梨子「人魚姫の噂」 前編 

梨子「人魚姫の噂」 中編

212: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:17:38.33 ID:vQ6qZL/R0

果南「どうしたの? 梨子ちゃん?」

梨子「うぅん……なんでもない」


いつまでも、項垂れていても仕方ない。これから作曲なんだ、切り替えていかなくちゃ……!





    *    *    *





──音楽室。

私はピアノの椅子に腰を下ろす。


果南「梨子ちゃん、私は何をすればいい?」


果南ちゃんが、訊ねてくる。

だから私は、こう返す。


梨子「歌詞を思い浮かべながら、聴いていてくれる?」

果南「え、うん。わかった」


ゆっくりと……深呼吸。

私は鍵盤の上に、指を滑らせ始めた──


果南「……え」


歌詞は何度も読み返して、頭に入っている。

その言の葉を……果南ちゃんの言葉を旋律に載せて、伝える──

ジャズサウンド特有のスウィング奏法を意識しながら、指を躍らせる。

昨日心の中に響かせてもらった音楽のイメージをなぞるように──


梨子「……ふぅ」


一曲弾き終えて一息、


果南「…………」

梨子「どうだったかな?」

果南「……す」

梨子「す……?」

果南「すごいよ! 梨子ちゃん!!」


果南ちゃんが感激の言葉と共に、抱き着いてくる。


梨子「きゃっ!?/// だ、だから急に……///」

果南「すごい、すごいよ!! 私のイメージ通り……うぅん、イメージ以上かも!!」
 果南『なんで!? どうして!? もしかして、ホントに梨子ちゃん、私の中の音楽が聴こえたのかな……!?』

梨子「ふふっ、ありがとう。そう言って貰えて嬉しいよ」

引用元: 梨子「人魚姫の噂」 



213: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:18:41.16 ID:vQ6qZL/R0

まさか、本当に果南ちゃんの心の中の音楽を聴いたとは思えないだろうけどね……。

もちろん、果南ちゃんの中にあった音楽というのも、まだ完成形ではないあやふやなものだったけど……抽象的なイメージを実際の音楽の技術に当て嵌めて作曲した……というのが一番適切な表現になるのかな?

……まあ、それはいいんだけど……。


梨子「あ、あのー……///」

果南「ん?」
 果南『なんだろ?』

梨子「そろそろ、離してもらえると……///」

果南「あ、ごめんね」


果南ちゃんのハグから解放される。

嬉しい気持ちももちろんあるんだけど、あんまりハグされてばっかいると……心臓がもたない。

私を解放して離れた果南ちゃんは、


果南「……っ」


また一瞬だけ表情を引き攣らせる。


梨子「……また、足?」

果南「……梨子ちゃん、エスパー……?」


今現在はエスパーまがいのことが何故か出来ることは否定できないけど……これに関しては、慣れかもしれない。


果南「でも、今のはホントにチクっとしたくらいだから、大丈夫だよ」

梨子「本当に?」

果南「ホントだよ」

梨子「……わかった」


実際、酷い時と違ってふらついていたりもしないし、そこまで酷い痛みではないというのは嘘ではないんだと思う。


果南「それよりも、曲!」

梨子「あ、うん。果南ちゃんがこれで大丈夫なら、これで行こうかなって思ってるんだけど……」

果南「もちろん! いや、もうこれしかありえないよ!」

梨子「ふふ……そっか」


最初は出来るか不安だったけど、うまく行ってよかった……。そして、何より──テレパスを果南ちゃんの役に立てることが出来たのが、嬉しかった。

なんだかんだで心を読んでいることには、大なり小なりの負い目があったけど……これは本当にテレパスがあったからこそ出来たことだ。

テレパスの“ご縁”で果南ちゃんを支えることが出来たと胸を張って言えるだろう。


梨子「それじゃ、この曲で譜割りしてこっか!」

果南「了解!」


果南ちゃんが満面の笑顔で応えてくれる。

ああ、よかった……。私、この力を……与えられた力を、正しく使えているんだ……。





    *    *    *



214: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:19:49.56 ID:vQ6qZL/R0


梨子「……出来たね」

果南「……うん、出来た」


二人で顔を見合わせる。

目の前には、乱雑に書かれた簡易楽譜と、譜割りをしたメモ。


果南「完成したんだ……! 私の曲……!」

梨子「うん……!」


正確には、この後編曲で調節こそするものの……全体の枠組みは完成したと言って差し支えない。


果南「正直、一人だったら歌詞でつまずいちゃって……絶対完成しなかった。全部、梨子ちゃんのお陰だよ……ありがとう……!」

梨子「うぅん、この曲は最初から果南ちゃんの中にあったものだから……」

果南「いや、梨子ちゃんが居たから生まれたんだよ」

梨子「……じゃあ、二人で作った曲ってことにしよっか」

果南「あはは、違いないね♪ 作詞:松浦果南、作曲:桜内梨子なわけだし!」

梨子「ふふ、そうだね♪」


改めて目の前に、頭の中で音を思い浮かべながら、歌詞を見つめる。

“さかな”になれるかなと歌いながら、海に潜っていき、最後は本当におさかなになって、海へと還っていく、まるで童話のような曲。


梨子「この曲さ……」

果南「ん?」

梨子「まるで、人魚姫みたいだね……」

果南「……確かに、そうかもね」

梨子「特に最後……海に還っていっちゃうところとか……ちょっと、寂しい終わり方だね」


明るくて、優しい曲調の割に、最後は少し切ない印象を受ける。


果南「大丈夫だよ、私は泡になって消えたりしないからさ」

梨子「それはわかってるけど……」

果南「それに人魚姫とは逆だからさ」

梨子「……確かにそうかも」


人魚姫は海から陸に上がったけど、果南ちゃんの曲は陸から海に潜って溶けていく曲だ。


梨子「じゃあ……人魚から人になろうとした人魚姫とは逆に、果南ちゃんは人から人魚になっちゃうのかな……?」

果南「なるほどね、それも悪くないかも……」

梨子「え……」

果南「なーんちゃって♪ 冗談だよ♪」

梨子「もう……」


本当に海に溶けて消えたいなんて言い出したらどうしようかと思った……。


果南「さてと……このあとどうしようっか?」

梨子「このあと……」

215: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:20:52.31 ID:vQ6qZL/R0

時計を見ると、時刻はまだ午後の三時を回ったところくらい。

普段の部活が始まるくらいの時間だ。

さすが午前授業で終わっただけあって、時間に余裕がある。

一応私にはまだ編曲作業が残っているけど……それは家に帰ってから集中してやりたいし……。


梨子「衣装組の手伝いしにいく?」

果南「じゃあ、そうしよっか」


二人で席を立ったそのときだった──ぐぅぅぅ……と気の抜ける音が2つ、音楽室に響く。


梨子「……/// そういえば、お昼まだだったね……///」

果南「すっかり忘れてた……少し遅めだけど、お昼を食べてから行こうか」

梨子「うん……///」





    *    *    *





私たちが衣装班と合流したのは、あれから30分ほど後のこと……。


善子「クックック……来たのね、リトルデーモンたちよ……」

曜「梨子ちゃん、果南ちゃん、どうしたの?」

梨子「こっちの作業が終わったから、手伝いに来たよ」


家庭科室に入ると、ちょうど曜ちゃんがルビィちゃんの前で巻き尺を持っているところに遭遇する。


果南「お、もしかして採寸中? 代わろうか?」

曜「いいの?」

果南「採寸なら得意だから、任せてよ! 普段からフィッティングしてるからね!」

曜「果南ちゃんがやってくれると助かるよ……速いし、正確だから」

ルビィ「よ、よろしくお願いします!」


どうやら、果南ちゃんは早速仕事を貰った模様。

一方で私は……部屋の隅にいる自称堕天使に目を配る。


梨子「……善子ちゃんは、いったい何をやってるの……?」

善子「善子じゃなくて、ヨハネよ!! 見てわからないのかしら?」


言われて見てみると、善子ちゃんは木の板のようなものを組み合わせて何かをしている。


梨子「…………大きな積み木?」

善子「なんで、積み木なんかしなくちゃいけないのよ!? 椅子!! 椅子作ってんの!!」


ああ……なんか、罪深きなんちゃらを作るとか言っていたような……。


梨子「というか、なんでそんなもの家庭科室で作ってるの……?」

善子「それはー……ほら、あそこにいるリトルデーモン2号と4号を見守らないといけないと思って」

216: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:21:53.16 ID:vQ6qZL/R0

……えーっと……確か2号が曜ちゃんで、4号がルビィちゃんだっけ……?


梨子「一人で作業するのが寂しかったってことか……」

善子「そ、そんなこと言ってないでしょ!? この堕天使ヨハネが寂しいだなんて脆弱な人間のような感情抱くわけ……!!」

梨子「はいはいわかりました、ヨハネサマー」

善子「うー……なによ、生意気ね!! リトルデーモンリリー!! アナタこそ暇なら、堕天使ヨハネを手伝いなさいよ!! 一人で支えながら足くっつけるの大変なんだから!!」

梨子「だから、リリー禁止って……」


どうやら、椅子の脚を接着剤でくっつけているところらしい──そんな作り大丈夫なのかな……。


梨子「……堕天使の椅子、原始的だね」

善子「しょうがないじゃない! ダイヤに椅子買ってもらうようにお願いしたら、高すぎるって即却下されちゃったんだから! もう、自分で作るしかないの!」


涙ぐましい堕天使……。


梨子「わかったよ……ここ押さえてればいい?」

善子「わかればいいのよ」

梨子「手伝うのやめるよ?」

善子「ごめんなさい、お願いします」


全く……。

呆れながらも、椅子の脚の部分を手に持った、そのときだった。


梨子「いた……!」


手に鋭い痛みを感じて、思わず手を放す。


善子「え、大丈夫……?」

梨子「う、うん……」


どうやら、椅子の脚の木材の表面が少し毛羽立っていたらしい。

指を見ると、人差し指の第一関節と第二関節の間辺りに、切り傷が出来ていて、傷口から血が滲んでいた。


善子「ちょ……血出てるじゃない……!」

果南「え、血……!?」


善子ちゃんの発した言葉を聞きつけたのか、果南ちゃんが反応して、こっちに駆け寄ってくる。


果南「梨子ちゃん、指怪我したの!?」

梨子「あ、うん……ちょっと切っちゃって……」


果南ちゃんに、指を見せると──


果南「大変……! 保健室行こう!」


そう言って、私の手首を袖の上から掴むようにして引っ張り、保健室に連れて行こうとする。


梨子「え!? そ、そんなちょっと切っただけだから……」


大袈裟だと言おうとしたけど──

217: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:23:41.26 ID:vQ6qZL/R0

果南「ダメ!」


一蹴されてしまう。


果南「たかが切り傷だって、甘く見ちゃダメだよ。ばい菌が入ったりしたら、化膿しちゃうことだってあるんだから!」

梨子「え、あ……はい……」


そのまま、勢いに押し負ける。


果南「ちょっと、梨子ちゃん保健室に連れて行くから」

曜「あ、うん! わかったー!」

善子「ご、ごめんなさい……リリー」

梨子「う、うぅん……ちょっと、行ってくるね」





    *    *    *





──あのあと、保健室の水道で傷口を洗ってから、アルコール消毒をしてもらって……。


果南「絆創膏を貼って……これでよし」

梨子「……ありがとう」


小さな傷ではあったものの、果南ちゃんの手際はさすがだった。

きっと緊急時のレスキュー訓練とかもしているだろうし、これくらいの応急処置は朝飯前なんだと思う。

でも、それにしても……。


梨子「ねぇ、果南ちゃん」

果南「ん?」

梨子「本当にあんなにちっちゃい切り傷に……なんで、あそこまで……」

果南「さっきも言ったけど……化膿したりすると」

梨子「それはわかったけど……その……」


私は少し悩んだけど、


梨子「……どうして、あそこまで必死になってくれたのか、わからなくて……」


そんな言葉選びをする。

切り傷や擦り傷なんて、普段練習をしていても、そこまで珍しいことじゃない。

もちろん、そういうときでも果南ちゃんは率先して皆の手当てをしてくれるし、そんな面倒見のいいお姉さんだというのは周知の事実だけど……。

切り傷一つであんな風に治療を強行する姿は見たことがなかった。


果南「えっと……ごめん……私、怖かった……?」
 果南『やっぱ、強引すぎたかな……』

梨子「あ、うぅん! そうじゃないの……! ただ、単純に不思議で……」


なんか余計な事聞いちゃったかな……。

果南ちゃんは善意で治療を買って出てくれただけなのに、わざわざそこに理由を求めることでもないような……そんな風に思って俯いていると──そっと、果南ちゃんが私の怪我をした手を両手で包み込むように握ってくる。

218: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:26:14.21 ID:vQ6qZL/R0

果南「……この手は……この指は……世界一大切なものだから……」
 果南『……この手は……この指は……世界一大切なものだから……』

梨子「え……?」

果南「……私たちの……Aqoursの曲を作ってくれる……大切な指だから……」
 果南『……私たちの……Aqoursの曲を作ってくれる……大切な指だから……』


言葉と、心の声がシンクロする。

つまり、これは、心からの言葉。


果南「……この指は……私の曲を作ってくれた……宝物だから……」
 果南『……この指は……私の曲を作ってくれた……宝物だから……』


心の底から、私の指を──ピアニストの指を宝物だと言ってくれている。


梨子「果南……ちゃん……」


──そのとき、頭の中で、音がした。

聴いたことのない音だった。

──跳ねるような、弾むような、響くような、拡がるような、とにかく聴いたことのない、不思議な音──


果南「だから……梨子ちゃんも、その宝物を……大切にして欲しい……」
 果南『代わりの利かないものだから……大切に、して欲しいんだ……』


果南ちゃんが、私の目を真っ直ぐ見つめたまま、そう伝えてくる。

──不思議な音は、大きなったり、小さくなったり、響いたり、沈んだり、跳ねたり、踊ったりしている──


果南「梨子ちゃん……?」

梨子「え……?」

果南「ぼーっとしてたけど……?」

梨子「あ、えっと……ありがとう……そんな風に考えてくれてたなんて思ってなくて……」


私は果南ちゃんの手から逃げるように、手を引っ込める。


果南「あ、ごめん……! もしかして、痛かった……?」

梨子「ち、違うよ……ただ、その……そういう風に言われたの初めてで……びっくりした、というか……」

果南「そうなの?」

梨子「うん……」

果南「でも……本心でそう思ってるよ。その指は、宝物なんだ」

梨子「うん……」


知ってる。心からそう言っていたもの。


梨子「大切に……する……」


私は自分自身の指を抱きしめるように、自らの胸に引き寄せる。


果南「そうしてくれると、嬉しいな」


果南ちゃんはそう言いながら微笑む。

その間ずっと──私の頭の中は、聴いたことのない音で満たされていた。



219: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:27:28.01 ID:vQ6qZL/R0


    *    *    *





──その夜。

ピアノの前に座って作業をしようと思ったのに、気付けばぼーっとしていて……その度に、あの言葉を思い出す。


──『……この指は……私の曲を作ってくれた……宝物だから……』──


何も手に付かない。気付けば果南ちゃんのことばかり考えている。

少し頭を冷やした方がいいのかもしれないと思い、ベランダに出る。


梨子「……寒い」


──12月の冷たい夜の空気に晒されて、少しだけ頭がクリアになった気がする。

そして、クリアになった頭で、ふと気付いた。


梨子「──あの音……」


初めて聴いた、あの音は──


 「──おーい、梨子ちゃーん?」

梨子「……?」


声がした気がして顔をあげると、


千歌「あ、やっと気付いた……大丈夫?」


千歌ちゃんの姿。


梨子「千歌ちゃん……」

千歌「ん?」

梨子「私……私ね……」

千歌「うん」

梨子「果南ちゃんのことが……──好きみたい」


あの音は────恋に落ちる音だ。

私──桜内梨子は……松浦果南ちゃんに、恋をしてしまったようです──。





    🐬    🐬    🐬





──12月20日金曜日。

学校に登校すると、なにやら鞠莉がダイヤに話しかけているところに遭遇する。


鞠莉「ねぇねぇ、ダイヤ」

ダイヤ「なんですか?」

鞠莉「クリスマス、チカッチとはどう過ごす予定なの~? 教えてよ~♪」

220: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:30:01.77 ID:vQ6qZL/R0

──クリスマス……。言われてみれば来週か。


ダイヤ「どうして、鞠莉さんに恋人との予定を話さないといけないのですか……」

鞠莉「だって、当日にデート先が被って、ばったり会っちゃったら嫌じゃない?」

ダイヤ「それは、まあ……」

鞠莉「一年に一回しかない記念日だヨ! 念には念を入れたい気持ち、わかるでしょ?」

ダイヤ「……わたくしたちは西伊豆の方に行くつもりですわ」

鞠莉「西伊豆? ……あ、もしかして……恋人岬?」

ダイヤ「ご想像にお任せします。して、鞠莉さんたちはどちらへ?」

鞠莉「学校が終わったら、南の島までひとっとびする予定デース♪」

ダイヤ「そんなデート先が被るわけないでしょう!? 貴方、自慢するためだけにこの話題を振ってきましたわね!?」

鞠莉「ダイヤ、どこにいくかじゃなくて……誰と行くかだヨ?」

ダイヤ「どの口が言うのですか!!」

鞠莉「いひゃい! いひゃい! ぼーりょくはんたいぃぃー!!」


また、鞠莉がダイヤのこと怒らせてるし……。


果南「鞠莉もダイヤも、おはよう」

ダイヤ「あら、おはようございます、果南さん」

鞠莉「いたた……Good moning.果南」

果南「二人ともクリスマスの話?」

ダイヤ「ええ、まあ……この会話自体に全く意味はありませんでしたが……」

鞠莉「えー! 恋バナしようよー!」

ダイヤ「貴方と恋愛の話をするくらいなら、曜さんと話した方がいくらか盛り上がれますわ」

鞠莉「なによもー! じゃあ、わたしはチカッチと恋バナするもん!」

ダイヤ「それはダメです」

鞠莉「あらあら……Toasted rice cakeだネ~♪」

果南「なにそれ……? ライスケーキは餅だっけ……。……焼き餅……?」

鞠莉「Yes♪」


普通にジェラシーとかでいいじゃん……。まあ、確かにダイヤが嫌がるのもわかる気がする。

このテンションの鞠莉を真っ向から相手するのはめんどくさいかも……。


果南「ほどほどにしておきなよ……」

鞠莉「そういう果南はどうなんデースか~?♪」

果南「どうって……何が?」

鞠莉「もちろん、ク・リ・ス・マ・ス♪ 一緒に過ごす相手とか居ないの?」

果南「そんな相手、居ないって……」

鞠莉「えーホントにー? 気になる相手くらい居そうだけどな~♪」


めんどくさい会話の矛先がこっちに向いてきた。適当に流そうかな……というか、ダイヤなんかとっくにそっぽ向いてるし……。

私が相手にしないことを決め込んで、バッグから荷物を出し始めた矢先に、


鞠莉「例えば~……梨子とか♪」


梨子ちゃんの名前が出てきて、思わず手が止まった。

221: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:31:49.23 ID:vQ6qZL/R0

果南「……なんで、梨子ちゃんの名前が出てくるのさ」

鞠莉「んー? 最近仲良さそうだなって思ってたから♪」

果南「……そんなんじゃないよ……」


なんだか、真面目に会話に付き合っていると、変な墓穴を掘ってしまう気がしたので、鞠莉から目を逸らす。

だけど、目を逸らした私に対して鞠莉は──


鞠莉「──そんなんじゃ、逃げられちゃうヨ♪」


と、耳打ちを仕掛けてきた。


果南「な……」

鞠莉「わたしは果南がどう思ってるかは知らないけど、梨子はきっと誘われたがるタイプだヨ?♪」

果南「そ、そうなの……?」

鞠莉「梨子はMaiden──乙女だからネ~。きっと、自分から誘うよりも、相手から誘われるのを待ってる娘だと思うヨ♪」

果南「……そ、そっか……」


そんなこと今の今まで考えていなかったけど、言われてみればそうかもしれない。


鞠莉「ま、どうするかは果南の勝手だけど♪ 年に一度の恋人たちの夜、後悔しないようにネ?♪」


それだけ言うと、鞠莉は満足したのか、自分の席へと戻っていった。


果南「──……誘われるのを待ってる……か……」


──キーンコーンカーンコーン。

そんな私の呟きは、ちょうどよく鳴り響いた予鈴の音に掻き消されていくのだった。





    *    *    *





──今、果南ちゃんどうしてるかな。

今日も午前中で授業は終わりだけど……この後、部活で会える。


 「──…………ちゃん……」


でも、二人っきりにはなれないよね……。

これから冬休みが始まったら……二人っきりになれる時間、もっと減っちゃう……。


 「──……こちゃーん……」


もっと、二学期……続けばいいのに……。

222: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:32:35.97 ID:vQ6qZL/R0

千歌「──梨子ちゃん!」

梨子「……え……?」

千歌「もう……やっと気付いた……」

梨子「あ……ごめん……。えっと、なにかな……?」

千歌「なにかな、じゃなくて……もう授業終わったよ?」

梨子「え……?」

千歌「というか、授業どころかホームルームも終わって、もう放課後だよ?」


言われて、時計を確認すると──


梨子「本当だ……」


千歌ちゃんの言うとおり、とっくの昔に放課後の時間になっていた。


梨子「ごめん、ぼーっとしてた……曜ちゃんは?」

千歌「もう部室に行ったよ」

梨子「そっか……」

千歌「あはは、梨子ちゃん重症だね。まさに恋の病って感じ」

梨子「!?/// ち、千歌ちゃん、あんまりそのこと学校で言わないで……!?///」

千歌「んー? ダメ? もう教室に誰も残ってないけど……」

梨子「だ、ダメだよ!/// こんなこと、もし──聞かれちゃったら……///」


もし、果南ちゃんに聞かれちゃったら……。


千歌「でも、好きなのは事実なんでしょ?」

梨子「だ、だから……!///」

千歌「梨子ちゃん!」

梨子「な、なに……?」

千歌「そんな消極的じゃ、それこそダメだよ! もっと自分からアタックしてかないと!」

梨子「あ、アタックって……/// む、無理だよぉ……///」

千歌「いやつい最近まで、仲良く過ごしてたじゃん……なんで急に弱気になってるの」

梨子「あ、あのときと今とじゃ……心の持ちようが、違う……というか……///」

千歌「果南ちゃんモテるんだよ?」

梨子「だ、だから、学校で名前出さないでって……!///」

千歌「ぼーっとしてたら、誰かに取られちゃうかもよ?」

梨子「え……」

千歌「いいの?」

梨子「いや……あの……それは……嫌、かも……」


かもというか……そんなことになったら、私、ショックで死んじゃうかもしれない……。


千歌「ならやっぱり、自分からアタックするしかない! 恋愛は当たって砕けろ!」

梨子「く、砕けるのは嫌……」

千歌「とーにーかーくー! 昨日も言ったけど、今はチャンスなんだよ! 絶対に今日誘うんだよ!」

梨子「ぅ……が、頑張ります……///」

223: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:33:58.42 ID:vQ6qZL/R0

千歌ちゃんが言うチャンスというのは……昨日の夜、恋に落ちてしまったことを千歌ちゃんに伝えたときのことだ──



──────
────
──


千歌「梨子ちゃん、やっと自覚したんだね……」

梨子「やっと……って……」

千歌「最近の梨子ちゃん、ずっと果南ちゃんと一緒に居たし……むしろ、今の今まで恋してる自覚がなかったことが逆に驚き桃の木みかんの木だよ!」


それを言うなら、山椒の木だと思うけど……。


梨子「でも……あの……」

千歌「?」

梨子「ど、どうすれば……いいんだろう……」

千歌「……? どうすればって……?」

梨子「いや、その……果南ちゃんのことが、その……好き、なのはそうとしても……このあと、どうすれば……」

千歌「……告白すればいいんじゃない……?」

梨子「こ、告白!?/// む、無理!!/// 無理だよぉ!!///」


告白ということはつまり──果南ちゃんに直接『好きです』と伝えるということだ。

考えただけで……というか、自分が果南ちゃんに面と向かってそう言えるビジョンが全く想像できない。


千歌「えー……」

梨子「ねぇ、千歌ちゃん……! 千歌ちゃんはどうやって、ダイヤさんに告白したの……?」

千歌「え? あーうーん……チカの場合は告白したというか、告白されたというか……勘違いを訂正されたというか……」

梨子「……? ……なんかよくわからないんだけど……」

千歌「どっちにしろ、思ってることは言葉にして言うしかないと思うなぁ、私は……」

梨子「ぅぅ……/// そんなこと言われても……/// せめて、きっかけとかがあれば……」

千歌「きっかけ……。……この時期なら、とびきりいいのがあるけど」

梨子「え……! 本当に……!?」

千歌「うん。いや、もう今からだと、ギリギリになっちゃうけど……」

梨子「ギリギリ……?」

千歌「梨子ちゃん、来週の火曜日。何日ですか」


来週の火曜日……?


