京太郎「限りなく黒に近い灰色」 前編

86: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 04:54:29.04 ID:KlUD8s2/0

 何十回と引き金を引いたあと、少ししてから空を飛ぶ悪魔たちが落ちていった。まだまだ空を飛ぶ悪魔は多い。空はほとんど追いかけてくる悪魔たちで占められている。しかしそれでも何匹かの悪魔は落ちていた。

 京太郎の乱射が続いた後、空を飛ぶ悪魔たちからの攻撃が緩んだ。そうするとスポーツカーが一瞬、無重力状態になった。何が起きたのか把握できたのはディーだけだった。

 ディーは叫んだ。

「オロチを動かしやがった!」

目の前の道が大きくうねり姿を変えたのをディーは見たのだ。

 ディーが叫んだ次の瞬間だった。スポーツカーは奈落に落ちていった。スポーツカーの行く先に道はなかった。

松常久たちがオロチを動かしたため、大きく道が変わり車が走れる道が失われたのである。目の前にあるのは大きな穴。奈落に続く真っ暗闇である。
 



 長い長い落下の後、車は地面に着地していた。着地といっても上品なものではない。子供がゴムボールを地面に力づくでたたきつけて遊んでいるようなそんな着地である。

走る道を失ったスポーツカーはまっさかさまに落ちていったのだ。かろうじて風の魔法ガルーラを使い姿勢を制御したのだが、それでも完全に勢いを殺せなかった。

しかもずいぶん深いところまで落ちたらしい。まったく光がなかった。真っ暗闇で、上空のはるか彼方にかろうじて薄明かりが見えるだけだった。そして、着地の衝撃で土煙が舞い上がっていて、妙に空気が重たかった。

 着地から数秒後ディーが声を出した。

「みんな大丈夫か? くっそ……どれだけ落ちた?」

 ディーは目を閉じて、ハンドルを握った。するとスポーツカーのエンジンが再び動き出した。スポーツカー自体が破壊されることはまずありえないという自信がディーにはあった。

しかし車の中に乗っている者たちが無事であるかというとなかなか難しい。京太郎はともかく、虎城は後方支援担当のサマナーである。落下の衝撃を受け流せず怪我をしているかもしれないのだ。それが心配だった。京太郎もディーも攻撃に特化していて、回復にはまったく役に立たないのだ。

 ディーがこういうと京太郎は応えた。

「大丈夫です」

 シートベルトをはずしていたために京太郎はずいぶん助手席から離れたところにいた。京太郎がいたのは、虎城の上である。京太郎はちょうど虎城に覆いかぶさるような格好で、スポーツカーの不思議な空間の中にいた。

京太郎の状態は悪くない。特にこれといった怪我は見当たらない。落下の衝撃で体を天井にぶつけたくらいのものである。

 スポーツカーの中にいるもう一人、虎城は声が出せていなかった。京太郎に覆いかぶさられて、固まっていた。腐ってもサマナーであって重大な怪我をしているようには見えなかった。しかしこれは、虎城が体術に優れていたからではない。落下の瞬間に京太郎が彼女を押さえに向かったためだ。

 そのため、まったくといっていいほど怪我を負わなかったのだ。虎城はスポーツカーが落下したということもはっきりと理解していないし、そもそもどうして京太郎が自分に覆いかぶさっているのかというのもわかっていなかった。

今の自分が置かれている状況と、周りの状況とを照らし合わせて、かろうじて何が起きたのかを予想するだけしかできなかった。

 あっという間出の出来事だったのだ。これに対応できたディーと京太郎がおかしいだけである。

 いつになっても口を利かない虎城の様子を見て京太郎がこういった。

「大丈夫ですか?」
 
 ずいぶん不安そうな表情を京太郎は浮かべていた。覆いかぶさっていた姿勢を変えて、虎城のそばに腰を下ろした。京太郎は虎城をかばいに動いていた。完全にクッションの役割を果たしていたはずである。

 しかしもしかしたら、怪我をしているかもしれない。見えないところに怪我を負っていたら、たとえば頭に衝撃を受けていたら、動けなくなるということも考えられた。

 不安そうな京太郎がこういうと、虎城はこのように返事をした。

「大丈夫大丈夫。なんか、ごめんね。助けてもらっちゃって」

 虎城は体を起こして微笑を浮かべた。そのときに、虎城は腰を撃っていることに気がついた。

「腰を打ったみたいね。須賀くんがかばってくれてなかったらやばかったかも」

 虎城は不安そうにしている京太郎にこういった。

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。私は後方支援担当だからね。後方支援にまわされる異能があるの。みてなさいな」

 そういって笑うと、虎城は呪文を唱えた。

「ディア」

 回復していく虎城をみてディーがこういった。

「異能力者で回復系は珍しいな」

 ディーは虎城と京太郎の様子を確認しながら、周囲の状況も確認していた。スポーツカーのヘッドライトを全開にして、真っ暗闇の中を照らしていた。しかし土煙があまりにも舞い上がっているためにヘッドライトの光がぬるくなり先を照らせていなかった。動き回るにしても土煙が収まらないと、どうにもなりそうにない。

 ディーの指摘を受けた虎城は笑いながらこういった。

「よく言われます。バリバリの修羅場を体験するなんて初めてですよ。私の班は完全な後方支援専門で前線には上がりませんでしたから」

 京太郎にもう大丈夫だと虎城はアピールしていた。京太郎が心配されているのがくすぐったかった。というのが自分よりも年下だろう京太郎に心配されるというのが年上のプライドを刺激したのだ。サマナーの世界で年功序列などという考えは、ないようなものである。強くなければ生きられない世界、実力主義の世界だ。しかしそれでも年上の意地みたいなものはあった。

87: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 04:57:24.06 ID:KlUD8s2/0
 怪我を回復している虎城を確認して京太郎は助手席に戻った。

 そしてあっという間に窓から体を乗り出し、はるか上空を睨みつけた。助手席に戻るときに、スポーツカーの中にある不思議な空間に放り出されていたデリンジャーを拾っている。

 京太郎が動き始めたのは、不思議な気配を感じたからである。なんとなく何かが来ているような気がする。そんな不思議な気持ちに従って、京太郎は動いたのだった。

 急に真剣な表情に変わった京太郎を見た虎城が聞いた。

「どうしたの?」

 さっぱり何がおきたのかわかっていなかった。虎城に感じられるのはスポーツカーのエンジンの音と、振動。そして土煙でぬるくなっているヘッドライトの光だけだ。

不安げに自分を見ていた京太郎が、一気に顔色を変えた理由がさっぱりわからなかった。いきなり真剣な顔になるのだ。不思議でしょうがなかった。

 何がおきたのかわかっていない虎城に京太郎はこたえた。

「次のやつが来たみたいです。落としますね」

 京太郎の目ははるか彼方の薄明かりから降りてくる悪魔たちの姿を捉えていた。京太郎はこの悪魔たちが松常久たちの手のものであると判断した。まったく関係のない悪魔かもしれない。しかし、漂ってくる雰囲気が妙に殺気立っているので丁寧に対応するのをやめた。

 ディーと虎城の返事も待たず、躊躇なく京太郎は引き金を引いた。デリンジャーから発射された弾丸が暗闇に光のラインを引いた。

 引き金を引いたあと、五秒ほどして羽の生えた悪魔が墜落してきた。ライオンのような頭の大きな鳥のような悪魔である。京太郎が引き金を引くたびに、残骸が増えた。

薄明かりから飛び出してくる悪魔たちは狙いやすい的だったのだ。そして、弾丸を気にせずに引き金を引くので結構な割合で悪魔たちを落とすことができていた。

 積みあがる残骸を見てディーが笑った。

「お見事。すぐにでもヤタガラスの構成員になれるな」


 土煙が収まる間での間、次々と現れる悪魔たちを京太郎は打ち落としていた。松常久の送り込んでくる悪魔たちは数が多く、いつになっても途切れるということがなかった。

しかしそれでも京太郎ははるか上空の薄明かりをにらみ続けていた。まったく引き金を引く手は力を失わない。ここで完全に足止めを食らえば、大量の悪魔と持久戦を始めなくてはならなくなるのだ。京太郎も暗闇で持久戦をするのは避けたかった。

 はるか彼方の光を見つめている京太郎に虎城が聞いた。

「あの、聞き間違いですかね? 須賀くんがヤタガラスの構成員ではない?」

 虎城が質問をしたのは、あまりにもありえないだろうと思ったからなのだ。虎城は京太郎のことをヤタガラスの構成員だと思っていた。なぜなら龍門渕のロゴが入ったジャンパーを着て、帽子をかぶっていたから。そして構成員だろうと思える武力を見せていたから。しかしもしもそうでないというのなら、これはおかしなことだ。

 光を睨みながら京太郎は答えた。京太郎はまだ、はるか上空から襲い掛かってくる悪魔たちを捕らえて、打ち落とし続けていた。

「ヤタガラスではないですよ。用事があったのでヤタガラスの帽子とジャンパーを借りているだけです。俺はただの高校生です」

 嘘ではない。この異界に入るために必要だったのでヤタガラスの格好をしているだけである。京太郎はただの、高校生だ。

 落下から三分ほどすると、土煙が収まった。そうするとアクセルをディーは踏み始めた。ヘッドライトが真っ暗闇を上手く照らし始めたのだ。そろそろ車を動かしても大丈夫そうだった。

 車が動き始めたところで、京太郎は姿勢を戻した。真っ暗闇の中をスポーツカーは進んでいくのだ。何があるかもわからないところで、体を車の外に出しておくのは、京太郎も怖かった。

 動き出した車の中で虎城がこういった。京太郎の答えを聞いて少し間が空いていた。

「えっ? でも、あれ? 異能力者はスカウトされるはず」

 ヤタガラスが人材を積極的に取り込んでいることを彼女は知っている。そのため京太郎のようなタイプは発見されしだい声をかけられると知っていた。

仮にヤタガラスに入らなかったとしても監視対象になるのが常だ。京太郎のように、自由な立場にいるということはまずありえない。彼女はそれが不思議だった。

 京太郎が答える前に、車は急加速した。暗闇の中を車はどんどん進んでいった。暗闇を進む巣車の後を悪魔たちが追いかけてくるが、あっという間に引き離してしまった。それから、追いついてくるものはいなかった。悪魔たちには暗闇を照らす光がなかったのだ。

88: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:00:32.90 ID:KlUD8s2/0

 暗闇の中を車は進んでいった。ヘッドライトが進行方向を照らしてはいた。しかし光が届かない部分が多すぎた。太陽の光が奈落の底まで届かないのだ。ランタンのひとつでもたっていればいいが、そういう類のものもない。完全に真っ暗闇。頼れるのはヘッドライトだけだった。

 運転手のディーは困ったようにこういった。

「どうしたもんか。まさかここまで落とされるとは思わなかった。道がまったくわからねぇ。マジでいつの時代の道なんだ? タイムスリップした気分だ」

 ディーは何とか車を運転していた。幸いといえばいいのか、障害物になるようなものはまったくない。しかし、あまり喜べなかった。運転席から見える光景から自分たちがどれだけ深いところに落ちてきたのか予想できなかったからだ。

 オロチという道の九十九神は日本が出来上がってからいままでのすべての道を所有している。そのため、どの時代の道を走っているのかは大体予想がつく。最近の時代ならアスファルト、数十年前の石畳のような道。昔の時代なら踏み固められた道になってくる。

 道自体か、道の周りに手がかりになるものがあるのだ。その時代の建物だとか、標識が手がかりになる。しかしここには何もない。光さえ届かないほど深い時代の道。手がかりも目印もなければ、上に登ることさえできないのだ。追っ手から逃げ切ることができてもこのオロチから逃れ切れなければ、意味がない。

 帰れなくなるのは困る。


 真っ暗闇の中を十分ほどスポーツカーは走った。松 常久の悪魔の軍勢は一匹も追いついてこなかった。完全に巻いたのだ。

 しかしディーもどこへ行けばいいのかわからなくなっていた。完全に迷ったようだった。

 しょうがない話だ。何の目印もなく、光もない。障害物のひとつでもあればいいのに、何もない。ただ走るだけなのだ。硬い地面があるだけで、目印のない砂漠を走るのと変わらない。

地図も持たずに走り出せば迷うのは当然だった。それは松常久の軍勢も、ディーも同じことだった。

 さてどうしたものかと困りながらもスポーツカーは先に進んでいった。止まっていたところでどうにかなるわけではないからだ。動き回って上に戻っていかなくてはならない。

たとえ、無駄に思えてもやらなければ、先には進めないのだ。

 それから更に十分ほど闇雲にスポーツカーを進めていった。そうすると、ディーがこういった。

「おっ! ラッキーだ。オロチの石碑がある」

 ディーはとんでもない喜びようだった。砂漠でオアシスを見つけた遭難者のように喜んだ。ディーが見つけたオロチの石碑というのは京太郎がサービスエリアで見つけたもの、そして異界物流センターで見つけたものと同じものである。

ディーはこの石碑がとんでもなく便利なものであるというのを知っていた。だからディーは喜んだのだ。こいつがあれば脱出の糸口になると知っているのだ。


 はしゃぎはじめたディーを見て京太郎が質問をした。

「オロチの石碑ってのが見つかったとして、何かあるんですか?」

悪魔たちの追撃がなかったために京太郎にできることといえば、黙ってディーに任せるくらいのものだった。

 変化といえば

「帽子はかぶっておいたほうがいいわよ。発信機がついているから、いざというときに目印になる。
   
 一般人の須賀くんがかぶっていたほうがいいわ。私よりもずっと強いからいらないかもしれないけど」

と不思議な空間に放り出していた帽子を虎城にかぶらされるくらいのものだった。何か、退屈を紛らわせてくれるきっかけがあるのなら、飛びつきたい心境だった。それがたとえ、小さな疑問であっても。

 暇をしていた京太郎の質問にディーが答えた。

「この石碑は道に迷ったものを助けてくれるのさ。もちろんただじゃないけどね。

 道案内のための掲示板があるだろ? あれと同じような仕掛けがオロチの世界にはいたるところにあるのさ。これもそのひとつ。

まぁ最近はヤタガラスが地図を作って利用者に配っているから使う人は少ないけど、いざというときにはこいつを使えばどうにかなる」

 京太郎に説明をするディーはずいぶんほっとしていた。どのように進めばいいのかがわかりさえすれば、後はどうにでもできるからだ。
 

89: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:03:39.15 ID:KlUD8s2/0
 オロチの石碑の前に車を止めるとディーは運転席から降りて、石碑に近づいていった。非常に早足だった。そして石碑に手を触れこういった。

「オロチよ、マグネタイトを対価に支払う。どうか龍門渕までの道を教えてほしい」

 これがオロチに道を教えてもらうための呪文なのだ。しかし呪文といってもこの通りに唱えなければならないわけではない。マグネタイトを支払うので、道を教えてほしいですとはっきりと伝えさえすれば、オロチは答えてくれる。

また、まったくオロチの石碑の使い方を知らないでも、石碑の近くにいさえすれば、道をこっそり教えてくれたりもする。

 ディーが石碑に触れてから十秒ほどたった。しかしまったく何もおきなかった。まったく何もない。ヘッドライトがオロチの石碑と石碑に触れているディーを照らしているばかりだった。

ディーがマグネタイトを支払わなかったということではない。また、マグネタイトを支払えない状態にあるわけでもない。

 何の変化もないのでディーはうろたえ始めた。こんなことがおきるとは思っていなかったのだ。

 ディーがあせり始めたのみて、助手席に座っていた京太郎が動き始めた。シートベルトをはずして、助手席から降りた。そして石碑の前で困り果てているディーによっていってこういった。

「俺がやりましょうか?」

どういうわけなのかディーが困っているのだ。もしかしたら手伝えるのではないか。そう考えて京太郎は声をかけたのである。

 京太郎の提案すると、ディーはまったく納得していない様子で返事をした。

「いやぁ、おかしいな。オロチは友好的な悪魔なんだけど……機嫌が悪いのか? 俺のマグネタイトがないのか?
 
 でもなぁ。俺のマグネタイトが切れるなんて六年前以来なかったしなぁ」

 ディーはさっぱりわからないのだ。オロチがマグネタイトを受け取らないのも、返事のひとつもしないのも。そもそもこの石碑はオロチが生んだものなのだ。返事をしないなどというのがおかしかった。

 困っているディーに京太郎がこういった。

「俺が試してみますよ。もしかしたらこの石碑の調子が悪いのかもしれませんよ」

 京太郎は単純に、石碑の調子が悪いのだと思っていた。どんなものも調子が悪いことはある。それは悪魔も人間も変わらないだろう。

 案内してくれる石碑の力があれば、きっともとの世界に戻れるだろう。戻りたいと京太郎も思っている。しかし壊れていたら案内はできない。それはとても残念なことだ。

 それに、もしかすると人が変われば動くかもしれない。不思議なことだが、道具というのはそういう意地の悪いことをすることがある。ディーが今回試してみてだめだった。しかしもしかしたら京太郎なら大丈夫かもしれない。人が変われば、できることもある。だから京太郎は自分が試してみるといったのだ。

 納得できなさそうにしていたディーだったがいよいようなずいた。そして京太郎に任せた。

「それじゃあ、頼むよ。おっかしぃな。どうなってんだろ。

 あぁそうだ。石碑の使い方だけど、手を触れて、道を教えてほしいと願えばいい。それだけで教えてくれるはずだ。俺は失敗したけどな」

 ディーもいよいよあきらめていた。修理しようとか、問題を解決しようと思っていない。というのがディー自身は専門的な呪術の知識というのがないのだ。悪魔の知識や神秘についての知識というのは少しは持っている。しかしそれはインターネットや本で調べられるレベルでしかない。ハギヨシや天江衣のように専門家を名乗れるほどのレベルではないのだ。だから、できないものはできないと、あきらめる決断は早かった。

 ぶつぶついっているディーを尻目に京太郎は石碑に手を触れた。そしてなんとなく石碑をなでた。何度か石碑に触った経験があったのでそのときの癖が出てしまったのだ。たいした意味はない。そしてなでながらお願いをした。

「帰り道を教えてほしい。マグネタイトを情報料としてさしあげる」

 京太郎が願いを口にすると石碑に刻まれていたヘビのレリーフがグネグネと動き始めた。そして石碑に描かれている蛇が京太郎に道を示した。蛇の頭が、暗闇の向こうを指し示した。

 京太郎はヘビの頭の向く先に進めということだろうと解釈した。京太郎はレリーフの蛇が妙につやつやしているように感じた。京太郎は道を示してくれた蛇のレリーフを指先でなでた。レリーフに命が宿ったような気がしたのだ。しかし感触は冷たい石のままだった。

 京太郎が蛇のレリーフをなでているとディーがつぶやいた。

「あれ、まじか? 俺のマグネタイトそんなに減ってんのか?

 まぁいいや。道がわかれば万事オッケー。ちゃっちゃと上にあがらないとな。サンキュー、須賀ちゃん。何とかなりそうだ」

 オロチが反応しないのが不思議でならないというディーだったのだが、すでにどうでもいいらしく運転席に戻ろうとしていた。もう少し考えてもよさそうなものである。

しかし悪魔のやることというのは実に気まぐれで、実利というのを考えないものが多い。面倒くさいから動かないといって本当に動かないものもいるのだ。オロチもそういう気分のときがあるのだろうとディーは納得していた。

90: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:07:39.77 ID:KlUD8s2/0
 京太郎がスポーツカーに戻ったとき、後部座席の不思議な空間で虎城が小さくなっていた。ひざを抱えて震えていたのだ。

 助手席に座った京太郎が心配して虎城にきいた。

「大丈夫ですか? 顔色悪いっすよ」

 先ほどまで虎城は元気だったのだ。それが車に戻ってきたらずいぶんおびえている。これはおかしかった。たかが、数分しか一人きりにしていないのだ。さっぱり京太郎には虎城が震えている理由がわからなかった。

 京太郎が心配しているのを見て、虎城が答えた。

「ご、ごめんね。こういうところに来たことがなくて、二人が外に出ていって、一人ぼっちだと思うと急に怖くなって。

 ははは……須賀くんは怖くないの? 一般人なんでしょ?」

 京太郎とディーが戻ってくると虎城はずいぶん元気になった。虎城は本当に怖かっただけなのだ。スポーツカーの中、車の外には京太郎もディーもいる。二人の力量があれば、よほどのことがない限り虎城まで被害が及ぶことはない。しかしそれでも、一人きりになっているのが怖かったのである。

 そうなってみて、京太郎が虎城には不思議に見えた。

 自分から真っ暗闇の世界に飛び出す。戻ってきて平気な顔をして虎城を心配する。自分がこんなにも怖いと思っているのに、年下の京太郎が普通にしているなんておかしなことだ。京太郎と同年代の生意気な部下もきっと震え上がっただろう。

 もしかしたらと思うのだ。

「強がっているのではないか」と。

 だから聞いたのだ。聞いたところで同類がいたとほっとするくらいのものだが、それでも聞きたかった。

 スポーツカーが走り出すのとほとんど同じタイミングで京太郎は答えた。

「いえ、特には」

 実にそっけない返事を返した。真っ暗闇の中に出て行って、石碑を触っただけだ。それだけだ。怖いという感情はどこにもなくただ、道がわかってうれしいという気持ちしかなかった。


 オロチの石碑に従って車が進んでいくと周りが明るくなり始めた。五分ほどかっ飛ばしたところである。真っ暗闇の世界に光が混じるようになったのだ。それは曇り空が晴れていくような静かな変化だった。

真っ暗な世界に光が混じるようになると、ディーがこういった。

「どうやら、上の階層に移りつつあるようだな。まったく冷や汗かいたぜ。何の手がかりもない道を走るのは勘弁だ」

 ディーの偽りのない感想だった。暗闇とどこまでも広がっている道だけの世界。思い切り車を走らせるにはいいかもしれない。しかし、何もないというのはつらかった。

 どこにもいけないまま、終わってしまうのではないか。二度と元の世界に戻れないのではないか。そんな気持ちばかりがわいてくる。運転するのが好きだといっても永遠の迷子になるのはいやだったのだ。


 徐々に明るくなっていく世界を更に進んでいくと、岩が立ち並び始めた。一メートルほどの岩である。明らかにおかしな状況だった。今まで何もなかった世界にいきなり岩がポツンポツンと見え始めるのだ。しかも、はじめはひとつ。次は二つ。その次は三つと先に進むたびに増えていく。怪しいにもほどがあった。

 しかし先に進まないわけにはいかない。そうして更に先に進むと視界に入ってくる岩がいよいよ無視できないほど多くなってくる。おかしなことで、岩たちはどんどん道を狭めるように生え始めるのだ。すでに視界は障害物だらけであった。

 引き返そうとも考えたのだけれども、できなかった。背後も同じように岩で満ち始めていたからだ。

 京太郎たちが「おかしい」と思いながらも先に進むと、ついにスポーツカーが進める幅だけしか道がなくなってしまった。

スポーツカーの横幅に余裕を持たせただけの一本道が出来上がっているのだ。田んぼのあぜ道のような状態である。あぜ道は盛り上がっているけれども、この道は周りが岩で盛り上がっているのだ。

 確実におかしなことがおきていると誰もがわかった。しかしスポーツカーは先に進むしかなかった。帰り道は前にあるからだ。そして引き返すこともできない。なぜなら、走ってきた道はすでに岩で埋められてしまっている。


 強制的な一本道を進んでいくと怪しい女性が道の先に現れた。ぼんやりとした光の中に怪しい女性が立っていた。


 この女性は奇妙な格好をしていた。ぼろ布としかいえないものを体に巻きつけているだけだ。そして髪の毛が伸びっぱなしである。

それも尋常な長さではなく、地面に引きずるほど長かった。身長が百五十センチほどであるから、その髪の長さとなれば三メートルか四メートルというところである。

また、長く伸びた前髪で顔が見えない。


 しかし髪の毛の奥で光る赤い光が二つあった。この奇妙な光がこの女性の目なのだろうと予想は簡単についた。

 いかにも怪しい女性の背後に長い坂がのびていた。坂の先には光が見えた。

 怪しい女性はこの坂の前に立ち、両手を広げて立ちふさがっているのだった。

 

91: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:11:56.36 ID:KlUD8s2/0
 ディーは車をいったん止めて、こういった。

「怪しいな。いったいなんだ?」

 明らかに怪しい女性から十五メートルほど離れたところにスポーツカーは止まった。ディーが車を止めたのは、怪しい女性が何かたくらんでいる雰囲気があったからだ。それこそ不用意に近づくとパクっとひとのみにされる雰囲気だった。

 ディーのつぶやきに京太郎が応えた。

「悪魔ですねたぶん、なんとなくそんな風ですし……このままひきますか?」

 あっさりと提案していた。道をふさいでいる怪しい女性は明らかに悪魔だった。

髪の毛の奥にある赤い光を放つ二つの目、身体から放たれている奇妙なプレッシャー。オロチの最深部だろうところに一人で立っているという状況。人間であったとしてもまともな存在ではないだろう。そうなれば、やることは一つか二つしかない。

 交渉ができる相手なら交渉で、だめなら排除である。京太郎は交渉の余地があるとは考えていた。しかし、ディーが排除を決定すれば決定に文句をつけるつもりはなかった。

 京太郎の不穏な提案を受けたディーが答えた。

「強制排除は最終手段。とりあえず話しかけてみるよ。見た目だけで判断していたらろくなことにならないからなこの世界は」

 サマナーの世界には人間なのか悪魔なのか判断に困るものたちが多い。そして悪魔といっても非常に話のわかる悪魔もいて、見た目が恐ろしいからといってすなわち敵対する存在であるというようにはならないのを知っているのだ。京太郎よりは穏やかだった。

 ディーは運転席から降りていった。まったく恐れていなかった。ディーが出て行くと鍵が勝手にしまった。そしてそのまま振り返りもせずに怪しい女性の元にディーは歩いていった。


 怪しい女性がディーを睨みつけていた。赤い目が輝いている。どこからどう見ても怒っているようにしか見えなかった。

 しかしそんなことはまったく気にせずに怪しい女性にディーは話しかけた。

「申し訳ないのですが、道をあけてもらえませんか。何か問題が起きたというのなら、ききましょう」

 紳士的だった。輝く赤い目の女性から三メートルほど離れて、できるだけ刺激しないように配慮していた。声がやさしく、物腰は柔らか。どこぞの執事のようだった。

 このように話しかけたのは、怒らせるつもりがないからである。もしかしたら、京太郎たちと同じように道に迷っているだけかもしれない。

 距離を離しているのは、もしも攻撃を仕掛けられたとしても四メートルあればらくらく対応できる距離だからだ。


 ディーが話しかけると助手席に座っている京太郎を怪しい女性は指差した。長すぎる前髪の奥で真っ赤な二つの目がゆらゆらとゆれている。

女性の爪が鋭くとがっているのが恐ろしかった。しかしこの指差しというのはディーの質問に答えた行動なのだ。この怪しい女性は助手席に座っている京太郎に用事があるのだ。だから指差した。

「出てきてくれ」

と呼んでいるのだ。

 指を指された京太郎は少し戸惑っていた。どこからどう見ても不審者の女性だ。髪の毛の長さ、輝く赤い目。一度見たら忘れないだろう。しかし残念ながら京太郎には覚えがない。だから指名されたのが不思議でならなかったのだった。

 怪しい女性の求めているのものを察した京太郎は少し悩んだ。そのあと、助手席から京太郎は降りようとした。先に進むためだ。

 いかにも怪しい女性が道をふさいでいて、どうやら自分に用事があるらしい。ならば、用事を済ませてしまえば道を譲ってくれるのではないだろうか。京太郎はそのように考えた。特にこれといった危機感はない。


 京太郎が助手席から降りようと動き出すと、虎城に止められた。

「だめだよ! 怪しすぎるよ! 何で普通に降りようとしてるの!?」

京太郎の肩をつかむ手に力がこもっていた。虎城は怒っているのか驚いているのか判断のつかない表情になっていた。

 ディーと京太郎は道をふさいでいる女性が悪魔ではないかもしれないとか、友好的な存在かもしれないと余裕を持って対応していた。

 しかし虎城にしてみれば、議論の余地などない存在だった。目の前の存在から感じる強力な圧力はスポーツカーの結界を越えて届いている。結界もなしにこの圧力に耐えられるのは一握りの超人。それこそ葛葉ライドウのような名前の売れている人間以外にいない。下手に出て行けば発狂するだろう。

 それに加えてどこからどう見ても怪しい風貌。真っ黒な長髪、ぼろ布を身体に巻きつけているだけの服装。見るものをすくませる真っ赤な眼光など、どこの上級悪魔なのかというように考えるのが普通であって、会話など、少なくとも指を刺されて出て行くようなのは自殺志願者にしか見えないのだった。

 必死になって止める虎城に京太郎は応えた。

「もしも荒事になったら、それだけですよ。それに、あまり時間をかけたくないでしょ? 後ろからは、追っ手が来ているかもしれないわけだし」

 京太郎にとっては目の前の奇怪な女性よりも、後ろから追いかけて来ているかもしれない面倒くさい相手のほうがいやだった。目の前の道は帰り道である。邪魔をしているのは一人だけだ。しかも用事の相手は自分だというのだから、少しくらい対応するのはおかしなことではあるまい。ただ、見た目がいかにも怪しいというだけの問題なら、京太郎にしてみると無視して結構な問題だった。


 虎城があっけに取られている間に京太郎はさっさと助手席から降りてしまった。怪しい女性が呼んでいるのだ。

そして実に単純な気持ちが京太郎の頭にはある。

「さっさと応じて、先に進もうじゃないか。戦いになるのなら、それはそれでいい」

 京太郎の胸は高鳴っていた。

92: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:14:57.38 ID:KlUD8s2/0
 次の道に続く坂道に向けて京太郎は歩いていった。不思議と京太郎は微笑を浮かべていた。恐れはもちろんある。襲い掛かられたとして対応できない可能性もあるのだ。

しかしそれを考えたとしても、目の前の奇妙な女性は魅力的だった。肌がぴりぴりするほどのマグネタイトの圧力。その密度。

「もしも戦いになったとしたらどうなるだろう」

それを思うと、妙に興奮するのだった。

 戦わないのが一番とは心の中で理解しているのだ。しかしそれでも、妙に期待してしまう。抑えようとしたのだけれども、微笑になって現れていた。

 京太郎が助手席から降りてくると同時に、怪しい女性は歩き始めた。京太郎に近づいていったのだ。そのときにディーとすれ違った。しかしまったく気にしてもいなかった。歩くたびにズルズルと髪の毛が地面とすれているけれどもそれも気にしていなかった。

怪しい女性の興味は京太郎に向けられているのだ。ディーではない。

 そして、京太郎と後三メートルというところで立ち止まった。それ以上進めなくなったからだ。すれ違ったディーからわかりやすい殺気を感じたからである。

 長く伸びた前髪の下に隠れた均整の取れた顔が忌々しげにゆがんだ。

 しかし、忌々しげにゆがんだ表情もすぐに微笑みに変わる。京太郎が手の届く範囲まで歩いてきてくれたからだ。

 手の届く範囲に京太郎が来ると、輝く赤い目の女性は音を発した。

「手」

 ギシギシした音だった。会話をあまりしないでいると声を出す力が弱まって、ざらついた質感を持つようになるが、それとよく似ていた。また発音がへたくそだった。わずか一言なのに、話しなれていないのが一発でわかる。

 いかにも怪しい女性が京太郎に話しかけたのは、虎城が思っているような悪意を持っていないからである。襲えばいいという考えではなく穏便に済ませたいという気持ちが怪しい女性にはあるのだ。

 「手」といって呼びかけてきた怪しい女性は京太郎に向けて右手を差し出してきていた。握手の形である。どこからどう見ても握手の形だった。しかしあまり握りたいとは思わない握手だった。なぜなら、怪しい女性の右手の爪が鋭くとがっているからだ。思い切り握られたらきっと肌が切れる。


 怪しい女性の行動を見たディーが京太郎にこういった。

「悪いが須賀ちゃん、交渉はおしまいだ。俺と交渉するというのなら穏便に済ませるつもりだったが、須賀ちゃんに手を出すのは許せないな」

 ディーの体の底から魔力がわきあがってきていた。魔力が高まるのと同時にディーの雰囲気がおどろおどろしいものに変化していった。どこからか風の鳴く音とも笛の鳴るような音とも取れる響きがきこえてくる。

 しかしディーを京太郎は制した。

「ちょっと待ってください」

 そして右手を差し出している怪しい女性を見て、三秒ほど考えてから女性の言葉に従って、京太郎は手を差し出した。どこからどう見ても怪しい。普通なら握らない。しかし京太郎はこのやり取りを特におかしな行動ではないと受け入れていた。

 というのが何度か悪魔と交流したことがある京太郎は、握手というのがどういう儀式なのか予想できたのだ。異界物流センターで造魔花子と握手をしたのと同じだ。悪魔にとって握手とはマグネタイトのやり取りを行うための儀式だ。右手を差し出してきた怪しい女性もそういうことを求めているのだと思い、受け入れた。

京太郎はこう思ったのだ。

「通行料か? 悪魔の世界にも縄張りがあるのかもしれないな。オロチの世界はとんでもなく広いというし、ブラウニーたちのような野良悪魔の勢力争いみたいなものもあるのかもしれない」

 だからおとなしく手を差し出した。

 京太郎が右手を差し出すとすぐ、怪しい女性は京太郎の手をつかんだ。あっという間の出来事だった。女性の右手が京太郎の右手を握り締めた。

握り締められたとき、京太郎の右手に怪しい女性の爪が食い込んだ。そして肌が少しだけ切れ、血が流れた。握り締めた右手から京太郎はマグネタイトを吸い取られていった。京太郎が推測した通り怪しい女性はマグネタイトを求めていたのである。

 怪しい女性が京太郎の右手を握りマグネタイトを吸い上げ始めると、京太郎も、ディーも虎城も顔色を変えた。

 京太郎は目を大きく見開いていた。まったく動きを捉えられなかったからだ。本当に何も見えていなかった。動きの予兆も、動き自体もわからなかった。握られてやっと、握られたと理解できたのだ。

 目の前にいる相手から意識をきったわけでもないのに、油断していたわけでもないのに、握り締められるまで気がつかなかった。初めての体験だ。高速で間合いをつめる相手と戦ったことはある。しかし反応さえ許されなかったのは初めてだった。

 ディーは怪しい女性をにらんでいた。握手を求めたことに怒っているわけでもなければ、勢いをつけて握ったことに怒っているわけではない。京太郎のマグネタイトを吸い上げている怪しい女性が奇妙な雰囲気を放ち始めたのに気がついているのだ。

 虎城は真っ青になり悲鳴を上げた。京太郎が捕食されているようにしか見えなかった。

93: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:18:24.25 ID:KlUD8s2/0
 マグネタイトを吸い上げている怪しい女性にディーが攻撃を仕掛けようとした。怪しい女性の握手から一秒とたっていない。怪しい女性が京太郎に邪念を持ったのを戦闘開始のゴングと受け取ったのだ。

悪魔がマグネタイトを交渉の材料にすることはある。しかしそれ以上を求めようとするのは見逃せなかった。攻撃の態勢に入ったディーの手のひらに奇妙な力が集まり始めていた。小さな粒が次々と生まれ、太陽の周りを回る惑星のように動き始めている。

 戦いが始まるかと思われたが、つかまれていない左手でディーにくるなと京太郎は合図を出した。自分の右手を握る女性の目を京太郎は見つめていたのだ。

 左手でディーをとめたのは、女性の目に悪意がなかったからだ。マグネタイトを吸い上げられていたけれども、手加減されているのがわかっている。女性が何を思ってこのようなまねをしたのかはわからない。しかし敵ではないのだろうと京太郎は納得できていた。だから本気で戦おうとしているディーをとめたのだ。

 京太郎がディーをとめて、五秒ほどたった。すると怪しい女性は握り締めていた右手を離した。京太郎の右手は血がにじんでいる。怪しい女性はとても名残惜しそうに京太郎から離れた。離れたときに、ディーを睨みつけた。

