2: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:25:50.73 ID:cM3guj51o

大臣「は?」

 わたしがそう呟くと、大臣である“動く石像”-ガーゴイル-が酷くまぬけな声をあげた。

魔王「世界征服、やめた」

 言葉の続きを発する。私はもう、世界征服をしませんと言う宣言を。

 魔王城。謁見の間。
 赤くてふわふわの絨毯が敷き詰められたこの部屋は“謁見”と言う単語を用いていながら、全く持って機能していなかった。
 魔王であるわたしに謁見を求める者なんて殆どと言って良いほどいない。

引用元: 魔王「わたし、もうやめた」 



3: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:26:24.46 ID:cM3guj51o

 せいぜい、魔界にある各国の実力者が人間界の侵略云々の話しを年に数回しにくる程度。
 正直に言ってこの椅子……玉座に魔王が鎮座し続ける意味なんて格式や伝統、しきたりとかそう言った類の理由しかなかった。

 最低でも1日3時間はこの椅子に腰を下ろしていなければいけない。
 なんのアルバイトだよ、もう。

大臣「な、なにを仰っているのか……」

魔王「ん。世界征服をするのを止めます」

 玉座から立ち上がる。分厚い絨毯に足がめり込んだ。贅沢品は好きじゃないけれど、この感触は好きだった。
 今日も3時間キッチリ椅子に座っていたし、業務は終了。
 さっさとこのつまらない部屋から出て自分の部屋へ戻ろう。読みかけの本を読破しちゃわないと。

4: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:26:55.84 ID:cM3guj51o

大臣「ちょっ! ちょっとお待ちを!!」

魔王「わっ」

 足を踏み出そうとした瞬間、ガーゴイルが身を乗り出し私の行く手を阻んできた。
 両肩をその石で出来た腕で鷲掴み、むりやりに玉座へ座らされる。

 いきなりのガーゴイル顔面ドアップは心臓に悪いから止めて欲しい。
 腕の良い彫刻師を雇って、顔を整形してもらった方が良いんじゃないかな? 確か1000年以上も生きてるんだし、そろそろその顔にも飽きたでしょう。
 これを期にもっと可愛い顔にした方が良いと思うな。

5: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:27:16.67 ID:cM3guj51o

大臣「貴女様は、ご自分がなにを仰られているのかわかっているのですか?」

魔王「うん」

大臣「魔王様なのですよ? 魔界の、魔族の頂点におわす方なのですよ?」

魔王「知ってるよ。なにを今さら」

 魔王。魔族を統べる王様。一番偉い人……人? 人じゃないか、人間じゃないし。
 でも、私の外見は人間タイプだからあながち間違ってはいないかな? ってどうでも良いか。

6: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:27:50.76 ID:cM3guj51o

大臣「ご冗談ですよね?」

魔王「どれの、なにが?」

 疑問文に対して疑問文で返答するのは少し頭が悪いかな、と思ったけれど仕方ない。
 ガーゴイルの台詞には言葉が足りなさ過ぎるのだから。

 1を説明して10を理解しろと言う方が無茶だってことに気付くべきだよね。
 短い言葉で全てを察するほど、わたしはまだ長く生きていないんだから。

7: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:28:22.91 ID:cM3guj51o

大臣「世界征服を止めると言ったことです!」

魔王「さすがのわたしも、冗談でそんなことを言わないよ」

 冗談が嫌いなわけじゃないけれど、自分の立場を踏まえた上での発言の重みは理解しているつもりだった。
 だから「世界征服をやめた」と言うのは本気で、冗談じゃない。

大臣「それこそ冗談じゃありません! なにを言ってるんですか!?」

魔王「あーもう。うるさいなあ……耳元でキャンキャン怒鳴らないでよ」

 ガーゴイルの黄色い瞳が、赤色に染まっている。興奮している証拠だった。

8: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:28:45.16 ID:cM3guj51o

大臣「あっ、貴女様はっ! 先代であるお父上の、大魔王様の跡継ぎなのですよ!?」

魔王「わーかってるって。だからこうして、この椅子に座ってるんでしょう」

 先代の魔王……私の父が寿命で死んでから一年経った。
 その父には子供が13人いた。私と……(全員紹介するの面倒だなあ)兄とか姉とか。私は末の娘と言うやつ。

 父が死んでからは王位継承問題がどうたらで、とても大変だった記憶がある。
 昔からの取り決めで、魔王は一番の実力者であることが条件として決められていた。
 実力者。ぶっちゃけると一番、喧嘩が強い人が王様になれってこと。

9: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:29:14.19 ID:cM3guj51o

 形式としては総当り戦での力比べ。
 全ての兄姉と戦い、一番勝利の数を挙げた者が王になると言うシンプルなものだった。

 優勝者は説明するまでもなく、このわたし。
 12戦12勝無敗。

 大魔王である父の魔力、腕力は全てがわたしに継承されていた。
 幸か不幸か、兄や姉とわたしとでは勝負にすらならないほどの実力が開いている。
 古参の臣下から聞いた話しでは、父の全盛期と同等の力をわたしは持っているらしい。全然嬉しくない。

 わざと負けようとも思ったけれど、そんなことが出来る雰囲気でもなく……結局、わたしは望まないままこの地位に就いてしまった。

10: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:30:42.25 ID:cM3guj51o

大臣「でしたらなぜそのような発言をっ!」

魔王「いやあ……一年は頑張ったし、そろそろやりたいようにやろうかなって」

大臣「なんと…………」

 15歳で魔王に就任して、今は16歳。
 一年も魔王として頑張ったんだし、そろそろ良いんじゃないかと思い始めていた。

 最初からわたしが魔王として玉座に着くことが間違っている。
 わたしのようなティーンエイジャーに勤まるような仕事じゃない。

 超長寿である、魔王の系譜からすれば16歳のわたしなんて産まれたてもいいところだ。
 兄や姉の年齢はゆうに100を越え、わたしの何倍も生きている。
 確実に人選ミスであり、魔王チョイスを失敗していた。

11: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:31:12.46 ID:cM3guj51o

魔王「だから、わたしは世界征服をやめます」

大臣「魔王様…………」

魔王「人間界のどこぞの国がどうたら、とか興味ないしね。と言うか、人間が嫌いじゃないし」

 なんで人間と魔族が敵対してるのかも理解できなかった。
 お互いが、お互いの領地を侵犯しなければ良いじゃない。それで幸せ、みんなハッピー。

12: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:31:48.28 ID:cM3guj51o

大臣「人間は我々の天敵ですぞ! 魔族の中には人間を主食としている者だっております!」

魔王「おえー……わたしは無理。わたしって人型じゃん? 無理だよ、人間を食べるとか……牛とか豚で良いじゃん」

 大臣の言うとおり、魔族の中には人間を食べる者も少なくない。
 けれども、人間しか食べられないと言うわけでもない。牛でも豚でも、鳥だって食べることが出来る。

 人間よろしく魔界にだって、そう言った牧畜を生業にしている魔族がいるのだからわざわざ人間を食べなくってもねえ。
 食べれば良いじゃない、鳥や牛や豚をさ。

13: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:32:16.86 ID:cM3guj51o

大臣「魔王様がそのような考えをお持ちになられても、人間はそうではありません! 勇者が魔王様の命を狙いにいつ現れるか!」

魔王「勇者……ねえ」

 人間界には時折り“勇者”と呼ばれる者が現れる。
 普通の人間とは異なり、魔力が高く力も強い。天から愛されたかのような力を持つ者が“勇者”と呼ばれ、英雄視されている。
 そんな勇者は世界を平和に導くために、悪の権化(になった覚えはないのだけれど)である魔王を討伐しに魔界へと侵入してくる……と言うのが大昔からのセオリー。

魔王「来たことないじゃん。勇者」

 魔王一年生。未だ、勇者の来訪なし。

14: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:32:43.53 ID:cM3guj51o

大臣「そ、それはそうですが……」

 人間界に勇者と呼ばれる人間は一人や二人ではない。結構な数、その称号を持つものがいるとか話しを聞いている。
 実際のところ、勇者の力量もピンキリで“一般人よりは強いけれど……”程度も少なくないらしい。

 もちろん、中には本当に強くて魔王と対等に戦えるほどの者もいるらしいけどここ数千年は現れてないとか。
 それどころか魔界に足を踏み入れられるレベルの勇者すら現れてないと言うのだから笑える。

15: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:33:13.98 ID:cM3guj51o

魔王「勇者なんて気にする必要ないよ」

 魔王の最大の敵である勇者。けれども、魔族最大の敵は勇者ではなく人類そのものだった。
 生物として魔族は人類よりも(腕力と言う意味で)優れている。頭脳は同程度。

 お互いの種族は昔から天敵であるといがみ合っている。
 なぜか? それは前述でも述べたとおり、わたしには理解できない。そんなことは考えたい人たちで楽しめば良いと思う。

16: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:33:43.40 ID:cM3guj51o

 世界の広さを数字で表すとしたら10。その内、魔界の広さは1。人間界は9。
 つまり、世界の殆どは人間が統括している。

 いくら魔族の力が強くとも、人口比……物量、兵力差を考えると魔族は手も足も出ないのだ。
 だから侵略する際は、小さな村からコツコツと密かに行われる。

 侵略が人類の大国に知られれば、軍隊を導入されて戦争になる。戦争になれば物量に勝るものはなく、最終的に魔族は敗退する。
 魔王であるわたしが戦場に行けばまた結果は違うのだけれど、そう簡単に大将が前線に出ることも出来ずこれまた面倒くさい。

17: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:34:09.49 ID:cM3guj51o

 視点を変えてみよう。
 逆に、人類が魔界を侵略しにこないのか? 答えはノー。
 人類は魔界に足を踏み入れることが出来ない。理由は強烈な瘴気……毒ガスが蔓延しているからだった。

 この境界線から入れば魔界ですよー。なんて言う決まりはなく、ここも面倒だから省略するけれど色々な手順を踏まないと魔界に来ることは出来ない。
 その面倒な手順を軍隊の兵隊一人一人が行えるはずもなく、人類は魔界を攻め込むことが出来なかった。

 瘴気に倒れることもなく、魔族の棟梁である魔王を駆逐出来るのは“勇者”だけであり、故に魔族が本当に恐れているのは勇者だけだった。
 勇者をマークしていれば魔族が種として敗れることはない。

 長々と説明してしまったけれど、つまりは──。
 

18: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:34:39.68 ID:cM3guj51o

魔王「勇者出てこないから大丈夫だよ。わたしが殺される心配はないよ」

大臣「そう言う意味ではなく……」

魔王「侵略しなければ、向こうだって躍起にならないよ。この一年も平和だったし」

大臣「ですが、そう言うわけにも……私いがいの臣下もきっと反対を……」

魔王「魔王であるわたしが、やめたって言ってるんだよ?」

大臣「魔王様……」

 魔王。魔界で一番強いヤツ。
 大臣だとか、臣下だとか魔王城にはそれなりに強いのがいる。

19: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:35:37.07 ID:cM3guj51o

魔王「じゃあ、ガーゴイルがわたしと戦ってとめる?」

大臣「そんな……あまり困らせないで下さい……」

 オロオロとし始めるガーゴイル。

 魔界にも人間界と同じように、取り決め。法律のようなものが存在する。
 魔界の法律は魔王が決める。小難しいものではない、やって良いこと。悪いこと。それだけを簡単に決める。

 人間界のようにガンジガラメではないし、大変なものでもないけれどそれでもルールは存在し破った者には罰が下される。
 罰を下すものは誰か? 魔王だ。

 魔界での“法”とはつまるところ、魔王であるわたしなのだ。
 そのわたしが「世界征服をやめた」と言えば他の魔族は従うしかない。
 例えどんなに納得がいかなくとも、それが魔王の出したオーダーであれば飲み込むほかないのだ。

20: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:36:03.80 ID:cM3guj51o

魔王「ガーゴイル。私は世界征服をやめるとは言ったけれど、魔王をやめるとは言ってないよ」

大臣「ですが……」

 魔王の特権。
 この面白さの欠片もない地位だけれど、一つだけ長所があった。

魔王「魔王の命令は絶対だよ」

大臣「……」
 

21: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:36:30.24 ID:cM3guj51o

 その絶対的な力を前に、逆らえる魔族なんていやしない。
 例え無茶苦茶な命令であろうとも、その指示は履行される。

 もちろん、最低限の常識は踏まえているつもりではいるのでおかしな命令をするつもりはない。
 ただ、現時点のわたしの考えでは“世界征服”は無意味なものであり、魔族と言う種を挙げて遂行したいとはとてもじゃないけど思えなかった。

魔王「さあ、ガーゴイルよ。動く魔像よ。大臣よ。魔王であるわたしは命令を下したよ」

大臣「……ハッ」

22: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:37:02.10 ID:cM3guj51o

 可哀想に。命令とハッキリ口にされてしまえば、ガーゴイルは反論することすら許されない。
 命令が不服で反旗を翻したいのであれば、わたしに勝負を挑み、倒し、その者が魔王になれば良い。

 魔王とは基本的に世襲制ではあるけれど、魔王より強い者がいれば交代は出来る。
 まあ、代々続く魔王の系譜に匹敵する力を持った魔族なんていやしないけど。

魔王「うんうん」

 さて、明日からちょっと大変かもしれない。
 この命令が行き渡れば自然と反抗心を燃やす臣下が出てくることだろう。

 元々、わたしのような幼子が魔王に就くと言う点で敵は多かったんだけどね。
 そこはほら、魔族と言う種族は力こそ全てだから反抗したくても出来ないってのが臣下たちの正直な内心でしょう。

23: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:38:01.36 ID:cM3guj51o

大臣「本日より、人間界への侵攻は中止との通達を全軍に発令いたします……」

魔王「うん、お願い。世界征服はやめ、自由にしなさい、と。ああ、当然だけれど自由と無法を履き違えたお馬鹿さんがいたらわたしが直々に処罰する旨も忘れずに」

 自由。と言われて人間界に赴き虐殺を楽しむお馬鹿さんがいたら大変だからね。
 わたしとしては、人類とはなるべく喧嘩をしたくないので騒ぎは起こしたくないのが本音。

 むしろ魔族は人類にこそ学ぶべき点が多いのじゃないかとすら思っている。
 活字を読むのが好きなわたしは、しばしば人間界の書物を読み漁ることがある。

 紅茶と呼ばれる香りの良い飲み物や、不思議な調味料や器具を使った調理法。魔族とは違った進歩を見せた機械類。
 余暇の素敵な使い方など目を見張るものばかりだ。

 いつの日か魔王と言う立場ではなく、わたし個人として人間界に降り立ち文化を拝見したいと思っている。
 

24: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:38:42.36 ID:cM3guj51o

 しかし、現状ではそれが困難であることをわたしは理解している。
 魔王と言う立場で人間界に足を踏み入れる。それはイコール戦争であり、最終決戦と魔族全体が勘違いしても仕方がない行為なのだから。

 だから、そう言った考えを変えさせる。
 両種族の共存だなんて馬鹿げた妄想を口にする気はない。

 私の目標は……ええと、なんだっけかな。
 ……そう! たまに人間界へ遊びに行って美味しい物を食べたり飲んだり、観光したりすることが出来る世の中(魔界)にしたい。

 魔王であるわたしが、気軽にそれを出来る程度に。
 それだけなのだ。

25: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 02:39:09.95 ID:cM3guj51o

 たったそれだけのことをしたいがために、魔王であるわたしは前代未聞の命令を発した。
 文句は言わせない。
 いや、言いたければどうぞ。力でねじ伏せるだけだからね。
 前代魔王である父から授かった力はこんなことにしか役に立たないけれど、あえてわたしは心の中で感謝を唱えた。

 大魔王様、万歳。
 魔界、万歳。

 さあ、危険な日々とはお別れして楽しい毎日を暮らせるように変えていこうじゃない。
 魔族のみんな。
 命をかけて、人間界へと侵攻する必要はなくなったのだよ。

36: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:41:56.65 ID:cM3guj51o
 

 魔界の空は今日も濁っていた。曇天模様。
 魔王城の最上階から見渡す景色はいつもと代わり栄えせず、楽しさの欠片も感じられない。

 そこかしこから溢れ出てくる瘴気も心地が良いとは思えなかった。
 わたしは魔王であるのにどうしてこうも魔界が肌に合わないのだろう。

 行ったこともないけれど、きっとわたしは人間界の方が合っているのだと思う。

37: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:42:25.81 ID:cM3guj51o

 この世に生を受けて16年。未だ肌に馴染まないこの世界。
 ならば、自分の住みよい環境に変えていこうと思い立ったのが先日。

 やはり、問題は向こうから歩いてきた。
 魔王城に住む魔物たち。大臣のガーゴイルもそうだけれど、高位に位置する魔物からのブーイングは凄まじいものがあった。

 基本的に城に住む者は、1000歳を越える古参たちだ。
 古い考えの持ち主が多く、わたしの考えには納得できないのだろう。
 

38: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:42:52.49 ID:cM3guj51o

 しかし、納得はいかずともソコはほら、しきたりとかを重んじる連中なわけで“命令”と言えば口を塞ぐ他なかった。
 良いね。命令。

 今までは気を使ってあまり実行したことはなかったけれど、実に気分が良い。
 命令と言う行為には責任が付きまとう。って言うのはなにかの本で読んだ。

 なんの本だったかな……? まあ良いや。
 上の者が下の者を命令で押さえつける場合、色々な問題が後に生じるとか書いてあった気がする。
 

39: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:43:18.89 ID:cM3guj51o

魔王「お……これはこれは、壮観な眺めだね」

 景色に変化があった。
 大平原から大量の砂埃が舞い、地鳴りのような音が世界を揺らす。

 蹄の音だった。
 平原を埋め尽くすほどの大軍隊。

 第一魔甲騎兵軍のお出ましだった。
 

40: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:43:45.24 ID:cM3guj51o

大臣「魔王様……まもなく、騎兵将軍が謁見に参られます」

魔王「うん。ここから見えてる。見てご覧よ、ハハッ。栄えある第一騎兵軍総出で来たらしい」

大臣「……」

魔王「心配しないでも大丈夫。彼の性格は……うん、理解しているつもりだよ。少なくとも、平和的な人格じゃあない」

大臣「謁見を要望してきたからには、何かしらの意図があるかと」

魔王「だろうね」

大臣「魔王様……」

魔王「大丈夫。ガーゴイル、わたしは魔王なのだよ」
 

41: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:44:12.38 ID:cM3guj51o


 ─魔王城 謁見の間─


魔王「良く来た。デュラハン将軍」

デュラ「ハッ。閣下もご健在でなによりです」

 閣下。閣下ねえ……将軍と言う地位もそうだけれど、こいつら(魔界全土を含む)も人間被れをしていると思う。
 きっとみんな、どこかで人間と言う生物を羨んでるんじゃないだろうか。

