さよなら、純愛。
4: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:04:36.76 ID:XcxA+T7q0
生まれた時から、暗闇の中に放り出された。
皆に見える筈の世界は、俺様には見せてもらえなかった。
父親は産まれる前に消えていて、母親は俺様を産んだ日に死んだ。
そうして物心がついた頃、俺様は既に塔の上へと幽閉されていた。
『神の如き者』の適性。
救世主の素質。
数百年振りの『右方のフィアンマ』の到来。
難しい事を沢山言われたが、何となくは理解した。
産まれながらの体質によって、エリートコースに乗った訳だ。
そこに嬉しさはなかった。
ここにあるのは、拘束と、退屈と、魔道書だけ。
光を持たぬ俺様にとって、狭い室内はそれ程窮屈には感じなかった。
外に出たところで、危険な目に遭ってしまうだけだ。
そう自分に言い聞かせ続け、勉強だけを続けた。
「……そとは、たのしいのか?」
問いかけたところで、返ってくる言葉はない。
俺様の知り合いは非常に少なくて。
人が訪れてくる時間も、限られていた。
今が夜なのか朝なのかもわからないままに、呟く。
手探りで窓を探し、少しだけ開けてみる。
飛び出す事も、飛び降りる事もままならない狭さは、換気の為だけに設置されたものだ。
「…いっしょう、でられないのかもしれないな」
それならそれで、仕方がない。
どうせ何も見る事の出来ない世界など、知らなくてもいい。
涼やかな風を堪能した後に窓を閉めて、自分にそう言い聞かせる。
6: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:05:23.90 ID:XcxA+T7q0
硬質で無機質で、そんな音。
ガラスが割れたような音が、した。
侵入者かもしれない。殺されるだろうか。
それでもいいな、と思う辺り、きっと俺様は絶望しているんだろう。
『や、やべえ。どうしよう』
少年の声が聞こえた。
ひんやりとした床に手をつき、のろのろと立ち上がった。
壁伝いに歩き、どうにか扉を探し当てる。
ドアノブに指先が触れたところで、ドアが開いた。
「わ、」
「……だれ、だ?」
少なくとも、知り合いではない。
同じ歳の頃と思われるが、同じ歳の知り合いは居ないからだ。
俺様の目の前に居る少年は、しばしあたふたとした後。
そうしてようやく落ち着きを取り戻して、自己紹介をした。
「お、おれ、とうま=かみじょう。…きみは?」
「……おれさまの、なまえは」
与えられた名前は、これまでも、これからも、一つしか知らない。
「ふぃあんま」
だから、そう答えた。
8: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:05:50.14 ID:XcxA+T7q0
俺は、産まれた時から幸運というものを持ち合わせていなかった。
誰かに不幸にされ、誰かを不幸にするのが当たり前の日々を送ってきた。
外に出れば石を投げられ、話しかければ罵倒される。
それが日常茶飯事になってしまえば、特にもう何も思うことはなかった。
両親が俺に優しかった事だけが救いだと、いつも思っていて。
きっとこのまま一生友達も出来ないままに不幸な人生なのだろうなあ、と思っていた。
『当麻、父さんとイタリアに行こう』
マスコミに不幸の元凶と追い立てられ、カメラを向けられ。
客寄せパンダのごとく日本中の注目を集めた俺は、とある日に、殺されかけた。
多重の借金を背負った男が、捨て身で俺を刺そうとした。
『全部お前のせいだ! 疫病神め!』
『…うん。ごめんね、おじさん』
事実、きっと俺のせいなんだろう。
思わず笑っていた。俺は、絶望していた。
そうして入院した日の夜。
縫合手術を終えて、父さんにそう言われた。
バチカンでオカルトに頼る事で、俺の体質をどうにかしようとしたのか。
それとも、どこでもいいから、ひとまずほとぼりが冷めるまで日本から逃げようと思ったのか。
そのどちらなのかはわからないが、俺は素直についていった。
10: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:06:24.93 ID:XcxA+T7q0
結局のところ。
イタリアでも、俺はいじめられた。
人種や宗教の違い、不運体質。
様々なものが積み重なっていじめられたが、日本の陰湿で意地の悪すぎるそれよりはマシだったかもしれない。
『おいカミジョウ、あのとうにのぼってこい』
『え、ええ…?』
『はやくいけよ』
ラプンツェルの塔と呼ばれる、廃墟があった。
面白半分に追い立てられ、明日感想を聞かせろと言われ。
もはや死んでも構うまいと、俺は塔に入った。
ゆっくりと、階段を上っていく。
最上の場所には、扉があった。
この向こうに、何かがあるのだろうか。
疑問に思いつつ、そっと手を触れてみる。
壊れた。
12: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:06:42.99 ID:XcxA+T7q0
「!!!!?????」
動揺して一歩下がる。
これは不味い事態だ、と子供心でもすぐにわかる。
『や、やべえ。どうしよう』
思わず呟く。
焦燥感が全身を支配して、どっと冷や汗を噴出させていた。
焦りながらも怖いもの見たさで、ドアを開けてみる。
可愛い女の子が居た。
赤い髪は長く真っ直ぐで、腰辺りまで伸びている。
白い肌と、やや虚ろな金の瞳。
「わ、」
驚いた声が出た。
ふんわりとした長いスカートを握り。
お姫様のような彼女は、不可解そうに首を傾げる。
「……だれ、だ?」
問いかけられ。
「あっ、えっと、えっと」
焦った。
自己紹介しなければ。
何と言えば良いのだろう。
「お、おれ、とうま=かみじょう。…きみは?」
「……おれさまの、なまえは」
彼女は、スカートから手を離し。
修道服の上衣の、襟をそっと撫でた。
「ふぃあんま」
鈴を転がし、砂糖をかけたような甘くて愛らしい声。
「ふぃあんま、か」
彼女は、塔上の姫君<ラプンツェル>だった。
14: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:07:35.90 ID:XcxA+T7q0
「まいご、か?」
問いかけて。
彼女は、そっと手を伸ばしてくる。
右手に触れそうになって、咄嗟に手を引いた。
手に触れては不幸にしてしまうという自分なりの配慮のつもりで。
しかしながら目の前で手を引くというのは傷つけたかもしれない。
焦る俺に対して、その子は不思議そうな表情でちょいちょいと手を動かした。
「…ん? どこにてがあるんだ?」
玩具で遊ぶ猫のように。
ちょいちょいと手を動かして、彼女は首を傾げた。
俺を見上げ、しかし、どこか別の方向を向いて。
「…ぞんがいとおくにいるのか。きょりがつかめん」
「…おれのこと、みえてないの?」
彼女は、しばし口ごもり。
そして、困ったような笑顔で言った。
「おれさまは、めがみえないんだ」
ごめん、と反射的に頭を下げつつ謝る俺に。
彼女は首を緩く横に振って、それから、もう一度手に触れようとした。
「お、おれにさわるとふこうになるからだめっ!」
再び手を引く。
彼女は、じ、と金色の瞳をこちらの方へ向けた。
何も見えていないのだろうが、その眼光は存外鋭く。
「う」
「…だいじょうぶだよ」
彼女は、俺の手を掴み。
そうして、やわやわと優しく握った。
「ひとのからだは、なにもせずにだれかをふこうにするちからはもたない」
「……、お、れ。やくびょうがみだから。ふこうに、しちゃうんだよ」
掠れた声で反論する俺に。
彼女は、緩く首を横に振って明るく笑ってみせる。
「おまえはどうかんがえてもひとだとおもうがね。
まあ、かりにやくびょうがみだとしたならば、かみさまにあえてこうえいだ」
ふふ、と笑うその声には冗談の色こそあれど、嘲りの意図はなく。
何故だか泣きそうになった。俺は、その言葉に救われたんだろう。
「……よかったら、しばらくいてくれないか。たいくつしていたんだ」
彼女の細い足首には、長い鎖と、足枷。
俺は室内に足を踏み入れ、会話をすることにした。
16: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:08:04.03 ID:XcxA+T7q0
彼女は、物心がついた頃にはここにいて。
閉じ込められているが故に、外の世界をロクに知らないらしい。
目が見えないために、仮に外出してもよくわからないだろう、と悲しげに彼女は笑う。
「…こ、こんど!」
「…こんど?」
「いっしょに、そとにでよう」
どうしてそんなことを言ったのかはわからない。
けれども、自分が死ぬ程求めていた言葉を、態度をもらったから。
彼女に、外の世界のことを教えてあげたいと思った。
「そとに?」
「……いや?」
「…なにもみえないから、めいわくをかけるぞ」
「だいじょうぶだよ、おれは」
目が見えない人間のサポートなどしたことはない。
それでも自然と、自分は大丈夫だと自信が持てた。
その日はその後、真っ直ぐに家に帰り。
誰に対しても、親に対してさえも秘匿して。
「………へへ」
握られた手の感触を思い出す。
柔らかくて真っ白な手。
自分よりも遥かに細い、女の子の指。
『まあ、かりにやくびょうがみだとしたならば、かみさまにあえてこうえいだ』
そんなことをいって、微笑んでくれた。
虐げられてきた人生の中で、あんな風に言ってくれた子は居なかった。
絶望していた人生に、一筋の光が射した。
「……」
彼女の足首にまとわりついた鎖を思い出す。
あれを壊さないことには、連れ出してあげることは出来ない。
上条は、がさごそと道具をあさった。
ドライバーだの、のこぎりだの、そんなものを。
そんな簡単に壊れれば苦労しないのだが、子供の知恵ではそれらの凶器を探し出すのが精一杯だ。
日曜大工用に父親が買っていたそれらを紙袋にしまいこみ。
上条はカレンダーを見やり、ひとまず今夜は眠ることにした。
18: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:08:24.14 ID:XcxA+T7q0
『…こ、こんど!』
『いっしょに、そとにでよう』
上条の言葉を思い返し。
フィアンマは、期待をするか否かで悩んでいた。
彼と沢山『外』の話をした。
興味を背けていたのに、少しだけ期待した。
「…そと、か」
彼は、疫病神と呼ばれ、不幸体質によって虐げられているらしく。
それでも、両親には恵まれ、世界には良いところもあると口にしていた。
そんな"良いところ"を見たところで。
自分が籠の鳥であることには、何の変わりもないのに。
「………」
それでも、出てみたら。
何かが変わってくれるかもしれない。
「…ねるか」
狭い窓ガラスから手を離し。
手探りでベッドを探し、横たわる。
足を動かす度に、じゃらり、という重い鎖の音が絡みついた。
20: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:08:47.23 ID:XcxA+T7q0
数日後。
上条は、再び塔へとやって来た。
重い紙袋を持ち、よろよろと。
「…えーっと」
右手を扉に沿わせる。
ガチャン、という音がして、鍵が壊れた。
「ふぃあんまー?」
「…とうまか」
初対面時と、少々服装が変化していた。
修道服を基準としたワンピースのようなものだった。
上条は、がさごそと紙袋からノコギリを取り出す。
彼女の脚の鎖を切る事に、何の罪悪感も無かった。
「…なんだ?」
「のこぎり。くさり、きろうとおもって。あぶないからおとなしくしてて」
「……わ、かった」
少し怯えた様子で、フィアンマは大人しくする。
目が見えないのだから、ノコギリを振りかぶられてもわからないのだ。
当然のことながら、怯えてしまうに決まっていた。
「ぐおおー」
間の抜けた声を出し、上条は子供なりに精一杯ノコギリを鎖へ押し付けて引く。
ギャリギャリという耳障りな音はしても、一向に壊れない。
「…はあ」
疲れを感じ、上条はノコギリを紙袋にしまいこむ。
どこか弱点はないかと鎖に触れたところで。
パキン
壊れた。
上条が右手で触れただけで、あっさりと。
「…あれ?」
「…どうしたんだ? だめ、だったのか?」
「いや、…うん。だいじょうぶ。こわれたよ」
「…ほんとうに?」
「うん」
足枷と鎖が、いっぺんに壊れていた。
ノコギリでは壊せなかったのにと首をかしげつつも、上条は手を差し出す。
それから彼女には見えていないのだと気がつき、直接彼女の手を握った。
「いこう」
「……、うん」
22: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:09:06.73 ID:XcxA+T7q0
鎖が壊れた。
足枷が外れた。
手を引かれて立ち上がってみて、重さの無さに気がついた。
普通に歩ける。外に出られる。
吹いてくる涼やかな風が頬を撫でて、気分が良い。
「…あるけるか?」
「……あるける。……ありがとう」
きゅ、と手を握った。
温かい手だ。あまり触れたことのない人の肌。
当麻に手を引かれるまま、ゆっくりと階段を下っていく。
途中バランスを崩して、抱きついた。
当麻は拒否をせず、咄嗟に壁に手を這わせてバランスをとったらしい。
「だ、だいじょうぶか?」
「とうまは?」
「だいじょうぶ」
「そうか」
ゆっくりと降りて。
やがて、外に出た。
風と太陽光を感じる。
「………これが、そとか」
風景とやらが見えたなら、もっと素敵だったに違い無い。
「どこに、いくんだ?」
「どこがいいかな。とりあえずおれのおうちいこう」
ノコギリを置きに戻りたい。
そう言う当麻に賛同して、歩き出す。
裸足に砂利が刺さり、僅かな痛みに表情が歪んだ。
24: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:09:30.49 ID:XcxA+T7q0
途端に、浮遊感。
混乱していると、上から声が降ってきた。
「その、くつはもってないし、かしてあげられないから…」
「……とうま?」
「おれのくびのうしろのほう、うで、まわせる?」
腕を引かれる。
首後ろに回し、抱き寄せた。
そうしてようやく自分の姿勢に気がついた。
「おもくないのか?」
「かみぶくろのほうがおもいくらい」
本の中でしか読んだ事のない『お姫様抱っこ』というものだった。
存外力持ちなのか、当麻はてくてくと歩いて行く。
「……なんだか、」
「? なに?」
「なんでもない。きにするな」
自分が姫だなどと気取るつもりはない。
それでも、当麻は王子様のようだ、と感じた。
俺様を初めて外に連れ出してくれた、少年。
「ついた。ただいま」
「お帰り当麻。…その子は…?」
「え、えーっと。ともだち。ふぃあんまっていうんだ」
「そうか。…そうか」
感慨深そうに、男性の声が二度相槌を打った。
当麻の父親だろうか、と首を傾げる。
と、当麻が紙袋を片付けに歩き出す。
がさごそとしまいこむ間も、視線は感じられた。
26: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:09:50.76 ID:XcxA+T7q0
ひと段落つき。
促されるままソファーへと腰掛けると、もてなされた。
「紅茶は嫌いかな?」
甘い匂いがする。
砂糖と牛乳、それからダージリンの香りだった。
「ありがと、とうさん。てつだおうか?」
「…そうだな。あつそうだし」
「…もしかして」
「うん。…ふぃあんま、めがみえないんだ」
当麻は父親らしき男性にそう軽く説明して、カチャリという音を持つ。
恐らくカップをもってくれたのだろう。
ふう、ふう、と息を吹きかけて冷ます音が聞こえる。
ぺた、と唇に陶器の感触。少しずつ傾けられてくるので、少しずつ啜った。
甘く温かな味がする。それはいつも口にする高級品とは程遠かったけれど。
一人で飲むより、ずっと美味しい味。
「……おいしい」
「よかった」
手を伸ばす。
当麻の顔に触れた。
笑みを形作っていることを、触って確認する。
「とうさん、いらないくつってない?」
「靴?」
「うん。ふぃあんまにあげたいんだ」
明日からも、一緒に出かけたいから。
そんな言葉に、泣きそうになった。
28: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:10:13.98 ID:XcxA+T7q0
次の日も、その次の日も。
当麻は俺様の下を訪れては、手を引いて外に出してくれた。
友人は居ないのか、と失礼を承知で尋ねれば、もう必要無いとの言葉。
「だって、おれにはふぃあんまがいるから」
「…おれさまが、いるから?」
「うん。…おれをやくびょうがみあつかいしたり、いやなことをさせるともだちは、もういらない」
当麻がどんな人生を送ってきたのか。
俺様は、当麻の口から出てきた言葉でしか、知らない。
当麻もきっと、それは同じだろう。
俺様は送ってきたままの人生をそのまま言葉にして伝えた。
しかし、当麻の言葉が全て本当とは限らない。
が、少なくとも毎日に絶望し、俺様と同じように閉塞感を抱えて生きてきたことは理解出来た。
「とうま」
「ん?」
短い期間で。
それでも、世界に拒絶されていた幼い子供が恋に落ちるのに、依存するのに。
特別な理由はありふれ過ぎていて。
「とうま、だーいすき」
「え、あ、……へへ。おれも、」
何も見えない闇の中で。
唯一見つけた光に、恋をした。
恋と呼ぶには生ぬるい感情に、うまく名前をつけられない。
少なくとも、当麻が生きている限りは自分も生きられる、と思った。
30: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:10:36.96 ID:XcxA+T7q0
楽しい。
人生とはこんなにも楽しかったものだろうか、と疑問を覚えてしまう程に。
たまらなく幸せで、産まれて初めて神様とやらに感謝した。
これまでの辛さも不幸も全て、当麻と出会えた事で帳消しにしてしまって構わない。
だから。
「…かえりたくない」
ぽつり。
つい、本音が漏れ出した。
そんな様子で呟いた彼女の顔は、長い髪に隠されて見えなかった。
消え入りそうな声。ともすれば、街中の五月蝿さに掻き消えてしまいそうな。
「もどりたくない」
ぽた。
彼女の瞳からこぼれたであろう水滴が地面を濡らしたのは、きっと見間違いなんかじゃなくて。
子供特有の無計画性のまま、無計画に言葉を発していた。
何を考えることもなく条件反射的に、彼女の涙を止めたくて。
「じゃあ、おれといっしょににげる?」
「…にげ、る?」
逃げられるだけ逃げてみよう、と提案して。
頷いた彼女の手を引いて、歩き出した。
どこまでいけるかわからなかった。
金の持ち合わせもなく、未来を考える余裕もなく。
ただ、俺を救い出してくれた彼女を、救いたいと思った。
32: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:11:00.45 ID:XcxA+T7q0
そうして、歩いて。
歩いて、歩いて、歩き続けて。
夕方を過ぎ、辺りが暗くなって。
それでもなるべく塔から遠ざかろうと歩いていたら。
ふと、大人にぶつかった。
フィアンマが、強く俺の手を握る。
「…困りますねー。これ以上逃亡されては」
金属を擦ったような、不愉快な男の声。
逃亡すべく衝動的に走り出すと、男にフィアンマの腕が掴まれた。
「い、っ」
「はなせよ!」
フィアンマの痛そうな声。
大人に対してこんな風に怒鳴ったのは初めてだ。
冷えた視線に睨み返すと、軽い蹴りを喰らう。
「げほ、っ」
「少し大目に見たのが間違いでしたか。異教徒のクソ猿に触れられては穢れますよ。
さて、戻りましょうか」
痛みに立ち上がる事が出来ない。
フィアンマは全てを諦めたような、そして申し訳なさそうな表情で、俺の居る方向を向いた。
「つぎ、は」
「…とう、ま?」
「きっと、おまえをたすけてみせるから」
「………、…」
言葉は、届いただろうか。
徐々に遠ざかっていく二人の姿に、悔しくなる。
――――俺は、あの子を救えなかった。
34: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:11:26.18 ID:XcxA+T7q0
やがて俺は、日本へと戻り。
それでもやはり周囲は俺を不幸の疫病神だとみなしたままで。
両親と相談した結果、俺は学園都市に来た。
科学で全てを説明しようとするこの街は、とかくオカルトを信じない。
故に、俺の不運体質も周囲は不思議だねと首を傾げる程度。
科学でどうにか説明しようとするか、不思議なものだと軽く片付けるか。
俺にとっては、住みやすい街だった。選択は間違っていなかったのだろう。
「………」
思い出すのは、フィアンマのことだった。
結局彼女は、あの後どうなったのだろう。
逃げるように日本へ戻ってきてしまったが故に、確かめられず仕舞い。
「……ん?」
小学四年生のある日。
ポストに、手紙が入っていたことに気がついた。
中身は点字で書かれており、一瞬妙な暗号文に思えた。
点字。
盲目の人間が主に使う文字。
差出人の、名前は。
36: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:11:51.26 ID:XcxA+T7q0
それに気がついてから、必死に勉強した。
その手紙を読めたのは、届いてから実に一ヶ月後のこと。
内容はいたって普通のものだった。
挨拶に、世間話に、それから。
『助けに来るの、待ってる』
そんな言葉。
あの日、振り絞った言葉は届いていた。
学びたての点字で、返事を書いた。
手紙を出して一週間後には、返事が来た。
内容は、やっぱり閉じ込められたままなのだと悟れるような寂しいものばかり。
やりとりをしている内に、中学に上がり、そして高校に上がった。
必死に勉強をした。入った高校はお世辞にも頭が良いとは言えない高校。
それでも勉強をする理由は簡単だ。留学するため、その一言に尽きる。
今度こそ、彼女を連れ出してみせる。
38: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:12:15.61 ID:XcxA+T7q0
酷い雨の中、俺はイタリアに居た。
短期留学が許された。
親友と遊ぶ時間を削って勉強しただけの甲斐はあったかもしれない。
「…何処にいるんだ…?」
見つからない。
雨の中を走り回ってみるが、見つからず。
まぐれで見つかることなどありえない。
自分は不運だったし、これから先だって不運だ。
「……はあ」
手紙の差出元、住所を訪ねれば、そこは廃墟で。
もしや引っ越してしまったのだろうか、と愕然とする。
彼女は未だ目が見えないだろうから、自分を見つけてくれる訳もないだろう。
可能性が少なすぎるからといって、諦める訳にはいかない。
「………」
観光名所や、逆に観光とは無縁の場所を探してみる。
数度襲われかけたが、そこは腕力で回避した。
彼女を助ける為に、嫌な勉強をした。
彼女を助ける為に、嫌な暴力を学んだ。
だから。
世界を敵に回すことになったとしても、彼女が笑って傍に居てくれるなら、後悔することは何もない。
40: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/06/30(日) 22:13:02.18 ID:XcxA+T7q0
「あ」
酷い雨の中。
ため息橋の窓向こうを見つめる少女が居た。
細身の体は長身で、赤い髪は長く。
肩を露出するタイプのワンピースだが、卑 な印象はない。
それは彼女が肉感的とは程遠い体つきのスレンダーなタイプだからかもしれない。
その後ろ姿には、酷く見覚えがあった。最後に見た時は、もっと小さかったけれど。
「フィ、アンマ」
上条は、傘の持ち手を握り締め。
人違いではありませんようにと祈りながら呼びかける。
彼女は、肩をビクつかせて驚いた後。
ゆっくりと振り返り、上条の姿を見た。
いいや、実際には見られてはいない。彼女は盲目なのだから。
「……当、麻?」
彼女の声は、かすれていた。
泣きそうな声だ、と上条は思う。
「久しぶり」
ずっと、会いたかったよ。
同じく泣きそうになりながら、上条当麻は傘を放り出した。
51: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/01(月) 20:22:18.11 ID:DBVz+oCo0
雨の中。
長らく待ち続けた少年に抱きしめられ。
フィアンマは泣くべきなのか笑うべきなのか、迷っていた。
ただ、腕を回し、ぎゅう、と強めに抱きしめ返す。
ぺたぺたと頬や顔を触り、パーツの形を確かめた。
「当麻」
安心する。
「会いに来たよ。助けに、来たよ」
「…ほん、とうに?」
「ああ」
攫いに来た。
そう言って、上条はフィアンマの手を引いた。
世界を敵に回しても構わない、それ程の覚悟で。
「一緒に日本に行こう」
「…うん」
「それで、一緒に暮らそう」
うん、とフィアンマは再度頷く。
上条は彼女の手をしっかりと握って、安堵の笑みを浮かべた。
53: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/01(月) 20:22:50.72 ID:DBVz+oCo0
そして、今日。
上条当麻は、学園都市のとある病院へとやって来た。
手術が終わり、短期入院を終えたフィアンマを迎えに来る為だった。
何の手術かといえば、見えぬ目を見えるようにするためのそれである。
彼女を救うために良くも悪くも様々な知識を手に入れた上条によって、彼女のIDは既に用意されている。
勉強の傍ら、"バイトで貯めた"お金もこの手術で使い切ってしまったが、後悔はない。
幼い頃から、ずっと想っていたのだから。彼女を救おうと。救わねばならないと。
だって彼女は、自分を救ってくれたのだから。笑いかけてくれたのだから。
「…何か緊張するな」
病室の前で、上条はそわそわとする。
入る勇気が出てこないのである。
しかし、いつまでもここで立ち往生する訳にもいかない。
「……よし」
気合を入れて、中に入る。
ドアを開けた向こう、彼女がたっていた。
窓の外を見つめているようだった。
「フィアンマ」
「ん、」
振り返る。
彼女の瞳には、生気が宿っていた。
口元には笑みが浮かんでいる。
55: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/01(月) 20:23:28.52 ID:DBVz+oCo0
「…当麻のお陰で、何でも見えるよ」
ありがとう、と。
その言葉だけで、上条は笑みが浮かぶのを堪えきれなかった。
ああ、良かった。自分の努力は無駄ではなかったのだと。
「良かった」
彼女を救う為に、沢山の人を殺した。
金が欲しかったから。その一言に尽きる。
元々、不幸な右手<たいしつ>を持ち、人に虐げられてきた。
ずっとずっと、世界を恨んできた。後悔などあるはずもない。
自分を虐げてきたような人間達を消して、お金までもらえる。
歪みきった異常者<ぎぜんしゃ>にとって、これ以上に最適な居場所はなかった。
彼は、偽善使い(フォックスワード)。
嘘をつき、人を殺め、傷つけ。
ただ一人、自分を救ってくれた少女だけを想うバケモノ。
「じゃ、一緒に帰るか」
「そうだな」
彼女は何も知らない。
たとえ知ったとしても、恐らく彼を責めない。
彼女は笑顔を浮かべたままに、上条の穢れた右手を、握った。
57: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/01(月) 20:24:33.08 ID:DBVz+oCo0
初夏。
上条当麻は、ぐだぐだと歩いていた。
今日も素敵な補習コースだったのである。
フィアンマを攫ってきたので、勉強をサボったツケがこれだ。
死に物狂いでやる必要もないので、馬鹿なまんまで良いかと思っている。
日中は学校で平和ボケした学生生活を楽しみ。
夜の数時間は仕事という名の殺戮に手を染め。
家に帰れば、聖女のような彼女が待っている。
上条の生活に、何一つ不自由はなかった。
「…ん?」
路地裏。
すい、と視線が吸い寄せられた。
そこには一人の少女が居て、数人の男に囲まれていた。
上条は小さく笑って、介入する。
少女の名は御坂美琴。
学園都市第三位の『超能力者』―――電撃使いの超電磁砲(レールガン)。
「まったく、迷子になるなって言っただろー?」
上条に勝負を仕掛けてくる、表側の、学園都市の広告塔の役割をこなす少女だ。
少々自己中心的な言動は、女子中学生あるが故、上条は許している。
59: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/01(月) 20:24:56.92 ID:DBVz+oCo0
「逃げんなコラーッ!!」
