おかしい。絶対におかしい。私は、再三にわたるチェックの末に、そのことに気が付いた。

この記録…一見すれば、なんの問題もなく処理されてはいるが…

多方の情報を組み合わせて考えると、あまりにも“取って付けた”ような処理の仕方だ。

何者かが作為的にこの処理を行い、それを隠ぺいした、と取れなくもない…確たる証拠はない。

だが、明らかに不自然な処理であるように思えてならない。

「おう、精が出るな、新人」

直属の上司が、さっきからキーボードをたたき続けている私を見て、そう声を掛けてきた。

私はまだこの地域には赴任してきたばかり。これでも、以前いたアフリカでの検挙率はトップクラスだった。

栄転へのステップとして、この中米支部の勤務を1年こなせば、あとは晴れて官僚の仲間入り。将来は安泰、というものだ。

「ターナー主任。この住民票、どう思われますか?」

私はコンピュータのモニタを指してそうたずねてみる。主任は情報に目を走らせてからいぶかしげに

「別に…普通の住民票だと思うが?」

と首をひねる。

「移民の処理の箇所を見てください。サイド6からの福祉関連職のための移民と記載がありますが、

 その際の職務経歴が、これはまるでロンダリングの手口です」

「職務暦をロンダリング、ねぇ。不正移民だと言いたいのか?」

「その可能性は否定できないと思います」

私が言うと、主任はむぅーと唸って腕を組む。それからややあって

「現在の居住地は?」

と聞いて来た。私は、キーボードをたたいて現住所を表示させる。

「…中米、ベネズエラの、アルバ、とあります」

「あぁ、あの島か…」

主任はそれを聞くなり、渋い表情をした。それからバンと俺の肩を叩くと

「あそこは、ルオ商会とボーフォート財団のお気に入りだ。不自然に見えるその経歴も、おおかたその関係からだろう。

 やるだけ無駄足だ、今日はもう帰って休め」

と言ってきた。ルオ商会に、ボーフォート財団…。

ルオ商会と言えば、先のグリプス戦役以降、地球保護を名目にティターンズと戦い、

ネオジオン関連紛争ではネオジオンとも戦ったカラバの母体であり、

一貫して地球環境と経済市場の保護と言う観点で独自の活動を行っている経済団体。

二つの紛争以降、その功績から連邦政府に大きな発言権と影響力を得つつ、

しかしそれをほとんど行使せずに地を這うような活動を続けている。

対してボーフォート財団は、宇宙世紀黎明期から、医療と福祉関連企業を抱え、

宇宙へ移民をするほどの人口爆発を起こした人類の身近な生活に根を下ろしている団体だ。
 

786: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:33:42.07 ID:TajAFm+Qo

いずれも、政府や市民にとって重要な役割を果たしている組織。

両者とも、その強力な基盤ゆえに市場の独占疑惑などと言ったうわさが聞こえてこないでもないが、

そのあたりは我々の職務の範囲ではない。

確かに、殊ルオ商会の関係者であれば、今や連邦政府軍にとっての第三者的軍事組織として、

紛争時や戦争時の助力、仲裁を受け持つ役割を暗に認められているカラバに関連する人間である、とも考えられる…

が、移民日は、0079年の12月2日…。果たしてこの時期に、カラバと言う組織が存在したのかどうか…

そして、どんな理由でこんな処理をする必要があったのかは、調べてみる必要がありそうだ。

 アンナ・フェルザー。モニターに映る、不自然な住民記録の当事者だ。



 

787: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:34:31.03 ID:TajAFm+Qo




 数日後、私は、住民票の職務暦にあった最初の職場のあった場所に出向いていた。コロンビアの、カリ。

住所的に、このあたりだったはずなんだが…めぼしい建物が見つからない。

 しかたなく私は、一度その場を離れて街の役場へと出向いた。受付でバッヂを見せて名乗る。

「私は、連邦移民局第9課のクラーク・アルジャーノン捜査官です。

 お伺いしたいのですが、この住所に、カリ・チルドレンホームと言う児童福祉施設がありませんか?」

用件を伝えると、受付にいた係の女性は私の示した住所を見て、あぁ、と声を上げた。

「こちらでしたら、昨年のグリプス戦役のジャブロー事件を受けて、カリブ海の…

 なんとか、ってところに移転いたしましたよ。確か…アルバ、と言う島だったと思いますが…」

アルバ…!?あの島へ?移転に伴って、あのアンナ・フェルザーもそれに着いて行ったのか…

いや、アンナ・フェルザーがアルバに移住したのは、記録によれば、移民して1年ほど。

79年に移民し、アルバに移住したのは82年のはずだ。施設がアルバに移転したのは、88年…

アンナ・フェルザーが施設移転を支援した、と考えるのが自然だろうが…やはり、なにか引っ掛かるものを感じる。

「そうか、ありがとう」

私はそうとだけ礼を言って私は役場を出た。やはり、このヤマ、何かが妙だ…よくよく調べてみる価値はある、か。

栄転前の、最後の大きなヤマになるかもしれない。

そんな感覚を胸に、わずかな興奮とともに私はオフィスのある中米移民局へと戻った。

 コーヒーを淹れてデスクに座り、思考を巡らせる。気になることは、いくつかある。

まず、やはり最初にひっかかった部分だ。アンナが移民したのは、1年戦争の真っただ中。

まだ北米がジオンの勢力圏にあった時期だ。

こんなタイミングでわざわざ中立宣言をしていたサイド6からジャブローにほど近いこの場所に移り住んできた、と言う事実。

そして、その後、職務を転々としている点だ。移民から1年間の間に、3回仕事を変えている。

いずれも福祉関係の職だが、そのどれもが4か月ほどで退職。そして、最後の仕事を辞めてからは、週職歴がない。

日付的に、仕事を辞めてからアルバ島へ移動したようだが、その後の記録がない。住民税の支払い記録はあるが…

それ以外の生活の様子を示す情報が一切ない。やはり、なにか妙だ…

この手の住民票は、テロリストの隠れ蓑として利用されてるケースがいくつかある。

あるいは、不法移民に金で取引される類の住民票の可能性もある。

いずれにしても、決定的な証拠をつかむには、アルバ島へ赴いてこのアンナ・フェルザーという人物を探して話を聞く必要がある、か…

 私は、そう決心して主任に明日、アルバ島へ出向く出張届を提出した。主任は相変わらず渋い表情で

「無駄足になるだろうから、やめておくべきだと思うが」

と言ってきたが、私は首を横に振った。無駄足になろうとも、真実を確認し不正を解き明かすのが私の職務であり、正義だ。

 デスクに戻り、明日の出張のためにアンナ・フェルザーの情報をさらに収集しようと、

スリープ状態になっていたコンピュータをキーボードをたたいて起動させたときだった。

私は、モニターに何か、見慣れぬ表示が出ていることに気が付いた。

“No Data”

…データ、なし?バカな…確かに、今の今まで…!

私はキーボードをたたいて、アンナ・フェルザーの住民票を表示させようをするが、

何度入力しても出てくるのは“No Data”の表示。データが消えたのか…?あり得ない…!
 

788: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:35:08.03 ID:TajAFm+Qo

再び移民によってどこかに移転したのであれば、その旨の記述が載る。死亡した場合も同じく、死亡の記述が付く。

データが消えるなどと言うことは、住民票データにはあり得ない…誰かが意図的に削除したのでなければ…!

「主任!台帳サーバーにハッキングの可能性が!」

「なんだと!?」

主任はそう声を上げて慌てて私の下へ駆けて来た。モニターを覗き込み、私がしたように何度かキーボードを叩くものの、

同じ“No Data”の表示しか出てこない。

「こいつぁ…いったい…」

主任がそう口にした瞬間、突然俺のデスクの電話が鳴り始めた。

タイミングが…まるで謀られたようで、俺は恐る恐る、その受話器を上げていた。

「移民局中米支部、第9課…」

俺がそう名乗ると、受話器の向こうからくぐもった声が聞こえた。

<アルバ島ニ、近付クナ>

ボイスチェンジャーか何かで変えられている…まさか、こいつが、アンナ・フェルザーか?

「アンナ・フェルザーか?」

私はそうたずねたが、相手は一切それには答えず、一方的に告げてきた。

<アルバ島ニ、近付クナ、クラーク・アルジャーノン捜査官>

こいつ…私の名を!?

そう思った次の瞬間には、バツっと電話は切られた。


 

789: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:35:54.45 ID:TajAFm+Qo



 翌日私は、朝一番の便でアルバ島へと赴いていた。空港に着陸し、飛行機を降りた私を強烈な日差しが襲った。

中米支部のあるニカラグアも相当の暑さだが、この島の暑さはまたニカラグアと違って強烈に感じる。

ともかく、まずは昨日頼んでおいた現地の支局員と合流しなければ。たしか、アントニオ・アルベルト、と言ったか…

 私は、滑走路からターミナルの中に入り、カラカス支局員のそのアルベルトという男を探す。

話では、旅行社の人間のふりをしている、とのことだから…あの辺りか…

私はターミナルの出口の近くで、色とりどりのサインを掲げている一団に目をつけ、歩み寄って行く。

その中に、「ニカラグア・アルジャーノン様」と書かれたサインを持っている男を見つけた。

男は、名前から感じられる南米系の人種ではなく、どちらかと言えば、東欧系の顔立ちをしていた。

服装は、ラフなシャツにハーフパンツ。頭にはサングラスを付け、見かけだけではけっして移民局の人間には見えないが…

「アルジャーノン様ですね」

彼は、スーツ姿の私を見てそう聞いて来た。

「ああ。君が、アルベルトかね?」

「えぇ、はい。その恰好は、この島では目立ちます。着替えを用意しているので、そちらにお召し替えください」

アルベルトはそう言って、私にそっと紙袋を渡してきた。ローマに至らば、ローマ人のするようにせよ、か。

ここは、この地域に詳しいこの男の言葉に従うべきだろう。

 そう思った私は、すぐさま空港のレストルームへと向かった。

紙袋の中には、アルベルトの着ていたような、ラフな服装が一式、丁寧に折りたたまれて詰められていた。

洗面台にそれを置き、ネクタイを外しシャツを脱ごうとボタンをはずしているときだった。

レストルームのドアが開いて、大柄な男が一人、入ってきた。

男は鼻歌混じりに用を足すと、そのまま私の隣の流し台で手をすすぎ、剃りこみの入った短い髪を撫でつけた。

ふと、鏡越しに男と目が合う。男はすぐさまその視線を逸らしたが、その刹那に、流し台に一枚のカードを置いて、

また鼻歌混じりにレストルームから出て行った。

 今の男…何者だ?そう思いながらも、私は男の置いて行ったカードを手に取って、中を見てみる。

「支局員アルベルトは暗殺され、替え玉の可能性あり。注意せよ。中米公安部」

こ、公安部だと!?なぜ公安がこんなところに…!?私は慌ててレストルームから飛び出してあたりを見回したが、

あの男の姿はどこにも見えなかった。

その代わりに、アルベルトがレストルームの前に立っていて、怪訝な顔をして私を見つめて言ってきた。

「どうしました…?そんな恰好で…?」

「い、いや…なにもない」

私は動揺をなんとかこらえてレストルームの中に戻り、着替えを済ませて出て行く。

私の姿を眺めて満足そうな表情をしたアルベルトは、ニタっと笑って

「それじゃぁ、車を回しておきましたんで、こちらへ」

と私を案内する。 
 

790: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:36:53.37 ID:TajAFm+Qo

我々は、移民局でも不正移民への対応を行っている部署。

もちろん、拳銃の携帯は許可されているし、現に今も持ってはいる。

しかし、このラフな出で立ちのまま腰にぶら下げていたのでは目立ってしかたない。

スーツであれば背広の内側に隠して置けたのではあるが…

まさか、この姿に着替えさせたのは、そう言う意味があってのことか…?

もし、アルベルトが実際に暗殺されていたとして、この男が替え玉だとしたら、一体何者なのか…

あるいは、アンナ・フェルザーという戸籍を使っているのがこの男か?

いや、しかし…だとするならば私の前に姿を現す意味合いが分からない。

[ピーーー]つもりなのであれば、こんな回りくどいやり方をする必要もないだろう。

何かほかに狙いがあるのか、公安部の情報にミスがあるのか…

 そう考えているうちに、私はアルベルトの用意してくれたという車までたどり着いた。

やや古ぼけてはいるが、いたって普通のエレカだ。

「まぁ、乗ってください。まずは、どこに行かれますか?」

車のドアを開けながら、アルベルトがそう言ってくる。

「カリから移転してきた児童施設と言うのを知っているか?」

「カリから…?あぁ、あそこのことかな…はい、ではそこへ?」

「あぁ、頼む」

私は車の後部座席に乗り込みながら答えた。アルベルトが運転席に乗り込み、車を走らせる。

 空港の敷地内から出て、車は一路市街地へと向かう。

「アンダーソン捜査官、今回はどういったヤマなんです?」

「いや、なんのことはない。ただの実地調査だ」

「わざわざ、実地調査でこんなところまで?」

「ああ。9課とはいえ、いつだって不正移民を追いたてているわけではない。

 そう言った人物の温床になるような箇所をあらかじめ押さえておくのも、我らの職務の一環だ」

アルベルトが逐一、そんな話をしてくるが、私はそうしてのらりくらりと答えを曖昧にする。

この男を信用するのは危険かもしれない。そんな警戒感が働いていた。
 

791: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:37:29.89 ID:TajAFm+Qo

 ふと、アルベルトが歩道の方に目をやった。そこには、エレカ用のパワースタンドがあった。

「アルジャーノン捜査官、申し訳ありません、すこし、充電して行ってもかまいませんかね?

 狭い島とはいえ、道端で電池切れなんてシャレになりませんから」

アルベルトはそう言うと私の答えも聞かずに車をスタンドに入れた。

「すぐすみますんで、少々お待ちください」

アルベルトはそう言い残して車を降りる。

充電ユニットを車に取り付け作業をしているところを見ると、本当に電力を補給しているようだが…

何を仕掛けて来るかわからない。気は抜かないようにしておかねば…

 そう思っていた私の鼻に、何かが香った。甘い、シロップのような香りだ。

スンスンと鼻を鳴らしてそれをさらに吸い込む。この匂い…急に、どこから…?

その瞬間、私は突然にひどいめまいに襲われた。これは…ガス!?催眠ガスか!?

そのことに気付いて、私はドアを開けようとノブに手を伸ばすが…開かない!しまった…!

あの男、やはりなにか目的があって…!私は、慌ててブリーフケースにしまっておいた拳銃を取り出そうとするが、

目の前が揺らめき、それどころではない。ブリーフケースのダイヤルロックのナンバーがゆがんで見えない。

くそっ…まずい…これ、は…まず…い…

 そうして私はまるで泥沼に沈んでいくように意識を失った。



 

792: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:37:59.16 ID:TajAFm+Qo




 叩きつけるような衝撃と、皮膚が避けそうになるような低温で、私は目覚めた。暗い。何かで顔を覆われているらしい。

どうやらイスに体を固定され、後ろ手に縛られているようだ。脚の自由も効かない…イスの脚に括りつけられているのか…?

 私としたことが、うかつだった…やはりあのアルベルトは偽物だったのか…?

公安を名乗る男の言ったとおりだったというわけだ…しかし…ではいったいどこの手の物か…

 「お目覚めかな?」

不意に、男の声が聞こえた。先日の電話と同じく、ボイスチェンジャーで声を変えているようで、奇妙なノイズの混じった機械音だ。

「誰だ…?私をどうするつもりだ?」

私が聞くと、声の主がそばに歩み寄ってくる気配がした。と、私の右足に、何かが括り付けられる。

「勘違いするなよ。質問するのはこちらだ」

声の主はそういうと、私の頭を小突いてくる。それから私の周囲をぐるりと歩いているのがわかる。

「さて…貴様は、どこの組織の者かな?」

「私は、移民局第9課所属のクラーク・アルジャーノン捜査官だ」

私はそう伝えた。質問からして、妙だ。私をとらえているこの男は、私の身分を知らずにとらえた、というのか?

先日オフィスにかかってきた電話では、私の名を知っていた…ここへ来ようとしていることもわかっている口ぶりだった。

こいつは、それとは別口なのか…?

「移民局、だと?ふざけるなよ、なぜ移民局が我々を追う必要がある?痛い目を見ないうちに、正直に話した方が身のためだ。

 俺はまだ親切な方なんでな。軍部の人間か?それとも、治安警察や公安ということもあるまい?」

この声の主、いったい何を言っている…?軍部?公安?違う、私は…

「本当だ。私は移民局9課の人間だ。問い合わせてもらえばわかる!」

私は声を上げた。するとどこからか笑い声が聞こえる。

「貴様の名は、移民局9課には存在しなかった。我々がそんなことを調べもしないと思うか?」

同じ、ボイスチェンジャーにかかった声色だが、私の周りを歩き回っている人物とは、別の方向から聞こえた。

複数人いる、ということか…それにしても、今の話はどうことだ?ブラフなのか…カマをかけているつもりなのか…

私の名がないはずはない。だが、こいつらは、私の所属を確認できる立場にいるのか?

「おい、余計なことを言うな」

私のそばにいた人物がそう釘を刺した。ボイスチェンジャーのスピーカーだけを私の耳元に近づけてきて

「正直に答えろ。さもなくば、貴様を証拠も残さずにこの世界から抹消すること程度は、簡単なことだ」

と言ってきた。いったい、なんだというんだ…私はエージェントでもなければ、諜報員でもない。

移民局9課の捜査員、クラーク・アルジャーノンだ!

「何度も言うが、私は移民局9課の―

そう口を開いた瞬間、私の全身に何か強烈な衝撃が駆け巡った。思わぬ痛みに、叫び声をあげてしまっていた。

「あぁ、言い忘れていたが、先ほど貴様の脚には高圧バッテリーに接続したケーブルを一本結んでおいた。

 もう片方のケーブルは私が持っている。水にぬれた貴様にこれを押し当てれば、当然…」

何かが右腕に触れた瞬間、また体を衝撃が貫く。

「こうなる、ということだ」

声の人物は淡々とそう言った。それから、また私の周りを歩きつつ聞いてきた。
 

793: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:38:47.02 ID:TajAFm+Qo

「さぁ、貴様はどこの所属だ?ネオジオン残党か?それとも、オセアニアのスペースノイド解放戦線か?

 それとも、アフリカの宇宙移民自由同盟か?」

「な…!?」

私は思わず、そう声を上げていた。私がスペースノイドの、しかもテロリストと誤認されているというのか?

だとするならこいつらは、それこそ先ほどの公安か、あるいは軍部の治安諜報部か…

い、いや、だとしたら、私の所属はすぐに確認が取れるはずだ。

現に空港ではおそらく私のことを移民局の人間だと分かったうえで、公安の大男が接近してきた。

…いや、待て。あの男は、本当に公安だったのか?

私は、思わぬ出来事と、あの手紙に記してあった文字をうのみにしてそうだと思い込んだが…

もしかすると、あれは公安なんかではなく、私をなんらかの理由で利用しようとしたテロリストの類だったのではないか?

あの男にはかられて、私はもしかするとあの男の身代わりとして本物の公安に捕縛されている可能性が…!

「ほ、本当なんだ!ちゃんと調べてくれ!私は連邦政府移民局の中米支部第9課に所属しているクラーク・アルジャーノンだ!

 ここへは、アンナ・フェルザーをいう人物を訪ねてやってきた!嘘じゃない!」

「貴様の名前も、アンナ・フェルザーなどという人間も、どこのデータベースを探しても発見できなかった」

また、体に電撃が走る。

「下手な芝居はやめておけ…もう時間がない。これは、警告ではなく、親切心だ。早く、口を割ってくれ」

機械音が私にそう言ってくる。そうだ…アンナ・フェルザーの住民情報を消したやつがいる。

そいつが、9課のデータから俺の名を消したに違いない。

身内は自分たちのデータなど見もしないから気づいていないだろうが…これは、アンナ・フェルザーが仕掛けた罠に違いない。

「本当だ!…そ、そうだ!中米支部の9課オフィスに連絡を着けてくれ!そこに私の上司がいる!ターナーだ!

 彼なら、私のことを証明してくれるはずだ!」

私はそう頼んだ。だが、声の主は、ふう、と機械音に変わったため息を漏らしてから言ってきた。

「移民局中米支部のターナー主任なら、今朝、遺体で発見されたが…?それも貴様の仕業か?

 主任を殺害し、それが露見する前に別の人間が主任のふりをしてオフィスへ入り情報でも盗もうとしたのか…

 あるいは、中の人間に丸々成り代わって、ことが公になる前にテロリスト仲間をこぞって地球へ呼び込む計画でも立てていたか?」

バ、バカ…!主任が、死んだ、だと…?まさか…アンナ・フェルザーが…?!

「違う…!私は!本当に、移民局の人間だ!」

ジジっというかすかな音とともに、全身を電流が襲う。体中の筋肉の制御が奪われ、呼吸すらままならない。

激痛と苦しさが同時に私から意思の力を奪い取る。

「なるほど…いつまでも同じ設定を貫きとおす、か。どうやら並の諜報員ではないようだな…

 それなら確かに、私の手には負えない、か…だが、覚悟しておけ。あの人の取り調べは…地獄だぞ」

あの人…?この声の主と、もう一人離れたところにいる人物とは別に、まだ来るっていうのか?
 

794: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:39:27.37 ID:TajAFm+Qo

 そんなときだった。バタン、と物音がして、カツカツという足音が聞こえる。

バッと、素早く身動きするような物音とともに、私は、空気が緊張するのを感じていた。

「それで…何か吐いたのか?」

声がした。ボイスチェンジャーにもかかっていない。恐ろしく冷たく鋭い女の声…。

まるで感情のこもっていない…聞くだけで、意思や魂を切り裂かれそうに思えるほどの声色だ。

快楽殺人者…感情のないこの声が、私にそんな言葉を連想させた。

「はっ、大尉、それが…」

ボイスチェンジャーの男がそう言って、ハッと息を飲んだ。大尉、と言ったか?であれば、軍か、公安か…?

そう思考を巡らそうとした私は、次の瞬間には、それを意識の外へと追いやらざるを得なかった。

 私の耳に拳銃のスライドを動かす音が聞こえたからだ。

「口が過ぎるな」

あの冷たい声が響く。

「す、すみませんっ…」

ボイスチェンジャーの、明らかに激しい動揺を見せる声もする。

「…まぁ、いい。都合が悪ければ、この男を消せばいいだけだ」

再び、金属の触れ合う音がしたと思ったら、私の額に、何か冷たいものが押し当てられる感覚があった。

じゅ、じゅ、銃口…?

「さぁ、白状するんだな。貴様の所属、名前、目的だ。そうだな…まずは、名前だ。この右膝と取引しようか」

冷たい女の声が私のそう告げるのと同時に額から冷感が消え、すぐに右膝に何か硬いものが押し付けられた。

「さぁ、名前を教えてもらおうか。膝が惜しければ、な」

ゴリっと、膝に当てられた感覚が強くなる。体が震えた。な、何を答えればいい?私は真実を話しているだけだ。

私の名も、所属も、目的も、何一つ、ウソも偽りも言っていない。だが、それはここでは通じない。

私を何か別の人間と勘違いしているんだ…。わ、私は…

「私は…私は…!い、移民局9課の、クラーク・アル―――

銃声が響いた。私は身を縮めて襲い来るだろう痛みに備える。が、それはやって来ない。

代わりに、私に感じられたのは、●●と太ももの周辺が生温かくなってくる感覚だった。

「情けない、この程度で失禁とは…」

冷徹な女の声が、私を打ち捨てるような、そんな言葉を放ってきた。だが、私にはもはや、抵抗する言葉すらなかった。

「違う…私は、違うんだ…不正移民者を探しに来ただけで…」

口を開けば、そんな泣き声しか出てこない。頼む、信じてくれ…私は、本当に何も知らないんだ…!

すると、女のため息が聞こえた。

「…もういい、処分しろ」

「はっ!」

処分…?処分、だと?こ、殺す、ということか?待て…待ってくれ!私は…!

「待ってくれ、違う!私はスパイでも殺し屋でもない!ただの捜査官だ!不正移民者の取り締まりにこの島に来たんだ!信じてくれ!」

私は叫んだ。胸からこみ上げる恐怖感が、吐き気と嗚咽になって漏れでる。

どうして、どうしてだ、どうしてこんなことになったんだ!やだ…やめてくれ、死にたくない…まだ、死にたくはないんだ!

 だが、私の体には電流が流された。焼けつく痛みと、筋肉がちぎれそうな痛みが全身を襲う。

やめろ、やめろ…やめてくれ!そう叫ぼうとした瞬間、私は、後頭部に強烈な衝撃を受けて、意識を失った。 

 

795: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:40:12.80 ID:TajAFm+Qo





「おーい、もしもーし、お客さん!起きてください!」

声…声がする…?ここは…?私は、死んだのか…これが死後の世界、というやつなのか?

「おーい、お客さん!空港着きましたよ!」

空港…?私は死んだんじゃないのか?そんな声を掛けられて、私は我に返り、意識を取り戻した。

私は、飛行機のシートに座っていた。それも、どうやらビジネスジェットのようなチャーター機らしい。

パイロットらしい女性が私の様子を心配げに見つめながら声をかけてくれている。

「…ここは?」

「お客さん、本当に大丈夫?あんた、自分でこのニカラグア空港へ行ってくれってそう言って乗り込んできたじゃないか」

「私が?」

「あぁ、そうだよ。ほら、チャーターのサインも書いてくれてるよ」

女性パイロットはそう言って1枚の紙切れを私に見せてくる。

それは、チャーターの契約内容とそれに同意したとサインが書き込まれてる。間違いなく、私のサインだ。

「…いったい、なにがどうなっているんだ…?」

「お客さん…疲れてんだよ。まぁ、大変な仕事だったろうからね。しばらくは休暇でももらうといいよ」

「仕事…?」

「えぇ?だって、ほら…これ、あんたの仕事でしょ?」

彼女は戸惑う私に、新聞紙を開いて見せてきた。その一角を彼女は指さす。そこには…

“移民局が摘発!キャリフォルニア打ち上げ基地テロ計画を事前に阻止!!”

と言う記事があった。

「…え?」

「え、じゃないでしょう?ちょっとしたヒーローだって言うのに、あなた」

「こ、これを…私が…?」

「違うの…?でも、ほら、出迎えもたくさん来てるみたいよ?」

彼女はそう言って、すでに開いていた機体のドアの外を指さした。

そこには、黒塗りの車に、スーツ姿の男たちがビシっと立っている。あ、あれは…主任か?

それに、あ、あれは…支部長…?その隣にいるのは本部長じゃないのか?!うちの人間だけじゃなく、あんな大物まで…

テ、テレビカメラか、あれは…!?取材陣もかなりいるぞ!?

「ほら、早く降りて来いってさ。私も、機体を次のフライトに回さないといけないから、そうしてもらえると助かるんだけど」

「あ、あぁ…すまない…」

私は戸惑いつつもそう返事をして、彼女に持たされた荷物を片手に、ビジネスジェットから降り立った。

そのとたん、報道陣がわらわらと私の前に群がってくる。私は理解できないままにとにかく主任のところまで歩いた。

彼の前にたどり着いた私を、彼は拍手で出迎えた。
 

796: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:41:16.47 ID:TajAFm+Qo

「いやぁ、アルバへ向かうと言い出した時は何事かと思ったが、こんな巨悪の存在を察知していたとは恐れ入る!」

主任がそう言って私の手を握ったと思ったら、今度は支部長と本部長が私のもとにやって来て主任に握られた私の手を奪うように握り

「これは素晴らしい快挙だ!私も鼻が高い!」

「支部長に許可をもらい、君を本部の官僚として引き抜くことが決定した」

「わ、私を本部に、ですか!?」

私は、本部長の言葉に思わずそう口に出していた。それは、官僚の中でもエリート中のエリート…

願ってもない話だが…しかし…

「まぁまぁ、詳しい話は中でしようじゃないか」

「あぁ、そうだな。来たまえ」

「あ、え、はぁ…」

私は本部長と支部長に連れ去られるように滑走路に留めてあった黒塗りに詰め込まれて空港をあとにした。

支部の応接室へとたどり着いた私は、“昨日提出した”報告書について、大変お褒めをいただいた。

そんなもの書いた記憶もなければ、事件にかかわった、などと話す隙さえ無かった。

ただただ、私は、何者かに導かれるように、翌週からの本部勤務を命じられ、出世の階段を上ることとなったのだ。




 
 

797: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:41:51.94 ID:TajAFm+Qo




 翌週、私は移民局本部のあるニューホンコンシティの本部ビルへと赴いていた。

新しいスーツに身を固め、主任たちが昇進祝いだと言って共同で購入してくれたブランド物のブリーフケースを片手に、

ビルの中へと身分証を使って入構する。

内装からして厳かで、ここがエリート階級の職場だ、ということを否が応でも実感してしまう。

そして、ここか今日から自分の職場になると思うと、嬉しくもあり、しかし、複雑でもあった。

いったい、なにがどうしてこうなったのか…私の身に何が起こっているのか、いまだに理解に苦しんでいた。

 と、とにかく、オフィスに向かわなければ。私は足を急がせ、オフィスのあるというビルの4階へエレベータで向かった。

その階は今まで仕事をしてた9課関連ではなく、単純な身元調査を行う3課。

これまでのような摘発に結びつくような職務ではないが、そんな平和で安定した仕事こそが、エリートの特権でもある。

 オフィスに入ると、早速部下となる者たちが私を出迎えた。

彼らの視線が、まるで英雄を見るように輝いていて、私はやや気おくれしてしまうが、

それでもなんとか自分の執務室へとたどり着いた。だだっぴろい部屋に、巨大な執務机。

高級なスピーカーセットに、応接用のソファーセットもある。さらには、長身で美人な専属秘書と名乗る女性が二人…。

 まるで至れり尽くせり、だ…夢ならば覚めないでほしいとも思うし、自ら何をしたわけでもなく、

最後にあるのがあの拷問の記憶だと考えると、もはやこれは死後の世界なのではないかと思いさえする。

だがしかし、どうやらこれは現実のようだ。手をついた木製のデスクのひんやりとした感覚が伝わってくる。

 ふと、私は、私を出迎えてくれた秘書に言った。

「私はただ、何もせずに気を失っていただけだ、と言ったら、君たちはどうするかな?」

すると、二人はクスっと笑って答えた。

「冗談もお上手なんですね」

まぁ、そうだろう。疑うようなら、このような扱いは受けていない、か…

 私は、黒革張りの椅子に腰かけた。座り心地は最高だ。

ふと、デスクのコンピュータのモニタの前に小さな封筒が置かれているのに気が付いた。それを手に取り眺める。

ずいぶんと高級そうな封筒だが…本部長か、支部長からのメッセージだろうか?
 

798: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:44:09.30 ID:TajAFm+Qo

 「これは、どちらの方からかわかるか?」

私が秘書の二人に尋ねると、彼女たちはそろって首をかしげて

「さぁ…私たちが来た時には、すでにそこにおいてありましたが…」

と答える。だとするなら、セキュリティの厳重なここへはいれる本部長から、ということになるだろう。

私はそう思って封筒を開けて中身を取り出した。

 それは、ほんの小さな紙切れで、スタンプのようなもので印字されている文字列がならんでいた。


―――――――――――――――――――――

報酬ハ、気二入ッテ 貰エタカナ?

コレニ免ジテ、今回ハ見逃シテ貰イタイ。

ソシテ改メテ指示ヲスル。

アルバ島ニハ、近付クナ。


クラーク・アルジャーノン三等書記官 殿

―――――――――――――――――――――

 それに目を通し、愕然とした私の手から封筒がデスクに滑り落ちた。コトリ、と硬い音がした。

まさか、と思い、中をのぞいた私は、背中に強烈な悪寒を感じた。そこには、一発の拳銃弾が入っていた。

 こんなものを、わざわざここまで置きに来た人間がいる、というのか?

この場所のセキュリティは、そう簡単にやぶれるものではない。まして、誰にも見つからずに潜入することなど不可能だ…

この本部の中に、私をここに据え付けた者の協力者がいるということか?

いつでも監視してる、とそういう意味合いを込めて…?

 し、しかし…いったい、誰がなんの目的で…?あの時の拷問官は、まるで自分たちが連邦側の人間だと言っていた。

だが、私が追っていたのは、不自然な移民者だ。それを連邦側が隠ぺいする意図があるというのか…?

だが、あのとき私に警告を発してきた公安はなんだったのか…そもそも、あのアルベルトと言う男はなんだったのか…

 そこまで考えて、私は思考を止めた。

す、すくなくとも、相手は、私をああも簡単に拉致し、いつでも殺せる状況に置きながら、あえてそれをせず…

打ち上げ基地の爆破テロを計画しているような連中を差出すか、捕らえて私に功を乗せることができ、

セキュリティの厳重なこの場所に侵入でき、そして、こんな地位すら私に与えることのできる“なにか”なのだ。
 

799: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:45:35.94 ID:TajAFm+Qo

 そこまでして、あのアルバ島に近づけたくない理由がなんなのかはわからない。

だが…すくなくともそれは、私なんかが命を懸けたところで、どうなるものではないだろう。

この目の前のコンピュータで、“アルバ島”と検索を掛けた次の瞬間には、私は今度こそ本当に死んでいるかもしれない…

そういう類の相手だ…。

 私はそう思い直し、拳銃弾をデスクに置き、手紙をスーツの胸のポケットにしまいこんだ。

もう、考えるのはよそう…おそらく、ロクなことにはならないだろう。

せっかく“サービス”であたえてくれたこの地位だ。正義感で命を落とし、無為にしてしまうには惜しい。

 ふぅ、とため息をついて、柔らかな椅子に腰かけなおした。うん、悪くは、ないな…

 そんなとき、一人の職員がノックをして部屋に入って来た。

「ご配属直後で申し訳ありません、アルジャーノン書記官。実は、気になる案件があり、ご報告にまいりました」

「なんだね?」

「はっ。実は、中米はベネズエラ行政区内にあるアルバ島の居住者で、奇妙な履歴のある住民登録を発見しまして…」

「…その住民の名は?」

「えぇと、アンナ・フェルザー、と言う女性です」

…これは、テストか何かか…いや、おそらくそうだろう。

私がなんと答えるか、盗聴器でもなんでも仕掛けているに違いない…。

「あぁ、その名か。私も一度調べたことがあるが、問題はない…」

「は、そうでありましたか」

「うむ…あぁ、そうだ、他の者にも伝えてくれ」

「何をでありますか?」

「アルバ島居住者には、あまり詮索をするな、とな…

 あの島には、ルオ商会や、ボーフォート財団、ビスト財団に関わる人間も少なくない…

 下手に首を突っ込むと、ヤブヘビ、ということもあるだろうから、な…」

私は、主任の言った言葉を思い出しながら、不思議そうな顔をしている職員に、そう伝えていた。




 

800: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:46:50.40 ID:TajAFm+Qo





 「うん、うん、そうなんだ。そんな感じで手を打っておいたよ」

<ははは、気が利くじゃねえか。殺したり退職に追い込むんじゃなく、脅したうえで立場を与えてやるとはな。

 利口なやつなら、自分の身の回りにもその島にはかかわるな、と伝えるだろうよ>

「でしょ?」

<ったく、あの甘ったれがやるようになったな!>

「へへへ。隊長とアヤさんのおかげ、かな。

 あ、ね!あのときさ、生きて帰ってきたら認めてやる、って言ってたよね、隊長!今のあたし、どうかな?」

<認めるもなにも、こっちがすがってやりたいくらいだぜ>

「もうっ!隊長ってば、調子いいんだから!」

ガハハハと隊長が笑った。あたしもつられて大笑いをしてしまう。でも、隊長が笑いを収めてから、ふとあたしに聞いてきた。


<そういやよ、アヤとレナさんがそこに住み始めてから、今年でちょうど10年じゃねえか?>

「あぁ、うん、そうだったかも」

あたしが答えたら、隊長はグフフフ、とあんまり聞かない笑い声をあげて言った。

<どうだ、マライア。あいつらを楽しませる、いい案を思いついたんだが、乗ってみる気はないか?>

アヤさんたちを楽しませる案?…なんだろう、なんだかわからないけど、なんだかそれ、すごく楽しそうだよ!?

「やる!やります!やらせてください!」

<がははは!そうこなくちゃな!その島に、まだダリルとお前のとこのルーカスもいるんだろう?引き留めておいてくれ。

 お前と、ダリルとルーカスに協力を仰いで、アヤ達には一丁船旅にでも出てもらうとしよう>

「船旅?それ、どういうこと?」

<いいか?つまり、だな…>

あたしはそれから隊長の説明を気いた。

聞けば聞くほど、想像すればするほど、気持ちがワクワクしちゃって盛り上がってくるのがわかった。

こんな面白そうなこと、やらない手はないよね!

 「なるほど、今回の件をヒントにってことだね!わかったよ、隊長!こっちのことは任せて!うまくやるよ!」

<あぁ、頼むぜ。細かい内容はあとで、お前のPDAにデータで送る。しくじるなよ>

「むふふ~大丈夫!こう見えても、元凄腕諜報員なんだから!」

<ダハハハ!期待してるぜ!>

あたしはそう言葉を交わして、いったん電話を切った。

 うーん、結婚10周年記念のサプライズ企画、か…ふふふ、アヤさんびっくりしたあと、きっと喜んでくれるだろうなぁ…

楽しみ!

 私は、連日の秘密のお仕事で少しばかり寝不足だったこともあるけど、なんだか無性にテンションが上がって、

すでに楽しくって幸せいっぱいの気分になっていた。
 

801: ◆EhtsT9zeko 2014/07/04(金) 00:47:28.75 ID:TajAFm+Qo

 そんなとき、アヤさんがホールのドアを開けて顔を見せた。

「おぉ、マライア!帰ってたのか。もういいのか、その、カラバの招集、ってやつ」

「あ、アヤさん、ただいま!もう大丈夫だよ!ヒヨッコ達に厳しくしつけしてきただけだから!」

「あははは!あんたがヒヨッコにしつけだ、なんて、笑っちゃうけどな」

そんなことを言うので、私はぷっと頬を膨らませてやったら、アヤさんはまた、あははは、と声を上げて笑った。

でもそれからすぐに

「これから島にバーベキューのお客さんを連れてくんだけど、一緒に来るか?」

なんて誘ってくれた。あ、いいタイミングだね!

アヤさんにはあたしから話をして、レナさんには、あとでレオナに伝えてもらえるようにお願いしておこう!

「うん、行く行く!」

あたしはそう思い切り返事をして、アヤさんに飛びついた。珍しく、関節技を掛けないであたしの頭を撫でてくれる。

おかえり、マライア、なんて気持ちが伝わって来て、なんだかうれしくなって、アヤさんの腕にぎゅっとしがみついてしまっていた。

それから島に向かった私達は、いっぱい楽しんで、それから、アヤさんには旅行の話を聞いてみた。

回答をあやふやにするんで、しつこく迫ったら、海にぶん投げられちゃったけど…ま、それも込みで、楽しかったから良しとしよう!

 まぁ、こんな感じで始まったこの計画が、まさか、最後にあんなことになるだなんて…

もう、これっぽっちも想像してなかったんだよね…

 はぁ、調子に乗ると、ロクなことない、っていい例だよね。ね?
 



 

816: ◆EhtsT9zeko 2014/07/07(月) 23:14:23.75 ID:1pWURFzco


0069年5月10日 地球連邦ヨーロッパ方面軍 ベルファスト基地



 「よう、見送りか?」

「バカ言うな。そんな色っぽいことする男に見えるかよ」

「ははは、違いねえ」

「まぁ、元気でやれや、レオン」

「そっちこそ、良い子にしてるんだな、ジャック」

俺たちはそう言い合って、握手を交わした。この男くさい野郎とも、しばらくはお別れだ。

清々する、と言ってやりたいところだが、まぁ、この際だ。皮肉はやめておこう。

 俺は、ベルファスト基地の滑走路に居た。

着替えくらいしかねえ荷物を詰め込んだバックパックを背負って、発進準備を整えている輸送機を見上げた。

この機体の向かう先は、ジャブローの連邦軍本部。やっと漕ぎ着けた転属だ。

 ジャック…あぁ、この男くさいジャック・バートレットの野郎は、しきりに

「本部様へ行って、威張り散らしたいんだろう?」

と茶化してきていたが、まぁ、そんな環境の中で良く転属試験なんぞに受かったもんだと、自分で自分をほめてやりたい。

ホントにこいつは、なんというか…いや、やめておこう。褒めるなんて、柄じゃねえし、寒気がするね。

 「官僚様にでもなるんだったら、俺もそっちへ呼んでくれたって構わねえんだぜ?」

「ごめんこうむるよ。ただでさえあっちは蒸し暑いんだ。お前みたいのにいられると、汗臭くてかなわん」

俺たちはまた、そう話をしてから唇の端を持ち上げた。

「じゃぁな、相棒。達者でな」

「あぁ。そっちも、よろしくやれよ」

俺はジャックに背を向けて輸送機に乗り込んだ。住み慣れたこの基地と、この街を後にするのは、まぁ、寂しくはある。

だが…そんなガキみたいに感傷的なことを言っている場合じゃねえ。俺には、目的がある。

いや…罪滅ぼし、と言うべき、か…。

 機内に入ってシートに着く。ややあってエンジンが始動し、機体が動き出した。

一眠りして目覚める頃には、あのジャングルのど真ん中、だ。心躍る要素はただの一つもありゃしない。

だが、俺は行かなきゃならない。そう、決めたから、だ。


 

817: ◆EhtsT9zeko 2014/07/07(月) 23:14:53.01 ID:1pWURFzco



 輸送機は物の数時間で、目的地のジャブロー本部に到着した。

木々の間の滑走路へ降りると、そのまま地下の格納庫へと機体が収納される。

俺はシートに縛り付けられていた体を動かしながら、機体が停止するのを待った。

 機体が止ってすぐ、俺は地下の格納庫へと降り立ち、そこから通りがかりのジープを掴まえて師団本部へと出頭した。

そこで、辞令交付が行われることになっている。

 本部は、格納庫から5分ほど走ったところにあった。

地下に造られたにしちゃぁ、ずいぶんと立派な建物で、モグラどもの気位の高さを示しているように感じて、妙に気分が悪くなる。

だが、そんなことを言って配属早々、上官殿の機嫌を損ねてもつまらん。

とにかく、挨拶だけはお上品にすませておくかな。そう思いながら俺は師団長のオフィスを尋ねた。

 「あぁ、君が…あー…」

師団長が俺を見るなりそう言って、傍らの秘書官に目配せをする。

「レオニード・ユディスキン中尉です、大佐」

秘書官が言うと、師団長は、あぁ、そうだそうだ、などと口にしながら

「こちらが、君の辞令だ。これより、第27飛行師団第81戦闘飛行隊副隊長に任命する。そちらが現隊長の、スミス・ジェイコブ少佐だ」

師団長が、部屋の隅に突っ立っていた中年男を指して言う。彼は俺を見るなり苦笑いで肩をすくめ

「ジェイコブだ。君には何かと世話になると思うが、よろしく頼む」

と言って敬礼をしてきた。俺も敬礼を返し、それからすぐに隊長とともにオフィスから追い出された。

 「まったく、あのオヤジにはほとほとうんざりする」

オフィスを出るや、少佐はそう言って首をバキバキと鳴らす。それから

「中尉の評価には目を通している。俺は、おおざっぱな人間だから、フォローしてもらうことも多いと思うが…

 めんどうに思わず、助けてくれると助かる」

なんてことを言って来た。なるほど、こっちの隊長さんは、話が分かる側の人間の様だ。やりやすくて助かる。

俺も、堅っ苦しいのは苦手なんでな。

「いや、自分も、どちらかと言えばおおざっぱな方ですからな。脚を引っ張らんよう、気を付けます」

俺が言ったら、隊長殿は上機嫌で笑った。

 それから俺は、隊長殿の運転で隊のオフィスへと案内される。車を降りた俺に、彼は言った。

「隊の連中を紹介しておく。細かい業務については、それから説明しよう」

「助かります。仮にもこんなんが副隊長やるっていうんで、下の連中にも良い顔しておかないとまずいでしょうからね」

「ははは、なに、気のいい奴らだ。中尉もすぐに気に入る」

隊長殿はそう笑いながら先を歩いてオフィスへと入った。

そのあとに続くと、隊の連中はオフィスの中でコーヒーを飲んだりカードをしたり、思い思いに過ごしていた。

隊長殿が入ってきたから、と言って、背筋を正して敬礼したりってこともないらしい。

なるほど、確かに要らん気は遣わなくてもよさそうな隊だな。
 

818: ◆EhtsT9zeko 2014/07/07(月) 23:15:23.27 ID:1pWURFzco

 「あぁ、聞け。あ、いや、その前にとりあえず立て」

隊長殿はそんな気の抜けた指示をして、オフィスに居た連中を立ち上がらせる。それから

「話があったように、本日付けで、我が隊に配属になった、レオニード・ユディスキン中尉だ。中尉、挨拶を頼む」

と俺を紹介し、話を振ってきた。

「あぁ、紹介に預かった、レオニード・ユディスキンだ。

 この度は、優秀なるジャブロー防衛軍への編入はおろか、副隊長を任ぜられ、恐縮してはいるが…

 古参の隊員や、隊長の足を引っ張らぬよう、努力するつもりだ。よろしく頼む」

そう俺が挨拶をすると、まばらに拍手が起こった。それから隊長殿は俺に席を勧めて、各隊員の紹介を始めた。

「彼が、ミカエル・ハウス少尉。我が隊の中じゃぁ、センスだけはピカイチだ」

「どうも、初めまして。ハウスと言います。自分もこの隊は配属されてまた半年なんで、よろしく頼みます」

彼はそう言って懐っこい笑顔を見せた。

「あぁ、頼む」

俺の挨拶を待って、また別の奴を隊長がさす。

「彼はエリック・ノーマン少尉。ハウス少尉とは正反対に、正確な技術と判断能力が売りだな」

「よろしくお願いします、中尉」

次の男は、精悍な顔立ちで落ち着いた印象のある男だ。なるほど、技術がありそうな雰囲気は分からないでもないな…

「こちらこそ」

「それから、向こうの二人が、ブラット・フェルプス少尉に、アーノルド・ザック少尉。

 この二人は訓練生時代からのコンビで、巧みな連携が武器だ。気持ち悪いくらいの仲良しなのが俺の心配のタネなんだ」

さらに隊長は別の二人を紹介する。

「やめてくださいよ、そんな趣味はありません」

「そうそう、腐れ縁みたいなもんです」

二人はそう言って笑っている。空戦における連携力はそのまま戦力に結び付く。相手にすれば手ごわいだろう。

 隊長はさらに他の隊員たちを紹介していく。そして最後の一人を指す。その最後の一人は、女性パイロットだった。

「こいつが、我が隊の問題児。ユージェニー・ブライトマン中尉だ」

中尉?俺は隊長の言葉に首をかしげた。もともと隊に中尉が居て、それでも俺を呼んで中隊長に据えたのか?

