1: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)21:56:32 ID:ywH
美優さんとの出会い、スカウトの場面のちょっと前話を想像して書きました。
The pillows 「ストレンジ カメレオン」がモチーフです。所々歌詞も引用しました。原曲の雰囲気が少しでも感じられるように、そしてそればかりになり過ぎないように意識して書きました。
結果、個人の趣味全開でエンタメとしては……な作品ですが、よろしければぜひ。

引用元: 【モバマスss】Moon Accompaniment【三船美優】 


2: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)21:56:49 ID:ywH
【星の夜】



 星の落ちる音。
 それは風鈴の音。
 人ゆく道の真ん中、私は足を動かせない。埋もれていく姿は自分が映し出されたよう。
 虚像が結ぶ現実との比較で、緩くきつく縛られた手足。
 けたたましく鳴るクラクション・ブザー。ようやく我に帰り、足を動かす。
 手足はずんと重い。頭は中から叩かれているかのよう。熱い唾を飲み込み、爛れる喉に短く息を刺す。それは体全体に行き渡り、染み渡った頃にはもう何も残っていない。

3: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)21:56:59 ID:ywH
 信号機は「止まれ」と呟く。今日は随分と彼に呼び止められる。
 七百ナノメートルの波長はひどく攻撃的で、思わずまぶたを閉じた。
 すんなり閉じて、ゆっくりにしか開かない。
 足はやっぱりまともに動かない。真夏なのに指先はまるで氷のように冷えている。
 早く家に帰りたかった。家に何かがあるわけじゃない。何かをするわけじゃない。何か救われるわけじゃない。
 そこは目隠しの森。小さく剥げた木ばかりが並ぶ寂れた森。
 それでも、確かに私だけの場所。

4: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)21:57:09 ID:ywH
 きっと、すぐ終わる。
 ここで私が何も言わなければ、すぐに───。
 たぶん、笑っていられる。
 ここで私が泣かなければ、いつかは───。
 どうか、孤独でいさせてほしい。
 ここで私は歩くから、だから───。

5: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)21:57:22 ID:ywH
 ……なんてことはない。ただ “選ばれなかった” だけ。
 むしろ私は幸福な方。
 最善ではなかったにしろ、これからの未来(みち)を両親は喜んでくれた。
 最良ではなかったにしろ、これまでの過去(みち)を友人は尊んでくれた。
 ……だから、現在(いま)が少しうまくいかなくても、それはきっとちょっと望みすぎ。
 ───だって私はいっぱい愛情をもらったから。そしてちょっとくらい、返すことができていたから。

6: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)21:57:33 ID:ywH
 こんな、ちょっと辛いくらい、大丈夫。みんな、思うこと。
 仕事がうまくいかない。家族とうまくいかない。友人関係が拗れてしまった。思うようにいかない。思うようにできない。何を思えばいいのかもわからない、何を思っても意味があるかどうかもわからない。私がしたいことは叶わない。だから何がしたいのかも、もうわからない。
 それでよかった。人並みに頑張って、人並みの幸せを求めて、人並みに生きてきた。それが私だった。これまでも、これからも。こんな日が続いていけば十分だった。

7: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)21:57:44 ID:ywH
 そのつもりだった。
 今回だって、そうだったはずなのだ。

8: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)21:57:57 ID:ywH
● ◆ ●

「案山子じゃないんだからさ、ただ立ってるだけじゃなくて、自分から動いてよ」
「……何も意見がないようだけど、真面目に考えてる? 考えてたらそんなはずないんだけど」
「なぁ三船くん。このままじゃダメだよ。夜は予定あるかい? 酒でも飲みながらゆっくり話そうじゃないか───」
「ああいえばああいう。こういえばこういう。それはそれでいいよ。でもだったら、君じゃなくてもいい。わかるね?」
「悪いようにはしないよ、さ、わかるだろう? ……できない?」
「……別にやらないならいいけど、どうなるかは知らないよ。君が選んだんだもんね?」
「それが『君のしたいこと』なら、どうなっても覚悟の上、そうだろう?」
「……ちっ…。まあいいよ。それじゃ、また」

9: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)21:58:05 ID:ywH
● ◆ ●

「三船さん、えっと……ご、ごめんなさい!」
「……近寄らないで」
「うわぁ……よく会社来れるね。どんな面の皮してんの?」
「アンタから誘ったんだって? ……はは、そりゃ嘘さ。ワタシゃね、今まで多くの人を見てきたからわかんだよ、アンタの目は嘘つきのそれさね。あーやだやだ、色狂いめ」

10: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)21:58:19 ID:ywH
● ◆ ●

「……三船くん。聞きたいことがあるんだけど……その、『噂』のことなんだけど……」
「ちょっとね、プライベートなことを詮索するつもりはないんだけど、ここまで噂になってしまうとね、その……評判というのもあるんだ、わかるかい?」
「いやいや、別に何かしろなんて言わないよ。ただ何かあったら相談してほしいってことさ」
「……皆まで言わなきゃわからないわけじゃないだろう?」