梨子「えっと……今日が木曜日で19日だから……。……火曜日は24日……あ」


つまり、12月24日。


梨子「クリスマスイブ……」


聖夜。恋人たちの日。

224: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:35:35.32 ID:vQ6qZL/R0

千歌「もう、これしかないね! クリスマスデートに誘って告白しちゃおう!」

梨子「え!?/// む、無理だよぉ!/// もっと段階を踏んで……///」

千歌「梨子ちゃんそんな調子なのに、クリスマス逃したら、いつ気持ちを伝えられるのさ!」

梨子「ぅ……それは……」

千歌「とにかく明日! 果南ちゃんをクリスマスデートに誘いなさい!」

梨子「明日!?/// 無理無理無理無理っ!!///」

千歌「でも、明日逃したら次会うの月曜日だよ? 前日にデートに誘うの?」

梨子「いや……それは……そうだけど……」

千歌「好きなんでしょ?」

梨子「ぅ……///」

千歌「果南ちゃんの恋人になりたくないの?」

梨子「………………なり、たい……///」

千歌「じゃあ、頑張ろう。ね?」

梨子「……うん……///」


──
────
──────



というやり取りの下、私は本日中に果南ちゃんをクリスマスデートに誘わなくてはいけなくなってしまった。


梨子「うぅ……///」

千歌「梨子ちゃん、いつまでそうしてるの……? 部室入るよ?」


もうすでに部室内では、私たち以外は揃っている。

もちろん──果南ちゃんもだ。


梨子「ま、待って……こ、心の準備が……///」

千歌「──皆~お疲れ様~♪」

梨子「千歌ちゃぁ~んっ!!///」


私の言葉を無視して、部室に入っていく千歌ちゃんの後ろに隠れるように部室に入ると──


ダイヤ「やっと来ましたわね……」


私たちの姿を認めて、ダイヤさんが代表するように肩を竦めながら言う。


果南「あ、梨子ちゃん……! やっと来た……!」

梨子「ひ、ひゃい!///」


果南ちゃんに急に話しかけられて声が裏返る。


果南「こっちおいで、待ってたんだよ」


果南ちゃんが自分の隣の席をぽんぽんと叩いて示す。


梨子「えー、あー、や……その……///」

225: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:37:13.64 ID:vQ6qZL/R0

もう慣れたと思っていたのに、今更になって恥ずかしさが爆発している。

無理、やっぱり無理……! 恥ずかしくて果南ちゃんを真っ直ぐ見れないよぉ……。

私が立ち往生していると、


千歌「……てい」

梨子「きゃ……!?」


千歌ちゃんに背中を押されて、果南ちゃんの目の前に躍り出てしまう。


梨子「あ、あの……///」

果南「はい、どうぞ」


私が目の前に立つと、果南ちゃんは椅子を引いてくれる。


梨子「あ、ありがとう……///」


自分自身に落ち着くように言い聞かせて、腰を下ろす。


ダイヤ「さて、全員揃いましたね。それでは──」


全員が着席したのを確認したダイヤさんが、例のごとく部活開始の号令を出そうとした瞬間、


千歌「はいはーい! ダイヤさんダイヤさん!」


千歌ちゃんが挙手する。


ダイヤ「今日はなんですか……」

千歌「まずお昼ご飯にしない?」

ダイヤ「お昼……? まあ、構いませんが……」

千歌「じゃあ、生徒会室行こ!」

ダイヤ「いや、別にここで食べれば……」

千歌「あと、ルビィちゃんも一緒に食べよう!」

ルビィ「え、ルビィも……?」


急に名指しされたルビィちゃんが、不思議そうな声をあげる。


千歌「たまにはチカお姉ちゃん、ルビィちゃんとお話しながらご飯が食べたいんだよ~……」

ルビィ「! わ、わかった! それじゃ、ルビィも生徒会室行くね!」


そう言って誘われたルビィちゃんは満更でもない様子で、嬉しそうに了承する。


ダイヤ「まあ、ルビィが問題ないのでしたら、それで構いませんけれど……。ということですので、部活は各自昼食をとった後にしましょう」

千歌「それじゃ、またあとでね~」


千歌ちゃんがダイヤさんとルビィちゃんを引き連れて、部室から出ていく。その際──私に向かってウインクを飛ばしてくる。

226: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:39:05.67 ID:vQ6qZL/R0

鞠莉「ねぇ、花丸」

花丸「ずら?」

鞠莉「実はわたし今日ね、限定のっぽパンってやつ手に入れちゃったの!」

花丸「え、限定のっぽパン!?」

鞠莉「たくさん貰っちゃったから、花丸も一緒にどうかなって思うんだけど~」

花丸「行く!! 今すぐ行くずら!!」

鞠莉「ヨハネも一緒に行きましょ?」

善子「ヨハネじゃなくて、よし……あ、あれ? あってる? ……クックック、殊勝な心掛け気に入ったぞ……リトルデーモンマリー!」

鞠莉「ははー! ありがたき幸せー! それじゃ、曜も理事長室に行きましょ」


今度は鞠莉ちゃんが、花丸ちゃんと……ついでに雑な誘い方で善子ちゃんを連れて──あれで付いていっちゃうのはいろんな意味心配だけど──部室から退場していく。

またしても、例のごとく、ウインクを飛ばしながら──

その際、一緒に部室を出ていく曜ちゃんが、


曜「あー……そういうことか」


と、小さく呟くのが、かろうじて聞き取れた。

──気付けば、あっという間に部室内に残っているのは、私と果南ちゃんだけになっていました。


果南「なんか、取り残されちゃったね」

梨子「う、うん……///」


もちろん、言うまでもなく、千歌ちゃんが気を利かせてくれたということだ。

恐らくだけど、鞠莉ちゃんも千歌ちゃんの行動を見て、何かを察したんだと思う──ついでに鞠莉ちゃんを見て、曜ちゃんも察していた気がする。


果南「私たちもお昼食べよっか」

梨子「そ、そうだね……///」


促されたとおり、お弁当を取り出しながら、私は胸の内で覚悟を決める。

ここまでお膳立てしてもらったんだもん……! 千歌ちゃん……! 鞠莉ちゃん……! 私、頑張るよ……!





    *    *    *





果南「──今日も、たまご焼きありがとね、梨子ちゃん♪」

梨子「ど、どういたしまして……///」

果南「やっぱり、梨子ちゃんの作る甘いたまご焼き、好きだなぁ……」

梨子「えへへ……///」


果南ちゃんに褒めてもらえるだけで、もう幸せな気持ちでいっぱいで……他になんにもいらないよ……。

……じゃなくて……。

227: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:39:53.32 ID:vQ6qZL/R0

梨子「あ、あの……果南ちゃん……///」

果南「ん?」

梨子「そ、その……///」

果南「うん」

梨子「えっと……///」

果南「……?」


ほら、訊かなきゃ……! 24日空いてるか……!

訊いて、一緒に過ごしてくださいって……。

……あ、あれ? もし、果南ちゃんがすでに24日に予定が入っていたらどうすればいいんだろう……?

ふと、そんなことが頭の中を過ぎる。……でも、そんなこと考えていても仕方ないし……。と、とにかく、訊いてみなきゃ……。


梨子「…………」

果南「梨子ちゃん……?」

梨子「あ、いや……その……さ、最近急に寒くなってきたよね!」

果南「あはは、そうだね~。冬が本気出してきたって感じだよね」


気温の話じゃなくて……。思わず誤魔化してしまった自分に内心で突っ込みを入れる。


梨子「あ、あのね! 果南ちゃん!」

果南「うん?」

梨子「そ、その……もう12月……だね」

果南「そうだねー……もう今年も終わりだよね」

梨子「う、うん……で、でもさ、まだ今年は終わってないというか……」

果南「?」

梨子「あ、あのね……」


クリスマスの話を振るんだ。


梨子「あの……」


口を開いて、改めて果南ちゃんの方を見ると、


果南「……」


果南ちゃんの二つの瞳が私の顔をまっすぐ捉えて言葉を待っていた。


梨子「あ、の……///」


まっすぐ注がれる視線に耐えられなくなって、すぐに私は目線を逸らす。

い、言うんだ、今……! そう何度も自分に言い聞かせているのに、


梨子「そ、の……///」


口にしようとするだけで、顔が熱くなり、上手に言葉が出てこない。

──『クリスマス空いてますか』──たったの11文字を言葉にするだけなのに……。


梨子「……こ、今年もお互い最後まで頑張ろうね……あ、あはは……///」

228: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:40:38.38 ID:vQ6qZL/R0

──言葉にして伝えられない。


果南「そうだね……今年も残り10日ちょっとだしね……」

梨子「う、うん……寒いから、お互い体調にも気を付けて……」


──違う……。今本当に言いたい言葉は、そうじゃない……。


梨子「練習も冬休みの間は、ちょっとお休みなんだよね……。部活やらないとちょっとだらけちゃうかも」


──伝えたいのに、言葉が上手く出てこない。

届けたい言葉はわかるのに、ただここでその言葉を口にすればいいだけなのに、


梨子「でも皆、年末はお家の手伝いがあるもんね。私も今年はお母さんのお手伝いをたくさんしてみようかな……なんて」


私の口は、心に反して違うことを喋ってしまう。

ごめん千歌ちゃん……やっぱり私、意気地なしだ……。今言わなきゃと思うほど、喉元まで出かかっているはずの言葉が呑み込まれて消えて行ってしまう。


梨子「……一緒にお昼食べるのも、今年はこれで最後かも……ね」

果南「…………そうだね」


違うのに、言いたいことは、こんなことじゃないのに……。

なんだか、自分の情けなさに、だんだんと目元が熱くなってくる。

どんなに自分を鼓舞しても、言いたいこと一つ言えないなんて、私は──


果南「梨子ちゃん」

梨子「……っ」


名前を呼ばれて、少しびくっとしてしまう。


果南「こうして私が梨子ちゃんと一緒にお昼ご飯を食べるようになって……まだ2週間ちょっとしか経ってないんだけどさ」

梨子「う、うん……」

果南「この2週間すごく濃密で……私はすごく楽しかったんだ」


果南ちゃんが私の目を覗き込むようにしながら、そう口にする。


果南「今日で、こうして一緒に過ごすお昼も終わっちゃうんだって思うと……ちょっと寂しい。終わらせたくない。もっと一緒に……過ごしたい」

梨子「……っ!」


──勇気を出すんだ、私……!


梨子「わ、私も……っ!! 私も同じだよ……!!」

果南「ホントに? 梨子ちゃんもそう思ってくれてるんだったら……嬉しいな」

梨子「私も……果南ちゃんともっと一緒に過ごしたい……よ……///」

果南「そっか……」


果南ちゃんは私の言葉を聞いて、目の前で一度だけゆっくりと深呼吸をしたのち──


果南「梨子ちゃん」


再び私の瞳を覗き込むようにして……言いました──

229: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:41:33.40 ID:vQ6qZL/R0

果南「クリスマス。私と一緒に過ごしてくれないかな」


──真っ直ぐ、はっきりと、そう言葉にしたのでした。





    *    *    *





──夜。


梨子「…………」


私はベランダでぼんやりと空を眺めていた。

二軒の家に挟まれた狭い空の先には月が煌々と輝き、そこを白い吐息がゆっくりと昇って、最後には霧散していく。


千歌「──梨子ちゃん」

梨子「千歌ちゃん……」


気付けば、いつの間にか同じように外に出てきた千歌ちゃんに声を掛けられる。

千歌ちゃんは優しい顔のまま、


千歌「誘えた?」


そう問いかけてくる。


梨子「誘えなかった……私は誘えなかった……けど……」

千歌「けど?」

梨子「果南ちゃんから……誘ってもらった……クリスマス、一緒に過ごそうって……」

千歌「なんて答えたの?」

梨子「えっと……」


私は、つい数時間前のことを思い返す。


────
──


梨子「え……」

果南「ダメ……かな……?」

梨子「ぇ……ぁ……?///」


まさか、果南ちゃんから誘ってくるなんて思ってもいなかったから、私の頭は一瞬でショート寸前になっていた。

心臓が破裂しそうな程にドックンドックンと激しく鼓動し、視線を果南ちゃんから離せない。でも、頭が熱暴走を起こしたようにくらくらとし、何かを口にしようとしても、震えて言葉が出てこない。


果南「……やっぱり、いや……?」

梨子「…………///」


出てこない言葉の代わりに、私はふるふると首を振る。


230: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:42:20.59 ID:vQ6qZL/R0

果南「……それじゃ……一緒に過ごして、くれるかな……?」

梨子「……///」


今度はコクコクと頷く。


果南「……よかった……。断られたらどうしようかと思ったよ。詳しい場所と時間はあとで連絡するね」

梨子「ぅん……///」


辛うじて出てきた言葉は、とても小さな了承の相槌のみだった。


──
────


千歌「そっかぁ……よかったね、梨子ちゃん」

梨子「うん……///」

千歌「年が明けて次に会う頃にはカップルになってる梨子ちゃんと果南ちゃんに会うことになるんだね~」

梨子「ち、千歌ちゃん……!/// 気が早いよ……///」

千歌「そうかなぁ? でも、もう両想いみたいなもんだし」

梨子「両……想い……///」


口にしてみて改めて、嬉しくて、恥ずかしくて、でもどうしようもなく幸せな気持ちが溢れてきて、赤面しながらもニヤけてしまう。


千歌「お互いにクリスマスを一緒に過ごしたいって思ってたんだもんね。ならもう間違いないよ!」

梨子「うん……/// そうだと……いいな……///」

千歌「クリスマス、楽しんで来てね」

梨子「えへへ……うん……///」

千歌「それじゃ、チカに出来ることはここまで! 果南ちゃんのこと、よろしくね!」


そう言って、部屋に戻ろうとする千歌ちゃんの背中に、


梨子「千歌ちゃん……!」


声を掛ける。


千歌「ん?」

梨子「千歌ちゃん、ありがとう……! 私、頑張るね……!」

千歌「うん! 梨子ちゃん、ファイト!」


親友からの激励を受けて、私はクリスマスデートに臨みます。

今、胸の中にある、大切な気持ちを、大好きな人に届けるために──





    *    *    *



231: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:46:34.43 ID:vQ6qZL/R0


──日が沈み、辺りが薄暗くなってきた頃。

私は沼津駅に到着する。

時間を確認すると──時刻は午後5時過ぎ。


梨子「……ちょっと早すぎたかな……」


自嘲気味に一人呟くと、その拍子に白い息がほわほわと漂って霧散していく。

待ち合わせは午後5時半だったから、しばらく待つことになるかな。

私はバッグから手鏡を取り出して、身だしなみを確認する。

今日着てきた服は、ワインレッドのセーターの上から、レース切り替えでミニ丈のジャンパースカート。色は赤み掛かったライラック色を基調としたチェック柄になっている。

ジャンパースカートには、ポケットや背中にセーターと同じ色のリボンがあしらわれている。

脚は同じようなワインレッドのニットオーバーニーソックスを履き、頭にもセーターと同じ色のベレー帽。

ちなみにこのベレー帽はジャンパースカートと同じような色柄のリボンがあしらわれている。

全体的にガーリーな印象になるように意識して、コーディネートしてきたつもりだ。

──前髪よし……。メイクもちゃんとしてきたし、バレッタも可愛らしいハートの形をしたものを選んできた。


梨子「……ふぅ──」


深呼吸。きっと大丈夫。

今日はめいっぱいオシャレをして、この場に来たんだ。

ピアノの発表会のときよりも──うぅん、それどころか、生まれて初めてというくらい、気合いを入れて選んできた。


梨子「……果南ちゃん……可愛いって言ってくれるかな……」


どうしても、不安な自分が顔を出してしまうけど……。

今からこんな弱気じゃダメだよね……。これからデートだって言うのに……。

幸か不幸か、待ち合わせより30分ほど早く到着してしまったため、心の準備をする時間はたっぷりある。

果南ちゃんが来る前に、心を落ち着かせて──


 「梨子ちゃん!」

梨子「ひゃぁぁぁっ!?///」


急に名前を呼ばれて飛び上がる。


果南「あ、ごめん……急に声掛けたからびっくりさせちゃったかな……?」


声がする方を振り返ると、果南ちゃんが申し訳なさそうな顔で私を見つめていた。


梨子「え、あ、いや……/// 私の方こそごめんなさい……/// か、果南ちゃん、早いね……///」

果南「梨子ちゃんの方こそ……かなり余裕をもって来たつもりだったのに、到着したら梨子ちゃんが待っててびっくりしたよ。ごめんね、待たせちゃって……」

梨子「う、うぅん! 大丈夫、本当に今来たところだから……!」


私がわたわたと顔の前で手を振ると、


果南「そっか……なら、よかった。ただ、ホントは私が先について梨子ちゃんを待ってたかったんだけどなぁ……」


果南ちゃんは肩を竦めながら、苦笑いする。それから、ゆっくりと私の姿を見つめたあと、


果南「今日の梨子ちゃんの服すごく可愛いね。よく似合ってるよ」

232: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:47:22.13 ID:vQ6qZL/R0

ニッコリと笑いながら、私の服装を褒めてくれる。


梨子「あ、ありがとう……///」


恥ずかしくて、顔が熱い。だけど、すごく嬉しい。

果南ちゃんが目の前にいなかったら──果南ちゃんに褒められたんだから、果南ちゃんが目の前にいないのはありえないんだけど──思わず跳ねて喜んでしまいそうな気分だ。

そんな果南ちゃんの姿を改めて確認してみる。

海を連想させるような色をした、ターコイズのフリルブラウスに、マリンブルーのキュロットパンツ。

キュロットには地の中で目立ちすぎない程度の色合いの、雪の結晶の模様が散りばめられていて、すごく冬らしい。

そして、その上から薄いスカイブルーのロングカーディガンを羽織っている。

果南ちゃんのトレードマークであるポニーテールは、いつものようなゴムで縛っている形ではなく、こちらも薄いスカイブルーの大きなリボンで結んでいる。

全体的に寒色でまとめてある、統一感のあるファッション。


果南「今日の服……変じゃないかな?」


私の視線に気付いたのか、果南ちゃんがそう訊ねてくる。


梨子「変じゃないよ……! すっごく、似合ってる……!」

果南「ホントに? よかった……梨子ちゃん普段からオシャレだから、隣歩いて浮いちゃったらどうしよって思ってたんだ。そう言ってもらえると安心するよ」

梨子「そ、そんな……私オシャレってほどじゃ……///」

果南「謙遜しなくていいんだよ? 私、梨子ちゃんの女の子らしい私服姿が好きでさ……実は今日もどんな可愛い姿の梨子ちゃんが見れるのか楽しみにしてたんだから」

梨子「ぅ、ぅぅ……/// 大袈裟だよ……///」


まだデートは始まってすらいないのに、すでに褒め殺しにあって顔がすごく熱い。


果南「そんな梨子ちゃんと、デートが出来て……嬉しいよ」


そう言いながら果南ちゃんは恭しく、仰々しく、私の前で片膝を折って──まるで、王子様のように私の手を取る。


果南「今日はしっかり、エスコートさせて頂きます。よろしくね、梨子ちゃん♪」
 果南『梨子ちゃんに心の底から楽しんでもらえるように、頑張らなきゃ』

梨子「は、はぃぃ……!///」


すごくキザな振舞いなのに、果南ちゃんがやると何故か画になるのはどうしてだろう……。

思わずドキドキとしていると──


果南「それじゃ、いこっか!」


果南ちゃんはニコッと笑って歩き出す。

──果南ちゃんとのクリスマスデートの始まりです。





    *    *    *



233: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:48:01.63 ID:vQ6qZL/R0


果南「梨子ちゃん、先週末は何して過ごしてた?」

梨子「えっと……いつもどおりかな……。ピアノを弾いたり、買い物に行ったり……」

果南「あはは、私もおんなじ感じ。やっぱ内浦は田舎だからね。どうしても部活がない日は似たり寄ったりな生活になっちゃうよね」


果南ちゃんはそう言いながら笑うけど……実はいつもどおりというほど、いつもどおりではなかった。

何故なら今日はクリスマスデート。もちろん、手ぶらで行くわけにはいかないから……いろいろ準備をしていた。

もちろん、今日着ているお洋服も例外ではなく、週末に買ってきたばかりのおろしたての服だ。

そんなおろしたての服を着て、歩いているここは駅のすぐ近くの商業施設の建物の中。


梨子「そういえば……どこに行くか決まってるの?」

果南「もちろん、今日は私がエスコートするって言ったからね! って、言いたいところなんだけど……ちょっと、早く着いちゃったから、まだちょっと時間があるんだよね……」


どうやら、始まる時間か何かが決まっている場所に行くようで、少し時間に余裕が出来てしまったらしい。


梨子「ご、ごめんなさい……私が早く来すぎちゃったから……」

果南「あはは、謝るようなことじゃないって。そうだな……梨子ちゃん、甘い物食べたくない?」

梨子「甘い物……?」


果南ちゃんの言葉をオウム返ししながら、彼女の視線を追うと──

そこにあったのはクレープ屋さん。


梨子「うん、クレープ食べたいな」

果南「オッケー♪ じゃあ、並ぼっか」

梨子「はーい」


店の前にはすでに複数のカップルたちが並んでいる。その列の後ろについて、メニューを見上げる。


果南「ここのクレープ、種類がいろいろあるよねぇ……プリンアラモードとかあるんだね、ダイヤが好きそう」

梨子「ふふ、確かにそうかも♪」

果南「千歌はあれだな……焼きりんごミルフィーユかベリーミルフィーユ」

梨子「ふふ、千歌ちゃん中身がいろいろ入ってるの選びそうだもんね」


さすが幼馴染、千歌ちゃんやダイヤさんが頼んでいるのが、目に浮かぶようで思わず笑ってしまう。


果南「善子ちゃんは……あー、あれかな? イチゴチョコ。確か好きだったよね、チョコとイチゴ」

梨子「うーん、確かに善子ちゃんはどっちも好きだけど……それだったら、イチゴブラウニーを選びそうかな」

果南「あ、そっちか……」

梨子「横文字がいっぱいある方が好きそうだもんね♪」

果南「ふふ、確かにね♪」


自然とAqoursのメンバーが選びそうなクレープ当てゲームが始まる。

234: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:48:33.71 ID:vQ6qZL/R0

梨子「ルビィちゃんはどれかな?」

果南「うーん……ルビィちゃんは目移りしちゃってなかなか選べなくて……最終的にダイヤと同じのにしそう」

梨子「あ、わかるかも」

果南「マルはシンプルにカスタードバナナとかかな……?」

梨子「花丸ちゃんはおかずクレープの方に惹かれそうかも……」

果南「あ、確かに……チーズタッカルビとか?」

梨子「ふふ、頼みそうかも♪ ソーセージピザチーズとかね」

果南「こうしてみると、おかずクレープもいろいろあるね」

梨子「おかずクレープをたくさん頼んで、善子ちゃんにまた驚かれちゃうかもね」

果南「あはは♪ ありそうありそう♪」


おかずクレープを踏破する花丸ちゃんを想像して、二人でくすくすと笑ってしまう。


果南「鞠莉は……ブルーベリーレアチーズケーキとかかな」

梨子「イチゴティラミスも好きそう」

果南「確かに……こんなのもあるのねって言いながら、興味津々に頼むのが目に浮かぶようだよ」

梨子「それこそ鞠莉ちゃんだと、端から全部頼んでみたりしちゃったりして……」

果南「それで一緒にいる人が全部食べるのかー……曜ちゃんは大変だね」

梨子「ふふ、今度曜ちゃんに聞いてみようかな♪ そんな曜ちゃんはどれを頼むかな?」

果南「んー……曜ちゃんは、あれかな……アイスマンゴーパイ」

梨子「え、アイス? 今冬だよ?」

果南「ところがね、曜ちゃん真冬に冷たいシェイクとか平気で頼むんだよね……冬でもアイス食べたいって思うみたい」

梨子「そうなんだ……」


言われてみれば、曜ちゃんって体育の時間とか、冬でも元気に走り回ってるしなぁ……。冬でも元気なのは、千歌ちゃんもだけど。


果南「って、話してたら私たちの番だ」


気付けば、次で注文出来るところまで、列が進んでいた。


果南「梨子ちゃん、どれがいい?」

梨子「あ、えーっと……そうだなぁ……」


私は見上げながら、


梨子「あれがいいかな……」


食べたいメニューを指さした──





    *    *    *





果南「はい、梨子ちゃんの分」

梨子「うん、ありがとう」


果南ちゃんからクレープを受け取ると、出来立てでほんのりと温かいクレープから甘い香りがする。

235: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:49:41.64 ID:vQ6qZL/R0

果南「梨子ちゃんのは焼きりんごパイだっけ? ホントにいろんな種類があるね」

梨子「うん。今日は寒いし……温かいのがいいかなって思って」


言いながら、クレープに口を付けると、焼きりんご特有の甘酸っぱさとカスタードクリームの優しい甘味が絶妙にマッチした味が口の中に拡がっていく。


果南「おいしい?」

梨子「うん、おいしいよ♪ 果南ちゃんは何頼んだの?」

果南「私はね、シュリンプエッグだよ」

梨子「シュリンプ……ってことはエビ?」

果南「うん。あむ……んー! やっぱクレープ生地ってなんにでもあうよね。エビとたまごがうまくマッチしてるよ」

梨子「果南ちゃんはおかずクレープにしたんだ」

果南「ほら、梨子ちゃんは甘いの頼んでたからさ」

梨子「……うん?」


私が甘いものを頼んでいても、果南ちゃんが甘いものを食べちゃいけない理由にならないと思うんだけど……。と、思っていたら、


果南「はい、梨子ちゃんも食べて?」


果南ちゃんが私の方に、自分の手に持ったクレープを差し出してくる。


梨子「え……///」

果南「クレープって結構量があるから、甘いの一辺倒だと飽きちゃったりするかと思って。私はおかずクレープを頼んだんだよ♪ はい、どうぞ♪」

梨子「え、っと……///」


差し出されたクレープを目の前に少し躊躇する。

どうやら果南ちゃんは最初からシェアするつもりで選んでいたらしい。

私は少し迷いはしたものの──


梨子「……い、いただきます……///」


ここで遠慮するのも悪いと思い、クレープを一口貰うことにした。


梨子「あむ……///」


口に含むと、エビとたまごの味とアクセントに使われているマヨネーズの味が、焼きりんごパイで甘ったるくなっていた口の中を中和していく。


果南「おいしい?」

梨子「うん……///」

果南「ふふ、よかった♪ 梨子ちゃんの焼きりんごパイも一口貰っていい?」

梨子「う、うん!///」


私はどういう風に渡そうか悩んだけど──


梨子「か、果南ちゃん……/// あ、あーん……///」


果南ちゃんが先ほどしてくれたようにクレープを果南ちゃんの口元に差し出す。


果南「! えへへ、あーん♪」

梨子「……///」

236: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:50:47.96 ID:vQ6qZL/R0

果南ちゃんが嬉しそうにクレープを口にする。

あーんしてあげるなんて、今までの私じゃ、恥ずかしくて絶対出来なかったけど……今日はデートだもん…。少しくらい、大胆になっても……いいよね?


