2: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/27(日) 16:15:37.54 ID:GfZ+gmO70


強くなりたい。

いつからそう思い始めたのか、トールにはまったく判別がつかない。
気がつけば強くなるために、強さを求め、その強さのための強さを求めた。
最初は狩猟などで鍛えていたが、じきにそれでは物足りなくなった。

街中の人間と喧嘩をした。
最初は負けることもあったが、だんだんと強くなっていった。
それだけでも物足りず、やがて魔術というものにも手を出した。
北欧神話に前々から興味を持っていた自分にとって、術式を編み出すことは難しくなかった。
どんな神様をベースにして術式を構築するか。
悩んだり、迷うことはなかった。

『トール』

神々一の剛勇。
オーディンもそうだとは思うのだが、いかんせんそちらは知識の神としての側面が強い。
別に自分は知識が欲しいのではなく、とかく、強くなりたかった。

全能のトール
雷神のトール

神話を端々から端々まで眺め、考えた。
殺すための技術ではなく、勝つ為、倒す為の技術を磨いた。
手を伸ばし続けばいつか、星にだって手が届くと信じた。



――――守りたいものは、なかった。

引用元: フィアンマ「助けてくれると嬉しいのだが」トール「あん?」 



3: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/27(日) 16:16:17.57 ID:GfZ+gmO70

やがて、そうして強さを手に入れていく内。
高みへ昇る度に、強さへの執着が増した。

より良い『敵』。

倒して気分が良くなるような、強くて凛々しい敵に勝利する。
それを目的に据えて、努力を続けた。
多くの魔術師を倒し、しかし殺しはしない自分は有名になった。
扱う術式の傾向は『トール』に絞ったものであった為。
自分は、『トール』と呼ばれるようになった。自分自身、その名を使い始めた。

元より、本名にこだわりはなかった。
本名は平凡なものだったし、親は既にこの世には居ない。

『この街にゃもう強いヤツはいねえな……』

戦争に介入してもみた。
傭兵ではないので、その場全てを壊し尽くして戦争を終わらせた。
『戦争代理人』という称号がついてしまう位に、自分は強くなってしまっていた。
自分の腕と釣り合う誰かと戦っただけで、その辺り一帯が壊れていってしまう位に。

そこまで強くなると、今度は更に戦う相手や場所を選ぶ必要が出てくる。

この段階まで強くなっても、どうしても。
どうしても、満足いかなかった。
まだまだ高い場所へ上り詰めたい、と心から思った。

4: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/27(日) 16:16:43.92 ID:GfZ+gmO70

戦い相手との障害を取り除く為、手が空いていたから…理由は様々だが、救えるものは救った。
自分の力で救えるのならそれ程良いことはない、とも思った。
だからといって、その一時的に助けた『誰か』を特別に感じたこともない。
孤独を感じたことはなかったが、強さを求め続けた俺を取り囲むのは孤高だった。

『それで、アンタが右方のフィアンマで間違いねえんだな?』
『命知らずとはお前のことを指すようだな』

敵を求め続けた自分が出逢ったのは、一人の男だった。
特別な右手を持ち、扱う術式は"相手に合わせて出力を最適に変えて確実に倒す"もの。
それならば周辺への被害は出ようはずもないし、自分の積みたい経験値には最高の相手だと思った。
勝ち負けは重要ではない。その戦いからどれだけの経験値を得られるかが、重要だった。

『聖なる右とやら、見せてもらうぜ』

ローマ正教の陰のトップ。
大聖堂の奥に普段は座している、最も秘匿された最終兵器。
まさか戦闘に応じてくれるとは思わなかったが、僥倖だ。

『好きに来ると良い』
『あん? そっちから来いよ』
『先手を打つ必要はない。何にしても、俺様の勝利は確定してしまっている』

呆れた様な声だった。
アーク溶断ブレードを見て尚、その余裕に変わりはなかった。

5: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/27(日) 16:17:11.24 ID:GfZ+gmO70

そして、俺の攻撃が届くまでもなかった。
相手が行ったのはただ一度、右手を振っただけ。
それも、虫を払うかの様な、平凡な動き。

それだけだった。

しかし、俺の身体は吹き飛ばされ、身体全体には重いダメージが残った。
恐らく『俺に合わせて』、敵の持つあの赤い腕が効果を発揮したんだろう。

『が、っ……』
『……つまらんな』

せっかく応じてやったのに、とばかりの声。
金色の瞳は酷く冷えていて、笑みは氷の彫刻のようだった。
俺はのろのろと手を伸ばし、霊装を消費してダメージを癒す。
周囲に被害は出ていない。ただ、俺だけを確実に倒してくれる『敵』。
どこまで強くなればあの腕に倒されないのか、勝てるのか、それを考えると笑みが浮かんだ。

『は、ナメやがって…ッッ!』

楽しい。
未だかつて、こんなにも楽しい戦いはあっただろうか。
何度も攻撃に立ち向かう度、容赦なく腕が振るわれる。
霊装を消費しても癒しきれないダメージが、徐々に体に蓄積してきた頃。

『おや、……時間切れか』

相手の『腕』が、空中分解を起こした。
俺の中の熱も急速に褪め、色あせていく。

『興ざめだな』
『すまないな。いかんせん不完全なんだよ』

やれやれ、と男は肩を竦め、俺に背を向けた。

『次は、もっと強くなってから出直してくるんだな』
『そうするよ』

また戦いたい、と思った。
あんなに最適な相手とは二度と出会えないだろう、と思った。

6: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/27(日) 16:17:46.61 ID:GfZ+gmO70

あれから、約二年の月日が経った。
俺は強さを求めて、日本へやって来た。
極東の女聖人が来ている、という話を聞いたからだ。

名は『神裂火織』。
扱う術式はワイヤーと魔術を両方駆使したものらしい。

どれだけ強いのだろう、と胸が高鳴った。
あの時よりも更に強くなった覚えはあるが、また戦いに行きたい。
だが、あの男を失望させるような腕では、自分でもダメだと思う。
せめて、あの『腕』と拮抗出来るくらいの存在になりたい。

「手は届くさ」

親にとってもらわなくたって、子は踏み台を使い、身長を伸ばし、棚に手が届く。
届かなければ、身長を伸ばせばいい。踏み台を増やせばいい。
俺にとっての強さとは、そういうものだった。存在理由であり、生きる意義。

「俺は、いつかアイツに――――」

冷めた瞳をした、容姿端麗で容赦のない男。
ヤツに勝利した時、俺はどれだけの達成感と強さを得たことになるのか。

7: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/27(日) 16:18:31.61 ID:GfZ+gmO70

「雷神トール……だったかな?」
「あん?」

振り返る。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
柔和な笑みを浮かべているものの、目は笑っていない。
そして、その瞳にはよくよく見覚えがあった。

「助けてくれると、嬉しいのだが」
「………」

髪にも、手にも。
俺が以前見かけた時は、赤いスーツを着用していた気がする。
現在は上はそのままに、下は赤いスカートのようだ。
膝上のスカートに赤い膝上靴下を着用しているようだが、女装には見えない。
というよりも、そもそも骨格からして違うような気がする。

「………お前、右方のフィアンマ…だよな? 妹さんとかいうオチか?」
「いや、俺様は俺様だよ。職務中は容姿を偽っているだけだ」

声音も、幾分か明るい。
ローマ正教のトップが女の子では示しがつかないだろう、と肩を竦められた。
確かに、以前会った時は容姿の印象はほぼそのままだが、骨格や見目は青年のものだった。
声も低かったし、身長はもう少し高かった。性別を偽る術式なら、俺にも蓄えがある程ポピュラーだ。

「なるほど。体裁を整えてた訳か……で、助けて欲しいって何だよ?」

戦った敵とはいえ、恨みはない。
むしろ、俺にとっての最高の敵は、尊重すべき存在だった。
他でもないそいつが困っているのなら、助けようと思うのも当然のことで。
俺の問いかけに対し、彼女は硝子板ばりにぺったんとした胸を張って答えた。

「所持金が無いので食事を奢ってくれ」
「堂々と言うことじゃねえよそれ」
「ああ、奢ってくれるのか。優しいな。わーい」
「無表情に棒読みかよ! 言ってねえし! 奢るのはいいけどよ……」
 

15: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/27(日) 22:15:03.10 ID:dsTNhcEF0

右方のフィアンマ。

ローマ正教二○億の頂点にして秘匿された魔術組織『神の右席』、その実質的なリーダー。
つまり、二○億人の頂点に君臨している、絶対的な王者。
『世界の管理と運営』という方向性を持つ組織の長なのだから、当然切れ者中の切れ者。
加えて、その身は『神の如き者』に対応しており、単一の『天使の力』、司る『火』を使いこなすと言われる。
『火』のスペシャリスト、それ以上のエキスパートとなると、扱うものは単純な火に留まらない。
火に比喩される人間の生命を取り扱うことも出来るだろう。
天使や神についてよくよく研究しているので、『異世界』との接続なども扱う。

恐ろしい存在だ。

指先一つで戦争を起こせるような地位や権力、強さ、頭脳を持ち合わせた人物。
本当にごくわずか、限られた者しか存在を知ることすら許されぬ強者。
冷酷な男であり、必要とあらば死体を踏み台に何もかもを殺し尽くす……。


………そんな存在だったはずだ、とトールは今一度噂や自分の印象を脳内で繰り返す。
しかしながら、当の本人は現在、スイーツバイキングで平皿にありったけのケーキを盛っていた。
ホットココアにアイスクリームを入れているし、シフォンケーキにはぶにゅぶにゅと生クリームを絞っている。
殺気や威圧感はまるで見当たらないし、上機嫌にケーキ盛り合わせを作っているその姿は唯の女の子だ。

16: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/27(日) 22:15:32.44 ID:dsTNhcEF0

「なあ、お嬢さんや」
「何だその話し方は」
「俺は、飯奢ってくれって言われたはずなんだけど」
「ああ、そうだな。確かに頼んだぞ。お前は受け入れた」
「ケーキが飯っておかしいだろ!」
「大きい声を出すな。痴話喧嘩だと思われるぞ?」

やれやれ、と肩を竦めるフィアンマ。
肩をすくめたいのは俺の方だ、とトールは眉を寄せる。
対して、彼女はアイスクリームをスプーンで突っついてココアに溶かしつつ。

「俺様は洋菓子しか食べられないんだよ」
「……あん? 偏食かよ?」
「体質的なものだ。『神の如き者』は洋菓子の守護聖人だろう?
 原罪を薄めて天使の要素を取り入れていたら、普通の食事が出来ない身体になってしまってな」

洋菓子以外を食べると体調を崩す、と彼女はいう。
本当か嘘かはわからないが、ひとまず信じてやるとしよう。

「…っつか、金無くしたって何だよ。そもそもアンタはどうしてここに?」
「財布を落としてしまったんだ。ああ、来た理由は…私用でちょっとな」
「…………私用?」
「世の中には知らない方が良いこともたくさんあるぞ?」

にっこりと笑みながら、彼女はケーキを口にした。
なかなか愛らしい笑顔なのに、綺麗なのに、怖い。

17: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/27(日) 22:16:06.56 ID:dsTNhcEF0

「……ま、それはいいか。…財布落としたって、どうするんだ?
 カード類もないなら不味いだろ」
「非常に不味い状況だ」
「…だろうな」
「ところで、お前は何の為に日本へ?」
「んあ? あー、極東の女聖人と会う為だよ。戦いたくてな」
「見つかったのか」
「いや、まだ。サーチかけながら意味もなく歩き回ってる状況だよ」
「どこかに住んでいないのか」
「ホテルを転々としてるから、定住とは言いがたいな」
「ほう。なるほど、なるほど」

ふむふむ、と考え込み。
口いっぱいにビスケットを詰め込み、フィアンマは首を傾げる。
傾げたまま暫く黙ったかと思うと、柔和な笑みと共に言葉を紡ぐ。

「暫く俺様を傍に置いてくれ。養ってくれればいい」
「………は!?」

一時的に食事を奢るならともかく、養えとは。
トールは驚愕のあまり、動揺を隠せない。

「そこまでの義理はねえよ」
「何、俺様の何の支払いも無しに養えとは言わん」
「……生憎だが、俺はさっきも言ったように定住してないし、家事をしてもらう必要はねえよ」
「膝枕をしてやろう」
「ぶっ」

18: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/27(日) 22:16:40.72 ID:dsTNhcEF0

アイスコーヒーを飲んでいなくて良かった、とトールは思った。
危うく飲み物を無駄にしてしまうところだった。

「おま、条件おかしいだろうが」
「何だ。世界でも有数の魔術師の膝枕だぞ?」
「何をさも価値のある財産を譲り渡すような言い方してんだよ」
「仕方ないな。ならあれだ、手も繋いでやる」
「そういうことに憧れてる訳じゃねえし」
「………xxxxしないと気が済まんのか。仕方がない…」
「ぶぶふっ」

気管にコーヒーが入った。しぬ。
トールはげほげほとむせ、テーブルの空きスペースに突っ伏した。
そういうことではないのだが、どうして通じてくれないのだろう。

「……そんな理由で身売りまでするんじゃねえよ…」
「膝枕でもだめ、手では満足しない、となれば 行為を要求しているんだろう」
「そういう訳じゃ……」
「ならどうすればいいんだ?」

まったく、と呆れた顔をしているが、それをしたいのはこちらである。

「わかった、何もいらねえよ……また俺と戦ってくれりゃいい。当分養ってやる…」
「頭の良いヤツは好きだ。話が早くて助かる」

満足げにブルーベリータルトを頬張る彼女はとても上機嫌である。
見目の悪くない美少女だし、まあいいだろう、とトールは思うことにする。
そうでもなければやってられない。
後は、良い『敵』に飢え死にでもされたら困る、という理由にでもしておこう。
敵に塩を贈る、なんてことわざもこの日本にはあるらしいから。


(…ま…まあ? もうちょい胸…せめて揉める●●●●があればさっきの申し出、頷いてたかもしれn)







――――雷神トールの細い身体はノーバウンドで吹っ飛び、窓の外へ飛び出し、ビルの五階から落下していった。

28: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/30(水) 22:01:09.99 ID:tRq2mFom0


酷い目に遭った。

咄嗟に鉄粉を含んだ物体を電力線で繋いだガラクタに腰掛け、少年はため息をつく。
危うくアスファルトに叩きつけられて肉塊になってしまうところだった。
一飯の恩人に向かって何ということを、とトールは眉根を寄せる。

「無傷そうで何よりだ」
「テメェが突き落としたんだろうが。喧嘩なら喜んで買うぜ?」
「喧嘩などとんでもない。ただの制裁だ」
「あん? 制裁? される覚えはねえんだけど」
「胸」

ピシャリと言い放つフィアンマに対し、トールはびくりとする。
何故心の中を読んでいるのだ、と背筋が冷える。
ひとまず人目が集まってしまう前にオブジェを崩し、安全に着地すると共に物品を元の場所へ。

「人の胸について平ら過ぎる、といった類の評価をしていただろう。
 有り体に言えば気に障った」
「気に障ったからってあんな高さから突き落として良い理由にはなんねえよ」
「………」

大したことではないという認識のようらしく、反省の様子は見られない。
この野郎、とトールは眉を寄せ続ける。
対して、フィアンマはちょっぴりほっぺたをふくらませてそっぽを向き。

「…………好きでこんな胸をしている訳ではない」
「…………ひとまず謝りはするが、人の心を勝手に読むんじゃねえ。後暴力反対」
「お前が暴力を否定するのか? ジョークにしてはユーモアがいまいちだな」
「オイ」


29: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/30(水) 22:01:50.86 ID:tRq2mFom0

ツッコミが追いつかない、とトールは頭を抱える。
彼女は何事もなかったかのようにトールと共に歩いていた。
サーチをかけてくれているらしいが、本当だろうか。
何となく、この少女は思いつきで色々とやらかす気がする。

(世界の流れ全てを掌握する右方のフィアンマがそんなに軽はずみな訳……)

思う。
自分の考えを、丁寧に否定する。

しかし。

「トール、クレープというものがあるのだが」
「………あのな」
「ん?」
「食事はともかく、それはおやつだろ。食べなくてもいいブツだ」
「俺様にとっては食事と同じようなものだ。内容的に考えてもな」
「………」
「一口やろう」
「何でお前が買う訳じゃないのに分けてやる側の口ぶりなんだよ」

購入したのは、甘ったるいマロン生クリームクレープ。
モンブランを模しているらしく、マロンクリームもたっぷり入っていた。

「食べないのか」
「見てるだけで充分。……よく飽きないよな」
「これしか食べられないから、飽きるも何も無いんだ」

まふ、と柔らかい生地と甘いクリームにかぶりつき、フィアンマは空を見やる。
心地の良い秋晴れだった。

30: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/30(水) 22:02:20.11 ID:tRq2mFom0

「トール、アイスが安い」
「新発売のアイスケーキだそうだ」
「パンケーキ専門店か。悪くないな」
「メープルチョコレートパフェ……」

単価が安かろうと何の意味もねえよ。

めくるめくデザートスイーツツアーに財布として連行され、トールはがっくりと項垂れた。
そんな彼を見やり、フィアンマは楽しそうにはにかむ。

……実を言うと。
彼女が財布を落として困っていたというのは、嘘である。
実際には、財布は落としたが、中身が増えて小一時間で戻ってきてはいた。
色々とあってお金が増えて戻るのだから、彼女の幸運は相当なものだ。

にも関わらず。

何故、嘘をつき続けてトールと一緒に居て、養ってもらっているのか。
答えは単純明快で、一人が嫌だったからだ。

そして。

人間として存在出来る間に、最後位、楽しい思い出を作っておきたかった、から。

31: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/30(水) 22:02:47.85 ID:tRq2mFom0

もしかしたら女聖人の噂はガセなのかも、と思う雷神トール。
今しばらくはお休み期間でも良いか、と前向きに考え直し。
彼はフィアンマを伴い、ひとまず自分の宿泊しているホテルへ戻って来た。
人数ではなく部屋毎の金額設定なので、財布から出て行く金に変化はない。

(…それにしても、甘いモンは高いな)

コンビニの菓子パン一つは百円だが、ショートケーキは大概最低三百円から。
戦争代理人と呼ばれるような存在のため、今までいくつか仕事はしてきている。
その大抵は用心棒などのものだったが、結構な額をもらってはきたのだ。
表に出せない仕事、魔術師にしか頼めない仕事、様々なものがあった。
とある魔術結社に所属していた時に貯めた貯蓄の金もいくばくかある。

「それにしても持つかな……」
「何がだ」
「うお、」

シャワーを浴びていたらしいフィアンマが戻って来た。
バスタオルをまいており、 着含め衣類は身につけていない。
ちなみにトールは彼女の前に手早く浴びたので、逃げる口実はない。

「服着ろよ!」
「洗濯に出してしまったんだ」
「持ち合わせは?」
「無い」
「ありえねえ…」
「どうせ胸はないんだ。意識することもないだろう」
「………まだ拗ねてんのか?」
「……ふん」

32: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/30(水) 22:03:13.46 ID:tRq2mFom0

フィアンマやがて退屈を持て余したのか、トールの長い髪に触れた。
女性のものかと見紛う程に長く、美しい金髪。

「しばらく遊ぶ。じっとしていろ」
「そう言われてじっとしてるやつが居ると思うか?」
「ならばこうしよう。俺様に昏倒させられるか、大人しくするか」
「へいへい」

彼女は指先で、トールの髪を丁寧により分ける。
それから、ミサンガのように編み込み始めた。
痛くないので、うまく拒絶出来ない。
人から髪の毛に触れられるのは初めてで、トールはこそばゆそうに目を細めた。

「お前の髪は美しいな」
「そうか? 特別手入れしてる訳じゃねえんだが」
「質が良いんだろう、恐らくな」

手放しで素直に褒め、彼女はトールの髪を撫でる。
三つ編みに飽きたかと思うと、今度はサイドテール。
次はポニーテールで、ツインテール。

「………ふ」
「笑うな」
「すまんすまん、今直す」

くすくすと笑い、フィアンマはトールの髪を丁寧にブラシで梳かし、一つにまとめた。
緩く結ばれた髪は、腰程にまで長く垂れている。

「こちらの方がすっきりとしていて良いな」
「ま、活動的ではあるか」

33: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/30(水) 22:03:39.69 ID:tRq2mFom0




一週間共に過ごしたが、いまいちこの少女の考えは読めない。
天然ボケなのかと思いきや策略だったりするので油断出来ない。

「洋梨か……」
「そうだな」
「素通りするな」
「食いたいなら素直に言えよ! 可愛くねえな」
「……、」

後半の言葉を言った途端、黙る。
もしや怒っているのか、と冷や汗が噴き出た。
経験値を積む為の戦いは楽しいが、怒りによる制裁は楽しくない。
別に自分はマゾヒストではないのだから。

「……おーい?」
「………」

暫く黙り込んだ後。
フィアンマはつまらなそうに視線を逸らし、何を強請るでもなく歩き出した。

一時間。

常ならば欲しいかどうかはともかく『~が綺麗』などと話しかけてくるが、来ない。
割と喋るタイプなんだな、と思いながらも、その雑談を楽しんでいたトールであった、が。

(怒ってるなら手を出すか、嫌味言ってくるよな…?)

一週間の付き合いだが、彼女のパターンは何となしに読めている。
勿論人間なので例外はあるのだが、それでも大概は。

「………」

怒っているのだろうか、と予測している内は気づかない。
何故なら彼女は、落ち込んでいるのだから。

34: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/30(水) 22:04:22.75 ID:tRq2mFom0

(可愛くない、か)

事実なのだから、言われても仕方ない。
それでも、結構切ないものというか、胸にクるものがあった。
具体的に言えば涙腺にもきそうだったが、それはプライドが許さない。

(確かに、可愛げはないかもしれないが)

職務中ならば、何を言われても応えない。
そもそも男の容姿なのだから、可愛いと言われて困惑するべきだ。
しかし、今は男でもなければ、職務中でもない。

(…………うまくいかんな)

慣れていない。
騙したり、陥れることはよく理解、実践出来ていても、甘えはそうはいかない。

命令なら出来るのに。

男として、トップとして魅力的であればある程。
それは同時に、『平凡な可愛い女の子らしさ』から遠ざかることを意味する。

「彼女達、今暇?」

男の声が聞こえた。
視線を向けると、そこには二人の男性。
如何にも軽そうな、軽薄な印象を存分に与えてくる雰囲気と顔つきをしている。

「二人とも可愛いね~。今から飯行かない?」
「奢っちゃうからさ」

35: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/10/30(水) 22:05:05.79 ID:tRq2mFom0

腹立つ。

雷神トールの感想はそれだった。
どこからどう見ても、俺は男だ。
そう言わんばかりのオーラが放たれているが、ナンパ男達は気づかない。

「はは」

低い声を出したのは、トール…ではなかった。
その隣に居るフィアンマである。

「望む言葉とは、望む人物に言われないとそれはそれで腹立だしいものだな。
 いかんいかん。憤怒は大罪だと習ったのだが…まあ、これ位ならお赦しいただけるだろう」

うん、と勝手に結論を出し。
彼女は指先で、輪ゴムでも飛ばすかのように弾いた。
途端に、男二人の身体は吹っ飛び、電柱にぶつかって気を失う。
第三者には恐らく、映画の撮影か何かに見えたことだろう。

「お前達に可愛いと言われてもな」
「………」

ぴこーん。

トールの頭から電球マークが飛び出し、空気中でぱぁん、と消えた。
ついでにいうと女扱いされた怒りも消えた。
彼は悪気の無い明るい笑みを浮かべ。

「怒ってたんじゃなくて拗ねてたのか」
「………」
「悪かったよ。頼み方に可愛げがなかっただけで、お前自体は割と可愛いと思ってるよ」
「………」

媚売りではなく、本心からの言葉だったのだが。
フィアンマはトールを見ず。

「……葡萄のタルトが食べたいのだが」
「…へいへい」

白い頬がほんのちょっぴり赤くなっているのを、少年は見逃さなかった。

43: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/01(金) 23:42:10.88 ID:Qj3Jsq+X0

葡萄のタルト。

甘さ控えめのクッキー生地に敷き詰められたレアチーズクリーム。
その上にぎっしりと詰め込まれているのは、色とりどりの甘い宝石。
具体的に言うなら、様々なブランド種無しブドウを乗せ、飴がけしたものだ。

お値段、時価。

お高いケーキ屋さんのプレミアムグレープタルト。
こんなに財布が軽くなったことは今まであっただろうか、とトールは遠い目で思った。
対して、フィアンマは何の悪びれもなく、もぐもぐと食べている。

「…そんなに美味いのか? それ」
「こんなに美味いタルトは初めてだ。
 やはり日本の料理は菓子でも繊細だな」

和菓子にも興味がある、と彼女は笑みを浮かべている。
手持ちの金のことを考えるとそろそろキツい。
しかしながら、彼女は金をもっていないのだ。
割り勘は出来ない。しかし、そろそろマズい。

「水を差したくないのは山々なんだが、そろそろ金がねえ」
「そうか」

ふむ、と考え込み。
彼女はトールの様子を眺めてから、肩を落とした。

「……致し方あるまい…。…こうなれば売春しかないか」
「………お、おい? そこまでしなくても、」
「お前を売る」
「おい」

44: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/01(金) 23:42:39.22 ID:Qj3Jsq+X0

勿論冗談である。
かといって金の宛てはなく、日本という平和な国では傭兵稼業にも就けない。
身元が曖昧不確かでもバイトが出来る国とはいえ、そんなことをするつもりはない。

そのため。

フィアンマは、自分の持つ幸運をフル悪用することにした。
フル活用ではなくフル悪用なところがミソである。
元手の金でスクラッチを多く購入し、次々と当てていく。
彼女が願っている通り、その金額は一万円以下だ。
一万円以上になると窓口では換金出来なくなる。
銀行口座を作るのは身分証明含め酷く面倒だ。なので、少額をガンガン当てるしかない。

「それにしても、よく当たるな。
 普通は当てる額を気にするんじゃなくて当てられることを祈るってのに」
「俺様の才能だ。とはいえ、予想以上の額が当たると困るな。
 適当に配れば慈善事業か何かになると思うか?」
「多分気味悪がられると思うが……」
「…さて。これだけあれば当分大丈夫だろう」

合計二十万円分程のスクラッチ(削り済み)が彼女の手元にこんもりとしている。
ハズレ券は四枚程で、それは既にゴミ箱へ放り込まれていた。
幸いにも大金は当たらなかったので、処分には苦労しない。

「お、おめでとうございます……」

ウチの売り場、こんなに『当たり』入ってたっけ。

そう口にせんばかりの売り場の店員より金を受け取り、フィアンマはそっくりそのままトールへ渡した。

「……ふと思ったんだけどよ」
「何だ」
「元手は貸してやるから、後はこういう方法で増やしていけばお前財布なくても暮らしていけるんじゃ、」
「………」
「ま、お前がそうしたくないってんならいいけどさ」

元より、トールは物事を深く考えない性質だ。
一度必要だと思ったことはどこまでも考え込むが、人の事情に余計な首を突っ込んだりはしない。
それが救われずにあまりにも見ていて気分が悪いのならばともかく、基本的には無干渉だ。
助けられそうなら助ける。それがポリシーだ。

45: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/01(金) 23:43:35.09 ID:Qj3Jsq+X0

コツン。

男の靴のカカトとコンクリートが、小気味良い音を奏でた。

「くぁ、」

彼は、トールと同じように神の名を名乗る魔術師だ。
専攻は幻術であり、基本的にはインテリ派である。

(……だってのに。人使いの荒いヤツだ)

ウートガルザロキは伸びをしながら、ぼんやりと魔神である少女を思い浮かべる。
とある事情から彼女についている訳だが、正直得たものは少ない。
少ないが、それでも失ったものに比べればマシかな、と思うので。

(んで、トールってのは……あれか)

事前に受けていた情報と、遠目に見える少年の容姿を重ね合わせる。
長い金髪は女のような印象を与えてくるが、あれでバリバリの武闘派もとい戦闘系なのだ。
世の中っていうのはうまくいかないものだな、とウートガルザロキは思ってみたりもして。

(……ん?)

ふと。
ただならぬ威圧感に視線を向ける。
そこに立っているのは、ゴルフウェアのような、青を基調とした服を纏う大男だった。

「貴様は何者である。もしや、"彼女"を追っているのであるか」
「あん? …女? 男だろ、よくよく見れば」
「……詳しく知っているようであるな」

排除するべきか。

男の静かなる戦闘意思に、細身の男はビクついた。

大男―――アックアは、ウートガルザロキがフィアンマの話をしていると思っており。
青年―――ウートガルザロキは、アックアがトールの話をしていると思って返事をした。

中性的且つ身体変化術式を持つ魔術師が二人居るとこうなる。
両者はお互いの勘違いにも気づかぬまま、狙われては困る相手の為に戦いを開始した。

46: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/01(金) 23:44:52.80 ID:Qj3Jsq+X0

「……んん、」

喉に引っかかった飴の欠片が飲みきれない。

そう表現出来そうな声を漏らし、フィアンマは目を細める。
感じ取ったのは、莫大な『天使の力』だった。
正確な計測は出来ないが、色は青で、使われた術式は水に関わるもの。

「……」
「どうかしたのか?」

トールは腕の立つ魔術師である。
しかし、その専攻はあくまで北欧神話であり、十字教様式で感じ取れるのは通常の術式だ。
というよりも、そもそも『天使の力』の使用痕跡を感じ取れるフィアンマが珍しいだけである。
当然、二人の間には認識の違いがあり、トールは不思議そうに首を傾げる。
対して、フィアンマは面倒そうに眉を寄せて。

「…追っ手だ」
「追っ手? お前のか?」
「分からん。……もう一人居るようだが、お前の方に心当たりは?」
「これまで誰かをぶん殴る人生だったからな。生憎心当たりにゃ困らねえよ」
「そうか」

やれやれと相槌を打ち。
フィアンマは腕を伸ばすと、足を引っ掛けてトールを転ばせた。
何をするのだと文句を言おうとするトールの体を、タイミング良く浮かばせ、姫抱きにして。

「面倒事からは三十六計逃げるにしかず、と古人も言っていたしな」

言うなり、彼女は一歩踏み出した。
平行瞬間移動により、二人の姿は一瞬にして消えた。

47: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/01(金) 23:45:18.71 ID:Qj3Jsq+X0

射線上に射程が拓けていれば、直線上にどこまでも進める。

彼女が持つ『聖なる右』の力の一つである。
そんな訳で、フィアンマとトールはだいぶ遠くまで逃げてきた。
具体的に言うと街の端っこから端っこ位までの距離である。

「……ふー」

ため息をつき、フィアンマはトールを降ろす。
納得がいかないのはトールである。
まだ百歩譲って手を繋いで移動の方がよかった。

「……女の子にお姫様抱っこってのは、なかなかダメージが重い」
「……女の子扱いをしていたのか? お前の中では」
「今のお前はな。どう見たってそうだしよ」
「………」

フィアンマは指遊びをし、少しずつ歩く。
トールも同じく歩き出すと、不意に。

唐突に、人の気配が無くなった。

明らかな『人払い』である。

48: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/01(金) 23:45:44.42 ID:Qj3Jsq+X0

「逃げきれなかったか」

舌打ちでもしそうな様子で、フィアンマがぼやく。
目の前に降り立ったのは、一人の大男だった。
その手に持たれているのは、金属で出来た棍棒<メイス>。
相手を徹底的に殴打して殺害する道具である。

「ようやく捕捉したのである」
「魔術は使っていなかったのだがね」
「魔力探知ではない」
「地道に探したのか?」
「かく乱されたがな。苦労したものである」
「今日は雄弁だな。珍しい」

ピリピリとした空気が、その場を支配する。

アックア――――後方を司る二重聖人は、躊躇なくメイスをフィアンマへ向ける。
実力行使をしてでも、どうやら彼女を連れ戻すつもりらしい。

「加減はするが、あまり期待はしないことであるな」
「んー? 加減? 何だ、お前もたまにはジョークを言うんだな」

50: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/01(金) 23:46:24.64 ID:Qj3Jsq+X0

先に動いたのは、アックアだった。
文字通り目にも止まらぬ速さで、フィアンマの間合いへ入ろうとする。
意識を絶って連れていこう、という魂胆だったのだろうか。

「……トール。下がっていろ」

つまらなそうに彼女は言った。
対して、トールはやや好戦的に返す。
一瞬の間だったが、それは会話だった。

「いいや、そうはいかねえよ」

予定とは違ったが、見た限りではこの男はフィアンマと同じ『神の右席』。
つい出来心、程度の衝動が、爆発的にトールの中で膨らんでいった。

ガギン

メイスと、トールの指先から伸びたアーク溶断ブレードがぶつかり合う。
ぎりぎりと押し合い、指に負担のかかったトールは僅かに表情を歪める。

「一つ言っておく。私は聖人である。そして、同時に『神の右席』だ。
 中途半端な考えで喧嘩を仕掛けては、命はないと思うことである」
「そりゃありがたいご忠告なことで。ま、安心しろよ」

彼は少しだけ考えて。
それから、『雷神』をやめた。

瞳に、炎の様な煌き。
殺意はなく、単純な戦闘意思がそこにはあった。
直接戦闘を追究していった、戦争代理人と呼ばれてしまう程の、その異常性の片鱗。

「雷神程度のトールさんじゃ、ちょっと相手にならなさそうだしな」

全能の神を冠する少年は目を細め、ニヤリと笑う。
対してアックアは笑み一つ浮かべず、ただその身で武器を振りかざした。

58: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/03(日) 21:05:11.20 ID:pyA2p9JK0

「トール」

咎めるような少女の声が聞こえた。
しかし、トールは肩を竦めるのみ。

「お前を守る為って訳じゃねえよ。
 コイツは、俺が純粋な興味でやってるだけだ」
「死にたいのか?」
「そこまで弱くはねえよ」

人の体を易易と粉砕するメイスの一撃。
トールは怯むでも逃げるでもなく、真っ向から手を出した。
晴天にも関わらず一瞬の落雷があり、メイスに傷がつく。
アックアはひとまず引いて距離を測った。

近距離、中距離、遠距離。

敵によって、弱い距離というものは変わってくる。
アックアは確かに物理的に強力な力を持っているが、頭が悪いという訳ではない。
むしろ、ルーンなどの通常魔術を駆使しつつの体術が最も厄介である。

59: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/03(日) 21:06:12.60 ID:pyA2p9JK0

頭脳戦と物理。両方を扱い始めている男を見て、尚。
フィアンマは、アックアがまだ手加減をしているということを認識する。
当然のことだ。フィアンマと違い、トールは目的に含まれる人物ではない。

「……トール」

流石のフィアンマも、一応は恩人且つ一緒に過ごした友人とも呼べるトールに傷ついて欲しくはない。
本人は経験値アップということで楽しんでいるのかもしれないが、それはアックアには通用しない。

「私は仕事をしに来たのである。運動<スポーツ>に興じる暇はない」
「そっちは本気で来いよ。俺の方も好きにやらせてもらう」

アックアは距離を取る間にメイスで文字を刻んでいたらしい。
魔術文字という異名を持つ『ルーン』は、単体でもその威力を発揮する。
それも、『神の右席』に在籍するような腕の立つ人間が扱えば、その殺傷力は言うまでもなく強力だ。

水流。

マンホールが吹っ飛び、排水口から大量の汚水が溢れ出す。
それらは一瞬にして凍り、大きな塊のままにトールへ向かった。
その全てをアーク溶断ブレードで叩き落とし、トールはアックアの間合いへ向かっていく。
磁力の反発を利用した素早い動きだったが、聖人の視線で追える程度でしかない。

60: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/03(日) 21:06:46.41 ID:pyA2p9JK0

ガッ

幸いにも、骨の折れる音は聞こえなかった。
しかし、それは内臓にダメージがいっている恐れが高いということでもある。
アックアの眼前にまでブレードは届いたが、その体に一撃を喰らわせることは出来なかった。

「が、ぁ……ッ、」
「……終いである。が、見事であった」

アックアに一撃を喰らわせる寸前。
そこまでの実力があれば、大概の魔術師には勝利出来るだろう。
しかし、まだまだトールには経験が足りなかった。
戦争代理人と、世界中で戦い続けてきた傭兵とでは格が違う。
それでもよくやった方だ、とアックアは嘲り無しに純粋に思う。
故に、讃えた。やることは変えないけれども、賞賛には値した。

「障害は排除した。戻ってもらうのである」
「………」
「……ヴェントもテッラも、貴様を心配する余り心労で倒れそうになっている」

その二人から依頼された。故に、仕事。
対して、フィアンマは呆れたように深々とため息をついた。

「……お前の求めていることは理解出来るが、拒否する。
 ……どうする? 俺様とやりあったところで、敗北は必至だぞ?」
「だからといってこのまま引き下がる訳にはいくまい」
「真面目な野郎だ」

アックアは、再びメイスを構える。
対して、フィアンマは右手をつまらなそうに軽く振った。

61: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/03(日) 21:07:18.18 ID:pyA2p9JK0

視界が明滅する。
というよりも、妙な浮遊感があった。

何だか頭がふわふわする。

「……?」

雷神トールは、そろそろと目を開けた。
天井がまず視界に入ったことから、自分が横たわっている状態であることを自覚した。
ぼんやりとしながら、視線を横にズラしてみる。

「………、…」

……かくん。ふるふる。
………かくっ、…かくん。ふるふるふる。

今にも眠ってしまいそうな様子でうとうととしているフィアンマが、そこに座っていた。
その手には白いタオルが握られている。乾いたタオルだった。

「……」

静かに、そろりそろり。
毛布から手を出し、トールは自分の額に触れた。
予想通り、そこにはタオルが置いてある。
濡れタオルだった。元は氷水か何かに浸け、水気を絞ったものだろう。
何時間前に置かれたものなのか、すっかりぬるくなっているようだが。

「ん…? …目が、覚めたのか」

ぐしぐしと人差し指で目元を擦りながら、フィアンマはやや嬉しそうにはにかむ。
珍しく目元も笑っていた。本当に安堵した、という様相である。

62: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/03(日) 21:07:58.62 ID:pyA2p9JK0

「―――――、」

珍しく純粋に可愛い顔に見とれている場合ではない。

「俺はどうなったんだ?」
「アックアに敗北し、気を喪った」
「…ここ…はホテルか」
「お前を背負ってきた。身体全体へのダメージが著しかったものでな。
 発熱に変換することで看病し易くした。それから、二日間程経過している」
「ぶっ通しで寝てたのかよ…」
「全く目を覚まさなかったな。癒えぬダメージ、長く続く微熱…無理もあるまい」

ふーん、と相槌を打ち。
それにしてもあの男は強かったな、と思い返して。
それから、トールは今更ながら気がついた。

「…ってことは、お前、この二日間ずっと俺の看病してたのか?」
「感染する病の類ではないしな。何だ、不満か? 
 残念だったな。ナース服の巨 おっとり系美女ではなくて」

