1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:09:48.46 ID:Kmma+OEM0
 ケンタウルスだとか、スフィンクスだとか、人の頭をしているくせに胴体が動物である……という魔物であったりモンスターであったりはファンタジー小説で頻繁に扱われるジャンルです。

 世の中にはそういったもの達を愛する人も少なからずいるようです。



 現在私の住んでいる日本という国はとても不思議で不気味で、悪く言ってしまえば変 的な国です。獣の耳やシッポは彼等にとって萌えの対照となるようでした。

 そんな噂を聞いて私は日本へ引っ越してきたのでした。

 

 何度も引越しをしているので古いほうの記憶は曖昧なのですが、私は様々な国を渡り歩いていました。

 日本の前はアフリカの奥地、人のあまり近寄らない場所に一人で暮らしていました。

 しかし、人の開拓心というのは感嘆させられるほど激しいものでした。

 私の住居はすぐに見つかり、私は猟銃を持った男達に追いまわされることになったのです。引越しを決意しました。


引用元: 牛系男子「……隣の空き室に人が引っ越してきた。」 



2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:10:54.30 ID:Kmma+OEM0
 何処の国にも変わり者はいます。日本も例外ではありませんでした。



 私は九州のとある県庁所在地に住むことになりました。変わり者は私の姿を見て驚いたようでしたが、それでも笑って住居を手配してくださいました。

 ありがたいことです。

 非開拓地に住んでいた私にとって道路が舗装され、ビルが立ち並ぶそこは充分に都会だったのですが、どうやら首都在住の人にとっては田舎街であるそうです。

 私は一人暮らし用のアパートの一室に住むことになりました。

3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:11:41.49 ID:Kmma+OEM0
 変わり者が月末か月の初めに大量の食糧を届けてくださるおかげで外出をする必要はありません。

 困ることがあるとすれば、NHKの集金と宗教勧誘の訪問ぐらいでした。

 居留守の達人になりました。



 引き篭もりのような生活が続きました。電気のない環境で暮らしていた私にとってエアコンは未知の技術であり、テレビなどは最初見たときに腰を抜かしてしまいました。便利な生活でした。

 そんなぬるま湯に浸かるような生活に変化が訪れたのは引っ越してから一年後の春のことでした。

4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:12:33.40 ID:Kmma+OEM0
 最近騒がしいとは思っていたのですが、どうやら隣に誰かが引っ越してくるようでした。別に困ることはありませんが、良い人で、尚且つご近所付き合いを嫌う人であってくれと私は願います。

 引越しを終えた翌日、チャイムが鳴りました。お隣さんに違いない、私は慌てます。

「すみません、誰かいませんか?」

「いませんよ」

 私は小さく囁いて布団に包まります。



 チャイムの主は随分と執拗な人物らしく、数分玄関の前に気配を感じました。

 私はあせっていました。思い出したのです……今朝早く変わり者が訪問したのですが、彼が帰った後、鍵を閉めるのをうっかり忘れていました。つまり鍵は開いています。

 悪い予感は的中し、がちゃりと音を立ててドアが開いてしまいました。



「あれ、空いてる。無用心だなぁ……何かあったのかな?」

 どうやら女の子のようです。

 彼女は無遠慮に私の部屋にあがりこみました。

「失礼しまーす」


5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:13:25.09 ID:Kmma+OEM0
「あの……」

 2LDKの部屋です。彼女は私が蹲っている部屋にまで入り込み、毛布の塊を見つけます。もちろん塊の正体は私です。大きな男が毛布に包まっているのです。

「大丈夫ですか!! 怪我してるんですか? 病気ですか!?」

 彼女は全く見当違いな推測をし、無理矢理私の毛布を引き剥がしました。



「見ないでください」

「あれれ?」

 視界が開け、私は彼女の顔を見ることが出来ました。モデルになれそうなほど美人というわけではありませんでしたが、平凡な顔は家庭的で優しい印象を私に与えます。

 彼女はもともと丸い目を大きく見開いて、更にまんまるにしていました。当然です。

 私の顔を見てしまったのでしょう。私の尻尾を見てしまったのでしょう。



「コスプレかな?」

「コスプレです」

 私は咄嗟に嘘を吐きます。

6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:14:29.89 ID:Kmma+OEM0
 何故なら私の顔が醜いからです。何故なら私の顔がおかしいからです。何故なら私はおかしいからです。誤魔化すために嘘を吐きました。

