2: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:39:03 ID:pnf
【オードブル:嫌よ嫌よも好きの内】







「シスターって友達いるんですか?」



 ……言ってしまったが運の尽き。なぜ言葉は出ていくばかりで戻すことができないのだろう。

 しまった、と思った時にはシスターは右の人差し指を顎に当て小首を傾げていた。すいません考えなくていいから忘れてください、もっとなんか遠回しに表現しなおさせてください。俺のなけなしの社会性が心を締め付けるんです。


引用元: 【モバマスss】腹ペコシスターの今日の一品:親子丼【幕間】 



3: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:39:19 ID:pnf
「ええと……いない、かもしれません」

「……えー、あー、その……す、すいません」

「い、いえそのっ……ぷ、プロデューサー様が仰っているのは休日に『まくど』に行ったり、仕事の合間に『ふぁみれす』に行ったり、悪魔を祓った帰り、人気のない紫煙の匂いが染み付いた地下街のバーでバーボンを共に頂くような、そんな存在のことを指していらっしゃるのですよね?」

「最後なんでそんなハードボイルドなんですか……まぁ概ねそうです。食べてばっかなのは気になりますが」

「え、ええと……そうですね、私から食事をお誘いするような人は、いません」

「な、なんか困ったり寂しかったりしてませんよね?」

「寂しい、ですか……?」

「ええ、シスターもアイドルになって日が浅いですし慣れないことも多いでしょうから、何か悩みを相談できる存在がいればと思ったんですが」

「そ、それはプロデューサー様だと思っていたのですが……だ、ダメだったでしょうか」


4: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:39:36 ID:pnf
 ……ダメなことはないですよ、という言葉がなぜか喉に詰まった。代わりにははは、と笑って、さらにもう一度ははは、と笑って会話を強制的に終了させる。別に意識するようなことは何もないのだけど、なぜか真正面からその思いに応えるのがためらわれた。

 まあ、現状困っていないならいい。俺自身も最低限の信用は得られているみたいだしこの会話から得るものはあった。そう信じよう。そしてとんでもない会話の火付けをしてしまった事実を一刻も早く闇に葬り去りたい。


5: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:39:47 ID:pnf
 ……しかし何故こんなにも下世話な話題をしなければならなかったのか。もちろん俺の趣味嗜好ではない。俺はもっと詩的で知的で理的な会話を好むのである。

 人の心にズカズカ入り込んでともすればトラウマを引き抜くような野蛮人のような会話は、俺という個人から最も遠いところにある存在と言ってもいい。そりゃあ表現はミスったかもしれないが、人間生きていれば失敗の一つや二つくらいある。さもありなん。


6: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:40:04 ID:pnf
 ……この望まれぬおしゃべりは、やはり望まれぬ願いから生じたものである。

 それは語るも涙、聞くも涙の大活劇。

 因縁の相手に大立ち回りをこなした、俺の活躍の一端を語ろうではないか───。


7: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:40:19 ID:pnf




 ───それは夜露が葉を伝って地面を濡らした日のこと。

 風が影を揺らし音を連れて過ぎ去っていく、青葉のような一瞬が連続している夏のある日。

 蝉の声が透明になるまで緑が鳴り響く、生命(いのち)が跳ねる瑞々しい一日の午後。



 具体的にいうと昨日のおやつタイム。


8: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:40:36 ID:pnf
「おい、お前」

「ああ? ……俺はお前って名前じゃねーですよぉ? いいんですか、このご時世に上司が部下のことをお前呼ばわりなんて。あー辛い、おー辛い。あーあ、どっか駆け込んじゃおっかなー! 出るとこ出ちゃおっかなー!」

「お前の報告書、これちゃんと担当全員に聞いて回ったのか」

「話聞いてた?」

「どうなんだ」

「聞いたに決まってるでしょ」

「ならこの報告書、提出されたアイドル全員が交友関係について『問題なし』なのは事実だと捉えていいんだな?」

「もちろん。幸せよなぁ」

「やり直しだ」

「ハァ!? ちょっと待て、ちゃんと聞いたのは嘘じゃないぞ!?」

「なんでもいいから各アイドル一行分くらいは何か書け。『特になし』は『何もなし』と同じだ。無論お前の存在価値がな」

「それ何もなかったら捏造しろって言ってんのと変わんないんじゃねぇのか……? てかお前、それは本当にパワハラだからな?」

「嘘を書いたらお前の責任問題だ、俺は知らん。だがお前がちゃんと仕事をしていない責任は監督役として俺に回ってくる。そして……パワハラ? そう感じたんだったらどこへでも駆け込むがいいさ。余罪を追求されるのはお前の方だがな」

