1: キャタピラ ◆EhtsT9zeko 2015/01/10(土) 21:41:56.20 ID:2i7hE4430

3: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/01/10(土) 21:54:53.16 ID:2i7hE443o


UC0081年12月1日



 その日、私は昼前には島の空港にいた。アヤがお客さんを連れて近くの島まで船を出しているから、というのが表立った理由ではあったけど、

まぁ、私としては半年前からずっとメッセージのやりとりをしていたし、今更アヤの代わりに、だなんて思えないというのが正直なところだ。

 到着ロビーのソファーに座って天井の電光掲示板を眺める。ついさっき、待っていた飛行機の案内表示が“到着済み”へと切り替わった。

多分、そろそろ出てくるはずだ。

 そう思って、私はボーディングブリッジから伸びてきている廊下に目を向ける。そこからは、たくさんの観光客らしい人たちが思い思いの様子で出てきていた。

戦争が終わって、もうすぐ一年経つ。この島への観光客は日を追うごとにその数を増やしているように感じられた。

この調子が続くのならペンションの方も運営は明るいし、それに、これから仕事を始めるんだという“彼女”も、ことをうまく運びやすいんじゃないかな。

 ふと、観光客の中に知った顔を見つけた。いた!私はソファーから立ち上がって彼女に向けて大きく手を振る。

彼女の方も私を見つけてくれたようで、軽く手を振り返しながらこっちへと歩み寄ってきた。

 アヤと同じくらいの身長に、引き締まった体。長い髪を後ろで束ねている、美人さん。カレン・ハガード。それが、彼女の名だ。

「カレン、久しぶり!」

私はそう彼女を出迎える。カレンは照れくさそうな表情で笑いながら

「なんだかこう、改めて会うとなると、くすぐったいね」

なんて言って肩をすくめている。

 こんなところは、アヤに似ている、なんて本人達の前で言うと必死になって否定するから面白い。

カレンは、自分はアヤとは正反対だ、なんて言うし、アヤはアヤで、カレンとはソリが合わないんだ、なんて口では言うけど、

私にしてみたら、これほどお似合いのコンビはいないんじゃないかって感じてしまう。

特に、アヤのカレンへの信頼の強さと言ったら、羨ましいを通り越してちょっとした嫉妬のような気持ちを沸き上がらせるくらいほどだ。

まぁ、そうは言っても、私自信もこのアヤの軍時代の相棒をアヤと同じくらい信用して、そしてたぶん、好きなんだろうと感じていた。

 「そう?私は会えて嬉しいけど」

私がそう言ってあげたら、カレンはペシっと私の肩口を控えめにはたいて

「からかわないでよ」

なんて言ってそっぽを向いた。ふふ、ホント、アヤみたい。

 カレンは先月の末日付けで軍を退役してきた。

戦争のために膨れ上がった兵士を早期退職させるプログラムを進めているらしい連邦軍部が、退職金を結構な額で上乗せしてくれるんだと、いつだかのメッセージで教えてくれていた。

カレンはこれからこの島で自分の会社を立ち上げる準備に入る。住むところや事務所を決めるまでの間は、ペンションで寝起きすることに決めていた。

私はそのことが嬉しくて、二週間前から今日を指折り数えていたくらいだ。
 

4: ◆EhtsT9zeko 2015/01/10(土) 21:55:59.36 ID:2i7hE443o

「しかし、ここは相変わらず眩しいね」

車に乗り込んで駐車場を出たカレンが助手席で目を細めながらそんなことを言っている。

「ジャブローはいつも曇ってたもんね」

「そうそう。それに私たちはそもそもがモグラ暮らしだったから、太陽の下ってのは、眩しいよ」

カレンはそう言いながら膝の上に置いていたハンドバッグからサングラスを取り出して掛ける。私も車を運転するときはなるべく掛けるようにしていた。

それくらい、ここの日差しはとにかく明るい。まるで、アヤの笑顔そのまま、だ。

 市街地を抜けて港へと続く道を走り、車はペンションにたどり着いた。ガレージに車を戻して、カレンをペンションの中に案内する。

ホールに入ると、ソフィアがモップで床を拭いてくれているところだった。

「あぁ、レナさん。おかえりなさい」

あれからソフィアも随分と明るくなった。

未だに夜な夜なジャブローでの夢を見て飛び起きることもあって、その都度、私かアヤが一緒に居てあげて背中をさすったり、

落ち着くまでおしゃべりの相手をしてあげている。

最初の頃は気を使ってか謝ってばかりだったソフィアも、最近ではようやく安心して身も心も私達を信頼して預けてくれているのが感じられていた。

「ただいま、ソフィア」

私はソフィアにそう返して、それからカレンをホールに招き入れる。

「ソフィア、久しぶり」

「お久しぶりです、カレンさん!」

二人がそう言葉を交わすのを見守ってからカレンにはソファーを勧めて、キッチンへコーヒーを入れに行く。

南米産の豆で入れたコーヒーをポットに入れてカップと一緒に持っていくと、カレンはソフィアと和やかに話し込んでいるところだった。

 「はい、召し上がれ」

「あぁ、ありがとう」

「荷物、部屋に持って行くね」

コーヒーをテーブルに置き、そのままカレンのトランクを引っ張っていこうとしたら、カレンに掴まえられた。

「良いって。私はお客じゃないんでしょ?」

「そんなことないよ、大事なお客さん」

「なら、金をちゃんと取る?」

私の言葉に、カレンはこっちの顔色を伺うような不敵な笑みを浮かべて言い返してきた。

今回のペンション滞在については、食費以外は取らないよ、と事前に言い聞かせてある。

カレンはそれについては、部屋を借りるんだからその分は出す、とひとしきり私とアヤに主張していたけれど、私達はそれを断固として受け入れなかった。

結局、カレンの方が折れてくれて、それじゃぁ、お言葉に甘えるよ、って言葉を何とか引き出すことができた。

 だから、確かに。そうだね。お客さん、って言うのは、ちょっと違ったかな。

「お客さん、じゃなかったか」

私がそう答えたら、カレンは満足そうに笑って

「そういうこと。お互い、気を使うのはやめようよ。私も自由にやらせてもらうからさ」

なんて言ってくれる。

アヤの誕生日会のときはたった二日間の滞在で、それ以後はメッセージのやり取りだけで、いざこうして面と向かうとやっぱりいろいろしてあげたくなってしまう。

だけど、カレンはそういうことを望んでなんていないんだ、ってのが、話していて感じられた。

カレンから伝わってくるのは、もっと大切で、もっと嬉しくなってしまうような、そんな気持ちだった。
   

5: ◆EhtsT9zeko 2015/01/10(土) 21:56:41.61 ID:2i7hE443o

 彼女の心は、私にまっすぐに向いている。気なんか使わないでいい、そういう間柄でありたいって、そう言っているように感じられた。

「うん、そうだね!」

私は、カレンの気持ちが嬉しくて笑顔でそう応える。それを聞いたカレンは満足げに笑ってくれた。

 カレンの滞在は、どれくらいになるかまだ分からない。一週間かもしれないし、もしかしたら一ヶ月以上になるかもしれない。

それこそ、カレンの仕事の準備次第だ。だからこそ、気なんか使い合ってたら無駄にくたびれてしまうだけかも知れない。

カレンが言うように、お互い気楽な関係でいられたら、それが一番だって思う。それこそ、アヤとの関係と同じように、ね。

 



6: ◆EhtsT9zeko 2015/01/10(土) 21:57:21.69 ID:2i7hE443o

 


 それからカレンとは一緒に昼食をとって、私はソフィアと一緒にペンションの仕事に戻った。

カレンは、荷物を部屋に置いてから、コンピュータをホールに持ち出してきて黙々とキーボードを叩き続けている。

なんでも、週末に予定されている銀行への融資相談のための資料を作っているらしい。いわゆる事業計画書ってやつだ。

これは私もペンション立ち上げのときに簡単なものを作ったけど、頭金があってペンションの値段の半分は支払えていたにも関わらず、内容には相当苦労した。

 運輸会社を起こすとなると、飛行機を買わなきゃいけない。

小型のビジネスジェットを一機買うとしても、たぶんこのペンションと同じのが何棟も建てられるだけの金額になるはずだ。

その分、審査は厳しくなるし、計画にも将来性と緻密性が求められる。それにも関わらず、カレンは涼しい顔をして淡々とキーボードを叩いている。

ペンションの計画書を書くときの私なんて、ガブガブコーヒーを飲んで、うーうー唸りながら頭を抱えていたというのに。

次、何か事業を拡大するとしたら、真っ先にカレンに相談するのが良さそうだな、なんて、そんなことを思った。

 部屋の方の掃除を終えて、ソフィアとキッチンに入って夕食の準備をしていると、ガチャっという玄関の開く音とともに、賑やかな声が聞こえてきた。

「帰って来たみたいですね」

ソフィアが右手でスープの鍋をかき混ぜながら言ってくる。

「間に合いそうだね。ちょっと向こうの様子聞いてくるから、少しお願い」

「うん、了解です」

私はソフィアにそう断って、キッチンからホールへと続くスイングドアを押し開けた。

ワイワイと楽しそうに話しながら、お客さん達がゾロゾロとホールに入ってくる。

カレンはチラっとお客さんの一団に視線を送って、すぐにまたコンピュータのモニターに目を落とした。

そんなお客さん達の最後尾について、アヤがホールへと入ってくる。

「アヤ、お帰り!」

「あぁ、レナ、ただいま!カレンの迎え、大丈夫だったか?」

「うん。ほら」

アヤの言葉に私はカレンの方にそっと頭を振る。彼女を見つけたアヤの表情が、みるみる緩んでいくのが分かった。

アヤの気持ちが暖かくなるのが伝わってきて、私もどこか幸せな気持ちが湧き上がってくる。それなのにアヤは

「せっかく帰って来たってのに、顔一つ上げないなんて薄情なやつだよな」

なんて口を尖らせて言った。気持ちと表情があんまりにも一致していないものだから、私は思わず吹き出して笑ってしまう。

アヤはそんな私をジト目で睨みつけて来たけど、そんなことは気にせずに

「ね、バーンズさん達、これからどうする感じかな?」

と泊まりに来ている元連邦の兵士さん達のことを聞いた。

7: ◆EhtsT9zeko 2015/01/10(土) 21:57:54.19 ID:2i7hE443o

「あぁ、先にシャワーに入りたいって言ってたから、夕食は…六時半くらいがいいかな」

アヤが腕時計に目をやってそう教えてくれる。うん、それなら余裕で間に合いそうだな。

「了解、じゃぁ、準備しておくね」

「あ、レナ!アタシ腹減った。これからダイビング機材洗うから、夕飯遅くなるパターンだし、なんかつまめるのない?」

アヤはキッチンに戻ろうとした私をそう言って引き止めた。もう、仕方ないんだから…

「ちょっと待ってて、お昼の残りのパン持ってくる」

私はキッチンに戻って、お昼にカレンと食べたバターロールの残りを一つ取り出して、

包丁で切れ目を入れてそこに夕飯用に作ったお肉と野菜の炒め物を挟んでアヤに持っていった。

 「はい、おやつ」

そう言って手渡そうと思ったけど、ふっと、悪巧みを思いついてしまって、私はニンマリ笑ってアヤに言ってみた。

「はい、あーん」

「えぇ!?」

とたんに、アヤが顔を真っ赤にしてそう小さく声をあげる。それでも私はパンをアヤの目の前に突き出しながら

「ほら、あーん」

と言い直す。アヤはホールの方を振り返って自分に視線が集まっていないことを確認すると、私の手の中のパンを二口で食べきった。

 顔を赤くしながらモサモサと不服そうにパンを食んでいるアヤに、今度はお茶を入れて持ってきてあげる。

さすがにアヤは私の手からコップを奪い取って自分で飲んだ。

「ん、うまい。ありがとな」

コップを返しながら、アヤは私から視線をそらせて言う。相変わらず、耳まで真っ赤だ。

「どういたしまして。片付け、お願いね」

「あぁ、うん。そっちも、夕飯頼むな」

私たちはそう声を掛け合った、持ち場に戻った。

 私はソフィアと夕食の準備をしてバーンズさん達に声を掛け、もちろんカレンにも別のテーブルを用意して夕食を振舞う。

私とソフィアは、キッチンに作った簡易のダイニングでおしゃべりをしながらの食事になるのがいつものことだ。

 それからタイミングを見計らってワゴンを押して行って、食べ終わった食器を回収し、テーブルの上をキレイにしてから、

用意したお茶のセットをテーブルに置いてキッチンに戻ってくる。

 ソフィアと食器を洗おうとしていると、不意にギィっとスイングドアの開く音がした。見るとそこには、カレンの姿がある。

「あれ、カレン、どうしたの?」

「手伝うよ」

私の言葉に、カレンは頭を振ってそう応えた。私は、すこし戸惑ってしまう。だって、気を使わなくって良い、って言ったのはカレンだ。

私もそう思ったけど、そう思ったからこそ、手伝いなんて気遣いは、やっぱりなんだか心苦しい気がする。

「気を使わないでって話じゃなかったっけ?」

私がそうカレンの説得を始めようとしたら、カレンはなんだか楽しそうな顔をして笑って言った。

「あぁ、ごめん、性格でね。頼りっぱなしだったり任せっぱなしだったりするのが苦手なの。だから、気が済むまででいいからやらせてよ」

カレンの口調は、まるで私を試すような、からかうような、そんな感じだった。

でも、どうやら私に気を使っている、って感じではないっていうのはなんとなく感じ取れた。気遣いというよりもむしろ、遊びに来たような感触がある。

なんというか、仲良くしようよ、って言っているような、そんな雰囲気にも感じられた。

8: ◆EhtsT9zeko 2015/01/10(土) 21:58:20.72 ID:2i7hE443o

「なんかそれ、ズルい言い方だね」

私がそう切り返してみたら、カレンはニヤっと笑って

「そうかな?本心で言ってるだけなのに」

とおどけた様子で言い返してくる。もう、そういうところもアヤと一緒だよね。一筋縄じゃいかない、っていうか。

まぁでも、本当に気遣いじゃないっていうのは分かったから私は、仕方ないな、ってわざとらしい表情をカレンに見せつけてあげてから、

「じゃぁ、一緒にやろう」

と応じた。あえて“お願い”ってニュアンスを込めなかったのだけど、カレンはそれをいたく気に入ってくれたようで、

「うん」

ニコッと優しい顔で私に笑いかけてくれた。

 「計画書の方はどう?」

ソフィアは片腕がないので洗い物は難しい。その分、いつもほうきを持ってキッチンやホールの掃除をお願いしている。

洗い物は私の仕事。そんな私の隣に立って、食器を擦ってくれているカレンにそう聞いてみた。

「あぁ、概ね完成してるよ。プレゼンはたぶんなんとかなると思う。あとは、良い不動産があれば先に見繕っておきたいところだね。

 いつまでもここに世話になってちゃ悪いし」

「別にうちは構わないよ?大口の予約が入ったら一晩か二晩、私達の部屋かソフィアの部屋に移動してもらうかもしれないけど…」

「そうもいかないって。部屋が一つ埋まってるってことはそれだけ稼働率を下げちゃってるんだ。

 ほら、もし万が一、出撃する戦闘機に不備があったときには、すぐに予備機を投入できるようにしておかないとまずいってのと同じだよ」

カレンはそんなことを言いながら、チラっと私を見やる。もちろんカレンも、私が元ジオンの軍人だってことは知っている。

そんな例え話を投げかけてくるのは、そんなことは気にしないよ、って暗に私に伝える意味合いがあるんだろう。

カレンがどこでどんな戦闘を経験してきたのか、は聞いたことがないけれど…でも、オメガ隊にいた彼女だ。

きっと彼女も、あの隊長達と同じように国や所属じゃなくって、人となりを真っ直ぐに見つめられるような人なんだろうって、そう感じた。

 「そうだけどさ…もうちょっとお金が貯まったらね、西側の敷地に、母屋を建てたいなって思ってるんだ」

「母屋を?」

「うん。稼働率、って言ったら、私たちも客室を使っているわけだしね。食事とかはこっちで摂るにしても、寝る場所は別棟があれば、

 きっとその方が良いかなって思うんだ。なんなら、そこにカレンの部屋も作っちゃえばいいかな、って」

「やめてよ、そこはあんたとアヤの愛の巣になるわけだろ?」

そんなこと考えもしてなかったのに、カレンがいきなりそんなことをいうものだから、私は顔が急に顔が火照るのを感じてしまった。

「ああああ愛の巣じゃないよ!っていうか、べ、別に私とアヤはまだそんな関係じゃないから!」

「へぇ、違うの?てっきりそうなのかと思ってた」

「ち…違うわけじゃ…ないかも知れない…かも知れないけど…」

「えぇ?なに、それ」

カレンはいたずらっぽい笑顔を浮かべながらわざとらしくそう言ってくる。あれ、これって、なんか覚えがある…まるで、アヤに遊ばれているときみたいな…

そう思って、私はハッとした。これ、完全にからかわれてる!

9: ◆EhtsT9zeko 2015/01/10(土) 21:59:02.83 ID:2i7hE443o

「もう、やめてよ!」

私はそのことに気がついて、お皿を流しながらドン、っとカレンに肩をぶつける。カレンはなんでも内容に私のタックルをこらえると

「あはは、ごめんごめん」

なんて声を上げて笑った。

「えぇっと…その、あれだよ、あれ。私たちに気なんか使わないでいいから、この島で生活するんなら考えてみてよ。

 自分の家か、実家だって思ってくれていいからさ」

私は気持ちを整えて、さっきまでの話題に戻しカレンにそう伝える。するとカレンは、なんだか少し驚いたような表情をして私を見やった。

「ど、どうしたの?」

「あ、ん、いや、なんでもないよ」

今度はカレンがハッとした様子を見せて、こすり終えたお皿を私に手渡してきた。不思議に思いながらもそれを受け取って流水で流していたら、カレンがつぶやいた。

「実家、ね…」

それを聞きながら、私は無意識に集中して頭の中に響いてくる声に耳をすませた。だけど、妙な事にカレンの気持ちが伝わってこない。

まるで、水中で何かを聞いているようにくぐもったぼんやりとした感覚だ。

 どうしたんだろう、カレン…アヤとのことで、何か気になることでもあるんだろうか?それともやっぱり私たちに気を使ってるの?

私はカレンと仲良くなれると思っているし、カレンも私にそう言ってくれていた。それに、現にこうしておしゃべりをしていても、楽しいし、気楽でいられる。

母屋の話は半分冗談と受け取られても仕方ないとは思っても、カレンが楽なようにペンションを使ってもらうことは一向に構わないって思うんだけどな…

 そんな私の様子に気がついたのか、カレンが私を見てクスっと笑って言った。

「アヤも、レナ、あんたも、私にとっては大事な友達だ。だから、逆に迷惑をかけたくないって思っちゃうのが私なんだ。

 まぁ、でも、せっかくそう言ってくれるんだから、気楽にはやらせてもらうよ」

そんなカレンから伝わってきたのは、やっぱり、胸が暖かくなるような、穏やかな心地だった。





10: ◆EhtsT9zeko 2015/01/10(土) 22:00:24.69 ID:2i7hE443o




 「ふぃぃ、ようやく終わったよ…」

その晩、アヤがそんな声を漏らしながらホールへと戻ってきた。

「あぁ、お疲れ様です」

ソフィアがアヤに声をかけながら、トレイの上にあったグラスに氷を入れ、アヤが好んで選んでくるバーボンを注いでテーブルに置く。

「ありがと」

アヤはソフィアの肩をポンっと叩きながらイスに腰掛けると、グラスをグイっとあおって大きくため息をついた。

「ふぅぅ…腹減った」

「まだ暖かいから食べて」

私は日報を打っていた手を休めて、テーブルに運んできておいたアヤの分の夕食を並べる。

アヤはよほどお腹が空いていたのか、並べ終わる前から細切れにしたサイコロステーキを指先でつまんで頬張り、

「んー!うまい!」

と幸せそうな笑みを浮かべる。

「もう。行儀悪いよ」

顔をしかめてフォークを差し出してあげるけど、アヤはどこ吹く風でヘラヘラと笑った。

 アヤが食事を始めたので、私は日報打ちに戻り、ソフィアも来週のスケジュールの確認へと戻った。

日報にはその日使った食材や、消費した燃料、エネルギースタンドの代金だったり、

あと、月末に引き落とされる水道や電気なんかの料金の支払いに回す分の金額を細かく入力していき、最後にその日の予算と合わせて確認して記入する。

食材に関しては毎週大量に買い込む分の代金を七日分に分けた金額になるけど。

ソフィアのスケジュール確認は、来週掛かる予算を計算して運営全体の予算からその分を確保しておくのに必要なものだ。

ソフィアが来るまでは、これをアヤと私の二人でやっていた。もちろんアヤは私に出来ない車や船の整備に、

その他、ペンションのメカニックも担当してもらっていたから、私が負う分も多くて、正直大変な作業だった。

ソフィアは元情報士官の分析官ということもあってか、こんな事務作業はお手の物のようで、作業はすこぶる楽になった。

 あの日、ソフィアに働いて欲しいと誘ったのはソフィアのためでもあったけど、こうしているとペンションの運営面でも本当に助かっている。

もちろんソフィアにはその分のお給料を支払ってはいるけど、仕事内容の多様性と拘束時間から鑑みても相当、安いと言わざるを得ない。

それこそ、街のカフェのパートタイムと変わらないくらいだ。それでもソフィアは

「住むところと食事を提供してもらっているのにお給料なんて」

と毎回の様に申し訳なさそうな顔をする。でも、ソフィアだってもしかしたら、この先、自分のしたいことが見つかるかもしれない。

そんなとき、少しでもここで手伝っている分のお金が役にたつように、って、そう思うんだ。

11: ◆EhtsT9zeko 2015/01/10(土) 22:01:17.04 ID:2i7hE443o

 「カレンはもう寝ちゃったのかな?」

不意に、アヤがガーリックトーストをかじりながらそんなことを聞いてくる。

「うん。明日は、ナントカって財団の人と会わなきゃいけないから、早くに出て行くって」

私がさっきカレンから聞いた話をするとアヤは

「ふーん…」

と鼻を鳴らして無関心を装う。なによ、その反応。素直に寂しいって言えば良いのに。私は、アヤから伝わってくるその感覚に思わず口元を緩ませてしまっていた。

だけどアヤはそんな私を知ってか知らずか

「ホント、愛想のないやつだよなぁ、あいつ。それに口が悪いんだよ。二人共、なんか変なこと言われてないか?」

なんて嘯いている。あまりにも嬉しそうな表情をしていたからか、今度はソフィアまでぷっと吹き出してしまう。

「な、なんだよ?」

「だって、アヤさんすごく嬉しそうだから」

怪訝な顔をするアヤにソフィアがそう言ってクスクスと笑う。アヤはそれを聞いて顔を真っ赤に染め上げて

「そ、そんなワケないだろ!なんでカレンのことなんか…!」

と一瞬声を大きくして主張したけど、私がジッと見つめてあげたら急にモジモジとしだして

「…ま、まぁ、そりゃぁ、さ。カレンとは一緒に飛んでた仲だし…いろいろ大変なこともあったからな…」

とようやく認めたようでそう口にした。

 「いろいろ、って?」

すかさずソフィアがアヤの言葉尻を捉えて前のめりに尋ねる。

うん、それは私も気になる…共同経営者として是非聞いておかなければいけない、うん、共同経営者として、ね。

「えー?うーん…」

ソフィアの質問に最初はそう口を濁したアヤだけど、私とソフィアの無言の圧力に押し負けたのか、ポツリポツリと話を始めた。

「例えば、さ…同じ作戦で二人共撃墜されて、喚き合いながら救助が来るまで野営したこともあったし…あと、あれだよ、ほら。ベイカーズフィールドで隊長がしてた話」

「あぁ、40人の陸戦隊を全滅させたってやつ?」

「全滅って!ちょっとぶん殴っただけだよ!…うん、まぁ、あれを止めてくれたのもカレンだったし。

 カレンが仲裁に入って来てくれなきゃ、アタシ、たぶんあいつら殺してたかもしれない。

 戦時中に味方を殺すだなんて、銃殺ものだよな…そうならなかったのはカレンのお陰だ」

アヤは、宙を見据えるようにしてバーボンのグラスを煽った。やっぱり、頬がほんのり赤い。そんなに照れなくったっていいのにね。

「ふーん、なるほど…苦楽を共にした戦友ってわけですか…」

アヤの言葉にそう言ったソフィアが今度は含み笑いをして私をニタリと見つめてくる。

「レナさんとしてはどうなんですか、そのあたりは?」

「そ、そのあたり、って?」

「だから、アヤさんの恋人としては、多少ヤキモチとかそういうのあるんじゃないんですか?」

こここここ恋人!?私は、ち、ち、ち、違わないのかもしれないけどでも、そそそそ、そういうんじゃなくて、その…!

「ソ、ソフィア!」

焦った私に変わって、アヤがそう声をあげる。アヤの顔はさっき以上に真っ赤だ。

「えー?アヤさんは今余計なことを言うと、レナさんに言い訳みたいに聞こえちゃいますから控えたほうがいいですよ?

 ね、レナさんいいじゃないですか、ぜひコメントを!」

そんなアヤを言葉で制してソフィアはなおも私にそう食らいついてくる。ソ、ソフィアってばときどき、すごく鋭い切り込み方してくるよね…

こ、これは、情報士官ゆえなのかな?そ、それとも性格…?

12: ◆EhtsT9zeko 2015/01/10(土) 22:01:42.24 ID:2i7hE443o

 私はそんなことを考えながらも、なんとか気持ちを落ち着けて冷静にソフィアの質問について考える。

確かに…もし、私がアヤの恋人だったのなら、嫉妬の一つでもしていいかもしれない。いや、現に、二人のやりとりを見ているとときどき羨ましくなることもある。

でも、だからといってそれをやめてほしいと思うことはない。むしろ、私もそこに加わりたいな、と感じるくらいだ。

おかしな話だけど、もちろんそれはカレンが女性だからかもしれない。

自分を差し置いてこんな表現するのは変だけど、もしそれが男性だったら…あるいは、寂しさくらいは感じるかもしれない。

あ、でも、オメガ隊の人達と楽しそうにしているアヤを見るのは、どっちかと言えば好きな方だ…。

 じゃぁ、アヤが大切じゃないのか、と言われたらそれも違う。他に家族のいない私にとって、アヤは、唯一家族と呼んで差し支えない存在だと感じている。

何があっても失いたくない、って、そう思う。だけど、アヤのことを思うと、別に誰と仲良くしていようが、

彼女が私から離れて行ってしまうのでは、なんて恐怖感や不安感を感じるようなこともない。

それは私がアヤを信じているからで、たぶん、アヤも私を信じていてくれるからなのだと思う。

そう、たぶん、私にとって、アヤは恋人というよりは、もう家族、なんだ。

 「アヤは家族、って感じだからかな。恋人を通り越して、もう家族って感じだから、別に嫉妬したりしないし…楽しくしてくれていれば、嬉しいって思うのかも」

私がそう言うと、ソフィアは少し意外そうな表情をした。

「恋人、って感じじゃないんですか?じゃぁ、姉妹みたいな?」

その表情のまま、ソフィアは確認するようにそう聞いてくる。

「うーん、姉妹、とも違うかな…何に近いか、って言われたら…たぶん、夫婦に近いんだとは思うんだけど…」

「夫婦に近いのに…嫉妬心はなし…」

私が答えると、ソフィアはさらに首をひねる。そんな様子がなんだかおかしくて、私はクスっと笑ってしまった。

私にうまく説明できないものを理解しようとしているソフィアが、嬉しいようなくすぐったいような、そんな風に感じてしまったから。

「まぁ、ほら、アヤも私も、天涯孤独だからね」

そんなソフィアに私はそう言ってあげる。するとソフィアは、釈然としないという雰囲気の表情を浮かべながらも、

「それは、まぁ、なんとなくわかる気がしますけど…拠り所、っていうか、そんな感じですかね…」

なんてぼやくように言う。

 確かソフィアの家族は月にいると言っていた。

なんでもソフィアのお父さんは技術職の人で、グラナダのツィマッド社が管轄の軍事工場に勤務していて、戦時中はモビルスーツの生産ラインの責任者だったらしい。
今は、その分野はアナハイム・エレクトロニクスに吸収されて、解体、再編されて

ジオン共和国となったサイド3の自衛部隊が所有するモビルスーツの整備点検の委託を受けているという話だ。

 ペンションに来て、ホールの共用のコンピュータでメッセージのやりとりを再開したソフィアによれば、

人事次第ではアナハイム社の地球工場に転勤も有りうるらしいから、もしかしたらそのうちうちのペンションにも遊びに来てもらえるかもしれない。

そうなったら、目一杯サービスして喜んでもらわなくちゃね。

13: ◆EhtsT9zeko 2015/01/10(土) 22:02:15.68 ID:2i7hE443o

 「そういえば、カレンも家族が死んでるんだったな」

不意に、アヤがそんなことを口にして、私はハッとして彼女を見つめた。

「そうなの?!」

「あぁ、うん。カレンの家族はシドニーに住んでて、それで―――!」

シドニー…?今、アヤ、シドニーって、言ったの…?

そこまで言って、アヤはしまった、って顔をして私を見つめ返してきた。

私は、まるで、頭を撃ち抜かれたんじゃないかっていうくらいの衝撃を感じて、目眩すら覚えた。

 シドニー…そう、オーストラリアの、あの、穴の空いた大地…

コロニーが落ちて、無数の人たちが亡くなって、あんなに怨嗟が立ち込めるあの場所に、カレンの家族は居たの?あの声の中に、カレンの家族が、いたの…?

 私は、胸に込上がる吐き気に思わずイスを引いて、ホールの隅にあったゴミ箱に顔をうずめた。

あの日、あの時、シドニー湾で感じた得体の知れない感覚が私の脳内に染み出して耐え切れなかった私は、

あの港の桟橋のときとおなじように胃が裏返る感覚と共に、熱い胃酸をゴミ箱の中に吐き戻した。

「レナ…!」

アヤがそう言って私の元に駆けつけてくれる。彼女の優しい手が私の背を撫で、柔らかく落ち着いた口調で

「大丈夫、ここは、シドニーじゃない。大丈夫だ、大丈夫…」

と繰り返し私の耳元で囁いてくれた。だけど…だけど、今回は、違う。あのときと明らかに違う。だって…私は知ってしまったんだ。

あの場所に、カレンの家族が居た。私たちが、ジオンが、あんなことをしなければ…!

 どうしよう、私…明日、どんな顔してカレンに会えばいいの?どんな顔して、カレンと話せばいいの?何を話せばいいの?

カレンの家族を殺した人間なのに…ぬけぬけと、私…!

 そんな思考が頭の中を支配仕掛けたとき、私は、夕食のあとの会話を思い出してしまった。食器の片付けを手伝ってくれたとき、私、カレンに言った。

「実家だと思ってくれていいよ」

って…。

 家族を殺したジオンの人間なのに、私、なんて…なんて軽はずみなことを…私、私、カレンになんてことを言っちゃったんだろう…!

そのことに気づいて、私は胸をかきむしりたくなるような罪悪感が込み上がってくるのを感じた。

それは胸から溢れ、喉へと至り、頭の中にまで登ってきて、涙と嗚咽になって吐き出される。

「レナ…落ち着け…。大丈夫、大丈夫だから…」

アヤが私の肩を抱いて。手を額に当ててくれながらそう囁いている。

「レナさん…」

カツカツと、ソフィアも私のそばに来て、ためらいがちに、私の背に手をおいてくれた。

でも、それでも、私は、自分の胸を壊したくなるような嫌悪感と罪悪感に支配され、ただガタガタと全身を震わせているしかなかった。

「どうしよう…どうしよう…どうしよう…」

そんなうわごとをただただ繰り返しながら。





16: ◆EhtsT9zeko 2015/01/13(火) 22:11:52.38 ID:2lkmBX+Eo



 翌朝。眩しい光を感じて、私は目を覚ました。私は、部屋のベッドに横になっていた。窓から差し込んでくる朝日が私の寝ぼけ眼に刺さる。

 ふと、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。朝ごはん…?どうして?ぼんやりとする思考で私は壁掛けの時計を見やる。

時間は、いつも朝食を提供する7時をもう一時間近くすぎていた。

 あぁ、寝坊した!そのことを理解し、ベッドから飛び降りた瞬間、ガクン、と膝が折れて床へと倒れ込んでしまう。

何、今の?

 私は今度は、恐る恐る体を起こしてみる。立ち上がることは出来たものの、なんだか全身がスカスカとしていて力が入らない。

虚脱しているような、そんな感覚だ。だけど、私はその奇妙な感覚に、覚えがあった。これは、シドニーで点滴を受けて眠ったあとに感じたのと同じ。

そう思って、昨晩のことを思い出す。そう、確か、私、カレンの家族のことを聞いてと取り乱して…

そのあと、アヤに落ち着くように、ってコップの水を一杯もらった…でも、その水は、ソフィアが用意してくれたはずだ。

そうか…ソフィアの薬を盛られたのかもしれない。ソフィアは、未だに時々悪夢を見るから、と街の総合病院で軽い安定剤と睡眠導入剤をもらっている。

たぶん、それを水と一緒に飲まされたんだ。あのときも、そうやって収まったから、たぶん今回も、アヤがそうしてくれたんだろう。

私は手早く身支度を整えてホールに駆け降りた。ホールのドアを開けると、アヤとソフィアが食後のお茶をすすりながら何かを話し込んでいる姿があった。

「あぁ、レナ。おはよう、気分どうだ?」

私に気付いたアヤがそう聞いてくれる。

「おはよう…うん、大分楽だよ…」

少しだけ戸惑いながら二人のところまで行って席につくと

ソフィアがお茶を、アヤが朝食だったらしいサンドイッチとサラダにポテトと目玉焼きの乗ったプレートを準備してくれた。食欲は…あまりない、な。

 私はソフィアが淹れてくれたお茶に口をつけてからふうと息をついて、まずは寝坊してしまったことを二人に謝った。

「まぁ、気にすんな。あんたがヤバいときはアタシが守る。それがアタシらのルールだろ?」

「いつもは私ばっかりお世話になってるから、これくらいなんてことないですよ」

二人がそう言ってくれたので、少しだけ胸が軽くなる。

「ありがとう…。カレンはもう出かけた?」

「あぁ、うん。空港に送ってやったよ。バーンズさん達も今日はキュラソーの方へ行ってみるって言うから、さっき街の港まで送り届けたところだ」

そう…とりあえず、良かった、かな。お客さんのバーンズさん達に迷惑が掛からなくて。私は胸を撫で下ろしつつ、もう一度二人にお礼を言う。

すると、アヤよりも先にソフィアが

「良いんですよ。こんなときは頼ってくれて」

なんて言って笑ってくれた。ふと、そんなソフィアの笑顔私は少しだけ疑問を感じた。ソフィアだって、ジオンの人間だ。

カレンの家族の話を聞いて、何かしら感じるところはあるはず…ソフィアはそういう気持ちをどう扱っているんだろう?