「うおおおおおお不幸だあああああ!!」
叫びながら上条は走る。
不良達を彼女から救う為に声をかけた訳だが、やっぱりこうなる訳だ。
お嬢様学校で電撃姫として名を馳せる彼女は、余程自分が気に入らないらしい。
何でも、無能力者なのに超能力者を圧倒した挙句飄々としているのがムカつくそうで。
何発か本気で殴れば二度と関わらなくなるのだろうが、そこまで危険な相手ではない。
自分以外に電撃を向けなければそれでいいかな、と上条は思う。
獲物を追う為にどこまでも最適化された速度。
早すぎず、遅すぎず、それでいて長持ちする体力。
やがてそれについていけなくなったのか、美琴はぜぇぜぇと息を切らした。
あの野郎、いつか痛い目に遭わせてやる、と思いながら。
そうして。
上条当麻は携帯電話に"命令(れんらく)"が来ていないかどうか確認して。
それから、家に入った。
「ただいまー」
61: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/01(月) 20:25:52.06 ID:DBVz+oCo0
「お帰り」
フィアンマはというと、料理中だった。
上条と同じ学校に編入したはいいものの。
初めて行く"学校"が怖くて、まだ行けていないのだ。
どっちでもいい、と上条は思う。
彼女が好きなように人生を選択していくべきだ。
今まで彼女は、そんなことも許されない生活をしていたのだから。
「今日の晩飯何?」
「何だと思う?」
「んー。匂いからして…シチューか」
「不正解」
「わかった、クラムチャウダーだろ」
「正解」
たわいのない言葉の応酬が、心地良い。
「汗まみれだが、そんなに暑かったのか?」
「いや、ちょっと追いかけっこしてた」
「…追いかけっこ?」
きょと、とする彼女に笑って、上条は風呂場へ消える。
幸せだ。前まではそれなりの生活だったが、今はすごく幸福に思える。
事実、不満など何一つない。
63: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/01(月) 20:26:18.11 ID:DBVz+oCo0
夕食を終えた。
風呂に入れば、後は眠るだけ。
一緒に寝ては間違いが起こるかも、と思っている上条は風呂場で寝ている。
それはあまりにもあんまりなので、フィアンマは一緒に寝ようと誘っているのだが。
「ダメ」
「当麻、」
「いくらフィアンマの頼みでもダメなモンはダメ」
理由はいくつかある。
暗部の仕事に呼び出された時、彼女を起こさない為だったりだとか。
本当に過ちを犯してしまった場合、色々と困ったことになるからだったり、だとか。
不満げなフィアンマをベッドに差し戻し、上条は風呂場へこもる。
換気をしておいたので、さほどの暑さはない。
「ふー」
さて、眠ろう。
上条は目を閉じ、緩やかな呼吸を繰り返した。
70: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/02(火) 20:49:01.84 ID:UDfxopbd0
梅雨は終わったのではなかったか。
前日の天気予報でわかってはいたものの、酷い雨に上条はうんざりする。
今日は学校は休みだし補習はないが、『仕事』が入ってしまった。
フィアンマには不規則に入るバイトだと告げてある。シフト制だ、と。
嘘はついていない、と上条は思う。だって、本当にバイトなのだから。
「行ってきます」
「ああ」
出ていこうとする上条の手を、彼女が掴んだ。
きょとん、とする上条を見つめ、フィアンマは小声で言う。
「……ないのか」
しないのか。
行ってらっしゃいのちゅーは。
フィアンマの言葉に、上条は思考を停止した。
「…はい?」
「…だから、」
「し、ししししません! そんなふらちな!!」
不埒、などと普段使わない言葉を口にする上条。
フィアンマは首を傾げ、上条を見つめる。
「…嫌、か?」
「嫌じゃ、ねえけど」
「……」
「…わかったわかりますわかりましたよ三段活用。
……ただしほっぺたにしよう。な?」
促され。
フィアンマは小さく笑って、彼の頬へと口付ける。
柔らかな女の子の唇の感触に動揺しつつ、上条は走って家を飛び出すのだった。
72: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/02(火) 20:49:44.17 ID:UDfxopbd0
上条がバイトに行ってしまった。
この事実が彼女の生活にもたらすのは、『暇』である。
寂しい。
これを解消するには、彼に連絡をぶつけることではない。
そもそもケイタイデンワーというものがよくわからないというのもある。
いつかは克服せねばならないだろうと思いつつ、外に出た。
「…ん」
今日は土曜日だ。
大雨だけれども、だからこそ、かえって人は少ないはずである。
「…買い物でもするか」
首を傾げ。
財布の中身を確認した後、行き先を設定せずに歩き出す。
74: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/02(火) 20:50:10.21 ID:UDfxopbd0
ぐちゃり。
ぶちまけられた臓物は気分が悪くなる。
これは昼飯がまずくなりそうだ、と思いつつ。
上条は、尚死に体でよろよろと歩く男を追いかけていた。
別に楽しさは感じていない。
むしろ、特に何も感じない。
部屋の掃除をする時と一緒だ。
そこにゴキブリの死骸が転がっているなら、何も考えないようにして片付ける。
埃があれば掃除機を使うだけだし、必要なら濡れ雑巾で丁寧に拭く。
その程度のこと。その程度の感覚。
「ひ、ぃっ…かん、べんしてくれ!」
「んー」
ほんの少しだけ、期待させるように悩んでみせる。
手に握っている拳銃は煙を出し、硝煙の臭いを漂わせていた。
上条当麻は優しい笑顔を浮かべて、こう言う。
「…俺相手だから生き延びられるなんて幻想。気に入らねえからぶち壊すけど―――いいよな?」
「あがッ、」
・・・・・
「不運を呪えよ。俺に出会っちまったから仕方ねえさ」
笑みを浮かべたまま。
風船が破裂するような音が二回程響いて。
男の体は泥のように地面に倒れこみ、二度と動くことはなかった。
76: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/02(火) 20:50:32.91 ID:UDfxopbd0
眠い。
今日はいつ始まるかわからない実験らしい。
どこから狙撃されるかは不明だが、恐怖はない。
いつものように引き金を引かれ、いつものように反射する。
「…つまンねェなァ……」
お気に入りの缶コーヒーが尽きたので、買い出しに出た訳だが。
生憎の大雨。別に『反射』があるので濡れないのだが、それでも人目用に傘は必要だ。
ただでさえ目立ってしまうのに、これ以上悪目立ちしてしまうのも考えものである。
「さて、と。……はァ」
気合を入れてみるも、ため息が漏れた。
何の陰謀かは知らないが、どのコンビニも気に入りの品が置いていない。
かといって他のコーヒーで我慢しようという気にはなれなかった。
カフェに寄りたいかというと、そういうコーヒー欲しさではないのだ。
いうなれば、ジャンクフード。
安っぽいハンバーガーを食べたいのに、高級店のステーキでは満たされないのと同じ。
あれでなければダメなのだ。オンリーワンの価値が、そこにはある。
「……困ったな」
迷い果てて入ったスーパーマーケット。
一人の長身の少女が悩んでいた。
長身といっても、あまり凛々しい感じはしない。
細くはあるものの、鍛えている訳でもなければ、ダイエットしているようにも見えない体型だ。
長い髪を揺らし、彼女はうろうろと歩き回っている。
店員は、運の悪い事に一人も居ないようだ。
レジを担当している人間まで呼び立てるのは気が引けたのだろう。
78: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/02(火) 20:51:20.27 ID:UDfxopbd0
「………」
「……勉強不足か」
はあ、と落ち込んだ様子である。
常であれば、一方通行は無表情で素通りする。
これまではそうしてきたし、これからも"そうするべき"なのだ。
この力は、好意だろうが敵意だろうが、向けた相手を、いつか傷つけてしまう。
だから不用意に人には触れられないし、触れたいとも思わないようにしてきた。
感情のブレが誰かを傷つけてしまうのなら、何も考えないように、と。
だったはずなのだが。
「……オイ」
声をかけてしまった。
内側から何かを刺激されたかのように、声をかけずにはいられなかった。
それは彼女の"才能"の一つでもあるのだが、彼はそれに気づかない。
「ん?」
振り向く。
白色人種の整った顔立ちだった。
一方通行と同等か、或いはそれ以上に白く。
やや青みがかった肌は、不健康そうにも見える。
声をかけてもらって助かった、とばかりに彼女は笑みを浮かべた。
それは柔らかで、作り物のようで。
宗教画か何かの天使の笑顔に似ている、と一方通行はオカルトに詳しくないなりに思った。
80: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/02(火) 20:52:10.55 ID:UDfxopbd0
紅茶には全く詳しくないんだけれど、こういう味の品を探している。
そんな要求に、一方通行は茶葉の売り場を眺める。
アールグレイ、ダークグレイ、オレンジペコ、キャンディ…。
雨の日に茶葉を買うのは好ましくないと思うのだが、そこまで口を出す義理もない。
「…っつゥかここに並ンでるヤツの味は一通り知ってンのかよ」
「いや、わからないが」
「…紅茶好きじゃねェのか」
「んー……」
彼女は人差し指を顎にあてがい。
少しだけ考え込んでから、一方通行を見て。
悪意も邪気もない、純度百パーセントの笑みを浮かべつつ答える。
「実を言うと、人生で一度しか紅茶を飲んだことがないんだ」
「………そォかい」
一方通行は、人生で産まれて初めて、ツッコミのためにずっこけるかと思った。
89: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/03(水) 22:02:41.21 ID:8ei51JSP0
何してンだ、俺は。
先程からそんなことを自分に問いかけ。
しかしながら答えは出ないまま。
缶コーヒーの詰まった袋を荷物籠に入れ、彼は紅茶を啜っていた。
一人ではない。一人で紅茶専門店に来る素敵な趣味の持ち合わせはない。
向かい側には先程出会ったばかりの悪意無き少女が座っている。
彼女は何個ものカップを眺め、一口ずつ啜って吟味していた。
『味が分かンねェモンを探すってのは無理が過ぎンだろ』
『家を出る時にふとそう思ったのだが』
『…はァ』
『どこか紅茶の飲み比べを出来るような店に心当たりはないか?』
『ンなモン、』
『………』
『……まァ、一件だけだがな』
連れて来たところで、お礼にと奢られる羽目になった。
金なら腐る程あると言ってもまったく聞かなかった。
微妙に人の話を聞かない類の女のようだ。だからといって不思議と腹は立たないが。
紅茶を飲んでばかりでは喉が潤い過ぎるからか。
彼女の手元には塩マドレーヌなるものがある。塩気で喉を渇かそうということらしい。
飲み比べのためには必要といえば必要なこと、とはいえ。
(酒飲みかよ)
そう思った一方通行である。
91: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/03(水) 22:03:09.10 ID:8ei51JSP0
「…ンで、味は一致したンかよ」
記憶と。
彼の問いかけに、フィアンマは僅かに悩んでみせる。
アールグレイとダージリンを少しずつ啜って、カモミールティーを遠ざける。
「この二つの内のどちらかだとは思うのだが」
「曖昧過ぎンだろ」
思い出の品とやらはミルクティーらしい。
アールグレイとダージリンはミルクティーへ用いられる一般的な茶葉だ。
あまりにも普遍的過ぎて、彼女の思い出話からではわからない。
「……んー」
しゅん、と落ち込むフィアンマを見やり。
一方通行はいたたまれないような妙な気分になり、視線を逸らすがてら店員を睨んだ。
完全に八つ当たりで睨まれた店員はビクついている。
「……カミサマの言う通り、ってヤツで決めればイイだろ」
うんざり、といった感じで彼はそう提案した。
それは良い考えだ、とフィアンマは同意する。
「…しかし預言を行うには道具が足りんな」
うーん、と彼女は(一方通行にとっては)訳のわからないことを呟き、首を傾げる。
一方通行は痺れを切らしたように手を伸ばし、彼女の手を掴んだ。
「指を適当に振りながら"カミサマの言う通り"って言うンだよ。
ンで、数え歌が終わった時点で指が指しているヤツを選ぶ」
「なるほど。短絡的だが、神託術式における最低限の要件は満たしているな。
つまり詠唱だけで偶像崇拝の理論を活用する訳か」
「………」
何言ってンだコイツ。
思った一方通行だったが、顔には出さない。
フィアンマは自分の手を掴んだままの一方通行の手を握り返した。
上条と同じように、世界でたった一人、特殊な力のこもった体質、特別な右手で。
『反射』はデフォルトで行使されているにも関わらず、彼女はきちんと彼の手を握り返した。
93: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/03(水) 22:04:14.85 ID:8ei51JSP0
一方通行の呼吸が止まる。
思考が停止して、心臓が止まったかのような錯覚すら覚えた。
「……」
「…どうかしたのか?」
『反射』を越えてきた人間は、今まで研究者しか居ない。
だが、彼女はとてもではないが研究者には見えない。
となると、未だ存在の秘匿されている第六位の超能力者か。
いいや、そんな風にも見えなかった。
こう言っては何だが、超能力者というものには独特の雰囲気がある。
それは強固な『自分だけの現実』や、それに付随する実生活の孤独によるものだ。
そういったものが、彼女には無い。どちらかといえば、無能力者の平凡さだ。
それ以上に。
本当に、久しぶりの悪意も殺意もない人の手の感触に。
一方通行は、自分で思っている以上に動揺していた。
「……」
「…体調不良か?」
不可解そうに、彼女は眉を潜める。
彼女は恐らく、自分の事を知らない。識らない。
学園都市第一位の化けものであることを。
手が一瞬触れただけで簡単に人を殺す事の出来る存在であることを。
95: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/03(水) 22:04:52.94 ID:8ei51JSP0
「…別に、何でもねェ」
手を、離しがたい。
離すべきなのに、手放すべきなのに。
フィアンマはそんな一方通行を見つめ。
それから、やっぱり心配そうに、こう言った。
「……体調が悪いのなら、休養すべきだと思うが」
「悪くねェよ」
一方通行の中の時間が、普通の流れを取り戻した。
何故だか、彼女には自分の素性を知られたくない、と思った。
「なァ、」
「ん?」
彼女は無事に思い出の紅茶の銘柄を見つけたらしい。
アールグレイを上品に啜り、マドレーヌを食べ終えている。
片手は繋いだままに。警戒心など微塵もないまま、握手をしたままで。
「オマエが知ってるか識らねェかは別として」
「?」
「俺が、学園都市最強の頭脳を持つバケモノで。
手を触れれば一秒とかからずに相手を殺せる野郎だったら、どォ感じる?」
「どう、と言われてもな」
何だかフィアンマは、昔のことを思い出した。
疫病神だから自分には触らない方が良い、と言った少年のことを。
彼女は人類を平等に捉えている。その思想はブレない。
「学園都市最強、ということは最高の頭脳の持ち主か。なら、勉学を究めた事を讃える。
…手は…超能力に限らず、触れれば相手を殺せるものだと思うが。首を絞めれば人は死ぬしな」
「………どンな攻撃をしてもそっくりそのまま跳ね返すバケモノだとしても?」
「お前が何を言っているのかはよくわからんが、素晴らしい盾を持っているとしか思わんな。
そもそも、人に反撃される覚悟があって人は人に攻撃するのだろう? 正当防衛だと思うが」
「……そォか」
「余計な手を加えずにそのままそっくり返すなら、それは人道的だとも感じる」
そうして、彼女は手を離した。
一方通行は沈黙して、彼女の言葉を受け入れる。
97: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/03(水) 22:05:26.05 ID:8ei51JSP0
すとん、と。
乾いていた土に水が染み込むように。
デコボコのへこんだ部分にぴたりとピースがハマるように。
一方通行が奥底で求めていたものが、今ここで手に入った。
誰かに、否定して欲しかった。
自分を認めて欲しかった。
バケモノではないと。
何も悪いことはしていないと。
最強でも普通の人間だと。
ただ一度、誰もかけてくれなかった言葉だった。
かけてくれたとして、裏に事情や理由、怯えの無いことは、初めてだった。
「……そォ、か」
無敵になりたいと思ったのは、こういった言葉がもらえなかったからだったのか。
誰かが手を握って、お前は普通の人間のままだと、笑いかけてくれなかったから、なのか。
「………」
それでも。
今更止まれない、と彼は思う。
絶対能力者進化実験を中止したいと願い出て通ったところで、妹達は処分されるだけ。
もっと早くに、この少女と言葉を交わせていたら良かった。
誰にも認めてもらえず、兵器扱いのみをされてきた少年は、ひっそりと思う。
99: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/03(水) 22:06:27.69 ID:8ei51JSP0
「世話になったな」
「……じゃァな」
紅茶専門店を出てスーパーに戻り。
無事茶葉を出て外に出ると、外はすっかりと晴れていた。
快晴の空を見て、彼女は『今日はラッキーデイだな』と上機嫌だった。
持ち運とやらが良いのだろうか、と一方通行は思う。
立ち去ろうとする彼の後ろ姿を見て。
あ、と彼女は声を出し、唐突に彼の服を掴んだ。
特殊な"奇跡の右腕"で掴まれ、一方通行は思わずバランスを崩しかける。
解析・分析をすればこの手を拒否出来るのだろうが、する気にはなれなかった。
「……なンだ」
「ケータイデンワー番号を交換しようかと思ったのだが」
「…何でカタコ、…あァ、オマエ外国人が」
ツッコミかけ、今更ながら思い出す一方通行。
研究者の、或いは研究所の連絡先ばかりが入ったアドレス帳。
「……」
この女を入れて良いのか、と躊躇する。
もしこんなことをして、彼女が、自分を嫌う下衆な連中に狙われたらどうする。
少しでも"大事"だと、自分にとっては価値があると思えた人間なら、尚更関わらないでいるべきだ。
躊躇する一方通行の様子を知ってか知らずが、フィアンマはやや億劫そうに携帯電話を差し出した。
「…操作が苦手なんだ」
だから、相互の登録をしておいて欲しい。
頼まれ、一方通行はやっぱり躊躇して。
それでも、何度も偶然は起こらないと経験則で知っているから。
登録を、した。
このことによって彼女が襲われるなら。
それこそ自分が無敵に成り上がって守れば良いと、とある少年のように誓いながら。
107: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/04(木) 20:55:31.53 ID:i2Okdesy0
山田幸之助。
本名か偽名かはともかく。
学園都市最強の超能力者、一方通行を指し示す名前が、アドレス帳に刻まれた。
彼女の携帯電話に入っている情報は、上条が最初にインプットした情報しかなかった。
学校の連絡先、病院の連絡先、それ位しかない。
なので、こうして彼女自身が築いた人間関係の記録は、一方通行が初めてだった。
「…ン」
返される携帯電話。
フィアンマはそっと受け取り、かちかちと弄って確認してみた。
詳しくはないものの、操作は何とか出来るし、名前も読める。
「…山田幸之助か」
「あァ」
「何と呼ぶべきかね」
「ファミリーネーム、ファーストネーム…好きな方にすりゃァイイ」
通称である能力名を名乗らなかったのは、本性を知られたくなかったから。
学園都市第一位のバケモノだと知られて手のひらを返されるのが怖かったから。
そう考えてしまう自分は何と弱いのか、と一方通行は思い。
「じゃァな」
今度こそ、彼は歩き出す。
彼女はゆっくりと手を振った後、携帯電話をいじった。
109: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/04(木) 20:56:11.85 ID:i2Okdesy0
一方。
『仕事』を終えた上条当麻は、やっぱり不幸であった。
あまりにも雨が酷いので、コンビニで傘を買い(元持っていた方は風で壊れた)。
これで雨宿りしつつ移動しなくて良いぞ、と外に出たところ。
快晴である。
暗雲などどこへやら、美しい青空である。
「…ふ……不幸だ」
がっくり。
項垂れる上条当麻。
ぐすっ、と鼻を啜っても仕方ない。
運の悪いことに、傘は既に開いてしまった後であった。
値札を剥がし、セロファンを少し剥がしてしまったこれは返品出来ない。
仕方がないと諦め、歩きだそうとしたところ。
「…お?」
フィアンマの後ろ姿が見えた。
彼女はビニール袋を片手にゆっくりと歩いている。
少しだけ眠いのか、ぐしぐしと目を擦っていた。
彼女が一人で外を歩けている。
見える目を使って、ふらつくでもなく、確かな足取りで。
たったそれだけのことで、上条はたまらなく幸せな充実感に満たされた。
「おーい」
「ん?」
呼びかけると、彼女は振り返った。
視界に上条を入れるなり、嬉しそうな笑みを浮かべてみせる。
「偶然だな」
「だな。幸運だ」
上条はそんな珍しい言葉を使い、素直にラッキーを喜んだ。
111: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/04(木) 20:56:51.16 ID:i2Okdesy0
お昼は外食にしよう。
そんな訳で、上条とフィアンマはファミレスへとやって来た。
安いメニューはつまり、大学からの提供品が多い事を示している。
故に、値段が安ければ安い程、ゲテモノ、或いは見たこともないようなメニューということだ。
普通の、一般的なハンバーグはそこそこのお値段である。
「どれにすっかなー」
「…地獄煮込み…?」
「いや、それはやめた方が良いと思うぞ」
「……」
「え、エスカルゴの地獄煮込みってゲテモノとゲテモノじゃねえか…」
うええ、と引く上条。
フィアンマは見なかったことにしよう、とページを捲る。
無難なのはパスタ系だが、正直に言ってパスタ料理ならイタリア出身のフィアンマが作った方が美味である。
となると残りは肉料理だが、やはりこちらもゲテモノ揃い。
「……よし。チーズトマトハンバーグにしよう」
「それが一番だろうな」
うん、と頷いて、注文を揃える二人だった。
113: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/04(木) 20:57:18.34 ID:i2Okdesy0
「紅茶の茶葉?」
「ああ。ティーポットを発見したものでな」
「そっか。よく迷わないで買えたな。詳しくないだろ?」
「少し手伝ってもらったんだよ」
「そっか」
店員にでも手伝ってもらったんだろう、と勝手に判断して。
荷物を持ってやり、手を繋ぎ、上条はのんびりと歩いていた。
仮に友人に突っ込まれても、恥ずかしくはあれど、隠そうとは思わない。
自分は彼女の幸福のために生きてきたし、これからもそうしていくだろうから。
「お菓子は買わなくて良いのか?」
「ん? 買ってある」
「へー。…これか」
よいせ、とビニール袋から小袋を取り出す上条。
そこにはこう書いてある。
『ぽりぽり小魚くん』
「……フィアンマさんや」
「んん?」
「お紅茶のお伴にこれはどうかと思う」
「当麻の身長を伸ばそうかと思ったのだが」
「余計なお世……でもねえな」
はあ、とため息を吐き出す上条。
現在身長、168cmである。
115: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/04(木) 20:58:21.01 ID:i2Okdesy0
今回の狙撃は中距離且つ、サイレンサーをつけていたようだ。
何の音もなく向かってきた弾丸が、反射された。
何を思うでもなく、反射をした先に視線を向ける。
脱兎の如く逃げ出す妹達の姿がやや遠くに見えた。
地面を蹴って、跳ぶようにして追いかける。
「…はン」
少女と過ごした時間が、消費されていくかのように。
あっという間に戦慄と血液に彩られるモノクロの生活。
本当に、本当に、くだらない。一方通行は、そう思う。
「……見ィつけた」
「ッ」
向けられる銃口。
幼い頃に向けられてから、ずっと突きつけられてきた。
何も悪いことなどしていない頃から、ずっと。
手を伸ばす。
少女の華奢な腕を掴んで、玩具のようにもいだ。
そのまま、気の違った人間を真似て彼女の指を噛もうかと考えて。
―――やめた。
彼女と一緒に飲んだ紅茶の味がかき消されるなら、口に何も入れたくなかったから。
126: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/05(金) 21:29:36.78 ID:esIxl0EL0
お買い物。
それはとっても楽しい響きなのだが。
こと、上条家にとってはさほど楽しいイベントでもない。
フィアンマが身体測定(正確には学校)から逃げていること。
そしてそれを承知で上条が匿っていることにより。
暗部の仕事で入る給料<ボーナス>を除けば、上条家は基本的にあまり裕福ではなかった。
上条一人分の奨学金で賄っているからである。
二人の食べる量は常人の、平均的なそれ。
しかして、上条はまだまだ育ち盛りの少年。
牛丼並ではおやつ程度で終わってしまう。
ボリュームのある食事を作ろうと思えば、どうしても材料費がかかる。
かといって食費を減らせば上条が倒れる、と彼女が意見を通したため、そこは削れない。
結果として。
「…よし、上条さんは戦ってくる」
まるで戦争に出立する前の少年兵の如く、上条は凛々しく言った。
実際にはスーパーの特売セールに参加する、ということなのだが。
「幸運を祈る」
こく、と頷いて、彼女は上条と別ルートへ向かった。
上条は肉担当、フィアンマは野菜担当の割り振りなのである。
128: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/05(金) 21:30:00.56 ID:esIxl0EL0
「………」
ボロッ。
そんな効果音でもつきそうな程に、上条はぐたりとしていた。
その手には戦利品である豚バラの薄切り500g150円のお得過ぎるタイムセールス限定商品。
対してフィアンマはというと、無傷で、その手に玉ねぎと人参の詰め合わせを持っていた。
たくさん詰め込まれているが、これも150円である。
「…大丈夫か?」
「…大丈夫」
不幸だ。
わしゃりと髪をかき、上条は気を取り直した。
「そっちは怪我とかないか?」
「ああ。むしろ周囲が譲る雰囲気だったな」
不思議そうに首を傾げる彼女に、なら良いかと上条は小さく笑って。
それから、会計に向かおう、と歩き出す。
何でもない日常の一秒一秒が。
持ち前の不運でいつ死ぬかわからない上条にとっての、唯一の宝物だった。
130: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/07/05(金) 21:30:27.80 ID:esIxl0EL0
暗部の仕事に手を出したのは、小学校を卒業した頃だった。
人間の闇を嫌という程見た俺にとって、殺人はさほど難しいことでもなくて。
やめてくれ、と逃げ惑う相手を撃ち[ピーーー]だけの、簡単な仕事<ゲーム>。
なるべく弾数を減らさずに殺せばお金が増える、シューティングゲーム。
もちろん、最初は悩んだり、悔やんだりもした。
『疫病神』
『こっちくんな』
だけれど。
罵倒を思い返せば、いくらだって暴力を振るえた。
記憶はいつだって苦しいことばかりで、全人類が憎らしく思えた。
俺に笑いかけてくれたのは両親と彼女だけだ。
微笑んで、手を握って、疫病神なんかじゃないと言ってくれたのは。
両親は俺に愛情をくれた。
彼女は俺に希望をくれた。
だから、俺はそれ以外の人間などどうでも良いと、ある種思えるようになった。
どうせ俺が何かしたところで、相手は俺に感謝しないし、それどころか唾を吐きかけていくのだから。
それでも、悪いことをしている自覚はあったから。
その釣り合いを取るように、俺はスキルアウトに絡まれている女の子を助けたりもしている。
