1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:02:59.35 ID:OvI6VT4f0

「キョン、キスして」

ハルヒが言う。
ああ、こりゃ夢だな。

どうして俺もこう現実味のない夢を見るのかね。

俺はなぜか身動きが取れないらしいので、仕方なく視線を彷徨わせた。

その先に一人の女子生徒を見た。
見覚えがある青い髪が揺れていた。

あれは―――?


もっとよく見たい。俺が動こうとすると、ベッドから落ちた。

衝撃がじわじわ体に伝わり、意識が醒めていく。

まったく。良くわからない夢だったな。




2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:05:39.22 ID:OvI6VT4f0

朝のハイキングコースを終え、やっとの思いで校門まで辿りつく。
いつもだったら何の考えもなく昇降口へと直行するのだが、今日はちょっと勝手が違った。

既に人だかりが出来ている掲示板へ向かった。
今日から俺は二年生になった。すなわちクラスも変わるということだ。
背伸びをしつつ掲示板を見る。
2-1からざっと目を通して行き、5組に自分の名前があるのを発見した。
俺のすぐ下には涼宮ハルヒの名もあった。

教室に入るとハルヒはもう着席していた。
出席番号順なので定位置の窓側の最後尾ではなく、去年の入学時と同じような席だった。
俺の席がその前なのも変わりない。

「よっ、キョン。また同じクラスだな」

「キョンも谷口も無事に進級出来てよかったよ。僕一人だけ先輩になるかと思った」

教室には谷口と国木田の姿もあり、あまりクラス替えをした実感が湧かなかった。
まあこいつらがいるなら何とかやってけるさと、俺は教室をきょろきょろと見回すこともなく
自分の席に落ち着いた。

担任も変わらず岡部で、こりゃハルヒの願望の表れかと思いながらぼおっと話を聞く。

「まずは自己紹介でもしてもらうか。じゃあ朝倉から」

一番左端の席から椅子を引く音がし、その女子生徒は後ろに振り向いて微笑んだ。

「朝倉涼子です。えっと、一年間よろしくね」

3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:09:25.99 ID:OvI6VT4f0

喉の奥で変な音がした。
呼吸が一瞬止まり、扁桃腺のあたりに唾が引っ掛かって俺は盛大に咽せた。
クラス中から浴びたくもない視線を浴びる。
俺は引きつった照れ笑いを浮かべ、その場をやりきった。

朝倉が不思議そうに俺を見ていたが、俺は慌てて目を逸らした。

全員の自己紹介が終わり、皆が新しいクラスメイトと親睦を深めている間に
俺はまずハルヒに聞いてみることにした。

「おいハルヒ」

「なによ」

「何で朝倉がここにいるんだ?」

「はあ? そんなのクラスを決めたやつに聞きなさいよ」

ハルヒは眉をしかめた。

「あんた朝倉のこと嫌いなの?」

好きとか嫌いとか、朝倉はすでにそれらを超越している。
なんてったって俺はあいつに二回も殺されかけたんだからな。

「朝倉、いいやつじゃない。クラスのこと全部やってくれるし」

何言ってやがる。朝倉が話しかけてもロクに答えてなかったくせに。

10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:13:21.82 ID:OvI6VT4f0

ハルヒはばつが悪そうな顔をした。

「そ、それは最初の方だけでしょ。体育祭とか文化祭で仕切って頑張ってたみたいだから
ちょっと見直したのよ。口だけのやつじゃないって」


いや、そもそもあいつは五月には転校しちまっただろ。
両親の仕事の都合とやらでカナダに行って、お前はそれを怪しいと決めつけて
マンションにまで行ったじゃないか。
……とは言わなかった。
去年の十二月に起こったことを忘れちゃいない。
あの時俺はパニックになってみんなから頭のおめでたいやつだと思われたからな。

さすがに二度目だからまだ冷静になれるさ。
ハルヒが消失しないでくれてた、ってのもあるだろうが。

朝倉はもうコロニーを形成していて楽しそうに談笑している。
あいつのコミュニケーション能力はすごいな。

始業式だったので、全校集会があっただけでこの日は下校と相成った。
部活動開始も明日からと決まっていたので、ハルヒはさよならのあいさつが済むと
怒ったような顔をして、

「明日からみっちり団活するんだからね!」

と高らかに宣言して帰っていった。

さて、俺には一番に会いに行くべき人がいる。
長門有希だ。

12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:18:35.58 ID:OvI6VT4f0

長門は俺が来るのをわかっていたのかもしれない。
すっかり人の引けてしまった教室で置物のように座っている。
眼鏡はかけていない。
俺は少しほっとしつつも、いや待てまだわからんぞと自分を戒める。

「長門、俺を知ってるか?」

長門がゆっくりこちらを向く。

「知っている」

「あー……俺と初めて会ったのは、一年前の、文芸部室でだよな?」

「そう」

「俺たちはSOS団で、お前は宇宙人で、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースで
涼宮ハルヒの観察が目的でここにいる、んだよな?」

「そう」

ほっと息をついた。
どうやら長門有希は俺の知っている長門有希のようだ。
無表情がたまらなく頼もしく見えるぜ。

「俺のクラスに朝倉涼子がいるんだ。暴走して消されたのが丸っきりなかったことになって
この一年を過ごしてたらしい。これはなんなんだ? また改変が起きたのか?」

「……改変が起き、朝倉涼子は情報統合思念体とは関与していないところで生み出された」

15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:23:35.52 ID:OvI6VT4f0

「ゆえに、現時点での朝倉涼子には何の力もない。ただの一般的な女子生徒にすぎない」

てことは、教室で刺されそうになったり校門の前で刺されたりはないのか?
だったらいい―――いや、あの冬の時の朝倉は一見無害なやつだった。
普通に俺に話しかけてきて接してたくせに、最後の最後にはナイフでぐりぐり抉られたからな。

「改変っつってもハルヒもお前も変わりないし、違ってるのって朝倉の存在だけだよな。
誰が原因なんだ、この改変は」

「言いたくない」

はっきりとした口調でそう言われた時、俺は驚いた。
言えない、じゃなくて言いたくない、だ。長門の意思がそこにある。
俺は12月を思い出し、疑念が顔に出てしまったのだろうか、長門は俺をじっと見据えて言った。

「でもそれを行ったのはわたしではない」

「信じて」

長門にそうまで言われたら信じないわけにもいかないだろう。
俺は気押されるように頷いた。

「朝倉涼子の存在以外、以前の世界と変わったところはない。
古泉一樹も朝比奈みくるも、超能力者と未来人としてここにいる」

よかった。朝比奈さんに変 の目で見られるのはもうごめんだからな。

「大丈夫。わたしが朝倉涼子を監視している。あなたに危害が及ぶようなことはさせない」

16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:28:44.35 ID:OvI6VT4f0

次の日さっそく席替えがあった。
出席番号順にずっと座ってるだなんて不公平だと『あ』から始まる苗字のやつが言い始めたからだ。
いつも強制的に前になっちまうからな、まあ気持ちはわかる。
しかもそいつは委員長であり、二日目にしてクラスメイトからの信用を集めていた。
よってこの案はすぐに可決。

で、いつも通りにハルヒは窓際の一番後ろ、俺はその前になった。
俺は机をガタガタと移動させつつ、ああやっぱり悪い予感って当たるなあと思いつつ、
内心びくびくしながら隣にいる女を見た。

「キョンくん、よろしくね」

朝倉涼子がにっこりと笑んでいる。
俺は生返事をして視線を窓へ彷徨わせた。
いくら危害がないと言われたって、二回も殺されそうになったってのに
そうすぐに「こちらこそ」なんて受け入れられるほど俺は聖人君子じゃない。

後ろは後ろで、

「キョン、あんた今日何の日か知ってる? お釈迦様の誕生日なのよ!
さあ降誕会の準備をするわよ、甘茶買って盛大にぶっかけてあげましょう!」

とか元気にわめいてるしで、俺の気は休まりそうになかった。

18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:33:32.74 ID:OvI6VT4f0

右に朝倉、後ろにハルヒ。
なんだか項羽の気持ちがわかった気がするぜ。

「おはよう」

朝倉の爽やかなあいさつにも返事する気が起きない。
早く本心を見せやがれ、どうせロクなことをしないだろ、なんて言いたいのを理性で抑えている。

そもそも誰がこいつを復活させたんだ。
―――なんて、疑問に思うことでもない。
こんな芸当ができるやつが何人もいたら、この世の中は今以上にカオスと化しているだろう。

涼宮ハルヒだ。
長門でないとしたら、こいつ以外に誰がいる?
天蓋領域だとかの未だ良く分からない勢力の奴らの可能性ももちろんあるだろうが、
そいつらが一般人であるらしい朝倉を送り込んで何をすると言うのだろう。

「涼宮さん、ちょっといいかな。今日の宿題で教えてほしいとこがあって」

「いいわよ。……ああ、これ応用問題よね。結構面倒だけど、これをこうすれば……ほら」

「あっ、そうすればいいのね。ありがとう!」

以前と違ってハルヒは朝倉と仲良し、とまでは言わないも
普通に会話をする仲になっている。
いったいハルヒは何のために朝倉を再び俺たちのクラスに呼び戻したのだろう。

19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:36:54.63 ID:OvI6VT4f0

「よお、キョンよ、なんでお前朝倉に冷たいんだ?」

と谷口に問われたのは、俺が無心で弁当をかきこんでいた昼休みのことだ。

当の朝倉は俺たちと離れたところで大勢の女子生徒らと優雅にランチタイムを楽しんでいる。
そんなんで足りるのかと思うほど小さい弁当箱から、申し訳ない程度の米粒の塊をつまみあげ
ゆっくりと口に運んでいた。

「そうだよねえ、僕もずっと気になってた」

国木田も谷口に同調する。

「朝倉にあんな態度とるのお前くらいだぜ。なんかあったのか?」

それをお前らに説明して、且つ理解してくれれば困るこたあない。
傍から見れば俺はクラスの人気者を一方的に嫌う恐ろしく捻くれたやつなのだろう。
朝倉とは未だまともに会話したことがない。

「一年の時からずっとそうだったよねえ。やっぱりキョンは変わってる女が好みだから
ああいう典型的なマドンナタイプは苦手なんだね」

「なるほど。まあお前は涼宮で手一杯だもんな」

二人は俺がなんと言おうか考えあぐねているうちに勝手に考察を進めている。


21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:41:16.17 ID:OvI6VT4f0

「でも」

国木田が真面目な顔になった。

「あんな大っぴらに態度に出すのは可哀想だよ。朝倉さん傷ついてると思う。
それとも……本当になにかあったの?」

無論本当のことなど言えないし言う気も起きないので、

「いや、何もない。これから気をつける」

と素直に謝っておくしかなかった。

確かに俺の態度はひどかったかもしれない。
少なくともこの世界での朝倉は無害だと長門が言っているのだし、
もっと普通に接するべきだろう。

なんてことを授業中に考えている。

俺は一生懸命板書をしている朝倉をちらっと見た。

とは言うものの、怖いんだよな、こいつ。

23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:46:29.57 ID:OvI6VT4f0

「あー、この質問を……そうだな、誰に答えてもらおうかな」」

教師が生徒たちを見回すと、一斉にみんな顔を伏せた。
俺は朝倉に意識を取られていて反応するのが遅れてしまった。
そして目が合ってしまう。

案の定指名され、俺は初めてこの授業が古典であると知った。
俺の苦手とする分野だ。まあ得意なものも取り立ててないのだが。

「えーっと……もう一回問題を言ってくれませんか?」

「ちゃんと聞いてなさい。まったく。源氏物語は全何帖から成立しているか?」

ううん、わからん。
源氏物語なんて、光源氏がたくさんの女ときゃっきゃうふふしてることしか知らない。
話を聞いてない上に質問にも答えられないなんて心証は最悪だろうな。
まあ仕方ないか。考えてわかるものでもない。

「わか―――」

言いかけた時、朝倉が俺を見て口を動かしているのが見えた。
周りにばれないように口で手を隠して

「ごじゅうよん、ごじゅうよん」

と囁いている。
俺がそのままを言うと、どうやら正解だったらしく教師が満足そうに頷いた。

24: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:50:54.43 ID:OvI6VT4f0

それから授業が終わるまで、俺は一つのことをずっと考えていた。

いや、でも言うべきだよなやっぱり。

「朝倉」

「な、なに?」

朝倉は驚いたような顔で俺を見た。
そう言えば今回の世界では俺から朝倉に話しかけるのは初めてだ。

「さっきはありがとう。助かった」

うん、礼はきちんと言わないとな。

朝倉は目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。
ハルヒとは違った種類の笑顔だなと俺は思った。

太陽と月?