 私の部屋には鏡がありません。私は鏡を嫌うからです。

 はっきり言ってしまえば鏡に映る自分の顔が嫌いだからです。

 

 私の顔は牛でした。

 牛のような不細工な顔ではなく、比喩表現でもなく、牛なのです。



 私の腰からは牛の尻尾が生えています。牧場で見るようなあれです。

 猫耳でも、犬耳でも、狼の耳でも、猫の尾でも、犬の尾でも、狐の尾でもなく、牛です。

 黄土色の柔らかい毛並みをした牛です。

 乳牛に近い顔をしていると自負しています。



「牛だ」

「牛です」

「すごい、本物みたいだ」

「痛いです」

「痛い?」

 耳を引っ張られ、うっかり口を滑らせてしまいました。


8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:16:13.96 ID:Kmma+OEM0
 いつ産まれたのか、どこで産まれたのか、誰から産まれたのか、憶えていません。

 物心ついたときから私は牛頭の男として一人で、隠れるように生きてきました。



 長い寿命を誇ってはいますが猟銃で心臓を貫かれれば死にます。

 脳味噌をぶちまければ死にます。

 どこの国にもいる変わり者達のおかげで生きてきたようなものでしょう。

 

 目の前にいる彼女はどちらだろうか? と考えます。

 私を見世物にするために捕まえる、もしくは殺そうとするのか。

 私を恐れて叫び、逃げるのか。もしくは攻撃するのか。

10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:17:13.95 ID:Kmma+OEM0
「牛頭のあなた、お名前は?」

「……ポストに名前があったはずですが、今は田中と名乗っています」

「はじめまして田中さん、私は○○だ」



 彼女は名前を名乗りませんでした。

 名字を名乗ったのですが、日本語を覚えたての私には少し難しく長い名字でしたので憶えることはできませんでした。

 ですから私は彼女を「書生さん」と呼ぶことにしました。大学生だと名乗ったからです。

11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:18:15.13 ID:Kmma+OEM0
「書生さん」

「古めかしい呼び方だ、けど気に入ったので良しです」



「私を動物園にでも連れて行きますか?」

「田中さんって可愛らしい響きではないから……パンダとかコアラとか、可愛らしい名前にあなたが改名したら連れて行くことに決めました」

「変わった人ですね」

「よく言われます。褒め言葉だと受け取るようにしてます」



 私はアフリカで生活していたときに使っていた名前を彼女に明かすまいと心に誓いました。

13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:19:56.45 ID:Kmma+OEM0
「田中さんは個性的だ。私は田中さんとお友達になりたいです」

「私と友人にですか」

「駄目ですか?」

「駄目だというわけではありませんが、こういう展開になったのは初めてなもので」



 どうすればいいのか戸惑っていたのです。

 しかし書生さんは笑って私の頭を撫でました。



「私、牛好きなんですよね」

「牛好きですか、珍しいですね」

「そうかな? もっさりとした動きが好きって人、けっこう多いと思いますよ? 農業高校とかに行けば人気爆発だ!」



 こうして私と書生さんは友達になりました。

14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:21:10.27 ID:Kmma+OEM0
 大学が始まってからも彼女は定期的に私の部屋を訪れています。