なぜわざわざそんなことを…?今言った、問題児、と言うのがネックなんだろうか?

そんな俺の疑問を感じ取ったらしい隊長が口を開く。

「こいつは、わがままと言うか、じゃじゃ馬と言うか…副隊長やれって俺の命令を辞退して、いまだに小隊長で飛んでるんだ」

「よろしく頼むよ、副隊長殿。私らを失望させないでくれよ」

ユージェニーと呼ばれた彼女は、挑戦的な視線を俺に浴びせかけてそう言った。

なるほど、じゃじゃ馬ね…面白い、勝手されると俺の評価に関わるからな…

いや、評価なんて大して興味はねえが、まぁ、しつけてみようじゃねえか。

 俺は当初の目的をいったん忘れて、こっちをにやけた表情で見つめてくる生意気な女パイロットを見つめて笑顔を返してやった。


 

819: ◆EhtsT9zeko 2014/07/07(月) 23:15:51.26 ID:1pWURFzco




 それから俺は、隊の連中と歓迎会と言う名の酒盛りになだれ込んだ。

どいつもこいつも陽気な奴らで、ヨーロッパにいたガルム隊と似たような雰囲気に、何の苦労もなく溶け込むことができた。

全体が終わってから、俺はまだ飲むんだ、というノーマン少尉にハウス少尉、

それからフェルプスとザックの仲良しコンビに捕まって、オフィスでカードをやっていた。

「うへー、まぁた副隊長殿にもっていかれた」

ザックがそう言って俺に紙幣を叩き付けてくる。俺がそいつを笑って受け取った。

ポーカーなんざ、カード1セットでやるんじゃぁ、勝敗は見える。こと、この人数だ。

二回りもすりゃぁ、カードは一巡する。

となれば、一山のうち、最初の勝負はとにかくカードを覚えるだけに使って、二度目の勝負でカマを掛けてやればいい。

自分の手がどうだろうが、相手の手の内さえ知れてしまえばあとは口から出まかせでどうとでもなる。

 「ったく、副隊長、いかさまでもしてんじゃないでしょうね?」

カードを集めてシャッフルしながら、ザックがそう聞いてくる。俺はそんなザックを笑ってやって

「いかさまなんてする必要はねえ。フェルプス少尉とコンビになられたら、さすがにちょっとは厳しいかもしれんがな」

と言ってやると

「まぁ、二人一組で一人前だもんな、お前らは」

とハウスが茶化して笑った。そんなハウスに悪態をつきながら笑うザックが、またカードを配った。

 新しい山か。ここは様子見だな…よほどのいい手がこない限り、な。手元のカードを開けてみる。

クラブの3と9に…ハートのクイーン、スペードとダイヤのジャック、か…。ジャック、ね。

あの野郎にゲンを担ぐわけじゃねえが…まぁ、ここは試しに乗ってみるのもおもしろそうだ。

俺はそう思って2枚のジャック以外のカード切って、順番を待って新しいカードを三枚引いた。

へへへ、なんだよジャック。お前、俺が恋しいのか?

 引いた三枚のカードのうちの2枚は、クラブとハートのジャックだった。

「ほらよ」

俺は前のゲームでザックから巻き上げた紙幣の倍をテーブルの上に置いてやった。

とたん、他の連中が緊張した面持ちで俺を見つめてきやがった。ブラフかマジか、見極めようとしてるんだろう。

ここは、本音はブラフ、駆け引き上は、マジだ、とふるまっておこうか。

ブラフと読んでもらって、明日の飲み代は俺に献上してもらおう。

「まぁ、こんなもんだろう、今の手なら。言っておくぜ、降りておいた方がいい」

俺が言ってやると、くっとうめき声をあげたフェルプスが俺と同額の紙幣をテーブルに出した。

「その手は食わないっすよ…副隊長、それはブタだ」

と俺の顔色を窺うように言ってくる。なるほど、自分は犠牲で、あとに続く連中の援護、ってわけだ。殊勝だな。

だが、その手は食わん。お前さんがブタだ、と読んでくれてるんなら、俺は多少の動揺を見せてやればいいんだ。

「まぁ、そう思ってくれるんなら結構だがよ。他のやつはどうだ?じっくり考えてくれていいんだぜ」

俺はそう言ってから、手元にあったグラスの中身を一気に飲み干す。

さて、どうだ?勝負を急がず、じっくり考えてくれ、と俺は言ったぞ?

俺がもしいい手を持ってるとしたら、さっさと勝負を決めにかかりたがるはずだろう?

それに、半分以上入ったグラスを一気に空にしてやった。興奮を抑えられないように見えやしないか?え?どうだよ?
 

820: ◆EhtsT9zeko 2014/07/07(月) 23:16:24.91 ID:1pWURFzco

「い、いや…俺もブラットに乗っかってみるぜ…どうだ!」

今度はザックがそう言って、同じだけベットしてきた。へへへ、お前もお生憎様だな。

「…俺は、降りとくよ。どうも副隊長の手は読めてきた。読めない、ってのが読めた」

技術と冷静さに定評のあるノーマンが言った。なるほど、冷静さはこんなところでも発揮する、ってわけか。

カモが減っちまったが、まぁいい。さぁ、残るはお前だぞ、ハウス。俺はそう思ってハウスを見やる。

やつは俺をチラっとみて、それから自分のカードをじっと見つめてから、ドン、っとテーブルに紙幣を叩き付けた。

「男には、引いちゃいけないタイミング、ってのがあると思うんすよね」

と言って再び俺を見つけてきた。さて、出そろった、とみていいんだな。

「なら、オープン、と行くか」

俺がそう言ってカードを広げようとした瞬間、バタン、と音がしてオフィスにあの女…

ユージェニー・ブライトマン中尉が入ってきた。俺たちの姿を見るや

「あんた達、またやってんの、それ」

と笑い出した。

「あぁ、中尉。いいじゃないすか、たまの楽しみですよ」

「そうですよ、どうです、中尉も?」

ザックとフェルプスがそう言って、ブライトマン中尉にも席をすすめて、カードと新しいグラスに安物のラム酒と氷を入れて差し出した。

「誰が勝ち馬なんだい?」

中尉がそう言って俺たちを見回す。

「そりゃぁ、副隊長殿ですよ、中尉」

「俺たちは負け越しです」

「あんた達、タカられてるか、接待でもしてるわけ?」

話を聞いた中尉は怪訝な顔をしてそういう。だが、それを聞いたハウスが笑って

「まったく。気を遣うよりも、挑んで行った方が喜んでくれる副隊長らしいんでね」

なんてこそばゆいことを言いやがる。

だが、中尉はその表情を崩さずにふぅん、と鼻を鳴らすと、カードを開けて見せ、クッとグラスを煽ってから、

カードを2枚交換した。2枚、ってことは、最高でも3カード。

そこへ何が来たかが問題だが、俺の4カードを超えるような役はストレートフラッシュ以上。そうそう負けはないだろう。

「オヤは、副隊長?」

「あぁ。どうするね?乗るか?降りるか?」

俺は挑戦的に彼女を見つめてやる。彼女はカードをじっと見つめてニヤリとほくそ笑んだ。

そしてポケットの中からマネークリップで止まった札束をテーブルの上に放り投げる。

「えぇ!?中尉、本気ですか!?」

「ね、ねぇ、いくつあるか数えてもいいですか?」

「あぁ、構わないよ。たぶん、10枚はあると思う」

ブライトマンの言葉を聞いて、ハウスが紙幣を数え始める。10枚。確かに彼女の言った通りの枚数があった。

この女正気か?
 

821: ◆EhtsT9zeko 2014/07/07(月) 23:17:02.21 ID:1pWURFzco

「こりゃぁ、今週分の飲み代にはなりそうだが…オヤは俺だ。レートを決めるのも俺だろう?」

「ははは、副隊長殿ほどの方が度量の狭い。いいじゃないさ、飛び入りの私に花を持たせてくれたって」

俺の言葉に、ブライトマンは笑って言う。なるほど、こいつはじゃじゃ馬だ。

ゲームのルールじゃなく、自分がルールだと言わんばかり、だな。だが、しかし…乗るかどうかは別問題、か…

ただのバカなら乗るべきだろうが、10枚となるとさすがにリスクの計算にどうしたって頭が行っちまう。

これで負けたとなりゃぁ、今日の稼ぎがまるまる吹っ飛ぶだけじゃすまないな…さて、どうする、か。

 「俺は、3スリーカード以上だが、それでもこの額でいいか、中尉?」

俺は考えた末に、思い切ってそう言ってやった。

スリーカード以上、なんてともすると弱気なくらいだが、まぁ、探りを入れるならこのくらいがベストだろう。

すると中尉は首をかしげて

「私、役は良く知らないけどね…数字が順番に何でるし、マークも揃ってるし、それなりに高いんだろう、これ」

と身じろぎもせずに俺を見つめ返してくる。なるほど、これだけの額を叩き付けてくるくらい根性は座ってる、ってこと、か。

言葉をそのまま信じるなら、ストレートフラッシュで俺より上。乗ったら最後、すっからかんだ。

「他はどうするんだ?オヤを交代するなら、もう一度選んだっていいだろう?」

俺は、とりあえず周りにそう聞いてやる。すると、少尉どもは次々と首を横に振って

「こんな怖い勝負には乗りたくありません」

「そもそも、ツーペアでしたしね、俺」

「自分も、今回はおりますよ。見てるだけでも楽しめそうだ」

と口々にそう言ってテーブルの上にカードを伏せる。ってことは、俺とこの女の一騎打ち、と言うことになる、か…

そう理解して、俺はまた中尉を見つめる。相変わらずの不敵な笑み。まったく、妙な女だ。

「副隊長、スリーカード、なんて野暮な役で勝とうだなんて思ってるのかしら?」

俺の考えを読み透かしたように、中尉は言ってきた。その誘いには乗らねえよ。

お前さんは、“役を良く知らない”んだろう?スリーカードが野暮かどうかの判断も、そう簡単じゃねえはずだ。

言ってたことが本当なら、な。そう考えりゃぁ、俺の混乱をあおろうとしてやがる、ってのは見え見えだ。

「まぁ、最低でもそれ以上だ、って話だ。役を知らないようなら、下から何番目か教えてやろうか?」

「さぁ、あんまり興味ないんでね。でも、たんぶんこの役なら勝てるだろうさ。

 もし説明してご自身の安心を確かめたいのなら、お伺いしますけどね、副隊長殿?」

中尉はそう言ってニヤニヤと俺を見つめてくる。俺の挑発に乗るほど軟な根性をしていないってのは認めてやる。

だが、俺がそんな挑発に乗るほど軽いと踏んでるんなら大間違いだ。

 情報をまとめよう。まずは、この女がポーカーを知っているかどうか、だ。おそらく、知っているだろう。

それは周りの奴らの反応からもわかる。中尉の言葉を聞いてもリアクションはなかったが、こいつらは降りた。

少なくとも、中尉のこの手のやり方を理解している。

この女がポーカーを理解している、と考えるなら、次はこれがブラフかどうかが問題になる。

この性格だ。並の奴が相手なら、勢いと口先に任せて勝負を挑み相手を負かせるのもお手の物だろう。

だが、やつの掛け金はヒントになる。10枚紙幣を叩き付けてくるってことは、リスクの計算ができない勢いだけの女か、

あるいは、それでも勝てる、と踏んでいるかのいずれかだ。

勝ち気で勢いがあり、口も良く回るのは認めてやる。

だが、そこまで頭のキレる女が、10枚を掛けてブラフのみで戦うような無茶をする、ってのは理屈にあわねえ。

だとするなら、あの手札は俺の以上の役だ、と踏むのが妥当だろうな。
 

822: ◆EhtsT9zeko 2014/07/07(月) 23:17:41.76 ID:1pWURFzco

「いや、必要ねえな。俺も降りさせてもらうぜ」

そう言って俺はカードを伏せ、代わりにフォールド代の紙幣を一枚テーブルに差し出した。

すると中尉は、ニヤリ、と笑って自分の手札を表に返した。そこには、てんでバラバラの5枚のカードがあった。

 へぇ、やりやがったな、この女!悔しいとも、憎たらしいと思うわけでもなかった。

単純に、感嘆し、面白いやつだ、とそう感じた。だが、中尉の方は次の瞬間、俺に鋭い目つきで一瞥をくれてから言い放った。

「さぁ、今日のところはおひらきにしな。明日は朝から訓練なんだ。いつまでも飲んだくれてると、ひとりずつ蹴っ飛ばすからね」

他の連中はそれを聞いて、それぞれ目を合わせては肩をすくめて

「やれやれ、とんだ水を差されたもんだ」

「ちぇっ、負けた分取り返してやろうと思ったのにな…」

「あぁ、副隊長、またしましょうね!」

なんて口々に言いながらオフィスから出て行った。部屋には、俺と目の前の中尉だけが残される。

中尉はさっきまでのニヤけた表情ではなく、鋭い視線を俺に浴びせかけている。

さて、なんだってんだ?

俺が副隊長に座ったのが気に入らねえのか…あるいは、こっちを品定めするつもりか?何を考えてんだかは読みにくいが…

俺をブラフで負かすとは、面白いやつだ。話をしてみるもの、悪くなさそうだな。

俺はそんなことを考えながら、安物のラム酒の入ったグラスを煽りながら、その目をじっと見つめ返す。

すると、中尉は口を引いた。

「あんた、あいつらに幾ら勝ったんだい?」

それが副隊長に向かっての口の利き方か、なんてクソみたいな理由に腹を立てるほどの根性は俺にはない。

だがこの中尉殿は、やはり何やらお怒りのようだ。

「さぁな…まぁ、明日の酒代程度だろうよ」

俺が言ってやると、中尉はさらに俺に鋭い視線を浴びせかけてくる。俺が勝ったのが気に入らねえ、って感じだな。

イカサマでも疑われてんのか、こりゃぁ?

 俺はそう思ってラム酒を注ぎながらまた中尉を見つめて反応を待つ。すると中尉は、俺が思っていないことを口にした。

「あんたは、副隊長だ。私にとっても、あいつらにとっても上司に当たる」

…なんだってんだ、この女?俺を認めねえ、って腹じゃなさそうだな…他に思い当たる理由はねえが…?

「だったら、何だってんだ?」

俺が言ってやったら、中尉もラム酒を一気に煽って、俺に言った。

「上官が、部下から金を巻き上げるな。勝負だなんだと理由があろうが、関係ない」

部下から、金を…?あぁ、そうか…あいつら、少尉だもんな。

俺も先月までは少尉だったが…そこまで考えて、中尉の言葉の意味がわかった。

…あぁ、そうか、なるほどね…そりゃぁ、仰せ、もっともだ…。

俺はとりあえずグラスのラム酒をまた一気に開けてため息をつき、中尉に言った。

「そうだな…軽率だった。いつまでも平隊員の気でいたよ」

別に、こんな遊びはどこでもやってる。だが、部下から金を巻き上げる、と言うのは、この女の言うとおりだ。

ゲームだろうがなんだろうが、そこには上下関係があり、力の差がある。

例え俺が仮に“良き上司”であり、“良き上官”であったとしたって、そういう間柄で金のやりとりをするのは、

たとえば権力に物を言わせて部下の金品を脅し取るのと変わりゃしねえ。

そんなのは…確かに、上の人間がやることじゃねえ、か…
 

823: ◆EhtsT9zeko 2014/07/07(月) 23:18:40.85 ID:1pWURFzco

 そう言ってやったら、今度は中尉が意外そうな表情をした。肩透かしを食らった、って顔をしてやがる。

俺はラム酒を注ぎ直し、それから中尉にも腕を伸ばしてやる。

すると彼女はハッとした様子で自分のグラスをつっと前に押し出してきた。なみなみ酒を注いでやったら、中尉は

「ありがとう」

と静かに礼を言って、今度は控えめにグラスにそっと口を着けて、また俺をじっと見つめてきた。

「意外だったか?指摘をすんなり受け入れたのが」

そう言って笑ってやったら、中尉の方もようやく余裕を取り戻したようで

「…あぁ、そうだね。もう少し、身勝手なやつだと思ってたけど…思い過ごしだったみたいだ」

と言って、さっきの不敵な笑みを取り戻した。それを見て

「おぉ、よしよし。その顔の方がいいぜ?せっかくの美人が台無しだ」

なんて言ってみたが、中尉は動じずに

「金でも取ろうか?部下がせびる分には、問題ないからね」

と言い返してくる。やはり、おもしろい女だ。

 だが、さっきの話は、しごくまっとうなことだな。

あいつらよりの階級が上で、副隊長の職を与えられてる俺が、あいつらからゲームで金を奪うのは、タカリも同じだ。

だが、あいつらのあの様子じゃ、返すったって受けとりゃしないだろうな…だとするなら、だ。

「今日勝った分で、もう少し上等な酒を買ってみんなで一杯やるってのはどうだ?

 こんなラム酒じゃなく…そうだな、北米産のバーボンが好みだ。それでチャラってことにしてやってくれないか、中尉殿?」

「そうだね、そいつはいい案だと思うよ、副隊長殿」

中尉はようやく、俺へ浴びせていた挑戦的な視線を解いて、柔らかく笑った。

良かったよ、いつまでもあんな顔されてたんじゃ、こっちも身構えちまって楽できねえからな。
 

824: ◆EhtsT9zeko 2014/07/07(月) 23:19:46.72 ID:1pWURFzco

 だが…そうか、今までのように、オフィスでポーカーやって稼ぐ、ってのはまずいな。

だとするなら…別の場所を探すべき、か。

「中尉。どこかほかに、問題なく小遣い稼げる場所を知らないか?」

「はぁ?あんた、ギャンブル中毒かなんかなの?」

「そういうわけじゃないがな…金が要り用でな」

俺が言葉を濁すと、やはり、と言うか、中尉は表情を曇らせた。

「借金でもあんのかい…?悪いけど、そういうことに興味はないんだ。あんたも、そんなことばっかりやってるから借金なんて作っちまうんだよ」

借金、ね。まぁ、借りる予定はないこともないが、今のところはゼロだ。だが、中尉がそういうだろうとは思った。

部下から金を巻き上げるな、なんて言ってくる女だ。

あれだけ挑戦的な目つきをして俺に絡んでくる割に、そういうところはオカタイらしい。

それが確認できただけ、よかった、と思っておくことにしよう。

「へいへい、ご忠告、痛み入りますよ」

悪態をついてみたが、どうやら、これは効かないらしい。中尉殿は満足そうに俺を見やって、グラスを煽った。

まったく、妙なやつだぜ。

「そういや、さっきのブラフは見事だった。あんな根性、どこで身に着けてきたんだ?」

「なに、簡単だよ」

俺の言葉に、中尉はそう言って自分の手元に一組のカードを取り出した。カード…?

おい、いや、待て。さっきまで使ってたカードは、まだテーブルにあるだろう?お前、それ、どこから…?

そこまで考えて、俺はまたハッとした。なるほど、この女…

「てめえ、俺が降りなかったら、イカサマするつもりだったな?」

「えぇ、ご名答。どうしても副隊長殿へご指摘すべきだと思いましたのでね。そのためには、どんな手を使ってでも勝たなければ、と、ね」

そう、わざとらしい口調で言った中尉は、手元で器用にカードをもてあそびながら俺を見やって肩をすくめた。

 部下から金を巻き上げるな、ギャンブルはやめろ、なんて言うくせに、

俺に説教垂れるために、自分はイカサマまでして俺を負かそうって魂胆だったのか。

なるほど、まったく、この女…やっぱり、なかなかに、面白いやつじゃないか。

 そう思った俺は、思わず中尉に笑いかけていた。




 

831: ◆EhtsT9zeko 2014/07/14(月) 00:58:41.41 ID:MS09ySNGo



 翌日は朝から訓練を行った。前日の隊長の話通り、どの連中も腕利きばかりだ。

特に、ハウス少尉の力のある機動は、見ていて見事だと感じた。

ブライトマン中尉の機動は隊長の言ったじゃじゃ馬とは程度遠いキレのあるいい動きをしていたな。

冷静な判断と技術が取り柄だ、と言うノーマン少尉の機動もなかなかだったが、まるで教科書みたいで、

俺には少しばかり退屈だった。

だが、ああいうきれいな飛び方をする奴が訓練校かなんかにいると、後進が良く育ちそうだな、

なんてことを思いながらの訓練だった。

 訓練終わりにハウスに頼んで基地内を案内してもらう。

いい具合の“賭場”はなさそうだ。仕方ねえから、酒の量をすこし削るかな…

まぁ、週4日飲んでたのを2日に減らせば、幾らかはマシだろう。

ハウスの奴はその晩もポーカーに誘ってきたが、俺は昨日の話をして乗らずに、そばで見ながら笑ってるだけにしておいた。

自分がやるんじゃなけりゃ、気楽に他人を野次れる。これはこれで、悪かねえな、と思う自分がいた。

 そして、一晩明けた今日はオフ。オフィスには人がよりついている気配はなさそうだ。

俺は朝食を終えてから、地図を片手に、少しばかり基地内を歩き回っていた。車を調達したかったんだが…

さすがに、軍のジープやなんかを勝手に乗ってっちまうと罰則ものだろうしな…

 そう思っていたとき、俺の目にある人物が映った。あの女だ。

朝から、トレーニングシャツに短パンをはいて、この蒸し暑い地下基地をランニングしていやがる。

絵にかいたような“優等生”だな、あいつ。

 俺は、そんなユージェニー中尉に向かって手を上げて見せた。向こうも俺に気が付いたらしい。

外周をグルグル回っていたようだったのに、わざわざコースを変えてこっちまで軽い足取りでやってきた。

「何か用?」

微かに息を切らせながら、中尉は俺にそう言ってくる。さすがにこんな時には、あの表情は出てこねえみたいだな。

なら、こっちも普通に対応してやるべき、か。

「あぁ、聞きたいんだが、どこかで車を借りれないか?」

「車?どこかへ行くつもり?」

「あぁ、ちょっとな…この街へ行ってみようかと思ってんだ」

俺はそう言って、手に持ってた地図を広げて見せた。

「なんだってそんなところに…?」

タオルで顔を拭きながら、中尉は俺にそう聞いてくる。

「いやぁ、日用品なんかを買い揃えたいのと、それから、一昨日の晩に話した、例のアレを仕入れてこようかと思ってな」

「ここのモールで事足りる話だろう?」

「ここはダメだ。品ぞろえが俺の好みじゃねえ」

俺がそういうと、中尉は首を傾げながら、

「オフの日に軍用車は出させてくれないよ。使うんなら、私の乗っていきな」

と言った。やっぱりな、さすが“優等生”。そう答えてくれると思ったぜ。
 

832: ◆EhtsT9zeko 2014/07/14(月) 00:59:36.41 ID:MS09ySNGo

「あぁ、ついでと言っちゃなんだが、一緒に付き合っちゃくれねえか?この辺りのことは全然分かってねえし、道案内がいると助かるんだが」

俺が肩をすくめて言ってみると、中尉はようやくあの挑発的な表情になって

「ナンパのつもりなら、どこかよそでやりなよ」

と言ってくる。ははは、そうでなくちゃ、な。

「ナンパなら、もう少し準備のよさそうなときに声をかけるさ。わざわざランニング中に引き留めたりしねえよ」

そう答えてみると中尉は

「どうだか。怪しいものね」

と俺の目を見つめてから、ふっと表情を変えて

「戻ってシャワーと着替えを済ませたいから、30分だけ待てる?」

と聞いてきた。30分なら、ワケはない。

「あぁ、おめかしして来い。オフィスで待ってる」

そう言ってやったら、中尉はまた、あの表情でニヤっと笑って、女性用の兵舎の方へと足取り軽く駆け出して行った。

 その足で俺もオフィスへ向かい、古ぼけたコーヒーメーカー入れた泥水をすすっていると、ほどなくして中尉は姿を現した。

タンクトップの上に薄手のシャツを羽織り、下には作業着のようなハーフパンツと、スニーカー姿だ。

ドレスがよかった、なんて贅沢なことは言わねえ。素材がいいと、ラフでもこれほど化けるとは想像していなかった。

「へぇ、似合うじゃねえか」

俺が言ってやると中尉はふん、と鼻で笑って

「見え透いた世辞はいらないよ」

なんてことを言いながら、それでもかぶりを振って

「ほら、行くならさっさと出よう。それほど近いってわけでもないからね」

と言ってくる。俺はお言葉に甘えて、オフィスを出て、中尉の物らしい黒いSUVに乗り込んだ。

 車が基地を出て、長い地下通路を通り抜け、地上へと出た。まぶしさに一瞬目がくらむ。

中尉の方は慣れたもんで、地下トンネルを出る直前にサングラスをかけてそれを防いでいた。

あたりはまだ見渡す限りのジャングル。こんなところに、舗装された道路が走っていることの方が不思議に思える光景だった。
 

833: ◆EhtsT9zeko 2014/07/14(月) 01:00:27.31 ID:MS09ySNGo

 「それで?せっかくデートに誘ってくれたんだ。楽しいお話の一つでもしてくれるんだろうね?」

ハンドルを握っていた中尉がそんなことを言い出した。楽しいおしゃべり、ね…柄じゃあないだろ、俺も、お前も、な。

「そうだな…趣味はなんだ、中尉?」

俺はそんな見え透いた話題を振ってみる。すると彼女はクスっと笑って

「ギャンブルじゃないのは確かさ」

と言って、俺をチラリと見つめてくる。まったく、かわいげのねえやつだな、本当によ。

「だろうな。お料理とお裁縫、ってとこか?」

「あははは!あんた、目は節穴みだいだね」

「そうでもねえだろ?しとやかな美人の趣味って言や、この二つだと相場が決まってる」

「それが節穴だって言ってるのさ。こんな女のどこにそんな要素があると思う?」

中尉はそう言って、高笑いを始める。まぁ、そういうな、って。俺は、ハンドルを握っている中尉の右手を指さして言ってやった。

「人差し指の腹にタコがある。そりゃぁ、包丁握ってて出来るもんだろ?」

チラリと中尉を見やる。すると彼女は、ハッとしてハンドルを握り込み指の腹を隠して

「…操縦桿を握ってるから、ね」

と小声で言った。ほう、こういう話には案外弱いんだな。

「そんなところにタコのあるパイロットなんて見たことねえがな」

追い打ちをかけてやったら、中尉はあからさまに

「そ、そりゃあんたが中途半端な訓練しかしてないからじゃないの?そんなことより…街でなにするつもりなの?」

と話題を変えにかかって来た。まぁ、いいだろう。これでまずは、俺の一勝だな。

「バーボンを仕入れるのはさっき言ったな。欲しいのは食器類と、あとはコーヒーメーカーだ。自分の部屋用と、それからオフィスにも新しいのを入れた方がいい。あんなポンコツじゃ、コーヒーじゃなく、泥水くらしか飲めん」

「そんなの、モールにだって売ってるけど?」

「分かってねえな。安物じゃどのみち泥水なんだよ」

コーヒーなんぞの対してこだわりがあるわけじゃないが、まぁ、話のタネにはなる。

ベルファストじゃぁ、土地柄か紅茶を飲むような気取ったやつらが多くて、コーヒー派の俺やジャックは肩身の狭い思いをしたもんだ。

あいつらと来たら、こっちが不用意にコーヒーを淹れようものなら、

「誰だ、そんな泥水飲んでやがるのは!せっかくのアフタヌーンティーの香りが台無しじゃねえか!」

なんて怒鳴ってきやがったもんだ。

バカ言え、どの面下げてアフタヌーンティーとか言ってんだよ。鏡見て来い、この顔面ルナツー野郎!

とか言い返してやったっけな。今考えりゃぁ、不毛なケンカしたな、俺…。

 なんてことを思い出していたら、中尉がなにか思いついたようで、俺の顔を例の表情でじっと見つめてきてから言った。

「なら、今夜はあんたの部屋でコーヒーをごちそうになることにするよ。おめかしして行くから、美味しいの期待してるよ」

色気で俺を揺さぶろうったって、そうはいかねえぞ?そんなのは常とう手段だ。真に受けると思う方がどうかしてるぜ。

「コーヒーなんかより、マティーニかなんかを用意しとくよ」

「そう?なら、シェーカーにジンにベルモットも買っておいてくれよ」

「へいへい」

「あと、そうね、ワインなんかもあると楽しめそうだね。前世紀くらいの年代物がいい」

「おいおい、ちょっと待て。それ俺が用意するのかよ!?」

「招待してくれたのはあんたでしょ?」

しまった…ここまで考えての、揺さぶりだったか。これは、俺の負け、だな。
  

834: ◆EhtsT9zeko 2014/07/14(月) 01:00:54.54 ID:MS09ySNGo

 「マティーニだけで勘弁しろよな、お嬢様」

そう言ってやったら、中尉は得意げな笑顔を見せた。

 それから二時間ほど、そうして噛みつき合いをしていたが、ややあって車が市街地に入った。ここがそう、か…。

「最初はどこへ回す?コーヒーメーカーを買うんなら、家電量販店か、専門のところがあると思うけど」

彼女は街の大通りを走らせながら俺にそう聞いてくる。それを聞いて、俺はふと考えた。

いきなりこいつを連れていくのは、あまりうまくねえかもしれねえな。

いや、向こうはどうか知らないが、少なくともこいつにとっては、ワケがわからないだろうし、

俺もまだ、説明する気にはなれない。俺自身が、どう整理をつけていけるのか、不透明で判断しかねているくらいだし、な。

「あぁ、それなんだが、ちょいと野暮用があってな。一時間ばかし一人でぶらつく。買い物はそのあと、ってことで頼むよ」

俺が言うと、彼女は不思議そうな表情で俺を見た。

「なに、女でもいるの?」

いや、待て、そうじゃない。そういうつもりで言ったんじゃねえし、本当にそういうことでもねえんだ。

「いや、違う…まぁ、ごくプライベートな問題ではあるが、な」

俺が答えると、彼女はふうん、と鼻を鳴らし、

「そ…。なら、そこに止めておくよ。私はその角のカフェで時間を潰してるから」

と言うが早いか、大通りの道路わきにあった駐車スペースに車を入れた。

「悪いな」

俺は、こればかりは皮肉のひとつでも垂れられたって仕方ない、って思いでそう言ってやる。だが、中尉は、肩をすくめて

「構わないよ。詮索するのは趣味じゃない」

と言い、それから思い出したようにダッシュボードからメモ帳とペンを取り出すとサラサラと何かを書き始め、俺に手渡してきた。

「私のPDA。用事ってのが終わったら、連絡して」

中尉は、そう言って俺の目をジッと見つめてくる。

一瞬、心臓が握られた気がして、いや、これは罠だ、と自分に言い聞かせる。

「あぁ、じゃぁ、俺も…だな」

動揺を悟られると厄介だ。俺は中尉の手からメモ帳とペンを奪い取って自分のPDAの連絡先を書いて押し戻してやった。

それを中尉が受け取るのを確認して俺は車から降りた。それから、ふう、と呼吸を整える。

こんなところで、のぼせてる場合じゃないんだがな…まぁ、ともかく、行ってみるしかねえよな。

後のことは、また後で考えりゃいい…。俺は自分にそう言い聞かせて、中尉の電話番号を胸のポケットにしまい、地図を広げた。



 

835: ◆EhtsT9zeko 2014/07/14(月) 01:01:21.22 ID:MS09ySNGo



 それから用事を済ませた俺は、車を止めた場所まで戻った。

気分はさえなかったが、さすがに中尉とやり合うのに今の心境では心もとない。

俺はそう思ってふう、と一つ深呼吸をしてから、PDAのディスプレイを撫でた。

呼び出し音が鳴ってほどなくして、電話口に中尉が出る。

<あぁ、早かったんだね>

「すまねえな。まださっき言ってたカフェにいるのか?」

<ええ。バルコニーの席だよ>

「分かった、今から向かう」

そう言葉を交わして電話を切り、すぐ向こうに見えるカフェに向かった。

中尉は、二回のバルコニー席でエスプレッソを飲みながらどこで手に入れたのか、新聞を読みふけっていた。

「待たせたな」

そう言って向かいの席に座ってやると、中尉は、わざとらしく今気が付きました、ってな顔をして俺をじっと見つめてくる。

探るようなその視線は、どうやら俺の様子を観察しているらしい。

「キスマークも口紅もついてねえだろ?」

別行動になる前に交わした会話を思い出して俺はそう言ってみる。すると中尉はクスっと笑って

「そうらしいね。さ、それじゃぁ、楽しいデートに行こうじゃない」

とエスプレッソを飲み干して立ち上がった。俺も椅子を引いて立ち上がり、二人して店を出た。

「そういえば、さっきの話だけど。家電の店と、コーヒーショップとどっちが好み?」

中尉は俺にそう聞いてくる。

「コーヒーメーカー以外にも見てえもんがないこともない。量販店を所望するね」

「そ。なら、通りの向こうがいいね」

通りを渡ってしばらく歩いたところに、その家電の量販店はあった。なるほど、それなりのサイズの店だ。

ここなら多少のいいものが揃うだろう。コーヒーメーカーに、部屋に置くファンに、それから…

あぁ、いや、コンピュータは必要ねえ、か。

 店の中に入って、とりあえずはキッチン回りの家電を扱っているらしいフロアへと向かう。

店員に尋ねるまでもなく、店内の一角に、結構な数のコーヒーメーカーが陳列されているコーナーを見つけた。

さすがにこの辺りはコーヒー豆の特産地。ベルファストの街に申し訳程度に置いてあるものとは段違いだな。

「割と種類があるんだね」

中尉がもの珍しそうに言う。

「まぁ、そうだな」

「で、どれがいいんだい?」

「そうさな…ミル機能が付いたもんもあるが…これは好き好きだな。豆の量と時間にそれから、濃さを調整できる機能がついてるもんがいいだろ」

俺はそう思って手頃そうなやつのスペック表を眺める。
 

836: ◆EhtsT9zeko 2014/07/14(月) 01:02:01.80 ID:MS09ySNGo

「ね、私、エスプレッソが好きなんだけど、これで出来る?」

「あぁ?なんだ、おめえも買うのか?」

「せっかくだし、いいかなと思って」

俺が聞いてやったら、中尉は笑顔で肩をすくめて見せる。愛嬌あるな、なんて思うわけでもないこともないが…

とにかく、今のは負けでいい。

「なら、それかこっちのがいいだろう。オフィスに置いておく方は、ミル機能も付いたヤツの方が面倒がなくてよさそうだな。オフィスでも飲むか、エスプレッソ?」

「あるとうれしい、ってとこね」

「なら、オフィス用はこいつでいいか。自分の部屋に置くんなら、そっちのやつだな。一度に2杯か3杯までしか作れねえらしいが」

「それだけなら十分だよ。別に、大勢お客が来ることなんてないわけだし」

彼女はそう言って、俺の選んでやったメーカーの箱を引いてきたカートに入れる。

俺も、オフィス用のやつをカートに入れて、それから、自分用に手挽きタイプのミルと、

アナハイム社製の小型のメーカーを選ぶ。このシリーズは、淹れ方の細かい設定ができて、気分で調整できるから楽しめる。

 それから、同じフロアにあったファンの売り場で適当に見繕ったのを選び、会計を済ませて店を出た。

付き合ってもらった礼に、と中尉の分も出してやるつもりでいたが、どうやらそういうのは気に入らないらしく、

丁重にお断りされたんで、それぞれ自分のものは自分で済ませ、

オフィスに置くメーカーの方は経費で落とせるって話だったので、領収書を切ってもらった。

中尉は、自分のを後生大事に胸の前に抱えて満足そうな表情をしている。

そんな姿を見ていた俺の視線に気が付いたようで、俺の顔を見つめ返してきた中尉に

「そうしてると、女の子だな」

なんて言ってやったら、顔を赤くしてそっぽを向いた。なるほど、これは俺の勝ちでいいな。

 一度車に戻り、そこから2ブロック離れたところにあった建物に向かった。

そこは、1階がコーヒーショップ、2階が酒屋になっているらしい。

好都合な店だな、と思ったら、待っている間に中尉が調べて見つけておいてくれたらしい。気を回してくれたことに礼を言うと

「まぁ、楽しいデートの礼ってことにしておいてあげるよ」

なんてかわいげがあるんだかねえんだかわからない言い方をしてきた。まぁだが、ここなら酒も豆も揃いそうだ。

 一階で店員と話して、オフィス用の豆のLサイズ缶と、自分用にMサイズの好みの豆の缶を選んで買い込む。

中尉は、またもや俺の言うがままに、ミルされてるフルシティローストの豆の真空パックを幾つかと、Sサイズの豆缶を買っていた。

ここはさすがに俺が押し切って支払いを済ませた。

中尉は、相変わらず妙にうれしそうな顔していて、いつもあの挑発的な視線で睨まれている身としては、和むような、戸惑うような、複雑な思いになった。

それから、二階で昨日の勝ち分にすこし上乗せした額で売っていたバージニア州産のバーボンを手にいれた。

ベルファストだとスコッチが主流で、バーボンの上物は手に入りにくいがこっちでは比較的簡単に仕入れられそうだ。

ま、酒は控えないとならんけど、な。
 

837: ◆EhtsT9zeko 2014/07/14(月) 01:02:31.17 ID:MS09ySNGo

 それから俺は中尉の買い物にも付き合ってやって、夕方過ぎには基地に戻った。

あいにく、基地の夕食には間に合わなかった。

とりあえず、オフィスにコーヒーメーカーとバーボンを置き、“好きに飲んでくれ”とだけ書置きをして出てきた。

中尉が車を男性兵舎に回してくれたんで、礼を言って降りる。ドアを閉めようとした俺に中尉は声をかけてきた。

「あぁ、ちょっと待ちなよ」

「あぁ?なんだ?」

「コーヒー、ご馳走してくれるって約束だろ?」

俺の質問に、中尉はニヤついてそう答えてくる。この女、どこまで本気なのか気になり始めてきちまった。

本気になった方が負けをみるな、こりゃぁ。

「あぁ、そういうことか。一度戻るのかと思ったぜ。ドレスにでもお召替えしなくていいのか?」

俺がそう言ってやったら中尉は笑って

「あんたがそうしてほしけりゃ、着替えてくるよ」

と切り返してくる。ったく、そういう勝負の掛けかたは反則だろう?そのやりとりじゃぁ、どうしたってこっちが不利なんだ。

いや、こいつそれがわかってて言ってきてるのか?だとしたら、相当なタマだぜ。これはしびれる舌戦になりそうだ。

「構いやしねえよ。そのままでも十分魅力的だ」

「それは光栄だね」

中尉はそう言いながら、後部座席から自分の買ったコーヒーメーカーと挽いてある豆のパックをつまんで車から降りた。

「ついでだから、使い方も教えてくれると助かるよ」

「お安いご用ですよ、お嬢様」

そう言ってやったら、中尉はまた嬉しそうに笑った。

 俺の部屋は兵舎の二階にあった。たかだか中尉とはいえ、副隊長ともなると個人部屋が与えられる。

ベッドルーム兼リビングにはベッドにデスク、ローテーブルにソファーにテレビ。

小さなキッチンには簡単な食器棚と備え付けの冷蔵庫、シャワーとトイレも完備。

ちょっとしたホテルの一室みたいなもんだ。

ベルファストの兵舎じゃ、ジャックともう一人の男と同室でむさくるしい思いをしたもんだが、そう考えりゃぁここは天国に違いないな。

 「へぇ、これが指揮官殿の部屋、ね」

中尉が皮肉交じりにそういう。

「お前は、望めばこんな部屋もとれたんじゃねえのかよ」

俺が言ってやったら中尉は笑って

「私はあいつらの上に収まるには、すこしまじめすぎるなと思ってるんだ。昇進は別の機会まで取っておくことにするつもりさ」

と言いながらソファーに座り、テーブルにコーヒーメーカーの箱を置いた。それからすぐに

「さ、使い方教えてくれよ」

なんてことを言いながら、子どもがクリスマスのプレゼントを開ける前みたいな顔をして俺を見つめてきやがる。

ったく、これを計算でやってるんだとしたら、とんでもなやつなんだがな。生憎と、ずいぶん素直にそう思っているらしかった。
 

838: ◆EhtsT9zeko 2014/07/14(月) 01:03:02.35 ID:MS09ySNGo

「あぁ、とりあえず中身出しな」

俺はそう言いながら、自分の買ってきたものを食器棚にとりあえず詰め込み、

水を入れた買って来たばかりのケトルを持ってソファーの中尉のところに向かう。

 中尉は中からコーヒーメーカーを取りだして、付属していた説明書を手に取ってしげしげと眺めていた。

「とりあえず、パックの豆とフィルターだ」

俺が言うと、中尉は付属していたフィルターと豆の封を切る。皮肉の一つでも言ってくるかと思ったが、ずいぶんと素直じゃねえか。

改心でもしたのか?なんてことを思いながら

「カップを置くスペースの上の樹脂のパネルを開けろ。そこにフィルターを詰める場所がある」

と教えてやる。すると中尉は特に迷うこともなくパネルを開いて、慎重に何かを確かめながらフィルターをセットする。

「あとは、その上に豆の粉を一袋入れておけ」

中尉はまたも素直にフィルターに豆を入れる。この手のタイプは、確か、圧縮用のハンドルが付いてたはずだな…これ、か。

 俺は機械を眺めてそれを特定し

「このハンドルをぐっと押し下げて、豆をしっかりと押し込んでロックだ。それが済んだら、パネルを閉じろ」

と教えてやる。

「カフェでこんなのをやってたね」

中尉は、そんなことを言いながら、やはり素直に俺の言った手順にしたがってハンドルをおろしパネルを閉じる。

あとは、だ。

「この部分に水を入れてやって、スイッチを入れる。熱湯になったところで、ランプが切り替わったらあとはカップを置いてそのオレンジのボタンを押せば抽出するはずだ。

 クリームやなんかは俺の買って来たのがあるから、適当に使ってくれ」

そう言いながら俺は給水タンクに水を入れ、電源ソケットを壁の差込口に押し込んで、メーカーのスイッチを入れた。

静かな機動音とともに、コポコポと湯の沸き始める音が聞こえだす。

「あとは待つだけ、だね?」

「あぁ、そうだ」

俺が言ってやったら、中尉はさっきとおなじ、子どもの顔で笑った。
 

839: ◆EhtsT9zeko 2014/07/14(月) 01:03:38.15 ID:MS09ySNGo

 それにしても、だ。夕飯の時間にゃ乗り遅れちまったし、なにか食っておきた気分だ。

「中尉、なにか食いたいものはあるか?食事の時間は終わっちまったし、デリバリーでも頼もうと思うんだが」

「いいね。ご一緒させていただきますよ、副隊長殿」

俺の言葉に、中尉はやっと、あの挑戦的な笑顔を見せてくれた。

 それから俺たちはケータリングの店でピザを一枚とサラダやフライドポテトやらを頼んだ。

湯が沸き、カップに注いだエスプレッソを見て中尉はまた嬉しそうな表情を浮かべる。

そいつを一緒にすすって、ようやくカップが空になったところで、玄関のチャイムが鳴り、デリバリーが届いた。

 食後には、中尉がご所望だった俺のコーヒーを淹れてやった。

わざわざ豆をミルで挽いて、そこそこに砕いた豆で、食後に合うよう少しあっさり目に入れてやると、彼女はまた喜んだ。

まったく、その笑顔ばかりにゃぁ、調子を崩されるな。

こんなところ、ジャックに見られでもしたらたちまち笑いものにされるだろう。いなくてせいせいするな、まったくよ。

 食後のコーヒーを飲みながら、俺は中尉と本当にどうでもいい話をしていた。

それは、車でしていた噛みつき合いでも、皮肉の垂れ合いでもない。

それこそ、彼女が好きらしい料理の話や、俺の趣味のことなんかについて、だ。

 妙なもんで、そんな時間が俺にはどうにも心地よく感じられていた。

いや、“そういうの”ってのは案外とこう、穏やかなものなのかもしれないなと思わされてしまうような感覚だった。

 コーヒーを飲み終え、食事の後片付けをした俺たちはそのまままた、とりとめのない話の続きをした。

だが、中尉は昼間の俺の用事については一切聞いてこなかった。

気にしていて気を使ってやがるんだか、本当に気にしてないのかは相変わらずわからんやつだが…

 そのどっちだっていい、と俺は思っていた。どちらにしたって、中尉は、俺に対してそうしてくれているんだろうから、な。

 不意に、ポーンと壁掛けの時計が鳴った。兵舎の消灯時間を知らせる音色だ。

俺たち指揮官には関係のない合図ではあるが、まぁ、話を打ち切るにはいいタイミングだ。

「もうこんな時間か」

「そうみたいだね」

さて、とりあえず、言っておくかな。
 

840: ◆EhtsT9zeko 2014/07/14(月) 01:04:05.54 ID:MS09ySNGo

「こんな時間まで付き合ってくれて感謝するよ、お嬢様」

俺の言葉に、中尉はピクリと反応した。それからあの挑発的な表情を浮かべて

「意外に紳士ね。何かされるものと思っていたんだけど?」

と返してくる俺だって野暮じゃねえ。お互いにどうしたいか、なんて、たかが知れている。

だが…言い出した方の負けだろう?俺とお前はそういう間柄のはずだ。

「ずいぶんなお言葉だぜ。これでもベルファストから出てきてる身だ。分別くらいはわきまえてるつもりだ」

「へぇ、それは結構なことだね」

俺が言ってやったら、中尉はそう答えてソファーから立ちあがった。

何をするかと思えば、ダイニングから引っ張っていて座っていた俺のイスの方まで歩いて来て、膝の上に馬乗りになる。

「あのあたりの紳士は、臆病者なんだね?」

「バカ言え。相手の同意がなけりゃぁ、獣と同じだと言ってるんだ」

「私にねだれ、っていうの?あはは、とんだ紳士さまだね、こりゃぁ」

中尉は俺の首に手を回して体を近づけてくる。拒む理由はない。

だが、こっちだってその一言を簡単に口に出すほど、甘くもない。

「そうでもなきゃぁ、お帰り願ったっていいんだぜ?」

俺が言ったら、中尉はクスっと笑って挑発的に俺を見つめて言った。

「帰せるものなら、帰してみればいいんじゃない?」

彼女は、俺の鼻先に自分の鼻をこすり付けてくる。ったく、そういうのは反則だろう?

