういうこと?」

憂「……二ヶ月前にね。久々にお父さんとお母さんが帰ってきたの」


8: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/10(月) 23:47:56.78 ID:cn710hbDO
純「憂のとこの両親はよく海外に行くんだっけ?」

憂「仕事の関係でお父さんがね。お母さんはお父さんについていってるんだけど。
  二ヶ月前。久々に帰ってくることになったからわたしとお姉ちゃんで色々と準備してたの。
  スーパーに行って料理のための食材買ってきたりだとか」

純「それで?」

憂「お姉ちゃんがね、サプライズをしようよ、って提案したんだ」

この時、わたしがこの提案を却下していたらどうなったのだろうか。
こんな考えに意味なんてないことはわかってた。
それでもせずにはいられないのだ。

憂「わたしはいいよって賛成したの。この時はまだ面白そうぐらいにしか思ってなかったし。
  お姉ちゃんが喜んでくれたからそれでいいと思った」

純「サプライズって、なにをしたの?」

憂「わたしがお姉ちゃんに変装して。
  お姉ちゃんがわたしに変装したの」


9: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/10(月) 23:52:05.58 ID:cn710hbDO
そう。本当に些細なことだった。
久しぶりに家に帰ってくるお父さんとお母さんを、驚かせようとしたお姉ちゃんのささやかな提案。

唯「だからさ、わたしが憂のふりするから、憂はわたしのふりしてよ」

憂「いいよ。でも……」

唯「なに?」

憂「いつまで続けてみるの?」

唯「お父さんとお母さんが気づくまでしようよ」

すぐ気づかれそうだね。
そう思ったけど、あえてわたしは口にはしなかった。
久々にお父さんとお母さんが帰ってくるのが嬉しいのだろう。
お姉ちゃんはニコニコしていた。わたしも同じような表情をしていたと思う。

それからわたしたちは料理や掃除などをしつつ、変装するにあたっての注意を話し合った。
お姉ちゃんは真剣な顔をしていたけど、正直わたしはそこまで乗り気ではなかった。

理由は自分でもわからなかったけど、心の奥底でなにかが引っ掛かっていた。


10: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/10(月) 23:54:38.44 ID:cn710hbDO
母からメールが来たのは正午を過ぎたあたりだった。
あと三十分もしないうちに帰る。
メールの内容はそんな感じだった。


憂「もうすぐお父さんたち帰ってくるって」

唯「おぉ! じゃあさっそく変装しなきゃね」

お姉ちゃんが嬉しそうに自分のヘアピンをわたしに渡す。

憂「嬉しそうだね」

唯「だって二ヶ月ぶりだよ。憂だって嬉しいでしょ、お父さんとお母さんが帰ってくるの」

憂「もちろんだよ」


そんな会話をした後、わたしたちは変装を開始した。
変装にはそれほど時間はかからなかった。
そして、わたしはお姉ちゃんになり、お姉ちゃんはわたしに見事に変装した。


11: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/10(月) 23:57:13.09 ID:cn710hbDO
よくわたしたち姉妹は似ていると言われる。
わたし自身もお姉ちゃんに似ていると思う。
お姉ちゃんもわたしに似ていると自覚している。
それこそ入れ替わりができるくらいには。

唯「よーし、これで完璧に憂になったよ」

わたしの姿をしたお姉ちゃんが姿見の前でポーズをとる。
改めてわたしとお姉ちゃんが似ていると思った。
でも――酷似しているからと言っても、やはり違いはある。
眉の形とか胸の大きさとか、身長とか。

唯「どうかしたの、憂?」

憂「ううん、なんにもだよ。それよりもうすぐお母さんたち帰ってくるし、準備しよ」

わたしは笑ってそう言った。
お姉ちゃんの姿で、お姉ちゃんのように笑えていたと思う。

12: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:00:37.67 ID:RpOndtcWO
両親が帰ってきたのはそれから二十分ほど経過してからだった。