―――偽善使い(フォックスワード)。
嘘をついて笑って誤魔化して。
まるで善人のように振舞って演技して生きている。
所詮。
……そんな男が、俺の本質だ。
132: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/05(金) 21:31:04.03 ID:esIxl0EL0
会計を終えた今日、八月八日。
上条とフィアンマは重いビニール袋を手に歩いていた。
「ぐおお。暑すぎて料理する気にならねえ…」
「ランチバリューなら300円で済むが」
「ん? お、ハンバーガーか」
目に止まったのは、ファーストフード店。
夏休みだからか、ランチを提供しているらしい。
いつもは五百円台はしてしまうメニューが300円台のお手頃価格にダウンしていた。
店内は混み合っているようだが、休憩も兼ねて食事をするのも悪くない。
「じゃあここにするか」
上条はそう決めて、彼女と共に店内へ入る。
中は外から見ていたより混み合っている。
空いているのはテーブル席が一つ、カウンター席が二つ。
カウンター席は今にも誰かが座ってしまいそうな程に無防備だ。
相席でもいいかも、と思い、上条はテーブル席へ目を向ける。
巫女さんが居た。
黒く長い髪に、赤と白の巫女服。
顔はよく見えないが、おっとり風の和風美人だ。
大和撫子の巫女、と、彼女の写真を撮影すれば説明に使えそうな程。
しかしながら声をかけ辛い。
それでも一応許可を取ってみようか、と上条は思って。
「………」
ふと、振り返る。
無表情。
彼女の顔は、その一言に尽きるものだった。
唯一、その視線だけは冷たくて。
北極海でもここまで冷たくはないのではないか、と思える程に。
彼女を愛している上条でも寒気がする程の、冷えた態度だった。
「………」
彼女は無言のまま。
上条の手首をそっと掴む。
それから引っ張っていき、カウンター席へと導いた。
整った顔からは、何の感情も読み取れない。
「…フィアン、マ?」
店の雑音が、人の話し声が。
どこか遠く、遠すぎる出来事のように、ぼやけて聴こえない。
一人、まるで耳栓をしたかのように、世界が遠い。
意識下、無意識下共に緊張しながらも、上条はカウンター席へ座り。
恐る恐る、再度彼女の表情を窺ってみる。
「……俺様が買ってくる。飲み物は何が良い?」
いつも通りの、優しい笑顔だった。
ほっとしながら、上条は財布をまるごと明け渡す。
そうだ、気のせいだったのだ。
彼女があんな顔をする訳がないじゃないか。
もししていたのだとしても、きっとヤキモチだ。
上条当麻は、自分に、そう何度も言い聞かせる。
134: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/05(金) 21:31:31.07 ID:esIxl0EL0
幸運とは、神様のご加護のことだ。
そして、自分は恐らく、世界の誰よりも神様に愛されている。
その自覚と自信があったからこそ、自分は当麻を守ろうと、守れると、思った。
不運にばかり遭遇し、世界で最も神様から見放された少年。
彼の事が好きだ、と思う。実際、時々口に出す程に。
だから。
彼を不幸にするとわかるものは遠ざける。
たとえ自分がどう思われようと。
彼を戦乱に巻き込む人間なら、助ける必要などない。
巫女服の少女のことは知っていた。
吸血殺し(ディープブラッド)と呼ばれる"原石"の少女だ。
彼女もまた、カインの末裔には決して被害に遭わされない―――神様に愛され過ぎた人間だ。
かかわらせたくない。
何がしかのトラブルに巻き込まれる、と直感で思った。
「ただいま、当麻」
本心を隠し通す為に、笑みを浮かべる。
当麻は、俺様だけを見ていれば幸福なんだよ。
142: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/06(土) 16:40:23.64 ID:aaL0Ytia0
八月半ば。
上条は今日も今日とて『仕事』だった。
こうして身体を動かすので、まだまだ夏バテはしていない。
「んー。逃げ足早ぇな。ったく、『メンバー』同士の諍いに巻き込むなっての」
上条は呟いて、走る速度を早める。
仕事のお陰で学校の持久走はベストタイムを常に更新していた。
自分で自分の身体の制御を行う、さながらアスリートの如く。
どうせならこの努力を能力認定してくれればいいのに、と上条は思う。
そうしてくれたら、彼女をタイムセールスという過酷な戦場に駆り立てなくて済むのに。
「困り、ましたね」
ちょっとしたミスが気がつけば膨大な損益になっていた。
そんな訳で、これまで暗部組織『メンバー』の一員として働いてきた少年―――査楽は、逃げ惑っていた。
相手は拳銃を持っているし、単体だ。
死角移動(キルポイント)―――敵の背中に回って、奇襲も考えた。
けれど。
相手は一人、こちらも一人。
マウントを取られてしまえば、それでおしまいだ。
「く、……」
ゲート近くまで逃げれば、或いは。
考えを巡らせ、走る。
144: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/06(土) 16:40:49.97 ID:aaL0Ytia0
「……もう、無理ですかね」
走っても走っても、相手は諦めない。
肉食獣に狙われた兎のごとく、彼は諦めた。
査楽は困ったように薄く笑って、座り込む。
徐々に近づいてくる足音。
相手は少年だった。死神のような雰囲気を纏う、しかして平凡そうな少年。
「ッ、」
死への恐怖を振り払い、査楽は演算する。
少年の位置を頭に入れ、十一次元上に変換し、背後に回った。
回ったはず、なのに。
上条はそれを見越したように、右手を自分の背後に振った。
幻想殺しに空間転移が打ち消され、査楽は下半身のみを移動し、上半身はそのままだった。
つまり。
上条の背後に現れたのは下半身だけで。
移動しきれず元の場所に戻ったのは、上半身。
人間の身体が上下に分かれてしまえばどうなるか。
答えは、あまりにも明白だった。
146: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/06(土) 16:41:16.20 ID:aaL0Ytia0
「……」
マグロの解体ショーみたいだ。
頬に付着した返り血を手の甲で拭い、上条はくつくつと笑う。
ああ、そうだ。
右手を出せばどうなるか、わかっていたさ。
「自滅か。上条さんよりバカだな」
罵倒して。
上条は下部組織に連絡をすると、そのまま懐からウェットティッシュを取り出す。
まるで汗を拭くように返り血を拭って、丸め、死体に投げつけた。
未だびくびくと痙攣を繰り返す少年の脚を踏み越え、ゆっくりと表に出る。
外は明るい。
「ふー」
ひと仕事終えた後は、何か冷たいものを飲みたい。
ちょっと小腹も空いたな、と思いながら歩いていると。
「……っと」
「……はー。こうも暑いとやる気起きねえなあ」
「無視してんじゃないわよコラアアアアア!!!」
びりびりっ。
雷撃の槍が飛んできた。
咄嗟に右手を突き出せば、それは吸い込まれるように右手に直撃し、消える。
ぜぇはぁ、と肩で息をする美琴を見やり、上条はのんびりと言った。
「走ってたのか? この炎天下ご苦労さん」
「アンタのせいだろうがあああああ!!!」
148: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/06(土) 16:41:43.25 ID:aaL0Ytia0
一方。
フィアンマは涼しい店内に居た。
一般的なファミリーレストランである。
上条と頻繁に来るのとは、また別の場所。
一人で来ている訳ではない。
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From:山田幸之助
Title:昼
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飯食いに行かな
いか
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そんなメールが来たので、お誘いに乗ってみた訳である。
上条は今日はバイトらしいので、なかなか帰ってこない。
ちなみにお金がないので最初は断った。
断ったのだが、奢る、とのことで。
一方的に奢られるのは、と返せば、人生相談に乗ってくれればいい、と返され。
存外食い下がるなあ、と思いつつ、フィアンマは彼と食事をしていた。
山田幸之助。
――― 一方通行である。
150: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/06(土) 16:42:29.99 ID:aaL0Ytia0
「…少食だな。遠慮か、女特有の気取りかは知らねェが」
「幼い頃は完全に管理された食事だったものでな。胃の容量がないんだ」
「…能力開発か」
「いや、学園都市に来たのは今年に入ってからだよ」
「そォか」
何やら事情があるらしい、と判断し。
一方通行はアイスコーヒーを飲みつつ、ぼーっとしていた。
何か彼女に話すことがあったような気がしないでもないのだが。
「……紅茶はギフトか何かか」
「ああ、この間のか。そうだよ。自分で飲みたいだけならお前と専門店に行った時点で満足しているしな」
「そォかよ」
「助かった。ありがとう」
改めてお礼を言われる。
笑顔を向けられ、一方通行は思わずそっぽを向いた。
ツンはともかく、ツンデレになった覚えなどないというのに。
152: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/06(土) 16:42:56.78 ID:aaL0Ytia0
「お前は肉料理が好きなのか」
「あン? …この年代の男なンざ大体そうだろ」
平均に合わせた、とも聞こえる発言だった。
本当は誰よりも一般人に溶け込みたいのに。
超能力者、それも第一位故、集団からは孤立する。
常に異端として扱われてきた彼には、もはや普通というものがわからない。
昔には、憧れていた。
日中は学校に行き。
クラスメートと適当にダベり。
放課後は友達と遊んで。
家に帰って、宿題と格闘する。
そんな当たり前の、普通の生活に憧れた時期も、確かにあった。
だが、今ではそれを願えば願う程、自分が場違いだということを再認識してしまう。
無敵にならなければ。
文字通り決して敵を作らない存在にならなければ、友人は作れない。
誰かを愛することも、愛されることも、仲良くなることも、ない。
彼女と現在共に食事をしていることがその前提を壊していることに、彼は見て見ぬフリをしていた。
「そうだな。では、その内何か作ってやる。今日の礼といったところか」
「…作る?」
「肉料理はそんなに難しいものでもないしな」
今度、どうやら手料理を振舞ってもらえるらしい。
素っ気なく断ろうとした一方通行だったが。
「……」
穏やかに微笑む彼女の顔を見て、無言で受容の合図を返したのだった。
158: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/06(土) 21:56:56.28 ID:NZ1qBlkp0
仕事帰りにはいつも絡まれている気がする。
そう思いつつ、上条は適当に少女の相手をしていた。
少女の名は、言わずと知れた超電磁砲―――御坂美琴。
彼女の攻撃から逃れるには、彼女の興味を他に移すしかない。
他の、彼女に勝てる無能力者辺りでもぶつけて。
もっとも、彼女に勝利出来る無能力者などそうそう存在しない。
卑怯な搦手を使えばともかく、基本的に能力の差とは絶対的なのだから。
ましてや、大能力者と超能力者ならともかく、無能力者と超能力者では。
「もう追いかけてくんなっての!」
「なら勝負しなさいよ、ばか!!」
追いかけられる。
逃げる。
追いかけられる。
先程の仕事とはまるで真反対な役割に、上条は苦く笑う。
フィアンマはどうしているのだろう、と携帯を見やれば。
友人と食事をしているからお昼は用意出来なかった、とのことだった。
友達が出来たと聞くと、嫉妬より先に安堵が先立つ。
という訳で。
上条当麻は本日、昼食を自分の手で用意することとなった。
ぴた、と立ち止まる。
電気を用いて空気を爆発させ、驚異的な速さで進んでいた美琴はブレーキをかける。
かけたは良いものの、車が急に止まれないのと同じで、美琴はまともに上条に突っ込んだ。
振り返った上条は、決して大柄ではないものの、平均的な体格で彼女を受け止める。
160: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/06(土) 21:57:46.10 ID:NZ1qBlkp0
ぼふり。
そんな音を立てて。
美琴の顔は、上条の胸元に埋まった。
汗の匂い。
上条の人格を表すようなおひさまのような匂い。
それらが入り混じった匂いは、男性特有のものだ。
少女のような制汗剤の匂いはしない。
大人の女性のような香水の匂いはしない。
正真正銘、男性の匂いだった。
美琴は何だかんだで、男性に対して免疫がない。
スキルアウトに対してはある種あるが、それは見下しに基づくものだ。
こんな風に、少年と密着したことなど、一度もなかった。
「ぁ、う」
美琴は、言葉を喪う。
顔を真っ赤にして、ぴりぴりと紫電が放たれた。
これは落雷するのではないか、とほんの僅かにビビる上条。
しかし。
(……血?)
鉄臭い臭いが、した。
美琴は眉を潜め、上条を見上げる。
162: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/06(土) 21:58:11.86 ID:NZ1qBlkp0
「アンタ、怪我でもしてんの?」
「へ? してねえけど」
女の子が近くに密着している状況にドキドキと(本能だから仕方ない)しながら、上条はきょとんとする。
反撃を受ける前に相手は殺したし、怪我などまったくもってしていないのだが。
もしや。
血の臭いに感づかれたか。
上条は険しい顔になりそうな己に気がついて。
表情を取り繕って、笑みを浮かべてみせた。
「あ、そうだ。安っぽいところでよければ、飯一緒に食わないか?」
「…ご、ご飯?」
「そうそう。今日昼飯用意してないんだ」
時刻は12時半を少し過ぎたところ。
昼食を摂るにはまだまだ間に合い、まだまだ最適な時間だ。
美琴は困惑したり、気になりつつも、頷くのだった。
164: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/06(土) 21:58:45.98 ID:NZ1qBlkp0
男と二人きりで食事なんて、黒子がうるさいだろうな。
思いながらも、じゃあやめよう、ではなく。
見つからないようにしよう、で留める辺りに、美琴は自分の本心を見出した。
(怪我してないって言ってたけど、)
視線を向けた先。
ツンツン頭の少年は、もぐもぐとハンバーガーを食べている。
美琴はポテトを華奢な指でつまみ、口に放りながら、彼を観察した。
(どうもそうは見えないのよね)
何となく、覇気がない。
何か、無理をしているように感じる。
「ねえ、」
「ん? 何だよ」
「本当に、ほんっとーに、怪我してない?」
「してねえって」
彼は嘘をついている。
何故だが美琴は、そう思う。
それが女の勘(笑)なのか、心配からくる偏見なのかはわからない。
仮に彼が嘘をつくとしたら、それは自分が加害者ということなのだろう。
電撃で、どこかを怪我したのかも。そうでなくとも、自分との追いかけっこで。
だとすれば、自分のせいだ。
166: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/06(土) 21:59:26.27 ID:NZ1qBlkp0
「…これ、あげる」
「は? 何だこ…ぶふっ」
「笑うな!!」
上条が渡されたのは、絆創膏。
それも普通のものではなく、所謂お子様絆創膏だ。
お子様向けの、カエルのキャラクターが描いてある。
それはゲコ太という名前のキャラで美琴がドハマリしているものなのだが、上条は知らない。
仮に知っていたとして、こうしたやや馬鹿にする態度は変化しないだろう。
むむむ、と気分を害する美琴だったが、言う割に受け取ってくれた上条に安堵する。
ポテトを食べ終え、アイスティーを口に含む。涼しい気分になった。
「……」
はたと気がついた。
これって、デートじゃないのか。
人生初の、男性とのデートなんじゃ。
沈黙して、美琴はぶんぶんと首を横に振る。
そうだ。
意識してはいけない。
コイツだけは私をただの少女としてあしらう、だとか。
電撃を投げられても、笑いかけてくれる、だとか。
あれだけの力があって、それでも決して殴られたことはない、だとか。
色々と思うところが、あり。
「じゃ、じゃあ、帰るから。帰り道気をつけなさいよね」
言って、美琴は逃げ出した。
上条は彼女の後ろ姿を見やり、首を傾げた。
「変なヤツ」
ぼやきながら。
176: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/07(日) 16:22:02.00 ID:TZmIkBdi0
一方通行は、フィアンマと共に信号待ちをしていた。
まだ明るい時間帯ということもあり、離れがかったからだ。
どちらが、などということは言わずとも明白である。
「暑いな」
呟き、フィアンマは空を見上げる。
昔であれば術式を衣服に施していた。
いたのだが、現在は上条にいつ触れられるかわからないため、していない。
上条にその気がなくとも、うっかり右手が触れれば服ごと分解されてしまうからだ。
彼に裸を見られる分には、"自分は"少々の羞恥で済むのだが、上条が落ち込むのが目に見えている。
「そォか?」
一方通行が暑さを感じないのは、反射をしているからだ。
ホワイトリスト形式でしか、彼の体には触れられない。
余分な暑さは、太陽光諸々を反射してしまえば全くもってない。
冷房がしっかり利いている適温の部屋にいるかのように、彼の肌はさらさらで、汗ばんでいない。
聞き返した初めて彼女と自分の体感温度に差異があるのだから当たり前だ、と一方通行は気がつく。
「何か冷たいものが欲しくなる程度にはな」
応え、フィアンマはうんざりとした様子で眉を寄せる。
日傘の類を忘れてしまったので、直射日光を浴びる他なかった。
「……。ghiaccio tritato!」
うっかり本国の言葉が出る位には暑さにやられていたらしい。
フィアンマは唐突にそう言うなり、目を輝かせてワゴンを見つめる。
いつもはクレープの販売ワゴンの定位置なのだが、今日はかき氷、及びアイスクリーム屋のワゴンが停車中のようだ。
「……味は何がイインだよ」
「この程度なら自分で払えるが」
「イイ。…急に呼び出した詫びだ」
適当に理由を押し付け、一方通行はワゴンに近寄る。
人の良さそうな運転主兼店主は、二人を見て快活そうに笑いつつ言った。
「彼女にご馳走か。サービスしてあげよう」
このオンボロ車ぶっ壊してやろうか、と一方通行は思った。
178: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/07(日) 16:22:28.25 ID:TZmIkBdi0
おいしい。
細かく砕かれた氷にかかった赤いシロップは、苺味。
こぼさないよう慎重に食べつつ、フィアンマは笑みを浮かべていた。
元よりよく笑ったり微笑む少女だが、今回は本当に幸福そうである。
「お前は食べなくて良かったのか」
「暑くねェし」
「寒がりか」
「そういう訳じゃねェよ」
説明すると、身元がバレるかもしれない。
故に、自分の能力についての説明はしない。
彼女は彼女で、自分の能力には興味がないらしい。
今年に入って学園都市に来たのなら、それも当たり前か、と思う。
相手の能力が気になる。自分の能力を多かれ少なかれ多少なりとも自分の拠り所にする。
それは学園都市に馴染みきった人間だからそうなのであり、『外』の人間はそうではない。
聞いてこないのが、詮索してこないのが、むしろ有り難かった。
なりたくて最強になった訳ではないのだから。
「……夕飯は何にするか。希望を聞きそびれたな」
ふむ、と彼女は首を傾げる。
一方通行はそんな彼女の呟きに反応した。
「…誰かと住ンでンのか」
「まあ、そうだな」
恐らくルームメイトだろう。
となれば女子校所属なのだろうか、と一方通行は思ったりもして。
180: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/07(日) 16:23:33.80 ID:TZmIkBdi0
かき氷を食べ終え。
夕飯の買い物をして帰ろうかと考えている、と言った彼女に合わせ、一方通行はスーパーへと歩いていた。
彼らが出会ったスーパーだ。品揃えは多いが、安いものと高いものの差がはっきりとしている。
メインは魚で、サラダを作りたい、と彼女はぼやいていた。
そのルームメイトが余程大切なのか、栄養バランスを一生懸命考えているようだ。
今日日、サプリメントの類でいくらでもビタミンなんて摂取出来るのに、と一方通行は思う。
そして、そんな冷めた考えしか出てこない自分に思考回路がつくづく嫌になった。
はたと。
一方通行は気がついた。
自分が囲まれていた事態に。
「あ? 今日は女連れか」
いつも通り、自分を倒して名誉を欲しがるアホ共<スキルアウト>だ。
いつもなら会話ごと丸無視をして歩いていれば、反射されて相手が勝手に倒れてくれる。
そういった生活に嫌気がさしたからこそ、無敵になる実験へ手を出した訳だが。
今日は、無関心ではすまない。
今の一方通行には、守るものがある。
守りたいと、無意識下で思える人が、隣にいる。
「……チッ」
舌打ちする。
フィアンマはというと、上条の前では基本的に見せない冷めた視線で周囲を眺めていた。
182: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/07(日) 16:24:28.03 ID:TZmIkBdi0
選べる選択肢は二つある。
一つ、周囲のスキルアウト全員をぶちのめす。
二つ、彼女を抱えてこの場から逃げる。
一つ目は、倒しきるまでのわずかな時間で彼女を傷つけられる恐れがある。
となれば、選べるのは必然的に二つ目の選択肢。
「オイ」
「ん?」
「舌噛まねェように喋るな」
言って、一方通行は彼女の身体を抱える。
所謂お姫様抱っこをすると、二回地面を蹴った。
一度目の蹴りは、コンクリートを破壊し、その欠片を男達に浴びせる牽制の一撃。
二度目の蹴りは、運動エネルギーを産み出し、爆発的な速度を生み出す為の一手。
喋るな、と言われ、沈黙を堅く守りながら抱えられ。
やがてスーパーの前で降ろされると、フィアンマは自分の足で立ち、一方通行を見た。
「…あれがお前の日常か」
「まァな」
くだらないが、仕方のないことだ、と彼は肩を竦める。
フィアンマは少しだけ考えて、それから、言葉を紡いだ。
「全てを跳ね返す力が相手を傷つけたとしても。
それはお前を最初に傷つけた相手が自分の悪意をそのまま受けたのだから、お前は悔いなくて良い」
それだけ言って。
礼の意だろう、彼女は一度だけ軽く頭を下げ、スーパーの中へと消えた。
「…………」
どうして。
どうして彼女の言葉は、自分にこんなにも都合が良くて、優しいんだろう。
当たり前のことを、当たり前のように、言ってくれるんだろう。
一方通行は唇を噛み締め。
思い出したように、携帯電話を見た。
「……」
まもなく、実験が始まる。
184: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/07(日) 16:24:52.17 ID:TZmIkBdi0
どうしたら、いいのかな。
私が、全部悪いのかな。
私が死ねば、なかったことに、なるのかな。
美琴は、誰にも言えない気持ちを、心の中でループさせていた。
妹達は殺され続けている。自分がどんな努力をしても、それは変わらない。
そして、きっと、これからも。打開策は無い。
唯一の功績は、ハッキングを仕掛けて樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)を破壊出来たことだろう。
あのことによって、再演算は出来ない。これで、たった一つだけ、選択肢は出来上がった。
自分が辿るべき未来なんて、とうに見えていた。
「…当たり前、じゃない」
ベッドの下には、ぬいぐるみが押し込んである。
その中のたくさんの資料に綴られた悪夢の内容を思い返す。
ああ、そうだ。自分は、加害者なのだ。
これからあの計画通りに殺されてしまうあの子達を思えば、自分の死に方は何と良心的なのか。
超電磁砲を反射されて死ねば、文字通り消し飛ぶ。きっと、そんなに痛みはない。
「……」
私は。
あのバカに、こんな恐怖を押し付けていたのかもしれない。
なのに、彼は笑っていた。笑いかけてくれた。
怪我をしたのに、嘘をついて隠し通し、絆創膏を受け取ってくれた。
うっかり防ぎそびれば死ぬ程の攻撃を受けながらも、微笑んでいた。
美琴は暗い部屋の中、膝を抱える。
精神は、確実に追い詰められていた。
中学二年生にはあまりにも遠いはずの『死』が、近すぎる。
「私は、…一万人を殺したんだ」
過去には戻れない。
現在は変わらない。
でも。
未来を終わらせることは出来る。
少なくとも、自分の未来を終わらせることで、残り9000以上の少女を救う事は出来るかもしれない。
可能性が一%でもあるのなら。贖罪の意思がほんの少しでもあるのなら、選ぶしか、ない。
「……外、出よ」
シャワーを浴びよう、と美琴は思った。
それから、お腹いっぱいご飯を食べよう、とも。
きっと。
今日が、最初で最期の、日常<しあわせ>になるだろうから。
186: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/07(日) 16:25:37.46 ID:TZmIkBdi0
晩御飯は鮭のムニエルとサラダだった。
スーパーでパプリカが安かったらしく、大量に入っていた。
昼間女の子と抱き合ってしまった、という罪悪感に言葉少ない上条。
そんな彼の様子に、フィアンマは不思議そうに首を傾げていた。
「…具合でも悪いのか?」
「ちっ、違いますよ!! 元気!! 見ての通り!!」
「…そ、そうか」
見た感じは元気ではなかったのだが、何やら隠したいことがあるらしい。
上条の精一杯の元気ですアピールにやや引きつつ、フィアンマは信じてあげることにした。
「それにしても、友達出来て良かったな」
「ああ。よく買い物に行くスーパーマーケットで会ってな」
「へえ。紅茶について教えてくれた子だっけ?」
「そうだよ」
紅茶について詳しい、という情報しか知らない上条は、フィアンマの友人を勝手に女の子だろうと思い込む。
男というのは、好きな子の情報に対してかくも幻想フィルターをかけてしまう生き物である。
あばたもえくぼ、ずぼらもかわいい、そんなところだ。
「……ん」
食べ終わって。
皿洗いをそろそろ終えるというところで、携帯電話が震えた。
仕事上の付き合いである麦野沈利―――第四位の超能力者、原子崩し(メルトダウナー)からのメールであった。
添付されているのは、どうやらPDFファイルのようだ。
「……?」
首を傾げ、開封してみる。
そこに綴られていた事実は。
『絶対能力者<レベル6>進化実験』
188: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/07(日) 16:26:02.12 ID:TZmIkBdi0
八月二十日。
上条当麻は、補習帰りに自販機と格闘していた。
格闘というよりも、正確には不戦勝。
二千円札を飲み込まれてしまった上条の全面敗退である。
「ぐ…ぐう……ッ」
ぐうの音は出た。
出たが、だからといって状況は変わらない。
あれがないと生活がとても苦しくなる。
がくりと項垂れる上条を発見し、美琴は小さく笑って声をかけた。
彼女は、自問自答で気がついていた。
どんなに身勝手でも受け止めてくれたこの少年が、好きだということを。
それでも、今宵、自分は死にに行くから。
せめて最後の日常を崩さず、告白もせず、彼と少しだけ話したい、と思っていた。
「はいはい、どいてどいて。こちとら炎天下一滴も飲まないでここまで歩いてきたんだから」
「……はあ」
「…何よその落ち込みよう。私の顔見んのがそんなに嫌って訳?」
「いや、自販機に二千円飲まれちまって…」
「…二千円? 何でそんなハンパな額―――あ」
言いかけて、美琴の優秀な頭脳が、一つの答えを導き出す。
ぶふっ、と少女は思わず吹き出した。
「も、もしかしてもしかしなくても、に、二千円札?」
「……そうだよ…」
「ぷっ、ぁは、あははははは!! に、二千円札!
今時店員さんでも困惑する代物をこのバカ自販機に?
