3 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 22:50:41.73 ID:1odOo0Uo



 小春日和に包まれた、十一月初旬の学園都市―――。

 第七学区・私立常盤台中学学生寮の一室で、白井黒子(しらい くろこ)は

 天気に反した陰鬱な気分で寝床に伏せていた。



 ロシアから学園都市へと宣戦布告された戦禍のさなか、御坂美琴(みさか みこと)が

 誰にも行き先を告げず、学舎の園から姿を消して十日が経っていた。

 世界を揺るがした戦争の口火はあえなく終息したが、美琴の戦いは続いているのだろうか。

 己の寝床を横目に、敬愛するルームメイトである美琴の残り香をたしなむ悪癖に浸りながらも、

 その心は長らく不安と焦燥に苛まれている。



黒子(お姉様……一体何処に行ってしまわれたのでしょう)



美琴『黒子お願い、何も言わずに送り出して。私行かなければならないの』

黒子『ど、どういう事ですのお姉様、こんな夜更けに何処に行かれますの!? ……お姉様っ!』



黒子(お姉様は常々、ご自身が常盤台のエースであるという自覚が薄いご様子ですが……

   今回ばかりは只事ではありませんの)



 寮監や教師達に黒子の言い訳が通じたのも最初だけで、美琴の失踪はたちまち明るみとなった。

 それを受け、昨日まで行われていた非公開捜索は成果を出せておらず、

 明日には全都市への公開捜査へと踏み切る手筈が整っている。

 慕い焦がれる後輩として、また風紀委員《ジャッジメント》の一員として、

 そのような事態に陥った事が黒子には心苦しい。



黒子(お姉様はなんでも一人で抱え込んで、突貫してしまわれますのね……)



 御坂美琴は超能力者としての絶大な力を、己の信じる信念のために振るう。

 そんな一面を慕う黒子だからこそ、誰より安否が心配だった。

 美琴が窺い知れない大きな悩みを抱え、塞ぎ込んでいたように見えた夏休みの頃、

 黒子はただ気を揉むばかりで一つも彼女の力になれず、とある少年との邂逅によって

 彼女はようやく笑顔を取り戻した。

 黒子にとっては口惜しい記憶の一つである。



黒子(以前にもこのような事がありましたわね……お姉さまの事ですもの、

   どうせまた、あの殿方が関わっている事なのでしょう)



 黒子はその少年、上条当麻(かみじょう とうま)の存在をあまり好ましく思っていない。

 しかし美琴にとってはかけがえのない人物であり、いまや彼女の心の中に息づく

 大きな存在となっている事を否む所存もない。

 彼もまた己の信念を突き貫く者であり、黒子自身も彼に救われた経験があった。







4 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 22:52:26.14 ID:1odOo0Uo



黒子(あの殿方ときたら『お姉様とその周りの世界を守る』などとうそぶいて……

   万一お姉様の身に何かあれば承知しませんことよ!)



 悩み疲れてまどろむ意識の隅で、部屋の扉が静かに開く気配を感じた。



黒子「誰ですの!?」



 入室の合図もなしに寮監や級友が訪れるならば失敬だが、同室の寮生であれば話は違う。

 ベッドから跳ね起きると、そこにあったのは他ならぬ御坂美琴の姿だった。

 冴えない顔色をしていたが、衣類は乱れておらず、細くしなやかな四肢にも怪我は見られない。

 黒子の形相が仰天からたちまち安堵に変わり、次の瞬間には全力で美琴に抱き寄っていた。



黒子「お姉様! 無事でしたのね!? 何処に行かれていましたの!?」

美琴「うん……ごめんね黒子、ちょっと色々あって……」

黒子「おねえざまぁぁ……! くろこは、くろこはずっと心配してましたのよぉぉ……!」

美琴「うん……ごめん……ごめんね……」



 声色に活力は感じられないが、黒子が感じる温もりは本物だった。

 感極まった黒子は美琴の胸元に顔をうずめ、涙腺から溢れんばかりの涙を流す。

 美琴は黒子のなすがまま抱擁に応えながら、呆けた謝罪の言葉を繰り返していた。

 しばらく時が止まったように二人は動かなかったが、黒子の憚らない泣き声のためか

 二〇八号室の喧騒はやがて寮中の知るところとなる。

 扉が軋む音に二人が振り返ると、部屋の入り口に目尻を釣り上げている妙齢の女性がいた。



寮監「やかましいぞ白井!

   ……御坂! ……戻っていたのか」

美琴「はい……ご迷惑をお掛けしました」







5 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 22:53:18.77 ID:1odOo0Uo



寮監「ご迷惑どころで済むと思うのか貴様。十日間に及ぶ寮の無断外泊、学校の無断欠席。

   常盤台の学女としてあるまじき、おびただしき不良行為だ。申し開きはきかんぞ」

美琴「……言い訳は何もありません。懲罰は甘んじて受けます」



 名門常盤台が誇る希少な"レベル5"の生徒といえど、寮と学舎の規則に一切の例外はない。

 幾度か門限破りを繰り返していた彼女も、今回ばかりは起こした問題が大きいだけに

 静かに怒る寮監の叱責に対しても素直にうなだれていた。



寮監「まずは私と一緒に来い。積もる話の前に、各所に頭を下げてもらわねばな。

   さしあたって、捜索願いの取り下げと理事長への謝罪は今日中に必要だ」

美琴「……はい……」



 生気のない返事。寮監にとっては反省の態度にも思えたが、反して黒子は思い煩う。

 萎縮した態度の陰に、大事を成した喜びを秘めているようには感じられない。

 夏休みの時のような、心に光を取り戻したかのような笑顔は少しも見せていない。



黒子「……お姉様……」



 寮監室に引き摺られていく美琴の後ろ姿に、黒子は悲哀の感情を感じ取っていた。







6 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 22:54:19.91 ID:1odOo0Uo



 寮監に引き回されていた美琴がようやく自室に戻ると、窓から朝日の淡い光が射し込んでいた。

 黒子の寝姿を見ていると、極寒の地から日本に帰ってきたのだとようやく実感する。

 疲労は心身とも極限に達していたが、寝床に伏せてしまいたい衝動を堪え、

 目を腫らして眠っている黒子の寝顔を覗き込む。



美琴「……ごめんね黒子……ひょっとして、私のいない間にたくさん泣かせちゃったのかな……。

    もう二度と勝手にいなくなったりしないから許してね……もう二度と……」



 深く悲しませた少女を哀れに思いながら、今度こそ美琴は深い眠りに落ちていった。







8 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 22:56:59.85 ID:1odOo0Uo



 

 制服のまま泥のように眠る美琴の姿。

 黒子が目覚めて最初に見た光景は、望んだ未来の形が夢ではなく現実として叶ったのだと

 寝起きの頭に強く知らしめた。



黒子「良かった……ようやく平和な日常が戻ってきましたわ」



 美琴の態度に陰を感じたのも事実だが、無事帰ってきた事が黒子にとっては何より喜ばしい。

 目覚まし時計は登校の準備に掛からねばならない時間を差していたが、昨夜の様子からして

 美琴をここで起こすのは忍びないと思い、足音を立てないよう静かに浴室に向かう。

 手早くシャワーを済ませて制服に着替えると、未だに使いこなせていない携帯電話を手に取り

 今日一日のスケジュールを確認した。



黒子「本来なら今日はお姉様の公開捜査に向けて出動予定でしたが、撤回されるでしょう。

    できれば放課後の予定を空けたいものですわ」



 ふと、親友の初春飾利(ういはる かざり)と佐天涙子(さてん るいこ)にも伝えねばと思い立つ。

 この数日間、飾利は風紀委員の一員として都市中の監視カメラを必死に追っていたし、

 涙子もプライベート時間の許す限り、血眼になって都市中を探し回ってくれていた。

 様々な出来事を経て、いまや美琴を親友として想うからこそ身を削って取った行動である。

 だからこそこの二人にも真っ先に吉報を知らせ、誰よりも喜んでもらわねばと

 黒子は逸る気持ちを抑えて簡潔にメールを打った。



黒子『初春、佐天さん、お姉様が無事戻られましたわ!』



 だから、四人で集まってまた楽しく語り合えばいい。

 失踪の真相を聞き出すことはできなくとも、心の不安を和らげる事はできるはず。

 黒子はそう信じて、美琴が寝静まる部屋を後にした。







9 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 22:59:07.38 ID:1odOo0Uo



 昼過ぎにのっそり目覚め、朝食も昼食も食べそこねた美琴は、

 空腹を嘆く腹をさすりながら、まだ自分の身体が生きようとしている事を実感する。

 学校が彼女に課した懲罰は"反省文提出" "半年間の自由外出禁止" "50時間の奉仕活動" という

 前代未聞の重刑だった。停学や放校処分といった声が出なかった事だけが幸いである。

 理事長には「常盤台の模範生たる自覚が足りない」と厳しく叱責されたが、それは同時に

 レベル5という立場に置かれた彼女に対する責任と期待の表れでもあった。



美琴(手を尽くしてレベル5に育てた私を、簡単に手放すはずないってことか)



 半年前の美琴は、自らの努力によってレベル5に上り詰めたという自負に溢れていた。

 しかし、その思い上がりを右手一つで挫く少年に出会った。

 超電磁砲《レールガン》を容易く跳ね返す能力者にも遭遇した。

 量産型能力者《レディオノイズ》計画、そして絶対能力進化《レベル6シフト》計画を知り、

 学園都市の裏側の住人達の欲深さを痛いほど思い知らされた。

 この都市の影に蠢く存在は、自分が及びもつかない大きな力によって支配されている。

 天から見下ろす樹形図の設計者《ツリーダイアグラム》など、その一端に過ぎなかったのだ。







10 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 22:59:59.86 ID:1odOo0Uo



美琴(私には何もできなかった。こんな力があっても、アイツ一人すら救えなかった……)



 美琴が持つ異能の力は、軍隊も戦車も核弾頭すらも意のままに駆逐した。

 なのにあの少年はその力による助けの手を自ら絶ち、大きな使命感に引き付けられるように

 落下するベツレヘムの星と運命を共にした。

 星の墜落地点で生存者はついぞ見つからず、美琴は失意のうちに帰国していた。



美琴(最後の最後まで……アイツに何もしてあげられなかった。

    ……一度くらい、ちゃんと名前で呼んであげたかったなぁ……)



 断たれた絆。詮無き後悔。果てしない無力感。ちぎれたストラップ。砕けた恋心。

 美琴が持ち帰った代物はどれ一つ輝きを持たない屑星ばかりだった。



美琴(さよならしなきゃ……全部忘れなきゃ……でも……)



 It's no use crying over spilt milk.

