フィアンマ「助けてくれると嬉しいのだが」トール「あん?」 前編

473: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/20(月) 22:46:21.87 ID:qV96IREh0


あれから、何日経っただろう。
部屋に誰一人訪れないのは、彼女が金を出したついでに従業員へ言ったのか。
何はともあれ、身体の調子は徐々に良くなってきたように思う。

「ぐ、……」

起き上がる。
ぼんやりとした頭は、まだ少し血液が足りていないらしい。
ただ、それでも考えることは山ほどあった。

「………」

泣いていた。
身を震わせて、我慢してきたんだ、と吐き出していた。
会いたかったと、抱きつきたかったと、言っていた。

大好きだ、と。

言って、いた。
それなのに、また全てを我慢して、これまで以上に精一杯飲み込んで。
自分を『免罪符』なんてモノ扱いをして、彼女は行ってしまった。

「…は………」

視界が揺れる。
それでも、進まなければならない。

脚が折れようと。
手が砕かれようと。
内蔵が潰れようと。
声帯が駄目になろうと。

ここで進まなければ、一生後悔することになると、そう思うから。

引用元: フィアンマ「助けてくれると嬉しいのだが」トール「あん?」 



474: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/20(月) 22:47:08.04 ID:qV96IREh0

十字架を背負って、ゆっくりと下る。
この先の場所が、自分の墓場だろうと思いながら。

「………」

『神の子』も、こんな気持ちだったのだろうか。
全人類の罪を着せられて殺される気分というものは。

「………」

十字架を、地面に突き立てる。
石に天使の力を込めて昇華させた、特殊なものだ。
聖霊十式程ではないが、教会の歴史あるものを使用した。
対応するそれは聖ピエトロの術式を組み替えたもので、自分にしか扱えない。

自分の死をもって。

世界を、大規模魔術による干渉から救う術式。
世界の全てをねじ曲げようとする魔神にしか効果はない。
元となった『使徒十字』とはまったく真逆の性質のものだ。
魔神が完成する前に、自分は死ななければならない。

「……」

そして、この術式には一つ、小細工が施してある。
それは、悪意や敵意といったものを自分へ集めるというものだ。
死して尚、自分は悪の象徴として祀り上げられるだろう。
それは、オティヌスの罪が消えるということも意味する。

敵意を向けさせる。

これは『天罰術式』の研究過程で得られた数値を流用したもの。
まだ記憶を消す前のヴェントが、自分へ教えてくれたこと。

「魔神オティヌスを止めるのは、俺様でなくてはならない」

ただ、幸せに暮らしていた少女の家族を。
結果的に、見殺しという形で殺害した自分の、けじめのために。

475: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/20(月) 22:47:54.49 ID:qV96IREh0

『船の墓場』は、思った以上にごみごみとしていた。
多くの、船の残骸が積み上がっている。
小舟から大型客船、無人船や元々は有人船であっただろうものもある。

「そこで何をしている」
「見てわからないのか?」

雷神トールの姿を保ち続けたオッレルスは。
モックルカールヴィの心臓を握りつぶしながら振り返った。
ごぞぞぞん…、という山の崩れるような音がする。

「出来損ないが。私の前に二度も現れるとはな」
「気づかなかったようだが」
「無限の可能性の傾きだろう」
「ああ、そうだな」

オッレルスは、オティヌスの目を見る。
ただそれだけで、遠くで、閃光が炸裂した。
あちらの方には確か、マリアンと投擲の槌が居たはず、だが。





つまり、製作中の主神の槍は―――――。

476: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/20(月) 22:48:27.76 ID:qV96IREh0

「……私の『死者の軍勢』は、人のためのものだ。
 神をその列へ加えるつもりはない」
「本物の魔神様が、他人を神様扱いか? いくら自分が寂しいからって、私を同類扱いしないでくれ」

激しい音と衝撃とがぶつかり合う。
魔神という領域にまで踏み込んだ二人が行う戦闘は、もはや人の言葉では語れず。
多くのものがひしゃげ、吹き飛び、粉々にされていく。

オッレルスは、片腕を犠牲にして前へ出る。

攻撃が一瞬やんだ中を進む。
オティヌスの攻撃が容赦なく突き刺さろうと、構わなかった。

手を伸ばす。

光の杭は、オティヌスの胸元を貫――――

「なかなか面白い小細工だ」

――――かなかった。

彼女はニヤリと笑い、その術式の性質を看破する。
理解するということは、術式を扱えると同義。
オティヌスは手を伸ばし、オッレルスが自分へそうしたように。

彼の胸のど真ん中へ、光の杭を叩き込んだ。

477: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/20(月) 22:49:05.08 ID:qV96IREh0

「第一希望は―――叶わなかった、が」

男が呟いた。
僅かに首を傾げたオティヌスの胸から。
赤の色を帯びた光の杭が、突き出した。

「が、はっ、げほ、」

びちゃびちゃ、とオティヌスの口から血液があふれた。
魔神へ杭を突き刺したのは、言うまでもなく。

「……」

右方のフィアンマに他ならなかった。

「第二希望は叶った…。…元より、私は自分の才能に固執などしていない。
 ただ、お前を止めることだけを考えていた。…本物の魔神に、人類は敵わない。
 ―――だが、妖精程度なら、人間でも何とかなるものだ」
「く、ふ。ああ、やはりお前は…出来損ないだな……」

どこか。
夢想するように、オティヌスは言った。
彼女はほっそりとした腕を伸ばし。

フィアンマの左腕を、掴んだ。

「私は、お前のことなどどうでもよかった。
 真に必要なのは、この女一人だ。お前は本当に天才だよ。
 私に利用され、私の願いを叶え続けるだけの! 嗚呼、私の人生は、ようやく報われる――――!」

ずるり。

少女の左瞳を覆う眼帯を、神の槍が。
容赦なく貫いて、主神の槍が現れる。
オティヌスは笑って槍を引き抜き、振るった。

478: 次回予告  ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/20(月) 22:49:55.14 ID:qV96IREh0




「これまでの悲劇が、全部、ぜんぶ夢だったら良いのに。
 俺様が目を覚ましたら、隣にトールがいて。
 昨日はケーキを食べ過ぎたな、なんてからかわれて。
 恥ずかしいような気持ちになって、トールに文句を言って。
 誤魔化すように頭を撫でられて、俺様は、何も言えなくなって笑うんだ」
                  
                    元『神の右席』――――右方のフィアンマ




「全部知っていて、君は最初から俺を――――」

             妖精へ堕とされた魔術師――――オッレルス




「良い光景だ。私の感じた絶望に少し似ている。
 安心しろ。お前が産まれてきたという事実を含め、私が全て消してやる」
                 
                   完成した純粋な魔神――――オティヌス




「よお、フィアンマ。……間に合ったのは、これが初めてだな」
          
                  守る為の戦いを知る少年――――雷神トール




485: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 22:59:36.37 ID:0oMmW5z50

フレイヤ―――正確には彼女を宿す母親を。
ありふれた母子に戻ることの出来た魔術師を雲川鞠亜に任せ。

そうして。

ようやく『船の墓場』に、上条は辿りついた。

隣にはインデックス、御坂美琴。
レイヴィニア=バードウェイ、レッサーが居た。

共に死線をくぐり抜けてきた人員だった。
そして、ほぼ無条件に上条の味方を出来る人間。

「よお。遅かったな」

海に面した崖に、一人の少女が腰掛けていた。

彼女の右手には槍があり。
彼女の左手には、誰かの頭髪があった。

「『主神の槍』は完成したよ。マリアンは失敗したようだが、もはやどうでもいい」
「マリアンは失敗…なら、どうしてお前は…?」
「そもそも、こんな大仰な手間は必要なかったんだ。
 厄介な『無限の可能性』を誤魔化す為に多くの策を講じただけだ。
 多く挑めば、どれかは叶うだろうと思ったからな。おかげで、私は完全な勝利と敗北とを得た」
「何を、…言って…?」
「わからないやつだな」

486: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:00:22.87 ID:0oMmW5z50

まるで。

アニメに出てくる魔法少女が、魔法の杖で願い事を叶えるかのように。
彼女は槍を軽く振った。何の気なしのモーションだった。

それだけで。

到底理解出来ない光景が、上条の前に露呈された。
インデックスが、美琴が、バードウェイが、レッサーが、忽然と消えた。

「っ、」
「もはや私には誰も追いつけない。そして」

槍をもう一度振るう。
上条は、気がつけばオティヌスの向かい側、500メートル程先に立っていた。
オティヌスが左手で握っている頭髪は、フィアンマのものだった。
別に、髪だけではない。断髪など、生易しいものであるはずがない。

髪を掴まれているはずなのに、フィアンマは何も反応していない。
かなりの激痛のはずなのにも関わらず。

487: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:00:58.55 ID:0oMmW5z50

「さて、出来損ない」
「ぐ、」

上条から少し離れた場所に、血まみれで転がる人間が居た。
上条に言葉を紡いでいた時とはまるで違う。

無様な弱者のように、地に這い蹲る人の子でしかない―――オッレルス。

彼の前に、オティヌスはゆっくりと歩み寄る。
そして、フィアンマの髪から手を離した。
どさ、と重い音がして、彼女が僅かに呻く。

「選択肢をやろう。この女の小賢しい選択を応援するもよし」
「何…?」
「はたまた自分の感情の為に選択肢を切り捨て、この女に仮初の救いを与えるでもよし」

オティヌスは、槍を見せながらニヤリと笑ってみせる。

「そこの女は、自分の死と同時に私の世界への干渉を防ぐ術式を構成している」
「『世界を救う力』の、…性質、応用か……」

上条は、進めない。
介入出来そうになかった。
魔術で作られているのか、世界をそういう風にしているのか。
その場に居るのに、上条は右手を伸ばすことすら叶わない。
必死になる上条が害虫にでも見えたのか、槍が振るわれる。

上条の意識が、一瞬で途絶えた。

この戦場に、ヒーローは必要ない。

488: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:02:00.55 ID:0oMmW5z50

「私としては、どちらに転んでも構わない。
 『成功』し、この女を追い詰めた時点で満足しているからな」
「っ、……」

オッレルスが、立ち上がろうとする。
彼の瞳は真っ直ぐにオティヌスを睨んでいた。

どう考えても。

彼がフィアンマを殺すはずがない。
第三者が見れば間違いなくそう判断する。
彼はフィアンマと共に過ごし、戦い、友人であると認め合ったのだから。

ふらふらと立ち上がろうとするオッレルスの、手首を。

オッレルス以上にボロボロのフィアンマの左手が、掴んだ。
天使の力を通しやすくする男体変化は既に解けている。
その腕の力は弱々しく、あまりにも華奢で頼りない。

ただ。

その声には、力があった。

かつて、世界の動き全てを掌握した人間の意思の強さと。
今から、世界六十億人、自分を除いた全てを救おうとする人間の傲慢さが滲んでいた。

489: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:02:31.14 ID:0oMmW5z50

「俺、様が居なければ。…オティヌスは、…家族を喪わずに済んだ、かもしれない」
「……」
「君は、何を」

オッレルスは動揺していた。
この局面で、自分を引き止める理由がどうして彼女にあるのか、理解出来ない。
そして、どう転ぼうと自分の死が確定している彼女が、笑っている理由も。

「俺様が居なければ、オティヌスは魔神という概念を知ることはなかっただろう。
 俺様が、この口で教えてしまった。希望を与え、絶望を与えるようなことをした。
 そのために、復讐のために、オティヌスはこんなところまできてしまった」
「……フィアンマ…?」
「…たとえば、…俺様が、居なかったら。…お前は、魔神になれたんだ。何の邪魔も、略奪もされず」

段々と。
フィアンマの言わんとしていることが、オッレルスにも理解出来てくる。
聞きたくない、と彼は思った。
だが、腕を振りほどけなかった。
あまりにもその声が、自嘲的で、悲しくて、耳を塞ぐことも出来なかった。

「魔神に、なりたかったはずだ。そこまで、上り詰めたなら。
 本当に諦めているのなら、泣いたりしない。悲しんだりしない。
 お前は、なりたかった。奪われたことが、悔しかった。辛かった、憎んだはずだ、」
「や、め」
「俺様さえ産まれてこなければ、お前は―――」
「やめて、くれ」
「―――何も不安に思ったりなんてしないで、シルビアと、」

わかっていた。
頭の隅では、彼女が殺される為に自分を挑発していることくらい。
だけど、止められなかった。
オッレルスの手は、フィアンマの細い首にかかっていた。
片手とは思えない力で、少女の首を絞め上げる。

フィアンマは、やっぱり笑っていた。

全てを投げ出した顔だった。

490: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:02:59.29 ID:0oMmW5z50

「…そう、だ。それが、ただしい…」
「全部知っていて、君は最初から俺を――――」
「ああ、そうだよ…真実を知れば、お前はきっと俺様を殺、っ、」

意識がブレる。
指先が、意思とは関係無しに痙攣した。

楽になれる、と思った。

「良い光景だ。私の感じた絶望に少し似ている。
 安心しろ。お前が産まれてきたという事実を含め、私が全て消してやる」

世界全体に干渉は出来なくても。
人一人の因果位になら、出来るだろう。
オティヌスは全能を失うと知って尚、笑っていた。
自分を憎いと思い、復讐を達して満足するのなら、それでいい。

彼女は悪くない。

あの日、彼らを見殺しにした、自分の弱さが悪いのだから。

「    、  」

謝罪の言葉が、口を突いて出た。
オッレルスは手を離し、フィアンマから離れる。
彼の顔色が悪いのは、何も、出血量だけのためではないだろう。

「………」

たとえ、彼が殺してくれなくても。
自分がここで人生を我慢して死ねば、人類自体は助かる。

491: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:03:54.40 ID:0oMmW5z50


崖に立つ。
潮風が、頬を撫でていった。
オティヌスに痛めつけられた身体はボロボロで。

「……」

ただ、清々しかった。
今日で全てが終わり、報われる。

たとえ今日この日、自分が間違っていたにせよ。
百年後よりずっと先の未来で、誰かが自分を認めてくれるだろう。

「それじゃあ、」

振り返る。
笑みが浮かぶのは、生きていることに疲れてしまったから。

「―――さよなら」

足元を蹴る。
実に綺麗な自由落下で、彼女は崖の下に向かって落ちていった。

492: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:04:22.84 ID:0oMmW5z50

落ちている途中に人は意識を失うという。
そんなものは嘘だ、とフィアンマは思った。
地上までそんなに距離がないのに、自分は意識がある。
死を怖いと思っていないからかもしれない。

「……ひとまずは、」

テッラに謝ろう。
全て洗いざらい話して、泣いて、頭を撫でてもらおう。

二人で先代教皇を待って、謝ろう。
頑張ったのだと主張して、困ったように褒めてもらおう。

それから。

「………、」

空は、晴れていた。
不釣り合いな快晴。
オティヌスが介入したのかもしれない。

「死ぬには良い日だな、」

目元から、何かが溢れた気がした。
落下に伴い、ループタイが揺れるのが見える。

トールのくれたものだった。

涙が出るくらい嬉しい、プレゼント。

「……これまでの悲劇が、全部、ぜんぶ夢だったら良いのに」

願望が口を突いて出る。

「俺様が目を覚ましたら、隣にトールがいて。
 昨日はケーキを食べ過ぎたな、なんてからかわれて」

地上までもう間もない。
ぐちゃぐちゃの肉塊になって死ぬのだろうと思う。

「恥ずかしいような気持ちになって、トールに文句を言って。
 誤魔化すように頭を撫でられて、俺様は、何も言えなくなって笑うんだ」

誰かに夢を語るように、彼女はそう呟いた。

「そんな毎日が欲しかった」

目を閉じる。




今まで一度も感じたことのないような衝撃がこの身を襲――――――

493: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:05:10.81 ID:0oMmW5z50




うことは。


なかっ、た。



494: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:05:41.87 ID:0oMmW5z50


「よお、フィアンマ。……間に合ったのは、これが初めてだな」

腕の感触だった。
一度クッションのような感触を得たのは、きっと砂鉄や何かだろう。
或いは、彼が急場しのぎで何かを作ったのか。

「……」

目を開ける。

トールが、居た。
ズタボロの体で、掠れた声で、それでも、自分を助けに来た。

痛かったのに辛かったのに苦しかったはずなのに。

自分を助けるために、ここまで。

「とー、る…?」
「世界の為に投身なんて今時流行るかよ」
「…俺様一人が我慢すれば、それで済む、」
「……だから?」

彼は、彼女の金色の瞳を見た。

「だから俺まで我慢しなくちゃなんねえのか。
 お前の墓の上に人類皆が笑顔浮かべて楽しく暮らしてるのを見なきゃならねえのか?
 冗談じゃねえ。戦争中の方がまだマシだ。何だってお前一人が我慢するんだよ」
「俺、様が…ぜんぶ、悪いのに…、?」
「俺が、『フィアンマが正しいから』なんて理由でここまで来られると思ってんのか。
 世界平和の為に来るとでも? 俺が戦闘狂だって知ってるくせに。
 俺は、お前が正しいから、善人だから、世界が平和になってほしいからここまで来た訳じゃねえよ」

すぅ、と息を吸い込む。

495: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:06:31.50 ID:0oMmW5z50

「俺は、お前が好きだから此処に来た。
 痛かろうが何だろうが、お前が我慢してることが嫌だからここまできたんだ。
 お前が死んで穏やかになった世界なんて要らないからここにいろよ。
 世界六十億の内五十億九千九百九十九万九千九百九十九人が『死ね』って言っても、俺はお前に生きて欲しいんだよ。
 何でそんな簡単なことすら説明されないとわかんねえんだ。代わりなんかいないから探したんだろうが。
 出会いは偶然でも、きっかけは嘘でも、お前が俺を騙してても、やったことも、一緒に暮らしたことも無かったことにはならない。
 正直に言うと、お前に『我慢』なんて似合ってない。傲慢でいろよ、俺と一緒に居た時みたいに。
 
 俺はお前がいい。世界なんて馬鹿でかいレベルのもの全部が敵になってもいい。
 今までと同じように、何を敵に回しても俺は戦う。変わらないからな。
 
                                      だから、もういいだろ。
                                       いい加減折れて、俺の人生に付き合えよ」

496: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:11:11.21 ID:0oMmW5z50

初めて守りたいものが、出来た。
それは、お世辞にもお姫様<ヒロイン>なんてタイプの少女ではなかった。

偉そうで。
わがままで。
ヤキモチ焼きで。
身勝手で。

本当のことすら言わずに。
いつも一人で我慢して。
抱え込んで、大丈夫だと無理をして笑って。

世界中を救おうとした彼女は世界中から嫌われてしまったけれど。
自分は、彼女が好きだった。
守りたい理由なんて、初めからたったそれだけだ。

代わりなんていない。
忘れられなどしないし、忘れたくない。

撫でた時のはにかんだ顔も。
繋いだ手の温かさも。
嬉しそうな笑顔も。
感動を隠せない涙も。

彼女にしか創れないものだ。
自分が、この手で守りたいと願ってやまないものだ。

ヒーローも魔王も、彼女を救うことはなかった。
自分はあくまでも凡人で、どれだけ強くなったところで何らかの称号を与えられることはない、単純な戦闘狂だ。
それでもいい。

もう一度彼女が隣で笑っていてくれるのなら、何でも言う、何だって、する。

497: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/25(土) 23:11:47.10 ID:0oMmW5z50

崖の下。
自分が憎む相手を抱きとめた少年が居た。
オティヌスは、つまらなそうにそれを眺める。

もはや何の感慨も湧かない。

そして、自分の前に障害もない。







「――――長々と待つのも面倒くせえな。世界ごと消しちまうか」






直後。

宣言通り、

504: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 18:03:16.67 ID:vXNKYDFk0


キーンコーンカーンコーン。


昼休み突入を知らせる呑気なチャイムで、トールは目を覚ました。
どうやら疲れが溜まっていたのか、授業中に寝入っていたらしい。

「んぁ…?」
「よう、ねぼすけ」

パコン! という音がした。
クラスメートの男子が、丸めた教科書でトールの頭をはたく音だった。
痛って、と愚痴の色を帯びた声を漏らし、トールは起き上がる。

「っ、何しやがる」
「何って、目覚まし?」

悪びれもせず彼は笑って、トールを購買に誘う。
そうだった、早く行かなければパンが売り切れる。
男子高校生にとって、昼食というのは最も重要なものだ。
せめてミニ弁一つでも腹に入れておかなければ午後は生きていけない。

「ギリギリサンドイッチゲット。お前は?」
「カツ丼とチキンサンド」
「うわマジかよ…運良過ぎ。ってか、肉被りじゃね?」

『日常』らしい『普通』の会話をしながら、トールは教室へ戻る。
炭水化物たっぷりの戦利品をガツガツと食べ始めた。
可愛い彼女の手作り弁当(はぁと)なんてものは夢のまた夢であった。

505: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 18:03:52.61 ID:vXNKYDFk0

放課後。
何処か一緒に遊びに行くか、なんていう同級生の誘いを断り。
帰り道、絡んできた不良をぶん殴った後、トールは真っ直ぐ帰宅した。

「ただいま」
「お帰り。…また喧嘩してきたの?」
「いつものことだろ。親父は?」
「今日は遅くなるって。晩御飯はどうする?」
「ああ、食う」

元はとある田舎町に住んでいたトールを含む家族達は。
トールが幼い頃強盗の被害に遭い、都会の方へと引っ越した。
後数時間早く両親が帰宅していれば殺されていたかもしれない、という状況で。
犯人は、幸せそうな一家に恨みを持った隣人だったというのだから笑えなかった。
父親の取引先の関係もあり、移住先は日本にした。

幼い頃に都会へ移ったトールはすっかり馴染み。

喧嘩っ早いだけの、普通の少年へと育った。
魔術も科学もほどほどにしか知らない、あまりにも平凡な少年。

「今日はハンバーグにしたからね」
「おお」

ちょっぴり嬉しさを隠しきれない返事をして、自分の部屋へ。
ゲームでもやろうか、とぼんやり考える。

506: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 18:04:23.93 ID:vXNKYDFk0

「はいどうぞ」
「ん、いただきます」

手を合わせ、ハンバーグを食べ始める。
本当は付け合せの野菜から食べるべきなのかもしれないが、健康など気にする年齢ではない。

「……」
「…どうかした?」
「いや、……」

ハンバーグは、トールが好きな家庭料理の一つだ。
だけど、何となく味気ない。
どこかで、もっと美味しいハンバーグを食べたことがある気がする。

「味見…したよな?」
「当然でしょう。どうしたの、急に」

その返答に、再び違和感。
ハンバーグを作ってくれる相手なんて、目の前の母親しかいないはずだ。
でも、その美味しかったハンバーグを作る時、『彼女』は味見なんてしなかった。
いや、出来なかったのだ。体質的に、吐いてしまうから。

「……何か食欲出ねえな」
「具合悪いの?」
「熱はないと思うけどな」

507: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 18:04:51.32 ID:vXNKYDFk0

「おはよー」
「お、…はよ」

声をかけられ、挨拶をする。
いつも通りの通学路のはずだ。

「今日は何の日でしょーか」
「あん? …二月十四…?」
「去年一番もらっただろ、お前。今年はどうよ」
「は? 何が」
「おま、チョコだよチョコ!!」

実感がない。
確かに昨年のバレンタイン、チョコを沢山もらった記憶があるのに。

「学園一のモテ男君だもんなー、お前。
 何かそういうイケメンになるコツとかあるもんなの?」
「生まれつきの顔にコツも何もねえよ」
「うわムカつくー」

チョコレート。

脳裏に浮かんだのは、ブッシュ・ド・ノエルについて語る『誰か』。
色んなエピソードがあって、うんたらかんたら。
自分の方から折れて、ケーキを買ってあげて……。

誰、なのか。

思い出せない。

508: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 18:05:37.13 ID:vXNKYDFk0

体育以外の授業は基本的につまらない。
ノートにつらつらと黒板の内容を書き込みつつ。
トールはぼんやりと一日を過ごす。

机の中にチョコレート。
下駄箱にチョコレート。
直接手渡しされるチョコレート。

甘ったるい匂いでどうにかなりそうだった。
これら全てを『アイツ』にあげたら、どんなに喜ぶだろう。
舌鼓を打ちながら、雑学の一つや二つ、披露してくれそうだ。

アイツって、誰なんだろう。

もやもやとした感情を抱えるままに迎える放課後。
綺麗どころの女の子に呼び出された。

その手には、ラッピングされているであろうチョコレートがある。

彼女は、かわいらしい赤い箱を差し出して。
それから、こう告白した。

「ずっと、大好きでした」

付き合ってください。

そう言い切る前に。
トールはようやく、『彼女』を思い出してこう言った。

「悪い。俺、もう付き合ってるやつがいるんだ」


509: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 18:06:14.01 ID:vXNKYDFk0

夜空に、丸く浮かぶ満月。
雲一つ無い夜空に浮かぶ月は、大きく、美しく見えた。

「何だ。気づいてしまったのか」

哀れむように、彼女は嗤っていた。

柔らかな金の長い髪。
ほっそりとした体。
黒い服に、黒のマント。
魔女の意匠が伺えるつば広の帽子。

魔術を究め、本物の神となった一人の少女。
彼女は、学校の屋上、転落防止用の柵に悠々と腰掛けていた。

「忘れたフリをしていれば、両親も平穏も友人も、何一つ喪わずに済んだだろうに」
「元々存在しないモンに執着するつもりはねえよ」
「そうか。なかなかに残酷だな」
「フィアンマはどうしやがった」
「そういえば、お前は私の宣言を聞いていなかったな」

彼女の手には、神としての力を制御するための槍がある。
細い脚を組み、にやにやと彼女は笑う。

「あの女が、産まれてくるはずだった因果ごと。―――――私が、消したよ」

510: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 18:06:59.65 ID:vXNKYDFk0

「元々存在しないものに執着するなよ。……そもそも"居なかった"のだから」
「テメェが消したんだろうが」
「そういえばそうなるか。だが、あの女が望んでいたことでもある」

オティヌスは、槍をゆっくりと振った。
その顔には、邪悪な微笑が浮かんでいる。

「私の復讐は達成した。
 イレギュラーの『幻想殺し』は、お前と違って夢の中。
 夢から醒め、神に牙を剥くというのならそれもいいだろう。
 私の退屈しのぎ程度になら、付き合ってやらなくもない」

本望だろう、戦闘狂。

トールは犬歯をむき出しにして宣言する。
オティヌスが折れるまで、何度でも戦ってやると。

「ああ、本望だよ。
 戦ってやる。テメェが俺に負けるまで」
「お前を押しつぶせば、私の勝ちだ。心身ともに叩き折る。
 あの女のたった一つ<ひとり>の痕跡<こいびと>を、この手と、世界で消し去ってやる」

511: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 18:07:56.17 ID:vXNKYDFk0

世界の模様が、目まぐるしく変わる。
平和な世界、荒れ狂う戦乱の世界、どこかズレた奇妙な世界。

ただ、共通点があるとすれば。

自分の姿が誰にも認識されないということ。
そして、トールを見つけられないということだ。
とある世界では、自分の両親らしき男女がいた。
二人には幼い息子がいて、楽しそうに笑い合っていた。

多分。
きっと。
恐らく。

『自分』という存在は、オティヌスの宣言通り消されたのだろう。
自分という存在が、今こうして漂っていることがおかしいのだ。

『俺様は、どうしてここにいるんだろうな』

世界が変貌しても、誰も気づかない。覚えていない。
オティヌスが、好きなように世界を変えているのだろう。
むしろ、以前の世界を覚えている自分の方がおかしいのだ。

『………』

もう、疲れてしまった。
消えることも死ぬことも、生きていることも出来ない。
予想では、産まれてきていない人間なのだ。
誰からも認識されない、ただ思考するだけの魂。

幽霊にも劣る。

そう思うだけで、ぐっと気分が落ち込んだ。

新しく創造されていくどの世界でも、トールは幸福だろうか。
そうなら、それでいい、とフィアンマは思う。

静かにその場に座り込み、目を閉じる。
もう何も考えずに、楽になってしまいたい。
トールが助けに来てくれた、あの言葉を抱えて、このまま――――




『久しぶり。フィアンマ』

目を開けて見た先に居た、少年は。

517: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 23:47:45.23 ID:7CBxt4j10

宝石店に、彼女が居た。
隣には金髪の男性がいて、二人で指輪を選んでいる。
それは結婚指輪らしい。ペアにしよう、と彼女がはにかむ。

『お前はどれがいいんだ?』
『俺はこれかな…君によく似合うからね』
『俺様のことを考えて選ばずとも、』
『将来結婚する相手を考えられないで、家庭を築くのは難しいだろう?』

オッレルスの指が、フィアンマの手に触れた。
くすぐったそうにはにかんで、彼女は小さく身じろぐ。
白い頬は僅かにピンク色に染まっていて。
彼に握られている手と反対の手は、彼女自身の下腹部をさすっていた。

『名前は何にしようか』
『……性別もまだわからん段階で決めるのはナンセンスじゃないか?』
『それもそうか。君に似るといい』
『お前に似た方が愛らしいと思うのだが』

女の子がいいな、とフィアンマは言った。
そうだね、とオッレルスは同意した。

幸せそうな、婚約者同士の一ページ。

518: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 23:48:13.16 ID:7CBxt4j10


吐きそうになるのを必死に堪え、トールは壁に背中を預ける。
地獄を味あわせる、と言っていたが、こういうことか。
仮にあの場へ暴力的に介入しても、届かないのだろう。
幻影だと、幻想だと必死に自分に言い聞かせる。

目を固くつむった。

目を、開ける。


彼女が居た。
平凡なセーラー服を着て、誰かと手を繋いでいる。
ツンツンとした、黒髪の少年だった。

『ああもう! 遅刻するうううう!!』
『たまには遅刻してもいいだろう』
『良い訳な、…はあ。お前は良いけどさ』
『冗談だよ。先を急ぐとしよう。あ、当麻』

手を引っ張り、フィアンマが上条を引き止める。
きらきらと目を輝かせて見つめているのは、クレープの屋台である。
新春苺フェアだか何だかで、苺生クリームチョコデラックスクレープとやらがイチオシらしい。

『……ッッだああああ!!  ……はぁあ……』
『午後から行けば良いだろう。どうせ午前中は自習だ』

上条は、がくりと項垂れる。
それから、仕方ないな、と小さく笑って、彼女とクレープを食べることにした。

『ん、……』

クレープにかぶりつき。
幸せそうな笑みを浮かべたまま、上条の手を握る。
くい、と引っ張り、頬にキスをした。

『な、ちょっ、』
『良いじゃないか、別に。…こ、いびとどうし、だろう?』
『………』

上条に頭を撫でられ、フィアンマは楽しそうに笑う。


仲良しな学生カップルの、和やかな一ページ。

519: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 23:49:16.52 ID:7CBxt4j10

指の先から冷えていくのを感じる。
嫉妬をはるかに超える、戦慄だった。

とん

トールの肩をそっと叩いたのは、オティヌスだった。
あまりの衝撃に動けない彼に、彼女は甘く囁く。

「今も昔も、あの女は自分の都合で簡単に裏切る。
 お前しかいない、という態度でいるだけだよ。
 実際には、自分に優しくしてくれる男なら誰でもいいんだ」
「んな、ことねえよ、」
「実際に、あの出来損ないの思惑に気づかなかっただろう?
 気づいていたなら更に問題だ。お前を見捨てたのだから」
「っ、」
「自分に甘い言葉をかけてくれて、甘やかしてくれる男なら誰でもいい。
 自分が最大限利用出来るのなら誰だっていい。あの女はそんな尻軽だ」

ふざけんな、と殴ろうとした途端。
オティヌスの体が煙の様に消える。

520: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 23:49:54.73 ID:7CBxt4j10

灰色のタキシードを着た、長身の少年。
その隣には、白いウェディングドレスを着た少女が居た。

『お、おお』
『馬子にも衣装、などと言えば羽を毟るぞ』
『言わねえよ。よく似合ってる。っつか恐ろしいこと言うんじゃねえ』

明るい色の髪を整えられた少年の見目は、よく整っている。
容姿も力も、充分に釣り合った二人だった。
ともすれば、結婚式のモデルにも見える。
しかし、別に撮影のためでなく、彼らは今日、本当に夫婦となった。

『何か、第一位に悪いな』
『幸之助なら、理解してくれているだろう』
『それはわかってるし、渡すつもりもねえけど』

ベッドに座り、結婚衣装のままに話をする。
衣装はレンタルでなく購入品のため、汚しても問題はない。

『俺にはお前しかいなかった』

垣根の手が、フィアンマの腹部に触れる。
真っ白なコルセットの紐を、少しずつ緩めていった。

『お前が第一位の前に立ちふさがった時、おかしいやつだって思った。
 第一位が執着してる女だから、奪い取ってやろうと思った。
 なのに、何か段々、……説明出来ないモンだな、"好き"ってやつは』

苦く笑う。
マリアヴェールを上げて、そっと脇に置いた。
硝子細工でも扱うように、垣根はフィアンマの白い肌を撫でる。

521: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 23:50:40.08 ID:7CBxt4j10

あの日。
初めて、誰かに認めてもらう心地よさを知った。
闇に君臨する人間が憧れてはならないものだと、わかっている。
わかっていても、欲しいと思った。失いたくない、と。

垣根は、フィアンマが好きだった。
かつてヒーローと交際し、第一位に愛された、聖女にはなれない少女。
彼女が第一位の子を孕んだのでは、という疑惑が浮かんだ時、その子の父親になりたいと願った。

たった一人。
自分の頑張りを、笑顔で認めてくれた。
それが嬉しかった。守りたいと思った。
自分と第一位に頼れと言った時の涙が、綺麗に見えた。

コルセットを外す。
ドレスを徐々に脱がしていきながら、垣根は嬉しそうに笑む。
下卑たものではない。あまりにも純粋な、笑顔だった。

『お前が、ずっと好きだった』
『これからも、の間違いだろう?』

泣きそうになりながら、フィアンマは手を伸ばす。
ぺたぺたと垣根の頬を触り、笑みを浮かべる。

『色んなことがあって、だけど今は、これからもずっと…帝督のことが、好きだよ』

522: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 23:51:12.26 ID:7CBxt4j10


耐えた。

こんなものは全てまやかしだと、頭から振り払う。
地面に膝をついて沈黙するトールに、オティヌスは楽しげに笑う。

「ああ、可哀想に。だが、これでわかっただろう? 
 この女は、お前が必死に取り戻そうとする程の価値はないんだ」
「そんなことはねえよ。絶対にある」

オティヌスは、僅かに眉を潜める。
全て殺したはずの害虫の生き残りを目にしたかのように。

「これらの世界は、実在した世界を引っ張り出したものだ。
 つまり、あの女が一度は選んだ結末だ。そこを理解しているのか?」
「ああ、そうだな。何百何千と世界があれば何度かはああなるだろ」

だけど。

トールは、深呼吸して立ちあがる。
そして、堂々とオティヌスを睨みつけた。

「俺が愛したアイツが、それを選んだ訳じゃねえ。
 俺が好きだと思ったフィアンマは、お前に消されちまっただけだ」
「……趣向を変えようじゃないか」

523: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/27(月) 23:52:34.98 ID:7CBxt4j10