梨子「お、おいしい……?///」

果南「うん♪ 梨子ちゃんが食べさせてくれたからかな……ホントにおいしいよ♪」

梨子「も、もう……大袈裟だよ……///」


どうしよう……私、もうこれだけで幸せかも。

まだデートは始まったばっかりなのに、心がむずがゆくて、ほわほわして……そして、温かくて、優しくて、嬉しい。


梨子「あむ……///」


照れを隠すように、再び口を付けた自分のクレープの味は、やっぱり焼きりんご特有の甘酸っぱい味がして──まるで今の私の気持ちのようでした。





    *    *    *





──クレープを食べ終えて。


果南「ちょうどいい時間になったね」


果南ちゃんが腕時計を確認しながら言う。


果南「移動しようか」

梨子「うん」


次の目的地はどこかなと思いながら、果南ちゃんと一緒に歩き出す。

クレープ屋さんを出て、そのまま同じ施設内の上の階へと上っていく。

この上って確か……。

2階3階を素通りしてたどり着いたのは──


梨子「映画館……」

果南「梨子ちゃんと一緒に見たくて……いいかな?」

梨子「うん!」


私が頷くと、果南ちゃんはニコッと笑って、私の手を引く。


 果南『梨子ちゃん、気に入ってくれるといいな』


果南ちゃんはそのまま入場ゲートまで行き、受付でチケットをもぎってもらって、中に入っていく。

──果南ちゃん、先にチケット買っておいてくれたんだ……。

もしかしたら、今日のデートのためにいろいろ下見もしてくれていたのかもしれない。

ああ、なんか……嬉しいな。

果南ちゃんがこんなにも私のことを考えてくれているという事実が、どうしようもなく嬉しくて、幸せで──



237: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:51:33.56 ID:vQ6qZL/R0


    *    *    *





──果南ちゃんが選んだ映画はラブロマンスでした。

どこにでもいそうな二人が出会って、次第に恋に落ちていく。

そんな、ありふれたラブロマンス。

それでも、私は終始ドキドキとしていた。

もともとラブロマンスが好きというのもあったけど……何よりも、今は果南ちゃんと一緒に観ているから。

映画の間、ふと果南ちゃんの方に顔を向けると──


梨子「……!」

果南「……ぁ」


目が逢った。

同じタイミングで、お互いの方を見てしまったらしい。

なんだか、照れ臭くて、目を泳がせていると、果南ちゃんはニコっと笑ってから、顔をスクリーンの方に戻してしまう。

──ぁ……。と小さな声が漏れそうになる。

そうだよね……今は映画を見ているんだもん。私よりも、映画を見るよね。

少しだけシュンとしていると──手の甲の上から、何かが覆いかぶさるように重ねられる。


梨子「……!」


──もちろん、果南ちゃんの手だ。


 果南『急に手繋いでも……嫌じゃ……ないかな……?』


嫌なわけない。

私は重ねられた手を甲側から手の平の方に返して──指を絡ませる。


果南「……!」
 果南『指……梨子ちゃん……』


ぎゅっと手を握られる。

握られたから、握り返す。

映画の真っ最中、暗い館内で声を発することは出来ないけど──今は同じ気持ちを共有している。

時間を経るごとに、指はどんどんと絡んで、離れないように……離さないようにと……強く強く繋がれる。

目の前のスクリーンでは、ヒロインが気持ちを伝えている真っ最中。でも、私はそんなクライマックスの中でも、映画の内容よりも果南ちゃんと繋がれた手に、絡ませた指に意識が行ってしまう。

こんなに幸せな気持ちで観る映画は、初めてだった──それと同時に、ここまで映画の内容が頭に入ってこなかったのも、初めてだったけど……。





    *    *    *





──映画が終わって、シアター内が明るくなる。

果南ちゃんの方を向くと──また、果南ちゃんと目が逢って、

238: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:52:19.89 ID:vQ6qZL/R0

梨子「……///」

果南「……///」
 果南『さ、さすがにこれは……照れ臭い……///』


お互い黙ったまま、目を泳がせる。

ただ、恥ずかしいけど──繋がれたままの手は指は、離れない。


 果南『もう少し……このままで、居たいな……』


──私も同じ気持ちだよ。

そう思いながら、映画の終わったシアター内でじっとしていると──


劇場スタッフ「ありがとうございましたー。退館の際は、忘れ物がないようにお気を付けくださーい」


劇場スタッフの人が次のお客さんを入れるために、退館を促している。


 果南『名残惜しいけど……』


絡ませた指がほつれ、果南ちゃんが立ち上がる。


果南「梨子ちゃん、行こっか」

梨子「……うん///」


デートは次の目的地へ──


果南「……っ」


と思った瞬間、果南ちゃんが一瞬表情を歪める。


梨子「果南ちゃん……もしかして、足……?」

果南「……あはは、ちょっと痛むかも。でも大丈夫」

梨子「本当に……?」

果南「ホントに大丈夫だよ。それにさ、今日はちゃんとエスコートするって、約束したから」

梨子「……うん、わかった」


無理はして欲しくないけど……今日の果南ちゃんは、全力で私をエスコートしてくれている。

きっと、情けない姿は見せたくないだろうし……私はそう思って、今は心配な気持ちを呑み込むことにしたのでした。





    *    *    *





次に訪れた場所は……。


梨子「ここって……」

果南「うん。予約したんだ」


オシャレな大理石の柱と、木目のシックな扉が目を引く──フランス料理店。

果南ちゃんが一歩前に出て、扉を開ける。

239: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:53:22.17 ID:vQ6qZL/R0

果南「梨子ちゃん、どうぞ」

梨子「うん、ありがとう……果南ちゃん」


扉を潜ると、


スタッフ「いらっしゃいませ、松浦様ですね。お待ちしておりました。お席にご案内いたします」


スタッフが恭しく頭を下げながら、席に案内してくれる。

私は二人掛けのテーブルの奥の方に通され、スタッフの人が椅子を引いてくれる。


梨子「あ、ありがとうございます……!」


こういう格式ばった食事は緊張する。えっと……確か、左側から椅子に座るんだよね……?

辛うじて記憶の中にあるテーブルマナーを思い出しながら、椅子に腰掛ける。


果南「ふふ、緊張してる?」


向かいでそう言いながら微笑みかけてくる果南ちゃん。


梨子「う、うん……少し……。果南ちゃんは緊張しないの……?」

果南「ふふ、これくらいなら」


なんて笑う。本当かな……?


梨子「果南ちゃん……手、出して?」

果南「? いいけど……」


控えめに差し出された手に軽く触れる。


 果南『……内心かなり緊張してる、なんて言えないけど……。週末に鞠莉にお願いしてテーブルマナーは覚えてきたし、きっと大丈夫……』


なるほど……。余裕の源は特訓の成果のようだ。


梨子「ありがとう」

果南「ん……もう大丈夫?」

梨子「うん」


果南ちゃんは不思議そうにしていたけど、私が一人不安なわけじゃないとわかって少し安心した。

手が離れると、果南ちゃんは膝の上にナプキンを掛ける。

私も倣うようにナプキンを半分に折って、膝の上に掛けると──ドリンクが運ばれてきた。


スタッフ「こちら、葡萄ジュースで御座います。長野県産ナイアガラぶどうを100%使用した、ストレートジュースです」


スタッフの人が説明をしながら、グラスにジュースを注ぐ。


スタッフ「失礼します」


二つのドリンクが目の前に用意され、スタッフが下がると、


果南「未成年だから、ジュースだけど……」


果南ちゃんがグラスを持ち上げる。

240: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:54:09.46 ID:vQ6qZL/R0

梨子「ふふ……うん」


私も倣うようにグラスを持ち上げて、目の前に掲げる。

お互いアイコンタクトをしながら、見つめあって──


果南・梨子「「乾杯」」


ジュースに口を付ける。


梨子「……! おいしい……」


すごくすっきりとした味なのに、まろやかで上品な味もあわせ持っている。何よりぶどう特有の甘い香りが濃縮されていて、間違いなく今まで飲んだ、どんなぶどうジュースよりもおいしい。


果南「うん……ホントおいしい……」


果南ちゃんも驚いたように、ぶどうジュースを味わっている。そこに、お皿が運ばれてくる。


スタッフ「こちらアミューズ・グールで御座います」


目の前に出されたのは小さなのシュークリームのようなもの。

中にはサーモンとイクラが見える。


果南「アミューズは日本で言うお通しみたいなものだよ。一口で食べられるものが基本みたいだね」

梨子「そうなんだ……なんか、ちっちゃくて可愛いね」


──お皿の上のシューに手を伸ばし、そのまま口に運ぶ。

シューの間に挟まっている、イクラとサーモンの味が口を楽しませてくれる。

アミューズを終えると、今度は前菜が運ばれてくる。


スタッフ「オードブル、ずわい蟹とギアナ海老のフラン仕立てで御座います」


目の前に出されたのは、


梨子「プリン……?」


器に入った、見た目はプリンのようなもの。でも、ずわい蟹とギアナ海老って言ってたよね……。


果南「フランは洋風茶碗蒸しみたいな感じかな……」

梨子「茶碗蒸し……」


なんとなく味を想像しながら、スプーンで掬って口に運ぶ。

すると──口の中に蟹と海老の風味が広がっていく。

確かに洋風茶碗蒸しというのがしっくり来る料理だけど、濃厚な香りと味がする。


果南「これ……おいしい……」

梨子「うん……!」


初めて食べる料理だけど、一口で気に入ってしまう。

蟹や海老の見た目は残っていないのに、蟹や海老を食べているのが一口でわかるくらい濃厚に素材の味がする。

でも、これってまだ前菜なんだよね……。コース料理だと思うから、まだ始まったばっかりで……。

241: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:54:52.21 ID:vQ6qZL/R0

スタッフ「スープ、ポテトのポタージュで御座います」


前菜に続いて出てきたのは、ポタージュ。

これはまだ見たことがある部類かな……。


果南「スープを飲むときは手前から奥に掬うんだよ」

梨子「うん」


鞠莉ちゃん直伝のテーブルマナーを習いながら、スープを口に運ぶ。

温かい液体が喉から胃に滑り落ちていく。

先ほどのオードブルに比べると、食べ慣れたメニューだけど、ジャガイモの味の中に、ほのかに感じられる別の甘味を感じる。

……これは炒めた玉ねぎ……かな?

一重にポタージュと言っても、普段ファミレスで食べるようなものに比べると味のまろやかさが全然違う。

こうして、食べ慣れたもののはずでも、味の違いを如実に感じられると、本当に良い物を食べている気持ちになる。


梨子「こんなに良い物……食べちゃっていいのかな……」


少し罪悪感すら覚える。


果南「ふふ、今日はクリスマスだから。いいんじゃないかな?」

梨子「……じゃあ、そういうことにしようかな」


何より今日は特別なクリスマス──果南ちゃんと過ごすクリスマスだもん。ちょっとくらい……いいよね。

スープを終えると、また次の料理が出てきて──


スタッフ「ポワソン、白身魚のブレゼで御座います──」





    *    *    *





梨子「──はぁ……♪ おいしかった……」


食事を終えて、お店から出ると、店内の雰囲気から来る特有の緊張感から解放された安心感と同時に、味に満足した感想が漏れ出てくる。


果南「ホントに……! 白身魚のブレゼ……あれおいしかったなぁ……。ああいう調理ってしたことなかったから、今度作ってみようかな」

梨子「私はアントレ……って言ってたよね。伊豆牛の赤ワイン煮……すっごくおいしかった」

果南「わかるわかる! 食べた瞬間ほろほろって口の中で肉が崩れていってさ」

梨子「うんうん! 上にかかってたソースもすっごいコクのある味で……あと、デザートもおいしかったよね……」

果南「さくらんぼゼリーとフランボワーズのムースだっけ」

梨子「うん、さくらんぼとフランボワーズの甘酸っぱさが絶妙にマッチしてて……それに見た目が可愛かったよね」

果南「ふふ、そうだね」

梨子「なんか……こうして一つずつ思い出すと……」

果南「全部おいしかった?」

梨子「ふふ、うん♪」

果南「だよね♪」

242: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:55:33.57 ID:vQ6qZL/R0

果南ちゃんの言葉に頷いて笑う。


果南「まあ、でも……」

梨子「ふふ、何考えてるか当てていい?」

果南「お、言ってごらん?」

梨子「おいしかったけど……私たちにはオシャレすぎてちょっと疲れちゃった?」

果南「……あはは♪ よくわかったね♪」


果南ちゃんが私の回答を聞いて、軽く吹き出す。


梨子「果南ちゃんずっと緊張してたもん」

果南「それを言うなら梨子ちゃんだって」

梨子「ふふ、そうかも」


まだ、私たちには少し大人過ぎる雰囲気だったけど──


梨子「でも……果南ちゃん、今日のデートのためにお店を選んで予約してくれたんだよね」

果南「ん……まあね。エスコートするって言ったし」


果南ちゃんは照れ臭そうに頬を掻きながら、目を逸らす。


梨子「あんなオシャレなお店で、食事が出来るなんて……思ってなかったから、嬉しかった」


何よりも、私のことを考えて、素敵なお店を選んでくれたことが、嬉しくて、幸せで──


梨子「ありがとう……果南ちゃん」


その気持ちをいっぱい乗せて、お礼の言葉を伝える。


果南「どういたしまして。そこまで、喜んでもらえたなら……私も頑張って覚えた甲斐があるよ」

梨子「んー? 覚えたって何をかなー?」

果南「……え!? あ、い、いやーなにかなー?」

梨子「ふふ……」


きっとテーブルマナーだよね。週末に鞠莉ちゃんと猛特訓してたんだと思うと、少し微笑ましい気持ちになる。

ああ、なんか……こういうの、いいな。

果南ちゃんと一緒に過ごして、大切にしてもらって、嬉しくて、幸せで、笑いあって……。

でも、そんな幸せな時間にも終わりはあって──もういい時間になってきた。


果南「梨子ちゃん」

梨子「ん」

果南「最後に……付き合ってほしい場所があるんだけど……いいかな?」

梨子「……うん」





    *    *    *



243: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:56:50.96 ID:vQ6qZL/R0


梨子「うわぁ……! 綺麗……」


思わず声をあげてしまった私の目の前にあるのは、ライトアップされたクリスマスツリー。


果南「せっかくだから、一緒に来たかったんだ」


今訪れている場所は、沼津中央公園。


梨子「沼津にもこういう風にイルミネーションしてる場所があったなんて……知らなかったよ」

果南「うん。今年は大きなツリーがあるって聞いてたからさ。……梨子ちゃんからしたら、少し寂しいイルミネーションかもしれないけど」

梨子「え?」

果南「なんていうか……東京だと、もっともっとすごいイルミネーションがいっぱいあるでしょ?」

梨子「ん……」


確かに、東京だとイルミネーションの綺麗な場所はたくさんある。

私も東京に住んでいた頃は何度かクリスマスシーズンに訪れた覚えがあるけど……。


梨子「……確かに東京だと、もっといっぱい電飾の付いた立派なイルミネーション街とかはあるかな」

果南「あはは、そうだよね」

梨子「でもね」

果南「?」

梨子「東京に居たら、果南ちゃんと一緒には……見られなかったよ」

果南「……梨子ちゃん……」

梨子「ただ、綺麗にピカピカ光ってた東京の街のイルミネーションよりも……今果南ちゃんと一緒に観てる、このクリスマスツリーの方が……私は素敵なものに見えるよ。だって──」


──だって。


梨子「──隣に果南ちゃんが居るんだもん」


伝えて、不意に──


果南「梨子ちゃん──」


抱きしめられた。


梨子「果南……ちゃん……///」

 果南『……好きだ』

梨子「!」

 果南『梨子ちゃんが……好きだ』


頭の中に、声が響く。


 果南『私……梨子ちゃんが……大好きだ』

梨子「……っ」


心に響く、その声が嬉しくて──ぽろぽろと涙が溢れてきて、


果南「り、梨子ちゃん……!? あっ、ご、ごめん……嫌だった……!?」
 果南『い、いきなり抱きしめたから……!?』

梨子「違う……違うの……っ」

244: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:58:01.68 ID:vQ6qZL/R0

私は、涙を手で拭いながら──


梨子「果南ちゃんの気持ちが……嬉しいの……っ」

果南「梨子ちゃん……」

梨子「こうして、抱きしめてもらうと……果南ちゃんの気持ち、いっぱい伝わってきて……それが、嬉しくて……っ」


幸せで、幸せで、涙がぽろぽろと溢れてくる。


梨子「……私も、果南ちゃんと同じ気持ちだよ……っ」

果南「……そっか」
 果南『なんか……今、幸せかも』

梨子「私も……幸せだよ……っ」

果南「もう……梨子ちゃんったら、心でも読んでるのかなってくらい言い当ててくるね」

梨子「えへへ……私……果南ちゃんの心が読めちゃうんだよ……っ」

果南「……梨子ちゃんが言うなら、そうなのかもしれないね……」


果南ちゃんはさっきよりも強く、私を抱き寄せる。


 果南『こんな風に、私の気持ちをわかってくれる子を、好きになれて……好きになってもらえて……私は幸せ者だよ』
果南「梨子ちゃん」

梨子「はい……っ」

果南「私たち……一緒に居ようか」

梨子「うん……っ!」


温かい胸に抱き留められながら、私たちは想いを伝え合って、この聖なる夜に──晴れて恋人同士になったのでした。





    *    *    *



245: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 17:59:23.44 ID:vQ6qZL/R0


梨子「…………」

果南「…………」
 果南『梨子ちゃん……』


──どれくらい抱き合っていただろうか。

お互い何も喋らず、お互いの体温を感じて。

私の頭の中には時折、心の中で果南ちゃんが名前を呼んでくれていることだけがわかる。

そんな中──


果南「……っ゛」
 果南『……痛っ』

果南ちゃんが突然鈍い声を上げる。


梨子「! 果南ちゃん!?」


私は咄嗟に崩れそうになる果南ちゃんの体を支える。


果南「ととっ……ごめん、梨子ちゃん……」

梨子「果南ちゃん……また、足……」

果南「あはは……さっきまで大丈夫だったんだけど、また痛みだして……」
 果南『今回のは……かなり……きつい……かも……』

梨子「……とりあえず、座ろう?」


近くのベンチまで果南ちゃんの手を引いて移動する。


果南「……ふ、ぅ……」


果南ちゃんはゆっくりと息を吐きながら、ベンチに腰を下ろす。


梨子「平気……?」

果南「うん……座ったら、だいぶ楽になったよ」

梨子「本当に……?」


私も隣に座って、手を握る。


果南「ホントだよ」
 果南『座るといつも楽になるんだよね……まあ、足の痛みだし、そういうものかもしれないけど』


確かに嘘ではないらしい。

ただ、痛み方も最初に比べると、どんどん酷くなっている気がする。


梨子「果南ちゃん……やっぱりもう一度病院で診てもらおう……?」

果南「あはは、心配しすぎ……って言いたいけど……確かに、ちょっと長引いてるもんね……」

梨子「私も付き添うから……」

果南「それこそ大袈裟──」

梨子「付き添わせて」


果南ちゃんの言葉を遮るようにして言う。


梨子「……もう、私……ただの部活の後輩じゃないんだよ……?」

246: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 18:00:24.21 ID:vQ6qZL/R0

真っ直ぐ目を見つめて、そう伝える。


果南「……そういう言い方ずるいよ……。わかった、明日一緒に病院に付き添ってくれる?」

梨子「うん!」


多少急ではあるけど、果南ちゃんのためならなんてことはない。

どちらにしろ、そろそろ年末で病院も閉まってしまうだろうから、今行っておかないと次に行けるのは年明け以降になってしまう。


果南「はぁ……最後まで、かっこつかなかったな」

梨子「ふふ……かっこつけたがりだもんね、果南ちゃん」

果南「ええ……そんなことないと思うんだけどな……」

梨子「でも、ツリーの前でぎゅってしてくれたときは──かっこよくてキュンってしちゃったよ?♪」

果南「……解説されると恥ずかしいからやめてよ……///」


果南ちゃんは恥ずかしそうに、頬を掻く。


果南「まだ、最後にやることがあったんだけどな……」

梨子「やること……?」

果南「今日、クリスマスイブでしょ?」

梨子「ん、まあ……」


クリスマスだからデートしてるんだし……と思ったけど、


梨子「……あ」


私もそこでやっと思い出す。


梨子「クリスマスプレゼント……」


せっかく用意してきたのに、さっきの抱擁のインパクトですっかり忘れていた。


果南「結構気合い入れて探したやつだからさ……」

梨子「わ、私も……! 果南ちゃんのことを考えて選んだよ……!」


二人で小さく包装されたプレゼントを取り出して、


梨子「はい……果南ちゃん♪ メリークリスマス♪」

果南「あ……私が先に言おうと思ったのに……」

梨子「こういうのは早い者勝ちなんです♪」

果南「むー……ま、良いけどさ……。メリークリスマス、梨子ちゃん」


お互いのプレゼントを交換する。


梨子「……開けていい?」

果南「もちろん」

梨子「果南ちゃんも、開けてみて?」

果南「うん」


お互い同時に開けて──

247: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 18:01:41.65 ID:vQ6qZL/R0

梨子・果南「「……あ」」


声が揃った。

箱の中に入っていたのは──ネックレスだった。

チェーンネックレスで、ペンダント部分は、小さなガラスドームの中に入っているビーズがコロコロと動いて光る、小さなスノードームになっている──人魚姫をイメージしたアクセサリー。

……を、果南ちゃんも手に持っていた。


果南「まさか……」

梨子「プレゼント被った……?」

果南「…………ぷっ」

梨子「あはは……♪」


二人で顔を見合わせて吹き出してしまう。


果南「まさか、同じ物をプレゼントに選んでるなんて……くくっ」

梨子「私たち、もしかして似た者同士なのかな? ふふっ」

果南「かもね……あーもう、面白いなぁ」


見つけたときは、本当にこれしかない! って思ったんだけど……果南ちゃんも同じように思って手に取っていたと考えると、なんだか可笑しくて笑ってしまう。


果南「でもよく見たら、色は違うね……私のはアクアマリンモチーフかな?」

梨子「うん♪ その色が果南ちゃんにぴったりだと思ったから……私のは……」

果南「ライトローズだよ。ピンク色のカラーを選んだからさ」

梨子「私、お店で見たとき自分で買うならこの色がいいなって思ってたんだ……ありがとう、果南ちゃん」

果南「私も、自分用ならこの色だって思ってたよ」

梨子「ふふ♪」 果南「あはは♪」


また二人で顔を見合わせて笑ってしまう。


梨子「お揃いだね♪」

果南「期せずしてね♪」


自然と笑顔になって、自然と肩を寄せ合う。


果南「梨子ちゃん……これからよろしくね」

梨子「うん……こちらこそ、よろしくね。果南ちゃん」


自然と寄り添って。ああ……なんて、幸せな日だろう。


 果南『こんなに幸せで……いいのかな……』

梨子「ふふ……♪」


また、同じこと考えてる。


果南「……あ」

梨子「?」

果南「雪だ……」

梨子「え……?」

248: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 18:02:34.42 ID:vQ6qZL/R0

