幼女とトロール その1  

幼女とトロール その2

366: ◆EhtsT9zeko 2015/04/07(火) 03:03:08.51 ID:QXw+ytSIo




 「人間ちゃん、あった?」

「うーん、わかんない…これは違うよね?」

「それはランのお花だよ。でも、トロールの絵に似てるね」

「うん、そっくりなんだけどねぇ…その、なんていうかトロールさん、絵があんまりうまくない、っていうか…

 この絵だけじゃよくわからない、っていうか…」

「あー…だよねぇ…」

私が広げて眺めた羊皮紙を妖精さんもそんなことを言って覗き込んでくる。

 そこに描かれているのは、まるで小さな子どもが描いたみたいなお花の絵。

いや、私もまだ十分だ子どもだけど、さすがにもう少し上手に描けるんじゃないかな…

 そんなことを思いながら、私は羊皮紙を畳んでポーチにしまって

「とにかく、頑張って探してみよう。このあたりにあるはずだ、ってトロールさん言ってたし」

「うん、そうだね!」

私が言うと妖精さんはキュッと表情を引き締めてそう言い、パタパタと原っぱを飛んでいった。

 私たちは、お城から歩いて一刻ほどはなれたところにある小高い丘の中腹にいた。

 昨日、竜娘ちゃんの救出に協力して欲しいとお願いした魔導士さんは、しばらく無表情で宙を眺めてから、最後にはため息混じりに私に言った。

 「ウコンコウと言う、魔界原産の花の種を革袋いっぱい用意しろ」

 お花の種だなんて、最初はちょっとキョトン、としちゃったけっど、思い返せば魔導士さんはあのお城に住むってことだけで、

あれだけ大勢の人間相手に戦おうとしてくれた人なんだ。

もちろん、お姉さんとの関係、って言うのもあったとは思うけど…

とにかく、そのお花の種、っていうのは、魔道士さんにとってはお姉さんとの約束に少し違反してしまっても

私に手を貸しても良いと思える位のものだったんだろう。

 ウコンコウっていうのがどんなものかは私も知らないけど、もしかしたら、魔法の薬とかそういうものを作るための材料なのかもしれない。

 魔導士さんと話をしたときに一緒にいた妖精さんはそのお花のことを知らなかったから、私たちはお城の図書室に行って図鑑を調べて回った。

でも、その名のお花は図鑑のどこにもない。困り果てた私は、懲りずにサキュバスさんに聞いてみることにした。

 事情を話したサキュバスさんは、また難しい顔をしたけど、それでもいつも料理に使っている調味料のターメリックが魔界ではウコンって名前なんだ、と教えてくれた。

それからさらにサキュバスさんは

「植物のことなら、大地の妖精様に聞いてみるのが早いかもしれませんね」

とひらめいたよう言って、私をハッとさせた。

 大地の妖精のトロールさんなら、知っているかもしれない!

 そのことに気がついて、私たちは少し興奮しながらまだ夕方前で眠っていたトロールさんの部屋を訪ねた。




 

367: ◆EhtsT9zeko 2015/04/07(火) 03:04:08.40 ID:QXw+ytSIo

 トロールさんに話をすると、それはきっと「ボタンユリ」の花のことではないか、とあのゴロゴロ声で言った。

なんでも、ボタンユリは、ターメリックに少し匂いが似ていて、だからウコンコウ、つまり、「ウコン香」というのではないか、って。

 他に情報もなかったし、なによりトロールさんの話を聞いてきっと間違いないと思った私は、

そのお花の絵を描いてもらい、そしてどこに生えているかをトロールさんに教わった。

 そして、今、ここでそのウコンコウ、ボタンユリのお花を探している…んだけど。

あっちこっちにお花は咲いているものの、どれもトロールさんの描いた絵には似てないし、

そもそもこの絵がどれだけ本物に似ているのかわからないし、なにより、手がかりのターメリックの匂いもしない。

 私は探し始めて半刻ほどで、すっかり困ってしまっていた。

そもそも、生えている場所がここであっていたとしたって、今がお花を付ける季節じゃなかったらただの草と見分けがつかないかもしれない。

それに、お花の季節だとしたって、すぐに種が手に入るはずもない。

そのときは苗にして幾つか持って帰って魔導士さんに相談してみるつもりだけど、それもお花自体が見つからないことには、どうしようもない。

 でも、諦めるわけにはいかないんだ。もしかしたらこうしているあいだにも、竜娘ちゃんは辛い目に合わされているかもしれないんだ。

そう思ったら、探す手を休ませてなんていられないんだ。

 「んー、しっかし、兄ちゃんも兄ちゃんだよなぁ。本当は自分だって放っておけないって思ってるクセにさ」

 近くにあった岩の上に腰掛けてあたりを眺めていた十六号さんがそんなことを言っている。

昨日、ウコンコウがボタンユリという名前なんだ、ということを知った私たちのところに、心配をして来てくれた十六号さんは今日の護衛を買って出てくれた。

戦うのはそれほど得意ではない、って自分では言っていたけど、そのぶん、結界魔法やお姉さんと同じ転移魔法が得意なんだそうだ。

 一緒になって竜娘ちゃんのことを心配してくれているのもそうだけど、

それとは別に、私はまだ会ったばかりのみんなと仲良くできることが嬉しくて、十六号さんにお礼を言って着いてきてもらった。

 「大人って、いろいろ難しいんだよ、きっと」

私が言ったら、十六号さんは鼻で笑う。

「そういうの、みんな言うよな。兄ちゃん、昔はもっと無茶苦茶に暴れまわる人だったし、

 姉ちゃんももっといろいろスパスパっと決めてパパっと行動しちゃう人だったのに、いつもの間にかあれだもんな。大人になんかなりたくないねー」

十六号さんは昨日からずっとそんな感じで呆れっぱなしだ。でも、と言葉を挟みそうになって、私はやめた。

 お姉さんが向き合わなければならない問題のことはわかっているつもりだし、それが簡単なことじゃないってのも理解できている。

だけど、十六号さんが言っていることもよく分かる。

手続き、とか、順番、とか。大人って、難しい。
 

368: ◆EhtsT9zeko 2015/04/07(火) 03:04:35.72 ID:QXw+ytSIo

「でも、十六号さんは一番お姉さんに似てるよね」

「えぇ?あー、まぁ、嬉しいのが半分、複雑なのが半分かな、それ」

その代わりに私が言ってあげたら、十六号さんはそんなふうに言って苦笑いを浮かべた。その表情に、思わず私もクスっと笑顔になってしまった。

 十六号さんだけじゃない。みんなも、私と一緒の気持ちになって、竜娘ちゃんを助けよう、って言ってくれた。

だから、諦めたりなんてするはずないんだ!

 そんなことを思って意気込み、起き上がってあたりを見回したときだった。

色とりどりの花の中でも、なんだかとっても鮮やかで目立った色をした花が咲いているのが目に入った。

 遠めだけど、トロールさんが描いた絵に似ていなくもない…う、ううん、この絵は、とにかくあんまり当てにできないけど…

とにかく、行ってみよう。
 私は草を踏み分けてその場所まで足を運ぶ。

そこには、赤、白、黄色の色の三色それぞれの鼻を付けた小さなカップほどもある花を咲かせた植物がたくさん生えていた。

 硬そうなまっすぐの葉っぱに、花を支えているのは一本の茎。

そしてその上の花は、色濃く、大きく、なんだか私には、それが誰かの笑顔のように見えた気がした。

 その一本に鼻を近づけて匂いを確かめる。ふわりと、変な匂いがした。

こう、なんていうか、埃臭い、っていうか、ムワっと香る、変な匂い。見ている分にはきれいだけど、香りを楽しむ花ではないのかな。

 そういえば昔お父さんが、いい匂いのする花は虫を集めて花粉を運んで欲しいと考えている花で、

悪い匂いのする花は害虫を遠ざけるためにそんな匂いを出しているんだ、と言っていた。

 もし、その話がこの花に当てはまるのなら、やっぱり魔法の薬か何かの材料になるような気もするしならないような気もするけど…

いや、それは置いといて、匂い。

そう、この匂い…ターメリックに似てる!

「これだ!」

私は胸が弾む思いでそう声を上げていた。

「あったの!?」

「へぇ、どれだ?

妖精さんと十六号さんの声が聞こえて来るのも気にせず、私はあたりに群生してる花を見渡した。

つぼみのままのもあるくらいで、種をつけているのはないみたい。それなら、やっぱり苗にして持って帰るしかない、か…

それでも良いって、魔導士さん言ってくれるかな?

 そんなことを不安に思ったけど、それは考えても仕方のないことだ。きっとこの花に間違いないはず。

それなら時期を見て種を作らせることだってきっとできる。とにかく、これを持って帰ろう。

 「へぇ、これがそうなんだ?」

「わぁ、ずいぶんと派手なお花だね」

私の元に二人が駆けつけてきた。

「匂いもそうだし、ほら、トロールさんの絵に似てないこともないでしょ?」

私はポーチを開いて持ってきておいた革袋とシャベルを出すついでに、十六号さんにあの羊皮紙の絵を見せてあげた。
 

369: ◆EhtsT9zeko 2015/04/07(火) 03:05:01.52 ID:QXw+ytSIo

すると十六号さんは感心した様子で

「へえ、確かに特徴が同じだな!間違いないだろ!」

と声をあげた。

 うーんと、どのあたりの特徴が同じなんだろう?

ふと思い浮かんだ疑問を頭を振って払いのけ、目の前にあった花の根元を身長に掘り進めていく。

葉っぱの生え際から手の平ぐらいの範囲で土ごと掘り起こしてみると、そこには根っこではないなにかがあった。

 私は、それを知っていた。

 これ、球根だ!そっか、このボタンユリは球根でも大丈夫なんだ?増やすためには種がいるけど、花を咲かせるなら何度かはこのままでも大丈夫なはず。

お芋やオニオンなんかと一緒だ。

「あたしも手伝うよ」

十六号さんがそう言ってくれて、落ちていた木の棒で他の花の根元を掘り始める。

妖精さんはポーチから出した革袋の口を広げて、私がその中に苗を納めるのを手伝ってくれた。

 二人がそうして手伝ってくれたおかげで、ホンの少しの間に苗をとりあえず十個分、用意できた。

「とりあえずこれくらいで良いかな…あとは、帰ってこれでもいいか、って魔導士さんに相談しないと」

私はそう言って、十六号さんをチラリと見やった。彼女は私の言葉の意味をわかってくれたようで、ニコッと笑って頷き

「じゃぁ、つかまりな。お城までひとっ飛びだ!」

と言って手を伸ばしてくれた。

 その手を掴み、妖精さんが私の肩に捕まったのを確認した十六号さんは、小さな声で何かを唱えた。

 とたんに私達の周りにお姉さんが転移魔法を使うときとよく似た魔法陣が現れて、パパっと目の前が明るく光る。

 次の瞬間、私たちは、お城の中、あの暖炉の部屋にいた。

そこでは、サキュバスさんが十九号ちゃんと二十号ちゃんに、お昼の準備をしている最中だった。ほかの人の姿は見えない。

 三人は、いきなり私たちがあわられたものだから、少し驚いていたけど、私たちが抱えていたものを見て、サキュバスさんがらしくない 声をあげた。

「見つけられたのですね!」

「はい!最初はちょっと探しちゃいましたけど…」

「トロールの絵が、分かりづらかったんです」

「そうかぁ?よく似てるじゃないか、その花と」

私たちは三者三様の言葉を返した。
 

370: ◆EhtsT9zeko 2015/04/07(火) 03:05:41.15 ID:QXw+ytSIo

 「これで…魔導士様が、あの子を…」

サキュバスさんはそう言って、なんだが急に顔色を暗くした。

「その…やはり、大丈夫なのでしょうか?危険ではありませんか?」

そんな心配をするのは当然だよ思う。だって、その魔導協会ってやつらは、人を人とも思わないような方法で


お姉さんたちを閉じ込めるようなことをしていた人たちだ。危険がないとは思えない。でも、それでもなんとかしなきゃいけないことなんだ。

 「私、これで魔導士さんに相談に行ってみるね!」

私が言うとサキュバスさんが、心配げな表情を、なんとか真剣な力強い顔に戻して、黙って頷いてくれた。

 それから私は妖精さんと十六号さんを連れて部屋から出て、魔導士さんの部屋へと向かった。

 コンコン、とドアを叩くと、

「はいはいー」

と十四号さんの返事が聞こえる。しばらくして、ドアが開くとそこにはすでに魔導士さんが立っていた。

 「魔導士さん、これがそのウコンコウ…魔界では、ボタンユリって言うらしいです」

私はそう言って、魔導士さんにボタンユリを見せる。すると、あのいつも無表情の魔導士さんの口元が微かに緩んだように、私にはみえた。

 「なるほど…確かに、以前行商人から手に入れたものと同じだな。そうか、ボタンユリ、というのだな。調べてもわからないはずだ。

  あの行商人、適当なことをふかしやがって」

魔導士さんはそんなことを言ってから頭を振って、私たちに部屋に入るように促した。

「作戦会議だ。あいつをうまく言いくるめ方法を考えなきゃならないからな」

「はい!」

その言葉に、私はついつい、元気の入れすぎでそんな声で返事をしてしまっていた。




378: ◆EhtsT9zeko 2015/04/12(日) 01:07:16.71 ID:Q5ySpCZso



 お姉さんが怖い顔をして私たちを見つめている。さっきから、一言も離さないで、ずうっと腕組みをして、眉間に皺を寄せたままだ。

 緊張感が消えないけれど、それでも私は、お姉さんの目をジッと見つめ返していた。

 あれから私は、魔導士さんとお姉さんを説得する方法を考えた。

だけど、魔導士さんが言うには、無理やり押し通すしかないってことらしい。

それくらい、お姉さんは一度決めたら頑固になって、考えを変えるのは難しいだろう、って魔道士さんは言った。

 確かに、魔導士さんの話はその通りだと思う。

今まで私はお姉さんとそんな話をしたことはなかったけど、お姉さんは傷ついても、辛い思いをしても、頑なに魔族の人たちのことを思って諦めなかった。

南の城塞で司令官さんと話をしたときも、どんな言葉を投げかけられてもお姉さんは考えを変えたりしなかったし、

東の城塞で元の仲間だった剣士さんや弓士さんに言葉を聞き入れてもらえなかったときでさえ、

お姉さんはサキュバスさんや兵長さんが戦おうとすることを止めていた。

あんな状況でも、お姉さんはこれ以上の戦いを広げさせない、って強い思いが揺らがなかったんだ。

 もし、それと同じくらいの強い気持ちで私が王都の魔導協会っていうところに行くことを反対しているんだとしたら、それを覆すのは簡単じゃない。

 だけど、それを承知で私たちはお姉さんと兵長さん、そしてサキュバスさんが魔族軍再興の思案をしていたお城の上層階にある部屋に来ていた。

 私に妖精さんに魔導士さん。それから、どうしてか妖精さんが寝ていたところを起こして連れてきたトロールさんもいる。

 「頼む。考え直してくれ」

お姉さんは怖い表情のまま、私達に言った。私は胸のあたりに緊張とは違う重苦しい何かが詰め込まれたような気持ちになる。

だけど、私はお腹に力を入れてお姉さんに返事をした。

「ごめん、お姉さん。私、どうしても行きたい」

お姉さんの表情がさらに曇った。それを見たのか、肩にとまっていた妖精さんが私の服をギュッと掴むのが伝わってくる。

 お姉さんは今度は、魔導士さんに視線を送った。

「あんたも、この子に担がれるだなんてな…あたしとの契約はどうしたんだよ?」

「二重契約は違反だ、と聞いていなかったんでな。もし意に背いたんなら、次からはないようにするさ」

お姉さんの言葉に、魔導士さんは何でもないという風な表情で答えた。すると、お姉さんは相変わらずの表情のままに、

「はぁ」

と深くため息を吐いた。
 

379: ◆EhtsT9zeko 2015/04/12(日) 01:07:45.50 ID:Q5ySpCZso

 「もう一度言うぞ。あそこは、危険だ。下手を打てばあんた達もろとも捕まって、実験体にされるかもしれない。

 魔導士、ただでさえあんたはもうあたしの仲間として『裏切り者』になってるんだ。

 顔が割れてるあんたがあそこに行って無事にいられるとは、あたしは思わない」

でも、魔導士さんは負けてない。

「顔なんてどうとでもなる。それに以前の話だがな、あいつらが使う魔法陣にはある種の共通項がある。

 もしお前が言ったように、やつらが魔法を無効化する技術を持っているとしたら、その共通項…魔法陣の構造にその仕掛けがあるはずだ。

 だが、俺はやつらの魔法陣を使わない。俺の魔法陣はほとんどが古文書から俺自身が生成した魔法陣だ。やつらの支配を受ける可能性は低い」

「絶対にそうだ、と言い切れるか?」

「物事に絶対、などと言えることはない。あくまで可能性だ」

「大丈夫だという保証が無い限りは、あたしは諾とは言えない」

お姉さんが魔導士さんに鋭い視線を突き刺す。でも、それでも魔導士さんは表情を変えない。

「では、魔族魔法を使える連中を連れて行く、ってのはどうだ?」

そんなお姉さんに、魔導士さんはそう言葉を返した。お姉さんは少し驚いた様な表情を見せる。私も、少し驚いた。

そんな話はさっきの作戦会議では言っていなかったからだ。

魔族の魔法を使える人で、それも、とびきり強いやつを使える人、と言ったら、このお城には一人しかいない。

「サキュバスか?」

お姉さんも私と同じ答えを導き出したようで、チラリとお姉さんのそばに侍っていたサキュバスさんを見やって聞く。

しかし、魔導士さんは

「いや」

と静かに首を振った。

「その小さいのと、このデカ物だ」

魔導士さんは言った。

 その小さいの、とは、妖精さんのこと。そして、もう一人、デカ物とは、魔導士さんの隣に座っていたトロールさんのことだ。

 「バカ言うな。その二人連れてったって悪いけど戦力にはならないし、そもそもそんなナリで王都を連れ回す、ってのか?」

お姉さんがそう声をあげる。

 そんなとき、魔導士さんは私の方に視線を送ってきた。

いや、私に、じゃない。私の肩に止まっていた、妖精さんに、だ。

「力を貸してくれるな?」

そう聞かれた妖精さんは、小さな口をへの字に曲げて、それでもコクりと頷いた。
 

380: ◆EhtsT9zeko 2015/04/12(日) 01:09:28.16 ID:Q5ySpCZso

 「どういうことなのですか、魔導士様…?」

不意に、サキュバスさんがそう声をあげた。その表情は、どこか心配げというか、不安げというか、そんな風に見える。

 魔導士さんはそんなサキュバスさんの言葉を聞いていたのかどうなのか、妖精さんに静かに言った。

「見せてやってくれ、あの石頭に」

「はいです…」

そう返事をした妖精さんがパタパタっと私の肩から離れて、テーブルの少し離れた空中に静止する。

それから、いつものようにポッと体をほのかな光で輝かせ始めた。

 トロールさんも席を立つと、目を閉じた。すると、妖精さんのように体が輝き始める。

 妖精さんが、サキュバスさんにポツリと言った。

「ごめんなさい、サキュバス様。どうか、許して欲しいです」

それを聞いたサキュバスさんの表情が変わった。その表情は、今までに見たことのない、慌てて、狼狽した顔付きだった。

 「まさか…!妖精様、トロール様!それは掟に反します!」

サキュバスさんはいつもは出さない位の大きな声で妖精さんに言った。でも、妖精さんは体を光らせたまま、目をつぶってその言葉には答えない。

 掟、って何?妖精さんとトロールさんは、何をしようとしているの…?それって、いけないことなの…?

 私がサキュバスさんの言葉に戸惑っている間に、その変化は起こった。

 光の中の妖精さんとトロールさんがみるみる大きくなっていくのだ。

トロールさんは全身を覆うゴツゴツとした石が、妖精さんは背中に生えていた透明な羽が、

キラキラと輝きながら宙に解け、目に見える速さで手足が伸び、頭も体もまるで膨れるように変化していく。

 そして、少しの時間も経たない間に、トロールさんは魔道士さんと同じくらいのお兄さんの姿に、

 

妖精さんはちょうど十六号さんと同じくらいの歳の女の子へと姿を変えた。

 よ、よ、よ、妖精さん達…人間に姿を変えることができたの…!?

 私はそれを見て言葉を失くしてしまう。おんなじように、テーブルの向こう側でお姉さんがあんぐりと口をあけているのも見える。

兵長さんも、驚いていた。

 だけど、サキュバスさんとトロールさんと妖精さん、そして魔導士さんの四人は違った。

 サキュバスさんは何かに絶望したかのような、そんな表情をしていて、妖精さんとトロールさんはなんだか少し申し訳なさそうな顔をしている。

魔導士さんは…まぁ、相変わらずの無表情だけど。

 え、えと…その、こ、これは、どういうことなの!?

「お、おい…いったい、これ、どういうことなんだよ…?」

私と同じように驚いていたお姉さんが、喉が詰まったみたいな声で魔導士さんやサキュバスさん、妖精さんを順番に見つめている。

 「俺が説明しようか、サキュバス」

不意に魔導士さんがそう言うと、サキュバスさんはハッとして我に返り、お姉さんの視線に気づいて、口をつぐんだ。
 

381: ◆EhtsT9zeko 2015/04/12(日) 01:10:05.89 ID:Q5ySpCZso

 サキュバスさんは、「掟」と言った。「掟」って、なんなの?この姿になることは、魔族達の中では禁じられているの…?

 「サキュバス様」

黙ったままだったサキュバスさんに、妖精さんがそう声を掛けた。小さいままのときとおなじ、とても綺麗で、透き通るような声だ。

「私たちはもう、魔族でも人間でもない者になったですよ。

 魔王様…いえ、古の勇者様の再来と共に、この世界に平和と繁栄を築くために、その志に応えたいと思って、ここにいるです。

 それなのに、魔族の掟を守らなきゃいけないのはおかしいと思います。私は、もっともっと勇者様のお役に立ちたいです。

 そのためには、魔族の姿でいるよりも、この元の姿になって、人間の魔法を使える方がもっと良いと思うです」

 も、元の、姿…?それ、どういうこと…?妖精さんは、もともとは人間だった、ってこと?

う、ううん、人間に見えるけど、もしかしたらそうじゃないのかもしれないけど…

 私は混乱した頭のまま、とにかく妖精さんが見つめたサキュバスさんを見やった。

 サキュバスさんは、ギュッと唇を噛み締めていたけれど、やがて何かを諦めたように口を開いた。

「…竜娘様がそうでしたように、また、魔王様が兵長様に仰ったように、

 魔族と人間の間に子が成せる、と言うことがどういうことか、お考えになられたことがございますか?」

私は、そのことの意味がわらからなくて首を振った。

お姉さんは、呆然とサキュバスさんを見つめているし、兵長さんは…なんだか急に赤い顔をしてモジモジしているから、今は放ってくとして…

それにしても、やっぱりサキュバスさんの言葉の意味がわからない。魔族と人間の間に子どもが出来る、っていうことに、何か重要なことがあるの?

 そんなことを考えていた私をよそに、サキュバスさんは続けた。

「犬と猫の間に子が成せぬように、馬と牛との間に子が成せぬように、異なる種族同士が子を成すことなど、出来はしないのです」

そ、そ、そ、それって…つ、つまり…

「…魔王様。今まで黙っていて、申し訳ございません。これは、魔族の中でも他言することは禁忌の、絶対の掟。

 そして、魔族が忘れていたい事実でございました…

 ですが、そうですね…妖精様の仰るとおり私たちは、魔族が王であり、人間でもある魔王様にお使えする身。

 その中で私たちがその掟を順守することは、魔王様に対する裏切りにございましょう」

そこまで言うと、サキュバスさんはその場に膝まづいて、お姉さんに頭を垂れた。

「魔族とは…その身に自然の力を宿し、その力を使ってある種族は生活を営みやすいよう、別の種族は戦いに向くよう、

 自らの姿形を変えた、人間なのでございます」

 え…?

 ま、魔族が…人間…?
 

382: ◆EhtsT9zeko 2015/04/12(日) 01:11:09.99 ID:Q5ySpCZso

 私は、背中からバンっと叩かれたみたいな衝撃を感じて頭が真っ白になった。びっくりしすぎて、何も考えられないし何も思いつかない。

 魔族が、人間…?そんなの、考えたこともなかった。

だって、魔族は人間に悪さをする存在で、人間は魔族にいつも悪いことをされてきた…もちろん、今はそんなじゃない、ってわかっているけれど、

でも、少なくとも人間界に残る魔族に関するお話はそんなものばかり。

魔族っていうのは、野蛮で、狡猾で、ずるくて、人間を陥れて困らせる、悪い存在だって、そう言われていたんだ。

 でも、魔族は人間だったの?それじゃぁ…それじゃぁ、どうして、戦争が起こったの?

どうして戦いなんてしなきゃいけなかったの?

どうして…?どうして…?

 そんな私の思考を、トロールさんの言葉が遮った。

「魔王様。オイ達も、魔王様と共に在る以上、守られてばかりではいられない。オイ達も、なすべきことをすべきだ」

トロールさんの声色は、あのゴロゴロと言う聞き取りづらい声ではない。少し掠れた、でも、私達人間と同じような、そんな声。

素朴な村のお兄さん、って感じの、その「トロールさんだった人」は、そう言ってお姉さんを見つめた。

 お姉さんは、表情を変えなかった。だけど、私には分かった。

お姉さん、混乱していた。急に魔族が人間になって、サキュバスさんが謝ったりして…

いったい、なにが起きているのかがわからない、ってそんな雰囲気がする。私もそう感じているけど、

でも、お姉さんは私以上に頭の中がぐしゃぐしゃになっちゃっているんじゃないか、って、そう思えた。

 「えっと…待て…気になることは山ほどあるが…今は、とにかく…」

お姉さんはブツブツと呟くようにそう言ってから、魔導士さんを見た。

「人間になれたから、って言って、戦力がどうこうなる問題じゃない。ただあいつらに怪しまれにくくなった、ってだけじゃないか」

「まぁ、このままなら、な」

お姉さんの言葉に、魔導士さんは静かに答えると、さっと右腕を振り上げて、妖精さんに頭を振った。

コクリと、妖精さんは頷いて、自分の右腕を魔導士さんに差し出す。

 「ま、まさか…!」

お姉さんがそう声を上げたのも束の間、柔らかな光が妖精さんの腕を包み込んだ。

その光の中で、それよりももっと明るい光の粒が、まるで意思を持つようにいして動いているのが見える。あれって…もしかして…

 私は気がついた。それは、オークの森で妖精さんがお姉さんの転移魔法の魔法陣を描いたときの光に似ていた。

そして、その光は、妖精さんの腕に何かを刻み込んでいる。魔法陣…魔導士さんが、妖精さんに魔法陣を描いているんだ…

 やがてその光が収まると、妖精さんがふぅ、とため息を吐いた。その様子を見て、魔導士さんが

「気分は?」

と尋ねる。妖精さんは頷いて

「平気です」

と答えた。それから自分の腕に描かれた魔法陣を見やって

「不思議な模様です」

なんて言うと、その手をギュッと握った。

 とたん、ふっと部屋の中が暗くなった。窓がある部屋で明るかったのに、突然、だ。

思わず窓の外に目をやった私が見たものは、一面真っ暗なガラスだった。外に、景色が見えない。ううん、見えないどころの騒ぎじゃない。

まるで黒く塗りつぶされてしまったかのように、真っ暗…
  

383: ◆EhtsT9zeko 2015/04/12(日) 01:12:08.11 ID:Q5ySpCZso

「自然の力を扱える魔族に、俺特性の増幅魔法陣を使う。やつらの干渉は受けない上に、体に取り込んだ自然の魔力を増幅して扱うことができるはずだ。

 もっとも、体への負担はどうか知れないが、それでも魔力だけなら中級の魔導士を軽く超える。

 これを羽妖精とトロールに施せば、最低限の戦力にはなるはずだ」

魔導士さんがそう言った。

そうか…魔族に人間の魔法陣を使う、ってことは、お姉さんが魔王の紋章と勇者の紋章を両方使うのと同じような性質になれる、ってことなんだ。

 妖精さんは光魔法が得意だって言っていた。窓の外が真っ黒に見えるのは、妖精さんが窓に差し込む太陽の光を魔法で操って遮っているから…?

 そう思って目を向けた妖精さんは、握っていた拳をパッと開いた。途端に窓の外から眩しい太陽の光が入ってきて、目がくらむ。

「魔王様、お願いしますです。私たちが人間界に行くことを、許しで欲しいです」

妖精さんはそう言って、サキュバスさんのように跪いてお姉さんに頭を下げた。

 お姉さんの顔が、沈痛に歪む。それを見れば、私たちがお姉さんにどれだけのことを頼んでいるかなんていやでも分かる。

でも、それでも私は、竜娘ちゃんを助けに行きたい。

 魔族と人間との間でずっと苦しんできたに違いない竜娘ちゃんを、これ以上その苦しみの中にとどめておくなんて、私にはできなかった。

「お姉さん、お願い…!」

私もお姉さんにそう言った。

 表から聞こえてくる鳥のさえずりが場違いに聞こえるくらいに、重い沈黙が部屋を押し包む。みんなの視線がお姉さんに注がれた。

 お姉さんは、誰の目を見ることなく、ジッとテーブルの上に目を落とし、口をつぐんでいる。それが、どれだけの間続いたかはわからない。

ほんの一瞬だったかもしれないし、ずいぶんと長い時間だったかもしれない。

 ただ、とにかく、その胸が詰まるような重苦しい雰囲気を破ったのは、お姉さんのため息混じりの一言だった。

「…はぁ…わかった、わかったよ。あたしの負けだ。あんたたちに任せる」

そう言ったお姉さんは、くたびれたようにギシッとイスの背もたれに身を預けて天井を見上げた。

それから、やおら傍らに侍っていたサキュバスさんを見下ろして、囁くような声で頼んだ。

「サキュバス、お茶を。あと、話せるところまででいい。あたしに教えてくれ。魔族、ってのが、なんなのかを」



 

390: ◆EhtsT9zeko 2015/04/18(土) 01:10:21.31 ID:2Gx2uYDPo



 かつて、この大陸で争いが起こった。

それは、人と人との争いだったのだという。

一方は、自然と共に生きた者達。

そしてもう一方は、自然の中に生きながら、森や草原を切り開き田畑を作り、

同じ面積で狩りや採集を行うよりも、ずっと多くの食料を作り出すことを発見した者達。

 二つの異なった生活を持つ者達は相容れず、大陸中で狩猟場と田畑のための土地が重なり合い、度重なる戦いが起こっていた。

争いが続くうち各々の勢力は一つにまとまりはじめ、ついには大陸を二分する大きな勢力となって、争いは戦争になった。

 しかし、その戦争によって大地は荒れ、狩猟場も田畑も減少していったのだという。

食料を得る場を守るための戦いが、逆に人々から安定した生活を奪い去ってしまったのだ。

人々は飢え、その飢えのため狂気的に戦いを継続させた。

 その事態を受け、大陸に古くから伝わる神官の一族が力を集めて一人の治世者を立てた。

 それが古の勇者。

彼の力は人智を超え、片腕をを振れば森が生い茂り、息を拭けば大嵐が起こったほどだった。

 古の勇者はその力を以って戦争を収め、自然と共に暮らす大地の民を大陸の西へと導いた。

畑田を営む民を大陸の東へと向かわせた。

 そして、この大陸を分かち、二つの生活圏が干渉しえないよう、あの中央山脈を築いたのだ。

 田畑を営む民は荒れた野を再び田畑に戻すために、神官の一族から己が肉体を強化する術を学び、

その数を増やし、大いに発展した。

 大地の民は荒れ果てた野を再び豊かにするために、勇者の“片割れ”の力を引き継いだ施政者から自然の力を取り込む術を学んだ。

そして、自然の力を扱っているうち、大地の民はその体に自然の要素をまとうこととなり、やがて人とは異なる姿形をとることが出来るようになった。

それが、魔族、と呼ばれる存在。自然と共にあろうとした民は、ついに、自然と一体化したとそれを誇ったのだという。

 それが、この大陸でかつで起こった出来事。

戦争の始まり。

魔族の始まり。

そして、この大陸が分かたれた理由だ。

 遠い遠い昔から、人間と魔族は、争っていたんだ。

ううん、争ってしまったから、人間と魔族とに分かれてしまった…

 その事実に、私は愕然とした。

だってそれは、とても深くて暗い因縁だ。

 南の城塞の司令官が言っていた、人と魔族との間にある怒りだなんて感情よりももっと強く、深く、

お互いの心に、生活に、価値観に刻み込まれているもの。

私達の“敵”…

 何も、魔族と人間を元通りにしようだなんて思っているわけじゃない。

ただお互いがお互いの生活を邪魔しないような世界になればいいと思う。

でも、果たしてそれすらうまく行くのか…南の司令官さんから怒りの話を聞いたとき以上に、私はこの先のことが不安になった。
 

391: ◆EhtsT9zeko 2015/04/18(土) 01:10:53.88 ID:2Gx2uYDPo

 サキュバスさんから話を聞いたお姉さんは、サキュバスさんの手を握って言った。

「聞かせてくれて、ありがとう。ようやく、あたしの立ち向かっていくべき相手の姿がはっきりしたよ」

その表情は、険しくもつらそうでもなかった。

お姉さんの顔に浮かんでいたのは、ただの一つだけ。

それは覚悟、だったんだと思う。

 私は、お姉さんが話を聞いて、いろんなことをあきらめたんだ、ってことを悟っていた。

 魔族も、人間だった。

それは、お姉さんにとっては、これまでたくさん殺してきてしまった魔族の人たちに対する罪の意識をさらに重くさせただろう。

でも、その反面、北の城塞でお姉さんがしてしまったことへの罪の気持ちは、もしかしたら薄らいだかもしれない。

どっちにしたって、お姉さんの手は血で汚れていた。

勇者は人間の希望で、魔族の天敵なんてことは幻想だった。

言ってしまえば、ただの人殺し。

英雄でも、正義の味方でもない。

お姉さんが望んだかどうかに関わらず、お姉さんは勇者としてたくさんの人を殺した。

戦争でなければ、ただの犯罪者だ。

 お姉さんは、それを受け入れたのかもしれない、と私は感じた。

これまで「仕方がなかった」と思って目を背けていた戦争中の出来事から、お姉さんは逃れることが出来なくなったんだと思う。

“堕ちた”って言葉が正しいんじゃないか、とそう感じた。

お姉さんは、自分を人間の希望である勇者ではなく、ただの人殺しなんだ、と認めて、そして、自分が人殺しだ、と受け入れたようだった。

それを感じた私は、胸が押しつぶされるほど悲しい気持ちなったけど、でも、お姉さんはなんだか脱力したようにイスに腰掛けたまま

「そっか…そうだったんだな」

なんてうわごとのように繰り返していたけど、サキュバスさんの話を聞き終えるころには何かを決意したような、そんな引き締まった表情になっていた。

 そんなお姉さんは堕ちたその先で、それでも平和とは何か、ってことを、上を向いて真剣に見据えてよじ登っていく事を決めたような、

そんな表情に、私には思えていた。

 お姉さんのために、私が出来ることはいったいなんなのだろう?

これまでは、お姉さんが一人にならないように、って、そう思っていたけれど

果たしてそれだけで、お姉さんの望む未来の助けになるんだろうか?

先代の魔王様が望んだ平和と繁栄がある世界に繋がるのだろうか…?

 「人間、大丈夫か?」

不意にそう声をかけられて、私は我に返った。

見ると、素朴な雰囲気をしたお兄さんが、私を心配げに見つめている。

もちろん、人間の姿に“戻った”トロールさんだ。
 

392: ◆EhtsT9zeko 2015/04/18(土) 01:11:28.77 ID:2Gx2uYDPo

「あぁ、うん。ごめんなさい、大丈夫だよ」

私はトロールさんにそう言って笑顔を返す。

 私達は人間界にいた。

魔導士さんの転移魔法で王都から三日のところにある町に移動して、そこから馬車に乗って王都を目指している。

「むにゅ…んー…」

私の膝を枕に眠っている妖精さんが不意にそんな声をあげてモゾモゾと動いた。

うん、まぁ、その…なんていうか、気分的にすごく複雑…

小さい姿の妖精さんはかわいらしいって感じだったけど、人間の姿に“戻った”妖精さんはどっちかと言えば、美人、って感じ。

それに、私よりもずっと年上なのに、この姿になってからも妖精さんは小さい姿のときに私の肩に止まっていたように、私にべったりとくっついている。

最初の日にそのことを聞いてみたら

「人間ちゃんはふわふわしてて気持ちいいんだよ」

なんて言って、私よりは二まわりは大きいその体で背中から私にのしかかってきたりした。

そんな風に言って仲良くしてくれるのは嬉しいけど、やっぱり年上のお姉さんに甘えられているようで、なんだか複雑だ。

 魔導士さんは人間界に来てからも馬車に乗っているあいだも、今までと変わりない。

無表情で、何を考えているのかを読み取ることもできない。

ただ、最初の町の宿に泊まったときに、あのボタンユリの使い道について私が聞いてみたら、その色のない顔を微かに緩ませて

「ただきれいだと思ったからだ。笑顔みたいだろ、あの花。俺は笑い方を知らないから、ああいうのが好みなんだ」

なんて言った。

笑い方を知らない、なんて、そんなことあるのかな?

と不思議に思ったけど、それ以上は聞かなかった。

そういうことってあんまり聞かれたくないことかもしれないし、

それに、その言葉は不思議だったけど、魔導士さんを見ていたら納得が出来たような気がしたからだ。

 「んーむにゅむにゅ…サキュバス様、もう食べられないですぅ…」

ゴトリと馬車が揺れた拍子なのか、妖精さんがそんな寝言を言うので魔導士さんに向けていた視線を思わず妖精さんに戻して、私は笑ってしまった。

 とにかくお姉さんのことは、今は忘れよう。

私は、浮かんできていたお姉さんの顔を頭を振ってかき消す。

今は竜娘ちゃんのことを考えていないといけない。

魔導士さんの話だと、確かもうすぐ関所に到着するはずなんだけど…

 そう思って、私は妖精さんを起こさないように上半身だけで伸びをして、馬車の御者さんの背中越しに前の風景を覗き込む。

遠くに見えていた長い城壁は近づいては来ているけど、到着するにはまだもう少し時間がかかりそうだ。

 「南部防衛要塞前衛関所。ここいらじゃ、“石壁”って呼んでるんだ」

私の動きに気が付いたみたいで、ふと、こっちに振り返った御者のお姉さんがそう言った。

「石壁…」

「そ。東の山と西の山のちょうど重なる谷にできた関所と防衛壁。
 
 こんな距離でも大きく見えるでしょ?真下から見上げると、血の気が引くほどの高さなんだから」

御者のお姉さんはそんなことを言って、私の表情を見る。まるで、私がどう反応するのかを待っているような、そんな視線だ。

「へ、へぇ…!は、はやく見てみたいな!」

私が慌ててそう返事をしたら、お姉さんはなんだか可笑しそうに笑った。
 

393: ◆EhtsT9zeko 2015/04/18(土) 01:12:02.58 ID:2Gx2uYDPo

 「その子からは何も出やしないぞ?」

不意に、魔導士さんがそう言った。すると、お姉さんはすぐに肩をすくめて

「年中愛想のない顔したあなたには、子どもの扱いってのは分かんないだろうね」

と呆れた様子だ。

「夜盗まがいのあんたに分かるとは思えないがな」

魔導士さんはお姉さんの言葉通りに表情を変えずにそう言い返す。すると御者のお姉さんはちょっとムッとした表情で言った。

「夜盗ってなによ!人を泥棒みたいに言わないでくれる!?

 あたしは前線だろうがどこだろうが潜り込んで敵の情報を盗み出す凄腕の諜報員様だよ!?」

「関所を抜ける算段は付いてるんだろうな?」

御者のお姉さんの言葉を無視して、魔導士さんは端的にそう聞き返す。お姉さんはしかめっ面で不快の意を表しながらも

「部下をもぐりこませてる。通行手形は彼が手に入れてくれてるはずだよ」

と言ってまた私にチラっと視線を送ってくる。なんだか分からないけど、気に入られているようだ。

マントをかぶった黄金色に青い瞳の御者のお姉さんは、私と目が合うと子どもみたいにニッコリ笑ってくれた。

首元には、何かの羽根をかたどった金のネックレスが光っている。

「だから、安心して。あたし、約束は必ず守るタチだからね!」

「約束…?」

「そ、約束。戦争中にね、彼女に守ってもらったことがあってさ、あたし達。

 そのときに、もし彼女が困ったときには、どんなことでも力になる、って約束したんだ」

御者さんが言う彼女、というのは、もちろん勇者で魔王のお姉さんのことだ。

 馬車を準備してもらった日のこと、魔導士さんとこの御者さんがずいぶんと慣れた様子で話しているのを見て、

私が二人の関係について聞くと

「戦争のころに、少しな」

と魔導士さんが教えてくれた。

魔導士さんは、トロールさんや妖精さん、そしてこれから助けに行く竜娘ちゃんのことも全部話して協力を申し出ていた。

御者さんは話を聞くなり

「囚われの姫君を助け出す、ね…なんかそれカッコいいね!」

なんて笑って言って、快く準備を整えてくれた。しかも、とんでもない手際で、だ。

 まさか兵隊さんだとは思わなかったけど…あれ、諜報員さんって兵隊さんでいいんだよね…?

まぁ、それはともかく人間軍の中にも、お姉さんのことを分かってくれる人がいたんだ…

私はその事実になんだかほっと胸を撫で下ろしてしまう。
 

394: ◆EhtsT9zeko 2015/04/18(土) 01:13:53.64 ID:2Gx2uYDPo

 馬車がゴトゴトと進み、やがて石壁、と呼ばれた関所がすぐ近くに見えてくる。

確かに御者さんの言った通り、魔王城と同じくらいの高い壁がそびえていて、その下には馬車が二台、ギリギリならんで通れるくらいの小さな戸口があるだけだ。

確かに関所、っていうより、壁だね、これは…

 そんな小さな戸口のところには、中に入ろうとしている人たちがズラリと列をなしている。もちろん、戸口の向こうから出てくる人たちもたくさんだ。

この向こうに王都があるんだ…

そう思うと、私はこみ上げる緊張を隠せなかった。

 「あぁ、いたいた」

不意に御者さんがそう声をあげる。

見ると、戸口へ続く列から少し離れたところに立ち並ぶ木造の建物のそばに、マントを羽織って大きな荷物を背負った商人風の男の人がいた。

 「ごめん、待たせちゃった」

「いいえ、問題ありません、大尉」

馬車を止めるでもなくそう言った御者さんに、男の人はそう返事をしながらパッと軽い身のこなしで御者台の上に上がって来た。

それからすぐに私達の方を覗き込んで、魔導士さんの顔を見るなりスッと目礼をする。

「魔導連隊長、お久しぶりです」

「その名で呼ぶな…魔導士で良い」

「…はい、魔導士さん」

男の人はそううなずいて、今度は私とトロールさんうを見やった

「初めまして。私は、王下騎士団諜報班の少尉です」

「初めまして、少尉さん。よろしくお願いします」

「世話になる」

御者さんはお調子者、って感じだけど、この少尉さんはとっても礼儀正しい人だな。

そんなことを思いながら、私とトロールさんもきちんとご挨拶をする。

少尉さんは私達の挨拶にもう一度目礼を返してくれて、それから前に向き直って御者さんに木の札のようなものを手渡した。

「手形です、大尉」

「あぁ、ありがとう!…うん、頼んでおいた通りだね!じゃぁ、準備しちゃおうか!」

御者さんはそう言うなり私達の方を振り返った。

「そこの木箱の中にある服に着替えて。あなた達は森の街から王都の魔導教会の本部に勉強しに行く若き魔導士さん達、ってことになってるから」

「ちょくせつあそこに届けるつもりか?」

御者さんの言葉に、魔導士さんが珍しくそんな驚いたような声をあげた。

そんな魔導士さんに、御者さんが肩をすくめ、首を傾げながら

「言ったでしょ?凄腕の諜報員だ、って。潜入工作に抜かりはないんだから」

なんて白々しい口調で皮肉の様に言う。

そんなことを言われた魔導士さんは、これは珍しいのかどうか分からないけど、なんとなく、柄ではないな、なんて私が思うほど

「分かった、俺が悪かったよ」

と素直に謝った。

 なんだかそんな様子がおかしくて、私も思わずクスっと笑ってしまう。

いつの間にか、こみ上げていたはずの緊張はどこかに行ってしまっていた。

そんな私を見て、御者さんはどうしてか、満足そうに笑顔を浮かべていた。
 


 

399: ◆EhtsT9zeko 2015/04/26(日) 02:51:01.07 ID:Cl8616fno


 ガタゴトと馬車が揺れて、関所の入り口へと近づいて行く。

入り口のところには鎧を身に着けた兵隊さんたちがたくさんいた。

兵隊さんたちは中へ入ろうとする人たちから、何かを受け取り、それを確認してから道を開け、関所の向こうへと送り出している。

 並んでいるのは、商人さんに、剣を背負った旅人風の人、親子に、男女の二人組に、今の私達のように、魔導協会のローブに身を包んだ人たちもいた。

「潜入のためとはいえ、いい気分はしないな」

不意に、魔導士さんがそう声を漏らした。すると御者の大尉さんが乾いた笑い声をあげて

「ごめんね連隊長。でも、この方法が一番怪しまれなくって済むんだよ」
 
なんて肩をすくめて見せる。そんな大尉さんの言葉に、魔導士さんはふぅとため息を吐きながら

「その名で呼ぶな、と言っている」

と無表情なのにどこか不機嫌そうに言った。

 「ふむ、小麦の搬入だな?」

「へい、王都の商会様からのご依頼で。この三人は雇い入れた護衛役でございます」

「なるほど。荷を検品させてもらうぞ?」

「へいへい、どうぞどうぞ」

私達の前に並んでいた荷馬車にたくさんの麦の袋を積んだ商人さんが、扉の前で兵士さん達とそんな話をしている。

「うむ、問題ないな」

「そりゃぁもう。こちとら、信用が第一なもんでしてね」

「そんなものか。よし、許可印を押せ。お通ししろ」

荷車の麦の袋を確かめた兵隊さんが、部下らしい別の兵隊さんに声をかけた。

商人さんが差し出した木札に部下の兵隊さんが何かを押し付け、それから先を馬の手綱を引いて扉の向こうへと誘導していく。

 「次の馬車、こちらへ!」

商人さんの荷車が通り過ぎるよりも前に、兵隊さんの声が聞こえた。

とたんにまた、ガタゴトと馬車が動き出し、ほんの少ししてギシっと止まった。

 少しだけ、緊張で胸が苦しくなる。

魔導協会のローブに着替える時に起こした妖精さんが、私の隣でぎゅっと手を握りしめているのが分かった。

妖精さんは、人間にいたずらをされたんだ。

きっと私よりもずっと怖いし、ずっと緊張しているに違いない。

私はそう思って、ローブの下からそっと手を伸ばして、私よりお姉さんの姿になった妖精さんの膝に手を置いてあげる。

「大丈夫」

私がそう言うと、妖精さんはハッとして私の顔を見て、全然大丈夫そうじゃない顔をしながらコクリ、と私に頷いて見せた。
 

400: ◆EhtsT9zeko 2015/04/26(日) 02:51:59.54 ID:Cl8616fno

 「こんにちは。よろしくお願いします」

大尉さんがそんなことを言っているのが聞こえてくる。

「ふむ、客車か。乗客は?」

「はい、森の街より魔導協会本部へ留学される魔導士様方をお連れしてます」

「ほほう、魔導協会本部へ?さぞかし優秀な方々なのだろうな。御顔を拝見させていただけるか?」

か、顔を…?私達は大丈夫だけど…魔導士さんは人間軍には顔が知られているんじゃ…!