謎の拗ねモードに入っているが、別にトールはガッカリしていたのではなく。
むしろ、どうして看病していたのかと不思議だったのだ。

「……俺はお前が止めても戦った。その結果がこのザマだ。
 なのに、何で手当なんかしたんだ? 放置してもおかしくねえのによ」

どのみち、放置していたとしても死ぬような状態ではなかったようだ。
フィアンマの性格なら、冷めた一瞥をくれて財布だけ抜き取り、何処かへ消えていそうなものである。

63: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/03(日) 21:08:26.83 ID:pyA2p9JK0

「………何故、と言われても困るのだが」

恐らく、トール以外なら、トールの言うように見捨てていた。
元より、義理人情に感動するような性格はしていない。
どれだけ尽くされようと、何を支払わせようと、捨てるものは捨てるのだ。

ただ。

アックアを退けた後。
倒れたまま動かないトールを見て。
放っておいてはいけない、と思った。
放っておきたくない、と思った。

「…恐らくだが」
「…?」

首を傾げるトール。
彼の言っていることは間違っていないし、普段の自分なら恐らくそうした。
にも関わらず、彼を助けたいと願い、動いた理由。

「……お前が死ぬと、ひとりで甘いものを食べなければならないからじゃないか?」
「今感動しかけたのに、台無しだな」

多分、きっと。
今の自分を、普通の女の子として扱ってくれたからだ。
自分の憧れている人生を、少しでも見せてくれたから。






そんなことを告げるのは恥ずかしくて、フィアンマは言葉を悪く繕うのだった。

70: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/04(月) 22:56:42.57 ID:OhJNqj940

一週間程で、トールの体調は完全に快復した。
フィアンマの看病のお陰であったり、本人の気力であったり、理由は色々だ。
そもそもトールは細身だが、体が弱いという訳ではない。

「すっかり良くなったな」
「おう。お前の看病のおかげだろ」
「……俺様は別に何もしていないが」

視線を逸らし、フィアンマは黙り込む。

くきゅるる

沈黙をすぐさま遮ったのは、少女の腹の音だった。
腹の音が鳴る、ということが奇跡である。本来なら飢餓状態でもおかしくない。
人体として完全に正常な反応を状況に対して示せないのは、彼女の体がやや天使に近いからだ。
トールにつきっきりで居た彼女は、彼が快復するなり眠っていた。
つまりこの一週間近く、何も食べていなかったのだ。
水は飲んだものの、甘いものを買いに行く暇がなかった。
加えて、不運なことにこのホテルのルームサービスに甘いものはない。
トールは未だちょっぴり疑っているが、彼女が洋菓子以外を食べられないのは事実である。
他の、例えば何の甘味もなく、洋菓子要素の欠片もないものを食べれば拒否反応が起きる。

具体的に言えば、その場で嘔吐するのだ。

体質的なもので、決して個人的なワガママなどではない。

71: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/04(月) 22:57:10.14 ID:OhJNqj940

そんなこんなで、二人は外へ出た。
やってきたのはお茶の出来るコーヒーショップである。
ウィンドウ越し、お高いケーキをぽんぽんとセレクトし、彼女は満足そうに飲み物を選ぶ。
選ばれた飲み物は、これまた甘そうな生クリームたっぷりのウインナーコーヒー。
トールはブレンドコーヒーを注文し、席について彼女の様子を眺める。
見ているだけでお腹いっぱいになりそうだし、彼はそんなに甘いものが好きではない。

「胸焼けとかしないのか?」
「特にそういう思いをしたことはないな」

そこまで歳をとってもいないし、と彼女は肩を竦め。
もぐもぐとタルトを頬張り、ケーキを口に含む。
コーヒーを啜って飲み込み、ゆっくりと息を吐き出す。
その吐息はとても甘ったるく、彼女の体全てが洋菓子で出来ているような錯覚を、トールは覚えた。

「お前は、」
「……あん?」

聞き返す。
何でもない、と彼女は小さく笑った。

72: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/04(月) 22:57:58.68 ID:OhJNqj940

女聖人を探す道の途中。
トールは不意に、視線をとある女性に向けた。

スラリと長い脚。
ふんわりとした金髪。
甘い顔立ち。
やわらかそうで豊満な●。

「……、」

つい、見とれた。
完璧なプロポーションだった。
細すぎず、太すぎず、肉感的な美女。

「……ああいうのが好みなのか」
「……あ? あ…いや、別に?」
「視線が上と下を行ったりきたりしていたが」
「してねえよ」
「キャラメルのように粘ついた視線だった」
「人を変 みたいに言うんじゃねえ」
「言っていないが?」

赤い髪を揺らし、彼女は不機嫌そうに返した。
よくわからないやつだな、とトールは思う。

73: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/04(月) 22:58:42.34 ID:OhJNqj940

「お前の容姿ならばああいう女を捕まえるのは難しくないだろう」
「あのな、」
「男は本能的に子孫を宿したいと思うような女を見つめるように出来ている。
 残念だったな、俺様が巨 庇護してやりたい系低身長美少女ではなくて」
「一言も残念なんざ言ってないだろうが」
「人間は直接言葉にせずとも態度で感情が出るものだ」

丁寧な言い方がかえって腹が立つ。
そもそも、綺麗な女性を見ただけで何故こうもボロクソ言われなければならないのだ。

「俺が何を見ようと俺の勝手だろ。そんなに言うなら巨 になるよう努力でもしてくれ」
「…………」

フィアンマは沈黙し、ギリ、と歯ぎしりをした。
どうして腹が立つのか、自分でもわからない。
身近にいる男性全てに独占欲を持っている訳ではない。
テッラやアックアがどんな美女に見とれようと、こんな風に苛立ったりはしない。

(……恋愛感情ではないだろうとは思うが)

冷静に自分の感情を考察しながら、彼女は歩き進む。
対して、トールはやはりこの沈黙が苦痛だった。
イヤミにしろ何にしろ、彼女と会話をしていると、日常を実感出来るのだ。

74: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/04(月) 22:59:13.92 ID:OhJNqj940

そうして気まずい時間を過ごしていた頃。

不意に、人の気配が無くなる。

また後方のアックアか、とフィアンマはやや構える。
トールは自分への個人的な復讐者か、と警戒した。
目の前に現れたのは細身の青年であり、腕には包帯が巻かれていた。

「そう警戒しなくても良いぜ」
「お前は?」
「ウートガルザロキ。好きに呼んでくれよ」

幻術に長けた、北欧神話の神の名だった。
トールと同じように、そこまで究めた男なのだろうか。

「だから警戒すんなって。俺はただ勧誘に来ただけさ」
「勧誘?」

軽薄そうな男は小さく笑って。
トールを真っ直ぐに見つめると、痛むらしい腕を摩ってこう言った。

「俺の所属してる魔術結社に来いよ」

75: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/04(月) 22:59:43.34 ID:OhJNqj940

誘い文句は、明るかった。
所属している、という文言から、彼がリーダーではないのだろう。

「あー……」

トールは、少しだけ迷う。
そして、ちらりとフィアンマを見やった。
彼女は一度拒絶しているが、どうやら他の『神の右席』の人間は彼女の帰還を求めているらしい。
恐らく、このまま離れれば彼女は再び回収に来た人員とバチカンへ戻れるだろう。

自分じゃなくても。

彼女は、ひとまず養ってくれる人間が居れば良かったのだから。
多分、自分でなくても彼女を好む人間なら養ってくれるだろう。
自分は再び一人に戻っても何の問題もない。
何のデメリットもないし、ひとまず所属してみようか―――、と口を開こうとして。

ウートガルザロキの腕が、唐突にありえない方向へねじ曲がった。

「な、ッが……!?」

殺意も敵意もない状況での、タイムラグのない攻撃。
骨折の痛みに耐える彼に攻撃を加えたのは、勿論トールではない。

「……それは困る」

何の考えもなさそうに首を傾げたフィアンマだった。
その手には短い杖型の霊装が握られている。
恐らく、ウートガルザロキの腕と魔術的に"接続"して折ったのだろう。

「この男は俺様のものだ。今のところは」
「ク、ソ…何者だ、アンタ…?」
「何者だと思うんだ? 当てられるとも思わんが」

フィアンマは杖を握り、再びウートガルザロキの身体のいずれかと接続しようとする。
トールは慌ててフィアンマの手首を掴み、男に『逃げろ』というサインを送った。

(こんな役回りばっかりかよ…、)

それにしても、何の動きも殺意も殺気も敵意もなく一撃を喰らわせるとは、尋常ではない。
青年は舌打ちをすると、ひとまずその場から姿を消す。

「おま、何やってんだよ」
「お前が頷きかけていたからな」

たったそれだけで。
異常だ、とトールは思い。
思わず後ずさりそうになるが、フィアンマは続けて呟いた。

「……せっかく、…」

言葉の最後までは聞こえなかった。
ただ、その言葉の響きがとても寂しそうだ、と思った。

76: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/04(月) 23:00:38.48 ID:OhJNqj940




「……せっかく、………初めて心を開いた相手なのに…消さずに済むのに、…わたしたくない」



81: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/05(火) 22:08:01.66 ID:s4MY/f+L0

「秋の長雨というヤツか」
「こうも続くと嫌になっちまうな。日本の気候ってのは慣れないとしんどいもんだ」
「その内慣れるだろう。暖房でもつけるか? 多少は乾燥すると思うのだが」
「……暖房器具、扱えんのか?」
「勿論だ。ああ、何ならハイビジョンカメラも操作出来るぞ?」

ふふん、と平ら過ぎる胸を張り、フィアンマはクッキーを口に含む。
威厳がないな、と思うも、トールにとってはそれで良かった。
養うことになったきっかけは戦闘の思い出とちょっとした情だが、今となっては良い友人だと思う。
それなりに可愛い所やドジなところもある、至って普通の少女だと感じる。

……少々やきもち焼きや怒りっぽいという欠点は否めないが。

自分だって完璧な人間ではないのだから、とトールは別に気にすることもなく。

「科学に触れてそうな生活イメージは無かったんだけどな」
「忌避しなければ触れる機会はあるものだよ」
「ローマ正教は異教徒嫌いで有名だけどな」
「悪しき慣習だ。いつかはどうにかせねばなるまい」

差別をするのは合理的じゃない、と彼女は肩を竦め。
マドレーヌを完食すると、甘味のない紅茶を飲んで一休みする。

今日は雨天のため、ホテルに引きこもる日だ。
別に外に出ても良いのだが、見つかる気もしなかったからである。

82: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/05(火) 22:08:31.02 ID:s4MY/f+L0

「『聖人』の幸運ってことなのかね。さっぱり見つからねえな」
「本気で捜していないからじゃないか?」
「…元々サーチはそんなに得意でもねえんだよ」

はー、とため息をつき。
トールは甘くなさそうなクッキーをつまんだ。
ぶどうクッキーだったらしく、レーズンの味が口中に広がる。
ほろほろと口の中で溶ける生地には、たっぷりのバターが使われていた。
どことなく卵の味もする。なるほど、素材が良いのであれば高価であるのもうなずける。

「美味っ」
「俺様の目利きだからな」

偉そうに言葉を口にして、彼女はさくさくとビスケットを食べる。
机の上に山と積まれたお菓子は、恐らく今日中に無くなることだろう。

「……そんなに食べても太らないって、何かこう…人体じゃないよな、やっぱ」
「天使に近いからな、この身体は。正常な人体でないことは確かだよ」

もしゃもしゃぼりもりもぐもぐ。

食べながらもくぐもった声になっていないので、恐らくほっぺたに溜めているのだろう。
いつもの様にもう少し上品な食べ方をしてくれないだろうか、と思いつつ、トールもビスケットをかじる。
彼女と暮らすようになってから、甘いものがちょっとだけ好きになったような気がする。
あくまで"気がする"だけなので、沢山食べたいなどとはまったく思わない訳なのだが。

83: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/05(火) 22:08:59.40 ID:s4MY/f+L0

「ゲームでもしないか」

そう持ちかけたのは、フィアンマの方だった。
トールは首を傾げ、一体どんなゲームをしたいのかと聞き返す。

「トランプ」
「却下」
「何だ、つれないな」
「二人でやっても楽しくないだろ、アレ」
「タロットでも良いが」
「……占い?」
「ちなみに占いは出来ない」
「おい」
「いや、出来るがあまり得意ではないんだ。
 星占いなら昼間でも出来るのだがね」
「へえ」

興味を示したトールは、そのまま占いをしてくれるように頼む。
フィアンマはこくりと頷いて、空を眺め。

「……ん、俺様は今日もラッキーデイだ」
「俺のを先に見ろよ!」

84: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/05(火) 22:10:15.66 ID:s4MY/f+L0

トールの誕生日を聞き、星座と星の位置から割り出した占い結果。
それは曖昧で抽象的で、合っているかどうかは判別がつかない。

『望むものが手に入るが、その前兆と共に大きな損失に気がつく』

「…何だそりゃ」
「俺様に聞かれてもな。そういう結果が導き出されたというだけだ」
「どこかの名言みたいだな。あんまり占いっぽくないしよ」
「『失せ物見つかる、精進せよ』みたいなものだろう」
「十字教徒が日本神道式おみくじの言い方して良いのかよ」
「この程度ならお許しくださるだろう。何しろ、俺様が信仰している神なのだから」
「敬虔なんだか傲慢なんだか……」

そんなことを話している内に、再び暇を持て余す。
術式研究をするような真面目な気分ではない。
だからといって遊びに行く気力もなくて。

「んー……」

フィアンマはごろりとベッドに寝そべり、がさごそと買い物袋を漁る。
洋菓子を購入した時に、何やら長細い封筒を渡されたのを思い出したのだ。
ランダムで封入されているらしく、大概は割引券や無料券だったような。
ただ、ごく稀に旅行券だとか、高額ギフト券だったりだとか、何かのチケットだったりする。

「何か入ってるか?」
「一応入っていることは入っているが……」

するり。

中身を引き抜くなり、フィアンマはバッと手放した。
チケットがベッドの上にふんわりと乗り、トールは首を傾げながら覗き込む。
何か、暇つぶしになるものなら何でも良いのだが。

85: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/05(火) 22:10:46.55 ID:s4MY/f+L0

その長細い紙に印刷されているのは。
血まみれの顔の女、それも飛び出てきそうな目玉のドアップだった。


『ドキドキ☆ホラーハウス無料チケット(※ホラーハウスクリア後、遊園地へ入場できます)』

86: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/05(火) 22:12:08.90 ID:s4MY/f+L0

今回はここまで。
(いいやつっていうかいい扱いというか そういえばトール君シルビアさんを「お嬢ちゃん」呼ばわりしてましたが実は結構歳いっt)

87: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/05(火) 22:16:52.87 ID:s4MY/f+L0




「だから嫌だって言っただろうがあああああああ!!!!」
          全能を名乗るにはまだ未熟な魔術師――――雷神トール




「俺様の知ってる死体と違ううううううううう!!!」
             嘘をつき続ける救世主――――右方のフィアンマ




「あれ? お前もしかして……」
          平凡な学生――――上条当麻

94: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/09(土) 14:23:51.35 ID:sMiEhRci0


時に。
雷神トールにも、この世界で苦手なものがある。
傍若無人なフィアンマに対応出来る彼にも、である。

一つ、スプラッタ映画。
一つ、幽霊。

一つ、お化け屋敷。

そんな訳で、彼もフィアンマと同じく、手にしかけたチケットから即座に手を引く。
あまりにもおどろおどろしい絵ヅラが恐ろしかったからである。

「…なあ」
「…ん?」
「これ、どうすんだよ」
「…そう、だな…」

二人の間、ベッド上でその存在感をありありと示すチケットは二枚。
ペアチケットである。あんまり嬉しくはない。
が、よくよく読んでみると、どうやらお化け屋敷クリアを前提に遊園地の一日フリーパスになるらしい。

「……」

時計を見やる。
早起きをしてからぐだぐだしていたので、時刻は午前九時。
幸か不幸か、このチケットの使える遊園地の場所はかなり近い。
バスで二駅も経れば、後は徒歩三分程で入れてしまう位に。
今すぐ向かう準備をすれば、遊園地は余裕で楽しめそうな程、時間は有り余っている。

95: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/09(土) 14:24:19.12 ID:sMiEhRci0

「……嫌だからな」
「……退屈よりはマシだろう?」
「そもそもそのチケットに触りたくねえ」
「…俺様が持とう」
「本気で言ってんのか」
「俺様は正気だ」

おっかなびっくり、といった様子でフィアンマはチケットをつまみ、封筒へしまう。
その封筒を軽く持ったまま、トールをちらりと見やった。
退屈よりは、たとえ恐怖があってもエンターテインメントを選ぶべきだ、とその顔には書いてあった。

「遊園地、ね…」
「…行ったことはあるのか?」
「んぁ? いや、無いな。興味もなかったしよ」

しかし、強制お化け屋敷である。
ぐ、とトールは歯を食いしばる。

嫌だ。
怖い。
苦手だ。
行きたくない。

でも。

96: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/09(土) 14:24:46.27 ID:sMiEhRci0

往々にして、男子とは女子の前で格好をつけたがる生き物である。
余程対象外の眼中に無さすぎる相手ならばともかく、それ以外には。
トールは恋愛事になど興味を持たない男だが、しかしてプライドは確かにあった。

なので。

行かざるを得なかった。
それも、自分の意地によって。

「定刻通りに来るんだな」
「流石日本。几帳面なことで」

ほぼ時刻表通りに来るバスに感心しながら、二人はバスに乗り込む。
チケットは封筒の中である。怖いので直接触りたくはない。

「………」

うつらうつら。

バスの揺れは電車の揺れと同じで、人の眠気を誘う。
トールとフィアンマも類に漏れず、うとうととしていた。
たった二駅だというのに、うっかり眠ってしまいそうだった。

「何か眠気覚める方法とか無いのか…?」
「んー……んん…あ」

彼女はスカートのポケットを静かに漁り。
やがて発掘した飴を取り出すと、それを二つに割った。
赤い色をしている。美味しそうな赤みだった。

「ストロベリーミント味だ。食べられる味か?」
「くれんのか?」

トールはありがたくいただき、口に含む。







―――――脳天を突き刺すような清涼感が、少年の身を襲った。

97: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/09(土) 14:25:14.43 ID:sMiEhRci0

飴を舐めて眠気を空の彼方へぶっ飛ばし。
トールとフィアンマは無事、遊園地に入った。
他のアトラクションや何かを楽しむには、ホラーハウスは避けて通れない。

「……仕方あるまい」
「…俺もお化け屋敷は好きじゃないが、何でお前『受難に見舞われる神の子』みたいな顔してんの?」

深刻な表情での彼女の発言に、トールは首を傾げる。
そもそも自分は嫌だと言ったのに、行こうと言って聞かなかったのは彼女なのだ。
まあ、あまりにも頼りがいがある恐怖心とは無縁な相手と一緒ではつまらないだろうが。

「…ん? 学園都市が提携しているのか」
「学園都市―――ああ、あの科学サイドの」

どうやらこの遊園地のアトラクション等の技術には、学園都市が関わっているらしい。
『超能力者』を養成する、科学サイドの長たる、あの街が。
当然、技術提携といっても、譲られた技術は当の街で使用されているものよりグレードダウンはしているだろう。
しかし、科学的に計算され尽くした人間の心理データを元にしたお化け屋敷は、恐ろしいことだろう。
それでも歩みを止めるつもりは毛頭なかった。

「ようこそ、どきどき☆ホラーハウスへ! チケットを拝見させていただきまーす」

従業員はとても明るかった。
お化け屋敷のスタッフとしては適切だろう。
衣装は魔女染みた可愛いものである。
が、驚くべきことに魔術記号は全く入っていない。
学園都市から提供された衣装なのだろうか、と二人は眉を潜めた。
普通、一般人が考えたものであればどうしても記号は含まれてしまうものなのだ。

「特別チケットのお客様ですね、頑張ってください!
 今回いらしたのは初めてですか?」
「ああ。ルールとかあるのか?」
「はい。まずお客様には手を繋いでいただきます。
 そして、どちらかのお客様にこちらのランプを持っていただきます」

従業員の見せたランプは、電気式である。
火を使っていないため、危なさはない。

「こちらのランプ、揺れや握る力、血圧等に対応してドキドキ度を測るものになっております」
「へえ。確かにメーターっぽいものがあるけど、溜まったらどうなるんだ?」
「こちら満タン…つまりドキドキが最高潮になると、色が赤になります。途中経過が黄色です」
「今は緑色だな」
「ちなみに赤色になるとお化け達がお客様を目指してすごい勢いで追いかけてきますので、捕まらないでくださいね♪」
「」
「」

酷いルールである。

98: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/09(土) 14:25:58.06 ID:sMiEhRci0

お化け屋敷とはいえ、一般に想像するような狭いものではなく。
むしろ、ダンジョンと呼ぶにふさわしい大きさである。
途中脱出口がいくつか設けられているが、それはあくまで非常口。
ゴール地点まで無事辿りつけば、景品がもらえるとのこと。
ただし景品をもらうにはランプが赤色且つ二時間以内に出てくることが条件。
大概の客は恐怖に耐え兼ねて非常口から出てしまうらしいが。

「ま、来た以上は楽しむことにしようぜ」

舞台は廃病院。
死んで何年も経った今、怨霊と化した患者や医者達が客を襲う…ということらしい。
実際にはロボットだったり特殊メイクを施した従業員だろう、とトールは深呼吸しながら割り切った。
何事も、やるとなったら楽しむしかない。戦いだってそうだ。あちらは常に自分の意思だが。

「………おーい?」
「……手は、離すな」

ぽつりと呟き、フィアンマはトールの手を握る。
緊張しているのか、握る強さは不安定だ。

「ま、そんなに怖いことはないだろ」
「…そうだな。俺様達の相対する敵や生命の危機に比べればこんなものは」

後に、二人はお化け屋敷をナメてかかったことを後悔することになる。

99: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/09(土) 14:26:24.54 ID:sMiEhRci0

全ての部屋を巡り、箱に鍵を入れるのがこのお化け屋敷(病院)の課題。
鍵を入れる箱は、ランプの上に設置されている。

「まずは…」

ランプについているボタンを操作し、立体映像の地図を見る。
ランプに付属のGPS機能により、鍵を回収した箇所には丸が付けられるようになっていた。

「手術室か」
「…存外怯えてはいないんだな」
「好きじゃないが、耐えられる範疇だっての」

歩く。

コツン、カツン。

靴音が、いやに響いた。
遠くからは時々、うめき声のようなものが聞こえる。
恐らくは録音したものなのだろうが、再生機器が優秀なのか、とてつもなくリアルだ。
トールは地図を眺め、彼女の手をしっかりと握ったまま歩く。
多くの土地を旅しては戦ってきた彼にとって、何かを決めることは苦ではない。
対して、フィアンマは大聖堂の奥に座して全てを決め、指示をすることが多かった。
そして、仕事モードではないので決めることは億劫だった。相性が良いのである。
これがどちらも主導権を握りたがるタイプだとまず喧嘩になる。

手術室のドアを、開けた。

ベッドの上には死体らしきものがある。
設定としては、どうやら手術を失敗してしまったようだ。
メスを入れるステンレスの器の中に、鍵は鎮座している。

「俺様がやる」

冷静にそう告げると、彼女は手を伸ばした。
鍵を指先でつまみ、箱へ入れる。

ぐるり

医者、看護師、死体。
それら全ての目が、二人を見た。
思わず身が凍ったが、ゆっくりと動く。
そして緩やかに手術室を出て、ドアを閉める。

「…ビビった。何だ、思ったより怖くねえな」
「ランプがまだ緑色だからじゃないか?」

二人とも緊張はしているが、まだまだメーターは溜まっていない。
次の部屋へ向かって、二人は歩き出す。

100: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/09(土) 14:26:55.32 ID:sMiEhRci0

それからも、暫く順調だった。
待合室、診察室、入院部屋……周る場所は多かった。
鍵を箱に入れる度に恐ろしい目に遭ったが、メーターはギリギリ黄色。

「黄色なのは喜ばしいが、赤色にならねば景品は無いのだったか」
「だからといって意図的にドキドキするのは無理だろ」

会話をする余裕も出てきた。
次は霊安室だ。今回も、さほど恐ろしくはないだろう。

「……やっぱ緊張するな」
「俺様が開ける」
「二人で開けようぜ」

観音開きのドアを、一気に開く。
霊安室の中にあるのは、ベッドが一つ。
身体は真っ白なシーツで覆われ、顔には白い布がかけられている。

「此処が最後か?」
「いや、最後は院内温泉」

会話をしながら、鍵を手に。

とった、瞬間。

死体は起き上がり、四つん這いで二人を見上げた。

「お゛………」

形容し難い顔だった。
ところどころその身体はケロイド状で、腐敗していて。
腕は二の腕の途中でちぎれ、ぶら下がっている。
瞳に白目はなく、真っ黒な目から血を流していた。
口の中に歯は一本もなく、赤黒い液体を垂れ流している。

「……」
「……」

101: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/09(土) 14:27:21.33 ID:sMiEhRci0

ドアを勢いよく開けて、廊下へ。
だが、背後からあの死体は追いかけてくる。
最後の手前だというのに、最上級の恐怖がやってきた。

「だから嫌だって言っただろうがあああああああ!!!!」
「俺様の知ってる死体と違ううううううううう!!!」

あんなに怖いものは、知らなかった。
一目見てしまっただけなのに、忘れられない。
思わず涙がこぼれそうだったが、トールは歯を食いしばって我慢する。

「っ、はぁ、」
「―――息切れか?」

必死に走って逃げるが、その内にフィアンマの息が切れた。
元々、走ることは苦手である。まして長距離を猛ダッシュというのはきつい。

「これ持ってろ」

トールは少し考えた後、フィアンマにランプを持たせた。
首を傾げながらも彼女はきちんと受け取る。
未だ呼吸の整わない彼女の体を、トールは横抱きにする。
彼女を抱えて走った方が早いと判断したからだ。

「ト、」
「これでよし」

結論付けて、トールは院内温泉の部屋へ駆ける。

102: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/09(土) 14:27:49.65 ID:sMiEhRci0

顔が近い。
誰かに抱えられたことは、初めてだった。
落ちないようにトールの首と肩に腕を回しながら、フィアンマは視線を彷徨わせる。
別に誰も見ていないので羞恥はないはずだが、顔が赤くなる。

「お、……下ろし、」
「お前が走るよりこっちの方が速い」

言いながら、トールは彼女を抱え直す。
重くはなかったし、何より彼にはその見目以上の腕力があった。
そもそも、その腰に巻かれている霊装の効果でコンクリートで出来た橋を持ち上げられる程の力がある。
現在使用されているのは彼本来の腕力な訳だが。

揺れ。
走ったことによる心拍数の上昇。
フィアンマの緊張。

全ての要素が合わさり、メーターは上限ギリギリへ達した。
ランプの色は赤になり、後ろから駆けてくる足音が増える。
院内温泉の部屋へたどり着き、トールは素早く鍵をとった。
後はゴールまで一直線に走りきれば、二人の勝ちになる。
恐らく、今追いかけてきている者達は先ほどのトラウマ級ばかりだろう。
トールは前を見て走っているが、彼女はきっとそうはいかない。
だから、彼はこう言うことにした。

「絶対に俺だけ見てろよ、フィアンマ」

メーターの針が、軋んだ。
ゴールを抜けて病院のドアが閉まるまで、フィアンマは決してトールの背後は見なかった。
ただ、トールを見つめたまま、走ってもいないのに高鳴る心臓を意識していた。

103: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/09(土) 14:28:58.11 ID:sMiEhRci0

「ぜぇ、はぁ……」
「…大丈夫か?」

景品はどのアトラクションにも優先的に乗れるパスが四枚と、サイダーだった。
激しい息切れをしつつ、トールはサイダーを飲む。
あんなに必死に走ったのは久しぶりだったような気がする。

「霊安室のアイツが怖すぎた」
「あれはトラウマ級だな。
 院内温泉の血の水に手を突っ込んだお前は凛々しかった」
「逃げることにしか神経使ってなかったからな」

サイダーの空き缶をゴミ箱へ。
トールは深呼吸を繰り返しつつ、フィアンマを見やった。
ちょっと目が潤んでいるし、顔は今も赤い。

(走るような立場じゃねえからか)

珍しく一生懸命走ったから未だ顔が赤いのだろうと結論付けながら。

「最初から最後までお前に世話になってしまったな」

ちょっとだけ申し訳なさそうに笑みを浮かべる顔が、可愛く思えた。
それが吊り橋効果なのか純粋な好意なのか、誰にも判別はつかないだろう。

「気にすんなよ。俺が好きで走ったんだ」

トールは照れ混じりにそう言うと、空を見上げる。
暗い施設に居たからか、殊更快晴に思えた。

「―――フィアンマ」
「んー?」

サイダーを飲みながら、彼女は首を傾げる。
対して、トールは数度深呼吸をして。

「…多分。俺にとって、お前は」

ほんの少し顔を赤くしながら、とある事を言いかけたところで。

104: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/09(土) 14:29:23.34 ID:sMiEhRci0

「あれ? お前もしかして……」

声をかけてきたのは、黒髪の少年だった。
ツンツンとした髪をワックスで立たせているようだ。
容姿は人並みで、平凡そうな男だった。

上条当麻(かみじょうとうま)。

学園都市の学生であり、無能力者だ。
とある特別な右手を持つだけの、平凡な少年。
トールの知り合いではない。

「上条当麻か」

フィアンマは慌てて立ち上がり、上条に向かって微笑みかける。
完璧な微笑はトールにとっては違和感しかないものの、上条には綺麗に映る。
上条はトールを見やり、はっとしながらフィアンマに謝る。

「悪い、恋人か? デート中邪魔してごめん」
「そういう訳ではない。ただの友人だ」

どうしてだか。
その言葉は、トールにとって嫌な言葉だった。
友達だなんて、本当は良い表現のはずなのに。
何よりも、フィアンマが上条にとても友好的な態度なのか、トールにとって嬉しくないことだった。

「そ、そっか。この前はありがとな」
「別に礼を言われる程のことでもあるまい」
「いやいや、そんなことあるって」
「学園都市外へみだりに出て良いのか?」
「ん? ああ、ここ、ウチと提携してるだろ。
 ボランティアの一環として来たんだよ。手伝い」
「お疲れ様、と言っておくべきか」
「ありがとな」

にこにこと愛想良く、フィアンマは言葉を返す。
好きな男の子に好かれたい女の子の媚びのような雰囲気で。
トールは、彼女が何故そんな態度をとっているのか、知らない。
表面的に見て、端的に腹が立った。腹が立つ理由なんてわからない。

「フィアンマ、行きたい所があるんだろ。遅れるぞ」

トールは言うなり、彼女の手を掴んで立ち上がる。

「じゃあまたな」

上条は手を振って、休憩時間が終わるのか、急いで走っていった。

「……」

フィアンマの『邪魔をするな』と言わんばかりの視線。
トールは彼女から視線を逸らし、てくてくと彼女の手を引いて歩いて行った。





(……何だよ。何に怒ってるんだ、俺?)

111: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/10(日) 21:52:10.51 ID:pcvhIY/e0

生まれつき、特別な右手を持っていた。
それだけでなく、特別な力を抱え持っていた。
たとえ右腕を切断しても逃れられないものだった。

それは、ヒーロー願望のある誰しもが望む才能。

『世界を救える程の力』。
否、世界を救う為の、力。
ロールプレイングゲームの勇者には必須な才能だ。
そして、その才能に基づく莫大な幸運の恩恵が与えられた。

あまりにも突出した才能は、周囲から疎まれるのが常。

が、"幸運にも"そうはならなかった。
その代わりとして、ローマ正教の奥の奥へ招かれただけのこと。

『救世主の再来』

枢機卿は皆揃いも揃って自分を讃え、王座へ就けた。
出世することに苦労はなく、むしろ何度も押し上げられた。

特別な力を持った以上、その力に準じた振る舞いをしなければならない。
そう言われて育ったし、自分もそうすべきだと考えた。

辿るべき未来は決まっていた。
迎えるべき運命は明白だった。

112: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/10(日) 21:52:39.85 ID:pcvhIY/e0

物心ついた時に親は無く、彼女はいつでも一人だった。
たとえ友達を作っても、喪うことを予期していた。
否、世界を救う時に『さよなら』をするのが辛いから、必要無いと断じた。

『神の右席』に所属している人員は、いつでも後ろ暗い闇があった。

目的は同じでも、それに至る経緯は皆違った。
そしていずれにせよ、自分程の才能も、宿命も持たない人間達ばかりだった。
素の態度で接していれば、どうしても仲良くなってしまう。
嬉しいはずなのに、それは後々辛い思いをするための材料になってしまうから、断ち切る事を決めた。
孤独を埋めることは出来なかった。安心して友好関係を築ける相手がいなかった。

世界を救うための計画は、随分と前に立て、既に実行している。
今は各地の教会、聖堂の部品を聖別させている。
それが終わってしまうまでが、自分に残されたタイムリミット。
過ぎれば、自分はこの手で全てを壊すことになる。

こんな才能はいらなかった。
右腕を切断すれば無くなる程度のものであって欲しかった。

世界を救うため、『神上』へ至れば、人間としての思い出一切はなくなる。
ただ、正義を履行し、人類を救うための歯車のような存在になる。
そうなる前に、人間として、最後に楽しい思い出を作りたかった。

記憶を消さなくていい誰かと。
自分と仲良くなっても、思い出を共有しても、弊害の無い誰かと。

113: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/10(日) 21:53:15.88 ID:pcvhIY/e0

『助けてくれると、嬉しいのだが』

嘘をついたのは、トールと関係を築く取っ掛りにするためだった。

『所持金が無いので食事を奢ってくれ』

財布を無くした、だなんて。
彼はちょっとだけ迷惑そうな顔をして、それから、頷いてくれた。
自分でも我が儘で嫌な態度だと思うのに、我慢してくれた。
否、彼は我慢するような性格ではないので、受け入れてくれたのだろう。
あまつさえ、『右方のフィアンマ』としてではなく、唯の女の子として受け入れてくれた。
それは『右席』の面々もそうだったけれど、彼らとは関係上、記憶を消して『なかったこと』にする。

トールと、仲良くなりたかった。
仲良くなれるような気がした。

彼の側で笑っている状況が、心地良かった。
ずっとこの時間が続けば良いのにな、とうっすら思う。
そうはいかないことくらい、わかりきっているけれど。

114: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/10(日) 21:53:47.02 ID:pcvhIY/e0

「さっきのヤツ、誰なんだ? 友達って感じには見えなかったが」
「ん? ……今度話すさ」

幻想殺し(イマジンブレイカー)。

特別で特殊な、自分と同質であろうモノ。
それを封じ込めている右腕は、自分の力を引き出す『器』として使える。
彼との出会いは、彼が財布を無くしていたことから始まった。
ありとあらゆる異能を消し去る力は、自分の持っていた霊装を呆気なく壊した。
そもそも本物かどうかを確かめるためのものだったため、さしたる被害ではない。
しかし、彼は重く受け止めたらしく、再三の謝罪をした。
それから財布を見つけてやると、感謝と謝罪を交互にされた。

とても優しい少年だと思った。
漬け込みやすく、利用しやすいと思った。
好悪で言えば、嫌いなタイプだ。
特別体質という共通点における、同族嫌悪かもしれない。

優しく微笑みかけ、友好的に接するだけで、彼は疑うことなく信じてくれる。
自分と真反対の力を持つ彼は、今まで多くの不幸に見舞われてきたと聞いた。
それ故か、彼の持つ自己犠牲精神や卑屈な感情は精神根幹の多くを占めている。
友好的に接していれば、右腕の『回収』が容易かもしれない。




―――そんな打算で浮かべた微笑みだから、トールは怒っているのだろうか。

115: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/10(日) 21:54:40.19 ID:pcvhIY/e0

「何を怒っているんだ」
「怒ってねえよ」

トールはやや憮然とした様子で歩いている。
残念ながら、フィアンマは怒らせた少年の宥め方には詳しくない。
そもそも、相手が自分の怒りに怯える立場の人間ばかりだったからだ。

ただ、遊園地でずっと怒られているというのは楽しくない。

だからといって今上条との関係について説明すれば、更に気分を害するだろう。
主に、自分の考えや『計画』に対して。
全てを洗いざらいぶちまけるのは、別れを告げる時で良いはずだ。
フィアンマはきょろきょろと辺りを見回し、それから思い出したように言った。

「ティーカップ」
「あん?」
「ティーカップに乗ろう」

言って、今度は彼女が彼の手を引く。
向かう先は、ぐるぐる回るティーカップ状の乗り物。
真ん中のテーブルを回せば回す程、ぐるぐると回るものだ。
これに乗って思考を中断させることで怒りを払拭しよう、という姑息な手段である。

116: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/10(日) 21:55:07.43 ID:pcvhIY/e0

優先パスは四枚。
一人、一枚につき一度きり。

二枚を消費し、二人は並ぶことなくティーカップへ乗り込んだ。
手を離し、フィアンマはぺたりと中央のテーブルに触れる。
時間の経過と共に気持ちの高ぶりというのは治まるものだ。
トールも類に漏れず、その苛立ちは治まりつつあった。

「それでは開始しまーす」

能天気なBGMと共に回りだすティーカップ。
フィアンマはトールの様子を眺めつつ、情け容赦なくテーブルを回した。

「待っ、早すぎだろ」
「酔っても良いんだぞ?」
「そんな優しさ発揮するなら速度落とせよ、」

世界が回る。
ぐるんぐるんぐるん…と絶え間無い高速回転による遠心力は凄まじい。
トールは吹っ飛びそうになりながらカップ側面にしがみつく。
人間、考えられる余裕というのにも限度があるものだ。

そんな訳で、彼女の目論見通り、トールはめまいに全てを支配された訳である。

121: 小ネタ:11/11  ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/11(月) 22:03:45.28 ID:cZUWQ+Ks0
《書き溜めは間に合わなかった》




フィアンマ「日本にはポッ○ーゲームなるものがあるそうだな」

トール「ああ、あのチョコプレッツェル口にくわえて食べてくやつか」

フィアンマ「敗北条件は折ってしまうことだったか」

トール「緊張してたらまずやらかすだろうな」

フィアンマ「ところで」

トール「あん?」

フィアンマ「ここに例のブツがあるのだが」

トール「薬物みたいな言い方すんな!」

フィアンマ「……しないか?」

トール「…何を」

フィアンマ「だから、ゲームを」

トール「却下」

フィアンマ「つまらんな」

トール「俺が言うのも何だけど、もっと自分を大事にしろよ」

フィアンマ「大事にした結果がこの誘いなのだが?」

トール「うぐ」

フィアンマ「……」

トール「~~~っっ。絶対しねえからな!!」

125: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/12(火) 22:49:36.28 ID:bEyDJvPm0

「し、死ぬ、かと、思っ、おえ、」
「大げさなヤツだ」

言葉を返しつつ、フィアンマはトールの背中を摩る。
未だ目の回る感覚が消えないのか、彼はくらくらとした様子でため息をついた。
冷たい飲み物を飲み、のんびりと空を見上げる。
どうにも、行列を作りたがる日本人は理解に苦しむ。
そんなに耐え忍んで待つ位なら、諦めて他のことを楽しんだ方が楽しいに決まっているのに。