『久しぶり』

笑顔を浮かべるツンツン頭の少年。
ほどよく日に焼けた手を、フィアンマへ伸ばしている。
フィアンマは躊躇した後、彼の手をとった。

沈黙して、熟考する。

ああ、そうか。
彼は、自分がよく知る…。

『上条当麻、か』
『正解。…世界から、弾かれちゃった方だよ』

つまりは、"一人目"。
彼は、フィアンマの隣に座った。
彼もまた、世界から認識されない存在だ。

誰かが覚えているから。

魂だけが、ここにつなぎ止められている。

『ずっと、さ。見てきたよ』

フィアンマと一緒に、夕焼けの空を見上げ。

『ごめんな。…頑張ったな』

偽善使い(フォックスワード)は、そう言った。

それだけで、充分だった。

フィアンマにとって、彼こそが、一番の理解者だ。
お互いに特殊な右手を持ち、極端な運に振り回されてきたのだから。

『うん。……がんばったよ』

じわじわと、視界が滲む。
他ならぬ上条に認められたことで、安堵した。

『がんばった』
『ああ』

532: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/29(水) 00:20:28.50 ID:iydartIF0


酷い土砂降りだった。
まるでゾンビのように自分を追いかけてくる人間達を、一方的になぎ払う。
この世界は、病人で満たされていた。
治療の手立てのない、奇病だ。
手足が徐々に腐っていき、最期には内臓がボロボロと崩れていく苦痛の中で死ぬ。

その病から逃れる方法はただ一つ。

とある少年の血肉の一雫でも、口に含むこと。
自分の痛みから逃れようとする人間から、トールは逃げていた。
既にその片目は抉られているし、指も数本もがれている。
極度の緊張状態のためか、うまく術式を使えない。

「ッが、あ!」

刺された。

後方からナイフを突き立てられ、その血液を人々が啜って笑む。
品の無い二流ゾンビ映画もいいところだ、とトールは思った。

無数の手が伸びてくる。

腕をもぎ、脚を毟り、爪を剥ぎ。
沢山の凶器を振り下ろして少年を殺し、凶器に付着した肉片を咀嚼する。
何度も何度も殴打される内、トールの感覚は鈍っていった。

ダメだ。
まだ、折れる訳にはいかない。

くすくすと、どこかで女神が笑っている。

533: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/29(水) 00:22:17.77 ID:iydartIF0

『ッ!?』

目が覚めた。
トールの体は、得体の知れない液体に浸かっている。
皮膚を全て剥がれているのか、ひどく液体が染みる。

『あ、ああああああ、あ゛あ゛あ゛!!』

絶叫したところで、誰も助けにはこない。
やがて、液体から掬い上げられた。
トールの身体は、もはや人体としての形をしていなかった。

ただ。

脳だけで、彼は思考していた。
研究者らしき人間は、その脳を丁寧に扱う。
表面に薬剤を塗布し、電流を流す。
何をされても、されなくても、絶え間無い激痛が彼を襲う。
痛覚神経をガリゴリと、剃刀のような器具で削られる。

噛み切る舌さえ与えられない。

ショック死すらも許されず、少年は延々と苦痛に晒される。
やがて彼は、静かに意識を手放した。

534: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/29(水) 00:22:51.56 ID:iydartIF0

「……、…」

目を覚ます。
四肢を切断されていた。
ぼんやりとしていると、暗闇に銀色のナイフが見えた。
手術用のメスに、よく似ていた気がする。

「……あ」

腹を、ゆっくりと裂かれる。
『中身』を取り出され、伸ばされた。
ほかほかと湯気でも立ちそうな、ハラワタ。
無機質に撮影するカメラが、視界に入る。
なるほど、スナッフムービーの類ということか。

「う、あ……」

楽しげな男の声が聞こえる。
トールの腸は、水車小屋の水車のようなものにかけられた。
ゆっくり、ゆっくりと男が取っ手を回す度。
トールの中身が、徐々に引きずり出されていく。

「ああ、あ………」

抵抗しようにも、四肢がないのだ。
文字通り、手も足も出ないまま、うつろな表情で自らの内臓を見つめる。

「撮影終わったらどーするー?」
「何か詰めて食べようぜ。俺腹減ったー」

そんな呑気な声が耳に届いたところで。
視界がぼやけ、そのうち、真っ暗になった。

535: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/29(水) 00:24:51.68 ID:iydartIF0

『ここまでされても』

少女の声だった。
彼女は憐れむように笑っている。

『あの女が恋しいのか。
 裏切られ、凄惨な目に遭わされて。
 私に屈服し、あの女を忘れれば、もう二度とこんな目には遭わないというのに』
『それでも』

ほとんど崩壊しかかった精神を、取り戻す。
絶対に折れたくない、という気持ちが燻っている。

『俺は、アイツを忘れたくない』
『言ったんだ。俺だけは、アイツに生きて欲しいと思うって』
『口だけじゃダメだろ。行動で示さなきゃならねえ』
『―――たとえ、どれだけ底抜けに世界が滅茶苦茶になっていったとしても』
『俺は、何があったって、アイツに笑って、傍にいて欲しい。
 俺が好きになったアイツには、その権利があると思うから』
『どんな地獄を味わっても、どんな天国を味わっても』
『やっぱり、フィアンマが居る場所が俺の楽園なんだと思うから』

手が届いたんだ。
親に取ってもらわなくたって、大切なものに自分の手が届いた。
もう、端から端までどの世界を探したって、彼女は存在しないのだとしても。
自分は、覚えている。心が壊れたって、絶対に忘れない。

『もう既に何万と世界で潰されたにも関わらず、まだ折れないか』
『折れねえよ。俺が折れたら、誰がアイツを迎えに行ってやるんだ』

わがままなオヒメサマを。

獰猛に笑う少年に、神はため息をついた。

536: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/29(水) 00:26:28.24 ID:iydartIF0

「…っは!」
「よお。良い夢見れたか」
「最悪だよ。テメェのせいでな」

トールとオティヌスは、学校の屋上で対峙していた。

537: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/29(水) 00:28:02.27 ID:iydartIF0

『お前は、ずっとここに居たのか』
『ん、まあな。ここにいるしかないし』

明るい調子で答えて、上条は空を見上げた。
最後の最期まで、不運に巻き込まれた少年は。
不変の永遠を、どこか喜んでいるように見えた。

『インデックスは元気そうだし、"俺"も頑張ってるし。
 俺の人生に意味があったとしたら、それはインデックスを救えたことかな。
 それと、フィアンマに出会えたことだと思う』
『……、…』
『……あの日。電話で止めてやらなくて、ごめんな』
『…裏切り者め。俺様は、お前のそういうところが嫌いなんだ』
『俺は、フィアンマのそういうとこ、好きだったよ』

淡々とした会話だった。
空の色も、人々も変わりゆく中、彼らだけが不変で居る。
世界から忘れ去られた、人間とも神とも呼ばれぬ存在。

『今の世界がどうしてこんなことになってるのかも知ってる。
 介入した方が幸せなのかどうか、迷った結果がこれだけどさ。
 お前がここに来たのは、"消された"からなんだろ?』

どことなく達観している彼は、本当に、人間らしからぬ雰囲気だった。
神浄、とでも呼ばれる存在なのかもしれない。或いは。

538: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/29(水) 00:28:44.36 ID:iydartIF0

『戻りたい、って思わないのか?』
『こうなってしまった以上は、いっそ戻らない方が良いだろう』

空を仰ぎ、フィアンマは目元を擦る。
涙ぐむなど、らしくもない。

『俺様は、存在ごと消去された。
 となれば、トールも俺様のことを覚えているはずもない。
 仮に覚えていたとしても、諦めてしまった方が幸せだよ』

そして、戻る手段も考えられない。

肩を竦める彼女を見、上条は立ち上がる。
不思議そうに彼を見上げたフィアンマに、彼は手を差し出した。

『トール、だっけ。一緒に探しに行こうぜ』
『無理だよ。俺様がどれだけ捜したと思って、』
『一人なら無理でも、二人なら見つけられるかもしれないだろ?』

偽善者の慰めかもしれない。
それでもいいかな、とフィアンマは思った。
握手をするように手を握り、立ち上がる。

『フィアンマの気持ちが、収まるところに納まるまで。
 何百年でも、何千年でも付き合ってやるからさ』

539: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/29(水) 00:30:22.92 ID:Z1c5gg420

上条と一緒に、果てもなく歩いた。
世界は常に変貌していたが、上条が常に前に居る為、見失うことはない。

『……俺様は、お前を利用しようと思っていた』
『知ってる』
『事実、記憶を喪った後のお前に酷いことをした』
『それも知ってる』
『今、俺様が思考を放棄せずに生きているのはお前のお陰だ。
 ………怒っていないのか? 俺様のことを』
『んー、怒る程でもないだろ。実際に被害に遭ったのは俺じゃないし。
 それに、そうだったとしても、お前が俺に優しくしてくれたことは変わらないだろ』

あっけらかんとしながら、上条は歩き進む。

『良かった。見つかったな』

上条が立ち止まった為、フィアンマも立ち止まる。
見上げた先には、トールが立っていた。
その百メートル程先に、オティヌスが立っていた。
オティヌスが槍を振るい、トールの体が滅茶苦茶にひしゃげる。
二人共、フィアンマの存在には気がついていないようだった。
勿論、上条の存在にも。

540: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/29(水) 00:30:50.89 ID:Z1c5gg420

一度目。

槍を振るわれた。
意識がぷっつりと途絶える。

オティヌスから与えられる地獄を経験し、同じ場所へ。
一度の攻撃すら許されぬまま、何度も叩きのめされる。
繰り返す度に、トールの精神は着々と摩耗していった。
それは戦闘のためというよりも、経験する地獄の回数だけ。

百度目。

攻撃を避けて反撃するも、やはり届かない。

身体の随所を捻じ曲げられ、やり直し。
味あわされる地獄は同じものもあれば、違うものもあり。
満身創痍で神の前に立ち、それでも彼は諦めなかった。

「飽きないな」
「こういうレベルアップは初めてだ」
「ゲーム感覚か。気が狂ったか?」
「そうかもしれねえな」

言葉を交わす間にも、百回以上トールは死んでいる。
尚も、彼は諦めずに彼女へ挑み続ける。

千度目。
力無き拳が、届きそうになって。
指先だけが掠り、トールは呆気なく死亡した。

541: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/29(水) 00:33:54.16 ID:Z1c5gg420

『……どうして、諦めてくれないんだ』

オティヌスの言葉に似た台詞が、フィアンマの口から漏れた。
自分には認識出来ないけれど、此処にやってくるまでにトールは苦痛を味わっているだろう。
自分には想像し難い苦しみのはずだ。
オティヌスが、それを示唆するような言葉を口にしているのだから。

『トールが戦っている理由は、俺様に過ぎない。
 オティヌスが折ろうとしているのも、結局の所、トールの俺様への執着心だ。
 俺様のことさえ無かった事にすれば、オティヌスはトールを放っておくはずなのに』

これ以上地獄を味あわなくて済む。
戦いや喧嘩というよりも、もはや一方的な虐殺の被害を受けないで済む。

『それでも、トールはお前を救いたいんだろ』

上条のシンプルな言葉に、フィアンマは沈黙する。
彼は彼女を見やり、もう一度同じ事を言った。

『戻りたい、って思わないのか?』
『もしも頷いたら、お前は手を貸してくれるのか』
『もちろん』

ならばどうして最初から申し出てくれなかったのだ、と言いかけて。
上条の真意に気がついた為、押し黙る。

もしここで簡単に戻ったら。

同じ選択をした時、自分はまた自己犠牲を選ぶ。
そうならないように、上条はずっと待っていた。
彼は最初から宣言していたはずだ。
自分の気持ちが、収まるべきところへ納まるまで、待つと。
だから待ち続けた。何十年も、何百年も。一緒に。

『俺様が戻れば、お前はまた一人になるぞ?』
『別に、良いよ』

上条は、苦々しく笑っていた。

『初恋(げんそう)もぶち壊されたことだしさ。
 やっぱり、俺は偽善者だから…狡い引き止めなんて出来なかった』

それから。

『俺はもう戻れないけど、フィアンマには居場所がある。
 もしも人生を終えて、ここに来たら。その時はまた、一緒に話そうな』

彼はゆっくりと息を吸い込み。

竜王の顎<みぎうで>を、前方へと突き出した。

542: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/01/29(水) 00:37:54.86 ID:Z1c5gg420

硝子が割れるような、甲高い音が響いた。

『世界を元に戻す』力が働いた音だった。

フィアンマの視界から、上条が消えると同時。
オティヌスの創造している世界が、大きくたわんだ。

「……何故此処に存在している?」

オティヌスの問いかけに。
脚を折られて座り込んでいるトールの前に立ち、フィアンマが答えることにした。

「真実を語ろうと考えたからだ。
 全て自分のせいにしてもらうという、楽な方法を取ることをやめようと思ってな」

そのために友人に協力してもらった、とフィアンマは言った。
オティヌスは僅かに表情を歪める。憎悪の色が滲んでいた。

「真実? お前が私の家族を奪った時の話か?  
 私の家族や知己をどうやって殺していったかを話すつもりか」
「そうではない」
「……フィアンマ」

トールの声に、フィアンマはちらりと振り返る。
それから、オティヌスの方を向いた。
少しだけ震えた声で、呟くように言う。

「……来るのが遅くなって、本当に、……すまなかった」
「お前が居るだけで、充分だ」

もう、顔も、名前も思い出せなくなってきていた。
二万回の死を経て、何の為に戦っているのかもわからなくなっていた。

それでも、トールは。

今、フィアンマが目の前に居るという事実だけで、報われた。









「お前の家族を奪った、本当の正体。あの日の全てを教えてやる」

550: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/01(土) 01:37:43.53 ID:tbwu6x9r0


学校の屋上であった場所は。
いつしか、思い出の街に変化していた。

「私が、お前の言葉を信じると思うのか」

語られる過去に、部外者は不要。
殺さず、トールをその場から消し去り。
オティヌスは、フィアンマを見据えた。

ずっと、憎いと思っていた。

母親のように慕った、ほんの短い時間の分、余計に。

フィアンマ自身。
憎まれていても良いと思っていた。
もしもトールが彼女を忘れたのなら、彼女はそれを受け入れただろう。

だけど、現実にはそうはならなかった。

だから、フィアンマは真実を語ることにした。
そのことで、目の前の少女がどれだけ傷つくかを知りながら。

「信じるさ。…嘘をついたら、神にはバレてしまうのだから」

551: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/01(土) 01:39:15.40 ID:tbwu6x9r0

「俺様はあの日、お前の家族や知り合い全てを見殺しにした」

とある悪魔の名を、口にする。
オティヌスが慕った彼らが喚び出してしまったモノ。
粛々と事実を語る毎に、オティヌスは唇を噛み締めた。

嘘はついていない。

それくらいのことは、オティヌスは理解出来ていた。
嘘をついてまで命乞いするのなら、もっと早い段階てしている。
一度存在を消され、恋人を何度も殺され。
それでも戻って来た理由は、自分へ真実を教えるため。

「人は、強い欲で生きる。
 だから、俺様を憎んでくれて良いと思っていた。
 そのことで、お前が生きるための気力を得られるのなら」

見殺しと、手を下すことは同義だと、フィアンマは思っていた。

オティヌスは、そうは思わない。

そして、ふと、一つの事実に気がつく。
自分はどこかで、目の前の人を過信していた。
怯えなど感じることはないのだろうと、盲目に思っていた。

552: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/01(土) 01:39:51.01 ID:tbwu6x9r0

実際には、フィアンマは当時、純粋な感性というものを持っていた。
脅されれば嫌だし、悪意や殺意が透けて見えることは怖かった。
今ならば脅し返すことだって出来たが、当時は、まだ。
オティヌスが思うような、出来た人間ではなかった。

「…………」

たっぷりの沈黙の後に。
オティヌスは、『主神の槍』を強く握り締めた。
沈黙が、世界を支配している。

「もしもこの話を信じないのなら、俺様を再び消せば良い」

何にしても見殺しにしたのだから、とフィアンマは言った。
目の前の少女が想うような人間ではなかった自分に、改めて失望しながら。

「因果を含め、全て。俺様はもう二度と、お前の安息を捻じ曲げない。
 トールにしても、遊んでやることをやめてしまえば良い。
 この街が創造出来る程なんだ。親も、友達も、知り合いも…蘇らせればいい」
「………」
「……俺様には、してやれなかった。世界を救うことも、お前を救うことも。
 俺様がお前と関わったことが、そもそもの不幸だったのかもしれない。
 その点については、ひたすら申し訳ないばかりだ」
「……私は、」


「だが、もしも――――もしも、俺様のことをもう一度信じてくれるなら」


一緒にかえろう。


夕方、子供を幼稚園へ迎えに来た母親のような口調で、彼女はそう言った。

553: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/01(土) 01:40:30.72 ID:tbwu6x9r0

夕暮れの街。
いなくなった人々。

今の世界は、オティヌスの思い出のままに存在していた。
誰もいなくなった、血塗られた黒魔術の街。
悪魔に縋って願いを叶えてもらうことが正しいと信じた人々。

「…私に帰る場所はない」
「……そうだな」
「仮に時を全て巻き戻しても、無かったことには出来ない」
「それ相応の償いはさせられるだろう。俺様と違い、お前は担ぎ出される対象だ」
「事実、それだけのことをしてきた。
 …きっと、真実を知っても、私は同じ事をしただろう」
「……お前の人生を狂わせ、神の座にまで追いやったのは俺様だ。……すまなかった」
「良いさ。……そもそも、お前の打ち込んだ『妖精化』は、私の内側を蝕んでいる。
 じきに、また不完全な…或いは、更に負に傾きやすい神に、私は堕ちるだろう。
 世界中の意思に殺されたとしても、もはや後悔はない。
 ………かつて愛おしく慕い、裏切ったとばかり思っていた相手が、裏切っていなかった。
 ただそれだけの事実を知ることが出来て、私は幸いだ。犯してきた罪に、向き合える程には」

フィアンマが近づいてくるのがわかる。
槍を振るえば殺すことも消すことも可能だったが、オティヌスは何もしなかった。
しゃがみこんで視点を同じ位置へ合わせ、フィアンマは手を伸ばす。
唯一自分に残された左手で、優しく彼女の頭を撫でた。

「俺様が守るよ」
「……、…私、を?」
「世界中から、お前を隠す。誰にも、お前の居る場所は教えない」
「………、……無茶なことを言うな」
「自分の命と引き換えに、お前の世界への干渉を食い止めようとした人間だぞ?
 それ位出来なくてどうする。……そしてこれは、…俺様自身の、罪滅ぼしだ」

償うことは出来ない。
贖うことなら出来るだろう。

許すから、許して欲しい。
フィアンマが言っているのは、そういうことだった。
十字教の原点である、『人同士の赦し合い』。

「わかった。………一緒に帰ろう」

ボロボロと、熱に晒された砂糖菓子のように主神の槍が崩れていく。
復讐という目的を喪った神様の一人相撲は、長い時間をかけて、あっさりと終わった。

554: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/01(土) 01:41:33.59 ID:tbwu6x9r0

「………」

そして、フィアンマは目を覚ました。
まだ意識がぼんやりとしているが、今までのことが夢ではないとしっかり知覚する。
その上で、自分が今何をどうしているのか、周囲を観察した。

どうやら、病室のようだ。

「……ん、」

起き上がる。
直感、といっていいものか。
オティヌスの居場所は、頭の中に入っていた。

約束を守るかどうか、試しているのかもしれない。

ただ、彼女が『槍』を手放したことは事実だ。
そして、『妖精化』によって弱体化しつつあるということも。
とはいえ、神のとしての力を使って隠れることには隠れられただろう。
彼女の安息が乱されるとしたら、自分が情報をバラした時位のもの。

「………」

これから一生をかけて、彼女は世界中から逃げ続けるだろう。
その苦しみを、償いとして世界に提供する。
彼女をより苦しめることが、きっと正しいことなのだろうと、フィアンマは思う。
だが、もう正しいからといって盲目に従うことはしない。
これまでの人生、何度も正しさを求めては、失敗してきたから。

「……」

そして、はっと気がついた。

・・・・・・・・・・・・・
右腕が再び接続されている。

555: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/01(土) 01:42:02.26 ID:tbwu6x9r0

「………お前が死ぬ前には、きっと助けに行くよ」

自分の良く知る場所にいるオティヌスに、ぽつりと呟いて。
左手で、右腕を撫でる。
『グレムリン』の起こした事件の余波は、残っている。
世界はじっくりと時間をかけて、それを克服するだろう。

「………」

終わったのだ。
戦いも、救いへの執着も、何もかも。
自分が抱えなければいけないことは、全部。

「……ふ」

息が漏れる。
槍を消失した『彼女』が腕を創造したとは思えない。
となると、元から誰かが保存してくれていて、医者が繋いでくれたのか。


こん、こん。


病室に響く、ドアをノックする硬質な音。
どうぞ、とフィアンマは無気力に言い放った。


がらり。


戸が開き、入ってきたのは。


「……久しぶり、で良いのかな」


苦々しい様相の、オッレルスだった。

562: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/03(月) 21:26:51.66 ID:oM84msk10


「…久しい顔だ」

その顔を見たのは、実に一万年ぶり程だろうか。
オティヌスと、上条と、トールと、自分。
あの時間を、他の誰かが知ることはない。
故に、話したところで理解はされないだろうが、本当に、久しい。

「……魔神オティヌスの件について、なんだけど」
「……ああ」

オッレルスは、丁寧に、時間をかけて説明した。
オティヌスが逃亡したこと、世界中は混乱の渦中から抜け出しつつあること。
怪我人の怪我が癒され、壊れた建物も一部修復されたということ。

「………」
「……それで、だ」
「俺様がオティヌスの居場所を知っていると踏んだのか?」
「…そういうことになる」
「なるほど。……知らないな」
「フィアンマ」
「例え中身がどうであったとして、俺様は猫が死んだと返すよ」

シュレディンガーの猫箱の話だった。

オッレルスは沈黙し、暫し思案する。
フィアンマは、つまらなそうに窓の外を見つめた。

563: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/03(月) 21:27:25.10 ID:oM84msk10

「…わかった。……私が此処に来たのは、何も君から情報を聞き出す為だけではない」
「なら、何の用だ?」
「君に謝罪をするためだ」

きっぱりと言い切って。
彼はフィアンマに近づくと、静かに頭を下げる。
フィアンマはベッドから降りかけ、腰掛けたままで止まった。
じっと、自分に頭を下げる青年を見上げる。

「……雷神トールに手を挙げたのは、私だ」
「……オティヌスだと言っていたが」
「騙した。……君を、それで縛りつけられると思った」
「………呆れた男だな」
「自覚はしている。…許されようとも、思っていない」

静かな声だった。
フィアンマは沈黙して、彼をじっと見つめる。

564: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/03(月) 21:28:26.09 ID:oM84msk10

「………」

すぅ、と息を吸い込む。

色んなことがあった。

自分のせいで、オッレルスは魔神になれず。
オッレルスのおかげで、自分の命は助かり。
彼のせいで、トールは傷つけられ。
オッレルスのおかげで、それなりのハッピーエンドへこぎつけた。

「俺様にもお前にも、お互いに功罪がある」
「……、…」
「正しいことだけが良いことではないのだと、俺様は学んだ。
 そして、自分が犠牲になることが一番でないことも。
 俺様が居なくなれば、誰かが本気で嫌がるということを。
 ……それは、お前にだって適用される。いや、世界に存在する人間のほとんどに」
「………」
「罪人を責めてもどうにもならん。俺様自身も大罪人なのだから。
 ……だからオッレルス。どうか、顔を上げてくれ」
「……」

世界中には今も尚、沢山の争いごとがある。
傷つけあうことで喪われるものがあるのなら、許しあうことで生まれるものがあるはずだ。

565: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/03(月) 21:28:54.84 ID:oM84msk10

オティヌスのように復讐の為でなく。
策略の為に人を傷つけるというのは、酷い行為だ。
フィアンマも、今まで何度かしてきたことだ。

「……フィアンマ」

だからこそ、許しあうべきだ。
オティヌスとフィアンマが許しあえたように。
オッレルスとフィアンマなら、尚更和解出来る。

そうしたら。

もう一度、普通の友人へ戻れるはずだ。

オッレルスは、ゆっくりと顔をあげた。
フィアンマは、にっこりと微笑んでいた。

ああ、和解出来た、と思った。
誰もが、彼女が彼を許したと、そう感じるであろう光景。

566: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/03(月) 21:29:39.54 ID:oM84msk10











―――――直後。

     情け容赦の無い右ストレートが、オッレルスの顔面にめり込んだ。

575: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/09(日) 21:13:09.32 ID:Fh6Ym+dV0


「ぐッ!? い、痛い!!」
「当然だ」
「い、今許す雰囲気だったんじゃ、」
「ああ。一瞬だけ、許すべきだろうと思った」
「、」
「だが殺す」
「殺すの!?」

ちょっとした惨劇が起きている彼の顔に二、三発パンチを叩き込み。
ぜぇはぁと息を乱し、点滴台を握り、ふらつきながらも立つ。
トールを愛している者としては、流石に殴るべきだと判断した。
オッレルスはというと、治療を自分に施して。

「……すまなかった」
「……お前は俺様の命を救った。
 その事実を無視しようとは思わん。…これで終わりだ。
 当人でない人間が復讐をしても、何の意味もあるまい」

そうだね、と同意して。
存外あっさりと終わった復讐に、オッレルスはゆっくりと息を吐き出す。
言うべきことは言った、伝えるべきことは伝えた。
もうこの病室に存在している理由はない。

「ああ、そうだった」
「何だ」
「君の右腕。…拾い上げて保管していたのは、他ならぬ"彼"だよ」
「………」
「それじゃあ、元気で」

576: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/09(日) 21:13:54.14 ID:Fh6Ym+dV0

ドアが閉まり、病室を静寂が支配する。
ベッドに腰掛け、のろのろと自分の右腕を見る。
ハンドクリーム辺りで手入れでもされていたのか、綺麗だ。
肩の継ぎ目は少々醜いが、他人に肌を見せる性格でもないし、困らない。

「……、…」

トールが、保管してくれていた。
ということは、あの雪原で自分が居なくなった後に、辿りついたということか。

きっと、辛かっただろう。

血液と、残された右腕。
自分を死んだであろうと、きっと思ったはずだ。
それでも追いかけ続けてくれたのは、意地だったのだろうか。

「……」

まだ具合が悪い。
少し眠るべきだろうか、と思って。

「…まずは現状確認が先か」

体調について医者から説明を受けよう、と思い立ち。
深呼吸を繰り返しつつ立ち上がり、フィアンマは病室を出た。

577: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/09(日) 21:14:21.04 ID:Fh6Ym+dV0

「よう、元気?」
「……生きてたのかよ、お前」
「酷ぇの。意外と科学サイドにも気が合うヤツってのは居るモンで」
「へー」

オティヌスの詫びのつもりか、トールの身体はほぼ健康そのもの。
とはいえ、一応の調子を看てもらうために病院へ来てみた。
実際には、見舞いにそのまま向かうのが気まずかったから、という理由があったりするのだが。
トールに缶ジュースを投げ渡したのは、ウートガルザロキだった。
彼は相変わらず軽薄そうに、軽い調子で肩を竦める。

「診断結果は?」
「健康体そのものだと」
「良かったじゃん?」

プシュリ、という音を立て、ジュースを飲む。
トールの様子を横目で眺め、ウートガルザロキはジュースをちびりと飲み。

「『此処』なんだろ? 行かねぇの?」
「……急かすなよ」

ぐしゃ、と長い髪を手で掻き、トールは息を吸い込む。
緩やかに吐き出し、首をコキコキと鳴らした。

「そういや、お前はこれからどうすんだ?」
「『グレムリン』も解散しちまったし、適当に暮らしていく」

またどこかで会うかも、と言い残し。
空き缶をゴミ箱へ放った彼はひらひらと手を振って歩いていく。

「……行くか」

呟き、トールもゴミ箱へ缶を投げ捨てた。

578: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/09(日) 21:15:12.62 ID:Fh6Ym+dV0

外傷はほとんど癒えた。
右腕で細かい所作をするためにはリハビリが必要。
内臓のダメージは治療が必要なほどではない。
ある程度静養して、問題が見当たらなければ退院可能。


医者に確認したところ、そんな結果が帰ってきた。
ひとまず安静にしておけ、ということのようだ。
治療・入院費についてはオッレルスが払ったらしい。抜け目の無い男である。

当面の心配事はない。

衣食住は、病院に居れば事足りる。
動けるので、洗濯なども自分で出来る。

「……ん」

紙パックのミルクティーを購入し(自動販売機と少し戦った)、病室へ戻る。
再びベッドへと腰掛け、ストローを紙パック裏の袋から取り出し、飲み口へ挿した。
口に含み、ちゅ、と吸い上げる。甘ったるい紅茶が、口の中に広がった。

「………」

こくん、と飲み下す。

「……」

自分の身体を調べてみる。
どうやら、天使に近い体ではなくなったようだ。
『第三の腕』は行使出来ない。
右腕を再接続したから、ではない。
『魔神による介入を食い止める為』自らの体質を変容させたためだ。
今はもう死んだところで、魔神の魔術的介入を止めることは出来ない。
というより、そもそもオティヌスは魔神としての力を喪っているはずだ。

つまり。

自分は、本当に、ただの人間になったということだ。
『世界を救える力』こそあるものの、出力方法を失った、一人の少女でしかない。

「もう、……トールと戦ってやれないな」

ぽつりと、呟きが漏れる。
約束を守れない。
また、戦ってあげると約束したのに。
最高の敵だと、言ってくれたのに。
もう、本当に、彼の力を高めてあげられない。

579: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/09(日) 21:15:50.07 ID:Fh6Ym+dV0

それは、子沢山の家庭を求める夫に対し、生殖能力を喪った妻の失望に似ていた。
かつて望んだものだが、今そうなっても嬉しくない。

「………」

それに。
ただの魔術師になって、オッレルスの保護下にも無い。
そんな自分が、この先世界中に狙われて生きていけるのか。
オティヌスよりは緩いとはいえ、自分も世界に追われる側ではある。

「……ああ、」

世界中を敵に回してもいい。
傲慢であって欲しい。

彼はそう望んでくれたが、あの地獄を乗り越え、今、どう思っているだろう。
幾千幾億の地獄を味わい、それでも自分を取り返そうと、彼は努力した。
しかし、そもそもの原因は自分にあり、冷静になれば、彼だってそれが理解出来るはずだ。
加えて、今の自分は『神の右席』に居た頃のような強さが無い。
雷神トール、いや、その辺りの一般魔術師にも劣る、ひ弱な女に過ぎない。

怖い。

力を喪ったことでなく。
世界から狙われ、殺されることでなく。

トールから嫌われたり、呆れられることが怖い。
会わせる顔がない。

580: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/09(日) 21:16:28.52 ID:Fh6Ym+dV0

コンコン。

ノックの音だった。
思わず返事出来ないでいるも、入ってこない。
いや、返事をしないから入ってこないのか。

「………、」

フィアンマには何故だか、ドアの向こうにトールが立っているような気がした。
あんなに会いたかったのに、甘えたかったのに、言葉を交わすのが怖い。
冷静になって現実を見て、彼はどう考えているのか。
自分に何を告げに来たのか。考えたくもない。

「……」

"もう逃げない"と決めたはずだった、が。

彼女はベッドに潜り込み、毛布をかぶった。
窓の方へ身体を向け、目を強く瞑る。

ドアが開いた。

靴音がする。
近づいてきた誰かは、やはりトールだった。
彼は気まずそうに数度呼吸を繰り返し。
それから、フィアンマの後ろ姿を見つめながら言った。

「お前に言っとくことがある、と思ってさ」

581: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/09(日) 21:16:58.68 ID:Fh6Ym+dV0

内側から毛布を握る指が青白む程、力が入る。
トールは彼女の寝たフリを見破っているのかいないのか、静かに言葉を紡いだ。

「長かったな」
「お前が出て行って、俺が追いかけ始めてから」
「最初は敵として、お前に飯を奢った。死なれたら戦えないしな」
「お前と暮らすようになって、印象が変わった」

枕元から手元へ引きずり込み、ループタイを抱きしめる。
そうでもしなければ、全身が震えてしまいそうだった。

「お前が幻想殺しと仲良く喋ってる時、イラついた」
「その時は、理由がわからなかった。適当に理由付けして、自分を誤魔化した」
「それからちょっとして、お前が恋人ごっこを持ちかけてきた」
「正直意味がわからなかったし、お前の言葉の意味も理解出来なかった」
「お前が出ていって、初めて意味がわかった」
「あれからずっと捜して追いかけて、何度か追いついて、その度にお前は何処かに行って」
「いつまでたっても、俺の目の届く範囲には居ようとしねえ。挙句の果てには世界そのものから消えて」
「お前を忘れようとしなかった俺は、オティヌスの野郎に拷問にかけられた。
 地獄を繰り返して、結局俺は勝てず仕舞いだ。レベルアップしていく感覚は良かったが、もう二度と味わいたくねえ」

瞼を強く、きつく、閉じる。
何を言わんとしているのか、予想しないよう努めた。

「――――俺はもう二度と、お前の恋人ごっこなんかには付き合わないと決めた」

ぎゅう、と。
心臓を握りつぶされるかのような苦しみに、フィアンマは唇を噛んだ。

「オッレルスの野郎から聞いた情報だが、お前の性質は変容した。
 洋菓子しか口に出来ない制約はなくなった…代わりに、『聖なる右』は行使出来ない。
 ……俺にとってお前はもう、戦い甲斐のある素晴らしい敵でもない。二度と戦うことはない」

首吊りすべく立っている足場を、少しずつズラされていくような感覚。
反論しようとは思わない。全て事実だ。

「敵でもないし、ごっこ遊び相手でもない。
 俺は、お前と本当の恋人になりたいと思ってる。
 敵になれないなら、一生涯、味方になるしかねえよな?」

ずっとずっと、気が遠くなる程長い間、そう思っていた―――と。

彼はそう告げて、彼女の髪を撫でた。


「もう逃がさねえぞ」

582: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/09(日) 21:17:30.47 ID:Fh6Ym+dV0










「お前は、俺のものだ」













宣言、直後。
毛布を剥いで出た少女は、勢い良く少年に抱きついた。

589: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/13(木) 22:34:04.37 ID:F9bpAotw0

一時間位抱き合っていたような気がする。
ようやく我にかえった二人はベッドに腰掛け。
フィアンマは静かに、頭をもたれた。
トールの体温はほどほどに高い。
いかにも健康体といったところか。

「……生きているんだな」
「何だよ、唐突に」
「いや、…お互い、いつ死んでもおかしくはなかっただろう?」

実際トールは何度も何度も死亡した。
フィアンマに至っては、存在毎消された。

その二人が今こうして、何の問題もなく座って会話をしていること。
それ自体が奇跡だと、フィアンマはぼんやりと思う。

「奇跡って程じゃねえな。必然だろ」
「…必然?」
「俺がお前を取り戻したいって願って、お前がそれに応えた。
 それに合わせて世界が回っただけだろ。奇跡って程低確率でもない」