生理現象が先に起こって来ちまうじゃねえか。俺は下半身に広がるムズムズとする欲求を耐えもせずに、中尉の腰に腕を回して引き寄せる。

「なるほど…なら、まずは帰りたくない、って気持ちになってもらう必要がある、ってことだな」

「あなたにそんなことができれば、の話だけどね」

俺の言葉に、中尉はまたそう言って試すような視線を俺に投げかけてくる。なるほど、自分を虜にして見せろ、ってことだな。

安く見られたもんだ。なら、そうさせてもらおうか。勝負は、そのあとにお預けといこうや。

 俺はそう胸の内で思い、それから、中尉の唇を柔らかく食み、すぐに自分の唇を思い切り押し付けた。

 出会ってまだ3日だなんだというのは野暮ってもんだ、そうだろう?こういうのは、ピンときた瞬間が勝負なんだよ。

あとは、俺のその感覚が狂ってなかったって確信を得りゃぁそれでいい。

中尉の下が俺の舌をからめとってくる。

ほらな。何一つ、間違っちゃいなかっただろう?



 

846: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:37:44.44 ID:xMrn++QAo



 その年の8月。

かねてから連邦政府との緊張状態が続いていたサイド3、10年前にジオン共和国と名乗っていたやつらが

突如として自分たちを“ジオン公国”とすることを宣言した。

それとともに、これまでにも何度か起こっていたスペースノイドによる小規模なテロが地球の各所でさらに頻繁に発生するようになっていた。

いや、地球だけではなく、宇宙もきな臭くなって行った。それに呼応するように、連邦政府と軍は軍備拡張計画を採択。

宇宙を仮想戦場とした新たな戦力の増強に入った。

新たな宇宙戦艦の投入と、戦力の補充。戦闘員の増員も計画されているらしい。

このジャブロー基地にも、宇宙軍への転属する人員を募集する旨の広告が出回った。

興味はないが、戦争だなんてのは、この際避けてほしいもんだと思ったのは覚えている。

だが、俺の思いもむなしく、事態は悪化の一途をたどっているようだった。

 俺は隊にもだいぶ慣れた。毎日訓練づけだったが、それなりの仕事をしていたつもりだし、

ジェニー、あぁ、ユージェニー・ブライトマン中尉とのことも、うまく行っていた。

毎週の非番の日には街にも通い続けていた。

この辺りのこともすっかり慣れて、そこいら中に顔見知りもできたし、

ベルファストにいたときのような居心地の良さを感じ始めるようになっていた。

 そんな0072年の冬。訓練終わりのブリーフィングで、隊長が俺たちに珍しい指示を出してきた。

明日から一週間、隊で北欧へ出向だって話だ。
 
なんのことかと思えば、週末に北欧のカウハバで行われる航空ショーへの参加の打診だった。

そんなもの、アクロバットをやるエースチームに任せりゃいいじゃねえかと文句を垂れたら、隊長は渋い顔して

「俺たちは地上待機で客の接待だよ」

なんて言った。なるほど、どうりで“お上品”な俺たちの部隊が選ばれたわけだ。

宇宙軍の拡張に動いている今、上の連中も人集めに必死のようだ。

最近じゃ、あちこちでこんなショーなんぞをやって新兵募集を触れ回っている。おそらく、これもその一環なんだろう。

まったく、面倒な任務だが…まあ、観光気分で構わないだろう。
 

847: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:38:13.59 ID:xMrn++QAo

 「北欧かぁ。あのあたりはきれいだからな。仕事以外の時間は退屈しなさそうだな」

ハウスがそんなことを言って笑っている。

「あぁ、それは間違いないな。副隊長、確かヨーロッパから来たんですよね?案内して下さいよ」

フェルプスが俺に言って来た。

「バカ言え、俺はベルファストだぞ。そんな離れた場所のことなんて知るかよ」

俺がそう言ってやると、隊員どもは口々にブーブーと文句を垂れてくる。ったく、うるさい野郎どもだ。

それにしたって…北欧、か…ジャックの野郎も来やがるのか?だとしたら、めんどくさいことになりそうだな。

俺はそう思ってチラっとジェニーを見やる。

楽しそうな表情でやりとりを見つめていた彼女は俺の視線に気づいて、不思議そうに首をかしげてくる。

あぁ、ったく、やめろよ、それ。

 「とにかく、だ」

無駄話を始めた俺たちを遮って隊長が口を開く。

「明日は長旅になる。早いうちに荷物をまとめて休むように」

「うーい」

野郎どもはいつもどおりにそうけだるそうに声を上げる。そいつを聞いた隊長は満足そうに笑った。

 翌日の朝早く、俺たちはジャブローから戦闘機に乗って飛び立った。

増槽を二つ抱えて、途中で空中給油機と合流して給油を行う予定だ。

まぁ、それにしたってジャブローから北欧までは8時間はかかる。

空じゃぁ最初の2時間はバカ話でもしてりゃぁ問題ないが、さすがにそれだけかかるとなるとしまいにゃぁどいつも黙り込んでしまう。

それでも俺たちは何とか、北欧の片田舎にあるカウハバヨーロッパ方面軍基地に到着した。

そこには、各地からの航空隊が出張って来ていて、まさに壮観の一言だった。

 翌日には航空祭の簡単な打ち合わせをして、さらにその次の日とそのまた次の日が航空ショー当日。

俺たちは愛機をエプロンに並べて飛行服に身を包み、寄ってくる観光客相手に機体や武装の説明やなんかをしていた。

野郎どもはまぁ、どうってことはねえが、当然ジェニーの方はあれだけ美形の女性パイロットがいる、となりゃぁ

人だかりの一つもできて、写真やら握手で二日間終わるころにはさすがにげっそりと疲れ切っていた。

野郎どもは良い気なもんで、さっさとこの田舎の基地を引き払って、ヘルシンキ基地へ行き、そこでの休暇をたのしむぞ、なんて息巻いてる。

<元気なもんだね>

と、カウハバからヘルシンキへ移動する間、無線でくっちゃべってるのを聞いてジェニーがそう言ったのがおかしくて、

俺は思わず笑い声をあげていたが。
 

848: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:39:14.15 ID:xMrn++QAo

 ヘルシンキに着いたのは4日目の夕方。

機体を格納庫に収めた俺たちは、兵舎に案内してくれた士官への礼もそこそこに、車を借りて総出で市内を走り回っていた。

 ベルファストやロンドン、中央ヨーロッパのあたりは、近代化されてどこへ行ってもビルばかりの街並みが続き郷愁を誘うような雰囲気はほとんど残っちゃいなかったが、

このあたりはまだ前世紀の面影がある建物がそこかしこに残っていて、雰囲気がいい。

俺の育ったキエフとは趣が多少違うが、懐かしい気持ちにさせられなくもない。

「アトランタとはだいぶ違うね」

ジェニーがそんなことを言って感嘆している。

他の野郎どもも、それぞれに思うところがあるようで、車の中からお登りさんよろしくキョロキョロとあたりを見回しながらいちいち声をあげている。

 「隊長、どこへ向かってるんだ?」

俺はハンドルを握っていた隊長に聞いてみる。

「あぁ、この先にヘルシンキ中央駅、ってのがあるらしいんだ。さっきの士官の話じゃ、大陸間鉄道の通過駅になってるらしくてね。

 見ておくと良いらしいから、とりあえず目的地はそこだ」

なるほど、市街地の中心なら、そのあとでバラけてあちこちを見て回ることもできる。それも悪かねえな。

「隊長は列車がお好きで?」

「いや、別にそんな趣味はないけどな」

俺の言葉に、隊長は苦笑いを浮かべてそう答えた。まぁ、そうだろうな。

そんなことなら、戦闘機に乗って空なんぞ飛んじゃいない。そう思って肩をすくめて見せた俺の視界に何かが映った。

あれは…煙か?

 「隊長、ありゃぁ…」

俺が声を上げるのと同時に、ふたたび沸くような勢いで煙が膨れ上がって空に立ち上った。

「爆発、か…?駅の方だ…!」

隊長はそう口にした。ったく、なんだってんだ?めんどうごとなら勘弁しろよ、こっちは休暇中なんだ!

「お、おい、あれなんだよ?」

「ただの火事、ってわけじゃないのか?」

野郎どもも騒ぎに気付いたようで、口々にそう声を上げ始める。そうしている間に、隊長の運転する車が交差点に差し掛かった。

その先に見えたのは、天井のあちこちが焼け落ち、煙と炎を吹きあげているでかい建物だった。

 それを見て、俺は一瞬、判断力を失った。一目見て、それがただの火事ではないことは明白だったからだ。

だとするなら、事故か、あるいは、故意にやらかしたか、だ。火事でなら、あんな屋根の崩落にしかたはありえねえ。

ありゃぁ、まるで、内側から爆発したような穴じゃねえか…

 「これが中央駅…!」

隊長がかみしめるように言う。隊長の言葉で、俺はハッと我に返った。

そうだ、ここは駅なんだ。救助はどうなってる!?中に人を残してんじゃねえだろうな!

「くそっ!なんだってこんなことになってんだ!」

そう叫びながら俺は思わず、停まった車から飛び出していた。あたりには警官隊と救急隊が山ほど詰めかけている。

俺は警備にあたっていた制服姿の警官を捕まえた。
 

849: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:39:45.04 ID:xMrn++QAo

「おい、どういう状況なんだ!?」

「あっ、ぐ、軍の方ですか!?ここは今は、テロリストによる破壊活動が進行中で…!」

「テロリストだと!?」

俺はそれを聞いて再び駅舎を見やった。でかい駅舎は、すでに穴だらけで全体が崩壊寸前に見える。

あちこちにあいてるあの穴ぼこは、爆弾か…?くそったれ!こんなことをやりやがるのがいるのか…!

政府や軍相手ならいざしらず、ここは民間の施設で民間人しかいないんだぞ!?

なんだってこんなところを標的にしやがるんだ…!俺は湧き起る怒りに体が震えそうになるのをこらえて拳を握りしめた。

政治状況なんぞは理解してる。連邦政府が、スペースノイドを食い物にしていることもわかってる。

公国と名を変えたジオンも、それ以外のスペースノイドも、多かれ少なかれ、政府や軍部に対する締め付けに反発していることだって最近始まったことじゃねえ。

だが、それがこんなことをする理由になって良いワケがねえんだ!

立ちすくんで、怒りをこらえつつそう思っていた俺の耳に、誰かが叫ぶ声が聞こえた。

「生存者だ!」

「子どもだぞ!」

「3班、保護しろ!救急隊、前へ!けがしてるぞ!」

その声に引かれるようにして、炎が噴き出している駅舎の出口を見やった。

そこには、一人の女性を背負って駅舎の出口から這い出すようにして抜け出してきた、ブロンドの少女がいた。

くそっ…寄りにもよって、子どもが巻き込まれてんのかよ!

 指示を受けた武装警官隊が少女のところへ駆け出す。

しかし、次の瞬間、駅舎の中からバリバリバリという激しい音とともに銃撃があって、そのうちの何人かがもんどりを打って倒れ込んだ。

流れ弾があたりに散らばり、広場を包囲してる警察車両に当たってカンカンと火花が散る。

俺も瞬間的に車両の陰に身を隠し、それ以上の攻撃がないことを確かめて顔を上げる。

突撃していった警官隊はひるんだのか、すぐさま足を止めて、仲間を引きずり後退していく。駅舎の入り口に、少女と女性は残されたままだ。

 くそったれ!威嚇も支援射撃もなしに突っ込んだらそうなるってわかんだろ素人め!どうする…!?

あのままじゃ、あの二人、流れ弾にでも撃ちぬかれるか、爆発か、建物の崩落に巻き込まれちまうぞ…!

だが、こいつらはただの警官だ…せいぜい、相手したことあるのは武装強盗程度だろう…

俺だって、陸戦を経験したことなんてねえが…俺たちパイロットは、敵地降下時のサバイバル訓練と戦闘訓練は一通り受けてる…

あいつらよりは、マシ、か。

ったく、やるほかにねえだろ…!放っておくわけに行くかよ!

権限だ、管轄だ、なんて細かいことを言ってるときじゃねえ…そんなもん、クソくらえだ!

俺は自分を抑えきれずに、次の瞬間には怒鳴っていた。

「おい、貸せ!」

目の前にいた警官からサブマシンガンを奪い取って、警察車両の向こう側に張られていた警戒線を飛び越えた。

「お、おい!とまれ!」

「危険だ!…あれ、誰だ!?軍人か!?」

そんな声が聞こえる中、俺は姿勢を低くしながら駅舎前の広場を駆け抜けた。

サブマシンガンを乱射しながら二人のそばに滑り込む。応射はねえな…中はヒデエ状況だ。

テロリストの連中も、息も絶え絶え、か?寄りにもよって、自爆かよ…

だとしたら、じきにこの建物を全部吹き飛ばすくらいの爆発を起こしてもおかしくはねえな…

そう考えを巡らせながら、俺は傍らの二人を見やった。
 

850: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:40:12.88 ID:xMrn++QAo

「おねえちゃん!おねえちゃん!やだよぅ…やだよ!!死んじゃダメおねえちゃん!起きてよ、起きてよぉ!」

少女は倒れ込んだ女性を抱いて泣きわめいていた。女性からは、明らかに出血の跡が見える。

女の子の方も血まみれだが…これは、この女性の血か?俺は少女の血まみれの背中をさする。

ケガの様子は見られない。今度は、女性の首元に手をやった。脈は、ない、か…

姉ちゃんって言ってな、この子ども…肉親、なのか?それに気づいて、俺は一瞬、脳裏に何かがよぎるのを感じた。

だが、次の瞬間、

 「レオン!あんた、なにバカやってんだ!」

と怒鳴り声がしたと思ったら、すぐそばにジェニーのやつが滑り込んできた。

手には、これも警官から借りてきたんだろう、ハンドガンが握られている。

そうだ…今は、そんなことを考えてる場合じゃねえ…とにかく、生きてるこっちの子どもだけでもここから引き離さないと危険すぎる!

「こっちの女はもうだめだ!さきに、この子を!」

俺は少女の体を引っ張ってジェニーに預けようとする。だが、彼女は動かなかった。

女性の体にしがみつき、まるでここで手を離しちまったら、この“姉ちゃん”が二度と戻ってこないだろうって確信しているような、そんな感じだった。

「おい!お前まで死んじまうぞ!早く来い!」

「やだぁぁぁ!おねえちゃんと一緒にいる!おねちゃん…おねえちゃぁぁぁん!」

ダメだ…こいつ、完全に錯乱してやがる…力ずくで引き離しちまうのは簡単だが…髪の色も、肌の色も違うが本当に肉親なのか…?

いや、だが…くそっ、生きてようが死んでようが、そんな風に呼ぶ人間と無理やりに引きはがされちまうような別れ方は御免だな…

そうされた思いを知っている俺が、それをやっちゃぁ…自分自身で証明することになっちまう。

そういう希望や、そういう想いが、現実ってやつに無残に切り裂かれる、ってことを、だ。

そいつと戦っている俺が、そんなこと、できるわけがない…少なくとも、俺自身と、あいつが許しゃしねえだろ…!

だが、どうする!?このまま俺が二人を抱えて広場を走り去るにしたって、さっきの警官隊の連中のように機銃掃射を受けない保証はない。

おそらくあれは、ライフルじゃなく、ミニガンの類だ。

補足されて狙いをつけられたら、とてもじぇねえが、人間の脚で逃げ切れるもんじゃねえ。

 そんな時だった。モーターの回る激しい音とともに、借りてきた軍用車が広場に突っ込んできていた。

車は俺たちから数メートルのところに、タイヤを鳴らして停車する。

「副隊長!援護します!早くそいつら連れてこっちへ!」

とすぐに、いつの間に降り立ったんだか、ハウスが警官隊用のシールをを構えて車のフロンに姿を現した。

ハウスめ、良いぞ!その位置なら、車を盾にして退避できる!この状況なら…!

俺はそれを確認して、ジェニーにサブマシンガンを手渡した。

「俺が二人を運ぶ!援護頼むぞ!」

そういうと、ジェニーは笑った。大丈夫だ、俺はお前になら背中を預けられる。そう思って、俺も笑顔を返してやった。

それを見たジェニーは、黙ってうなずき、駅舎の中に銃口を向けた。

 ババババと火薬の炸裂する音がする。

「走りな!」

同時に彼女が叫んだ。俺は少女と女性の体をまとめて抱き上げると、軍用車目がけて走った。

軍用車の脇で、フェルプスとザックが防弾シールドを構えて俺を迎え入れる体制を取ってくれている。

さらにその陰から、ハウスとノーマンがアサルトライフルで援護射撃もくれている。ったく、良いチームだよ!
 

851: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:40:42.29 ID:xMrn++QAo

 俺はそのまま広場を走り抜け、フェルプスの構えた盾の後ろに飛び込んだ。ジェニーもすぐさま俺に続いてくる。

よし、よし、無事だな!?

「ジェニー、ケガは!?」

「応射はなかった、問題ないよ!そっちは!?」

「この女は脈がない!救急隊!こっちだ!」

俺は息が切れるのも気にせずに女を軍用車の陰に引きずりながら怒鳴る。すぐさま気道を確保して心臓マッサージを始める。

この出血だ…無駄かもしれないが、とにかく、やるだけやってやる!

「おねえちゃん…おねえちゃん…!起きてよ…おねえちゃぁぁん!」

少女がまた女性にすがり寄ってくる。俺のそばに駆け寄って来たジェニーがすかさず女性に口付けて人工呼吸を始めた。

心臓も呼吸も止まってるのは知ってんだよ!くそったれ!奇跡でもおこりやがれ!

「おい、お嬢ちゃん、大丈夫だから」

ハウスが俺とジェニーのCPRの邪魔にならないようにと少女を引きはがそうとしているが、

そうすればするほど、少女は女性にしがみついて作業の邪魔になる。ハウスはあきらめて少女の頭をなで始めた。

 そうしている間に、俺たちの周りに武装警官部隊に警備された救急隊がかけつけ、女性は少女とともストレッチャーに乗せられて、

俺たちと警官隊に援護されて広場を抜けた。隊長が盾に使った軍用車も広場の外へと逃がしてくれた。

俺はジェニーと、それから最後まで様子を心配そうに見つめていたハウスと三人で、ストレッチャーごと救急車に乗せられた二人が、

後部のハッチバックを閉められて見えなくなる。

救急車は、けたたましいサイレン音とともに猛スピードで現場を離れ、俺たちが来た交差点を曲がって、姿を消した。

 あの女性は、おそらく、消防隊だった。あの特殊な防火ブーツは確かそうだったはず。

おそらく、爆発と火災の第一報を聞いて駆け付けたんだろう。

テロリストがいたのを知っていたのか…知っていたが、あの少女を助けるためにわざわざ突っ込んで行ったのかはわからないが…

そんな人間を傷つけて、あんな少女も巻き込んで…政治的主張だと…?ふざけるな…そんなのは、ただの怨恨じゃねえか。

どんなに立派な大義を掲げてようが、スペースノイドが政府にどんな仕打ちを受けていようが、

こんなのは…このやり方は許せねえ…!

―――お願い、この子を、守って…

そう思っていた俺に誰かがそう言ったのが聞こえて来た気がして、ハッとした。俺は思わず、ジェニーを見つめていた。

「ジェニー、お前今、何か言ったか?」

「いいや。何も…?」

ジェニーの言葉に、そうだろうな、とは思った。今のはジェニーの声色とは違った。だが、じゃぁ今のは…?

空耳なんかじゃ、ない感じではあったが…そう思っていた俺の耳に、バキバキ、と何かが軋み折れるような音が聞こえてきた。

ハッとして顔を上げた俺の目に映ったのは、基礎構造から崩壊してつぶれていく駅舎の姿だった。

ズシン、という鈍い音と衝撃とともに炎が吹き上がり、熱が俺たちを煽る。

だが、俺は、身を隠すことも、目を閉じることもなくその光景をジッと見ていた。バカ野郎どもめ…命を、なんだと思ってんだ。

死にたくないと思ってる連中を殺すなんてこと、どうしてしようと思うんだ。

ましてや、自分の命を投げ出してそんなことをしようなんてことを、どうしてやっちまうんだよ…。

世の中にはな、どう抵抗しようが、どんなにあがこうが、生きたくったって生きられないやつも―――

そう思いながら俺は、いつの間にか血まみれになった自分の手を握りしめて、立ち尽くしていることしかできなかった。


 

852: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:41:42.36 ID:xMrn++QAo




 「ふぅ」

その晩、俺は部屋で、差し入れてもらったバーボンを煽りながら、一人窓辺で星空を眺めていた。

あれから、俺を気遣ってか、隊長からハウス達が変わり順番にやって来て、どうでもいい話をしていっては部屋を出て行った。

別に、落ち込んでるわけでもショックを受けているわけでもねえ。

あんな無差別殺人を見たから、といって、腹が立つことこそあっても、ただそれだけ。一杯飲んで寝ちまえば忘れられる。

 そう思っては自分に言い聞かせているんだが、俺は妙に、あの時に聞こえた気がした声が気になっていた。

それと同時に、あの二人がどうなったのか、も。

そのせいなのか、今の俺は、ショックや怒りなんてことではない、別の感情に支配されていた。

胸に穴が空いたような、気力も、思考も、他の余分な感情さえそこから流れ出て行ってしまっているような、そんな感じだ。 

 コンコン、とノックする音が聞こえた。俺はハッとしてドアを見やる。来てくれた、か。

そろそろじぇねえかと思ってたところだ。いや、正直、少し、待ち遠しいと思っていたくらいだ。

「開いてるぜ」

そう声をかけるとキィっとドアを開けて、案の定、ジェニーが顔を出した。ジェニーは俺を見るなり苦笑いで

「ひどい顔」

といいながら、後ろ手にドアを閉めて俺の方へと歩み寄ってくる。ひどい顔、ね。まぁ、お前が言うんならそうなんだろう。

ジェニーは俺の体に腕を回してきて触れ合うだけの、微かなキスをしてくる。

それから、俺のバーボンを奪い取って口を付け、ため息をついた。

「あの女性、亡くなった、って」

ジェニーは、そうかすれた声で言った。

「そうか…」

まぁ、そうだろうな、とは思っていた。あんな出血をしていて、あの場ですでに呼吸も脈もなかった。

搬送よりも輸血を最優先にしたところで、助けられなかっただろう。だから、別に何がショックだ、ってわけじゃねえ。

だが、この押し込んでくるような感覚はなんだ?ジェニーが言うように、顔にまで出てるこの感じは…?

「子どもの方は?」

「無事だ、って話。でも、精神的なダメージは相当だろうね」

ジェニーがそう答えて、俺にすり寄ってくる。無事だった、といわれたところで、気分が良くなるわけでもねえ。
 

853: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:42:10.41 ID:xMrn++QAo

 それが何かは、結局のところ、わからなかった。

だが、俺はまるで何かに促されるようにジェニーを抱き寄せて、ブロンドに顔をうずめていた。落ち着かないこともない。

だが、根本的な部分は解決したようには感じられなかった。

そんな気持ちに煽られてなのか、俺は自分でも特に気にしてないようなことを、ジェニーに聞いていた。

「あの女を助けられたと思うか?」

「え?」

「もし、俺が彼女を助けられたとしたら、どうするべきだったのか…」

「あぁ…さぁ、ね。彼女が、いつどこで撃たれたのかはわからない。

 仮に、あと10分早くたどり着いてたとしたって、その時にはもう手遅れだった可能性もあるんだ」

「そうだな…」

ジェニーの言葉に、俺はそう言ってうなずいた。と、首元に顔をうずめていたジェニーが俺を見上げて聞いてきた。

「後悔でもしてる、っての?」

「いや、そうじゃない…。ただなんとなく、な…どうにかして助けてやれなかったもんか、と、そんなことを思った」

俺の言葉に、ジェニーは返事をしなかった。その代わりにまた、俺の首元に顔をうずめてくる。

ふと、そんなことをしてくるジェニーが気になった。俺のこの感覚を、もしかしてこいつも持っちゃいねえだろうな?

「お前は大丈夫かよ?」

俺が聞いてやると、ジェニーは再び顔を上げた。

「別に。やれるだけのことはやったし、仕方ないだろ。そんなことより私は、あんたが心配だよ」

ジェニーはそう、潤んだ瞳で俺を見上げながら言って来た。ったく、柄にもねえだろ、そういうのはよ。やめろよ。

そう伝える代わりに、俺はジェニーの額に口付て、窓辺を離れた。

それから、ハウス達が置いていったグラスにジェニーの分のバーボンを注いでやる。そいつを突き出しながら俺はジェニーに頼んだ。

「しばらく付き合ってくれ」

細かいことを伝えられるほど、自分自身の気持ちがわかっているわけでもない。

何かを話してすっきりできるほど、単純な物でもねえ気がする。

だが、それでもジェニーは、何も聞こうともせずに、少なくともここには居てくれるだろう。

情けねえ話だが、今はそうして欲しい気分なんだ。俺の言葉を聞いたジェニーは、意外にもクスっと笑った。

「珍しいこともあるもんだね。いいよ、甘えさせてあげるよ、僕ちゃん」

そんな挑発的な言葉に、俺は笑顔だけ返してその晩はジェニーと間借りの兵舎の一室で過ごした。



 

854: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:42:43.13 ID:xMrn++QAo




 翌朝、多少気分が整っていた俺は、朝食の席で隊の連中に昨日の詫びを言って回った。

どいつもこいつも、気にするな、なんてことも言わずに、妙な笑顔で俺の肩をポンポンとたたきやがった。

おめえらにそんな顔されても、嬉しくもなんともねえ、なんて皮肉を言う気にもならなかった。

まったく、ほんとに気の良いやつらだ。

 食事を摂ってしばらく経った昼前。俺たちは機内で食べるチューブ食や水を受け取って、基地の滑走路から飛び立った。

ここでも隊の野郎どもは、休暇がつぶれた不満も、疲れたの一言も言わなかった。

ただいつも通りに、無線でバカ話をしちゃぁ笑って、3時間もすれば黙りこくって欠伸なんかを漏らしだす。

良い部下を持って、幸せだよ、俺は。

 そうして俺たちは大西洋を半分以上飛行した。そろそろカリブ海が見えてくる頃か、と位置情報を確認していたところへ、

ヘルメットの中に発信音が響いた。

なんだ?こいつは部隊内の無線の発信音じゃねえ。もっと上位の部署からのもんだ。慰労のお言葉でももらえるってか?

<こちら、ジャブロー防空司令部。第81飛行隊聞こえるか?>

<こちら81飛行隊>

無線に隊長が答える。

<緊急事態が発生している。急ぎ、方位320へ転舵。ケープ・カナベラルへ向かえ>

…緊急事態だと!?

「いったい何だってんだ?」

俺は思わず、そう無線に口を挟んでしまっていた。だが、それに反応せずにまずは隊長が

<各機へ、方位320へ>

と指示をしてきた。とにかく俺もそいつに従って機体を旋回させ北北西へ進路を取る。

<で、司令部。どういうことだ?>

全機が方位を変えたのを確認して、隊長がそう聞き直す。

<緊急事態につき、情報が錯そうしているため、判明してることのみ説明する。

 2時間前、サイド2から地球へ飛行していた輸送シャトルがハイジャックにあった。

 このシャトルには政府高官が搭乗しており、SPと犯人グループ間で銃撃戦が発生。

 機体の奪回には成功したものの、銃撃戦とテロリストによる爆破工作でシャトルは破損している>
 

855: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:43:25.11 ID:xMrn++QAo

テロリストだと…!?昨日のヘルシンキの事件と何か関連があるのか…?同じグループの犯行か…それとも全くの別組織?

いずれにしても…また、民間人を巻き込みやがったんだ、クソ野郎どもめ…!

そんな俺の思いをよそに、司令部はさらに状況を伝えてくる。

<電気系統を一部損傷した機体は、現在、スラスターの一部と制動板への電気供給が一時ストップし、引力圏に引かれて降下中だ。

 統合参謀本部の計算だと、このままの角度で大気圏への再突入が成功した場合、南米西側の都市部周辺に降下することになる>

おいおい、待て…制動板が故障したまま滑空する、なんてことになったら、機動を変えることはおろか、着陸態勢にすら入れないぞ…!?

<そんな…それじゃぁ、そのまま市街地に突っ込むことに…>

ハウスの声が聞こえる。もしそうなったら、どれだけの人間が巻き込まれるかわかったもんじゃない…

<そもそも、そんな機体で大気圏再突入が可能なの?>

<現在、偶然乗り合わせた軍のパイロット候補生が生きているスラスターを使って進入角度の調整を行っている。

 機体の外壁自体の損傷は、宇宙軍戦闘機隊が現在確認中だ>

<パイロット候補生?正規のパイロットはどうしたんだ?>

<銃撃戦の最中に、パイロット、コパイも負傷。パイロットについては死亡しているとの情報も入っている>

<状況は芳しくないね>

「で、ケープ・カナベラルへ向かってどうしろって言うんだ?」

<当該基地で、新型のFF‐3型戦闘機セイバーフィッシュの高高度飛行仕様への換装を進めている。

 これを使い、高高度で大気圏再突入を終えたシャトルの迎えを任せる>

<迎え、って…それ…>

ノーマンの低い声が聞こえる。迎えと言ったって、そう単純な意味じゃねえのはすぐに分かった。

大気圏に突入してきたとなりゃぁ、今度はさっき言ってた市街地へ不時着するかもしれないってことだ。

もしそうなりそうなときは…

<もしものときは、撃ち落とせ、ってのか>

<その通りだ>

隊長の言葉に、司令部は乾いた口調で答えた。

 そうだろう、な…他に方法がないとなりゃぁ、いよいよそうするしかない…シャトルは核エンジンを積んでる。

不時着して万が一のことがありゃぁ、それこそ大惨事だ…それに、もし南米の西側に落ちるんなら、あの街も巻き込まれかねない…

そのときは、やるっきゃない…が…くそっ、どうしたって気持ちの良い任務じゃねえな…!

俺はそんな思いを胸の内に秘めながら、今はただ黙ってそうしているほかにないことがわかって、とにかく操縦桿を握ってケープ・カナベラルを目指した。

だが、もしものとき…本当に撃墜しか方法がなくなったとき…俺は、引き金を引けるのか…?

そんな疑問が、俺の頭の中を渦巻いていた。

 30分ほどで陸地が見えてくる。同時に、無線が音を立てた。

<こちらケープ・カナベラル航空基地。エリア286を飛行中の部隊は、ジャブロー防衛軍機か?>

<あぁ。こちらジャブロー防衛軍の第81飛行隊。スミス・ジャイコブ少佐だ>

<了解した。急いでくれ、時間がない>

そんな声と同時に、はるか先の陸地に明かりがともった。優先誘導灯だ。

他の機体の着陸を待たせてでも、俺らを下ろしたい、ってわけか。

ったく、他にも手頃な飛行隊はあるだろうってのに、どうして近くを飛んでた、ってだけで俺たちなんだよ!
 

856: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:44:45.99 ID:xMrn++QAo

 そんな俺の思いとは裏腹に、隊長達は次々と滑走路へと降り立っていく。俺もそれに続いて、着陸をした。

機体をエプロンに移動させてキャノピーを開けると、すぐそばに軍用トラックが止まってた。

先に降りた連中が次々とその荷台へと飛び乗っている。俺も、コクピットから這い出て、その荷台に乗り込んだ。

 トラックで連れていかれたのは、小型のロケットのようなものが並んだ打ち上げ場だった。

おいおい、ちょっと待ってくれよ…こいつぁ…!

 俺が見たのは、二本セットになったロケットに、新型多目的戦闘機、セイバーフィッシュが打ち上げられるシャトルのようにくっついている姿だった。

高高度戦闘機、とは言ってはいたが、まさか、こんな形で宇宙と地球の間まで飛ばされるとは思ってもみなかったな。

「おいおい、まるで宇宙まで打ち上げようって感じじゃねえか」

フェルプスがそうつぶやく。

すると、トラックを運転していた男が言った。

「ほとんど同義です。本来であれば、増設したブースターで高高度までの上昇が可能ですが、

 今回は有事に付き、加速と上昇の時間が惜しい。そのために、強制的に加速と上昇をさせるプランです」

「大丈夫なんだろうな?」

「えぇ、むしろ、最初からこうする形式での機体設計です。

 もちろん、コストがかかりすぎるので、普段はバーニアでの上昇が求められますが、これはこれで、あの機体の仕様です。ご心配なく」

隊長の言葉にドライバーはそう説明をする。それからすぐに

「来てください!そのフライトスーツでは危険です。新型のノーマルスーツの着用をお願いします」

といって車から降りた。俺たちはそのまま、まさに簡易で建てましたと言わんばかりのテントの中に押し込まれ、

細身の宇宙服のような全身スーツに着替えさせられた。高高度は酸素が薄いうえに、キャノピーが凍り付くほどの温度だ。

このレベルの装備は必要、か…それに離陸はあのロケットにへばりついていくんだ。

それなりの耐G性能がなきゃ、たちまちブラックアウトしちまう可能性だってある。

 「よし、全員準備済んだな?」

テントの外に出た俺たちの姿を確認して隊長が言った。

誰一人声を出して返事をするものはいなかったが、どいつもこいつも、神妙な面持ちで深々とうなずいて見せた。

それから俺たちは技術担当士官にそれぞれの機体に案内された。

新型機、ね…こんなときでもなけりゃぁ、多少は楽しめたんだろうが、今はそんなことにいちいち感心している場合じゃねえ。

連絡シャトルが大気圏に無事に再突入できたとしたって、司令部の計算が間違えてるか、

あるいは突入で多少の軌道変化でもしてくれてなけりゃぁ、どのみち俺たちが撃ち落とさなきゃいけなくなる…。

宇宙世紀元年でもあるまいし、戦争のねえこの時代に、人を殺すことを覚悟している軍人がどれくらいいるか…

いや、敵を殺すのなら仕方ねえ。だが、これから落とすかも知れねえのは民間機だ。

いくら軍人でも、そんなことを喜んでやるようなやつを前線に置いておくほど上層部もバカじゃねえだろう。

俺たちにしたって、それはおなじだ。だが、そうは言ったってそのときはやってくる可能性が高い…

そのとき、俺は何をすべきだ…?

 そんなことを考えていたら、技術士官が操縦の説明を終えてラダーで作業用の足場へと降りて行った。

それにしても、妙なもんだな。離陸しようってのに、寝ころんで真上を向いてるとは…こんなんじゃ、本当に打ち上げロケットも同じ、か。

問題はこのロケットを切り離す瞬間だろう。

スラスターに増設のバーニアもついてるが、空気も薄く引力も弱い高高度に不慣れな俺たちがそこで姿勢制御をどれだけやれるのか、が、まずは大きな課題だろう。

高度を保っていられるかすら、わからんからな。
 

857: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:45:25.98 ID:xMrn++QAo

 <こちら、ケープ・カナベラル打ち上げ管制室。これより、各ロケットの打ち上げを開始する。

 打ち上げはほぼリモートで行うので心配はいらない。切り離しタイミングは各ロケットごとに無線で指示を入れる。

 高高度での機動は緩慢だ。急旋回を図ると失速する危険性があるので注意されたし>

管制室からの無線が聞こえた。高高度飛行なんぞ、訓練兵時代以来だ。そんなありきたりなアドバイスでも泣けてくるよ。

<高高度飛行か、緊張するな>

<ははは、俺に着いて来いよフェルプス。俺は訓練兵のころ、この訓練だけはいつだって主席だったんだ!>

<向こう見ずのハウスらしいな。危ないことやらせたら、お前の右に出るやつはそういない>

<それは褒め言葉だと受け取っておくぜ>

野郎どもはそう言って笑っていやがる。まったく、いつだって頼りになる連中だぜ。

 <1番、2番、3番までのロケット、点火20秒前>

無線からそう聞こえてくる。俺のロケットは2番。1番は隊長で、3番はジェニーだ。

まぁ、隊長とジェニーの心配はいらねえ、か。くっちゃべってるハウス達も、おそらく平気だろう。

残りの末尾のやつらが心配だが…まぁ、そればかりは上がってみないと何とも言えんな。

 轟音が聞こえてきて、機体が激しく振動を始める。どうやら、点火が始まったようだ。

俺はスーツのグローブを確認し、操縦桿を一度握って感触を確かめてから手放し、耐G姿勢を取る。

こいつを握るのはもう少し後、だ。

 <10、9、8,7…>

カウントが刻まれていく。俺はさすがに胸を締め付ける緊張を感じていた。まぁ、こいつばかりは仕方ねえ、か。

ははは、我ながら、まだこんな気持ちになっちまうなんて、青いところも残ってるもんだな。

<6、5、4、3…>

機体の振動がさらに激しくなった。さぁ、行くぞ…!

<2、1、0!イグニッション!リフトオフ!>

無線からそう聞こえるや否や、さらに振動がおさまった代わりに強烈なGと激しい轟音とともに、機体がロケットごと浮き上がる。

見える視界なんて空っきゃねえが、それでも機体がまるで打ち上げ花火みたいな勢いで上昇してるのがわかる。

俺は体を襲う強烈な重力に歯を食いしばって対抗する。

人が宇宙へ上がるために振り切らねばならないこの重みは、俺たち人間という種が地球で生まれ育った生き物だってことの証明だ、と言っていたのは、訓練校の教官の言葉だったか。

その言葉の意味は、なんとなく分かるぜ。この星は、俺たちの故郷であり…おそらく、檻でもあるんだろうな。

良いか悪いかはとらえる人間次第だろうが…。

 <1、2、3番機、間もなくロケットをパージする。操縦桿を握り、姿勢制御に備えよ>

不意に、無線が聞こえてきた。俺は、幾分か軽くなったGに抵抗しながら操縦桿を握り、エンジンの出力をチェックする。

問題はなさそうだな。

<パージ、5秒前。3、2、1、0!パージ!>

無線の合図とともに、ガクン、と衝撃があって、機体がロケットから切り離された。

背面状態で放り出された俺は、Gがさらに軽くなっていくどころか、マイナスGがかかっているような感覚に陥った。

だが、焦るな…相対速度的には、まだ上昇を続けている。今マイナスGを感じているのは、慣性のせいだ。問題はない、はずだ。

俺はそう考えながら、操縦桿をゆっくり倒して機体をロールさせていく。空気の薄い高高度では、揚力が得られにくい。

激しい機動をすれば、失速のリスクが付きまとう。

増設したオプションのブースターは調子がいいようだし、大丈夫そうだな、俺は。
 

858: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:46:28.46 ID:xMrn++QAo

 やがて機体が裏返り、通常飛行の状態になる。高度も、速度も問題なし。

なんだよ、慣れてない、といっても、やりゃぁできるもんだな。

「こちら、副隊長機。こちらは準備よし。隊長、ジェニー。どうだ?」

<こちらジェイコブ。こちらも問題ない。しかし…いつ来ても、すごい景色だな>

<こっちも無事よ、レオン。それにしても、隊長の言葉、違いないわね…なんてきれいな藍色なんだろう>

俺の声掛けに、すぐさま隊長とジェニーの返事が返って来た。二人の言葉に、俺もキャノピーの向こうの空を見やる。

確かに、すごい景色だ…地球がはるか地上に見えている。

空は深いディープブルーで、地球との境目に視線を投げると、その際だけが良く見知っているあの青をしている。

戦闘機乗りでもそうそう味わうことのできない景色だ。

<ふぅ、いやはや、すごいGだな>

<おい、そっち大丈夫か?>

<問題ない…だが、スカスカする感じだな。少し不安だ>

後続のハウス達の声がする。不用意に機体を傾けると失速の危険がある。

俺はキャノピーにヘルメットを押し付けるようにしながら眼下を確認すると、下からさらにロケットをパージさせた戦闘機が舞い上がってくる。

 やがて、隊の10機が無事にこの宇宙地の境目までたどり着いていた。

末尾の連中も、なんとか大丈夫そうで俺は胸をなでおろした。

<こちら第81戦闘機隊。全機上がった>

<了解した。貴隊をレーダーで捉えている。間もなく、方位270の太平洋上でシャトルが大気圏に突入する>

隊長と管制室との無線が聞こえた。今は、北に向けて飛行している。西は左、か。

俺は現在の位置を確認しながら9時方向の空を見上げた。はるか遠くに星のような点が見える。あいつか?

