1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:04:34.02 ID:NHYExNq00
 思いっきり空腹だった……。
 取引が長引いて俺はまたも昼飯を食い損なってしまったのであった。

五郎「やれやれ……相変わらず話好きな社長だったな……」

 今日俺は都内某所にある芸能事務所、765プロダクションへ商談に訪れていた。
 まあ、商談とは名ばかりの世間話で時間が潰れてしまったのだが。

五郎「腹が綺麗にすっからかんだ……車はここに置いておいて、何か食べに行くか……」

 良い店が見つかるといいのだが……。

2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:06:56.68 ID:NHYExNq00
ーーーー

 井之頭五郎は、食べる。
 それも、よくある街角の定食屋やラーメン屋で、ひたすら食べる。

 時間や社会にとらわれず、幸福に空腹を満たすとき、彼はつかの間自分勝手になり、「自由」になる。

 孤独のグルメ―。それは、誰にも邪魔されず、気を使わずものを食べるという孤高の行為だ。

 そして、この行為こそが現代人に平等に与えられた、最高の「癒し」といえるのである。

『孤独のグルメ』

7: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:18:34.06 ID:NHYExNq00
 10月初め、俺は再び765プロダクションを訪れていた。

五郎「やれやれ、またライブどうこうってんじゃないだろうな」

 先月、俺が765プロから受けた案件は、ライブ会場周りで扱う物品発注だった。
 芸能関係に疎い俺にとって、アイドルやらライブやらというのはどうも苦手な領域だ。

五郎「ま、人によっては羨ましがられることなのかも知れないが……」

 甥っ子に話したらサインの一つもねだられるのかもしれないな。

8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:20:32.08 ID:NHYExNq00
…………

五郎「ごめんください。先日ご連絡いただいた井之頭ですが」

 765プロの扉をノックして来訪を告げたのだが、返事がない。

五郎「時間、間違えてないよな……」

 腕時計は10時少し前を指している。
 この時間に誰もいないということも無いだろう。

 もう一度、今度は無言で扉をノックする。
 すると、扉の向こうから足音が聞こえてきた。

「ピヨ子遅いぞー! 自分、誰かが来ても応対なんてできな……い……」

 勢いよく扉を開くと同時に大声でまくし立ててきた足音の主は、私の顔を見て固まってしまった。

10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:22:27.07 ID:NHYExNq00
五郎「高木社長はいらっしゃいますか?」

「い、いえ! 社長もピ……事務員さんも出かけてて……今、じぶ……私1人なんです!」

 慌てすぎだ。

五郎「どれくらいで戻られますか?」

「すぐ帰ってくると思うので、中でお待ちください!」

 そう言って少女は威勢良く俺を迎え入れてくれた。
 しかし、俺の聞き間違いじゃなければさっき「応対なんてできない」って言いかけてた気がするんだが……

12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:25:06.56 ID:NHYExNq00
その後、俺はしばらく給湯室で右往左往する少女の後ろ姿を眺めるハメになった。

五郎(…… 大丈夫なのだろうか)

 さっきから同じ戸棚の開け閉めを繰り返している気がする。

五郎「あの……無理しなくても」

「む、無理なんてしてないぞ! 自分だっておもてなしくらい……あっ」

 振り向いた少女の顔がさっと青ざめる。
 自分が失言したと思っているのだろう。

五郎(やれやれ……)

13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:27:20.59 ID:NHYExNq00
五郎「君はここのアイドルなのか?」

「えっ? は、はい、そうです!」

五郎「……喋り方も無理しなくていいよ。俺は井之頭五郎だ。五郎でいい」

 ……緊張をほぐしてやろうと思ったのだが、ちょっと馴れ馴れし過ぎたか?