 「ただいま」

久しぶりに見た両親は二ヶ月前とそう変化はなかった。
わたしは一瞬両親の荷物を持とうとして、すぐに前もってしていたお姉ちゃんとの打ち合わせを思い出した。


唯『やっぱり憂に変装したんだから、憂になりきらなきゃね。
  もちろん憂もわたしになりきってよ』


今、わたしはお姉ちゃんなんだから……そこまで考えていたわたしの横をお姉ちゃんが横切る。

唯『お帰りなさい。お父さん、お母さん』

思わずわたしは声をあげそうになった。
予想以上にお姉ちゃんの喋り方がわたしにそっくりだったからだ。
わたしたちが似ているのは容姿だけじゃない。
声も意識すればそれなりに似せることができるけど、それでもここまで似ているとは思わなかった。

 「久しぶり。ただいま」


13: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:03:57.76 ID:RpOndtcWO
お父さんがそう言ってわたしを見る。

 「唯」

続いてお姉ちゃんを見て、

 「憂」

と言った。

わたしの予想は結果として外れた。
あっさりしすぎなくらい、簡単にお父さんを騙すことができてしまった。
悪戯は成功した。なのにわたしは素直に喜べなかった。

わたしはさりげなさを装ってお母さんの顔を盗み見た。
お母さんもわたしたちが入れ代わっていることに気づいてはいないようだった。

唯「ほら、お姉ちゃん。お父さんとお母さんの荷物を運ぶの手伝わなきゃ」

わたしが――いや、わたしに変装したお姉ちゃんはわたしにそう言って嬉しそうに笑った。

憂「……そうだね」

知らないうちに渇いてしまっていた口の中で、わたしの舌は歯切れの悪い返事をすることしかできなかった。

16: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:10:24.49 ID:RpOndtcWO
純「つまり。お父さんもお母さんも二人が入れ替わってたことに気づかなかったんだ」

憂「うん、全くね。正直驚いちゃった。お父さんとお母さんなら絶対に気づいてくれると思ったのに」

純「いや、でもさ。二人の演技が完璧すぎただけかもしれないよ?」

憂「……そうだったのかな。
  たしかにね、わたしとお姉ちゃんの演技はなかなかのものだったと思う。
  お姉ちゃんがわたしのふりしてるときね、やっぱりどこかどんくさかったの。
  でもお姉ちゃん以上にわたしがドジなふりしたりして結局バレなかった」

わたしたちの演技がよかったのか。
あるいは両親がわたしたちの区別をつけることができないぐらい、無関心だったのか。
いや、単なるわたしの考えすぎなのかもしれない。

純「唯先輩はなんて言ってたの?」

憂「企画大成功、そう言って喜んでた」

でもわたしは全然嬉しくなかった。
お姉ちゃんが笑ってても、全然嬉しくなんてなかった。

17: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:13:28.26 ID:RpOndtcWO
結局両親はついに最後まで気づかなかった。

 「今日はよく唯が働くなあ」

お父さんは感心したようにそう言った。
唯――つまり、わたしは食べ終わった食器を洗っていた。
わたしはお姉ちゃんなんだから、たまには憂のように働く。
そう言って、わたしは食器洗いを始めたけど両親はなんの違和も感じなかったらしい。

唯「お姉ちゃん、ありがとうね」

いかにもわたしが言いそうな台詞をお姉ちゃんは口にした。

憂「いいよ、たまには働かなきゃね」

そう返答したが、胸の内側にこびりついた不快感は消えてはくれなかった。

両親はやっぱり特になにも気づいていない。
お父さんもお母さんも、久々の日本の番組についてあれこれと話をしているだけだった。


19: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:16:53.25 ID:RpOndtcWO
唯「お父さんとお母さん、気づかなかったね」