 私は基本的に灰色の上下のジャージ姿でテレビを観賞していたり、変わり者から貰ったパソコンを使ってインターネットの匿名掲示板を覗いたりしています。

 書生さんが来るとその作業を中断し、彼女にコーヒーを出すのです。



「田中さんのコーヒーは美味しい」

「それはどうも。自炊をしていますから、それなりに料理全般は上手いのです」

「食べたいなー」

「それでは今から早い夕食にしましょうか。少し待っていてくださいね」

「いやったーーー!!」

15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:22:13.24 ID:Kmma+OEM0
 あまり待たせるのも悪いと思い、私は肉とピーマン、たまねぎなどを適当に炒めたものと白米を出すことにしました。

 質素ですが、簡単なレシピです。

 同じ皿から取り分けるのは女子大生が嫌がるかもしれない。

 気を利かせて二つの皿に炒め物を分け、それを彼女の前に置きました。



「いただきます」



 両手を合わせて食べ始めます。

 しかし書生さんは一向に箸が進まないようでした。

 不思議そうな、困ったような表情をして私と炒め物を交互に眺めています。

16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:23:12.37 ID:Kmma+OEM0
「これは豚肉かな?」

「はい。お嫌いでしたか?」

「とんでもない、好きですけど……田中さん、牛肉も大丈夫ですか? 豚はやっぱり違うのかな?」

「……」



 彼女の言いたいことが分かって私は爆笑してしまいました。

 腹筋が痛くなるほど笑ったのは久しぶりです。



 笑う牛は不気味でしょう。

 書生さんは少し頬を膨らませて私を睨んでいました。

17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:25:27.27 ID:Kmma+OEM0
「気を遣ってくれたんですか」

「笑いすぎだ」

「大丈夫ですよ、私は牛肉が大好きです。肉の中では一番好きで、黒毛和牛は大好物です」

「共食いだー」

「友人から同じことを言われました」



 友人というのは変わり者のことです。

 書生さんは少し変わっているので、思考回路が変わり者に似ているのかもしれない……私は最近そう思うようになっていました。

18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:28:21.86 ID:Kmma+OEM0
 私がぽつりと洩らした友人という言葉が気になっていたらしく、書生さんは次に訪ねてきたとき真っ先にその話をしました。



「田中さんのお友達はやっぱり個性的なのかな?」

「友人という表現は適切ではなかったかもしれませんね。私にとって信頼できる人といえばその人だけなので……恩人といったほうが正しいかもしれません」

「猫耳だ」

「違います。書生さんと同じ人間ですよ、性別の違いはありますが」

「会いたいな」

「会えますよ。月末にまたお越しください」



 書生さんは目を輝かせて頷き、約束どおり月末にもきっちりと私の部屋を訪れました。


19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:29:55.72 ID:Kmma+OEM0
 台風が直撃していたせいで変わり者の到着は少し遅れているようでした。

 携帯電話に登録している唯一のアドレスから連絡がありました。

 それを書生さんに報告すると、書生さんは何故か怒り出して私の携帯を奪い取りました。



 十分ほどして帰ってきた私の携帯にはアドレスが一つ増えていました。

 彼女の本名で登録されていて、名字ではなく名前で入っていました。

 私はそこで彼女の名前を知ったのですが、何故だか少し恥ずかしくて呼ぶことはしません。



「田中さんはその人と会う前はどうしてたのかな?」

「色々な国を隠れて渡り歩いていましたよ。こう見えて腕っ節は強いんです……野生の中でも生活していける自信はありますよ」

22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:31:04.23 ID:Kmma+OEM0
 下半身を持たないせいでバッファローのような頭突きは出来ないのですが、二足歩行という点を生かして木に登ったり道具を使ったり、弱点を補って生きてきたのです。