「そう? ありがとう、ゴロー! 自分、我那覇響!」

 そうでも無かったらしい。

五郎「響、俺は今日高木社長に呼ばれて来たんだが……」

響「んー? 社長、今日は一日出かけてるはずだけどなぁ……いくら社長でも予定を忘れることなんてないと思うけど」

 さっきまでの様子が嘘のようにはきはきと喋る。
 切り替えが早くてなんとも羨ましいことだ。

15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:30:24.94 ID:NHYExNq00
五郎「おかしいな……水曜日の10時って聞いてたはずだけど……」

響「一週間ずれてるとか?」

五郎「…………まさか。そんな初歩的なミスするわけ……」

 一応、スケジュールを確認する。

 …………そのまさかだった。

響「おっちょこちょいなんだな」

五郎「……出会って間もない君にそう分析されるのはなんとも癪だな」

 とんだ無駄足を踏んでしまった。
 そうとなればここに長居する用もないし、とっととお暇するとしよう。

 ーーそう思った、そのとき。

 ぐう、と腹の虫が鳴った。

16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:33:07.68 ID:NHYExNq00
 そういえば今日は朝食を抜いてしまったんだったな……。
 よし、帰りに何か食べていくとするか。

 何にしよう。今日の俺の胃袋は何を欲しているだろう。
 中華か、和食か、洋食かーーご飯物か、麺類かーー

 俺が思案にくれていると、響が何か差し出してきた。

響「ひまわりの種、食べるか?」

五郎「……いらないよ」

 バカにされているのだろうか。
 ハムスターの餌という選択肢は存在しない。

17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:37:02.61 ID:NHYExNq00
五郎「俺は帰るとするよ。迷惑かけてすまなかった」

響「待った」

五郎「?」

響「まだ自分のおもてなしが終わってない!」

五郎「いや……俺は時間を間違えてきたわけだし、そんな気にすることないと思うけど」

響「あんなみっともないとこ見られておめおめと帰すわけにはいかないぞ!」

 参ったな……予想以上に面倒くさい子だ。
 それよりも、腹が減って仕方ない。

19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:43:10.34 ID:NHYExNq00
響「お腹空いてるんでしょ? 任せろ!」

 何を。

響「自分が何か作るよ」

五郎「いや、いい」

響「なんで!?」

五郎「俺はここに仕事をしにきたんだ。飯はまた別の話だ」

響「でも日にち間違えて今暇なんでしょ?」

 それはもう忘れて欲しい。

20: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:48:11.93 ID:NHYExNq00
響「よし、じゃあ材料を買いに行こう!」

五郎「俺も一緒に?」

響「イヤ?」

 イヤじゃないが、何故だ。
 それも含めておもてなしではないのか。

響「事務所でずっと待ってもらうのも悪いし、下手するとゴロー帰っちゃいそうだし」

五郎「……否定はしない」

 会って半刻もせずにそこまで見抜かれるとは、なかなか人を見る目はあるらしい。

23:   2012/10/10(水) 21:52:02.92 ID:NHYExNq00
…………

響「これ、ゴローの車? かっこいいなー」

五郎「ああ、そうだ。というか、何故車を出すはめに……」

 おかしい。どんどん歯車が狂っている気がする。
 早いところ飯にありついて自分を取り戻したいところだ。

響「ゴローは社長の知り合いなのか? ……あ、そこ左」

五郎「先月、765プロダクションのライブがあっただろ? そのとき仕事をさせてもらってね」

響「ふーん。ゴローも社長さんなのか?」

五郎「個人の貿易商をやってる。上下関係のしがらみがイヤなんだ。輸入雑貨が主だけど、手広く扱ってる」

25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 21:55:29.89 ID:NHYExNq00
響「へー! なんかかっこいいな!」

 漠然と憧れられているのがわかる。
 今時の女の子ってのは、皆こんな感じなんだろうか。

響「貿易商ってことはやっぱり自分の船とか持ってるのか? 胡椒とか砂糖とか山のように持って帰ってくるんでしょ?」

 そこで目を輝かせられても困る。
 どうやらこの子の中の貿易商は大航海時代で止まっているようだ。

響「1人ってことは、もし海賊に襲われたりしたら大変だなー」

五郎「君は……かなり面白いな」

響「?」

26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:00:41.51 ID:NHYExNq00
そうこうしているうちに車は大型スーパーに到着していた。

五郎(いかんな……腹もそうだが、車を運転したらタバコが吸いたくなってしまった)