そりゃお釣りも商品も出ないわよ! 出る訳ないじゃない!」
あはははは、と笑い続ける美琴。
今度こそぐうの音も出ない上に落ち込む上条。
そんな彼に申し訳なさが芽生え、美琴は笑いすぎて滲んだ涙を拭った。
「ま、まあ? お金は…げほっ、ふふっ、…はあ。取り返せるかわからないけど」
手を、自販機に近づける。
「やってみるだけ価値はあるかもね。二千円分のジュースでも、プラマイゼロにはなるでしょ?」
二千円札、見てみたいし。
言いつつ、自販機に電撃を食らわせる美琴。
自販機は当然誤作動を起こし、酔っ払いがゲロでも吐くみたいに缶ジュースを吐きだし始める。
「種類は選べないけど、こんなとこか。ざっと二千円分はあるでしょ。
はー。残念ね、二千円札の方はダメだったみた…」
「………」
美琴の言葉の途中で。
上条は顔面蒼白になりつつ、彼女の手を掴んで走り出す。
次の瞬間、ジュースを吐きだし終えた自販機は甲高い警報を鳴らし始めた。
190: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/07(日) 16:26:26.08 ID:TZmIkBdi0
咄嗟にジュースを抱えてきてしまった。
上条はぐったりとしつつ、公園のベンチに座った。
「は、ぁっ」
「飲む?」
「違うだろ!」
その言葉は、とツッコミつつ、ぐったりとラムネを口にする。
練乳サイダーはべたべたしつつもなかなか美味しい。
美琴はヤシの実サイダーを飲みつつ、上条の背中をさすっていた。
「情けないわね」
「うるせえ! 大体、自販機に電撃食らわせるやつがあるか!」
もうやだこのビリビリ、と上条は尚更ぐったりとする。
「あら。あらあらあら? これはこれはお姉様」
何やら芝居がかった少女の声。
視線を向ければ、ツインテールの可憐な少女が立っていた。
腕章には風紀委員(ジャッジメント)、と書いてある。
学園都市の"表側"の治安組織、学生主体の組織の一人である証。
上条と美琴は、各々『げっ』という表情を浮かべた。
「お姉様、こんな冴えない殿方と真昼間からランデブーだなんて」
「そんな訳あるかああ!」
「ああん、お姉様、今日は一段と手荒でございますのおおお」
美琴の電撃を受けて嬉しそうな彼女の名は白井黒子。
腕章通り風紀委員の一人であり、御坂美琴を心から慕う常盤台中学一年生である。
192: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/07(日) 16:26:54.17 ID:TZmIkBdi0
フィアンマは、一人で暇を潰していた。
上条が補習のため、どうにも時間が余ったからだ。
やりたいことはないし、家事は終わってしまった。
「……」
やはり、学校に行ってみるべきかもしれない。
元より自分で学んだ訳ではないのだ、魔術に対する未練はさほどない。
能力者は魔術を使えない。
これは過去の実験で判明している事実。
実際、使用出来ないことはないが、まず確実に死ぬ。
運が悪ければ一度の行使で。
運が良いにせよ、何度も繰り返していれば体はボロボロになる。
超能力者向けの魔術など、この世界には存在しない。
「……まあ、良いか」
上条と一緒に居れば、魔術を行使することはない。
教会世界に連れ戻されることだって、ない。
『いいよ。お前の為なら、世界を敵に回しても、いい。
俺は元々神様に嫌われてるしさ。今更って話でもあるし』
何があっても、俺が必ず守るよ。
上条の言葉を思い出すと、胸の中がじんわりとあったかくなる。
何だか気恥ずかしくなって、フィアンマは笑みつつ目を瞑った。
194: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/07(日) 16:27:33.62 ID:TZmIkBdi0
ツインテール少女は空間移動で消え。
再び世間話をしていた上条と美琴の二人。
「…アンタ、あれってどう思う?」
彼女が指差したのは、飛行船。
今日と明日の天気や、ニュースを流している。
樹形図の設計者の予測演算の傍ら、演算した天気を予言する機械。
「どう思うも何も、普通の機械じゃねえのか?」
「そうね。…私、アレ嫌いなのよ」
機械が決めた政策に、人が従っているのが気に入らない。
美琴の意見に、上条はほんの少し同意した。
自分の人生や考えは、自分で決めるべきだ。
「…お姉様?」
少女の声だった。
上条と美琴は振り返り。
上条は昨夜のPDFファイルを思いだし。
美琴は、黙った。
彼女は、軍事用ゴーグルを装着していた。
彼女は、御坂美琴に瓜二つだった。
彼女は、実験を控えて野外研修に出ていた。
彼女は。
御坂美琴の体細胞クローン―――妹達<シスターズ>の一人だった。
205: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 20:26:31.28 ID:MBCqHfJj0
「……あー。もしかして、御坂の妹さん?」
彼女の正体にすぐ思い当たりながらも、上条は笑ってそう問いかけた。
彼女は首を傾げ、美琴を見て、それから言葉を返す。
「妹のようなものです、とミサカは肯定します」
「そっか。双子か何かなのか? そっくりだな」
「ミサカとお姉様は細胞レベルで同一ですから、とミサカは頷きました」
会話を聞いている内に。
御坂美琴の中で、爆発的に感情が膨らんでいく。
その膨らみはキャパシティを押し上げ、やがて溢れ出す。
「―――――アンタ!!」
雷鳴の如き一言。
妹達の一人は、彼女を見た。
「…ちょっと、来なさい」
「ミサカにも予定があります、とミサカは」
美琴は立ち上がり、彼女の手を掴む。
鋭い視線を向け、再度言い直す。
「いいから、来なさい」
去っていく同じ後ろ姿二つを見送り。
上条は、ぼんやりと呟く。
「……てっきり協力してるんだと思ってたんだが」
207: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 20:26:54.01 ID:MBCqHfJj0
上条は、大量のジュース類を飲みつつ、携帯電話をいじる。
そこには、かつて美琴がクラッキングの苦労をして手に入れた情報が悠々と刻まれている。
暗部伝いできたのだ、この情報は間違いないだろう。
麦野が送ってきた理由はよくわからない。
恐らく、第三者には美琴と近頃親しく思える自分にバラすことによって、彼女への精神的ダメージを狙ったのだろう。
本当に格上が気に入らないのだなあ、と上条は麦野について再評価しつつ。
さて、この情報をどう活かそうか、と首を傾げた。
「んー」
様子からして、美琴は積極的に実験に協力してはいなさそうだ。
諸々の会話内容、様子を加味すると、実験を忌避している様子さえ感じられる。
「…」
改めて資料を読み進めた。
昨晩は眠かったこともあり、真面目に読んでいなかったのだ。
「……」
そして。
内容をよく読み込み、上条は舌打ちしそうになった。
上条当麻は、救う対象を相対的に判断している。
その内容が過去のフィアンマにどれだけ被っているかで判断する。
今回のケースは、顕著だった。
「…気に入らねえな」
自分の人生を自分で決められない、少女。
他の大人のいいように操られ、使われ。
誰に助けを求めることも許されない存在。
「気に入らねえ」
上条は、もう一度呟く。
209: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 20:27:18.06 ID:MBCqHfJj0
今日やる実験は二回。
午前中も一度やったので、それをカウントすれば三回。
ともかく、一方通行は暇だった。
実験が開始されるまでは、基本的にやることはない。
やるべきことは何もないし、やりたいことも―――
「…ン」
視界に、赤いものが入った。
その正体は、赤い日傘を差した一人の少女だった。
上品に傘を差し、彼女は退屈そうに空を見上げている。
「オイ」
声をかけてみた。
彼女は振り向き、笑みを浮かべる。
赤く長い髪を今日は結んでいるらしく、真っ白な項が見えていた。
「幸之助か」
はにかんで、彼女は近づいてくる。
フィアンマ。
一方通行にとっての、安堵と平穏の象徴。
211: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 20:27:42.69 ID:MBCqHfJj0
「あなたの家で飼うことは出来ませんか、とミサカはお願いします」
「ダメ」
黒猫を抱っこし。
『いぬ』と名づけて、妹達の一人は、上条と共に歩いていた。
上条はペットの飼い方を買ってやる、と古本屋へ消え。
彼女は一人で古本屋の外に立ち、猫と戯れていた。
微弱な電磁波を恐れなくなったのか、ぴちゃぴちゃと指を舐めてくる。
そんな黒猫に、彼女は目を細めて小さく笑む。
そして。
背後から感じる視線に、ぴたりと動きを止めた。
無関係な黒猫が巻き込まれるかもしれない、という恐怖に体がびくつく。
緊張によって心拍数が上がり、どうにも息切れがした。
「……」
彼女は黒猫を足元に降ろし。
優しく優しく、その小さな頭を撫でた後。
本来の自分の役目を全うするために、裏路地へ消えた。
213: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 20:28:07.65 ID:MBCqHfJj0
上条は、裏路地に立っていた。
本を抱え、黒猫を抱え。
そこには、少女の死体が転がっていた。
上条は、呆然と彼女の死体を見つめていた。
吐き気を催して蹲るようなことはしない。
それをするには、既に一般人の感覚を捨てていた。
ただ、どこか遠い出来事であるかのように、見つめていた。
「……」
黒猫と見つめ合う。
にゃあん、と子猫は弱々しく鳴いた。
「……ひとまず、俺の家来いよ」
言って、上条は引き返す。
家路を歩む脚は、ひどくだるくて、重かった。
215: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 20:28:36.40 ID:MBCqHfJj0
八月二十一日。
夕方をとうに過ぎた、空の暗い時間に。
御坂美琴は寮にも帰らずに、鉄橋でぼんやりとしていた。
「……」
彼女は、これから死ぬ。
死ななければならないと、自分の未来を選択した。
このまま見て見ぬフリをして、自分の幸福を継続することをやめた。
本来彼女は何も知らなかったフリをして生を謳歌しても良いのに。
度重なる悪夢と心労、自責の念。
そして蘇る、9982号の死に様。
美琴は、疲れていた。
あんなイカれた実験を認める学園都市自体にも。
「……けて」
本来、自分が放つべきでない言葉が、漏れ出した。
「助けて……」
涙が頬を伝いそうになる。
けれど、そんなものはとうに枯れ果てた。
「誰か……たすけてよ……」
華奢な体にのしかかったものは、あまりにも重い。
足音。
そして、偽善者<ヒーロー>はやって来た。
217: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 20:29:11.18 ID:MBCqHfJj0
「お前、どうするつもりだ?」
「…どうするって、何が?」
美琴は、笑みを取り繕う。
いつも通りの、生意気な、自分勝手な、勝気な笑顔。
直接の被害者でもない自分が、彼に頼ってはいけない。
そうでなくとも、彼は優しすぎる、単なる一般人の無能力者なのだから。
巻き込みたくない。
助けて、と言ってしまった。
それでも、巻き込むところまで、落ちぶれたくはない。
「たまには夜遊びもいいかなって思っただけよ。心配される程のことでも、」
「絶対能力者進化実験」
上条の口から飛び出したワードに、美琴は背筋が凍った。
どうして、知っているのだろう。
「お前があいつらを助ける為に頑張ってたことも知ってる」
「………」
巻き込みたくない。
彼は一般人だ。
無能力者なんだ。
関係ない人なんだ。
言い聞かせてみても。
わざわざ調べてくれた理由が不明だから、希望を持ってしまう。
「…それで? アンタは何しに来た訳?
いくら人命のためとはいえ、研究所潰すなんてダメっていうお説教か何か?」
自分で思っていた以上に冷めた声が出た。
上条は、ゆるく首を横に振る。
振って、否定してから、こう言った。
「俺は、お前と御坂妹を助けに来たんだ」
225: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 22:48:52.09 ID:MBCqHfJj0
上条が帰ってこない。
携帯電話に電話をかけてみても繋がらない。
時刻は午後八時半。
「………」
眠い目を擦り、それでもフィアンマは彼の帰りを待っていた。
いつもなら遅くなると連絡が来るのだが、それもない。
もしかしてスキルアウトに襲撃でもされているのだろうか。
夜九時過ぎまで追い回されたこともある不幸な彼なのだ。
それならそれで仕方がないかな、ともフィアンマは思う。
「……」
それにしても、遅すぎる。
少し、寂しい。
「……当麻」
早く帰ってこないかな。
うっかりうたた寝をしそうになりながら、フィアンマは呟く。
227: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 22:49:53.74 ID:MBCqHfJj0
「………んで」
退け、と言った。
退かない、と言った。
美琴に死んで欲しくない、と上条は言った。
死ぬしかないのだ、と美琴は言った。
上条は、美琴の前に立ちふさがり、どかなかった。
巻き込みたくない、という彼女の思いを踏みにじるかのように。
『自分だけの現実』がブレ、美琴は気がつけば能力を使用していた。
そうして。
上条は、いつも通り右手を――――突き出さなかった。
それどころか、拳を握らなかった。
一切戦わない、拳を握らない。
美琴が何度促そうが、彼は絶対に反撃しなかった。
「なんで、邪魔するのよ」
こうするしかないじゃない、と彼女は泣いた。
彼女が我慢しようとすればする程、それは上条の気に障る。
「うるせえよ」
幾度もの落雷。
雷撃の槍。
砂鉄の弾丸。
それらを受け、彼の体はボロボロになっていた。
それでも、彼は立ち上がる。
手負いの獣のような瞳が、美琴を見据えていた。
「俺は、そういう"仕方ないからそれを選ぶ"ってのが、この世で一番気に入らねえ」
「っ」
「だから。お前が死ぬしかないってんなら、まずはそのくだらねえ幻想を―――ぶち殺す」
229: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 22:50:24.74 ID:MBCqHfJj0
思い出すのは、塔の上。
外に出たいとぎこちなく笑った、盲目の少女。
一緒にどこまでも行こうと言った時。
本当に、心の底から嬉しそうな顔をした彼女の表情が、忘れられない。
彼女が笑うと。
自分が生きることを許されているような気分になり。
彼女が泣くと。
たまらなく世界が憎らしいものにしか感じなくなる。
上条当麻の中心には、常にフィアンマが居る。
だからこそ、過去の彼女と重なる状況を、上条は許せない。
一度失敗して、彼女を救う為にかけた十年が、許さない。
『当麻と一緒に住めるなんて、夢みたいだ』
『夢なんかじゃねえよ。…これからは、これが現実だ』
悲しむ彼女を彷彿とさせる幻想は、ぶち殺す。
上条当麻は、そうやって、何のためにでも戦う。
そうやって生きている彼の生き様こそが彼女を悲しませるとも、知らずに。
231: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 22:50:48.26 ID:MBCqHfJj0
「オマエらも飽きねェなァ」
白い少年は、つまらなそうに言う。
壁の上に腰掛け、悠々と脚を組んでいた。
彼が話しかけているのは、御坂美琴―――ではなく。
彼女の体細胞クローン、妹達の一人。
ナンバリングは10032。
まもなく開始される第一○○三二次実験に備え、武器の整備をしている少女。
「飽きるとは何のことですか、とミサカは聞き返します」
「実験だよ、実験。ま、俺が無敵になる実験に付き合わせといて何だけどさァ。
死ぬのが怖ェとか、考えねェ訳? 毎回安楽死でもあるまいし」
むしろ、毎回凄惨な死を迎えているはずだ。
一方通行の言葉に何を思うでもなく、彼女は言う。
「それがミサカ達が生み出された目的です、とミサカは答えます」
「……そォかい」
やっぱ話になンねェわ。
呆れたように呟いて、一方通行は壁から飛び降りる。
軽い音と共に地面へ舞い降りると、少女を見据えた。
これから殺すために実験を行う相手の、泥人形を。
「―――では、只今より第一○○三二次実験を開始します」
233: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 22:51:08.68 ID:MBCqHfJj0
電気による酸素分解。
流石に酸素を奪われれば、一方通行も呼吸が苦しくなる。
第一次実験に比べれば、随分とレベルアップしたものだ、と彼は思う。
「でも、だァめ」
笑う。嗤う。
一方通行は立ち止まり、足元をトン、と一度踏んだ。
軽くリズムでも刻んだかのような、動作。
たったそれだけなのに、線路が蛇のようにうねり、一○○三二号を襲う。
「っ!」
彼女は咄嗟に線路をライフルで的確に撃った。
金属は僅かに軌道をズラし、彼女の横側に逸れて落ちる。
辛うじて下敷きになる事態を避けた彼女だが、敵は何も線路の鉄骨だけではない。
一方通行が、飛び込んできた。
嗜虐的な笑みを浮かべている。
触れられれば、身体を爆破させられるのは間違い無い。
何にせよ、この一手を封じる術など、ない。
もはやこれまでか、と彼女は実験終了<しき>を悟る、も。
235: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 22:52:01.07 ID:MBCqHfJj0
甲高い音。
一方通行の、学園都市最強を誇る能力が。
異能の力による攻撃が、少年の右手によって打ち消された。
「邪魔させてもらうぞ」
少年は。
平凡そうな少年は。
上条当麻は、そう言った。
カミサマさえ殺せる右手を振りかざし。
一方通行の攻撃からしっかりと一○○三二号―――御坂妹を守りながら。
「…何を、しているのですか」
御坂妹は、思わず問いかける。
銃を握る手は震え、今にも崩れ落ちそうに、膝を震わせて。
「退いてください、とミサカはいいます」
「お断りだ」
「ミサカは、…単価にして18万円の、実験動ぶ「うるせえ」」
獰猛な笑みすら浮かべて。
上条は、言い切る。
「たとえお前が自分を実験動物だと言ったとしても。
猫を可愛がって、御坂と一緒に何かを食べて、何かを感じたなら。
テメェに対して誰がどう言おうと、テメェは人間なんだ。
いくらでも生産出来る? だから何だよ。お前は、世界にたった一人しかいねえだろうが」
上条の言葉に、御坂妹は目を瞬く。
いくらでも代用の利く存在だとばかり、思っていた。
「お前は隠れてろ。……たとえ拒否されようと、助けてやる」
御坂妹は、銃を抱きしめる。
彼の言葉は、何故だか体を動かした。
コンテナ向こうに隠れた御坂妹を確認し、上条は一方通行を睨む。
237: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 22:52:25.26 ID:MBCqHfJj0
「よお、三下」
幻想殺し。
ありとあらゆる異能を消し去る、右手。
学園都市最弱は、圧倒的な戦力差を自覚した上で、一方通行をそう呼んだ。
安っぽい挑発。されども、一度攻撃を防がれた一方通行は、気に入らない。
「あァ……?」
眉を寄せる。
現在状況を理解し、一度後ろに飛び下がった。
手を伸ばし、適当にコンテナを投げる。
「……」
上条は無言で体を低めた。
コンテナが弾け、中から小麦粉が散らばる。
無風状態の今宵、細かい粉末はほどよく空中を舞った。
「居るンだよなァ、こういうバカが」
面倒そうに言って。
一方通行は、薄く薄く笑む。
「ンで。俺を三下呼ばわりしたナニサマくンに質問。
―――粉塵爆発って何か、知ってっかァ?」
問いかけ。
直後、爆発。
239: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 22:52:59.65 ID:MBCqHfJj0
目の前が白と赤で満たされる。
上条は身を低め、隠れるでもなく、走って逃げた。
完全に制御してある速度は、逃亡にも有効だ。
(……さて)
暗部の戦いよりは、やや生ぬるい。
少なくとも、彼女をイタリアから連れ去る時に戦った魔術師相手の方が難儀だった。
上条は冷静に考え、しゃがみ、無表情で地面を見つめる。
美琴からの情報は、いくつかある。
学園都市最強。
ベクトル変換。
反射。
孤高の王。
それらから導き出される解答は一つ。
(喧嘩に負けたことがねえなら、喧嘩の勝ち方なんざ知らねえよな)
不戦勝を繰り返してきた相手なら。
自分が学んできた喧嘩が、暗殺技術が、役に立つ。
上条は火傷をした左腕を軽く押さえ、立ち上がった。
241: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 22:53:26.16 ID:MBCqHfJj0
コンテナから何かが飛び出してくる。
攻撃を仕掛けようと笑みを浮かべる一方通行、だったが。
「な、」
正体は、コンテナの木を切り抜いて作られたハリボテ。
くだらないブラフに引っかかってしまった、と思っていると。
「がっ、ァ!!」
横からの一撃。
歯が抜けてしまうのではないか、と思う程の、痛み。
一方通行はここ数年、痛みを感じたことがなかった。
全ての攻撃を跳ね返してきた彼には、痛みというものがわからなかった。
未発達な感覚が激痛に侵され、一方通行の思考が真っ白になる。
「ぎ、」
踏みとどまる。
手を伸ばし、殺してやろうと顔を掴もうとして。
避けられた。
「ご、ッがァアアア!!」
下からの一撃。
脳を揺さぶられ、まともに立っていられない。
「は、ァ…く、そ。なン、なンだよ、その能力……」
「学園都市最弱だよ、最強」
ふざけやがって。
一方通行は舌打ちし、目を閉じる。
彼は両手を掲げ、まるで神にでも祈るような体勢で、何かをしようとした。
風が吹き荒れ、誰もが彼に近づけないにも関わらず。
243: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 22:53:50.40 ID:MBCqHfJj0
「高電離気体(プラズマ)を作りたかったのかもしれねえけどさ」
上条は右手を前に出し、走っていた。
音が死んだ世界の中、上条の言葉はよく響いていた。
「結局はそれも、異能の力」
右手は、拳ではない。
手のひらを広げ、異能の力によって生じた向かい風を殺している。
(何なンだ、このバケモノは)
一方通行の思考に、ノイズが走る。
恐怖という名の雑音は、徐々に思考を遮断していった。
殴られた痛みがリフレインして、体が凍る。
「俺の不幸(ちから)の前では、無意味なんだよな」
不幸を呪え。
どこか自嘲染みた声音。
一方通行の顔面めがけ、男の右拳が飛び込んできた。
高電離気体を諦め、両腕でガードをする一方通行。
そんな何の腕力もないガードは、正に、無意味。
上条の無慈悲な神様殺しの一撃は。
一方通行の腕を折り、顔を殴り、脳を揺らし。
―――学園都市最強を、倒した。
245: 次回予告 ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/08(月) 22:54:38.96 ID:MBCqHfJj0
「当麻、当麻、当麻、当麻、当麻、当麻、当麻、当麻……」
ローマ正教最暗部『神の右席』(休職中)――――右方のフィアンマ
「……あの、…ご。……ごめんなさいでした」
学園都市『無能力者』(レベル0)・『幻想殺し』――――上条当麻
「……クソ痛ェ」
学園都市最強の超能力者―――― 一方通行
「とりあえずのお礼ってやつよ」
学園都市第三位の超能力者――――御坂美琴
255: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/09(火) 21:18:20.98 ID:9EMVuPPx0
気力で立っていたが、体力は尽きて。
美琴の雷撃によって既にダメージを受けていた上条の体はあっさりと倒れ。
学園都市最強を倒した最弱は、最強以下の蓄積ダメージで昏倒したのだった。
左腕全体の大火傷。
右手の複雑骨折。
内臓への深刻なダメージ。
そんな訳で。
上条当麻は、あの場に駆けつけた美琴と御坂妹の手によって病院へ運ばれ。
適切な治療を受けた後、個室にて静かに眠っていた。
戦いは終わった。
美琴は、気持ちを決めた。
一方通行は上条と同じ病院へ入院した。
フィアンマには医者から連絡が来た。
そうして、夜明けはやってくる。
257: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/09(火) 21:19:28.47 ID:9EMVuPPx0
「ん……」
上条当麻は、目を覚ます。
真っ白な天井をぼんやりと見つめ、包帯まみれの左腕を見やり。
包帯でぐるぐる巻きにされた右手を見て、これでは何も出来ないな、と苦く笑った。
それでも、一方通行を倒した自信だけは確かにあったから。
このまま妹達が救われれば良いな、と思う。
学園都市の決定を覆す程の力もなければ、そこまでの気力もない。
「………」
上条は、のろのろと視線を移す。
そこには、自分が大切に思う少女が居た。
いつもなら。
眠る彼女の髪を優しく撫でて、微笑んだ。
とうま、などと寝言で自分を呼ぶ彼女が酷く愛おしくて。
けれど。
現在、上条は恐怖に震えていた。
ローマ正教からの追っ手すら獰猛な嘲笑と共に倒した男が、だ。
「当麻、当麻、当麻、当麻、当麻、当麻、当麻、当麻……」
彼女は目を開けていた。
眠っているのか起きているのか、意識朦朧とした様子で、上条を見ている。
金色の瞳は虚ろであり、声は単調で、何というか、ものすごく恐ろしかった。
実際問題、その気になれば惑星ごと破壊出来るレベルの最凶ヤンデレ少女である。
「…………」
ぴた。
上条と目が合った途端、フィアンマは黙った。
上条はがくがくと震え、涙目になりつつ、ひとまず謝罪した。
「……あの、…ご。……ごめんなさいでした」
「…………当麻、俺様が怒っている理由を当ててみろ」
「ひい! めちゃくちゃ怒ってらっしゃる!!」
259: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/09(火) 21:20:00.37 ID:9EMVuPPx0
謝罪を繰り返し。
理由は有耶無耶にしたものの、上条は反省しつつ頭を垂れた。
そんな彼に折檻する程フィアンマも冷たくはなく。
「……また入院費がかさむな」
「う」
「せっかく返済が終わったところだったというのに」
「うぐ」
「困ったものだ」
「……すみません」
平謝りの上条。
これが他の人物だったら言い返すのだが、惚れた弱みというやつである。
買ってきた林檎を丁寧に剥き、フィアンマは差し出す。
火傷は痛むものの動かしても問題ない左手を使い、上条はのろのろと食べた。
甘い林檎だった。そもそも、食物が完全管理された学園都市で販売されている果物は大体甘いが。
「……だが、まあ」
「…ん?」
しゃくしゃくと果実を頬張りながら、首を傾げる上条。
フィアンマは胸元のループタイをいじり、上条をちらりと見た。
「生きていて、良かった」
「……、…」
上条は、不幸体質だ。
ツキというものがまるでなく、アンラッキーしかない。
世界で最も神様に嫌われてしまった、人間。
「……本当に、心配かけてごめんな」
上条自身、自覚はあった。
だから、再度、真面目に謝罪して。
ほんの僅か、泣きそうに俯いた彼女の髪を撫でた。
フィアンマにとって、上条は、唯一の大切な人だから。
261: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/09(火) 21:20:36.61 ID:9EMVuPPx0
じゃあ、帰るから。
夕方になり、フィアンマは出て行った。
今回の入院は一体どれだげかかるやら、と思いながら、上条は横たわる。
ふかふかの白いベッドは、何となしに消毒臭い。
何かと不幸な上条にとっては、既に慣れ親しんでしまった臭いだ。
「……」
彼女に、泣きそうな顔をさせてしまった。
少なくとも。
泣きそうになる程、心配させてしまった。
申し訳ないなあ、と上条は思った。
後先考えずに動くのは長所だと思っているが、短所でもある。
人格とはそんなプラスマイナスで構成されているが、それでも、上条は自省した。
ガラガラ。
ドアが開く。
そちらを見やれば、一人の少女の姿。
茶色い髪をヘアピンで留めた、常盤台中学二年生。
御坂美琴。
彼女は、小さな箱を手に立っていた。
「おお、御坂か」
「……はい」
「? えーと…クッキーか。手作りだったりすんの?」
「そんな訳あるか! ……とりあえずのお礼ってやつよ」
前半はいつも通り、後半はごにょごにょと言う美琴。
お礼なのだろうと察し、上条は苦笑いした。
「気にしなくていいのに。俺が勝手に首突っ込んだんだしさ」
「でも、……いいから受け取りなさいよ。私の気が済まないから」
傲慢に言い、美琴はスカートの裾を落ち着き無く払う。
263: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/09(火) 21:21:03.07 ID:9EMVuPPx0
「じゃあ、……また、お礼は、そのうち」
そう言葉を残し、彼女は去っていった。
入れ替わりに、彼女と全く同じ見目の―――御坂妹が、入ってきた。
何か用事があるらしく、やや早口だったが、それでも伝えてくれたことはいくつか。
妹達は世界中に存在する学園都市の関係機関で調整を受けること。
絶対能力者進化実験は無期限凍結になったということ。
そして。
「ありがとうございました、とミサカは全妹達を代表して一礼します」
お前は、世界にたった一人しかいない。
人形でも実験動物でもなく、人間だ。
そう、言ってくれて。
自分達の為に戦ってくれて、傷ついて尚、立ちふさがってくれて。
お礼を告げて、彼女もまた、去っていく。
自由になった少女を見て。
上条は、うっすらと、安堵の笑みを浮かべた。
265: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/09(火) 21:21:41.17 ID:9EMVuPPx0
両腕が痛い。
すごくすごく痛い。
腕に刺さっている鎮痛剤入り点滴の針も痛い。
両腕の折れた学園都市最強は、ベッドの上でぼーっとしていた。
携帯電話を使ってメールをしようにも、手が痛すぎて話にならない。
「……そォだ、イイこと思いついた」
指先でほんの少しだけ、スプーンに触れる。
食事用のものだったが、床に落としてそれっきりだったものだ。
ベクトルを操作し、指を使うように、携帯電話のキーを押した。
ゆっくりゆっくりと打ち込み、送信ボタンを押す。
「………」
彼女に依存してしまっている気がする。
「……クソ痛ェ」
それは腕のことか、或いは行動のことか。
一方通行は目を閉じた。
良い匂いがする。
最低限の『反射』を行っている一方通行だが、食べ物の匂いはホワイトリストに入れてある。
「…あン?」
目を開けた。
267: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/09(火) 21:22:27.83 ID:9EMVuPPx0
「目が覚めたか。多方、メールだけ送って力尽きた、というところかな」
「……」
フィアンマが居た。
メールに応えて、来てくれたのだ。
一方通行は両腕の痛みも忘れて、思わず笑みそうになる。
ポーカーフェイスを貼り付け、一方通行は起き上がった。
「……来ンの早かったな」
「ああ、近くに居たからな」
「…そォかよ」
「食事は」
「…腕が両方とも折れてンだよ」
「そうか」
彼女は、温かな夕飯を見やった。
暫く上条は家に帰って来ないので、遅く帰っても早く帰っても変わらない。
「手も動かせんのか」
「…まァな」
点滴さえ打っていれば、死ぬことはない。
素っ気なく言い切る彼は、どこか寂しげで。
自分が無敵になれないことを悟ったからかもしれない。
無気力そうな彼は、フィアンマとの話題をどう切り出すか悩んでいた。
対照的に、フィアンマはスプーンを手にし、肉の炒め物のようなものを乗せた。
「よし。あーん」
一方通行の全思考が、止まった。
276: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/10(水) 20:54:51.26 ID:iQx5sCL10
「……どうかしたか?」
「どうかしてンのはオマエだろ、どォ考えても」
思考停止に次ぐ混乱。
一方通行はくらくらと揺れる思考回路で、どうにかそう言葉をはじき出した。