<管制室へ。シャトルとの無線ラインを確認したい。突入直後からこちらで指示できる>

<了解した。シャトルは現在、宇宙軍と一般バンドで交信している。周波数は、A5チャンネルだ。

 第81戦闘機隊各機へ、方位270にヘッドオン。再突入予想付近をレーダーに表示している。その宙域へ向かってくれ>

<了解した、各機、方位270にヘッドオン>

隊長がそう指示をして、先頭で機体を翻す。俺たちも、失速に注意しながらそれに続いて方位を変えた。

全機がなんとか方位を変更したのを確認して、俺は無線のバンドをいじる。

すると、すぐにけたたましい音がヘルメットの中に響いてきた。
 

859: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:47:06.64 ID:xMrn++QAo

<2番スラスター起動!>

<まだだ!もう2度角度を下げろ!>

<了解…!再度、4番スラスターにトライします!…あぁ!くそ!やっぱり4番起動せず!>

<2番の維持だけじゃダメだ!>

<生きている9番を噴射して機首を下げるのはダメですか?!>

<…つんのめる危険がある…!そうなったら、その機体じゃ再度の調整は不可能だ!>

<でも、このままじゃ燃え尽きます!>

<おい!ルナツー基地!なんか良い案ないのかよ!?>

<現在、検討中だ>

<バカ野郎!突入まであと5分もねえんだぞ!急がせてくれ!>

これは…シャトルと宇宙軍のやりとりか?シャトルの方からはとりどりの警報音が聞こえている。

会話を聞くと、芳しい状況ってわけでもなさそうだ…降りてきて軌道の変化がなければ、撃墜の必要がある、が…

だからといって、無事に突入してきてくれれば、最後の最後まで何かしらの対応ができるはずだ。

今はとにかく、無事に降りてきてくれるのを祈るほかにない。

「こちら、ジャブロー防衛軍所属の飛行隊。遭難シャトルへ。こっちのエスコートの準備は済んでいる。

 頑張れよ、なんとか熱圏を突破して来い!」

俺は無線にそう呼びかけてやる。すると、すぐに

<こちら、輸送シャトル!…了解です、なんとかやってみます…!>

と声が帰って来た。なんとか、ね…なるほど、このヒヨッコ、根性だけは座っているらしい。

あとは、それに見合う技術と対処能力があればいいんだがな…

<9番スラスター、起動します…!>

<…それしか手がない、か…いいか、一瞬だぞ!2度以上角度が下がれば、弾き出されるか、出なきゃ機首から解け始める…!>

<了解です…行きます、9番、起動…!>

<どうだ!?>

<あぁ、1度足りない!>

<ちっ、ビビりすぎたか…!>

<隊長!熱圏まで、もうすぐそこです!これ以上行くと、俺たちが戻れなくなります!>

<お前たちは下がれ!あとは俺だけでいい!>

<でも…!>

<大丈夫だ。こんなときのための追加耐熱装甲だろ>

<ですが、その装甲で大気圏再突入の実績は…!>

<なんとかする!とにかくお前らは下がれ!>

宇宙軍の連中の声が聞こえる。無茶しやがる…殊勝な連中だが、いだたけないな!
 

860: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:47:37.42 ID:xMrn++QAo

「おい、宇宙軍!シャトルのことはこっちに任せろ!無茶するんじゃねえ!」

俺は無線にそう言ってやる。だが、この隊長というやつは

<ダメだ。ギリギリまでの調整を続けないと、燃え尽きる!>

と怒鳴り返してきて聞きやしない。そりゃぁ、こっちは状況が見えねえから指示の出しようがないが…

くそっ、お前、死ぬ気かよ!?

<もう一度…もう一度9番スラスターを使います…!>

<くっ…了解した…!慎重に行け!>

<9番起動!>

<どうだ!?>

<あぁ、1度マイナス!>

<8番起動させろ!再調整!>

<了解、行きます!…8番、頼む…!や、やった!やりました!突入適正角度!>

<隊長!>

<…!?ちっ…一瞬、遅かったか…!>

そう無線が聞こえたときだった。はるか遠くに見ている点が、徐々に赤らんでくるのが確認てきた。

野郎…!熱圏に突っ込んだか!だから言ったんだ!

耐熱装甲を付けているからって、こんな戦闘機じゃ、突入できるか保障の限りじゃねえぞ!?

「おい!宇宙軍戦闘機!シャトルの背後だ!そこで可能な限り断熱圧縮を回避しろ!」

俺は無線に怒鳴った。戦闘機に再突入時のプラズマによる電波異常を回避するための通信アンテナが装備されているとは思えねえ。

聞こえていればいいが…こうなったらもう、なんにもしてやれねえ…頼む、無事に降りて来い…!

もう、目の前で人に死なれるのはごめんなんだ!点を染めるオレンジが、明るく白んで行く。

最高温度…!耐えろよ…!

早く抜けて来い!

 不意に、ふっと明かりが消えた。い、いや、消えたんじゃない…あいつら、抜けてきやがった!

「おい!輸送シャトル!無事か?!」

<…こちら、輸送シャトル…はぁ…はぁ…俺、生きてます、よね?>

輸送シャトルをコントロールしていたヒヨッコの声が聞こえてきた。あぁ、間違いねえよ!

「あぁ、お前らは無事だ!」

俺は無線に怒鳴ってやる。すると向こうから安堵した声が聞こえてきた。

<おい、ジャブロー軍機!うちの隊長は確認できないか!?>

次いで、宇宙軍機の無線が聞こえてくる。俺も気になっていたところだ。俺は空に目を凝らす。

シャトルのすぐ近くに、別の点が見えた。飛んでいるようだ…燃え上がったりはしていないが…パイロットの様子は気がかりだ。

「宇宙軍の再突入機…聞こえたら返事をしろ。なんでもいい、合図を送れ!」

俺は無線にそう呼びかけた。生きていてくれ、頼む…!そう思った刹那だった。小さな点が、チカチカと何かを光らせた。

発光信号!生きてやがるんだな!
 

861: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:48:40.88 ID:xMrn++QAo

<発光信号、確認!宇宙軍再突入機も生存してる!すげぇ、やりやがった!>

<あぁ、よかった、隊長!>

<あのバカ野郎!帰ってきたらとっちめてやるからな!>

<発光信号を読み上げる…我、熱により電気系統に異常発生…通信、操縦装置に複数エラー有り…>

「その機体、イジェクションシートはついてないのか?」

俺が聞くと、またピカピカっと光が灯る。

ネガティブ…そりゃぁ、宇宙軍機だもんな…パラシュート付きのイジェクションシートなんて、ついてるわきゃぁねえか…

まったく、助けなきゃならん荷物が増えちまったようだが…仕方ねえ。あとは俺たちで引き受けてやるよ。

なんとか地上に届けてやる…!

「ケーブ・カナベラル管制室!シャトルの滑空軌道はどうなってる?」

<こちらの計算通りだ…今、再度計算を行っているが、おそらく、当初の軌道と変わらず…>

やっぱり、か…だとしたら、やはり何か策を講じないと、俺たちの手であいつらを殺さなきゃいけなくなる…

無線なんて聞いちまったしな…こりゃぁ俺たちも意地でも助けてやらなきゃなんねえ。

 だが…上の連中はそうは思わねえだろう。ギリギリまで待とうだなんてそんな肝の座ったやつがいるとも思えねえ。

おそらく、南米大陸に接近した時点で撃墜命令を出してくるだろう。

あいつらを助けるには、どう考えても命令違反をする必要があるな…しかし、もし俺がそれをしちまうと…隊長に迷惑がかかる。

どうあっても俺は今は副隊長で、すべての権限は隊長が握っている。責任を取るのも隊長だ。

俺の勝手を、隊長におっかぶせるワケには行かねえよな…。

 「隊長」

そんなことを考えた俺は隊長に声をかけた。

<あぁ、どうした、ユディスキン?>

隊長は、そんな何でもないような声で俺に聞き返してくる。

「ここは…俺に任せてやってくれねえか?あんたに任せちゃおけねえんだ>

俺は言った。隊長は一瞬黙ってから俺に返事をしてきた。

<個人無線をつないだ…どういうことだ?>

さすが隊長。察しの良さには頭が下がる。

「…俺は、何がなんでもあいつらを助けてやりてえ。何があっても、だ」

<たとえ命令違反をしたとしても、か?>

隊長はこっちを冷やかすような口調で言って来た。ったく、わかってるんなら、さっさと指揮権よこしやがれよ!

「あぁ、そうだ。あんたに迷惑をかけらんねえ」

<そうか…俺も、迷惑を掛けられるのは勘弁だからな。まぁ、俺の見てないところでお前が何しようが、俺の責任ではないか…

 ユディスキン、ここは任せる。俺は末尾の連中を連れて戦闘機の方の救助にあたる。じゃじゃ馬以下、生きのいいやつらは預けるよ>

隊長は白々しい口調でそう言って来た。

「すまない、隊長」

<なに…あそこまでして地球に降りてきたシャトルだ。上の命令で撃ち落としてしまうのは…忍びないからな。

 ただ、俺たちもすぐに連携が取れるようにしておく。何かあったら、すぐに言えよ>

「あぁ、了解した」
 

862: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:49:43.15 ID:xMrn++QAo

<ユディスキン>

「なにか?」

<俺がやるべきだと思うんだ、本当は、な>

「言っただろう?あんたが命令無視して左遷にでもなると、他の連中がかわいそうだってんだ。ここは俺に任せてくれ」

<了解した…シャトルを、無事に地上へ下ろしてやってくれ>

「あぁ!」

俺は隊長と言葉を交わして無線を切った。直後、再び無線に隊長の声が聞こえる。

<司令部へ。これより、隊を二分する。第一分隊で、再突入した戦闘機をエスコートし、最寄りの飛行場までエスコート。

 その間、第二分隊にシャトルの見張りを任せる>

<こちら、ジャブロー統合司令部。81戦闘機隊、了解した。各分隊の指揮官は?>

<第一分隊はジェイコブ少佐、第二分隊の指揮はユディスキン中尉が執る。何、第二分隊は第一分隊が戻るまでの見張りだ。支障はないだろう>

隊長め、口の回るやつだな。完全に別の動きをするっていうんじゃなく、俺たちはあくまでとりあえずの見張り。

戦闘機を無事に下ろしたら戻って合流する、って意思だけ見せておけば、一時離脱も上は許可するだろう。

<…了解した。戦闘機の救助は任せる。その位置からなら、北東のメキシコ、ハリスコ基地が近い。戦闘機はそっちへ誘導を頼む>

<了解した。よし、ジェミニ以下の機は俺に着いて来い。

 ブライトマン、ハウス、ノーマン、フェルプス、ザックは、副隊長の支援に回れ>

司令部、まんまと乗せられやがったな…隊長、感謝するよ…

<了解>

各機からの無線が聞こえて来た。編隊を組みなおして、隊長機が無線を入れた戦闘機とともに北へと進路を変える。

俺たちは滑空してきたシャトルからすこし離れた位置で並走するように進路と速度を固定し、状況を見守る体制を取った。

 俺はその間に、コンピュータをいじってシャトルと俺たちの部隊だけのクローズドバンドを設定した。

シャトルに何も知らせないままに、地上へ下ろすのは難しいだろう。

だが、端から命令無視をするつもりなのを上に知られるのもまずい。内緒話をするに越したことはない、ってワケだ。

「こちら、レオニード・ユディスキン中尉。シャトル、および81戦闘機隊第二分隊各機、この無線が取れるか?」

俺は設定が済んだバンドを使ってそう発信する。

<こちらハウス。取れます>

<フェルプスとザックもとれてます>

<ブライトマン。聞こえてるよ>

<ノーマンも問題なし>

シャトルからは返事なし、か…気を抜いてんじゃねえぞ…

「おい、シャトルのパイロット!聞こえてるか?」

俺はもう一度無線に呼びかける。するとややあって声が聞こえた。
 

863: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:50:30.88 ID:xMrn++QAo

<こ、こちら、輸送シャトル…えと、ノヴェンバー。すみません>

「大丈夫か?」

<はい、客室係が、水を持ってきてくれていて>

「なるほど。休憩中だったか、すまなかったな」

<い、いえ。こちらこそ、すみません>

「俺は、ジャブロー防衛軍のレオニード・ユディスキン中尉だ。そっちは?」

<じ、自分は、ハロルド・シンプソン軍曹です。サイド2で航宙訓練を終えたばかりの、パイロット訓練生です>

「話は聞いてる。良く頑張ったな、見事な再突入だった」

<いえ、なんだかもう、必死で…>

俺がほめてやったら、謙遜したようすでそう口にしてハロルド軍曹は黙った。謙虚な奴だな…だが、冷静だ。

これなら、こっちも、今の状況を説明しやすい。

「だが、悪い知らせがある、ハロルド軍曹」

<レオン!あんた、やめな!>

俺の言葉に、すぐさま真意に気が付いたんだろうジェニーの言葉が聞こえてきた。俺はそれを無視して、状況を説明する。

「そのシャトルは現在、南米の西側に向かって滑空中だ。

 計算によれば、そのままだと南米大陸の西側の都市のどこかに落着する可能性が高い。

 上層部は万が一のとき、俺たちに攻撃命令を出すつもりでいる」

俺は、とりあえずそこまで言って黙った。反応は、どうだ?

<…了解です…核エンジンを積んだ機体ですからね…当然の措置かと思います>

思った通り、冷静な奴だ。それとも、再突入でバカになったか?いや、まぁ、この際それでも構いやしねえ、か。

とにかく、協力してやれれば、策はないこともないだろう。

「だが、俺たちは撃ちたかねえ。命令なんざ無視する。だから、なんとか無事に軌道を変えるぞ。良いな?」

<…了解です。もう一勝負、ってわけですか>

「そうだ」

<再突入でかなり疲労してますけど…泣き言言ってる場合じゃなさそうですね>

「その意気だ。そっちの状況を教えてくれ。何か策を練ろう」

こんな状況で、よくもまぁそんな呑気なことを言ってのける。嫌いじゃねえな、そういうのは。

そんなことを思いながら、俺はハロルド軍曹に尋ねた。
 
<えぇ、と…はい。まず、機内でのテロリストの爆破により、電気系統のほとんどの部分が破壊されています。

 機体を損傷させる程度の爆発ではなかったのが幸いですが、機体腹部の配電盤が木端微塵です。

 機体の天井裏から後部へ続いている一部の電気回路は無事でした。

 現在動かせるのは、機首部のスラスターと、機体上部、背中側のスラスターの一部のみです。

 制動板は機能しません。エンジンも停止しました。

 現在、自分と一緒に乗り合わせていた整備課程の訓練生が修理を試してくれていますが、状況が状況だけに、芳しくないようです>

メイン回路をやられてるのか…だとすると、かなり厳しいな…あんなもの、修理するにしたって新しい基盤の一枚も必要だろう。

マニュアルを見ながらやったところで、どうにかなれば奇跡だ。
 

864: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:51:17.26 ID:xMrn++QAo

「機体の水平はどうやって保っている?」

<機体各所のスタビライザースラスターの回路を、再突入前に破壊された配電盤部分をバイパスしてつなげてくれました。

 左右の安定は保てますが制動板が機能しないので、まっすぐにしか降りれないんです>

なるほど、その整備課程の訓練生ってのもなかなかやれるやつらしい。修理個所が的確だ。

それがなきゃ、再突入の際にひっくりかえって吹き飛んで立っておかしくはなかったな…

だから、降りてきてもそいつのおかげでまっすぐ滑空はできるらしい。

空気のすべり台をただまっすぐ降りてくるしかできないヒヨッコだが、すくなくともすべり台から“外れて”しまう心配は、それほどない、ってことだな。

 「フラップはどうだ?」

だが、電気系統がそこまで損傷している、ってことは、プランAはダメだ。となりゃ、プランBの可能性を探るっきゃない。

<フラップは、おそらく動きます。電気系統とは別に、手動で開閉する方法がマニュアルにあるので…>

なるほど、フラップは使える、か…なら、もっと高度が落ちて、空気の密度の濃くなったころなら、ほんの少し開いてやれば、減速出来る。

そのまま失速ってことにならなけりゃぁ、南米よりはるか手前の海上に不時着できる可能性が高まる。

とりあえず、その手を試すかな…いや、だがそれだと、もし万が一フラップが機能しなかったら、そのあとに打つ手がねえ、か。

プランBは最後の手段、だな。だとするなら…できるかどうかは疑わしいが、プランCを試してみるしかねえか。

「了解した…ハロルド軍曹。お前、航空力学の学科は得意だったか?」

俺はそう聞いてみる。すると無線の向こうから戸惑った声色で

<えと、はい、一応、主席でした>

主席か、なるほど。まぁ、お勉強ができるから対応できる、というわけでもねえんだろうが、

力学を理解できてりゃぁ、応用はできるだろう…たぶん、な。

「よし、なら聞け。これから、俺たちの部隊が、シャトルの左前方…1000メートルのところを編隊飛行する」

<編隊飛行…?どうして…あ、いや、もしかして…!>

主席だけのことはある、気が付くのが早いな。

<ウェイク・タービュランスで!?>

「そうだ。左に位置取れば、そっちの機体の左翼を下から持ち上げる気流が発生するはずだ。そいつで、機体を傾ける。

 ただ、制動板の効かねえその機体を過度に傾けたらそのまま失速してそれっきりだ。

 だが、そっちと密に連携すりゃぁ、1度か2度ずつでも傾けていける。

 その程度の傾きなら、スタビライザーで調整可能な範囲だろうし、そうでなくともこっちが離れて通常の風を受ければ自然に水平復帰する。

 この方法で、じわじわ進路を変えるって寸法だ。どうだ?」

<了解です…お願いします!>

俺の提案に、ハロルドがそう返事をしてきた。

「よし…そういうわけだ、野郎ども!」

俺はそれを聞いて、今度は隊の連中に声をかけた。こんなことをしてるんだ。

ジェニーじゃなくても、俺がこのシャトルをどうしたいか、なんて、手に取るようにわかんだろ?

いや、それよりも、お前らだって、こいつらを撃ちたくはねえだろうな。
 

865: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:51:57.07 ID:xMrn++QAo

<まったく、あんたって人は…>

<だははは!さすが副隊長さまさまだ!乗ったぜ!>

<後方乱気流ね…まぁ、これだけ体の大きさが違っても、編隊になりゃぁ多少は影響力あるだろ>

<制御できるかどうかが問題だな…まぁ、スタビライザーを信用してやってみるか>

口々にそういう言葉が聞こえてくる。だが、肝心のジェニーの声だけがない。マジメなお前のことだ。

呆れてんのはわかるがよ…マジメだからこそ、こいつらを死なせるわけにはいかねえとも思ってるはずだ。そうだろう?

「ジェニー、なにか意見があれば聞くぜ」

<…ないよ。それで行こう>

俺が返事を催促したら、ジェニーは押しこもった声でそう言って来た。心配いらねえよ。

このあとする命令違反も、なるべくなら角が立たねえようにするからよ。

俺はそう言う代わりに、

「任せろ。うまくやる」

とだけ伝えて機体をシャトルの前に出した。

もう少し高度が下がらねえと空気が薄くて意味がないだろうし、空気が薄い分、少しの気流の変化で失速しかねない。

ある程度の距離は開けておかねえとな。

「各機へ。トレイルで編隊を組んでギリギリまで距離を詰めろ。日ごろの訓練の成果を見せる時だぞ」

<まさか、編隊飛行で人助けとはね>

<編隊飛行訓練が、まさか救助訓練だったなんて想像してなかったよ、俺も>

フェルプスとザックの会話が聞こえる。バカ言ってねえでさっさと近づいて来い、とは言わなかった。

まぁ、確かに突飛な発想だとは思うぜ、正直よ。

 そんな話をしている間に、シャトルはどんどん高度を下げていた。まだ、普通の飛行機が飛ぶ高度よりもかなり高いが…

このあたりならぼちぼち行動を始めてもよさそうだな。

早い分だけ軌道変更の効果が出るし、遅くなりゃぁ、撃墜うんぬん、と上から指示が飛んできて対応に気を使わなきゃならなくなる。

片手間でやれることじゃないかもしれねえ。やろう。

「ハロルド、聞こえるか?これより接近する。注意しろ」

<了解です、中尉!>

ハロルドの返事を聞いて、今度は野郎どもに指示を出す。

「おーし、お前ら、行くぞ。俺が先に位置を決める。後ろにへばりついて来い」

<副隊長のケツを見ながらなんて楽しそうじゃねえか>

<おい、ザック。お前、やっぱりそっちの趣味があったのかよ?>

<いや、そういう意味じゃねえよ!>

<ザック、俺以外のケツに興味があるなんて初耳だぞ?>

<悪乗りしてんじゃねえよフェルプス!>

にぎやかなのは結構だが、頼むぜ、お前ら…

そうは思ってはみたものの、俺の心配をよそに5機はシャトルの左翼側から1000メートルほどのところに移動した俺の後ろに、

排熱干渉圏ギリギリまで詰めて機体を並べていた。さすがというほかはないな、こればかりは。

 さて…効果があると良いんだが…
 

866: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:52:26.85 ID:xMrn++QAo

「ハロルド。様子はどうだ?」

<はい…今のところ、軌道に変化なしです…>

さすがに、そう簡単じゃねえか…あっちの輸送機と比べたらこっちはてんで小型でしかも同速度で飛行しているんだ。

縦に6機ならんで気流を加速させてやったところで、焼け石に水…か…?

<あ、待ってください…!>

時間にしてどのくらいだったか、そのまま飛行を続けていた俺のヘルメットのスピーカーに不意に、ハロルドのそんな声が聞こえた。

<軌道に変化あり!0.2度、南へそれました!>

ハロルドはそう叫び声を上げている。喜んでいるのか、どうなのか…だが、0.2度…か。

「ジェニー」

俺はハロルドの言葉を聞いてジェニーに声をかけた。

<計算する、待ってなよ>

ツーカー、ってのはこういうのを言うんだろう。俺の言いたかったのは簡単だ。

要するに、このシャトルが南米に到達するまでの時間、ずっとこの調子で0.2度ずつ軌道を変え続けていたら、いったいどのあたりに降下できるのか、って話だ。

計算は苦手じゃないが、俺がするよりジェニーに頼んだ方が数倍早い。

<出たよ>

ほらな。

「どうだ?」

<ダメね…コロンビアからエクアドルに場所が変わるだけ…>

くそっ、ダメか…プランCは不調…残されたのは最後の手段のプランBか…いや、まだ時間はある…焦っても仕方ねえ。

とにかく、この飛行を維持しておこう。もしかすると、もっと低空に降りれば効果が大きくなる可能性も否定できない…

俺はそう自分に言い聞かせて深呼吸をする。胸が詰まるのは仕方ねえ。だが、考えるのをやめるわけにはいかねえんだ。

 「ハロルド。効果はいまひとつだが、しばらくは続ける。逐一、変化を報告しろ」

<了解です>

俺はひとまずハロルドにそう指示を出す。さて…次のプランだ…こっちが使えるのは気流くらいしかねえ。

いや、基地に連絡して電磁石付きのワイヤーを装備させた輸送機で引っ張らせるか…?ダメだ、そんなプラン。

下手すりゃ、輸送機が揚力をなくしてシャトルを引っ張りながら落ちる。

なら、シャトルに軌道を変えさせるか?スラスターの自立制御を切らせて、こっちの気流で誘導するか…?

いや、そんな芸当、危なっかしすぎる。この案もダメだ。くそ、良いアイデアが浮かばねえ…

考えろ、紙飛行機だと思え。紙飛行機を手を使わずに誘導するにゃぁどうしたらいい?

あぁ、くそ、気流以外に思いつかねえ!だとしたら、あとはなんだ?天気ってのはどうだ?こっちはもう夏だ。

海面から上昇気流が発生してる。それに乗れれば、滑空距離を延ばせるかもしれん…いや、ダメだ。

滑空距離を延ばせば、その先にあるのは陸地だ。

上昇ができない以上、距離が延びれば街に落ちなくてもシャトルがアンデス山脈に突っ込んじまう。

狙うとすりゃぁ、海上に不時着だろうが…くそ、それだと、軌道を80度も変更しねえとならねえじゃねえか!

何か、使えるものだ…フラップか?低空でフラップの操作だけで、軌道を…いや、それだと失速の危険が高すぎる…

さっきの輸送機の案…例えば、こっちの無線操作でオンオフができるウェイトを輸送機に運ばせて…

<…!?な、なんだ!?>

ヘルメットに何かが聞こえた。今の声、ハロルドか?
 

867: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:53:03.42 ID:xMrn++QAo

「おい、どうした?!」

<け、警報が…なんだ?えっと…32番…?あっ…ちゅ、中尉!>

何かを確認したらしいハロルドが俺を呼んだ。まさか、トラブルか?

「どうした?」

<プロペラント燃料の残量が残りわずかです!>

「プロペラント!?スラスター用のか!?」

<はい!>

くそったれ!そいつはシャトルを少なくともまっすぐ飛ばすために必要不可欠なもんじゃねえかよ!

今はまだ高度が高いからいいが、これから下に降りるとなると、気流が出てくる。

煽られれば、制動板の効かないあいつはそのまま落ちるぞ!

いや、待て、それどころか俺たちは、スラスターを信頼して気流なんかであいつを動かそうとしてるんだ!

まずい、俺たちがいると、燃料を余計に食っちまう!

「各機、離脱しろ!無駄な気流を掛けて燃料を食わすな!」

俺は無線にそう怒鳴って機体を一度降下させ、旋回してシャトルの後方に回った。

ジェニーたちも俺に続いて降下と旋回をして、編隊を組みなおす。

「ハロルド、プロペラントはどのくらい持ちそうだ?」

<わかりません…残り、タンク5分の1ほどだと思います…

 今までの様子で減っていくとなると、あと15分か20分で底を付くかもしれません>

…短く見積もっておいた方がいいな…あと、15分…どこまで降下する?あぁ、くそ!

「ジェニー!」

<…あと15分だと、まだ太平洋上だね。このまままっすぐ進むんなら、陸地から120キロ、ってところで燃料切れだと思う>

「その段階で、高度は?」

<上昇気流の影響がなければ、おそらく5000メートル前後>

5000メートル…とてもじゃねえが、そこから降下して行くんじゃアンデス山脈は超えられねえな…

降下角は20度くらいか?それで距離120000メートル、高度は5000メートルで、速度はマッハ0.6…

ざっと計算しただけでも、地上に落ちるじゃねえか!どうする?

スラスターが生きているうちにフラップを作動させて速度と距離を一時的にでも落とさねえと、スラスターが死んでからじゃ、フラップの操作自体で墜落しかねん。

いや、そもそもスラスターなしの制動板機能せず、なんて状態での不時着自体が無理だ。

あとはもう、腹の中で修理やってるっていう、ヒヨッコ整備兵頼みしかねえのか…?

 そう考えている間にも、機体はどんどんと降下していく。やがて、水平線のかなたに筋のような何かが見え始めた。

ちっ…陸だ!
 

868: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:54:00.23 ID:xMrn++QAo

 <こちらジャブロー防空司令部。81戦闘機隊、聞こえるか?>

「こちら81飛行隊、第二分隊」

<シャトルは若干の軌道の変化はみられるものの依然として南米西部に接近中だ。

 こちらの計算によれば、あと30分ほどでグアヤキル周辺に到達する>

てめえら…やれってのか?このシャトルにどれだけの人間が乗ってると思ってんだ!?

昨日見た、ヘルシンキのテロでどれだけ犠牲になったか知らんが、少なくともあいつに発砲すれば乗ってる人間が確実に死ぬんだぞ!

あそこに乗ってる人間が…どれだけ怖いか、あいつらを待ってる家族が…どんな思いか…

姉に死なれて、それでもその体を引きずって銃弾の飛び交う中を這い出てくるような子どもと同じような思いが、お前らにはわからねえのかよ!

<連邦政府より、正式な命令が下りた。第81戦闘飛行隊、シャトルを撃墜せよ>

黙れ…黙れよ…黙りやがれ!そう無線に怒鳴り返そうと思った、その瞬間だった。

<…おい、聞こえないのか?81戦闘飛行隊…?応答せよ、くそ、どうなってる!?>

と、ひとりでに何かを喋り出した。あぁ?なんだ…?こいつ、何言ってやがる…?

<衛星回線をチェックしろ!アンテナは…!?エラーだと!?生きてる回線を探せ!あと30分しかないんだぞ!>

なんだ…?まるで、こっちの声が聞こえてねえみてえだが…いや、だが、無線はちゃんとつながってる…

「おい、何が起きてる?」

<…衛星が応答しないだと!?まさか、テロリストの工作か…!?おい、至急AWACSを上げさせろ!>

こいつ…まさか…俺が、無線の向こうの声の意味に当てを付けたその時だった。

ヘルメットの中に信号音が響いて、コンピュータのディスプレイに何かが表示された。

これは…電信?俺はパネルを操作してその電信を開く。そこには、慌てて打ったらしい文字列が並んでいた。

------------------------------------------

save then

-------------------------―――――――――

<おい、なんだこりゃ?“保存してから”?>

<あー…なんだ、そういうことか>

<ノーマンお前、意味わかるのかよ?>

<なるほどな…ははは、あいつらもやるじゃねえか>

<ハウスもか?なんだよ、これ、どういう意味なんだよ?>

<あはははは!わかってないのはあんただけだよザック。ね、レオン?>

隊の奴らの笑い声が聞こえてくる。まったく、そうだな。ザック、お前バカだろ。
 

869: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:54:44.87 ID:xMrn++QAo

「あぁ、どうやら、向こうにも粋な連中がいるらしいな」

<副隊長もわかってんです?>

「なんでわからねえんだよ!タイプミスだ!“Save Them”!助けてやってくれってこったよ!」

<えっ…?あ、あぁぁ!え、じゃぁまさか、今の無線、全部芝居だったのか?!>

<そうらしいね。あははは、やるじゃない、お堅い連中だと思ってたのに>

状況が変わったわけじゃない。いや、スラスターの残りの燃料のことを考えれば、刻一刻と事態は悪い方へと転がっている。

だが、俺は、俺たちは、防空司令部の良い様に、沸き立っていた。そうだ…こいつは意地でも無事に降ろさなきゃならねえ。

意地でも、だ。落ち着いて考えろ。手はあるはずだ。

確実な方法はもう残ってねえ。どうしたってギャンブル要素が付きまとうが、この際だ。

ジェニーには目をつむってもらうとしよう。スラスターはあと10分と持たないだろう。

その時点で高度はおそらく5000メートル前後。フラップを降ろすにはタイミングが早すぎる。

エンジンが停止しているシャトルがそんなことをしようものならたちまち失速して海面にたたきつけられるだろう。

だが、そのまま滑空していけば市街地のそばに落ちて最悪は核爆発だ。

そうでなくても、放射線物質が飛散して墜落以外の被害も拡大する。状況は最悪だ…手持ちのカードは役なしのブタに等しい。

これで勝てと言うんなら、イカサマでもするほかないな…イカサマ、か…

だとするなら…そう思って思考を走らせた俺の脳裏に浮かんできたのは、転属してきた日の夜の、ジェニーだった。

あいつ、確か、カードを隠して…そう思った瞬間、俺は最悪なアイデアを閃いてしまった。

最悪すぎて、背中に悪寒が走るのすら感じた。だが…イカサマでもなんでも、勝てばいいんだろう、勝てば!

 「ハロルド!聞こえるか?」

<はい、中尉!>

ハロルドの、落ち着いた返事が返ってくる。お前、なかなかいい度胸してるじゃねえか。ヒヨッコのクセによ!

「いいか。スラスターの燃料が切れたら、その時点でフラップを全開で下げろ」

<フラップを、ですか…?でも、この高度で出力もなしにそんなことをしたら…>

「考えがある。とにかく、残された時間と距離で、やれることをやろう」

<…わかりました。フラップを降ろすだけでいいんですか?>

「状況に応じて、角度を調整して欲しい。おそらく、失速ギリギリの状態になる。

 もし、降下が早すぎるようなら、フラップを段階的にあげて速度を保て」

<了解です…あの、中尉?>

「なんだ?」

<もし無事に降りられたら、一杯ごちそうさせてください>

「やめとけ。映画なんかじゃ、そういうことを言うやつはたいてい死ぬぞ?」

<ははは、そうですね…じゃぁ、無事に降りれたら、また誘うことにしますよ>

「そうしてくれ」

俺はそう返事をして、空笑いをしてやってから無線を切った。さて…あとは、だ。

そう思って無線を切り替えようとしたとき、そいつに割り込むようにして声が聞こえて来た。
 

870: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:56:04.05 ID:xMrn++QAo

<レオン…なにか策があるの?>

ジェニーだった。まぁ、話さねえほうがいいだろう。どうせまた、あきれられるのがオチだ。

「あぁ、イカサマだがな」

そうとだけ答えたが、ジェニーは当然食い下がって来た。

<何をするつもり?>

何か言や、ヤブヘビだな…まぁ、仕方ねえ、か。ここは黙っておくに越したことはなさそうだからな。

「説明している時間が惜しい。無茶をやるつもりはねえから、安心しろ。もう切るぞ」

<ちょ、待ちなさい、レオ―――

すまねえな、ジェニー。

嘘をついた…あぁ、いや、嘘をついたことじゃなく、これから心配させちまうだろうってことの方が気にかかるが…

まぁ、許せ。俺もまだ死んでやるつもりはない。生憎と、やらなきゃいけないことが残ってるんでな。

だが、ここを放っておいて自分の都合だけ大事にするってのは、どうにも気分が良くねえんだ。

俺はそう思いながら、ハウスへの個人無線をつないだ。
 
「ハウス、聞こえるか?」

<こちら、ハウス。どうしたんです?>

「お前が一番バカそうだから、相談に乗ってもらおうと思ってな」

<からかってんのなら切りますよ?>

「まぁ、そういうな。フラップを高度5000メートルで、出力のないあのシャトルがフラップをおろしたら、お前どうなると思う?」

<そりゃぁ、失速してエライ勢いで“腹打ち”するでしょうね>

「まぁ、そうだな。ときにお前、このセイバーフィッシュのエンジン出力がどれだけあるか知ってるか?」

<さぁ…出発前にスペック表はチラっと見ましたけど…え、ちょっと待ってくださいよ…>

「少なくとも、高高度を音速以上で飛べる程度の出力はある、ってことだ。

 ロケットで打ち上げられなくてもあの高度まで自力で上がれるくらいの性能がある」

<…中尉…あんた、バカだな>

「はははは!物わかりが良くて助かるぜ」

<…なるほど…確かに、そんなバカを一緒にやろうってんなら、俺くらいしか付き合わんでしょうな>

ハウスがそう言って笑う。だが、俺のアイデアには賛成してくれるようだった。

こんな無茶、頼んでやってくれるだろうってのも、やれるだろうってのも、ハウスくらいなもんだったから、引き受けてくれて安心した。

それから俺たちは無線で簡単に打ち合わせをする。

 細かいことは、やってみなけりゃわからねえ。とにかく、出たとこ勝負になるだろうが…それは仕方ない。とにかく、だ。

俺たちにも、あのシャトルにも、もうこれくらいしか方法がねえんだ。そんなら、一蓮托生。体張ってでも止めてやるよ…!

 それからすぐに、ハロルドからの無線が聞こえた。

<中尉、スラスターのプロペラント、ほぼゼロです>

よし、いよいよだな…

「ハウス、覚悟はいいか?」

<やってろうじゃないですか>

ハウスの声が聞こえる。俺一機だと確実に死ぬだろうからな…巻き込んですまないとは思うが…

まぁ、うまく行くことを祈るほかにねえ。俺は、事前の打ち合わせ通りにハウスと一緒に機体をシャトルの真後ろに向かわせる。
 

871: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:57:00.04 ID:xMrn++QAo

慎重に高度と角度を合わせてから、ハロルドにもう一度連絡をした。

「ハロルド。フラップダウン…とりあえず、1段下ろせ」

<了解です…>

ハロルドの返事が聞こえた。すると、少しして機体の翼の後方がゆっくりと動き始める。

とたんに、シャトルが減速して俺たちとの距離が詰まった。

「ハウス!わかってるな!?」

<ええ。高度500フィートになったら救助に行きますよ>

「たのむぜ、お前にかかってんだ」

<こんな無茶、保証はしかねますけどね>

「まぁ、何とかなるだろう…よし、行くぞ!」

<気を付けて!>

俺はハウスと言葉を交わして、スロットルを前に押し込んだ。シャトルとの距離がみるみる近づく。

もうあと数十メートルってところで速度を再度調整して慎重に接近する。

はは、空中給油見てえだが、いかんせん、この場合、俺は突っ込まれる側じゃなく、突っ込む側だからな…

そう考えりゃぁ空中給油なんかよりは楽に思える。

もちろん相手は水平飛行から徐々に角度が上がり始めているシャトルだが…

まぁ、それでも目標はでかいし、やれない理屈はない。問題は、そのあとがどうなるか、だ。

だが、ここまで来たら迷ってる暇はねえ…よし、行くぞ。

 俺はHUDの中にシャトルのエンジンノズルをとらえた。でかいのが4つに、その間を埋めるように小さいのが二つ。

狙うのはあの小さい方だ!俺は位置を合わせてスロットルを押し込んだ。

エンジンが噴いて、機首がそのノズルの中にめり込んでいく。コクピットの中にありとあらゆる警報が鳴り始めた。

だが、俺は構わずにエンジンのパワーをマックスにし、バーナーのスイッチも入れた。

めりめりと機体が音を立てているのが聞こえてくる。だが、このセイバーフィッシュは大気圏内でもマッハ5の速度を出せる機体だ。

マッハ3でぶち当たる1000℃を超える「熱の壁」に耐えられるように素材も設計も考えられてんだ!

少なくとも、この程度で機首が簡単に潰れる分けはねえし、マッハ5まで加速できるエンジンと外付けのブースターユニットのセットだ!

オーバーヒートさえ気にしなきゃぁ、たかが数分、シャトルの速度をギリギリ生かすくらいのことはできる!

俺はそう思いながらマニュアルで推力偏向ノズルの角度を下方向に調整する。

これなら落下スピードを殺しながら、失速を避けられる。あとは、この方法がどれだけシャトルを浮かせられるか、だ。

「ハウス!状況は?!」

<ははは、すごい光景ですよ、隊長。すごすぎて笑えねえ…>

バカ野郎、呑気なこと言ってんじゃねえ!

「どうなんだ?!シャトルは浮いてるか!?」

<あぁ、失速は問題ありません。いや…待って…まずいな…>

ハウスの声色が変わった。まずいって、何がどうした?おい…!

「どうした!?」

<副隊長、偏向ノズルを水平位置に!シャトルの機首が上がり始めてる!>

ちっ…このシャトル、思った以上に空力特性がいいのか!?

フラップに煽られてるのか、それとも速度が足りてねえのか?このまま機首が上がり続けると、ディープストールするぞ…!
 

872: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:58:16.55 ID:xMrn++QAo

 <おい、副隊長!あんたバカか!?>

この声…ザックか?

「ザック、そばにいるのか!?」

<そばもそば。ハウスのすぐ後ろを飛んでますよ。こりゃぁ、また…すげえ景色だ。本当にケツに突っ込むとは思いませんでしたよ>

「フェルプス、お前もいるか!?」

<はいはい、見学してますよ。死ぬ気じゃないでしょうね?それ、どうやって抜くんです?>

「そんなことはあとだ!お前ら、そのままシャトルの両翼にのしかかってピッチアップを抑え込め!」

<なにぃ!?>

<機首、さらに上がります!>

<中尉!機首が上がって速度が保てません…失速します!フラップアップしますか!?>

「ダメだ、ハロルド!フラップは上げるな!高度は下がってるが、このままの速度だと着水後無事じゃすまねえ!

 手を打つ!耐えろ!」

<了解です…!>

「フェルプス、ザック、急げよ!こいつは意地でも海上に下ろすぞ!」

俺は無線に怒鳴った。外の状況はまったくわからねえ。

コンピュータはもうエラーだらけで使い物になりやしねえし、速度計も高度計も、これがほんとの数字なんだかは怪しい。

あとはもう、状況判断しかできやしねえ。ハウスに、ハロルドと逐一連携するようには伝えてあるが、あいつ、やれてんのか?

<まったく!ひどい副隊長だよ、死ねってのか?>

<…いいからやるぞ、ザック。喋ってないでタイミング合わせろよ>

<わかったって。位置は…この辺りか?>

<上等だろ。はは、おい、客席が見えるぜ>

<こいつら、これから起こることみたらチビるだろうな>

<違いないな。カウント任せる。0で接地。接地したらマニュアル操作でノズルをプラス方向に限界まであげるぞ>

<了解。行くぞ…カウント、3、2、1、0!接地!ノズル方向設定、固定した!>

やりやがったな、あいつら…!これでどうだ?だぁ、くそ、水平器はイカれてる…確認を…!

「ハウス!角度どうなった!?」

俺は無線に怒鳴る。だが、返事が返ってこない。なんだ?おい、またトラブルか!?

「おい、ハウス!」

<うるさい!ちょっと黙っててくださいよ副長!今連携中だ!>

ちっ…なんだ、叱りやがったな、一丁前に!あの野郎、降りたら譴責してやる…!

<副隊長!あいつらがやったぞ!角度、正常値を維持!行ける!>

よし、よし…!大丈夫か?大丈夫だな…?他に何かトラブルはないだろうな?見落としていることも…ないな?

 機体がみしみしと音を立てている。そりゃぁ、マッハ5で飛ぶ出力と、このでかいシャトルにサンドイッチにされてんだ。

軋む音くらいするだろう。正直、いつ潰れてもおかしくはねえとは思うが…いや、もう潰れてるかもしれないな。

何しろ、キャノピーはすっかりノズルの中にはまり込んで外なんて見えやしねえ…外が、見えねえ…?お、おい、ちょっと待て!

 「ハウス!高度は!?」

俺は、ふとそのことに気づいて無線に怒鳴った。

<えっ?…あっ…うわぁっ!副隊長、今行きます!>

この野郎、忘れてやがったな!ってことは、もう1500メートル切ってるってことじゃねえか!
 

873: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:59:14.51 ID:xMrn++QAo

<副隊長、聞こえますか?!>

「聞こえてる!行くぞ、見ててくれよ!」

俺はハウスの無線に怒鳴り返して、シートのベルトをしめなおした。コンピュータ、動くだろうな…?