わたしの部屋に入ってからのお姉ちゃんの第一声がそれだった。

憂「そうだね」

唯「わたしと憂、すごいよ。お父さんとお母さんもあざむいちゃったんだよ」

憂「……お姉ちゃん」

唯「どうしたの、憂? なんだか元気ないよ?」

憂「その、ごめん。今日はなんだか疲れちゃったみたい。お姉ちゃんを演じるのに疲れちゃったみたい」

唯「わたしは楽しかったけどなあ」

わたしはそれ以上、お姉ちゃんを見ているのが辛くてベッドに突っ伏した。

唯「じゃ、また明日ね。おやすみ」

憂「おやすみなさい」

お姉ちゃんが視界に入るのがなぜか厭だった。
未だにわたしの姿をしたお姉ちゃんを見るのが。

21: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:21:32.54 ID:RpOndtcWO
純「まあ、気持ちはわからないでもないかな。親ぐらいには区別ついてほしいよね」

憂「……」

純「でもなんで今さら二ヶ月前の話を?」

純ちゃんが至極不思議そうな顔をした。

憂「わたしが悩んでることはこのことじゃないの」

純「……?
  なにか他にもあるってこと?
  親御さんのことでなにかあったの?」

憂「ううん。お父さんとお母さんは関係ないの」

わたしの口はそこから先の台詞を吐き出すことができなかった。
言葉は喉の粘膜に張り付いてしまっていた。
――きっかけにはなったものそれ自体は、わたしが今抱いている悩みに比べたら本当に些細なものにすぎない。

憂「わたしが悩んでるのはお姉ちゃんとのこと」

純「憂のお姉ちゃんとのこと?」

わたしは言った。



憂「お姉ちゃんがわたしになるようになった」

23: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:26:03.72 ID:RpOndtcWO
わたしとお姉ちゃんがそれぞれ互いの姿に変装し、両親を騙すことに成功した。

そんな次の日の朝。

なにかの気配を感じてわたしは眠りから覚めた。
重い瞼を持ち上げた先には。











わたしがいた。

27: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:29:53.12 ID:RpOndtcWO
憂「……っ!」

反射的に身体を起こしてしまった。
自分の目が零れ落ちそうなぐらいに見開かれたのがわかる。
顔の血が音もなく失せていくのを感じた。
わたしの目の前にわたしがいる――あまりにも奇妙で不気味な状況だった。

 「うーいー、驚きすぎだよ」

その声を聞いてわたしはようやく理解する。

憂「……お姉ちゃんかあ。びっくりしたよ、もう」

唯「えへへ、ゴメンゴメン」

お姉ちゃんはわたしの髪型をして、わたしの服を着ていた。
寝起きということもあってか、そのことにすぐ気づくことができなかったわたしは顔を赤くした。

唯「ところで憂は今が何時かわかるかな?」

お姉ちゃんが得意げな顔をする。
枕元に置いていた目覚まし時計を確認して、わたしは寝起きのときほどではないにしろ、またもや驚いた。


28: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:33:22.72 ID:RpOndtcWO
時計の針は八時手前を指していた。
普段のお姉ちゃんなら、休日のこの時間帯は間違いなくベッドで眠っている時間帯だった。

憂「お姉ちゃん、起きるの早いね」

唯「だって今日のわたしは憂だもん」

胸の内側になにかが巣くった気がした。
お姉ちゃんがキョトンとする。
自分がどんな顔をしているのかなんとなく理解した。

憂「じゃあ……」

唯「うん?」

憂「わたしは、どうなるの。
  ……わたしは誰になるの?」

唯「決まってるよ」

お姉ちゃんがわたしの目を覗き込む。
お姉ちゃんの瞳の中にはわたしがいるのに、わたしの目の前にはわたしがいた。





唯「憂はわたしになるんだよ」

29: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:36:24.49 ID:RpOndtcWO
純「……唯先輩はまた憂に変装してたんだ」

憂「うん。またお姉ちゃんとわたしは入れ代わった。
  でもね、今度はお姉ちゃんがドジしてお父さんとお母さんに入れ代わりはバレたんだけど」

純「バレたの?」

憂「うん、お皿を割って、そこからは簡単にバレちゃった」

純「へえ。お父さんもお母さんも、さすがに気づくんだ」

憂「うん。でも……」

純「でも?」

わたしは視線を下ろした。

憂「今だからこそ思うけど、バレないほうがよかった」

31: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:42:01.60 ID:RpOndtcWO
唯「あーあ、ばれちゃったよ……」