「気がつけばもう夕方か」
「お化け屋敷で割と時間喰ったからな」
「何に乗ろうか」
「出来れば緩やかなモンをお願いしたいところだ」
「ジェットコースターにしよう」
「俺の話聞いてねえよな?」

意見を反映したとは思えない目標を設置しつつ。
フィアンマはすぐに向かうでもなく、ひとまず休憩を申し出た。
気がつけばお昼を食べていないのに陽が暮れ始めている。
由々しき問題である。お菓子を食べたい。

126: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/12(火) 22:55:06.18 ID:bEyDJvPm0

遊園地内のカフェのものはすごく高い。
キャラクターを模したパンケーキなど、絶対にぼったくり値段だ。
そうとわかっていても買ってしまうのだから、遊園地とは恐ろしい雰囲気を持つ空間である。

青い海を模したゼリーに浮かぶ、貝殻型のホワイトチョコレート。
貝の身に当たる部分は、林檎味のグミ。
森、自然を表現するために飾られた周囲の緑色のものは、抹茶味の生クリーム。
底面に敷かれているのはコーンフレークなどではなく、小さく刻んだマシュマロと砕いたビスケットだ。
チョコレートソースも底面に注がれており、あれらは混ぜて食べるものである。

要するに綺麗なチョコレートパフェだった。
ファミレスのぼったくり値段が霞んで見える値段だったが、トールは目を瞑る。
金は天下の廻物なんていう諺を聞いたこともあるし、そもそもこれは彼女がスクラッチで稼いだ金だ。

「悪くないな」
「飾りなんだかチョコなんだか、細々してるよな」
「菓子とは繊細であるべきだよ」

何でもかんでも砂糖をぶち込めば良い訳ではない、と彼女は憮然とする。
アメリカ辺りでそういう粗雑な洋菓子の洗礼にでもあってしまったのだろうか、トールは思う。

127: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/12(火) 22:56:07.52 ID:bEyDJvPm0

腹ごしらえを終えて。
二人は、ジェットコースター乗り場へとやって来た。
夕方ということもあり、家族連れの多くは帰り道を辿っている。
疲れを明日まで残したくない人々も帰宅していく。
故に、乗り場に並ぶ人は昼間に比べてだいぶ減った。

「空を飛ぶような爽快感…ね…」
「空など、その気になればいつでも飛べるから何とも言えんな」
「ま、撃ち落とされるのもセオリーだから、飛べないのと変わらないだろ」

現代魔術師にとって飛行するのは簡単だが、同時に撃ち落とすことも容易なこと。
故に、今の魔術師は本人が直接飛行することはまずありえない。
やるならば人間の形を崩したりする猛者が相応だろう。

そうこうしている間に、乗り込む。
今回は優先パスは使用しなかった。
そんなに並んでいなかったし、使う必要を感じなかったからだ。

「それではベルトを確認させていただきまーす」

係員が周囲を歩いては安全ベルトに触れ、安全性を確認する。
やがて確認と調整が終了したのか、見送りの挨拶と共にコースターが動き出した。

128: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/12(火) 22:57:10.13 ID:bEyDJvPm0

ガコガコガコガコ。

ジェットコースターの醍醐味は人それぞれだ。
中には、この昇っていく瞬間がたまらなく楽しいという人もいる。
トールとフィアンマはこのタイプであった。
ちなみに、パーティー用クラッカーは鳴らすまでが楽しいタイプでもある。

「結構高いな」
「曲がりながら走行するそうだ」
「なるほどな。だから吹っ飛びそうに……」
「……酔うなよ?」
「お前の回したカップよりかは遥かにマシだ、絶対。
 それより、そろそろ口閉じた方が良さそうだな」

舌を噛みたくなければ。

二人は前を向き、頂点へ辿りついたコースターに少しだけ緊張し。
それから、ほぼ直角に下降していく状況に、笑った。
浮遊感に感じるのは恐怖ではなく、遊興と緊張と、高ぶり。

「おおおおおおお!!」
「はは、ははははははははは!!!」

他の乗客は恐怖に叫んでいるが、二人は笑っていた。
感覚も、何もかも、普通の人とはズレているからか。

ただ、楽しかった。
こういう平和すぎる時間が、本当に。

129: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/12(火) 22:57:47.97 ID:bEyDJvPm0

ひとしきり遊んだ後。
定番とも言える観覧車に乗り込んだのは、夜。最後の乗車だった。
最後なので優先チケットを使用するが、そもそも回転率が早いので待つ必要が無かった。

滞空時間は大体三十分程。

外はすっかり陽が暮れ、真っ暗になっている。
遊園地の各アトラクションは、上から見ると美しいイルミネーションになっていた。
秋だからだろうか、どことなくハロウィンを意識したような形ばかりだ。
カボチャやかわいらしいデフォルメシーツおばけだとか、そんなものばかり。

「美しいな」
「科学ってのも悪くはないもんだな」
「適切に使用する分には便利なものだよ」

それに支配されてはいけないが、と彼女は肩を竦め。
ぺたり、と両手のひらを窓へはりつける。
琥珀の瞳は、ぼんやりとイルミネーションを眺めている。
トールは既に景色に飽きたのか、のんびりとしていた。
二人とも高所恐怖症ではないため、動揺はない。

「トール。お前に言おうと思っていたことがあるのだが」
「言おうと思ってた? 何だよ、言えばいいじゃねえか」
「……怒らないか?」
「内容によるだろ」
「そうか。…なら言わないでおこう」
「気になるだろ。言えよ」

130: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/12(火) 22:59:04.06 ID:bEyDJvPm0

トールの催促に対し、フィアンマは少しだけ考え込む。
人差し指の腹を唇下にそっとあて、空を眺めた。
夜空に輝く月は丸く、美しい。

誰かが、後押しをしてくれている気がした。

今ならまだ、道を踏み外して、どこか遠くへ逃げることだって出来る、と。
トールとずっと一緒にいることで、全てを投げ出すことだって、出来る。

でも。

多分それは、彼の迷惑になる。
それに、自分は世界を救うべき人間だ。
いいや、人間と名乗っていいのかもわからない怪物だ。
それ自体を億劫に思ったことはないが、未来が決まっているのは辛いものだ。
ただ、終わるまでにどれだけの幸福を詰め込めるかで、人間の価値は決まる。

「俺様は、本当はお前でなくても良かったんだ。
 ローマ正教と繋がりがなくて、俺様自身と過ごしてくれる誰かなら」
「………」
「だが、どうしてだろうな。今は、お前でなければダメだっただろうと思う」

僅かに、トールは息を止めた。
何となく、言葉の先が頭に浮かんで、ドキドキとする。

もしも彼女が自分に好意を抱いてくれているのなら、それは―――決して嫌じゃない。

だけど。

「だから、トール」
「……何、だ?」



彼女は振り返り、月光を背に受け、はにかんでみせた。









「恋人ごっこをしよう」
「………ごっこ?」

141: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/17(日) 15:47:26.82 ID:CCGsWMzb0

ごっこ。

遊びに誘うような気軽さ。
あくまで本気ではなく、遊興の意図が見てとれる。
揶揄ではなさそうだった。

「……何でごっこなんだよ?」

別に、本当に恋人になっても問題はないはずだ。
現在、トールはフィアンマと一緒に生活しているのだから。
それに、本物の恋人になった方が、デメリットはないはずだ。
ごっこ遊びの恋人など、女性側が損をするだけだ。

照れと嬉しさと困惑と。

トールは真っ直ぐに聞き返したが、フィアンマは肩をすくめ。

「一生お前の世話になるつもりはないからだ」
「………」

言い切られた。
トールは口を噤み、言葉を呑み込む。

「それで、どうなんだ」
「…付き合ってやるよ」
「そうか」

良かった、と彼女は笑む。

一生世話になるつもりはない。

その言葉の裏に、『世話になれない』の意味を込めながら。

142: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/17(日) 15:48:13.98 ID:CCGsWMzb0

遊園地からの帰り道。
二人はどちらともなく手を差し出し、繋ぐ。
遊園地内でしていたような握手スタイルではなく、指先を絡ませて。
所謂恋人繋ぎというものには、羞恥心がつきものだ。
フィアンマは小さく笑って、トールは目を細めて手を握る。

きっかけと呼べるきっかけはなかった。

同じ場所で食事をして、睡眠をとり、会話をする。
そんな日常の繰り返しと積み重ねが、好意を生んだ。
その気持ちはとても大切なものだ、とフィアンマは思う。

思うけれど。

(人生というのは皮肉だな)

初めて、一緒に迎える未来を夢見た相手が出来た。
この手を離したくない、と想える相手が。
しかし、自分の才能と思想故に、離れなければならない。

もしも、自分が『右方のフィアンマ』でなければ。
あるいは平凡な少女として、一生を終えられたかもしれない。
その場合は、トールと出会い、暮らし、こうして手を繋ぐこともなかっただろう。

143: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/17(日) 15:49:00.72 ID:CCGsWMzb0

「まあ、関係が恋人ごっこになったとしても何をする訳でもないのだが」
「まあな」

ホテルに戻り、フィアンマはベッドにうつ伏せになってそう言った。
トールは軽く相槌を打ち、退屈そうにベッドに腰掛ける。
走ったり歩き回ったりし過ぎた影響で、すっかり疲れてしまった。
シャワーを浴びる気力さえない。仮眠をとったほうが良さそうである。

「……一緒に眠らないのか?」
「お前にゃ別のベッドがあるだろ」
「恋人というのは一緒に眠るものだろう?」
「……あのな」
「それとも何だ。シャワーを浴びないと嫌だ、と?」
「いや別にそこまでは要求しねえよ。疲れてるだろ」
「一緒に寝るというのは何もそういう意味だけを持つ言葉では…まあ、仕方がないか。お前の年齢では」
「人を猿扱いするなよ」

くすくすと笑っている辺り冗談だということはわかる。
が、かといって揶揄されっぱなしというのは気分が良いものではない。

「一応は十字教の修道女に分類されるお前がそんなこと言って大丈夫なのかよ」

貞操観念的な意味で、と彼は肩を竦め、彼女の隣に寝転がる。
対して、フィアンマはとある人物を思い浮かべ。

「見目も言動も行動も卑 この上ない女よりはマシだと思うがね」
「………心当たりあんのか?」
「まあ、多少は。…というか、そもそもだな」
「?」
「バチカンは世界でも有数の●●本が集められている場所むぐ」
「やめろ」

144: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/17(日) 15:49:42.18 ID:CCGsWMzb0

ざあざあ。

一晩明け、シャワーを浴び。
二人が見たものは、バケツをひっくり返したかのように振る雨だった。
今日はホテルから出ない方が賢明だろう。
季節が秋から冬に移行するにつれ、日に日に、気温は下がっていく。

「何か、別に良い『敵』は居ねえもんかな……」
「心当たりはあるが、あまり好戦的な相手ではない」
「組織か?」
「そうだな。天草式十字凄教という魔術結社だ」

正確に魔術結社と言って良いのか、判別はつかない。
ある程度の歴史を持った宗教集団の場合、それはもはや魔術結社の本質とは異なるからだ。
彼らの戦法は仲間と伝統を重んじ、身の回りの魔術記号を抽出して駆使するもの。
一対複数人というのは、なかなかに大変なことだとフィアンマは思う。
あくまでも一般論であり、自分にとっては何人居ようと関係無い訳だが。

「へえ」
「お前が今現在探している女聖人は、かつてその組織の女教皇をしていたらしい」
「………」

かつて所属していた。
絆や仲間を重んじる組織。

この二つの内容から予測出来ることは、ただ一つ。
天草式十字凄教と戦闘をして窮地に立たせる事が出来れば。
その事を察知した神裂火織が、現れるのではないか、ということ。

思いついてしまえば、即決だった。

「何にしても、俺にとっちゃ一石二鳥だな」
「人体実験などはしていないようだし、『敵』としては良い部類じゃないか?」

のんびりと言い、フィアンマは欠伸を呑み込む。
ついでとばかりにクッキーをつまみ、口へ放り込んだ。

「ところで、そいつらの居場所は?」
「知らんよ」

145: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/17(日) 15:50:21.49 ID:CCGsWMzb0

時に、天草式十字凄教という組織は逃亡や隠蔽に特化している。
江戸時代に強く迫害されたキリシタン時代に、その傾向は強くなった。
今現在もそれらの技術は駆使・改良されており、彼らを捕まえるのは至難の業だ。

至難の業。

つまり、無理難題。
フィアンマにとって、それはむしろ好都合だ。
彼女の保有する『聖なる右』は、ありとあらゆる試練を最適な力で乗り越える。
それは何も相手を吹き飛ばしたり殺すだけには留まらない。
少し対象や範囲の設定を調整すれば、人探しにだって使うことが出来る。
加えて、彼女は直線上に遮蔽物がなければどこまででも瞬間移動が可能だ。

絶対に逃げきれるとされている組織と。
絶対に見つけて捕まえる魔術師。

組織同士の社会的評価から鑑みても、どちらの能力がより優れているかは明白である。
天草式十字凄教にとっての不幸、不運の原因はただ一つ。

他ならぬ『神の右席』のリーダー、右方のフィアンマに"捜索"されてしまったことである。

146: 次回予告  ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/17(日) 15:50:49.64 ID:CCGsWMzb0




「つまり、我ら天草式十字凄教と決闘がしたい…という解釈で良いのよな?」  
             天草式十字凄教教皇代理――――建宮斎字(たてみやさいじ)




「決闘って響きは格好良いが、俺のしたいことはそんな高尚じゃねえな」
                北欧神話の『雷神』を名乗る魔術師――――トール




「数人で一人を、というのはあまりにも不平等なんじゃ…?」
                   癒し系常識人――――五和(いつわ)




「俺様が加わってしまうと戦争が起きてしまうしな。まだ早い」
                恋人ごっこ中――――右方のフィアンマ


 

155: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/21(木) 23:07:29.47 ID:b5OocTuo0

翌日、夕方。
探査術式による結果取得を終えたフィアンマは、のんびりとトールに伝えた。
言うまでもなく、天草式十字凄教メンバーの居場所である。

やって来たのは、夕暮れ時。
日本国内の、冴えないアパートメントだった。
もっとも、それは仮住まいであり、いくつか本拠地は存在する。
厳密には、そのどれもが本拠地ではない。

「…とりあえずノックしてみるか」

日本式の作法には疎いトールである。
彼は軽く首を傾げ、拳の手の甲でコンコン、とドアを叩いた。
程なくしてドアが飽き、ひょこりと少女が顔を覗かせた。
セミロング程度の黒髪で、清楚な印象を受ける少女だった。
柔らかそうなセーターを着用しており、下は派手過ぎず、長め丈のキュロットパンツ。
周囲によく馴染む衣服や立ち居振る舞いは、隠密に秀でた天草式十字凄教ならではか。

「お客様ですね。ご用件は…?」
「事前アポはとってねえ、悪いな。ここのリーダーは居るか?」
「建宮さんは中に居ますけど…」
「そいつと話がしたい」

これまで様々な相手に勝負を挑んできた経験からか、トールは堂々としている。
少女は少し悩んだ後、奥に一旦引っ込んだ。
代わって出てきたのは、クワガタの様な髪型をした背の高い男。

建宮斎字。

現天草式十字凄教教皇代理。

「この建宮斎字に御用とは尋常じゃねえのよな?」

頼みごとか、と言わんばかりの表情。
対して、トールはのんびりと言った。

「俺と勝負してくれ。教皇代理?」

156: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/21(木) 23:08:08.01 ID:b5OocTuo0

事情と目的を説明すること、早三十分。
建宮はじっくりと話を聞いたが、意外にも二人を拒絶はしなかった。
むしろ、やや好戦的な笑みを浮かべて問う。

「つまり、我ら天草式十字凄教と決闘<しょうぶ>がしたい…という解釈で良いのよな?」

トールの望む条件は、何も建宮と二人きりの戦闘に留まらない。
もし許されるのであれば、天草式十字凄教メンバー全員と総当たり戦をしたい程だ。
彼の言うところの経験値は微微ながらも上がるし、運が良ければ女聖人と戦えるかもしれない。

「決闘って響きは格好良いが、俺のしたいことはそんな高尚じゃねえな」

でも戦闘<ケンカ>はしたい、と彼は明るく笑ってみせた。
そんな明朗活発とした様子が気に入ったのか、建宮はこくりと頷いて。

「ちょうど我らも体が鈍ってきていたところよな。是非受けさせてもらうとしよう」

まるでスポーツの練習試合でも引き受けるかのような軽さで、そう受け入れた。
決まってしまえば、動くのは早い。

「モノはついで、本番は夕餉を食べてからにするのが良いだろう」

うんうん、と頷いて。
建宮は掃除をしようと動いていた香焼を捕まえたかと思うと、トールの練習相手にあてがった。

「酷いすよー! 何で俺なんすか!」
「動かない的相手の鍛錬には飽きが来たとこの間言っていたばかりよなぁ?」

うぐ、と口をつぐむ少年を見て、男は小さく笑う。
トールも香焼相手に本気を出すつもりは毛頭ないため、のんびりと笑った。

157: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/21(木) 23:08:33.85 ID:b5OocTuo0

トールの相手をしているメンバー以外はというと、夕飯の用意である。
自分の分は用意しなくて良い、と言うフィアンマに、五和は首を傾げる。

「でも、一人二人分のご飯なんて大して量増えないですよ?」

遠慮しなくても良いのに、と彼女は優しく言う。
五和と一緒に買い出しに来たフィアンマはのんびりと肩を竦めた。

「遠慮している訳ではない」
「?」
「宗教的理由で洋菓子しか食べられないんだよ」
「それは……その、大変ですね」

眉根を下げ、本当に残念そうに言う五和は、きっと優しい子なのだろうとフィアンマは思う。
どうして魔術の世界に身を置いたのかまるでわからないが、恐らく理由があるのだろう。
表面からでは読み取れないことなど、この世界には沢山ある。

もし、自分が世界を救えば。
争いの無い世界になる以上、こういった少女が戦う必要はないだろう。

計画通りに救済された人類は、手と手を取り合って生きていけるはずだ。
そうでなくては困る。自分が犠牲を払う意味がまるでない。

「じゃあマドレーヌ買いましょう」

同じ時間に同じ食卓で食べる事が大事なのだ、と五和ははにかんだ。
フィアンマはこくりと頷き、マドレーヌを眺める。

「どれも変わらんだろうな」
「私は食事を術式に取り入れている影響であまり詳しくないのですが…。
 こういうのって、おすすめとかあるものなんですか? その、お野菜みたいに、見分け方とか」

少し食べたい欲が出ているのか、五和は目を輝かせている。
スーパーで売っているものなどどれも変わらないのだが、フィアンマはちらりとマドレーヌを見やって。

「……そうだな。プレーンはあまりおすすめしないが。
 大してバターを使っていないのなら、香料で誤魔化された苺味なんかが良いと思うぞ?」

五和は手を伸ばしかけ、手を引っ込め。
ぐ、と唇を噛み締め、いけない、と首を横に振る。
そんないじらしい態度を見せる五和の様子を暫し眺め。
フィアンマは彼女に口止めをした後、実費で彼女に菓子を買ってやることにした。

158: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/21(木) 23:09:31.68 ID:b5OocTuo0

そうして、夕飯を終え。
和やかな食事時間中とは打って変わり、"本番"が始まった。
トールの間合いは近距離~中距離を最も得意とするものだ。
遠距離だったとしても、追いついてしまえば問題ない。
そもそも、トールの相手をする人員は距離を取る必要などなかった。
"練習中"に色々と話が決まったらしく、トールの相手をするのは複数人。
メインは建宮だが、サポート役が何人も居る。
しかし、サポートはあくまで補助であり、連携を基幹とした術式を履行するための人員。

つまるところ、建宮とトールの一対一。

戦争代理人と歴史ある組織の長のぶつかり合い。
男のプライドとやらがかかった戦いだろうか、とフィアンマはぼんやりと思い。
非戦闘要員という名の後片付け係の五和と共に、彼女はマドレーヌを頬張っていた。
スーパーで買った安物なのでぱさぱさとしているが、甘いので我慢する。

「…やっぱり、数人で一人を、というのはあまりにも不平等なんじゃ…?」

五和は心配そうに呟き、トールを見つめる。
細身の少年という容姿は、見ている側にとってなかなかの不安材料だ。
別に筋肉ダルマでも弱いやつは弱いのだが、そういう問題とは別である。

「あの、やっぱりあなたも参戦しませんか?」

五和はフィアンマを見やり、問いかける。
親切な申し出だ。しかし、トールにとっては迷惑だろう。
それよりも何よりも。

「俺様が加わってしまうと戦争が起きてしまうしな。まだ早い」
「早い?」
「気にするな」

問題はそこである。
相手がアックアやローマ正教内の人間であればともかく、完全な異教徒に手を出すのは良くない。
最悪それが宗教間の戦争の火種になったりするのだから。
戦争は計画的に必要だから起こすものであって、悲劇的に"うっかりと"起こして良いような気軽なものではない。

159: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/21(木) 23:10:23.54 ID:b5OocTuo0

アーク溶断ブレードの一振りで、フランベルジェが損傷する。
建宮は距離を取り、ともすれば何を避けているのかわからない回避をしながらトールへ間合いを詰める。
生活の中に紛れる魔術記号を取り入れて術式を完成させる彼らにとっては、動き一つ一つに意味がある。
食事や衣服、動き、徹底されたそれらは、一つの完璧な勝利を生み出す為に。
トールが磨いてきた個としての強さや、フィアンマの持つ天性の孤高の強さとは違う。
それらとは正反対の、集団としての強さ、結束と努力の生む結果。

それは。

とある心優しい聖人を支えられる位。
彼女を超えられる位に強くなって仲間として胸を張りたいという、彼らの思いが故。

「フィアンマ」
「何だ」

ブレードとフランベルジェの激しい打ち合いの中、彼は声をかけた。
存外のんきな声にのんびりと返し、彼女はクッキーを口に含む。

「この辺り一帯ぶち壊したら流石に怒るよな?」
「怒る。手加減しろ」

160: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/21(木) 23:10:49.51 ID:b5OocTuo0

再び、言葉のない真剣な戦いが再開する。
トールの手加減とは、一般人のそれとは訳が違う。
言うなれば、フィアンマが『聖なる右』を使う・使わないの問題に等しい。
ひときわ強力な術式を用いなければ、周囲に被害は出ない。
フィアンマはゆるゆるとクッキーを頬張り、五和を見やった。

「ところで」
「はい?」
「此処の女教皇は何故出て行ったんだ?」
「………」

聞きようによってはあまりにも不躾な質問に、五和は黙り込む。
フィアンマは特に気にするでもなく、夜空を見上げた。
まん丸の満月が、暗い夜空の中でぽっかりと浮かんでいる。

「………私達の弱さで、失望させてしまったからです」
「……」
「我々天草式十字凄教は、あの方と共に在りました。
 『救われぬ者に救いの手を』。…口だけでなく、女教皇様はその身でそれを実行していました。
 たった一人の老人の願いの為に、百万人の軍勢を相手にすることだって、厭わなかった。
 私達はあの方の優しさに惹かれ、どこまでもついていきたいと思いました。
 ……それでも、『聖人』であるあの方には、なかなか届きませんでした。何人もが死に、傷つきました。
 元々優しい心根の方でしたから、……嫌気が、さしてしまったのでしょう」

全て自分達の責任だ、と五和はつぶやいた。
それは、天草式十字凄教メンバー全員が思っていることだった。
だからこそ、今は彼女を支えられる程強くなろうと鍛錬を続け、帰りを待ちわびている。

対して。
聞き出しておきながら、フィアンマは吐き捨てた。

「くだらんな」

161: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/21(木) 23:11:49.44 ID:b5OocTuo0

五和は思わず敵意を抱くのを避けられず。
やや鋭い視線をフィアンマへと向けた。
しかし、思っていたような悪意は感じられない。
女教皇―――神裂火織を馬鹿にしているような態度でもない。

彼女は、トールの戦う様を。

いいや、その"向こう側"のどこか遠くを見つめながら、言葉を漏らす。

「自分を心から信頼してくれた部下を悲しませるのは、悪い上司のすることだ」
「………」
「本当に心優しいのなら、部下が悲しまないように対処するべきだった。
 その女聖人が行ったのは、只の『逃げ』だよ。……目の前の恐怖から逃げただけだ。
 お前達の努力や実力が不足してからではない。信頼するだけの度胸が無かったんだ」

それは。
どこか、自虐染みた声色にも聞こえた。
言い返そうとしていた五和は、思わず口を噤む。
踏み込んではいけないような気がした。
神裂本人であればともかく、自分では彼女と同じ意識は持てないと感じた。

「…本来は、離れないことが一番なのだろうが。
 馬鹿なヤツだ。……"他人"にならなくても、良い相手だというのに」

どこか、寂しそうな声だった。
たとえば、餓えを知る老人が、飽食に生きる若者を見るかのような、そんな雰囲気。

「あの、」

言葉をかけようとしたところで、ガギャン、と嫌な音がした。
フランベルジェが弾き飛ばされ、トールの指先から伸びるアーク溶断ブレードが、建宮の首スレスレに宛てがわれた。

勝負あり。

決定的に徹底的な、雷神トールの勝利。

162: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/21(木) 23:12:16.90 ID:b5OocTuo0

「……降参させてもらうのよな。しかしお前さん、強いな」
「ま、伊達に戦ってきてねえからな。……しかし」

ぐるり、とトールは視線を巡らせる。
女聖人らしき気配は感じられない。
が、どこからか注がれる視線のようなものは感じ取れる。
それが女聖人なのか、はたまたフィアンマの追っ手か、自分への復讐者かはわからない。
しかし、勝利してしまった以上長居する必要性はまったくもって感じられなかった。

「それじゃ、ここらでお暇させてもらうけど、良いよな?」
「文句はねえのよな。今宵は良い戦いだった」

建宮は頷き、トールと戦った相手は全員一礼する。
トールは自らの意思でブレードを消去すると、フィアンマを見やった。
視線が合い、知らず知らずの内に薄く笑みが浮かぶ。
彼が自覚している以上に、トールはフィアンマを好ましく感じている。
そしてそれはもちろん、フィアンマもまた同じく。



帰り道。
女聖人が現れなかったことを残念に思いながらも、トールは今宵積めた『経験値』に満足していた。
ああいった正々堂々とした敵は大好きだ。姑息な手や、弱い者いじめをする人間は好かない。

「……何かあったのかよ?」

と、達成感に浸りながらも、トールはフィアンマの様子の変化に気がついた。
直球な問いかけに、フィアンマは曖昧な笑みを浮かべ。

「何かあった、という訳ではないのだが」
「……」
「…ま、少し思い出しただけだよ。仕事の関係で」

嘘ではないし、真実でもなかった。
彼女は息をするように誤魔化し、トールの手を握る。
先程まで戦闘にのみ使われていた手で最大限優しく握り返し、トールは言葉に悩み。
結局良い台詞なんて浮かばなくて、彼女に歩調を合わせてやるのが精一杯だった。

163: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/21(木) 23:14:14.63 ID:b5OocTuo0

今回はここまで。

「魔法少女か…なあトール、俺様もなれるかな?」
「やめろ。お前の場合立場的に因果がヤバい」

169: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/23(土) 22:23:29.39 ID:yIabKRb40

それから、二週間ほどが過ぎた。
ホテルの場所を移し、よりアットホームで安価な場所とした。
現在、カレンダーの月を指し示す数字は、プラス一。
フィアンマは本日も変わりなく、お菓子に手を伸ばしていた。

「猫型のチョコレートケーキか…」
「モチーフだろ?」
「いいや、本物寄りだよ」

彼女が眺めているのは、カタログだった。
いろいろなお菓子を注文出来る、有名洋菓子専門店のものである。
売りは種類の豊富さ、新鮮な食材、珍妙な見目らしく。
彼女が指差すページには、猫の眠る写真があった。
大体ホールケーキ五号程度のサイズの猫。
やけに毛がぺたんとしているな、と思ったトールだったが、気づく。

「いくら何でもリアルすぎるだろうが! 食い辛え」
「ちなみに二種のベリーソースがついてくる」
「血液だよなそれ。どう見ても」
「人物の写真で生首ケーキも注文出来るのか。よし」
「よしじゃねえよ携帯ぶっ壊されてえのか」

プリペイド携帯(カメラ機能つき)を懐から引っ張り出すフィアンマを必死で制止し、トールはため息をつく。
本当に困った『恋人』だ、と。嫌いにはなれないけれど。

170: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/23(土) 22:24:13.63 ID:yIabKRb40

散財に散財を重ねるのはバカのすることだ。

そんな謎持論を今更に持ち出した彼女は、トールを荷物持ちとして頼っていた。
やってきたのは大型スーパーであり、彼女は小麦粉や卵をガンガンカゴにいれていく。
カートを緩やかに押しつつ、トールはケーキの材料を眺めた。
既製品のスポンジなども販売しているのだが、彼女は一から作るつもりらしい。

「……こういうこと言うと女性差別になるのかもしれねえけど」
「ん?」
「普通の料理さえ作れれば、お前結構良い嫁になりそうだよな」
「作れるぞ?」

危うくずっこけるかと思った。

トールはかろうじて壁に手をつくと、フィアンマを見て。

「……一度もそんな所見たことねえんだけど」
「お前が頼まなかったからな」
「頼めば作ってくれんの?」
「当然だ」

だって恋人じゃないか、と彼女はのんびりとはにかむ。
動揺混じりにそうだなと相槌を打って、トールは視線を彷徨わせ。

「なら、ケーキ作った後でいいからさ。…ハンバーグ作ってくれ」
「わかった。…お前の母親の味は流石に再現出来んが、良いな」
「親なら、物心つく前に死んでる。…気にしなくていい」
「そうか。特に嬉しさはないがお揃いだな」

171: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/23(土) 22:26:16.78 ID:yIabKRb40

ホテルに戻り次第、フィアンマは調理に取り掛かることにした。
ケーキの後でいいと言われたものの、トールの為の料理を先に作る。
"ごっこ遊び"とは傍目から見て考えられぬ程、彼女の行動は『恋人の為』に相応しかった。

手を繋ぎ。
笑顔で語り合い。
時々ハグをする。
好意表現はありったけ。

でも。
トールが問いただしてみれば、必ず『ごっこ』とつける。
どこか、目には見えない境界線をくっきりと引いているように。

「手伝ってくれないのか?」
「あー、料理は不慣れなんだよ。出来ることがあるならやる」
「隠し味は砂糖で良いかな?」
「隠し味って食べさせる相手にはバラさないモンだしどれだけ糖分とらせたいんだよ」
「疲れているかと思ってな」
「別に疲れるようなことしてねえよ」
「俺様のワガママに振り回されても?」
「内容的には迷惑レベルに達しない我が儘だしな…」

脱いだらすごい系の力ある男にとって、『これ重い持ってー』程度の我が儘は許容範囲である。

172: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/23(土) 22:26:44.16 ID:yIabKRb40

トールが危惧したようなゲロ甘ハンバーグが食卓に並ぶことはなく。
手作りのトマトソースがかかり、茹でた野菜の添えられたハンバーグが並んだ。
存外まともな見目である。ちなみに味見はしていない。
洋菓子と一切関係のないものを食べると拒否反応をガチで起こす彼女は、味見すら出来なかった。
それでも『味は良いはずだ』と胸を張っていたので、出来れば信じたいものである。
ホールケーキは時間がかかるから、という理由で、彼女はプリンを作った。
これなら一から作ってもトールと同じ食卓について食べられるから、との理由で。

「じゃ、食うか……」
「そう怯えずとも良いだろうに」

食前の祈りを済ませ、フィアンマはプリンを口に含む。
舌触りがなめらかで満足したのだろうか、彼女は幸福そうにスプーンを口に突っ込んだままでいる。
トールはフォークに手を伸ばし、ハンバーグを食べてみることにした。

美味しい。

味見をしていないとは思えない程だ。
肉汁が口の中で溢れ、程よい酸味のトマトソースと混じる。
口を動かせば動かす程、腹の奥底から食欲が誘われる。

「………」
「…口に合わなかったか?」

スプーンの先端を軽く口にはみながら、彼女が首を傾げる。
トールは素直に笑みを浮かべ、二口目を食べながら言った。

「美味い。俺が今まで食ってきたハンバーグの中で一番」
「……そうか。ならば良い」

事実を偽ることなく、良い口上もなしに伝えると、フィアンマは嬉しそうに笑った。

「デザートも作ってやろう。何がいい?」
「シャーベットとか出来るか?」
「問題ない。味に希望がないなら林檎で作る」
「それいいな」

173: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/23(土) 22:27:12.97 ID:yIabKRb40

食事後、シャーベットを作り。
久々の料理は疲れるな、とフィアンマはシャーベットを食べつつぼやいた。
人間、慣れていることは疲れないものの、久しぶりにやると疲れてしまうものだ。
トールはシャーベットを口にしつつ、労いの言葉をかける。
彼女は満足そうに笑って、汚れた食器を洗い、所定の位置へと片付けた。

「トール」
「あん?」

もう眠る時間だろうか、と時計を見やる。
フィアンマはというと、彼の予測とはまるで違うことを言い出した。

「今日は一緒に入浴しよう」
「ばッ」
「恋人だろう?」

このホテルには、各個室にやや広めの浴室がある。
『家族風呂』とでも呼べそうな程、つまり二人ならば余裕で入れる広さだ。
そこに"二人きり"で、"一緒"に入ろう、と誘っている訳である。
トールはベッドに転がったまま、彼女に背中を向ける。
そんな彼にひっつき、彼女はだらだらと強請った。

「駄目か」
「あの、な、」
「良いだろう、減るものでもないんだ」
「そういうことをお前の方から誘ってくるんじゃ、」
「一緒にはいろ」
「言い方ちょっと変えても意味ねえからな」

結局、根負けしたのは少年の方である。

180: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/24(日) 18:04:54.67 ID:SKmqVXuz0

トールのイメージとしては、一緒にシャワーを浴びてすぐあがる感じだったのだが。
その辺りは双方の認識に齟齬があり。
トールがフィアンマに遅れて浴室に入った時、そこには既に湯の張られたバスタブがあった。

「何でお湯が白いんだよ」
「入浴剤だ」

ホームタイプのこのホテルは割と自由である。
故に、入浴剤を使って入浴しても怒られはしない。
一個売り・使い切りタイプの入浴剤(ボブだか何だか)を使用したらしく、浴室は甘い匂いで満たされている。
何の匂いだ、と聞くトールに、ミルクケーキ、とフィアンマは答える。
お湯が乳白色になる入浴剤には多くの種類があるはずなのにどうしてこれを選んだのか、少年には理解出来ない。

「さて」

彼女はというと、もこもことスポンジを泡立てている。
既に彼女自身は体を洗い終わってしまっているようなのだが。

「ひとまず背中からでいいか」
「自分でやる」
「何を恥ずかしがっているんだ」

首を傾げるフィアンマに邪気や悪意というものは感じられない。
しかし、体を洗われるというのは恥ずかしいものである。
まして、トールは現在自分の意思で体を動かせるし、彼女は商売女ではない。

「さ、先に浸かってろよ」
「のぼせるだろう」

181: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/24(日) 18:05:27.61 ID:SKmqVXuz0

トールという少年は押しに強い。
それは戦闘を愛する毎日の中で磨かれた気性故。
反対に、引きに弱いという欠点がある。
フィアンマ程親しい相手がいなかった今までは、そんなことはなかった。
引き下がっていくのなら、関わる必要もないと思ってきたからだ。
しかし、彼女相手にそう思うような段階は、既に過ぎている。

"かけがえのない"

そこまでの表現をすることは無いだろうが、トールにとってフィアンマは重要だった。
落ち込んでいれば、不器用ながらも慰めようと考える位には。
そんな彼の言動を予測した上で、彼女は落ち込んだ様子で引いた。
『やっぱ体洗ってくれ、好きにしろ』という言質を得てしまえば、後は彼女のものである。

「……ん」
「動くな」

こしこし、もこもこ。

身をよじるトールを咎めつつ、彼女はスポンジで彼の背中を擦る。
傷跡の目立つ背中だった。
服を着ているとそんなに感じないが、存外広くもある。

「……思ったよりも男だな」
「馬鹿にしてんのかテメェ」
「そう怒るなよ」

182: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/24(日) 18:06:02.88 ID:SKmqVXuz0

身体を洗ってもらったお返しに、という流れにより。
トールは現在、フィアンマの髪を洗っていた。
自分の髪よりは些か短いので、洗いやすくはある。
しかし、他人の髪を洗うというのはなかなか緊張するものだ。
加えて、後ろから洗うのでは隅々まで洗えないため、トールは現在彼女と向かい合っている。
髪を洗ってもらうということは、頭を垂れるということである。
要するに、少し前かがみにならなければならない。

「……、」
「ん、くすぐったいな、」

前かがみになれば、巻かれているバスタオルに余裕が出来る。
ましてや、フィアンマは胸が控えめどころでは済まない位の貧 だ。
タオルと肌の間に隙間が出来れば、"中身"が見えてしまうものである。
シャンプーが目に入るといけないので、彼女は目をつむっている。
必然なこととして、トールの目の前には白い肌、タオルの隙間が提示されていた。
覗き込んだとしても、恐らくはバレない。
ぺったんこだろうがデカかろうが、女の子の胸は女の子の胸である。
男の胸板とは違って、骨格からして価値がある。

(かといってガン見すんのは、)

一応、雷神トールにも良識というものがある。
見えそうだからといって、そしてバレないからといって。
目の前の女の子のちっぱいをガン見して良い理由にはならない気がするのだ。

(―――いや、でも恋人だしな)

邪心が湧き起こる。
ちら、と視線を向けた。



――――脂肪分たっぷりケーキの効果か、トールが思っていたよりは成長していた。

183: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/24(日) 18:06:52.40 ID:SKmqVXuz0

泡をシャワーで洗い流している間に、トールがのぼせたようだ。
まだ湯船にも浸かっていなかったのに、とフィアンマは首を傾げる。
彼はというと、鼻の頭を指二本でつまみ、がっくりと項垂れていた。
何となく顔が赤いする気もするが、恐らくのぼせだろう。

「少し休憩してから入るか?」
「…すぐ治まるから問題ねえよ」

別に、トールは女性経験が無い訳ではない。
戦争代理人として名を馳せる彼は、これまでいくつもの依頼を引き受けてきた。
その中には金では賄いきれない分を身体で支払ってくる女性も居た。
なので、好きではない女を何度か抱いた経験はあるのだ。
にも関わらず血液が鼻腔奥から出ることになったのは恐らく、きっと、のぼせだ。
油断していたところにギャップがあったこと、浴室が明るかったことが主原因である。




ちゃぷ

ぐだぐだと洗髪等を行っていた為、お湯の温度は下がっていた。
湯船に浸かり、フィアンマはうとうととしながらトールの隣に座る。
温泉施設のそれと同じように、浴槽内には段差があった。
転倒防止用のものだが、椅子の役目を果たしてくれるものである。

184: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/24(日) 18:07:26.78 ID:SKmqVXuz0

