1: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:00:09 ID:BScB
アイドルマスターシンデレラガールズです。
佐藤心さんのお話です。

2: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:00:48 ID:BScB
『みんなありがとー☆ せーのっ!』

「「「「『スウィーティー☆』」」」」

 私が会場で呼びかけるとファンのみんなも一緒になって言ってくれる。私の魔法の言葉を。

『はぁと、アイドルになれてほんっとうに良かった! ありがとー!!!』

 私の今出せる渾身の力と感謝の気持ちを言葉に込めたつもりだ。きっと、ファンのみんなにも私を支えてくれるスタッフのみんなにも届いただろう。
 ううん、届いたに違いない。だって、それができるのがアイドル、しゅがーはぁとなんだから☆


3: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:01:13 ID:BScB


「――ん、――さん! 佐藤さん!」

 誰かが私を呼ぶ声がする。んもぅ☆ 『佐藤さん』じゃなくてはぁとって呼べよ☆

「……っ!?」

 誰の声なのかぼんやり考えていると唐突にその声の主に思い当たった。

「す、すみません! ぼーっとしてました! 何かご用でしょうか、部長」

 大慌てで頭を振ってぼんやりした頭をはっきりとさせる。私が顔を上げるとそこには声の主が、私が務める会社のでっぷりとしたお腹の部長が腕を組んで立っていた。

「佐藤さん……。君ね、業務中に居眠りされちゃ困るんだよ」

「すみません……」

 どうやら私は仕事中に居眠りをしていたらしい。あたりを見渡すと同僚たちの冷めた視線が突き刺さる。

「まったく、次はないようにしなさい」

「はい……、申し訳ありませんでした……」

 居眠りしていた私が悪いので頭を下げるしかできない。きっと、部長ももっと色々言いたいことがあったのだろうけど、色々なハラスメントでうるさい昨今なのでこの程度で済んだのだろう。

4: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:01:44 ID:BScB
 気を取り直してさっさと仕事を片付けてしまおう。時計を見ると定時まではまだ時間があるものの、このペースでは今日の分の仕事は終わりそうにない。いつものペースで仕事をしていたら残業になってしまいそうだ。

「……がんばろっと」

 小声で呟いたあとに軽く頬を叩いて気合いを入れる。本気出せば私ならなんとか終われるだろう。



「んーっ……!」

 硬くなった身体をほぐすために伸びをすると背中からバキバキと言う音が鳴り響いた。昔の私ならいざ知らず、もう若くないのだ。
 出来上がった書類をざっと確認する。うん、これなら大丈夫だろう。入社当初ならいざ知らず、もう10年も働いているベテラン社員なのだ。この程度の書類でミスなんてしない。

 でも居眠りの件があるから念のためもう一度確認をする。ミスがあれば今度こそ部長の雷が落ちかねないし。

「……大丈夫そうかな」

 誤字脱字や計算違い等の単純なミスはなし、内容も不備はない。これなら問題は無いだろう。部長にも目を通してもらえれば今日は帰れる。定時にはちょっとだけ間に合わなかったけど、このくらいの残業ならなんてことはない。

5: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:02:05 ID:BScB
「部長、確認よろしいでしょうか」

「ん。わかった。後で見るからそこ置いといて」

「はい。よろしくお願いします」

 部長も立て込んでるようだし、確認してもらえるまでちょっと時間がかかりそうだ。今のうちにお手洗いに行っておこう。このまま何もせずにぼーっと突っ立てるのはやはり居心地が悪いし。



 トイレの扉に手をかけた時だった。中から聞き覚えのある声がして扉を開くのを躊躇してしまった。

『だよねー』

『ほんとほんと。笑い堪えるの必死だったもん』

 中で話しているのは私の後輩にあたる女性社員だろう。私が指導係を務めていた事もあるが、歳が離れていることもあってか反りが合わないので業務以外で顔を合わせるのが億劫なのだ。

 でもトイレはここしかないし、あんまり戻るのが遅くなってもそれはそれで部長に迷惑かけてしまうし。
 いや、そもそも何をためらう必要があるのだろうか。私は先輩だし、堂々としていればいいだろう。

『あのお局さまいつ辞めるんだろうねー』

『えー、辞めないでしょ。てかどうやって辞めんの? 寿退社?』

 扉にかけた手に力を込め、いざと思った時に気になる単語が彼女達の会話から飛び出した。お局さま、寿退社。

6: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:02:34 ID:BScB
『寿退社とか絶対にないわー』