お姉ちゃんが唇を尖らせて、わたしのベッドに座りこんだ。
未だにお姉ちゃんは、わたしの恰好をしていた。
少しふて腐れているようで、お姉ちゃんはそのままベッドに寝転んだ。

唯「憂、ゴメンね。わたしがミスしたからバレちゃったね」

憂「気にしなくていいよ。それに本当はもっと早く気づかれると思ってたし」

わたしはお姉ちゃんに向かって微笑みかける。
内心、わたしは安心していた。なぜ、かはわからなかった。
ただ胸の内側に溜め込んでいたモヤモヤが消えたような気がして、わたしの唇は自然と綻んだ。
もっとも、お姉ちゃんは不満そうだったけど。

唯「よし! 決めた!」

お姉ちゃんが身体を起こして声をあげる。結んだ髪が大きく揺れた。

憂「なにを?」


唯「今度はもっと完璧に憂になりきってみせるよ」


また、わたしはなにかに胸を締め付けられたかのような感覚に陥る。
姿見にはわたしとわたしの恰好をしたお姉ちゃんが映っていた。

33: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:46:38.85 ID:RpOndtcWO
純「なるほど、なるほど。
  入れ代わりに失敗したせいで、かえって唯先輩はそれに夢中になっちゃったわけね」

憂「うん。お姉ちゃんって熱中すると止まらない、っていうか、周りが見えなくなっちゃうことがあるから」

純「憂のお姉ちゃんらしいね」

憂「そうだね」

純「それで? 憂が今の悩みと、どう結びついてるの?」

純ちゃんが牛乳のストローから口を離した。
一瞬だけ、わたしは言うか言わないか迷った。
この悩み――この不気味な感覚を、果たしてわかってもらえるのか。
逡巡するわたしに純ちゃんは、ごく自然に言った。

純「とりあえず喋ってみたら?
  わたしが確実に憂の悩みを解消できるってわけじゃないけど、話すだけでもけっこう違うと思うんだ」

憂「うん……ありがとう、純ちゃん。
  最初に言ったけど、自分がわからなくなってくるの」

純「…………」

憂「馬鹿みたいに思われるかもしれないけど、時々自分が、お姉ちゃんなんじゃないかって思えてくるの」

34: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:48:38.47 ID:RpOndtcWO
純「自分がわからなくなるって?」

憂「お姉ちゃんがわたしに変装するってことは、イコールでわたしもお姉ちゃんに変装するってことになるでしょ?」

純「そりゃあね。どっちかが変装してなかったら、同じ人が二人いることになるもんね」

わたしは眉をひそめてしまった。
同じ人? ちがう。わたしとお姉ちゃんは全くの別人だ。
自分が思っているより、露骨に顔に出ていたらしい。
純ちゃんがわたしの表情を心配げに覗き込む。

純「えっと……ゴメン。なにか気に障るようなこと言っちゃった?」

憂「……ううん。なんにもだよ。ちょっと、ね……。
  とにかく、そうやってお互いがお互いになりきっていくうちに、不安になってくるんだ」

純「……そっか」

純ちゃんは口を噤む。言葉を探しあぐねているようだった。

憂「前にね。軽音部のみなさんが家に来たの」


35: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:51:24.15 ID:RpOndtcWO
純「もしかして……」

純ちゃんはわたしとお姉ちゃんが、そこでなにをしたのか予想がついたみたいだった。

憂「そう、わたしとお姉ちゃんはまた、みなさんの前で入れ代わった」

純「バレなかったの?」

わたしは頷いた。
純ちゃんが感心したかのうように、或いは呆れたようにため息を漏らした。

純「なんて言うか……すごいね平沢姉妹。
  ……ん? でも、憂のお父さんたちには唯先輩がミスして変装がバレたんだよね。
  そのときは澪先輩にはバレなかったの?」