17: ◆EhtsT9zeko 2015/01/13(火) 22:12:39.72 ID:2lkmBX+Eo

 「ねぇ、ソフィア。ソフィアは、カレンさんのこと、どう感じてるの?」

私がそう聞いてみると、ソフィアは少し難しい表情をして黙った。なぜだか、迷っているような、そんな感覚が伝わってくる。でもややあってソフィアは口を開いた。

「私は…正直、自分のことで精一杯で、そこまで気持ちがついて来ないんです。カレンさんの気持ちを考えるよりも、自分のことが先に立ってしまって…」

あぁ、しまった…私、また…なんて不用意なことを…私は鈍いショックで体が震え出すのを感じた。

「レナ…」

アヤが声を掛けてきて、私の手をそっと握る。ハラハラと、私の弛い涙腺から涙が溢れて止まらない。だけど、そんな私をじっと見つめてソフィアは言った。

「だけど、レナさん。私もいずれ、その気持ちと向き合わなきゃいけない日が来るんだと思う。

 きっと、自分の生き方を、幸せを見つけて、それに埋もれそうになったとき…私は、それを素直に享受できないって感じる日が来る。

 私はそのときまで、良い意味でも悪い意味でも、一歩ずつ進んで行くしかないんだと思ってます」

ソフィアの言葉はまっすぐだった。

その視線は、私を力強く見つめているのと同時に、

ソフィアが立ち向かっていかなきゃならない捕虜になっていたときの記憶や体験をまっすぐに見つめているようにも感じられた。

でも、ソフィアは次の瞬間、クスっとその真剣な表情を笑顔に変えた。

「なんて言ってますけど、ただ単に向き合うのが恐いのかもしれません。私は私達ジオンが犯した罪を認めてしまったら、

 自分の身に起きたことをただただ納得する他にないかも知れない、なんて思っちゃうところもあるんですよね」

コロニーを落としたジオンの人間だから、何をされても仕方がない…ソフィアの言葉はそう思うところがある、ってことだ。私はそれが正しいとは思わない。

いや、もちろんソフィアだってそうあるべきだなんて思ってないだろう。ソフィアから伝わって来るのは照れているような、キュッと胸が切なくなるような感覚だ。

 でも、ソフィアが伝えたかったことは分かる。何をしたか、何をされたか、ってことを一次元的に考えてしまうことはないって、きっとそういうことだ。

それには優先順位もあって、同時に複数を進められないようなことで、同時に考えてしまえば心の整理がつかなくなってしまうもの。

だから、それはそれ、これはこれとして、分けて考えて行けば良いんだ、って、きっとそういうことなんだろう。

「そんなことないよ…ソフィアは、立派に立ち向かってるって思う」

私はソフィアの照れ隠しをキチンと否定してあげてから

「ありがとう、ソフィア。あなたの言う通り…私は今は、カレンを受け入れてるペンションの共同経営者で、カレンの親友のパートナー。カレンのことを考えたら、

 私が気持ちを整理したいためだけに、会社の立ち上げに動き回ってる彼女に家族のことを無理に思い起こさせるのは、私が今、最優先でやることじゃないよね。

 私は、まずは、カレンのサポートを全力でやるよ」

と、少しだけ整理できた胸のうちを伝えた。ソフィアは優しく笑って頷いてくれる。

アヤは…まだちょっと心配してくれているのが伝わって来るけど、でも、私の目を見て、黙って頷いた。

 私は二人に、三度目のお礼を言ってお茶をすすり、顔の涙を拭って深呼吸をして、ソフィア特性のドレッシングがかかったサラダをフォークで口に運んだ。

口の中に、爽やかであっさりとした、気持ちの良い朝にぴったりの風味が広がって、力強い何かと一緒に全身に染み渡って行くような、そんな気がした。

 だけど、胸の内のどこかにあるモヤモヤとした感情は、完全には消え去ってはくれなかった。



22: ◆EhtsT9zeko 2015/02/09(月) 02:26:42.43 ID:N5mizT4Bo



その晩、隣のキュラソー島から戻ったバーンズさんたちは明日の早朝の飛行機でこの島を出るために、夕食を摂ってすぐに部屋へと引き上げて行った。

バーンズさん達がチェックアウトしたあとは、週末まで予約は入っていない。急な予約でも入らない限り、明日と明後日はのんびりとしていられそうだ。

 私は夕食の片付けを終えて、例のごとくホールで日報を打っていた。

ソフィアは来週分のスケジュールの確認や予算編成なんかを昨日の夜には概ね済ませてしまったようで、お店でもらった領収書なんかの整理を手伝ってくれている。

アヤは今日は機材や船、ペンションの設備関係の仕事もない代わりに、北米へと飛んだカレンが、アルバの空港に戻ったら掛ける、と言った電話を待っている。

ソリが合わない、口が悪い、なんて言っている割に、カレンの事となるとアヤはなんだか嬉しそうだ。

だけど、アヤは昨日の晩の私のことを思ってか、そのことをあまり考えないようにしているみたいだった。

口にも出さないし、それに意思もぼやかしているのか、ぼんやりとした感覚が伝わってくるだけだ。私にしてみたら、それはなんだか申し訳ないように感じられた。

 「あー、なぁレナ。今って資金、どれくらい余裕あるかな?」

不意に、アヤがそんなことを聞いてきた。

「んー、っと…二月は凌げるくらいかな…」

私は手元のコンピュータの表計算ソフトを切り替えて確認してから答える。するとアヤはなぜだか少し残念そうに唸った。

「どうしたんですか?」

そんなアヤの様子にソフィアがたずねた。するとアヤは、あぁ、なんて声をあげてから

「今回のバーンズさんがそうだったけど、空港へ迎えに出るには四人がギリギリじゃないか、あのオンボロだと。

 出来たら、安いのでいいからワンボックスタイプのエレカでもあれば良いんじゃないかって思ってさ」

とグラスを持った手を振りつつ言う。確かに、アヤの言うことはもっともだった。

今までは大口のお客さんと言えばオメガ隊やレイピア隊の人達くらいで気は使って居なかったけど、

これからもっとお客さんを呼び込もうと思ったら、あの小型のガソリン車では心許ないどころの話じゃない。

この島はタクシーも少ないし、あの車に乗りきれないほどのお客さんが来てくれたら不便をかけてしまう。

10人以上とは言わないまでも、せめて7、8人は乗れる車があれば、それに越したことはない。

だけど…

「エレカ導入にはもう少し蓄えが欲しいところだよね…買えなくもないけど、カツカツになっちゃう」

「そうだよなぁ。特にこの島じゃ、輸送費ばっかり嵩んで相場よりもちょっと高いしさ。せめて、中古でも良いから三分の二くらいの値段じゃないとな」

アヤの言う通り、残念だけど、新車導入はまだ先のことになりそうだ。

そんな話をしていたら、不意に玄関のチャイム音が聞こえた。途端にアヤがピクッと反応する。そんなアヤを見て、私も気配を感じ取って分かった。

カレンが戻ってきたようだ。

「なんだよ、あいつ!空港に着いたら連絡しろって言ったのに!」

アヤは憤慨しているのかどうなのか定かではない表情をしながら、ツカツカと、つとめて肩を怒らせるようにしてホールから出ていった。

その姿を見送った私は、ソフィアに気づかれないようにそっと、静かに、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

気持ちを落ち着けて、穏やかに保とう…今、カレンは大事な時期だ。

ただでさえ傷付けてしまったかもしれないのに、これ以上私の勝手でカレンを困らせる訳にはいかない…そう自分に言い聞かせた。
 

23: ◆EhtsT9zeko 2015/02/09(月) 02:27:10.46 ID:N5mizT4Bo

程なくしてアヤに連れられ、カレンがホールに姿をあらわした。パンツスーツに身を包み、大きめのビジネスバッグと見慣れない細長い紙袋を携えている。

「おかえり、カレン」

なるだけ明るく見えるように、と笑顔を作ってそう声をかけるとカレンの方もまぶしいくらいの笑顔で

「あぁ、レナ。ただいま。まだ事務仕事してたんだね。お疲れ様」

なんて私達を労う言葉まで添えて来た。ありがたいやら、苦しいやらだけど、とにかく、くつろいでもらうためには笑顔が一番、だ。

「ありがとう。カレンこそお疲れ様。首尾はどうなったの?」

私がそう聞いたら、カレンはニコッと笑って持っていた細長い紙袋から細長い箱を取り出して見せた。上品なリボンがつけられた木製の箱だ。

表面には、焼き鏝かなにかで付けられたんだろう刻印がある。

「お、おい、カレン!それって、ノーザンオーシャンか!?」

その箱を見るや、アヤが声をあげた。

「そ。しかも、半世紀記念の限定ボトル」

「ホントかよ?!軍時代の俸給の一ヶ月分以上はするじゃないか!」

「はは、そうだね。だけど、祝勝会にはうってつけでしょ?」

アヤの言葉にそう返事をしたカレンはまた私を見やって笑顔で言った。

「財団からの出資契約、バッチリ取り付けて来たよ。お祝い、付き合ってくれるでしょ?」

すごい…!私は素直にそう思って思わず椅子から立ち上がっていた。財団からの支援なんてよほどのことがない限り取り付けられない。

それこそ、今回カレンが交渉したボーフォート財団は医療や福祉分野が主な活動拠点。

カレンが計画している普通の会社経営にはあまり興味を示すようなこともないだろう。だけど、カレンはあの経営計画書で、それを勝ち取ってきた。

 長い時間カレンと一緒にいるわけでも、ましてやあの計画書をカレンがどんな苦労をして作り上げたのかを知っているわけでもない。

だけど、昨日の晩、自分のプランを嬉しそうんk私に話してくれたカレンを思い出して、私も気持ちが弾んでしまうのを抑えられなかった。

「おめでとう!」

そう声をあげた私は、思わずカレンの両手を握って小さく跳び跳ねながら

「すごい!すごいよ!」

なんて繰り返していた。

「あ、あぁ、ありがとう、レナ」

そんな私に、微かに頬を赤らめて言ってすぐにそっぽを向いたカレンは、思い出したように

「グラスあるかな?あと、つまめる物も欲しいね。チーズは買ってきたけど、何かあるかな?」

と聞いてきた。

 「昨日のローストビーフが少し冷凍してあるから、あれ解凍しましょう」

カレンの言葉を聞いたソフィアがそう言って立ち上がる。

「ソフィア、大丈夫?」

「ええ、歩くくらい、どうってことないですよ?」

カレンの気遣いにソフィアはそんなことを言って、ヒョイっと義足の脚に体重を掛けて片足立ちをしてみせる。でも、次の瞬間バランスを崩した。

でも、カレンがその体をパッと捕まえて

「分かったよ。頼むね」

なんて言って、ソフィアをしっかり立たせてポンっと肩を叩いた。

ソフィアは珍しくなんだか少しバツの悪そうな表情を浮かべて返事をすると、軽い足取りでキッチンへのスイングドアをくぐって入った。
  

24: ◆EhtsT9zeko 2015/02/09(月) 02:27:43.46 ID:N5mizT4Bo

「ほら、カレン、あんた座れよ!荷物は部屋に運んどくからさ」

そんなソフィアを見送らない内に、アヤがそうカレンに椅子を勧めながら、荷物を奪おうとする。

「あぁ、気にしないでよ。自分でやるからさ」

「そう言うなって。ほら、貸せって」

「いいって言ってるでしょ?」

「あぁ?なんだよ?」

「なによ?やる気?」

つい今しがたまでいい雰囲気だったのに、突然目の前で剣呑なやり取りが展開され始める。

まったく、またいつものが始まった…半分呆れてそれを見ていた私だけど、荷物を奪おうと手を伸ばすアヤと、

それを躱しながらアヤの体を押し返すカレンの応酬が、次第に激しくなっていく。

「貸せってんだよ、この石頭!」

「構うなって言ってるでしょ、意地っ張り!」

しまいにはそんなことを吐き捨てた二人はお互いの胸倉をつかみ合う。あ、あれ、これって本気のやつ?いつものおふざけじゃないの?

せっかくカレンの仕事がうまくいったのに、ケンカなんて…!

「ちょ、ちょっと待ってよ二人共!」

私はハッとして二人の間に割って入る。でも、その途端だった。

「邪魔しないでよレナ!」

そう言ったカレンが私の腕を取った。

「レナ、どいてろ!今日という今日は、黙らせてやる!」

と、今度は、アヤが反対の腕を掴んでくる。

 そして二人は、私の腕を逆方向に引っ張り出した。

「レナ、どいて!」

「どけよ、レナ!」

そう声をあげる二人のあいだで、私は両腕を左右反対に引っ張られて身動きがとれない。あ、あれ…!?やっぱりこれ、ふざけてるの!?

わ、私、遊ばれてる!?そのことに気づいたときにはすでに遅かった。

私はそのまま訳の分からない文句を言い合うアヤとカレンに挟まれて、明らかに無意味にもみくちゃにされる。

「ちょ、まっ!待って!」

必死にそう声を上げてみるけれど、アヤもカレンもそんなのはお構いなしだ。

やがて私はバランスを崩して、二人の間にサンドイッチにされながらアヤの脚に体重を預けるように転がってしまった。
 

25: ◆EhtsT9zeko 2015/02/09(月) 02:28:14.47 ID:N5mizT4Bo

「あっ、レ、レナ!大丈夫?!」

「おい、カレン!あんたレナになんてことを!」

「なによ!?そっちがふっかけて来たのがいけないんでしょ!?」

床に座り込んだ私の見上げる先で、二人のそんな迫真の舌戦が続く。そう、これはオメガ隊方式の遊びだ。

アヤには船の上やらペンションに来てからもずいぶんとハメられたし、アヤの誕生会のときにさんざん見てきたから分かる。

私としたことが、また良いようにやられてしまうところだった!

 私の様子に気がついたのか、アヤがチラっと私を見やった。アヤの暖かな気持ちが伝わってくる。

うん、分かってる…ありがとね、アヤ。私に余計なことを考えさせないように、ってそう思ってくれてるんだね。

だとしたら、やっぱりここは乗っておいた方が良いに決まっている。

 私はそう意気込んで、立ち上がってカレンとアヤの間に再び割り込んだ。

「いい加減にしなさい!」

そう言いながら二人の頭に腕を回してヘッドロックを試みる。だけど、私の考えは甘かった。

二人共、この重力のある地球でモビルスーツの照準装置でも追いかけられない様な機動と速度で空を駆けていた戦闘機のパイロットだ。

モビルスーツでの機動でもGは掛かるけど、地球の、しかも戦闘機のそれとなると話が違う。

宇宙空間でさえモビルスーツでは追いきれない動きをするような戦闘機のパイロットは、そもそも体の鍛え方からして次元が違う。

私がいくら抵抗したところで、そんな二人を一気に制圧するだなんて、できるはずもなかった。

「やったな、レナ!」

「邪魔するんなら、レナから相手になるよ!」

二人はニンマリといたずらっぽい笑顔を浮かべながら私を捕縛すると我先にと関節技をかけようと私に絡みついてくる。

私は慌てて必死に抵抗するけれど、あとの祭りだ。

「もう、何してるんですか?」

そんなとき不意に声が聞こえたのでハッとして見やると、そこにはお皿を抱えたソフィアの姿があった。

「あぁ、ソフィア!ありがとう!」

その姿を見たアヤがすかさずソフィアのところまで小走りで近付いてお皿を受けとる。カレンはカレンで今までのやり取りが全部なかったみたいな顔をして

「よし!じゃぁ、飲もうよ!」

なんてなんでもない様に席を進めてきた。もう。アヤ一人ならともかく、二人でこんなことするだなんて…オメガ隊の風習も困ったものだ。

私はそうは思いつつも二人のお陰ですっかり楽しい気分になって、仕方がないからカレンに勧められるがままに席に着いた。

アヤとソフィアもテーブルに戻って来るのを待たずに、カレンは木箱を開けて中から上等そうな金色のラベルの付いたバーボンのボトルを取り出した。

すぐに封を切って、私が氷を入れて並べたグラスへと注いでいく。
 

26: ◆EhtsT9zeko 2015/02/09(月) 02:28:45.26 ID:N5mizT4Bo

「んー、香りからして、旨そうだなぁ」

アヤがスンスンと鼻を鳴らしながらそんなことを言っている。

「これって、そんなに良い物何ですか?」

ソフィアがアヤにそう聞いた。確かにそれは私も聞きたいところだった。

いつもはアヤが気に入っている北米産のバーボンか南米産のウィスキーだし、そもそも地球のお酒には私もほとんど知識がない。

サイド3でもお酒はあったけど、ワインかビールに、地球の物に比べるとずいぶんと素っ気ない味のするウィスキーくらいだった。

「ノーザンオーシャンってのは、ニホンってところの北の方にある島が原産のブランドなんだ。

 良いトウモロコシを厳格な品質管理と製法で醸造させてて、味も風味も一級品なんだよ。

 そのノーザンオーシャンブランドの中でもこういう年代物は希少価値が高くてなかなか手に入らないんだ」

アヤに変わってカレンがそう教えてくれる。

 地球に来てもう一年半。コロニーに比べると食料も種類が豊富で味も良くて、コロニー以上に手軽に手にいれることが出来る。

それが、コロニーを植民地扱いして得られている贅沢なのだと思うと少し複雑な気持ちになる部分もないではない。

でも、あの戦争以降、地球連邦政府のコロニーに対する締め付けが一分緩和されていることも事実。

もちろん、サイド3はその限りではないけれど…そう思うと、あの戦争で散っていったスペースノイドの人達も無断死にではなかったんだって、考えられる部分もある。

全部が全部、良かった、だなんて思わないし正当化するつもりはない。アイランドイフィッシを落としてしまったことは許されるべき行為に違いはない…

 途端に胸がギュッと締め上げられ、頭にあの声が響いて来た。あの場所には、カレンの家族がいたんだ。

兵士でも、軍の関係者でもない、カレンの両親や弟妹が…

カヒュっと息が掠れて呼吸が出来なくなったような感覚に陥った次の瞬間、バシッと背中を叩かれる感覚で私は我に返った。

見ると、アヤが私を優しい瞳で見つめてくれていた。

―――大丈夫だよ、大丈夫

アヤのそんな声が頭に響いて来た気がして、私はそっと深呼吸をして気持ちを整える。

そう、今はその事を考えてはいけない。カレンが会社を立ち上げて、自分の暮らしの基盤を固められるまでは…

「ほら、レナ」

カレンがそう言って私の目の前にグラスを滑らせてくれる。アヤが好きで毎晩グラスに一杯だけ飲んでいるあのバーボンとは違う香りが鼻をくすぐる。

「レナ、音頭を頼んでも良い?」

カレンは私を見つめてそんなことを言ってきた。一瞬、こんな私が、とそう思ったけど、内心で私はその想いを振り払った。

戦争のことはどうあれ、カレンの計画が順調に行っていることは私にも嬉しいことだ。その気持ちに嘘はない。

私は乱れかけた気持ちを奮い立たせてカレンに頷いて声を張った。

「カレンの今日の成果と、さらなる成功を願って」

私がそう高々とグラスを掲げたら、カレンは嬉しそうな笑顔を見せて

「このペンションと、この島のさらなる発展も願って」

と言い添えてくれる。

カレンの言葉と想いが、突然私の胸に飛び込んで来た。暖かくて、優しくて、穏やかな…それは、アヤから感じる気配に本当に良く似ていて、なぜだか目頭が熱くなる。

私はそんな気持ちに背中を押されるように、二階ですでに眠っているだろうバーンズさん達のことも忘れて高らかに声をあげていた。

「乾杯!」

四人のグラスがぶつかり合ってカチャン、と微かな音を立てる。口をつけたバーボンは、私の心を満たしている暖かで穏やかで、そして優しい味がした。



 

33: ◆EhtsT9zeko 2015/03/09(月) 02:06:21.83 ID:ldjAGy3+o



 それから、数日が経った週末。

ペンションには、また別のお客さんがやって来た。何でも北欧出身の資産家の家系で、北米から南米へと縦断する旅の最中なんだとか。

見てくれはヨレヨレのシャツに伸ばしっぱなしの髭面で、とてもそんな風には見えないんだけど、アヤが言うには履いている靴がとんでもなく上等な代物らしい。

薄汚れていてとても高そうには見えない、と言ったらアヤは、

「あれ一足で、車が1台買えるかもしれないって靴だぞ」

なんて声を押し殺すようにして教えてくれた。

 本当かどうかは知らないけど、

高級ホテルなんかではお客さんの靴を見ればその人がどんなお客さんかが分かる、

なんてことが、ペンションを始めた頃に読んだノウハウ本にも書いてあったし、

見掛けに囚われないで感応してみれば、特段おかしな雰囲気を感じる分けでもなかったので、

アヤの話をそのまま信じていつも通りに出迎えて予約してあった部屋に通して、いつも通りに食事も振る舞った。

 今日は、アヤの誘いで海の方に行くと決めていたようで、朝早くからオンボロで港へと向かって行った。

 ペンションに残っているのは私とソフィアだけ。

カレンは木曜日に、大手銀行からの融資を受けるための相談と、ボーフォート財団からの資金で調達予定の飛行機を下見のために、ロサンゼルスに飛んでいる。

 今日の夕方には帰ってくる、なんて話にはなっているんだけど、どうやらペンションにやって来るのはカレンだけではないらしい。

なんでも、軍時代にカレン達のオメガ達の整備についていて、今後は導入する飛行機の整備をしながらカレンと共同経営に当たる予定の兄妹が一緒なんだそうだ。

彼らとはロサンゼルスで合流して、アナハイム社とその関連会社の製品…とどのつまり、飛行機を見ることになっているらしかった。

 私はその話を聞いて、一抹の不安が消せないでいた。

カレンともまだなにも話せていない状況で、さらに連邦の人が来て…もし彼らがコロニー落としや戦闘で、大切な人でも失っていたら…

私は、どうやってそれを償えば良いのだろう…

 そんなことを考えながら夕食の下ごしらえなんかをしていたものだから、キャベツを千切りにしながら自分の指先を包丁に引っ掻けてしまった。

「いっ…たぁ…」

鋭い痛みで、我に返ってとっさに傷口を押さえる。

「レナさん、大丈夫?」

すぐそばでシチューを煮込んでいたソフィアが心配げにそう聞いてくれる。

流水で洗い流して傷口をみると、それほど深く切ってしまったわけではなさそうだった。本当にほんの少し引っ掻けただけ。

「うん、ありがとう。平気みたい。ちょっと絆創膏貼って来るね」

そう言えば、こないだもやらかしちゃったっけな。まったく、心配性なところがあるのは分かっていたけど、いくらなんでも集中を欠きすぎている。

こんなのじゃぁ、カレン達どころか大切なお客さんにまで迷惑を掛けてしまう恐れもある。

 気を引き締めないと…私はそう自分に言い聞かせて、こっそりと絆創膏を巻き終わった方の手で自分の頬を張った。アヤ流の気合い充填方法だ。
 

34: ◆EhtsT9zeko 2015/03/09(月) 02:06:52.53 ID:ldjAGy3+o

 そんなことをしつつ私たち手早く下準備を終えた。時刻は昼前。アヤとあの旅人風のお客さんは、昼間は島に行っているし、昼食は私とソフィアだけ。

洗い物する前に、何か簡単につまめそうな物でも作ろうかな…

 そんなことを思って、冷蔵庫の扉に手を掛けたときだった。

ペンションの玄関のチャイムが鳴るのが聞こえた。

カレン達かな…?

予定では夕方のはずだったけど早くなったのか、それとも、飛び込みのお客さんかな…?

「ちょっと出てくるね」

私はソフィアにそう言葉を掛けて、スイングドアを押してキッチンから出、ホールから玄関へと向かう。

「はーい、ただいま!」

そう言って玄関のドアを開けた。

 そこには、まだ若い男の人が立っていた。

ヨレヨレのシャツにボロボロの靴と裾が擦り切れたズボン姿で、シュラフの様に円筒形のバッグを肩に担ぐようにしている。

あどけなさを残したその男の人の顔が、明るく緩んだ。

私は彼を知っていた。

「テ…テオ…なの…?」

そう。彼は私が地球へ降下すると決ってから、ジャブロー攻略作戦までの間同じ隊で戦った、テオ・バーデン軍曹だった。

「少尉…良かった、元気そうで…」

呟く様な声で言ったテオは屈託のない表情で笑い、そしてそのまま、膝から崩れるようにして地面に倒れ込んだ。

「テ、テオ…!テオ、どうしたの!?しっかりして…!」

私は倒れたテオを力任せに仰向けにひっくり返して彼の体を支えながら叫んだ。

でも、彼は私の言葉にはなんの反応も見せずに穏やかな笑顔を浮かべたまま身動き一つしない。

呼吸はしてるけど…心拍は、かなり早い…ど、どうしよう…?
 

35: ◆EhtsT9zeko 2015/03/09(月) 02:07:24.71 ID:ldjAGy3+o

 私はいきなりの出来事で動転してしまっていた。

病院に連れて行ったほうが良いかな…?で、でも、オンボロはアヤが港に乗って行っちゃったし、担いで行ける距離じゃない。

そ、そうだ、タクシー呼べば…いや、待って。テオが、連邦の医療証なんかを持っているはずがない。

ジオンの軍人が地球に移民するだなんてことはそう簡単じゃないはずだ。

 私はアヤの知り合いで政府機関で移民に関する仕事をしているアルベルトに少しだけ経歴を詐称してもらって、

戦争被害のための福祉職員増員に伴う逆移民制度を使い、戦時負傷者のケアを名目にレナ・リケ・へスラーとしての戸籍を地球に置けているけれど、

テオがそんなことをやれているとは思えない。

病院に連れて行って地球に滞在できる許可がないなんてことがバレたら、ジオンの残党狩りをしている連邦軍部に拘束されてしまうかもしれない。

それは、ダメだ。

「テオ、しっかりして!」

私はテオにもう一度声を掛けて、腕を肩に担いで彼を助け起こした。小柄で痩せているとは言え、力の抜けた人間はそう簡単に運べるものじゃない。

私はそれでも全身の力を振り絞って、テオを引きずる様にホールへと連れて行く。

 ホールでは、私の声を聞いたのか、心配そうな表情のソフィアがキッチンから出て来てくれているところだった。

「レナさん…その人は…?!」

「テオって言うの…同じ部隊にいて、一緒に戦ってた」

「そんな人が、どうしてここに…?」

ソフィアの疑問はもっともだ。どうしてこんなところにテオがいるんだろう?彼はジャブローで私より先にガウから降下してから姿を見ていない。

死んじゃったとばかり思っていたのに、まさか生きていたなんて、それだけでも驚きなのに、どうしてわざわざこんなところに…?

「うぅっ…」

不意にテオが呻いたので、私は我に返った。そうだ、今はともかく、テオの状態が優先だ。

 私はなんとかテオをソファーまで運んで寝かせた。意識がもうろうとしているのか、やはり、微かに呻き声を上げている。

そんな彼の額に手を当てて見ると、かなりの熱感があった。

「ひどい熱…!」

私は思わずそう口にしていた。

「すぐにタオルと氷水用意します」

ソフィアがそう言って、キッチンの中に駆け込んで行く。

私は一旦その場を離れてリネン室に飛び込み、乾燥機から仕上がったばかりの毛布を引っ張り出してホールへと戻った。
 

36: ◆EhtsT9zeko 2015/03/09(月) 02:07:50.60 ID:ldjAGy3+o

 そこにはすでにソフィアも戻ってきていて、義手ではない方の手でぎこちなく氷水に浸したタオルを懸命に絞ってくれている。

「ソフィア、ありがとう」

私はそうお礼を言いながらソフィアの手からタオルを受け取ってきつく絞り、テオの額へと載せる。

その間にソフィアは、保冷剤をキッチンにあったタオルにくるんでテオの首元や脇の下へと押し付けた。

「お医者さんには、連れて行けませんね…」

ソフィアが深刻そうに言った。ソフィアにもわかっているんだろう。

 いずれは、ソフィアの名前で登録しなおす予定だけど、彼女は今は、私がアヤに都合してもらった「アンナ・フェルザー」の戸籍を使っている。

だから病院にも通うことが出来ていけど、それですら安全であるとは言い難い。

そんななのに、テオが医療証も戸籍もなく病院にかかれば、たちまち移民局に連絡が行きかねないんだ。

 私は、めまぐるしく思考を回転させる。

でも、地球に来てまだ1年も経っていない私には、

どんな抜け道があるのか、どんな対応がベストなのかを判断することが出来ないという事実に行き着くしかなかった。

私は、ポケットからPDAを取り出して画面をタップする。通話履歴の画面を開いて、アヤの電話番号を表示させた。

 アヤに助けてもらわないと…!

 そう思った次の瞬間、私は金縛りにあったような奇妙な抵抗感に、身を固めてしまっていた。

 いいのだろうか…?テオは、ジオン兵だ。私やソフィアは、成り行き上、アヤやオメガ隊のみんなに助けてもらえた。

でも、テオはオメガやアヤとは直接関係がないんだ。

彼を助けたいと思うのは私の都合。私の気持ち。

それをアヤが許さないとは思わないけど…ジオン兵としての私の事情を押し付けて甘えることになるんだ。

 私は…彼女にそんなことを求める権利があるのだろうか?だって…だって、私は…今はどうあれ、元ジオン兵なんだ。

コロニーを地球に落として、億を超える人々を殺して、地球を侵略した一派の人間なんだ。

私も、テオも…ソフィアも…自分たちの都合で地球の人たちに甘えるなんてことをして、果たして許されるのだろうか…?

「レナさん…?」

そんな私の様子に気づいたのか、ソフィアが心配げにそう声を掛けてきた。私は、ソフィアの顔を見やって、もう一度PDAに目線を落とした。

私は、勝手だ。ううん、勝手でも良い。

アヤ…ごめんね、私、テオを助けてあげたい…!
 

37: ◆EhtsT9zeko 2015/03/09(月) 02:08:19.90 ID:ldjAGy3+o

 心の中で、アヤのあの明るい笑顔を浮かべて、それにすがりつくように私はPDAの画面に触れる決心をした。

 そんなときだった。

 ガチャン、と音がして、ホールに誰かが入ってきた。ハッとして顔を上げるとそこには、カレンと、見たことのない男女がいた。

「レナ、ただいま」

明るい声で言ったカレンは、私とソフィア、それからソファーに倒れ込んでいるテオを見て、瞬時に表情を険しく変えた。

 「なにかあったの…?」

カレンが小走りで私たちのところにやってきて、テオの様子を伺った。

「レナ、彼は?」

テオを見るなり、カレンは私を見つめて言ってきた。私は、言葉に詰まった。アヤに頼っていいのか、と巡った思考が戻ってくる。

カレンは、アヤなんかよりももっと頼れない。

だって…カレンの家族は…

「レナさんの元部隊員だそうです」

言葉を継げなかった私に代わって、ソフィアが言った。カレンはその言葉だけで、事態を把握したようだった。

「医療証がないんだね?」

カレンが私の顔を覗き込むようにして聞いてくる。そんなカレンに、私は頷いて返すことしかできなかった。

 カレンは私の反応を見るなり振り返って言った。

「カルロス!手を貸して!」

その言葉を聞いた男の人の方が険しい表情で頷く。

「レナ、車は?」

今度はカレンは私に視線を戻して言ってきた。

「ア、アヤが乗って行っちゃって…」

「ならタクシーだね…レナ、頼める?」

カレンはそう言いながら私の肩を力強く掴む。私は…また、黙って頷くことしかできなかった。でも、そんな私にカレンは優しく笑って言ってくれた。

「しっかりしなよ。大丈夫、任せておきなって。カルロス、そっち側、頼む」

私の返事を待たずに、カレンはカルロスと呼ばれた浅黒い肌をしたラテン系の男とソファーに倒れていたテオを肩に担いだ。

「レナ、電話頼むね」

カレンが振り向きざまに私にそう言ってきて、ハッとして、PDAでいつもお客さんが使いたいっていうときに頼んでいるタクシー会社に電話を掛けた。

その間に、テオを担いだ二人は、もうひとり残された女性が先導してホールの外に出て行っていた。

 電話を終えた私もそのあとを追う。そのときにはカレン達はすでにペンション玄関を出ていた。

「カレン、私…!」

私はカレンに声を掛けた。何かを言わなければ…そんな思いで胸がいっぱいだったけど、声を掛けただけで何も言葉が継げなかった。

でも、そんな私にカレンはまた、優しい笑顔を見せてくれた。

「レナ、アヤが戻ったら知らせて」

そんなカレンの顔は、やっぱりアヤのあの顔にどこか似ていた。

 程なくしてやってきたタクシーに乗って、カレン達はペンションから市街地の病院へと向かっていった。

私は走り去っていくそのタクシーをただただじっと見つめていた。



 

41: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:25:56.92 ID:CqIKSWGFo



 「レナ」

夕方、お客さんの島巡りを終えたアヤが、キッチンに居た私のところへとやって来た。

「アヤ…」

私はそのときにはすっかり憔悴してしまっていて、ホールから持ち込んだイスにへたり込むようにしてただただ座り込んでいた。

 テオがカレン達に病院へと運ばれて行ってすぐ、私は耐えきれずにアヤに電話を掛けてしまっていた。

嗚咽を漏らしながら、テオのこと、戦争のこと、自分の罪のことをぶちまけた私に、アヤは努めて穏やかな口調で、冷静な指示をくれた。

「アタシがもどるまで、キッチンに座ってろ。何もしなくていい、とにかく、じっとしてろ」

そうして私は、まるでそばにいないアヤにすがる様にして、キッチンに引きこもって身を震わせていた。

 「いい子にしてたな…」

アヤはそんなことを言って私の頬に優しく触れ、髪を梳いてからそっと抱きしめてくれる。

アヤの体温が私を包んで、こらえていた感情がこみ上げて涙とうめき声に変わってあふれ出る。

「苦しいな」

アヤが囁くように言った。私は、アヤの腕の中でうなずく。アヤの腕に、少しだけ力がこもったのが感じられて、今度は

「苦しいな…」

と少し力んだアヤの声がした。それを聞いてまた私はうなずいた。

 こんなことでアヤに頼る資格なんて私にはないのに…私達は、あなた達を傷つけたっていうのに…それでも私は、アヤを頼らずにはいられなかった。

「傷ついたなんだ、って話なら、そもそも連邦政府がスペースノイドからの搾取をしてたんだ。どっちがどっちか、なんて関係ないさ」

私の気持ちを感じ取ったらしいアヤが、そう言いながら私の髪をクシャっと撫でつける。アヤの言うように、確かに連邦政府の締め付けは厳しかった。

宇宙なんて過酷な環境に人間を追いやり、植民地化して地球経済の安定と強化をはかった。

サイド3に限らず、どのコロニーも、地球に物資を安価で買い叩かれ、地球からは高値での消費をせまられたことによるデフレが激しく、

場所によっては食うや食わずの生活を強いられていたコロニーもあった。

賃金を得るために危険な仕事に身を置く人や、犯罪に手を染める人も珍しくなかった。

でも…でも、少なくとも連邦はスペースノイドを殺すつもりなんてなかった。

 ジオンは違った。開戦と同時に連邦軍が駐留している周囲の各コロニーを徹底的に叩き、破壊し、あるいは制圧して来た。

そして、アイランドイフィッシュを地球に落としたんだ。ジオンがしでかしてしまったことと、連邦政府がこれまでして来たことは比較できることじゃない。
植民地政策は話し合いで転換できる可能性だってあった。私はそう信じてた…ううん、私だけじゃない。

父さんも、母さんも、兄さんも…そのことを信じて軍人になった。

でも、結局私達は…取り返しのつかないことを…この世界を傾けるようなことをしでかしてしまったんだ…。

「レナ、落ち着け…」

アヤの腕が、きつく私の体を支えてくれる。アヤ…ごめんね…私、こんなで…ごめん、ごめんなさい…アヤ…カレン…!