 そして幻のように掻き消えた。怪しい女性はマグネタイトの交換に一応満足したのだ。

 そして、怪しい女性の姿が消えると同時に、何もなかった真っ暗闇の世界が消えうせた。坂道を登る必要さえない。暗闇の世界が、光に照らされた世界に変貌した。

 あっという間の出来事だった。空に太陽が現れ、青空が出来上がる。そして今まで何もなかったところに、草原が出来上がり、丘が出来上がったのだ。人が歩いて作ったのか、草が禿げ上がって道ができていた。

京太郎たちはどうやら上の世界に上がったようだった。スポーツカーも京太郎もディーもいつの間にかこの世界に上がっていた。

 この変化を見てディーがこういった。

「何なんだあの女は? というかこれはいったい?」

完全に混乱していた。京太郎の手を握っていた怪しい女の正体もわからなければ、そもそも自分たちがどこにいるのかというのもわからないのだ。文句のひとつも言いたくなる。

 混乱しているディーに京太郎が応えた。

「わかりません。ただ、上に上がることはできたみたいですね。まだずいぶん古い時代にいるみたいですけど」

 京太郎は深呼吸をしていた。青空になった世界の空気がとてもきれいだったからだ。排気ガスのにおいもしなければ、人間の匂いというのもまったくない。実にいい空気だった。

マグネタイトをいくらか吸い取られたために身体がだるいけれども、そのだるさも吹っ飛びそうだった。

 深呼吸をしている京太郎にディーがきいた。

「何か、攻撃を受けたということは? マグネタイトを奪われていたようだが問題ない?」

 京太郎の心配をしたのである。怪しい女性はとんでもなく怪しかった。しかしマグネタイトの交換は特におかしな行動を起こしていなかった。普通のやり取りだった。しかし、あれだけ睨まれたディーであるから、何か悪いことをしているのではないかと疑うのはしょうがなかった。

 背伸びをしながら京太郎は首を横に振った。そしてこういった。

「ちょっとびびっただけです……肌が少し切れてるくらいでたいした問題はありませんよ。

 あー、でも、ちょっとあれですね。

 あの人、すごく早かったですね……本当、むちゃくちゃ早かった」

 平静を装ってはいたが、イラついているのがよくわかる。眉間にしわがより、綺麗な空気を吸ってさわやかになっていた気持ちが曇っていた。

 見えなかった自分に腹が立っていた。手を握られるまで反応できなかった自分に腹が立っているのである。

 怪しい女性の手をつかんでくる行動は別に問題はないのだ。あの行動は道を通るための対価だったのだと考えられる。手を出せといわれて、手を出したのだから、問題ない。正当なやり方だ。

 しかし、見えなかったのは違う。相手が握手をしようとしていたのに、構えていたのに京太郎は目で追う事もできなかった。つまり、敗北したと思っているのだ。

 もしも命の取り合いであったら、百パーセント敗北していただろう。この情けない自分が許せなかった。

 いらだっている京太郎にディーがこういった。

「ハギちゃんとよく似てるわ。不覚を取ったときの顔がそっくり」

 ディーはほっとしていた。京太郎の気持ちが折れていないことと、特にこれといった問題がないことにほっとしていた。

 京太郎とディーが軽く外の空気を楽しんだ後、車に戻ると半分泣いている虎城が京太郎にこういった。

「だから無茶するなって言ったのにぃ!」

 京太郎とディーはたいしたことが起きていないような対応をしていたけれど、虎城から見れば恐ろしい光景だったのだ。

上級悪魔としか言いようのない存在に、手をつかまれた上マグネタイトを吸い上げられる。しかも吸い取られるのを自由にさせる。まったく正気の沙汰ではない。

 マグネタイトは命の源なのだ。きれいに吸い取られてしまえば、終わりだ。京太郎がディーの行動を制したときなど、虎城は心臓が止まる思いだった。文句のひとつも言わないと収まらないのはしょうがないことだ。

 やっぱり恐ろしいことになったではないかといって怒っている虎城を京太郎がなだめながら、スポーツカーは走り始めた。真っ暗闇の世界から、青空と草原の世界へと移動したことで車の進むスピードはずいぶん速くなっていた。

しかしこの世界も真っ暗闇の世界とそれほど変わっていなかった。起伏がいくつかあったけれども、基本的には何もない世界だったのだ。しかしそれでもスポーツカーは進んでいく。龍門渕へ帰るためだ。

94: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:22:25.77 ID:KlUD8s2/0
 多少のトラブルはあったがディーの運転するスポーツカーはどんどん先に進んでいく。真っ暗闇だった空は気分のいい青空に変わり、土だけだった地面は草原と、人が歩いて作ったのだろう細い道に変わっている。

 車が走るような舗装されている道ではない。しかしスポーツカーは先に進むのだった。何とか真っ暗闇の世界から抜け出すことができたけれども、まだまだ龍門渕に戻れるような状況ではないのだ。

安心したいのならば、蒸気機関が動き、空がさび付いている世界まであがる必要がある。さび付いた世界まで戻れば、後は力押しで戻っていけるだろう。

 しかし今ディーたちがいる世界は遠すぎる。空がきれいで、地面が汚染されていない。何百年前の道なのかわからないほど遠い世界。ここから元の世界に戻るのは難しいだろう。

 どんどんきれいな世界を進むスポーツカーの中で、先ほどの奇妙な怪しい女性との出会いについて京太郎とディーが話をしていた。

特に、建設的な話というのはしていない。

「おもわず攻撃しそうになった。冷静にならないといけないな、俺も」

とディーが話してみたり、

「集中していれば女の人の動きを察知できたかもしれないですね、気を抜きすぎました」

と京太郎が悔しがるのだ。

 この二人の会話には、特に危機感というのがなかった。それはそのはずで、これといって心配する要素というのが二人になかったからである。だから二人はただのドライブでもしているような気分で、会話をするのだった。

 しかし虎城はちがった。彼女はのんきな二人にこういった。

「二人とも、怖くないんですか?

 仲魔も呼び出さずに悪魔と向き合うなんて。

 それに須賀くんは、もう少し気をつけなくちゃだめだよ。相手は悪魔なんだよ? 気軽に握手なんてしたらだめだよ……呪われたりしたらどうするの?」

 ずいぶん顔色が悪かった。怒っているようにも見えるし、恐れおののいているようにも見える。彼女は目の前で起きたことを受け入れ切れていないのだ。

目の前で起きたことというのは、どこからどう見ても上級の悪魔相手に命を捨てるような無防備さで近づいていった京太郎と、ディーの行動である。

 彼女にとって京太郎とディーの行動というのは自殺行為にしか見えなかった。命綱なしで崖から飛び降りるような馬鹿な行動だった。これがどうにも彼女には理解できないのだ。命はとても大切なもの。大切に扱わなくてはならないはず。後方支援を担当しているからこそ、そういう気持ちが強くあった。

 おびえている虎城の質問に間をおくことなくディーが答えた。

「怖いとか怖くないとか言う前に、俺サマナーじゃないのよね。だから仲魔を呼ぶとかいう発想自体ないのよ」

 はっきりとディーは言い切った。隠すような問題ではなかったからだ。自分はサマナーではない。だから悪魔の助っ人を呼ぶことはできない。

それだけのことなのだ。すでに京太郎には伝えていることでもあった。


 ディーの答えをきいて、虎城は呆然とした。そして京太郎にこう聞いた。

「須賀くんは? サマナーなんだよね? ヤタガラスじゃないみたいだけど、そのジャンパーを着ているのならサマナーのはず」

 京太郎に話を振った虎城は青ざめていた。ディーがサマナーだと彼女は思っていたのだ。それも前線で戦えるようなそれなりに優秀なサマナーだと。

 優秀なサマナーだと思っていたのは、龍門渕に所属しているサマナーは悪名高いハギヨシから教えを受けているという話を聞いたことがあったからだ。

話によれば、虎城よりも若い少女が仲魔を駆使して上級悪魔を封殺したという。本当ならば、とんでもないことだ。上級悪魔を封殺できるサマナーというのは非常に少ない。できたとしても大体は三十台四十台の熟練者ばかりである。十台そこらの小娘には難しい仕事である。

 そしてディーの話しぶりからしてハギヨシと近しいらしいことが予想できて、おそらくこのディーも実力者であろうとあてをつけていた。

強者は強者を呼ぶという考え方が虎城の頭にあった。

 しかし、それが崩れた。

「サマナーではない」とディーが答えたのだから悪魔の助力はない。

 となるとここで終わってしまうかもしれない。松常久の軍勢というのも厄介だけれども、怪しい女性悪魔の存在もあるのだ。仲魔の助力がなければこれからどんどんつらい状況に追い込まれていくことだろう。

人間のスタミナというのは無限ではないのだから、いつか必ず息切れをおこしてを終わる。これが彼女を不安にさせた。

 京太郎に「サマナーなんだよね?」と話を振ったのは、戦力がいかほどなのかと確認するためである。京太郎がそれなりに優れたサマナーであれば生き残れる可能性もぐっと高まるのだから、知っておきたかった。安心したいという気持ちが虎城にはあるのだ。

95: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:26:48.59 ID:KlUD8s2/0
 完全に青ざめている虎城に一拍おいて京太郎がこたえた。

「一応サマナー扱いなんだと思いますよ」

 虎城の質問の意味が京太郎はさっぱりわかっていなかった。京太郎は不思議そうにして、ディーのほうをちらりと見た。ディーが助けてくれないかなと期待したのだ。

 京太郎の答えを聞いた虎城がこういった。

「なら、呼び出せばいいじゃない。さっきの上級悪魔もそうだけど前線で戦うなんて危なくてしょうがないわ。いくら異能力者だからといって、無茶して良いわけじゃない」

 虎城は少しほっとしていた。京太郎がこれでサマナーでもなんでもないただの異能力者だったとしたら、戦力は絶望的なまでに低くなるからだ。

そして京太郎に仲魔を呼び出せといったのは、京太郎の命を心配したからである。

 自分の体ひとつで悪魔に立ち向かうなどということをしていれば、命がいくつあっても足りないのだ。先ほどであった奇妙な上級悪魔のようなものもいるのだから、何の護衛もなしに動き回るのは無謀というものだろう。

仲魔はたとえ死ぬような怪我を負ってもマグネタイトの結合が崩壊するだけだ。死んだように見えても「特殊な場合」を除き、消滅することというのはない。

だから後で回復させれば、何度でも戦線に復帰させられる。危険な任務に悪魔を使うというのは理にかなっている。何度でも復活できるのだから。

 当然、戦いで使うのも理にかなっている。だから、無茶をするなといって仲魔を呼べという彼女の提案は自然だった。


 さっさと呼び出せという虎城に京太郎が答えた。

「仲魔はいますけど、呼び出せないんですよね。前も言いましたけど、家庭菜園の準備をしているはずですから」

 京太郎は笑っていた。京太郎の答えを聞いたディーも笑っていた。二人とも楽しそうだった。京太郎の答えに嘘はひとつもない。

ディーも嘘がないと知っていた。京太郎の仲魔は今頃龍門渕の余っている土地をつかって家庭菜園を作っているはずだ。

龍門渕の別館に住んでいる天江衣と一緒に、植物の種でも植えているころだろう。

 京太郎とディーが笑っているのは、アンヘルとソックと天江衣がジャージ姿で作業している姿が思い浮かんだからである。

 虎城は引きつった笑みを浮かべて、質問した。

「えっ? ほかの仲魔は? もしかして全部出しっぱなしなの?」

 京太郎は答えた。

「質問の意味がわからないですけど、仲魔は全員出たままですね」

 京太郎の答えを聞いて。虎城が頭を抱えた。虎城は京太郎の答えを聞いて自分たちがまずい状況にあるとはっきりわかったからだ。

 松常久に追われているということが、すでにかなりの修羅場なのだけれども、オロチの世界にまったく仲魔をつれずに入ってくるようなサマナーがいるとは思ってもいなかったのである。

 オロチの世界に入る時には複数の人員を確保するのがサマナーの当たり前である。何があっても対応できるように仲魔をつれてくるのも当たり前のことだ。なぜなら、オロチの作る世界は迷うと簡単には出られない。

 日本の領域を何百も重ねた世界が広がっているのだ。下手に迷えば永遠に抜け出せない。だから、何があっても対応できるように人をそろえるのは当たり前のことなのだ。

 しかしこの二人はそれをまったくしていない。人数だけはオロチに挑める最低人数をそろえているけれどもそれだけなのだから、たまらない。冷静になればなるほど不味いことがわかるのだから、彼女の心は重たくなっていくばかりである。

 先ほどからころころ顔色を変えてもだえている虎城に京太郎は聞いた。

「虎城さんはどうなんです? 仲魔を呼び出してませんけど、もしかしてサマナーではない感じで?」

 あまりにも虎城が長く頭を抱えていたので、空気を紛らわせようとして出た言葉である。お前も戦えと、そういう気持ちがあったから出てきたわけではない。
 ほんの少しだけ気になっていたのだ。どうして虎城は仲魔を呼ばないのかと。これだけ自分たちの仲魔を呼べといっているのだから、自分が呼べばいいだろうと思ってしまう。

 しかし強く言うつもりはなかった。仲魔というのを必要としない人というのもいる、という可能性が京太郎の頭にはあったからだ。

 たしかに、悪魔というのは便利な存在だ。しかし仕事の邪魔に成ることもある。わかりやすいのは京太郎だ。

 京太郎には仲魔が二人いる。アンヘルとソックという悪魔である。アンヘルとソックは女性の悪魔で、二人とも戦いに向いているタイプではない。

一応攻撃手段は持っているけれども、持っているだけだ。使いこなせているわけではない。ナイフのような武器を所持することは誰にでもできるが、使いこなすためには才能と努力が必要だ。彼女たちには努力も才能も足りていない。

 戦いに関していえば、アンヘルとソックは足手まといだ。かなり訓練をつまないと京太郎と同じ場所で戦うことはできない。動体視力も、体の動かし方もそこらへんの女子高生レベルである。悪魔であるから筋力が人よりもはるかに高いけれどそれだけだ。

悪魔と初めてであったときの京太郎でも命がけで戦えば倒せるだろう。

 そのため、もしもアンヘルとソックがドライブについてきていたとしても京太郎は戦いに参加させなかっただろう。足を引っ張るだけだからだ。

 

96: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:32:15.99 ID:KlUD8s2/0

 逆に呪術と呪物創作ではまったく京太郎は役に立たない。ウエストポーチの中に入っていた改造マッスルドリンコのような簡単な創作物でもアンヘルとソックの足手まといになる。それこそ手取り足取り、しっかりと手順を耳元でささやかれながら創作しても、失敗する可能性がある。

 これは京太郎が馬鹿だからではなく、アンヘルとソックの「できて当たり前」が非常に高いところにあるからおきるのだ。歩き始めたばかりの赤ん坊に、オリンピック選手のような走りを要求するくらいには「当たり前」が離れたところにある。

 適材適所という話なのだが、もしも虎城の仕事というのが一人でやったほうがずっといいというタイプの仕事なら、仲魔はいらない。

 そしてそもそも、一人のほうが好きな人もいるのだ。誰もが仲魔を求めるわけではない。このあたりに、京太郎は気がついていた。

 それで虎城について気になっていることがいくつかあるので、話の切り替えに使ったのだ。

 京太郎の「呼ばないのか」という質問に虎城は答えた。

「充電が切れてて、呼び出せない……」

 ずいぶん小さな声だった。スポーツカーの不思議な空間の中で虎城は赤くなっていた。小さな呟きだったが、車の中でよく響いていた。

 京太郎のなぜという疑問に対してこれくらいわかりやすい答えはないだろう。虎城のズボンのポケットの中には召喚のために使う携帯電話が収まっている。そこそこ丈夫に改造した携帯電話だ。ゾウが踏んでも壊れない耐久力がある。防水加工もしている。ちょっとのことでは壊れないだろう。

 しかし携帯電話は残念なことに充電が切れていた。電気がなければ携帯電話は動かないわけで、どれだけ仲魔を呼びたいと思っていてもできないのだ。虎城も理由はどうあれ、京太郎とディーと変わらない状況だった。


 スポーツカーは少しも止まることはなかった。途切れない草原と青空の異界を先に先に進んでいく。運転するディーはなんともいえない顔をしていた。

 虎城が戦力として期待できないことを責めているのではない。京太郎の質問に恥ずかしそうに答える虎城が不憫だったのだ。たいしたやり取りではないのだ。仲魔を呼ぶとか呼べないとか、それだけのことだ。ただ、京太郎の質問が虎城の痛いところをついたというのがまずかった。年下の京太郎につかれるのがまずいのだ。

 年功序列というのはヤタガラスではあまり意味がないものだ。うるさく言われるものではない。ディー自身もあまりうるさく言うつもりはない。

 しかし、人間関係は簡単に割り切れるものではない。年上には年上の接し方というのがあり年下には年下の接し方がある。このあたりの微妙な力の作用がよくわかっているので、年下の京太郎に痛いところをつかれた虎城の気持ちというのがディーにはよくわかったのだ。
 


 ディーの運転する車が道に従い進んでいく中で、京太郎は窓の外の景色を眺めていた。非常に真剣だった。

窓の外に広がっている景色をひとつも見逃さないぞという強い気持ちがあった。京太郎は目の前に広がっている景色が珍しかったのだ。アスファルトもなく石畳もなく、人の気配のない風景。

人間のみならず動物も見当たらない穏やかな世界。排気ガスと人間がひしめき合っている現世に生きている京太郎からしてみれば、あまりにも不思議な光景だった。どんな田舎であってもこの異界ほど穏やかな風景はないだろう。

この世界が妙に心をひきつけていた。

 京太郎が窓の外をじっと見つめていると、ディーが聞いた。

「面白いか?」

 純粋な興味がディーにはあったのだ。ディー自体はこの風景に思うところは少ない。ディーにしてみれば、人の姿がなく人の匂いがしない世界がある。

それだけだ。少し寂しいとは思うけれども、京太郎のように興味を持つような風景ではなかった。

 少し間をおいてから京太郎は応えた。

「はい。タイムスリップしたような気持ちになりますね。携帯があれば写真のひとつでもとっていたと思います」

 本当に残念そうだった。携帯電話で写真のひとつでも撮っておけば、気が向いたときにでも眺めることができたのだ。しかし京太郎は携帯電話を持っていない。以前は持っていたのだ。しかし壊れてしまった。新しいものを用意するのを忘れていて、今の状況である。

 しかし、写真をとっても今のような気持ちを何度も体験できるなどとは期待していなかった。京太郎の感じている感覚は、五感を通して感じているものであって、目だけで感じているだけではないからだ。しかしそれでも残念だった。

 京太郎がこのように言うと、ディーがこういった。

「須賀ちゃん携帯電話持ってないの? 最近の高校生には珍しいよね」

 ディーが高校生だったときでさえ、携帯電話を持っていない同級生はほとんどいなかったのだ。スマートフォンだとかが出回っている現在では、もっていない人間など絶滅危惧種なみに珍しいだろう。龍門渕に天江衣という絶滅危惧種がいるけれども、ディーの隣にも見つかった。

 京太郎は軽く笑った。そして説明をした。

「持ってましたよ。でも悪魔に襲われたときに全部やられちゃったみたいで行方不明です。まぁ、なくてもそれほど困るものじゃないですから、かまわないですけどね。

 それよりも教科書系統が全部だめになってたほうがショックでかかったですね。ライドウさんが手を回しておいてくれたみたいで助かりましたよ」

 病院で目を覚ましたときに一番ぞっとしたのは髪の毛の色が変わったことでもなければ、自分の仲魔がいつの間にかライドウと交渉して戸籍を手に入れていたことでもない。

 一番ぞっとしたのは、学生生活で必要なものの一切が失われていることに気がついたときだった。学生服はもちろん、カバンの中に入っていたものすべてがどこかに消えていたのだ。

焼かれたのか、川に流されたのかはわからないが、どこにもなかった。これから学生をやっていこうと思っていた京太郎にとっては最悪の状況だった。

携帯電話がどこかに消えてしまったことなど、どうでもいいくらいの衝撃である。結果その衝撃のために代わりの携帯電話を用意するなどという発想までいたらなかったのだが、しょうがないことである。

 

97: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:36:55.59 ID:KlUD8s2/0
 京太郎が説明をするとディーがこういった。

「あぁ、わかるわかる。俺もそんな感じだわ。携帯電話がなくても職場に毎日顔出すからいらないんだよね。

直接連絡を受けることのほうがはるかに多いし。着信履歴は家族と仕事関係ばっかりだわ。携帯電話より家の電話を使ってるほうが多いかも」

 ディーは笑っていた。学生時代は携帯電話を持っていなければ不便であるという感覚があった。しかし年をとってくると必要なときにしか携帯電話を使わなくなってしまった。

 友達づきあいというのも一年に何回か顔を合わせるだけで済むようになってくる。職場も龍門渕で運転手だ。スケジュールだとか細かい連絡は直接することのほうがはるかに多い。携帯電話では伝えられない情報というのももちろんある。

 結果としてほとんど携帯電話なんて使わないということになってしまうのだった。


 二人が携帯電話なんて使わないと話し始めると、恥ずかしそうにしていた虎城が京太郎に話しかけた。

「もしかして須賀君って人力世代のサマナーなの? 自分の仲魔を離れたところで自由にさせられるのって、たぶんそうだよね?」

 いくらか持ち直してきたようだった。恥ずかしがってもしょうがないという境地に至ったのである。また、目の前に転がっている珍しいサマナーのほうに虎城の興味は向いていた。

 珍しいサマナーというのは京太郎のことだ。現在のサマナーたちはほとんどが機械に頼った方法で悪魔たちを使っている。機械を使えば間違いが起こらない上に才能を必要としないのだから、誰もが機械で悪魔に接するようになる。そのほうがずっと楽で便利なのだ。

 虎城も機械を使う。弓矢よりも拳銃。自転車よりも車。飛行機があるのに、わざわざ泳いで海外に出て行くものはいない。

 しかしものすごく珍しい人たちもいる。昔ながらの方法で、悪魔を召喚して、仲魔にしている人たち。

 たとえば、十四代目葛葉ライドウとその二人の弟子。話に聞いたことがあるだけなので、実際に人力で悪魔を召喚している人を虎城は見たことはない。

しかし修行の面倒くささとつらさというのを話に聞くと少し変わっているなと思わずにはいられない。だから人力で悪魔を召喚する人たちをこんな風に彼女は分析していた。

 「人力タイプの人たちは伝統を重んじる人たちだ」

そして

「便利なものを便利なものだといって割り切ればいいのに、意地を張っている頑固者だ」と。

 すこし偏見が入っているように思うところではあるけれども、飛行機があるのにあえて泳いで外国に行こうとするくらいにはおかしなことをしているのだから、頑固者といわれても変人といわれてもまったくおかしくない。

「後方支援担当」なら、ごく当たり前の意見である。ほとんどの後方支援タイプのサマナーはうなずいてくれる。これが最前線で戦う「退魔士」ならば落第だが、彼女は後方支援なので問題ない。

 しかし頭が固そうな人たちというように分析してみると、京太郎はそういうタイプに虎城は思えなかった。ほとんど判断材料というのがないけれども、虎城はそれっぽくないと思っていた。

だから少し不思議に思い、質問したのだった。そして、この不思議自体に虎城はわくわくし始めていた。虎城の目が輝き始めている。超高速で運転しているときのディーと同じ目だった。



 虎城の質問に京太郎が答えた。

「違いますよ。というか、人力世代ってなんです?」

虎城のいう人力という言葉が何をさしている言葉なのかわからないのだ。不思議そうに、虎城を見つめていた。

 そもそも京太郎は一般的なサマナーではない。修行をして悪魔を使役するサマナーでもなければ、機械の力に頼って悪魔を使役するサマナーでもない。召喚術どころか、サマナーたちが暮らしている裏世界の常識などかけらも知らないのだ。

 不思議がっている京太郎を見て、虎城がさっぱり判らないといった顔をした。さっぱりわからないのは、虎城も同じなのだ。仲魔というのは契約を結んでいる悪魔のことだ。

契約を結ぶためには修行を積んで悪魔を従わせる術を身につけるか、機械に頼った方法をとるしかない。しかし京太郎はどちらも違うといった。

それどころか「人力」という言葉の意味さえ理解していない。さっぱり理解していないのだ。

 そうなってくると悪魔を使役する方法がなくなってくる。機械に頼るか修行しかないのだから、おかしなことだ。

 しかし仲魔はいると京太郎は答えている。さっぱりわからない。理屈が通らない。


98: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:40:11.11 ID:KlUD8s2/0
 困っているものが二人にふえるとディーがこういった。

「人力ってのは機械に頼らずに悪魔と契約をするってことだな。パソコンが普及する前は才能を持った人間しかサマナーになれなかった。

 十四代目みたいなタイプだな。ハギちゃんもベンケイさんもこれだ。

 才能が必須だったから、昔はものすごくサマナーが少なかったらしい。才能がなければ悪魔を見ることも声を聞くこともできない。

生まれもったものがなければ修行だ。凡人には悪魔と出会うための修行が必要だった。大体はここであきらめるって話だった。見えないものを信じて努力を重ねるのはつらいことだからな。

 面倒な話だよな。それにコミュニケーションをとるのもとんでもなく難しかったそうだ。悪魔の全てが日本語を話すわけじゃないからな。

日本の悪魔でも古い時代の悪魔というのはまったく違った言葉を話すこともあるらしい。

 こういう、一切の面倒ごとを努力でどうにかするから人力だな。

 今の時代は機械が何でもやってくれるからデジタル世代のサマナーって感じ。機械に頼るようになってからはサマナーになるのがとても簡単になった。

悪魔召喚プログラムをパソコンにインストールするだけ。技術が高まってからは携帯電話で行えるようになって更に簡単になった。だれでも、サマナーになれる。

 須賀ちゃんが龍門渕で相手をした女の子、あの子がデジタル世代のサマナーさ。ああいうタイプがむちゃくちゃ多い。大量の仲魔を呼び出して個人としての戦いではなく、集団で戦争を行うタイプ。

 あの子はハギちゃんが修行をつけているからそれなりにできる。しかしほとんどのサマナーは役に立たないから、俺たちはあまり期待していない」

 ディーは京太郎がほとんど一般人であると知っていた。だからサマナーの世界では当たり前の話を説明したのだ。

 ディーの説明を聞いた京太郎はうなずいた。何度もうなずいて見せている。感心しているようだった。

 京太郎はかなり大雑把に話を理解していた。京太郎はこのように理解している。

「今の時代には二つのタイプのサマナーがいる。
 ひとつは武将タイプ。自分も前線に出て、悪魔たちを率いる武人。戦っているところは見ていないけれど、ディーさんの話しぶりからしてハギヨシさんがそうだろう。

 あえて当てはめていけば、俺もこのタイプ。アンヘルとソックを前線に引っ張っていくつもりはないが、あえて当てはめればここに俺がいる。

 もうひとつは指揮官タイプ。悪魔たちをたくさん呼び出して、自分は後ろで計画を立てて戦争を行う策士。これは龍門渕でヨモツシコメとヨモツイクサを呼び出した沢村さんがそうだろう。

そしておそらく、松常久とその部下たちもこれだろう」

 そして口に出さなかったけれども、デジタル世代のサマナーたちに対しての一番簡単な対処法を京太郎は見つけていた。京太郎は心の中でつぶやいた。

「やはりというか、ハギヨシさんが直接攻撃を禁止したときからうすうす感ずいてはいたが、サマナーを直接始末するのが一番手っ取り早くて確実みたいだな。

サマナー単体が戦闘訓練を積んでいないせいで足手まといになっているのだろう」

 そして無意識に京太郎は心の中でつぶやいた。

「つまらない」と。

 
 ディーの話を噛み砕いてうなずいている京太郎。一方、虎城はさっぱりわからないという顔を浮かべていた。悪魔との付き合い方が世代間で違っているというところがわからないのではない。

当たり前のことをはじめて聞いているような京太郎がわからないのだ。

 いよいよわからなくなった虎城は京太郎に聞いた。

「もしかして誰かから譲られたとか?」

 可能性としてはある話だ。サマナーとして働いていた誰かが、京太郎に仲魔を託すという方法である。普通の人間でもマグネタイトを持っているのだ。維持するだけのマグネタイトがあれば、仲魔を手に入れることはできる。

 まったく京太郎がどうやって仲魔を作ったのかわからない虎城に、京太郎はこういった。

「それも違いますよ。普通に契約しただけです」

 虎城が何に悩んでいるのか京太郎はさっぱりわかっていない。契約を結ぶというのは、簡単なことだと思っている京太郎にしてみれば、何がどうおかしいのかがわからないのだった。

 京太郎の答えを聞いた虎城はうんうんとうなり始めた。京太郎の話をどうやって理解していけばいいのかわからなくなって頭が混乱し始めたのである。

 二人のかみ合わない様子を見かねてディーがわかりやすく説明した。

「つまり須賀ちゃんは神話の時代の契約を結んだってことさ。サマナーたちが結んでいる雇用契約じゃない」

99: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:44:11.20 ID:KlUD8s2/0
 ディーの説明を聞いた虎城は顔色を真っ青に変えてこういった。

「神話の時代? つ、つまり……真正の魔人? 確かにそれなら理屈は通るけど、そんな馬鹿な話があるわけがない。

 不死性を捨てるリスキーな契約を結ぶ悪魔がいるわけがない。それに、仮にそうだったとしたら、須賀くんは魔人?

 真正の魔人の情報が上がって来てないってどういうこと?」

 先ほどであった奇妙な女性悪魔を前にしたときよりもずっと顔色が悪くなっていた。助手席に座る京太郎をまっすぐに見れなくなっていた。

 虎城は京太郎を恐れたのだ。魔人というのが非常に厄介なものであるというのもわかっているし、神話の時代の契約というのがどういうものなのか虎城は理解していた。

だから怖いのだ。わかるから怖い。

 もしも虎城が、まったく何も知らない状態であれば、なんとも思わないだろう。そういう契約を結んだのだくらいの気持ちにしかならない。

魔人だといわれても、それがどうしたのかといって終わってた。

 わかるから怖いのだ。サマナーである虎城は知っている。神話の時代の契約と、神話の契約で生まれてくる魔人という存在の危なさというのを知っている。知識が恐怖になっていた。

 京太郎が何をしたわけでもないので怖がるのは筋違いではある。行動だけを見れば、京太郎は命を救っていたり助けていたりするわけだから、どちらかといえば良いタイプだ。

 しかし、怖いものは怖いのだ。彼女は京太郎のことを理解して、恐ろしくなって、青ざめたのだった。


 虎城が黙り込んでしまった。京太郎も、ディーも黙っていた。そのまま重苦しい空気に包まれたまま、スポーツカーは進んでいった。

京太郎もディーもさっぱり気にしていないようで進行方向ばかりを見ていた。ディーは前に進むため、京太郎は気持ちのいい景色をよく覚えておこうという気持ちがあったためである。

 また虎城が自分のことを怖がっているのに気がついているので、特に京太郎は何もしなかった。

入院している間に十四代目から魔人という存在について教えてもらっているのだ。もしも自分が普通の人間であったら、きっと魔人のことが恐ろしくてしょうがなかっただろうと思う京太郎だったので、虎城のことはしょうがないと割り切っていた。


 重苦しい空気のままで五分ほど走ったところ。青空と草原の異世界の道半ばでディーがこういった。

「おっと、どうやらまた用事があるらしい」

 視界の中に一メートルほどの岩が見え始めたのだ。はじめはひとつ。次には二つ。次には三つ。どんどんと岩が増え始める。先に進むにつれて増えていく岩たちが何を示しているのか、ディーはすぐ思い当たった。京太郎と握手を求めた奇妙で怪しい女性だ。

 引き返えすという選択肢はディーになかった。バックミラーに写る光景を見たからだ。前に見える岩よりもはるかに多い岩が道をふさぎ始めていた。ディーはこれを

「前に進め、逃がさないぞ」

という怪しい女性の意思と受け取っていた。

 怪しい女性の介入をディーが感じ取ったのとほとんど同時に、京太郎の目が見開かれた。への字に結ばれていた口元が釣りあがり、笑みを作っている。獣のようだった。

 今まで穏やかだった京太郎に一気に活力がみなぎり始めた。車の中の重苦しい空気が一気に吹っ飛ぶ情熱が京太郎から発せられていた。京太郎もまた怪しい女性の介入を感じ取ったのだ。

視界に増えていく岩。その先に待っているのは間違いなく怪しい女性だろう。二度目なのだ。いやでもわかる。

 京太郎はこう思ったのだ。

「雪辱戦だ。手も足も出なかった相手にもう一度挑むことができる」 

 別に戦っていたわけではないのだから、雪辱戦も何もない。ただ、握手に反応できなくて悔しいと思っているだけである。しかし、やられたという気持ちが京太郎にはある。

 馬鹿な話だが、悔しいのだ。反応することもできない自分が悔しくてしょうがない。やはり、やられっぱなしは悔しい。

せめて反応したい。全力で反応したいのだ。せめて視界に納めたい。実に頭の悪い望みである。しかし本当に反応さえできなかったのが悔しかった。

 そんな悔しい思いをした相手ともう一度出会えるかもしれない。獣みたいな顔にもなる。

 京太郎が獣じみた笑みを浮かべるのを運転席のディーは苦笑いで受け止めていた。京太郎のような笑みを浮かべる人間をディーはよく知っていた。

こういうタイプの人間が口で何を言っても止まらないというのも知っていた。そして大体において自分が手を貸す羽目になるというのもわかっていた。

そのため、ほとんどあきらめに近い感情で京太郎の援護だとか、もしものときの対処というのを考え始めたのであった。

 無限に広がっていた草原が一メートルほどの岩でどんどん埋め尽くされていく。岩で埋め尽くされる道を京太郎は見つめていた。道の先を睨んでいる。しかしそれは憎しみからではない。頭を働かせているのだ。

どうやって怪しい女性に対抗するのか。どうやって視界に捕らえるのか。必死で、どうにかしようと頭をひねっていた。

 怪しい女性が、もう一度京太郎の前に現れてくれるという保証はない。まったく別の誰かが現れる可能性もある。しかしもしも怪しい女性であったとしたら、どうにか対応したい。

対応するためには今のままではいけないのだ。今のままならまた反応できないまま終わるだろう。それはだめだ。だから必死になって考えるのだった。

100: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:48:55.20 ID:KlUD8s2/0
 岩が生え始めて三分後、スポーツカーは運転をやめていた。道がほとんどなくなってしまったからである。

視界のほとんどが岩で埋め尽くされて、引き返すこともできなくなっている。一応道はあるのだ。スポーツカーの前に一本道である。進めばいいところだけれども、少し気が引けるのだ。

というのが、一本道の向こうには円形の空間がある。半径十メートルほどの円形の空間だ。ここは普通の草原だった。

そして運のいいことに、円形の空間の中心にはオロチの石碑が立っていた。非常に運がいい。

 しかし、問題があった。オロチの石碑のすぐそばに、怪しい女性が立っていたのだ。長い髪の毛を地面に引きずって、ぼろ布をまとっただけの怪しい女性である。

どうやら、スポーツカーに用事があるらしかった。輝く赤い目がスポーツカーを睨みつけていた。

 スポーツカーの中にいた三人はおのおの違った反応を取っていた。京太郎は笑みを浮かべ、虎城は恐れ震え、ディーはあきらめていた。

 いかにも怪しい女性をオロチの石碑のそばで発見したディーは車を止めた。女性から二十メートルと少し離れているところだった。怪しい女性が誰を狙っているのかすぐにわかった。

怪しい女性の輝く赤い目は助手席の京太郎を見つめてまったく動いていない。このまま近寄っていって、京太郎を危険にさらすというのがディーには選べなかった。オロチの石碑を使いたいという気持ちはあるけれども、京太郎を危険にさらすのはだめだった。