 彼等のそう言った多種多様な名称や、称号は耳にして心地良いものがある。
 どこの誰が最初に“将軍”やらなにやらの名称を使い始めたのかは知らない。

 けれども、それが人間界からの輸入名称であることは明らかだ。
 “世界征服”とはつまり、人間の作り出した文化、文明を我が物顔で使用したいだけじゃないのだろうか。
 

42: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:44:38.86 ID:cM3guj51o

魔王「楽にしなさい」

デュラ「ハッ」

 デュラハンは膝を折って屈んだ状態から、起立状態へと体勢を変えた。
 右腕で頭部を抱えているのだけど、それがまた面白い。

 かしこまる。目上の者に対して頭(こうべ)を垂れると言う。
 これまた人間界から輸入してきたんじゃないかと思われる行動。

 デュラハンは膝を折って姿勢を低くはしていたが、右腕で抱えていた頭部は決して下を向くことがなかった。
 なんとも解りやすい男だ。
 

43: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:45:05.60 ID:cM3guj51o

大臣「将軍。魔王様の御前で帯刀しているのは如何なものかと」

 玉座の横で起立しているガーゴイルが口出しをしてきた。
 デュラハンは自分の身の丈ほどもある、巨大な剣を背中に背負っている。

魔王「いいよ。わたしが許した」

大臣「ですが……」

デュラ「大臣。わたしは騎士である。騎士である私にとって剣とは魂そのものなのだ。間違っても魔王様にこの刃を突きつける気などありはしない」
 

44: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:45:32.76 ID:cM3guj51o

 とかなんとか言っちゃって。
 ならば、その体中から湧き出ている殺気はどう説明するのだろう。

 わたしが気付いていないとでも思っているのだろうか。
 だとすれば、コイツは相当な馬鹿だ。

 今、自分が相対している相手の容姿が小娘だからと言って、その本質を忘れているのじゃないだろうね。
 忘れているのなら、そのまま忘れてもらっても構わないのだけれど。
 

45: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:45:59.45 ID:cM3guj51o

魔王「で、将軍。話しとはなにかな? 面白い話だと嬉しいけど」

デュラ「閣下。茶化さないでいただきたい」

魔王「用件を」

デュラ「世界征服……人間界への侵攻を中止、とはどう言ったことでしょうか」

 正直な男だ。
 本題に入った途端に殺気が増した。
 

46: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:46:25.72 ID:cM3guj51o

 これはもう端から話し合う気などないのだろう。
 だとすれば、わたしとしても無駄な時間は使いたくないのだけど……はあ、面倒だ。

 これからもこう言ったことがあるだろうから、色々と手を打たねばならない。
 そのためには、今がまんしなくちゃいけない。

魔王「言ったとおりだよ。人類への攻撃は前面中止。みな、魔界で自由に暮らしなさい」
 

47: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:46:52.96 ID:cM3guj51o

 魔界の広さが人間界の1/10とは言え、決して狭いわけではない。
 人間界が広すぎるのだ。

 魔界が狭いから領土を拡大したいのじゃない。
 血気盛んな、闘争心の塊のような連中が多いからそう言うことになっているんだと思う。

 まさに、わたしの目の前にいる男のような。
 

48: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:47:19.58 ID:cM3guj51o

デュラ「しかし──」

魔王「──将軍。魔王であるわたしは命令を下したよ。それとも……文句があるのかな?」

 ギリッ。と腕に抱えられた頭部から歯軋りのようなものが聞こえた。
 いよいよもって堪え性のない男だ。

 もう少し頑張って仮面を被ってみれば良いものを。
 その兜はお飾りなのかな。
 

49: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:47:45.77 ID:cM3guj51o

魔王「なければ下がりなさい。大群を率いての謁見、ご苦労だった」

デュラ「小娘が……」

 ぼそり、と頭部が口を動かす。
 ほうら噛み突いてきた。

 最初から噛み付きたくてウズウズしていたのだろう。
 どうやって牙を向けようか考えていたのでしょう? ほら、わたしが機会を作ってあげたよ。
 

50: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:48:13.27 ID:cM3guj51o

魔王「ん? なにかな? 良く聞き取れないが」

デュラ「小娘が粋がるなよ……」

 兜越しに見える、デュラハンの目が赤く光る。
 魔族特有の興奮状態を示していた。

大臣「将軍! いまなんとっ!」

デュラ「大臣! 貴様も貴様だっ! こんな小娘の言いなりになり、馬鹿げた命令を発令しおって!」
 

51: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:48:47.37 ID:cM3guj51o

 小娘。小娘ねえ……いや、自分でもわかっていることだけれど。
 面と向かって言われると少しだけ苛つくよね。

 わたしだって好きで小娘をしているわけじゃない。
 あと1000年も生きれば風格とか出るのだろうか。馬鹿にされ続けるのも趣味じゃないんだけど。
 

52: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:49:08.30 ID:cM3guj51o

魔王「それで……将軍。君は一体どうしたいのかな?」

デュラ「知れたこと。貴様を斬って、俺が魔王となろう」

大臣「なんと馬鹿げたことを……」

魔王「わかった。じゃあ、正式に魔王交代の儀式を行おうか」

 儀式と言う名の戦闘をね。
 

53: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:49:34.78 ID:cM3guj51o

デュラ「ククッ……ここまですんなり行くとはな」

 背中に担いだ大剣を抜こうとするデュラハン。
 ちょっと、ちょっと。ここで闘うつもりなの? それは困る。

魔王「将軍。どうせなら外で戦おう。君の部下にもその勇士を見せ付けるべきだよ」

 外で戦わなければ意味がない。
 ここまで我慢した理由がなくなってしまう。

 デュラハン。君には人柱になってもらう予定なのだから。
 

54: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:50:01.73 ID:cM3guj51o

デュラ「クッ。言って置くが外に待機している軍勢は俺の部下たちだ。貴様に手を貸そうと言う者など一人もおらんぞ」

 わかってる。わかってるよ。
 兵隊の力を借りようとも思っていないし、それは君も同じでしょう。

 この軍勢は自身の力、統率力をわたしに見せつけようと考えてのこと。
 なんと浅はかな考えだろう。

 それもこれも、魔界と言う世界のシステムが頭の良さではなく実力重視だからなのだろうね。
 わたしも今回はそれを活用しようとしているから、デュラハンを馬鹿にする権利はないのかもしれないけれど。
 

55: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:50:33.83 ID:cM3guj51o


 ─魔王城下 大平原─


 わたしとデュラハンを囲うように、総勢一万の軍勢がサークル状に広がっていた。
 大臣であるガーゴイルは翼を広げ上空からこの状況を心配そうに見守っている。

 そう言えば、魔王に一騎打ちを挑む魔物が現れたのは数千年ぶりのことらしい。
 前魔王であるわたしの父の代ではこのようなことは一度もなかったとか。
 

56: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:50:56.03 ID:cM3guj51o

 きっと父は上手くやっていたのだろう。
 しかし、わたしは父ではないし考え方も違う。

 部下との衝突は必然か。

デュラ「俺が勝ったら魔王の座。そして“魔王剣”を頂く」

魔王「どーぞどーぞ」

 “魔王剣”。
 代々魔王の座に就くものへ継承される魔界最強の剣。

 まあ、わたしはあんな物を使う趣味はないから別にいらないんだけど。
 

57: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:51:28.61 ID:cM3guj51o

デュラ「小娘。魔王剣を呼ばなくても良いのか?」

魔王「御気になさらず」

 それにしても、どうして魔王たるわたしに喧嘩を売ろうと思ったのだろうか。
 その理由をちょっとばかり考えてみた。
 

58: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:51:58.21 ID:cM3guj51o

 一つ目の理由は、わたしの容姿だろう。
 人型であり、年齢も若いわたしは見た目だけで見れば人間界の15.6歳の少女と差して代わり映えしない。

 特徴といえば、魔王の系譜を証明する前方に突き出るように伸びた巻き角。
 背中ではなく腰から生えた翼。あとは尻尾。

 その位しか人間と違った部位が見当たらない。
 残念なことに、胸の発育も滞っているらしく女性としての魅力もないのだろう。

 だから、馬鹿にされているのだ。 
 

59: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:52:30.58 ID:cM3guj51o

 そして二つ目。
 恐らくはこれが最大の原因。

 魔王を決める際の子供たちでの総当り戦。
 これは一般的には非公開であり、その内容を他の魔物たちに見せることはない。

 なぜか? 理由はいくつかあった気がするけれど、ええとなんでだったかな。
 闘う訳だから色々な勝ち方、負け方になる。

 例え敗北して、魔王になれなかったとは言え魔王の子は魔王の子。
 威厳、プライド、そう言ったものがある。

 部下である他の魔族たちに敗北した姿を見られるわけにはいかないとか……確か、そんなくだらない理由だったと思う。
 くだらない。実にくだらない。
 

60: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/22(木) 20:52:55.51 ID:cM3guj51o

 そんなんだから、わたしの実力を知らない馬鹿がこうして喧嘩を吹っかけてくる。
 わからせてやらねばならない。

 そう言った意味ではデュラハン。君に感謝をせねばならないね。
 一万の大軍勢。二万の瞳をここへ集めてくれたことを。

 思い知らせなければならない。

 魔王の、魔王たる所以を。
 
 デュラハン。君はわたしのとって、とても良い部下だったよ。
 
 

67: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:47:04.11 ID:E9AAX3ovo
 

 デュラハンは自身の身の丈よりも長大な大剣を抜刀していた。
 思い切り力を溜めている。

 機を見計らって突進してくるつもりなのだろう。
 恐らくは彼の攻撃手段の中で一番攻撃力が高く、小柄なわたしを一撃で粉砕するに足る技なのだ。

 それに対してわたしは棒立ちだった。
 彼をどう調理するか未だ決めあぐねている。
 

68: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:47:41.38 ID:E9AAX3ovo

 悪い癖だ。
 直前になって色々と考え始め、ぐだぐだしてしまう。

 わたしは指揮官には向いていないだろうと思った。
 指揮官ではなく魔王だから関係ないか、とも。

デュラハン「……行くぞ」
 

69: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:48:10.09 ID:E9AAX3ovo

 ああ、来てしまう。
 砂埃をあげながら、その大剣をわたしに突き立てるために。

 わたしは迷っていた。
 あえてその攻撃を受けて、己の頑強さを見せ付けるべきか。

 それとも、一撃で彼を。デュラハンを葬り攻撃力を見せ付けるべきか。
 うーん……。
 

70: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:48:36.56 ID:E9AAX3ovo

魔王「うっ」

 それにしても、臭い。
 緊張感が漂うシーンだと言うのに間抜けにも顔をしかめてしまった。

 第一魔甲騎兵軍。
 今まさにわたしへと突進してくるデュラハン将軍率いるアンデッドの集団だ。

 屍と化した馬に装備をあてがい、これまた屍と化したアンデッドどもが鎧を着込み馬に跨っている。
 辺りは腐臭で満ちていた。
 

71: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:49:02.92 ID:E9AAX3ovo

 これだから、アンデッドは……などと思ってしまうほど、臭かった。
 自分で言うのもなんだけれど、わたしはよほど人間的な感性を持っていると思う。

 臭いものは臭い。
 それが例え同胞の、我が子らの放つ匂いだとしてもだ。

 人がどうやって最も効果の高い見せしめをしようかと悩んでいるのに。
 考えているのに。

 臭いんだよ、お前等。
 ああ、ダメだ。イライラしてきた。
 

72: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:49:29.51 ID:E9AAX3ovo

 いっそ“魔王剣”を呼び出し、一個軍ごと消滅させてやろうかと思うほどに。
 わたしは魔王である前に、女性なのだよ。

 女性の下へ馳せ参じる前に、体臭をどうにかしようとか考えはしないのだろうか。
 デュラハン。お前もだ。臭い臭い臭い、臭いんだよ。

 体を洗え、それが無理ならば鎧を洗え。
 魔王の御前にその薄汚れた格好で姿を現すとはどういうことなのだ。
 

73: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:50:03.47 ID:E9AAX3ovo

 人間界ではありえないことだ。
 まったくもって、人間界の王族が羨ましい。

 彼等の臣下は少なくとも、清潔ではあるはずだ。

デュラ「小娘が! 闘争のなんたるかをその身を持って知るが良いッ!!」
 

74: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:50:22.76 ID:E9AAX3ovo

 わたしのイライラは少しばかり限界に達していた。
 頭の中で色々と考えた結果、もう考えは纏まらないだろうという結論が出ている。

 悲しいかな、デュラハンの言うとおりわたしはまだ小娘なのだ。
 理路整然とした思考よりも、感情を優先してしまう。

 だからデュラハン。
 お前は死ね。
 

75: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:50:48.46 ID:E9AAX3ovo

デュラ「──なっ」

 一瞬で距離を殺す。
 突進してくるデュラハンに対して、わたしも突進してあげた。

魔王「やあ」

 せっかく末期だからと優しい声色で話しかけてあげたと言うのに、デュラハンと来たら返事を返そうともしない。
 連れない男だ。
 

76: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:51:19.64 ID:E9AAX3ovo

魔王「その臭い体ともお別れだね」

 思い切り腹部にアッパーカットの要領で拳を天に突き上げた。
 パンッ。と小気味良い音が鳴り、デュラハンの体が消滅する。

デュラハン「……」

 胴体が粉々に砕け散り、頭部だけがドンと悲しい音を立てて草原へと転がった。
 頭部にはまだ仕事が残っているからね。
 

77: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:51:57.18 ID:E9AAX3ovo

魔王「ふう」

 結果、わたしは物理的な攻撃力の差を見せ付けたことになる。
 移動速度もさることながら、魔王とデュラハンではそもそものステータスが段違いなのだ。

 数値化するのであれば、桁が違う。
 象に対して子猫がじゃれ付いてきたようなものだ。

 これで彼等(軍勢)も理解しただろう。
 魔王の魔王たる所以を。
 

78: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:52:25.99 ID:E9AAX3ovo

 しかし、まだ足りない。
 二万の瞳は、なにが起きたのか把握できていない者がいるからだ。

 圧倒的なスピード。圧倒的な攻撃力を目にしても、その凄さがわからない。
 もっともっと解りやすくしてやらねばならない。

 アンデッドどもは脳まで腐っているのだから、これも仕方ないか。
 

79: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:52:51.77 ID:E9AAX3ovo

デュラハン「貴様……なっ、なにをした……」

 首だけになったデュラハンが口を開いた。
 なにをしたって……。

魔王「将軍。君の体を殴っただけだよ。そうだね、君の体を屠った技の名称が欲しいのであれば……魔王パンチと言ったところかな」

デュラハン「ふざけるなっ!」

 ふざけているのは、頭だけになった君の姿なのだけれど。
 さてさて。おふざけは終わりにして締めに入ろうか。
 

80: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:53:18.16 ID:E9AAX3ovo

 えー、あー。
 演説とかは苦手なのだけれど、頑張らないと。

 ここ次第によって、この先こう言った面倒ごとが少しは解消させられる。と思う。
 一万の軍勢に力を示すことにより、魔界全土に今回の騒動は知れ渡るだろう。

 そうなった時、この場にいるアンデッドどもがわたしのことを他の魔物にも話をする。
 反乱、反抗は無駄だ。止めたほうが良いと口を揃えて言うように仕向けなければならない。
 

81: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:53:49.18 ID:E9AAX3ovo

 最悪だ。
 わたしは力で、恐怖で部下たちを抑えつけようとしている。

 けれども簡便して欲しい。
 命を賭して戦えだなんて命令は発さないのだから。

魔王「諸君。これがわたしの、魔王の力である」

 静まり返った大平原。
 アンデッドどもが見つめる中でわたしは口を開いた。
 

82: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:54:15.75 ID:E9AAX3ovo

魔王「諸君らの中には、わたしの発した命令……それに対して良い感情を抱いてない者も多いかと思う」

 ほとんどがそう思ってるよね。

魔王「わたしのことを、腑抜けや腰抜け。または闘争を好まない博愛主義者だと思っている者もいるだろう」

 間抜けであることは否定しない。わたしは天才じゃないから。

魔王「見ての通り、私は闘争自体が嫌いではない」

 落ちていたデュラハンの頭部を鷲掴みにして掲げる。
 闘うことは嫌いじゃないよ? 好きじゃないだけだ。嘘は言ってない。
 

83: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:54:37.32 ID:E9AAX3ovo

デュラ「ぐぅっ……」

魔王「しかし、わたしは人間界への侵攻をしたいとは思わない。理由は……まあ、色々ある」

 個人的な理由がね。

魔王「それに対し、不満を持つ者がいたら遠慮なくわたしの首を取りに来ると良い。相手をしよう」

 さあ、デュラハン将軍。
 最後のご奉公だよ。
 

84: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:55:03.20 ID:E9AAX3ovo

魔王「ただし。今回のように優しく相手をするのはこれで最後だ」

 わたしの放った言葉の意味が解らないのか、一万の軍勢は首をかしげた。

魔王「将軍。お別れだ」

デュラ「なっ……」

 デュラハンの生首を軍勢の外側へと思い切り放り投げた。
 いくら臭いアンデッドとは言え、同胞だ。

 無闇に殺す趣味を私は持っていない。
 

85: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:55:34.63 ID:E9AAX3ovo

魔王「来い……“魔王剣”」

 空間が歪み、突き出されたわたしの掌に納まる異形の魔剣。
 それは剣と呼ぶにはあまりにも未完成な物だった。

 刀身も無ければそれを納める鞘も無い。
 鍔も無く、あるのはわたしが握る柄の部分のみ。

 剣とは名ばかりの、ただの棒。
 それは使用者の魔力を喰らい、増幅し、射出する。

 生み出すものは単純なる破壊。
 美意識の欠片もない兵器だった。
 

86: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:55:57.03 ID:E9AAX3ovo

魔王「さあ、お望みの“魔王剣”だよ」

デュラ「これが……これがまお────」

 魔王剣から放たれる下卑た閃光が平原を包んだ。
 光源の中心部にあったデュラハンの頭部は説明するまでもなく消え去り、平原の地形は不細工に変形していた。

 地が思い切り抉れ、クレーターのような大規模な窪みが作られている。
 ほんの少しだけ魔力を注いだ結果がこれだ。
 

87: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:56:23.17 ID:E9AAX3ovo

 もし、わたしが全ての魔力を“魔王剣”に喰らわせたのであれば、魔界が一度終わるのは簡単なことかもしれない。
 なんと恐ろしい兵器だろう。

 これは何時の日か処分しなければいけないなと思った。
 っと、まだ仕事は終わってないんだったね。

魔王「さて……諸君らの将軍はただ今を持って跡形も無く消え去ってしまった」

 それこそ塵も残さずに。
 

88: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:56:49.78 ID:E9AAX3ovo

魔王「魔王であるわたしは今一度、命令を発するよ。この魔界で自由に暮らしなさいと。以上、解れ」

 一瞬の静寂の後、蹄の後が一つ二つと増えていきアンデッドの軍勢は平原から姿を消した。
 理解したのだろう。

 魔王には勝てないと。
 “魔王剣”には勝てないと。

 わたしがデュラハンとの戦いで最初から“魔王剣”を使っていたのであれば、一万の軍勢ごと滅ぼしていたことを。
 それをしなかったわたしの意図を。
 

89: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:57:15.86 ID:E9AAX3ovo

魔王「ふう……疲れたあ」

大臣「お疲れ様でございます」

 今の今まで空を飛んでいたガーゴイルがわたしの元へと降り立ってきた。

魔王「ガーゴイル。湯を沸かして貰えるかな? 体が臭くっていけない……腐臭が染み付いてしまったよ」

大臣「準備は整ってございます」

魔王「ん。ありがとう」
 

90: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:58:06.95 ID:E9AAX3ovo

 気の利く石像だ。
 おそらくはデュラハンが謁見しに来た際、その臭さに歪めたわたしの顔を見て察したのだろう。

 熱いシャワーで体を流した後は、湯船にたっぷりと浸かろう。

大臣「──将軍との戦闘の最中にではございましたが、お客様が御出でになられております」

魔王「客? 今日のアポは確かデュラハン将軍だけだったと思うのだけれど」

大臣「ええ、前もっての連絡はなしにいきなりでしたので」

魔王「誰?」
 
 アポイントを取らずにいきなり謁見しにくる者なんてそういない。
 えっ、誰だろう。
 

91: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/23(金) 14:58:33.56 ID:E9AAX3ovo

大臣「“●魔”-サキュバス-にございます。お土産にと人間界の薔薇を沢山持ってこられましたので、ご勝手ながらバスタブに浮かべておきました」

魔王「サキュバスが!? 薔薇をか、それは嬉しい。早いとこ城に戻ろう」

 薔薇とはサキュバスらしい手土産だ。
 わたしの嗜好をわかっている。

 まったく、突然の来訪とは驚かせて……いや、喜ばせてくれる。
 サキュバスはわたしの、幼少時の教育係だった魔物だ。

 戦闘と、似合わない演説で疲労していたわたしの気持ちは何時の間にか晴やかなものになっていた。
 

100: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:12:19.26 ID:AtbDZvsjo
 

 サキュバスがわたしの教育係に任命されたのは、まったくもって幸運だった。
 大魔王13番目の子。

 余命幾ばくも無い大魔王の末の娘。
 そんなわたしに期待の目は一切無かった。

 ようするに、出涸らしだと思われたのだ。
 すでに優秀(だと思われていた)な兄さまや姉さまがいたし、わたしには一切期待していなかったのだろう。
 

101: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:13:06.30 ID:AtbDZvsjo

 そんなわたしに高位の魔族が教育係として就くことは無く、プラプラと暇をしていたサキュバスにその任務が押し付けられた。
 “●魔”。ようするに、人間の男の……あー、あはん。おほん。

 つまりは、うん。
 説明はいらないかな。

 サキュバスは他の魔族と違って、人類(の雄)と友好な共存関係を築いていた。
 どう友好なのか、と言う言明は避けさせて貰う。魔王とはそれ位の勝手が許される立場なのでね。
 

102: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:13:54.00 ID:AtbDZvsjo

 命を奪うでもなく、お互いの利益を確保していた。
 ええとつまり……表現が難しいけれど、いわゆる“WIN-WIN”の関係を築いている。

 そんなサキュバスは、魔界で過ごしている時間よりも人間界で過ごしている時間の方が長い。
 自然、わたしはサキュバスから人間界の話しをそれこそ子守唄代わりに聞いていた。