「……さいで。でも本当に何もなかったらどうすんだ? 二度手間、無駄骨、非効率の極みでしょうが」

「何もないことなんてないんだよ。それは俺たちが何よりわかっていると思っていたが、お前はそうではなかったのか?」

「……相変わらずムカつく言い方しやがって」

「了承したということでいいな?」

「……ああ。書類は明日お前に直接渡せばいいのか?」

「ああ。……そうだ、それと」

「? まだなんかあんのか?」

「口の聞き方には注意しろよ? 損をするのは結局お前だからな」

「……御忠告ありがとうございます、同期の星さん」

「お前が勝手に爆発して消えただけだ。俺が特別優れているわけじゃない」

「……謙虚ですねぇ、相変わらず。見習いたいですわ」

「お褒めに預かり光栄だよ」

「褒めてねえし」


9: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:41:14 ID:pnf




 ……とまぁ、こんな感じである。多少脚色が入っていることは否めないがでも大方こんな感じだ。実際はもっとずっとひどいこと言われた。記憶はないがそうに違いない。売り言葉に買い言葉で職場とは思えないほど険悪な空気が流れた気もするが、やはりよく覚えていない。

 なんてかわいそうな俺だ。奴はかわいそうではない。

 経緯はともかく、降って湧いた仕事はやらねばならぬ。年少組に関しては午前中から家庭訪問の約束を取り付け(一部どうしても都合が合わない場合は本人と二人で面談という形だが)、無事全員分の聞き取りを終えた。

「何もないです」というものの、「それでもなにかないか」と聞けばおずおずと「学校の友人と話す時間が減っている」という答えを返してくる。後は友達の名前を聞き出して書類に記入すればいっちょあがり。仕事に関しては少し調整を加えて、時間的な余裕を確保するよう努めよう。

 ……俺の担当はほとんどが年少組。そして少し癖のあるアイドル達。

 その中では最高レベルに素直な美嘉への聞き取りは問題なくスムーズに終わった。

 しかし『最近気になる人ができた』、か……。アイドルとは言え美嘉も一人の女子高生。応援はできないけど、自分の心に逆らう必要はないとは伝えた。それを聞いた美嘉は何か吹っ切れたのか、華のような笑顔を見せて仕事へと向かっていった。

 続く唯も似たり寄ったりな内容で終わった。「プロデューサーちゃん、先週同じ話したばっかなのに忘れちゃったの?」などと地味に心に刺さる言葉を頂戴した。違うんだ、俺のせいじゃないんだ……。


10: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:41:28 ID:pnf
 そんなこんなでその後も続々仕事をこなし、残るは二人。応接室に缶詰の一日ももうすぐ終わる。どうでもいいけど応接室ってかっこいいよね。そこだけ小学校の校長室みたいに小綺麗だし。

 しかしずっと閉じこもっていては気分も塞がってくる。それに残りのアイドルは俺の担当する一癖も二癖もあるアイドルの代表格、そのトップ・ワン・ツー。


11: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:41:39 ID:pnf
 エントリーナンバーワン。退魔業が生業の腹ペコミステリアスシスターことクラリス女史。一言で言えば不思議シスターである。後輩がスカウトをして最初期は部長がプロデュースをしていたが、その美声、歌唱力は誰もが知るところだ。ところで退魔って何? 吸血鬼とかと戦っちゃう系?

 厳密に言えば俺はまだ彼女の担当ではないのだが、内々に担当替えが決定されたらしく、部長からの引継ぎが終わって最初の仕事がこの聞き取り調査。

 一度ご飯を作ってあげたことはあるけれど、まだ関わりが深いわけではない。そんな中いきなり「あなたは友達いますか」はどう控えめに見積もっても失礼の極みである。コミュニケーション弱者か俺は。そうかもしれない。そうでないと言ってくれ。

 反省すべきことはしなければ。しかしそもそも奴がイチャモンつけなければこんな不幸な事故は起きなかったわけで。責任の大元は奴にあるってことで Q.E.D. よし、多少は気分も晴れた。

 聞き取りが終わってもういいですよとシスターに伝えたが、彼女は時計を見て少し考えた後、物言わず空きソファへと席を移した。……な、なんだろう。魔物でも神様でも入ってくるんだろうか。事務所にはそれっぽいアイドルが数名いるからシャレになってないんだよな……。


12: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:41:58 ID:pnf
 でもまあ、確かに。最後にやってくる彼女はそういう不思議な雰囲気をまとっていることは間違いない。