うわ、なんて月並みな例えだ。

「どういたしまして」

……なんだか、今までこいつを怖がっていたのが馬鹿みたいだ。


25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:54:57.83 ID:OvI6VT4f0

これをきっかけに、俺と朝倉は仲良く―――とは言わないまでも、
普通に会話をするようになった。

「ねえキョンくん、今度のオリエンテーションの後の打ち上げ、どこがいいと思う?」

「なんだお前、そんなことまで任されるのか」

「そうなの。やっぱりみんなで仲良くしたいしね」

「ま、打ち上げなんて安けりゃどこだっていいんじゃないか。食べることがメインじゃないしな。
長く居座れてそれなりに騒げるとこだったら文句ないだろ」

「そうねえ、でもそういうお店って他のクラスと争奪戦になっちゃうのよ」

「まあ頑張れよ、無理しない程度にな」

「ふふ、ありがと」

朝倉はクラスの面倒事を率先して抱え込んでいる。
前にハルヒが言っていたように、文化祭やらの行事はほとんど朝倉が指揮していたらしい。
お人よしなんだろうな。

俺の朝倉に対する評価が『お人よし』が『滅茶苦茶なお人よし』に変わるまで
そう時間はかからなかった。
こんなにいいやつなら、まあ周りの男どもが騒ぐのもわからないわけではないな。
このまま無害、それどころか有益な朝倉涼子のままでいてくれたらどんなにいいだろう。

四月も終わりに近づく頃、事件は起きた。

26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 22:59:38.72 ID:OvI6VT4f0

朝、下駄箱を開けた俺は思わず後ろにひっくり返りそうになった。
ついにこの時がやってきたか。
最初の方なんて『来る、きっと来る』とそんな心づもりでいたっていうのに
この頃の俺にはすっかり危機感が欠如していたのだ。

『放課後誰もいなくなったら、二年五組の教室まで来て』

一年前に見たのと同じ筆跡。
間違いなく朝倉涼子が書いたものだ。
変わっているのは一年五組が二年五組になったくらいだろう。

メモ用紙をポケットに突っ込んで逡巡する。
このまま回れ右して帰っちまってもいいだろうし、長門のところへ行ってもいいだろう。

迷っているうちにいつもの教室へ入ってしまう。

「おはよう」

そう挨拶してくる朝倉の表情はいつもと少し違って見えた。
何だか緊張しているような、自然な笑みがぎこちなくなっている気がする。
俺が動揺しているからそう見えるだけかもしれない。

「あ、ねえ、昨日のドラマ見た? 今すごく人気があるの」

なんて平和すぎる話題を俺に振ってくる朝倉が、この間にも俺を殺そうと目論んでいるのかと
思うと、なんだか人間不信になりそうだった。

27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 23:03:36.69 ID:OvI6VT4f0
教師の声が全く耳に入らない。
俺はさっきから朝倉をちらちら見やっている。

あの筆箱にナイフが隠してあるんじゃないか、
あのペットボトルには毒が仕込んであるんじゃないか、
もしかしたら懐には拳銃を忍ばせているかもしれない、
考えるとキリがなかった。

朝倉はそんな俺の視線に気づいたのか、

「どうしたのキョンくん、さっきから。あんまり見られると……その、恥ずかしいんだけど」

と小声で言う。顔が少し赤い。

「いや、なんでもないんだ。うん。なんでもない」

そっか、と朝倉は黒板に向き直る。
そして再びシャープペンをノートに走らせる作業に戻った。

どうすりゃいい。

本当に朝倉は俺を殺すつもりなのだろうか。

29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 23:08:23.93 ID:OvI6VT4f0

いつの間にか授業は終わり放課後になっていた。

文芸部室で朝比奈さんの淹れてくれたお茶を飲み、精神を落ち着かせる。
早くこのことを長門に言うべきだとわかっているのに、どうしても気が進まなかった。

朝倉を信じたい、なんて大げさなことは思っちゃいない。
そもそもそこまで思う義理もない。
だがここで長門にメモのことを言うのは―――後ろめたかった。
先生に告げ口するような気持ちに似ている。

「キョン、さっきからなにぼーっとしてるのよ!」

ハルヒが怒鳴る。

「もうっ。あんたも真剣に考えなさいよ!」

「なにをだ」

「どうすればSOS団に新入部員がなだれ込んでくるか、よ」

アホらし。
一体誰が好き好んでこんな活動目的も不明確な部活に入るというのだ。

とりあえず適当にあしらって、部活が終わるのを待った。

―――朝倉よ。
行ってやるさ。聞いてやろうじゃないか、お前のお話をな。

31: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 23:13:52.82 ID:OvI6VT4f0

深呼吸してから教室のドアを開けた。
オレンジ色に染まった教室に一人立っているのは、やはり朝倉涼子だった。
朝倉の表情を読み取れない。
俺と目を合わせようともしないからだ。

「何の用だ」

俺が単刀直入に聞くと、朝倉は肩をびくっとさせた。
少し口調がきつかったか。

「あ、あの、ドア閉めてくれる? あんまり人に聞かれたくないし」

言われたとおりにして教室内へ入る。
なんだかよく分からない怒りが湧き上がってきた。
せっかくまともなクラスメイト同士の関係になったと思ったらこれだもんな。
どうせお前はこの後、やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいいよねとかなんとか
俺に聞いてくる。で、ハルヒの出方を見るためにナイフで俺を刺そうとする。

ひどく裏切られた気分だった。なににかはよくわからない。

朝倉が俺に近づく。

「今週の日曜日、空いてる?」


……はい?

34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 23:17:32.89 ID:OvI6VT4f0

この時の俺の間の抜けた顔と言ったら、ハルヒにでも見られたら一週間は
からかわれそうなほどのアホ面だった。
思考が上手く働かないし、口も動いてくれない。

「やっぱダメか……」

小さくそう呟くのが聞こえた。

「わざわざ呼びつけちゃってごめんね。迷惑だったよね。じゃあまた明日」

朝倉は笑顔で俺に手を振り、背を向けた。
何故だがその吹っ切れたような笑みは寂しそうに見えた。
朝倉の手がドアにかかったところで、ようやく思考回路が機能し始めた。

このまま行かせたら駄目だ。

待て朝倉、俺はてっきりお前が―――。

手が細い手首を掴んだ。
朝倉が驚いて俺を振り返った。

「き、キョンくん?」

「待ってくれ。もう一回話を聞かせてほしい、ちょっと混乱してたんだ」

35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 23:21:42.23 ID:OvI6VT4f0

「あ、うん、わかった……あの、手、ちょっと痛い」

俺は慌てて手を離した。
どれだけ強く握ってたんだ。余裕がなさすぎだぞ俺。

「えっと、うちの両親が来月の頭に帰ってくる、って話したの覚えてる?」

ああそう言えばそんなことを言っていたな。
朝倉の父はカナダに出張していて、母はそれについていったらしい。
お前はなんで行かなかったのかと聞くと、だって友達と離れちゃうの嫌じゃない、と
至極女子らしい答えが返ってきたので拍子抜けした。

「それでね、父さんの誕生日がそろそろなの。だからなにかプレゼントあげたいって思って。
でもわたし男の人がなにを貰って喜ぶのかわからないのよ」

朝倉は困ったように笑った。
全ての感情を笑みで表現できるのはすごいなと思う。自分にはそんな器用な真似できない。

「キョンくんに一緒に選んでもらえたらと思って誘ったんだけど……日曜、用事あったりする?」

俺はたいていにおいて暇を持て余している。
日曜もハルヒがどうこう言いださなければベッドでごろごろして一日を過ごすだろう。
断る理由はない。

「わかった。俺でよければ付き合うよ」

「本当に? ありがとう!」

俺はこの時、初めて朝倉涼子がとても可愛いことに気づいた。

37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 23:27:10.49 ID:OvI6VT4f0

その後朝倉とアドレスを交換して、一緒に下校した。
下校時刻をとっくに回っていたので俺たち以外に生徒はいなかった。

もう夕日は半分以上沈んでいて、雲の帯がオレンジから紫色にグラデーションを描きながらたなびいている。
そんな中を、谷口のいうAA+の女子と肩を並べて下校する、なんてのは
俺が当初思い浮かべていた高校生像だったんじゃないかと思う。

「にしても、わざわざあんな呼び出し方しなくてもいいじゃないか。驚いたぞ」

「誰かに聞かれるのも恥ずかしいし、携帯の番号も知らなかったからああするしかなかったの。
すごい古典的だなって、自分でも思ったんだけどね」

俺が突っ込みたいのは古典的な手法だとかではなく、なぜあの前の朝倉と同じ手段を取ったのか、
だったがもちろんそんなことは聞けない。

ともかく俺は安心していた。
今のところ朝倉は、長門の言うように普通の女子生徒だ。
長い髪を軽やかに揺らして歩き、最近の音楽について楽しそうに話しているこいつが
俺に危害を加えるとは思えない。

俺は朝倉をマンションまで送った。特に意味はない。

「キョンくん、またね!」

朝倉が扉の向こうへ消えていくのを見届けてから、その場を離れた。

38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 23:32:57.68 ID:OvI6VT4f0

日曜日はあっという間にやってきた。
待ち合わせ場所に行くと、私服姿の朝倉がいた。
春らしいふんわりした白のワンピースがよく似合っている。
髪止めも普段のと違って花を模したものになっていて、プライベートという感じがした。

なんだか絵本から飛び出てきた無垢な少女みたいだ。

「悪い、待ったか?」

「ううん。今来たとこ。じゃあ行きましょ」

電車に乗って向かったのは大きな百貨店だった。
紳士服売り場へ着くと、朝倉は物珍しそうに辺りを見回した。

「何がいいと思う?」

「やっぱり普段使えるものがいいんじゃないか。ネクタイとか」

「ネクタイかぁ……これなんかどうかな」

朝倉はフロア中の店を回り片っ端から俺にネクタイをあてていった。
最初は選別していたらしくまともな柄だったのが、だんだん奇抜な色のやら
アニメキャラのやらになり、朝倉はそれを見てくすくす笑っていた。

お前、遊んでるだろ。

「あはは、だっておもしろいんだもん」


42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 23:41:12.16 ID:OvI6VT4f0

朝倉に笑顔でそう言われると、俺はもう返す言葉がなくなってしまう。
俺は朝比奈さんよろしく色々被らされたり、着させられたり、
まるで一人ファッションショーのようだったが、結局プレゼントに選んだのは全く無関係の
携帯ストラップだった。

「父さん、携帯電話何台も持ってるのよ。すぐ見分けがつくといいかなって思ってね」

ストラップと言っても、とある有名ブランドの滅茶苦茶高価な代物だ。
高校生の娘がプレゼントするには立派過ぎやしないか?