 過ぎた過去はもう、戻らない。







11 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 23:03:42.32 ID:1odOo0Uo



 結局、黒子の放課後の予定は風紀委員《ジャッジメント》の任務に全て費やされた。

 捜索願い一つが解除されたところで、騒動は次から次へと沸いてくる。

 学生同士の諍い事から、子供の遺失物探し、文化祭の会場巡察に至るまで

 盾の腕章を身に着けた者としては小さな任務一つたりとて疎かにはできない。

 風紀委員の本分を貫く事に対して、達成感こそあれど不満などあるはずもない。

 そう頭では判っていても、今は友人達とゆっくり語らう時間が欲しかった。



黒子「お姉様、ただいま戻りましたの……」



 疲れ果てた身体を引っ提げて、それでも黒子は帰宅の挨拶ができる喜びを感じていた。

 実際、美琴は部屋の中に居て「おかえり」と返してくれたし、微笑みもしてくれる。

 しかし彼女が手元で行っている作業を見て、黒子は驚愕した。



黒子「お、お姉様、何をなされてますの!?」

美琴「何って……見りゃ分かるじゃない、ゴミを片付けてるのよ。

   寮監も理事長も『もっと模範生らしくしろ』って耳にタコができるくらいうるさくてさ~。

   おかげで大量のペナルティを貰い受けちゃったのよね」



 口調は呑気で、作業も軽やかな手つきだ。

 しかし透明なゴミ袋に詰められているのは、美琴が大切にしていた小物や衣類ばかり。

 よく見ればゲコ太グッズも山ほど詰められている。日用品、文房具、ぬいぐるみ、衣服、

 果ては下着まで、カエルに関わる物は十把一絡げに押し込まれていた。



黒子「こ、これ……ひょっとして全部お捨てになるのですか!?

   これはお姉様が目を潤ませながら集めた宝物ばかりですのに!」

美琴「なによぅ黒子ったら、普段はお子様趣味とか言って散々バカにしてたくせに。変なの」

黒子「それはそうですが、それにしても……」







13 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 23:19:09.30 ID:1odOo0Uo



 うろたえる黒子を尻目に、美琴はほいほいと気軽に投げ捨てていく。

 燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ゴミと丁寧に三分割された廃棄物が袋を満たしていくと

 身持ちの代物の大半を捨てたのではないかという量にかさんでいた。

 ベッドの下に押し込まれていた"きるぐまー"に至っては、一体丸ごと袋に押し込められている。

 ファンキーな大型ぬいぐるみの哀れな末路に、黒子は一片の同情すら湧いた。







12 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 23:06:49.05 ID:1odOo0Uo



美琴「捨てるったら捨てるの。キツく叱られちゃったし、いい加減お嬢様らしくしなきゃ」

黒子「しょ、少々勿体ない気もいたしますの……」

美琴「はーっ、なんだかスッキリしたわ。たまには身辺整理ってのいいものね」

黒子「……お姉様がそうされるというなら仕方ありませんが……」

美琴「そうそう、常盤台の模範生たるものにこんなガラクタ不要なのよ」

黒子(お姉様……一体どうされましたの!?)



 こんなガラクタ。美琴は容赦なく吐き捨てた。

 確かに黒子は常々、美琴の少女嗜好を都度たしなめてはいたが、しかしいきなり

 捨て鉢になったように全て投げ捨てるのは如何なものかと訝しむ。

 黒子の疑念はさて置き、美琴はせっせと袋を室外に持ち出していった。



 その翌日、御坂美琴は約二週間ぶりに復学した。

 放課後は寮までの直帰を命じられているため、捨てた衣類の買い替えすらままならないが

 それは追々の問題に過ぎず、学外の友人達に会いづらくなった事の方が手痛い。

 初春飾利と佐天涙子にはメールで目一杯詫びたが、また四人で語り合えるようになるのは

 先の事になるだろう。いずれ暇をみて寮に会いにきて貰いたいとも伝えた。



 美琴はここまでの間、失踪中の足取りについては誰にも口外していない。

 勿論寮監にも学校にも強く詰問されたが、そこだけは頑として通していた。

 過重な懲罰の一因でもあるが、名門お嬢様学校の体面からすれば幾分寛大であろう。







14 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 23:22:42.16 ID:1odOo0Uo



 世界最大級の超巨大文化祭、一端覧祭(いちはならんさい)はつつがなく終了した。

 復学日以降、美琴は取り憑かれたかのように設営作業を手伝い、

 その様子はさながら現場監督の風体だったと後に級友達は語った。

 入学希望者の学校見学やオープンキャンパスを兼ねるイベントとあって、

 美琴のような高い能力者が精力的にアピールする事は、ひいては母校のためになる。

 模範的な美琴の活動姿勢が、他の多くの生徒達の喚起を促したというのだから

 一種のリーダーシップを発揮したと言ってもいいだろう。

 美琴の素行に頭を痛めていた学校関係者にとっては、溜飲の下がる思いであった。



 一方、黒子は風紀委員の活動に追われ、イベントを参加者として楽しむ余裕はなかったが

 祭事に際して開放された校内で、飾利と涙子を美琴に引き合わせ、再会に持ち込めた事は幸いだった。

 二人は泣いて喜び、少々の怒りを現し、やがて何事もなかったかのように美琴と楽しく語り合った。

 黒子も日常が順調に回りだした事に喜びを覚え、全てが元の鞘に戻ったのだと安堵する。



 とある少年の存在をすっかり失念していたが、それを思い出すにはもう幾分の月日が必要だった。







15 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 23:24:48.34 ID:1odOo0Uo



 秋が暮れて、学園都市に冬が訪れる―――。



 近頃の御坂美琴の休日はもっぱら勉学、そしてボランティア活動に費やされていた。

 実質二年生の間は自由外出を禁じられたのだから行動範囲も限られているのだが、

 チャイルドエラーの保護施設『あすなろ園』で働く美琴の姿に悲壮な様子は見られない。

 むしろ子供達に囲まれて笑顔を振りまく美琴には、園児達も強く懐いていた。

 50時間の罰則期限などとうに過ぎていたが、その後も自らの意思で園に足を運んでおり、

 園に縁のある寮監も自由外出の例外として容認している。

 自らの恋はすっかり遠のいたが、美琴の奉仕精神に異論は挟めない。

 大きな事件を経て人が成長するのはよくある事だ。あとは心を入れ替えた生徒を信じればいい。

 そう信じて美琴を見守る寮監の瞳は、母親のように優しかった。







16 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/27(水) 23:27:11.58 ID:1odOo0Uo



 学生達の集う学園都市では、"都市伝説"という名の、取るに足らない噂話が多く語られる。



 時折、ゴーグルを身に着けた、御坂美琴に瓜二つの少女を街中で見たという噂が湧く。

 しかし美琴が「そんなの噂に過ぎないわ。私ならいつも部屋かあすなろ園に居るもの」と

 道理を説けば、生徒達は大抵納得する。それほどに美琴の日常は規則的だった。



 数多の噂話の中には、有象無象の与太話も含まれている。

 学園都市の能力者第一位である人物が学園の暗部を掌握しつつあるとか、

 第二位の人物と同じ能力を持つことができる装備が複数配備されているとか、

 第四位の人物の率いるチームが、その装備を身に着けた兵士の大群と戦っていたとか。



 しかし第三位である美琴の興味を惹く話は一つとしてなかった。

 そんなホラ話に『常盤台の模範生』に付与する価値は少しも見出せないのだから。



 『どんな能力も効かない能力を持つ男』の噂は、いまや風化して誰の記憶にも残っていなかった。







22 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 19:25:23.00 ID:9XzrA9ko



 やがて学園都市に桜の季節が訪れ、美琴は三学年へと進級した。

 常盤台が誇るもう一人のレベル5、心理掌握《メンタルアウト》と呼ばれる能力を持つ少女は

 卒業式で卒業生総代の役目を見事に果たし、在校生代表の美琴に派閥の引き継ぎを行った。

 美琴個人とはウマの合わない人物だったが、個性の強い生徒達を一つの大派閥に纏め上げ、

 多大な功績と多くの人望を得た手腕は美琴も認めていた。



 しかし、その人物から"派閥"という面倒な観念を引継ぐことに、当初は強い難色を示した。

 レベル4の在校生からは未だに進級した者もおらず、今や美琴が学内唯一の超能力者である。

 それ故に周囲の要望に強く推され、渋々派閥をまとめる立場に納まったのだ。

 美琴はせめて前人の轍は踏まないよう、派閥争いや仲間外れを極力生み出さないように配慮し、

 誰からも好かれるリーダーとなることを余儀なくされた。







23 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 19:34:24.53 ID:9XzrA9ko



 また、ルームメイトである白井黒子も無事二年に進級し、相部屋生活は引き続いている。

 しかし同室に住まう仲でありながら、就寝時間以外の日常を共にする機会は減っていた。

 黒子は敬愛のあまり美琴に飛びつきふしだらな考えを起こす悪癖を持ち合わせていたが、

 美琴が飛びついてくる黒子を力づくで叩き伏せる言動も過去の事、今では抱き寄る彼女を撫で返し

 「いつも慕ってくれてありがとう」などと慈愛溢れる言葉を返すようになっている。

 要はあしらい方が上手になったため、黒子の悪戯心が萎えたのだ。

 これでは相対的に、黒子も大人しく振舞わざるを得なくなる。



黒子(お姉様も徐々に、淑女としてのたしなみを身に付けつつあるという事ですわね)