 ……さて。噂をすれば影とはこのことだ。


13: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:42:17 ID:pnf
 応接室のドアがゆっくりと開く。シャンと鈴が鳴ったような気がした。

 足音は聞こえないほど小さく、儚げな立ち振る舞いは幻をも想起させる。生来のひょうひょうさがそこに加わり、さらに掴み所のない──自然と彼女を追いかけたくなる──不思議な魅力を放っている。

 そんな雰囲気にそぐわない、大きなあくびを噛み殺しながら部屋に入ってくる彼女の姿に、俺だけでなくシスターまで視線を奪われている。



 ───銀の香りが揺れる。



「はいはーい、おまた~。 シューコちゃんの参上ですよ~」


14: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:42:44 ID:pnf




「よし、じゃあ早速だけど周子、お前友達いる? 一人で寂しい毎日を送ってない?」

「呼び出しといていきなり聞くことじゃないでしょ……ま、それなりにやってるケド」

「人間関係のトラブルや金銭関係のトラブルを抱えてない? 過去に神様と一悶着あったとかない?」

「なんであたしの時だけそんな重苦しいん? てか最後なんやねん」

「依田さんや鷹富士さんがいるから一応聞いとかないとね……後はちょっとふざけても許してくれるかなって」

「あ、それ冗談のつもりだったん?」

「伝わっていなかったか。察しが悪いな」

「まさかの責任転嫁」

「何をいう。最初から俺に責任などないぞ」

「いっそここまでくると清々しいわ」

「よせやい、照れる」

「褒めてへんわ……ってあれ? クラリスさん?」

 ──……周子はシスターに向かってひらひらと手を振る。シスターはペコリと頭を下げて再び同じ姿勢に戻る。……心なしかシスターが緊張しているように見える。……緊張というのはちょっと違うか。なんだろう……でも少し張り詰めている感じ?

「周子、お前シスターと仲良かったの?」

「ん? 全然。話したの今日で二十二回目くらい」

「俺より頻繁に話してるよそれ」

「そうなん? でも廊下ですれ違ったりレッスン同じだったりしたら話したりするやろ?」

「あれ、シスターと周子同じレッスンになった事あったっけ?」

「いやないけど」

「なんで言うたんほんなら」

「なんで関西弁やねん。いやでもほら、クラリスさん綺麗な金髪やん? シューコちゃんは綺麗な銀髪やん?」

「自分で言い切りおった」

「まあだってそやもん。だからほら、隣に並んだら金さん銀さんみたいで気分ええやん」

そう言って周子は席を立ちシスターの元へと駆け寄るとおもむろに肩を組み、キメ顔でそう言った。

「お前古いこと知ってんなぁ。何年前だよ金さん銀さん」

「あたしが生まれた頃くらい?」

「え、そんなもんなの……シスターは知ってます? 金さん銀さんって」

 シスターは何も言わずに左人差指を顎にあて頭を傾げた。やたらめったら可愛い。

 数秒の思考のうち、何かを思いついたようでひそひそ話で周子に耳打ちする。やたらめったら仲ええやん。ってか普通に答えてくれていいんですよシスター。あれ、もしかして俺ってそこまで信用されていない……?

 俺の心配をよそに、周子はケタケタと笑いだす。そしてニヤつき顔そのままにシスターへと耳打ちをすると彼女の顔は真っ赤に染まり上がった。なんだ、何を言われたんだ……!? てかやたらめったら可愛くて仲良いね君ら。

 周子は満足したようでシスターの横から再び俺の前へと席を移す。……その勝ち誇った顔が妙に気になるがまあいい。仕事もほぼ終わりだ、俺も暇つぶしの雑談に参加させてもらうとしよう。


15: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:43:03 ID:pnf
「そう言えば周子さんやい、前打診された話だけど部長に言ったら断られたぞ」

「あ、そうなん? まぁダメだとは思ってたけど」

「周子もまだ未成年だしな。アイドルの仕事に慣れてきているとは言え、セルフプロデュースは流石にリスクが高いんだとさ」

「そっかー。まあそうよねー」

「……計画通り、みたいな感じ?」

「ん、察しがいいね」

「俺はお前のプロデューサーだからな」

「そういうサバサバしたとこほんと好き」

「やめて恋しちゃう」

「ごめんなー」

「失恋した」

「……ん、でもさっきも言ったけどダメだろうなってこっちも思ってたから。これからもシューコちゃんをよろしくねー。馬車馬の如く働くよ」

「そこまでブラックには働かせないよ。どこかの誰かさんじゃあるまいし」


16: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:43:19 ID:pnf
 ……そのとき、カチャリと。