肩を竦め、トールはぼふりと後ろに倒れる。
そういうものかな、とフィアンマは薄く笑んで。
それから、彼の隣に倒れこんで、思うままにすることにした。

590: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/13(木) 22:34:39.39 ID:F9bpAotw0


退院の日は、雪が降っていた。
一本の傘を屋根にして、歩く。
自然と近づく距離が、寒さを打ち消している気がした。

「…右手」
「…ん?」
「リハビリ、必要なんだろ」

後マッサージ、と言葉をかけ。
トールは、フィアンマの右手を握った。
まだリハビリの完了していない右手の動きはぎこちない。
指先を絡ませて握り、白い息を吐いて。

「トール」
「あん?」

ホテルに到着して、部屋へ入る。
繋いでいた手を離して、彼女は彼を見た。

「お前の味わった地獄について、話してくれ」
「……そりゃまた何のために」
「俺様の責任として覚えておきたいから、だ」
「……別に良いけど」

591: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/13(木) 22:35:16.17 ID:F9bpAotw0

そしてトールは、自分が覚えている限りの地獄を語った。
味わってきた地獄の種類は幾万にも及ぶ。
地獄の合間には時折、楽園のようなものもあった。

フィアンマが存在しない、人類皆が幸せな世界。
トールの存在しない、フィアンマが幸福な世界。

そんなものもあった。
どちらかというと、そちらの方が地獄よりも辛かった。

自分ではない誰かと。
自分以上の出会い方をして。
自分よりもその相手を愛して。

そうして幸せになっていくフィアンマを見ることが何よりの苦痛だった。
少なくとも、トールという一人の男にとっては。

嫉妬、という単語では足りない。
絶望に近い。

「お前のことを口にする度に狂人扱いされる世界もあったっけな」

哀れまれる苦痛というものもあった。

「だが、それは逆に言えば俺しかお前を繋ぎ止めるものがないという事実の裏返しでもあった」

諦める訳にはいかなかったのだ、とトールは笑む。
あれだけの思いをしてまだ笑うことの出来る自分に、安堵する。

592: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/13(木) 22:35:49.86 ID:F9bpAotw0


「……最初に、全て打ち明けていればよかった」

すまなかった、とフィアンマは頭を下げた。
嘘を嘘で隠し、弱さを覆った結果、取り返しがつかなくなった。
自分がしたかった、或いはしたくなかったことを全てを話せば良かった。
自分の抱えている体質が辛いのだ、と打ち明ければ良かった。

「……俺が鈍かったのも、若干理由ではあるしな」

くしゃ、と赤い髪を撫で。
トールは明るく言うと、長い息を吐いた。

「ひとまず」
「…ん?」

そろそろと頭を上げた彼女を抱き込んでベッドに倒れこみ。
トールはやや眠そうな表情でこう言った。

「二万年超。お前を独占出来なかった分は今から達成する」
「……喜ぶべきか判断に迷うな」

593: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/13(木) 22:36:19.99 ID:F9bpAotw0

ベッドに腰掛けた少女の太ももは、存外に柔らかくなかった。
脂肪があまりないので仕方のないことである。
そもそも、フィアンマは太りにくい体質であった。
●●●●がたゆんたゆんにも、お尻がぷりんぷりんにもならないタイプの少女である。

「……ん」

それでも居心地が悪いということはなく、トールは目を閉じた。
フィアンマは緊張した面持ちで綿棒を握りしめている。

「……来ないのか?」
「……緊張するだろう」

膝枕といえば耳かき。
定番中の定番<セオリー>をなぞっている。
緊張しつつ、フィアンマは綿棒をトールの耳孔に挿入する。
こそばゆさに時折びくつく少年は、ひどく愛おしかった。

「…痛く、ないか?」
「……問題ねえよ」

もっと突っ込まれても平気、と眠そうにトールは言う。
おろおろとしながら、フィアンマは綿棒を動かす。
温かな部屋で、程よい緊張が二人を包んでいた。
甘やかな時間を断ち切るかのように、彼の呟きが聞こえる。





「………まあ、もう少し太ももに肉は欲しいよな。腹回りじゃなくて」
「………」

直後。
垢の無い部分を綿棒で抉られた少年の悲鳴が響くのだった。

598: バレンタインデー  ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/15(土) 23:31:23.89 ID:+pZuXppB0

フィアンマ「今日、俺様の本国では恋人同士が贈り物を交換するか、男が女に贈り物をする」

トール「初めて知ったな。悪いが用意はなにもねえ」

フィアンマ「構わん。…ちなみに事の発端は聖ヴァレンティヌスというーーー」




トール「ご高説どうも。で?」

フィアンマ「が、日本では古来から義理或いは愛する相手にチョコレートを渡す日らしい」

トール「はー、なるほど」

フィアンマ「…という訳でフォンダンショコラを作ったのだが、見事に失敗した」

トール(ああ、あの冷蔵庫の美味そうなやつか)

フィアンマ「だからその、」

トール「…その?」

フィアンマ「…ひとまず、板チョコひとかけらを口移し、……で、…良い、かな…?」

トール「俺は今、珍しく生きてて良かったなと実感してる」

601: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/16(日) 01:40:05.51 ID:/+rIk/6L0

完全に、全てが終わったあの日から。
トールは、フィアンマから離れようとしなくなった。
基本的にはトイレ以外ずっと、である。
それはある種異常な執着に見えるかもしれないが、フィアンマは拒否をしない。
自分の行動が、彼をそうした状態に駆り立ててしまっているから。

「俺様がまだ出て行くことを危惧しているのか」
「まあな」
「信用出来ないか」
「ちょっとな」

好きだけど、と彼は呟いて。
好きだからこそだろう、とフィアンマは思う。
一種、ドメスティックバイオレンスといえばそうかもしれない。
人権侵害と断じてしまうのは簡単だが、そうは感じない。
ずっと、こうした束縛を待っていなかったと言えば、嘘になる。

「俺が寝てる間に出て行ったからな」
「もうしない。必要も、ない」
「頭では理解してる」

二万年以上苦しみ続けた心が理解しない、とトールは言う。

ごめん、と謝った。
怒ってる訳じゃない、と彼は言った。

602: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/16(日) 01:40:33.74 ID:/+rIk/6L0

寒いからといって引きこもりばかりではつまらない。
元来アウトドア派のトールはそう主張して、フィアンマを外へと連れ出した。
世界中から追われている、といっても、今のフィアンマはそこまで過酷な立場ではない。
オティヌスが起こした大きな事件の裏で、フィアンマの罪は薄れている。
少女の免罪符になろうとしたフィアンマは、その少女を免罪符にしてしまった。
ただ、『それでもいい』と当の本人たる元魔神は思っていることだろう。

「何処行く? ゲーセンとかカラオケとか。
 科学サイドの施設だけど、俺はそれなりに行き慣れてる」
「……げー、せん?」

不思議そうに首を傾げるフィアンマのマフラーを巻き直してやりつつ。

「ゲームセンターの略称」
「…げーむせんたー」

復唱するフィアンマはやっぱり不思議そうだった。
聞きなれない詠唱を復唱しているかのようで、発音も少しおかしい。

「説明するより行ってみた方が早いな」

うん、と頷いてきっぱり判断し、トールは歩いていく。
彼に引っ張られる形で、彼女はついていった。

603: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/16(日) 01:42:09.70 ID:/+rIk/6L0


ゲームセンターの中には、いつだって楽しさがある。
クレーンゲームの箱の中、ゲーセン限定のお菓子やぬいぐるみが吊られていた。

「……、珍妙な遊戯場だ」

そう評して、フィアンマは周囲を眺める。
見下すような批評を行っても、さほど嫌いな場所ではなかったようだった。
あまり大きくはないゲームセンターだが、ゲームの種類は少なくない。

レースゲーム、クレーンゲーム、音楽ゲーム、クイズゲーム。
体感型ホラーゲーム、格闘ゲーム、プリクラマシン、と実に色々である。

「……これは取れるものなのか」

箱の中、ぶらん、と吊り下げられているものはマカロン型のクッションだ。
クッションを吊り下げている糸を、操作する機械で上手く切断すれば一発ゲット。
動体視力とタイミングを測る力がものを言うゲーム。
旧型のクレーンゲームよりは、やや難易度が低いといえるかもしれない。

「ゲームだからな。勝てば取れる」
「説明は……ふむ」

手元にはボタンが二つと、説明書らしきイラストつきの印刷。
操作方法は理解出来たが、フィアンマはあえてトールを見やる。

「…自信はあるか」

自分の彼女に自信の程を聞かれて正直に答える男は稀である。

「勿論」

604: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/16(日) 01:43:17.83 ID:/+rIk/6L0

ぶら下げられているものが高級になるにつれて、糸は短くなる。
糸が短いということは、切断出来る範囲が狭まるということ。
フィアンマが願ったものは、細身のネックレスだった。
普通に購入すれば、円通貨にして千二百円程度だろうか。

「……なかなかうまくいかんな」

微妙なタイミングのズレで四回程獲物を逃し、フィアンマはそうぼやいた。
トールも努力はしているのだが、いかんせん逃してしまう。
設定でそうなっているのかもしれない。失敗するように。

「狙いを変更してくれ」

指差す先にあるのは、高級クッキーの詰まった小さな缶。

「よくよく考えたら、こちらの方が良い」

トールやる気を削がぬよう一言付け加え、フィアンマはじっと待つ。
一つ返事で、トールは獲物を変えた。
今度は先程よりもう少し糸が長いので、ぼとっ、と落ちる。

「っし!」
「流石、動体視力は素晴らしいな」

礼儀として褒め、缶を受け取るフィアンマは満足そうだった。
人から物をもらうことが、彼女は好きだった。
くれる相手が世界で一番愛しい少年ならば、喜びも何十倍である。

605: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/02/16(日) 01:43:48.43 ID:/+rIk/6L0

クイズゲームは対戦式を選び、ジャンルは神話。
引き分けた結果、反応の速さでトールが勝利した。
レースゲームはフィアンマの右腕の状態が完全ではないため、見送り。
音楽ゲームは9個のボタンを5対4で分けて緩やかに行い。
体感型ホラーゲームでは、トールが心拍数160を叩き出した。
格闘ゲームは互角な戦いを続け、時間切れでフィアンマが勝利。
意外にも、片手でも格ゲーは出来るようだった。

そして。


「……本当に撮るのか?」
「一応、記念に?」

プリクラの前で立ち往生しているカップルがひと組。
誘ってみたはいいものの、トール自身も微妙な気持ち。

「……また今度にするか」
「……ん」

きゅ、とトールの手を握り、フィアンマはじりじりと後ずさる。
スタイルも顔も悪くはないのだが、それと写真嫌いは別問題だ。

616: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/05(水) 23:06:26.43 ID:P2YbvDQH0

「こういう表現は妙だろうが、丸くなったよな」
「………」
「悪いことじゃないと思うぜ?」

ホテルの食事は美味しくない。
そのため、近くのコンビニエンスストアでサンドイッチなどを購入してきた。
十何年振りに口にしたばかりの普通の食べ物は、まだ口にあわない。
あんまり美味しくなさそうに食事をする彼女に、トールは先述の通り明るく話しかけた。

ぴしり。

彼女はサンドイッチを口に含んだまま固まっている。

「…さ」
「……さ?」

特に考えなしに発言したのだが、反応がちょっとおかしい。
むぐむぐと一口を控えめにして食事ペースを落として、彼女はぼそぼそと自己申告した。

「……三キロしか、太ってない…から、丸くなってなど、…」
「……そういう意味じゃねえよ」

仮にそういう意味で丸くなったとしても大したことではない、とトールは思う。
見た目だけなら、世界中を探せば自分好みの者がもっと居ることだろう。
それでも、それではダメだから、何もかもを捨てて目の前の彼女を求めた。
……と伝えたはずなのだが、どうにも伝わらないようである。

617: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/05(水) 23:07:07.44 ID:P2YbvDQH0

カラオケに行ってみたい。

と言い出したのはどちらだったか。
確かフィアンマの方だったか、とトールは思い返す。

「………んでさあ、」

手は繋いでいた。
つい二十分前までは確かに握っていたはずだ。
にも関わらず、ちょっとした人ごみではぐれる。
完全に自分の不注意だ、とトールは頭を抱えたくなる。
というよりも、事実、抱えた。

「ああクソ、何でだよ…目立たない見た目でもないのに」

周囲を見回すが、見慣れた赤い髪は見えない。
くしゃ、と髪をかき、ひとまずビルを目指す。
人探しの鉄則はまず高い場所から全面的に、そして細部を探ること。

618: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/05(水) 23:07:52.14 ID:P2YbvDQH0

はぐれてしまった。

その事実を認識した時には、随分と元の場所から離れていた。
人ごみに紛れたのが久しいので、流されてしまったらしい。
となると、これ以上動くのは得策ではないだろう。

「………」

怒っているだろうか。

トールの様子を想像して少し落ち込みつつ、彼女は立ち止まる。
落ち込む反面、彼なら自分を見つけてくれる、という期待もあった。
世界中から追われる立場の人間は山ほどいる。
幸運な自分が、まさか追う側に見つかるなんてことはそうそうないだろう。

「…ん、」

ぴく。

右手の人差し指が無意識に動いた。
視線をすい、と横へ向ける。
先程まで行き交っていた人々の姿が見当たらない。

619: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/05(水) 23:08:28.18 ID:P2YbvDQH0


「確認させていただきます」


凛、と響く女性の声だった。
振り返った先には、アシンメトリーな服装の女が立っている。
長い黒髪を高い位置でポニーテールにしているようだった。

「……極東の女聖人…だったかな?」

後方のアックアを一時退却させた聖人だ。
『あれ』には天草式十字凄教も関わっているが。
首を傾げたフィアンマに、彼女は。

神裂火織は、ゆっくりと息を吸い込み。

「私には、あなたを捕縛するように、との命令が出ています」
「……」
「暴力は本意ではありません」
「何の話かわからんな」
「……良いでしょう」

ひゅん、という音がする。
ワイヤーが風を切る音だ。

「お気づきかとは思いますが、『人払い』は施してあります」
「んー。……お前程度では俺様には勝てないと思うが…」

620: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/05(水) 23:09:10.71 ID:P2YbvDQH0

見つからない。

地に降り立ち、トールはフィアンマを捜していた。
別に、彼女は『聖なる右』がなくたって優秀な魔術師だ。
自分よりは弱くなってしまったかもしれないが、方法によっては負けるだろう。
彼女の強みは幸運や頭脳など、他の要素も含む。

「やっぱり外に出すべきじゃなかったか…?」

ふとそんな暗い考えが頭に浮かび、振り払う。
自分は別に彼女を縛り付けていたい訳ではない。

「厄介事に巻き込まれてなけりゃいいが…」

サーチを展開させ、息を吸い込む。
指先を振って、一直線に走り出す。
彼女を一人で戦わせたくない、と思うから。

626: 小ネタ:お酒 2014/03/06(木) 22:10:43.24 ID:J/DJzD390


トール「国によって飲酒の年齢制限はだいぶ違うな」

フィアンマ「その国の価値観、酒に関する考えなどに左右されるからな。ま、後は気候も関係があるが」


トール「まあな。ところで」

フィアンマ「…そんな目で見るな。くじ引きで当たったのだから仕方がないだろう」

トール「そこそこ度数も高いし、料理には使い辛いな…にごり酒だし」

フィアンマ「呑むか。致し方ない」

トール「…しかし、どうやってこんな細い口から林檎入れてんだ?」

フィアンマ「製法には詳しくないが、少なくとも林檎をビンに押し込んでいる訳ではないだろう」



?三時間後?


トール「……酔ってんのか。おーい」

フィアンマ「…酔ってない」

トール「なら服を離せよ、寝れねえだろ」

フィアンマ「や」

トール「あのな」

フィアンマ「だ」

トール「……はー」

フィアンマ「んー」

トール「割と酒弱いな。…つまみ無かったからか?」

フィアンマ「トールすきー」

トール「俺も好きだよ、酔っ払い」

フィアンマ「すき……」

トール「……」なでなで

フィアンマ「トール、の…お嫁さんになりたい…」うとうと

トール「…その内な」にへら

632: モテ期  ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/09(日) 23:47:48.10 ID:41seYIh00


トール「人生には三回モテ期があるらしいな」

フィアンマ「ほう」

トール「理由もなくモテモテになるんだと。濃度とかは、まあ」

フィアンマ「個人差はあるだろうがな」

トール「だな。魔術(オカルト)では研究対象になってる」

フィアンマ「…俺様は興味はないが」

トール「面白いとか思わねえの?」

フィアンマ「俺様はトールから好かれていればそれで充分だ」

トール「……」

フィアンマ「……」

トール「……の、さ」

フィアンマ「…忘れろ。口が滑った」

トール「ちくしょう、……あーもう、……」

フィアンマ「……照れるな。俺様まで恥ずかしくなるだろう…」

639: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 01:56:04.28 ID:TIIwc3tJ0

「出来るだけ一撃で―――覚悟してください」

どうやら神裂は、フィアンマを捕縛することは本意ではないようだ。
無理もない。
捕縛されてしまえば最後、フィアンマは手荒な扱いをされ、惨い処刑をされるだろう。
何しろ第三次世界大戦の首謀者にして、魔神オティヌスを逃がした者なのだから。
いっそ、ここで神裂の手にかかって死んだ方が、死までの末路はマシ。
発見してしまった以上は、良心に従って捕縛する。
神裂は、静かに宣言する。慈悲をかけるための魔法名。

「―――『救われぬ者に救いの手を(Salvere000)』」

宣言と同時、『七閃』と呼ばれる技が放たれた。
魔術と分類するには至らない、術式と見せかけたフェイク(攻撃)。
街路樹やアスファルトが斬撃を受け、バラバラに砕ける。
ほんのわずかに掠ったフィアンマの頬が、痛みを発した。
熱にも似た痛み。ツゥ、と血液が頬を伝った。

「投降しては、いただけませんか」
「俺様に言っているのか?」
「以前の貴方であれば、私如きの攻撃は軽々と防いでいたはずです」

事実だ。

以前の『右方のフィアンマ』が、たかが一聖人に負けるなどということはありえない。
しかし今や、フィアンマには『聖なる右』も、その一部たる『第三の腕』もない。
神の右席としての特質を喪った今、彼女は一般魔術師より少し強い程度の魔術師に過ぎない。

「貴方は今、決して万全ではない」

誤魔化しとハッタリでどうにか出来るかと思いたかったが、そうもいかないようだった。

「……神頼みでもしてみるかな」

徐々に近づく足音に目を細め、フィアンマはにこりと笑む。

640: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 01:56:30.22 ID:TIIwc3tJ0

磁力を応用したブースターを装着した状態と同等のスピードで。
もはや走行といっても支障無き速度で戦場へ駆けつけたトールは、躊躇なくフィアンマの前へ立った。
ちら、と後ろを見やる。白い頬に赤い線が走っていることはわかった。

「…それくらい防げよな」
「速かったんだよ。見えなかった」

事実だろうが、それにしても防ぎようはあったはずだ。
肩を竦め、トールは眼前の敵を見た。

「初めまして、だな。天草式十字凄教とは和解したんだっけ?」
「何故彼らのことを、……貴方は」
「元『グレムリン』の直接戦闘担当、雷神トールと名乗っておくかね」

そんなことはどうでもいい、とトールは遮る。

「出来ることならじっくりアンタと戦ってレベルアップしたかったが、それどころじゃねえしな」

現在のトールの優先順位は、フィアンマが一番であり、戦闘は二の次だ。
そもそも、オティヌスと戦い続けたあの地獄と比べると、神裂との戦いの魅力はさほどではない。

「安心しろよ。手加減はしてやるからさ」
「参ります、」

風を斬る音がした。
指先から放つ溶断アークブレードでワイヤーを切断し、一気に間合いを詰める。
聖人の反応速度で追えないということはない。
あくまでも、トールは普通の人間に過ぎないのだから。

「ッ!」

ワイヤーを切断された以上、神裂には手加減というものが出来なくなる。
彼女は七天七刀を振り、トールに打撃を与えようとする。
殺すためでなく、意識を奪うための暴力。
対してトールは、躊躇なくブレードを神裂に叩きつけようとした。

641: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 01:57:19.88 ID:TIIwc3tJ0

「…実際にどうするかは別として、殺す覚悟ってのは大事だと思うぜ」
 

642: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 01:57:54.60 ID:TIIwc3tJ0

ジュゥ、と神裂のシャツの端が焦げる。
ブレードの端が当たり、布地が耐え切れなかったためだ。
もしも神裂が最大限の回避行動に出なければ死んでいただろう。
神裂は七天七刀を振るい、トールの手を叩き落す。
元より、トールの身につけている霊装は性質調整のためのもの。
その手腕は普通の人間のものであり、受ける反動もまた然り。
加えて言えば、トールは不利だった。
あまりにも強烈な攻撃を振るうと、フィアンマにまで危害が加わる。

折れた手を伸ばし、振る。

眩い光が放たれ、神裂の網膜を焼き尽くそうとする。
咄嗟に距離をとり、彼女は目を細めた。
白に近い強烈な光に、とても目を開けていられない。

目を開けた時。
そこに、少年と少女は――――居なかった。

643: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 01:58:39.22 ID:TIIwc3tJ0

「戦闘より逃亡を優先か。お前らしくないな」
「あんまり大規模なのやらかすと危ねえからな」
「……一般人は居なかっただろう?」
「お前だ、お前」

神裂の攻撃から身を守る術がない彼女が、自分の攻撃を捌けるとは思えない。
その辺りの対策もしていくべきだな、とトールは思った。
トールに横抱きされたままに、フィアンマは沈黙する。

―――重荷。

文字通りのそれだ、とぼんやり思う。
口に出さないのは、トールが怒ると思ったからだ。
軽くストールを掴んで、離し、フィアンマはトールの首後ろに腕を回した。

「……ところで、叩かれた方の手は」
「ああ、手首折れてる。でも楽しかったし、後悔はねえな」
「………」

あっさりと言って、トールはフィアンマを降ろした。
麻痺はしていないが、痛みへの耐性ならだいぶ出来ている。
地獄をめぐり続けた成果と言えばそんなところか。

「治してやる。手を出せ」
「ん? おう」

ポッキリと折れた上にヒビの入った箇所を特定し、固定する。
それから天使の力を引っ張ってきて加工し、流して治癒を行う。
唐突な治癒は身体に負担がかかるが、骨折した場所が場所だけに完治させる方が大切だと判断した。

「……トールは、俺様のどの辺りが好きなんだ」
「人気が少ないとはいえ街中で聞くことかよそれ…っつ、」
「……」
「……見た目? はまあまあ、…全部としか回答しようがねえけどな。
 あんまり考えたこともないし。そういう愛の告白とか欲しい方だっけ?」
「茶化すな。……要するに今まで築いてきた記憶ということか」
「そういうことになるな。俺が見てきたお前の側面が好きなんだし」
「………俺様が記憶を喪ったら、好きじゃなくなるか?」
「結果論から言えばそういうことになっちまうだろうが、実際にはねえだろうな」
「俺様はトールを忘れていて、そこには何もなかったことになっているのに?」
「そんな地獄なら既に通った道だ」

この話は終わり、とトールは手を引いた。

「あー、戦ったら腹減ったな。何か食いに行くか」
「ファーストフード店で良い。食べてみたいものがある」

648: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 22:39:09.01 ID:Ihb2iPeW0

食べてみたかったもの。
フィアンマがそう称したのは、何でもないハンバーガーだった。
正確にはフィッシュサンドである。

「俺は…何にするか」
「こうも種類が多いと悩まされるな」

二人でメニューを眺め、トールとフィアンマは視線を合わせる。
ひとまず席を確保し、再びメニューを見た。
トールは性懲りもなく新商品を注文し、フィアンマは予定通りに。

「どうも新商品とか新発売って響きに弱いんだよな、俺ってやつは」
「その割には流行は気にしない様相に思えるが」
「服は霊装で整えてるんだから変わる訳ないだろ」

そういうことではなく、とトールは肩を竦め。

「んじゃ、食うか」
「ああ」
「別に昨日今日って訳でもないのに、お前が甘いもの以外を食ってると違和感あるな」
「見慣れている光景との差異だろう。じきにこちらの方が見慣れるさ」
「だな」

相槌を打ち、バーガーに被りつくトール。
予想はうっすらしていたが、ジュワ、と舌を焼かれたような感覚。

「!! ぐ、ぅぶ、」
「………?」

硬直するトール。
首を傾げるフィアンマ。

彼女はもふもふと両手でタルタルフィッシュバーガーを持って食べている。

649: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 22:39:35.54 ID:Ihb2iPeW0

「予測してなかったわけじゃねひぇが、か、か、」

からい、と言い切ることも出来ないままに水を飲む。
飲み物にコーラを選択したのは明らかに痛恨のミスだ。
ただでさえひりひりと痛む口内を刺激したら、考えるまでもない。

「……辛いのか?」

流石に一万年以上一人の男を見つめていると何が言いたいかわかるもので。
良妻よろしく、彼女は自分のテリトリーにあったバニラシェイクを差し出す。
ありがたく受け取って勢いよく吸い込む度、トールの顔色が赤から白へと戻る。

「ぷ、……っは。さんきゅ」
「多少は治まったか?」
「ああ」

でもやっぱりひりひりする、とトールは目元を拭った。
フィアンマはというとフィッシュバーガーを食べ終え。
トールのテリトリーに重々しく鎮座する激辛ハンバーガーを見た。

「…一口もらっても良いか?」
「ショック死…したりしねえよな?」

そんなに過保護に思わなくても。

フィアンマは大丈夫だというメッセージを込めて頷き、ハンバーガーを持つ。
ソースは赤を越えて黒色をしている。匂いからして噎せそうだ。

病めるときも健やかなる時も、貧しき時も。

愛の祈りの代名詞を思い浮かべ、フィアンマは共有欲を固定する。
出来るなら共有した方が、思い出になる。
それに、今はもう菓子以外のものを食べられるのだから、せっかくだし、人生経験として。

「ん、」

650: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 22:40:19.20 ID:Ihb2iPeW0

目が回る程辛い。
美味しいとかまずいとかそういうレベルを越えてしまっている。
辛さというより痛みというべき感覚に、口を手で抑える。
口に入れてしまった以上は、戻す訳にはいかない。
そこはプライドがある。曲げる訳にはいかなかった。

「か、ら………」

かろうじてそれだけ呟いたフィアンマに、トールは沈黙し。
自分が半量ほど飲み干したバニラシェイクの容器を差し出した。
ひとまず、水よりも何よりもこれが一番辛さを和らげる。
ストローを口に咥えて中身を吸い込む間にも痛みは増していく。
目に浮かぶ涙を零すまい、と彼女は必死で耐えた。
この程度のことで泣いてしまうのは威厳に欠ける…もう気にする相手は居なかったのだった。

「と、る」
「気持ちはわかるからひとまずそれ飲んじまえ」
「ん、ん……」

1:9程の割合でバーガーのかけらをバニラシェイクと共に飲み込み、深呼吸する。
水を飲み、アイスミルクティーを飲んでようやく落ち着いた。

「そういや上条ちゃんと飯食った時もこんなことあったな」

うんうん、と頷きながらそんなことを言って、トールはホットコーヒー用の砂糖をたくさん持ってきた。
机の上に置かれるスティックシュガーを見、フィアンマは彼を見て。

「バーガーの辛味を中和するつもりか?」
「こんだけ混ぜればスイートチリソース位にはなるだろ?」

二人が座っている席は、店員から死角にあたる。
悪童らしい笑みを浮かべて名案を語る彼につられて、フィアンマはくすりと笑った。

651: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 22:41:06.05 ID:Ihb2iPeW0

当初の目的であったカラオケ。
ファーストフード店の入っているビルの四階が運良くカラオケボックスだったため、目的は叶った。
曲を送信するための機械はタッチパネル式のもの。
ぴこぴこと操作しつつ、フィアンマはトールを見る。

「ところで、歌に自信はあるのか」
「詠唱のヤツとはだいぶ毛色が違うし、何とも。
 ただ、音痴じゃねえとは思ってる」
「先に入れるか?」
「いや、後でいい。お前の歌も気になるし」

じゃあ先に、と彼女はマイクに手を伸ばしつつ曲を送信する。
表示された曲名はやはりというべきか、一般アーティストがカバーした聖歌。

「予想を裏切らないよな」
「一応ロックも歌えるが、そちらの方が良かったか」
「マジかよ」

唐突に意外さを露呈されても戸惑う。
それも後で歌ってくれ、と要望しつつ、歌声を聴く。
上手だな、と素直に思った。
聴いていると眠くなってくる歌声だ。曲調も相まって。

「……、」

ずい、と機器を差し出される。
歌の評価なんかを求めないところが彼女らしかった。

652: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 22:41:44.10 ID:Ihb2iPeW0

採点ソフトによると、トールは90点、フィアンマは86点らしかった。
わざとらしいビブラートなんかも評価するので、本当に上手いかどうかは怪しいところ。
とはいえ、フィアンマがトールの歌声に幻滅することはなかったので、二人にとってはそれで良かったりする。

「トール」
「ん?」
「少し、一人にしてもらっても良いか」
「……お前、」

一気に険しくなるトールの表情に、フィアンマは緩く首を横に振る。

「墓参りに行きたいんだ」

トールの知らない相手だから、と彼女はぽつりと呟く。
トールは長い長い熟考の後、わかったと返事する。

「ただ、また何かあったら連絡しろよ」
「勿論だ」

こくりと頷いて、花屋へ。
どれが良いかな、とフィアンマは花束を眺める。

「……これを」
「かしこまりました」

『尊敬』の花言葉を持つ花束を購入し、進む。

653: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 22:42:12.63 ID:Ihb2iPeW0

左方のテッラの墓はこじんまりとしていた。
直属の元部下が掃除をしてくれているのか、綺麗だった。
雑草など見当たらないし、腐敗物もない。

「……ただいま」

そうつぶやいて、しゃがみこむ。
花束を墓前に置いて、じっと墓石を見つめた。

「あれから、色々あったよ」

先々代ローマ教皇と左方のテッラは、自分の父親のような存在だった。
自分に厳しく、人に優しく、そんな人だった。
自分が彼の未来を奪った。罪悪感はあるが、懺悔はしない。
きっと、この石の下で眠る彼もそれを望まない。

「好きな人と、一緒にいるんだ」

シンプルな報告。
笑みを浮かべて。

「好いて、好かれて。何を差し置いても求められて。
 権利は無いのだろうが、俺様は今、幸せに暮らしているよ」

だから。

だからあなたも、神の国でどうか安らかに。
ずっと聖職者として働き続け、人の幸福を祈り続けてきた寂しい人。

「頑張る」

以前に告げた『おやすみ』ではなく、宣言を。
花束をそのままに、彼女は背を向けて"前へ"進み、トールの下へ。

654: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 22:43:37.92 ID:Ihb2iPeW0



――――ぽた、ぽた。

ザ―――――        ジジジ――



大雨の中で、その青年は佇んでいた。
世界中で、一人ぼっちになってしまった。

『なあ、フィアンマ。終わったよ』

その笑みは、血に濡れている。
焦げて何が何だかわからない死体が、あちらこちらに転がっている。

『お前を殺したヤツも。お前を救おうとしなかったヤツも。
 お前を知ろうともしなかったヤツらも、全員。
 だけど、何でだろうな。……寂しいよ』

無造作にやや高い位置でまとめられたポニーテールの、金髪。
彼女が触れて戯れ、綺麗だと微笑んでくれたもの。

『これだけあれば、多分足りるだろ?』

黒い毛皮のストールに包まれた体は、酷い勢いで冷えていく。
得物をしまいこみ、ふらふらと歩いて、しゃがみこんだ。
測定は既に済んでいる。やることもわかっていた。

『世界中の人間を使って、お前とまたやり直したいんだ』

俺、おかしくなっちまったのかな。
それとも、最初から狂ってたのか。

アイスブルーの瞳の奥を感情の濁流で揺らし、彼は指先で地面をなぞった。




―――たとえ、どれだけ底抜けに世界が滅茶苦茶になっていったとしても、彼女に傍にいて欲しい。


その想いだけで、俺は、


俺は。


――――――――――ザザ、―――ジ。

 

655: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/16(日) 22:44:09.50 ID:Ihb2iPeW0

トールの居る場所は、彼自身の意思で知らされていた。
言うことを言い終えて、気分は軽い。

「……」

天気が良いと、気分が良くなってくる。

「…トール?」

彼と、誰かが会話している。らしい。
ちょっぴり音声がもごもごしていて聞こえづらい。
それについて咎めるつもりは毛頭ない。
ないのだが。

「………」

会話している相手は『追跡封じ(ルートディスターブ)』のオリアナ=トムソンである。
自分の記憶に問題がなければ、まず間違いないだろう。
そして、トールの顔はというと、オリアナの豊満な胸の中にインしていた。
状況を整理出来ない。この程度のこと、嫉妬するまでもない。
世の中には正妻の余裕という言葉もあるのだ、動揺することですらない。

英雄色を好むとも言うし、トールだってたまにはああいうタイプの女を抱きたく―――

「むぐ、む!」
「あら、情熱的。そんなに押し付けられたらお姉さんまで熱くなってきちゃう」

ハートマークでもつきそうな、甘い声。
いろいろな意味でフィアンマとは真逆に位置する女性だ。

ただ、フィアンマは自分がどうするか決めた。
この状況に置いて最善の解はただ一つ。






「トール。右手と左手、どっちがいい?」

662: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/21(金) 23:34:47.06 ID:rD9HxYdm0


もぐむんも。

わかり辛いが、『左手で』とのトールの回答である。
わかった、と頷いたフィアンマは左手を伸ばし。
思いっきりトールのストールをひっつかんで引っ張った。
ぐい、とトールの顔が魅惑の海から出てくる。

「ぷっは、」
「………」

無言のフィアンマは、怒っている訳ではない。
トールがオリアナの胸に突っ込んでいた原因がわかったからだ。

それは、ポイ捨てされたガム(食後)。

トールの靴裏に張り付き、まともな移動を困難にさせた上、ズッコケさせたらしい。
悪意ある一般人の仕業だ。オリアナのせいではない。
ちなみに原因が無かった場合トールはオとされていた(物理)。

「それじゃ、お姉さん行かなくちゃ。可愛いお嬢さんから睨まれ続けるのも嫌だもの」

うふふ、と楽しげに笑って、彼女は路地裏から姿を消す。
どうやら、自分達をよく知る人間ではなかったようだった。
そうでなければ、見逃すことにしたのかもしれないが。

「……鏡で自分の顔見てみろよ」
「ふてくされてなどいないが。どうせ俺様には埋もれるだけの脂肪はついていないさ」

明らかに不貞腐れている。加えて自覚もあるようだった。

663: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/21(金) 23:35:15.64 ID:rD9HxYdm0

