2: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:24:59 ID:SHh
【Rain drop】

 傘にかかる音の一つ一つが粒立って聞こえた。
 滴に街の光が溶けて滲む。車が水たまりを跳ねて進む音が昨日より少し寂しく聞こえた。秋がやってきたんだと、そのとき思った。


引用元: 【ミリマスss】Rain drop 【所恵美】 


3: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:25:10 ID:SHh
相変わらずの短くてよそよそしい文章が画面に映し出される。何度目かの返事はいい加減短くなってしまう。わかってるよ、大丈夫だから、ゆっくり来て、なんて。その言葉のどこにも、アタシの本当は入っていない。

4: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:25:30 ID:SHh
 絶え間なく続く音はシャワーよりも少しうるさく、冷たい。家で布団に包まって聞けばこんなに心地いいBGMもないな、なんて少し大人じみたことを思う。……きっと、大人だったらこんなことを思うんだ。 
 なんでもない日常に楽しいことを見つけ出せる人が大人なんだって、彼はそう言っていた。雨が降った。少し物悲しい気分になって、楽しい。秋の夜が、指先をじわりと冷やす。季節の移り変わりを実感できて、嬉しい。例えばそんなふうに。
 スターバックスで買ったコーヒーの最後の一滴を口にする。まだ容器に入っていた時はあんなに熱かったのに、飲み終わってしまったら、ポッカリ開いたその穴にぎゅうぎゅうと寂しさが押し寄せてくる。寂しさの温度はどれくらいだろう。少なくともコーヒーより低いことは確かだ。

5: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:25:48 ID:SHh
 寂しさに負けないよう、仲間の曲を聴こうと思った。ブルートゥース・イヤホンを接続する。音楽を選曲するときのチチチ、という音が雨だというのに響き渡る。不思議な感覚だ。いつもだったら意識すらしないのに、なぜか今はその音に気付いた。
 ああ、これもやっぱり大人っぽい───よね?

6: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:26:21 ID:SHh
 つけたのは琴葉の曲。落ち着いたイントロの後、彼女が息を吸う音がわずかに聞こえ、ちょっと硬めだけど真剣な声が響く。今よりほんの少しだけ拙いその声に、思わず笑みがこぼれる。
 ああ、こんな頃もあったなぁ、なんて。そう思えるくらいの月日を過ごしてきたことが、何かすごく嬉しかった。一緒に頑張ってきたなって、少し誇らしくなる。アタシが何か特別すごいことができたわけじゃない。アタシだけの力じゃ全然、何もやり遂げられていないんだけど。
 でも、それでもアタシ達、いろんなことをやってきたよね。
 変わりたかったことも、変わって欲しくなかったこともあるけれど、でも前に進んでるよね。
 みんなとの思い出が、曲よりもちょっとだけ速いスピードで頭の中を駆け巡る。

7: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:26:36 ID:SHh
 ───とくん。

8: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:27:01 ID:SHh
 小さく、胸の中で鳴った音の熱さが、喉元まで迫り上がってきた。ぷはぁと息を吸い込み、肺の入り口までを軽く冷やす。でも彼の顔は頭から離れない。
 どうしてだろう。どうしてかな。なんでだろうね。
 そんなのわかりきってるのに。
 何百回目になるであろう自問自答を終えつつ、やはり彼のことを考える。
 コマーシャルが決まったとか、ドラマの出演が決まったとか、ライブがうまくいったとか、いかなかったとか───そんな仕事でのあれこれも。
 テストで八十点を取ったとか、カラオケの履歴にアタシの歌が入ってたとか、友達の告白がうまくいったとか───そんな日常でのあれこれも。

9: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:27:26 ID:SHh
 そんな、ほろり、ほろりと崩れていってしまうような。思い出すという行為そのものがひどく乱暴で、それにだってまともに耐えられないくらい弱々しい記憶を探し出す。
 なんでもなく。
 特別じゃなく。
 アタシ以外の誰でも、彼以外の誰だって経験しているような、そんな記憶。……あ、でも、アイドルをさせてもらっているのは特別か。でもそれだってアタシをダレカに置き換えても、同じく成り立ってしまうような思い出だ。
 ……別に、麻痺しているわけでも傲慢になったわけでもないけど。考えれば考えるほど、アタシとあの人の間に劇的な出来事なんて何もなかったんじゃないかなって、やっぱりこれも何十回目かの疑問が生じる。
 デストルドーにさらわれたアタシを助けてくれたわけじゃないし。暴走馬に跨がったアタシを助けてくれたわけじゃない。……吸血鬼にはされたかもしれない。そういえばプロデューサー、あのときいつもより少しテンション高かったかも……ああいうの好きなのかな? と、そうじゃなくて。
 そういう、映画の中のヒーローなんかじゃない。今も、事務所で居眠りしてて待ち合わせの時刻に遅れて来るような、そんな人だ。
 

10: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:27:48 ID:SHh
 でもなぜか、あの人が少し困ったように笑顔を浮かべている姿を見ると。
 ごめんごめんって本当に申し訳なさそうに、一回りも下のアタシに謝っている姿を見ると。
 Yシャツの裾がはみ出ていて、ネクタイが曲がっていて、折り畳み傘を手に持っているのに開くのを忘れている、そんなあなたの姿を見ると。

11: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:28:03 ID:SHh
 ああ、何度だってアタシは───。

12: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:28:19 ID:SHh
「待ったよ」と、笑って返す。
 彼が慌てて折り畳み傘を開こうとしているけど、それを静止し、持っていた傘を傾ける。雨の音が少しだけ聞こえなくなった。

「───でも、アリガトっ!」

 感謝の言葉に気持ちを隠し、いつものように伝える。今はまだ、これが精一杯。いつか、そうじゃなくなる日がくるのかな、きたらいいな、でも恥ずかしいかもしれないな、なんてことを思ったり思わなかったりして───

13: 名無しさん@おーぷん 20/09/14(月)21:28:33 ID:SHh
 毎日に変わっていく今日の雨の夜に、一歩を踏み出していく。
 そんな、秋の夜の一日だった。