 本当に静かに、応接室のドアノブが回った。

「……──なんだ、不満があるのか」

 静かに、厳かに。ゆっくりと、気品高く。それでいて冷たく蛇のような足取りで、男が入ってきた。言うまでもない───奴だ。


17: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:43:41 ID:pnf
「……帰ったと思ってたよ」

「お前が無駄口叩いてるから残る羽目になってるんだよ。今日提出すると言ったろう」

「……一応、『今日』はあと六時間近くあるんだぞ?」

「常識的な時間でお願いしたいところだ。お前にひとかけらでも常識が残っていることを期待してのことだが。それすらできないようなら俺も認識を改めるよ」

「はぁ、じゃあ俺に常識がなかったらお前も俺も終電なくなって二人仲良く会社にお泊まり会ってことかよ。すげーなお前、むしろ俺のこと好きなんじゃね?」

「ようやく気づいたか、ここまで察しが悪いと千年の恋も覚めるというものだ」

「十倍長いこと待ってくれてるんですねぇ……」

「何、罰ゲームみたいなものだ。それで……?」

「はいはい……ちょうど今終わったところですよ」

「だろうな。だから来た」

「お前、俺の様子伺ってたの……? 本格的に俺のこと好きなんじゃね?」

「監視というやつだよ。それを好意と受け止めるなんて、お前はヤンデレ趣味か?」

「──────。」

「……なんだ。言いたいことがあるなら言え」

「いや──冗談でもお前の口から『ヤンデレ』なんて世俗的な言葉が出るとは思わなくてね」

「価値観のアップデートだよ。この仕事には必須だろう?」

「そうだけど……クマもよくやるわ」

「それに関しては同意するよ。……ほら、さっさと書類をよこせ」

「はいはい、はいよ。……さて、これで俺はお役御免ですかね?」

「……辞めるのか?」

「お、今更ながら自らの行いを後悔してきたか?」

「いや、清清するよ」

「お前……! ほんとに訴えたろか……!」

「嫌ならちひろさんに言いつけるがいいさ。同時にごまかしていた諸々の請求も突きつけられるだろうがな」

「いや、部長に」

「……お前のそういう汚いところが本当に嫌いだ」

「そうか。俺は俺のことが好きだよ。みんなで仲良くやっていこうとしている自分が大好きだ」

「その『みんな』を選りすぐってるような奴が吐いていい台詞じゃないな」

「ちょちょちょ、ちょーいストップ。ちょい、ちょい、ちょい」


18: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:44:06 ID:pnf
 ……無限に続きそうな言い争いの仲裁に入ったのは周子だった。いつも大きい目が更に 1.2 倍ほど見開かれている。

「え、どしたんプロデューサーさん達。仲悪いの?」

「すこぶる良いよ」

「ああ、親友だな」

「じゃあ仲良いの?」

「そんなわけないだろ」

「反吐が出る」

「あー、あー、あー、とうとう言った、言っちゃった、直接的な暴言!」

「はいはい、わかりましたわかりました。でもアレよ? 担当アイドルの目の前でバトんのはよくないんじゃない?」

「……そうだな。塩見さん、申し訳ない」

「いやだってこいつが……!」

「はいそれまで! それまでにしときんさい! それ以上はこの塩見屋が預からせていただく!」

「塩見屋……!? そ、それは!?」

「和菓子屋やね」

「和菓子屋に何ができんねん」

「あんこを練ることが出来る」

 ……ここまでが即興コント。周子のプロデューサーを一年近くも続けていればこれくらいのことは造作でもない。なぜなら俺たちの絆はエターナルだからよ……!

 もとい。

 普段は風の吹くままに生きているような彼女も、実はかなりの気遣い屋だ。今回はさすがに直接的すぎるけど、普段から彼女は俺の気づかないところまでいろいろ気を回してくれている。

 それは普段のレッスンや私生活での悩みだけでなく、俺ではどうすることもできないステージ上でのフォローだったり、バラエティ番組でのとっさの機転だったり。彼女自身の超一流のパフォーマンスもさることながら、彼女の視野の広さは他のアイドルにはない特徴だ。

 自然、彼女の交友関係は広い。今度うちの事務所の切り札として売り込む、あるアイドルグループにも彼女を推薦した。二癖どころか三癖、ないと思ってたら四癖というような個性的な面々の全てと面識があり、かつある程度の操縦技術を持ち合わせている彼女ほどの適任はいなかったからだ。

 ……要は、全ての場所に欠かせないバランサー。それが彼女の本質の一端であると俺は考えていた。

 ───そして。

 本質の一端ということは当然、他の側面もあるわけで───。


19: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:44:36 ID:pnf
「はいはい。それじゃ仲直りの印にご飯食べ行こーや」