 それなりに辛い経験もあったのですが、それは彼女に話すべき内容ではないでしょう。

 書生さんはとても純粋で良い人間なのです。



 私を捕獲しようとした人間の話を聞かせたくはありませんでした。

 人を突き殺した話などしたくありませんでした。



「秋葉原なんかで堂々としていれば売れそうですけどね」

「猫耳とかならばともかく、牛の頭をした男はどうでしょう? せめて牛耳とか、牛の尻尾だけとかなら過ごしやすいのですが」

23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:32:35.68 ID:Kmma+OEM0


 首から上が全て牛となれば隠すことも出来ない。

 牛の頭をした私は萌えの対象にはならないだろうと、私はそう踏んでいました。



「妖怪ファンとかならどうだろ?」

「妖怪ですか、牛頭というやつですか?」



 日本の古い文化にはあまり詳しくはないのですが、海外にもそういったモンスターの話はありました。



「田中さんは件だと思うんです」

「件?」



 聞いたことの無い名前でした。

25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:33:22.48 ID:Kmma+OEM0
 書生さんから色々と説明を受けたのですが、結局のところどうなのかは本人にも分からないのです。

 ですから誰にも分からないのです。



 しかし書生さんがあまりにも熱心に話すので、私は自分が件であると思うことにしました。

 これから先、あなたは何なのか? と訪ねられたときには件と答えることにします。



 実益のない雑談を続けているとチャイムが三度鳴りました。

 彼の合図です。


26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:35:24.47 ID:Kmma+OEM0
「おいおい、彼女か? お前もやるなぁ」



 出迎えをした私と書生さんを見て変わり者は、下品なかんじの笑みを浮かべました。

 

 軽薄な物言いをすることで隠していましたが、

 彼は私に友人が出来ているということに驚いているようでもありました。



「書生さん、こちらが変わり者さんです」

「どうも、○○です」



 彼女は名字を名乗ります。



「どーもどーも、俺は匿名希望で頼むわ」



 変わり者は名前を私にも明かしたことがありませんでした。

 黒い、少し癖のある髪をしていて人間の中ではかなり美形なほうに入るはずです。

 彼が私のように動物の顔を持つとすれば、力強く賢いシャーマンシェパードでしょうか

27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:36:20.11 ID:Kmma+OEM0
 私は変わり者を招きいれ、三人分のコーヒーを淹れます。

 その間、変わり者は書生さんを質問攻めにしていました。



「お嬢さんは牛とどういう関係なんだ?」

「隣人です」

「へぇ、隣人ってだけで仲良くできるもんなのか。あいつ見たとき驚かなかったか?」

「驚きました」

「驚いたくせに一緒にいるのか、お嬢さんも変わり者に違いない」

「あなたもですよ、変わり者で、田中さんのお友達で、良い人です」

「良い人……ねぇ」



 変わり者は書生さんの発言に考え込んでしまいました。


29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:38:43.05 ID:Kmma+OEM0
 そんな二人の前に私はカップを置きます。

 変わり者のコーヒーには書生さんの三倍ミルクを入れてあります。

 おかげでカフェオレのようになってしまいました。



「田中、今月分の食糧は冷蔵庫の中ぶち込んどいたから。それから、通帳にも先月と同じように入金しといた、電気代とか諸々はそっから引かれるはずだ。あとは……ほれ」

「?……これはなんでしょう?」

「金だ」

「金です。見れば分かりますよ。制度を変えたんですか?」



 変わり者からの援助で私は生活をしていますが、今まで全ては現物支給でした。

 通帳は私が持っているし暗証番号も知っていますが、銀行にいけないので意味がありません。

 現金を手にしたのはそれがはじめてでした。

 変わり者が現金を手渡してきたのもそれがはじめてでした。

30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:40:18.96 ID:Kmma+OEM0
 封筒の中には一万円札が十枚入っています。



「お小遣い。折角彼女が出来たんだからたまにはデートしろ、でぇと」

「彼女って、ガールフレンドの意味の?」

「お嬢さんは田中の彼女なんだろ?」



 てっきり否定されるが怒り出すと思ったのですが、書生さんは頷いてしまいました。

 私は驚いて声も出ません。

 書生さんは牛の彼氏が良いのでしょうか?