● ◆ ●

11: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:03:22 ID:ckW
 何が違ったんだろう。
 何を間違えたんだろう。
 何が悪かったんだろう。
 わからない。何度考えても、答えは出ない。
 だからもし───何も違わず。何も間違っておらず。何も悪くなかったとして。
 ああ、どうして私は現在(いま)に選ばれなかったのかな?
 運が悪かったから? 巡り合わせ? 運命? たまたま? 
 ……そんな、本当に、そんなこと?
 どうにかできることだったのだろうか。
 どうにもできなかったことなのだろうか。
 どうでもいい、だけど、何が正解だったのか知りたい気持ちが心の最後に残っていた。それも今消えていく。ぬぐいきれない夜が心の一部屋から体中に広がった。

 早くひとりに。音を消して。暗い部屋、その光すら断つように、目を瞑っていたい。
 ───もしできるならば。私という色が透明になるくらい、溶けてしまいたい。

12: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:03:41 ID:ckW


 ふらふらと歩道橋を登る。階段は一歩毎にきしりと歪む。車通りは多いけど反比例するように人影は随分と少ない。溶けているだけ、かも。……でも、もしそうなら元の形にはもう戻れない。姿形は似るかもしれない、でもそれだけでしかない。

13: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:04:06 ID:ckW
 階段の途中で、年配の男性がじろりと見まわしてきた。品定めをするよう、下から上へと、ゆっくりと、舐め回すように。
 本能的に胸の前で手を組み、階段の手すりにもたれかかる。
 男性はすっかり私の方に向き直って、短く浅く息を吐きながら距離を詰めてくる。
 鼓動が激しい。汗が背中を貫いていく。
 息が詰まり、唇が震えてくる。声が、声が出せない───。
 ……瞬間、「どうかしましたか」と、上から若い男性の声がした。同時に、湿った舌打ちだけをその場に残して、私は視線から解放された。

14: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:04:34 ID:ckW
「……大丈夫でしたか?」

 小柄だが力強い意志を感じさせる男性だった。静かに鋭い声の中に、太陽と過ごした温かみがあった。

15: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:04:56 ID:ckW

 大丈夫です、と伝える。男性は一言、よかったと口にする。
 差し出された手の意味をすぐに理解することができなかった。それがようやく実感としてやってきた時、ようやく私は、自分が座り込んでいることに気づいた。鼓動が跳ねるより前に彼の手を取った。
 見知らぬこの男性のしぐさのひとつひとつが、なんて心に響くのだろう。結構です、大丈夫ですなんて断りの言葉が何も浮かばないくらい自然に手を取ってしまった。

16: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:05:40 ID:ckW
「……ありがとうございます」
「警察にも連絡しましょうか?」
「い、いえ、直接、何かされたわけではありませんので……」
「いや、今のは十分『何かされた』範疇に入ると思いますが……?」
「と、とにかく大丈夫です……! で、でも、───助けてくれて、ありがとうございました」
「は、はい………………それでは、お気をつけて」
「ご親切に、ありがとうございます」

17: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:06:33 ID:ckW
 ……私はあなたにとっての誰かではないのに、その優しさが身に染みる。だからもう、これ以上迷惑はかけられない。あなたにはきっと、素敵な夜が待っているから。せめて私は、優しいあなたの心に残らないように去っていくことにしよう。

 こんななんでもない私に、優しくしてくれてありがとう。彼の右手を両の掌で包み、感謝を伝える。

18: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:07:49 ID:ckW
 私は階段を登る。ひとりで歩いていく。
 赤いテイルライトの直上、信号機がすぐ下に見える橋の上で、去っていく彼の後ろ姿を追う。何度かこちらを振り返っている彼の視線には気づかないふりをした。

 下を、横を、車が通り過ぎていく。ほんの少しの間、夜が数メートル先だけ照らされる。息を吸う間に新しい光がやってきて吐く間に消えていく。車は私とは真逆の方向に走っていく。

19: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:08:47 ID:ckW
 空の夜は暗い。
 代わりに、街の光──人の明かり──が四六時中輝いている。
 地上の星に邪魔されて、宙(そら)の星は光を落としてしまった。

 ひとつひとつは弱く儚い光、だからたくさんの星が集まるのだと、小さい頃、担任の先生が話していた。助け合う他にないのだから、何を犠牲にしても、手を取るのだと。
 結果としてそれは、本物(そら)の光に打ち勝つくらいの輝きを手にした。
 勝ち取った、そして。
 零(こぼ)れた屑星のような光は──私のような光は、ただ忘れられていく。どれだけ輝こうとしても、どれだけ光ろうとしても、最初からなかったかのように消え去っていく。