響「さあ買うぞー」

 響は俺を置いてさっさと店内に入ってしまった。

五郎「やれやれ……マイペースだな」

29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:07:12.99 ID:NHYExNq00
響「嫌いな物ある?」

五郎「ない」

 好き嫌いを聞く前に既に食材をかごの中に詰め込んでいた気がするが、まあいい。

五郎「料理は得意なのか?」

響「一人暮らしだからね。それなりに自信はあるぞ」

五郎「……高校生か?」

響「いくつに見えた?」

五郎「中学生くらいかと」

 正直に言うと、響は露骨に落ち込んでしまった。

32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:12:59.44 ID:NHYExNq00
 しかし高校生とは……俺にもこれくらいの娘がいてもおかしくないんだろうか……。
 郷愁の念を抱かずにはいられないな。

響「ゴロー? 買い物終わったぞ?」

五郎「……早いな」

 本格的に俺は不要だったんじゃないだろうか。

響「さ、帰ろう」

 響はにこにこと満足げに笑っている。
 良い買い物ができたのか、それとも彼女を満足させる別の何かがあったのか。

 ……よくわからないな。

33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:15:56.94 ID:NHYExNq00
…………

 挽き肉を炒める音がする。

 今更だが、ただの来客にここまでする必要はないと思う。
 俺だったら適当に和菓子なり出して、文字通りお茶を濁しておくだろう。

響「お待たせ!」

 湯気の立つ皿を持って響が戻ってきた。
 俺としてはまあ、飯が食えればなんでもいいか、という気分になっていた。

五郎「ほう、これは……タコライスか」

〈響お手製タコライス〉
 ご飯の上に挽き肉・レタス・トマト・チーズをたっぷりと乗せた沖縄料理。サルサの良い香りが漂う。
 上には目玉焼きという嬉しいトッピング。

35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:21:03.66 ID:NHYExNq00
 ごくり、と思わず唾を飲んでしまった。

五郎「こりゃ美味そうだ」

響「当然! なんたって自分が作ったんだからな」

五郎「……まあ、胸を張るのは味を確かめてからだな。いただきます」

 まずはスプーンで豪快に目玉焼きを割ると、中から半熟の黄身が溢れてきた。
 そのまま全体を豪快に混ぜる。

 すると、サルサ以外に別の香りが漂ってきた。
 とても食欲の湧く香りだ。

五郎(これは……?)

37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:24:27.83 ID:NHYExNq00
 とりあえず、一口。

五郎(……うん、美味い!)

 挽き肉の味の濃さをトマトとレタスが程良く中和してくれている。
 卵とチーズの良い意味でのしつこさも一役買っている。

 そして、二口目を口に運ぼうとしたとき、先ほどの香りの正体に気づいた。

五郎「もぐ……む……これは、カレー粉か?」

響「そうそう。ほんのちょっぴりだけどね。あんまり入れすぎるとただのドライカレーになっちゃうから」

 なるほど、なかなかこだわりを感じる一工夫だ。

38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:28:59.62 ID:NHYExNq00
…………

五郎「…………ふう。美味かった。ごちそうさま」

響「良い食べっぷりだったなー。作った甲斐があったぞ」

 響は白い歯を見せて笑った。

五郎「沖縄料理が得意なのか?」

響「地元だからね」

 なるほど、言われてみると南国の雰囲気を漂わせているように感じなくもない。
 沖縄ではこういうのがお袋の味だったりするんだろうか。

響「タコライスはお父さんの得意料理だったらしいんだけど、自分は食べたことないんだ」

五郎「?」

39: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:32:29.32 ID:NHYExNq00
響「まあまあ、それは置いといて。どう? 自分、おもてなしの才能あるかな?」

五郎「ちょっとずれてる気もするが……まあ、あるんじゃないかな」

響「ホント? えへへ」

 タコライスを振る舞ってくれる取引先は後にも先にもここだけだろう。
 そして突然タコライスを振る舞われて喜ぶのも俺くらいのものだろう。

五郎「……さて、今度こそ帰るとするよ。ありがとう、響」

響「ぐふりーさびたん! また来てね!」

 今度機会があれば、何かお返しをしなければいけないな。

43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:36:08.08 ID:NHYExNq00
…………