前はAAサイズだったのに、A+位にはなっているような。
トールはちらりと隣を見やり、すぐに目の前の壁へ視線を移す。
そんな彼の様子を眺めつつ、フィアンマは手を伸ばし。
彼の手を握ると、軽く寄りかかった。

「……」
「……」

トールは彼女に視線を向け、ぼーっとその顔立ちを眺める。
いっそ冷酷な印象を与える程、整ったものだった。

(睫毛長いな…)

入浴している以上、化粧は落ちる。
つまり今の顔はノーメイクの本物だ。
そもそも、彼女と化粧は死ぬ程似合わないイメージ群同士だが。

「眠くなるな」
「まあな」
「眠ると死ぬらしいが」
「へえ」

甘い香りに、酔ってしまいそうになる。

185: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/24(日) 18:08:04.46 ID:SKmqVXuz0

「……でも、お前と一緒ならいっそ死んでしまうのも悪くないな」

ぽつり、と彼女の呟きに、トールは眉をひそめる。
彼女は自殺志願者とは程遠い気質であったはずだ。
フィアンマは姿勢を変え、トールに抱きつく。
思わずお湯の中に倒れこみそうになるが、何とか堪えた。
出会った時よりは多少成長した柔らかみが、彼の胸板に押し付けられる。
意識しないようにしつつ、トールは彼女の髪を指先で弄んだ。

「未来に夢も希望も無いような言い方すんなよ」
「実際、あってないようなものだよ」

ふふふ、と彼女は小さく笑って。
それから、細い指先、トールと繋いでいない方の手で、彼の頬に触れた。
つつ…、と伝っていくその指は、やがて、彼の太腿まで到達する。
自然と彼の視線は彼女の指につられていき、彼女の肢体を見る。

「トール」
「何だよ?」

濡れた赤い髪が、妙に 靡だった。
吐息ひとつ取ってみても、誘惑しているような感触を覚える。
心臓が高鳴っている事実を深呼吸で誤魔化し、トールは冷静に聞き返した。

186: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/24(日) 18:08:35.91 ID:SKmqVXuz0

彼女はトールの手をとり。
柔らかな笑みを浮かべながら、自分の体へ持っていく。
やがて彼の手のひらは、ぺたり、と彼女の胸へ触れさせられた。
僅か、緊張する彼を見つめ、フィアンマは小さな声で言う。
声量は控えめなのに、浴室であるが故、エコーがかかって、かえってよく聞こえた。

「俺様を、抱きたいとは思わないのか」
「だき、たい?」

年齢的には大人とは言えないものの。
しかして、トールは決して子供ではない。
前述の通り、いくばくかの『経験』もある。
だから、彼女の発言の意味が理解出来ない訳ではなかった。

じ、と見つめてくる琥珀色の瞳。

長い睫毛に縁どられた、綺麗な目。
感情が篭っているかどうか読めない、その瞳。
触れている手、指先には柔らかい感触がある。
意識して意識下から除外しなければ、性的興奮を感じてしまいそうだった。
いいや、自分では気づいていないだけで、タオルの下は反応しているかもしれない。

「お前になら抱かれても良いのだが、お前はどうしたい?」
「………」

恋人『ごっこ』と、線を引いているのは彼女の方だ。
自分は彼女が好きで、本当に恋人でいたいくらいで。
ならば、抱いてしまっても何の問題もないのではないか。
ここで頷いて、この先何の弊害があるというのだろう。

「俺とお前は、あくまで『恋人ごっこ』―――ごっこ遊びの相手だろ」
「そうだな」

肯定した上で、彼女は少しだけ笑った。
視線を下へ向け、一度だけ深呼吸する。







「―――それでも、俺様はトールが好きだから、抱いて欲しい、……な」

191: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/27(水) 22:00:19.38 ID:mAOUBzm50

一瞬、揺らぎそうになる。
平常心などかなぐり捨ててしまおうかとも、思った。
しかし、気にかかることがある。
それを解消しないことには、心地よく 行為には及ぶことなんて出来ない。

「なら」
「…ん?」

抱きしめたままに。
彼はゆっくりと息を吸い込むと、頼み込むように言う。

「……『ごっこ』、外してくれよ」
「………、」

気がかりだった。
彼女は、きっと自分を好きでいてくれている。
そして、自分も彼女の事が好きだった。
なら、恋人『ごっこ』などという悪ふざけは終わりにするべきだ。
きちんと『ごっこ』を外して、"恋人"になって、それから行為に及ぶべきだ。
彼女の線引きが気に障っているトールとしては、言わざるを得なかった。

「フィアンマ、」
「断る」

きっぱりと言い切って。
フィアンマは彼から離れると、一足先に脱衣所へ姿を消した。
無感情な声が、妙に耳に残る。

192: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/27(水) 22:00:45.81 ID:mAOUBzm50

部屋に戻ると、フィアンマは既にベッドに潜っていた。
トールに背中を向け、小さく丸まっている。
膝を抱えて毛布にくるまっているようだった。
トールは適当に服を着、彼女に近づく。
顔を覗き込んでみようとしたところ、もそもそと隠れられた。

拗ねているらしい。

本気で怒ってはいないようだが。
何に対して拗ねているのか分かり辛い。

「…フィアンマ」
「……ごっこはごっこだ」

もぞり。

「黙って据え膳を食えば良いものを」
「…あのな、」

確かにトールは戦闘狂で、魔術師で。
一般人とは多々感性がズレているかもしれない。
それでも、誘われたから本能ままに動く様な獣ではない。

「ごっこじゃねえなら、…俺は、お前が思うようにしたいと思ってる」
「………」
「けどよ、……ごっこ、なんだろ?」

言われ、フィアンマは沈黙する。

193: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/27(水) 22:01:18.40 ID:mAOUBzm50

「何でごっこを付けたがるんだよ?」

トールは手を伸ばし、彼女の髪に触れる。
染めているのかどうか判別のつかない赤色。

「言っただろう、一生世話になるつもりはないと」
「………」
「…お前のことは好きだよ」

矛盾した発言だ、とトールは思った。
好きなら一緒に居れば良い。
好きなら世話になればいい。
わざわざ一線を無理やり引く必要なんて全くない。

「なら、」
「だが、…こちらにも事情というものがある」

赤い髪を指先で弄ぶ。
少し濡れたそれを、丁寧により分け、緩く編んだ。
その手を振り払うでもなく、フィアンマは毛布を握った。

ずっと一緒に居られるなら、苦労なんてしない。

そこまで身勝手になれないから、こうして黙ることしか出来ない。

194: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/27(水) 22:01:48.61 ID:mAOUBzm50

目が覚める。
トールは自分の後ろで静かに眠っていた。
フィアンマはちらりと後ろを振り返り。
それからのろのろと起き上がると、静かにベッドを降りた。

「……」

結局、言い争い寸前の険悪な雰囲気で眠ってしまった。
どう言えば納得するのか、程よい嘘が思いつかなかった。

「……、…」

コップを手に取る。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、コップへ注いだ。
容器をしまいながら水を飲み、彼女はトールを見やる。

もし。

弱音を全て吐き出して、何も背負っていない子供のように泣いてみたら。
彼はどうにかしてくれるだろうか。
たとえば、手を取ってどこまでも一緒に行ってくれる、とか。

「…馬鹿馬鹿しい妄想だな」

世界中を敵に回してまで、自分の味方をしてくれる人なんてこの世界のどこにもいない。
その一番の候補であった親すら、そもそも居ないのだから。

195: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/27(水) 22:02:20.25 ID:mAOUBzm50

甘い匂いで目が覚めた。
意識の覚醒と共に、甘い匂いに対する知覚は増していく。
甘ったるい匂いだが、不愉快なレベルには達していない。

「ん…」
「目が覚めたか」
「…何か作ってんのか」

ぐし、と目元を擦り。
起き上がったトールは自分の長い髪を尻で踏みそうになり、面倒そうに纏める。
手近に髪ゴムが見当たらなかったため、ストールで適当に結んだ。
本来そんな風に使用してはいけないのだが、寝起きの彼には関係のないことである。

「昨日はすまなかったな」
「あ? …あー…いや、誰しも一つや二つ、言えないことはあんだろ」

自分も大人気なかったのだ、と肩を竦め。
トールは振舞われたフレンチトーストをいただくことにした。

「ハンバーグも美味かったが、普段食ってるだけあって甘いモンの方がもっと作るの上手いな」
「だろう。その辺りの店では食べられん味だ」

得意げに(ちょっとしか)ない胸を張り。
フィアンマはまだ温かいトーストにバニラアイスを乗せ、ゆっくりと食べることにした。

「……今日は何をする?」
「ん……」

もぐもぐもぎゅごくん。

トールは砂糖が僅かに付着した唇端を舌先で舐め。
少し、悪戯っぽいような笑みと共に答えた。

「デートしようぜ」

201: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/30(土) 22:50:25.15 ID:wH/tcnnw0

トールが言った通り、二人はデートをすることにした。

遊園地― 一度行ったから却下。
水族館―うっかり通電が怖いので却下。

ありがちなデートスポットは多くあり。
その中の一つ、動物園へと二人はやって来た。
触れ合える動物の多い動物園である。
猫カフェの前身とでも言えるかもしれない。

「動物は好きなのか」
「嫌いじゃねえよ」

トールは服で手を拭き、猫を抱き上げる。
二人が腰掛けているのはベンチであり、足元には多くの猫が溜まっていた。
一部はくっつきあったり、一方がのしかかって眠ったりしている。
フィアンマは少し悩み、親子の猫に視線を向けた。
子猫が丸まっており、親猫は丁寧に毛づくろいをしてやっている。

「………」

目元を和ませる。
そんな彼女のふくらはぎに、猫が擦り寄った。
人懐っこい性格をしているのか、フィアンマを見上げゴロゴロと喉を鳴らしている。

202: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/30(土) 22:50:54.80 ID:wH/tcnnw0

「犬と猫ならどちら派だ?」
「鉄板の質問だな、それ」

トールは小さく笑って、少し考え込む。
うんうんと考え込んだ結果。

「飼うなら犬、愛でるなら猫…ってところかね」
「ほう」
「猫は人よりは場所に懐くモンだろ」

各地を転々としながら戦闘をしたがる自分には合わないだろう、とトールはぼやき。

「犬―――特に大型はなかなか強いだろ?」

警察猫は居ないが、警察犬は存在する。
長旅でもついていけるし、多少過酷な環境でも絆さえあればついてきてくれる。

「とはいっても、結局飼う気にはならねえけどな」

そう締めくくりながら、トールは猫の顎下をくすぐる。
猫は幸せそうに喉を鳴らし、しっぽをピンと立てた。

203: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/30(土) 22:51:20.31 ID:wH/tcnnw0

「そういうお前はどっちなんだよ?」

トールに聞き返されて。
フィアンマは甘えてくる猫を甘やかしながら、考える素振りを見せた。

「そうだな…猫だろう」
「へえ」
「犬は散歩しなければいけないからな」

基本的には、と付け加えて。

「俺様は職務上、みだりに外へ出られないだろう?」
「………」
「そんな目で見てくれるなよ。今は別だ」
「…ま、そうだな。そうプラプラ出かけるような職業じゃねえ」
「猫なら気ままに過ごしていてくれるし、外へ出す必要もない」
「なるほど。合理的な理由だな」

てっきり可愛いからかと思った、とトールは笑う。
犬だって可愛いものだろうに、とフィアンマは首を傾げた。

世界の頂点に君臨する王と。
世界を駆け回る孤高の少年。

あまりにも違うのに、違うから、惹かれるものがある。

204: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/30(土) 22:51:55.10 ID:wH/tcnnw0

猫の次は兎。
兎の次は犬。

散々動物を可愛がり、ペンギンに餌をやって戯れ。
そうしている内に、あっという間に夕方になった。

「兎は臆病というが、人に懐く種もあるものだな」
「ま、人間も色々いるし、それと一緒だろ」

トールはのんびりと言って、彼女の手を握る。
フィアンマは手を握り返し、夕焼けを見上げた。
美しい空に、長い金髪が緩く揺れている。
紛れもなくそれは隣の少年の髪で。

(どうして、こんなに美しいのに――――)

指先を触れ合わせ、暖をとる。
寒くて、息は白んでいて。

(――――この世界は歪んでいるのだろうな)

205: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/30(土) 22:52:21.47 ID:wH/tcnnw0

時が過ぎ行くのは早いもので、既に一ヶ月が経過して。
街はどこもクリスマスムード一色だった。
トールは神裂火織を捜すことを諦めつつあった。
本人はそう口にしていないが、そのように見えるのだ。
彼曰く『休暇』らしいので、別に良いかとフィアンマは思う。

「日本のクリスマスはどうも単なるイベント扱いだな」

ぷんすこ。

そんな単語が似合いそうな様子の彼女だが。
視線の先はしっかりとブッシュ・ド・ノエルやホールケーキに釘付けである。
十字教のトップの一人がこんなんで良いのか、とトールは思いつつ。

「その切り株、ぶっちゃけただのロールケーキだろ?」
「お前はふざけているのか?」

フィアンマは唐突にトールを睨み。

「このケーキには多くのエピソードがある。
 かつて北欧で樫の薪を暖炉に燃やすと一年中無病息災でくらせるという神話の説。
 前年の冬の燃え残りの薪で作る灰は、これから1年の厄除けになるという伝説により、菓子も縁起のいい薪形になったという説。
 切り株の形は『神の子』の誕生を祝った際に夜通し暖炉で薪を燃やしたことに由来しているという説。
 貧しく、恋人へのクリスマスプレゼントも買えないとある青年が、せめてもと、薪の一束を恋人に贈ったという説。
 いうなればこれ程多くの魔術記号を抽出出来る、共通した記号を持つ洋菓子だぞ?
 それをただのロールケーキ呼ばわりとはどういうことだ。デコレーションされているだろうきちんと」

ぷんすこぷんぷん。

何について怒っているのかまったく理解出来ないトールだったが、ひとまず謝ってみる。
詫びは形で入れるものだ、とのコメント。要するに食べたいだけだったようである。

206: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/30(土) 22:53:10.39 ID:wH/tcnnw0

ホテルに戻り、ケーキの箱を開ける。
皿によそうでもなく、彼女はフォークを突き刺した。
一口分をとると、トールの口元へと運ぶ。

「…あーん?」
「……」

言葉で静かに急かされ、トールはぱくりと食べる。
どう考えても毒見役にされているが、気にしない。

「……美味いな」

ケーキ屋の、それなりの値段だったブッシュ・ド・ノエルはなかなかにおいしい。
柔らかいクリームがすっと舌の上で溶けていくし、カカオの上品な香りが鼻腔をくすぐる。
ふわふわとしたスポンジ、甘酸っぱい苺、削ってかけられたチョコレート。
その全てが口の中で調和し、一つの芸術品の様に『美味しさ』を突きつけてくる。

甘すぎず。
苦すぎず。
重すぎず。

かといって味わいやコクがない訳でもない。

「…確かに美味だ」

クランベリーと共に口にし、彼女は満足そうな笑みを浮かべる。
甘く蕩けた琥珀色の瞳は、余韻を残しつつトールを捉えて。

207: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/11/30(土) 22:53:41.82 ID:wH/tcnnw0

「………」

ずい、と顔を近づけてくる。
何事だろうか、とトールは首を傾げた。
そんな彼の顔を眺め、彼女はやがてもう少し顔を近づけた。
ドキドキとしながら、ちろりと舌を出す。

「っ、」

トールは緊張しつつ、身を強ばらせて固まる。
嫌なのではない。心の底から緊張しているのだ。

「…ん」

しかし、彼女の舌先が触れたのは唇ではなく。
その僅か横、あくまでも"口元"だった。

「……なん、だよ」
「…クリームが付着していたからな」

定番だろう、と小さくはにかんで。
それからやっぱり恥ずかしかったのか、先程までの慎重さは消え、ガツガツとケーキを食べだす。
その顔色は彼女が着用している普段着と同じような色をしていた。
トールは未だいやに高鳴る心臓を抑えようと左胸を摩り、一度深く息を吸い込む。

砂糖の分量を間違えて菓子を作っているキッチンのような空間が、そこにはあった。

214: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/02(月) 22:17:49.45 ID:WtfI3Ree0

つまらない毎日の単調な繰り返しが幸せであることを、知っている。
劇的な変化程不幸の前触れもないということも、よく知っている。
退屈ということは、それだけ平和で穏やかだということだ。

「……」
「…なあ、くすぐったいんだけど」
「我慢しろ」

横暴に言い放ち、フィアンマはトールの髪を撫でる。
さらさらと指先で弄び、時折顔を埋める。
こそばゆいやら恥ずかしいやら、理由は様々あるが、トールは不服そうに顔を逸らした。

「一度も切ったことはないのか」
「それなら地面についちまってるだろ。
 ま、数える程しか切ったことはねえな」
「戦闘の邪魔にはならんのか」
「その辺りはならないように気をつけてる」

そうか、と相槌を打ち、フィアンマは眠そうにトールの後頭部に頬を寄せる。
当然のことだが、自分のものと同じシャンプーの匂いがする。

「…んー…」
「…寝るなよ?」

釘を刺したところで無意味だろうとは思いつつ、トールはそう言ってみる。
彼女はというと、眠そうに擦り寄り、ずるずるとトールの肩へ顎を乗せ。
あんまり話を聞いていない様子で、すやすやと眠り始めるのだった。

215: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/02(月) 22:18:18.23 ID:WtfI3Ree0

パンの形をしたクッキーを食べる。
食感はクッキーでしかないが、見目はパンそのものだ。
その中でもフランスパン型のものがお気に入りのフィアンマは、実に上機嫌だった。

「ところで」
「あん?」
「もうすぐ聖夜<クリスマス>だな」
「ああ、そういやそうだな」

イベント大好き人間でないトールは、のんびりとそう返す。
フィアンマはクッキーをぱくぱくと食べていきながら、じとりと彼を見た。

「通常、親しい人間はプレゼントを贈り合う慣例なのだが」
「……ふーん?」
「………」
「…何か欲しい物あんのかよ?」

フィアンマの視線に耐えかね、トールはそう聞き返した。
願った通りの質問をしてもらったからか、彼女は上機嫌にはにかんでみせ。

「お前が、俺様が喜ぶだろうと選んでくれたものがいい」
「………」

何ともハイレベルな要求である。

216: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/02(月) 22:18:54.42 ID:WtfI3Ree0

フィアンマが改めて昼寝を開始したため。
トールは外に出、彼女へのプレゼントを捜すことにした。
彼女は何を贈ってくれるつもりなのだろうか、さっぱり読めない。

「喜ぶもの、ね……」

残念ながら、トールは今まで誰かに贈り物をした経験というものがない。
女の子が喜ぶものなんてまったく知らないし、調べ方すら知らない状況だ。
実際、そんなテクニックや知恵なんてなくたって、今まではやってこられたのだから。

(プレゼントの原則は…)

相手が欲しいもの。
相手が笑顔になりそうなもの。
相手が喜んでくれるもの。

それくらいは一般常識だ。
しかし、フィアンマの好みといえば。

(甘いもの…は常食だしな。……アクセサリー…類?)

ヘタなものを買うと、彼女の魔術発動を阻害しかねない。
それを考えると、色気のないものの方が良いのかもしれなくて。

(霊装…は俺じゃあるまいし、喜ぶ訳ねえか。
 そもそも必要ないだろうし、ローマ正教の倉庫にたんまりとありそうだ)

となれば、戦闘関連はダメだろう。

217: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/02(月) 22:19:27.28 ID:WtfI3Ree0

うんうんと悩みながらショッピング街をぶらついて早三十分。
プレゼント候補の売り出し品はうんと溢れている。
しかし、その中から選ぶのは、結局のところトール自身である。

『お前が、俺様が喜ぶだろうと選んでくれたものがいい』

自分が悩んでいる時間もプレゼントに入る。

そう気づきつつ、トールはふらりと店に入った。
アクセサリー類を販売している店だったが、宝石店程かしこまった場所ではない。

「……」
「恋人へのプレゼントですか?」

不意に話しかけられ、そちらを向く。
女性の店員だった。
暇だったので、客に話しかけることにしたのだろう。
押し売りのような感じはせず、世間話モードだった。

「ああ。俺が選んだものなら何でもいいって言われてさ」
「素敵な人ですね」

はっきり決めてくれた方がやりやすかったのだが、とトールは口ごもり。

「生まれてこの方、女に贈り物なんかしたことなくてさ。
 やっぱ、喜ぶモンは高価なモンなのかね?」
「その方の好みにもよりますが…ハズレがないのは食べ物、メッセージカード…後はバッグでしょうか」
「バッグ…?」
「ええ。あ、でもそれならご一緒に買い物なさっている時の方が良いかも…?」

アクセサリー類は相手の普段着をよく知らなければあまり喜ばれない、と店員は言う。
普段着、というか彼女の衣装は赤を基調としたものしかない。

218: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/02(月) 22:20:17.01 ID:WtfI3Ree0

赤い服に合わせるなら、暖色のアクセサリー。
宝石は好みがあることに加え、術式に影響を及ぼしやすい。

「…これにするか」

トールが選んだのは、ユニセックスな印象のあるループタイだった。
前々から、彼女のスーツの襟形状なら飾りが映えるとは思っていたから。

「……」

ひと呼吸おいて、似合うかどうかを想像してみる。
問題なさそうだった。
喜んでくれるかどうかはわからないが、自分なりにとことん悩んで買ったものだ。
これで気に入らないのならば、それはそれで仕方がないと思う。

(喜べば、良いけどな)




一方。
フィアンマはというと、霊装をせっせと作っていた。
正確には、仕上げ作業に入っている。
別にトールが何もくれなくても、あげようとは思っていたのだ。
そして、彼が喜びそうなものは特に思いつかなかったし、聞く勇気はなかった。

「……」

多分、喜ばないだろう。
何せ、これは彼の求める『攻撃』の強さでなく、『防護』の強さに関するものだから。
思いながらも彼女が丁寧に削って作っているのは、ロザリオだった。
ローマ正教の匂いが強いが、これはあくまで消耗品。
かつて『神の子』が人類の原罪を請け負って死した伝承から派生させたもの。
日本の御守信仰の要素も混ぜることで、身代わりの意味を持たせる。

『致命傷』を『奇跡』的に『一度だけ代わりに請け負う』霊装だ。

持っているだけで良い。
使用されるのに際して必要となる莫大な魔力は、あらかじめ注いでおく。
霊装は基本的に一度魔力を通せば、ひとりでに魔力を消費したりはしない。

「トールも、死にたがりではないはずだ…」

嫌がりはしないだろう、とぼんやりと思う。

219: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/02(月) 22:20:46.62 ID:WtfI3Ree0

そうしてやって来た聖夜は、いつもと変わりないものだった。
ご馳走の大概はトールが食べ、ケーキの大半はフィアンマが平らげた。
話をして、入浴して、身支度をして、眠る準備をして。
一日の流れは変わらずにどこまでも平凡で、どちらかというと怠惰なものだった。

「プレゼント、一応悩み悩み選びはしたが…お前の趣味に合うかどうかはわかんねえ」

言いつつ、トールは箱を手渡した。
小さな箱だ、と首を傾げ、フィアンマはそっと受け取る。

「…俺様からはこれだ。役には立つが、お前の求めるようなものではない」

かわりばんこ、彼女は十字架を差し出す。
首にかけられるよう紐がついたものだ。

「首にかける必要はない。懐にでも入れておけばいい」
「霊装? …だよな。…わざわざ作ったのか?」
「俺様は『神の右席』だぞ? 霊装の一つや二つ作れなくては困る。
 効果は…言わなくても、お前程の知識があれば理解出来るだろう」

小さく笑って。
ちいさな声で、『開けても良いか』と尋ねる。
勿論だと頷いて、トールはロザリオをそっと懐へしまいこんだ。
彼女の祈りが、その十字架に精一杯詰まっていることを感じながら。

220: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/02(月) 22:21:16.96 ID:WtfI3Ree0

「…………」

箱を開けたフィアンマは、指先でループタイを撫でていた。
無言のまま何度も、確かめるように、なぞっている。
トールは感慨深いような、嬉しい気持ちでロザリオを(彼はローマ正教を敵視していない)服越しに一度だけ撫で。
それから、フィアンマの様子を静かに窺った。
彼女の様子には変化が感じられない。ただ呆然としているように見える。

「…そんなに拍子抜けだった、か?」

やはり高価な何かの方が良かったのかもしれない。
いいや、ただ甘いものの方が喜んだかも。

いろいろな考えが浮かび、トールは苦く笑った。
下から顔を覗き込んでみると、ばっと隠された。

「……お前が、自分の考えで選んだのか」
「……まあな。だから言っただろ、お前の趣味に合うかどうかは自信ねえって」

ぽたぽた。

シーツに水滴が落ちる。
汗をかく程暑い部屋ではないのに、と思い。
それから、トールは狼狽せずにはいられなかった。

「おい、何泣いて、」

泣く程気に入らないなら手放せば良いのに、とトールは思う。
彼女は唇を噛み、タイを指先でくすぐった。

「………大事にする」

それだけ絞り出すように言うと、彼女は毛布を被ってそっぽを向いた。
トールは首を傾げ、毛布をつっつくことにする。

221: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/02(月) 22:21:46.96 ID:WtfI3Ree0

嬉しい。
嬉しい、嬉しい、うれしい―――――。




思いがけず、プレゼントは身につけられるものだった。
これなら、墓場まで持っていける。
今まで、『右席』の面々から何かをもらったことは多々ある。
そのどれもは、『審判の時』までに捨てなければならないものだった。

でも、これなら。

どうにか、自分が神上になるまで、もっていけそうだ。
たとえ人の知識という闇が全て神聖な光で消し飛ばされても。
これを見れば、トールのことくらいは思い出せるかもしれない。

(大切にしよう、)

箱ごと、ループタイを抱きしめる。
この先、トールと別れることにはなるけれど、これだけはなくさないようにしよう。

(ごっこ遊びでも)

自分を好きでいてくれた恋人が居たのだと、何度でも想えるから。

227: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 00:46:01.88 ID:LaGas/7B0

大事にするとはいっても、アクセサリーは身につけることが前提のものである。
なので、フィアンマはきちんと身につけることにした。

「…ん」

くいくい。

後ろでフックを引っ掛ければ良いのだが、なかなかうまくいかない。
手元が見えずとも魔術記号ならば書けるというのに、何故かこういう地味な事柄は苦手である。
そんな彼女にじれったさを覚えたのか、トールは向かい合い、彼女に近づいて。

「ひっかけてやるよ」

そう告げ、手を伸ばした。
抱きしめられるかのようで、彼女は小さくはにかむ。

「任せる」

トールは指先でフックを掴み、丁寧に引っ掛けようとする。
やはりなかなかうまくいかず、失敗する度に密着度は上昇した。

(……眠気を誘う香りだ)

トールの体臭をそう判断しつつ、フィアンマは目を閉じる。
安心出来る相手だった。心が安らぐといっても良い。

「…ん、出来た」
「そうか」

礼を言い、彼女は少し調整してトールを見やる。
似合っているのだろう、トールは満足そうな顔をしていた。
良くも悪くも、感情が顔に出る少年である。

228: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 00:46:32.18 ID:LaGas/7B0

いつまでも閉じこもっていては体が鈍る。
二人の考えが一致したため、何を話すでもなく外へ出た。
クリスマスを越え、時期は年を越す方向へと順調に向かっている。
年を越す瞬間は家族とゆったり過ごしたいのだろう、人々は買い出しに出ていた。
なかなかの人ごみだったが、魔術師がはぐれるには至らない。

「なかなかに混み合っているな」
「買い物だろ。出る時間帯間違えたな」

だからといってホテルに戻るでもなく。
フィアンマとトールは、のんびりと歩いて橋へ出た。
ちなみに現在居るのはイタリアである。
ローマ正教の目と鼻の先だが、存外に気づかれないものである。
あるいは、もう諦めているのかもしれない。いつかは帰ってくるだろうと。
神裂火織に会う事を諦めたので世界巡りを再開した、という理由もある。

「……ん」

ぴく、と反応したフィアンマが不意に立ち止まる。
トールも同じく立ち止まり、不可解そうに問いかけた。

「どうしたよ?」
「……何か聞こえないか」

気のせいだろうか、と彼女はきょろきょろとしている。
トールは首を傾げたまま、同じく辺りを見回してみる。
原因はすぐに見つかった。幼い子供だった。

229: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 00:46:59.14 ID:LaGas/7B0

有り体に言えば、迷子のようだった。
しかし、迷子にしては様子がおかしいようにも見えた。

「迷子か?」

トールはしゃがんで子供に視線を合わせ、そう問いかける。
泣きじゃくりながら、子供は何かを答えようとして。

「えぅ、えと、げほっ、う、うぇ、」
「……ひとまず泣き止まねば話にならんな」

フィアンマはトールと同じくしゃがみ、子供の背中を摩る。
心臓の鼓動に合わせ、とんとんと軽く背中を叩く。
泣き止むまでに要したのは、十数分程だった。




「おかあさんがね、ここですわっていなさいって」
「それからどの位時間が経過しているんだ」
「……ふつか」
「…そうか」

すぐ戻って来るって言ったのに。

ぽつりと呟いて。
それから、母親の体調や怪我などを疑い、心配する子供はどこまでも無邪気で。
だからこそ、迎える結末が既に見えているトールとフィアンマは、胸が痛かった。
だからといって、置き去りにして良い理由にはならないだろう。

230: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 00:47:39.06 ID:LaGas/7B0

諦めがつくまでには長い時間がかかる。

両親など物心がつく頃には既にいなかった二人にも、それは理解出来た。
だから、きっと居ないだろうとわかってはいても、『母親を探そう』と提案した。
区切りをつけてやるために。後悔してしまわないように。

「ありがとうございます」

拙い言葉でお礼を言い、子供は柔らかい笑みを浮かべる。
フィアンマは優しく頭を撫でると、小さい身体を抱き上げた。

きっと、見つからないだろう。
見つからない方が、この子にとってはきっと良い。

それでも、無駄なことにだってちゃんと意味があるのだと。
フィアンマは、十字教の教えによって、知っている。

「体力保つのか?」
「問題ないだろう」

トールに任せるでもなく、フィアンマは子供の背中をとんとんと叩きつつ歩く。
思い当たる場所、ありえそうな場所、子供が言うままの場所。
全てを捜しても、母親らしき人物はたったの一人だって見つからない。
そうしている内に眠くなってしまったのか、幼子は静かに目を閉じる。
やがて眠りだした子供を抱え直し、フィアンマはルートを変えた。

231: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 00:48:13.40 ID:LaGas/7B0

「何処行くんだ?」
「教会だよ」

決まっているだろう、とぼんやりと言い。
フィアンマは少し腕が疲れたのか、トールに子供を預けた。
服装などを既に固定化している状態へ―――性別の変化を行い、再び子供を抱えて歩く。
自分と同程度の身長になった少女もとい青年を見やり、トールは空を見上げる。

「見つからなかったな」
「そうだな」
「……多分、俺たちが思ってる通りなんだろうけどよ」
「本人が知るのは、もう少し先でも良いだろう。
 教会ならば、適当な言い訳を用意してくれる」
「お前、結構子供あやすの上手いんだな」
「職業柄、幼い子供に接する機会は何度もあったからな」

神父として、と言葉を添えて。
無事教会に到着すると、フィアンマはシスターに子供を任せた。
軽い事情を説明し、憶測も話し、世話を頼んでみる。
特に問題はないらしく、シスターは優しく子供を慈しみながら中へと消えた。
フィアンマは暫くそこに立ち尽くすと、トールの方を振り返った。

「……随分と時間を消費してしまったが、買い物にでも行くか」
「ああ」

232: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 00:48:42.03 ID:LaGas/7B0

「意外と良い母親になるタイプだな、フィアンマ。
 家庭的な所もあるし、子供の面倒もみれるしな」
「つまり、俺様と結婚したら子供が欲しいと」
「ぶっ」

てっきり性別を元に戻したと思っていたトールの耳に、青年の心地良いテノールの声が届く。
思わぬ不意打ちに吹き出しながら、トールはベーコンをカゴへ入れた。
現在地はスーパーマーケットであり、選んでいるのは夕飯の材料である。

「あながち間違ってもいねえが、俺の目的からして無理だろ」
「戦闘狂のことか?」
「いつ死ぬかわからない父親なんて嫌だろ」
「死なないと思うが」
「死なない人間なんていないだろ。ましてや、魔術師同士の戦闘じゃ、死なない方が希だ」

フィアンマはプリンに手を伸ばし、それからゼリーに目標を変えて掴む。
そっとカゴに入れながら、困ったように笑ってみせて。

「そんな未来は決して来ない。俺様が来させない」
「………」

トールはそれを、治癒してくれるという意味だと理解した。
フィアンマは今の言葉を、そんな優しい未来を手に入れられはしないという意味で言った。

両者の食い違いはどこまでも大きく、それは彼女が狙ったところでもある。

「簡単には死ぬなよ」
「死にたがりって訳じゃない。自分から言い出して何だが、そうそう死にゃあしねえよ」

233: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 00:49:12.17 ID:LaGas/7B0

夕食はカルボナーラだった。
生クリームによる胃もたれ感にぐだぐだとしつつ、トールは霊装を手入れする。
フィアンマは見目を元に戻すと(筋力がもう必要ないからだ)、ベッドに寝転がる。

「食ってすぐ横になると牛になる、って話があるらしいな」
「単純に胃液が逆流して嘔吐する恐れが高いから、という内情を隠すためのものだろう」
「だろうな。親ってのは子供のために嘘つくモンなんだろうよ」
「……私利私欲のための嘘をつく親も居るがね」

夕方の子供を思いだし、フィアンマは口を閉ざす。
トールは霊装の手入れをしながら、静かに息を吐きだした。

「お前は、」
「…ん?」
「いつからローマ正教に居るんだよ」
「片手で数えられる位の歳には、既に。
 ……気がついたらこの"座"に居たしな」
「……」
「先代の教皇さんには、随分と良くしてもらった。
 幼く、ただ力だけがある俺様に対して、普通の子供の扱いをしてくれた。
 今居る右席の面々も皆そうだ。…俺様の後から入った者達だが。
 温かな春を過ごし、暑い夏を、寒い秋を、雪降る冬を、共に過ごした。
 各人の事情を知って言葉をかけて、救われたと、そう言ってくれた。
 嬉しいと思った。俺様自身、そうした関わりの中で沢山救われてきた」

どこか、過去形の話し方は、切り捨てるかのようだった。

「勿論、お前と過ごしているこの時間も、そういった良いものだ」

照れるでもなく、淡々と。

「幸せで、暖かで、心地よくて、完成された美術品のようなものだよ」

壊したくない。壊してはならない。

そう思える、日常という時間の流れの、一つ一つ。

234: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 00:49:37.42 ID:LaGas/7B0

「お前は、世界を旅して勝負をする―――今のような生活をいつ頃からしているんだ」
「物心ついて、暫く経ってから…ってところか。
 狩猟と只の殴り合いじゃ満足出来なくなって、もっと強くなりたかった」
「ほう」

強くなって、何かしたいのか。

フィアンマに問われ、トールは黙り込む。

守りたいものなんてない。
助けたい人々は目に入る範囲だけ。
ヒーローになりたい訳でもない。

「しいて言えば、」
「……言えば?」

(お前より強くなれれば、お前を守る位は出来るだろうとは思う)

言葉には出来なかった。
あまりにも照れくさかった。
奇しくも、それは彼女の迷いを振り切る事の出来る一言だったのに。

「ヒーローの真似位は出来るだろ?」
「ヒーローか」

ふふふ、と彼女は楽しそうに笑った。

「……なら、俺様の敵になるだろうな」

239: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 23:23:10.57 ID:kna01/qC0

冬が終われば、あっという間に春がやって来る。
生命の息吹というものは、植物の姿で人々の目を楽しませた。
日本では桜前線がどうこうで盛り上がっている。

「春か。早いものだな」
「ついこの前まで秋だった感じだよな」

二人が出会って、共に過ごすようになってから、今日で半年。
恋人ごっこを開始してから、大体三ヶ月位だろうか。
短い時間の中でも、お互いに知った部分が沢山ある。

好きな食べ物
嫌いな食べ物
好きなもの
嫌いなもの

照れた顔や、怒るポイントも。
『ごっこ』とは思えない程に、お互いを想う心だって、確かにある。
下らない日常から生まれたそれは、とても尊いものだ。

ただ。

幸せというのは、存外長くは続かないものである。

240: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 23:23:52.19 ID:kna01/qC0

「じゃ、ちょっと出てくる」
「ああ。何かあれば連絡をしろ」

散策に出かけるトールに、フィアンマは珍しくついていかなかった。
少し体調が悪かった、理由はその一言につきる。

「………」

帰りに何か甘い飲み物でも買ってきてくれないだろうか。

ぼんやりとそんなことを思いながら、フィアンマは天井を見上げる。
真っ白な天井は、安らぎを与えてくれるようなものではない。
少し古びたその天井は、自分の住んでいた大聖堂を思い起こさせた。

「………」

(きょうこうさん、これはー?)
(聖書を開きなさい。これはその中でも―――)

(べんとのおとうとのかわりは、おれさまにはできないからね。
 はなしのないようおもいだして、おかしつくったん、)
(………あり、がとう……っ)

(てっら、これよんで)
(絵本ですか。構いませんよ)

(お前一人がただがむしゃらに働くよりも、より多くを救えるように)
(指示に対し、迅速に動く所存である。…貴様を信用しよう)

今頃、心配しているだろうか。
戻ったら少し怒られるかもしれない。
怒って欲しいとも思う。それが最後になるから。

241: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 23:24:28.87 ID:kna01/qC0

通信霊装が、反応を見せた。
誰かが通信をかけてきた証拠だった。
フィアンマは熱に浮かされながらも確かに反応し。
ゆっくりと右手を伸ばすと、霊装を掴んだ。
声帯のみを変化させ、落ち着いた青年の声で応答する。

「何だ」
『ご報告を』
「そうか」
『聖別作業を無事終了いたしました。
 尚、各地の整備作業も完了しております』
「ご苦労」

淡々と相槌を打ち、通信を終える。
ついにこの日が来てしまった。

「半年、か」

長いようで、短い。
短かったようで、長い時間だった。

トールと手を繋いだことも、抱き合ったことも、全て思い出せる。

「……ああ、」

その声は、神に祈るような色をしていた。

242: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 23:25:01.82 ID:kna01/qC0

(体調悪いヤツに受ける甘いものっていうと……)

散策を好きなだけ終えたトールは(道中何度か人助けをしつつ)、買い物に来ていた。
フィアンマの体調が芳しくないということは既に知っている。
故に、何か買っていってあげようと思ったのである。
熱がある様子だったので、嘔吐の危険性を考えるとクリーム系は良くないだろう。

(氷菓子系か…?)