 興味を持ったのはサキュバスの仕事……ではなく、文明としての人間界。
 この晴れることのない曇天に包まれた魔界と比べたら、人間界は極楽浄土にすら思えた。

 そしてわたしの人格形成にもサキュバスは一役買っている。
 母として、いや違うな。姉……? 婆やなんて言ったら怒るかな。

 まあ、わたしとサキュバスはそれに近しい関係だった。
 

103: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:14:20.76 ID:AtbDZvsjo


 ─魔王城 謁見の魔─


魔王「サキュバス!」

サキュ「魔王様」

 魔王城謁見の間。
 サキュバスは大胆にも玉座に腰掛け、足組をしていた。

 相変わらず自由なやつだ。
 

104: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:14:51.08 ID:AtbDZvsjo

大臣「サキュバス!」

 ははっ。
 ガーゴイルが怒っている。

魔王「久しいじゃないか、魔王就任以来だから一年ぶりかな。今までなにを?」

サキュ「人間界で男漁りを」

魔王「それでか。また綺麗になっている、少し若返ったか?」

サキュ「お陰様で」

大臣「サキュバス! そこは恐れ多くも玉座であるぞ!?」

 ああもう、ガーゴイルうるさい。
 良いじゃないか、椅子くらいで騒ぐと男としての器が知れるぞ。
 

105: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:15:19.39 ID:AtbDZvsjo

サキュ「まあ、失礼いたしました」

魔王「良い。どうだい、玉座のすわり心地は」
 
サキュ「悪くはありませんけど、魔王様の好みとは思えませんね」

魔王「まったくだ」

 この取り止めの無い会話も気分が良い。
 サキュバスは相手によって態度を変えない。誰に対してもこうして飄々とした態度を取る。

 さすがにわたしには敬語を使ってくるけれど。
 もう一つ付け加えるのであれば、わたしに魔王らしい口調を教えたのもこのサキュバスだ。
 

106: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:15:59.89 ID:AtbDZvsjo

魔王「サキュバス。湯あみに付き合え、大臣が土産の薔薇を浮かべてくれている」

サキュ「それは素敵ですね」

魔王「ああ、なんとも素敵だ」

大臣「全く……玉座をなんだと思って……大体、サキュバスは昔から……」

 ガーゴイルがぶつぶつと文句を言っているけれど、無視してしまおう。
 悪いが、わたしの中での優先順位として玉座は決して高いものではない。

 むしろ低位のものなのだ。
 それよりも今は、薔薇が浮かんだ浴槽のほうが魅力的だ。
 

107: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:16:35.47 ID:AtbDZvsjo


 ─魔王城 大浴場─


 魔王城には大浴場が設置されている。
 巨躯だった父(大魔王)でも手足が伸ばせる大きな風呂。

 しかし、わたしはそれがどうにもしっくりこなかった。
 大浴場の片隅に小さめなバスタブを設置させてそこで入浴している。

 薔薇も勿論、小さなバスタブに浮かべられていた。
 

108: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:17:30.22 ID:AtbDZvsjo

魔王「うーん……相変わらず不可思議な肉付きをしているね」

サキュ「お褒めの言葉と受け取っても?」

魔王「どうだろう。今のところ、わたしは羨ましいとは思わない」

 突き出た胸部。引き締まった腹部。適度に脂肪が乗った臀部。
 その全てが男どもを魅了してやまないのだろう。
 

109: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:18:23.29 ID:AtbDZvsjo

サキュ「ふふっ。大丈夫、魔王様もあと2.300年も生きれば成長しますよ」

魔王「それは……喜ぶことなのだろうか」

サキュ「もちろん」

 満面の笑みで返すサキュバス。
 ううん、どうだろう。威厳だとか風格が増すのであれば喜びもあるのかもしれないけれど。
 

110: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:19:16.31 ID:AtbDZvsjo

サキュ「ほらほら。そんなところで仁王立ちしてないで髪を洗いましょう。アンデッドどもの匂いがすっかり染み付いているのでしょう?」

魔王「そうだった」

 サキュバスの肢体に目を奪われて忘れていた。
 素っ裸で仁王立ちしていたわたしの姿はなんとも間抜けな姿だったことだろう。
 

111: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:20:18.67 ID:AtbDZvsjo

サキュ「洗ってさしあげますよ。どうぞこちらへ」

魔王「ん」

 ちょこんとサキュバスの前へ腰を下ろす。
 ひんやりとした感覚を一瞬だけ覚え、それが頭部全体を包んだ。

 背中にサキュバスの胸部が当る。柔らかい。
 

112: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:20:51.90 ID:AtbDZvsjo

魔王「すんすん……」

 自然と鼻が鳴る。良い匂いが鼻腔をくすぐった。
 バスタブから香る薔薇の匂いではない。

 これは……。

魔王「さくら……?」

サキュ「正解。人間界からのお土産です。桜の香りがするシャンプーですよ」

魔王「おお! 良い匂いだ」
 

113: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:21:50.91 ID:AtbDZvsjo

 サキュバスめ、憎いことをしてくれる。
 わたしの口角は思わず吊りあがり、笑顔になってしまった。

 薔薇の香りに、桜の香り。
 なんと素敵なことだろう。

 さすが人類だ。
 花を愛でる文化とは魔族では考えられない思考である。

 素晴らしい。
 デュラハンとのことで辟易していたわたしの気持ちはもうとっくに洗い流されていた。
 

114: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:22:26.52 ID:AtbDZvsjo

サキュ「かゆいところはございませんか?」

魔王「ん。全体的に気持ち良い……」

 ああ、それにしても……ああ。
 他人に髪を洗われると言うのはなんと心地の良いことなのだろう。
 

115: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:23:29.19 ID:AtbDZvsjo

 ガーゴイルではダメだ。
 あんな石像で出来た腕で髪の毛を洗われてはたまったものじゃない。

 アンデッド系の魔族や、獣族でもダメだ。
 そんな連中に髪の毛を洗われてはストレスでその種族ごと滅ぼしてしまうかもしれない。

 サキュバスのしなやかな手つきだからこそ、この快感を味わえるのだろう。
 確か人間界には“美容師”と言う髪切りを生業にしている者もいると聞いた。

 いつか体験したいものだと思った。
 

116: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:23:59.79 ID:AtbDZvsjo

サキュ「近頃はどうですか?」

魔王「どう、とは? 具体的に言って欲しいね」

サキュ「もう、相変わらず素直じゃないんですから。教育の仕方を間違えたかしら」

魔王「“素直なだけがいい子じゃない”と教えてくれたのはサキュバスだよ」

サキュ「もう」

 お互いが鼻で笑う。
 シャコシャコと髪を洗う音が浴場を響かせている。
 

117: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:24:28.97 ID:AtbDZvsjo

魔王「悪くは無い。発令した事案が事案だ、良いとも言えないけれどそれなりに上手くやれているつもりだよ」

サキュ「デュラハン将軍との一騎打ちを拝見いたしました。また、強くなられましたね」

魔王「将軍が弱すぎるだけだ。あれは……頭部が切り離されている分、頭の出来が悪かったのだろう」

サキュ「その毒舌は誰に似たのでしょうね?」

魔王「さてね」

 可笑しかった。
 わたしの人格形成を手伝ったのはサキュバスなのだから。
 

118: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:24:58.27 ID:AtbDZvsjo

サキュ「将軍もあれはあれで、人間界では名の知れた魔族なのですけれどね」

魔王「格好が格好だ。人類の目線で見るのであれば、あの姿形は恐怖を覚えるだろうね。大型の武器も拍車をかけている」

サキュ「姿だけではなく実力も伴なっていたのですが……魔王様から見れば稚児のようなものでしたかね」

魔王「全くだ。あれが将軍を務めていたとなると、我が魔界軍の衰退は目に見えていただろうね」

サキュ「しかし、アンデッドの頭目は将軍ではありません。“死王”-リッチ-がなにを言い出すか──」

魔王「サキュバス。もうその話しは禁止。面白くない」

 こんな話しはガーゴイルとも出来る。
 一年ぶりにサキュバスと会えたと言うのに、こんな面白味の無い連中に話題を取られるのが癪だった。
 

119: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:25:26.94 ID:AtbDZvsjo

魔王「ねえ。一年間、人間界にいたんでしょう?」

サキュ「もう……魔王様。口調が元に戻っておられますよ?」

 しまった。
 意識していたつもりだったのに。
 

120: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:26:00.05 ID:AtbDZvsjo

魔王「あ。む……あー……一年間、人間界にいたのだろう?」

サキュ「よろしいかと。はい、そうですよ。お姫様が魔王様になられましたので、私は少しばかり魔族内での序列が上がったのですよ」

魔王「好き勝手にしてると?」

サキュ「有体に申し上げるのであれば、そうですね」

魔王「なんとも羨ましい」

サキュ「はい。ありがとうございます」
 

121: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:26:31.78 ID:AtbDZvsjo

 心の底から羨ましかった。
 魔王になったわたしは、サキュバスと比べるのであれば間逆の生活を送っている。

 自由に城の外へ出ることも出来ず、散歩をするのもなにかと文句を言われてしまう。
 魔王とは、基本的に城にいなければならないのだそうだ。

 そう言った理解し難い考えもその内に排除していかなくては。
 

122: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:27:24.78 ID:AtbDZvsjo

魔王「色々と聞かせて欲しいね。人間界のあれやこれを」

サキュ「あら。魔王様も殿方に興味が出てきたので?」

魔王「ちーがーう」

サキュ「ふふっ。髪、流しますよ?」

魔王「うん」
 

123: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:27:58.16 ID:AtbDZvsjo

 わぷっ。
 頭頂部からお湯をかけられる。

 桜の香りが消えないよう、薔薇が浮かんでいる浴槽からではなく白湯をかけてくれた。
 こういった細かな気遣いが嬉しい。

 余談だが、わたしもサキュバスも髪は長い。
 洗髪した後は巻いてタオルで包まなければ、湯に髪が浸かり痛んでしまう。

 非常に面倒なのだが、ショートカットではダメらしい。
 よくわからない。
 

124: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:28:26.87 ID:AtbDZvsjo

サキュ「さ、魔王様。角も洗いましょうか?」

魔王「うっ……いっ、いいよ。自分で洗うから」

 角はいけない。
 例えばこの角で岩を串刺しにしたり、大地を二分するのは容易いことだ。

 けれど、たっぷりと石鹸にまみれた人の手で優しく洗われたらどうなることだろう。
 だめだ。耐えられそうにない。
 

125: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:29:12.56 ID:AtbDZvsjo

サキュ「いけません。汚れが目立っていますよ」

魔王「じっ、自分でやるからいい……」

 自分でやるのもくすぐったいのだ。
 角の手入れは正直、ずさんだった。
 

126: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:29:40.52 ID:AtbDZvsjo

サキュ「そう言ってやらないから、汚くなっているのですよ。さっ、良い機会です。前身くまなく洗ってさしあげます」

魔王「いっ、いい。いいよ。大丈夫だ、自分で後で洗えるから」

 ジリジリとにじり寄るサキュバス。
 ダメだ、良い予感がしない。

サキュ「私の石鹸テクニックは中々のものなのですよ? 幾人もの殿方を喜ばせてきたのですから──」

 にこやかなサキュバスの笑顔が、今のわたしにはなによりも怖いものに見えた。
 

127: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/24(土) 22:30:07.08 ID:AtbDZvsjo

魔王「あ、あ、あ……」

サキュ「さあ、さあ、さあ」

 わきわきと両手を動かすサキュバス。
 まるで十本の指がそれぞれ独立した生物かのように、うねっている。

魔王「あっ……あああああああああああああああっっ!!」

 魔王らしからぬ、なんとも間抜けな声が大浴場を突き抜け魔王城を響かせた。
 

133: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:36:08.94 ID:RjnsvElGo
 

 完全に忘れていた。失念していた。
 わたしはサキュバスと一緒に入浴するのは好きじゃなかったのだ。

 昔の思い出はどうしても美化してしまうものだと思う。
 辛い思いをしたと言うのに、時が経てばそれを忘れ良い思い出だと錯覚してしまう。

 やはり、わたしの頭は出来の良いものではなかった。
 あんなにも嫌がっていたサキュバスとの入浴を、薔薇の誘惑に我を忘れ自ら誘ってしまったのだから。
 

134: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:36:37.57 ID:RjnsvElGo
 
 まさか16歳にもなって角を無理矢理に洗われるとは思ってもみなかった。
 いや、サキュバスからすれば16歳などオムツの取れた幼児程度なのかもしれない。

 わたしはそれほどまでに小娘なのだ。

魔王「散々な目にあった……」

 脱衣所で大の字に横たわる。
 一糸纏わぬ姿だが、バスタオルを巻く気力も残っていなかった。
 

135: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:37:04.32 ID:RjnsvElGo

サキュ「魔王様。貴女様ももうレディなのですから、恥じらいを持ちませんと」

 うるさい。
 誰のせいでここまで疲れたと思っているのだ、まったく。

 デュラハン将軍との戦闘より疲れてしまった。
 温まった体の熱を床の冷気が吸い取り心地良い。

 体から湧き出る湯気は薔薇の香気を帯びていて、これまた気分を良くしてくれた。
 角洗いさえなければ完璧な湯あみだったと思った。
 

136: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:37:35.59 ID:RjnsvElGo

サキュ「もう……お風邪を召されますよ?」

魔王「魔王は風邪なんて引かない」

 多分。
 今のところ引いたこと無いから大丈夫。だと思う。

サキュ「これもお土産です。どうぞ」

魔王「ん?」

 差し出された茶褐色の液体。
 透明な瓶に入ったそれだが、わたしにはなにかわからなかった。
 

137: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:37:58.60 ID:RjnsvElGo

魔王「これは? 甘い匂いがするけど……」

サキュ「“コーヒー牛乳”と呼ばれる人間界の飲み物ですよ」

魔王「“こおひい牛乳”? 牛の乳か」

サキュ「はい。“コーヒー”と言うのは……飲料に風味などを付ける調味料と思っていただければ」

魔王「喉が渇いていたところだ。早速だが飲ませて貰おう」

 ──ゴクリ。

魔王「ッッ!!」
 

138: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:38:36.10 ID:RjnsvElGo

 甘い。
 強烈な甘さだった。

 相当な甘さと言って良い。
 けれども、なにか喉に引っかかるほろ苦さのようなものも感じ取れる。

 牛は魔界にもいる。
 人間界とは品種が少し違うけれど、同じようなもののはずだ。

 その乳。牛乳はたまに飲むが、これとは全然違っている。
 多少なりとも甘さはあるが、これほどではない。

 断然甘い。
 美味い。

 感動すら覚える味だった。
 

139: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:39:07.35 ID:RjnsvElGo

魔王「サキュバスッ! これは!?」

サキュ「ですから“コーヒー牛乳”ですよ」

 ──ゴクリ。

 二口ほど飲むと、瓶の中はもう半分ほどしか残っていなかった。
 なんたることだ。

 足りない。
 全然足りないぞ。
 

140: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:39:34.08 ID:RjnsvElGo

魔王「こんな飲み物が存在するとは……」

サキュ「本当は幼少時から差し上げたかったのですが」

 うん?
 なんだ、その含みのある言い方は。

サキュ「昔の姫様は今よりもお転婆でしたから。このような物があるとわかれば、人間界へと飛び出してしまう恐れがあったので」

魔王「むう……」
 

141: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:40:21.85 ID:RjnsvElGo

 今、わたしのことを「魔王様」ではなく「姫様」と言ったな?
 サキュバスだってわたしの口調をとやかく言えない。

 間違えて昔の名称で呼んでいるのだから。
 まあ、良い。わたしも大人だ、重箱の隅を突付く様な真似はよそう。

 それよりも“こおひい牛乳”だ。
 

142: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:41:00.43 ID:RjnsvElGo
魔王「ふむー……。確かに、こんな物があるとわかれば飛び出していたかもしれない。凄まじい美味さだ」

サキュ「お気に召したようで。瓶でもう10本ほど持ってまいりましたので、ゆっくりと飲んでくださいな」

魔王「10本! そうか、10本もか」

サキュ「1日で飲んではダメですよ?」

魔王「わっ、わかってる」

 あと10本もあるのか。
 1日1本飲んでも10日間も味わえるなんて。

 角を洗われた不快感など飛んでいってしまった。
 これはしばらく楽しめそうだぞ。
 

143: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:41:21.57 ID:RjnsvElGo

魔王「んくっんくっ……ぷう」

 喉越しも良い。
 胃に甘さの混じった液体がドスンと来る。

 これは人間界に行ったら是非ともお腹一杯に飲みたいものだ。
 

144: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:41:57.11 ID:RjnsvElGo

サキュ「さ。服を着ませんと体が冷えてしまいますからね」

 そう言ってわたしに肌着を着せてくるサキュバス。
 まったく、これじゃ幼少時とかわらないな。

 でもまあ、一年ぶりだし大目に見てやろう。
 “こおひい牛乳”も美味しかったことだし、角の件も含めて湯に流してやることにした。
 

145: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:42:23.87 ID:RjnsvElGo


─ 魔王城 寝室 ─


魔王「今晩は泊まっていけるのだろう?」

サキュバス「ええ」

 湯あみを終えた後、軽い食事をした。
 人間界での出来事。近頃のトレンドなどを聞いた。
 

146: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:42:55.16 ID:RjnsvElGo

 サキュバスの口から漏れる言葉はどれも刺激的で、楽しいものだった。
 話を聞けば聞くほどわたしの胸は期待で膨らむ。

 あと何年。
 どれ位か経てば、わたしも人間界へと遊びにいけるのかと。

 実際に体験したい。
 

147: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:43:47.10 ID:RjnsvElGo

 そうだな……まずは“美容室”へ行って髪を切ろう。
 その後は“ういんどーしょっぴん”をしつつ、服を買おう。

 歩きつかれたら、適当なお店に入って“紅茶”を飲むのだ。
 一緒に甘い茶菓子なども食べてみたい。

 夜は夜で魔界ではお目にかかれない食事を取りたいものだ。
 ああ、楽しみだ。

 絶対にわたしはそれらを経験してみせるぞ。
 

148: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:44:20.85 ID:RjnsvElGo

魔王「さて、後はもう寝るだけだが……」

サキュバス「ええ」

魔王「布団の中でも色々と話しを聞きたい。だが、まず本題から片付けてしまおうか」

サキュバス「……本題?」

 サキュバスがいきなり城へ尋ねてきたのには理由があるはずだ。
 理由もなしに、尋ねてくる理由がない。

 残念ながら、わたしに会い来た。だけでは理由が弱すぎる。
 なにかしらの用件があるから、わざわざ人間界から魔界へと足を運んだのだろう。
 

149: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:44:59.02 ID:RjnsvElGo

魔王「とぼけなくても良い」

サキュバス「……」

魔王「あー、なんと言うかな。命令の出し方が我ながらシンプルすぎた。浅はかだったと反省している」

 用件はなんとなしにわかっていた。
 わたしが発した命令。

 「魔界で自由に暮らしなさい」この言葉についてだろう。
 

150: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:45:25.33 ID:RjnsvElGo

サキュバス「……はい」

魔王「言葉が足りなかった。察しの良い者なら考えが回るだろうが、察しの良い者など殆どいないのが魔界だ」

サキュバス「仰るとおりです」

 わたしが言いたかったのは「世界征服を止める」「人間界への侵攻、侵略行為を止める」だ。
 突き詰めれば、魔族が人間界へ行かなければ上記の命令は達成される。

 だからわたしは「魔界で自由に暮らしなさい」と言ってしまった。
 

151: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:45:51.83 ID:RjnsvElGo

魔王「魔族の中にはサキュバスのように、共存関係で成り立っている者も少なからずいる。捕食者としてではなく、共棲と言う形でだ」

 それを止めろと言うつもりは毛頭ない。
 むしろわたしはそれを歓迎する。

 どちらにも利しかない関係なんて、素敵じゃないか。
 いいぞ、もっとやれと推奨したいくらいだ。
 

152: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:47:22.86 ID:RjnsvElGo

サキュバス「魔王様が、それを解っておられて安心しました」

魔王「馬鹿にするな。間抜けだとは自覚しているが、そこまで馬鹿ではない……はずだよ」

サキュバス「相変わらずご自分に対する評価が厳しいのですね」

魔王「わたしは自信家じゃないからね」

 くすりとサキュバスが笑い、「変わらぬようで安心しました」と呟いた。
 1年で性格や考え方が変わるほど、凄まじい毎日は送ってないよと答えた。
 

153: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:48:13.18 ID:RjnsvElGo

 こんな一言でサキュバスの不安が解消できたのであればなによりだ。
 ストレートに本題に入らなかったのは、教育係である自分が魔王であるわたしの発言に不安を覚えた。
 と自分から口にするのは不敬だと思ったのだろう。

 まったく、飄々とした性格のくせに妙なところでしっかりとしたやつだ。


 

154: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:48:42.70 ID:RjnsvElGo

 しかし、これは由々しき事態でもある。

 わたしに近しい存在である、サキュバスですら不安を覚え1年ぶりに顔を出すほどである。
 他の魔族がわたしの発した命令を勘違いして取る可能性は大いにありえる。

 と言うか、絶対ある。
 命令とはもっと厳格に、誰にでもわかるように発するべきだと思った。

 教訓だ。
 忘れないようにしよう。
 

155: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:49:50.20 ID:RjnsvElGo

魔王「サキュバス。お前の不安は解消されたかな」

サキュバス「ええ。これからも“●魔”としての本分を真っ当できそうでなによりです」

魔王「そうか。それでは不安が解消されたところで、わたしが眠るまでよもやま話に付き合え」

サキュバス「よろこんで」
 

156: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:50:23.00 ID:RjnsvElGo

 こうして、ベッドの中で意識がまどろむまでくだらない話をした。
 ダメな男の話しなど、将来わたしが引っかからないようにと色々教えてくれた。

 正直、これは参考になるのか? と疑問を抱かずにはおれない内容もあったが、どの話しも楽しかった。

 サキュバスは明日にも城を離れてまた人間界へと旅立つだろう。

 寂しい気もするけれど……いや、恥ずかしながらこの感情は寂しいと表現するのが一番だろう。
 まったく魔王らしからぬ感情だ。
 

157: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/25(日) 04:51:03.52 ID:RjnsvElGo

