2: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 20:03:00.02 ID:.CG2gec0

学校からの帰り道、突然、麦野は携帯電話で目の前の男から呼び出された。
一体、何の用だろう。密かに胸をときめかせて指定されたファミレスに来て蓋をあけてみれば、他の女に関する恋愛相談だった。
少しだけ。ほんの少しだけ期待していた展開なんて起こることもなく、麦野はつまらなそうに男の話に耳を傾けていた。


「なぁ、麦野。どうすればいいのかな、俺」

「どうするも何も、そもそもなんで喧嘩なんかしたのよ?」


麦野は奢らせたソーダフロートのストローに口をつけながら、ため息混じりに話につきあう。
先ほどから「どうしよう、どうしよう」と汗をダラダラと流し、あたふたしている男――浜面仕上は、学園都市の路地裏に入れば、溢れるほど出てくる不良の中の1人に過ぎない。
金に染めている髪は痛み気味。着用している茶色のジャージとジーンズも、一見して安物だとわかる。
鼻にピアスまでしているが、どこか野暮ったい。
冴えない浜面とファッション雑誌からそのまま飛び出て来たような容姿端麗でおしゃれな麦野が一緒にいる様は、幾ばくか周囲の視線を集めてしまっている。


「……わっかんねぇ。なんか昨日から急に口きいてくれなくなって」

「メールでもすればー?」

「メールも駄目なんだ。返信くんないし、電話してもでてくれねぇ。家に行ってもドア開けてくんなかったし……。
 俺嫌われるようなこと、したのか……?」

「嫌われたとかはともかく。怒らせるようなことはしたんでしょ。
 アンタの部屋で  本、  DVDを見つけてドン引きしたとか、気が利かなくて余計な事を言ったとか。
 まぁ、馬鹿浜面がぁ、愛しの滝壺ちゃんのぉ、ハートを傷つけたことはぁ、決定的よねー。こんなアホが彼氏とか、滝壺かわいそー☆」

「うっ……、痛いとこつくなよ」

「で? 心当たりとかない訳?」

「えぇーと」


間抜けな顔で天井と睨めっこをしながら、浜面は『滝壺に嫌われそうな心当たり』について考え始めた。
思いついてはひとーつ、ふたーつと指を折り数える。
だんだんと数を数えるスピードが遅くなっていくに従って、浜面の顔はテーブルへと近づく。
浜面の両手がきれいなグーの形になった時、とうとう浜面はテーブルにひれ伏した。


「うわぁぁぁああ! 滝壺ぉ、俺が悪かったぁぁぁあああっ!!」


テーブルの上にひれ伏して絶望に打ちひしがれる浜面。
「ごめん、超ごめんなさい……」と壊れたラジオのようにくり返す口からは、魂がひょっこりと顔をだしている。
愛しの滝壺ちゃんから嫌がられるような心当たりが、両手の指では足りないほどあるらしい。

3: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 20:08:30.49 ID:.CG2gec0

「ったく、大人しいあの子を怒らせるなんて、どんなヘマしたらできる訳?」

「……ははっ。俺、滅びればいいわ、マジで」


麦野が目を細め責めるような視線をおくると、浜面から乾いた笑い声とともに沈みきったオーラが漂った。
無能力者で不良で、ドラクエで例えるならブチスライムがいいような所の浜面と、
面倒くさがりで自分磨きをサボり気味とはいえ、磨けば輝くダイヤの原石である滝壺理后とでは、月とスッポン。美女と野獣の組み合わせ。
口説いて、口説いて、口説きまくってようやく手に入れた滝壺を怒らせるなんて、本当に浜面という男は馬鹿だとしか言いようがない。


(―――あぁ、もう。世話が焼ける)


学校こそ違うが、麦野と滝壺は仲がいい。
学校のない休日はいつも、滝壺と同じ高校に通うフレンダ、三人によく懐いている中学生の絹旗を含めた四人でよくつんでいる。
不機嫌な滝壺の顔は見たくないし、せっかくの休日をこのでくの坊のせいで変な雰囲気で過ごすのは麦野には癪に思えた。


「仕方がない。滝壺のために一肌脱いでやるか」


大切な友達である滝壺のためなら仕方がない。
何事もボーっとスルーする滝壺が怒るのだから、浜面は相当の失態をしでかしたのだろう。


(……滝壺の暗い顔とか見たくないし、ね)