私はそう思って、慌てて魔導士さんの方を見た。

でも、そこにいたはずの魔導士さんがいない。いるのは、見知らぬシワシワのおじいちゃんだった。

え?えぇ?あれ、魔導士さんは…?

私がその光景に頭を混乱させているあいだに

「ええ、どうぞ。後ろから回ってくださいな」

と言う大尉さんの言葉を聞いた兵隊さんが、馬車の後ろの幌をあけて中を覗き込んできた。

強面の兵隊さんが、私達ひとりひとりをジッと鋭い視線で見つめてくる。

「ほほほ、これはこれは、ご苦労様でございますな」

おじいちゃんが兵隊さんにそう声をかける。

「痛み入る。その方は?」

「私はこの子らの付き添いで参りました、森の街の魔導協会の老いぼれでございます」

「いずれ名のある導士でありましょう」

「いやいや、とんでもございません。私などは、子ども等に手習いなどを任されておった身でしてな」

「左様でありますか。いや、それとて大事なことでありましょう」

「この者どもも、私が親代わりに育てた導士見習いでございまして、私の自慢です。ほれ、兵隊様に顔をお見せしてご挨拶せんか。

 お勤めをさまたげてはならんぞ」

おじいちゃんに言われた私はただただ驚きながらだったけど、

トロールさんに妖精さんがローブのフードを脱いで兵隊さんに挨拶をしたので、それに倣って頭を下げる。

「これは丁寧に。いずれも知性あふれた目をしておられますな。必ずや良い導士になられましょう」

兵隊さんはそんなことを言っておじいちゃんに頷いて見せる。おじいちゃんもそれをみて

「そうであればと願っております」

とうなずき返した。

 それを見るや、兵隊さんは

「では、失礼」

と幌を閉めて姿を消した。
 

401: ◆EhtsT9zeko 2015/04/26(日) 02:53:16.47 ID:Cl8616fno

 それからすぐに表で

「うむ、大丈夫だ。印を押してお通しせよ」

と叫ぶ声が聞こえる。

「お世話になります」

大尉さんのそんな間延びしたお礼も聞こえてきて、ゴトリ、と馬車が動き出す。

 ふっとあたりが薄暗くなった。御者台の大尉さんの背中が越しに外を見やると、どうやら石造りの洞穴のようなところを進んでいるらしい。

関所のあの石壁の中なのだろう。

 少しもしないうちに大尉さんの向こうから明かりが差し込んできて、パッと青空が開けた。

まぶしくて思わず目をつむってしまう。

どうにか光に慣れてもう一度目を開いたときには、私達の乗る馬車は石壁を抜けていた。

 「やれやれ、まったく。よく喋る衛兵だな」

不意に魔導士さんの声が聞こえて私は驚いて振り返った。

するとそこには、おじいちゃんではなく、さっきのままの魔導士さんの姿があった。

魔導士さんは私の視線に気づいて、あぁ、と声をあげると

「簡単な変身魔法だ。肉体の操作は人間の魔法の得意とする分野だからな。まぁ、あの程度の衛兵を誤魔化すくらいワケはない」

と教えてくれる。

 へ、変身魔法、なんて言うのもあるんだ…?い、いや、でも、そもそも魔族が人間で、魔力であの姿を保っていることを考えれば

魔力を使って姿を変えることは意外に簡単なのかもしれない。

トロールさんがあの大きな体を身にまとわせるのと同じなのかな…?

そんなことを思っていたら、

「あぁ、そう言えばさ」

と大尉さんが御者台からこっちを振り返った。

「そっちは本部に着いたらどうするつもりなの?一応、どう動くかだけでも教えておいてくれれば、万が一のときに支援しやすいんだけど」

大尉さんの質問に、魔導士さんは微かに目をあげて静かに言った。

「あそこには、呪印の発動を感知する魔法陣が敷かれている。俺の魔法ですら感知される恐れがあるから、戦闘になる前には使うことは避けたい」

「だから、私の魔法を使うですよ!」

魔導士さんの言葉に反応したのは、私の隣に座っていた妖精さんだった。

それを聞いて妖精さんの方を見やった私は、また驚かされた。そこには妖精さんの姿がなかったからだ。

「へぇ、魔族式の魔法だ、それ?光属性の魔法なの?」

私ほど驚かなかった大尉さんが、珍しそうにそう声をあげる。

「はいです。光を屈折させて、姿を消すですよ」

そんな声が聞こえて目の前の空間がゆらりと歪み、妖精さんが姿を現した。

「魔族式の魔法は自然そのものの力だ。感知するのはそう簡単じゃない」

魔導士さんがそう説明し、妖精さんが少し得意そうに胸を張る。しかし、それを見た大尉さんは微かに表情をこわばらせて言った。

「そうだと良いけど…あそこには、あのオニババがいるからねぇ」

オ、オニババ…?なにそれ、魔族の名前…?
 

402: ◆EhtsT9zeko 2015/04/26(日) 02:56:47.47 ID:Cl8616fno

「あぁ、あの女か。確かにあいつだけは、得体が知れないな…」

女?あ、あぁ、オニババって、そのまま怖い女の人って意味だったんだ。

思わず言葉に戸惑っていた私は、そのやりとりに納得して二人の会話に聞き入る。

「神官の一族の末裔、なんでしょ?彼女が身に着けている紋章を作り出した、っていう」

「あくまで噂の類だ。肩書は、確か今は魔導協会の顧問理事、だったか…あの組織の実質の最高責任者だ」

神官の、一族…?

ふと、私はその言葉に引っかかった。

それ、どこかで聞いた気がする。

えっと…確か、それ…もしかして…!

「サキュバス様と同じですか…?」

私が気が付いたのと同時に、妖精さんがそう声をあげた。

妖精さんも、あのとき一緒にサキュバスさんから聞いた話を思い出していたに違いない。

「サキュバスが神官の一族だと?」

「うん、サキュバスさんは自分がそうだって言ってた。命の魔法を使える、魔族の中でも変わった存在なんだ、って」

「命の魔法…そうか、ゴーレム達のあれは、その理屈だと言っていたな…待てよ、だとすると…」

不意に、魔導士さんがそう呟いて、珍しく表情を私が見て分かるくらいに曇らせた。

「魔族の魔法にも精通している可能性がある…」

魔導士さんの言葉を継いだのは、大尉さんだった。

「もしそのサキュバスって人も神官の一族なのだとしたら、その命の魔法というのは彼女の持つ二つの呪印を作り出した魔法そのものの可能性が高い…」

サキュバスさんと、その顧問理事、という人が同じ一族…

ふと、私はサキュバスさんから話を聞かされたときのことを思い出した。

そう、あのとき私は、まるでもともとは同じ一族だったけど、二つに分かれてしまった天使と悪魔の話を思い出していた。

やっぱり、サキュバスさんと同じような人たちが人間界にもいたんだ…

ううん、それだけじゃない。

今考えれば、人間と魔族だって、それと同じだ…

「ど、どういうことです…?」

魔導士さんの言葉に、妖精さんが戸惑った様子で聞く。

「命の魔法…それはおそらく、ある種の生命の活性に関する魔法だと考えていい。勇者の紋章とは、その力を内向きに使うことで自己を強化している。

 魔王の紋章は外向きに使うことで自然の力を操るものなのかもしれない。

 それはつまり、命の魔法を使って自己、あるいは自然そのものを活性化させるってことだ。

 そして、その命の魔法、という概念は、おそらく俺たち人間が使う魔法陣すべてに共通している」

「人間の魔法は、自分の中の力を増幅させるための物…」

思わずそう呟いた私に、魔導士さんは静かにうなずく。
 

403: ◆EhtsT9zeko 2015/04/26(日) 02:57:34.76 ID:Cl8616fno

「魔族の魔法については理屈を解しているわけじゃないが、魔王の紋章と同じ方法を用いているとすれば、根っこは同じだ。感知することも、封じる方法も…」

「いや、それは違う」

不意に、それまでずっと黙っていたトロールさんが口を開いた。

「オイ達は、この模様は使わない。自然の声を聴き、力を借りる。オイ達は外向きに力を使ってない。自然から力を取り込んで使ってる」

「自然から力を取り込む…?」

トロールさんの言葉に、魔導士さんが首をひねった。

でも、私にはトロールさんの言っていることがすこしだけ理解できた。

自然の魔法を使う、って言うのはそういうことなんだ。

言葉で言ってしまえば、自然を操る、ってことなんだけど、何も自然の力を支配しているわけじゃない。

むしろ、自然の魔法を使うときは、もっとこう、自分が自然に飲まれて、自然と一体化しているような感覚になる。

風の流れを感じて、水の冷気を感じて、光のまぶしさも、土の感触も、そういうのに包まれて、自分もそれと一つになっている、って感じるものだ。

「そう、オイ達は自然と共にある一族。オイ達の魔法を封じるためには、自然の力を封じなければならない。そんなこと、たぶんできない」

トロールさんの言葉に、妖精さんがうなずいた。私も、魔族の魔法についてはまだ知り始めたばかりだけど、あの力がそう簡単に封じ込められるとは思わない。

トロールさんの言うように、それは自然そのものの力を封じ込めようとするようなものだ。

空気も水も、光も土も、私達から奪うことなんてできない。

私達もまた、そういうものから成り立っているからだ。

「だが、感知はどうだ?」

俯き加減で何かを考えていたような魔導士さんが顔をあげてトロールさんに尋ねた。すると、今度はトロールさんが顔を伏せて何かを考え始める。

感知…それは、出来る、かもしれない。

同じ魔族の魔法を使える人になら…自然の声を聴くことが出来る人になら…もしかしたら…

「オイ達は、魔族の魔法を感じ取ることが出来る」

考えた末に、トロールさんはそう言った。

「はいです…もし、その神官の一族、という人が魔族の魔法を使えるのなら、私達の魔法も感じ取られてしまうかもしれないです」

妖精さんも険しい表情でそう魔導士さんに伝える。

だとすると、妖精さんの光の魔法で姿を消しても、魔導協会の本部というところに入ったら気づかれてしまうかもしれない…

もしそうなったら、竜娘ちゃんを助け出す、なんてことは難しくなってしまうかもしれない。

戦いになれば、魔導士さんの強力な魔法があったとしても、どうなるかは分からない。

それこそ、お姉さんのような力がない限りは、忍び込んでいるのがバレてしまうかもしれない、っていうのに準備もなしに飛び込んでしまうのは危険だ。

「…策を練り直す必要がある、か」

魔導士さんがポツリとそう言葉にした。

トロールさんも、妖精さんもそれを聞いてコクリとうなずく。そんな私達に、大尉さんが笑って言った。

「そう来なくっちゃね!あたしも力になるよ!なんてたって凄腕の諜報員だからね!」

「夜盗の間違えだろう?」

頼もしい言葉をかけてくれたのに、魔導士さんがそう皮肉ると大尉さんはわざとらしく不機嫌そうな表情を浮かべてから、すぐさま笑顔に戻った。

それから私達にかぶりをふって見せる。

「ほら、見えて来たよ。あれが王都。人間界の中枢」

その言葉に、私とトロールさんと妖精さんは思わず揃って立ち上がって、大尉さんの背中越しに馬車の進む先に視線を投げた。

 そこには、空に伸びる大きな宮殿と、それを取り囲む巨大な城下街、そして、そんな城下街を守るようにしてそそり立つ城壁が見えて来た。

まだずいぶんと遠くに見えるのに、あの石壁なんて比べ物にならないくらいの、それこそ、道の先に大きな山があらわれたような、そんな光景だった。

 

404: ◆EhtsT9zeko 2015/04/26(日) 03:19:52.53 ID:Cl8616fno




 「ね、ねぇ…こんな方法で本当に大丈夫なんですか…?」

私は、今にも泣き出しそうになってしまって、すがる様に魔導士さんに聞いた。

しかし、魔導士さんはいつもの色のない顔で

「大丈夫だ、問題ない」

と答えるばかりだ。

 昨日、私達は王都にたどり着き、宿を取った。

転移魔法で魔王城に帰ってしまうと、宿に戻るときに魔導協会の人たちに気づかれてしまうかもしれない、という魔導士さんの判断だ。

その代わりに、妖精さんが魔族の魔法で念信を送って、事情を説明したらしい。

念信もあまり安全ではないかもしれないけど、宿から魔導協会の本部からは距離もあるし、転移魔法のような人間の魔法よりはずっと気づかれにくいんだろう。

 それから、姿を変えた魔導士さんに案内されて、少しだけ王都を案内してもらった。目抜き通りだという大きな道にはたくさんの店が立ち並んでいて

人も物もたくさん。見たことのない食べ物や果物、おしゃれな服や装飾品、高価そうな武具のお店まで、何でもあった。

そして、それを買い求めるためなのか、行きかう人々の数も無数にいて、田舎者の私は目が回ってしまいそうだった。

妖精さんなんかは本当に目を回して、途中でくたっと倒れてしまいそうになったくらいだ。

 目抜き通りを抜けて行くと、城下街の中にさらに城壁があり、その中がこの人間界の統治者、王様が住んでいる王宮があるのだと魔導士さんが教えてくれる。

きっと、こんなところまでやってきた魔族はトロールさんと妖精さんが初めてだろう。

トロールさんも妖精さんも、誰が見たって人間だから、そう簡単にはバレたりはしないだろうけど、それでも私はビクビクとせざるを得なかった。

 それから魔導士さんが案内してくれたのが、魔導協会の本部という建物だった。

私はてっきり、砂漠の街にあった憲兵団の屯所のような場所なのかと思っていたけれど、行ってみた先にあったのは、魔王城と同じくらいの立派な建物だった。

 「あれが囚われのお姫様、らしいよ」

一緒に着いて来てくれた大尉さんが、小さな声でそう言い、空を見上げた。

私も釣られて上の方を見ると、お城のような塔のてっぺんの辺りにある窓辺に誰かがいた。

 炎のような赤い髪に、小さな体のその人物は、窓から入る明かりを頼りに、何かに目を落としているようだった。

「竜娘…」

トロールさんが小さくうめく声が聞こえる。

 トロールさんは竜娘ちゃんを守れずに…ううん、戦わずに、魔導協会の人達に連れて行かれてしまったんだ。

私だったら…とてもじゃないけど、顔を見ることすらできないかもしれない。

トロールさんのためにも、竜娘ちゃん自身のためにも、早く助け出してあげなくっちゃ。

 それから宿に戻った私達は、夕食を摂ってからすぐに潜入のための作戦会議に入った。

潜入方法をあれこれと考えたけれど、魔法を感知されてしまう危険性を考えると、やはりどれもうまく行きそうにない。

そんなとき、凄腕諜報員だという、大尉さんが出した発案のせいで、私は今、こんなことになってしまっている…

 泥だらけの服を着て、髪もぐしゃぐしゃにしてある。

道行く人が私を、まるで哀れな何かを見るように視線を投げかけてくる。

私は別の意味で怯えてしまっているのだけど、どうやらそれも、このお芝居に良い方向に働いてしまっているらしい。

 私は、私と同じように泥だらけで怯えた表情の妖精さんを見上げた。

妖精さんも、目に涙をいっぱいに貯めて私を見る。

はたから見れば妖精さんは私の手を引くお姉さんに見えているんだろうけれど、実際はもう、お互いに今にも逃げ出したい気持ちだ。
 

405: ◆EhtsT9zeko 2015/04/26(日) 03:22:05.64 ID:Cl8616fno

 私たちは、姿を変えた魔導士さんと大尉さんに誘導されて、魔導協会の建物の正門だというところにやってきた。

昨日、大尉さんが考え出した作戦は簡単。

魔導協会にある孤児院、というところに、孤児として入れてもらえるよう持ち掛ける、というものだ。

そして、中に入ったら、魔導士さんが描いてくれた地図に従って裏門へ回り、そこのカギを外す。

私と妖精さんが協会の人をひきつけている間に、魔導士さんとトロールさんが竜娘ちゃんを助けに行く…

要するに、私と妖精さんは囮、というわけだ。

「うまくやれよ」

魔導士さんが、小さな声でそんなことを言うと、トロールさんと一緒に通りの人ごみの中へと姿を消す。

正門の前に残されたのは私と妖精さんに、大尉さんだ。

 「さぁて、行くよ!」

どうしてそんな風にいられるのか、まったく怖気づく様子のない大尉さんに促されて、私と妖精さんは身を寄せ合って大尉さんに着いて行く。

「あの、すみません」

大尉さんが門のすぐ前に居た協会のローブに身を包んだ男の人に話しかけた。

「ふむ、どうされましたか?」

「実は、旅先の山村で、魔族に襲われて生き残った姉妹を見つけたんです。

 近場の貴族様の孤児院は、この時勢どこも手一杯な様子で、魔導協会が管轄している孤児院はどうかな、と思って来てみたんですけど…」」

大尉さんはそう言いながら、そばにいた私たちの頭を交互に撫でて、まるでかわいそうなような顔をしてから男の人に視線を戻す。

「戦争孤児、ですか…当協会の孤児院も、手一杯ではありますが…」

「そこをなんとかお願いできません?あたしもまだこれから行くあてがあって、長いこと連れては歩けないんだ。せめてあたしの用事が終わるまで…ひと月でいいから、ね?」

困り顔の男の人に、大尉さんはずいぶんと腰の低い言い方をしながら頼み込む。

「うぅむ……分かりました。では、担当の協会員に相談をされてみてください…」

男の人はそういうと、私たちに道を開けてくれた。

「恩に着るよ、ありがとう!」

大尉さんはそう明るい声で言うと、また私たちを促して門の中へと足を踏み入れる。

 すると、すぐに別の男の人が私たちの前に姿を現した。

「門衛から話は伺っております。どうぞこちらへ。応接室へご案内いたします」

男はまるで警戒する様子もなく私たちを先導して、協会本部だという建物のドアを開けてその中へと私たちを招き入れた。

 私はもう、怖くって怖くって、妖精さんと体を寄せ合って震えているのに、大尉さんは本当に何でもないって、感じで、ヘラヘラと

「いやぁ、急にすみませんねぇ」

なんて笑っている。

 まるでお城のような廊下を進んだ先にあった部屋に私たちは通された。

そこはそれほど広い部屋ではなかったけど、しっかりとしたソファーにテーブルもある。

「では、担当を呼んでまいりますのでしばらくお待ちください」

私たちをここへ案内してくれた男は、そう言い残して部屋を出ていった。

 パタン、とドアが閉まると、即座に大尉さんが立ち上がってドアに耳を当て、外の様子をうかがい始める。

私と妖精さんは、震えたままソファーに座ることもせずに、ただただその様子を見ていることしかできない。

しかし、大尉さんはしばらくすると、ふぅ、っと軽く息を吐いて、そして、何でもない、って顔で私たちに告げた。

「さて、じゃぁ、裏門の鍵を開けて来てね。あたしはここで、なるべくあいつらを引き留めておくから!」

私は、妖精さんと身を寄せ合いながら、そんなことを笑って言える大尉さんがなんだか悪魔のように思えてしまって、余計に体が震えてしまう有様だった。

 

409: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:22:04.27 ID:uZPGgDjMo



 私と妖精さんは、通された応接室から出た。

もう、心臓がドクドクと大きく早く脈打っていて、口から出てきてしまいそうなほどだ。

それでも…竜娘ちゃんを助けるためには、裏口の鍵を開けて魔導士さんとトロールさんに忍び込んでもらうしかない。

いっそのこと、大尉さんに鍵を開けに行ってもらって、私と妖精さんは待っていたい、とも言ってみようかと思ったけど、

応接室に残されたままでいるのもそれはそれで恐ろしい。

 私は、出来る限り大きく息を吸い込んで、そして大きく吐き出す。それから、両手でペシっと自分の頬を叩いて気持ちを整える。

そうだ、怖いけど、私には守ってくれる人がいる。

でも、竜娘ちゃんはそうじゃないかも知れないんだ。

こんなところで、気持ちで負けているわけにはいかない。

 私の着ていたボロボロの服の裾を妖精さんがギュっと握った。

私は、妖精さんの手の上に、自分の手を添えてあげながら

「行こう、妖精さん。パッと行って、パッと済ませて来ちゃえば、きっと大丈夫」

と言ってあげた。

妖精さんはそんな私の言葉に、相変わらず体をこわばらせたままだけど、コクリ、とうなずいてくれた。

 私は、ポケットにしまっておいた地図を取り出してそっと広げる。

魔導士さんは、一階の大まかな見取り図を描いてくれた。

その地図の上で、自分たちが今どこに居るかを確認する。

 私達は建物の入り口から入ったところの廊下を右に曲がった。その廊下の突き当りを左に行って、建物の奥の部屋…応接間に通された。

裏口は、入り口から入って左に曲がって行き、さらにその先を右へ曲がった廊下の奥にある。

応接間とはちょうど正反対の場所の廊下のようだ。

 廊下はひっそりとしていて、誰かが歩いている気配はない。

もっといろんな人が歩いていてくれれば紛れ込みやすいのに、これほど人がいないと、かえって私達の存在が目立ってしまう。

ただでさえ、魔導協会のローブなんて着ていなくって、こんなボロボロで汚れたかっこうだ。

協会の人でなくたって、心配してか、怪しんでか声をかけてくるに違いない。

 そうなったらもう、誤魔化すほかにやりようがない。

本当なら妖精さんの魔法で姿を消してしまえば簡単なんだろうけど、それは神官の一族の人に感づかれてしまうかもしれないから、

今はまだ使っちゃダメだと言われている。

とにかく、このままなんとかして裏口まで行くしかないんだ。
 

410: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:22:53.14 ID:uZPGgDjMo

 私は、そう決心を決めてそっと一歩踏み出した。

木の板が敷き詰められている廊下に靴底が触れて、微かな音を立てる。

そんな音以上に、自分の心臓の音や息をする音が大きいように思えてしまって、呼吸もなるべく小さくして、

ゆっくりととにかく音が立たないようにと慎重に廊下を歩く。

 やがて、まっすぐと、右へ折れる道とに廊下が分かれた。これを、右へ行けば入って来た入り口のはず。

私は息をひそめてこっそりと曲がり角から顔を出して、先の様子を伺った。

 入り口の前には警備のためなのか、魔導協会のローブを着こんだ人が二人、身じろぎもせずにじっと立っている。

でもあそこの前を通らないと、反対側へは行けそうにない…

なにか、うまく誤魔化さないと…

私はそう思って、チラリと妖精さんを見た。

妖精さんは身を縮こまらせて、微かにフルフルと震えている。

ふと、その姿を見て、私の頭が閃いた。

パッと地図を広げて、それを確かめてみる…あった。

廊下の向こう側だ…これ、これなら、平気…かも?

 私は地図をポケットにしまって、ゴクリ、と息を飲む。

それからもう一度妖精さんを振り返って、声を落として言った。

「妖精さん、私の言う通りにしてね」

「に、人間ちゃん、行くの?あっち、行くの?」

妖精さんは私に反対するような口調で、そう言って来る。

でも、行かないことには何もできない。

「大丈夫、なんとかするから、着いて来てね」

私は妖精さんにそう伝えて前に立ち、妖精さんの手を引いて、警備の人たちがいる入口へと歩いて行く。

 近づくと、一人が私達に気が付き、もう一人に声をかけて二人してこちらを見やった。

そのうちの一人は、私達を応接室に案内してくれた人だった。

「どうしました?」

まるで私達を探るような視線で男の人が見つめてくる。

「あの…その、ご、ごめんなさい、ゆ、許して下さい…」

私は、そう言って頭を下げる。

「どうされたのだ?」

男の人はさらにそう質問を投げかけてきた。

「その、あの…お姉ちゃんがお手洗いに行きたいって…えっと、勝手に歩き回って、ごめんなさい…」

私はさらにそう言って頭を下げる。

 奴隷とか、捨てられてしまった子ども、っていうがどういうものなのかは分からなかったけど、とにかく、精一杯、そう見えるように演技をして見せた。

きっとそういう子は、周りの人に邪険にされたり、悪い人に利用されたり、汚い物って見られたりしているんじゃないか。

そういうのが怖くて、きっとなんにだってビクビクしているに違いない、ってそう思った。

もちろん、怖くってビクビクしているのは、演技なんかではないんだけど…
 

411: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:24:05.76 ID:uZPGgDjMo

 すると、男の人はやおらその表情を優しくゆがめて言った。

「なるほど。お姉さん思いのしっかりした妹さんですね。お手洗いは、この先を右に行ったところにありますよ。

 空色に塗ってあるドアがそうですから、間違えないようにしてくださいね」

「ご、ごめんなさい…その、あ、あ、ありがとうございます」

私はまたそうやって謝って頭を下げる。

 二人が道を開けてくれたので、私は妖精さんの手を引いて入り口の前を通って廊下の奥へと進む。

怪しまれないように、今までと同じ速さで、慎重にゆっくりと足を進める。

ドクン、ドクンと、心臓がさらに高鳴っているのが分かる。

廊下の角まではあと二十歩ほど。

早くあの角を曲がりたい。

姿を隠したい。

そんな焦る思いを無理やりに抑えつけて、とにかくゆっくりと、身をこわばらせたまま廊下を進む。

「あぁ、ちょっとお待ちなさい」

不意に、背後からそう声が掛かったので、ビクリ、と体と心臓が飛び上った。

私の手を握る妖精さんの手に力がこもるのが感じられる。

私は、それでも逃げる分けにもいかず、ドキドキしながら警備の人たちの方を振り返った。

「は、は、はい、ごめんなさい、なにか、いけないことしちゃったんでしょうか…?」

私がそう聞いてみると、警備の人はまた優しい笑顔で

「そんなにおびえなくとも大丈夫ですよ。ここの孤児院でお預かりできるかは分かりませんが、

 少なくともここには、あなた方をひどい目に遭わせるような者はおりませんから御安心なさい」

と言ってくれた。

 ふと、そんな言葉を聞いてお姉さんや魔導士さんの話が頭をよぎった。

ここは、魔導協会。

お姉さんや魔導士さん、十六号さん達を閉じ込めて、無理やりに勇者の修業をさせて、要らなくなったら捨ててしまうような人がいるところ。

お姉さんが、私達がここに来ることに反対していたのは、捕まれば実験台にされてしまうかもしれない、って思っていたからだ。

私が竜娘ちゃんを助けたいって思ったのだって、そんなひどい目にあっているかもしれない、って考えたからだ。

ーーーひどい目に遭わせるような人はいない…?

私は、その言葉になぜかお腹の辺りが熱くなるのを感じた。

ムカムカと、落ち着かない心地がこみ上げてくる。

よくもそんなことが言えるよね…

お姉さんや魔導士さんやみんながここでされたことをどんな風に感じていたか、どんなに辛かったか…

子どもの私でさえ想像が出来るのに、同じところにいるあなた達にはそれが分からなかったの?

それとも、分かっていてそんなことが言えるの?

どっちにしたって、今の言葉は…信じられない。

信じられないどころか…ひどい言葉だ…お姉さんやみんなの気持ちを蔑ろにして傷つけるような、そんな言葉だ…
 

412: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:24:46.75 ID:uZPGgDjMo

 私の胸にこみ上げていたもの。それは、怒りだった。

あまりにも白々しい。あまりにもわざとらしいその言葉に、私はどうしたって不快感を隠せなかった。

でも、次の瞬間、私の手を握っていた妖精さんの手にこれまで以上にぎゅっと力がこもったのが感じられて、私は我に返った。

そうだ、今は怒っているときなんかじゃない。

とにかく、裏口の鍵を外しに行かなきゃいけないんだ。

「そ、その…えっと、はい…ありがとうございます」

私はそう、おびえた演技を続けながら言って、もう一度頭を下げると妖精さんの手を引いて廊下の突き当りまで歩き、そこを右に曲がった。

廊下の先に、もう人の姿はない。

 私はそれを確かめて、大きくふうっと息を吐いた。

胸の中に溜めこんでいたいろんな気持ちが少しだけ吐き出せて、微かに気持ちが落ち着いてくる。

あの男の人が言った言葉、許せない…妖精さんが気が付かせてくれなかったら、何かを言い返してしまっていたかもしれない。

「ありがとう、妖精さん」

「う、ううん…お、落ち着かないと…ね」

妖精さんは相変わらず体をこわばらせてはいたけど、それでも、応接室を出たばかりのときとは違って、少しだけ余裕のある表情にも見えた。

「うん、ごめんね。行こう、裏口はこの先だと思う」

私は小声でそう言い、妖精さんがうなずいたのを見て、また廊下を進んでいく。

すると、さらにその先に、曲がり角がある。ここを右だ…

角に立って、そっと角の向こうを覗く。

そこに見えるのは、ドアがいくつかとそれから廊下の右側には階段があった。

地図通りだと、一番奥にある廊下の左にあるドアが裏口のドアのはず。

 私はこれまでと同じように慎重に歩いて、その前まで行く。

木でできた少し頑丈そうなそのドアには、内鍵がかけられていた。

魔導士さんの魔法を使えばこんなのは簡単に壊せるんだろうけど…魔法が使えないと不便だな…

そんなことを思いながら、私はそっと内鍵を開けて、ドアのノブを回した。

 ガチャリ、と音がしてドアが開く。

隙間から外の明るい光が差し込んできて、すこしまぶしい。

と、次の瞬間、その隙間から魔導士さんとトロールさんが顔をのぞかせた。
  

413: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:25:24.12 ID:uZPGgDjMo

 二人の姿を見た私は思わず安心してしまって、ホッとため息が出る。

 「良くやった。あとは戻って、大尉と一緒にここを出ろ。あとは俺たちでやる」

魔導士さんがそう言いながら中へと入って来た。

私はとにかくその言葉に頷いて見せると、魔導士さんが不意に私の額に触れた。

「汗だくだな…」

その手触りはとても優しくて、私は全身からふっと力が抜けそうになるのをなんとかこらえた。

それから魔導士さんは妖精さんを見やると

「お前もよく頑張ってるな。安心しろ、今のお前なら、かつて人間がしたような目に遭わされることはない。

 もしものときは全力で抵抗すれば、並のやつらならどうとでもなる」

その言葉に、妖精さんもコクリと安心したような表情でうなずた。

 いつも無表情の魔導士さんだけど、お姉さんが言っていたように、

皆が慕っているように、とっても優しくて思いやりのある人なんだ、っていうのが、初めて感じられたような気がした。

 そんなことを思ったら気持ちに余裕が出て来たのか、ふと、そばにいたトロールさんの表情が見えた。

トロールさんは、不思議とずっと見て来ていたように思える人間に戻った顔をピシッと引き締めて、じっと私達を見つめてくれていた。

「トロールさん、気を付けてね」

私はトロールさんにそう声をかける。

トロールさんは私に頷いて見せて

「分かってる。人間も妖精も、気を付けろ」

と魔導士さんがしてくれったのと同じように優しく、私の頭を撫でてくれた。

 「よし、トロール、行くぞ」

「ああ」

魔導士さんの言葉に、トロールさんは身を起こした。

 「この階段だ。おそらくあの子は昨日と同じ幽閉塔にいる。上だ」

「分かった」

二人はそう確認し合うと、気配を殺して階段を駆け上がっていった。

 私はその後ろ姿を妖精さんと二人で見送る。

その姿が見えなくなるったとき、ポン、と私の肩に妖精さんの手が置かれた。

「行こう、人間ちゃん。私達がここにいると、迷惑になっちゃうかもしれない」

そんなことを言って来た妖精さんを見上げたらさっきまでの表情はどこへやらで、なんだか吹っ切れたような、りりしい表情をしていた。

「うん」

さっきまで怖がってたのに、なんて意地悪なことは言えるはずもない。

何しろ私は戦えないんだ。

妖精さんがこうしてしっかりしてくれるのは、頼もしい限りだ。
 

414: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:26:15.94 ID:uZPGgDjMo

 私は、それでもあの警備の人たちに怪しまれないように、と、さっきと同じように妖精さんの手を引いて廊下を戻る。

最初の角を左に曲がって、次の角へと向かっている時だった。

角の向こうから、こっちへ歩いてくる足音が聞こえた。

 ギュっと、緊張感が高まる。でも、さっきはうまく行った。同じ方法で誤魔化せば、大丈夫なはずだ。

空色にぬられたお手洗いのドアはもう通り過ぎたし、お手洗いにはちゃんと行けた、と言っておけば怪しまれないはず。

 私はそう考えて、緊張を押し込めながら足を進める。

と、廊下の先に協会のローブを羽織った人が姿を現した。

背丈はそれほど大きくはない。

さっきの警備の人たちではなさそうだ。

 「あら?」

そのローブの人は、私達に気が付いてそう声をあげてフードを脱いだ。

そこから覗いたのは、死んじゃったお母さんよりも少し年上くらいの女の人だった。

「どうされました?」

女の人は、優しい声色で私達にそう声をかけてくる。

 私は、さっきと同じように身を固くした。

怖いけど、さっきほどではない。

今回は、意識してさっきよりもワザと怖がっている振りをした。

「あ、あの、その…お手洗いを、お借りしました…」

私が言うと女の人は

「そう」

とまた柔らかな笑顔を見せて、

私達の前まで歩いてきた。

それからしげしげと私達を見つめて

「あなた方が、戦争で家族を亡くされた方たちでしょうか?」

と尋ねてくる。
 

415: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:26:58.09 ID:uZPGgDjMo

 どうやら、私達の話を聞いた人のようだ。

それなら、きっと私の演技も信じてもらえる。

私はそんなことを思いながらコクリとうなずいた。

すると、彼女の表情がみるみる悲しみの色に染まっていく。

「大変だったことでしょう…ご安心してくださいね。一時であれば、協会で保護させていただくことも出来ると思いますので」

そんなことを言いながら、彼女は私達の前にしゃがみ込んで私の顔を覗き込んできた。

 じっと私を見つめるその瞳は優しく穏やかで、まるでお母さんに見つめられているような、そんな風に感じてしまう。

そっと伸びて来た女の人の手を、私はほとんど警戒もしないで受け入れていた。

柔らかな手の平が私の額に押し当てられて、優しく私の額を撫でる。

 ふと、私はその手の平が、穏やかに温かくなるのを感じた。

「あっ!」

次の瞬間、妖精さんがそう叫ぶ声が聞こえた。

ーーーえ!?

そう声を出す間もなく、私は妖精さんに抱えられて、五歩ほどの距離を飛びのいていた。

 廊下の先で、女の人がやおらに立ち上がる。

その表情は、さっきまでの優しい笑みとは違っていた。

いや、それだけじゃない。

さっきまでお母さんより少し年上くらいに見えていたのに、そこに立っているのはもっとずっと年上…

私のことを預かってくれていた隣のおばちゃんと同じくらいの、中年の女の人の顔になっていた。

「そう…あの子が来ているの…」

女の人は、静かにそう言った。

なに…?

一体、何があったの…?

私はそう思って、妖精さんを見上げる。

妖精さんは、苦しそうな表情で私に言った。

「読心魔法だよ…!」

ドクシン…?心を読む魔法、ってこと…!?

私はそれを聞いて、ようやく理解した。

そして、自分の置かれた状況も把握できた。

しまった…バレたんだ…!
 

416: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:27:40.12 ID:uZPGgDjMo

 バッと布ずれの音がして、妖精さんが片腕を振り上げた。

「人間ちゃん、離れないで!」

妖精さんがそう叫ぶので、私はその体にしがみつく。

次の瞬間、パパパっとあたりに閃光が走り、次いで狭い廊下の中を強烈な風が吹き始めた。

「姿を消してるからね、喋らないで、そのまま掴まってて!」

妖精さんの声が聞こえた。

見れば、私の体も妖精さんの姿も見えない。

魔導士さんの魔法陣で力を増幅させた妖精さんは、とっておきのあの魔法を前よりも自由に使うことが出来るようになったんだ。

吹き荒れる風の中を妖精さんが走っていく。

私は振り落とされないように、とにかく見えない妖精さんの体にしがみついた。

でも、私達の進行方向に居た女の人は慌てた様子も見せずに

「お待ちなさい」

とぼそりと口にすると、右腕を払った。

そのとたん、吹き荒れていた風がやみ、廊下に入り込んでいた窓からの光が暗くなる。

すると、見えなくなっていたはずの私達の体が色を取り戻してしまう。

「そ、そんな…!」

妖精さんが慌てた様子で立ち止まった。

妖精さんのとっておきの魔法が、打ち消されちゃったの…?

そんなこと、人間の魔法では出来ちゃうの?

…人間の魔法?

でも、待って…あの女の人、今、魔法陣を使ったの?

十六号さん達が魔法を使うときは、いつだって魔法陣が浮かび上がって、そこから魔法が放たれていた。

そうじゃない時でも、必ず体のどこかに魔法陣が掘ってあったはず。

体の魔法陣は見えないから分からないけど、すくなくとも今は、魔法陣が目の前に浮かび上がったりはしなかった。

それに、人間の魔法は自分の力を増幅させるもの。

自然の力を操ったりは出来ないはずだ。

でも、今、この女の人は、まるで妖精さんやサキュバスさんが魔法を使うときと同じような感覚で風を止め、窓から入ってくる光を曲げた。

サキュバスさんと、同じように…も、もしかして…この人が…

「サキュバス様と同じ、神官の一族…!」

妖精さんが苦しそうにそう声を出した。
 

417: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:28:24.85 ID:uZPGgDjMo

 こ、この人が、魔導士さん達が言っていた…あの…あの…!

「誰がオニババ、なんでしょうかね?」

女の人はそう言うと、気味悪くその表情をゆがめた。

すると今度は私達を強烈な風が襲って来る。

「くぅっ…!」

妖精さんがそう声を漏らしながら、両手を前に突き出した。

すると、窓から入ってくる明かりが急激に強くなり、目を開けていられないほどにまぶしくなる。

同時に、廊下の温度が急激に上がって私は全身に熱を感じた。

蒸し暑いとかそういう程度じゃない。まるで、火あぶりにされているような温度だ…!

「なるほど…増強の魔法陣を仕込まれた土の民ですか」

土の民…?

魔族のこと?

女の人の言葉にそんな疑問を持った次の瞬間、私は眩しい中に、魔法陣が浮かび上がるのを見た。

「妖精さん、気を付けて!」

そう叫んだとき、急激にパシパシっと何かが割れるような音が廊下中に響いた。

 瞬時に廊下を凍てつかせる氷が多い、窓からの光が遮られる。

今のは、人間の魔法だ…!

そうだ、間違いない、この人が神官の一族なんだ…!

「あぁっ!?」

不意に妖精さんがそう声を挙げた。

「妖精さん、大丈夫?!」

「つ、捕まった…!」

見ると、妖精さんの足が氷の中に埋もれて、身動きが出来ない状態になっていた。

マズい…妖精さんは光の魔法と風の魔法を使えるのに、光は窓を氷で覆われて十分に入ってこない。

風の魔法は、あの神官の一族の人に打ち消されてしまった。

このままじゃ、妖精さんがやられちゃう…!

 私は、そう思って妖精さんの体から離れた。

今日はダガーは持ってない。私に出来ることなんかない。

でも、わずかでも時間を稼げれば、妖精さんがあの氷から抜け出す隙だけでも生み出せれば…!

「やめて!」

私はそう叫んで、氷に覆われた廊下を、神官の一族に向かって突進した。

「ダメ、人間ちゃん!」

妖精さんが叫ぶ声が聞こえる。

妖精さん、早く、抜け出して…!

「勇ましいお嬢さんですこと」

神官の一族は、慌てた様子も見せないで私に向かって手を振り上げた。

魔法が来る…!風の魔法?それとも、人間の魔法…!?

ううん、どっちにしたって私には防げないし、どうしようもない。

とにかく、あの人の邪魔をしないと妖精さんが…!
 

418: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:29:25.76 ID:uZPGgDjMo

 私は覚悟を決めて神官の一族の人に飛びかかった。

でも次の瞬間、何か強烈な力に体を弾かれて、飛びかかった勢いよりも強く、後ろに弾き飛ばされてしまう。

全身がひどく痛んで、思わず体を丸めてしまう。

 神官の一族は、凍った廊下をヒタリ、ヒタリと足音をさせて妖精さんに近づいた。

妖精さんは必死に足元の氷から抜け出そうとしているけど、ピシピシと音を立てるだけで、抜ける気配はこれっぽっちもない。

「さて、あの子のところに行かないといけませんのでね…こちらは終わりにいたしましょう」

神官の一族はそう言って妖精さんの顔の前に手を振り上げた。

 あぁ、ダメ―――やめて!

 そう叫ぼうとした次の瞬間だった。

ドゴン、と言う爆発音とともにあたりが粉塵のようなもので包まれた。

「妖精さん!」

私は、悪くなった視界で見えなくなった妖精さんにそう呼びかける。

 そんな私の声に応えたのは、妖精さんでも、神官の一族の声でもなかった。

「ふっふー!間一髪、危なかったぁ!」

この声…!

巻き上がる土ぼこりか煙かの隙間から見えたのは、大尉さんの姿だった。

「大尉さん!」

「おチビちゃん、妖精ちゃん連れて連隊長を追いかけて!」

「でも、大尉さん!」

「あたしはいいから!あなた、連隊長と合流しないと結局帰れないでしょ!?早く行って!」

私の言葉に大尉さんはそう言うと、手をかざして魔法陣を浮かべた。

 バキャっと鈍い音がして、妖精さんの足を固めていた氷がひしゃげて割れる。

「大尉さん、この女、すごく強いですよ!」

妖精さんがそう叫びながら私を抱き上げてくれる。

「大丈夫、あたしもちょっとは心得あるしね!時間稼いで適当なところで逃げるから!」

大尉さんはそう返事をしながら、両腕に魔法陣を浮き上がらせた。

その両腕に陽炎がまとわりつき、激しい炎が巻き上がる。

「おりゃぁぁぁ!」

大尉さんがその両手を突き出すと、炎が一気に廊下を包み込んだ。

「何事だ!?」

「賊です!すぐにマルゴウを三番塔に向かわせなさい!」

物音を聞きつけたのか、どこからか叫ぶ声が聞こえ、さらに神官の一族がその声にこたえている。

人が来る…もたもたしている時間はない…!

「妖精さん、行こう!」

「…うん!」

私は妖精さんに声をかける。

妖精さんも、口をまっすぐに結んでそう返事をしてくれた。
 

419: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:30:29.17 ID:uZPGgDjMo

 私は妖精さんの腕から飛び降りて、もと来た廊下を走った。

角を曲がった先の階段にたどり着き、そこを必死に駆け上がっていく。

 ドカン、と再び大きな音が聞こえた。

でも、今度のは上からだ。

魔導士さん達に違いない。

 私はさらに薄暗い階段を駆け上がる。どれくらい上ったか、その先には人の姿があった。

慌てて足を止めようと思うのと、妖精さんが後ろから私の前に躍り出てくるのとが同時だった。

「このぉ…あっ」

妖精さんが何かを叫ぼうとして、そんな声を漏らした。

「よ、妖精…?今の音は…うがっ」

別の声が聞こえた、と思ったら、妖精さんの向こうに居た人影が壁に勢いよく打ち付けられる。

「わぁぁっ、トロール、ごめん!」

壁から床に崩れ落ちたのは、人間の姿になったトロールさんだった。

「うぐっ…大丈夫だ。それより、今の音は?」

「神官の一族って人にバレちゃったの!今、大尉さんが戦ってくれてるけど、すごく強くて…早く竜娘ちゃんを助け出さないと!」

私はトロールさんを助け起こしながらそう伝えた。

トロールさんはそれを聞くや、顔をさらに引き締めて

「急ぐぞ」

と私の体を背負いこんだ。

 「トロールはどうしてここに?」

「音がしたから、足止めに残った。魔導士は上に行った」

妖精さんの問いに、トロールさんは答えながら階段をさらに駆け上がる。

その先は少し広い踊り場になっていて、階段が三つに分かれていた。

トロールさんは迷うことなくその中の一つを選んだ。

 そこはらせん階段になっていて、グルグルと円を描く様な構造になっている。この先が、あの塔の上の部屋なんだろうか?