 けど、まあ大丈夫だ。
 さよならだけど最後じゃない。

 幸い、わたしの寿命は殺されなければ相当に長いものだしサキュバスもまた然りだ。
 生きていればまたいくらでも会える。

 ああ、もう眠くなってきたぞ。
 サキュバス。悪いが先に眠る。

 わたしは魔王なのだ。
 先に眠るくらいの我が侭は許せ。
 

164: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:31:56.82 ID:1hKCJy4Ho
 

 サキュバスが城を出てから3日が経った。
 土産にと置いて行った“こおひい牛乳”は残り1本となり、わたしの心は寂しさで満ちている。

 どうやら、自分で思っていたよりも堪え性のない性格だったようだ。
 ううむ……どうにかして魔界で“こおひい牛乳”を生産できないものか。

 いや、わたし自らが人間界へと赴けば良い話なのだけれど。
 

165: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:32:30.92 ID:1hKCJy4Ho

魔王「……」

 玉座に腰を据えてそんなことを思っていると、大臣であるガーゴイルが心配してか声をかけてきた。

大臣「なにか、心配ごとでもあるのですか?」

 よほど思いつめた顔をしていたのだろう。
 わたしからすれば重大な問題ではあるが、さすがにそんなことを口に出すわけにはいかない。
 

166: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:32:55.23 ID:1hKCJy4Ho

魔王「ん。いや……まあな」

 お茶を濁した回答をするしかなかった。
 まさか大臣も魔王であるわたしが“こおひい牛乳”が残り1本になってしまったことに悩んでるとは思うまい。

大臣「心中お察しいたします」

魔王「……」
 

167: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:33:21.51 ID:1hKCJy4Ho

 思わず噴出しそうになる。
 ガーゴイルはその風体通り、頭の中までお堅いやつだ。

 そこが良いところでもあるけれど、時折りこういった勘違いをしてきて笑ってしまいそうになる。

大臣「兄上様、姉上様のことでございましょう」

魔王「……う? あ、ああ」
 

168: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:34:01.04 ID:1hKCJy4Ho

 帰ってきた言葉で笑えなくなる。
 そうだった、わたしはそれについて少しばかり悩んでいたのだった。

 “こおひい牛乳”ほどではないけれど。

魔王「兄様に姉様か……」
 

169: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:34:19.18 ID:1hKCJy4Ho

 わたしには兄と姉が総勢で12人もいる。
 その誰もが魔王城の玉座に座る資格を持っていた。

 しかし、魔王はわたしであり彼等は魔王になれなかった。
 そんな彼等が今、なにをしているのか。

 ある者は有権者。高位の魔族として魔界の片隅で統治者となり、ある者は自由気ままに暮らしている。
 魔王の系譜だからと言って全員が全員、同じような思考の持ち主じゃあない。
 

170: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:34:46.72 ID:1hKCJy4Ho

 堅物もいれば、柔和の思考の持ち主もいる。
 魔族として立派な考えの者もいれば、それこそわたしのような者もいる。

 数日前にわたしが発令した命令。
 「世界征服をやめます」宣言。

 これに噛み付いたのは、長兄と長女の二組だった。
 非常に面倒だ。
 

171: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:35:17.43 ID:1hKCJy4Ho

 長兄は堅物で、長女は魔族として立派な考えを持っている。
 そして悲しいかな、彼等は実力者ではなかった。

 どんなに確固たる考えや自信があったとしても、実力を伴なわなければ意味をなさない。
 それは人間界でも言えることだと思うけれど、魔界ではそれがよりいっそうに顕著だ。

 あの二人、頭は良いのだろうが力がない。
 魔力はまあまあだが……それならば、まだアンデッドの棟梁である“死王”-リッチ-の方が厄介である。
 

172: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:35:45.58 ID:1hKCJy4Ho

 12人の兄姉の中で一番強かったのは次女である、3番目の姉様だった。
 彼女は強かった。

 戦闘と言う意味で一番心躍る戦いが出来たのは、兄姉の中で彼女だけだったほどに。
 おそらくは身内の中でわたしに一番近しい力を持っていただろう。

 考え方もしっかりしていたと思う。
 わたしとしては彼女こそが魔王になればと思っていた。
 

173: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:36:12.56 ID:1hKCJy4Ho

魔王「上手くはいかないものだ……」

 しかし現実に玉座へ座っているのはわたしであり、他の兄姉たちではない。
 困ったことに一番、魔王らしからぬ思考の持ち主であるわたしが魔王になってしまったのだ。

大臣「長兄様と長女様が書状を送ってきております。“四王”に動きはありません」

魔王「“ちい姉様”と“四王”さえ同時に動かなければ、どうとでもなるよ」
 

174: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:36:49.82 ID:1hKCJy4Ho

 “ちい姉様”とは前述で話した、3番目の姉のことだ。
 彼女は魔王選定の戦いの後、姿を消した。自由にやっているのだろう、羨ましいことだ。

 そして“四王”これが少しばかり面倒臭い。
 まったく、魔王と呼ばれる王がいると言うのになぜ他にも王がいるのだろうか。

 魔王城を中心に、魔界を大きく四分割しそれぞれ統括している魔族がいる。

175: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:37:21.86 ID:1hKCJy4Ho

 “死王”-リッチ-。
 アンデッドどもの棟梁。

 “獣王”-ベヒモス-
 獣族を束ねる棟梁。

 “龍王”-ヨルムンガンド-
 龍の中の龍。龍族の棟梁。

 “魔人王”-アルカード-
 魔人たちの棟梁。
 

176: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:37:53.57 ID:1hKCJy4Ho

魔王「なあ、ガーゴイル。おかしくないか? 魔王がいると言うのに、なぜ他にも王を冠した者が4人もいる」

大臣「魔界も決して狭くはありません。そして魔族としての種族も多様にございます」

魔王「だから、大別して4種族に別けたのか」

大臣「さようで」

 面倒だ。
 面倒この上ない。

177: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:38:24.35 ID:1hKCJy4Ho

 アンデッド族に属するデュラハン将軍よろしく、この四王たちはわたしを認めていないだろう。
 デュラハンは頭の足りない馬鹿であったために簡単に謀叛……反旗を翻してきたが彼等は違う。

 一体どうやってわたしの足元を掬うか考えているに違いない。
 魔王一年生の小娘の指示になど従ってたまるかと思っているだろう。

 冷静に考えたら腹が立ってきた。
 なにが四王だ。
 

178: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:38:52.00 ID:1hKCJy4Ho

 わたしは魔王だぞ。
 なんで魔王のわたしが悩まねばならぬのだ。

 魔界は実力社会だ。
 そのトップであるわたしが命令したのだから、素直に聞き入れるのが筋と言うものだろう。

 わたしが「もう、やめた」と言っているのだからやめるべきなのだ。
 

179: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:39:28.21 ID:1hKCJy4Ho

魔王「それもこれも……」

 魔王選定の儀。
 戦いを一般公表しないからいけない。

 魔王係累のプライド? なにがプライドだ。
 魔王になったわたしがこうして困っているのだから、意味がないじゃないか。
 

180: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:39:54.87 ID:1hKCJy4Ho

大臣「魔王様?」

魔王「いや、なんでもない……」

 などとガーゴイルに愚痴ったところで仕方が無い。
 格式がどうのこうのと能書きを垂れるに決まっている。

魔王「ふう……兄様や姉様もそうだが、4種族の中だとアンデッドと魔人族が面倒だな」
 

181: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:40:29.67 ID:1hKCJy4Ho

 “死王”-リッチ-。
 狡賢く、利己的な男。

 おそらくはデュラハンをけしかけたのはコイツだろう。
 わたしを倒し、魔王になってしまえとそそのかしたのも。わたしの実力を測るために。

 はっきり言って実力的には4種族の中では一番格下と言えるアンデッド族だが、
 人間界へ侵攻する際、やつ等は災厄とも呼べる力を発揮する。
 

182: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:41:03.32 ID:1hKCJy4Ho

 圧倒的な数。人間を糧として増殖する能力。まさに災厄。
 わたし個人の感想を漏らすのであれば「気色が悪い」。

 リッチがわたしを倒そうとする場合は、まず力を溜めるだろう。
 魔力を溜め、兵力を溜め、魔界をアンデッドで埋め尽くす。

 考えただけで気持ちが悪い。
 

183: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:41:47.28 ID:1hKCJy4Ho

魔王「リッチか……一度直に会って、話しをした方が良いかもしれないな」

大臣「呼び寄せますか?」

魔王「いや。城が臭くなる。デュラハン将軍でそれを学んだ」

大臣「しかし、魔王様自ら出向くとなると……」

魔王「わかってる。なにかしら考える」

 考えただけで不死族連中の臭さを脳が思い出す。
 憂鬱だ。

184: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:42:34.96 ID:1hKCJy4Ho

 そして、もう一種族。

 “魔人王”-アルカード-
 ●魔や、吸血鬼、人狼などを束ねる人型の魔族。

 基本的な能力が種族値として高く、棟梁であるアルカードの魔力は相応に高いと聞いている。
 魔王就任の際に挨拶へ来たきりだが、相当な実力者だった。
 

185: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:43:33.44 ID:1hKCJy4Ho

 少なく見積もっても他の魔王候補だった兄様や姉様よりも強力な魔族であることは間違いない。
 そして頭も切れるだろう。

 厄介だ。
 厄介極まりない。

 どうしてこうも、わたしの身の回りは厄介ごとが多いのだろう。
 

186: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:44:04.94 ID:1hKCJy4Ho

魔王「兄様と姉様。四王の問題……一つ一つ片付けて行かねばならないか」

大臣「それが面倒でしたら、命令を撤廃すると言うことも──」

魔王「いやそれはしない」

 キッパリと断言する。

 わたしはもうやめた。
 世界征服やめた。 
 

187: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:44:31.74 ID:1hKCJy4Ho

 わたしの目標は世界征服などではない。
 人間界に降り立ち、向こうの文化を堪能することなのだ。

 それは支配者として堪能するのではない。
 個体としてそれを楽しみたいのだ。

 そのための障壁があまりにも多く、大きいが……仕方が無い。
 一つ一つ片付けるとしよう。
 

188: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 00:45:07.46 ID:1hKCJy4Ho

 魔王の寿命は長い。
 一分一秒でも早くこんな辛気臭い魔界から出て行きたい気持ちはあるけれど、我慢しよう。

魔王「まずは……長兄。兄様の問題から片付けようか」

 四王については後回しで良いだろう。
 書状にして文句を送りつけてくる兄姉の処理の方が先だ。

 血を別けた家族……出来ることなら血生臭いことにはしたくないけれど。
 

196: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:19:22.09 ID:1hKCJy4Ho
 

 なんども同じことを言ってるような気もするが、魔王の寿命は長い。
 そう簡単に寿命が尽きることもないし、体も頑強なので病魔に侵されることもないと言える。

 なにを言いたいかと言うと、だ。
 要するに時間は無限と言い換えて差し支えないほどわたしにはある。

 さっさと問題を解消し人間界へ繰り出したい気持ちはあるのだが、わたしの思考はどうにもぼやけていた。
 なにも急くことはないじゃないか。
 

197: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:19:42.68 ID:1hKCJy4Ho

 のんびり。まったり進行で魔王業を営んでも良いのではないか、と思い始めている。
 わたしは元来、出不精の面倒くさがりやなのだ。

 城の外へ散歩しに行ったりするのは良い。
 わたしが望んで、わたしの気分のために行う行為なのだから。

 しかし、それ以外の外出。
 例えば魔王の業務としてだとか、仕事としてだとかの外出はどうも好きになれない。
 

198: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:20:09.11 ID:1hKCJy4Ho

魔王「むう……」

 今日もお決まりの時間を玉座で過ごす。
 吹き抜けの城内からは、大平原が顔を覗かせていた。

 代わり映えのない風景が広がっている。
 面白味が無い。

 風が吹くか、雨が降るか、雷が振るか程度の違いしかない天候。
 人間界であれば“四季”と言うものがあり、季節によって覗かせる顔の違った天候があるのだそうだ。
 

199: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:20:35.21 ID:1hKCJy4Ho

 なんとも羨ましいね。
 魔界もそうであれば、少しは景色を楽しむと言う感性が魔族にもあったのかもしれない。そう思うと残念でならない。

 大臣であるガーゴイルからしてみれば、天候など雨か雨じゃないかだけわかれば良いと言う。
 まあ彼は石像だからね。

 雨が染みれば体が重くなるし、体に不具合の一つでも出るのだろう。
 ガーゴイルにとって天候などその程度のものなのだ。
 

200: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:21:02.12 ID:1hKCJy4Ho

 景観だってそうだ。
 城内の吹き抜けも景色を楽しむためにあるのじゃない。

 周囲を玉座から見渡せるよう、敵の侵攻を見て取れるようにするため。
 そのためだけに吹き抜けになっている。

大臣「お時間です」

魔王「ん」
 

201: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:21:33.23 ID:1hKCJy4Ho

 何時の間にか3時間が経過していた。
 本日のアルバ……業務は終了だ。

大臣「長兄様のことは如何なさるおつもりですか? あれからしばらく時間が経ちましたが……」

魔王「それは考えている。繊細な問題だからね」

 嘘だ。
 面倒なだけだ。

 わたしは、わたしの生活で今は手一杯なのだ。 
 

202: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:21:55.30 ID:1hKCJy4Ho

大臣「心中お察しいたします」

魔王「ん。魔王城に呼び寄せるのも兄様のプライドを傷つけるだろう、かと言って魔王であるわたし自ら出向くのも……」

大臣「はい。魔王様には面子と言うものがございます」

 それらしい言葉を並べてみたが、ガーゴイルは納得したらしい。
 どうやらわたしは事案を先延ばしにする正当を導き出したようだ。

 しばらくはこれで時間を引き延ばせるだろう。

203: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:23:00.66 ID:1hKCJy4Ho

魔王「わたしは部屋に戻る」

大臣「かしこまりました」

魔王「ではな」

大臣「あっ、魔王様」

魔王「ん?」

 玉座から立ち上がり、背を向けたわたしにガーゴイルが声をかけた。
 その声色には少しばかり含んだものが感じられる。
 

204: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:23:26.79 ID:1hKCJy4Ho

大臣「その……従者どもから色々と相談を承っておりまして」

魔王「ほう」

 なるほど。
 そう言うことか。

大臣「魔王様に炊事や洗濯をされるのはちょっと……と」

魔王「彼女らの領分を侵したりはしないよ。わたしはわたしのことを、自分でやっているに過ぎない」
 

205: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:23:54.47 ID:1hKCJy4Ho

 「世界征服をやめた」と言い放った日から、わたしは自身の炊事洗濯を自分でやるようになった。
 面倒くさがりなわたしであるが、どう言う訳かそれが楽しかった。

 料理の腕前はと言うと、サキュバスに振舞った際、彼女の笑顔が一瞬崩れ去ったので察して然るべきだろう。
 これも時間をかけて上達してみせる。

 掃除、洗濯を目一杯しっかりと。
 ごはんを自分で作る。

 妙に充実した時間経過を感じれた。
 正直、今日のごはんを考えるだけで精一杯になり兄様や姉様、四王のことなど考える暇などないのだ。

 そんなことを考えるよりも、晩御飯のメニューの方が大事なのだ。
 

206: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:24:24.95 ID:1hKCJy4Ho

大臣「しかし……」

魔王「従者長のスキュラだろう? そう言ってるのは。わかった、わたしから説明しておこう」

 魔王城は決して小さな建造物ではない。
 幾人かの従者がいなければ直ぐに埃まみれになってしまう。

 魔王城中の掃除や、洗濯。炊事などをこなす従者隊。
 その長をやっているのがスキュラだった。

 おっとりした性格の娘だ(娘、と言ってもわたしよりも何倍も生きている)が、炊事のスキルは中々に高い。
 その内に彼女から色々と料理ごとだとかを教えて貰おうと思っていたのだ。丁度良い。
 

207: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:24:53.60 ID:1hKCJy4Ho

大臣「魔王様。ご自身が魔界の長たる者だと言うことだけは、お忘れなきように……」

魔王「わかってる。わたしはわかってるつもりなのだけれど、回りはそう思ってない者が多いようだ。それもなんとかしなければね」

大臣「耳が痛とうございます」

魔王「ガーゴイルが悪いわけじゃない。全てはわたしの容姿と年齢のせいなのだ。こればっかりは、仕方が無いさ」

大臣「魔王様の実力は折り紙つきでございます。必ずや、兄上様や姉上様、四王も魔王様に忠誠を誓う日が訪れます」

 忠誠なんて、いらないのだけれど。
 わたしが欲しいのは自身の自由であって、魔界の統治者としての威厳ではない。

 ……が、ここはガーゴイルの言うとおりに従っておこう。
 これ以上、謁見の間にいたいとは思わないしね。
 

208: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/26(月) 15:25:19.96 ID:1hKCJy4Ho

魔王「ああ。その日が来るように精々精進するよ」

大臣「わたくしめも、尽力をつくします」

 わたしが精進するのは炊事、洗濯なのだけれど。

 さあ、今日のごはんはなににしようか。
 まずは調理場に顔を出して、食材を別けて貰わねばならないな。
 
 わたしは軽やかな足取りで、気付けばステップを踏みながら謁見の間を後にしていた。
 

219: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:25:18.51 ID:5GAy3qbco
 
 魔王城廊下をせかせかと歩き回っている魔物たちがいる。
 その殆どは人型のスライム娘たちだった。

 ある者は洗濯したての布類を運び、ある者は食事を魔王城に住む魔物へと配膳している。
 魔王であるわたしとすれ違うと顔色を変え、慌しくお辞儀をしてくる。

魔王「ん」

 わたしは右腕を軽く振り、仕事があるのならば気にするなと合図を送った。
 このお辞儀と言う挨拶が鬱陶しくて仕方がなかった。

 効率。で考えるのであれば、目上の者とすれ違うたびにふかぶかとお辞儀をしていたら時間が勿体ない。
 ガーゴイル辺りに言わせたら……また口やかましい御託を並べるのだろうなと思った。
 

220: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:25:40.44 ID:5GAy3qbco

スラ娘A「まっ、まおうさまっ!」
スラ娘B「はわわっ」
スラ娘C「こここっ、こんばんわ!」

 歩を進めるほどにスライム娘たちとすれ違う頻度が多くなる。
 それもそのはずだった。

 わたしが向かっている先は従者室なのだから。

 石畳の無骨な廊下を歩ききると突き当たりに大きな木の扉が顔をだす。
 わたしは適当な力加減でその扉を開けた。
 

221: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:26:18.23 ID:5GAy3qbco

魔王「邪魔するぞ」

 扉の先には何匹かのスライム娘と、それらを統括する従者長。スキュラが椅子に腰掛けていた。

スラ娘D「じゅっ、じゅうしゃちょー! まおーさまがいらっしゃいました!」

 わたしの登場にいち早く気付いたスライムがスキュラへと大声で声をかけた。
 ゆっくりとスキュラの頭が扉の方へと向けられる。
 

222: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:26:51.87 ID:5GAy3qbco

スキュラ「これはこれは……魔王さま。ごきげん……うる……うる……う…………」

魔王「言葉が出てこないのならば無理に吐き出さなくても良い」

スキュラ「それは、ど……どう……どー」

 スキュラ。この娘はしっかり者なのだが、どうも言葉があやふやだった。
 仕事は出来るのだが、指示を飛ばすのが下手……いや、違うな。言葉を紡ぐのが得意じゃないのだろう。

 直下の部下であるスライム娘は手馴れたものだろうが、わたしからすると話しをするのも大変なのだ。
 

223: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:27:18.35 ID:5GAy3qbco

魔王「スライムたちは、畏まってないで仕事を続けてくれ。わたしはスキュラに話があるだけだ」

「「「はいっ!!」」」

 これまた元気な声で応答されてしまった。
 どうも従者隊のテンションはわたしに合わない。スキュラに合ってるとも思えないが、そこは置いておこう。わたしが口出しする問題でもない。