 頭の中がそんな言葉でいっぱいになって、私はアヤに腕を回してしがみつき、その胸に顔をうずめて、声を殺してただただ泣いた。

どれくらいたっただろうか、そうしていると、不意にお尻のあたりでブルルと何かの振動が感じられて、私は我に返った。

顔を上げ、アヤに回した腕を緩めると、アヤの方も顔を上げて私の様子に気づく。

アヤに頬の涙を拭われながら、ポケットにしまってあったPDAを取り出すと、そこにはカレンの電話番号が表示されていた。

 こんなんじゃ、いけない…私はそう感じて、一気に気持ちを押し込めて鼻をすすり、深呼吸をして気持ちを整え、通話ボタンをタップした。
 

42: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:26:25.87 ID:CqIKSWGFo

「もしもし…」

「あ、レナ?私。テオくん、って言ったっけ?だいぶ落ち着いたよ」

カレンの明るい声が聞こえて来た。

「彼は…?」

「あぁ、熱中症と、それから軽い栄養失調らしいよ。

 何があったかは全然話してくれないから、なんでこんなことになってるのかはまだよくわからないけどね」

そう言ったカレンは、PDAの向こうでクスクスと笑っている。

「医療証の方はどうなったの?」

「あぁ、とりあえず、ナシで治療を受けた。私の知り合いでアースノイドだって言ってね。そのことで、アヤにちょっと相談したいんだよ。

 さすがに退院するまでに何かしらの対応しておかないと、軍の憲兵にでも通報されたら厄介だからね」

カレンがどんな風に言ったのかはわからないけど、でも、そう言われたらうまく言いくるめられたんだろう、と思ってひとまず安心してしまう。

カレンだって、アヤと同じオメガ隊にいたんだ。あの隊長さんのやり方を学んでいないはずがない。

「ごめんなさい…迷惑かけて」

私は、カレンに思わず謝ってしまっていた。でも、当のカレンは明るく笑って、

「なに、気にしないでよ。性分なんだよね、こういうのってさ」

なんて言ってくれる。私はそれを聞いて、さっきまでの想いがこみ上げてきそうになるのを必死にこらえた。

代わりにお礼を言おうと口を開いたけど、すぐにカレンの声が聞こえて来た。

「アヤは、戻ってる?」

そうだ。カレンはアヤと話したいと言っていた。アルベルトくんのツテを使えば、緊急用でテオの戸籍を一時的にでも作ってもらえるかもしれない。

そうすればテオも疑われることはないし…

それになにより、そうでもしなければテオを知り合いだと言って治療を頼んでくれたカレンの身も危なくなるかもしれないんだ。

「うん、今一緒にいるよ」

私はそうとだけ答えて、PDAの通話をスピーカーに切り替えた。

「カレン」

「あぁ、アヤ」

「レナからだいたい話は聞いた。ありがとな」

「あぁ…その、まぁ…うん…やめてよ、くすぐったいから」

カレンが言いよどんだのを聞いて、アヤの口元が微かに緩んだ。
 

43: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:26:54.46 ID:CqIKSWGFo

「まぁ、そう言うなって。あぁ、それより、例の件だろ?」

「そう。なんとかなりそう?」

「大丈夫。アルベルトのやつに頼んでおいた。明日には発送できる、って言ってたから、三日後には本土のカルドンに届くだろ。

 局止めにしてもらって、アタシが船でもらいに行くよ」

「エアメールじゃないの?」

「この島、エアメールは週に1便しかなくって時間がかかるんだ」

「へぇ、それは良いこと聞いたね。郵政局から下請け業務でも受けられれば、カネになりそう」

「あはは、すっかり社長だな」

「まぁね。食べさせて行かなきゃいけない社員もいることだし…って、あぁ、そうそう。

 さっき、カルロスとエルサ、タクシーに乗せてそっちに向かわせたから、夕飯でもふるまってやってよ」

カレンが思い出したようにそう言って来た。カルロスと、エルサ。カレンが呼び寄せた、元連邦軍の整備兵の二人。

あのとき一緒にいた、男女のことだろう。

「あんたはどうするんだ?」

「私は、売店で適当に買って済ませるから構わなくていいよ。そっちはお客がいるんでしょ?

 レナがこっちに来たらそっちが大変そうだから、今日のところは私が付いてる」

カレンは、こともなげにそんなことを言った。私は、ぎゅっと胸が締め付けられる感覚に襲われて、思わず心臓に手を当てていた。

そんな私の肩をそっと撫でながらアヤが

「大丈夫か?」

と、私に、なのか、カレンになのかわからない声色で言う。私が思わずうなずくと、アヤはまた、優しく頬を緩めた。

「飛ばなくて良い分スクランブル待機の当番なんかより楽だし、気にしないで」

カレンからも、返事が聞こえてきて、アヤの顔はさらにほころぶ。

「そっか。なら、頼む。エルサ達はこっちに任せとけ」

「あぁ、酒はほどほどにしておいてやってね。二人とも、今朝ジャブローを出てから移動しっぱなしで疲れてると思うし」

「あはは、分かってるよ」

「それなら良かった。じゃぁ、何事もなければ、また明日の朝連絡を入れるよ」

「カレン!」

その言葉に、カレンが電話を切りあげようとしている気配を感じ取って、私は思わず声をあげてしまっていた。
 

44: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:27:22.07 ID:CqIKSWGFo

「ん、レナ、どうしたの?」

カレンが、不思議そうな声色で聞いてくる。いっそ、話をしてしまおうか…一瞬、そんな思いが頭をよぎる。

でも、ダメだ…もし、本当に伝えるのだとしたら、電話なんかじゃ、ダメだ。

カレンの目の前で…カレンに罵倒されても良い様に、カレンに殴りつけられても良い様に伝えないといけない。

それが、私に示すことのできる、唯一の誠意だろう。

「その…ありがとう…」

私は、結局そうとだけ、カレンに伝えた。でも、当のカレンは

「ん…いや、うん、別に…ど、どういたしまして…んーあぁ、もう!あんたら、二人して私をからかってんじゃないでしょうね?」

と、なぜだか楽しそうに憤慨した様子で言い返してくるだけだった。それを聞いた私の頭を、不意にアヤがクシャっと撫でてくれる。

顔を上げて見やったアヤは、やっぱり、いつものあの明るい笑顔で笑ってくれていた。

「アタシはそうだけど、レナは違うぞ!」

「まったく…自分がやられたら、真っ赤になって怒るクセに」

「ア、アタシのことはどうだっていいだろ!」

カレンの言葉に、アヤは突然声を上げた。アヤの顔がみるみる赤くなっていく。

「あはは、これでおあいこだね。まぁ、とにかく何かあったら連絡するよ。そろそろ切らないと、売店がしまっちゃいそうなんだ」

「油断も隙もあったもんじゃないよなぁ…まぁいいや。こっちも何かあったら連絡する。それまで、頼むな」

「お願いね」

アヤの言葉に、私もカレンへそう声をかける。カレンは穏やかな声で

「あぁ、任されたよ」

と言ってくれて、それから

「それじゃぁね」

と電話を切った。

 アヤはPDAを私に握らせて、それから両肩にポン、と手をおいてくれる。

「ほら。しっかりしよう!今はとにかく、そのテオって子のことと、それからアタシらの隊の優秀なる整備班の二人を出迎えてやらないと!」

そう言って、アヤがニコっと明るく笑った。その笑顔に、私はすっと背中をただされた様な気持ちになって、すぐさま並だった心を整えた。

「うん。私、夕食の準備しなきゃ」

「手伝おうか?」

「ううん、ソフィアが下準備しておいてくれてたから大丈夫。アヤはお客さんの相手をお願い」

私が言うと、アヤは少し嬉しそうに頷いた。


 

45: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:27:49.25 ID:CqIKSWGFo



 それから、少しもしない内に玄関のチャイムがなる音がして、昼間の男女二人がペンションに戻ってきた。

アヤの話では、エルサ・フォシュマンとその兄のカルロス・フォシュマンだそうだ。二人共色黒で濃い色の髪をした、いかにもラテン系という風貌だ。

 アヤに呼ばれてキッチンから出てみると、エルサはふざけてアヤに敬礼なんかをして、楽しそうに絡んでいる。

カルロスというお兄さんの方が私に気がついて軽く会釈をしてくれた。

「さっきは動転していて、ごめんなさい」

私は二人のそばへと行ってまずはそう声を掛けて謝る。

「いえいえ!」

「とんでもない。とりあえず、命に関わるようなことではないようですので、一安心です」

明るく笑うエルサに、カルロスはそう穏やかな笑みを浮かべて言ってくれる。

 「二人共、改めて紹介するよ。彼女が、レナ。レナ・リケ・ヘスラーだ。元ジオン軍少尉であのトゲツキのパイロットだったんだ」

アヤが紹介してくれたので、私は精一杯の笑顔を作ってから

「よろしくお願いします」

と改めて二人に頭を下げる。

「で、レナ。この二人がオメガ隊の自慢の整備員。エルサ・フォシュマン軍曹と、カルロス・フォシュマン元曹長だ。

 あ、ファミリーネームが同じだけど、夫婦じゃなくて兄妹な」

「よろしくお願いします、レナさん」

「よろしく」

アヤの紹介で、二人もそう私に言ってくれる。

 彼らも、私が元ジオンだという事にさほどの疑問も持たないようだった。

普段だったらきっと嬉しいと思うはずなのに、今の私には、それがなぜだか辛かった。

「夕飯の準備までまだ少し時間がかかりそうなので、掛けて待っててください。お茶をもってきますね」

私がそう言ったら、そばにいたアヤが不意におかしそうに笑い声をあげた。

「レナ。そんなに丁寧にしなくてもいいんだぞ?こいつらだって、アタシやオメガの連中とかわりないんだ。いつも通りに接してやってくれよ」

そう言ったアヤの目は、私を気遣うような、そんなぬくもりがこもっているように感じられた。アヤの言う通り、少し気を張りすぎだろう。

カレンのことで思い悩んでいるのは確かだし、それに、テオのこともあるけれど、

うん…オメガ隊と同じでいいのなら…今の接し方は硬すぎるかな。

「うん、分かった。二人とも、どうぞ座って!すぐにお茶持ってくるね!」

私が気を取り直してそう言い直すと、アヤが満足そうに笑った。
 

46: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:28:25.03 ID:CqIKSWGFo

 それから私はお茶のセットを出してきて、ソフィアと一緒に夕食の準備に戻った。

今日のメニューは鶏のテリヤキとエスニックな香辛料を使ったスープに、ライスと細かく切った野菜を炒めて味を付けたチャイニーズリゾットだ。

 程なくして夕食は完成し、お皿に大盛りにして二人と、そして昼間、アヤが船で島の沿岸を案内したお客さんに振舞う。

私もソフィアとキッチンの小さなテーブルで食事を済ませて、食器洗いの準備だけを先にしておく。

ちょうどよく準備が終わるくらいに、アヤがワゴンにお皿を乗せてキッチンに戻ってきてくれるのはいつものことだ。

 手早く食器洗いを終えた私は、明日の朝食の仕込みもそこそこに、ホールでバーボンを傾けながら談笑しているアヤとエルサ、カルロスのところへと向かった。

 テオのお礼を、もう一度ちゃんとしなければ、とそう思ったからだった。

「あぁ、レナ。もう終わったのか?」

エプロンを外した私を見て、アヤがそう声を掛けてくれる。

「うん。もう大丈夫」

私はアヤに笑顔を返してから、イスに座る前にエルサとカルロスに向き直って言った。

「二人共、今日は帰ってきて早々、ありがとう。本当に助かったよ」

すると二人も私に笑顔を返してくれた。

「いいえ。困ったときはお互い様です」

「ええ。部屋だけじゃなくて、食事の世話までしてもらうのに、あの程度のことは大したことでもなくて、申し訳ないくらいですよ」

二人のそんな言葉に、私は改めてお礼を言ってから席に付いた。

 「そうそう、それよりさ。エルサ、マライアと最近連絡取ってるか?」

私が座るとすぐに、アヤがそれまでの話題に話を戻す。マライアちゃんか。

そういえばアヤ、宇宙に出たっきり、ほとんど音信不通のマライアちゃんを心配していたっけ。

あの隊長さんはどういう方法でか、マライアちゃんの無事を確認できているみたいで、アヤはそっちから時折話を聞き出しているけれど、

あんなにアヤにべったりだったマライアちゃんが連絡をよこさないなんて、アヤでなくても何かあったのでは、と心配をしてしまう。

「それが、宇宙に出てからはさっぱり。ミノフスキー粒子の関係で連絡がとりづらいのかな、って思ってたんですけど、

 どうも、連邦の一般回線は普通に使えてるみたいなんで…」

「ふーん、やっぱりそうなのか…あいつ、宇宙で凹んでたりしなきゃいいんだけどな…」

アヤが、腕組みをして表情を歪める。確か、大事な妹分、って言ってたもんね。

「少し心配してるんですよね。内部情報だと、宇宙ではけっこう、旧ジオン軍残党が潜伏していて、抗戦を呼びかけているらしくて、

 実際に、小規模な戦闘があちこちで起こっているみたいです」

エルサは、旧ジオン軍、と言った。私に対して気を使ったのかどうかは分からないけど、そう表現するのはちょっと珍しい。

確かに今はジオンは、ジオン公国からジオン共和国と改編され、連邦政府主導で統治機能を整備している最中だと聞いた。

そして、ジオン共和国に残り、連邦主導の元に再編されたジオン軍部隊を、ジオン共和国国防軍と言う。

それに対して、連邦の統治を嫌い、各地に潜伏してゲリラ活動をしているジオン軍は旧ジオン軍、と呼ばれている、なんて話だ。

実際には、ジオン残党、なんて呼び方が多い。
 

47: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:29:04.46 ID:CqIKSWGFo

「アフリカなんかでも騒いでるって話もありますし、なんというか、連邦の業は深いですよ」

カルロスはそんなことを言ってため息を吐く。

―――業が深いのは、私たちの方だ…

彼の言葉にふと、そんな思いが私の頭に浮かんでくる。次の瞬間、私のスネに何かがコツンと当たった。見ると、そこにはアヤの足があった。

チラッとアヤを見やると、アヤは心配げな表情で私を見つめている。

―――ごめん

胸のうちでそう強くアヤに伝えて、それから笑顔を見せた。大丈夫…今は、テオと二人のことを考えてあげるのが優先だもんね。

「きっと忙しいんでしょ?マライアちゃんはアヤ達の肝いりらしいし、そう簡単にやられたりはしないんじゃないかな」

「まぁ、そうだけどなぁ。また、隊長の知り合いって人に聞いてもらうかな」

「何かわかったら、教えてくださいね!」

私の言葉に呑気に声をあげたアヤに、エルサが期待を込めた視線でそう言った。

 こうしてなんでもない話をしていると、二人からもあのオメガ隊の人達と同じ雰囲気を感じられる。

どこまでもお人好しで芯が強くって、それでいて穏やかで明るい。

オメガ隊って場所がそう言うところだったのか、それとも、そういう人たちがオメガ隊に集まったのか…

もしかしたら、隊長さんやアヤが、みんなをこういう雰囲気にさせたのかもしれない。

優しい太陽の下で寝転んでいるような、そんなぬくもりのある何かを、この二人も持っているように私は感じた。

 「それにしても、さっき食べたスープ、あれ、美味しかったです!」

エルサがそんな話を私に振ってきた。

「ありがとう。あれは、東南アジアの辺りで出たスープを見よう見まねで作ってみただけなんだけどね」

「東南アジア…行ったことないですけど、ここと似た雰囲気ありそうですよね」

「あーそうだなぁ。でも、海はこっちの方がうんと綺麗だと思うぞ!」

アヤが私達の会話に加わる。そういえば、あの船旅のときもアヤは同じことを言ってたっけな。

「同じ香辛料を使った料理でも、私が戦時中に逃げてたときに食べた訓練基地の食事は、

 ただ辛いだけの鶏肉とか、味付けのない野菜炒めとか、そんなのばっかりで…」

「訓練基地はそれぞれだからなぁ。アタシのいたシャイアンの訓練基地はそこそこ旨かったよ。

 ベーコンとスクランブルエッグとか、レパートリーは少なかったけど」

アヤもアヤで、二人と話すのはどこか嬉しそうな表情を見せている。それこそ、オメガ隊の人達と一緒にいるときと全く同じ表情だ。

アヤにとっては、この二人も“家族”なんだろう。私も…いつか、カレンをそれくらいに思える日が来るんだろうか?

この胸の中にある気持ちを打ち明けて…それでもし、カレンがそのことを許してくれるのなら…
 

48: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:29:36.13 ID:CqIKSWGFo

「そうそう、今日のお肉に掛かってたソースも絶品でした!あれは、どこのソースなんですか?」

「ん、あれは、ニホンってところらしいよ」

「ニホン…って、確か、極東でしたっけ?」

「そうそう。東の果て、だ」

テリヤキとそのソースも、アヤと一緒に逃げていたときに食べたものを真似て作って見たものだ。

これは、私のメニューの中でも特に自信のある一品だから、褒めてもらえたのが嬉しい。

「私、ソースにはけっこううるさいんですよね、土地柄、舌が肥えてるんですよ。でも、レナさんのソースは本当に美味しかったです!

 今度作り方教えてもらっていいですか?」

エルサは目を輝かせながらそんなことを言ってくる。そこまで持ち上げられちゃうと、教えずにはいられなくなっちゃう。

「うん、いいよ。企業のバタバタが落ち着いたら、いつでも言ってね」

私がそう言ってあげたら、エルサは両手放しで喜んだ。

 「あはは、エルサがそこまで食い物にうるさいだなんて知らなかったな。生まれはどこなんだ?スペイン行政区か、南米あたりか?」

アヤが、はしゃぐエルサを見て笑いながらそんなことを聞いた。

すると、その隣に座っていたカルロスが微かに悲しげな表情を見せたのを、私は見逃さなかった。

エルサも、つい今しがたの勢いが、しゅんとしぼんでしまう。

「俺たちは、フランス行政区出身なんです」

カルロスが静かな声色で言った。

「フ、フランス…って…まさか…!」

アヤが、急に体をこわばらせ、声を詰まらせた。

私は、背中に忍び寄る悪寒を感じて、知らず知らず、手にしていたグラスを握りしめていた。

そんな中エルサが、乾いた、悲しげな瞳で笑顔を作りながら言った。

「私達は、パリ出身なんです。コロニーの破片で壊滅した…」



 

49: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:30:04.67 ID:CqIKSWGFo




 私は、夜の住宅地を車で走っていた。目指しているのは、テオが入っている病院。

 胸に押し掛かっている重い感情はもう、崩壊寸前のところまで来ていた。エルサ達の家族の話を聞いた私は、一瞬、本当に思考が停止してしまっていた。

そして沸き起こってきたのは、情けないことに、その事実を否定したいと言う気持ちだった。

アヤが止めるのも構わずに二人から家族のことをさらに聞き出した私は、

ついにそれを認めるしかないことを理解して、込上がってきた悪心を堪えつつ、二人になるべく悟られないようにとトイレへ駆け込んだ。

 何度も戻している最中にアヤが来てくれて、優しく背中をさすっては

「ごめん…あいつらの家族のことは知らなかった…」

なんて私に謝った。

謝らなきゃいけないのは私の方だっていうのに、アヤから伝わって来るのは、本当に申し訳ない、って気持ちでいっぱいになっている彼女の優しさだった。

 ひとしきり吐いて落ち着いた私は、ふと、思った。当然のことなのかも知れない、って。

あの戦争で、人類は宇宙と地球合わせてその半数の命を失った。

そのうち、コロニー落下による被害がその何割に当たるかは分からないけど、

その家族や友人、親戚が生き残っているとなれば、とてもじゃないけど少ないなんて考える方がどうかしている。ジオンは、それだけのことをしてきたんだ。

 アヤの夢を一緒に来て叶えたい?カレンと仲良くしたい?オメガ隊のみんなと過ごした楽しい時間が嬉しかった?

そんな事を、私に言う権利があったのだろうか?私がそんな事を思うのを誰が許したのだろうか?

 アヤや他の連邦側の人達には、私を罵倒して殴り倒して良いくらいの権利がある。

そして…私にはそれを受け入れなければならない義務がある。

戦闘員でもない、ただ日常の生活を送っていた家族をあんな非道な方法で殺されたカレンやエルサ達には、特に…だ。

 だから、私はアヤに言った。カレン達に、ちゃんと話をしたい、って。それが終わったら、アヤにもちゃんと話をさせてくれ、て。

 アヤは最初はアタシに対してはそんな必要はない、と言ってくれたけど、私は首を振ってそれを断った。

もしカレンやエルサ達が私を蔑み、蔑ろにするのなら、私はアヤのそばには居られない。

 あのとき…アヤと一緒に逃げている最中に、私は気がついていたはずだ。私は、アヤから大切な“家族”を捨てさせたんだ、って。

それでも、オメガ隊のみんなはアヤを拒んだり見放したりせずに、受け入れてくれた。

でも、もしカレンやエルサが私を拒めば、私のそばに居てくれようとするアヤとは決定的な溝になりかねない。
 

50: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:30:30.89 ID:CqIKSWGFo

 アヤはあんなにカレンを信頼して、カレンとの関係を大切にして、そして一緒に居ることを、言葉を交わすことを楽しんでいる。

 私はアヤから、そんな大切な人達を奪うわけにはいかない。もうこれ以上、アヤや連邦の人達から、家族を…大切な存在を奪いたくないんだ。

 その気持ちを伝えると、アヤは黙った。

でも、彼女からは微かにジリジリとした怒りかイラ立ちの様な感覚と、悲しみとも切なさとも取れない気持ちが伝わってきていた。

 どれくらいの間か黙っていたアヤは、私に言った。

「…それなら、まずはカレンに話して来い」

そう言ったアヤの表情は真剣だった。

 ポンコツのキーをアヤから受け取って、私はペンションを出た。そして、今、だ。

 道路の先に、市街地の明かりが見えてきた。大通りを走り、夜中、煌々と輝いている病院のサインに向けてハンドルを切り、駐車場に車を止めた。

 車から降りて私は病院を見上げていた。

 許してもらおうだなんて思ってない。自分の気持ちだけを伝えて楽になろうとも思ってない。

でも、私に出来ることは、カレン達に謝ることだけだ。それを聞いたカレンが、エルサとカルロスがなんと言うか…

とにかく私は、彼らの言葉を、例えそれがどんな言葉だったとしても受入れて、そして彼らの望むことを甘んじて受け入れるべきだろう。

それが一人のジオン軍人として、私がするべきことだ。

 私は一度だけ大きく深呼吸をして、病院の中へと入った。

警備室で、入院のための荷物を届けに来た旨を伝えて許可をもらい、エルサに教えてもらった病室へと向かう。

どうやらそこは個室のようで、ドアの前には知らない名前のプレートが一枚、掛けてあるだけだった。

 カレンが使った偽名なんだろう。私はスライドドアをノックして、中を覗き込む。

 そこには、手元に小さな明かりを灯してイスに腰掛け、ハードカバーの本に目を落としているメガネを掛けたカレンの姿があった。

 カレンは顔を上げて、私を見るなり驚いたような表情を見せた。

「レナ…ペンションの方は大丈夫なの?」

カレンは開口一番、私のことを心配してくれる。本当に、アヤと同じで優しくて頼りになる人だ。

だからこそ、私は…ただその優しさに甘えているべきじゃないって、そう思いが強くなる。

「うん、仕事は片付けて来たし、残った分はアヤとソフィアにお願いしてきた」

「そう…まぁ、心配だろうからね」

カレンはそんな事を言いながら、自分の隣、テオのベッドの方にパイプイスをひろげてくれた。

「ありがとう」

そう声を掛けて、私はカレンの隣に腰掛けた。それから、カレンの表情を伺う。

彼女は不思議そうに私を見つめていたけど、ややあって気が付いたように

「あぁ、このメガネ?私らパイロットはどいつも視力だけは良くってさ。

 私も本を読んだり読書するときには遠視用のをかけてないと、あとで頭痛くなったりしちゃうんだ」

なんてテオを気づかってか、囁くように静かな声で言っ笑顔を見せてくれる。

 なぜだか、その笑顔のお陰で私は、決心が決まった。何があっても、私は、カレンの気持ちを大切にしよう。

それが例え、私に対しての侮蔑や罵倒であったとしても。
 

51: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:31:00.03 ID:CqIKSWGFo

「お皿洗い手伝ってくれたときに、自家だって思っていいよ、って話したの、覚えてる?」

「え…?あ、あぁ、うん。嬉しかったから覚えてるけど…それがどうかしたの…?」

カレンは、不思議そうな表情で私にそう聞いてきた。私は、カレンの目をジッと見つめて、胸に詰まっていた想いを口にする。

「私…カレンにとんでもないことを言っちゃった…カレンは私がジオン兵だったって知ってるでしょ?

 それなのに私…私…カレンの本当の実家がシドニーにあったなんて知らなくって…それで…だから…

 私が…私達がカレンの家族を殺しちゃったのに、私、カレンにペンションを実家だと思ってくれていいよ、だなんて軽はずみなことを言って…!

 私、カレンを傷付けた…謝っても許してもらえるなんて思わない…怒ってくれていい…!

 私は、それだけのことをしちゃったって思ってる…!」

いつの間にか、顔が涙と鼻水でクシャクシャになっていた。

カレンの家族の話を聞いて以来、ずっとずっと胸に押し込めてきた罪悪感が一気に吹き出して来て、体が震えているような気さえしていた。

 カレンは、ジッと私を見つめている。その表情はまるで…怯えているような、そんな感じだった。

「カレン…ごめん…ごめんなさい…ごめんなさい…!」

私は、堪らなくなって、そう言いながら顔を伏せ、頭を下げた。

どんな事を言われようとも、何をされようとも、私はすべてを受け入れる覚悟を決めたんだ。

アヤを…一緒に過ごしたあのペンションでの生活を捨てる覚悟だって…!

「…レナ……」

カレンの声が聞こえる。ギシっと、カレンがイスから立ち上がる音もした。私は、顔を伏せたまま、ギュッと目を閉じ、歯を食いしばる。

 でも、次の瞬間、カレンから私に放たれたのは、罵声でも侮蔑でも、怒号でも皮肉でもなく、ましてや、平手打ちでも蹴りでもなかった。

「レナ…あ、あんた、急に何言ってんだ…?だ、大丈夫か?」

カレンの戸惑った、それでも優しく私の様子を伺うような声色の言葉とともに、カレンの両手が私の両肩に当てられた。

「だって…だって…私、ジオンなんだよ!?カレンの家族を…私達が殺したんだよ!?」

気がつけば、私は、そう大声をあげていた。カレンの言葉が、態度が、私には理解できなかった。

アヤと逃亡中に、私のために大切な隊や生活を捨てさせてしまったアヤに感じたのと同じ感情が私の中に膨れ上がる。

―――怒鳴ってよ…怒ってよ!

だけどカレンには、私の気持ちはまったくと言って良いほど、届いていなかったようだった。
 

52: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:31:29.80 ID:CqIKSWGFo

「こ、声が大きいって!」

カレンはまず、そんな事を気にしてから静かに、優しく私に言った。

「そんなこと、ずっと気にしてたの?」

私は、コクンと頷いた。

「…アヤから、少しだけあんたの家族の話も聞いてるよ…あんたの家族はあんたを遺して戦争で死んじゃったんだってね…」

私は、ただ声もなく頷く。

「なら、あんたの家族を殺したのは、私達連邦の人間ってことになる。それなのに、どうしてあんたは私達を恨んだりしないんだ?」

「…だって、私の家族は…軍人だった。地球を滅ぼそうとしたわけじゃないけど…

 戦争は交渉手段の一つだって、そう考えて戦ってたから、だから…私の家族は仕方ないんだよ…

 でも、カレンの家族は違うんでしょ?軍人でも、軍の関係者でもなかったのに、それなのに…」

「おんなじことじゃない…?私達アースノイドが、あんた達スペースノイドから搾取しなければ、戦争にはならなかった。

 元はと言えば、地球であぐらをかいていた私達の責任なのかも知れないし」

「でも、アースノイドはスペースノイドの虐殺なんてしなかった。

 生活が苦しいところは無数にあったけど、それでも私達は日々の暮らしをなんとか出来ていた。貧しくても家族がいた、友達がいた…。

 私達ジオンがしたことに比べたら…そんなのは、コロニーを落として良い理由になんてならない…!」

それも、ずっと私が抱えていた想いだった。でも、それを聞いてカレンは、呆れたように大きなため息を付いた。

「レナ、あんたね、考え過ぎなんだよ。

 私は、仮にあんたがコロニーを地球まで運んで来た部隊の人間だったとしても、あんたを恨むつもりもましてや傷つけるつもりもないんだからね」

…どうして…?どうして、そんな…?

 私は、カレンの言葉には思わず顔を上げた。カレンは、私をジッと見つめていた。

「自分のしでかしたことでもないのにそんな顔して謝ってくるあんたを、どうして責られる?

 もし、あんたが罪の意識を感じてるんなら、それは私があんたに何かを言ってどうにかなるもんでもないだろう?」

カレンは、そう言って私の頬の涙を拭って続けた。

「悪いけど、レナ…。あんたがどう思ってようが、私はあんたを責めたいとも、責めようとも思わない。それが私の気持ち」

カレンはそれからクスっと笑って

「ほら、ティッシュ。ひどい顔だよ?」

と、サイドボードからティッシュのボックスを手に取って私に押し付けて来た。私はカレンに促されてティッシュを何枚か引き抜いて鼻をかむ。

 それが済むのを待って

「どう?気分は晴れた?」

と、苦笑いを浮かべてカレンが私にそう言ってきた。その言葉に、私は思わず、自分の気持ちに目を向ける。
 

53: ◆EhtsT9zeko 2015/03/17(火) 02:32:23.38 ID:CqIKSWGFo

 カレンが家族のことで、私を責めたりしないって言うのは分かった。気持ちがちゃんと伝わってくる。

カレンは私に嘘や誤魔化しを言っているわけじゃない。それはまさしく、私にまっすぐに向けられた、カレンの本心だった。

でも、それでも私の胸の内には、何かがあった。それは、モヤモヤしていて掴みどころのない何か。とても不快で、ドロドロとしていて、拭っても拭い切れない、奇妙な感情だ。

私は、カレンに向かって首を振った。するとカレンは、腕組みをするなりうーん、と唸って私に聞いてくる。

「怖いの?」

怖い…?怖い…そう、そうだ…怖いんだ…そう、これは…この感情は、恐怖だ…!

 カレンの質問に、私は胸の内の流動的な感情に突然形が現れたように感じた。

私は、カレンに頷いてさらにその感情を探る。同時にカレンがまた聞いてきた。

「何が怖いの?」

そう、それだ。私は、怖いんだ。でも、何が怖いんだろう…?

 私はカレンを傷付けたと思った。不用意に、ペンションを実家だと思ってくれていい、なんて、元ジオンの私が言ってしまったからだ。

テオをカレンと一緒に病院に運んでくれた、フォシュマン兄妹にもそうだった。謝らなきゃ、ってそう思った。

ごめんなさい、ごめんなさいって、トイレで何度、思ったことか…でも、少なくともカレンは傷付いてなんていなかった。

むしろ私の言葉を嬉しい、と、そう感じてくれているようだった。でも、それじゃぁ私は、この罪悪感は、いったい、何なの?

 そう思ったときだった。私の脳裏に、なんの脈略もなく、ある一つの可能性が降って沸いた。

私は、その可能性を反芻して、そして確信した。きっとそれが、私の心の中にあるものの正体だ…

 私は、カレンの顔を見て言った。

「私は、怖いんだ…戦争が怖い。誰かの体を、心を傷付けてしまうのが怖い。誰かの命を奪うことが、誰かの意志を奪うことが怖いんだ…だって…だって、そんなことをしたら、私はまた…

 また…あのときのシドニーみたいに、あの船のときみたいに、胸に穴を開けられるみたいな痛みと苦しみと恐怖が…私を絡め取るから…」

そう。それは、カレンに対する罪悪感でも、エルサ達に対する罪悪感でもない。いや、罪悪感なんてものじゃない。

それは、二次的に沸いてきてしまったもののことだ。その元となるこの胸にまとわりつくドロっとした感情。

それは、シドニーやアイナさん達と乗っていた船が撃沈されたときに感じたものと同じもの。それは、そこにいた人達の恐怖と絶望と、そして…

 私が見つめていたカレンの表情が、悲しみに歪んだ。

カレンは私の肩を掴むと半ば強引に私を引き寄せて、アヤがしてくれるように、その腕で私を優しく抱きとめてくれた。

「分かったよ…レナ。あんたも…」

そう。私は…

「あんたも、傷付いてたんだね」

カレンの言葉を聞いて、また、目から涙がハラハラとこぼれだした。

 そうなんだ。各サイドへの攻撃と破壊、コロニー落としや地球侵攻、そして家族を失って…

空っぽの私を助けてくれたアヤと一緒に巡って目にしたのは、傷付いた大地、傷付いた人達だった。

いつからかは分からない。分からないけど、どこかで私は壊れていたんだ。

私は、私の参加した戦争という行為そのものに、自分自身が傷付けられていたんだ。

それが、このドロドロの感情の正体…私のまだ癒えていない傷跡とそこに沸いた膿で、罪悪感の根源…。

カレンに対してじゃない。エルサ達に対してでも、ましてやアヤやオメガ隊のみんなに対してでもない。

私は…私自身を傷付けたあの戦争に参加したことそれ自体を、非難して、そして恨んでいるんだ…

 「大丈夫だよ、レナ…。あんたにはアヤがいる。何なら、私もいてやるから…だからそんなもの、一人で抱えるんじゃない…私らにちゃんと預けなよ」

カレンが、そんな優しい口調で私に語りかけてくれる。

私はカレンにしがみつきながら、ただただ、彼女の言葉に頷いて、泣きじゃくっていることしか出来なかった。


 

58: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:39:27.55 ID:D3j8wK7yo
 どれくらいの間泣いていただろうか、気持ちが落ち着いた私は、そっとカレンの体から離れた。

見上げたカレンの表情は、涙こそ流していたけど、穏やかで優しくて、でもどこか力のある確信のようなものを秘めているようにも感じた。

「今度こそ、少し落ち着いた?」

カレンがそう聞いてくるので、私はコクンとうなずいてみせる。するとカレンは、なんだか嬉しそうな、安心したような表情で笑ってくれた。

「なんだか、ごめんね…頼って、甘えちゃった…」

私が言ったら、カレンはクスっと笑って言った。

「なに、構わないよ。私も戦争中には、アヤに世話になってるからね」

「そうだったんだ…その、カレンは、アヤのことが好きだったの?」

私がなんとなくそう聞いたら、カレンは今度は苦笑いを浮かべて

「恋愛って意味なら、答えはノー。でも、単純に好きかって聞かれたら、私はアヤが好きだよ。この世界の誰よりも信頼してる、私の親友。

 この先、私がどこかの男と結婚することになったとしても、私はアヤとの関係を最優先にしていたい…そう思えるくらいにね」

なんて言って、私の頬の涙を拭ったカレンはまた明るくて嬉しそうな表情で笑って言った。

「もちろん、レナ。あんたともそういう関係で居られたらいいなって思ってる。本当に嬉しかったんだ。

 ペンションを実家だと思ってくれていい、って言われてさ。

 私、シドニーにいた家族のことは好きだったし、愛されてなかったとは思ってないけど、

 正直、安心して生活出来ていたのか、って聞かれたらそうでもないんだ」

言い終えたカレンの表情は笑ってはいたけど、どこか寂しそうな感覚が伝わって来る。私はそんなカレンに、なんの抵抗もなく聞いていた。

「家族と、何かあったの?」

するとカレンは

「うん」

と返事をしてみせてから、宙を見据えて話し始めた。

「私はね、あの家じゃ落ちこぼれだった。父親は代々続く資産家の家系で、母親はシドニーで一番の大学の大学院を出たバリバリの経済屋でエリート。

 そんな二人の間に生まれた長女の私は、厳しく育てられてね。褒められたことなんて一度もなくって、ずっとずっと叱られて生きてきた。

 結果を出そうって努力しても、とてもじゃないけどエリート様なんかには及びもつかない有様でね。

 でも、私の弟と妹は違った。誰に何を言われなくても自分で勉強して、私にはとても貰えないような評価を受けられるような、出来の良い子達だった。

 羨ましいって気持ちもあったけど、幸い下の二人は性格も良くてね。両親に叱られる私をそれとなくフォローしてくれるような、良い子達だったんだ。

 でも、そんな二人と比べて落ちこぼれだった私は、大学を中退させられて、軍に追いやられた。根性を鍛えなおせ、ってね。

 家は、そんな家庭だったんだ」

そしてカレンは私を見やってクスっと笑った。

「でもね、そんなだったけど、私は、家族が好きだったの。一生懸命、誉めてもらいたくて、好きでいて欲しいって、そう思っていろいろ頑張ってた。

 それでもうまく行かなくって追い出されるように軍へ入ってたんだけど…

 コロニーが落ちてくるってときに、バイコヌールにいた私へ、母さんから電話があったんだ。母さんは言ってた。

 『戦争なんかに出ることはない、すぐに軍から脱走しなさい』ってね。

 自分は逃げずに…いや、逃げられなかっただけかもしれないけど、とにかくそんな状況で、私にわざわざそんな電話を掛けてきたんだ。

 結局すぐに電波障害で電話は切れちゃって、それっきり。遺体なんて出てきやしないし、形見なんかも残ってない。

 知っての通りの、穴ボコが空いたんだ」

カレンの言葉は生々しくて、あの地で何が起こったのかをありありと私に想像させた。でも、不思議とそれは、恐ろしくも辛くもなかった。
 

59: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:40:00.40 ID:D3j8wK7yo

「私の家族は、最後のときをそうやって生きた。自宅から私に逃げろ、って伝えた。ひどい扱いを受けて来たって思いは消えない。

 でも私は、もっずっとあとになって…

 それこそ、アヤの誕生会で前にこの島に来たあとくらいにね、それが私を思いやってくれた言葉だったのかもしれないって、そう思えたんだ。

 その証拠に、最後の最後、家族は私に、生きて欲しい、ってそう思いを伝えてくれたんだ、ってね」

カレンはそう言いながらまた流れ出していた私の涙を拭って、さらに続ける。

「まぁ、とにかくそんなコロニー落着があってからはもう大混乱。

 バイコヌールにジオンが降下してきて、オデッサ、カイロ、北アフリカを転々と逃げまわった。

 そしてたどり着いた先のカサブランカの空で、私は、もう一つの私の家族と出会ったんだ」

カレンの、もう一つの家族…そう、それはあのオメガ隊のことだ。

「どいつもこいつも、バカばっかりで、真剣に悩んでた自分の方がバカらしいなんて思うこともあった。

 でも、みんな優しくて、頼りになって、私を家族だって思ってくれた。

 私の辛いのも、苦しいのも、嬉しいこと楽しいことも、全部自分の事のように感じて泣いたり笑ったりしてくれる人が居た。

 家を追い出されて軍に入れられた私は、家族に嫌われていたわけじゃなかった。

 軍に入って、戦争が起こったことで、私は私がありのままで居ても良いんだって思わせてくれるもう一つの家族出会えた。

 確かに、シドニーの家族は戦争で死んだし、仲間も大勢、失った。でもね、それでも私は、今まで生きてきた人生の中で、今が一番幸せだって思える。

 これからもっと幸せになって行けると思える。綺麗事かも知れないし、結果論だって言われるかも知れないけどね…私は、戦争を生き残った。

 たくさんの人達が私を守って、支えてくれて、こうして生き残ったんだ。だったら、その命を無駄になんて出来やしないだろう?