思わず顔をあげると──冬の夜空から、真っ白な贈り物がふわふわと降りてきていることに気付く。


 果南『沼津で雪が降るなんて……』

梨子「……聖夜の贈り物だね」

果南「うん……」


再び、身を寄せ合って。今度は自然と手を繋いで。


果南「梨子ちゃん……」

梨子「果南ちゃん……」


私たちは、ただ、ゆったりと降ってくる、聖夜な贈り物を──二人で寄り添ったまま、ぼんやりと見つめていたのでした。


249: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 18:03:01.99 ID:vQ6qZL/R0



    *    *    *





──本当はこのとき、全てを。


本当に全てを、伝え合わなくちゃいけなかったなんて、知らずに……。





    *    *    *



250: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 18:35:24.64 ID:vQ6qZL/R0


──12月25日。


医者「診察の結果ですが……」

果南「はい」

医者「やはり、異常は見られませんね……」

梨子「そんな……!」


私はお医者さんの言葉を聞いて、眉を顰める。


梨子「どこもおかしくないなんてこと……」

医者「発作的に激痛が走るんでしたよね?」

果南「はい……」

医者「ただ、この前検査したときと同様に、骨や筋肉に異常は見られませんし……。それ以外にも腱や皮膚も健康そのものですし……。血栓が出来ているようなこともなさそうなので……」

梨子「で、でも、本人はすごく痛がっていて……!」

果南「梨子ちゃん」


先生の診察に抗議するように声をあげる私を、果南ちゃんが制する。


果南「あの……他に足が痛む原因になるようなことってないんですか?」

医者「そうですね……自律神経失調症で手や足に痛みや痺れを覚える方はいますね……」

梨子「自律神経失調症……」

果南「えっと……つまり、どういう病気ですか……?」

医者「強いストレスを感じ続けて、体のいろいろな部分に不調が生じる症状です。……最近何か強くストレスを感じるようなことは……?」

果南「特には……。……むしろ──」


果南ちゃんは、私の方をちらりと見る。


果南「……んっん/// とにかく、ストレスみたいなものは特に……」

医者「そうですか……。ただ、本人が自覚出来ていないストレスがある可能性はありますから……少し経過を見て、症状が落ち着かないようでしたらまた診察しますので」

果南「わかりました。ありがとうございます」

梨子「あ、ありがとうございます……」





    *    *    *





梨子「……結局、よくわからなかったね」

果南「そうだねぇ……」


沼津の病院からの帰り道、バス停までの道のりを二人で歩く。


梨子「今は痛くない……? 大丈夫……?」

果南「うん、平気だよ」


隣を歩く果南ちゃんをじっくり観察してみる。

ただ、本人の言うとおり、足取りはしっかりしているし、テレパスを使うまでもなく、今は痛まないというのは嘘ではなさそう。

251: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 18:55:54.83 ID:vQ6qZL/R0

梨子「ストレスかもって言ってたけど……」

果南「それこそ、ストレスなんてこれっぽっちも……」

梨子「でも、お医者さんも言ってたみたいに、自覚してないストレスがあるのかもしれないし……!」

果南「あはは、自覚してないストレスって言われると、あっても私にはわからないからなぁ……。でも、もしそういうのがあったとしても……」


果南ちゃんは優しく微笑みながら、


果南「梨子ちゃんと一緒にいたら吹き飛んじゃうと思うんだよね」


そう言葉にする。


梨子「……ぅ///」

果南「ふふ、赤くなった」

梨子「か、果南ちゃんがそういうこと言うからだもん……///」

果南「だってホントにそう思うからさ。……梨子ちゃんはそうじゃないの?」

梨子「そ、そういう聞き方はずるい……/// ……私も果南ちゃんと一緒に居たら……嫌なこと全部吹き飛んじゃう……よ……///」


自分で口にしながら、どんどん顔が熱くなっていくのを実感する。


果南「よかった……。実は梨子ちゃんにとって、私と一緒に居るのはストレスだって思われてたらどうしようかと思ったよ」

梨子「そ、そんなわけないよ……! だって──」


言い掛けて、呑み込む。


果南「んー? だって、何かなー?」


果南ちゃんがちょっといじわるに笑いながら、「だって」の続きの言葉を促してくる。


梨子「……し、知らない……///」


私はぷくっとほっぺたを膨らませて、ぷいっとそっぽを向く。こんな往来で愛の告白まがいのことなんて言えないもん……。


果南「あはは、ごめんって。怒んないでよー」

梨子「い、いじわるな果南ちゃんのことなんて、もう知りません……///」


私は一人すたすたと前を歩きだ……そうとしたら、目の前には赤信号。

私が信号待ちで足を止めたところで、


果南「ごめんね。梨子ちゃんがあんまりに可愛いから、ちょっといじわるしたくなっちゃって」


と、言いながら果南ちゃんが私の手を握る。

──また不意打ちでそういうことするんだから……もう……。


 果南『もう、言葉にしなくても……梨子ちゃんの気持ちはわかるから、いいんだ』

梨子「……///」


心の中でまで恥ずかしいことを……。でも、嬉しい……。

火照る顔を見られないように、そっぽを向いたまま、果南ちゃんの手をきゅっと握る。

そうすると、果南ちゃんが握り返してくれて──ああ、幸せだな……こんなに幸せで、いいのかな……。

252: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 19:53:24.88 ID:vQ6qZL/R0

 果南『なんか……こうして、二人で手を繋いでるだけで……幸せだな……』


また、おんなじ。

自然と顔がにやけるのが止められない。

こんなところ、Aqoursの誰かに見られでもしたら──


 「あれ? 梨子ちゃんと果南ちゃん?」

梨子「っ!!?」


言ってるそばから!? 驚いて果南ちゃんと繋いでいる手をぱっと離してしまう。

声の主の方を見ると、


花丸「あ、えっと……どうかしたの?」


そこに居たのは花丸ちゃんだった。


梨子「え、あ、いやー……な、なんでもないの……///」

花丸「怪しいずら……」


確かに逆の立場だったら、私も怪しいって思うかも……。それくらい、今の私は挙動不審だったよね……。


果南「マルこそ、どうしたの? 沼津まで一人で来たの?」


そんな私を見てなのか、果南ちゃんが話題を逸らしてくれる。


花丸「あ、うん。年末年始のために今のうちに買い出ししなくちゃいけないから……」


言われてみて、花丸ちゃんがたくさんの買い物袋を持っていることに気付く。


梨子「それ全部おうちの買い出し……?」

花丸「お寺だからね……年末年始はやることがたくさんあって、今買い溜めておかないと、大変なことになるずら……っと、話し込んで遅くなったら、じいちゃんに叱られるずら……」


花丸ちゃんはそう言って、立ち去ろうとした折に、ふと──


花丸「あ、そうだ……」


思い出したかのように、私の方に寄ってきて、


花丸「梨子ちゃん、その後はどう?」


と、訊ねてくる。


梨子「え?」


なんのことだろう? 私は思わず首を傾げる。


花丸「前に御祓いの話してたでしょ? ひとまず大丈夫だって言ってたけど……その後、変なこととかないかなって思って」


どうやら、花丸ちゃんは以前話したことを気に掛けてくれていたらしい。ただ、そんな花丸ちゃんの“御祓い”というワードに反応して、


果南「お、御祓い……? 梨子ちゃん、何かあったの……?」


果南ちゃんが青い顔で訊ねてくる。

253: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:17:55.10 ID:vQ6qZL/R0

梨子「あ、うぅん! なんでもないの! えっと……ちょっと運が悪いなって思ってたことを、前に花丸ちゃんに相談してただけで……あはは」


私は果南ちゃんを怖がらせまいと矢継ぎ早に説明をする。


果南「そ、そうなの……?」

花丸「……その様子なら、本当に大丈夫そうだね。でも、もし何か困ったことがあったら言ってね」

梨子「う、うん! ありがとう、花丸ちゃん」

花丸「どういたしましてずら~。それじゃ、二人ともまたね~」


花丸ちゃんは大荷物を持ったまま、立ち去っていく。


果南「り、梨子ちゃん……ホントに何もない……んだよね?」

梨子「うん、大丈夫だよ」

果南「ホントに……?」

梨子「本当に、大丈夫だよ! なんにもない!」

果南「そ、そっか……なら、いいんだけど……」


私の言葉に果南ちゃんが安堵の息を吐く。

果南ちゃん、確か怖いモノが苦手だった気がする。

前に千歌ちゃんが口元を真っ赤っかにしてたときも、怖がってたし……。──あれはトマトを食べていただけだったけど……。


梨子「それより、行こう?」

果南「あ、うん……」


横断歩道を渡ろうと果南ちゃんの手を握ると、少しだけ震えていた。

本当に怖い話が苦手なんだね……果南ちゃん……。

でも、心の声は──


 果南『も、もし……梨子ちゃんに何かあったら……わ、私が……守らなきゃ……』

梨子「……///」


震えながらも、私を守ろうと思ってくれていた。その事実が嬉しくて、また頬が熱くなるのを感じながら……私たちは帰路に就く。





    *    *    *





二人で手を繋いだまま歩いていると──


果南「……っ」
 果南『……また……痛んできた……っ』


果南ちゃんがまた足の痛みを心の中で訴える。


梨子「……ちょっと休憩しようか」

果南「……ごめん、梨子ちゃん……」
 果南『また気を遣わせちゃってる……』

梨子「うぅん、気にしないで……」

254: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:21:20.48 ID:vQ6qZL/R0

近くのベンチまで、果南ちゃんを支えるようにして歩く。

果南ちゃんがベンチに腰掛けると──


果南「……ふ、ぅ……」
 果南『…………やっぱり、座ると、楽になる……』


果南ちゃんの痛みは引いていく。

結局、家に帰るまで、何度もこの繰り返しだった。

しばらく歩くと、果南ちゃんの足はまた痛み出し、座ると痛みが落ち着く。

移動の大半を占めるバスで座ることが出来たのは幸いだろうか……。





    *    *    *





──淡島行連絡船乗り場。


梨子「──果南ちゃん……やっぱり家まで送るよ……」

果南「もう、あとは船に乗るだけだから……大丈夫だよ」

梨子「でも……」

果南「船で往復するのも大変だしさ……」

梨子「…………」

果南「ね?」

梨子「……うん」


私が小さく頷いたのを確認すると、果南ちゃんは一度はにかんでから、踵を返して連絡船乗り場へと歩いていく。

──足を引き摺りながら……。

足を庇いながら、ゆっくり歩を進める果南ちゃんの後ろ姿を見ていたら──やっぱり、我慢できなかった。

私は果南ちゃんの後を追って──


梨子「果南ちゃん……」


果南ちゃんのシャツの裾を掴む。


果南「梨子ちゃん?」

梨子「……今日泊まる」

果南「え……?」

梨子「果南ちゃんの家に泊まる……」

果南「え、いや……」

梨子「ダメ……?」

果南「ダメ……じゃないけど……」

梨子「……離れたくない」

果南「梨子ちゃん……」


果南ちゃんは少し困った顔をしていたけど、私が一向に服の裾を離そうとしなかったからなのか──


果南「わかった。ただし、一度家に帰って準備しておいで? 待ってるから」

255: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:23:21.66 ID:vQ6qZL/R0

宿泊を了承してくれる。ただ、これはこれで果南ちゃんを困らせてしまったかもしれない。


梨子「……ご、ごめんね……。わがまま言って……」

果南「大丈夫だよ。梨子ちゃんが私のことを心配して、そう言ってることくらい、わかってるから」

梨子「うん……」

果南「それにさ」

梨子「?」

果南「離れたくないのは……私も同じだから」

梨子「! 果南ちゃん……///」

果南「今日はずーっと一緒にいよっか」

梨子「うん! すぐに準備して戻ってくるね……!」

果南「ふふ、ちゃんと待ってるから焦らないでいいよ」


私は家へと走り出す──





    *    *    *





──自宅に帰り、バッグに着替えを詰め込む。

果南ちゃんを待たせているので、最低限必要なものを選びながらの荷造りの最中──私は考える。

果南ちゃんの足はどうなってしまったのか……?

お医者さんに訊いても原因がはっきりしない。

痛み方にはムラがあって、痛まないときは本当にいつもと変わらない様子なのに、一度痛み出すと、立っているのも辛いほどの激痛になるらしい。

痛いということは、痛むときだけ何かが悪化してるってこと……?

そして、それがすぐに治って痛みが引くことの繰り返し……。

そんなことってあるのかな……?

もちろん、私は医者ではないし、そういう心得も全くない。実はそういう病気やケガがあるのかもしれないけど……私の感覚では、果南ちゃんが見舞われている足の痛みは、考えれば考えるほど不可解なものに思えてならない。

まるで私たちの想像を超えた何かが果南ちゃんの身に降りかかっていて──


梨子「……って、私何考えてるんだろう……善子ちゃんじゃあるまいし」


そんな人智を超えた不可思議なんて、そうあるはず──と、思い掛けて、


梨子「いや……あった……」


自らの口で否定する。


梨子「テレパス……」


最近あまりに日常的にテレパスを使い過ぎていたせいか、これが普通でないことを忘れかけていた。

考えてみれば、この力は……実のところ、いったいなんなんだろう……?


梨子「…………」


そのとき、ふと──嫌な考えが私の頭を過ぎった。

256: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:26:13.75 ID:vQ6qZL/R0

梨子「…………そんなはずない」


でも、私はすぐにその考えを振り払う。


梨子「…………この力は……私が果南ちゃんを支えるための力……」


自分に言い聞かせるよう、


梨子「…………私が果南ちゃんを一番そばで支えるための……“ご縁”なんだ……」


そう、口にする。


梨子「…………そんなはず、ない……」


自分の中の疑念を掻き消すように──私は呟き続ける……。





    *    *    *





あの後、お母さんに外泊の許可を貰い、船着き場へ戻って来た。


梨子「果南ちゃん……! お待たせ……!」

果南「おかえり」


約束通り、船着き場で待っていてくれた果南ちゃんと合流する。


梨子「足の調子はどう……?」

果南「座って待ってたらだいぶよくなったよ」


そう言いながら、果南ちゃんはその場で軽く足踏みをして見せてくれる。

確かにしっかりした足取りで、またいつものように、痛みが完全に引いているようだった。


梨子「よかった……」

果南「心配掛けてごめん……でも、今日はこれからずっと一緒だから」


果南ちゃんはニコッと笑いながら、優しいトーンで私にそう伝えてくれる。


梨子「……うん///」


──『これからずっと一緒』──そんな果南ちゃんの言葉を聞いているだけで、幸せな気持ちが溢れてきて、変になっちゃいそうかも……。


果南「そろそろ船が来るね……移動しようか」

梨子「うん」


二人で並んで、船乗り場まで歩き出す。

その際──コツンとお互いの手が一瞬触れ合う。

普段だったら、この何気ない触れ合いがくすぐったくて、ドキドキして、それがどうしようもなく幸せに感じる瞬間のはずなのに──私の脳裏を先ほど考えていたことが過ぎって、


梨子「……っ!」

257: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:28:02.08 ID:vQ6qZL/R0

反射的に──ビクッと身を竦ませてしまった。


果南「え、あ……ごめん……びっくりさせちゃった……?」

梨子「あっ、え、えっと……」


自分でも、こんな反応をするつもりがなかったからか、思わず言葉に詰まる。


梨子「そ、その……お泊りでちょっと緊張……してて……あはは」


どうにか言い訳を絞り出す。


果南「あはは、今更緊張しなくても。前にも泊まったことあるんだから」

梨子「……そ、そうだよね……」


一瞬だったから、テレパスもいつものような台詞が流れ込んでくるような形では発動しなかったけど……短く触れ合った時間の間で、なんとなく果南ちゃんの感情が流れてきた気がする。

──『手を繋ぎたい』──という気持ち。

大丈夫。この力は私と果南ちゃんの気持ちを通じ合わせるための力。

悪いものなわけないんだ。自分にそう言い聞かせる。


梨子「か、果南ちゃん……」


だから、言えばいいんだ。果南ちゃんのしたいようになるように、私が気持ちを汲んであげれば──


果南「ん、なに?」

梨子「果南ちゃんが……今、思った通りのこと……して、いいよ……///」

果南「……ん……///」


珍しく、照れたような素振りを見せたあと、果南ちゃんは──私の手をぎゅっと握ってくる。


果南「…………///」
 果南『やっぱり……梨子ちゃんと手繋ぐの……好きかも……』

梨子「えへへ……///」


──ほら、うまくいった。

これはいい力なんだ。私と果南ちゃんを繋いでくれる大切な力なんだ。

悪い力なわけ……ないんだ。





    *    *    *





果南「……っ゛……ぅ゛……」
 果南『これは……き、つい……』

梨子「果南ちゃん、もう少しだから……!」


船から降りると、果南ちゃんの足は再び痛み出した。

そんな果南ちゃんに肩を貸しながら、『Dolphin House』に入る。

258: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:29:39.83 ID:vQ6qZL/R0

梨子「部屋まで行ける……?」

果南「うん……お願いできる……?」
 果南『いつ痛むかわからないなら……部屋で休みたい……』

梨子「わかった……!」


肩を貸したまま、果南ちゃんの部屋までどうにかこうにか辿り着き──


梨子「果南ちゃん……! 着いたよ……!」

果南「う、ん……」
 果南『やっと……着いた……』


果南ちゃんは部屋に着いたのを確認すると、肩を借りていた私から離れて、すぐにベッドの端に腰を下ろして、


果南「……ふ、ぅ……」


深く息を吐く。


梨子「大丈夫……?」

果南「うん……お陰様で……。……いつもどおり、座ったら、落ち着いてきたよ……」

梨子「なら、よかった……」


私も安堵の息を漏らす。


果南「ありがとう……梨子ちゃん……」

梨子「うぅん……当たり前だよ……だって、その……私……/// か、果南ちゃんの……恋人……だもん……///」


改めて言葉にすると、まだ恥ずかしい。例の如く顔が火照っていくのを感じる。きっと赤面している気がする。でも……この恥ずかしささえも、今では、なんだかこそばゆくて心地いいかもしれない。

果南ちゃんの顔を見ると──


果南「うん……///」


果南ちゃんも私と同様に、顔を赤くしていた。


梨子「…………///」

果南「…………///」

梨子「……え、えっと……/// そ、そうだ……! 果南ちゃん、何かして欲しいこととかある……?」


恥ずかしさを誤魔化すように提案すると、


果南「あ、えっと……それじゃ、その……」


果南ちゃんは少しだけ、目を泳がせながら──


果南「隣……座って、くれる……?」


そう言いながら、腰掛けているベッドのすぐ横をぽんぽんと叩く。


梨子「う、うん……/// わかった……///」


私はそわそわしながら、果南ちゃんのすぐ横に腰を下ろす。


梨子「し、失礼します……///」

259: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:31:33.77 ID:vQ6qZL/R0

沈み込む柔らかいベッドの感触を感じながら、腰掛けると──すぐに、果南ちゃんの手が私の手に重ねられる。


 果南『どうしよう……私、今、めちゃくちゃドキドキしてる……』


もちろん、私も同じ。また、同じ気持ちを共有してる。

早鐘を打つ鼓動が心地良い。火照る顔が心地良い。そして何より……重ねられた手から伝わってくる、果南ちゃんの温もりを感じられることが、言葉で言い表せないくらい、幸せだ……。


梨子「果南ちゃん……」


──コテン、と自らの頭を預けるように、果南ちゃんの肩にもたれかかる。


 果南『……ど、どうしよう……こういうときって……抱きしめてあげた方が……いいのかな……?』


……ふふっ。動揺している果南ちゃんの心の声を聞いて、内心笑ってしまう。

いつものように見栄っ張りで、年上の余裕を見せたいって思っているところも、果南ちゃんらしくて……そんなところも、好き。


梨子「……果南ちゃん」

果南「……ん」

梨子「今……果南ちゃんが思ってるとおりにして……欲しいな……///」


だから、こう伝えるんだ。

こうすると、うまく行くから。


果南「梨子ちゃん……」


果南ちゃんが半身を捩りながら、腕を私の背中に回して──私はそのまま抱き寄せられる。

果南ちゃんのハグは何度も経験してきたけど──


 果南『……ああ、私……梨子ちゃんが、好きだ……』


いままでのような、ただ、ぎゅーっと抱きしめるだけのハグと違って、まるで壊れモノでも扱うような優しい優しい抱擁だった。


果南「……苦しくない?」

梨子「……うん///」


控えめに頷くと、私の背中側に回された手が私の髪を優しく撫でつける。


 果南『梨子ちゃんの髪……さらさらだ……』

梨子「果南ちゃん……///」

果南「ん……?」

梨子「名前……呼んで……?///」

果南「……梨子ちゃん……」

梨子「うん……///」


果南ちゃんの胸に抱かれて──ドクンドクンと、鼓動を感じる。果南ちゃんのかな? それとも私の? ──うぅん、お互いの、だよね。

果南ちゃんが息をするたび、胸が上下しているのもわかる。

果南ちゃんの吐息の音さえも、聴き取れる、至近距離。

──視界も、匂いも、音も、温もりも、私の全部が果南ちゃんで埋め尽くされている。

そして──

260: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:33:22.01 ID:vQ6qZL/R0

 果南『梨子ちゃん……好き……好きだよ……』


──心の中まで。

私は全身で──うぅん、全身全霊で果南ちゃんを感じている。

──幸せで溶けてしまいそうだった。

幸せでとろけた思考のまま、顔をあげると──


果南「……梨子ちゃん……」


果南ちゃんが私の瞳を覗き込むように、こっちを見ている。


 果南『梨子ちゃん……可愛い……好きだよ……』

梨子「…………果南ちゃん……///」


私は──目を瞑った。


 果南『あ……これって……』

梨子「果南ちゃん……いい、よ……///」

果南「……梨子ちゃん……」


──ゆっくりと果南ちゃんの顔が近付いてくるのが気配でわかる。

どんどん気配が近付いてきて、果南ちゃんの吐息を顔に感じる。

お互いの唇があと数ミリで触れ合──

──ガチャ。


おじい「──果南、飯……」

果南「…………」

梨子「…………」

おじい「……すまん」


──バタン。


果南「…………」

梨子「…………」


無言のまま、離れる。

数秒ほど、お互い無言の時間が流れたのち──


果南「……ちょっとおじいのところ行ってくる」


そう言って、果南ちゃんが立ち上がろうとして、


果南「……っ゛」


すぐに鈍いうめき声と共に、ベッドの上に逆戻り。


梨子「あっ、無理しないで……!」

果南「……あーもう……こんなときに限って痛むし……」

261: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:36:00.38 ID:vQ6qZL/R0

果南ちゃんは悔しそうに握りこぶしでぽんぽんと自分の膝を叩く。

この前もそうだったし、とりあえずおじいちゃんに説明したいんだよね……。


梨子「わかった」

果南「?」

梨子「私がおじいちゃんに話してくるね」

果南「え?」

梨子「ちゃんと説明してくるから!」

果南「えっ、ちょっと待って、梨子ちゃ──……っ゛……!」


ベッドからするりと抜け出して、部屋を出て行く私。

それを追おうとして、立ち上がるも、三たび痛みでベッドに腰を下ろす果南ちゃん。


梨子「果南ちゃんは、じっとしてて!」

果南「あっ、ちょ──」


──パタン。

扉を閉めて、


梨子「……よし」


私はおじいちゃんの所へと歩き出す。





    *    *    *





──おじいちゃんはリビングで夕食を食べているところだった。


梨子「あ、あの……おじいちゃん」

おじい「……なんだ」


声を聞いて、おじいちゃんが私の方に振り返る。


梨子「さっきのことなんだけど……」


ちゃんと、筋の通っている言い訳を、と思って口を開いたものの──……あれ? 何を言い訳すればいいんだろう……?

よくよく考えてみれば、前回のときは誤解だったけど……今回はお互い好き合った状態で、合意の上でのキス未遂。

……しまった、その辺りのことを、ちゃんと考えていなかった……。


梨子「あー……えっと……」

おじい「……」


と、とりあえず、何か言わなきゃ……!