「バイトしてお金溜めたの」

「へえ、バイトなんてしてるのか」

「うん。家賃や生活費は全部出してもらってるから、遊んだりするお金くらいは
自分で稼がなきゃ悪いじゃない」

「朝倉ってホントしっかりしてるよなあ」

俺がそう言うと、なぜか朝倉の表情が一瞬曇った。
なにか気に障ったのだろうか。慌てて言葉を繋ごうとすると

「ねえ、映画見に行かない? 見たいのがあるんだ」

と弾んだ声で言われてしまい、俺はああ、と同意することしかできなかった。

44: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/30(金) 23:55:42.80 ID:OvI6VT4f0

上映時間まで、俺たちは映画館に併設しているショッピングセンターで時間を潰した。

「これ、やっぱり派手じゃない?」

朝倉は試着室のカーテンを開けて、落ち着かない様子でそわそわしていた。

ピンクのふりふりのワンピースだ。朝倉が今日着てきたのよりは、確かに派手だ。

が、その姿は似合ってる似合っていないのレベルでなく、神々しいと言ってもいいくらいだった。
なんだか後光が射してみえる。

「もうっ。思ってもないことばっかり」

怒ったように言って、しゃっとカーテンを閉めてしまう。

俺は思ったことを言っただけなのにな。

「お客様にはこれも似合うと思いますよお」

店員さんが次々と新しい洋服を引っ張り出してきては朝倉に押し付けていく。
さっきは俺が着せ替え人形だったからな。もちろん助けようとは思わない。

ああ、素晴らしき目の保養だ。
やっぱり朝倉って可愛いんだな、と改めて思う。

45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 00:04:29.68 ID:C3jfGkVz0

結局暇つぶしは暇つぶしでなくなってしまい、14:30の回を見るつもりだったのが
19:10の回になってしまった。そこら中を歩き回ったからか、座席に沈みこむと早速眠気が襲ってくる。

朝倉が見たがっている映画はありがちな恋愛もので、どっちかが病気で死んで
どーたらっていう話だった。
正直、興味ない。と思う俺はそうマイノリティな方でもないだろう。
事実館内にはカップルか女のグループしかいない。

ひどく居心地が悪い。
なんだか場違いな気がする。
隣を見ると、朝倉は大きなポップコーンの箱を膝の上に乗せ、スクリーンを食い入るように見つめていた。
病室でのキスシーンだ。

まあいいか。
朝倉がこんなに真剣に見てるんだから、それだけでもこの映画は作られた価値があるんだろう。


スタッフロールが流れる頃にはくぐもった泣き声があちこちから聞こえた。

朝倉もタオルで目元を抑えて泣いていた。
しばらく席から立てなかったほどだ。結局ポップコーンは半分以上俺が平らげることになった。

「大丈夫か?」

「……うん。ご、ごめんね。もう平気だから」

46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 00:08:07.56 ID:C3jfGkVz0

外はもう暗くなっていた。
春の夜風は少し肌寒いものの、どこか心地いい。

「割と良い映画だったよな」

これは本心だ。思ったよりかは感動したし、終わり方も後味が良かった。

「そうね……わたし、ああいう話って映画の中だけじゃないと思うの」

「まあ、実際にそういうこともあるだろうな」

「それがいつか自分にも起こるんじゃないかって考えると、すごく怖くなるのよ」

「なーに言ってんだ。お前が死ぬのはあと六十年くらい先だよ」

「わたし自身よりも、わたしの周りの人が死ぬかもしれないって思うとね……
たぶん立ち直れないな。そんなことになったら」

朝倉は俺を見るとすぐに視線を逸らした。
どこかに行く訳でもなく、恐らく違うことを考えながら、俺たちは夜道をひたすら歩いた。

49: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 00:13:56.20 ID:C3jfGkVz0

『死ぬのっていや? 殺されたくない? わたしには有機生命体の死の概念がよく理解出来ないけど』

いつかのあいつのセリフが蘇る。
あいつは朝倉涼子じゃない、朝倉涼子の外見をした別人だな。

今隣を歩いている朝倉涼子が朝倉涼子の本来の姿なんだろう。
あっちが偽物で、その偽物が先に登場したお陰で俺はすっかり勘違いをしてしまったんだ。
朝倉=危険なやつと刷り込まれてしまったんだ。

そうでも思わないとやってられない。

はあ、なんでこんなに普通の女の子なんだ。

思わずあらぬ行動に出そうになったじゃないか。くそ。

「キョンくん?」

朝倉が不思議そうに俺を覗きこんだ。

「どうしたの、さっきからぶつぶつ独り言言って」

「えー、いや、何でもない。それよりも、親父さんプレゼント喜んでくれるといいな」

「うん! 父さんも母さんも早く帰ってきてくれないかなあ」

俺の苦しすぎる話題転換についてきてくれる朝倉は、どこまでも優しい。

51: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 00:18:21.94 ID:C3jfGkVz0

その後朝倉を家まで送り届けて自宅に帰るころには、もう時刻は十一時を回っていた。


今日は時間が過ぎるのがやたら早かったな。

考えるべきことがたくさんあるような気がしたが、それをすべて放棄して
ベッドに潜り込んだ。

もういいじゃないか。

朝倉は本当に無害なただの女子生徒だったんだ。

いや、ただの女子生徒というには語弊がある。

とんでもなく魅力的な女子生徒。うん、これだな。


ああ、なんだかどっと疲れが出てきた。
なんだかんだで俺も緊張してたのか。


あー。うー。
もう寝よう。なにも考えたくない。

53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 00:23:31.63 ID:C3jfGkVz0

それから一週間が何事もなく過ぎた。
新入団員を探してこいだの不思議探しだの、それらハルヒの要求は俺の中では
特筆すべきことでないくらいに日常となってしまったことが嘆かわしい。

明日から連休に突入だ。
俺はそれだけを頼りに退屈に退屈を重ねた退屈すぎる授業を乗り切る。

そう言えば、聞きたいことがあった。

「朝倉、親父さんはどうだった?」

「ああ……父さん、今回は帰ってこないって。仕事の都合がつかないらしいの」

朝倉はにこっと笑った。

「でも、いいのよ。慣れてるし。それに仕事なら、寂しいけど、仕方ないわ」

なぜだろう。俺は面識もない朝倉の親父に腹を立てていた。
まだ高校生の娘放っといて、仕事だと? お前の娘は一生懸命働いて貯めた金で
プレゼントまで買ったっていうのに。
こんないい娘、滅多にいないんだぞ。わかってるのか親父さん。

ああ、なんで俺はこんなにいらついてるんだか。

「朝倉、俺でよかったら付き合うからな。暇な時は好きなように呼び出せ」

なんて勢いで言ってしまったのも、怒りで正常な判断が出来なかったからに違いない。

55: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 00:29:12.06 ID:C3jfGkVz0

で、俺は連休中なにをしていたかって?

去年と同じだ、従兄弟たちとぎゃあぎゃあ言いながら遊んでいた。
年中行事に逆らえない自分が悲しい。

それでも朝倉とだらだらとメールをやりとりしているだけで
なんだか楽しい気分になれた。
本当は電話でも入れてやろうかと思ったのだが、聞き耳を立てそうなやつらが
妹を筆頭に何人もいそうだったので止めておいた。

もう休みも終わりか。さっそく五月病になりそうだな。

窓から外を眺めていると、思い切り襟首を掴まれた。

「ちょっとキョン、なにぼーっとしてんのよ!」

いってえなこの野郎。
なんでお前はそんなに元気なんだ、連休明けなんだからもっとこう、
だるだるしてもいいだろうが。

「ねえ、今度サッカー大会があるんだけどっ、あんたサッカーって何人でやるのか知ってる?」

十一人だろ。野球よりも二人多いのに、いったい誰を引っ張ってくるつもりだ。

俺たちがそんな会話をしている前を、朝倉が無言で通り過ぎていった。
この時に異変に気付くのはさすがにまだ無理だった。

57: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 00:39:02.35 ID:C3jfGkVz0

俺は気を揉んでいた。
朝倉が日に日に元気をなくしていくからだ。

「何かあったのか?」

といくら聞いても、

「ううん、なんでもないよ。本当よ、心配しないで」

と返されるばかりだ。
しかも朝倉が俺に話しかけてくれる回数が明らかに減っていった。
俺が話を振っても早く終わらせてくれと言わんばかりに目を逸らされる。

ぼおっとしていることが多くなり、居眠りを頻繁にするようになった。
指名されても気づかないほど朝倉の意識は遠くに行ってしまっているらしい。
この間は弁当箱をひっくり返したりしていた。
そんな感じで、変だと感じているのはもちろん俺だけではなかった。

「最近おかしいわよ、朝倉のやつ」

ハルヒは部室で不満げに言った。

「せっかくメンバーに入れてやろうと思ったのに」

「メンバーって、サッカーのか」

「そう。あいつ運動神経いいしさ、適役なんだけど。体の調子でも悪いのかしら?」

59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 00:47:04.93 ID:C3jfGkVz0

そして翌日、ついに朝倉は学校を休んだ。
隣の席がぽっかりと空いていて、なんだか寒く感じた。

「ハルヒ」

「なに?」

「俺、今日先に帰る」

「なんで?」

「妹が風邪ひいて看病しなきゃいけないんだ。親は出払ってるし、俺しかいないから」

嘘がすらすら飛び出る。ハルヒはあっさりと、

「わかったわ。妹ちゃんお大事にね」

そう言って俺の手に小分けになったチョコレートの袋を握らせた。

「なんだこれ」

「チョコって栄養あるって言うじゃない。早く治るといいわね」

俺の良心が少し、いや、かなり痛んだ。
すまん。
ポケットにチョコをしまい、心の中でハルヒに謝った。

60: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 00:53:08.87 ID:C3jfGkVz0

朝倉のマンションに着いたまではよかったが俺は玄関口で固まっていた。
噴き出た汗が、今や冷たくシャツに張り付いて気持ち悪い。

部屋の番号が思い出せないなんて、アホか俺は。
708号室、は長門だし―――ああ、なんだったっけな。
前に来たことがあるってのに!

ええい、ままよ!
俺はやけくそになって、ぱっと思いついた数字を押した。
505。
もし間違ってたらローラー作戦だ、片っぱしから数字を入れてってやる。

少しの沈黙ののち、俺はアタリを押したらしいと思った。

「……はい、朝倉です」

「あー、俺だけど」

無音。俺が名前を名乗るべきか迷っていると、

「入って」

消え入りそうな声が聞こえた。

エレベーターで五階に昇り、505号室のベルを鳴らす。

「……キョンくん」

朝倉がおずおずとドアを開けた。

63: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 00:59:30.13 ID:C3jfGkVz0

「どうぞ」

朝倉の顔はいつもより白っぽく見えるのに、目と鼻だけが赤らんでいた。
目の下にはクマが出来ていて、足取りはおぼつかない。
もしかして俺、とんでもなく迷惑だったんじゃないか。そう気付いてももう遅い。
そもそも携帯でメールなり電話なりすればいいものを。
こう言う時こそ文明の利器を活用すべきだったのだ。

「座ってて。今お茶用意するから」

「いいよ。お前具合悪いんだろ」

「平気平気」

無理やり背を押されてリビングに通された。
テーブル、ソファ、テレビ、ステレオ、観葉植物、なんだかモデルルームみたいだ。
テーブルの上には女性向けの雑誌と飲みさしのグラスが置いてあり、DVDプレーヤーの上には
お笑いライブかなにかのパッケージが乗っている。

「……お待たせ」

朝倉がお盆にお茶を載せてやってきた。

熱いお茶を一息で飲み干し、俺は言うべき言葉を考えた。

68: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 01:04:41.88 ID:C3jfGkVz0

「朝倉。最近どうしたんだよ」

「だから、何もないって……」

「嘘言うな」

朝倉の定型文を一蹴する。
じっと睨むように見据えていると、観念したように朝倉は溜息をついた。

「……これからわたしが話すこと、全部冗談だと思って聞いてくれる?」

「ああ」

「わたしね、最近夢を見るの。キョンくんを刺す夢」

ひゅんっ。
ああ、心臓が縮むとこういう音がするのか。

「場所はいつも教室で、わたしはキョンくんを刺そうとしてるの。ナイフを構えて、走って、
夢の中のわたしは変な力が使えて、バリアを使えたり動きを止めることができるみたい。
それでキョンくんを動けなくしてとどめを刺そうとして走り出すの」

そこで長門が助けにきてくれた。

「ナイフが刺さる寸前で、視界が白くなって―――別のところに飛ぶの」

71: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 01:11:47.54 ID:C3jfGkVz0

「場面が変わって、今度は学校の校門になって、たぶん季節が冬なんだと思う、コートを着てるから。
わたしはさっきと同じようなナイフを持って、凄いスピートで駆けて、キョンくんを刺して……」

朝倉の顔は青ざめていた。手が震え、呼吸が荒くなった。

「それで、両手がナイフをねじるの。ぐりぐりって。その感触も飛び散った血の温かさも
すごくリアルで、わたしはキョンくんが倒れてるのを見て、笑ってた。視点は第三者からでなくて
わたしからだから、当然自分が見えるわけじゃないんだけど、でも、わかるのよ。
わたしは楽しくて嬉しかった。キョンくんに死んでほしいって本気で願ってる。
それで最後にナイフを振り下ろそうとして」

「そして、目が覚めるの」


夢なんかじゃない。
これは現実にあったことだ。

でも、なあ、長門。
世界は改変されて、朝倉は普通の女の子になったんだろ?
どうしてこんな血みどろな記憶が夢になって出てくるんだよ。
こんなの、燃えるゴミの日にでも出して焼却処分されるべきなんだ。