首を傾げ、さっぱりとした味であろうフルーツバーを手に取る。
本当はスープ等が良いのだろうが、彼女の胃腸は拒絶するだろう。
本当に難儀な体質だ。いつか治るものだと良いのだが。

「プリンは鉄則だろ」

呟き、カゴにプリンを入れる。
ついでにゼリーも入れ、ミネラルウォーターのペットボトルも入れた。
会計を終えて袋に詰め、のんびりとホテルに戻る。
自分が居ない間に熱があがったのか、彼女は息を荒くしつつぼーっとしていた。

「フィアンマ」
「……。…ん?」

一拍おいて、彼女はトールを見やる。
それから、首をかしげて薄く笑んだ。
笑顔の似合う少女だと、つくづく思う。

「プリンとか食えるか? 自然由来の薬もいくつか買ってきた」
「……ん。……感謝する」

のろのろと起き上がる彼女を支え、簡素な間食の用意をする。

243: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 23:25:45.53 ID:kna01/qC0

プリンやゼリーを食べ、薬を呑み。
改めてベッドに横たわったフィアンマは、毛布にくるまる。
トールはというと、彼女がよろめきながら淹れた紅茶を飲んだのみ。
そして、彼女の枕元、その脇に椅子を置いた。
入院患者を見舞いへ来た客のように、椅子へ腰掛ける。

「トール」
「ん?」

彼女の額には、氷水に浸し、軽く絞ったタオルが乗っている。
そうしていると少し幼く見えるな、と感想を抱きつつ、少年は聞き返した。
弱っている人間の声というのは不安定で、可愛げがある。

「これは、疲労熱…で、ほぼ間違いないのだが…」
「? そうかい。ま、治るまで色々買ってきてやるよ」

そうじゃない、とばかりに、彼女の細い指がトールの服に触れる。
熱い指をそっと握ってやり、トールはフィアンマを見つめた。
金色の瞳はどこか泣きそうに揺らいでいる。

「あ、した……俺様が、お前の隣にいたら、」
「……居たら?」

唐突に当たり前のことを言い出すとは何事だろう。

そう言わんばかりのトールの表情は、無邪気だった。
ぎこちなく、ゆっくりと、フィアンマは一語ずつ願った。

「キス、してくれないか」

少々照れくさいものの、お安い御用ではある。
何を言い出すのかと、と安堵に肩を竦め。

「それなら明日じゃなくても、」




―――そのまま、トールの体はぐらりと揺れ、床に倒れ込んだ。

244: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 23:26:13.98 ID:kna01/qC0

フィアンマがトールに供した紅茶。
その中に溶かされていたのは、砂糖―――ではなく、遅効性の睡眠薬だった。
気づかれなかったようだ。いいや、警戒していなかったのだろう。
警戒しないでいてくれたのだ。それはとても嬉しいことで、それを利用してしまった自分が恨めしい。

「……」

フィアンマはのろのろと起き上がり、タオル等を片付ける。
だるい体に喝をいれ、トールをベッドへ横たわらせる。
そっと毛布をかけてやり、ふらふらと立ち上がった。

「………」

ドアへ向かう。
開ける直前、そのままずるずるとへたりこんだ。
床に座り込んだまま、フィアンマは携帯電話を弄る。
電話をかけたのは、自分が心から嫌いだと感じる、とある少年だ。

「……もしもし」
『ん…あ、もしもし。何かあったのか?』

上条の声はのんきだった。
フィアンマは小さく笑って、ドアに軽く寄りかかる。

「少し、迷っていることがあってな」
『迷ってる?』
「……俺様とお前は同じような人間だ。
 体質の特異性という一点において」
『………ま、そうだな』

フィアンマと上条には、同じ悩みがある。
自分の体質<みぎて>が、人を不幸に巻き込むこと、だ。

「大切なものがあるんだ。
 それを保管している環境を整えるには、大切なものを手放す必要がある」
『…何か難しいな。宝石か何かの話か?』
「…そう、だな。そういうことにしておいてくれ」
『……俺なら、手放すかな』

上条は静かに言って、卑屈に低く笑った。
フィアンマと同じ、"諦めた"者の笑みだった。

『俺が大事にしようとしても、巡り巡って壊れるだろうしさ。
 それなら、その宝石がいつまでも傷つかないような環境にするために、必死になると思う』
「………そうか」

ありがとう。

それだけ言うと、フィアンマは立ち上がる。
諸々、やるべきことを済ませ、トールに近寄った。
何も知らぬ少年は、静かに眠り続けている。

245: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/08(日) 23:26:40.26 ID:kna01/qC0

「………」

顔を覗き込む。
指先で、彼の頬を撫でた。
泣きそうになる衝動を無理矢理に抑え込んで、薄く笑みを浮かべる。
自分に涙が似合わない事くらい、とうに理解している。

「……大事にする」

ループタイに触れ、フィアンマはそう呟き。
それから、トールの頬へ、軽く口づけた。
震える手で少年の手を握り、唇をきつく噛む。

「約束、守ってやれないな」

また、勝負をしよう。

そう言ったのに、叶えられそうにない。
謝罪の言葉をかけ、息を吸い込む。

離れた。
一歩、一歩、のろのろとした足取りでドアへ。
ドアノブへ手をかけ、二秒程立ち止まる。

「――――さよなら、トール」





そうして、彼女は部屋を永遠に出て行った。

251: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/09(月) 22:02:34.32 ID:h0Jw89pJ0

緩やかに、意識が浮上する。
どうやら寝てしまっていたようだ、とトールは自己判断を下した。
自分でも知らぬ内に疲れが溜まっていたのかもしれない。
幸いにして、彼女のように体調悪化まではいっていない。

「ん……」

もそもそ。

毛布をどけて、起き上がる。
周囲を見回したが、彼女はいなかった。
あの体調の悪さで、まさか外出したとでもいうのだろうか。

「…あん?」

ふと。
トールの視線が、テーブルで止まった。
テーブルの上には、便箋と札束が置いてある。

「………」

立ち上がり、近寄った。
札束はユーロ紙幣だった。結構な額だ。
便箋は赤一色で、白いペンで文字が綴られている。
几帳面な文字は、彼女のもので間違いないだろう。

「えーと、…なになに…?」

252: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/09(月) 22:03:24.13 ID:h0Jw89pJ0

カツン、コツン。

靴音がいやに響く。
フィアンマは無事、聖ピエトロ大聖堂へと戻って来た。
出迎えたのは、書類を眺めていた現教皇である。

「おお、戻ったか…」
「……教皇さん」

近寄る。
彼は立ち上がり、フィアンマへ近づいた。
そして、孫にでもするように、優しく頭を撫でる。

「ただいま」

お帰り、という優しい声が聞こえる。
頭を撫でる手は温かくて、安堵を誘った。

もう、我慢出来そうになかった。

部屋を出る時には我慢していた涙が、溢れ出す。
息が切れ、荒くなり、思うままに泣きじゃくる。
教皇は少し懐かしそうな表情で、彼女の背中を摩った。
ぱぱ、と呟きながら、彼女は教皇の豪奢な法衣を掴む。
それをたしなめもせず、老人は少女の頭を撫で続けた。

「ごめんなさい、」
「何を謝ることがある。こうして無事に帰ってきたのだから、謝罪はしなくとも」

そうじゃない。

うまく言葉にならないまま、否定は嗚咽に消える。

253: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/09(月) 22:04:02.00 ID:h0Jw89pJ0

「おやおや、これは珍しい」

慈愛に満ちた声を出したのは、聖職者の男だった。
左方を司る彼はゆっくりと近づき。
教皇と同じように、彼女の背中を摩って宥める。

「……何事であるか」

外から戻ったらしい傭兵が、眉をひそめる。
ぐしゃぐしゃの泣き顔がみっともなくて、フィアンマは無言で俯いた。

「恐らく、心配をかけたことを悔やんでいるのだろう」
「優しい子ですからねー」
「そういう事情であったか。納得であるな」

そうではなかった。
この涙は後悔と、別れの悲しさによるものだ。
そして、これから自分が行うことへの心苦しさでもある。

「何泣かしてんのアンタら」

霊装の調整を終えたらしい女性の姿があった。
メイクはしていないらしい。
彼女はフィアンマに近寄り、袂から取り出したハンカチで目元を拭ってやる。
教皇から奪うように抱きしめ、頭を撫でて、快活に笑った。

「何かされたワケ? アンタが泣くなんて珍しい」

よしよし、と慰められる。
その心地良さが、かえって胸を締め付けた。

254: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/09(月) 22:04:27.83 ID:h0Jw89pJ0

ようやく、泣き止んで。
フィアンマは他の右席と教皇へ向き直る。
赤い髪を揺らし、微笑みを浮かべた。

「迷惑をかけたな」
「皆心配していましたよー?」
「それは理解している。すまなかった」
「謝る位なら最初から失踪なんてするんじゃないわよ」

手を伸ばす。
虚空から取り出したのは、一本の杖。
口の中で詠唱をして、彼女は目を閉じた。

「過ごした思い出は、全て俺様が持っていく。
 今日、今、この瞬間から。……お前達は、俺様にとって、只の―――ただの、部下だ」

今日は、別れの日。
大好きな人達と、恋人と、その全てに別れを告げる日。

255: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/09(月) 22:05:07.87 ID:h0Jw89pJ0

『親愛なる雷神様

 恋人ごっこは今日で終わりです。
 置いてある紙幣は、今まで使ってもらった金額を計算して用意しました。
 財布を無くしたというのは、嘘でした。あくまでも、一緒に居る為のきっかけ作りに過ぎません。
 沢山沢山嘘をついてきました。お詫びを申し上げます。ごめんなさい。
 これ以降、きっと関わることはないでしょう。むしろ、そう願うところです。
 

  さよなら。
 


                                あなたをすきだったことは、本当です』


「……何だそりゃ」

トールは、笑った。
うまく、現実を把握出来なかった。
便箋をテーブルへと置き、カレンダーを見やる。

「なあ、エイプリルフールにしちゃ遅すぎるだろ」

四月とはいえ、一日などとうに過ぎている。
トールは手を伸ばし、クローゼットや、シャワールームのドアを開けた。
どこにも、誰も居ない。求めている人影すら、見当たらない。
当然のことだった。冗談でも何でもなく、彼女は出て行ったからだ。

「何だよ、俺の知らない術式でも使って隠れてやがるのか? 
 十字教の隠蔽術式なんか全然わかんねえよ。ギブアップだ、だからさ、」

どうかそうであって欲しい、という思いが独り言となって漏れ出した。
彼の性格上滅多にしない敗北宣言までして、彼は必死に願っていた。
冗談であることを。幻想であることを。現実ではないことを。

「フィアンマ――――」

256: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/09(月) 22:05:44.54 ID:h0Jw89pJ0

記憶を奪い、偽りの記憶を植え付ける。

フィアンマが行ったのは、簡単なことだった。
自分と築いた、幸せで救いある思い出を消し去るだけ。
たったそれだけで、対応はガラリと変貌した。

それでいい。

裏切るよりは、関係を絶って利用した方が良い。
そちらの方が、周囲の人々は傷つかないから。
自分が地獄の底を這いずり回ることになったとしても。
やり遂げなければならないことが、確かにあるから。

「…まずは、何からするか」

ぽつり、と呟く。
下準備は大体済んでいる。
戦争の火種を撒く作業に入るだけだ。
その過程で右席の面々は使い潰すしかない。
自分の敵として、眼前に立たせないために。

「――――これで良かったんだ」

呟く。
自分に言い聞かせるように。
ゆっくりと『奥』へ進み、沈黙する。
もう、少女の姿を誰かに見せることはないだろう。

261: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/10(火) 21:58:16.04 ID:TcqASv/o0

教会の門をくぐっては、次の教会へ。
あてもなく元恋人を探す少年は、ボロボロだった。

「っ、」
「だ、大丈夫でございますか…?」

おっとりとした様子の修道女が、親切に水を差し出してくれる。
紙コップを受け取り、一気飲みをして。
それから、長い長いため息と共に、紙コップを返す。

「…ありがとな」
「いえいえ。探し人でございますか?」
「……ああ。赤い髪の、俺よりちょっと身長が低い女の子なんだが」
「申し訳ありませんが、存じ上げません…」
「そうかい。ま、仕方ねえさ」

長い金の髪を緩くかきあげ、トールは歩いていく。
どうしてこんなにも彼女をさがしているのか、自分でも理由がわからない。
恋人ごっこは終わりだと、一方的にそう宣言されたのだ。
もう諦めた方が良い。そっちの方が、ずっと楽なのに。

頭では、わかっているのに。

262: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/10(火) 21:58:43.19 ID:TcqASv/o0

ローマ正教の本拠地へ行ったところで、彼女は出てこないだろう。
強襲したところで、数の差で負けるに決まっている。
初めて出会って戦ったあの日は、彼女の温情でお目通りが適ったのだから。

「………何で、」

疲れた。
橋に寄りかかり、ぼんやりと空を見上げる。
何の前兆もなしに、彼女は出て行ってしまった。
自分が嫌いになっただとか、そういうことではないのだろう。
彼女はきっと、自分の元を去ることをきちんと決めていた。
そのために札束を用意して、手紙を書いて。

「………」

今思えば、あの異常な眠気は薬を盛られたのかもしれない。
彼女はそもそも、何度もこう言っていたはずだ。

『一生お前の世話になるつもりはない』

あれは、意思ではなかったのかもしれない。
"そうなれない"ということだったのか。
何もわかるはずがない。何も話してくれなかったから。

263: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/10(火) 21:59:16.03 ID:TcqASv/o0

春が過ぎ、夏が来た。
鬱陶しい程の暑さの中。
フィアンマはジェラート店の中で片っ端からジェラートを食べていた。
甘く、水分の無い濃厚な高級菓子は、すんなりと喉を通っていく。

おいしくない。

店のせいではないことはわかっている。
自分の精神状態のせいであることくらい。

「……、」

食べ終わる。
ふらりと立ち上がり、右から十三番目のケースの中身を注文する。
再び席につき、スプーンを一定のペースで動かし、口に運んでいく。
芳醇な茶葉と甘いミルクの奏でるロイヤルミルクティーの味。
どんなに機嫌が悪くても笑みが浮かぶ位に美味しいはずなのに。

(……特に美味ではないな)

飽きた訳ではない。
ただ、食べることを楽しめない精神状態にいるだけだ。

264: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/10(火) 21:59:44.74 ID:TcqASv/o0

暑い。

トールはケーキ屋に立ち寄り、涼やかなジュレやゼリーを眺めていた。
視線をそろりと動かすと、そこには様々なケーキ。

「………、…」
「ご注文はお決まりですか?」

定句を紡ぎ、店員はのんびりとトングを掴む。
彼は少し迷って、目を閉じた。
別れてから、もう三ヶ月は経過しているのに。
今でも、目の前に彼女がいるかのように、ケーキを食べる様が思い出せる。

「苺ショートからミルフィーユまで一つずつ」
「かしこまりました」

白い箱をカコカコと組みたて、店員はケーキを詰めていく。
その様を眺め、トールは考え事をしていた。
どうすれば彼女を見つけられるかを、ずっと考えていた。

265: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/10(火) 22:00:12.83 ID:TcqASv/o0

ケーキを購入し、ホテルへ戻る。
椅子に腰掛け、サービスでもらったプラスチックフォークをビニールから取り出す。
箱を粗雑に開け、皿によそいもせず、ケーキのセロハンを外す。
脇に退け、食べる順番などロクに考えずに口に運んでいく。

甘い。
美味しくない。

酸っぱい。
美味しくない。

苦い。
美味しくない。

彼女は、あんなに美味しそうに食べていたのに。
自分も、一緒に食べている時は美味しかった。
たとえ安物のショートケーキでも。彼女は文句ありげだったけれど。

甘ったるい。
美味しくない。

しょっぱい。




――――しょっぱい?

266: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/10(火) 22:00:41.12 ID:TcqASv/o0

白い生クリームに、ぽたりと透明な液体が落ちる。
フォークを握ったまま、トールは暫し制止した。

「あ……?」

ぽたぽたと溢れている。
どこからだろう。
考えてみれば、すぐにわかった。
自分の瞳から溢れた涙でしかなかった。

「あ、……」

目の前が滲んで、物が見えなくなる。
フォークを取り落とし、そのまま下を向く。
止まることを知らず、涙はテーブルを濡らした。

「――――ああ、俺、本当に、」

アイツのこと、好きだったんだ。

笑う顔が、泣いた顔が、驚いた顔が、拗ねた顔が。

ただ、目の前で、隣で、あるいは同じ部屋で。
ケーキを食べたり、構えとひっついてきたり。
冗談を言ってくる声も、繋いだ手も、好きだった。

こんなに長い間捜しているのは、彼女が恋しいからに他ならない。
下らない日々が、あまりにも心地良かった。
何を差し置いても守りたかったくらいに。

「初めて、守れるものが、出来たのにな」

気づくのが遅すぎた。
もっと早く、引き止めの言葉をかけるべきだったのだ。
あまりにも鈍感過ぎた。それが、結果として彼女を失う羽目に陥った。

たったの半年。
されど半年。

一緒に過ごしたその日々の、一日毎。
全てが楽しかった。知らないことを沢山知った。
無意識下、どこかで、そんな日々が永遠に続いていく気がしていた。

「ちくしょう、」

フォークを拾い上げ、ケーキを口に突っ込む。
やっぱり不味い。美味しくない。
だが、食べていると、彼女が食べている様子がまざまざと想い出される。

「あんな紙きれ一枚で、要らねえ札束で、諦めきれるかよ――――」

273: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/12(木) 22:51:53.60 ID:U57Rfvy20

今頃、トールはどうしているのだろう。

ざあざあと降る大雨の音を聞きながら。
フィアンマはごろりとベッドに横たわり、聖堂の天井を見上げる。
小さな宗教画のレプリカが、所狭しと飾られている。
その多くは神の如き者<ミカエル>や光を掲げる者<ルシフェル>を描いたものだ。
幼い頃から慣れ親しんだ、大天使達の神々しい御姿。

「………」

トールと別れて、早五ヶ月と、少し。
約百二十日もあれば、きっと自分のことなど忘れているだろう。
もしかしたら新しい恋人が出来たかもしれない。
ごっこ遊びなどではなく、きちんとした相手が。愛する人間が。

ちくりと、どこかが痛んだ。

彼の場合、戦いに明け暮れて毎日を過ごしていそうでもある。
何はともあれ、死んでいなければ良いと、そう思う。
自分があげた霊装は、あくまでも一回だけしか彼の命を守れない。

「…………」

目を閉じる。
睡魔が速やかに忍び寄ってきた。
今日はよく眠れるだろう。
何も考えないで、きっと。

「………」

前方のヴェントは、単身で学園都市へ潜入した。
都市内外を問わず、イタリアでさえ気絶する人間が出ている。
うとうととしながら、フィアンマは恐らく失敗するだろうと考えていた。

(失敗して、アックアが回収してくれば―――)

横を向き、枕を抱きしめる。

(―――死にはしないだろうしな)

274: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/12(木) 22:52:21.07 ID:U57Rfvy20

橋にもたれかかる。
結局、今日まで彼女は見つからなかった。
そもそも、ローマ正教の最奥に存在する人間が見つかるはずがない。
彼女が表に出ていたこと事態、まずおかしかったのだから。

「何で俺、アイツを好きになったんだろうな…」

他の女の子を好きになれば、こんな苦労はしないですんだ。
たとえ逃げられても、世界中探せば見つかったはずだ。
それではダメだから、苦労をし続けている訳なのだが。

「よお」

男の声だった。
そちらを見やると、軽薄そうな青年が立っている。
北欧神話の巨人の王を名乗った、幻術使いだった。

「あー…ウートガルザロキで合ってるか?」
「合ってる合ってる。記憶力良いのな」
「何か用か?」
「スカウト」

前と用件は同じだ、とぼやき。
彼はトールと同じように橋に寄りかかった。

「人探ししてるんだって?」
「……まあな」
「俺の腕折ってくれちゃった子?」
「……ん」

275: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/12(木) 22:52:53.33 ID:U57Rfvy20

言葉数少なに肯定して、トールは川を眺める。
静かに流れていく水面は、心を穏やかにした。

「何、フラれたとかそういうアレ?」
「………そうとも言えるのかもな。
 そもそも付き合ってるんだかどうか、曖昧な関係だったし」
「へー。それで、未練たらしく女のケツ追っかけてる訳か」
「ケンカ売ってんなら買ってやっても良いぜ?」
「勘弁してくれよ。俺はバリバリのインドアインテリ系だぜ?」

軽く笑って、ウートガルザロキは伸びをした。
トールの様子を眺め、それから空を眺める。
街ゆく人々は、二人の男に気を留めることはない。

「―――思えば何度もサインは出てた。俺は気づかなかった。
「…何なに、哲学?」
「アイツの話だよ」
「ああ、あの女ね。サインって?」
「俺とずっと一緒には居られないとか、世話になり続けるつもりはないとか。
 不意に黙って考え込んだり、寂しそうな顔してる時もあった。
 何も言わなかったから、聞くべきじゃねえと判断した。それは間違いだった」
「あのさー、俺神父じゃないんだーけーどー」
「んな事わかってるよ」

ため息をゆっくりと吐き出し。
トールは、目を閉じた。
失望しているように見えた。
ウートガルザロキは、空を見上げたままに。

276: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/12(木) 22:53:22.31 ID:U57Rfvy20

「こんな事言うとウチの構成員に蹴り入れられそうだけど」
「?」
「女ってのは、基本馬鹿な生き物なんだわ。
 ああいや、男にもたまにいるけどな? クソメルヘン的でぶっ飛んでるヤツ」
「……」
「女は基本的に夢見がちな生き物で、しかも天邪鬼なモンだ。
 追いかけてきてくれることを夢見て家出したり。
 謝ってくれることを期待して『もう怒ってない』って言ってみたり。
 だから、言葉に出したことだけが真実じゃねえし、むしろ無言の方が事実だったりする」
「……、」
「俺にゃ詳しいことはわかんねーけど? ……まあ、アレだ」



―――――鈍感だったとしても、そんな男が再び手を差し伸べてくれる日を夢見ているのではないか。



彼はそう言って、励ますでもなく伸びをした。
どんな男にだって、好きになれば、女は夢を見てくれる。
その夢が醒めるのはいつなのか、本人にだってわからない。
間に合わないなどということはない。
何度でもやり直せるから、人間関係とは難しくて、易しい。

「俺も手伝ってやるからさ」

魔術結社への勧誘。
今のトールに、断るメリットはなかった。

277: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/12(木) 22:53:50.05 ID:U57Rfvy20

「さて。いかがしましょうかねー」

左方のテッラは中身の入ったワイングラス片手に、フィアンマへ向き直っている。
口調こそ変わらないが、その視線から慈愛は撤廃されている。
あくまでも指示役として、フィアンマを見ているだけだ。
対して、青年の見目であるフィアンマは悠々と脚を組み。

「例の『文書』を使え」
「ふむ。アレですか」
「ヴェントとは違い、お前の術式は未完成だ。
 あれを使って暴動を煽る方が、お前の得意とするところだろう」
「ま、直接的な暴力も苦手ではありませんがねー。
 他ならぬあなたのご指示です。拒否をする理由も無いでしょう」

のんびりと言って、ワインを飲み干す。
その辺りの場末の酒場でもお目にかかれない安物だ。
いかにも不味そうなそれに、注意したくなり。
もうあの親しい関係には二度と戻れないのだった、とふと思い出して苦笑いする。

「動くタイミングはお前に任せる。早めに行うだろうが。
 報告は口頭でなく、文書で構わん」
「ええ、かしこまりました」

ゆったりと立ち上がり、ゆっくりと彼は歩いていく。
その後ろ姿を見送り、フィアンマは安物のビスケットを口に含む。
味は感じなかった。まるで紙を食べているかのようだった。

278: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/12(木) 22:54:48.93 ID:U57Rfvy20

コツ、コツン。

ウートガルザロキに導かれた先。
立っているのは、一人の少女だった。
ほっそりとした肢体に、柔らかな胸。
布面積の少ない黒を基調とした衣装。
物々しい黒い眼帯。金の長い髪。

「お前が雷神トールか」
「ああ」

今まで戦ってきた相手の誰よりも強いだろう。

放たれるオーラからそう判断しつつ、トールは頷いた。
そうか、と平坦な声で相槌を打ち。

「私は魔神オティヌス」

名乗ると、彼女はトールを見据えた。
冷徹な緑の瞳が、トールの青い瞳と視線をかちり合わせる。

「お前のコードネームは―――そのままトールで問題ないだろう」
「ああ」
「一つ言っておく」

組織に居る間は、願いに対してある程度の協力はする。

「だが、私を裏切ればそこに待つのは死だけだ」

邪魔をすれば殺す。
それは元仲間だろうが現仲間だろうが結果論だろうが関係ない。

冷酷な宣告を前に、トールは肩を竦める。

「そうかい。俺は好きなようにやらせてもらうさ。
 あんたの利害基準に引っかからない範囲で」

彼女にもう一度会えるのなら。
『世界の敵』になっても良いと思える。

(お前は世界を管理するローマ正教のトップ。
    ――――世界を壊す側に回れば、出会うのは必然ってモンだろ)





―――たとえ、どれだけ底抜けに世界が滅茶苦茶になっていったとしても、彼女に傍にいて欲しい。

284: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/15(日) 23:15:34.88 ID:ZFZ6L+UT0

路地裏や公園は、基本的に猫のたまり場である。
フィアンマは現在、公園のベンチに腰掛けていた。
足元には数匹の猫が眠っている。
彼女の膝上には金色の毛並みを持つ猫が眠っていた。
産めや増やせやで放置した結果の野良猫達である。

「……」

彼女の視線の先には、人々の行列があった。
手には沢山のプラカードや、大きなメッセージボード。
綴られている内容は、恐らく『学園都市を許すな』だとかその辺りだろう。
先日の学園都市へ対するヴェント強襲で得られた"成果"である。
人々は科学サイドに反発し、自主的にデモを行っている。
ローマ正教には着々と『平和の為の基金』が寄せられている。
無論、そのほとんどは戦争準備の為に使われるのだが。

「なーん」
「…ん?」

目を覚ましたらしい猫が鳴き、尻尾をゆっくりと揺らす。
瞳は澄んだ水色をしている、毛並みの美しい金色の猫。
『誰かさん』に似ている気がして、フィアンマは薄く笑んだ。

「今頃は、誰かと戦っているのかな」

285: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/15(日) 23:16:17.06 ID:ZFZ6L+UT0

「特にやることなんてねえんだな」
「今の所は完っ全に準備段階だしなー」
「動くのはいつからなんだよ?」
「戦争が激化、あるいは終わってから」
「…あん? 戦争?」
「ローマ正教VS学園都市ってトコか。予想だと」

ウートガルザロキは沢山の写真を眺めながら、のんびりとガムを噛む。
一粒投げよこされたガムを口にし、トールは退屈そうにぼやいた。
集めるだけ集めた人員に対し、オティヌスの指示はただ一つ。

『不用意に目立つな』

これだけだ。
何かをしろと言ってくれた訳ではない。
故に、メンバーの多くは暇を持て余している。

「んでもって、やっぱそう易易と見つかるモンじゃねえな」

サーチ術式に使用されている霊装。
その針の先がピクリともしないことに、ウートガルザロキは残念そうに呟く。
トールが探す彼女は、未だに見つからない。
どんな術式を用いても、どれだけ歩き回っても。

286: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/15(日) 23:16:53.39 ID:ZFZ6L+UT0

「『助言』、要る?」

悪神ロキの妻―――『シギン』を名乗る女が、首を傾げる。
科学とも魔術とも言いがたい彼女の『助言』。
だが、それは必ず良い成果をもたらしてくれる。
ウートガルザロキはちょっぴり思考して、それからトールを見やる。

「霊装に関するヤツか?」
「人を見つける方法について」

思い浮かんだから、といった様子で彼女は言う。

「もっとシンプルにしてしまえばいいよ」

最初から多くの条件を設定しては見つかるはずもない。
面倒な手作業は覚悟で、ひとまず大まかな絞込みをすべきだと彼女は告げる。

「参考にするかどうかは任せるよ」

これはあくまでも『助言』。
責任は負えない、と彼女は肩を竦めた。

287: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/15(日) 23:17:26.66 ID:ZFZ6L+UT0

「見つかると良いね」

黄金の工具を整備しつつ。
黒小人の少女は、本心からそう言った。
それから少しニヤリと笑って、トールを見る。

「それにしても、トールがそんなゾッコンになる位美人なんだ?」
「………ま、否定はしねぇよ」

揶揄の響きを含む発言に、トールはふいとそっぽを向く。
『投擲の槌』と呼ばれる黒いドラム缶型の少女がガタガタと揺れた。
マリアンは少女に笑いかけ、トールをさらにからかおうとする。
一度仲間と認めた相手には、彼女は優しく、甘く、親しげだ。
逆に言えば、敵にはどこまでも一切の容赦をしない人間である。

「ウートガルザロキも見たことあるんだっけ?」
「おー、あるある。気のキツい美人。多分尻に敷かれるのが気持ちいいんだろ」
「ぶん殴る」
「ちょ、タンマタンマ! 写真破れるだろ!!」
「逆上するってことはあながち間違ってないからかねー?」
「うるせえ! マリアンだってベルシにひっつきっぱなしじゃねえか!」
「な、ななななッッ、ベルシは今関係ねぇだろ!!」

マリアンを庇う様に、投擲の槌がガタンガトンと揺れる。
ウートガルザロキは仕事道具を守ろうとするし、マリアンは工具を投げつける。
トールはそれを華麗に避け、シギンは迷惑そうに身を屈めた。

ガチャリ

ドアが開いて入ってきたのは、話題の渦中にあった『ベルシ』である。

「……何をしているんだ」

彼の疑問にも応えず、三人は半分取っ組み合いの状態にいる。
仕方がないので、シギンは軽く答えてあげることにした。

「恐らくだけど、痴話喧嘩じゃないかな」

288: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/15(日) 23:17:54.36 ID:ZFZ6L+UT0

フィアンマは夜更けになって、ようやく大聖堂へ戻って来た。
報告に来るはずだと踏んでいたテッラがどうにも見当たらない。

まさか、幻想殺しに殴られて気絶、学園都市に回収―――なんて間抜けなオチではないはずだ。

それならそれでどうにか回収しなければ。
いろいろな可能性を考えつつ、フィアンマは部屋を回る。
とある部屋に居たのは、後方のアックアだった。
彼はというと、凶器に付着した血液を拭っている。

「…何だ。誰か殺したのか?」

どこぞの戦争にでも勝手に出向いてきたのだろうか。
流れ者の傭兵である彼ならば別段おかしくはない。
『神の右席』といえど、自分達は魔術師だ。
組織の為だけに尽くす生き物であるはずもない。

「粛清である」
「……処刑でも?」
「私刑であるな」

親しくなって尚寡黙であった男は、記憶を持たぬ今、殊更に寡黙。
フィアンマは眉をひそめ、ひとまず聞いてみることにした。

「―――誰を、だ?」
「左方のテッラであるが」

289: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/15(日) 23:18:31.44 ID:ZFZ6L+UT0

――――数時間前。




「ご………ぉ、ぼ……」

口と、完全に切断された半身の傷口から血液を垂れ流し。
左方のテッラは、何故自分が攻撃されたのかをわからずにいた。

理由は明確だ。

観光客や一般市民を。
ローマ正教徒でないからといって、術式調整用に『使って』いたことが、アックアにしれたから。
魔術師というのは組織の都合だけでなく、実に個人の都合で動く。
アックアの中で、テッラは私刑に足る人物だった。だから殺す。

「ぁ………」

致し方ない。
一足先に神の国へ導かれることにしよう。

そう思ったテッラは、満足そうな笑みを浮かべる。
対して、アックアは冷酷に言い放った。

「貴様のような殺人者が神の国へ招かれるなどと、勘違いはしないことである」
「ぐ……」

侮蔑に、テッラの顔が歪む。

「神は全てを知っている。自らの罪を振り返って、自省するが良い」

言い返そうと、口を開き。
赤黒い血液の塊が、ボタボタと床に落ちた。
徐々に意識が薄れていく中、テッラは、忘れていた記憶を取り戻す。
それはとても暖かで、一人の少女を中心とした、穏やかな『右席』の姿。その情景。

「―――――、」

(てっら、ばいばい)

幼い少女が、手を振っている気がした。
自分はいつでも彼女の頭を撫で、微笑みかけていた。





どうしてわすれ―――――

290: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/15(日) 23:19:43.96 ID:ZFZ6L+UT0

テッラの最期について聞かされ。
フィアンマは適当な相槌を打ち、アックアの元から去った。
今、彼女の目の前にあるのは高級そうな桐の箱である。
その中には、テッラの死体の半分が収められている。
アックアが、イギリス清教への宣戦布告の材料として使用する為に、収めたのだ。

「……」

開けてみる。
どこか、寂しそうな表情を浮かべた男の上半身だった。
防腐処理が多少施されているようだ。

「……」

触れてみる。
冷たかった。
硬かった。

紛れもなく死体だった。

「……後戻りの出来ないところまで、来てしまったな」

自分という緩衝材を挟んで、少し前まで、テッラとアックアはそれなりの関係を保っていた。
その自分との思い出を消した影響で、関係は悪化の一途を辿ったのだろう。
奇しくも、自分が辛い思いをさせたくない一心で施した術式が、彼らの不幸と無理解、悲劇を招いた。

「これから世界を救うから、見守っていてくれ」

それしか、言えなかった。
言えなくて、彼女は静かに自分のロザリオへ口付け、聖堂を出て行った。

291: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/15(日) 23:20:11.27 ID:ZFZ6L+UT0

不思議と涙が出なかったのは、どこかで理解していたからかもしれない。
何の犠牲も無しに、物事の進歩などありえない。
時間、人員、労力、時には命を犠牲にするから、何かが進化する。

「後戻りは出来ない」

自分に言い聞かせるように呟いて、彼女は本のページをめくった。
幼い頃、テッラに読んで欲しいと強請ったことのあるものだった。
内容はお世辞にも子供向けとは言えそうにないものだが。

「……後戻りは、」

桐の箱に収まる死体。
病院で今も眠り続ける女性。

自分の指示の結果、一時的、あるいは永遠に眠った同僚。
自分が殺したも同然だ、と思う。
苦楽を共にしたくせに。いや、それを知るのは自分だけなのだが。

「………、ル」

彼に会いたかった。
しがみついて、思うがままに泣き喚いて、困ったように笑いかけて欲しかった。
その機会を捨てたのは自分であると、痛い程理解しているのに。
結局、自分は身勝手なのだ。多くをとろうとして、犠牲を生む。

本を閉じる。

アックアもきっと、倒されるだろう。
アウェイ戦で良い結果を期待する方が間違っている。

295: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/17(火) 21:51:22.38 ID:JoSljzfA0

「間もなくか」

世界各地のニュースを耳にしつつ。
魔神たる少女は、ぼんやりとした表情で呟いた。
そこには何の感慨もないし、心配もなかった。
たとえ世界が滅びても、彼女は50%の可能性で必ず生き残る。
イギリスでクーデターが起きれば、もう戦争は避けられない。
クーデターが起きずとも、ローマ正教の最奥に住む人間は強硬手段に出るだろう。
何とはなしに、戦争の陰の首謀者が望むものは見えていた。

そして。

その方式を突き詰めても、それは恐怖政治でしかないことを知っている。
あるいは、全人類の人間味を無くすだけだと。
右方のフィアンマが行おうとする『救済計画』に察しがつきながら。
それでも、オティヌスは今はまだ、怠惰に過ごし続ける。
この先未来がどう転んでも、自分の望む結果になるだろう。
自分がやりたいことは、正直に言ってシンプルにただ一つなのだ。

296: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/17(火) 21:52:01.46 ID:JoSljzfA0

そうして、死体の半身はイギリス清教へと送られた。
残りの半身を丁寧に処置し、墓場へと運ぶ。
神父として誰かを埋葬する仕事をするのは何年ぶりだろう、とフィアンマは思った。
何年ぶりかに見た彼の本名は、実に一般的なそれ。

「……」

花束を、無造作に墓石の前へ。
とさり、と存外軽い音を立てた。
緩やかな風になびく花は、美しい赤色をしていた。

「……おやすみ」

夜更けに、部屋の前で別れるような。
そんな気安さで言葉をかけ、フィアンマは墓石へ背を向けた。
死者は何も語らないし、何も応えない。
だから、甘えない。後戻りは出来ない。

「今日は、アックアが潜入に出ている」

それだけ、無意味に告げると、聖堂へ。
徐々に秋の色を帯びる風が、いやに冷たい。

297: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/17(火) 21:52:51.51 ID:JoSljzfA0

「何が悲しくて惚気なきゃならねえんだよ」
「いーからいーから」
「何が良いんだっての」
「俺の術式研究に協力すると思ってさあ。
 間違っても『リア充爆発しろ』とか言わねえし」
「あん? りあ……?」
「あ、知らない? 知らないならそのまま純粋なトールちゃんのままで」

ウートガルザロキは暇つぶしの材料に今現在、雷神トールを選択していた。
トールはというと、霊装の手入れをしながらやっぱり暇を持て余している。
催促されているのは惚気話である。
何でも『恋情という自分の経験したことのない感情の揺れ動きを術式の材料にしてみたい』らしい。
本当のことかどうか、怪しいものである。

「そもそも初対面の野郎の腕ポッキリ折っちゃう女のどの辺りが良い訳」
「まだ根に持ってんのかよ。……ケーキ食べてる顔とか」
「ふーん? 後は後は?」
「人が眠いところにのしかかってきたり。
 寝てる間に悪戯しやがったり。
 ……俺が軽く咳しただけで、数時間後には飴作って差し出してきたり」
「その後半のは女子力って言って良いのかね」
「あん? 戦闘力の一種か?」
「いやいやコッチのオハナシ。なるほどー、いやー、なるほどなるほどね」
「ま、仮にそういうのを二度としなくなっても、だからといって嫌いになったりはしねえな。
 口で言い切れるような理由だけで好きになった訳じゃないから、口で言えるような理由じゃ嫌わない」
「じゃあ感動の再会の時には涙流しながらハグしてぶっちゅーしちゃうんだ。マジ引くわー」
「ナメてんのかテメェは」

そんな訳ないだろアタック(電撃を纏った手刀)が繰り出される。
対してウートガルザロキはというと、自ら名乗る巨人の王の伝承に基づいた術式を用い、ひらりと姿を消したのだった。

298: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/17(火) 21:53:26.58 ID:JoSljzfA0

一人、本を読む。
本の内容は、ロクに頭に入っていなかった。
ただ、自分を落ち着かせる為の所定の行動に過ぎない。
言うなれば精神統一の儀式のようなものだ。

「……ん」

報告が来た。
指示していた通り、文書によるものだ。

「――――、」

内容としては、後方のアックアの失態。
及び敗北、原因、その過程についての簡素な報告。
無言の内に文書を燃やし、聖堂の中央部へ出る。
そこにはローマ教皇が立っており、動揺している様子だった。
足元には紙切れが散らばっている。それでも内容は読めた。

『無条件降伏の要求』

それに尽きる。
真剣に悩み、落ち込む教皇に、フィアンマは小さく笑う。
自分が生きている限り、ローマ正教は安泰だというのに。

「教皇さん。そんなにうろたえてしまっては、『器』が足りないように見えるぞ?」
「……どうするというのだ。前方のヴェントは再起不能、左方のテッラは死亡。
 果てには、後方のアックアが倒れたとなっては、」
「まずはイギリスを討つ」
「なに?」