憂「全然。たぶん、澪さんたちはこれっぽっちも気づいていなかったと思う」

それぐらいわたしたちの演技は完璧だった。
完璧すぎて、自分で自分がわからなくなる。
本当はわたしがお姉ちゃんで、お姉ちゃんがわたしなのではないのか。
そんな馬鹿げた考えが脳裏をよぎって、わたしはかぶりを振った。

純「いや、でもさ」

37: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 00:56:22.52 ID:RpOndtcWO
純ちゃんが身を乗り出す。

純「憂は、憂だよ。少なくても――わたしの目の前にいるのは憂だよ」

憂「……そうだね」

そう、そのはず。



放課後。わたしはいつも通り、家に帰った。
部活に所属していないわたしは、必然的に家に直行することになる。
お姉ちゃんは軽音部があるため、わたしよりあとに帰ることがほとんどだった。

わたしは家の扉を開いた。
扉を半分以上開いてからようやく、なぜ鍵がかかっていないのかという疑問を持った。


 「お帰りなさい」


わたしより先に帰ってる人がいた。

 「お姉ちゃん」

わたしがわたしを出向かえた。

38: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:00:41.02 ID:RpOndtcWO
憂「な、なんで……?」

背筋を気味の悪い汗が伝う。
自分でもみっともないほど声が震えているのがわかった。

 「……どうしちゃったの、『お姉ちゃん』?」

わたしの目の前で、わたしは可笑しそうに微笑む。

 「部活はどうしたの? もしかして今日は部活、お休みだった?
  そうなら言ってくれればよかったのに。
  今、丁度コーヒーを煎れようと思ってたんだ。飲む?」

眩暈がした。わたしがわたしであるはずなのに、わたしの目の前にはわたしがいる。
いや、理解はしている。わたしの目の前で微笑んでいるのは、わたしじゃない。お姉ちゃんだ。

べつに珍しいことではなかった。
今までにも何度かあった。家に帰ったら、お姉ちゃんがわたしを演じて、わたしがお姉ちゃんを演じる。
ただ、今までとは決定的に違う点がある。
今までは互いが入れ代わるときは、事前になにかしら相談があった。


 「いつまでも玄関にいないで、上がりなよ。ここはわたしたちの家だよ?」


40: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:04:16.54 ID:RpOndtcWO
 「昨日のうちにバウムクーヘン買っておいてよかった」

わたしの目の前のテーブルに、バウムクーヘン(袋に入った一口サイズの)とコーヒーとフレッシュが置かれた。

わたしは今、お姉ちゃんの姿をしていた。
わたしとお姉ちゃんの間には既に暗黙のルールができあがっていた。
お姉ちゃんがわたしになるときには、わたしもお姉ちゃんになる。

 「どうしたの?」

尋ねられて、わたしはとっさに、なんでもないと答えた。
一瞬、わたし――ではなく、お姉ちゃんの顔が呆けたような弛緩した顔つきになる。

 「コーヒー、早く飲まないと冷めちゃうよ?」

それだけ言うと、キッチンに戻ってお湯を沸かし始める。

……どうしてわたしはこんなことをしているのだろう。
こんなことして意味などあるのだろうか?

わたしの顔が、カップの中の真っ黒い液体の中に映し出される。
そこに映ったわたしは、お姉ちゃんの顔をしていた。


43: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:11:03.71 ID:RpOndtcWO
憂「……!」

わたしは思わずフレッシュをカップの中に注ぎ込んで、スプーンで液体を掻き回していた。
厭だった。お姉ちゃんの姿をした自分を見るのが厭でしかたがなかった。
たちまちカップの中で渦を描いて、白と黒が溶けて混じっていく。
カップの中の黒と白のマーブル模様は、あっという間に茶褐色になった。