4: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 20:12:35.87 ID:.CG2gec0

滝壺のためだから、と麦野は自分に言い聞かせる。
決して今にも泣き崩れてしまいそうな浜面を見ていられないとか、ほっとけないとか、そういうことではない。


「へっ!?」


麦野の言葉に、テーブルに突っ伏していた浜面がガバリと勢いよく起き上がった。


「滝壺との仲をなんとかしてほしいとか、そういう魂胆で私を呼び出したことぐらいお見通しだっつーの。
 私は「どうして浜面如きに」とか思うけど、滝壺がアンタに惚れてんのは確かだし。
 きっかけ位はつくってやるから、アンタはその鳥頭地面にめりこむくらい擦りつけて滝壺に謝んなさいよねー」

「麦野さん、いや…麦野様っ!! 有難う御座いますぅぅぅ!!」


麦野の右手をガシィっと己の両手で握って、浜面はブンブンと上下に揺らしながら「ありがとう」と頭を下げた。


「そうそう。麦野様に感謝しなさいよ? はーまづらぁ」

「感謝してます! しまくってますっ! いやもう、今日はソレ以外でも好きなの何でも食ってくれ、奢るから」


ソーダフロート以外にも奢ってもらえるらしい。
暑苦しい、と浜面の手を払いのけた麦野は、テーブルに立てかけられていたメニュー表を開いて物色を始める。
丁度お腹がすいてるし、高いの頼めるだけ頼んでやろう。
それくらいしないと割にあわない。


「すいませーん。コレとコレ、あとココからココまでお願いします」

「ちょっ!? 麦野さん、どんだけ食べるのっ!?」


店員が笑顔で「かしこまりましたぁ!」と取っていた注文の総額は、一葉さんが1人分。
次の奨学金が振り込まれるまで、浜面家の家計は壊滅的なまでの氷河期を迎えることが決定した。

6: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 20:21:40.71 ID:.CG2gec0
――

下校時間を知らせるチャイムが学校の敷地内に響き渡る。
委員会や部活などに参加していない生徒たちがぞくぞくと正門を潜って帰路についていた。
授業以外の学校行事に消極的な垣根も、その中の1人。
正門前まで歩いていくと、下校途中の生徒たちが校門の横に立っている少女を遠巻きに見つめている。


「よぅ、久しぶりだな。元気にしてたか、美琴ちゃん?」


校門の横にたつ少女は、ここ長点上機学園と同じく学園都市の五指に入ると称される名門、常盤台中学の制服を着ていた。
お嬢さま校として有名な常盤台の子で、更に中々可愛らしい顔立ちをしている御坂美琴に生徒達の視線(主に男子)が集まってもいたしかたない。


「あっ、垣根さん。久しぶり~」


常盤台のエースとして日ごろから少女達の熱い視線になれているからなのか、御坂は周囲の様子など特に気にせずに垣根に手を振った。


「つーか、なんでいきなり『美琴ちゃん』呼び? いつもは御坂じゃん」

「いやぁ最近さ、オマエの事『美琴ちゃん』って呼ぶとアイツが面白い顔することを発見したんだよな」


ついこの間のお昼休み、一緒に学食を食いながら冗談半分で「美琴ちゃん♪」と冗談半分でアイツをからかってみた。
すると、それはそれは苦虫を噛みちぎるような形相で睨んできたのだ、と垣根は面白そうに御坂に教えてあげた。


「アイツって誰のこと?」

「一方通行」

「うっそ!?」

「本当ー」


垣根を睨んできたアイツ、というのが一方通行だと知らさせて、御坂は信じられないとばかり口をあけて固まった。
一方通行は垣根の冗談にそんな態度を取るようなキャラだっただろうか。
どちらかと言えば、挑発には簡単に乗せられやすいが、垣根のからかいにはいつも無視を貫いていたはずだ。