 人となりの変化は、黒子なりの前向きな解釈で昇華されていた。



 四月に入り、外出禁止令がようやく解除されても自らの意思で外出する様子はなく、

 美琴は学校と寮、そしてあすなろ園だけを往復する単調な日々が続いた。







25 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 19:42:42.02 ID:9XzrA9ko



 四月某日―――。

 新学期が始まるその日、美琴はいつものように七時起床し、手早く朝の身支度を整えた。

 同じく支度を整えた黒子を引き連れ、二人は七時半ちょうどに学食堂へと赴く。

 既に卒業生は寮を引き払い、入れ替わるように新入生が次々入寮していたが

 その学生達も今日から全員この食堂に通う事になる。

 今や校外にも大きく名を響かせている御坂美琴の入室を待ちわびていた少女達は

 彼女の姿を見つけるや一斉に席を立ち、美琴に向かって一礼した。



生徒「おはようございます、御坂様!」

美琴「おはよう皆さん。これから常盤台の一員として共に頑張っていきましょう。宜しくね」

生徒「はい!」



 初々しい新入生達の挨拶は元気で、陰湿さは微塵も感じられない。

 心理掌握が台頭していた一時期、派閥争いのため校内外で醜い様相をさらした事もあったが

 人の入れ替わりを契機に、風紀も上向いているのだろうか。

 お嬢様学校として相応しい朝のひと時を、黒子は感慨深く感じていた。







26 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 19:49:22.51 ID:9XzrA9ko



 その日の午後。

 第七学区の一角にあるファミリーレストランに懐かしい顔ぶれが揃った。

 美琴と黒子、そして柵川中学の二年生に進級した初春飾利と佐天涙子である。

 あの恐ろしい寮監のいる常盤台の寮内でかしましく会話することは憚られたため、

 ガールズトークを洒落込むにはこのような公共の場が最適であった。



涙子「なんだか久しぶりですね、こうして四人集まるのって」

黒子「お姉様の外出禁止令もようやく解けて、万々歳ですわ」

美琴「ごめんなさい、私の事で色々心配掛けちゃって……」

飾利「も、もうその事はいいんですよ。それより注文注文っと」

涙子「初春、パフェは一つだけにしときなさいよね。太い腿が更に太くなるよ」

飾利「私そんなに太ってません!」

黒子「それはどうだか。最近、全体的に横に伸びた気がしますわよ」

飾利「ガーン! た、体重はそんなに変わってないのに……」

黒子「冗談ですわ。しかし気のせいか、春になって花の盛りがますます豊かに……」

飾利「え、何のことですか?」

涙子「あんたねぇ……。さて、あたしはお腹が空いてるからガッツリ定食にしちゃおっかな」

黒子「ではわたくしは季節限定メニューのペンネなどを……」

美琴「ふふっ」



 美琴が気前よく「奢るから」と発した一言に乗じ、歓喜して注文を重ねていく後輩達。

 目を細めて見つめてくる美琴の笑顔に、飾利も涙子も安堵を感じる。

 涙子がからかい、飾利がたしなめ、黒子が横槍を入れ、美琴が笑う、懐かしい取り合わせ。

 今日は完全下校時刻まで誰一人予定は入っていない。

 やがて運ばれてきた料理が冷めていくのも厭わず、四人の楽しい会話はひたすら続いた。

 







27 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 19:57:39.09 ID:9XzrA9ko



 賑やかな空間に、無遠慮な電子音が割り入る。

 美琴の懐で携帯電話が鳴っていた。



美琴「ちょっとごめん、あすなろ園からの連絡みたい。席外すね」



 携帯電話を握り締めて席を立つ美琴を見つめる飾利が、ある事に気がついた。



涙子「罰則はとっくにクリアしたって話だったのに、頑張ってるんだなぁ」

飾利「……御坂さん、携帯電話換えたんですね」

黒子「今頃気付いたんですの初春? 年末にはもう機種変更されてましたわよ」



 同室に住む黒子は古すぎる情報だと失笑したが、飾利の表情は怪訝のそれだ。



飾利「なんだか普通の機種になってましたね」

涙子「そうなんだ……あのカエル携帯ゲコゲコ鳴るから可愛かったのにね」

黒子「お姉様もようやくお子様趣味から脱されたのですわ」

涙子「ふぅん……なんかちょっと御坂さんらしくないかも」

黒子「あんな小児用携帯を持ち歩いてた事の方がおかしかったんですのよ!」

飾利「でも御坂さんらしくて可愛いアイテムだったのに~」



 らしくないねと同調し、涙子と飾利は顔を見合わせて首を捻る。

 黒子の大人ぶった意見は、この場においては少しも賛同を得られない。







28 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 20:05:36.60 ID:9XzrA9ko



飾利「新しい機種に目移りしたのかなぁ。誰かさんと違って使いこなせてたらいいんですけど」

黒子「あてつけがましいですわね、初春っ」

涙子「白井さん、使い辛いんだったらいいかげん別の機種に買い換えたら?」

黒子「佐天さんまでなんですの!

   わたくしはこれより近未来的な携帯が出たら、今すぐにでも買い換えたいですわっ」

飾利「それもどうかと……」



 涙子は唐突に、美琴が座席の横に置いていた革鞄を指差す。

 しばらく会わないうちに起こっている変化には目ざといようだ。



黒子「佐天さん、お姉様の鞄がどうかしましたの?」

涙子「前に付けてた、カエルの女の子のストラップが無くなってるなぁって思って」

黒子「それもとっくにあの携帯と一緒にお捨てになったようですわ」

涙子「えっ!? 捨てちゃったの!?」

飾利「御坂さん、あんなにゲコ太のグッズに目がなかったのに……」

黒子「いいではありませんの。淑女たるもの幼児向けの販促品に執着してどうしますか」

涙子「それにしても変だよね。なんか心境の変化とかあったのかなぁ」

黒子「心境の変化?」







29 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 20:11:12.60 ID:9XzrA9ko



涙子「たとえばほら……子供趣味を隠したくなるような、オトナの男子が身近に現れたとか」

黒子「近頃のお姉様にそんな様子はいーっさいございませんのよ、フフーンですの」

飾利「なんでそこで白井さんが勝ち誇るんですか」

涙子「だってほら、去年の秋頃にさぁ、いたじゃん」

飾利「大覇星祭(だいはせいさい)の時に、御坂さんと一緒に踊ってた男の人ですよね」

涙子「そうそう、名前なんて言ったっけ、御坂さんが片想いしてた人いるじゃない」

黒子「ですから、あの類人猿はそんなのではないとわたくし何度も……、……ッ!!?」



 ガタン!と黒子は飛んでいかんばかりの勢いで席を立ち、彼女の太股にぶつけられた勢いで

 卓上のお冷と食器が一斉に跳ねた。飾利と涙子は慌ててその品々を押さえつける。



飾利「ふぇぇっ! ちょっ、ちょっと白井さん、いきなり立たないでください!」

涙子「ビ、ビックリしたぁ! どうしたのよいきなり!?」

黒子「……わたくしすっかり忘れてましたわ。どうして今まで気に掛けなかったのでしょう」



 突然血相を変えた黒子の態度に、二人は唖然としている。

 しかも間の悪いことに、電話を終えたらしき美琴が席に戻ってきた。



美琴「何してるの黒子? 店内で騒がないでね」

黒子「も、申し訳ありませんの。ちょっと気が動転しまして……」

美琴「ふふっ、変なの。お待たせしてごめんなさいね」

飾利「い、いえ……」



 美琴が席に着くと再び歓談が始まったが、直前の話題には誰も触れなかった。







30 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 20:18:16.90 ID:9XzrA9ko



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 その日の夜。

 黒子は帰寮してから向こう、あの少年の存在をもっと早く思い出すべきだった事を悔いていた。

 思い返せば、喜怒入り混じった表情で、美琴が彼を追い回していたのはいつの頃だったろうか。

 二言目には「あの馬鹿」と罵りつつも、実に楽しそうに彼の話題を話していたのは……

 美琴が最も心許していたあの少年の存在を、長い間思い出さなくなっていた事に

 今日の涙子の一言でふと気付かされたのである。



 あの失踪事件の後、美琴は一言たりとて、あの少年の話題を口にした事はなかった。

 もとより美琴は今でも失踪中の経緯を誰にも語っていない。

 黒子が何度尋ねてもはぐらかされ、いつしか触れてはならない禁忌事項となっていた。



黒子(だからこそ……真相はずっと気になっておりましたのよ)