対して、フィアンマは傷つく様子でもなく、不思議そうに首を傾げる。
「お前は両腕を使えない。俺様は両腕が使える。
腕が使えないがために、お前は食事が出来ない。
ならば、腕が使える人間が食べさせてやるのは自然なことだろう。
"ふたりはひとりにまさる"、だよ」
旧約聖書に綴られている名言を引用し、彼女はのんびりと微笑んでみせた。
尚食事を施されることに躊躇する一方通行の唇へ、ちょこん、とスプーンが触れる。
無意識下で、彼は顔面周辺の反射を解除していた。
勢いのないスプーンなど反射されても、ちょっと逸れる程度で済むことはわかっていても。
無意識下で、もしも仮に彼女の手首が折れてしまったら、と考えた結果であった。
能力者の思想は、そのまま能力の出力を左右する。
「……好き嫌いは良くないと思うのだが」
「違ェよ」
調子が狂う。
思いながら、一方通行はスプーンを口に含んだ。
278: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/10(水) 20:55:15.05 ID:iQx5sCL10
(……赤ン坊の頃を除けば、初めてか)
人に、こうしてものを食べさせてもらうのは。
研究者達にとって、幼い一方通行は実験動物だった。
だから、わざわざ食事を摂取させずとも良い。
当人が自力での食事を拒絶するのなら、栄養剤や点滴をぶち込んでおけばいい。
バイタルさえ安定していれば、痩せこけたとして、死ぬことはないのだから。
「………」
誰にも愛されないまま、過ごしてきた。
思いやってもらうことも、慈しまれることもないまま。
ただいたずらにアメを与えられては、すぐさま絶望させられ。
楽しい日常が続いたと思えば、思考実験の一部でした、と笑いながら告げられ。
そんな毎日の積み重ねに疲れきった頃、暗部の研究所からは解放され。
けれど、スキルアウトに狙われる日々に変化しただけで、本質は何も変わらなかった。
危険と隣り合わせの日々。単調で、無慈悲に満ちてしまっている日常。
だから。
無敵になればもう傷つけられることはないと。
そう思っていたのに。
じんじんと両腕が痛む。
点滴の鎮痛剤が効いていてこれなのだから、薬が切れれば更に痛むだろう。
生体電流を操って痛みを消そうとして―――やめておいた。
この少女の前では。
本当に、本当の最低限以外に、能力を使いたくない。
この少女にだけは。
能力を使って人を傷つけてしまう瞬間は、見せたくないと思った。
「……は。ガキみてェだな」
「人に頼るのはそんなに悪いことでもないさ」
本当に。
―――――出会うのが、遅すぎた。
280: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/10(水) 20:55:52.63 ID:iQx5sCL10
「缶コーヒーを大量に購入していたようだが、趣味なのか?」
「嗜好品の買いだめだ。ま、ヘビースモーカーの煙草程じゃねェよ」
「下の自販機で販売しているもので良ければ購入してくるが」
「いらねェ。…言っちゃ何だが、オマエ貧乏だろ」
「……そんなことは…あるが。あるが、……色々とやれば、金はある」
やったら当麻に怒られるかな、などとぶつぶつ呟くフィアンマ。
ちなみに後暗いことではなく、単純に宝くじの類である。
彼女は世界を救える程の力に呼応し、人並み外れた才能を持っている。
並みの『聖人』を超越する幸運。
神の如き者の性質に適応した肉体。
そして。
神様に祈れば、何らかの形で必ずそれが叶ってしまう、ということ。
ただし、それは他者を確実に犠牲にする。
たとえば、『飴が食べたい』だとする。
お金はない、店にも売っていない。
それでもどうしても食べたいからと、彼女が祈る。
そうすると、その飴を購入した人間が交通事故に遭遇し、その飴を手放す。
何かが飛び込んできた、と認識して咄嗟に受け止めた彼女の手には、血まみれの飴の袋。
これは極端な例だが、こういう願いの叶い方をする。
故に、彼女は基本的に神様には願い事をしない。
宝くじに関しては、やたらとやると賭博ばかりは良くない、と上条に叱られるから、である。
実際、彼女が当選した分だけ、落選する人間が居る訳でもあって。
「…そォいや、紅茶は何が気に入ったンだよ」
「ん? そうだな。アールグレイのミルクティーとダージリンのレモンティーか」
「……紅茶なら何でもイイのか」
「まあ、お前のお陰で飲ませてもらったからな。多くの種類が好きになった」
「そォか」
「お前は何の珈琲豆が好きなんだ」
「豆にこだわりはねェ」
要は苦味と酸味と甘み、深みのバランスだ、と一方通行は言う。
黄金率を崩せば、どんなに高級な豆でも美味しくない。
紅茶以上に、淹れ方が重要なのだ、と彼は珍しく饒舌に語った。
フィアンマはのどかに相槌を打ち。
「なら、今度お前に作る肉料理は豚肉のコーヒー煮込みにするか」
忘れていなかったちょっと前の宣言を、改めて口に出した。
282: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/10(水) 20:56:17.53 ID:iQx5sCL10
やらかしたことはやっぱり大きかったらしい。
退院するなり、上条はスキルアウトに追いかけられていた。
何でも、学園都市第一位を倒した見せかけ最弱最強少年ということになっているらしい。
裏路地では、ほとんど賞金首的な扱いとなっていた。
「ああもう! 面倒くせええええ! 不幸だああああああああ!!」
叫びながら走り続ける。
曲がり角を曲がり、階段を駆け上がり、ついてきたところで飛び降りる。
窓から窓へ飛び移り、掴めるものは何でも掴んで逃げ続ける。
そうして相手に打ち勝って、完全に撒いたところで、家に帰ってくる。
そんな生活を数日続けていると。
『お前やり過ぎ、ひとまずほとぼり冷めるまで出てけ』というお達しが来た。
情報操作が済むまで、実家に避難していなさい、ということらしい。
「一緒に行くか?」
「勿論だ」
当麻の父上にも会いたいし、とぼやき。
フィアンマは皿洗いしつつ、欠伸を噛み殺した。
上条は彼女に近寄り、抱きしめようとして、恥ずかしくなって、やめた。
284: 次回予告 ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/10(水) 21:04:13.96 ID:iQx5sCL10
「……神様にお願いしておくべきか」
『強制善意(グラフトアフェクション)』・?能力者――――フィアンマ
「……でも、…いや、………けど…」
『幻想殺し(イマジンブレイカー)』・無能力者――――上条当麻
「(何だこの怪人チビ毛布…?)」
学園都市最強の超能力者―――― 一方通行
「――――だから、私を抱いて」
『超電磁砲(レールガン)』・超能力者――――御坂美琴
295: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/11(木) 20:21:57.71 ID:M8ff2QC+0
そんな訳で。
フィアンマと上条は、上条の実家へとやって来た。
家の方はリフォーム中らしく。
旅館での再会となったが、だからといって何かが変わる訳ではない。
幼い頃のフィアンマを見たことのある刀夜は、穏やかに挨拶した。
「久しぶりだね」
「お久しぶりです」
緊張しつつ頭を下げる彼女に、刀夜は微笑んでいた。
「良かったな。…目が見えるようになって」
「…当麻君のお陰です」
慣れない敬語を使い、フィアンマははにかみ気味に言う。
刀夜にとって、彼女は上条の大切な幼馴染であると共に、息子を救ってくれた少女でもある。
不幸を嘆くことすら忘れ、絶望していた息子を立ち直らせてくれたのは彼女だった。
彼女との交流がなければ、今頃歪みきった人間になっていたかもしれない。
何の事情も知らない刀夜は、素直にそう思っている。
このまま順調にいけば、彼女を迎えに行ける。
だからもう、不幸じゃない。
数年前、上条が父親に笑ってそう電話してから。
刀夜は、仕事先でオカルト染みた土産品を買うことをやめた。
将来は彼女が義理の娘になるのだろうか、と思っている。
「ところでフィアンマちゃん、当麻とはどこまで」
「と、父さん!」
制止する上条。
どこまでとは、と首を傾げるフィアンマ。
夏の時間は、穏やかに過ぎていった。
297: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/11(木) 20:22:22.30 ID:M8ff2QC+0
両親と積もる話を終え。
夜更けになり、上条はフィアンマを連れて海辺へと来ていた。
旅館に程近い海だ。爆竹はダメだが、花火は許される。
「線香花火しようぜ」
「花火?」
「そうそう。…初めて見るだろ?」
つい最近まで、フィアンマは盲目だった。
上条は、そんな彼女に、たくさん綺麗なものを見せてあげたかった。
一緒にデートをして、水族館やプラネタリウムには行った。
それでもまだ足りない。彼女には、一生かかってでも、たくさんのものを見て欲しい。
世界の綺麗な部分を知ってもらって、どうか、微笑んでいて欲しい。
その為なら。
自分はどれだけ血にまみれようと、汚泥を啜らされようと、構わないから。
「……綺麗だな」
着火した蝋燭に、花火先端をあてがう。
やがて火は移り、線香花火はじわじわと赤い膨らみを見せ始めた。
ぱちぱちぱち、という炭酸飲料の泡が弾ける音にも似た、小さな破裂音。
砂浜にしゃがみこみ、フィアンマは笑みを浮かべつつ線香花火を見つめる。
「……ッ、」
上条は、思わず視線を逸らした。
長めの彼女のスカートから、脚と、●●が覗いていた。
その無防備さは自分の前だけであって欲しい、と上条は思う。
299: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/11(木) 20:22:48.99 ID:M8ff2QC+0
「楽しかった」
感想を告げ。
上条にバケツを持ってもらい、フィアンマはゴミを詰めたビニール袋を持ち。
お互いに空いている手を繋ぎ、夜道を歩いていた。
星はあまり見えないが、満月が美しく輝き、二人を照らしている。
「……神様にお願いしておくべきか」
ぽつり。
彼女の珍しい呟きに、上条は首を傾げる。
「何を?」
「んー」
内緒にしようかどうか、ちょっと迷ったらしい。
フィアンマは小さく笑って、"必ず叶ってしまう"願いを吟味した。
自分が願えば誰かが犠牲になる。
わかってはいるのだが、こうして幸福だと、願ってしまいたくなる。
それでも謙虚な心は忘れずに、彼女はこう言い、そして、願った。
「――――どれだけ遠回りしたとしても。必ず、当麻が俺様のところへ帰ってきますように」
301: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/11(木) 20:23:32.05 ID:M8ff2QC+0
八月三十一日。
帰省疲れのとれた上条は、散歩をしていた。
真昼間に外に出れば暑い為、夕方近くになってから。
徐々に太陽が夕陽になりつつある。
真っ赤に染まる学園都市を見ながら、上条は悠々と歩いていた。
情報操作はきちんと済んだらしく、追い掛け回されることはない。
「ふー……」
アイスクリームでも買って帰ろうかな。
ぼんやりと思った上条に、声がかかった。
「ねえ、ちょっと」
「んあ?」
上条は、そちらを見やる。
今日も元気そうな御坂美琴が、立っていた。
「お礼」
「は?」
「しに来たのよ」
きっぱりと言い切る。
首を傾げる上条。
周囲に人気はない。
皆帰りつつあるので、立ち止まっているのは上条と美琴の二人だけ。
彼女は、口ごもり。
「…アンタは、私とあの子達を救ってくれた。
アンタが戦ってくれなければ、私は死んで、…それも無駄死にになったかもしれない」
「……ビリビリ?」
「私は、アンタに命を救われた。そのお礼がクッキーひと箱で済むとは思ってないし、済ませるつもりもない。
―――アンタは、気づいてたかな。気づいてないかもね。気づかなくてもいい。
とにかく、感謝してることは、わかって。……この気持ちを下地に、念頭に置いておいて」
「……さっきから何言って」
「私の未来を救ってくれたのは、紛れもなくアンタなのよ。
……わたし、は。………ううん、卑怯になるから言わないでおく。
………私の命とか、人生は、アンタにあげる。…ううん、あげたいって、思う」
「……でも、…いや、………けど…」
気にしなくていいだとか、色々と言おうと思ったのだが。
上条はうまく言葉が出てこず、そんな自分に舌打ちする。
夕陽に照らされ。
御坂美琴は、すぅ、と息を吸い込んだ。
そして。
端正な顔立ちに笑みを浮かべて、言った。
「――――だから、私を抱いて」
303: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/11(木) 20:24:32.06 ID:M8ff2QC+0
学園都市最強は、買い物に出ていた。
フィアンマからは、暫く学園都市から出るのだ、と連絡を受けている。
なので、彼は一人で日常を過ごさなくてはならなかった。
「……はァ」
倒れ伏すスキルアウト達。
自分があの少年に負けてから、アホな輩が増えた。
面倒臭い。七面倒臭い、と一方通行は思う。
何もやり返さなくなった自分に対しても。
「………」
コツ、コツ。
ゆっくりと歩く。
「ねえねえ、ってミサカはミサカは親しげに呼びかけてみたり」
音を反射。
何も聴こえない無音の世界を、緩やかに進む。
仮に自動車が自分を撥ねたとして、大破するのは自動車の方だ。
「 」
(…しつこい)
舌打ちしそうになりつつ、白い少年はそちらへ視線を向けた。
(何だこの怪人チビ毛布…?)
やたらと話しかけてきているようだ。
音の反射をやめた途端、彼女の声が聞こえてくる。
「いやー、何というか、悪意をもって無視しているにしては反応がなさすぎるというか。
でもシカトをしているならもっと苛立っているはずだよね、ってミサカはミサカは首を傾げてみる」
「何なンだコイツ…あン? "ミサカ"?」
眉を寄せる。
一方通行はぴたりと立ち止まり、少女を見やった。
「ようやく話を聞く気になってくれたのね、ってミサカはミサカは安堵を隠しきれない」
「…オイ。オマエ、ちょっとその毛布とってみろ」
「……へ? ほ、ほんき? 往来で女性に服を脱げというのは些かよろしくないというかあのそのわあっ!!」
強制的に毛布を剥ぎ取る一方通行。
チビ毛布怪人の正体は―――妹達の最終ロット、生けるコンソール、ミサカ20001号。
通称を。
最終信号・打ち止め<ラストオーダー>という。
305: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/11(木) 20:25:40.85 ID:M8ff2QC+0
夏休み中に、顔見せだけしておこう。
そんな訳で、正午過ぎ、フィアンマはとある高校へとやって来た。
セーラー服を纏っている訳だが、何となしに落ち着かない。
膝丈のスカートを丁寧に直し、深呼吸して、教室へと入る。
補習中だったのか、青い髪の少年と、ピンク髪の幼い少女が向かい合って勉強していた。
「……教師はいないのか」
「はいはい、教師をお望みなら小萌先生がお相手しますですよー」
「…冗談だろう?」
「むむ。ふざけてなんかないのです!」
小さい少女に怒られた。
本当に教師だったのか、と判断を改め。
フィアンマはふと、青髪の少年の視線に気がついた。
対外者用の柔らかな笑みを浮かべ、小首を傾げ、挨拶してみる。
「…夏休みが終わり次第転入する予定の、フィアンマだ。よろしく頼む」
「こ、お、」
「……?」
「こないな美人初めて見た! ボクは青髪ピアス、よろしくよろしく!!」
両手で握手され、ぶんぶんと振られる。
きょとん、としながらも、彼女は笑みを浮かべたままでいることにした。
小萌と話し。
ひとまず身体検査を行おう、という話になった。
学校に入れば、もう後戻りは出来ない。
魔術を使えば、死ぬ体になってしまう。
元の体へ出来ないこともないのだろうが、右席に戻らなければならなくなる。
覚悟なら、既に決めてきた。
いくつかのテストを行い。
測定を幾度も行い、結果が出た。
能力名は『強制善意(グラフトアフェクション)』。
所謂元からあった才能、"原石"だ。
無能力者とも超能力者とも断定し難い、難しい能力。
言うなれば、上条の幻想殺しと同じだ。
あるといえばあるし、ないといえばない。
シュレディンガーの猫箱理論を突き詰めたかのような能力だった。
発動条件は、彼女自身のマイナス感情。
不安、困惑、絶望、悲哀、憤怒、そういったもの全て。
対象は、超能力者に限らず、自我のある人間ならば誰しもが持つ『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』。
効果は、彼女を助けたくなる、というものだ。
たったそれだけ。原理不明のため、ベクトルを操作するかの第一位でさえ、防御は不可能。
困っているなら手を差し出そう、怒っているなら怒りを宥めよう。
悲しんでいるならそれを取り除こう、絶望しているなら希望を与えたい。
自我の存在する相手の善意を揺さぶり、厚意を押し付ける能力、といったところだろうか。
どんな悪党でも、彼女を傷つけこそすれ、トドメを刺すことはためらわざるを得ない。
日常的に役に立つとしたら、"落ち込んでいるとすぐ慰めてもらえる"位のものだろうか。
「…なるほど」
魔術サイド側でも、この才能は判明していたかもしれない。
この能力は、うまく活用すれば、ローマ正教に有用なものだ。
神の子を無条件に皆が信じ崇め助けになりたいと思ったように。
自分に対しても多くの人がそう思えば、彼女を所有している組織の利益にそのまま繋がる。
だからこその監禁。
冷酷な対応。
彼女が悲しみ、絶望すればする程、利益率は上昇する。
盲目ですら、仕組まれたことだったかもしれない。
ふと、そんな結論にたどり着き。
そうだったなら本当に人間は醜いものだ、とフィアンマは思った。
そして、同時に思う。
―――山田幸之助は、自分のこの能力に感化されてしまった哀れな少年なのではなかろうか、と。
307: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/11(木) 20:26:24.76 ID:M8ff2QC+0
研究者に連絡を取って欲しい。
打ち止めと名乗った少女の希望と素性を聞き。
ロクに考えずに即決で却下した一方通行は、自室へ戻ってきた。
「路地裏で寝た方がまだ安全だろォな」
「でも、誰かと一緒に居たいから。…って、ミサカはミサカは言ってみる」
彼女には警戒心がないのだろうか。
一方通行は、目を閉じる。
毛布に包まり、何も考えず、疲れに身を任せた。
荒れ果てた部屋はいつものことで、もはや掃除すらする気になれない。
「…襲うのはNGなんだからってミサカはミサカは」
「寝ろ」
厄介なものに絡まれてしまった、と一方通行は思う。
やがて、彼は深い眠りへ堕ちていった。
316: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 20:59:26.63 ID:nG0LakpY0
迷った。
迷って悩んで、考えて。
彷徨う思考の果て、美琴の言葉に、上条は折れた。
『ピルの類なら、この通り』
『ホテル代は出す』
『別に彼女にしろって訳じゃないわ』
身体で礼をする。
人生を救われた見返りにはそれ程のレベルが必要だ、と彼女は譲らなかった。
上条は、断ろうとして。
フィアンマのことを考え、踏みとどまろうとして。
(良いのか? フィアンマのことは、一生抱けないかもしれないのに)
上条は、フィアンマを愛している。
愛して、大切で、彼女のことをよく知っているが故に、手を出せない。
どこか神聖視している部分があるのかもしれないが、抱きしめることですら躊躇してしまうのだ。
なら。
ここで、一人位抱いてみるのも、良い人生経験じゃないか。
この少女が自分から言ってきているのだから、罪にはならないはずだ。
下衆な考えだとは思いながらも、上条は頷いた。
美琴は笑って、彼の手を引いて。
そうして。
上条から見えないように、ほんの僅か、素直になりきれない自分に泣きそうな顔をした。
318: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 20:59:52.54 ID:nG0LakpY0
学校からの帰り道。
上条からメールが来た。
「…ん」
今日は遅くなる、とのことだった。
夕飯を先に食べて寝ていて欲しい、という旨のメール。
一方通行とメールをやり取りしているので、携帯電話の扱いは既に慣れている。
GPSを活用する技術まで手に入れたので、もう怖いものはない。
「……遅いのか」
いつ頃までに帰る、と書かれていない。
上条は友人が多いタイプなので、遊びに行くのかもしれない、とフィアンマは好意的に解釈する。
少し寂しかったが、『さみしい』などと書く訳にはいかなかった。
上条が不幸になると確信した相手からなら地の果てまで遠ざける所存ではあるものの。
上条がせっかく築いた人間関係を壊したくはない、とフィアンマは思う。
「……」
かちかち。
ゆっくりとキーを押し、『うん。帰り道、絡まれないように気をつけてね』と打つ。
寂しい気持ちを堪え、それでもやはり態度には出てしまい、俯いて歩いた。
ここ最近、特にこうしたことが多い。
目が見える自分は、心配に値しないのかもしれない。
別に心配させたい訳ではないのだし、この状況は喜ぶべきことのはずだ。
それなのに、嬉しくない。むしろ悲しくて、寂しくて、じわりと涙が滲みそうになる。
「……、」
マイナス感情は、能力の効果を撒き散らす。
はっと我にかえり、フィアンマは無表情、無感情で帰ることにした。
320: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 21:00:25.34 ID:nG0LakpY0
---------------
From:Fiamma
Title:わかった
--------------
うん。帰り道、
絡まれないよう
に気をつけてね
---------------
返信内容に、上条は唇を噛み締め。
シャワールームから聞こえる水音に、緊張していた。
上条と美琴が過ごしているこの部屋は、安っぽい ホテルなどではない。
美琴がかつて着替えの為だけに利用した、ややお高いビジネスホテルである。
「……」
ダブルのベッドが、緊張を煽る。
今夜中には帰ろう、と上条はうっすら、決めていた。
「ん、ちょろっとー、何してんの?」
「へ? あ」
緊張していたからか、無意識でベッドスタンドを点けたり消したりしていたらしい。
そんな上条の言葉に笑って、美琴はバスタオルを体に巻いたまま、彼の隣りへ座った。
xxxxxx、xxxxx。
枕元にはそんなものが置かれている。
これじゃまるで風 だ、と上条は思った。
「…電気、消しなさいよ」
「…そう、だな」
手を伸ばし、電灯を消す。
窓の向こう、カーテンの透ける夜景が、責め立ててくるように見えた。
326: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 21:01:45.05 ID:nG0LakpY0
八月三十一日、午前十時半。
一方通行は目を覚まし、そうして。
隣りで毛布に包まり震えている子供を見た。
「……」
「うう。ミサカの毛布返してー…」
彼女は華奢すぎる腕で、一方通行の毛布を引っ張る。
今までの旅のお伴なんだから、などとごにょごにょ言っていた。
気づけば、彼女のまとっていたボロ毛布を抱いて眠っていたらしい。
一方通行は無表情で毛布を手放し、だるそうに起き上がり、立ち上がった。
いそいそと、ベッドのではなく返してもらった毛布に包まって、打ち止めは彼を見上げた。
「お腹がすきました、ってミサカはミサカは報告してみたり」
「……で?」
「何かおいしいものを食べさせてくれると幸せ指数が三十程アップしてみたり、ってミサカはミサカは」
「他当たれ」
「いえーい、冷たい反応すぎるってミサカはミサカはヤケクソ!」
一方通行に合わせ、彼女は外に出てくる。
一方通行はというと、朝食をファミレスで摂ろうと考えていた。
「何処に行くの? ってミサカはミサカは質問してみる」
「ゴミ捨て場」
「ゴミ捨て場?」
「オマエを捨てようと思ってな」
「それはあまりにも酷いかも、ってミサカはミサカはしょんぼりしてみたり」
言いつつも天真爛漫についてくるクローン少女であった。
328: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 21:02:09.09 ID:nG0LakpY0
朝ごはん(もとい昨晩の夕飯の残り)を食べるなり、上条は仕事に出てしまった。
一人家に取り残されたフィアンマは、静かにベッドで膝を抱える。
「……」
何か、楽しいことを考えないと。
思うのに、全然浮かばない。
「当、麻」
聞く勇気が出てこない。
何となしに察してはいる。
誰かと性行為に及んできたんだろう。
「……」
彼の人間関係は大切だ。
彼を不幸にしたい訳じゃない。
けれど。
彼が自分ではない誰かと結ばれて幸せになることを、祝福出来るのか。
できない。
できないよ、と彼女は呟いた。
彼の幸福のために自分を犠牲に出来るのは、彼が自分を選んでくれるからだ。
もし、彼が違う人を選んだなら。きっと、祝福出来ない。
泣きそうになって、フィアンマは毛布を抱きしめる。
330: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 21:02:55.07 ID:nG0LakpY0
『だから、これ以上は一人のミサカだって死んでやることはできない』
打ち止めの言葉を思い返しながら。
一方通行は、彼女をファミレスに捨て置き、研究所へとやって来た。
中に居るのは、芳川桔梗。
彼の絶対能力者進化実験の一端を担うどころか、主要的に働いていた研究者。
本人も口にしている通り、彼女は甘いだけで優しくはない女だ。
「あら、良いタイミングで来てくれたわね」
彼女は一方通行を手招き、現在の状況を説明した。
「…ミサカ20001号」
彼女を救うか。
彼女にウイルスを入れ込んだ天井亜雄―――研究者に暴力を振るうか。
一方通行は提示された選択肢を眺め、思考して。
「……くっだらねェ」
浮かんだのは、一人の少女の笑顔だった。
お前のお陰で助かったと、そう微笑んでくれた彼女。
もう、後戻りは出来ない。
自分がどうしようもないクズだと、理解はしている。
けれど。
ほんの少しでも、彼女に見られて胸を張れる行動を、したかった。
彼が選んだのは、救う方の選択肢。
332: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 21:03:28.16 ID:nG0LakpY0
心身症というやつだろうか。
考え続けている内に、体調が悪くなってきた。
フィアンマはふらふらと外へ出て、気分転換を試みる。
上条への依存心が強すぎることに対して、自覚はあるのだ。
「……」
日差しが眩しい。
日傘を差し、ゆっくりと息を吐き出す。
「……ふぁ」
欠伸を漏らす。
散歩をして、家に帰って、冷たい飲み物を飲んだら眠ろうかな、と思う。
「………」
ぎゅう、とループタイを握る。
上条は、きっと自分を好きなままでいてくれる。
334: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 21:03:52.16 ID:nG0LakpY0
暗部の仕事中、土御門に会った。
フィアンマから逃げ出した自己嫌悪で凄惨な殺し方をしていた上条に、彼は苦く笑む。
「あーあー。そんなに汚して後始末が大変だぜい?」
「俺がやる訳じゃないし」
そんなことを言って、上条は身を清める。
ズボンに付着した血液は、喧嘩をしたとでも言えば納得されるだろう。
「それにしても荒れてるにゃー、カミやん。彼女と何かあったのか?」
「…いや、別に何も」
土御門元春は敵でも味方でもない。
暗部だから仲間という訳ではないし、敵対しなければ敵にはなりえない。
なので、上条は親友へ話すように、会話を続ける。
「そっちこそ、舞夏と喧嘩したんだろ?」
「まあ、ちょっと言い争いになってにゃー」
「…ま、身内を狙うなんてのは」
「非常に暗部らしいぜい」
上条と土御門が個人的に粛清した目の前の死体。
馬場芳郎という名前だっただろうか。
暗部組織の一人であり、卑劣な手段を用いる人間だった。
一人で動いている上条当麻という強すぎる人間を潰そうと、人質を取ろうとしたのだ。
その対象がフィアンマと土御門舞夏だったため、こうして殺された訳だが。
「なあ土御門」
「んー?」
「一回やっちまったら、取り返しなんてつかないよな」
「何の話かは不明だが、だいたいはそうだぜい?」
「そっか」
美琴とのxxxxを思い返し。
ほんの少し、彼女に情を入れ込み始めている自分と。
彼女を悲しませてしまった自分に。
上条は、死体を踏みつけ、自業自得のストレスをやつ当たった。
336: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 21:04:17.94 ID:nG0LakpY0
「普通真っ先に浮かびそうな所は避けるモンだが、どォ見ても普通じゃねェしな」
一方通行は、天井亜雄の乗車するワンボックスを発見するなり。
ワンボックスの前に平然と立った。
戦慄する研究者はアクセルを踏み込んだものの、一方通行の反射によって車を破壊されたのみに終わる。
「ひっ、ぃいい!!」
逃げ出そうとする男。
一方通行は面倒そうに手を伸ばし、車のドアを軽く開けた。
開けた途端に能力を使用しつつ勢い良く閉める。
挟まれ、強い衝撃を受けた天井亜雄は、ボディブローでも受けたかのように項垂れ、意識を喪った。
「あー、悪りィな、むちゃくちゃ地味な倒し方で。死ぬよかマシだろ」
軽い調子で言って、一方通行は天井を引っ張り出し、適当に投げ捨てる。
次いで打ち止めに近寄り、携帯電話を耳にあてがった。
「手間取らせやがって。…ンで、どォすンだ」
パソコンに表示されているのは、BC。
ブレインセルの略称だ。脳細胞の稼働率を表示している。
『今、そちらへ向かっているわ。打ち止めが死んでしまわないように見守っていて。
専用の機材がなければ、データの上書きはできないから』
「そォかい」
電話の相手は芳川桔梗。
彼に打ち止め捜索を頼んだ女研究員だ。
だるそうに相槌を打った一方通行はワクチンコードの入ったメモリ片手に打ち止めを見つめる。
ぜぇぜぇと荒い息は繰り返しているが、発熱しているだけなのだろう。
「ンじゃ、多少ブッ壊れちまってるがこっちも車動かし、」
言おうとして。
「ミ、サカはコード01982よりコード47586へ伝達ミサカfihugfsxgh!!」
打ち止めの絶叫に、固まった。
首を動かし、彼女を見る。
発熱に苦しみながら、涙を流しながら、彼女は何事かを叫んでいた。
338: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 21:05:02.01 ID:nG0LakpY0
「おい、どォなってやがる。何なンだこれは!」
『…ウイルスコード。もう起動準備に入ってるわ』
「…何?」
本来、ウイルスコードは0時に開始されるものだったはずだ。
だからこそ、日付が変わるまでに打ち止めを見つけ、ワクチンコードを脳に上書きしなければならなかった。
甘さはあれど優しさはない芳川は、打ち止めの絶叫の内容をよくよく理解した上で、一方通行へこう告げた。
『ダミー情報を掴まされていたようね。後一時間で、ウイルスは起動するわ』
「ッ、」
『私も現時点で車を飛ばしてはいるけど、一時間では到着しない。
仮に到着したとしても、上書きをするための設定や準備で過ぎてしまう。
……処分なさい』
「処、分?」
『もしもウイルスが稼働すれば、全世界の妹達は暴動を開始する。
そうすれば―――彼女達を生み出した学園都市自体の終わりよ。
だから、処分なさい。その子を殺すことで、残りの妹達を守るのよ』
「………」
一方通行は、思わずメモリを握りつぶしそうになった。
自分は、結局、殺すことしかできないのか。
今回ばかりは、何も言い訳の出来ない殺人だ。
「……は、」
自分に武器を向けた訳でもない打ち止めを殺害する。
それは言い訳の出来ない、本当に、理由を打ち立てられない殺人だ。
一方通行は愕然としながら、模索する。
『だから、これ以上は一人のミサカだって死んでやることはできない』
(どォする。…俺の能力は、ベクトル操作)
『ごちそうさま、も、してみたかったな、ってミサカは、ミサカ、は』
(物質、熱、電気―――この世界に存在するありとあらゆるベクトルを観測し、操る)
『でも、誰かと一緒に居たいから。…って、ミサカはミサカは言ってみる』
(……待てよ、電気? なら、生体電気も)
はたと気がついた一つの可能性。
「オイ芳川。生体電気を操作すりゃ、人ってのは操れるよな?