そんなことを思っている間に、階段の先に大穴の空いたドアが見えて来た。

トロールさんと背負われた私に、それから妖精さんがその穴をくぐってドアの先に行くと、そこは小さな部屋になっていた。

ベッドに、部屋を埋め尽くすほどの本が置かれ、大きな窓もある。お手洗いかお風呂なのか、小さな部屋に似つかわしい小さなドアが別もあった。
 

420: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:31:03.59 ID:uZPGgDjMo

 その部屋の真ん中で、魔導士さんが赤い髪をした女の子と向き合っていた。

女の子は、魔導士さんを鋭い視線で睨み付けている。

その瞳は、まるで羊の物のようで、あの悪魔のような姿になったお姉さんと同じ、縦長をしていた。

この子が、竜娘ちゃんだ…人間と、竜族の間に生まれた、っていう…

「竜娘…!」

トロールさんがそう声をあげると、竜娘ちゃんは自分を呼ばれたことにハッとした様子でトロールさんを見やる。

私がトロールさんの背中から飛び降りると、トロールさんは、おずおずと竜娘ちゃんの前に歩み出て、ゆっくりと膝を折って跪いた。

「竜娘…オイだ。魔王様にお前を任された…トロールだ」

トロールさんは、絞り出すような声色でそう言った。

とたんに、厳しい表所をしていた竜娘ちゃんの顔がみるみると緩んでいく。

「…トロール…?あの、トロール様なのですか?」

竜娘は、跪いたトロールさんの前にしゃがみ込んで、その顔を覗き込むようにして尋ねた。

「はい…」

トロールさんは、申し訳なさそうにそう返事をした。でも、それとは反対に、竜娘ちゃんはハラリと涙を溢してトロールさんの両の手を握って

「良かった…ご無事だったのですね…!」

と声をあげる。

「竜娘…すまなかった…オイが、戦えなかったばかりに…」

「いいのです…もとより、お逃げくださいと頼んだのは私です。あぁ、本当にご無事でよかった…!」

二人はそんな言葉を交わしていく。

 きっと感動の再会なのだろうけど、私の心は穏やかではなかった。

下では、大尉さんが必死に戦ってくれているはずだ。

とにかく私達は安全なところに逃げて、それから大尉さんを助けて、って魔導士さんにお願いしないと…!

「下で何があった?」

そんな私と同じ思いだったようで、魔導士さんが私達に聞いてくる。

「ごめんなさい、魔導士さん!私が神官の一族の人にバレちゃって…!」

「読心魔法で心を読まれたです…人間ちゃんは、悪くないです!私が油断して…!」

私の言葉に、妖精さんがそう言い返してくる。でも、魔導士さんは

「そんなことは良い。無事でよかった。どうやってここまで逃げて来た?」

と先を促してくる。そう、そうだ。今は大尉さんのこと、だ。

「大尉さんが助けてくれて、今、下で神官の一族の人と戦ってくれてます…!」

「あいつが…!?そうか…あいつ、そこまで…」

魔導士さんは微かにギリっと歯噛みして、それから気を取り直したように言った。

「お前たちを城へ送る。それからすぐにここへ戻って、大尉も城へ連れ出そう。しくじった、とあいつに言っておいてくれ。

 あいつにこれ以上、人の命を取らせたくはないが…今は大尉のことが最優先だ」

「はい!」

私は魔導士さんの言葉にそううなずく。

「はいです!」

私に続いて、妖精さんもそう答えた。
 

421: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:31:51.08 ID:uZPGgDjMo

 そんな時だった。下の方で、ズズン、と重い音がしたと思ったら、部屋が大きくぐらり、と揺れた。

床がビシビシと音を立ててひび割れ、浮かび上がった魔法陣がすうっと消えて行く。

「な、なに!?」

一瞬、何が起こったのかが分からずそう声をあげた私は、自分の体が宙に浮いていることに気が付かなかった。

でも、次の瞬間、体を襲うふわりとした感覚を覚えて、私は分かった。

―――落ちてる!?

私は、ハッとして窓の外を見やった。そこには、真横に傾いた城下街の景色が見えていた。

―――塔を、壊されたんだ…!

「くそっ…!」

魔導士さんのそんな苦しそうな声が聞こえた。

 ガツン、と体が部屋の壁に打ち付けられた。

地面に激突したのかと思ったけれど、窓の外の景色は傾いたまま、部屋はまだ空中にある。

魔導士さんを見やると、微かに空中に浮き、足元にはさっきとは違う魔法陣が輝いている。

空中に、浮いてるの…?

そう言えば、魔導士さんが東の城塞に来てくれた時も、空に浮いていた。あのときと同じ魔法を使っているのかな…?

「羽根妖精、浮遊魔法は使えるか…?」

魔導士さんは、少し表情を苦しげにゆがめて妖精さんにそう聞く。

「つ、使えるです!」

「追手だ。南南西に向かえば、砂漠の街に着く。そこを目指せ」

妖精さんの言葉に、魔導士さんがそう指示をした。

 妖精さんは、自分が浮いたり、物を浮かせたりすることも出来ていた。

風の魔法の応用だ、って言っていたけど、魔法陣の力のある妖精さんだったら、私とトロールさんに竜娘ちゃんをまとめて浮かせておくこともきっと出来るはずだ。

「わ、分かったです!」

「頼むぞ」

そう言うと、魔導士さんはすっと拳を握り、その手に魔法陣をまとわせるとまっすぐ前に突き出した。

 ドカン、と音がして、部屋の壁が吹き飛んだ。

外には、真っ青な空が広がっている。

「行くです!」

妖精さんの声と共に、体がふわりと浮きあがった。
 

422: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:32:49.23 ID:uZPGgDjMo

 魔導士さんが空中を自分の足で歩く様に部屋の外に出て行き、妖精さんの魔法で浮かされた私達もそのあとへと続く。

外に出ると、塔のあった魔導協会の建物を見下ろしていた。

 その視線の先には、誰かがいた。

体の小さな…私や、竜娘ちゃんくらいの子どもに見えるくらいの幼い人だ。

魔導協会の物みたいだけどローブとは違う立派そうなマントを羽織り、その下にはこれも上等そうな軽鎧を身に着けている。

右手には剣を、左手には盾を持っていて、その顔は、仮面のようなものも付けている。

そのせいで顔は見ることはできないけど…一目見て、あの人がこの塔を折ったんだろう、ってことはなんとなく分かった。

 「手を引け。俺は強いぞ?」

魔導士さんがそう言う。すると、仮面の人はこっちを見上げて言った。

「私はもっと強いよ」

仮面の人は、そう言った。

私、って言った?女の人なの?お、女の子…?

「そうなのか?それなら、どうしてこんな奴らの言いなりになっている?」

魔導士さんが、仮面の人を探る様にそう聞く。すると仮面の人は剣を魔導士さんに向けて言った。

「悪い人に奪われた私を取り戻すため」

次の瞬間、仮面の人の右腕から何かが漏れ始めた。

最初はほのかで良くわからなかったけど、次第にそれはほのかに色を帯び始め、そして輝きだした。

「な、なんだと…!」

仮面の人の右腕には、青く輝く紋章が刻まれていた。

それは…お姉さんの腕に描かれた、勇者の紋章と同じに、私には見えた。

「死んで」

仮面の人は小さな声でそう言うと、パッとその場から姿を消した。

「ちぃっ!」

気が付いたときには、声を漏らしながら腕を突き出した魔導士さんが作り出した魔法陣に仮面の人が衝突していた。

「強力な物理魔法…無駄…」

仮面の人はそう言うと、剣を一閃、振りぬいた。

空中に描かれた魔法陣が切り裂かれる様にして消えて行く。

「悪く思うなよ…!」

でも、魔導士さんが少しも動じずに、腕から黄色く光る閃光を発した。

か、雷の魔法…!
 

423: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:33:31.80 ID:uZPGgDjMo

 魔導士さんの腕から何本もの雷が仮面の人に襲い掛かる。

でも、仮面の人は盾を構えると体の前に魔導士さんの魔法と同じように黄色く輝く魔法陣を浮かび上がらせた。

魔導士さんの雷が、それに引き寄せられるようにほとばしって霧散する。

 私は、息を飲んでいた。

これが、魔法同士の戦いなの…?

お姉さんが偽物の勇者と戦ったときなんかとは比べ物にならない。

私なんかじゃ、逃げることすらできないかもしれないくらい…強力で早い…

 だけど。

私はそれ以上に、驚きを隠せなかった。

攻撃を受けていた魔導士さんの表情が、歪んでいたからだ。

それは、苦しさでも、悲しさでもない。

明らかな、憎しみに、だった。

「貴様…十五号を知っているな…?」

魔導士さんは静かに言った。でも、その表情は穏やかではない。

その言葉に、仮面の人は首を傾げた。

「…誰?」

「川辺の街…そこに暮らしていた子ども達の一人だ」

「二年前…川辺の街…?あぁ、知ってる」

仮面の人は、言った。

「私が殺した。私を取り戻すために」

えっ…?

こ、この人が…?

勇者の紋章を持っているこの仮面の子どもが、十五号さんを殺したの…?

「私を取り戻す」ってどういうこと…?

この人は、みんなに何かを奪われたの…?

私はその言葉が理解できずに、頭が真っ白になった。
 

424: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:34:45.15 ID:uZPGgDjMo

 そんなときズドン、と地上の方で音がした。

ハッとして見下ろすとそこには、もうもうと土煙が立ち上っていて、その真ん中に、人の姿があった。

あれ…大尉さんだ!

「大尉さん!」

私は思わず声をあげる。

すると、その声が届いたのか、大尉さんがこっちを向いた。

「逃げて!」

「あっ!」

大尉さんの叫び声と、妖精さんの小さな悲鳴が重なった。

 ハッとして顔をあげるとそこには、宙に浮かぶ、魔導協会のローブを来た中年の女性、あの神官の一族の人の姿があった。

彼女は、私に腕を突き出して、その先に魔法陣を浮かべていた。

 なにかされる…!

私は直感して、全身が凍り付いた。空中じゃ、逃げようもない。体を腕でかばうこともできなかった。

神官の一族の人の腕から白く光る粒のような物が噴き出して、私めがけて飛んでくる。

 それが小さな氷の刃だと気が付いたときには、もう私との距離はほんの数歩程度だった。

ダメだ―――!

私はようやく体を動かして身を丸めた。

全身を襲うだろう痛みに恐怖して、体をこわばらせる。

でも、

痛みは一向にやって来ない。

痛くも、冷たくもない…

私、魔法を撃たれたんじゃないの…?

 そう思っておそるおそる顔をあげると、そこには私達をかばうように、大きな岩盤が空中に浮かんでいた。

岩…?つ、土の魔法…?

こ、これって、トロールさん…?

私はそのことに気が付いて、トロールさんを見やった。すると、トロールさんは竜娘ちゃんから体を離して、全身に緑色の光をまとわせていた。

「羽根妖精…二人を頼む…!」

「トロール、何する気!?」

「おいも、戦う…!」

妖精さんの声に、トロールさんは答えた。

私は、そんなトロールさんの体が膨れ上がっていくのを見た。
 

425: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:35:36.11 ID:uZPGgDjMo

 確か、トロールさんは魔力であの大きな体を練成しているんだ、ってお姉さんは言ってた。

魔族の魔法を使えて、それを魔導士さんの魔法陣で増幅させてるトロールさんなら、あの姿に戻るのもきっと簡単なんだろう。

トロールさんが、あの大きな「トロール」の姿に戻る…

 私はそれに気が付いて、思わず叫んでいた。

「ダメ!トロールさん!」

そう、ここは人間界なんだ。しかも、人間界の中枢の王都だ。下には人間の人達がいっぱいいる。

そんな中で、魔導協会を“襲った”私達が魔族であることを示したら…トロールさんがあの姿で暴れてしまえば…

今度こそ、止められない戦争になってしまうかもしれない。

王都に、人間界の中枢に魔族が攻め込んだってことになってしまうからだ。

それは、人買いに売られ、魔界に竜娘ちゃんのお母さんって人を助けるために魔族と戦った人たちを同じ…

理由はどうあれ、そこに住んでいる人たちを傷つけることに変わりはない。

「うがぁぁぁ!」

だけど、私の声はトロールさんのあの雷鳴のような雄たけびにかき消されて届かなかった。

トロールさんは体を膨らませ続ける。

今はまだ土と石がまとわりついているだけのように見えるけど、もしこれがトロールの姿になったら…

どうしよう…こんなのダメ、ダメだよ…お姉さんが悲しむ…それだけは絶対にダメっ…!

「トロールさん、やめて!!!」

私が込みあがる思いに耐えかねて、そう叫んだときだった。

トロールさんの体に何かが飛んできて、土と石で覆われた“鎧”を貫いた。

 あっ、と声を出す暇もなかった。

私が見たのは、トロールさんの体を覆う、“鎧”を打ち壊して、トロールさんのお腹に拳を沈める大尉さんの姿だった。

「熱くなりすぎ…それはあんまりうまくないと思うな、きっと」

大尉さんはそう言いながら、トロールさんの体をかばいつつ、空中に横たえた。

「大尉さん…」

「あぁ、ごめんね。叫んでも止まらなかったから、これが一番かと思って…大丈夫、ちょっと気絶させただけだから」

大尉さんは、ボロボロの身なりでそう言い、クスっと無邪気に笑った。

あちこちから血が出て、火傷なのか凍傷なのか分からない痕もいっぱいできている。

それでも、大尉さんは笑って言った。

「さって、逃げようか。あたしが援護するから、妖精ちゃん、三人を無事に運んでね」

「はいです…!」

大尉さんの言葉に、妖精さんがそう返事をした。すると大尉さんは満足そうな笑顔を見せて、スイっと空を滑る様にして私の前までやってくる。

そして、私と神官の一族との間に割って入る様に位置取った。

 「連隊長、冷静にね。たぶんこれ、あたしら勝てないよ」

魔導士さんの表情に気が付いたのか、大尉さんがそんなことを言う。

でも、魔導士さんはそんなの聞いていない。

 魔導士さんは両腕を広げると、空中のあちこちに魔法陣を描き出してそこから仮面の人に雷を降らせた。

空気がびりびりと振動するほどのすさまじい雷鳴が鳴り響くけれど、仮面の人はあの黄色に輝く魔法陣でそれを難なく打ち消している。

あれが、勇者、っていうものの力なんだ…雷もものともしないあの力が…
 

426: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:36:44.16 ID:uZPGgDjMo

 「まぁ、仕方ない、か…死ぬ前になんとか回収しよっと。まずは、あのオニババ黙らせないと」

大尉さんは、相変わらずあっけらかんとした様子でそう言うと、両腕と両足をピンと伸ばして何かを呟いた。

 今度は大尉さんの体が、白い光に包まれる。

きれいな大尉さんのブロンドの髪がふわりふわりと風に吹かれるようにして浮き上がり、

やがてその白い光は、大尉さんの背に集まる様にしてその輝きを強め、パッとまぶしく瞬いた。

 その閃光に思わず目を閉じ、すぐに私が瞼をあけてみたのは、大尉さんの背中に一対の白い翼の生えている姿だった。

そう、まるで、絵物語に出てくる天使が背負っているような、大きくて白い翼…

 「天使…様…?」

私は思わずそんなことを呟いてしまう。

するとそれが聞こえたのか、大尉さんが私を振り返って言った。

首から下げていたあの羽根の形をしたネックレスがきらりと光る。

「まぁ、ただのイメージなんだけどね…そんな在り難いものじゃないんだよね、あたし達」

その表情は笑顔だったけど、どこか少し悲しげで、まるでお姉さんの笑顔みたいだな、って、そう思った。

「さて…っと。とにかく…空なら誰にも気を遣うことないし、あたしも全力でやれるからね。掛かって来なよ、宗家のオニババ」

「一族の血を毛ほども継いでいない分家の生き残りが、私の邪魔をするな!」

「見てらんないんだよねぇ、危なっかしくてさ」

ケタケタと答える大尉さんの言葉に、神官の一族のオニババの顔が醜く歪んだ。

「その娘は渡さん!死んで後悔するがいい!」

オニババがそう叫んで、再び私達に向かって両腕を突き出した。

「そうはさせないんだから!」

大尉さんがそれに素早く反応して私達の前に大きな魔法陣を浮かべて、その氷を防いでくれる。

「おのれ…分家の分際で!」

なおも顔を歪めるオニババをよそに、大尉さんは言った。

「妖精ちゃん、早く行って!」

「は、は、はいです!」

妖精さんがそんなハッとしたような声を漏らした。
 

427: ◆EhtsT9zeko 2015/04/28(火) 22:37:25.26 ID:uZPGgDjMo

 次の瞬間、体を何か得体の知れない力に捕まれたように感じ、それに驚いていたら、ものすごい速さで空を移動し始めた。

風がびゅうびゅうに吹き荒れて、息が苦しいくらいだ。

 竜娘ちゃんは支えているつもりなのか、トロールさんにしがみつく様にして私のそばを飛んでいる。

先頭には妖精さんがいて、魔導士さんに描き込まれた魔法陣を光らせつつ、小さかったころと同じように背中に光る羽を生やしていた。

 振り返ると、グングンとお城と城下街が遠くなっていく。

そんな王都の上空で、パパパっとあちこちから閃光が上がっていた。

二人が戦っているんだろう。

魔導士さんと、大尉さん、大丈夫かな…?

 もっと考えなきゃいけないことはいっぱいあったんだろう。

あの仮面の子のこととか、神官の一族のこととか、大尉さんのこととか、とにかくいろいろ。

でも私は、そんなことはちっとも頭には思い浮かばなかった。

頭の中には、ただただ、魔導士さんと大尉さんの無事を祈る言葉だけが繰り返し繰り返し湧き上がってくる。

 竜娘ちゃんを助け出した達成感も、無事に抜け出せた安心感もない。

ううん、それだけじゃなかった。

二人の心配をしながら私は、引き返すことのできない分かれ道に一歩足を踏み入れてしまったような、世界を丸ごと放り投げてしまったみたいな

そんな感覚を覚えていた。

 そして、その奇妙な感覚はやがて、私の思わぬ言葉を紡ぎださせていた。

―――お姉さん…この世界は、本当に救うことが出来るのかな…?



 

433: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:10:52.20 ID:8dcBsjPso




 眼下に広がっているのは、一面の砂漠。そのはるか先に、街らしい影が見えてきていた。

 砂漠の中、人の身丈の三倍くらいの城壁で囲まれ、その中にたくさんの家々やお店が集まっている、あの砂漠の街だ。

 「トロールさま、おかげんはいかがですか?」

「オイは大丈夫だ!お前は!?」

「はい、魔導士様達が身を賭してお守りくださいましたので…」

トロールさんは目が覚めて、竜娘ちゃんとそんな話をしていた。

妖精さんは疲れが来ているのか、飛んでいる時間が長くなるに連れて口数が減って今はもうほとんど喋らない。

 私は、と言えば、ついさっきお城で起こったことの一部始終を頭の中で整理しようと一生懸命だった。

 まずは、神官の一族の人のことだ。あの人は確かに魔族の魔法も人間の魔法も使いこなしていた。

人間の魔法も強力だったけど、それ以上に妖精さんの風の魔法を打ち消したり出来ていた、と言うところを考えてみると、

あの人も同じように魔族の魔法を知っていながら、さらに力を魔法陣で増幅させて使っていたのかもしれない。

 強力な魔法をそのまま使えるサキュバスさんに人間の魔法陣を描いて強化したような、そんな感じだった。

きっと、私達の予想は悪い方向に当たってしまっていたんだ。

 そして、もう一つ…天使の翼をまとった大尉さんのことだ。

あれはまるでお姉さんが背中に魔族のような翼と角を生やすのに似ていたし、それ以上に、色や形なんかは違ったけど、

でもその魔法の雰囲気はサキュバスさんのものに近かった。

 あのとき大尉さんは言った。「宗家オニババ」、って。宗家、という言葉は良く知らないけど、その後に出た神官のオニババの言葉の中にあった単語はわかった。

「分家のクセに」みたいなことを言っていたと思う。分家と言うのは当主様じゃない家系のことを言うはずだ。

分家がそのような意味なら、宗家とは逆に当主様のような家系のことを言うのかもしれない。そう考える都浮かび上がってくること。

それは、大尉さんも神官の一族の一人なのかも知れない、と言う事だ。

大尉さんの魔法は魔法陣を使った物以外は見なかったけど、言葉の意味としてはきっと間違ってない。

 そして最後が、あの仮面の子だ。

 腕にで勇者の紋章を付け、十五号さんを殺して、私達をも襲ってきたその理由は「奪われた私を取り返す」ため…

言葉だけ聞けば、それはお姉さんや魔導士さん、十六号さん達があの仮面の子の存在に関わる大事なものを奪ってしまったってことになる。

私には、十六号さん達がそんなことをするとは思えないし、思いたくもない。

もしかしたら、魔法か何かでそう思い込まされているんじゃないのかな…私の心を読むような魔法があるくらいだ。

読むだけじゃなくって書き換える魔法があっても驚かない。

 ただ、でもとにかく、勇者の紋章を付けた人がいるってことはとても大事な情報だ。それも、魔族の平和維持に関わる重大事。

あの子一人ならお姉さんがなんとか相手を出来るだろうけど、お姉さんが持っているはずの勇者の紋章をあの子が持っていたとすれば、

勇者の紋章は複数あったのか、それともあの模様を魔法陣として描くことが出来る人がいる、ってことだ。

もしあそこにあんな子が何人もいて、勇者の紋章を使って戦いを挑んでくるようならお姉さんでももしかしたら…
 

434: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:11:32.56 ID:8dcBsjPso

 そんなことを考えていたら、風の音に混じって妖精さんの叫ぶ声が聞こえた。

「みえた…!」

その言葉に、私は地平線の彼方を見やる。

そこには、あの城壁で囲まれた砂漠の街が見えてきていた。

「妖精、どこへ降りる?」

トロールさんがそう尋ねる。

「魔導士さまと決めてある!街のはずれの、小さなオアシス!」

妖精さんがそう言って指を差す先には、確かに街の中心にあるのとは比べ物にならない位の小さな泉と微かに緑の茂る場所がみえた。

前に街に来たときには行かなかった場所だけど、こうして空から見れば一目瞭然だ。

 ふわり、と微かに落ちる感覚がして、高さがどんどん下がっていく。

やがて私達は、トサっと小さなオアシスのそばの草むらに降り立った。

とたんに、妖精さんが大きくため息をついてその場にへたり込む。

私は、自分の足で地面を踏みつけて、体がちゃんと着地していることを何度も確かめていた。

 「妖精さん、大丈夫?」

私は妖精さんにそう声をかけてあげる。

「うん、平気…それよりも、早く魔王様たちに念信でこのことを伝えないと…」

妖精さんはそう言いながら、四つん這いのかっこうからその場に座りなおすと、額に浮かべた汗を拭って目を閉じ、集中を始めた。

微かに妖精さんの体が光を帯びているのを私は見た。

こういうときは、邪魔をしない方がいい。

声をかけたりなんかしたら、妖精さんを余計に疲れさせてしまいそうな、そんな風に思って、私はトロールさん達の方を見やった。

 トロールさんは、少し脱力したように地面に腰砕けになっているように見えた。

竜娘ちゃんは、降り立つなりすぐにオアシスの泉に駆け出して水際で何かをやっている。

「トロールさん、大丈夫?守ってくれてありがとう」

私は今度はトロールさんのそばに行ってそう声をかける。

トロールさんは、ぼんやりとしながらもコクリコクリと何度かうなずいてから

「あぁ、大丈夫だ…おい達は、逃げられた…のか?」

なんてことを口にした。

 戦いのせいなのか、それとも空を飛んできたせいなのか、トロールさんはがっくり力が抜けてしまったみたいだ。

「トロール様、これでお顔を拭いてください!」

竜娘ちゃんがそう叫びながら戻ってくる。見ると、手には濡らしたハンカチが乗せられていた。

どうやら、泉へはこれを濡らしに行っていたらしい。

 トロールさんはハンカチを受け取ってそれをそっと額に当てる。とたんに、ふぅぅ、と大きく息を吐いてまた全身からクタっと力を抜いた。
 

435: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:12:14.64 ID:8dcBsjPso

 それを見届けた竜娘ちゃんが、今度は私に向き直って深々と頭を下げて来た。

「この度は、あしりがとうございました」

りゅ、竜娘ちゃんって、その、すごく言葉がおしとやかで丁寧だよね…歳は同じくらいのはずなのに、私、丁寧語とか分からないから、すごいなぁ…

なんてことに気が付きつつ、私は

「ううん!それよりも、あそこでひどいことされたりしなかった?」

と、心配をしていたことを聞いてみる。

すると竜娘ちゃんは真剣な表情で私を見つめ、ゆっくりと首を横に振った。

「いいえ。あそこでは、特になにも…もちろん閉じ込められましたし、自由はあまりありませんでしたが…

 たくさんの本を渡されて、すべて読むようにと言われたくらいで」

「本?それって、絵物語とかじゃなくて?」

「はい、歴史書や、魔導書などでした」

それを聞いて、私はホッと胸を撫で下ろした。

どうやら、お姉さん達が言っていたように、実験体にされたり厳しい修行を押し付けられていたわけじゃないらしい。

とにかく、竜娘ちゃんが辛い思いをしていないことは幸いだった。

「あぁ、ダメだ…ちょっと疲れちゃって…」

急に、妖精さんがそんな声をあげてがっくりとうなだれた。

やっぱり、いくら人間の魔法陣で力を増幅させているとは言え、王都からここまで、あんなに早い速度で私達をいっぺんに運ぶのは大変だったらしい。

それを見て、私も竜娘ちゃんがしていたように泉まで小走りで駆けて、着ていたボロ服の裾を破いて水で濡らして妖精さんの元に戻る。

「ありがとう、人間ちゃん」

妖精さんがお礼を言ってくれて、受け取った濡れた布きれを額に乗せ、うー、なんて声をあげた。

「妖精さん、守ってくれて、ありがとう」

そんな妖精さんに、私はお礼を言ってあげる。でも、妖精さんは少し複雑そうな表情をして

「うん…私、怖かっただけだから…人間ちゃんこそ、ありがとう。人間ちゃんが支えてくれたから、私、なんとか正気で居られたよ」

なんて言って来た。それはなんだかくすぐったかったけど、私も妖精さんに守ってもらったし、きっと二人でうまく切り抜けた、なんて思っておくのがいいんだろうと思う。

「うん、妖精さんも、ありがとね」

私がそう改めてお礼を言ったら、妖精さんは観念したように苦笑いを浮かべて

「うん」

とうなずいてくれた。

それから、どさっとその場に倒れ込んで

「ごめん、ほんの少しだけ休ませて。自然の力を取り込むから、ほんの少しだけ」

と私に言って来た。そのほかに、私達が出来ることはない。

念信は風の魔法で言葉を伝える魔法だ、って妖精さんは以前言っていた。

トロールさんには使えないし、私にしても、まだ風の魔法は小さな物に風を当てるくらいしかできないから、妖精さんにお願いするしかない。

「うん、ここは安全みたいだし、平気だよ」

私は妖精さんにそう言ってあげた。

 すると、安心したのか妖精さんはふぅ、とため息を漏らしてから

「魔導士様達、大丈夫かな…」

と急に情けない声色でそんなことを言った。

そう…魔導士さんや大尉さんは、まだ王都で戦っているんだ。
 

436: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:12:58.38 ID:8dcBsjPso

「大丈夫だよ、きっと…」

私は妖精さんにそう声を掛けてあげる。しかし、不安げな妖精さんの表情は変わらない。

確かに、あの神官の一族って言うおばさんも、あの勇者の紋章に見えた魔法陣を使った仮面の子の力は普通じゃなかった。

魔導士さんの力が強いのは十分知っているけど…もし、あの紋章が本当に勇者の紋章と同じくらいの力があるんだとしたら、魔導士さんは敵わないだろう。

大尉さんは、うまく逃げるから、と言っていたけど…あんなすごい術者を二人も相手にして、そう簡単に逃げられるのかどうかは、私にも分からなかった。

 もし妖精さんの念信がお姉さんに届けば、きっとお姉さんは私達を城に送って、それからそのまま王都に向かうだろう。

私はきっとそれを止められない。

そうすることでお姉さんが傷つくのが分かっていても、

そうすることでお姉さんに対する人間側からの憎しみが強くなってしまうと分かっていても、

お姉さんが魔導士さんや協力してくれている大尉さんを見殺しになんてしない人だっていうのが分かってしまっているから…

どんな言葉も、きっと上っ面にしかならない気がする。

 私に出来るのは…きっとそんなお姉さんと一緒に王都に戻って、人間たちからの憎しみを一緒に受けることなんじゃないか…

私はそんないつだか考えたときと同じような決意を、胸の内に秘めていた。

 そんなときだった。

穏やかな風がふわりと私達を包み込んだ。

優しくて少し乾いた風が、私の髪を梳き、泉の水面を波打たせて吹き抜けていく。

これ、妖精さんかな…?

風の力を取り込めた証拠に風が吹いたとか、そんな感じ…?

 私はふとそう思って、寝ころんでいた妖精さんを見下ろす。

しかし、妖精さんはまるで寝こけているように、ゆっくりと穏やかに息をしているだけで、魔法を使っている様子も魔力が輝いている光も見せていない。

 今のは妖精さんじゃないの…?でも、自然の風にしては、なんだか変な感じが…

私はそう感じて、何となしにあたりを見回し、そして空を見上げていた。

 「あっ!」

そこにあったものに、私は大きな声をあげてしまった。

「なに!?人間ちゃん、どうしたの!?」

「ど、どうした!?」

「いかがされました!?」

妖精さんが飛び起き、トロールさんが驚き、竜娘ちゃんがそう聞いてくる。

でも、それにこたえるよりも、見上げた先にあるものを見る方が早かった。
 

437: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:14:10.17 ID:8dcBsjPso

 見上げた空、そこには、白く輝く魔法陣が描かれていたからだ。

それも、空中に…!

「ま、魔法陣…!?」

トロールさんの歯噛みしたような声が聞こえる。

「あれって…!」

妖精さんは、トロールさんとは違う、少し落ち着いた反応を見せていた。

私も、妖精さんと同じだった。

あの魔法陣は、知ってる。

あれは、転移魔法の魔法陣。

それも、魔導士さんの使う魔法陣だ。

私と妖精さんは、お姉さんの使う転移魔法や、十六号さんの使う転移魔法を見たから、なんとなく違いが分かったんだろう。

私は、本当にただなんとなく、だったけど…

 その刹那、空がパパっと眩しく瞬いた。

 ズザッ!と砂をこする音がして目を落とすとそこには、ボロボロの何かを抱えた大尉さんが、同じようにボロボロになりながら地面に膝をついていた。

「大尉さん!」

「ま、魔導士様!」

私と同時に、妖精さんも叫んだ。

大尉さんが抱えていたのは、魔導士さんの体だった。

「お待たせっ!みんな、掴まって!多重に転移しないと、すぐにでも追って来る!」

大尉さんがいきなり私達にすごい剣幕でそう声をかけてくる。

掴まる、ってことは、もう一度転移魔法を使うんだ…今度こそ、魔王城へ飛ぶんだね…!?

私はその事を理解して誰となしに叫んでいた。

「急いで!」

私の声で動いてくれたのかどうか、トロールさんと竜娘ちゃん、そして妖精さんも大尉さんの体に飛びつく。

それを確認した大尉さんは、魔導士さんの体をグッと引き起こして言った。

「頑張ってよ、連隊長!あと二回で良いから…!」

そう言われた魔導士さんは、血だらけの顔で

「くそっ…くそっ…」

と憎悪で歪んだ表情のままに、ブツブツと言葉を口にした。

 すぐに私達の足元に魔法陣があらわれて、目の前がパパっと光る。

目を開けると、そこは見たことのない場所だった。

辺りは薄暗く、でも白に塗りつぶされていていて、そして肌を刺すような冷たい空気が私の身を襲う。

この白いの…雪?

もしかして、ここは…あの中央山脈…?

「まだ、もう一回!手を離さないで!」

大尉さんの声が響くので、私はうっかり緩めてしまっていた手にもう一度力を込めた。

 再び足元に魔法陣が浮かび上がり、パパッと光った次の瞬間には、私達は見慣れた石造りの壁の一室に居た。

 そこは魔王城のあの暖炉と大きなソファーのある部屋だった。
 

438: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:15:22.59 ID:8dcBsjPso

「うぐっ…!」

ドサリ、という音と共に、魔導士さんがその床に崩れ落ちた。

「ま、魔導士様!」

妖精さんがその傍らに座って、両手をその体にかざす。

ふわりと暖かな光が魔導士さんを包み込んだ。

これは…初めて二人にあったときに、妖精さんがトロールさんに使った回復魔法…!

光の中で、魔導士さんの体にある傷がみるみるふさがっていく。

 そんなとき、バタン、と音がして部屋のドアが開いた。

そこには、腰の剣に手を伸ばした兵長さんと、それからそのあとにお姉さん、そしてサキュバスさんに黒豹さんが続いていた。

「ま、魔導士!」

「誰だ、その方は!?」

お姉さんの声と、兵長さんの警戒した叫び声が重なる。

「魔王様、力かしてくださいです!魔導士様、大けがです!」

妖精さんがそう言って、お姉さんを呼び寄せる。

それをしり目に、大尉さんはふぅ、と息を吐いて

「あたしは、王下騎士団の諜報班に居た諜報員。まぁ、こんなことになっちゃったから、元、諜報員、なんだろうけどね」

と手の平を兵長さんに見せつけて答えた。

敵じゃない、って意味なんだろう。

それをみた兵長さんも、そっと腰の剣から手を離した。

 「おい、しっかりしろよ!何があった!?」

お姉さんが、二人して魔導士さんを挟み込むようにして妖精さんの向かいにしゃがみ込み、両腕を伸ばしてその腕を光らせた。

そう言えば、お姉さんの回復魔法って初めて見るな…私が矢で射られたときも使ってくれたって言っていたから、出来るっていうのは知っていたけど…。

 「ぐっ…ゲホゲホっ…はぁ…はぁ…はぁ…」

やがて、苦しげに呻いていた魔導士さんの息が落ち着いてきた。

どうやら、受けた傷がなんとかなってきたようだ。

「おい、魔導士。喋れるか?追手は来そうか?」

お姉さんが魔導士さんの様子を伺いながらそう聞く。

すると、魔導士さんはムクっと体を起こし、大きく深呼吸をしながら答えた。

「いや…おそらく追跡はされないだろう。疑似魔法陣を三重に掛けながら三度転移をしてきた」

そんな魔導士さんの顔からは、いつのまにやらあの憎悪の色が消え失せて、いつもの無表情に戻ってしまっていた。

それから魔導士さんは

「もういい、十分だ」

と静かに言って、お姉さんに頭を振り、妖精さんを見やり

「感謝する」

と伝えてその場に立ち上がった。
 

439: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:15:59.91 ID:8dcBsjPso

 それを確認したお姉さんも、ふぅ、と落ち着いた表情を見せて、傍らに立っていた大尉さんを見上げて

「あんた、久しぶりだな。助けになってくれたのか?」

と聞く。大尉さんはなんだかバツが悪そうに肩をすくめて

「まぁさ、ほっとけなくってね。あなたには、ヤバいところを助けてもらったお礼もしなきゃ、って思ってたから」

なんて答える。でも、それからすぐに表情を引き締めて、大尉さんはお姉さんに言った。

 「たぶん、話さなきゃいけないことがたくさんある…あたしのことも、その竜族の子のことも…これまでのことも、これからのことも、たぶん、たくさん」

「あなた様は…」

そんな言葉に反応したのは、誰でもない、サキュバスさんだった。

サキュバスさんの視線は、微かに驚いているような、そんな感じに見える。

もしかしたら、サキュバスさんには何かが分かるのかもしれない。

大尉さんはきっと、神官の一族なんだ。サキュバスさんはそれをどこかで感じているに違いない。

「あなたがそうなんだね?うん、そう、あたしも、同じ」

大尉さんは、そんなサキュバスさんにそう言ってうなずいて見せ、それからお姉さんに視線を戻して言った。

「あなたの力が必要になりそうなんだ、古の勇者さま」

そんな言葉を聞いたお姉さんは、やっぱりあの少しだけ悲しそうな表情を見せてから、それでもため息交じりに笑顔を見せた。

「まぁ、そんなことだろうと思ってたよ。揉め事をなんとかしようってのが、古の勇者さまだもんな」

その言葉は皮肉っぽく聞こえはしたけど、なんとなく、私にはお姉さんが皮肉を言ったんじゃない、って思えた。

どっちかと言えば、覚悟を新たにしている、って、そんな感じだ。

 それからお姉さんが不意に私に目をやって、優しく穏やかに笑った。

「あんた達、なんだよ、その汚いカッコ」

そう言えば…言われてハッとした。

私と妖精さんは、孤児のふりをするためにボロボロの服を着ていたんだった。

それだけじゃない、あっちこっちを土で汚して、髪もぼさぼさになっている。

その事をお姉さんに指摘されて、今更ながらになんとなく気恥ずかしくなってしまう。

でも、そんな私にお姉さんは言ってくれた。

「あんた達は風呂に入って、着替え済ませてきな。それまで、大事な話は待っておくからさ」

そんなお姉さんの言葉を聞いて、今度はサキュバスさんが笑顔を見せて私達に言った。

「ふふ、そうですね。まずは、お疲れをお湯でお流しください、人間様、羽妖精様」

そんな二人の、いつもと変わらない言葉を聞いて、私はずっとずっと張りつめていた気持ちがようやくほぐれ、

ぐったりと膝から崩れ落ちてしまいそうな、そんな感覚に襲われていた。



 

446: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:31:16.76 ID:+oUDMrwJo





 「さて…じゃぁ、なにから話そうか…」

大尉さんがそんなことをつぶやきながら、サキュバスさんの淹れてくれたお茶のカップをあおってピクリと眉を動かした。

「オレンジピールのお茶なんだって」

私が教えてあげたら、大尉さんはへぇ、なんて声を漏らして、もう一度カップに口をつけてから満足そうに頷いた。

 「いや、それよりも、先に」

そんな大尉さんに、お姉さんが口を開く。

「この子達と、竜娘を助けてくれたこと、感謝する」

そう言うが早いか、お姉さんは大尉さんに頭を下げた。

しかし、大尉さんはあはは、と声をあげて笑って

「ううん、気にしないで。あたしが好きでやったことだし、それに、戦争中に助けてもらった借りもあるしね」

なんて応える。それを聞いたお姉さんは渋い表情をして

「助けた、って…あれはそんなこと考えてなくって、ただ暴れただけなのに」

と口をつぐむ。それでも、大尉さんはお姉さんを見つめて言った。

「それでも、なんでも、あなたが来てくれたおかげであたしの隊はみんな無事にあの戦場から抜けられた。

 本当は、あたし達が守らなきゃいけなかったのに、すべてをあなたが救ってくれた。

 返しても返しきれない恩だよ」

その言葉に、お姉さんは嬉しそうな、泣きそうな表情で

「そっか…」

なんてつぶやいて、もう一度顔を伏せた。

 今の言葉は、お姉さんにとっては嬉しいだろうな。

お姉さんが戦ったおかげで、死んでしまった人達もいたんだろうけど、大尉さんのように生き延びることができた人達もいたんだ、

って、そう思えるような言葉だったからだ。
 

447: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:32:03.90 ID:+oUDMrwJo

 私たちは、暖炉の部屋にいた。

魔王城に戻ってからすぐ、サキュバスさんが沸かしてくれたお風呂に、妖精さんと二人で入って、着替えを済ませた。

あんまりゆっくりはできなかったけど、それでも、旅の疲れを取って、それから、あの緊張感を拭うには十分すぎる時間のように感じた。

暖炉の部屋に戻ると、十六号さん達もやってきていて、皆でなんだか重苦しい雰囲気だった。

それもそのはず、竜娘ちゃんがトロールさんに肩を抱かれて、シクシクと泣き続けていたからだった。

どうしたのか、小さな声で十六号さんに話を聞いたら、竜娘ちゃんは初めて、先代の魔王様が死んでしまったことを知らされたらしかった。

 先代様は、確か、竜娘ちゃんを人間と魔族との平和の希望だと言って、戦争が始まる前に魔族の中で人間への憎しみが煮え立ち

それが竜娘ちゃんに降りかかったとき、竜娘ちゃんをかばい、そして、祠守の一族であるトロールさんにその身を預けたんだ。

竜娘ちゃんにとってもしかしたら先代様は、私にとってのお姉さんのような存在だったのかもしれない。

 自分の命を助けてくれて、自分を大切にしてくれた、そんな人だったんだ。

竜娘ちゃんは私達が来てからもしばらくそうして泣いていたけれど、半刻ほどしてようやく泣き止み、真っ赤になった目を擦りながら

「すみません…取り乱してしまいました」

なんて大人のようなことを言って、お姉さんに抱きしめられていた。

「子どもなんだから、もっと泣いたっていいんだぞ。あいつの代わりに、今度はあたしがあんたを守ってやるって約束する」

お姉さんのそんな言葉に竜娘ちゃんの目にはまた涙があふれさせていたけれど、部屋の中の重い空気はどこか薄らいでいるように私には感じられた。

 それからは、泣き止んだ竜娘ちゃんも一緒にテーブルに着き、

いつものとおりサキュバスさんがお茶とお菓子を準備してくれてから、話し合いが始まって、今、だ。

 「…その、大尉様は…カミシロの民、なのでございますか?」

サキュバスさんが、お姉さんからのお礼をはねのけた大尉さんにたずねた。

カミシロ…神官の一族のことをそういうのだろう。

神代の民。

どこか古い印象を受ける言葉だ。

「うん、そう。あたしも、古の神官の末裔。もっとも、あたしは分家の分家、一族からしたら気が遠くなるほどの末端だけど…あたしも、あなたと同じ。

 雌雄同体の体を持っていて、自然の魔法を使う。もちろん、人間界にいるからあっちの魔法もできるけどね」

大尉さんの言葉に、内心、分かってはいたはずなのに、私は驚きを隠せなかった。

サキュバスさんは、魔族だからそんな不思議な存在がいたって納得ができる気がしたけど、同じ人間の世界に、サキュバスさんのような人がいただなんて…

 ただ、それを聞いてお姉さんが低くうなって頷いた。

「正直、考えもしなかったけど…でも、魔導協会のあの女がその神官の血筋だ、っていうのはなんとなく納得がいくな。

 あいつ、本当に不気味だったから」

お姉さんはそう言ってからハッと顔を上げて、慌てた様子でサキュバスさんを見やった。

「あ、あ、あんたがそうだ、っていう意味じゃないからな!」

そんなお姉さんの言葉を聞いたサキュバスさんはクスっと笑って

「承知しておりますよ」

なんて答えたので、お姉さんはホッと安堵の息を吐く。
 

448: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:32:47.77 ID:+oUDMrwJo

 「で、お前はあいつの考えていることを知っている風だったが、いったい魔導協会の目的ってのはなんなんだ?」

今度は魔導士さんが大尉さんに尋ねる。しかし、大尉さんは今度は首をかしげて言った。

「それは、正直、分からない。サキュバスちゃんもそうだと思うけど、私達、神代の民は、代々、世界の均衡に目を配って、

 二つの紋章を…言葉は悪いけど、“管理”することが掟になってる。魔導協会の大きな目的は、それに尽きるはず。

 でも、あの宗家のオニババは、それ以上のことをやろうとしているみたいだった。

 その子を使って、ね」

大尉さんは、テーブルの上座に座っていた竜娘ちゃんをチラリと見やった。

全員の視線が、竜娘ちゃんに注がれる。

「なにか、聞いている?」

大尉さんの優しい声色の質問に、竜娘ちゃんは俯いて首を横に振った。

「いいえ…私は、ただあの塔に閉じ込められていただけで…そのようなことを言い渡されたりはしていません」

そう、それは、オアシスのほとりで聞いた。

本を読め、くらいのことしか言われなかったんだよね…

私はそんなことを思いながら竜娘ちゃんを見つめる。

ふと、私は、竜娘ちゃんの表情が、どこかいびつであることに気がついた。

緊張しているのかな、とも思ったけど、違う。

体に力が入っていて、とても安心しているようには見えないけど、でも、緊張じゃない。

あの顔は…悲しいんだ、きっと。

何が悲しいのかは、よくわからないけど…

「竜族と人間族の間の子…魔族と人間の、平和の象徴になるかもしれなかった存在…」

ふと、お姉さんが呟くように言ってから、顔を上げた。

「あいつら、その子を“器”に、あたしから紋章を二つとも奪うつもりだったのかもしれないな」

えっ?

勇者と、魔王の紋章を…?

「…それは、俺も考えていた」

お姉さんの言葉に、魔導士さんがそう言って頷いた。
 

449: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:33:28.61 ID:+oUDMrwJo

「魔族と人間の血を引く子。しかもその半分の魔族の血は、竜族という魔界の中でも相当強力に自然の魔力を操れる一族のものだ。

 紋章を受け継ぐことの出来る可能性は高い、と考えても不思議ではない、が…」

そこまで言った魔導士さんは、竜娘ちゃんを見やった。

しかし、そんな魔導士さんに、兵長さんが言う。

「ですが、いかに魔族とは言え、そう簡単に魔王の紋章を受け継ぐことができるとは思えません。

 何しろ、サキュバスさんでさえ、それを宿すことができませんでしたから」

確かに、東の城塞に人間軍が来る、となったときに、この城を守るひとつの案として、お姉さんがサキュバスさんに紋章を渡そうとしたことがあった。

でも、結局サキュバスさんはすごく苦しんで、それを受け取ることができなかったんだ。

「確かに、この紋章は相性だからな…力の強い弱いとか、人間だとか魔族だとか、そういうのは関係ないのかもしれない、か。

 現にあたしが両方を持ってるわけだし…」

「その見方も一つ、だな。もう一方で、俺は王都で、勇者の紋章を持つ子どもと戦った」

「えっ…?」

「な、なんだよ、それ…?」

魔導士さんの言葉に、お姉さんと十六号さんたちが色めきだった。

あの仮面の子のことだ。

やっぱりあれは、勇者の紋章だったの…?