 浴室に入っていく美琴の背中を見送ると、黒子は浴室の音に聞き耳を立てながら

 入浴中の美琴に無断で彼女のクローゼットを開いた。

 中には一週間分ほどの下着と少々の私服、それにタオルやハンカチなどの小物類だけだった。

 私物の殆どをゴミとして投げ捨ててから数ヶ月間、一向に美琴の私物は増えていない。

 寮則で禁じられているとはいえ、鏡台には化粧品や装飾品の類すら一つも置いておらず、

 あまりの色気なさと生活感のなさに、黒子はいらぬ不安を感じてしまう。



黒子(そういえば、あの女……)



 黒子は苦みばしった表情で、先月の卒業式の出来事を思い返した。







31 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 20:25:49.39 ID:9XzrA9ko



 時は三月一日に遡る―――。



 常盤台中学の卒業式は例年、各分野に巣立っていく優秀な女生徒達を祝うために

 都市内外から多数の文化人が参列する、厳かでかつ華やかな式典である。

 そして今年の式典は、心理掌握《メンタルアウト》の独壇場だったと言っても過言ではない。

 彼女の卒業生代表としての答辞は英才に富み、佇まいは気品に溢れ、

 多数の参列者や在校生の感動を誘っていたが、

 美琴同様、彼女をウマが合わない存在と感じていた黒子にとっては退屈な行事だった。



 式を終え、卒業生の退場を校門で見送るために集められた在校生達の中に黒子の姿もあった。

 特段親しくしていた三年生もいないので、列の後部で適当に送迎を済ませるつもりでいたが

 しかし心理掌握と呼ばれる少女は、むせび泣く在校生達を差し置いて、突然黒子の前に歩み寄ってきた。

 そして黒子の耳元に口を寄せ、たった一言だけ言い残し、学び舎を去っていったのである。

 おかげで周囲からいらぬ羨望と嫉妬の視線を寄せられたため、黒子には甚だ迷惑な所業であった。



黒子(確かあの時……『かりそめの現実、本棚の裏側、届かない手』あの女はこう言いましたわね。

   あの時はこれっぽっちも言葉の意味が理解できませんでしたが……

   精神系能力に限りなく長けた人の言葉ですから、なんとも忘れがたいものですわ)



 自分に掛けた暗示の言葉とも思ったが、黒子は今日までそのような影響は自覚していない。

 あるいは自分自身ではなく、自分が常日頃べったりと寄り添っている美琴の事かと思うと、

 急に不安が首をもたげた。







32 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 20:32:13.44 ID:9XzrA9ko





黒子(お姉様とは引継ぎの際に数分面会しただけと聞いてましたが……あの方の事ですから、

    その際にお姉様に読心を仕掛けたのやも。……もしそうなら放っとけませんわね)



 『かりそめの現実』『届かない手』この二つのネガティブなキーワードは理解の範疇外だったが、

 『本棚の裏側』これは容易に探索できそうだと独りごちる。

 黒子は懐中電灯を手に取ると、初めは自身の、次に美琴が使う本棚の裏側にその光を挿し入れると、

 埃まみれの陰の中に小さな箱らしきものが確認できた。



黒子「あれは……! なかなか手が届きにくいですわね……んしょっと。

   なーにが『届かない手』ですの。ギリギリですがわたくしでも届きましてよ」



 黒子の細腕でも厳しかったが、なんとか暗闇から箱を救い出す事ができた。

 鍵前がある以外は何の変哲もない金属製の小箱。重さは軽く、振ると小さくカタカタと音がする。

 鍵が掛かっているのか蓋を開くことはできなかったが、空間移動《テレポート》能力者である

 黒子にとってそれは大した問題ではない。

 手に触れられる外箱だけを転移させ、中身を取り出す芸当が可能だからだ。



黒子(お姉様の本棚の裏側にあったという事は、やはりお姉様が隠した物ですわよね?

    エレクトロマスターのお姉様がアナログな錠を掛けたという事は……もし鍵を捨ててしまえば

    精神操作系の能力でも開錠の仕方は探りようがないという事ですわね。

    強引に箱を壊す手もあるでしょうが、金属製とあっては勢い余って中身まで壊しかねませんし。

    壊さず安全に中身を見ることができる者がいるとすれば、それはおそらく空間異動能力者、

    そしてこの学校でその力を持つ者はわたくし一人のみ……)







33 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 20:36:33.47 ID:9XzrA9ko



黒子「……で、あの女はこの箱をわたくしにどうしろと?

    まさかこの能力を使って暴けと仰るのでしょうか」



 その独り言は己の罪悪感を薄めるための方便だ。

 あの女の口車に乗せられていると感じつつも、黒子の興味はとっくに箱の中へ惹かれている。

 箱を両手で握り締めて演算を開始し、外箱だけをベッドの上に転移させると

 手元に残ったのは更に小さな鍵箱であった。



黒子「げぇ……まさか二重とは。どれだけ見られたくない代物ですの!?」



 思わぬ仕掛けに、つい下品なうめきが口をつく。

 中身を晒さないための厳重な封印が、黒子の興味を更に増幅させた。

 もう一度同じように箱を握り締め、二つ目の鍵箱も転移させる事に成功する。

 次に手元に現れたのは、小さな包み布。黒子がおそるおそる布を開いていくと、

 バンド部分を乱暴にちぎられて使い物にならなくなったストラップが現れた。



黒子(カエルの……ストラップ、ですの?)

涙子『前に付けてた、カエルの女の子のストラップが無くなってるなぁって思って』



 先程の佐天涙子の言葉を思い出す。

 しかしこの紐に繋がれているカエルは女の子ではなく、チョビヒゲを生やしたオスガエルだ。

 そもそも全て捨て去ったはずのカエルグッズが、何故こんなところに残っているのか……



美琴「それに触るなァッッッ!!」







34 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 20:45:06.55 ID:9XzrA9ko



 部屋中に響く怒号。黒子は口から心臓が飛び出そうになり、戦慄した。

 反射的に声の方向に振り返ると、バスタオル姿で憤怒の形相をしている美琴がいた。

 カエルと転移演算に意識を奪われ、つい浴室の音から注意が逸れてしまっていたのだ。

 風呂上がりの美琴に現場を目撃されてしまった黒子は、目が血走っている美琴の様相を見て

 彼女の逆鱗に触れたことを察し、一瞬で青ざめる。



美琴「触らないでって言ってるでしょッ! 離せェッ!!」



 美琴は左手で胸元のバスタオルを押さえながら、右手でベッドに捨て置かれていた

 小箱を素早く拾い上げ、腕を振りかざす。

 右腕の周囲でバチバチと音を放つ放電の光を見て、いよいよ黒子の表情は蒼白になった。



黒子「れ、超電磁砲《レールガン》……!」



 美琴に付き添っているうちに幾度か目にした、彼女の代名詞たる電撃技だ。

 じゃれ合いの範囲で、ごくごく小さな電撃攻撃を喰らった事は多々ある黒子だが、

 よもやこのような形で超電磁砲の射線上に立つ事になろうとは想像だにしていなかった。

 弾芯としては不安定な小箱でも、至近距離でひと一人跡形も無く吹き飛ばすには十分だろう。

 時には刃物や銃にも果敢に立ち向かう風紀委員でありながら、その比ではない恐怖に身が竦んだ。







35 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 20:51:15.72 ID:9XzrA9ko



美琴「やめて……それだけは奪わないで……ッ!」

黒子「か、返します、すぐ返しますから、どうかその技はお仕舞いになってくださいまし!」

美琴「……かえして……たったひとつのアイツの形見……」



 薄々と黒子は勘付いていた。この品物はかつて、美琴が鞄につけていたストラップのペア品で

 美琴が追いかけていたあの少年に贈られた品であろう事に。

 携帯契約の景品が欲しいからという口実で、美琴があの少年を連れまわしていた記憶が

 うっすらと思い起こされる。

 それが無残に千切られて手元にあるならば、二人の関係は何らかの形で破綻したのだろうか。



黒子(形見……?)

