2: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:34:40 ID:I4K
「プロデューサーって結婚はしないの?」

「はい? 急にどうしました?」

 今日の握手会、ファンの子に私は結婚しないのかと尋ねられた。アイドルだからって誤魔化したのだけれど、私も結婚してもおかしくはない年齢であるのは事実だ。友達も何人か結婚してるしね。

「今日ね、ファンの子に聞かれたの。『はぁとちゃんは結婚しないんですか?』って。それでちょっとね」

 私だって結婚願望くらいはあるのだけれど、アイドルをやっているうちは結婚は無理だろう。結婚を隠すって事もできるかも知れないけど、それは応援してくれるファンを裏切る事になると思うし。

 私がアイドルである以上、結婚は夢のまた夢なのだろう。

引用元: 佐藤心「夢の終わりに新しい夢を」 



3: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:35:08 ID:I4K
「『アイドルだから』って答えたんだけど、実際さ……私も結婚してもおかしくない年齢じゃん? それで同世代はどう考えてるのかなーって」

「それは俺に聞くより同世代の女性に聞いた方が良いんじゃないですか?」

「男性側の意見も大事だろ☆」

 プロデューサーは『なるほど』と呟くと車のエンジンをかけた。運転席に居るプロデューサーの顔ははっきりとは見えず、ルームミラー越しになんとなく顔が見えるだけ。

 事務所に向け車を動かし始めると車内に響くのはカーステレオから流れるラジオの音。プロデューサーも私もしばし無言のままだ。

「……機会があれば、とは思います」

 なんとなく手持無沙汰で外を眺めているとようやくプロデューサーが答えてくれた。仕事ばかりの人だけど結婚も考えてはいたんだ。ちょっと意外な気がする。

「今は仕事が忙しくて彼女作る暇もないですし、なかなか難しいなとは思っているんですが、いつかは結婚したいとは思ってます」

4: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:36:18 ID:I4K
「なんでって聞いても大丈夫?」

 なんで結婚したいのって聞かれても困るだろうから一応断りを入れておく。じゃあ聞くなよって頭の片隅で冷静な私が言っているけど。

「あんまり言いたくないんですけど、実は好きな人が居るんです」

「え……?」

「やっぱり好きな人とは一緒になりたいですし、もしもその人が応えてくれるなら……結婚したいなとは思ってます」

「そう……なんだ……」

 プロデューサーからの衝撃的な解答に頭が混乱しているのがわかる。スラスラ言葉が出てこない。まさかプロデューサーに好きな人が居るなんて思いもしなかった。

「告白……とかはしないの?」

「……仕事が忙しいですし。難しいですね」

「……そっか」

 あぁ、嫌な女だな。私。プロデューサーが誰かと付き合うとか結婚するとこなんて見たくない。私のモノじゃないのに、私だけのモノにしたいなんて。そんな私の身勝手は許されるはずがないのに。

 それでもプロデューサーがその『誰か』とすぐにどうこうなる気はしないってわかってちょっと安心してしまった。

5: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:36:57 ID:I4K
「じゃあはぁとが売れっ子アイドルのうちは難しそうだね」

「あはは……。ですね。心さんはこれから先もずっと売れっ子アイドルですから、俺は結婚する事なく終わりそうです」
「……これから先もって☆ そんな保証はないだろ☆」

 ちょっと元気が戻って来たのがわかる。ぎこちないけどいつもの調子で軽口が叩けるようになってきた。

「心さんですよ? 売れっ子に決まってますよ、引退するまでずっと。なにせ俺の自慢のアイドルですから」

「ふふ♪ ありがと☆」

 ……私が売れ続ければ、この人はずっと誰かのモノにはならない。それなら私は今まで以上に頑張らなきゃいけない。

 好きな人を誰かに渡したくないから。

 外にはどんよりとした嫌な雲が広がっていた。



6: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:37:51 ID:I4K


「あー……」

 自宅に帰って来た私はベッドに倒れこんだ。着替えてメイク落とさなきゃ。私はもう結婚してもおかしくない年齢なんだ。10代の頃とは違う。このままじゃ肌の調子が悪くなる。