 止まった車の中でディーはこういった。

「あの女悪魔とコンタクトをとろうと思う。

 オロチの石碑を使いたいと俺は考えている。そうすれば現世への帰還がすばやく行える可能性が非常に高い。

松常久という準幹部クラスの裏切り者がいる以上、早く龍門渕へ戻り関係者たちと情報交換を行うべきだ。

 しかし危険がある。あの怪しい女が、オロチの石碑を使わせないように邪魔をしている。きっとまた、須賀ちゃんを要求するだろう。じっとこっちを見ているのを見れば、ほぼ間違いないと思うがな。

 それでだ。どうする須賀ちゃん。俺は強制するつもりはない。須賀ちゃんは、一般人だ。ヤタガラスじゃない。

 怖いなら、ここにいてくれたらいい。この車の結界は簡単に壊れない。上級悪魔程度の攻撃では傷ひとつつかない。きっと守りきれるだろう

 悪いとは思うが、選んでくれ。ここに残るか、俺と一緒に先に進むか」

 ディーは淡々と京太郎に話をした。京太郎にどうするかを任せていた。というのが、ディーには二つの考え方があるのだ。

 ひとつはなんとしても龍門渕に戻りたいというヤタガラスとしての考え方。いつまでもだらだらと道を走っているわけには行かない。できるだけ早く龍門渕に戻り、情報交換をするべきだろう。

ライドウが内偵を命じていた事件についても、内偵にかかわっていた虎城たちに対する襲撃に関しても、今のままでは前に進むのが難しい。というのが、ほとんどの証拠が虎城に集中しているからだ。

 なにせ虎城の班員たちに何が起きたのかを知っているのは今のところ当事者である松常久と、虎城のみ。虎城がいないままでは龍門渕もハギヨシもいまいち上手く動けない。

 たとえ内偵にかかわっていたサマナーたちが行方不明になっていると確認ができても、おそらく松常久がヤタガラス襲撃にかかわっていたという証拠は悪魔の技術を使い消されているだろう。

 何にしても、戻るためにはオロチの石碑を使うのが一番手っ取り早くしかも安全である。日本の国土を何百も重ねた領域を持つオロチの世界から抜け出すためには道しるべが必要なのだ。地図がない以上は頼るしかない。


 しかしヤタガラスとしての考え方以上に、二つ目の考え方というのがディーを悩ませている。
 
 ディーは京太郎を巻き込みたくないのだ。なぜなら京太郎はヤタガラスではない。仮にヤタガラスであったとしても、いかにも怪しい女性の生け贄にするようなまねというのはディーの正義が許さない。

合理的な判断であっても許さないのだ。怪しい女性が何者なのかわからない。そして何を持って京太郎に興味を持っているのかわからない。わからないことばかりだ。

 手探りで進むしかない真っ暗闇の道、獣が潜んでいるかもしれないのに、子供を歩かせる。そんなことはディーにはできない。

「できるだけ遠ざけておきたい。火の役割を果たせる自分の元においておきたい」

 これがディーの二つ目の考え方で、一人の人間としての根っこの部分であった。

 結果としてヤタガラスとしての合理性と、人としての正義がせめぎ合って京太郎に決断を任せるような話をしてしまったのだった。

京太郎が選んだ結論であればどちらでもディーは納得できるから。積極的には選べなかった。


 ディーの示した二つの道、京太郎はしっかりと選び取った。少しも迷わなかった。

「とりあえず、話でもしましょうか。手を握られるくらいで通してくれるのならたいしたことじゃないですし、オロチの石碑の案内は俺もぜひ使いたい。

いつまでもオロチの世界にいるつもりはありませんから。

 それに今度は反応して見せますよ。ちょっと思いついたことがあるので試してみます」

 京太郎は明るく元気に振舞っていた。特に恐怖の色はなかった。京太郎の頭にあるのは怪しい女性に対して自分の思い付きが通用するのかというわくわくした気持ちだけだ。ディーが感じているような重苦しい気持ちというのはない。

 また、明るく振舞っているのは、虎城に気を使ったためである。虎城が自分のことを怖がっているというのはわかっている。

スポーツカーの不思議な空間で小さくなっているのが証拠である。そして車の中の空気が、いまいちよくないことも察している。

暗くてよどんでいてよくない。その空気を察していたからできるだけ明るく振舞った。ここで、真剣な口調で話をしたら、また空気が悪くなるなと思ったのだ。あまり空気が悪いと、虎城もディーもつらいだろうという配慮である。
 

101: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:52:28.92 ID:KlUD8s2/0
 京太郎を見て、ディーはこういった。

「わかった。それじゃあ、いこうか。

 もしものときは心配しないでいいよ。俺がしっかり守る。これでもめっちゃ強いからね」

 先ほどの淡々とした調子からは打って変わって楽しそうだった。京太郎を見てここにはいない誰かの姿をディーは思い出していた。

 ディーが楽しそうに笑っている間に助手席から京太郎が降りた。非常にすばやい動きだった。シートベルトをはずすと、助手席の扉を開いて、一本道に変えられた草原に飛び出していった。

誰の目から見ても京太郎は交渉するとか、危険な存在と係わり合いになるという緊張感がなかった。頬が赤くなり、目に力が宿っていた。

 勝負前のスポーツ選手のようだった。京太郎の頭にあるのは目の前の奇妙な女性との握手のことだけなのだ。

 京太郎が草原に下り、準備運動を始めたころ、ディーは運転席から降りた。少しあきれていた。ディーの中での目的は龍門渕まで安全に戻ることなのだ。

いちいち確認していないけれども、虎城も京太郎も同じ目的だろう。細かいところは違うにしても同じはず。しかし車から降りて草原に降り立った京太郎はどう見てもこれから一発戦うぞというやる気に満ちていた。

その様子がどうにも自分の知り合いというか、ハギヨシの若き日に重なって、困ってしまうのだ。ディーはこう思う。

「はしゃぎすぎて、ハギちゃんみたいに優先順位を間違えてくれるなよ」と。


 運転席から降りるとき。スポーツカーの不思議な空間で小さくなっている虎城にディーが声をかけた。

「さっきも言いましたが、この車の中は安全です。もしも俺たちが戻ってこれなかったら車の中に隠れていればいい。

そのうち迎えが来てくれるはずです。何日かかるかはわかりませんが、きっと迎えに来てくれるでしょう。氷詰めになって我慢するよりはずっとましなはず」

 ディーは虎城のことを戦力としてみていない。後方支援に割り当てられているのだから、戦う力は少ないだろうと判断していた。

 自分たちがここでやられるとは思っていなかった。京太郎がいるからというのももちろんある。しかしいざとなればどうにかできる力をディーは持っている。

ただ、どんなものにも万が一というのがある。もしかすると京太郎もディーも戻ってこれない、という結末もあるのだ。そのときのことを考えると、伝えておくべきだった。

 準備運動を終えた京太郎と少しあきれているディーが怪しい女性に近づいていった。京太郎の体からは熱気が漂っている。一方ディーは実に落ち着いていた。いざというときに備えているのだ。


 二人を見送りながら、虎城は唇をかんだ。二人が恐ろしいからではない。無鉄砲な二人に腹を立てているわけでもない。京太郎が助手席から降りて行き、ディーが運転席から降りていったところで、やっと彼女は冷静になったのだ。

 そして今までの二人の行動というのを思い出していた。命を助けてくれたこと。悪魔の群れを追い払ってくれたこと。自分の身をたてにして衝撃から守ってくれたこと。

 そして自分が何をしたのかを思い出した。どこかの誰かの知識だけでおびえて、勝手に恐れた。今まで見てきたものをさっぱり忘れて、頭の中で終わらせた。

 冷静になった彼女には自分がよく見えてしまったのだ。そして自分の振る舞いが恥ずかしいものであったとわかってしまった。

 これだけでも苦しいものがある。しかしそれに加えて、そんな自分に対して今でも、気を使ってくれる二人がいる。

 京太郎もディーも気を使ってくれているのがわかったのだ。京太郎の変に明るい振る舞いも、ディーの忠告も気を使ってくれたからだろう。その優しさが余計に恥ずかしく思わせた。



 怪しい女性の元へと京太郎とディーは歩いていった。引きずるほど長い髪の毛の女性はオロチの石碑を背中に隠して立っている。怪しい女性に近づく京太郎はやる気に満ちていて、その隣を歩くディーは京太郎に軽く注意をしていた。

 京太郎にディーはこういうのだ。

「まずは、会話から。会話からだからね? いきなりゴングを鳴らすのはだめだよ」

 やる気に満ちている京太郎はいきなり戦いを挑みそうな雰囲気があったのだ。六年前に若きハギヨシがやらかしたのを覚えていたので余計に注意していた。

 とても心配しているディーの注意に京太郎は軽く答えた。

「わかってますって。別に喧嘩がしたいわけではないですから。ただ、反応したいだけです」

 京太郎はフンフンと鼻を鳴らしていた。喧嘩でも始まりそうな勢いがある。しかし、本当に喧嘩をするつもりはない。

京太郎の答えは本当で、反応すらできなかった怪しい女性の行動に「ついていってやるぞ」という意気込みがあるだけだ。

それに、追いつく方法というのを思いついたので、思いついた方法というのを試すわくわく感も加わっていた。

102: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:55:57.32 ID:KlUD8s2/0
 二人が近づいてくると怪しい女性は動き出した。まず怪しい女性は京太郎を指差した。

右手の人差し指を京太郎に向けて、ゆらゆらとさせている。前髪が長すぎるために表情はさっぱり見えない。

しかし前髪の向こう側で輝く赤い目が見えた。その赤い目が京太郎を前にして形を変える。光の形からして笑っている。

 怪しい女性は京太郎を待っていたのだ。そして、京太郎が車の中から出てきてくれた。それがとてもうれしかったのである。

 そしてこの怪しい女性はつぶやいた。

「手、手……手」

 声が非常に小さい。やはり話しなれていないのだろう、声帯がまともに動いていない。声がざらついている。しかし何を求めているのかは、京太郎にもディーにもわかった。先ほどと一緒だ。この怪しい女性は京太郎の右手、マグネタイトの交換を求めている。


 怪しい女性の目的を完全に察したディーが再び京太郎にきいた。

「どうする? この様子ならさっきと同じ事が起きるはずだ。須賀ちゃんがやばいと思うのなら、俺がここで始末してもいい。

 回数を重ねることで、発動する呪いもあるからな。ここなら被害を気にせずに魔法が撃てるから俺も本気で戦える。

多少の被害はあるだろうがどうする? 須賀ちゃんが相手をするか? やめてもいいぞ」

 真剣な表情である。しかし京太郎が握手に望むだろうという予感のほうがはるかに強かった。

しかし、もしも京太郎が怖気づいたら怪しい女性にディーは対応するつもりだ。

 ここで京太郎が怖気づいてもまったく責めるつもりはない。怪しい女性の風貌、垂れ流しになっている巨大な魔力。どこからどう見ても怪しいのだ。

仮に京太郎の立場ならディーはいやな気持ちしかなかっただろう。ならば、年長者で実力者であるディーが対応するという判断は自然だった。

 ディーが交代するかというので京太郎は静かに返事をした。

「大丈夫だと思います。もしも何かあったら、そのときはお願いします」

 京太郎は気を引き締めた。怖いという気持ちもあるけれど、試してみたいという気持ちのほうがずっと強かったのだ。

 一応命の危険というのも考えてはいる。もしかすると命を持っていかれる可能性もある。先ほどは手を握られるだけだった。

しかしそれは目の前の怪しい女性が殺すつもりがなかったからそうなっただけだ。目で追う事もできなかったのだから命を獲りにこられていたら、終わっていただろう。

 もしかすると次の瞬間には自分が殺されているかもしれない。それも気がつかない間に。恐ろしいことだ。

 しかし京太郎は思いついてしまった。このとんでもなくすばやく動く怪しい女性を目で捉える方法というのを思いついてしまったのだ。

思いついてしまったら、試さずにいられなくなっていた。

 恐怖よりも、全身全霊を持って挑戦する喜びに心は傾いていた。馬鹿なことに一生懸命になっているなというのは自分でもわかっている。しかし、どうしようもないのだ。


 ディーに返事をすると怪しい女性に京太郎は近寄っていった。京太郎の顔には笑みが浮かんでいる。若干の不安と恐怖に、多くの喜びを混ぜたものである。

「思いついた方法を思い切りぶつけてやろう」

 怪しい女性と京太郎の距離は十メートルほど。その短い距離の中で京太郎は女性とのやり取りについて頭を働かせていた。

もしも動きを捉えることができたならと考えはじめると、たくさんのやり取りが思い浮かんできたのだ。

 そして心臓が高鳴る。呼吸を忘れそうになる。考えるだけも楽しい時間だった。

しかし十メートルはあっという間に京太郎と女性の手が届く距離に縮まってしまう。

 勝負のときが来た。切羽詰った感情がわいてくる。しかしそれさえもよかった。間違いなく京太郎は満ちていた。

 怪しい女性の前に立つ京太郎の背中にディーがこういった。

「後始末は任せとけ、好きなようにやってみろ」

信頼できるものだった。

103: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 05:59:09.18 ID:KlUD8s2/0
 京太郎が近寄ってくるのを見ていた怪しい女性は笑っていた。うれしいらしい。引きずっている長い髪の毛が笑うたびにゆさゆさと震えている。

人型のモップが震えているような滑稽さがあった。しかし、女性の風貌が、特に前髪の奥で光り輝いている赤い目が、馬鹿にさせてはくれない。恐ろしくてしょうがない。

 笑い声も金属的な響きが多く含まれている。声を出すのもへたくそだったが、笑い方もへたくそだった。

 怪しい女性は京太郎を求めている。何を持って京太郎を気に入ったのかはわからない。しかし、京太郎の何かがこの女性をひきつけているのには間違いなかった。

 怪しい女性に手が届く距離まで京太郎が近寄ったときのことだ。京太郎は首をかしげた。おかしいなと思ったのだ。妙なにおいがしたのだ。

京太郎はこの臭いをかいだことがあった。

「酔っ払った、親父」

 そしてすぐに京太郎は思い当たった。

「俺のマグネタイトを吸い取った副作用か?」

 そうすると、怪しい女性の目的も京太郎は予想ができた。

「もしかしてこの人は酒好きなのか? 一度目のやり取りで俺のマグネタイトに気がつき、追いかけてきたとか?」

 答えはわからない。怪しい女性に聞くような暇はない。答えてくれる保証もない。そしてそんなこと今はどうでもいい。

 京太郎は一気に心を引き締めた。反応できない動きについていく方法を試すためである。怪しい女性が酒好きかもしれないとか、自分を物のように思っているかもしれない、などというのはどうでもいいことだった。


 酒臭い怪しい女性は京太郎に向けて右手を差し出してきた。鋭い爪が生えた白くて細い右手である。

 右手を差し出してきたのにあわせて、京太郎は魔力を練り上げ始めた。京太郎の魔力が一気に高まり始めた。

近くで見ていたディーは京太郎が攻撃呪文を唱えるのではないかと身構えた。しかし自分の予想は間違いであるとすぐにディーは察する。

京太郎の異変に気がついたのだ。

 京太郎の練り上げた魔力がまったく外に漏れ出していなかったのだ。魔力こそ高まっているが、外に出ていない。

むしろ今まで垂れ流しになっていた魔力がどんどん京太郎の内側に押さえ込まれていった。

 内側で膨れ上がる魔力の影響で鼻の中の毛細血管が切れたらしく京太郎が鼻血を流し始めた。ディーは京太郎が何をしているのか理解した。

「あえて力を内側に溜め込んで、感覚を強化するつもりか? 痛いではすまなくなるぞ」

 鼻血を流しながら京太郎は怪しい女性に右手を差し出した。鼻血を出しながら右手を差し出す京太郎は、笑っていた。

実に恐ろしい表情である。獣としか言いようがなかった。京太郎が笑っているのは自分の思い付きが正解だったと喜んでいるのだ。

 感覚の強化を思いついたのはハギヨシの話からである。龍門渕へむかう車の中で、ハギヨシが京太郎に感覚の鋭さについて説明をしてくれたのを覚えていたのだ。

「上手くマグネタイトと魔力を発散できないことが、感覚の強化につながっている」

 感覚の強化の効果というのは、日常生活で実感できている。普通なら気づかない小さな傷に気がつき、面白かったはずの麻雀を退屈なものに変えてしまった。

退屈なものに変えてしまったことは残念である。しかし、その効果というのは半端なものではない。

普通では考えられないところまで感覚がとがっていた。

 厄介な状況だと嫌うこともできるが、考え方を変えれば利用することもできる。

特に何もしていない状態で、日常生活に支障が出るレベルの強化が行われるのならば、無理やりに魔力を高めて、かつ、あえて外に出さないようにすればどうなる。

 「更なる感覚強化が見込めるのではないだろうか。反応できない存在にも追いつけるのではないだろうか」

 京太郎の思いつきは見事に形になった。時間がゆっくりと動き、見えなかったものが見え始める。

ただ、代償だろう。激しい頭痛が京太郎を襲っていた。

104: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 06:03:34.64 ID:KlUD8s2/0
 
 激痛に一瞬京太郎は顔をゆがめた。痛くてしょうがなかったのだ。しかしほんの一瞬のことだ。一秒もない空白の時間。しかしこの空白の時間を怪しい女性は見逃してくれなかった。

 一瞬気を抜いた京太郎の右手をつかみにかかったのだ。怪しい女性からしてみれば、京太郎の手を握るのが目的なのだ。自分からのこのこやってきた京太郎を見逃す理由はない。

 また、京太郎は女性に一泡吹かせてやると意気込んでいるけれども怪しい女性は京太郎の気持ちを気にする必要はない。

京太郎が勝手に意地を張っているだけなのだ。

 そのため、すきを見せたのをきっかけにして、これ幸いと右手を握りに来たのだった。


 しかし思いのほかあっけなく、女性の右手は空を切った。つかみそこなったのだ。

女性の手は、京太郎の右手の下を掠めていく。一度目とおなじスピードだったのにもかかわらず、つかみ損ねた。

 激痛に耐えている京太郎がわずかに上半身をそらしたのだ。

 しっかりと怪しい女性の動きが京太郎には見えていた。研ぎ澄まされた感覚は一度は反応できなかった怪しい女性の動きを捕らえたのだ。

 しかし回避の成功と同時に、小さな破裂音が京太郎の体のなかで響いた。この破裂音は、非常に小さなもので、京太郎の肉体の中で響いただけである。

怪しい女性にもディーにも聞こえていない。聞いていたのは京太郎だけだ。この破裂音は、分不相応な領域に足を踏み入れた代償だ。

 感覚がとがっていた京太郎でさえ、一度目は反応すらできなかった領域である。音速といっていい領域に無理やりに感覚を暴走させて入り込んだのだ。

音速行動の代償として筋肉が損傷し、骨がきしみ、血管が切れたのである。破裂音は、壊れていく肉体の悲鳴である。

 しかし怪しい女性の手をつかもうとする動きは見事に失敗した。そして姿勢を崩している。思い切りつかみにかかっていたため、重心が前にずれていた。

体勢を立て直す時間が必要だろう。京太郎は無様ではあるが、目的を達成していた。完全に満足できる動きではないが、結果だけを見ればよくできていた。


 鋭くとがった感覚が捕らえる、刹那といっていいわずかな時間の中で、身をかわした京太郎は驚愕の表情を浮かべた。信じられないものをみたのだ。

怪しい女性の握手をかわした次の瞬間だった。姿勢を崩した女性から巨大な魔力の流れを感じとった。

ほんの一瞬、怪しい女性の巨大な魔力に当てられただけだが、京太郎は死を覚悟した。

 一気に高まった魔力は怪しい女性の目に集まり、輝く赤い目が更に力を増した。ゆっくりと動く時間の中で、驚くべきことがおきた。

 手をつかみにきていた女性がもう一度踏み込んできたのだ。音速の領域を知覚している京太郎が、かろうじて追えるスピードだった。

怪しい女性が踏み込んだ瞬間、空気が引き裂かれて悲鳴を上げた。音速で車を運転できる動体視力を持つディーでさえ、「早い」と驚く身のこなしだった。

 格下の京太郎が加速した怪しい女性の動きを追いきれた理由は二つ。

 ひとつは、感覚を強化していたから。無理やりにでも感覚を鋭くしていなければ、知覚不可能だった。

 もうひとつは、死を感じたことである。空前絶後の魔力の奔流を体感したことで命の危険を感じ、集中力が跳ね上がったのだ。結果、強化の度合いが高まったのである。

 

 踏み込んできた怪しい女性は京太郎にタックルを繰り出した。両手を大きく広げて思い切り京太郎の胴体めがけて飛びついた。

十本のとがった爪が左右から迫ってくるさまは、獲物を食らう獣のようにも見えなくはない。

 怪しい女性のタックルは見事京太郎に決まった。両腕は京太郎の胴体をしっかりと捕らえている。京太郎にタックルが決まったときに、ドンと大きな音がしたけれども、京太郎の胴体は無事である。

 千切れていない。怪しい女性がタックルに打って出たのは、京太郎が握手を回避したからである。特にこれといった理由はない。逃げられたから、次は逃がさないように、思い切り突っ込んだ。それだけである。

 京太郎が握手を回避してから、抱きつかれるまで一秒とかかっていなかった。


 怪しい女性のタックルから十秒ほど、倒れこそしなかったが京太郎は声を出せないでいた。

「不覚」

この気持ちが言葉を奪ったのだ。思い切りタックルを食らったために体がきしみ、分不相応な領域で行動したために体の内側が痛むが、それも気にならなかった。

 抱きつかれたままで、京太郎は反省する。

「なぜ油断をしたのか。回避できたからといって調子に乗ったのではないか?

 回避した後にもやり取りがあると思っていたはずなのに、すっかり頭から抜けてしまっていた。最後のタックルも、見えていたのだ。よけられたはず」

 自分の失敗ばかりが思い浮かんでしまう。結果だけを見れば、一応の目的は達成している。握手は回避できた。それだけで十分のはず。確かに、見えなかったものを見て、反応して見せている。

 しかし、京太郎には次が見えている。対応できたはずと考えてしまう。それが、京太郎に「悔しい」と思わせてしまう。そしてそんな悔しさが、反省を促すのだ。そして、京太郎は決心する。

「次はもっと上手く動いてみせる」と

105: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 06:05:44.91 ID:KlUD8s2/0
 京太郎の胴体に腕を回していた怪しい女性は更に十秒ほど抱きついたままだった。

細くて白い両腕を京太郎の胴体にまきつけたまま、じっとして動かなかった。

 抱きついて二十秒が過ぎるというところでいよいよディーが動き出した。

特にこれといった悪意というのを感じなかったので、手を出さなかったディーである。しかしそろそろ二十秒が過ぎるというので、さっさと離れてもらおうと考えたのだ。

 もう十分だろうというのがディーの思うところである。

 ディーが魔力を高め始めると、少し不満げではあったが京太郎から怪しい女性は離れた。

京太郎の胴体に回していた両腕を解いて、京太郎から一歩下がった。

 そして、情けない顔をしている京太郎の頭をなで始めた。マグネタイトは吸い取っていない。京太郎のほうがずいぶん背が高いので、女性が爪先立ちをする格好だった。

 怪しい女性に頭をなでられている間、京太郎はされるがままだった。いきなり頭をなでられる意味がわからなかったからだ。

そして、よくわからない敗北感というのを感じていた。


 京太郎の頭を撫で回した後ニコニコと笑いながら怪しい女性は霞のように薄れて姿を消した。

体が徐々に薄くなり、風景が透けて見えるようになったのだ。消えていくときの、怪しい女性の目は優しい微笑の形だった。

すくなくとも、京太郎を見つめているときは輝く赤い目が微笑んでいるような形だった。

 しかし、消えうせる瞬間にディーに向けた視線には憎しみがこもっていた。

 怪しい女性の体が掻き消えると、気配すら感じなくなった。怪しい女性の用事は済んだのだ。

京太郎のマグネタイトを手に入れた。そして酔っ払って気持ちがよくなった。だから、用事は終わりだ。


 まだ我慢できる。


 怪しい女性が消えると、京太郎にディーが近寄ってきてこういった。

「ドンマイ。まぁ、いきなり動かれたら反応できないって。気にするなって、な?

 武術も修めていないのに、あれに反応できるならたいしたもんさ。上級の壁を越えていない須賀ちゃんが対応できただけでもすごいことだぜ?

 上級と中級の壁はむちゃくちゃ分厚いからな。邪魔者がいなくなっただけでもよかったと思うことにしよう、な?」

京太郎に気を使ったのだ。怪しい女性に頭をなでられた京太郎の表情がへこんでいるように見えたのである。

106: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 06:10:28.42 ID:KlUD8s2/0
 ディーにこのように励まされて京太郎はうなずいた。まったく納得していないのが誰の目から見ても明らかである。

苦虫を噛み潰したような顔をしている。ディーのいうとおり道が開けたのだから、問題はない。

マグネタイトを少し支払うだけで道が開けるのだから、これでいいはずだ。喜ぶべきことだろう。

怪しい女性との戦いも戦いというほどのこともなく、被害は非常に少ない。被害があるとすれば、京太郎の心がへし折られただけである。

特に、頭をなでられたのがきいていた。しかしそれだけだ。結果だけを見れば、いいことずくめだった。

 悔しい気持ちでいっぱいの京太郎だったが、やることはしっかりと行った。

 草原に立っているオロチの石碑に手を触れて、龍門渕への道を聞いたのだ。そのときにヘビのレリーフが勢いよくうねり、道を教えてくれた。

機嫌がいいらしく、細長い舌をチロチロと出して見せてくれていた。

 悔しい気持ちでいっぱいにはなっているけれども、やるべきことはやるべきことで分けているのだ。一番大切なことは、オロチの世界から抜け出して、龍門渕へと戻ること。

京太郎もわかっていたから、ここはしっかりと役目を果たしていた。

 オロチの石碑が道を示すと、岩で埋め尽くされていた草原が、どんどんもとの姿を取り戻し始めた。気持ちのいい光景だった。

一気に綺麗な草原が戻ってくるのだ。盛り上がっていた岩が、ストン、ストンと、地面にもぐりこんでいく。

不思議なことで、岩がもぐりこんだところには普通に草が生えていて、掘り起こされたような痕跡は残っていなかった。
 

 ディーに背中を押されながら京太郎は車に戻っていった。車から出てきたときとは打って変わって、ゆっくりと帰ってきた。

 というのが、京太郎は先ほどのやり取りを、どうすれば対応できるかといって一生懸命になって考え始めていたのである。

ほうっておくとずっとその場所で考えていそうな雰囲気があった。そのため、京太郎の背中を押して、ディーが車に追い込んでいった。

 そして京太郎を助手席に追いこんでいってたディーも運転席に乗り込んだ。オロチの石碑はどこに向かえばいいのかを教えてくれているのだ。

道がわかったのならば、さっさと先に進まなくてはならない。松常久の追跡はまだやんでいない可能性もある。それに、怪しい女性のこともある。

京太郎に執着しているのがわかった以上、いつまでも同じ場所にいるわけにもいかない。そして怪しい女性がディーに対して憎しみのような感情を持っているのにも気がついているのだ。

何か仕掛けてくる前に龍門渕に戻りたかった。


 さて先に進もうかとディーがエンジンをかけた。そうするとスポーツカーの不思議な空間で小さくなっていた虎城が京太郎にこういった。

「ごめんなさい!」

エンジン音に負けない大きな声だった。虎城はずっと考えていたのだ。考えていたのは自分の京太郎への態度が正しい態度なのかどうかである。

 京太郎は魔人である。それも非常に珍しいタイプの魔人だ。怖がられてもしょうがない存在である。

 しかし、京太郎は虎城を助けた。氷詰めになっているところを助け、落下の衝撃からも守ってくれた。守られっぱなしだ。

簡単に言えば、命の恩人というやつである。虎城はそんな相手に恐怖心を抱いた。それが正しいのかどうか。そういういろいろを考えて、彼女は判断を下した。

結果が謝罪だった。

 いきなり謝られた京太郎は、困り顔をした。何に対してのごめんなさいなのかが、わかっていない。京太郎の頭の中にあるのは怪しい女性とのやり取りについてだけだったからだ。

虎城におびえられていたことなど、とっくの昔に頭から消えていた。

 困っている京太郎に虎城はこう続けた。

「失礼をしてごめんなさい。魔人とかどうでもいいことだったわ」

 虎城の正直な気持ちだった。人間だとか魔人だとかいう話はどうでもよかったのだ。虎城は京太郎とディーに命を拾われた。

今も命を守られている。それだけがすべてだった。

魔人の評判がどれだけ悪くとも関係ないのだ。大切なのは京太郎の振る舞いが虎城にどう見えていたのかである。

周りの噂などどうでもいいと彼女は切り捨てたのだ。そして虎城はさっさと気持ちを切り替えたのだった。

107: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/14(火) 06:13:59.25 ID:KlUD8s2/0
 申し訳なさそうな顔をしている虎城に京太郎はこたえた。

「ぜんぜん気にしてないっすよ。話に聞く魔人は結構やばいみたいですし、警戒されてもしょうがないなぁって」

 虎城の話を聞いてやっと京太郎は理解してうなずいていた。京太郎は虎城が自分を見ておびえていたのを思い出した。

 しかし特に気分が悪くなるということはなかった。もしも魔人というのが、京太郎の目の前に現れたとしたら、きっと自分は恐れてしまうと納得しているからだ。

京太郎は、自分の問題であるから、特に恐ろしいとは思わない。実際、京太郎はディーと出会っても特におびえるようなことはなかった。

自分もまた、魔人だからだ。クマがクマを恐れないようなものである。

 しかし世間的にはあらゆるものに不吉と死を与える存在などといわれているのだから、おびえる人はおびえるだろう。

それは仕方のないことであるし、命にかかわるかもしれない問題なのだから、注意しておいて当然である。

 気にしていないという京太郎に虎城はこのように返した。

「確かに魔人が危険なのは事実だけど、私があなたを怖がって失礼をするのとは別の問題よ。

私は須賀くんのことを知っているのだから、人の話よりも実際に見たあなたのことを信じるべきだった」

 謝られている京太郎が困るくらい真剣に謝っていた。虎城は京太郎に申し訳ないことをしたということ以上に、気に入らないことがあるのだ。

 それは目の前にいる京太郎についての判断を噂話程度の情報で揺らがせてしまったことである。

命を助けられた事実があるのに、人の話で噂話で虎城は判断を行ってしまった。それがどうにも気に入らなかった。

京太郎のことをまっすぐに見ていなかった自分が情けないと思ったのだ。その気持ちが、妙な真剣さになっていた。

 京太郎が困っているとディーがこういった。

「まぁ、自分の心に正直な人だと思って謝罪を受け取ればいいさ。

 そうだな、回復でもしてもらえばいい。感覚を無理やりに強化して無茶をしていたからな、それでチャラ。

 そうすれば、お互いの気持ちも落ち着くだろう?
 