ローマ教皇へ向かって馬鹿丁寧な説明をしながら、フィアンマは自分の精神が冷えていくことを自覚する。
間違っていると考えてしまっては、それだけで全てが終わってしまう。
自分がなそうとしていることは正しいのだから、胸を張るべきだと、そう思う。

「させると思うか」
「止められると思うのか? たかが二○○○年の歴史で」

299: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/17(火) 21:54:22.69 ID:JoSljzfA0

思えば、本当に右手を振るった事なんて、数度しかなかった気がした。
ほんの少し努力すれば、皆は自分に微笑みかけてくれた。
才能があるだけで。ただそれだけで、多くの人に望まれた。
自分が出来ることなんて、膨大な奇跡の一部を、ほんの少し人々に振舞っているだけなのに。

「ぐ……、」
「なあ、教皇さん」

ゆっくりと近づく。
自分の後ろに在る『第三の腕』を見て、彼は少し怯えた。
それは少し気分が良くて、とても、さみしい。

「確かにヴェント、テッラ、アックアの三名は希有な才能を持っていた。
 しかし、俺様とは比べ物にならん。比較する方がかえって哀れだ。
 『神の右席』なんてものは、俺様さえ生きていれば充分に機能する」

ゆらり、と右手を水平に掲げる。
まだ『第三の腕』は空中分解していない。
ローマ教皇の背中には、守るべき多くの市民、そしてその皆が住む大広場がある。
民衆を暴力から守ろうとするローマ教皇は、紛れもなく人格者だった。

人に選ばれたことなんて、気にする必要はない。
神様だって、あなたを選んだに違いない。

思いはしたが、言えなかった。
言わないままに、右腕を振るった。
意識を刈り取るための無慈悲な一撃が、優しい老男を貪った。

300: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/17(火) 21:54:54.14 ID:JoSljzfA0

遠い、夢を見ていた。
本当にあったことなのかどうかはわからない。
ただ、夢のように朧げで、幻のようにあやふやだ。

『きょうこうさん』

小さな女の子だった。
幼い手を伸ばし、白い法衣を掴む。
本来ならば窘められるべきだが、周囲に書記官達は居ない。
自分は知らず知らず微笑んでいて、彼女の頭を撫でた。

お菓子を食べよう。

それが少女の食事であることを、己は知っていた。
自分の相談役である彼女は、低い背丈で、一生懸命棚のものをとる。
ホットミルクをいれ、クッキーを皿によそった。

『できた』
『そうか。こちらへおいで』

椅子に腰掛け、二人でテーブルに座る。
そうだ、『最初』は二人から始まった。

やがて左方のテッラが来て。
前方のヴェントが決まり。
後方のアックアの後任者が決定した。

一人ではなくなる度に、歳を重ねるごとに。
彼女は寂しそうに目を伏せた。

『きょうこうさん、せかいをすくうのはいいこと?』
『勿論だとも』
『そっか』

正しいことをするべきだ。

彼女はロザリオを握り、そう呟いていた。


それは、遠い日の記憶(ゆめ)。

306: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/22(日) 12:34:02.70 ID:WMKgr9Ku0

二つの道があった。

一つは、何も見ないフリをする楽な道だった。
もう一つは、全てを受け入れて辛い思いをする道だった。

選ぶ権利は、あるかのようで、最初から無かった。
ただ、背中を突き飛ばされるままに歩いてきた。
『神の右席』の頂点に君臨する者として、これまで沢山の人を救ってきた。

物資は限られていて。
人々はいがみあっていて。
格差は激しい。

一つの国を救う為に、いくつかの街を滅ぼす必要があったりもした。
その時自分は、迷わなかったように思う。

だからこそ、強く思うことがある。
そんな自分がトールとの復縁を望んでしまうのは、あまりにも身勝手なのではないか、と。

307: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/22(日) 12:34:43.24 ID:WMKgr9Ku0

イギリスは火の海だった。
否、そう言ってしまうと少々語弊がある。
正確には、クーデターによる混乱の渦中にあった。
何しろ、クーデターを起こしたのはイギリスの第二王女なのだ、当然のことだろう。

「………まあ、俺様が誘導したのだが」

事実を呟いて、ゆっくりと歩き進む。
『神の子』の恩恵を利用した隠蔽術式によって身を隠しているため、誰にもバレない。
今頃は幻想殺しのあの少年が右往左往しながら戦っていることだろう。

ままごと遊びのようだ。

クーデターをしようがしまいが、自分の目的は達成される。
達成されれば、何にしても世界規模の戦争は起きる。
大掃除のようなものだ。致し方あるまい。

「………おや?」

宮殿へ入る。
常は警備の兵が多く居るはずだが、一人も居ない。
周囲を見回し、やがて一通の通知書を発見した。

308: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/22(日) 12:35:20.68 ID:WMKgr9Ku0

「『退避』、か。なるほどなるほど」

全員、重要なものや機密文書を持って退避するように。

そんなような内容の通知書だった。
フィアンマが今回取りにきたものは、イギリス清教の暗部中の暗部に存在するものだ。
故に、その存在は誰も知らない。だから、持ち出せるはずもなく。

「だからといってポンと置いておかなくても良いだろうに……」

『それ』の使用方法を知る人間はごくわずか。
存在が秘匿されていればそれでいいのか、実際の『それ』は鍵のかかった箱の中で転がっていた。
鍵は存外軽く外せた。実に安易でつまらない仕掛けだった。

「…さて」

顔見せをしておくべきだろうか、と思う。
上条当麻に宣戦布告をしておくのも悪くはないだろう。
彼にはロシアへ来てもらった方が手間が省けるというもの。
ゆっくりと一歩踏み出し、向かう先は戦闘の終わったであろう中心地。

309: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/22(日) 12:37:04.70 ID:WMKgr9Ku0

「久しい―――といったところで、覚えてはいないか」
「誰だ、テメェ。インデックスに…ッ、何をしやがった!!」
「知らんよ。整備不良はそっちのミスだろ」

敵意をむき出しにする少年の姿は、滑稽だった。
自分のことを覚えていない。つまり、禁書目録のことも覚えてはいないのだ。
そして本質的な性格を鑑みるに、記憶喪失について彼女に話してもいないのだろう。
ほんの少し会話しただけでこれだけのことがわかってしまうのは、やはり同族だからか。

「右方のフィアンマ、だし……ローマ正教…っぐ、」
「おいおい、自己紹介位自分でさせてくれよ」

のんびりと遮る。
緩やかな口調と共に、右手を振るう。
たったそれだけで、敵は面白い程距離を離して吹っ飛ぶ。
戦闘で苦労などしたことはなかった。
全て、自分の右手が、奇跡が、何とかしてくれた。

「ジ、ガ………」

ふらり、と揺れて。
インデックスの体が、地面へ倒れこむ。
フィアンマは彼女を一瞥し、上条を見た。

「俺様は、右方のフィアンマ。
 ローマ正教『神の右席』―――最後の一人」
「ッ、」
「――ーその右手の管理は、今暫く任せておくか」

背を向ける。
上条が走ってきた気配を感じ取って、小さく笑う。

自分は今、どんな悪人に見えているのだろう。

310: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/22(日) 12:37:41.02 ID:WMKgr9Ku0

間もなく戦争が起きる。
『ブリテン・ザ・ハロウィン』と称された事件についてのニュースを聞きながらトールはそう思った。
恐らく、実態はイギリスでクーデターが起きたのだろう。
それも、魔術が絡むものだ。
英国国民全体を巻き込んでの『不可思議な現象』―――魔術しかありえない。

「なあ、オティヌス」
「何だ」

メンバーと馴れ合うつもりはないといっても、オティヌスは『グレムリン』のリーダーだ。
それなりにメンバーの言葉は聞くし、返事もする。
トールはそんな彼女に話しかけ、ぼんやりとした表情で質問する。
今、この部屋にはオティヌスとトールの二人しかいない。

「戦争の中心地は、何処だと思う?」
「ロシアじゃないか? 恐らくだがな」
「ん、そうかい」
「―――右方のフィアンマを、捜しているのだろう?」
「………、…」

トールを見やって。
オティヌスは珍しく、緩やかに微笑んだ。

「見つかると良いな」
「…応援してくれんのか? 意外だな」
「そうか?」

彼女に関しては別だよ、と。
魔神は嬉しそうに笑っていた。
トールは困惑のままに、頑張って捜索する、と頷いた。

316: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/23(月) 21:53:28.14 ID:XKAfEPCK0

十月十九日。

先日の宣戦布告をもって、第三次世界大戦は開始された。
フィアンマは現在、ロシア軍基地の奥地で、椅子に腰掛けていた。
周囲には幾百もの見張りの魔術師が居る。
仮に侵入者が来ても彼らが排除するし、最悪彼らを囮にすれば逃げるのは容易だ。

「……」

机に片肘をつく。
短く低く詠唱し、光りだした本を開いた。
これは、本の形をした通信用霊装である。

「やあ、ニコライ。調子は如何かな?」

フィアンマの通信相手は、ローマ成教のニコライ=トルストイ司教だ。
出世の為、権力、財力のために、フィアンマに協力している人物だった。
漁夫の利を狙うばかりの意地汚い小物と称されることもある程に、人望はない。
人望がないからそうなったのか、こうなったから人望がないのか。
それは鶏と卵の不毛な論理のようにゴールや答えの見つからないものだ。

『良い訳はないだろう』
「んー? 予定通り開戦させたのはお前だろうに」
『お前が提案をした戦争だろう。本来ならばこうなる前に…。
 ……勝てるのだろうな。絶対に』
「勝てないのなら最初から誘ったりしないさ」

舌先三寸で適当に弄び、通信を終える。
空腹を感じない。
彼と一緒に居た頃には、あんなにも。

317: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/23(月) 21:54:10.80 ID:XKAfEPCK0

ざく、ざく。

雪を踏みしめる。
酷く寒かったが、術式を用いて我慢する。
ロシアには今多くの魔術師が居るはずだ。
自分一人がまぎれたところで問題はないだろう。

「いや、戦争代理人だからマズイんじゃねえの、フツーに」
「暴れなきゃいいんだろ?」

トールの隣で冷静に突っ込んだのはウートガルザロキである。
『捜索を手伝う』と宣言したので、付き合わない訳にはいかなかった。

「はー。軍服フェチだったら良かった」
「あ? 何だそりゃ」
「かわいー女の子も大体軍服だろ? マジ萎えー」

そんなことをぼやきつつ、彼は歩き進む。
トールも同じく歩き、やがて分かれ道に辿りついた。

「一旦二手に別れるか」
「おー。それっぽい女見つけたら連絡する」

318: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/23(月) 21:54:44.29 ID:XKAfEPCK0

成功しても失敗しても、もうトールと笑い合うことは出来ない。

でも。
もし、失敗して、それで、彼がまた自分を望んでくれたら?
ありえない。
ばかばかしい。

綿密な計画を再度見直し、適宜戦闘を行いながら。
フィアンマはずっと、トールのことを考えていた。

「……おっと」

せっかく回収してきた大天使の素体をうっかり握りつぶしそうになり、意識を整える。
ぼんやりしていると大天使の召喚に失敗してしまう恐れが高まる。
仕事は真面目にしなければ、と深呼吸して臨む。

「……それにしても」

上条に、記憶喪失の件で糾弾した時。
今までにない絶望の表情を浮かべていた。

心地良かった。

この感覚は、優越感というものによく似ている。
彼のことは、昔からずっと嫌いだった。
今の彼の方が、前よりずっと嫌いだが。

『jhgxjsqbhvgbh』

ジジジ、とラジオのノイズにも似た音が聞こえた。
魔法陣の中心に鎮座しているのは、水の大天使。

『お前の名は?』

遠隔制御霊装をはめ込んだ、操作用の杖。
杖型の霊装を通して話しかければ、思った通りの返答があった。

『ミーシャ=クロイツェフ』

319: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/23(月) 21:55:12.10 ID:XKAfEPCK0

初めに世界の歪みに気がついたのは、七歳の頃だった。
ありとあらゆる書物を読みふけり、術式を完成させていく途中でのことだった。

四大属性のズレ。

人々の争いの主原因は、世界の傾きや歪みによるものだ。
格差、階級、男女、学歴、政治、…数え切れない程の『悪性』。
最初は善良だった人間が、どうしてここまで狂ってしまったのか。
神様に似せて作られた人々が、どうしてこんなにも憎み合ってしまうのか。

答えは簡単。

世界に限界が来ているからだ。
神様の作った世界を動かす歯車のいくつかが、限界に達しているから。
ならば、それを調整して、あるいは継ぎ足しすれば、元に戻るはず。

手を取り合い、笑い合い。

そんな、神の国のような世界を取り戻す事が出来る。
そして、それを実現出来るのは自分だけだった。

正確には。
自分に宿る力は、そのために用意されてしまったものだった。

320: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/23(月) 21:55:40.17 ID:XKAfEPCK0

フィアンマは見つからない。
宙に浮かぶ城の中に居るのだろうか、とふと思う。
はるか遠く、高みに存在する彼女は、正しく神のようだった。

手を伸ばせど、手を伸ばせど。
矮小な人間程度に、神は捕まらない。

「……なら、あそこから降りてくりゃ、そん時は」

あの場所まで飛ぶことは、出来ない。
なら、神様が堕ちてくるのを待つしかない。
そして、トールは一つ、期待しているものがあった。

「上条当麻―――か」

今まで何度も学園都市、ひいては世界を救ってきたヒーロー。
トールがかつて嫉妬したことのある、フィアンマの友人。
彼は今ロシアに居ると、トールは聞いている。
英国の禁書目録と共に居ることも。否、彼女を救いに来ているということも。

「………」

彼女は今、成功と失敗のどちらを望んでいるのだろう。

トールは救いの城を見上げ、ふー、と息を吐きだした。

330: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 21:54:16.08 ID:k8jyXvqo0

整えられた世界は美しかった。
月の光る、星の無い真っ暗な空。
自分が好む、綺麗な夜空。
『神の力』に整えさせた、思い通りの空模様。

「遅かったじゃないか?」
「『神の力』は消失した。テメェの負けだよ」
「あの大天使の役目は、あくまでも俺様好みの空へ、空模様を転じさせることだ」

正確には、世界環境―――四大属性のズレを元通りにすることだ。
自分の計画通りに、全ての事は進んでいる。進んで来た。
こうして上条当麻が目の前に立っていることも、計画通りである。
必要なのは彼の右腕であり、採取するには生きていてもらわなければならない。

「四大属性は全て元の位置へ配置された」
「……インデックスは返してもらう」
「ああ、返してやるとも」

右手の中で、遠隔制御霊装を転がす。
これを使えば使う程、あの少女には負担がかかるだろう。
そう事実を認識しながらも、使用しないという選択肢はない。

出来ることなら、目の前の少年をもっと苦しめてやりたい。

これは多分、自分という一人の人間としての、嫉妬だ。

331: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 21:54:48.79 ID:k8jyXvqo0

出発点は同じだったくせに。
特殊な右手、極端な運、決して『普通』にはなれない特異さ。
自己犠牲の精神も、大切なものは手放すべきだという強迫観念も。
全て同一だったのに、上条は自分と進む道を変えた。

「俺様と違って、お前は自分の得を選んだ」

同じ劣等感と焦燥感に駆られていたはずなのに。

自分はトールと離れ、世界の為を願った。
上条はインデックスと共にあり、自分自身を幸せにした。

「俺様には綺麗事を言ったくせに。臆病者」

宝石が傷つかない環境ではなく、自分の手で宝石を守ることを選んだ。
"あの日"の電話で自分に同調しておきながら。裏切りに等しいと、そう思う。

「何を言って…?」
「今のお前の話ではないよ。だが、やはり俺様はお前が嫌いだ」

右手を振るう。
上条は咄嗟に右手を伸ばし、『第三の腕』を防いだ。

「お前を殺したところで気が晴れるとは思えんが」

生かしておくよりは、幾分か楽になるかもしれない。

フィアンマはそう思いつつ、大剣を振りかざした。

332: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 21:55:44.17 ID:k8jyXvqo0

「一つ聞こうか」

学園都市側光化学兵器からの攻撃と思われる、閃光の爆弾。
空気が弾ける程の熱、その源を『聖なる右』で振り払い、フィアンマはそう問いかけた。
上条は拳を握り、間合いを測りかねながら、何だと聞き返した。

「お前は今のその行動が正しいと、確信は得られたのか?」
「正しいかどうかなんて関係ねえだろ」
「ほう」
「助けての一言も言えずに、インデックスが苦しんでる。
 苦しんで欲しくないやつを助けに行くのに、理由なんかいらねえよ。
 これが間違ってるっていうなら、まずはそのふざけた幻想をぶち殺してやる」
「なるほど。…そういう結論に至ったか」

右手を振るい、力を発揮する『第三の腕』の攻撃を防ぐ度。
上条の右手首は酷く軋み、その場に踏ん張ろうとする脚は酷く痛む。

「ぐ、……」
「この世界は歪んでいる。それは、根幹となる四大属性のズレに留まらん。
 人種、国家、男女、財力、身分、力量―――数え切れない程だ。
 世界が始まった時点では正常だったものが、何故歪むのか。
 答えは簡単だ。世界に限界が来ているからだよ。このままでは滅んでしまうだろう?」

世界滅亡は即ち、全人類の死亡を意味する。
その時までに、他の惑星に移住出来るかもしれない。
そうすれば一部の人間は助かる。だがやはり、人類の大方は助からない。
だからこそ、フィアンマはこの戦争を起こした。
戦争のために必要だという名目で、全ての材料を集める為に。
この大戦で多少の犠牲を払ったとしても、全人類を救うために。

それは絶対に正しいことだ。

「たとえば、目の前で今にも発射されんとする核ミサイルがあるとする」
「自分の手に握られているのは、ミサイルの制御キーだとしよう」
「この時、ミサイル発射を食い止めようとしようとすることは不自然か? 間違いか?」
「制御キーを差し込んで発射を食い止めた瞬間、それを発射しようとした者の死刑は確定する」
「俺様とお前が他者にやってきたのはそういうことだ。今回だってそういうものだよ」
「それを、お前は間違いだと否定するのか。お前の行動だって、今まで散々他者の人生を」

「他者が精一杯積み上げてきたものを、右腕一本で滅茶苦茶にしてきた」

333: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 21:56:19.89 ID:k8jyXvqo0

「居なかったぜ」

トールと合流したウートガルザロキは、そう端的に報告した。
だろうな、と相槌を打ち、トールはゆっくりと息を吐き出す。
平熱の息は、寒空へ白い煙となって溶け消えた。

「に、しても。バカでかい城だな」
「拠点なんだろ」
「右方のフィアンマだっけ? 俺らの敵といやあ敵だよな」
「……、…」

トールは返事をせず、息を吐く。
そうだ。敵なのだ。彼女は、自分の敵。

「何、見つからなくてガチへこみ?」
「そういう訳じゃねえよ」

見つかったといえば見つかった。
しかし、どうしたって届かない。

「魔術師代表って感じで出てやがるな。あれで負けたらどう責任取るつもりなんだか」
「俺達が殺すんだろ」

トールの返しに、ウートガルザロキは僅かに目を瞬いた。

「…お前、殺し出来たんだ?」
「戦争代理人だぜ、これでも」

334: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 21:56:49.15 ID:k8jyXvqo0

「キーなんていらない」
「…なに?」
「発射システムをハッキングしても良いし、キー穴に針金を突っ込んで食い止めてもいい。
 方法なんて探せばいくらでもある。発射しようとしたヤツが死刑になる? 
 やったことに対しては当然のことだろ。でも、事情があるなら助けに行くよ、俺なら。
 やむにやまれずミサイルを発射しなけりゃならなかったなら、それはそいつだけの責任なんかじゃない。
 犠牲ありきの方法なんか認めない。そんなのはハッピーエンドじゃないだろ」

そういった偽善者然としたところが嫌いなのだ、とフィアンマは思った。

「お前は、世界中でどれくらいの人が笑ってるか―――知ってんのか?」
「興味深い意見だ」

『神よ、何故私を見捨てたのですか』の光線が、上条に向かう。
それを右手で受け止め、彼は身をかがめて剣の一振りを避けた。

「お前は世界中の人間がどれだけ嘆いているか、知っているのか」
「沢山居るだろうさ」
「ならば、」
「だが、それを救うのはお前じゃない」
「……、…」
「上から目線の救いなんざクソ喰らえって言ってんだ!!」

上条が間合いを詰めようとする。
霊装を軽く揺すった。
『硫黄の雨は大地を灼く』が発動し、硫黄の雨が上条を襲った。
右手で払い、上条当麻はその場で立ち止まる。

335: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 21:57:22.63 ID:k8jyXvqo0

フィアンマは、左手で自分の胸元に触れた。
トールがくれたループタイが、そよ風に揺れている。
大規模な攻撃で天井は突き抜け、床は二つに割れていた。
床の向こう、黒い粒子が見えた。
人の憎悪がくすぶっているように見えた。
フィアンマは、人の持つ『負』の感情をよく知っている。

人間は汚くて、醜くて、争ってばかりで、歪んでいて――――。

だから、誰かが救ってやらなければならない。
そしてそれは、『世界を救える程の力』を持つ、救世主たる自分の役割だ。

「御託は良い。どのみち、話し合って結論が見えるものでもあるまい」

以前の上条ならばともかく。
今の上条当麻と話し合ったところで、何の共感も無い。

ただ一度、右手を振るう。

大剣が床より振り上げられ、その過程で上条の腕を切り落とした。
少年の右腕を。右肩の先、その全てを。

336: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 21:58:21.40 ID:k8jyXvqo0

宙を舞う右腕を、掴む。
右腕を分解し、『聖なる右』の力の受け皿として取り込んだ。
途端に『第三の腕』は血肉を得、空模様が変化していく。
現在の空はストッキングのように破け、神秘的な夜空へ変化する。
黄金の光がはるか天空より降り注ぎ、『ベツレヘムの星』を照らした。
あまりにも神秘的な存在となった右方のフィアンマの為に、世界自体が変化したのだ。
吸収時、『幻想殺し』と自分の力の源がぶつかり合う違和感に唇を噛み締め。息を吐き出し。

「右腕は回収した。お別れだ、幻想殺し。
 いいや、今は上条当麻と呼ぶべきか―――」

視線を向ける。
上条は下を向いたまま、大量に血液を滴らせていた。

ずるり。

力が抜けていく感覚に、フィアンマは眉を寄せた。
取り込んだはずの右腕が、徐々に消え失せていく。

「……何、だ…?」

力は取り込んだ。
だというのに。

「お前は何をして……」

上条の右腕。
正確には右腕のあった場所に、透明な『何か』が見えた。
生きている者全てを戦慄させるような、『何か』だった。

「テメェが何なのかは知らない。だが、」
「ここでは俺がやる。テメェは黙ってろ」

上条はそれだけ言った。
そうして『何か』を握りつぶすと同時、右腕が元に戻った。
フィアンマの内に、先程回収したばかりの右腕はない。
砕けた皿に料理を盛り付けるという役割は果たせない。
それと同じ、吸収した方の上条当麻の右腕は急速に劣化する。
まるで、『幻想殺し』を宿す右腕は、上条の右肩にしか相応しくないというように。

337: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 21:58:51.37 ID:k8jyXvqo0

このままでは『幻想殺し』が『聖なる右』を食いつぶす。
素早く判断し、フィアンマは右手を振るった。
癒しと奇跡の力が、腐っていく右腕を地面へ排出する。

「っ、……」
「お前は」

排出時の苦痛に下を向いたフィアンマは、顔を上げた。
距離を保ったまま、上条当麻は右拳を握っていた。

「本当にやりたくて、今の行動をやってるのか?」
「……何を言っている?」
「俺は俺の得を選んだだとか、綺麗事だとか、裏切っただとか。
 俺には何の話かわからない。だけど、これだけは理解出来る。
 お前は、"以前の俺"と知り合いだったんだな。いや、…友達だったんだ」
「………」
「今の俺には、記憶がない。お前が指摘した通りにさ。それは事実だ」

右手が震える。
この男が何を言おうとしているのか、わからない。読めない。

「お前は、俺にとってのインデックスと離れた。
 多分俺は、その後押しをした。その結果が今なんだろ?」

338: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 21:59:21.64 ID:k8jyXvqo0

「………、…な」
「俺はインデックスを救って、記憶を喪った。
 お前は大事なヤツと離れて、世界を救うことに専念した。
 だけど、そのことをずっと悔やんでる。そうなんだろ」
「……く、な」
「俺はお前と同じだって、何度も言ってたよな。
 同一視してた俺が自分と違う道を選んだから、お前は俺を憎んでる。
 切り捨てるものに、自分と同じ『大切な人』を加えられなかった俺を。
 お前は、そいつを手放したくなかったんだ。なのに何で―――――」
「知ったような口を利くな!」

右腕を振るい、霊装を握り込む。
彼女の瞳には世界に対しての憎悪があり、その精神は傷だらけだった。
幻想殺しによって力を削られ、魔道書の『汚染』が脳を苛む。
激しい頭痛に見舞われながらも、フィアンマは歯を食いしばって上条を睨みつけた。

「何も共有出来ない今のお前に、俺様の間違いを指摘する権利はない。
 俺様には手放すことが最善だとそう言いながら、お前はそうはしなかった。
 人間はそんなやつばかりだ。悪意と敵意と、欺瞞にしか満ちていない。
 それを救ってやろうと言っているんだ。上から目線の救いだとしても、お前達には必要なものだ」
「義務感だけで救おうとしてるのか」
「ああ、そうだ。それが俺様の使命だ、本分だ、義務だ、権利だ、責務だ。
 生まれながらにして『世界を救える程の力』を内包した、人間の。
 誰かがいつかやらなければ世界は崩壊する。俺様がやらなければならない!!
 俺様にしか出来ない。……やらなければならなかった。そうしなければ、」

世界が滅んだら。
自分が何もしなければ、トールは人類滅亡に巻き込まれる。

「俺様は免罪符だ」

戦争の全責任を負ってもいい。
何もかも自分のせいにしてくれていい。
そうして世界を救って平和にした先に。
彼が生きて、安心して戦える世界を。

「誰かにやれと言われたから。あいつのせいでやらなければならなかったから。
 お前達はそう言い訳しながら、俺様の思うように動いた。
 人間が善性に満ちていれば、こうはならなかった。
 この戦争は、確かに俺様が先導した。だが、実際に事を起こしたのはお前達だ」
「確かに、人は醜いところばかりかもしれない。俺にだって、目を背けたくなるようなどす黒さがあるに決まってる」

339: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 21:59:47.65 ID:k8jyXvqo0

上条はそう認めた上で、対峙する。

「でも、人はそれだけじゃない。お前が救わなくても、いつか自分達で自分達を救うかもしれない。
 お前が、大事なやつを見つけたことがその証明だろ。醜い面しかないなら、大事には思えない。
 善性に満ちていなくたって、それは確かにある。お前が悪性を引き出して利用しただけだ。
 何でこうなる前に、誰かに打ち明けなかったんだよ。お前が間違う前に、誰かが止めたかもしれないのに、」

何度も、打ち明けようと思った。
手を伸ばして、誰かに縋ってみようかと思った。

「……俺様は間違ってなどいない」

こんな人間を、誰が救えるだろう。
こうする以外に方法がないのだから、良案など出てこない。
巻き込めば、親しくなった分だけ傷つける。
自分の手には、大事なものがあってはいけない。
だからこそ、教皇も、右席の面々も、記憶を消した。

「いや、間違ってるよ」
「何故そう言い切れる?」
「お前は、今のこの状態が楽しくないと思ってる。
 お前自身すら幸せになれないなら、この戦争は絶対に間違ってる」
「………」
「大事なやつは、死んだ訳じゃないんだろ。
 俺が止めてやる。お前が人類を無理やり救って只の免罪符になるなんて未来は食い止めてやる。
 使命と義務に追い立てられてるなら、俺がお前の悪役になってやるよ」

上条当麻のせいで救えなかった。
だから自分は悪くないと思え。

自分が免罪符になることを防ぐために、彼が自分の免罪符になるという。

「お前は、誰かに使命の重さを語ってよかったんだ」
「困惑させるだけだ」
「だとしても。…たった一人で背負って、大事なものを全て捨てる必要なんてどこにもなかった」

激しい頭痛と『汚染』で、視界が歪む。
酷く吐き気がして、まともに立っていられそうになかった。
上条が距離を詰めてきているのに、一歩後ろに下がることすらままならない。

340: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 22:00:26.97 ID:k8jyXvqo0

「言っただろ。核ミサイルを発射しようとしたやつにだって、事情があるなら」
「自分は救ってやる、か」

息が切れる。
ぼろぼろと、変化術式で纏っていた身体が壊れていった。
右手に握った霊装を水平に掲げるが、立っていられない。
その場に座り込むと同時、上条との距離がほぼゼロになる。

「誰も、同じ役割なんて持っていなかった」
「誰も、止められるはずがなかった。気づくはずも」
「自分は正しいと言い聞かせて、ずっと立ってきた」
「何を喪っても良いように、ずっと我慢してきた」
「そっか」

「なら、もう我慢しなくていい」

重かった。
背負ってきたものは、無理やり背負わされてきたものばかりだった。

「お前でさえ、あの時、止めてくれなかった」
「ああ」
「お前のせいだ」
「そうだな」
「お前の」
「そうだな。だから、もうやめよう」

神浄の右手が、自分の右手を握る。
やめよう、という声は優しかった。
自分が嫌った、昔の彼によく似ていた。

「義務感に追われるまま、自分は正しいなんて言い聞かせて進むのは、もうやめよう」
「やり直せると、思うのか。普通の人間として。今、戦犯になってから?」
「出来るさ。記憶なんて無いし、お前と過ごした思い出なんて何一つないけど、そう思える」
「何故だ? 覚えてなどいないのに」
「多分、覚えてるんだ。お前が優しかったことも、辛かったことも。
 お前に大事なやつがいたこととかも、全部」
「どこ、に……?」



「心に」



そう言って、世界を救ったヒーローは優しく笑った。

341: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 22:00:53.76 ID:k8jyXvqo0

「お前、…何で男の格好してたんだよ?」
「勝手がよかったからな」

霊装は上条へ渡し。
上条はインデックスに謝罪をした後、霊装を右手で壊した。
フィアンマはその間、どう『ベツレヘムの星』を始末するか迷っていた。
世界中の『善意』が救済を拒み、自分は弱体化を辿っている。
間もなくこの城は崩壊するだろうし、そうなると上条が危険だ。

「脱出用のコンテナがあ『聞こえてますか? 私です、レッサーです!』」

少女の声が割り込んだ。
何でも、自分に対してやれる限りの妨害行為を済ませたので先に脱出するとのことだった。
コンテナがだいぶ消費されているだろうな、とフィアンマはうっすらと思う。
これでは上条が安全に脱出出来ない。百人程度の魔術師など殺しておけばよかった。

「俺様は、お前が妬ましかった」
「インデックスのことで、か?」
「それもそうだが、他にも色々と要因はある。
 俺様の思ったように動かない男はお前だけだったしな」

コンテナのある場所に残るのは、個人用のものが二基。
幸運にも、二人分残っていた。

「俺様は後から行く。お前は先に行け」
「まだ後始末あるんだろ」
「問題ない。すぐに追うさ」

上条を追い立て、フィアンマはゆっくりとため息をつく。

「もし、」
「? 何だよ」
「もし再び会うことがあれば」
「ああ」
「友人に、なってくれるか」
「………インデックスに謝ったらな?」

その会話を最後に、上条は自ら選んだコンテナに乗って脱出した。
一人残った少女は、夜空を見上げる。
指先を床につけ、制御を行う。
地表を目掛けた『天使の力』を空中へ分散させ、息を吸い込む。

「………トールは、俺様と会っても、……また、笑ってくれるかな…?」

342: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/12/31(火) 22:01:19.64 ID:k8jyXvqo0

『jocbhvdusxijknbh不足vgsuhij』

ゴボリ。

『fxgyuhyiszjkhxbgvs』

足りない。

『guxhijbw水sx』

水が足りない。

『dgwusdquhgyhbjxnkinh』







大天使『神の力』が、再び動き出す。

348: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:22:09.00 ID:mmZG/6ru0

神殿の城たる『ベツレヘムの星』内を歩き回り。
適所を破壊して天使の力を世界に還元しながら、フィアンマは地上を見やった。
黒い粒子のようなものは見えず、ただ地上の様子だけが見えた。
放っておいても墜落していく城に攻撃を仕掛けようとする人間は居ない。
ニコライ辺りが核兵器を打ち込みそうだと予想していた彼女は、首を傾げ。

(ああ、『善意』か)

核兵器を搭載したロケットを止めるのに、資格も義務も必要無い。
道具も何もかも、自力で揃えて止めれば良い。
やれる人間がやればいいし、やらなければならない人間なんていない。

そんな考えを持つあの少年には、多くの助けがあっただろう。
この戦争の最中でも、彼に与した人間は多かったはずだ。
その彼ら、或いは彼女らが核兵器の発射を食い止めたとして、何の不自然もない。

「……才能と努力の差か」

才能だけで辿りついた人間には、誰もついてこない。
努力だけで辿りついた人間には、誰かがついてくる。

恐らく、一生かけても自分は彼に追いつけないだろう。
追いつこうとも思わないが。自分はヒーローには不向きだ。

349: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:22:36.88 ID:mmZG/6ru0

適所を破壊する毎に、落下速度が早まっていく。
時々制御して墜ちる方向性を変えながら、城は進んでいった。
北極海に着水しなければ、地表に激突する。最悪の場合、それが原因で氷河期が訪れるからだ。

『cghjiowsh』
「……、」

ゾゾゾ、という音が聞こえた。
大きな津波がやってくるような音に思えた。
『神の力』が北極海の氷や水を使い、自身の身体を再構成しようとしている。
万一にでもそれが完了してしまえば、それはそれで世界が変革してしまう。
自分の手を離れた天使が何をするか。
惑星の破壊、というフレーズがもっともしっくりくるようなことをするだろう。
自分が元の『座』へ戻るために。天使とはそういうものだ。

「努力とは報われないものだな」

自分に言っているのか天使に言っているのか。
ぽつりと呟くと、フィアンマは右手を水平に掲げた。
幸いにして、『ベツレヘムの星』は間もなく着水する。
『聖なる右』で目の前の大天使を片付けてしまえば、心配事は無くなるのだ。

「巻き込んでしまってすまなかったな」

人語で告げたので、きっと伝わりはしなかっただろう。

ただ、右手を振ったその瞬間。
水の大天使は、慈愛を湛えて微笑った気がした。

350: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:23:05.19 ID:mmZG/6ru0

冷たい。
苦しい。

壊れた城の瓦礫が、身を裂こうと迫ってくる。
死力を振り絞って右手を振るい、のろのろと陸へあがった。
水で冷えたところに、ロシアの冷気はあまりにも冷たすぎる。

「は、」

逃げなければ、と思い立つ。
自分が脱出しなかったことは、既に一部に知れ渡っているだろう。
捕縛される相手にもよるが、相手によっては処刑は免れない。
たとえ、ローマ正教所属の人間に捕まったとしても極刑は免れないだろう。

自分の味方はどこにもいない。

そうなるように仕向けてきた。
自らの手で、味方になってくれる可能性を潰してきた。
ただ一人、こんな自分を傷つけないでいてくれそうな相手は。

「トー、……る」

体温が低下しているからか、足がもつれる。
うまく歩けないながらも、一歩一歩、着実にその場から遠ざかる。

彼に会いたかった。

謝って、言い訳して、みっともなくすがりつきたかった。
それを許してくれる程、この世界は甘くないことを知っている。

351: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:23:33.60 ID:mmZG/6ru0

目の前で、神殿は徐々にスピードを上げながら北極海へ着水した。
その衝撃で城はバラバラに砕け、北極海は瓦礫の海と化した。
走ったが、間に合わなかった。
一つ、脱出した人物が乗っていたらしいコンテナは見えた。
それは少し不良箇所があったらしく、不安定な動きをしていた。
あちらは上条当麻が乗っているとの話を聞いた。
今頃は学園都市側が回収しているだろう。故に、トールは城の方を追った。
上条脱出後、コンテナの二つ目が脱出することはなかった。

つまり。

城の中には、彼女が残されていた。
今ならまだ、海水の中でもがいているかもしれない。
他の魔術師は捕縛という目的で彼女を探す中、トールは純粋な心配で捜していた。
走っている最中に連れ合いを残してきてしまったが、彼なら大丈夫だろう。

「クソ、」

水は冷たい。
ただ指先が触れただけで凍えそうなのだ、体ごと浸かったら低体温症は免れまい。

「何処だよ、」

もう少しで、後一歩で手が届く。
ずっと捜してきた。
たとえ敵に回っても、嫌われても、もう一度あの顔を見たかった。
欲を言えば、笑って欲しかった。泣き顔でも良かった。

「居ねえ…」

もしかしたら海の中からは脱出出来たのでは。

そんな考えに至り、トールは何度も海を振り返りながら周囲を捜索し始めた。

352: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:24:01.76 ID:mmZG/6ru0

「………、…」

低体温症は、症状が進むにつれて意識が希薄になってくる。
独り言を呟く気力すらないまま、どこへ向かっているのかわからないまま。
彼女は鉛のように重い脚を引きずり、雪原を歩いていた。

「――――あ、」

不意に。
何の前触れもなく、彼女の右腕が切り落とされた。
肩口から切られ、細い腕が雪原を転がって彼方へ消えていく。

「がッ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

痛みは僅かに麻痺していて、ただ、咄嗟に左手で右肩を押さえた。
傷口からは大量に血液が噴き出し、酷く吐き気がした。
震えながら振り返った先には、逆さまに浮いた銀髪の人間が居た。

それは、『人間』としか表現出来ない。

女性とも男性とも聖人とも悪人ともつかぬ。

「……アレイスター=クロウリー……?」

直感的にそう思い当たり、彼女は首を傾げる。
対して、アレイスターは彼女を見据えた。

『君の行いは、私の『プラン』に大きな誤差を与えた。
 修正不可能、深刻なレベルに達している。…着眼点は悪くなかったが』
「お前、は……」
『十字教程度で"あれ"を理解しようとしたことがそもそもの間違いと言えよう。
 幻想殺しは―――ああそうか、私は月並みに怒りというものを覚えているのかもしれないな』

『プラン』。着眼点の間違い。誤差。怒り。

自分の救済計画が、アレイスターの想定していたものと似ていたのか、と彼女はぼんやりと思う。
上条の右腕を切り落とした直後に『見た』ものが、見てはいけないものだったのだろうか。
上条が無事見つからなかったのだろう。怒りを覚えているということは。

しかし、あの男がそう簡単に死ぬとは思えない。

恐らく、彼に友好的な魔術師に保護されたのだろう、とフィアンマは予測する。

353: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:24:33.10 ID:mmZG/6ru0

『君の生存はプランにとって不都合だ』
「そう、だろうな」

アレイスターは、自分への怒りだけで殺しに来たのではない。
自分の計画、実行、その不出来な結果から自分のプランを逆算されないようにするために、消しに来たのだ。
そうして自分を殺した後、この魔術師はどのような行動に出るだろう。

上条当麻を利用することは間違い無い。

それは、絶対に許されざる行為だ。
あの少年の善意を利用してはいけない。
ヒーローとして駆けずり回った日々は、あの少年と彼を慕う人々達だけのものだ。
そして何よりも、再会したその日、魔道書図書館への謝罪を終えたその時。
自分と彼は友人となる。友人を策略に利用されるというのは、どうにもカンに障る。

「あの男が守ろうとしたものを、穢される訳にはいくまい」

上条を利用しようとするなら、上条の周囲の人間も利用することになるだろう。
彼が利用された思惑は、自分一人のものだけでいい。

今ならまだ戦える。

右腕を切り落とされたとはいえ、『第三の腕』の顕現位ならば、まだ。
左手をのろのろと外す。ボンッ! という音と共に、怪物の腕のようなものが現れた。
血液と天使の力で構成されたものだ。勿論、世界環境を整えたあの時よりは余程弱い。

「無駄だと思うがね」
「無駄かどうかの問題ではない」

『銀色の杖』のような、銀のもや。
伝説級の霊装のようなものを見て、彼女は少しだけ笑った。

この世界には救いなんて無い。
自分が願ったことなんて何一つ叶わない。

ただ、ここで死んでもあまり後悔はないだろうと思う。

『第三の腕』と、『銀色の杖』の力がぶつかり合う。
結果は言うまでもなかった。
片方はそのままに、もう一方が雪の山を転げ落ちていく。

354: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:25:02.56 ID:mmZG/6ru0











もう、寒さを感じない。
身体の震えは完全に止まっている。

負けた。

生きているのは幸運と言っていいものか。
いや、捕まった後のことを考えると不運かもしれない。

「………」

視界がぼやける。
意識が薄れていくのが、自分でもわかる。
このまま死ぬのかもしれないな、と考えるも、文字通り手も足も出ない。

「……?」
「まだ生きて…いるようだね」
「運が良かったってところか」
「いや、彼女自身の実力だろう。あの場面で手を抜く理由がない」

金髪だけが目についた。
トールのものよりは、やや色素が薄い。
目の色は緑色で、透き通った水色とはまるで違う。

「……、…」

誰だ、と聞こうとして。
そのまま、フィアンマは気を喪った。

355: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:25:41.36 ID:mmZG/6ru0

「………ん」

目が覚めた。
暖かそうな内装の、さほど広くない部屋だった。
アパートメントだろうか、とフィアンマは考える。
そんなことはどうでもいい。問題は、誰が自分を拾ったのかということだ。

「目、覚めたみたいだね」

唐突にドアが開いた。
入ってきたのは、金髪の女性だった。
豪胆そうな、さっぱりとしたイメージを与えてくる人だった。
身にまとうのは決して豪奢ではないエプロンなど、シンプルそのもの。
だが、彼女がまとうことで不思議と『メイド』のシルエットを浮かばせていた。
彼女が手にしているのは、湯気の立ち上るマグカップ。
甘い匂いだった。ココアだろうとすぐに予想出来る程、濃厚なカカオの香り。

「飲みな。多少は温まる。回復術式だけじゃ完全には良くならないだろ」

差し出されるマグカップ。
毒は盛られていなさそうだった。
毛布を手繰り寄せ、カップを受け取る。
一口啜ると、心地良く、甘い味が口の中に広がった。

「……それで。俺様が服を纏っていないのは、凶器を没収するためか」
「凍った服着たままじゃ回復しないから脱がしただけだよ。今は洗濯中」
「そうか」

ココアを飲む。
洋菓子やそれらに関連づいたものしか飲食出来ない自分にはありがたかった。

356: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:26:16.68 ID:mmZG/6ru0

見つからない。

また、ダメなのか。
彼女の手がかりだけ掴んで、見つけられないのか。

トールは絶望感に駆られながら、雪原を歩いていた。
泣き出したい程に、彼女は見つからない。
何も、多くを望んでいる訳ではないのに。
ただもう一度、彼女に会えればそれだけでいいのに。
それだけできっと、我慢出来るのに。報われるのに。

「フィアンマ……っ!!」

視界に入ったのは、華奢な指先だった。
かつて握ったことのある、女の子の手だった。
雪に埋もれて、体温を奪われているのか。
ピクリともしない指先だったが、あの赤い袖は明らかに彼女のもの。

やっと。

ようやくだ。
ようやく、彼女を探し続けてきた努力が報われる。
まずは引っ張り出して、それから救命活動をしよう。
回復魔術は詳しいという程ではないけれど、冷えた体を温める程度なら自分にだって出来る。

「今出してやる、」

トールは瞬時に腕へ近づき、手を伸ばした。
しっかりと手首を掴み、雪の中から掘り出す。
腕の先には、青ざめた彼女が居るはずだった。
少なくとも、この状況なら女の子が雪の中に居るはずだった。

357: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:26:47.30 ID:mmZG/6ru0
 
雷神トールが引っ張った瞬間。

切断面が鮮やかな腕だけが、小さな雪山から引っこ抜かれた。
 

358: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:27:34.75 ID:mmZG/6ru0

「………あ…?」

トールの思考が、全停止した。

この腕は彼女のものだ。
血液が、雪に滲んでいる。

どうして?