『だよねー。あ、でもあのお局さま色々噂あるじゃん?』

『部長の愛人ってやつ?』

 え……。もしかして私の事……なのだろうか。そういう噂が囁かれてるってのは私も聞いたことがある、バカバカしくて相手になんてしていなかったのだけど。

『それもだけどさ。なんかあの人、昔アイドル目指してたんだって』

『アイドルとか。超ウケるんですけど』

 ……私の事だ。

『でしょ!? 私も聞いた時に爆笑しちゃったもん。確かに歳のクセに綺麗だとは思うけどさ』

『だから部長が狙ってるんでしょ』

『あ、なるほどー。確かに愛人にはもってこいだもんね、佐藤さん』

 明確に私の名前が出てきたところで思わず走り出してしまった。ヒールの足音が響いているから、きっと彼女達に私が立ち聞きしていたのもバレてしまっただろう。でも一刻も早くこの場から消えてしまいたかった。

 どうして、どうして私の夢が、しゅがーはぁとがこんなにもバカにされなきゃいけないのだろうか。どうして……。



7: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:03:28 ID:BScB


「……あ、れ」

 ぼんやりと目に入るのは見慣れた天井だった。

 いつの間に帰って来たのだろう。会社で彼女達の陰口を聞いてしまって、それから……。

 嫌な汗でじっとりとしている上に、なんだか身体が重い。蒸し暑さのせいもあるかも知れないが、それだけではないだろう。きっと精神的なものもあるはず。

「……水」

 むくりとベッドから起き上がって冷蔵庫に向かうと、いつもの場所にスーツがなかった。スーツの代わりに置いてあったトルソーには私が作った私服が着せてある。

 この服、私がアイドルを諦めた時に捨てたはずなんだけど、どうしてここにあるのだろう。初めてプロデューサーにスカウトされた時にも着ていた思い出のつまった服で、泣きながら捨てたはずなのに。

アイドルをすっぱり諦められるように、捨てたはずなのに。あれ、でも私はプロデューサーにスカウトされたことなんてなかったはずだけど、この記憶は一体……?

 段々とわけがわからなくなってきた。頭が混乱する。どうしてこの服があってスーツがないのだろうか。どうして。記憶もなんだかちぐはぐしている。

8: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:04:22 ID:BScB
 改めて部屋を見渡してみると、見覚えがあるけど、そこにあるはずの無い物がたくさんあった。撮影に使った衣装に、愛用のミシン、台本、CD……。それに名刺。

 色々な記憶が頭の中をぐるぐると駆け巡る。

 アイドルになりたくてがむしゃらに頑張っていた頃、どれだけ頑張ってもアイドルになれなくて泣き叫んだあの日、プロデューサーに名刺を貰った日、アイドルとしてレッスンをしてお仕事して、ステージに立って歌って踊った日。初めてソロCDを出した日。

 そのどれもこれもが私の妄想なんかじゃないはず、どれも本当にあった出来事のはず。私は、アイドルになれたはずなんだ。

 でもどこかうすら寒いものを感じて身体がガクガクと震える。寒いわけないのに、震えが止まらない。

 不安で不安で仕方がない。この記憶はボロボロに叩きのめされた私が見ている都合の良い夢なんじゃないだろうか。

 本当の私はアイドルを諦めてあの会社で働いているんじゃないだろうか。陰でお局さまとか言われてるんじゃないだろうか。

 目の端に涙が溜まってくる。これが夢か現実か今の私には判断ができない。

「……プロデューサー」

 視界の端に名刺が入り込んできて、ふとその名が口から漏れ出した。私を見つけてくれたあの人しか、今の私に頼れる人は居ない。

9: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:04:43 ID:BScB
「……お願い」

 こんな真夜中に電話をかけるなんて非常識だとは思いつつも、止められなかった。スマホにはプロデューサーの連絡先もちゃんと入っていたけど、まだ都合の良い夢を見ているだけかも知れない。