262: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:37:21.43 ID:vQ6qZL/R0

梨子「き、今日のお魚はなんですか!?」

おじい「梨子」

梨子「は、はいっ!」

おじい「果南は好きか」

梨子「へぇっ!?///」


素っ頓狂な声が出た。ただ、おじいちゃんはそんな私の間抜けな声を意に介することもなく、


おじい「果南は好きか」


もう一度、そう訊ねてきた。

──きっと、これは……真剣に答えないといけない場面だ。


梨子「……はい……///」


だから私は、素直に頷く。

それだけ聞くと、おじいちゃんは、


おじい「わかった」


とだけ言って、おじいちゃんは元のとおり机に向き直って、食事を再開しようとする。


梨子「え、あの……」

おじい「なんだ」

梨子「その……それだけ……ですか……?」

おじい「ああ、いや……さっきはすまん」

梨子「そ、そうじゃなくて……!」


もちろん謝罪をして欲しかったわけじゃない。

ただ、さっきの確認は──きっと、そういうことだと思う。

その割にあまりに淡泊な反応に、逆に動揺してしまう。


梨子「あの……えっと」

おじい「…………」


おじいちゃんは軽く頭を掻いてから、もう一度私の方に体を向けて、


おじい「果南が幸せなら、俺が口出すようなことじゃない」


渋く、しゃがれた声で、でもしっかりと聞き取れるはっきりとした声で、そう言いました。


梨子「おじいちゃん……」

おじい「梨子」

梨子「は、はい……」

おじい「果南を頼む」

263: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:39:48.05 ID:vQ6qZL/R0

前聞いたときと同じ言葉。

世界で一番、果南ちゃんを大切に思っているであろう、家族からの、願い。

私は──


梨子「はい」


頷いた。


梨子「絶対に、果南ちゃんのそばに居ます」


おじいちゃんの言葉に、しっかり、はっきりと、そう答えました。


おじい「…………」


それを聞いたら満足したのか、おじいちゃんは今度こそ、私から顔を背け、箸を手に取る。

私はそんなおじいちゃんの背中に向かって──ペコリと頭を下げてから、果南ちゃんの待つ部屋へと戻るのでした。





    *    *    *





果南ちゃんの部屋のドアを開けると、


果南「おっと……」


ちょうど部屋から出ようとしていた果南ちゃんと鉢合わせる。


梨子「足、大丈夫?」

果南「うん、落ち着いてきた。……それより……」

梨子「ふふっ、ちゃんと説明してきたよ?」

果南「おじい、何か言ってた……?」

梨子「えっと……すまんって言ってたよ」

果南「……おじい、ホントに意味わかって謝ってるのかな……」


果南ちゃんは肩を竦めながら、溜め息を吐く。


梨子「それより……痛みが落ち着いてるなら、ご飯食べる……?」

果南「そうだね……まだおじいも食べてるだろうし……」

梨子「うん!」


せっかくなら食事は家族と取った方がいいもんね。

私が頷くと、


果南「行こっか」


果南ちゃんは、自然に私の手を取って歩き出す。

264: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:41:21.62 ID:vQ6qZL/R0

 果南『タイミング逃しちゃったな……』

梨子「?」

 果南『……今更言い訳してもしょうがないし、おじいに梨子ちゃんのこと、ちゃんと紹介しようと思ったのに』

梨子「……!///」


思わず足を止める。


果南「梨子ちゃん?」
 果南『どうかしたのかな?』

梨子「あっ、いや/// な、なんでもないの……なんでも……///」

果南「そう?」


また赤くなっているであろう顔を伏せながら──私は改めて、この繋がりを離さないようにと、果南ちゃんの手を強く握り返すのでした。





    *    *    *





梨子「ふぅ……さっぱりした……」


──食事のあと、順番に入浴をして、部屋に戻ってきた。


果南「おかえり」

梨子「ただいま」

果南「髪乾かしてあげるから、座って」

梨子「うん」


私がベッドに腰掛けると、果南ちゃんが後ろからドライヤーを掛け始める。


 果南『やっぱ梨子ちゃんの髪……綺麗だなぁ……』

梨子「……///」


嬉しい称賛と共に、一人恥ずかしくなりながらも、どうやら今は足の痛みも落ち着いているようで、少し安心する。

お風呂に入っているときに、足の発作が起こらなかったことは本当に幸いだ。

ふと、そこで思う。


梨子「ねぇ、果南ちゃん」

果南「ん?」


ドライヤーを掛け終わったタイミングで果南ちゃんに訊いてみることにした。


梨子「足のことって……おじいちゃんには言ってないの?」


前に聞いたとき、おじいちゃんは果南ちゃんの足については何も知らなかったし……。

265: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:45:12.18 ID:vQ6qZL/R0

果南「ああ、うん……まあね」

梨子「言わないの……?」

果南「おじいも歳だからね。変に心配掛けたくないし……ケガや病気も出来る限り、自分で対処したいというか……。それに、今までは家にいるときに足が痛むことってあんまりなかったからさ……」

梨子「そうなの?」

果南「うん。ただ、無理はするなとは言われたんだよね……。どっかのタイミングで気付かれたのかもしれないけど……」


たぶん、それは私がおじいちゃんに聞いたのが原因だろう。

だとしたら、やっぱり余計なこと言っちゃったのかも……。


果南「これ以上悪化するようなら仕事の手伝いのこともあるから、言った方がいいかもしれなけど……。どっちにしろ今年はもうお客さんもいないみたいで、お正月明けるまではのんびり進行だからさ」

梨子「そっか……」


もちろん無理はして欲しくないけど……果南ちゃんなりに考えているなら、私がこれ以上どうこうは言いづらい。

いくら恋人になったとはいえ、いきなり家族や家業の問題にまで口を出すのは、いろんなステップを飛び越え過ぎだと思うし……。


果南「まあ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ! たぶん、どうにかなるからさ!」


ある意味、この大雑把さは果南ちゃんらしいかもしれない。

どちらにしろ、お医者さんに訊いても原因がよくわからない以上、こちらから打つ手は──でもそんな中で私の頭を過ぎるのは、またしても別の……ケガや病気とは違うものである可能性。


梨子「…………」

果南「梨子ちゃん?」

梨子「あ、うぅん……なんでもない」


私は頭を振る。

それこそ、気にしすぎだよね……?

私が一人もやもやとした疑念を胸中に抱いていると、


果南「ホントにそんなに心配しないでも大丈夫だよ」


果南ちゃんはそう言いながら、私を後ろから抱きすくめる。


梨子「か、果南ちゃん……?///」

果南「私は、梨子ちゃんがそばにいてくれたら……痛いのも辛いのも飛んでっちゃうからさ……」
 果南『梨子ちゃんが居てくれれば……それだけで、きっとどうにかなる気がするんだから、不思議だよね』

梨子「……うん///」


私は果南ちゃんの言葉に頷く。

うん、そうだ。今私に出来ることは、少しでも果南ちゃんのサポートが出来るように、こうしてそばにいることだよね。

そう自分に言い聞かせる。


 果南『……梨子ちゃんを安心させるためのハグなのに……むしろ私が安心してるかも』


私がそばにいるだけで……果南ちゃんが安心してくれる。

だからこれでいいんだ……これで──





    *    *    *



266: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:46:57.54 ID:vQ6qZL/R0


時刻午後10時。

そろそろ就寝時間という頃合。

もちろん、今日は果南ちゃん用の敷布団は用意されておらず……。


果南「梨子ちゃん。……おいで?」

梨子「……うん///」


果南ちゃんが座ったまま両手を広げて待っているベッドへ、私もお邪魔する。


果南「ハグっ」

梨子「きゃ……///」

果南「ぎゅー……」

梨子「えへへ……果南ちゃん……///」


本日何度目かわからない、恋人からのハグ。

でも何度されても嬉しくて、幸せが込み上げてくる。

甘えるように、果南ちゃんの胸に顔を埋めると、


 果南『梨子ちゃん……可愛い……』


こちらも何度目かわからない心の声を聞かせてくれる。


梨子「果南ちゃん……///」

果南「んー?」

梨子「今日は……果南ちゃんにぎゅってされたまま……眠りたい……///」

果南「ふふ……いいよ」
 果南『あーもう……私の恋人、ホント可愛いなぁ……』


抱きしめられたまま、一緒に横になって、肩まで布団を掛けて、リモコンで電気を消す。

部屋が暗くなり、お互いの顔が見えなくなる。

でも、私は暗くなった中でも果南ちゃんから目を逸らせなくて──次第に目が慣れてくると、暗闇の中で、果南ちゃんの二つの瞳も私を見つめていることに気付く。


 果南『あ……梨子ちゃんも私のこと、見てる……』

梨子「ふふ……」


また、おんなじ。


梨子「果南ちゃん……」


名前を呼んで、さらに体を密着させる。

すると、果南ちゃんは、私の頭を優しく撫でてくれる。


果南「梨子ちゃん……おやすみ」

梨子「うん……おやすみ……」


果南ちゃんの胸の中で、目を瞑る。

果南ちゃんの匂いに包まれていて、すごく落ち着く……。

幸せな気持ちを抱いたまま、果南ちゃんの温もりを感じていると──意識は思ったより早く、眠りの世界へと沈み込んでいく。

その間、ずっと──

267: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:48:26.05 ID:vQ6qZL/R0

 果南『梨子ちゃん…………梨子ちゃん…………好きだよ……』


そんな果南ちゃんの心の声を聞きながら──私は夢の世界へと、落ちていきました。





    *    *    *





 『梨子ちゃん』


声がする。


 『好きだよ』


私の大好きな人の声。

私も好き。大好き。

寝ても覚めても、私の頭の中に木霊する愛の言葉。

──ああ、幸せだ。

こんなに幸せでいいのかな。

……いいよね。

こんなに幸せなんだもん。

間違ってるはずない。


 『梨子ちゃん、好きだよ』


私も大好き。

声に溺れるように。

力を抜いていく。

全部がどうでもよくなるくらい、幸せに浸りきろうとした、そのとき──


 「いいの?」


違う声が、聞こえた。

ある意味で、世界で一番聞きなれた、一番聞いてきた、声。

これは──私の声……?


 「本当に、これでいいの……?」


……何が? 何がいけないの……?


 「本当は気付いてるんじゃないの?」


……何に?


 「自分の、間違いに」


…………。


 「今なら、間に合うかもしれない、だから……!」

268: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:49:40.28 ID:vQ6qZL/R0

──うるさい。

私は耳を塞いだ。

私が、私の幸せの邪魔……しないでよ……。


 「お願い……! 耳を塞がないで……!」


やめて。私には関係ない。


 「このままじゃ、本当に……!!」


──うるさい。


 「ねぇ……!!」


──うるさいっ!!!

私は、私の言葉を掻き消すように、叫んだ。

すると、声は聞こえなくなった。

──これで、いいんだ。

間違ってるはずない。

私も、果南ちゃんも、幸せなんだから。

だって……だって、そうじゃないと……私は……ずっと果南ちゃんのことを──





    *    *    *





──チュンチュン。


梨子「……ん、ぅ……」


ぼんやりと目を開けると──


果南「…………すぅ……すぅ……」


私は果南ちゃんの胸の中に居て、すぐそばから果南ちゃんの寝息が聞こえてくる。


梨子「…………」


辺りを見回すと、カーテンの隙間から光が漏れている。

果南ちゃんも眠っているし、もう一度寝ようかなとも思ったけど……。

変な夢を見たせいか、いやに目が冴えていた。

内容を正確には思い出せないけど……気分が悪くなるような夢だった気がする。

──果南ちゃんを起こさないようにゆっくりと、彼女の胸の中から抜け出す。


果南「ん、ぅ……」


私が離れると、果南ちゃんは私を探しているのか、何かを手繰るような仕草をしたけど、


果南「…………すぅ…………すぅ……」

269: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:51:28.59 ID:vQ6qZL/R0

すぐにまた寝息を立て始めた。


梨子「……顔洗ってこよう」


ぼんやりした頭を覚ますために、私は一人部屋を出て、洗面所に向かうことにした。





    *    *    *





梨子「──ふぅ……」


顔を洗って、すっきりしたところで──


梨子「あれ?」


リビングに人影を見つける。

もちろん、果南ちゃんが自室で眠っている以上、この人影が誰のものかは決まっていて──


おじい「……梨子か」

梨子「おはようございます……」


そもそもおじいちゃんは普段から早起きだから、仕事がない日に朝早く起きていてもおかしくはないんだけど……。

私が疑問に思ったのはそこではなく、おじいちゃんが何やらバッグに荷物を詰めているところだったからだ。


梨子「どこかいくんですか?」

おじい「ああ、数日家を空ける」

梨子「……へ?」

おじい「大晦日には戻る」


それだけ言っておじいちゃんは荷物を持って、出ていこうとする。


梨子「ち、ちょっと待って……! どこに行くんですか……?」

おじい「休暇だ」

梨子「休暇って……旅行ってことですか……?」


年末年始は仕事がないって果南ちゃんも言っていたし……この機会にってことなのかな……?


おじい「ああ。十千万旅館に世話になってくる」


思ったより近所……。旅行といえば旅行だけど……。


おじい「梨子」

梨子「は、はい……?」

おじい「何日か泊まっていけ」

梨子「……はい?」

おじい「果南を頼む」


最後にそれだけ残して、おじいちゃんは出て行ってしまった。

270: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:52:43.67 ID:vQ6qZL/R0

梨子「…………」


つまり……おじいちゃん、気を遣ってくれたってこと、なのかな……?





    *    *    *





果南「旅行に行った……?」


リビングで席に座っていた果南ちゃんは、私の説明を聞いて眉を顰める。


梨子「うん……そう言ってた。あと何日か泊まっていけとも……」

果南「……はぁ、相変わらず勝手に決めちゃうんだからなぁ……梨子ちゃんにも事情があるのに、困っちゃうよね」

梨子「私は、別にいいんだけど……」


私も受け答えをしながら、出来立てのたまご焼きが載ったお皿を机に置いて、果南ちゃんの隣の席に着く。

──本日の朝食はご飯と海苔とたまご焼き、あと例の如く昨日おじいちゃんが多めに作ったお味噌汁の残り。


果南「まあ、梨子ちゃんがいいならいいんだけどさ……」

梨子「それより、食べよ?」

果南「ん、そうだね」

梨子・果南「「いただきます」」


二人で手を合わせて、いただきます。

お箸を手に持つと、同時に──


果南「梨子ちゃん、あーん♪」


口元に差し出される、たまご焼き。


梨子「あ、あーん……///」


恥ずかしいけど、もう遠慮する理由もないし……素直に食べさせてもらう。


梨子「あむ……///」

果南「……おいしい? って、私が作ったんじゃないけど……」

梨子「うん……///」


今日もたまご焼きの味付けがばっちりなのを確認してから──


梨子「か、果南ちゃん……///」

果南「ん」

梨子「あーん……///」

果南「ふふ、あーん♪」


今度は果南ちゃんにたまご焼きを食べさせてあげる。

271: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:57:21.58 ID:vQ6qZL/R0

梨子「お、おいしい……?」

果南「うん! やっぱこの味だよね……毎朝、作って欲しいくらいだよ」

梨子「へ……///」


──そ、それって……。


果南「? どうかしたの?」

梨子「…………」


そうだった。この人はこういうことを無意識で言うんだった。


梨子「そうだ……足の調子はどう?」


気を取り直して、他の話題を振る。


果南「ん……ちょっと痛いけど……歩けないほどじゃないかな」

梨子「そっか……」


とりあえず、比較的落ち着いているようで安心する。


果南「ただね……足じゃないんだけど……」

梨子「?」

果南「起きた直後、声が出なくてさ……」

梨子「声……?」


言われてみれば……朝食を作っているときに洗面所の方から、うがいをする音がしていたような……。


梨子「風邪……?」

果南「なのかな……? ただ、喉の方は別に痛いとか、そういうことはないんだよね……ただ、声が掠れて出なかったというか」

梨子「起き抜けだったからかな……?」

果南「まあ、そうかもね」


──このときの私たちは、声が出ないという現象に対して、悪くてもちょっとした風邪程度にしか認識していなかった。

この後、異変が一気に加速していくとも知らずに……。





    *    *    *





それは、お昼を過ぎたころだった。


果南「ん……ん゛っ……」

梨子「? 果南ちゃん……?」


果南ちゃんが、喉を抑えながら、咳払いを始める。


果南「ぁ……ぁ…………」

梨子「声、出しづらいの……?」

272: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 20:58:40.91 ID:vQ6qZL/R0

訊ねると、果南ちゃんは首を縦に振る。

どうやら、思ったよりも喉の調子が悪そうだ。


果南「のど……ぁ……め……」


声を掠れさせながら、立ち上がると同時に──


果南「……っ゛!」


足を庇うようにすぐに蹲ってしまう


梨子「む、無理しないで……!」


すぐさま、駆け寄る。


 果南『……のど飴……確か、リビングに……』

梨子「のど飴が欲しいの?」


再び、私の言葉に果南ちゃんは首を縦に振る。


梨子「わかった、取ってくるから待ってて」


私は一人リビングに向かう。

──果南ちゃんの症状は、時間を経るごとに悪化し始めていた。

特に今日の足の痛みは酷いようで、朝食を取ったあとはほとんど座ったまま過ごしている。


梨子「のど飴……あ、これかな」


リビングの机の上に小さな瓶に入った飴を見つける。瓶ごと手に持って、すぐに果南ちゃんの部屋に戻る。


梨子「果南ちゃん、のど飴持ってきたよ!」

果南「ぁり……が……と……」


掠れる声でお礼を言いながら、果南ちゃんは瓶から飴を一粒取り出して、舐め始める。


梨子「大丈夫……?」

果南「……ご、め…………りこ……ちゃ……」

梨子「む、無理に喋らないで……」


私は果南ちゃんの手を握る。


 果南『……せっかく、一緒にいるのに……足の痛みでどこにもいけないし……声も出なくなってきて……』

梨子「気にしないで……? 私は果南ちゃんと一緒に居られるだけで嬉しいよ……」

 果南『梨子ちゃん……』


伝えると、果南ちゃんは私を抱き寄せる。


梨子「落ち着いたら……次、何して遊ぶか考えよっか」

果南「……ん……」
 果南『たぶん……いつもの調子なら……そろそろ波が引く……はず、だよね……?』

273: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:00:06.04 ID:vQ6qZL/R0

痛みに耐える果南ちゃんの背中に手を回しながら、私はこの期に及んで、少し経てば症状が落ち着くだなんて……楽観的に捉えていた。

──結論から言うと、このあと果南ちゃんの症状が落ち着くことは……なかった。





    *    *    *





果南「…………」

梨子「果南ちゃん、お夕飯作ってきたよ?」

果南「…………ぁ……」

梨子「無理に喋らなくても大丈夫だよ。一応おかゆにしてきたから……」

果南「…………」


もうすっかり日も落ちた今も、果南ちゃんの声は快復していない。

それどころか、あれ以降いつもだったら、波のあった足の痛みが一向に引かなくなってしまった。

あまりに長く続く痛みと、コミュニケーションが困難な状況に疲れてしまったのか、普段から明るい果南ちゃんもさすがに元気がなくなってきていた。

ベッドの上で上半身だけ起こした状態の果南ちゃんの横に、おかゆの載ったお盆を置いてから腰掛け、


梨子「……ふー……ふー……。……はい、あーん」


口元にスプーンを運ぶ。


果南「………………」


果南ちゃんは無言で口を開いて、おかゆを食べる。


梨子「熱くない?」

果南「…………」


訊ねると、首を縦に振る。


梨子「味濃くないかな?」

果南「…………」


再び、首を縦に振る。


梨子「よかった、じゃあ次……はい、あーん──」





    *    *    *





食事を終えると、果南ちゃんはしきりに瞬きを繰り返し始めた。


梨子「果南ちゃん……?」


何かと思って、手を握る。

274: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:01:34.59 ID:vQ6qZL/R0

 果南『なんか……目が……痛い』

梨子「目……?」


果南ちゃんの目を見ると──その目は真っ赤に充血していた。


梨子「ちょっと、ごめんね……」


果南ちゃんの両頬辺りに手を添えて、親指で下瞼を引っ張り、眼球を見てみる──

そこにあるのは充血しきった真っ赤な目があるだけ。


梨子「…………」

 果南『梨子ちゃん……黙っちゃったけど……私の目、どうなってるんだろう……?』

梨子「……あ、えっと……ちょっと充血してるね。目薬とかってあるかな?」

果南「…………」


訊ねると、果南ちゃんはコクンと頷く。


 果南『確か冷蔵庫に入れてたはず……』

梨子「冷蔵庫の中?」

果南「…………」


再び私の言葉に頷く。


梨子「ちょっと、取ってくるね」


おかゆを食べたあとの食器を運ぶついでに、冷蔵庫まで目薬を取りに行く。

──その際、今さっき見た目を思い出す。

真っ赤に染まった、目があった。

──目“しか”なかった。

もっと正確に言うと、本来目の痛みを訴えた人の眼球にあるはずのものが、ほぼなかった。


梨子「……涙が……なかった……」


そう、果南ちゃんの眼球は酷く乾いている状態……すなわち、ドライアイの状態だった。

素人の私が見ても、一目で目が乾燥していることがわかるのは、かなり酷い状況なんじゃないだろうか。

──悪化する足の痛み、声枯れ、そして酷い目の充血とドライアイ……。

どうしてこんな急にいろんな症状が出始めてしまったんだろうか。部位的にも共通項が見つけられない。


梨子「やっぱり……」


私は流しに食器を置きながら──自分の手の平を見つめる。


梨子「……ち、違う……。果南ちゃんの声が出せない今こそ、必要な力だよ……」


この力は、今こそ必要な……果南ちゃんを支えるために、私に与えられたものだもん……。


梨子「は、早く戻らないと……」

275: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:02:34.16 ID:vQ6qZL/R0

冷蔵庫の中の目薬を見つけて、すぐに果南ちゃんの部屋にとんぼ返りする。

頭の遥か隅の方で、鳴り響いている警鐘を、聞き逃しながら──





    *    *    *





立つのも辛い状況で、お風呂なんて入れるはずもなく……。


梨子「果南ちゃん……背中拭くね?」

果南「…………」


今日はお風呂はやめて、お湯で湿らせたタオルで身体を拭いてあげる。

前は自分でやってもらったけど、背中側はやっぱり一人だと大変だろうからと、手伝っている真っ最中。


 果南『……なんだろ……まるで、私……病人だ……』

梨子「…………」


目に見えて、果南ちゃんの意気が沈んでいくのがわかる。


 果南『……梨子ちゃんにも、申し訳ないよ……』

梨子「果南ちゃん……私のことは気にしないで? 好きでやってるだけだから……」

 果南『こんなことさせるために……恋人になったわけじゃないのに……』

梨子「……支えあうのが、恋人だから……ね?」

 果南『……自分が……情けない…………』

梨子「大丈夫だから……!」

 果南『……こんなの……もう、介護……だよ……』

梨子「…………」


落ち込み続ける果南ちゃんに、なんて言葉を掛ければいいのか悩みながら……私は果南ちゃんの身体を拭き続ける。





    *    *    *





果南「………………くぅ……くぅ……」

276: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:03:55.77 ID:vQ6qZL/R0

背中を拭いてあげたあと、果南ちゃんは眠ってしまった。

精神的な疲弊があまりに大きかったのもあると思う。

憔悴しきって、眠ってしまった果南ちゃんの隣で、私は考える。

この状況が明日も続くようなら、おじいちゃんに連絡をした方がいい。

おじいちゃんが携帯電話を持っているのかはわからないけど……幸い行先は十千万旅館だと聞いている。

なら、千歌ちゃんに連絡をすれば最悪、コンタクトは取れるはず。

場合によってはお医者さんを呼ぶ必要もある。

ただ、今日は……もう……眠ろう。

私も疲れてしまった。

──果南ちゃんの隣で横になる。


梨子「果南ちゃん……絶対、私が支えるから……」

果南「………………くぅ………………くぅ……」

梨子「おやすみ……」


果南ちゃんの寝顔をしかと確認してから、目を閉じた──





    *    *    *





──夢を見た。

青い青い海を泳ぐ、紺碧の髪の人魚姫の夢。

でも、この人魚姫は幸せでした。

声を失っても、歩くことが出来なくても、この人魚姫の気持ちは──何故か王子様に伝わっていたのです。

言葉を交わさずとも、歩いて寄り添うことができなくとも、彼女の気持ちは王子様に通じ、王子様は人魚姫を迎え入れます。

幸せの絶頂の中、物語は終わ──りを──迎、え──


 「なに……?」


幸せな物語が突然、ノイズが入ったように乱れ──


 『こんなものはまやかしだ』


──声が響く。


 『子供の思い描く、都合の良い幻だ』


次の瞬間。幸せだったはずの人魚姫が──泡立ち始める。

紺碧のポニーテールを揺らしながらどんどん泡沫に消えていく。

そして、人魚姫は──……消えて、なくなった。





    *    *    *



277: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:05:58.73 ID:vQ6qZL/R0


梨子「──……っ!!」


──私は飛び起きた。


梨子「はぁ……っ!! はぁ……っ……!!」


心臓がバクンバクンと激しく脈を打っている。

全身に冷や汗をかいていて、気付けば手足が震えている。


梨子「ゆ、め……?」


肩で息をしながら、私は頭を軽く押さえる。

嫌な夢だった。

ただの人魚姫の話だったら、別にいい。

でも、あの人魚姫の姿は……どう見ても……。

──そこで私はハッとして、隣で寝ているはずの彼女に顔を向ける。


果南「………………」


ただ、それは杞憂だったようで、彼女は──果南ちゃんは、うっすらと目を開けて横たわったまま、私を見上げていた。

果南ちゃんはそのまま、ゆっくりと手を伸ばして、私の手に自らの手の平を重ね、口を開く。


果南「……り…………ゃん…………ょぅ…………」
 果南『梨子ちゃん……大丈夫……?』


ほとんど音になっていない掠れた声。ただ、心の声を聞く限り、心配してくれていることがわかった。


梨子「大丈夫……ちょっと、変な夢見て……起こしちゃって、ごめんね」

果南「…………」


果南ちゃんはふるふると首を横に振る。

一度微笑みかけてから、私はベッドから足を下ろす。

今日はどうしたものか。

昨日考えたとおり、症状が落ち着いていないなら、おじいちゃんを呼び戻して、お医者さんに掛かる方向だと思うけど……。


梨子「果南ちゃん」

果南「……?」

梨子「足の調子……どう……?」


手を握りながら、訊ねる。


 果南『どう……だろ……』


果南ちゃんは首を傾げる。


 果南『立ってみないと……わかんないな』

梨子「……一度、立ってみる? 私が支えるから」

果南「…………」
 果南『試して……みよう……』


私の言葉に果南ちゃんは、首を縦に振る。

278: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:07:30.46 ID:vQ6qZL/R0

梨子「よし……それじゃ……」


果南ちゃんが上半身を起こして、ベッドの端から足を垂らす。

足が軽く、床に着くと── 一瞬ビクッとして、足を引っ込める。


 果南『……だ、大丈夫……いつもなら、寝起きは……落ち着いてる……』


怖いんだ。昨日一日刺すような痛みに耐えていたんだもん。


梨子「果南ちゃん、怖いなら……無理しなくて、いいよ?」

果南「…………っ」


でも果南ちゃんは私の言葉に首を振る。


 果南『試しもしなかったら……もうホントに立てなくなる気がして……怖い……』

梨子「……わかった」


私は果南ちゃんの脇の下に頭を通して、支えるような形を取る。


梨子「せーのでいける?」

果南「…………!」
 果南『それで、やってみよう……』


果南ちゃんが首を縦に振った。

よし……!