「俺をあそこまで追い込んだんだ。少なくとも、生半可な呪印ではない。

 俺の記憶の中にある勇者の紋章とは幾分か古代文字の内容が異なってはいたが、それでもあれは、間違いなく勇者の紋章だった。

 だが、それならなぜ、その紋章を竜娘に持たせなかったか、と言う疑問になる。

 やつらが彼女を器にするつもりなのであれば、まず真っ先にそのことを試すはずだ。

 他の混血児たちと同じように、な」

魔導士さんの言葉に、私は一瞬、胸を締め付けられたような、そんな感覚を覚えた。

同時に部屋の中が一瞬にして色めきだつ。

「…おい、魔導士…それ、どういうことだ…?」

お姉さんが恐る恐るそう尋ねる。すると魔導士さんは、素知らぬ顔でお姉さんを見やって言った。

「なんだ、知っていたわけではなかったのか。

 お前が砂漠の街で捕らえたオーク共は、魔導協会の息の掛かった連中だ。

 取引の内容までは知らないが、協会はオーク共に人間を襲わせ、●ませ、生まれた子供を本部に運び込んでいた。

 そいつは少なくとも、お前が勇者の紋章を受け継ぐまでずいぶん長いこと行われていたはずだ。

 戦時中も戦後も、引き続きな。

 やつらは、オークと人間の混血児を勇者の器として利用としていた」

オークと、人間との混血…?

その言葉を聞いて、私は何か得体のしれないおぞましい感覚を覚えた。

背筋を虫が這い回っているような、むずがゆい不快感だ。
 

450: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:34:18.39 ID:+oUDMrwJo

「…それが、あのオーク共だと言うのですか…!」

そう声を上げたのは誰でもない、黒豹の隊長さんだった。

「あの者どもは、人間と結託して人間の街を襲っていたと言うんですか!?」

「お前たちが捕らえたオーク達については情報だけで、実際に見たワケじゃないが、戦前の事情が変わっていなければ、そうなる」

「いったい、何のために…?」

魔導士さんの考えに、黒豹さんはそう唸る。

そんな黒豹さんとは対照的に、魔導士さんは乾いた声でサラリと言い放った。

「考えられるのは、素材の作成だ。魔王と勇者、二つの紋章を受け継ぐことの出来る素材、だ」

二つの紋章を受け継ぐことのできる素材…?

そ、それって、つまり…

魔導協会の人たちは、お姉さんの様に、勇者の紋章と魔王の紋章の二つを宿すことのできる誰かを探していた、ってことだ。

ま、待って…でも、それは…

「あいつらは、あたしの紋章二つを狙っている、ってことか…?」

「俺の考えでは、そうなる」

お姉さんの言葉に、魔導士さんは頷く。

その言葉にゴクリ、と、部屋に緊張とも恐怖とも知れない何かが漂って、私は喉を鳴らしてしまっていた。

「だが、それでもまだ疑問が残る。俺が戦ったあの勇者の紋章に力も形もよく似ていた呪印をその竜の子に宿さなかったのはなぜか?

 受け継ぐことが出来なかったのか、あるいは、やはりあれは勇者の紋章とは本来的に何かが異なるものなのか…

 可能性の高いのは後者、か。

 オークと人間との混血児達の末路を考えれば、あそこで見た勇者の紋章を受け継ぐことが出来なかった竜娘が生きたままあの塔に捕らえられ、

 救助に際してあの女が全力でそれを阻止しようとしてきた理由にはならない」

「混血児達の末路って…」

不意に、十七号くんが声をあげた。魔導士さんは彼にチラリと視線を送って、曖昧に首を傾げる。

言葉にしなくても、分かった。

きっとその子達もお姉さんが話してくれたように、紋章に合わないということが分かったとたんに、あそこから追い出されてしまったりしたんだ。

魔族と人間の血を引いている、竜娘ちゃんの様に、魔族の特徴も残している子が、人間の世界で生きて行けるわけはない。

たぶん…その子たちは、もう…

「いや、待て。もしかすると、あの仮面の子どもは…」

魔導士さんがふと思い出したように口にした。

仮面の子…魔導士さんが戦った勇者の紋章に似た呪印を付けていた子だ。

そうか、仮面…!
 

451: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:34:58.40 ID:+oUDMrwJo

「あの子が、もしかしたらその混血の子…?」

私は思わずそう声をあげていた。それを聞いた魔導士さんがうなずいてくれる。

「可能性はあるな…あの仮面で魔族の特徴を隠していたのかも知れない。

 だが…あえてあの呪印を混血児に与えた意味はなんだ…?

 あれはそもそも人間が扱うのに向いた呪印だ。

 混血児ではなく、それこそ、俺たちのような“候補者”の中の選りすぐりに受け継がせた方がまだ適合する見込みがある。

 それを、なぜ…?」

魔導士さんはそんなことを言うなりグッと考え込んでしまった。

皆の視線が魔導士さんに集まって、胸を締め付けるような、口を重くするような時間が続く。

 「か、仮に魔導協会が二つの紋章を手に入れたとして、その目的とはいかなるものなのでしょうか?」

そんな場の空気を無理やりに押し流すように、サキュバスさんがそう話を進めた。

うん、そうだ。

今は、そのことが大事だ。

「さぁてね…そりゃぁ、大陸の真ん中に人が超えられないほどの山脈を作り出せるくらいの力でしょ。

 一手に握ることが出来たら、それこそきっと、なんだって出来る。

 この大陸を統べて、支配者になることもね」

サキュバスさんの言葉を聞いた大尉さんがお姉さんを見つめて言った。

 今のお姉さんにもその力がある。

でも、お姉さんはそんなことのために力を使わない。

お姉さんは、魔族の平和も、人間の平和も考えているんだ。

「もしその二つの紋章が狙われているのなら、ことは魔族や人間の平和などと言ってはいられませんね」

そう意見したのは兵長さんだった。

「万が一にもその力が魔導協会の手に落ちれば、魔族の平和など望むべくもないでしょう。

 それに、先日話されていたように魔導協会が人間界すべての魔法陣を意のままに無効化することが出来得るとすれば

 我らに抵抗する術はない…大尉殿の話もあながち例えや冗談とも思えません」

兵長さんの言葉に、部屋がまた緊張に包まれる。

でも、そんな張りつめた空気を打ち破ったのはお姉さんのため息だった。

「まぁ、あいつらの手に落ちれば、な。でも、万が一にもそれはない。

 少なくとも、今その“なす術のない力”を持ってるのはあたしだ。

 あいつらがあたしを取り押さえる方法を持っているんなら、逆にこの力があいつらに渡ったとしたって

 それを制御する方法がある、ってことだ。それについては、そんなに心配は要らないんじゃないかな」
 

452: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:35:58.38 ID:+oUDMrwJo

た、確かに、お姉さんの言う通りかもしれない…

どんな方法を使ったって、お姉さんからあの力を奪い取ることなんて出来るとは思えない。

魔法を勉強し始めた私でもそれくらいは分かる。

お姉さんの体に宿っている力は、とてつもないものだ。

もしかしたら、この大陸を二つに割ってしまうことだって出来るんじゃないか、って感じるくらい

途方もなく大きな力。

そんなものを、どうやったって抑えるなんて出来ないと思う。

「だが、もしもということもある。用心しておく方が良い。ここの警備も、今のまま筒抜けにしておけば、付け入る隙を与えてるようなものだ」

「それでしたら、魔導士様。私にも、トロール様や羽根妖精様が頂いたような呪印を施していただけませんか?

 私はいつでも魔王様のすぐそばに侍り、御身をお守りいたします」

サキュバスさんはそう言って、まっすぐで力強い視線を魔導士さんに投げかけた。

それは、トロールさんや妖精さんが人間の姿に“戻った”ときとは全然違う、お姉さんのために、魔族のためにって、

そう固い決意の表情のように、私には見えた。

「いいだろう。俺も周囲に警戒用の魔法陣を敷いておく。十六号、お前も手伝え。結界魔法は得意だろう?」

「あぁ、うん。任せてよ」

魔導士さんの声掛けに、十六号さんもキリッとした表情で答えた。

 「警備、ということになると…先ほどまでの話ともかかわりが深いでしょうね」

兵長さんがそんな二人のやりとりを見つめながら言った。

「魔王軍の再編、か…」

その言葉に、魔導士さんが反応し

「どんな具合いだ?」

と話を促す。

そんな魔導士さんの質問に、お姉さんは黙って黒豹隊長に目をやった。

「はっ…。各地の士団長クラスの魔族に、各軍を率いて魔王城へ参じるよう念信を飛ばしてあります。

 東西南北、及び親衛軍の各士団長よりすでに返信を受けています。明日にでも各士団長と残存部隊がここに集結するはずです」

黒豹隊長さんが魔導士さんにそう説明した。

「規模はどれほどになりそうだ?」

「それはなんとも言えないな。特に東師団はあたし達が徹底的に叩いちゃったし…

 各地の自警団の連中も参加してくれるって話だけど、それでも総数で三千が良いところじゃないかと思ってる」

「三千、か…」

その数を魔導士さんは呟いて口に手を当てた。
 

453: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:37:39.39 ID:+oUDMrwJo

 少ない…

私は思った。だって、東の城塞に侵攻してきた人間の軍隊は五千人。それに加えて南の城塞にはもう五千人の兵隊が待機していたんだ。

もし戦いになったら、そんな大軍に勝てそうもないけど…

私はお姉さんをチラッと見やった。

そう、お姉さんは戦いを望まない。人間の軍隊と戦うのなら、お姉さん一人で十分だ。

魔族の軍隊は、治安維持を大きな目的に再編させる、ってあのときのお姉さんはそう言っていた…

「三千のうち、千を国境警備、残りは五百ずつ四つに分けて、そのうち三つを北、南、西の各城塞を拠点に治安維持活動を任せるつもりだ。

 残り一隊は、あたし直下の親衛隊にする。この城の防衛だな」

「なるほど…戦闘となると厳しいが、各地に警戒網を張っておけるだけの人員は居る、か」

お姉さんの言葉に魔導士さんは手を口に当てて納得したようにうなずく。そんな魔導士さんの姿を見たお姉さんがクスっと笑い声を漏らした。

「あんたはすっかり連隊長が板についたよな」

「どこかのバカが作戦なんて構いもしないで突っ込むからな。援護をするだけでも頭を使うんだ」

お姉さんはそんな皮肉を返されて、あの嬉しそうな表情で笑った。

 ふと、私はテーブルについている人たちの顔を見やっていた。

最初は、私とお姉さんにトロールさん、妖精さんだけだったのに

今はこうして、たくさんのお姉さんに力を貸してくれる人たちがいる。

魔族と人間が平和に暮らすための世界を作るために、力を合わせて行ける。

そんな光景が、私にはなんだか嬉しくもあり、

ついこないだまで父さんと母さんが死んでしまってめそめそと泣いていた世界とは別のところのように感じられるようで、少し寂しくもあった。

でも、悪い気分ではなかった。

いつまでも泣いているわけにはいかない。

これからはもっと大変かもしれないんだ。

そのためには、私もしっかり自分の出来ることをしていかなくっちゃ…

 「あの…お話を割っても構いませんか?」

そんなとき不意に控えめに声をあげたのは、竜娘ちゃんだった。
 

454: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:38:45.23 ID:+oUDMrwJo

「あぁ、いいよ、遠慮しないで」

お姉さんがそんな竜娘ちゃんに優しく言う。

それは、先代の魔王様の死を聞かされてさっきまで涙していた竜娘ちゃんのことを思いやっているような、そんな柔らかい雰囲気だった。

「ありがとうございます」

竜娘ちゃんはそうお礼を言うと、頬の涙を拭いてサキュバスさんと大尉さんの顔を代わる代わる見つめて、聞いた。

「お二人は、“キソコウブン”、と呼ばれるものをご存知ですか?」

キソ…コウブン…?な、なんだろう、それ…?

 私は聞き慣れない言葉に思わずお姉さんの顔を見やる。するとお姉さんもなんだそれ、って顔をして私を見ていた。

私もきっとお姉さんとおんなじ表情をしていたんだろう、私の顔を見たお姉さんは肩をすくめて小首をかしげ、それからサキュバスさん達に視線を送った。

私もお姉さんの見つめるその先を追う。

「キソコウブン…基礎の構文、ってことだよね?それはあたしは聞いたことないな…」

大尉さんがそう言って、サキュバスさんをみつめる。

サキュバスさんはしばらく考えるような素振りを見せてから、なんだか自信のなさそうな声色で答えた。

「その基礎構文と言うものかは分かりませんが、一族の古い伝承にある魔法陣のことかもしれませんね…」

「その伝承について教えていただけませんか?」

サキュバスさんの言葉に、竜娘ちゃんがさらに質問を重ねる。でもサキュバスさんは困ったような表情で

「本当に古い伝承で、真実かどうかも定かではありませんが…

 それはこの世界のどこかに描かれているもので、この世界を“この世界たらしめているもの”である、と、言う話です」

と竜娘ちゃんに答えた。

それを聞いた竜娘ちゃんはクッと押し黙って俯き、何かを考えているようなしぐさを見せる。そんあ様子の竜娘ちゃんにお姉さんが聞いた。

「なぁ、それ、なんのことなんだ?」

するとハッとして顔をあげた竜娘ちゃんは、さっきのサキュバスさんと同じように困った表情で

「いえ…私も、サキュバス様が仰ったことと同じことしか把握していないのです。

 基礎構文と言う、この世界を形作っている魔法の言葉が世界のどこかに刻まれていると言う伝説です。

 それも、古の勇者様より古い言い伝えだと思います」

「古の勇者より古い伝承…?どうしてそんなことが分かるんだ?」

竜娘ちゃんの言葉に、お姉さんがそう尋ねる。すると竜娘ちゃんは顔をあげて

「魔導協会で読んだ古い書物の一節にそのような記述があったのです」

と応える。

一瞬、暖炉の部屋に沈黙がやってきたけど、魔導士さんの言葉がすぐにそれを打ち破った。

「世界創生の神話のようなものである可能性もあるな。実在するものというより、もっと何か、概念的なものだろう」
 

455: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:41:34.17 ID:+oUDMrwJo

魔導士さんの言っていることはなんとなく分かった。

神様の話だろう。

この大陸は、神様が世界を作るときに土の付いた足で海を踏んだときにその土が剥がれ落ちて出来たんだ、なんてお話がある。

もちろん、そんなことを信じている人なんてそうはいない。

伝承とか伝説なんてものでもない、子どもに聞かせるような絵物語の一つに過ぎない…

 きっと魔導士さんは、その基礎構文というのもそれと同じだ、とそう言っているんだろう。

それを聞いた竜娘ちゃんは、すこし残念そうな表情を浮かべながら

「そう、ですよね…」

と、それでも納得したように頷いた。

「まぁ、どうしても気になるんならさ」

そんな竜娘ちゃんにお姉さんが明るい口調で声を掛けた。

「この城の書庫にある文献を読んで見るといい。何か面白い物もあるかも知れないしな」

そう言ったお姉さんは、ニコッと笑って私を見た。

「例の、ボタンユリ、だっけ?あれを調べるのに書庫には行ったんだろう?後で連れてってやってくれないか?」

お姉さんのそんな頼みに、私はコクっと頷いて答えた。

「うん、あとで妖精さんと一緒に案内するよ」

するとお姉さんは満足そうに笑って

「頼むな」

と私に言い、それから皆の方に視線を戻して告げた。

「とにかく、明日には魔王軍が集結して再編の指示を出す。もしかしたら多少バタつくかも知れないから、適宜、協力してくれな」

「お任せ下さい。黒豹さんに指揮を摂っていただき、私がそれを補佐しましょう」

「その点は、万事打ち合わせ通りに」

「あたしも手伝うよ。あぁ、連隊長、体が大丈夫なら後でもう一度人間界に戻ってくれないかな?少尉とか、他の隊員もこっちに引っ張っちゃうからさ」

「いいだろう。その代わり、対価はもらうぞ?そうだな…確か魔界の植物でコチョウソウと言う花を見たことがある。その種を革袋一つだ。

 俺は、警戒用の魔法陣を強いておいてやる。その他に用事があれば言いに来い。

 用向きがあるまで、俺は部屋で寝てるか、こいつらに手習いと修行をつけてるかしてるからな」

「私も、常に魔王様のそばに侍りましょう。何なりとお申し付けください」

兵長さんに黒豹隊長さん、大尉さんに魔導士さん、そしてサキュバスさんが口々にそう言う。

私も、と思ったけど、さすがに軍隊のことなんて私にはわからない。

でも、ここにたくさんの人が集まって、もし親衛隊って言う人達が常駐するようになるんなら、必要なことがある。
 

456: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:42:22.40 ID:+oUDMrwJo

「私は、畑をやって食べ物を作るね」

そう言ってあげたらお姉さんは嬉しそうに笑ってくれた。

「あはは、楽しそうなことになりそうだなぁ、魔族の軍隊か。言うこと聞かないやつがいたら俺が一発ぶん殴ってやらなきゃな」

私達の言葉に続いて、十七号くんがそんな声をあげる。でも、それを諌めるように十六号さんが言った。

「おいおい、それはアタシらの仕事じゃないって。むしろ、もっとやんなきゃいけないことがあるんだよ」

「えぇ?何がだよ?あ、感知用の魔法陣の話?」

十六号さんの言葉に十七号くんが首を傾げる。

それでも十六号さんは落ち着いた声色と落ち着いた表情で言った。

その言葉を聞いて、私も、きっとお姉さんも、心が穏やかなままではいられなかった。

でも十六号さんの考えていることはきっと正しい。

これまで、お姉さんの味方だったはずのたくさんの人間軍がそうだったんだ。

魔族の軍隊がそうじゃない、なんて言える保証はどこにもない。

「警戒用の魔法陣は半刻もあれば済むだろ。それのことじゃない。人間で勇者の十三号姉が魔王をやろうってんだ。

 もしものとき、大人しく言うことを聞かない連中が妙な真似しでかさないように

 アタシらは竜娘ちゃんと幼女ちゃんをしっかり守ってやらなきゃなんないだろ?」


 

457: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:46:53.10 ID:+oUDMrwJo




 「ふざけるな!貴様らには土の民たる誇りはないのか!」

ドンっとテーブルに両の拳を叩き付けて、真っ赤な目に立派な二本の角にウロコのようなものの生えた皮ふをした竜族の軍人さんが怒鳴り声をあげた。

 バタンっと言う音とともに、十六号さんと十八号ちゃんが部屋に駆け込んでくる。

「あぁ、大丈夫。下がってて良い」

お姉さんが二人にそう声を掛け、いきりたった竜族の軍人さんに

「いちいち喚かねば話し合いも出来ぬのか」

と、金属の鎧とも体とも付かないゴテゴテとした何かをたくさん付けた別の軍人さんが声を掛けて諌める。

でも、それくらいでは竜族の軍人さんは収まらなかった。

「貴様らもこの顔を知らぬとは言わせんぞ。この者は、勇者だ!我ら同胞を無残にも斬り裂き、我らが宿願を妨げた主たる者なのだぞ!」

「我らが宿願?それは違う。いたずらに人間を憎んでおるのはその方らのみであろう、竜族将」

「何を?!獣人の小童が…!貴様らとて土の民の武人であろう!この期に及んで日和ったか!?」

竜族の軍人さんに白い目を向けた狼のような出で立ちの軍人さんの言葉に、また怒鳴り声があがった。

 私は妖精さんと一緒にこの会議の場に、サキュバスさんの給仕の手伝いに来ていたんだけど…

さっきから何度も飛び出す罵声に部屋の隅でただただ身を固くしてしまっていた。

 昨日、十六号さんが言っていた心配がこうもはっきりした形で現れるなんて思ってもみなかった。

朝から魔王城に集まってきた魔王軍の一団は、今、お城の周囲にテントを張って陣を敷いている。

そんな一団それぞれの指揮官さんたちが集まったのだけれど、お姉さんが挨拶をしてからすぐに、この騒ぎだ。

こんなのは話し合いなんかじゃない、ケンカだ。

 十六号さんは昨日言った通り私を守るために、と、十八号ちゃんと一緒にドアのすぐ向こうで聞き耳を立てて部屋の様子を探っていてくれたらしい。

竜族の軍人さんの怒鳴り声を聞いて部屋に飛び込んで来た二人は、何よりもまず、私と妖精さんの前に立ちふさがってくれていた。

「我らは先代様の御心に安寧と繁栄を信じて身を預けた。その先代様がこの方を新たな魔王に選んだのであれば、我らはそれに従うのみ」

狼の姿をした軍人さんが静かにそう言う。

「何を?!このような者、信じられぬ!」

竜族将さんがまた大声をあげた。

「竜族将の言う事も分らぬではない。しかし、事を見極めるには時も必要だ。

 もし勇者でもある新たな魔王様が我ら魔族を討ち滅ぼそうとするのなら、このような回りくどい真似をするとも思えんしな」

鎧の体の軍人さんが乾いた声で言う。それを聞いた別の軍人さんがあからさまに不快な表情を見せて言葉を返した。

「機械族の族長ともあろう方が何を申す。あの紋章こそが我ら魔族の希望でございましょう。それを疑うなど、正気の沙汰ではございません」

集まった魔族の人達の中でも一番人間に近い姿をしたおじいちゃんで、物腰も柔らかいその軍人さんの言葉に、また竜族将さんが怒鳴る。

「人間もどきの人魔など黙っておれ!」

「我が人間などであればその方は獣とおなじだな、竜族将よ」

「なにおぅ!?」

そうしてまた言い合いが始まる。怒鳴り声や皮肉の応酬は一層激しくなって、いつ殴り合いのケンカが起こってもおかしくはない。

 同じ席に着いている兵長さんなんかは、イスに浅く腰掛けて片手を腰の剣にそっと掛けていつでも抜けるようにしているし、

お姉さんを挟んだ反対に座っている黒豹隊長さんも前のめりになって警戒しながら成り行きをじっと見つめている。
 

458: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:47:58.76 ID:+oUDMrwJo

 ガチャリ、とドアが開く音がした。

見るとそこには大尉さんがいた。

「これはまた、随分と紛糾してるね」

大尉さんは言い合いをしている席に一瞥をくれると私を見やって肩をすくめて見せる。

「あたしも、ああいう大きい声って苦手なんだよねぇ」

本当にそうなのかどうか、大尉さんはヘラヘラと笑顔を見せながらそんなことを言って私や十六号さん達のそばにやってきてくれた。

 「なぁ、大尉さん。あいつら知ってる?」

そんな大尉さんに十六号さんが尋ねた。大尉さんは、あぁ、なんて声をあげてから

「知ってるよ」

と言ってテーブルを見やった。

「あの興奮してるのが竜族将。魔界でもあたし達、神代の民の次くらいに由緒ある古い一族のはず。その隣の鎧を着てるようなのが機械族の族長。

 おじいちゃんは人魔族きっての魔法の使い手、鬼賢者。で、あの犬みたいなのが獣人族の若き智将、灰狼頭目。それからあの人が―――

大尉さんはさすがに諜報員だけあって、なのか、ボソボソと小さな声で私達にそう教えてくれる。

「これでは、話し合いどころではありませんね…」

そんな透き通るような声が部屋に響いた。

その声色に、竜族将さんも黙り込む。その声の主は、長い髪を後ろで縛り、角を生やし、コウモリのような翼を背負った、絹のように白い肌の女の人。

サキュバスさんよりも体の作りはがっしりしているけど、一目見て、同じサキュバスの一族なんだ、って言うのわかる出で立ちをしていた。

―――あの人が、前魔王軍の近衛師団長。サキュバス族の中でもとりわけ強い魔法が使える天才」

大尉さんが近衛師団長と呼んだ彼女はサキュバスさんに視線を送って言う。

「いかがでしょう、姫さま。ここはしばし水入りにして…そうですね、一刻ほどそれぞれが冷静になる時間を作られては」

その言葉に、サキュバスさんがハッとしてお姉さんを見やる。お姉さんもそれを聞いてコクリと頷いた。

「では、今から一刻ほど休憩と致しましょう。控室をご用意致しておりますので、どうぞそちらをお使いください」

サキュバスさんがそう言うと、竜族将さんがすぐさまガタンとイスを引いて

「何が話し合いか!」

と言い捨て、肩を怒らせてのっしのっしと部屋から出ていった。

「まったく…うるさいやつだ」

機械族の族長さんも、体中の金属をガチャリと鳴らして立ち上がると、部屋を横切ってドアから出ていく。

それに灰狼頭目さんと鬼賢者さんも続いた。
 

459: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:48:54.65 ID:+oUDMrwJo

 テーブルに残されたのはお姉さんと兵長さんと黒豹隊長、それにサキュバスさんと同じサキュバス族の近衛師団長だった。

「魔王様、あの者の無礼、どうかお許しください」

四人が部屋から出て行ったのを見計らって、師団長さんがそう頭を下げた。

「あの者は、親しい家族を人間軍との諍いで失っております故…」

「あぁ、知ってる…サキュバスに聞いた」

師団長の言葉にお姉さんはあの悲しい表情で答えた。

「あの竜娘の父親…竜族の男の弟だそうだな」

それを聞いた師団長さんは黙って頷いた。

 あの人が…竜娘ちゃんの叔父さんってこと?

竜娘ちゃんのお父さんは、戦争のきっかけになった人間軍の魔界での救出活動のさなかに命を落としてしまったはずだ。

家族を殺されて…人間への怒りの感情が大きくなってしまっているんだ。

「はい…あの者は他の魔族よりもいっそう人間に裏切られたと言う気持ちが強いのです。兄の嫁であったあの人間に、彼自身も心を開いておりましたので…」

「そうか…あの怒り様にはそこまでの想いがあったんだな…」

お姉さんが表情をさらに険しくしてそう呟く。

「ですが、あのような態度をいつまでも続けてもらうのは困ります。いざとなれば、私が魔王様になりかわり粛清させていただきましょう」

そんな二人の会話にサキュバスさんがそう口を挟んだ。そう言えば、サキュバス様はさっき、姫さま、ってそう呼ばれていたな…

確か、サキュバスの中でも特に古い血筋の生まれなんだって言ってたっけ。やっぱ、偉人だったんだね、サキュバスさん…

「し、しかし姫さま…」

「あのような態度を、彼の兄上や先代様が見てお喜びになるとは思いません。いえ、きっとひどく叱りつけることでしょう。

 人間を愛した竜族の名士も、先代様も、人間を憎むことを望まれるはずありません。

 人間との争いを収め、大陸に平和をもたらすことがお二人の気持ちにもっとも沿うことではありませんか?

 現に、今代の魔王様も、そしてここにお集まりくださった方々も、お二人と同じ気持ちでここにいるのです。

 こと、魔王様先代様より直々にその御心を託された身。その魔王様をお認めにならないなどと言うのは、魔王様はおろか先代様への裏切りです!」

サキュバスさんは珍しく、そう語気を強めて言う。そんな様子に、師団長は口をつぐむしかない様子だった。
 

460: ◆EhtsT9zeko 2015/05/10(日) 20:49:45.90 ID:+oUDMrwJo

「まぁ落ち着け、サキュバス。あんたまで興奮しちゃったら、誰があたしと彼らの間を取り持ってくれるんだよ」

お姉さんがそうサキュバスさんに言い、それから師団長さんを見やって続けた。

「あたしは何もあんた達を支配しようとか、従ってもらおうとか、そんなことは考えてない。

 あたしもあんた達と同じで、先代の想いを引き継いだ者に過ぎないんだ。

 名目上は魔王なのかも知れないが…あたしとしては、先代から平和への想いを受け継いだ者同士で、同じ立場だと思ってる。

 だから命令するんじゃなく、協力を頼みたいんだ。人間の再侵攻への備えと、それから魔界の治安安定のために」

そんなお姉さんの言葉に、師団長は感じ入ったような表情を見せてテーブルの上に伏せた。

「この身、如何様にもお使いください…」

そんな掠れた声が聞こえてくる。

そんな様子を見て私は微かに胸を撫で下ろしていた。

思えば、お姉さんの意思に反していたのは竜族将さんだけで、他の四人は先代様の気持ちを汲んでいてくれているように感じた。

お姉さん人間だから簡単じゃないかもしれないけど、同じ魔族である他の軍人さん達が説得してくれれば、もしかしたら竜族将さんも納得してくれるかもしれない。

そうなれば、きっと魔界の安定への早道になる、ってそう思えた。

 そんなときだった。ガチャリ、とドアを開ける音とともに、十七号くんが部屋にやって来た。

十七号くんは確か、竜娘ちゃんの警備についていたはずなんだけど、どうしたんだろう?

 そんな十七号くんは部屋に入るなり私のすぐ隣にいた大尉さんの姿を見つけて駆け寄ってきた。

「大尉さん、大尉さん」

「ん?どうしたの?」

大尉さんは呆けた声色でそう聞き返す。すると十七号くんも首を傾げながら大尉さんに言った。

「なんか、竜娘ちゃんが呼んでるよ。話がしたいんだってさ」



 

467: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:42:26.85 ID:yxDuUfKIo



 暖炉の部屋を出て廊下をまっすぐ。

突き当りの階段を登って、厨房のある階をひとつ越えた廊下を西へ歩いたその先に、

先代の魔王様が魔界や人間界からも取り寄せたんだという膨大な量の書物が収められた書庫はある。

 私はお姉さんに断って、大尉さんと呼びに来てくれた十七号くんに着いて、妖精さんと十六号さんに十八号のちゃんと一緒になってその書庫へと向かっていた。

 あの会議の場にいても、私は怯えているだけで何も出来ない。

お姉さんのそばにはサキュバスさんも兵長さんたちもいるし、役に立つのなら調べ物の手伝いの方が良いんじゃないか、ってそう思ったからだ。

 竜娘ちゃんは昨日の晩から書庫に入ってたくさんの書物を読み漁っているらしい。

それこそ、警護している十七号くんと十四号さんにトロールさんが書庫に毛布を持ち込んで夜を明かすほどなんだそうだ。

 彼女が寝たのかどうかさえ分からない、と話す十七号くんの口ぶりは心配げだ。

 昨日竜娘ちゃんが言っていたその…基礎構文、って言うのは、そんなにも重要なことなんだろうか?

魔導士さんは作り話の類に違いないと言っていたし、私もそう思うのだけど…人間界でも竜娘ちゃんはたくさんの本を読んだ、って、そう言っていた。

もしかしたら、人間界の本にはその基礎構文って言う何かに関することが書いてあったのかもしれない。だから、気になっているんだろうか…?

 そんなことを考えているうちに、私たちは書庫の前に辿り着いた。書物は湿気を嫌うから、と、この厚い木の扉を据え付けたのも先代様だという話だ。

 ゴンゴン、とその木の扉をノックした大尉さんが

「入るよー」

と声を掛けて扉をあけた。

 私は魔道士さんのウコンコウ…ボタンユリについて調べるために入ったから知っているけど、書庫は基本的に真っ暗で、

天井の方に小さな明り取りの窓があるくらいで、それもあまり開けてはいけないのだと言う。

なんでも書物は、太陽の光にも弱いらしい。

 私は妖精さんの光の魔法を使ったランプを灯してボタンユリについて調べていたけど、

書庫の中の竜娘ちゃんは、普通のランプに火を灯して、書庫の二階へと続く階段に座り込んでいた。

周りにはたくさんの本が積み上げられている。竜娘ちゃん、あれを一人で全部読んだのかな…?

魔界の文字があったり、難しい言葉で書かれた文章の本もたくさんあったはずなんだけど…竜娘ちゃんのお父さんは、竜族の名士だって言っていた。

もしかしたら、私が畑仕事を教えてもらったのと同じように、お父さんから勉強を教えてもらっていたのかもしれないな。

「あぁ、大尉さん」

そう声あげたのは十四号さんだった。相変わらず優しそうで、その、かっこいいお兄さんだ。

「あたし用だって?」

そう答えた大尉さんに、十四号さんは少し疲れたような表情を浮かべながら竜娘ちゃんに頭を降った。

「彼女が話がしたいって」

十四号さんがそうまで言って、竜娘ちゃんは初めて私達が部屋にやって来たことに気付いたのか顔をあげて少し驚いたような表情をしている。

でも彼女はすぐに大尉さんに気が付くと、パッと立ち上がって手のしていた一冊の本を持ち、大尉さんに駆け寄ってきた。
 

468: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:43:17.96 ID:yxDuUfKIo

「大尉さん、この文字はお読みになれますか?」

竜娘ちゃんが開いて見せたそのページには、片側に難しくて古い言い回しの文章がいっぱい書いてあって、

もう一方にはその説明らしいこれもまた古めかしい挿絵が描かれていた。

 竜娘ちゃんが大尉さんに指し示したのは、文章の方はなく挿絵の方だった。

 私は大尉さんと本との間に体をねじ込んでそのページに目を凝らす。

ふっと明るくなったと思ったら、妖精さんがランプに灯った火の明かりを魔法で曲げて、本を照らし出してくれていた。

「便利だよね、その魔法。俺にも出来るかなぁ」

「やりたかったらいつでも教えるですよ。今の魔王城にはたくさんの強い力を使える人がいた方が良いと思うですからね」

十七号くんと妖精さんの話を聞きつつ、私は改めて挿絵に目をやった。

 そこに描かれていたのは、男の人たちが何かを建てている様子だった。

その建物の真ん中には、板のような物が描かれていて、そこに私が読めない文字で細かく何かが書き込まれていた。

「これは…古代文字の一種だね…しかもかなり特殊なやつだ…」

大尉さんはそう言いながら、小さなその文字を小指の先で追いつつたどたどしい口調でそれを読み上げた。

「…記す…落とす…?あぁ、いや、書き残す、ってことかな…礎…世界…世界の礎、か。

 えぇと…次は…あー、ダメだ、この文字は知らない…で、えぇと…祠…丘の祠…」

そこまで言い終えて、大尉さんは本から指を離し、首を傾げた。

「書き残す、世界の礎、丘の祠…」

自分で言った単語を呟きながら大尉さんは竜娘ちゃんを見つめて、竜娘ちゃんの反応を確かめるように聞いた。

「昨日言ってたのって、基礎構文、って呼んでたっけ?」

その問に竜娘ちゃんは黙って頷く。それを見た大尉さんは、宙を見やって言った。

「世界の礎、ってのは、その基礎構文のことかもしれないね…」

「では、やはりこの挿絵は…?!」

「いや、かも知れない、って言うだけで、本当にそうかは分からないけど…本文の方の解読を進めてみればそれも分かるかも知れないね」

そう言った大尉さんは、再び小指でその絵を指し示した。

「単語の羅列からの想像だけど、この絵はもしかしたらその基礎構文ってやつの場所を示す何かなんじゃないかな、と思う」
 

469: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:43:56.36 ID:yxDuUfKIo

そんな言葉に、書庫に居たみんなが息を飲む音が聞こえた。その基礎構文、ってものがなんなのかは分からないけど…

“この世界を世界たらしめている”ものだと言ってた。たぶん、とても重要なことだと言うのは分かる。

でも、でもどうして…?

 私はそんな疑問が浮かんで、思わず竜娘ちゃんに尋ねていた。

「竜娘ちゃん。どうしてその基礎構文っていうのが気になるの…?」

すると、竜娘ちゃんは私の顔をじっと見て、それから大尉さんに妖精さん、トロールさんに、十六号さん達みんなの顔をそれぞれ窺ってから、

「きっと、皆さんにとっては気分の良い話ではないとは思いますが…」

と俯いて前置きをし、ややあってクッと表情を引き締めて顔をあげて言った。

「あの塔に囚われている際に、大尉様と戦っていた女性が言っていたのです。基礎構文とは、“争いを促した忌むべきものである”と」

“争いを促した忌むべきもの”…?で、でも、サキュバスさんはそれが“世界を世界たらしめているもの”だと言っていた。

全く違う言葉に聞こえるけど…でも、待って…も、もし二つを繋げて考えるとしたら、その意味は…

「この争いが繰り返される世界を維持しているなにか、か…」

私の思い至った答えを、十六号さんが口にする。それに頷いた竜娘ちゃんが続けた。

「もしあの女性の言を信ずるのなら、基礎構文とは、もしかするとこの争いを留めうる何かである可能性もあるのではないか、と…」

竜娘ちゃんは、そう言って持っていた本の挿絵にもう一度じっと見入った。

 もし竜娘ちゃん言っていることが合っていたんだとしたら、それはきっとお姉さんにとっては今以上の力になってくれる。

この魔族と人間が争いを続ける世界に、平和をもたらすことが出来るかもしれないんだ…。

「大尉さん、どう思う?あなたはあのオニババとやりあったと聞いた。俺にしてみたら、あの女のことだ。

 そう言ってなにか、誘導されているような気がしてならないんだが」

十四号さんが大尉さんを見やって聞く。すると大尉さんはうーん、と唸ってから

「その可能性はあるよね…わざわざ竜娘ちゃんを閉じ込めておいて、でも本なんかを読むようにって命令していて、

 その基礎構文なんて話を聞かせるってことは、何かを刷り込ませようとしていた、とも思える…」

それから大尉さんはまた首を傾げつつ「でも、」と話を続ける。

「あたしには神代の民の一人として、世界の均衡を保ち、二つの紋章を管理するって責務がある。

 基礎構文ってのがサキュバスちゃんの言っていた“世界を世界たらしめる”ものなんだとしたら、均衡を保っている何かだとも思える。

 神代の民的には、そっとしておきたい代物かな。

 だから、もしあの宗家のオニババがそれを狙っているって言うのなら、あんまり良いことないと思うし、

 本当に存在するんならそれがある場所を突き止めて、警備するくらいはしないといけない気がする」

そう言い終えた大尉さんは、少し憂鬱そうな表情を浮かべて竜娘ちゃんに聞いた。
 

470: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:44:46.65 ID:yxDuUfKIo

「…仕方ない、ちょっと探してみる…?あれば守らなきゃいけないし、ないならないでその方が良い気もするけど…」

「…はいっ!」

大尉さんの言葉に、竜娘ちゃんがはっきりとした返事をした。

それを聞いた大尉さんは、はぁ、ともう一度ため息をつき、本を持ってその場にどかり、と座り込んだ。

「本文まで古代文字と来てるからなぁ、これ。この挿絵の文字に比べたらまだ新しい文字だし読みやすいけど…

 とにかく、この挿絵が何なのかをよく知るために、これを解読するっきゃなさそうだね…正直、骨が折れそうな作業だよ」

大尉さんは苦笑いを浮かべてそんなことを言った。

 ふと、私は何かポッカリと胸に穴が空いたような、そんな感覚を覚えた。それが一体何なのか、と考えていると、答えはすぐに分かった。

 私は、ここでもまたなんの役にも立てない。そう実感してしまったからだった。

私は古代文字なんて読めないし、そもそも今人間界で使っている文字も怪しいし、魔族の文字も読めるわけがない。

 村には手習いをしてくれるおじいちゃんがいて、文字や計算を教えてもらってはいたけど、それも畑仕事の合間に行くくらいで、

王都での学術院なんかで教えているらしい勉強なんてのとは比べ物にならない。

田舎の村の子なんてだいたいみんなそうだけど、でも、いざこうしてそう言う知識が必要だとなると、なんにも出来ない自分がなんだか悔しい。

 十六号さん達の様に魔法が使えるわけじゃない。兵長さんのように軍隊のことや戦いについて知っているわけでもない。

みんながそれぞれの力でお姉さんを支えているのに、私に出来ることと言ったら、お姉さんそばにいることとそれからお芋なんかの簡単な畑をやることくらいだ。

食料がで大事だっていうのはわかるけど…でも、なんだか、皆の輪から外れてしまっているような心地がしていた。

 「大尉様」

そんな事を思っているときだった。魔王城に戻ってから、あの石人間のような体に戻っていたトロールさんが、そうくぐもった声で大尉さんを呼んだ。

「オイ、ソノ祠ヲ知ッテルカモシレナイ」

「えっ?」

トロールさんの言葉に、大尉さんがそんな驚きの声をあげた。みんなも驚いてトロールさんを見つめていたし、もちろん私も驚いた。

でも、トロールさんの言葉の意味を私はすぐに理解できた。そう、だってトロールさんは…

「オイ達トロールハ、古クカラ北東ノ森二アル祠ヲ守ってキタ」

祠守の一族。そう、トロールさんは自己紹介をするときはそう言っていた。

「魔界二、祠ハ多クナイ。オイ達ノ守ル祠ト、西ノ森二住厶、サキュバス族ガ守ル祠、ソレカラ、北ノ城塞ノ近ク二アル、モウ壊レテシマッタ祠ダケダ」

驚くみんなを見つめながら、トロールさんは言った。すぐさま大尉さんがうーん、と唸り声をあげる。

「サキュバス族の祠、って言うのは怪しいしね…神代の一族が守っているんなら、古えから伝えられてきた何かが収められている可能性は高そうだし…

 サキュバスちゃんにお願いしたら口利いてくれるかな…」

そんな大尉さんに、竜娘ちゃんは落ち着いた様子で言った。

「サキュバス様にもお願いしてみます。私、どうしてもその祠の中を見てみたいんです」

そんな竜娘ちゃんの瞳は、どこか悲しげな、切なげな色をしているように、私には見えた。



 