美琴「なんで……? なんでこんなひどい事するのよぉ……くろこぉ……。

    私頑張ってるじゃない……いっぱい頑張ってるじゃない……。

    あんたやみんなの言う『常盤台の模範生』らしくなるために頑張ってるじゃない……」



 美琴は右手から力なく箱を落とし、バスタオルがはだけて肢体が露わになるのも厭わず、

 黒子がおそるおそる差し出したストラップを奪い取るように掴み取り、そのまま胸元に抱く。

 膝から崩れ落ち、嗚咽に震える美琴の姿がいたたれなくて、

 黒子は床に落ちた美琴のバスタオルをやおら掛けなおした。







36 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 20:57:08.22 ID:9XzrA9ko



黒子「……お姉様……」

美琴「…………」

黒子「……そのままでいいので、わたくしの話を聞いてくださいまし。

   ……お姉様は確かにこの半年間、よく頑張ってこられたものと黒子はいたく敬服しております。

   幼い趣味を打ち捨て、スカートの下の奇特なお召し物もなくし、自販機も蹴られなくなり、

   名実ともに『常盤台のエース』としての気品に溢れた女性になられましたわ。

   今のお姉様は、わたくしの思い描いたお姉様の理想のお姿そのものです。

   ……たとえそれが、お姉様の本心に沿わぬ事だとしても」

美琴「…………」

黒子「半年前のあの日、お姉様が何処に行かれていたか……それはもう詮索いたしません。

   しかし恐らくは、あの殿方の関わる事情であったものと推察いたします。

   お姉様はあの方と出会ってから以降、ずっとあの方ばかりを追っていましたもの」

美琴「…………」

黒子「でもあの日を境に、お姉様はあの殿方の話を一切されなくなりました。

   わたくしは内心それを喜びました。ずっとそのままでいいとも思っていました。

   でも一方で、あの方との約束事が心のどこかに引っ掛かっています。

   ……あの方はかつて『お姉様とその周りの世界を守る』とわたくしに向かって仰ったのです」

美琴「……知ってるわ……」



 俯いたまま美琴が口を開いた。

 鼻にかかった、蚊の鳴くような弱弱しい声だった。







37 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 21:05:43.45 ID:9XzrA9ko



黒子「そうでしたの……」

美琴「そんなの……もうどうでもいいのよ……」



 やはりあの時、美琴に感じた悲哀の気配は誠だったと黒子は確信した。

 告白めいた彼の約束を切って捨てるなど、かつての美琴にできる事ではなかったはずだ。



美琴「あのバカ……私がせっかくアイツを追ってた特殊部隊も、ロシアの戦車隊も蹴散らして、

    核ミサイルだって身を張って阻止したってのに……」



 特殊部隊。戦車。核弾頭。

 平和な女生徒の学び舎におよそ似つかわしくない物騒な単語が幾つも飛び出してくる。

 すわ何事かと動転する黒子の心境をよそに、美琴は投げ散らかすように言葉を続けた。



美琴「でもアイツはもっともっと大きな脅威と、たった一人で戦ってた。

    助けに行ったはずのアタシの手は、結局アイツには届かなかった……

    アイツは約束を守ったんじゃない……勝手に突っ込んで行って……勝手に世界を救っちゃっただけ……

    いつだってそう……誰も手がつけられない苦難に平気で命をかけるバカだもの……

    そんなやり方で世界が救われたって、ちっとも嬉しくない、嬉しくないのよぉ……」



 『届かない手』。黒子は思いがけない形で二つ目のキーワードを獲得する。

 己の両足が沼に沈んでいくような感覚を覚えながら、

 黒子は疑惑を解かんとする最後の言葉を放った。







38 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 21:11:02.40 ID:9XzrA9ko



黒子「お姉様……単刀直入に窺います。

    そのストラップは、あの殿方に差し上げたものですわよね?

    それが今手元にあるという事は……あの殿方は……上条さんは……」



美琴「……アイツは……死んだわ」



黒子「!!」



美琴「もう、私の世界にアイツはいない……



    ……だから私も……アイツと一緒に……死んだのよ……



    …………わぁあああぁぁぁぁぁぁッッ……!!」





 その一言を最後に、美琴は床に伏して慟哭した。

 美琴は現に生きている。代わりに、命に等しき大きな何かを喪って帰ってきたのだろう。

 ついに真相を知った黒子の心も、絶望という名の沼へと沈んでいった。







39 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 21:17:36.74 ID:9XzrA9ko



 すっかり泣き疲れて眠る美琴の姿を横目に、黒子は寝床の中で携帯電話を操作していた。

 連絡相手は午後に出会った初春飾利である。

 夜分遅いのは百も承知で、情報処理のエキスパートである彼女に依頼を課した。



黒子「初春、まだ起きてますの?」

飾利「今寝るところですよー。春上さんとずっと喋ってました」

黒子「あなたに調べて欲しい火急の依頼がありますの」

飾利「こんな時間にですかぁ? 私、あした日直当番だからもう寝たいんですけど」

黒子「ですから火急のお願いと言ってますでしょ!

    至急トッププライオリティで調べてくださいまし!」

飾利「ひそひそ声で怒鳴らないでくださいよ……。それって何か事件絡みですか?」

黒子「事件といえば事件ですが……とある高校の学生簿を秘密裏に調べて欲しいだけですのよ」

飾利「もう……はいはい、詳しく窺いますよ」

黒子「名前は上条当麻(かみじょう とうま)。進級していれば高校二年生の筈ですわ」

飾利「了解です。しばらく待ってくださいね」



 受話器の向こうから響く、無機質なキーボード音が眠りを誘う。

 睡魔に抗いながらじっと待っていると、ややあって飾利が返答した。







40 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/28(木) 21:23:56.41 ID:9XzrA9ko



飾利「検索できました。上条当麻さんは昨年の十一月に所属の高校を除籍されています。

   除籍理由は"特別失踪"……? 私こういうケースはじめて見ました。

   とにかく、行方不明扱いのまま放校処分にされたみたいです。

   普通なら捜査願いが出されるはずなのに、この人については出されてませんね。

   白井さん、特別失踪ってなんだか知ってますか?」

黒子「……それだけ分かれば十分ですの。お疲れ様でしたわね初春、ではまた明日」

飾利「ま、待ってください白井さん、この人ってひょっとして……!」



 飾利の最後の言葉には返事を返さず、黒子は携帯電話の電源を落とす。

 いくつか思う所はあったがそれを脳裏から消し去ると、頭まで布団を被って眠りに落ちた。



 残寒が身にしみる春の一夜。

 少女は一つの悲劇を知った。







48 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/29(金) 20:11:50.31 ID:VM6g9Mwo



 始業二日目。

 自身の身体が揺り動かされる衝撃で、黒子の朝は始まった。



美琴「おはよう黒子。起床時間過ぎちゃってるわよ、そろそろ起きなさい」

黒子「……お、おはようございます、ですの」

美琴「全くもう、お寝坊さんなんだから」



 寝起きで冴えない頭を動かし、黒子は美琴の顔を見つめ返した。

 笑いかけてくる美琴の表情はひたすらに柔らかい。

 慈しむようなこの笑顔の裏にあのような激情をはらんでいた事に、黒子はまたも心を痛めた。

 慌てて身支度を整え、二人揃って食堂に足を向けると、

 昨日と同じように寮内の生徒達が畳み掛けるように美琴へ挨拶を掛けてきた。



生徒「おはようございます、御坂様」

生徒「おはようございます、御坂様」

生徒「おはようございます、御坂様」







49 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/29(金) 20:15:26.05 ID:VM6g9Mwo



美琴「おはよう皆さん。もう寮の雰囲気には慣れましたか?」



 誰が指南した訳でもないのに、規律正しく行儀のいい後輩達。

 優雅な挨拶を返す美琴。



 なんて気色の悪い光景だろうと、黒子の心はわなないた。



 御坂美琴とはこんな人物だったろうか。

 いつからこうも変わってしまったのか。

 同じ光景を暖かい眼差しで見つめていた昨日の自分はなんだったのだろうか。

 美琴の望まぬ変貌、それを身近で強く煽ったのは一体誰だったのか。

 ひょっとしてこれは、取り返しのつかない事態に陥っているのではないだろうか。



美琴「どうしたの黒子? そんな所でぼーっとしちゃって。

   ほら、一緒に朝食を食べましょうよ。……黒子? ……黒子っ!」



 自虐の螺旋が生み出した眩暈に心を支配され、黒子はその場で意識を失った。







50 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/29(金) 20:19:53.02 ID:VM6g9Mwo



---



 その日の放課後。

 ようやく体調を取り戻した白井黒子は、気遣う美琴の静止を振り切って、

 逃げるようにして風紀委員活動第一七七支部に駆け込んできた。

 他の委員達は皆出払っているのか、部室に残っていたのは情報処理担当の初春飾利と、

 彼女を冷やかしに来た部外者の佐天涙子だけであった。これ幸いと黒子は思ったが、

 昨晩から携帯の電源を落としたままだった失態にはまだ気付いていない。



飾利「白井さーん、夜中に人を使っておいて、急に電話ブッチするなんてひどくないですか?」

涙子「ひどいねー白井さーん。今日は何回メールしても電話しても繋がらないんだもの」

黒子「あ……っ、ご、ごめんなさいですの」



 事情を知らない涙子は茶々を入れているだけだが、昨晩のこともあってか

 飾利は若干本気で怒っている。







51 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/29(金) 20:23:59.17 ID:VM6g9Mwo



飾利「全くもう。時々突っ走りますよね、白井さんって」

黒子「昨日、二人と別れてからのち色々あったんですのよ……」

涙子「色々って……どしたの?」

黒子「……わたくし、お姉様に取り返しのつかない事をしてしまったのやも知れません」

飾利「えっ?」

涙子「……その話、あたし達が聞いてもいい話なら、話してみてくんない?」



 口調が神妙なものだから、二人も雰囲気を察して黒子の話に聞き入ろうとする。

 そんなつもりではなかったのだが、もはや真相を話さねば納まらない空気と化していた。



黒子「……さて、どこから話しましょうか」



 長い話になるからと前置いて、自ら急須を手に取り三人分の煎茶を用意する。

 物騒な単語に関わる部分だけは端折って、黒子は昨日の出来事をありのまま白状した。







52 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/29(金) 20:28:28.99 ID:VM6g9Mwo



 ―――。



涙子「……そう、だったんだ……」

飾利「……御坂さん……可哀想……」



 思いがけない深刻な話を受けて、二人は湯呑みを握り締めたまま目を伏せる。

 飾利に至っては今にも泣き出しそうだ。



黒子「おそらくはあの女、引継ぎの際にこっそりお姉様の心を読んだのですわ」

涙子「『かりそめの現実、本棚の裏側、届かない手』……ってやつか。

   じゃあその女の人、御坂さんのこと気遣って白井さんにアドバイスしたのかなぁ」

黒子「そんな殊勝な性格ではなかったように記憶していますが……」

涙子「でも彼女なりの気遣いがあったのかもよ?