息を吸う。


梨子「せーの……!」


果南ちゃんが足を出して──

立ち上が──


 『───¢£%#&□△◆■!!!?!!?!?』

梨子「っ゛!!?!?」


急に頭の中を、爆音が劈いて、蹲る。


梨子「……ぁ゛……づっ……!!」


目がちかちかして、頭がぐらぐらする。


梨子「……今の……何……っ……」


頭を押さえながら、立ち上がった傍らに……──倒れていた。


梨子「………………え?」


海のような深い青色の髪の少女が。

──私の大好きな、世界で一番大切な、大事な人が。

倒れていた。

279: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:08:51.34 ID:vQ6qZL/R0

果南「……………………」

梨子「あぁぁぁぁっ……!!」


私は目を見開く


梨子「──果南ちゃんッ!!!!」


すぐに彼女の傍らにしゃがみ込み肩を揺する。


梨子「果南ちゃんっ!!? 果南ちゃんッ!!!!!」


絶叫に近い声量で果南ちゃんの名前を呼びかける。

でも、


果南「……………………」


彼女からは一切の反応がない。


梨子「果南ちゃんっ!!! しっかり……!!! しっかりして……!!!」


肩を揺すっても、顔に触れても、手を握っても、反応がないどころか──テレパスも起こらない。


梨子「はっ……!! はっ……!!! はっ…………!!!」


動悸がしてきて、息が切れる、目の前で起こっていることに現実感がない。

何が起きてる? 何が起きているの? 何が起きてしまったの……!!?

焦り、混乱する思考の中、


梨子「た、助け……よ、呼ばなきゃ……っ!!!」


自分の周囲を手探りで探し始める。


梨子「携帯、どこ……!! どこ……!!?」


焦って回る視界の中──かろうじて、ベッドの上に置いてある自分のスマホが目に入る。


梨子「あった……!!」


引っ手繰るように手に取って、電話帳を開く。


梨子「き、救急車……!!! 救急車……、どこ……!!?」


焦った思考のまま、必死にスクロールするも、救急車なんて項目は当然登録されているはずもなく、ただ連絡先が流れていく。


梨子「はっ!! はっ!!! はっ!!!! なんでっ!! なんでないのっ!!?」


震える手で、か行とさ行の間を何度も行ったり来たりする。

もはやパニック状態に陥っていた私は、ダイヤルボタンを押して119番をすればいいことにすら気付けない。

そんな中──ある名前が、目に留まった。

280: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:17:02.09 ID:vQ6qZL/R0

梨子「くにきだ……はなまる……」


“国木田花丸”。

私は藁にもすがる想いで、花丸ちゃんの連絡先をプッシュした──





    🥖    🥖    🥖





花丸「……ふぅ、お掃除終わり」


境内にある落ち葉の掃き掃除を終えて一息。

秋と違って、吐く息が真っ白になるこの季節は、もう木々の葉っぱもほとんどが散りかけてしまっているためか、日に日に掃除する葉っぱが減っていくのが、なんだか風流に思える。

じいちゃんとばあちゃんは大晦日に備えて今日も大忙し。

だから、こんな雑用はマルの仕事なんです。


花丸「お茶でも飲んで、一服しようかな」


冬はつとめて。とは言うものの、やっぱり冬の早朝の寒さは身に染みる。こんな寒い朝はやっぱり温かいお茶に限るよね。

お茶を淹れるために、部屋に戻ると──


花丸「……ずら?」


すまーとほんがぴかぴか光っていることに気付く。


花丸「……ルビィちゃんかな?」


ルビィちゃん以外で、マルのすまーとほんに連絡してくる人はあんまりいない。

正直操作方法もよくわからないし、一緒に買いに行ったときにルビィちゃんが教えてくれた、電話とらいんと簡単なめーるの使い方くらいしかわからない。

そんなわけでルビィちゃん以外から連絡を貰うことはあんまりないのです。

でも、こんな早い時間に……?

まだ時間的には早朝と言って差し支えない時間に、ルビィちゃんが起きていること自体が珍しい。

……そんなマルの考えは正しかったようで、


花丸「……ずら? 梨子ちゃん……?」


すまーとほんの画面に表示されていたのは、桜内梨子という名前。


花丸「えっと……通話」


ぽちっと押して、すーまとほんに耳を当てる。


花丸「もしもし? 梨子ちゃん?」

梨子『──つ、繋がった!!!! は、花丸ちゃん……っ!!!』

花丸「ずらっ!!?」

梨子『お、お願い……っ!!!! 助けてっ!!!! このままじゃ、果南ちゃんが……!!!』

花丸「え、果南ちゃん!? なんのことずら!?」

梨子『た、倒れて……っ!!! 救急車、呼べなくて、だから、花丸ちゃんに……っ!!!』

281: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:19:00.50 ID:vQ6qZL/R0

なんだかよくわからないけど、梨子ちゃんが酷く混乱していることはよくわかった。


花丸「り、梨子ちゃん、一旦落ち着くずら……!」

梨子『でも、果南ちゃんが……っ!!! わたっ、私の……私のせいで……っ!!!』

花丸「梨子ちゃんのせい……?」

梨子『わた、しが……っ……ひぐっ……さとりの、力を……たよってた……から……っ……』

花丸「…………覚」


──聞き覚えのある怪異の名前を聞いて、マルは目を細めた。


花丸「梨子ちゃん、一回深呼吸して」

梨子『え、……しん、こきゅう……』

花丸「ゆっくり、息を吸って、吐くずら」

梨子『…………すぅー…………はぁー…………。…………』

花丸「……落ち着いた?」

梨子『…………。……う、うん……ごめん』

花丸「果南ちゃんに何かあったの?」

梨子『そ、そうだ……果南ちゃんが、た、倒れて……意識が、なくて……』


まだ少し混乱はしているものの、さっきよりは意味が通じている。

えーっと……確か、意識がないときは……。


花丸「呼吸はしてる?」

梨子『え、呼吸……?』

花丸「果南ちゃんの口元に耳を当ててみればわかるずら」

梨子『う、うん……!!』


ガサゴソと電話の先で音がする。

たぶん、今呼吸を確認しているんだと思う。


梨子『……呼吸はしてる……!』

花丸「ならひとまずは気絶してるだけだと思う」

梨子『…………』

花丸「……梨子ちゃん?」

梨子『よかったぁ……っ……』


今の今まで、よほど混乱していたのか、電話口から聞こえてきたのは、心の底から安堵した声だった。


花丸「ただ、えーっと……急に倒れたんだったら、他にケガしてないかとかは確認してあげた方がいいと思う」

梨子『あ、うん……!』


本から仕入れた程度の知識だけど、たぶん間違ってはいないはず……。

果南ちゃんの最低限の安否だけ、確認したのち、


花丸「梨子ちゃん」

梨子『な、なにかな……?』

花丸「さっき言ってた──覚の力を頼ったって、どういうことが教えてくれる?」

282: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:20:22.23 ID:vQ6qZL/R0

マルは梨子ちゃんに向かって、そう問いかけました。





    *    *    *





梨子「……よい……しょ……!!」


全身に力を込めて、やっとの思いで果南ちゃんをベッドの上に持ち上げる。


梨子「はぁ……はぁ……」


数十センチとはいえ、自分より体格や身長が大きな人を持ち上げるのが、こんなに大変だとは思わなかった。

それに加えて、意識のない人は想像以上に重いなんて言うけど……本当だったらしい。

とにもかくにも、どうにか果南ちゃんをベッドの上に寝かせてあげられた。

幸いなことに、私が確認出来た範囲では、頭を打ったりもしていなかったようだし……。

そして、頭の中を劈いたあの爆音は恐らく──


梨子「果南ちゃんが痛みで気絶するときに、発した……心の声」


実際に心の叫び声を聞いてしまったから、わかる。

尋常じゃない痛みだったんだ。

そんな痛みを私は……。唇を噛み締める。

私は、なんてことを……。

大切な人に、なんてことを……。

一人、過ぎたことを悔やんでいると──コンコン。


梨子「!」


出窓の方からノック音が聞こえてきた。

すぐにカーテンと共に窓を開け放つ。


花丸「お待たせ、梨子ちゃん」

梨子「花丸ちゃん……!」


そこには、駆け付けてくれた花丸ちゃんの姿。


花丸「果南ちゃんの容態はどう?」

梨子「今は、ベッドに寝かせてる……呼吸はしてるし、ケガも特にしてなかったよ」

花丸「それは何よりずら」


花丸ちゃんは靴を脱いで、果南ちゃんに近付いていく。


花丸「足が痛むって言ってたよね」

梨子「うん……本人はずっとそう言ってた」

花丸「……そして、梨子ちゃんはそんな果南ちゃんの心を……ずっと読んでいた」

梨子「………………ごめんなさい」

283: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:23:04.56 ID:vQ6qZL/R0

私は目を伏せる。


花丸「……どうしてこんなことになるまで相談しなかったの? って言いたいけど……今は先にやることがあるずら」

梨子「やること……?」

花丸「たぶん、一刻の猶予もない状況まで、進行しちゃってるからね……」

梨子「一刻の猶予も……ない……」


改めて言葉にされて青ざめる。


花丸「突然痛みで気絶するなんて、異常なことだからね。次は気絶じゃ済まないことが起こるってことだよ」

梨子「……だよ、ね……」

花丸「だから、今すぐに梨子ちゃんに取り憑いてる覚を追っ払うずら」

梨子「追っ払う……」

花丸「室内じゃ出来ないから、外に出よっか」

梨子「う、うん……」


花丸ちゃんの指示通り、二人で外に出る。


花丸「えっと……マッチと……」


花丸ちゃんは早速ごそごそと持っているポーチを漁り始める。


梨子「あの……花丸ちゃん……」

花丸「ずら?」

梨子「やっぱり、私……覚に取り憑かれてるの?」

花丸「たぶんね。心を読める怪異って言うといろいろいるにはいるけど……全部ひっくるめて覚って言っても、あながち間違いじゃないくらいには大きな括りだから」

梨子「やっぱり……怪異が関係してるんだ……」

花丸「少なくともマルには、それ以外の原因は思いつかないかな……。他人の心が読めるなんて、奇妙奇天烈なこと、神様か妖怪くらいしか出来ないと思うよ」

梨子「そう……だよね……」

花丸「……? 何か引っかかってるの?」

梨子「あ、いや……」

花丸「気になることがあるなら、今言って欲しいかな……。まだ、何か隠しててそれが原因で状況が悪化しても困るし……」

梨子「か、隠してるというか……。……何が原因なのかなって」

花丸「?? だから、原因は覚で……」

梨子「そうじゃなくて……! 何で私は覚に取り憑かれちゃったのかな……って」

花丸「ん……それに心当たりははないの?」

梨子「……正直ずっと考えてたんだけど……これに関しては全然思い当たる節がなくて……」


本当にある日気付いたら果南ちゃんの心が読めるようになっていた。

この一点においては、全く嘘偽りがない。

もちろん、私が無意識のうちに覚に取り憑かれるような振舞いをしていた可能性もあるけど……。


花丸「……確かに、憑かれた原因がわからないと、また取り憑かれる可能性はあるね。……ただ、今はとりあえず梨子ちゃんに憑いてる覚を追っ払うことが先決かな。そっちは梨子ちゃんから追い出したあとに考えればいいことずら」

梨子「まあ、それもそっか……」


今は果南ちゃんを助けることが先決だもんね。

284: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:25:46.42 ID:vQ6qZL/R0

花丸「それじゃ、梨子ちゃん。準備はいい?」

梨子「う、うん」

花丸「始めるずら」


そう言って、花丸ちゃんはマッチと爆竹を手に持った。



──────
────
──


さて、話は先ほど花丸ちゃんと電話でしていた会話に遡る。

私が覚によって果南ちゃんの心をテレパスで読んでいたことを白状すると、花丸ちゃんは覚への対処法を話し始めた。


花丸『覚ないし……サトリのワッパと呼ばれる怪異には共通する弱点があるずら』

梨子「共通の弱点……確か前に焚火って言ってたよね」

花丸『うん。心を読むことが出来ない無生物……即ち焚火の木片が跳ねてぶつかったことで退治された逸話から、それが弱点だって知られてるよ』

梨子「それじゃ……焚火をすれば、倒せるってこと……?」

花丸『概ねその理解で間違ってないずら』

梨子「……でも、焚火の準備なんて出来るかな」


淡島で今から薪を集めて、火を起こすなんて……。


花丸『そうだね。ただ、覚にはもうちょっと簡単に用意出来る対抗策があるずら』

梨子「簡単に用意出来る対抗策……?」

花丸『それが──爆竹ずら』

梨子「爆竹……? 爆竹って、火をつけるとパパパパーンって鳴るやつ……だよね?」


子供が遊んでいるおもちゃというイメージが強いけど……それこそ、千歌ちゃんも小さい頃に爆竹で遊んで叱られたって話を最近聞いたところだ。


花丸『元々爆竹は、昔の中国で悪鬼や疫病を駆逐するために、竹を焚火にくべて爆ぜさせていたものが由来とされているずら。だから、今でも覚だけじゃなくて、様々な怪異から人里を守るために、春節になると爆竹を鳴らす風習が残ってる地域もあるんだよ』

梨子「えっと、つまり……焚火が弱点の怪異は、爆竹も弱点ってこと……?」

花丸『そういうことずら。日本ではそういう風習があんまりないから、爆竹はおもちゃ扱いだけど……覚に関しては、ピンポイントな弱点になるはずだよ』

梨子「じゃあ、爆竹を用意すれば……!」

花丸『うん! だから、今から持ってそっちに行くから──』


──
────
──────



──そして今に至る。


花丸「梨子ちゃん、すごい音がすると思うけど、耳は塞がないでね。梨子ちゃんの中にいる覚を驚かせるためのものだから」

梨子「う、うん……!」

285: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:28:17.15 ID:vQ6qZL/R0

少し開けた場所に立った私のそばで、花丸ちゃんがマッチに火を点ける。

私は──目を瞑る。

本当に大変なことになってしまった。私が無知だったばっかりに……。勝手にいいものだと思い込んだ──うぅん、思い込もうとしたせいで。

この力に頼って、助かった場面はいっぱいあった……だけど。

その代償が私に返ってくるならともかく……果南ちゃんに害が及んでしまうのは、許されることじゃない。

虫のいい話かもしれない。でも……もう、出て行ってください。

そう心の中で唱えて──


花丸「いくずら……!!」


花丸ちゃんが爆竹の導火線に火を点けて、私の周囲に放り投げる。

5~6個の爆竹が私の周りに落ちて──パパパパパパーーーーン!!!! と小気味のいい爆発音を立てながら、跳ね回る。


梨子「……!!」


爆竹なんて使ったことがなかったから、至近で爆ぜる爆音と火花が少し怖いけど──果南ちゃんにこれ以上、何かがある方がもっと怖い。

そう思いながら、爆竹の中で立ち尽くす。

数秒間、大きな音と火花を爆ぜ散らせながら、踊り狂った爆竹たちは……程なくして、鎮火した。


花丸「梨子ちゃん、お疲れ様」

梨子「…………終わり……?」

花丸「終わりだよ」

梨子「…………そっか」


思いのほか、あっさりと終わって拍子抜けする。


梨子「……自分の中に変わった部分は特にないけど……」

花丸「まあ、対象が限定されてる能力だったみたいだし、自覚出来る変化はあんまないかもね……。でも、これできっと果南ちゃんの心は読めなくなってるだろうし、それに伴って害をなしてた……覚の毒? とでも言うのかな? そういう力は失われていくはずだよ」

梨子「それなら、今すぐ果南ちゃんのところに……!」


私は駆け出す。


花丸「一件落着ずら」


そんな私の後を花丸ちゃんがゆっくりと追いかけてくる。

──部屋に入ると。


果南「………………」


果南ちゃんが朝と同様、うっすらと目を開けているところが目に入ってくる。


梨子「果南ちゃん……! 気が付いたんだね……っ!」


爆竹の大きな音で、目を覚ましたのかもしれない。


梨子「よかった……果南ちゃん……っ……!」

果南「…………?」


不思議そうな顔をする果南ちゃんの手を握る。

286: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:30:00.75 ID:vQ6qZL/R0

梨子「……果南ちゃん、あのね……私……」


ちゃんと、言わないと……私がしでかしてしまったことを……。


梨子「私……」


……でも、言葉が上手く出てこない。

──もしかしたら、嫌われるかもしれない。そんな考えが頭過ぎって、私の口を鈍らせる。

手を握ったまま、躊躇していると──


 果南『あれ……私……どうしたんだっけ……?』

梨子「……え」


頭の中に──声がした。


 果南『さっきの音……? 爆竹……?』


──私は一気に青ざめる。


花丸「それにしても……覚ってワッパも含めるとものすごい数の種類がいるけど……特定の人相手だけに発動する種類もいたなんて、勉強になったずら」


能天気に部屋に入ってくるに花丸ちゃんに対して、私は、


梨子「……まだ、終わってない」

花丸「……ずら?」

梨子「まだ、終わってない……!! テレパスの能力、なくなってない!!」


大きな声でそう伝えた。


花丸「!? そ、そんなはずないずら!! 覚やサトリのワッパの弱点は確かに爆竹で間違いないよ!!」

 果南『テレパス……? さとり……? 何のこと……?』

梨子「でも、現に声は聞こえるの!!」


能力が消えていないということは、それに伴って起こる果南ちゃんへの異変も収まっているとは思えない。


花丸「そ、そんな……? どういうこと……? まさか、爆竹が効かない覚の類……?」

果南「…………?」
 果南『一体……何の話だろう……?』


怪訝な顔をする果南ちゃん。


梨子「あのね、果南ちゃん……実は──」


意識の戻った果南ちゃんに事情の説明をしようとした、そのときだった。

──ぶくぶくぶくと、泡立った。


梨子「……うそ……」


私は目を見開いた。


花丸「な……なに……これ……?」


花丸ちゃんも言葉を失う。

287: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:31:18.34 ID:vQ6qZL/R0

果南「………………?」
 果南『何……? これ……?』


そして、当人である果南ちゃんも自体が呑み込めず呆けていた。

いや、それもそのはずだ。泡立っていたのは他でもない──果南ちゃん自身だったからだ。

私が触れた部分から──泡になり始めていた。

私は咄嗟に手を放す。


梨子「は、花丸ちゃんっ!!! 果南ちゃんがっ!!!」

花丸「な、なにこれ……? どういうこと……?」

梨子「花丸ちゃんっ!!!」


立ち尽くしてる花丸ちゃんの両肩を掴む。


梨子「覚、全然いなくなってないっ!!!」

花丸「わ、わかってるずら……!! で、でも……」


花丸ちゃんは私に肩を掴まれたまま頭を抱える。


花丸「覚相手の退治手順を間違った……? いや、そんなはずない……。確かに爆竹で間違いないはず……」

梨子「花丸ちゃんっ!!」

花丸「今、考えてるのっ!!!」

梨子「でも、このままじゃ!!! このままじゃ、果南ちゃんが泡になって消えちゃうっ!!!!」


私が必死に叫ぶと、


花丸「消える……?」


花丸ちゃんは私の言葉に引っかかる。


花丸「どうして、消えるって思うの……?」

梨子「え……!?」

花丸「泡立つ=消えるって……」

梨子「え……」


それは……。


梨子「人魚姫は……泡になって、消えちゃう……から……」


私の言葉で、花丸ちゃんは目を見開いた。


花丸「……逆だったずら」

梨子「逆……?」

花丸「……これは、人魚姫ずら」

梨子「人魚、姫……? 花丸ちゃん、何言って──」

花丸「果南ちゃんが訴えてるのは、刺すような足の痛み、声が出ない、極端に乾く目なんでしょ!?」

梨子「えっ、そ、そう……だけど……」

花丸「刺すような痛みは人魚姫が人間の足で歩くと、感じる痛み!! 声が出ないのは、魔女に声をあげちゃったから!! 極端に目が乾くのは、そもそも人魚は涙を流せないから!!」

梨子「!!」

288: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:34:16.77 ID:vQ6qZL/R0

そこでようやく私も気付く。


梨子「そして、最後は……泡になって消える……」

花丸「マルたちは、心が読める力のイメージに引っ張られ過ぎて……『梨子ちゃんが覚に憑かれてる』って勝手に勘違いしてたずら。心が読める力に付随して、果南ちゃんの身体に不具合が起こってるって思い込んでた。でも、今起こってる現象は人魚姫そのものずら!! つまり……!」


つまり──


花丸「『梨子ちゃんが覚に取り憑かれてる』んじゃなくて……!! 『果南ちゃんが人魚姫に取り憑かれてる』ずら……!!」

梨子「物語に取り憑かれるって、そんなことありえるの……!?」

花丸「理屈はわからない……でも、どう考えても、人魚姫との関連性が大きすぎるずら! ただ……」

梨子「ただ、何!?」

花丸「テレパス能力との親和性がわからないずら……。人魚姫にそんな設定ないし……」

梨子「それ今重要!?」


現在進行形で果南ちゃんは泡になって消え始めてるのに、そんな設定の話なんて……。


花丸「そこがわからないと、原因が特定出来ないずら!!」

梨子「げ、原因って……?」

花丸「人魚姫がどうしてあそこまで果南ちゃんと同一化してるかの原因!! 物なのか、人なのか、それとももっと抽象的な原因……それこそ、物語があること自体が原因なのか!! それがわからないと対処のしようがないずら!!」


言われてやっと気付く。果南ちゃんが今、人魚姫と同化しているとわかったところで、何が原因になっているのかがわからなければ、それを止める術がない。


花丸「梨子ちゃんっ!!! 何かわからないっ!!?」

梨子「な、何かって……」

花丸「人魚姫を通じて、テレパスしたい……いや、されたいって思うようなエピソード!!!」

梨子「そ、そんなピンポイントなエピソード……」

花丸「それがわからないと果南ちゃんは本当に泡になって消えちゃうずら……!!!」

梨子「……っ!」

花丸「マルには絶対にわかんない!! わかる可能性があるとしたら、ずっと果南ちゃんと一緒にいた梨子ちゃんにしかわからないずら!!」


私は頭を抱える。

思い出せ、思い出せ……!!

人魚姫のエピソード……!!

果南ちゃんとした人魚姫の話……クリスマスに贈りあったネックレス……いや、関係ない。

そもそもなんで、人魚姫の話になったんだっけ……そうだ、私が小さい頃、人魚姫を内浦で見たって話をして、えっと……そうだ、そのあと二人で人魚姫の絵本を読んで……。


梨子「……あ」


その後だ。果南ちゃんはこう言った。

──『どうすれば、あの物語は、あんな悲しい結末にならなかったんだろうって……今でも思うよ』──

──『……もし、人魚姫の気持ちが……王子様に伝わっていたら……変わってたのかな』──

──『王子様が……人魚姫の考えてることがわかれば……結末は変わってたのかな……』──

何に想いを馳せながら、願った……? そんなの……!!


