2: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:45:08 ID:MMXz
「申し訳ありませんでした! すみませんでした!」

 オフィスに俺の声が響き渡る。他に聞こえるのは同僚がキーボードを叩く音と――

「声が小さい! お前は謝罪すら満足にできんのか!」

 俺を叱責する上司の声。

「すみませんでした!! 申し訳ありません!!」

 土下座しながらさっきよりも大きな声で謝罪を繰り返す。

「ノルマが達成できなかったんだから謝るのは当然だろ! その程度の謝罪で許されると思ってるのか!」

「申し訳ありませんでした!!!」

 この場に居る全員がこの見せしめの儀式が早く終わってくれることを願っている。それでも誰も俺に助け舟を出してくれたりはしない。不用意に助け舟を出すと今度は自分が同じ目に遭うからだ。

 俺だって……自分じゃない時は早く終わる事を願いながら、こっちに飛び火しない事を願いながら仕事に打ち込んでいる。来月の営業ノルマを達成できなければ次は自分なのだから。

「すみませんでした!! 申し訳ありません!!」

 こうなる事だけはどうしても避けたかったのに……。





3: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:45:59 ID:MMXz


 卒業間際まで内定が取れなかった俺は、ニートよりはマシと思って興味がない業種であったものの今の会社に就職した。

 就職してみれば給料は安いし休みもロクに取れない、ノルマはキツイしで良い事なんて一つもなかった。それでもニートよりはマシだと自分に言い聞かせてなんとか働いてはいる。

毎日始発で会社に行き、終電で帰る。会社に泊まり込む日も多い。そんな生活を続けていたら段々と身体がおかしくなっていくのをひしひしと感じていた。入社してすぐはノルマをなんとか達成していたのだが、最近はノルマを達成できる事が少なくなってきた。

 ノルマが達成できない度、あの儀式をさせられる。

 身体だけじゃなく、心までおかしくなってる気がする。

「……今日は人が多いな」

 会社に泊まり込んで足りない分のノルマを片付けてようやく帰れる頃には日が高くなっていた。駅前は日中だと言うのに普段よりも賑わいを見せている気がする

「……あぁ、そっか。今日、日曜日なのか」

 時間を確認しようとスマホを見てみると、時間だけじゃなくて日付の所にも目が行ってようやくわかった。日曜だから家族連れが多いのだ。仕事が終われば帰れるという生活をしているため、曜日感覚なんてなくなってしまっているらしい。

4: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:46:26 ID:MMXz
『はぁい♪ アナタのはぁとをシュガシュガスウィート☆ しゅがーはぁとこと佐藤心だよぉ☆ 名前だけでも覚えて帰ってね☆ 覚えろよ☆』

 ふとそんな声がどこかから聞こえた。マイクを通した声はやけにうるさく、ボロボロの俺の身にはひどく不快だった。いったいどこのお笑い芸人か大道芸人なんだろうか。文句のひとつでも言ってやりたくなる不快さだ。

 キョロキョロとあたりを見回してみてもそのお笑い芸人の姿はどこにもなかった。と言うか人が集まっているような所がどこにも居ない。マイクを持ってるツインテールの女の子は居るけど、お笑い芸人という感じではないし。格好はなんかピエロみたいだが。

『んもぉ~☆ みんなシャイなんだ・か・ら♪ せっかくなんだしはぁとの歌とダンス見てって☆ 見てけよ☆』

「歌……? ダンス……?」

 俺が声の主を探していると続いてそんな声が聞こえた。どっかで聞いた事ある歌が聞こえてきたがやはり声の主は見当たらない。ダンスをしているのもさっきのツインテールの女の子だけ。

 もしやと思いその女の子の方に近づいてみると、ツインテールの女の子が笑顔で歌い踊っていた。曲は俺でも聞いた事のあるアイドルグループのもの。ダンスはわからないけど、きっとそのグループのものだろう。

 変な自己紹介からお笑い芸人か大道芸人かと思っていたが、どうやらこの女の子が声の主らしい。

5: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:46:52 ID:MMXz
 声の主を見つけたからと言って本当に文句を言いたいわけじゃなかったのだが、なんでかわからないけど女の子をじっと見続けてしまっていた。

 女の子も俺が見ている事に気付いたからか、どうやら俺に見せるようにダンスを披露してくれているし。まぁ俺の他に女の子を見ている人も居ないから当然なのかも知れない。

 楽しそうに歌って踊る彼女の姿がなんだかとても眩しく見える。

「っ……!」

『ちょっ! オイ☆ なんで泣くんだよ☆』

 思わず溢れてきた涙を抑えるために手で顔を覆うと彼女がこちらに近づいてくるのが感じられた。

『そんなにはぁとの歌とダンスが酷かったって言うのか☆ お兄さん見る目がないなぁ~☆』

「ち、ちが……」

 彼女は自分の歌とダンスが酷くて俺が泣き出したと思っているみたいだが、全然違う。違うのだけど言葉にできない。出てくるのは嗚咽だけ」

6: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:47:53 ID:MMXz
「ちょ、マジで大丈夫? 座った方が良くない?」