「ほらな? ま、楽しくやれよ。お前のことを受け入れてくれる娘だ。珍しいし……少なくとも俺よりは確実に良い人だ」



 書生さんの考えていることが目に見えてしまえばいいのに。

 人の気持ちが理解できずにもどかしいと感じるのは初めてでした。

 
32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:44:09.22 ID:Kmma+OEM0
 私は書生さんの顔を見ることが出来ず、俯いていましたがやがて逃げるように席を立ちます。



「台風ですから、変わり者さんは一泊していってください」

「お、助かるわ」



「……書生さんは好きなだけいていいですけど、変わり者さんには気をつけてくださいね」

「がってん!」



 背中に変な汗を掻いてしまっていました。

 シャワールームに逃げ込み、しゃがみこんで頭を抱えます。

 角が手の平に当たって少し痛い。

 顔が真っ赤だろうと想像できました。


33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:45:17.69 ID:Kmma+OEM0
 田中さんがシャワールームに逃げるように去った後、しばらく変わり者は笑っていた。

 だがやがて笑みを引っ込め、真剣な眼差しを私に向けてくる。



「田中は良い奴だろう?」

「良い人です。少し変わってますけど、ずっと人間らしいです」

「それが分かるならお嬢さんは充分だ。田中と一緒にいてやってくれ……俺だけが外部との関わりだってのも寂しい話だからな」

「あなたはどうして田中さんを援助しているんですか?」

「んー?」



 疑問に思っていたことだった。

34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:46:23.90 ID:Kmma+OEM0
 あの容姿では田中は働くことが出来ないだろう。

 話を聞く限りでは変わり者から生活費を出してもらっているようだった。



 電気代にガス代、水道代に家賃……全てを合計すればかなりの総額になるはずだ。

 赤の他人にほいほいと渡す金額ではないはずだ。



「それ、聞きたいのか?」

「聞きたいです」

「田中じゃなくて俺の話になる。たいして面白くもない話だが、それでもいいのか?」

「はい」



 信じないだろうけど……と前置きしてから変わり者は喋りだした。

35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:48:31.31 ID:Kmma+OEM0
「俺、何やってるように見える? 職業な」

「……ホスト……か、モデル」



 変わり者は苦笑した。

 容姿を褒められるのに慣れている笑い方だった。



「殺し屋だ」

「嘘」

「本当さ。どうだ? 浪漫溢れる職業に聞こえるだろ?」

「浪漫には溢れていませんけど、まあ……フィクションちっくな職業ではあります」



 目の前の男は飄々としていて、笑みを絶やさない。

 とても人を殺して生きているような人種には見えず、彼の言っていることが真実であるのならば

 人を信じられなくなりそうだ。



「単独でやってるわけじゃなくてな、偉ーい偉ーーい人の下で働いてんだ。きっとお嬢さんもテレビか何かで見たことがあるはずさ、名前は出さないけどな」


36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:51:12.49 ID:Kmma+OEM0
 捕まるリスクを背負っているから給料は良いのだと変わり者は笑った。



「これで時代劇の中に出てくるような……かっこいい殺し職だったら言うことなしだったんだけどな。

 残念ながら世の中殺されるのは悪人ばかりじゃない。むしろ、弱くて良い奴らばっかり殺してきた」



 彼の雇い主は随分と狡猾な人種だったらしい。

 私は黙って彼の話を聞いた。

37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:52:23.90 ID:Kmma+OEM0
「俺はなんというか……嫌になった。良い奴らが不幸な目に遭って、俺や俺の雇い主みたいに最低な野郎が金を稼ぐ現状が嫌になった。

 罪悪感的なもんかもな」

「……それで、田中さんに」

「そう、偶然田中に会ったんだ。牛の頭をしたみょうちくりんな人間だったからびっくりしてな……話してみたらかなーり良い奴だった。でも変わった容姿に生まれたせいで人並みに暮らすことができてなかった。

 俺から見れば不幸な奴だった」



 だから彼の援助を始めたのだと変わり者は締めくくった。

39: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:53:49.05 ID:Kmma+OEM0
 変わり者は未だに援助を続けている。金が有り余っているのだろう。