「「………………は?」」

「お、シンクロ。やっぱ心の奥底では仲ええんやね」

「ちょ、ちょっと待て周子……! なんで俺がこんな幸遠い陰気な奴と並んで飯を食わねばならん……!」

「塩見さん、お誘いはありがたいが私は自分で食事を取ることにするよ。今度彼がいないときなら付き合おう」

「まぁまぁまぁまぁ。正直あたしお腹へって倒れそうなのよね」

「そう言えばキミいつもお腹空かせてるよね……」

「やん、恥ずかしい。……ていうか、あたしよりあっちの方がまずいんちゃう?」

 ……周子に促され、振り向いた先には。

 金色のシスターが音もなく崩れ落ちていた。

 ……なんで!?

「シスター!? 大丈夫ですかちょっと、シスター!?」

 急いで駆け寄り彼女を抱え起こす。思っていたよりずっと軽い。それに良いにおいもするし、何より柔らかい。……二の腕あたりがね?

「う、うう……ぷ、プロデューサー様……」

「どうしました、あの蛇みたいな男にやられたんですか?」

「おいお前」

「まぁまぁええからええから」

 ……俺は彼女からの言葉を待つ。さあ、言うんだシスター。君をそんなにした男の名を。さらっとしらっとすらっと言うんだ。君が証言してくれれば憎きあいつを俺の目の届かないところへと追いやることが出来る。さぁ、さあ!

「プロデューサー様……私は……あ、あの……」



 ───とくん。

 今までに感じたことのない種類の心臓の動きだ。

 不整脈か?

 ……ふざけている場合ではなく。


20: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:44:57 ID:pnf
 なにか、よくわからない感情が、俺の中にある。

 彼女を抱き抱え見つめていると、一挙手一投足全てが俺の中で行われているかのような錯覚を覚える。

 柔らかく揺れるそれに触れてみたい。

 滑らかに落ちるそれを感じてみたい。

 静やかに溶けるそれを掬ってみたい。

 ───彼女の心の中を、知りたい。……俺のものにしたい。

 暴力的な感情にもつながりかねない、萌芽のような思いが俺の中にふつふつと湧き上がる。



 ───とくん。

 ダメだ。

 ───とくん。

 よくない。

 ───とくん。

 これは、よくない。

 ───とくん。

 ああ、でも────。

 ───とくん。

 誰も、誰も止めないのなら───。

 ───とくん。

 このまま──────。


21: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:45:10 ID:pnf
 グゥ~~~………


22: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:45:28 ID:pnf
 ……なんだ? 

 気の抜けるような、いや実際に抜けているのだが、この音は?

 いや、良い。良いのだ。答えはわかっている。あえて知らないフリをしようという社会人なりの気の使い方だ。

 ……重要参考人と目されるシスターは真っ赤に染まった顔を両手で覆い隠している。

 後ろを振り向くと、奴は咳払いをして忙しく顔をあちらこちらに向けている。奴も俺と同じく知らぬ存ぜぬで押し通そうとしているのであろう。ここは互いの信条や普段の仲など一切関係ない。アイドルのピンチなのだ。俺たちはどちらからいうともなく共同戦線を張ることにした。

 その隣で、周子は笑い声こそ出していないもののその行為自体を隠し切れていない。というかストレートに出している。爆笑である。ちょっとは自重してあげて? 俺たちの共同戦線が意味なさなくなるからお願いだからね?


23: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:45:48 ID:pnf
「……ッ……ク、クラリスさん……お、お腹空いてたんだね……ッ……ケホッ……」

 ……むせる程笑ってやるなよ、と心の中で叫んだが届くはずもなく。

 結局、消え入るようなシスターの「お腹すいちゃったんです……」という独白でこの事件は終わった。悲しい事件だったね……

 ……ならば、さて。

 罪滅ぼし(悪いことは何もしてないけど)の一環として、せめて美味いものを作ってやろう。お子様からお年寄りまで大好きな、あの黄金色の一杯でお腹をいっぱい満たして欲しい。そう俺は決意する。


24: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:46:27 ID:pnf
「シスター、周子。……それに仕方ないからついでにお前も。給湯室に行くぞ」

「俺もか……?」

「乗り掛かった船だ、諦めろ。……今日は、おっきな鳥もも肉が入ったと葵から聞いた。クッキング勢直伝のあの料理を作る日が来たようだ」

「お、美味しいのですか……?」

 ……赤い顔はそのままに、小さな声でボソッと、だがしっかりと発音した。意外とシスター、図太いというか子供っぽい一面あるんですね……うむ、覚えておこう。何かのプロデュースに使えるかもしれない。