魔王「椅子を借りるぞ」

スキュラ「どうもー」

魔王「そこは“どうも”じゃなくて“どうぞ”だろう」

スキュラ「まあまあ」

 と、こんな具合に話しが進む。
 仕事は出来るのだが……。
 

224: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:27:41.23 ID:5GAy3qbco

魔王「大臣から話は聞いた」

スキュラ「?」

 首を大きく傾げるスキュラ。
 なんの話しかわかっていないのだろう。

魔王「魔王であるわたしに、従者の仕事である炊事等をされるのは迷惑だ……と」

スキュラ「なー、る。はいー、魔王さまは従者ではないです」

 ないです。と断定されてもな、いやそうなのだけれど。
 ええい、話が進まんな。ガーゴイルはどうやって話を聞いたのだろうか。
 

225: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:28:09.01 ID:5GAy3qbco

魔王「わたしは自分のことは自分でやる。従者たちはわたし以外の魔物の世話をしてやってくれ」

 なるべく簡潔に用件を述べた。
 小難しく遠回りした言い方をしていたら日が暮れてしまうと判断したからだ。

スキュラ「わっ、わか……わかっぱー?」

魔王「語尾にクエスチョンはいらん」

 本当にこいつはわかっているのだろうか……不安だ。
 しかしだ、こんな彼女ではあるが炊事等の実力は本物だ。

 メイド服の下から伸びる数多の触手。
 それらが調理の際など、一斉に別々の肯定を作業する様など見物である。

 これでもう少し言葉のチョイスが上手ければ完璧なのだが。
 

226: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:28:35.91 ID:5GAy3qbco

スキュラ「ご用件は……い、いじょ……おわり?」

魔王「以上だ」

 早々に会話を切り上げて退散しよう。
 こいつとの会話は疲れる。

魔王「……いや、まて」

 椅子から離れかけた臀部を再び、椅子に押しつけた。
 まだ二点ほど従者長であるスキュラに話す内容があったのを思い出す。

 会話が成立するかと思うと歯痒いが仕方がない。
 

227: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:29:03.45 ID:5GAy3qbco

スキュラ「う?」

 用件を口に出そうとした瞬間、さきほどわたしが開けた扉が再び開いた。
 副従者長のアラクネだった。

 アラクネ──スキュラとの違いと言えば下半身が触手ではなく昆虫の、蜘蛛のそれだと言う点だろうか。
 なんだろう。従者と言う職業は手足が多い方が捗るのだろうか。スキュラしかり、アラクネしかり。

 だとしたら、スライム娘たちは一生昇進など出来ないのではないかと思ってしまう。
 ううむ……これは魔王として考えた方が良い事案なのだろうか。

 それともスライム娘たちはそれで満足しているのだろうか。
 わからん。今度、暇で暇で仕方がない時にガーゴイルと話してみよう。
 

228: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:29:29.78 ID:5GAy3qbco

アラクネ「あらあ? 魔王様?」

魔王「ああ、邪魔しているぞ」

スキュラ「わあ、アラ……アラ……」

アラクネ「名前を忘れるってどうなのよ、スキュラ」

スキュラ「ごめんごめんご、物忘れ……激しいらか」

アラクネ「語尾が怪しいわよ」

 これはコントなのだろうか。
 わたしは突っ込むことも出来ず、ただ二人のやり取りを傍観していた。
 

229: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:30:05.34 ID:5GAy3qbco

アラクネ「おおっと! 魔王様を放ってちゃ不味いわね」

魔王「いや、気にしないでくれ」

 しかしアラクネが登場したのは僥倖だった。
 スキュラと話しをしていたのでは、埒があかない。

 ここはアラクネに相談するとしよう。
 

230: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:30:27.78 ID:5GAy3qbco

アラクネ「今日はまたどう言ったご用件でこんなところにまで?」

スキュラ「そ、そりは──」

魔王「──わたしは自分のことは自分でやる。従者たちはわたし以外の魔物の世話をしてやってくれ」

 スキュラがアラクネに説明しようとする前に、自らの口で説明した。
 その方が手っ取り早いだろう。
 

231: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:31:06.02 ID:5GAy3qbco

スキュラ「あうあう」

アラクネ「なるほど」

魔王「うむ。大臣……ガーゴイルから言われてな、従者たちが気にしているのであれば気遣いは無用と伝えてくれ」

アラクネ「アイアイサー。しかしまー、なんでそんなことを?」

魔王「……」

 わたしは少しばかり押し黙ったあと、
 

232: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:31:32.59 ID:5GAy3qbco

魔王「趣味だ」

 と簡潔に答えた。
 間違ってはいない。

 ずっとやりたかったことだ。
 けれど今までは姫だ魔王だとそんなことはさせて貰えなかった。

 だから「世界征服をやめる」と宣言したその日から、わたしは好き勝手することを決めたのだ。
 まだまだ全然、好き勝手やれていないけれど。
 

233: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:32:01.22 ID:5GAy3qbco

アラクネ「ほほー、なんか良く解りませんが了解しました!」

スキュラ「あいあいー」

魔王「それで、だ」

 用件はまだ終わっていない。
 と言うか、アラクネが来てくれたお陰でようやくスタートラインに立ったと言える。

魔王「相談がある」

アラクネ「相談?」

スキュラ「だ、だ……談合?」

 もうスキュラは放っておこう。
 

234: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:32:27.97 ID:5GAy3qbco

魔王「うむ、家事についてなのだが」

アラクネ「はいはい、なんでござんしょ」

スキュラ「山椒」

魔王「実を言うとな、洗濯が苦手……と言うよりやり方がわからないのだ」

アラクネ「洗濯……ですか」

スキュラ「わ、わたしは、得意」

 む。
 そんな台詞だけは間違えずに言えるようだな、スキュラ。

 っと、いかんいかん。スキュラのペースに乗せられては話が進まなくなってしまう。
 

235: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:32:54.58 ID:5GAy3qbco

魔王「ああ、桶と洗濯板を使って洗ってみたのだが……どうも上手くいかない」

アラクネ「と言うと?」

魔王「洗濯物がズタボロになってしまうのだ」

 初めて洗濯セットを手に入れた日。
 わたしは意気揚々と洗濯を始めた。

 しかし、30分と経たないうちに衣類は全てただのボロボロになった布へと豹変してしまったのだ。
 まずは手初めにと洗い始めた衣類……下着であるパンツは全滅してしまった。

 中にはサキュバスが買って来てくれた人間界のお土産……お気に入りもあったと言うのに。
 

236: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:33:21.03 ID:5GAy3qbco

アラクネ「魔王様の力で力いっぱい洗っちゃったんですね……」

スキュラ「うふふ」

魔王「ああ。そのお陰で、わたしは下着が一枚もなくなってしまった」

アラクネ「えっ……じゃあ、今は……どうしているんですか?」

魔王「ん? ないのだから、穿いてないに決まっている」

アラクネ「あらあ……」

スキュラ「きゃー」
 

237: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:33:49.39 ID:5GAy3qbco

 残念そうな顔をするアラクネに、顔に手を当てておかしな反応をするスキュラ。
 全てのパンツを布にしてしまったのだから仕方がないではないか。 

 わたしだって好きこのんで下着を穿いてないわけじゃない。
 スースーしすぎて気持ちが悪いくらいだ。

アラクネ「ええと、下着をご所望なのですね?」

魔王「うん? 違うぞ。わたしは洗濯の仕方を教えて欲しいのだ」

アラクネ「でも、今はノー  ……おほん。下着をお召しになられていないと?」

魔王「ああ」

アラクネ「……」
 

238: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:34:18.63 ID:5GAy3qbco

 難しい顔を作るアラクネ。
 わたしはなにかおかしなことを言ったのだろうか。

 スキュラは話しに飽きたのか視線をふわふわと泳がせていた。
 大丈夫か、この従者長。

アラクネ「ようがす。洗濯はわたし……よりもスキュラの方が上手なので指導させましょう」

 スキュラが? 大丈夫なのか、こいつで。

スキュラ「あいあい!」

 名指しで指名されて意識を取り戻したのか、力いっぱい返事を返すスキュラ。
 まあ、通訳としてアラクネがいればなんとかなるか。
 

239: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:34:48.09 ID:5GAy3qbco

アラクネ「そして、不肖ながらわたくしアラクネが魔王様の下着を編んで差し上げます」

魔王「下着を? なぜだ?」

アラクネ「なぜだ? って……」

 そう問うわたしに対して、あからさまに肩を落すアラクネ。

アラクネ「下着……穿いてないんですよね?」

魔王「ああ。なんなら見せようか」

 立ち上がり、スカートをたくし上げる。
 もちろんそこには何もなく、ただ素肌が露出されるだけだった。
 

240: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:35:17.41 ID:5GAy3qbco

アラクネ「ちょっ! 良いです! 別にんなもん疑ってないですから!」

スキュラ「きゃーきゃー」

 疑ってるようなので見せたなのに、失礼な反応をするやつだ。
 わたしはたくし上げたスカートを元に戻し、再び椅子に腰をかけた。

アラクネ「魔王様だってパンツがないと困るでしょう!?」

魔王「ああ、しかしこの間サキュバスに頼んだからな」

アラクネ「サキュバス様に……?」

 前回、サキュバスが泊まった際も勿論わたしは下着を穿いていなかった。
 事情を説明するとサキュバスは笑いながら「では、次回のお土産は下着ですね」と約束してくれた。

 だから、下着を用意する必要もないだろう。
 

241: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:35:48.63 ID:5GAy3qbco

アラクネ「……次にサキュバス様がご来城なされるのは?」

魔王「む……いつだろうな。今回は1年ぶりだったから、また1年ほどじゃないか?」

アラクネ「では魔王様は1年間ノー  でお過ごしに?」

魔王「ないのだから、仕方がないな」

 肩を落すアラクネ。
 どうした、なにをそう落ち込む。

 わたしは下着がないからといって、部下の下着を奪おうとする趣味はないから安心してくれ。
 

242: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:36:15.53 ID:5GAy3qbco

アラクネ「……魔王様の下着はわたしが近日中にご用意いたします。蜘蛛の眷属ですので、そう言った編み物は得意なのですよ」

魔王「編み物! そう言うのもやるのか」

アラクネ「ええ。ですので、どうか献上させて下さい。魔王様がノー  で暮らしているなんて噂が流れたら大変ですから」

魔王「下着を穿いてないことがそんなに重要なのか?」

アラクネ「少なくとも女性にとっては……いいですか、くれぐれも他言してはいけませんよ」

 キツく睨んでくるアラクネ。
 わたしは魔王であると言うのに、なんとなくアラクネの雰囲気に圧倒されてしまった。
 

243: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:36:42.78 ID:5GAy3qbco

スキュラ「せ、せっ……せっ! 洗濯……いつ?」

アラクネ「あー、放っておいてごめんね。洗濯はいつ教えれば良いですか魔王様、と言ってます」

魔王「ん……そうだな、今日はもう良い。次、今度は日が傾く前に顔を出すからその時に暇だったら相手をしてくれ」

スキュラ「あいあい!」

 良かった。
 これで洗濯の件はどうにかなりそうだ。
 

244: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:37:12.12 ID:5GAy3qbco

 パンツの全滅を受けて、他の衣類は洗濯をしていない。
 サキュバスから貰った香水を振り掛けて誤魔化してはいるが、早いうちに衣類を全て洗ってやらねばな。

 しかもアラクネが下着まで作ってくれると言うのだから運が良い。
 サキュバスが買って来るまで待つつもりだったから助かってしまった。

 なるべくなら可愛いく作って欲しいのだけれど、そこまで注文するのはどうかと思いわたしは口を閉ざした。
 サキュバスであればわたしの好みを理解して選んでくれるのだが……。

 いかん。
 部下と部下を比べてはいかんな。反省しよう。
 

245: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:37:39.39 ID:5GAy3qbco

魔王「ああ、それとな」

アラクネ「はいはい。まだなにかおありで?」

スキュラ「よー、よう……ようけ……YO!」

魔王「うむ。料理を教えて欲しい。差し当っては今夜のおかずを自分で作りたい」

 さあ本題だ。
 洗濯、下着と問題を上手く解決できた。
 

246: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/29(木) 23:38:18.84 ID:5GAy3qbco

 ならば次は料理。
 後はこれさえなんとかなれば、とわたしは思っている。

 未だに包丁を扱うのが怖いわたしは、まともな料理が作れないでいる。
 サキュバスが泊まりに来たときも包丁を必要としない、簡素なものしか用意が出来なかった。

 細かくメニューを言うのであれば、チーズとパンと果物。
 あとはサキュバスのために少量の酒を用意した程度だった。

 専門家であるスキュラやアラクネに師事してもらえば、わたしにも美味しい料理が作れる。
 そう思うと少しだけ胸が熱くなった。
 

261: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:51:32.72 ID:GjZFgKLfo
 

魔王「うむ。料理を教えて欲しい。差し当っては今夜のおかずを自分で作りたい」

 そうわたしが口を開いた次の瞬間、

スキュラ「ごはん」

 スキュラは「ごはん」と呟き、椅子から腰を浮かせた。
 何事かと目を丸くするわたしに対してアラクネが視線を時計に向けろとジェスチャーをしてくる。
 

262: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:52:10.89 ID:GjZFgKLfo

魔王「うん?」

アラクネ「魔王様。もう間もなく、夕餉の時間でございます」

魔王「うむ。だからわたしもこうして来ている訳で──」

アラクネ「──魔王城の料理を一手に引き受けているスキュラ従者長にとって、大変に忙しい時間になります」

魔王「む」
 

263: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:52:37.69 ID:GjZFgKLfo

 そうか。失念していた。
 この城の配膳料理は全てがスキュラの手によって作られている。

 スライム娘たちは基本的に調理場に立たない。
 アラクネも同様で、魔王城で調理をする者はスキュラのみとなっていた。

 必然、夕食時ともなればスキュラは大忙しになるだろう。
 わたしは必要ないと言っているが、その他大勢の魔物がこの魔王城に住み着いている。
 

264: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:53:04.23 ID:GjZFgKLfo

 それらの料理を一人で作らねばならないのだ。
 時間なんていくらあっても足りないだろう。

 例えば仕込みとか……ええと、仕込みとか。
 料理の知識がさほどないので具体的な大変さは想像もつかないが、大変なのだろう。きっと。

 と、するとだ。
 わたしは魔王と言う立場を使って、彼女たちの貴重な時間を潰してしまったことになる。

 むう……。
 少しばかり浅慮だったようだ。
 

265: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:53:30.74 ID:GjZFgKLfo

魔王「すまぬ。わたしは気付かぬ内に邪魔をしていたようだな」

スキュラ「ど、ド……ドン……マイケル?」

アラクネ「誰よ」

 スキュラの表情に変化はない。
 どうやら怒ってはいないようだ。
 

266: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:54:13.00 ID:GjZFgKLfo

魔王「また日と時間を改めて来るとしよう。では──」

 そう言い終える前に、スキュラの数多ある触手がわたしの腕を掴んだ。
 吸盤がたくさんついてるそれはギュウッと力強く、身体を持っていかれてしまう。

スキュラ「おうおう」

魔王「お?」

アラクネ「あらあら、魔王様。見て覚えれば良いじゃないですか、と言ってますよ」

 そのままスキュラに引っ張られ、従者室に隣接している大調理場へと案内された。
 

267: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:54:36.02 ID:GjZFgKLfo


 ─大調理場─


 魔王城、唯一にして(一応)最高の設備を誇る調理場。
 基本的にスキュラ以外の者は出入りを禁止しているその部屋へわたしは通された。

魔王「大丈夫か? 邪魔であれば早々に立ち去るが……」

スキュラ「おけ」

アラクネ「大丈夫ですって」

魔王「そうか……」
 

268: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:55:09.35 ID:GjZFgKLfo

 なんとなしに申し訳ない気分になってしまう。
 反面、少しだけ楽しみにしている自分もいた。

 スキュラの調理技術、いや妙技とも呼べるそれを生で見たのは一度きり。
 魔王を拝命した際に開かれた催し物でスキュラが腕を振るったのだ。

 どう腕を振るったのか……は、良いな。
 もう間もなく見れるのだから。
 

269: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:55:30.84 ID:GjZFgKLfo

アラクネ「あ、魔王様。スキュラの“刃圏”に入らないようにお願いします」

魔王「“刃圏”?」

 首を傾げるわたしをアラクネはぐいぐいと引っ張り調理場の端へと追いやった。
 おい、こんなにスキュラから離れてしまっては調理する姿が見えないではないか。
 

270: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:56:11.06 ID:GjZFgKLfo

アラクネ「魔王様。以前にご覧なられたスキュラの調理姿を思い出して下さいな」

魔王「む? ……ああ、なるほど。そう言うことか」

スキュラ「では、ごはん。つくる、ます」

 脳裏に刻まれたあの日のスキュラを思い出す。
 人型の腕二本。下半身からは無数の触手が伸びている。

 腕二本には鍋とフライパンが握られ、触手たちは包丁を各々が握っている。
 

271: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:56:49.05 ID:GjZFgKLfo

スキュラ「とー!」

 一斉にスキュラから生える触手が動き始めた。

魔王「おお……」

 ヒュンヒュンと包丁が空を裂く音が聞こえる。
 気が付くと、触手は野菜を刻み、肉を炒め、皿を並べている。

 同時進行で多種多様の料理を次々に完成させ、みるみる内に調理場は食欲をそそる匂いが充満していった。
 調理スピードが異常に早い。

 材料を刻んだ次の瞬間、その材料は熱を通され食材から料理へと変貌している。
 調理場を縦横無尽に駆け回る触手たち。
 

272: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:57:15.24 ID:GjZFgKLfo

 なるほど“刃圏”とは上手いことを言う。
 それはスキュラの間合いとも呼べるものだった。

 包丁を振り回しているのだから“刃圏”と言うのも頷けるが、そうじゃない。
 触手を目一杯に広げ、増やし、活動させる。

 その有効射程こそが“刃圏”と呼ばれる理由なのだろう。
 今、わたしとアラクネが立っている調理場の四隅。

 ここはスキュラの触手がぎりぎり届かない範囲であった。
 “大調理場”と言うだけあって、この部屋は広い。

 であるにも関わらず一人(の触手)でスペースを全て使い切ってるところはさすがだ。
 これが従者長たるスキュラの実力なのだ。
 

273: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:57:46.01 ID:GjZFgKLfo

魔王「凄まじいな……」

アラクネ「ほんと。調理と洗濯ではスキュラに敵う者はおりません」

魔王「しかしな、どうにも本体の方を見てしまうと残念だ」

アラクネ「それを言っちゃあお仕舞いですよ、魔王様」

 触手と手の動きは凄い。と素直に呼べるのだ。
 魔族でありながらこの言葉を使うのもどうかと思えるが、神域に達しているとさえ思える。

 が、しかしだ。
 本体を見るとどうにもその感情が揺らいでしまう。
 

274: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:58:11.90 ID:GjZFgKLfo

スキュラ「じゅー♪ じゅー♪ じゅー♪」

 鼻歌交じりで頭部をフラフラとさせている。
 手足は忙しなく動いていると言うのに、本体である頭と胴体はふわふわとしているのだ。

 なんともアンバランスな魔物である。
 ああ、いや。スキュラと言う種族ではない。

 従者長と言う個体が特殊なのだろう。
 見ようによっては面白いやつだ、今度じっくりと話してみるのも良いかもしれない。
 

275: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:58:43.21 ID:GjZFgKLfo

スキュラ「おば」

魔王「おば?」

アラクネ「オーバー。終わったよー、と言ってます」

魔王「そうか……それにしても、早い。そして美味そうだ」

スキュラ「ら、ラ……ス、スラー!!」

 スキュラが突然大声を上げた。
 と同時に調理場の扉が音を立てて開く。
 

276: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:59:10.68 ID:GjZFgKLfo

「「「おつかれさまでございますっ!」」」

 大量に出現するスライム娘たち。
 そうか、料理が完成したから持っていけと言うことか。

 にしてもスキュラめ、どんどんと言語がおかしなことになってないか?

アラクネ「疲れてくると言葉使いがいい加減になっちゃうんですよ」

 だそうだ。
 “スラ”と呼ばれて反応しなければならないスライム娘たちも大変なことだろう。
 

277: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 20:59:52.44 ID:GjZFgKLfo

 わたしがその立場であったら不平不満を漏らし、なにかしらの行動を起こしているかもしれない。
 そう思うと……わたしは我が侭なのだろうな。

 でもまあ、魔王だし良いか。
 その辺りは深く考えないことにしよう。きっと良い気分にはならないだろう。

「「「おりょうりをおはこびしますっ!」」」

スキュラ「もっとほっと! ごー! ごー!」

魔王「通訳を頼む」

アラクネ「温かい内に運んでね、だそうです」

魔王「そうか。料理は出来立てが美味しいものな」

アラクネ「ええ」
 

278: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 21:00:24.55 ID:GjZFgKLfo

 しかし……。
 これは料理の参考にはならないのじゃないか?