フィアンマは拗ねると結構しつこい。
事故とはいえ原因が自分にあることは理解しているトール少年。
致し方ないのでいつも通りのパターン、おやつ購入に走るのだった。

「何食いたいんだ?」
「ここの棚を右から左までだな」
「おかしいだろ。何で大人買いなんだよ」

量り売りのクッキーコーナーを指差して宣言した彼女は無邪気だった。
もしかしたら悪意が隠れているだけかもしれないけれど。

「ついでだから夕飯も買って帰るか」
「ん、そうだな」
「リハビリがてら手料理を作ろうかと思う」
「手伝う」
「不要だ。やり遂げねば意味がない。…ハンバーグで良いか?」
「初めて食った時から思ってたが、あれが得意料理なんだな?」

言いつつ、材料を買い物カゴへ。

「材料も安く済むしな」
「お前が経済的観念を持ってたことに俺は今すげえ驚いてる」
「失礼なヤツだ」

これでもローマ正教の頂点に居たんだ、と口にはしないものの胸を張っている。
無い胸を。何も言わないでおこう、とトールはひっそり思う。

664: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/21(金) 23:36:32.59 ID:rD9HxYdm0

翌日。

前夜のハンバーグが予想外に効いた重い身体を引きずり。
二人は雨の日に散歩に出た。
最初こそ小雨程度だったが、だんだんひどくなってくる。
所謂相合傘をしている二人は、雨宿りをする場所を探す。

「降るなら思いっきり降った方が気分は良いな」
「天気雨は好かんのか」
「雨臭くなるだろ、あれ」

天気雨。
別名を狐の嫁入り、などという天候。
晴れなのに雨が降るという不思議な状態である。

「そこの仲良しカップルさん」

にへら、と人好きしそうな笑みを浮かべたスーツの女性に声をかけられた。
何のセールスだ、と思いつつも二人は立ち止まる。
仮に見目を偽った襲撃者であった場合、対峙した方が戦いやすいからだ。

「もしよかったら、モデルをしてはいただけませんか?」
「…モデル?」

はい、と女性は背後の建物を指差す。
所謂結婚式場だ。十字教系の教会を模しているが、宗教とは厳密には関係のない。

「スタイル抜群のカップルさんにお願いさせていただいているんです」

お願いします、と彼女は頭を下げる。
ウェディングドレスやタキシードを着て、顔を入れずに写真撮影するらしい。
多少の報酬も出るようなので受けても良かった、が。

(継ぎ目、か)

フィアンマの右腕は、接合手術を行ったことによって歪な傷跡がある。
素肌でも目立たない、と言い切るには少しだけ厳しい。

「ドレスは何種類位あるものなんだ?」
「色々ありますよ。ワンピースタイプ、肩出し、ビスチェ…」
「ふーん。…じゃ、やるか」
「トール、」

トールには、既に先述のことについて話してある。
そのはずだが、彼は危惧する様子がない。
戸惑う彼女の手を握り、彼は快活に笑みを浮かべてみせた。

「袖があるやつを着れば問題ねえだろ。飾り着けてみるとかさ」
「だが、」
「……『それ』は、お前が払った犠牲の証拠だろ。
 別に汚いものじゃないだろうが。お前の体に醜い部分は無い」

傲慢な方が似合っていると言ったはずだ。
そう言い切って、彼は歩き進んでいく。


………こういうところが、フィアンマは好きだったりする。

665: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/21(金) 23:37:16.43 ID:rD9HxYdm0

「お付き合い、長いんですか?」

着替え室は存外に広い。
女性スタッフの質問に、フィアンマはちょっとだけ迷って。

「…二万年ちょっと位かな?」
「えっ!?」
「……冗談だよ」

くすくすと笑って誤魔化し、彼女はドレスを見上げる。
トールと出会った頃より少し伸びた赤い髪が、さらさらと揺れる。

「仲良しオーラ出てましたよ、すっごく」
「そんなにベタついているように見えたのか?」
「いえ、どちらかというと遠距離恋愛っぽい雰囲気でしたけど」
「……当たらずとも遠からず、といったところかな」

少なくともほんのつい最近までは、自分はこの世界に存在しなかったのだから。
世界で最も遠い遠距離恋愛。

一着のドレスを手に取る。
長袖の上からビスチェで締め付けるタイプのものだ。
フェミニンで、上品というよりは可愛い印象のあるウェディングドレスだ。

「……未だにヤツの好みがわからん」
「彼氏さんの好みですか?」
「あまりファッションにこだわりが無いからな、お互い」
「何も言われないってことはきっと理想がないんですよ。
 あなたが着ることに価値があるんだと思います。きっとね」

褒め上手だ、とフィアンマは思った。
だからといって有頂天になる程お気楽な人間ではない。

「………」
「こっちのアクセサリーなんかもどうでしょう」

にこにことしながら、女性はネックレスを見せてくる。
美しく輝くダイヤモンドを眺め、フィアンマは軽く首を傾げた。




(……可愛く着飾ったら、喜んでくれる……かな)

675: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/23(日) 22:05:39.88 ID:DK6jyuHv0

着替えには基本同性のスタッフが付き添いをするものである。
そんな訳でちょっぴり気まずい気分ながら、トールはネクタイを眺めていた。
幸いだったのは、一緒に選んでくれている男性スタッフが若く、明るいところだ。

「可愛いっすね、彼女」
「見た目は美人系だけどな」

自分よりも男らしいところもあれば、乙女チックなところもある。
何かとギャップが多いと言えば良いのか。

「髪長いな…どうやってまとめますかね」

後ろに流そう、という男の提案に頷いて同意する。
新郎側が髪が長いというのは珍しいらしい。
自分程の長さともなればそうそう居ないか、とトールは思った。

「結構長いのか」
「ああ、この企画ですか? まあ、それなりに。
 これを期にカップルさんにもっと仲良くなってもらうのが目的ですし?」

いやらしい話をすればそれが金に繋がるのだ、と男は笑った。
確かに綺麗に整えられたお互いに見惚れて惚れ直し、結婚する例は決して少なくはないだろう。
なるほど、と納得して、タキシードを選択する。

676: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/23(日) 22:06:32.32 ID:DK6jyuHv0

化粧をするのは本当に久しい。
まだ、ヴェントの記憶を消す前。
ずっとずっと前に、施された記憶がある。
ほとんど玩具にされたようなものだった。

「目を閉じてください」

言われた通りに目を瞑る。
ぽふぽふ、とパフの柔らかい感触があった。
唇をなぞっているのはリップクリームだろう。
下地から丁寧に作ると、化粧は失敗しない。

「ん、」
「はい、出来上がり」

流石はプロ、というべきか。
成果に対し、かかった時間は短かった。
鏡を見てみる。ほとんど変わらないが、血色が良く見えた。
化粧によって印象が柔らかなものとなったようだ。
普段が造形の良すぎる人形なら、そこに血を通わせたようなものだろうか。

笑みを浮かべてみる。

威圧感は減り、代わりにほのぼのとした雰囲気が漂う。

「ドレス準備できましたー」
「今向かいまーす」

スタッフに言われるまま、彼女は着替えていく。

677: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/23(日) 22:07:09.66 ID:DK6jyuHv0

長い金の髪は後ろの低い位置で緩く結び。
前髪などは整髪剤で後ろに流し固め、ネクタイを締める。
薄い灰色のベストに、同色のネクタイだ。
上下は白寄りの、やはり灰色。薄く縦にラインが入っている柄。
あんまりにも真っ白なタキシードは、少し躊躇われた。
こういうのは、新婦側が目立つものだと思うから。

「すげえ格好良いっすよ」
「そりゃどうも」

普段ピッタリとした服を着ている為か、窮屈な感じはない。
しいて言えば、首元がちょっぴりキツいくらいなものだ。
それだって、数時間で慣れてしまうのだろう。

「それじゃ、ご対面といきましょう」

男性スタッフはそう告げて、ドアを開いた。
どうやら自分が先だったようである。
ドアを抜けた先は、教会の内装を模した式場だった。

678: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/23(日) 22:08:00.00 ID:DK6jyuHv0

コツン、カツン。

彼女は、階段をゆっくり下りてくる。
いつもとはまた少し違う硬質な靴音。
白い、踵の少し高い靴を履いた細い脚。
常よりもっと脚が白く見えるのは、ストッキングか何かを身につけているのだろう。
ただでさえ細い腹部を締め付けるビスチェの白いコルセット。
沢山のフリルで膨らませた白いドレスが、彼女の華奢さを強調している。
肩から二の腕半分にかけては、濃い目の白レース地。
レース越しに見て、傷があるとは誰も思わない。
二の腕半分以降は広がった袖が短めに広がる。
そちらは薄手生地なのか、力のなさそうな腕が透けている。

「……、…」

白いヴェール。
やや俯きがちの顔は見えない。

「上げて良いか」
「……好きにしろ」

手を伸ばし、ヴェールを上げる。
長い長いヴェールは、確かマリアヴェールというのだったか。
そんな簡単な知識すら思い出せない程、トールは圧倒されていた。

いつもの冷たそうな印象を与える美しい顔。
化粧を施された顔は、緊張した様子も相まって幼い印象を与えてくる。
似合わないイメージ郡同士。見慣れない、新鮮さ。
可愛い、と素直に思った。綺麗、よりも先に立って。

「……似合って、」
「る。……似合ってる」

別に普段がかわいくないというつもりはない。
ただ、晴れ着を着て、化粧をした彼女は、やっぱり綺麗だった。
可愛らしくも見える。あばたもえくぼと言うが、それとはレベルが違うだろう。

「可愛い。すげえ似合ってる。…うまく褒め言葉が出てこないけどな」

ウートガルザロキに女の口説き方でも習えば良かった、とトールは小さく笑う。
化粧のせいだけではなく、フィアンマの頬は少し赤い。
所在を無くしている手を前に組んでいる。初々しい動作だった。

「じゃあお写真撮りますねー」

スタッフの声に、現実へと引き戻された。
慣れぬカメラの方へ身体を向けて。

679: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/23(日) 22:08:52.51 ID:DK6jyuHv0

使用されるモデル写真の方は顔を使用しないが、記念品にくれた方は一切手を加えていないものだった。
写真の中、ブーケを持たされた花嫁と、彼女の手を握る花婿。
幸せを絵に描いたかのような、美男美女の微笑み。

「……トールが持っていてくれ」

自分が持つのは気恥ずかしいから、とフィアンマは言う。
わかった、と一つ返事で、トールは写真をしまいこんだ。
写真立てもセットでもらったが、生憎定住はしていない。
化粧なども全て落とした彼女はいつも通りだった。
機嫌がとても良い、ということを除けば。

「……お前は、いつにも増して凛々しかったな」
「格好良いとかいうコメントはねえの?」

にやにやと笑ってからかってみる。
彼女はちらりとこちらを見て、それから枕を握った。

「俺様と結婚するのがこんな新郎で良いのか、とは思ったが」
「…なあ、それどっちの意味だよ?」
「自分で考えろ」

吐き捨て、彼女は洗面所へ姿を消す。
顔を赤くしていたので、良い方の意味だと思って良いだろう。
素直じゃないところがたまにキズだ。
そんなところも、嫌いじゃない。

680: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/23(日) 22:09:18.92 ID:DK6jyuHv0

「……人の美醜に拘ったことはなかったが」

しゃがみこむ。
蛇口を捻って、じゃばじゃばと水を出す。
顔を洗って冷やしているのに、なかなか落ち着かない。

有り体に言うと、惚れ直した。

元より見た目で惚れた訳ではない。
そういうことではないのだ。
第三者から見て高評価なのだから、自分にとっては超評価なのだ。
本人に『格好良い』と言うことが憚られる位に。

「……流石に面と向かって…見惚れたとは、」

言えない。

それをするのは恥ずかしい。
びちゃびちゃになった顔をタオルで拭き、深呼吸する。

『可愛い。すげえ似合ってる。…うまく褒め言葉が出てこないけどな』

「………、……う」

やっぱりもう二時間位、洗面所からは出られなさそうだ。

681: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/23(日) 22:09:55.52 ID:DK6jyuHv0


『ぱぱもままもけんかするならおれをまぜろー!』

赤い髪を揺らして、愛娘が足にしがみついてくる。
ただそれだけで、言い争いをしていた自分達がバカバカしく思えた。

『あのなあ、」
『こういうところはトールに似たな』

くすくすくす、と妻が色っぽく笑う。
先程までの怒りやら何やらが消え失せた。
我ながら単純だと思うが、フィアンマと娘が笑っていれば満足だった。

『ぱぱはままのことすき?』

小さな体。
これから成長する度に、きっとフィアンマに似ていくだろう。
性格はどうやら自分に似てしまったようで、随分おてんばだ。

『ああ、勿論。愛してる』

娘越しの告白が嬉しかったのか、フィアンマは満足そうな笑みを浮かべている。
俺の返答を受けた娘は、満足げにはにかんで相槌を打った。


打っているはずだった。

682: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/23(日) 22:10:21.98 ID:DK6jyuHv0


『ああ、勿論。……どんなことがあっても愛してた』
  

683: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/23(日) 22:10:48.83 ID:DK6jyuHv0

フィアンマが洗面所から戻って来た。
随分長かったな、と声をかける。
胃もたれをしていたんだ、という適当な返答。

「ケーキ半ホールぺろっといく奴が胃もたれって冗談だろ」
「昔の話だ」
「確かに食べる量も随分減ったな」
「………」
「……ダイエットしてんのか?」
「……別にそういう訳では」
「…無理すんなよ」

食べたところで思った場所につかないから、ごにょごにょ。

そんな言葉が聞こえた気がした。
別に彼女がまな板だろうと硝子板だろうが好きなものは好きである。

「…そういや、これは民間療法…? みてえな話だが」
「ん?」
「揉むとデカくなるらしいな」
「…………」
「そういや、『ごっこ』当時は俺に抱かれてもいいとか言って」
「ない」
「言って」
「ない」
「言って」
「にゃ、…い」

舌を噛んだらしく、舌打ちをされた。

「んん。…シ、たいのか」
「俺は言ったはずだぜ。"ごっこの内はしねえ"。
 んでもって、"ごっこはもうやめだ"、この両方をな」

視線がこっちに向いた。
腕を組んで少し威圧的にしてみる。

「………俺様を抱いても、きっと楽しくない」

言いながら、彼女はトールに背を向けた。
どうしても嫌だというのなら、トールとて無理強いするつもりはなく。

彼女はペンを取り出し、きゅきゅ、とメモを書く。
ずい、と後ろ手に差し出され、トールは素直に受け取って読んだ。





『先にシャワーを浴びてこい』

711: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/27(木) 22:46:32.91 ID:6F9vJQ3M0

時に、トールは寝相の悪い少年である。
流石にベッドから落ちたりはしないものの。

「……ん」

夢とリンクしているのか、何かを抱きしめたがるクセがある。
寂しそうな声を漏らし、彼は腕を伸ばした。
いまいち寝付けていなかったフィアンマは、致し方なく抱きしめられ。

「………」
「う……」

どんな夢を見ているのだろう。

フィアンマは想像しつつ、首を傾げる。
表情が不快のそれなので、きっと悪夢だろう。
起こしてやるのが優しさなのか、判別がつかない。

「……フィア、ンマ」

抱きしめる力が強まる。
自分が死ぬ夢でも見ているのだろうか。
何処かへ消えてしまうのではと、今も不安なのか。

「それなら、俺様のせいだな」

申し訳ない、という気持ち。
嬉しい、という想い。

その両方を抱く自分を蔑みながら、彼の頬へ口付ける。
小さく身じろぐその姿が、愛おしい。

712: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/27(木) 22:47:02.52 ID:6F9vJQ3M0

「……っ、」

数時間後。
フィアンマは未だ眠れず、毛布の中でもぞついていた。
一言で言うと、トイレに行きたいのだった。
しかし、トールの腕の力は存外に強い。
霊装の力を借りずとも、彼の筋力は同年代より遥かに高い。
彼女と手を繋ぐ時等、普段はきちんとセーブする。
が、眠っている間―――無意識まではそうもいかない。

「トール、」

しかも、眠りが深い。
揺さぶってみるも、軽く暴れてみても、まったく起きない。
生憎フィアンマはアイドルの類ではないし、我慢にも限界がある。
食欲や 欲、多少の睡眠欲ならばまだしも、排泄には我慢の限界値が存在するのだ。

「は、ぁ、」

ぶるり、と体が震えた。
流石にこの年齢で、脚が折れた訳でもないのに粗相はしたくない。

「………」

枕を引っ張り、毛布を巻きつける。
それをトールに抱かせる形で、するりと抜けた。
ぎゅう、と毛布と枕を抱きしめ、トールは不服そうに唸る。

「…獣か何かか」

ツッコミを入れつつ、フィアンマは目的を果たすことにしたのだった。

713: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/27(木) 22:47:47.37 ID:6F9vJQ3M0

彼よりも遅く寝たはずだが、彼よりも早く目が覚めた。
ついでなので朝食でも用意しよう、とフィアンマは夜中と同じ方法で抜け出す。
キッチンはあるのだが、作る気力が何となく湧かない。

「……」

練乳をパンに塗ろう、と頷いて、席につく。
押し寄せる眠気に、だらしなく机へ上体を倒した。
テーブルに顎をついたまま腕を伸ばし、練乳を手にする。
キャップを外し、袋から取り出したスライス済みのバゲットへ塗りつけた。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、自然と気分が良くなる。
単に好きなものを嗅いでいるからであり、人によっては気分が悪くなるであろうことは理解している。

「…ぁ」

口を開け、かぶりつこうとする。
どうせ誰も見ていないのだ、一口ずつちぎって上品に食べる必要もあるまい。
そう思っていたフィアンマの手に持たれたパンに、誰かがぱくついた。
誰か、といってもいつの間にか部屋に居た侵入者などではなく。

「ん…甘いな。練乳か? コレ」
「…先程まで眠っていたのではなかったか」
「起きた」

さっき、と付け加え、もう一口。
行儀が悪い、と自分のことは棚に上げて制し、フィアンマも食べる。

714: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/27(木) 22:48:27.56 ID:6F9vJQ3M0

世の中の恋人同士はあだ名なんてものをつけあっているらしい。
ファーストネームの頭文字を伸ばして呼んでみたり、そんな感じで。

「…っていってもな」

提案しておきながら、トールは肩を竦め。

「俺たちの場合、それぞれが通称だしな」

そして、お互いに本名は忘れてしまった。
ベッドでごろごろとしているフィアンマの髪をいじりつつ。

「付けるとしたら…フィーちゃんってところかね」
「その理屈でいくとお前の相性はトーちゃんになるが」
「やめろ」
「………」

ふふ、と少しツボに入ったフィアンマは、くすくすと笑い続けている。
何が悲しくて同い年の少女(恋人)から父ちゃん呼ばわりされねばならないのか。

「まあ、別読みならばそれはそれで愉快かもしれんな。
 わざわざそれをする必要性が特に感じられないがね」
「倦怠期ってヤツがきたら改めてやってみても良いんじゃねえの?」
「来ると思うのか?」
「どうだかな。多分ないだろ」

お前と居ると忙しくて飽きない、とぼやき。
トールはフィアンマの隣に寝っころがり、天井を見上げた。

「出かけるか」
「何処に?」

715: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/27(木) 22:49:09.11 ID:6F9vJQ3M0

そうしてやってきたのはレンタルビデオ店であった。
ボロボロのDVDを無料同然で貸し出すため、珍しく会員制の店ではない。
誰でも気軽に借りられて、ポストに投げ込んで返すだけ。
いかにも趣味経営ですといった風の暇そうな店主を横目に、ラインナップを眺めた。
流石に新作は置いておらず、時期的には昨年から昔のものまでが置いてある。

「何か興味あるか? スプラッタとホラーはなしで」
「じゅじゅおん」
「おい」
「り・いんぐ」
「話聞けよ!」
「大きな声を出すな。痴話喧嘩かと思われるだろう」
「昔はともかく今日に限っては真実だろうが」
「……なら、感動系でも見るか?」

これとか、とフィアンマは適当な仕草で指を差す。
本気のほの字も見えない選び方だ。
指差した先は、感動モノと分類されそうな恋愛映画。

「とりあえずこれと…もう一本位借りようぜ」

トールも別に映画ファンやこだわりがある訳でもなく。
適当に彼女が指差したもの一本と、もう一つを探す。

「バトルものはどうだ」
「現実のバトルの方が面白えから却下」
「文句ばかりだな」
「お前だって深く考えて言ってる訳じゃないだろ? 
 ん、これ…にするか」

潜入捜査系のアクション映画だ。
ちょっと古びた感じのパッケージが名作の雰囲気を出している。

716: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/27(木) 22:49:36.27 ID:6F9vJQ3M0

そんなこんなで、借りる作品は二つに決まった。
ホテルへ戻り、備え付けのDVDプレイヤーへ押し込む。
慎重にリモコンを操作し、まずはアクション映画鑑賞から。
部屋の電気を消してソファーに腰掛けると、それなりに臨場感が出る。

「血がドバドバ出ないやつだと良いが」
「どうだろうな」

主人公はそれなりに怪我するのでは、と思った矢先。
画面の中の男が倒れ、地面に広がる脳漿。

「………」
「………」

アクションとは名ばかりのサイコホラー、と分類すれば良いのだろうか。
珍しく意見が完全合致した二人は、急いでテレビを消す。
しばしの沈黙の後、恋愛映画の方へ手を伸ばすことにした。
世の中には誇大広告や詐欺というものがありふれている。
が、少なくともこちらの恋愛ものは問題ないだろう。

あらすじは、シンプル。

不治の病で短い寿命が定められた少女と。
ずっと喧嘩ばかりしてきた少年が、ひょんなことからひとつ屋根の下で暮らす。
やがて少年は少女の吐血や、様子のおかしさに気がつき一緒に病院へ。
だが治療法はなく、彼女は助からないと聞かされ、少年は彼女の夢を叶えるために奮闘する。


……などという実にありがちなストーリーである。

721: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/29(土) 00:30:33.08 ID:kWmQ42ID0

『夢があった』
『あん? 夢?』
『一度でいいから、好きな相手と一緒に結婚式を挙げてみたかった』
『何で過去形なんだよ』
『だって、私もう死んじゃうもん。誰が一緒に結婚式なんてしてくれるの?』

少年に背中を向けて、少女は静かにそう言った。
自分なんかと結婚式をしたら、一生心に遺る。
それはきっと、怖いことだ。嬉しいと思うのも、きっと悪いこと。
自分は死ねばそれで終わりだが、付き合ってくれた方はどうだろう。
恐らく、悲しい思いをする。やはり、トラウマになる。
それら全てを想像した上で、それでも少年は言った。

『俺がする』
『……無理しなくても、』
『俺がそうしてえんだよ』

だからいいだろ、と彼は言った。
楽しげに笑って見せて、彼女の頭を撫でた。
顔を歪めて、思う存分泣きながら、少女は彼の胸元に頬を寄せる。

722: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/29(土) 00:31:17.10 ID:kWmQ42ID0

『ね、』
『…何だよ?』
『私、うまれかわったら、また…くんと、あいたいな』
『……』
『それでね、今度はびょうきじゃないおんなのこで、』
『……』
『……、…くんは、…喧嘩もうすこし、ひかえてくれて……』

呼吸器が曇って、彼女の呼吸が滞る。
げほげほ、と噎せながら、少女は最期まで笑みを浮かべていた。

結婚式、幸せだった。
本当の結婚なんかじゃなくても。
あなたと出会えて幸福だった。
こんな人生にも、確かに意味があったんだ。

『そしたら、今度はけっこん、してね。
 ……、…くん、の…あかちゃん、うむの…それでね、』

夢を語る薄い唇が、徐々に動かなくなっていく。
彼女の前ではせめて泣くまい、と少年は笑みを返してみせた。
これが最期だとしても、彼女の前では格好良くありたかった。

『女の子だったらさ、お前に似そうだよな。
 すげえ可愛いだろうな。……ほんと、に、』

細い手を握りしめて、少年は唇を噛み締める。
喧嘩ならもう自分の知る誰にも負けないのに、その力では彼女を助けられなかった。
最期まで夢を語り合い、彼女は静かに、そっと、息を引き取った。








『俺、頑張るから。お前と過ごした記憶全部、絶対に忘れないで生きていくから』

723: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/29(土) 00:31:53.16 ID:kWmQ42ID0

ありがちな話だった。
いかにも感動させようという監督の魂胆が透けて見えるくらいに。
にも関わらず、二人はというと泣いているのだった。
しかも噎せ込む程。割とガチ泣きというやつである。

「っ……」
「ぐすっ……」

ぼろぼろと流れてくる涙を指先で拭い、フィアンマは膝を抱える。
元より、右席メンバーに忘れられたり、上条に忘れられたりと、彼女には記憶に関する軽トラウマがある。
トールはというと、必死に未来を語りながら死にゆくヒロインに、隣で泣く恋人を重ねていた。
こういった恋愛ものは、各々の自己投影が多くなされるものだ。
二人も例に漏れず、ということ。ただそれだけなのだが、考えている内容が重い。

「………」

先に泣き止んだのはフィアンマだった。
よろよろと手を伸ばし、ティッシュを手にする。
何枚も使って顔を拭き、箱はトールに寄越した。
彼も同じように顔を拭き、ぐじゅぐじゅに濡れた目元を拭く。

「泣いたの久々だな…っげほ」
「水でも飲むか?」

深呼吸をして自分を落ち着かせ、彼女は立ち上がる。
欲しい、という回答をしたトールのために、コップへ水を注いだ。
ミネラルウォーターで満たされたコップ。

「…ふー」

冷たい水を飲むと、急激に思考も落ち着いてくる。

「…ま、なかなかいい話だったな」
「定番と言えば凡庸に過ぎないものだったがね」

肩を竦め、取り出したDVDを専用袋の中へ。
後は、ポストへと投げ込んで返却するだけ。

724: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/29(土) 00:32:20.37 ID:kWmQ42ID0



臨時収入があると、人は浮かれるものである。
それでもって、要らないものなんかを買ってしまいやすい生き物だ。

そんな訳で。

「見ろよこれを」
「……ゲーム、かな?」

かつてゲームセンターで見たものとは違い、家庭用だ。
先日、私兵として働いたトールの得た収入で購入されたものである。
ゲームソフトもセットで購入してきたらしい。

「ちょいと捻ったルールのパズルだよ。これならそんなにすぐは飽きねえだろ?」
「そうだな」

同意して、電源を点けてみる。
充電ケーブルをコンセントに差し、ゲーム機へと繋ぐ。
落ちものパズル且つブロックパズルという不思議な構成のパズルのようだ。
画面を半分ずつ、ボタンを半分ずつ担当することで対戦も出来るらしい。

「ちょっとやってみるか」
「ああ。……難しいな」

カチカチとボタンを押す。
段々と、攻略法はつかめてきた。

725: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/29(土) 00:33:12.29 ID:kWmQ42ID0

「あ、テメェ!」
「温存しているのも勿体無いだろう?」

妨害アイテムを使用しつつ、フィアンマはくすくすと笑った。
慌ててボタンをカチカチと押しながら、トールは妨害を耐え忍ぶ。
連鎖して消えゆくブロックが多い程、彼の焦りは高まった。

「よし、」
「………んん」

見事に反撃され、フィアンマは僅かに眉を寄せる。
圧倒的な勝負というのは、馬鹿馬鹿しくてもやっぱり楽しい。
反撃されるというのは、わかっていてもやっぱり不愉快。

「……こうか」

待機させていたブロックを消し、積み上げ、回転させる。
長い長い膠着状態のその後に、『電池切れ』という結果で勝敗がついた。

726: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/29(土) 00:33:43.60 ID:kWmQ42ID0




フィアンマが風邪を引いた。
寒暖の差が連日激しかったためだろう。
彼女はあくまでも『力』以外は普通の少女で。
オティヌスを止めるために戦ったあの時以来、その『普通』度は増している。
なので、ちょっとした熱でダウンしてしまっても仕方のないことであった。
ましてや、今は戦う必要もないのだ。追われてはいるが、敵は遠い。

「何か欲しい物とかあるか?」
「んー……」

以前は、風邪ではなく疲労熱を起こして彼女は倒れた。
その時と同じように、トールは看病しようとする。
彼女は、何もしない。紅茶を淹れたりなんて、絶対に。
ちょっとした行動で、彼を不安にさせるような真似はしない。

『あ、した……俺様が、お前の隣にいたら、』
『キス、してくれないか』

『親愛なる雷神様―――』

「………」
「あいす、くりーむ。……りんごのやつ」

あまいやつ、と彼女は付け加える。
言い方がおざなりで幼いのは、眠気と発熱のせいである。
幸いにして、材料は全て冷蔵庫に納まっていた。

「…作ってやるから少し待ってろ。起き上がるなよ」

『鉄の籠手』を外し、キッチンに立つ。
ごそごそと何か聞こえるが、恐らく文明の利器、ひえひえぴたっと辺りを漁っているのだろう。

「まずは林檎すり下ろす所からか……」

手間がかかるな、とトールは首をコキコキと鳴らし。
彼女の為だと思うとそんなに悪くもないな、と思った。

736: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/30(日) 22:22:28.93 ID:ybYJ3hO90

丁寧に丁寧に林檎の皮を剥く。
魔術師は何かと手先の器用さを求められる。
トールはパワータイプだが、霊装を用意するにあたってそれなりに器用な感覚を持っている。
なので、リンゴを剥くにあたって指を切るなどという初歩的なミスを犯すこともなく。

「くぁ……ふ、」

芯を取り除き、擦り下ろす。
水気をしっかりと切り、その果汁は漉して冷蔵庫へ。
コップへ移せば天然林檎果汁百パーセントジュースとして飲める。

「ボウル……ここか」

しゃがみこみ、シンク下の場所からボウルを取り出す。
冷蔵庫からヨーグルトを取り出し、林檎と同様に水を切った。
ボウルを軽く水で洗い、砂糖とヨーグルト、生クリームを投入。
しゃかしゃかと泡立て器でかき混ぜる。目安としては七分立てだ。

「んで、林檎……」

水気を切っておいた林檎を投入し、丁寧に混ぜた。
片手間に容器を用意し、零さないように注げば、後は冷凍庫で凍らせるだけ。

737: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/30(日) 22:22:57.39 ID:ybYJ3hO90

「凍るまで待機。具合はどうだ?」
「……喉が痛い」

少しだけだが、とぼんやりした表情で返し、手を伸ばしてくる。
喉が渇いた、といった様子が見て取れる。

「スポーツドリンクと水、どっちがいい?」
「前者だ」

そちらの方が喉に痛くない、と付け加え。
彼女の要望に応え、トールは冷蔵庫から出してきたドリンクをコップへ注ぐ。
ストローつきのコップなので、横になったままでも飲みやすい。

「ん、」

ストローを吸う彼女の姿は、やや幼く見える。
彼女としては『みっともない』の範疇なのかもしれないが。
トールにとっては、自分しか知らない弱味のようで、ただ愛おしい。

「……アイス」
「だからまだ出来てねえって」

738: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/30(日) 22:23:30.52 ID:ybYJ3hO90

三時間後。
出来上がったアイスを食べる彼女は、随分と上機嫌だった。
それも当然、少し眠って熱が下がったからである。

「甘すぎなくて良いな」
「買うヤツは濃厚過ぎるとかあるしな」
「美味しい」
「そりゃどうも」

ちなみに彼女のほめ方は五段階程である。
『まあまあ』→『悪くない』→『評価に値する』→『美味だな』→『美味しい』の五段階。
今回の手作りアイスは、要するに特にお気に召したようだった。
自分の好きな相手が自分の為に作ってくれた、という感情面での評価も関係があるだろうが。
それにしたって、自分が一生懸命作ったものを褒められて嫌になる人間はそうそう居ない。
彼女と同じく機嫌の良い笑みを浮かべて、トールはひえひえ以下略に手を伸ばす。
彼女の額に既に貼られているものを剥がし。
新品の方はぺりぺり、と透明なセロハンをはがしてから、そっと貼った。

「ひ、ぇぅ」

条件反射で身体をビクつかせ、彼女はぎゅっと目を瞑った。
赤い前髪で隠されつつもやっぱり見えるひえひえ以下略は、ちょっと間抜けで。
すごく可愛い。病人萌えといってしまうと不謹慎になるが。

「もっかい寝ろよ。良くなるだろ」
「……その前に服を換えたいのだがね」
「そういやそうか」

用意するから待ってろ、と彼はあくせく働く。

739: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/30(日) 22:24:24.04 ID:ybYJ3hO90

服を着替えるにしても、汗を拭かなければならない。
フィアンマはぶんぶんと首を横に振ったが、トールは見て見ぬフリをして。
洗面器に溜めたぬるま湯にタオルを浸し、彼は黙々と絞った。

「……自分で、」
「洗面器ひっくり返したら一大事だろ」

ああ言えばこういう。

彼女を理解しているからこそ、つらつらと言い返せるのだ。
そもそも、本当に嫌なら突き飛ばせば良いだけの話である。
トールはフィアンマに手を挙げないが、逆ならば絶対に有り得ないというものでもない。

「……ん、」

濡れタオルで身体を拭かれるのは気持ちが良い。
ただ、それを素直に声に漏らすのは少し恥ずかしい。
ふる、と小さく身体を震わせ、フィアンマはトールの髪をいじった。

740: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/30(日) 22:25:02.78 ID:ybYJ3hO90

「綺麗な髪だ」
「前もそんなような事いってなかったか?」
「一度褒めたら同じことを褒めてはならないというルールはないだろう」

綺麗なものは綺麗だよ、と彼女は愛おしそうに言う。
何となく恥ずかしい気分になって、トールは口ごもった。

「別に気を遣ってるとかじゃねえけどな」
「切らないでくれ」

お願い、と彼女はイタズラっぽく、すがるように言った。
わかった、と答えて、彼は作業を終える。
彼の髪から手を離し、彼女はいそいそとパジャマを着込んだ。

「…っくしゅ、」
「おやすみ」

言いながら、彼は毛布をかけた。
もこもこと包まり、彼女は目を閉じる。

「……勿論、一番好きなのはトール自身だよ」
「……早く熱下げろよ」

それだけ言うのが精一杯で、彼は彼女に背を向ける。
薄く薄く笑みを浮かべて、彼女は幸せな夢の世界へ駆け下りていく。

741: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/30(日) 22:25:35.07 ID:ybYJ3hO90

一日貸切プライベートビーチ。

とってもリッチな響きの場所。
その更衣室に、トールとフィアンマはそれぞれ立っていた。
例のごとく、彼女が使用チケットをくじ引きで当てたのだ。
世界で一番幸運な彼女の場合、何があってもおかしくない。

「…どんな水着買ったんだろ、アイツ」

風邪の快気祝いも兼ねて遊びに来た訳だが、トールは彼女の水着を知らない。
先日、ショッピングモールで別行動購入したからだ。

(露出度高くないと良いが、…いやでも俺しかいねえしな)

どうせ自分にしか見せないなら、思いっきり露出度が高くても良いかもしれない。
そんなことを考えながら、トールは咄嗟に自分の表情の緩みを抑え込む。
流石にニヤニヤしながら彼女の前に出る訳にはいかない。みっともない。