「毎日この夢ばっかり見てて……眠るのが怖い」

目の下のクマが、一層濃く見えた。

72: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 01:18:39.35 ID:C3jfGkVz0

「いつか夢が本当になるんじゃないかって、そんな気がするのよ。
わたしは明確な殺意を持っていて、毎日毎日キョンくんを殺してる。
だから、また前みたいな口もきかない仲になれば……」

「なんで俺にすぐ言ってくれなかったんだ?」

「言えるわけないよ、こんなこと……」

朝倉。
お前はそんな終わり方でいいのかもしれんが、こっちは全然、ぜんっぜん納得出来ない。

俺を殺す夢? はん、夢はただの夢だ。
夢の中で俺が何百回死のうが、現実の俺はぴんぴんしてるんだ。
全然平気だね、もう超余裕。

だから、お願いだから俺と仲良くしてやってくれよ。
お前に無視されたりそっけなくされるのは結構精神的にきついんだ。

口きかない仲に戻るだなんて言わないでくれ。


俺はそんな気持ちをなんとか言葉にした。
朝倉に二回も殺されかけたことなんて、もうそれ自体夢にしてしまってもいいじゃないか。
あんなの、どうでもいい過去のことだ。

「キョンくん」

朝倉の赤く腫らした目元から涙がぽろぽろと零れ落ちた。
それを拭うこともしないで真っ直ぐ俺を見つめている。

73: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 01:28:48.33 ID:C3jfGkVz0

そんな朝倉の姿は、きっと美術館に展示したら見物客が波のように押し寄せてくるだろうと思わせるほど
美しくて神秘的だった。

俺が場違いな妄想にとりつかれて何も言えずに見惚れていると、いつの間にか胸のあたりに朝倉の頭があった。
髪から放たれる香りが鼻腔を突く。

朝倉は肩を震わせて泣いていた。
俺が両手を背中に回すと、朝倉の体がびくりと震えた。

「ごめん……わたし、何やってんだろ」

くぐもった声が聞こえる。
細い体が離れようとするのを両手で抑えた。
もう手放す気には到底慣れなかった。
このまま全世界が停止してしまえばいいと思った。

「キョンくん……」

「早くそんなふざけた夢は忘れた方がいい」

「でも」

「いいから」

そんな問答が延々とループする。徐々に返す声が小さくなっていった。

十分ほど経っただろうか、朝倉は俺の腕の中で寝息を立てていた。


75: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 01:38:05.13 ID:C3jfGkVz0

さて、どうしようかね。
できれば朝倉が目を覚ますまでこの状態でいたいのだが、
さすがに理性を保てそうにない。

起こさないようそっと抱きかかえたまま右往左往して寝室を探す。
どの部屋も無駄に広すぎる。女子高生が独り暮らしするような間取りじゃないだろう。

「ここか?」

なんとか片手でドアを開けると、途端にだあああと流れ込んでくるように朝倉の匂いがした。
手探りで電気を点ける。どうやらこの部屋で間違いないようだ。
手狭な部屋だ。正面に勉強机があり右隅にはベッドがあった。起こさないようにそっと横たえて布団を被せる。

朝倉はほとんどをこの寝室兼勉強部屋で過ごしているんじゃないだろうか。
綺麗すぎるリビングと違い生活臭に満ちている。
雑多なものが整頓されてそれぞれあるべき所に収まって秩序を保っている様子は
キューブパズルを連想させる。

机の上にはブランドのロゴの入った箱が置いてあった。
一緒に買いに行った携帯ストラップだ。

早く帰ってきてやれよな、親父さん。

俺は椅子に腰かけてしばらく朝倉の寝顔を眺めていた。
しばらくの間そうしていて、もう朝まで目が覚めることもないだろうと部屋から出ようとすると
手首に細い指が触れた。

77: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 01:59:08.27 ID:C3jfGkVz0

「待って……もう少しだけ、ここにいて……」

朝倉は少し焦点のずれた、ぼんやりした瞳で俺を見る。
指にほんの少し力がこもる。

「わかったよ」

俺が椅子に座り直すと、安心したように腕を掴んでいた指が滑り落ちていった。

この比較的狭い部屋には全てが詰め込まれていた。
制服もタンスも教科書も化粧水もドライヤーも本もだ。
あのリビングやほとんど手をつけられていない他の部屋を思い出し、俺は確信を得る。

ずっと一人で、あんなだだっ広い部屋にいられなかったのだ。
朝倉は寂しさを紛らわすために、少しでも壁と自分との距離が近い部屋を選んだに違いない。

俺の勝手な思い込みだったらそれでよかった。
でも朝倉は俺が椅子から立ち上がる度に、閉じていた目をぱっと開けて俺を悲しそうに見た。
まるで母親が離れる途端に夜泣きを始める赤ん坊じゃないか。

朝倉に触れたいと強く思ったが、それは今すべきことでないのだと言い聞かせた。

結局朝倉の家を出たのは夜中だった。
玄関に鍵が二つあったので一つを持ち出しそれで施錠した。
どこに隠しておこうか迷った挙句、明日にでも返せばいいやと持ち帰ることにした。

78: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 02:07:04.87 ID:C3jfGkVz0

「キョンくん、帰ってくるの遅いよお! 今日ねえ~」

妹はまだ起きていた。家に連絡していなかったのを今更思い出したが時すでに遅し、母親が俺に
小言を浴びせる。適当に言い訳を連ねて自室へ向かった。

妹の話を聞く気にも、飯を食う気にも、風呂に入る気も、とにかくなにもする気が起きないままベッドに倒れこんだ。

朝倉は今頃いい夢を見ているだろうか。そうだと信じたい。
なんであいつが苦しまなくちゃならんのだ、あいつに落ち度はないはずだ。
いったい神様は人間のなにを見て判断を下してるんだろうな。
直談判に行ってやろうか。

一人であんなに大きい家に住んで、何もかもを一人でこなして、
あいつは一人で背負って、寂しかったのだ。

俺はあいつがそんな風に思っているなんて考えてもみなかった。
なんで早く気付いてあげられなかったんだ。
なんで俺は朝倉に対してこんなことを思ってるんだ。

熱いような痛いような、吐き気にも似たなにかが胸のあたりを駆け巡った。

ずっと先延ばしにしてきた問題に、そろそろ触れるべきだ。


寝がえりを打つと、ポケットからなにかが転がった。

ハルヒがくれたチョコはぐちゃぐちゃに溶けてしまっていた。


107: 保守ありがとう! 2009/10/31(土) 10:24:13.30 ID:C3jfGkVz0

眠い。昨日はロクに寝付けなかった。

「おい、キョン」

「なんだ」

「お前どーなんだよ?」

「なにがだ」

「朝倉とだよ。前に一緒に帰ってるの見たってやつがいてな」

谷口のこういう面にだけ発揮される情報収集能力には頭が下がる。
俺は喉からあいまいな声を出した。

「いい加減はっきりしろよ」

そう言えば声のトーンがいつもと違う。
俺はこの時になって初めてまともに谷口を見た。そして驚いた。

谷口は真顔で俺を睨んでいた。

「言わなきゃわかんねーなら教えてやる。涼宮はお前が好きなんだよ。
お前の鈍感はわざとなのかなんなのか知らねえが、もうしらばっくれんのは止めろ」

言い返そうとする前に谷口はさっと横を通り抜け、校舎へと入ってしまった。



108: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 10:29:21.86 ID:C3jfGkVz0

「あー、暇。ほんっとに暇よ。ねえ、何かないの?」

「何かって、何がしたいんだよ」

「それが分からないから聞いてるんじゃない」

「そんな偉そうに言われてもな……サッカー大会はどうなったんだ?」

「出るわよ、もちろん。来週までに人員を確保しないとね。朝倉のやつ今日も休みかしら」

「そうみたいだな」

「あ、そうだ。妹ちゃんは風邪治ったの?」

「ああ。もうすっかり良くなった」

「そう」

ハルヒは退屈そうに外を眺めている。


「……はやく七夕にならないかしら」

109: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 10:33:51.33 ID:C3jfGkVz0

昼休みになった。
朝倉はまだ来ていない。

谷口とあんなやりとりがあった後だし、机をひっ付けて飯を食うのも気遅れするので
学食で済ませてしまおうかと廊下を見やる。
図ったかのように古泉がにこやかな笑みを浮かべて立っていた。

どうせいい知らせではないだろう。

「何の用だ?」

「ここではちょっと。場所を変えましょう」

中庭に向かう途中で、今登校してきたらしい朝倉と出くわした。
すっかり元気そうで声もいつもより弾んで聞こえた。

「おはよう」

「もう調子はよくなったのか?」

「うん、もう平気よ。寝坊でこんなに遅刻するなんて初めて」

じゃあまたね、と朝倉は俺と俺の横で突っ立っている古泉に笑いかけてから
軽やかに階段を上っていった。

古泉は険しい表情でそれを見送っている。

110: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 10:38:15.23 ID:C3jfGkVz0

古泉はコーヒーに手をつけずに、

「昨日の放課後はどこにいらしたんですか」

とゆるやかな笑みを浮かべつつ詰問する。
たぶん妹云々の嘘はばれてしまっているのだろうと俺は思った。

「僕たちは昨日の帰り道、風邪のはずの妹さんがあなたのお母様と一緒に
歩いているのを見かけたんですよ」

昨日妹が俺に話そうとしていたことはこれだったのか。

「涼宮さんはお二人に挨拶をされてから、その後何事もなかったかのように振る舞っていましたがね」

古泉の顔がずいっと近づく。
今は決まり文句を口に出す気になれない。

「あなたは、どこにいたんですか」

「……朝倉涼子の家だ。見舞いに行ってたんだよ」

「それは嘘をついてまで、涼宮さんの機嫌を損ねてまですることだったんですか?」

「ああ」

そうだとも。

112: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 10:42:16.29 ID:C3jfGkVz0

「あなたは朝倉涼子に好意を抱いている。そう受け取ってよろしいですね」

古泉の誘導尋問は嫌になる。
そう聞かれたら、俺は首を縦に振るしかない。

古泉はわざとらしくため息をつき、コーヒーを飲んだ。

「今、涼宮さんの精神はかなり不安定です。しかし―――これには我々も驚いているのですが、
それをほとんど表に出していないのです。昨日も今日も、彼女は普段通りの涼宮さんに見えます」

教室で退屈そうにしていたハルヒを思い返す。
嘘をついてサボった俺を叱責する訳でもなくただ七夕の到来を待ち望んでいた。

「恐らくは理性で押しとどめているんでしょう。この心持ちの変化の是非は、まあ置いておきましょうか。
涼宮さんの内面で、問題は確実に起きていますからね」

「あの陰気臭いナントカ空間が発生してるのか?」

古泉は困ったように肩を竦める。

「もしそうだとしたら、僕は今あなたとこうして安穏とお話してはいられないでしょう。
でも、閉鎖空間が発生する前触れ、予兆みたいなものを昨日から感じ続けています」

「予兆?」

114: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 10:46:44.77 ID:C3jfGkVz0

「言葉では説明しがたいのですが、空間の歪みのようなものがそこらで起きているんです」

「歪み、ねえ」

「あなたに僕と同じ力があったら驚くでしょうね。今日の午前11時の時点で329件が確認されています。
しかし閉鎖空間、つまり神人自体は発生していないので、我々には現時点でとれる有効な手段がないのです。
こうしている間にも歪みは増えていくばかりだというのにね」

「わかった。俺のせいでこうなったんだろ、ハルヒに昨日のことを謝ってくる」

古泉は静かに首を振った。
そして呆れたような目で俺を見る。

「今あなたが涼宮さんに昨日の、つまり朝倉涼子について話すのは危険です。
パンパンに膨れた風船に刺激を与えるようなものですよ」

「じゃあ俺はなにすりゃいいんだよ」

「今は静観しているしかないでしょう。ただ、近いうちに最大規模の閉鎖空間が現れることは確かです。
そしてそこには涼宮ハルヒとあなたがいて、僕らは恐らく侵入できないでしょう」

古泉は飲み終えたコーヒーの缶をゴミ箱に放り投げる。
お、入った。お前きっと今日、いいことあるぞ。

「あなたが涼宮さんに何らかの愛情表現を示せば、閉鎖空間の発生を阻止できるでしょうが」

悪い、古泉。

それだけはできない。

115: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 10:50:47.78 ID:C3jfGkVz0