 「どうしたの、お姉ちゃん。食べないの?」

いつの間にかわたしの正面に座っていた『わたし』は首を傾げる。
得も言えぬ不安が胸を染め上げていく。
どこかで甲高い警告音がした気がした。

 「お姉ちゃん?」

わたしは目の前の彼女の手首を反射的に掴んでいた。
自分でもわけがわからなかった。
ただ、自分が意味にならない言葉を吐いていることだけは理解できた。

掴んでいた腕を引っ張り上げて、目の前の彼女を無理やりソファーに押し倒した。

 「……どうしたの?」

突然ソファに押し倒されたにも関わらず、彼女は特に驚いた顔をしなかった。

45: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:15:37.90 ID:RpOndtcWO
憂「……めて」 

彼女は冬の湖水のように穏やかな瞳でわたしを見つめた。
わたし――ちがう、お姉ちゃんの肩を掴む手が震える。
身体の芯が軋んで、皮が剥がれ落ちていくかのような漠然とした恐怖が、わたしを支配する。

憂「……やめて。わたしの『ふり』なんてやめて」

またどこかで警告音にも似た甲高い音が聞こえてくる。
けれども、わたしは構わず、お姉ちゃんに更に顔を近づける。

 「……なにを?」

憂「勝手にわたしにならないで。わたしは」

わたしだから。

そう言う前に、不意にお姉ちゃんが勢いよく身体を起こす。
半ば、突き飛ばされる形になったわたしは、したたかに背中を打ち付けた。

 「もう、ダメだよ。お姉ちゃん。ガスを使ってるときはその場から離れちゃダメなんだよ?」

湯を沸かしていたガスコンロのところへ行くと、彼女は火を消した。

46: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:20:52.54 ID:RpOndtcWO
再びお姉ちゃんがわたしのもとへと戻る。
わたしを見下ろして、めっ、と親指を突き付けてくる。
わたしがお姉ちゃんを叱るときに、よくするポーズだった。

わたしはなにも言えなかった。言葉が咽の奥から出てこない。

 「お姉ちゃん、ひょっとして疲れてる?
  あ、そっか。だから今日は部活を休んじゃったんだね」

わたしが納得したように頷く。
ちがう、そうじゃない。わたしはそもそも部活なんてしていない。
否定の言葉の代わりに、細く鋭い息遣いが唇から漏れた。

 「うん? どうしちゃったの? 元気ないよ?」 

憂「もうやめて……!」

ようやく言葉がまともな形となって出てきた。
もっとも、目の前の『わたし』は意味がわからないとでも言いたげに首を傾げるだけだった。

憂「憂はわたしだから。憂は、わたしなの。お姉ちゃんはお姉ちゃんでしょ!?」

わたし――の姿をしたお姉ちゃんはまた不思議そうな顔をした。


48: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:23:14.52 ID:RpOndtcWO
わたしは震える声で必死に言葉を紡いだ。


憂「ねえ、やめて……おねがいだからやめて。
  怖いの……だんだん自分がわからなくなるの。不安になるの!
  どうして……どうしてお姉ちゃんはこんなことするの? 楽しいの!? 楽しくないでしょ!?」


半ばわたしの声は悲鳴に変わりつつあった。
既にわたしは、床にくずおれていた。
それでも、もう一人のわたしは困ったような表情をするだけで、なにも言おうとはしない。

憂「わたしのふりをするのはやめて……」


 「ねえ、なにを言ってるの?」


低い声が上から降ってくる。
見上げると、わたしの姿をしたお姉ちゃんが、わたしを見下ろしていた。

 「っ……」

無意識に息を呑む。
お姉ちゃんはわたしの腕を乱暴に掴んだ。


49: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:27:59.79 ID:RpOndtcWO
洗面所まで強引にお姉ちゃんに連れていかれる。
わたしのふりをしたお姉ちゃんに。
わたしの腕を掴んでいる腕を振りほどくことは、それほど難しいことではなかったのかもしれない。
それでもわたしには、抵抗することなんてできなかった。

 「ほら、よーく見てごらん」

その声に促されるまま、わたしは洗面所に備えられている鏡を見た。
鏡にはわたしとお姉ちゃんが映っていた。

 「ほら、どう見てもわたしが憂でしょ?」

鏡の中のわたしが言った。
足許から恐怖が這い上がってくる。
鏡の中のお姉ちゃんは真っ青な顔をしていた。色を失った唇が細かく震える。

 「あ、あぁぁ…………」

わたしの唇から掠れた声がする。

いや、ちがう?