742: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/30(日) 22:26:45.81 ID:ybYJ3hO90

もう少し地味なものにすれば良かったかもしれない。

服を脱いで水着に着替えながら、フィアンマはひっそりと後悔していた。
つい、つい店員の口車に乗せられてしまったのだ。

胸元に蝶。
腰、サイドに太めのリボン。
肩に細めのリボン。

色は赤い生地に白い装飾。

「………」

鏡を見てみる。
やっぱり恥ずかしいかもしれない。

「……、」

やっぱやめた、という訳にはいかない。
何しろ予備はないし、普通の服では入れない。

「……」

どうせトールしか見ないのだ。
そう割り切って、彼女は背中でリボンを固結びした。

743: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/30(日) 22:27:44.55 ID:ybYJ3hO90

そこそこ派手な、赤いフリルビキニ。
白の装飾リボンが眩しい。
肩にリボンがあるので、傷痕が目立たない。
それを見込んで購入したのかもしれない。
出会った頃よりずっと伸びた髪は、一つに結ばれている。

「………似合う、か」
「勿論」

笑って、髪を撫でる。
あくまでも崩してしまわないように。
気まずそうにもじついていた彼女が、嬉しそうにはにかむ。

本当に。

本当に彼女が好きだな、とトールは改めて実感する。
何気ないことの一瞬一瞬で、こんなにも楽しくて幸せな気持ちになる。
巡ってきた地獄の分を超えて尚、彼女と一緒に居て、この気持ちを味わっていたい。
たとえどんなことがあっても、彼女には笑っていて欲しい。




―――たとえ、どれだけ底抜けに世界が滅茶苦茶になっていったとしても、彼女に傍にいて欲しい。


「入るか」
「そうだな」





……彼女の微笑む此処が、自分の帰る場所だと、そう思う。

751: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/31(月) 21:29:06.46 ID:X4XriL7N0

プライベートビーチの帰り道。
水着をしまった鞄をそのままに、二人はジェラート店へとやってきた。
普通の食べ物を口に出来るとはいえ、彼女にとってやはり親しみがあるのは甘いもので。
もっとも、一番の理由は『運動をしたから』なのだが。
水分の少ないジェラートは濃厚な味わいで、フルーツ系のものもとても美味しい。

「どれにすっかな」
「んー」

レモン系とベリー系の間で視線をうろうろさせ、フィアンマは頭を悩ませる。
トールはそんな彼女の様子をのんびり眺めつつ。

「俺がクランベリーにするから、お前はレモンにしろよ」
「……気を遣う必要はない」
「レモン味は食ったことねえからな、俺」

彼女に気負わせぬよう、適当な嘘をつく。
その嘘を見抜きつつも、彼女は追及することなく。

「…なら、半分残った時点で交換としよう」
「そこは"あーん"じゃねえのかよ」

752: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/31(月) 21:29:33.76 ID:X4XriL7N0

「綺麗な星だな」
「ん、」

ホテルまでの、なかなかに長い帰り道。
見上げた夜空には、いくつもの星が浮かんでいる。
今日はよく晴れている。明日もきっと晴れるのだろう。

「フィアンマは星が好きだよな」
「色々と逸話があるからな。利用がしやすい」
「そういうことかよ」
「……願えば叶うというものもある」

七夕とか、と彼女はぽつりとこぼした。
確か、中国で誕生した逸話であったように思う。
恋人同士の逢瀬に便乗して、願いを叶えてもらうお祭り。

「何ひとつ叶わなかったが」

トールと出会う前、まだ幼かった頃。
自分の持つ力がなくなりますようにと、祈った。
自分に微笑みかけてくれる人たちと、幸せになれるようにと。

753: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/31(月) 21:30:04.56 ID:X4XriL7N0

「ま、神様なんてそんなもんだよな」

『雷神』を冠する彼はそう吐き捨て、ため息を吐き出す。
彼にも、祈った記憶があるのだろう。

「結局のところ、自分で何とかするしかねえよ。
 目の前に積み重なる無理難題だとしてもな」
「Heaven helps those who help themselves.」
「そういうことだ」

そして、ここまで来た。
手が届く場所をいつしか踏みつけて、高みへ辿りついた。
努力の賜物が、今のトールの全て。
人生にしろ、武器にしろ、強さにしろ、……愛する人にしろ。

「……と、いつまでも外じゃ風邪引いちまう」
「先日はすまなかったな」
「気にすんなよ。お前だって俺の看病するんだし」

お互い様だ、と告げて。
彼は彼女の手を引き、少し前を歩く。

754: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/31(月) 21:30:58.94 ID:X4XriL7N0

本を開く。
近頃は寝る前に一冊読むのが習慣になりつつある。
欠伸を噛み殺し、トールは文字を視線でなぞった。
神話を元にした恋愛小説だ。
なかなか文学的な表現が多く、読んでいて目に楽しい。
こういった何でもないものから術式のヒントを得ることもある。
勉強はしておいて損はない。人生という観点で見れば。

「……」

もそ。

少し肌寒いのか、フィアンマはトールのストールを引っ張った。
しゅるしゅると解き、さながら恋人マフラーのように自分の身体を包んだ。
彼女の身体が細めとはいえ、ストールはそんなに大きくない。
若干の身狭さに眉根を寄せ、トールはフィアンマを見やった。

「…そのまま寝るなよ」
「んー……」

聞いているのか、いないのか。

生返事をしながら、彼女はうつらうつらとしている。

「………」

妥協して、本を読み直す。
今は読書の方が大切だ。それに、密着することが不愉快という訳ではないのだから。

755: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/03/31(月) 21:31:28.00 ID:X4XriL7N0

彼女なりの甘え方なのだろうか。
本を読み終えて横を見たトール。
しかし、フィアンマに目を覚ます様子は見られなかった。

「……また風邪引くだろ」

毛布を引っ張り、彼女の体にかける。
あまり揺らすと起こしてしまうので、それ以上は触れないでおいた。
部屋の電気を消し、手を伸ばす。
座ったまま寝るとなると、明日どこかが痛むことは免れない。
けれど、今は明日のことより、今この瞬間を優先しよう。

「……おやすみ」
「……ん…」

トールの肩に頭を乗せたまま、彼女は僅かに身じろいだ。

「……動き辛え」

呟きながら、トールも目を閉じる。
愛とは、どこまで譲歩出来るかである。

764: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/02(水) 22:28:30.24 ID:evUITb5r0

「お帰り」
「ただいま。……って何だこりゃ」

トールが帰ってきて最初に目にしたものは、ハンバーグのようなものだった。
ただし、何やら輝きが違う気がする。

「ハンバーグ型プリンだよ」
「……プリン?」

確かにカラメルのような匂いはする。
恐らく、このデミグラスソースのようなものだろう。

「たまには趣向を変えて菓子作りをしようと思ったんだ」
「ケーキ屋でも始めた方が良いんじゃねえの」
「『恋が叶うクッキー』とかか?」
「ああ、『恋が叶うクッキー(黒魔術)』みてえな」
「俺様は黒魔術など使わんぞ」
「知ってるよ。っつーか、ローマ正教は悪魔崇拝と程遠いだろ」
「 薬の数滴なら」
「なあ、俺はそれに対して突っ込むべきなのか?」

ひとまず席について、一口。
まずくはない。プリン部分はおいしい。

「……カラメル苦いな」
「手が滑った」
「やっぱ普通のハンバーグ食いてえ」
「カラメルソースで良いか」
「おいコラ」

765: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/02(水) 22:29:08.05 ID:evUITb5r0

「……何だ、唐突に」
「いいから座ってろって」

午前十時半ちょっと過ぎ。
椅子に座らされ、フィアンマは困惑していた。

「日頃の報復」
「…報復?」

何かしただろうか、とフィアンマは小首を傾げる。
動くなよ、と窘められて元に戻した。
何となく落ち着かないのは、髪に触れられる感触のせいか。

「んん、……」

トールの指先が、肩を少し越えた程度の髪を撫でる。
前髪こそ切ってはいるが、近頃後ろ髪は放っていた気がする。

「いつも俺の髪ばっか触るだろ?」

やられっぱなしは気に入らない、とトールはフィアンマの髪をいじり。

「ついでだからあれもやっとくか」
「……『あれ』?」

766: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/02(水) 22:29:36.06 ID:evUITb5r0

かれこれ一時間程髪の毛に香油を塗られている。
こんなに甘い昼下がりは初めてかもしれない。

「……」

トールの触り方は丁寧で優しい。
美容院で眠くなるのと同様に、徐々に眠気が押し寄せてくる。
添い寝と同じ理屈である。人肌は心地が良い。
蜂蜜のような甘い匂いが、ことさらに眠気を誘う。

「ん……」
「眠いのかよ」

ぺたぺたと髪の毛にトリートメントを馴染ませつつ、彼は問う。
素直に頷き、フィアンマは我慢して目を開ける。
しかしやはり眠気により、うつらうつらと身体が揺れた。
自分とはまったく違う色合いの彼女の髪に触れつつ。

「寝ちまえよ。飯は適当なのでいいだろ?」
「……」

こくん。

頷いて、そのまま眠りに堕ちる。

767: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/02(水) 22:30:14.81 ID:evUITb5r0

目を覚ますと、既に髪は乾かされていた。
目を覚ました場所はベッドであり、彼が移動させてくれたということは明白だった。
そもそもが彼の自己満足から始まった行動な訳だが。

「……、…」

髪はいつになくつるつるさらさらとしていた。
甘い匂いもする。
眠っている間ずっといじられていたのだろうか。
それにしても目を覚まさなかった自分には警戒心が足りない。

「…その必要もないから、か」

心のどこかで、危険な目に遭っても彼が守ってくれるとタカをくくっている部分はある。
それはきっと悪いことだけれど、良いことでもあるだろう。
少なくとも、彼は頼られると尚更パワーアップするタイプのようだから。

「トール?」
「ん、何だよ」

キッチンに立つ彼の姿が窺えた。
立ち上がり、フィアンマも手伝いに向かう。

768: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/02(水) 22:31:06.60 ID:evUITb5r0

作っていたのはサンドイッチだった。
トマトとハム、マヨネーズにレタスと彩の良いものだ。
切り落としたパンの耳を口に咥え、彼は黙々と作業をしている。

「…美味いものなのか?」
「いや、腹減ってるから食ってるだけだ」
「……」

あむ。

トールの口から長く飛び出たパンの耳を咥えて奪い、むぐむぐと咀嚼する。
特に何の味もしない。無味とまではいかないが、美味というものではない。

「……」
「……」
「…んー」
「人の口から奪っておいて微妙な唸り声出すんじゃねえよ」

トマトの切れ端を食べつつ、トールはそういって。
ぷい、と顔を逸らしたが、怒った様子はない。

「……段々わかってきた。照れか」
「うるせえ」

769: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/02(水) 22:31:48.66 ID:evUITb5r0

きゅ、きゅ。

ソファーに二人で並んで腰掛け、約一時間。
自分の手を握ったまま、何やら指先を動かすトールにフィアンマは眉を潜めていた。
何をしているのかさっぱりわからない。
痒みや熱い、或いは冷たいというのなら離せば良いだけの話。

「…先程から何をしているんだ?」
「いや、何も?」

誤魔化してはいるが、何かをしている。
自分の左手がそんなに珍しいのか、とフィアンマは首を傾げざるを得ない。
こと、頭脳戦において鋭い彼女は、得てして鈍い部分がある。

(細いな。……片側が…9号…ってやつか?)

脳内の知識と照らし合わせながら、トールは頭を悩ませる。
普通なら勘付かれるような行動で彼が行っているのは、指のサイズの計測だ。
握った感触と目測でもって、左手薬指のサイズを計測せんとしている。

「……」
「…こそばゆいのだが」
「悪い」
「……離す必要はない」

咄嗟に手を離したトールに対し、フィアンマはごにょごにょとそう告げる。
彼は少しだけ考えて、再び彼女の手を握った。

「……ん、よし」
「…何の話だ?」
「気にすんな」
「……?」

770: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/02(水) 22:32:25.12 ID:evUITb5r0

「…そういや好み聞くの忘れたな」

フィアンマからの通信術式はない。
つまり、彼女の身に危険はないということになる。
一人、外出中のトールは常に彼女のことを気にしながら、店の前に立っていた。

「おー、トールじゃねえか」
「あん?」

視線を向ける。
いかにも軽薄そうな青年が、ひらひらと手を振っていた。

「何見てんの?」
「見たらわかるだろ。宝石」
「へえ。宝石魔術はフレイヤ…はもう居ねえも同然だけど、あっちの専売特許じゃ」
「そうじゃねえよ」

プレゼントの方。

そう答えた途端、ウートガルザロキの表情が下卑た笑みに変化する。

「……"男の責任"取る位進んじゃった?」
「ぶん殴るぞテメェ」

実際には、そこまで至っていないのであった。
トールの暴言は八つ当たりである。

771: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/02(水) 22:33:00.29 ID:evUITb5r0

「やっぱコーヒーはコーヒー店に限るな」
「ああ、うるさいもんなトール」
「そうか?」

ちょっぴり汗をかいたグラスを手に持ち、アイスコーヒーを飲む。
ガムシロップもミルクも入れていないが、美味しい。
何も手を加えなくても美味しいのが真のコーヒーだ、とトールは思う。

「お前はどうしてたんだよ?」
「んー、ちょいちょい転々と。そうそう」
「?」
「シギンちゃん拾った」
「へえ。生きてたんだな」

素っ気ない言い方になるのは、トールもシギンも所詮『グレムリン』のみの付き合いだからだろう。
そもそもトールは裏切り者であるし、シギンは裏切る以前の問題だ。
ウートガルザロキはのんびりとメロンソーダを飲み。

「ま、ちょいと手足に問題は遺ってるみたいだが、概ね無事。
 今は『助言』してもらって色々やらせてもらってる。俺がね」
「戦闘とかか?」
「トールちゃんと一緒にしないでくれよ。ギャンブルとかその辺?」
「もうそれ『予言』だろ」

炭酸きっつー、などとぼやきながら彼は甘い液体で喉を潤す。
滅茶苦茶香料がキツそうだ、なんてトールは感想を抱き。

「トールの方はどうなんだよ」
「俺? 見た通りだ」
「指輪決めらんなくて帰れない感じ?」
「決められなくても必要ならいつでも帰るけどな」
「いいねえ、お熱くて。……ついでだし『助言』してもらうか?」
「……悪くない案だな?」

772: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/02(水) 22:33:34.64 ID:evUITb5r0

『久しぶりだね』
「ああ。で、早速助言もらっていいか?」
『私に出来るのは助言だけだからね。どうぞ?』
「恋人に贈る指輪」
『予算と、恋人の性別は?』
「予算は……二億九百七十三万二百七十八万ユーロ」

円にして約三○○万円、といったところ。
口笛を吹いて茶化すウートガルザロキを無視して、トールはシギンとの通信を続けた。

『ストロベリークォーツとダイヤモンド、と助言しておこう』
「ほかにはねえのかよ」
『細めのリング』
「……どうも」
『相手が喜んだら教えてね』

通信を終える。
いつも通り、というか、少し前と変わらない話し方だった。

「決まった?」
「ああ。結局セミかフルオーダーになっちまいそうだ」
「予算はたんまりあるんだし良いんじゃねえの」

773: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/02(水) 22:34:06.41 ID:evUITb5r0

ストロベリークォーツは天然石であり、恋愛に関する石である。
他人の欠点に対して寛大になる、なんて効果もあるらしい。

「ようこそ」
「オーダーしたいんだが」
「はい、ありがとうございます。ではこちらの…」

ウートガルザロキと別れてから、すぐ宝石店へ戻る。
内容さえ決まってしまえば、頼むことは辛くない。
そして、大して時間もかからない。

「ありがとうございました」

出来上がり次第連絡する、とのことで。
トールは店を後にし、ゆっくりと街を歩く。
のんびりとした雰囲気は退屈だが、悪くない。

「…喜ぶと良いけどな」

今まで、自分が何かをあげてフィアンマが喜ばなかったことはない。
泣く程嬉しがったこともあるし、はにかんだこともある。
ぎゅう、と抱きしめて嬉しそうにしていたことも。
それに、今回はシギンに『助言』してもらったのだ、なおのこと、きっと喜んでくれるはずだ。

「これから帰るけど、何か欲しいものあるか?」

通信を仕掛け、独り言のようにトールが問いかける。
対して、フィアンマはというと。

『耳栓が欲しい』

……隣部屋の●●声がうっすら聞こえて辛いので、とのことである。

779: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/03(木) 22:55:15.01 ID:xQ+WGhwm0

トールが戻って来たタイミングで、『行為』は終了したらしい。
気まずそうなフィアンマはというと、気をまぎらわす為にお菓子を作っていた。
痩せるだの何だのと言っていたのはどうなったのだ、とトールは思いつつも黙っておく。

「久々にウートガルザロキの野郎に会った」
「元気そうだったか?」
「まあな」
「そうか。良かったな」
「…で、何作ってんだ?」
「何だと思う?」

はぐらかしながら、彼女はオーブンに生地を敷いた紙皿を入れた。
既に余熱してあったらしいオーブンから漂う熱気に、トールは目を細め。

「シフォンケーキ」
「正解」

780: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/03(木) 22:55:51.75 ID:xQ+WGhwm0

クイズ正解者に素敵なご褒美。

とはいってもケーキだったが。
紅茶の茶葉を入れたらしいシフォンケーキは、甘さ控えめでとても美味しい。
品の良い味と言えば良いのか、紅茶の香りがほどよく鼻から抜けていく。

「紅茶のケーキを紅茶で食うってのがな…」
「何か問題があるのか?」
「矛盾みてえなやつを感じる」
「ミルクティー味のケーキをレモンティーで食べることに矛盾があるのか?」

首を傾げ、フィアンマは紅茶を啜る。
レモンティーはフレッシュレモンでも濃縮還元果汁でもなく、レモンピールで淹れた。
なので、砂糖が少し溶けていてほどよく甘い。
ちょっとお上品が過ぎて物足りないような、とトールは思いながら。

「そういや」
「ん?」

思い出した、といった様子で、彼は自らの懐を探る。

781: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/03(木) 22:56:27.04 ID:xQ+WGhwm0

「そろそろ居場所移そうと思ってさ」
「なるほど」

トールが取り出したのは、色とりどりのパンフレットだ。
多くのホテル名と、その特徴、相場が書かれている。

「国から出るつもりはないんだな」
「ちょっと野暮用があるからな」
「喧嘩相手でも?」
「んー、あー、そんなようなモン…ってことで」

じと。

不貞を疑う視線だ。
ピリリと辛い雰囲気をやんわりと口先三寸で誤魔化し。

「ケーキ部屋だってよ。内装が菓子なんだと」
「……ベターな選択だ」

パンフレットの中身、その一つを指差す。
彼女の視線は自然とそれに吸い寄せられ、目先の危険は回避した。

782: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/03(木) 23:00:44.04 ID:xQ+WGhwm0

景色が良くても特に意味はない。
安すぎると居心地が悪いかもしれない。

のんびりと、対立するでもなくホテルを決める。
一つの場所に滞在し過ぎると、襲撃を受ける恐れがあるからだ。

「朝食がビュッフェ形式か」
「ワッフルばっかじゃねえか」
「ワッフルだぞ…?」
「その『え、何で?』みたいな顔やめろ」
「こちらは良いな」
「ルームサービス充実してるな」

日が暮れていき、パンフレットを閉じる。
そろそろ夕飯時だ。
いつまでも遊んでいる場合ではない。

「今日の晩飯のメニューは?」
「ハンバーグと肉団子と…肉まん」
「何も考えてねえなら素直に言えよ!」
「ひき肉を買いすぎてしまった」
「あー………パスタにするか」
「ミートソースということか?」
「ボロネーゼとハンバーグ」
「……」
「…何だよ?」
「そんなに食べられるのかと少し心配になっただけだ」
「問題ねえよ」
「……」
「……」
「……そんなに状態の悪いひき肉なのか?」
「……一晩放置してしまったというか、……」
「……"えへへ"って顔で全部許されるなら世の中魔術師要らねえんだぞ」

783: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/03(木) 23:01:55.59 ID:xQ+WGhwm0

チェスをしよう、と言いだしたのはどちらだったか。
食後に頭を使って消化を促進する、という目的と。
お互いに相手にやらせたい罰ゲームを胸に、トールとフィアンマはチェスをすることにした。

「負ける気しかしねえ…」
「五番勝負にするか?」
「そうだな」

駒を交互に動かしていき、お互いに囲い込みをする。
トールは性格も手伝ってか、攻めを主体とした打ち方だ。
フィアンマはというと、じわじわと周囲から攻める。

「……性格が出るな。こういうゲームは」
「思考ゲームなんてのは大体そうだろ」
「罰ゲームは何をさせようかな」
「既に勝った気マンマンでいやがる…」

実際、トールは劣勢だった。
既に二回戦は敗北しているし、このまま一度でも負ければ終わってしまう。
フィアンマはニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべ、罰ゲームを考えていた。

784: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/03(木) 23:02:32.93 ID:xQ+WGhwm0

結果は引き分け…かに思われた。
トールの攻め一本の手が功を奏し、フィアンマを数度押し負かせた。
そして今は、延長戦。
二人のどちらかは、どちらかの要望を聞かなければならない。

敗者は勝者に●●されるのみ―――これは、古来からの決まりごと。

「………」
「……どうした? 続けてくれ」
「今考えてる」

ため息を飲み込み、トールは駒を手にしたまま眉根をぐっと寄せた。
負ける訳にはいかない。対戦中に浮かんだことを是非やらせたい。

「……」
「……」
「……」
「……ここだ」

駒を置く。
視線を向けた先、彼女は困った顔をしている。

「……俺様の負けだ」
「打たねえのか?」
「もう勝つことは不可能だ。打っても意味がない」

盤面から鑑みるに、そんなことはないはずだが。
勝ちを譲ったのか、はたまた。

「……それで」
「?」
「俺様にさせたい罰ゲームとやらは何だ」

腕を組み、脚を組んで優雅にふんぞり返る。
とても投了した人間の態度とは思えないが、それは置いておく。

785: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/03(木) 23:03:15.58 ID:xQ+WGhwm0


「聖天使ミカ●●メイドと●エプロンどっちがいい?」
「どっちもいやだ」
  

793: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/05(土) 22:54:09.94 ID:QDJ8uQLI0

時は日中に遡る。
忘れ物がある、と言いだしたウートガルザロキに付き合い、トールは駅に居た。
駅のロッカーからアタッシュケースのようなものを二つ取り出した青年は、のんびりと伸びをして。

「お待たせ」
「全部取れたか?」
「おー、これで全部」
「…で、渡したいものってのは?」

何もないのにロッカーへ寄るのに付き合う程、トールは女性的な感性をしていない。
彼が何故ここに来たかというと、ウートガルザロキの『あげたいものがある』という発言のためだ。
要らないから帰る、と急ぐ用件もなかった。

「これこれ、えーと……こっち」

アタッシュケースに付箋でもつけていたのか、ウートガルザロキは両方を見比べ、一つを手渡した。

「嵩張るな。中身だけくれよ」
「恥ずかしいと思うけど、俺」
「…何なんだよ?」
「ちらっと開けたらわかる。まー、あれだ。
 大親友の俺の心からの贈り物ってことで」
「……?」

唆されるまま、少し開けてみる。
中に見えたものは、二着の衣装。

794: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/05(土) 22:54:38.05 ID:QDJ8uQLI0

「………エプロン…とメイド服…か?」
「そうそう。メイド服の方は聖天使ミカ●●メイド服とかいうやつ」
「何に使うんだよ、こんなの。霊装か何か?」
「何でも戦闘に結び付けんなよ。彼女にでも着せたら雰囲気出るだろ。
 本当は取引に使うモンだったけどやるよ。今日キャンセルされちまったし」
「どういう取引だよ……」
「これで脱どーていしてくれれば俺としては」
「●●じゃねえよ」

ツッコミを入れつつ、トールはホテルに。
クローゼットにアタッシュケースを押し込み、チェスをして、今に至る。



そんな流れで、トールは先述の罰ゲームを提案した訳だった。
『どちらも嫌』なんてわがままは通らない。
選ばれなかったが故に、フィアンマは二着共を着用することになり。

「……まだかよ?」
『まだだ』

脱衣所に引きこもり、かれこれ一時間程出てこないのだった。

795: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/05(土) 22:55:06.39 ID:QDJ8uQLI0

(………考えろ)

かつて世界の流れ全てを我が物顔で掌握していた少女は、衣装を手に迷っていた。
まずはメイド服を着るにしても、そのままではプライドに傷がつく。
何としても自らの自尊心は保ったままにメイド服を着用したい。
幸いにも目の前で着替えろとの指定はなかった。
ということは十分に工作時間が与えられたも同然。

(俺様に出来ることを)

助けはない。
自分の体ひとつで、目の前の現実と戦わなければ。

絶対にある、たったひとつくらいは突破口が―――。

「……、」

しゃがんだ状態から立ち上がり、フィアンマは今着ている服を脱ぐ。
黙々と脱ぎながら片手間に、懐から取り出したチョークで魔術記号を描いた。
もう使う必要はないだろうと思っていた変装術式である。
見目を青年のそれにすればきっと恥ずかしくない、と思った次第だ。
変装術式を使ったところで衣装は変わらないものの。
ぱ  じゃないから恥ずかしく以下略理論で、フィアンマは衣装を着用する。
身長が伸びた分、スカート丈は短くなったが、問題はない。

「……堂々としていればかえって羞恥心は消えるはずだ」

うん、と頷いて。
衣装を身につけ終え、フィアンマは脱衣場のドアを開ける。

796: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/05(土) 22:55:37.65 ID:QDJ8uQLI0

脱衣所からようやっと彼女が出てきた。
トールは退屈そうな表情をやめ、そちらを見やる。
非●●だろうが雷神だろうが男は男だ。
自分が好意を抱く女の子が可愛い衣装を着れば見るに決まっている。

赤を基調とした長丈シャツ。
ふわふわとした白パニエで膨らませた、赤いミニスカート。
絶対領域を形作る、白いガーターベルト。
白レースのエプロンはややシンプルな仕上がり。。
胸元には、トールがプレゼントしたループタイがいつも通り揺れていて。
ヘッドドレスは天使の輪っか仕様になっており、部屋の照明光を受けて艶めく。
シャツは襟がレースになっているもので、ボタンはさほど開いていない。
しかし、多分に透け素材を使用されているため、ほとんど素肌が見えていた。
重要な部分はエプロンで隠されているのが、一段と卑 で。
袖は所謂ドレス袖であり、二の腕部は締まり、手首側につれ、広がるデザイン。

スカートから伸びる脚は細く。
ヘッドドレスは彼女を可愛らしく見せた。
大幅に控えめな胸はエプロンをほんの少し押し―――押し上げ―――、


「……何で男の見た目なんだよ」
「羞恥心を徹底排除するためだ。残念だったな?」
「………」

変な気起きそう、とトールは頭を抱える。
彼女のことは愛しているし、男の見目でも判別は出来る。
出来るが、ここでいやらしい気分になってはいけない気がした。

「ちくしょう……」
「充分だな。ならこれで」
「いや待て。俺はまだ●エプロンを見てねえ」
「……」

話を終わらせようとするフィアンマに対し、トールはそう告げた。

「このままの見目で良いのか?」
「好きにしろ。こっちにも考えがある」

797: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/05(土) 22:56:30.54 ID:QDJ8uQLI0

諦めの悪い。

そんなところに救われたのもあって、咎めはしないものの。
フィアンマはメイド服を脱ぎ、 着も脱ぎ、裸になった。
エプロンの着用は手馴れたもので、一人で出来る。
そもそも料理の際に何度もしている。
にも関わらず着せて何が楽しいのか、とフィアンマは首を傾げ。
自分にはわからないけれど、何がしかの面白みがあるのだろう、と頷いた。

「…しかし心許ないな」

青年の体ということはつまり、大事な部分も男である。
こんな丈の短いエプロンで大丈夫なのか、とフィアンマは眉を寄せた。
しかし背に腹は変えられないし、恥ずかしいよりはマシだ。
素の自分の肉体のまま着用しようものなら、きっと顔を上げられない。

「………」

ぐい、と地味に布を引っ張ってみる。
だめだ、伸びない。
そういう生地を使っているらしい。

798: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/05(土) 22:57:06.87 ID:QDJ8uQLI0

よもや、青年の体で出てこようとは。
彼女の扱う術式について完全に失念していた、とトールは机に突っ伏す。

「クソ……」

やられっ放しは性に合わない。
何としても、彼女を元の身体に戻してみせる。

「……あれは確か」

変装術式の解析。
天使に明確な性別はない、というところからの派生逸話によるものだったはず。
となると、使われている記号も割り出せる。
どうやって妨害すれば良いのか、一生懸命頭を働かせた。
魔術師の戦いとは、本来このようなものだ。
そのために、禁書目録などという図書館まで作り出された程、解析は重要な作業。

「こっちで味付けしておくか」

入ってきた瞬間、変装術式が失敗するように。
笑みを浮かべ、トールは懐から木の板のようなものを取り出した。

799: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/05(土) 22:58:04.26 ID:QDJ8uQLI0

もうそろそろ、とフィアンマは脱衣所から出た。
ぺたぺたと歩き、トールを探す。

「トール」
「着替え終わったのか?」

ニヤニヤ。

余裕に満ちあふれた者の笑み。

(……何だ…?)

本来ならば、まだ術式を解いていない自分に落胆するはずだ。
だというのに、どうしてトールは笑っていられる。

「………」

視線を四方八方に。
変わったところは見られない。

「……、…」

だとすれば、別のものを見て笑みを浮かべている?
そのようには見えない。彼は自分を見ている。

「まだ気づかないのか? おいおいフィアンマちゃんよ。
 俺も魔術師だぜ? 何も直接戦闘しか出来ないって訳じゃない」
「…………」

まさか。

まさか、まさか、まさか―――――

800: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/05(土) 22:59:05.49 ID:QDJ8uQLI0

自分の身体を見る。
何も変化はなかった。
いいや、正確に言えば『変化』が『なかったこと』になっている。
部屋に手を加えて、自分の術式を妨害したのか。

「っ、ぁ」

水着姿や裸姿は見せたことがある。
タオル一枚のあられもない姿だって。
でも、だけど、あの時は心の準備が出来ていた。

エプロンは薄い薄いピンク。
白に近い、パステルカラー。
一部レースがあしらわれているが、実際にはシンプル。
エプロンの生地は決して分厚くはなく。

「あ、ぁ、」

緊張による汗で透けているかもしれない。
それを思うと一気に体温があがった。
ぼっ、と顔を真っ赤にして、フィアンマは絨毯に座り込む。
咄嗟に自分を抱きしめ、自分を隠すものを探した。
ベッドの上に毛布はない。トールが悠々と畳んでいた。

「ひ、きょうだ、こんな、こんなの、」
「お前に言われたくねえよ」

毛布を壁際に寄せて、トールはフィアンマに近寄る。
そして彼女のエプロンの肩紐を指先でいじり、笑みを浮かべたまま。

「顔、見せろって」
「……う、ぐ、……」

801: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/05(土) 23:00:08.30 ID:QDJ8uQLI0

恥ずかしい。
勝利を確信していたのに、気づかなかった。
ぎゅ、とエプロンの生地を握り締め、フィアンマは脚をすり合わせる。
寒いのではない。ただひたすら、恥ずかしいばかり。
正に穴があれば入りたい、といったところか。

「……トール…」
「泣きそうな声出したってダメだ。お前が負けたのが原因だろ?」
「先程の衣装の方がまだマシだ、」
「そっちのチャンスで俺を騙したのはフィアンマだ」

ことごとくズバズバと言われ、フィアンマはじわりと目に涙を浮かべる。
結構打たれ弱いのはわかっているはずなのだが、容赦がないようだ。

「……」
「、っ」

髪を撫でられる。
嫌という感情は、当然ながら湧かない。
俯くその顔に触れられ、指先であげられる。

「可愛いってよりは●●いな」
「……変 なのか。お前は」
「どう思う?」

はぐらかし、トールは彼女のエプロンに手をかける。
脱がしはしない。ちょっとズラすだけだ。

「……恥ずかしい、からせめて毛布、」
「ダメだ」

802: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/05(土) 23:01:32.88 ID:QDJ8uQLI0

エプロンをずらして●●をされると、非常にインモラルな感覚がする。
日常的な、実用的なものを着ておきながら、していることは本来の目的と程遠い。

「ん、ん……」

肩紐を下げられ、やんわりと を揉まれる。
痛いような気持ちいいような、不可解な感覚。
腰を抱かれ、肩に甘く噛み付かれる。
キスマークをつける程には、強くない。

「トール、」
「何だよ」
「……好きだよ」
「ん」
「俺様が『こういう』ことを許すのはお前だけだ」
「………」

満足げな表情を浮かべるトールに、フィアンマは目を細める。
手を伸ばし、指先で彼のストールを解いた。

「キス、してくれないか」
「俺が起きて、"いつも隣に居る"しな」

約束を守っている、から。

●●声をかき消すように口づけられ、息を止める。
すきだ、とうわごとのように繰り返し、フィアンマは身を任せることにした。

810: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/06(日) 22:05:44.20 ID:Dfhriziv0


膨らんだ腹を、自ら摩る。
肥満したそれではなく、『中身』は命だった。

『トールに似れば良いのだが』
『どうだかな』

でも、どっちかには似るし、きっと可愛いだろう。

彼はそう言って、幸せそうに自分の腹に耳をつけた。
とすとす、と揺れ動く胎内。"蹴った"らしい。
医者からは女の子だろうと診断されている。
女の子は父親に似るというから、トール似だろうと思う。

『名前決まんねえな……』

名前占いの本を開き、青年は深々とため息をつく。
名づけを一任してしまったので、彼は非常に張り切っていた。
平凡で、幸せな運命が約束された名前がベスト。

811: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/06(日) 22:06:21.67 ID:Dfhriziv0

『…その様子だと子煩悩になりそうだな』
『俺自身もそう思う。悪いことじゃねえだろ?』

それにしても服などを買い漁り過ぎなのでは。
もはや浪費の域に達している育児道具購入量を鑑みて、フィアンマは苦く笑った。
しかし、それだけ、彼が子供のことを楽しみにしているのだとわかる。
優秀な助産師の居る病院を選び、絶えず体調を気にしてくれて。
今までも少々心配性気味なところはあったが、近頃は更にその傾向が顕著だ。
悪い気分にはならない。彼も自分も、両親は居なかった。
だからこそ、良い親になりたい。いや、平凡で、幸せな家庭を築ければそれで良い。
『特別』や『最善』がどれだけくだらないものが、よくわかっているから。

『女の子と言えば可愛い名前か…そうそう名前負けはしないだろうしな』
『あまり目立たせてもな……』

臨月に入って、悪阻はなくなった。
体調は比較的安定しているし、病院の定期検診でも何も言われない。

『…ま、俺が心配してるのはどっちかっつーとフィアンマだけどな』
『自然分娩の内は問題ないと思うがね』
『死ぬなよ、頼むから』
『俺様個人としては死ぬつもりなどまったくない』