古泉は表情を少しも変えなかった。

「当然と言えるでしょうね。あなたが好きなのは朝倉涼子なのだから」

俺の気持ちを確認するような口調だ。
試されているのだろうか。
俺はこんなこと、冗談でも言わないだろう。お前ならそれくらいわかってるだろうが。

「悪いが、お前の期待には沿えない」

「残念です」

予鈴が鳴る。
古泉が立ちあがった。俺も倣う。

「友人としての僕はあなたを応援したいのに、機関に属している僕がそれを許さない」

そして振り向かずに言った。

「ふがいないです」

116: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 10:55:34.07 ID:C3jfGkVz0

隣にいる朝倉を視界に入れつつ午後の授業を終えた。

「またね」

「おう」

こんなやりとりだけでもひどく気分が浮つくのは、恋愛なんぞ精神病の一種という論を
証明しているようなものだ。

なあ、ハルヒよ。

その日のSOS団の活動はつつがなく、普段通り、何事もなく終わった。
朝比奈さんは麗しきメイド姿でお茶を淹れ、長門は読書に没頭し、
古泉は先ほどの会話などなかったとばかりに俺とボードゲームに興じていて、
ハルヒはネットをしつつ突拍子もないことを言いだす。
俺がそれにああだこうだとケチをつけ、ハルヒが口を尖らせる。

俺はもちろんこんな日常を楽しいと思っている。
それは恐らくハルヒも同じだろうさ。

問題は環境だのの外的なものではない。
俺たち自身なのだ。

ハルヒと俺が、お互いをどう思っているか、だ。


118: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 10:59:41.85 ID:C3jfGkVz0

夜、朝倉にメールを入れてから布団に入った。

俺がハルヒに言うべきことを必死に考える。
丁度一年前、閉鎖空間から帰ってきて以来、俺は自分の気持ちに答えを出すのを
今までずっと先延ばしにしてきた。
こんな問題が起こらなかったら永久に考えなかったかもしれない。
このまま高校生活を過ごしていただろう。

涼宮ハルヒはただのクラスメイトではない。

もちろん神だ進化の可能性だ時空の歪みだ、そんなことも思っちゃいない。

じゃあなんなんだ。俺にとってハルヒってどういう存在なんだ。

そこでいつも思考が止まる。

一年前と同じだな。

あの時の白雪姫、Sleeping beauty、朝比奈さん(大)と長門がくれたヒント。
あれは強制された行為だったのか。
違う、たぶん違う。

突然、頭をぶん殴られたような強烈な眠気が襲ってくる。

そして目を開けると、俺は閉鎖空間にいた。

119: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 11:05:04.19 ID:C3jfGkVz0

空はどこまでも灰色だ。
ハルヒの顔が視界を覆う。

「キョン、気がついた?」

「ああ」

「ここって、前に来たことあるわよね」

ハルヒは不安げにあたりを見回した。
死んだように佇んでいる校舎は不気味だが、俺が閉鎖空間に入るのは三度目だ。
さすがに慣れてしまう。

「なんであたしたち、またこんなところにいるのよ……きゃっ」

地面が揺れた。
ごごごごごごご、地響きがしてアスファルトが割れていく。
立っていられない。
校舎の窓ガラスが割れて俺たちの周りに落ちる。

揺れは収まらない。それどころかますます激しくなっていくようだった。
地震の時屋外にいるのは危険です。防災訓練でそう習ったが、まともに動けないのにいったいどうしたらいいってんだ。
瓦礫がばらばらと頭上から降ってくる。

俺は這いつくばってハルヒの元へ寄ると、その上に覆いかぶさった。
背中に何かの破片がびしびし当たる。痛てえ。
この閉鎖空間の発生原因が俺の言動にあるのなら、ハルヒを守る義務は当然俺にある。
……なんて御託を行動に移した後で考える。

122: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 11:11:30.91 ID:C3jfGkVz0

揺れが止み、呼応するように神人が姿を現した。
おいおい。少しご登場が早すぎやしないか。
ハルヒとゆっくり話す時間をくれたっていいじゃないか。

「逃げよう」

俺はハルヒの手を引っ張って走りだした。神人は校舎を破壊し始める。
ハルヒは何も言わなかった。前回はあんなに興奮して大喜びしていたのに、
今はただ俺の手を強く握って浅い息を吐いている。

グラウンドに降りて視界が開ける。
何体もの神人が思い思いに世界をぶち壊そうとしている。

ひときわ神人が密集している場所があった。

あれは―――朝倉涼子のマンションだ。

マンションは何体もの神人に攻撃され、あっという間に沈んでいった。
それでも神人たちはその青白い腕を振り下ろすのを止めない。
彼らはハルヒの分身、本心なのだ。
明確な憎悪があった。

俺は呆けてその光景を眺めていた。

「キョン」

背後からハルヒの尖った声が聞こえる。

123: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 11:17:02.80 ID:C3jfGkVz0

握っている手を引っ張られた。
体が捻られると、さっき瓦礫が当たったらしい背中が痛んだ。
ハルヒが顔を歪めて俺を見ている。
怒っているのか泣くのを堪えているのか、判別しづらい表情だ。

「これって夢じゃないわよね。これ……あたしのせいなの?」

「そんなわけ、ないだろ」

「嘘よ。一年前も同じだった。あたしがみくるちゃんに凄く―――その、イライラした日、
あたしはここにいて、今日もそう……」

「ハルヒ、」

ただの人間にそんなこと出来ないさ。これはただの夢―――。

言おうとしてハルヒがそれを打ち消すように大声で怒鳴った。

「あたし、あんたが好きなの」

俺は突然の告白に思考停止した。
谷口や古泉に言われるのと、本人に直接言われるのとではわけが違う。

「最近やっとわかった。あたしはキョンが好きなの。あんたは、どうなのよ」

124: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 11:22:13.91 ID:C3jfGkVz0

「俺はお前が好きだと思ってた」

ハルヒを握っていた手を離す。

「でも俺は、今までそんなの口に出したりしなかった。
つかず離れずみたいな、そういう関係が心地よかったからだ。」

「……それはあたしもそうだったわ」

「保留にしていたいだけだったんだよ。自分の気持ちにもこの関係にも。その方が楽だったから」

「…………」

「朝倉と仲良くなって、俺はやっとお前とのことを考え始めた」

こんがらがる頭が弾き出す回答。
ハルヒには全部、正直に話す必要がある。

「やっとわかったんだよ」

ずっと思っていたんだろう。

「ハルヒ。俺はお前に憧れてたんだ」

125: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 11:28:16.00 ID:C3jfGkVz0

その傍若無人なところも、思ったことをすぐ行動に移すところも、元気だけど気分屋なところも
俺とお前は正反対だった。

事なかれ主義で怠惰でいつも半分寝てるように過ごしてた俺には、お前が輝いて見えた。
いつもハルヒは突拍子もないことを言いだして、それに向かって本気で
目をキラキラさせてひた走っていた。

俺はハルヒが好きだった。

いや、今でも好きだ。

でもそれはハルヒが俺に抱いてくれている『好き』ではない。
この好意を言葉で表すなら、『憧れ』なのだろう。

俺はハルヒといることで自分に欠けている部分を補おうとしていた。
生きていることのエネルギーみたいなものを吸収しようとしていた。

ハルヒと一緒に過ごした一年は本当に楽しかった。
これからだってそうしていたいと思っている。

友達として、団員その1として。


なんとか言葉にして、最後に言った。

「俺は朝倉涼子が好きなんだ」

ハルヒは黙っている。周りの神人の破壊行動が激しさを増す。

128: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 11:33:58.39 ID:C3jfGkVz0

「……そう」

神人はもはや数え切れないほど増殖していた。
360°が青白く光る彼らで埋め尽くされていた。
身近に建造物がなくなりターゲットがなくなったのか、彼らは表情のない赤い目を
俺たちに向けた。

轟音がして空に稲妻が走り、割れたそこから逆さに木がにょきにょき生えてきた。
地面が再び揺れだす。ヒビからは熱いマグマのようなものがのぞいている。
それなのに吹きつける風は凍えるほど冷たい。
学校が爆音と共に木っ端みじんに吹きとんだ。

「わかってたわよ。あんたと朝倉、最近仲良かったものね」

神人が俺たちに迫ってくる。

「あたしもそれを後ろの席から見てなかったら、あんたにこんなこと言わなかったわ」

「……悪い」

「謝んないで。あたしがみじめになるから。それより、早くここから逃げましょう」

ハルヒがまずいわよこれ、とあたりを見回す。
天変地異。ここまで色々とひどいとは聖書にも預言できなかったろうな。

もちろんハルヒは納得しちゃいない。らしくない理性をフル活動させて感情を押し殺している。
内心で暴れ回っている思いがそのまま、この閉鎖空間に反映されているのだ。

一体の神人がハルヒに近づいた。

129: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 11:42:20.43 ID:C3jfGkVz0

「ハルヒ!」

俺が止める間もなく、神人の体がハルヒに取り込まれていく。
青い光が覆い、眩しさに目がくらんだ。

目を開けるとハルヒはさっきと変わらずそこに立っていた。
鋭い目の焦点を俺に合わせる。
そして無言で俺に掴みかかると、そのまま体を押し倒した。

ハルヒは俺の腹にまたがり、襟元を揺さぶった。

「なんでよ! あたしはあんたが好きなのに! どうしてよっ!」

ハルヒは泣いていた。
頬に温かい涙が落ちるのを感じた。

「あたしを見てよ、なんで朝倉なの、全然仲良くなかったじゃない!」

これがお前の本心か。
ああ、こうしている方がハルヒらしくていいじゃないか。

「キョン、あたしを好きって言ってっ!」

俺がハルヒにかけてやる言葉も、してやれることもなかった。
全てをハルヒに告白した。あとはもうハルヒに任せるしかないのだ。

132: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 11:54:41.35 ID:C3jfGkVz0

「嫌よ! キョンが他の女と付き合うなんて、見たくない!」

「あんたがあたしを好きじゃないなら、もうこの世界なんていらない。全部要らない!」

「みんな消えちゃえばいいのよ! あんたも朝倉もっ……」

「なんでよ、なんでよ……」


ハルヒ。


「……あんたとあたしは、同じことを考えてたんじゃないの?」


俺もそうだと思っていた。でも違ったんだよ。


「キョン。お願い」



134: ちょっとご飯食べてくる 2009/10/31(土) 12:02:03.72 ID:C3jfGkVz0

ハルヒはくしゃくしゃに顔を歪めて泣いている。
その後ろには神人たちがいる。俺たち、いや俺はとっくに包囲されていたようだ。
あとほんの少しで、世界は終わろうとしていた。

「キョン、キスして」

俺は動かないでいるのに、整った顔がだんだん近づいてくる。
髪の毛先が涙で湿った頬に触れてこそばゆい。

俺はその柔らかい感触を知っている。

触れれば帰れることを知っている。

ハルヒが俺を好きなのも知っている。

でも―――。

ハルヒは今にもそのぷっくりした唇を俺のに押しあてようとしている。

「―――あさくら―――」


ハルヒの動きが止まった。

ゆっくり身を引いて、俺の頬を撫でた。

「……バカキョン」

139: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 12:50:22.58 ID:C3jfGkVz0

「帰りましょ」

ハルヒの声がぼんやり耳に届いた。


目を覚ますと、見慣れた天井が目に入った。
どうやら俺は帰ってこれたらしい。

安堵感より先に悲しみが襲った。
背中には打撲の痛み、頬にはハルヒの涙の跡が残っている。

俺は泣きたくなるのを必死でこらえた。

自分が正しいと思うことをして、その結果戻ってこられたのに
どうしてこんな気持ちになるんだ。

俺は携帯電話を手に取った。
朝倉から返信が来ている。その短い文面を何十回と読んだ。

今、朝倉の声を聞きたかった。
電話帳を開いて番号を表示させる。
あいつと話せばこの訳の分からない状態が治るはずだ。

ふと右上に表示される現在時刻に目が止まり、諦めて携帯を閉じた。

午前三時半。とっくに寝てしまっているだろう。

俺は携帯を握りしめたままひたすら朝を待った。

141: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 12:54:55.14 ID:C3jfGkVz0