 ということはつまり、殺し屋を続けているということであった。



 ということはつまり、金のために誰かが死んでいるということであった。



 ということはつまり、田中が生活するために誰かが死んでいるということであった。



 ということはつまり、誰かが死ななくては私は田中に会えなかったということであった。



 なんだかとてもやるせない気持ちになって、私は溜息を一つ吐く。

 変わり者を憎む気持ちも嫌悪する気持ちも湧かなかった。



 世の中はこういう理不尽なことがあるから嫌になるんだ……と思った。


41: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:56:32.89 ID:Kmma+OEM0
 変わり者は書生さんが気に入ったようで、通常であればすぐに立ち去るところを、しばらく私の部屋に居座るようになりました。

 賑やかで私としては大歓迎です。

 あの衝撃的な日以来、書生さんが私の部屋を訪れる回数は増えました。

 どうやら私たちは恋人になったようでした。

 

 牛の恋人なんて不憫だ、と私は何度も彼女を説得しましたが、書生さんは見かけによらず頑固者でした。

 仕方なく私たちは恋人としての生活をはじめます。

 

といっても、隣人時代とあまり変わりはありません。

 ただ一緒にいる時間が心地よくなりました。



 何度か外出もしました。

 彼女にとっては買い物程度でしょうが、私にとっては大冒険でした。



 免許を持っていた変わり者には感謝しています。

 私は常に車の後部座席に座り、時折ガラスから外を眺めるのです。

 書生さんは駐車場のある店ばかりを選んでくれました。



 いつの間にか変わり者は私の部屋に住み着き、書生さんは自分の部屋に戻る回数が少なくなっていました。

 変わり者の出かける頻度も少なくなっていました。

42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:57:45.70 ID:Kmma+OEM0
「収入は大丈夫なんですか? 田中さんが生活できなくなったら困ります」

「そこは俺の心配をして欲しかったなぁ……ま、大丈夫だ、貯金あるし。

 仕事をしたい気分でもないから断ってる。後が怖いけどまぁ大丈夫だろ」



 変わり者は笑って答えました。お金持ちなようです。


43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 20:59:04.67 ID:Kmma+OEM0
 彼女は大学を無事卒業しました。

 県内の企業に内定ももらえたようで、まさに順風満帆といった様子で毎日にこにこしています。

 彼女が笑っていると私も嬉しいので笑います。

 二人が馬鹿のように笑っているのを見て変わり者も笑います。



 変わり者はすっかり仕事には行かなくなり、最近はコンビニなどにバイトに出ているようでした。

 お金がないのかと尋ねると違うと返って来ます。



 ただ人と触れ合う機会が欲しいからバイトをしているのだと笑っていました。

 彼の笑いが昔より軽いものになっているような気がして、安心します。



「もう書生さんとは呼べませんね」



 変わり者がバイトに出ている昼下がり、私は彼女に言いました。

45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 21:00:17.37 ID:Kmma+OEM0
 卒業を終えた彼女はもう学生ではないのです。



「その妙な呼び方、ずっと気になってた」

「嫌でしたか?」

「嫌じゃなかったけど……少し妙だから」

「妙?」

「私、田中さんに名乗ってますよね?」



 私は黙り込んでしまいます。確かに彼女の名前は知っていました。

 アドレス帳には未だ変わらず二件のみ、変わり者と彼女の本名が登録されています。

 あの時は単に恥ずかしくて呼べなかっただけなのですが、今となっては違うようにも思えました。



 きっと過去の自分は今、大切なときに彼女の名前を呼べるように呼ばなかったのです。



「……○○、結婚しましょう」

「……結婚かぁ」

「結婚です」

「結婚したら何か変わるのかな? 恋人になった時は何も変わらなかった」

「結婚しても何も変わらないでしょう。だけど、したいんです」

「そうかぁ」



 彼女は嬉しそうに笑いました。

 今まで見た中で一番嬉しそうな笑みでした。



 私も笑います。牛なりに必死で笑います。

 少しでも穏やかに見えるように、少しでも彼女の目に綺麗に映るように、努力して笑います。



「そうです、結婚しましょう」


46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 21:01:20.45 ID:Kmma+OEM0
 一つ、問題がありました。