 それじゃあ、先に進もう。追いかけられている上にオロチからも脱出しなきゃならないわけで、休んでいる時間がもったいない」

 ディーは笑っていた。虎城がなかなか面白い人間だとわかったからだ。そしてこんなことを思った。

「この人なら、須賀ちゃんのブレーキ役をやってくれるかもな。

 俺一人だと、須賀ちゃんを御し切れそうにない。ハギちゃんのときもそうだったが、どうにもブレーキを踏むのが俺は下手みたいだ」


 京太郎がシートベルトをつけるのを確認するとディーはアクセルを踏み込んだ。目指すのはオロチの石碑が示している方向、龍門渕につながる道があるところだ。

 ディーの提案というのを虎城はすぐに受けた。回復魔法を唱え、京太郎の肉体を癒した。京太郎は虎城に礼をいい、虎城は一応の納得を得た。

 スポーツカーが走り出して少しすると、京太郎が目を閉じたりあけたりし始めた。パチパチと何度か繰り返している。

というのが青空と草原の世界がずれたように見えたのだ。ずれるといっても視界が衝撃でぶれるということではない。薄い影のフィルターをかけたような景色が重なったのだ。

影というのはどこにでもあるものだけれども、世界全体に影のフィルターが重なるのはおかしなことであった。

 京太郎は重なった二つの世界を見て、二つの感想を持った。青空と草原の世界に関して京太郎はこう思う。

「生きている世界。ごく普通の世界」

 特にこれといったおかしさというのはない。人の気配のない気持ちのいい空気がある世界という印象である。
 もうひとつ重なった影の世界についてはこう思う。

「止まっている世界。死んでいるのではなく止まっていて終わっている世界」

 なぜそう思ったのかは京太郎にはわからない。京太郎は、

「疲れているのだろう」

と自分なりの結論を出して目を閉じた。

 目を使いすぎると景色がかすむことがある。そういう類の現象が起きているのではないか。特に感覚を無茶な方法で強化した後だ。

疲労がたまるのも早いだろうし、副作用もあるに違いない。そのように考えた京太郎は目を閉じて回復を待った。

120: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 01:34:28.22 ID:8uChUkcw0
 オロチの石碑に従ってスポーツカーはどんどん先に進んでいった。二十分ほど飛ばしていると、風景が変わり始めた。

 風景が変わり始めるころにはいくらか体力が回復したらしく京太郎は窓の外ばかりを見るようになっていた。目をきらきらと輝かせて、ずいぶん真剣だった。

窓の外の風景に奇妙なものが見え始めたからだ。

 先ほどまで外の世界は青空と草原ばかりの世界だった。道が一応はあるけれど、雑草が生えていないだけの獣道だった。

しかし、今見えている道はもっと整備されて人が歩きやすくなっている。そして道幅もずいぶん広がってきて、古臭い建物まで見えるようになっていた。

 しかもその古臭さというのが尋常ではなく、時代劇で見るような建物ばかりなのだ。しかも人が住んでいないためにぼろぼろになっていて実におどろおどろしかった。

 このいかにも寂しく恐ろしい景色が、京太郎には珍しかった。そして心惹かれるものだった。夜の工場を見物しているような気持ちがするのだ。

むやみやたらとひろがっていて、寂しい感じというが男心にくる。そんなわけで、京太郎はこの景色をしっかりと目に焼き付けようとがんばっていたのだった。


 おどろおどろしい景色に京太郎が目を輝かせていると、虎城が話しかけてきた。

「もしかして、須賀君が情報提供者なのかしら?」

 あごに手を当てて、いかにも考えていますよというポーズをとっていた。

 京太郎に話しかけてきたのは、疑問がわいてきたからである。疑問というのは京太郎のことだ。自分の仕事で生まれていた疑問というのが、京太郎とであったことで解けたかもしれないと虎城は考えたのである。

 虎城の仕事というのはサマナーたちの後方支援を行うことだ。後方支援というのは大体が地味な仕事である。

物資の運搬だったり、アリバイ作りだったり、情報操作だったり、前線で悪魔を退治するような派手さはない。しかしとても重要な役割なので、たいていの場合、前線で戦うものたちよりも多く配備される。

 たとえば、松常久の内偵調査は前線で動くサマナー一人に対して、虎城班五名でサポートが行われていた。かなり後方支援に力が割かれているけれども、サマナーというのがそもそも一人で何人分もの仕事をする存在であるため、まったく問題ない。

 仕事で問題になるのは、日数がかかってしまうことである。一日二日で仕事が終わるならいいが、一ヶ月二ヶ月とかかる仕事というのも当然ある。

その間の食事、隠れ家、物資の補給というのが非常に大切になる。のまず食わずで動き回れる人間というのはいない。これはいくら修行したところでどうしようもない。

 それこそ、京太郎のようなタイプは後方支援を大量に用意しなければ運用するのは難しいだろう。なぜなら、京太郎の武力というのは瞬間的には高い力を発揮するが、一ヶ月二ヶ月と持つものではない。

アンヘルとソックのような後方支援担当がいなければ、あっという間にスタミナ切れをおこし、物資補給もままならないまま終わることになる。

 ヤタガラスはこの当たりよく心得ているので、後方支援を怠らない。特に物資の運搬については非常に気を使っていた。

121: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 01:38:03.74 ID:8uChUkcw0
 虎城はこの後方支援を行っていたわけだけれども、松常久の内偵を行うにあたって、わからないことがあった。

わからないことというのは松常久の内偵を行うきっかけについて何も知らされなかったことである。

 きっかけというのは松常久の「人身売買」と「誘拐補助」の罪の告発者のことだ。内偵を行うきっかけにはそういう誰かがいるはず。

しかし、彼女はその誰かを教えてもらえなかった。

 ヤタガラスの末端構成員ではあるけれども虎城は班長である。そのため誰がどういう流れを踏んで情報を提供してくれたのかというのをあいまいにでも知ることができる。

たとえば、警察関係だとか、非合法な宗教組織からだとか、個人の名前は伏せられていても大体の流れは教えてもらえるのだ。

 構成員が知る必要のない情報というのはもちろんある。しかし曲がりなりにも虎城は班長だ。

「教えられないわけがない」

というのが彼女の考えだった。

 班長程度で知る権利を問うのか、というところだが、ヤタガラスというのは問えるのだ。なぜなら、ヤタガラスの組織というのがとても簡単な形だからである。

誰でも理解できる形になっている。簡単に言ってしまうと、ピラミッド型の組織で、一番上にボス、二番目にボスの相談役、三番目が幹部で、四番目に班長である。五番目には普通の構成員が入ってくる。

実に簡単だ。具体的な人数は、ボスが一人、サブが一人、幹部が五十人。班長と、班員はたくさんいる。

幹部五十人が日本全国に散らばり根をはり
「ヤタガラスの使者となりサマナーのサポートをしている」
と考えるとわかりやすい。

 この形があるため、幹部は班長に情報提供を怠らない。このあたりいろいろと人間関係があるので、一概には言えないけれど大体はしっかり情報交換が行われる。

情報交換がまともにできていなければ、あっという間に死ぬかもしれないのだ。お互い利益を出すために必死になる。

 そして、もしかすると情報提供者が悪意を持っているかもしれないのだ。当然だが、じっくりやる。

じっくり情報交換を行うため、情報提供者の予想もつかないなどということがおきないのだ。情報提供者をはっきりと伝えられなくとも、ヒントのようなものを漂わせるくらいはできるからだ。

 しかし今回は違っていた。十四代目葛葉ライドウの名の下に完全に情報が封じられていた。彼女はこれをおかしいと感じた。十四代目の下で仕事をしたことがあるからこその、感想である。十四代目は情報を出し惜しみしない。

 十四代目のことを知っていたから、余計に虎城は印象に残っていた。名前もどこの関係者なのかもわからない情報提供者。もしもこの提供者が、サマナーたちが恐れる存在であったとしたら、筋は通る。

「十四代目は魔人須賀京太郎の存在を隠したかったのではないか。おそらく、一般人として京太郎を生かすため、ヤタガラスを締め上げた」

 虎城が質問をしたのは、その謎を解き明かすためである。京太郎をヤタガラスに引っ張りあげるなどとは考えていない。ただ、謎を解くためだけに聞いていた。

 スポーツカーの不思議な空間から頭だけを出して虎城が質問を飛ばすので、京太郎は答えた。

「情報提供? 何の話ですか?」

 まったく何の話をしているのかわかっていなかった。京太郎は特にこれといってヤタガラスにかかわるようなことをしていない。

 

122: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 01:41:38.89 ID:8uChUkcw0
 京太郎がわからないといった顔をするので、虎城が説明をした。

「数日前のことよ。ヤタガラスに、ある事件の情報提供者が現れたの。

 ある事件というのは、退魔の家系に連なっている人たちが行方不明になるという事件。

 ただの人攫いではなくマグネタイトが多い非戦闘員ばかりを狙った犯行だった。みんなぴりぴりしてしょうがなかったわ。

 マグネタイトを多く持つ退魔の家系は、名門が多くてそれこそ龍門渕のように地域に根ざしていることも多いから、ヤタガラスの幹部になる人も多いの。

だから家族をさらわれた幹部は面子をつぶされたり、心配したりで、雰囲気は最悪だった。

 ヤタガラスたちも必死になって探したわ。でもなかなか見つからなかった。報告書でチラッと書いていたけど、かなり大掛かりな犯行でね、

 異界を生んでまでヤタガラスから逃れようとしていたみたい。まぁ、結局は十四代目が解決したからよかったけど、普通なら見つけられないわ。

山ほどある異界の中からピンポイントで狙い打つなんてよほどの幸運がないとね。それこそ、異界が開いたところを目撃するとかしないと、まず見つけられないわ。

 まぁ、伝説の十四代目だから、見つけられるのでしょうね。

 何にしても、さらわれていた退魔の家系に連なっている人たちも無事に戻ってきて、丸く収まったのよ。

さらわれていた人たちに傷ひとつなかったわけだから一応事件は終わった。

 それで人攫い事件は終わったけれども、人攫いには黒幕がいることがわかったの。松常久はその中の一人と疑いをかけられていた。

 それで、ここで問題なのがどうやってその松常久を見つけ出したのかってところ。私が知る限り松常久は良心的なヤタガラスの準幹部だった。

でも今回はあっという間に内偵を受ける立場になった。よほどのことがなければこんなことはないわ。

 何せ幹部になれるかもしれない構成員を即座に疑ったわけだから、何か理由があるはず。

私はその理由というのが情報提供者からの情報だと思うわけよ。それこそ、松常久が関係者の一人と一発でわかるような書類を見つけたとかね。

 そして、この重要な情報提供者は十四代目葛葉ライドウによって秘密にされている。

 私は何でだろうって考えるわけよ。で、須賀くんを見ていたらピンと来た。中級退魔士相当の戦闘能力を持つのにもかかわらず、サマナーの常識を知らない魔人。しかも、人がいい。

 言いたいことはもうわかるわよね? 私は須賀くんが情報提供者じゃないかとにらんでいるわけよ、十四代目はあなたを守るために情報を漏らさなかったってね」

 虎城は自分の抱えていた疑問と、疑問に対する自分の考えを京太郎に話した。ずいぶんな勢いだった。推理を話したくてしょうがなかったのだろうというのがわかる。鼻息が荒かった。

 簡単にまとめてしまえば謎の情報提供者の正体は京太郎ではないのかというだけのことである。そして彼女は答えあわせを求めていた。

もちろん、京太郎さえよければという注意書きがあるので、無理にということはない。


 鼻息の荒い虎城に迫られて、京太郎は困っていた。急に元気になった虎城の勢いに負けているのだ。

 京太郎の心境を察して運転しながら虎城にディーが説明をした。

「虎城さん、ほとんど正解だ。

 本当なら、あまり深入りしないほうがいいといいたいところだ、立場上な。

 しかし事件の内偵を虎城さんのチームが進めていたのなら、秘密にしておく理由もない。大体予想もつけられているみたいだし。

 だが、須賀ちゃんを問い詰めても無駄だ。須賀ちゃんが松常久を告発したわけじゃない。須賀ちゃんの仲魔が情報を提供したのさ。

だから須賀ちゃんに何かを問い詰めたとしてもぼんやりとしか答えられない」

 スポーツカーを運転しながらディーは答えていた。ディーがあっさりと答えを話したのは、すでに隠しておきたいところがほとんど明らかになっているためである。

それに京太郎がすでに魔人であると告白しているため、情報を隠しておく理由がないのだ。

123: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 01:46:01.74 ID:8uChUkcw0
 ディーが説明できるのは、人攫いの事件についてディーが大体の流れを見ていたからである。

 ハギヨシが忙しくしていたのもみていたし、十四代目が龍門渕に顔を出したのも覚えている。人攫いからさらわれた人たちを京太郎が取り戻してきたことも知っていた。そして京太郎が疲れ果てて眠り続けていたのも知っている。

 会話の様子から仲魔たちから京太郎が説明を受けていないとディーはすぐに察した。それでディーが代わりに答えたのだ。

 ディーの話を聞いて京太郎がこういった。

「やっぱりか。あいつらそんなことを」

 うなずく京太郎だった。しかしすでに窓の外の景色に目線が動いていた。情報提供者がおそらく仲魔二人だろうと予想がついていたからだ。

ディーの話を聞いて確証が得られたことで、まったく興味がなくなったのである。

 そして特にそれ以上の感想は沸いてこなかった。情報提供を仲魔が勝手に行ったということがサマナーたちからすればおかしなことだ。しかし京太郎はどうでもよかった。

もともと契約でギチギチに縛っているわけではないのだからよほど人に迷惑をかけない限りは好きにしてくれてかまわなかった。

 京太郎が他人事のようにうなずいていると、虎城がこういった。

「そういうわけで、須賀くんが情報提供者なのかもしれないって思っただけ。

戦闘能力はとんでもなく高いのになぜか名前に聞き覚えがないし見たこともない。

 それで数日前に突如として現れた名前どころかどこに所属しているのかさえわからない情報提供者を思い出して、

もしかしたらと思ってきいてみたら、そうだったというわけよ」

 話をしている最中、少し引きつった笑いを虎城は浮かべていた。しかしすぐに普通の微笑みに変わった。

京太郎の常識とサマナーの常識が離れているのはしょうがないことだと受け入れたのだ。

 そして京太郎のとんでもなさということよりも、正解に近づいたことがうれしくて微笑んだのだった。大切なのは答えに近かったことだ。

 流石に仲魔が勝手に動き回っているのは予想がつかなかった。何せ、悪魔に勝手な行動を取らせていたらどれほどおかしなことをするかわからない。

普通ならそんなことはさせない。悪魔だからだ。悪魔は信用ならない。人間の思考回路とは違った思考回路を持っている。

好き勝手に動き回れば混乱が起きるかもしれない。それに何のための契約なのかわからなくなる。しかし何にしても正解に近かった。

それだけで虎城は十分だった。

 ニコニコしながら話をする虎城に京太郎がこういった。

「なんだか、楽しそうっすね」

 京太郎はわからなかったのだ。今のやり取りにこれといった面白さというのはない。冗談も飛ばしていなければ、気のきいた話をしたわけでもない。

京太郎も自分の態度が会話を弾ませるようなものではないと理解している。暖かい雰囲気ではなかった。興味がないと突き放した冷たい態度だった。

会話をする相手が面白いとか、楽しいとは思わないだろう。

 不思議そうにしている京太郎に虎城が答えた。

「あぁ、はしゃいじゃってごめんね。

 もともと謎を解いたりするのが好きでね。一般人だったときは世界の不思議とか、オカルトの話とか事件とかの謎を解くのが、推理が趣味だったの。

推理って言っても無理やりにつじつまを合わせるようなものだけどね。

 周りの友達が化粧だとか服とかに興味を持ち始めたら余計にのめりこんだわ。女の子女の子した趣味が嫌いなのよ私。

 で、いろいろあって、どういうわけなのか、異能力に目覚めちゃったりして、いつの間にかヤタガラスなんて秘密結社に所属することになったわけですが、まぁ、趣味よ、趣味。

妄想を膨らませるのがすきなの」

 虎城は鼻息を荒くして目を輝かせていた。とても勢いがあった。それはそのはず、自分の趣味の領域というのは興味のある領域である。興味のある領域というのはいろいろと考えることも多く、吐き出したい気持ちも多いものだ。

 これは虎城に限ったことではない。ハギヨシもディーも同じような心の動きを持っている。そういう心があるものだから、もしも吐き出せるチャンスがあれば、吐き出すだろう。

 特に、人に認めてもらえないような趣味だと、チャンスが巡ってくると抑えきれなくなる。話をしていい趣味のタイプとそうではないタイプの趣味があるのだ。世間体というのがわかるからこそ、タイミングが重要になってくる。

 虎城は少なくとも京太郎とディーは問題ないと判断していた。この判断はこれまでの京太郎とディーを見ていた結果だ。この二人なら、

「妄想と推理が趣味です」とぶっちゃけても引かないだろうと、よんでいた。

 虎城の予想は正解だった。京太郎は「妄想ですか、なるほど」といって宮永咲の姿を思い出しうなずいた。

 ディーは「なるほど」といって沢村智紀の姿を思い出し「東京国際展示場とか行ったことがありそう」と心の中で納得していた。

124: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 01:50:39.10 ID:8uChUkcw0
 楽しそうにしている虎城に、ディーが聞いた。質問をする間にもディーはがんがんアクセルを踏み込んでいた。

廃墟が多いので桁違いの速度は出していない。しかし二百キロ近い速度が出ていた。少しでも判断を間違えれば、大事故になるスピードである。

が、質問をするディーはまったく緊張していなかった。のんびりとしたドライブを楽しんでいるような余裕さえ感じられた。

そんなのんびりとした雰囲気のままで、質問を飛ばすのだった。

「もしかして自分からヤタガラスに入った口ですか、虎城さんは?」

 特にこれといった目的がある質問ではない。ただ、無言で車を運転するのがつらいので、話を振っているだけである。

 ディーの質問に間をおかず虎城が答えた。

「えぇ、へへっ。お察しの通りです。

 でも回復の異能力に目覚めていたのでそのうちスカウトされるのは間違いなかったでしょうね。でもスカウトのまえに自分から入っちゃいました」

 虎城はなぜだか恥ずかしそうに頭をかいていた。長い髪の毛がワサワサとゆれ、褐色肌の頬が少し赤くなっていた。自分の行動がずいぶんと男勝りなものだと虎城は思っているのだ。女性らしくないと。

 特に、秘密結社にスカウトされる前に自分から門を叩くなどというのは、無謀な行為だ。一般人に毛が生えたような異能力者、それも女性が身一つで所属するわけだから、無謀であろう。

部活動経由のコネはあったが、あえて飛び込むのだから、無茶な話である。思い返してみるとよくそんなことをしたなという感じになり、恥ずかしくなるのだった。

 恥ずかしそうに答える虎城に京太郎がきいた。

「怖くなかったんですか? 正直言って戦いに向いているようには見えませんけど」

 外の景色を眺めていた京太郎だったのだが、ここに来て振り向いた。そして虎城の顔を見て、質問をしていた。

 京太郎は興味がわいたのだ。京太郎の目から見て虎城というのは弱い。おそらく今まで敵対してきた怪物たちのどれよりも弱い、というか怖くない。

だから京太郎はわからなかった。こんなに弱いのに、どうして危険に突っ込むようなまねをしたのか。少なくともこの問題は、窓の外の光景よりも、京太郎の興味を引くものだった。

なぜ心惹かれているのかというのは、京太郎にはいまいちわからないところだった。

 少し考えてから、虎城が答えた。

「怖いことは怖いけど、まぁ、なんていうかその、やっぱ、楽しくてね。趣味と実益がガッツリかみ合っていて、魅力的だったの。

 それに自分に正直に生きていたいとか、そういう青臭い理由が……恥ずかしいからあんまり聞かないで……ごめんね?」

 ずいぶん長いこと悩んでいた。もじもじとして、スポーツカーの不思議な空間に落ちていた本屋ビニール袋を手にとっていじったりもしていた。

 上手く答えられないのは、恥ずかしいからだ。自分の行動理念がわからないから、答えられなかったわけではない。自分の行動が、どういう理由で行われたのか虎城はよくわかっている。

 しかし、理由が悪い。あまり大きな声では言えないような理由で動いていた。妄想を膨らませやすい環境。そして給料が良いこと。趣味が「妄想と推理」の彼女にとっては最高の職場だった。

 なんというか、子供っぽかった。それで彼女はずいぶん悩んだのだ。本当に話していいものかと。

 長く悩んだのは、話を脚色するかどうか考えたからである。何か上手い具合に、たとえば正義のためとか、そういう耳触りのいい言葉をまとわせることも考えた。

 しかしそれはやらなかった。自分の目を見つめている京太郎と運転席に座っているディーを欺けるほど上手く嘘をつく自信がなかった。

器用でないとわかっているのだ。だから正直に話した。かなり迷った挙句ではあったが、正直な答えだった。


 よほど恥ずかしかったらしく本屋のビニール袋を指で虎城がいじり始めた。褐色肌がよくゆだっていた。

 虎城がそうなったところでディーがこういった。

「まぁ、所属する理由は人それぞれさ。能力に目覚めてスカウトされるパターンもあれば、金がほしいだけの奴もいる。

龍門渕のように一族がヤタガラスに所属しているからという人もいれば、一般社会でなじめない生まれだから居場所を求めて、とかな。いろいろさ」

 ディーが補足説明を入れたところで、京太郎がひとつ疑問をディーにぶつけた。

「ディーさんはどうしてヤタガラスに?」

 少し気になったのだ。魔人であるということを除いても、組織になじめないタイプと京太郎はディーを見ていた。

どちらかというと趣味を優先して生きているようなタイプと思っている。ヤタガラスなんて秘密結社にあえて入るような目的を持っているように見えなかった。

ただ、気になってしょうがなかったわけではない。ほんの少しだけ気になって、流れに乗って聞いただけだった。

 ディーは答えた。

「俺はそうだな、義理かな。ハギちゃんに対しての義理で、ヤタガラスをやっている。あとは、虎城さんも話していたが、給料がいい。危険な仕事だからな、本当にびっくりするくらい給料がいい。

 最前線で三年間勤められたら遊んでは暮らせないが、一生働かなくて済むようになるレベルで給料が出る。ボーナスを省いて、な。

 まぁ、そんなもんさ、所属する理由なんて。

 実際ハギちゃんなんか、ヤタガラスなんてほとんど興味がないんじゃないかな。家族がいるから、一応ヤタガラスだけど、それだけって感じ」

125: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 01:52:59.34 ID:8uChUkcw0
 ディーの答えを聞いて、京太郎は少し首をかしげた。

「ハギヨシさんって、龍門渕さんと仲良しに見えましたけど、違うんですか?」

 龍門渕でみたハギヨシは天江衣とも龍門渕透華とも仲がよさそうだった。職場の人間ともなかなか上手くやっているように見えた。

ディーの話が本当ならば、ハギヨシはヤタガラスを重視していないはず。となるのならば、少しおかしな感じがした。

 京太郎の質問にディーが答えた。

「いろいろあったとしか言いようがないな。ヤタガラス全体に対して興味がないといったらいいのかな。

 非常に面倒なことが絡み合って今の状況があるから、説明するのがむずかしい。

 ただ、ハギちゃんは龍門渕のことがそれなりに好きだ。なにせ、龍門渕に借りを返すために龍門渕で執事の真似事をしながら教官をやっているわけだからな。

俺が一緒に来ているのはその手伝い。嫌いならこんなことはしない。踏み倒していただろう。

 いやいやでもヤタガラスをしているのはハギちゃんが京都の本部を仕切っている家の家長だから。家族のことを思うと、簡単に幹部の座を捨てられない。

そんなところだろう。本人ははっきりといわないがな」

 ディーの答えを聞いて、京太郎はうなずいた。そしてこういった。

「お家騒動みたいなことがあったんですか? 」

声のトーンを落として聞いていた。

 京太郎の問いに少し迷ってからディーは答えた。

「そのうち、誰かから話を聞かされるかもしれないから、今のうちに俺が話をしておくほうがいいかな。

 長くなるけどいいか?」

 自分たちの話しをしようと決断したのは、自分たちの話を悪意を持った第三者の介入なしに聞かせておきたかったからだ。

 ハギヨシが龍門渕に来るまでの話は実に面倒な出来事が絡み合っている。一言で言えば、戦いがあったのだけれども、これが面倒な戦いだった。

 ハギヨシの側から話をすれば、ハギヨシたちが正義になるが、ハギヨシを憎いと思うものたちから話をすれば、間違いなくハギヨシが悪になる。

ほとんどの戦いはそういうものだろうが、ハギヨシの争いもそうだった。

 しかもハギヨシもハギヨシと争ったものも筋の通る理念を持って動いていたので、関係のない第三者から見ても正義と悪を簡単に分けられない状態だった。

 ハギヨシの主張も相手の主張もわかっていたので、下手に介入されるのを防ぐためにディーは自分で話すことを決めたのだ。ここで冷静に話をしておけば、後は京太郎の判断に任せられると。
 
 京太郎はまだ、少年である。しかし、それなりに頭が回るとディーは評価している。

これまでの戦いで十分判断できた。危なっかしい熱意を持って動いているけれども、頭の回転は速く、人道を心に宿している。

修羅場から逃げる判断も、虎城に対しての救命措置も冷静かつ人の道を知る者でなければできなかっただろう。

ならば、と信じたのだ。きっと、冷静に話しさえすれば、京太郎は応えてくれると。

 真剣なディーを見て京太郎はうなずいた。

126: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 01:56:13.39 ID:8uChUkcw0
 うなずくのを見て、ディーは続けて話し始めた。

「六年前のことだ。

ヤタガラスの幹部の一人が、霊的国防兵器を作り出すため人類史上類を見ないマグネタイト器量を持つ姫を生贄にささげようと主張し始めた。

 その姫はまったく修行をつんでいないにもかかわらず、十四代目葛葉ライドウのマグネタイト量の数十倍を抱え込めた。

 全盛期を遠く過ぎているにしても十四代目のマグネタイトの器量は一般的なサマナーと隔絶している。

 仮に須賀ちゃんのマグネタイト器量が一般家庭の浴槽程度だとすれば、十四代目は湖。ベンケイさんやハギちゃんもこのレベルだな。

 血統と修行がかみ合った限界点と思ってもらっていい。素質なしで到達できる限界は百メートルプールくらいのものだから、とんでもなさがわかると思う。

 たとえ、十四代目が全盛期であったとしてもわずかに上限が増えるだけで、規模が激変することはない。

 問題は、姫だ。人類史上この姫ほどマグネタイト器量で優れていたものはいないといっていい。十四代目を湖とたとえたが、姫は海だな。

自然に生まれた、不自然なレベルのマグネタイト器量の存在。そういう珍しい存在だった。

 ヤタガラスの幹部の一人がこの姫を最高の生贄と見定めた。そして、霊的国防兵器の触媒にしようと動いた。

 霊的国防兵器とは大雑把に言えば、超強力な悪魔のことだ。悪魔の力はとんでもないものが多いのは知っていると思う。

心臓を止めてしまう呪い、竜巻をまとう車に、稲妻を操る戦士。死者を復活させる奇跡さえある。

 ただ、そんな悪魔たちと比べても、霊的国防兵器と呼ばれる悪魔は桁違いの力を持っている。

天候を自在に操作してみたり、超広範囲を異界に叩き込んだりできる。

 いけにえに選ばれた姫はその悪魔の触媒にされようとしていたのさ。悪魔を姫に取り付かせて、心理操作を施した姫を使役することで、姫そのものとなった悪魔を操作しようという計画だった。

悪魔自体を呼び出せば、悪魔との直接交渉が必要になるが、姫というクッションをはさむことで、その手間を省き安全に運用しようとたくらんだわけだ。

 人道的ではないが、よくできた計画だった。この計画でその幹部は護国をなそうとした。国家の内側も外側も守れると信じた。

 悪魔の力を上手く使えば外国勢力からの侵略を防ぐのは簡単だ。ミサイル一発分の攻撃なんて簡単にはじき返せる。やり返すのも簡単だ。

核兵器級の魔法だって、あるわけだからな。

たとえ、人道的ではないとしても兵器が手に入るのなら、やるだろう? できるなら、手元においておきたいとおもう。

 外国の勢力も悪魔の力の恩恵にあずかれる可能性がある時代だ。悪魔召喚プログラムがインターネット上に公開された瞬間から、核兵器の時代から悪魔の、というより魔法科学の時代にシフトしたのさ。

日本以外の国も悪魔を研究して、いろいろな実験を行っているところだろうよ。

 実際、姫に対して行われるはずだった施術もペルソナ能力と呼ばれる神降ろしの異能の研究成果、その応用だ。

今は日本だけしかこの技術を持っていないが、いつほかの外国勢力が手に入れるかもわからない。

 人間、考えることは同じだ。そうだろう? 俺ならすぐにでも悪魔の力を使うだろう。みんな拳銃を構えているのなら、自分もそうしなければならない。

核兵器の流れと同じことがおきるわけよ。よくある話だ。

 日本のために姫を捧げようとしたのが全てのきっかけ」

127: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 01:59:50.52 ID:8uChUkcw0
 ディーの話を聞いていた京太郎は、表情が硬くなっていた。恐れたのだ。京太郎が恐れたのはマグネタイト器量の話ではない。

それはどうでもいいことだ。

 現世がかなり危ういバランスの上に立っているということを理解して恐れたのだ。

 ディーの話が本当なら、いつどのタイミングで世界がひっくり返るかわからない。

何せ、悪魔召喚プログラムがインターネット上で公開されているのだから、誰でもサマナーになれる。携帯電話で当たり前のように作動するのならば、誰でもサマナーだ。

 ということはつまり、きっかけさえあれば誰もが軍隊を持つ状況になる。マグネタイトさえあれば、大量の悪魔を呼べるのだから、一気に数をそろえられるようになる。

数の暴力はいまだに現役だ。一人の天才的な戦士よりも百人の凡人が集まっているほうがはるかに強い。現実の軍隊の力も、警察の力も、いってみれば数の暴力で成り立っている。

 この、人の数の暴力が通用しなくなる。実際、人の手が足りない本屋で造魔をつかっていたおばあさんがいた。あれをほかの組織で応用すれば、まったく人の手というのはいらなくなるだろう。

造魔という簡単に手に入る悪魔でさえ、普通の人間よりもはるかに強いのだ。

「戦闘用に調整された造魔」というのをたくさん用意できるのならば、それこそ国相手に戦うこともできるだろう。

 それこそ松常久のようにヤタガラスを裏切るものもいる。何がおきるかはわからない。

 これが個人の問題なら、どうにかなる。個人を始末すれば終わる。ただ、インターネットで世界に広まったのがまずい。

世界に広がったということはつまり、ほかの国家もほかの人種も、抑圧されているものたちも、悪魔を使えるようになったということだ。

才能を持たない個人がサマナーになれるのだ。復讐の機会を狙っている抑圧された少数者たち、国家の上層部にいる者たち、才能を持った個人が使えない理由がない。

 武器を捜し求めているものたちが見逃す理由がないのだ。間違いなく把握したことだろう悪魔が新しい力になると。

 京太郎はこう思ったのだ。

「次の世界大戦は、悪魔たちが乱舞する神話の戦いになるな。どのタイミングで始まるのかはわからないが、アインシュタインの予想が現実になりそうだ」

 京太郎の顔色が悪くなったが、ディーは更に話を続けた。

「とある幹部の提案に、ヤタガラスの幹部五十名は数名を除き賛成した。なぜなら、たった一人の人間を生贄にささげることで超強力な霊的国防兵器「九頭竜」を使役できるようになるのだから。

 生贄にささげられる姫の関係者はかわいそうではある。もちろん姫もかわいそうだ。

 しかし日本国民全てが幸せになれるのならばまったく問題ない選択肢だった。どこかの誰かが死ぬことで、自分たちの命が助かるのだから喜んで犠牲にするだろう。ごく自然な判断だった。

 だが、姫の家族はうなずかなかった。自分の大切な子供だ。国家のためだといわれたところでうなずけるわけがない。

自分の子供を奪おうとするのだから、悪党の戯言といわれてもしょうがない。他人の集合体である国家よりも家族を愛し優先する。これもまた自然なものだ。

 ヤタガラスがいけにえに捧げると決定を下すと、姫の両親は姫を連れて逃げ出した。しかし相手はヤタガラス、国家そのものだ。逃亡も長くは続かない。

 運よく一般人に拾われて、『破門された十四代目の一番弟子ベンケイ』のところまで逃げ延びたが、そこで十四代目葛葉ライドウと『二番目の弟子ハギヨシ』に追い詰められ、状況が変わり始める。

 まぁ、ここからはよくある話さ。たいしたことはない。二番目の弟子ハギヨシはヤタガラスの決定に反して動き始め、暴れまわった。

 ヤタガラスにハギちゃんはこういったのさ。

『責任を放り出してガキにすがるな。サマナーが神に頼るな。戦え、自分の手で守れ』

 ヤタガラスは実力主義の世界。ボスとボスの相談役は黙ってみているだけだと、よく承知していたハギちゃんは自分の信念を通すために、カラスとキツネを始末した。

 結果、霊的国防兵器『九頭竜』計画は、永久封印。

 計画立案者の幹部に協力していた外部組織の教主一名と構成員は全員処刑。

立案者の幹部含め、五十名いた幹部を三十九名まで減少させた上でハギちゃんは幹部の座につき、無理やりに決定を撤回させた」

128: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:04:32.86 ID:8uChUkcw0
 ここまで話を聞いた京太郎は苦笑いを浮かべた。ハギヨシがクーデターまがいの行動をおこしていたのが驚きだった。

ハギヨシはどちらかというと優等生的な性格だと思っていたからだ。自由なディーと真面目なハギヨシでいい感じになるとおもっていた。

しかし思い切り自分を貫いたというので、これは驚きであった。

 それに、ヤタガラスに行った所業というのもなかなかであった。五十名いた幹部を三十九名まで減らしたというのも、穏便にやめてもらったということではないだろう。

最終的にハギヨシが勝利したということで終わっているが、これ以上ないほどわかりやすい反逆者である。苦笑いしか出てこなかった。

 苦笑いを浮かべる京太郎をそのままにしてディーは話を続けた。

「もちろん、代償はあった。ヤタガラスを力で黙らせたことで、幹部だったものたちの一族から恨みを買うことになった。

今でもハギちゃんを嫌っているものは多い。ヤタガラスの内部にも、外側にもな。

 既得権益どころか命ごと削ったからな。あのときのハギちゃんはいい意味で頭が切れていた。十四代目も弟子が成長して喜んでいることだろう。

 ただ、一番弟子と同じように、次期ライドウ候補からハギちゃんを葛葉一族は除外した。葛葉の決定を無視したからだ。

決定を無視するどころか、生贄に捧げるべきと主張する一族を切り伏せていったのだから当然といえば当然だな。

 いくら最終的に勝利しヤタガラスの幹部の席に座ったとしても一族は、一族のためのけじめをつける必要があった。討伐という方法もあっただろうが、葛葉の長老たちは誰も提案しなかった。

討伐に向かったもの、命令したものが始末されるとわかっていたからと俺は見ている。

 一番弟子の失敗から学んで操りやすい二番目の弟子を作ろうとした結果がこれだから、長老たちも大きな声で主張できなかったと推測している者もいるが、こればかりは本人たちに聞いてみないと本当のところはわからないな。

 全ての救いは、生贄にささげられるはずだった姫と両親が無事に生き延びているということだろう。

 この九頭竜事件で手を貸してくれた龍門渕にハギちゃんは恩を感じている。また龍門渕は自分の血族を守ったハギちゃんに対して恩を感じている。

 この二つの恩がかみ合って今の状況があるわけさ。細かいところはすっ飛ばしたが、大体こんな感じ」

 ディーの話を聞いた京太郎はあごに手をやった。わからないところがあったからだ。なぜ、ハギヨシが反旗を翻したのかわからなかったのだ。

 一度は十四代目と一緒に追い込んだのだから、はじめはヤタガラスの命令にしたがっていたのだろう。しかし、ひっくり返って反逆。

ヤタガラスの幹部を削り、全てを白紙に戻している。この変わりようがわからなかった。従順だった優等生が切れたといえばそんな気もするが、結果を見ると違うことがわかる。

切れたというだけなら一瞬だけの暴力ですむが、ハギヨシの場合は計画的な気配がある。

 あえてたとえるのならば、戦国大名が自分の目的のためにほかの勢力を削った印象なのだ。葛葉の長老たちが命令に忠実なサマナーを作ろうとしていたというのならば余計にわからなかった。

 ほかのところは大丈夫だった。戦国時代のような調子で幹部の座を奪ってしまえば自分でルールを作れるとか、そういう感じなのだろうと納得できたのだ。ただ、心変わりの理由が京太郎にはわからなかった。


 ディーが話し終わると、虎城が普通に話に入ってきた。

「六年前の九頭竜事件ですよね。自分の巫女を敵に回し、本部の元締めである両親が敵として現れても冷静に戦ったと聞いています。

まったく進んでいなかった世代交代がようやく行われたと高く評価している人もいますね。


 あっそうだ。


 たしか『撫子真白(なでしこ ましろ)』という人物が優秀な退魔士であったハギヨシさんをたぶらかしたと、女性サマナー界で噂になりましたね。

巫女をおろされたあの人の荒れっぷりは今でも語り草になっていますよ。

 しかしどんな女性なんでしょうね。自分の巫女を敵に回してもいいと思わせるくらいなんですから、よほど素晴らしい女性なのでしょう。

ヤタガラスを敵に回しても愛してくれる人に私も出会いたいものですよっと。

 で、ディーさんはハギヨシさんと仲がよろしいみたいですけど、そのあたりはどうなんですか? どんな女性なんです?」

 今まで、赤くなっていたのが嘘のような饒舌さだった。

助手席で考え事をしていた京太郎は、振り返って虎城を見た。声の調子がすこぶる明るかったからだ。

 そして振り向いたところで、「切り替えはやいな、お姉さん」と京太郎は内心あきれた。

スポーツカーの不思議な空間で目をきらきらとさせている虎城を見つけたからである。

129: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:09:10.26 ID:8uChUkcw0
 虎城の質問に少しだけ間をおいてディーが答えた。

「それはマジでノーコメント。

 でも、ひとつだけ知っていることがあるから、我慢してくれ。

 ハギちゃんの巫女に『撫子真白』は命を狙われている。六年前からずっとな。

 理由は一発でわかる。ハギちゃんの巫女の座から引き摺り下ろされた原因が『撫子真白』にあると思っているからだ。

 実際のところは九頭竜事件で暴れまわり、多方面に迷惑をかけたことの責任をハギちゃんが感じて、巫女から降りてもらっただけなんだけどな。

あらゆる方面に恨まれた自分と一緒にいるのは危ないだろうという配慮さ。

 はっきりと理由を伝えたみたいだが、まったく聞いてくれなかったらしい。今でも巫女はハギちゃんのことを待っている」

 恐ろしい形相でハギヨシに詰め寄る巫女の姿を思い出して、ディーは青い顔になっていた。

 ディーの答えを聞いた虎城はそれ以上聞かずに黙った。少し顔色が悪かった。ハギヨシの巫女だった女性というのが、とんでもない能力者であると知っていたからだ。

そしてヤタガラスの関係というよりも普通の世界でハギヨシの巫女と顔を合わせたことのある虎城は、巫女の性格を知っていた。

そのため、彼女に狙われている『撫子 真白』の悲惨な運命を思い恐れ悲しんだ。


 そうしてさらに話をしながら十分ほどスポーツカーが道なりに廃墟の中を進んでいった。そうすると今度はだんだんと廃墟が姿を消し始めた。

 廃墟がだんだんと見えなくなり始めると、徐々にスポーツカーの勢いが弱まり始めた。廃墟が見えなくなり始めると同時に、道が開けてきたのだが、徐々に小さな岩が視界に目立ち始めたのである。

この小さな岩は、先に進むごとにどんどん数を増やしていった。この現象を誰が起こしているのかすぐにディーは思い当たった。

 そしていよいよ小さな岩が視界を埋め尽くすようになり、一本道のみ残されるようになるとディーが車を止めた。そしてこういった。

「二度あることは三度あるみたいだな。まただ」

ディーはあきれているようだった。

 しかししょうがないことだ。一本道の進む先にオロチの石碑が見えている。その石碑に腰掛けている女性がいた。その女性は髪の毛が非常に長い。

そのため、石碑に腰を下ろしているけれども、それでもまだ髪の毛が地面についている。足をぶらぶらとさせて、体が左右に揺れていた。

何を求めてここに現れたのかディーはすぐに思い当たった。また、京太郎に用事があるのだろう。

 ディーはこう思う。
「きついストーカーだな」と

 スポーツカーは石碑から三十メートルほど離れたところで止まっていた。

オロチの石碑に腰掛けていた怪しい女性はスポーツカーを見つけると石碑から飛び降りてきた。そして道をふさぐしぐさをした。両手を水平にまっすぐにあげて、両足をしっかり踏みしめて見せていた。