記憶操作―――精神系能力者なンざその典型だが」
『ええ、それはそうだけれど…まさか、あなたの能力で学習装置(テスタメント)の代わりを?』
「あァ」
『無理よ! それに、ほんの少しでもしくじれば打ち止めの脳は無茶苦茶になってしまう!
確かにそのメモリにはワクチンコードが記入されているけれど、それでも』
「出来るさ」
一方通行は、メモリの中に存在するデータをパソコンへ入れる。
計測するしか脳のないパソコンは、彼女の脳のデータとワクチンコードのデータを表示した。
相違点を眺め、データを頭に叩き込み、一方通行は右手を伸ばす。
そして打ち止めの額にそっと触れ、目を閉じた。
340: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 21:05:27.21 ID:nG0LakpY0
「やってやる」
通話を無理矢理に終える。
どうすべきは既に頭に浮かんでいた。
ワクチンコードといっても、ウイルス対策のものとは少々毛色が違う。
一週間前の脳のデータをそのままぶちこむことで、一週間の間にあったことを無かったことにする、というものだ。
天井亜雄が打ち込んだウイルスコードも。
一方通行と打ち止めが過ごした短い時間も。
(後悔はしねェ)
ほんのわずか。
"彼女"と同じような安らぎを与えてくれた少女だったが、あの時間は、記憶は、本来存在してはいけないものだ。
自分のことなんて、忘れればいい。自分と過ごした時間のことなんて、忘れてしまえばいい。
ただ。
この少女が死ぬことは、許されてはならない。
「…始めるか」
呟き。
"デフォルトの反射を含む"余計な演算を排除する。
その上で、彼女の生体電気を操ることに、集中した。
産まれて初めて、人を救うための能力行使。
それでも。
―――神様は、彼に微笑まない。
342: 次回予告 ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/13(土) 21:07:57.56 ID:nG0LakpY0
「神の子は右手によってありとあらゆる病を治し、悪霊を祓った」
『強制善意』――― フィアンマ
「……なン、で」
学園都市最強――― 一方通行
「邪、まを、するなあああああ!!」
学園都市の研究者―――天井亜雄
349: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 16:10:15.07 ID:t1egM/1t0
データを上書きしていく度に。
彼女の危険度を示すパソコンの画面上、ウィンドウが消えていく。
このウィンドウが全て消えれば、彼女が救われたことになる。
演算に集中しつつ、一方通行は時折パソコンを見やった。
残りコード54286。
みるみる内にウィンドウは減っていく。
同時に、打ち止めの体調も落ち着いていく。
ついにはデスクトップの背景が見えてきた。
まだ後四十分ある。時間は、ある。
「……」
無言で演算を進めていく。
途中でやめれば、中途半端な命令文が彼女の精神をズタズタに引き裂く。
だから、絶対に手を離さない。演算もやめない。
「ぐ、」
遠く。
男の声が、聞こえた。
集中したままに、視線だけを動かした。
銃口が、見えた。
気絶していた天井亜雄が目を覚まし、一方通行へ銃口を向けていた。
悪鬼の形相で少年を睨みつけ、男は叫ぶ。
「邪魔、を。邪、まを、するなあああああ!!」
彼には後がなかった。
学園都市に反発する機関との取引は、ウイルス発動如何にかかっている。
ウイルスコードの消滅は、天井亜雄の未来の消滅。
邪魔をするな、と叫び、彼は引き金を引こうとする。
351: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 16:10:53.10 ID:t1egM/1t0
残り五分。
残りコードは268。
引き金にかかった指は、動いている。
防御用の反射を展開するには、間に合わない。
この手を放してそちらへ対処すれば、打ち止めの精神が破滅する。
「ッ、」
「死ねえええええ!!」
怒りのこもった絶叫。
(だ、めだ。手を、はなすな、)
自分へ、そう言い聞かせる。
手を放さずに、演算を継続しろ。
ウィンドウが一つでも残っている内は、彼女の安全が保証されていない。
そして。
353: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 16:11:19.94 ID:t1egM/1t0
彼に向かって撃ち込まれた銃弾は。
一方通行の体表面に触れて"跳ね返り"、天井の体を撃ち抜いた。
つまり。
一方通行は最後の最後、反射の為に演算をしてしまった。
その一瞬、処理を中断して、自分を守ってしまった。
事実に気がつき、一方通行はそろそろと天井から打ち止めへ視線を移す。
「……ァ」
手は、離していない。
だが、演算は中断してしまった。
残りコードは1。
後一歩のところで、一方通行は失敗した。
ウイルスは起動しないが、打ち止めの精神は、記憶は、めちゃくちゃになっている。
もしかすると、無意識の『反射』をした時点で何か要らないコードを書き込んだかもしれない。
ただ一つ、これだけは確実に確定してしまったことがある。
自分は、打ち止めを救えなかった。
355: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 16:11:50.64 ID:t1egM/1t0
「………」
一方通行は、手を放した。
虚ろな瞳で何か言葉にならぬうわ言を呟く廃人となった少女から、男へ視線を移す。
研究者は無様に地面を転がり、自分の血で白衣を染めながら、逃げようとしている。
何も考えられないまま、ただ、絶望感がその身を押すまま、一方通行は天井へ近づいた。
「ひ、ひいっ! な、何だ、ウイルス起動は失敗してしまったのだろう、なら、」
「……なン、で」
一方通行自身、何を言おうとしたのか理解出来ていなかった。
ただ、どうしようもない悲哀と痛みが、体を突き動かしていた。
もう、自分を制する事が出来ない。この男を滅茶苦茶に殺してやりたい。
がしり。
天井の髪を掴み。
一方通行は、演算をしようとした。
この男は自分に武器を向けた。
打ち止めを救えなかったのも、元を正せばコイツのせいだ。
こんな男なら、殺してしまってもいいだろう。
フィアンマがかけてくれた優しい言葉を無理矢理自分勝手に拡大解釈して。
殺人を犯そうとした正にその瞬間、
「……幸之助?」
357: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 16:12:23.12 ID:t1egM/1t0
一方通行が無理矢理にでも顔を見てしまう程大切に思う少女が、立っていた。
畳んだ日傘を手に持ち、彼女は一方通行と天井亜雄を見つめている。
女子学生の革靴が、広がった血だまりを踏んでいた。
「………」
今度こそ。
一方通行は、世界に絶望した。
少女を救えなかったばかりか、彼女に醜態を見られた。
死んでしまいたい程の強い後悔が、胸を締め付ける。
「違う、ンだ」
天井の体を放る。
彼女の声で反射を一瞬解いてしまっていたのだろうか。
両手は天井の血に汚れてしまっていた。
「ちが、違う、」
言い訳をしようとする。
一方通行は、うまく言葉が紡げなかった。
学園都市で一番の優秀な頭脳が、言葉を生み出してくれない。
彼女のが侮蔑した視線を向けてきたら。
今度こそ、自分は全てを壊してしまう。
手を震わせる一方通行を見て。
それから、フィアンマは車の中でぶつぶつと何事かを呟く、体調の悪そうな幼い少女を見た。
359: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 16:12:54.37 ID:t1egM/1t0
フィアンマは、たまたまここへやって来た。
何を思うでもなく、帰り道の散歩ルートにここを選んだだけだ。
だから一方通行が何をしようとしたのかは知らないし、何をしようとしているのかも知らない。
けれど、少年が思いつめた様子が見えたから、声をかけてみただけのこと。
研究者と喧嘩中なのか、とぼんやり考えただけで、何も思っていない。
ただ、少女の体調が悪そうで、一方通行がそれを何とかしようとしたのか、と予想がついた。
「……」
首を傾げ。
フィアンマは車に入る。
「…何、してンだ。もォ、手遅れなンだよ。ソイツは、助からねェンだよ」
呆然とした一方通行の声が、後ろからかけられた。
能力測定を行っただけの自分は、まだ無傷で能力を使用出来る。
その事実を確認したフィアンマは軽く振り返り、一方通行を見た。
教会へ救いを求めてやって来る『罪人』の顔をした彼に。
彼女は優しく微笑みかける。右手を見せながら。
「安心しろ。死んでいない限り、手遅れな人間などいないさ」
言って、少女に向き直る。
右手で打ち止めの右手を、そっと握る。
彼女は目を閉じ、歌うように言った。
「『神の子」は右手によってありとあらゆる病を治し、悪霊を祓った」
そして、何事かを言った。
それはヘブライ語だったが、ヘブライ語を学んでいない一方通行にはわからなかった。
361: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 16:13:44.57 ID:t1egM/1t0
淡い光は、金色をしていた。
その光は打ち止めの体を優しく包み。
まるで毛布のように包み込んだ後、消滅した。
打ち止めのうわ言が、止む。
熱がすっかり引いた様子で、少女は眠っていた。
体調の悪さも、精神が破滅したが故の異常さも、見られない。
「……さて」
手を離す。
フィアンマは一方通行を振り返った。
救いきった自信があるために、笑みを浮かべたまま。
「体調不良を『歪み』と認定して"直した"形だが、医者に診せた方が良いと思うぞ」
天井亜雄は、逃亡していた。
だが、一方通行は天井への殺意が失せていた。
ただ、呆然としたまま、ふらふらと歩き、打ち止めの顔を覗き込む。
彼女はどこかうっすらと笑みすら浮かべて、夢に包まれている。
幸福そうに眠っている少女は、平凡な子供に見えた。
車の音が近づいてくる。
やがて停車した自動車から出てきた芳川は、二人を見た。
そして打ち止めを見て、驚愕の表情を浮かべた。
少女を抱え上げ、自分の車へ乗せながら。
「正規のルートでは支障が出るから、私の車で病院に運ぶわ。
…彼女を救ってくれて、ありがとう」
「…俺じゃねェ」
その呟きは、蚊の鳴くように小さい音量だった。
363: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 16:14:18.47 ID:t1egM/1t0
芳川が打ち止めと共に病院へ去り。
能力を応用して血液を掃除した一方通行は。
フィアンマと共に、彼女の家へ向かっていた。
元々彼女は帰るつもりだったので、それを送る形だ。
彼女は何も聞かない。
一方通行も、何も聞かない。
沈黙は、酷く優しかった。
「………」
「………」
「…なァ」
一方通行が、沈黙を遮った。
反応した彼女を見やって、言葉を紡ぐ。
「……あのガキ、は」
「よく状態がわからなかったからな。
発熱、言語機能障害、全てを歪みと判断させてもらった。
歪んでしまった鉄を熱して叩き直すように、治した形だ。
医者がするのは、状態のチェックと点滴程度じゃないか?}
「そォか」
あれはどういう能力なのか、と聞くつもりはなかった。
そんなことには、さほどの興味はなかった。
「失望、しねェのか」
「ん? 何がだ?」
「俺は、人を殺そォとしてたンだ」
「……」
「あのガキを救えなかったから、……あの研究員が元凶なンてのは言い訳にならねェ」
「そうだな。殺人は確かに良くないことだが」
彼女は立ち止まる。
綺麗な満月を見上げて、こう言った。
「拳銃が落ちていた。お前は、武器を向けられたんだろう?」
なら、自衛のためには仕方ない。
365: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 16:15:04.09 ID:t1egM/1t0
一方通行は、泣きそうになる。
どうして味方をしてくれるのか、わからない。
自分は、彼女に失望されてしかるべきだ。
もっと叱られて、冷たくされて、当然なのに。
しかし、こういったところで、何となしに読めている。
彼女は恐らく、こう答えてくれるだろう。
『お前自身が罪の意識を抱えているなら、尚更責める必要はない』、と。
フィアンマは、やや眠そうに瞼をこする。
「…ん」
携帯電話に着信がきた。
メールの内容は、上条からで、帰宅が遅くなる、というものだった。
避けられている、と思うと、悲しかった。
彼女が哀しい気分になると、一方通行の情動が揺さぶられる。
「…メール。何かあったンかよ」
「いいや、…何でもないさ」
ふふ、と寂しそうに笑って。
フィアンマは携帯電話をポケットにしまった。
少し空腹を覚える。
「ああ、そうだ。幸之助」
「何だ」
「これから暇なら、一緒に食事をしないか?」
約束のご飯を作るから、と彼女は笑いかける。
一方通行に、断るなどという選択肢は存在しなかった。
373: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:08:28.04 ID:c6rrqhnp0
スカート覗き防止用の柵が見当たらない。
もしやここは男子寮では、と一方通行はふと思いつつ。
それでも特にツッコミを入れることなく、フィアンマの家へお邪魔した。
正確には、上条当麻の家である。とはいえ、家主は居ない。
「適当に座ってくれ。カーペットは今朝方掃除したし、汚くはないと思うぞ」
「ン」
相槌を打ち、一方通行はカーペットへ座る。
フィアンマは料理をするためか、髪の毛を結び直していた。
赤い髪が揺れ、自然と視線が吸い寄せられる。
「すぐ出来る」
告げて、彼女は台所に立った。
鍋に水を溜め、肉を切り、分量を計っている。
「……」
「ん……」
少し眠そうだ。
打ち止めについては、点滴中だとメールが来ている。
そこには病室番号も綴られていた。
明日、行こうとは思うものの。
実質、あの少女を救えなかった自分に行く権利はないとも思う。
「あ」
375: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:09:15.94 ID:c6rrqhnp0
そんなことを考えていると。
フィアンマが、何かに気がついたかのような声を漏らした。
何やら不穏な予感に、一方通行は思わず立ち上がる。
「どォかしたか」
彼は元々過保護とは真逆、無関心な人間だ。
それはこれまでの生活が形作ってしまったアイデンティティーである。
しかし、その彼の態度を、フィアンマのマイナス感情による能力発動が揺さぶる。
能力の影響を受けていることにも気づかないまま、一方通行は彼女に近づいた。
不穏な予感は、どうやら的中してしまっていたようだった。
彼女の指から、血が出ている。
じわじわと滲み出す傷口は些細な分、地味に痛そうだった。
「……、」
「ああ、心配には及ばんよ。これ位、」
一方通行は、彼女の手を掴んだ。
そして指先で彼女の傷口周辺に触れ、生体電流を操る。
自己治癒能力を高めれば、傷口は即座に塞がっていく。
まるで魔法のように消えていく傷口に、フィアンマは目を瞬いた。
「…能力か」
「…まァな」
気まずい気分で言う一方通行をしっかりと見て、彼女はありがとうと言った。
少年は黙って、頷いて、それから、定位置へと戻る。
「……」
無言のままに、一方通行は身勝手ながら思う。
彼女と、このままずっと一緒に居られたら良いのに。
377: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:09:51.94 ID:c6rrqhnp0
上条は、美琴と共にホテルへ来ていた。
元々恩返しの為に自分を抱いて欲しいと要求し、それ以上に彼が好きな少女に、拒む理由は無かった。
あるとしたら精々後輩を心配させてしまうという負い目だが、その程度。
ごめんね、今度一緒にご飯食べに行きましょ、とでも約束をして果たせば良い、その程度の話。
一方。
上条は自分の事が嫌になっていた。
美琴に肉欲をぶつけることで、ストレスを解消する自分が。
負い目や罪悪感は、ある種快楽の元だ。
万引き、不倫、これらがやめられないのは、人間に悪への快感があるからである。
彼女に対しての負い目、美琴に対しての申し訳なさ、自責の念。
これらは上条の精神を追い詰めると共に、悪いことへ駆り立てる要因へなっていた。
お洒落な白いシャツは、黒インク一滴でダメになる。
シミ抜きをしたところで、完全に抜けなければ捨てるだけ。
それと同じこと。手遅れなものは、救えない。
「ん」
「んっ、…くすぐった」
上条に首筋を舐められ、美琴はこそばゆそうに笑う。
楽しそうに、くすぐったそうに、切なそうに、幸福そうに。
「……別に嫌ならいいんだけど」
「何だよ?」
「御坂、とか。ビリビリじゃなくて」
美琴、って。
よんで。
耳元で要求され。
上条は、無言で頷いた後、彼女の服へ手をかけた。
379: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:10:26.35 ID:c6rrqhnp0
豚肉のコーヒー煮込みは、美味しかった。
中華風の味付けで、甘すぎた感は否めないものの、美味なことには美味だった。
「俺様の味覚で作ってしまったが、口に合わないようなら謝っておく。
無理に食べる必要はない。もし気に入らないのであれば、別のものを作る」
「いや、これでイイ」
本当は、"これが良い"と言いたかった。
のだが、流石にそこまでは言えず。
どうにも羞恥が邪魔をして、思うままを口にすることなど不可能だった。
食事を終えて。
皿洗いの終わったフィアンマは、ベッドに座っていた。
一方通行は立ち上がり、ほんの少しだけ距離を空けて、彼女の隣に座る。
時計の音が、部屋の中に粛々と木霊していた。
381: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:10:58.97 ID:c6rrqhnp0
彼女と過ごしている時間は、とても安らぐし、幸福だ。
だけれども、同時に。同時に、一方通行は思う。
このままではダメだ。
いつか、彼女が傷つけられる。
自分を嫌いになるかもしれない。
それに自分は耐えられる気がしない。
なら。
なるべく早く、自分から。
嫌われるように仕向けて、嫌われた方が良い。
恩の貸し借りは終わった。
もう、これで良いだろう。
自分勝手な自分は、自分勝手に関係を終わらせるべきだ。
やはり、こんな平穏は自分には似合わない。
あまりにも身勝手すぎる考えを元に、少年は動く。
「オマエ、警戒心が足りねェよな」
「…ん?」
一方通行は、獰猛で悪どい笑みを浮かべてみせた。
先ほどの絶望をいつの日か味わう日が来るのなら、今、この手で。
384: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:12:27.33 ID:c6rrqhnp0
どさり。
華奢な体は、一方通行の手であっさりとベッドに沈んだ。
見下ろしてくる紅い瞳を見上げ、フィアンマはぼんやりとする。
「或いは、こォやって男誘いこンでる尻軽って可能性もあるか」
「…幸之助?」
「いや、警戒心が足りな過ぎる辺り●●って可能性も強ェが」
「…何の話をしているのか、よく、わからんのだが」
「男と自室で二人きり。誘ってるとしか思えねェよな?」
怯えてくれ。
そして、自分を突き飛ばしてくれ。
もう二度と近寄るなと、そう言ってくれ。
一方通行の願いとは裏腹に。
フィアンマは戸惑いの表情しか、浮かべない。
「何を、言っているのか。よくわからない」
「あ? ―――xxxxの話だっつゥの。ガキかよ」
一方通行の発言に。
フィアンマは無表情になった。
何を考えているのか、少年にはわからない。
386: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:13:30.18 ID:c6rrqhnp0
彼女は、笑っていた。
笑いながら、微笑みながら。
ぼろぼろと、涙を流していた。
怯えによるものとは思えない。
微笑みはあくまでも柔らかで。
その表情はまるで。
自らの過失を眼前に突きつけられた聖女のような。
「そうだな。こんな人間だから、飽きられてしまったのかもしれないな」
「…、」
「なりふり構わず、xxxxを要求すべきだったのかもしれん。
そうすれば、少しは、少しだけは、留める事が出来たかもしれない」
優しい微笑は、徐々に歪んでいく。
金色の瞳から溢れる涙の量は増し。
膨れ上がる複雑なマイナス感情が、一方通行の良心を、思いやりを、愛情を、ギリギリと締め付ける。
フィアンマは手を伸ばし、一方通行の服を僅かに掴んだ。
泣きながら、唇を噛み締める。
「体の繋がりがあれば、いっしょに、いて、」
くれたの、かな。
その言葉は、一方通行に当てられたものじゃない。
思考の海に溺れた彼女は、現在の状況すら目に入らない。
たった一人の少年の不在と彼の現状を思って、涙を流している。
「抱いてと言えば、帰ってきてくれるのか」
一方通行は、黙り込む。
何をどうすればいいか、わからなかった。
ただ、自分の行いが、彼女の何か触れてはいけない部分へ接触したことだけは理解した。
「…悪りィ」
じくじくと痛む罪悪感。
思わず謝罪する少年の服を握り締め、フィアンマは子供のように泣いていた。
388: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:14:04.44 ID:c6rrqhnp0
結局。
一方通行は謝り通し。
一時間の間、フィアンマが泣き止むまで。
不器用に、慣れぬ手つきで、彼女の髪を撫でていた。
「…すまなかったな」
「…いや、別にイイ」
「…お前は何がしたかったんだ?」
「…気にすンな」
手を引き。
一方通行は深呼吸すると、彼女から視線を逸らした。
先程までの言動を総合して、気がついてしまった事実に、内心落ち込んでいた。
彼女は、誰か、好きな人がいる。
そして、その相手が帰ってこない辛さに、泣いていた。
泣いてしまう程に、その相手を好いている。
それは、一方通行には関係のないことだ。
なのに、彼の心は、切なくキリキリと痛みを発していた。
(あァ、そォか)
馬鹿馬鹿しい程あっさりとした事実に、気がつく。
自分は、この少女の事が、好きなのだ。
自分に初めて微笑みかけてくれて。
自分のことを肯定してくれて。
自分の罪を許してくれて。
そんな彼女を、愛していた。
そのことに気づいた瞬間、失恋した訳だが。
「じゃ、そろそろ帰るわ」
告げて、一方通行は立ち上がる。
フィアンマは指で目元を擦り、笑って彼を送り出す。
390: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:14:34.56 ID:c6rrqhnp0
美琴の腹に吐きだした精の熱さが、今でも脳裏に蘇る。
上条はふらふらとしながら、自宅へ向かって歩いていた。
彼女と顔を合わせるのが、怖かった。
怖いならこんなことやめればいいのに、むしろ、何度もしてしまう。
「……」
こうも続くなら、彼女とさよならをした方がマシなのではないか。
思えど、そんなことが出来る訳もない。
自分にとって、彼女は世界でたった一人、替えのきかない存在だ。
「……ただいま」
鍵を開けて、声をかけた。
部屋は暗く、少女の控えめな寝息が聞こえていた。
「…」
そっと、顔を覗き込んでみる。
泣いていたのか、目元がやや赤かった。
「……ごめん」
聞こえていないとわかっていながらも、無意味な謝罪をして。
上条は布団を手に、風呂場へ消えた。
392: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:15:00.40 ID:c6rrqhnp0
九月一日。
始業式を終えた教室は、どことなく騒がしかった。
「はいはい皆さーん、静かにしてくださーい」
見た目小学生な担任教師の一声。
騒いでいた学生達は、雑談の音量を下げる。
ガラガラガラ、とドアが開いた。
入ってきたのは、赤い髪をした、細身の少女だった。
「では自己紹介をお願いします!」
「……フィアンマ=ミラコローザです。よろしくお願いします」
控えめに、彼女はぺこりと一礼する。
彼女の『不安』『緊張』への呼応、その見目に、男子学生は盛り上がった。
女子学生達も、そんな彼女の様子に笑みを浮かべ、既に友人として迎え入れようという態度を取る。
上条は、照れ臭そうにクラスメートの質問に答えるフィアンマを、見つめていた。
394: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:15:27.50 ID:c6rrqhnp0
女心と秋の空。
これはあくまで諺だが、両方共、気まぐれで変わりやすいものの例えだ。
実際、この二つはころころと変わっているように見えるものである。
そんな訳で。
始業式が終わり、クラスメート達が帰り。
上条も帰ろうとしたところで、唐突に雨が降り始めた。
「げっ」
嫌そうな顔をする上条。
昇降口で立ち止まる彼の袖を、誰かが引っ張った。
「ぁ、」
「…当麻。一緒に帰ろう」
フィアンマは、彼に微笑みかける。
何も知らないかのように。いつものように。
「…そう、だな」
彼女から傘を受け取り、開く。
大きめの傘は、どうやら教師から拝借してきたものらしかった。
「……」
「……」
久しぶりの相合傘。
なのに、上条の心には申し訳なさが満ちるばかりで、嬉しくなかった。
フィアンマは彼を見て、唇を噛み、俯く。
しとしとと降り続ける雨が、二人の無音を誤魔化していた。
396: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:15:59.58 ID:c6rrqhnp0
翌日。
一時限目は体育だった。
本日の科目は男子がリレー、女子がバレーである。
「ええなあ、女子バレー」
でれでれと。
ややいやらしい視線を、試合中の女子達に向ける青髪ピアス。
彼は上条の親友であり、あだ名は見目通り、ちょっとどころではない変 男子生徒だ。
上条はやれやれといつも通りな親友に肩を竦め、フィアンマを見つめる。
白い体操服の向こう、やや透ける●●。
「っ」
上条は、咄嗟に視線を逸らした。
むら、と何かがこみ上げそうになり、我慢をする。
「時にカミやん」
いやらしく緩んだ表情をやめ。
青髪ピアスが、ジト目で上条を見つめている。
「何だよ」
「フィアンマちゃんとやたら親しげやけど、どういう関係なん?」
「……」
「……」
「…さーって、リレー準備しますか!」
「カミやんんんん! おのれええええ!!」
襲いかかってくる大男から脱兎の如く逃げ出し、上条は快活に笑う。
ようやく、ようやっと、彼は自分のペースを取り戻し始めていた。
398: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:16:39.26 ID:c6rrqhnp0
リレーというのはバトンが回ってくるまで緊張が続くものだ。
実際に走り出してしまえば走ることに集中出来るのだが。
「カミやん、任せたぜい?」
土御門が小さく笑う。
上条の走る速さと速度コントロールは皆が認めるところだ。
まさか暗部で鍛えられた最適な走りなど、誰も知らないだろうが。
スタートラインに立ち、上条は静かにバトンを待つ。
「当麻」
少女の声が聞こえた。
上条は、そちらへ視線を向ける。
校庭の石段に腰掛けたフィアンマが、笑顔で手を振ってくれていた。
「頑張って」
「…よし、任せろ!」
今なら、ギネス記録だって抜かせる気がする。
上条はバトンを受け取り、神の如き速さで走り出すのだった。
ちなみに結果を言うと、堂々の一位である。
400: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/14(日) 23:17:20.75 ID:c6rrqhnp0
着替え時。
フィアンマは体操服からセーラー服に着替えつつ。
ふと、片手が触れた女子生徒―――吹寄制理の を でいた。
「い、いたたたたっ!!」
じたばたとする吹寄。
しかしながら、何人もフィアンマには危害を加えられない。
吹寄はいたって普通の少女なのだから、絶対に。
痛い痛いと言いつつ暴れる吹寄の を き。
フィアンマ眉根を寄せ、頬を小さく膨らませる。
(なんだこれはありえんいや別に大きくても将来垂れるだけだし動きづらいだけだし肩こるし嫌なことが多い…。
それはわかっているが僅かに憧憬を抱かなくもいやそんなことはないだろうこんなものなくたって俺様は、
いや当麻はもしかしてこういう大きめの方が好きなのか実際に質問する勇気などないから調査は不可、)
「……不公平だろう!」
「知らないわよ!?」
不服そうに怒るフィアンマ。
何故怒るのだと、困惑しかない吹寄。
男子が憧れるような百合百合空間とは程遠い殺伐お着替えタイムは、昼までに幕を閉じた。
406: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 00:07:56.35 ID:rvzX7bgA0
お昼時。
昼休みは通常五十分あるのだが、学食闘争に身を投じる学生にはそんなに時間がない。
とはいえ、上条とフィアンマには関係のないことである。
本日のお弁当はハムチーズサンドと唐揚げ、ツナマヨキャベツサラダだ。
カロリーが全体的に高めだが、野菜も入ったなかなか豪華なお弁当である。
少なくとも、朝時間がないとされている学生にしては。
「……当麻」
「ん?」
もぐもぐとサンドイッチを食べ。
隣に座って同じく食事をしていたフィアンマに袖を引かれ、上条はきょとつきながらそちらを見やる。
口元に、フォークが近づけられていた。
「……ぁ…あーん…」
恥ずかしそうに、フィアンマが言う。
フォークの先端には、やや大きめの唐揚げ。
上条に好かれようと、彼女なりの精一杯の努力だった。
「……い、いただきます」
上条は緊張気味に、唐揚げを食べる。
嬉しいはずなのだが、味はよくわからなかった。
409: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 00:08:25.58 ID:rvzX7bgA0
と、そんなところを見られた訳で。
上条は、現在、体育教師である黄泉川愛穂に揶揄されていた。
「彼女じゃん」
「そういう感じじゃないです」
「照れなくても良いじゃんよ」
「その、…幼馴染です。大切ですけど、恋人じゃないんで」
「ふーん? 若いってのは良いじゃんねー?」
にやつく黄泉川。
気まずさに視線を彷徨わせる上条。
事実、上条とフィアンマは恋人ではない。
「…、…」
再認識した現実。
そして。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分が彼女と恋人になるつもりがないことに、上条は閉口した。
「も、もう予鈴なるんで! それじゃ!」
「走ると転ぶじゃんよー」
走り出す上条。
何から逃げているのか、上条はわからなかった。
411: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 00:08:45.67 ID:rvzX7bgA0
一方。
フィアンマはというと、ちょっと茶目っ気のある女子学生に揶揄されていた。
具体的に言うと、タコの写メを見せられているのであった。
イタリアにはタコを使った伝統料理があるが、十字教では歓迎されない。
ローマ正教によって育てられた彼女は、とかく、タコが苦手だった。
上条と過去一緒に行った水族館でも、タコからはかたくなに視線をそらしていた程だ。
「…デビルフィッシュ……」
「タコのぬいぐるみとかもだめなの?」
「…好かん」
あの触 がもう嫌なのだ、と彼女はぶんぶんと首を横に振る。
女子は笑って話題を変え、フィアンマに話しかけた。
化粧だとかお洒落の話はうまくついていけないものの。
恋の話だけなら、どうにかついていけそうだった。
「好きな人っているの?」
「もしかして上条くん?」
「……」
攻撃的な言い方ではないものの、圧力のようなものを感じる。
うぐ、と言葉に詰まり、視線を逸らしている内に、チャイムが鳴った。
目が合った上条は、どこか浮かない顔をしていた。
413: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 00:09:16.31 ID:rvzX7bgA0
「じゃ、一緒に帰るか」
「そうだな」
上条に誘われ、フィアンマは立ち上がる。
そのタイミングで、残念なことに、上条の携帯が震えた。
確認してみれば、いつも通り、『仕事』についての命令。
「……」
もしもフィアンマが隣にいなければ、上条は舌打ちしていただろう。
「ごめん。バイト入っちゃったから、先帰ってもらって良いか?」
「ああ、それは構わんが」
「本当、ごめんな。今日は早く帰れるように頑張るから」
「ん。…いってらっしゃい」
寂しい気持ちを我慢して、フィアンマは教室から出る。
出たタイミングで、今度は彼女の携帯電話が震えた。
慌てて外に出、通話に応答する。
「もしもし」
『よォ。……今日、時間あるか』
「ああ。この後はもうずっと暇だよ」
『ン。…ちょっと付き合ってほしい場所がある』
「わかった」
通話を終える。
通話相手――― 一方通行との待ち合わせ場所へ向かい、フィアンマは歩き始めた。
415: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 00:11:52.01 ID:rvzX7bgA0
(……あれ?)