ストールの端っこを弄り、トールは本を熟読している。
よもや自分が誰かと愛し合い、母親になるとは思わなかった。
思わなかったけれど、今この時を、心から幸せだと思う。

812: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/06(日) 22:07:28.14 ID:Dfhriziv0

「……ん…、」

目が覚めた。
昨日の 行為のせいか、妙な夢だった。
脂肪の少ない太ももで挟んで擦ったところで、彼は本当に気持ちよかったのだろうか。
あまり思い出すと羞恥でベッドから出られなくなるので、首を横に振って払拭。

「…んー……」

今朝の彼はまだまだ眠いらしい。
もぞもぞと身動き、未だ眠っている。

「……おはよう」

ぽつり、と挨拶をして。
まだ起き上がる気にはなれなくて、ひとまず 着だけ身に着ける。
近寄って手に触ると、無意識下で抱きしめられる。
もしかしたら抱きつき癖なんてものがあるのかもしれない。
以前、飲酒をした際には自分が先に酔ってしまって何も覚えていないので、断言は出来ない。

「トール」
「ん……」

目が開いた。
綺麗な目だ、とフィアンマは思う。
自分の髪と正反対の、青い瞳。

「……はよ」
「おはよう」

813: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/06(日) 22:08:53.79 ID:Dfhriziv0


「さて、」

長い髪を無造作にポニーテールにした青年は、退屈そうに伸びをする。
風に靡く金髪は、とても長い。
長身である彼の腰を軽々と過ぎる程度には。
透き通ったアイスブルーの瞳は、美しい景色を一瞥。

「……無事こっちに来られたことだし」

帰省した若者のような調子で、彼はそう言って。

「始めるとしますか」

うっすらと笑みを浮かべ、彼は右手を軽く振る。
たったそれだけの動作で、小さな村はまるごと『潰れた』。

814: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/06(日) 22:09:39.81 ID:Dfhriziv0

「内戦が起きたんだってよ」
「内戦?」

ほら、とトールが見せてきた新聞。
イタリア語で書かれたそれを、フィアンマはじっくりと視線でなぞる。

「自然災害……食糧の奪い合いか」
「こればっかりはどうしようもねえよな…」
「行くのか?」
「俺が行っても、どっちかが勝つだけだ」

戦争を止めるのは俺の仕事じゃない、と肩を竦め。
彼はのろのろとスクランブルエッグを口に運んだ。
今日の朝食は喫茶店で優雅にモーニングセットである。
むぐむぐとハニートーストを口に含み、フィアンマは新聞を読む。

「……突然雷鳴が鳴り響き、大雨洪水。
 片方の村が火災を起こし、混乱した住民が他の住民を撲殺。
 死体ひとつ残さない程の撲殺はあまりに猟奇的で、その住民の出身村が報復を開始……」
「妙な事件だ。若干、俺たち<オカルト>の香りがするな」
「…似たようなニュースがもう一件ある」

新聞を彩るのは猟奇的な事件ばかり。

「こちらは連続殺人。…撲殺か」
「妊婦専門の強 魔に、少女誘拐殺人犯。
 罪を償って刑務所出たところを一撃で……」

喫茶店内に設置されたテレビは、控えめに新聞と同様の内容を報道している。

「……何なんだろうな。どっかの馬鹿が術式の試し撃ちでもやってんのか…?」
「………」

815: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/06(日) 22:10:34.20 ID:Dfhriziv0

小さな内戦は、第三次世界大戦後の殺伐さも手伝って戦争を生み始める。
個人同士の殺人のケースも増えてきていた。
新聞やニュースは、そういったニュースばかりを報道している。

『痴情の縺れか、男が交際相手を殺害』
『詐欺行為を働いたとして女性を集団暴行』
『いよいよ戦争か、――――が軍資金を増資』

「……いよいよ殺伐としてきていやがるな」
「誰も止められんのか……ああ、その辺りは俺様のせいだがね…」

自分の起こした第三次世界大戦の余波が、今も尚人々を凶行に駆り立てやすくしているのか。

フィアンマは目を伏せ、トールはそんな彼女を慰めることしか出来なかった。
今の彼女には、世界の流れを変えて戦争を止める術も持たない。
世界の流れをがらりと変える権力者は、フィアンマが使い潰してきた。

「……捨てっぱちになったロシアが死力を尽くすかもしれんな」

核爆弾を改造するかもしれない、とフィアンマは呟いた。
喫茶店で見たニュースからたった三ヶ月で、状況は最悪のものになりつつある。
第四次世界大戦勃発か、などという煽り文もよく目にするようになってきた。

「出かけてくる」
「フィアン、」
「……少し。一人にしてくれ」

トールの手を振り払い、フィアンマは外へ出た。
部屋に居れば、際限なく甘えてしまいそうだったから。

816: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/06(日) 22:11:07.61 ID:Dfhriziv0

「相席をさせてもらいたい」
「ああ、構わな―――」

人気の少ないカフェに、一人。
大して混んでもいないのに、とフィアンマが顔を上げた先。
そこに立っている少女は、ふんわりとした金髪の。

「……、」
「…久しいな」

魔神オティヌス、だった。
薄く笑みを浮かべ、フィアンマは首を傾げる。

「…元気だったか?」
「お陰様で、といったところか。……ブレンドをひとつ」

店員にそう注文し、彼女は黒いタートルネックセーターの首元の生地を折り返す。

「ヤツとは一緒に居ないのか」
「トールのことか。……少し、一人になりたかった」
「私は邪魔か?」
「そういうことではない。……甘えてしまいそうだったからな」

カフェモカを一口飲み、口に広がるチョコレートの甘味に息を吐く。
甘ったるい吐息に嫌な顔をするでもなく、オティヌスは運ばれてきたブレンドを一瞥し。

「近頃世界の様子がおかしいことには」
「気づいているとも、勿論。…だが、俺様には何も」
「その件で言っておくことがある」
「言っておくこと?」

ブレンドにミルクをたっぷりと混ぜ、オティヌスは僅かに言いよどむ。

そして。

817: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/06(日) 22:11:43.87 ID:Dfhriziv0















「先日起きた撲殺による大量虐殺事件。未だ特定されない――――犯人は、雷神トールだ」

823: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/07(月) 22:16:24.41 ID:7yf7VPgC0

オティヌスの発言と同時。
フィアンマの脳裏に浮かんだのは、週刊雑誌のニュース欄。
とある宗教団体の集められたビル内で行われた大量殺人事件。
三百人を優に超える人々は、一人残さず女教祖に撲殺された。

「……だがあの犯人は」
「女教祖という話だったな。…犯行を否定している」

その時間、違う場所に居た。
アリバイこそあるものの、残された指紋などは全てその女教祖のもの。
証拠は充分、自白の裏付けを取り次第死刑だろう、という話が流れている。

「……トールは犯行時間、俺様と一緒に居た」
「………」
「だから、トールがそんなことを行える訳がない。
 そもそも動機がないだろう。どうしてそんなことをする必要が?」
「私にもそれはわからない。だが、見たことしか話していない」
「見た…? トールを、現場で?」
「ああ」

オティヌスを、見つめる。
嘘をついているようには思えない。
そもそも、そんなことで嘘をついても意味がない。
困惑させて苦しめるような関係ではない。
既に和解しているのだから。

824: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/07(月) 22:16:55.46 ID:7yf7VPgC0

「魔術師は唐突に発狂す(到達す)ることがある」

(元)魔神たる少女は冷静にそう告げて、コーヒーを啜る。
温かい飲み物を口にしているはずなのに、フィアンマの体温は下がっていった。
血の気が引く、という感覚に近い。

「それは、……わかって、いるだろう?」

魔術師。
もとい、魔術とは人間にとっての『毒』だ。
魔道書図書館にいくつもの防護機構が組み込まれているように、その知識は危険なもの。
目を縫って毒を抜く必要がある原典は、その最たるものだ。
魔術を学ぶ過程で多少の『汚染』は免れない。
特殊な才能や体質を持っていない限り。そして、トールは正にそのパターンだ。
努力だけで世界のトップランカーと渡り合う程の実力を持つ彼は、それに見合う努力をしてきたはず。
戦闘行為だけでなく、多くの魔道書を読みあさって今日を迎えているはずだ。
となれば、今更になって『汚染』のツケがあってもおかしくはない。
ましてや、彼は過去よりフリーの魔術師。術的防護に、教会世界の支援は望めない。

「………、……」
「……もしそういった精神状態で一連の事を起こしているのなら、」
「お前の見間違いかもしれないだろう?」
「……フィアンマ」
「そんな状態なら、俺様が気づかない訳がない。
 きっと他人の空似だ。こんなに広い世界ならば、何人かトールに似た男だって居る」

ふるふる、と首を横に振って否定し、フィアンマはカフェモカを飲み干した。

「……そんな訳がない。……無いんだ」
「仮にそうであった場合危害はフィアンマにも」
「だから、……違うと言っているだろう」

空っぽのカップを置き、フィアンマは立ち上がる。
オティヌスの前に自分の分の代金を置き、外へ出た。
吐き気がする。目眩も、だ。

825: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/07(月) 22:17:40.14 ID:7yf7VPgC0

「………戻った」
「おお、お帰り」

あまりにも退屈だったからか、トールは霊装の手入れをしていたようだった。
笑顔でフィアンマを迎えいれ、彼は霊装を片付ける。
何か飲むか、と彼は冷蔵庫を覗き込んで。

「……トール」
「ん? 何だよ」
「…トールは、俺様を信頼しているか?」
「な、…何だよ急に。そういうのは口に出すもんじゃねえだろ」

恥ずかしいし、と苦笑いして、トールはミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
硬水か軟水かを意味もなくチェックして、栓を開けつつ首を傾げる。

「何かあったのか?」

彼の様子はいつも通りで。
はぐらかしたということは、つまり、信頼してくれているということで。

「…………」

何でもない、と言い切るには、息が詰まった。
オティヌスの表情は心配そうだったし、きっとあの言葉は本物だ。
誰かがトールに化けているのなら、オティヌスが見抜いたはずで。

「……少し歩き疲れただけだ」
「そうか? 寝ても良…うおっ」

826: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/07(月) 22:18:47.75 ID:7yf7VPgC0

ペットボトルの蓋を締めた事を確認してから、抱きついた。
ぎゅう、と強く抱きしめる。
気持ちが伝わっている訳ではないだろうが、抱きしめ返された。

いつも通りだ。

おかしいなんて思えない。
何かが狂っているだなんて感じられない

なのに、どこかで疑っている自分が居る。

もしも、トールが本当に一連の事件に関わっているのなら。
真相を聞き出して、場合によっては戦う必要が出てくる。
彼のことは大切だが、無闇に人を殺して良い理由なんて存在しない。

「………トールは、疲れたりしていないのか」
「あー…まあ最近ちょっとばかし睡眠不足か。大したことじゃ」
「…一緒に寝よう」
「それは良いけど…本当に何かあったのか?」

不可解そうに首を傾げ、トールはフィアンマの髪を撫でる。
表情も、動作も、何もかも普通で、日常のそれ。

827: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/07(月) 22:19:23.89 ID:7yf7VPgC0

『……良い感じに温まってきたか』

口元に薄く笑みを浮かべ、青年はベッドに横たわる。
欠伸を飲み込んで、愛しい一人の少女について考えた。

無慈悲に奪われた少女。

自分が愛した、世界にたった一人の人。
彼女を守る為になら、世界を滅ぼしたって良い。
善悪は問わない。彼女の安全が確信出来るまで、自分は世界を殺す。
そうして"以前"は自分を除く全人類を滅ぼしたのだから。

『まだ会うには早ぇかな……』

でも会いたい。

会って、この手に抱きしめたい。
目一杯甘やかして、もう一度彼女の笑顔を見たい。
出来ることなら、手を繋いで一緒に歩きたい。

その為に。

障害は少ない方が良いし、今はあまりにも邪魔が多すぎる。

『仮眠して、再開するかね…』

828: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/07(月) 22:19:57.03 ID:7yf7VPgC0

甘えてくるのは良いのだが、ちょっと様子がおかしくないか。

眉を顰めそう思いつつ、トールはフィアンマを見つめる。
ぬくぬくと毛布の中で温まっている彼女は眠っていた。
寂しそうな、不安げな寝顔だ。

「ん……」

服、或いは手を握られる。
寝相代わりにその手の位置は少々変化する。
それ程までに、自分が何処かへ行くことが嫌なのか。

「……何なんだ?」

何かをした覚えはない。
近頃はさほど外に出ていないし、命に関わる喧嘩もしていないはずだ。
流れるニュースに彼女が不愉快になるのはわかるが、自分は一切関係がない。
多少、『グレムリン』として動いた事は関係があるとしても。
彼女の様子は、自分が傷つくことを恐れているような、しかし、少し方向性が違うような。

「……フィアンマ」

言ってくれなければわからない。
一人で抱え込まれて泣かれたって、助けに行くことは難しい。

829: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/07(月) 22:20:37.54 ID:7yf7VPgC0

この動乱の中でも仕事は仕事、きっちりやり遂げるらしい。

出来上がった指輪を取りに、トールは宝石店へと来ていた。
フィアンマは眠っていたようなので、置き手紙を残してきた。
何かあれば連絡がくるだろう、と思いつつ、店員と話をする。

「こちらです」
「……よく出来てるな」
「よろしいでしょうか」
「ああ、サイズも問題なさそうだ」

内金を差し引いた代金を支払い、店を後にする。

小さなストロベリークォーツで彩られた、美しいダイヤモンド。
ブリリアントカットだったか、と彼はダイヤの切り口を眺めながら考える。
細身のシルバーリングは、彼女の華奢な指にきっとよく似合う。

「……」

これはあくまでも婚約指輪。自分の分は作っていない。
そして、自己満足だということも理解している。
それでも、彼女が笑みを浮かべてくれたら嬉しい。

「……帰るか」

830: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/07(月) 22:21:28.39 ID:7yf7VPgC0

「ん……」
「はよ。今日は寝坊だな」

戻ってみると、彼女はぐっすり眠っていた。
置き手紙は不要になってしまったようなので、丸めて捨てる。

「………」

ぐしぐし、と目元を擦るも、やはり眠いようだった。
たまにはゆっくり休養も良いだろう、とトールは眠気を促すように毛布をかけてやる。
指輪は今すぐ渡さなくても良い。後で渡せば良いのだから。

「トー、ル……」
「朝飯か? 二度寝したら昼飯になっちまうけど、何がいい?」
「………」

ぐい。

手を掴まれ、霊装の手袋を脱がされる。
握られて引かれ、手の甲にほっぺたをくっつけられて。

「……女物の香水の臭いがする」

何もやましくないはずのトールの背中に、冷や汗が伝った。

842: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/09(水) 22:56:16.49 ID:I9rJvgbr0

「…………き。…のせいだろ」
「………俺様の嗅いだことのない臭いだ。
 ……フルーツ系か。…仕事をしている若い女のものだ」

確かに指輪を渡してくれた女性店員は若かった。
加えて、ふんわりと甘いフルーツ系の香水をつけていたように思う。
まだ眠いのか、理性を大して感じられない瞳がこちらを見る。
常より笑っていないことの多い目だが、今日は一際恐ろしい。

「…考え過ぎだっての……」
「………」
「………」

真実を話せば良いのだが、言い訳のように指輪を渡すのは嫌だった。
気分的にこう、納得出来ないものがある。

「買い物行った先の店員が女だったからちょっと移っただけだ」
「…何を買ったんだ?」
「……クレープ」
「…………まあいい。一度目は許す」

嘘はバレたらしい。

追及をやめ、フィアンマは毛布を抱きしめる。

843: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/09(水) 22:57:12.69 ID:I9rJvgbr0

ブランチはフレンチトーストとスクランブルエッグ、というありふれた取り合わせ。
むぐむぐと食べながら、フィアンマは徐々に機嫌を良くしていった。
『一度目は許す』という発言が気がかりだが、トールは黙々とスクランブルエッグを頬張り。

「俺の記憶が正しければ」
「ん?」
「今日の夜は何もなかったよな?」
「そもそもほぼ毎日何も無い生活だろう。特に俺様は」
「お前が傭兵稼業やると世界のバランスが今以上にマズいことになるからな。
 ん、それだけ確認出来りゃ良いんだ」
「何かしたいことでもあるのか」
「ちょっとな。デート」
「……デート?」

トーストを口に含んだままもごもがと返して、彼女はやや嬉しげにはにかんだ。
どうやら修羅場は完全に抜けたらしい、とトールはほっと胸をなで下ろし。

「たまには待ち合わせしてみるか」
「通信霊装もきちんと整備してあることだしな」

844: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/09(水) 22:57:48.39 ID:I9rJvgbr0

婚約指輪を渡すにあたってどんなことをすれば良いのか。
ひとまずもう少し状況が落ち着かなければ、どこぞの国で籍をいれることはままならない。

「……プロポーズ、すれば良いんだよな」

しかし、不慣れだ。
そもそも、プロポーズに慣れている男もそうそう居ないだろう。
シギンに連絡するべきだろうか、とふと思う。

思うのだが。

「んー……」

後ろで立体パズルに取り組んでいる彼女の前で女に通信を仕掛けるというのもどうだろう。
それも、何か戦闘に悩み悩んでかける訳ではないのだから。
また浮気を疑われると思うと恐ろしい。
物理面では何があっても彼女に手は挙げないと堅く決めているが、精神面でも対立はしたくない。
勿論、自分の意見とまるで合わず、お互いに妥協も出来なければ口喧嘩はするだろうが。

「……花束か。定番からすると…」
「……駄目だ解けん」
「珍しいな。俺もやる」

845: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/09(水) 22:58:57.13 ID:I9rJvgbr0

待ち合わせは夜七時。
それまでに買い物を済ませてしまえば良い。
トールは花屋の店頭で立ったまま、首を傾げていた。

彼女の好きな花を知らない。

好きな色は赤と白、そして金色にアイスブルー。
どうしてアイスブルーなんて限定的な色なのかはわからない。
水色が好きなのだ、と語っていたので、深く突っ込んで聞いてはいないのだ。

「お決まりですか? お好きなお花でお包みしますよ」
「恋人に包む花なんだけど、色がな…」
「お色はどのようなものを?」
「赤と白、金、アイスブルー」
「うーん……」

どれか二色にしましょう、と店員はそっと提案する。
じゃあ赤と白で、と指定した後。

「やっぱ花言葉って重要なモンなのか?」
「そうですねー…特に女性の方は気にする傾向が強いです」

トールが視線を迷わせた先、黒赤色の薔薇が一輪。
もう一度迷わせた先、白い薔薇が一輪。

前者は『決して滅びることのない愛』。
後者は『相思相愛』。

二つを組み合わせ、白薔薇を多めにすると『結婚してください』というメッセージになる。

「んじゃ、あれと……白い薔薇多めで……やっぱ同量で」
「…プロポーズですか?」
「まあ、……ん、そうだな」

歯切れの悪いトールに、店員は小さく微笑んで。

「じゃあ、一生懸命おつくりしますね。うまくいきますように」

846: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/09(水) 23:00:10.56 ID:I9rJvgbr0
【×白薔薇を多めに ○白薔薇と同量】




「……なかなかこないな」

噴水公園前、何の変哲もないベンチ。
待ち合わせ五分前、トールは姿を現さない。
勿論遅刻ではないのだから、責めるつもりは毛頭ない。
自分が退屈だから出てきただけのこと。

「………」

夕暮れの空は赤く、美しい。
少し、不気味な色とも思える。

「……俺様の考え過ぎだ」

トールは事件や、世界の流れの変化に何の関係もない。
そう信じなくては。
自分の、世界にたった一人の味方を信じずに誰を信じろというのだ。

「………来ないな」

約束時刻二分前。
足元の鳩を眺めつつ、フィアンマは今暫く暇を持て余す。

853: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/13(日) 00:25:09.25 ID:QaAtKMoF0

やはり緊張する。

赤い薔薇が三本に白い薔薇が七本という取合せの花束を手に、トールは深呼吸した。
生花の花束から漂う薔薇の香りで頭がスッキリとする。
古来よりアロマオイルなどに使われるだけあって、様々な効能がある薔薇。
もしかすると薔薇を渡すことで相手の精神を変調させられるのでは。
だからプロポーズやデートには花束を渡すのでは、なんて考察しながら。

「…フィアンマ」
「ん、時間は丁度だな……」

じゃあ行こう、と言葉を紡ぎかけ。
トールを見上げたフィアンマは、珍しく素直にきょとんとした表情を見せた。
完璧に刺の抜かれた美しい花束を差し出して、トールは笑みを浮かべる。

「プレゼントだ」
「…俺様に?」
「あー、花束苦手か?」
「花束が嫌いな女は少ないと思うが」

思っていたより淡白な反応だった。
とはいえ、表情は嬉しさというものを雄弁に語る。
幸せそうな柔らかい笑みを浮かべ、フィアンマはベンチから立って、彼から花束を受け取る。
その花言葉を少し考えてみたのか、思案の表情。

「……それで、夕飯はどこで食べるつもりだ?」

花束の意味するところに気がついたのか、フィアンマは誤魔化すようにそう問いかけて。
決めてある、とトールは彼女の手を握って前へ前へと進み歩き始める。

854: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/13(日) 00:25:51.81 ID:QaAtKMoF0

高級ホテルの最上階。
そんな場所にあるレストランともなると食事はお高い。
お高いが、毎日食べる訳ではないのだから大した金額でもない、とトールは思う。
もっとも、彼女にケーキを買わされる日々の中で金銭感覚が若干狂ったことは否めない。

「……珍しいな」
「あん? 何が」
「こういう店で食事をすることが、だ」

嫌という意味ではなく、とぱたぱたと片手を振りつつ。
フィアンマはそうコメントしながら、花束を店員に一時預ける。
確かに珍しいかもな、と相槌を打って、トールは懐の指輪を再認識する。

「こちらへどうぞ」

店員に案内され、白いテーブルクロスの引かれた席につく。
おとなしく座り、フィアンマは景色に目をやった。
大きな窓から見える夜空は美しい。

運ばれてきたのは前菜から。

イタリア料理のフルコースは慣れ親しんでいるのか、彼女に緊張はなかった。

「美しい景色だ。料理も美味しそうで」

良い店だな、と評価して、フォークを手にする。
食欲を駆り立てるトマトソースの前菜は舌に甘い。

855: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/13(日) 00:26:19.16 ID:QaAtKMoF0

前菜二種にパスタ、メインに肉料理。
サラダを食べ終えたところでチーズの盛り合わせ。
年代物のワインにはチーズがよく合う。
酔っ払わない程度に呑んで、デザートに手がかかる。
予想通りというべきか、彼女は食後のドルチェに最も目を輝かせた。
本当に素直だな、とトールは笑みを浮かべつつ思う。
勿論、政治の場ではこんな風に笑うことなんて出来なかっただろうが。

「……何を笑っているんだ?」

む、とほんの少し不服げに彼女がこちらを見る。

「可愛いと思っただけだ」

酔っているのか、そんな言葉がするりと出てきた。
ん、と言葉を飲み込み、彼女はティラミスを口に運ぶ。

「なあフィアンマ」
「ん?」

ドルチェを食べ終え、話しかける。
少しずつ食べていた彼女の器の中身も、ほぼ無くなっていた。
スプーンを置き、フィアンマが首を傾げる。
トールは深呼吸すると、懐から小さな宝石箱を取り出した。

856: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/13(日) 00:27:08.42 ID:QaAtKMoF0

苦いエスプレッソが運ばれてくる。
これでフルコースは終わり。
程よい酔いと満腹に目を細め、フィアンマはじっとトールを見つめた。
中身同様高級感のある宝石箱は小さく、灰色をしていた。

「………」
「……」

わずかな緊張を唾と一緒に飲み込み、トールは宝石箱を開けた。
中身を見せながら、彼女に向かって差し出す。

「………トール」
「…婚約指輪だ」
「……俺様に?」
「……フィアンマに」
「……、…くれるのか?」

戸惑いながら、フィアンマは指輪を見つめる。

小さなストロベリークォーツで彩られた、美しいダイヤモンド。
ブリリアントカット。
別名をアイデアルカットと呼ばれる手法で切削された形状。
細身のシルバーリングが、レストランの照明を受けて輝いている。

857: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/13(日) 00:27:41.52 ID:QaAtKMoF0

「もし俺とずっと一緒に居てくれるなら、…貰ってくれ」

格好良い台詞を考えて考えて、やっぱり浮かばなかった。
そもそも、彼女をときめかせるだけの素敵な言葉なんて識らない。
考え出せる程のレパートリーもない。
つい最近まで戦闘一辺倒だったのだから仕方ないとは思う。
思うものの、もう少し良い台詞は出てこないものだったか、と少し後悔して。

彼女は何も答えない。

受け取ってくれる、という確信はあった。
一秒経つ毎に、その確信は揺らいでいく。

自分が魅力的だと思うのだから。
彼女を魅力的だと思う人間はたくさんいる。
恋愛は尽くした度合いによって決まるものではない。
自分が彼女の為に何万年も戦ったところで、彼女が自分を必ず選ぶ訳ではない。

徐々に視線が落ちていく。
もしかすると、『重い』と感じたかもしれない。
彼女は結婚のけの字も口にしていない。

858: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/13(日) 00:28:09.14 ID:QaAtKMoF0

「………俺様で良いのか」

か細い声だった。

859: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/13(日) 00:28:36.81 ID:QaAtKMoF0

「俺様は、トールに沢山のものをもらった。
 右腕も、未来も、幸福も。…信頼も、恋心も」

これ以上貰っても許されるのか、判別がつかない。

混乱から飛び出した言葉だった。
彼女を安堵させて、確信を持たせる言葉をトールは知らない。
彼はいつでも自分の為に振る舞い、その結果が彼女の居場所に繋がってきた。

「俺様にこんなものを渡して、それがトールを縛り付けることにはならないのか」
「つまり、受け取ることは嫌じゃねえんだろ?」

うん、とまたか細い声で返答があった。
トールに関することではすぐに緩む涙腺に息を吐いて、フィアンマは指輪を見つめた。

「なら、受け取ってくれよ」
「俺様は、」
「世界中が何と言おうと、お前自身が何と言っても、俺はお前が好きだよ」

縛られるだとか、不安だとかは思わない。
自分がそうしたいのだから、怯える必要はない。
この先今日という日を後悔する日がくるとすれば、それは彼女が死んだ時だ。
彼女に恋なんてしなければと思うのは、彼女が自分の前から永久にいなくなったとき。

「俺も、お前に色んなものを貰った」

初めて、守りたいものが出来た。
他人の笑顔で幸せな気分になれることを知った。
心から心配されることの心地よさを知った。
繋いだ手を離したくないと思ったのも、初めてだった。

「お前はどうなんだ」

受け取る程好きなのか、突き返す程好きではないのか。

860: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/13(日) 00:29:28.86 ID:QaAtKMoF0

華奢な手が、指輪を取った。
はめる指に少し迷って、動きが止まる。
そうして迷いなく、左手の薬指にはめた。
トールの見立ては間違いなかったらしく、ぴったりとはまった。

「……一生、大切にする」

死んだら棺桶に入れてもらう、と言って、彼女は左手を右手で握った。
ぐし、と人差し指で目元を拭う。
本音を言えば抱きつきたかったが、公衆の面前でそんなことをするつもりはない。

「いつ作ったんだ?」
「ま、秘密裏に。つい最近」

冷えてしまったエスプレッソは口の中を苦く苦く染める。
心の中は甘くて温かい気持ちでいっぱいだった。

「俺様も渡すものがある」
「渡すもの? 今か?」
「ホテルに戻り次第渡す」

宝石箱に一度指輪を戻し、フィアンマは改めて指輪を受け取った。
嬉し涙と笑顔を両立させたその表情が一番好きだと、トールは思う。

866: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/15(火) 22:48:29.59 ID:FagYvP010

ホテルに戻るなり、フィアンマは再び指輪を左手の薬指に填め。
がさごそと周囲を漁ると、紙袋を取り出した。

小物屋の紙袋だ。

白に黒の水玉。
とてもシンプルなラッピングを施された贈り物。

「これを渡そうと思ったんだ」
「…お…ストールか?」

黒い毛皮のストールだった。
手触りはとても滑らかで心地良い。
身体に巻いたらさぞ暖かいだろう、とトールは思う。

「こちらは髪留めだ。…伸ばせと言っておいてそのままもどうかと思ってな」

シンプルな、金色の髪留め。
小さなプラスチック埋め込み飾りは、アイスブルー。

「前々から気になってたんだけど、アイスブルーと金色に何か思い入れでもあんのか」
「……ルの」
「…?」
「トールの髪と、瞳の色だからだ」

だから好きになったのは最近のこと、と彼女はぼそりと付け加える。
なるほど、と納得すると同時、ニヤニヤとトールは笑みを浮かべ。

「結構乙女なところあるんだな?」
「…文字通り乙女なんだがな?」

867: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/15(火) 22:49:03.35 ID:FagYvP010

ホイップした生クリームと卵黄、バニラエッセンス。
ストロベリーシロップをかき混ぜて冷凍庫へ。

それから、かれこれ一時間。

じっと忍耐強く冷凍庫を見つめるフィアンマにデコピンを食らわせ。

「見つめたってすぐ凍る訳じゃねえから」
「……少しは早く」
「なんねえよ」

いつから俺はツッコミキャラになったんだ。
頭を抱えるトールを見、フィアンマは冷凍庫にぺたぺたと触った。
ホテルの備品にしては良い冷蔵庫、もとい冷凍庫だったようである。
『急速冷凍』モードは、見事に彼女の期待を叶えてくれた。

「出来上がったようだな」
「……そんなに苺アイス好きだったか?」

上機嫌にスプーンを取り出し、タッパーに突き立てる。
危うく鉄の食器が折れかける程、そのアイスクリームは硬い。

「………」
「……確か何回かかき混ぜながら凍らせるんじゃなかったか?」

急速冷凍が通用するのはシャーベットだったような。
首を傾げるトールを前に、フィアンマは右手でスプーンを握りこんだ。

今流行りのヤンデレってやつかな。

ぐちゃぐちゃとアイスにスプーンを突きたてかき回す少女に、トールはぼんやりとそう思った。
髪留めもストールもまだ使っていない。大事に、しまっておいたまま。

868: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/15(火) 22:49:44.59 ID:FagYvP010

曇りの日。
雨が降りそうで未だ降らぬ、黒い空。
このホテルの部屋の住人は見ていないが、ニュースでは雷雨の予報がなされていた。

夕方から夜にかけて、嵐が起きる模様です。

そんなニュースを聞くこともなく。
仮にテレビを点けていてもそれをかき消す勢いで、二人は言い争いをしていた。
何がきっかけだったのか、さっぱり思い出せない程のヒートアップ。
口論が口喧嘩に発展し、言い争いの内容は苛烈なものになっていく。

「俺様のことを何も理解していないくせに、」
「ならお前は俺を理解してんのか? してねえだろうが。
 何なんだよ、さっきから偉そうに御託ばっかり並べやがって」
「お前はどうなんだ。自らの態度を振り返って反省点はないとでも?」
「どっちもどっちだろ。細かく追及しやがって、しつこいんだよ」
「俺様はただ、」
「自己満足もいい加減にしろって言ってんだ。
 お前のそういうとこ本っ当可愛くねえ。俺はお前のそういうところが大嫌いなんだよ」
「っ、」

思ってもいないようなことが口から飛び出すから、口喧嘩は危ない。
素手同士の喧嘩ならば強い方が勝つが、口論には際限がない。
どちらかが諦めるか、冷静になるか、徹底的に言い合うか、第三者が割り込むかしか解消法が無い。
そして、現在のトールとフィアンマには三つ目の選択肢しか選べなかった。

869: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/15(火) 22:50:45.47 ID:FagYvP010

「……所詮、俺様を救おうと思ったのも経験値に繋がるからだろう。
 戦闘狂は何があっても変わらない。俺様よりも戦闘の方が重要……そうなんだろう?」
「テ、メェ。言って良いことと悪いことが―――」

魔術師として根幹に関わる部分への暴言。

あんまりにもあんまりな言いように、トールの頭へカッと血が上る。
武器を使うことすら忘れて、彼は手を振り上げた。
そのまま振り下ろされれば、彼女の頬は赤く染まったことだろう。
下手をすれば傷を負い、血を流したかもしれない。

その、暴力を振るうギリギリ手前で。

トールは右手を震わせ、それから、握り締めた。
歯を食いしばり、静かに下ろす。
別に、フェミニストを気取っている訳ではない。
敵が女であっても殴る時は殴る。

それでも。

どんな理由があろうとも。

トールは、自分が彼女を傷つけることを許せない。
魔術師とはエゴと誓いの生き物で、自分に逆らうことは出来ない。
そんなトールの姿を見つめ。
フィアンマは背を向け、部屋のドアに手をかける。

「……頭を冷やしてくる」

宣言するなり、彼女は部屋から出て行った。

870: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/15(火) 22:52:02.64 ID:FagYvP010

まだ雨は降っていない。
にも関わらずあまり周囲が見えないのは、もしかして泣きそうだからか。
冷静に自分を客観視しながら、フィアンマはあてもなく歩いていた。

ひどいことを言ってしまった。
取り返しのつかないことを。


『自己満足もいい加減にしろって言ってんだ。
 お前のそういうとこ本っ当可愛くねえ。俺はお前のそういうところが大嫌いなんだよ』

『テ、メェ。言って良いことと悪いことが―――』


思い出されるトールの言葉の数々に、唇を噛み締める。
一方的に傷ついているつもりはない。
自分も、頭に血が上るまま、彼を傷つけてしまった。

だけど、彼は自分を殴らなかった。

短気な彼が、だ。
ある意味、暴力を好むと表現しても支障の無い彼が。

殴らなかったのだ。

あれだけのことを言われて。
それが意味するところがわからない程、頭は悪くない。

「………」

仕事と私どっちが大事なの、と聞く女は愚かだ。

そんな、どこかで聞いた言葉を思い出して視線を落とす。
腕が誰かにぶつかった。謝ろう、と振り返る。

「お。あれ、フィアンマちゃん?」

いかにも軽薄そうな男が、ひらりと手を振った。

871: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/15(火) 22:52:33.51 ID:FagYvP010

「雨降りそうだから急ぎ足で歩いててさ。痛いとこない?」
「問題ない。俺様こそすまなかった」
「俺も痛くないしだいじょーぶ。ま、上がって上がって」

こじんまりとしたアパートメントだった。
ウートガルザロキは部屋の奥に置かれたベッドの方へ声をかける。
少女の声音で返事があり、ベッドにもぞつきがあった。

「あそこで寝てんのはシギン。
 元『グレムリン』の…何つーかな。『助言』担当」
「……初めまして、で良いのか」
「こんにちは。…トールの恋人、で合っている?」
「………相違ない」

ベッドの上に座っているのは、手足が少し曲がった少女だ。
生まれつき、というよりは後天的なものに見える。
ただの骨折と違い、もうそのような手足の形になってしまったのかもしれない。
ウートガルザロキ曰く、戦闘中の後遺症で、まともに歩くのも難しいらしい。
ただ、相変わらず『助言』は素晴らしいので協力を受けつつ共同生活中、とも。