 一週間後。
 俺はラジオ局の駐車場で響を待っていた。

五郎「……アイドルの専属運転手に転職した覚えはないんだがなぁ」

 ……昼の商談はあっさりと済んでしまった。
 おかげで俺は、ラジオの収録だという響の送り迎えをさせられるはめになってしまったのだった。

 高木社長は「随分なつかれてしまったようだねぇ、はっはっは」と他人事のように笑い、隣にいた事務員もにこにこと微笑んでいるたけだった。

 ……まあ、タコライスのお礼だと思うことにしよう。

44: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:39:50.05 ID:NHYExNq00
 車に寄りかかってタバコに火をつける。

五郎「アイドル……か」

 相変わらず俺にはよくわからない世界だ。
 だが、彼女のーータコライスのファンにならなってもいい気はするな。

 俺は運転席に置いてある、ケーキの入った小包に目をやった。

五郎「誕生日くらい遊んだってバチは当たらないだろうに」

 俺は空を仰いで煙をゆっくりと吐き出した。
 そろそろ日が暮れようとしていた。

45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:42:40.60 ID:NHYExNq00
 ラジオ局の扉が開いて響が出てくる。
 俺はタバコの火を消し、灰皿の中へ放り込んだ。

五郎「お疲れさん」

響「お待たせ! いやぁ、楽しかった」

五郎「この後は? どうする?」

響「んー、事務所に用事もないから、そのまま帰ろうかなぁ」

 残念ながら、そうはいかない。
 音無事務員の話だと、そろそろ……

 prrrrrr...

響「あ、電話だ……ちょっと待っててね」

46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:46:19.99 ID:NHYExNq00
響「もしもし、ピヨ子か? 今収録終わったところだぞー」

響「……え? 事務所に? 急いで?」

響「もしもし? ちょ、ちょっと慌てすぎてて何言ってるかわからないんだけど……」

響「もしもし? ……切れちゃった」

五郎「どうかしたのか?」

響「急いで事務所に来いって……よくわかんないけど、心配だぞ……」

五郎「そうか、それは大変だな。じゃあ事務所に向かおう」

響「……何で棒読みなんだ?」

47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:50:02.95 ID:NHYExNq00
…………

響「あれ? 事務所の電気、ついてないぞ?」

五郎「……じゃあ響。俺の仕事はここまでだ」

響「えぇぇぇ!? ついてきてくれないのか!? ピヨ子が大変な目にあってるかもしれないんだぞ! もしかしたら強盗が……」

 そんなことにはなってないから安心するといい。
 ーーと、喋ってしまうのはいかんな。

五郎「もし危険な目に遭ってたとして、最初に響に助けを求めると思うか?」

響「……まあ、それもそうか」

 いいのか、納得して。
 暗に『頼りにならない』と言ったのだが。

48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:56:02.65 ID:NHYExNq00
響「うーん、とりあえず行ってみるよ」

五郎「ああ、響。これを持って行け」

 腑に落ちない表情をしている響に、先ほどの小包を手渡す。

響「何これ?」

五郎「タコライスのお礼だ」

響「そんなの気にしなくていいのに……」

五郎「今度機会があれば、おすすめの沖縄料理屋に連れて行くよ。響のほどじゃないが、タコライスは美味しかった」

響「ホントか!? 約束だぞ!」

49: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/10(水) 22:59:50.26 ID:NHYExNq00
 手を振りながらビルの中に消えていく響を見送ってから、俺はタバコに火をつけた。

 しばらくして、ビルの三階に灯りが灯った。

 窓に書かれた765の文字。きっとあの向こう側では、社長や事務員や事務所のアイドルたちが一斉にクラッカーを鳴らしていることだろう。

五郎「やれやれ……一仕事終えたら腹が減ったな」

 車を走らせながら、考える。
 今夜は何を食おう。
 和食か、中華か、洋食か……。

 沖縄料理は……いつかの楽しみに取っておくとするか。



終わり

引用元: ?響「ひまわりの種、食べるか?」井之頭五郎「……いらないよ」