彼女が居なくて、切断された腕だけがある。
いや、切断ではなく体がバラバラにされた、その内の肉片かもしれない。
彼女は今、第三次世界大戦の首謀者としてありとあらゆるサイドから狙われている。
科学サイドからはそうでもないかもしれないが、魔術サイドはほぼ全員が狙っているはずだ。
見つけ次第私怨で殺してしまったとして、誰も殺人者を責めはしないだろう。
彼女の純粋な味方は、実質自分一人しかいないのだから。

自分以外の誰かが彼女を見つけた?

だとすれば、殺されてしまった。
高威力の遠距離砲撃なら、弱った彼女を破壊し殺すには充分だ。

或いは。

城が着水した衝撃により、体が砕けてしまったのか。
科学についてはあまり詳しくないが、過去に起きた有名な飛行機事故程度なら知っている。
飛行機がバラバラになれば当然、乗っていた人体もバラバラとなる。
火薬こそ積んでいないものの、衝撃分散装置があの城にあったとは思えない。

事故か、殺人か。

何にせよ、ここに腕しかないという事実から導き出せる真実は一つ。

彼女は死んだ。
自分がもっと早く追いついていれば、見つけていれば、助けられたかもしれなかった。

359: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/04(土) 00:29:03.93 ID:mmZG/6ru0

「う、……ぇえ゛ッ…!」

のろのろと腕から手を離し、こみ上げるままに嘔吐した。
元々ロクに食べてはいなかったが、胃の内容物全てが胃液に混じって雪原へ吐き出される。
真っ白な雪が黄色に染まる様を眺め、苦い水に涙を浮かべながら、少年は嘔吐した。
喉が灼かれ、息が苦しい。死んでしまいそうな程苦しい。

「げほっ、かは、」

雪にみっともなく手をついて、吐き出す。
やがて治まる頃には、全ての気力が抜け落ちていた。

何だったんだ。

自分の努力は。
そもそも、希望を持ったことが間違いだったとでもいうのか。
ただ一度、もう一時だけ彼女と共に在りたかったというその願いは。
そんなにも悪いことだったのだろうか。

何も、胸を張れる人生だとは思っていない。

自分はどちらかといえば日陰者で、彼女もきっとそうだろう。
しかし、彼女とてそんなに悪いことをしたとは、トールには思えなかった。
たとえ扇動を命じたとしても、彼女は引き金を引いただけだ。

ここまで無慈悲な扱いを受けなければならない程、悪いことをしたとは思わない。

それは恋人の欲目だと批判されても、トールは構わなかった。

「………」

形見と呼ぶにはあまりにも残酷な腕一本を持ち。
彼はふらつきながら立ち上がると、やがて歩き出した。
大好きな少女の、片腕を抱きしめながら。





帰り道雪原を見やったが、指一本見つからなかった。

367: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/05(日) 15:42:00.65 ID:gRzkvjwz0

そうしてトールはやがて、『グレムリン』本拠地へと戻って来た。
先に戻っていたらしいウートガルザロキが、彼の方を見やる。

「ずいぶんお早いお帰りじゃねえか。見つかったのかー?」

気楽な声。
軽薄そうな青年は立ち上がり、トールの表情を窺おうとして。
少年の持っているものに、思わず後ずさった。

「……、…」

あれ腕じゃね? つーか腕だろガチリアルグロなんですけど。

そんなこと思いながら後ずさる青年に対し。
トールはうっすらと笑みを浮かべ、虚ろな瞳でこう申し出た。
口調やトーンが妙に平たいことが、聞く者の恐怖を誘う。

「なあ、氷とかクーラーボックスとか、ないか?
 このままじゃほら、腐っちまうかもしれねえだろ」
「………あ、ああー、クーラーボックスね! ちょい待ち」

逃げ出すようにウートガルザロキはそう答え、ひとまず奥へ引っ込む。
トールは少女らしい細腕を抱きしめたまま、椅子へ腰掛けた。

「………腐ったら、くっつけてやれねえもんな…?」

ぽつりと呟いて、手の甲へ口付ける。
まだ雪にまみれて凍ったままの腕は、死人のそれと同じように冷たかった。

368: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/05(日) 15:42:42.07 ID:gRzkvjwz0

「っくしゅん、」

くしゃみをしつつ、ココアを飲み終えた頃。
今はまだ痛みを麻痺させられている右肩を見やり、少女はため息をついた。
利き腕を失うというのは、魔術を使うにも、日常生活においても不便だ。
切られてしまった腕は恐らく雪に埋もれたままか、アレイスターに砕かれてしまっただろう。
出来れば拾って欲しかったが、シルビア達に要求するというのもお門違いで。

「…かといって感謝する気にもなれんが」

女性の方はシルビアで、もう一人の男の方がオッレルス。
……と、メイドのシルエットを持つ、ココアをくれた女性に聞いた。
気を失う直前に見た青年の名前だろう。
もっとも、北欧神話の神の名が本名だとは思えない。
魔術師にとって本名は特には意味を持たないため、どうでもいいが。

「……」

空っぽのマグカップを机へ置く。
流石にいつまでも裸のままでは風邪を引くので、服を貸してもらった。
シルビアは既に退室しているし、暫くは誰も来ないだろう。

369: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/05(日) 15:43:19.07 ID:gRzkvjwz0

毛布を左手で畳み、脇に置く。
軽く感じる眠気を首を振って払い、服を手にした。

広げてみる。

シックな赤いワンピースのようだ。
スカート部がかなり長く、清楚なイメージの一着。
長袖なので少々着づらい…と思ったものの、後ろにチャックがついている。
ドレスのようにゆとりのあるデザインらしい。

「…赤か」

自分、もとい神の如き者の属性色だ。
いざという時術式を執行するにあたって都合が良い。
余計な魔術記号が散りばめられていないか確認した後、ジッパーを下げる。
ジジジ、という音がして、ワンピースは上着のように別れた。
 着がないが、一体型のようである。シルビアのものではサイズが合わないからだろう。
わざわざ買ってもらうというのもおこがましい。そもそもそこまでの義理はない。

「っくしゅ!」

寒い。

さっさと着よう、とワンピースに腕を通したところで。

370: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/05(日) 15:44:06.78 ID:gRzkvjwz0
 
ガチャッ
 

371: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/05(日) 15:45:02.64 ID:gRzkvjwz0

ドアが開いた。
一瞬目に入ったのは金髪だったが、シルビアのものではない。
そしてフィアンマに、見知らぬ男へ裸を見せる趣味は無かった。
ノックをしないのはマナー違反である。たとえ家主であろうとも。

よって。

数々の条件から、フィアンマはノーラグノータイムで詠唱した。
一定の区域から敵を排除するものである。
防衛などで拒絶した場合にはペナルティーが課せられ、軽くビンタされた程度の痛みが走る。
実用的ではないが、日常生活の叱咤程度ならば有用である。

「痛、った!!」
「唐突に入ってくるとは良い度胸じゃないか」

さっさと服を着てドアを開ける。
ビンタ程度の威力をモロに喰らったのか、若干涙目の男が立っていた。
フィアンマは彼を(身長の関係上)見上げ、わざとらしくため息をつく。

「何の物音もしなかったから寝ているかと思って。すまなかったね」
「それで良い」

謝罪を受けて満足したため、フィアンマはベッドへ腰掛ける。
シルビアから軽く説明を受けた限りではもっと恐ろしい男だと想像していたのだが。

「…まあ、『神の右席』もそんなようなものだったしな。
 中に入ってしまえばイメージと違っていて当たり前か」
「? 何の話だい?」
「こちらの話だ。…さて、本題に入ろう。お前が俺様を助けた理由は?」

まさか何のメリットもなしに、とは思えない。そこまでお人好しには見えない。

聞かれた男―――オッレルスはというと、少し考えて。

「君の見聞きしたことを全て教えて欲しい。そして、今後協力して欲しいことがある」
「ふむ。良いだろう。こちらからも条件がある」

フィアンマはゆっくりと息を吸い込み、オッレルスを見据える。
本来は条件など出せる身分ではないが、約束事は大切だ。

「俺様が協力する、必須条件だ。守らないというならお前を殺しても構わん」
「はたして君に私を殺せるかどうか…まあいいか。内容を聞かせてくれ」

372: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/05(日) 15:45:42.48 ID:gRzkvjwz0

オッレルスの目的は、戦時中の混乱に乗じて『グレムリン』という組織を完成させた魔神を殺すこと。
フィアンマの目的は、雷神トールに会うこと。及び、彼の安全が守られる状況を作ること。

詳しく言えばお互いの目的は増えるのだが、大まかにはそんなところだ。
何にせよ、利害関係が一致していることは間違い無い。

「雷神トール―――戦争代理人とも呼ばれる魔術師か」
「知っているのか?」
「『グレムリン』の直接戦闘担当だよ」
「…なに?」

嘘はついていない。
オッレルスの様子を観察してそう判断し。
フィアンマはゆっくりとため息を吐き出し、天井を見上げた。

「条件は―――雷神トールを殺…いや、危害を加えないことだ」
「あちらから攻撃を仕掛けてきても、ということで良いかな」
「そういうことだ。……気絶させる程度に留めて欲しい」
「わかった、約束は守るよ。……では、私からの条件は」

知っていることは全て話した。
トールとの個人的な事は口にしていないが、こんな条件を出した時点で理解してはいるだろう。
魔神のなり損ないたるオッレルスはフィアンマを見つめ、やがて条件を出す。

「共に行動し、私の指示通りに動いて欲しい。君の指針と食い違わない程度で良いから」
「……シルビアは『聖人』なんだろう? 何故俺様を一番の手駒に?」
「力量、かな。…ああ、でも君の身の安全は保障するよ。ある程度は」
「そうかい」

信頼はともかく、信用はおけるだろうか。

ぼんやりと思ったところで、くきゅるる、という音がした。
ちら、と自分の平たい腹部に視線を向ける。お腹が空いた。

「何か食べたいものは?」
「……カスタードプティング」
「普通の食べ物は吐き気を催すのだったかな」
「そうだよ。ストーカーこわい」
「違うよ!? シルビアに聞いただけだよ!!」

373: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/05(日) 15:46:51.32 ID:gRzkvjwz0

ウートガルザロキにクーラーボックスをもらい。
シギンに大量の氷をもらったトールは、一人ふさぎ込んでいた。

クーラーボックスの中には、沢山の氷。
それから、薄手のビニール袋に包まれた一本の腕。

ボックスを隣に置き、トールは別人のようにぼんやりとしていた。
初めて守りたいと思ったものを喪えば、当然ではある。
彼女は生きていると信じたい想いと、死んだのだろうという予測する現実的な思い。
どちらをとるか測りかねて、トールは黙々とクーラーボックスを撫でる。
少なくとも、彼女のカケラはこの中に入っているのだから。

「完全に鬱入ってるね…」

トールの様子をチラ見したマリアンの呟きに、ミョルニルがガタゴトと揺れて同意する。
戦闘こど血なまぐさく、思考にもやや異常が見られるマリアンだが、感覚は情に篤い。
仲間が落ち込んでいれば何とかしてやりたいというのは、実に人間的な想いである。
しかしながら、どう慰めればトールが元気を取り戻すのかはわからない。

「オティヌス、」
「私に任せておけ」

音もなく部屋に入ってきた魔神の少女を見るなり、マリアンが期待の眼差しを向ける。
オティヌスはゆっくりとトールに近寄り、ボックスとは反対側、彼の隣へ腰掛けた。

374: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/05(日) 15:47:27.94 ID:gRzkvjwz0

「お前が行った後、私や使い捨て要員の方でも捜索を行った」
「………」

透き通った水色の瞳は、オティヌスを見ない。
少女のような印象を与える長い金の髪を垂らしたまま、彼は黙っている。

「……まだ、その腕の持ち主は……少女は、生きている」
「……適当な事言ってんじゃねえよ」

オティヌスに対してこのような態度をとれるのは、トールだからだろう。
他のメンバーであれば沈黙したままの方が賢いと考えるに違いない。
或いは、大切な人を喪った衝撃で自殺願望でも持っているのか。
内心ヒヤヒヤとするマリアンの視線をものともせず、トールは塞ぎ込む。

「オッレルス」
「………」
「私の対となる…虫唾が走るが、事実その状態にある男だ」
「…名前位なら知ってる」
「ヤツが拾った。恐らく、生かしている」
「……何のために」
「無論、使用するためだろう。使い捨てのつもりかもしれないな」
「ッ、」

悲しみは、怒りに転じやすい。
期待すればする程、絶望の濃度が高いように。

「我々は今後、奴らとぶつかることになるだろう。
 その過程で、取り戻せばいい。腕はその時まで保管しておくのが良いだろう」
「……本当だろうな」
「嘘をつくメリットがない。調べて判明した情報をそのまま伝えているだけだ。
 オッレルスの思考回路は私と対して変わらない。いや、魔神である私だからこそ読める。
 ある程度の戦闘は彼女を使って切り抜け、使い潰して捨てるつもりなのだろう。
 何かを失敗しても、彼女のせいにしてしまえば済む。何しろ先の大戦の首謀者なのだからな」

ギリ。

トールが歯ぎしりをする音だった。
怒りという感情は強く、立ち上がるには十分な原動力となる。

375: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/05(日) 15:48:18.66 ID:gRzkvjwz0

「……落ち込んでる場合じゃねえな」

これ以上、彼女を免罪符にさせる訳にはいかない。

トールはのろのろと立ち上がり、オティヌスを見た。
騙されているとも知らずに、彼の瞳には怒りの炎が点っている。
そんな少年の様子を眺め、魔神は満足そうに笑みを浮かべた。

「それで良い。私の役に立て」
「ひとまず飯食ってくる」

クーラーボックスを持ったまま、トールはふらりと本拠地を出て行く。
会話を盗み聞くにはいたらなかったマリアンは、ほっと胸をなで下ろした。

「私は作業に戻る」

告げて、オティヌスはマリアンの横を通り過ぎた。
帽子を目深にかぶった彼女の口元には、下卑た微笑みが浮かんでいる。

382: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/07(火) 22:32:05.38 ID:IhUfCYqQ0


オッレルスが一般人に紛れてハワイへ行っている中。
フィアンマはというと、シルビアと共に留守番をしていた。
さながら保護された子供である。あながち間違ってもいないのだが。

「手品を見た経験は?」
「特には」
「なら、暇潰しに見せるよ」

『聖人』は、その圧倒的な腕力をもってして敵を制す。
故に細かい芸当は苦手なはずなのだが、シルビアは類に漏れるようだった。
彼女の場合、結界術が得意だということに関連しているのかもしれない。

「右手がマシュマロ。左手がキャンディー」

口にした通り、シルビアの右手には個装のマシュマロ。
反対の手には個装のキャンディーが乗せられている。

「…それを?」
「これを、こう」

彼女はフィアンマの目の前でマシュマロを放り、キャンディーと入れ替える。
通常は、既に今の行動で右手にキャンディー、左手にマシュマロがあるはずである。

「さて、キャンディーはどっちだと思う?」
「……右手」
「残念」

手のひらを見せるシルビア。
確かにその手に収まったはずのキャンディーは無く、ちょこんと乗っているのは。

「残念賞でクッキー贈呈」
「………」

むくれながらも素直にクッキーを受け取るフィアンマは年相応である。

「種明かしは必要?」
「どうせ俺様が一瞬放られたマシュマロを見上げている間に聖人の力で素早く弾き、変えたのだろう?
 原型を留めていない以上、俺様にキャンディーを見せられるはずもあるまい。手品としては三流だな」
「何だ、バレてたのか。なら、何でキャンディーが入ってるって答えた?」
「菓子がもらえるかもしれんだろう?」

損をとって得をとる。

可愛くない子供だ、とシルビアは小さく笑った。

383: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/07(火) 22:32:46.08 ID:IhUfCYqQ0

「ただいま」
「何か成果はあったのか」

シルビアからもらったキャンディー(いちご味)ひと袋を漁りながら、フィアンマはそう聞き返した。
成果がないのなら話は聞かない、といった態度でもある。

「まあ、多少は。火山が噴火してしまったよ」
「そうか」
「……素っ気ないな」
「歴史上、噴火などありふれているだろう。死者数によっては多少は反応を変えるがね」

『グレムリン』は、着々と下準備を行っている。
身内を切り捨て、命綱を絶ち、一歩も留まることなく前進する。
そのやり口は、フィアンマがかつて行ったものに似ていた。

机上で計算され尽くした犠牲者数。
その犠牲によって得られる恩恵。
全てを思いのままに動かす少女。

自分に対しての嫌味だろうか、とフィアンマはぼんやりと思う。
元はと言えば自分が戦争を起こしたせいで『グレムリン』は生まれてしまったのだが。

「上条当麻が居たよ」
「………、…」

飴を食べる手を止めた。
安堵を隠しきれない。良かった、生きていて。
魔神の思惑に振り回されているというのは少し哀れだが、死んでしまったよりもずっと良い。

384: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/07(火) 22:33:54.91 ID:IhUfCYqQ0

「甘いものを好む人間は愛情が足りていないらしいね」
「…俺様に向かって言っているのか?」

シルビアは現在買い出し中である。
フィアンマは空っぽにした飴の袋を枕代わりにオッレルスを睨んだ。
彼は少しだけ微笑んで、悪意無く指摘する。

「正確には、愛情が足りていない人間は甘いものを好む。
 君の場合は体質的なもので、食べる様はつまらなそうだ。
 でも、まあ、見ていれば思うよ。雷神トールは、君の恋人なんだろう?」
「………だったらどうした」
「私は『グレムリン』の人員に容赦をするつもりはない。
 ただ、君との約束は守るし、あの魔神から離反するというのなら止めない」
「…………」
「もしも私と行動をするのが嫌になったら、いつでも離れてくれて良いよ」
「言われずともそうするつもりだが」

手を伸ばし、既製品のカスタードケーキサンドの袋を開ける。
甘ったるいバニラビーンズの香りを感じつつ、フィアンマは口を開けた。
相変わらず何を食べても美味しいとは感じられないが、食欲は戻った。
オッレルスは優しい。人間的には嫌いではないタイプだ。
上条と少し似ている気もするが、偽善者の感触がまるでない。
恐らく、彼もどこか歪んでいるからだろう。内と外の切り替えがはっきりとしている。
そもそも大人とはそういうものだし、魔術師とはそんなやつばかりだ。

自分も。

385: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/07(火) 22:34:22.93 ID:IhUfCYqQ0

「………俺様に」
「……ん?」

ケーキを口に含む。
甘いものは、頑なな心を溶かす作用があるような気がする。
ほわほわとした生地と、甘ったるいバニラの香り。
舌先に広がるちょっぴり脂っぽいカスタードクリーム。
鼻を抜けていくのはバニラシュガーの香料だろう。

「トールとやり直す資格はあるのかどうか、自信がない」

同意が欲しい訳ではない。否定が欲しい訳でもない。

ただの独白。

自分はトールを事実上捨て、自らの目的を優先した。
その結果がこのザマで、トールはなりふり構わず進む破滅的な道に進んだ。
元々戦闘狂だったが、戦争代理人としての暴力的な側面が目立ち始めたのは自分と別れてからだ。
今頃になって、都合良く"はい元通り"といくのだろうか、という不安のようなものはある。

無償の愛は難しい。

好きになればなるほど。

「無いだろうね」

オッレルスはさらりと言い、フィアンマの前にクッキーの袋を置いた。
黙っている彼女に向かって、彼はどこか懐かしむように言う。

「そして、人間関係に資格という概念はないと思うよ」
「………」

386: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/07(火) 22:35:09.46 ID:IhUfCYqQ0
 
「……良いことを言っているつもりなら、ずいぶん恥ずかしい男だな」
「え、今のは悪くなかったと思うんだけど。あれ? 何で引き気味のリアクション…?」
 

387: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/07(火) 22:36:03.45 ID:IhUfCYqQ0

弱い者いじめをするというのは性に合わない。

それが、雷神トールの基本的な考えである。
それは『グレムリン』の面々が知るところ。
故に彼はハワイの一件には参加することがなかった。
否、正確にはあまり知らされなかったのである。

「………」

ぼんやりと。

天井を見上げ、トールはゆっくりと息を吐きだした。
今頃、彼女はどうしているのだろう。
自分のことを想ってくれる日はあっただろうか。

『トール』

自分の名前を呼んで笑う彼女の姿が、目を閉じるまでもなく浮かぶ。
一方的な情報を信じるつもりは無いが、オッレルスという男の全容は掴めない。

『優しいフリをして』
『甲斐甲斐しく世話をして』
『笑顔で地獄に突き落とすような』
『そういう男だよ、オッレルスは』

あくまでもオティヌスの談である。
嘘かもしれない。本当かもしれない。
もし彼女が少しでも心を許しているのなら、厄介だと思う。
自分の言葉を聞いてくれないかもしれない。

「……元々の目的は、敵になってでもアイツに会うことだ」

会ったら何とかなる。

自分に言い聞かせ、トールは枕元のクーラーボックスを撫でた。

395: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/08(水) 21:21:05.66 ID:7JEVBzDw0

「バゲージシティでは一緒に行動してもらう」
「てっきり俺様はのけものかと思ったよ」
「君が居ないと困る」

嘘臭い。

そうコメントしながら、フィアンマは手を伸ばす。
引っ張り出したのは、乾いた自分の衣装だ。
赤一色のそれは、天使の力と対応している。

「………先に言っておくけど、彼は来ないと思うよ」
「……直接戦闘担当なのに、か?」
「君が語る通りの人物なら、弱い者いじめは嫌いだろう。
 使いにくい人材だ。私なら使わない。…ということはつまり、オティヌスも立ち入らせない」
「バゲージシティで起こされる争乱は『弱い者いじめ』なのか?」
「力量差で言えば確実に。そんなことを気にする連中でもないだろうしね」

見目を整える。
もはやローマ正教とは関係のない自分にとって、男の見目は不要だ。
しかし、神の如き者の力を扱うにあたってはこちらの方が都合が良い。
人工聖人と同じ理屈である。偶像の理論を扱うのなら、力を流す方の身体を変えるべきだ。

「……それにしても、ちぎれた袖の元も無しに服を直すというのはどういう技術だ?」
「メイドの特有スキルなんじゃないかな」

396: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/08(水) 21:21:40.68 ID:7JEVBzDw0

「よお、トールちゃん」
「あ? ああ、お前かよ」

食事を終え、一休み。
そんなトールに近づいてきたのは、予想通りというべきか。

ウートガルザロキ。

幻術を究め、神の名を名乗る魔術師。
彼はクーラーボックスを眺め、のんびりと笑った。

もしかすると。

今後、トールと話せなくなるような気がして。
自分の力量に自信がない訳ではない。
だが、バゲージシティで行う『実験』に巻き込まれる以上、悲劇に喰われれば死ぬ。
死ななくとも、無事では帰れないだろう。

それでもいい。

学園都市に一矢を報いる必要がある。

「彼女に会えると良いな」
「ん? おう」

何も知らないトールは、快活に笑ってみせて。
何も識らないウートガルザロキは、純粋に彼の恋を応援する。

世界は残酷だった。
いつでも、昔から、未来に至るまで。

397: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/08(水) 21:22:16.32 ID:7JEVBzDw0

コツ、コツ。

自分の前を歩く男の様子を眺め。
フィアンマは彼に歩調を合わせつつ、目的地へ向かう。
『実験』は食い止められなかった。
いくばくかの死者が出ただろうし、悲劇も起こっただろう。

何の感慨もない。

「……ん」
「……どうかしたかい?」

視界の端に、懐かしい顔があった気がした。
ウートガルザロキ、と名乗っていた魔術師だろうか。
死んでいるように見えた。眠っているようにも。
祈りを捧げるでもなく、通り過ぎていく。

自分にとって価値があるのは。

もはや世界ではなく、幻想殺しでもなく。

398: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/08(水) 21:23:14.16 ID:7JEVBzDw0





「出来損ないが」

吐き捨てながら振り返った魔神の少女。

オティヌス。

「――――、」

彼女を見た瞬間、フィアンマは息が止まるかと思った。
見覚えがある顔だ。緑の瞳は、以前見た時よりもずっと無機質で。

彼女の『見えない力』と、オッレルスの『北欧王座』がぶつかり合う。

何千何万という音が集約し、一つの大きな爆発音に聞こえた。

「私を殺しにきたのか?」
「殺せないよ。出来るんだったらもうとっくに殺してる」
「殺されに来たか」
「それもないな。わかっているくせに」

覚えている。

あの日、自分を睨んでいた少女の顔を。

「―――まあ、ちょっぴりだけなら、押し返す心当たりはある」
「なに…? ……、」

視線が合う。

緑の隻眼が、細まった。
見下ろす側に居ながら、フィアンマは緊張と恐怖を抑えきれなかった。
彼女は自分への悪意の象徴だ。そして、罪深い自分という一人の人間としての。

399: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/08(水) 21:24:04.06 ID:7JEVBzDw0

後にオティヌスと呼ばれる少女は、平凡だった。
否、正確には非凡さがバレていない子供だった。

彼女が産まれた街は、魔術<オカルト>一色。

魔術結社のメンバー同士が子を為し、歴史を作ってきた場所。
少女は周囲の人々が好きだったし、学んだ魔術は誇りだった。
それがどれだけ忌まれるべき内容だったとしても。

フィアンマがその街を訪れたのは、何年も前の冬だった。
排他的と思われた人々は存外に友好的で。
一定の異常性を越えたら殲滅対象、そのための訪問だったが、このままなら問題ないだろうと思った。

だが。

訪れて泊まり、三日目の夜に。
彼らはとある儀式の為に赤子を殺した。
"そういった"術式しか扱えない魔術師達だった。
そしてそのことを、微塵も悪いとは思わない。
生まれて来る前から、先祖がずっとやってきたことだから。

400: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/08(水) 21:24:40.61 ID:7JEVBzDw0

悪魔崇拝。

文字通りの宗教を持つ彼らは、赤子を使って悪魔を呼び出した。
何人殺されてもいい、誰かが願いを叶えられるのなら。
そう思ったのだろう。現れたのは本物だった。

もうそれだけで殲滅対象だったが、黙っておこうとフィアンマは思った。

人には良い側面がある、赤子一人の犠牲には目を瞑ろうと。
けれど、彼らが犠牲に選んだのは訪問者である自分でもあり。
悪魔はそもそも人間程度の言う事など聞かず、獣のように荒れ狂った。

少しだけ迷った。

右手を振るって悪魔から人々を救うか。
だが、そうしたところで、一度悪魔を呼び出すことに成功した彼らは変わらない。
そして、変わってくれることに期待するつもりもなかった。
もしも彼らが矛先を『外』に向ければ、他の街は壊滅する。

ここで、一つの選択をした。

聖職者でありながら、フィアンマは一歩引いて、彼らを見殺しにした。

そうして血まみれになった部屋で、ようやく右手を振った。
一瞬で悪魔は消え、多くの死体と自分だけが残った。

きっと、自分が殺したように見えただろう。
事実、それは間違っていなかった。
自分を陥れようとした彼らが恐ろしかった。
赤子を殺して笑っている人間が怖かった。
他の街のためにと口では言いながら、自分が怖いと感じたという実に人間的な理由だった。

401: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/08(水) 21:25:16.35 ID:7JEVBzDw0

『……なにしてるの?』
『……、…』

きっと、その子供は何も知らなかったのだろう、と思う。
あまりにも幼い子供は自分を見上げ、純粋な眼差しでそう問いかけた。

何と答えれば良いのかわからなかった。

自分が正しかったのか、間違っているのか、わからなくなった。
少女は自分が血を浴びていることと、死体を確認した。
言葉を喪い、静かに立ち尽くす彼女に、何も言えなかった。

『おとうさん』

父親の死体の残骸を揺さぶり。
小さな子供は、こちらを睨んだ。

ふわふわとした金髪。
緑色の美しい瞳。
真っ白な肌。

自分が慈愛をかけていれば、神様のように人を愛して、信じられたなら。
起こらない悲劇だった。取り返しがついた。




自分は。
彼女の親や大切な人達が死ぬことを、容認した。

ただ殺すよりも、余程悪質な方法で。

402: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/08(水) 21:25:42.29 ID:7JEVBzDw0

苛烈な争いを終えて。
フィアンマはのろのろと歩きながら、そんな昔のことを思い出していた。
二者択一を繰り返す中で一種の解を手にした今なら、あの人々を救っただろう。
ただ、あの時は幼かった。未熟だった。
人の可能性を信じる事が出来ない程に。
いいや、それは少し前まで継続されていたことだが。

言い訳にならない。

自分は、オティヌスから全てを奪った。

「君はこれから学園都市で実験を行って欲しい」
「…実験?」
「自分の気配を完全に消せる術式を作ってくれないか」
「……」
「学園都市に潜入したら別行動としよう。君は感知されないよう、歩いてくれていればいい」
「……わかった」

トールとやり直したい、とそう望むには。
やはり自分は罪に塗れ過ぎているのだと、今一度自覚した。

409: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/12(日) 17:41:27.75 ID:IQXL6W5a0

母が死んだ。

病気だと聞いていたが、幼心に違うと感じていた。
一定以上の年齢を越えたら皆が参加する『儀式』の日に死んだから。

『生贄』にされたのかもしれない。

そのことについて、憤りを覚えたことはなかった。
きっと、母親にも叶えたい願いがあった。
命を賭けてでも。今の自分と同じように。

父親と兄は優しかった。
運が良いのか、何度か集会に行っても死ぬことはなかった。
生活はそれなりに満ち足りていた。
自分や、自分の住む周囲がおかしいことなんて知らなかった。

『あの日』の三日前。

外部からやってきた人は、外の事を沢山教えてくれた。

食べたことのない果実のこと。
病の苦しみを楽にしてくれる薬のこと。
甘いお菓子や、砂糖の種類のこと。

どこか、母親に似ていた。
中性的な人だった。

410: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/12(日) 17:42:05.88 ID:IQXL6W5a0

『おかあさんにあいたい』
『ここには居ないのか』
『しんじゃったから』
『………』
『………』
『俺様と一緒に、死者を蘇らせる術式を考えよう』
『できるの?』
『魔術を究めれば、最終的には何でも出来るようになる。
 世界を創ったり、壊したり。死者と生者の区別を曖昧にすることなど造作もない』
『わぁ……!』
『…ただ、そのためには余程勉強して、神上になるか…はたまた魔神になるか。
 素質によっても左右されるしな。努力すればある程度の高みまでは昇れる』
『がんばる』

二人で文献を読んだ。
難しい文章は噛み砕いて説明してくれた。
もしも自分が『届かなければ』、代わりに願いを叶えると約束してくれた。





なのに。

411: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/12(日) 17:42:33.26 ID:IQXL6W5a0


オッレルスと賭けをした。
きっと自分が勝つだろう、とフィアンマは思う。
昔から賭け事には負けたことがない。

気配を殺す術式を構築することは簡単だった。

元々、昔は出向いて殲滅対象を決定していたのだ。
潜入に際して気配を殺すことはよくやっていた。
少々伝承を織り交ぜたが、不具合は無い。

「いらっしゃいませー」

入学希望者向けの大覇星祭は、所謂学生色がよく出ている。
そこかしこで、ほとんど裸みたいな女の子が歩いていた。
今はまだ準備期間のはずなのだが、コスチューム合わせというものらしい。
準備期間中の学生向けなのか、暇な学生や一部業者が出店をしている。
売っているものはたこ焼きや焼きそばといった、一般的な種別。

…なのだが、さすがは学園都市というべきか。

焼きそばはケミカルな色をしていたし、たこ焼きにはチョコ入り。
昆虫チョコなんてものも販売していて、なかなかシュールだ。
オッレルス曰く、自分が一般人と関わる分には問題無いらしい。
恐らく、オティヌスへの不意打ち要員として自分が選ばれたのだろう。

「……ん」
「かっていきませんか!」

フィアンマの服を引っ張ったのは、小さな子供だった。
魔力を練ったことのない人間以外には、フィアンマは気づかれるようになっている。
そういう隠蔽術式だ。なので、フィアンマは驚くでもなく、しゃがんで視線を合わせる。

「飴でも売っているのか?」
「えと、えと…ちょこましゅまろです!」

服のポケットから紙を取り出し、金髪の幼い女の子はそう読み上げた。
ふわふわとした金髪。少しだけ、懐かしい気持ちになる。
本人を前にしたら、恐怖と緊張と、申し訳なさしかないけれど。

「一つもらえるか」
「ありがとうございます、はいっ」
「ありがとう」

412: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/12(日) 17:43:01.93 ID:IQXL6W5a0

ウートガルザロキは、死体すら戻ってこなかった。
シギンもまた同様に。
学園都市に保護(という名の略奪)をされたかもしれない、とオティヌスはぼやいていた。
どうでもよさそうな態度だったので、あれ以上問い詰めても詳細はわからなかっただろう。

「………まあ、生きて…りゃ良いけどな…」

クーラーボックス片手に、トールはそう呟いた。
もしかすると、此処、学園都市内で会えるかもしれない。
ただ、トールにも優先順位というものがある。

目下のところ、自分をハブって弱い者いじめをしていたオティヌスからは離反する。
学園都市内で幻想殺しの少年を見つけ、『槍』の材料を助けるよう交渉する。
次に、オッレルス勢力内で此処にやって来ているであろう『彼女』を探す。

『槍』が完成してしまえば、後はオティヌスの強制恐怖政治だ。
そうなれば、仮に『彼女』を見つけられても殺されるのを待つだけ。
オティヌスの妨害をしつつ、フィアンマを助け出す。
かなりの度胸と力量を試されるが、今の自分は彼女よりも強いと、はっきりと言える。

もう二度と。

『彼女』を一人ぼっちで戦場に行かせたりしない。

「……さて」

上条当麻を発見するなり、トールはポケットに手を突っ込んだ。
使い捨ての霊装を取り出し、静かに詠唱する。

『―――其は白きアースの助言が故に。嫁ぎの装に変化せよ』

バリバリバキン、という硬質な音と共に、トールの見目が変化した。
具体的に言うと、その姿は寸分違わぬ『御坂美琴』という少女の見目。
声もまた同様に。仕草は自分で気をつけなければならないが。