教室の扉を開けると、ハルヒは待ち受けたようにこちらを向いて座っていた。

「昨日、また変な夢を見たわ」

そう言って、俺の表情を窺う。

「夢だったけど―――嘘じゃないんでしょ」

何に対して? たぶん、全てに対してだ。

「ああ。本当だよ」

「わかったわ。あんたの思ってること、聞けてよかった」

「俺もだ。ありがとな、ハルヒ」

「……ふん。放課後、ちゃんと部活に参加しなさいよ! あんたは団員その1なんだからね!」

「へいへい」

その日、席替えがあった。
ハルヒの前席という定位置を、俺はついに離れた。
今そこには谷口が座っている。

俺は廊下側の一番後ろの席から、二人がぎゃあぎゃあ言い争っているのを眺めている。
視線に気づいたのかハルヒがちらりと俺を見た。
ハルヒは一瞬笑ったような怒ったような顔をして、すぐに顔を背けた。

隣に座っている朝倉に、俺も視線を戻す。

143: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 12:59:45.89 ID:C3jfGkVz0

「また隣なんて、すごい偶然ね!」

「偶然……じゃないかもな」

「?」

朝倉が不思議そうな顔をする。

すっかり普段の元気を取り戻した朝倉や、湿度0%のからっとした笑みを浮かべているハルヒと話すことで、
夜に感じた悲しみは和らいでいった。

きっとハルヒは俺の気持ちを理解してくれたのだろう。

でなかったらこの世界は何もかもなくなっていたはずだ。

「キョンくん」

「ん?」

「これからもよろしくね!」

ああ。
放課後、ちゃんと待っててくれよな。

144: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 13:04:04.81 ID:C3jfGkVz0

部室に入ると、古泉と長門がいた。
古泉が待ってましたとばかりに話しかけてくる。

「よく戻ってきてくれました。僕は嬉しいですよ」

「閉鎖空間でなにがあったのか、お前は知ってるのか?」

「ええ。涼宮さんもあなたも本心をお互いに伝え、そしてそれでも涼宮さんは
元の世界に戻りたいと願った。僕は驚きました。涼宮さんは本当にあなたを大事に思っていたんです。
今までの彼女なら考えられない行為です。普段自分本位の涼宮さんが、初めて他人の幸せを優先させた」

「これはちょっとした奇跡ですよ」

古泉が早口でまくし立て、破顔する。
こんな人間らしい古泉を見るのは初めてかもしれない。

ぱたんと本を閉じ、長門が俺の元へ寄ってきた。

「あなたに見せる」

何をだ。

「世界が改変された瞬間」

古泉が口を挟む。

「長門さん、僕もよろしいですか?」

長門は無表情のまま頷く。そしてあっという間に目の前が暗転した。

146: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 13:09:33.21 ID:C3jfGkVz0

俺と長門と古泉は、長門のマンションにいた。

「今、いつなんだ?」

「四月五日。始業式の二日前。涼宮ハルヒはわたしの家で涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、わたしで
遊ぶことを提案した」

前のテーブルではハルヒと朝比奈さんと長門が仲よく人生ゲームをしている。
俺たちの姿も声も彼女たちには見えないし聞こえないようだ。長門が何とかフィールドを張ってくれているのだろう。

ハルヒが駒を退屈そうに進めながら言った。

「あたし、よくわかんないのよね」

「なにがですかあ?」

「キョンが好きなのかどうか」

朝比奈さんが大げさに後ろにとび跳ねた。
『ふえ~』だとか『ひえ~』だとか言葉にならない声を上げている。

「なによみくるちゃん、やっぱりみくるちゃんはキョンが好きなの?」

「ちちちちがいますっ! そそそんなことありません」

顔を真っ赤にして朝比奈さんが否定する。
そこまで猛烈に否定されるとちょっと悲しい。

148: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 13:17:51.32 ID:C3jfGkVz0

「あなたの鈍さには感服しますね。わざとですか?」

隣で古泉がにやついている。無視する。

「あーあ、もうキョンと出会ってから一年経つのよね。なのになんもないまま。
あたし人を好きになったことないから、どういうのが『好き』なのかわかんないわ」

ハルヒは朝比奈さんと長門を交互に見た。

「ねっ、みくるちゃん、有希、どうすればいいと思う?」

「…………」

長門は無言でルーレットを回している。
ハルヒもあまり長門には期待していなかったのか、朝比奈さんをきらきら光る目で
見つめていた。
朝比奈さんは困ったように視線を彷徨わせる。

「ええと、うーん。そうですねえ……」

「なになに? 早く言っちゃいなさい!」

「……あたしのじだ、いえ、一般的には、ライバルの出現で恋しているのを自覚するってケースは多いですよ」

朝比奈さんの時代でも恋愛ごとに関してはそう変化していないらしい。


150: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 13:24:16.22 ID:C3jfGkVz0

「ライバル! そうか、ライバルね! みくるちゃん?」

「は、はい」

「みくるちゃんは本当にキョンのこと何とも思ってないの?」

「……はい、キョンくんはお友達ですよお」

「じゃあまずはライバルを探さなきゃ。誰がいいかしら? やっぱり完璧そうな子がいいわよね!
うーん。朝倉が転校しちゃったのは惜しいわね……あいつがぴったりなのに」

ハルヒは人生ゲームに参加するのを放棄して考え込んでいる。

俺は現在の、この場に連れてきた方の長門に声をかけた。

「長門、もういい」

「そう」

またブラックアウト。

気づくと部室の固い床に倒れていた。

「朝倉涼子の存在は本来イレギュラーなもの。そういうことですか?」

古泉が起き上がって制服についた埃を払いながら言った。

151: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 13:32:09.18 ID:C3jfGkVz0

「朝倉涼子は涼宮さんの力で再びこの学校に戻ってきた。彼女のライバルとしてね。
そして目的通り朝倉涼子の存在によって、涼宮さんはあなたへの好意を自覚したわけですか」

誰にも、もちろん古泉にも朝倉の経緯を話すつもりはなかった。
こんなふざけた記憶を持っているのは長門と俺くらいで―――ああ、俺だけ記憶が残った理由も、今なら聞けるだろう。

「あなたの記憶を残したのはわたし」

「なんでだ?」

「あなたには全ての事情を鑑みて判断を下してほしかった」

長門はくるりと背を向け、パイプ椅子に戻ると読書を再開した。

「おやおや、僕の窺い知れないところで色々とあるようで」

まあいいでしょう、と古泉は目にかかる前髪を払った。

「今涼宮さんの精神は驚くほど安定しているんですよ。閉鎖空間も発生していません」

「そりゃよかった」

「あなたと涼宮さんはようやくお互いを思う気持ちに整理をつけられたんです。
大丈夫ですよ、涼宮さんのケアは任せてください」

僕にね。
そう付け足す古泉を見て、昨日かららしくないこいつの言動にようやく納得することができた。

153: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 13:39:15.76 ID:C3jfGkVz0

「お前もしかして、ハルヒのこと―――」

古泉の口が動く。肯定か否定か、判断する前にドアが物凄い勢いで開いた。

「やっほー! 遅くなって悪かったわね、みくるちゃんも早く入りなさい!」

段ボールを抱えたハルヒが太陽よりも明るい笑顔でやってくる。
後ろには髪を一つに括って、サッカーのユニフォームを着た朝比奈さんが
戦々恐々といった面持ちで恥ずかしそうに立っている。
今までのコスプレ衣装に比べれば断然まともな方だと思うのだが。
いやもう本当に、朝比奈さんに似合わない衣服なんてこの世にあるのか、と俺は惚ける。

「今度のサッカー大会のユニフォームよ!」

ハルヒが段ボールを開けると、袋に小分けされたユニフォームが詰まっていた。

「どうしたんだよ、これ」

「作ってもらったのよ。去年みたいにジャージじゃ味気ないしね、やっぱり形から入らないと!」

朝比奈さんをぐいっと引っ張って、俺たちに見せつけるように立たせる。
上が青で下が白なのは日本代表でも意識しているんだろうか。やばい可愛い。

「涼宮さ~ん、あたしも試合に出なきゃいけないんですかあ?」

「当たり前でしょ! さあみんなも着替えなさい、練習するわよっ!」



154: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 13:45:01.07 ID:C3jfGkVz0

ハルヒのスパルタ特訓は、部活終了時間を知らせるチャイムが鳴るまで続いた。
シュート100本練習とか狂気の沙汰じゃねえ。

俺は部室の施錠をハルヒに任せて、一足先に部室を出た。

節々が痛む体を引きずりながら教室を目指す。

生徒指導の先生とすれ違い、早く下校されるよう注意された。
忘れ物を取りに行くのだと嘘をついて階段を上る。

誰もいない廊下は自分の足音しか聞こえない。

窓から射し込む夕日が徐々にその光を弱めていき、校舎に影を落とす。

改変の理由をこの目で見てから不安に思っていることがある。

朝倉涼子の存在意義がハルヒのライバル役ならば、それらの問題がすべて解決してしまった今、
あいつはどうなってしまうのか。
もしかしたら既に消えてしまっているのかもしれない。

自然と早足になる。
そんなの、すぐにわかることだ。

がらがらがら。二年五組の扉を開ける。


156: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 13:53:41.09 ID:C3jfGkVz0

朝倉は窓から誰もいないグラウンドを眺めていた。
淡い橙の光が瞳に差し込んで宝石のように輝いている。

扉が開く音で振り返り、俺を見止めると拗ねたような口調で、

「もう、待ちくたびれちゃったよ」

と笑いながら責める。

「悪いな」

朝倉の姿を網膜に焼きつける。
いつか記憶を改竄されたとしても朝倉のことだけは覚えていたかった。

朝倉涼子は本来ならここにいない人間だ。
去年の五月と十二月に消された存在だ。

消された、なんて聞こえがいい。死んだんだ。

朝倉は死んだ。
それをハルヒがザオリクをかけて蘇らせたのだ。

いつ沈んで行ってもおかしくない、薄氷の上に立つ不安定な存在。

でも―――今、この瞬間だけでも、

俺の前にいてくれてよかった。

「わたしも話があるの」

158: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 14:07:40.26 ID:C3jfGkVz0

朝倉は自分の机に寄りかかると、下を向いて話し始めた。

「最近、いろいろ考えたんだ。それでやっと結論が出たの」

「わたしね、人に嫌われるのが怖いんだ」

「だから一生懸命みんなに好かれようとしてるんだと思う。
でもね、やっぱり考えてることがバレちゃうのかな、陰で言われてるんだ。
『いい子ぶっててむかつく』とか『ああいうタイプ嫌い』とか」

「でも言い返せないんだよ、実際にそうなんだもの」

「キョンくんもそんなわたしを見透かしてるんだと思ってた。一年の時からずっと冷たかったから」

「だから、そういう意味でキョンくんのことがこんなに気になるんだ、って思ってたんだけどね」

「違ったの。わたしはキョンくんが、」


待て。俺は朝倉を制した。
せめてこっちから先に言わせてくれ。

肩に手を置いて何度も考えてきた言葉を舌で転がす。
朝倉の青い瞳が俺を見つめる。

「俺はお前が好きだ」


165: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 14:17:47.68 ID:C3jfGkVz0

朝倉は目を伏せた。

「でも、涼宮さん―――」

「違う。朝倉が好きなんだ」

わからないなら、何度だって言ってやるさ。

「お前はどうなんだよ」

「……わたしも、キョンくんが好き」


それを聞いたら無意識に体が動いていた。
朝倉を抱きしめると、幸福感に満たされて体が震えた。

首筋に朝倉の唇があたった。耐えがたい衝動に駆られた。
少し身を引いて確認するように顔を見ると、朝倉は静かに目を閉じた。

唇を重ねる。柔らかく湿っていた。

ずっとこうしたいと思っていた。

腕に力を入れて体を密着させる。
細い体のラインに触れて自分に寄せると体温が伝わって温かかった。
ばくばく鼓動する心音がうるさい。
俺からなのか朝倉からなのか。
判別できないほど強く抱きしめあった。

168: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 14:27:31.78 ID:C3jfGkVz0

ようやく体が離れると、朝倉は恥ずかしそうにはにかんだ。

おずおずと手を差し出そうとする。
俺はそれを握ろうとして、異変に気付いた。

朝倉の手の先がきらきらとした砂になっていく。
第一関節から手首までが消失するのに十秒とかからなかった。

嘘だろ。

自分の体がなくなっていくのを、朝倉はたいして驚きもせずに眺めていた。

「あの夢、続きがあったの」

俺はとっさに朝倉の腕を強く掴んだ。
そうすれば進行が止まるとでも思ったのだろうか、もう冷静な判断能力はなんてなかった。

「いつも、わたしがこうして消えていっちゃうんだ。残念だな、キョンくんとせっかく両想いになれたのに」

腕がきらきら結晶となって四散し、すでに俺の手は空を掴んでいた。

「朝倉あ!」

嫌だ。嫌だ!
どうしてお前はいつも俺の前から消えちまうんだよ!