「あれだね。『美琴』って呼んでいいのは俺だけだーみたいな? 愛されてるねー」

「えぇーうっそだぁ! 未だに私のこと『超電磁砲』って呼ぶんですけど?」

「……一応、確認。オマエ等、良い感じになってからどんくらい経つっけ?」

「春からだから、3ヶ月は経ってる」

7: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 20:31:55.74 ID:.CG2gec0

おいおいおいっ! と垣根は突っ込みを入れたくなってしまった。
独占欲だけは1人前のくせに、自分の女の名前すら呼び捨てにできない一方通行の頭をベシッと叩いてやりたい衝動をぐっと堪える。
わざわざ長点上機学園まで御坂が来た理由はどうせ一方通行のお迎えのだろう、と垣根は予想をたてた。
常盤台中学のある「学舎の園」からだとバスに乗っても30分以上はかかる程遠いのに、御坂は一方通行のためにここまで足を向けたに違いない。


(……麦野も俺のこと迎えに来てくんねえかな)


甲斐甲斐しい少女を横目で見ながら、垣根は今ここに居ない、自分の心を見事に掻っ攫っていった女の事を思い出していた。
カツカツとパンプスのヒールを鳴らして歩く姿は自信に溢れていて、風になびかせる亜麻色の髪が美しい垣根の想い人。
自分の隣でちょこんと一方通行を待っている御坂のように、「垣根!」と笑って校門の前で待っていてくれたらどれほど嬉しいか。


(息を切らして校門まで麦野が走って来て、頬を真っ赤にしながら、
 「その、……垣根に会いたくなっちゃったから、迎えに来た」なんて言ってくれて、
 恥かしさのあまりにぽいっとそっぽをむく麦野とか、マジ最高だんだろうけど。―――ないないない、絶対ない)


だって、彼女は自分に笑いかけてすらくれないのに。


(いっつも、俺が追いかけまわしてるだけだし)


どちらかといえば、垣根は御坂と似たような立場にいる。
尽くされるより尽くす側。
追いかけまわされるより追いかける側なのだ。


(あーぁ、俺も尽くされてぇー)


8: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 20:38:51.80 ID:.CG2gec0

垣根がそんな事をぼんやりと考えている間にも、
御坂は何度も携帯をパカパカと開いて、不機嫌そうに「むぅ~」と何の変わり映えもしない画面と睨めっこをしている。


「一方通行から連絡こねえの?」

「着いたってメールしたんだけどねぇ。さっさと買い物行きたいのにー」

「買い物?」

「そ。今日は一方通行の家にご飯作りにいくつもりなの」

「さいですか。相変わらず仲のよろしい事で」


不満そうに頬を膨らませて携帯を乱暴に閉じた御坂は、少々苛立ちはじめているようだ。
恋人同士のお付き合いを始めても、御坂が一方通行に振り回される現状は付き合う前とあまり変わっていない。
ともあれ、この少女はあの気難しい天邪鬼な学園都市第一位を攻落させた実力者。

垣根はよくよく御坂のことを舐めるように観察する。

枝毛が一つも見受けられない健康的な茶髪。人形のようにくりっとした二重の瞳。
まだ発達途中のため身体の凹凸は申し訳程度だが、それでも抜群の将来性がそれを易々とカバーする。
外見だけでも満点に近い御坂だが、それだけであの固物を落とせるかは少し疑問だ。


「……オマエさぁ、どうやって一方通行のこと落としたんだ?」

「何よ、突然」

「麦野の奴がな、相変わらず俺に冷たいんですよ。
 俺としてはいい加減次に進みたいというか、告白の返事をもらいたいというか。
 ここはひとつ、超難航物件の一方通行を落とした御坂さんにご教授願おうとおもってな」


自分で言うのもなんだが、垣根だってそれほど悪い外見をしている訳ではない。
背も高く足も長いモデル体型、整った顔。街を歩けばいつだって垣根は女の目線を1人占めにしてしまう男だ。
所属している学校も名門長点上機学園だし、学園都市230万人の頂点・超能力者の第2位に食い込むつわもの。
こんな総合的に高スペックな奴、自分以外の他には誰もいないのに。
異性だが似たようなスペックの御坂は一方通行を落とせたのに、自分は一方通行並に超難解物件の麦野を落とせないでいる。