鏡の中のわたしは、ただ心配げにお姉ちゃんを見つめているだけだ。

52: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:33:04.60 ID:RpOndtcWO
 「お姉ちゃん。これでわかったでしょ。わたしがわたしなの」

 「ち、ちがう……」

頭の中で思考の糸が縺れかけている。
ちがう。鏡の中のわたしはわたしじゃない。
わたしは思考を無理やりにでも整えようと頭を振った。
なぜか鏡の中では、お姉ちゃんが頭を振る。

 「……!」

 「お姉ちゃん、もしかしたら風邪かもよ? ここのところ夜遅くまで勉強することも増えたし」

 「ちがう、ちがう……わたしが平沢憂なんだ……」

 「だから、わたしが憂だって言ってるでしょ?
  まだわからないの?」

 「ちがう! わたしが憂! お姉ちゃんはわたしじゃないっ!」

 「いいかげんにして」

霜が降りたかのような冷たい声に渇いた音が重なった。

53: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:36:48.26 ID:RpOndtcWO
自分がなにをされたのか理解するのには、しばらく時間がかかった。

 「……っ」

 「あんまり度がすぎるとさすがにわたしも怒るよ」

左の頬が痛い。わたしは、はたかれたのだ。
鏡を見るとお姉ちゃんが、呆然とした顔でわたしを見ていた。
はたかれた頬は赤くなっていた。

 「……どういうこと?」

疑問が無意識に口から出ていた。

はたかれたのはわたしのはず。
なのに、どうして鏡の中ではお姉ちゃんがはたかれているの?
自分の頬に触れる。頬が熱い。
はたかれたのはわたし。痛いのもわたし。


なのになんで、鏡に映って頬を押さえているのはお姉ちゃんなの?

55: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:41:25.68 ID:RpOndtcWO
 「わたし、これから洗濯するから。洗濯物とか部屋にない?」

鏡の向こうで、わたしが踵を返す。

 「待って……」

 「なあに、『お姉ちゃん』?」

 「わたしは……わたしが平沢憂なんだよ? なのになんで……」

 「……ごめんね。今忙しいからあとでまた話そっか」

 「待ってよ……」

 「うるさいよ、『お姉ちゃん』」

それだけ言うと、わたしの姿をした彼女は洗面所から去っていった。
そこにいたのはわたしだけだった。


鏡に映ったわたしは、平沢唯だった。

58: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:45:57.19 ID:RpOndtcWO
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」
「わたしは誰?」「わたしは平沢憂?」「わたしは平沢唯?」

63: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:51:36.15 ID:RpOndtcWO
カーテンの隙間から差し込む朝日に呼び起こされるように、わたしは目を覚ました。
頭が痛い。身体が重い。なにかはわからないが強烈な違和を感じる。


「おはよう」


わたしの声によく似た声が聞こえる。
起きたばかりのせいか、その人物の姿ははっきりと見えなかったが、それでもシルエットから髪を結んでることだけは見てとれた。

 「昨日はあのあとすぐ寝ちゃったんだね」

あのあと……なんのことかはっきりと思い出せない。
けれども、頭に引っかかる疑問がある。

わたしは目の前の彼女にその疑問を尋ねた。


 「わたしは誰?」

64: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2011/01/11(火) 01:54:41.41 ID:RpOndtcWO
彼女はごく自然に答える。


 「自分が一番わかってるでしょ?」


そう、言われたときわたしは違和感の正体に気づいた。
ここは、わたしの部屋ではなかった。
わたしは無意識に『わたし』の部屋で寝ていたのだ。

『わたし』は顔をあげてもう一度、影を見た。


 「ね? もう自分が誰だかわかったでしょ?」





        お わ り