 私の命は、私を軍にやって、最後に私の身を案じる電話を掛けてくるような家族に守られて、私を見を挺して庇ってくれた仲間たちに守られて、

 ジャブローで、私のために泣いて怒って喧嘩して…信頼して頼ってくれる親友と“家族”達に支えられて来たんだ。

 そんな人達の思いを、私は引き継いで生きたいって思う。私を想い、守ってきてくれた人達の分まで幸せでいたいと思う…

 それが私の答えで…私なりの、感謝の気持ち」

カレンの手が動いて、また私の涙を拭ってくれる。気がつけば私は、カレンが話し始める前と同じくらいの涙と鼻水を垂れ流していた。

彼女は苦笑いを浮かべながらティッシュを何枚かを引き抜いて私の鼻に押し付けると、小さい子にするように鼻水を拭き取った。

そのティッシュを丸めて捨ててから、カレンは穏やかな表情を浮かべて言った。

「私にとってはコロニー落しのことも、戦争のことも今の私を形作ってくれた要素のひとつで、否定も肯定もする必要のないことなんだよ。

 言ってみればもう過去の出来事なんだ。そういうことだからさ、レナ。私は構わないから、あんたも変に我慢することなんてないんだよ。

 辛いときは、私も力になってやれる。アヤほどうまくやれるかは分からないけど、ね」

カレンの表情が…言葉が…温もりが…気持ちが…私の心を、まるで包み込むようにして伝わってきた。

暖かくて力強くて、それはアヤがしてくれるのと良く似ているけど、どこか違う。

アヤは手を引いてくれるような感じだけど、カレンのはまるで背中を押してくれているような感じがする。

穏やかで、どこまでも優しい感覚…
 

60: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:40:32.04 ID:D3j8wK7yo

「ありがとう…ありがとう、カレン…」

私はそんなカレンの心強さに、いつの間にか謝罪の言葉を忘れてそう口にしていた。するとカレンはあはは、と笑って、なんだか嬉しそうな表情で言った。

「礼なんていいよ。私もアヤに助けられたクチだからね。回り回って、なんだよ、きっと」

「回り回って、か…そうだね…オメガ隊は、そうやって生き残ったんだもんね」

「ふふ、そうだね。あの隊はまさにその通りだったな…まぁ、フレートに関してはなんで生き残ってるか不思議なくらいだけど…

 あいつ、週に一度は撃ち落とされていたんだからね。撃墜スコアが良かったからクビになるようなことはなかったけど、

 毎度始末書を書いてた隊長は災難だったろうね」

 カレンは昔を思い出したのかそう話してプッと吹き出して笑い、それからふと、テオに目を向けてから私に聞いてきた。

「そこの彼とは同じ部隊だ、って言ってたよね。長かったの?」

カレンの問いに、私は首を振った。

「テオとは、キャリフォルニア降下作戦で一緒になったんだ。

 私は当時は、降下作戦を実施する部隊の護衛艦隊にいたんだけど、降下作戦前に上申して配属を変えてもらったの。

 そのときにはもう、父さんが死んじゃってて、兄ちゃんと母さんが地球に居てね…会えるはずないって分かっていたけど、同じ地球で戦いたかったんだ」

私は、当時のことを思い出していた。

あのとき…訓練校時代からの友達だった、まだ幼さの残る年下の同期のイレーナ・バッハ少尉の護衛に見送られて、地球に降下したときのことだ。

「護衛隊からの転属は歓迎で、私は同じように増援で組織された部隊に配属されたんだ。そこにいたのが、テオ。

 まだ18歳で訓練校を出たてだったんだけど、腕が良くって、口が軽くって、心配なところもあったけど、

 私の緊張をほぐしてくれるような、そんな子だった」

私はそう言いながらテオを見やった。彼の小さな呼吸音が、病室に響いている。

「キャリフォルニア制圧に成功して、そこからは北米全土の侵攻に参加してた。

 幸いテオも、隊長も、私も、無事に任務を終えたけど…結局、オデッサが奪回されて、私はそこで兄ちゃんと母さんを死んだって知らせを聞いて…

 自分ではヤケになったわけじゃない、ってそう思いながらだったけど、

 きっと本当はこれ以上ないっていうくらいにヤケになって、そのままジャブロー侵攻に参加したんだ」

「あの日…だね…」

カレンは、辛い表情を見せることもなく、ふっと宙を見据えて記憶の糸を辿っているようなしぐさを見せる。

まだ一年も経っていないのに、この島でアヤと生活をしていたり、こうしてカレンと話をしていると随分遠い昔のようにも感じるようだった。

「ひどい戦闘だったね…私達の隊を積んでいたガウも高射砲の直撃を受けて、隊長が私とテオを押し出すみたいにして機体から放り出して、それっきり。

 私は地面に降り立ったときにはモビルスーツは機能停止で、逃げている最中にアヤに出会った。

 隊長はガウと一緒に墜落しちゃった。テオはそれからどうなったのかは分からなかった…」

「そっか…これまでどうしていたかも、ここへ辿り着いた理由も、本人に聞かなきゃ分からない、ってことね…」

カレンは少し渋い表情を浮かべて言う。そんなカレンから、私は微かに動揺を感じた。本当に微かで、表情や仕草に出ていたわけでもない。

アヤの言っていたニュータイプの感覚が、ほんの僅かなカレンの心の機微を伝えて来たような、そんな感覚だった。

「カレン、何かあったの…?」

私が聞いたら、カレンは少し驚いたような顔を見せた。私がその目をジッと見つめたら、その表情は私が感じていた通りに悲しげにくぐもった。

「うん…私にもいたんだ、後輩っていうか、部下っていうか、そういうのがね。オメガ隊に入る前の、バイコヌールにいた頃にね。

 ベネットっていう、新米の見習いがさ」

ジワリと、カレンから何かが伝わってくる。

白い布にポツンと付いた黒い汚れのような、肌にザラッとする不快感がまとわり付いているような、そんな…罪悪感だ。
 

61: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:41:05.64 ID:D3j8wK7yo

「…その人は…どうしたの?」

私はコクリとツバを飲み込んでからカレンにそう尋ねた。するとカレンは

「ありがとう」

なんて、どうしてかお礼を言ってからため息混じりに教えてくれた。

「カサブランカ付近でね…オメガ隊と合流する直前に、私達はジオンの偵察タイプのヒトツメと、その護衛らしいトゲツキの砂漠タイプを見つけた。

 私の機体は、直前の戦闘で残弾が尽きかけていたから、私はそのベネットに爆撃指示を出したんだよ…

 でもね、ベネットはそのときにはもう、戦闘なんて出来る精神状態じゃなかったんだ。

 元々小心者だったけど、逃げている間に限界まで擦り切れちゃってなんだろうね…

 爆弾を放り投げたあいつは、砂漠タイプのトゲツキのロケット弾が接近してきたことでパニックになって固まっちゃったんだ。

 そしてそのまま直撃を受けて、死んじゃったんだ」

それを聞いて、私は胸が痛んだ。カレンは家族のことや戦争のこと、コロニーのことはもう過去の出来事なんだと、そう言った。

その言葉に嘘はなかった。でも、そのベネット、って人のことは違うんだ。

カレンは、その彼についてだけは、未だに自分を責めつづけている…なぜそんな指示を出したんだ、って。

もっと他に方法はなかったのか、って…。

「カレン…」

私は、カレンに何も言ってあげられなかった。でも、カレンの辛さが伝わってきていた私は、彼女の名を呼び、その手をギュッと握りしめていた。

でも、そうした途端にカレンが見せたのは、嬉しそうな笑顔だった。

「ははは、ほら、回り回って、でしょ?」

カレンの言葉に、私は途端に胸の中がポッと暖かくなるのを感じてカレンに笑みを返していた。

そうか…さっきのありがとう、の意味は、私がカレンの思いを受け取れていたからだったんだ。

カレンはそれを、私がついさっきカレンに頼もしさや優しさを感じて安心できたように、安心させてあげられたからこそ出てきた言葉だったんだろう。

 そんなカレンの感覚が伝わってきて、私は気が付いた。カレンはアヤと良く似ているようだけど、そうじゃない。

ううん、似ていないわけじゃないんだけど、きっと大元は違うんだ。

アヤは…血の繋がった家族はいなかったけれど、それ以上に大切な絆で繋がって来た“家族”がいた。

たくさん辛いことがあったのかも知れないけれど、その絆に支えられて来たんだ。

 でも、カレンは違った。血の繋がった家族がいたのに、支えてもらってるって実感を感じられなかった。

傷付いて、それでもなんとか上手くやろうとして、だけどまた上手く行かなくて傷付いて…

ずっとずっと、そんな想いを抱えて生きてきたんだ。アヤが誰かを眩しいくらいに明るく照らせるのは、

支えや絆が、どれだけ人に力や安心を与えるかを知っているから。

 カレンが…こんな優しくって繊細なのは、傷付いて誰にも助けてもらえない辛さを知っているからなんだ。

その痛みや苦しみを、私も知っていた。父さんが死に、母さんも兄ちゃんも死んだ私が感じた痛み。

コロニー落としの被災地のシドニーを見て、戦争を通して感じた自分の愚かさ、弱さ…そういう物に私も傷付いて、そして苦しんでいた。

 でも、私は幸運だったんだろう。私を照らしてくれるあの明るい笑顔の敵兵と、

その明るい笑顔を受けて、こうして穏やかな笑みを浮かべる、私をそっと支えてくれようとしている優しい元敵兵とに出会うことが出来たのだから…

 そしてきっと、そんな人達のそばにいれば…

甘えて頼って、この胸を蝕むあの戦争で負った傷を、思い出として、過去として、きちんと向き合って胸にしまっておくことが出来るようになる…

そんな確信が私の中に湧いてきた。
 

62: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:41:31.62 ID:D3j8wK7yo

「回り回って、か…」

「そうそう」

私が呟くと、カレンは嬉しそうに笑って頷いた。

「それなら」

ふと、私はあることが思い浮かんで、口を開いていた。

「私も…誰かにそれをあげたいな…。

 傷を癒せなくても、そばに居てあげられなくても、せめて、ひとときでもホッと心に背負った重しを下ろしておけるような、何かを、さ」

「あはは、出来るだろうね。レナとアヤ、それにあのペンションならさ」

私の言葉にカレンがそう言って笑った。

「カレン…?」

私は、カレンが言った意味が分からなくってどうしてかを促してみる。そしたらカレンは、言ってくれた。

「アヤの誕生会で初めてペンションにお邪魔したときに感じたんだよ。あのペンションには、どこか懐かしい感じがあった。

 それこそ、ずっとあそこで暮らしてきたような、そんな感覚なんだ。

 アヤがやってるからそう感じたのかなとも思ったんだけど、ここ二週間世話になってて分かったよ。

 レナ、あんたの気遣いも細やかで優しいんだ。暑い日差しの中で、ここの海に使っているみたいに、心地良いんだよ。

 あんた達二人があのペンションにいれば、きっと誰だって羽を休められる場所になる。私が保証するよ」

私が…そんななの?自分のことって良くわからないし、私はこれまではただ、お客さんに出来るだけのんびりして欲しいって思って接して来ただけど…

でも、もしそうだったとしたら、それは何より嬉しいことだし、それに…私が感じる、戦争への罪の贖罪になっているように思えた。

こんなことを言ったら、アヤもカレンも怒るか、そんな風に思うことはない、って言いそうだけど…でも、それでも、今の私はそう思う。

私のように…ソフィアのように、戦争で心身が傷付いた人達の助けになれたら…もし出来るなら、その傷を癒やすことが出来たなら…

私の胸にあるこの傷も、もしかしたら癒えて行くんじゃないか、って、そう感じる。

「ありがとう、カレン」

私はただカレンの言葉が嬉しくて、そう彼女に礼を言った。するとカレンは不意に私から視線を逸らせて

「ん…その、か、感じたことを言っただけだから…」

なんて照れ隠しをしてみせた。その様子が可笑しくって思わず笑ってしまった私につられてなのか、すぐにカレンもクスクスと笑い出す。

 話せて、良かった。カレンへの罪の意識が消えたからでも、彼女が私の抱えていた想いに気付かせてくれたからでもない。

私はようやく、カレンとちゃんと友達になれたってそう思えたから、ね。
 

63: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:42:00.32 ID:D3j8wK7yo

「そうそう、それならさ、カレン!」

「ん?」

「やっぱりペンションを実家だと思って欲しいな!何なら、住んでくれたって良い!

 カレンが居てくれて、私にしてくれたみたいにアヤと一緒にお客さんを支えてくれたら、きっともっと良いと思うんだ!」

「だーからそれは回転率下がるから止した方が良いって言ったでしょ?

 それに、いつまでもあんたとアヤの愛の巣に入り浸ってるなんて気まずくって仕方ない」

「ちょ…あ、あ、あ、あ、愛の巣って…そ、そんなんじゃないんだってば!」

「えぇ?じゃぁ、なんだって言うのさ?それともなに?私がアヤを取り返しても良いって言うの?」

「えっ…その、いや…アヤが居なくなるのは困るけど…!って、カレンもやっぱり…」

「違うってば!私はそっちに興味はないの!カマ掛けただけでしょ!?」

私は、カレンとそんなことを言い合って笑った。

アヤが、カレンを信頼して、ときには反発したり、言いたいことを言い合ってふざけてケンカをする気持ちが私にも分かった。

あれは、お互いを信頼して、お互いに甘えていたんだね。

照れ屋な二人だからそんなことになっちゃうんだろうけどそれでも、きっと二人にとってはお互いが本当に心許せる親友なんだろうね。

ふふ、こないだは少し羨ましいって思ったけど、今はもうそんなことは感じない。

たぶん、私もその仲間に入れたんだろうって、そう思うから。

「ん…うぅっ…」

不意に、病室にそんな、私のともカレンのとも違ううめき声がした。私が目をやると、ベッドの上のテオがもぞもぞと体を動かしている。

「…テオ…!テオ!」

私はイスから飛び上がってベッドに覆いかぶさり彼の名を呼びながら肩を叩く。

カレンもイスから立ち上がって私の影からテオを見つめてくれているようだった。

「…ん…こ、ここは…?」

私の呼びかけに答えずに、うっすらと目を開けたテオはそう呟き、それからようやく私に目を向けてくれた。

「少尉…へスラー少尉…ですか?」

「うん、そうだよ…テオ!」

「お、俺…死んで…?」

「大丈夫、あなた私もちゃんと生きてるよ!」

私はそう言いながら、テオの手をギュッと握ってあげた。

するとテオはみるみる意識を覚醒させて、そしてようやく状況を理解できたのか、目からハラハラと涙をこぼし始めた。

「少尉…良かった!あれ、夢じゃなかったんですね…良かった…生きててくれて…良かった…!」

テオはそう言いながら私の手を両手で握り、まるで祈るように額に押し当てて嗚咽を漏らし始めた。

 テオったら、泣くことなんてないのに…なんて思っていた私だったけど、妙に視界が滲んで見える。あれ、暗いからかな…?

 ポンっとカレンの手が私の肩に乗った。カレンの方を見やったら、彼女はやっぱり穏やかな笑顔をしていて私に優しく言った。

「まったく…アヤに聞いてた通り、本当に泣き虫だね、あんたさ」

そんなカレンが、もう一方の手で私の頬を濡らす涙を拭ってくれた。



 

64: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:42:27.37 ID:D3j8wK7yo




 それから二週間が経った。

 テオは入院から三日目に退院した。アヤがアルベルトに頼んでおいてくれた医療証を見せて治療費の支払いを終えてからは、

ペンションに滞在することになった。

 テオはペンションに来てから、どうしてこんなところまで辿り着いたのかを話してくれた。

 テオはあの日、ジャブロー降下作戦の直前に、隊長と約束したと言った。

オデッサで母さんと兄ちゃんの戦死報告を聞いてからの私が情緒不安定になっていることを知っていた隊長はテオに、

「自分に何かがあったときはへスラー少尉を頼む」

と伝えていたのだそうだ。

 その約束を守るために、テオは降下後も、戦闘ではなく私との合流を最優先にしてあのジャングルをザクで歩き回っていたらしい。

でも、当然連邦はそんなことお構い無しで攻撃を仕掛け、結局テオは連邦軍の砲撃を受けてその場に擱座。

抵抗出来ずに、連邦に捕虜として捕えられたのだという。

下士官でまだ若く、迷子になっていたような彼は拷問を受けるようなこともなくジャブローの捕虜収容施設に収監されて、そこで終戦を迎えた。

そして、終戦協定通りに行われる捕虜交換の準備のための移送の途中で彼は脱走したと言うのだ。

「よくこんなところまで来れたな…っていうか、なんでここにレナがいるって分かったんだ?」

そう聞いたアヤにテオは神妙な面持ちで答えた。

「助けてくれた連邦兵がいるんです。彼が少尉の情報を仕入れてくれて…

 福祉用員補充のための特別移民制度を利用して、連邦政府の監視の元でここで生活している、って」

そのことは公の事実だ。確かにある程度の階級の軍人なら調べることは簡単だろう。

元軍人の私のことを監視を担当しているのがこの中米移民局のアントニオ・アルベルトであることに疑問を持たれることはないにしても、だ。

「その連邦兵、横柄な東欧系の中年男か、もしくは馬鹿でかいやつじゃなかった?」

そんなことを聞いたカレンにテオは首を横に振った。

「いえ…俺よりも少し年上くらいの、ヨーロッパ系の男でした。

 最初は俺に手錠を掛けたんですが…会わなきゃならない人がいるんだ、と話したら、解放してくれて。

 その連邦兵、『俺も、故郷に恋人を残してきてるんだ』なんて言って少尉の居場所を探ってくれて、

 この島への船便に載せる輸送コンテナに俺を押し込んでくれました」

そう言ったテオは、自分でも戸惑っている様子だった。

私も、テオがジャブローで殺されずに捕虜になったことやそんなことをしてくれる連邦兵がいるだなんて、って驚いたけど、アヤとカレンは訳知り顔で

「どこの隊だろうな?移送任務ってことなら、陸戦隊か?」

「最近だと、移送は本部やつらじゃなくって宇宙軍からそれ専用の人員を降ろさせてたんだ。

 捕虜を宇宙へ返すのに、わざわざ地球から人をあげるのも手間だからってさ。もしかしたら、所属はそっだったかもしれないね」

なんて言っていた。
 

65: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:42:54.15 ID:D3j8wK7yo

 確かにスペースノイドの可能性はあるな、と私は思った。だって、地球に住んでいたらこの島が赤道直下にあって暑いことくらいはわかるはず。

それなのに、よりにもよって船便のコンテナに忍び込ませたってことは、

道中でテオが死ぬように仕向けたかったか、地球の気候を知らなかったスペースノイドか、のどちらかだろう。

前者ならわざわざそんなことをする理由が見当たらないから、たぶん後者だ。テオの熱中症はそのせいだったんだろう。

 テオは退院してペンションで過ごしているうちにみるみる元気になって、

そしてさっき、この島の空港から、ケープカナベラルの打ち上げ基地へと向かう飛行機に乗って行った。

テオはサイド3の26バンチ、アキレスの出身。家族も無事なことが確認出来ていたので、私もテオを喜んで見送った。

「また会いに来ますね」

なんて屈託のない笑顔で笑ったテオは、戦争当時よりも穏やかで少しだけ凛として見えた。

それがテオ自身の成長のおかげなのか、それともカレンが言ってくれたように、私やアヤがして彼を支えられたからなのかは分からないけれど。

 とにかく、私達は今、テオを空港で見送りソフィアとエルサ達が留守番をしてくれているペンションへ戻る途中のオンボロの中にいた。

 晴れ晴れとした青空が広がっていて、いつものように日差しは厳しい。

でも、エアコンなんて付けなくったって、窓を全開にして走ればたとえこの狭い車中に三人乗っていたとしたって心も晴れ渡るように気持ちがいい。

「いやぁ、なんか素直でいいやつだったな。アタシ、デリクを思い出しちゃったよ」

ハンドルを握っていたアヤが、感慨深げにそんなことを言う。

「そう言えば、デリクも除隊した言ってたっけ。ボランティアやりたいいんだってさ。あの子らしいよね」

カレンが後部座席から身を乗り出しながら言う。

「あはは、ホントだな」

カレンの言葉にそう言って笑ったアヤは私にちらりと視線を向けて、その笑みを苦笑いに変えた。

「それにしても、レナの泣き虫は治らないよな」

それもそのはず、テオを見送る前から私は今現在までずっと泣きっぱなしだ。

「仕方ないでしょ!気持ちに関係なく出てくるんだから!」

そう言い返してみても、直後にズルルっと鼻水をすすったのではカッコが付かない。

「まぁいいんじゃないの?私みたいに人前で簡単に泣けないよりよっぽど良いよ」

カレンがそう慰めてくれたけど、どうやらアヤは違うことに注意が向いたらしい。

「何言ってんだ。あんだってメソメソやってただろ、アタシとマライアの前でさ」

でも、そう言われたカレンも負けてない。

「よく言うわね。そう言うあんたは、私の袖掴みながら寄りかかって甘えてたクセに」

「そ、それは言うなよ!ははは、反則だろ!」

「え、何?何なのその話?」

「やめろ、レナ!その話はやめてくれって!」

「んー?いいんじゃないの?アヤ。あんたとレナとの仲じゃない。あのね、レナ。連邦の鬼神伝説って知ってる…?」

「それって…確か、アヤが一個陸戦小隊を壊滅させた、っていう…?」

「そうそう、その後、アヤが私にね…」

「カレン!この…やめろってば!」

私はもう興味津々でカレンの話を聞きたいのに、アヤはハンドルから片手を離して、背後のカレンの口を塞ごうと必死だ。

それも、顔を真っ赤にして。
 

66: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:43:30.94 ID:D3j8wK7yo

「あー、もう!アヤ!運転ちゃんとやってよ!危ない!」

「カレンが変な話しだすからだろ!そういうのはアタシがいないときにこっそりやってくれって!」

「それじゃぁ、アヤが恥ずかしがる顔が見れないじゃない。そんなのあんまり意味ないんだよね」

「カレン、あんたそれアタシをからかいたいだけじゃないか!」

「え、そうだけど、いけないかった?」

「この…なに当然みたいな言い方してんだ!この…!」

なんておふざけがヒートアップしそうになっている時、不意に車内にPDAの着信音が響いた。

これは…私のだ。

 私はポケットからPDAを取り出してみる。ペンションからの電話だ。ソフィア…何かあったのかな…?

そう思って通話ボタンを押してみる。

「もしもーし」

<あ、あ、レナさん?!ちょっと大変なことになってます…!もう空港出ましたか?>

スピーカーの向こうから、いつになく慌てた様子のソフィアの声が聞こえた。

「今帰り道だけど…どうかしたの?大丈夫?」

そんな話しをしている最中、今度は別のPDAの着信音が車内に鳴り響く。

今度はカレンのだ。

「エルサ?なんか今、ソフィアからも連絡来てるんだけど、そっちで何かあったの…?」

<み、皆が急に来て…えっと、それで…!>

「奇襲…?えぇ?!隊の連中が?」

電話の向こうのソフィアの声と、車内のカレンの声が重なった。

 その2つを聞いただけで、私にはペンションで何が起こっているかが概ね把握できていた。

今日は宇宙世紀0080年の12月29日。

もう2日で年越しが始まるってタイミングでペンションに奇襲を掛けてくるような部隊を私はよぉく知っていた。

 PDAを片手にカレンと目を合わせて笑っていると、今度はアヤのPDAが音を立てた。

私にはソフィアから、カレンにはエルサから、となると、アヤにはあの隊長さんから奇襲成功の勝利宣言の電話でも掛かって来ているに違いない。

 そう思っていたら、運転中のアヤが外部スピーカーに音源を切り替えてホルダーに引っ掛けたPDAからどこか懐かしい、凛とした声色が聞こえてきた。

<アヤ!久しぶり!>

こ、この声って…まさか!

「クリスか?久しぶりじゃんか!どうしたんだよ急に!」

アヤが大きな声を張り出してクリスにそう声を掛ける。

<ふふ、ごめんね。地球赴任のあとに退役してアナハイム社に転職したりとかで忙しくって。

 去年の年末ぶりだし、話に聞いてたペンションに来て驚かせちゃおうと思って、今ペンションの前なんだけど…

 なんだか人がいっぱいで…もしかして、今日ってかなり混み合ってた?>

去年の年末、北米のフロリダで船を買ったアヤ私が同じフロリダ半島にある街出会った連邦兵のクリスティーナ・マッケンジー。

彼女、ペンションに来てるの…!?
 

67: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:44:18.23 ID:D3j8wK7yo

 私はそれを聞いて瞬時に頭を回転させた。人数!まずはそれを確認しないと!

「ソフィア!何人来てる?」

<えっと…オメガ隊の皆が6人と…レイピアの皆が7…あ、いや、8人!>

ペンションには全部で7部屋ある。そのうちの一つは一階にある小部屋で義足のソフィア専用部屋だ。

他にダブルの部屋が2つに残りはシングルが2つの部屋だ。でも各部屋にはソファー兼ベッドになるのがあるから、最大で三人眠れる。

だけど、今ペンションには私とアヤにソフィア、カレンとエルサにカルロスもいる。

そこにクリスが…部屋数が足りない…!

いや、ま、待って、もしクリスが一人なら私かアヤがホールのソファーで寝られるから、一緒の部屋で我慢してもらえるなら…

「クリス、一人で来てるの?」

私は自分のPDAのマイクを抑えつつ、アヤのPDAにそう聞いてみる。するとクリスは底抜けに明るく嬉しそうな声色で言った。

<実は、今回は二人で来たの!>

その言葉に、私はアヤと顔を見合わせた。も、もしかして…!

「クリス…もしかしてもう一人って…!」

<…うん、そうなの。奇跡って、あるものなのね!今回はぜひ二人に会ってほしくって連れてきたのよ>

もう一人…それはクリスが去年来た時に言っていたバーニィって人に違いない!

それなら、二人には一部屋用意してゆっくりして欲しいけど、あれ、でもそうすると部屋数が…

あぁ、ダメだ!いや、それ以前に単純に定員オーバーしてる!

「だから回転率、って言ったのに」

状況に気が付いたらしいカレンがそんなこと言って苦笑いを浮かべている。

「レナ、クリス達には二人の部屋を準備してやりたい。隊のやつらは無理やり押し込んじゃっていいからさ!」

クリスについては私も同感だけど、オメガ隊とレイピア隊のみんなをなんとか押し込んだところでベッドが足りない。

さすがに床で寝てもらうわけには行かないし…何かうまい方法は…
 

68: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:44:46.31 ID:D3j8wK7yo

 そう考えた私がふと視線を宙に向けようとしたとき、カレンの苦笑いが私の視界に飛び込んできた。

その瞬間、パッと解決策が私の頭の中に浮かんだ。

 「ね、カレン!レイピアとカルロスって一緒でも平気かな?」

「えぇ?あぁ、たぶんね。カルロスはレイピア付きの整備兵だったし」

「それなら、レイピアとカルロスの9人で3部屋使ってもらおう!

 クリス達にダブルの一部屋、エルサには私とアヤの使ってるダブルの部屋で寝てもらって、オメガ隊の皆には申し訳ないけど、

 残りのツインの部屋にエルサのところとクリスのところからソファーベッドを運び込んで使って貰えばなんとかなる!

 クリス達の部屋には代わりにホールの二人掛けのソファーを移動させれば完璧!」

「おい、待てよレナ。それだと、カレンの寝る場所がないじゃんか。アタシとレナはホールのソファーでもいいけどさ」

私のプランにアヤがそう声をあげる。でも、それも考え済み。だって私達のペンションはね…

「ごめん、カレン!」

きっとカレンなら私の言葉の意味をちゃんと受け取ってくれるはずだ。

私は、カレンに向かって言った。

「私とアヤと一緒に、ホールのソファーで寝てくれない!?」

カレンは私の言葉を聞くなり、苦笑いをみるみるうちに満面の笑みに変えてくれた。

 そう。だって、私達のペンションはね、辛いのも悲しいことも、楽しいことも嬉しいことも、そしてちょっと大変なことも分け合って、

甘えて頼って行ける場所なんだ。私達のペンションはね、きっとそうして家族のように繋がっていける場所なんだ。

そしてもちろん、ペンションを実家だと思って欲しいと伝えて嬉しいと言ってくれたカレンはきっと、

アヤや私と他の人達よりもいっそう、辛いことも悲しいことも、楽しいことも嬉しいことも、ちょっと大変なことだって分け合っていける存在なんだ、

って、私そう思うんだよ!

 そんな私の思いはちゃんとカレンに届いたようだった。カレンは嬉しそうな表情のままに、私とアヤに言ってくれた。

「わかってるよ、レナ。最初から言ってるじゃない!私はペンションのお客じゃないんだからさ!」


 

70: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:55:44.99 ID:D3j8wK7yo

次回エピソード予告



 0080年12月10日

 モニターに映し出されているのは、真っ暗な宇宙。

あたしは、必死になって操縦レバーを握り、小刻みにペダルを踏み込んで機体の位置を調整する。

ピピピと、ヘルメットの中のスピーカーが音を立てた。

―――来る…右から!

 レーダーの反応を見ていたあたしは、咄嗟に機体を翻した。

右のモニターにあたしの機体を追ってくるのが2機。

鋭い機動を描いて迫ってくる。

 キューキューとロックオン用のレーダー波が当てられている信号が響く中、あたしは左右のペダルを交互に小刻みで踏みしめる。

とたんに機体がバランスを失って、左右に大きく揺さぶられた。

でも、でも、まだだ!もっとスラスターを…あぁ、もう!AMBACシステムが邪魔する!そっちに体位変換したいんじゃないんだってば!

<おい!マライア!>

ヘルメットの中に隊長の声が聞こえてくる。

ちょ、ちょっと待って隊長!もう少しで敵を躱せるから…!

そう思った瞬間だった。

<おい、マライア…このバカ!>

キッド少尉の、そんな怒鳴り声が聞こえてあたしはハッとした。

 あたしが追従する敵から逃れようとしていた先には、3機小隊の最後の一機が、デブリに隠れて待ち構えていたのだった。

 そして、ヘルメットの中に、けたたましい警報音が響いた。



71: ◆EhtsT9zeko 2015/03/22(日) 00:58:22.88 ID:D3j8wK7yo

次回のエピソードですが、ちょっとこちらはお休みしてトロールさんの方をブーストしていきたいと思います。

来月の中頃には新米マライアたん宇宙へ!をお送りします。

よろしくお願いします。


あと、全然関係ないけど、いつも挿絵を描いてくれていたキャノピとマンガを作ってニコニコ静画にアップしてみました!

「ロスタルジア」

で検索かけてみてくださいまし!

重ねてよろしく!(ステマ)
 

77: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:19:06.34 ID:8dcBsjPso

 0080年12月10日


 モニターに映し出されているのは、真っ暗な宇宙。あたしは、必死になって操縦レバーを握り、小刻みにペダルを踏み込んで機体の位置を調整する。

ピピピと、ヘルメットの中のスピーカーが音を立てた。

――――来る…右から!

レーダーの反応を見ていたあたしは、咄嗟に機体を翻した。

右のモニターにあたしの機体を追ってくるのが2機。鋭い機動を描いて迫ってくる。

 キューキューとロックオン用のレーダー波が当てられている信号が響く中、あたしは左右のペダルを交互に小刻みで踏みしめる。

とたんに機体がバランスを失って、左右に大きく揺さぶられた。

でも、でも、まだだ!もっとスラスターを…あぁ、もう!AMBACシステムが邪魔する!そっちに体位変換したいんじゃないんだってば!

<おい!マライア!>

ヘルメットの中に隊長の声が聞こえてくる。ちょ、ちょっと待って隊長!もう少しで敵を躱せるから…!