 俺の様子が本当におかしいのに気付いたのだろう。マイクを手放し俺の側に横に立つと優しく背中をさすってくれた。

 誰かの優しさに触れたのなんていつぶりだろうか。

 背中に当たる彼女の手がとても暖かい。誰かの体温がこんなに心地よいなんてすっかり忘れてしまっていた。

「どしたん? なんかあった? はぁとに話してみ☆ 見てくれたのお兄さんだけだからサービスしたげるぞ☆」

 地べたに座り込んだ俺と視線を合わせるように彼女もしゃがみこむと優しく微笑みながらそう言ってくれた。

「会社で……会社が……」

 きっとめちゃくちゃな説明だったと思う。嗚咽交じりだし、頭の中がぐちゃぐちゃでまともに喋れている気が全然しない。

 それでも彼女は頷きながら真剣に俺の話を聞いてくれた。

7: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:48:18 ID:MMXz
「んー。あんま言いたくないけど、お兄さんの会社、ブラック企業ってやつだと思う」

「ブラック企業……」

 長くなると感じたのか、彼女と俺は途中から近くのベンチに移動して話をしていた。移動する途中の自販機で彼女が買ってくれたカフェオレを飲みながら話をつづけ、ひと段落ついた時にそう言われた。

「本当は違うかもしれないけどさ。はぁとがお兄さんの話を聞く限りだともう真っ黒。典型的なブラック企業って感じがする。ま、はぁとは会社勤めしたことないからそれが普通なのかもだけど」

 カフェオレを一口すすった後、彼女はさっきよりも真剣な表情を作り俺の目をしっかりと見据えて続けた。

「それが普通だったとしても、お兄さん自身を否定するようなとこ、辞めた方が良いと思う。転職とかしてみたらどう?」

「転職……」

「あ、なんか色々言い訳しそうな感じだから先に言っとくけど、時間が無いお金が無いははぁとには通用しないぞ☆」

 まさにそう言い訳しようとした逃げ道を先に潰されてしまい思わず苦笑する。

8: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:48:47 ID:MMXz
「時間が無いのはその会社を辞めれば解決するし、お金が無いはとりあえずバイトでもすれば良いし☆ その日暮らしでもなんとかなるもんだぞ☆ 実際、はぁともバイト暮らしだけどなんとか生きてるし☆」

「それははぁとさんが若いからなんとかなってるだけじゃないですかね」

「やぁん♪ お兄さんお上手~☆」

 はぁとさんくらい俺も若ければフリーターでのその日暮らしもありかもしれない。でも俺はもういい歳した大人なのだからちゃんと稼がないといけない。

「でもお兄さんもはぁととそんな変わらないっしょ?」

「え?」

「『え?』ってなんだよ☆」

「俺、24なんではぁとさんより全然年上ですよ」

 はぁとさんの見た目からすると10代後半だろうか。でもバイト暮らしって言ってたし20は超えているのかもしれない。なんとも年齢不詳な人だ。

「はぁと、26なんだけど……」

「えっ!?」

 ……気まずい沈黙が流れ始めた。

9: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:49:11 ID:MMXz
 これはやってしまったパターンだ。まさかこんな事してる人が俺より上だなんて思いもしなかったし、何より見た目だけなら大人びた女子高生って言われても信じてしまうくらいに若々しい。

「いや! あのっ、その……! は、はぁとさんが若く見えたんですよ! 女子高生くらいかなって……。それにバイト暮らしって言ってたので……その……」

 しどろもどろになりながら言い訳を並べていく。はぁとさん額に手を当てて何やら葛藤しているように見えた。

「あー、大丈夫。若く見てもらえてたなら全然いいから。でもそっかぁ、お兄さん年下かぁ。はぁと、人を見る目には自信あったんだけどなぁ……。なんか複雑」

 手をこちらに向けひらひらさせながら段々と消沈していく様を見るとなんだか非常に申し訳なくなってくる。

「すみません……」

「いいって☆ でも、そんなくたびれた格好してるととても24には見えないぞ☆ はぁとより若いならもっとシャンとしとけって☆ せっかくの男前が台無しだぞ☆」

「……はい」

 パッと明るい笑顔のはぁとさんに『男前』って言われるとなんだか嬉しくなる。お世辞なのだろうけど、はぁとさんみたいに綺麗な人に褒められると嬉しい。

10: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:49:44 ID:MMXz
「でもさ」

「はい?」

 はぁとさんは残ったカフェオレを一気に飲み干すと、転職を勧めてくれた時と同じ表情をしていた。

「お兄さん、はぁとよりも若いんだしマジで転職考えてみたら? 26のはぁとでもこうやってずっと夢を追ってるんだし。今の会社辞めてもきっとなんとかなると思うよ」

「夢……」

「なんかやりたいこととか夢とかないの? まだ全然やり直せると思うよ、若いんだし☆ な?」

 立ち上がりながらニカッと笑うはぁとさん。手にしたカフェオレの缶を片手に持つ姿がなんだかとも様になっていてカッコよく見える気がする。

「あの、はぁとさんの夢ってなんですか?」

 やりたいこともやりたかったことも何も思い出せなかった。昔は何か夢があったような気がするけど、何も思い出せない。

11: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:50:27 ID:MMXz
「はぁとの夢は――」