   ……本棚の裏側と、届かない手の事は分かったんだよね。最後のキーワードは……」

黒子「かりそめの現実……それは大体検討がつきましてよ」

飾利「多分……自分だけの現実《パーソナル・リアリティ》の変質ですね」

涙子「え、それってどういう事?」







53 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/29(金) 20:34:07.03 ID:VM6g9Mwo



黒子「初春の言う通りかと。……能力者が持つ、能力の土台となる自らの世界。

    お姉様は高い能力者であるが故、心にいだく"自分だけの現実"もとても強固なもの。

    しかし……あの殿方はその強固さを踏み越え、お姉様のお心を奪っていかれたご様子。

    その存在を悲劇をもって喪えば、心はたちまち空虚になり、最悪の場合は能力の暴走……

    レベル5ともなれば震災クラスの『RSPK症候群』をも引き起こしかねません。

    恐らくお姉様はそれを防ぐため『常盤台のエース』という道標にしがみつかれたのですわ。

    ……それが、あの殿方を喪ったお姉様に残された、唯一の自己防衛手段だったのでしょう」

涙子「……能力が高いのも痛し痒しって事かぁ。辛かったんだろうな、御坂さん……」

飾利「やっぱり、その心理掌握って人、自分の後継者になる御坂さんの心を全部見抜いて、

    心配していたんですね……」

黒子「回りくどいやり方には少々疑問も感じますけど……。

    でも、おかげでわたくし目が覚める思いをしましたわ」

涙子「……。」



 涙子が持っていた湯飲みはとうに冷めていたが、押し黙って器を弄っている。

 飾利はまだ湯気の立っている茶に一口つけると、自ら場の沈黙を破った。







54 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/29(金) 20:40:15.68 ID:VM6g9Mwo



飾利「白井さん、話してくれてありがとうございます。

    私、昨日の御坂さんを見て安心してたけど……本当は違ったんですね」

涙子「あたし達の前ではずっと、優しい先輩として振舞ってくれてるもんね……」

黒子「わたくしの話、くれぐれもお姉様には気取らないようにしてくださいまし。

    これはこの三人だけの秘密ですの。お二人を親友と見込んで話したのですから」

飾利「わかりました」

黒子「そしてわたくしは……責任を取らねばなりません。

    かりそめとはいえ、今お姉様の支えとなっている現実をわたくしも全力で支えなければ。

    ……上条さん程の存在感になれるとは、思えませんが」

涙子「……あんまり思い詰めない方がいいと思うよ。

    御坂さんきっと、白井さんの事とても頼りにしてると思うもん」

飾利「私もそう思います。御坂さんにとって今一番身近な人は白井さんですから」

黒子「……う、ううっ……うええっ……!」







55 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/29(金) 20:46:11.75 ID:VM6g9Mwo



 二人が黒子に掛けた言葉は、黒子が心の何処かで渇望していた言葉でもある。

 優しく慰めて貰うことの気恥ずかしさと嬉しさがこみ上げてきて、黒子は泣いた。

 自慢のツインテールをゆさゆさと揺らして泣きくれる黒子が痛々しくて、

 涙子はハンカチを黒子に手渡し、代わりに黒子の湯呑みをそっと奪い取る。



涙子「あ、あたしお茶入れ直してあげるよ。

    初春は……必要ないか。こういう時便利よねー、その定温保存《サーマルハンド》」

飾利「こんな時にしか役立たないちっぽけな能力ですけどね、へへ」



 二人は黒子がこれ以上自分を追い詰めないよう、努めて笑顔を振りまき

 決して彼女一人に苦難を押し付けることがないようにと望んでいる。

 その優しさがむず痒くて、黒子はハンカチを目に押し当てたまま顔を上げられなかった。







56 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/29(金) 20:53:18.83 ID:VM6g9Mwo



---



 短い春が過ぎ、今年も暑い夏が訪れる。



 美琴は常盤台中学の模範生として、また派閥の長としての存在感を徐々に高めていき、

 いつしか自分のプライベートの大半をその立場へと捧げていた。

 常盤台中学生にとっての"派閥"とは、単なる女子の集団行動グループではなく

 自主研究・能力開発・部活動など、授業外活動の基礎となるコミュニティである。

 その頂点にいる存在は学内のあらゆる人脈や金脈を支配するも同義であるため、

 御坂美琴は真の意味で常盤台のエースと化し、超電磁砲《レールガン》に変わって

 女王《クイーン》としての代名詞を馳せていく事になる。





 一方で、風紀委員としての活動に余念のない黒子は

 美琴とプライベートを共にする時間が劇的に減っていた。

 しかし二人の心が離れたわけではなく、たまに黒子が任務中に怪我を負うと

 自室で美琴が心配そうに看護してくれる事もあり、信頼関係は変わっていない。

 お互いにお互いの成すべき事を受け入れ、ひたすら励んでいるが故の距離感だった。





 また、美琴はこの頃から一つの論文に着手していた。

 黒子もその仔細は知らないが、美琴の将来の進路に関わる内容とだけ聞かされている。

 いまは深く詮索せず、ただ見守るしかできないと黒子は割り切っていた。







57 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/29(金) 21:00:40.22 ID:VM6g9Mwo



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 夏の盛夏祭、初秋の大覇星祭、そして晩秋の一端覧祭。

 重なる大きなイベントの中で、美琴は決して自ら表舞台には立たなかったが

 あらゆる生徒達の活動を陰から支え見守る、女王《クイーン》の地位を確立していた。

 この頃になると、活発な性根の少女らしからぬ穏やかな気品を醸すようになり、

 心身ともに大きく成長しているという学園関係者達の高評を仰いでいた。





 常盤台の生徒達の誰もが憧れ、尊敬し、慕っていく一方で

 黒子だけは、人の輪の中心で一人たたずむ美琴を寂しく見つめていた。







63 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 18:39:31.82 ID:Udge.pIo



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 やがて冬が過ぎ、学園都市に桜の季節が訪れた。



 常盤台が誇るレベル5、超電磁砲《レールガン》と呼ばれる能力を持つ少女は

 栄えある卒業生総代としての名誉に加え、特別模範生としての表彰を受ける事となった。

 彼女の校内外における精力的な活動、数百時間に渡る育児施設でのボランティア活動、

 精密かつ先鋭的にまとめられた卒業論文、そして全学生の模範となる素行。

 美琴の一足一挙動がすべて認められた結果、このような栄誉を授けられたのである。



 対して卒業生に送辞を送る在校生代表には、湾内絹保(わんない きぬほ)という少女が

 当初は推薦されていたが、彼女は思うところがあったのかこれを固辞し、

 次点候補であった同クラスの白井黒子に譲られた。

 黒子はこれを絹保の友誼と受け取り、不肖ながらと前置きしてその座を受け入れた。







64 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 18:45:28.28 ID:Udge.pIo



 そして式典当日―――。

 卒業生総代として会場に臨んだ御坂美琴は、総代にのみ着用が許されている

 学校特製のガウンと角帽に身を包み、その美貌に晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 式場には美琴の両親である御坂旅掛(たびがけ)・美鈴(みすず)夫妻も姿を見せ、

 娘の晴れ姿を保護者席から静かに見守っている。

 数多の参列者が彼女を見守る中、美琴は理事長から壇上で卒業証書を授与され、

 続いて特別模範生としての表彰を受けると、会場から盛大な拍手が送られた。

 在校生も卒業生も、思い思いの涙を流しその光景を見つめている。



黒子(お姉様……その栄誉は本当にお姉様の望んだ物ですの?)



 しかし黒子は一人だけ、会場の誰とも異なる心境で美琴の姿を見守っていた。

 来賓者の挨拶や祝辞が述べられている間、席に戻った美琴の位置は見えないが

 おそらく今も笑顔を浮かべ、この舞台の主役として振舞っているはずである。



黒子(あのストラップ……あれきり二度と見なくなりましたが……まだお持ちですの?)