そう思った瞬間だった。

<おい、マライア…このバカ!>

キッド少尉の、そんな怒鳴り声が聞こえてあたしはハッとした。

 あたしが追従する敵から逃れようとしていた先には、3機小隊の最後の一機が、[ピザ]リに隠れて待ち構えていたのだった。

 そして、ヘルメットの中に、けたたましい警報音が響いた。

「Destroied」

そんな文字が、訓練モードになっていたモニターに点滅を始める。

―――あぁ、またやっちゃった…

あたしはそんな思いと共に、ヘルメットのバイザーを開けてため息を付いた。これでもう3回目だ。今度こそうまくいくと思ったんだけどなぁ…

 パネルを操作して撃墜マークの赤いランプを灯し、レバーを動かして機体を訓練宙域から離脱させる。

モニターの中では二対三に持ち込まれながらも、先輩のキッド少尉と隊長のハウス大尉が奮戦していた。

 宇宙へ来て、そろそろ半年。相変わらず、モビルスーツで空戦をやる、というのは慣れない。厳密に言えば空戦じゃなくって無重力下戦闘なんだけど…

とにかく三次元起動なら同じだ、と思っていたのは甘かったのかもしれない。

慣性の利用の仕方も全く違うし、空気抵抗を使った機体ロールも宇宙では使えない。

あたしは、そういうのを必死でスラスターを使って再現しようと試みてはいたけれどそうするとプロペラントを使い切ったり、

想像していたのとは違う回転が始まっちゃったり、さっきみたいにAMBACに邪魔されて勝手にバランスを修正されたり、もうてんでダメだ。
 

78: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:19:45.51 ID:8dcBsjPso

 訓練宙域を抜けて、輸送用のランチへとたどり着いたあたしの機体のモニターに、新たな赤いランプが灯った。

レーダーで確認するとどうやらあれは“仮想敵”側の機体みたいだ。

また、“お揃いで”かな…

 そんなことを思って、ランチのところから発光信号を送ったらガザっと無線が鳴った。

<アトウッド少尉。またですね…>

しょんぼりとした、低めの女性の声。

「うん、残念だけどね…」

あたしも落ち込んだ気持ちのままにそう返事をする。

<教本通りにやってるつもりなんですけどね…>

「教本通りが良いとは限らないけど…足でまといには違いないね」

<そんなにはっきり言わないでくださいよ…>

なんて泣き言を響かせながら、イルマ・フルラネット曹長の操縦するジムC型があたしのいるランチまでたどり着いた。

あたしはレバーを動かして、曹長の機体をランチに引き寄せてあげる。

<もう半年も経つのになぁ…ダメなのかな、私…>

「パイロットの育成には時間がかかるもんだよ。半年なんて、まだまだヒヨッコ」

<そうなんですかね…シミュレーターの感じだと、もう少しうまくやる自信あったんですけど…>

そんな言葉に混じって、グスっと鼻をすする音が聞こえる。あぁ、また泣いちゃったよ…

そりゃぁ、辛いけどさ…泣くのは艦に戻ってからにしないと、また顔が大変なことになっちゃうでしょ…

 あたしは、曹長にそんなことを伝えながら、ふぅ、とため息をついた。

 半年前、あたしはジャブローから隊長達に見送られて打ち上げシャトルに乗り、ルナツーの連邦宇宙軍の基地へと配属された。

そこであたしを待っていたのは、まるで隊長の性格をそのままそっくりコピーしたんじゃないか、っていうくらい、大雑把で胆力のあるミカエル・ハウス大尉だった。

なんでも、隊長が手を回してくれて、昔馴染みだ、っていうハウス大尉のところで引き取ってもらえるようになっていたらしい。

隊長からどんな風に話を聞いていたのか、ハウス大尉はあたしを見るなり、

「なんだ、存外、肝の座った顔してんじゃねえか」

と言って笑った。いや、うん、まぁ、ヘタレだって、そう言われていたんだろうけど…
 

79: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:20:16.01 ID:8dcBsjPso

 それにしても、地上ですらモビルスーツの操縦がおぼつかなかったあたしが、宇宙に出てモビルスーツ小隊に配属されるだなんて思ってもみなかった。

宇宙に出て何をしたいか、なんてことは考えていなかったけど、でも、そこはきっと地球では想像もつかないような過酷なところで、その中に身を置くことで、

あたし自身がもっとちゃんと一人前になれるんじゃないか、って思っていただけだったので、配属先を聞かされたときは、青ざめてしまった。

 そんなあたしと同時に同じ戦闘単位内に含まれる小隊に配属されたのが、イルマ曹長だ。

こんな情けない感じで泣いちゃってるけど、モビルスーツを降りれば身長はあたしなんかよりずっと高いし、

体つきなんかはアヤさんやカレンさんを彷彿とさせるくらいに鍛え抜かれている。

黙っていれば顔立ちも凛々しいし、あたしと並んでいたらどっちの階級が上なのか分かったものじゃない。

さらに曹長はあたしとは反対に、シミュレーターでの適正試験が最高ランクで、鳴り物入りの入隊だったんだけど…

 そんな、モビルスーツの操縦に自信のないヘタレ少尉とモビルスーツには自信のあった泣き虫曹長の新米二人組は、

訓練時はほとんどこうして最初に撃墜をマークされて“お揃いで”退場するのがお約束になってしまっていた。

 ハウス大尉は

「まぁ、慣れるまでは仕方ねえよ」

なんて言ってはくれているけれど、でも、さっきみたいにヘマをすれば怒られるし、先輩で同じ少尉のキッドからも度々ため息を吐かれてしまう。

本当なら、あたしだって泣きたい。

そんな考えが不意に頭をよぎって、あたしは自分の額をピシャリと叩いた。なんの為に宇宙に出たのかを忘れちゃいけない。

あたしは、いつまでも誰かに甘えてちゃダメなんだ。泣きたいだなんて言ってる暇はない。

みんなと、オメガ隊やレイピアのみんなと一緒に、同じ立場で、同じ笑顔で笑いたいから…

助けられるだけじゃなく、助けてあげられるような存在でありたいって、みんなと同じ“一人前”でありたいって、そう思ったから宇宙に出たはずだ。

たかが訓練でうまくいかないくらいで泣きたいだなんて、情けないったらない。

こんなんじゃ、アヤさんやカレンさんに胸を張って会えないし、隊長に鼻で笑われそうだ。



 

80: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:20:51.74 ID:8dcBsjPso




 訓練を終えて所属隊の旗艦であるサラミス級に帰投したあたし達は、そのままルナツー基地に帰港した。

ルナツーの基地に戻ってすぐ、あたしは隊長であるハウス大尉の執務室に呼ばれた。

これはまぁ割といつものことで、叱られるってわけじゃない。今日の機動データを見ながらあれこれと反省会をするのが主な目的だ。

 こういうところは、オメガの隊長とは少し違って几帳面なところなんだ。

 あたしは大尉の部屋の前まで行って、ドアをノックする。

「アトウッド少尉、入ります」

そう声を掛けてから横のパネルに触れると、プシュッとエアーの音とともにドアが開いた。

「おう、もう来たのか。早かったな」

大尉は宇宙用のコーヒーメーカーでコーヒーを作っている最中だった。

「ごめんなさい、出直したほうがいいですか?」

「あぁ、いや、構わん。コーヒー出るまでもう少しかかるから、今日のデータでも見ておけ」

大尉はそう言ってあたしにデータディスクを投げてきた。無重力の慣性のせいでふわりと浮かんだまま飛んでくるディスクを受け取り、

部屋の中に入らせてもらって、デスクの上のコンピュータに差し込んだ。

 中のデータを開いて操作をすると、壁際に掛けられていた透明のパネルに今日の機動データと映像が映し出される。

 あたしは勝手にソファーに座り込んでそれをまじまじと見つめた。

 敵の接近に気付いたあたしは、先ずペダルを踏み込んで加速をした。

相手はその間、ずっと加速を続けていたから、あたしがあとからいくらブースターを吹かしたところで相対速度では逃げ切れない。

でも、それは分かっていた。だからあたしは片方のペダルを離して機体を捩るためにレバーを引いた。

機体が肩のあたりを軸にして回転を始める。

これもあたしの思惑通り。

 問題は、そのあとだ。

AMBACが作動して機体が強制的にバランスを取ろうと回転とは反対方向に手足を振り、ついでに勝手にスラスターを吹いた。

結果、あたしの望んだ機体の動きとAMBACの干渉が慣性を相殺して緩慢な動きになってしまう。

ここであたしは危険を感じてブースターを踏み込んだんだけど…その先は、仮想敵役の第11小隊の隊長が操る機体の目の前。

そこであたしは抵抗するすべもなく撃墜判定、だ。
 

81: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:21:45.41 ID:8dcBsjPso

 「ほらよ」

不意にそう声がしたので振り返ると、大尉が蓋付きのマグを1つあたし差し出してくれていた。それを受取ってデータに視線を戻す。

「お前がやろうとしていることは、まぁ、分からんでもない」

後ろからそう言う隊長の声が聞こえてくる。

「真空の宇宙で、空力を使った機動と同じことがしてえんだろ?」

隊長の言葉にあたしは頷いた。

「モビルスーツの機動は、どうしたって直線的になりがちです。もちろん、攻撃を躱すだけならそれでもいいですし、相手が航宙艦船なら直線機動でも通用します。

 でも、対モビルスーツ戦になったら、それはあんまり良い方法じゃない気がするんです」

「理由は?」

「一つは、攻撃です。直線的に移動しながらの攻撃は、相対速度が出てしまう関係でコンピュータの計算でも読みきれません。

 予測射撃に頼らなきゃいけない部分が多すぎて、無駄弾を撒き散らすことになります。

 もう一つは回避の部分で、もし狙って当てようとするのならこっちが動きを止めなきゃいけないんですけど、

 それをすると今度は相手から狙い撃ちにされる危険が大きくなる」

「そういうやり取りの隙を突くのがモビルスーツ戦術だがな」

「そうなんですけど…なんて言うか、効率的じゃないんですよね。

 戦闘機だったら、もっとこう、自由に敵から逃げつつ攻撃を加えられるんですけど…

 モビルスーツでも、動きながらそれでも照準を維持したままにするにはこの方法が一番だと思うんです」

あたしはそんなことを言いながらコーヒーをすする。

 大尉の淹れてくれるコーヒーは、ジャブローでダリルさんが淹れてくれていたのよりもさらに美味しい。

以前にそのことを言ったら大尉は笑って

「昔、とあるバカ野郎にしこまれたんだよ」

なんて言っていた。

 それはともかく…あたしの機動だ。

旋回の軸と回転の軸のイメージ、そしてそれを可能にするためのスラスターの作動系の制御方法…どれを取っても問題は山積みで、すぐには解決しそうにはない。

「まぁ…そうだな…一つ先輩としてありがたい言葉をやろうか?」

頭を悩ませていたあたしに、隊長がコーヒーのマグにアチチなんて言いながら口をつけつつ言ってきた。

「AMBACってのは、姿勢制御のためだけじゃない。そもそもはスラスターのプロペラントなしに機体の姿勢変更をせるためのシステムだ。

 姿勢制御中の機体がどんな動きをするのか…それを理解しろ。宇宙で空戦やりたけりゃ、そいつを丸々理解するっきゃねえ。

 俺も昔は戦闘機に乗っていたし、お前の機動イメージは理解できる。俺自身も試したことはあるが、結局使えるレベルにまでは辿りつけずじまいだったがな。

 だが、俺ができなかったからと言って、お前に出来ないとは言えねえ。とにかく今は訓練の間にいろいろ試せ」

大尉の言葉には具体的なことなんて何一つなかった。でも、あたしはそう言ってもらえて少し安心した。

言葉にはなかったけど、それは結局、「見ててやるから」って意味だっていうのがちゃんと分かったからだ。
 

82: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:22:27.87 ID:8dcBsjPso

「はい、ありがとうございます」

あたしが礼を言ったら、大尉は満足そうに笑った。それからまたコーヒーすすると思い出したように

「お前、インメルマンターンは分かるな?」

とあたしに聞いてきた。あたしは大尉のそんな質問にただ黙って頷く。すると大尉はまるで何かを懐かしむように宙を見据えて口を開いた。

「モビルスーツでの戦闘が始まって、まだたかだか一年だ。

 インメルマンターンを考案したマックス・インメルマン中尉が戦った戦争は四年続いたって歴史書には書いてあったが…あぁ、五年だったか?

 いや、まぁ、それはいいが…とにかくその戦争で初めて戦闘機なんぞが投入された。

 誰も戦術なんて知りゃしねえ、ましてや戦闘機同士の打ち合いなんて、経験もしたことなかっただろう。そんな中であの機動は産まれた。

 で、こんな宇宙に人間が飛び出す時代でも基本中の基本としてヒヨッコ達がまず身につける戦闘機動になってる。

 そう考えりゃ、モビルスーツ戦が始まったばかりのこの時代の俺達はインメルマン中尉と同じだ。戦術なんて知りゃしねえ、経験もしたことがねえ。

 何が正解で、何が有効かは、一つ一つ確かめて行くっきゃねえんだ。その中で、効果的な動きを体得した連中は生き残れる確率がうんとあがるだろ。

 お前が考えた機動が俺を救うかも知れん。だから、初期訓練で聞かされたマニュアル通りの基本戦術なんて忘れちまって構わねえ。

 代わりに、モビルスーツの動きその物の理解に努めろ。

 たぶん、モビルスーツってのを一番理解したやつが、誰よりも良い機動を考え付くことが出来るはずだからな」

確かにそうかもしれない…あたし達はきっと、まだ本当の意味でモビルスーツって物を理解していないのかもしれない。

戦闘機とも、ましてや戦車なんかとも全く違うあの兵器にはどんな特徴があるのか…モビルスーツでは戦闘機と同じ動きが出来ない。

でも、モビルスーツにしか出来ない機動もある。その特徴をもっとも生かすことが出来た人が、きっとエースって呼ばれた人達なんだろう。

 あたしはそう思って、何か胸に込上がってくるフツフツとした熱感に気付いた。

この気持ち…こんなのは、初めてだ。気が早る。ソワソワする。

 あたし、試してみたい。もっとたくさんのことを。もっと知らなきゃいけない。モビルスーツのことも…

「ははは」

そんなことを思っていたら、大尉がそう笑い声をあげたのであたしは我に返った。見ると大尉はあたしの表情を見てニヤつき

「いい顔してるじゃねえか。さすが、あのバカ副長の肝いりだな」

なんて言ってまた大声で笑った。



 

83: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:23:15.76 ID:8dcBsjPso



 それからまた少し大尉とモビルスーツ戦術の話を繰り広げたあたしは、時間のこともあって大尉の部屋から引き取った。

あんまり長居をして大尉との間に変な噂でも流れたら大変だし、いや、イヤってワケじゃないけど大尉は奥さんいるって言うし、

それに、そう、えっと、うん。あたし、そんな浮ついたことを考えている場合じゃないし、いや、考えているわけじゃないんだけど、

その、あの、えっと…うん、まぁ、なんていうか、憧れみたいな感じ、かな。

 大尉はオメガの隊長によく似ているけど、でも、隊長よりもちょっと若いし、それに隊長よりももっと親身になってあたしを見てくれている。

隊長があたしを雑に扱ってた、って言うんじゃないけど、なんていうか、隊長はもっと大きな懐であたし達を守ってくれていた感じで、

やっぱり、お父さん、って雰囲気だったのに対して、大尉はどっちかっていえばお兄ちゃんに近い。

 ヘタレで泣き虫だったあたしのことを気遣ってくれたあたしの本当のお兄ちゃんともとしが近いし、なんとなく安心できた、って感覚もある。

 だから、あたしは大尉にはどんなに厳しいことを言われてもへっちゃらだった。

 重力のないルナツー基地の廊下を行って、女性用の宿舎へと戻る。宿舎の廊下をさらに飛んで、長い廊下のちょうど中程にある自分の部屋のドアを開けた。

 途端、あたしは、ビクン、と背筋を凍らせてしまった。

 それもそのはず、部屋には照明もついていなくって真っ暗。その中に、いろんな物が浮翌遊していて、中でも一番大きい物体が、膝を抱えている人の姿に見えたからだ。

 でも、あたしはすぐに気を取り直す。一応、階級も上だし、軍歴もあたしの方が長いし、ね。アヤさんがしてくれたようなことができるかは分からないけど…

でも、とにかくそうしてあげようって努力することでも、オメガ隊のみんなに近づくための一歩になるかもしれないんだ。

 あたしはそう思って床を蹴った。部屋の中に入ってすぐに、浮翌遊している日用品が飛び出て行かないようにドアを閉める。

一瞬、本当に真っ暗になった部屋の壁を手で探って照明をともした。

 そこには、宙に浮かんで膝を抱えすすり泣くイルマ曹長の姿がった。

「今日はまた、ずいぶんと派手にやったね…」

あたしは今度は壁を蹴って彼女に飛びつき、そっと体に腕を回してあげる。彼女はそれをすんなりと受け入れて、あたしにしがみつくようにして腕を回してきた。

 慣性でゆっくりと部屋のおくの壁に彼女の背中がぶつかる。負担にならないように、と彼女の体を抱きしめて上げていた腕を伸ばして、そのショックを吸収した。

そんなあたしの胸元に、この立ち姿の凛々しい後輩は、まるでお母さんに甘えるみたいに顔をうずめてすすり泣きを続ける。

 まったく、本当に泣き虫なんだから、なんて、口が裂けても言えやしない。

代わりに、あたしはイルマ曹長の髪をそっと撫でてあげた。
 

84: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:23:49.76 ID:8dcBsjPso

 彼女がこんな風になっちゃう原因はいつもだいたいおんなじ。彼女の所属する小隊長にこっぴどく叱られて来たときだ。

悔しいのと辛いのと、それから自分への苛立ちやなんかで頭がグシャグシャになっちゃうんだろう。

 でも、そんな彼女をあたしは少しだけ尊敬していた。

泣き虫で、操縦はへっぽこなんだけど、それでも彼女は「悔しい」と思える。

ただ泣いて怯えていただけのあたしとは、雲泥の差なんだと思う。

 ただ、だからと言って放っておいていいものでもない。同じ時期に、同じ戦闘単位へ配属になった上に同室だ。

こんな彼女を見ていると、何かしてあげたくなってしまうのは、きっとアヤさんの影響に違いない。

それは、あたしにとってはなんだか嬉しいことのように感じられた。

 そのまましばらく泣き続けた彼女が、どれくらい経ったかようやくスンスン、と鼻を鳴らして顔を上げた。

「ごめんなさい、少尉…」

そう言った彼女の頬を拭ってから

「ううん、平気。こういうときは、持ちつ持たれつ、だよ」

と言ってあげる。

「でも」

とそれに付け加えて

「部屋を散らかすのはなんとかならないかな…また片付けで寝る時間なくなっちゃうよ」

と苦情を出したら、イルマはようやく少しだけ笑顔を見せた。

 片付けなんて、特に大したことでもない。無重力空間では、私物の類は地球と違って棚の上に置いてあるわけじゃない。

ロックの掛かるロッカーに詰め込んでおく必要がある。

そうでないと、例えば書類を留めるクリップのようなものだって、一度無重力空間に放り出されれば凶器になりかねないからだ。

もちろん、そんな危険がないようにと、持ち込める私物にもいろいろと規制がかかっているし、

事実イルマの私物と言っても、金属製のマグやトレーニングウェア、プラスチックをコーティングした手鏡にモビルスーツの教本なんかのごくごく僅かな品だ。

 それをイルマは、きつく叱られる度にぶちまけるものだから、いよいよ本人が諦めたのか、最近では片付けるなんてこともしないでただ押し込むだけになっていた。

「女の子なんだから」

とあたしが言ったら

「女の子だって思われたくないんですよ」

なんて泣きながら強がってみせたイルマが少し可笑しくって笑ってしまったのがきっかけで、片付け、と言う言葉はあたしとイルマとのお決まりのおふざけ言葉になっていた。

 と、不意にコツン、と何かがあたしの頭に当たった。

「あいたっ」

と思わず声を漏らしてしまってから見ると、どうやら漂っていたイルマの金属のマグがぶつかったようだった。

「ごめんなさい、すぐに片します」

イルマは今度は本当に少し申し訳なさそうに言うと、私から体を離して部屋の中に浮き上がり、器用に壁を蹴りつつ、漂っている私物の回収を始めた。
 

85: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:24:17.93 ID:8dcBsjPso

 あたしはそんな様子を横目に、密閉ポットを吸水装置にセットして水を入れ、沸騰ボタンを押す。

こういう時は、暖かいコーヒーと、それから甘い物を食べて気分を変えるのが一番だ。

コーヒーの入れ方は、ダリルさんに習った。甘いものが良い、って言ってたのはアヤさん。あんまり甘いのが好きなようには見えなかったんだけど、

戦闘から帰ってくるとときどき禁断症状でも出たんじゃないか、っていうくらいに食べていたのを思い出す。

 思えば、本当にあたしは皆にずっとずっと守ってもらってきていたんだ。

ふと、そんなことが頭に浮かんだ。

 今にして初めて思うわけじゃない。でも、やっぱりこういうふとしたときには、オメガ隊のことを思い出す。

 隊長のダミ声とか、フレートさんのおふざけとそれに便乗するデリク、ヴァレリオさんの誘い文句やハロルド副隊長の穏やかな励まし方とか、

ダリルさんのコーヒーの味に、システム関係の授業も、カレンさんの優しい笑顔も、アヤさんのぬくもりも…

何かが、引っかかってはいたけど、ふと目頭が熱くなってしまうのをあたしは感じた。

 ダメ、ダメだよ、マライア!

あたしは咄嗟に自分にそう言い聞かせて、グッと奥歯を噛み締めた。気持ちを整えて、そっと深呼吸を繰り返す。泣いたらダメ…泣いたらダメだ。

寂しいとか、辛いとか、そんな泣き言を言ってちゃダメなんだよ、マライア。そんなだから、あなたはずっと甘ったれのヘタレなんじゃない!

もっとしっかりしなさいよ!そんなんじゃ、何のために宇宙に出てきたのかわかんないでしょ!

 いろんな思い出と一緒に湧き上がってきたいろんな思いを、あたしはそう自分を叱りつけ無理矢理に蓋を閉じて封じ込めた。

そう、そう、これでいい…早く一人前になって、胸を張ってみんなのところへ帰る…そのためには、泣き言なんて言っている暇はないんだ。

 しっかりしろよ、アトウッド少尉!いつまでもウジウジしてるんじゃない!

最後に止めの一言を、と思って、やおら自分に言い聞かせたその言葉が、不覚にもあたしの目から一粒の涙を零させた。

あぁ、もう、バカ、あたしのバカ!なんでよりによってその言葉なの!

 そう、それは、あの日アヤさんがあたしにくれた言葉。

あたしを宇宙に送り出す、お姉さんとしてのアヤさんの優しくて力強い、励ましの言葉だった。
 

86: ◆EhtsT9zeko 2015/05/05(火) 04:25:36.02 ID:8dcBsjPso

 ピッ、と不意に音がして、あたしは我に返った。気がつけば、水を入れたポットの加熱完了サインが点っていた。

あたしは気持ちを落ち着けてポットを電源用のソケットから外して側面についているカバーをあけ、

そこにあるポケットにインスタントコーヒーの粉末をセットしてカバーを閉め、持ち手のボタンを押す。

こうすることで、ポケットにお湯が流れてコーヒーが出来る。

 宇宙では、コーヒーを飲むのですら地球とは違う。

そんなことを意識してしまえば、やっぱりどう我慢したって、一抹の寂しさは拭えなかった。

あたしは、溢れ出て浮かび上がった涙を手の平で握って制服で拭き取り、微かに濡れた頬と目を擦ってから、イルマを振り返った。

「ほら、コーヒー。飲むでしょ?」

それから、精一杯にお姉さんを気取ってそう言ってあげたら、イルマはなんだか嬉しそうに懐っこい笑顔を浮かべて

「はい、少尉」

と頷いて見せた。

 あたしも自分の宇宙用のマグを用意して慎重にコーヒーを注ぎ、週に一回の休みに購買エリアの売店で買い込んでくるお菓子の袋を開け、

二人で身を寄せ合い縮こまって味わい、少しだけ平和な時間を過ごす。

 これが、宇宙でのあたしの戦い。あたしの独り立ちへの第一歩の場所だ。ここから先、あたしがどうなって行くのかは分からない。

でも…どうなろうともあたしは負けてられない。死んじゃうわけにもいかない。

なにがあっても、それを笑って乗り越えられるような、困ってる誰かに必ず助けてあげるんだって胸を張って言えて、安心してもらえるような存在になりたいんだ。

 だからあたしは、どんなに苦しくっても辛くても寂しくても、泣かない。泣き言も言わない。

歯を食いしばって頑張らなきゃいけないんだ。

 そんなことを考えているタイミングで、あたしは思わぬことを思い出して思わず声を上げてしまっていた。

 「あっ」

「え!?何、何ですか、少尉!?」

突然だったものだから、イルマが少し慌てた様子で聞いてくる。

なんてことはない、さっきみんなのことを思い出したときに、微かに感じた引っかかりの理由がふっと湧いてきたからだった。

「ごめん、イルマ。何でもないよ、ちょっと…あれ、うっかり忘れてたことを思い出して」

あたしがそう説明をするとイルマは首を傾げたけど、トラブルじゃない、ってことは伝わったみたいですぐに納得してコーヒーとお菓子に戻ってくれた。

 あたしも、アツアツのコーヒーに口を付け、ダリルさんの淹れてくれたコーヒーとの味の違いに辟易しながら、心の中でぼんやりと謝罪をしていた。

 ごめん、ベルントさん。みんなのこと思い出せたのに、ベルントさんだけ忘れてた。

 おかしなことに、そんなことをしていたらまぶたの裏でベルントさんがあのぼーっとした表情で

「あぁ、うん」

なんてどっちつかずのベルントさんらしい返事をする姿が思い出されて、思わずクスっと笑ってしまっていた。

 もちろん、そんな様子を見られたイルマに、また不審がられてしまったのだけれど。



   

92: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 21:54:34.38 ID:9Qvy1ezYo



 翌日も私たちは訓練へ出るために母艦に戻っていた。

ブリーフィングはこれから。母艦のサラミス級“セシール”は準備が整い次第、基地を出発する手はずになっている。

あたしはそんなセシールの格納庫で、ぼんやりと自分のジムを眺めていた。

 昨日、ハウス大尉とした話を思い出す。

投入されて間もないモビルスーツには戦術なんてあってないようなものだ。だからモビルスーツの特性を理解して、あたしなりの操縦を身につける…

言ってしまえばこれほど単純なことはない。もっと平たく言うのなら、習うより慣れろ、ということだ。

 大尉の言うことは一理ある。しかし、ことがそれほど簡単なことではないのは火を見るよりも明らかだ。

あたしはそんなことを考えて、はぁ、とため息を吐いた。

訓練が済んだらこの先あたしだって、宇宙のあちこちで起こっているジオンの残党刈りに駆り出されるだろう。

今では連邦のモビルスーツも性能は格段に上がっているし、数の面でも戦争時より圧倒的だ。

 ジオンにあるのは整備の行き届かない機体と武器だけ。ただ、パイロット達はソロモンやア・バオア・クーでの激戦を生き延びた歴戦に違いない。

機体の性能差なんて、パイロットの腕一つでいくらでもカバーできる。戦闘機でさえそうなんだ。

それこそ、敵のパイロットが“自分なりの操縦”ってやつを身につけてでもいたら、あたしなんてヘッポコに打つ手はないかもしれない。

ジャブローで戦闘は何度となく経験してきたけど、戦場が宇宙で、乗っているのがモビルスーツだと、こうも勝手が違うなんてね…

 そんなことを考えて、あたしはまたピシャリと頬を打った。

弱気になるのは、悪いクセだ。もしものときは、あたしだって集中するし、訓練のとき以上に危険には気を配る。

勝てないと思えば、とにかく逃げ回っているだけでもいい。それだって味方が隙を付くための囮の役割になる。

とにかく、生き残る方法は常に頭において置かないと行けない。
 

93: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 21:55:11.62 ID:9Qvy1ezYo

 「よう、気合入ってるじゃないか」

不意にそう声がかかったので振り返ると、イルマの隊を率いているジャン・ランドルマン少佐がいた。

見る限りではフレートさんと同じくらいの年齢にしか見えないのに少佐に任命されている、ってことは、きっとかなりのエリートなんだろう。

そのくせ、ダリルさんを見まごうばかりの巨躯に、着ているシャツがはちきれそうなくらいに隆起した筋肉を身にまとっていたりする。

そんな少佐は、あたしの顔色を伺うように覗き込んできている。

「昨日もうちのヒヨッコの面倒を見てくれたらしいね」

体の作りに似合わずに、なんて言ったら怒られてしまいそうだけど、少佐はいつもの通り、そんな柔らかな口調であたしに聞いてきた。

「面倒なんて、全然。ダメ新人同士の、慰め合いみたいなものです」

あたしがそう言ったら、少佐はあはは、と声をあげて笑った。でもそれからあたしの隣に立って、あたしと同じようにモビルスーツを見上げながら

「女の部下、ってのは初めてでね。扱いに頭を悩ませてるんだ。少尉のようなのと同じ部屋で、助かってるよ」

と言ってくれた。

 そう言ってもらえて嬉しさもあったけど、反面複雑でもあった。

 あたしがしているのは、アヤさんの真似事でしかない。

ソフィアがキャンプから出ていくのを止められなかったあたしにダリルさんが言ってくれた“あたしにしかできないこと”なんかではなかったからだ。

 だけど、感謝をされたのだから、お礼は言わなきゃ…

「ありがとうございます。あたしも、辛い時はイルマに助けてもらってるから、お互い様さんですけどね」

すると少佐はまた声を上げて笑い。

「まぁ、戦いなんてのは一人でするものじゃないからね。自分が危険なときや、どうしようもないときは仲間を頼る…それが基本だ。

 あいつも一人で放って置かれない分、まだここでの訓練でも保ってるんだろう。少尉のおかげだ」

改めてそんなお礼を言われたものだから、あたしはさすがに照れてしまって、愛想笑いを返すことしができなかった。

 普段はこんなに優しい口調の少佐なんだけど、それでも、イルマがヘマをすれば烈火のごとく叱りつけるのだから少し想像がつかない。

だけど、イルマの荒れ様を見れば、この少佐がどれだけ様変わりして怒るのか、ってのは理解できる。

そう思うと、こんな会話でも下手なこと言えないな、なんて緊張してしまったりするんだけど…

 「あぁ、隊長!こんなところに!」

ふと、今度は頭上からそんな声が聞こえたので、あたしは少佐と一緒になって格納庫の天井の方に目を見上げた。

 そこには、ノーマルスーツに身を包んだパイロットらしい男の人が漂っていた。短く切り揃えられた黒髪に、ソフトなトーンの肌色。

少し小柄な体型の、アヤさんと同じアジア系のパイロットでイルマの隊の二番機、デイビッド・ヒシキ中尉だ。

「あぁ、すまない。どうした?」

「今日の訓練ですけど、メニューの変更が」

ヒシキ中尉はそう言いながらランドムーバーもなしに空中で腕を振り足を蹴り上げるて慣性を付け、くるりと体勢を整えた中尉があたし達のいた格納庫の足場まで飛んできた。

「訓練の変更?」

「はい。何でも司令部からで、第三中隊の第一、第二小隊と合同の戦隊戦闘訓練に変更しろ、って」

ヒシキ中尉はそう言って、少佐に手に持っていた薄型のディスプレイを見せる。

それに目を落とした少佐を確認すると、中尉はあたしを見やって、ニコっと笑顔を見せてくれた。

 正直に言って、とてつもない甘い笑顔だ。こんなハンサムな兵士は、これまで見たことがないと思うくらい。

ヴァレリオさんもけっこう良い顔していたけど、性格があれだったから眼中にはなかったにしても、

中尉は性格もいいし、かっこいいし、基地の中でもけっこうなファンがいる、と聞いたことがある。

 そんな中尉にどっぷり恋をしてしまっているのが、イルマだ。いいところを見せようとして空回ってしまったりして、余計に凹んでしまうけど、

それでも辞めずにここで訓練をしているのは、あたしのおかげなんかじゃなく、中尉への気持ちがそうさせているんじゃないか、ってあたしは睨んでいる。
  

94: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 21:55:51.01 ID:9Qvy1ezYo

 「なんだよ、ったく…こりゃぁ、いじめだな」

不意に、少佐がそんなことを言いながら頭をかいた。

「アトウッド少尉。ハウスのやつにも、これ知らせてやってくれ」

あたしが首を傾げていたら、少佐はそう言って、ディスプレイから小さなメモリースティックを抜き取るとあたしに投げて寄越した。

でも、その前の、そのいじめ、っていうのが気になったので、

「少佐。いじめ、ってなんのことです?」

と聞いてみた。すると少佐は渋い顔をして

「第三中隊と言ったら、この基地じゃソロモンやア・バオア・クーでも生き残った歴戦部隊の一つだ。こりゃぁ、的になれってお達しだね」

と言ってから苦笑いを浮かべた。

 歴戦部隊、か…正直、これっぽっちも勝てる気がしないけど…まぁ、それでも訓練だし、すごいパイロットの機動を見ることができる、っていうのは嬉しいかな。

機動を見られれば、もしかしたら宇宙でもそれを真似出来るかもしれないし…

 あたしはそんなことを思いながら、それでも少佐に頼まれたメモリースティックをハウス大尉に渡さなきゃ、と思い直して少佐と中尉に敬礼をして、格納庫の足場を蹴った。

目指す先は、自分の機体のコクピットで整備班とシステム関係のチェックをしている大尉のところだ。

 格納庫をふわりと漂いながら、あたしはふと、さっきヒシキ中尉がやっていた、生身での慣性制御の動作を思い出した。

そういえば、あれってモビルスーツのAMBACと同じ理屈だよね。エアーがあるから必ずしも宇宙空間と同等ってわけじゃないけど、

中尉はスラスターもランドムーバーもなしに自分の体だけで無重力のこの空間で体制を入れ替えていた。

さっき中尉がやっていたように体がグルグルと回転しないようにしながらクルッと体の向きを変えるには、反作用を使って止めなきゃいけないから、

えと、大尉の機体に足から着地がしたければ、足を振って体を回転させてから、いい頃合を見計らって腕を振り上げれば反作用で…

 そんなことを考えていたら突然ガツン、と頭に強烈な衝撃が走った。

「あっ、いったぁぁぁぁ!!!!」

気がつけばあたしは大尉のモビルスーツまで到達していて、手を付くこともなくその装甲に頭から突っ込んでいたのだった。

「お、おう、マライア。なんだ、お前、ついにおかしくなったか?」

そんなあたしの衝突音を聞きつけたのか、コクピットの中から大尉と中年の整備兵が顔を出した。

「いたたた…」

あたしはそんな大尉の憎まれ口に答えられずに頭を撫でて、それから

「少佐が、訓練プランの変更があったからって、これを」

と伝えて、渡されたメモリースティックを大尉の方へと押し出す。大尉はそれを受け取るなり怪訝な顔をしながらも、コクピットの中に戻って行った。

きっと、中のメインコンピュータで確認するつもりなんだろう。

 あたしもハッチの装甲をよじ登ってコクピットの中を覗いた。すると大尉は、さっきの少佐と同じようにモニターを見ながら渋い表情で口元を撫で回している。

「少佐が、いじめみたいなもんだ、って言ってましたよ」

あたしが言うと、大尉は珍しく茶化さずに

「そうだな。そんなようなもんだ」

と真剣な口調で言った。
 

95: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 21:57:00.48 ID:9Qvy1ezYo

 あたしから見て、大尉の操縦は相当なものだって感じられるけど、そんな大尉がこの表情、ってことは、

そのパイロット達はそれ以上の動きをするんだ、っていうのが感じられて、やっぱり少しだけ不安になってきた。

良い動きを見られるのは助かるんだけど、開始早々に撃墜で脱落して、外から長い時間ただ眺めているだけというのは精神的に辛い。

イルマと一緒に、あたしも泣いてしまいそうな気持ちになるだろう…あぁ、ううん、いや、訂正。泣かないけどね、あたしは。

 そんなあたしに、大尉はため息まじりに

「お前もそろそろ準備しろ。こりゃぁ、相当くたびれる訓練になるぞ」

と言ってきた。

あたしも、生き残ろうと思えばそうなるだろうって覚悟を決めて頷き、大尉に挨拶をしてコクピットを離れた。

 自分の機体に取り付いて、コクピットの中に身を投げた。

シートに着き、ノーマルスーツのヘルメットをかぶって、スタンバイボタンを押してメインコンピュータを起動させ、

ニュートラルに設定したままのレバーを握って集中力を高める。今日の目標は、“とにかく回避すること”を心がけよう。

きっと今のあたしでは撃墜なんて無理。それなら、やっぱり逃げ回って大尉達が相手の隙を突きやすくするように動くべきだろう。

そんな芸当がどこまで通じるのかは分からないけど…ね。

「少尉ー!少尉、居ますかぁー?」

不意にそんな声が聞こえてきたのであたしははたと、開きっぱなしになっていたコクピットの外を見やった。

するとそこに、ヒョイっとイルマが顔を出した。

「あぁ、良かった。今うちの隊長に聞いたんですけど、何でも相手が変わるって話らしいですよ」

「あぁ、うん。聞いてる。第三中隊の第一と第二小隊だってね」

あたしが答えたら、イルマはホッと安心したような表情を見せた。

「うちの隊長が、相手もうちと同じようなもんだから、気楽にやれって言ってくれたんですよ。もしかしたら、今日こそ撃墜1、取れちゃうかもしれないですね!」

そう言ったイルマは屈託なく笑う。

 さっきの少佐の話ともうちの大尉の話とも違う。相手は歴戦のエース部隊で、あたし達はたぶんリハビリ相手か何かの当て馬なんだろうけど…

まぁ、でもイルマにはそう伝えたんだな少佐。きっと、肩の力を拔かせようとしたんだろう。

それなら、あたしが本当のことを言ってそれをダメにしちゃうのは、少佐のプランを壊してしまうことになる。

 ここは、話を合わせておいた方がいい、か。

「そうらしいね。無理をしないで、お互いに撃墜マーク出来たら今夜はパーッとやろうよ」

そう言ってあげたら、イルマは嬉しそうな笑顔を見せて

「はい、頑張りましょう!」

なんて言ってからまたヒョイっと顔を引っ込めた。
 

96: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 21:57:39.13 ID:9Qvy1ezYo

 二部隊合同、か。大尉、編隊をどうするつもりなんだろう?