 触手の動きは確かに早かったが、わたしの動体視力はその全てを捉えていた。
 だが、わたしには料理の知識がない。

 見えてはいたが、なにをしているか理解できない。
 ただただ手際の良さを再確認しただけだ。

 見て盗むだと? 冗談は言語だけにしろ。
 素人にそんなハイレベルなことを望んでも無理と言うことに気付いてくれ。
 

279: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 21:00:59.81 ID:GjZFgKLfo

 ああ。どうしようか。
 ここは素直に「なにがなんだかわからなかった」と述べるべきだろうか。

 それとも魔王らしく働きを褒め、労い、大変参考になったと見栄を張るべきか。
 どうしよう。

 どうする、どうするわたし。どうすると言うのだ魔王よ。
 色々と思案した結果。

 わたしは──。
 

280: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 21:01:33.55 ID:GjZFgKLfo

魔王「スキュラよ、ご苦労だった。その調理技術の高さ、妙技と呼べるそれを堪能できたよ。大変参考になった」

スキュラ「ぶいぶいっ」

アラクネ「さすが魔王様ですね。あの速さで動く触手の動きを目で捉えるなんて」

魔王「視力は良いからな」

 確かに、目は良いのだ。
 けれど問題は動きを見て取れるそれではない。
 

281: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 21:02:10.18 ID:GjZFgKLfo

 なにを、どうして、料理になるのかが知りたいのだ。
 あの使っていた葉っぱはなんだ? 肉にふりかけていた粉は? 火の調節の仕方は?

 聞きたいことはやまほどある。
 だがしかし、これは聞ける雰囲気じゃない。

 わたしは自身が決して空気を読める類の人物でないことは把握しているつもりだ。
 だけれど、この場の雰囲気で「では最初から説明してくれ」と言い放つ勇気を所有していたりもしない。
 

282: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 21:02:38.79 ID:GjZFgKLfo

 しかもスキュラは疲れている。
 もはや言語ではなく、擬音的なものしか口にしていない。

 説明を求めたところで、無駄だろう。
 アラクネが通訳として働いてくれるかもしれないが、その辺りは無視だ。

 スキュラは疲れている。
 スキュラはわたしの部下だ。

 そしてわたしは上司であり、魔王だ。
 うむ。部下を気遣うのも上司の仕事であろう。

 しかも頼んでる事案が私事であるのならばなおさらだ。
 

283: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 21:02:59.93 ID:GjZFgKLfo

魔王「二人とも、今日は邪魔をしたな」

アラクネ「いえいえ」

スキュラ「えいえい」

アラクネ「スキュラ、突っつかないで」

 わたしは爽やかな笑顔を残して、大調理場を後にした。
 

284: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 21:03:26.31 ID:GjZFgKLfo


 ──さて。

魔王「夕飯はどうするかな」

 パンとチーズ。干し肉があるから、それを齧って夕飯を済ませるとしよう。
 スキュラの作った料理は美味そうだったな。

 「自分のことは自分でする」と言った手前、一皿わけてくれとも言い出しにくいし。

魔王「むう」

 やはり、わたしは馬鹿なのだろうか。
 せめて最低限の知識をつけてから食事の一人立ちをすればよかったと後悔し始めている。
 

285: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 21:04:01.74 ID:GjZFgKLfo

魔王「はあ……」

 謁見の間から従者室までの道のりは軽やかであったはずなのに、調理場から自室へと向かう足はなんとも重たかった。


 下手な見栄。
 張っちゃだめだよ。後悔するよ。
 だけれども、時と場合、立場によるんだなあ。 まおう。
 

286: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 21:04:34.42 ID:GjZFgKLfo




……。
…………。
………………。
 
 
 

287: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/30(金) 21:08:41.82 ID:GjZFgKLfo

……翌日。

玉座に腰を下ろし考えを巡らす。


魔王「さて……今日はなにをしようか」


1:魔王城内で部下と話すか。わたしはあまり部下と話してこなかったからな、こう言った活動も必要だろう。


┠─ 1:たまには真面目にガーゴイルと話すか。

┠─ 2:素直になってスキュラに料理を教えて貰おう。

┠─ 3:アラクネがパンツを献上すると言っていたな。

┗─ 4:スライム娘たちと話してみるか。労働環境で不満などあるかもしれない。


2:今日は“四王”について真面目に考えよう。


┠─ 1:死王・リッチについて考えるか。

┠─ 2:獣王・ベヒモスについて考えるか。

┠─ 3:龍王・ヨルムンガンドについて考えるか。

┗─ 4:魔人王・アルカードについて考えるか。


3:ええい、道草を食っている場合ではない。兄姉をなんとかせねばなるまい。

┗─ 1:長兄の問題を処理する。


4:だめだ。どうにも疲れているようだ……。

┗─ 1:今日は完全にオフ。なにもしない宣言を発令する。


魔王「そうだな……>>291にするとしよう」



*選び方。
 例えば、ガーゴイルが可愛くて仕方ないと言う場合は1-1と記入して下さい。
 スキュラであれば1-2、アラクネなら1-3とそう言った具合です。

291: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/03/30(金) 21:23:04.23 ID:q4ArvyPIO
2-1

298: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:00:43.46 ID:vbPfpwLso
 

 魔界西方領。
 そこが“死王”リッチに分配されている領地であった。

 大地はそのほとんどが死の沼地と化し、およそ生物が生息出来るような地域ではない。
 アンデッドたちの楽園。リッチが支配している土地はそう言った風土だった。

 “生物”はいない。
 西方領に存在する魔物は全てが腐敗しているか、骨のみの魔物であった。
 

299: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:01:09.79 ID:vbPfpwLso


 ─死者住まう閨─


 腐臭。腐臭。
 部屋は匂いで満ちていた。この部屋は全てが濁っている。

 匂いが暗い色を帯び、周囲を見渡すことなどできやしない。
 嗅覚を持つものであれば数寸の時で気が狂ってしまいそうな部屋に、その主は住まっていた。
 

300: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:01:37.41 ID:vbPfpwLso

リッチ「……」

 キセルから煙を吸い込み吐き出す。
 その紫煙は口からだけではなく、ただの窪みとなっている目や鼻や耳からも吐き出される。

 部屋は腐臭と紫煙、そして亡者の呻きが交じり合い主にとっては最高の環境となっていた。

リッチ「ああ……いかんねえ」

 ぽつりと言葉をこぼす。
 声帯などこの亡者には存在しない。

 どこから発されたのかもわからないその音は、けれど確かにリッチが発した言葉だった。
 

301: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:02:04.71 ID:vbPfpwLso

リッチ「デュラハンに入れ知恵をしたのは誰かねえ……」

 ──ギシリ。

 身体を預けていた椅子に重心を傾ける。
 すると、どこからともなく苦しそうな、助けを請うような声が部屋に響いた。

 うう……うう……。

 声の発生源は椅子、そして部屋のあちこちからも聞こえてくる。
 リッチは人間の、それも女性ばかりを“使った”家具を拵えるのが趣味だった。

 魔王から言わせれば悪趣味そのものである。
 肉体を使い、加工し物を作る。

 そして魂までも物に込め、逃がさない。
 死んだ者達は永遠に苦しみと恨みを吐き続ける。無限に続く怨嗟をリッチはこの上なく楽しんでいた。
 

302: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:02:42.99 ID:vbPfpwLso

リッチ「ワイト。どう思うね?」

 ワイト。と呼ばれ、それまで部屋の隅で佇んでいた骸骨が口を開いた。

ワイト「デュラハン将軍は確かに頭の良い方ではありませんでした」

リッチ「そうだねえ……」

 うう。うう。
 二種類の骸骨が話す合間を亡者の声が彩る。
 

303: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:03:14.84 ID:vbPfpwLso

ワイト「自らの考えのみで動くことはないでしょう」

リッチ「だろうねえ……」

ワイト「死王様のお考え通り、なにものかの入れ知恵かと」

 “死王様”。
 リッチは部下に自らをそう呼ばせていた。

 決して名前では呼ばせない。語らせない。
 名前を呼ばせる。それを許しているのは、自身と同等の地位を持つ他の“四王”。魔王城に住まう幹部ども。そして、魔王だけであった。
 

304: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:03:41.33 ID:vbPfpwLso

 他者に“王”と呼ばせることで自らを絶対的な者としていく。
 言霊のそれをリッチは知っている。彼は偉大なる魔法使いでもあった。 

 他の王……“獣王”“龍王”“魔人王”の配下には相当な実力者たちがひしめき合っている。
 その実力は各王らに匹敵しうる者もいた。

 けれど“死王”の配下に実力者はいない。
 アンデッド族での絶対的な力を持つ者はリッチ一人であった。
 

305: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:04:08.23 ID:vbPfpwLso

 リッチはそれで良いと考えている。
 王とは一人。

 その一人を除けば後は雑魚であり、王の駒であるべきなのだから。
 駒に意志などいらない。

 だからこそ、駒を大量に保有し増殖させ続けている。
 “魔界西方領 領主 死王リッチ”は魔界で一番の兵力を有していた。
 

306: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:04:41.94 ID:vbPfpwLso

リッチ「誰だろうねえ……魔王様を亡き者にしようなんて、不遜な考えを持つのはいけないねえ……」

 わざとらしい声色だった。
 微塵もそのようなことは思っていない、彼にとってそんなことはどうでも良かった。

リッチ「調べなきゃいけないねえ……あたしの駒を勝手に使った者をさ……」

 本音が出る。
 彼は自身の駒。魔族を他者に使われるのを毛嫌いする性質を持っている。

 デュラハンが一万の軍を動かし、王に謁見を申し込んだことをリッチが知ったのは全てが終わった後であった。
 魔界の主たる魔王に一片の塵すら残さずデュラハンが消え去られた後のことである。

 スカスカになった腹部でハラワタが煮えくり返る思いを味わった。
 

307: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:05:08.59 ID:vbPfpwLso

リッチ「ダメだよねえ……あたしに黙って動いちゃダメだよねえ……」

ワイト「数は絞れます」

 デュラハンをそそのかしたのは誰か。
 検討を付けるのは簡単だった。

 魔王を嫌っている勢力を考えれば良いだけだ。
 

308: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:05:44.11 ID:vbPfpwLso

リッチ「あの野獣と蜥蜴はないだろうねえ……奴等は余程の親王派だよ……」

 野獣とは“獣王”のことを指し、蜥蜴は“龍王”のことを指していた。

ワイト「しかしそれは生前の大魔王様の代まででございます。今の魔王にまで忠誠を誓っているかは定かではありません」

リッチ「そうだねえ……けれど、デュラハンを使うほどじゃないだろうねえ……」

ワイト「では魔人お……あの吸血鬼ですか?」
 

309: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:06:10.69 ID:vbPfpwLso

 ワイトが寸出のところで白骨化した口を止め、言い換えた。
 最後まで言い切っていたのなら、その頭部は消えてなくなっていただろう。

 リッチは配下にも他の王を王と呼ぶことを禁じていた。
 例外は大魔王のみ。

 大魔王だけは、どうしても他の呼び名が存在しなかった。
 現大魔王の呼称はなにか。決まっている。

 “小娘”であった。
 

310: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:06:38.47 ID:vbPfpwLso

リッチ「あの吸血鬼……なにを考えてるのかねえ……あたしにもさっぱりだよ」

ワイト「他を考えると、小娘の身内……大魔王様のご子息たちでしょうか」

リッチ「その線が強いだろうねえ……」

 うう。うう。
 亡者の呻きだけがその部屋で絶え間なく声を発している。
 

311: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:07:09.33 ID:vbPfpwLso

リッチ「ワイト、しばらく様子を見るよ……魔界の各所にグールを放っておきな」

 グール。
 リッチの持つ駒の中でゾンビと双璧を成す量産された兵隊だった。

ワイト「了解いたしました。しかし、グールどもでは他の魔族に嬲り殺されてしまうおそれが……」

リッチ「良いんだよ……壊されたらまた送れば良いんだからねえ……いくらでも送り込んでやれば良いんだよ……」

ワイト「仰せのままに……」

リッチ「ああ、そうだ。新しいデュラハンを作らないとねえ……」
 

312: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:07:39.23 ID:vbPfpwLso

 作る。とリッチは口にした。
 アンデッドの軍勢のほとんどは、人間を媒体に繁殖したものかリッチが自ら作り出したものであった。

 “死王”にとってデュラハンを作ることなど造作もないことである。
 問題があるとすれば、生まれたばかりである子らはレベルが低いということであった。

リッチ「どれ……」

 床に転げてあった腐敗の進む死体をワイトに持ってこさせる。
 呪文を唱え、腐乱死体が闇に包まれていく。
 

313: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:08:15.03 ID:vbPfpwLso

リッチ「ワイト。鎧を用意しておくれ……」

ワイト「はっ。こちらに」

リッチ「……」

 鎧に魔方陣を描き、死体とそれを融合させる。

 後は──。
 

314: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:08:43.25 ID:vbPfpwLso

リッチ「ワイト……」

ワイト「はい」

 ──パンッ。

 と音が鳴り、ワイトの握った剣が鎧と融合したソレの首を切り落とした。
 

315: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:09:15.52 ID:vbPfpwLso

リッチ「デュラハン……デュラハン……目覚めなさい……」

デュラ「……」

 むくりと死体だった者が起き上がる。
 首はない。
 

316: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:09:38.93 ID:vbPfpwLso

リッチ「今日からお前がデュラハン将軍だよ。レベル上げを頑張んなさいねえ……」

デュラ「……」

 切り落とされて存在しない首を縦に振った。
 まだ言語もわからない。けれど目の前に座す骸骨に逆らってはいけないと本能が警告を鳴らしていた。

リッチ「良い子だ……さ、お行き……」

デュラ「……」
 

317: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:10:06.15 ID:vbPfpwLso

 部屋を後にする首無し鎧。
 リッチはデュラハンを複数体作る気はなかった。

 デュラハンはアンデッド族の中でも高位に位置する魔族であった。
 レベルを上げればかなりの強さにまでなる。

 そしてリッチは強大過ぎる力をもった臣下が増えることを好まない。
 だから、デュラハンは常に一体。

 換えの効く駒であった。
 

318: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:10:34.26 ID:vbPfpwLso

リッチ「頑張ってもらわなくちゃねえ……」

 うう。うう。
 うう、ううう。

 恨み辛みを孕んだ呻き声。
 亡者住まう城の城主は満足気にキセルをふかした。

319: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:11:04.12 ID:vbPfpwLso



……。
…………。
………………。
 
 
 

320: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:11:37.74 ID:vbPfpwLso


 ─ 魔王城 謁見の間 ─


魔王「……」

 玉座に座り、何分ほど経ったであろう。
 わたしは“四王”……特に“死王”リッチのことを考えていた。

 デュラハン将軍の謀叛。
 あれは果たしてリッチの企てたことなのだろうか、と。
 

321: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:12:12.80 ID:vbPfpwLso

魔王「むう……」

 思わず声が漏れる。
 考えても思考は一向に纏まりを得ない。

 なぜならば、わたしはリッチと言う男(白骨化しているので、性別などわからないが便宜上男としておこう)と一度しか会ったことがないのだ。
 他の“四王”もそうである。

 だから、正直に言えばいくら考えたところでわかりはしない。
 

322: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:12:41.44 ID:vbPfpwLso

魔王「リッチ……か」

 その名前に反応したのは玉座の横で石化していたガーゴイル大臣だった。
 特に話しかけなければ、ガーゴイルはわたしが玉座に座っている3時間を石化して過ごしている。

 言うに、わたしが集中出来るようにとのことだ。
 だったらいないほうがありがたいのだけれど、それは言わずにおいている。
 

323: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:13:07.73 ID:vbPfpwLso

大臣「魔王様。いま、リッチとお呼びしましたか?」

魔王「む。聞いていたか」

 石化していても耳は生きてるようだな。
 どうでも良い知識がついてしまった。
 

324: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:13:34.99 ID:vbPfpwLso

大臣「なにかお考えで?」

魔王「いやなに。デュラハン将軍のことでな」

大臣「なるほど……将軍が自らの意思で謀叛したのか、それともリッチが差し向けたのか……ですな」

魔王「その通りだよ」

 一言で察するところはさすが大臣だ。
 わたしにはその技術がないからそれを期待されても困るけれど、相手がそうであれば説明が少なくて助かる。
 

325: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:14:14.77 ID:vbPfpwLso

魔王「どう思う?」

大臣「率直に申し上げるのであれば、判断つきかねます」

魔王「ほう。なぜだ?」

 どうしてもクエスチョンだらけになってしまう。
 どちらかと言えば、こう言ったやりとりをわたしは好まない。

 なんと言うか不毛な会話をしている気がしてしまうのだ。
 最終的に、納得のいく答えなど貰えるとは思えないから。
 

326: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:14:46.10 ID:vbPfpwLso

 疑問に対して、期待した答えが貰える。
 そう考えるほどわたしはおめでたい脳をしていない。

 どちらかと言えば……捻くれている性格のため「本当にそうなのか?」と勘繰ってしまう。
 話題が真面目であれば真面目であるほど、その傾向は強く……厄介なことだ。

 まあ、ガーゴイルのことは信用している。
 ここは素直に疑問と回答の応酬をしようじゃないか。
 

327: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:16:11.77 ID:vbPfpwLso

大臣「リッチは人間を糧としています。魔王さまの宣言はヤツにとってさぞかし腹の立つものでありましょう」

魔王「……」

 わたしは顎を突き出し、続けろと促した。

大臣「それだけを考えれば充分に可能性はあります。しかし、それによって即座に反旗を翻すとも思えません。
    なぜならば、将軍が一万の軍勢を連れてきたからです」
 

328: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:16:42.75 ID:vbPfpwLso

魔王「それは自分の力を誇示したかったのじゃあないか?」

大臣「自分。とはどちらでしょうか、リッチでございますか? 将軍でございますか?」

魔王「む……」

 そうだ。
 わたしはあの時に思ったのだ。

 軍勢を引き連れたのは、彼の。デュラハン自身が統率力を誇示したいが為だったと。
 

329: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:17:14.79 ID:vbPfpwLso

大臣「リッチは無駄に軍勢を失うことがそれはもうなによりも嫌っておいでです」

魔王「理由を聞こうか。なぜだ?」

大臣「そう言う性質なのです」

魔王「……」

 ガーゴイルの口ぶりからして、それはアンデッドの長たる者の感情としてではないのだろう。
 恐らくは駒として。自らの駒を消費するのを嫌がる性質の持ち主だとガーゴイルは言っているのだ。

 それならば、頷ける。
 リッチが軍勢をデュラハンに渡し、魔王であるわたしを討伐せよと命ずるか否か。
 

330: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:17:44.39 ID:vbPfpwLso

大臣「魔王様のお力を直に拝見したことがないとは言え、一万の軍勢で魔王城が落せるとは思ってないでしょう」

 リッチにとって魔王であるわたしの実力は未知数だ。
 けれど、魔王城に住まう幹部魔族の実力は知っているだろう。

 わたしの横でいつも口煩くしている石像だって相当の力を持っている。
 アンデッド一万の軍勢ならば、時間はかかるだろうが滅せる程度の実力を保持している。

 見えないだろう?
 けれど、大臣と言うのは伊達じゃないらしい。
 

331: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:18:13.95 ID:vbPfpwLso

大臣「ですので、動機はある。けれど、実行したと判断するには材料が不足している。と言ったところです」

魔王「ふむ……やはり結局はこうなるか」

 答えは出ない。
 わからない。

大臣「?」

魔王「いい。こちらの話しだ」
 

332: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:18:46.88 ID:vbPfpwLso

 長々と話したが、やはり最終的にはこうなってしまった。
 ううむ……時間がちょっと勿体なかった気がするぞ。

 けどまあ、これも魔王の職務と思えば我慢も出来ようか。

 “死王”リッチ……こいつのことは、もう少し考えて調べる必要があるかもしれない。
 人間を糧にしている以上、わたしに反発してくるのは目にみえているのだから。
 

333: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:19:12.81 ID:vbPfpwLso

魔王「だ……」

大臣「はい?」

魔王「今日の業務は終了だ。大臣よ」

大臣「……」

 時刻はわたしが玉座に腰を下ろしてから3時間が経過していた。
 すっかりと日も暮れている。
 

334: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:19:39.17 ID:vbPfpwLso

魔王「わたしは部屋に戻る。ではな」

大臣「本日もお疲れ様でございました……」

 謁見の間を後にするわたし。
 仕事は終わったけれど、足音は軽快ではない。
 

335: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:20:10.09 ID:vbPfpwLso

 わたしの食事内容はまったく改善されていなかった。
 部屋に帰っても味気ないパンと塩気の少ない干し肉に、美味いとは言えないチーズ。

 味に飽きてきた……。
 とは言え、従者室に行くもの考え物だ。

 昨日の今日では顔も出しにくいと言うもの。
 せめて、調理せずとも食べられる物をどこかで調達せねばならない。
 

336: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:20:41.85 ID:vbPfpwLso


 ─ 魔王城 私室 ─


 ゴロン、と部屋に寝そべる。
 読みかけの本が散乱し散らかり放題の我が根城。

 この部屋の紹介はまた今度にするとしよう。
 それよりも今は食事だ。
 

337: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:21:34.14 ID:vbPfpwLso

魔王「よし」

 ゴロゴロと部屋を転げ回りながら移動する。
 臣下には見せられない姿だと思った。

魔王「ぽちっとな」

 部屋の片隅においてある、粘着質の良くわからない物体を押す。
 ボタン状のそれは“ぶにゅる”と音を立てて形を変形させた。
 

338: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:22:16.57 ID:vbPfpwLso

 しばらくして──。

 ──コンコン。

 扉から控えめなノック音がした。

魔王「開いている。入れ」

 流石に身体を起こした。
 扉の方へと視線を移す。スライム娘が扉から緊張した面持ちで顔を出した。
 

339: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:22:47.90 ID:vbPfpwLso

スラ娘「おっ、およびでしょーかまおーさま!」

魔王「うむ」

 わたしが押したボタンはスライムを呼び寄せる装置だった。
 これを押せばいつ何時でもスライムたちが部屋へとやってきてくれる。

魔王「すまないが、ここに書いてある品物を持ってきてくれ」

スラ娘「おつかいでございますねっ!? りょーかいしましたーっ!」
 

340: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:23:18.33 ID:vbPfpwLso

 お使いと聞いてほっとしたのだろう。
 スライム娘の顔から安堵の表情が漏れている。

 魔王から呼び出されたのだ、きっと怒られるとでも思ったのだろう。
 彼女たち低級の魔族にとって、魔王とはそう言った恐怖の対象でもあるのだ。

 怒ったことなんて一度もないんだけれどね。
 

341: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:23:53.44 ID:vbPfpwLso

スラ娘「それではごよーいできましたらもってきますっ! しつれーしました!」

魔王「うむ。手間をかけるな」

 パタンと丁寧に扉が閉められた。

魔王「これで食事は大丈夫と」

 しかし少し情けない。
 自分のことは自分でやると言ったのに、いきなり部下にお使いを頼んでしまっている。
 

342: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:24:20.40 ID:vbPfpwLso

魔王「だって今日は真面目に考えたから疲れてしまったのだ……」

 誰に言うでもなく、言い訳を口にする。
 まあ良いじゃないか。

 こんな日もある。
 わたしはスライムが持ってくる食べ物を待つ間、読みかけの本を開いて時間を潰すことにした。
 

343: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:25:37.22 ID:vbPfpwLso

 そして気が着けば時間が進み、注文した簡易食料が届けられる。
 ビスケットだった。

 味はほとんどないが、パンと違う食感が嬉しい。

 それを頬張り、腹が膨れたらまた本を読み。
 入浴して、歯を磨き布団に潜る。

魔王「今日もいちにち、お疲れ様」

 そう自分に挨拶をして、目を閉じた。
 

344: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:26:13.34 ID:vbPfpwLso



……。
…………。
………………。
 
 
 