「……俺様にも助言を頼めるか」
「うん、いいよ。…指輪の件はうまくいったみたいだね」

フィアンマの左手を見、シギンは得意げにぼそりと呟いた。
首を傾げる彼女に、シギンは言葉の先を促して。

872: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/15(火) 22:53:00.88 ID:FagYvP010

ぽつりぽつりと彼女が語ったのは、トールとの喧嘩から今に至るまでの全て。

「…頭を冷やすと言って出てきたは良いが、……」
「…………難しくない案件だ」

うん、とシギンは考え込み。
それから、曲がった手首、その指先でフィアンマを指した。

「笑顔」
「……笑顔がどうかしたのか」
「笑顔を浮かべて謝れば、かなり高い確率で許される。…と、助言しておこう」
「…そんなものか?」
「男は好きな子の笑顔に弱いモンだし、大丈夫だと思うけど。俺も」
「……お前もそうなのか?」
「ま、多少のことなら許すかな。怒るってスマートじゃないし、そもそも」

青年の手からカップを受け取り、ココアを飲む。
身体が温まり、反対に思考は冴えていった。

謝りに戻れそうだった。

「…感謝する」
「あれ、もう行くの?」
「助言もいただいたことだしな。善は急げ…だったか。そういう故事成語もあるだろう?」

トールと離れてから優に三時間。
シギンの言う通り、笑顔で謝れば許してくれるだろう。
もし駄目なら、誠心誠意彼に尽くして何とか許しを乞うしかない。

873: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/15(火) 22:53:34.21 ID:FagYvP010


「見つけた」



とうとう降り始めた雨の中、独り。
青年は濡れるスーツも気にせずに呟いた。








「お帰り、フィアンマ」

879: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/17(木) 23:28:15.93 ID:PWy7IAd60

五階にスイーツバイキングの店がある、とあるビル。
フィアンマは大きめの屋根の下で雨宿りをしていた。
激しく降る雨の中では、まともに呼吸も出来ない。

「……トールは優しい」

だからきっと、謝れば許してくれる。
一生懸命頭を下げて、甘えて、目を見つめて謝れば、きっと。
彼は、当人が思っているよりもずっと優しい男だ。
そして何よりも愛情深い。執念とは、つまり言い換えるとそういうことだ。

「………」

無言で、左手を撫でる。
薬指にはまった指輪は、自分にとって幸福の象徴だ。
彼が自分を想って、きっと沢山の金を出して購入したもの。
高額な貢物なら覚えがある。しかし、それは擦り寄るためのもので。

「……っくしゅ、」

くしゃみが出た。
生憎ビルは改装工事中であり、中には入れない。
上に羽織るものもない。ほとんど飛び出してきたようなものだから。





ぽふ。

880: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/17(木) 23:28:51.58 ID:PWy7IAd60

唐突に身体に巻かれたのは、黒い毛皮のストールだった。
自分が先日、トールにあげたものと同じもの。
そして何より、そのストールからはトールの匂いがした。

「俺たちが最初に飯食ったのって此処だよな」

紛れもなく、トールの声だった。
ストールを握り、フィアンマは下を向く。
懐かしむような声は、とても優しい。
既に怒りはないのか、声のトーンは落ち着いたものだった。

「……俺様が強請って、ケーキバイキングに行ったのだったか」
「そ。んで、俺は気分を害したフィアンマに五階から突き落とされた」
「…………」
「別に怒ってねえよ。本当に」

くしゃ、と髪を撫でられる。
それから丁寧に指先で梳かされて、抱きしめられた。

温かい。

「…先刻は、本当にすまなかった」
「ん? あー、もういいって」

881: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/17(木) 23:29:34.79 ID:PWy7IAd60

ぎゅう、と後ろから抱きしめられる。
顔を見なくたって、トールが今どんな表情を浮かべているか想像出来た。
そして、とても安心する。許された、という安堵だ。

「……本当に申し訳ない」
「悪いと思ってるならキスのひとつでもくれよ。…なんてな」

悪戯っぽい、笑い混じりの声。
軽く頭を預けると、肩を貸された。
彼の腕の中でなら、自分は安心して死ねるだろう。

「トー………」

雨足が僅かに和らいで。
一緒に帰ろう、とフィアンマは言い出そうとした。
したのだが、ふと『違和感』に気がつく。


トールはこんなにもしっかりとした体つきだったか。
もう少し細くはなかったか。少女的な細さがあったはず。
身長はこんなに高かっただろうか。自分と数センチ差だったはずで。
声は低かったか。トーンが落ち着き過ぎではないか。

何かがおかしい。

882: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/17(木) 23:30:09.20 ID:PWy7IAd60

振り向くのが躊躇われたが、のろのろと振り返る。
そこに居るのは、確かにトールだった。
フィアンマが見覚えのない、少し年齢が上の。

「……トール、なのか?」
「ああ、そうだよ」

アイスブルーの瞳に、長い長い金の髪。
金の髪は大して高くない位置で無造作に髪留めで留めてある。
ポニーテールのように、長い髪は流れている。
髪留めもまた、ストールと同じく自分があげたものだった。
金色に、アイスブルーの小さいプラスチック細工の埋め込まれた髪留め。

纏っているのは地味目のスーツ。

黒灰色のジャケット。
黒いスラックスに、普段と変わらないベルト。
インナーは白ではなく、どことなくくすんだ灰。

全体の雰囲気でもって、『喪に服す』雰囲気。

美しい水色の瞳の奥は揺れ、底知れない。
ただ、フィアンマに対しての愛情は確かにそこにある。

「お前を助けに来たんだ」

そう言って、彼はいつものように屈託のない笑みを浮かべた。

883: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/17(木) 23:30:46.71 ID:PWy7IAd60

フィアンマが帰ってこない。

既に落ち着きを取り戻したトールは、眉を寄せて時計を見つめていた。
何の連絡もないし、彼女は戻ってこない。
何かあったのではないか、という心配が先に立った。

「聞こえてるか?」
『おー、トールか。何か用?』
「フィアンマに会ってないか?」
『ん、会った会った。ちょっとお茶出して、シギンの助言受けて帰ったけど』
「……あ? 帰った?」
『帰った。何、まだ到着してない?』

ウートガルザロキに連絡して、この返事。
とはいえ、襲われたのなら連絡がくるはずだ。
彼女が危険を感じた時点で、少なくとも通信が来る。
彼女が望まずとも、そうなるように設定してある。
怒ったばかりに霊装を壊していない限りは、必ず。
そして、彼女の性格から考えてそんなことはしていないはず。

「ん、それならいい。じゃあな」
『? おう』

通信を終える。
まだ、一人で居たいのかもしれない。
後二時間経過したら連絡をいれよう、とトールは思う。

898: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:47:04.02 ID:8S7XW5N50

今から、約十三年後。
そんな未来から来た、と彼は言う。
つまり年齢が十三も離れているのか、とフィアンマは頷いて理解し。
二人は揃って高級ホテルの一部屋へとやってきた。
未来や過去というのは別世界と捉えた場合、移動はさほど難しいことではない。
魔術の知識を総結集して術式を構築すれば、異世界の法則に則って世界移動は行える。
勿論、『異界反転(ファントムハウンド)』レベルの大規模儀式魔術程の術式でるならば、だが。

「……随分と良い部屋だな」
「サービスは良いし、多少何やっても目を瞑ってくれる。値段は、サービス料の高さだな」
「こんな場所に長期的に宿泊してやっていけるのか?」
「ちょっと厳しい。そろそろアパートメントの一室で借りるべきかとは思ってる」
「…ん? ということは長く滞在するつもりなのか」
「ちょっと色々あってさ」

ベッドに並んで腰掛ける。
時計の音が部屋を満たす。
トールは手を伸ばし、美しい音色のオルゴールを再生した。
昔ながらの、ネジ
柔らかい音色が奏でているのは、チャイコフスキー交響曲第6番。

『悲愴』。

こんな音楽が好きだっただろうか、とフィアンマは首を傾げ。
しかし、十三年もの月日が経てば、人は多少なりとも変わる。

「未来のことを尋ねても構わんか」
「……、…ああ」
「俺様とトールは、どうなっている?」

無邪気な問いかけに。
トールは、十三年前、或いは三年後の出来事を思い返していた。

899: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:47:40.01 ID:8S7XW5N50













20歳の誕生日をお互いが迎えた頃。
ようやく世界の均衡は元の状態に保たれ、一時的な平和が訪れた。

結婚式は、二人きりで行った。

こじんまりと、贅沢などせず。
神父の前で神に愛を誓った二人は、美しかった。
豪奢な婚約指輪は、質素な結婚指輪に変わった。
銀色の、とてもシンプルな細身のリング。

『……お前のこと、好きになって良かった』

強くなった。
守りたいと思うものを持つことの重要さを知った。
何より、彼女の笑顔ひとつで幸福になれた。

『俺様も、トールを愛して良かった』

未来も、幸せも、希望も、夢も。

その全てを貰った、と彼女は幸せそうに言う。
誓いのキスとやらは、彼女と一緒に食べてきたケーキのように、甘かった。

900: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:48:13.55 ID:8S7XW5N50

幸せだった。
何気ない毎日の全てが、退屈で、平和で、心地良かった。
戦闘を好む自分が平穏に幸福を感じられるようになったのは、間違いなく彼女のお陰だろう。
軽い口喧嘩だって、仲直りしてしまえば笑い話にしてしまえた。

何度も彼女を抱いた。
嫌がられたことは一度もなかった。
行為自体に恐怖や緊張はあっても、自分が相手だからと拒まれたことは。
愛情を言葉にして囁き、何度愛し合っても飽きることはなかった。
明け方になって、少し疲れた様子ではにかむ彼女が一層愛おしかった。

『…トール。これから話す事に、嫌な顔をしないと誓うか』
『ん? 何だよ急に』

細い指に光る銀色のリングを見る度に、安堵と機嫌の良さを自覚する。
毛布を手繰り、ぎこちなく言いづらそうに、彼女は告げた。

『子供を、授かったようだ』

その時、自分がどんな表情をしていたか覚えていない。
ただ、驚きと、嬉しさと、それに派生する責任で、胸が満たされていた。
早く言えよ、なんて言いながら彼女を抱きしめて、産んで欲しいと強請った。
元より堕胎なんて考えていなかった、と彼女は首を縦に振り。
産まれてくる前に名前やら何やらを考えなければ、と二人で頭を悩ませた。

901: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:48:47.66 ID:8S7XW5N50

悪阻は吐き気という形で出た。
それでも、一般的には酷い方ではなく。
お腹の子の経過は順調で、定期検診でも悪い事を宣告されることはなかった。
性別は恐らく女の子だろう、と医者から告げられた。

『名前か……』
『名前負けするとは思えないし、多少派手な名前でもいいな』
『大人になった時に困らない程度の華美に留めた方が懸命だろう』
『早く産まれてこねえかな…』
『そんな簡単産まれてくるのなら誰も苦労しないさ』

呼びかけると、お腹を蹴る音が聞こえる。
他人ならば何とも思わない。
けれど、自分の子供だと思うと、些細な事でも嬉しく思えた。

『産まれてきたら親馬鹿になりそうだな』
『ならねえよ、……多分』

言い切れない、と苦笑いした。
からかうように、腹を蹴る音が聞こえる。
見た目は彼女に似るだろう、とぼんやり予想して。

902: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:49:13.35 ID:8S7XW5N50

臨月に入って、それでも経過は順調だった。
出産予定日には多少ズレがある。
なるべく動かないように、と慎重に生活をしていた。

『じゃあ行ってくるけど、一人でも本当に大丈夫か?』
『だから心配無いと言っているだろう、先程から』
『家事とかすんなよ。コケたら一大事だし』
『わかっているとも。恐らく昼寝で時間を潰すよ』

部屋に残して絶対安静にしてもらうか、一緒に買い物に行くか。

前者の方がより安全だ、と俺は判断した。
三時間程度なら、一人でもきっと大丈夫だろう、と。




――――その時に判断を誤らなければ、きっとああはならなかった。

903: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:49:55.79 ID:8S7XW5N50

予定通り、三時間程の外出の後。

『ただい………』

言い切ることは出来なかった。
彼女の姿が、部屋のどこにも無かったから。

最初は、良い可能性から考えた。

もしかしたら出産が早まって、救急車を呼んだのか。
あまりにも退屈で、ごくごく一部の知り合いのところへ行ったのか。
はたまた自分を揶揄するために、外出しているのか。

だけれど。

そんな希望論で、自分を納得させることなんて出来なかった。
全身に冷や汗が伝い、否応なしに身体が震えた。

そんなはずがない。

彼女から連絡は一度もないし、何より身重で動くのは辛いはず。
ソファーを見やると、布の一部がほつれていた。

小さな違和感。

とても小さなそれは、胸騒ぎをいっそう激しくする。

904: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:50:32.65 ID:8S7XW5N50

色んな知り合いを当たった。
そのいずれの答えも、『知らない』だった。

もはや恐怖と焦りしかなくなった。

どうして、世界は平和になったはずではないのか。
彼女より、オティヌスの方が人々の記憶には強く残っているはず。
顔を伝うのが恐怖による涙なのか、焦燥による汗なのかもわからないまま。
がむしゃらに走り、霊装を使い、世界中を探し。


ようやく彼女の下へ辿りついた頃には、四日が経過していた。


イギリスの『処刑塔』の裏側。
そこに、彼女は幽閉されていた。

905: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:51:06.01 ID:8S7XW5N50

部屋に入った途端、濃厚で厭な血の臭いがした。
ありとあらゆる拷問道具がそこかしこに落ちている。

『………、…』

落ちていたのは、血まみれの人形のようなモノだった。
それも、頭の部分がぱっくりと割られている。
中にはどろどろとした何かが残っていた。
一部は抉られたのか、欠けている。
それが『何か』を理解した瞬間、嘔吐しそうになる。

『う、ぐ……』

惨めに這いつくばっている場合ではない。
どうにかして彼女の所へ、一刻も早くたどり着かなければ。

思って、一歩踏み出して。

気がついた。
その人形のようなモノの、はがされた肉のような部分。
そこには、赤ん坊特有の柔らかくとても短い髪の毛。

906: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:52:14.37 ID:8S7XW5N50


そして、それは。

とても見慣れた、美しい赤色に、よく似ていた。
 

907: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:53:21.18 ID:8S7XW5N50

『う、ぇェええええッッ!!』

耐え切れなかった。
人形なんかじゃなかった。
自分と彼女が誕生を待ち望み続けた、目一杯愛するはずだった愛娘だ。
頭を割られ、脳みそを乱暴に掻き回されて殺された、小さな命。
ペースト状の、血液で染まったピンクの塊が、ぼとりと床に垂れる。
びしゃびしゃと床に胃液を撒き散らし、ふらふらと立ち上がった。
これを行った者はこの手で息を止める、と胸に誓って。
せめて、せめて彼女だけでも、と部屋を出て、隣の部屋のドアを開けた。

数人の男が、"彼女"に群がっていた。

●●しているのか、と頭に血が上り。
直後、一瞬で血液が凍ったような感覚に襲われた。

彼らは。
彼女の内臓を、むしり取っている。
その上、自分達の口に押し込んで、無理やり飲み込んでいた。

喰っている。

『う、ああ、あ、』

イギリス清教は多くの宗教組織を抱え込む。
故に、外側より内側に敵が多いと言われる程。
そして、彼らは『偉人を食すことで内にその知識を取り込む』思想を持った連中だった。
なまじ、フィアンマが行ったことに神性があったからだろう。
ただ殺すのではなく、その身に孕んだ赤ん坊を取り出して脳を食い、本人に至ってはその全てを喰らう。

理解した。
その先、記憶がない。

ただ、数秒で、男達はこげた肉の塊となって床に転がった。
そのことだけは、頭に残っている。

908: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:54:25.51 ID:8S7XW5N50

薬を使われているのか、あるいは何らかの呪術か。
倒れたままの彼女は、力なくぼんやりとした表情を浮かべていた。
失血のせいで抵抗出来なかったのかもしれない。
薄い腹部は開腹され、だらだらと血液が床に広がっている。
内臓の一部は、床に転がっていた。

もう、どうすることも出来なかった。
何をしたって、彼女は助からない。

『とー………る……?』
『フィアンマ』

身体を抱えて、抱き寄せた。
べったりと否応なしに彼女の血が服を汚した。
もう痛みも感じない時期にきているのか、彼女は微笑んでいる。

『すま、ないな……子供、が心配、で…魔術、もまともに、』
『……わかってる』
『トールは、……やっぱり、俺様の…王子様、だ。ヒーロー、…って、言い換えても、いい』
『そんなことねえよ。…俺は、お前を助けられなかった。
 結婚したのに、お前の味方だって言ったのに。俺は……!』
『ゆうえんち、……覚えて、いるか?』
『遊園地…?』
『あの時も、…こんな風に、……トールが、抱き上げて、くれた。
 俺だけ、みていれば……こわくないと、…言って、くれたな』
『やめろよ、』
『あれ、……嬉しかったんだ。…俺様も、普通の女の子みたいに、……なれるきがして』
『やめろ……』
『俺様、と…トールの、…あかちゃん……あかちゃん、は…?』

真実を言えるはずがなかった。
流れ出す涙で、彼女の表情があんまり見えなくなってくる。
それでも、精一杯の笑顔を浮かべた。
せめて、彼女を安心させてあげたかった。

嘘を、ついた。

909: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:54:59.79 ID:8S7XW5N50

『ああ、無事だよ。間に、合った。隣の部屋で、即席で作ったベッドに寝かせてる。
 お前によく似てるよ。髪が赤くて、顔も可愛い赤ん坊だった』
『そう、か……よか、った』

本当に、良かった。

心底ほっとした表情で、彼女は手を伸ばしてくる。
血液にまみれた手が、ストールを握った。
彼女はよく、自分の髪とストールを触っていた。
触り心地が良いから、と言っていたのだったか。

『性格は…トールに、似るかな…?』
『俺に似たら、……困っちまう』
『そう、だな…戦闘好きは…困る……』

くすり、と笑う。
その表情はいつも通りなのに、何もかもがいつも通りなんかじゃない。

『……俺、強くなるから。
 お前をこんな目に遭わせた奴ら全員ぶっ殺せるくらいに、強くなる。約束する』

彼女を助けなかった世界中の人間がひたすらに憎かった。

『約束、するから……、』
『とーる、』

ぺた。

頬に触れた手は、温かくて、酷く冷たい。
低い低い体温と、酸化し始めた生ぬるい血液。
何かを言おうとして、笑みを浮かべて、口を開いて。




―――――そこで、彼女は息絶えた。

910: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:55:58.33 ID:8S7XW5N50

そうして、彼は大切なものを喪った。
その後の人生において、同じようなものも見つからなかった。
彼は欠けて、狂ったまま、全てが変わってしまった。
そしてそんな彼を、誰も慰めなかった。

せめて、子供が生きていれば違ったかもしれない。

彼は世界を恨みながら、子供に希望をもらって生きていたかもしれない。

でも、そうはならなかった。

そのことが、世界の命運を分けた。
それだけのことだった。

それだけのことに、過ぎなかった。

911: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:56:25.49 ID:8S7XW5N50

世界中の恋人を、親子関係を、人間関係の全てを。
変装術式で欺き、利用して、瓦解させた。
その不和は世界中に広がり、戦争という形に出力された。

彼女が救おうとした世界。

彼女が居た、世界。
もはや、そんなことはどうでもよかった。
全て、消えてしまえばいいと思った。

彼女が遺してくれたものは、彼女と、娘の墓。
それから、『聖なる右』を利用した自動出力術式の算出方法。

それを使って、右手を振るだけで任意のものを全て壊し殺す『投擲の槌』を創った。

彼女の最期の血がついたストールも服も、保管するのみで、着ないことにした。
彼女の数少ない形見である血液だったから。
葬式の時に着た、モノトーンのスーツを着るようになった。

『髪を伸ばしてくれ』

彼女がそう言っていたから、髪は伸ばし続けた。
以前、貰った髪留めで髪を留め、以前貰ったストールを身につけた。

彼女が死んで、十年後。
自分以外の全人類は、死体になった。

その死体を上手に配置して、世界を移動した。
他の『自分』を絶望させてでも、彼女を取り戻したかったから。

912: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:57:38.83 ID:8S7XW5N50

『……トールは優しい』

独り言は、とても愛おしいものだった。
きっと、喧嘩でもしたのだろう。
彼女の細い体は、とても寂しそうに見えた。

『……っくしゅ、』

くしゃみ。

生理現象がある。
今、目の前の彼女は、確かに生きている。
たったそれだけで、涙が溢れてきそうだった。

ずっと、会いたかった。
お前に、会いたかったよ。

言えない。
この世界の彼女は、何も知らない。

助けにきた、なんて嘘だ。
本当は、攫いに来ただけ。

913: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/04/27(日) 22:58:21.64 ID:8S7XW5N50













「……ル。…トール?」
「ん、悪いぼーっとしてた」
「疲れているのか?」

オルゴールの音が止んだ。
笑顔を浮かべて、彼女の髪を撫でる。
不思議そうな表情を浮かべる彼女に、俺はまた嘘をついた。

「結婚して、子供が居るよ。可愛い一人娘だ。
 もうすぐ十歳になる。第一次反抗期ってところだな」
「ほう」

目を閉じれば、すぐにでも思い浮かぶ。

『ぱぱ、だっこ!』
『――――は甘えたがりだな』
『何だよフィアンマ、やきもちか?』

「見た目はお前に似て、性格は俺に似てる。じゃじゃ馬なところも含めて可愛いよ」

そうなるはずだった。
そうなっていなければおかしいはずだった。
そうはならなかったから、俺は『此処』に来た。

フィアンマを喰ったあの宗教組織の女教祖になって、全員を殺した。

お前を傷つける恐れのある奴らは、全員殴り殺した。
だから、この世界は安全だ。

後一人、殺すのは。

この世界で、フィアンマと喧嘩をしたままの『俺』だけ。

「飯食いに行くか」
「…、…そうだな。長く滞在していて、大丈夫なのか?」
「了解はとってあるから問題ねえよ」






――――きっと許してくれるだろ?  フィアンマ。

925: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/02(金) 23:18:14.73 ID:Qx7dtyTN0

ファミリーレストランで提供されている料理は安っぽい。
しかし、それは安心を呼ぶという側面を確かに持っている。
お値段だったり、いつ食べても同じ味だったり、理由はそんなようなものだ。
食欲がさほどなくたって、そもそも料理自体が大した量ではない。

「……体調でも悪いのか」

ゆっくりとバジルチキンを口に運び、フィアンマは首を傾げた。
目の前の青年は、ポテトを二口食べたきりでそんなに食が進んでいない。
自分が知っている彼はもっともっと食べるのだが。
三十代にもなると、食べる量が減ってしまうものなのか。
それにしても極端過ぎる。しかし、比較対象がいない。
せいぜい比較対象出来る知り合いといえば今は亡き左方のテッラ位だが、彼は元々少食だった。

「そういう訳じゃねえんだけどさ」
「その割にはまるで手が動いていないじゃないか?」
「お前に見とれてた」
「……何だ、唐突に」
「本当だって。やっぱ十三年も前になると、綺麗なのは変わらねえが可愛いなと思って」
「…………」

頭を冷やせ、とでも言いたいところだが。
軽口の延長線か、はたまた本気の発言か位は判別がつくので、言えない。
無性に恥ずかしいので、支払いを増やしてやろうとメニューに手をかけて。

926: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/02(金) 23:18:45.68 ID:Qx7dtyTN0

仕返しのために余計なものを食べるのはどうなのか、と自制。
トールはというと、メニューに手をかけたまま沈黙する彼女を見て。

「ドルチェか? 頼めよ」
「………」
「体重なら二トンまでは増えても余裕で抱き上げてやるから」

何となく、冗談というより本気めの発言が多い気がする。
年月の差というものは存外に大きいのだな、とフィアンマは思い。

「橋の橋梁でもあるまいし、人がそこまで太れるとは思えんが」
「ああ、その前に死んじまうな」

死ぬのだけは駄目だけど、それ以外は何でも許せる。

そう告げたトールの瞳は昏く見えた。
ただ、何故そんな風に見えたのか、フィアンマは知らない。
彼女は、自分が辿るはずだったあまりにも残酷な運命や世界を識らない。

「雨、止んだな。食い終わったら何処か行くか」
「映画を見に行きたいのだが」
「おお、良いな」

半分食べる、と彼が言って、ドルチェを注文した。
二人でひとつの器からものを食べる。
何でもないことが、一番の幸福。

927: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/02(金) 23:19:16.18 ID:Qx7dtyTN0


――― 一方。

雷神トールは、不安と後悔に駆られていた。
どんなに喧嘩をしても、それが原因で今まで彼女が出て行ったことはない。
それに、こんなにも長時間も戻ってこないなんて。

誰かに攫われたか。

一番に浮上する恐れ。
二つ目は、殺されているのでは、というもの。
彼女がそんなに簡単に殺されるとは、トールとて思ってはいない。
だが、相手によっては有り得ない話ではない。

居てもたってもいられずに、ホテルから出る。

雨は止んでいたが、トールの気分は晴れなかった。

928: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/02(金) 23:20:01.13 ID:Qx7dtyTN0

映画館は、ファミレスから少し遠い。
そんな訳で、トールはレンタカーを手配した。
彼は常に上機嫌だ。彼女が隣に居れば、何も怖くない。

「運転は出来るのか」
「傭兵やってたしな。出来なきゃ不便だったしよ」
「免許はあるのか?」
「いくらでも偽造は可能だろ?」
「それはそうだが」

そもそも、魔術による『気配消し』は警察の目をすり抜ける。
そして、フィアンマはその幸運故にそういった検問に遭遇し辛い。

「車に乗るのは久しいな」
「昔はよく乗ってたのか?」
「幼少期は教皇さんについて回っていたからな」

勉強のために、と肩を竦め、シートベルトを締める。
なるほど、と相槌を打ち、トールは運転を開始した。
かっ飛ばす必要はまるで無いので、安全運転で。

「ところで車には心霊エピソードが多いらしいが…」
「やめろ」

929: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/02(金) 23:21:05.17 ID:Qx7dtyTN0

映画館は、雨が降っていたということもあり、空いていた。
ほぼどこでも席が選べ、チケットは雨天割引で少し安かった。

「あまり前だと首が疲れるな」
「真ん中辺りが良いだろ」

中央付近の席を二つ並べて取る。
選択した上映時間は二十分後なので、食べ物を購入して入る。
席はまだ明るく、客はカップルが多い。
それもそのはず、フィアンマが『見たい』と言ったのは恋愛映画だ。

「ん、……悲恋モノか?」
「ファンタジーの恋愛物語だな。悲恋かどうかはわからん」

世界を治める神様に対する、今年の生贄に選ばれたお姫様。
彼女は死ぬことを恐れ、世界中を逃げる旅に出る。
主人公はそんな彼女と出会い、世界中の意見が変わるまで護り通すことを誓う。

そんな内容である。

やがて、フロアは暗くなり。
映画の予告と、提供紹介、そして本編が始まった。

930: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/02(金) 23:21:31.72 ID:Qx7dtyTN0

追跡霊装の信号は消えている。
彼女が自らの意思で連絡を絶っているということだ。
念には念を入れ、あの霊装から発信される情報は自分と彼女にしか扱えないよう調整してある。

だとすれば。

彼女は、自分以外で心を許せる誰かといる。
それも、彼女に危害を加えないであろう人物と。
そうでなければ、流石に緊急信号をストップまではしないはずだ。

「信頼出来る人物……」

ウートガルザロキは嘘をついていない。
心底から困惑した声を出していたし、知らないで通さなかったからだ。
彼女が頼れる知り合い自体はとても少ない。

「まずは近場からあたってみるか」

よって、トールが向かった先はミラノにあるとあるアパートメントだった。

931: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/02(金) 23:22:02.04 ID:Qx7dtyTN0

『私が居れば、足手まといになる』
『だから―――さよなら』
『待てよ!!』
『俺は、お前を護るって約束した。絶対に離さない』
『でも、』
『俺は! ……どんなことをしたって、お前を傍に置きたい…隣に居て欲しいんだ』

定番に定番を重ねた展開だ。
四方八方を敵に囲まれ、せめて主人公だけでもと姫は外に出ようとする。
彼女を抱きしめ、主人公は決して離さないと宣言した。
そうしている間にも周囲を敵が取り囲み。

『俺が活路を開く。お前は逃げろ』
『そんなこと出来る訳が』
『任せろ。―――何たって、俺は伝説の旅人だぜ?』

そう言って敵に飛びかかる主人公と、泣きながら走り去る姫君。
数年後、姫君は彼とかつて逃げ込んだ場所に戻って来た。
当時は死体であっただろうものがそこら中に落ちている。
生贄の話はどうなったのか、その辺りは描かれないらしい。

そして。

主人公は、彼女の後ろに立った。

久しぶり、と声をかけ。
姫君は振り向き、人生で最高の笑顔を浮かべ彼に抱きついた――――。

932: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/02(金) 23:22:33.24 ID:Qx7dtyTN0

「思っていたよりも陳腐な作品だな」

つぶやきと同時に上映が終わり、場内は明るくなる。
周囲のカップルは女性側が泣き、男性側は優しい笑みを浮かべている。
彼らは連れ添って外へ出ていき、あっという間にフィアンマとトールは取り残された。
ゴミは清掃時に回収してくれるらしく、ドリンクホルダー等に置いておくだけで良い。
それにしても立つ気配がないな、と横を向いたところで。

彼女は、何の前触れもなくトールに抱きしめられた。

……良い匂いがする。

紛れもなく、自分の愛する人の匂いだ。

「……トール?」
「……フィアンマ、…愛してる」

『あの日』、最期に言ってあげられなかった言葉だ。
泣きながら約束するので、自分は精一杯だったから。
墓へいっても、花束を供え、謝罪をしてはすぐに殺しや騙しに戻っていた。
だから、彼女に愛を囁いてこなかった。ずっと、こうしたかった。
映画の中、何度も酷い目に遭わされる姫君が彼女の姿に重なった。

「何だ、映画に感化されたのか」

くすくすと笑って、彼女は抱きしめ返してくる。
その控えめな胸からは鼓動を感じるし、確かに呼吸していた。

933: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/02(金) 23:23:07.19 ID:Qx7dtyTN0

映画館から出て、高級ホテルに戻る。
ルームサービスで用意されていた飲み物を飲み、二人でベッドに腰掛けた。
もうすっかりと暗闇が空を覆っている。
手早くシャワーを済ませた二人は、ぼんやりと時計を見つめた。

(……このトールと一緒に居るのは心地良いが)

でも、と良心に陰が差す。

("今の"トールには、まだ謝罪をしていない)

楽しく過ごしている間に、気がつけば午後九時。
喧嘩をして出て行ってから、かなりの時間が経過している。
見つけられるのは気まずいので、霊装の通信は切っていた。

「トール、非常に言いにくいのだが」
「あん? 何だよ?」

乾かして尚ほんの少ししっとりとした彼女の髪を撫で、男は首を傾げる。
意を決して、フィアンマはこう告げた。

「今のトールのところに戻る。謝らねばならん」
「……………、……………………」
「お前とはまた会うつもりだが、もうそろそろ帰」

彼女の視界が、ぐるりと回った。

934: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/02(金) 23:24:12.35 ID:Qx7dtyTN0

その頃、雷神トールは見当はずれにも、オッレルスの下に居た。
シルビアが買い出し中の為、そこに居たのは彼一人。

「……フィアンマは何処だ」
「彼女? ここには来ていないけど」

彼が語っているのは事実だ。
実際、フィアンマはオッレルスへただの一言も連絡していない。
とはいっても、雷神トールがそれをそのまま信じるはずもなく。

「隠してるんじゃねえだろうな」
「そんな訳ないじゃないか」
「………」
「敵意を向けられても……」

心底困惑しながら、オッレルスは首を横に振る。
先日、彼とトールは和解し、現在地を教えあった。
謝罪だけでは、因縁や疑いはそう簡単に消えない。

「色々調べさせてもらうぜ」
「好きにしてくれ。本当に居ないんだけどね」

痴話喧嘩でもしたのか、という問いかけに、肯定とも否定ともつかぬ返答をした。

「見つからないんだよ。……通信も完全に絶ってやがるし」
「襲われた、とかじゃないかな」
「俺もそれは考えた。…けど、俺とアイツしかわからない通信霊装の術式も遮断してある。
 自分の意思で切ったってことだし、脅迫されて切る意味はない。
 だから、アイツは今信頼出来る誰かと居る。自分に危害を加えたりしないだろうと考えてるヤツと」
「それで、私の所へ来たのか。残念だけど、私は彼女からさほど信頼されてはいないよ」
「可能性のひとつとして来ただけだが、…マジで居ねえんだな」

家中を調べ尽くし、トールは静かに項垂れる。

「後はオティヌスだろうが、…流石にわからない」
「協力してあげられれば良かったんだけど…あ」

トールの扱えないサーチ術式で探そう、とオッレルスは提案する。
そして少年は、それに頼ることにした。他人に頼ることも、また力だと知っているから。

935: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/02(金) 23:25:04.24 ID:Qx7dtyTN0

「……何、………トール…?」

両手首を掴まれ、ベッドに押し倒された。
目の前の青年に、表情はない。
ただ、瞳の奥が、不安定に揺れている。
自分が現在交際しているトールよりも、彼の方が体格が良く、腕力が強い。

暴れるという選択肢が、撤去される。

口を開いて放たれた言葉には、得体の知れない怨念のようなものが窺えた。
世界中に悪意を向け、孤独に磨かれたその低い声。







   ・・・・・
「俺はもう二度と、お前を逃がさない」

941: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/03(土) 23:14:11.18 ID:wPSnM3M00

その一言で、身が竦んだ。
危害を加える宣言ではない。
むしろ、つい最近までよくトールが主張していたことだ。

フィアンマを放っておけない。
いつまた出て行くかわからない。

ただ、彼の表情はそれを指しているようには見えなかった。
心配というより、執着の二文字がよく似合っている。

ぎゅう。

掴まれた手首を、更にきつく握られる。
血を止められてしまうのではないかと、不安になる程。

「トール……」
「俺は、」
「お前は、俺様と結婚して、子供も居るんだろう?」

トールの動きが、止まる。

942: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/03(土) 23:14:54.88 ID:wPSnM3M00

「………ああ、もちろん」

彼の口元には笑み。
けれども、優しくも豪胆でもなく、不気味にしか感じられない。

「俺は、フィアンマと結婚してる。
 娘だって、十歳になる。可愛い、……可愛い、俺とお前の娘だよ」
「ならば」
「居るに決まってる。…そうじゃなきゃおかしい。
 狂ってるのは俺じゃねえ、この世界の方だろ…? なあ、」

様子がおかしい、と思うのに迷いは不要だった。
手首を掴まれたまま、せめて拒絶の姿勢を示そうとフィアンマは後ずさる。
引き腰の彼女の様子を見、トールの表情が一気に険しくなる。