あたしに大尉がついて、イルマには少佐で、キッド少尉とヒシキ中尉が組めば、戦力はとりあえずは平均にはなるだろうけど、あたしやイルマは足枷になる可能性が高い。

大尉も少佐も、あたしやイルマを庇って戦闘どころじゃなくなれば、まともに戦えるのはキッド少尉とヒシキ中尉の班だけになる。

二人共機動は上手いんだけど、でも、歴戦のパイロットに通じるかは未知数だよね…

 そんな事を考えていたら、さらに気が重くなってきてしまった。

あたしは周囲の安全を確かめてからコクピットのシールドを閉鎖して、操作パネルのみの明かりの中で、また両頬を張った。

しっかり、マライア。

とにかく…さっき考えたとおり、逃げて避けて、囮になって隊長を援護するしかないんだ。

それを忘れちゃダメだよ…

 そう自分に言い聞かせていたら、コクピットの中に無線が響いた。セシールの出港準備が整った知らせだ。

 それに混じって大尉の声が聞こえる。

<第二小隊各機へ。ノーマルスーツを着用、機密を確認せよ>

あたしはそれを聞いてノーマルスーツのヘルメットを被り首元の圧着装置のスイッチを入れた。

きゅっと首元がしまって、気密が完了したことを知らせる緑のランプが左腕の制御装置に灯る。酸素供給装置も問題なし。

ノーマルスーツは大丈夫だ。

<ノーマルスーツに異状なければ、そのままモビルスーツの各システムをチェックしておけ>

あたしがノーマルスーツの報告をしようとする前に、大尉がまたそう無線をいれて来た。

 今日もいつも通りキビキビしている。頼るまい、とは思うんだけど、やっぱりどうしてか、大尉には甘えてしまうところがあった。

訓練中や戦闘ではない場所で、ではあったけど。

 あたしはそのままモビルスーツの計器を確認していく。各センサー異状なし。訓練システム機動も…問題、なし。緊急時火器管制システムも正常。

機体システムは万全、整備兵に感謝、だ。

「こちらマライア機。異状なしです」

<こちらキッド。こちらも問題ありません>

あたし達の報告を聞いた大尉は満足そうな声で

<よぉし、ならそのまま待機だ。これから少佐と戦術の打ち合わせに入る。具体的に決定したら、いつもの通りブリーフィングで説明する>

と聞こえて、ぶつり、と無線が切れた。
 

97: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 21:59:05.47 ID:9Qvy1ezYo

 あとは出港が済んでしばらくするまではこの狭いコクピットで待機するのみ。

訓練宙域に出たら、艦から距離を置いた安全圏まで移送用のシャトルにぶら下がって移動するから、動かすとなれば、そこから、だ。

 そういえば、さっき頭をぶつけて考えるのを途中でやめちゃったけど…中尉がやっていたあの動き、昨日の大尉との話のヒントになりそうだった。

中尉は確かにあの時足を蹴り上げて体の向きを変えた。

そして頃良い位置に向いたとき、今度は方腕を振り上げてその回転を止めた。

ほんの僅かな時間差での出来事だったけど、あれが生身でやるAMBACなんだ。

 もしあの動きをモビルスーツに組み込むとすれば…いや、システム的には入っているんだけど、それをもっと効率的に、うまく使うようなイメージが必要だ。

 今まではスラスター頼みで体位変換や軌道変更をしていて、AMBACはほとんど使っていないか返って動きの妨げになることもあった。

きっとその瞬間は無防備だったに違いない。

AMBACのシステム的な特徴をつかむことができたら、もう少しスムーズに機動出来るようにも思える。

宇宙空間という中で飛び回っている敵機から浴びせられるのはいつだって予測射撃かこっちが静止した瞬間だ。

敵の照準に捕まらないためには、予測出来ない機動をする必要があるし、静止するような隙を作ってはいけない。

そして、それを可能にするために今までの機動では邪魔になっていたAMBACシステムを有効に使う…

 だから、さっきのあの中尉の動きのイメージだ。

真っ直ぐに飛んでいて、相手から予測射撃を受けた時に、止まらずに回避してすかさず反撃に出る…

そためには足を振り上げ回転を起こして機体の向きを変え、ブースターを吹かせばいい。

ただし足を振り上げた瞬間の反作用を打ち消そうとするのがAMBACの特徴だ。

反作用を打ち消されてしまえば、たた足を蹴り上げるだけになってしまう。

すると、限定的にABMACのシステムをオフに出来るシステムあればなんとなるかな…?

でもそれは今は出来ないな…それなら、AMBACに影響されない体位変換を考えないといけない、か…

 あれ…?でも、待って…思考を回転させている中で、あたしははたと気づいた。

AMBACっていうの、体位変換をするにあたって不随意な回転運動を防ぐためのシステム。

後方に回転したくって足を振り上げれば、その分体の何処かがそれを静止させるための運動を命令として行い、

自動的に機体の何処かを動かして反作用を発生させて回転を止めるシステムだ。
 
 今まだあたしはずっと、“最初の行動”をどうするかを考えて姿勢を制御しようとしていたけど…

もしかして、反作用を起こす側の動きを制御してやればいいんじゃないの…?

た、例えばもし頭から真っ直ぐに飛んでいる最中に足を蹴り上げて機体を後方に回転運動させるイメージだった。

でもそれだと恐らくしてAMBACが反応して腕を振り下げるかもう片一方の足を後ろに引くことで姿勢が制御されてしまう。

 でも…もし、反作用を起こして“回転を防ぐ側の挙動”を逆算して、そっちの動きをコントロールするための動きをあたしがしたとすれば…

そう、だから、例えば、頭から真っ直ぐに飛んでいて、急にそれを真上に曲がるような機動にしたいとしたら、両足を前に振り切る。

そうすれば、上半身がそれを相殺する反作用を作り出すために機体の上半身は立ち上がるんじゃないのかな…?

そうなれば、その状態でブースターを吹かせば一気にそこから離脱出来る…

そうか、AMBACのシステムを利用するって言うのは、機体を安定させるためだけじゃなく、どう動かしたら結果的に取りたい姿勢に移行することが出来るか、なのかもしれない。
 

98: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 21:59:36.06 ID:9Qvy1ezYo

 AMBACで姿勢を変えて、スラスターで機動の調整して、慣性力とのバランスを考えながら機動させる。

戦闘機に例えるなら、慣性が空力と重力、スラスターは制動板、AMBACはラダーに置き換えればいい、のかな?

あれ…そうイメージすると、今まであたしがやってきたのは、ラダーなしで機体を滑らせようとしてただけなんじゃ…

そんなの、無謀も無謀だ。制動板を使えば機体がひっくり返るか旋回はじめちゃうかのどっちかしかない。

宇宙空間でそれをやろうと思ったら、それこそ無駄な回転を始めてしまうし、それを打ち消すためにAMBACが作動してしまう。

結果的に、機動が緩慢になって、狙われやすくなる…

…もし、もし今の考えがあっているならあたし、もうちょっとまともに飛べるかも…?

本当にその歴戦の部隊からげ、げ、撃墜マークを取れちゃったりする…かも…?

あたしは、気分の行き着いた思考にただならない興奮を覚えて操縦桿を握る手に力を込めた。

 地球でそうだったように、この広い宇宙を機械のシステムなんかに翻弄もされずに、自由に飛び回れることが出来るのかもしれない、という想いに胸が高まるのが感じられる。

 不意に無せんが鳴った。

<こちら、サラミス級セシール艦橋のワシントンだ>

艦長の声だ。

<各部署からの最終チェックが届いた。出港に問題なし。当艦は定刻通り、0900時に出港する。各員、連携を怠るなよ>

それを聞いたあたしはノーマルスーツの制御装置に付いている小さなパネルを見た。そこにはさらに小さな文字で時間が表示されている。

 0853時。あと十分もしないうちに、艦はいつもの訓練宙域へと出港する。

 そう思って、あたしはさっきのAMBAC機動のイメージを頭に思い浮かべた。

ラダーはレバーの前後、スラスターはレバーを左右に、ブースターはフットペダル、だ。

戦闘機とは勝手が違う。それを間違えないようにしないと…

レバーを握り、フットペダルに足を軽く添えながら、胸の中でぎゅっと覚悟を固める。

「今日こそは、やってやるんだ…!」


 

99: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 22:00:12.74 ID:9Qvy1ezYo



 艦が基地から出港して30分。あたし達はモビルスーツを降り、ドックの中にあるこぢんまりとしたブリーフィングルームにいた。

 大尉がコーヒーを淹れてくれたので、ありがたくそれを啜りつつ、まだ来ない少佐達を待っている。

 出港の際はパイロットは万が一に備えてモビルスーツの中にいるのがうちの艦の決まりだ。

宇宙を航行しているとき以上に入港、出港は操舵が難しいらしい。

当然、事故も起きやすいから、そうなったときすぐに対応に行けるようにしておく備えだ。

 逆に、出港が完了してしまえば、あとはスクランブル待機を二交代制で続けていればいい。

訓練航行で宇宙にいる時間は短いし、こんな連邦軍の奥深くに入り込んで来て反連邦政府活動をするようなジオン残党はいない。

最近はもっぱら、月の辺りでの交戦情報が多い、って話だ。

 「あぁ、大尉。遅れてすまない」

そんなことを言って少佐がブリーフィングルームに入って来た。

「あぁ、いえ。なんかあったんです?」

「なに、ちょっとヒシキの機体のシステムにバグが出てね。そいつをチェックしてたんだ」

少佐の言葉に、大尉はあぁ、と声を漏らして

「ま、何事もなきゃぁ、御の字でしょう」

と呟きながら、少佐の分のコーヒーも淹れ始めた。

 「少尉ー!」

少佐に続いて、そんな声をあげるイルマとヒシキ中尉がブリーフィングルームに入って来た。イルマは床を蹴ってあたしに突進するような勢いで飛び付いてくる。

いや、イルマ…!あなたの方が質量大きいんだからそんなことされたら…

なんて思っているうちに、あたしはイルマのタックルを浴びて、一緒になって部屋の壁にドスン、と衝突してしまった。

イルマが手を付いて庇ってくれたから痛みも衝撃もなかったけど…

「もう、やめてよ」

なんて文句を言ってやったら、イルマは少しだけ恥ずかしそうに笑った。

 まったく、中尉の前だとどうしたってテンションがあがっちゃうらしいね。昨日のあなたが部屋でどんなだったかって思い出してよ。

いや、思い出さなくってもいいか、な?むしろ今のままでいてもらった方があたしとしては楽なような気がしないでもない。

訓練が終わるたびに、夜な夜なイルマを慰めているんじゃ大変だ。
 

100: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 22:00:51.04 ID:9Qvy1ezYo

 「よし、じゃぁ、編成を発表しよう」

少佐がブリーフィングルームの前に立って、あたし達を見渡して口を開いた。

「ハウス大尉の僚機はアトウッド少尉、ヒシキ中尉にはキッド少尉が着いてもらう。イルマ、お前の面倒は俺が見る」

まぁ、当然の編成だろう。あたしかイルマのどちらかだけなら、攻撃か防御か、どっちかに偏った編成も出来るんだろうけど、

足手まといが二人もいたんじゃ、戦力を均等分けにしておくより他に手立てはないもんね。

モビルスーツの中でふと考えた編成と同じで、あたしは内心そんなことを思っていた。

 少佐と一緒だというイルマをあたしはチラッと見やった。

イルマはあからさまに気落ちした表情で少佐を見つめている。

中尉と離れなきゃいけないのが残念なのか、それともしょっちゅう叱られている少佐と一緒なのがイヤなのか…いや、その両方、かな。

「相手となる第三中隊の編成だが、これまでの情報通りなら中隊長機を中心とした4機分隊と残る2機が単独機動で対応する変則型だ。

 4機の分隊で突撃もしくは集中射撃を行い敵を散開させ、孤立した一機を単独機動の二機が狙うかあるいは挟撃にかかってくる戦法をとってくるだろう。

 4機分隊のジム改良型に注意するのはもちろんだが、単独の2機はスナイパーカスタム2型だ。

 機体性能もロングレンジライフルもこっちのジム改とは別物だから、警戒を怠るな」

そんなイルマをよそに、少佐はそう説明を続ける。

 実際聞けば、第三中隊のその戦法は悪くない。実力の安定したパイロットで四機編成にすれば、万が一にも臨機応変に対応が出来る。

そこに指揮官が入っているのならなおさらで、上手くやれば、あたしみたいな足手まといがいたって楽にカバー出来ちゃうだろう。

そして、単独機動を行う二機がエース級の腕前なら完璧だ。ジムスナイパーカスタムⅡのロングレンジライフルなら精度も抜群だし反撃を食う前に発射出来るから、

相手を型に嵌めてしまえば撃ち漏らしも少ないと思う。

 足手まとい二人に、揃って廉価機のジム改良型なんかに乗っているあたし達にはとてもじゃないけど出来ない戦法だ。

 もしこの戦法を崩すとなれば、単独機動の二機を数で押すのが一番だろうけど、果たして4機分隊の方が黙ってそれをやらせるとも思えない。

そっちばかりに集中していたら、たちまち後ろから撃たれる可能性の方が高そうだ。

「うーん、なんだか戦い慣れてる部隊なんですかね?」

イルマが怪訝な声色でそんなことを呟く。あたしは、さっきのイルマとの話を思い出した。

あんまりプレッシャーを掛けて固くさせてしまうのは、やはり得策ではないだろう。

「どうだろうね?まぁ、戦術なんてのをいくら練っても練度がなければバラバラになるだけだからね。

 うちの隊みたいに普通の編成が一番簡単で一番デメリットが小さいんじゃないかな」

そうイルマに言ってあげてからチラッと少佐を見やると、彼もあたしを見て苦笑いを浮かべていた。
 

101: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 22:01:37.54 ID:9Qvy1ezYo

 そこから改めてケースバイケースの対応方法について説明があり、互いにそれを確認し終えた頃、艦内に放送が流れた。

<まもなく、訓練用ランチ発射ポイントです。モビルスーツ隊、準備願います>

 それを聞いた大尉がふぅ、と大きくため息を吐いた。

「さて、それじゃぁ行くとしよう。訓練だからって抜かるなよ」

大尉の言葉を聞くまでもない。訓練だから、なんて意気込みで訓練をやってたっていつまで経ってもヘタレの半人前だ。

自分がやられないようにしながら、味方を守って、出来れば敵を撃退する。常に目標はそこに置いておかなきゃいけない。

「はい」

あたしはそう大尉に返事をした。すると大尉はにやにやと口元を歪めて、いつもと同じようにあたしに言った。

「いい顔してるじゃねえかよ、お譲ちゃん」

 いい顔してる、はいつも通りだけど…そう言えば、お譲ちゃん、なんてこれまで呼ばれたことあったっけ?

 あたしがそんなことを思っているあいだに、他のみんながいそいそとブリーフィングルームを出ていくのであたしも我に返って慌ただしくドックへと戻った。

 モビルスーツに乗り込んでノーマルスーツのヘルメットを被り直す。気密をチェックして、ハッチを閉めて、機動システムを起ち上げる。

訓練用のシステムも良好、各部のセンサーも異状なし。さっきチェックした通り、問題はない。

「こちら三番機。異状なしです」

あたしがそう報告するとすかさず大尉が

<了解。発進指示を待て>

と返事をしてくれた。程なくして今度は、艦橋の通信兵のミーガンから無線が入る。

<訓練用ランチ、射出します。モビルスーツ隊はカタパルトデッキに上がって下さい>

<こちら第二小隊、了解した。第二小隊各機、二番デッキへ向かうぞ>

大尉がそう指示をくれたので、あたしはレバーをそっと動かした。歩行システムがルナチタニウムの機体をゆっくりと動かしながら、ドックの外へと移動させてくれる。

二番デッキは艦のお腹側。ドックからは“エレベータ”に乗っての移動になる。

 大尉の機体が足をエレベータのランチにはめこんだ。周囲に赤いランプが灯り、警報とともに機体がドックの外へと運ばれていく。

次いでキッド少尉の機体と、そして、さらにその後で、あたしだ。

 機体の足をランチにはめ込むと、同じようにして警報と赤いランプが灯り、微かなGを発生させながら機体を艦の腹部へと運んでくれる。

 やがて視界が開けた。真っ黒な宇宙に無数の星が輝いている。

はるか前方に、先行して射出された訓練用ランチが浮かんでいるのが見えた。作業は単純。カタパルトで打ち出されたら減速してあのランチに取り付く。

一隻に3機までなら問題なく運んでくれる代物だ。

 <第二カタパルト、ハウス機、出るぞ>

不意にそう声が聞こえた。あたしが宇宙の景色に見とれているあいだに大尉は射出デッキの打ち出し装置にモビルスーツスーツをセットしていた。
 

102: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 22:02:12.03 ID:9Qvy1ezYo

<こちらカタパルトクルー。ハウス機へ、ブースター出力50パーセント維持…リンク確認、射出!>

カタパルトのモニタールームの合図が聞こえてきて、大尉の機体が勢い良くカタパルトを滑り出して宇宙空間に投げ出された。

 あたしは訓練生の途中からジャブロー勤務で、地球では戦闘機ででも空母からの発艦経験はない。

なので、最初の射出訓練のときはそりゃぁもう大変だったけど、それも今となっては恥ずかしい思い出だ。

あの射出用のカタパルトの加速って言ったらもう…

<キッド機、ブースター出力良し。射出!>

次いでキッド少尉が打ち出された。それと同時にあたしの機体の足元に新しい打ち出し装置がスライドしてきた。

 レバーを操作して足をはめ込み、固定を完了させる。電磁石の通電も良し。ブースター出力…20、30…45、50!

「第二カタパルト、マライア・アトウッド少尉、出ます!」

<マライア機、出力確認!射出!>

そう無線が飛び込んできた次の瞬間、機体が弾けるような速度で加速を始めた。あたしはシートに押し付けられる体に力を込める。

ノーマルスーツの耐G機能が作動して体中の関節がギュッと締め付けられた。

 そんな衝撃にも似た加速も一瞬で、あたしの機体は宇宙に放り投げられた。ランチまでの距離は近い。すぐにブースターの出力をゼロにすれば、Gは収まってくれた。

 あたしは小刻みにペダルを踏み込んで機体の速度を調節する。あまり速いとランチや大尉達の機体に衝突して訓練どころではなくなってしまう。

まぁ、ランチに取り付くのも慣れたものだ。油断はできないけど、ね。

 やがて機体がランチに辿り着く。ペダルを踏み、さらに速度を落としながらレバーを引いてマニピュレータをランチに伸ばす。

ガツン、と鈍い衝撃があって、機体は無事にランチに取り付いた。

<マライア、大丈夫か?>

大尉のそう言う声が聞こえてくる。

「はい、大丈夫です」

そう答えると、大尉はすぐに

<こちら第二小隊。少佐、こちらは準備完了です>

とモニターの上方に映るもう一機のランチに取り付いている少佐に無線を入れた。

<了解、こちらもだ。ランチを起動よう。出陣だ>

少佐の声に

<了解>

とだけ答えた大尉は、すぐにあたし達に

<動かすぞ。振り落とされるなよ>

と告げた。あたし達の返事も待たずに、ランチの補助ブースターが起動し、次いでメインブースターも火を吹いた。

ランチは徐々に加速を始め、射出のときとは比べ物にならない程度のGが感じられる。

訓練宙域まではこのランチで10分。そこに着いたら、問答無用で訓練開始、だ。
 

103: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 22:04:46.84 ID:9Qvy1ezYo

 あたしはレバーを握り直し、さっきイメージしたAMBACを利用した機動を頭の中で何度も反芻する。

とにかくまずは、撃墜マークをされないこと。

そして、イメージ通りの機動で上手くモビルスーツが動いてくれるかどうか、だ。

いや、機動がうまく行かなければどっちみち、あたしなんてたぶん、ものの5分も掛からずに撃墜マークになってしまうか。

 最高速に達したランチのブースターが止まる。あとは慣性で飛んでいくだけ。ブースターに逆噴射が掛かる直前に離脱して、そこからは編隊を組み直す。

あたしは大尉に着く。足を引っ張らないようにしないと…

 <よし、離脱するぞ>

大尉の声が聞こえた。あたしはゴクリと唾を飲み込んでレバーを引いた。ランチからマニピュレータが離れる。

減速を始めたランチが後方に流れていくのを確認してから、あたしは機体を大尉のそばに寄せた。

 コクピットのモニターには“Practice mode Engaging”と表示されている。あとはもう、どこから襲われたって不思議じゃない。

レーダーは訓練システムで無効化されているから、敵を発見するには目視に頼る他はない。

あたし外部モニターに目を走らせる。先に発見した方が、有利には違いないんだ。

 <こちら、ヒシキ。キッド少尉と合流した>

不意にそう無線が入った。見上げると、そこには二つ並んであたりを警戒しながら飛んでいるジム改良型の分隊が見えた。

あれが、そうだろう。少佐とイルマの機体はさらにその向こう。イルマ機は少佐からほんの少しだけ遅れている。

離脱のタイミングが遅れて、慣性が落ちてしまっているのかもしれない。

 それはとにかく、だ。まずは敵の位置を探らないと…あたしはそう思い直してモニターに別のモニターを順番に見つめる。

しかし、どのモニターにも敵編隊の姿はない。

<見当たらないな。到着が遅れているのか?>

少佐の声が聞こえる。そうかも知れないな…あたし達はこの宙域に来るのが慣れているから出撃は比較的スムーズだったけど、

初めての宙域だと、そう上手く位置取りを把握できないことだってある…

---だけど

そんな思考が、ふと頭の中に走った。この感じをあたしは知っていた。

いつだったか…そう、あれはジャブローでの訓練のときだ。

カレンさんが加わってすぐくらいの頃、ダリルさん達相手にしてやった空戦で、あの時は確か、いつの間にか背後の低空から…

 あたしはそこまで考えてハッとして機体を翻らせた。ちょうど、モビルスーツの踵側の方向、一番モニターに映りにくい方向に、遠くから迫ってくる何かがいた。

「後方下!見つかってる!」

次の瞬間、あたしは声の限りに無線に叫んでいた。

<ちぃっ!散開!>

少佐の怒鳴り声がヘルメットの中に響く。

 ペダルを踏み込んでブースターを点火させたときには、4機編成のジムコマンドがすぐ目の前に迫っていた。 
 

104: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 22:06:15.03 ID:9Qvy1ezYo

<クソっ、なんだよ、コマンドタイプだなんて聞いてないぞ!?>

ヒシキ中尉がそう叫んでいる。

そう、ブリーフィングでは四機編成なのはあたし達と同じジムC型のはずだった…!

<なるほど、新装備の性能評価に駆り出されたってわけか。いけ好かねえな…!>

大尉のそう漏らす声が聞こえる。

 ジムコマンドタイプは基本性能はガンダムタイプの初期仕様とほぼ同じかそれ以上だって言われてる。

ただでさえ練度に差があるのに機体性能までなんて、こんなの、本当にイジメだ!

 4機のジムコマンドがこっち目掛けてライフルを構えた。ロックオンの警告音がヘルメットの中に鳴り響き、計器がオレンジに染まる。

 いくら性能や腕に差があったって…まだ、まだやられるわけにはいかないんだから…!

あたしはそう胸の中で叫んでペダルをさらに踏み込んだ。敵からのロックが外れて、コクピットの中が静かになる。

だけど、油断したりなんかしない。今こっちを狙ってきたのは四機。

事前の情報通りなら、どこかであたし達をロングレンジライフルで狙っている機体が居るはず…!

 そう思って機体を翻した刹那、ヘルメットの中に無線が響いた。

<ご、ごめんなさい、撃墜マークされました!>

イルマの声だ。でも、聴こえて来たのはそれだけじゃない。

<こっちもだ!キッド、引きます!>

あたしは機体を駆りながら二人の位置を確認する。二人は最初の位置からは左方向に散開して行ったらしい。

右側に旋回したあたしと隊長が無事で、向こうに開いた四機中の二機がやられた…間違いない、敵は向こうだ!

 <マライア、数が不利だ!打って出るぞ!>

大尉の声が聞こえてくる。

「了解です、あたしが先行します!」

あたしはそう返事をしてペダルを踏み込んだ。大尉の返事を聞いている暇はない。

ブリーフィングの最中に考えた通り、この隊を相手にするなら、まずは単独機動のモビルスーツを叩く他にない!

 不意に、再びコクピットに警報が響いた。

---ロックされた!

あたしはとっさにレバーを引き、ペダルの片方から足を離した。

機体が桐もみ回転を初めて、進路が逸れる。

昨日は、ここで上手く行かなくて撃墜された…回転方向への慣性を活かしながら、AMBACを利用して角度を変える…!

あたしはそれだけを意識しながら右のレバーを押し込み、左のレバーを目一杯引いた。

 機体が右腕と右足を振り上げ、その反作用を抑えるために左腕と左足が後方へと振り出される。

これだけだと動きが鈍るだけ…でも、今の体制なら…!

 あたしは機体の姿勢を瞬時に頭の中で計算しながら、踏み込んでいた左のペダルを即座に右に踏み変えた。

 慣性と出力の方向が干渉し合い強烈なGが全身を襲う。

でも、これなら前とは違って慣性の相殺の度合いが小さくて済むから、エネルギー消費も減速も最小限で済む…!

コンピュータのG警告が鳴り響いているけど、これくらい、カレンさんの機動に比べたらなんてことない…!
 

105: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 22:07:08.49 ID:9Qvy1ezYo

 あたしは歯を食いしばりさらにレバーを左右逆に操作し、もう一度ペダルを踏み変えた。逆方向のGが体を押し付け、全身から力を抜く余裕もない。

レバーを入れてからの僅かな動作のラグに焦る気持ちを抑え付けながら、さらにタイミングをはかってレバーを切り替え、ペダルを踏み変える。

Gで体がきついけど、でも、でも…!

 あたしは半ば薄暗くなりつつあった視界の中で、モニターに写る新鋭のバイザー付きの機体を捉えていた。

 まだ、あたしに撃墜マークは付いてない…!

 慣性を空力に、スラスターを制動板に、AMBACをラダーに見たてれば…!

この宇宙でもカレンさんのあの機動を、再現できるんだ…!

 あたしはさらに操作を逆にして、もう一度機体を揺さぶる。

敵とあたしの機体を一直線上に結んだ線を、縦と斜めにジグザグに動くこの機動は、相手から見れば不規則に速度や進路が変化しているように見えるはず…!

カレンさん特製の機動を連続でやってるんだ!これを捉えられるもんなら、やっていなさいよ!

 あたしはモニターに写るバイザー付きのジムスナイパーⅡを睨みつけながらレバーのボタンを押し込んだ。

パネル上で機体の背中に突き立ったビームサーベルにアクティブの文字が光る。

そこでさらに左右逆に機体を降ってから、両足でペダルを一気に踏み込みつつ、右のレバーの格闘コマンドを起動させた。

 銃身の長いあのロングレンジライフルじゃ、この距離まで近付かれたら取り回しが悪くて照準なんて合わせられない。

加えて、あの機体にはヘッドバルカンが装備されてない。だから、この距離で速度なら…!

 あたしの機体はそのままジムスナイパーに突撃し、背部の訓練用サーベルを引き抜いてコマンド通りにその機体を薙いだ。

---やった…!

そんな思いが込み上がってくるのと同時に無線が響く。

<くっそ、こちらジョエル、マークされた!…しかし、なんだ今の…!?>

ジョエルさん、っていうんだ…あたしの訓練での初めての戦果…!きっとあたしあなたのことを忘れないよ!

 そんな浮かれたことを考えていたのもつかの間、ヘルメットの中に警報が響いた。また、ロックされた!

 あたしは反射的に両方のペダルを踏み込んだ。敵は…どこ!?どの位置から狙って来てるの…?!

そう思いつつレバーを引き体制を変えようとしたときだった。不意に警報が止み、次いで張りのある笑い声が聴こえて来た。

<ははは、やるとは思っていたが、そう化けたか>

大尉の声だった。見れば大尉が下方にいてあたし目掛けて登ってきている。

<こちらマックイーン。撃墜マーク貰っちまった>

無線に別の声が聞こえる。そうか、大尉が掩護してくれたんだ…
  

106: ◆EhtsT9zeko 2015/05/29(金) 22:08:01.11 ID:9Qvy1ezYo

「ごめんなさい、大尉。ちょっと油断しました」

あたしが言うと大尉は

<浮かれたくなる気も分かるが、終わってからにしろよ>

なんて少し真剣な声色で口にしたけど、すぐにあの隊長によく似た横柄さで

<よぅし、これでイーブンだ。巻き返すぞ!>

と檄を飛ばした。

 歴戦の部隊から二機撃墜、となれば、それだけだって十分過ぎる程だけど…

でも、最後まで手も気も、抜いてはいけないって、大尉の言葉にあたしはそう気を引き締め直した。

 あたしは大尉と編隊を組んで、機体を翻す。

その先では、4機のジムコマンドに包囲された少佐とヒシキ中尉の機体が必死になって回避行動をとっている姿があった。

<マライア、あいつらのオハコを奪ってやるぞ。突っ込んで散開させ、孤立した機体を狙う>

「はい、目標指示、お願いします!」

大尉の言葉にあたしはそう返して、ペダルを踏み込みジムコマンドに突撃を掛けた。ロックオン用のレーダー波を乱射して相手の混乱を煽る。

すぐにジムコマンドの四機は少佐達から距離を置いて宇宙に散らばりはじめる。

そこに、大尉の声が響いた。

<少佐、掩護頼む!マライア!左上方!隊長機が孤立したぞ!>

あたしはハッとして上方のモニターに目をやった。そこには、ポツンと一機、両肩までを赤で染め上げた隊長機らしい機体がいた。

 レバーを引いて体制を変え、ペダルを踏み込もうとした、そのときだった。

 ビービー、という、ひときわ耳障りな警報がヘルメットに鳴り響く。聞いたことのない音にあたしは慌てた。

さっきの機動で、どこかに支障でも出てしまったのか、とそう思ったからだ。

しかし、目を落とした操作パネルには、見たことのない表示が映し出されていた。

<上位のコマンドがオーバーライドしてきたぞ…?>

そう言ったのは大尉だ。でもすぐに、少佐の声が聞こえた。

<なんだ…?緊急帰投指令…?>

緊急帰投…?ど、どういうこと…?

あたしもパネルを操作して警告の表示を確認する。確かにそこには、緊急帰投指令の文字が表示されていた。なんなの…?

訓練ほっぽって帰って来い、ってこと?

 そう思っていたあたしの耳に、聞き慣れた艦長の声で無線が入って来た。

それを聞いて、あたしは、地球で感じたあの全身を強張らせるような恐怖感を覚えずにはいられなかった。

<こちらセシール艦長、ワシントン中佐だ。ルナツー本部より緊急受電。セクターB011付近を航行中の連邦軍籍輸送船が正体不明の高機動機に攻撃を受けている模様。

 当艦に救援の指示が出た。訓練中の各機、各隊は至急帰投せよ。繰り返す友軍が攻撃を受けている---




 

113: ◆EhtsT9zeko 2015/06/21(日) 23:46:31.76 ID:V5tRk69uo



 程なくして、私達は艦のデッキ横にあったブリーフィングルームに集まっていた。

 モビルスーツはデッキに吊るしたまま、放熱板でエンジン熱を逃がす作業に入っている。それが終わればすぐにでも整備に入るだろう。

訓練用の模擬兵器ではない、実弾とエネルギーキャップが搭載された実戦装備への換装だ。

実戦…

 これまで地球では何度となく戦ってきた。多くは戦闘機で、だったけど、北米に入っていからはそれなりにモビルスーツ戦の経験もある。

でも、あれは地上で、だったし、何よりあたしはこれっぽっちも役になんか立たず、隊長に部隊から外される始末だ。

 そんなあたしが…これから宇宙空間での戦闘に放折出される。不安だ。正直、怖い。

ヤバいときは逃げろ…その合言葉と、そしてアヤさんやカレンさんが掛けてくれた数々の声を頭の中に思い浮かべる。

あたしの持っている唯一のお守りだけど、こうなってしまってはどれほど役に立っているかどうかは分からない。

ううん、役には立っているんだろうけど、それでも恐怖感を完全に抑え込むことはできていない。

「ったく…残党なんぞに遅れを取るなんて、どこの部隊だ?」

不満げにそう文句を言う大尉の表情からも、微かに緊張が見て取れる。

「フジ級となれば輸送艦だ。艦の火力はサラミス級と大きな差はないが、戦闘を考慮していたわけじゃないのならパイロットが不足していた可能性がある」

そう答えた少佐も、いつにない引き締まった表情だ。

 不意に油圧のドアが開く音がした。見るとそこには、ワシントン艦長と分析士官のキャロル曹長がいた。

「諸君、訓練終わりで疲れているだろうが、ブリーフィングを行う」

いつもはニコニコしている艦長もまた、大尉や少佐と同じく、真剣で険しい顔をしている。そんな艦長がキャロル曹長にやおら頭を振る。

キャロル曹長はそれを受けて、すぐさま持っていた記憶媒体をブリーフィングルームのコンピューターに繋ぎ、アクリル板のモニターに映像を映し出した。

 それは、宇宙の映像だった。何かが画面上を横切り、そしてパパッと閃光が迸る。これ…戦闘の映像?敵襲を受けている艦から送られてきたんだ…。

あたしはそのことに気付いて、映像に食い入る。先ず大事なのは情報収集と分析、だ。

でも、そんなあたしの態度とは裏腹に、その映像を見ながら大尉がギシっと椅子の背もたれに寄りかかってため息混じりに言った。

「あの、宇宙ザリガニか」

う、宇宙…ザリガニ…?