471: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:45:30.27 ID:yxDuUfKIo




 翌朝、竜娘ちゃんはお城の北門から、大尉さんと十八号ちゃんと十四号さん、それからトロールさんと一緒に、

サキュバス族の師団長さんが用意してくれた馬のような牛のような生き物が引く車に乗ってトロールさんの一族の住むという北東の森へと旅立って行った。

 私は門のところで、妖精さんやお姉さん、サキュバスさんと一緒にそれを見送った。

 竜娘ちゃんがその場所へ行きたいと相談したとき、お姉さんは少し心配そうな顔をしたけれど、大尉さん達が一緒なら、と、それを許してくれた。

トロールさんの一族が守る祠に行って、それから西のサキュバス属が暮らす森へも行くらしい。

竜娘ちゃんには、サキュバスさんが祠を見せてあげるように、ってお願いをする手紙を持たせていた。

 人間界へ行くワケでもないし、と最初は私も思ったけど、でも、よく考えてみれば竜娘ちゃんは戦争が始まる直前、人間界へ旅立つまでは、

魔界では忌み嫌われる存在だったと言う話を思い出して、私は心配になってしまった。

 あとからそのことをお姉さんに言ったら、お姉さんは私の頭を撫でながら

「大丈夫…あの娘はきっと、あんたと同じように強い娘だ…それに…」

とどこか引き締まった表情で

「ここにいるほうが、もしかしたら危険かも知れないからな」

と言った。

 その意味が分からない私じゃなかった。きっと、お姉さんは魔導協会の人達の動きを警戒しているんだろう。

もしあの人達が竜娘ちゃんを奪い返しに来るとすれば、まず真っ先にこのお城を狙うはず。

そのことを考えたら、お姉さんも竜娘ちゃんをここから遠ざけて置いた方がいい、と考えているんだろう。

 トロールさんは自然の魔法を使った念信というのも使えるみたいだし、何かあったらすぐに知らせるようにと伝えてはいたけど、

魔導士さん直伝の転移魔法を使える十八号ちゃんと十四さんもいるし、もしものときはお姉さんのいるこの魔王城に逃げてくればいい…

戦いになるかもしれないけど、お姉さんが傷つくことになるかも知れないけど…

それでも、お姉さんはきっと、私達のうちの誰かが傷付くのを良しとはしない。

そうならなければいいな、とは思うけど、もしそのときが来たら、って言う備えと覚悟は大切だ。

 とにかく、お姉さんの考えの通り、竜娘ちゃん達がもし何かあったときに逃げたり助けを呼ぶことができる状態なら、

いつ魔導協会の人達からの攻撃を受けるかもしれないここよりは、魔界の辺境へと旅に出ていた方が安全だろう。

 私は、今回ばかりは着いて行きたいとは言わなかった。向こうに一緒に行っても、私には出来ることなんてない気がしたし、

それに…私には、このお城でやらなきゃいけないことがあるんだ。

 軍隊を再編する会議は今日も続いている。竜族将さんが朝から不機嫌そうに息巻いていたし、魔族軍が整うには時間が掛かる。

 その間、お姉さんは色んな事に気を使わなきゃいけないし、もしかしたら傷付くようなことをたくさん経験するかも知れない。

そんなときはやっぱり私はお姉さんのそばにいてあげたい。それがきっと、あのときお姉さんに助けてもらった私の役目なんだって、そう思い直していたから。
 

472: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:46:49.90 ID:yxDuUfKIo

 とは言え、会議の席に居ても何が出来るわけでもない。

竜娘ちゃん達を見送った私と妖精さんは、サキュバスさんの言いつけで着いてきてくれたゴーレム二体と十六号さんに十七号くんと一緒に、お城の西の畑へと向かった。

ちゃんと畑を整えておかないと、魔族軍の人達がお城に常駐するようになれば備蓄の食料も長くは持たない。

その前に、少しでもいいから収穫できるように畑を整えておかないといけないだろう。

 私とすっかり人間の体になれた妖精さんが先頭に立って、その後ろにふざけあいをしながらおしゃべりしている十七号くんと十六号さんが続く。

見えてきた畑には小さな緑の芽が、あちこちから吹いている光景が広がっていた。本当にまだ葉っぱ二枚だけ顔を出したばかりの新芽だ。

「わぁー!すごい!本当に芽が出てる!」

妖精さんがまるで踊りだしそうなしぐさでそんな声をあげる。だけど、私はそれほど嬉しいって気持ちは起きなかった。

なぜなら、緑の新芽が出ている辺りの土が、白っぽくカサカサになっていたからだ。

 ここに植えたお芋は乾燥には強いはずだけど、この土の乾き方は少し乾燥しすぎのように思えた。

 私は持ってきていたシャベルで少しだけ土を掘ってみる。でも、拳一つ分掘ってもまだ、土は乾いたままだった。

この辺りって、雨はどうなんだろう?そう言えば、魔王城に来てからと言うもの、雨が降ったのを見たことがない。

でも、最初に畑を始めたときには、土はもう少し湿っていて握ればまとまるくらいだった。

掘り返しちゃったから感想が進んだのか、それとも適度に雨が降るのか…

「ね、妖精さん。この辺りって、雨降るのかな?」

「あ、雨?わかんない、どうだろう…」

私の言葉に妖精さんは慌てて踊りをやめて首を傾げる。そりゃぁ、妖精さんはこの辺りに住んでいたってわけじゃないみたいだし、知らなくっても仕方ないか…

 私がそんなことを思っていたら、妖精さんはふっと空を見上げて呟いた。

「風が言ってる…しばらく雨はないみたい」

「風が?」

「うん、そう。あ、言ってる、って言っても言葉じゃなくってね…風が乾いてるから。この辺りは西からの風が吹いてるから少し雨は少ないかも知れない。

 もう少し南に行けば、海風が中央山脈に当たって雨になるんだけど、ここの風はどっちかって言うとあの砂漠の街の風に似てる」

なるほど、そっか。さすが風の魔法が得意な妖精さんだ。風を使えるだけじゃなくって、風の様子まで感じ取ることが出来るんだね。

「なら、水撒きしなきゃならないってことか」

そんな私達の話を聞いていた十六号さんが話に入ってくる。

「うん、そうだね…このまま何日も降らないとなると、ちょっと心配かも…」

乾燥には強い種類だけど、だからと言って水気がないままだと枯れたりする危険もある。

 ただ、お芋だけに水をあげすぎて土の中で腐ったりしちゃったら大変だ。幸い水はけは良さそうな土だから、

多少でも土を濡らすくらいの水さえあれば、あとは多分、葉っぱが育ってくれば朝露やなんかでそんなに心配はなくなるはず。

とにかく、今をなんとかしなきゃね…

「水かぁ…凝固系の魔法は知らないな…な、十七号、あんたは使えたっけ?」

「使えないこともないけど、凝結して雨にするって言うより、俺の体の水分を使って行く感じになるからけっこう体力食うな…

 畑に撒く水の半分くらいを俺が飲みながら魔法陣を描き続けなきゃなんないかも」

「あはは、そんなんじゃ人間ポンプだな」

十七号くんとの言葉にで十六号さんがそう言って笑う。

歩いて百歩の畑を4面作って、そのうちのひとつは休作用にしているけど、それでも三面分の水を十七号くんに撒いてもらうのは大変そうだ。

魔法も向き不向きとか使えないものとかがあって、思いの外、不便なことだってあるんだな、なんて、私はそんなことを思っていた。
 

473: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:47:32.35 ID:yxDuUfKIo

「でも…じゃぁ、どうしよう?お水撒かないと良くないんだよね?」

二人の話を聞いて、妖精さんがそう私に聞いてきた。

 それについては、最初にここを選んだときから考え済み。

畑の一角に井戸を掘らなきゃいけない。

もともとそのつもりで、今日もその下準備をするつもりだったけど、土の乾燥が思っていた以上に早いし、少し急がないといけないかな。

 「井戸を掘らないと」

「イド…?あの、魔王城にある水が出てくるやつ…?」

「まぁた穴掘りか」

「あはは、アタシら向きだな」

妖精さんが首を傾げ、十七号くんが苦笑い、十六号さんはいつものように明るく笑った。

 畑に水は大切だ。それに、本当は肥料も欲しいんだけど…まぁ、それはまだ少し先でいい。

今はとにかく、ここに井戸を掘って出来たら水路なんかも作れたらいいかな…これだけの広さの畑に水を撒くのは大変だからね。

「妖精さん。どこか地面の下に水が流れていそうな場所はないかな?」

私は妖精さんに聞いた。妖精さんは少し驚いたような顔をして

「えっ?私…?!そういうのはトロールの方が得意だと思うんだけど…」

なんて言いながらも、その場にしゃがみこんで地面に手を付いた。その手のひらがぼんやりと光を帯び始める。

自然と話が出来る、っていうのは自然を感じ取れる力だ、って言ってたしね。

きっとどこから水が出そうかも感じ取れるに違いない。

 私の考えは、きっと正解だったのだろう。しばらくして妖精さんは

「あの少し窪んでる辺りから、水の冷気が強くする…かも」

と言って、畑から三十歩程の少し地面が抉られたようになっている辺りを指差した。

 「よぉし、あそこを掘ればいいんだな?」

十六号さんがそんなことを言いながら、担いでいた大きなシャベルを振り回した。

「ううん、掘るのはひとまずゴーレムに頼んでおいて、私達は他にやることがあるの」

「やること?」

十七号くんが首を傾げて私にそう聞いてくる。

「うん、井戸を掘ったらその周りに石を敷き詰めておかないと穴が崩れちゃうでしょ?石を集めなきゃいけないんだ」

 それに、魔王城にある井戸は、真新しい青銅で出来た手漕ぎ式の汲上機だった。

サキュバスさんの話では、先代の魔王様が作らせた井戸らしくって、どうやらその予備の資材もお城の倉庫に残っているらしい。

もし汲上機と水路用の青銅管も残っていれば、それをここに運び込んでおきたい。

 石を見繕ったり、資材を確認するのは簡単な命令をこなすだけのゴーレムにはちょっと難しいだろう。

「物知りだなぁ」

私が言ったら、十七号くんがそう感嘆してくれる。それがなんだか気恥ずかしくって、へへへ、なんて笑い声をあげてしまいながら、私は

「とりあえず、ここはゴーレムに任せてお城の方に戻ろう。倉庫と石を探しに行かなきゃ」

と皆の顔を見て言った。
 

474: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:48:37.16 ID:yxDuUfKIo

 一旦、西門からお城に戻った私達は、そのままそぞろ歩いて一階にある倉庫の戸を開けた。中はだだっ広いうえに真っ暗で埃っぽい。

妖精さんが光を灯してくれてようやく中が見えるくらいだ。

 そこには、古びた武器や防具、農具なんかに、お城の修繕にでも使うんだろう大工さん用の道具なんかも置かれていた。

そんな中に、私は布を被っている山を見つけた。

それをピラっとめくってみると、そこには束になっている金属の管とそれに立てかけられるようにして置かれている汲上機があった。

それに、管を通すための穴を掘る槍のような道具もあった。良かった、ないわけはないと思っていた。

これがあれば井戸作りはうんと楽になる。

 私の住んでいた村には井戸が2つあって、片方は木のバケツを滑車でおろして汲み上げるやつだった。

父さんは、あの井戸のほうが広く掘らなきゃいけないから作るのに手間がかかるんだ、と言っていた。

それこそ穴の中の壁全部を石で補強しながらの作業になるからね。

その点、この汲上機の方法なら、管を通せる穴を掘って、隙間に石を入れていって固定するだけで済む…はずだ。父さんの話なら…

 「あぁ、ポンプじゃないか。なるほど。これをあそこに運ぶわけだ」

十六号さんがそう言って、両腕の袖を捲りあげる。

「お、荷車あるぞ。これに載せよう」

十七号くんが倉庫の隅にあった荷車を引っ張り出してきてくれた。

「じゃぁそれ抑えててです。私が持ち上げるですよ!」

そう言うが早いか、妖精さんは両腕を資材の方へと付き出した。

 こういう物や人を浮かべたりする魔法は、空気の密度を動かすんだ、と妖精さんは言っていた。

物の上側の空気の密度を低くして下側の密度を高くすると、高い方から低い方へ空気が流れようとするから、それが物を浮かせる力になるんだ、って話だ。

正直、そんな話をされてもほとんどなんにも分からなかったけど、とにかく魔法で汲上機と管がふわりと倉庫の中に浮かび上がった。

「うぐっ…これ、けっこう重いよ…!」

「妖精ちゃん頑張れ!今荷車下に入れるから!」

悲鳴をあげた妖精に十六号さんがそう言って、十七号くんと一緒に器用に荷車を操って浮かんでいる資材の下に荷車を滑り込ませた。

ギシギシ、っと、荷車がその重みで軋む。

「ふぅ…」

妖精さんが息を吐いて両腕を下ろした。

「ホントだ、かなり重そうだな…あそこまで引っ張っていけるかな?」

「俺と十六号姉がいれば大丈夫だろ。強化魔法使えばなんとでもなるよ」

十六号さんと十七号くんがそんなことを言っている。

 人間の魔法は体の機能を強化することだって出来る。これくらい、その魔法を使えば楽々、ってことなんだろう。

さっきは不便なところもあるな、って思ったけれど、やっぱり魔法って言うのは、本当に便利だ。
 

475: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:50:12.78 ID:yxDuUfKIo

 「よっし、じゃぁ行くぞ」

「うし。せぇのっ!」

二人がそう声を合わせて荷車を引っ張る。ミシミシと音をさせながら、それでも荷車はするりと動き始めた。

 私達は倉庫を出た。妖精さんが後ろから荷車を押して、ギシギシと一階呪うかを進む。

「これ、勝手口からは出られないよな…」

十六号さんが言った。

 私達がお城に入ってきたのは、西門のすぐ近くにある普通の家に付いているような小さなドアからだった。

十六号さんの言うとおり、この荷車を引いて通るには明らかに小さい。このまま行くのなら、南門の近くにある大戸へ向かうしかない。

大戸から西門へ行く間には石の壁が一枚あって、そこにある通路も狭くて荷車は通れないから、南門使う必要がある。でも、南門の外には…

 私はふと不安になった。南門の外には、この城に駆け付けた魔族軍が陣を張っていたからだった。

お姉さんは軍人さん達が来たときには私達を一通り紹介してくれたけど、白い目を向けられたことを覚えている。

そんな人達の中を通っても大丈夫なものか…

 「私の魔法で姿を消しても、これを引きながら近くを通れば感づかれちゃうね…」

十六号さんも妖精さんも、私と同じ心配をしているようだった。十七号くんが一人

「何かあったらぶん殴ってやればいいんだって」

と息巻いているけど、そんなことをしちゃったら、今魔族軍を再編するために話合いをしているお姉さんの足を引っ張ることになりかねないし、

魔族の人達に人間への怒りを新たに植え付けることになってしまうかもしれない。

それは避けたいな…まぁ、まだ何か起こるって決まったわけじゃないけど…

 そんなことを考えているときだった。

「ん、何だぁ?」

そう声が聞えて目の前に姿を表したのは、見慣れない軽鎧を着た人間のおじさんの軍人さんだった。

「あ、隊長さん。こんにちは」

私はそのおじさんに挨拶をする。

 隊長さんは、大尉さんの部下だ。

部下なのに「隊長さん」なのは、何でも大尉さんが王都の軍令部から諜報隊に配属になったからで、

もともと軍人さんである隊長さん率いる諜報隊と王都軍令部との調整役兼監視役だったからなんだそうだ。

そういえば、砂漠の街の憲兵団の司令官さんも、王都から派遣されてきた、って言ってたっけ。

大尉さんもそんな王都の重役だったんだろう。そりゃぁ、神官の一族の末裔だもんね。要職についていたっておかしくはない。

 私と隊長さんは、竜娘ちゃんを助け出して来てから魔導士さんの転移魔法で隊長さん達を連れて来た大尉さんに紹介されて知り合った。

掠れた声の人で、目つきも鋭い、なんというか、絵に描いたような軍人さんだっていうのが最初の印象だった。

でも、さすがあの大尉さんの部下だからなのか、話してみると怖さなんてこれっぽっちも感じない、

ううん、むしろこんな風で大丈夫なのかな、って私が心配になってしまうくらいに大雑把で豪気な人だった。
 

476: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:50:50.48 ID:yxDuUfKIo

 「なんだ、その大荷物?」

「あぁ、はい。西門の外に畑を作ってるんです。そこに井戸があったらいいなと思って」

私が説明すると、隊長さんは、あぁ、なんて気のない返事をしてからふと何かに気が付いたような表情になり

「それ、南門から出すつもりか?」

と聞いてきた。

「はい…南門くらいしか通れないと思うんです」

「まぁ、その大きさだとな…ふーん、いや、だがそいつはちょっとうまくねえな」

隊長さんはそう言って口に手を当て首を捻った。私達が思うくらいだ。軍人の隊長さんがそのことに気が付かないはずはない。

だけど、隊長さんは程なくして

「そうだな…」

と呟き、私達を見てニヤリと笑って言った。

「勇者…あぁ、いや、城主サマのご意向もあるからな。手を貸してやるよ、嬢ちゃん達」



 

477: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:51:45.73 ID:yxDuUfKIo



 それから私達は四人で荷車を南門の前まで運んだ。ここは「掃き出しの門」って呼ばれていたんだっけ。

確か、お城を作るのに使った石の余分な物を運び出すのに使われていたってサキュバスさんが話していたっけ。

だからこれだけ大きな作りになっているんだろう。

 そんなことを十六号さん達と話しているうちに、お城の中で一旦別れた隊長さんが私達の前に姿を表した。

驚いたことに、隊長さんはその後ろに人間の軍人さん二人と魔族の人達を三人引き連れていたのだ。

人間の軍人さんは二人とも女の人で大尉さんや隊長さんの部下の人だけど、魔族の三人は初めて見る人達だ。

 「初めまして」

そんな優しい声色で魔族の中で唯一の女の人が私達にそう声を掛けてくれる。姿は人間と近いけど、瞳の色が黄色い。

耳も尖っているし、額からは親指程の角のようなものが一本生えている。確か、人間の姿に似た魔族の人達を人魔族、って言うはず。

この人もそうなんだろう。

 私達が順番に挨拶をすると、隊長さんが魔族の人達を紹介してくれる。

「彼女は、魔族の突撃部隊にいた人魔は鬼族の戦士だ。こっちの獣人は猛虎族が勇で突撃部隊の小隊長。で、この若いのが獣人でも珍しい鳥翼族の剣士だ」

猛虎族の小隊長さんは、体がガッシリとしていて鎖帷子を身につけたいかにも勇ましそうなサキュバスさんよりも少し年上に見える男の人で、

もう一人、ツンツンの羽のような毛を生やして背中にサキュバスさんのとは違う黒い羽根の翼を持った鳥翼族の剣士さんは、たぶん、十四号さんと同じ年頃くらいだろう。

 小隊長さんは腰にナタのように幅の広い剣を提げているし、鳥の剣士さんもその名に違わず、両方の腰に細身の剣がある。

もちろん、優しい声で挨拶をしてくれた鬼族の戦士さんも背中に剣を背負っているのが見える。

 私はそんな姿を見て緊張せずにはいられなかった。

魔族の軍人さんと会うのは、黒豹さん以外では遠巻きに会議に参加していた人達を見るくらいで、こうして面と向かうのは初めてだったから。

 正直に言えば、怖い。

魔族だからとかそう言うことじゃなしに、少なくとも“戦争をしていた相手”に他ならないし、きっと人間の軍人さんを殺したりしてきた人なんだろうと思うと、

気を抜くことなんて出来なかった。

 「良かったよ、退屈してたとこなんだ」

隊長さんの部下で、短い髪に女の人とは思えないガッシリとした筋肉を身にまとった女戦士さんがあっけらかんと言う。

「そうだね。剣の稽古をしているよりもよっぽど面白そうじゃない」

そんな女戦士さんに、長い髪を後ろで束ねている女剣士さんが捌けた口調で相槌を打って笑った。

 「共同作業を見せる、って、いい案ですね」

鳥の剣士さんもにこやかに笑って鬼族の戦士さんに声を掛ける。鬼族の戦士さんもそれに笑みを返して

「そうね。誰かさんのお陰で上は大もめみたいだし」

なんて言っている。

「まぁ、竜の旦那は一本気な人だからな。おいそれと気持ちを入れ替えるわけには行かないんだろう」

そんな鬼族の戦士さんの言葉を聞いた虎の小隊長さんが苦笑いを浮べた。
 

478: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:52:40.95 ID:yxDuUfKIo

 竜の旦那…?そ、それってもしかして…

「み、皆さんは竜族将様を知っているですか?」

言葉が詰まった私に代わって、妖精さんが魔族の人達にそう尋ねる。すると、鬼族の戦士さんが苦笑いで教えてくれた。

「知ってるもなにも、私達突撃部隊を指揮していたのが竜族将様だったんだよね。私達は皆、元は北の街に住んでいたんだ」

北の、街…それって、竜娘ちゃん達の家族が住んでいたっていう、あの…?私はそれを聞いて全身が硬くなるのを感じた。

心臓が握りつぶされてしまうんじゃないかっていうくらいにギュっとなる。

 この人達は、人間に街を焼かれた人達なんだ…頭に蘇ってきたのは、北の城塞でのお姉さんの所業や、東の城塞で私達に向けられた人間の怒りの感情だった。

それがどんなものかを私は身を持って知っている。だからこそ、体が震えた。

 でも、そんな私を見て、鬼族の戦士さん私の前に歩み出て来てしゃがみ込んで言った。

「怖がらないで、って言うのは無理かも知れないけど…私達は大丈夫だよ。戦争はあったけどね…私、人間って好きだから」

そう言った鬼族の戦士さんは笑っていた。人間が、好き…?魔族なのに、どうしてそんなことを…?

 「や、やめてくれよ、そんな直接言うのは…て、照れるだろ」

「いや、なんであなたが照れる必要あるのさ。人間族一般の話でしょ?」

鬼族の戦士さんの言葉を聞いて、女戦士さんと女剣士さんがそんなことを言い合って笑っている。

 私にはそんな光景がとても奇妙に思えた。どうして笑っていられるんだろう?だって戦争をしていたんでしょ?殺し合いをしていたんでしょ?

それなのにどうして…どうして笑顔でいられるんだろう?

 「まぁ、とにかく、だ。お互い暇を潰せるし、城主サマの言いつけも守れるし、ギスギスしてるよりよっぽど良い。かかるぞ」

そんな私をよそに隊長さんはそう言うと、魔族の三人と二人の女の兵士さんに号令を出した。

 「ほら、貸しな。こういうのは任せとけよ。なぁ、鬼の!あんたも一緒に引こうよ!」

「ふふふ、良いよ、任せて!」

女戦士さんが十六号さん達を押しのけてそう言い、鬼族の戦士さんも笑顔で了承して荷車の引き棒に並んで見せる。

「この荷、あんな石ころばかりの道を行くのはちょっと不安だね」

「なら、縄でも括って縛ろうか」

荷を見た女剣士さんの言葉に、鳥の剣士さんが答えて身軽に荷台の上に羽ばたくと資材に縄をくくり始めた。

 そんな光景を見ていた隊長さんと虎の小隊長さんはチラッと目を合わせてから

「なら、俺達はつゆ払いだな」

「ははは、つゆ払いか。間違いないな」

と言い合って豪快に笑い荷車の前に立った。

 私は、ううん、私だけじゃなくて、妖精さんも十六号さんも十七号さんもそんな様子にただただ呆然としてしまっていた。

嬉しいことのはずなのに、なんだか目の前のことがどうしてか信じられない気持ちだった。
 

479: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:53:29.01 ID:yxDuUfKIo

「おぉし、門開けるぞ。おい、坊主、手伝え」

隊長さんは十七号くんにそう声を掛けながら門の方へと歩いていく。

「あ、お、おう…」

十七号くんはそんな戸惑った返事をして隊長さんの後へと続いた。

 隊長さんが門の閂を重そうに持ち上げて門の脇へと引きずっていく。それを確認した十七号くんが腕に魔法陣を光らせて大きな門を押し込んだ。

 ズズズと重い音とともに、両開きの門が外側へと開いていく。その間からは、お城の周りに革張りのテントを張った魔族の人達がじっとこちらを覗き込んでいた。

「よぉし、引くぞ!」

「うん、せぇのっ!」

女戦士さんと鬼の戦士さんが声を掛け合って荷車を引き始める。後ろからは女剣士さんと鳥の剣士さんがそれを押している。

 「お、お手伝いしなきゃっ」

不意に妖精さんが声をあげて荷車に飛びつき、一緒になって押し始めたの私もようやく我に返った。いろいろと驚いてしまっているけど…

とにかく、私は私の仕事をしなければいけない。

それを手伝ってくれると言うのなら、それが魔族でも人間でも関係ない…私は自分にそう言い聞かせた。

「ほら、アタシらもやろう!」

十六号さんがそう声を掛けてくれたので、

「うん!」

と返事をして私も荷車を押すのに加わった。

 私達は荷車を、魔族軍の陣営の真ん中に出来た通路で押していく。

「なんだ?手伝いなら歓迎するぞ?」

「おい、道を開けてくれ。魔王様直々の命令だ!通せ通せ!」

先頭で隊長さんと虎の小隊長さんが通路を行く魔族軍の人達をそう言いながら蹴散らしている。魔族の軍人さん達は、私達を奇異の目で見つめて来ていた。

居心地は良くない。どの人もみんな、まるでよそよそしくって、冷たく感じる。

 ふと、戦争のきっかけになった北の街の事件のあと、魔族から締め出されてしまった竜娘ちゃんの気持ちがなんとなく分かったような気がした。

人間と魔族が一緒に仕事をしているだけで、こんな目で見られるmんだ。私達はこうしてみんなで作業をしているからまだいいけれど、

竜娘ちゃんはたった一人でこんな扱いを受けていたに違いない。

それは、どれだけ辛いことだったろうか…そう思うと、胸が痛んだ。

 でも、それでも私達は無事に魔族軍の陣地を抜けた。向こうの方に切り開いた畑と、そのそばで井戸掘りの作業を始めているゴーレム達が見えてくる。

 そこまで来て、私はようやく少し安心できてふぅ、っと息を吐いていた。

そんな私を見て、そばにいた鳥の剣士さんがあはは、と明るく笑う。

「そんな小さいのに良い度胸してるな。俺はもうシビれちゃってるよ」

「なんだ、魔族の突撃部隊も意外に肝が小さいんだね」

横から女剣士さんがそんな冷やかしを入れる。でも鳥の剣士さんは平気そうな顔をして

「中にはおかしなやつもいるんでね。同じ魔族ながら情けないよ」

なんて応える。すると女剣士さんも

「まぁ、人間も似たようなもんさ。どっちにしたって得てしてそういう奴ほど肝が座ってないんだよね」

と笑った。

「間違いないね」

それを聞いた鳥の剣士さんが同意してまた笑った。
 

480: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:54:19.14 ID:yxDuUfKIo

 そうこうしているうちに、私達は荷車ごとゴーレム達が井戸掘りをしている場所へと戻ってきた。穴はすでに私の腰ほどにもなっている。

土も湿り気があるようだし、水がまったく出ないってことはなさそうだ。

「イドって、あの水を汲む穴のことでしょ?」

「あぁ、うん。魔族には井戸を掘る習慣はないのか?」

「私達は川のそばに集落や街を作ったり、遊牧して生活している種族がほとんどだから、こういうのを作ったりはしないかな」

「へぇ、そうなんだ。だとしたらあの魔王城は、魔族っぽくないよな」

「あそこは特別なの。山脈のこちら側のほぼ中央で、水が湧き出していた場所らしいんだ」

荷車の引き棒から手を離して一息付いていた女戦士さんと鬼の戦士さんがそんなことを話している。

私はそれを聞きながら、妖精さんに頼んで資材を魔法で下ろしてもらった。

 「なんだ、この槍みたいな道具は?」

資材の山から、鳥の剣士さんが井戸掘り用の棒を手にとって首を傾げる。

「あ、そ、それは井戸を掘る道具なんです。地面に刺して回すと真っ直ぐに穴が掘れるんですよ」

私が説明すると、鳥の剣士さんはへぇ、なんて言いながら足元にそれを軽く突き立てて回し始める。

尖った先端が地面にめり込み、四枚の付き出した刃のような板の隙間から、土が中央の柄の方へと溜まっていく。それを見た鳥の剣士さんは

「へぇー!なるほど、よく考えられて出来てるなぁ、人間の道具は!」

なんて子どもみたいに感嘆してみせた。

 「なるほど、畑か…」

不意に隊長さんがそうつぶやくように言った。なんだろう、と思って隊長さんを見つめていたら、隊長さんは宙を泳がせていた視線を私に向けて

「井戸を作るなら庵が要るだろうな。それにここは少し位置が低い雨になれば水が溜まるかもしれんから、汲上機はやや高い位置に据え付けるべきだろう。

 そのためには、汲上機を繋ぐ管を固定する以外にも多少の岩がで足場を固める必要があるな」

と聞いてきた。私は隊長さんの言葉にハッとしていた。庵は必要だとは思っていたけど、足場のことは考えていなかった。

確かにここは周りより少し低いから、土に染み込まなかった雨が溜まりやすい。

雨が溜まったら足場が悪くなるだけでなく、汲上機を据え付けた周りの土が流されて座りが悪くなるだろう。

そうなったら管が外れたりして、井戸が使えなくなってしまうかもしれない。

「は、はい、そうですね…」

私が答えたら、隊長さんはガハハハっと大仰に声をあげ笑った。
 

481: ◆EhtsT9zeko 2015/05/18(月) 23:55:24.83 ID:yxDuUfKIo

それから隊長さんは改めて私を見て言った。

「さぁ、それじゃぁ、何でも言ってくれ。俺達は力仕事しか脳のないバカばかりだが、うまく扱ってくれりゃぁ、どんなことだってやってやれるからな。

 頼んだぞ、指揮官殿」

ししし、指揮官?わ、私が…?

急にそんな風に言われたので、私はぎょっとしてしまった。でも、そばにいた妖精さんはその言葉を聞いて

「うん、私も頑張るよ!畑の指揮官さま!」

なんて言いながら飛びついて来た。でも、私、指揮官だなんてそんな…

「指揮官か。まぁ、確かにアタシら畑ってよくわかんないもんな」

「そうだよなぁ。十三兄ちゃんも良く花を育てられなくって枯らしてるくらいだしな」

十六号さんと十七号くんもそんなことを言っている。

 魔族の軍人さんの三人も、女剣士さんも女戦士さんも、まるで指示を待つ兵隊さんのように私をジッと見つめていた。

 そんな状態で、私は、なぜだかぐんと胸に力が湧いてくるのを感じた。畑の仕事は私の仕事だ。お姉さんにもそれを任された。

だけど、こうして私の言葉を待ってくれている人がいて、私を頼りにしてくれる人達がいるって言うことが、なんだか嬉しくて、勇気が湧いてくるような気がした。

「じゃ、じゃぁ…」

とっさに私は頭を回転させる。井戸掘りに、庵作りに、それから土台と管を固定するための石を集めなきゃいけない。

分担してやればきっとそれだけ早くに完成出来るはずだ。

「えと…鬼の戦士さん!この辺りで木を切り出せる場所があれば、少し必要なので手に入れてもらえませんか?」

「木ね。確か南の森は魔王城建設に使った木材を切り出した森だったかな。そこでならたぶん大丈夫だと思うよ」

「なら、お願いします。そんなにたくさんは要らないので…」

「うん、分かったよ」

鬼の戦士さんはそう言ってくれる。

「なら、俺と剣士で、石を集めよう。南の陣地の周りにも大きな物が転がっていたからな」

「そうですね。あの荷車、借して貰えると助かるな」

それを聞いていた虎の小隊長さんと鳥の剣士さんがそんな風に言い合って石集めに名乗りを上げてくれた。

「お願いします!」

私はそう二人に頭を下げる。

 「なら、その森にはアタシと剣士で着いてくよ。な?」

「そうだね。そっちの方が人手が必要そうだし」

女戦士さんと剣士さんがそう言うと、鬼の戦士さんがクスっと笑って

「お願いね」

なんて言う。それを聞いた隊長さんは

「なら俺は、庵の図面でも引くかな」

とニヤリと笑って言った。

 「え、えぇっと、じゃあ俺は…!」

そんな軍人さん達の勢いに当てられたのか、十七号くんが唐突に興奮した声をあげた。でも、そんな十七号くんに隊長さんは笑って言った。

「坊主はここに残って井戸掘りと見張りだろう。なんたって、城主サマ直々の、我が司令官殿の親衛隊なんだからな」

「しし、親衛隊…!」

隊長さんの言葉に、十七号くんがキラキラした目をして呟くものだから、私はようやく少しだけ肩の力が抜けて、思わず妖精さんと十六号さんと目を見合わせて、クスっと笑ってしまっていた。



 

490: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 01:52:52.26 ID:d4/wTUWso
**幼女とトロール 登場人物まとめ**

幼女ちゃん(人間ちゃん、お嬢ちゃん)
 人間の女の子。農民の娘。10歳くらい。
 洪水によって両親を失い、その洪水の原因を作ったと思われていたトロールに生贄として捧げられた。
 お姉さんのよき理解者。魔界では農業大臣的ポジション。
 誰がなんと言おうとポンパドール。

トロールさん
 2年前に勃発した人間と魔族の戦争時に、魔界で迫害を受けていた半人半魔の竜娘を連れて人間界にやってきた。
 竜娘を魔導協会に拉致されてからは、魔界にも戻れず、人里離れた山奥でひっそり暮らしていた。
 世間知らずの青年。

妖精さん
 戦争時に人間によって捕らわれ、人間界に連れてこられた。見世物やイタズラの対象になっていた模様。
 逃げ出した先でも人間に見つかり、いじめられていたところをトロールに助けられた。
 下手くそ敬語がかわいい。

お姉さん(勇者様、魔王様、十三姉ちゃん)
 戦争終盤、魔王を討つと同時に魔王より魔王の紋章とともに魔界の安寧を託された心優しい元女勇者。
 人間と魔族それぞれの立場を想い、板挟みになったりしていろいろ悩みが尽きない。
 クセっ毛の黒髪ロング。

サキュバスさん
 先代魔王の秘書、身辺警護、妻(仮)だった人。
 お姉さんこと魔王といろいろあって、現在はお姉さんに忠誠を誓う。
 持つ者に強大な力を与える勇者の紋章や魔王の紋章を開発した古代の神官の一族の直系。
 命の魔法を駆使し、ゴーレムを操ることもできる。

兵長さん
 人間界の交易都市、砂漠の街の憲兵団所属だった女性。今は魔王城に勤務中。
 金髪ロングの美人さん。

黒豹さん(黒豹隊長)
 元魔王軍隠密部隊所属。戦後、人間界に残り、逃げ遅れた魔族の帰国を手伝っていた。現在は魔王城勤務。
 兵長さんと良い仲っぽい。

女騎士
 砂漠の街の憲兵団員。オークにイヤンなことをされる直前に兵長さん達に助けられた。
 たぶんまだ憲兵団にいるはず。

魔導士(連隊長、十二兄ちゃん)
 元勇者候補で、お姉さんと一緒に魔導協会の施設で養育・訓練された。
 体中に魔法陣を彫り込み、強大な魔法を操る。
 感情を表に出さず基本的に無関心気味だが、弟妹分にあたる他の勇者候補者たちの面倒を見たり草花が好きだったりするたぶんいい人。

十四号
 元勇者候補の少年。兄妹の中では一番年上。16歳くらい。物腰柔らかないい子。
 戦闘能力はやや低いが、戦術などに長ける司令官肌。
 幼女ちゃんの憧れの人。

十六号
 元勇者候補の少女。14歳くらいの元気娘。
 転移魔法と結界魔法が得意。
 ポニテ。

十七号
 元勇者候補の少年。10歳くらいの血の気の多い男の子。
 身体強化魔法が得意。

十八号
 元勇者候補の少女。10歳くらいのクールな女の子。
 戦闘能力が兄妹の中では最も高い。何でもこなせるマルチな子。

十九号
 元勇者候補の少女。5歳くらい。食いしん坊。
 訓練を受ける前だったので戦闘力はない。
 二十号とは双子の姉妹。

二十号
 元勇者候補の少女。5歳くらい。甘えん坊。
 訓練を受ける前だったので戦闘力はない。
 十九号とは双子の姉妹。

十五号
 元勇者候補の少女。戦時中に治安の悪化した街に住んでいた兄妹達の盾となり
 何物かによって殺されてしまった。当時15歳。

491: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 01:59:33.96 ID:d4/wTUWso

大尉さん
 人間軍の元諜報部隊の指揮官の女性。指揮官とは思えないあっけらかんな楽天家。
 魔導協会潜入を手助けした後、魔王城勤務になる。
 サキュバスと同じく、神官の一族の末裔だが、分家の末端らしい。
 金髪に碧眼、羽根をかたどったトップのネックレスをつけている。

竜娘ちゃん
 魔界に売られてきた人間の女性と竜族の名士の間に生まれた半人半魔の幼女。10歳くらい。
 赤髪に竜のような瞳、二の腕には鱗があるがそれ以外の見かけは人間。
 生まれが良いためか、おしとやかで知的。
 先代には“平和の象徴”とされたが、戦争が差し迫ると穢れた存在として魔界で迫害に合い、人間界へと脱出。
 そこで魔導協会にとらわれる。

魔導協会顧問理事(オニババ)
 魔導協会の実質の責任者である中年女性。古代の神官の一族の直系。
 何かを企んでいる様子。

仮面の少女
 魔導協会で幼女ちゃん一行の前に立ちふさがった“勇者の紋章”を持つ謎の女の子。
 素顔は仮面をしていて分からないが幼女ちゃんと同じくらいの年齢っぽい。
 十五号を殺害したらしい。

隊長
 元諜報部隊の隊長。大尉さんの部下であり、現場責任者。35歳くらい。
 横柄だけどお人好し。
 上司である大尉と共に、魔王城勤務となる。

女戦士
 元諜報部隊員。22歳。
 大雑把で勢いの良い性格。細マッチョ。人懐っこい。
 たぶんベリショ。

女剣士
 元諜報部隊員。22歳。
 知的で冷静。ちょっと皮肉屋。基本マジメ。
 たぶんポニテ。

虎小隊長
 元魔族軍突撃部隊の小隊長。虎。誠実で裏表のない人柄。
 部下を大事にする上司の鏡。

鬼戦士
 元魔族軍突撃部隊の女性隊員。鬼族の21歳。
 丁寧で気遣いのできる優しい女性。

鳥剣士
 元魔族軍突撃部隊の若き隊員。18歳。
 お調子者だが、仕事は丁寧確実。鳥翼族だが、性格は忠犬。


【良く分かるかもしれない世界観】
・大昔、大陸に山脈を作り出して二分し、魔族と人間の世界を分けた“古の勇者”って人がいた。
・“古の勇者”が使っていた二つの紋章の一つが現在の“勇者の紋章”、もう一つが“魔王の紋章”。
・その“古の勇者”を作り出したのが神官の一族らしい。
・魔族はもともとは人間の姿をしてたっぽい。
・大陸が二分されても、魔族と人間は戦争を繰り返していた。
・先代の魔王を倒した勇者は死に際の魔王に魔族や世界の平和を託され、人間と魔族の板挟みに合いながら平和を目指して日々奮闘中。
 

492: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 02:01:31.43 ID:d4/wTUWso

こんなもんだろうか…って、しまったageちゃったorz

wikiとか弄り方わからんので、これでご容赦を。

では、続き書いてきます。
 

493: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 02:30:49.36 ID:d4/wTUWso




「あっははははは!なんだよ鳥の!もうへばったのかー?!」

「もう。ちょっと加減してあげてよ、彼まだ若いんだから」

「それに比べてあんたはけっこう行けるんだね。ほら、お代わり」

「ん、ありがと。まだまだ行けるよー!」

「おぉーし、ならこっからは飲み比べだ!寝るか吐くまでな!」

「おぉい、お前はもうやめろ!収集つかなくなんだからよ!」

「大丈夫か、おい?生きてるか…?」

「小隊長…俺ぁもう飲めませんよぉ…」

 目の前で繰り広げられているのは、私がこれまで見たことのない奇妙で騒がしい光景だった。

 あれから私達は井戸ほ掘り進めた。鳥の剣士さんと虎の小隊長さんが三度目の石の山を運んできてくれた頃に、

森へ木を切り出しに行った戦士さん達三人が丸太を一本担いで戻ってきた。

 隊長さんの書いた図面に必要な分の木材を切っている間に日が傾いて来たので、

魔王城の倉庫から持ち出した麻布を資材の山にかぶせて城に戻ってきた私は、妖精さんと十六号さん、十七号くんと一緒に

隊長さん達が間借りしている城の二階の兵舎にある食堂へと、食事に誘われていた。

 ここの食事は全部隊長さん達が食材から運び込んで作っているのだと言っていた。サキュバスさんが作る繊細で整った味とは違う、見かけも味も濃くて大胆な食事だ。

 他のテーブルでは、諜報部隊の別の隊員さん達が食事をしていて賑やかだけど、

魔族の三人と女戦士さんと女剣士さんに隊長さんのいるここのテーブルはどこよりも騒がしい。

 「なぁ、戦士の姉ちゃん。酒って美味しいの?」

「ん?なんだ?飲んでみたいのか?」

「いや、なんかみんな美味しそうに飲んでるじゃん。気になるよ」

「あっはっはっは!飲むか?ほら、味見だけな、ちょっとだぞ?」

私の隣に座って、向かいで鬼の戦士さんと肩を組んで大騒ぎしている女戦士さんに十六号さんが聞くと、

女戦士さんはそう言って持っていたお酒の入った木彫りのジョッキを差し出した。

 それを受け取った十六号さんは、恐る恐るそれに口を付けて、すぐにプッと顔をしかめて近くに置いてあったお茶の入ったカップ煽った。

「なんだよこれ!なんか熱いぞ!?ムワっとするぞ?!」

そう叫んだ十六号さんを見て、女戦士さんに女剣士さん、鬼の戦士さんが破裂したように大声で笑い出す。

「あっははははは!あんたにはまだ早かったか!」

「ふふふ、まぁ、最初はびっくりするかもね」

「もう二年したら再挑戦しなよ、早くから飲めてもいいことないからさ」

 正直、こんなに酔っ払っている大人は初めてみた。村でもお祭りの日なんかはお酒を飲んで騒ぐなこともあったけど、ここまで賑やかになったためしはない。

 女戦士さんも女の戦士さんも女剣士さんも顔を真っ赤にしながら楽しそうにしているし、

テーブルに突っ伏してしまった鳥の剣士さんも真っ赤な顔でヘラヘラの笑顔のまんまに寝こけている。虎の小隊長さんも隊長さんも、真っ赤な顔でごきげんだ。

 こんな様子に最初は面食らってしまった私達だけど、どこまでも陽気な人達で、今はもうすっか楽しい気分になってしまっている。うん、お料理も美味しいし、ね。
 

494: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 02:31:48.90 ID:d4/wTUWso

 「うーん、やっぱりこのお酒はにおいが強くて苦手です」

私達の中で唯一、少しだけお酒を飲んでいた妖精さんがそんな事を言いつつジョッキを空にしててテーブルに置いた。

「あん?なんだよ、酒なんか酔えれば一緒だろ?」

女戦士さんがクダを巻きながら、空になった妖精さんのジョッキに中タルを傾けてお酒を注いでいる。

「こっちには大麦以外のお酒があるの?」

女剣士さんが鬼の戦士さんにそんな事を聞いた。

「うん、種類は多いかもね。って言っても、各々の一族がそれぞれ作ってることが多いから、どれくらいあるかは分からないけど。人魔族は大麦使うよ。

 この濃い方のお酒と味も香りもよく似てる」

鬼の戦士さんはそう言って、さっき十六号さんが一口舐めたお酒を指して言う。

「へぇ。じゃぁ、妖精族はどんな酒を飲んでんだ?」

「私達は、木の実を使ってお酒を作るですよ。葡萄とか林檎が多いのです」

「どっちも聞いたことないな…」

妖精の返事に女戦士さんが首を傾げるのを見て、十七号くんが声をあげた。

「林檎ってのはアップルで、葡萄ってのはグレープって言うんだぜ」

「へぇ、魔界じゃそう呼ぶんだ?」

「いいなぁ、それ、旨そうだ。今度飲ませてくれよ!」

「今、酔えれば一緒って言ってたじゃない!」

「えぇ?そうだっけ?もう忘れちゃったよ!あっはっは!」

女戦士さんがあまりにもとぼけたことを言うものだから、私も思わず吹き出して笑ってしまった。

 「で、司令官殿。明日の作業の話をしようじゃねえか」

そんな私に、笑いを収めた隊長さんが話しかけて来た。私もなんとか笑いを引っ込めて隊長さんに応える。

「はい。明日は、まずお城の井戸から水を運んで畑に薄く巻こうと思います。

井戸はしばらく時間がかかりそうなんですけど、畑の方はカラカラなので、そっちをやっておかないと新芽が枯れたりしちゃいそうで」

「ふむ、確かにな…しかし、あれだけの広さの畑に水を撒くとなると、それなりの頭数が必要だな。明日はもう少し人数を考えておくとするか…」

私の言葉に、隊長さんはそう言って顎をひとなでする。そんな私達の話に小隊長さんが入ってきた。

「人間魔法には、水を扱えるものはないのか?」

「どうだろうな。基本的に俺たちの魔法は体の中の機能を増幅させて使うんだ。温度を下げたり上げたり、体の機能を強化したりすることはできるが、

 水を放つ、となると、それこそ体の中の水分を使う他にねえ。そんなことをしたら、たちまち自分がカラカラだ」

隊長さんがそう答えた。確か、十七号くんもそんなことを言ってたよね。

「魔族の魔法の方がそういうのは得意なんじゃねえのか?」

と今度は隊長さんが虎の小隊長さんにたずね返す。

「水の魔法というのは難しいんだ。風魔法の一種だが、大気中から水分を集める必要がある」

虎の小隊長さんはそう言って妖精さんを見やった。すると少しだけ顔を赤くした妖精さんも

「そうなんですよ。空気をいっぱい集めなきゃいけないですし、念信で長老様に聞いてみたら、あれだけ広い範囲に雨を降らせようとすると、

 他のところで降る雨を奪ってしまうかもしれないからあんまりやっちゃいけない、って言われたです」

と応える。それを聞くなり、隊長さんは腕組みをして

「まぁ、土の民たる魔族がそういうんだから、そうなんだろうな。こればっかりは、自分たちでやるっきゃねえか」

とお頷いた。

495: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 02:32:21.25 ID:d4/wTUWso

 便利なようで、やっぱり何もかもができるってわけではないのが魔法なんだな。

穴を掘るにしたって、妖精さんにもサキュバスさんには難しいって言っていた。

もしかしたら、人間の魔法陣を施されて力をましているトロールさんなら出来るのかもしれないけど、肝心のトロールさんは今は竜娘ちゃんと一緒に出かけてしまったし…

「自然は万能ではない。無理に扱えば他にしわ寄せが出てしまうこともあるし、そもそも俺たちでも扱える力には限界がある」

「そんなもんだな。何事も、そうすんなりうまくはいかねえもんだ」

虎の小隊長の言葉に、隊長さんがそう言って大仰に笑い、ジョッキをあおってお酒を一気に飲み干した。

ドン、とそのジョッキをテーブルにおいた隊長さんは、それから呟くように

「まぁ、だからこそやりがいってがある、ってもんだがな」

と私を見つめて言ってくれた。

 そんなときだった。喧騒に紛れて、バタン、とドアを閉める音を聞いた私は、食堂の入口の方に目をやった。

するとそこには、お姉さんとサキュバスさん、兵長さんの姿があった。

「おぉ、城主サマのお出ましだ。お前ら、行儀良く出迎えろよ」

隊長さんがあたりの隊員さんにそう声を上げる。

でも、隊員さんたちは

「うぉー!」

と行儀悪く返事をしては、ギャーギャーと喚いて笑っていた。

 「なんだよ、ずいぶんと楽しそうじゃないか」

そんなことを言いながら私たちのところにやってきたお姉さん達は、

テーブルの向こう側で、鬼の戦士さんを挟んで肩を組んでいる女戦士さんと女剣士さん達が

もう何が楽しいんだか分からないけどヘラヘラと笑っている様を見て一瞬固まった。

「おう、勝手にやらせてもらってるぜ」

隊長さんは新しくお酒を注いだジョッキを高々と掲げてお姉さんにそう宣言をする。

そんな様子を見て、虎の小隊長はパッと姿勢を整えた。

「自分は、猛虎族が首長が末子です、魔王様。酒の席で部下たちもこのていたらく、ご無礼、お許し下さい」

「い、いや、その…うん、まぁ、そういうのは全然…」

そんな虎の小隊長さんの言葉を受けて、お姉さんは兵長さんとサキュバスさんを顔を見合わせて、相変わらず戸惑っている。

 三人とも何が起こってるんだ、って感じで言葉に詰まっていいるので私は今日の昼間のことを伝えた。

 井戸を掘ろうとして準備をしていたら隊長さんが手伝ってくれると言ってくれたこと。

隊長さんたちが、魔族の三人を連れてきてくれたこと。

みんなで力を合わせて井戸掘りを続けたことも、だ。

496: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 02:32:58.32 ID:d4/wTUWso

 一部始終を話すとお姉さんたちは少しだけ落ち着きを取り戻して、肩の力を抜いたのが分かった。

お姉さんが虎の小隊長さんに向き直ると

「手伝ってくれたのか。感謝する」

とお礼を言う。

「ははは、そうか、そっちはいろいろと難しいんだな。まどろっこしいから、俺たちは城主サマってことにさせてもらうぜ。

 何しろこうなりゃ俺たちはもう傭兵みてえなもんだ」

そんなやりとりを見て隊長さんがそう言って笑い、それからお姉さんたちにも席を勧めて、空いていたジョッキにお酒を注いで乾杯をした。

 「し、しかし、驚きましたね…」

「はい…いや、嬉しいことなのですが…その、なんというか…」

兵長さんとサキュバスさんがそう言いあって、テーブルの向こうで魔界の歌らしい何かを鬼の戦士さんに教わって歌い始めている剣士さんと戦士さんを見つめた。

そりゃぁ、そうだよね。私だって、未だに本当なのかな、って思ってしまうところもある。

目の前にいるのは、敵と味方で分かれていたような人たちとは思えない。

人間と魔族で分かれているような人たちとも思えない。

見る限り、それはまるで…

「まるで、古くからの友人同士、と言った具合ですね…」

サキュバスさんが、苦笑いを浮かべながらそう言った。うん、私も同じことを思っていた。

ただの友達ってわけでもない。まるで、苦楽を共にしてきた、とっても大事な友達同士のように、私には見えた。

 「で、城主サマよ。魔王軍再編についてはどうなんだ?」

不意に隊長さんがそう聞いた。

お姉さんたちは今日も一日話し合いをしていたはずだ。私もどうなったのかは気になる。

「あぁ、まだまとまらないな。一応、竜族将は文句を言いながらも、魔族軍再編については賛成してくれている。あたしのことは認めない、ってのは変わらないけど…」

お姉さんはそう答えて、少しだけさみしそうな表情をした。それを見るなり、虎の小隊長さんがペコリと頭をさげる。

「うちの大将が、申し訳ない」

「いや、仕方ないよ。あの人にはあの人の心情があるんだ。その責めを受けるのもあたしの役目で、勇者だったあたしの義務だ」

お姉さんはそう言ってジョッキに口をつけて、大きく息を吐く。

「それにそのこともあるけど、再編案自体に機械族の族長と鬼賢者が難色しててな。まぁ、大掛かりな配置替えしようってんだ。

 そりゃあ、不安も不満も出ちゃうよな」

「もうしばらくは膠着する、か。まぁ、そんなもんだろう。下っ端は下っ端なりに、出来ることをやっといてやるからよ」

隊長さんがそう言って笑う。そんな笑顔に釣られるように、お姉さんもようやく笑顔を見せた。

「うん、こうして分け隔てなくしていてもらえるのは、あたしにとっては嬉しい」

でも、そんなお姉さんの言葉を隊長さんは鼻で笑って

「バカ言え。そんなんじゃねえ、井戸と畑の話だ」

と言い返し、パッと笑顔を私に向けた。

「そうだよな、司令官殿!」

思わぬところで話を振られて驚いてしまった私は、

「は、はい!」

となんだかちょっと大きすぎる位の声で返事をしてしまったけど、それでも隊長さんは満足そうな表情をしてくれて、ジョッキをさらにググッと煽ってみせた。




497: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 02:34:02.66 ID:d4/wTUWso




 その晩、私は差し迫る何かに身を襲われてボンヤリと目を覚ました。

眠気が取れなくってもう一度目を閉じて眠ろうとするけれど、その感覚は私の中でどんどんと強くなってくる。

 いよいよ私は眠るのを諦め、起き上がってお姉さんを起こさないようにベッドから降りた。

 差し迫る感覚の正体は、簡単。隊長さん達の大騒ぎを一緒に楽しんでいる間に、ずいぶんとたくさんオレンジを絞って淹れた甘い飲み物を飲んでしまったせいだ。

 「んぁ?どうしたぁ…?」

お姉さんがそんな寝ぼけたような声を出して聞いてきた。いけない、起こしちゃった…

「うん、ちょっとお手洗い」

「むにゅ…そっか、一人で行けるか…?」

「うん、大丈夫」

本当は寝ているんじゃないかっていうくらいの声色で言うお姉さんにそう伝えると、お姉さんは納得したのかどうか、そのまままた寝息を立てはじめてくれた。

 それを確かめて、私はそっと部屋を出た。

 廊下には薄っすらとランプの火が灯っていて真っ暗、と言うわけではない。

お城に来た頃は流石に夜一人で廊下を歩くのは少し怖かったけど、今はもうなんてことはない。

お手洗いは寝室を出た廊下を真っ直ぐに行った先にあるから、遠くもないし、一人でも平気だ。

 私は足元に気をつけながら、寝ぼけ眼を擦りつつ廊下を歩く。革の内履きが石の床に当たってペタン、ペタン、と優しい音を立てている。

すぐにお手洗いにたどり着いて、私はやっぱり、少しボケッとしながら用を足して手を洗い、廊下に戻った。

そのときになってようやく少し目が覚めてきたのか、廊下のひんやりとした空気が心地良く頬に触れる。

 今は何刻くらいなんだろう?深い時間だったらきっと月も綺麗だし、星もいっぱい見えるんだろうな。

そんな事を思いながら寝室へ戻ろうと廊下を進んでいると、さらにその向こうから足音が聞こえた。私の革の内履きとは違う、カツコツという硬い足音だ。

木の底を使ったブーツの足音みたいだけど、夜遅くにブーツで廊下を歩き回っているなんて誰だろう?兵長さん辺りだろうか?