 その日、一番の笑顔を見せて彼女は言った

「トップアイドル!」

 26歳の女性が見る夢としてはなんとも馬鹿げたものだろう。トップアイドルなんて。

「素敵な、夢ですね」

「だろ☆ 未来のトップアイドル、しゅがーはぁととこんなに話せるなんてお兄さんは幸運だからな☆ はぁとの事、ちゃんと覚えとけよ♪」

 いたずらっぽく笑ってそう言うとはぁとさんは振り返ることなく歩いて行ってしまった。

「……しゅがーはぁとこと佐藤心、か」

 頭の中に彼女の自己紹介が蘇ってくる。先ほど聞いた時はとても不快だったのに、今思い出すとなんだかとても元気を分けてくれた気がした。

「……帰るか」

 せっかく未来のトップアイドルにアドバイスを貰ったのだ。

「辞表ってどうやって書くんだろうな」

 きっと今の俺はここ何年かで一番清々しい表情をしていたに違いない。



12: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:51:00 ID:MMXz


 はぁとさんにアドバイスを貰った翌日に俺は前勤めていた会社に辞表を出した。そこでもまたひと悶着あったのだかそれはまぁ些末な事だろう。

 はぁとさんの言ったようにあの会社はとんでもないブラック企業だった。でもそこでやっていた業務、主に営業だったのだが。それが功を奏して転職活動も拍子抜けするくらいに上手く言った。

 きっと俺はあそこではぁとさんに出会った事で救われたのだろう。

「ちひろさん、すみません」

「はい? どうしましたか?」

 ちひろさんから借りたアイドル名鑑を返しながら尋ねる。

「『しゅがーはぁと』か『佐藤心』ってアイドル知りませんか?」

「私は聞いたことないですね。アイドル名鑑にも載っていませんでしたか?」

「えぇ……。載っていなくて」

「ではまだデビュー前か地下アイドルの方なのかも知れませんね」

 デビュー前……。それなら俺にもチャンスはあるはずだ。

「どうしてもスカウトしたいアイドルが居るんですけど、許可って取れますかね?」

「社長達に上手くプレゼンできれば許可は頂けると思いますよ」

 プレゼン。要するに営業。

「それなら俺の得意分野ですね。ちょっと行ってきます」

「はい♪ 頑張ってくださいね。プロデューサーさん」



13: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:51:52 ID:MMXz


 いつかの日と同じ光景が目の前に広がっている。

 休日で賑わった駅前、誰も見ていないのに笑顔のまま歌とダンスを披露するツインテールの女の子。

 歌い終わっても拍手をしてくれるような人は誰も居ない。立ち止まってくれる人も誰一人居ない。

「……はぁ……帰るか」

 彼女は寂しそうな顔でそう呟くと手早く荷物をまとめ始める。

「あの」

「ん? あっ、あの時のお兄さんじゃん☆ なんか顔色めっちゃ良くなってるし☆」

 俺の事を覚えていてくれた事が嬉しくなる。

14: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:53:02 ID:MMXz
「前は本当に死にそうって感じだったし、今の方が全然良いじゃん☆」

「はい。あの時は本当にありがとうございました」

「いいっていいって☆ 気にすんな☆ あ、でもぉ~ちょっとでも恩を感じてくれるならぁ~、はぁとのファンになってくれてもいいんだぞ☆」

「ふふっ」

 やはりこの人に俺は救われたんだな。どん底に居た俺を救い上げてくれたのは間違いなくこの人だ。

「なんで笑うんだよ☆」

「いえ、俺はあの日からもうはぁとさんのファンなんで」

「あはは♪ ありがと☆」

「だから、迎えにきました」

「はい?」

15: 名無しさん@おーぷん 21/05/13(木)19:53:36 ID:MMXz
 懐から取り出した紙片を彼女に差し出すと、受け取った彼女は目を丸くしていた。

「俺はあなたに救われました。恩返しをさせてください」

 あの日とほとんど同じだけど、ほんの少しだけ違う。

「あなたならあの時の俺に夢と元気をくれたように、多くの人に夢と元気を与えてくれます」

 彼女の唇が小さく震えている。きっと何か言いたいのだろうけど、まずは俺に全部言わせてほしい。

「佐藤心さん、アイドルになりませんか?」

 彼女に差し出した名刺に書かれているのは今の会社である芸能プロダクションの名前と――

「プロデューサー? アイドルの?」

 今の肩書の『プロデューサー』と俺自身の名前だ。

「はい。だからあなたを迎えに来ました。改めてお伺いします。佐藤心さん、アイドルになりませんか?」

 彼女のとても嬉しそうな笑顔を見れば返事は聞かなくてもわかる。

 これからは二人でもっとたくさんの人に夢と元気を届けていけるだろう。何せ彼女は未来のトップアイドルなのだから。

End

引用元: 佐藤心「夢を追うあなたと一緒に」