聞き慣れない言葉に、あたしは思わず大尉を見やった。でも、それを聞いた艦長が

「その通りだ」

言ってキャロル曹長再び合図をし、モニターの画面が切り替わったのでそちらに視線を戻す。

そこに写っていたのは、三角形のボディを濃緑のカラーリングで塗り上げられ、機体の下部に巨大な爪の様な物を付けている見慣れない何か、だった。

格納庫か何かで撮られた写真みたいだけど…
 

114: ◆EhtsT9zeko 2015/06/21(日) 23:47:13.78 ID:V5tRk69uo

「こいつは…モビルアーマーか…?」

キッド少尉がそう口にした。そうか、これがジオンのモビルアーマーってやつなんだ…

確か、聞いた話ではエンジン出力が強力で、こっちの火器管制システムが追い付かない程の速度で防衛線を貫いてくる突撃機…

「この写真は、グラナダの工場で組み上げ途中だった機体だ。停戦条約締結後、現地に入った部隊によって撮影されたらしい。

 その後、設計図や部品とともに鹵獲し、今はサイド7の研究施設に運び込まれている。ジオンの関係者によれば、ビグロと呼ばれるモビルアーマーらしい」

「宇宙ザリガニよりは呼びやすそうな名前だな」

大尉がそう鼻で笑う。

「キャロルの画像分析から、こいつが相手だと思われる。

 二機編隊のうちの一機は辛うじて撃破出来たようだが、残りの一機は今もしつこくサガミの周囲から攻撃を仕掛けて来ている状況だ。

 停戦後、軍情報部が鹵獲したこの機体の情報からすると、機体前部に稼働式の装甲があり、その内側には強力なメガ粒子砲を装備している。

 その他武装はミサイルポッド、対空機銃などもあるようだが、脅威なのはむしろこの巨大な爪と…」

「速度、だな」

艦長の言葉に大尉がそう言い添える。艦長はそれを聞いてコクリと頷いた。

「現在のところ、こいつの機動試験はパイロットの選定が終わらずに実施されていないが、戦時中に交戦したデータが残っている。が、実際の速度は計算出来ていない」

「計算出来ていないって…どうして…?」

あたしは艦長の言葉に思わずそう声を上げてしまっていた。だってそんなことをあり得ない。相対速度でもなんでも、必ず計測出来るはずなのに…

「火器管制システムがエラーを吐いて追えない速度、だ。カタログスペックでは推力は160000キログラム。ジムCの推力が58000程度だ、と言えば分かりやすいか…?」

お、およそ三倍…それはモビルアーマーとの自重の差があったとしたって宇宙においては単純に三倍早いだなんてレベルじゃない。

それだけの出力があれば、その加速度は想像を絶する。宇宙空間を打ち上げ用のロケットが縦横無尽に飛び回っているようなものだ。

相対速度でなら、モビルスーツや輸送船なんて止まっている標的とさして変わらないはず…

それこそたぶん、こっちが目視した次の瞬間には至近距離でメガ粒子砲を撃ち出せるくらいに速い…

 それを理解して、あたしは背筋が凍り付くのを感じてしまった。

「なるほど、厄介なやつだが…サガミの護衛隊はどれだけやれてるんだ?」

大尉はモビルアーマーについてなんてこれっぽっちも興味がないのか、さらにそう先へと話を促す。

「サガミにはグラナダに駐屯予定の部隊に輸送予定だったジムCが3機、ジムスナイパーⅡ型が三機いたが、ジムスナイパーⅡが一機とジムCが二機損傷。

 今はジムスナイパーⅡ二機とジムC一機の抵抗とサガミ級の弾幕によって接近はされてはいないが様子を絶えず伺ってきているようだ。

 第二、第三の攻撃を受ければ、護衛部隊もサガミ自身も無事では済まないだろう」

「なかなかに奮戦してるじゃねえか」

そう言った大尉は、ようやく少しだけ表情を緩めた。

そんな機体と交戦して、少なくとも今はまだ、一個小隊がやられてしまっただけ…

下手を打てば、接敵した瞬間に艦の機関部を撃ち抜かれて爆発していたって不思議ではない。サガミの指揮官もパイロット達も、実戦慣れしているか相当に腕が立つんだろう。
 

115: ◆EhtsT9zeko 2015/06/21(日) 23:48:09.15 ID:V5tRk69uo

 「邂逅予定は1400時だ」

「1時間半後、ですか…」

艦長の言葉に、少佐がそう言葉を漏らす。それからふと大尉を見やって言った。

「第三中隊の連中との打合せが必要だな」

「そうでしょうな…艦長、陣形は?」

少佐に言われた大尉が、そう答えて艦長を見る。

「こちらは、マゼラン級ケベックを旗艦とし、我が艦が追従する形だ」

マゼラン級…第三中隊の母艦はマゼラン級なんだ…火力も防御力も、あたし達のサラミス級よりは優秀だ。

「当然そうなりますな…それならこっちは向こうの掩護って形で良さそうですね、少佐」

「そうだな…その方向で打ち合わせをしよう」

大尉と少佐がそう言い合って方針が決まった。

掩護だと言うんなら、敵に向かっていくよりも安全ではあるんだろう…

積極的に攻撃を仕掛ける必要がないのなら、狙われる危険も少しは低くなるし、回避を心掛ければそう簡単にやられるようなことはない…はず…と、思いたい。

さっきはモビルスーツ相手になんとかそれらしい機動をやってやれたけど、モビルアーマー相手に、火線を掻い潜りながら反撃を加えるなんて、出来る自信はこれっぽっちもない。

 あたしが身をこわばらせていたら、大尉があたしを一瞬だけチラッと見やって言った。

「お前、大丈夫か?」

大尉の言葉に、あたしは思わずコクコクっと頷いてしまう。すると大尉はすぐに視線をモニターに戻しながら

「なら良いけどよ」

なんて呟く。

 本当に思わず頷いてしまったけど、正直に言えば全然大丈夫なんかじゃない。だけど、そんなあたしを知ってか知らずか、少佐があたし達を見渡して言った。

「ひとまず、各員は小休止を取れ。1345時にはそれぞれの乗機に戻り、発信準備をして待機だ」

「やれやれ…こいつは骨が折れそうですね」

「まったくだな。あぁ、少佐、トイレ行って来ます」

「俺も行っておこうかな。久しぶりの実戦で、チビったらことだ」

キッド少尉とヒシキ中尉が、そう言ってブリーフィングルームから出て行った。

「ハウス大尉、残って第三中隊との打ち合わせに参加してくれ。それから、イルマ。話があるから、少し残れ」

少佐はそう言って、大尉とイルマを引き留めた。イルマは少し戸惑いながら

「は、はい」

と返事をし、大尉は分かっていたのか

「了解」

とだけ返事をして、キャロル曹長が映し出している映像に食い入っている。

 あ、あたしは…あたしは、どうしよう…?

もう、自分が何をすべきか、ってことさえ頭に浮かばなくなっていたあたしは、ノーマルスーツのヘルメットを抱えたまま体を固めてしまっていた。

そんなとき、少佐があたしに

「マライア少尉も、身仕度を済ませておけ。訓練のときと同じだ」

と言ってくれた。ハッとして、固まっていた体が動き出す。

「あぁ、そうだったな。マライア、部屋にでも戻って、甘いもんでも食って来い」

ハウス大尉も思い出したようにあたしに視線を戻してそう言った。
 

116: ◆EhtsT9zeko 2015/06/21(日) 23:48:38.79 ID:V5tRk69uo

 「りょ、了解です」

あたしは、なんとかそうとだけ返事をして、ブリーフィングルームを出た。出てはみたものの、だからどうしたら良いのか、なにをしたいのかが浮かんでこない。

行く宛てもなければ、やらなきゃいけないことも思い当たらない。

 あたしは、胸に抱いたヘルメットをギュっと抱きしめて、大きく深呼吸をした。胸に詰まる恐怖感を少しでも吐き出せるようにと胸に目一杯空気を吸い込んでは吐き出す。

そうして、あたしはようやくほんの少しだけ落ち着きを取り戻していた。

 少佐や大尉が言っていたことを思いだす。

 そう、訓練に出る前と同じことをすればいいんだ。

お手洗いに行って、激しい機動をしても支障が出ない程度の水と食べ物を口に入れる…何度だってしてきたことだ。それを、ただこなせばいい…

じゅ、準備する分には、普段の訓練と変わりはない。そう、そうだ、焦ることも、怖がることもないんだ。

 あたしはそう自分に言い聞かせ、必死に気持ちを抑えつけながら、自室のある居住区画へと続く廊下を漂う。

途中でトイレに寄り、ノーマルスーツを脱いで用事を済ませてから、さらに廊下を行く。居住区に入ったところで、何人かの顔見知りのクルーとすれ違って挨拶をされたのだけど、

あたしはなんて言って良いのか分からずに、曖昧に笑みを返すだけしかできなかった。

 やがて、あたしは部屋にたどり着く。パネルを操作してドアを開け、照明もつけずにその中へと飛び込んだ。

 大尉に言われた通りに、自分の棚からチョコレートの包みを取り出して口に頬り込み、それからドリンククーラーの中に入れてあった甘味付けしてある経口補水飲料を飲む。

冷えた水分が食道を通って胃に到達する感覚で、あたしはようやく、正気を取り戻した。

 体が、震えていた。まるで離陸する直前の戦闘機に乗っているかのように、ガタガタと全身が震えている。

部屋に入ったっていうのに、いつまでも片腕にヘルメットを力一杯に抱えていたことに気が付いて、思わずポンと、宙に投げ出した。

ヘルメットは、コン、コン、と壁に跳ね返って部屋の中を漂い始める。

 とにかく、落ち着かなきゃ…こんなで戦闘に出たら、普段出来ることも出来なくなる…思考が固まって、身動きが取れなくなっちゃう。

何度も何度も、アヤさんやカレンさんに怒鳴られて、そのたびに正気に戻っていたけど、そんな二人は、今は居ない。自分で自分をしっかりさせなきゃいけないんだ。

 あたしはそう思いながら両手でバシバシと顔を叩いて何とか気持ちを立て直そうと試みる。

でも、そうするたびに頭に浮かんでくるのは、アヤさんのぬくもりや、カレンさんのやさしさのことばかりだった。

 初めてアヤさんに会ったとき、アヤさんの操縦する訓練機の後席に座って緊張と機動に目を回してコクピットの中で吐いてしまったこととか、

ジャブローのオメガ隊に編入して同じ部屋になったあたしの小さい頃の話を聞いてくれて一緒に泣いてくれたこと、

翌日が休みの日には部屋にデリバリーを取って夜中までお喋りしたりもした。

 戦争が始まってからは、アヤさんは一層あたしに目を掛けてくれて、どんな作戦のときでも、常にあたしに声をかけ続けてくれていた。

アフリカで初めてモビルスーツと戦闘になった帰りに脱出したあたしのためにわざわざ不時着までして残ってくれたこともあったし、

カレンさんが来てからは、格納庫でのケンカをケンカをしたり、無線で言い合いをしながらも、いつだって二人はあたしを見ていてくれていた。

声をかけ続けて、ときには庇って、あたしを守ってくれていた。

 そんなこと思い出したってどうしようもない、って分かっているのに、あたしの記憶はまるであふれるように次々とよみがえってくる。

気が付けば、あたしは部屋の隅で膝を抱え、涙を溢しながら震えていた。
 

117: ◆EhtsT9zeko 2015/06/21(日) 23:49:26.91 ID:V5tRk69uo

 コツン、と壁に跳ね返って来たヘルメットが頭に当たって、あたしは涙をぬぐった。

そして、そんなことをすれば弱気になるって分かっていたのに、胸が軋んでどうしようもなくて、体を丸めたままベッドの脇の引き出しへと浮かんで、

そこから革表紙のアルバムを取り出していた。

 そのままベッドに体を投げて、そのページを繰る。

 そこに収まっているのは、あたしのお気に入りの写真たちだった。小さい頃、あたしの誕生日にミラお姉ちゃんと撮った写真に、訓練基地を出るときに撮った同期との集合写真、

オメガ隊に編入してから泣いているところをダリルさんに撮られた写真に、休みの日にみんなで出かけた川べりで遊んでいる写真。

 戦争が始まって、最初に撃墜されたフレートさんを皆で出迎えたときの写真もあるし、

北米からフェンリル隊と一緒に逃げ出した先のアフリカからジャブローに戻ったときに出迎えてくれた写真もある。

 あたしは、笑ってる。いや、泣いているのもあるし、アヤさんにヘッドロックを掛けられて半べそになっているのも多いけど…

でも、それでも楽しそうに笑っていた。北欧に住んでいた頃に、ミラお姉ちゃんと過ごした日々も、ジャブローに異動になって、オメガ隊で過ごした日々も、

大変なことも、辛いこともたくさんあったけど、それでも、こうして写真を見ていれば楽しいことばかりが思い出される。

そして、いつもならオメガ隊のみんなのことも、そして死んじゃったミラお姉ちゃんのことも恋しく思って、胸がキリキリと痛むのだけど…

 そう、だけど…と、あたしは思った。

 どんなに楽しくたって、どんなに恋しく思ったって、写真の中のあたしは、誰かに守られていただけのあたしだ。

震えて、涙を流しているだけで、アヤさんやカレンさん、隊長達がいつだって目を光らせてくれて、守ってくれていた。

北欧でのテロのときでさえ、あたしは、ベンチの下で震えていただけだった。

 あたしは、さらにページを繰る。

 そこにあったのは、戦後、カレンさんを連れて、皆でアヤさんのペンションに遊びに行ったときの写真だった。

 アヤさんの船で出かけた小さな島の砂浜で撮った集合写真。その真ん中には、ソフィアとそのソフィアを支えているあたしの姿がある。

 ソフィアのときもそうだった。ミラお姉ちゃんのときもそうだった。

 もう少しだけ、ほんの少しだけでも、あたしが状況に押し込まれて判断力を失わずに済んでいたら、

ほんの少しだけでも、ベンチの陰から抜け出して非常口に走る勇気さえあれば、ソフィアはこんなことにはならなかったのかもしれない。

ミラお姉ちゃんがあたしを守って死ぬようなことはなかったのかもしれない。

 それだけじゃない。ジャブロー防衛戦のときにカレンさんがモビルスーツに突っ込んだのだって、あたしを守ってくれようとしてくれたからだ。

アヤさんとカレンさんが揃って撃墜されたときも、あの熊のようなモビルスーツの攻撃からあたしの盾になって落とされた。

全部あたしが、それこそ、今のように、自分が何をしたらいいのかも分からずに、どうすべきかの判断力を失ってしまって起きたこと。

 そう、だからあたしは、それじゃぁいけないって、そう思ったはずだ。

 北米に行ったときに、隊長があたしに言った。ボーっとしていて死ぬのは、何もあたしだって言うわけじゃない。

あたしを庇う誰かが、あたしの代わりに死んでしまうことだってあるんだ。ううん、事実、あたしはそうして生き残って来た。

ミラお姉ちゃんも、アヤさんもカレンさんも、ジムの砲弾を受けたトラックの爆発からあたしを庇って片腕と片脚を失ったソフィアもそうだ。

 それなのに、あたしはまた泣いている。

 戦闘が怖くて、ただ、それだけで、こうして膝を抱えて怯えている。

 これじゃぁ、また誰かがあたしのせいで死んでしまうかもしれない。そうでなくても、今のままのあたしじゃ、みんなに合わせる顔がない。

あたしを守ってくれた人たちにこんな姿は見せられない。

アヤさんやオメガ隊のみんなは気にするな、なんて言ってくれるんだろうけど、そんなのは、あたし自身が許せないんだ。

仲間を守れないで、庇われてばかりの存在ではいたくない。

 あたしだって、大切な人達を守れる存在でありたい。

 弱気になることは訓練でうまく行かないときには何度もあった。その度にあたしは、そう思って宇宙に来たんだと思い直してきたはずだ。

それなのに、あたし…またこんなことを繰り返してる…いい加減、良くないよな、これ…
 

118: ◆EhtsT9zeko 2015/06/21(日) 23:50:05.73 ID:V5tRk69uo

 あたしは、そう思って大きく深呼吸をした。アルバムを閉じて、涙を拭う。顔を両手でひっぱたいて、気合を入れなおした。

 そうだよ、マライア・アトウッド曹長…あんたは、いつまでもヘタレなんかじゃダメなんだ…甘ったれでもいい、泣き虫でもいい。

でも、ヘタレて身動きできないようじゃ、誰も守れない。守れないどころか、誰かを死なせちゃう。

 そんなんじゃ、ダメだ。

 あたしは、アルバムを引き出しに戻して、部屋の中を漂っていたヘルメットを掴まえた。

冷蔵庫から水を出して、喉を潤す程度の量を口に含んで戻し、そのまま部屋を出た。廊下を蹴りながら目指すのは、モビルスーツの係留されているデッキだ。

まだ集合時間にはずいぶん早い。だけど、あたしにはやらなきゃいけないことがあった。

 いくら気持ちを入れ替えたところで、宇宙での戦闘経験のないあたしが必ず生き残れるなんて保証はどこにもない。

まして、気合いを入れたからと言って敵の攻撃が全部避けられるほど、戦闘は甘いものでもない。

 大事なのは、事前の情報収集と分析、だ。あのビグロ、ってモビルアーマーのデータを分析する必要がある。あんな映像が送られてきているくらいだ。

たぶん、機動データくらいは一緒に届いているはず。それを分析して敵の動きを事前に知っておけば、何か対策が打てるかもしれない。

 今のあたしの操縦はヘッポコも良いところだろう。さっきの訓練のは、まぐれかも知れない。

そんなあたしでも、事前準備をしっかりしておけば、生き残れる可能性を出来うる限り高められるはずだ。

今はまだ、誰かを守るだなんて、きっと無理。まずは、戦場で自分の身を自分で守ることを考え、覚えて身に着けるべきだ。

 そんなことを思って廊下を飛んでいたら、曲がり角の出会い頭に、誰かと衝突してしまった。ドスン、と重たい衝撃が体を襲う。

「っと、すまねえ」

声が聞こえてハッとしたあたしは、思わず顔をあげる。そこに居たのは大尉だった。

「大尉、ごめんなさい…!」

あたしは大尉にそう謝る。すると大尉は、なんだか意外そうな表情であたしを見やって言った。

「なんだ、お前、平気そうだな」

そりゃぁ、ブリーフィングルームであたしの様子を見ていたんだ。そんなことを思っても仕方ないだろう。

「はい、心配かけてすみません。あたし、出来る限りやってみます…まずは、自分の力で生き残る努力」

あたしがそう言ったら、大尉はニヤリと笑って答えてくれた。

「ははは、やっぱりだな。お前は、肝の据わった顔してやがるよ」

 宇宙に上がって大尉のところに来てからずっと、大尉はことあるごとに、あたしにそう言って来た。

日ごろからあたしは、その言葉がどこかしっくりこなくて言われるたびに首を傾げたくなる気持ちになっていたけど、今はなぜだかその言葉が嬉しく思えた。

「ありがとうございます」

あたしはそう言ってから、大尉に

「モビルアーマーの機動データって、届いてますか?」

と聞いてみる。すると大尉は頭を振りながら

「ああ。ブリッジに送られてきてるはずだ。キャロルに言えば良い」

と教えてくれる。

「あたし、機体に戻ってデータを見てます。何かあったら、無線で連絡ください」

あたしがそう言ったら、大尉はははは、と声をあげて笑った。

「了解だ。まぁ、無理はすんな」

大尉はそう言うと、あたしの肩をポンっと叩いて床を蹴り宙に身を投げ出す。と、次の瞬間、

「おっと、そうだ」

と壁に手をついてその身を押しとどめる。反動で体を上下逆さまに浮かせながら大尉があたしに聞いてきた。
 

119: ◆EhtsT9zeko 2015/06/21(日) 23:50:46.80 ID:V5tRk69uo

「お前、敵に追いまくられた、って経験はあるか?」

て、敵に追いまくられた経験…?

 あたしは、大尉の質問の意味が分からずに、首を傾げた。

地球では戦闘機に乗っていたけど、ジオンのあの太った空母の艦載機は機動が甘くて数がいたって怖い相手ではなかった。もちろん、追いまくられたことなんてない。

たいていは、急旋回からのシャンデルで引き離すことが出来ていた。

「いえ…地球では、そういうことはありませんでした」

あたしがそう言うと、大尉はなんだか意外そうな顔をした。

「戦闘機に乗ってたんじゃねえのかよ?」

「はい。でも、ジオンの戦闘機は機動性が悪くて、こっちの戦闘機動には着いて来れないことがほとんどだったので」

「へぇ、そりゃぁ、ずいぶんだな」

大尉は肩をすくめてそう言った。

 でも、ふとあたしの脳裏に、別の戦闘でのことが思い出された。それは、戦闘機での戦闘じゃない。

ソフィアを迎えに北米の街をホバーで訪れたとき、連邦の攻撃ヘリに散々に追われたときのことだった。追いまくられた、と言えば、あれくらいかな…

「地上でヘリにしつこく狙われたことならありました」

「ヘリ?ジオンがヘリを使ってた、ってのか?」

大尉の疑問はもっともだろう。普通、脱走した捕虜を守るためにホバーで戦闘区域に突っ込むようなバカをやるだなんて想像する方が難しい。

「い、いえ、その、いろいろあって、連邦のヘリに…」

あたしがそう言うと、大尉は

「あぁ?」

と眉をひそめてそんな声をあげた。でも、すぐに気を取り直したのか

「そのとき、どうしてた?」

と聞き直してくる。

あ、あのときは、確か…空から一方的に撃ってくるものだから、イライラしてさんざんに騒ぎまくっていたっけ…

「あの、騒いでました…」

あたしはなんだか恥ずかしくなってしまって、無意識に声を抑えてそう答える。すると大尉はニヤリと笑い

「あのビグロ、ってやつの相手をするとなれば、おそらく同じ状況になる。騒いでいる方が気が楽になるなら、そいつを忘れんな」

と言ってくれた。
 

120: ◆EhtsT9zeko 2015/06/21(日) 23:51:31.51 ID:V5tRk69uo

 そっか…そう言われてみれば、あんな状況だったというのに、あのときのあたしは冷静だった。

大騒ぎしてソフィアに変な目で見られていたけど、それでもソフィアに砲撃を指示して、さらにはビルを使ってヘリを落とすような作戦まで思いついていたっけ。

あの感じが、もしかしたら怖さを紛らわすための方法なのかもしれない…大尉は、追い詰められたときの心構え、っていうのを、教えてくれようとしているんだ。

 「はい…ありがとうございます、心がけてみます」

あたしが答えたら、大尉は満足そうに笑った。

「くれぐれも、無茶はするな」

「はい、やりたくっても、たぶんできないですけど…」

「どうだかな。何と言ってもあのバカの元部下だ。普通は無茶だと思うことを平然とやっちまうようなバカげた感覚を持っていないとも限らん」

大尉はそんなことを言ってまたニヤリと笑う。

「死ぬなよ。ひとまずはそれで、合格だ」

「はい」

大尉の言葉に、あたしは返事をして手を振り、向き直って床を蹴った。

 なぜだろう、さっきまで震えていた体が、今は心地良い何かに包まれているような、そんな気がしている。

呼吸ができないなんて感じるくらいに苦しかった胸に、今は不思議な力があふれてきているようにも思える。

―――アヤさん…ミラお姉ちゃん…あたしを見守っていて…あたし、必ずきっと立派になって見せるから。

     ミラお姉ちゃんのように、アヤさんのように、大切な人を躊躇なく守れるような、そんな人になってみせるから。

 あたしは、届くはずもない言葉を心の中で語りながらヘルメットをかぶり気密を確認して格納庫へと出た。

 格納庫には、訓練用の模擬レーザーサイトが付いたあたし達の機体の武装が運び込まれていた。すでに、武装の換装は済んでいるらしい。

モビルアーマーが相手なら、ブルバップ・マシンガンじゃなくて、ビーム・ガンだろう。ビーム兵器は扱いが難しいけど、当てられれば効果は実弾兵器の比じゃない。

だけど、戦艦の火器管制がエラーを吐くくらいの機動をする相手に、ビーム兵器だろうが当てるのはしなんの技だ。

だからこそ、敵の機動を分析してみて、狙いどころを探っておかなきゃいけない。

 あたしは、格納庫を横切って、外のデッキへと続く三重のエアハッチのパネルを操作した。

 プシュっと扉が開いたのを確かめて、その中へと足を踏み込む。振り返って閉鎖のパネルを操作しようとしたとき、後ろから何か重い物があたしの背中にぶつかった。

 「少尉…」

振り返るまでもなく声が聞こえてきて、それがイルマだということに、あたしは気が付いた。イルマの腕を掴まえて振り返ると、そこには涙でぬれた顔のイルマがいた。



  

122: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:33:12.57 ID:3fQWyEE3o

「イルマ…?どうしたの?」

「少尉…私、私…」

あたしが聞くなり、イルマはそう言ってしゃくりあげ始める。

ビーっと、開放したままだったハッチが警告音を立てた。

あたしは、すがりついてくるイルマに言い聞かせてヘルメットを付け、気密ができているかを確認してからハッチを閉めた。

すぐに、反対側のハッチが開き、その向こうへ行くなりすぐに閉鎖されて最終隔壁が開くランプが点滅する。

プシュ、っと僅かに開いたハッチからエアーが漏れ、それが出切ったところで、ゆっくりとハッチがせり上がった。

「イルマ、あたし、モビルスーツに戻らなきゃいけないから、一緒に来る?」

あたしがそう声をかけたら、イルマはあたしにしがみついたまま、コクリ、と頷いて見せた。

 ハッチから出た先は、ちょうどデッキになっている。辺りにはデッキクルーに整備のスタッフが大勢。

武器はやっぱりビーム・ガンだ。今は、ヘッドバルカンへの給弾作業をしているらしい。

放熱板は既に外されているから、そっちはもう大丈夫なんだろう。

 あたしは念の為にランドムーバーを機動させてから、イルマを抱え自分のジムCに向かってデッキを蹴った。

「少尉、もう待機命令ですか?」

途中ですれ違った整備班の若い青年が、無線越しにそう話しかけてくる。

「ううん、自習!」

あたしが答えたら、彼が、へぇ、なんて漏らす声が聞こえてきて、それからすぐに別の整備員と話し込み始めた。

その姿を見送ったあたしは、無事にジムCのコクピットへと辿り着く。

ハッチ脇にあるパネルを操作してコクピットをあけ、その中にイルマごと乗り込んだ。

 ランドムーバーを外してシートの後ろに格納し、コンピュータを操作してハッチを閉め、シートに腰掛け直して、あたしより一回り大きいイルマを抱きしめなおす。

「こちら、マライア・アトウッド少尉。キャロル曹長、この無線、取れますか?」

ノーマルスーツの無線装置をモビルスーツのコンピュータにつないでそう声をかけると、すぐにヘルメットの向こうから

<キャロルです、アドウッド少尉>

と返事が返って来た。

「曹長、あたしの機体に、さっきのモビルアーマーの機動データを送ってもらえないかな?」

<機動データですね、了解です。すぐにリンクさせます>

あたしが頼むと曹長はすぐさまそう言ってくれて、程なくして目の前のコンソールにピカピカと通知のランプが光り始めた。

タッチパネルを操作してそれを開くと、艦のデータベースへのアクセスリンクが届いている。

それを開くと、すぐにコンピュータのモニターに機動データの詳細が表示された。

あたしは、さらにコンピュータを操作してそのデータを外部カメラ用のモニターへと映し出す。

ここなら、イルマを慰めながらでも情報を見ていられるからだ。
 

123: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:34:02.98 ID:3fQWyEE3o

 そこまでして、あたしはようやくイルマに注意を向けた。

コクピット内の気密を確認してから、イルマのヘルメットを取ってあげて、あたしもヘルメットを脱いで顔を出す。

相変わらず泣きっぱなしのイルマは、あたしのノーマルスーツにグイグイと顔を押し付けて来ていた。

「どうしたの、イルマ…また少佐に怒られた?」

あたしは、なるだけ落ち着いてそう声を掛けてあげる。

すると、イルマはブンブン、と首を横に振った。

あれ…怒られたわけじゃないんだ…?

だったら、どうしたの…?

「なにかあったの?」

あたしがさらに聞くと、イルマは二、三度しゃくりあげてから、途切れとぎれの声で言った。

「わ、私っ…少佐が、ま、まって、待ってろ、って…」

待っていろ?

一瞬、言葉の意味が分からなかったけど、でも、すぐに思い当たった。

それは、かつてあたしも言われたことのある一言だったからだ。

ううん、もしかしたらついさっき、あたしも大尉に同じことを言われていたかもしれない。

戦闘に出てしまえば、自分だけじゃなく、味方まで危険にさらすことになるような人は、前線になんて連れては行けない…

「そっか…」

あたしは、イルマの体にギュッと腕を回して抱きしめてあげる。イルマも、あたしの体を力いっぱいに抱きついてきた。

まいったな…機動データの分析どころじゃなくなっちゃうな、これは…

そんなことを思いながらも、あたしはイルマの髪を撫でてあげる。

「あたしも、昔あったよ…戦闘が怖くって、味方の足を引っ張ってばかりで、当時の隊長に、もう乗るな、って言われたんだ」

そんな話が、どれだけイルマの慰めになるか、なんて分からない。でも、きっと何か声を掛けてあげるべきなんだろう。

どんなことだっていい、とにかく、イルマの気持ちを沈めてあげないと…

「だから、悔しいのも、辛いのも、淋しいのも、分かる。でも、今のまま出て行ったら、それこそ次のチャンスが巡って来なくなっちゃうかもしれないんだ」

イルマは、相変わらずあたしの肩口に顔をうずめてしゃくりあげている。

でも、構わずにあたしは続けた。
 
「あたしも、当時はショックでね…でも、それでもあたしはあたしの出来ることを探した。

 ううん、自分でそう思ってやったわけじゃなくって、頼りにしてた先輩にそうするべきだって言われて、それからあたしなりに考えて、

 あたしの出来ることを精一杯やった。結果は、まぁ、ギリギリ及第点か、もしかしたら、不合格だったかもしれないけどね…

 結局あたしは、隊の皆に守られて、支えられて、あたしが自分で選んだことさえ、満足にできなかったんだ」

そう、あたしはあのとき、ダリルさんの言葉がなかったら、今はここにこうして居なかっただろう。

ソフィアはきっと、フェンリル隊と一緒にあの旧軍工廠で死んでしまっている。

いや、そこにたどり着けたかどうかも分からない。

それがあたしの戦果だった。

そして、ソフィアの脚と腕を奪ってしまったのは、あたしのミスだった。
 

124: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:34:52.47 ID:3fQWyEE3o

 そういうことすべてが、今のあたしを形作っている。

アヤさんに支えられて、隊の皆に助けられて、ヘタレのあたしは、最後の最後で逃げなかった。

戦闘からなんかじゃない。

あたし自身のダメさから、あたしを押し包もうとする絶望から、あたしは逃げずに、前を進むことを選んだ。

 その結果がどうなるかは分からない、もしかしたら、このあとの戦闘ですぐに死んじゃうかもしれないし、なんとか生き残っても別の戦闘に巻き込まれればそれまでかもしれない。

それでも、なんでも、きっとあたしは後悔はしない。

そりゃぁ、そのときは怖いしイヤだろうけど…でも、少なくともあのまま地球でウジウジと誰かに頼って甘えながら生きているよりはずっといい。

「でも、それでもあたしは、ここに居る。

 悔しさをバネに、なんてカッコイイことを思ったわけじゃないし、ただ、もっとしっかりしなきゃ、ってそう思っただけなんだけどね…。

 だから、イルマ。辛いだろうけど、折れたらダメだよ。辛かったらこうして慰めてあげられるし、話も聞いてあげられる。

 逃げないで、なんて、ヘタレのあたしにはとても言えないけど…でも、イルマならきっとできるよ…

 今はまだモビルスーツで戦闘に出るのは無理なのかもしれないけど、それ以外でも、イルマに出来ることはきっとある。

 今は、それをしっかりこなすときだって、あたしは思う」

ギュッと、イルマの腕に力がこもった。

「大丈夫…イルマはあたしなんかよりずっと強いんだから…」

そう言って、あたしはそっとイルマの両肩に手を置いて、そっと力を込める。

そうしたらイルマは素直に体を起こしてくれて、ちょうど、シートに座ったあたしの腰の上に馬乗りになっているような体勢であたしをジッと見つめて来た。

あたしは、ノーマルスーツのグローブを外して涙と鼻水に濡れたイルマの顔を拭ってあげる。

クシャクシャになった前髪も整えてあげていたら、イルマは言った。

「対空砲台に、行きます」

「ん?」

「対空砲で、戦闘を支援します…」

あたしが聞き返したら、イルマは少しはっきりとさせた口調でもう一度言う。

そっか…それが今、イルマができる、って思えることなんだね…?

「部隊の動き方を知ってるあなたが支援してくれるんなら、きっと助けになるね」

あたしがそう言ってあげたら、イルマはようやく、微かに笑みを浮かべてくれた。

それから、モニターに写っていたモビルアーマーの機動データを見やって

「すみませんでした…何かやろうとしてたんですよね?」

とあたしを気遣ってくれる。なんか、そうされるのはちょっと居心地が悪い。

「ん、まぁ、ヘタレなりにね、予習しなきゃと思って」

あたしは苦笑いでそう答えるしかなかったけど、それを聞いたイルマはまた少し明るい笑顔を見せた。

「生きて帰って来てくださいね…少尉がいなくなったら私、誰に泣きついていいのか分からなくなっちゃいますんで」

「うん、努力する。あたしも、生きて会いたい人達がいるんだ、こんなところで、死んでられない」

「中尉のことも、よろしくお願いします」

「ふふ、もう!早く告白しちゃえばいいのに」

「だ、だって!うまくいかなかったら、隊の中でやりづらいじゃないですか…!」

イルマはえへへ、と笑顔を浮かべて、あたしの肩をひっぱたいてくる。

良かった…元気出してもらえたみたい。

これで一安心、だ。
 

125: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:35:19.15 ID:3fQWyEE3o

 でも、とあたしは思って、イルマに言った。

「イルマ、ちょっと」

「なんですか、少尉?」

不思議そうな表情を見せるイルマの両頬にあたしは手を添えた。

「ちょ…えっ…しょ、少尉!?」

なぜだか突然、イルマが慌て始める。

「動かないで」

「で、でも…その、私、そういうあれは…っ!」

なおも動揺しているイルマの顔をあたしは引き寄せると、そのまま両手を引いて、パシン、と頬に叩きつけた。

「あいたっ!な、何するんですか少尉!」

イルマはなんでか知らないけどあたしが叩いたのとは違う意味で、頬を真っ赤にしてそんなことを言ってくる。

そんな様子がなんだかおかしくて、あたしは思わず笑ってしまっていた。

「気合い入れだよ。あたしのお姉ちゃん直伝なんだ」

そう説明してから、あたしはコクピット内を漂っていたイルマのヘルメットを捕まえて彼女に押し付ける。

「援護、しっかりお願いね」

そう言ったあたしに、イルマはコクンと頷いて見せて、それから別れでも惜しむみたいにしてもう一度あたしをギュッと抱きしめてから、ヘルメットを手に取りスポット頭から被った。

それを見届けて、あたしもヘルメットを被りシールドを閉める。

<少尉…無事に戻ってくださいね…約束です>

「うん、約束するよ、イルマ」

あたしはグローブを付ける前にイルマとそう言い合って手を握り、お互いがノーマルスーツをきちんと着直したことを確認して、コクピットのハッチを開いた。

エアーに吸い出されるようにしてコクピットから外へと漂っていくイルマは、すぐに背中のランドムーバーを吹かしてデッキの方へと姿を消した。

 さて…泣き虫イルマも元気になったことだし…あたしも、ヘタレてばかりはいられない。

コクピットのハッチをもう一度閉め、それからヘルメットのシールドを開けてモニターに映る機動データを見据える。

そこには救助目標となるサガミと、それを攻撃していたモビルアーマーの機動が三次元の図面で表示されていた。

 サガミを中心に、まるで八の字を繰り返すような機動で、何度も何度もサガミ攻撃を掛けている。

コンピュータを操作して、時間経過ごとの機動を確かめてみた。

全体の印象通り、モビルアーマーは高速でサガミめがけて突撃し一撃離脱で反対側に抜け、その先で方向を変えて再びサガミへと襲いかかっている。

こっちより足が早くて火力も十分なら、この機動は脅威に他ならない。特に火器管制が追いきれない程の速度なら、弾幕を張ることだっておぼつかないかもしれない。

 初撃は、艦の腹側から。

一発で、二本のカタパルトが大破している。

そのまま艦上方へ抜けて行ってからは、二手に分かれて、時間差で両サイドから第二撃。

先に突撃を仕掛けた方は撃たずにまっすぐ抜け、反対側から突っ込んで来た方がビーム砲で後部主砲周辺へ直撃打。

この段階で、支援のモビルスーツ隊が緊急発進…大破したカタパルトからバーニアで飛び出して艦周辺に散開して迎撃を始めるけど…

 さらに時間をすすめると、第三攻撃は、モビルスーツに向いた。
 

126: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:35:45.14 ID:3fQWyEE3o

1機は艦上方、もう1機は下方からの挟み撃ちで、それぞれに位置に展開していたモビルスーツへのビーム攻撃と近接でのミサイル攻撃だ。

上方にいたジムCがビームの直撃を受けて撃破、下方にいたジムスナイパーⅡは…ビームもミサイルも躱したけれど…この表示は、近接戦闘…?

モビルアーマーが近接戦闘、って、どういうこと?

 あたしは、疑問に思ってその箇所の映像を再生する。

突撃してきたモビルアーマーの攻撃を躱したジムスナイパーⅡは、ロングレンジライフルで反撃しながら進路を妨害する為に正面に位置取った。

モビルアーマーは反撃をきりもみ回転で回避すると、そのままジムスナイパーⅡに突っ込み、そして…

あたしは、その光景に目を疑った。

 そこに写っていたのは、モビルアーマーの下部から生えた大きな爪にジムスナイパーⅡが引っ掛けられて艦の上方付近まで一気に引きずられ、

その先で胴を真っ二つにされて爆発四散した映像だった。

 でも、あたしはすぐに何が起きたかを理解できた。

あの速度で引きずられたら、相当なGが掛かるはず…意識を失わなくても、体の自由が効く保証はない。

あの大きな爪に掴まれた瞬間からホンの少しの間、きっと操縦どころの騒ぎではなくなるはずだ…

そんな硬直を逃さずに…

あたしはもう一度、ジムスナイパーⅡが真っ二つにされる直前の映像を映し出す。

やっぱり、だ…あのモビルアーマー、腹側に、小型のビーム兵器を搭載している…掴まれて、身動きを封じられたら最後、あのビームでコクピットを焼かれてそれまで、だ。
 
あたしいは思わず息を飲んでしまう。

相手は、想像していたよりもずっと厄介で危険な相手だ…そのことが自覚できてしまって、自然と体がこわばってくる。

でも、ヘタレはもう、卒業するんだ…!