このジェスチャーをする必要はない。スポーツカーの周囲は完全に岩でふさがっているのだ。道は一本しかない。前に進む以外道はとっくにつぶされている。

 そして、やはり前髪で表情が見えないけれども、輝く赤い二つの目が笑っていることを教えてくれる。怪しい女性は気分がいいのだ。酔いが回ってきていた。

 運転席のディーが京太郎にきいた。

「一応きいておくが、どうする?」

ディーの目的は今も変わらず龍門渕へ戻ることだ。京太郎に聞いたのは先ほどと同じように女性の相手をするのかどうかという話だ。先ほど女性にいいようにやられたのだ、もしかしたら心が折れているという可能性もあるだろう。

ここで京太郎が断れば、少し無理をしてでも女性を始末して押し通るつもりである。

 戦う気持ちがへし折られたのではないかと心配するディーに対して京太郎は答えた。

「いくしかないでしょう」
 少しいらだっていた。ディーに対してではなく、前回の怪しい女性とのやり取りを京太郎は思い出しているのだ。


130: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:13:47.15 ID:8uChUkcw0
 やる気に満ち溢れている京太郎を見てディーがこういった。少し笑っているようだった。

「道を通るためだよな?」

 京太郎の様子というのが面白かったのだ。本当にディーの友人と似ていた。背格好の話ではない。心の話だ。そしてディーは思い出すのだ。

自分の友人が一番に達成しなければならない目的を忘れて、リベンジを果たそうとする熱血だったことを。だから京太郎に釘を刺したのだ。

目的を忘れるなよと。釘を刺してもきっと無駄だろうという気持ちはある。

 微笑んでいるディーにすぐさま京太郎は答えた。

「もちろんですよ。今度は失敗しません」

 はるかに格上に挑むというのに恐れはなかった。手も足も出なかったのにそれでもやる気でみなぎっていた。

京太郎はすでに気を引き締めて、いいようにやられないように頭を働かせていた。そして今度は体をきっちりと動かして、一泡吹かせてやると目標を立てていた。

残念なことに一番の目的、道を切り開くというのはさっぱりどこかに消えていた。それも仕方のないこと。それほど、あの怪しい女性とのやり取りは楽しいことだった。

 ずれた答えを返した京太郎は助手席から降りた。シートベルトをはずすところからやる気満々だった。助手席から降りると軽く準備運動をして、ぎらぎらとした目で怪しい女性を見つめていた。

これから刹那の単位で行動する相手と立ち会うのだ。おそらく命をとられることはないだろう。しかし遊んでもらうためには全身全霊で挑まなければならない。そうしなければステージにさえ上がれない。

 実力差が開きすぎているのはわかっている。しかし、相手に一泡吹かせたい。それだけが京太郎の胸にある。

 激痛が伴うけれども、魔力を高めて、外に漏れないように閉じ込めれば神経が強化されるのだ。前回はしっかりと目で追えて反応できたのだ。ならば今回もしっかりと高めて、閉じ込めて、冷静であれば何が来ても対処できるはず。京太郎の予想が正しければできるはずである。

 京太郎から少し遅れて、ディーも運転席から降りていった。もしものときのことを考えたのである。悪魔の考えることは読みきれるものではない。

常に同じとは限らないだろう。特に情報の少ない正体不明の悪魔ならば、余計に。

 ならば、今回も前回と同じ行動をとるとは限らない。それこそ、命をとられる可能性もある。そして怪しい女性の京太郎への執着振りを見ていると、さらう可能性もあるのだ。

もしも京太郎を取りに来るようなことがあれば、ディーは本気で戦うつもりだった。たとえ、オロチの世界を更地に変えるようなことになろうと京太郎をわたすつもりはなかった。

スポーツカーから二人が降りてくると、奇妙な女性は京太郎を指差した。そしてこういった。

「手、手、手、手」

ずいぶんと楽しそうだった。

 前髪で表情はまったく見えないが、真っ赤に輝く二つの目がゆらゆらとゆれて感情を読み取らせてくれていた。

 うれしい。これだけだ。ほしいものを目の前にした子供のような純粋な気持ち。それ以外の感情はない。

 女性に指差されたのも気にせずに京太郎は歩き出した。ヤタガラスのエンブレムのついた帽子をしっかりかぶりなおし、ウエストポーチが邪魔にならないようにぎっちりと締め付けた。ジャンパーの開いていた前面部分もしっかりと締めている。靴の調子も悪くない。

 装備を見直すのと同時進行で、体から発散されていたマグネタイトと魔力がまったくといっていいほどなくなっていた。京太郎が意識的に流出を防いでいるのだ。

 そして力の流出がなくなるにつれて、京太郎の感覚が強化されていく。同時に、全身にわずかな痛みを感じ始めていた。

 しかし、京太郎は笑みを浮かべて歩き続けた。牙をむき出しにした獣そのものだった。

 分不相応なステージに上がる準備が整った。ここで準備を怠れば、格上の怪しい女性に好きなようにされるだけだ。痛みを感じても遊んでもらうには必要な準備だった。

 京太郎の一歩後ろをディーが歩いていた。微笑を浮かべてはいるけれど、漂っている魔力の質は臨戦態勢に入ったことを知らせている。生半可な存在ならば、ディーを視界に納めただけで発狂しかねない悪意が混じっていた。

京太郎にもしものことがおきれば、即座に攻撃を仕掛けるための準備が完了したのだ。

 京太郎が歩いてステージに向かってくる間、小さな子供が拍手をするような調子で怪しい女性は両手を叩き合わせていた。

サルのおもちゃのような拍手である。しかし馬鹿にしているのではない。楽しくてしょうがないという気持ちが形になっただけである。

 この奇妙な女性はいよいよ上機嫌になっているのだ。京太郎の作り出すマグネタイトは普通のマグネタイトとは違って味がついている。

しかも酒のように酔うことができる。この奇妙な女性は、この酒のようなマグネタイトが非常に気に入っているのだ。酒というものを知っていて人間が酔うということも知っていたが、実際に体験するのは初めてだった。

 オロチの石碑を中心にして作られている怪しい女性の袋小路。オロチの石碑まであと三メートルほどの距離まで京太郎は近づいていった。怪しい女性までの距離は後二メートル。怪しい女性がどいてくれれば、オロチの石碑を使い龍門渕への道を知ることができる。

 怪しい女性と握手ができる距離で京太郎は立ち止った。獣のような笑みはない。少しだけ微笑んでいた。しかし京太郎の二つの目はしっかりと相手を見つめている。集中力がこれでもかというくらいに視覚に注がれていた。

怪しい女性の目の動きも、女性の全身の脈動も余すところなく強化された視覚は把握できている。万全といっていいだろう、ひどい頭痛がしている以外は。

 また極度の緊張のために京太郎の心臓が高鳴っていた。血管が震える音が聞こえる。そして呼吸も荒くなる。抑えきれない感情のために冷静さが押しやられていく。

だが、ぎりぎりのところで京太郎は冷静を保っていた。冷静でなければ、対応できない相手と知っているからだ。

131: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:18:18.91 ID:8uChUkcw0
 手が届く距離に京太郎が寄ってくると怪しい女性は笑った。うれしくてしょうがないのだ。ずいぶん下品な笑い声を上げていた。

声を出しなれていないため声がざらざらとしているのもあいまって、怪物が笑っているようにしか聞こえない。

 そろそろ京太郎に嫌われてしまったのではないかと怪しい女性は考えていたのだ。彼女は頭が悪いわけではない。

ただ、人と接する機会が極端に少ないために、いまいち上手にコミュニケーションが取れないだけである。そんなわけで、自分が結構な無茶をやっていると理解していた。

 しかし、京太郎は自分の前に出てきている。まだ自分の名前を伝えてもいないのに、三度ここにいてくれる。それがうれしかった。

 もしも目の前の京太郎が自分を嫌っていたら、さらわなくてはいけなかった。

 ひとしきり笑い、落ち着いた怪しい女性はこういった。

「二つ。逃がさない」

 怪しい女性の声はざらざらとしたままである。声に余裕があった。小さな子供の相手をする大人のような余裕である。

 しかし、その声に乗せられた楽しげな気持ちなどというのは、目の前にいた京太郎とディーにはまったく届かないだろう。

 というのが、この怪しい女性からとんでもない勢いで魔力が噴出しはじめたのだ。その魔力はスポーツカーの中、不思議な空間の中で成り行きを見守っていた虎城でさえ震えるような強さであった。

この怪しい女性は京太郎を害するためにこのような真似をしたのではない。ただ、京太郎が遊んでほしそうにしているから、遊んでやろうという気持ちになっただけのことである。

悪意ではなく善意。悪魔的な感覚でいえばマグネタイトへのお返しなのだ。

 十四代目葛葉ライドウ、ハギヨシ、ベンケイを比較にしても明らかに桁違いの魔力を前にして、京太郎は身構えた。

二度目だ。死の予感を感じ、冷や汗が噴出し、体が震えている。あまりにも恐ろしい存在の前に、涙が溢れ出しそうになる。

 しかし、京太郎は意地を張った。無理に笑みを浮かべて、まっすぐに圧倒的な魔力を操る怪しい女性をにらむ。

そしてすぐに動き出せるように、わずかにかかとを上げて、爪先立ちになり、ひざを軽く曲げて、腰をわずかに落とした。スポーツの経験から身に着けたすぐに動ける構えである。

 戦うための構えではない。しかしこれが京太郎にできる最善の構えだった。一秒持たせれば上出来の実力差である。攻撃をかわしきるのすら難しく、一発入れるのも不可能に近い。

京太郎ははっきりと理解しているのだ。目の前の怪しい女性はマグネタイト器量も魔力も桁違いの怪物だと。

 しかし、ここで引くわけにはいかなかった。恐ろしいのに、まだこの怪しい女性から京太郎の心は離れていなかった。

 京太郎が構え終わったところだ。怪しい女性の体がぶれた。霞のように薄くなったかと思えば、怪しい女性の背後から同じような姿の女性がもう一人現れたのだ。いわゆる分身だった。

 京太郎の準備が整ったのを見て、怪しい女性もまた準備を終えたのだ。京太郎が遊んでほしいというのなら、いつも同じ方法で遊んでやるわけには行かない。たまには別の方法で遊んでやらないと、小さな子供は飽きてしまう。

怪しい女性は気を利かせたのだ。

「私の宝物もきっとそうに違いない」

ならばということで、ひとつ手品でも見せてやろうという心遣いで分身したのだ。

 しかし残念ながら京太郎は反応しなかった。できなかったのだ。

目の前の怪しい女性を見つめすぎていて、冷静であろうと思いすぎて、すぐ背後に現れたもうひとつの怪しい女性まで気が回らなかった。自分の神経が焼ききれるほどの集中力が、そして集中力を注ぎ込んだ視覚が、周りを見えなくさせているのだ。

 京太郎を見守っているディーは気がついていた。しかし、まだディーは成り行きを見守っていた。分身など上級悪魔と戦えばよくみる戦法だったからだ。

 怪しい女性の分身が現れるやいなや京太郎の右手に怪しい女性の本体が飛び掛った。分身を生み出したほうの女性である。

両手を伸ばして京太郎の右手を捕まえに来ていた。

 一度は逃れられた握手である。戦いなら見切られていると判断して同じ行動はとらない。しかしこれでよかった。怪しい女性はこのようにすることで京太郎を誘ったのである。

二度目の出会いのときに、京太郎がよけたのを覚えているのだ。きっとこういうことがしたいのだろうと、上機嫌で遊んでいた。

 怪しい女性が右手を取りに来たのを京太郎は見事見切った。わずかにステップを踏むことで、右手をつかみにかかってくる怪しい女性をかわした。一歩右足を踏み込んで、左に小さく移動したのだ。

 すぐに行動できる構えをとっていたことに加えて、今回も目で追うことができていた。

 しかし、京太郎の表情は暗い。まだ切羽詰ったままだ。笑みは引きつって、目は血走っている。次に備えられるように、ステップでの回避を行ったために代償を払うことになったのだ。

頭痛が加速し、体の骨がきしみ筋肉の切れる音が聞こえ続けていた。音速のステージに無理やり上ったのだ。この代償は当然のものである。

 一度目のやり取りを完全に行った京太郎であるがまったく油断せずに次に備えた。一秒がはるかに遠いやり取りの中で、次の動きのために京太郎は姿勢を整えていた。

はじめの体勢、つま先に力を入れて、中腰になる格好に何とか持っていき、予想している次の攻撃、タックルの回避を始めていた。

 普通ならば、無理やりに肉体を動かす必要というのはない。一度行動すると、次の行動までの準備動作があるからだ。

 しかし京太郎の目の前にいる怪しい女性は刹那の単位で動き回ることができている。一度目のやり取りから、次のやり取りまで何秒もかけてくれるわけがない。

前回はそれがわからずに簡単につかまった。この失敗が、京太郎に無茶をさせていた。肉体が悲鳴を上げ続けているが、それも無視して動いている。

132: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:22:32.43 ID:8uChUkcw0
 わずかに姿勢を崩していた一人目の女性がありえない速度で体の姿勢を整えて、京太郎の胴体に飛び掛ってきた。

京太郎が見事に握手をかわしたところで、女性の体から魔力があふれ出し、二つの輝く赤い目に力が満ちたのだ。

そしてあっという間に姿勢を整え京太郎にタックルを放った。京太郎の暴走気味の集中力を持っても、目で追うのが精一杯の速度だった。

 二回目の出会いで、京太郎がいいようにやられた刹那の単位から繰り出されるタックルそのものだった。

両手を大きく広げて、京太郎を抱きしめようとしていた。これまた、怪しい女性の遊び心である。京太郎が遊びたいというのなら、こういうことだろうと理解して行っていた。

退屈を殺してくれた宝物が遊びたいというのなら、この程度たいしたことはなかった。むしろ楽しかった。



 かろうじて怪しい女性のタックルを京太郎は避けた。タックルを決めようとする女性の動きに合わせて、背後にこけるような姿勢で飛んだ。

しかしこれは思い切り飛んだのではない。爪先立ちの状態から、かかとを地面に打ち付けるだけの動きで後ろにこけるように飛んだのだ。普通なら体は浮き上がることもないだろう。無理に行ったとしても、胴体を狙うタックルをかわすには少しばかり距離が足りない。

 ただ、普通の身体能力だったらの話だ。京太郎の能力ならば女性の手の範囲から逃れることができる。しかし、あまりよい回避の仕方ではない。足が地面につかなくなるのだから、次につながらない。

だが、刹那の単位で動いている怪しい女性に対抗できる動きが、爪先立ちの状態から、かかとを落とすだけの動きだけだったのである。

 京太郎の身につけている技術では、これ以外は時間がかかりすぎて選べなかった。怪しい女性の魔力が膨れ上がった瞬間から、京太郎は背後に飛び始めていたが、それでもぎりぎりだった。

怪しい女性の爪はヤタガラスのジャンパーの前面部分を掠めている。ほかの行動をとっていたら前回と同じようにつかまっていただろう。

 刹那の単位で行われた回避劇。怪しい女性の両腕が空をきったのを回避しながら見て京太郎は笑みを浮かべた。やっと一泡吹かせることができた。

「好きなようにやられて子供みたいになでられて黙っていられるか」

そんな気持ちでいっぱいだった。

 しかし京太郎の笑みが続いたのは本当に一瞬のことだった。後ろにこけるような回避運動を取った京太郎の体は、地面に着地しなかったのだ。

誰かが京太郎のわきの下に手を突っ込んで、抱きかかえたのである。

 京太郎は何が起きたのかさっぱり理解できなかった。なにせ目の前の怪しい女性は京太郎をつかみ損なっている。それは確かなことだ。京太郎はしっかりとよけた。理屈が合わない。

 しかし周りにいた者たちは何がおきたのかよくわかっていた。怪しい女性が生み出した分身。こいつが京太郎を捕まえた犯人である。

 数秒ほどほうけた後で両脇の下から伸びている二つの腕が自分を抱きしめているのを認め、自京太郎は敗北を理解した。笑みなどまったく浮かびもしなかった。しなびていた。

 自分よりもずっと背の低い怪しい女性に抱きかかえられた京太郎は地面に下ろされた。しかし怪しい女性の分身は京太郎の胴体から手を離していなかった。後ろから抱きしめられている京太郎は、まったく抵抗する様子がなかった。

「敗北したのだから好きなようにしてくれればいい」

という気持ちであきらめているのだ。どことなくふてくされているような京太郎の両手を怪しい女性の本体が両手で握った。

ちょうどつないだ手でわっかができるようなつなぎ方である。


 そして怪しい女性は握った両手をぶらぶらと揺らしていた。小さな子供をあやすような感じがあった。

つながれている両手からはマグネタイトがやり取りされている。京太郎のマグネタイトが怪しい女性の望むものなのだ。

 そして十秒ほどたった。すると怪しい女性は京太郎の手を離した。また女性の動きに合わせて怪しい女性が作り出した分身が、京太郎の胴体から離れていった。

怪しい女性の分身が、京太郎から離れていくとき、そばで見ていたディーを思い切り睨みつけた。怒りというよりも憎しみが強くあった。

なにせ最高に楽しい気持ちになり、いよいよ宝物を大切に保管しようと考え始めたところで、邪魔者が殺気で怪しい女性に水を差したのである。

 「この邪魔者がいなければ、好きなようにできるのに」

こんなにも腹の立つことはない。

 かなりいらだちながらではあるが、怪しい女性の本体と分身は霞のように薄くなり、完全に消えうせた。消えうせるとき輝く赤い目は京太郎をじっと見つめたままだった。獲物を狙う畜生の目だった。

 怪しい女性が消えた後、京太郎は立ち上がった。明らかに落ち込んでいた。怪しい女性と立ち会う前のやる気に満ちた表情はどこにもない。

立ち上がったのは、いつまでもこの異界にいるわけにはいかないとわかっているからだ。いいようにやられたことで、頭が冷えてきたのだ。

 今は龍門渕に戻る必要がある。そうしないといつまでも道だけの世界で迷う羽目になる。それは困る。だから立ち上がった。

「怪しい女性が分身したことに気がつかないばかりか、背後に回りこまれているのにも気がつかなかった。失敗どころの失敗ではない。

 気がつくだろう普通。情けない」

という気持ちなど、押し殺さなくてはならないのだ。それは後で考えるべき気持ちである。京太郎は何とか自分に言い聞かせて、立ち上がったのだ。本当なら、叫びたいくらいに悔しいことだけれども、今はそういう時ではなかった。

134: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:26:34.25 ID:8uChUkcw0
 立ち上がったときに少しだけふらついた。頭が痛かったのと、肉体が筋肉痛のような痛みでいっぱいになっていた。

 京太郎が立ち上がると少しだけ間をおいて、ディーが声をかけた。

「いい動きだったよ。反応する早さも、肉体の操作もよかった。特に肉体の操作に関しては天性のものがあるね。鍛えれば一級品になる」

 かなり気を使っていた。ディーの目から見て京太郎の動きというのはかなりよかった。相手の行動に対する反応もよかったし、回避の選び方もよかった。

 悪かったところがあるとすれば強化されすぎた集中力をコントロールできなかったことだろう。高すぎる集中力が本体に向きすぎて周りを見えなくさせてしまった。

しかし無理に感覚を研ぎ澄まして、やっとステージに上っているのだ。結果として集中しすぎて目の前のひとつの物にしか意識が働いていなかったというのはどうしようもない。

 ディーに慰められた京太郎は、つぶやいた。

「分身は卑怯じゃいっすか?」

 勝負に卑怯もクソもない。京太郎ももちろんわかっている。京太郎も本当に卑怯などとは思っていない。ただ、愚痴りたかったのだ。

自分の至らなさがこの敗北につながったとは理解できる。しかし、心のもやっとしたものは吐き出さないとおさまらなかった。

 愚痴っている京太郎にディーが笑いながらこういった。

「悪魔相手に卑怯も何もないっすわ。さぁ、先に進もう。あまり気にするなって」

 ディーは京太郎が愚痴るのを見て大丈夫だと思った。本当に敗北して、心を折られたものは、愚痴をはくことさえできなくなる。

反省しなくなり、別の場所に流れていくだけ。そうなると、京太郎はまだ大丈夫な部類である。まだ愚痴をはける。ということは、まだ折れていないということだ。

悔しくて、そのうち反省を始めて対抗策を考えるようになる。それだけわかれば、十分だった。次に進める。

 ディーに背中を押されて、京太郎はオロチの石碑の前に進んだ。京太郎はまだぶつぶつといっているけれども、足は止めていなかった。愚痴っているけれども、もしも次があるのならばといって頭を動かし始めているからである。そんな京太郎であるけれどもやることはしっかりとやっていた。

 オロチの石碑に手を触れて、帰り道をしっかりと聞いた。そのときに蛇のレリーフがアクロバティックは動きで道を教えてくれた。京太郎はそれをみて笑ってしまった。

 オロチの石碑が道を示すと今まで視界を埋め尽くしていた岩がどんどん姿を消していった。そして、道が開けた。やはりというべきか、地面が掘り起こされたようなあとはどこにも残っていなかった。

 オロチの石碑が道を示すと京太郎もディーも車に戻っていった。もうここには用事はない。さっさと龍門渕に戻れる道に乗らなければならないのだ。


 二人が車の席に着いてさて出発だという時に京太郎に虎城が質問をした。

「須賀くんって、戦うのがすきなの?」

 虎城はずいぶんと顔色が悪かった。京太郎を恐れているわけではない。巨大なマグネタイトの奔流と強力な魔力に当てられて気分を悪くしているのである。

虎城が京太郎に質問を飛ばしたのは、おそらく自分よりもはるかに恐ろしい力を前にしたというのにもかかわらず、普通に立ち向かっていた京太郎が不思議だったからだ。

 魔人という存在であるといっても感覚は人間なのだ。虎城は自分がもしも京太郎の立場だったらと思うと、絶対に立ち向かうことはなかったと断言できた。

それほど怪しい女性の抱えているマグネタイトと放たれた魔力は圧倒的だった。そうなってくると京太郎の行動など戦うのが好きな、それこそ修羅のような存在でなければ納得できなかった。

 虎城の質問に京太郎が答えた。

「そんなに好きじゃないっすよ?」

 嘘ではない。本当でもない。半分半分だ。京太郎は命を奪いたいわけでもなければ、あえて命を危険にさらしたいわけでもない。たまたま全身全霊で挑戦できるチャンスというのが怪しい女性とのやり取りだったというだけのことである。

もしも、もっとわくわくできるようなことが目の前に転がっていれば、きっとそちらに手を伸ばすだろうし、あえて戦いを選ぶようなことはないと自分を分析していた。

 だから、好きではないという答えだった。戦いについては好きでも嫌いでもなく普通なのだ。虎城が納得してくれるかどうかはわからないけれども。

 スポーツカーが先に進み始めたところで、虎城がこういった。

「すごく楽しそうだったけど? あの悪魔と戦っているときの須賀くん」

 虎城は少し気分を持ち直していた。京太郎がずいぶん面白いことを言ったからだ。京太郎が怪しい女性の前に向かうときの顔、そして怪しい女性にいいようにやられて悔しがっている顔は、自分の好きなもので一生懸命になっている人のそれとよく似ていた。

京太郎の場合はずいぶんと血なまぐさい分野でのことだけれども、浮かべる笑顔は同じものだった。

 虎城の指摘を受けて、京太郎は少し間をおいて、こういった。

「もしかしたら、そうなのかもしれないですね……」

 京太郎の声はずいぶん眠たそうだった。虎城の指摘を受けて、自分がそういう恐ろしい感覚を持っているのかと悩むようなことはなかった。指摘されて、そうなのかもしれないと受け入れていた。

 もう少し京太郎に力が残っていたら、違う反応を示していたかもしれない。これは考えて考えての言葉ではない。桁違いの集中力を発揮したことと刹那の単位で戦闘を行うという経験が京太郎を追い込んだ結果だった。

本当のことを指摘されると少し反抗したくなる気持ちがわくけれども、そんな気持ちをわかせる暇もないくらいに疲れていたのである。だから、簡単に受け入れられた。

「そうなのだろう」と。
 

135: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:30:25.25 ID:8uChUkcw0
 スポーツカーが走り出すと、京太郎のまぶたが落ち始めた。あと少しで眠り始めるだろう、うつらうつらしている。

圧倒的過ぎる魔力とマグネタイトを持つ怪しい女性との立会いが、京太郎の体力と精神力を大幅に削ってしまったのだ。

そして刹那の単位で動く女性を視界に納めるために集中力を使いすぎた結果、いよいよ京太郎は眠りに落ちる寸前まで追い込まれたのである。

 しかも京太郎がいるのは車の中だ。隣にいるのは信頼できる運転手ディーである。荒野で眠るような不安感はまったくない。安心だ。眠っている間に攻撃されるようなことはないだろう。安心できるからこそ余計に眠たくなる。

 京太郎がうとうとし始めると、スポーツカーの不思議な空間から虎城が手を伸ばしてきた。そして虎城は回復魔法を京太郎にかけた。声は出さなかった。非常に疲れているのがわかったからだ。

 回復魔法の暖かさが更に眠気を誘う。助手席で京太郎が何とか耐えようとしていると、ディーがこういった。

「眠っていたらいい。疲れたんだろ? ここまであがってくれば、後は大丈夫さ」

 京太郎の疲れの理由にディーは思い当たっていた。長い間運転をしていると集中しすぎて頭がだるくなってくることがある。集中しすぎると精神的に疲れてくるのだ。

こればかりはどうすることもできない。そして、世界の雰囲気が変わり始めているのもディーは感じていた。あと少し道なりに進んで上っていけば、自分たちが普段使っているオロチの道へ戻ることができるだろうと。

ここまで京太郎はよく役に立ってくれた。これから龍門渕まで眠っていてもらってもまったく悪いとは思わなかった。

 ディーがこのように言うと京太郎はまぶたを完全に閉じた。ディーに返事もしなかった。休んでいていいといわれて、ほっとしていよいよ緊張の糸が切れたのだ。

京太郎はあっという間に眠った。京太郎が眠っている間もスポーツカーはどんどん先に進んでいった。




 眠り始めた京太郎は夢を見ていた。夢は映像だった。白黒の夢ではなかった。色がついていて、声も聞こえていた。

しかしはっきりと何を話しているのかはわからなかった。

 夢の中で京太郎は会話をしていた。どこにいるのかはさっぱりわからなかった。袈裟のようなものを着た老人と、きれいな着物を着たおかっぱの女の子が京太郎の前に立っている。袈裟のようなものを着た老人は、京太郎に笑いかけていた。

 そして、誰かに伝言を頼むというようなことをいっているようだった

 老人のすぐそばに立っている小さな女の子。この小さな女の子はとてもきれいな着物を着ていて、きれいなおかっぱ頭をしていた。

この小さな女の子が、老人の後に京太郎に対して話しかけていた。夢の中の京太郎は少女の話を聞いて、非常に驚いていた。何を話しているのかというのはまったく聞き取れなかった。音がぼやけて、まったく理解できなかったのだ。

 理解できないままでいると、映像が乱れた。別の場面に切り替わっていこうとしているのだ。

 場面が変わった。夢の中の京太郎はとても景色のいい山の山頂にたっていた。空には星が輝いていて、見下ろす地上には寒々しい荒野が広がっている。荒野の果てに海が見えた。夢の中の京太郎は小さな苗木を両手で大切そうに抱えていた。その苗を京太郎は地面に植え始めた。丁寧な仕事だった。

 しかし不思議な光景だった。あまりにも苗を植えるのに適していない場所に植えようとしているからだ。とても高い山の頂上であるから、きっとまともには育たないだろう。しかしそれでも夢の中の京太郎は小さな苗木を埋めるのだった。

 またもや、映像が乱れ始めた。そしてあっという間に、別の映像が始まった。

 場面が変わった。京太郎はたくさんの鬼たちと向き合っていた。どうやら河原のようなところで戦っているらしく、足元が悪かった。また、襲い掛かってくる鬼たちはとんでもなく数が多かった。

しかしまったく不安になることはなかった。夢の中の京太郎は恐れることなく現れる鬼たちと戦っていた。現実の京太郎にはない洗練された武術が行動に現れていた。いつまでも戦ってやろうという気持ちが感じられた。

 三度目。映像が乱れ始めた。また新しい夢が始まるのだ。

 そうしてまた、場面が変わった。次に現れたのは雪の降る庭のようなところで着物を着た女性と語り合う光景だった。日本庭園のような場所である。

雪が降っていて真っ白になっている。真っ白に染まった庭園が風流な気分にさせた。

 すぐ近くにいる着物を着た女性がこの景色に花を添えていた。京太郎はこの女性を少し見上げるようにしてみていた。

夢の中の京太郎はこの女性と親しげに話しをしているけれど、現実の京太郎はさっぱり誰なのかわからなかった。しかしかわいらしい笑顔を浮かべる人という印象を持った。

 また夢の中の京太郎の心は妙に安らいでいた。着物を着た女性が夢の中の自分を呼んだ。しかし何かがおかしかった。音がぼやけていた。

それに、着物を着た女性は「京太郎」と呼ばなかったのだ。「須賀」でもなかった。口元の動きでそれがわかる。

 四度目のノイズが走った。しかしこれはとんでもなく大きなノイズだった。夢自体が壊れてしまうのではないかと思うほど大きく映像がひび割れて、意識がどこかに引っ張られていくような強引な流れを感じた。

138: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:34:58.99 ID:8uChUkcw0
 ノイズが収まると別の場面に移った。京太郎がいたのは、まっさらな空間だった。空には何もなく、地面にも何もない。真っ白な空間がずっと続いているだけの世界である。しかしこの真っ白な空間には京太郎以外の何者かが居を構えている。

 真っ白い空間の夢を見始めると、夢を見ている京太郎の体がわずかに揺れた。スポーツカーの助手席で眠っている現実の肉体が動いたのだ。

それは何か驚くようなものを見たときの反応とよく似ている。スポーツカーを運転していたディーも不思議な空間から顔を出して外の景色を見ていた虎城も、京太郎を見て少し驚いていた。

 京太郎の体がびくっと動いたのは、夢の中によくわからない存在が入り込んできたのを感じたからなのだ。完全に不意打ちだったので、簡単にぼろが出ていた。

 そして何かがいると京太郎が直感を得たときである。京太郎の夢の中に、数え切れない首を持つ巨大な蛇が姿をあらわしたのだった。その蛇はとても大きかった。

真っ白な空間を埋め尽くしていた。見てくれも恐ろしい。トラックどころかフェリーあたりまで一口で飲み込んでしまえそうな大きな頭。

頭を余裕を持って支えられる超巨大な胴体。そして鋼のうろこ。怪物というより特撮映画の怪獣である。

 夢の中に現れた蛇は夢の中の京太郎をじっと見つめた。それも何百という頭がいっせいに京太郎に顔を向けた。

 輝く赤い二つの目がたくさん集まっているためにクリスマスのイルミネーションのような調子だった。しかしその目が何を求めているのか、京太郎にはわからなかった。また、恐ろしいとも思わなかった。

 夢の中で京太郎に向けて巨大な蛇が舌を伸ばしてきた。あまりにも大きな蛇であるから舌先の部分であっても京太郎よりはるかに大きかった。

 京太郎にあと少しで触れるというところで、舌先は動くのをやめた。京太郎にあと少しで触れられるところで、チロチロと振るわせるだけになった。

 しかしそれでもうちわで扇いだような風が発生するのだからおかしなことだった。この大きな蛇は、どうにも自分から京太郎に触れるつもりはないらしかった。

 京太郎に任せるような、試しているようなそんなところがあった。イルミネーションのように輝くたくさんの赤い目も、京太郎がどう行動するのかうかがっていた。

 超巨大な蛇が何を求めているのかはさっぱりわからない京太郎だったが、とりあえず舌先に触ってみた。

特に恐れるということはなかった。しかし少し不愉快なものに触るというようないやな感じがあった。それは仕方がないことで、大きな蛇の舌はヌメっていたのだ。夢の中の出来事だというのはわかっているけれども、なかなかヌメっている蛇の舌に手を触れるというのは勇気がいることだった。

ましてや頭ひとつがちょっとしたビルほどの高さがあるのだから、触りたいとは思わない。

 しかしそれでも京太郎は手を伸ばしていた。大きな蛇の舌に触るというのをいまいち恐れていないのは、オロチのレリーフによく助けられていたからである。

この巨大な蛇は夢の中の蛇である。まったく関係はないだろう。なぜならオロチとは今まで走ってきた道そのものだからだ。

 しかしオロチの世界を旅して何度も道を教えてもらった経験が、蛇に対する嫌悪感というのをなくさせていた。だから、触ってもいいかなという気持ちになったのだ。

 京太郎の右手が超巨大な蛇の舌先に触れると、たくさんの赤い目がパチパチと瞬きをし始めた。
  
 そのまま京太郎はなで続けた。ヌメっていると思った質感が金属のような質感だったからだ。気持ち悪くなかった。手で触れても舌が引っ込むようなことがなかったので、なで続けていると、大きな蛇からアルコール臭が漂い始めた。


 こんなに大きな蛇でも酔っ払うのだなと京太郎がのんきなことを考えていると、蛇は舌先を引っ込めた。どうしたのかと京太郎が不思議がっていると大きな蛇の頭のひとつが動き始めた。

その動きは外敵を威嚇する動きだった。威嚇する蛇の頭は、京太郎の背後を見ていた。

 大きな蛇の頭が見ているほうに京太郎が振り返ってみた。京太郎が振り返ったところには大きな人のシルエットが浮かんでいた。太陽を背にしているように見えた。

 そのシルエットは京太郎よりも身長が高かった。二メートルを少し超える大きさである。このシルエットは鳥の羽をそのままマントにしたものを羽織っていた。

そして桃のいいにおいがする長い杖を片手に持っている。

不思議なのはこのシルエットが鎧と兜らしきものを身につけているのことだろう。

 時代錯誤だという以上に、おかしな鎧と兜だった。ずいぶんと無駄がなかった。普通の防具というのは少し余裕があるものだ。

体の動きを邪魔しないようにぴったりと引っ付いていない。しかし、このシルエットの防具は全身にぴったりとしていて、空間の無駄がなかったのだ。おかしなことだった。

 おかしなことはほかにもある。武器らしい武器を持っていなかった。長い杖が武器といえるのかもしれないがなんとなく武器らしい感じがしなかった。

 そして男なのか女なのか、そもそも人なのかもわからない。仮面のようなものをつけているからである。シルエットしか見えないので詳しくは見えないが、仮面のようなものだった。素顔ではない。

 超ド級の蛇たちが恐れているのは、このシルエットである。数え切れない蛇の頭が次々に威嚇を始め、攻撃を繰り出していった。二メートルほどの身長がシルエットにあっても頭のひとつがビルほどある蛇だと絶望的な光景に見えた。

 しかし、勝利したのはシルエットだった。夢だからだろう、蛇の頭を杖で一発殴るとそれだけで大きな蛇は姿を消した。どこか遠くで、悲鳴が聞こえた。

 そして勝利したシルエットは何も言わずに消えていった。京太郎をちらりとも見なかった。すさまじい力の持ち主であることは間違いなかった。

ただ、京太郎は恐ろしいとは思わなかった。このシルエットが結局のところ夢であって本物ではないのだというのが直感で理解できたからである。

139: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:39:20.68 ID:8uChUkcw0
 夢を見ていた京太郎の肩にディーが触れた。左手で、京太郎の右肩に触れたのだ。少し強めに触れているので、京太郎の体が揺れた。

京太郎を目覚めさせようとしているのだ。このまま京太郎を休ませてやりたいが、できなくなったのだ。残念なことに松常久とその子分たちが許してくれそうになかった。

 オロチの石碑の案内は正しかった。案内に従い道を進んだスポーツカーは見事に蒸気機関が空を曇らせているもとの世界まで戻ってきた。虎城とディーは非常に喜んだ。ここまで戻れば、後は龍門渕へ戻るだけだからだ。

 しかし問題が発生した。松常久たちの見張りの悪魔に見つかったらしく装甲車で追い掛け回される羽目になったのだ。

 ありえないほど広いオロチの世界で運悪く見つかったのは非常に残念なことである。しかし見つかったのは変えられない事実だった。

 はじめは一匹の悪魔だった。羽の生えた人のような悪魔に見つかった。今は数え切れない羽の生えた悪魔に追い回されている。天使のようなものもいれば、鳥のようなものも、ただのライオンに翼をつけたようなものもいた。