朝倉は柔らかく微笑んで俺に抱きついた。
穏やかな表情が、ああ本当にいなくなってしまうんだなと逆説的に思わせた。
俺の恐れていたことが現実になろうとしていた。

175: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 14:39:00.86 ID:C3jfGkVz0

なあみんな、かわいそうだと思わないか?
朝倉涼子だってロボットじゃない。生きてるんだぜ。
それなのに二度ならず三度までも存在を抹消されるなんて。

誰か救済措置を。
助けてくれ。
ああ他力本願だよ、認めるよ。

俺には何もできないんだ。だから誰か、なんとかしてくれよ。

「……情報連結解除の停止を要請する」

平坦な声が聞こえる。
朝倉の体が砂になっていくスピードが遅くなった。

「長門!」

長門有希がすぐそばに立っていた。
動転していたせいで全く気付かなかった。

「長門、朝倉が! 朝倉が!」

俺は馬鹿みたいにわめいた。

「朝倉涼子は改変以前の涼宮ハルヒが望んだ役割を果たし終えた。本来ならば朝倉涼子はこの時空平面には存在していない。
あるべき状態に戻るだけ」

そんなことはわかってる。
そんなことはどうでもいいから、早く朝倉を元に戻してくれ!

177: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 14:46:19.02 ID:C3jfGkVz0

長門は険しい顔をした。ように見えた。
砂化のスピードは緩やかにはなっているが進行を止める、ましてや再生するにはほど遠い。

「わたしにはこれが限界」

はは、らしくない冗談を言うなあ。
いつも困ってるとき、お前は俺たちを助け出してくれたじゃないか。なあ、長門。

「嘘だろ? 頼む、なんとかしてくれよ、お前しかいないんだよ!」

「―――現在の涼宮ハルヒが、朝倉涼子の存在を必要不可欠と認識する必要がある」

無理だ。
ハルヒはもうとっくに下校してしまっているだろう。
今から連絡をとって、全てを包み隠さず話せばあるいは間に合うだろうか。

「キョンくん、もういいよ」

朝倉には手足がなかった。
長い髪の毛も半分以上が散っている。

「なんでこうなってるのか、全然よくわからないけど……でも今、幸せだったから」

俺と長門に笑いかける。
長門は黒い静かな目で朝倉を見つめている。

光の粒が輪郭をがなぞりはじめた。

終わりだ。

182: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 14:57:11.82 ID:C3jfGkVz0

「あ……」

俺と朝倉の声が被った。

誰かが逆再生のスイッチでも押したのだろうか?

空中に飛んで煌めいていた結晶が再び集まり、朝倉の体を再構成していく。
ものの数秒で体が元に戻っていった。
何事もなかったかのように朝倉涼子は朝倉涼子を取り戻していた。

再生された足が地に着くと、朝倉は自分を支えきれずに倒れこんだ。
我に返り慌てて抱き止める。
朝倉は気を失っていた。

「おい、しっかりしろ!」

「……心配ない。眠っているだけ」

「長門、いったいどうなって―――」

足音が聞こえる。
俺は身を固くした。

「涼宮ハルヒ」

長門の声に被さるように扉が勢いよく開いた。

184: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 15:04:20.80 ID:C3jfGkVz0

「~♪~♪」

鼻唄を歌いながらハルヒはずかずか教室に入ってきて、そして俺たちを見て硬直した。

ハルヒが呆けている顔なんてそう見れるものじゃない。
口をぱっかり開けて石像のように固まっている。カメラに収めておきたいくらいだ。

ハルヒは俺と俺に抱えられている朝倉に目を留め、それからぎこちなくその傍らに突っ立っている長門に視線を移した。
俺と朝倉はまだわかる、だがなぜ長門が一緒にいるのか。なんだこの奇妙な状況は。
そんな表情だ。
ややあってから、はっと思い出したようにハルヒが口を尖らせた。

「あっあんたねえ、教室でなにやってんのよ!」

「いや、ちち違うんだよ。これにはわけがあってだな」

「不潔ね●●キョン!」

俺に何かが次々投げつけられる。拾いあげると、それは俺にも支給されたサッカーのユニフォームだった。
袋に入ったままの新品だ。三セットもある。

「明日部室から持ってくるのが面倒だから、今置いておこうと思ったのよ。谷口と、国木田と―――朝倉の分」

「ハルヒ……」

「朝倉も副団員なんだからねっ。強制参加よ! あんたから伝えておきなさい!」

ハルヒはそう怒鳴って教室から走り去っていった。

187: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 15:11:07.07 ID:C3jfGkVz0

「任せて。情報操作は得意」

長門が眠っている朝倉の顔をのぞきこむ。

「朝倉涼子の記憶を消しておく……大丈夫、肉体に異変が起きた以降のことだけ」

こちらを向いた長門有希は、明らかに笑みを浮かべていた。
たぶん俺でなくともそう認識できるだろう。からかうような笑いだ。長門に見られていたのかと思うと恥ずかしい。

「ありがとう、長門」

「お礼はいい。わたしはわたしの願望通りに動いているだけ」

長門は朝倉の額に触れると高速呪文を唱えた。
なにを呟いてるか一ミクロンも聞き取れないやつだ。
それが終わると音もなく立ち上がり、教室を出ていこうとする。

「これで終わったのか」

ハルヒは朝倉を副団員として認めた。
これで―――そんな認識だけで、本当に朝倉は二度と消えたりしないんだろうか。俺は手に力を込めた。

「終わるどころかまだなにも始まっていない」

長門がこちらを振り返って言う。

「あなたと朝倉涼子は、これから始まる」


192: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 15:21:56.66 ID:C3jfGkVz0

静謐を保った薄暗い教室で、俺は朝倉を抱きかかえている。
こんなところ教師に見つかったらただではすまないだろうな。
まあそんなことは最早どうでもいい。

それから三十分ほど経って、朝倉は目を覚ました。
とろんとした瞳で俺を見ている。俺のブレザーをぎゅっと掴み、口が小さく開いた。

「全部夢だったの?」

長門はどこまで朝倉の記憶を消してくれたのだろうか。

ええい、そんなの知るか。
最初からやり直しちまえばいいんだ。

「俺は朝倉が好きだ」

俺の胸に頭をもたげている朝倉に、超至近距離で告白する。
ついさっき同じことを言って、その答えまで聞いたというのにどうしてここまで緊張するのだろう。

朝倉は安心したように顔を緩ませ、俺にキスをした。

「わたしも」

宇宙人、未来人、超能力者。
それらの全ての存在をひっくるめてしまってもいい、きっとその中でも俺が一番幸せ者に違いないと、本気で思った。



194: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 15:26:39.20 ID:C3jfGkVz0
またしばらく経った。
何をしていたかはまあ、言わなくてもわかることだろう。

「……帰ろう。家まで送る」

「……うん」

少し欠けた月が夜道を薄明るく照らし、冷えた空気が制服の間をするりと通り抜けていく。

朝倉と俺は言葉少なに、手を繋いで道を歩いた。

「ちょっと、寒いかも」

握られた手が俺のポケットの中に入る。
ん?
なにか尖った、冷たいものに手が触れた。

朝倉の指がそれをつまみ上げる。

「わたしの家の、鍵?」

あ。
そう言えばポケットに突っこんだまま、すっかり返すのを忘れていた。
いや本当に。嘘じゃないんだ。やましい気持ちはなかったと断言できる。

慌てて弁明する俺に朝倉がにっこり笑う。

「いいんだよ、持ってても」

「……ありがとな」

242: エピローグ 2009/10/31(土) 23:42:46.68 ID:C3jfGkVz0

その後のことを、少しだけ語ろうと思う。

我々SOS団は、かねてからハルヒが参加を表明していたサッカー大会に出場することになった。
メンバーは、ハルヒ、長門、朝比奈さん、古泉、鶴屋さん、谷口、国木田、朝倉と俺、そして―――

「さあ妹ちゃんハカセくん! 全力で行くわよっ」

いくら人が足りないからって近所のがきんちょまで引っ張ってくるな。
まあ懲りずに妹を連れてきた俺も大概だが。

「不安だわ。わたしサッカーあまりやったことないし」

朝倉がサッカーボールを抱えて困ったように言う。

テキトーにやっとけばいいのさと適当に返す。俺の意識は朝倉のユニフォーム姿にへばりついている。
正直朝比奈さんと同じくらい―――いや、勝―――。

「おー、お熱いねえお二人さん」

小学生みたいなセリフを谷口が吐く。

「ったくよお、お前ら一年のころはあんなに仲悪かったくせによ」

「そうだったか?」

「そうよ。わたしがいくら話しかけても全然相手にしてくれなかったじゃない」

朝倉が口を挟む。

246: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/10/31(土) 23:52:32.48 ID:C3jfGkVz0

そんな記憶にないことを言われても困る。

「あー、それはだな……」

「こらっ。あんたたち、早くこっちに来なさい! もう試合が始まるわよ!」

ハルヒはずかずかとやってくると、谷口の首根っこを掴んでグラウンドに引きずっていった。
なんだか俺は妙に懐かしい気持ちになった。一年前は俺がそうされていたから。

俺たちの関係は、俺たちが考えに考え抜いて出した答えをお互いに伝えることで、以前と大分変わった。
不定形なものがやっとかたちを帯びて、俺とハルヒの間に一本の線を引いたのだ。
それはきっといいことなんだろうが、懐古の情に少しだけ、寂しさも交る。

ふと考える。
もしハルヒが朝倉の存在を望まない、つまり俺がハルヒ以外の誰かに恋をしていると自覚しなかったら。
いったいどうなっていただろう。
あの、お互い踏み込まない関係のまま高校を卒業していただろうか。
それぞれ違う進路をとって、たまにメールで連絡を取り合う程度の接点しかなくなってしまったとき、
俺はそこで初めて気持ちに整理をつけるんじゃないだろうか。

ハルヒは俺にとっての高校時代の象徴であり、今現在においては何の影響もない、ただの女だ。

なーんて、簡単に切り捨ててしまったかもしれない。

そんな風にハルヒを思うようにならなくて良かった。
俺にとって涼宮ハルヒはただのクラスメイトじゃないからな。

適当にサッカーボールを蹴り込むと、見事谷口の頭に直撃した。
キラーパス、だな。

250: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 00:02:07.41 ID:nj8/uZqC0

ポジション。

「あたしが攻撃する人ね! それ以外はどうでもいいわ」

フォーメーション。

「はあ? なにそれ」

対戦相手はそう年の変わらない高校生たちで、勢いで参加しちゃいましたあ、と言わんばかりの
元気だけはやたらあるような連中だった。まあいい勝負になるだろう。

そんな感じでキックオフ。

「うおーっ、ドリブルドリブル!」

鶴屋さん、方向が逆です。

「全然競り勝てないなあ」

CB国木田なんてどんな迷将でも考えつかないだろうよ。

「ひゃあ~、こここっちにボールがくる~!」

俺は朝比奈さんを狙ったクロスボールをはじき返す。
いや、なんか間違ってるぞこれ。

「実に懐かしいですね、昔よく遊んだものです」

古泉のシュートは惜しくもキーパーに阻まれる。

251: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 00:11:06.05 ID:nj8/uZqC0

「…………」

長門はさっきから一点物のシュートをばしばし止めている。
うわ、今右隅に蹴り込まれたはずのボールが長門の手の中に軌道修正した。

「わ~待って待ってえ~」

妹はボールをきゃあきゃあ追いかけ、

「僕はスポーツが苦手なのに……」

ハカセくんはうなだれてグラウンドに立ちすくんでいる。
まあ間違いなくこの二人は人数に入らないだろうな。

いまだ0-0なのが不思議なくらいだ。

「キョンっ、パス!」

ハルヒがどこからかボール奪ったらしく、猛烈なドリブルをかましていた。
しかしディフェンスに囲まれて前に進めないと判断したのか、俺に一旦ボールを下げた。

俺はのろのろと中盤のあたりをうろつきパスコースを探した。

「朝倉!」

右サイドでフリーの朝倉にロングボールを蹴り込む。

253: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 00:21:31.01 ID:nj8/uZqC0