65 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 18:51:39.52 ID:Udge.pIo



 あの失踪劇から一年半、二人は平穏で慎ましい学園生活を送ってきた。

 それが常盤台の学生にとって何より幸せな境遇である筈だが、黒子の脳裏では

 美琴や涙子、初春と一緒にはしゃいでいた頃の記憶の方が何倍も光り輝いている。

 危険な事件、狂気の学者、厄介な能力者達……命の危機も幾度となく感じたけれど、

 美琴と肩を並べて街を駆け巡っていたあの時期こそ、今思えば最も尊い思い出だ。



黒子(あの殿方を追い回していた頃のお姉様が、一番お姉様らしかったですわね……)



 後悔しても詮無き事。しかし黒子は美琴を思うあまり、ifの可能性に思いを馳せた。

 上条当麻を疎んじて、つい冷たく当ってしまった事が全ての歯車を狂わせたのだろうか。

 あるいは御坂美琴の恋を全力で応援していれば、彼女の現在は全く異なっていたかも知れない。



 しかし現実は黒子にいつまでも夢想する時間を与えなかった。

 黒子は在校生代表として送辞の言葉を送るべく、進行の声に促されて壇上に上り、送辞状を開く。

 一瞬美琴と目が合い、黒子は慌てて原稿に目線を落とした。







66 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 18:57:27.41 ID:Udge.pIo



黒子「卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

   長い冬もようやく終わり、桜の小さなつぼみが少しずつ春の準備をしています。

   卒業生の皆さんが常盤台中学に入学されてから、はや三年の月日が流れました。

   皆さんは今、これまでの思い出と明日から始まる新しい生活への期待で

   胸をいっぱいにされているのではないでしょうか……」



 卒業生の座席から、小さくすすり泣く声が聞こえてくる。

 送辞を送る相手は美琴一人ではなく、他の先輩も意識して言葉を紡がなくてはならない。



黒子「思い起こせばこの二年間、皆さんは先輩として、私達後輩の

   大きな支えと確かな手本になって下さいました。

   先輩方は、初めての寮生活で右も左も分からず、とても不安だった私達に

   姉のように優しく声をかけて下さり、悩み事の相談に乗って下さいました。

   どんな時でも頼りがいのある、私達の憧れの先輩でもありました。

   先輩方の背中を見ながら、厳しさのなかにも楽しさと喜びがあること、

   そして全員で協力することの大切さを私たちは教えられました……」



 ふと原稿から視線を逸らすと、卒業生席の中に婚后光子(こんごう みつこ)が

 咽び泣いている姿を見つけた。

 高慢なのにどこか憎めないあの少女でもああして泣くのだなと思うと、寂しさが募る。







67 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 19:03:06.48 ID:Udge.pIo



黒子「……いよいよお別れの時が参りました。

   私達後輩は、常盤台中学で先輩方と過ごした月日を絶対に忘れません。

   先輩方のご卒業は、私達にとってとても喜ばしい事ですが、

   同時に私達は先輩方のそばにいられなくなる寂しさと不安で胸が一杯です。

   しかし私達は、明日からしっかり前を向いて進んでいかなければなりません。

   それが後輩としての先輩方への恩返しと信じ、精一杯の努力をして参ります。

   ……在校生代表、白井黒子」



 うっすら目に涙を浮かべながら、黒子は壇上で一礼し、大役を果たした。

 美琴ともう一度視線を合わせると、美琴の微笑みは変わらぬままだった。

 美琴の心にはあまり響かなかったのだろうか。無難な原稿にまとめた事を少し後悔する。



 入れ替わるようにして、今度は美琴が卒業生総代として壇上に上った。

 原稿を読む直前に黒子の方に視線を向ける美琴。

 そのアイコンタクトが意味する物を精一杯読み取ろうと、黒子はしっかり耳を傾けた。

 涙はまだ早い。グッと奥歯で噛み殺した。







68 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 19:09:55.71 ID:Udge.pIo



美琴「春の訪れが感じられるこの佳き日に、私達は晴れて卒業の時を迎えることが出来ました。

    ただ今理事長をはじめ、副理事長、後援会会長様からの励ましのお言葉をいただき、

    また、在校生からの心温まる送辞をいただき、心より感謝申し上げます……」



 行儀良く始まった口上に、あの寮監も教職員席で涙し、美琴を温かく見守っている。

 会場の皆が感涙し、涙ながらに美琴の言葉に聞き入っている。



美琴「私達はこの常盤台中学で、恩師や友人、豊かな人生を送るための知識や技術など、

    かけがえのない多くの宝物を手に入れることができました。

    そんな私達には、何よりも切実にかみ締めている想いがあります。

    それは『まわりの人々への感謝』です。

    私達の悩みに真剣に相談にのってくださった先生方、

    遅くまで勉学に励む私達を労ってくださった寮監の先生、

    ともに悩み、励ましあった友人達、明るく元気な後輩達、

    私たちの生活を支えて下さった全ての人々の助けがあったからこそ、

    とても充実した三年間を過ごすことができました」



 黒子もいよいよもっと涙を抑えきれなくなっていた。

 しかしそれは感動の涙ではなく、ただ一人だけ流す後悔の涙である。



黒子(お姉様……それは本心からのお言葉ですか? 思い残しは本当にございませんか?

    わたくし達がまつり上げてしまった立場で、息苦しくはございませんでしたか?

    あの殿方を喪った心の傷は……本当に癒えましたの?)







69 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 19:16:09.28 ID:Udge.pIo



美琴「……このように私達を育て、慈しみ、見守って下さった全ての方々に

    感謝の気持ちを持ち続け、今後も前進していきたいと思います。

    この学び舎で三年間に身につけた学問と精神を精一杯生かしていくことを

    誓いつつ答辞とさせていただきます。皆様、本当にありがとうございました。

    ……卒業生代表、御坂美琴」



 誇らしい表情で原稿を読み終え、凛々しく振舞う美琴は最後まで涙を見せなかった。

 感動の拍手が鳴り響く中、黒子はとめどなく溢れる涙を堪えきれず、さめざめと泣く。

 周囲の生徒達は、白井は親しかった御坂様の卒業がさぞ悲しいのだろうと察し、

 いっそうの感涙と誤解を誘っていた。







70 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 19:22:43.53 ID:Udge.pIo



---



 昨年もそうであったように、式の最後は在校生達が正門で卒業生を見送ることで締められる。

 式典が終った在校生達は、卒業生達同士の最後の歓談のために時間を割くため、

 送別までの時間を自分達の教室に待機して過ごすのだ。

 その教室内の湿った雰囲気の中で、一際泣きはらしているツインテールの少女がいた。

 席に座ったまま、ハンカチに目を当てて滂沱する悲痛な姿に、

 はじめは同情的だった級友達もやがて違和感を覚える。

 卒業の離別を惜しむというより、まるで葬儀に参列した遺族のようだと皆は感じた。



絹保「白井さん……大丈夫ですか?」



 換えのハンカチを差し出しながら、湾内絹保は意を決して黒子に話しかけた。

 黒子は声にならない涙声で礼を表すと、ベトベトに濡れたハンカチを懐に押し込み

 換えのハンカチで目を覆う。

 絹保が垣間見た黒子の目は赤黒く腫れ上がり、淑女の面影を打ち消していた。

 同じく黒子を心配して様子を伺う、親友の泡浮万彬(あわつき まあや)に振り向いて

 目を閉じて首を振る。私には手が無いといったさまだ。







71 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 19:29:39.29 ID:Udge.pIo



学生「きゃああああ~!」

学生「クイーンですわ!」



 突然、教室の空気を入れ替えるような黄色い歓声が響く。

 絹保が声のする方に振り返ると、教室の入り口に御坂美琴の姿があった。

 美琴は式典用のガウンから制服姿に着替え、両手一杯に送別の花束を抱えながら

 この教室を覗きこんでいたらしく、それに気付いた級友達が 声を上げたのだ。

 美琴はわっと集まった学生達に囲まれながらも、教室の中に湾内の姿を見つけ目配せする。



美琴(黒子はいる?)

絹保(はい、ここに……しかし……)