梨子「あの絵本だ……!!」

花丸「ずら!?」

289: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:35:34.01 ID:vQ6qZL/R0

私は、果南ちゃんの机のノートを立てている本棚から、ボロボロの絵本を一冊引き抜いて──


梨子「!?」


──戦慄した。

取り出した、ボロボロの絵本は、言葉では形容出来ない、禍々しいオーラのようなものを纏っていた。


梨子「……っ!! 花丸ちゃん!!」

花丸「原因はこれしかありえないずら……!! 果南ちゃんはこの絵本に取り憑かれてるずらっ!!」


花丸ちゃんの言葉に頷く。


梨子「どうすればいい!!?」

花丸「もう、本自体が怪異化してるから、焚き上げるしかないっ!!」

梨子「お焚き上げってこと!? 手順はっ!!?」

花丸「細かい作法に拘ってる余裕はないずら!! とにかく神聖な場所で、燃やせば悪霊化も出来ないはずだよ!!」

梨子「神聖な場所!?」


この淡島で神聖な場所って言ったら──


梨子「──淡島神社……っ!!」


目的地は決まった。もう時間がない。

絵本を片手に、一目散に走り出そうとした、そのとき──


梨子「きゃぁっ!!?」


急に何かに足を引っ張られて、転倒する。


花丸「梨子ちゃんっ!!」

梨子「な、なに!?」

 『やめて』

梨子「!!」


私の足を引っ張ったのは──


 果南『やめて……燃やさないで……母さんとの思い出の絵本なんだ……』


果南ちゃんだった。果南ちゃんが這ったまま、私の足を掴んでいた。


梨子「っ……」


これが果南ちゃんにとって、すごく大切なものだってことは知ってる。けど……。

私が逡巡する中、


花丸「ずらぁぁぁ!!!」

梨子「!」


花丸ちゃんが果南ちゃんに飛び付く。


 果南『マル……!?』

290: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:37:10.34 ID:vQ6qZL/R0

急に飛び付いてきた花丸ちゃんに驚いたのか、私の足を掴んでいた手が緩む。


梨子「花丸ちゃんっ!?」

花丸「梨子ちゃん!! 急ぐずら!!」

梨子「で、でも……!! 果南ちゃんがお母さんとの思い出だから、燃やさないでって……!!」

花丸「果南ちゃんと、果南ちゃんの思い出、どっちが大切ずらかっ!!!」

梨子「!!!」

花丸「思い出は、なくなってもまた作ればいい!! でも、果南ちゃんが消えちゃったら、思い出ごと全部なくなっちゃうずら!!」


言いながら、花丸ちゃんはさっき爆竹を引火させるのに使っていたであろう、マッチ箱を投げ渡してくる。

キャッチしながら、果南ちゃんを見ると、


果南「…………っ」


果南ちゃんはすごく悲しそうな顔で、私の手にある絵本を見つめていた。


梨子「……っ」


でも、私は──


梨子「果南ちゃん……っ……ごめん……っ!!」


絵本を持って走り出した。

恨まれてもいい、嫌われてもいい、それでも……果南ちゃんを助けるんだ……!!





    *    *    *





梨子「はぁ……っ!! はぁ……っ!! はぁ……っ!!」


淡島神社の急な階段を全速力で駆け上がる。

真冬の空気が肺に刺さって痛い。でも、もう時間に猶予はない。

普段トレーニングで上る階段ダッシュのとき以上の全力で階段を駆け上がる。

その際──声がした。


 『私の気持ちは……伝わらない……』

梨子「……っ」

 『鞠莉……関係ないって……。……私には関係、ないって……』


果南ちゃんの声だった。


 『自分の気持ちが伝わらないのって……辛いね……。……人魚姫も、こんな気持ちだったのかな』


これは、恐らく、記憶だ。

果南ちゃんがこの人魚姫の絵本を読みながら、積み重ねた、想いと──記憶。


梨子「はぁ……っ!! はぁ……っ!! はぁ……っ!!」

 『思ってることが、伝わればいいのに……。……想いが伝われば……きっと、こんな気持ちにもならないはずなのに』

291: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:39:05.35 ID:vQ6qZL/R0

だから、果南ちゃんは絵本を読みながら願い続けたんだ。


 『私の気持ちが──言葉に出来ない気持ちが、伝わればいいのに』





    *    *    *





梨子「は……っ!! は……っ!! は……っ!!」


やっとの思いで、淡島神社の一番上に辿り着く。

正直、全力ダッシュで上っていいような傾斜じゃないと改めて思い知らされる。


梨子「でも……あとは……っ……焚き上げる……だけ……っ……」


鳥居を潜って聖域に入ろうとした、そのときだった。


 『やめて』

梨子「!?」


頭の中に直接響く声。


 『やめて、大切な本なの、やめて』

梨子「この……声……っ……」


果南ちゃんの声。


 果南『ねぇ、なんで燃やそうとするの……?』

梨子「ごめん……! でも、このままじゃ果南ちゃんが危なくて……!」

 果南『だから、思い出まで消すの? 私と母さんの思い出を梨子ちゃんが消すの?』

梨子「っ゛……」


ダメだ、今この声を聞いちゃダメだ。

絵本を早く燃やさないと。

でも──


梨子「え……」


本を掴んだ私の手は、私の意思に反するように、絵本を手放そうとしない。


梨子「な、なに……これ……っ……」

 果南『絵本を燃やさないで』

梨子「っ゛……!」

 果南『母さんとの思い出を消さないで』


今までのテレパシーと違う。聞こえるなんてレベルじゃない。

私の頭全体を押しつぶすように、果南ちゃんの声が何度も反響して脳内に響き渡っている。

292: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:43:32.81 ID:vQ6qZL/R0

 果南『梨子ちゃん……やめてよ』

梨子「……っ゛……」


頭がガンガンする。意識が飛びそうだ。

ダメだ、早く本を手放さないと──


梨子「……っ゛」


覚束ない足で、鳥居まで歩を進める。

その際──


梨子「……あっ!!」


足をもつれさせて、前のめりに転ぶ。


梨子「…………ぐ、ぅ……っ……」


思いっきり転んだため、腕や膝を擦る。もちろん、絵本を持っていた手も──


 果南『ちょっと!! やめてよ!! 絵本が傷付いちゃう!!』

梨子「……!」


私は立ち上がる。


梨子「……ねぇ、そんなに大事……?」

 果南『大事だよ!! 大事な絵本だって、梨子ちゃんも知ってるでしょ!?』

梨子「……どれくらい? 世界一?」

 果南『そんなの世界一に決まってる!! たった一人の母さんとの思い出なんだよ!!』

梨子「……私の手と……指と……どっちが大事……?」

 果南『そんなの絵本の方が大事に決まってるでしょ!? 梨子ちゃんの手!? なんで、そんなものと比べるの!?』

梨子「……そんなもの……か」


私は息を吸う。


梨子「……果南ちゃんは、そんな風に言わないよ」

 果南『何が!?』

梨子「果南ちゃんの声で……騙らないでよ」


果南ちゃんは、こう言ったんだ。

──『……この手は……この指は……世界一大切なものだから……』──

──『……私たちの……Aqoursの曲を作ってくれる……大切な指だから……』──

──『……この指は……私の曲を作ってくれた……宝物だから……』──

心の底から、こう思って、言ってくれたんだ。

私は鳥居を潜って、膝を突き、


梨子「……うあぁぁっ!!!」


──絵本を持っている手を、思いっきり石畳に叩きつけた。

293: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:46:49.77 ID:vQ6qZL/R0

梨子「っ゛ぅ゛……!!!」

 果南『何やってるの!!? 本が、絵本が!!!』

梨子「貴方が果南ちゃんの気持ちそのものだって言うなら……っ!! 言ってみてよ……っ!!」


また同じように、手を叩きつける。


梨子「……っ゛あ゛ぁ゛……!!」

 果南『やめて!!! 絵本が、絵本がっ!!!』


硬い石畳で、手が切れ、擦り剥け、血が滲む。


──『だから……梨子ちゃんも、その宝物を……大切にして欲しい……』──

──『代わりの利かないものだから……大切に、して欲しいんだ……』──


梨子「私の手は、指は……!! 宝物だってっ!!!」

 果南『そんなものどうでもいい!!!! 私が大切なのは、その絵本なのっ!!!! やめてっ!!!!』

梨子「……ふふっ、やっぱり……貴方は……果南ちゃんじゃない」

294: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:52:43.93 ID:vQ6qZL/R0

もう一度大きく振りかぶって──手ごと、本を……叩きつけた。


梨子「……づ、ぁ゛ぁ゛……っ!!」


その拍子に本が手から、離れる。


梨子「はっ……はっ……離れた……っ!!!」


私はポケットからマッチ箱を取り出し、


梨子「……っ゛……!」


ボロボロになってじんじんと痛む手で、マッチを擦る。

──こんな痛み、果南ちゃんが今まで感じていた痛みに比べたら……!

点火したマッチ棒を見て、


 『やめて──やめろ、やめろぉぉぉぉぉぉ!!!!!』


境内中に声が響き渡る。

私は叫び続ける絵本に向かって──火の点いたマッチを……放った。


 『ぎゃああぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!』


絵本に引火すると共に、一段と大きな絶叫が響き渡る。


梨子「はぁ……はぁ……」

花丸「──梨子ちゃーん……っ。やっと、追いついた……ずらぁ……っ」

梨子「花丸……ちゃん……っ……」


ちょうど、階段を駆け上がってきて、へとへとな様子の花丸ちゃんが追い付いてくる。


 『許さない……』

花丸「ずら……声が」

梨子「……うん」

 『散々力に頼り切っていたというのに……』

梨子「……っ」


そうだ、私は愚かなことに……ずっとあの絵本の作り出した、心を読ませる力に──頼り切っていた。


 『都合が悪くなったから、燃やすなど……愚かな』

梨子「…………」

 『呪ってやる……。貴様の想いが……二度と、あの娘に……届かぬように……未来永劫、呪ってやる──』


その言葉を最後に──『人魚姫』の絵本は……燃え尽きたのだった。


295: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 21:53:12.53 ID:vQ6qZL/R0



    *    *    *










    *    *    *



296: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:16:40.41 ID:vQ6qZL/R0


──1月4日土曜日。

──コンコン。


 「……梨子ちゃん、起きてる?」

 「えっと……今日も梨子ちゃんのお母さんにお願いして、あげてもらったんだ……ごめん、勝手に」

 「…………」

 「一度、話がしたいんだ……」

 「…………」

 「…………ごめん、また来るね」





    *    *    *



297: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:19:21.62 ID:vQ6qZL/R0


梨子「…………」

花丸「果南ちゃん行っちゃったよ?」

梨子「…………」

花丸「いつまでそうしてるつもりずら?」

梨子「……だって、私……」


ベッドの上で膝を抱えて、縮こまる。


花丸「……もしかして、最後に言われた『呪ってやる~』ってやつ、気にしてるの? あれは負け惜しみみたいなものだから、気にしなくていいと思うけど……」

梨子「それは割とどうでもいい……ただ……」

花丸「ただ?」

梨子「散々力に頼り切って……ずるしてたのは……あの怪異が言ってた通りだったなって……」

花丸「梨子ちゃん……」

梨子「……今更、果南ちゃんとどんな顔して会えばいいのか……わかんないよ」

花丸「…………」

梨子「それに私……果南ちゃんの大切な絵本……燃やしちゃったんだよ……」

花丸「……やむを得なかったことだと思うよ」

梨子「私……ずっと、果南ちゃんのこと苦しめてたんだ……。私がテレパスなんかに頼らなければ……果南ちゃんはあんな辛い思いすることなかった……」


私は抱えた膝に顔を押し当てて、蹲る。


梨子「花丸ちゃんも……こんなどうしようもない私のこと……慰めてくれなくていいんだよ……?」

花丸「…………。……とりあえず、報告だけさせて欲しいずら」

梨子「報告……?」

花丸「うん。結局、今回の怪異はなんだったのかって話。改めてちゃんと調べて考えてきたから、今度は間違いないと思う」


花丸ちゃんはそう前置いて話し始める。


花丸「あの怪異は覚じゃなくて……ずばり神ずら」

梨子「神……? あれが……?」

花丸「付喪神って言われる神様だよ。長い年月の中で強い思い入れを受けた道具には神霊が宿ることがあるずら。今回は、果南ちゃんの持っていた絵本が長い年月の中で神霊化して、付喪神になったみたいだね」

梨子「……結局、その付喪神は何がしたかったの? 果南ちゃんの思い入れで神様になったのに……果南ちゃんを消したかったの?」

花丸「難しいところだけど……きっと、あの絵本の神様は、物語の世界と果南ちゃんを同調させただけだったんじゃないかな」

梨子「同調……」

花丸「果南ちゃん……ずっと、悩んでたんでしょ?」


ずっと悩んでた──鞠莉ちゃんとのことだ。

10月頃にあった、鞠莉ちゃんとのトラブル。

結局、最終的に仲直りはしたものの……果南ちゃんの中では、ずっと何かがつっかえたままで……。

──『あのとき自分の想いがちゃんと鞠莉に伝わっていれば』──

──『どうして、私の想いは届かないんだろう』──

そんな想いが果南ちゃん自身の中で、ずっと渦巻いていた。

298: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:24:20.90 ID:vQ6qZL/R0

花丸「その悩みを……果南ちゃんは人魚姫に投影してしまっていた。強い想いを投影された絵本は──本来あったはずの物語を歪めた形で神格化しちゃったってところかな」

梨子「じゃあ、なんで泡になって消えるの……?」

花丸「ずら?」

梨子「そもそも果南ちゃんが投影したのは、想いが伝われば、幸せになれるかもって話でしょ……?」

花丸「うーん……これはマルの想像だから、正確なことはわかんないけど……果南ちゃんの中で一番強かったのは、想いが伝わればって部分だったんでしょ?」

梨子「……たぶん」

花丸「付喪神はあくまでその部分の強い想いを核にした投影で神格化したわけで……それ以外の部分は元の物語のままだったんじゃないかな」

梨子「いい加減な神様……」

花丸「まあ、もともと『人魚姫』はそういう話じゃないし……」

梨子「そう、だよね……。『人魚姫』は……ただただ悲しいお話だし……」


ただ、報われない恋をした人魚姫が、消えてなくなるだけのお話……。

でも、私の言葉に対して、


花丸「んー? そうかな?」


花丸ちゃんは首を傾げる。

どうやら、花丸ちゃんは『人魚姫』の物語をそうは捉えていないようだ。


梨子「……いや、だって……救いようのないバッドエンドだよね……?」

花丸「……………………なるほど」

梨子「……今の間は何……?」

花丸「うぅん。そういう捉え方もあるのかなって思っただけ」

梨子「……そう」


まあ……物語の感じ方は人それぞれか……。

私は再び膝を抱えて顔を伏せる。


花丸「……それで、いつまでそうしてるつもりずら?」

梨子「その話に戻るの……?」

花丸「だって、もうあれから一週間以上経ってるんだよ?」

梨子「…………」

花丸「毎日ああして足しげく通ってくれてるんでしょ? 話くらい聞いてあげても……」

梨子「……自信がないの」

花丸「自信……?」

梨子「……もう、私には……果南ちゃんの心の中を知る術はないから……」


私はテレパスを失った。

考えてみれば、私は果南ちゃんとの付き合いの中で、常にテレパスに依存しきった関係を築いていた気がする。

果南ちゃんの心がわかる、察しの良い私は──もういない。

まあ、考えてみれば……あれは私の力ではなく、果南ちゃんの力だったから……実は最初からそんな私はいなかったのかもしれないけど……。

299: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:26:53.92 ID:vQ6qZL/R0

花丸「……なるほどね」

梨子「……きっと、果南ちゃんの気持ちはもう……わかってあげられない」

花丸「……梨子ちゃんが何に思い悩んでるのかはわかったずら。それでも、一度ちゃんと話した方がいいと思うけどな」

梨子「…………」

花丸「まあ……マルがこれ以上口出すことじゃないけど。そういえば、手は大丈夫?」


──手。

絵本を引きはがすために、思いっきり石畳に叩きつけた手のことだろう。


梨子「切り傷に擦り傷、軽い打撲もしてて、自分で叩きつけてケガしたって説明したら、お医者さんにすごい叱られた……」


そう言いながら、包帯を巻かれた手を見せる。


花丸「そんな素直に言ったら、そりゃ叱られるよ……」

梨子「……でも、幸い跡が残ったりすることはなさそうだってさ」

花丸「それは何よりずら。……さて、梨子ちゃんの手の安否も確認出来たし、もうマルがすることは終わったから、お暇しようかな」


花丸ちゃんは最後にそう残して、部屋から出ていこうとする。


花丸「お邪魔しました」

梨子「……花丸ちゃん」

花丸「ずら?」

梨子「……助けてくれて……ありがとう」

花丸「ふふ、どういたしまして」





    *    *    *





──気付けば部屋が暗くなっていた。


梨子「夜……か……」


また落ち込んで引きこもったまま、一日を終えてしまった。


梨子「……少しくらい、外の空気吸っておこうかな……」


そう思ってカーテンを開けると──


梨子「あ──」

千歌「……?」


窓の向こうに千歌ちゃんの姿。

……しまった、完全に目合っちゃったな……。

さすがにこのまま無言でカーテンを閉めるのは、千歌ちゃんに悪い。

そう思って、ベランダに出る。

300: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:29:44.89 ID:vQ6qZL/R0

千歌「梨子ちゃん、久しぶり。最近ずっとカーテン閉めたまんまだったから心配してたんだよ?」

梨子「ごめん……ちょっと、いろいろあって……」

千歌「いろいろって……果南ちゃんと?」

梨子「…………」


まあ、お隣だしバレてるよね……。


千歌「最近、果南ちゃん、梨子ちゃんのおうちに来ては、すぐに帰ってっちゃうし……。ケンカでもしたの?」

梨子「ねぇ、千歌ちゃん……」

千歌「ん?」

梨子「千歌ちゃんはさ……ダイヤさんの気持ちがわからないことって、ある……?」


訊ねてみて、あんなに仲の良い二人に限ってそんなことあるはずないのに、と思ってしまう。けど、


千歌「うん、あるよ」


千歌ちゃんの回答は意外なものだった。


梨子「あるの……?」

千歌「そりゃ、あるよ。……というか、むしろそれで一度別れかけたし」

梨子「え!?」


さすがにその話は予想外だった。


梨子「い、いつ頃……?」

千歌「うんと……8月の頭くらいかな」


8月の頭って……。


梨子「付き合い初めて1ヶ月くらいのときなんじゃ……」

千歌「うん、そうかな……。それくらいの時期ね、付き合い始めた頃は、ダイヤさんの気持ちも……チカの気持ちも、お互いわかりあって通じ合ってたのに……いろいろあって、それがわかんなくなっちゃったことがあってね」

梨子「う、うん……」

千歌「それで、私がすごいイライラしちゃって……何度もダイヤさんに向かって『前はわかってくれたのに!!』って怒っちゃって……その度にダイヤさんはすっごく悲しそうな顔して……。それでね、私なんでダイヤさんにこんな悲しい顔させてるんだろうって。……そのとき、ああ、もうダメなんだなって思って、ダイヤさんにそのこと話したんだ。もう終わりにしようって。傷つけるくらいなら離れたいって」

梨子「そ、それで……どうなったの……?」

千歌「……泣かれた」

梨子「…………」

千歌「私、今までダイヤさんがあんなに泣いてる姿……見たことなかったから、びっくりしちゃってさ。それでダイヤさん、こう言うんだよ」


──『言葉にしてくれなきゃわかりません……っ!! わたくしは、もっと貴女のことが知りたいのに……っ……! 貴女の言葉が聞きたいのに……っ……!』──


千歌「言われてハッとなってさ……。もう、その後は、お互いわんわん泣きながら、ごめんなさい、ホントは大好き、もっと一緒に居たいって……それでやっとお互いの気持ちが再確認出来たというか……。……って、あ……ダイヤさんが泣いてたこと話したのがバレたら怒られるな……。……チカが話したことは内緒にしておいてね?」


千歌ちゃんは口元に人差し指を当てながら、そんな風に話す。

301: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:30:55.95 ID:vQ6qZL/R0

千歌「それからかな……お互いいろんなことを言い合うようになったよ。見たもの、感じたもの、思ったこと、なんでも話すようになった。むしろ今では、お互いの気持ちが通じ合ってるって思ってた頃よりも、ダイヤさんのことを深く知れた気がしてるよ」

梨子「そう……なんだ……」

千歌「まあ、不満があるとしたら、最近ダイヤさんのチカへの扱いが雑なことだけどね!」

梨子「…………」

千歌「だから、梨子ちゃんも。思ったことは真っ直ぐぶつけてあげて欲しいな……。もちろん、思い通りにならないこともたくさんあると思うけど……果南ちゃんはきっと、梨子ちゃんの言葉をしっかり受け止めてくれると思うから」


千歌ちゃんは微笑みながら、そんな風に言うのだった。





    *    *    *





──翌日。1月5日日曜日。

私は最後までどうするか悩んでいたけど……結局、朝から淡島に渡り──船着き場で待っていた。

冬の波風を受けながら。……ここに居れば絶対にあの人は来るからと、思って待っていた。

──そして、待ち人は、


果南「え……」


お昼前になると、やっと現れた。


梨子「……果南ちゃん、久しぶり」

果南「ひ、久しぶり……」

梨子「……うん」

果南「…………」

梨子「…………」


挨拶もそこそこに、会話が続かず無言になる。

どうしよう……何から話せば、いいんだろう……。

そのまま、しばらく無言が続いたけど、


果南「……少し、歩かない……?」


果南ちゃんは意を決したように、そう提案してきた。





    *    *    *



302: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:33:45.20 ID:vQ6qZL/R0


果南「…………」

梨子「…………」


二人で淡島を歩く。

二人で並んで歩きながらも──お互い無言が続く。無言のまま歩いて、気付けば淡島内にあるトンネル・ブルーケイブの中。

どうしよう……これでも、一応話をしに来たつもりなんだけど……。どう会話を切り出せばいいのかがわからない。

そんな中で、無言の空気を先に破ったのは、


果南「……あの、さ」


またしても、果南ちゃんだった。


梨子「ん……」

果南「その……ちゃんとお礼言ってなかったなって……」

梨子「お礼……」

果南「マルから聞いたんだ……私、すごく危ない状態だったって」

梨子「……」

果南「梨子ちゃん……助けてくれてありがとう」

梨子「…………私」


足を止めて、目を伏せる。お礼を言われるようなことをした覚えはない……むしろ、


梨子「私…………果南ちゃんの大切な絵本……燃やしちゃった」


私は、果南ちゃんが『やめて』と言っても、やめなかった。彼女の思い出を……燃やしたんだ。


果南「……あのときは私も気が動転しちゃってて……あんな風に言っちゃったけど……。あのままだと、私泡になって消えちゃうところだったんだよね……? 梨子ちゃんは私を助けてくれた……気に病むようなことじゃないよ」

梨子「それだけじゃない……私……ずっと、果南ちゃんの気持ちを盗み見てた」

果南「それは、違──」

梨子「──私……!」


果南ちゃんの言葉を掻き消すように、言う。


梨子「本当はもっと前から、気付いてたの……気付いてたのに……自分が間違ってたこと、認められなくて……果南ちゃんをずっと傷付けてた……」

果南「……梨子ちゃん」

梨子「この力は、“ご縁”なんだって、自分の都合の良いように解釈して、思い込んで……それで果南ちゃんを傷付けて……辛い思いさせて、痛い思いさせて……」

果南「…………梨子ちゃん」


果南ちゃんが私の名前を呼んで、私の手を握ろうとする。

私は──その手から逃げるように、後ろに下がる。


果南「…………」

梨子「……果南ちゃんは優しいから、きっと優しい言葉を投げ掛けてくれる……でも、でもね……」


私は一度大きく息を吸う。そうじゃないと、怖くて、言えない気がしたから。


梨子「──もう、果南ちゃんの気持ち……わからないの……っ」


その拍子に涙が零れた。

303: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:38:48.06 ID:vQ6qZL/R0

梨子「許してくれても、笑い掛けてくれても、手を握ってくれても、抱きしめてくれても、髪を撫でてくれても……もう、私には……それが果南ちゃんの本心なのか、わからない……っ……テレパスがないと……どうやって、そばに居ればいいのかも、わからない……っ……。……だから──」