 そう思って廊下の先に目を凝らすと、そこにいたのは昨日の会議に出席していたサキュバス族の師団長さんだった。

「あら、人間様」

師団長さんも私に気が付いてくれて、腰に当てていた腕をそっと下に降ろした。

 師団長さんは軽鎧姿に、腰には剣を提げている。とてもじゃないけど、寝ていたって感じの出で立ちには見えなかった。

「こんばんは、師団長さん」

私がそう挨拶をすると、師団長さんも優しい笑顔で

「えぇ、こんばんは」

と挨拶を返してくれる。

「どうしたんですか?そんなかっこうで」

私が聞いてみたら、師団長さんはなんだか恥ずかしそうな表情を見せて

「いえ…これでも元は近衛師団の師団長ですからね。夜間警備は、クセのようなものなのですよ。

 竜族将殿の様子も気がかりですし…ゆっくりと眠ってはいられないのです」

と教えてくれた。

 確かに大尉さんが近衛師団の師団長だったって言っていたから、私もそう呼んでいるんだっていうのを思い出した。どうやら、まだ頭が寝ぼけていたらしい。

498: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 02:34:42.38 ID:d4/wTUWso

「寝なくても大丈夫なんですか?」

「えぇ、腹心の部下数名と交代で警備をしておりますから、ご心配は無用です」

それを聞いて私はホッと安心した。夜は警備で、昼間は会議じゃ、いくら魔法が使えても力があっても、体を壊しちゃうからね。

そんな私の思いを感じ取ってくれたのか、師団長さんは

「お気遣い、痛み入ります」

なんて、丁寧にお礼を言った。そんなことをされると、かえって私が恥ずかしくなってしまう。

「魔導協会、って言う人間界の人達がここに攻撃を仕掛けてくるかも知れないってお姉さんが言っていたので、

 見張りをしてくれるのは、きっとみんなも安心してくれると思います」

私はそう言ってもう一度師団長さんの方にそうしてくれることが嬉しいんだ、と思いを込めて伝えた。

でも、そんな私の言葉を聞いた師団長さんは微かに眉間にシワを寄せて私に言った。

「魔導協会、ですか…。魔王様のお話も拝聴いたしました。どうにも厄介な連中であるそうですね…」

「はい。一つしかない勇者の紋章に模様も力もそっくりな魔法陣を操ったり、その親玉の人がサキュバス一族と同じ…

 えっと、か、神代の民だったりで、お姉さん達もかなり警戒しています」

私が言うなり、師団長さんは腕組みをしてうーん、と唸る。それについでハッと顔を上げて私に聞いた。

「魔導協会の目的は、魔族を滅亡させることなのでしょうか?」

「それは…分かりません。でもお姉さん達は、ここへ連れて来た竜娘ちゃんと、お姉さんが二つ持っている紋章が狙いなんじゃないか、って、そう言っています」

「やはり、それを手に入れたあと魔導協会が何をするつもりかは、まだ分からないということですね…」

「はい」

「いずれにせよ、魔族にとってありがたいことを成すような意志はないでしょうね…」

「残念ですけど、そう思います」

私は師団長さんの言葉に頷いた。師団長さんも難しい顔をして俯いていたけど、すぐにハッと顔を上げて私に言った。

「申し訳ございません、こんな時間に引き止めてしまって。何かご用事があるところだったのでは?」

「あ、はい。お手洗いに行ってきたんです」

私が答えると、師団長さんはまたホッと柔らかく笑った。

「お済ましになる前でなくて良かったです」

「私も、せっかく警備してもらってるところをお邪魔しちゃってごめんなさい」

「あぁ、いえ、良いんです。今夜は下弦の月が綺麗で、警備のついでに窓からそれを眺めていたのですよ。

 この上階から東塔へ上がった窓から見る月が格別なのです」

ふと、私はその言葉に気が付いた。

 そうだ、師団長さんは先代の魔王様の頃にこのお城の警備をしていたはずなんだ。

お城の構造にも詳しいはずだし、それこそ私やお姉さんなんかよりもいろいろ知っているんだろう。

 この二つ上の階から登っていける東側にそびえる塔については知っていたけれど、魔王城に来てすぐにサキュバスさんに案内されて一度行ったことがあるくらいだ。

それも昼間で、月なんかは見えていなかった。

 同時に私はこのお城全体に行き渡った優しい雰囲気のことを思い出していた。寝室の月と星を眺める窓。廊下のやさしい照明。

芝生の生え揃った中庭に、先代様が植えたと言う花畑。このお城にはあらゆるところに自然を楽しむ工夫がなされている。

先代様がそう言うのを好きだったのだろうけど、でもそれ以前からこの魔王城はきっとそう言う人達が作り、住んできたように思えてならなかった。

そもそもサキュバスさんの話では、少なくともこのお城が作られたのはサキュバスさんが生まれる前。先代の魔王様が生まれたのもお城が出来てからなんだと思う。

そう考えると、どうして気持ちが穏やかになる。

 ここにはこれまでもずっと、そういう心の優しいところのある人が代々住んできたんだってそう思えたから。

499: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 02:35:16.15 ID:d4/wTUWso

 そして私は気が付けば師団長さんにお願いしていた。

「あの、良かったらそこに案内してもらえませんか?私も見たいです、きれいな月夜」

すると、師団長さんは何だ少し嬉しそうな表情で笑い

「えぇ、もちろんです。あ、でも、人間様に夜更かしをさせてしまいますと魔王様に叱られてしまいますから、ほんの少しの間だけですよ?」

と確認の言葉を私に投げかけてきた。うん、少しの間でもいい私は、自然を愛し、平和を望んだ人が見た景色を見たい、と、そう思った。

「はい、少しだけでも良いんです」

「分かりました。本当に少しだけですよ」

師団長さんが念を押しながらそう言ってくれたので、私は素直に頷いて二人で階段を上がり一つ上の階の廊下を少し歩いた先にある螺旋階段を登る。

その先が東塔だ。

塔の上には大きく開けた窓のある物見用の小部屋があって、そこからはお城の東側を一望出来る。

それこそ、城壁の向こうまでだ。

 階段を上がりきった先の戸を、師団長が開ける。すると、そこにあった部屋は、一面青い冷たい光に照らし出されていた。

「わぁ…」

私は思わずそう声をあげてしまう。

 でも、そんな色をしていたのは部屋の中だけではなかった。

師団長さんに促されて部屋に入ると、そこに広がる大きな窓の外もまた、煌々と色付いた下弦の月に照らし出されて、

遠くも山も、中庭の芝生も、城壁の外の荒野も、青白く輝いているようだった。

それに、空には満点の星。師団長さんが少しだけ窓を開けると、その僅かな隙間から冷たく澄んだ空気が入り込んでくる。

 不意に師団長さんは私を抱き上げて、窓際にあったテーブルの上に腰掛けさせた。

外の景色がより一層よく見えて、そのあまりの美しさに私は息を飲んでしまった。

 ギシっと音をさせ、師団長さんがテーブルに寄りかかって窓の外に視線を投げている。

師団長さんの顔も月明かりに照らされて、白いきれいな肌がもっときれいに引き立つようだった。

 その姿はまるで一枚の絵のようだったけど、私はそんな師団長の横顔に何か悲しい色が浮かんでいることに気が付いた。

涙を流しているわけでもないのに、どこかとても悲しそうに見える。

「師団長さん…どうしたんですか?」

私は、思わずそう聞いていた。すると師団長はハッとしてから私にクスリと笑いかけて、それからまた視線を外に投げて、呟くように言った。

「あの日、私はここにいたのです」

「あの日…?」

「はい。魔界に侵攻してきた人間軍が、この魔王城に到達した日のことです」

師団長さんの言葉を聞いて今度は私がハッとした。

近衛師団としてお城の警備をしていたのなら…師団長さんは、お姉さん達人間軍と直接戦い、そして守るべき魔王様を討たれてしまったことになる。

500: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 02:37:06.20 ID:d4/wTUWso

「ひどい戦闘でした。門を出て迎撃に出た部隊は半壊。籠城戦に出るも、勇者一行によって東門も突破され、突入してきた人間軍に対し城内で混戦となりました。

 私は先代様のご指示で、城に残る非戦闘員の保護をしている最中でした。先代様には姫さまの他、我が隊の精鋭二名が警護として残りましたが、

 勇者一行相手には幾ばくの時間稼ぎにもならなかったのでしょう」

師団長さんの目が、光っている。涙が今にも零れ落ちそうに、瞳の中で揺れていた。

「程なくして、先代様が玉座としていた部屋のバルコニーに、勇者一行の御旗が掲げられました。先代様が討たれた…その合図です。

 それを見て、戦闘の続行は不可能と判断した私は部下と非戦闘員を連れて、北門より脱出をして西へ向かったのです」

そして、師団長さんはニコっ笑って涙を零した。

「私達は皆、先代様を愛しておりました。敬愛しておりました。常に民の安寧を願い、我らのことを慮り、自然を愛で、優しいお顔で微笑まれるあの方を…」

ギュッと胸が苦しくなった。だって…だって、そんな先代様の命を絶ったのは、他ならないお姉さんだからだ。

普通なら、他の魔族や人間達と同じように、あの意志を塗りつぶし染め上げるような激しい怒りに囚われたっておかしくない。

でも、師団長の顔や言葉からはそんな気持ちはこれっぽっちも伝わっては来なかった。師団長はただただ、先代様の死を悲しんでいる…私にはそう思えた。

「…申し訳ありません。突然こんな話をしてしまって…」

「いえ、良いんです…私で良ければもっと話してくれて大丈夫ですよ」

急に苦笑いを浮かべて言った師団長さんに私がそう返すと、師団長さんはまた、クスっと笑って言った。

「魔王様…いえ、城主様が仰るように本当に不思議な方ですね、人間様は。

 幼いながら、頼ってしまいたくなるような、すがってしまいたくなるような、そんな雰囲気をお持ちでいらっしゃいます」

師団長さんの言葉になんだか照れくさくなってしまったけど、それでも私は

「本当に聞くだけですけどね…でも、そう言って貰えると役に立てているんだと思えて嬉しいです…でも…」

と答えていた。本音も半分、もう半分は少しだけ気がかりなことがあったからだった。

「…でも、師団長さん。どうして、先代様を殺したお姉さんに味方してくれるんですか…?」

そう。私はそのことが心配だった。

師団長さんや、他の魔族の人達が“愛していた”、なんて言うくらいに好かれていた先代様を奪い取ったうえに、

魔族の新しい王様としてこのお城に住んでいるお姉さんを、良しと思うほうが難しい。

でも、やっぱり師団長さんの顔や言葉からは、怒りや憎しみはどれほども伝わっては来ない。

正直に言って、私にはそれが不思議で仕方なかった。

501: ◆EhtsT9zeko 2015/05/25(月) 02:38:30.23 ID:d4/wTUWso

 私のそんな言葉に、師団長さんはまた、窓の外に視線を投げた。

考えているでも、誤魔化そうとしているでもない。ただ、窓の外に広がる景色を味わうような表情を見せてから、静かに言った。

「あの方を選ばれたのが先代様だった、という事もあります。

 ですが今は、直接お会いしてお話をさせて頂いて、先代様がなぜあの方に魔族の未来を託されたのかが理解できた気がしています。

 あの方は、先代様と同じように…いいえ…おそらく、人間であり、勇者であるが故に、先代様以上に私達魔族に対する強い想いをお持ちだと確信しています。

 その想いを知れたからこそ、私一個人としては、あの方は土の民の王に相応しい人物であり、先代様と同じく敬愛しうる方であると感じています…

 一族としての習わしや、他の魔族の想いが必ずしも同じとは申し上げられませんが…」

私は、師団長さんの言葉を聞いて、胸の中がポッと暖かくなるのを感じた。

他の魔族さんたちがお姉さんに心を許せないという言葉に落ち込むよりも、私には、目の前の師団長さんが私達のようにお姉さんを好きで、

お姉さんが先代様の意志を継いで魔族や世界のために、戦争とは違う平和の道を歩こうとしていることを認めてくれることが嬉しかった。

 いきなりたくさんなんて難しいのかもしれない。でも、昼間に一緒の井戸を掘った隊長さん達や魔族の人達もそうだったように、

こうして少しつづお姉さんの、ううん、私達の気持ちに賛成してくれる人達がに増えてくれれば、人間と魔族の憎しみも、少しつづ薄れていくんじゃないかって、

そう感じる。

 そうだといいな…

「ありがとうございます、師団長さん」

私は、そんな嬉しい気持ちが溢れ出て、いつの間にかそんなお礼を師団長さんに伝えていた。

師団長さんはそれを聞くと、少しだけはにかんだ笑顔を見せてくれてから、また、窓の外に視線を投げる。

 でも、やっぱり、その表情はどこか悲しげで、胸がキュッと苦しくなる。

師団長さんにとって…もしかしたら、魔族の人達にとって、先代の魔王様は、家族程に大切な人だったのかもしれない、って、そう感じた。

愛していた、なんて言葉は初めてだったけど、黒豹の隊長さんも、もちろんサキュバスさんの、お姉さんのことを理解するときには先代様の話をしていた。

それほどの人だったんだろう、先代の魔王様は。

皆に愛されて、きっとみんなを、自然を愛していた、優しい人だったんだろう。

 私は、もうずいぶん昔のように思えていたけど、死んでしまった父さんと母さんのことを思い出していた。

もしかしたら、魔族の人達にとって、先代様を失ったってことは、私が父さんと母さんを亡くしたのと同じような悲しみなのかもしれない。

そう思ったら、余計に胸が苦しくなる。

 私は涙をこぼしそうになりながら、師団長さんの悲しみや辛い気持ちが少しでも早くに薄れて和らぐようにと願いながら、窓の外の青白い景色を眺めた。

 そんな窓の外に広がる満点の星空に、涙の代わりにヒュルリと一筋、星が零れた。


 

508: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 21:59:58.42 ID:O/h8LYqBo



 「ふぅ、よし。いい具合だ」

「この隙間が気になるな。なぁ、さっきの小さいのどうしたっけ?」

「これのことです?」

「おぉ、それそれ!それ、ここの隙間に入れちゃおうぜ」

「切り役代わろうか?」

「いや、まだ行ける。あと何枚必要なんだっけ?」

「えっと、三枚ですね、女戦士さん」

「うし、じゃぁ、もう少しだ!片付けちまうぞ!」

 翌日、私達は朝から井戸の現場に出張って来ていた。

西の門に集合して虎の小隊長さんと鳥の剣士さん、それに十七号くんがゴーレムを引き連れて樽と荷車を使い井戸から水を汲んで運ぶ役を引き受けてくれたので、

私に妖精さん、十六号さんに、隊長さんと女剣士さん、女戦士さんと鬼の戦士さんで井戸堀りの続きと庵作りの続きに取り掛かっていた。

集まったとき、隊長さんが、水を撒くのには人手がいるだろうから、必要ならもっと呼び集められるぞ、と言ってくれたけど、私はそれを断った。

それについては、私にも計画があった。

 井戸の現場に着いた今は、女剣士さんと女戦士さんが昨日切り出して来た丸太を木材にするために一生懸命に鋸で切り分けてくれている。

その間に、私達は昨日ゴーレム達が掘った五歩四方の腰までの深さの穴に石を敷き詰めていた。

こうして石を敷いておけば、井戸になる穴を掘っても周りの土が崩れてくることもない。

畑のために使う水だから井戸の底に土が入っても構わないのだけれど、修理や何かをするときには、青銅の管をそのまま土に埋めてしまうよりはずっと良い。

 「こんなもんか」

太陽が真上に差し掛かる少し前に、隊長さんがそうため息とともに口を開いた。

私の腰ほどの深さだった穴に石を敷き詰め終わり、その真ん中ほどには、井戸を掘るための空間がぽっかりと口を開けている。

 あとは、その穴に拳よりも少し太い青銅管を差し込んで、さらにその中に棒の先に羽のついた井戸堀り用の槍を差し込んでグルグルと回していく。

ある程度掘れたら槍を抜いて、羽の中に溜まった土を外に捨てる。

深くなったら太い青銅管をさらに深く打ち込んで、どんどん継ぎ足していく。

槍の柄の長さも足りなくなったら、予備の柄を継ぎ足して金具で止めて長くする。

槍の柄は長くなればなるほど力が必要になってくるから、そんなときこそ戦士さん達に頼る場面が増えてくるだろう。

人数も少ないわけじゃないし、サキュバスさんはこの辺りは地下水は豊富だって言っていたから

交代で休みながら掘って行って、今日だけでも泥水くらいは出るようになるといいな…

そんなにうまくはいかない、か。
 

509: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:00:33.23 ID:O/h8LYqBo

 「じゃぁ、一番手は私が受け持つよ」

鬼の戦士さんがそう言って、井戸掘りの槍を持って青銅管に突き立てた。

「お!さすが突撃部隊!」

木を切りながら女戦士さんがそんなことを言って冷やかす。

鬼の戦士さんはそれをなんだか嬉しそうに聞きながら、槍の柄のお尻にあった取っ手を両手でグルグルと回し始めた。

女戦士さんの様に筋肉質とは言えない腕だけど、その手際はとても力強い。ふと、ほんのりと鬼戦士さんの腕に光がまとわれていることに、私は気がついていた。

物を動かすのは風魔法が一番のはず。きっとその力を使っているんだろう。

 私は、妖精さんと十六号さんと一緒に、その様子を見ながら残った石を一箇所にまとめ直す。

地下水脈まで届けば、青銅管や汲上機を固定するためにまた必要になるから、これも大事な資材のうち、だ。

 「それにしても、今日は暑いな…」

石を運びながら、不意に十六号さんがそんなことを口にした。

確かに、今日は魔界にやってきてから一番の暑さかもしれない。

太陽の日差しがジリジリと肌を焼くような暑さではなく、風が湿っぽくて、ムッとするような暑さだ。

「昨日とは風が違うです。北の方から暖かい湿った空気がこの辺りに吹き込んでるですよ」

妖精さんが額の汗を拭いながらそう教えてくれる。

そういえば、人間界でも夏が近づいてくると、北の方ではベトベトするような暑さが続くんだ、って話を聞いたことがある。

確か、そんな気候でも育つような麦を育てている畑を作るんだ、と父さんが言っていた。

私の住んでいた村は南の山合いにあったから、それほど気温が上がることはなかったけれど。

 人間界と魔界とは遠く離れていても、季節が違うなんてことがあるはずはないし、人間界の暦ではもうすぐ夏の始まりの時期に差し掛かる。

ここは大陸の中程にあるし人間界と同じで夏の北からの風が続くようなら、北の方までとは行かなくても、それなりに気温や湿度があがるのかもしれない。

ここに植えた、お芋、暑さに強い種類だったっけな…それは分からないけど…でも、土の中に出来る作物は、温度よりも湿度に敏感だ。

土の中にあまり湿気が多いと、種芋が腐ってしまったりする。

 今は土はカラカラに乾いているしここ何日も雨が降っていないから、少し水はやった方がいいと思う。

でも、あげすぎてもいけないし、この湿度の日が続くのならそれこそ朝露が落ちるから水遣りのことはそれほど木を使わなくても平気だ。

だけど、そうなってくれる保証はない。ともすると、あの砂漠の街の様な気候の夏になるかもしれない。サキュバスさんは、そんなことは言っていなかったけど…

とにかく、気候が分からない場所で畑をやるのって難しい。

特に私は、父さん母さんから聞いている方法でしか作れないから、もしものときにどれだけ対応できるか心配だ。

お城の書庫に、畑に関する本はあったかな…?もしあったら、私も少しつづ勉強をしておかなきゃいけないかもしれない。

畑が失敗したら、困るのは私だけじゃない。魔王城に常駐することになる魔族の軍人さん達が一番にお腹を空かせてしまいかねないんだ。

 「これは、畑だけじゃなくってアタシ達にも水が必要だね」

十六号さんがおおきな石をゴトリとおいて、ため息をつきながら言った。

確かにそのとおりかもしれないな。

お水が来たら、その分を少し別にしておいた方がいい。

お城を出るときに準備をした水筒のお水だけじゃ、少し心配だからね。

「うん、そうだね」

私も、運んでいた石を置いてそう答えた。

「日よけでも作っておくかな。この湿度じゃぁ、たかが知れてるだろうが、それでも日陰を作っておけば多少は休める」

隊長さんがそう言って、資材に掛けてあった布をはがし、槍の予備の柄を何本か手にして、簡易のテントを作り始めた。
 

510: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:01:10.55 ID:O/h8LYqBo

 そうして、それぞれの作業をしているうちに、鳥の剣士さんに虎の小隊長、そして十七号くんが荷車に樽をたくさん乗せて戻ってきた。

「とりあえず第一便だ」

ふぅ、とため息をつきつつ。虎の小隊長さんが私にそう言ってくれる。

「足りなければ、また行って追加してくるよ」

鳥の剣士さんもそう頷いた。

「ありがとうございます」

私はお礼を言って、ペコっと頭を下げた。

 湿度のこともあるけど、とにかく水を撒こう。

一樽だけは飲んだりするために取っておくことにして、他の五つ分をみんなで畑に撒いて、それで土の具合を確かめてから追加するかどうかを考えた方がいいだろう。

「これを全部畑にぶちまけりゃいいんだろ?」

十七号くんが袖をまくってそんなことを言う。

「あ、待って。一樽だけ残して、それは飲んだり体を冷やしたりするために使いたいから、別にしておいて欲しいんだ」

私が言うと、十七号くんはあぁ、と声を上げて

「なるほど、なんか今日は暑いもんな」

と納得した様子で頷いてくれた。

 これだけの畑に水を撒くのは、人間の私達にはちょっとした苦労がいる。

そう、人間の私達には、だ。

でも、私は魔族の魔法のことは少しだけ理解している。

空気の中の水を集めることは難しくても、今目の前にある水を操ることは、そう難しいことじゃない。

それこそ、コップ一杯に入った水に、私でもなんとか渦巻きを作れるくらいだ。

妖精さん達魔族にかかれば、きっとそれほどの労力はいらないはず。それが私の計画、だ。

 そう思って、私は妖精さんを見やった。

妖精さんも、私と同じことを考えてくれていたようだった。私と目があった妖精さんはニコリ、と微笑んで

「がんばるよ!」

と、まだ私が何も言っていないのにそう答えてくれて、荷車に乗った樽の蓋を開けると、その腕に魔翌力の光をともした。

「おぉ…?おぉぉぉ!」

十七号くんがそう声をあげ、樽の中から浮かび上がる水の玉を見上げている。

「なるほど、そうか。その使い方なら、魔族の魔法でも十分にやれる、ってワケだ」

隊長さんもそんなことを言って、またあの口元を撫でる仕草をしてみせた。

「やっぱさ、魔族の魔法って便利だよなぁ。アタシ、教えてもらうことにするよ」

十六号さんも感心しきりだ。
 

511: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:02:08.42 ID:O/h8LYqBo

「水撒きは任せた方が良さそうだね。ほら、私と女戦士とで穴掘りは代わるよ。あんたはあっちを手伝ってやって」

「うん、そうみたい。じゃぁ、任せるね」

女剣士さんがそう言って、鬼の戦士さんと穴掘りの役を交代する。

「おい、隊長!テント張りが終わったんならこっち手伝ってくれよ!」」

「あぁん?ったく、仕方のねえやつだな」

女剣士さんが木を切る役割りを抜けてしまったので、女戦士さんが隊長さんにそう声をかけると、隊長さんは面倒そうな返事をしながらもすぐに木材作りに加わった。

「そういうことなら俺たちにも任せてもらえるな」

「ですね。俺は向こうの畑を担当しますよ、小隊長」

虎の小隊長さんと鳥の剣士さんがそう言い合って、それぞれ樽の蓋を開けて、水の玉を浮かび上がらせる。

「よぉし、アタシらも負けてらんないぞ!十七号、あんたが樽を担いで、アタシが水を撒く!」

「よしきた、任せとけ!行くぞ、十六号姉!」

十六号さんと十七号くんがそう言うが早いか、荷車から樽を下ろしてそれを十七号くんが私とさほども変わらない体で担ぎ上げ、十六号さんと向こうの畑へと走っていく。

そんな光景を見ながら、クスクスと鬼の戦士さんが笑い声を上げ

「元気だね、あの子達は。さて、私も…っと」

と言うが早いか、他の三人と同じように腕に光を纏わせて樽の中から水の玉を浮かび上がらせた。

 宙に浮いた水の玉は畑の上まで飛んでいって、まるで雨を降らせるように辺りに水を撒き散らして行く。

畑に降りかかる霧のような水飛沫に太陽の光が反射して、あちこちに小さな虹が浮かび上がった。

 それを、綺麗だな、なんてのんきなことを思っている私に、声が掛かる。

「あー、幼女ちゃん!こっちどうしたらいい?一度土を上げた方が良いよね?」

女剣士さんの方を見ると、人の背丈ほどもあった槍が、もう地面に半分ほど埋まってしまっている。

さすが、人間の魔法で体の力を強化している兵隊さんたちは、並じゃない。

「はい、槍をそっと引っこ抜いて、中に溜まった土を外に出してください!」

私はそう言いながら女剣士さんのところに駆け寄って一緒になって穴から槍を引き上げる。

そこからは、土袋にしたら私が一抱えしても足りないんじゃないか、っていうくらいの土がせり上がってきた。

私はそれを木の皮で編んだ籠に受け取って、緯度から離れたところに持って行って捨てる。

女剣士さんはまた槍を青銅管の中につきこんで、グルグルと回しはじめた。

それを横目に、私は掘り出された土の状態を手で触ってみる。

少し湿っていて手触りはベトベトとする。昨日ここをほっていたときにも思ったけど、すこし粘土が多い気がする。

水はけはそれほど悪くはなさそうだけど、特別良いってわけでもないようだ。

そうなると、やっぱり水のあげすぎはお芋には良くないな…あの樽の水をまんべんなくまいたら、それで良い、って事にしておいたほうが良いかもしれない。

私は、そんなことを考えていた。
 

512: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:03:07.48 ID:O/h8LYqBo

 それから私達はそれぞれの作業へと移った。

木を切り終えた女戦士さんが井戸掘りのところへとやってきて、私は戦士さん達が掘った土を、石で固めた窪みから運び出す。

何度も何度もカゴに土を入れては窪みの外でもっていって、適当なところに山を作る。

ふと見ると、すぐわきでテントを建て終えた隊長さんが切り終えた木材に小さなノミで何かを掘り始めた。

「隊長さん、それ、何してるの?」

私が聞くと隊長さんは、あぁ、なんて言いながら

「組み木だ。見たことないか?」

と、鉤状に曲がった小さな木の枝を手渡してくれた。よく見るとそれは、二つの別の木の枝がぴったりとまるではめ込まれたようにくっついている。

「これ、初めて見ます」

「そうか。こうして木を彫って、互いに組み合わせるんだ。そこに楔っていう木の破片を打ち込む。こいつなら強度も上がるし、釘の類も少なくて済む」

隊長さんはそう言いながら、また木を彫る作業に戻る。

庵の設計図を引いたり、こんな珍しい木を使う方法を知っているだなんて、隊長さんは大工さんか何かをやっていた経験があったんだろうか?

私は、額に汗を光らせながら器用にノミを使って木を彫り進めている隊長さんの横顔を見やって、そんなことを思った。

「おーい、次頼む!」

ふと、女戦士さんが私を呼ぶ声が聞こえた。見れば、運んだばかりのはずなのに、もう山いっぱいの土が井戸の傍に敷いた藁敷の上にたまっている。

「あ、はい、行きます!」

私はあわててカゴを抱え、二人のもとに走っていく。小さなシャベルで土をカゴに移して、窪地の外へと運んで戻った。

「おらぁ、ちゃっちゃと掘れよぉ」

「馬鹿ね、力任せにやればいいってわけじゃないんだから、外野は黙ってなさいよ。ほら、土取って」

「ん、へいへい。でも、そんな難しいもんか?もっとこう、ガシガシ行けんだろ?」

「やってないからそんなこと言えるんでしょ。代わってみる?」

「おぉ、やらせろやらせろ!」

女剣士さんと女戦士さんがそんなことを話して、堀り役と土除け役とを交替する。

堀り機を手にして、得意そうな表情で力を込めた。

その途端、ガリ、っと鈍い音がする。
 

513: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:03:35.92 ID:O/h8LYqBo

「んん?」

女戦士さんがそう声を漏らした。

今の音…たぶん、堀り機の先が土を噛んじゃった音だ。

こうなると、普通の人なら掘り進めるのは少し難しい。

「なによ?」

「いや、これ、急に固くなって…」

「ほら、だから言ったでしょ?一旦逆に回して、逆」

「えぇ?こっちか?」

女剣士さんに言われた女戦士さんが堀り機を逆に回すと、メキメキ、っと音がして堀り機が動いた。

「あぁ、動く動く」

「押しすぎると今みたいになっちゃうんだからね。力任せじゃない、って言ったでしょ?」

「これは確かに難しいな…こういう微妙な力加減は苦手だよ」

女戦士さんは堀り機を回しながら、私を見やっておかしそうに肩をすくめた。その表情がなんだか妙におどけていて、私も思わず笑ってしまう。

 そんな風におしゃべりをしながら、私たちは着々と作業を進めた。

女剣士さんと女戦士さんは何度も交互に役回りを交替しながら、何度も何度も堀り機を回しつづけ、そこからでる土を受け取った私も、何度も何度も窪みの外へと土を運んでは戻った。 

 そうこうしているうちに、

 「よーし、こんなもんだろ!」

となんて言いながらため息を吐きつつ、十七号くんが戻って来た。その後ろから着いてきている十六号さんに鳥の剣士さんや、鬼の戦士さんに虎の小隊長さんも額の汗を拭っている。

 畑にはなんとか水を撒き終えたみたいだ。

「お疲れ様です!お水、どれくらい余りました?」

「樽一つと半分だな」

と、鳥の剣士さんが教えてくれる。

良かった、これなら、日が高くなってくるこれからの時間でも安心だ。

 「これ、気持ちいいですよ!」

いつの間にか荷車の樽のところにいた妖精さんが水に濡らした手拭いを虎の小隊長さん達に手渡す。

ふぃー、なんて虎の小隊長さんが息を吐きながら、顔や首を拭き始めた。

「そっちはどうです?」

同じように手拭いで首周りを冷やしながら、鳥の剣士さんが井戸を掘っている女戦士さんに聞く。

「うーん、と、今三本目かな。二十歩分くらいは掘れてると思うよ」

「なんか土の感じが変わったね。赤っぽくなった」

鳥の剣士さんに答えた女戦士さんの横で、女剣士さんが掘り出した土をザルに盛っている。

 土が変わった、か…。硬い地層がないと良いんだけど…

「女戦士さん、土が硬くなったりしてないかな?」

私が聞くと、鬼の戦士さんは、うん?って首を傾げてからグルグルと掘り機を回し

「大丈夫だと思うよ、今のトコ」

と教えてくれた。とりあえず、良かったかな。でも、いずれは石の多い地層が出てくると思う。そこをどうやって掘り進むかが、大事になってくるかな。

そこの達した、無理はしないで今日はやめておく方がいいかもしれない。無理に進めようとして掘り機がダメになったら、新しく都合するのに時間が掛かっちゃう。
 

514: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:04:13.07 ID:O/h8LYqBo

 「隊長さん、それは何してんの?」

手拭いを首に掛けた十七号くんが十六号さんと一緒になって、隊長さんの作業を見て言う。

「ん?組み木ってんだ。釘やなんかは十分にないみてえだからな。こうして木を凸凹に切って組み合わせんのさ」

そう言った隊長さんは、切り揃えた木材にどこから持ってきたのか炭で印を書いて、その部分を手分けして切ったり削ったりしている。

 さっき見せてくれた小さな見本のように窪んでいるところに出っ張りをはめ込んで、楔というのを打ち込む準備なんだというのが分かった。

「ふーん、なんかおもしろそうだな。俺にもやらせてくれよ」

「あん?いいから少し休んでろよ」

「えぇ?これくらい、なんてことないぜ?」

隊長さんにそう言われて、十七号くんはそんな風に返事をしながらも、手は出さずにそばに座ってその作業をしげしげと眺めている。

 「俺たちはどっちを手伝えばいい?」

十七号くんから遅れて戻ってきた虎の小隊長が隊長さんにそう聞く。すると隊長さんははたと青空を見上げて言った。

「こっちを頼む、と言いたいところだが、ぼちぼち頃合いだろう。鳥族の若いの、俺と変わってくれや」

と言って手に持っていたノミを鳥の剣士さんに手渡した。

どういうことなんだろう、と思ったのは私だけじゃないみたいで、十六号さんに妖精さん、十七号くんに虎の小隊長さんに鳥の剣士さんも不思議そうに隊長さんを見やる。

そんな視線を感じたのか、隊長さんはヘラっと笑って言った。

「俺達はタダ飯は喰らわねえからな。その代わり、働いた分はしっかり食わせてもらわにゃ、暴動になる」

「なるほど」

隊長の言葉に、虎の小隊長さんが笑って答えた。

 確かに、朝から働きっぱなしでそろそろお腹も空いてくる時間だ。空を見上げたのは、太陽の位置を確かめたんだろう。

「昼飯か?!」

十七号くんがそう言って跳びはねる。そんな様子に、私は思わず笑ってしまった。

「あぁ。うちの奴らに準備させてある。坊主も一緒に取りに行くか?」

「おう、行く行く!」

隊長さんの言葉に、十七号くんは嬉しそうに答えた。

「飯の仕度なら俺が行きますよ、小隊長」

そんなやり取りを聞いていた鳥の剣士さんが名乗り出る。でも、虎の小隊長は隊長さんをちらりと見やってからニヤリと笑い

「いや、俺が行こう。こいつは高度に政治的な配慮だ」

とうそぶくように言った。

「政治的…?」

「だははは!そんな大仰な言い方は止してくれ。俺はただ、一人であの南門を通る勇気がねえだけさ」

鳥の剣士さんの疑問に笑ってそう答えた隊長さんの言葉を聞いてようやく意味が分かった。

 隊長さん、わざわざ南門を通って私達の食事を運ぶつもりなんだ。それも、虎の小隊長さんを連れて、だ。

一緒にお昼ご飯を食べるんだ、っていうのを魔族の人達に見せつけるつもりなんだろう。でも、隊長さんと鳥の剣士さんじゃぁ、残念だけど少し責任に差がありすぎる。

でも、虎の小隊長さんだったら同じ部隊長同士だ。

隊長さんと鳥の剣士さんだと、上下が分かれてしまって、もしかしたら魔族が人間に従っているように見えるかもしれない。

虎の小隊長さんだったら、確かにその心配はないよね。無駄な誤解を生まずに、魔族軍の中に波風を立てられる。

 隊長さんってば、横柄で大雑把なのに、こういうところにはすごく気を回せるんだな、なんて、私はそんな、ちょっと失礼なことを考えてしまっていた。
 

515: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:04:47.91 ID:O/h8LYqBo

「…な、なんか分からないですけど…何か意味があるんなら残ってます」

鳥の剣士さんは首を傾げながらそう言って肩を落とした。そんな姿に、私は少し可哀想な気がしたけど、でも、虎の小隊長さんはそんな剣士さんの肩を叩いて

「俺は細かい作業は苦手だ。任せるぞ」

なんて言って作業に戻らせた。

 「おーい、幼女ちゃん!そろそろこっちの山、運んでくれよ!」

不意に女戦士さんがそう声を掛けてきた。いけない、またおしゃべりに夢中でお仕事忘れてた!

 そう思って井戸の方を見やったら、女戦士さんのそばの敷かれた藁敷の上にこんもりと大きな土の山が出来上がっていた。

「は、はい、すぐに行きます!」

私は女戦士さんにそう返事をしてから、隊長さんと虎の小隊長さんに十七号くんを振り返って伝えた。

「えっと、それじゃぁ、お昼ご飯、よろしいお願いします」

すると、虎の小隊長さんがニコッと優しく笑って私に言ってくれた。

「お任せあれ、指揮官殿」





 

516: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:05:16.53 ID:O/h8LYqBo





「お、うまいなぁ、この燻製肉!」

「え、どれどれ…あ、ホント!これは、ヤマイノシシの燻製かな」

「ヤマイノシシって、もしかしてあのクマみたいにでかいやつのこと?」

「そう、そいつだ。俺たち猛虎族には、一人前になるために、そいつを一人で狩るって掟があるんだ」

「そいつは骨が折れそうな話だな。魔法は使っていいのか?」

「あぁ、もちろん。そのために、魔法をより研鑽しておかなくてはならないんだ」

「その掟ってホントだったんすね。俺たち鳥翼族は飛び方の練習かなぁ」

「あ、なぁ、妖精ちゃん!今日帰ったら魔族の魔法教えてくれよ!」

「いいですよ、十六号さん。人間ちゃんと一緒に練習するですよ!」

「いいなぁ、俺も俺も!」

「それもいいけどな、チビの坊主!あんたの体術は大したもんだから、どっちかっていうと剣の稽古をしておいた方がいいぞ」

「そうだね。あんたは筋が良いから、きっと良い剣士になれるよ」

「バッカ言え、そこは戦士だろ!あの体術は剣士にするにはもったいないよ!」

「なぁ、なら俺には剣術教えてくれよ!姉ちゃん達、剣士に戦士なんだろ?!俺だって強くなんなきゃいけないんだ、親衛隊なんだからな!」

「だははは!肝の座った坊主だ!いいだろう。おう、お前ら、面倒見てやれ」

「うちの方でも構わないぞ?鳥剣士は剣術は相当な腕だし、鬼戦士も近接戦闘においては突撃部隊随一だからな」

「ん、この燻製もなかなか美味しい!なんのお肉?」

「あぁ、鶏だよ。体動かしたあとはこれに限るんだよね」

「おぉーい、隊長!なんでエール持って来てくれないんだよ!」

「バカ、お前飲ませたら役に立たなくなるじゃねえか」

「十六姉、その腸詰め、食わないんならくれよ」

「ヤだよ!最後の楽しみに取ってあるんだろ!」

「ん、鳥剣士さん、お茶のお代りあるですよー」

「あ、え、えっと、あ、ありがとうございます」

「ははは、なに赤くなってんだお前?」

それからしばらく作業を続けて、隊長さん達が抱えるほどのお昼ご飯をバケットに入れて持ってきてくれたので、一休みということになった。

 畑から少し離れたクローバーの上に隊長さんが建ててくれた日除けのテントの下に藁敷を敷いて、広げたお昼ご飯をみんなで囲む。

サンドイッチに果物にスモークされた鶏肉にお野菜、腸詰めのウィンナーに、香草を塩っぱくしたお漬物もあるし、中樽には冷たく冷えたお茶もある。

そのほかにも、虎の小隊長さんが南の魔族軍の陣からもらってきてくれたという、魔界産の見たことのない果物や、分厚いハムのようなお肉もあった。

 お城でのお昼ご飯はもう少し穏やかでゆったりしているんだけど、軍人さん達にかかればお酒がなくても賑やかになってしまう。
 

517: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:06:01.21 ID:O/h8LYqBo

「あ、これも美味しい!」

「そんなのよく食えるな?アタシはそれダメなんだよなぁ」

「なんだよ戦士の姉ちゃん、これ食べれないの?」

「だって塩っぱい過ぎるだろ?」

「あんたは舌が子どもなんだよ」

「なんだとぉ?!」

「ん、剣士の姉ちゃん、俺、子どもだけどこれ好きだぞ?」

「あはは、だってさ。ならあんたは子ども以下だな」

「な、なんだよ、アタシだって食おうと思えば…んぐぅ、塩っぱ!」

「あの、その、えっと…は、羽妖精さんは、故郷は、どこなんですか…?」

「私は南の森ですよー!城塞から半日西へ行った方にあるです!」

「石組みってのは、小石が大事なんだよ。隙間に入れて強度をあげるんだ」

「ははぁん、そうか…楔と同じ発想だな。レンガを焼くよりも手っ取り早いな。さっき言ってた切り出しってのはどうなんだ?」

「そっちは手間が掛かるな。魔法なしには難しい」

改めて外から眺めていると、とっても不思議だ。魔族と人間が、なんの隔たりもなく、なんの気遣いもなく一緒にご飯を食べて、笑い合っている。

十六号さんと十七号くんは、元々そんなに人間だの魔族だのって気にしてはいなかったけど、隊長さん達が同じように気にしないって言うのは、やっぱりなんだか…不思議だ。

 そんなに簡単に怒りって言うのは消してしまえるものなんだろうか?

それとも、南の城塞に駐留していた司令官さんのように、お仕事として軍人さんをやっている人達は、戦いとかそう言うことをもっと割り切って考えられるんだろうか?