 パネルにタッチすると、まだ反応がある。ツいてるな…。俺はパネルを操作してエンジンを強制的に停止させた。

すると、推力を失った機体が物音を立てて後方にずれ始める。

しかし…思った通り、機首がすっかりはまり込んじまって抜けやしねえ。

機首から折れ曲がり機体に亀裂が入っているのがわかる。

キャノピーの後方から、微かに光が差し込んじゃいるが、この状態じゃ、イジェクションシートなんぞつかえねえ。

「ハウス、思った通り、抜けねえ!やれ!」

<了解、死んでも恨まんで下さいね!>

ハウスの声が聞こえた。こうもはまっち待ってるんじゃ、あとは引っ張って抜くしかねえが、

まさかロープでも私で牽引してもらうわけにもいかねえ。

だとするなら、だ。シャトルの滑空を邪魔しねえように、下からかち上げてもらうほかに思いつきゃしない。

この状況だ。多少力が加われば、抜けてくれるはず…

<行きます!>

「おぉ、来い!」

俺が返事をした次の瞬間、ギシギシと軋み音が激しくなったと思ったら、目の前が一瞬にして真っ白になった。

次いで体を襲うマイナスG…抜けたか!?

<副隊長!脱出しますよ!意識有ります!?>

「あぁ!行くぞ!」

それが太陽がキャノピーに乱反射している光だと気付いた次の瞬間には、ハウスとそう言葉を交わして、俺はイジェクションレバーを引っ張った。

 破裂音とともにキャノピーが弾け飛び、シートが射出されてからだに強烈なGかかかる。
 
見下ろすとそこには、絡み合うようにして落下していく、俺とハウスの機体が見えた。シャトルの方はなんとかまだ無事だな…?!

 ガツン、と衝撃があった。パラシュートが開いて、俺は空中に浮かぶ。

「ハウス、そっちはどこだ?」

<真後ろですよ、バカ副長>

声が聞こえたので振り返ると、俺より少し下を漂うパラシュートが見えた。ふぅ、とひとまず胸をなでおろす。

それからややあってシャトルを見やった。もう、海面まであと数百メートル。まるで、お手本のような降下軌道を描いている。

<そろそろ限界だろ>

<そうだな…合図で離脱して即イジェクトだ>

<じゃぁな!ヒヨッコ!救助されたら、おごれよな!>

<おい、行くぞ。3、2、1、0、離脱!>

ザックとフェルプスの声が聞こえたと思ったら、シャトルの上部からボロボロになった戦闘機が分解されながら舞い上がった。

その両方からイジェクションシートが飛び出し、パラシュートが広がる。

<よし、行け!そのままだ、ヒヨッコ!>

<いいぞ、行け!>

二人のそんな声を聴いて、俺はまたシャトルに視線を戻す。

 シャトルは海面に近づき、そしてそのまままっすぐ、白波を立てながら海上に滑り降りた。
 

874: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 01:59:56.11 ID:xMrn++QAo

<ははは!やりやがったぞ、あのヒヨッコ!>

<あいつめ、最後の30秒分のスラスター燃料を残してやがった!>

二人の騒ぐ声がヘルメットの中に響く。いや、無事に降りたが…まだだぜ。

「おい、ジェニー」

俺はヘルメットの中の無線でそう呼びかける。しかし、反応がない。

おいおい、どうした?司令部にここの位置を報告してさっさと救助艇を寄越してもらわないと、無茶したし沈みかねないんだ。

いないのか?そう思って上を見上げると、ジェニーの機体はシャトルが不時着した真上をゆったりと旋回している。

なんだよ、いるじぇねえか。

「おい!ジェニー!応答しろ!ブライトマン中尉!」

俺はもう一度無線に怒鳴る。するとハッとしたような声で

<あっ…あぁ、レオン。あんた、何てバカを…!>

と文句を言い出しそうな雰囲気になったので、俺は慌てて口を開いた。

「おい!まずは報告だ。位置情報を防空司令部に報告しろ!」

<…了解>

ジェニーは、はじけ出そうになった感情を飲み込んでそう返事をした。ふぅ、やれやれ…だ。

 俺はそう思いながら無線装置だけを取り外したヘルメットを海面にぶん投げ、大きく深呼吸をした。

潮気を帯びた新鮮な空気が肺いっぱいに満たされる。あぁ、悪くねえ気分だ。はは、隊長、見てるかよ?

やってやったぞ、この野郎!ボーナスでも申請してやるから待ってろよな!

 俺はパラシュートで降下しているシートの上で、ジェニーが防空司令部へ連絡しているのを聞きながら、そんなことを思っていた。



 

875: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 02:00:44.47 ID:xMrn++QAo





 それから、4時間と少しして、俺たちは基地に戻った。

幸い、シャトルを撃墜するために近くに展開しようとしていた艦隊が近くにいて、

シャトルも俺たちも、着水して1時間もしねえうちに拾われて、護衛艦からヘリで基地まで送ってもらった。

司令部へ顔を出して大いにお褒めの言葉をもらってからオフィスへ戻ると、隊長と末尾の連中に手荒い歓迎を受けた。

ヒーローなんて柄でもねえが、ま、悪い気はしないもんだな。

 ただ、やはりジェニーのことは気になった。

オフィスに戻った時には、俺たちに笑顔の一つも見せずにブスくれていて、取り付く島もあったもんじゃなかった。

あの様子じゃ、今夜あたりにでもひと騒動起こりそうだな…覚悟しておくか…。

 俺はそんなことを思いながら、一人部屋でバーボンを煽りながら普段は耳にもしねえ音楽なんかをラジオでかけていた。

そんな気分だったんだ。

海水に濡れちまった写真をドライヤーで丁寧に乾かし終えて、一息ついていた俺は、

ぼーっと、昨日から今日の一連の出来事のことを思い返していた。

 反省なんてことでもねえ。だが、思い返さずにはいられなかった。夢中だったから、な。

 昨日のヘルシンキでのテロは…ひどいもんだった。軍人なんぞになってはいるが、あんな現場に遭遇したのも初めて。

あんなに、自分の手に血がこべり着いたのも、初めての経験だった。

あの女性にすがり付いてた、まだ10歳にもなってねえだろう少女の声が耳に残っている。

そうだよな…あれが、命の大切さ、ってやつなんだろう。

宇宙世紀の“平和”なご時世、戦争なんて、と思ってはいたが、

どうやらそんな呑気に構えてたんじゃマズいかもしれねえ、ってことを実感してしまっていた。

もしものときは、俺だって奪う側に回るかもしれねえし、命を取られる可能性だって十分にある。

そんなのは…どっちも御免だな。だが、もしそうなったとき、俺はどうするのか…考えておく必要はあるだろう。

身に降りかかる火の粉は払いのける必要があるが…攻めてくるやつらだって、死ねば誰かが泣くだろう…

あんな、子どもと同じように、だ…。

 俺は、ふと思い出して、今度は最初にドライヤーで乾かしておいた手帳を取り出した。

ずいぶん前に書き込んだ計算式を眺めると、思わずため息が出た。

今日の働きで昇進、ってことにでもなりゃぁ、良いんだがな…この調子じゃ、あと何年かかることか、わかりゃあしねえ…。

そんなことを思っていたら、コンコンと、ドアをノックする音が聞こえた。あぁ、いよいよ来やがったな…

ジャブローの暴れ馬、だ。俺は手帳の間に写真を挟んでテーブルに置き、そのままドアまで歩いて行って開けてやる。

案の定、そこにはジェニーがいた。

「入っても?」

ジェニーは、俺の目をジッとみてそう言って来た。うむを言わさない、って面してやがる。まぁ、別に断ることもねえしな。

俺はうやうやしく手を広げて、ジェニーを中に招き入れた。

ドアを閉め彼女の方を振り返った瞬間、何かが視界の中を高速で移動してくるのがかすかに見えた。

とっさに腕を振り上げてそれを防ぐ。いやいや…まぁ、叩かれるくらいはされるとは思っていたが…左ストレートとは思わなかった。
 

876: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 02:01:58.62 ID:xMrn++QAo

 ジェニーは俺に拳を防がれるや否や、そのまま胸ぐらを捕まえて今度は右腕を振り上げた。

おい、ちょっと待てって!俺は声も上げずにシャツを握りしめていたジェニーの手を取るってそのまま押し返して距離を置いた。

「おとなしくしな!」

「やめろって!」

俺の制止なんて聞きやしない。ジェニーは振り上げた拳を俺めがけてふるって来た。

身をよじってそれを交わすと、素早くその拳はひかれ、次いで膝下に鈍い痛みが走った。

目にも止まらねえほどの速さでローキックをかまされたらしい。こいつ…言いてえことはわかるが、いい加減にしやがれよ!

だが、そう思って顔を上げた瞬間に、ジェニーの左フックが俺の頬に炸裂した。

痛みと衝撃で、視界にチカチカと閃光が走る。

 やりやがったな、この女…!こっちが悪いと思って大人しくしてりゃぁ、やりたい放題しやがって…!

ふざけんじゃねえ、こっちだってあんなことのあとで疲れてヘロヘロで帰って来てんだ!ちったぁ気を使いやがれ!

俺は胸に込みあがった苛立ちが脳まで一瞬で突き抜けて、理性が弾ける音を聞いた。

 「このやろう!」

そう声を上げてジェニーに飛びかかる。だが、その腕を妙な動きでからめとられた。次の瞬間、想像だにしていなかった痛みが関節に走って、思わず腰が引けてしまう。

これは、ジュード―かなんかか!?ふざけやがって、とことんやるつもりだな!?

は痛む関節をそれ以上持っていかれねえように反対の手で腕を掴んで固定し、ジェニーの脇腹を蹴り付ける。

「くっ!」

とうめき声をあげて離れたジェニーだが、それでも鋭い目で俺を睨み付けて来た。

「文句があるんなら口で言いやがれ!」

俺は怒りに任せてそう怒鳴っていた。

だが、ジェニーは口を真一文字に結んで、流れるような体裁きで俺の懐に潜り込んでくると、そのまま拳を振り上げて来た。

だが、そんな目で見える動きにやられるほどノロマじぇねえよ!

俺はそれをかわして、空を切ったジェニーの腕を捕まえてやって関節技をかけ返してやる。

だが、ジェニーは反対の手で俺の手の親指の付け根に自分の親指を押し込んできた。

とたんに、しびれるような痛みが走って思わず手が緩んでしまう。

そんな俺の腕を取り返したジェニーが、前かがみになっていた俺をまるで障害物を超える陸戦隊のような動きで飛び越えた。

ジェニーに捕まっていた俺の腕はとてもじぇねえが人間の構造上曲げられねえほうへと力を込められれて完全に固定されてしまう。

そんな俺をジェニーはグイグイと壁に向かって押しやってくる。

テーブルが倒れて、飲みかけだったグラスが床に弾け、手帳やペンや雑誌が散らばる。

それでもお構いなしで仕舞いにはまるで犯人を逮捕した警官のように、俺を壁に押し付けた。

「離しやがれ!」

俺は苦しい紛れにそう怒鳴る。だが、その代わりと言わんばかりに俺の脇腹にジェニーの肘がめり込んでくる。

くそっ、いくらなんだって、本気でぶん殴るわけにはいかねえが、こいつはさすがにやり返さねえと気が済まねえ。

そう思って壁についた腕に力を込めた時だった。

「…いな」

何かが聞こえた。

「あぁ!?」

「誓いな!もう二度とあんなバカをしないと、今ここで私に誓いな!」

そう怒鳴りながらジェニーは俺の腰に膝を叩き込んできた。こいつ…ふざけやがって!
 

877: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 02:02:33.26 ID:xMrn++QAo

俺はいよいよ耐えかねて、素早く身を捩って関節技から抜け出し、ジェニーを突き飛ばした。

だが、ジェニーは吹っ飛ぶどころか身軽にステップを踏んで体制を整えなおして、俺にラッシュを見舞って来た。

一撃がそれほど重いわけじゃねえ。ガードしてりゃぁ、たいしたダメージもねえが、くそ!反撃しづれえんだよ、この!

俺はガードに弾けたジェニーの腕を、今度は関節技を掛けられねえように両手でつかんで思い切り引っ張り、さっき俺がやられたのとは逆に壁に押しつけた。

「ふざけてんのか?ああでもしなきゃ、今頃俺たちは人殺しだ!」

そう怒鳴った俺の声が聞こえてんだかどうなんだか、ジェニーは俺の足を踏みつけてくる。

思わず緩んだ俺の拘束から逃れてジェニーは猛烈な勢いで突進してきて、俺をベッドの上へと押し倒してきた。

腰の上に馬乗りにされ、マウントを取られる。重いわけでもねえ、そんなんで俺を捕まえたつもりか!?

 そう思ってまた突き飛ばそうとしたとき、俺は、何が起こっているのかわけがわからなくなった。

ベッドに押し倒された俺は、ジェニーにまるで貪られるようなキスをされていた。

「お、おい」

ジェニーの体を引きはがして辛うじてそう言うが、ジェニーは馬乗りになった体勢で再び俺の脇腹に膝を入れて来た。

それから一言

「黙りな」

と言い捨てて、俺の着ていたシャツをボタンを弾けさせながら引きちぎった。

こそばゆい感覚が口元から首、胸板の方へと這うように移動していく。その感触が、腰を貫いていくような感覚を走らせる。

ったく…どういうことなんだよ、これは…さすがの俺も、ワケがわからん…

そんな俺の思いを知ってか知らずか、ジェニーは自分も着ていたランニングを下着と一緒に脱ぎ捨てて、また熱く口付てくる。

だが、ジェニーの手練は、いつもとは違った。これは俺を求めているわけでも、慕情をしめしているわけでもない。

まるで、俺を食らい、身も心も征服しようとしている感じだ。愛情なんてもんじゃねえ。

さっきまでのやり合いと変わりない、苛立ちと怒りをぶつけてきている。だが、これは、なんだ…わからねえが…悪くない気もするな…

「おい、いつまで上に乗ってる気だ?」

俺は執拗にキスをしてくるジェニーの体を引きはがしてそう囁いてやって、両脚をジェニーの腰に絡めるとそのまま横に倒して俺が上に乗ってやる。

じゃじゃ馬乗りはこっちが上だってのを教えてやるよ。

 そう思いながら、ジェニーの首筋に唇を押し付け舌を這わせる。

「…んっ…くっ…」

微かな声がジェニーの口から洩れてくるが、仕掛けられた以上、手は抜かねえ。

そのまま下へ下へと“降下”していき、胸へとたどり着く。

先端の突起もてあそびながら、片手でジェニーのベルトをはずし、下着ごと引き下ろした。

だが、それを合図にしたかのようにジェニーは体を起こすと、今度は俺の体を突き飛ばして来た。

ベッドの際にいた俺は体勢を崩してベッドから滑り落ちそうになるのを、床に足を付いてこらえる。

だが、そんな俺の両腕をつかむとジェニーは俺にタックルを仕掛けてくるように体重をかけてくる。

ベッドの脇にあったソファーに俺を押しやると、腰を下ろした俺のベルトをはずしにかかった。
 

878: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 02:03:01.14 ID:xMrn++QAo

 ズボンを脱がせたジェニーは、無造作に俺の腰の上にのしかかって来た。ジェニーの中の肉感が俺を締め上げてくる。

それどころかジェニーは、それこそまるで乗馬でもしているようにして俺を責めたててくる。

俺も彼女の腰に手を回して不利な体勢から腰を動かして対抗する。ジェニーは、俺をジッと見つめていた。

怒りから睨み付けてきているんでも、快感に溺れているんでも、ましてや、愛おしいってな視線でもない。

その目は、まるで、俺が生きてここにいることを確認しているような、そんな風に見えた。

 どれだけ経ったか、不意にジェニーが微かな喘声を上げて体を震わせた。

小刻みなその震えが俺にも伝わって来て、下腹部の緊張が緩まる。俺の方も、腰に差し込んでくる快感の波に襲われた。

 呆然としていた俺に、ジェニーがしなだれかかって来た。はぁ…まったく、とんだ目にあったな…

いや、悪かぁなかったが…一瞬、ヤられる女の気持ちってこんなか?などと思った自分がいたのは、黙っておくとしよう。

「気は済んだか、お嬢様?」

俺はジェニーの体を抱いてそう聞いてやった。また一発くらい叩かれるかと思っていたが、俺の耳に聞こえてきたのは、嗚咽だった。

ハッとして目をやると、彼女は、俺の肩に顔をうずめて泣いていた。

 「死ぬ気なのかと、そう思った…あんた、バカだから…ヘルシンキのあと、様子がおかしかったから、だから…!」

ヘルシンキのあと…?あの夜のこと、か…?あぁ、確かに…あの晩は、妙に凹んじまってたな…

そう思って、俺は合点がいった。なるほど、そうか…こいつ、そこまで心配してやがったのか…

俺が、あのときの女性を助けられなかったことを気に病んで、

次は身を犠牲にしても助けると覚悟を決めてる、くらいに思っていたのかもしれない。そいつは…想像してなかった…。

「すまん…心配かけた」

俺はそう言って、ジェニーの体を起こしてやる。それから、彼女の目をしっかり見て、言ってやった。

「誓う。もう二度と、あんなマネはしねえ。命を懸けるなんざ、二度としないと誓う」

ジェニーは、涙を拭ってうなずいた。それから、泣き止んで呼吸を整えてから、

いつもの、柔らかい、愛おしさのこもったキスをしてくれた。

 それからしばらく俺たちはソファーで抱き合っていたが、さすがにちょいとばかし、腰が痛くなってきやがった。

「ジェニー、コーヒー飲むか?」

「あぁ、うん。頼むよ」

俺がそう聞いてやったら、ジェニーは笑顔でそう返事をして俺の上から降りた。

そのまんまの格好でティッシュはどこだ、などというもんだから、とりあえずベッドの毛布を投げてやった。

俺も処理を済ませてから支給品のスエットを着て、ジェニーにもクローゼットから出したのを渡してやる。

 キッチンへ行って、ヘルシンキに発つ前に挽いた豆をドリップしてカップに注ぎ、そいつを持って部屋に戻ると、

ジェニーが荒らした部屋の片づけをしていてくれた。
 

879: ◆EhtsT9zeko 2014/07/20(日) 02:03:36.87 ID:xMrn++QAo

「ほらよ」

「ありがと」

ソファーに腰を下ろしながら渡してやったカップをそうとだけ言って受け取ったジェニーは、

手に持った何かを不思議そうに眺めていた。

「なにか珍しいものでも見つけたか?」

俺が聞いてやったら、ジェニーは、

「え?あぁ…うん…」

とあいまいな返事をして、それから手に持っていたそれを俺に見せて来た。それは写真だった。


 

俺がベルファストにいた頃から、肌身離さず持っていた写真。さっき乾かして、手帳に挟んでおいたんだが…

そうか、さっきの騒ぎで、手帳も吹っ飛んでたか…。

 「誰なの、それ」

ジェニーは、言葉少なにそう聞いてきた。俺はチラっとジェニーを見やる。あまり、お前と一緒にいるときには扱いたくはねえんだがな…

だが、そんな俺の気持ちを察したのかジェニーは、いつもの挑発的な表情を浮かべて

「あんた、今日は私に逆らえると思わないことね」

と言い捨てた。まぁ、そうだろうな…仕方ねえ、話すよ。俺のプライベートを。

俺はそう覚悟を決めて、一度だけ深呼吸をした。

別に、ジェニー相手に緊張するわけでもねえが、この話は、誰にもしたことがないし、

妙な気持ちもくっついてくるもんだから、さすがに気が重いのが正直なところなんだが、な…

それから俺はコーヒーを一口飲んで、教えてやった。

「真ん中にいるのが、弟なんだ」

俺の言葉に、ジェニーはへえ、とだけ反応して、俺の顔色を窺ってくる。大丈夫だ。

話すのが重いだけで、お前に話したくないってわけじゃねえんだ。

「弟?」

ジェニーがそう話を促してきた。俺は、写真を見つめて、答えてやった。

「あぁ。ユベール。ユベール・ユディスキン。生き別れの、俺の弟だ」




 

890: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:23:38.07 ID:0Ead4kW7o



 ジャブローに異動になって初めての休暇の日。俺は、ブライトマン中尉に連れてきてもらった街で彼女といったん別れて、街の目抜き通りを歩いていた。

パスケースからくたびれた紙片を取り出して広げる。

 そこには住所をメモしておいた。ベルファスト時代、金を作って何とか依頼をできた調査会社が突き止めてくれたユベールの居所だ。

あいつはキエフを離れてしばらく経ってから、この街にある施設に入所して、いまだにそこにいるって話だった。

 中尉と離れた交差点からしばらく歩いて、俺は住所と一致する建物を見つけた。

まるでこじんまりとしたペンションと言うかコンドミニアムと言うか、そんな雰囲気の建物で、

庭を取り囲む塀にある門のところには、「カリ・チルドレンホーム」と言う看板が掲げられている。間違いはなさそうだな。

 看板の横にはインターホンもついている。俺はそいつに手を伸ばして、ふと、胸を押し付けられているような圧迫感に気づいて、深呼吸をした。

緊張なんて、柄でもねえ。ジャックのやろうにバカにされるぞ。俺はそう自分に言い聞かせて、気持ちを切り替え、インターホンを押した。

ほどなくして、女性の声が聞こえて来た。

<はい、どちらさまですか?>

ふと、そう聞かれて考える。こういう施設は、確か、親や親族の出入りについてはけっこうナーバスだって話を聞いたことがあるな。

いや、想像してみりゃぁそうだろう。自分の都合で子どもを手放したり、殴る蹴るして保護された子どもが入ってるところだ。

これは、いきなり兄貴だ、と言ったところで、入れてくれるとは思えないな…

「あー、実は、寄付のご相談があって伺ったんだが…担当者はいるだろうか?」

<まぁ、ご寄附ですか?ありがとうございます、少々お待ちいただけますか?>

インターホンから、そんな明るい返事が返ってくる。我ながら、ちょっとばかし罪づくりな嘘だと思って、思わず顔をしかめてしまう。

だが、まぁ、この際だ。勘弁してもらおう…寄付ってんじゃないが、金の話をするのは、嘘じゃねえからな。

 ほどなくして、門のところに俺と同い年くらいの女性と、それから一回り上くらいの男性がやって来た。

女性が門を開けて、にこやかに俺を中へと迎え入れてくれる。俺はそこから案内されるがままに、建物の中の応接室だというところに連れていかれた。

 応接室へ行くまでの間に、3歳くらいのとにかく小さい子どもたちがキャッキャッとはしゃいでいる姿を見た。

建物全体に、独特のにおいが立ち込めている気がする。

それは、どこか心を絆されそうになるような、柔らかく懐かしい、小さな子どもからする  さ、ってやつなのかもしれない。

ここがあいつの育った場所、なんだな…そう思うと、感慨深くもあり、胸が張り裂けそうな気持にもなった。

 応接室でソファーに座っていると、ほどなくしてさっきの中年男性と、それからお茶を持った同い年くらいの女性が戻って来て、俺の向かいに座った。

「まぁまぁ、どうぞお飲みになってください」

女性が差し出してきたカップから、ふわりとハーブのような香りが漂う。

「はぁ、こりゃ、すいません」

俺はそう答えてカップを受け取り、一口だけ飲んで喉を潤す。それを待っていたかのように、中年の男性が口を開いた。

「それで、ご寄附をいただける、という話と伺っております。私、この施設の事務長をしております、ジェームズ・ブラウンと申します」

「私は、アイリーン・ロッタです。子ども達の世話をしているケアワーカーで、事務も兼ねています」

二人の自己紹介を受けて、俺も覚悟を決めた。まぁ、警察を呼ばれるようなことはないだろうが…対応次第で、出入り禁止くらいにはされるだろう。

とにかく、俺は俺の考えをきちんと伝えて、理解してもらうほかに、手だてなんてあるわけもないんだからな…。
  

891: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:24:12.77 ID:0Ead4kW7o

「あぁ…その話なのですが…寄付、というか、非常に限定的なご支援、という相談なんです」

俺は、とりあえずそう言いながら、ポケットに詰めてきて置いた封筒を取り出した。中から書類を取り出して、応接テーブルの上に広げて見せる。

 書類に目を落として、最初に息を飲んだのが、子どもの世話をしている、という、ロッタと名乗った女性だった。

「それから、これが俺の身分証です」

最後に、パスケースから軍の身分証を出して、テーブルの上の書類の上に添える。

 書類、と言うのは、戸籍謄本の写しだ。そこには、俺の名と、そしてユベールについてもちゃんと書いてある。

女性は、コピーを手に取り、まじまじと見つめ、それから俺の顔をジッと見た。言葉に詰まっている、って感じだ。

とりあえず…そうだな。やはり、今回の俺の目的から話すとするか。そうでないと、変に警戒でもされたら取り返しがつかんかもしれない。

「今日は…突然、申し訳ない。実は数年前に、調査会社を使ってユベールの足取りを探ってもらい、ここに行きつきました。

今日、こうして伺ったのは、兄弟として、施設に頼みたいことがあるからです」

俺はそうとだけ告げる。ロッタさんが、ブラウン氏を見やる。上司判断、ってことか。俺を追い出すも話を聞くも、この人次第、ということだろう。

 ブラウン氏はしばらくの間黙っていたが、ややあって俺に聞いてきた。

「あなたは、おいくつで?」

「今年で26になります」

俺が答えると男は口元を一撫でしてから

「彼がここへ入所したのが2歳だったかな…そうすると、君は当時は…」

と宙を見据える。

「12でした」

俺は答えた。あの日のことは、忘れもしない。片時も、忘れたことなんぞない。だから、俺はここにいるんだ。

「そうか…」

俺の言葉を聞き、ブラウン氏はふむ、とうめいて、ロッタさんにうなずいて見せた。ロッタさんはそれを確認して俺に言って来た。

「ここにいる子ども達は、けっして無理やりにここへ連れてこられたわけではありません。もちろん、強制介入で親元から引き離された子どももいます。

 ですがそれは、連邦福祉法に基づいた子どもの生存権保護のためのものです。ここにいる子ども達はみんな、その連邦福祉法によって守られています。

 ですから、ここですべてを決定できるわけではありません。いかなる場合にも、福祉局の決定を待つ必要があることをご理解ください。

 それでもよろしければ、お話をうかがいましょう」

彼女の言葉は予防線だろう、と俺はそう感じた。これからもしかしたら、俺が無茶で突拍子もないことを言い出すかもしれない。

そんなとき、ここで判断できない、ということを盾にするための物だろう。そして、それはもちろん、ここにいる子ども達を守るためのものだ。

そうでもなけりゃぁ、トチ狂った親が殴り込みをかけて来たようなときに、力づくで子どもを奪われちまう。

そう考えると、予防線と同時に警告でもあるらしい。無茶をやらかすようなら、いつだって通報する準備はできている、ということだろう。

 まぁ、だが、そんなに無理なことを頼むわけでもないと思っている。

まぁ、一目、顔を見てやりたいって気持ちもないでもないが、そうされてあいつが喜ぶかどうかは、俺にはまだ判断がついてねえしな。

「感謝します。ご心配させて申し訳ない。

 こんな訪問の仕方でこう言うのもなんですが、一緒に住みたいとか、引き取りたいとか、そういう類の話じゃねえんです。一つだけ、許可をいただきたい、ってそれだけで」

「許可?」

俺の言葉をロッタさんが繰り返す。まだ、俺のことをそれほど信用している感じじゃないな…まぁ、いい。本当に、今日のところはただそれだけなんだ。
 

892: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:24:43.47 ID:0Ead4kW7o

「ええ。ご存知かとは思いますが、あいつは心臓の病気を持っています。

 医学的に詳しいことはよくわかりませんが、俺が調べたところだと、17になるあいつは、そろそろ症状が出始めてもおかしくないはずです…

 あいつは、心筋の移植手術をやらないと、今の俺の齢までは生きられない」

そこまで話すと、ロッタさんはハッとした表情を見せた。気が付いて貰えてよかった。そう、俺の目的は、そうなんだ。

「あいつがドナー登録をしているにも関わらず、提供者が何年も見つかっていないのは知っています。

 ですが、もしかしたら俺の体が使えるんじゃないか、と思ってるんです」

「そ、そんな!あなたは彼のために死ぬと、そうおっしゃるのですか?」

ロッタさんが声を上げた。

「いや、そうじゃありません、俺もさすがに命は惜しいですから…。ですが、別の方法が取れます。ips細胞を使った心筋の培養です。

 これなら、俺の体から取った細胞で、俺の心筋の代わりが作れます。それであいつの心臓を動かせる」

「ips細胞の再生医療…聞いたことはありますが、確かあれは保険適用外のはず。莫大な金額になるんじゃないですか?」

「金のことは、俺がなんとかします」

「それが、寄付、ということ、ですな」

俺の言葉にブラウン氏がそう呟くように言った。俺は黙ってうなずく。それから彼はまたふむ、と鼻を離してソファーに深く座り直し、

「許可、と言うのは、手術をさせてやってほしい、とそう言った内容なのですか?」

と確認してくる。彼の言葉に、俺は首を振った。

「まだ、俺の体が使えるかどうかが分からないんです。この手の移植手術では、親よりも兄弟の方が移植の適性が高いと聞きます。

 ですが、1歳のころに家を出されてしまったあいつと、俺の体が適合するかが、今はまだわかりません。なので…」

「まずは、検査の許可、ということですね」

「そうです…俺の血液サンプルでもなんでも、検査に必要なものを提供させて欲しいと思っています。そのための許可、を、と」

俺が説明すると、ブラウン氏はしばらくボーっと宙を見据えた。それからややあって、

「緊急時の生命保護のためと、日常生活的に発生する疾病、負傷に対する医療提携機関への受診および、予防、疾病早期発見のための検査、予防接種等の実施の許可」

と口にした。急になじみのない言葉を羅列され、一瞬その意味を取りこぼした俺に、彼は確信を持った表情で言った。

「要するに、検査程度なら、わざわざ福祉局に報告する必要もない、ということです。お申し出に感謝します…希望が湧いてきた気分です」

「それじゃあ!」

「えぇ、それについては、こちらでもぜひお願いしたいと思います」

俺はブラウン氏の言葉に思わず立ち上がっていた。それに合わせて、なのか、ブラウン氏もソファーを立って俺に手を差し出してくる。

俺はうれしさのあまりその手を両手でがっしりと握った。

 あの日から、ずっとこのときのことだけを考えて来た。あのとき、俺は両親を止められていればこんなことにはならなかったはずなんだ。

ユベールにも、寂しい思いをさせなくて済んだはず。力のなかった俺は、あいつを守ってやることができなかった。だが、今は違う。

 金も稼げるし、知識もユベールを助けるためにこの頭に詰め込んだ。これで俺の細胞がマッチすれば、あいつを助けてやれる。

そして、もし、あいつがこれから先も生きていけるのなら、俺はそのときには…もしかしたら…

 俺はこみ上げてくる思いをこらえようと、ぎゅっと歯を食いしばった。それでも、目頭がいやに熱くなってくる。ついに、ここまで来たんだ…!

 だが、そんな俺の思いを打ち砕くような言葉を、ロッタさんが口にした。

「それでは…今日は難しいと思いますので、近いうちに病院でお会いしましょう。きっと急いだ方が良いことだと思いますのでね…」

「急ぐ?」

「ええ…彼、一昨年に初めての発作を起こして…今はもう、病院に入院しているんです」



 

893: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:25:32.69 ID:0Ead4kW7o




 「それが、用事、ね」

「そうだ。黙っててすまなかったな」

俺はカリの街へ向かう車の中で、最初に二人であの街へ行ったときのことを話した。

ジェニーは、無駄な質問も、茶々もいれずに、ただ無表情で最後まで話を聞いた。そして、俺が話を終えると、ふぅ、とため息をついて

「ギャンブルも、そのためだったんだね?」

と確認してくる。

「あぁ…給金はほとんど貯金に回してんだ。足りない分は、“どうにかして”稼がねえと、生活に困るんでな」

俺が答えると、ジェニーは

「そう」

とだけ返事をして、また黙り込む。おそらく、何か言葉を探してるんだろう。だが、すまねえな。まだ、この話には続きがあるんだ。

 「その翌週の休みにカリの病院に行って、細胞と血液を提供した。

 それからさらに一か月後、検査結果が出たという連絡をもらって、俺は施設に足を運んだ。これが、その結果だ」

俺はそう言ってユベール関係の書類を全部まとめてあるファイルを開いてジェニーに見せた。

「うそ…だ、だって、あなたとその彼は、兄弟なんじゃ…!」

「兄弟だよ、間違いなく。だが、兄弟でも、マッチする可能性は50パーセントだ」

「そんな…」

ジェニーが俺の渡したファイルを見て愕然としている。そういや、初めてその結果通知を見たときの俺も、同じようだったな。

別にマッチするとタカをくくってたわけじゃない。だが、正直なところ希望を掛けてた。

それだけに、その書類のただの一文、“Matching:Negative”は、俺から正気を奪い去るくらい強烈なショックだった。

今でこそ、それはそれとして捉えるしかねえと思ってはいるけど、な。

 「レオン、あんた、こんなこと抱えながら、隊じゃあんな風にふるまって…」

ジェニーは、そう俺に言ってくる。まぁ、ジェニーの言おうとしていることはわからんでもない。

でもな、もともと俺は、そう考え込むタイプじゃねえんだよ。考えるよりも動く方がいい。動けなくなりそうなときだけ頭を働かせる。隊でも同じだ。

あそこには俺のやることがあって、余計なことを考えずに済む。時間があまれば、バカ話が始まる。俺はそれに乗っかっていりゃぁ、楽でいられた。

ただ、それだけのことだ。

「いや、そりゃぁ逆だ。ああしてくれてるからこそ、持ちこたえられてるってところが大きい」

俺がそう言ってやったら、ジェニーはそう、とだけ口にしてまた黙り込んだ。ったく、そんな神妙そうな顔すんなよな。

「お前、大丈夫かよ?会いたいって言ったのはお前だからな」

俺はそう釘を刺してやる。

俺の言葉にジェニーはハッとして顔を上げ

「ううん、大丈夫だよ。ごめん、こんな顔を弟君には見せられないね」

と言って、無理やりに笑顔を見せるが、どうにも不自然に見えてしかたない代物だった。仕方ねえ、少しだけ希望の持てる話でもしてやるか。
 

894: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:26:02.86 ID:0Ead4kW7o

「別に、これっきり手術ができねえっていう話でもねえんだ。連邦医療局に移植待ちの登録は済んでる。

 すくなくとも南米のどこかにあいつの体と合うものがみつかりゃぁ、移植はできるだろうさ。それとは別に、非公式の民間の団体にも探りを入れている」

「民間?」

「あぁ。アナハイム社とボーフォート財団が提携して出資してる会社らしい。

 こっちは脳死移植じゃなく、端から細胞培養で移植する臓器を提供する言わばセルバンク、だな。

 医療機構を通した培養移植の倍の金額は掛かるって話はされてるが、まぁ、命には代えられねえ」

「倍、って、どのくらいの額なの…?」

「そうさな…俺が軍に終身雇用されて、最終的に師団長か幕僚官にでもなって10年も働けば、なんとかなるくらいの額、だな」

正直に言うと、それでもなんとかなるかどうかはわからない額、なのだが、まぁ、ジェニーに話すには少し酷だろう。

俺はそう思って、少しだけ誤魔化す。だが、それでもジェニーには効果がなかったらしい。

「そんなの…あんたの人生を棒に振るようなもんじゃない!」

ジェニーはそう俺に訴えて来た。別に非難するつもりがある様子じゃねえが…いや、これはあの時と同じ“心配”か。

まぁ、だが、人生を棒に振る、ね…

「それを言っちまったらよ、俺はもう、あいつの人生を棒に振らせちまったのかもしれねえんだ」

「それは、あなたの両親が…」

「親は関係ねえ。あのとき、俺にもっと力があれば、もっと知恵があれば、あいつを守れていたんだ。俺にはそれができなかった。

 俺は自分の行動が、俺自身の人生を投げ打ってる、とは思いやしねえが、まぁ、それくらいしてやらないと割に合わねえだろ?」

そう言ったら、ジェニーは黙った。ぎゅっと唇をかみしめ、拳を握っている。

すまねえな、そんな風にさせるつもりじゃなかったんだが…

俺は、そんなジェニーの姿を見て申し訳がなくなって、なんとか気分を変えようとカーラジオを付けた。

いつもはおどけた調子で俺を和ませてくれるパーソナリティも、今日ばかりは白々しく感じられてしまうようだった。
 

895: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:26:46.51 ID:0Ead4kW7o

 あの日、ユベールの写真を見て、俺の話を大雑把に聞いたジェニーは、すぐに会わせてくれないか、と聞いてきた。

検査の結果を聞いて以降、施設側の配慮で、俺は奉仕精神の旺盛な軍人として、

非番の日にユベールの入っている病室を訪れて小一時間無駄話をする役割を与えてくれていた。

最初に病室に入った日、俺は、あいつの顔を一目見て、変わってねえな、と思った。

いや、俺が最後に見たユベールは2歳になる前の顔だけで、その後はあの写真一枚っきりだったが、不思議なことに、そう思った。

おしゃべりなやつ、ってわけでもねえんだろうが、俺が顔を出すと、やれ街のカフェに行くならどこがいいだの、

裏路地に入ったら、まずはタトゥーだらけの男に話をつけろだの、施設の子どもと釣りに行ってどうのだの、

そんな話を、まるであのまぶしい太陽みたいな表情を浮かべて話していた。

俺は、なんだかそれを見て、安心したような、切ないような、そんな複雑な気分になったのを覚えている。

こんな笑顔で笑えるような生活だったのか、良かったな、という想いが半分、

もう半分は、やはりどうにもしてやれなかった気持ちが募るってくるってとこだった。

まぁ、とにかくそうして俺は、休みの日にはユベールのやつと1時間話をするために、往復四時間かかるこの道を走るのが日課になっていた。

その話をしてやったらジェニーが、自分も連れてけと言い出した、ってわけだ。どうしてそんなことをしたいのか、と聞いたら、ジェニーは顔をゆがめて、

「私にできることがあるかもしれないし、それ以上にあんたを理解してなかった、これからは、もっとあんたを理解できるようにしたい」

とか言いやがって、反応に困った。

まぁ、だから、ってわけでもないんだろうが、これだけ勝手に凹んでいるのも、俺があのとき何をどう感じたか、ってのを正確に理解してくれているからなんだろうと思える。

それなら、申し訳ないって気持ちの半分は感謝に変えることができた。正直なところ、嬉しかった。

いや、ユベールに対してそう思ってくれていることもそうだが、

それ以上に、俺がずっと一人で心の中に抱えて来た問題を話せる相手ができた、という安堵感だったんだろうと思う。とにかく、そのとき俺はそいつを快諾した。

そうしている間に、車はジャングルを抜けて市街地へと入った。ジェニーに気持ちを切り替えて顔も作っとけ、と頼み込んでおく。

さすがに今の表情で会われたら、かえってあいつに気を使わせちまう。そんな見舞いなんて、ねえよな。

 やがて、車は病院にたどり着いた。駐車場に車を停めて表に出る。来るたびに思うが山を一つ隔てただけで、気候はずいぶんと違うもんだと実感する。

もちろん標高が高いこともあるんだろうが、ジャブローの蒸し暑さとは別世界だ。

 「ふぅ」

とジェニーのため息が聞こえた。振り返ると彼女は、サイドミラーを覗き込みながら平手で頬をパシパシと叩いている。

「そんなに確認しなくても、十分美人だぜ?」

そう言って茶化してやったら、ジェニーのやつは車に乗って以来、久しく見ていなかったあの表情を見せて、

「誰に物を言ってんだ。当然でしょう?」

と言って笑った。

 うまく気持ちを切り替えてくれたらしいな。俺はそのことに少しだけ安心して、病院の方にかぶりを振ってから歩き出した。

その後ろからジェニーは少し早足で追いついてくる。

 建物の中に入ってエレベータに乗り病棟へと向かう。押しておいた6階のボタンのところでエレベータは停止し、チンと音を立てて扉が開いた。

とたんに、消毒液の匂いが香ってくる。俺はそのままジェニーを連れて、まっすぐにユベールの病室へと向かった。 
 

896: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:27:24.63 ID:0Ead4kW7o

 「よう、調子どうだ?」

そう声をかけて中をのぞくと、ベッドに座っている少年が一人、手にしていた本から顔を上げて俺の方を見ていた。

俺の顔を見るなりユベールは満面の笑みを浮かべて

「おぉ、ライオンの旦那!そろそろくる頃だと思ってたよ!」

なんて言ってくる。ったく、その笑顔は、嬉しいような、辛いような、だ。

「ははは、お坊ちゃんはお世辞がうまいな。今日は連れがいるんだ。こないだ話したろう?」

俺はそんなことを言いながら、病室の入り口の手前で二の足を踏んでいたジェニーを中へと引っ張り込んだ。

「こ、こんにちは!」

ジェニーはそんなかしこまった返事をする。お前、なんだよそれ。誰だよ、お前…

だが、俺のそんな思いを知ってか知らずか、ユベールのやつはうぉーっと叫び声をあげて

「ホントだ!とびっきりの美人じゃないかよ!やるなぁ、旦那は!」

なんて感動してやがる。まったく、秘密にしているとはいえ、実の弟ながらどうしてこうも素直なんだよ。性格だけは似ても似つかねえな。

まぁ、顔もそれほど似てるわけじゃねえ。しいて言や、鼻の形くらいか…

 俺はジェニーを引っ張ってベッドの横にあったパイプイスをジェニーの分と2つ出して揃って座り込む。

「えっと、俺、ユベールって言うんだ、よろしく!」

イスに座るなり、ユベールはジェニーにそう言って自己紹介を始める。こいつは、俺と会ったときもそうだった。

ファーストネームについては話しても、ファミリーネームについては一言も言及しない。まぁ、それがさみしい、ってわけでもねえ。

だが、それだけでもこいつが、少なくともあの両親やおそらく俺のことも覚えてねえだろうことは明らかだし、かかわるつもりもねえってのが分かる。

今は、それでもいいと俺は思っていた。俺も本当のことを言えない以上、そんなことを気にしたってしかたねえ。

「わ、私は、ユージェニー・ブライトマンよ、よろしくね。ジェニーでいいわ」

「ジェニーさんは中尉だって、旦那は言ってたけど、そうなの?」

「ええ、そうよ。まぁ、今昇進の話が来てるから、もしかすると大尉になるかもしれないけど」

「あ、それも聞いたな!あの墜落寸前だったシャトルを不時着にまで持って行ったって話だろ?すげぇよなぁ、あれ。

 俺、ここで中継見てたけど、あんな無茶やるなんてどんなバカかと思ってたら、旦那だって言うんだもんなぁ!」

「おいおい、その話はやめてくれって言っただろう?その話になると、また蹴られる」

俺がそう口をはさんだ瞬間、ジェニーに足を踏みつけられた。

くそっ、もういい加減水に流してくれたっていいと思うんだがなぁ、女ってのはこれだから困る、ってんだ。

 それにしても…ユベールのやつは、本当にいい笑顔で笑う。確かに、そいつ見りゃぁ、気持ちが軋まないでもない。

だが、やはり、それは俺にとってはうれしいことだった。

あのとき、泣きながら車に乗せられていったこいつが、こんな笑顔を浮かべるだなんて想像したこともなかった。

それだけで、こいつが少なくとも悪い人生を送ったわけじゃなかった、と安心できる。何も、良かったとは言わねえ。

だが、それでも、家から連れ出されたこいつが、今日まで孤独や寂しさに苦しんでいたと思えないで済んだ。
 

897: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:28:15.99 ID:0Ead4kW7o

 こいつが1歳のころ、住んでいたキエフの乳幼児検診で遺伝病を患っていることが分かった。

俺は、弟の誕生を喜んでいただけに、そいつを聞かされたときは本当にショックだったのを覚えている。

だが、現実ってのは、もっと残酷だった。それを聞いたとたん、両親はユベールの養育を拒否した。

当時9歳か10歳だったはずだが、自分の両親が言っていることがまったくと言っていいほど理解ができなかった。親父は言った。

「自分より先に死んでしまうのが分かっていて、一緒にいるのは辛い」んだ、と。

ふざけんな、と、母親を罵倒して親父をぶん殴った。

もちろん、まだジュニアスクールに通う俺が大人の親父を叩きのめせるわけもなく、返り討ちにあって痛い目を見た。

それからほどなくして、ユベールは福祉団体に引き取られて行った。あの日のことは、忘れたことはない。

キエフの家に白いワゴンで乗り付けて来て、中から降りて来たスーツの男が二人に、女が一人。

家にも上がらず、まるで忘れ物を取りに帰って来たみてえに、まだ小さくて、母親から離れて泣き叫ぶユベールを抱いて車に乗って去って行った。

その様子を、俺は二階の窓からじっと眺めていることしかできなかった。

ジュニアスクールを終えて15になった俺は、家から出たい一心で、軍の訓練校に入った。

そこで、ハイスクールの勉強をしながら最初は、配属された寮の給仕班の下働きをしていた。2年経って、今度は衛生班の下働きを1年やった。

その3年で俺はハイスクール卒業の資格と、基礎訓練を終えて、晴れて正式に軍人としてのキャリアをスタートさせることができた。

配属を希望できる、と聞いて選んだのが航空隊だった。別に空を飛びたかったわけでも、飛行機が好きだったわけでもねえ。

単純に、俸給が良かった、ってだけだ。

俺は、ずっとそのためだけに働いてきた。ユベールの病気は、細胞を金があれば治せるんだと知ったからだった。

そのためだけに、ひたすら働いて出世して、金を溜めて来た。自分の小遣いを稼ぐためにポーカーを覚えて、勝ちまくった。

ヒヨッコの訓練校を終えた俺が士官候補生として配属されたのがベルファストだった。

そこで俺は、調査会社になけなしの金を払って、ユベールの居場所を探るよう依頼を出した。

一か月もしないうちに、その会社の担当調査員だという男から電話がかかって来て、ユベールがカリにある施設にいるという情報を掴んだ。

それが、5年前の話だ。あの日、ジェニーに見つかった写真は、その時に男が入手してきたものだ。カリに一番近いのは、今いるジャブローの連邦軍本部。

ここは、コネでもない限りは希望してもまず入ることのできない“エリート基地”だ。そこになんとか潜り込むために俺は必死で試験勉強に明け暮れた。

そしてやっと、ここまで来たんだ。

「なぁ、旦那!結婚はしないのかよ?」

ジェニーと明るく話していた俺に、ユベールがそんなことを聞いてきた。
 

898: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:28:44.15 ID:0Ead4kW7o

「お、おめえ、急に何言いだすんだ!」

「えぇ!?だってさ、もうずいぶん長いんだろ?そういうのをちゃんと決めないと女は不安だって、路地裏のねーちゃん達が言ってたぜ?」

「俺にだっていろいろと事情があんだよ…それにお前、結婚てな、金がかかるんだ。それこそ、俺みたいな薄給がおいそれとできるもんじゃねえんだよ」

ジェニーがどんな顔してるのかはさすがに恐ろしすぎて見れなかったが、だがまぁ、そう答えておくべきだろう。

ユベールのことでこれからどれだけ金がかかるかはわからん。そう考えりゃ、自分のことなんて後回し、だ。ジェニーには悪いとは思うが…

「なんだよ、旦那。あんた、あんなバカをやるくせにそういうところはヘタれかよ!しっかりしろよな!」

俺の言葉にユベールがそう言い返してくる。こいつめ、俺がまともに言い返せないところをぐいぐい責めてきやがるな。

「ふふふ、ユベールは私を応援してくれてるみたいだけど?」

不意に、ジェニーがそう言って俺をみやった。いつもの挑発的な表情だが、その視線は、何かを訴えようとしているようにも見えた。

適当に話を合わせてやれ、とでも言ってるんだろうか?すくなくとも、結婚どうのこうので怒ってる、って感じじゃなさそうだ。

「ったく、いい気なもんだ。寄ってたかってイジめるのはよくねえって、あのロッタって人から言われなかったのか?」

「こいつはイジめじゃない、説教だよ」

俺の言葉にユベールは笑顔で反論してくる。まったく、ああ言えば、こう言う。誰に似たんだか、ほんとによう。

だが、そう思っていた俺の、ユベールはそのままのまぶしい笑顔でまるで本当に何でもないかのように、口にした。

「俺たちは身近に親戚もなにもいないから、結婚式なんてそうそう呼ばれないんだよ。だから、俺、一度でいいから見てみたいんだよなぁ!