 そして空を飛ぶ悪魔を操るサマナーたちが装甲車二十台に分かれて乗ってスポーツカーを追い詰めようと動いている。京太郎に壊された部分をとりあえず直している状態であるようで、何台かは調子が悪そうだった。

 京太郎を眠りから引っ張りあげようとしているのは、何が起きるかわからない状況になっているからである。眠ったままで修羅場に突入することになればそれこそ終わる。

 京太郎がまぶたを動かし始めると、ディーがこういった。

「どうやら追っ手に見つかったみたいだ」

 追っ手に見つかったというディーだったが、少しもあせっているようには見えなかった。なぜならディーの運転するスポーツカーは追いかけてくる装甲車たちよりもずっとすばやく動き回れる。

 そして今までとは状況が違うのだ。スポーツカーが蒸気機関と石畳の世界まで戻ってきているという違いである。今まではどこを走っているのかわからなかったためエネルギーを温存して走っていたが、ここまでくれば手加減は必要ない。

 ここまで戻ってくれば、後は力押しで龍門渕に戻れるとディーは確信していた。だから、装甲車が追いかけてくるのも、それほど困る問題ではなかった。京太郎を目覚めさせたのは万が一を考えてのことである。

 目を覚ました京太郎は辺りを見回した。京太郎は少しも不機嫌ではなかった。むしろかなりすっきりと目を覚ませたようだった。あたりをきょろきょろと見渡した京太郎の目は、蒸気機関と石畳の世界をしっかりうつしていた。

あたりを見渡しているのは景色を楽しんでいるのではなく、状況を確認しているのだ。非常に良い目覚めであったため休みから、戦いへの切り替えがすばやくできていた。


 京太郎が状況の確認を急いでいる間に、スポーツカーのはるか後ろから土煙を巻き上げながら装甲車の群れが追いかけてきていた。しかし風の魔法を車にかけているようで視界は良好そうだった。

土煙が舞い上がっても風の魔法があっという間に吹き飛ばすからだ。

 また、風の後押しを利用して非常にすばしっこく道を駆け回っていた。猟犬のようだった。

 しかしこの装甲車よりも恐ろしいものがある。それは装甲車の群れを守る悪魔たちである。悪魔たちは数える気にもならないほど多かった。なんとしてもスポーツカーを取り押さえたいという気持ちが悪魔たちの数に現れていた。

 そしてスポーツカーに乗っているものたちを永遠に黙らせたいという執念が感じられる。ここまでしてどうして始末したいと思うのか。それは、そうしなければ松常久は没落するからだ。そして協力した部下たちも同じように没落するだろう。

 ただ、絶望的なあがきでもある。なにせ、すでに松常久たちは限りなく黒に近い存在なのだ。十四代目葛葉ライドウに内偵をかけられた上、捜査にかかわっていたヤタガラスの構成員を襲う暴挙に出ている。

万が一、人身売買と誘拐補助に関して、まずありえないだろうが、無罪となったとしてもヤタガラス構成員への所業、虎城の証言だけで、没落する。

 準幹部である松常久がいくらかヤタガラスに貢献していたとしても、許される行為ではない。人身売買と誘拐補助の罪も、ヤタガラスに反逆するという行為も許されない。

 そしてこの所業に対する罰は非常につらいものになるだろう。死が安息であると心の底から理解できる程度には苦しむことになる。

 だからなんとしても、松常久はあがく。何とか破滅の芽を摘みたい。とっくの昔に連絡が十四代目に通っているかもしれないけれどもそれでも、あきらめていない。

「証拠になる人間がいなくなれば、もしかしたら可能性があるかもしれない。上手く言い訳をして、切り抜けられるかもしれない。

 私は死にたくない! 死んでたまるものか!」

この執念が、空と道を埋め尽くす悪意と殺意の悪魔の群れにつながったのである。潔くあきらめるとか、人の道に反しているなどと考える心は、人身売買と誘拐補助に手を染めたときに捨てていた。

140: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:42:27.25 ID:8uChUkcw0
 地平を埋め尽くさんとする悪魔の群れをみた京太郎がこういった。

「よくマグネタイトが持ちますね、あんなに。すげぇ、空がみえねぇ」

 感心しているように見える態度だった。しかし、すごいと思っているのではない。京太郎の表情と口ぶりは、松常久を馬鹿にしている。

 松常久が行っている行動が、理にかなっていないから馬鹿にしているのではない。全力で自分たちを始末するという選択を京太郎は正しいと見ていた。生き残るという目的を達成するために松常久のとった行動は悪くない。

 おそらくスポーツカーの中で守られている虎城が消されれば、ライドウであっても松常久を切れないだろう。

 なぜなら確固たる証拠が、虎城に集中しているからだ。彼女の証言だけが頼りで、それ以外に証拠がない。松常久に読心術をかけ、虎城が証言してやっと正当化される案件だ。これでも怪しいくらいである。

 だから虎城は渡せない。仮に十四代目の弟子ハギヨシとベンケイが松常久を黒と断じても、切れないのだ。

 むしろ、ディーの話からするとベンケイとハギヨシが関わってしまった分、余計に証拠が必要なのだ。

 というのもベンケイもハギヨシもヤタガラスに対して重大な問題を起こしている。ベンケイがはっきりと何かをしたという話は聞いていないので、京太郎の考えは推測の域を出ない。

しかし、ディーの話しぶりからすると、ハギヨシに従順であれと願う程度にベンケイが奔放であったと考えられる。

 そしてもっとも厄介なのが、ハギヨシである。ハギヨシはヤタガラスに敵対した上、力で屈服させている。幹部の五分の一を削ったというのだから、よほどである。

この九頭竜事件について京太郎が思うことは少ない。秘密結社の幹部を名乗っているのにハギヨシ一人たおせないのかというがっかりした気持ちはあるが、ハギヨシを責めるものではない。

 しかしほかの幹部たちはきっとこう思っているに違いないと京太郎は予想できた。

「次は自分の番かもしれない。ハギヨシを注意深く見張らなくてはならない。あの男は自分の一族も切り捨て、私たちも切り捨てたのだ。いつ首をとられるかわからない」

 ならば、今回の事件でハギヨシが関わっているのはまずいのだ。ディーがハギヨシの仲魔で、今回の松常久の事件に一番はじめにに対処するのが龍門渕。

どれも六年前の九頭竜事件で悪い感情をもたれているだろうものたちである。既得権益も権力も持ったことのない京太郎にはどの程度の恨みなのか予想をつけるのは難しい。しかし

「人を蹴落としてでもほしがるもの」

とは聞いているので、恨みの大きさというのもなかなか大きいだろう。

 そうなれば、虎城がいない状態で松常久を処断すれば、幹部たちがどういう印象を受けるのか予想をつけるのは難しくない。

 このようになるだろう。

「大掛かりな自作自演ではないか? 龍門渕とハギヨシが手を組んで、良心的な準幹部である松常久を落としいれようとしたのでは?

 破門されたベンケイまでかかわっているのか。ならば余計におかしいではないか。偶然が過ぎる」

 ただ、幹部たちが良心的であれば、松常久に無条件で読心術をかけてくれるという期待もある。読心術をかけてくれさえすれば、終わるのだ。

ただ、合理的かつ良心的な幹部たちであるかどうかというのは京太郎にはわからないので、なんとも判断がつかなかった。

 何にしても、松常久のやることは理にかなっている。京太郎たちを始末できれば、首はつながるだろう。

 「できるのならば」

 京太郎が笑っているのは、悪魔たちが弱すぎるというところである。松常久の部下たちが呼び出した大量の悪魔は、見た目こそ恐ろしいがそれだけだ。

それだけなのだ。おもちゃの水鉄砲を突きつけられたところで何が恐ろしいものか。京太郎はそんな印象しか持たなかったのである。

だから笑った。松常久の目的は理解できるが、手段が弱すぎる。それがおかしかった。

141: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:47:27.93 ID:8uChUkcw0
 しかし空を埋め尽くし地面を占拠するほどの大群を前にして笑えるのは京太郎とディーくらいのもので、虎城は完全に血の気が引いていた。

 当たり前の話だが、数が多いというだけで武力は大きくなる。そして虎城の眼から見て空と地面を占拠する悪魔たちは虎城の武力では倒せない悪魔ばかりだ。

彼女がたった一人で立ち向かうようなことをすれば、あっという間につかまって、終わるだろう。

 むしろ空と地面を埋め尽くすほどの大群、そしてそこそこ力がある悪魔たちを前にして、笑っていられるほうがおかしいのだ。

 背後から追いかけてくる悪魔たちを確認しながら「あの大群をよく維持できるな」という京太郎にディーがこういった。

「車の中に予備バッテリーでも用意してきたんだろうな。準備のいいことだ。

 追いかけてくる車の中に何人のサマナーが乗っているかはわからないが、質は低いな。

なんとしても虎城さんを捕まえなくてはならないという覚悟で挑んでいるのなら、もう少し上級悪魔も呼んだほうがいい。

 一番上でも中の上程度の悪魔。あの集まりのほとんどが中級にかからない雑魚だ。あれでは無理だな。雑魚をいくら呼んでもこの車の結界は壊れたりしない。

ガラスに傷をつけることさえできないね」

 京太郎に説明をするディーは鼻で笑っていた。京太郎を笑ったのではなく、弱い悪魔たちを呼び出し続けている松常久の部下たちを笑ったのだ。

 松常久と部下たちの作戦の失敗を笑っているのだ。数をそろえて戦うというのは間違いではない。集団でかかれば、強いものを打ち倒すことができるというのが、人間の常識である。

やりようによっては上級悪魔を中級、下級の悪魔の群れで始末することもできるのだから、間違いではない。

 そして索敵のために数をそろえるという選択も間違いではない。つい先ほどまでオロチの世界を迷っていたディーたちを見つけられたのは、数をそろえていたからであるから、間違いではないのだ。

 しかし松常久とディーが行っているのは追いかけっこだ。どちらがすばやく目的を達するのかの勝負である。

ならば、空を埋め尽くす悪魔たちを呼ぶのはあまり賢い方法ではない。ディーの感覚からすれば雑魚といわれる悪魔たちがいくら追いかけてきてもディーは振り切れる。

 だからディーは笑う。後ろから追いかけてくる無数の中級、下級悪魔などよりは、一体の上級悪魔を呼び出すほうがずっとましだと。


 冷たい笑みを浮かべるディーは激しくハンドルを操作し続けた。アクセルは踏みっぱなしで、デジタルスピードメーターはどこまでも上昇を続けて、四桁に近づいている。

しかしそれでもまったくアクセルは緩まない。とんでもない速度で走るけれども、風が車を守ってくれているために吹き飛んでいくこともない。

ディーの目には龍門渕への道が見えているのだ。

 まだはるかに遠いところにあるけれども、それでも真っ暗闇の中を走るのよりも、草原しかない世界を走るのよりもずっとましだった。

蒸気機関と石畳の道が続く世界まで戻ってこれたのならば、後はディーの本領を発揮するだけのこと。いいところを京太郎に任せっぱなしだったというのもある。気合も入る。


 追いかけられながら龍門渕への道を進んでいく中で、虎城が震えながらこういった。

「あんなたくさんの悪魔、逃げ切れるわけが……」

 虎城の弱音というのは車内に響いていた。虎城は思いのほか弱っていた。

 理由はたくさんある。

 一つ、氷詰めになっていたということ。二つ、命を狙われているということ。三つ、大きな力を持つ上級悪魔の波動に当てられたということ。四つとんでもない速度で走る車の揺れが車酔いをおこさせているということ。

 どれもが彼女の体力と精神力を削っていた。そうなってくると、どうしても暗い気持ちになる。人間というのは現金な存在だ。

自分の調子がいいときは明るく、調子が悪いときには暗い気持ちになる。ちょっとした風邪を引いただけでも、世界が終わるような気持ちになることがあるけれども、彼女は今それなのだ。

体力と精神力を削られているところで、自分では手も足も出ない悪魔の群れと、悪意を持った人間たちが追いかけてくる。

 つかまれば嬲られて殺されるだろう。そんな状況だ。弱音も吐きたくなる。泣き出さないだけ強い心を持っているといえるだろう。

 おびえる虎城の呟きをきいてディーが励ました。

「数が多いだけです。たいしたことはない」

 ディーは微笑を浮かべ、前を見たままで虎城に声をかけている。ディーが虎城に声をかけたのは慰めのためではない。強がりだとかでもない。ディーは虎城に安心しろといっているのだ。

 まったく問題ない。問題ないのだから、いちいちおびえる理由などない。ディーには背後から迫ってくる数え切れない悪魔の群れをどうにかする能力がある。被害を考えずに戦えばそれができる。

ディーはその能力に自信がある。下級悪魔たちなど一発で消し飛び、装甲車の中にいるだろう松常久たちもチリも残さずに分解できると信じている。そして自分たちが走っているオロチでさえも吹き飛ぶ可能性があるとまで思っている。

 だからまったく恐れていない。ここで終わることなどないのだ。それがディーの真実で、虎城がおびえる理由などどこにもないとはっきり言い放てる理由なのだ。

142: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:50:39.29 ID:8uChUkcw0
 しかし虎城の不安はなくならなかった。

「怖い」

とスポーツカーの不思議な空間で震えていた。

 そんなときだった。

 助手席の京太郎が上半身をひねって、後ろで震えている虎城を見つめた。京太郎の目には震えている虎城の姿が映っていた。京太郎の動きに気がついたらしく虎城と目があった。

 すると京太郎は虎城に帽子をかぶせた。自分がかぶっていたヤタガラスのエンブレム付きの帽子だ。これを有無を言わせずに虎城にかぶせた。

 そして何もいわずに京太郎は助手席の窓ガラスを全開にした。

 いきなり帽子をかぶらされた虎城は何事かとあっけに取られていた。京太郎の行動が自分の予想したものではなかったからだ。というのも、京太郎が振り返ったときには自分を元気付けようとしていると思ったからだ。

 京太郎はそういうタイプの人間だとわかっていたので、きっとそうするだろうと予想していた。実際、目を見つめられたときに何か励ましのようなものがあったように彼女は感じていた。だからきっと、何かしらの行動で励まされるのだろうと思った。

 しかし、実際に起きたのは無言でヤタガラスのエンブレムつきの帽子をかぶらされただけである。さっぱりわからなかった。

そしてそのあと京太郎が助手席の窓ガラスを全開にするのだから、よくわからない。わからないこと尽くしで頭が混乱していた。

 比較的冷静な運転席のディーも理解が追いつかない間に、京太郎はジャンパーのポケットに入っているデリンジャーを取り、右手に構えた。

 そしておもむろに右上半身を窓の外に出して悪魔の群れに銃口を向けて構えたのだ。京太郎が行おうとしているのは、射撃である。追跡をとめるという目的と震えている虎城の不安を解消するという目的があった。

 一つ目の目的、追跡をとめるというのはそのまま京太郎たちの目的と重なる。龍門渕に帰るためには追跡は邪魔なだけだ。減らせるのなら減らしておいたほうがいいだろう。

 もうひとつの目的は虎城の不安を吹き飛ばすためである。これが京太郎の動くほとんどの理由である。虎城が不安がっているのをみて京太郎は不憫だと思ったのだ。

 「なぜ、あのような弱い悪魔の群れのために、虎城がおびえなくてはならないのか。恐れおののくべきなのは、松常久とその部下たちであるべきだろう」

 そう思った京太郎は、虎城の不安をぬぐうために、行動し始めたのだ。ヤタガラスの帽子を虎城にかぶせたのは風で吹っ飛ぶのが目に見えていたからである。

大切な帽子だ。借り物である。ジャンパーはぼろぼろになったが、これひとつくらいはまともなままで戻りたかった。


 吹き付ける風も気にせずに、デリンジャーを構えた京太郎は引き金を引いた。京太郎の体が吹っ飛んでいかないよう、京太郎に虎城がつかみかかるよりもずっとすばやかった。

また、運転席のディーが京太郎の無茶を見て大笑いし始めるのよりも早かった。

稲妻の魔法「ジオダイン」を使うという手もあったが、できなかった。というのも自分たち以外にもオロチの世界を使用しているサマナーたちがちらほらと周囲に確認できていたからである。

 まったく周りに人がいないのならば、稲妻の魔法を使うこともできた。また、力加減ができるのならば、使うこともできただろう。

 しかし残念ながら、京太郎は力加減ができない。使える魔法はジオダイン一つだけである。ジオンガもジオも使えない。そういう魔法があるのは知っているのだが、唱えても使えなくなっている。

京太郎の感覚としては、なくなったのではなくジオダインに変化してしまったというのが正しいのだけれども、何にしても手加減ができない。

 稲妻の魔法ジオダインは、言葉通り稲妻が放たれる。回避不能の速度で放たれる雷撃である。巻き込まれると普通に死ぬ。自然現象の稲妻がそのまま襲ってくるのだ。生き残れるものというのはほとんどいないだろう。

 ただでさえ、稲妻の魔法であるから使い時が難しいのに、周りに無関係の人間がいる。流石に稲妻を好き勝手に打ち込むというのは選べない選択肢だった。

 デジンジャーを選択したのは、もしも間違いが起きたとしても無事で済むものだったからである。

 しかしこのオリハルコンのデリンジャーもずいぶんおかしな格好になっていた。京太郎が構えたときから、おかしくなり始めていた。京太郎が握った部分から、徐々に赤くなり始め、引き金を引かれるときには全身が真っ赤に輝いていた。溶けた鉄のようだった。そして、熱を持っていた。

 デリンジャーを握る京太郎の手のひらからいやな音が聞こえ始めていた。デリンジャーの熱が肌を焼いているのだ。京太郎は自分の力で、自分を焼いていた。

 しかし銃撃は何度も続いた。引き金を引く京太郎はまったく気にも留めなかった。引き金を引けば、拳銃が勝手に弾を作り敵に打ち出す。

それだけわかっていれば十分だった。手のひらが痛むけれど、たいしたことではない。

 何より引き金を引くたびに追っ手が減るのだ。これが一番大切なことである。邪魔がなくなるのなら、引き金を引くだろう。細かいことなどどうでもよかった。

143: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:53:30.57 ID:8uChUkcw0
 京太郎が引き金を引きはじめて十秒ほど後のこと、追いかけてきていた装甲車が一台二台と動かなくなった。動けなくなった装甲車たちはそれぞれ普通の状態ではなかった。

タイヤが失われているものもいれば、車体の中心部分が削れれているものもあった。間違いなく京太郎の射撃の仕業である。

しかしおかしなことがあった。それは装甲車についている傷跡だ。デリンジャーでつけられるような傷跡でなかった。

 装甲車についた傷跡は大きな傷跡だった。大砲でも打ち込んだのかと思うほど削れていた。そして、打ち込まれた部分は、融けていた。明らかにおかしかった。

 京太郎はまったく気に留めていないが、オリハルコンで作られたデリンジャーは持ち主である京太郎に応えるために変化しているのだ。悪魔たちから見ても不思議な、成長する金属オリハルコンの性質だった。

 何にしても、装甲車はどんどん動かなくなっていく。道半ばで立ち往生し始めた。装甲がどろどろになって、修復不可能な状況にまで追い込まれている。それだけならまだましなほうだろう。運悪く打ち抜かれた装甲車に乗っているサマナーたちの何人かは何がおきたのかもわからずに消し飛んでいるのだから。


 悪魔の群れはまだ健在だ。呼び出したサマナーが戻れと命じなければ、延々と追いかけてくるだろう。

 しかし装甲車が追いかけてこなくなった。安易に追いかけていけば銃撃なのか雷撃なのかもわからない攻撃を受けて命を失うと悟ったからである。

 装甲車たちがデリンジャーの射程距離から離れると京太郎は助手席に体を戻した。そしてこういった。

「とりあえずこれでどうにかなるでしょ。仲魔はサマナーの命令がないと動けない」

 京太郎には一仕事終えた満足感だけが会った。右手の手のひらが焼けていたけれども、気にならなかった。また、罪悪感というのはかけらもない。後から

「人を殺した罪悪感はあるか?」

といってたずねてみても、おそらく記憶にさえ残っていないだろう。

 自分たちの命を狙って追いかけてくるものを実力を持って京太郎は排除しただけなのだ。それ以上でもなければ以下でもない。ただそれだけの仕事だった。

 そして実力を持って排除したから、満足なのだ。

「これで落ち着いて龍門渕に帰ることができる」

これだけである。

 そして虎城がおびえる理由も減った。満足しかない。もともと京太郎にとって悪魔も人間も変わらないのだ。

命の価値は同じである。悪意を持って襲ってくるのなら戦うだけ。それだけだ。それ以上の理由など要らないだろう。だからこそ罪悪感など生まれるわけもない。

 バックミラーにうつる悪魔の群れがよどみ始めた。空と地面を埋め尽くして追いかけてきていた悪魔の軍勢に穴が開き始めたのだ。

そして悪魔の群れは、スポーツカーを追いかけてくる群れと、とまる群れの二つに分かれてしまった。動かなくなった群れは、動けなくなった装甲車の周りに集まっている。

 きっとそこにマスターがいるのだろう。形が残っているのかどうかはわからないけれども。

 二つに分かれてしまった原因は司令塔がつぶれてしまったから。もしくは司令塔が動くなと命令を出したからだ。

 あっという間に分断された悪魔の群れを見ていた、ディーが笑った。

「手足がいくら多くとも司令塔は悪魔を呼び出したサマナーだけだ。頭を潰せば、それで終わり。サマナーと戦うときのセオリーだな」

 ディーは楽しそうに笑っていた。しかししっかりと道の状況を見て、龍門渕へと戻ろうと努めていた。今度こそは松常久たちの仕掛けによってありえないほど深い場所に落とされるようなまねはしないと心に決めているのだ。

 また、非常に愉快な気分でいるのは京太郎がずいぶんと自分たちに近いところにいると確信が持てたからである。

自分たちというのは魔人という存在でもなければ、ヤタガラスでもない。ハギヨシとディーのような存在に近いという確信である。

 それがわかったことでディーはいよいよ面白くなってきたと感じていた。ディーはこの確信があるからこそ、こう思うのだ。

「灰色の須賀京太郎はきっとヤタガラスに入ることになるだろう。そして自分たちと深くかかわることになる」

 それがどうにも面白かった。

144: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 02:56:56.96 ID:8uChUkcw0
 なぜだか、楽しそうに笑っている京太郎とディーを無視して虎城は京太郎の右手に回復魔法をかけた。そしてこういった。

「須賀くんってさ、ヤタガラスに向いていると思うよ」

 虎城は少しだけ元気を取り戻していた。少なくとも命の危険というのは感じていないようである。しかし、神妙な面持ちに変わっていた。

 ヤタガラスに所属するように薦めているのは、京太郎という少年がどういう決断を踏んだとしてもおそらく同じ結末を迎えるだろうと予想がついたからだ。

結末というのは修羅場に飛び込んでくるという結末である。

 「仮にヤタガラスに所属することなく普通人として生きていたとしても、間違いなく京太郎は自分から悪魔たちに挑みかかっていく」

と虎城は断言できる。

 そして

「悪魔を使役している人間たち、ヤタガラスもそれ以外の組織のサマナーにも目的がぶつかれば、挑みかかるに違いない」

とも、言い切れる。

 それは間違いなく修羅の道。戦いばかりがある道である。今まで見てきた京太郎だけが判断材料のすべてだ。結論を出すには材料が少ないように思う。しかし虎城は間違いないと言い切れる。彼女の趣味の妄想がそう思わせたのではない。

 虎城のために京太郎が戦ったのがわかったから、京太郎が修羅の道を行くと断言できるのだった。

 京太郎の心にはやさしさがあると虎城は見通している。暴力に染まった心ではなく、欲望に染まった心でもない。人を思いやれる心が、京太郎の牙と爪になっている。虎城はそのように分析をしていた。

 そしてその牙が戦いに赴かせていると考えていた。京太郎の牙は賢くない生き方をさせる。馬鹿な生き方だ。自己満足しかない戦いになるだろう。権力でも権威でも金でもないところから戦う理由を見つけて、修羅場におどり出てくる。

理不尽に泣いている者、悲しみに沈んでいるものをきっかけにできるのならば、どこでも修羅場だ。金こそすべての世界では、欲望の世界では理解できない生き方である。

 しかしそれを灰色の京太郎はやる。出会ってからの数時間のうちに京太郎が見せた行動と態度はそう思わせるのに十分だった。

助ける必要のない自分を助け、戦う必要もないのに戦い、心を不安にさせているというだけで無茶をやる。十分すぎるバカっぷりだった。

 そんな風に京太郎を見通した虎城だ。だからこそ、ヤタガラスへと誘うのだった。ヤタガラスも真っ白な存在ではないけれども修羅の道を行くだろう京太郎の負担を少しは和らげることができると信じたのである。そしてそうなれば、自分も京太郎に恩を返せるだろうと考えたのだった。


 虎城がヤタガラスに誘うと、京太郎は答えた。

「そうですか? それもいいかもしれないですね」

 うれしそうに京太郎は笑っていた。ヤタガラスでバリバリがんばっているらしい虎城に認められたのがうれしかったのだ。実際に虎城の仕事ぶりを見たわけでもないので詳しいことはわからない。

そして立場の問題というのもどうでもいい。年上の人物から認められたというのが、なんとなくうれしいのだ。だから京太郎は笑った。そしてもしも虎城がそういってくれるのならば、ヤタガラスに入るのもいいかもしれないと思ったりするのだった。


 ヤタガラスへの誘いを京太郎がどうしたものかと考えているとディーがこういった。

「ヤタガラスに正式に入るってんなら、ハギちゃんに話せばいいさ。もちろん、龍門渕に掛け合うのもいい。どちらでも好きなようにすればいい。

所属支部は後からでも変えられることになっているからな、形だけは。

 まぁ、早いうちに捕まえられてラッキーだったかもしれないな。十分機転がきくし戦のセンスもあるから、どこの組織でもほしがられただろう。

いまは慢性的な武人不足だからな。

 ただ、間違いなくどこに所属するかでもめるな。

 龍門渕のお嬢は間違いなく自分の手元に置きたがるだろうし、ほかのヤタガラスの幹部たちから誘いが来る可能性も考えられる。

 すでにコネはできているからな。須賀ちゃんに『お礼』がしたいとかいって、近づいて来た人がすでにいるみたいだし、お嬢が愚痴ってたな」

 ディーもまた軽い調子で京太郎をヤタガラスに誘っていた。しかし、やることはしっかりとやっていた。目はまっすぐに龍門渕に続く道を探して、無限に広がっている道を正しく選び続けていた。

バックミラーに移っていた悪魔の群れもずいぶん遠くに引き離している。流石の運転テクニックであった。

 ディーが京太郎を誘ったのは、もちろん本心からである。京太郎がヤタガラスに入るというのならばそれは結構な話である。

京太郎の大体の性格を了解しているディーからすれば、自分たちの身内になってもらえるのが一番いい。

ハギヨシもハギヨシの師匠である十四代目も気にかけているのだから、おそらくすんなりと仲間になれることだろう。

145: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 03:00:31.72 ID:8uChUkcw0
 更にアクセルを踏み込みながら、スポーツカーを先にディーが進める。すると一度見たような景色が再び京太郎の前に広がりはじめた。

数時間前に京太郎が始めて見たオロチの世界とよく似た景色だ。

 ディーがこういった。

「もう四キロちょっと走ればゴールだ。龍門渕のゲートの気配がしてる。お疲れ様二人とも。ここまで来れば、後はごり押しでどうにかなる」

 ディーは大きく息を吐いた。緊張が少し緩んだのだ。

単純なお使いだったのが、いつの間にか氷詰めにされていた女性と出会い、そこからヤタガラスの裏切り者との追いかけっこに変わり、オロチの最深部まで落とされて奈落としか言いようのない暗闇を走り回ってみたり、超ド級のマグネタイトと魔力を持つ怪しい女性悪魔に粘着されたりと、散々だった。

 ちょっとしたドライブを楽しもうと思ったら、修羅場の連続だったのだ。精神的に疲れてきていた。さっさと現世へと帰還して安心できる場所で横になってしまいたかった。

そんな気持ちがあるものだから、あと少しでゴールというところまで来て緊張が緩むのだ。ここにハギヨシがいたら

「油断するなよディー。まだ何も終わっていないぞ」

といって注意をするところである。


 「ゴールまであと少しだ」

ディーがこういうと、虎城がほっとしていた。安心しているのだ。

 スポーツカーはまだ龍門渕にたどり着いていない。しかし、何百キロとスピードを出している車はあっという間に目的地にたどり着けるだろう。そして龍門渕にたどり着くことができれば、何もかもが報われるはずだ。

 少なくとも虎城はそう思っている。

 殺されてしまっただろう内偵を進めていたヤタガラスの構成員。そして松常久の強襲によって散り散りになり行方のわからなくなっている自分の班員たち四名。そして被害を受けたたくさんの人たちにも報いることができる。

 虎城がヤタガラスの尋問を受け、証言すれば松常久は終わる。そして龍門渕にはハギヨシがいる。それが余計にほっとさせるのだ。

話に聞く十四代目の二人目の弟子。力でヤタガラスを屈服させた天才退魔士。六年前、ヤタガラスに反逆して生贄にささげられるはずだった姫を助けた大馬鹿もの。その性質は正義に傾いていると彼女は聞いている。

 「ならば、きっと大丈夫」

 彼女がほっとするのも無理はない。京太郎とディーに出会わなければ何もできずに終わっていた可能性が非常に高いのだ。これ以上の幸福はなかった。



 話をしている間にもスポーツカーはどんどんと先に進み、あと少しで龍門渕への帰還がなるというところであった。

 ディーが微笑んだ。というのもスポーツカーの進路上に、大きな鋼の門が現れていたのだ。

 後二キロほどの距離である。普通ならば二キロ離れていると門など見えないはずである。しかしその鋼の門が二十メートルをこえる大きさであること、特に周りに目立つものがないこと、そしてディーの常識はずれの視力のためにはっきりと捕らえられていた。

周りは利用法のわからない蒸気機関と、なだらかな道があるだけなのだ。丘のようなものもあるけれど、その程度のもの。音速の世界を当たり前にして生きているディーにとっては二キロなどというのはたいした距離ではないのだ。

 二キロ先に現れた鋼の門は蒸気を噴出して、生き物のように脈をうっている。鋼の門はすでに開き始めていた。この門の向こう側は光で見えないけれど、きっと光の向こう側にハギヨシが待っているのだという予感があった。

 ここで一気にアクセルをディーが踏み込んだ。ラストスパートである。そして

「流石ハギちゃん。あけておいてくれたか」

といって頼りになる相棒を褒め称えた。

 車内がほっとした空気で満ちたときである。自分の両目を、京太郎がおさえた。視界が急にざらついたのだ。このとき脳裏に不思議な映像が浮かんだ。

 大量の悪魔が巨大な山のような塊に向けて、魔法を打ち込んでいる光景である。雨あられのごとく打ち込まれる魔法は山の表面をいくらか削っている。

 また、この幻のすぐ後、京太郎は見慣れた女性の姿の幻を見た。今まで遊んでいた怪しい女性の姿だ。髪の毛を地面に引きずり、ぼろ布でかろうじて体を隠している輝く赤い目の怪しい女性の幻である。

 この女性の真っ赤な目が、京太郎に訴えかけていた。

「危険が迫っている」と。

146: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 03:04:41.16 ID:8uChUkcw0
 そしてメッセージを受け取るやいなや、強烈な痛みを京太郎は覚えたのだった。眼球を納めている部分が熱を持っているような感覚である。

 メッセージがあまりにも強い力で送られてきたのでマグネタイト保有能力の低い京太郎には受け止め切れなかったのだ。結果、痛みを感じたのだ。

 とんでもない激痛が過ぎ去る前に、京太郎は大きな声を出した。

「止まって!」

 力のこもった声だった。車内に響いたその声は問答無用で動きを制限させる迫力があった。今までおとなしくしていた京太郎が発するにはあまりにもかけ離れたものだった。

 京太郎は察したのだ。今の幻がどのような意味を持つのかを。だからいくつかの謎をさっぱり無視して、止まれと大きな声を出したのだった。

 そうしなければ再びオロチの世界のまったく光もない世界に叩き落される羽目になる。幻の意味を松常久たちがオロチに攻撃を仕掛けて、道を変化させようとしているのだと京太郎は理解したのだった。

 一度おきたことだ。二度もある。相手が手段を選んでいないのはわかっていたことだった。それが今だったというだけのこと。

 京太郎の叫びとほとんど同時に、ディーはブレーキをかけて、ハンドルを切った。京太郎のただならぬ様子に、反応したのだ。そして少しも迷わずに無茶な停車を試みた。

タイヤが削れて真っ黒なラインが四本、石畳の道に出来上がる。しかしそれでも止まらない。ハンドルを切った時点で車体は真横になっている。

ドリフトの形でまっすぐな道をスポーツカーは進んでいく。

 しかしそれでもまだ止まらない。そして二秒ほどそのまま走ったところでスポーツカーにまとわせている風が停車の後押しをしてくれて、何とか止まることができた。

 ディーの反応のよさには理由がある。京太郎がただならぬ様子で声を出したということもあるが、ディーの胸のうちには松常久が再び道を変化させるのではないかという予感があった。

この胸のうちにあった備えが京太郎の叫びと自然とつながり、無茶な停車につながったのである。


 スポーツカーが急停止したところで、オロチの世界全体が妙な動きをし始めた。今までピクリともしていなかったオロチの世界がだんだんと震え始めたのだ。

しかもこの震えはまったくおさまらなかった。京太郎の見た幻から原因は推測できる。松常久が悪魔の群れに命じて行わせた魔法攻撃の雨あられが原因であろう。

蒸気機関と石畳の世界が震えているのはこの世界そのものである「葦原の中つ国の塞の神」が目を覚まし動き始めたということである。

 そして動き始めるということは、道が変わり帰還が難しくなるということに直結する。

 スポーツカーが急停止してオロチが動きはじめると、虎城がこういった。

「いったい何が? オロチの世界がこんなにむちゃくちゃゆれるなんてことがあるなんて」

 スポーツカーの不思議な空間から虎城は上半身を出していた。そして助手席に左手をかけて、きょろきょろとあたりを見渡していた。身を乗り出しているため上半身が京太郎にぶつかっていたり長い髪の毛が京太郎にかかったりしているのだけれども気にしていなかった。

むしろ京太郎のほうが、気まずそうにして小さくなっている始末である。

 しかしずいぶんと虎城は元気になっていた。これは彼女の妄想趣味に火がついた結果である。彼女はヤタガラスの構成員だ。

一応後方支援担当班の班長をやっていた。情報もそこそこ手に入れている。そんな虎城はオロチの世界が地震に見舞われるなどということがないとしっていた。

 このオロチの世界は異界である。現世ではなく神様の領域にある世界である。

 そしてオロチはこの世界を支配している存在だ。オロチが生み出した世界ということだ。ということは自分に都合よく作られている世界なのだから、自然災害の発生はまずありえない。

 傷つくのが好きならば話は変わるが、それはないだろう。ヤタガラスはオロチを臆病な存在で人前には出てこないといっているくらいなのだ。あえて傷つきにくるタイプではない。

 ならば、このゆれというのはずいぶんおかしなことだった。しかしゆれたのは間違いない。無限に広がっているのではないかと思うほど広い世界全体が揺れるのだから、ずいぶんなことである。彼女はどうして揺れたのか、どうしてここまで広範囲が揺れたのかそれが気になったのである。

 これは謎だった。そしてこの謎は、彼女の趣味に火をつけた。彼女の妄想の種になったのである。よほど気になったのだろう。一気に活力が沸いていた。褐色肌であるけれども、うっすらと赤くなっているのがわかる。

 しかし赤くなっているのは京太郎も同じだ。虎城とは理由が違うけれども。


 今まさに起きたおかしな現象に興味を持つ虎城に答えたのはディーだった。京太郎が困っているのを見かねて、サポートしてくれたのだ。

 「間違いなく松常久の仕業だろう。オロチに刺激を加えて目覚めさせたんだ。このゆれはオロチが目を覚まして身震いした結果の振動だ。本格的に目を覚まして動き出したら、いよいよ龍門渕に戻れなくなるぞ。

 しかし須賀ちゃんがいてくれてよかったよ。あのままいってたら、また落ちる羽目になっていただろうな。

 見えるか? 今まで目の前にあった道の大部分が消えている。それに、今までなかった地形が発生してる。

それにしても何だあれは、でかい山がいくつか出来上がっている」

 ディーは運転席側の窓から外の様子を観察していた。眉間にしわがより、勘弁してくれという気持ちでいっぱいになっていた。実に渋い顔をしている。右手の人差し指が規則正しくトントンとハンドルを叩いているのは間違いなく地形の変化が原因である。

 というのが、龍門渕に帰るために使おうと思っていたルートが完全に崩れてしまっていたのだ。しかし、ひとつだけいいことがあった。それは長い落下を経験しなくてすんだということ。おそらくあのまま進んでいたら、オロチの体ごと、どこかに落ちていた可能性が高かった。

道がなくて落ちていくというのが一番初めの落下だったのだが、今回の落下というのは道自体が奈落に下りていっているのだから、タイミングを間違っていたら逃れ切れなかった。

 つまり龍門渕への道を走っていたら、オロチ自体が移動を始めたのに巻き込まれて、よくわからない時代の道に移動させられていた可能性もあったのだ。それは回避できた。この回避ひとつあれば、上出来だった。

147: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 03:08:52.81 ID:8uChUkcw0
 ディーの解説にある発生したという山を見ようと虎城きょろきょろとしていると、ディーはあきれたようにつぶやいた。

 「あいつらいったいどれだけ無茶をするつもりだ?