でも、東の城塞に詰めかけていた人間軍は、みんな私達を目掛けて攻撃をしてきた。

もちろんそれは命令があったからだけど…

でも、じゃぁ、隊長さん達は今ここで戦えって命令されたらお互いに斬り合うのか、と聞かれたら、そんなことは絶対に起こらないんじゃないか、ってそう思う。

 どう違うのかは分からないけど、とにかくそんな気がした。

「なんだ、指揮官殿。そんなに見つめて」

不意に、隊長さんが私に声を掛けてきた。ハッとして思わず意味もなしに苦笑いを浮かべてしまう。

「あ、いえ、別に…」

「うるさかったら言ってくれよ。兵隊なんてバカの集まりだからな、言わないと分からねえぞ」

「いえ、そういう訳じゃないんです」

私はそう答えて口をつぐむ。でも、そんな私を見た虎の小隊長さんが言った。

「仲良くやってるのが奇妙なのか?」

一瞬、ギクリとした。そう言われてしまうと、まるで何かを疑っているように思われているんじゃないか、って、そんな風に感じられてしまったからだ。

別に、そんなつもりはないけれど…でも、やっぱり不思議に思うのは本当だった。
 

518: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:06:35.19 ID:O/h8LYqBo

「その、あの…う、疑っている訳じゃないんですけど、どうしてみんなは、お互いに怒ったりとか、してないんですか?」

私は、恐る恐る二人にそう聞いてみる。すると、隊長さんはははは、と笑い声をあげ、虎の小隊長さんは、あぁ、と何かを納得したような表情を浮かべた。

「まぁ、最初はおっかなびっくりだったがよ。何しろ俺達はあのすっとぼけ上司のお陰で今や人間界じゃぁ、立場が危うい。

 だが、部下をほっぽって置くわけにもいかねえだろ?そうとなりゃ、何とかして新天地のここの暮らしに慣れていかなきゃなんねえからな」

すっとぼけ上司、って言うのは間違いなく大尉さんのことだろう。そう言えば隊長さんは昨日も言っていた。俺達は傭兵みたいなもんだ、って。

いや、だからと言って、あの焼け焦げるような怒りや憎しみを簡単に消せるんだとは思わない。きっと何か、もっと違う理由があるんだ。

 すると今度は虎の小隊長さんが言った。

「ケンカは相手がいないと出来ないからな」

私は、その意味が良くわからなかった。でも、それを聞いた隊長さんは、ヘヘっと笑って

「そりゃぁ、名言だな」

なんて言っている。私は虎の小隊長さんを見つめて聞いた。

「どういうことですか?」

「うーん、そうだな…例えば、指揮官殿は、魔族か人間、どちらかがもう片方をこの大陸から消し去ったら、平和が訪れると思うかい?」

人間が魔族を滅ぼしたら…魔族が人間を滅ぼしたら…平和になる…?分からない、どうだろう…?もしかしたら、憎しみとか怒りは消えるのかも知れない。

でも、じゃぁ、果たしてそれからずっと平和でいられるんだろうか?

人間だけの世界になったとして、もう誰かが誰かを傷付けるなんてことのない世界になる…?

 ううん、きっとそんなことはないだろう。

お姉さんや魔道士さん、兵長さんとあの人間軍との意見が食い違って戦いになりそうになったときのことを思い返せば、そんなのは簡単じゃないって、そう思う。

たくさんの人がいれば、それだけ考えることに差がでてくる。

それはもしかしたら、新しい憎しみや怒りの発端になるかも知れない…

 私はそう思って首を横に振った。すると、虎の小隊長さんはまた笑顔になって

「やっぱり、指揮官殿は、聡明だな」

なんて言ってから、お茶をグッと飲み干して続けた。

「結局のところ、魔族と人間の違いなんてそんな物だ。

 大昔から続く禍根があろうがなかろうが、二つの文化、二つの暮らしをしている者同士が触れ合えば、そりゃぁ、ケンカにもなる。

 ケンカになって傷付く者が出れば、恨むやつだって当然出てくる。だが、それで相手を殺せば済むのかって言う話だ。

 一時は、それで良いかも知れないが、いずれ、別の誰かとまたケンカになる。殺し合いを続ければ、自分だって傷付くこともあるだろう。

 相手を殺しても、自分が致命的なケガすることだってあるかも知れない。魔族が大陸を支配ても、必ず魔族の中で争いが起こる。

 それこそ、今だって城の会議室じゃぁ、言い合いが続いてるかもしれないんだ。魔族同士の争いや人間同士の争いが起きないなんて約束はされない。

 そういう意味で、魔族だ、人間だと分けて考えること自体にそれほど意味はない」

虎の小隊長さんはチラっと、まだ香草のお漬物について、食べれるだの食べれないだのと盛り上がっている方を優しい微笑みで見やった。

「そう考えたら馬鹿らしいだろ。人間だから憎いだなんて思うのは。話してみれば、これだけ気のいい奴らだっている。

 種族に縛られて盲目に相手対して感情を高ぶらせても疲れるだけだ。重要なのは、自分達の目で見て自分達が感じた相手の姿だろう。

 魔族の中にもロクでもない輩もいる。俺はそういう奴らの方がよっぽど憎いね」

小隊長さんはそう言って、お漬物を無理して頬張りむせ返った女戦士さんと、慌ててその背を擦る鬼の戦士さんのやり取りを見て、声を上げて笑った。
 

519: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:07:55.39 ID:O/h8LYqBo

 小隊長さんの話はなんとなく分かる。トロールさんや妖精さん、サキュバスさん達と出会って、姿形は違っても、同じ気持ちや同じ思いを持てるんだって思えた。

辛い出来事に出くわして、一緒に辛いんだって思えた。穏やかな日は、一緒にのんびりお茶も出来た。そこには、魔族も人間もない。私と“みんな”の関係があった。

小隊長さんはきっとそのことを言いたかったんだろう。

 でも、と、頭に言葉が浮かぶ。

 それは私が戦争で戦っていなかったからだ。父さんや母さんが戦争で死んだわけじゃないからだ。

もし私が戦争に出ていて仲間を殺されたり、父さんや母さんが戦争で死んじゃったりしていたら、きっとそうは思えない…きっと…

「いい話だがよ、指揮官殿には少しばかり難しかったようだ」

不意に隊長さんが私を見やって言った。難しかった、というのがあっているかは分からないけど…いまいちしっくり来ないっていうのが本当だった。

相手がいなくなってしまっても平和になんてならないから、とか、そんな想いだけで、憎しみや怒りを消せるとは思えなかった。

 「指揮官殿は、ケンカしたことあるか?」

そんなことを思っていた私に、隊長さんが聞いてきた。

 ケンカは…そりゃぁ、村にいる頃には、同い年の子達と言い合いやときには取っ組み合いをしたことはあったけど…でも、それと戦争は違うよね…?

そんなことを思いながら私はコクンと頷く。

 すると隊長さんは、思わぬことを言った。

「そいつと一緒さ」

「えっ?」

戦争とケンカが、一緒なの…?

「虎の旦那は何も例えでケンカなんて言ったわけじゃねんだ。ケンカと戦争ってのは、本質的には似たようなもんなんだよ。

 ケンカしたあとは仲直りすることがあるだろう?もちろん、ケンカしてそれっきり、ってやつもいるだろうし、顔を合わすたびケンカになるようなやつもいるだろうが…

 まぁ、とにかく、だ。ケンカしたあとは妙にすっきりすることはなかったか?」

「すっきりする、こと…?」

「そうさ。言いたいことを全部ぶちまけて、相手にも言いたいことを好き放題言われて、で、その後、あれ、なんでケンカしてたんだって思うこと、なかったか?」

隊長さんに言われて、私は村での生活のことを思い返す。ケンカ自体、そんなにたくさんあったわけじゃないけど…

でも、そう、小さい頃、それこそ、十九号ちゃんや二十号ちゃんくらいの頃に、遊びを決めるのに同い年の子と随分長い時間言い合いになったことがあった。

私は鬼ごっこが良いと言って、その子は隠れんぼが良いと言って、お互いに譲らなかった。

それじゃぁ、他の子がどっちをやりたいか聞いてみようって話になって、それで聞いてみたら、返ってきた言葉は

「ケンカじゃなきゃなんでもいいよ」

だった。

 そりゃぁ、せっかく楽しく遊ぼうと思って集まったのに、ずっとケンカしてたんじゃ楽しくもなんともない。

結局私とその子は、ケンカをしてしまったことをみんなに謝って、それからみんなでできる遊びを、って考えて、結局缶蹴りに決まったんだ。

私とその子は、お互いに謝ったりしたわけじゃなかったけど、でも、二人ともただ、みんなで楽しく遊びたいってそう思っていただけだったから、

そのあとは仲良く一緒に遊んでいた。

520: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:09:40.96 ID:O/h8LYqBo

 そんな思い出を話したら、隊長さんはニヤリと笑って言った。

「ほらよ、同じじゃねえか。俺達は魔族を滅ぼそうと思って戦争をしたわけじゃねえし、魔族だって人間を滅ぼそうとしたわけじゃねえ。

 ただ、お互いが平和な暮らしをしたいと思って戦った。それならよ、いつまでもケンカしてたって仕方ねえかねえ。憎しみ合ってりゃ、またケンカが起こるぞ?

 そうなりゃ、平和な暮らしなんてまた先延ばしになっちまう。俺達は平和な暮らしをしたいだけだったのに、そいつを戦争なんてバカみたいなケンカでダメにしちまった。

 だが、運が良かったのは城主サマがケンカの後始末をしてくれて、こうして俺達は出会った。で、出会って話をして、ようやくお互いが平和を望んでいることを理解できた。

 戦場でさんざんに斬り合った間柄の相手が、自分達と同じことを考えていたわけだ。そうなっちまったらよ、もう戦争なんて起こす気にもならんだろう?

 どっちも平和を望んでんのに、俺達はどうして殺し合いなんてやってたんだ、ってな。

 そりゃぁ、中には気に入らねえやつもいるさ。だが、そんなときでも戦争なんてする必要はねえ。それこそ、ケンカで十分だ」

隊長さんはクイッと頭を振った。私は釣られて、その先に視線を向ける。

「見て分かっただろ?!せっかく最後に食おうとしたのに!」

「分かるわけないでしょ、あんなの!食べるつもりならもっとちゃんと除けといてよ!」

「だから除けてあったって言ってんだろ!」

「あんなの除けてたうちに入らない!」

そこには、そう言い合いをする女戦士さんと鬼の戦士さんの姿があった。

隊長さん達との話に夢中で、何がどうしてそうなったのかは分からないけど…とにかく、何やら揉めている。

 「もう…今のチェリー二個分、午後はあんたに余計に働いてもらうからな」

女戦士さんがそう言って鬼の戦士さんの肩をペシっと引っ叩いた。

「痛っ。なんでよ、あなたが除けてたらこんなことにはなってないでしょ」

そう言い返した鬼の戦士さんがペシっと女戦士さんの腕の辺りを叩き返した。

「痛ってーな、アタシそんな強く叩いてないだろ」

ムッとした表情の女戦士さんがさらに鬼の戦士さんを平手で叩く。

「ちょっ、なによ!鍛え方が足りないんじゃないの?」

鬼の戦士さんも負けずに女戦士さんをベシっと強めに平手を見舞った。

「あんだと?!っていうか痛てえんだよ!」

「それはこっちのセリフよ!盗み食い呼ばわりの上になんで叩かれなきゃいけないわけ!?」

あれ、なんかすごく興奮してきてない?二人とも…

 そんな様子に心配になったのは私だけじゃない。

「あの、あの、チェリーならお城に帰ればまだあるですよ…」

「そ、そうだぞ、子供じゃないんだから、チェリーくらいで…」

妖精さんと十七号くんもそんな事を言って何とか二人を収めようとしているけど、二人の言い合いは、もうチェリーがどうとか関係なくなってきている。

「いーや!あんたのさっきのやつの方が痛かった!」

「最初にやってきたのはそっちでしょ!?それだと私が一発多く叩かれてるじゃない!」

二人は興奮して立ち上がり、ベシベシと叩き合いを繰り広げている。かなり険悪だし、お互いにムキになってしまっている。

ソワソワとしているうちに、鬼の戦士さんの放った平手がかなりの強さで女戦士さんの肩の辺りに炸裂した。女戦士さんはギロリと目つきを変えると、低い声で呟くように言った。

「いいだろ、相手になってやるよ!」

それを聞いた鬼の戦士さんも負けていない。鋭い眼光で女戦士さんを睨みつけると、背中に背負っていた剣を外し、着ていた鎖帷子を脱ぎ捨てて藁敷から降りた。

女戦士さんも着ていた軽鎧を外して、腰の革ベルトごと剣をガチャリと外して鬼の戦士さんに続いて藁敷から降りた。

521: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:10:10.49 ID:O/h8LYqBo

「ちょ、ちょっと隊長さん…!」

私は急な出来事で何がなんだか分からなかったけれど、とにかく止めなきゃ、って一心で、隊長さんにそう声を掛けた。

でも、当の隊長さんはいつものように、ガハハと笑って

「おう、いいぞいいぞ!やれやれ!」

なんてあろうことか、二人をけしかけている。

 「後悔するなよな…!」

「そっちこそ、どうなっても知らないから…!」

二人はそう言うが早いか、お互いに飛び掛かって肩と頭を付けてガッチリと組み合った。どうしよう、なんで急にケンカになってるの…!?

せっかく仲良く楽しくやっていたのに…!私がそう思って慌てて立ち上がろうとしたその時だった。

「もらったよ!」

「うりゃぁぁ!」

と掛け声がして、組み合っている二人目掛けて女剣士さんと十六号さんが飛び出して行って、横から勢い良く当身を食らわせた。

「ふぎゃっ!」

「ひゃぁっ!」

と悲鳴を上げて、女戦士さんと鬼の戦士さんが勢い良くクローバーの中に吹き飛んだ。そんな二人の傍らで、

「勝ったよ!」

「うおぉぉ!」

と女剣士さんと十六号さんが勝どきを上げている。

 い、いったい、何なの…?

 と、戸惑っていたらクローバーの中に倒れ込んだ女戦士さんと鬼の戦士さんがむくりと起き上がり

「不意打ちなんて卑怯だぞ!」

「覚悟しなさい!」

と叫んで勝どきあげていた二人に襲いかかる。

「このっ…往生際が悪いよ!」

「大人しくしなさい!」

「痛たたっ!鬼の姉ちゃん、角が痛いよっ!」

「まとめて潰してやる!」

四人はなんだかそんな事を言い合って、クローバーのうえで揉みくちゃになり始めた。それも、なぜだかケタケタと可笑しそうな笑い声をあげながら…

「ははは、指揮官殿には少しばかり乱暴すぎたか」

隊長さんが戸惑っていた私を見やってそう笑う。

「えっと…あの…おふざけ、だったんですか?」

「さぁな。途中までは本気だったろうさ。まぁだが、そんなこともある。言いたいことを言えば意見の違いも出てくるし、それでケンカにもなるだろう。

 だが、俺はケンカで収まってるうちは別にそれが悪いことだとは思えねえ。言いたいことを言えるってのはいいことだ。

 相手を信用してないと出来ることじゃない。収め方さえきっちりやれば、笑い話、さ」

隊長さんは満足そうに言った。

522: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:10:45.24 ID:O/h8LYqBo

 ケンカが出来る相手…か。確かにそうかもしれない。ケンカは一人でなんて出来ない。相手が居て初めてケンカになるんだ。

「相手が魔族だから」ケンカになるわけじゃない。人間同士だって、二人いればケンカになることだってある。

 でも、ケンカをしたって、必ず仲が悪くなるとは限らない。小さなすれ違いにお互いに気がついて、前よりも一層仲良くなれることっだってある。

それが、今隊長さんが言った収め方、なんだろう。

 そうか…人間だから、魔族だから、って理由で相手を恨んだりすることに、大きな意味なんてないんだ。

そこにあるのは、人間同士、魔族同士のケンカ一緒。なら、それを収める方法も、大きな違いはない。

自分の気持ちを告げて、相手の言い分も聞いて、どこがすれ違いなのかを確かめればいい…

 それが出来ていないのが今の人間と魔族との関係だ。魔族は人間の憎しみと怒りの対象で、人間も魔族の怒りと憎しみを受けている。

でも、もし、小隊長さんが話してくれた通り、魔族と人間にさほどの差がないんだ、とみんなが知ることが出来たら…

もしかしたら、相手の言い分を聞くことが出来るようになるかも知れない。

それでもし、お互いのすれ違いが少しでもなくなったら、そのときは…

「隊長さん、小隊長さん。もし、人間と魔族がそれほど違わない、ってことをみんなが知ることが出来たら、

 この戦いの続く世界が少しだけでも平和になると思いますか…?」

私は、思い至った考えを二人にそうぶつけていた。それは、もしかしたらお姉さんが探し求めている答えの一つなのかも知れないからだ。

 私の言葉を聞いて、二人は目と目を合わせてから私を呆然とした表情で見つめていた。

「お前さんは…本当に子どもとは思えねえな」

「まったくだ、サキュバスの姫が言っていた通り…」

いや、えっと、その…褒めてもらえるのは嬉しいんだけど、その、争いの話を…

なんて思いで口をモゴモゴやっていたら、隊長さんがふむ、と息を吐いて腕組みをした。

「そいつは簡単じゃねえな。人間と魔族との間は、俺達のような単純な物ばかりじゃねえ。いろいろと複雑なんだ」

「そ、そうなんですか…?」

「例えばよ、人間界で魔族を見たことのあるやつは少ねえ。それこそ、軍人は戦っていたから分かるし、王都西部城塞都市の一般市民や砂漠の交易都市の住民くらいなもんだ。

 王都や他の小さい村や街に住んでる連中は、魔族を知らねえ。が、魔族は悪だと決めて掛かっている。

 一人一人の説得はそう難しくはねえかもしれねえが、そういう実態のない感情ってのは厄介なんだ。

 拭っても拭っても、どこからか湧き出て来て気がつけばまた染まっちまう」

「魔族側も同じことが言えるな。それに、魔族側は先代様を討たれ、人間によって生活を乱された者も多い。

 実際に目で見て被害を感じている分、それを拭うことは簡単じゃないだろう」

二人は難しい表情をしながらそう言う。やっぱり、そうだよね…そう言う意識を根っこからどうにかしないと、簡単に変えることなんて出来たりはしない、か…

 私はほんの少し灯りそうになった明かりが消えてしまったように感じてなんだかがっくりとしてしまう。

魔族と人間との関係もそうだし、今は魔導協会の人達が何を考えているか分からない。

なんだかやっぱり、どうにも息苦しい感じは取れなかった。

523: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:11:16.93 ID:O/h8LYqBo

「まぁ、魔界の方は城主サマ次第、ってところもあるな」

不意に、隊長さんがそう言った。

「あの人がこれから魔族のために何をするかで、魔族の見方も少しは変わるかもしれねえ」

隊長さんはお城を振り返えりながら言う。それにため息を吐いた虎の小隊長さんが

「そう言われると、感情で突っ走ってるうちの大将が台無しにしている気がするよ」

と肩を落とした。でも、隊長さんはそんな小隊長さんに笑って言った。

「言いたいことを言うのは悪いことじゃねえと言ったろ?

 多少の小突き合いがあっても、ただのケンカなら収め方次第だ。元勇者として、そこと向き合わなきゃならんのは当然だ。

 見方に寄っちゃ、魔王って地位を奪っただけのように思われても不思議じゃねえ。ある意味じゃ、当然だ。

 だから竜の大将のことは心配することはねえさ。むしろ、先代を討ったようなやつに、大人しく黙って従っているようなやつがいた方が返って不気味だぜ」

「なるほど、諜報部隊らしい見解だな」

「そうか?まぁ、そうかも知れねえな。虎の旦那も気を付けろよ、油断していると俺が後ろからズブっと行くかも知れんぞ?」

「ははは、そのつもりがあるんなら、俺はもう生きてないだろ」

二人はそんなことを言い合って笑った。その雰囲気はやっぱり穏やかで心地良くって、どこか嬉しい気持ちにさせてくれる。

 さっきは難しいかも、と言われてしまったけど、もし、魔族と人間が、どこででも誰とでも、こうして冗談を言いながら笑い合ったりケンカしたり出来る世界になったとしたら…
お姉さんは、どんな笑顔で笑うんだろうか?

 私はふとそんな事を考えて、さっき隊長さんがしていたように、お城をじっと見つめていた。

 「んっ?」

と、そんなとき、妖精さんが声を漏らせてふと、顔をあげた。妖精さんは辺りを見回して、スンスン、と鼻を鳴らして何かの匂いを嗅ぐような仕草を見せている。

「どうしたの、妖精さん?」

私が聞いたら、妖精さんは眉間に皺を寄せながら言った。

「人間ちゃん、雨が降るかも」

「え?雨…?」

私は思わぬ言葉に空を見上げた。済んだ青空には千切れ雲が漂っているくらいで、雨雲らしいのは見えないけど…

「雲はないみたいだけど、いっぱい降りそう?」

私は妖精さんに聞いてみる。きっと、風の魔法で何かを感じ取っているんだろう。すると妖精さんは、真剣な表情で

「うん…たぶん、雷になると思う。南から冷たい風が吹いてきてる。北からの暖かい風とその冷たい風がぶつかると、入道雲になるんだよ」

と教えてくれた。

 入道雲、か…だとしたら本格的な雷雨になるってことだよね…そうするとかなりの雨が降るかもしれない…

「なんだ、雨降るんだ?水を撒いた意味なかったなぁ」

十七号くんがそんな事を言って呆れたように笑う。ううん、違う…雨が降るから良いってわけじゃない…。むしろそんなにたくさん降ってしまったら…

「おい、指揮官殿。雷雨はまずいんじゃないのか?」

小隊長さんがそう聞いてきた。

「まずいって、何が?」

十七号くんは相変わらずにそう言う。

「ううん、違うんだ。お芋は土の中に出来るから、雨がたくさん振ると腐ったりしちゃうんだ」

「えぇ?!それ、ダメじゃないかよ!どうするんだ!?」

私の言葉に十七号くんがそんな声をあげた。

524: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:11:52.80 ID:O/h8LYqBo

 ここの土は、きっとそれほど水はけが悪いわけではないと思う。でも、雷雨のように短い時間にたくさんの雨が降ればどうしたって水がたまってしまう。

二日くらいでも水溜まりが残ってしまったら、それだけで植えた種芋が腐ってしまいかねない。そのためには、ちゃんとした排水をする仕組みが要る…

「排水路…もっとちゃんとした排水路がいる」

私は畑を見やった。畑を作ったときに、ゴーレムにも排水のための道は作らせたけど、それは間に合わせのためのものだ。

踝くらいまでの深さを畑をの周りに掘っただけで、大雨になんて耐えられない。畑も畝の間を深く掘って畑の周りの水路ももっと深く掘らなければいけない。

それに、庵も作っておかないと、せっかく掘った井戸の穴に水が入ったら崩れてやり直しなってしまったりもしそうだ…これはのんびりしていられない…!

「隊長さん、庵はあとどれくらい掛かりそう?」

「あぁ、そうだな…あと二刻もありゃぁ、何とかなる」

「なるべく早くに作って下さい、井戸に水が入ったら大変」

「ふむ、そうだな…雷となると、庵の近くに集雷針もいるだろう。せっかく作った庵に雷が落ちりゃぁ一瞬でまる焦げだ」

確かにそうだ…背の高い棒の先に鉄槍の先端を付けて、他の場所に雷が落ちないように引き寄せる、あれも必要だね…!

「隊長さん、作れますか?」

「資材がありゃぁな。一旦城に引き返して、使えそうな道具を探そう」

「お願いします!」

私はそれからみんなを見渡す。

525: ◆EhtsT9zeko 2015/05/31(日) 22:12:42.48 ID:O/h8LYqBo

 午前中に庵を作ってくれていたのは隊長さんだけだった。井戸掘りをしていてくれていたのが女戦士さん女剣士さんで、

魔族のみんなと十七号くんに十六号さんには水撒きをお願いしていた。

水撒きは終わったから、その分の人手で別のことをやってもらわなければいけない…

 私はそれを確かめて頭の中で考える。うまく人を割り振って急いで作業しないと…!

雨が降り始めるまえに…!

「隊長さん!女剣士さんと鳥の剣士さんと一緒に庵をお願いします!

 虎の小隊長さんは、女戦士さんと鬼の戦士さんに、十六号さんと十七号くんと排水用の水路を掘りをお願いします!

 私と妖精さんで、出た土を井戸の周りの積んで山にして、井戸の中に地面の水が入らないように堰を作ります!

 雷が来る準備をしておかないと、畑も井戸も全部ダメになっちゃうかも知れない!」

私の言葉に、まだ食事をしていたみんなが一瞬、息を飲むのが分かった。でも、そんな雰囲気を女戦士さんがすぐに打ち壊してくれる。

「よし、ならいつまでも昼休憩ってわけにもいかないな」

それに、鬼の戦士さんが続く。

「そうだね。早めに終えて、準備しないと」

「でかいシャベルがいるよな。確か、城の物置にあった気がするんだけど」

「あったあった!急いで取りに行こう!」

十六号さんと十七号くんがそう言葉を交わして確認している。

「隊長、あんたその子達と城に戻って資材持ってきなよ。こっちは私と鳥くんとでやっておくからさ」

「ええ、任せて下さい」

女剣士さんと鳥の剣士さんの言葉に

「そうだな、頼むぞ」

隊長さんが答える。

「俺は水路の掘り方を聞いておいた方が良さそうだな。指揮官殿」

なんて小隊長さんが言って来たので私は頷いて返した。それぞれの役割が決まったところで、最後に妖精さんが声をあげた。

「よし、じゃぁ、急ぐですよ!」

そんな、いつもの妖精さんの変わった敬語に、みんなで、おう!っと掛け声を合わせて、私たちはお昼ご飯の片付けをいそいそと始めた。

 間に合うかな…そう思って見上げた空には、やっぱりまだ小さな千切れ雲しか浮かんではいなかったけれど。



 

529: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:13:27.04 ID:7B1zFza8o







作業を始めてどれくらい経ったか、ようやく私達は畑の周りに膝程の深さの排水路を掘り終えた。

庵と集雷器を作り終えた隊長さん達も途中から掘る作業に加わってくれたので、そこからはうんと早くに進められたのが幸運だった。

と言うのも、妖精さんが言った通り、太陽が僅かに傾き始めた頃には北の空にムクムクと入道雲が立ち上がって、徐々に大きくなりながらこっちへ近付いて来ていたからだった。

 「隊長さん、そっち大丈夫ですか?」

「ああ、問題ねえ。虎の、そっちはどうだ?」

「こっちも大丈夫だ。これで突風が来ても飛ばされるなんてこともないだろう」

声を掛け合いながら、井戸のそばに置いていく資材を縄で括って、さらに別の縄でグルッと巻いてから、余った木材で作った杭にその縄を括って地面へと打ち込んだ。

これなら、風が吹いたって大丈夫なはずだ。

「隊長、急げよ!あれ、もう来るぞ!」

荷車に道具を載せた女戦士さんが声を掛けてくる。他のみんなも不安げな表情で入道雲の方を見上げたり、こっちを見ていたりしている。

「よし、これで良いだろう。降ってくる前に逃げ込むぞ」

「はい!」

隊長さんにそう返事をして、私は荷車の方へと走って戻る。

「人間ちゃん、早くー!」

妖精さんが荷車の上から手を伸ばしてくれて、辿り着いた私をヒョイっとその上に引き上げてくれた。あとから来た隊長さん達もそこに乗り込む。

それほど広くない荷台は、私と妖精さんに隊長さんと小隊長さん、十七号くんと十六号さんでぎゅうぎゅう詰めだ。

 引き手のところには女戦士さんと鬼の戦士さん、荷車の両脇には女剣士さんと鳥の剣士さんが張り付いている。

「よぉし、良いぞ!出せっ、馬車馬!」

隊長さんがガハハと笑いながらそう言う。

「誰が馬だよ!ちゃんと掴まってろよ、落ちても知らないぞ!」

女戦士さんがそう言ってから

「行くぞ!」

と一声合図をした。

 途端に荷車がガタガタと揺れ、クローバーの生え揃う野原を走り始めた。
 

530: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:14:04.46 ID:7B1zFza8o

「うぉっ!わぁっ!あだっ!痛ってぇぇぇ!!戦士の姉ちゃん、もっと静かにやってくれよ!」

「喋ってると舌噛むぞ!」

風を切る音に負けないくらいの大声で言った十七号くんに、女戦士さんのさらに大きい声が聞こえてくる。

 ガタゴトと揺れる荷車は、私なんかが走るよりももっと早い。

四人の魔法が得意な軍人さん達に掛かればこんなにも早く動けるんだ、なんて思うよりも私は揺れる荷台から飛び出さないようにと、

妖精さんと一緒に隊長さんに掴まっているのに必死だった。

 程なくして荷車は魔族軍の陣地に差し掛かる。

ここを抜ければ、南門。お城まではもうすぐそこだ。

 「えぇ!?なんだって?!」

不意に、そう叫ぶ十六号さんの声が聞こえた。見ると、十六号さんは自分の体にしがみついている十七号くんに、そう言ったようだった。

そんな十七号くんが声をあげる。

「だから!魔族の連中は、雷平気なのかなって!」

え、魔族の人達…?

 私はハッとして辺りを見渡した。魔族軍の人達は、昼間、私達に向けていたあの冷たい視線を浴びせることも忘れて、慌ただしく動き回っている。

あの入道雲を見れば、備えないわけにはいかないだろう。

「おい、虎の!お前さんの部下、まだ陣地にいるんだろう!?そいつらだけでも俺達のいる兵舎に呼び込むか?!」

「あぁ、助かる!こんな平地じゃ、被害が出てもおかしくない!」

隊長さん達がそう言っている。そうだよね…いくら自然の魔力を扱える魔族だって、あの雷雨なんてのに見舞われたら、平気でいられるはずはないよね…

雷って魔法で防いだり出来るのかな…? 

「小隊長さん!雷を防ぐ魔法ってあるんですか!?」

私は風に負けないように大きな声で虎の小隊長さんに聞く。すると小隊長さんは険しい表情で叫んだ。

「いや、雷は無理だな!力が大きすぎるし、そもそも雷を操る魔法を使える連中は少ない!」

待ってよ…それじゃぁ、やっぱりこんなところで陣地を張っているのって危ないんじゃ…!?

で、でも、さすがに三千人の魔族軍の全部をお城の中に避難させるなんてことは出来ないし…だけど、このままだと魔族軍の人達は危ないよね…

「妖精さん!」

私は妖精さんを見上げて叫んだ。

「お姉さんにお願いして、中庭に魔族軍の人達を入れてもらおう!城壁には集雷器があるから、外よりもきっと安全だと思う!」

すると妖精さんはニコっと笑顔を見せて私に言ってくれた。

「うん!一緒にお願いしに行こう!」
 

531: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:14:30.13 ID:7B1zFza8o

 ガタゴト揺れる荷車が大人しくなる。目の前に南門が見えてきて、戦士さん達が足を緩めたからだろう。

 すぐに荷車は南門の前に到着した。鳥の剣士さんがひらりと城壁の中に羽ばたいて行って閂が外され、重い音とともに門が開いた。

 私は妖精さん荷車から飛び降りてお城の入り口へと走る。

「俺は声を掛けてくる。鳥剣士、お前も来てくれ!」

「了解です、すぐに行きましょう!」

「おい、すぐに中へ入ってバカ共に場所を開けるように言え!」

「おし、任せとけ!鬼のも一緒に来てくれ!」

「うん!」

後ろでそう言い合っている声を聞きながら、私は妖精とお城の中に駆け込んだ。必死に階段を駆け上がり、廊下を走って会議をしている部屋へと急ぐ。

途中、後ろから足音が聞こえて振り返ると、そこには十七号くんと十六号さんがいた。

「親衛隊を置いていくなよな!」

十七号くんがそんなことを言って笑う。

「うん、ごめん!」

私は笑顔を返しながら十七号くんにそう言いながらさらに階段を上がる。上層階までたどり着いて廊下を走り、私達はノックもせずに会議室へと飛び込んだ。

 「お姉さん、大変!」

大きなテーブルにはいつもの通り、お姉さんにサキュバスさんに兵長さんと黒豹さん、それから師団長さんと竜族将さんに他の魔族の偉い人達も集まっていて、

バタバタとなだれ込んだ私達に視線を向けていた。

「なんだよ、慌てて?」

お姉さんが私達にそう聞いてくる、けど、私は慌ててここまで一気に走って来たものだから、息が切れちゃってうまく言葉が出ない。

それを見かねたのか、十六号さんが代わりに

「十三姉ちゃん、雷が来てるんだ!」

と言ってくれた。それに続いて十七号くんも

「外の魔族の連中、あのままだとまずいって!」

と声をあげてくれる。

「お姉さん!魔族の人達をせめて城壁の中に入れてあげないと…!」

私はようやく整い始めた息を吸い込んでそう伝えた。お姉さんはすぐさまイスから立ち上がると窓辺に駆けて行ってその外を見やった。
 

532: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:15:05.16 ID:7B1zFza8o

 「雷雨ですか…?」

「まずいな…我が機械族はあれには弱い」

「強い者などありはせん。雷を避ける大気術を使える者は何人居ったか…」

「急ごしらえでも例の避雷槍を作らせるか?」

「必要だろう。だが、あの陣地のすべてを覆える程となると、数が…」

魔族の人達もそう話を始めたる。そんなところにお姉さんが戻ってきて、魔族の人達に言った。

「サキュバス、三階までの兵舎に外の連中を引き込むぞ。兵長、二階の諜報部隊の連中に、兵舎を空けてこっちの生活階へ上がって来るように伝えてくれ」

「はっ!すぐに!」

お姉さんの言葉にいち早く反応した兵長さんが部屋を飛び出していく。そんな姿を見送りもしないで

「お、お待ち下さい、魔王様!あの者達すべてを魔王城に入れるなど、言語道断です!

 お言葉ですが、未だ魔王様のご意思を理解せぬ者も多く、そのような輩が魔王様を狙ってくるやも知れません!」

と師団長さんがお姉さんに訴え出る。それにサキュバスさんが

「魔王様、全軍三千人を城内に収容するのはかなり厳しいのではないですか?」

と落ち着いた口調で続く。

でも、そう言われたお姉さんニコっ笑って言った。

「入れろ。押し込んででも何でも、とにかく匿え」

サキュバスさんはその言葉に何だか少し嬉しそうな表情で頷き、師団長さんは呆れ顔を見せた。

「人間様、一緒に軍の迎え入れをお願いします」

サキュバスさんが私にそう言ってきた。私もサキュバスさんに笑顔を見せて頷く。

「なれば、我が近衛師団を上階に配置して、警備を固めましょう」

師団長さんも覚悟を決めたって顔をしてそう言った。

 「よし、今日の会議はこれまでだ。各師団へ戻って至急、城内へ避難するよう伝えてくれ」

「ふむ、ここは魔王様のご慈悲に甘える他にありませんな。そうであろう、竜族将よ?」

鬼族の賢者さんが竜族将さんを身やって言う。竜族将さんは、ちょっとふてくされた表情を浮かべて、

「ここは魔族を守るための城だ。そうでなくては困る」

なんて強がりのような返事をした。

 魔族も人間も、こうなったら関係ない。大きな自然の力の前には、身を寄せ合って逃れる他に術はないんだ。

でも、今の私はそれがやっぱり、なんだか嬉しい気がしてしまっていた。
 

533: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:16:05.59 ID:7B1zFza8o

 ふとお姉さんを見上げたら、お姉さんも嬉しそうな笑顔出私を見ていて、不意に手を伸ばして来たと思ったら、私の頭をガシガシっと撫でてくれた。

「よし、サキュバスの言うことちゃんと聞いて、誘導頼むぞ」

「うん!」

「任せて下さいです!」

私と妖精さんとでそう返事をする。

「十七号、十六号!この子から離れずに見ててやってくれよ!」

「任せとけ!俺達は親衛隊だぜ!?」

「ああ、心してかかるよ、姉ちゃん」

今度は、十七号くんと十六号さんがそう声をあげた。

「サキュバス、黒豹。外の魔族を誘導する陣頭指揮を執れ」

「私は城内の誘導を行いましょう。黒豹様は、城外の者達に声掛けを!」

「委細、承知しました。すぐに掛かります!」

サキュバスさんと黒豹さんもそう返事をする。それから私たちはなぜだかお互いの目を見つめ合って、みんなが笑顔でいるのを確かめていた。そんな私達にお姉さんの号令が飛ぶ。

「任せたぞ、掛かれ!」

「はい!」

そんなお姉さんに返事をした私達はすぐさま部屋を飛び出した。廊下を走って階段を駆け下り、南門の正面にある扉へと急ぐ。

するとそこには、隊長さん達の姿があった

「おう、早かったな!城主サマの采配はどうなった?!」

「全軍を引き入れます。ご助力を頂けませんか?」

隊長さんにサキュバスさんがそう叫ぶ。それを聞いた隊長さんは、ニヤリと笑って傍らに居た女戦士さんと女剣士さんに頭を振って言った。

「よし、お前ら!虎の大将に付いて誘導を手伝え!」

「あはは、突撃部隊の指揮下に入れってか!こりゃぁ良い!」

「言ってる場合じゃないでしょ!ほら、行くよ!」

「俺達も外に出て誘導します!指揮は!?」

虎の小隊長さんの言葉に、黒豹さんが答えた。

「猛虎の嫡男殿!私が采配いたします、各部隊への声掛け願います!」

「よし来た、行くぞ!」

虎の小隊長さんがそう言って表へと飛び出していく。私はその時になって、あたりがもう随分と暗くなって来ていることに気が付いた。厚い雲

が空に掛かって、風も吹き始めている。もう、時間がない…
 

534: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:16:45.06 ID:7B1zFza8o

 私は十七号くんと十六号さんと妖精さんと一緒に扉の前に立って、虎の小隊長さんが開け放った門の向こうの魔族軍を誘導する準備に入る。

黒豹さん小隊長さんに、戦士さんや剣士さん達が門の外に駆けて行ったのもつかの間、門をくぐって、大勢の武装した魔族の軍人さん達が門の方へと急ぎ足でやって来始めた。

武装はしているけど、手には小さな荷物だけとか、中には何にも持っていない人もいる。本当に慌ててこっちへやってきて入るようだった。

 「おーい、あんた達、こっちだ!

十六号さんが不意にそう声をあげた。

「早くしろ、降ってくるぞ!」

今度は十七号くんも叫ぶ。私も負けてられないんだ!

「急いで下さい!早く!」

「雷来るですよ!急いで下さいー!」

私と妖精さんも声を張れるだけ張って呼びかける。

すぐに先頭をに来ていた大きな体のクマの様な魔族さんが私達の呼びかけに吸い寄せられるようにやって来てくれて、お城の中へと入って行く。

狼の獣人さんに、あの鉄の鎧の様な物を身にまとった機械族の人達も、竜族の人も悪魔みたいな風体の魔族さんも次々と入り口へと押し寄せて来る。

 きっと中ではサキュバスさん達が、場所を指定して城内で誘導してくれているはず。中はきっともっと大変だろうけど…私も、気を抜いてはいられない!

「早く中に!中に入ったら、誘導された場所に行ってくださいね!」

そう、今までよりも一層大きな声をあげたその時だった。

 パパパっと目の前が真っ白に光った思ったら、まるで大きな山が崩れ落ちたんじゃないか、って思うくらい雷鳴が辺りに鳴り響いた。

それと同時にザザザザァ!と猛烈な雨が降り始める。

雷鳴に驚いて十六号さんに飛びついてしまっていた私と妖精さんはすぐに我に返って、雨と風に負けない大声を出して魔族の人達に呼びかけ続ける。

 入り口の扉の外にいた私達はたちまちびしょ濡れだけど、構ってはいられない。魔族の人たちは私達よりももっと濡れちゃうし風も直接浴びてしまう。

吹き込んだ雨に濡れるくらい、どうってことじゃない!私はとにかくそこで声の続く限り、叫び続けた。

「急いでください!魔王様がお城に逃げろと言ってます!みんな、急いで!」

「おら、早く早く!」

妖精さんも十七号くんも声の限りに叫んだ。

魔族の人達は私達にあの冷たい視線を浴びせるのも忘れて雨から逃れるために盾やマントを頭に掲げながらお城の入り口へと殺到する。

 雨も風も一段と強くなり、再び閃光とともに雷鳴が鳴り響いた。それでも私達はそこで必死に魔族の人達をお城の中へと急がせる。

「すまないな…!」

不意にそう声が掛かって見上げると、雨にびっしょり濡れた若い男の魔族の人が立っていた。雄々しい角に、黄色に縦長の瞳。

体を覆う棘のようなウロコは竜族独特の特徴だ。

「いいえ!早く中に入って下さい!」

「ああ、感謝する!」

竜族の男の人はそう言い残して足早にお城の中に入って行く。

途端に、後ろからコツン、と何かがあたったので振り返ると、十六号さんがニヤリと笑顔を浮かべていた。

 「井戸掘りの成果かも知れないな」

十六号さんはそんなことを言った。

 隊長さんや虎の小隊長さん達と一緒に魔族軍の陣地を抜ける道を、私達は道具を運んだり追加の資材や水を汲んだ樽を運ぶために何度も往復した。

隊長さんの考えで、人間と魔族が一緒になってその作業をしてきた。

もしかしたらそれが今になって、魔族の人達に、少なくとも私達は魔族の敵じゃない、と分かってもらうためのきっかけになって来ているのかもしれない。

もしそうなら…きっとお姉さんは、さっきよりももっと嬉しそうな顔で笑ってくれるんじゃないかな…!

 そう考えたら私も嬉しくなってしまって、雨に濡れるくらいいっそう構わずに魔族軍に急ぐようにと叫び続けた。
 

535: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:17:19.00 ID:7B1zFza8o

 どれくらい経ったか、そんな魔族軍の人達に紛れて女剣士さんと鬼の戦士さんが入り口の扉のところへと姿を表した。二人とも雨に濡れてびっしょりだ。

「外はおおかた大丈夫だ!ここは私らで受け持つから、あんた達は中に入ってあのサキュバスって人を手伝ってやってくれ!」

女剣士さんが雨と風に負けない大声で私達にそう言う。

 私は十六号さん達三人と目を見合わせて頷き

「分かりました、お願いします!」

と返事をして、魔族の人達と一緒にお城の中へと戻った。

 お城の中は、もうすでに大混乱しているようだった。一階は大広間と大階段があるのだけど、そこはもう魔族の人達でいっぱいだ。

ここがこんな様子なら、二階と三階にある兵舎や訓練なんかに使うんだと言っていた大きな部屋もぎゅうぎゅうになっているに違いない。

 私は魔族の人達の間を声を掛け、道を作ってもらいながら大階段へと進む。

何とか辿り着いた大階段を登って廊下を行くと、そこにはサキュバスさんが魔族の人と何かを話している姿があった。

「サキュバスさん!」

「皆様!」

私が声を掛けると、サキュバスさん私達を見やってそう声をあげる。それからすぐに

「では、お願い致します」

と今話し込んでいた尖った耳をした魔族の人に言って私達のところへとやって来た。

「外の様子はいかがですか?」

「今、虎の小隊長さん達が誘導してくれてます。まだ大勢残っているけど目処は付いてるみたいです。お城の中はどうですか?」

「三階と二階の兵舎にはまだ余裕がございます。今、この階の兵舎にいる者の半数を三階に向かわせるようにと近衛師団の者に伝えていました」

サキュバスさんの言葉に私は気が付いた。皆入ったばかりのあの大広間で止まってしまって、奥へと入って来ていないんだ…だからあそこにはあんなにたくさん…

でも、あの大広間に溜まってしまったら、あとから入って来る人が詰まってしまう。

早くこっちへ来てもわらないといけない。

「なら、私は戻って広間でここへ来るように呼びかけます!」

私が言うとサキュバスさんはコクっと頷いて

「お願い致します!」

と返事をしてくれた。

 私達は広場に戻って、魔族の人達に二階へ上がるようにと大声で触れ回った。そのおかげか、入り口で溜まっていた人達はゾロゾロと二階に上がり始める。

それでもあとからあとから、広間には相変わらず外から人が駆け込んできている。

 と、不意にゴゴン、と音がした。大階段の上から音がした方を見ると、その先では広間の入り口の両開きの扉が今まさに閉められたところだった。

 扉を閉めていたのは、隊長さんや虎の小隊長さん達だ。良かった、何とか全員を誘導できたんだね…!
 

536: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:18:05.35 ID:7B1zFza8o

「人間殿!」

私を呼びながら、黒豹さんが人混みを縫って私達のところにやって来た。黒豹さんもズブ濡れで、まるで捨て猫みたいな有様だったけど、そんなことに構わずに私達に聞いた。

「中の状況はどうなっておりますか?」

「まだ、二階と三階には余裕があるみたいです!」

私が応えると、黒豹さんは少しだけ表情を緩めて言った。

「何とかなりそうで良かった。外の誘導は完了したと、サキュバス殿にお伝え願えませぬか?」

その言葉に、私も思わず胸を撫で下ろした。

これで全部だと言うなら、あとは中の人達を均等になるように分ければいいだけだから、雨と雷の中で呼びかけるよりはずっと安全だ。

「分かりました、伝えて来ます!」

私はその場を黒豹さん達に任せて、サキュバスさんのところへと戻ってそのことを伝えた。

二階の兵舎にも余裕がなくなって来ていたけど、それでももう全員避難出来たと言ったら、やっぱりサキュバスさんも安心したような表情を見せてくれた。

「もう一息ですね!」

そんなサキュバスさんの言葉に、それぞれ返事をした私達も、きっと安心の表情を浮かべていたに違いない。でもまだ気は抜けない。

みんなが少しでも余裕を持って過ごせるように、うまく場所を割り振らないと、ね!
 