 テレビやなんかで見ると、幸せそうじゃんか!ああいう、家族になろう、って誓いってさ!」

その言葉は、俺の気持ちを一気に抉り取った。理由はいくつもあるだろう。

俺が兄だと名乗れないことも、名乗ったところで、こいつが喜ぶとはわからんということも、

家族ってものに何か幸福なものを感じているんだってことも、そして、もしかしたら自分はそれを一度も見ないままに死んでいくのかも知れない、

と案に悟っているのかも知れねえ、ってことも。

「ははは、わかったよ。結婚を決めりゃぁ、一番にお前に教えてやる。点滴棒を引いてでも式には参列してもらうから、体調整えておけよ」

俺は、ユベールの言葉に、そうやって話を合わせてやるので精いっぱいだった。



 

899: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:30:18.37 ID:0Ead4kW7o




 ユベールの体調管理のため、話は1時間、と限度を決められていた。

名残惜しそうにしてきやがるあいつにまた来週来ると約束をして俺たちは病院を出て、車に戻った。

 とたん、ふぅ、と大きくジェニーがため息をついた。そりゃぁ、そうだろう。俺だって、最初の2、3度は思ったさ。

なんで、あんないいやつが病気になんてならなきゃいけねえんだ、って。ましてや、そいつは俺の弟ときたもんだ。

他人だったとしたってそう思うだろうに、な。

 「大丈夫か?」

エレカのモーターを始動させながら俺はジェニーにそう聞いてやる。するとジェニーはまた、ふうと息を吐いて

「あんたこそ…よくああしていられるよね」

と言葉を投げて来た。

「なに…さすがにもう慣れた。今は、ああいうのを聞いて多少落ち込んだとしても、すぐにそいつをそのまま、あいつを死なすもんか、って思いに変えることにしてる」

「そう…なら、それ、私も付き合うよ。あんたほどじゃないだろうけど、私にだって多少の蓄えはある。あの子の治療の足しにしてやってくれよ」

俺の言葉に、ジェニーはそう言ってくれた。だがそんなの…

「いいのかよ」

「構わないわ。だって、そのうち私の義理の弟になるんでしょ?」

ジェニーはそう言ってあの表情で俺を見てそう言い、笑った。

 と、不意にPDAの着信音が社内に響いた。俺の方だ。ポケットから取り出してディスプレイを見ると、そこにはカリの施設の電話番号が表示されている。

なにか、あったのか?そう思いながら電話口に出ると、向こうからはロッタさんの声がした。

<あぁ、ユディスキンさん?私で、ロッタです>

「あぁ、どうも。なにかあったか?」

<少しお話ししたいことがあって…まだ街にいるなら、施設の方に来てもらえないかしら?」

俺が聞くと、彼女はそう言って来た。施設で、話?いったいこのタイミングでどんな用事か…まさか、ユベールの体調が思ったほどよくはねえのか?

俺は湧き起ってくる胸騒ぎを抑え込んで

「分かった。今病院を出たところだから…20分、いや、15分でそっちにつく」

と答える。すると向こうから少し明るい声で

<はい、じゃぁ、待ってますね>

と返事が聞こえて来た。
 
 電話を切った俺の顔をジェニーがちらっと覗き込んでくる。

「何か用事?」

「あぁ、ユベールの施設からな。なにか話があるらしい」

俺がそう答えると、ジェニーは少し考えるしぐさを見せてから、

「またカフェで待ってた方がいいかしら?」

と聞いてくる。まぁ、それでもいいが、な。実は、別件でお前について来てもらった方が都合がいいことがあるんだ。

連邦福祉法で、独身の人間が育児放棄が理由で施設に入ってる子どもの引き取り手にはなれねえ、ってのがある。

親の事故や病気で入所してる子ども達とは扱いがまた違うんだそうだ。

まぁ、まだ手術がすんだわけじゃねえし、そんなことを考えるのも気が早いのは確かなんだが、今からそれをにおわせて置くのも悪くはない。
 

900: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:30:57.92 ID:0Ead4kW7o

「いや、一緒に来てくれると助かる。あいつの義理の姉になってくれんだろう?」

俺がそう言ってやったら、ジェニーはクスっと笑って

「その言葉、絶対に忘れるんじゃないよ」

なんて念を押してきた。それに、な。

もし、悪い話だったときには、お前には悪いとは思うが、それでも、一緒に聞いてもらえることは、やはり少し安心できるような、そんな気がするんだ。

 俺はそのまま車を施設へと走らせた。車を停めてインターホンを押し、中に上がらせてもらう。

俺の非番はたいていウィークデーなんで、ここに来ても子ども達とはほとんど顔を合わせることはない。

もちろん、ジュニアスクールへ通学するよりも前の、4歳か5歳くらいのチビ達は何人か見たことはあるが、な。

 俺とジェニーはいつもの応接室に通された。しばらくそこで待っているとロッタさんが顔を見せる。彼女はジェニーを見るなり

「はじめまして。どちら様ですか?」

と聞いてきた。

「あぁ、ユディスキン中尉の部下で、ユージェニー・ブライトマンと言います。私も、ボランティア活動に興味があって、ご一緒させていただきました」

ジェニーはそんなことをシレっという。それを聞いたロッタさんは、やけにツンとした態度で

「そうですか」

と返事をしてそれから

「来ていただいてありがとうございます、ユディスキンさん」

と改めて俺にそう言い、俺の向かいに腰を下ろした。

「なにかトラブルでも?」

俺がそう尋ねると、彼女は複雑そうな表情をしてふうと、息をついてから俺に言った。

「実は、先日、ユベールに関する会議が福祉局の方でありましてね。あなたのこともご報告させていただきました」

俺の報告、ね…あんまり良い話でもなさそうだな…報告は義務だろう。だが、それが必ずしもいい結果に結びつくとは考えにく。

施設の生活を知っている彼女たちの報告が、俺とユベールの関わりをどうとらえているのかは、想像の域を出ない。

もし万が一、俺があいつに悪影響を与えている、と判断された日には、これまでのような交流もできなくなる恐れがある。

そいつだけは避けたいもんだ。もちろん、そんなことのねえように、印象は大事にしてきたつもりではあるが…

「それで?」

俺が先を促すと、ロッタさんは俺の目をジッと見て言った。

「会議で、あなたとユベールの関係を隠さないで良い、という方向に結論付けました」

俺は言葉を失った。それは、つまり…

「それは…要するに、あいつに、俺が兄貴だと、そう伝えていい、ってことなのか?」

「えぇ、その通りです。施設側としても、その方針に従う方向でおりますが…肝心なのは、ユディスキンさんがどうされるか、です」

「俺が?」

「はい。ユディスキンさんが伝えないと言われるのでしたら、施設側もそれに合わせてあなたはただのボランティアの軍人であるといたします。

 ですが、もし伝える、ということであれば、私も同席する場で、一緒に伝えたいと思っています」
 

901: ◆EhtsT9zeko 2014/07/26(土) 22:31:30.28 ID:0Ead4kW7o

そうか…それは、心臓の悪いユベールにとっては、負担になるだろう、って意味合いだな。俺はそう感じた。

いや、それもあるんだろうが、もしかすると、あいつがマイナスの方向に動揺するんじゃねえか、ってことを恐れている感じもする。

 今までは禁じられていたから、そんなことは考えないですんでいた。だが、こうしていざ許可が出るとなると、確かに難しい問題だ。

俺一人の気持ちを言えば、言ってやって抱きしめてやりたいと思う。だが…果たして今の状態のユベールにそれを伝えて、あいつが喜ぶのだろうか?

この先、あいつが確実に回復するのなら構わないだろう。

だが、もしかするとあいつは、俺が伝えてしまうことで、混乱したままに命を落としてしまう可能性もある。そいつは…避けたい。

だが、もし…いや、それでも…ちっ!今すぐに答えなんて出せるような問題でもねえな…

 「おっしゃることは、わかります…すみません、ここでは、簡単に結論を出せそうもない。良ければ、しばらく考える時間をいただきたい。

 どうするかを決めたら、必ず一番に知らせると約束します」

俺の言葉に、ロッタさんは黙ってうなずいた。それから俺は、最近のユベールの様子なんかを話した。

 だが、俺はその話をほとんど理解しちゃいなかった。あいつは、ユベールは、俺が本当の兄貴だと知ったらどんな顔をするんだ?

あの笑顔は、いったどんな変化をする?そんな想像ばかりが頭に浮かんで、それ以降、離れることはなかった。


 

908: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 22:52:37.10 ID:6Qy/ywUTo




 翌日。俺は朝から訓練で、ジャブローの空を飛んでいた。なんのことはねえ、ただの対地目標への爆撃訓練だ。

昨日の晩はロクに眠れやしなかったが、多少の寝不足でも、これくらいはワケはない。

 「各機、ぬかるなよ」

俺は率いていた第二小隊のハウスと末尾で見習いを抜けたばかりのアイバンにそう声をかけた。

<了解、副長>

<引き締めていきますよ!>

二人の返事が聞こえてくる。俺はそいつを聞いてからレーダーに映し出された仮想目標の位置を確認して、火器管制のスイッチを入れた。

訓練用のセンサー付き模擬弾はオールグリーン。いつでも投下できる状態だ。

<おーい、ハウス!どうだ、今夜の一杯賭けて、勝負、ってのは?>

<ははは、ザック、泣きを見るだけだと思うがそれでもいいのか?>

<言うじぇねえか。受けて立つってことでいいんだな?>
ハウスと、第一小隊のザックがそう言葉を交わしている。ったく、呑気な野郎どもだ。

こっちは見習い上がりのアイバンがいて不利だってことをわかっちゃいない分けでもないだろうに。

「アイバン、ハウスに無駄金使わせるわけにゃいかねえ。いつも以上に気合入れていけ」

<はは、了解です!>

俺はそんなやり取りに合わせてアイバンにそう声をかけてやる。アイバンは何が楽しいんだか、そう弾んだ声で答えて来た。

 <よし、各隊、準備良いな?まずは第一小隊が行かせてもらう>

次いで隊長の無線が聞こえて来た。同時に、第一小隊が高度を下げて、目標地点へとアプローチを掛けていく。俺は上空からそいつを眺めていた。

滑らかな軌道を描いて降下して行った第一小隊は、寸分たがわぬタイミングで模擬弾を切り離した。

レーダー上に、模擬弾が放つ位置情報の信号が爆発効果範囲として表示される。目標10個中、9個がその範囲の中に納まった。

<ヒュー!やるじゃねえか!>

ハウスの歓声が無線に響いた。なるほど、こいつはなかなかプレッシャーだな。俺は内心そんなことを思いながら

「ハウス。お前、外すんじゃねえぞ」

と無線に言ってやる。するとヘルメットの中にハウスの笑い声が響いてきた。

<ははは!任せてくださいよ、この程度、ミスはしません!>

「よし、期待してるぜ。第二小隊も行く。編隊乱すなよ」

ハウスの言葉にそう返事をしてから、俺は機体を降下させた。後ろからハウスとアイバンがぴたりと機体を寄せてついてきている。

ハウスはまぁ、このくらいは当然だが、アイバンはずいぶんと腕を上げたな。こりゃぁ、近いうちに少尉への昇進を申請してやってもいいかもしれねえ。

見習い上がりの連中の中じゃぁトップクラスだし、な。

 レーダー上の目標がグングンと近づいてくる。ジャングルの一部に木々のない禿げ上がった地面が見えてくる。

俺は速度と高度を読みつつ、レーダーを見ながらタイミングを計って無線に怒鳴った。

「投下!」

同時に、操縦桿のボタンを叩く。ガコンと音が響いて機体が微かに浮き上がる。俺は上昇軌道に入りながら、レーダーの反応を見やった。

<おいおい、どうした?>

誰よりも最初に聞こえて来たのは、隊長の声だった。それもそのはず、俺たちの投下した模擬弾は仮想目標から大きくずれて、

3つを辛うじてその効果範囲に収めているだけだった。しまったな…タイミングを間違えたか?
 

909: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 22:53:03.90 ID:6Qy/ywUTo

<たっはー!やっちまったな…風でも出てたか?>

<運が悪かったな、ハウス!ごちそうになるぜ!>

ザックとハウスのそんな声が無線に響いた。すまんな、ハウス…おそらく、風のせいなんかじゃねえ…俺が集中を欠いてたようだ。

 <第三小隊、行くよ>

不意に、無線にジェニーの声も聞こえた。上昇した俺たちの下を、ジェニーが率いる第三小隊が降下して行き、爆弾を投下した。

だが、第三小隊の爆弾も目標からかなりそれた位置に着地し、レーダー上では俺たちと同じ3つの目標をとらえたに過ぎなかった。

<あちゃー、第三小隊も、か>

<こりゃぁ、相当風が出てるか?第二小隊も第三小隊も、ずいぶん進行方向側に流れてるもんな。追い風だろう>

相変わらずそんなことを言っている二人だが、俺には分かった。ジェニーのやつも、おそらくは俺と同じなんだろう。

まったく、お前がそんなにしょい込むことはねえってのに…あいつのためにそんな状態になっちまってる、なんて、申し訳ねえやら、嬉しいやら、だ。

 <よし。各機、各隊。再度、爆撃軌道に入るぞ。集中して掛かれよ>

隊長の無線が聞こえて来た。その通り、だな。寝不足が堪えてるわけじゃねえ。こりゃぁ、集中力の問題だ。頭がどうにも冴えねえ。

靄がかかっているみてえに、判断が鈍いような感覚だ。

「すまんな、ハウス。俺の読みが悪かった。次は外させねえよ」

俺は無線にそう言ってやる。するとハウスはまた笑って

<まぁ、次の第一小隊の結果次第、ですかねぇ。大外しでもしてもらわない限りは、こいつは勝ち目がなさそうだ>

なんてことを言っている。呑気なのはありがたいが、さすがにこんな結果になったんじゃぁ、心苦しい。次こそは、全部潰せるようにしてやらなきゃな。

俺はそう気合いを入れなおした。

 それから俺たちは2度目の投下訓練を行い、第一小隊は俺とジェニーが外したのを風の影響と読んでタイミングをずらしたせいか4個にとどまった。

俺たちは今度は何とかタイミングをとらえられて9個。ジェニーもなんとか修正できたようで、7つ目標を捕まえていた。

 それでも、1個差でハウスの負け、だ。悔しがるハウスと、それを笑うザックの無線を聞きながら、俺は自分の気の抜けたザマを内心で責めたてていた。

まさか、ここまで自分が割り切れてねえとは思ってもみなかった。もう何年もこんなことは考え続けてきたはずだってのに、ひどいもんだ。

それだけあいつのことを思っている、と言や聞こえはいいが、それにしたって、ひどいありさまだ。

だが、そう思って幾ら気合いを入れなおしても、気持ちを切り替えようとしても、うやむやでつかみどころのない何かが俺の中に漂っていて、

どうにも、判断のキレがなかった。

 まったく…我ながら、繊細なもんだ。呆れて言葉もねえや。



 

910: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 22:53:30.94 ID:6Qy/ywUTo




 訓練を終え、デブリーフィングも済ませて食堂で夕食を摂った夕方過ぎ、兵舎の自分の部屋に帰った俺は、案の定、眠れずにいた。

昨日のほとんど寝れやしなかったのに明日は朝から機動訓練だ。さすがに、今夜ばかりは眠っておかないとまずいことこの上ねえ。

だが、ベッドに横になったところで浮かんでくるのはユベールのやつの笑顔だけだった。

 あの日泣いて連れていかれたあいつが、今になってあんなに明るいだなんて思ってもいなかったってのが、最初に会った正直な感想だった。

あいつにとって、施設での生活はいったいどんなだったんだろう、あいつにとって俺たち家族ってのはどう認識されているんだろう、

もしあいつが、俺が兄貴だと知ったとき俺に対する感情はどう変化するんだろうか。

俺が血のつながった兄弟だと伝えたとき、あの笑顔が消えてなくなっちまうんじゃねえか。俺はそんなことを、グルグルと考え続けていた。

 コンコン、とドアをノックする音。ジェニーの奴だろう。まぁ、来るだろうな…いや、ありがたい、と言うのが本音、か。俺はドアを開けてやる。

案の定そこには、ジェニーがいた。いつもの表情はなく、沈んだ、不安げな表情をしている。

俺が迎え入れる前に、彼女は俺の胸元にすっぽりと収まってすがり付いて来た。俺はドアを閉めながらジェニーの体をそっと抱きしめる。

 「ごめん…こんなで」

ジェニーは俺に顔をうずめながらそう言った。

「いいさ。俺も、似たようなもんだ」

俺もそう答えてジェニーの髪に顔をうずめた。

 ジェニーを開放してソファーに座らせる。

「コーヒーでいいか?」

「ううん…こっちがいい」

ジェニーはそう言って、ローテーブルに置いてあったバーボンのビンを差して言った。

グラスを取ってやったら、自分でバーボンを注ぐので、俺はジェニーの隣に腰を下ろす。バーボンを一口飲んだジェニーはふう、とため息を吐いた。

沈黙が部屋を包む。

「今、何考えてる?」

不意に、ジェニーがそう聞いてきた。何を考えているか、か…

「正直言うと、わからん。ユベールのことを考えてる、ってのは確かだがな…

 実際、具体的になにがどうなのか、って言われたら、正直なんと言って良いかは霧の中、だ」

俺の言葉に、ジェニーはしずかに

「そう」

とだけ返事をした。

 正直言って、頭が回転しているのかどうなのかさえ疑問だ。問いは、端から決まっている。

ユベールに俺が兄貴だと伝えるか、伝えないか、ただのそれだけのはずだ。だが、どうしてかそいつがうまく扱えないでいる。

本当に、ただのそれだけの問いのはずなのに、その質問自体が、まるで煙を掴むようにして扱おうと思えば思うほどに消えていく。そんな感じだ。
 

911: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 22:54:05.33 ID:6Qy/ywUTo

「あの子の笑顔が、頭から離れないんだよ」

不意にまた、ジェニーが言った。

「素直なことを言うとね。施設で、あなたのことを彼に伝えてもいい、って話を聞いたときに、私は、そんなことはするべきじゃないって、そう思った。

 それを聞いた彼のあの笑顔が、歪んでしまうんじゃないかって、そう思ったから」

俺は黙ってジェニーの話に耳を傾ける。だが、ジェニーはつづけた。

「でも、帰ってくる車の中で少し考えたんだ。そんなのは…ずるいんじゃないか、ってね。まるで、逃げてるみたいじゃないか。

 それが怖いから、あの子の笑顔を壊すのが怖いから、だから、伝えないでいてほしいってそう思ってるんじゃないか、って」

ジェニーの言葉に、俺は鈍い反応しか示さない自分の頭をなんとか回転させる。逃げてるみたい、ね…確かにそう言われりゃぁ、そう捉えられなくもない。
俺が兄貴だ、っていう告白が、あいつの笑顔を壊しちまうかもしれない、って思いは俺も同じだ。だが、それはあくまで可能性の話だ。

必ずしもそうはならねえかもしれん。本当の家族を知らないあいつが、それを知りたい、って思っている可能性だって、ないわけじゃねえんだ。

「だがよ…あいつが、俺たち家族をどう思ってるかなんて、わかりゃしねえ。

 あいつが姓を名乗らねえことに、どういう意味があるのかを考えると、伝えるってことは、ただの俺の独りよがりのようにも思える。

 そんなんで、あいつにリスクを負わせるのも違うだろう?」

「だけど…!」

俺の言葉に、ジェニーはそう声を上げる。だが、俺はつづけた。

「少なくとも俺は、ユベールのことさえなけりゃぁ、親に感謝もしている。お前はどうだ?自分の親、どう思う?悪く思うことなんてないだろう?

 言っちまえば、俺もお前も、そういう意味では何不自由なく育ってきちまったんだ。

 だから、伝えることで、多少の苦労があっても、家族はきっと分かり合える、なんて思えちまうのかもしれねえ。

 だから、あいつが同じ結論に至ると決めつけるのは、予測が甘すぎるような気がする」

ジェニーはグラスをギュっと握ってうなだれた。さて、どうしたもんか、な…いよいよ、行き詰ってるらしい。

俺の気持ちや思いだけを考えるんなら、答えは簡単だ。そんなもん、後先考えずに全部まとめて伝えてやればいい。だが、ことはそう簡単じゃねえ。

今のあいつは、俺のその一言が致命傷になりかねない病状だ。俺の一言がもし、あいつを悩ませ苦しめるようなものだとしたら、

あいつはあの笑顔を忘れて、そのまま死んじまうかもしれねえんだ。だが、ユベールのことを考えりゃ考えるほどに、思考は迷路に入っていく。

答えなんて見つからず、行き止まりにぶつかるだけ、だ。このままじゃ、埒があかねえ、な、まったくよ。

「仕方ねえ」

俺は、いよいよすべてを投げ出してそう呟いていた。ジェニーが俺の顔を見やる。

「こうなったら、あいつに直接聞いてみるしかねえよね」

「直接、って…彼に、何を?」

「家族について、どう思ってるかを、だ。そうでもねえと、答えなんて見つかりそうもない」

俺の言葉を聞いて、ジェニーが俺を見つめて来た。その表情は、俺を心配しているそれだった。大丈夫だ、ジェニー。苦しいし、辛いさ。

だけどな、ジェニー。なにがどうあっても、これは俺にとっては前進なんだ。言うにせよ、言わないにせよ、俺はユベールのそばにいることができる。

ただ、あいつの身を案じ、調査会社を通してしか、あいつのことを知ることができなかったあのころとは違う。

そう思や、こんな状況だって、捨てたもんじゃねえと、俺は、そう思うっきゃねえだろ?



 

912: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 22:55:01.19 ID:6Qy/ywUTo




 翌週の休み。俺は朝からジェニーを連れて、カリの街へと向かっていた。

あれから毎晩、ジェニーは俺のところにやってきては、何を話すでもなく過ごしていた。4日ほどたってようやく表情の冴えて来たジェニーは、

5日目の夜にはあきらめたような、何かを悟ったようなそんな表情で

「あんたの言うとおり彼と話さないことには何一つ進まなそうだよ」

なんて言って、微かに笑った。本当にその通りだと、俺も思うようにした。何しろ、重要なのは情報収集と分析、だ。

何をするにも、自分の想像と推測だけで物事を推し進めるにゃ、限界がある。

確定的でないにしろ、ある程度の状況を知っておく必要があるのは、何も戦術論だけの話じゃねえ。人と人の間だって、そいつは同じだろう。

 カリの街に入った俺は、まず病院ではなく中心街のデパートに車を走らせた。そのデパートの玩具コーナーで、ジグソーパズルをジェニーと選んだ。

釣りが好きだと四六時中言っていたから、まぁ、多少難解そうではあったが青い海の風景がプリントされているものを選び、

それに合うフレームも買い込んだ。

まぁ、話のタネにでもなりそうだし、それに、本ばかり読んでるのも退屈なんじゃねえか、と思っていたからだった。

ついでに、ユベールが食えそうな菓子も買って、俺たちは車に戻って病院へと向かった。

 エレベータを降りて病室に近づくと、珍しくこんな時間だってのにユベールの部屋から話し声が聞こえて来た。誰か来ているのか?ナースだろうか?

そんなことを思いながらドアをノックして中を覗くと、そこには、嬉々とした表情で喋っているユベールとそれを無表情で聞いているユベールと同じくらいの年ごろの、

アジア系の少女が椅子に座っていた。

「あぁ、旦那!」

ユベールは俺を見るなりそう声を上げる。

「おっと、お客さんだったか。外すか?」

俺がそう聞くと、少女が椅子を立って

「ユベール、帰るね」

と小さな声で言って立ち上がった。

「あぁ、別に気にしなくていいのよ?」

俺にくっついて部屋を覗いていたジェニーがそう声を掛けるが、彼女は微かに笑みらしき表情を見せて

「たまたま近くを通ったから寄っただけなので」

と言うと、俺たちとユベールに挨拶をすると、そのままスタスタと病室を出て行ってしまった。こいつは、ちょいとばかしタイミングが悪かったか?

 そんなことを思って、部屋に入りながら俺はユベールに謝る。

「すまんな。この時間に人が来ているなんて、初めてだったもんだから」

俺が言うとユベールは明るく笑って

「あぁ、気にしないでくれよ。シャロンって言って、施設のやつなんだ。いつもは週末の昼間か、ときどき平日の夕方に顔を出すくらいだからさ。

 タイミング悪かったのは、むしろあいつの方だし」

なんてことを言う。ふと俺は、ユベールの表情がいつも以上に明るくなっていることに気が付いた。

それこそ、見ているのがまぶしくって目をそらしてしまいたくなるほどの、満点の笑顔、ってやつだ。

「ははーん?さては、ユベールくんのイイヒト、だね?」

ジェニーがそんなことを言いながら茶化す。だが、ユベールはそんなのには一切動じないで

「あははは、そんなんじゃないよ。まぁ、親しいって意味じゃ、施設の中では1番か2番を争うくらいだけどさ」

なんて笑い飛ばす。そうか…まぁ、邪魔でなかったんならよかったよ。

俺はそう思いつつ椅子に腰かけて、デパートで買って来たパズルとフレームをユベールのベッドに放ってやる。
 

913: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 22:56:02.05 ID:6Qy/ywUTo

「なんだよ、これ?」

「土産だ」

そう答えて中を開けるように促すと、ユベールは袋を開いて中を覗き、パァッと明るい表情を見せた。

「おぉ!パズルだ!はは、こりゃぁ、しばらく退屈せずに済みそうだな!ありがとう、旦那!」

まったく…弟ながら、嬉しい反応してくれるじぇねえか…

俺は、そんな今日ばかりはそんな場合じゃねえっていうのに、そんなユベールを見ていたら、ふっと気持ちが緩んでしまうのを感じていた。

本当に、不思議な魅力のあるやつだ…つかめないやつだ、ともいえるが、まるで警戒心なく他人との境目を踏み越えてすっとこっちの気持ちの中に入り込んでくる。

そいつは、なぜだか踏み込まれているはずなのに心地よく感じた。本当に、妙なやつだよ、お前。

 そんな俺をよそに、ユベールはジェニーと一緒になってパズルの箱を見て話しに花を咲かせている。

「おっ!海だ!南の島かなんかか、これ?」

「そうよ。えっと、確か…モルディブ、だったかしら?」

「あ、ほんとだ、そう書いてあるな。モルディブってどこなんだ?」

「インドの南の方だよ」

「インド…がどこかもあやふやだけどな。地理には疎いんだよ」

「ふふ、まぁ、私もパイロットじゃなければ知らない場所だよ。行ったこともないしね」

「そんなもんか。あ、そういえばさ、施設にいるアヤってのが、こっから北のカリブ海ってところにある、アルバ、とか言う島がどうのこうの、っていっつも騒いでるんだよ」

「さっきの子は、シャロン、って言ったっけ?そのアヤって子が本命なの?」

「あはは、だから違うって!あいつらとは、そういうんじゃないんだ。あ、でも、アヤはシャロンと同じで特別なんだぜ?親しさの1番と2番があいつらかな」

「ふーん?どっちが一番なの?」

「あははは、そんなの決められるはずないだろう!」

ジェニーとユベールはそんなことを話しながら笑っている。

ジェニーもここへ来てユベールと話すのはまだ二度目だっていうのに、完全にユベールに心を許しているように見える。

それどころか、いつものジェニーのあの挑発的で勝ち気な雰囲気はどこにもない。本当に、まるで年の離れた弟と話しているような、そんな様子だ。

そんな、普段基地やなんかで一緒にいる俺が新鮮に思えるようなジェニーにも関わらず、それすら自然なことだと感じている俺がいる。

ユベールのあの笑顔に微笑まれりゃぁ、たとえ俺だろうがジェニーだろうが、たちどころに気持ちが穏やかになっちまう。

 こんな笑顔で笑えるこいつは、抵抗も警戒もなく俺たちの懐に飛び込んでくるこいつは、いったい、俺たち家族から離れてどんな暮らしをしていたんだ?

あの施設や、“どこかにいる本当の家族”は、こいつにとってどんな存在なんだ?

 俺は、数日前、ジェニーと一緒に頭を悩ませた疑問を思い出した。だが、その疑問は、あのときとは印象が違った。

あのとき、俺は、俺が兄貴であるかを伝えるかどうかで苦しみ、その答えをユベールに求めようとしていた。

だが、今のこの感覚はそのときのとはだいぶ違う。

俺はただ、純粋にユベールが生きて来た時間と、生きて来た暮らしのことを聞いてみたい、とそんな気持ちになっていた。

これは、おそらく俺が覚悟を決めた、とかそういうことでもねえな。おそらくは、こいつのおかげ、か。
 

914: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 22:56:54.97 ID:6Qy/ywUTo

 俺はそう思いながら、そのアヤってのとシャロンってのの話をジェニーに聞かせているユベールの横顔を見つめた。

「それでさ、アヤがそのチンピラに飛びかかっていくもんだから、俺とシャロンと、そのタトゥーのバリーってので止めに入って大変だったんだよ」

「あはは、ずいぶん生きの良いのがいるんだね。しつけが必要じゃない」

「それは言って聞かせてるんだけどさ、あいつ、全然聞きやしないんだよ」

ユベールはアヤってやつに少しばかり呆れたような表情で言って笑った。俺はそいつに空笑いを交えてから、気が付けばポロっと、ユベールに尋ねていた。

「お前にとって、あの施設はどういうところなんだ?」

すると、ユベールはニコっと笑って、迷うことなく答えた。

「あそこは、俺の家さ!」

「そりゃぁ、ずいぶん長いこと住んでるって話は聞いてるけどよ」

「あぁ、2歳くらいからだ、って…あぁ、この話はしたよな。まぁ、それくらいからずっとだからさ、あそこにいる連中は、俺にとっては家族なんだよ」

ユベールの言葉に、俺は、ハッとした。家族…あそこにいる連中が、そうだ、っていうのか?

「あのロッタって人や、そのアヤも、さっきのシャロン、って子もってことか?」

「あぁ、もちろん!そりゃぁ、それなりに数も多いし、普段あんまり話をしたりしない連中もいるけど、それでも俺は家族だってそう思ってる。

 で、アヤとシャロンはその中でも別格なんだよな。まぁ、二人とも、妹みたいなもんだ。ロッタさんは、母親かなぁ…

 まぁ、俺、血の繋がってる方の家族のことなんて覚えてないから、母親や兄弟がどんなもんなのか、とか、そういうの全然わかんないんだけどな」

俺の言葉に、ユベールは笑って答えた。家族…お前、今、そう言ったのか?

お前にとって、あの施設が家で、お前にとってあそこにいる大人も子どももお前の家族だって、そう言ったんだな…

「家と同じで、長いこと一緒に過ごしてきてるだろうしな」

話の流れでそう言った俺の言葉を、ユベールは笑って否定した。

「あぁ、でも、それだけじゃないんだ。一緒に居たって、家族になる、ってのは簡単じゃない。家族ってどういうものか、俺には分からない。

 だから、俺は俺なりに家族がどんなもんかってことを考えた。で、さ。ロッタさんと話をしたりなんかして、思ったんだ。

 ただ一緒にいるだけじゃ、家族だなんて言えない。家族でいたけりゃぁ、それ以上のことをする必要があるんだな、って」

「それ以上のこと?」

俺が聞くと、ユベールは嬉しそうに微笑んでうなずいた。

「あぁ!家族でいたけりゃさ、俺は、一つの物を共有するのが一番だってそう思った。何も、手で触れるものだけじゃなくてさ。

 楽しみとか、嬉しいこととか、出来事もそういう気持ちも、全部を共有して一緒に過ごす。

 そうやって、人間って繋がっていくもんだってそう思うんだ。それで、そうやって繋がって行って家族になるんだ、って、思ってずっとやってきた。

 大変なこともいろいろあったけどさ…でも、そうやって施設のやつらとも、街の人とも、はは、それこそ、路地裏の連中とも繋がって来れたから、

 俺は寂しいなんて思わなかったし、たぶん、こういうのを幸せって言うんだと思うんだ」

ユベールはそこまで言い終えて、笑い声をあげた。

「旦那、なんだよ、その顔!かわいそうなやつだ、なんて思ってんじゃないだろうな?もしそうなら、見当違いもいいところだぜ?

 俺には不満なんて一つもない。あ、まぁ、そりゃぁ、本当は病院なんかじゃなくて、施設で寝起きしたいな、とか、そういうことはあるけどさ。

 あと、飯だよなぁ。病人食って味が薄くって、施設のおばちゃん達の作ってくれるハンバーグとかコッテリした油っぽいもの食いたいとか…

 はは、そういう細かいことは上げたら切がないわ」
 

915: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 22:57:57.10 ID:6Qy/ywUTo

俺は、そう言われてハッとしてとっさに笑顔を作った。ユベールの言うように、別にかわいそうだ、なんて思っていたわけじゃねえ。

むしろ、逆だ。

俺には、ユベールの話を聞いて合点が行っていた。こいつは、幼いころからそうやって、自分の家族を自分で“作って来た”んだ。

だから、誰かの心に自分を受け入れてもらう方法を知っている。自分が誰かを受け入れる方法を知っている。

だから、こいつはこんなに心地良くって、不思議なやつだと思うくらいに、こっちの緊張を解きほぐすんだ。

誰かと繋がること、あらゆることを共有していくことが、家族、か…そうか、そうだろうな…だとしたら、俺は…お前の家族なんかじゃねえな。

血がつながっているから兄弟だ、なんて、そんなのはお前に取っちゃ、あまりにも短絡的で下らねえ縛りでしかないんだろう。

血が繋がってるから、と言って家族だと胸を張るようなのは、そんなことを言われたあとじゃぁ、あんまりにも滑稽じゃねえか。

確かに、その通りだよ、ユベール。俺は、お前を捨てた親を親とは思いたくない部分がある。

それはお前が言うところの、繋がりを断ち切る姿を見たからだろう。そんなのを、お前は家族だ、なんて認めやしないだろうな。

だとすれば、どんなに気持ちがあろうが、俺もそのうちの一人、ってわけか…考えてみりゃぁ、そうだろうな。

ユベールにとって繋がりが何よりも大事なら、俺も両親と変わりゃしねえ。お前を捨てた、繋がりを絶っちまった家族の一人、だ。

 そう思えば、もう自分がユベールの兄貴だ、と言おうだなんて気持ちは微かにも残っちゃいなかった。

こいつには今は、かけがえのない大切な“家族”がいる。そんなところへ俺が兄貴だと名乗ったところで…

そんなもんは、こいつにとっては何よりも白々しい、言葉だけの宣言にすぎないだろうってことが分かっちまったから、な。

 そう思い至って、俺は胸の空くようなそんな心持ちになった。何を悩んでいたんだか、今となっちゃ、バカらしい。考えてもみろ。

俺は端からユベールの幸せを望んでいたはずだ。こいつは、今、確かに言った。幸せなんだ、と。それは嘘でも虚勢でもねえ。

ユベールは確かに、自分の幸せを自分で見つけて、そいつをきちんと、手にできているんだ。

今更、20年以上も会ってねえ、顔も覚えちゃいねえ兄貴に、出番はねえよな。

 「いや、そういうことじゃねえけどよ。まったく、お前ってやつは、その年でよくもまぁそんなことを言えるもんだな、と感心しちまってたのさ」

俺が答えたらユベールはまた声を上げて笑い

「まぁな!これでも、苦労人なんだぜ?」

なんてあっけらかんとして言いやがる。まったく、年上の俺だが、そう言われちゃぁ、取り付く島もねえ。立派になったな、ユベール…

 俺はそんなことを思いながら、ジェニーの顔を見やって笑うユベールを見つめた。そうだな…俺は、お前の兄貴でなくたっていい。

ただこうして、お前のそばでお前の笑顔を見守ってやることさえできりゃぁ、それが一番だ。

いや、一番は一刻も早く、お前が快方に向かってくれることではあるけど、な。

 「そんなことよりもさ、旦那。結婚式の日取りは決まったのかよ?」

不意にユベールがそう話題を変えに来た。ったく、そう来ると思ったぜ。油断も隙もあったもんじぇねえよな。

俺はふう、とため息をついて肩をすくめて見せる。

「あのな。金の話も、仕事のこともあるんだ。おいそれと結婚なんて出来やしねえって、前も話したろう?」

「だけどさ、旦那。気持ちはもう決まってんだろ?なら、ほら、善は急げって言葉があるなじゃいかよ」

「そりゃぁ、ただ単にお前が見たい、って思ってるだけじゃねえかよ」

俺が言ってやったら、ユベールはニヤっと笑って

「ちぇっ、バレちゃぁしょうがねえな」

と嘯いた。バレるも何も、お前、先週自分で言ってたじぇねえかよ、って言葉を飲み込んで、俺はもう一度、ふう、っと深呼吸をした。

 まぁ、お前が見たい、と言うんじゃボランティア活動の一環になっちまうってことでそれまでだが…それでも、な。俺は、お前に見せたいんじゃねえ。

お前に、見ていてほしいんだ。これは、俺の自己満足に違いないがよ。それでも、弟のお前には、見守っていてほしいんだ。
 

916: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 22:58:24.35 ID:6Qy/ywUTo

 俺は椅子から立ち上がった。いきなり、って感じられちまったようで、急にユベールもジェニーも黙り込んで俺を見た。

パズルと菓子を買うためだけに、俺があんなデパートなんぞに足を運ぶかよ。それこそ、そのあたりのショッピングモールで済む話だろう?