 私は結婚ができないのです。

 なぜならば世の中に認知されていない存在だからであり、世の中に認められていない存在だったからです。

 結婚を申し込もうと決意したとき、私はこの問題に突き当たりました。

 そして私なりに結論を出していました。

47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 21:02:30.07 ID:Kmma+OEM0
「○○、私は外に出たいと思います」

「外に出る?」

「はい、隠れず、おおっぴらに。

 昔○○が言ったように、ここは秋葉原ではないですが、

 私は猫耳の萌えキャラではありませんが、それでも飛び出してみたいと思っています」

「きっとニュースになる」

「報道されて有名になればこっちのものです。私は語ります、あなたのことを、私のことを。私があなたをどのように愛し、どんなに愛しているか。

 結婚を望んでいることも全て」

「全国中継の惚気話だ」



 子供のように彼女は笑いました。

48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 21:03:41.36 ID:Kmma+OEM0
「それで人権を、戸籍を掴み取るんです」

「田中を支援する会とか出来そうだ」

「田中擁護会です。きっと上手くいきますよ。

 時間はかかるかもしれないですけど……

 結婚指輪を買う資金がなかったので稼ぐまでの時間つぶしとして丁度いいです」



 定期的に変わり者から受け取っていたお小遣いは使わずに貯金してありましたが、

 結婚指輪は自分で稼いだお金で買いたいという願望がありました。



「ですから、それまで待っていてくれませんか?」



 恐る恐る私は頼み込みます。

 彼女が待ちくたびれてしまうかもしれません。それが唯一の不安でした。

50: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 21:04:34.97 ID:Kmma+OEM0
「何年でも待ちます」



 最高の言葉を口にしてから彼女は私に突進しました。

 牛を嘗めてもらってはこまります。

 持ち前の体躯を生かして彼女を抱きとめました。



 私達は笑いあいます。

 これからもきっと、笑いあいます。


52: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 21:05:37.18 ID:Kmma+OEM0
 待てども待てどもあの人は帰ってこなかった。

 豪雨だった。

 びしょぬれになりながら帰宅したのは変わり者だった。



 彼はぎらぎらとした恐ろしい目をしていて、昔に逆戻りしてしまったようだった。

 昔よりも酷いかもしれない。

 変わり者は帰宅してすぐに飛び出して行ってしまったが、数分後にメールが入った。



 件名はなかった。

 少し長めの文章が綴られていた。

54: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 21:06:15.58 ID:Kmma+OEM0
「ごめん

 足を洗ったつもりだったけど

 これから初めて私情で仕事をする

 おかしい 嫌になる おかしい

 どうして良い奴ばかりが不幸になるんだ

 俺は許せなかった」

56: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 21:07:33.20 ID:Kmma+OEM0
 何のことだろうか?

 私は意味の分からないメールを何度も何度も読み返した。

 何故だか涙が出てきた。

 とても悲しかった。

 やるせなかった。

 

 世の中はこういう理不尽なことがあるから嫌になるんだ……と、

 私は一つ溜息をつき、それから泣いた。

 

57: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/07(日) 21:08:35.80 ID:Kmma+OEM0
 奇病の患者か突然変異か



 ○○県○○市で昨日十五時十二分頃、新種と思われる動物が発見されました。

 発見した近隣住民の通報により○○県警が駆けつけましたが、猟銃を所持していた住民の一人にすでに射殺されていた状態で発見されました。

 猟銃を所持していた男の話では「突然襲い掛かってきた、護身のためにやむをえなかった」とのことで、射殺された亡骸は回収され研究が進められる模様です。

 なお住宅街に現れた動物は胴体が人間、頭が牛の形をしており、○○大学を含む研究機関は奇病を患った人間である、突然変異の哺乳類である、という二つの観点から検査を進めていくようです。