 わかってる。わかってるんだけど……。

「……ほんっとに私って嫌な女だ」

 帰りの車内でのプロデューサーとの会話を思い出す。

 なんとなくプロデューサーは私といつまでもずっと一緒に居てくれる気がしていたのだが、そんなのは都合の良い自分の妄想に過ぎなかった。

 そりゃプロデューサーも結婚を考えてもおかしくない年齢だし、良いご縁があれば結婚だってありうるだろう。うちの事務所にだってプロデューサーを狙ってると思しき人もちらほら居るし。

 それにアイドルはもちろんの事、ちひろちゃん筆頭に事務所のスタッフだって器量よしが揃ってる。アイドルとプロデューサーがってなると世間体が悪いと思うけどスタッフならなんの障害もない。

7: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:38:25 ID:I4K
「……ちひろちゃんかなぁ」

 枕を抱きかかえながら事務所での二人の様子を思い出す。二人でバリバリ仕事をこなす様は以心伝心、一心同体でお似合いにも思える。

「トレーナーさん達の誰かでもおかしくはないか……」

 レッスンの時とか親し気に話してるし、レッスンプログラムの相談とかで頻繁にやり取りをしているっぽいし。もしかしたら私達アイドルよりも密に連絡を取っているのではないだろうか。

「……はぁ。考えても仕方ないか。お風呂はいろっと」

 プロデューサーの好きな人。それがわからなくてはジタバタしたところで手も足も出ない。

「好きな人、か」

 口にしたところで誰かが教えてくれるわけではないのだが、内側にため込んでおいても良い事なんてひとつもない。外側に出しても良い事はないのだけれど。

 ベッドから起き上がると窓の外に雨粒がぶつかるのが目に入った。私の顔が映った窓ガラスの向こう側で雨が流れ落ちていった。



8: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:38:54 ID:I4K


「最近の心さん絶好調ですね」

「当然だろ☆ はぁとはプロデューサーの自慢の担当アイドルだしね♪」

 あの日以来、私は絶好調だ。もちろん今までだって絶好調だったけど、それ以上に。飛ぶ鳥どころか飛行機だって撃ち落とす勢いでお仕事をこなしている。ライブにテレビにモデルに雑誌グラビアにラジオにと。休む暇がないくらいにお仕事を詰め込んでいる。

「さすが『しゅがーはぁと』です。俺も鼻が高いですよ」

「だろ♪」

 私の売れっ子ぶりにプロデューサーも喜んでくれているみたいで一安心。プロデューサーも私に合わせて休み暇がないのは可哀想だなとも思うけど、私のためにも我慢してもらわなきゃいけない。

 私が売れっ子ならプロデューサーは私が一人占めできるから。

 他の誰かに目がいかないように、私だけを見てくれるように。私はこれからずっとずっと頑張り続けなければいけない。

9: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:39:36 ID:I4K
「でも無理はしないでくださいね。身体壊したら元も子もないですから」

「大丈夫大丈夫☆ だってはぁと、若いし? おい☆ なんで笑うんだよ☆」

「はははっ! すみません! そうですよね、心さんは若いですから!」

 うん。これなら大丈夫だ。プロデューサーは私の前で笑ってくれている。それだけで私はもっと頑張れる。この人の側に居られるなら私はまだまだ頑張れる。

 私だけのモノにできないなら、せめて少しでも長く私と一緒に居て欲しいなんて。……本当に嫌な女だな、私。

 自嘲気味に笑うのを悟られないように、しゅがーはぁとって仮面をしっかりと被る。私の身勝手がバレないように。お日様の下に引きずりだされないように。

 今も眩しく輝く太陽はいつか私のこの仮面を溶かしてしまうのかも知れない。どうかその時がもっともっと先でありますように。



10: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:40:12 ID:I4K


 あれから何年も何年も経った。がむしゃらに頑張って来た年月はあっという間だった気もするし、とてつもなく長かった気もする。止まる事なく必死に走り続けた。

 でも、もう限界みたいだ。

「……プロデューサー」

「はい」

「私……もう無理だと思う」

 ダンス中に足がもつれる事が増えた。歌も高音に伸びが無くなったし声量も落ちた。見た目だって昔に比べると衰えが随所に見られる。

 誰かに直接指摘されたわけじゃないけど、自分自身の事だ。誰よりも自分が一番わかっている。

 あの頃、一緒にアイドルをしていた子はほとんど居ない。今もアイドルを続けているのは私を含めてもあとは菜々先輩だけ。女優だったりタレントだったり、トレーナーやスタッフとしてなら事務所に居るけども。