 オロチが目覚めるほどの攻撃を後先考えずにぶち込んだのか? どれだけのサマナーに影響があると思ってんだあのおっさん。

 もしかして準幹部だから甘く見てもらえるとでも思ってんのか?」

 松常久にディーはあきれているのだ。オロチが目覚めるという不思議現象を前にしてテンションをあげている虎城にあきれているわけではない。

 テンションがあがりすぎて、助手席に座っている京太郎にほとんどかぶさるような調子で這い出してきている虎城にあきれたわけではないのだ。

 松常久にあきれている理由は二つある。

 一つ目はオロチというサマナーたちが使う公共性の高い道を勝手な都合でむちゃくちゃにしたこと。

 オロチの作る世界というのは非常に便利な世界である。表に出せないような品物でもやり取りができる。その上、通常の交通網よりも日本の陸海空に広がっていて許可があれば、どこへでも移動できる。

このような便利なものを勝手に変化さえるのはよほどの権力がなければ許されない。それこそヤタガラスのトップかナンバー2の許可がなければ、絶対に許されない。松常久は準幹部であるけれどもそのような権限は一切ない。当然処罰される。

 二つ目は。超ド級の悪魔を目覚めさせるレベルの攻撃を放つなどという馬鹿な真似をしたことにあきれている。

 オロチほどの存在は大きすぎて普通の攻撃を攻撃と認識できない。抱えているマグネタイトが桁違いに多いからだ。いくら攻撃されても存在の規模が大きすぎるため攻撃と認識されないのだ。攻撃しても、人間で言うところの皮膚を貫けない貧弱な蚊のような状態になる。ふつうならば。

 しかし、オロチは目覚めた。ということは桁違いの攻撃をオロチにぶち込んだということになる。それこそディーができるだけ使いたくないと思っているメギド系統に近い威力の魔法を打ち込んだと予想ができる。

 当然だが、威力の高い魔法は敵味方関係なく滅ぼす力がある。京太郎の稲妻もディーの魔法も、手加減などできるものではない。だからこそ、京太郎もディーも周りを巻き込まないように魔法を制限していた。

 しかし確認できていないけれども松常久は何かしらの刺激を行った。その結果、非常に大きな影響が起きているのは間違いない。道が変化しているということでほかのサマナーたちに危険を及ぼしているだろうし、オロチを目覚めさせるために行った行動で、被害を受けたものもいるだろう。

虎城たちに行った行為とは別の許されない行為である。

 ディーがあきれたのは、松常久の行動が自滅にしかつながっていないように見えたからである。
 

 しかし、ディーは完全にあざ笑うことができていなかった。というのが、引っかかるところがあったからだ。松常久の行動があまりにも頭が悪すぎた。

オロチを目覚めさせたら問題になるというのは誰でもわかるレベルの話である。それこそ国道を勝手に封鎖したり爆破したりするようなレベルの頭の悪い行動なのだ。

 当然、準幹部であるはずの松常久ならば、行動の結果どうなるのか予想がつくはず。しかしわかっているはずなのに、完全にオロチを起こした。

 このとき、罪から逃れようとするのならば、考えられる方法は二つ。ひとつは知らないと嘘をつくこと。犯人は見つかっていない状態であるから、知らぬ存ぜぬで嘘をつけばいい。実際証拠は何もないのだから見破られない可能性が高い。

 二つ目の方法は、罪を誰かに着せること。誰がオロチを目覚めさせたのかわからない状況で、しかも証拠がない。ならば、誰かに罪を着せて、ヤタガラスに突き出せばいい。スケープゴートの心理操作を行うというのもアリだろうし、永遠に黙らせてしまっておくのもアリである。

 どちらの方法もそれほど頭をひねった方法ではないけれど、有効である。なぜなら、松常久の行為というのを知っているのはディーたちだけだからである。
 
 しかし、ともディーは思うのだ。

「もしかして俺たちを完全に殺しきれるとでも思っているのか? 俺たちに全ての罪を着せて、殺せると?

 本気か? 封印制限している俺を見破れないのはしょうがないとしても、須賀ちゃんの暴れっぷりを見ても抹殺ができると? 」

 このもしもというのを思い浮かべるとディーはどうにも引っかかってしまう。ディーがちらりと見た松常久とその部下たちは自分たちを抹殺できる戦力ではなかった。

真正面から戦えば、ディーの助力なしの京太郎の武力で、あっという間に完封できる力量差がある。

このあたりに気がつかないほど間抜けという線もあるが、どうしても気になってディーは完全には笑えなかった。

148: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 03:13:06.29 ID:8uChUkcw0
 オロチの動きがやや収まった後のこと。まだ世界自体がゆれていたがそれほど気にならないといった状態だった。そんなときだ。

 つぎつぎと大きな山がオロチの世界に現れていた。一番はじめに大きく揺れたときにも山のようなものが現れたが、そのときに現れたのと同じようなものが次次と現れてきたのである。

今まで蒸気機関と道しかなかった世界に現れたいくつもの山々はずいぶんおかしな印象があった。しかし山脈のように連なってはいなかった。

一つ一つはくっつかずに、分かれている。

 オロチの世界が落ち着くまでの間、助手席で虎城は顔色を七変化させていた。真っ赤になってみたり、青くなったり、顔をしかめてみたりとずいぶんころころと表情が変わっていた。

 はじめてみる不思議な光景に虎城は夢中になっているのだ。

 変化に乏しいはずのオロチの作る世界がころころと形を変えていくのはかなり壮大な光景である。

オロチが移動するのに従い道が現れたり、消えたりする。また、山のようなものが出てきたり引っ込んだりする。空の大きな光の塊は特に変わった様子もなく輝いているけれども、十分おかしな光景だった。

 虎城でなくとも、夢中になる光景である。それこそ自分がどういう体勢になっているのかを忘れてしまうくらいには、不思議な光景だったのだ。

 すこし残念なことがある。まともに外の景色を見ることができていない人間が一人いることである。

京太郎だ。虎城が無理やり背後から助手席に出てきたために視界が完全に虎城でさえぎられてしまったのである。文句のひとつでも言えばいいのだが、何がどうなっているのかを指摘するのが恥ずかしくてできなかった。

 
 今も変化を続けている道を前に、ディーがこういった。

「ちょっと移動するぞ。どうも変化の規模がでかすぎる。どこか変化の弱いところに移動して、いったん身を潜めるしかない。

このままだとオロチの移動に引きずられる形で迷って出られなくなる」

 ディーはずいぶんと冷静になっていた。オロチが目覚めたことで道が激変したことを認め、困難が立ちふさがっていると受け入れたのだ。

そして受け入れてしまえば、後は乗り越えていくために力を振り絞るだけである。混乱はない。

 しかし、力任せに突っ込んでいくつもりはなかった。まずはオロチが落ち着いてくれるのを待つつもりだ。

 そうしなければ走っている道自体が奈落の底へ移動するような羽目に陥るかもしれないのだから。 自分たちの状況を理解したディーはあまり動きがないだろう場所に当たりをつけて、この困難を乗り切ろうとしたのだった。


 ディーが持久戦の覚悟を決め、方針を話した。するとあっという間に助手席からスポーツカーの不思議空間へ虎城は戻っていった。

先ほどまでの狂乱ぶりからは信じられないほどの引き際のよさである。

 ただ、彼女はずいぶん恥ずかしそうにしていた。褐色肌が真っ赤になっている。虎城は自分が結構なまねをしていたことに気がついたのだ。そして

「やってしまった」

という気持ちでいっぱいになって、恥ずかしくなったのである。特に京太郎とディーが思いのほか冷静であったことが、拍車をかけている。

 普段ならば、少し不思議な現象を前にしても抑えることができるのだ。普通の状態で日常生活を送っている彼女であれば、今回の変化もおとなしくしていられただろう。

ただ、今回は違う。少し心のバランスが悪かった。不安と恐怖にさいなまれて心のバランスが負の方面に傾きすぎていたのである。

命を狙われた上、氷詰め仮死状態での逃亡。現在進行形で黙示録なみの悪魔の群れに追い掛け回されている。京太郎とディーがいるのでやや、安心しているけれど、それでも精神的な負荷というのは半端ではないのだ。

 で、彼女は無意識に心のバランスをとろうとしていた。その結果が、あれだった。後で思い返してもだえるのは間違いないだろう。いっそのこと

「虎城さんって結構ぐいぐい来るタイプなんですね」

などと茶化してくれるほうが楽だった。

 しかし京太郎もディーも空気が読めるタイプであったためにまったくその件に関して触らず、見て見ぬふりをした。それがやさしさだといわんばかりの態度だった。そんな態度だから彼女は一人でもだえる羽目になるのだった。


 助手席から引っ込んでいった虎城を確認して、スポーツカーをディーは運転し始めた。今までのようにアクセルを踏み込むことはない。

ディーはずいぶん集中して道を見定めていた。

 ディーの運転技術は非常に高く、桁違いの速度の中であってもミスを犯すことはない。しかし、道自体が生きていてうねっている今の状況で無茶な動きはできない。

道は勝手に動いたりしないという常識はオロチの世界では当てにならないのだ。

 だからディーは必死になる。道が奈落につながっていませんようにと願いながら、自分たちの道を見定めつつ進むのだった。

149: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 03:16:51.05 ID:8uChUkcw0
 六十キロほどでスポーツカーが走り始めた。ディーの運転からすると非常にゆっくりだった。そんなときに京太郎にディーが聞いた。

「須賀ちゃん、ファインプレーだったけどどうしてわかったの? 霊感的な?」

 ディーの視線は非常に鋭かった。京太郎を責めているわけではない。ディーの目が鋭いのは、道を見極める必要があるためである。そして京太郎に質問を飛ばしているのはもしも何か変化の予兆を京太郎がつかんでいるというのならば、ヒントがほしかったのだ。

それが仮に霊感のような言葉にできない感覚であったとしてもかまわなかった。無事に戻る。そのために使えるのなら何でもディーは使うつもりなのだ。

 ディーの質問に京太郎が答えた。三秒ほど間が空いていた。京太郎は考えていたのだ。そしてこのように答えた。

 「わかりません。両目が痛くなって、それでオロチが攻撃されているところが見えたんです。

それで止まらないと、とんでもないことになると思って叫んだんです」

 京太郎は上手く説明できていなかった。また自分の話している内容に自信をもっていなかった。京太郎が見たものは幻である。しかも非常にあいまいで本当にあったのかどうかもわからない幻だ。

 冷静になった京太郎はこのように考えてしまう。

「幻を見て現実の動きにつながると考えるのはおかしなことではないだろうか。あまりにも根拠が薄い」

そんな風に考えてしまうのだ。だから自信がなくなる。京太郎でさえも怪しいと思ってしまう根拠だ。人に説明するのは難しいことだった。

 京太郎の答えを聞いて、ディーはこういった。

「ふーむ? よくわからないけど、何かから刺激を受けたみたいだね。

 ああ、そうだ。目の痛みは後でハギちゃんに見てもらえばいい。あんまりオカルト方面には強くないのよ俺。見てあげられたらいいんだけど、ごめんね」

 京太郎の答えを聞いてディーは疑いもしないで受け入れていた。少しも馬鹿にするところがなかった。ディーがわからないのはどうして幻を見たのかというところだけだったのだ。

 ディーが非常に冷静に受け入れているのは、悪魔がはびこるこの世界であいまいなものが何もかも嘘っぱちであるという発想自体が危険だからである。

おそらくほとんどの不思議な現象が、起こる可能性があるのが、サマナーの世界である。幻であっても予知できたというのならば「そういうものだ」と受け入れる器がディーにはあるのだ。

 京太郎とディーの会話が終わると数秒ほどして、スポーツカーの不思議な空間から京太郎の肩に、虎城が手を伸ばしてきた。

そして京太郎に触れてこういった。

「とりあえずディアをかけとくね。 それに、こう見えてもお姉さん医術の心得があるのよ。ちょっと見てあげるわ。

目は専門じゃないから完全には無理だけど、そこそこは大丈夫だと思う」

 京太郎の肩を握る虎城の手にはほんの少しだけ力がこもっていた。虎城は京太郎の目の調子が悪いという話を聞いて、すぐに何かしらの呪いでもかけられたのではないかと考えたのだった。

目の痛みからのろいを連想するのは少し無理がある。はっきりいって遠い。

 しかし京太郎が奇妙な悪魔と何度も触れ合っているのを虎城は見ている。彼女はその悪魔が何かしらの原因であろうと予想していた。で、彼女は京太郎に世話を焼いたのだった。これは心配しているというのに加えて自分の失敗を忘れたいという気持ちが混じった行動である。

 虎城の提案を受けて、京太郎は少し考えた。今の京太郎は痛みなどまったくなかったからだ。しかし京太郎はうなずいた。もしかしたら何か悪いところがあるかもしれないからだ。

京太郎は医者ではない。もしかしたら自分が気がつかないところで怪我をしているかもしれないと考えたのだ。そうして京太郎はうなずいたのだった。

 京太郎がうなずくと、虎城が魔法を使った。

「ディア」

 回復の呪文をかける前に、京太郎の頭を両手でしっかりとつかみ、京太郎と自分の目がしっかりと合うように虎城は固定した。そして眼球をよく見つめ、いろいろな角度から観察していた。

 このとき京太郎のまつげまで灰色であることに虎城は気がついた。そしてそのまつげだとか眉毛が、

「染めた色ではないわね。綺麗な灰色、地毛かしら。」

などと発見をしていた。

 京太郎の観察を終えた虎城は特に問題がないという判断を下した。専門の眼科医ではないので、詳しいところまでは判断が出来がない。しかし、眼球に外傷があるとか、脳に問題があるときの眼球の動きはしていなかった。しかし一応、回復魔法をかけておいて、もしもに備えた。

 魔法をかけられると京太郎はこういった。

「ありがとうございます。何か問題ありました?」

 京太郎は少しおびえていた。京太郎自身はまったく問題ないと思っているけれど、みる人が見れば問題があるかもしれないのだ。魔法があれば大体の問題は解決するだろうけれども、それでも何か問題があると思うと不安になってしまう。

 

150: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/21(火) 03:20:26.19 ID:8uChUkcw0
 不安そうだが、結果を聞きたがっている京太郎に虎城は答えた。

「ぱっとみは問題なかったよ。でも目の問題は専門で見てもらったほうがいいとおもう。違和感があったらすぐ病院にいってね。

 回復魔法は万能に近い働きをしてくれるけど、完璧じゃないからね。

たとえばだけど、体の中に銃弾が入った状態で回復魔法をかけたりすると銃弾が入ったまま回復して取り出すのに時間がかかったりするの。だから油断は禁物。

須賀くんの目も油断禁物よ」

 大丈夫だという虎城であったが、説明の間、京太郎の頭をつかんだままだった。まだ京太郎と虎城は向き合ったままである。一応の治療が済んだのだから、頭をつかむのはやめていいはずである。

 手を離さないのは少し気になることが虎城にあったのだ。病気、怪我ではなく何か妙な違和感があった。

京太郎にすらすらと「回復魔法も万能ではないよ」という話をしている間に、その違和感を追いかけていた。説明をしながら、目の前の京太郎の違和感を虎城は探していたのだった。

 そして回復魔法の説明が終わると同時に違和感の原因に気がつき、虎城はこういった。

「あれ? 須賀君の目、なんかおかしい」

 小さな呟きだった。しかし京太郎とディーの耳にはしっかりと届いていた。この呟きが聞こえた瞬間、ディーは渋い顔をした。

京太郎は少しだけ青ざめた。京太郎もディーも何かまずい病気でも見つかったのかと心配したのだ。


 京太郎もディーも医学の知識はさっぱり持っていない。そのため妙に真剣な虎城の呟きが、不安にさせたのだった。

 ただ、虎城はぽろっとつぶやいただけである。やっと自分の違和感の原因に気がつけたことで、口が緩んだだけだ。それは不安がらせたいわけではないのだ。

ただ、気がつけたために出てしまった。

 異変を察したところで、京太郎の頭を虎城はしっかりと自分に引き寄せた。今までは少し距離をとったところで京太郎を見ていたのだが、原因に気がついたところでもっとよく見えるように顔を自分のほうに引っ張ったのだ。

 両手で京太郎の頭を固定して目を大きく見開いている虎城は肉食動物にしか見えなかった。虎城は、原因を分析しようと努めているだけである。

京太郎の目に何かおかしなところがある。それをより、はっきりとさせたかった。それだけなのだ。

 虎城が京太郎の目を見ている間、頭を捕まれている京太郎は、動けなくなっていた。虎城の腕力は京太郎の腕力よりもずっと弱い。簡単に引き離せるものである。

だから引き剥がそうと思えばできた。しかし京太郎はしなかった。やろうとも思わなかった。目を診ている虎城の迫力に負けていた。

自分を覗き込んでいる虎城の二つの目。妙に荒い鼻息。遠慮なしに顔を近づけてくる女子力のなさ。

「もう少し落ちついてくれないだろうか。落ち着いてくれないだろうな」

という諦め。そういうものが混じって、京太郎は動く気力をなくしていたのだった。


 観察を続けている虎城と困っている京太郎を完全に横目に見ながら、ディーはオロチの動きが比較的緩やかな場所を目指して移動していった。

ヘビに睨まれたかえるのように動けなくなっている京太郎と、京太郎を捕食しそうな虎城は見て見ぬふりをした。今は、二人の様子よりもオロチの目覚めに巻き込まれておかしなところへと移動してしまわないようにするのが一番大切だった。

 当てもなく真っ暗闇の世界を走りまわってみたり、何も目印がないような青空と草原の世界を何度も駆け回るのは勘弁してもらいたいのだ。

幸いディーの目はしっかりといい場所を見つけていた。

 オロチが動き出したことでいくつも出来上がった山である。不思議なことで、どういうことなのかこの大きな山たちは道が変化してもまったくといっていいほどゆれないのだ。

 そしてスポーツカーはこの大きな山を目指して動き始めた。グネグネと周りの道が変化しているけれども、山に続く道はそれほど変化が大きくなかった。

しかし緊張というのが運転に現れていた。というのも、運転する間にもすぐ近くに奈落に続く真っ暗闇がちらちらと顔を見せるのだ。少しでも運転を間違えればまっさかさまであった。

 変化をやり過ごすために登ろうとしている山は積極的に選んだのではない。ただ、近かったからという理由であった。

ほかに現れた山もほとんど動かないので選んでもよかったのだが、あえて遠い山を目指す理由がなかったのだ。

 しかしオロチが落ち着くまでの避難場所には充分役に立ってくれそうだった。

168: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/28(火) 01:46:38.48 ID:Z22ZBlJ80
 十分ほどかけて、オロチの世界に現れた巨大な山の頂上にスポーツカーは到着した。今までの運転から考えるとありえないほど穏やかなドライブだった。

五十キロほどのスピードで、石畳の道を道が続いているかどうか気をつけながら山の頂上までやってきた。

 巨大な山の山頂は平べったかった。そして音楽のライブでもできそうなほど広かった。小学校の運動会くらいなら簡単にできそうな広さである。この山頂の広場のど真ん中にスポーツカーは止まった。

 オロチの世界にいくつも現れた巨大な山は、それぞれ高さにばらつきがある。しかしどの山も現世にはなかなかないような大きさだった。登りたいと思う人もいるだろう雄大さがある。

幸いなことで世界がずいぶんと姿を変えているけれども、この山の頂上に向かう道は非常に安定していた。ほぼ、一本道だったのだ。

 そのため、十分ほどのドライブで簡単にたどり着けたのだった。

 山の頂上にたどり着いたとき、助手席に座っている京太郎は顔をしかめた。というのも、オロチの世界がひどく混乱しているのが見えたからだ。高い山の上から見下ろすので、よくわかった。ほかの道は今も動いてねじれてひどい有様だった。

「こんな面倒に巻き込まれたければ、きっともっと素敵な世界だっただろうに」

 などと思っていると、何かに見られているような気配を京太郎は感じた。

 不思議な気配を感じて助手席から京太郎は周りを見渡すが、すぐにやめてしまった。勘違いだと思ったのだ。周りには京太郎たちしかいなかったからである。

山の頂上にはスポーツカー以外に何もない。虎城もディーもまったく別の方向を見ているのは確認しているので、すぐに間違いだと気がつけた。
 
 京太郎がきょろきょろとしているとき、運転席のディーは真剣な表情で黙り込んでいた。 スポーツカーを山の頂上まで運転してきたディーの心の中には二つの問題がある。これがディーを黙らせていた。

 問題とは、京太郎と虎城をできる限り安全に龍門渕に連れ戻るためにどうしたらいいのかという問題。そして、ヤタガラス、ハギヨシの友としてどう動くべきなのかという問題である。

 考え込んでいよいよまとまったディーがこういった。

「ここなら変化に巻き込まれてつぶされることもないだろう。

 俺は、これからハギちゃんに連絡してくる。二人とも車の中で休憩しておいてくれ。絶対に外に出ちゃだめだ。

 もしも悪魔に襲われても車の中にいれば絶対安心だ。挑発されても出たりしないように。いいね?」

 ディーの口調は真剣だった。そして有無を言わせない迫力があった。

 ディーは携帯電話を使いハギヨシに連絡を取るつもりなのだ。運転席からでも連絡はできるはずなのだが現在は通話不能である。オロチが目覚めたことで電波の中継を担当している基地に被害が出たのだ。そのため電波が現世に通じていない。

 連絡をしないということも考えたのだが、この状況で連絡をしないのはまずかった。万が一自分たちが始末されたら松常久が野放しになることになる。それは避けたかった。

 だから多少無茶をすることになってもハギヨシに連絡を取るつもりなのだ。そしてそのためにはこのスポーツカーから離れて、連絡の取れる場所に移動しなければならなかった。

では、どこなら電波はどこならばつながるのか。それは現世と異界が触れ合っている場所、空白地帯のような場所があるのだが、そこである。

 電波の中継基地がなくとも、世界と世界の触れ合っている場所から電話をかければ、何とかつながるのだ。そしてディーは大体の場所にめぼしをつけていた。

 徒歩で世界と世界が触れ合っている場所に向かおうとしているのだ。かなり無謀な行動にしか見えないが、長距離移動でなければまったく問題なかった。

何せ、ディー自体の最高速度はスポーツカーよりもすばやいのだ。それこそ、二キロ三キロ離れたところにある異界と現世が触れ合う場所まで走り、連絡を取り、戻ってくるくらい、数分のうちにできてしまう。

 だからディーは京太郎と虎城を車の中で待つように命じたのだ。彼はこのスポーツカーの結界はよほどのことがない限りは傷をつけることさえできないと信じて疑っていない。

 京太郎と虎城が

「わかった」

と返事をすると、運転席から降りてあっという間にディーは姿を消した。集中力が暴走気味に発揮されている京太郎の目でも、ぎりぎり走ったと判断できるスピードだった。

怪しい女性とほとんど同じか、少し早いくらいの動きである。ディーは時間をかけるつもりがないのだ。さっさとハギヨシに連絡を取り、状況を説明して、次に備えたい。そして京太郎と虎城を自分の守れる範囲においておきたい。その気持ちがあるからディーは本気で動き回り頭を動かしていた。

169: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/28(火) 01:50:52.22 ID:Z22ZBlJ80
 ありえない速度で姿を消したディーを見送った京太郎は短く笑った。とても楽しそうに笑った。京太郎の胸に興味と喜びの気持ちがわいてきたのだ。

この二つの気持ちはこの世界でであった怪しい女性と、ディーが生み出してくれたものであった。

 とくに、目の前でディーが見せた動きはよかった。ディーにしてみれば普通に踏み込んで、走っただけ動きである。特殊な技術などまったくなかった。

ただ、とんでもなく早かった。京太郎にはできない勢いがあった。それをディーは当たり前のようにやった。京太郎のように無茶な強化など一つも行っていなかった。

 京太郎はわくわくしてしまったのだ。この気持ちは

「戦ったらどうなるだろうか」

という気持ちである。

 結果は戦う前にわかっている。真正面から戦えばあっという間に敗北するだろう。音速で動き戦うのがディーにとっては当たり前なのだ。暴走を加速させてやっとステージにしがみついている京太郎などまったく相手にならない。それはどうでもいいことだ。未熟なのは怪しい女性に教えられている。

 問題なのはこういう人たちがごろごろと存在しているということだ。怪しい女性とディーが当たり前に音速で動くのならば、ハギヨシもベンケイもライドウも同じように戦うのだろう。そうしなければ、相棒とはいえないだろうし、叩き伏せることなどできるわけがない。

上級などと悪魔を呼び分けているのだから、悪魔も音速で動くものがたくさんいるに違いない。恐ろしいことだ。

 今の京太郎ではまったく手も足も出ない。当然だ、無理に無理を重ねて、やっと無理やりにステージに上っているだけなのだ。本気で命をとりにこられたら勝てるわけがない。非常に恐ろしい。

 実際、怪しい女性にはいいように遊ばれているのだ。本気でこられたら一発でやられるだろう。

 しかし、このようにも京太郎は思ってしまうのだ。

「ああいう人たちがごろごろ存在している」

そして

「こういう存在と何度も出会えるかもしれない」

 このように考えると、胸が締め付けられるような気持ちになる。これは悪い気持ちではなかった。心臓に火がついていた。楽しみでしょうがないのだ。クリスマスプレゼントを待ち焦がれている子供のようなわくわくした気持ちであった。

 本気で動いたディーを見て、怪しい女性と戦って、京太郎は自分の求めているものを確信できた。だから笑ったのだ。

「全身全霊で戦いたい。あの人たちと全力でぶつかってみたい。限界ぎりぎりのところで戦いたい。

 そして限界を超えてみたい。

 たとえその結果が死であってもかまわない。手を抜いた勝利は必要ない」

 あまりにも暴力的な願いである。意味のある願いではないだろう。何かを生み出す願いではない。勝利すら願っていないのだ。馬鹿である。

「普通ではない」

しかし、間違いない京太郎の願いだった。だから京太郎は笑ったのだ。笑うしかなかった。


京太郎が微笑を浮かべていると虎城がこういった。

「須賀くんの目だけど、変化が起きてるみたいね。物質的な変化ではなく霊的な変化よ。

 幻の原因は霊的な繋がりができていたこと。

 残念だけど私にはどうしようもないわ。このつながりを解くためには契約に詳しい術者じゃないとだめね。完全に別の分野だわ」

 京太郎に話しかける虎城は少し困っていた。京太郎が軽く笑ったからではない。違和感の原因というのがわかったのだけれども、虎城には原因を取り除く方法がなかったからだ。

 京太郎の目に感じた違和感を、何者かが京太郎に対して接触を試みた結果できあがった霊的なつながりであると虎城は察している。そして霊的なつながりは髪の毛を引きずっている真っ赤な目の女性悪魔だろうというところまで結論を出していた。

 しかしわかっていてもつながりを切れなかった。というのが京太郎の目に生まれているつながりが契約に近い形で生まれたつながりだったからだ。がっちりとした契約ではなく、口約束のようなレベルである。しかし契約は契約である。第三者が無理にきるのは難しい。

 もしも、無理やりに結ばれたものなら、切り捨てるのは難しくない。はじけばいいだけだ。しかしお互いが納得づくの形で結ばれているとお互いが納得しなければつながりを切れないのだ。

そしてどういうわけなのか京太郎とあの怪しい女性悪魔は納得して結ばれていた。だから切れない。

 しかし虎城は何とかしたいと思う。何せあの女性悪魔はあまりにも怪しかった。京太郎に執着しているのも悪い印象になっている。そんな相手と京太郎が契約を結んでいるのだ。いやな感じになる。そんな状況であるから、彼女はただ困るのだった。



170: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/28(火) 01:56:14.94 ID:Z22ZBlJ80
 自分の観察の結果を虎城が説明し終わり、車の中が妙に静かになった。少しだけ間を空けてから京太郎はうなずいた。そして

「わかりました」

といった。自分のことなのに、京太郎は冷えていた。淡々としてまったく自分に興味がないらしかった。

 冷えた返事をしたのは、しょうがないと思ったからである。わめいてもしょうがない。こういうこともあるだろうと割り切ったのだ。

 そして、自分が何を求め、どのように歩いていくのか。おぼろげながら道が見えてきたことで京太郎は冷静になっている。

 「全身全霊で戦うことを楽しみと思う自分がいる」

 この欲求を自覚できたことで心が静まっている。頭が働くからこそ、心が静まるのだ。この静かさは目的地が定まったことでおきる静かさである。心を決めたから騒がないという姿勢である。

 そして、目的地がわかったものは手段を求めるようになる。旅行の目的地が決まれば、車で行くのか、飛行機で行くのかを決められるように、欲求を果たすために選ぶ道も見えはじめるのだ。

 京太郎は冷静に自分の目的を果たすための手段を選び始めていた。しかしほとんど悩まなかった。

 選ぶ道は秘密結社ヤタガラスだ。普通に生きているよりも京太郎の願いをかなえるチャンスが多く訪れるだろう。すでにヤタガラスの関係者虎城とディーから誘いがかかっているのだから、これに乗ればいい。

 しかし熱に浮かされてはしゃぐことはない。目的と手段が決まったからといって、これでいいといって、飛び込めない。目的と手段が決まったことでよりいっそう頭は冷えてきて、客観的に自分を見つめられるようになったのだ。

 まともな自分がささやくのだ。

「選ぶ道は悪徳の道、明らかに修羅の道」

 さらにまともな自分がささやくのだ。

「やめておけ。誰もほめてくれない道だ。何も生み出さない道だ。苦しいだけの道に違いない。命を奪うしか能のない存在を誰が大切にしてくれるのだ?

 思い出せ。悪魔と戦いどれほどの血を流した? 死にかけたことも一度や二度ではないだろう? 自分の血溜まりでおぼれたいのか?

 思い出せ。オロチの世界に来て出会った怪しい女性のことを。あの怪しい女性にいいようにやられたのを忘れたのか?

 お前が生き残れているのはたまたまだ。才能があるからでもなく、努力があったからでもない。たまたま生き残れているだけだ。運がよかっただけだ。いつ命を奪われるかもわからない。

 どうして命を捨てるようなまねをする。

 大事に生きていけばいいじゃないか。

 たとえ退屈を抱えることになったとしても、死ぬよりはいいだろう?

 もしかしてお前は平穏無事に生きている人間が畜生にでも見えているのではないか? 柵に守られた牧畜だと。

 今ならまだ間に合う。心を入れ替えて祈れ。神に許しを請え。戦いを望む獣を持って生まれたことを罪として祈るのだ。

 そうすれば、平穏無事な生活をおくれるだろう」

 頭の中で、冷静な自分がいくらでも語りかけてくる。

 しかし心は修羅の道を選んでしまっていた。理由は非常に簡単だった。

「進む」

と決めていた。自分の心にしたがって、正直に決めていた。

 決めてしまっていた。これだけだ。これだけで、世間一般の道徳を引き裂いた。たとえ、聖人に説教されようがこの決定は変わらない。あまりにも早い決断である。

しかし正直な決断だった。振り返って思い返すことがあれば、愚かと思うはず。しかしそのときが来ると思っていてもとめられない。後悔することになるだろうが、とめられなかった。

 声の調子というのが冷えていたのは、京太郎の変化が声に乗ったのだ。虎城に悪意があったわけではないのだ。ただ冷静に、第一歩を踏み始めたため、冷淡に見えたのであった。

171: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/28(火) 01:59:03.76 ID:Z22ZBlJ80
 京太郎の冷えた一言から会話はまったく続かなくなった。重たい沈黙がいくらか続いた。その沈黙に耐えかねて虎城がこういった。

「須賀くん、ヤタガラスにはいるのなら後方支援がいいと思うわ。前線で戦うよりもずっと安全だし、そこそこ自分の時間もある。

 学生でしょ? あんまり前線で戦っていたら、単位取れなくなるわよ」

 スポーツカーの不思議空間から虎城は京太郎に声をかけていた。ずいぶんと迷ったと見えて、声に張りがない。そして話をしている間も悩んでいるらしく不思議な空間の中にあったビニール袋を指でいじっていた。

 京太郎に後方支援を薦めたのは京太郎を前線で戦わせるには早いと判断したからである。虎城の眼から見て京太郎の近接戦闘のセンスは非常に高かった。もしも万全の状況で虎城が近接戦闘を京太郎に挑んでも勝率は一割に満たないだろう。

おそらく現役で前線に出ている構成員であっても近接戦闘に限ればほとんどがたやすくほふられるだろう。

 問題は京太郎の戦力ではない。問題なのは京太郎の心にはっきりと浮かび上がっている好戦的な感情である。戦いに対して恐れを感じていない。冒険を恐れていない。恐れるどころか楽しんでいる節がある。虎城の眼から見てよくない兆候だった。そして京太郎の心にあるやさしさもまずい。
 
 虎城は京太郎のことを心配しているのだ。

「どうやってもたおせない相手と向き合ったとき、この少年はどう対応するのか。どう振舞うのか。賢く振舞ってくれるだろうか。

きっと自分が思っている反対を選ぶだろう」

 それが恐ろしかった。虎城は馬鹿をやるだろう少年を死なせたくないのだ。だから後方支援を薦めた。

 虎城の考えなど知らないまま、京太郎は返事をした。

「そんなに忙しいんですかヤタガラスって? 単位が取れなくなるのは困るなぁ」

 好戦的な気配はどこかに消えてしまっていた。京太郎は露骨に顔をゆがめている。自分の欲求を京太郎はつかんだけれども、欲求だけを貫き通すなどとは露ほども考えていないのである。

ヤタガラスに入るかどうかというのもまだ怪しいところだけれども、もしもヤタガラスに入ることになって単位が怪しくなるのは勘弁してもらいたかった。流石に卒業したかった。

 単位が取れないのは困ると京太郎が悩み始めると、虎城はこういった。

「忙しいところは忙しいって感じかな。帝都みたいに人が集まるところに配属されると自分の時間はまったくなくなるわ。代わりに給料がひくほど貰えるけど。

 逆に、人がいなくて、霊的にも落ち着いているところに配属されたら、暇でしょうがなくなるかな。代わりに、給料が基本給だけになるけどね。お金がほしい人とかは、帝都に行きたいって希望を出していたりするよ。

 後方支援な私は、大体暇かな。大学に通いながらでも十分やっていけた。後方支援担当になるとどうしても暇になりがちなのよ。学生は基本後方支援かな、班長についてもらって修行もやりながらって感じで。

だから、今回みたいなのは初めてなんだよね。はははっ!」

 虎城は少し早口でヤタガラスの説明をした。話をしている間に、虎城はずいぶんとテンションを下げてしまった。

 特に、

「今回見たいなのは初めて」

というところで、ほとんど泣いているような調子になっていた。虎城は自分の班員たちがどうなったのかという疑問を思い出してしまったのだ。

「自分以外の四人はどうなったのだろうか? 自分はたまたまここにいるけれども彼女たちは大丈夫だろうか?」

 考えても答えは出てこない。確認作業などできないのだからわからない。だから考えないように努めていた。そうしなければ泣いてしまいそうだったから。

 しかしヤタガラスの話をしている間に思い出してしまった。連想ゲームの要領である。自分が指導していた班員たちを思い出すと胸が苦しくなり、死にたくなる。しかし説明はしっかりとやっていた。気を紛らわしたかったのだ。


172: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/28(火) 02:03:14.33 ID:Z22ZBlJ80
 説明をしながらへこみ始めた虎城に京太郎が聞いた。

「少し疑問なんですけど、何で後方支援担当の虎城さんたちまで巻き込まれたんですか? 最前線には参加したことがないんでしたよね?