 そう。俺と彼女はこれから、たくさんの時間を過ごして、たくさんのことを知っていくんだ。

 だからそのはじめの一歩も次の二歩も、こんな感じだって良いじゃないか。

 いつかきっと、笑い話になって。

 よかったねって、きっと振り返ることが出来るようになるから。



「……はい。美味しいの作るから、良い子にして待っててくださいね」

 そう言って、彼女の頭を軽く撫でる。……セクハラで訴えられないよな? シスターはおいしいものが食べられるという事実でふわりと笑い込んでいる。多分頭撫でていることに気づいてない。よし。

 

 そして、この事件の首謀者たる彼女はというと。

 両手を組んで天井に高く突き上げ、大きく伸びをする。

 ぷはぁと息を吐いた後、またあの蠱惑的な笑みをニンマリと浮かべ、言う。



「お腹すいたーん♪」


25: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:46:47 ID:pnf
【メインディッシュ:親子丼】







 老若男女誰もが好きな丼ものといえば何か。……そうだね、親子丼だね。

 誰がなんと言おうとここは親子丼である。異論は認める。

 だが今日は親子丼を作るのである。しかも適当にぱっぱと作るのではなく(それもおいしいけど)、すごく美味しいやつを作る。何しろ約束してしまったから仕方がない。



 さて、それでは。一風変わった「親子丼」、作って行こうか。


26: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:47:24 ID:pnf




 ────鳥もも肉は一枚肉を半分使う。……150 g 程度か。これを一口大くらいに、少し大きめに切る。同時に、玉ねぎを 1/4 程薄切りにする。さらににんにく 1/2 個を半分すり下ろし、もう半分を薄切りにする。

……女性にニンニクを入れすぎた料理を出すのはデリカシーがないので、この辺はお好みで。



 ────ここが最初のクライマックス。フライパンにサラダ油を小さじ一ほど入れ熱し、そこに切った鳥もも肉を皮目を下にしていれる。……そう。この親子丼の最大の特徴は『焼いて香ばしさをつける』ことだ。



 ────皮目に焦げ目がついて油(鶏油)が十分に出たらフライパンを傾け油溜まりを作る。ここに薄切りしたニンニクを入れ、狐色になるまで焼く(揚げるのに近いイメージ)。



 ────十分ニンニクが焼けたらフライパンの角度を戻し、鶏肉の肉の方を簡単に焼いていく。ここでは表面の色が軽く変わるくらいで大丈夫。そうしたら鶏肉は一度取り出し余分な油を拭き、休ませる。この間に余熱でゆっくり火が入る。



 ────フライパンの方の油も、全体として大さじ 1 程度くらいまで拭き取っておく。ニンニクと油が入ったフライパンに玉ねぎを入れ、しんなりするくらいまで焼く。飴色になるまではしなくて良い。しんなりすればOK。



 ────玉ねぎがしんなりしてきたら、割り下を投入する。割り下の分量は、料理酒大さじ2、みりん大さじ1、白だし大さじ1、醤油大さじ1、ポ○リスエット小さじ2、砂糖小さじ1。これらを順に投入し、最後にすり下ろしニンニクを投入して強火で沸かす。



 ────割り下が沸いたところで弱火にして、鳥もも肉をフライパンに戻す。さらに卵を一個、特にかき混ぜなくて良いのでそのまま鍋に投入する。そして鍋の中で軽くかき混ぜ、卵が全体的にかき混ざったら蓋をして一分ほど煮る。ここは全部弱火。



 ────1分ほど煮たら最後によくかき混ぜた卵をもう一個入れ、さらに 1 分ほど煮る。どんぶりに熱々のご飯をよそい、その上に具をスライドさせる。さらに余ったタレを上からかけたら完成だ。



 さあ、どうだ。これぞ「葵 feat. 響子直伝の親子丼」だ……!