バシっと両手でヘルメットを引っ叩いて気を取り直し、データを勧めて機動を観察する。

速度も火力も申し分ない、危険な機体だっていうのは理解できた。

 でも…この機動、万能ってわけでもない…はず…

 あたしは、さらにデータ細かくふるい分けする。

モビルアーマーは、当初は2機で、うち1機の撃墜には成功していると聞いた。

その撃墜された方の機動データだけを表示させようとするけど、たぶん、どっちがどっちか途中で分からなくなってしまっているだろう箇所があるんだろう。

分けようと思っても、うまくデータが分解されてくれない。

仕方なく、あたしは1機目を撃墜した瞬間のデータを探して、そこから撃墜に至るまでの流れを確認した。

 地球での空戦では、この手の直線機動をする場合、旋回に入り始めるときが一番危険だ。

特により大きなGが掛かる上昇方向のシャンデルなんかだと速度が遅くなってしまうからだ。

宇宙の場合も、同じことが言えるはずだ。
 

127: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:36:12.62 ID:3fQWyEE3o

 宇宙では重力の代わりに慣性が機体の出力の邪魔をする。

一方向に飛んでいってその先で反転するとなれば、それまでの慣性を振り切る程の出力でエンジンを吹かさなければ同じ速度には復帰できない。

そして、その加速の最中に、絶対速度が必ず0になる瞬間がある。それまでの慣性と、旋回後のエンジンでの加速が釣り合う瞬間だ。

敵がもっとも無防備になるのは、そのときのはず…

きっと、このモビルアーマーもそうして……

そう、このあと、この先で旋回して、ここで……あ、あれ?まだ飛べてる…え?

「……あ、あれ!?」
 
モニター上の機動を見ていたあたしは、思わずそう声をあげてしまっていた。

モビルアーマーを撃墜したのは、あたしが思ったのとはパターンが違った。

モビルアーマーは加速してサガミに向かって行った瞬間に、交差した弾幕を浴びて爆発している。

旋回の瞬間を狙われたわけではないようだった。

 これは…あのパイロットのミスだ…それほど厚い弾幕だったわけでもない。

パイロットが弾幕が流れる方向を読み誤ったように見える。

残念だけど、この撃墜はまぐれの幸運だったとしか言えないな…参考にはなりそうもない。

 あたしは、ため息をついて、それでもデータに目を凝らす。

直線機動の迎撃の仕方は、隊長に聞いたとおりにやればいい。

ジオンの戦闘機がそんなことをして来た試しはなかったけど、訓練中にダリルさん達を相手に、なんどもやった。

直角の位置からの追従と予測射撃で相手を狙えるチャンスがある。

それにさっきイメージした通りに、旋回開始の直後も敵の動きが鈍る瞬間だ。

もし、戦わなきゃいけないのならそこを叩くのがベスト…

もちろん、戦わなきゃいけないのなら、だ。

さっき少佐と大尉が言っていたとおり、たぶんあたし達は第三中隊の援護に回る可能性が高い。

直接戦闘をしないで援護の弾幕を張るのが主な任務になるだろうけど、それでももしもと言うこともあるし、敵がこっちに向かってきたら、対応する必要がある。

直線機動なら直角方向への回避一つで安全は確保できるはずだ。

あの大きな爪には注意が必要だから、ギリギリの回避ではなくて思い切った距離の開け方に気をつけなきゃ…

 そんなことをしきりに考えていたら、不意にヘルメットの中で無線が鳴った。

<こちら、ランドルマン少佐。各機、準備状況はどうか?>

あたしは、それを聞いて慌てて時計を見やる。

気がつけば、もう集合時間の1345時だ。

あたしはコンソールで無線のチャンネルを切り替えて呼びかける。

「こちら、アトウッド少尉。整備班、あたしの機体の調整、どうですか?」

するとすぐにハスキーがかった声で返事が聞こえた。

<あぁ、マライアか。今、ヘッドバルカンの給弾を終えた。装甲を閉めてるところだから…5分待て>

声の主は、あたしの機体の機付長、ボウマン軍曹だ。大尉と同じくらいの年齢で細身で小さいのに、やたら胆力があってあたしはいっつもからかわれてばかりだ。

「軍曹、よろしくお願いします」

<あぁ、任せとけ。俺の整備した機体だ、なにがあっても無事に帰って来やがれよ。俺の評価に関わるからな>

軍曹はそう言って笑ってくれる。そういえば、ジャブローに居た頃にもよくエルサとこんなやり取りをしてたっけ。
 

128: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:37:02.59 ID:3fQWyEE3o

 エルサは結局、終戦まであたし達の機体の機付長になれなかったし、そもそもあたし達は北米からジャブローに戻ってからはモビルスーツ隊に改編されたから、

お世話になっていた整備班の人たちとも離れ離れになっちゃったけど…とにかく、軍曹がそう言ってくれるんだ。

機体は、信用できる。

「了解です。もしものことがあったら、ランドムーバーででも帰ってきます」

あたしがそう答えたら、軍曹はガハハハと笑った。

<お前、それじゃぁ、俺が整備した機体だっていう意味がねえじゃねえかよ>

「あはは、そうでした」

<まぁ、最悪、それでも良い…死なれるよりはな。自分の整備した機体とパイロットが戻らねえのは俺たちにとっても辛いことだ>

軍曹は、そう言って声を潜めた。

「はい…なるべく機体も無事に持って帰ってきますね」

<そうだな…まぁ、機体の方は無理するな。搭乗員あってのモビルスーツだからよ>

「了解です、ありがとう、軍曹」

あたしはそうお礼を言って無線を切り、少佐へのチャンネルに切り替えて報告する。

「少佐。こちら、アトウッド少尉です。今、ヘッドバルカンの給弾作業が終わりました。現在、装甲の再装着中です」

<こちらランドルマン。了解した。こちらより、最新の状況報告と作戦を説明する。各機、データをリンクせよ>

あたしは、少佐の指示に従ってコンピュータから通知の画面を呼び出して、そこに光る新たな情報を選択して表示させる。

そこには、先ほどの機動データと同じような三次元図面の映像が写っていた。

<敵モビルアーマーは現在、速度を緩めてサガミ周辺を周回中。サガミは機関部に損傷を受け、現在航行不能の状態に陥っている。

 敵のモビルアーマーは、恐らく長時間の高速機動には耐性がないのだろう。周回中の現在は、光学測量で放熱板らしき物を展開しているという情報が入っている。

 サガミ旗下もモビルスーツ隊はブリーフィングのときのままだ。被撃破はない。

 現在、直近の我々の到着が最速となるが、月面より帰投中のペガサス級サラブレッドも現場に向かってきている>

<ペガサス級とは…豪華な援軍だ>

大尉の野次が飛ぶのを無視して、少佐は続ける。

<我々は、第三中隊の援護に回る。ハウス大尉達は、第三中隊第一小隊の援護を頼む。俺とヒシキで、第二小隊の面倒を見る。先行するケベックが旗艦だ。二時方向、見えるか?>

不意にそう言われて、あたしは外部モニターを表示させる。するとそこには、もう随分近くまで来ているマゼラン級の姿があった。

<了解…とにかく、無理せずに、ってことですな>

<そうだ。敵もそろそろエネルギーに限界が来るだろう。そこを叩くなり鹵獲するなりできる頃合だ。そっちは第三中隊に任せて、俺たちは大人しく支援に専念だ>

<でしょうな。大仕事は歴戦部隊に任せて楽しようじゃありませんか>

<頼むぞ、大尉>

<分かってます。ヘマはやらかしません>

<無茶も、な>

<俺がそんなマネしたことありましたっけ?>

<しないことの方が少なかったように思うが?>

少佐と大尉の、そんな他愛もないやりとりを聞いて、あたしはこらえきれずにクスッと笑いを漏らしてしまった。

横柄な態度もそうだけど、やっぱり大尉は隊長そのまんまだ。

あたしに無茶をするな、なんて、どの口が言うんだろう。

<まぁ、バカ話はさておき、幸運を祈ってますよ>

<あぁ、こちらもだ。状況が変わり次第、また連絡を入れる>

少佐はそう言って無線を切った。
 

129: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:37:33.21 ID:3fQWyEE3o

 ピピっと警告音がして、モニターに何かが映し出される。

見れば、HUDにマーキングが光っている。姿は見えていないけど、友軍のマークだ。

これが、サガミだね…

 <こちら、サラミス級セシール所属、第八MS中隊、第十二小隊指揮官のハウス大尉だ。第三中隊第一小隊、貴隊の援護に回る。よろしく頼む>

大尉は、次いでそう無線を響かせた。途端に、聞きなれない声が無線に響いてくる。

<こちら第一小隊、“ピーナッツ”隊長、バレッタ少佐だ。君の隊の援護だか、頼もしい。こちらこそよろしく頼む>

<こちらピーナッツの二番機、ジョエル・カーペンター中尉だ!俺をやったやつはいるのか?>

これって、第三中隊の人達…?

ジョエルって、確か、あたしがマークしたジムスナイパーⅡのパイロット…!

「あ、あの。あたし、です!マライア・アトウッド少尉です!」

あたしがそう名乗ったら、無線の向こうで微かなどよめきと共にヒューっと口笛なんかが聞こえてくる。

<少尉、あんな動きは見たことなかった。見事だったよ>

ジョエル中尉らしい声がそう言ってくれる。

「あ、ありがとうございます!」

あたしが慌ててそう返事をしたら、中尉は続けた。

<そういうわけだから、基地に戻ったらどうやったのかご教授願えないだろうか?夕飯でも食べながら、とか、どうだろう?>

「あぁ、そういうのは間に合ってます」

あたしはなるだけツン、と聞こえるように答える。こういうのは、ヴァレリオさん相手に慣れたものだ。

<こちら、第一小隊キッド少尉!よろしく頼みます!>

と、あたしとジョエル中尉の会話を遮るように、キッド少尉がなんだかぶっきらぼうな口調でそう言葉を挟んできた。

それについで、“ピーナッツ”隊の方からも

<こちらは三番機のアーノルド・マートン少尉だ。隊では新米なんで、後ろから見張っててもらえると助かります>

と声が聞こえてきたので、あたしと中尉との話はそれっきりになってしまう。

まぁ、残念なんてことも思わないし、そんなことよりもう一度機動データを見たいと思っていたあたしは、そんな事前連携もそこそこに、

コンピュータのモニターの方にデータを表示させてイメージを再確認する。

<おい、なに怒ってんだ、キッド?>

<別に、怒ってなんていやしません!>

大尉とぶっきらぼうなキッド少尉の声が聞こえる。

キッド少尉、緊張してるのかな…?

いつもはもうちょっと穏やかなんだけど、さっきもあたしと中尉の話を遮っちゃう勢いだったし…少し心配だ。

「ウォルト、リラックスだよ」

あたしがそうわざわざ名前を呼んで言ってあげたら、キッド少尉はさっきのあたしみたいにツンとした声色で

<お前は自分の心配をしてろよ>

なんて言われてしまった。

なによ、せっかく心配してあげたのに!

 そう思って、モニターに目を落とそうとしたそのときだった。

突然、キューキューと言う警告音がヘルメットの中に鳴り響く。

せ、接近警報!?

 そう思って顔を上げたその瞬間、無線から無数の叫び声が聞こえてきて、パッと左手に閃光が走った。
 

130: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:38:06.68 ID:3fQWyEE3o

見ると、モニターの向こうでマゼラン級が炎上を始めている。

まさか…敵襲…!?

 <おい、デッキ!こっちを切り離せ!>

大尉が怒鳴る声が聞こえた。

再び、ヘルメットの中に警報が鳴り響く。同時に、目の前のモニターのHUDに黄色いマーキングが映し出された。

て、敵…!こっちに来る…!

<て、敵高機動機、接近!>

<デッキクルー及び整備班は緊急退避!急げ!>

<バカ野郎、モビルスーツ隊のパージを優先させろ!おい、逃げるな!>

<対空迎撃急げ!>

<ダメだ、間に合わない!>

<第二デッキ、モビルスーツパージする!俺たちに構うな、艦から離れろ!>

混乱した無線に混じって、

ボウマン軍曹の怒鳴り声が聞こえた。

ガクン、と衝撃があって、モビルスーツが簡易の固定具から解放される。

<キッド、マライア!スラスターを吹かすな、デッキクルーを巻き込む!>

<構うな、やれ!>

少佐の声と、軍曹の声が交錯する。

モニターの中ではあたし達めがけてモビルアーマーが迫ってきている。

でも…今すラスターやバーニアを使えば、本当にデッキのスタッフや整備班を吹き飛ばすか焼き殺してしまう…!

そんなこと出来ない…なら、どうしたらいいの…!?

 あたしは咄嗟にそう頭を回転させてレバーを引きモビルスーツの腕の最大出力でデッキを突っ張った。

それでも、機体はゆったりとしかデッキから離れない。このままじゃ、狙い撃ちにされる…

デッキクルーに一番被害のでない角度は…デッキと向き合う姿勢でバーニアを吹かすしかない…モビルアーマーの方向に…!

 あたしは、迷わなかった。

迷えば、ソフィアの二の舞になる…!

そんな思いだけで、あたしは後先も考えずにとにかく姿勢を変えて一気にペダルを踏み込んだ。

機体が急加速して艦から飛び出す。

キューキューと言う警告音が、やがてビーっと言う激しい音へと変化した。

レーダー照射…!?攻撃が来る…!

あたしは無我夢中でレバーを引き、体勢を変えながらさらにペダルを踏み込んだ。

モニターの中で、モビルアーマーが煙とともに何かを吐き出した。

それは白煙を引きながらあたしの機体めがけて飛んでくる。

ミ、ミサイルだ…!お、追ってくる!

あたしは機体を逆向きに振って旋回しようとレバーを引いた。

でもその瞬間、全身にマイナスGが掛かって機体が減速される。
 

131: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:38:47.48 ID:3fQWyEE3o

 しまった…慣性のこと、頭から抜けてた…!

ミサイルとの距離はもうかなり詰まってきている。

今から加速したところで、逃げきれない…!

あたしは咄嗟にレバーを押し込んでビームガンを構えた。

お願い、当たって…!

そう祈りながら、レバーの引き金を引き続ける。

連射の鈍いビーム・ガンの再装填がもどかしい。

それでも、四発目のビームがミサイルと交差して爆発を起こした。

や、やった!

そう思ったのも束の間、爆炎を抜けたミサイルの一本がさらにあたしめがけて迫ってきた。

もう迎撃も回避も無理だ…

シ、シールド!

あたしは、ハッとしてレバーを引く。

間一髪のところで正面に出たシールドにミサイルが着弾した。

機体がミシミシと音を立てるけど…大丈夫、どこにもエラーは出てない…!

<マライア、無事か!?>

「大尉!大丈夫です!敵機は!?」

あたしは、無線から聞こえた大尉に大声でそう聞き返した。

<6時方向に抜けて行った。後方警戒!>

「了解です!」

そんなやりとりの背後では、被弾したマゼラン級の混乱した様子が聞こえている。

<モビルスーツ隊はどうした!?>

<第一デッキに直撃弾、状況不明!>

<第二区画のダメコン効きません!エアー流出中!>

<メインエンジンの火災鎮圧を!誰か人を寄越してくれ!>

<退艦命令は出ないのか!?>

<持ち場を離れるな!対空警戒!>

モニターに映るマゼラン級は、あちこちから煌々と炎を吹いている。第一デッキは…もう吹き飛んでしまって見る影もない…

<くそったれ、ハメられた…!>

大尉が吐き捨てるようにそんな声をあげる。

「どういうことですか…?」

<野郎、サガミの脚を止めて俺たちのような救助が来るのを待ってやがったんだ…!なるだけ大勢を道連れにするつもりで…!>

あたしは、その言葉に背筋が凍った。

そう、聞かない話じゃない。

敵を敢えて生かして、その場に置き去りにする…それで、救助に来た他の敵を片っ端から打ち抜いていくのは、よくある戦術だ。

でもまさか、自分がその火中に誘い込まれてしまっただなんて…!
 

132: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:39:26.11 ID:3fQWyEE3o

<大尉、上方、来ます!>

不意にキッド少尉の怒鳴り声が聞こえた。

同時に大尉の

<まずいっ!>

と言う声もする。

見上げるとそこには、真上から降りかかってくるようにしてこちらに機首を向けたモビルアーマーの姿あった。

でも、警報は鳴ってない。狙われているのは、あたしじゃない…!?

<敵機接近!レ、レーダー照射を受けてます!>

そう聞こえたのは、大尉でもキッド少尉の声でもない、サラミス級セシール、あたし達の艦橋にいるオペレーターの悲鳴だった。

<やらせるな!>

そんな声をとともに、どこからかビームの破線がモビルアーマーに打ち込まれた。

見ると、ランドルマン少佐とヒシキ中尉の機体が、モビルアーマーに向けてビーム・ガンの銃口を向けている。

あ、あたしも、援護を…!

それを見て我に返ったあたしは、ビーム・ガンを構え直して引き金を引いた。

でも、モビルアーマーは回避する素振りを見せない。それどころか、一層早い速度であたし達の背後にあるセシールに向かってくる。

当たるのが怖くないのか…それとも、当たる分けはない、ってそう思っているの…!?

<対空砲、全力で迎撃!寄せ付けるな!>

そう誰かの声が聞こえて来たと思ったら、背後からビームや曳光弾の軌跡が真っ暗な宇宙空間に輝きだした。

モビルアーマーはたまらずにその機動を変えた。

そして、次の瞬間にはモニターからその姿をロストする。

<くそっ、どこへ行きやがった!?>

<ミノフスキー粒子は撒かれてない、レーダーに頼れ!>

<敵機、左舷側に抜けた模様!>

艦からの無線が聞こえてくる。

次は、左舷…ううん、さっきは後方へ抜けて、上から襲ってきた。

同じセオリーなら、次は…!

「大尉、下方の警戒やります!」

<良い読みだ…!キッド、お前は後方と左舷を警戒しろ!>

<了解です!>

あたし達は声を掛け合って艦の周りに布陣する。

あたしと大尉で艦の腹側、キッド少尉と少佐達は上方から後方を警戒している。

あのモビルアーマー、想像しているよりずっと早い…一瞬でモニターはおろか、視界からも消えちゃうなんて、乗っているパイロットは、いったいどんな体をしてるんだろう…

あんな速度で掛かるGは計り知れない。それこそ本当に、加速時や旋回時なんかは本当に打ち上げロケット並だろう。
 

133: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:39:53.40 ID:3fQWyEE3o

<マライア、レーダーの自動追尾をオンにしておけ。ミノフスキー粒子の散布はない。あの速度だ、目視では無理があるが、飛びぬけた先を確認できるのは有利だ>

「了解です」

あたしは、コンピュータでレーダーと機動のリンクを設定する。

敵機をもう一度レーダーで捉えたときにロックボタンを操作すれば、機体が自動で敵機を追従してくれるはずだ。

火器管制でも追いきれない、って話だから、きっとそのままの射撃で当てるのは難しいんだろうけど…でも、位置が分かるんなら確かに対応がしやすいはず…

 不意に、ピピピと言う発信音がヘルメットに響いた。

同時にHUDに敵のマークが出現する。

き、来た…!

「か、下方!敵機確認!また突っ込んできます!」

あたしがそう報告した瞬間、モニター内がキラリと光った。

メ、メガ粒子砲…!

スラスターで機体を反転させ、ペダルを踏み込んで回避行動に入る。

そんなあたしの機体のすぐそばを、輝くビームが抜けて行った。

 あ、あたし、また狙われてる…!?

そのままペダルを踏み続けて加速すると、モビルアーマーはあたしを追従する機動に変わった。

 や、やっぱりだ…!

あたしはビーム・ガンを突き出して、ペダルお踏み込みブースターで加速を続けながらスラスターで機体を揺さぶりつつ引き金を引いた。

でも、あたしのビームはてんで的外れでモビルアーマーを捉えるどころか掠めさせることも出来ない。

そ、そうだ、レーダーとのロックを…い、いや、ダメ…今そんなことしたら、機体が思うように動かせなくなる…ま、まずは回避に専念して…

 そうこうしている間に、モビルアーマーはすぐそばまで迫ってきていた。

この距離…あの、爪が来る…!

あたしは、さっきのデータを思い出して、モビルアーマーの機動からさらに逃れるように進行方向とは垂直に機体を滑らせる。

でもそんなとき、キッド少尉の声が無線に響いた。

<マライア、誘われるな!孤立するぞ!>

その声で、あたしは気がついた。

あたしは、敵からの回避をし続けた結果、いつの間にか、セシールからも部隊のみんなからもずいぶん距離をとってしまっていた。

向こうへ戻らないと…集中攻撃を受けちゃう…!

 でも、そう思ったのも束の間、敵機はあたしめがけてさらにビームを連射してくる。

あたしは機体を横に横に滑らせて回避を続けるけど、そうすればするほど、どんどんと艦からの距離が開いて行っている。

<持ちこたえろ、マライア!>

<少尉の援護に行く、艦は任せる!>

キッド少尉とランドマン少佐の声が無線に響いた。

 でも、あたしはそんなことを気にしていられるような状況じゃなかった。敵機の機動は、あたしの予測を遥かに越えていたからだ。

あの速度で迫って来ながらビーム乱射しあたしの背後に抜けたと思いきや、急旋回をして向きを変えさらにあたしに迫ってくる。

あんな旋回、あり得ない…あんれじゃぁ機体が分解してもおかしくない…

 戦闘機やロケットどころの騒ぎじゃない…あんな旋回じゃ、10Gを越えていたって不思議じゃない!

それでも機体を操って、あたしを狙えるあのパイロット…普通じゃない…!

 再びビームの雨があたしを襲う。追従してくる高速機相手に、回避は紙一重だ。

胸が焦燥感で熱くなり、体が強ばり始める。怖い…やられる…!
 

134: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:40:19.95 ID:3fQWyEE3o

「もう!やめてよ!しつこい!しつこいぃぃ!」

ヘルメットの中でそう絶叫した瞬間に、体が動いた。震えが止まった。怖さが和らいだ。恐怖に負けちゃいけない…騒がなきゃ!

次の瞬間、あたしの目の前をモビルアーマーの物とは違うビームは横切った。それを回避したモビルアーマーは、あたしから軌道を逸らして遠ざかって行く。

<無事か、少尉!?>

その声は、ヒシキ中尉だった。

「中尉、ありがとう!」

<あの機体、俺達を叩くつもりだ。戦艦なんて後回しでも構わないらしい>

中尉はあたしの礼には答えずに、端的に言う。確かにあの機動性で迫られたら対空砲なんて関係ない…ビーム機銃の僅かな破線の隙間を縫えてしまえるような鋭さだ。

<敵、旋回した!来るぞ!>

 大尉の声が聞こえて、あたしはモニターに目を戻した。そこには、少佐の機体に迫るモビルアーマーが映り込んでいる。

モビルアーマーは続け様に三発、ビームを発射した。

<くっ…!>

そう声を漏らした少佐は機体を駆ってビームを回避しきる。でも、次の瞬間にモビルアーマーがビームとともに放っていたミサイルが少佐の機体に直撃した。

パパパっと閃光が走って、機体が爆炎に飲まれる。

<少佐ぁ!>

ヒシキ中尉の声が無線に響く。

<も…問題ない、損傷軽微…!>

良かった、だなんて思わなかった。あたしよりも先に、大尉がそのことに気が付いていた。

<回避だ、少佐!>

そんな大尉の声が無線に響いた次の瞬間、少佐の機体に突撃したモビルアーマーが大きな爪を引っ掻けてジムCを三つに切り裂いた。

カッと閃光がモニターを白く染め、宇宙空間に爆発が広がった。

 そんな…まさか、少佐がやられた…!?

<少佐…!あいつ…っ!>

あたしのすぐそばにいたヒシキ中尉がそう声をあげてモビルアーマーに突っ込んだ。

「中尉、ダメっ!」

あたしはとっさにペダルを踏み込み中尉の機体を追う。でも、中尉はあたしの警告を無視してモビルアーマーに正面から迫り、ビーム・ガンを乱射した。

幾筋もの光線がモビルアーマーに迫り、その内の二発がモビルアーマーの装甲に弾けた。

 そんな…ビーム・ガンが、効かない…?!装甲を貫くためには出力が足りない、って言うの…!?

あまりのことに驚き、一瞬動きを止めたあたしとは対照的に、中尉は躊躇することなくビームサーベルを引き抜いた。

まさか中尉、あいつに近接戦闘を仕掛けるつもりなの…?!

そんな、そんなの…!

「ダメ、中尉!無茶です!」

でも、あたしの静止を無視して大尉は接近するモビルアーマーに対して格闘コマンドに入って、サーベルを振り上げた。
 

135: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:40:45.42 ID:3fQWyEE3o

 <中尉!!!>

その時だった。

ヘルメットの中に女性の声が聞こえて飛び込んできた曳光弾がモビルアーマーの側面に弾けた。そのモビルアーマーの軌道が微かに乱れる。

イ、イルマだ!イルマの対空砲火が…!

 そう思ってもう一度モビルアーマーに視線を戻すけど、でも、モビルアーマーの速度は落ちる事はなかった。

 中尉の機体が、僅かに軌道を変化させたモビルアーマーの上面に衝突して跳ね上げられた。

中尉の機体は、スラスターやバーニアを吹かすこともなくそのまま宇宙空間を漂って行く。

<ちゅ、中尉!>

再び、聞こえた女性の、イルマの声がヘルメットの中に響いた。

 そ、そんな…中尉も…やられちゃったの…!?

そう直感して息を飲んだ次の瞬間に大尉の怒鳴り声が聞こえた。

「マライア、撃て!」

で、でも…中尉が…そんなあたしの一瞬の戸惑いの合間に

<クソったれ!>

とキッド少尉が呻く声がする。

 ハッとして少尉のいた方に目をやると、中尉と衝突して軌道を変えられたモビルアーマーが、その先にいたキッド少尉にビームを放った瞬間が目に入った。

―――ウォルト!

 そう声をあげる間もなく、キッド少尉の、ウォルトの機体が爆発を起こした。

 ウソ…ウソだよ…こ、こんな短い時間に、3機も…みんな、みんなやられちゃった…?

<こいつ…並じゃねえぞ!>

大尉の声が聞こえてくる。あたしはとにかく回避運動を続けながら、今起こったことを必死に理解しようとしていた。

 ランドルマン少佐がミサイルの直撃を受けて硬直したところをあの爪で掴まれてバラバラにされて、中尉は衝突して宇宙に機体ごと投げ出されて、そのままキッド少尉まで…

 モビルアーマーってこんなに圧倒的なの…?こ、こんなの、いったいどうやって止めれば良いの…?

ヤバイときは逃げろ、って言ったって、逃げたりしたらセシールがやられちゃう…ねぇ、どうしたら良いの…?隊長…アヤさん…お願い、教えてよ…!

あたし、どうしたらいい…?

 どうしたら…どうしたらあたし、あいつを止められるの…!?

 <このやろう!>

大尉が怒鳴りながらビーム・ガンをモビルアーマーに連射する。でも、最初の一発は上面の装甲に弾けて、続く射撃は流れてしまって当たらない。

ビーム・ガンじゃダメなんだ…モビルスーツで叩くなら中尉がやろうとしたみたいに、サーベルでなんとかするしかない…

でも、あんな機体に近接戦闘を仕掛けるなんてそれこそ中尉の二の舞いになる…

 あたしは、背中を駆け抜ける奇妙な感覚を覚えた。

寒い…背筋が凍ってしまったような、そんな感じがする…

―――勝てない

脳裏に、そんな言葉が湧き出てきた。
 

136: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:41:30.25 ID:3fQWyEE3o

 体が、手が、ガタガタと震えてる。この敵には、勝てない…その絶望を、あたしの体が理解したような、そんな感覚だった。

 モビルアーマーはセシールの弾幕を縫うようにして下方に飛び抜ける。あんな厚い弾幕を被弾もせずに飛んで、こっちの主兵装は装甲で弾かれる。

接近しようにも、速度では敵わないし、第一あの速度では機体そのものが弾丸だと言って良い…こっちに、打てる確実な手立てはない…

―――でも…

あたしはレバーを握る手に力を込めた。

 セシールは、やらせない…あたしだって…やれるんだ。やらなきゃいけないんだ。あたしは泣き虫でヘタレでビビリだけど…

それでも、みんなと同じ…オメガ隊の隊員…マライア・アトウッド曹長なんだから…!

 モビルアーマーが急旋回をしてあたしに機首を向けた。

あたしはシールドをレバーを引き、付き出しながらペダル踏み込んでモビルアーマーに向けて加速する。

<おい、マライア!何やってる!>

大尉の声にあたしは叫んでいた。

「これ以上やらせられないでしょ!」

正面からモビルアーマーのビームが飛んで来た。あたしは、訓練でやったあの機動で照準を僅かにずらしながらそれを回避し続ける。

そうしながら、やぶれかぶれのビーム・ガンを撃ちまくるけど、こんな動きをしながら当てるのは、今のあたしには無理だ。

当たったところで、頑強な正面装甲に弾かれてしまうのは目に見えている。でも、それでもいい…このビーム・ガンは、目くらましだ。

 距離が詰まったらサーベルを抜く。中尉のように格闘のコマンドを入れたところでこんな相対速度じゃ振り終わる前に跳ねられる…

だから、コマンドなんて使わない…あの目玉に、一直線に突き立てる…!

 モビルアーマーがミサイルを発射してきた。これは、少佐のときと同じ戦法!?それは、食わないよ!

 あたしはビームでミサイルを狙いながら、左のレバーのボタンに指を掛けた。ヘルメットの中に警報がけたたましくなるのを聞きながら、そのボタンを押し込んだ。

機体の前に付き出しているシールドのマウントが外れる。あたしは姿勢を変えて、そのシールドを目一杯の出力で蹴りつけた。

シールドがミサイル目掛けて飛んで行き爆発を起こす。爆煙が視界を遮った。

撃ってくるなら、今だ…!

 あたしは右のペダルを踏み込んで、左のレバーを押し込み、右のレバーを引っ張った。

機体が左足を軸に横に回転した瞬間に、そこをビームがすり抜ける。あたしはビーム・ガンを煙の向こうに撃ち返した。

ビームを撃ってくる瞬間には、あの正面装甲が開く。

まぐれ当たりでも、そこにねじ込めればダメージを与えられるはずだ。

 でも、それはあくまでも目くらまし…本命は、この煙を抜けた、その瞬間…!

あたしはレバーを引いてサーベルを抜き、まっすぐ前に突き出した。

 そして機体が、煙を抜けた。

―――あぁ、しくじった…!

 本当に、その瞬間、そう口走っていた。敵の距離が想像以上に近かった。

それこそ、ほんの100メートルもない。そしてあたしの正面にあったのは敵の機体そのものじゃない。

そこから長く伸びたあの大きな爪だった。
 もう、ペダルを踏んで逃げる隙も、スラスターで位置を変えることも、レバーを引いて姿勢を傾ける暇もなかった。

 あたしは、迫ってきた大きな爪に掴まれて強烈なGで自由を奪われた。

強烈なGが全身を襲い、遠ざかる意識の中で抵抗する暇もなく、怖いと感じる瞬間もないままに、

あたしは、目の前が明るく光ったのを見た。
 
 
 

137: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:42:23.67 ID:3fQWyEE3o


―――助けて


声が聞こえた。

なに?誰…?


―――あの子を、助けて


あの子…?誰…?誰のことを言ってるの…?

 そう思った時だった。何か、温かい感覚があたしを押し包んだ。まるで、後ろから誰かに抱きしめられているような、そんな感じだった。

 ふと、あたしは辺りが妙に明るく見えることに気づいた。コクピットのモニターから見える景色が、青い。

まるで、地球で高高度を飛んでいるときに見上げたような深くて遠い、そんな色をしている。


―――私に、悲しい思いさせないで


また、声が頭の中に響いてきた。悲しい思い…?どういうこと…?

 あたしはそんな事を思ったけど、その言葉を聞いたことがあった。

ううん、言葉だけじゃない。

この感じ…この暖かい肌…頼もしい力強さ…あたしの手を握る、優しい感触…

―――何があっても負けないで、大好きな、私の天使様…

姿が見えるワケじゃない。でも、分かる…この感覚は、間違いない、その声も、言葉も間違いない…!

あたし、わかるよ!

「ミラお姉ちゃん!」

あたしは自分の叫び声で我に返った。

あたしはまだ、爆煙の中にいた。

 何…?何なの、今の感じ…?あたし…幻でも見てたの…?

そんな疑問は次の瞬間、正面から迫りくるザラリとした感触に遮られた。

来る…敵だ…あいつが、あたしを狙ってる…!

 パッと、爆煙が晴れた。青い世界に敵のモビルアーマーが浮かんでいる。

分かる…このままじゃ、あたし、あの爪に引っ掛けられて、バラバラにされちゃう…!

 あたしはレバーを左右逆に操作して、ペダルを踏み変えた。

そして、迫りくる爪に、ビームサーベルを立てた。

 バギャッと鈍い衝撃が走って、機体が不規則に揺さぶられる。

コンピュータが警報を鳴らし、機体のセンサーの各部が異常を示す赤いランプを灯している。

でも…あたし、生きてる…生きてるよ…

「あたし、生きてるよ!ミラお姉ちゃん!」

あたしは、自分でも無意識にそう叫んでレバーを引いた。ビーム・ガンを握っていた方の腕は、まだ無事だ。

なんでかは分かんないけど…今なら、やれる…!

 あたしは、レバーの引き金を引いた。

ビーム・ガンから発射されたミノフスキー粒子があたしとすれ違って行ったモビルアーマーの背後に伸びていき、そのブースターを捉えた。

 小さな閃光が上がって、モビルアーマーはユラユラと不安定に軌道を変えた。

やった…!そう思った瞬間だった。またザラリとした感触がして、モビルアーマーがその軌道を変えた。その先には、あたし達の母艦、セシールあった。
 

138: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:43:00.99 ID:3fQWyEE3o

 まさか、特攻するつもり!?

 そう思ってモビルアーマーを追おうとするけど、いくら操作しても機体が言うことを効かない。

コンピュータのパネルに目をやると、あたしの機体は、すでに右足と左腕が反応していなかった。

「イルマ!」

あたしは自分でも分からずに、彼女の名を呼んでいた 次の瞬間、セシールの対空砲がモビルアーマーの正面から突き刺さり、ついに真っ赤な火が灯る。

それでも、慣性の付いた機体は止まらない。

ダメだ…実弾の対空砲じゃ、爆破は出来ない…!

 そう思って、角度的に有効かどうかも分からないビーム・ガンを向けたそのとき、無線に声が響いた。

<やらせるかぁぁ!>

同時に、モビルアーマーに何かが突っ込んだ。それは、大尉の機体だった。

 大尉のジムCは握っていたビームサーベルをモビルアーマーに突き立てそのまま機関部までを一気に切り裂く。

そして次の瞬間にはカッとモニターの中が明るく光って、そしてレーダー上からモビルアーマーの反応が消えた。

 「大尉…大尉!無事ですか、大尉…!返事してください、大尉!」

あたしは夢中になって無線に呼びかけた。すると程なくしてノイズとともに聞き慣れた横柄な声色の男の声が聞こえてきた。

<ザッザーッ…クソっ…両脚持って行かれた…整備の連中に合わせる顔がねえや>

モニターの中、爆炎が四散したその場所に、脚とサーベルを突き立てていた右腕を失ったジムCが漂っている。

あたしは、それを見て思わずため息をついて口にしていた。

「無茶はするな、って自分で言ってたじゃないですか!」

すると、乾いた笑い声とともに大尉はあたしに言い返して来る。

「バカ言え、お前に比べりゃ、まだマシだ」

そう言った大尉は、また少し笑い声を上げてから、やがてはぁ、と大きなため息をついてみせた。




 

139: ◆EhtsT9zeko 2015/06/25(木) 01:43:35.64 ID:3fQWyEE3o

つづく。