「……どうして、俺を拒むんだ?」

不思議そうな声だった。

直後。

彼女の服に、男の手がかかる。

943: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/03(土) 23:15:23.86 ID:wPSnM3M00

「……途中で弾かれるね。干渉されてるみたいだ」

サーチ術式を実行しながら、オッレルスは首を傾げた。

「彼女自身が拒否しているのか、…同行者か」
「……連れだろ」

未だ、自分に怒っていたとしても、オッレルスを無視するのはまた別の話。
彼女は賢い女だ、感情的な判断を下す頻度は非常に低い。

「フィアンマに警戒されず、それでいて、アンタのサーチを弾ける。
 ……となると」

浮上する可能性は、もはや一人しかない。

魔神オティヌス。

事実だとすれば、彼女の下へたどり着くことは不可能だ。
オティヌスの居場所を知るのは、世界でただ一人、フィアンマだけなのだから。

八方塞がり。

浮かんだ言葉に、トールが項垂れると同時。



―――ミラノの街が、戦火に包まれた。

944: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/03(土) 23:16:04.91 ID:wPSnM3M00

「や、めろ」
「…お前は、俺の恋人だろ?」
「俺様は、」

服を脱がされることにこれまで恐怖を感じたことはなかった。
今日が、その初めての日だ。
ふるふると首を横に振り、必死に抵抗する。
それを嘲笑うかのように、彼は彼女の下衣に手をかける。

爆音がした。

それも、爆弾が地上に落ちた類のものだ。
トールの笑みが消え、表情もいつものものに戻る。
彼は彼女の上から退き、優しく抱き上げた。
唐突な雰囲気の変化に、フィアンマは困惑して彼を見上げる。

「爆撃だな。逃げるぞ」
「爆撃だと? 何故イタリアを」
「第四次世界大戦だ。まず、イタリアから潰す」

まるで、知っているかのような口ぶり。
『一度経験した』かのような。

「大丈夫だ」

彼は、真っ直ぐに窓越し、空を睨み。
そして、大きなプロジェクトを済ませた会社員のように、達成感に満ちた笑みを浮かべる。

「―――今度こそ、俺が守ってやる」

945: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/03(土) 23:16:34.88 ID:wPSnM3M00

「うおっ、」
「……爆弾のようだね」

家中がぐらっと揺れ、トールは壁に手をつく。
オッレルスは立ち上がり、サーチ用の霊装を破棄した。
きちんと壊さなければ、中途半端に作動して危ないからである。

「シルビアを探しに行く。君は?」
「俺も出る」
「必ず、仲直りをしてくれ」
「…言われなくても」

フィアンマによる、命を賭した後押しを受けて。
彼は、シルビアと正式に交際することを決めた。
近々結婚もしようかと話していた程に。
聖人とはいえ、放っておく訳にはいかない。
二つの分かれ道を左右に別れ、愛する女性のために、彼らは走る。

946: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/03(土) 23:17:27.40 ID:wPSnM3M00

トールに抱き上げられたまま、乱れた服装を正し。
混乱に逃げ惑う民衆を平然と見捨てるトールを見つめ、フィアンマは問いかけた。

「この先、結末はどうなる」
「ん?」
「お前は未来からここまで来たんだろう。
 ならば知っているはずだ、この戦争の末路を」
「聞きたいのか?」

走りながら聞き返すトールに、フィアンマは募る不安を抑え込む。
どうしてこんなにも、彼の言動が不安を掻き立てるのか。
柔らかな黒い毛皮のストールを握り、彼女は唇を舐め。

「……話せ。知りたい」
「人類滅亡。……程はいかねえだろうな」

今回は、という言葉を飲み込む。
『前回』、ほとんどの人類が死に絶えたのはトールが殺害したからだ。
今回は人類を率先して殺す必要がない。故に、被害は減るだろう。

「止められないのか」
「何で止める必要があるんだよ」
「人類が居なければ世界は、」
「人類の醜さに最も辟易してたのはフィアンマだろ?」

息が詰まる。
反論、出来ない。

「お前だけは、俺が守ってやるからな……」

947: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/03(土) 23:18:14.95 ID:wPSnM3M00

「だ、めだ。見つかん、ねえ」

オッレルスの協力により、イタリア国内に居るということはわかっていた。
しかし、そんな漠然とした情報だけでは見つかるはずもない。
手がかりはほとんどゼロに近い。
この爆撃だ、彼女だって流石に何処かへ退避しているだろう。
彼女が見つかる可能性は絶望的な数値を指し示している。
だからといって、はいそうですかと目を瞑って忘れることなんて出来ない。

「トール」

少女の声だった。
振り向いた先、既に魔神の座を降りた少女が立っていた。

「フィアンマは一緒に居ないのか」

その一言は、彼女の下にフィアンマがいないことを証明する。
意を決し、今までの流れ、現在の状況を手短に説明した。
オティヌスは眉を寄せ。

「一つ質問がある」
「何だよ、早く言え」
「お前は近頃、人を殺したか」
「何?」
「殺したか、と聞いている」
「殺してねえよ。傭兵として戦場に出る回数は随分と減ったしな」
「……ふむ」

品定めをするように、オティヌスはトールを見つめた。
そして、嘘ではない、と判断を下し。

「だとすると不味い状況だな。推測するに」
「………」
「フィアンマは今現在、お前の姿を騙った連続殺人犯と共に居る」
「……俺の、姿を?」
「加えて言えば、恐らくこの第四次世界大戦の首謀者とも言えるだろう。
 変装術式のプロなのかどうかはわからないが、きっかけは多く作っている」
「………」

自分の姿をしていれば確かに、警戒する必要なんてないだろう。

だけれども、経歴から考えて、彼女ならば見抜けるはずだが。

「私も彼女を捜す。…何か、取り返しのつかない過ちが起きる前に」
「…ああ。……頼む」

948: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/03(土) 23:18:47.02 ID:wPSnM3M00

重厚な結界に包まれた廃教会。
その中に入ってようやく、トールはフィアンマを降ろした。
ふらつきながらもしっかりと立ち、彼女は周囲を見回す。

「何故イタリアが攻撃される…?」
「ローマ正教が世界中から敵視されてるからな。
 ローマ正教徒は皆殺しにしろ、っていう感じだろ。
 近頃の殺人犯はローマ正教から輩出されてるし」
「……二○億もの人間を、…敵視…?」
「たかが二○億。潰れても、支配者次第で何とでもなっちまう」
「………たったの十三年で、何がそこまでお前を変えたんだ」
「……さあ。色々ありすぎて、今となっちゃ思い出せねえことばっかりだ」

コツ、コツ。

教壇に腰掛け、彼は不遜にも聖母の像を見やる。
彼の左手薬指には、指輪がはまっていた。
細身の、純銀のリングだ。
華美を必要としない、結婚指輪。

「……俺たちは、此処で結婚したんだ」

二人きりで、と彼は言って。
神父以外誰も呼ばずに、と。

「死が二人を分かつまで、なんて寂しいよな」

トールが、何の気なしに右手を振る。
聖母の像の首が、ごろりと堕ちた。

「死が二人を別つとも、だ」

あまりにも冒涜的な所業に、フィアンマは不愉快さを隠さない。
彼は、首を緩く横に振った。

「怒った顔も可愛いな、フィアンマ。
 ………このまま、お前は一生此処に居てくれればいい」
「………嘘を、ついていたんだな」
「しばらくしたら元の世界に戻るって話か? ああ、ありゃ嘘だよ」

んー、と伸びをして。
彼はスーツのジャケットを正す。

「俺は此処に残る。俺"が"、残るべきだろ。
 そのためには『俺』が必要だから、……行ってくる」

止める間もなかった。
異世界の、過去の自分を殺すと湾曲して宣言し、彼は教会を出て行く。
今のフィアンマに、そこから出る術はなく。
出たとして、その街に安全はなかった。

949: 次回予告  ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/03(土) 23:19:31.98 ID:wPSnM3M00





「テメェだって、フィアンマの幸せを拒絶した上で其処に居るんだろ?」
               
                   歪んだ愛に気がつけない全能神―――トール




「………沢山理由はあったけど、諦めるなんて出来なかった」

                   一人の少女の為に戦う雷神―――トール




「俺様のせいできっと、トールは狂った。だとしたら、俺様が取るべき行動は」

                    教会の奥に眠る少女―――フィアンマ



958: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/05(月) 02:24:36.41 ID:JDj3Q3oh0

サーチ術式をかけると、一定のところまでたどり着いて弾かれる。
オッレルスと同様の曖昧な手応えを感じながら、オティヌスはゆっくりと歩き進む。
彼女はこの目で、トールではない『トール』を観測している。
この自分が違和感を覚える程なのだ、フィアンマが見過ごすはずがない。
そして、先程出会ったトールが演技をしているようには見えなかった。
狂っているのなら、説明時にあのような筋道の立った話し方が出来るとは思えない。

…となると。

ほぼありえないとは思うものの、一つの可能性が浮かび上がる。

「異世界の"雷神トール"か……」

『異界反転』という大魔術がある。
それは術者の存在する世界を異世界にしてしまうことで、術者の望む状態にするものだ。
ちょうど、自分が行った世界改変を一度で終わらせるようなものだろうか。
何をどうしたら出来るのかは不明だが、例のトールはその『逆』を行ったのかもしれない。
即ち、自分という個人を特定して世界を移動したということ。
しかし、そんなことを行うためには術者特定が厳密に行われるよう、自分以外の人類を殺す必要がある。

「…………」

それこそ、全盛期の自分のように『全能神』である必要が有り。
且つ、その力を捨てる覚悟で世界を移動する必要がある訳で。

「……確実に、正気とは思えんな」

力を捨てて、自らの故郷の世界を捨てて、その世界を移動する価値はそんなにも大きいものだろうか。
決して喪いたくないものを手に入れたことのない自分には、到底理解出来ない。

「………」

サーチを弾くのにも魔力は使われている。
根気勝負ならばこちらの方が上だ、とオティヌスはサーチを実行し続けた。

959: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/05(月) 02:25:12.46 ID:JDj3Q3oh0

どうして、トールはあんな風になってしまったのだろう。
何らかの術式の影響か、鈍くなった足を動かし。
どうにか礼拝堂の席に腰掛け、机に上体を預けてぼんやりとした意識で思う。

「………」

言動を思い返してみる。

愛していると言って、抱きしめてきた。
どこか、自分を見る度に泣きそうな表情を浮かべていた。
未来から来たと言った。嘘をついていた、とも。

『―――今度こそ、俺が守ってやる』

思うに、自分は彼の前から姿を消した。
口振りからして、誰かに殺されたのだろうと思う。
そして、彼は間一髪のところで自分を救うことが出来なかった。

どうしようもなく遠いところにあるものなら、人は諦めることが出来る。
後一歩で届くところにあったものを、人は諦めることが出来ない。

意識がぐらぐらと揺れる。
微睡みの心地良さが、身体を支配していた。

「………だとしても」

自分は、幸せだったはずだ。
最後の最期、きっと彼は自分の傍に居てくれた。
たったそれだけで、自分は幸せだった。
本来ならば、いつ喪っていてもおかしくなかったこの命に。
彼が、未来をくれた。死期を先延ばしにしてくれた。

それで自分は充分だったけれど、彼にとっては不十分だった。

「う………」

ひどく、眠い。
もう、目を開けていられない。

「俺様のせいできっと、トールは狂った。だとしたら、俺様が取るべき行動は――――」

960: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/05(月) 02:26:05.09 ID:JDj3Q3oh0

走ることに疲れ果て、トールは路地裏に身を潜めていた。
爆撃は一時止み、生き残った人々も彼同様様々な場所に潜んでいる。
これから、恐らく一般の民衆は逃げる用意に入るだろう。
バチカン辺りは、反撃の手はずを整えるかもしれない。
危惧されていた第四次世界大戦が、とうとう開戦された。
第三次世界大戦の敗者に期待を、勝者に憤怒を与えられた結果だ。
たった一人が真犯人の、多くの殺人が現在の状況を作り上げた。
違う世界の未来の自分の凶行によるものだとわかるはずもない少年は、空を見上げて舌打ちをする。

「……クソ。間が悪いな」

せめて、彼女と喧嘩する前だったなら。

目を閉じる。
仮眠をしないと、このまま倒れてしまいそうだった。

961: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/05(月) 02:26:31.11 ID:JDj3Q3oh0

同じ世界に、一人の人間が二人居ると破綻する。
ドッペルゲンガー<もう一人の自分>を見ると死ぬ。

そんな噂は多々あるが、それらは単純な迷信に過ぎない。
にも関わらず、何故トールは自らを殺しに向かうのか。

自分が居ると、彼女がいろいろな場面で迷う。

ただそれだけの理由だ。
そして、厳密には同一人物ではない以上タイムパラドックスは起きない。
気にせず、殺すことが出来る。支障など何もない。

それは同時に、『フィアンマ』も別人であるということの証明になる。

彼は気づかない。
気づいても、目を逸らす。
そうしなければ、喪ったものを補うことが出来ないから。

「……居ねえな」

サーチをかけると、イタリア国内という結果は出るのだが。
首を傾げ、トールは自分を探す。

962: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/05(月) 02:27:01.87 ID:JDj3Q3oh0

カツ、コツ。

オティヌスはやがて、廃屋染みた教会へと辿りついた。
多種類の結界がかけられており、競合しあっている。
バチカンにおける結界同様、競合しあう結界は非常に解き辛い。

「……面倒臭ぇな」

力押しで壊そうにも、迎撃が仕掛けられているのがわかる。
ひとつひとつ手探りでいかなければ駄目か、とオティヌスはため息をついた。
見捨てる訳にはいかない。この中に居る少女は、自分がかつて慕った存在だ。
自分の居場所を決して人に話すことをしなかった、誠実な人だ。
どんなに苦労してでも、此処から出すだけの価値がある。

「………」

結界を構成する霊装を黙々と破壊し、解いていく。
何度か放たれた迎撃をかわし、鍵に手をかける。
じゅう、と手のひらが焼ける厭な音と痛みがあったが、無視をした。

963: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/05(月) 02:27:56.12 ID:JDj3Q3oh0

結界が破壊されていることに気がついてすぐ、右目を閉じた。
霊装を通じて見た先に立っている少女にはよくよく見覚えがある。

「…オティヌスか」

彼女は、もうフィアンマを傷つけるようなことはしない。
今すぐ戻って殺す必要などないだろう。
彼女のことだから、フィアンマを保護する程度に終わるはず。
まずは目先の標的を片付けて、追々彼女も殺すことにすればいい。
フィアンマは泣いて悲しむかもしれないけれど、必要な犠牲だ。

彼女を守れるのは自分だけだ。

彼女を守れなかったあの頃より、ずっと強かった自分だけ。
彼女だって、薄々それはわかっているはずだ。
自分はもう、誰にも負けたりしない。高みのその先へ進んだから。

964: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/05(月) 02:28:47.58 ID:JDj3Q3oh0

フィアンマと喧嘩をして出て行かれて、四日。
奇しくも、トールが彼女を救うのに間に合わなかった時と同じだけの日数。
雷神トールは疲れた身体を無理やり動かして、のろのろと歩いていた。
ミラノの街は既に人がほとんど居らず、閑散としている。皆、散らばって他国に避難したのだ。

天気模様が悪くなってきた。

今にも泣き出しそうな真っ黒な雲を見上げる。

「……フィアンマ」

彼女は今、暖かい場所に居るだろうか。
寒い思いをしていないか、苦しい目には遭っていないか。

後悔よりも先に、彼女への心配が募る。
会ったらまず謝って、抱きしめて、それから少し怒ろう。

「……それが出来りゃ良いけどな」
「ッ」

揶揄するような男の声に振り向き、目を疑った。
装いこそまるで違うものの、明らかに『自分』だった。
年齢はだいぶ上のように感じられる。十は離れているだろうか。

「無様だな。そうやって、お前は何も守れないまま死ぬんだ」

言って、男は右手を振った。
トールの背後、建物の群がまとめて崩れてくる。

965: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/05(月) 02:29:24.77 ID:JDj3Q3oh0

「ッ、ぐ……何、なんだ…テメェ、は…? 誰だ…」
「お前だよ。……俺自身だ」

ガレキの山を持ち上げて投げ、トールはふらふらと立ちあがる。
男はつまらなそうに右手を振って砕き、嫌そうに答えた。

「俺が此処に残るにあたって、テメェは邪魔だ。
 消えてもらうけど、文句はねえよな。あっても意味はねえけど」
「……お前が、フィアンマを攫ったのか」
「人聞きが悪いな。俺の恋人なんだから、俺の傍に居させるのは当然だろ?」

カッ、と頭に血が上るまま、トールは瞬時に溶断アークブレードを現出させて飛びかかる。
当然のようにそれを現出させた『投擲の槌』で受け止め、男はうっすらと笑った。

「そういうところがダメなんだよ。
 何をどうしようと、結局は自分の都合と感情に帰結しちまう。
 そして、その身勝手は何も結果を残さない。自分本位を正当化するだけの力がねえからだ」

正当化出来ない程度の弱い力はもはや悪だ、と男は吐き捨てて右手を振るう。
重くのしかかる重圧を手首で受け止めるトールの体からは、ビキビキという音がした。
骨が折れる、と咄嗟に判断して一歩引く。

「経験値、強くなる、強大な敵。
 そんなものにばっかり目を向けてるから、世界の広い範囲にまで目が届かない。
 フィアンマを喪って当然だ。いつまでもガキの目線じゃ、大事なものは守れない」
「喪っ……」
「勘違いすんなよ。俺が殺した訳じゃない。……そんなこと、出来るはずがない」

昏い瞳を僅かに輝かせ、男は純粋な暴力を振るう。
まともに鳩尾に蹴りを受け、トールは飛び散りかけた意識を必死でかき集めた。

「ふざ、けんじゃ…ねえ、ぞ…」
「俺は真面目だ。安心しろよ、俺がフィアンマを幸せにする」
「テメェ、の…勝手で…アイツの、幸せを決めんな…。
 そもそも、……アイツは、幸せだろ………介入、するんじゃ…」
「……へえ。俺らしい台詞だな」
「がっ、ァ」

伸ばされた手が、髪を掴む。
そのまま壁に叩きつけ、男は手を離す。

「テメェだって、フィアンマの幸せを拒絶した上で其処に居るんだろ?」

幸せに、介入した上で。

言い返せなかった。
自分でない『誰か』と幸せになった彼女の姿を、あの地獄で何度も見た。
それが気に入らなくて、駄々をこねて、彼女を手に入れた。

「だったら、それも拒絶されて然るべきだ。
 フィアンマの幸せを踏みにじって手に入れた幸福を、邪魔されないってのはおかしい」

振り下ろされる武力を、避ける。

966: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/05(月) 02:30:19.61 ID:JDj3Q3oh0

「三年後、お前はフィアンマと結婚する。
 それから程なくして、彼女を殺される。
 産まれて来るはずだった娘も、彼女自身も。
 全部テメェが我が儘を突き通した上に、それを正当化出来ない程弱かったからだ。
 お前がフィアンマをどこかで諦めておけば、こんなことにはならなかった。
 テメェ自身も殺されなくて済んだ、俺に。俺は未来のお前だ。失敗したお前自身だ。
 今度は、俺が我が儘を突き通す。力のないテメェは黙って俺に譲れ。
 お前が今までそうしてきたように、弱者から奪って自分の世界を満たす!」

一方的な暴力だった。
腹に蹴りを入れられ、顔を殴られ、壁に叩きつけられる。
片脚を当然のように折られ、皮膚をごそりと抉られた。
降り出した雨が傷口に沁み、絶叫することすら許されない激痛が精神を圧迫する。

「二つに一つだ。……フィアンマを諦めるか、ここで死ぬか」

問いに続いて語られた未来は、あまりにも残酷だった。
きっと、目の前の男に彼女を任せれば、そんな未来はこない。
自分よりも遥かに強いのだと相対してわかるから、それは確実だ。

だけど。
でも。
それでも。

「………沢山理由はあったけど、諦めるなんて出来なかった」

『地獄』で何度も選ばされた。
彼女を見捨てて楽になるか、彼女を選んで苦しめられるか。

今回は、逆の問いかけだ。

彼女を選んで苦しめられるか、彼女を見捨てて楽になるか。
より正確に言えば、彼女を自分の傍に置きたいと我が儘を言う程、苦しめられる。

「……今回だって、諦めることなんか出来ねえよ」
「…………それが、最終回答なんだな」
「…は。そもそも、過去<俺>にばっかり責任押し付けてんじゃねえ」

破綻した論理に返すのは、筋道の通った意見。

「お前はお前だ」

一分後の自分は、一分前の自分にはなれない。
逆もまた然り。だって、今のトールはフィアンマを殺されたりなんかしていない。

「絶望位、自分で処理しやがれ!」

967: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/05(月) 02:30:55.80 ID:JDj3Q3oh0

夢を見る。
所謂、自覚夢というものだった。

『う、あ……』

腹部が痛い。
のろのろと手を伸ばして触ると、冷たかった。
べっとりと手に付着したものは、血液だった。
それも、自分のものだとすぐに理解出来た。

『………?』

周囲の男は、こぞって何かを食べている。
それが何かを理解出来ないまま、男達は一瞬で肉塊になった。
暖かい腕に抱き上げられ、泣きそうな声で話しかけられる。

トールだった。

自分が直近まで会っていた彼とも、喧嘩をしていた彼とも違う年齢の。

『俺様、と…トールの、…あかちゃん……あかちゃん、は…?』

勝手に言葉が飛び出た。
彼は泣きそうな顔をして、それから無理やり笑って。

『ああ、無事だよ。間に、合った。隣の部屋で、即席で作ったベッドに寝かせてる。
 お前によく似てるよ。髪が赤くて、顔も可愛い赤ん坊だった』
『そう、か……よか、った』

嘘だな、とすぐにわかった。
嘘をつかなければならない程、彼は追い詰められていた。

泣かないで欲しかった。

自分がたとえ死んでも、前を向いて生きていて欲しかった。
とても悔しいけれど、誰かと結ばれてでも、良い人生を送って欲しかった。

なかないで。
ここにきてくれて、ありがとう。

何も言えないまま、意識が遠ざかっていく。

968: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/05(月) 02:31:42.20 ID:JDj3Q3oh0

「……おい」
「……オティ…ヌス…?」
「…目は、覚めたか」

目を開ける。
雨の音が聞こえてくる。
教会の扉が開いているようだった。

傍らに立つ少女は、紛れもなく見知った顔で。

「眠っていたようだな」
「……昏倒術式を使用されたようだ」
「そのようだな。…さて、どうする?」
「…どうする、とはどういう意味だ?」
「トールの下へ向かうか、私の傍に居るか」

安全なのは後者だが、とオティヌスは付け加える。
自分の安全など、どうでも良かった。
"彼"に伝えておくべきことがあるし、何よりもトールが心配だ。

自分が『今』、交際している方のトールが。

「場所がわかっているなら連れて行ってくれ。
 わからないのなら、捜すのを手伝って欲しい」
「わかった。……フィアンマ」
「ん?」
「……私を売らなかったな」
「……売る必要があるのか?
 …助けにきてくれて、…感謝する」

長い金髪を撫で、陣を描く。
少し遅れて、オティヌスも陣を描き始めた。

975: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/06(火) 22:03:30.52 ID:2l3uVMit0

彼女からもらったストールも髪留めもびしょ濡れだ。
教会に戻り次第手入れをしないと。

そんなことを考えながら、男は年若い自らを虐げていた。
必死の抵抗も、徐々に弱まってくる。
この辺りで決着をつけて、彼女の下に戻ろう。
真実を告げるかどうかは、彼女の様子を見て決める。

少なくとも。

こうして決着をつけておけば、彼女は自分と過去の自分で迷うことはない。

「終わりだ」

血液と胃液の入り混じった液体を口から零す少年に、ゆっくりと歩み寄る。
もうほとんど身体に力が入っていないのか、無抵抗にこちらを見上げられた。

「……アイツの下に帰るのは、俺だ」

そうでなければ、今までの苦労が報われない。
『投擲の槌』を振り上げると同時、彼女の姿が視界に入った。
厄介なことに、オティヌスがここまで連れてきたらしい。
危険な戦場に立ち入らせたくない、と振り返り声を出そうとしたところで。

976: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/06(火) 22:05:03.09 ID:2l3uVMit0

「トール!!」

ほとんど叫ぶような声を出して、彼女はトールの方へと走ってくる。
その瞳は不安げに揺れ、心配しているということがありありとわかった。

「フィア、」

彼女は。
たったの一瞥も寄越さずに。
男の隣を走り抜け、雷神トールに駆け寄った。

「………」
「トール、目は見えるか。脚は…折れているようだな」

冷静さを必死に保とうとする少女の声が、背後で聞こえる。
それに対し、少年の自分が『大丈夫』『結構キツい』などと答えているのも聞こえた。

「……………、……」

うすらうすら、気がついていたけれど。
ここが終わり、此処が、限界。
沢山のものを壊して積み重ね、ようやくたどり着いて尚、手に入らないものがあるということ。
目を逸らしてきたもの全てが翻る、悲哀。

977: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/06(火) 22:05:50.51 ID:2l3uVMit0

最初から、彼女は迷ってなんかいなかった。
彼女にとっての恋人は、『今を生きるトール』でしかない。
未来を生きたトールは、もはや彼女にとって別人に等しい存在だ。

わかっていた。

頭では理解していたが、都合の悪い事全てに見ないフリをした。

「……フィアンマ」

呼びかける。
雨の音でかき消されたのか、やはり、彼女は振り向かない。
意識しない内に、霊装を捨て、手を伸ばしていた。
彼女の細い首を絞め、この手で殺してしまうビジョンが脳内に浮かんだ。
雨水が目に入ったのか、じわじわと視界が滲んでいる。
息が苦しくて唇をきつくきつく噛み締めた。

「……、」

彼女が、振り向く。
その琥珀色の瞳は、潤んでいた。

「……トール」

そんなつもりは、到底無いだろう。
無いだろうけれど、糾弾しているように聞こえた。
どさ、とその場に膝をつく。身体に力が入らない。

「う、あああ、あああああああ…!!」
「………」

978: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/06(火) 22:07:10.46 ID:2l3uVMit0

傷口の止血をして、振り返った。
伸ばされた手は震え、彼の表情は泣きそうだった。
咄嗟に優先したのは、当然ながら怪我をした方の彼だったけれど。
目の前の彼にも、伝えなければならないことがある。

「……るのか」
「……何を」
「俺を、恨んでるんだろ…? いいよ、罵れよ」
「………」
「お前を救えなかった俺は、お前の味方なんかじゃなかった。
 どれだけ力を手に入れようが、お前を守れなかった時点で恋人失格だ。
 ……恨んでるんだろ、俺を。無能だって、役立たずって、罵ってくれていい」

彼は今、自分が泣いていることに気がついているだろうか。

「お前に嘘をついた。沢山嘘をついて騙した。
 あれだけ夢を見せて、散々語っておいて、俺はフィアンマを裏切ったんだ。
 わかってる。………だから、嫌いになられたって、…仕方、ないよな」

でも、本当に好きだったんだ。
娘も含めて守りたいと、心の底から思っていたんだ。
信じてくれ。信じてくれ、頼む、信じて欲しい。

力なく懺悔でもするかのように頭を垂れる彼に、先程までの狂気は見当たらなかった。
フィアンマは手を伸ばし、彼の長い前髪と、首元に触れた。

「……、トールは俺様を助けに来てくれたんだろう?
 結果じゃない。過程が大切だと教えてくれたのは、紛れもなくお前だ。
 嘘をつかせて、すまなかった。お前を恨んだことなんて、一度もない。
 俺様は、最期まで幸せだった。傍に居てくれたら、それだけで満足だった。
 俺様が居なくなっても、死んでも、それがどんなに悲惨な悲劇だったとしても。
 それら全てを飲み干して、自分の人生を生きて欲しかった。俺様の望みは、きっとそれだけだったよ」

三年後の、十年前の『あの日』。

「助けようとしてくれて、嬉しかった」

彼女が、口にすることの出来なかった言葉だった。
一緒に生きられただけで幸せだったのだから、終わりは終わりとして受け入れる。
とても悲しいことだとしても、たった一度で終わってしまうから、人生は尊い。

「だが」

979: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/06(火) 22:08:27.17 ID:2l3uVMit0

「だからといって。……俺様は、お前を受け入れることは出来ない。
 俺様が愛しているのは、愛せるのは、お前じゃない。今現在を生きているトールただ一人だ」
「…………ああ」

はっきりとした拒絶に、安堵した。
そう言えるような女性だったから、自分はいつまでも愛し続けられた。

「もしも。……遠い何処かで、知らない何時かに出会って。
 またお互いを好きになったら、その時は。……その時は、また、愛して欲しい」

他者から見れば報われない人生だったけど、もう満足だ。

「……そんな事言われて、そんな顔されたら」

立ち上がる。
服に付着した埃を手で払って、深く息を吸い込んだ。

「本当、攫えなくなっちまうよ。……ここで、終わりだ」
「トー、」

声をかけられる前に、立ち止まってしまわぬように、転移術式を使う。
向かう場所は決まっていたし、やることも決まっていた。

もう、どこにも居場所はない。

別の世界を求めたところで、結果は変わりようがない。
最期に、彼女の笑顔をまた見られて、良かった。
嬉しかったと、そう言ってもらえたのだから、充分過ぎる。
彼女の望む通りの生き方は、やはり、どうやら選べそうにない。

980: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/06(火) 22:08:59.83 ID:2l3uVMit0

終わった、のか。

姿を消したトールを追いかけるでもなく、フィアンマはトールの傍らに座ったままでいた。
あまりにも濃密な数日感に、目眩がする。
彼がこれからどうするのか、予測がつかない。
とはいえ、自分達に関わってくることはもうないだろう、と感じた。
言うべきことは言って伝えた。どう考えるかは、彼自身の問題だろう。

「……俺様が死んでも、大切にしていたんだな」

彼が身につけていたものを思い返す。
自分があげたものを身につけていたことを。

「………!」

はっ、と振り返る。
浅い呼吸を繰り返す恋人を見、血の気が引いた。
輸血パックなんてものはなく、治癒術式を行うにも材料が足りない。

「病院まで向かうが、保つか…?」
「だい、じょ……ぶ…だろ……」

彼の顔色は非常に悪い。
力の入らない少年の身体を抱え、彼女は描いておいた転移用の陣に足を踏み入れる。

981: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/06(火) 22:09:47.05 ID:2l3uVMit0

「よお、オティヌスちゃん」
「…………わざわざ、私の所へ来るとはな」
「一度は完璧な神の座についた者同士、仲良くしようぜ。とはいっても」
「殺されに、来たんだろう?」
「よくわかってるな」

トールがやって来たのは、オティヌスの下だった。
一般市民の避難に協力した後、彼女はビルの屋上に立っていた。
雨は止み、雷だけがごろごろと燻る音が聞こえる。

「お前は以前の世界で、私を殺したのか」
「まあな。……フィアンマを、救ってくれなかったから」
「狂人め。………抵抗は?」
「しちまうかもしれないから、お前を選んだ」
「なるほど」

幾万の地獄を踏み越え、一つの世界を犠牲にした男は。
一人の少女の拒絶によって、死を選ぶ。

「……、…守るものを持つというのは、弱みを得るということか」
「必ずしもそうとは限らねえがよ。俺はアイツと出会って、別種の強みを手に入れられた」
「そうか」

得体の知れない力の塊が、彼の身を貫いた。
ビルの屋上に血液が広がり、穢していく。

「……この大戦で、…フィアンマの、存在は…ほとんど、わすれ、られる」

抵抗せんとする本能的な闘争本能を抑え込み、男は笑う。
口端から血液が溢れ、痛みが体中を締め付ける。

「危険な、やつは…排除、した。
 後は、……俺、自身が…何とか、する…はず、だ」
「………」
「ぐ、ぉ…ぼ、……げほっ、けほ…」

どさ、とうつ伏せに倒れ込んだコンクリートは、冷たい。
目を閉じ、麻痺してきた痛みに酩酊にも似た感覚を得る。

「いつ、か。…どこか、で」

また、会えたら。
今度こそ、彼女の手を離さないでいよう。

甘酸っぱい恋をして。
つまらない毎日を一緒に過ごして。

今度こそ、一生を添い遂げたい。

それ位は、願ってもゆるされるはずだ。

982: ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/06(火) 22:10:19.48 ID:2l3uVMit0

チャイムの音。
聞きなれた靴音。

意識が朦朧としていて、反応出来ない。

『……具合が悪いのか?』

差し出された手に、見覚えがある。
ああ、彼女の手だ。

『フィアンマ、』

997: 小ネタ:埋める  ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/11(日) 18:24:31.16 ID:4ZPzqDZ20

トール「…何埋めてんだよ」

フィアンマ「仮に死体だと答えたらどうする?」

トール「死体の身元聞いて、相手によっちゃ怒る」

フィアンマ「トマトの種だよ」

トール「トマト?」

フィアンマ「この地域はやたらと暑いからな。甘いトマトが出来るかと」

トール「なるほど。育ったら何かに使うのか?」

フィアンマ「潰してソースにする」

トール「生食用じゃねえのか」

フィアンマ「……生が良いのか?」

トール「………」

フィアンマ「……ん?」

トール「いや、何でもない。色々考えたけど昼間っから話す内容じゃないから忘れろ」

998: 小ネタ:ネタバレ  ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/11(日) 18:31:08.16 ID:4ZPzqDZ20

トール「………フィアンマちゃんさー」

フィアンマ「何だ、珍しい呼び方をして」

トール「ネタバレってどう思うよ」ペラ

フィアンマ「推理小説…書き込まれているな」

トール「モロ犯人の名前」

フィアンマ「……んー」

トール「ま、気になるなら古書で買うなって話なんだろうけどさ…」ヤレヤレ

フィアンマ「トリックを推理して楽しむという方法もあるぞ」

トール「別に密室殺人じゃないしな」

フィアンマ「ちなみに終盤で所謂どんでん返しがあって、主人公の妄想オチだ」

トール「おい。……おいこら」

999: 小ネタ:髪の毛  ◆2/3UkhVg4u1D 2014/05/11(日) 18:39:33.77 ID:4ZPzqDZ20

フィアンマ「…映画を見ていてふと思ったのだがね」

トール「何を?」

フィアンマ「浮気を疑う定番の台詞に『この長い髪の毛誰のよ』というものがあるだろう」

トール「あるな。ベタベタな定番だけど」

フィアンマ「トールの場合はトール自身が長髪なので成立しないな」

トール「ああ、まあ…そうだな。そもそも浮気するつもりもねえけど」

フィアンマ「……」

トール「…何だよ」

フィアンマ「前科が」

トール「指輪買った先の店員の香水って説明しただろうが!」

フィアンマ「冗談だ、怒るなよ」

トール「ったく……」

フィアンマ「ちなみに俺様が不貞を働いた場合、やはりきちんと怒ってくれるのか?」

トール「ちょいとトラウマ刺激されて落ち込んだ後に怒る」

フィアンマ「心配せずとも浮気などしな…………この黒くて長い髪の毛は?」

トール「………クソッタレめ。道理で部屋の料金が安い訳だ!!」