27: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:47:53 ID:pnf




「さあシスター、周子。ついでにお前の分も出来上がったぞ」

「わぁ……! き、綺麗な色……!」

「親子丼を見ていの一番にその感想はどうなん? ……んー、でも良い匂い」

「……ふむ。美味そうだ」

「おおっ!? えらい素直じゃないの」

「俺は出された食べ物はありがたくいただく主義だ」

「そうなの……」

 それにしちゃあお前さん、ずいぶんと痩せてない? とは言わなかった。人にはそれぞれ事情があるからな。その代わり、ではないけれど。残すなよ、と軽く念を押し、俺も席につく。

「……さ、どうぞお食べください。作ったのは俺ですがレシピは豪のものが作った奴ですから、かなりおいしいと思います」

「んー、じゃあシューコちゃん一番乗りでいっただっきまーす……ううん、美味い! 甘めの味付けになってる割り下が主張しすぎないで上品!」

「そ、それにこのお肉が香ばしく……! 噛んだ時にパリッとした食感が少し残るのは、あまり普通の親子丼では味わえない感覚です……! それでいてしっかりと鶏肉に味が染みていて……! か、噛むたびに、ジューシーで……はわわ……!」

「……玉ねぎも美味いな。柔らかくて、肉の邪魔にならない。割り下の甘さと玉ねぎの甘さがちょうどマッチしている。これは……」

「ポカ○を隠し味にしてあるんだ。薬品っぽい甘みが気になる人もいるだろうからもう少し分量を減らしても良いだろうが、あれは塩分と糖分が多く含まれていて、砂糖を使った本格的な甘みをつける前に、呼びの甘みとして入れると美味くなる……気がする」

「……お前、もしかしてそこはオリジナルだな? その隠し味の根拠は?」

「ない。経験則。どんなもんだい」

「…………まぁ、今回は美味かったから聞かなかったことにしといてやる」

「よっしゃ、それで十分だ。シスターと周子はどう……ってもう完食ぅ!?」

「いやほんまこれめっちゃうまかったわ」

「大変美味しゅうございました……主と、プロデューサーさまに感謝を」

 ……そこに並列させてほんとに大丈夫なの? 俺偉大すぎやしないかい? なんぼなんでも恐れ多いっていうか……あ、それと。

「シスター。俺のこと『様』づけはいらないですよ。前も言いましたけど、『さん』づけで結構です」

 その言葉に一番反応したのは奴だった。当のシスターはぽややとして、そうですか、それなら、なんて言っている。かわいい。


28: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:48:22 ID:pnf
 ……そしてその反応を見ていたら奴に首ねっこを掴まれ引き寄せられた。

「な、何すんだお前!」

「それはこっちの台詞だ……! 「口の利き方に気をつけろ」と言っただろうが……!」

「な、な、何がだよ!? なんのこと!? 言っておくけど、俺はお前に敬語使って話すなんて絶対しないし、大体それが今なんの関係があんだよ!」

「……はぁ。もう良い、好きにしろ。そもそもお前が俺に敬語を使うのは気持ちが悪くて敵わなかった。───それは、別によかったのに」

「───?」

 奴が何を言っているのか、正直何一つわからん。まあ今まで通りでいいっていうんだからそれに越したことはない。

「あ、あの……『プロデューサーさん』……」

 シスターが俺を呼ぶ。さっきよりも親しみが込められた声色で。


29: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:48:36 ID:pnf
「はい、なんでしょうか?」

「あ、あの私、昔からつつましやかな食を供にし生きてまいりました」

「ウッソだぁ」……なんて言わない。思ってても口に出してはいけない。一瞬でもその感情を表に出さないように、いつも以上に眉間にシワを寄せてシスターを注視する。視界の端の周子がまた爆笑してる。やめて、笑かさないでほんと。

「───はい。シスターは、そのように生きてきたんですね」

「は、はい……そ、それで人前でたくさんのものをいただくのははしたないことだと思っておりました……主も、『富める者は隣人に分け与えよ』と教えられていますので……」

「まぁその辺はいろいろありますからね……」

「で、ですが!」

 ……シスターが今日一番の大声を出す。それにつられ俺も思わず「はい」と反射的に返事をしてしまう。

「ですが、プロデューサーさんからの施しを無碍にすることは、これまた主の教えに逆らうことでして……」

「は、はい……」

「え、えっとですね……」

「はい……」

「えっと……その……」

「……はい」

「ですから……その……」


30: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:48:46 ID:pnf
「プロデューサーさん、シューコちゃんおかわり食べたいな~」


31: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:49:02 ID:pnf
 会話の途中。ニヤつき顔を浮かべながら、どこか悪戯っぽい声色で声を張り上げる周子。あいつ、あんだけ食べてまだお腹空いてるのか。この食いしん坊さんめ。