 はなせないなら、別にいいですけど」

 不思議な空間に引きこもっている虎城と目を合わせるために京太郎は体をひねっていた。体をひねると不思議な空間でビニール袋をいじっていた虎城と目があった。

 なぜ巻き込まれたのかという質問は京太郎の純粋な疑問だった。虎城が目覚めてからずっと、抱えていた疑問だ。京太郎は思ったのだ。

「後方支援担当というのならば、そこそこ安全が約束されたところで引っ込んでいるのが普通なのではないか」と。

 それこそ前線には前線での支援担当がいるだろう。京太郎の仲魔アンヘルとソックのようなもののことだ。特に、サマナーなのだから人手が足りないということはまずありえないだろうから、巻き込まれたというのは余計におかしい。

 しかし虎城の班は襲われて、追いかけられている。おかしなことだ。後方支援担当班がやられるようなゆるい組織なのだろうか、ほかに職員もいただろうに。どうにも京太郎はそれがわからなかった。

 そもそも、何もかもが早く回りすぎている。虎城の話の内容からすれば、京太郎の仲魔アンヘルとソックが情報を流して虎城たちは動き始めたことになっている。ちなみに、京太郎が入院して退院するまで一週間とたっていない。

 ということは、一週間に満たない間に前線で動いていたヤタガラスの構成員がつぶされ、後方で動いていたはずの虎城たちまで追い込まれたということになる。

 いくらなんでも松常久が気がついて行動するまでが早すぎる。

「準幹部だったから、情報が漏れた」

といえばそれまでだが、もう一つ簡単な答えが京太郎の頭には浮かんでいた。

「明らかになっていない協力者、裏切り者がヤタガラスにいる」

 また、京太郎は、こんな風にも思うのだった。

「そういえば、都合よく生き残っている人間がいるな」

と。ディーはハギヨシに確認を取って納得していたけれども、京太郎は納得していなかったのだ。初めて出会ったときから、これがずっと気になっていた。

 答えてくれなくともかまわなかった。京太郎はただ気になったから聞いているだけなのだ。虎城が裏切り者だろうと、まったく京太郎はどうでもよかった。裏切り者を処分するかどうかというのはヤタガラスが決めることで、京太郎が決めることではないからだ。

 しかし、聞いておきたかった。疑いを抱えたままでいるのがいやだったのだ。ディーがいない今がちょうどいいタイミングだった。流石にディーがいるところで聞くのはためらわれたのだ。



 話に乗って質問を飛ばしてきた京太郎に、虎城が答えた。

「本当は答えたらだめなんだけど、須賀くんは当事者だから、答えるね。

 本当はだめなんだからね? ほかの人に私から聞いたっていわないでね?」

 虎城はかなりおどおどとしていた。手に持っているビニール袋がグネグネと形を変えている。京太郎の目をみて何が言いたいのかを理解したのだ。そしてすぐに虎城は京太郎の誤解を解くことに決めた。

 京太郎の思うところというのは虎城にしてみても当然抱くだろうところだったからだ。そのため虎城は話してもかまわない部分は話してしまうことに決めた。本当ならばヤタガラスではない京太郎に事件の内容は伝えられないこと。

 しかし一応はヤタガラスのジャンパーを与えられている。そして、今は虎城がかぶっているけれどもエンブレム付きの帽子も渡されているのだ。なら完全に部外者とはいえなくはない、厳しいけれども。一応エンブレムを許されているのならいいだろうというのが彼女の判断だった。

ヤタガラスに対しての言い訳はいくらでも思いつくので、もしものときはそれで乗り切るつもりである。

 質問に答えるという虎城を見て京太郎はうなずいた。実に真剣なまなざしであった。虎城が白なのか黒なのか自分で判断して京太郎は納得したかった。
 うなずくのを見て、虎城は答えた。

「まずおさえておいて欲しいことがあるの。松常久のことなんだけど、松 常久はねヤタガラスのスポンサーだったの。スポンサーというのはそのままの意味で、資金を提供してくれる人。

 ヤタガラスといっても、サマナーのみで出来上がっているわけじゃないの。むしろ武力なんて持っていない人のほうが多いくらいなのよ。もちろんサマナーとして生きてきた人もいるけどね。

 それで少し話は変わるけど、ヤタガラスのサマナーには活動資金が渡されているの。お金がないとどうにもならないことが多いからね。

 この活動資金だけど、下手な行動を取ると支給されている金額だけでは足りないってことがおきるの。

 領収書を渡せばどうにかなることもあるけど、あんまりにも成果が足りていないとだんだんと受け付けてもらえなくなるのよ。

 そういう、なんというか、能力的にだめな人にスポンサーがつくの。もちろんヤタガラスに斡旋される形でだけどね。龍門渕の近くのサマナーだと龍門渕のグループ企業がスポンサーにつくんじゃないかしら。

 まぁそれで、ヤタガラスの構成員は手助けを受けるわけ。スポンサーにはうまみがないように見えるけど、政府から優遇してもらえたり、上手くサマナーたちを成長させていくことができれば、幹部として取り立ててもらえることもある。松常久は準幹部だったから、あと少しだったわけ。

 で、ここからが本題で、困ったことにこういうスポンサーの中には子飼いのサマナーを従えて権力を手に入れたいと思う人がいたりするの。人の欲望にはきりがないって言うけど、結構な頻度で現れるのよこれが。

それで、権力に取り付かれた人間たちの一人が、松常久だった」
 

173: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/28(火) 02:07:12.52 ID:Z22ZBlJ80
ここまで話をした虎城に、京太郎はこういった。

「松 常久の息がかかったヤタガラスのサマナーに攻撃されたんですか? 子飼いのサマナーまでヤタガラス?

 裏切り者が多すぎるでしょ、大丈夫なんですかヤタガラス?」

 説明をしてくれた虎城から京太郎は視線を切った。もう目を見ている必要はないと判断したからである。

 京太郎の本当の疑問

「明らかになっていない内通者」

の存在には答えが出ていないけれども、それはまた別にいるのだろうと納得した。

 そして、京太郎は自分の判断を下した。白だ。虎城は白である。これで間違いであったとしても後悔はないだろう。はずれであれば、自分が馬鹿だったというだけのことですむ。京太郎が虎城に疑問をぶつけたのは、信じたかったからである。納得できる理屈を話してくれたら、それだけでよかったのだ。


 おおよその答えにたどり着いた京太郎が納得したのを見て虎城はうなずいた。そしてこういった。

「まぁ、わかるわよね。そういうことよ。

 松 常久を探っていたら、前線で内偵しているサマナーと後方支援チームがヤタガラスの別部隊に襲われて壊滅。

 襲撃を受けた混乱の中でどうにか自分の異能力を使って逃げ延びて、今ここにいるってわけよ。

 でも、内偵のサマナーは優秀だったわ。襲撃前に松 常久の証拠固めはきっちり済ませてくれていた。後は証拠をライドウに渡すだけ」

 京太郎が納得したのを見た虎城はほっとしていた。京太郎が自分のことを信じてくれたと虎城は見抜いたのだ。これは虎城の観察眼が人よりも優れているからというよりは、京太郎が非常にわかりやすく集中力をきったのが原因である。

京太郎は自分の集中力を上手く制御できていない。そのため、虎城から見れば京太郎が疑っているとか、信じてくれているというのは手に取るようにわかるのだった。雰囲気の問題だが、迫力が違うのだ。

 そして今、京太郎は完全に集中を切って虎城を受け入れていた。あまりにも簡単に受け入れてしまう京太郎を見て

「悪い人にだまされたりしないだろうか」

と虎城はすこし不安になった。


 虎城の話を聞いて納得した京太郎はこういった。

「その証拠とやらを虎城さんが握っている。だからなんとしても松常久は消したい」

京太郎は虎城の話を信じていた。もう疑ってはいない。疑問はとっくに晴れたからだ。まだ隠している部分があるけれども、それは仕事上の問題だからどうでもよかった。話せないことくらいあるのわかるのだ。

 抱えていた疑問がなくなった京太郎は一人でうなずいていた。また、このようなことを考えていた。

「ライドウが命じた内偵の結果が黒である証拠があれば、消しにくるのは当然だろうな。携帯電話の中にでもデータを転送しているのか?」
と。

 そしてそんなことを京太郎が考えていると虎城はニコニコしながら自分の頭を指差した。

「そうね、でも物体としてではないわ。ここに、詰め込んだのよ」

細い人差し指で、虎城は自分の頭をつついていた。京太郎に見せている笑顔は無邪気なものであった。というのもこの話をすれば、間違いなく京太郎が驚くだろうと思っているからである。実際京太郎は非常に驚いた。


 記憶だけで松常久を追い詰めるといった虎城はこのように続けて話してくれた。

「普通の事件なら、物質的な証拠が必要になるけれど、サマナーの世界にはそんなもの必要ないわ。
 
物質的な証拠なんて、捏造し放題だからね。悪魔を使えば、アリバイなんて朝飯前に作れるのだから。

 でも、そんな世界でもこれだけは信じられるという技術がある。それは悪魔の技術を使った読心術。本人さえも忘れている情報を引き出すことができるわ。

普通なら、疑われている人にかけるのだけれども、私はこれを使って私の頭の中にある情報をヤタガラスとライドウに差し出す。そうすれば、事件の顛末が伝わるでしょう」

 虎城は自信満々に言い切った。虎城は本気で読心術を使うつもりなのだ。これは珍しいやり方ではない。

 疑われているものに対して、複数の術者が読心術を使い真実を明らかにする方法を、証拠に応用するだけの話である。普通の世界で読心術など使えば、間違いなく人権侵害で問題になるだろう。

しかし、記憶しか証拠にならない場合のほうが多いのがサマナーの世界。よくある証拠の作り方なのだ。だから、彼女も読心術を利用することに決めた。

174: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/28(火) 02:11:32.90 ID:Z22ZBlJ80
 虎城が読心術を自分につかうというので、京太郎がきいた。

「それって、ピンポイントで情報を抜き出せるんですか。事件関係とかで検索するみたいなことは」

 虎城の話を理解した京太郎は少し引いていた。なぜならば読心術をかけられたら、なにもかも明らかにされる。

 銀行の暗証番号だとか、隠しておきたい技術だとか、それが全て明らかになる。下手をすると破滅する人間もいるだろう。真っ白な人間などいないのだ。誰でも人に言えない黒さがある。自覚していない犯罪というのもあるだろう。

 ピンポイントで情報を取り出せるのかときいたのは、虎城が破滅するのではないかと心配したためである。

 引いている京太郎が聞くと、虎城は首を横に振った。

「無理よ。全部が完全にさらけ出されることになる。

 もちろん、覚悟の上よ。でもね自分のチームを壊滅させられておいて、黙って泣き寝入りなんてできないわ。この程度のリスク、たいしたことじゃない」

 虎城は覚悟を決めていた。虎城が受ける読心術は表面的な情報を拾うものではない、隠し立てなどできるわけもない。しかしそれでもいいと彼女は言っているのだ。虎城は静かに怒りを燃やしている。自分の秘密をさらけ出してもいいと思うくらいには松常久に怒っていた。

 覚悟を決めている虎城に京太郎はこういった。

「応援してますよ。きっと、何もかも上手くいきますよ」

この言葉のあとには声にしていないけれど、言葉が少しだけ続いている。

「もちろん俺も、あなたの味方をしましょう」

 声に出さなかったのは、少し恥ずかしかったからだ。なにせこの事件にはライドウがかかわっている。京太郎よりもずっと頼りになるサマナーだ。自分にできることなどほんの少しの武力を発揮するくらいのものであると京太郎は理解しているのだ。

だから味方になるなどとは、力になれるなどとはいえなかった。自分のような小物が出て行く余地があるとは思わなかったのである。


 京太郎の応援を受けた虎城がこういった。

「あなたたちが見つけてくれなかったら多分物流センターでつかまってたわ。

 氷詰めのままで追い詰められて、そのまま永遠に眠ったままだったでしょうね。本当、おこしてくれて助かったわ。

 おこして……ん? そういえば……ん? 何か忘れているような……なんだっけ」

 虎城は急に頭を抱え始めた。虎城は自分がどうやって目を覚ましたのかがさっぱり思い出せなかったのだ。そして思い出せないから不思議に思うことが生まれてくるのだった。

その不思議というのは、誰がどうやって目覚めさせたのかという不思議である。目を覚ましたときには自分でもわかるほど虎城は氷まみれの状態だった。長い髪の毛も凍っていたし、体も冷え切っていた。ほとんど死んでいるような状態だった。

 しかし、どうにか蘇生して動き出していた。

 さて、そうなるとおかしなことになる。なぜなら回復魔法だとか、医療技術を持っていないのにもかかわらず、京太郎とディーが自分を蘇生させたことになる。

そういう技術があるというようには少なくともドライブ中には見えなかった。特に京太郎など完全に戦いに特化している。ディーの可能性もあるが、回復魔法を使うようなそぶりはまったくなかった。となるといよいよわからなくなる。

 誰が自分を助けたのかが彼女のわからないところだった。しかし特に騒ぐことはなかった。もしかすると口にしていないだけで京太郎とディーにはそういう技があるのかもしれないからだ。

そして蘇生させる魔道具でも持っていて自分に使ってくれたのかもしれないと考えたのだった。それこそ目覚めたときに京太郎が手渡してくれた謎のドリンクは異様なほどの回復力があったのだから、そういうものでも使ってくれたのだろうと、納得できていた。



 それから二人がどうでもいい話をし始めた。特にすることがなかったからだ。

 「ディーさん遅いですね」とか「そうだね」とか言っている間に、時間は過ぎていった。

 そんなときである。、虎城がフロントガラスの向こう側を指差した。

「ねぇ、須賀くんあれ」

 フロントガラスの向こうを指を刺す虎城の顔色は非常に悪かった。虎城の視線の先には髪の毛を地面に引きずっている女性がたっていたのだ。

 しかもスポーツカーの不思議な空間にいる虎城にも感じられるほどのマグネタイトと魔力を怪しい女性はたぎらせていた。明らかに臨戦態勢であった。

 そして今までとは比べ物にならないほど赤い目が輝いていた。この眼光は虎城をひるませるには十分な圧力を持っていた。

 虎城が京太郎の名前を呼んだのは、この場所で一番の戦力は京太郎で、頼れるのも京太郎だけだったからだ。

 虎城の指先を追って京太郎がスポーツカーの外に目を向けた。京太郎はあわてたりはしなかった。しかし心臓の鼓動が早くなり、口元がつりあがっていった。

ありえないほどの力を虎城が感じているように京太郎もまた怪しい女性の力を感じていたのだ。だから京太郎はあわてたりしない。そしてきっと怪しい女性の目的は自分だろうと予想がつくから、京太郎は心震わせてしまうのだ。

175: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/28(火) 02:15:15.40 ID:Z22ZBlJ80
 スポーツカーの外でたぎっている怪しい女性と目を合わせると京太郎は笑った。そしてこういった。

「そっちから来てくれたか」

 恐れはもちろんある。しかし怪しい女性を見て笑う京太郎は間違いなく楽しんでいた。京太郎は怪しい女性が現れてくれたことをありがたいと思っていた。

京太郎の胸にはこの怪しい女性にいいようにやられた経験が深く残っているのだ。その深く残っているものを乗り越えていきたいという気持ちがある。もちろん現在の状況が遊んでいられるものではないと理解している。だから表にはできるだけださないように努めていた。

 しかしここに、わざわざ怪しい女性が出向いてくれている。

「ありがたいことだ。リベンジのチャンスが向こうから来てくれた」

 そう思うとたまらなかった。


 スポーツカーの外に立っている怪しい女性は、京太郎を指差した。真っ赤な目を輝かせて京太郎から目を離さない。

 少し前回と様子が違っていた。体にまとわりつかせていたぼろぼろの布がどこかに消えているところである。ほんの少し前までは全身をくまなく包んでいたぼろぼろの布が、今はない。裸同然の格好だった。

 体から湧き出している魔力が目に見える密度でたぎっているのと、地面に引きずるほど長い髪の毛でもって、かろうじて体を隠しているだけだ。尋常でない格好であるが、たぎらせている力が桁違いすぎて、茶化すこともできない空気だった。

 怪しい女性が京太郎を指差しているのは、京太郎のマグネタイトを求めているからではない。今回は違う。今回は京太郎をさらうためにこの場所に現れたのである。京太郎が自分を見つけたのを確認すると、指差していた指を曲げて

「こちらに来い」

と伝えてきた。

 そのジェスチャーにあわせて助手席から京太郎は降りようとした。助手席から降りるのが当たり前、怪しい女性の呼びかけにこたえるのが当然だろうというくらいに何の迷いもなく京太郎は動いている。

 ディーの命令を無視する振る舞いだった。しょうがないのだ。京太郎の思惑と怪しい女性の思惑が完全にかみ合っている。どうしてスポーツカーの中に引っ込んでいなければならないのだろうか。

京太郎は怪しい女性に挑みたい。怪しい女性は京太郎に用事がある。二人とも用事を済ませるためにはスポーツカーの中にいてはだめだ。ならば、出るだろう。だから京太郎は助手席から降りようとした。

 助手席から降りようとしたところで、虎城に肩をつかまれて京太郎は止められた。

「まって、ちょっとまって! 本当にちょっと落ち着いて!
 
 待ちましょう! いったんディーさんを待ちましょうよ! どう見ても今までとは違うわ! 何か別の意図を感じる!

 お願いだから出て行かないで!今まで無事だったからといって、今回も無事に済むとは限らない!」

 虎城の額には脂汗がにじんでいた。また京太郎の肩をつかむ手は震えている。一般人なら肩が砕ける勢いで力をこめているけれども、ここまで力をこめてみても京太郎は少しも拘束できていなかった。

 とめる理由など一言で済む。不気味だった。京太郎を止めたのはスポーツカーの外にいる存在があまりにも巨大で、不気味だった。

 そしてたぎらせている魔力の様子から、今までとは違う怪しい女性の意図を虎城は感じ取れていた。つい先ほど見た楽しげな調子などかけらもない。

 どこからどう見てもまともでない。ひきずるほど長い髪の毛も、まがまがしく輝く赤い目も、両手両足に見える蛇のうろこのような模様も、何もかもが不気味で恐ろしかった。

しかもどうやら今回は事情が違うらしくやる気満々である。京太郎を外に出せるわけがなかった。死ににいくようなものではないか。そんなこと許せなかった。


 虎城に肩をつかまれた京太郎は、動きを止めてこう答えた。

「確かにそうですね。無事ですまないかもしれない。

 でも無視したら何をするかわからないですよ。もう待ちきれないみたいですし」

 自分を止める虎城に京太郎は微笑んで見せた。怪しい女性の様子がおかしいのには京太郎も気がついていた。なんとなくだが今回は求めているものが違うように見える。出て行かないという選択肢ももちろんあった。

 しかし選ばなかった。それは怪しい女性が待ちきれなくなっているのに気がついていたからだ。ディーはスポーツカーの強度は半端ではないと胸を張っていたけれども、それを突破できるかもしれない。

圧倒的なマグネタイトの奔流と、マグネタイトに物を言わせた異常な魔力とスタミナで力押しすれば、いくら頑丈な壁でも壊れるだろう。

 もしもスポーツカーが壊れたとしても京太郎はいいのだ。別に恐れるものなどそれほど多くない。野良悪魔に絡まれても始末すればいいだけだ。松常久の悪魔も同じだ。始末すればいい。しかし虎城はどうだろうか。

「スポーツカーがなくなったとき虎城さんは無事でいられるのだろうか?」

 京太郎はその可能性を考えると余計に外に出なければならないという気持ちになるのだった。考え方の問題なのだ。仮に、京太郎が何かされたとしても京太郎しか被害が出ない。スポーツカーも無事で済むだろうし、虎城もディーも無事である。

しかし、出て行かなかったとして、スポーツカーが壊れたらどうなるだろうか。ならば、選択肢は一つだ。

 京太郎と虎城は少しの間見つめあうことになった。二人とも、意見を変えるつもりはないのだ。京太郎は怪しい女性の相手をしたい。

そして出て行くほうが理にかなっている。京太郎が出て行きさえすれば、犠牲は一人だけですむ。怪しい女性が狙うのは自分だけだと京太郎は思っている。

 一方で虎城は京太郎を車の外に出したくない。怪しい女性はあまりにも怪しすぎる。そして京太郎が危険な目にあうのを許せそうにない。だから二人の意見はかみ合わない。

176: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/28(火) 02:18:10.25 ID:Z22ZBlJ80
 二人が固まって数秒後、虎城は小さく悲鳴を上げた。フロントガラスにかえるのようにへばりついている怪しい女性の姿を見たからである。そして怪しい女性の真っ赤な目が自分を見ていることに虎城は気がついてしまった。

 真っ赤な二つの目をみたとき虎城は理解する。

「この悪魔は自分のことを心底、邪魔だと思っている」

 怪しい女性が放つ感情だけで彼女の心は壊れてしまいそうだった。


 虎城の小さな悲鳴のあと、フロントガラスを指でコンコンと京太郎はノックした。京太郎は少しだけ不機嫌になっていた。フロントガラスにへばりついている怪しい女性が虎城を睨むのが気に入らなかったのだ。

何せ虎城はずいぶんとおびえている。そういうのはあまりよろしいことではないというのが京太郎の思うところだった。そう思う京太郎だから、フロントガラスをノックして、自分に意識を向けさせたのだ。

 フロントガラスにへばりついている怪しい女性と京太郎は視線を合わせていた。京太郎がフロントガラスをつつくと怪しい女性は京太郎に視線を向けてきたのだ。

 このとき青ざめている虎城とは対照的に京太郎は笑みを浮かべていた。

 完全に血の気が引いている虎城はこういった。

「で、でも。ディーさんはこの車の中なら、無事にすむって」

 涙がほほを伝っていた。そして鼻声だった。虎城は人生の中でこれほど命の危険を感じたことはなかった。怪しい女性の真っ黒な髪の毛がフロントガラスをふさいでいるのも、不気味でならない上に、怪しい女性の顔が妙に整っているのも恐ろしさを助長させていた。

彼女の心にあるのはいまや、死にたくないという一念だけである。それこそディーの根拠も何もない言葉に頼りきりになってしまうほど、追い込まれていた。


 虎城がいい終わるのとほとんど同時だった。へばりついていた怪しい女性がフロントガラスを思い切り殴りつけた。怪しい女性が攻撃を仕掛けてくる様子を京太郎の目はとらえていた。右手をしっかりと握り締めて、小さな子供がやるような調子で振り下ろしたのだ。このときガラスが割れることはなかった。

 しかし無事とはいいにくい。殴られた衝撃でスポーツカーがはねたのだ。地面に置いたバスケットボールを殴りつけると衝撃でわずかに浮かぶが、それが車でおきていた。真っ暗闇の世界に落ちたときよりもずっと強い衝撃がスポーツカー全体を襲っていた。

 また悲しいことで、殴られたときにフロントガラスの一部分にヒビが入ってしまっていた。くもの巣のようなヒビである。

 しかしガラスは完全には割れていなかった。怪しい女性が手加減をしてくれたからである。本気を出せば、もっとすばやくもっとたくさんの攻撃を連続して放てだろう。しかしそれをしなかった。用事は京太郎だけだからだ。車にも虎城にも興味はない。だからこれだけで済んだ。

 跳ね上げられたスポーツカーが落ち着いてから、京太郎はこういった。

「手加減してくれてありがとう。言いたいことはよくわかったから無茶してくれるな。すぐに出て行く」

 京太郎は冷や汗をかいていた。しかしどことなくうれしそうに見えた。京太郎の前にいるのは手も足も出ないだろう格上である。真正面から戦えばここまで京太郎を連れてきてくれたディーでさえも怪しい相手である。

 そんな相手が今自分を呼んでいる。とても恐ろしいことだ。命を持っていかれるかもしれない。しかし、不思議と心は高ぶっていた。心が折れるどころかもう一度立ち向かう気持ちで燃えている。それに、虎城もいるのだ。

「自分がここで何かされたとしても虎城はどうにか無事ですむはず」

そう思えば、修羅場に踊りでる理由になるだろう。

 かなり無茶なノックに答えた京太郎に、へばりついている怪しい女性は、フロントガラスに口をつけてこういった。

「目、目」

 唇をガラスにつけて、声を出していた。かなりざらざらとした声だった。しかししっかりと「目」と発音していると、京太郎にはわかった。自分がどういう仕事をしたのか京太郎に怪しい女性は伝えているのだ。もう少し口が上手く回れば、

「あなたの目と私の目を霊的なラインでつないで危機を伝えたのだけれども、無事でしたか? 巻き込まれていないかと心配しましたよ、人の子よ。

 さぁ、その小さな神域から出てきて私の世界で暮らしましょう。あの忌々しい半神の邪魔が入らないうちに」

となっただろう。

 フロントガラスにへばりついていた怪しい女性がふわっと飛び上がった。そしてスポーツカーから十メートルほど離れたところに着地した。

177: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/28(火) 02:21:18.39 ID:Z22ZBlJ80
 怪しい女性がフロントガラスから離れると京太郎は助手席から降りた。そのとき京太郎はこういった。

「虎城さんはここでおとなしくしていてください。異変を察してディーさんが戻ってくるはずです。俺でもわかるくらい魔力を放っているのだから、気がついてくれるでしょう」

 遺言のようにも聞こえた。事実、京太郎はここで終わることも覚悟していた。なぜならばこの怪しい女性と立ち会い、生きていられるのかは怪しい女性の心ひとつで決まるからだ。

 しかしまったく、手も足も出ないということはないはずである。

 怪しい女性との三度の立会いが、分不相応なステージで動くヒントを京太郎に与えてくれていた。

「外に発散する力を閉じ込め、内側に力を溜め込むことで感覚を強化する技術」

 代償は大きいが、これを極めていけば、格下の京太郎でも格上の存在に抗うことができる。肉体を破壊して一秒を細切れにして、刹那を行動の単位とする自滅技。上手く使えば、一分くらいは稼げるかもしれない。

 しかしそれは怪しい女性のステージに立てるというだけのことであって、勝利につながるということではない。やっと立ち上がって歩き始めた子供が、修行を積んだ格闘家に挑みかかるような状況である。しかし十分承知していても、進まなければならないこともある。今がそのときだ。


 京太郎がスポーツカーの扉を閉めると、虎城は青い顔をしてこういった。

「須賀くんはどうするのよ……」

 京太郎を捕まえるだけの力を虎城は搾り出せなかった。ただ、呆然と見送るだけである。今まで握り締めていたビニール袋さえつかめないほど消耗していた。

しょうがないことだ。怪しい女性の膨大なマグネタイトの圧力、虎城を排除しようとしていた眼力、そして魂の底まで冷え切るような奇妙な音色。どれをとっても血の気が引くものであった。そして泣いてしまいそうなほど不安な気持ちにさせるものだった。

 特に車内に響いたざらついた音色はたまらなかった。二度と聞きたいとは思わない音色だった。どんなおぞましい音楽でもあのような音は出せないだろう。すでに情緒不安定といっていいレベルまで消耗していたのだ。怪しい女性のわずかな悪意で虎城の足は完全に止まった。
 

 スポーツカーから京太郎が出てくるやいなや怪しい女性が飛び掛ってきた。京太郎が助手席から降りて、扉を閉めて、一歩踏み出したところである。前回、前々回のようにゆったりと怪しい女性は待ってくれなかった。ほとんど不意打ちに近い行動である。

 怪しい女性の髪の毛がなびいて真っ黒なマントのように見えた。真っ赤な目は京太郎から少しも離れていない。

飛び掛るときも、飛び掛った後もずっと見つめたままだ。蛇のうろこのような模様が浮かんでいる両手両足は、京太郎を捕まえるのに一生懸命に働いている。京太郎を抱きしめて連れ去るつもりだ。

 怪しい女性は京太郎が一人きりになるのをずっと待っていた。京太郎が始めて触れてきたときから、ずっと今まで耐えていた。

 怪しい女性は京太郎のマグネタイトの味をとても気に入っていた。今まで感じたことがない素敵な気持ちになるマグネタイトの味だった。

退屈の中で眠っていた彼女はこの味をもっと楽しみたいと願った。好きなときに好きなだけ楽しみたい。そんな気持ちがあった。素敵なマグネタイトを味わっているときは退屈を感じずにいられた。

そして何度も楽しんで、いよいよ心が固まった。さらいたいと願ってしまうほどに。

 しかし京太郎をさらえなかった。忌々しいディーが京太郎を守っていたからだ。忌々しい存在がいなければ、葦原の中つ国の最深部に落ちてきたときに京太郎をさらえたのだ。

何度も触れ合えたのに、つれて帰れなかったのは悲しいことだった。つれて帰ろうとすると、殺意を向けて怪しい女性をディーが脅かすのだから、できなかった。見た目こそ怪しい女性であるが、内心おびえていた。

 しかし今、やっとのことで邪魔者を離れた場所に誘導できた。ごみ臭いものたちにたたき起こされたのは非常に腹立たしいことだが、結果を見れば許せるというものだ。

 怪しい女性は思う。

「では、つれて帰ろう。あの半神がここに戻ってこないうちに、私の一番深いところに私の宝物を隠してしまおう」

 だから飛び掛った。心は一つ。京太郎を人の世界に返さない。

「私が大切に守ってやろう。私の腹の中で永遠に」

怪しい女性はそのように考えて、京太郎を捕りに、保護しに来たのだ。

178: ◆hSU3iHKACOC4 2015/04/28(火) 02:26:51.97 ID:Z22ZBlJ80
 しかし怪しい女性の抱擁を京太郎は避けた。一瞬の出来事である。虎城からは怪しい女性と京太郎が姿を消したと思ったら、まったく別の場所に立っていたようにしか見えていない。

 いつのまにか京太郎はスポーツカーの前方三メートルほどのところに立っていて、いつの間にかスポーツカーの左斜め後ろ二メートルの位置に怪しい女性は移動していたのである。

 すぐに京太郎の異変に虎城は気がついた。京太郎の体から血が流れ出ていた。服の上からもわかる。服の色が血液で変わり始めていたのだ。皮膚が裂け、服の下の京太郎の体が血でぬれはじめているのだ。また、鼻から血が流れ出ていた。

そして見た目の異変と別に、おかしなことがあった。京太郎から激しい魔力の高ぶりを感じるのだけれども、まったく外に漏れ出していなかった。

 音速で迫る女性の抱擁を京太郎が避けられた理由と、その代償である。この流血は、感覚の強化を更に加速させた結果だ。

 
 三度、怪しい女性と京太郎は立ち会った。そのたびに感覚の暴走を逆手に取り格上に京太郎は挑んできた。しかし、三度ともいいようにやられてしまった。

はじめは圧倒的な実力差の前にあっさりと手を握られた。二度目は感覚を研ぎ澄ませてみたものの、油断をして抱きつかれた。三度目は感覚を研ぎ澄ませ、油断せずに行動したが、視覚にたよりすぎて分身に気がつけず遊ばれた。

 三度の出会いが怪しい女性に一泡吹かせる方法を提案してくれる。

「感覚強化の更なる段階。自滅覚悟の超強化を行え」

 四度目の、今。魔力を全開に高め京太郎は五感を研ぎ澄ませていた。結果、音速で動く女性の動きを完璧な知覚の中に納め京太郎は反応できた。ほとんど不意打ちに近い攻撃だったのにもかかわらず、行動を観て回避してのけた。

 当然の結果だ。二度目も、三度目も女性の動きを見て対処できたのだ。しかも今回は前回とは違う。自分にかける圧力が、桁違いなのだ。京太郎は自分にできる最高の魔力を練り上げ、内側に閉じ込めていた。

更に高めれば、簡単に対応できるのは当然のこと。五感を全開に強化しているのだから、より完璧に近づくだろう。だから京太郎は行った。

 しかし、代償はついてくる。分不相応なステージに無理に上るために行われた五感の超強化。力を溜め込むのも限界がある。今の京太郎は水の入った風船だ。パンパンに水が入っていて、いつ破裂するかもわからない膨張具合である。

 すでに破裂する予兆は見えている。行動のたびに皮膚が切れもれ出す血だ。行動の勢いで皮膚が裂けて、血がもれ始めている。肉体も内側から悲鳴を上げている。

 ただ不気味なことに痛みはなかった。

 抱擁を避けられた怪しい女性が京太郎にこういった。

「目、目、目」

 怪しい女性はずいぶん不機嫌になっていた。真っ赤な二つの目がギラギラと輝きだし、両手両足からは圧倒的な量の魔力が流れ出している。もう少し口が上手ければ、こういう内容で京太郎を責めただろう。

「私はあなたを傷つけるつもりはない。私はあなたの目を通じて危険を教えたではないか。なぜ、私を受け入れないのか、人の子よ。

 それに、あなたはずいぶん恐ろしい相手に追いかけられている。私はあなたが危険な目にあうのがとても恐ろしい。

 あなたは私の宝物。だから私はあなたを守ってあげたいと思う。私の中にいればどんなに恐ろしいことからも守ってあげられる。

 だからおとなしくしていてほしい。痛い思いをさせるつもりはないのだから」

 大体このような内容になるだろう。しかし残念ながら人間と会話をする経験があまりにも少ないためにまともに口が回らなかった。かといって、伝わっていたとしても京太郎はうなずかないだろう。 

 怪しい女性がなんども「目」というので京太郎はうなずいた。そして、お礼を言った。

「『目』? あの幻覚はあなたが? それはどうも、ありがとう。助かりました」

 京太郎は軽く頭を下げていた。目線は怪しい女性から切っていない。余裕らしく振舞っているけれども、言葉だけだ。全身からは汗が噴出していた。お礼を言ったのは単純に感謝しているからだ。

幻を見せてくれなければ、きっと奈落に落ちていた。知らせてくれてありがとう、という気持ちでお礼を言っていた。

 狙われているけれども、助けてもらったのは間違いないのだから、お礼が必要だろうという気持ちである。

 京太郎が軽く頭を下げると、怪しい女性が笑った。

「手、手」

と声を発っすると怪しい女性の目が一段と強く輝いた。燃え上がっているようにみえる錯覚が起きるほど魔力が目に集まっている。

 そして目に魔力が集まると同時に女性の体が霞のようにおぼろげになり、三つに分かれた。この三つに分かれた霞のようなものは実体をもっていた。三つとも全て本物である。京太郎の目の前にまったく同じ姿の怪しい女性が三人現れたのだ。

 京太郎を怪しい女性はかえす気がない。そして京太郎を守っていたディーの到着を待つつもりもない。今、必死になってディーが引き返してきているのが、怪しい女性にはわかるのだ。

だから、手加減はしない。ディーが離れている今が京太郎をさらう最大のチャンスだからだ。怪しい女性の心はひとつだ。

「やっと見つけた退屈を癒してくれる宝物。絶対に離さない。確実に連れ去る」