思わずぎゅっと手を握る。今……言わなきゃ。こんな……ずるをしなくちゃ、何もできない、私には──


梨子「こんな私に……果南ちゃんのそばに居る資格──」

果南「──梨子ちゃん」


──でも、果南ちゃんは、それでも私を抱きしめた。

私が取った距離を、しっかりと詰めて──果南ちゃんは、私をしっかりと抱きしめる。


果南「ごめんね」

梨子「……っ」

果南「私が弱かったせいで……梨子ちゃんを苦しませてる……」

梨子「ち、ちが……っ」

果南「ホントは……最初から全部、私がちゃんと言葉で伝えてればよかったんだ。でも、梨子ちゃんは気付いてくれる、わかってくれるって……甘え切って……」

梨子「…………わ、私は……っ」

果南「だから、もう甘えない──」


果南ちゃんは私の両肩に手を置き、私の目を真っ直ぐ見て、


果南「梨子ちゃん。好きだよ」


そう、言った。


梨子「……っ……!」

果南「……よく考えてみたら、私、一度も自分の口から、伝えてなかった。……梨子ちゃん、好きだよ」


果南ちゃんの愛の言葉を聞いて──ポロポロと涙が溢れ出す。


果南「世界で一番……大好きだよ」

梨子「……こんな、私でも……いいの……っ……?」

果南「もちろん」


果南ちゃんは頷きながら、今度は強く強く、抱きしめる。


果南「……これでも、私の気持ちは、本心は、好きって気持ちは……伝わらないかな……?」

梨子「……っ……」


私はふるふると首を横に振る。


梨子「──……伝わってる……っ……」

果南「……よかった」


──ああ、やっとわかった。

心の声が聞こえなくたって、伝わる想いは──ちゃんと、あるんだ。

少なくとも、今、私には、伝わってる。

だから、今度は──


梨子「果南ちゃん……っ……」

果南「ん……」

304: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:40:16.67 ID:vQ6qZL/R0

私も伝えなくちゃ。言葉にして、想いを。


梨子「──好き、です……っ……。大好き……っ……」

果南「うん……知ってるよ……。ずーっと……知ってたよ……」


私の髪を撫でながら、果南ちゃんは優しい声で、答える。

それ聞いた途端に、いろんな感情が溢れてきて、


梨子「ぅ……っ……ぅぇぇぇ……っ……」


私はみっともなく、声をあげて泣き出してしまった。

でも、果南ちゃんは、そんな私を優しく抱き留めたまま、


果南「ずっと一緒にいよう…………。……梨子」


そう、言葉にしてくれた。

──まだ年明けて数日しか経っていない昼下がり。

煌々と光る青いライトに照らされたトンネルの中で、私はしばらくの間、肩を震わせ続けていた。

世界で一番落ち着く、世界で一番幸せな、胸の中で──





    *    *    *



305: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:44:22.54 ID:vQ6qZL/R0


──数日後。


花丸「一件落着だったみたいでよかったずら~。ん~おいしいずら~♡」


私は諸々の報告がてら、花丸ちゃんを家に招いていた。

お礼も兼ね、松月のケーキを添えて。


梨子「……一件落着か」

花丸「? なにか、まだ気になることでもあるずら?」

梨子「うん、まあ……」

花丸「また、めんどくさいことになったら嫌だから、早めに教えてほしいな」

梨子「いや、その……なんで、皆は気付かなかったのかなって」

花丸「ずら……?」


花丸ちゃんは私の言葉に首を傾げる。


梨子「だって、あのテレパスって果南ちゃんの『人に心を読ませる能力』だったんでしょ? それだったら、私以外の人たちも触れたら果南ちゃんの考えてることがわかったんじゃ……」

花丸「んー、少なくともマルにはわからなかったよ」

梨子「え?」

花丸「一緒の部活をしてる以上、触れることくらいあるけど……その中でもマルは果南ちゃんの心を読めたことはなかったかな。だから、あれは相手を限定した能力だったんだと思うよ」

梨子「……まあ、それならそれでも、いいんだけど……」

花丸「まだ納得行かないの?」

梨子「……自分で言うのは悔しいんだけど……それなら、なんで私だったのかな」


少なくとも、テレパスが始まった時点では私と果南ちゃんの接点はほとんどなかったわけだし……相手を限定した能力だったというなら、選定基準はなんだったのか。


花丸「それは簡単ずら」

梨子「え?」

花丸「あれは最初から全部、『人魚姫』だったんだよ」

梨子「……? どういうこと?」

花丸「あの付喪神は物語を神格化した存在だったわけでしょ?」

梨子「うん」

花丸「付喪神が持っていた力の本質は、現実の人間と物語を強引に同調させる能力だったずら」

梨子「まあ……だから、果南ちゃんは足が痛んだり、声が出なくなったりしたんだもんね」

花丸「そうそう。ただ、その物語への同調の力って言うものが、果南ちゃん以外にも働くとしたら?」

梨子「?」

花丸「『人魚姫』には、人魚姫以外にも重要な登場人物がいるでしょ?」


重要な人物……つまり……。

306: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:47:09.97 ID:vQ6qZL/R0

梨子「えっと……私が王子様に割り振られてたってこと……?」

花丸「そういうことずら」

梨子「…………」

花丸「なんだか、これでも納得が行ってなさそうだね」

梨子「……それこそ、なんで私……?」

花丸「条件に当てはまるのが梨子ちゃんだけだったんだよ」

梨子「条件って?」

花丸「まず、あのお話の中で、人魚姫と王子様の間にある大事な関係の要素は、自分の知らない未知の世界に住んでいる存在、だよね」

梨子「……まあ、そうなるのかな」

花丸「そうなると、果南ちゃんと昔から面識のあった千歌ちゃん、曜ちゃん、ダイヤさん、鞠莉ちゃん、ルビィちゃんは除外。マルも内浦住みでお互いの顔は知ってたし、善子ちゃんも外界というほど離れた場所に居たわけじゃないしね。そうなると残ったのはそもそも梨子ちゃんだけなんだよ」

梨子「…………なるほど」


あれ、ということは……?


梨子「……私、最初から果南ちゃんに選ばれてたってことなんじゃ……///」

花丸「そういう解釈も出来るかもしれないね」


それこそ、私は勘違いをしていた。

皆が果南ちゃんの気持ちを読める中、私がたまたま偶発的に、果南ちゃんのテレパスに気付いたために、巻き込まれたんだと思い込んでいたけど……。


花丸「梨子ちゃんは最初から果南ちゃんに選ばれていた。そして、テレパスの力を使って、果南ちゃんのそばで彼女を支えて、その先で結ばれた」

梨子「……///」

花丸「“ご縁”に感謝しないとね」

梨子「うん……///」


私はあのとき、“ご縁”だと思い込んでしまったことを後悔していたけど……案外、それらも含めて、全て“ご縁”の一つだったのかも、なんて……花丸ちゃんの言葉を聞いて改めて考え直す。


花丸「あとその“ご縁”ついでに」

梨子「?」


花丸ちゃんがごそごそとバッグの中から──包装された長方形のものを手渡してくる。


梨子「これは……?」

花丸「マルからのプレゼントだよ。……うーんと、そうだなぁ。恋人が出来た梨子ちゃんへのお祝いってことで」

梨子「あ、ありがとう……これは、本……?」

花丸「うん。是非、果南ちゃんと一緒に読んで欲しいな」

梨子「果南ちゃんと……?」

花丸「きっとそこに、二人が求めてたものが、あると思うから」

梨子「求めてたもの……?」

花丸「やっぱりマルは、物語は好きで居て欲しいし。この“ご縁”にいっぱい感謝するためにもね」

梨子「……? う、うん……よくわかんないけど、ありがとう」


とりあえず……果南ちゃんと一緒に読めばいいんだよね……?

花丸ちゃんが何を言いたいのかは、よくわからなかったけど……私はそれをありがたく頂戴するのだった。



307: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 22:49:38.98 ID:vQ6qZL/R0


    *    *    *





そういえば、忘れかけていたけど……まだ一つ解決していない問題があった。


梨子「……この一件と直接関係してるのかわからないんだけど……」

花丸「ずら?」

梨子「実はもう一つだけ、わからないままのことがあるんだよね……」

花丸「って言うと?」

梨子「……人魚姫の噂は一体なんだったのかなって」

花丸「ずら……? 人魚姫の噂?」

梨子「うん……果南ちゃんから聞いたんだけど……。内浦に昔、人魚姫の噂があったらしいんだけど……ある日を境に、急に誰も知ってる人がいなくなっちゃったって話をされて……」


これに関しては、本当にどういうことかわからないままだった。


花丸「……あー」

梨子「……これも、怪異の仕業なのかな……? 噂を食べちゃう妖怪みたいな……」

花丸「……それは怪異の仕業ではないよ」

梨子「え? ……花丸ちゃん、何か知ってるの?」

花丸「まあね……」

梨子「し、知ってるなら教えて……!」


私が身を乗り出して訊こうとすると──


花丸「それなら、一番の当事者に訊いた方がいいと思うずら」


花丸ちゃんは、ある方向を指差した。


梨子「……?」


その方向にあったのは──


梨子「千歌ちゃん……?」


千歌ちゃんの家だった。





    *    *    *





──日もところも変わって、とある休日の朝のこと。


梨子「おじいちゃん、朝ごはん出来たから、新聞片付けて?」

おじい「……ああ」


私が声を掛けると、おじいちゃんは新聞を畳んで横に置く。

私も机の上に朝食を並べてから、エプロンを外して、席に着く。

308: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 23:05:28.21 ID:vQ6qZL/R0

梨子「いただきます」


私が「いただきます」をすると、おじいちゃんの方からも小さな声で「いただきます」という声が聞こえてくる。

──ちなみに今日の果南ちゃんはまだ仕事中。

今日は少し時間が掛かるから、先に食べていて欲しいと言われたので、こうしておじいちゃんと一緒に先に食べています。

……いつもの調子だと、まだ戻ってくるまでに20分ほど掛かると思う。

さて、あの話をするなら、今かな。


梨子「ねぇ、おじいちゃん」

おじい「なんだ」

梨子「……なんで、内浦の人魚姫の話、果南ちゃんには聞かせたくないの?」


お味噌汁を飲んでいたおじいちゃんの手が止まる。


おじい「……誰に聞いた」

梨子「……ってことは、やっぱりおじいちゃんが口止めしてたんだね」


確かに、千歌ちゃんに聞いたとおりだった……。



──────
────
──


千歌「──ニンギョヒメノウワサ?? ナニソレチカシラナイー???」


千歌ちゃんに訊ねると、酷い棒読みが返ってきた。


梨子「……ねぇ、千歌ちゃんお願い……! 何か知ってるなら教えてくれないかな……?」

千歌「し、知らない……っ!! チカ、そんなの知らないもん……っ!!」


軽く涙目になりながら、拒否される。


花丸「あはは、相当怖かったんだね。果南ちゃんのおじいちゃん」

千歌「は、花丸ちゃん!! 滅多なこと言っちゃダメだよぉ!? おじいが怒るとホントに怖いんだからね!? チカあのときは死んだと思ったんだから……っ!!」

梨子「なんでおじいちゃんはそんなに怒ったの……?」

千歌「そんなの知らないよっ! チカはただ、内浦の人魚姫について、果南ちゃんと一緒に探しに行くから教えてって聞きに行っただけだもん! おじいは内浦の海のことならなんでも知ってるからって思って聞いたら……ああ、だ、ダメ……思い出しただけで泣きそう……っ」


──
────
──────



突然消えた噂の真相──それは、内浦の人魚姫について訊ねた千歌ちゃんが、トラウマになるくらい、おじいちゃんを激昂させたということが起因だったらしい。

おじいちゃんはこれでも内浦地区一帯では有名人で、かなりの古株、加えて子供受けがよく寡黙だけど優しい人なのに、千歌ちゃんが泣き帰るくらいに激怒したという事実は、田舎特有の噂の伝播スピードによって一気に広まり、瞬く間にこの一帯で人魚姫の噂をすることはタブーになったらしい。

しかも、どうやら──果南ちゃんにその話をすることは完全に禁忌扱いだったということまでは、千歌ちゃんと花丸ちゃんから教えてもらうことが出来た。

309: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 23:07:35.62 ID:vQ6qZL/R0

梨子「もちろん、果南ちゃんには言わないつもりだけど……」

おじい「なんで、知る必要がある」

梨子「私……小さい頃に、内浦で人魚姫を見たんです。……だから、気になって」

おじい「……他所でも有名だったのか、あの馬鹿娘は……」

梨子「バカ娘……?」

おじい「そいつは、俺の娘だ」

梨子「……へ?」


思わずポカンとしてしまう。おじいちゃんの娘ってことは──


梨子「果南ちゃんのお母さん……?」

おじい「そうだ」

梨子「え……それじゃ、なんで果南ちゃんに教えてあげないんですか……?」

おじい「……あの馬鹿娘に影響されて、果南まで出て行ったらどうする」


この不可解な人魚姫の噂の正体って──もしかして、ただの孫バカ……?


おじい「育てて貰った恩も忘れて……男と一緒に出ていきやがって……」


つまり……娘が出て行ってしまって、怒っているおじいちゃんが、孫を取られまいと、話題を出させないようにしていたものだったということ。

なので、私が見た紺碧の髪の人魚の夢は──果南ちゃんを意識しすぎて、見てしまった妄想の夢というわけではなく、当時実際に見た果南ちゃんのお母さんだった、ということらしい。

どうりで果南ちゃんにそっくりだったわけだ……。


おじい「……まあ、そういうことだ」

梨子「あ、うん……ありがとうございます」


思ったよりもしょうもない理由で少し拍子抜けしてしまったけど……。


梨子「……ふふ」


なんだか、孫だけは取られたくないと必死になっているおじいちゃんはちょっと可愛げがあるなと思ってしまった。


おじい「なんだ」

梨子「なんでもないですよー。ふふっ」





    *    *    *



310: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 23:13:21.84 ID:vQ6qZL/R0


──休日の朝から朝食を作りに果南ちゃんの家まで来ていたということは、そのあとは果南ちゃんとお家デートなわけで……。


果南「さて……何かしたいことある?」

梨子「うん、実は一緒に読みたい本があるんだ」

果南「読みたい本?」

梨子「……花丸ちゃんにプレゼントしてもらったんだけど」


この間、花丸ちゃんにお礼をしたときに渡された本を取り出す。


果南「マルから……?」

梨子「是非、果南ちゃんと一緒に読んでって言ってた」

果南「私と一緒に……?」

梨子「うん……なんでも……『二人が求めてたものが、あると思うから』……って」

果南「? なんだろ……? まあ、そこまで言うなら読んでみようか」

梨子「うん」


私は、バッグから包装用紙で丁重に包まれた本を取り出し、包装を開けてみる。すると、中から出てきたのは──


梨子・果南「「あ……」」


──『人魚姫』だった。横長の重厚な装丁のハードカバーの絵本だ。


梨子「……読む?」

果南「……まあ、うん」


二人でページを捲る。

花丸ちゃんから貰った『人魚姫』は──色とりどりのパッチワーク刺繍と、ビーズで作られた写真を挿絵として使った絵本になっていた。

その挿絵と共にお話は進んでいく。

6人の人魚の姉妹。

嵐の中で沈む難破船。

王子を助ける人魚姫。

魔女に貰った薬を飲んで人間の足を手に入れ。

王子が隣国の姫君と結ばれて……。

人魚姫はナイフを海に投げ捨てた──


梨子・果南「「…………」」


次のページで人魚姫は泡になって消えてしまうんだろう。


果南「……ページ捲るね?」

梨子「……うん」

311: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 23:18:34.09 ID:vQ6qZL/R0

──ページを捲る、するとやはり人魚姫は泡になって消えてしまった……と思ったが、


梨子「え……」


その泡はどんどん浮かびあがり──海を超えて、空へ──


果南「まだ、続きが……」


人魚姫は風の精に生まれ変わり──よい行いを積み続けることで、いつか不死の魂を得て、人間の幸せを味わうことが出来るようになる。

つまり──


果南「人魚姫は……ただ泡になって、消えてなくなっただけじゃなかったんだ……」


そして、全てを知った人魚姫は太陽に向かって両手を差し伸べたとき、初めて──


梨子「生まれて初めて涙が零れ落ちたのだった……」


二人で茫然としてしまう。

これはあとで花丸ちゃんに聞いた話になってしまうんだけど……人魚姫は実は泡になって消えてしまうところで終わってしまう絵本と──その後、空の精になって、いつか人間の幸せを味わうことが出来ることを知るところまで描かれている絵本と、2パターン存在しているらしい。

もちろん、アンデルセン著の原書では後者まで記されているとのこと。

つまり、もともと人魚姫は……救いのない悲しい結末のお話ではなくて──


果南「……梨子」


果南ちゃんが私の肩を抱く。


梨子「うん……っ……」

果南「人魚姫は……最後は幸せだったんだ……」

梨子「……うん……っ……」


私は今日も『人魚姫』を読んで、泣いてしまった。

泣いてしまった、けど……この涙は今までとは違って、悲しい涙じゃない。

私は──子供の頃から、どうしても好きになることができなかった、『人魚姫』の結末だったけど。

長いような、短いような……ある一冊の『人魚姫』の絵本を巡る物語の末──今日この日を境に、やっと……好きになることが出来たのでした。



312: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 23:23:11.21 ID:vQ6qZL/R0


*    *    *





……さて、そうなるともう一個謎があるんだけど……。

果南ちゃんの持っていた絵本のことだ。

私が読んでいた絵本は小さな子供向けの10ページほどしかない短い絵本だったから、結末がちゃんと描かれていなかったというのもわかるんだけど……。

果南ちゃんがお母さんから貰ったという絵本は、ボロボロでこそあったものの、子供向けの絵本というにはしっかりとお話が描写されている作りになっていた。

後日、私は人魚姫の原文を確認してみたんだけど……果南ちゃんの持っていた絵本は、私の記憶が正しければ、ほぼ原文通りに物語を記しているものだった気がする。

ただ、二人で読んだときもお話はあそこで終わっていたし……あえて最後をカットしたパターンのものだったという可能性は十分あるけど……。

でも、そんな疑問の答えは──やっぱり、果南ちゃんの家にあった。


梨子「~♪」


今日も鼻歌を歌いながら、松浦家の朝食の準備をしている。

目の前ではいつもどおり、おじいちゃんが仏頂面で新聞を読んでいる中、朝食を並べる。


梨子「よし……!」


準備完了。今日は仕事が長引くという話も聞いていないし、果南ちゃんが戻ってくるのを朝食の準備をしながら待つ日。そして、準備が終わったら果南ちゃんを待つ間、少しだけ暇な時間が出来る。

その間、最近見つけた密かな楽しみがあって──私はリビングの端の方においてある、棚を物色する。


梨子「今日は……これにしよ」


──手に取ったのは、アルバム。

そう、最近は果南ちゃんを待つ間にこっそり、松浦家のアルバムを見せてもらっている。

……特に誰かに了承を貰ったわけでもないけど……おじいちゃんも何も言わないし、いいよね? だって、気になるもん。好きな人のちっちゃい頃のこと。

パラパラとアルバムを捲ると──


梨子「……えへへ……」


幼少期の可愛らしい果南ちゃんの姿が、たくさん収められている。

たまに果南ちゃんと一緒に写っている、今の果南ちゃんを一回り大人っぽくしたような人は──恐らく果南ちゃんのお母さんで、私が幼少期の頃に見た、人魚姫の容姿とも一致する人だった。


梨子「果南ちゃんのお母さん……本当に美人……」


特に長い髪を棚引かせながら、泳いでいる水中写真なんかは本当に綺麗で……。内浦の人魚姫だなんて噂が立つのもおかしくないと思わざるを得ない美しさだった。


おじい「……ん゛んっ!!」


私が果南ちゃんのお母さんについて、感想を口にするたびに、おじいちゃんが咳払いをする日常にもだんだん慣れてきた。

パラパラとアルバムを捲りながら、


梨子「それじゃ、次は……」


次のアルバムを取り出そうとしたときに、ふと──


梨子「……ん……?」


棚の奥の方に、くしゃくしゃになった紙が落ちていることに気付く。

313: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 23:27:39.14 ID:vQ6qZL/R0

梨子「なんだろ……?」


手に取って、広げてみると──


梨子「……え? これって……」


私が広げたくしゃくしゃの紙切れは──人魚姫が明るい天に昇っていく挿絵と一緒に、光の精になることを綴った、『人魚姫』の最後の1ページだった。

つまり──果南ちゃんがお母さんから貰った絵本の、最後の1ページ。


梨子「え……? どうして、こんなものが……? ねぇ、おじいちゃん」

おじい「なんだ」

梨子「こんなのが棚の奥に……」


私がそれを見せると──


おじい「……ああ、あいつが破ったページか。こんなところにあったのか」


あいつ──即ち、果南ちゃんのお母さんのことだろうけど……。


梨子「果南ちゃんのお母さんが、破ったんですか……?」

おじい「ガキの頃にな。よほど、この最後が気に食わなかったらしい」

梨子「え……なんでだろう」


私は逆に疑問に思う。せっかく、悲しい結末じゃなかったのに……救いのあるラストの1ページのはずなのに……。

ただ、私のそんな疑問に対して、おじいちゃんは、


おじい「そりゃぁ、最後は海に溶けて消える方が幸せだろうからな」


と、さも当然のように口にする。


梨子「…………」


つまり、あの絵本の最後の1ページがなかった理由は──海が好きすぎて、海に溶ける結末を最後にしたかった、果南ちゃんのお母さんが原因だったということらしい。


おじい「そこだけは、あの馬鹿娘とも、意見が合ったところだ」


つい最近、物語の感じ方は人それぞれだなんて、思ったばっかりだったけど……。

結局、憎まれ口を叩きつつも、果南ちゃんのおじいちゃんとお母さんは、似た者同士だったということ。

今回は、この結末を変えられた絵本のお陰で、私も果南ちゃんも大変な目に遭ったわけだけど……。

これも含めて──全部“ご縁”なのかなと、自分を納得させるように、私は肩を竦めたのでした。


314: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 23:28:07.50 ID:vQ6qZL/R0



    *    *    *










    *    *    *



315: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 23:32:21.39 ID:vQ6qZL/R0


数日後。

──高い高い冬の空を仰ぎながら、白い砂浜がどこまでも続いている千本浜を二人で歩く。

比較的暖かい気候と言われる内浦でも、さすがにこの季節だと、思いのほか寒くて……。


梨子「……くしゅん」

果南「あーもう……だから言ったじゃん、浜辺は寒いって……」

梨子「だって、このお洋服がよかったんだもん……」


今日は果南ちゃんと一緒に、お散歩デート。

今日のために選んできた、お気に入りのお洋服を着て──首からは果南ちゃんから贈ってもらったネックレスをさげて。


果南「もう仕方ないなぁ……」


果南ちゃんはやれやれと肩を竦めると、自分の上着を脱いで私に羽織らせてくれる。


梨子「ありがとう……えへへ、果南ちゃんの上着……♡」

果南「さては最初からそれが目的だったね……?」

梨子「えへへ~どうだろうね~♪」

果南「全く……」


呆れ気味に頭を掻く果南ちゃんの首にも、お揃いのネックレスが光っていて。

──ああ、なんだか、嬉しいな。この些細な、景色が、時間が、嬉しい。


梨子「果南ちゃん♪」


私は思わず、名前を呼びながら抱き着く。


果南「おとと……何?」

梨子「こうしたかったの♪」

果南「そっか」


果南ちゃんは微笑みながら、私を抱き返してくれる。

抱きしめて、私の頭を撫でながら、ぼんやりと海を眺める。


梨子「……私……冬の海、好きかも」

果南「私から上着を剥ぎ取れるから?」

梨子「もう! そういうことじゃないもん! ……静かで、果南ちゃんがそばにいることを、ちゃんと感じられるから……」

果南「……そっか」


二人で冬の砂浜に腰を下ろして、寄り添い合う。

海を眺めていたら、ふと思い出す。


梨子「そういえばさ」

果南「ん?」

梨子「ソロ曲の歌詞……本当に変えてよかったの? 元は最後は魚になって、海に還ってく歌詞だったけど……」


──完成したはずのソロ曲だったけど……実はあの騒動が決着したあと、果南ちゃんからの提案で歌詞の直しを行いました。

今言ったとおり、魚になって海に還っていく歌詞から──海からあがって、人に戻っていく歌詞へと。

316: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 23:34:46.24 ID:vQ6qZL/R0

果南「……なんかさ」

梨子「うん」

果南「……私はやっぱり、魚よりも人間に戻りたいなって思って」

梨子「どうして?」

果南「ここには……──梨子がいるから」

梨子「……ふふっ、そっか」


どうやら果南ちゃんは、お母さんやおじいちゃんとは違う結末を選んだらしい。その理由が私なのは──なんか嬉しいな。

私は微笑みながら、果南ちゃんに身を寄せて、目を瞑る。目を瞑って、この時間を、幸せを──噛み締めながら、思う。

人には、言葉では表せない想いや、伝えきれない気持ちはどうしてもあって、それはどうしようもなくもどかしいものだ。

それでも私は──私たちは……諦めずに、必死に言葉にして伝え続ける。

伝わるかわからなくても、伝え続ける。

きっと、それでしか伝わらないものもあるということを、知ったから。


梨子「果南ちゃん」

果南「ん?」

梨子「キス……しよ……?」

果南「ふふ……うん」


──たった二人きりの、冬の砂浜で、唇が重なった。


梨子「……えへへ……」

果南「梨子……」


そしてまた、抱きしめ合う。大好きな人と、この浜辺で。


梨子「果南ちゃん……世界で一番、大好きだよ」

果南「私も……世界で一番大好きだよ、梨子」


私たちは、今日もこの寒空の下で、大好きを伝え合います。

何度でも、何度でも。

だって、私たちには──言葉を、気持ちを、伝えられる、声があるのだから──





<終>

317: ◆tdNJrUZxQg 2020/08/23(日) 23:39:17.97 ID:vQ6qZL/R0
終わりです。お目汚し失礼しました。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン著の『人魚姫』は今では青空文庫で無料で読むことが出来ます。
もし『人魚姫』のざっくりとしたあらすじは知っているけど、読んだことがなかったという方は、是非この機会に読んでみて欲しいです。
また作中の最後に出来てた、花丸からプレゼントされた絵本は、リトルモアブックスから発行されている絵本をモデルにしています。
美麗な挿絵もさることながら、翻訳も現代風になっており、かなり読みやすく新訳されているので、『人魚姫』に親しんできた方でも楽しめると思いますので、興味がありましたら、こちらも是非。

それでは、ここまで読んで頂き有難う御座いました。

また書きたくなったら来ます。

よしなに。