 ……この景色に、自然と涙が溢れる。

 タネも仕掛けもある世界。
 デタラメなくらいくらい合理的で、
 どうしようもないくらい優しくて、
 生まれたままの色なら、何色にだってなれないこんな世界。

 ああ、こんな世界に、私は───。

20: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:09:31 ID:ckW

「あの!」

 ……唐突な大声に振り向くと、彼がいた。先ほどの、優しい彼だ。

「何か、困ってることあるんですよね。だったら、話してください。
 聞くだけしかできないけど、聞くことはできます」
「……──どうして?」
「きっと、楽になるから」
「え、あっ……そ、そうじゃなくて……どうして、あなたは、私なんかに……?」
「それが不思議なんですが、自分でもさっぱりわからないんですよね」
「え、ええ……?」
「というより、順序が逆なんです。
 どうしてか僕はあなたが困っているように感じて、
 どうしてかなんとかなるといいなって思って、
 どうしてか僕がそれをしたいって思ってるんです。
 ……──その『どうして』を、知りたくて、ここに来ました」

 ……言葉が出てこない。ぽかんと口を半開きに、近づいてくる彼をただ見つめていた。

「なんにせよ、ハッピーなのがいいですから」

 彼はそう言って私の横に並んで、歩道橋の手すりに肘をかけた。
 覗く笑顔は言葉にできないくらい、綺麗で落ち着いた色だった。

21: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:10:31 ID:ckW


 それから彼と、滔々と取り止めのない話をした。
 矛盾を含んだ、一本筋が通った話だったと思う。
 錯綜した、でもとてもわかりやすい話だったと思う。

 私は話したことはつまり、これだけ。
 何も悪くはなかった。ただ、運が悪かった。

 言ってしまえばそれだけのこと。受け入れてしまえば、わかってしまえば、なんて単純な結論。
 ───それを認めたくなくて。そんな不確かなものに私の人生が左右されているなんてことを認めたくなくて。どうにもできない、でも割り切ってしまうのは弱さでしかなくて、しかも結局弱さだって受け止めることができなくて。 
 一人で歩いていくなんて、とんでもない嘘。歩けるわけがない。こんな重い荷物を持って、隣に誰もいなくて、一人で、ずっと、こんな、こんな長い道を、たった一人で───。
 ……そして、その荷物を誰かに預けることなんてできないから、立ち止まって、足から沈んでいくだけ。私がずっと立っていた道のテクスチャ、その一枚下は底無し沼。ずぶずぶと沈んでいく、そんな自分に誰もが見向きもしない。
 沈んでいくには、それなりの理由があるんだと嘯いて。
 置いていかれるには、相応の根拠があるんだと嘯いて。
 そうやって最後、自分の見える世界につじつま合わせをして生きてきた。
 今は、私がつじつま合わせに巻き込まれた番。

22: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:11:26 ID:ckW
 見えているものが本当であるように、見えていないもの全部に嘘をつく。
 多かれ少なかれ、みんなそうやって生きている。

23: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:13:36 ID:ckW
 ───結局、回り回って、私が見えないものになってしまった。理由はないけど、そうなってしまった。それだけのことを、認めたくなかったんだ。
 そんな世界に私は生きているって、私自身が認めたくなかっただけなんだ。

24: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:14:00 ID:ckW
 私はただ、話したかったんだ。認められないことを受け入れる時間が欲しかっただけなんだ。
 救って欲しかったわけでも、理解して欲しかったわけでもなかったのだと、全てを話し終えてからゆっくり気づかされた。
 彼は話の節々で頷いてくれた。そうですねと小さく言って、否定はしなかった。時折顔をしかめることはあったけど、でもやっぱり、そうですねと。優しく、冷たく、肯定も否定もせず、ただ受け入れてくれた。

25: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:14:31 ID:ckW
 優しい人だと、思った。
 こんな世界、この瞬間に、彼のような人と出会えたことは奇跡と呼んでもいいかもしれない。
 もちろん、実際はただの偶然に過ぎない───そんなことは知っているつもり。
 
 でも、こんな奇跡みたいな偶然のことを、魔法と呼ぶんだろう。

 それなら私は───私は、魔法にかけられているのだろうか?
 それならばもう少しだけでも───それが解けなければいいなぁ。

26: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:15:03 ID:ckW
 その願いを叶えるように。
 星の落ちる音。
 月の伴奏に、夜の拍手。
 その音を聞いた瞬間に、わかった。ああ、これが───ずっとずっと求めていた音だ。

27: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:16:00 ID:ckW
 ───夜に降り注ぐ月の光のように。
 目立たなくても、
 弱々しくても、
 こぼれ落ちた星のかけらを拾い上げられるような、そんな人になれますように。
 誰もが、太陽のようになれるわけじゃない。
 誰もが、強く生きられるわけじゃない。
 上を向いたときに見える光ではなく、
 下を向いたときに横に寄り添える、
 そんな存在になれますように。

28: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:16:30 ID:ckW
 今までの私とはまるで違っている。今の私とはまるで違っている。
 そんな未来に思いを馳せ、私は自分の足でゆっくりと小さく、一歩を踏み出した。
 彼がくれた少しだけの勇気を胸に。彼の口から語られた未来色に、身を染めて。

29: 名無しさん@おーぷん 20/07/28(火)22:16:53 ID:ckW
 ───そうして私は、アイドルになった。