「おかわり、まだ作れないことはないが……」

「ほんとに? 何人分くらい作れそう?」

「……二人分かな。俺はもう腹いっぱいだし……」

「……俺も遠慮するよ。美味かったが、一杯で腹いっぱいだ」

「うわ、クソ寒親父ギャグ。流行らないぜ」

「お前もさっき自分で言ってただろうが……!」

 あれ? そうだった? まあいいや。そしてその、二人分ということとは……

「クラリスさんも食べる? さすがにあたし一人には多すぎるかも」

「よ……よろしいのですか!? い、いただきます!」

 ……シスターも、結構なことで。ま、いいか。



 ───自分が作った料理に、あんなに美味い美味いと言って喜んでくれるんだから。

 作る方だって、喜んで作らせていただきますよ。



「はいはい承知しましたよ……じゃ、お前も、今日はお疲れ」

「俺はお前の書類をさらに入力して整理しなきゃいけないんだよ、お前が出すの遅かったからな……! ……でもまあ、料理はうまかったよ。お疲れ」



 ……最後まで気持ちよく終われない奴だ。でも俺とあいつは昔からこんな関係だから仕方ない。むしろ今日は飯に感謝してただけ好印象だ。

 ふっと、笑いがこぼれた気がした。

 俺もあいつも。そういう人間同士なんだから仕方がない。

 今日はもう顔を合わすことはないだろう。明日顔を合わせてもいつも通りだろう。

 でも───なんかがおかしくて、俺たちは笑ったんだ。俺は厨房に、あいつは事務室に戻っていく。その背中越しで、顔は見えなかったけど。



 笑っちゃうよなぁ、やっぱり。

 お互い、プロデューサーになったんだもんな。


32: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:49:18 ID:pnf
【デザート:好きよ好きよはなんの内?】







 ───時間は少しだけ巻き戻る。







「周子、お前シスターと仲良かったの?」

「ん? 全然。話したの今日で二十二回目くらい」

「俺より頻繁に話してるよそれ」

「そうなん? でも廊下ですれ違ったりレッスン同じだったりしたら話したりするやろ?」

「あれ、シスターと周子同じレッスンになった事あったっけ?」

「いやないけど」

「なんで言うたんほんなら」

「なんで関西弁やねん。いやでもほら、クラリスさん綺麗な金髪やん? シューコちゃんは綺麗な銀髪やん?」

「自分で言い切りおった」

「まあだってそやもん。だからほら、隣に並んだら金さん銀さんみたいで気分ええやん」

「お前古いこと知ってんなぁ。何年前だよ金さん銀さん」

「あたしが生まれた頃くらい?」

「え、そんなもんなの……シスターは知ってます? 金さん銀さんって」



「周子さん……金さん銀さんというのは、時代劇の旅するお殿様のお付きの方ではないのですか……?」

「ふっ、ふふっ、ふふふ……クラリスさん、それは『助さん格さん』だよ……!」

「そ、そうなんですね、お恥ずかしい……!」


33: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:49:32 ID:pnf




───時間はまた、今に。







「はー食った食った……じゃあクラリスさん、帰ろっか」

「はい……プロデューサーさんも、『やんごとない忘れ物をしたので今日は先に帰っていてください』とのことですので」

「あの人も嘘下手だよねー。素直じゃないし」

「ふふ……でも、お優しい人です」

「ほんとにねー。いやーでも今日イチ笑ったのは『金さん銀さん』だったなぁ」

「お、お恥ずかしい……! 昨日(さくじつ)プロデューサー様……部長さんと一緒に時代劇を鑑賞いたしまして、それが記憶にあったことが一つ大きな要因で……」

「はは、そうなんだ……って、一つ……?」

「…………」

「クラリス、さん……?」

「私とて時と場所は選ぶ。それだけのことです」

「───! なんだ、そういう……!」

「……お互い、今は手出しを避けましょう。同じプロデューサーを持つアイドルという立場があるのですから」

「へぇ……意外に冷静なんだね」

「……単に、見定める時間が必要なだけです」

「聞いてた話とは随分違うなぁ。金色髪の聖職者は問答無用って聞いてたよ?」

「必要とあらば、いつでも───意味はわかりますね?」

「はいはーい。ま、『私』は悪さしないからダイジョーブだよーっと……もうちょっと、もうちょっとだから」

「……何が目的かは知りませんが」

「しないよ。そんなことしない。……だから、ちょっと待ってて」

「……わかりました。ただし、人に仇なすならば───」

「うん。……わかってる」



 そう言い終えると、今の会話など何もなかったかの様に、二人は横並びに歩いた。

 アスファルトに固められた黒い道を、二人。

 夜に溶けた影の一つは人。そしてもう一つは───


34: 名無しさん@おーぷん 20/08/26(水)18:49:41 ID:pnf




 ───幽玄麗かに輝く月。

 青く白く、その輪郭はまるで命の縁取りの様で。

 どこかの地平で、狐が跳ねる。

 夜に似つかわしくない音が鳴る。空の月が水面に映った像の様に揺れる。



 シャン、と音が鳴る。