「これ以上『しゅがーはぁと』を続けるのは無理だと思う……」

 私の唯一の武器の『しゅがーはぁと』がなければ私はプロデューサーを繋ぎ止めておくこともできない。でももう私には『しゅがーはぁと』を続けるのは無理だ。私の理想の全てを詰め込んだ『しゅがーはぁと』は綺麗なままで終わらせてあげたい。

 それが私のアイドルとしてのせめてものプライドだから。

11: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:40:51 ID:I4K
「……そう、ですね」

 本当は『そんなことないですよ』って言ってくれるのを期待していた。私はまだまだアイドルとしてやっていけるって言ってほしかった。

「うん……」

 いい歳してみっともないけど、涙が堪えられない。我慢しようとしても溢れてくる。

 私の夢だった『しゅがーはぁと』をずいぶん長い間、私のわがままに付き合わせてしまった。好きな人に見ていて欲しいなんてわがままに私の夢を利用していた罪悪感で胸がいっぱいになる。

 でも私には『しゅがーはぁと』しかなかったから……。

「ごめん……! ごめんね……! うぅっ……! ごめんなさいごめんなさい……!」

 私は何に謝っているのだろうか。『しゅがーはぁと』にだろうか。ファンにだろうか。プロデューサーにだろうか。

 自分が楽になりたくてただ謝罪の言葉を口に出しているのなんてわかっている。それでも……それでも私は……。

12: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:41:19 ID:I4K
「謝らないでください」

「でもっ……! 私はプロデューサーを誰かに渡したくなくて……! いろんなものを利用して……。そんな私の事なんて……誰も……好きになってくれない……」

 こんな私の事を誰が好いてくれるのだろうか。私の身勝手に多くのモノを巻き込んで。『しゅがーはぁと』なら好かれたかもしれない。でも『佐藤心』では誰も好いてはくれない。

「心さん。俺は楽しかったですよ。心さんとずっと一緒に居られて」

「え……?」

 プロデューサーは私の手を取ると、昔よりもずっと老けた顔で優しく微笑んでくれた。

「昔、好きな人が居るって言ったのを覚えていますか?」

「……うん」

 忘れられるわけがない。あの日から私はこの人を自分のものにしたくてなりふり構わずがむしゃらに働いていたのだから。

「仕事が忙しくてずっと言えなかったんです。本当はずっとずっと言いたかったんですけど、やっと言えます」

 それは……私がずっと聞きたかった言葉でもあった。

13: 名無しさん@おーぷん 21/01/11(月)03:42:02 ID:I4K
「心さんが好きです。俺と結婚してください」

「……私、もうおばさんだよ」

「それなら俺もおじさんです。丁度いいと思いませんか?」

 もう何年も経つ。あの頃に比べて髪も白くなり皺が深くなってしまったけど、私が好きな彼は今も昔も何も変わらない。

「『しゅがーはぁと』でもなくなっちゃうし」

「心さんが好きなんです。もちろん『しゅがーはぁと』も好きですけど。心さんが好きなんです」

 ポロポロと涙が溢れて止まらない。さっきとは違う涙が溢れて止まらない。

「私も……あなたが好きです」

 私が長い間、心の奥底にしまい込んでいた想いを告げると、彼は満足そうに頷いてくれた。

「……私と結婚してください」

「はい」

 すっかりと老いてしまったけど、私の想いは今も昔も変わらない。好きな人とずっと一緒に居たい。ただそれだけ。

 どちらからでもなく顔が近づいていく。暖かなぬくもりを確かに感じられる。一緒に夢を見続けてくれたこの人とならきっともう大丈夫。私が迷ってしまう事はないだろう。二人でならもう大丈夫。

 暖かな陽だまりの下で二人一緒に夢を見よう。夢の終わりに新しい夢を。いつまでも幸せな夢を。

End