朝倉の運動神経が良いというのは本当のようだ。
さすがハルヒが以前から目を付けていただけのことはある。

プレスに来た一人を交わし、するするとペナルティエリアに近づいていく。
その度にポニーテールがまるで独立した生き物のように揺れた。
俺はその動きに目を奪われつつ、慌ててゴール前に走り込んだ。

「キョンくん!」

朝倉からパスを受け、ボールをそのままゴールマウスに蹴り込んだ。
そしてネットに突き刺さる―――はずだったのだが、ボールは相手DFの懸命なディフェンスに
よってゴールぎりぎりで弾き出されてしまった。

そのこぼれ球の丁度真下に谷口がいた。

「うおっ!?」

谷口が適当にヘディングしたボールは古泉の元へ転がる。

「後は任せます!」

古泉は再びゴール前に向き直ると、ふわりとしたボールを入れた。

味方も敵も寄ってたかってそれに食らいつこうとする。
これは果たしてサッカーなのか?
ポジションなんてあったもんじゃない、全員がそこに集結していた。
おい長門、お前はキーパーだろ。

255: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 00:28:38.17 ID:nj8/uZqC0

その時のみんなの必死さと言ったら、花嫁が投げたブーケに食らいつく40代女性(未婚)のようだった。

「あたしが決めるのよ!」

一番最初にボールに触れたのはハルヒだった。
叩きつけるようなヘディングだ。
ボールが地につくとすぐさまDFがボールを蹴りだす。
それが俺の足に直撃した。

「いってえ!」

俺がしゃがみこむと、向こうサイドにいた朝倉が心配そうに駆け寄ってきた。

そして見た。

白黒のボールが朝倉の目の前にぽて、と転がっているのを。

「朝倉、打て!」

朝倉は俺の言葉を瞬時に理解し、足元のサッカーボールを蹴った。

ボールは物凄い早さでニアをぶち抜き、ゴールに吸い込まれていった。

すげえ。

一瞬の静寂ののち、大歓声がグラウンドに響いた。


257: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 00:37:47.00 ID:nj8/uZqC0

その試合を1-0の勝利で収めた我らがSOS団チームは、続く二回戦も5-4で辛勝してしまった。
長門のキーパーは色々とまずいだろうと俺が代わりを務めたのだが、
まさか長門がハットトリックを達成するとはな。
お前はいつからそんなに負けず嫌いになったんだ。
あとの二点はハルヒの得点で、目の覚めるようなオーバーヘッドとミドルシュートだった。いちいち派手なやつだ。

続いて三回戦、相手は前大会の優勝チームだった。
俺たちは俺たちなりに奮闘したのだが、なす術もなく0-2で負けてしまった。

「まっ、いいでしょ。二回も勝てたら十分よね!」

ハルヒがみんなをずいっと睨みつけて満足そうに言った。

全員がユニフォームを泥だらけにして、汗まみれになって、そして笑っていた。

五月の日ざしは夏の到来を予感させる。
なにか希望で溢れているような、そんな陽気だ。

「さっ、盛大に打ち上げするわよ! 古泉くん?」

「あ、はい、何でしょう?」

古泉はいきなり自分が呼ばれたことに驚いている。いつものにやけ面が崩れてるぞ。

「もちろん来るわよね? 去年みたいに抜けるなんて禁止よ!」

「……僕でよろしかったら、いつまでも付き合わせてもらいますよ」

その日、古泉が『バイト』で呼び出されることはなかった。

259: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 00:51:51.42 ID:nj8/uZqC0

その後ファミレスに何時間も居座り、ドリンクバーに飽きるとカラオケへと乗りこみ、何回も延長を要求した挙句
『未成年のお客様には22時以降はお帰りいただいてます』と追い出された。
ああ、もちろん妹とハカセくんはファミレスで飯を食った後にきちんと家に帰したぞ。

結局最後に行き着いたのは朝倉と長門のマンションだった。
俺たち九人は特に意味もなく二人の部屋を行ったり来たりして遊んだ。

あんなに部屋でバカ騒ぎしたのに苦情の一つもこなかったのは、やはり高級マンションなだけあって
壁が厚いからなのだろうかと思う。

そうだな、今俺がいる押入れの壁も心なしかしっかりしてる気がするしな。
以外に押入れの中ってのは落ち着く場所だ。
今なら某ネコ型ロボットの気持ちが痛いほどわかるぞ。

俺は二日酔いのぐわんぐわんする頭を抱えながら、ああやっぱり酒は止めときゃ
よかったと後悔する。

「涼子、どうしたのよこの部屋は。お友達でも来たの?」

ふすまの向こうから女性の声が聞こえる。
恐らく朝倉の母親だろう。

「お前……こんなに散らかして。タチの悪い連中を連れ込んでるんじゃあるまいな」

と、低い父親らしき声。
酒類を朝倉の部屋に持ち込まなかったのは大正解だったようだ。



260: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 01:02:10.97 ID:nj8/uZqC0

「キョン、お前はあしゃくらの部屋に行っててもいいんだぞお~」

と谷口。

「そうにょろ~、我慢するのはよくないっさあ」

と鶴屋さん。

「そうよっ、あたしたちは有希の部屋にいるから、さあさあ、行きなさい! 行くのよっ!」

酒乱と化したハルヒ、いや全員に無理やり部屋を追われて、朝倉の部屋に二人きりにさせらせた。
俺としたって断る理由もないし、そもそも酔っ払っててまともな判断能力なんてなかった。

今頃あいつらは、長門の家でぐーすか寝ているんだろうな。
ああ忌々しい。

こっちは押入れの中で冷や汗垂らしてるってのに。

「父さん、今回は帰ってこれない、って言ってたじゃない」

「なんとか仕事が片付いたんでな」

「それは嬉しいけど……連絡くらいしてよね」

「はは、お前を驚かせたかったのさ」

まさか朝倉のご両親がいきなり帰ってくるなんて想像もしなかった。
携帯で時間を確認する。まだ朝の五時半だ。

263: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 01:11:45.70 ID:nj8/uZqC0

「しかしな、この部屋の様子を見ると、やっぱりお前を一人残したのは間違いだったかもしれん」

親父さんの声が一段と低くなる。
朝倉がとっさに俺をここに匿ってくれなかったら、きっと一発と言わずぶん殴られてるだろう。

「あっ、わたしね、父さんにプレゼント買ったんだ」

朝倉は気を逸らそうと必死だ。
ドアが開く音、足音が行って帰ってくる。

「おお。涼子……嬉しいぞ」

「あなた、早速付けてみたらどう?」

「ああ、―――っと、携帯をどこにやったかな」

「もうあなたったら、こっちの部屋に置いたばっかりじゃない」

この短い間に、朝倉と朝倉母には無言のコミュニケーションが成立していたのだと思う。
二人分の足音が遠ざかっていった。

すすすす、畳を擦る音が近づく。

「ごめんね! 大丈夫だった?」

朝倉がふすまを開けた。

264: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 01:19:25.67 ID:nj8/uZqC0

「今度からここに住んでもいいかもな」

「……もうっ」

今は冗談言ってる場合じゃないでしょ、と朝倉は俺は押入れから引っ張り出した。
百パーセント冗談ってわけでもないんだがな。
極力音を立てないように玄関へと向かう。

「わたしコンビニ行ってくるねーっ」

朝倉が両親に向かって叫ぶ。

慌てて靴を履いていて気づいた。
いくら薄暗いとは言え、俺の靴、見えてたんじゃないか?

外に出て急いで扉を閉めると、エレベーターまで全力でダッシュした。
エレベーターに乗り込んでから、俺はずっと抑えていた笑いたい気持ちを爆発させた。

何がおかしいんだかよくわからないが、とにかく笑いたかったのだ。

「キョンくんったら」

朝倉は俺をしかめ面で見ているかと思うと耐えきれなくなったのか、ぷっと吹き出した。
それから俺と朝倉は腹が捩れるほど笑った。

とにかく笑いたかった。

朝倉と俺とで、全てに対して思い切り笑ってやりたかった。

266: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 01:30:56.06 ID:nj8/uZqC0

ベンチに座りこむ。
光陽園駅前公園、またの名を変わり者のメッカ。
今ここにいるのは俺と朝倉だけだ。

俺も朝倉も普通の人間だ。
普通に毎日を生き、そしていつか普通に死んでいくのだろう。

ただ、俺は強く思うのだ。
普通の人間であることをつまらないと決め込むのは大きな間違いだ。
だって事実、俺は全然、つまらない毎日なんかを過ごしていない。

俺が現在こうして二日酔いなのも、隣に朝倉がいるのも、全ては俺がそう望んだ結果だ。

ハルヒみたいなどえらい力がなくったって、俺みたいな一般人だって、
願っていることを実現させることが出来る。

もちろんそこには運や不確定要素が多分に絡むだろう。

それでも―――いや、だからこそ、つまらなくないんじゃないか?


結局のところ、気の持ちようで少し先の未来なんてコロッと変わるんじゃないだろうか。

……なんだか精神論振りまいてるのも嫌だな。

はあ、と息を吐いた。
ガンガン痛む頭で何を考えてるんだろう俺は。

268: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 01:42:11.75 ID:nj8/uZqC0

朝日が眩しくて目を細めた。
じわじわと温かさが肌の奥までしみ込む。

「なんか、新鮮だね」

朝倉が隣で笑った。

「いつもキョンくんと見ていたのは夕日だったから」

「そういや、そうだな」

「わたし、まだあの夢を見るんだ」

「……俺が殺されてどうたらってやつか?」

どうしたらあの悪夢を止めることができるんだろう。
今度添い寝でもしてやれば―――。
いや、嘘だ。冗談だ。俺の働かない頭がおかしいだけだ。

くすくすと朝倉は笑っている。

くそ、俺だって真剣に考えてるんだぞ。

「大丈夫、夢の内容がね、だんだん変わってきてるから」

271: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 01:53:40.04 ID:nj8/uZqC0

「わたしナイフを捨てられるようになったの。だからもうキョンくんを傷つけるようなこと、してない」

別に夢の中の俺なんざ、好き勝手してくれていいんだぞ。
朝倉のしたいようにしてくれて全く問題ない。
朝倉がショックを受けなければそれでいい。

「それでね、手がちょっとずつだけど、好きに動くようになった」

自身の手を愛おしそうに眺める。きっとその手は朝倉であって朝倉でない、あの俺を二回殺そうとした
朝倉涼子のものでもあるのだろう。

「だからわたし、いつか夢の中でもキョンくんを好きになれると思う」

夢の中の残虐な自分を、朝倉は見捨てなかった。
だったら俺もそうするべきだろう。

その朝倉も、今隣にいる朝倉も、どちらとも愛すべきだ。

俺は朝倉の手を握った。

「なあ、朝倉」

「なに?」

276: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 02:17:44.80 ID:nj8/uZqC0

「お前の話を聞かせてくれよ」

「……わたしの?」

「ああ。一番古い記憶のことから、今俺がこうしてる時までの十何年間を、全部話してくれ」

俺は朝倉の全てが知りたかった。
初めて好きになった色が何色なのかから、最も興味のないスポーツがなにかなのまで。
小学校や中学校の思い出も聞きたい。そして初恋の話も。

「あと、特に去年のことは詳しく聞きたいんだ」

1-5のクラスメイトが羨ましかった。
朝倉はあらゆるイベント事で大活躍だったそうじゃないか。
俺の記憶には五月以降の朝倉の姿がない。暴走してしまった朝倉が消えてしまってからぽっかり十か月、空白のままだ。

だからせめて、何があったのかを朝倉の口から直接聞きたい。

そしてそれと同時に去年の四月から一か月あまり存在していた朝倉と、十二月に数日だけ会った朝倉の
一挙一動を思い出そうした。

全ての朝倉涼子が好きだ。

「わかったわ。すっごーく長くなるかもしれないけど」

「長ければ長いほどいいさ」

そして俺は日の光に包まれたまま、手を握ったまま、朝倉涼子の歌うような声から紡ぎだされていく、
とてつもなく長い話を、新しい物語を読むような気持ちで聞いている。

277: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/11/01(日) 02:21:01.03 ID:nj8/uZqC0
これで終わりです。
思った以上に長くなり遅れてしまってすいません。
なんかエピローグってレベルじゃないなこれ・・・

引用元: キョン「俺は朝倉が好きだ」