御坂美琴は、帰り道をぶらついていた。
今日はゲームセンターへ行こうか、お菓子専門店を見て回ろうか。
色々と考えを巡らせていた彼女の視界に、とある人物が目に入った。
昨夜も自分を抱いた少年―――上条当麻。
特別特筆することのない、平凡な見目をした少年。
一万人近い妹達を救ってくれた、美琴の想い人。
未だに告白は出来ていないし、これからも出来ないだろう。
だけれど、美琴は彼が好きだった。そして、ちょっぴりからかいたかった。
(何処行くんだろ?)
裏路地へ向かい、彼は歩いている。
何だか、いつもと様子が違うように思えた。
路地裏。
美琴は注意しながら、上条を探す。
そして。
彼を見つけた。
「今日はこいつで終わりかな、と」
彼は。
血に手を染めていた。
つまらなそうな笑みを浮かべ、死体を蹴っていた。
「…………え?」
美琴は、思わず学生鞄を取り落とす。
トサリ、という音が、上条を振り向かせた。
「………美琴」
「ぁ。……な、に。してん、のよ。アンタ…」
「……」
美琴の喉が、嫌な緊張に干上がる。
かたかたと体は震え、うまく言葉をすんなりと放てない。
上条は、困ったように笑んだ。
「何って。人殺しに決まってんだろ?」
417: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 00:13:07.79 ID:rvzX7bgA0
フィアンマは、一方通行との待ち合わせ場所へついた。
つくなり、手渡されたのは缶に詰められたアイスミルクティー。
「すまないな」
「ン。……」
無言で、彼は歩き出す。
開封し、ありがたく飲みつつ、彼女は一方通行についていった。
辿りついたのは、病院の一室。
空き缶をゴミ箱に捨て、フィアンマは彼を見やった。
「誰かの見舞いか?」
「…この間のガキだ」
「そうか」
その説明だけで理解したフィアンマは、薄い笑みと共に頷いた。
そっとドアに手をかけ、ゆっくりと開ける。
そこには天真爛漫そうな少女が座り、暇そうに脚をパタつかせていた。
彼女はドアが開いた事に気がつき、二人を見るなり明るい笑みを浮かべる。
「一方通行と……お母さん(仮)! ってミサカはミサカは呼びかけてみる」
何やらとんでもないあだ名が付けられている、とフィアンマはほんの少しだけ渋い顔をするのだった。
420: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 00:16:34.23 ID:rvzX7bgA0
今回はここまで。
恋愛感情
美琴→上条
フィアンマ→上条
一方通行→フィアンマ
友情
フィアンマ→一方通行
依存
上条→←フィアンマ
一方通行→フィアンマ
打ち止め→フィアンマ
という感じになっております。
427: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 11:03:03.05 ID:2j3i26m00
これは、夢だ。
学校帰りに疲れがたまっていた自分の見ている、白昼夢なんだ。
そう、きっとそうだ。
私はきっと、疲れていて。
学生寮に帰るなり、眠っているんだ。
それで、余程疲れているものだから。
そして、妹達のことを考えていたものだから。
だから。…だから、こんな光景を見ているのだ。
こんなことが現実にある訳ないじゃないか。
妹達を救ってくれた優しいヒーローが、人を殺して笑っているなんて。
「何だよ。そんなに怯えなくても良いだろ」
「………どうして」
「何が」
「何で、こんなことしてんのよ」
「仕事だから」
「し、ごと?」
「バイトみたいなもんだよ。金が欲しくてさ」
「……」
「美琴だし、今回は見逃すからさ。早く出て行ってくれ。
だから前々から言っただろ、裏路地は危ないから入るなって」
スキルアウトに絡まれたところへ介入してきた時。
彼は幾度もそう言っていた気がする。
美琴は真意を見抜くべく、上条の顔を見つめる。
いつも通りの表情に思えるけれど。
非日常に日常を持ち込まれた上条は、動揺していた。
美琴に少しばかり情を移していたこともあり、哀しい気持ちはあった。
429: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 11:03:30.59 ID:2j3i26m00
「……アンタ、喜んで…やってる、の?」
そんなことはない。
上条だって、やめられるならやめたい。
だが、やめればそれはそれで制裁がくる。
一度始めれば抜け出せない、それが暗部というものだ。
だから、これまで暗部を卒業してきた人間は全員死亡している。
自分だけが死ぬならともかく、フィアンマが狙われたらと思うと尚更やめられない。
だが、それを美琴に説明する義理は存在しない。
上条は笑みを深め、暗部を仕切る男にふさわしい嫌な笑顔で言う。
「当たり前だろ?」
楽しいよ、と両手を広げる上条。
それは、実験中の、かの第一位より余程邪悪に見えた。
美琴は、そんな上条に対して鋭く言う。
「見え透いた嘘ね」
「嘘じゃねえよ」
「嘘よ」
願いではなく、ようやく現実を認識した上で、美琴はそこを譲らなかった。
学生鞄を拾う事もせず、上条に近づき。
彼よりも低い身長で、やや背伸びし、彼の体を抱きしめた。
「……何かに怯えてる顔、してるじゃない」
431: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 11:03:54.07 ID:2j3i26m00
フィアンマと一方通行は、見舞い客用のパイプ椅子に腰掛ける。
打ち止めは余程退屈だったらしく、現在の彼女自身の状況について説明してくれた。
一方通行のことを覚えていること。
ミサカネットワーク上に記憶をバックアップしてあること。
フィアンマが助けてくれたことも覚えていること。
「光に包まれている時、何だかお母さんのお腹の中みたいだった、ってミサカはミサカは経験があるかのように言ってみる。
このミサカは培養基によって作られたけど、あの時産まれ直した感じなのかも、ってミサカはミサカは哲学的に言ってみたり」
一度は救われず、あのまま人として生きられずに終わったはずの人生。
フィアンマの行使した奇跡によって人としての思考能力を取り戻した打ち止めは、そう言った。
だからこそ、彼女をお母さん(仮)などと呼んだのだ、ということも。
なるほど、と納得し、それでもやっぱり16歳で母親というのは、とフィアンマは苦く笑い。
(確かに聖処女マリアは13歳程度で神の子を産んだとされているが)
人は皆神の子なので、産んでいようが産んでいなかろうが突き詰めれば打ち止めがフィアンマの子供でもおかしくはないのだが。
ないのだけれど、やっぱり彼女もまだ少女なので、そこまで本質的に受け入れるには時間がかかる。
「…アクセラータとは、幸之助のことか?」
「へ? 幸之助ってどなた、ってミサカはミサカは首を傾げてみる」
四つの瞳が自分を捉え、気まずい気分になる一方通行。
視線を逸らす彼は、素性を話すべきだろうと腹を括った。
彼女ならきっと、それでも自分を拒絶しないだろうと信じた上で。
433: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 11:04:34.23 ID:2j3i26m00
暗喩などは使わず、自らの素性を話した一方通行。
打ち止めが補足をする形で、"実験"についても真実が露呈された。
断頭台に立つ死刑囚のように、一方通行は沈黙している。
打ち止めは多少フォロー的な発言をしながらも、妹達の司令塔として彼のことは許さないと言っていた。
フィアンマは黙って聞いた後、何と反応すれば良いのか困っていた。
彼女は元々、ローマ正教最暗部に居た人間だ。
死ななければならない、生きなければならない。
そういった命のやりとりについても幾度も見ている。
一方通行と打ち止め、及び妹達の悲劇など、世界クラスに比べればちっぽけなものだ。
フィアンマならさほど悩まずに『殺す』『殺さない』を決められる程に。
確かにそれは悲劇なのかもしれないが、終わった以上、自分が何かをすることでもないと感じる。
"その程度のこと"でフィアンマは打ち止め含む妹達に同情しないし、一方通行を軽蔑することもない。
ただ、皆、運が悪かったのだな、とぼんやり思ってあげる位だ。
「……大変だったようだな。だが、もう終わったことなんだろう?」
慰める必要性は感じなかったので、フィアンマは首を傾げる。
「生き残った者は人生を楽しめば良い。
幸之助は――― 一方通行は、負い目に思うのならその妹達とやらを守ってやれば良い」
打ち止めも含めて、と彼女は言った。
それ以外に、今後、皆が納得する未来などありそうにもなかったから。
「俺様は友人に死んで欲しくないし、妹達とやらも特段それを望んでいないのだろう。
それに、死ねば罪がなかったことになる訳でもないしな。贖罪は生きて行なうものだよ」
元聖職者らしくのどかに言って。
フィアンマは僅かな眠気を堪え、伸びをした。
435: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 11:05:07.26 ID:2j3i26m00
一方通行は、沈黙のままにフィアンマの発言を聞き、態度を見て。
予想以上の優しい(ある意味厳しいのだが)反応に、安心していた。
「……何か買ってくる」
立ち上がる彼に、打ち止めは甘いジュースをねだった。
面倒そうに相槌を打ち、一方通行は病室から出て行く。
「……ありがとう、って、ミサカはミサカはお礼を言ってみる」
「んー?」
「ミサカ達がやめてほしいと言えていたら、あの人はやめていたかもしれない。
きっと、これからあの人は罪の意識に悩まされてしまうんだと思う。
……でも、あなたがいれば大丈夫そう、ってミサカはミサカは判断してみる」
「憎んではいないのか」
「そこまで複雑な情緒が発達してない感じかな、ってミサカはミサカは苦笑いしてみたり」
あの実験に関してはお姉様<オリジナル>以外皆加害者だ、と打ち止めは言った。
ただ、罪の比重が一方通行に大きいというだけで、それは自分も背負うべきなのだと。
強い覚悟だな、とフィアンマは思った。本来、幼い子供が背負える重さではない。
「……うん、やっぱりお母さんっぽいってミサカはミサカは再認識すると共にアタックしてみたり!」
「な、」
幼い少女はベッドから抜け出し、フィアンマに抱きつく。
にこにこと天真爛漫で悪気の無い笑みを浮かべる彼女は、フィアンマに懐いているようだった。
437: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 11:05:42.61 ID:2j3i26m00
フィアンマは、親の顔を知らない。
産まれてからずっと塔の上へ幽閉されていたし、魔道書が父母のようなものだ。
だから、幼い子供に対して、フィアンマは冷たくしたくない、と思う。
それはきっと、自分が両親の優しさを受けられなかったから、だろうとも。
自分と同じような孤児を見ると、同情を覚えずにはいられない。
そんな心優しさを持っているからこそ、彼女の能力は『強制善意』なのかもしれない。
「あったかい、ってミサカはミサカは呟いてみる」
膨らみは残念ながらないが、フィアンマの胸元に顔をうずめ、打ち止めはそう言った。
フィアンマは手を伸ばし、やや慣れぬ様子で打ち止めのさらさらとした髪を撫でる。
子供特有の痛みの無い髪。エンジェルリングと呼ばれる輝きを、病室のライトが創造していた。
「……」
ガラガラ。
ドアを開けた一方通行は、暫し停止していた。
ドアを閉めて帰ろうかと思った彼だったが、打ち止めの手招きに従ってやる。
(何やってンだ)
ため息をつかぬよう飲み込む。
買ってきた三本の缶を枕元、見舞い品用スペースへ置く。
「ふふふ、とミサカはミサカは悪どい笑みを浮かべてみたり」
「…あン?」
打ち止めは手を伸ばし、一方通行を引っ張った。
フィアンマの前ということもあり、反射を解いていた彼はバランスを崩す。
転ばないように咄嗟に手を突き出せば、フィアンマに抱きつくような形になる。
打ち止めを挟み、フィアンマを抱きしめた状態で。
一方通行は羞恥と緊張に固まった。
「な、ァ、」
言葉が出てこない。
対して、フィアンマはくすくすと楽しそうに少しだけ笑った。
「俺様が母親で打ち止めが娘なら、お前は父親のようだな」
「この人が居なければミサカ達は廃棄だったことを鑑みると正にお父さんかも? ってミサカはミサカは首を傾げてみる」
439: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 11:06:07.71 ID:2j3i26m00
『超能力者<レベル5>』とは扱える能力が特異、制御が出来ている、などといろいろ条件があるのだが。
その中でも、『自分だけの現実』の強固さもなかなか重要な判定基準となっている。
『自分だけの現実』の観測が可能ということは"まともな現実から切り離されている状態"という一種の精神障害と同義でもある。
だからこそ超能力者は全員揃いも揃って人格破綻者、などという噂がなされる程に。
事実、一方通行の精神はだいぶ破綻しているし、異常ではある。
一瞬で、彼女との家庭風景を想像してしまう程度には。
彼女には好きな人がいるし、自分なんかでは(罪深くて)不釣り合いだとわかっているのに。
彼女の今さっきの言葉は冗談で、打ち止めもそれに便乗しただけだと知っているのに。
『ン、ただいま』
『お帰り、幸之助。食事はもう出来ているが、打ち止めはもう眠っているよ』
『そォか』
『ああ、風呂の準備もしてある。ご苦労だったな』
『……ン』
『それで』
『?』
『お帰りとただいまのキスは、しないのか』
「……バッカじゃねェの。付き合ってらンねェ」
冷たく言い放つ一方通行だったが、その顔は僅かに、ほんの僅かに、赤かった。
冗談を本気にしなくても、と笑う彼女は、気づかない。
幼い少女は一方通行の様子を見つめ、ぴょん、とアホ毛を揺らすのだった。
441: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 11:06:33.03 ID:2j3i26m00
「アンタが辛いなら、私が助ける。
助けを求められないなら、私が飛び込む」
暗部の仕事なんて、辛くないと思っていた。
いいや、そう自分へ言い聞かせなければやっていけないと思っていた。
彼女を守るためなら、いくらだって戦えると、傷つけると。
自分が泣けば、彼女は泣かなくて済む。
自分が制限されれば、彼女は自由に生きていける。
自分が苦しめば、彼女は苦しまなくて済む。
そう思っていた。
(……ああ、そうか)
彼女のためと言いながら。
結局は、彼女のために努力している自分が大事になっていたのかもしれない。
彼女のために苦しんでいれば、努力をしていることになっている気がして。
「……美琴」
「私の時、アンタは無理矢理に介入してきて、……救ってくれた。
私だけじゃない、妹達も。だから、今度は私が助ける」
「……、」
「アンタがどういう理由でこんなことをしているのかは知らないけど。
でも、好きでやっているようには、どうしても思えない。苦しそうにしか見えない」
酷いダブルスタンダードだな、と上条は思う。
妹達を殺した一方通行は許せなかったクセに、自分のことはどこまでも信じてくれるだなんて。
それでも、それが本当に人を好きになるということなのだろうな、とも思う。
フィアンマのことは大切だ。
大事で、大切で、かけがえのない存在だ。
けれど。
これはきっと、恋の類に分類される愛情じゃない。
それはむしろ、きっと。
「もうこれ以上、一人もアンタに殺させない。
これ以上、アンタに手を汚して欲しくない」
だから、助けさせて。
少女の言葉は、かつて疫病神と呼ばれた頃のように、少年の心に染み込んだ。
殺人のストレスで知らず知らず滅茶苦茶になっていた彼の心は、美琴に満たされた。
今こそ。
――――優先順位は、変わる。
443: 次回予告 ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 11:07:09.63 ID:2j3i26m00
「付き合おう、美琴」
学園都市最弱―――上条当麻
「な、何でそんな急に、………も、もちろん良いけど」
学園都市第三位―――御坂美琴
「………ろして、やる」
『強制善意』―――フィアンマ
452: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:42:00.64 ID:Gx5IpR7b0
「ありがとう」
上条の礼の言葉に。
美琴は、やはり断るのか、と唇を噛み締める。
自分を救ってくれた人の助けになりたいと思うのは、普通のことだ。
美琴は酷く人間的な少女だった。
上条がダブルスタンダードだと感じたのは無理もない。
美琴自身も、妹達の死と上条が殺害した相手の死を同一視出来ない自分が嫌だった。
けれど、それ程までに、身勝手過ぎる考えになる程、上条のことを好いていた。
「とう、」
当麻、と思わず言いかける。
上条は凶器に付着した血液を拭き取り。
身を少しばかり清めてから、彼女の体を抱きしめた。
「……ありがとな」
「……、…私、は。アンタの力に、」
「美琴」
上条は、美琴の言葉を遮る。
ぎゅう、と抱きしめたままに、真面目に告げた。
「付き合おう、美琴」
「……え?」
美琴の気持ちがわかっただけで、伝わっただけで。
上条がうっすら抱いていた恋愛に似た感情へ気づくのは簡単だった。
「な、何でそんな急に、………も、もちろん良いけど」
ごにょごにょと応える美琴。
上条は、彼女を抱きしめながら、暗部を抜け出す決心をした。
454: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:44:28.43 ID:Gx5IpR7b0
九月三十日。
一方通行は、退院した打ち止めと共に生活をしていた。
保護者役となっているのは、芳川桔梗―――及び、その友人である教師、黄泉川愛穂だ。
警備員(アンチスキル)のツテで黄泉川が借りているマンションはセキュリティが抜群のようである。
とはいえ、時折セキュリティの方式が変更されるらしいのだが。
「…チッ。何処行きやがった…」
打ち止めは見当たらない。
フィアンマと、あの少女へ贖罪をすることを約束した。
それに、あの少女は自分へ笑いかけてくれる貴重な存在だ。
なので、探さなければならない。
「……あン?」
捜している内に、雨が降りだしてきた。
徐々に雨の勢いは増していくが、反射をすればどうということはない。
「……あのガキ」
お使いの話題になった途端、子供用財布を持って飛び出して行ったようだ。
まったくどこにいるのだろう、と一方通行は面倒そうにガシガシと頭を掻く。
456: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:45:24.58 ID:Gx5IpR7b0
学校帰り。
傘を忘れてしまったフィアンマは、仕方なしに雨宿りしつつ家へ向かっていた。
向かっていたはずなのだが、雨宿り場所を転々としている内にルートがズレこみ。
(そういえば、当麻は何も言わずに帰ってしまったな)
何か用事でもあったのだろうか。
思いながら、ゆっくりと歩く。
コツ、コツ。
順調に刻まれていた足音。
フィアンマは、不意に立ち止まる。
彼女の視線の先には、二人の男女。
ツンツン頭の少年と。
お嬢様学校の制服を着用した茶髪の少女。
二人は手を繋ぎ、幸福そうに歩いていた。
「ホテル、行くか? もう、これからは俺が出すからさ」
「別に私が出すわよ、それ位」
「前とは違うんだから、ダメだ」
「……そ、そうね。…今のアンタと、私は」
どこか、遠い出来事のように感じる。
「恋人、なんだもの」
「……だよ、な。お前のお陰で、"バイト"やめられたんだし」
458: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:46:53.01 ID:Gx5IpR7b0
上条が暗部から抜け出すにあたって、代償は金銭だった。
多額の金など用意出来なかった彼の代わりに、美琴が用意したものだ。
札束を受け取って、『電話の男』は上条の解放を許可した。
それと同時に。
上条は、美琴を愛する他なくなった。
ここまで尽くされてしまっては、こちらとしても尽くすしかないからと。
身勝手と自分勝手が生み出した結果。
本当に大切なものを守る、そんな自分が好きだったと気がついた少年の末路。
後二日経過したら。
きっと、フィアンマに別れと謝罪を告げよう。
クラスにすっかり馴染んだ彼女なら、きっと自分が居なくても幸福になってくれる。
自分はもう、彼女を守らなくたって大丈夫だろう。
上条当麻は、そう思っていた。
今謝らなくたって、別れなくたって、たかが後二日。
それこそが誤りであったことにも気づかずに。
460: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:47:48.40 ID:Gx5IpR7b0
「………」
雨が、赤い髪を濡らしていた。
長い赤髪は雨に濡れ、蜘蛛の糸のようにフィアンマの頬や首へ張り付いていた。
雨が酷い為か、ここにいるのは、フィアンマとひと組のカップルだけ。
『フィアンマと暮らしていくためには必要なバイトなんだ』
『だから、やめられないんだ。ごめん』
『そりゃ、俺だってフィアンマのことは好き、だけど。
…だああもう、何で急にこんな恥ずかしいこと言う流れになってんだよ!』
脳裏に蘇るのは、上条の言葉だった。
勢いをやや増した水が、フィアンマの顔を濡らす。
「………」
立ち尽くしたまま。
フィアンマは、無意識の内に言葉を漏らしていた。
「……そ、だ」
嘘、だ。
嘘つき。
嘘に決まってる。
こんなの、夢なんだ。
悪い夢だ。
こんなの知らない。
知りたくない。
何も見ていない。
目の前で、少女は腕を組んでいる。
上条は照れ臭そうに笑って、それを受け入れる。
「ぁ、」
手足の先から、身体が冷えていく。
雨に打たれているせいではなかった。
462: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:48:34.45 ID:Gx5IpR7b0
「…っ。フィアン、マ」
ふと。
振り向いた上条が、驚愕の表情を見せた。
美琴も同じく振り返り、しかし、二人の関係を知らぬ為、特に表情を浮かべることはなかった。
だけれど。
フィアンマには。
美琴のその整った顔立ちが、自分を嘲笑っているように思えた。
告白せず、関係を変化させなかった臆病者。
お前が私の位置に立つことなど、もう二度とない。
当麻の隣は、これから先ずっと、私だけのもの。
一言も発していないし、美琴は侮蔑の視線など向けていない。
これは全てフィアンマの被害妄想による幻聴のようなものだ。
だが、許せなかった。
上条の隣で笑って、幸福そうに。
彼の恋人と認められた少女がいることを。
「………ろして、やる」
464: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:49:50.96 ID:Gx5IpR7b0
『人払い』の術式すら忘れた。
フィアンマはただ、無表情で、二人を見据える。
敵対目標を美琴に設定した上で、『聖なる右』を顕現させた。
細い肩から現れ伸びた、靄の様な巨大な腕。
術式を行使すればどうなるかすら忘れて、フィアンマは右手を振った。
一瞬の閃光の後。
美琴の少女らしい華奢な身体が、数メートル程吹っ飛ばされた。
勿論、彼女とて無防備に飛ばされる訳もなく。
砂鉄を操ってクッションにし、事なきを得る。
だが、その体には何発ものボディブローを受けたかのような重い痛みがあった。
「ま、待て!」
「待たない」
上条の制止が癪に障る。
フィアンマは懐からチョークを取り出し、空中へ文字を綴った。
黄金の膜を通した雨は熱湯となり、美琴と上条を襲う。
「ッ!!」
上条は咄嗟に右手を突き出した。
美琴への被害がなくなったところで、気がつく。
美琴が、居ない。
466: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:50:40.72 ID:Gx5IpR7b0
一瞬にして距離を詰めたフィアンマが,美琴の襟首を掴み、壁へ叩きつけていた。
いつもは力のない細い腕も、天使の力を適切に封入すれば人の頭を潰せる程の握力を秘める。
美琴は手の平からちりちりと電流を放出し、フィアンマへ反撃しようとした。
だが。
出来ない。
「う、……」
まるで。
自分が心から大切に思う後輩、白井黒子を相手にしているように。
自分が恋人としてこよなく愛する上条当麻が、真剣な視線を向けてくれている時のように。
攻撃したくない。
相手を大切にしたい、という美琴本来の優しさや良心が発揮される。
フィアンマの能力によって刺激され美琴の良心が、優しい強さが、反撃を許さない。
一方。
反撃を受けていないにも関わらず。
フィアンマの体は、血まみれだった。
468: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:51:38.23 ID:Gx5IpR7b0
超能力者には、魔術は使えない。
正確には、使えば使う程、死の確率がはね上がる。
薬物乱用と同じで、一度目で死ぬ恐れもある。
能力開発を受けた人間と、一般人では脳の回路が違う。
「……」
体中から血液を滴らせ。
血液を吐きだしながらも、フィアンマは美琴を殺すまでその手を止めるものかと思っていた。
上条はフィアンマに暴力を振るうことができない。そして、説得で止めるには時間が足りない。
故に。
上条当麻は、覚悟を決めた。
たとえこのたった一つの嘘で彼女が再起不能になったとしても。
彼女に人を殺させないために、残酷な嘘を吐こうと。
これ以上魔術を使わないよう、彼女自身が傷つかないよう。
「フィアンマ」
金色の虚ろな瞳が、上条を見た。
「別れよう」
「……」
「さよならだ。ごめん。でも、約束は破棄だ。もう、ずっと一緒になんていられない」
「当、」
「美琴のお腹には、俺の子供がいるんだ」
嘘だった。
だが、その一言はフィアンマの攻撃をやめさせるに適した言葉だった。
470: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:52:38.89 ID:Gx5IpR7b0
フィアンマは、親の顔を知らない。
だから、よほどの人でなしでない限り、子供には親が必要だと考えている。
その考えから、彼女は妊産婦に優しく、両親が居る人間を羨ましいと思う。
決して叶えられなかった両親の愛情。
それは、自然と失われることはあっても、他者が奪って良いものではない。
「……」
涼やかな目は、美琴の下腹部を見た。
真っ平らだったが、妊娠して日が浅いのであれば、膨らみはないだろう。
恐らく、上条の態度がぎこちなくなったあの日、彼はこの少女と性行為をしたのだ。
どうしたって。
フィアンマは彼女の生い立ちが変わらない限り。
美琴の子から、美琴を奪うことが出来ない。
「……」
ふらふら、と彼女は後ずさる。
多量出血で視界が歪み、そのまま、ぺたん、と地面にへたりこんだ。
雨が血液を洗い流していくが、それでも尚出血は止まらない。
(これで、いいんだ)
彼女は幸運だ。
恐らく死なないだろうと判断してしまい、上条は美琴を抱え起こす。
そうして、こんな割り切った態度を取る自分の醜さに反吐が出た。
あんなにも彼女のことを大切にしていたくせに。
それは、彼女が自分に害を及ばさなかったから、だなんて。
「……、」
へたりこんだまま、じわじわと目に涙を溜め、フィアンマは唇を噛む。
「…ひくっ、」
喉が鳴った。
我慢しようとは思うのに、今度ばかりは、涙を堪えきれない。
ずるい。
自分だって、頑張ったはずだ。
上条の好きな料理を作った。
上条の好きな髪型をした。
上条が笑ってくれるように努力した。
なのに。
どうしてあんな、幸福そうな、何でも持っていそうな少女が、かっさらっていくのだろう。
「ひくっ、っう、うう、あ、うあああああ……!!」
彼女が泣いている。
上条は、条件反射的に彼女へ手を伸ばそうとして。
足音が、聞こえた。
472: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:53:40.27 ID:Gx5IpR7b0
血の臭いがする。
一方通行は眉を寄せ、臭いは反射せずにゆっくりと近づいた。
打ち止めに万が一があったかもしれない、と判断しての行動だったが。
「……、…な」
言葉を喪った。
そこには、一人の少女がへたりこみ、血まみれで泣いていた。
ツンツン頭の、かの妹達を救った少年が、オリジナルを抱き起こしている。
学園都市第一位の優秀な頭脳は、何となしに状況を掴む。
恐らく、この少女はあのヒーローが好きだった。
だが、ヒーローは彼女ではなく、オリジナルを選んだ。
納得がいかないのは、彼女が血まみれであることだ。
勿論オリジナル―――御坂美琴も傷だらけではあるものの。
「何で、だよ」
ぽつり。
呟いて、一方通行は歯ぎしりをした。
一万人近い妹達を救ったヒーローが、何故無傷で。
一生懸命人の為に微笑める彼女が傷だらけで、血まみれで、誰にも抱きしめられることなく泣いているのか。
ああいうヒーローは、強者―――超能力者<レベル5>であるオリジナルなどではなく、彼女を抱きしめるべきではないのか。
474: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/15(月) 22:54:19.20 ID:Gx5IpR7b0
「ふざ、けンじゃ、ねェぞ」
怒り。
それだけでは済まぬ感情。
一方通行は足元をつま先で軽く叩いた。
コンクリートの弾丸が、上条と美琴を襲った。
上条は右手を突き出し、弾丸を防いだ。
「一方通行…?!」
「……」
本音を言えば、徹底的に殺してやろうかと思った。
それはフィアンマが現在襲われているマイナス感情による能力が引き起こした一方通行の情動。
とも言い切れない。
一方通行は今現在、本心からフィアンマを好きでいるから。
あの二人をぶっ殺してやりたい。
だが、それ以上に、一方通行はフィアンマの怪我の方が心配だった。
何をどうされてこんなことになっているのかはわからないが、死ぬのではないかと不安になった。
「……力抜いてろ。腕は…回せねェか」
一方通行は、彼女の体を抱え上げた。
多量の出血で体に力が入らないのか、ぼんやりとした表情を浮かべ。
フィアンマは彼を見上げ、困ったような笑みを見せ、掠れた声で言った。
「…………死んで、しまいたい」
未だ止まらぬ血が、泣き疲れた彼女の涙の代わりのように見えた。
487: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/16(火) 21:13:37.28 ID:AbXn+M9m0
腕の中のぬくもりは、すぐに消えてしまいそうだった。
他者の死は、一方通行にとってはどうでも良いことだったはずだ。
それなのに、まるで自分が死んでしまうかのように。否、それ以上に。
もはや、あのヒーローたちに関わっている時間など微塵もない。
一方通行は地面を蹴り、壁を蹴り、病院へ向けて走る。
息を切らし、注意を払い、懸命に。
反射を解除している手で、彼女の体に触れる。
傷だらけの体をしっかりと抱えているから、一方通行の手は血まみれだった。
「死ぬンじゃ、ねェぞ」
一歩でも早く前へ進む。
傲慢な、命令的な口調なのに。
何故だかその言葉は、懇願しているように聞こえた。
489: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/16(火) 21:14:01.69 ID:AbXn+M9m0
「それでね、炊飯器ハンバーグの作り方をマスターしたの、ってミサカはミサカは報告してみる」
「上位個体、それはミサカネットワークを通じて既に得ている情報です、とミサカは指摘します」
「細かいことばっかり気にしないのー、ってミサカはミサカはむくれてみたり」
「その行動は異性には効果的でも同性は単純にムカつくだけです、とミサカは」
病院で会話をしているのは、同じ顔をした歳の違う二人の少女。
片方は10歳程度―――ミサカネットワークの司令塔である、ミサカ20001号。
もう片方は14歳程度―――ミサカネットワークの一員である、ミサカ10032号。
彼女達はとりとめもない話をしつつ、缶ココアを飲んでいた。
10032号は現在、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)の下、病院で看護師の手伝いをしている。
打ち止めはおつかいをしようと飛び出したは良いものの、買うものを聞きそびれ、病院へ暇つぶしに来たのだった。
ガッ、という音。
勢い良く、救急病棟のドアが強引に開けられた。
鍵を壊すような勢いに、10032号はそちらへ視線を向けざるを得ない。
入ってきたのは、白い少年だった。
黒いTシャツも、白い両手も、頬も、赤黒く汚している。
彼の細い腕に抱かれているのは、色の白い少女だった。
妹達は、彼女のことをよく知っている。
何しろ、打ち止めを救った少女なのだから。
「そ、その怪我は…? ってミサカはミサカは、」
「退け」
冷たい一言だった。
一方通行は10032号を見やり、冥土帰しは何処だと迫る。
戸惑いながらも、10032号は職務を全うすべく、居場所を答えた。
一方通行は教えられた情報に従い、その部屋へと駆ける。
491: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/16(火) 21:14:30.51 ID:AbXn+M9m0
「…何、だったの?」
げほげほ、と噎せ。
雨に濡れて額に張り付く前髪に、美琴は不愉快そうな顔をした。
「何アレ。当麻の元カノか何か…?」
息を吸い込み、吐きだし。
落ち着きを取り戻した美琴は、上条を見る。
彼はというと、世界の終わりを迎えたかのような表情を浮かべていた。
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
「……あ。………ああ、大丈夫だ。美琴は、怪我は?