『あい……。もしもし……どうしました……』

「あ……」

 こんな真夜中だと言うのに、出てくれた。

「あ、えっと……その……、や、夜分遅くに申し訳ありません! その……佐藤、です」

 出て欲しいとは願っていたけど、いざ出てもらうと何をしゃべればいいのかわからなくてプロデューサー相手にはしたことのないような受け答えをしてしまった。

『はい……心さんですね……。なんですかしょうか』

 電話口の相手は随分と眠いのかどこか言葉遣いがおかしいのだが、それはきっとお互い様だろう。そもそもこんな真夜中に電話をかけている自分が悪いのだし。

 それでも、プロデューサーの声を聞けたらちょっとだけ心が落ち着いた気がする。

10: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:05:05 ID:BScB
「遅くにごめんね? 変な事聞くんだけど……私ってアイドル……、だよ……ね?」

 だいぶ落ち着いたとは言え、それでもまだ心のどこかで不安なままの私の言葉は弱々しいものだった。

『えぇ……? 辞めたいとか言いませんよね、まだシンデレラガールなってないですよ』

 シンデレラガール。
 電話越しに、プロデューサーは確かにそう言った。シンデレラガールと。

「辞めたいんじゃなくて、その……はぁとってちゃんとアイドルなのかなって。確認したくて」

『んん……? なんかよくわからんですけど、心さんアイドルですって。ちゃんと。明日も仕事入ってますって。ちょっと仕事なんだったかパッと出てこないですけど。えっと……テレビ』

「バラエティの収録、だよね?」

『そうです。それです。麻理菜さんと一緒です』

11: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:05:32 ID:BScB
 ペタリとその場に座り込む。安心して力が抜けて立っていられなくなってしまった。スマホを握る手にはすごく力が入っているのに、その他にはまったく力が入らない。

『事務所に8時なんで、遅刻しないでくださいね……マジで……怒られるんで……すみません……』

「うん、うん。わかってる大丈夫だから。あとさ……もう一個聞いていい? 私って……何歳だっけ」

 もしも、私がアイドルを辞めてあの会社で働いていたのなら。アイドルを目指していたのは10年も前の事になってしまう。だから……。

『えっと……あー……、26歳ですね。あれ……今日何日だ……? もうすぐ誕生日ですよね、ん? 26歳か……? んー……』

 寝ぼけてる人に数字や日付を聞いたのは失敗だったかもしれない。でもこれではっきりした。大丈夫、私はちゃんとアイドルだ。

「……そっか。そうだよね。プロデューサーが見つけてくれたんだもんね。はぁとの事」

 ギュッと握った手が段々と痛くなってきた。スマホは大丈夫だろうか。でも、これだけ痛いって事は夢なんかじゃない。今は声だけしか聞こえないけど、プロデューサーだって電話の向こうにちゃんと居る。朝になればプロデューサーにも、マリナルやみんなにも会える。

 アイドルになれたのは夢なんかじゃない。

12: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:05:58 ID:BScB
『いや、俺こそ。待っててくれてありがとうございます。俺にプロデュースさせてくれてありがとうございます』

「プロ……デューサー……」

 そんな風に言われて、ついに涙が限界に達したらしい。ひと粒ふた粒と涙がぽろぽろ零れてしまう。

『いやマジで眠いんでマジで寝ていいですか。マジで眠い』

「……あははっ☆」

 深刻そうなプロデューサーの声音に思わず吹き出してしまった。そうだよね。こんな時間だし、明日も早いんだし。当然だよね☆

「うん☆ こんな時間にごめんね? ありがと☆ おやすみなさい」

『はい……おやすみなさい……。遅刻しないでね……心さん……』

 珍しく敬語じゃなくなっているし、きっと相当眠かったのだろう。それなのに私のわがままに付き合ってくれるなんて。本当に感謝しかない。

 明日は最高の仕事をしよう。私を見つけてくれたあの人に恩返しするためにも。

13: 名無しさん@おーぷん 21/07/22(木)00:06:18 ID:BScB
「さて! 寝るか! 明日も早いし☆」

 改めてベッドに横になる。念のためアラームを確認する。万が一にも寝過す事のないように。

「……覚めない夢は始まったばかりだもんね☆」

 うすぼんやりと明るくなってきた窓の外に若干の眩しさを覚えながら私は再び目を閉じた。もう大丈夫、夢を見るのだって怖くなんかない。

 覚めない夢の続きはまた起きてから見るとしよう。

End

引用元: 佐藤心「覚めない夢は始まったばかり」