 絹保はどうしていいものか逡巡している。

 焦れた美琴は、騒ぐ生徒達を押しのけながら教室に遠慮なく立ち入り、

 近くにいた万彬に花束を預けると、一人座り込んでいる黒子の腕をむんずと掴んで

 無理矢理顔を上げさせる。

 目元一帯を赤く腫らして泣きくれる黒子の顔を見るなり、美琴は嘆息した。







72 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 19:37:10.03 ID:Udge.pIo



美琴「こんなにビィビィと泣いて……あんたらしくないわよ黒子」

黒子「……おねーざまぁ……」

美琴「とりあえず気を落ち着けなさい。湾内さん、この子しばらく借りるわね」

絹保「え、あ、は、はい!」



 有無を言わさぬ美琴の威厳に、絹保は己の意志を放棄してただ頷くしかなかった。



美琴「ちょっと……二人だけで話しましょう」

黒子「……はい、ですの」



 黒子は美琴の手をそっと振りほどき、逆に自分から美琴の肩に触れる。

 二人の姿はたちまち教室から消失したが、事情を察したクラスメイト達は

 嵐のように現れて去った美琴の勢いに全てを任せる事にした。

 ただ一人、万彬だけは、両手に余る花束をどうしようかと途方に暮れていた。







73 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 19:47:00.86 ID:Udge.pIo



 心地良い日差しの下、まだ少し肌寒い春風が二人をくすぐるように屋上を吹き抜けていく。

 黒子達が転移したのは、普段は立ち入りを禁じられている校舎の屋上だった。

 こうして美琴と二人でテレポートするなどいつ以来の事だろうか。

 規則違反も意に介さず、お互いの能力を少しばかり悪用してじゃれ合っていた頃は

 まだ分別の無い子供だったのだろうと、黒子は小さく笑う。

 今日、初めて笑顔を浮かべた気がした。



美琴「全く……ひどい顔になっちゃって。でも格好よかったわよ、黒子のスピーチ」

黒子「お姉様こそ、大役お疲れ様でした。凛々しいお姿に皆感動されてましたわ。

    ……それと結局、"派閥"引継ぎの件は、泡浮さんと湾内さんにお願いされたのですわね」

美琴「まぁね。あの二人は能力こそレベル3だけど、

    勤勉実直でみんなにも慕われているみたいだから、資質はあると思うわ。

    高レベル者のワンマンより、二人体制で引っ張っていくのがいいんじゃないかって考えたのよ」

黒子「その方が宜しいですわね。一人よりも二人……何事もそうですわ」







74 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 19:56:42.19 ID:Udge.pIo



美琴「……最初は黒子にお願いする事も考えたんだけど、あんたにはジャッジメントの道で

   頑張って欲しいって思ってさ。固法先輩も今春で高校を卒業されることだし……」

黒子「もとより、わたくしは派閥の長などという柄じゃありませんの。

   お姉さまの仰る通り、わたくしは風紀を守る立場を貫きますわ」

美琴「うん、それが一番あんたらしいわ。

   ……二年間ありがとうね、黒子」

黒子「お姉様、わたくしは……」

美琴「ありがとう……いつも私の傍にいてくれて」



 美琴は自身より頭半分小さな黒子の胸元に、膝を屈めて縋りつく。

 美琴から抱きついてくるさまなど、黒子が知る限り初めて見たように思う。

 自分の胸など薄くて小さいのだから、真に彼女の心を抱擁しようとするならば、

 たくましい胸板とあの奇妙な右手があれば良かったのに……



 叶わぬ夢は頭から振り払い、黒子はか細い両腕で美琴を強く抱き返した。







75 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 20:02:13.87 ID:Udge.pIo



黒子「お姉様……おいたわしく思います」

美琴「私にはあんたがいてくれた。だから私は全てを喪わなくて済んだの。

    ……こんな生き方、自分の柄じゃないことくらい分かってた。だけど、だけど、

    私を皆が頼ってくれる立場がそれなりに居心地良かったのも本当。

    だから私がスピーチで言ったことは本当よ。私は周りの皆に助けられたの」

黒子「それでも……黒子は今更になって後悔していますの。

    お姉様に、わたくしの勝手な理想を押し付けてしまっていた事を」

美琴「自分で決めた道だもの。誰のせいでもないわ」



 黒子の胸元にうずめていた顔を上げると、美琴は努めて笑顔を作ったが、

 その拍子に目尻から頬へと一筋の涙がつたった。







76 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 20:08:11.13 ID:Udge.pIo



美琴「……私ね、学校を出た後の進路の事はずっと昔から決めてたの。

   自分の能力を神経治療に応用して、筋ジストロフィーの治療研究に役立てたいなって。

   昔、その気持ちをすごく嫌な形で悪用されて、一度は心折れたんだけどね……

   それでも私は笑ってていいんだって、そう言ってくれた人がいたから」

黒子「わたくし、そのお話は初耳ですの」

美琴「だって初めて人に話したもの」

黒子「それは光栄ですこと。あの殿方にもされなかったんですの?」

美琴「進路の話はしてないわ。……笑ってていいって言ってくれたのはアイツだけどさ……」



 黒子の知る限り、彼と美琴が交流を持っていた期間はほんの四ヶ月程度である。

 その短い期間で美琴の心を大きく動かす言葉を幾つも残していったのだろうか。

 ヒーローというより詐欺師のような人だと、黒子は少しばかり恨めしく思った。







77 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 20:13:29.74 ID:Udge.pIo



美琴「……で、ちょっと尖がった論文を書いたら、著名な人の目に留まったらしくてさ。

    その人の誘いを受けて、卒業したら外の世界で研究職に就こうと考えてるの。

    この街には沢山思い出もあるし、親しい人もいるけど、嫌な事も色々あったから……」

黒子「そんな……もう逢えなくなりますの?」

美琴「今生の別れにするつもりはないわ。でも、当分は会えなくなるかもね。

    パパは世界中飛び回ってる人だから、その血が私にも半分流れてるって事なのよ、多分。

    だからそんな顔しないで黒子」



 離別の決意を聞き愕然とすると、今度は黒子が美琴の胸に顔をうずめた。

 美琴がこの都市に住み続けてくれるなら、いつでも己の能力をもってして駆けつけるのに、

 美琴は外の世界でたった一人生きていく覚悟を決めたのだ。







78 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 20:19:41.66 ID:Udge.pIo



美琴「この街の裏側は混沌とした欲望ばかり……。この都市はまるで実験室のフラスコだわ。

    だから私は、フラスコの中で支配されない生き方をしたいの。それだけなのよ」

黒子「それでも……それでも黒子はお姉様とずっと一緒にいたかったですわ!

    わたくしがあと一年早く生まれていたら、もっとお姉様と対等にいられたのに……!」

美琴「何言ってるのよ黒子。歳は違っても、あんたはあたしの一番の親友よ。

    それはたとえ地球の裏側まで離れても変わらないわ。……だから泣かないでよ」

黒子「おねえ……さま……っ」

美琴「黒子、これからはあんたが皆を導く先輩になるのよ。

    それと自分の夢を持って、その夢のために一生懸命頑張りなさい」

黒子「……わたくしの……ゆめは……お姉様の……」

美琴「私の過ちを繰り返さないで。誰かを喪って壊れるような自分にはならないで。

    私みたいに『かりそめの現実』に頼らないで、自分の意志でちゃんと歩んでいくのよ」

黒子「! ……はい」



 美琴自身の口から発せられた、最後のキーワード。

 かつて心理掌握がそうしたように、いま御坂美琴がそうするように、

 これからは白井黒子が最高学年となって後輩達を導いていく立場にならねばならない。

 その事を厳しくも優しく諭され、黒子は美琴の胸の中で何度も頷いた。







79 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 20:25:57.59 ID:Udge.pIo



美琴「……そろそろ時間ね。みんな校舎から出てきたみたい」

黒子「…………」

美琴「ダメな先輩ね、私。あんたを振り回して困らせてばっかりだった。

    しっかりした姉にはなってあげられなかったけど……あんたに会えて本当によかった」

黒子「わたくしも……わたくしもですのよ……」

美琴「さっき佐天さんと初春さんからも、卒業を祝うメールが届いてたの。

    三年生になってから、四人で仲良く遊ぶ機会がなかなか作れなかったのが心残りね。

    これからは私の分も、あの二人の事大切にしてあげて」

黒子「勿論ですの……初春も佐天さんも、わたくしの大切な親友ですもの……」

美琴「……そうね……」



 二人が屋上から校門を見下ろすと、卒業生を見送る在校生や保護者達の姿がひしめいていた。

 卒業生達は皆それぞれ花束を抱え、親しい者達と寄り添い、最後の別れを惜しんでいる。

 離別は辛く悲しい事だが、未来の為に希望を持って飛び立たねばならない。

 美琴は左手で黒子の頭を撫でながら、右手でブレザーのポケットに手を入れ、何かを取り出した。







80 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 20:31:47.02 ID:Udge.pIo



美琴「……そろそろ、お別れね」

黒子「おねぇさま……」

美琴「あんたからも……そしてアイツからも……」



 美琴は黒子からそっと身を離すと、掌の中にある物を握り締めて大きく右腕を振りかぶり、

 全身にバチバチと帯電し始めた。



黒子「お、お姉様、何を……!」

美琴「見てなさい黒子。これが私の、最後の超電磁砲《レールガン》よっ!」



 上空に向かって一直線に放たれた、太く短い強烈なレールガンの音が

 耳をつんざき、身を震わせる。その光景を黒子は懐かしく感じた。

 技を放つ美琴の横顔に、一瞬だけあの快活な少女の面影が戻ったからだ。



美琴「……久しぶりに撃ったからなぁ、威力衰えちゃってるかも。

    ま、弾芯がプラスチックじゃあ、飛距離もあんなもんか」

黒子「そういえば今、何を投げられましたの?」

美琴「……お別れしたのよ、アイツにも。

    今頃は向こうで『不幸だー!』とか言っちゃってるんじゃないかな」



 それ以上尋ねずとも、黒子は事の全てを理解した。







81 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 20:37:16.83 ID:Udge.pIo



 そして、二人は顔を見合わせて微笑む。



美琴「じゃあね黒子。あんた、下級生にセクハラしたら承知しないんだから!」

黒子「わたくしはお姉様一徹ですのよっ! ご心配無用ですの!」

美琴「まったくあんたは……ふふっ」



 美琴は黒子の姿を振り返って苦笑いしながら、屋上の入り口の扉に向かって歩んでいく。

 黒子も扉の向こうに消える美琴を笑って見送ったが、扉が閉まるともう一度床に崩れ落ちた。

 既に涙腺が痛むほど泣いたのに、溢れる感情が止まらない。

 乾いたアスファルトに涙が一滴、二滴と零れ落ちていく。



黒子(これで、お姉様の露払いもお役御免ですわね。

    お姉様は過去を振り切ったように振舞っていましたが……

    わたくしは……涙が止まりませんの……)







82 : ◆nE9GxKLSVQ 2010/10/30(土) 20:42:41.21 ID:Udge.pIo



 美琴の喜怒哀楽を最も身近で見続けてきた黒子が、美琴から最後に感じ取ったのは

 一年半前のあの日と同じ、悲哀の感情だった。

 美琴の心はやはり今も、大きな空虚を埋めきれずに苦しんでいるのだろう。

 黒子がそうであるように、美琴もまた、閉じた扉の陰で一人泣き暮れていた。



黒子(さようなら……お姉様……。

    あの時あの殿方と一緒に死んだ、わたくしだけが知る本当のお姉様……)





 これは、涙のリグレットに彩られた、とある少女の卒業物語―――。





               -Fin-