345: ◆H7NlgNe7hg 2012/03/31(土) 22:29:39.12 ID:vbPfpwLso


──翌日。


布団の中で目を覚ました。


魔王「むう……今日は……なにをしようかなあ……」


1:魔王城内で部下と話すか。わたしはあまり部下と話してこなかったからな、こう言った活動も必要だろう。


┠─ 1:たまには真面目にガーゴイルと話すか。

┠─ 2:素直になってスキュラに料理を教えて貰おう。

┠─ 3:アラクネがパンツを献上すると言っていたな。

┗─ 4:スライム娘たちと話してみるか。労働環境で不満などあるかもしれない。


2:今日も“四王”について真面目に考えよう。


┠─ 1:☆ 一度リッチに会った方が良いだろうか。

┠─ 2:獣王・ベヒモスについて考えるか。

┠─ 3:龍王・ヨルムンガンドについて考えるか。

┗─ 4:魔人王・アルカードについて考えるか。


3:ええい、道草を食っている場合ではない。兄姉をなんとかせねばなるまい。

┗─ 1:長兄の問題を処理する。


4:だめだ。どうにも疲れているようだ……。

┗─ 1:今日は完全にオフ。なにもしない宣言を発令する。


魔王「そうだな……>>350にするとしよう」

350: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/03/31(土) 22:51:47.43 ID:Xb+NSwoDO
4-1

355: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:44:53.20 ID:EC1AXxp6o
 


 だめだ。体がだるい。
 なんと表現すれば良いのだろうか。

魔王「……むう」

 どうにも布団から出れそうになかった。
 いや、頑張れば出れるのだ。

 布団から這い出てパジャマを脱ぎ捨て、魔王の黒衣を身に纏う。
 いつも通りの朝。

 けれど、今日はなんとも動く気になれなかった。
 

356: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:45:21.05 ID:EC1AXxp6o

魔王「……」

 思えばこの1年間。わたしは魔王として1日も休まず働いてきた。
 決して良い魔王ではなかったと自覚している。

 真面目に魔王としての職務を働いたのは年に何日だっただろうか。
 時間計算するのも恐ろしい。
 

357: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:45:47.38 ID:EC1AXxp6o

 しかし、しかしだ。
 無休で玉座に座り続けていた事実は変わらない。

 わたしは頑張った。
 頑張ってきた。

 頑張ってきた結果、世界征服をしないと言う結論を出したのだ。
 うむ。そうだそうだ。
 

358: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:46:24.95 ID:EC1AXxp6o

魔王「……休んじゃおう、かなあ」

 ぽつりと誰もいない自室で呟く。
 なんだろうか。

 小さくとも思いを言葉にしただけで決意が固まった気がする。
 不思議だ。

魔王「うん……休んじゃ、おう……」

 布団を強くひっぱり頭までボフリと被る。
 頭の中では小さなわたしが円卓会議を開いていた。
 

359: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:46:51.70 ID:EC1AXxp6o

まおうA「いや! やすむのはよくない!」
まおうB「なんでだ! いいじゃないかやすんだって!」
まおうC「がーごいるがうるさいよ……?」
まおうD「まおーがやすんじゃだめでしょっ!」
まおうE「あーだるいわー、なんかだるいわー」

 わいわいがやがや。
 ぴーちくぱーちく。

まおうZ「みんなっ! きいてっ!」

 ぴたり。

まおうZ「きっと、つかれているんだよ」

 ざわざわ。

「「「それだっ!!」」」

 なにが“それ”なのかは理解できないが、そうらしい。
 わたしの中で一つの事項が決定された。

魔王「わたしはどうやら疲れているらしい……今日は休もう」
 

360: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:47:35.08 ID:EC1AXxp6o


 ~魔王の休日~


 休むと決まったのだから、さっそく二度寝を楽しむとしよう。

魔王「くわぁ~……」

 大きなあくびが出ているのだからきっとわたしは眠いのだ。
 体と脳が疲れ、休息を。睡眠を欲しているのだ。

 そうに違いない。
 無理はよくない、だからわたしは二度寝をする。

 そう決めて瞼を閉じた。

 ゆっくりと意識が────。
 

361: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:48:01.86 ID:EC1AXxp6o

魔王「……寝れない」

 わけがわからなかった。
 休むと決めた。決めたのだ。

 しかしながら、休むと決意したその瞬間から意識が覚醒してしまった。
 眠気は何処へやら。まったくもって眠くない。

 それどころかスッキリしているほどだ。
 不味いぞ……わたしは疲れているはずなのに。
 

362: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:48:32.88 ID:EC1AXxp6o

魔王「これは、あれか。本で読んだ「日曜日の朝は逆に目が覚めちゃう」と言う人間によくあるあれか」

 日曜日と言うのは人間界で言う休息日だ。
 魔界にはそんな習慣がないのでいまいちよくわからないが、週に一回はなにもしなくて良い日があるらしい。

 なんとも羨ましいことだ。
 是非とも魔界に導入したいシステムの一つでもある。
 

363: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:49:00.44 ID:EC1AXxp6o

魔王「どうしよう。眠れなくなっちゃった……」

 身体は未だに布団の中にもぐっている。
 気だるさもない。

 休日を素敵に過ごす為には……ええと、どうしよう。
 休んだことがないからわからない。
 

364: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:49:27.63 ID:EC1AXxp6o

魔王「と、とりあえず起きるか」

 ベッドから這い出る。
 軽く伸びをして周囲を、自室を見渡した。

魔王「ちょっぴり汚いかもしれないな」

 衣類。本類……そして食べかけの食料が散乱している。
 さすがに腐った食べ物や飲み物はないが、綺麗とは言い難い乱雑な部屋になっていた。
 

365: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:49:53.82 ID:EC1AXxp6o

魔王「掃除……? いや、わざわざ休みの日に掃除って言うのはどうなの」

 わからない。
 なにが正しい休日なのだろうか。

魔王「むう」

 唸る。
 こうしている間にも休日はどんどんと過ぎて行くと言うのに。
 

366: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:50:20.16 ID:EC1AXxp6o

魔王「着替えよう」

 きっとパジャマはいけない。
 このままパジャマでいては、おそらくだが一瞬で休みが終わってしまう。

 なにもせず、ただぼーっとしているだけで終わってしまう。
 それはよろしくない。

 どうせだったら休みを堪能したいじゃないか。
 

367: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:50:46.28 ID:EC1AXxp6o

魔王「よし……あとは……」

 着替え完了。
 あとは休日を楽しむだけだ。

魔王「あっ。そうだ」

 大事なことを忘れていた。
 大臣であるガーゴイルに休日の申請をしなければいけないじゃないか。
 

368: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:51:12.94 ID:EC1AXxp6o

魔王「あー……でもなあ……ガーゴイルだしなあ」

 思わず目を細めてしまう。
 あの石頭は休日申請を受理してくれるだろうか。

 有給の申請を会社に通す人間界の“さらりいまん”になった気分だ。
 これも本で読んだ知識だから詳しくはわからないけれど。

 多分、同じような感覚なのだろうと思う。
 

369: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:51:44.34 ID:EC1AXxp6o

魔王「“魔眼”を使って騙すか……?」

 いやいやダメだ。
 今日は休日なのだ。

 魔力とかそう言った類の力は行使したくない。
 魔眼禁止。

魔王「どうする……どうする……」

 気付くとわたしは座り込み、どうやってガーゴイルを納得させるかに注力していた。
 過ぎていく時間。
 

370: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:52:06.65 ID:EC1AXxp6o

魔王「むう……うっ?」

 考えながら視線を泳がせていると、ある物が目に入った。
 ずっと探していた昔読み終わった本だ。

魔王「こんなところに!」

 本棚と本棚の隙間にそれはあった。
 おそらくは本棚の上に乱雑に置いたため、落ちて隙間に挟まったのだろう。
 

371: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:52:33.51 ID:EC1AXxp6o

魔王「もう一度読みたいと思っていたんだ」

 それは人間が書いた本だった。
 内容は、王様が詐欺師に騙されて裸で町を練り歩くというものだった。

魔王「いやあ、良かった」

 本を手に取り開く。
 ぱらぱらと捲り、ページが欠けてないかをチェックして1ページから目を通していく。
 

372: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:53:01.81 ID:EC1AXxp6o

魔王「うふふ……ふふ」

 思わず含み笑いをしてしまった。
 この話しは面白い。

魔王「どっこいせっと」

 ベッドに腰をかけて楽な体勢を取る。
 本を読むときはきちんとした姿勢をするよりも、こうして体を崩して楽な格好で読むに限る。

 その方が頭に入るし、楽しめるのだ。
 

373: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:53:29.27 ID:EC1AXxp6o

魔王「……」

 気付けば熱中し、読みふけっていた。
 そう分厚い本じゃない。

 一冊丸々読んでもそう時間はかからない。
 けれどわたしには悪癖があった。
 

374: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:53:56.23 ID:EC1AXxp6o

 本を繰り返し何度も読んでしまう癖だ。
 時間を置いて読むのは当然として、読み終わった本をその場で繰り返し読んでしまう。

 だって、面白いものはどのタイミングで読んでも面白いのだから仕方がないじゃないか。
 人間たちのユーモアは素晴らしい。センスの塊だ。

 何度繰り返し読んでも面白い。
 

375: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:54:23.47 ID:EC1AXxp6o

魔王「ふふ……」

 片手でページを捲り、余った手で昨晩の残り物。
 ビスケットを口に運ぶ。

 完全にベッドに横たわり、足をぷらぷらと前後させながら本を楽しんだ。

魔王「はあ……楽しかった」
 

376: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:54:52.45 ID:EC1AXxp6o

 ──パタン。

 何度目の再読が終わってからだろうか。
 わたしは本を閉じた。

 そして、時計に目を配る。

魔王「……」
 

377: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:55:20.15 ID:EC1AXxp6o

 時間が止まった。
 決して本当の時が止まったわけではない。比喩だ。

 わたしの感じている世界が一瞬止まったのだ。
 認識できなかった。

 その時計の針が示す時刻を、わたしは知らない。
 今は朝であるはずだし、今日は休日のはずだ。

 にも関わらず、時計は正午過ぎを指差している。
 

378: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:55:54.25 ID:EC1AXxp6o

魔王「……」

 えっ。何時間? 何時間が経過しているの?
 ちょっとよくわからない。

 ぐるぐるぐるぐる。
 脳が変な回転をし始める。もはや空転だ。空回りしている。

 空回りしてもなにも思い浮かぶことはない。
 思考停止の現実逃避に他ならなかった。
 

379: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:56:20.93 ID:EC1AXxp6o

 ──コンコン!! コンコン!!

 逃避中のわたしを、無愛想な音が現実に引き戻した。
 扉がノックされた音だ。

 良い予感はしない。
 従者であればこのような大きい音を出すノックはまずしない。

 で、あれば。
 答えは一つだ。
 

380: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:57:00.71 ID:EC1AXxp6o

大臣「魔王様? そろそろ玉座に就いていただく時間でございますが」

魔王「……」

 言葉が出ない。
 ああ、わたしはガーゴイルになんと言って休みを貰うんだっけな。

 思い出せ──そうか。
 まだ考えてる途中だったな、そう言えば。

381: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:57:29.89 ID:EC1AXxp6o

大臣「ちゃんと起きて服を着ているではありませんか」

魔王「あ、ああ……」

大臣「私はてっきり、昨日は真面目な話をしたから疲れて今日は休むとでも言い出すかと思っていましたよ」

魔王「……まさか、な」

大臣「大変申し訳ありません。杞憂でしたな。ささ、謁見の間に参りましょう。今日は少しばかりお時間が押しております」

魔王「ああ、すまない」

大臣「問題はありません。毎日決まった時間を玉座で過ごされれば良いのですから」

魔王「……」
 

382: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:57:57.20 ID:EC1AXxp6o

 1日3時間。
 何時から座れ、と言う規則はない。

 けれど、朝と夜はあまりよろしくない。
 朝も夜も従者隊がばたばたと動き回り城を掃除したり、あるいは城内の魔物に食事の配膳などを行っているからだ。

 必然、正午前後から夕方までの3時間が業務時間となる。
 そして現在の時刻は正午過ぎ。

 なんとも……なんとも……。
 

383: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:58:23.79 ID:EC1AXxp6o

魔王「……」

 ガーゴイルに背中を押され謁見の間に足を運ぶ。
 もうだめだ。

 休日所ではない。
 今さらガーゴイルに言い出せないし、この時間から休息だと言い出してもなんだか気分が良くない。

 ああ、わたしの馬鹿め。
 大馬鹿者め。

 なんて愚鈍で、タイミングが悪く、意志薄弱で、決行力がないのだ。
 この失敗を噛み締め、教訓としよう。
 

384: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:58:53.48 ID:EC1AXxp6o

 次はない。
 次はないからな。

 絶対だ。絶対に次は休息を楽しんでやる。
 何時になるかはわからない。

 だけれど、わたしは決めたぞ。
 この次こそは休息を楽しむのだと。
 

385: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 01:59:21.44 ID:EC1AXxp6o

 その為には今のうちに理由を考えておかねばならないな。
 言い淀みなく、スラスラとガーゴイルにそれを吐き出せるように。

 これでしばらくの間は玉座にいる合間、ぼーっとせずに済む。

 言い訳の台詞を考えなければならないのだから。
 

386: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 02:02:31.33 ID:EC1AXxp6o



……。
…………。
………………。
 
 
 

387: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/01(日) 02:03:39.77 ID:EC1AXxp6o

 ──翌日。

 布団の中で目を覚ました。
 気分は良くない。

 理由は勿論、昨日の休日計画失敗にある。

魔王「はあ……今日はどうするかな」

 布団の中で思いをめぐらす。
 まだ朝も早い。

 今なら言い訳も考えられるだろうし、真面目なことを考えるにあたって心構えも作れる。


1:魔王城内で部下と話すか。わたしはあまり部下と話してこなかったからな、こう言った活動も必要だろう。


┠─ 1:たまには真面目にガーゴイルと話すか。

┠─ 2:素直になってスキュラに料理を教えて貰おう。

┠─ 3:アラクネがパンツを献上すると言っていたな。

┗─ 4:スライム娘たちと話してみるか。労働環境で不満などあるかもしれない。


2:今日も“四王”について真面目に考えよう。


┠─ 1:☆ 一度リッチに会った方が良いだろうか。

┠─ 2:獣王・ベヒモスについて考えるか。

┠─ 3:龍王・ヨルムンガンドについて考えるか。

┗─ 4:魔人王・アルカードについて考えるか。


3:ええい、道草を食っている場合ではない。兄姉をなんとかせねばなるまい。

┗─ 1:長兄の問題を処理する。


4:だめだ。どうにも疲れているようだ……。

┗─ 1:☆ ガーゴイル! わたしは休む、休むぞお!


魔王「そうだな……>>391にするとしよう」
 

391: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北陸地方) 2012/04/01(日) 02:45:40.13 ID:tMkSaO/AO
3-1

396: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:54:27.85 ID:L1XCP4z6o
 

魔王「決めた」

 玉座に腰を下ろし、そう言い放ったのは午前中のことだった。

大臣「はい?」

 石化していた大臣が何事かと口を開く。
 決めた。わたしは決めたのだ。

魔王「今日中に厄介ごとを一つ片付けるよ」

大臣「……魔王様?」

 大臣はわたしがなにを言ってるのか理解出来ないのだろう、首を傾げている。
 

397: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:55:03.23 ID:L1XCP4z6o

 わたしは今朝、妙に早く起きてしまった。
 と言うのも昨日は休日にする予定だと言うのに、色々な事柄が重なって休めなかった。

 悔しかった。
 どうにかして休日が取りたいわたしであるが、どうにも取れそうにない。

 少しだけ早起きして、ベッドの中であれこれと考えてみた。
 よくよく考えればガーゴイルが許しを出すはずないのだ。

 なにか……そう。なにか余程のことを成し得ないと休日を申請しても受理してもらえないのじゃないかと。
 つまり魔王の。わたしを悩ませる種を一つ解消して「お疲れ様です魔王様」と言う道筋を作ってやれば良いのだ。
 

398: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:55:32.85 ID:L1XCP4z6o

 目下のところ悩みと言えば休日がないことなのだが、それはもう良い。
 考え方のベクトルを変えよう。

 わたし個人の悩みではなく、魔王としての悩み。
 ううむ……わたし個人と魔王は切っても切れぬ縁なのだから、結局のところわたしの悩みでもあるのだけれど。

 ああ、面倒くさい。
 魔王の悩みと言ったってあれなのだ。世界征服を止めたと言って賛成しない輩が多い────。
 

399: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:56:04.82 ID:L1XCP4z6o

 そうか。
 それがあった。

 ベッドの中で名案が浮かぶ。
 ちょっと疲れそうだけれど、この問題を一つ解決したならばきっとガーゴイルも休息日を認めることだろう。

 布団から勢いよく飛び出し、わたし専用の魔王服へと袖を通す。
 いつもより数時間早く謁見の間に顔を出し、玉座へ腰掛けたのが数分前。

 わたしは本日執り行う魔王の業務をガーゴイルに告げたのだった。
 

400: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:56:31.15 ID:L1XCP4z6o

魔王「兄様──長兄の問題を解決する」

大臣「おお……なにか、妙案でも浮かんだのですか?」

魔王「うん。直接に兄様の城へと出向き、わたし自らが話しを付けよう」

大臣「なっ」

 ガーゴイルの嘴が大きく開いた。
 驚いたのだろう。
 

401: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:56:59.52 ID:L1XCP4z6o

 昔からの魔物からすれば、魔王自らが動くことなどありえないことなのだ。
 魔王とは玉座に座り、魔王城に根差す。

 魔族の象徴であり誇り。
 そのシンボルとでも言える魔王が、自身から配下である魔族の城へと足を伸ばすなど考えられないのだろう。

 確か、以前にそう言った話を聞いた覚えがあった。

魔王「大臣。わたしは決めたのだ」

大臣「魔王様!」
 

402: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:57:33.13 ID:L1XCP4z6o

 口調はゆったりと。揺ぎなく。
 確固たる決意を相手にわからせるように、しっかりと。

 ガーゴイルよ、わたしは決めたのだ。
 今からしっかりと“魔王モード”な口調にしておかなければいけない。

 最近は気を緩めると、ついつい素が出てしまい口調がだらけてしまっていた。
 先日、サキュバスが来城した時にキツく注意されている。

 この大臣は石で出来ているくせに、口が柔らかい。
 告げ口をしたのだ。

 そのせい(お陰?)で、最近では口調がしっかり安定していると思う。
 ところどころ怪しいところもあるが、それはもうね。“魔王モード”になって気を張っていれば大丈夫だろう。
 