病院、行くか?」
美琴の手のひらが背中をさすり。
はっと思考の海から現実へ引き戻された上条は、そう問いかけた。
美琴は戸惑い、少しだけ迷った後、こくりと頷いた。
493: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/16(火) 21:14:57.96 ID:AbXn+M9m0
「危ないところだったね?」
「…結果はどォなンだよ」
「勿論、命に別状はないね? 治療は済んでいるからね?」
医者の口調はのどかだったが、それは自信に基づいているものだ。
命に別状はないと聞き、一方通行の肩の荷が降りる。
ようやくデフォルトの反射を展開して、血液を払った。
「体中の血管がボロボロに傷ついていたね?」
まるで薬物乱用を一瞬にして数十回繰り返したかのようだ、と彼は称する。
あのまま出血が止まらなければ死んでしまっていただろう、とも。
「……病室は」
「ふむ。少し待っていてほしいね?」
医者はノートを捲り、病室の番号を告げる。
立ち上がり、早速向かおうとする一方通行を、呼び止めた。
「彼女の病状で問題なのは、むしろ―――」
「…あン?」
「身体的な傷よりも、精神的なものだね?」
495: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/16(火) 21:15:24.29 ID:AbXn+M9m0
ドアへ、そっと手をかける。
「…入ンぞ」
うんともすんとも、返事がない。
しばらく待ってみても、まったくない。
もしかすると寝ているのかもしれない、と考え。
一方通行はさほど躊躇せず、ドアを開けて中へ入った。
フィアンマは、起きていた。
その身を包帯まみれにして。
髪は治療中か治療後か、軽く拭いたらしい。汚れはほとんどない。
血液の臭いは消毒液の臭いで上書きされている。
彼女はぼんやりと、窓の外を見ていた。
現実から逃げるように、何も見ていなかった。
「……オイ」
声をかけてみる。
彼女は僅かに反応して、一方通行を見た。
どこか、抜け殻のようだった。
「………ああ。幸之助、か」
彼女自身は、どうやら笑みを浮かべているつもりらしい。
らしいのだが、それはただ顔の筋肉を歪めているだけに過ぎなかった。
微笑というよりは、泣き出す直前の表情にしか見えなかった。
497: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/16(火) 21:16:40.71 ID:AbXn+M9m0
"笑顔のつもり"が、痛々しかった。
冥土帰しの判断は適切だっただろう。
彼女の精神は、自滅した身体の傷より、余程深刻な痛みを発していた。
八つ当たりすら通り越して、茫然自失。
もし。
もしも、後少し早く、上条が自分の口で別れの言葉を告げてくれていたら。
好きな人が出来た、恋人が居る、そう教えてくれたなら。
目にして初めてしった真実でなければ、彼女は飲み込めたかもしれない。
その痛みは心身を灼いたかもしれないけれど、我慢出来たかもしれない。
「……当麻は、悪くない」
ぽつり。
諭すような口調だった。
「あの少女も、悪くない」
言い聞かせるような語調だった。
その声は震えているし、今にも叫びだしそうなものなのに。
こらえる必要のない激情を堪えて、彼女は一方通行を見つめる。
泣き顔のようなぎこちない微笑は、浮かべたままに。
「全部、俺様が悪いんだ。だから、…あの二人のことは、放っておいてやれ。
わざわざ病院まで運んで来てくれて、感謝する」
ありがとう。
掠れた声だった。
一方通行は、内臓が締め付けられるかのような苦痛に、こらえる。
499: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/16(火) 21:17:19.94 ID:AbXn+M9m0
「オマエは、悪くねェだろ」
「いいや、…一番悪いよ」
当麻の想いに気がつけなかった。
告白を先延ばしにしてきた。
あの少女に暴力を振るった。
当麻から別れを告げられた。
全部が全部自業自得だ、と彼女は言った。
二人を恨むのは間違っているのだと。
自分が全部悪いのだから、泣くのも本来おかしいと。
そんな考えこそがおかしい、と一方通行は思う。
彼女の語る内容から推測すれば、彼女は何一つ悪くない。
愛する少年の帰りを、どんなに遅くても文句一つ言わずに待ち。
好きな人の好みの髪型をして、好みの料理を作って。
彼の前ではいつでも明るく努めようと、笑顔を繕って。
何一つ、悪いことなんてしていない。
少なくとも、彼女だけは無罪のはずだ。
「オマエは、悪くねェ」
今一度、一方通行はそう言い切る。
「ありがとう」
フィアンマは、自分に都合の良い優しさを、受け入れなかった。
501: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/16(火) 21:18:00.45 ID:AbXn+M9m0
誰の一番にもなれないなら、こんな人生に意味は無かった。
産まれてこなければ、こんなに辛い思いをしなくて済んだ。
産まれてこなくても、きっと誰も困らなかった。
ずっとずっと昔に、誰も知らない場所で不幸に見舞われて死ねば良かった。
こんな幸運さえなければ、死ねたはずなんだ。
彼女の独り言は、それでいて、一方通行の心に傷をつけていくものだった。
そんなことはない、と思う。
少なくとも、自分は彼女に出会えて、満たされた。
幸福な時間があって、この関係を大切だと思えた。
どんなことがあっても、彼女に死んで欲しくないと思った。
彼女が居なければ、物理的には何も困らなくても、心情的に困る。
自分にとって、彼女は唯一無二の存在で、たった一人、一番だ。
思うのに、言葉は出てこない。
手を伸ばせど、彼女の頭を撫でてあげるのが精一杯で、抱きしめる勇気すらない。
ガラガラ
病室のドアが、少しずつ開いた。
ぴょこ、と覗いたのは、茶色のアホ毛。
打ち止めだった。
「お、お邪魔します、ってミサカはミサカは入ってみたり」
フィアンマは、少女の顔を見られなかった。
短い交流と一度の救助で、親しいはずの少女の顔を。
―――御坂美琴の顔をしていたから。
503: 次回予告 ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/16(火) 21:18:41.98 ID:AbXn+M9m0
「最終信号は何処だ」
学園都市第二位―――垣根帝督(かきねていとく)
「もー、あのアホ毛ちゃんってばどこに…?」
無能力者の『空力使い』―――佐天涙子
「見捨てて、しまえば。少しは、気が楽に―――」
『強制善意』―――フィアンマ
「もう一度笑いかけて欲しかったな、って。ミサカは、ミサカは…思ってみる」
MNWの司令塔―――打ち止め
513: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:51:07.50 ID:sqTSHmjA0
結局。
あの日からあの人は口を利いてくれないな、と打ち止めはぼんやり思っていた。
正確には、どうしても目を合わせてくれないのだ。
あの日何があったのか心配だったので、下位個体へ頼み、事の次第を調べてもらった。
大体の事情を把握した打ち止めは、フィアンマへ顔を合わせ辛くなった。
自分のお姉様<オリジナル>は、自分ではない。
とはいえ、顔を見ればオリジナルが浮かぶのも無理はない。
だとすれば、自分や妹達はもう二度とフィアンマに関わらない方が良い。
理論的には、そう解答が導き出されたとしても。
「…でもやっぱり仲良くしたいな、ってミサカはミサカは呟いてみたり」
呟くなり、外へ駆ける。
学園都市最強や家主が昼寝をしている間に。
今日は、十月九日。
学園都市の独立記念日―――楽しい祝日だ。
515: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:51:34.87 ID:sqTSHmjA0
とある少年は、面倒そうに首をコキコキと鳴らしていた。
統括理事長との直接交渉権を得る為に暗躍していた彼だったが。
「やっぱ、殺すしかねえか。それが一番手っ取り早いよなぁ」
パソコンの電源を落とし。
垣根帝督は、のんびりと伸びをした。
他に三名の仲間が居たが、足手まといになることを考えて"処理"しておいた。
他の暗部組織で都合の良かった『アイテム』メンバーとぶつけることで。
本当は暗部組織複数を巻き込んだ抗争形式にしたかったが、一人の男が滅茶苦茶にしたせいで出来なかった。
どちらにせよ、抗争で犠牲者を出してもこのような結果になっていただろう、と少年は推察する。
彼の名は、垣根帝督。
暗部組織『スクール』を率いていた、『超能力者』だ。
保有する能力は『未元物質(ダークマター)』。
暗黒物質などとは違い、本当の意味で"この世界には存在しない"物質を観測し、操る能力だ。
故に、彼の序列は第二位。
だが、それでは彼は満足出来なかった。
直接交渉権を得られると思われる位置―――第一位が欲しかった。
「さて、行くか」
くぁ、と欠伸を漏らすも、彼の瞳は冷えていた。
彼は実に暗部らしい方法で、一方通行を追い詰めようと、考えている。
517: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:52:23.38 ID:sqTSHmjA0
午後二時。
祝日も風紀委員は大忙しらしい。
何でも、こういった休日に限って犯罪が増えるんだとか。
友人の何人かも連絡は取ってみたものの、皆約束があるらしい。
「はあ。彼氏かあ」
こういう時だけは、その響きが羨ましくなる。
かといって好きな男子は居ないし、候補は存在しない訳で。
「ナンパとか……いやでも…」
それはよろしくないような、と思う女子中学生。
彼女の名は、佐天涙子。
過去、何度か事件に巻き込まれながらも友人の為に戦ったりした心優しい少女である。
ちょっとお調子者な部分は否めないが、そこもまた彼女の魅力の一つだ。
「へいへいそこの可爱いお嬢さん、ってミサカはミサカはナンパしてみたり」
「……へっ? あ、あたし?」
もしや先程の発言を聞かれたか、と焦りつつ振り返る佐天。
そこには予想に違い、アホ毛の目立つ可愛らしい少女が立っていた。
(……あれ?)
少女を見て真っ先に頭に浮かんだのは、御坂美琴だった。
首を傾げる佐天の手を掴み、打ち止めは人懐っこそうに微笑む。
「一般的に喜ばれるプレゼント探しを手伝ってほしいな、ってミサカはミサカはお願いしてみる!」
519: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:52:57.97 ID:sqTSHmjA0
フィアンマは病院から一時外出し、一時的に上条の家へ帰っていた。
とはいっても、長居をするつもりはない。
元々口座はしっかり分けていたし、キャッシュカード一切は手元にある。
彼女はただ、掃除をしに一旦戻ってきただけだ。
もう、約束は破棄された。
一緒にいられないのなら、一緒に暮らせるはずもない。
「……」
自分が使用したもの。たとえば、毛布。
歯ブラシ。ヘアブラシ。ハンカチやタオル。
そういったものを、次々とゴミ袋に詰めていく。
ベッドシーツも。
まったく同じ代用品は買ってあるから、怒られる心配もないだろう。
「……」
上条と二人で撮った写真も。
自分が写っている部分だけを指一本残さず丁寧に切り取り、ゴミ袋へ。
これらは全てひとまとめにして、後で燃やすつもりだ。
「……さて、」
これで済んだ。
外に出て、鍵を閉める。
後はゴミ袋に合鍵を放り込んでしまえば、全て終わり。
「………、」
終わり、だ。
彼とのことは、もう忘れよう。
元々、恋人などではなかったのだから。
同情をかけてもらって、優しくしてもらった、それだけで良い。
「……どうするか」
退院したら、どこに住もうかな。
考えながら、上条宅の合鍵をゴミ袋へ。
歩き進む先は、大型のゴミ処理オートメーションだった。
521: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:53:23.53 ID:sqTSHmjA0
大切な人。お母さんのような人が居る、と少女は言う。
その人はとっても大事で、けれど、今はぎこちない状態で。
直接喧嘩した訳ではないけれど、顔を合わせにくくて。
だから、何かプレゼントを買って贈りたい。
だけれど、同年代には友人が居ないし、女性の知り合いは年上過ぎる。
お母さんと呼べるその人は十代半ば、当然、感性は合わない。
それでいて、自分も少々特殊な育ちなものだから、感性が合わない。
平凡そうなあなたにこそ頼める仕事なのだ。という訳でナンパしました。
………と。
以上が、このアホ毛少女のお願い兼自己紹介兼ナンパなのだった。
「"平凡そう"ってところが何となしに釈然としないけど、まぁいっか…」
どうせ初春忙しいし。
なんてぼやいて、佐天は少女に付き合ってあげることにした。
天真爛漫そうな彼女は小さな身体ですばしっこく動く。
「あっ、あれ美味しそう! ってミサカはミサカは反応してみたり!!」
「プレゼント買うんじゃなかったの!?」
たたたた、と彼女は走っていってしまう。
仕方がないなあ、と笑って、佐天は追いかけた。
523: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:53:47.61 ID:sqTSHmjA0
やっぱり、調子が出ない。
身体の芯が抜けているような感じがする。
一時外出が許されているのは午後六時までなのだが、それより早く戻るべきか。
しかし、せっかく病院から出たのだから、せめて美味しいものを食べてから戻りたい。
病院食はまずくはないものの、完全に栄養バランス重視で物足りないし、味気ないのだ。
「……」
ゴミ袋は、オートメーションに放り込んできた。
放り込んですぐさま焼却され、灰になった。
遺伝子情報すら灰に還す炎は、どこか地獄の業火を彷彿とさせた。
「………」
彼女は、空を見上げる。
真っ青な空、君臨する堂々たる太陽が見下ろしている。
降り注がれる紫外線が肌を焼き、それでいて、風は涼しい。
十月なだけあって秋の天候なのだなあ、とフィアンマは思った。
525: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:54:11.90 ID:sqTSHmjA0
プレゼントに購入したのは、いかにも女子学生が好みそうなメモ帳だった。
打ち止めはプレゼントを買うなり、今度は自分の目的に移ったらしく。
まだ夕方ではないから、と佐天に付き合ってもらっていた。
ファミレスの中、パフェを頬張る姿は、やっぱり。
(御坂さんっぽいよね…?)
佐天は長めのスプーンを口に含み、首を傾げる。
アホ毛を無視すれば、顔つきは御坂美琴そっくりなのだ。
ちょうど、美琴の幼少期イメージである。
もしや妹さんなのだろうか、と思う佐天。
だが、こんな元気そうな妹が居れば話題にするはずである。病弱ならまだしも。
(それとも都市伝説の……)
「はっ、あんなところにゲコ太限定ストラップだと、ってミサカはミサカはダッシュ!」
(御坂さんの、クローン……?)
「……はっ。え、えええっ?」
気がつけば、少女がいなくなっていた。
今の今まで、向かい側の席で食事をしていたはずなのだが。
どうやら近くの小物店へ行ってしまったらしい。
ただ、二軒ある内のどちらなのかはわからない。
「自由な子だなぁ……」
見目からして、小学生程度だ。
やれやれとため息をつき、佐天はパフェを食べる。
小物店を窓越しに眺めるが、わからない。
「…もー、あのアホ毛ちゃんってばどこに…?」
さっぱりわからない。
と。
「失礼、お嬢さん」
少年の声が、聞こえた。
527: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:54:46.02 ID:sqTSHmjA0
上条当麻は、補習(こじんじゅぎょう)を終えて家へ戻ってきた。
祝日だというのに、短時間の補習とは何とも不幸である。
もっとも、彼の本日の最たる不幸は、彼女に会えなかった事、なのだろうが。
「……ただいま」
誰も居ないのに、クセで言ってしまう。
『お帰り、当麻。食事なら出来ているぞ。どうする?』
そんな声は聞こえない。
当然だ。自分がこの道を選んだのだから。
転入してきたばかりだというのに、彼女は転校願を出したらしい。
どこかの学校にさえ所属していれば、学園都市には居られる。
だが、もうこの学校には来ませんと、彼女は包帯まみれの体で言っていたそうだ。
「……っ、」
家に入って、唇を噛んだ。
写真が部分的に切り取られていた。
タオルやシーツ、毛布までもが新品に変わっている。
彼女の匂いも、痕跡も、何一つ残っていない。消えていた。
「嘘、だろ」
自分が補習へ行っている間に、彼女はここに来た。
そして、自分の痕跡を消し、置き手紙一つ無しに、消えてしまった。
自業自得。
自分が悲しむことなんかじゃないのに、上条の心にはぽっかりと穴が空いた。
とさ、と力なく膝をつく。
ご丁寧にも、彼女が過去送ってきた自分宛の手紙も無くなっていた。
「フィアンマ………」
上条当麻はここに来て初めて、自分がどれだけのことを仕出かしたか、知った。
529: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:55:16.30 ID:sqTSHmjA0
「こういう子が何処へ行ったか、知らないかな?」
少年は、端正な顔立ちで、長身だった。
ホスト予備生とも、チンピラとも呼べる服装だ。
髪の色は明るく、笑顔は完璧過ぎて、かえって怖かった。
提示された写真には、打ち止めの姿。
先程まで一緒にパフェを食べていた、少女。
今は恐らく小物店でゲコ太グッズ辺りを眺めているであろう彼女。
(…もしかして、あの子のお兄さん?)
ふと、思う佐天。
だが、何となく違う気がする。
このオーラは、スキルアウトが自分を追いかけてくる時に出すようなものだ。
狩猟本能丸出しの、危険人物特有の雰囲気。
「見てないなー。すみません」
だから、佐天はそう答えた。
毅然として、知らないと答える。
「そっか。それは残念だ」
少年は、にっこりと笑って。
531: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:55:43.40 ID:sqTSHmjA0
「……面倒臭ェ」
昼寝をしていて、目を覚ましたら打ち止めが居なかった。
迷子捜索係としていつも駆り出されるのは一方通行だ。
「……チッ」
打ち止めは、自分に笑いかけてくれる貴重な存在であり。
彼女との約束の象徴でもあり。
何より、自分の罪と贖いの象徴でも、ある。
「今回は何処だ……」
晴れだったのは幸いというべきか。
雨の日と違い、傘を差す面倒さはない。
それだけはまだマシな方か、と一方通行は思った。
533: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:56:33.54 ID:sqTSHmjA0
「―――なんて、言うとでも思ったか?」
一切の音が消えた。
佐天の体は、気がつけば冷たい床に押し付けられていた。
少年の足が、無慈悲な靴裏が、佐天の肩を踏みにじっている。
「あ、あああああああ!!!」
痛い。
これまで味わったことのないような激痛。
周囲はどよめいているものの、助けはない。
当然のことだろう。誰だって、自分が一番大切だ。
「テメェがあのガキと歩き回ってたのは知ってんだよ。
だからこそ、俺はこう聞いた訳だ。"何処に行ったか知らないか"って」
こういう子を知らないか、ではなく。
最初から、知っていることは前提に話していた。
「アレにはなかなか価値があるんだよ。餌としての価値がな。
分かってもわからなくてもどちらでも良い。ただ、俺の邪魔は感心しねえ。
俺のこの期に及んで俺の邪魔をするってんなら、脱臼では済まないぜ?
俺は格下には手加減してやるが、自分の敵には容赦しねえ。
――――さて、もう一度聞かせてもらおうか」
垣根の笑みは酷薄で。
「最終信号は何処だ」
彼の言葉一文につき、佐天の肩にかかる重みが1kgずつ上乗せされていく。
こんな時、あたしの親友ならどうするかな。
きっと、知らないの一点張りを通して、死んででもあの子を守ろうとするんだろう。
思って。
けれど、真似は出来なかった。
人は、不安になった時、不安な対象を確認しようとする。
強盗が現れた時、財布の存在を気にしてしまうように。
だから、佐天の視線は動いてしまった。小物屋の方へ。
そして、間の悪いことに、散々ウィンドーショッピングを楽しんだ打ち止めが、外に出てきていた。
佐天の視線の先を観察していた垣根は、当然、その存在に気がつく。
「見つけた見つけた、見つけたよん。―――最終信号ちゃん」
535: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:57:12.31 ID:sqTSHmjA0
病院へ戻るかどうか迷いながら、フィアンマは街を彷徨っていた。
ふらふらと歩きながら、喉が渇いたら飲み物を買う。
そんなことを繰り返していると、だいぶ良い運動になった。
今夜はよく眠れそうだな、とフィアンマは思った。
退院まではまだまだ日にちがあるし、これから毎日病院内を散歩すべきだろうか。
「……あれは」
ふと。
人ごみが目に入った。
正確には、危険な地点から遠ざかろうとする必死な人々の群れ。
迷う人々は正に迷える子羊だな、と思いつつ、フィアンマは中心点へあえて向かう。
「……、…」
そこには、一人の少女と、少年が居た。
アホ毛をぴょこんと立てた少女のことを、フィアンマはよく知っている。
彼女の手には、可愛らしい紙袋が握られていた。
誰かへのプレゼント用だろうか。随分と丁寧なラッピングだ。
少年の背には白い翼。何となくわかる。あれは、打ち止めを標的に定めている。
彼女は、御坂美琴のクローンだ。
自分から上条を奪った少女と、ある意味同じ生き物だ。
一度は救った命だが、何度も救わなければならないという義理はない。
それに。
"あの顔が苦痛に歪む"。
それだけで、心情的に。
「見捨てて、しまえば。少しは、気が楽に―――」
それはあまりにも冷酷で理不尽な考えだったが、仕方のないことだ。
要するに、自分から愛する人を奪い去っていった女の妹を見殺しにする、しない、の問題なのだから。
ましてや、御坂美琴とほとんど同じ顔をしているのだ。
苦しめばいい。
苦しめ。
思ってしまうのは、不可抗力。
537: ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/18(木) 19:57:57.77 ID:sqTSHmjA0
対して。
垣根の攻撃から運良く何度か免れた打ち止めは。
とうとう疲労困憊で逃亡不可能なところをロックオンされて。
微笑んでいた。
寂しそうな。
到底、子供が浮かべるものではない笑顔だった。
「……出来ることなら」
ぽつり。
今にも殺されんとする状況で。
下位個体へ命じて自分を守らせるでもなく。
周囲の臆病な民衆に助けてと叫ぶ訳でもなく。
理不尽で不条理な現実に泣き喚くでもなく。
打ち止めは、呟く。
「もう一度笑いかけて欲しかったな、って。ミサカは、ミサカは…思ってみる」
せめて。
このプレゼントを渡して。
あの人に、もう一度笑いかけて欲しかった。
打ち止め、とあの声で呼んで、頭を撫でて欲しかった。
運命は冷酷で。
人々は残酷で。
人生は不条理で。
現実は理不尽だ。
だからこそ。
たった一人のミサカだって、自分の盾にするつもりはない。
下位個体に命じて自分を守らせる位なら、死んでも構わない。
自分が死んだら悲しむ人はきっといてくれるだろうけれど。
「お姉様がごめんなさい、って。ミサカはミサカは、代理謝罪してみたり」
そうして。
ややあって。
―――――白き死神の鎌<ツバサ>は、振り下ろされた。
543: 小ネタ:娘 ◆2/3UkhVg4u1D 2013/07/19(金) 12:12:02.62 ID:f9zIGsGL0
10032号「点滴交換の時間ですよ、とミサカは告示します」
フィアンマ「そういえばそうだったか」
10032号「……」
10032号(情報通り、頑として目を合わせてくれません、とミサカは残念に感じました)
フィアンマ「…換えないのか?」
10032号「今からします、とミサカは準備を開始しました」
フィアンマ「……」
10032号(上位個体が娘ポジションならば上位個体の姉であるこのミサカもこの方の娘にあたるのでしょうか、とミサカは考えます)
10032号「おか、ぉ、」
フィアンマ「ん?」
10032号「………………何でもありません。ミサカは職務を全うします…………」
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