 俺はそう思いながら、ユベールに言った。

「おい、ユベール。お前、立会人だからな。良く見ておいてくれよ」

「え?あ、あぁ…うん」

ユベールは戸惑いがちに、そう返事をした。まぁ、みてりゃぁわかるさ。

 俺はポケットからさっきのデパートでこっそり買い込んでおいたモノの入った小さなケースを取り出して、椅子に座ったままのジェニーの前にひざまずいた。

とたんに、俺のやろうとしていることの意味に気が付いたらしい。ガタンと音をさせて、ジェニーは立ち上がった。

その表情はもう、笑っちまいそうになるくらいに、驚いた表情をしていた。

「お、おい、旦那…!あ、あんた、もしかして…!」

黙ってろよ、ユベール。黙ってみてやがれ。俺はそう内心でぼやきながら、ジェニーを見やって買ってあった指輪の入ったケースを開け、

ジェニーに差し出した。いまだに、口をポカンと開けたままのジェニーの目を見て、俺は端的に告げた。

「ジェニー。俺と一緒になってくれ」

俺の言葉が、病室にシンと響く。ジェニーは、驚きの表情のまま、ブルブルと体を震わせて、いよいよ目に涙すら浮かべ始めた。

だが、ジェニーは相当驚いているらしく、なんの一言も俺に言って来やしねえ。おい、なんか言えよ。俺はジェニーの目を見て、首をかしげてやる。

すると、不意にジェニーの表情に生気が戻って、俺の掲げていた指輪のケースに両手を添えた。

「…えぇ、喜んで」

ポロっと、ジェニーの目から涙がこぼれる。俺はそんなジェニーの返答に笑みだけを返して、その薬指に指輪をはめてやった。

そのとたん、ジェニーはひざまずいていた俺を抱きしめて力いっぱい引っ張って立ち上がらせると、ユベールの前だってのに、

貪るようなキスを見舞って来た。俺はそれに応戦して、ジェニーを抱きすくめてやる。

「うおぉぉぉ!旦那!旦那、あんた!ここでかよ!?」

ユベールがそう声を上げた。そうだよ。ここでなきゃ、ダメだったんだ。ジェニーには悪かったかもしれねえが…

俺は、お前に見届けてほしいとそう思ってたんだ。

 どれくらいの間キスをしていたか、ようやくジェニーがぷはっと、声を漏らして、俺から唇を離した。ユベールが笑いながら俺たちをはやし立てている。
俺はそれが、なんだかうれしくって仕方なかった。だが、それ以上のことをユベールは口にした。

「よ、よし、旦那!ジェニーさん!聞けよ!」

俺たちはユベールの声を聴いて、二人してそっちを見る。

「えと、汝、レオニード・ユディスキンは、妻、ユージェニー・ブライトマンを生涯の伴侶とし、互いに幸せを育んでいくことを誓いますか?」

「あぁ、誓う。ユベール。お前に誓って、俺はジェニーと幸せになる」

「よろしい。では、ユージェニー・ブライトマン。汝もまた、夫レオニード・ユディスキンを生涯の伴とし、互いに幸せを育んでいくことを誓いますか?」

「ええ…誓うよ、ユベール。あんたの言う幸せってやつを私達はもっと深めて、広げていく、って」

「よろしい!えっと、じゃぁ、あれだ!俺の前で、もう一度、誓いのキスを!」

ユベールは、あんまり心臓にゃぁ良くなさそうだが、興奮してそう言って来る。だが、そうだな。お前の前で、俺はそいつを誓うよ。

 俺はユベールに言われるがまま、ジェニーに顔を向けて、二度目のキスをした。ジェニーが俺の体に腕を絡めてくる。

ここではちゃんとは伝えられねえが…後でで勘弁してくれよな。

俺が、お前にどれだけ感謝してるか、ってことも、俺がどれだけお前を必要としているか、ってことも、な…。
 

917: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 22:59:16.69 ID:6Qy/ywUTo

 やがてことが落ち着いて、俺とジェニーは正気に戻ったようにふぅ、とお互いに息を吐いて椅子に戻った。

だが、ユベールはなんだか相変わらず興奮して

「いやぁ、見たかったもんがついに見れたよ!旦那、あんたやっぱりバカだけど男だよな!」

なんて言っている。おいおい、落ち着けって。お前、それ以上興奮すると発作起こっちまうぞ。

俺はそいつが幾分か心配になっちまって、そこからはなんとかユベールを落ち着かせるために、なるだけ落ち着いて、

なるだけのんびりと話かけてどうにか落ち着きを取り戻させた。

 ひと段落してそういえば、と思って腕時計をみやると、すでに部屋に来てから1時間半以上も過ぎていた。

まずいな、興奮させちまったし、これ以上体力を使わせてぶっ倒れられたりしても良くねえ。

 「さて…ずいぶん時間も過ぎちまったし、そろそろ行くぜ」

俺はユベールにそう声をかけた。すると、ユベールは珍しく

「な、なぁ、旦那。悪いんだけど、もう少しだけいて、話を聞いてくれないかな?」

と俺を引き留めてきやがった。なんだってんだ?立ち上がろうと思った俺は、とりあえず椅子に座りなおしてユベールをみやる。

「なんだよ?あんまりお前を消耗させると、ロッタさんにうるさく言われちまうんだ。手短にな」

「あぁ…ロッタさんな。あの人、怒ると怖いよな…い、いや、そうじゃなくって、さ」

ユベールは、一瞬体をこわばらせてから、頭を振って俺に言って来た。

「変な頼みだとは思うんだけど…旦那、さ。俺の、兄貴になってくれないかな?」

俺は…言葉に詰まった。兄貴、だと…?いや、俺は、お前の兄貴だが…いや、ユベールの言いたいことは、そうじゃねえ…

そう、こいつにとって家族ってのは、繋がりを深め合っていく相手のことを言うんだ。それを、俺としたいって、そう言うのかよ…?

「なんだよ、急にそんなことを言い出して?」

「いや…正直、ずっと思ってたんだ。あんたはボランティアの人間で、こんなの迷惑かもしれないけどさ…でも、俺、ずっと憧れてたんだ。

 施設の男の職員は、兄貴っていうよりも、父親って感じだし…

 年上の連中も、俺が家族がどうの、って思う頃には、代替わりであんまりいなくなってて、時間もなかったしうまく繋がれなかったんだ。

 でも、あんたはもう1年くらい、毎週俺に会いに来ては、俺の話も楽しそうに聞いてくれたし、俺もあんたの話を聞くのずっと楽しいって思ってた。

 それにさ、俺、あれこれ父親みたいに言ってこない、年上の人間に…その、甘えてみたいな、って思ってたんだ。

 施設じゃぁ。みんな俺を頼ってくれて、路地裏のやつらもそうだから…ふと思ったんだよ。

 あんたが俺の兄貴になってくれて、今までみたいに楽しいことをなんでも喋ってくれたら…

 俺の…俺の怖さも、一緒になって抱えてくれたら、俺、それってすげえうれしいことだって思うんだ」

ユベールはそう言って、微かに目に涙を浮かべた。

怖さ、と言ったな…ユベール、お前…やっぱりわかってんだな。今のままじゃ、そう長くは持たねえってのが。

微かな望みをかけて、移植待ちしている身なんだ、ってのを、ちゃんとわかっててそいつをなんとか受け止めようとしてんだな…。

その恐怖を、お前、一人で抱えてた、ってのか。

妹だと言った施設の連中のことを思って、そんなのを口にも態度にも出さずに、ずっとそいつを抱えてきてたってんだな…。

兄貴、か…そうだ、兄貴、だ。迷うことも、ためらうこともない。

俺は確かにお前の血のつながった兄貴だけど、そいつはもう、お前には伝えねえと決めた。だが、お前の言う兄貴は違うんだったな。

繋がろうと思って繋がる、家族でありたいと願って、そうあろうとする努力をする…俺に、そういう存在でいてほしい、とそう思ってくれてんだな。

これまでと同じように楽しいバカ話もそうだが、お前は俺に、自分が死ぬかもしれねえって恐怖を一緒に抱えてほしいとそう思ってくれてるんだな…

そんなのは…願ってもない。お前が、そう言ってくれるんなら、な…

俺は、ユベールに向かって笑顔を返してやった。
 

918: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 22:59:49.32 ID:6Qy/ywUTo

「あぁ。俺でよけりゃぁ、兄貴とでもなんとでも呼んでくれ…俺も、そう言ってくれるとうれしい」

すしたらユベールは、ははは、っと笑顔で笑いながら、ポロッと一粒だけ涙をこぼした。

「なら、まぁ、ジェニーは義理の姉ってことになるなぁ?」

俺はなるべく軽い口調でそう言ってジェニーを見やる。ジェニーは

「ははは、そうだね。そういうのも悪くないね」

なんて言いはしたが、こめかみに思い切り力が入っているのが分かった。泣き出しそうなのを我慢している、って感じだ。

こりゃぁ、早々に退散しねえと、ジェニーが持たねえな。

 「それじゃぁ、まぁ、兄貴様は今日は撤退するぜ。また来週来てやるからよ。

 パズルが終わっちまって、また何か差し入れが要りそうだったらロッタさんに伝言でも頼んでおいてくれや」

「あぁ、うん!そうさせてもらうよ、兄貴!」

ユベールは嬉しそうに笑ってそう言った。俺はそいつを確認して、ジェニーを促して椅子から立ち上がる。

それじゃぁ、またな、と挨拶をして部屋を出ようとして、ふと、脚が止まった。

「レオン?」

「あぁ、先行ってていいぞ」

俺は、ジェニーを部屋ので口に押しやりながらユベールのところまで戻った。本当に、ただなんとなく、だった。

俺がそうしてやりたいと思ったから、と言うのもあったっては正直なところだが…

背中に視線を感じて振り返ったユベールを見て、あぁ、俺だけじゃなかったんだな、と確信していた。

「なにか、他に頼みたいことねえか?」

俺が言ったらユベールは、涙を浮かべた笑顔で、俺に言って来た。

「弟っぽいことされたいって、ちょっとだけ思った」

そうか…よかった。俺もちょうど、兄貴らしいことをしてやりてえと、そう思ったところだ。

 俺はぐっと手を伸ばして18になろうかってユベールの頭をガシガシと撫でつけてやった。

ふと、施設に入ったときに感じる  さみたいなあの香りがした気がして、俺は、湧き起った「抱きしめてやりたい」って衝動をこらえつつ

「心配すんな。施設と福祉局で頼んでる医療局のルートの他に、民間企業が抱えてるドナーバンクにも軍のコネでお前のデータを登録してある。

 宇宙に人間を打ち上げる世の中だ。必ず、お前の体に合うのが見つかるからよ」

と言ってやった。それから、ポンと肩をたたいてやって

「それじゃぁ、来週な」

と声をかけてやる。ユベールは照れながら、それでもうれしい、って顔いっぱいで表現して

「あぁ、うん、兄貴!待ってるからな!」

と、満面の笑みで俺に言ってきた。そんなユベールに軽く手を振って、俺たちは病室を出た。
 

919: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 23:00:34.39 ID:6Qy/ywUTo

 エレベータで一階へ降り、駐車場になんとかたどり着いた。ジェニーは、車に乗るなり俺にしがみついて来て大声で泣き出しやがった。

俺は、と言えば、人のことなんて言えやしねえ。ジェニーの体をギュっと抱きしめて、歯を食いしばってあふれ出てくる涙を止められないでいた。

悲しいんじゃねえ。そういうんじゃ、ねえんだ。これは、安堵だ。そして、喜びでもあったんだろう。

俺は、戸籍上の血のつながった兄貴としてじゃなく、あいつが望む、あいつの中の“家族”としての兄貴に選ばれたんだ。

それは…それは、やはり、言いようもなく、嬉しいじゃねえか。

俺が悩んでいたことなんぞすべて吹き飛ばした挙句に、こんなことを言ってもらえるなんて、な…

こんな、こんなうれしいことはおそらくどこを探しったってねえだろう。ありがとう、ありがとうな、ユベール。

俺は心の中でそう何度もユベールに礼を言いながら、その一方で強く心に決めていた。

 あいつを死なせるわけにはいかねえ。もう、なりふりなんぞ構ってやいられねえんだ。あいつを生かすためなら…なんだってしてやる。

どんな方法でも、あいつを生かすための心臓か細胞を手に入れてやるんだ、と俺は自分に誓った。

 だが、その一か月後。俺はロッタさんから、聞きたくなかった事実を聞く羽目になる。

ユベールの体の衰弱が著しくなってきていて、おそらくは、すでに移植に耐えうる体じゃねえだろう、って医者の診断だった。

それでも、まだ希望はあった。移植ができなくても、正常なips細胞さえあいつの心臓に埋め込めれば、そこから心筋の再生が始まる。

その方法なら、ギリギリまで対処が可能だってことを俺はこれまでの調べで理解していた。

だが、時間がなくなったという事実が、俺にとって重くのしかかってくることに違いはなかった。




 

920: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 23:01:24.64 ID:6Qy/ywUTo




 それからも、俺とジェニーはこれまでと同じように、毎週の休みにユベールの元へと通った。

兄貴、と呼ばれるようになったから、と言って、あいつの態度が極端に変わることはなかった。

ただ、時折怖さを滲ませて「死ぬのかな」なんて言って俺とジェニーの心を締め上げた。

俺はそれを、ips細胞治療の話をしながら慰めつつではあったが、その恐怖と苦しさを受け止めていた。

それがユベールの求めた繋がりであり、家族である証だったからだ。

 ユベールの体調は、週を追うごとに悪くなっているのを、俺たちは感じ取っていた。これまでとは明らかに違う変化だった。

おそらく、心臓のポンプ機能がかなり弱くなってきているんだろう。

顔色は青白くなるし、長いことのバカ話も、体力がついてこないようできつそうになっていた。それでもユベールは、俺たちが顔を出すといつだって、

あの明るい顔で俺たちに笑いかけてくれた。

 ユベールに兄貴と呼ばれるようになってから2か月ほどしたころのある週。俺とジェニーはいつもの通り車を走らせてカリの街に来ていた。

その前の週、帰り際にあいつが「三人で写真を撮りたい」とか妙なことを言いやがるもんだから、

カメラなんて持ってねえ俺たちはいつだかにコーヒーメーカーを仕入れた家電量販店で適当にカメラを選んでから病院へと向かった。

 病室に入って顔を見たユベールは、先週にもまして青白い顔をしていたが、相変わらずいつもの明るい笑顔で笑っていやがった。

「お、兄貴、待ってた」

さすがに大声を上げるほどの体力もなく、ここのところは声色こそこんな調子だが、それでも話し始めたら終始笑顔で、そいつだけが俺を安心させてくれていた。

だが、以前ユベールの体にマッチする細胞は見つかっていない。もう時間が残り少ないのは、否がおうにも感じられてしまっていた。

「今日も元気そうでなによりだぜ」

俺が言ってやったら、ユベールは

「まぁ、な。食欲がちょっと戻ったんだ。アヤが施設で焼いたガーリックトーストをこっそり持ってきてくれてさ。やっぱあそこの食事はうまいよ。

 俺のおふくろの味、ってやつだ」

なんて空笑いをする。食欲が戻ってるんなら、良かった。体重もずいぶん落ちてる、って話だったし、持ち直してきてる兆候かもしれんな。

それを聞いて、俺はさらに、すこし安心した。

 いつもの通りにジェニーと二人で椅子に腰かける。そんな俺たちを見てユベールは

「なぁ、結婚式、まだなのかよ?」

と聞いてきた。

「あのな。そいつは、当分先だって言ってばかりじゃなかったか?」

俺が言ってやったらユベールは珍しくぶすくれた表情で

「そうだったっけか?俺、待ち遠しいんだよ。姉貴の花嫁姿なんて早くみたいじゃないか」

とジェニーを見やって言う。

「まったく、あんたはほんとに、よくそういうことを平気で口にするよね。恥ずかしいとかそういうこと思わないの?」

「恥ずかしがって物を言えないのなんて損じゃないかよ。思ったことは、その都度口にしてった方がいいに決まってるだろ」

ジェニーの言葉にユベールは笑った。まぁだが、確かにユベールの言うことには一理ある。ただでさえ、ジェニーはこのつくり、だ。

ウェディングドレスでも着せてばっちりメイクもしてやりゃぁ、

それこそ式の最中にそこら中から俺との結婚待ったが掛かって俺にジェニーを賭けた決闘を申し込んでくるやつがいないとも限らん、とさえ思う。

だが、ユベール、さすがに俺はそこまでは口に出せねえよ。素直に言えるお前がうらやましいぜ。

 ユベールが式を見たい、って気持ちはわからんでもない。だが、そればかりは申し訳ないが、お前の治療費の確保で資金がない。

どうしても、ってんなら、手作りの式でもやるしかないが、そうなってくると入籍だのなんだのと言う話になって、隊の方に影響が出ちまう。

お前の体調が予断を許さないこの時期にそんなドタバタは正直避けたい、ってのが俺の本音だ。まぁ、そんなこと口には出さねえけどな。
 

921: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 23:01:52.91 ID:6Qy/ywUTo

「まぁ、もうしばらくして目途がたったら、だな。それまではお前も大人しくしとけよ。式の途中で倒れられたりするとたまらん」

俺がってやったらユベールはケタケタと笑って

「そんなんじゃ、ぶち壊しだもんな。気をつけとくよ」

なんて答えた。それから、ニヤっと俺たちを見やって

「でも、約束だからな!俺だけ体のことで呼ばないとか、そういうことすんなよな!」

と念を押して来た。ったく…その話は答えづれえって言うのに。

「あぁ、約束は守る。だからお前もちゃんと整えろってんだ。今のお前は、ウェディングドレスより白い顔してやがるぞ」

俺が言ったら、ユベールはあはは、と笑ってくれた。あぁ、そう、その顔だ。やっぱりお前にゃ、その笑顔が一番似合うよ。

 そんなことを思って、俺はユベールのその顔を眺めていた。と、不意に、ユベールは何かを思い出したようにその笑いを収めて、俺たちを交互に見つめた。

「そうそう、約束ついでに、もういくつかわがまま言っていいかな?」

「なんだよ、藪から棒に?できねえこと以外のことなら、まぁ、約束してやらんこともないけどな」

俺が言ったら、ユベールはニコっと笑って

「さすが兄貴だ。器が違うね」

なんておだてながら、ベッドサイドにあったワゴンの引き出しを開けて、小さな箱を取り出した。その箱を開けたユベールは、一枚の写真を俺に見せて来た。

 その写真は、最近撮ったものらしい。場所はこの病室じゃなく、おそらく一階の裏口を出たところにある庭園のようだ。

その庭園の花壇の前に、ユベールとそれから前にここでチラッとあったシャロンって子と、それから初めて見る髪の短い少女が映っていた。

と、俺はその写真をマジマジと見つめて、思い当たった。この二人、そういや、俺が調査会社から仕入れてもらった写真に写っていた二人、だ…。

 「ほら、シャロンは知ってるだろ?それから、髪の短い方がいつも話てるアヤって方だ」

なるほど…あの写真のまだ幼かった少女がそのアヤだった、ってことか。そんなことを思っていた俺をよそに、ユベールはつづけた。

「な、兄貴達はパイロットなんだろ?ってことは、衛生学なんかは多少の知識ってあるよな?」

「ええ、基礎的なことはおおかたは初等訓練のときに習うよ?」

ジェニーが答えると、ユベールは微笑みを浮かべて手にした写真を見下ろした。

「この、シャロン、な。今、看護系の専門学校に行ってるんだ。年度末に医療局の試験があって、それに合格すれば看護師になれる…

 だけど、俺が言うのもなんだけど、こいつあんまり勉強できなくってさ。

 でも、シャロンは18で施設を出て行かなきゃいけないから、仕事を決める必要があってさ。

 資格試験に受からないと、独り立ちできないで、福祉局の保護対象になっちゃうんだ。

 そうなると、俺たちみたいな出のやつはそのあとが厳しくなっちゃってさ。

 だから、なんとか一発合格させて、今内定をもらってる病院に行ってほしいって思ってんだ」

ユベールはそう言って、ジェニーをみやった。

「なるほど、家庭教師をやれ、っていうのね?」

「あぁ、できたら頼めないかな、と思って」

ジェニーが今度は俺を見つめてくる。まぁ、看護師の資格を持ってるわけじゃねえが、俺たちパイロットは救急救命員の資格を取らされる。

ジェニーの言うように、基礎的な方医療知識なんかは頭に入っていた。

「そんなもん、言ってくれりゃぁ、いつでもやれるぜ。あぁ、ボランティア、ってことになるだろうから、また施設の方に申し出る必要がありそうだな」

「あぁ、なるほど、確かにそうか。良かったら、ロッタさんに相談してみてくれよ」

「分かった。俺よりもジェニーの方がそういうデキは良いから、ジェニーに任せる」

俺がそう言ってジェニーを見たら、ジェニーは妙に神妙な面持ちでうなずいて

「いいよ。任された」

とユベールに返事をした。と、それだけなのかと思ったら、ユベールまた写真に目を落として、呟くように言った。
 

922: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 23:03:02.86 ID:6Qy/ywUTo

「できたら、こっちのアヤの方も面倒を見てやってほしいんだ」

「アヤの方も?」

「うん…こいつは、本当に無鉄砲で考えなしで、シャロンよりとっぽど心配なんだよ。そりゃぁ、ロッタさんはちゃんと見ててくれると思うけどさ…

 勉強もたいしてできる分けじゃないし、やっぱり施設出身者特有の問題なんだけど、俺たちってよほど優秀でもない限りは、資格でも取って手に職つけないと、生きていけないんだよ…

 それこそ、宇宙移民としてコロニー公社に身売り同然で就職するようなやつもいるくらいなんだけど…

 前に話したかもしれないけどさ、こいつ、アルバ島って島に行って、そこに住みたい、ってのが夢なんだ。

 俺、それをなんとかかなえてほしい、ってそう思うんだよ」

そこまで聞いて、俺ははたと気づいた。こいつ…もしかして、俺たちにその二人を託そうだなんて思ってんのか?

自分の体のことがあるから…こいつらの将来を支えてやれないかもしれないから、と、そう思ってやがるのか?

「おい、ユベール、お前…」

「な、兄貴ならわかるだろう?下のやつの面倒ってのは、兄貴が見ていて、支えてやらなきゃいけないもんじゃないか」

ユベールは、切なそうな表情で俺を見つめて来た。そんな顔のお前、初めて見るな…俺はふと、そんなことを考えていた。

「こいつ、本当に呑気でなんにも考えてないやつだから、資格がどうのこうのとかそんなことできないと思うんだ。

 だから…もしできたら、兄貴に軍に引っ張ってほしいんだ。別に航空隊じゃなくたって構わない。

 ほら、軍って車両の免許とか、整備とか、そういうことの免許もとれるんだろう?そういう資格を取れればさ、あいつもなんとか生きていけると思うんだ」

軍に…か。連邦軍がスペースノイドの増長に対抗するために軍拡を進め初めてもうじき1年になる。

人材を欲してる、ってのは事実だから、まぁ、入るだけなら別に俺のコネがなくったってどうにでもなるだろうが…

それじゃぁ、ユベールの想いを汲む、とは言えねえわな。兄貴として下のやつを守って支えるんなら…

少なくとも手の届くどこか、に居てもらうのが一番ではあるが…だが、そんなことよりも、俺は気になることがあった。

「お前…そんなことを俺たちに頼んで、どうするつもりなんだ?」

俺はユベールに聞いた。そんなのは…あまりにも、遺言のようで…聞かずにはいられなかった。

そんな俺の言葉に、ユベールは突然ハラハラと涙をこぼしながら、口にした。

「俺…こいつらの未来を見ててやりたかったんだ…こいつらが好きで、本当に大好きで…ずっとずっと一緒に居たんだ。

 ずっとずっと一緒に居てやりたいって、そう思ってた…」

ユベールの言葉が、一気に胸を締め上げた。やっぱり、そうなんだな…

これまでお前の話を聞いて、お前にとってこの二人がどれだけ大切かってのは、良く知っていたつもりだ。お前がどれだけ二人を心配してたかってことも、な。

そんな二人を、俺たちに託そうとして…

「だけど…俺、もう、どうなるかわからないじゃないか。移植待ってるけど、もう4年もドナーなんて見つからない。

 俺、もしかしたら、こいつらの面倒をもう見てやれないかもしれないんだ…もしそうなったらって思うと俺、それだけがどうしても心配で心配で…だから…頼むよ、兄貴!

 俺の治療がもし間に合わなかったら、こいつらを助けくれる、って約束して欲しいんだ。別に弱気になってるとかそういうことじゃない。

 希望があるなら、俺はあきらめない。だけど、それとこれとは、別なんだ。ちゃんと安心できる誰かに頼んでおかないと、おちおち治療もできない…

 な、わかってくれるだろ?」

ユベールは俺にすがり付くようにそう言って来た。嘘だな、と俺は思ってしまっていた。

希望があるなら、なんてこいつはそんなことを思ってなんかいねえ。安心して治療に臨めねえなんて、そんなことを考えちゃいねえ…

だが、弱気になってんのも事実だろう。だが、それ以上に俺は、ユベールが自分の体のことをよく理解してるんだろうことを感じ取っていた。

おそらく、もう長くない、とそう感じているんだろう…それは…俺にとっても、想像すらしたくない結末だ…できることなら、俺は面倒なんて見たくねえ。

そんなもんはてめえでやれ、と、言い捨ててやりたいくらいだ…だけど…だけどな…っ!

「…わかった」

俺は、歯を食いしばってうつむき、こみ上げてくる感情を抑えつけて、そう答えた。
 

923: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 23:03:49.34 ID:6Qy/ywUTo

それから、できうる限り、その感情を誤魔化しながら顔を上げてユベールを見つめた。

「約束する。お前にもしものことがあったら、こいつらは必ず、俺が面倒をみてやる」

俺の答えに、ユベールは写真をギュっと握りしめて、祈るようにして顔を覆った。

「頼む…頼むよ…兄貴…こいつらを、俺の、俺の大事な家族を、守ってやってくれよな…!」

ユベールはそう言って嗚咽を上げながら泣き始めた。俺も、涙をこらえるので必死だった。ユベールの想いや覚悟は、もう十分に理解している。

俺だってもう、腹はくくったつもりだ。だが、いざそいつを突きつけられるとどうしたって気持ちは鈍る。

だが、そんなことを言い訳にして、俺はユベールの頼みも、思いも、拒否するわけにはいかないんだ。俺は、こいつの兄貴、なのだからな。

 「ユベール、深呼吸だよ…あんた、整えろって今レオンが言ったばかりじゃないか。泣いてると、心臓の負担になっちゃうよ」

ジェニーがそう言ってユベールの背中をさすりながら優しくそう言う。やがて、深呼吸をしながら、ユベールは泣き止み、涙を拭いて気持ちを整えた。

それから、ふぅ、とため息をついてまたあの笑顔を見せた。

 「いや、ちょっと恥ずかしいな。人前であんまり泣かないんだぜ、俺。今のは結構貴重な場面だったよ」

なんて、珍しく取って付けたような照れ隠しをするもんだから、俺もこぼれ始めていた涙を拭いて笑ってしまった。

 それからは、いつものユベールに戻った。ジェニーと話、そこに俺が茶々を入れたり、逆にユベールが俺を冷やかして来たり、

いつもの、何気ない幸せで、穏やかで、ゆったりとした時間が流れた。

そんなとき、ふと、ユベールが声を上げた。

「そうだ!なぁ、先週頼んでたカメラ、持ってきてくれてる?」

「カメラな。来る前に買い込んださ」

俺はそう言って、掌に収まるくらいのサイズのカメラを取り出して見せる。するとユベールは喜んで、

「な、撮ろう撮ろう!」

と張り切った。俺はセルフタイマーをセットしたカメラを椅子の上に置き、ベッドの方へとレンズを向ける。

シャッターを切って、ピピピ、と音が鳴る中、俺はジェニーとユベールを挟む形でベッドに飛び込んでカメラの方を向いた。

パシャっと、音がしてシャッターが切れた。カメラを持って、今撮った写真を裏の液晶に表示させてやるとユベールはさらに喜んで、しきりに俺に

「次来るときに現像してきてくれよな!絶対だからな!あ、これも約束な!」

と笑顔で言って来た。欲張りは嫌われるぜ、なんて言ってやりながらも、俺はそれを承諾して、いつだかのようにユベールの頭をガシガシと撫でてやった。

 時間も程よかったし、ユベールにも少し疲れの色が見えていた。

「さて、そろそろ引き上げるぞ」

俺はユベールに言った。2か月前に俺を兄貴と呼ぶようになってからユベールは、毎度このタイミングで少しだけ寂しそうな表情をするようになった。

そのたんびに頭を撫でてやると、まるで小さい子どものように喜んでくれるのが印象に残っていた。

「うん…早いな、楽しい時間は。また来週までお預けか」

ユベールは案の定、そんなことを口にしている。俺は毎度のごとくユベールの頭を撫でながら

「まぁ、元気出せよ。来週までに少し体重戻しておけよな」

と言ってやったら、やはりユベールは嬉しそうに笑った。
 

924: ◆EhtsT9zeko 2014/08/02(土) 23:04:21.57 ID:6Qy/ywUTo

「じゃぁ、またね、ユベール」

「あぁ!来週も待ってるからな!」

ジェニーもそう言葉を交わしたので、俺は病室を出ようと歩き出した。

 と、そんな時だった。

「あっ」

と言う、ユベールの小さな声が聞こえた。

なんだよ、来週のリクエストがまだあったか?

そう思って振り返った俺の目に映ったのは、今の今までベッドに座る姿勢でいたユベールが、体を丸めるようにベッドに倒れ込んでいる姿だった。

 おい…おい…ユベール…お前、どうした…?発作か…?!ぎゅっと、まるで俺の心臓が止まったかのような苦しみが胸を締め上げた。

「ユベール!」

俺はそう声を上げてユベールに駆け寄った。ユベールは胸を押さえてぱくぱくと口を動かしながら呼吸をしようとしている。

「そんな…ユベール、しっかり!」

ジェニーも飛んできて、ユベールにそう声を掛けながら枕元にあったナースコールを押した。

同時に、ユベールの体に繋がれていた心電図からけたたましい警報音が鳴り始める。

 くそ…!くそ!バカやってんじゃねえぞユベール!いくらなんだって、今ってことはねえだろうが!明日にはドナーが見つかるかもしれねえんだぞ!

明日じゃなく、数時間後かもしれねえんだ!生きてりゃぁ、治せる可能性があるんだ!いきなり発作だなんて、ふざけたことになってんじゃねえ…!

俺は胸を締め上げる感覚にただただ我を忘れてそう頭の中で繰り返す。

「しっかりしろ、ユベール…!CPR…CPRだ!」

俺はとっさにそう言葉にしてジェニーに伝えた。胸を苦しがっているユベールのベッドに上がって、ユベールに馬乗りになって心臓マッサージを始める。

呼吸は…呼吸はまだできてるな!?ユベール…死ぬな…まだ死ぬなよ!覚悟してたなんて、嘘だ!俺はまだ、お前を亡くすつもりなんてねえんだぞ!

頼む…頼む、ユベール…!まだ、まだ…逝くな!

 そんなときだった。不意に、胸を押さえていたユベールの腕が俺の着ていたシャツの襟首を掴んで、俺の体を引き寄せた。

俺の頬に、自分の頬を押し当てながら、ユベールの、かすれた、囁くような、声が聞こえた。

「兄ちゃん、ありがとう」

ハッとして、頭が、思考が停止した。…兄ちゃん?兄貴、じゃなくて、か…?お前、おい…なんだよ…どうして急に、そんな呼び方を…?

 瞬間戸惑った俺の体にユベールの腕が絡みついてきた。俺は、俺は…気が付けば、ユベールを抱きしめていた。

なんでだよ…お前、まさか…いや、あり得ねえ…あり得ねえだろ…?だって、お前、あのときまだ、二歳にもなってなかったじゃねえかよ。

家族のことなんて、覚えてねえって言ってたじゃねえかよ…!なのに、なんだよ、今のは…?

おい、答えろよ…何か言えよ、ユベール!

 俺はユベールを抱く腕に力を込める。だが、まるでその反対に、ユベールの腕から、体から力が抜けて、俺の中でクタリと大人しくなった。

 バタバタと足音が聞こえてきて、病室に医者となんだかわからん機械を押したナースが駈け込んでくる。

俺はジェニーにベッドから引きずりおろされ、床にはいつくばったまま後ろから羽交い絞めのように抱き着かれる。

そのまま、俺は医者とナースが必死にユベールの蘇生措置に入るさまを、ただただ、呆然と見つめていた。

泣きわめくでも、悪態をつくでもなく、みっともないありさまで、ボロボロと黙って涙をこぼしながら。

 


 

934: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:45:09.68 ID:FXWOSk4yo




 ユベールの最後を看取った俺に、病院に駆け付けたロッタさんが聞いてきた。

「あの子は、苦しんでいた?」

俺は、首を横に振ってやった。

「眠るようだったよ」

そう伝えると、ロッタさんは静かに涙をこぼしていた。口から出まかせだが、残った人間に事実を伝えたってただ辛いだけだ。

本当のことを伝えても、ユベールのやつは喜ばないだろう。

 俺はロッタさんとそれからしばらくポツリポツリと話をしていて、ふと、ユベールの最後の言葉の意味を知りたくなって、

ロッタさんに聞いてみた。

だが、俺が伝えないと決めたことを施設も尊重してくれていたらしく、誰一人、ユベールに本当のことを伝えたやつはいない、って話だった。

 だとすりゃぁ、あれは、なんだったのか…まるで、俺が血のつながった兄貴だと知っているような、そんな口ぶりだった。

そう考えていたとき、ロッタさんが、ユベールが写真を取り出していたあの箱を手にして、その中から丸い何かを手に取った。

「…それ、ピサンキ、か?」

俺は、ふと、そんなことを口にしていた。

「知ってるの?」

「あぁ。俺の故郷の民芸品…お守りみたいなもんだ」

俺はジェニーにそう説明しながら、ロッタさんに言ってそれを見せてもらっていた。

丸く削った木の固まりに、色とりどりの線を描いて模様にしてある。俺は、ほんのかすかにも意識などしていなかった。

だが、手が勝手に、その木の塊をギュっとひねり込んでいた。そうだ…こいつは、組木細工になっているんじゃなかったか…?

そんな意識とも記憶とも取れない感覚だったが、俺のその感覚どおり、パキっと乾いた音がして、丸かった木の塊が二つに分かれた。

その中からほんの小さな紙片が出て来る。俺は、そうまでなって、ようやく遠い昔の微かな記憶がよみがえってくるのを感じた。

そうだ…これは、俺が…当時、ユベールが手放さなかったおもちゃにくくりつけてやったストラップ…。

12の俺は、翌日に出て行くあいつのために…中に、メッセージを書いて入れたんだ。

 俺は、その紙片を広げ見た。

“愛してるよ、ユベール。君の兄、レオン・ユディスキン”

汚い字で、そう書き込んであった。あいつ、これを見たのか…?もしかして…やっぱり、俺が兄貴だと知っていたのか…?

あいつは、それを知っていながら、俺が本当のことを言わない理由を暗に感じ取っていたんじゃないのか…?

俺が、あいつの幸せとあいつの笑顔を思って、それを黙っている、ってことを理解して…。

だから、あいつ、あのときに俺を兄貴と呼ばせてほしい、ってあんなことを言って来たんじゃないのか…?

 俺は、呆然とする意識の中でそんなことを考えた。

自分でも気づかないうちに、涙があふれ出していたが、そんなこと、微かにも気にならなかった。

 俺はロッタさんに断って、動かなくなったユベールの体をギュっと抱きしめた。もう、ほんの少し硬くなってやがる。

だけど、まだほんのりと温もりの残るユベールは、本当に死んじまったのかって思うくらいに、穏やかな笑顔を浮かべているように見えた。
 

935: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:45:56.54 ID:FXWOSk4yo

 それからはいったん基地に戻り、ジェニーと一緒に一週間の休暇を取って、最初の晩は二人で泣いた。

 なぁ、ユベール。お前、知ってたのかよ?知ってたんなら、伝えなかった俺をどう思ってたんだ?

ありがとう、ってどういう意味だったんだよ…な、ユベール?お前、幸せだったのか?俺はお前に、ちゃんと償いをできていたのか?

 そんなことばかりが頭を巡っていた。そんな俺を、ジェニーがそっと抱きしめてくれる。そして、耳元で囁くように聞いてきた。

「約束、どうするの?」

「あぁ、守るさ…あいつはもしかしたら、俺を本当の兄貴だと知ってて、あんなことを頼んできたのかもしれねえ。

 そうでなくても、破るつもりはねえけどな…」

「ユベールの葬式が終わって落ち着いたら、施設に連れてってよ。シャロンって子と話をしなきゃ」

ジェニーはそう言って、俺の首元に顔をうずめる。

「いいのかよ」

「なにが?」

「こんなことを頼んじまって」

俺が聞いたら、ジェニーはクスっと笑って

「そりゃぁね。私だって義理の姉貴なわけだし」

と言い、絡めてきていた腕に力を込めた。ふっと、胸が少し軽くなるのを感じた。まったく、本当に俺はツいてるな…果報者だよ。

そんなことを思いながら俺もジェニーの体に回した腕に力を込めて抱き寄せてやった。

 数日後、ユベールの葬式に参加するためにカリへと向かった。

会場には施設の職員や子ども達に、別の支援者や、柄の悪いおそらく“裏路地の連中”なんだろうやつらも大勢いて、

どいつもこいつも、一様に沈痛な面持ちでうつむき涙を流していた。

これだけの人間が涙を流してくれるだなんて、あいつがどんな人生を送って来たのか、どんな人間だったのかを、改めて思い知らされたように感じた。

やはりそれは、俺にとっては微かに苦しいような、それでいてうれしいような、そんな感じだった。
 
 その会場で、俺はユベールに祈りながらも、会場の中の施設の子ども達から外れ、いつまでもユベールの棺にもたれて泣いている少女と、

それを一歩離れたところで見つめている別の少女に気が付いていた。泣いてる方がアヤ、見ている方がシャロン、だったな。

これから棺が運ばれる、ってのに、アヤってのはそこから離れようとせずに、しまいにはシャロンとロッタさんに引きはがされて、

それでも棺にすがろうと身もだえしていた。

あいつは特別だった、とユベールは言ってたっけな。あれをみりゃ、あのアヤってのにも、ユベールがどれだけ特別だったかはよくわかる。

だが、一方で無茶で無鉄砲で心配だ、と言っていたユベールの気持ちも分かった。

ありゃぁ、芯が強くて自分のルールには絶対にブレないようなやつだろう。だが、その芯自体はまだまだもろくて弱い。

揺らいだとき、誰かの支えが必要なんだろう。ふとそう思って、俺は自分がおかしくなり嘲笑った。

バカを言うな。そんな人間なんていやしねえ。俺がジェニーを求めたように、隊を居心地良くするためにほんの少し気を使っているように、

人間、誰かの支えなしで生きて行けやしねえ。弱い、と思うのは、あのアヤってのがそいつを理解していないからなんだろうな。

だとすりゃぁ、そいつがまずは俺の仕事、か?
 

936: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:46:43.56 ID:FXWOSk4yo

 だが、そんな俺の心配はほどなくしてシャロンの家庭教師を始めたジェニーの話で洗い流された。

直接会うことはなかったらしいが、シャロンからアヤの様子をそれとなく聞いたジェニーは、

あの子はもう、それほど心配は要らないだろう、なんて俺に報告を入れて来た。それを聞いたころの俺は、安心して別のことに取り掛かろうとしていた。

 宇宙軍の拡張と全軍の戦備強化のため、俺たちジャブロー防衛軍にも大幅なてこ入れが始まりだしていた時期だった。

俺たち第81戦闘飛行隊は解体予定。それまで90番台までしかなかった戦闘飛行隊を130番まで増強することを前提に兵力を均等分配するためだ。

ハウスの奴は自分で志願して、あの日、シャトルを追って地球に無茶な再突入を掛けて来た宇宙軍の部隊長にくっついて行って、宇宙へと出た。

あの隊長、あれから会う機会があったが、なかなか骨のある良い男だった。

俺が言うのもなんだが、あのバカ野郎のハウスのこともうまく扱ってくれることだろう。

ノーマンはその正確な飛行が評価されて、北米のパイロット訓練校へ教官として赴任することになった。

以前も思ったが、あいつに基礎から飛び方を叩き込まれりゃ、新米どもも良く育つだろう。

フェルプスはザックとともに新設の第99飛行隊へと編入が決まっている。

先に決まったのはフェルプスだけだったが、ザックのやつがかなり無理を言ってくっついて行った格好だ。

お前らやっぱりそういう関係か、と冷やかして言ったら相手にされずに鼻で笑いやがった。

それから、末尾のアイバンも98飛行隊へと移動になる。

アイバンのやつは不安そうにしていたが、俺とジェニーで心配するなと散々檄を飛ばしてやった。

俺は、と言や、新設の第101戦闘飛行隊の隊長を任されることになった。同時に、これまで中尉だったジェニーも大尉へと昇進し、

同じ戦闘単位での活動を予定されている第100戦闘飛行隊への隊長に座った。

「めんどうなことになったよ」

なんて、憂鬱そうな表情で言っていたのがおかしかった。

ジェニーには悪いが、こうして隊長になれたってことは、幸いあのアヤってのをどうにかして手を回して俺の下に引っ張ってくることもできそうな雰囲気にはなってきた。

だが、まだ確定じゃねえ。そのための根回しは今のうちからやっておいて損はないだろう。

 そんなこんなのドタバタで、数年が過ぎた。俺はユベールとの約束を守って、あのアヤが18になる年にカリの街へ久しぶりに出向いて、

路地裏で適当なやつにケンカを吹っかけた。

案の定、アヤが駆けつけてきて俺とジェニーに挑んできたが、まぁ、そこんところはジェニー一人で十分だった。

見込みがある、と伝えて、ネームカードを押し付けておいた。アヤはそいつを見て、俺のファミリーネームに気づいたらしい。

「ユディスキン…?」

そう言って、まさか、って表情で俺を見つめて来たのを覚えている。

「なんだ?」

と言ってやったら、アヤは神妙な顔して

「ユベール、ってのを知らないか?」

と聞いてきた。俺は肩をすくめて

「知らんな。知り合いか?コーカサスじゃぁ、そう珍しい名前でもねえがな」

と言ってやったら、そんなもんか、なんて言っていた。 
 

937: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:47:10.19 ID:FXWOSk4yo

 それから俺は、軍へ引っ張りたいとロッタさんにこっそり話を持って行った。最初は難色を示してたが、結局は、

「ユベールの縁ですものね」

と納得してくれた。

 施設を出たアヤを、ノーマンのいる北米の訓練施設に入れるように根回しをし、ノーマンに頼んでみっちりとしごいてもらった。

話に聞いていた通りそれほど勉強ができるタイプじゃないらしく座学の方でかなり苦戦していたらしいが、

訓練校で乱闘騒ぎを起こした相手とうまくつるんでいるらしく、そいつの助けを借りて何とか及第点は取れているようだった。

 そのころ、俺の隊にはあの日、シャトルに乗っていたハロルドが入隊してきたりと、徐々に隊としての個性が定まりだしてきていた。

だが、そんな俺たちは、宇宙での戦争の足音が迫ってきているのをうっすらと感じ始めていて時期でもあった。

俺たちももしかすると戦線に投入されるかもしれない。それは妄想でも悪い予測でもなく、おそらく現実だろう、って感覚とともに、だ。



 

938: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:47:46.40 ID:FXWOSk4yo




 緑の芝生が生えそろう教会の庭で、俺たちは大きな墓石の前にしゃがみ込んでいた。

ジェニーが花を手向けて、俺はその隣に、一度持って行ったときにあいつが旨いと言ってくれた街のデパートで買ったちょっと高級な菓子を積み上げてやる。

 墓石は、あの施設に引き取られ、家族も持てず、あいつと同じように亡くなってしまった子どもたちの共同の墓だった。

 「みんなで食ってくれよな」

俺はそんなことを言ってみるが、なんとなく滑稽に思えて、思わず笑っちまった。

だが、そんな俺を見て思うところがあったのかジェニーが

「ユベール、聞いてよ。この男、あんたとの約束一つも守りゃしないんだよ。

 私との結婚もまだだし、アヤを育てるのもこれからだし、シャロンはちゃんと看護師になれたけど、あれは私が付いてやったことだからね」

なんて言って俺を見てあの挑発的な表情で笑った。肩をすくめて笑ってやったら、ジェニーはクスっと目を細めた。

 あれから、6年経った。相変わらず宇宙はきな臭いが、幸いにしてまだ“平和”ではある。

だが、これからさきは気合いを入れておかねえと、本当にユベールとの約束を反故にしかねねえ。そいつは…どうしたって居心地が悪いよな。

 そんなことを思いながら俺はジェニーと一緒に立ち上がった。悪いな、ユベール。今日はヒヨッコどもがまとめてこっちへ到着するんだ。

まぁ、長居したって楽しいおしゃべり、ってわけにもいかねえし、勘弁しろよな。

俺は、さっき自分で自分を笑いながら、それでもそうユベールに話しかけて、墓石を掌でそっと撫でてやった。

ごつごつした手触りだが、微かな悲しみと一緒に、暖かな心地が胸に広がるような、そんな気がした。

「じゃあね、ユベール」

ジェニーが昔みたいにそう言って身をひるがえす。

「あぁ、そうだな。また来る」

俺もそう言ってやって、墓石に背を向けたが、あぁ、やっぱり口にすると笑えてきちまうな。

我ながら、これほど感傷的な気分でこんなことを言えるとは、毎度のことだがこらえきれねえ。

 俺たちはそのまま教会の庭を抜けて、表通り止めてあった車へと戻った。

「用事、すみました?」

運転席に座ったハロルドがそう声をかけてくれる。

「あぁ、悪りいな、野暮用に付き合せちまってよ」

「いいえ、別に」

「ヴァレリオ曹長は大人しくしてた?」

「もちろんです、ブライトマン大尉。シスターを口説こうとしてハロルドさんに殴られたりはしてません」

「ヴァレリオ、お前それヤブヘビにもほどがあるだろう」

ジェニーとヴァレリオ、ハロルドがそう言って笑っている。俺も思わず、口元を緩めちまったが、ふと腕時計に目をやった。

おっと、こいつはちょいとまずい、か?