403: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:57:56.31 ID:L1XCP4z6o

魔王「大臣。わたしは行くぞ」

大臣「魔王様……」

魔王「大甲竜《ダイコウリュウ》を呼べ」

大臣「……」

魔王「なにをしている。わたしは命令を送ったはずだが、復唱が必要か?」

大臣「ハッ。仰せのままに……」
 

404: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:58:23.61 ID:L1XCP4z6o

 謁見の間から出て行く大臣。
 よし、成功だ。

 いつもだったら口やかましく色々といちゃもんをつけてくるであろう大臣だが、わたしの演技……ではなく“魔王モード”にしてやられたようだ。
 真面目に顔を作って、ほんの少し魔力を発散させて……疲れるけれど、これが一番魔王っぽいのだろう。

 やれやれだ。
 

405: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:58:49.86 ID:L1XCP4z6o


 ─ 魔王城 大平原 ─


 程なくして現れた大甲竜。
 巨大な甲羅を背負う翼竜の一種。

 その巨体と、堅牢な甲羅を買われて代々魔王の乗り物として愛玩されている。
 背の甲羅を削り座席としているそれは、すわり心地すら良くないものの鉄壁の防御力を誇っていた。
 

406: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:59:17.20 ID:L1XCP4z6o

魔王「大臣。お前も行くか?」

大臣「当然でございます」

魔王「……無理をしなくても良いよ。結果によっては宜しくないことが起きるかもしれない」

 一瞬。大臣の心境を考えてしまった。
 やはりわたしは捻くれている。
 

407: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 20:59:44.63 ID:L1XCP4z6o

大臣「なにを仰いますか。ささ、お手をお引きします」

魔王「……うむ」

 ガーゴイルに手を引かれて大甲竜へと乗り込んだ。

 ふう。
 心遣いは無用らしい。

 では遠慮なく、わたしの邪な願いのために付き合ってもらおうか。
 わたしは再び魔王の仮面を心に被った。

 結局、わたしも魔族なのだ。
 

408: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 21:00:11.44 ID:L1XCP4z6o

魔王「出発だ」

大臣「ハッ」

 魔王と大臣を乗せた大甲竜はゆったりとその巨体を浮上させ、兄様が居を構える城へと進路を取った。
 

409: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 21:00:41.17 ID:L1XCP4z6o


 ─ 長兄の城 ─


 その城は高山の麓に建てられていた。
 元は大魔王の別荘だったもので、長兄が王位争奪戦に敗れた後に自らが座す居城として現魔王から受領した城である。

 “四王”の領地ではなく、区分で言えば魔王直属の土地。
 王位を得えることが出来なかった一族は大手に振舞うことも出来ず、こうして魔王領で暮らすしかない。

 長兄は全てが気に入らなかった。
 自身が魔王になれなかったこと。末の、出涸らし同然の妹が魔王になったこと。

 まだ幼かった頃、自身の教育係であり魔界屈指の実力者であったガーゴイルが大臣になり、今や出涸らしの配下になっていること。
 全てが気に入らなかった。
 

410: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 21:01:16.77 ID:L1XCP4z6o

長兄「チッ……」

 思わず舌が鳴る。
 苛立ちが隠せなかった。

長兄「石像!」

石像「ハッ」

 長兄が座る椅子の隣には石像が立っていた。
 ガーゴイルではなく、人間のそれに近い形状をしている。
 

411: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 21:01:45.39 ID:L1XCP4z6o

 実力も“魔王城 大臣 動く魔像”の足元にも及ばない雑魚モンスターである。
 自身の右腕である配下がこのレベルのモンスターであることにも腹が立っていた。

 気に食わない。
 なにもかもが気に食わない。

 大魔王の長男であり、幼少時から最高の教育を受けてきた。
 将来は魔界を背負い覇道を歩むはずだった。

 末の妹により全てが瓦解した。
 

412: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 21:02:17.02 ID:L1XCP4z6o
 
長兄「あの小娘が魔王城を出たのは誠なのか!」

石像「ハッ。正午には到着する予定だと連絡が入っております」

長兄「……なにを考えているッッ」

 長兄は魔族らしい魔族と言えた。
 教育係はあの大臣である。

 昔ながらの考えが根幹にあった彼からすれば、末妹である現魔王の行動は全てが理解出来なかった。
 世界征服の中止など論外。

 魔族の存在理由すら否定しそうな命令を出してきたのだから、憤怒せずにはいられなかった。
 

413: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 21:02:50.14 ID:L1XCP4z6o

長兄「ガーゴイルめ……なぜ止めない……」

 今回の、魔王来城もそうである。
 本来であれば魔王が、兄妹とは言え自らが出頭するなどあってはならない行為。

 来城をするにしても、幾重にも話し合い日程を決め、段取りを決める。
 ある一定の地位に立っている者であれば当たり前の手順である。

 それを魔王は全てを無視して己が行動を行っている。
 許しがたい行為だった。
 

414: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 21:03:17.06 ID:L1XCP4z6o

長兄「(どうするつもりだ……どうするつもりなのだ……)」

 相手は魔王。
 実力の程は体が覚えている。

 全てが理不尽に感じるその絶対的な力。
 まるで父親と対峙しているかのような威圧感を末の妹は保有していた。

 自身には受け継がれなった力。
 20年も生きていない小娘が持つには過ぎた力だった。
 

415: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 21:03:54.30 ID:L1XCP4z6o

長兄「間違っている……あれは魔王の器ではない……」

 ギリリと歯軋りをした。
 どう言葉を紡ごうにも頭の中を上滑りしていく。

 わかっていた。
 古い、昔からの教えを叩き込まれてきた長兄は理解している。

 純粋なる力こそが魔界の長たる魔王には必要なのだ。
 自分にはそれはがなく、末妹にはそれがある。

 それ故の苦悩が彼を襲っていた。
 

416: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 21:04:31.34 ID:L1XCP4z6o

長兄「力が……俺に力さえあれば……」

 腹の底からの唸り。
 もうしばらくすれば、魔王が来城する。

 突然の訪問。
 きっとそれは、長兄が何度も何度も「世界征服中止」に対する反抗状を送ったからだろう。

 そうしなければいけないと思ったし、そうすることで自らが健在であるとアピールしていた。
 けれど、まさか魔王自らが来訪するとは夢にも思っていなかった。
 

417: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 21:04:58.12 ID:L1XCP4z6o

 相容れぬ考えを持つ魔族が顔を突き合わせるとき。
 やることは一つだった。

長兄「まさか……まさか……」

 長兄の脳裏には、自身の体が粉々に砕け散る様がありありと浮かんでいた。
 

418: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/02(月) 21:05:31.89 ID:L1XCP4z6o

つづく。

書け次第、また来ます。ありがとうございました。

426: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:32:02.76 ID:jXkgTSPNo
 


 ◇

 魔王と、その長兄の会合はなにもかもが突然だった。
 突然に「今からそちらへ行く」と連絡を入れられ、魔王である末妹が来城する。

 末妹の意図はわかっていた。
 お互いの意見が平行線である以上、魔族である彼等がとる道は一つ。

 闘うほか、他に解決策などなかった。
 

427: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:32:57.58 ID:jXkgTSPNo


 ─長兄の城─


石像「魔王様が到着なさったようです」

長兄「わかっている。大甲竜の姿はここからでも確認できている」

 誰が見てもわかるような報告をする石造に腹が立っていた。
 この城は魔王城よりも吹き抜けが多い。

 長兄が腰を下ろしている謁見の間からは、360度。
 そして天空にもぽっかりと穴が開いていて見通しがよかった。

 その座から飛来する大甲竜の姿を見逃すはずもない。
 そしてなにより恐ろしく、不愉快なことに末妹の魔力を彼はすでに感知していた。
 

428: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:33:24.80 ID:jXkgTSPNo

長兄「……」

 やはり、と思う。
 あの小娘は普段から魔力を発散させるような真似はしない。

 どちらかと言えば常日頃は気を張らず、魔力放出を嫌う気があるほどだったと長兄は記憶していた。
 そんな小娘であり末妹であり、自らの主である魔王が魔力を発散させながらこの城へと向かっている。

 予感が確信へとかわっていく。
 

429: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:33:52.98 ID:jXkgTSPNo

長兄「(やはり……やはりか……)」

 あいつは。
 あの小娘は、魔王は。


 ──俺を殺しに来たのだ。
 
 

430: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:34:42.39 ID:jXkgTSPNo


……。
…………。
………………。
 
 

431: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:35:18.42 ID:jXkgTSPNo

魔王「やあ兄様。随分と久しい気もするけれど、お互い息災でなによりです」

長兄「お……お久しぶりです、魔王様」

 長兄は魔王の口ぶりに困惑していた。
 現魔王は彼の妹であるが、この魔界の元首たる魔王である。

 たとえ家族兄妹の関係だとしても、魔王とその配下の関係なのだから妹の口調はもっと魔王たるものであるべきなのだ。
 にも関わらず、魔王の口ぶりは兄妹のものとしている。

 意図が読めない。
 なにを考えているのかわからない以上、迂闊なことは出来ない。

 彼は妹の挨拶に対して、配下として返答した。
 

432: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:35:41.05 ID:jXkgTSPNo

魔王「嫌だな、兄様。そんな口調はまったくもって似合っていない」

長兄「ご冗談を……」

 汗が頬を伝う。
 似合っていない。と言うのであれば、自身を鑑みてはどうだと長兄は思った。

 その抑え切れていない魔力はどうしたのだと。
 普段は黒い瞳が、赤らみを帯びているのはどう言った訳なのだと。

 もちろん、そう言った思いは全て胸の内に秘め押さえ込んだ。
 生物であれば早死にしたいと思う者は少ない。
 

433: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:36:08.15 ID:jXkgTSPNo

長兄「ああ、それより立ち話もなんでしょう」

 場所は謁見の間。
 赤い絨毯の上で双方が対面していた。

長兄「石像。椅子をもってこい」

石像「ハッ」

 後ろに控えていた石像に命令を飛ばす。
 魔王の後ろに立っていたガーゴイルの椅子も用意させようかと迷ったが、それは飲み込んだ。

 ガーゴイルにそう言った物が必要ないことを彼は熟知していた。
 それでもその思考が過ぎったのは、今やガーゴイルが彼のお守ではなくこの魔界の大臣と言う立場に就いていたからだった。
 

434: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:38:24.35 ID:jXkgTSPNo

魔王「いい。石像、椅子はいらないよ」

 椅子を持って来ようと足を動かした石像に声をかけたのは魔王だった。

魔王「わたしはここで良い」

 そう言って絨毯へ乱雑に腰を下ろした。
 後ろではガーゴイルが溜息を吐いている。

 長兄は意味がわからなかった。
 

435: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:38:50.66 ID:jXkgTSPNo

魔王「兄様はどうぞ玉座に。この城は兄様のものだ、であれば城主が玉座に座るのは当然でしょう」

長兄「……」

 末妹はふてぶてしく赤絨毯の上で胡坐をかいている。
 足の隙間から覗く部分に肌着はなく、衣装の下にはなにも着てないことがすぐにわかった。

 馬鹿にしているのか。
 こちらの反応を伺っているのか。

 例えば下着を穿いてないことを指摘するのは不敬だと称して、無理矢理に処罰するつもりなのか。
 無茶苦茶だと彼は内心で首を振るった。

 結局、その事柄は無視をして玉座に腰を下ろす。
 

436: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:39:17.13 ID:jXkgTSPNo

長兄「……」

 玉座に座る長兄と、その眼下で絨毯に座る魔王。
 妙な光景だった。

長兄「此度は一体どのようなご用件で……?」

 喉はカラカラだった。
 どう話題を切り出して良いものかもわからず、いきなり核心に触れるような言葉を吐いてしまう。

 そしてやはり、兄としてではなく魔王の配下らしい口ぶりを選択した。
 

437: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:39:43.81 ID:jXkgTSPNo

魔王「いきなり本題か……兄様らしいと言えば、らしい」

 お互いが無言になる。
 石像とガーゴイルは双方が石化をし、主たちの邪魔をしないようにしていた。

魔王「では……兄様。あなたの意見が聞きたい」

長兄「意見、とは?」

魔王「書状では目を通しているけれど、やはり生の声を聞いておいた方が良いと思って」

長兄「具体的にお伺いしても?」

魔王「腹の探り合いはよそう。わたしは「世界征服をやめる」と言った」

長兄「……」

魔王「兄様と、それから一番上の姉様はこれに反対だと何回か書状を送ってきてどうしようかと頭を悩ませていた」

 そう言うと魔王は懐に閉まっておいた手紙を取り出した。
 数は5通ほどであった。
 

438: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:40:38.55 ID:jXkgTSPNo

魔王「発令してからそれほど時間も経っていないと言うのに5通も」

長兄「それは──」

魔王「──こんな物は意味がない」

 そう言い切って手に持つ手紙を全て燃やし尽くした。
 魔王の掌で墨と化す手紙。

 燃えさかる炎の色は黒。
 魔王の操る炎は黒く、込められた魔力、温度共に魔界最高峰のものである。
 

439: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:41:06.01 ID:jXkgTSPNo

 いまこの場でそのような物を見せる必要はない。
 となれば意図があるはずだ。

 手紙とは即ち長兄。
 それを燃やし尽くした黒炎。

 お前などいつでも消し炭に出来るのだと言う魔王のアピールなのだろうと長兄は受け止めた。
 そしてそれは実際にそうであった。

 魔王はそうすることでさっさと話を先に進めたかった。
 長兄の内心など露知らず、面倒事をさっさと片付けて部屋に戻りたいと思っていたのだった。
 

440: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:41:55.08 ID:jXkgTSPNo

長兄「……」

魔王「さあ、兄様。理由をお聞かせ願おう」

長兄「……」

 どうする。どうする。
 長兄はプレッシャーに圧し潰されそうになっていた。

 魔王は来城前からその巨大な魔力を零れさせている。
 対面してからの威圧感も半端じゃなかった。
 

441: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:42:21.42 ID:jXkgTSPNo

 石像は石化しているから大丈夫なのだろうが、もし通常の状態で今の魔王と対面していたら直ぐにプレッシャーで潰されていただろう。
 それほどの圧力を今の魔王は発散していた。

 瞳の色も真紅とは呼べないまでも、薄っすらと赤みを射している。
 相手を怯えさせるには充分な脅迫道具であった。

 無理矢理に口を開き、長兄は言葉を捻り出した。
 

442: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:43:01.69 ID:jXkgTSPNo

長兄「お……私は、魔界のことを思って……」

魔王「“俺”で良いですよ」

 続けて。と促す魔王。

長兄「世界征服とは……魔族にとってやらねばならぬこと……」

魔王「それは種として?」

長兄「無論……」

 長兄は俯いていた。
 もはや魔王の、末妹の瞳を見ることは出来ない。

 見てしまえば圧力に飲まれ、なにも発言できなくなってしまう。
 

443: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:43:41.77 ID:jXkgTSPNo

魔王「わたしにはそれが理解できない」

 顔を伏せながら長兄は続けた。
 ポツリポツリと独白するように話し始める。

 その口調は段々と長兄らしいものになっていった。

長兄「魔族の本能とは闘争。我々の種の根幹にはそういったものがある……」  

長兄「そして種によっては人間と言う動物を主食。エネルギーとしている者もいる」

魔王「例えば?」

長兄「吸血鬼どもがそれに当るだろう……。やつらは人の血や精を糧としている」

魔王「人間の血液じゃなければダメなのだろうか。例えば、牛や豚や鳥。そう言った種類の血では活動が出来ぬと?」

長兄「出来るだろう。が、味はよろしくない」

魔王「可能ならば問題外だ。彼等を旗本にして反対とする理由にはならない」

長兄「生活のレベルを落としてまで人間を断つ理由はない。やつらは幾らでも増える」

魔王「そうか……やはり、そう言った考えなのでしょうね。兄様も、姉様も」

長兄「……」
 

444: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:44:03.71 ID:jXkgTSPNo

 魔王の聞きたかったことはそこにあった。
 魔族として種の根幹たる闘争。

 その闘争相手として人間を選択し、勝者の権限によって肉を得る。
 肝心なのは、人間の血肉を摂らなければ死ぬということはないことだった。

 ただ、美味いから。
 そしていくら暴飲暴食しようとも枯渇することのない資源としてみている。
 

445: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:44:42.54 ID:jXkgTSPNo

 長兄からすれば、人間界を征服し、統制したいのだった。
 彼等は知性がある。

 牛や豚ではない。
 完全に統制できるのであれば、これほど優れた家畜はいない。

 人間を飼育し、増やし、畜生として利用する。

 まだ父である大魔王が生きている時分、長兄がそう言った理想論を説いていたことを魔王は思い出した。
 魔王はその時からその話しが滑稽だと思っていた。
 

446: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:45:21.16 ID:jXkgTSPNo

 なにが種としての闘争だ。
 結局は腹いっぱい飯を食いたいだけではないか、と。

 矛盾している。
 人間を闘争の相手としているのに家畜化だと?

 完全に家畜化してしまえば闘争など起こるはずもない。
 これは、知性ある昔ながらの魔族によく起こる矛盾の一つだった。

 ふう、と溜息を吐く魔王。
 会話は途切れている。
 

447: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:46:02.11 ID:jXkgTSPNo

長兄「魔……いや、妹よ」

 長兄の口調は完全に元に戻っていた。
 そして段々と顔を上げ、魔王の顔を直視するまでに至っている。

 恐怖心を拭いきれた訳ではない。
 ただ、言わなくてはならない。兄である自分がこの狂った思考を持つ魔王を矯正せねばならないと考え始めていた。
 

448: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:46:34.82 ID:jXkgTSPNo

長兄「考え直すのだ。魔族にとって人間界の征服は絶対だ、なくてはならない」

魔王「……」

長兄「そうだ、これからは俺も手伝おうじゃないか。正直に言って妹に魔王の座を奪われ、俺も色々と考えるものがあった」

魔王「……」

長兄「けれど我々は兄妹だ。家族だ。手を取り合おうではないか」

魔王「……」

 魔王は語らない。
 ただただ長兄の吐く言葉を吟味していた。
 

449: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:47:10.77 ID:jXkgTSPNo

長兄「長女も俺と同じような考えを持っているはずだ。アレにも手伝わせよう」

魔王「……」

長兄「だから妹よ。世界征服をするのだ、父の成し得なかった業を子の我々が果たす──」


魔王「──わたしは、魔王である」


長兄「の……だ……」
 

450: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:47:40.25 ID:jXkgTSPNo

 長兄の演説を区切るようなタイミングであった。
 しっかりと、はっきりと。

 一種の覚悟を秘めた発声。
 長兄の城に来城して、初めて魔王が魔王らしい口調を長兄である配下に向けて差し向けた。

魔王「長兄よ。魔王であるわたしは命令を下した」

長兄「な……」

魔王「世界征服はやめる、と」

長兄「……」

 長兄の口は完全に塞がった。
 そして、視線も魔王の瞳に釘付けになっている。

 魔王の瞳は真紅に染まっていた。
 

451: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:48:16.65 ID:jXkgTSPNo
魔王「魔王であるわたしはそう命令したのだが……」

 ゆっくりと立ち上がる。
 長兄から見れば小柄な体型である魔王の体が何倍にも大きく見えた。

魔王「これ以上の話し合いは平行線だろう。了承できないのであれば仕方が無い。」

長兄「……」

魔王「貴様の好きな“種としての根幹”に根付く“闘争”とやらで話しを決めようではないか」

長兄「……」

 長兄の顔色からは血の気が完全にうせていた。
 魔王の放つ魔力は先ほどから比べると段違いに増している。

 ただただ垂れ流しにしている魔力がピリピリと肌を刺し痛く感じるほどに。
 背中は冷たい汗でびっしょりと濡れていた。
 

452: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:48:58.23 ID:jXkgTSPNo

魔王「どうした。座ったままが趣味なのか?」

長兄「……」

 長兄は動けない。
 言葉を失っている。
 

453: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:49:54.41 ID:jXkgTSPNo


 魔王は右腕を天高く突き上げた。

 空が呼応し、黒雲立ち込める。
 
 魔界の空はその一角だけが真っ黒な雲に覆われた。

 地が響き、辺りを大きく揺らし始めた。

 全てが魔王の魔力に共鳴し、唸りを上げている。
 

454: ◆H7NlgNe7hg 2012/04/06(金) 03:50:38.51 ID:jXkgTSPNo

長兄「そ、そんなものを……」

 そんなものを放てば、この城もろとも消えてなくなってしまう。
 そう発言しかけた長兄を他所に、魔王は魔力を爆発させた。

 空が爆ぜる。

 黒雲からは極太の雷撃が柱となり、地を削った。
 削られた大地からはマグマが噴出し、柱となった。

 その雷と焔の柱は城に直撃することなく、城を囲むように放たれた。
 吹き抜けから見える辺り一体が地獄と化す。

 絶え間なく続く雷と焔の挟撃。
 それはまるで虎のアギトのように無慈悲なものだった。