 

537: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:18:40.74 ID:7B1zFza8o
 



 「へっくしっ!ああ、冷えちゃったなぁ…」

ズルズルっと鼻をすすりながら、十六号さんがそんなことをボヤく。私達は暖炉の部屋にいた。外はすっかり日も落ちてしまったけど、相変わらずの雷と雨。

ランプと暖炉の火だけで薄暗い部屋は時折雷鳴とともに閃光に照らされていた。

 私達は雨で濡れたまま走り回っていたせいで、体が芯から冷えてしまっている。気替えだけを済ませた今でもとにかく寒くって、震える私を十六号さんが抱いてくれている。

そんな十六号さんを後ろからへばりつくように妖精さんが抱きしめて、三人折り重なって毛布をかぶり、火を入れた暖炉に当たっている。

 「いやいや…大変だったなぁ」

誘ってはみたけど、俺は平気だ、となぜだか顔を赤くして言って、一人暖炉の前で毛布を頭から被っている十七号くんがため息混じりにそんなことを言う。

「そうですね…井戸掘りよりも疲れたですよ」

後ろからは、妖精さんのそんな声も聞こえて来た。確かに大声で叫びっぱなしで、お城の中を駆けずり回って、その上寒いし、もうクタクタだ。

 「なぁ、そう言えば、魔族の魔法は寒いのを防げる、って聞いたんだけど?」

「ああ、防げるですけど、風の魔法で温度を伝えないようにするだけです。一旦体が寒くなっちゃったら、もうどうしようもないです」

十六号さんと妖精さんがそんな話を始めた。

「人間の魔法なら体を暖かく出来そうですのに、十六号さんも体冷たいですね」

「やれないこともないけど、今は血の巡りを動かして体の深いところを温めてるんだ。表面を温めようとしたら、余計に中の方が寒くなる」

「だから冷たいですね。代わりに私が温めるですよー」

妖精さんがそう言って、毛布の下で十六号さんの腕を擦り始める。途端に十六号さんが

「妖精ちゃん、くすぐったいよ!」

と声を上げて笑った。

 ピカッと部屋の中が明るく光って、ドドドドーンと雷鳴が轟いた。雨が降り出してからもう随分と時間が経っているのに雨も雷も一向に止む気配はない。

「畑が心配だね」

と、妖精さんは今度は私に話しかけてきた。うん、確かに…排水路はかなり深く掘ったし、種芋は拳2つ分のところに植えたから流される心配はそうないと思う。

気がかりなのは、やっぱり土の水はけが思ったよりも良くなくて、種芋が腐ったりしてしまうことだ。

そればっかりは明日畑の様子を見て見ないことには分からない。

やるだけの対策は出来たし、あとは祈るより他にない。

「うん。明日の朝、一番で確かめに行かないとね」

私がそう答えると、妖精さんも、うん、と返事をしてくれた。
 

538: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:19:18.71 ID:7B1zFza8o

 カツコツと、廊下で足音が聞こえる。微かに、十六号さんの体が固くなるのを私は感じた。

でも、部屋の前に差し掛かったその足音は、立ち止まることなくそのまま歩き去っていく。十六号さんもすぐに力を抜いて、小さく息を吐いた。

 魔族軍をお城に受け入れてからすぐに、上層の私達の生活階では、近衛師団の魔族達が見回りを始めてくれていた。

隊長さん達や虎の小隊長さん達は意外にも大人しくこの2つ下にある元は家臣さん達の部屋だったところに分かれて入っているらしい。

何でも、こういう警備は複数の部隊でやると返って隙が出来ちゃって危ないんだそうだ。

私としては、あの魔族軍の人がお姉さんを狙って襲いかかって来るようなことはない気がしていたし、

お姉さんも、それで気が済むんなら、と師団長さんに許可を出していたくらいだから、心配なんてしてないんじゃないかって思う。

 でも、私は師団長さんがそうしなきゃならない気持ちもなんとなくわかった。

だって、師団長さんは先代様をとても尊敬していて、そんな先代様が選んだお姉さんのことも、同じように尊敬しているようだった。

それに、師団長さんは戦争で先代様を守れなかったことをとっても気に病んでいるみたいだったし、

お姉さんにもしものことがあってはいけないって、強く感じてしまっているんだろう。

 不意にまた、廊下で足音が聞こえだした。カツンカツンと言うその足音は、部屋の前で立ち止まる。だけど今度は十六号さんは体を固くすることなんてなかった。

コンコン、とノックの音がして顔を出したのはランプを手にしたサキュバスさんだった。

「皆様、お湯のご用意が出来ましたよ」

サキュバスさんは優しい笑顔で私達にそう言ってくれる。

「うはぁー!待ってました!」

十六号さんがそう声を上げて、私を抱えたまま立ち上がった。

「ようやく暖まれるですね」

妖精さんも毛布を畳みながら嬉しそうにそう言う。

「ほら、十七号も行くぞ」

十六号さんは未だに暖炉の前に座っている十七号くんにそう声を掛けた。でも、十七号くん暖炉をジッと見つめたまま

「お、俺はあとで十二兄と入るからいいよ」

となんだか言いづらそうに言う。

「なんでだよ?あんたも寒いんだろ、風邪引くぞ?」

十六号さんがもう一度そう声を掛けると十七号くんは私達を振り返って、なんだか必死な顔をして

「俺はあとでいいって言ってんだろ!」

と声を荒げて言った。その顔は暖炉の火に照らされているせいか、なんだか真っ赤だ。
 

539: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:19:51.77 ID:7B1zFza8o

 そんな十七号くんの言葉を聞いた十六号さんはヒヒヒ、と笑って

「あっそ。じゃぁ、先に行っちゃおう」

と妖精さんに声を掛けて私を抱いたままにサキュバスさんの待つ戸口へと歩き出す。

「十六号さん、私自分で歩くよ」

私は十六号さんにそう言うけど、十六号さんはなお私をギュッと抱きしめて

「寒いんだから抱かれといてよ。湯たんぽ代わりに」

なんて言って笑った。

 戸口まで行くと、そんな私達をサキュバスさんが優しい表情で見つめてくれている。でも、私はそんなサキュバスさんの顔を見て、いつにもない疲労感があることに気が付いた。

バタバタと走り回ったせいか、いつもは綺麗なサキュバスさんの髪は少しだけ乱れていたし特に前髪なんかは汗か何かのせいで、うねってしまっている。

「魔王様にもお声掛けしてあります。きっと湯室でお待ちですよ」

サキュバスさんはそんな私の心配をよそにそんな事を言ってくれる。でも、そう言われて私はふと、ここのところお姉さんと一緒にお風呂に入ったりしていないことに気付いた。

竜娘ちゃんを助け出しに行ってからは、お姉さんは軍の再編や会議のこともあって、私とは入れ違いになることが多かった。

それこそ夜に寝るときだって、私が寝入るか寝入らないかって言うときになってやっと寝室に入って来るがくらいだ。

 私のそばにはいつも妖精さんと十六号さん達が居てくれるから寂しいなんてことはないけど、

でも、何日かぶりに一緒にお風呂に入れるんだと思うとなんだかそこはかとなく嬉しくなってくる。

「あはは、十三姉ちゃんと一緒に風呂だなんて魔導協会以来だな」

十六号さんがそんな事を言って笑う。お姉さんが勇者の紋章を受け継いですぐに、十六号さん達はあそこを追い出されたんだと言っていた。

その後は魔導士さんが皆を引き取ったんだけど、お姉さんはそれからも魔導協会に居て戦争が始まったって話だから、私なんかよりもずっとずっと離れ離れだったはずだ。

きっと十六号さん達にとっては、お姉さんや魔導士さんと一つ屋根の下で暮らして行ける今の生活は、何にも変えがたいくらいに嬉しいことなんだろう、って私は感じていた。

 私達はサキュバスさんに先導されてお風呂場への廊下を歩く。私は相変わらず十六号さんの腕の中だけど…お風呂場まではそれほど遠くはない。

廊下を曲がったその先にあるんだ。

「下の様子はどうなんですか、サキュバスさん?」

「はい、ようやくそれぞれの居場所を決めて休むことが出来てきているようです。一晩だけなら何とか過ごせると思います」

「良かったです!」

そんな話をしながら歩いていると、廊下の向こうから鎧を纏った魔族の人が二人、こっちに向かって歩いてきた。

一人は竜族、もう一人は尖った耳をしている以外は人間と良く似ているから人魔族かな?

 二人は、私達に気が付くと廊下の端によって壁に背を付け、項垂れて黙礼を始める。

「ご苦労様です」

そんな二人に声を掛けるサキュバスさんに続いて、私達もその前を通過する。途端に十六号さんがはぁ、とため息を漏らした。

さっき、魔族の人達をお城に誘導しているときは感じなかったし何かをしてくるだなんて思いもしないけど、

いざこうして狭い廊下で見知らぬ魔族さんに会うと、私も少しだけ緊張してしまう。

でも、そんな様子を見てサキュバスさんがクスっと笑った。
 

540: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:20:27.39 ID:7B1zFza8o

「あの者たちは平気ですよ。先代様のお側に在った故、私と同様に、先代様の意思を他のどの魔族よりも理解している者たちですから」

そんなサキュバスさんの言葉を聞いて、私はふと、昨日の晩の師団長さんの言葉を思い出した。師団長さんもそんな事を言っていたっけ。

「師団長さんも言ってました。先代様を愛していた、って」

私がそう口を挟んだら、サキュバスさんはハッとした表情で私を見やって、それからクスっと笑顔を見せた。

「愛していた、だなんて、少し妬いてしまいますね」

あ、そうだった…サキュバスさんは先代様とその、恋人?夫婦?みたいな関係だったんだっけ…

い、いけない、今の言い方だと、師団長さんが先代様に横恋慕してたみたいになっちゃう!

「あ、あ、あの、そう言う意味じゃなくって、えっと…!」

私がそう声をあげたら、サキュバスさんはなおさら笑って

「大丈夫ですよ、先代様が皆から慕われていたと言うことですよね?」

と、言ってくれた。ホッとして

「は、はい」

と返事をしたのもつかの間廊下を曲がった先には、師団長さんが居て、お風呂場の前で仁王立ちしている姿があったので、私は思わずヒャっと声をあげてしまっていた。

 「あ…姫様」

そんな私の声でこちらに気が付いた師団長さんが私達に一礼する。

「どうしたのです、このような場所で?」

「はい、魔王様が湯浴みされるとのことで、丸腰の機を狙う輩がいるやもと思い、こうして番をしています」

サキュバスさんの言葉に師団長さんはそう答えた。相変わらずの心配性だ。

「そうでしたか。私はてっきり、魔王様に色目を使いに来たのやも、と思ってしまいましたよ」

サキュバスさんはそんな意地悪を言ってから私を見やってまた笑った。

「な、なんのことです、姫様?私はそのような事は…」

「ああ、いえ、冗談です。見張り、感謝します」

戸惑う師団長さんにそう言うと、サキュバスさんはお風呂場のドアを開けて私達を中へと促した。

 そこには、すでに、脱ぎ捨てられたお姉さんの衣服が入ったカゴが置かれていて、引き戸の向こうからはお姉さんのものらしい鼻歌が聞こえて来ていた。

 「おーい、十三姉ちゃーん!」

ようやく私を下におろしてくれた十六号さんがそう声をあげた。するとすぐに浴室の方から

「お、十六号さんか?あんたも来たんだなー!」

と明るい声が聞こえてくる。それを聞いた十六号さんは恥ずかしげもなく服を素早く脱ぎ捨てて、喜び勇んで浴室へと突撃して行った。

「ひゃほー!」

という奇声とともに、ザバッと水が跳ねる音がする。

「おい、やめろってば!」

お姉さんがそう言って笑う声も聞こえてきた。十六号さん、よっぽどうれしいんだな。

私はそう思って、なんだか頬が緩んでしまう。
 

541: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:21:18.83 ID:7B1zFza8o

「ほら、人間ちゃんも入ろう」

妖精さんにそう促されて、私も服を脱いで浴室へと入った。そこには、広い湯船で体を伸ばしているお姉さんと十六号さんの姿があった。

 湯船に入ると、すぐに私の体をお姉さんが捕まえて、膝の上に載せてくれる。

湯船は少し深くて、私がその中で体を伸ばそうとすると、鼻のあたりまで沈んでしまう。

ちょうどよくつかるには、お姉さんの膝の上が一番なんだ。

 私には少し熱いかな、と感じるくらいのお湯が、それでも冷えた体を温めてくれる。

思わず、ふう、なんて息を吐いてしまうくらいに、心地良い。

「ふぅぅ、いつでもここのお風呂は気持ちいいですぅ」

妖精さんもそんなヘナヘナとした声を出すので、私は思わず笑ってしまう。

 そこへ、サキュバスさんが顔を出した。

「では、ごゆっくり」

「あ、サキュバスさ」

と、お姉さんがサキュバスさんを呼び止めた。

「悪いんだけど、冷えた酒と、この子たちに果汁水ってやつもってきてくれよ」

「ふふ、かしこまりました。では、お待ちくださいね」

お姉さんにそう頼まれたサキュバスさんは、小さく笑ってすぐに脱衣所の方へと姿を消して行った。

 でも、それを確かめた十六号さんがすぐに不満そうな声をあげる。

「十三姉、サキュバスさん疲れてるのに、小間使いなんてひどいじゃないか」

すると、お姉さんはケタケタと笑って言った。

「だからさ、あいつも一緒に風呂に引っ張っちゃおう。酒を運んできてくれたら、あたしが取り押さえるから、十六号、あんたひん剥け」

「えぇ?!いいのかよ!?」

「あいつ、休めって言ったって休むやつじゃないんだよ。だから無理やり休ませるんだ」

お姉さんはそう言いながらグッと大きく伸びをした。

確かに、お姉さんの言う通りだ。

サキュバスさんは、いつだって早起きして朝ごはんの準備をしてくれるし、いつだって夜遅くまで私たちの身の回りの世話をしてくれている。

休んでいるところなんて、ほとんど見たことなんてなかった。

「いい考えです!サキュバス様は、少し休まないといけないですよ」

「うん、私もそう思う!」

妖精さんの言葉に、私もそう相槌を打った。すると、十六号さんも納得したのか、

「なるほど、そりゃぁ、休ませてやらないとな!」

なんて言って、お姉さんのマネをして大きく伸びをする。

そんな姿を見たお姉さんは、あはは、と笑って

「十六号、あんた、ちょっと見ない間にちゃんと育ったなぁ」

なんてことを言い始めた。
 

542: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:21:54.49 ID:7B1zFza8o

「ん、そうだろ?でも、もうこれくらいで良い気がするんだよ。これ以上大きくなっても、戦いのときに邪魔だろ?」

十六号さんはそんなことを言いながら自分の、その…お、おムネのあたりをムニムニと触った。

「男は大きい方が好きらしいからなぁ、もっと育つようにちゃんと食えよ」

「えぇ?良いって、このままで。姉ちゃんと同じくらいだし」

「あたしのは小さいんだぞ?鎧の板金が安く済むからいいんだけどさ」

「その点、妖精ちゃんはあるよなぁ」

「ん?●●●●ですか?ムフフ、羽妖精族は大きいのが豊穣の象徴なんですよー!一族でも一番の美女は、それはもう、ドーンですよ、ドーン!」

「ドーンか、そりゃぁすごいな」

「肩凝りそうだよな、ドーンて」

妖精さんの話に、お姉さんと十六号さんは、なんだか少し引きつったような笑みを浮かべてそんなことを言っている。

わ、私も大人になったら、少しくらい大きくなるのかな…?まだ、全然だけど…その、そういうのっていつぐらいからわかる物なんだろう?

そんなことを不思議におもったけど、なんだか気恥ずかしくって私は口に出せなかった。

 「お、そうだ、十六号。あんた、久しぶりにあたしが髪洗ってやるよ」

不意に、お姉さんが傍らでお湯に浸かっていた十六号さんの髪の毛をクシャクシャと撫でつけながらそんなことを言い始める。

「えぇー?いいよ、そんなの。もうあの頃みたいな子どもじゃないんだぞ?」

「まぁ、そう言うなって。この子だって一緒のときはあたしが洗ってやってるんだもんな。な?」

今度はお姉さんは私にそう話を振って来る。私は、それはあまり恥ずかしくなかったので、十六号さんに向かってうなずいて見せた。

最初のころ、お姉さんはきっと父さんや母さんが死んでしまった私のことを思いやってそんなことをしてくれたんだろうけど、

今では私もすっかり甘えてしまっているのと、お姉さんがそんなことをしていると嬉しそうに笑ってくれるので、進んでお願いすることにしている。

「で、でもさぁー、なんか恥ずかしいって」

「あん?なんだよ、大人ぶって!よし、洗うぞ、ほら、来い!」

それでもモジモジと言っている十六号さんに業を煮やしたのか、お姉さんは私を妖精さんの膝の上に預けて十六号さんの手を取って湯船から上がり、

洗い場の小さなイスに十六号さんを座らせた。

 「この、ナントカ、っていう薬草が良い匂いだし、脂っぽいのが落ちて良いんだよ」

と、お姉さんはいつも使っている魔界の薬草を絞った汁をボトルから手の平になじませた。

 そんなとき、パタン、と浴室の外から音が聞こえた。

「お、サキュバスさん、もどって来た」

「よし、十六号。ぬかるなよ?」

お姉さんはそう言って十六号さんと笑みを交わして、白々しく髪をこすり始めた。
 

543: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:22:28.68 ID:7B1zFza8o

ほどなくして、サキュバスさんが浴室の戸を開けて入ってきた。

「魔王様、お待たせいたしました」

「あぁ、ありがとう。悪い、ちょっと受け取ってやって」

お姉さんがそう言ってきたので、私が湯船から上がってサキュバスさんが両手で抱えていた陶器のボトルが何本か入っている氷の入った小さな樽にの乗ったトレイを受け取る。

「では、ごゆっくりされてくださいね」

そう言ったサキュバスさんが浴室から出ていこうと振り返ったときだった。

 不意に、サキュバスさんの動きが固まったように止まってしまう。

「なっ…こ、これは?!」

見ると、お姉さんが両手を掲げてサキュバスさんの方に突き出していた。

お姉さんってば、魔法を使うだなんて、ズルいんだから!

とは思っても、私だってサキュバスさんに休んでもらいたいのは本当だし…休んでもらう以上に、一緒にのんびりと今の時間を過ごしたい、ってそう思っていたから黙っていた。

「行け!」

「おう!」

お姉さんの合図で、十六号さんがサキュバスさんに飛び掛かった。

「な、何をされるのですか!魔王様!十六号様!」

「サキュバス、あんたもたまには一緒にのんびりしようよ」

驚いた声をあげるサキュバスさんにお姉さんはそんなことを言う。

その間に、十六号さんがサキュバスさんの体に腕を回して、着ていた着物をスルスルと脱がせ始めた。

「ちょっ…何を…お、おやめください!」

サキュバスさんは顔を真っ赤にしながら十六号さんにそう言っている。

でも、お姉さんも十六号さんも辞めようとはしない。

それどころか二人はなんだかとっても悪い顔をして笑っているように、私には見えてしまってなんだか苦笑いが漏れてしまう。

 「それ、まずは上から!」

言うが早いか、十六号さんがサキュバスさんの上の肌着をむしり取った。

その、えっと…あの…、お姉さんや十六号さん、ううん、妖精さんよりももっとその、ほほほほ豊満なおムネがバイン、と姿を現した。

「おぉぉぉ!姉ちゃん、サキュバスさんはドーンだぞ!」

「なんだと!?」

楽しそうに言う十六号さんの言葉に楽しそうに答えたお姉さんが、クイっと手首を折り曲げた。

すると、サキュバスさんは体を操られるようにしてこちらを向く。

とたんに、お姉さんは吹き出した。

「ぶふぅっ、こいつは…強敵だっ!」

「下も剥いじゃうからな!」

十六号さんが今度はサキュバスさんの履物に手を伸ばした。

「十六号様!後生です、どうかご勘弁を!」

サキュバスさんは涙目で十六号さんに訴えているけれど、それを聞いた十六号さんはさらに悪い顔をしてサキュバスさんに迫る。
 

544: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:23:44.11 ID:7B1zFza8o

 そんなとき、私はふと、前にサキュバスさんから聞いた話を思い出していた。

サキュバスさん達は、神官の一族で、魔界に古くから暮らしている種族だ。もちろん、人間界の大尉さんやあのオニババって人もそうなんだろうけど…

でも、とにかく、サキュバスさんは言ってた。

自分たちは、生みの母たるにも、種たる母たる存在にもなれる、って…。

つまり、子どもを身ごもることも、身ごもらせることもできるってことだ。

いや、子どもが身ごもるっていうのがどういうことかは、私はよくは知らないけど、その…ふつうは男の人と女の人が結婚をして愛し合えばできるものなんだよね…?

そう考えると…なんだかわからないけど、とてつもなくイヤな予感が、私の脳裏を貫いた。

「に、人間ちゃん、サ、サキュバス様って…」

妖精さんもそのことに気が付いたみたいで、私にそう言ってくる。

「う、うん…もしかして…私たちとは違った体をしてるんじゃ…?」

「と、止めないと、まずいかな…?」

「ま、まずいかもしれないよね…」

私と妖精さんがそう考えを確認し合って、声をあげようとしたその時だった。

 「され、これで最後だ!」

という十六号さんの叫び声とともに、サキュバスさんの付けていた下の肌着がハラリと剥がれ落ちた。

次の瞬間、私は浴室の空気が凍り付くのを感じた。

感じただけで、何が起こったのかはわからなかった。

なにしろ私の目は、私を膝の上に載せてくれていた妖精さんによって塞がれていたからだった。

「あわわわわわっ!」

妖精さんがそんなうめき声をあげているのが聞こえた。

「お、お、お、おい、サキュバス…?」

「ななななななな…なんだぁ…?!」

十六号さんとお姉さんの戸惑った声も聞こえて来る。

「お二人とも…!幾ばくか、ハメを外されすぎではございませんか………!?」

そんな、まるで悪魔の王様のようなおどろおどろしいサキュバスさんの声が聞こえた次の瞬間には、浴室の中に風が吹き荒れてドシン、と固い何かがぶつかる音が浴室に響いた。

 「な、何事ですか!姫様!魔王様!」

バタバタと足音が聞こえて来てお風呂場に駈け込んできた師団長さんと、妖精さんの目隠しを外された私が見たものは、

風の魔法で壁にめり込んでノビてしまっているお姉さんと十六号さんに、ふくれっ面で、膝を抱える格好で湯船につかっているサキュバスさんの姿だった。


 

545: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:26:14.16 ID:7B1zFza8o





 「なぁ、悪かったって」

お姉さんがボリボリと頭を掻きながらサキュバスさんにそう謝っている。

「ごめんなさい、調子に乗りました。ごめんなさい」

と、床に這いつくばって十六号さんもサキュバスさんに頭を下げている。

「許しません!」

サキュバスさんは二人の謝罪攻撃にもこれっぽっちもひるまずに、プンプンと頬を膨らませてそっぽを向いた。

 あれから、私と妖精さんはサキュバスさんに、二人がどうしてあんなことをしたのか、ということを説明した。

一応は納得してくれて、体を隠しながらだったけれど私と妖精さんとのんびり浴室で時間を過ごしてくれたサキュバスさんだったけれど、お姉さんと十六号さんにはこんな感じだ。

そして、お風呂から出て来て、暖炉の部屋に呼びつけられても引き続きで、この状況だ。

「だいたい、お休みを頂けるにしても、素直にそのまま申してくれればよかったのではないですか?なぜ、嫌がる人の衣服を無理やりに脱がすなどということになるのです!」

まぁ、それはもっともな話だ。素直に言ったところで、サキュバスさんが素直に休んでくれるとは思わなかったにしても、だ。

「だ、だってあんた、休めって言っても休まないじゃないか」

「そういう問題ではございません!」

お姉さんの言葉に、鋭い口調でそう言い返したサキュバスさんの背後に、ピシャリと稲妻が走ってズズズン、と空気が揺れた。

雷雨のせいで、サキュバスさんの怒りが一層激しく思えてしまう。いや、本当にそれだけ怒ってる、か…

「私だったからよかったものの、ほかのサキュバス族やまして人間の大尉様であったらこれがどんな無礼であるか、わからないようなことはございますまい!?」

「はい…仰る通りです」

「ごめんなさい…ごめんなさい…」

いつの間にか敬語になってしまっているお姉さんがそう言い、もう手足も頭も投げ出して床に突っ伏している十六号さんはもう、うわ言のようにただただそう呟いている。

いつもしとやかなサキュバスさんが怒るところなんて想像すらできなかったけど、普段そういう穏やかな人がいったん怒ると、こんなにも恐ろしくなるだなんて、

話には聞いたことはあるし感覚としては何となくわかっていたつもりではあるけれど、想像を超えて、今のサキュバスさんはおっかない。

まるで、頭から生えている角がそのまま伸びだして、黒い翼を広げてお姉さん達に襲いかかってしまいそうな、それくらいの勢いだ。

「まったく…人間様のお申し出がうれしかったのは分かります。ですが、浮かれてこのような行為に走られるのは短慮も短慮!王たる者のすることではございません!」

「い、いや、あたしは別に王としてこの魔界に住まいたいじゃ…」

「そういう意味ではございません!責任者として大人として、責任を持ち礼節をわきまえくださいと、そう申しているのです!」

「十三姉、もう何言ってもダメだよ、これはひたすら謝って時が過ぎるのを待つしかないよ」

「何かおっしゃいましたか、十六号様!?」

「あっ、い、い、いえ、なんでもないです、ごめんなさい。本当にごめんなさい」

そんな様子を見かねたのか、妖精さんが震える声で

「あのぉ…」

と口を開いた。
 

546: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:26:50.31 ID:7B1zFza8o

 サキュバスさんの視線が妖精さんに向き、お姉さんと十六号さんは…妖精さんが援護すると思ったのか、少しだけホッとしたような顔付きになる。

二人とも、あんまり反省はしていないようだ…。

「サキュバス様、魔王様も、十六号ちゃんも、サキュバス様の一族のことを良く知らなかったからこんなことをしてしまったと思うです」

「そうだとしても、いきなり臣下の身ぐるみを剥いで良い理由にはなりません」

「あの、いえ、そうじゃなくって……それはいけないことだと思うです。でも…」

妖精さんは、そこまで言った一瞬、口ごもり、それでもグッと震えるのを堪えて続きを口にした。

「サキュバス様なしで、このお城は維持できないです。だから、怒って出て行ったりしないでほしいです…」

そんな言葉を聞いて、サキュバスさんはまるで何かに驚いたような表情を見せた。私も、正直、妖精さんの言葉になんだかハッとしてしまった。

サキュバスさんが怒ったとしても、まさかこのお城から出ていくなんて想像もしていなかったからだ。

でも、確かに妖精さんの心配はもっともだ。

あんなことをされたら、怒って出て行ってしまっても不思議じゃない。

少なくとも、例えば貴族様が家臣の身ぐるみを剥ぐようなことがあったとしたら、どんな理由があったとしたって、なにがしかの責めを受けることになると思う。

そのことに気が付いて、私も心配になってサキュバスさんを見やった。でも、そんな私たちを見て、サキュバスさんはやさしく笑った。

「そんなご心配には及びません。私が魔王様に誓ったのは、この身、この心、この命を捧げる契約です。何があっても、魔王様や皆様を見限って、ここから逃げ出ることなどありえません」

そんなサキュバスさんは、私と妖精さんの目をジッと見て、もう一度やさしく微笑んでくれた。

そう、そうだよね。

サキュバスさんは、本当なら、お姉さんに殺されたい、ってそう思っていた人なんだ。

それが、その考えを改めて、お姉さんと盟主と従者の契りを交わした。

その約束は、こんなことで心変わりしてしまうほどの安いことなんかじゃない。

もっともっと、大事にな近いのはずなんだ。

 私はそれを聞いて、ホッと胸をなでおろした。妖精さんも、

「それなら、良かったです」

と安堵のため息を吐く。しかし、それを確かめたサキュバスさんの目が再び鋭く輝いて、お姉さんと十六号さんに向けられた。

「ですが、いえ、だからこそ、私は魔王様にこのような無礼は許されることではない、ときつく申しあげているのです!」

「いや、でもその身とその心をあたしに捧げてくれてるんなら、あんなことも水に流してくれてもいいんじゃ…」

「揚げ足取りなどしてなんといたします!無礼は無礼なのです、分かっていらっしゃらないので!?」

再びバシャっと稲妻が部屋を染め、ゴゴゴゴゴンと雷鳴がとどろいた。

「ごめんなさい」

「ごめんなさい、もうしません、ごめんなさい」

お姉さんと十六号さんが再びそう言って謝り始める。

 そういえば、昼間隊長さんが言ってたっけ。

ケンカは信頼していないとできない、大切なのは収め方、だ、って。

これも、きっとそれのうちなのかな…

そう思ったら、こんなに怖いサキュバスさんも、ただ怒っているんじゃなくって、愛情とか、信頼の裏返しでこんなに怖くもなれるんだ、ととらえることもできる気がした。

確かに、お姉さんと十六号さんはやりすぎだったよね。

まぁ、その…私も妖精さんも、あんなことをするってことに賛成したなんて、口を裂かれたって言い出したくはないけれど…
 

547: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:27:32.67 ID:7B1zFza8o

 コンコン、と不意に、ドアをノックする音が聞こえてきた。

「どちら様でしょう?」

サキュバスさんがそう答えると、ギィっとドアが開いて、お茶のセットをトレイに乗せた師団長さんが姿を現した。

「なんです、師団長。今は取り込んでいます」

ギロリ、とにらみつけたサキュバスさんに、師団長さんはニコッと笑って

「ですが、姫様。そう大きな声をあげられていますと、喉に良くございません。お茶を飲みながらでも、お説教はできるのではありませんか?」

と、そのまま私たちのところまでやってきた。

「口を出さないでもらえますね?」

「ええ、お邪魔は致しません」

サキュバスさんの鋭い視線に、師団長さんはそう苦笑いで答えつつ、トレイをテーブルに置き、人数分のマグを並べてポットからお茶を淹れはじめた。

「魔王様と十六号様は、明日の朝食は抜きですからね」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!それはなしだろ、横暴だろ!」

「サ、サキュバスさん…あたしはただ、十三姉に言われたからやっただけなんです。十三姉は、あたしが逆らえないのをいいことに…」

「あ、おい!十六号、あんた何言ってんだよ!」

「だってそうだろ!?最初にやろうって言ったのは十三姉じゃないか!あたしはそんなことして良いのか、って言ったんだ!」

「あんた、自分だけ逃げようってのか!?」

「でも、あたしは最後まで反対したんだ!でも、十三姉ちゃんに妖精ちゃん達もそうした方が良いって、そう言うから…」

じゅ、十六号さん!なんてこと言うの!?

ギロリ、と鋭い何かが向けられた気がして、私は反射的に妖精さんと抱き合って身をこわばらせた。

見るまでもなく、サキュバスさんの鋭い視線が私たちに浴びせかけられている。

「お二人も、賛成だった…と?」

「いいいいや、その、えっと…だって、サキュバスさんに休んでほしくって…」

「そそうそうそうそうそう、そうですよ!休んで欲しいと言ったのは本当です!でも、あんなことをするとは思わなかったですけど、思わなかったですけど!」

「嘘つくな!あたしが最初に捕まえて脱がしちゃおうって言ったんだぞ!それでみんな、そうしようって言ったんじゃないか!」

「なるほど…では、やはり魔王様が最初に仰ったんですね…?」

「えっ!?あ、い、い、いや、その、えっと…それは…」

「そうなんですね…?」

そう言ったサキュバスさんが、ゆらりと立ち上がった。

さ、さすがにこれは止めた方が良いかな?そうだよね、止めるべきだよね?

じゃないと、お姉さんがまた、石壁にめり込むような勢いで吹き飛ばされてしまうかもしれない…!
 

548: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:28:10.44 ID:7B1zFza8o

 そう思って私がイスを立とうとしたとき、ハハハ、と控えめな笑い声が部屋に響いた。

「素敵ですね」

そう言ったのは、師団長さんだった。

「邪魔をしないと言ったではありませんか」

サキュバスさんが鋭い視線を向けて言う。しかし、師団長さんは顔色を変えずに

「邪魔ではありません。感想を述べているだけでございます」

と、私たちのところに、カップのお茶をトレイに乗せて運んできてくれた。

「家臣が主に、はばかることなく怒りをぶつけることができる。主もそれを認め、非難されるべきを甘んじて受け入れる。こんな主従関係は、素敵ではありませんか」

師団長はそう言いながら、トレイを私たちの真ん中に置いて、そのうちの一つを手に取った。

「湯あみで火照ったお体に心地良いよう、うんと冷やしてお持ちしました。どうぞ、お召し上がりください。もしかしたら、姫様の頭も冷えるやもしれません」

そんな言葉に、サキュバスさんがふん、と鼻を鳴らしてカップを一つ手に取った。

「皆様もどうぞ」

師団長がカップを掲げてそう私達にも声をかけてくれた。

 きっと、サキュバスさんの勢いを心配して、水を差してくれたに違いない。

私は、師団長さんの言葉にそんな気遣いがあるのかもしれないと思って、

「私、頂きます!」

と大げさに言ってカップを手に取った。

「わ、私も!」

妖精さんもすぐに私のあとに続く。そんな私たちを見て、サキュバスさんがはぁ、とため息を漏らして

「勢いがそがれてしまいましたね…」

と呟くように言い、チラリと師団長さんを見やってから

「彼女の気遣いに免じて、今日はこのくらいにしておきましょう」

とやおらその表情を緩めた。それから

「魔王様、十六号様。ご一緒にいただきましょう」

と、二人にいつものやさしい口調で声をかけた。

 お姉さんと十六号さんはハッと顔をあげて安堵の表情を浮かべ、私たちの座っていたテーブルの席に着いて、それぞれにカップを手に持った。

それを見るや、師団長さんが高らかに

「では、この魔王城の素晴らしい主と、その家臣団の皆様と、それに、魔族、いえ、世界の平和を願って」

と呼ばわった。

 本当にケンカは、落とし所、だね。私は、師団長さんの手際に内心、そんなことを思いながらカップを前に突き出した。

 お姉さんにサキュバスさん、十六号さんと妖精さんもカップを突き出して、テーブルの真ん中でカチンとぶつけ合う。
 

549: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:29:02.83 ID:7B1zFza8o

「本当にごめんな、サキュバス」

お姉さんがそう言って、カップのお茶を一気にあおった。

「ごめんなさい、もうしません、ごめんなさい」

と、十六号さんもグイッとカップを飲み干す。

「本当です。次は、風魔法程度では許しませんからね」

サキュバスさんがそう念を押して、カップを空にした。

そんな姿を見て、笑いあった私を妖精さんもグイっと一気にお茶を飲む。

 師団長さんの言う通り、キンキンに冷えたお茶は、まるで火照った体を冷やすようにギュンとお腹の中へと落ちていく。

冷たすぎて、舌がしびれるような感覚がするくらいだ。

 とたん、グラリ、と視界が揺れた。

また雷かな、と思って窓の方に目をやるけど、稲妻が走ったり、閃光が瞬いたりはしていない。

 あれ、なに…これ…?

か、体が…動かない……?

 そのことに気が付いて、私は周りのみんなにそのことを伝えようとなんとか顔をあげた。

その私の視界に、何かが映った。

 部屋の微かな明りにきらめく、私の腕の半分ほどの長さのそれを、師団長さんが胸元に音もなく引き寄せた。

暖炉の火に、再びそれがギラリと光る。

それは、細身のダガーだった。

「申し訳ございません、魔王様」

師団長さんが、低い声でそう言った。

そして、胸元に構えたそのダガーをお姉さんに向けて突き出した。

 そういえば、隊長さんはこうも言っていたっけ。

先代様を討ったようなお姉さんに大人しく黙って従っているような人の方が返って不気味だ、って。

師団長さん、そんな、まさか…!

「魔王様!」

部屋に、サキュバスさんの絶叫が響いた。

 次の瞬間、ダガーはお姉さんの左の胸に突き刺さり、その先端が背中から飛び出した。

ゴトリ、と、お姉さんの体が床に転がる。

「十三姉!」

十六号さんがそう叫んで、イスから飛びだし、師団長さんを蹴りつけた。

師団長さんは床を転がって行った先で体制を整えて着地する。

 「お姉さん!」

私もそう声をあげて、お姉さんに駆け寄ろうとするけれど、体が言うことを効かない。

イスから降りたは良いものの、足に力が入らずに、床にぐしゃりと崩れ落ちてしまう。

床に転がった私は、それでも、お姉さんを見つめた。
 

550: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:30:08.73 ID:7B1zFza8o

 お姉さんは、ゲホゲホと何度もむせ返りながら、身動き一つせずに床に転がったままだ。

何がなんだか、もう私にはわからなかった。

どうして?

どうしてお姉さんが?

どうして師団長さんがこんなことを…?

お姉さん、お姉さん大丈夫…?

しっかり…お姉さん、お姉さん、死んじゃイヤだよ…お姉さん…!

私は動かない体に必死に力を込めて、お姉さんのそばまで這っていく。

床は血まみれで、お姉さんはビクンビクンと体を震わせている。

 「さすがに、人間の魔法陣を扱えるだけのことはありますね…毒を以ってしてここまでの身体能力とは…」

師団長さんがお腹のあたりをさすりながら、そう言う。

「妖精ちゃん!動ける!?」

「うぅ、ダメです…体が、おかしいです…!」

「くっ…師団長…なぜ、なぜこのようなことを…!」

十六号さんは何とかって様子で経って、師団長さんから私たちをかばうように立ってくれているけど、妖精さんもサキュバスさんも動けない。

さっきのお茶に、毒が仕込まれていたんだ…

お姉さんはその上に、ダガーで胸なんか刺されて…

 「お姉さん…お姉さん、しっかり…!」

私は何とか体を動かして、お姉さんに縋り付くようにしてそばに寄り沿う。

苦しげな表情のお姉さんが、私の手をギュッと握ってきた。

でも、私には、その手を握り返すだけの力がない。

また…また、私は何もできない…お姉さんを助けることも、お姉さんの力になることも、サキュバスさんや妖精さんを守ることすらできない…

どうして…どうしてこんなことになっちゃうの…?

お姉さんは…お姉さんはただ、世界を争いのない世界にしたかっただけなのに…だた、それだけなのに…
  

551: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:31:09.16 ID:7B1zFza8o

 「あんたぁ…!どうしてこんなことを!」

十六号さんの怒号が室内に響く。

すると、師団長さんは悲しげな表情で笑って言った。

「我ら一族は…この大陸の調和を守るための存在。そして、その調和のために、二つの紋章を盛った古の勇者の再来は、危険極まりないのです」

「それが…それが一族の決定だというのですか?!」

サキュバスさんが、体を震えさせながらイスから立ち上がり、師団長さんをにらみつけてそう聞いた。

その質問に、師団長さんはうなずく。

「はい、姫様…残念ながら、そのお方は、我らの掟を破る者。排除し、魔王の紋章を返していただきます」

「あなたは…魔王様の言葉を信じていたわけではなのですか…?!私たちを、だましていたのですか!?」

「いえ…私は、魔王様を、これまでのどんな魔王よりも、魔族を愛し、その安寧を願われている方だと、そう思っていました…先代様が選ぶにふさわしい、立派な方でした」

サキュバスさんの質問に答えた師団長さんの目から、ハラリと涙がこぼれた。

昨日の晩に、師団長さんは言っていた。

お姉さんが魔族の王にふさわしい人だって、敬愛できる人だってそう言っていた。涙を流しながら言ったんだ。

あれは、嘘なんかじゃなかった。

師団長さんの本当の気持ちだった。

…でも、師団長さんはその言葉の最後に言った。

一族の習わしや、他の魔族の想いが同じとは言えないけど、って…

 もしかして、師団長さんは…最初からお姉さんを殺すためにこのお城にやってきて、私たちに信用されるように私たちの味方をしてくれて、あんなに気遣ってくれるようなことをしてきたの…?

 うそ…そんなの、うそだよ…!

「なんにしても、十三姉ちゃんを傷つけた罪は、その命で払ってもらうからな…!」

十六号さんが、そう呻いた。しかし、師団長さんは涙をぬぐって身構える。

「その体で、私とやり合えると思わぬことです」

でも、それを聞いた十六号さんが笑った。

「ハハ、そうでもないよ…人間の魔法ってのは、身体能力の強化だ…アタシらは、そのとびっきりのやつを十二兄ちゃんに仕込まれてる。要するに、だ」

十六号さんは、両腕を振って師団長さんの回りに幾重にも魔法陣を張り巡らせた。

それは、今まで私が見たことのない魔法陣だ。

「バ、バカな!?毒を食らっても、これほどの力を!?」

「いや、毒は結構聞いたよ…でもな、身体強化ってのは、何も筋力を強くするばっかりじゃない。その気になれば、体から毒を排する力を高めることだってできるんだ!」

十六号さんはそう叫ぶと、突き出した両腕の手をギュッと握りこんだ。

「潰れちゃえよ、あんたさ!」

とたんに、師団長さんの周囲にあった魔法陣が、一斉に師団長さんに降りかかった。

それは、まるで重い岩のようで、師団長さんは魔法陣一つ一つを体に受けるたびに、体を弾かれてまるで踊りでも踊っているかのように倒れることもなくその場でもんどりを打つ。

でも、次の瞬間、十六号さんが何かに弾き飛ばされて、壁に激突した。見ると、私たちのすぐそばに師団長さんがいて、魔法陣に打たれていた方には誰の姿もなくなっている。

もしかして今のは、光魔法…!?

「このぉ!」

十六号さんが壁を蹴って師団長さんに飛び掛かる。でも、師団長さんは両腕を前に振って室内に風を巻き起こした。それにあおられて十六号さんは別の方の壁へとたたきつけられる。

「くそっ…くそぉぉ!」

十六号さんがそう叫んだ。でも、壁にへばりついたようになった十六号さんは身動き一つしない。

風の魔法で、壁に押し付けられているようだ。
 

552: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:35:44.05 ID:7B1zFza8o

「なかなか強力ですが…やはり、まだお若い。戦い方を知らないようですね」

肩で息をしながらも師団長さんはそう言って、それから私とお姉さんのところまで歩いて来て、上から私たちを見下ろした。

その眼は、悲しげな決意に満ちていた。

「やめて…師団長さん、お願い…お姉さんを、殺さないで…!」

私は、必死に体を動かして、お姉さんをかばうように覆いかぶさる。

でも、師団長さんはそんな私を蹴り除けて、それから片腕をユラリと振り上げた。

「魔王様!」

「十三姉!くそっ…やめろ…やめろぉぉぉ!!!」

「お姉さん…やめて!!!」

 そんな私たちの絶叫が終わらないうちに、部屋にひときわ大きな雷鳴が鳴り響く。

一瞬、目の前が真っ白になって、目を閉じてしまっていた。

 カツン、と足音が聞こえた。

「まったく、騒がしいと思えば、どうしてこうも厄介なことになってるんだろうな」

次いで響いてきたのは、抑揚のない単調な男の人の声。

見上げればそこには、大きな背中。見覚えのある黒いマントに、色の薄い短い髪。

「ま、ま、魔導士、さん…?」

私は、思わずその名を呼んでいた。

それに気が付いてくれたのか、魔導士さんは私を振り返ってニコリ、と初めて笑顔を見せてくれる。

「十二兄!」

十六号さんが、私たちのところに駆け寄ってくる。

「よくやった、十六号。まずまずの時間稼ぎだ」

そんな十六号さんに、魔導士さんが言う。

「手間かけさせる前にやっちゃおうと思ったのに…ごめん」

「奴はかなりの使い手だ。お前らなんかには手におえない。気にするな」

肩を落とした十六号さんの頭を、魔導士さんはそう言ってやさしく撫でた。

「手当できるか?」

「回復魔法はできない…でも、単純に活性させるだけなら、なんとかなる!」

「それでいい。そいつなら、それだけでも時期に自分で回復できるだけの力を取り戻せる。やれ」

魔導士さんと話をした十六号さんは、その言葉にうなずいて私とお姉さんのそばにやってくると、ひざまずいてお姉さんに両腕を掲げた。

十六号さんの手の平の前に魔法陣が浮かび上がって、柔らかな光がお姉さんを包み込んでいく。

回復魔法とは違うようだけど、それでもお姉さんの傷をいやすための魔法のようだ。

良かった、お姉さん…!頑張って…!
  

553: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:36:19.80 ID:7B1zFza8o

 「なぜ…なぜ、ここが!?」

不意に、いつの間にか、部屋の反対まで追いやられ、体中から微かな煙をあげている師団長さんがそう呻き声をあげる。

「十六号とやりあったのが運の尽きだ。この一帯は、俺の感知魔法を敷いてある。お前ら魔族の魔法を発動できるかはいまいち確証はなかったが、打ち合わせどおりに、十六号が真っ先に攻撃魔法を使ったんでな。とんてきてやったのさ」

魔導士さんは師団長さんにそう言い放って、両腕に魔法陣を浮かべて見せた。

そして、怒りのこもった声で師団長さんに言った。

「で、今死ぬか?それとも、洗いざらい吐いて死ぬか?選ばせてやろう…」

でも、そんな師団長さんは、やがて何かを覚悟した笑みを浮かべて、膝から崩れ落ちるようにその場に項垂れた。

「あきらめた、か…」

そう言って、魔導士さんが腕から魔法陣を打ち消す。

その時だった。

 部屋の向こうで項垂れていた師団長さんの回りに、光る魔法陣が姿を現した。

あれ…あの魔法陣は…!

「まさか…!?転移魔法だと…!?逃げる気か!」

そう魔導士さんが呻いた次の瞬間、部屋にパパパっと閃光が瞬く。

 そして、その閃光の跡の光景を見て私は息をのんだ。

なぜならそこには、師団長さんが逃げただなんてのとは全然違う、

魔導協会のローブを羽織った人たちと、そして、その中に、私と背丈の変わらないくらいの、小さな子どもたちが何人もいる光景があったからだった。



 

554: ◆EhtsT9zeko 2015/06/08(月) 00:37:19.92 ID:7B1zFza8o

つづく