「ハロルド、すまん。そろそろ戻らねえと、師団長にどやされる」

「え?あ、そうですね…急ぎます」

ハロルドはそう言ってアクセルを踏み込んだ。車はカリの街を抜けて、郊外へ出た。

そこから山道を穿って作ったトンネルを抜け、川とジャングルが広がる幹線道を走って、2時間弱でジャブローの基地へと戻った。

「そのまま師団司令部へ回してくれ」

俺はそう頼む。ほどなくして車は師団司令部にたどり着いた。
 

939: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:48:58.16 ID:FXWOSk4yo

俺とジェニーは車を降りて、ハロルドに礼と言いそれから待っててもらうように頼んで司令部の建物へと入っていく。

師団長の部屋のドアをノックして入ると、そこにはすでに若い軍服姿の兵士たちが顔を揃えていた。

「遅くなりましたかね?」

「あぁ、ユディスキン大尉、ブライトマン大尉。構わんよ、まだ他二隊の指揮官も来ておらんしな」

俺の言葉に、師団長は眠たそうな表情でそう言い、秘書に俺たちのコーヒーを入れさせる。なんだ、安い豆だな…しょせんは顔を出した部下用、ってことかよ。

そんなことを思っているとほどなくして、師団長室に第99戦闘飛行隊の隊長、フェルプスと第98戦闘飛行隊隊長、アイバンも到着した。

「あれ、旦那、早いですね」

隊長のイスに座ってすっかり生意気になったアイバンがそう声をかけてくる。生意気だ、と言って小突いてやったら、アイバンは懐っこい笑顔を見せて笑った。

末尾のアイバンは、99飛行隊へ移ってからの成績の伸びがよく、ヒヨッコの大量加入のこともあって副隊長に就任。

ついには、引退した隊長の指名を受けて、大尉へ昇進とともに隊長を仰せつかっていた。

「ザックは一緒じゃないのね?」

「あぁ、まぁ、一応、あいつは副隊長ってことになってますからね。実際、指揮官二人の部隊なんて軍組織としては認められないでしょうし」

ジェニーとフェルプスもそう言って笑っている。フェルプスの隊は特殊も特殊。

常に部隊を二つに分けてザックと共同で指揮官をやっている変わり種だ。

上の連中は訝しがっているが、こいつらのコンビネーションを知っている俺にとっては、この戦法は他のどの隊にも真似できねえ強力な武器だってのが理解できる。

相変わらずつるんでやがるのが気持ち悪いんだ、とからかってやってるんだが、それでもこいつら、やっぱりそれを鼻で笑いやがって腹が立つ。

 「さて、揃ったようだね」

不意に師団長がそう言ったので、俺たちは姿勢を正した。

同時に、部屋の隅っこで、ずうずうしくもダレていた新米どももやればできるじゃねえか、と言ってやりたくなるくらいにピッと胸を張った。

「これより配属を発表する」

師団長がそう言って、秘書から手渡された紙に目を落とした。

「あー、フレート・レングナー少尉、ダリル・マクレガー曹長、アヤ・ミナト曹長」

師団長が名を呼ぶと、三人は

「はっ!」

と気合いの入った返事をする。だが、俺とチラっと目のあったアヤは口元だけを緩ませてニヤっと笑いやがる。

ったく、こいつは…ノーマンからの報告と言う名の愚痴はたびたび聞かされてきたが、世話が焼けそうなやつだな。

そう思いながらも俺は、アヤ以上に緩みそうになった顔を隠すのにうつむくしかなかった。

「諸君らは、第101戦闘飛行隊へ配属となる。指揮官のレオニード・ユディスキン大尉だ」

師団長が俺を紹介するんで、俺はなんとか表情を引き締めて顔を上げ、うなずいてやる。俺の真顔がおかしかったらしく、アヤはさっき俺がしていたように、笑いをこらえるためにうなずくようにして俯いた。

「次に…キーラ・ブリッジス曹長、リン・シャオエン曹長、ペルラン・ジェームズ曹長」

「はっ!」

「君たちは、第100戦闘飛行隊配属だ。指揮官は、ユージェニー・ブライトマン大尉」

続いて、ジェニーの部隊に配属になる連中も発表される。

「ブライトマン大尉です。以後、よろしく」

ジェニーはさっそく、鋭い口調でそう挨拶をした。こいつらかわいそうに。ジェニーの部隊に回されたら、気を抜く暇もねえだろうな。

そんなことを思ったら、ついに思わず微かな笑い声を漏らしちまった。

とたん、ジェニーのブーツのつま先が俺の脛に飛んできてベコっと音を立てた。あぁ、悪かったって。

 さらにアイバンの隊にコリンとバージルとナロウ、フェルプスの隊にチャックとジャスティンのそれぞれ曹長が配属になる発表を聞き、

師団長からの激励の言葉を持って解散となった。
 

940: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:49:49.92 ID:FXWOSk4yo

 建物の外に出て、待たせておいたハロルドの車に全員を乗せる。中型の車両だったが、さすがに8人も乗れば押し合い状態だ。まぁ、こんなのも悪かないだろ?

 車が走り出すや否や、ヴァレリオが唐突に声を上げた。

「みんな!俺は、ヴァレリオ・ペッローネ曹長だ!俺たちの隊へようこそ!困ったことがあったら何でも言ってくれよ!」

しまった、こいつ乗せてたの忘れてたな。ジェニーはまぁ、こいつも怖さを知ってるからいいとしても、新米のきれい所が3名、と来ている。

うるさくなる前に手を打っておくか。

「ジェニー、そのバカ、黙らせといてくれ」

俺は助手席から後ろを見やってジェニーに頼んだ。

「あいよ」

ジェニーはすかさずそう返事をして気取って付けているヴァレリオのバンダナをほどくと

そのまま抵抗するヴァレリオを制圧しながら猿ぐつわをかませた。

「うごぐおぐ」

ヴァレリオの口から言葉にならない声が漏れているが、俺はそれを気にせずに

「あぁ、新米ども。こいつは、ナンパなやつだから、口説かれるようなことがあったら蹴り倒して良い。俺とブライトマン大尉が許可する」

俺がそう言ってやったら、目の前の出来事に驚いていた新米たちも多少は安心したのか笑い声が漏れた。

「なぁ、レオンさん!…じゃ、なかった、隊長!」

「お前、それ隊長って呼び名変えただけで、全然敬語になってねえからな?」

「あ、そっか…えっと、じゃぁ、隊長殿!あの建物はなんでありますか?」

「あぁー…アヤ、お前やっぱ普通にしゃべれ。気持ち悪い」

「なんでだよ!?アタシだって丁寧語くらい使えるんだぞ!」

「ったく、こいつは相変わらずうるせえなぁ」

「あれ、そっちも知り合いなんだ?えっと、ダリル曹長、だっけ?」

「ええ、まぁ。同じ訓練校だったんですよ、レングナー少尉」

「あぁ、フレートでいいよ。階級こそ上だけど、俺はほら、昇級試験受けたってだけで、経験的には同じようなもんだからさ」

「ダリルくん、大きいね。身長どれくらい?あ、私、キーラ・ブリッジス曹長です」

「190ある。でかくたっていいことなんて一つもないけどな」

「コクピットで狭いよね、きっと」

「そうそう、でかすぎるんだよ、あんたさ。息苦しいから降りてくれよ」

「あぁ?何言ってんだアヤ。お前こそうるせえし暑苦しいからちっと黙っとけ」

後ろでそんなバカ話が始まる。俺はため息交じりにそいつを聞きながら頭を抱えていた。

そしたらハンドルを握っていたハロルドが声を上げて笑った。

「なんか言いたいことでもあんのか?」

「いえ、ね」

俺が睨んでやったらハロルドは笑って

「苦労が増えそうですね」

なんて言った。まったくだよ、ハロルド。

幾ら増員中だから、ってもうちょっと大人しいのはいくらでもいただろうに、どうしてこうもうるさいのばかりをひいちまうんだ?

まぁ、アヤとダリルはノーマンに言われて引っ張ったし、

フレートのやつも、ジャックが手を回して俺のところに送り込んでくれた、ってことはあるにしても、だ。

隊長としてこいつらを引っ張っていく苦労を考えると、頭が痛くなるな…
 

941: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:51:06.33 ID:FXWOSk4yo

「楽しくなりそうでなによりですよ」

「バカ言え。ここは軍だぞ?楽しいところであってたまるかよ」

「こりゃぁ失礼。撤回しますよ」

ハロルドはそんなことを言ってまた笑顔を見せた。まったく…ユベール。お前、とんでもないことを押し付けてくれたもんだよ。

これからこのアヤを育ててかなきゃならんと思うと、先が思いやられる…ジェニーとの結婚はアヤが一人前になってから、と決めているがよ。

こりゃぁ、ずいぶんと先になっちまいそうだ。

 俺はそんなことを考えながら、後ろの様子をルームミラーで眺めて苦笑いをこらえきれずにいた。

「あ、なぁ!隊長!ここからカリまでどれくらいかかるかな?」

「あぁ、車で片道2時間だな」

「そんなで行けるんだ!良かった!な、車って借りられるのかな?」

「俺のをくれてやる。どうせしばらく乗れそうもねえしな」

「ホントかよ!助かる!次の休みに、久しぶりにあいつらの顔を見てやりたいんだ!それと、ユベールの墓参りとかさ!」

アヤはそんなことをはつらつとした表情で言った。

ルームミラー越しに見るアヤの表情は、まるでいつか見たユベールの笑顔と瓜二つに、俺には見えた。

 オフィス前に車を付けて、そこからはオフィスの中を簡単に案内し、そのあとは男女それぞれに分かれて兵舎を案内した。

どいつもこいつもうるさいやつらで、まったく、おちおちぼーっともしてられねえな、なんてことを、新米どものバカ話を聞いて笑いながら考えていた。

 その晩、例のごとくジェニーが部屋にやってきたんで、俺はバーボンを出してグラスを傾けながらその話を言葉少なに聞いていた。

「あのリンって子は結構見込みあるみたいね。極東の訓練校で、評価はAとSばかりだし、いい子をもらったって感じ」

「へぇ。なんなら、うちのヴァレリオと取り換えてくれるとうれしいんだがな」

俺が言ってやったらジェニーはクスっと笑って

「彼だって、腕はかなりのものでしょう?あれなら、小隊長くらい任せられると思うんだけど」

なんて言いやがる。まぁ、間違っちゃいないがよ。

「俺も昇級試験受けろって言ってんだが、柄でもねえの一点張りで拒否なんだよ。後方にいて、前を飛ぶ機体のケツを追ってんのが性に合ってんだと」

「ふふふ、彼らしい言い訳だね」

まったくだな。変な奴だが、根はおそらくクソが付くほどのマジメなんだろう。

あぁして女のケツばかり追っては白い目で見られるか茶化されているのは、その反動なのかあえてバランスを取ろうとしてるのか、

とにかく俺には、ヴァレリオの行動はそんな感じに思えていた。

あいつが来てもう半年にもなるが、声をかけた女性兵士は星の数ほどって噂を聞く半面、手を出された、ってやつは一人もいないからだ。

顔も、けして悪い部類ではないだろうにそんな話を聞くと、進んで道化を演じてるタイプだとしか思えないのが普通だろう。

「そういえば、先月配属された子はどうなの?えっと、名前が、確か…」

「あぁ…あー…あ、ベルント、か」

「そうそう、その子」

「あいつは…正直よくわからん。訓練校の評価はオールB。いや、機動試験だけはA判定だったか?

 まぁ、とにかく普通、って感じだったが…実際に空であいつと1対1での機動を見てる限りじゃ、

 俺やカーターなんかよりよっぽどいい動きをするように思える。だが、編隊戦闘になると、めっきり目立たん」

ベルントは、うちの隊で最も目立たない。あいつ、腕は良いような気がしないでもないんだが、

まとまって飛ぶと、どこを飛んでいるかわからないくらいだ。だが、考えようによっちゃ、それがあいつの武器だともいえる。

混戦になったとき、あいつの目立たなさはそのまま相手の油断を誘えるからだ。レーダーにもちゃんと映るし、機体が消えるわけでもねえ。

それでもあいつは、空にいるやつらの意識から消える。究極のステルス性能をあいつの機動は持ってるんだろう。
 

942: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:51:36.98 ID:FXWOSk4yo

「なにそれ」

俺の話に、ジェニーはまた楽しそうに笑う。そういえば、部下ができるようになって、

いつもは俺を試すような表情ばかりだったジェニーがこうして良く屈託のない笑顔を浮かべるようになった。

いつだかにそのことに気が付いて聞いてみたら

「シャロンのことを思い出すんだよ」

と言って笑った。

 もうずいぶん昔のことになっちまったが…そうだな。ジェニーにとって、シャロンは妹みたいなものだったのかもしれん、と今になって思う。

あいつらを家族だ、と言ってはばからなかったユベールの兄貴と姉貴だ。

なら、シャロンやアヤも、俺たちの妹だって言ったって、誰も不思議には思わねえ。

いや、そう思ってやれないと、ユベールの奴がブー垂れそうだし、な。

 不意に、コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。ジェニーが俺の顔を見つめてくる。

「あぁ、ゲストだ。入れてやってくれ」

俺がかぶりを振るとジェニーは気が付いたようで、にんまりと笑顔を見せて、

それから急に眼光鋭い表情に切り替えるとツカツカドアのほうに歩いて行って、ドアを勢いよく開け放った。

「げっ!ユ、ユユ、ユージェニーさん!」

ドアの向こうにいたのは、アヤだった。アヤはジェニーを見るや、半歩後ずさってそんななさけねえ声を上げやがる。

「げ、とは随分じゃない?何の用?」

ジェニーが温度のない声色でアヤにそう聞く。

「い、いや、その、レオンさん…あ、いや、隊長が配属祝いをしてやるから来いって、だから、アタシその…」

「あんたね、こんな時間に男性兵舎の一室に呼ばれてノコノコ出てくるようなやつになっちまったの?」

「そ、そういうんじゃないだろ!隊長は、い、いや、ユージェニーさん…じゃない、えっと、ブライトマン大尉もだけど、

 アタシの恩人で、別にそんなこと思ってるわけじゃなくって…その、だから変な目的とか、そんなことは考えてないって!」

ジェニーの追及にアヤはそう声を上げた。

「おい、ジェニー。それくらいにしてやってくれ」

俺が言ってやったら、ジェニーはこっちを振り返ってヘラっと笑い、アヤの方を向いて

「疑われるようなマネはしないこと。あの人に限らず。良いね?」

と昼間と同じように、アヤの頭を撫でつけた。とたんに、アヤが安堵の表情を浮かべる。

「な、なんだよ、ほんとに怒ってるのかと思った…や、やめてくれよな、まったく…

 ロッタさんとおんなじくらいの迫力あるんだからなぁ、ユ…ブライトマン大尉は」

「私のことはいつも通りでいいよ。直属の上司ってわけでもないんだからね」

アヤの言葉にジェニーはそんなことを言って笑い、アヤの軍服の袖口をつまんで部屋の中へ引き入れた。

アヤのやつ、最初はおどおどしていたけど、ジェニーに優しくソファーに掛けなと言われてやっと安心したのか、

ふっと表情を和らげてソファーに座った。バーボンをグラスに注いでやって手渡してやる。
 

943: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:52:18.12 ID:FXWOSk4yo

「さて、じゃぁ、お祝いしようか」

「そうだな」

ジェニーと言葉を交わして、二人してグラスをアヤの前に掲げる。そうしたら、アヤは妙に照れくさそうな顔を浮かべて

「その…ありがと」

とつぶやくように言って、戸惑いながら自分のグラスを俺たちのにぶつけて来た。

チビのころの話をやまほどユベールに聞かされていたからか、それとも、もうずいぶん長いこと面倒を見ているせいか、

俺はその表情が妙にかわいいな、と素直に思ってしまっていた。

本当に、まるで娘か妹のようだな、なんてなことも頭に浮かんできて、自然と顔がゆるんじまう。

こうして、水入らずで酒を酌み交わすのは初めてだ。しばらく、この感じを楽しんでいるのも、悪くはなさそうだな。

 それから俺たちは、この辺りのことやカリの街や施設のことなんかをずいぶんと長い間喋り続けていた。

ふと、俺はユベールの葬式の日、錯乱して泣きわめいていたアヤの姿を思い出した。

あの日のあの子どもが、今じゃ、ユベール顔負けの明るい笑顔でジェニーと話し込んでいる様子は、否が負うにも時間の経過と、

そして、このアヤ・ミナト、って女の成長を感じさせた。それと同時に、ユベールの奴が彼女に残した“何か”を俺は感じられるような気がした。

本当に、“何か”としか言えやしないが、アヤからは、ユベールと同じ感触がある。

暖かで、穏やかで、周りにいる連中を照らし出すような何か、だ。

 ふぅ、とアヤが深呼吸をしてソファーの背もたれに体を預けた。

「なに、酔った?」

「あー、うん。気分がいい」

「そう。水にしとく?」

「そうだな。明日は訓練なんだろ、隊長?」

「あぁ。朝から機動訓練だ」

「なら、ここらへんでやめといた方がいいよな」

アヤはそう言って、酒で赤くなった顔を懐っこい笑顔に変えた。

 「そういえば、アヤ。あなた、シャロンには連絡したの?」

「うん、今朝メッセージだけ打ったよ。今はボゴタの病院にいるって聞いたから、

 次の休みが合えば、施設の帰りにでも寄って一緒に飯でも食べようって思ってる。あ、なんなら、二人も一緒にどうかな?」

「私達は別の機会にしておくよ。二人で過ごしておいで」

「そっか…うん、そうする」

ジェニーの言葉に、アヤはまた嬉しそうに笑顔を見せた。それからまた大きく息を吐いて、グッと体を伸ばし、ふと、思いついたように口にした。

「二人といると、昔を思い出すんだ。まるで、ユベールとシャロンちゃんと一緒にいるみたいに感じてさ。

 アタシ、二人に目を掛けられてホントによかったって思う。そうでもなかったら、今頃どこで何してたかわかんないし…

 それにさ、ここは施設と同じだなって、ちょっと感じる。レオンさんもユージェニーさんも上司だけどさ。

 でも、なんていうかさ…やっぱり、アタシにとっては家族なんだよな。ううん、二人だけじゃないんだ、って思う。

 二人が面倒見てる連中も、みんな優しくて温かくて、安心できた。この感じは、きっと二人が作ったもんだろうって、アタシ思うよ。

 オメガ隊も、レイピア隊も、さ…まるで、家族みたいにあったかいんだ」

そう言ったアヤは、微かにその瞳に涙を浮かべた。

俺は、アヤの言葉に胸を締め付けられながら、それでもこいつは、ユベールのことを思い出しているんだろうってことを考えてた。

俺でさえ、そうなんだ。アヤがそうでないはずはない…
 

944: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:52:50.72 ID:FXWOSk4yo

「私たち部隊が、家族、ね」

「うん、隊は家族、だ」

ポツリと言ったジェニーの言葉に、アヤはニコっと笑ってそう言った。だが、それからすぐに

「あー、ごめん、変な話しちゃったな。だいぶ気持ちがよくなってるみたいだ。そろそろ戻って寝るよ。明日、コクピットで吐いたら大惨事だ」

と声を上げた。俺はチラッと時計を見やる。時刻はすでに日付が変わって少し経っていた。そうだな、そろそろ休んでおいた方がいい、か。

いつだか、ユベールのことで眠れずにヘマやらかしたこともあったことだしな。

「そうだな。今日はこの辺りでお開きとするか」

「そうだね。じゃぁ、今夜は私も戻るよ」

「なんだよ、ユージェニーさんはここに住んでる、ってわけじゃないの?」

「ここ兵舎よ?私は通い妻なんだよ」

「なら、泊まっていけばいいのに」

「良いんだよ、今日は。あんたをきちんと部屋まで見送ってやりたいんだ」

そういうとジェニーは立ち上がって、またアヤの袖口を引っ張った。

「じゃぁ、明日ね」

「おやすみ、隊長!今日はありがとなー!」

二人はそんなことを言いながら、仲の良い姉妹みたいに喋りながら部屋を出ていった。

俺はそそくさとグラスを片づけて身支度をしてベッドに身を投げた。

 それから俺は、寝入りもせずに、さっきアヤの言った言葉を頭の中で繰り返していた。

あいつは、俺たちをユベールやシャロンたちと同じようだ、と言ってくれた。そして、隊が家族だと、そう言ってくれた。

俺は、正直意識してそんなことをしてきたわけじゃねえ。だが、俺のジェニーもどうしてか、そんな風に隊の連中を扱っていた。

もちろんジェニーはまじめで厳しいが、肝っ玉母さん、って言葉が似合う感じだ。

俺は…ずぼらな親父かそんなところだろうが、まぁ、そんなのは構いやしねえ。アヤが、そう言ってくれたことが、俺にはうれしかった。

ユベールの妹だから、俺の妹でもある、とは頭では思っていたが、カリで会ったあの日から、もう3年。

長かったのか短かったのかはわからんが、とにかく俺はあいつの兄としての振る舞いを続けて来たつもだった。

それこそ、ユベールの代わりにな。おそらく、ジェニーもそうだったんだろう。

あいつはシャロンからも、アヤのことを頼まれていたってのは、最近聞いた。

あいつにとっても、アヤはシャロンの代わりに導いて、そして成長させてやりたい妹なんだな、って思っていたことも知っていた。

だが、よ。

実際に、ああして言ってもらえる、ってのは、嬉しい限りじゃねえか。
 

945: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:53:21.04 ID:FXWOSk4yo

 血なんか繋がってなかろうが、家族だと思い、家族でありたいと願い、そのために心をつなげて通わせることができれば、家族になれる。

ユベールのその言葉はどうやら、俺やジェニーの中にもいつのまにか落ち込んで、無意識のうちに実践しているようだった。

そしてそれは、俺たちに穏やかで暖かで安心できる“何か”を与えてくれている。それは、アヤやシャロンだけじゃない。

俺やジェニーにもユベールの奴はちゃんとその“何か”を残して行ってくれたんだな。感謝する、ユベール。

俺はお前のおかげで、お前の兄貴になれた。そして、ジェニーも、アヤもシャロンも、もう俺の妹たちだ。

それに…隊のバカ野郎どもの、同じようなもんだ。家族を見限り、絶望して家を飛び出し軍になんぞ入った俺が、その先でユベールに会い、

そういう想いを託されたことは…俺にはやはり、何よりも幸福な出来事だったんだろう。

 だからな、ユベール、ありがとう。それから、まだ、もう少し見ていてくれよ。

アヤの奴を一人前まで叩き上げて、あいつの夢を確認したら、次は俺たちの結婚の約束を果たす番だ。

お前の墓の前でウェディングドレスをジェニーに着せて見せに行ってやるから待ってろよな。

 そんなことを考えていたら、俺は自然にベッドに寝転んで一人、ほくそ笑んでいた。でもな、ユベール。

俺にはもう一つ、考えてることがあるんだ。もし、あいつが5年先、10年先、俺の元を飛び出したとき。

あいつが夢をかなえて、そのなんとか、って島に船を買い込んだら、

そのときくらいには、俺とお前との関係をあいつにちゃんと説明しようかどうか、悩んでんだ。今すぐに結論をだすつもりはねえ。

だが、俺は思うんだ。お前にちゃんと名乗れなかった俺が、あいつにそれをやることができるのか、それが正しいことなのか…

はは、答えなんてすぐには出ねえけどよ、まぁ、考えておくさ。それがどれだけ先になるか、なんて、全然見当もついてないけど、な。



 

946: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:53:54.40 ID:FXWOSk4yo




 「ジェニー。準備大丈夫か?」

「ええ。だいたいは済んでるよ。そっちは?」

「ほとんどオッケー!あとはみんなが来るのを待ってるだけ!」

ジェニーの言葉に、ケヴィンが答えた。俺は、片づけたリビングを一回り見渡す。ま、こんなもんだろう。

あとはあいつらが来るのを待つだけ、だな。

「驚くかな、みんな?」

「そりゃぁな。まさかこっちが迎撃態勢を取ってるなんて思っても見ねえだろう」

俺がそう言ってやったら、ケヴィンは嬉しそうに笑って飛び跳ねた。妹のユリアもニコニコと楽しそうだ。

 今朝方、カレンのとこのエルサから連絡があって、これからフロリダへアヤやカレンたちが飛ぶんだ、と言って来た。

どうやら、この家を奇襲しに来るらしい。となれば、逆にこっちから迎え撃ってやるのが俺たち流ってもんだろう?

 不意に、玄関のチャイムがなった。来たか。そう思った次の瞬間には、ドアを開ける音とともに

「突撃ぃぃぃ!いぃぃ!?」

と、掛け声とも悲鳴ともつかない声が聞こえてドタドタと騒々しい音も聞こえた。どうやら掛かったらしい。様ぁないな。

「ちょ!アヤ!大丈夫!?」

「レ、レナ!その床踏んじゃだめだ!」

「へっ!?えっ!?キャー!」

「ちょ、レナっ…!うぐっ!」

また、ドタドタと言う物音。こりゃぁ、盛大なことだな。俺はユリアを肩車し、ケヴィンを連れて玄関の方へと向かった。

そこには、床に倒れ込んでいるアヤにカレンにマライアと、三人の上にのしかかる様にしているレナの姿があった。

玄関の外で、ロビンとレベッカに、レオナとマリオンが呆然と見つめている。ケヴィンとユリアはそいつを見てケタケタと笑い声を上げた。

「よう、どうしたお前ら?」

「隊長!このっ!なんで玄関に両面テープなんて貼ってんだよ!」

「エルサのやつから情報があってな。ま、歓迎代わりだ」

「エルサが!?あの裏切り者ぉ!」

「痛たたたっ!レナさん、そこ痛い!」

「ご、ごめんマライア!今靴脱ぐから待ってね…」

「なんか楽しそうー!アタシも!」

「ちょ、待てロビン!」

「行くよー」

「来るな!」

玄関先でもがいていた4人の上に、ロビンがジャンプしてのしかかった。全員からむぐふっと苦しげな声が漏れる。

俺はケヴィンとユリアと一緒に大笑いをしてから、

「まぁ、うちは素足派なんでな。そのまま靴脱いで上がれよ。歓迎してやる」

俺はそう言って、奥へと案内した。
 

947: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:54:26.47 ID:FXWOSk4yo

 そこにはすでにジェニーが料理を準備して待っていてくれた。こいつら、やたら食うからなぁ。

その点に関してはジェニーにだいぶ迷惑を掛けちまったが、まぁ、ジェニーも喜んでいるのが分かる。

ジェニーはリビングに顔を出したアヤを見るなり嬉しそうに飛んできてアヤをきつくハグした。

「久しぶりだね、アヤ」

「うん、ユージェニーさん、ありがとう。アタシも会えてうれしいよ」

アヤに続いて、カレンにマライアに次いでと言わんばかりにレナまでハグをしたジェニーは、

「今日は楽しんで行ってよ。腕によりをかけて準備しておいたからさ!」

なんて、明るく言って、まぶしいくらいの笑顔を見せた。

 カレンが今日のうちには飛行機をアルバに戻しておかなきゃいけねえってんで、

酒じゃなくて口当たりの良い焙煎された麦を水出しにした茶をふるまって、食事を始めた。

「うわっ!これ美味しい!ジェニーさん、これ、なんて言うの?」

「鯛のパイ包みの香草焼き、ってところかね、ロビン」

「すごい!パイはサクサクでお魚も濃厚だけど、そこにこの香草が聞いてて後味はさっぱり、って感じ!」

「さすが!ロビンは料理が好きなだけあって、感想も一味違うね!」

「ちょ、なによぅケヴィンくん、そんなに褒められるとアタシ照れちゃうなぁ…」

「あの、こっちのピザに入っているのは、果物ですか?」

「あぁ、あんたはマリオンって言ったよね。そうそう、パイナップル」

「これ美味しいね!あっさりしてて、ピザじゃないみたいなのにピザだ!」

「あれ、これってコーンブレッド?」

「そうそう。そればかりは出来あいだけどね。今からスープ持ってくるから、それに浸すと美味しいんだよ。ユリア、手伝ってくれない?」

「うん!」

「ロビンさ、今度俺にロビンの料理食べさせてくれよ!みんなが旨いって言ってたからさ」

「え!?い、いいよ!じゃぁ、ペンション遊びに来てよケヴィンくん!アタシ腕によりをかけて作っちゃうんだから!」

「みんな飲ませてもらえばいいじゃない。私は構わないよ?」

「いやぁ、だってカレン飲まないのに、アタシらばっかり飲むわけにいかないだろ?

 せめてアタシくらいは、我慢してコパイの席には座っといてやらないとバチが当たっちゃうよ」

「あれ、じゃぁ、あたし達は飲んでいいの?」

「あぁ、いいぞ!隊長に言って高い酒を出してもらえよな!」

「なんだよ、突然来て俺にたかる気か?」

「ちょっ!アヤさんこれ見て!このバーボン、すごい高いやつじゃない!?」

「開けちゃいなよ。どうせそこに置いといても私とレオンとじゃ、飲み終える前にダメにしちゃだろうからね」

「あぁ、そうだなぁ。残ったら持って帰れ」

「へぇ、それ美味しいの?」

「分かんないけど、北米じゃ随一のブランドだよ!ありがとう、隊長、ユージェニーさん!」

 家族、か。俺は目の前に広がる光景を見ながら、そんなことを思っていた。
 

948: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:55:27.82 ID:FXWOSk4yo

それはまさに、あのときユベールの言っていたこと、そのままの様に、俺には感じられていた。

結婚して、ジェニーがケヴィンとユリアを生んだ。遅い出産で多少心配したところもあったが、二人とも体にはなんの異常もない。

遺伝病だと言われていたユベールのことがあったから、多少気にはなっていたが、

いわゆる胎児期の発達段階での遺伝子異常だったな、って話を思い出して、もちろん検査でも無事に優良をもらった。

だから、と言うわけじゃねえが、俺は安心して俺の家族を大事に守って来ていた。

そうしているうちに、すこしだけ、あの時、ユベールの話していた意味が分かったような気がした。

繋がろうと努力することで、家族は家族になれるんだ、ってやつだ。

アヤが隊に来た日、俺たちはすでに家族みたいだ、ってそう言ってくれてたが、正直、自分にそんな実感があったわけじゃねえ。

言ってもらえてうれしかったがよ。そんなもんを意識して作ったってわけじゃねえんだ。

だが、いざ自分が家族を持って、繋がりだ、なんだと思い返したときに、今のこの生活は、あのときとたいして変わりぁしなかった。

大事だと思い、死なせたり危険な目にあわせるわけにはいかねえし、面倒をみて、できればこの先に自分の進みたい道へ進んでほしいと思う。

バカなことをすりゃぁ、当然叱る。特別なことなんざ、何もない。だが、ジェニーも、ケヴィンもユリアも家族だってそう胸を張ってやれる。

だとするなら、アヤが毎度言ってたように、やっぱ、隊は家族、だったんだな。

それは、アヤにとっても、いや、おそらくそれ以上に俺にとっても、だ。

 そんなことを考えていたら、ずいぶん昔に…そう、アヤが隊にいた頃に、始終俺の頭に沸いて来ていた疑問がしばらくぶりによみがえって来た。

俺とお前の関係、あいつに話しておくべきだと思うか?ユベール。

今更だが、妙な心持ちだ。アヤがまだ隊にいたころは、その疑問がわいてくるたびにまだ早え、なんて思ってはいたが、今はどうだ?

 今、アヤは、あのときのお前と一緒で、自分の力で、こんな家族を作った。あいつはもう、立派になっただろう?

だったら、黙ってやっていなくても良いような気がするんだ。

それに、お前のときのように、このことを言ってやったって、あいつの幸せが壊れちまう可能性はほとんどないだろう。

多少感傷に浸るようなことがあったって、アヤの周りにはそれをくみ取って、共感してくれる家族がこんなにいる。

こいつは、まぎれもない、アヤ自身の努力のたまものだ。そうだろう?

本当によ、アヤ、お前、よく立派に育ったよ。ユベールの棺にすがり付いて泣いていたあの頃の子どものまんまの心を持ちながら、たくましく、強くなったな…。

 俺はそんなことを思いながら、座っていたソファーの脇にあったサイドボードの引き出しのカギを開け、

アヤが来る、と言われてしまいこんでいた写真と、古びた封筒を一通取り出した。

写真は、ユベールの病室で、あいつが死ぬ直前にジェニーと三人で撮ったあの写真だ。

封筒にはロッタさんのところへ出した、戸籍謄本の写しが入ってる。

 ユベール。お前、あの時はもう、俺が血のつながった兄貴だと、そう知ってたんだろ?だとしたら、笑っちまうが、

俺があれこれ心配したのがどれだけヘタレだったか、ってのが分かっちまってなさけねえが、

もしあのとき俺がこのことをお前に言ったとしたら、お前、なんて答えたんだ?

 俺は、手にした写真立ての中のユベールをジッと見つめる。お前のことだ、「うん、知ってた」なんて、あの笑顔で答えたのかもしれねえな。

なら、言わない俺を、どう思ってた?本当は俺の口から聞きたかったんじゃねえのか?

俺は、お前の血のつながった兄貴だ、って。お前を助けようと、守ろうとして、ヨーロッパから南米なんていうところにやって来たんだ、って、

そう言ってほしかったんじゃねえか?そうだよな…家族を大事にするお前だ。俺に“兄貴”と呼んでいいか、なんて聞くお前だ。

たぶん、お前のお得意のあの笑顔で、笑ってくれてただろうな。

ははは、だとしたら、やっぱりこんなことでウダウダ悩んでるなんて滑稽じゃねえか。アヤは、間違いなくお前の妹だ。

お前の生き方を、お前の明るさを、お前の強さを全部引き継いでる。

お前からもらった全部と、あいつが持っていたものを合わせて、磨き上げて、お前以上に明るく強く生きてるよ。

そんなあいつが、俺とユベールとの関係を聞いて、怒ったり、凹んだりするわけはねえよな。
 

949: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:55:57.97 ID:FXWOSk4yo

 俺の様子に気づいたのか、ジェニーが俺の座っていたソファーのアームレストに腰かけてきて、そっと俺の肩に手を置いてきた。

俺はジッとジェニーの目を見た。俺の意思を了解したらしいジェニーは、黙って、コクリとうなずいた。

 「なぁ、アヤ」

「ん?なんだよ、隊長?」

俺はそんな呆けた返事をしたアヤに、写真立てを手渡して見せた。収まっていた写真を見るや、アヤはパッと顔を上げて、

「ユベールじゃんか!」

と俺を見て、明るい笑顔で言って来る。それから俺は古い謄本の写しを封筒から出して、それもアヤに突き出して言った。

「俺は、な。兄貴なんだ。ユベール・ユディスキンの兄貴、レオニード・ユディスキンだ」

アヤは写真と謄本とそして俺の顔を代わる代わる見比べて、最後に俺の顔に視線を向けてきて、あの、明るくてまぶしい笑顔を見せて言った。

「うん…知ってた」

 一瞬、俺は目の前にユベールがいて笑っているような錯覚に陥って、ハッとして我に返った。

アヤはそんな俺を、まるで懐かしい誰かでも見つめるようなそんな表情で見ていた。だが、不意にプスっと笑って言った。

「なんとなく、そうなんだろうな、とは思ってたよ…って、隊長、何泣いてんだよ?!」

アヤに言われて、俺は自分が涙をこぼしていることに気が付いた。くそっ、年を取ると涙腺が緩んじまってダメだな、まったくよ。

俺は、黙れよ、なんて悪態をつきながら涙を拭いてアヤに言ってやった。

「アヤ、お前、立派になったな」

そうしたら、アヤはいつにない穏やかな表情で、俺に言葉を返して来た。

「うん、ずっと見ててくれてありがとな…兄ちゃん」


 

950: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:56:47.54 ID:FXWOSk4yo



「おぉーい、ミナト少尉殿、あんた無事だったんだな!うれしいぜ~良かったら帰還の祝いにメシでもどうよ?」

ヴァレリオのそんな声がオフィスに響く。ジャブロー防衛線から2日目。アヤのやつが無事にオフィスに戻って来た。

一度は俺たちに挨拶をしたものの、それからは俺に休暇届を出してきて、オフィスのコンピュータに向かってしきりに何かをしている。

昨日、陸戦隊の連中から聞いた話じゃ、“カレン・ハガード”を名乗る女性兵士を連れてたらしいが…カレンのことはマライアに聞いてる。

トゲツキに突っ込んで、木端微塵だ、って話だ。良くわからんが、身元を割られたくないやつと一緒にいたんだろう。

で、帰ってくるなり、コンピュータにかじりついている。なんかあったんだろうな、と思うのが当然だ。

俺はたまたまオフィスの奥の給湯室に引っ込んでコーヒーを入れていたところだった。

「っせーーんだよ!あっち行ってろ!」

アヤの怒鳴り声がオフィスに響いた。ヴァレリオの

「お、わ、悪い」

と言う戸惑った声が聞こえて、バタンとドアを閉める音。なんだよ、あいつ。もう少し何か聞きだしてから逃げやがれ。

そう思っていたところへ、ダリルが姿を見せた。とっさに人差し指を立てて、黙れ、と伝えて引き寄せる。

「あいつが何やってるか見て来い」

俺はダリルにそうとだけ伝えた。ダリルは怪訝な顔をして

「自分で行けばいいでしょうに」

と言って来るが、俺は首を振ってこたえた。

「良いことじゃねえってのはわかる。そいつを、アヤが俺に知られねえようにしてる、ってのも、な。さっき、休暇届を出して来た。

 またなんか企んでるに違いねえ」

するとダリルは、ふぅ、とため息をついて

「隊長、あんた、いい男すぎて損だな」

と苦笑いを浮かべた。うるせえ、黙って行けよ。あいつのバカは、昔からだ。

いつも言ってるように、そのバカでいてもらうための、俺の部隊なんだ。

俺はダリルに言葉を返す代わりに立てていた人差し指をオフィスの中へ向けた。

はいはい、と言わんばかりの表情でコーヒーカップを二つ持ったダリルガ給湯室を出ようとする。

ふと、俺は何か妙な予感がして、ダリルを止めた。

「ダリル」

「なんです?」

「バカやりそうなら、伝えてやってくれ。“合言葉を忘れんな”ってな」

俺が言うとダリルは首をかしげて、そのまま給湯室から出て行った。

俺はコーヒーのカップを傾けながら聞き耳を立てる。
 

951: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:57:20.33 ID:FXWOSk4yo

「それ、そこのコード違うぞ」

ガタン、と椅子を動かす音。

「別に隠すことなんてねぇだろ。何しようとしてんのか知らねえが、別にしゃべらねえよ」

「悪い…」

「そこの温感センサーの試験モードのコードはA-258だ、次の施錠センサーのコードがA-220…」

「うん…」

「隊長に休暇願い出したんだってな」

「うん、5日間、休みをもらう」

「帰ってくんだろうな?」

「そのつもりでいる」

「そうか」

「あぁ」

キーボードをたたく音が、静かに響く。

「隊長から、伝言を預かっててな」

「隊長から?」

「あぁ。“合言葉を忘れんな”、だと」

「ヤバいのかよ?」

「だから逃げる算段たててんだろ」

逃げる算段、ね…さて、どういうことだか…あのバカ、ついになんかやらかしたのか?

いや、まずいことならまず俺に詫びを入れに来るのがあいつだ。俺や隊に迷惑をかける分けには行かねえ、と日ごろから言っているし、な。

だとするなら、俺たちに事前に知られちゃまずいことだろう。脱走、か?あいつが敵前逃亡でもしようってのか?

ダリルのため息が聞こえた。

「作業が終わったらそのコンピュータはおいてけ。アシが付くかも知らん。俺がぶっ壊しておいてやる」

「隊長には」

「黙っとくよ」

嘘つきやがれ。俺はダリルの言い様に、思わずそう笑いそうになった声を堪える。

「すまん、迷惑かけることになるかもしれない」

「なーに、平気だろ。隊長にしてみりゃ、今に始まったことじゃねえと思うしな」

「ありがとう。じゃぁ、行く」

「おう、気を付けてな」

「うん。PC、頼む」

アヤとダリルの会話が終わった。ガタン、と椅子を引く音がして、次いでドアの閉まる音。出て行った、か…さて、結果はどうだ?
 

952: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:57:56.69 ID:FXWOSk4yo

 俺は給湯室から出て行った。そこには、ダリルがカップを二つ手に持って、妙な表情をして俺を見つめている姿があった。

あのバカ、ダリルが困惑するほどのことをしでかそう、ってのか?そう訝しく思いつつ、俺はデスクに腰を下ろした。

ダリルがツカツカと俺のところにやって来て、じっと俺を見る。

「で、どうだ?」

「あいつ、管理棟の地下4階に用事があるようです」

管理棟の地下四階…あそこは確か、捕虜や軍法違反の奴をブチ込んでおく独房があったな…

なるほど、昨日のカレンの話ってのはそういうこと、か。

「なるほどな」

「あいつ、まさか捕虜を…」

「おそらくは、な」

俺の言葉に、ダリルはまた眉間にしわを寄せて俺を見つめてくる。

 何があったか、なんて想像の域を出ちゃいねえが…止めるか?今ならまだ間に合う…

だが、あいつが何の考えもなしにそんなことをしでかすほどバカだとは思わねえ。何か理由があるんだろう。

それを知るすべは、今はなし、か…これは、叱り倒すべきか、手を貸してやるべきか悩むよな…だが、そうだ。

アヤは俺たちに何も言わずに出て行った。家族だと言ってはばからないあいつが、家族に黙って、何の相談もなしに出て行こうっていうんだ。

それくらいの事態だってこと、か。

 俺はそう思って、デスクのコンピュータを操作し、一枚の書類を印刷した。

そこに、引き出しから取り出したアヤの作った書類のサインを見様見真似で書き写し、さらに俺のサインも書き加えた。

それから軍医殿に連絡して、至急、戦争後遺症による心神喪失の診断書を書いて送ってもらうように頼んだ。

礼に、バーボンを一本持っていく、と言づけて、だ。

 「何する気で、隊長?」

「逃げる、ってんだろ?逃げる仲間を援護するのも、俺たちの役目じゃねえか」

俺がそう言ってやったら、ダリルはやっと笑顔を見せた。

「ダリル、お前、何人か連れて管理棟の近くで乱闘騒ぎを起こして来い。MPの連中を引き付けて、あいつの退路確保してやれ」

「了解」

「他の連中には、まだ言うなよ」

「分かってます」

ダリルはそう返事をして、何やら楽しそうな表情を浮かべてフレートとデリクを連れてオフィスから出て行った。
 

953: ◆EhtsT9zeko 2014/08/10(日) 22:59:52.50 ID:FXWOSk4yo

 それから俺は、デスクの引き出しから大事にしまっておいたあの写真を取り出して眺める。

そこには、ユベールの両脇で、ユベールそっくりの明るい笑顔で笑ってる俺とジェニーの姿が映っている。

 これでいいだろう、ユベール。あいつは、ここを出る気らしいが、いつまでも俺の下で呑気にやってるやつでもねえってのはわかってた。

時期が時期だし、苦労するだろうが…まぁ、あいつのことだ。ヘマをして死ぬようなことはないだろう。

これであいつが無事に生き延びられりゃ、約束は果たせたことになるだろう、なぁ、ユベール?

そうしたらあとは、ジェニーにウェディングドレスを着せて、お前の墓にまた誓いを立てに行くからよ。

もうしばらく、待っててくれよな。

 しばらくして不意に、デスクの上の電話が鳴った。

出ると受話器の向こうから、男の慌てた声で、俺の部隊員がレイピアの部隊員と乱闘騒ぎを起こしてる、と報告が入った。

なるほど、あいつらも巻き込んでのお遊び、ってわけだ。ダリルの奴、気が利くな。これならいくらだって誤魔化しが効く。

俺はそんなことを思いながら、二枚目の写真を見る。

 シャロンとユベールとアヤで映ってる、調査会社から手に入れた写真だ。まったく、最後まで世話の焼けるやつだったよ、お前は。

 俺は写真をしまってデスクから立ち上がり、窓の外を見やった。

人工太陽が夕方を過ぎ薄ら暗くなっているはるか向こうに、見慣れた車のテールランプが微かに光っているのが見える。

ありゃ、俺のやった車だな。基地の一番の外側の検問を何事もなく通過した車は、その先のトンネルへと姿を消していった。

 俺は、冷めたコーヒーを飲み干して、ふと、呟いていた。

「行って来い、アヤ…気を付けろよな、バカ妹」






――――――to be continued to their future
 

引用元: 機動戦士ガンダム外伝―彼女達の選択―