「まずは拳骨で良いのかしら?」

フィアンマ関連で一度妬いた相手(今なら認められる)だ、ちょっとばかし鬱憤もある。
それに、彼女を救ってくれなかったという逆恨みも。

なので。

飛び蹴りからの拳骨コンビでご挨拶させていただくことにした。

413: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/12(日) 17:43:30.32 ID:IQXL6W5a0

チョコマシュマロは安っぽい味だが、妥当な値段だった。
むにゃむにゃと咀嚼しながら、街を歩く。
どんな魔術師にも、自分の姿を見つけることは不可能だ。
魔術師である時点で、一度魔力を練ったことがあるのだから。

「………」

たとえば、雷神トールにも。

フィアンマの視線の先には、先述の彼が居た。
彼はファーストフード店で、ハンバーガーらしきものを食べている。
その向かい側に居るのは上条当麻で。

「……」

恐らく、自分ならあの場所に介入しても良いだろう。
直接戦闘担当であるはずのトールが上条と交渉している時点で、『グレムリン』から離脱することは読める。
上条もトールも、自分に対しては拒絶の態度は取らないだろう。あまりにも優しいから。
そうしたら、オッレルスの元からは抜け、トールと逃げることだって出来る。

だけど。

そんなに楽な道を選ぶ訳にはいかない。
オッレルスは資格なんて必要ない、いつでも離れてくれと言ってくれたが、物事はそんなに簡単じゃない。
少なくとも、オティヌスとの間に決着をつけなければ、トールと顔を合わせる訳にはいかない。
上条に気づかれてしまえば、自分の存在を指摘される。
だとすれば、このまま眺めていることは問題だろう。してはいけない。

「……トール」

話の一つでもしたかった。

思いながら、背を向けて走り出す。

414: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/12(日) 17:44:15.75 ID:IQXL6W5a0

「フロイライン=クロイトゥーネ」

上条当麻とひと悶着あった後、トールはファーストフード店でポテトをつまむ。
彼の向かい側に座る上条は、のろのろとハンバーガーを食べ終えた。
そんなところで、トールは本題に入る。

「あの『窓のないビル』に閉じ込められてる、正真正銘の化け物だ。
 ……正確にゃ、化け物染みた力を持った、何年生きてるかもわからねえ女、か」
「そいつが…?」
「それが、『グレムリン』…もとい、『オティヌス』の求める主神の槍の最後のピースだ。
 彼女はオティヌスの手に渡れば、『主神の槍』は完成しちまう。
 彼女を手に入れるためなら『グレムリン』は何でもするし、それを妨害したいオッレルスもまた然り。
 そこで、お前を誘った訳だ」
「……」
「ヤツ等が彼女を捕まえる前に、俺たちで逃がしてやるって話だ」

上条当麻は、熟考する。
『窓のないビル』の中で閉じ込められているその女性は、きっと辛いだろう。
その話が本当なら、誰かが絶対に助けてあげるべきだ。
ようやく外に出られたとして、オッレルス勢力に殺されたり、『槍』を作るピースにされるなんてあんまりだ。

それでも。

上条は、尻込みする。

「……お前は敵だろ」
「だから?」
「本当の事を言っているかどうか、証拠がない。確信を持てない。
 それに、俺が救って…その後、どんな結果になるかわからない」

その一言は、トールの気に障った。
彼は視線を下に下げ、ゆっくりと指先で隣のクーラーボックスを撫でる。

「だから助けねえのか」
「……」
「俺が敵だから。信用できないから。
 本当にその子が閉じ込められているのかわからないから。
 本当に救えるかどうか確証が持てないから救うなんて嫌だ、テメェはそう言いてえんだな?」
「俺は! …俺はもう、俺が何かをしたことで、誰かが傷つくなんて結末を見たくないんだよ!!」

415: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/12(日) 17:44:55.82 ID:IQXL6W5a0

だから。

『彼女』を中途半端に見捨てたのか。

敵だからと切り捨てず。
敵だからといって、と救い出すこともせず。

中途半端に引きずりあげて掬っただけで。

そのせいで、『彼女』がどれだけ絶望したと思うのだろう。
最初から救おうとしないなんてもっての他だ。
そして、救ったなら最後まで責任を持つべきだ。

ましてや、今回助ける相手は敵じゃない。

敵だろうが味方だろうが救ってきた上条が敵でない彼女を救わないなんて、認めない。

「よく知らないから、会ったことがないから、仲良くないから。
 だから、自分が傷つきたくないなんて理由で見捨てられるのか」

テーブルを跳ね倒して立ち上がる。
上条の胸元を掴み、二発その頬を殴った。

「なら、最後まで救えば良いじゃねえか。
 最高のハッピーエンドを迎えられるまで付き合えよ。
 直近はともかく、今までのテメェは―――上条当麻はそうしてきたんだろうが!!」
「俺はただその子を救えれば良かった! なのに、お前らみたいな奴が1を0に、マイナスにしやがる!
 もうそんな結末はうんざりなんだよ!! 俺の"救った気"が、誰かを知らずに追い詰めてたなんて未来は!」
「そうかよ。テメェが振るってきた拳は、そうなりゃ只のワガママの道具だ」

上条の拳を途中で掴み、手首を捻った。
痛みに顔を歪める上条を見下し、トールは唇を噛む。

「……そして。もしもそんな理由で、本当に誰も助けなくなったら。
 テメェは、正真正銘の悪党だよ。誰が何と言おうともな」

紙ナプキンにメモに手をかざす。
上条にその内容を見せ、燃やした。

「夕方四時、ここで待つ。来ようが来まいが、俺はアイツを救う」
「……本当に」
「……あん?」
「本当に、フロイライン=クロイトゥーネは閉じ込められているんだな」
「ああ」

トールは手を伸ばし、クーラーボックスを取り、肩にかける。

「……悪りぃな上条ちゃん。さっきの内、一発は私怨だ」

告げて、店から出た。
いつまでも残っていると、警備員に捕まってしまう。

425: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/13(月) 20:22:48.50 ID:1YzLwSxl0

「やあ」

裏路地。
地道に自分を探り当てたのか、オッレルスは現れた。
自分から居場所を教えたのに、随分と遅い到着だ。

「遊んでいたのか?」
「きちんとやることはやっていたよ。そうそう、賭けは君の勝ちだ」
「そんなことだろうと思っていたがね」

賭けの報酬は奢りディナーである。
フィアンマはオッレルスと共に、スイーツ食べ放題の店へ向かう。
高級店でデザートを多量注文しないのは彼女なりの情けである。

「シルビアはどうした」
「『グレムリン』の構成員とぶつかるだろうね」
「心配じゃないのか?」
「彼女は聖人だ。そう簡単に死んだりしないよ」
「お前と一緒に暮らしてきた女だしな」
「まあ、そういう実績も含めて」

無事、到着。
飲み物と皿にケーキを用意し、席につく。
ぱく、とティラミスを口に含み、フィアンマはニヤリと笑った。

「しかし、好いた女を自分の目の届かない戦場に送り込むというのはどうなんだ?」
「ぶふっ」

426: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/13(月) 20:23:52.35 ID:1YzLwSxl0

コーヒーを思いっきり吹き出しそうになりながら、オッレルスは動揺する。
目の前にいるのは美青年だが、その中身は少女である。
自分よりも年下の少女に恋愛事でからかわれるというのは居心地が悪い。

「い、いや別に、俺はそういう感情は、す、きとか、そういう、っっ」
「嘘をつくな。バレバレだぞ?」
「う、」
「……ずいぶん物知り顔で俺様を揶揄すると思えば、そういう訳か」
「………」

チョコレートを口に含み、オッレルスは沈黙する。
結婚すればいいのに、とフィアンマは思った。
恐らく、彼には彼なりの葛藤があるのだろうが。

「……確かに、俺は彼女が好きだよ」
「………」
「……ただ、優先順位を絞っていない。絞れない。
 彼女の為に世界中を滅ぼして回れるかと言われれば迷うしね」
「優柔不断だな」
「自覚はしているよ」

甘いクリームを舌で伸ばし、しっかりと味わう。
牛乳の匂いがするクリームだ。美味しい。

「なら、何かを犠牲にすれば踏ん切りがつくのか」
「……何の話かな」

427: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/13(月) 20:24:23.48 ID:1YzLwSxl0

ぱく、とプレッツェルを口に含む。
チョコレートの豊かな香りと、焼き菓子特有の軽快な音と、味。
ゆっくりと食べ進め、フォークでチーズケーキを突き刺す。
少しレモンを強めに効かせたらしいニューヨークチーズゲーキ。
甘くて良い匂いがする。口に含むと、爽やかで甘酸っぱい風味が広がる。

「はっきりとは言わんよ。ただ、一つ言っておく」
「……」
「…もしも何かを犠牲にするのなら、俺様を捧げてくれ」
「……雷神トールと会いたかったんじゃなかったのか?」
「そうだよ。…チャンスはあったが、捨てた」
「何の為に?」
「どう思う?」

妙な聞き返し方だ、とオッレルスは思った。
フィアンマはココアを啜り、視線をプリンに落とす。

「……もう疲れ過ぎて、自分がどうしたいのかもよくわかっていないんだ。
 楽な方に流れてしまえばずっと楽で、きっと幸せだと頭では理解している。
 ただ、それでトールと過ごせる程、俺様は様々な問題を無視出来ない」
「………」
「………お前に話すことでもなかったな」

ホイップクリームと共に、プリンを口に含む。

「俺様は、お前と友人になれたことを誇りに思うよ」
「……、…」

カスタード特有の、ふんわりとした卵の味がした。

428: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/13(月) 20:24:49.21 ID:1YzLwSxl0

フロイライン=クロイトゥーネを『窓のないビル』外へ出すことは成功した。
したのだが、敵味方の区別がついていない彼女はあまりにも無差別に攻撃し。
結果として、雷神トールは現在、体内の『妙な凝り』に身悶えていた。

「ぐ、……ぉが、…」

まだ、死ぬ訳にはいかない。
こんなところで死ぬ訳には。
少なくとも、彼女を救わなければならないから。

もう一度、彼女の笑顔を見るまで。
一緒に、何でもない日々を過ごせるようになるまで。
自分は何としても、生き延びなければならない。

バジジジジジジジィ!!! と激しい音がした。
体内の凝りを無理やり電気で破壊した途端、呼吸が元に戻る。
のろのろと手を伸ばして、上条の体にも同様の処置を施した。

「げほげほ! っ、あいつ、は?」
「フロイラインなら逃げちまったよ。想定外だ。どうするか…」
「……まだ、逃げて時間は大して経ってない。
 今ならまだ誤魔化せる。トール、俺に考えがある」

上条当麻は、立ち直った。
もう一度、ヒーローになることを決意した。
トールは、そんな彼の様子を眺めて満足していた。

(さあ、楽しいお祭りの始まりだ)

429: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/13(月) 20:25:23.91 ID:1YzLwSxl0

オッレルスは、再び闇に姿を消した。
彼には彼なりのやることがある。
自分にもまた、実験という義務があった。

「………」

一端覧祭が始まったようだった。
街中には着ぐるみやら何やらが闊歩している。
直接触れない限り、自分は魔術師には見つからない。
一般人からも、その姿を消そうとすれば出来る。
今日は一般人からも姿を隠してみることにする。
人ごみで軽くぶつかってしまえば、その人物にはわかってしまうのだが。

「フロイライン=クロイトゥーネは脱走か」

色々と読めるところはあるが、今回には参加しない。
あくまでも参加しないのだから、考えを伝える必要はない。

何となしに、自暴自棄な気分だった。

自分の思いは、いつでも自分の思うようにならない。
そのことに腹が立つ。酷く不服だ。

「……ん…」

軽い目眩を感じ、ビルの壁にもたれる。

自分が魔術師じゃなかったら、こんな目には遭わなかった。
自分が魔術師ではなかったら、トールには出会わなかった。

この世界は本当に、冷酷で、残酷で。

430: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/13(月) 20:26:01.96 ID:1YzLwSxl0

クーラーボックスをホテルへ。
中身を取り出して、ひんやりとした手の甲へ口付ける。

「……」

適切な防腐処理を施し、懐へ。
これで、しまっていても腐りはしない。
いつか彼女に出会えた時、つけてあげられる。

「行くか」






向かった先は、幹線道路の走る場所。
立っているのは、オッレルス勢力の二人だった。
途中捕まえた御坂美琴は、どうやら片方の相手を請け負ってくれるようだった。
上条を引き合いに出せばすぐ乗ってくれたのだから、恋する乙女はチョロいものである。

「今回ばかりは、私もそっちが良かったよ」
「今からでも遅くはねえけど?」
「悪いけど、こっちにはこっちの、心地良いしがらみってものがあるのさ」
「そりゃ羨ましい。…俺は精一杯生きてきて、ソイツを見つけることは―――出来なかった」

否。
実際には、見つけたはずなのに、喪ってしまった。

彼女の笑顔が。
彼女の声が。
彼女の手が。
彼女の涙が。

大切だったはずなのに、自ら手放した。
自分の鈍感が、彼女の孤独と、別れを招いた。

「まあ、安心しろよお嬢ちゃん。今回は『雷神』のトールさんでいてやるからさ」
「言うねえ。あんまり大人をナメるモンじゃないと思うけど?」




―――たとえ、どれだけ底抜けに世界が滅茶苦茶になっていったとしても、彼女に傍にいて欲しい。


この想いは間違っていないと胸を張れるように。
今は、ここで戦うことが正しいと、そう思える。

438: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/18(土) 23:35:41.55 ID:8u0N3qsI0

「……」

真っ暗な路地裏で、女はふらふらと歩いていた。
向かう先は決めていない。
全てをゼロとイチで決めるその生き物は、何も考えていなかった。
何も考えないようにしなければ、『友達』を食べることを、考えてしまいそうだったから。

「………」

『それ』は。
フロイライン=クロイトゥーネと呼ばれる、魔女狩り時代の怪物だった。
あまりにも人間離れして、あまりにも人間染みた、人間には思えない生き物。
多くの人類が『異物』の烙印を捺し、恐れた存在。

「……?」

彼女は、顔を上げる。
そこには、一人の青年が立っていた。
とっさの反応で彼の体には異分子が紛れ込んだはずだが、苦しむ様子は見られない。
じっと自分を見上げるフロイラインに対し、彼はこう聞いた。

「…フロイライン=クロイトゥーネ、だったか」
「………」

フロイラインの瞳が、ぎょろぎょろと動く。
まるで、検索エンジンにキーワードを入力したかのような、作業的な時間。

「……はい。私、はフロイライン=クロイトゥーネ、です」

ロボットが言わされているかのような、無機質な返答。
彼は、或いは彼女と呼ぶべき人間は、彼女と目線を合わせる。

439: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/18(土) 23:37:41.77 ID:8u0N3qsI0

「上条当麻には会ったか」
「………」
「黒髪の、…お前より身長が低い少年だ。
 お前を庇ったりしなかったか?」
「…はい」

こくりと頷いて、フロイラインは壁に寄りかかる。
その口からは、熱い息がひっきりなしに吐き出されていた。

「もう、限界、です」

ずるずると、彼女はその場に座り込む。
自分を友達だと言ってくれた、優しい少女達。
その一人を捕食したくて、この身は震えている。
自分に笑いかけてくれた少女の頭にかじりついて、脳みそを啜りたい。

それは、もはや『本能』。

我慢している状態の方が不自然だ。
空腹や睡眠をいつまでも我慢出来ないことと同じ。
そういう『機能』を獲得してしまったフロイラインには、今の状況が果てしなく辛い。
自分の意思だけで空腹を押さえ込める人間はそうそういない。
それに、空腹とは比較にならない程、フロイラインの抱える衝動は、強すぎる。

あの少年は、『大丈夫だ』と言ってくれたけれど。

きっと、ダメだ。
自分はいつしか彼女を捕食して、絶対に後悔するに決まっている。
全力で拒絶しても消えない衝動で、息が苦しい。
殺して欲しい。もう楽になってしまいたい。

440: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/18(土) 23:38:45.78 ID:8u0N3qsI0

「あの男に会ったなら、お前は救われるよ」
「……?」

焦点の合わない瞳でぼんやりとしているフロイラインに対し。
フィアンマはそうはっきりと告げた。

「お前は俺様と違って、何も悪いことをしていない」
「……、…わた、しは」
「俺様には『機能』をかく乱してやることしか出来ないが、時間稼ぎ程度にはなるだろう」

バードウェイのように、フロイラインを殺す技術を、フィアンマは持たない。
それは目指してきたものの違い。人間を超える存在となるべく純度を高める思想の、ローマ正教徒故。
フィアンマは手を伸ばし、フロイラインの右手に触れる。
ジュウ、と肉が焦げるような音がして、フロイラインの抱える衝動が僅かに鈍った。
鈍っただけで、消えた訳ではない。言うなれば、焼け石に氷を投げた程度。

「一箇所に留まるのは得策ではないな。行け」
「あり、がとう―――ござい、ます」
「………結局俺様は、誰も救えないんだな」

441: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/18(土) 23:40:57.82 ID:8u0N3qsI0

発生する過程は魔術でも、発生した電気は科学サイドのものと大して変わらない。
トールは砂鉄で作り出したクッションに足を置き、空中でのバランスを保っていた。
彼の敵であるシルビアは、懐から取り出した縄で結界を構築する。
聖人の腕力は人並み外れたものであり、幼少期より当人は使いこなそうと努力する。
シルビアは軽い手品を行える程に手先が器用で、且つ豪胆な女性だった。

「あれは……、」

注意を払い、シルビアの手元を観察する。
ただ適当に縄を揺蕩わせている訳ではない。
ぐん、ぐん、と速度を上げて振り回される縄。
結界を専門にしている、と先んじて主張した彼女なら、どんな魔術を使うのか。

「私は力の制御が苦手でね。よく宮殿を壊したもんさ。
 で、怒られる度に考えた。どうやったら制御出来るか?
 答えは簡単だ。結界を作って、自分から宮殿を守ればいい」

宮殿を守るのに使用するのは、通常『天使の力』。
トールはシルビアを観察しながら、とある事実に気がつく。
彼女が描いているのはシジルだ。
精霊や天使の力を多く借りたい時に使用する、ルーンとは違う魔術記号。
その形は役を為した瞬間に次々と形を変えていく。
単一の莫大な『天使の力』を制御する『神の右席』とは違う形。
シジル同士の相生のバランスをもって、それらの者を上回る為の技術。
縄を回してその『力』を制御し、高速回転させた上で、シルビアは思い切り振りかざした。
結界とは要するに莫大な質量の壁であり、この行為は家の屋根を投げたことに等しい。
当然のことながら、その力の矛先の制御は超厳密には絞られない。

だから。

トールの背後にある廃ビルが、丸ごと破壊された。
通常の物理現象である『ビル倒壊』は、周囲を巻き込んで被害を肥大化していく。

「ばッ、馬鹿野郎!!?」
「宮殿でもよく言われたっけな」

『天使の力』で加速化した怪物は、橋側面を走りながら縄を一段と大きくたわませる。
トールは指先からアーク溶断ブレードを現出させ、振るう。
彼の唱えた詠唱は、一瞬にして天候をも変化させた。



二つの巨大な力がぶつかり合い、一閃の雷、そして。

442: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/18(土) 23:43:46.99 ID:8u0N3qsI0

ガギャン、と形容すべきか。

激しい物音がして、シルビアの腕が軋む。
聖人といっても、人は人。
人体には変わりがない。
音速以上の攻撃を立て続けに防がれれば、腕にはダメージが残る。
だがそれは、雷神トールの比ではない。

「く、そ!」

鳴り響く雷鳴。
雷を呼び出し、ブレードで照準を合わせる。
シルビアはそれを易易と回避し、さらなるシジルを描いた。

神の如き者から神の力。
神の力から神の薬。
神の薬から神の火。
そして、神の如き者へ。

「は、」

神の如き者の性質は、彼女の専門だ。
彼女と戦い、過ごしてきた中で、天使の力にはクセがあることを知っている。

「これは、アイツに感謝するべきかな」

ぽつりと呟いた。
ブレードで地面に刻みつけた焦げ跡は、魔法陣を描いている。

「な――――」
「介入させてもらうぜ、結界のプロフェッショナルさんよ」

443: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/18(土) 23:47:27.39 ID:8u0N3qsI0

通常、天使の力には既に属性が付加されている。
フィアンマが通常魔術を使うのに『火』を使わなければいけないことがその証明だ。
『神の右席』は単一の天使の力の扱いに特化するが故、自分専用の霊装しか使用出来ない。
シルビアはあくまでも聖人であり、その体は『神の子』に似た人体でしかない。

つまり。

一定以上の天使の力が溢れた場合、術者の体に害がある。
『神の右席』やサーシャ=クロイツェフのように、彼女は天使の力を受け入れる度量を持たない。
また、キャーリサのようにどこまでも天使の力を受けいれられる霊装を持っている訳でもない。
そこを利用し、トールは魔法陣で結界に余剰な『神の如き者』だけの天使の力を封入した。

ケーキに小麦粉がありすぎると、焼き上がらないように。

結界はぐらりと揺れ、縄をもっているシルビアの表情が僅かに歪む。
制御を誤れば、高圧電流に触れた人間の身体のようになる。
つまりは即死。だからこそ、天使の力は軽々しく扱ってはならない。

繊細な力押しと、悪知恵の勝負。

シルビアは縄を回し、『神の力』の力を喚び込んだ。
『水』と『火』の属性がぶつかり合い、かえって中和される。
これは、第三次世界大戦中にフィアンマが召喚した『神の力』と同じ状態。

制御に時間がかかったのは、たった三秒。
だが、その三秒で充分だ。充分過ぎる。
トールは手にしている凶器で、思い切りシルビアの間合いへ飛び込むことが出来るのだから。

「届け――――」
「――――天使の力は神の御元に」

444: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/18(土) 23:51:41.17 ID:8u0N3qsI0

一瞬、空白が出来た。

シルビアは天使の力を、突如縄から解放した。
あれだけのシジルを描いて呼び出した力を、手放した。
それは、目の前のトールの攻撃に対応するためである。
術式で反撃や防御を行うものだと思っていたトールは、僅かに目を見開く。

それに対し。

シルビアは縄をコンマ二秒で結び、『剣』を作った。
例え縄で出来た『剣』であろうと、偶像崇拝の理論で本物と化す。

神の如き者の剣。

フィアンマの扱うそれに比べれば、見劣りする。
だが、それを聖人が振るうのなら話は別だ。
火を放ちながら、トールの眼前へ剣が振るわれる。

回避出来ない。

トールは仕方なしに右手を突き出し、ブレードで縄を切った。
強烈な膝蹴りが腹部に突き刺さり、彼の体が吹っ飛ぶ。

「…っと、危なかった」

あまりにも涼やかなシルビアには、追いつかない。

(これが才能と努力の差ってヤツかね)

ため息をつきたくなりながら、トールはふらりと立ち上がる。


445: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/18(土) 23:52:08.22 ID:8u0N3qsI0

レイヴィニア=バードウェイの離脱により、戦闘は終了した。
お互いに大怪我を負った訳でもなしに、一歩下がる。
武器をしまい、お互いの姿を両の目できちんと見た。
それだけで、場の雰囲気が和やかなものへと変化していく。

「ちぇ。だから言ったのに。そっちが良かったって」
「しがらみ持ちは大変だな」

トールは深呼吸し、シルビアを眺める。
フィアンマのことを聞こうか、迷う。
それによって彼女に不利益が生じても困ってしまう。
なので、ひとまず口を噤んでおいた。

「それにしても、結界を攻撃に転用するのは初めて見た」
「結界に関してはプロの自負があるよ」
「俺の『トール』と同じか。またやり合おうぜ。会えたらさ」
「戦闘狂相手の戦闘なら、一回でゴメンだね。二度もやったら身がもたない」
「体力自慢の『聖人』がそれを言うのかよ?」

会話を終えて、お互いに背を向ける。
シルビアには沢山の帰る場所があるし、トールには探さなければならない人が居た。

446: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/18(土) 23:52:57.76 ID:8u0N3qsI0

打ち止めと、フレメアと、フロイライン=クロイトゥーネ。

抱き合う三人の少女を遠くから眺め。
良かった、とフィアンマは思う。
自分と違い、罪の無い、或いはずっと軽い人は救われるべきだと願ったから。
上条当麻は本物のヒーローだ。自分と違って。

「……実験は成功か」

何だかんだいって、誰にも気づかれなかった。
フロイラインには自分から気づかれようと振舞ったのでノーカウント。
オッレルスには良い報告が出来そうだ、とぼんやり考える。
とても有意義な実験だった。これなら、誰でも後ろから刺せる。

「………」

自分を尖兵とするつもりなのだろうか。

オッレルスの考えを考察し、読み取っていきながら。
使い潰される人生こそ自分には相応しいと、フィアンマは考えてみる。

447: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/18(土) 23:53:25.49 ID:8u0N3qsI0

フロイラインの件が解決した以上、学園都市に留まる理由はない。
しいて言えば、彼女が脱出したかどうかを知りたかった。
彼女が居ないのなら、それこそ学園都市に用はない。

「………、」

怪我という怪我はないが、シルビアは強かった。
爆発などの余波で、少々身体は疲労している。
元々、トールは特別な体質の持ち合わせなどない。
努力だけで全能神の力にまで手を届かせたからこそ、この場所に立っている。
天性のものなど無い。あるとすれば、そうそう折れない心だけだ。

そんな、トールは。

ぴたり、と立ち止まる。
そこに立っているのは、オティヌスとよく似た雰囲気を纏った青年だった。

「やあ、雷神トール」
「……、…」

自分の中で、殺意が爆発的に膨らんだ。
オティヌスの言葉が全てだとは思わない。
だが、目の前の男は敵だ。それも、自分の気に食わない方の。
戦争に負けて戦犯にされ、ズタボロの彼女を引きずり回して戦わせている張本人だ。
フィアンマを愛するトールならば、苛立ちを隠せないのも当然といえよう。

「何の用だ」
「"彼女"からは、君を傷つけないように言われている。だから、そう警戒しなくてもいい」

トールは、僅かに警戒を解くか悩む。
対して、オッレルスは微笑むでもなく。






「――――なんて。言うつもりもなければ、彼女との約束も今は無効なんだけどね」

453: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/19(日) 23:24:55.71 ID:Oze1huzB0

殺気は無い。
殺意も無い。

いや、感じられないだけかもしれない。
こと、戦場において、オッレルスの態度は不自然だった。

あまりにも、緊張というものがみられない。

まるで家の中で寛いでいるかのような弛緩。
雷神トール程度の相手には、緊張する価値などないと宣言するかのような。

「彼女と私の契約は単純だ。
 彼女は私の命令に従い、私と共に行動する。
 その条件が守られている場合、私は雷神トールを攻撃しない。
 たとえ攻撃されようと、回避して、気絶させる程度に留める、とね」
「なら、今がその時じゃねえのか」
「ああ、一般的にはそういうことになるだろうね。
 ただ、彼女も私との契約を守っていない時間中なら、当てはまらない」
「…何…?」


 ・・・・・・・・・・・・・・
「私と彼女が共に行動していない」


屁理屈だった。
だが、彼は本気でそう発言している。

だからといって。

ここで殺される訳にはいかない。

454: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/19(日) 23:25:21.36 ID:Oze1huzB0

シルビアと違い、抵抗する隙さえなかった。
ノータイムノーモションでぶつけられた『力』。
オッレルスはそれを『北欧王座』と称している、不可解な術式。

頭のてっぺんから。
足の指先まで。

痺れるような、重いダメージが浸透している。
壁に叩きつけられた背中が、ひどく痛む。

「が、ぁ…?」
「理解も出来ない内に叩きのめされる、というのは少々辛いかもしれないな」

そんなことを言いながらも、手加減は感じられなかった。
いや、力押しで圧殺されないだけマシかもしれない。

「本当は君を殺して彼女に見せても良いが」
「ッ…ふざ、けんじゃ、ねえ…」
「ああ、私もそう思うよ。だから、君のことは約束の一部通り、気絶に留めようかとは思う」

話しながら。
一瞬で、何の気配も動きもなく。
トールの眼前に、オッレルスが現れた。
五百メートル程の距離を、あっという間に詰められた。

455: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/19(日) 23:25:48.46 ID:Oze1huzB0

まるで落ちた紙切れを拾うように、手が伸びてくる。
指先で地面に文字を描き、雷を落とす。
一閃の雷光はオッレルスの身体を貫いたはずだが、まるで効果をなしていない。

「余計な事を言われると困ってしまうから、」

まるで。
煮込み料理の鍋に、塩を足すような気軽さで。

オッレルスは手を伸ばした。
トールの片脚を掴み、容赦なく横に捻じ曲げる。

バギャグギ

そんな音と形容した方がいいのか。
はたまた、ただの衝撃であると言うべきか。

あまりにも軽い動作に反した重々しい痛みが、トールを襲った。
骨が無残に肉を突き出し、空気に晒される。

「ぎ、が、ぁアアアアアアア!!!!!!?」

痛みが強すぎて、何もわからなくなる。
痛いと思うことすら許されないまま、トールは一方的に攻撃されていた。
反撃をしようにも、届かない。間に合わない。

456: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/19(日) 23:26:16.79 ID:Oze1huzB0

「全能神トールに届く程の実力はあるようだが…。
 それでも、人間に想像出来る程度の全能に過ぎない」

魔神の力とは確かに、違うだろう。
その差は絶対的で、埋められないものだ。

「君には彼女の鎖になってもらう」

いつでも離れてくれていい、と告げたその口で。
フィアンマを自分の手駒として縛り付ける為に、オッレルスはそう吐き捨てた。

怒りが力に変わるなんて展開は、少年漫画の中だけだ。
いくら目の前の男を憎いと思っても、トールの実力は上がらない。
こんなところで立ち止まる訳にはいかないのに。

彼女を、戦場から引きずり下ろしたい。

日常というステージまで。
それだけの願いなのに、叶わない。

457: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/19(日) 23:26:47.26 ID:Oze1huzB0

どちゅっ、という音がした。

「……ぁ、…?」

トールの喉元には、弓が突き刺さっていた。
弓矢を放つモーションなど何一つなかったはずだ。
ありとあらゆる知識を総動員すれば、魔術発動に必要なキーは減る。
だとしても、あまりにも説明の出来ない攻撃。

致命傷。

そんな言葉がトールの頭に浮かんだが、彼が死ぬことはなかった。
代わりに、彼の腹部、服の内側で何かが砕けた音がした。
それは彼の体に刺さることなく、服の隙間からボロボロと地面へ落ちていく。

(こ、れ……)

そうだ。
彼女が、クリスマスにくれたものだった。
致命傷を受けててくれる、身代わりの霊装。

(フィアン、マ……)

『………大事にする』

彼女の嬉しそうな、涙声が、蘇る。
それを振り返る時間もないまま、トールの意識は深淵へ落ちていく。

458: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/19(日) 23:27:14.99 ID:Oze1huzB0

オッレルスとの合流場所へ来た。
待ち合わせ時刻は間違っていないはずだ。
別に遅れたところで怒る性格とも思わないが。

「………、遅かった、な…」

言いかけて。
オッレルスが腕に抱えている少年の姿に、言葉を失った。


血まみれで、脚からは骨が突き出ている。
呼気は浅く、内臓が傷ついていることは明らかな顔色。
喉にも傷があり、掠れた吐息ばかりが零れている。


「……あ、…」
「路地裏で倒れていたんだ。…オティヌスの内部粛清だろう」

沈痛な面持ちで、オッレルスは俯く。
フィアンマは慌ててトールの身体を抱き受け、顔を覗き込んだ。
まだ生きているが、失血量もそれなりにあるようだ。

「私はこれから『グレムリン』に、…彼として潜入する」
「………ッ、…」
「君には追って連絡をするよ」

オッレルスは、ゆっくりと深呼吸をして。

「……間に合わなくて、すまなかった」

そう、小さく謝罪の言葉を残して、その場を去った。
フィアンマはトールを抱えたまま、ホテルへと向かう。

459: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/19(日) 23:27:42.18 ID:Oze1huzB0

やや古びたホテルの者に多額の金を渡せば、一番良い部屋を用意してくれた。
あれで一ヶ月は宿泊出来るだろう。何をしても嫌がられないはずだ。

トールの身体を、ベッドへ寝かせる。

全てを回復させる術式は扱えない。
右腕がない以上、奇跡を借りることはそんなに出来ない。
無力感に打ちひしがれないように、必死で自分を鼓舞する。
失った生命力を元に戻すイメージをして、天使の力を使う。

呼吸だけは、楽になった。

露出している骨も、足の中へ戻す。
時間はかかるが、ここでじっとしていれば一ヶ月以内に全快するはずだ。

「………」

術式の設定を終え。
フィアンマは、トールの傍に膝をついた。
いつかの、倒れた彼を看病した時に似ていた。
ただ、その時よりも今の方が、ずっとくるしい。

「とー、る」

ぽた。

ぱた、ぽたぽた。

涙と呼ばれるものが、あふれて、ベッドに落ちる。
彼の衣服や、顔をも濡らした。

もう、我慢出来なかった。

ずっとずっと辛抱してきたものを、抑えることなんて出来なかった。

460: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/19(日) 23:28:12.07 ID:Oze1huzB0

「あいたかった、ずっと、」

(俺も、だよ)

思っても、伝わらない。
どうやら声帯は完全に潰されているらしい。
身体は徐々に癒されていくが、今はまだ楽にならない。
指先の一本すら、自分の思うように動かせない。

「トールがいなくても、ずっと頑張ってきた。
 歩いて、走って、すすんで、立ち止まっちゃいけないと、おもって」

(そう、だな。お前はずっと、我慢して―――)

「俺様を捜していたのか。だから『グレムリン』に入ったのか」

(ああ、)

肯定も否定もしてやれない。
ただ、彼女の涙と独白と問いかけだけがこだましている。
胸が痛かった。抱きしめて、頭を撫でてやりたかった。

「俺様のことなんて忘れれば良かったんだ。
 ちょっとした偶然で出会っただけなのに、…」

(…それで片付けられないから、お前は泣いてるんだろ……)

涙で歪んだ顔をぐしゃぐしゃに歪め、彼女は唇を噛み締めた。
後悔している人間の顔に他ならなかった。

「俺様のせいだ」

(ちが、う)

「俺様がお前に頼らなければ、甘えなければ、こんなことにはならなかった」

(そんな、こと、)

「聞いてくれ。…死ぬかもしれないと思った時、お前の顔が浮かんだんだ。
 トールに甘えたいって、抱きついて、なきわめきたいって、…そんなことを」

(そっ、か…)

「あまりにも身勝手で、自分に呆れる。そのせいで、トールはこうなった」

(俺は、ただ…お前に、もう一度会って……)

届かない。
叫んでも、掠れた吐息にしかならない。

461: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/19(日) 23:28:46.80 ID:Oze1huzB0

自分は、彼女にあえて良かったと、こんなに思っているのに。
出会って、話して、笑い合って。
何でもない日常を一緒に過ごして、好きになって、好かれて。

幸せだった。

きっと、それは自分の知ろうとしなかったものだった。
それは、あまりにもあたたかいものだった。
捨てたくないと、失いたくないと、みっともなくしがみつきたいほどの。

「馬鹿だな、…俺様に価値なんてないのに」

(価値だとか、善悪じゃねえよ。俺はお前が好きだから、)

「トールと一緒にいたかった。トールと一緒に、またお菓子を食べたかった。
 笑ってほしかった。叱って欲しかった。それしか望んでいなかった。
 俺様が間違っていたんだな。俺様の報いはいつでも、俺様には来ないんだ」

(どうしても――――)

「俺様が、トールを好きだと思ってしまったから」

(―――届かない)

「トールのことが…だいすきだったから……」

ただ、頷いてやれれば。
それだけできっと、彼女は楽になれる。
頭ではわかっているのに、身体は頭の命令に従わない。

462: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/19(日) 23:29:39.19 ID:Oze1huzB0

「……もうかかわらない」

彼女はベッドに手をつき、ふらふらと立ち上がる。
引き止めたい、けれどやっぱり、声が出ない。

「……もう頼らない。甘えたりしない」

深呼吸をして、彼女は目元を拭う。
最初から出ていた答えを、再確認するように。

「……俺様が生きていることが、そもそもの誤算だった」

元を正せば、生まれてきたことすら。
自分の選択に、人生に、何の意味もなかった。
ただ、大好きな人達を不幸にしてきただけだ。

「俺様じゃなくたって、トールを好きになる女は沢山いる」

彼女は、笑みを浮かべる。
歪んだ笑みだった。
その身体は、小さく震えていた。

「その中に一人くらいなら、トールが好きになる女だっている」

言い聞かせるように。
そうしなければ、前に進めない。

(フィアンマ、俺、は……代わりじゃ、嫌なんだよ。何で、)

トールの指先が、ぴくりと動いた。
背中を向けているフィアンマは、気づかない。







「もう、大丈夫だ。俺様が、全人類の免罪符になる。――――さよなら」


ドアが閉まる。
『あの日』と同じように、無残に、残酷に。

471: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/20(月) 22:45:06.38 ID:qV96IREh0


泣いたからか、精神的には少し楽になった。
ただ、身体的疲労はのしかかってくる。

オッレルスからの連絡待ち。

フィアンマはひとまず『外』へと出た。
学園都市の中に居るメリットを感じられなかったからだ。

『フィアンマ』
「……ん」

唐突に話しかけられ、反応する。
直接意識に割り込みをかけてくるタイプの通信術式だ。
結構な遠距離からかけてきているのか、声の大小が不安定だ。

『実験は成功だったようだね』
「ああ」
『下準備の方は覚えているかな』

思い浮かべる。
そういえば、アパートメントで二人で本を読んだ。
共通点はよくわからないものの、読むだけ読んで、と言われたものだ。

『あれの共通するテーマを元に術式を組んだんだけど、再現出来るかい?』
「…口伝でさせるつもりなのか?」
『君なら出来るよ』

472: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/20(月) 22:45:44.09 ID:qV96IREh0

レシピを口頭で教えられながらリアルタイムで料理をしているような気分だった。
それも、フランベなどの危険な作業に近いので危険度が洒落にならない。
そもそも、魔道書や写本で教えるべき術式手順を口頭でとは如何なものなのか。
自分が『汚染』された場合どう責任を取るつもりなのだ、と文句が口を突いて出る。

『君の場合そうそう汚染はされないだろう。宗教防壁は無くなるものじゃないんだし』
「俺様がこの局面で死んだら困るのはお前だろう」
『その通りだよ。…今度何かご馳走するから、機嫌を直してくれ』

困ったように言われて、少し笑う。
そういう気の遣い方は勘違いされやすいので、感心しない。

「……潜入は出来たのか」
『ああ。だから、そろそろ切ることにするよ』
「また後で」

通信を終える。
戦いのことを考えていれば、何も振り返らないで済む。

元は、ごっこ遊びだったはずだ。

傷つく方がおかしい。
おかしいのだ。間違っている。

「……だから、…」