自分と御坂の決定的な違いは何なのかと垣根は真剣に悩んでいた。
"性格"という重要なキーワードが頭からすっぽり抜け落ちていることに垣根は気づかない。

9: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 20:46:55.19 ID:.CG2gec0

「……参考になることなんて、ないわよ」

「つーか、お前らの馴初めがただ気になるってのもある」


どんなに一方通行に聞いても「オマエには関係ねェ」の一言で片づけらるからさ、と付け足す垣根。


「……ん~。しいて言えばよ? しいて言えば、あれは―――押し倒した……かな?」

「ブハッ。マジかよッ!? オマエが一方通行を押し倒したのか!?―――っグフゥッ!」

「大きな声出すなっ! 押し倒したって言ったって、未遂よ、み・す・い!」


驚きに任せて大声であげてしまった垣根の腹に、御坂の抉るような拳が決まる。


「……ただ、なんか勢いで責めてみたら、あれよあれよと上手くいったというか……ッ!
 アイツってさ、見た目のわりに恋愛経験ゼロだったみたいで、責められるのに弱かったのかも!!」


「押し倒したって何?」「あんな純情そうな子が……」という周囲の目線に顔を赤くし、
あまりの恥ずかしさに御坂は小声で素早く捲し立てると、コレ以上聞いてくるなという意味を込めてにキッと垣根を睨みつけた。


「あー……。アイツ、ヘタレだしなぁ」

「誰がヘタレだってェ!?」


先ほど、一方通行の「自分の女呼び捨てにできない」というヘタレぶりを改めて思い知ったばかりの垣根が、
友のフォローもせずに御坂の台詞に同意した時、背中のほうからこちらに罵声を浴びせてくる少年の声が聞こえた。


「ちょっと、一方通行! 校門まで来てるってメールしたのに、遅いじゃないのよ!」


ようやく姿を現した一方通行に、長らく待たされていた御坂が食って掛りながら彼の元へとかけよった。
だらしなく手ををズボンのポケットに突っこんでいる一方通行。
腕と腹の隙間に手をすべり込ませて、御坂は一方通行の右腕に自分の左腕を絡ませる。
御坂の一連の行動があまりにも自然で、嬉しさのあまり先に飛びつくのが常に少女の方なのだろう、と安易に周囲に告げていた。

10: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 20:52:53.16 ID:.CG2gec0
 
「オマエが勝手にここまで来たンだろォが。わざわざ来てやったンだから感謝しろよ」

「おいおい、せっかく美琴ちゃ……、」

「ア"ァ?」


冷たい赤い眼孔が垣根へと向けられる。
「ゴゴゴゴゴッ」という効果音が似合いそうな形相だ。


(本当に、独占欲だけは一人前だな)


無意識に嫉妬している一方通行の姿を可笑しくて垣根はニヤニヤと笑った。
コレ以上からかうのはヤバいし、ここまでで勘弁してやろう。


「せっかく、御坂がデートに誘いに来てくれたんだろ?」

「垣根、オマエには関係ねェだろ。俺は帰って寝たいンですゥ」


一方通行の尊大な態度に、垣根はカチンと来た。
御坂がどれだけ一方通行のためだけに行動しているのか、目の前の男はちゃんと考えているのだろうか。
どんなに好意を伝えても相手にすらされない人間も居るのに、白髪野郎はあまりにも贅沢過ぎる。

好きな人が自分のために何かしてくれるなんて、なんて羨ましい――という、本心を垣根は意地でも言わないが。


「文句言うな、贅沢なんだよオマエ。マジなんなの、ソレ。
 自慢か、麦野に軽くあしらわれてる俺に対する自慢ですかこの野郎。ムカつくから一片死んでこいや!」

「ハッ、毎日毎日、金魚の糞みたく麦野につきまとってよく飽きねェよな。
 今日にでもストーカー被害で麦野が警備員にお前のことつきだすんじゃねェの、垣根くゥゥゥゥゥゥゥン?」

「はーい、ストップストップ! ガン飛ばし合わない! 能力を使おうとしないっ!!」


火花を散らし合う二人の間に割り込んで御坂は彼ら喧嘩の仲裁を試みた。


「うるせェ、オマエはひっこンで――、」

「こんなとこで喧嘩しないのッ! めっ!!」

「……っ」

12: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 20:57:55.31 ID:.CG2gec0

口をへの字に曲げ眉をつり上げながら御坂は一方通行を叱りつけた。
御坂は一方通行より七センチほど背が低いため、自ずと上目づかいで一方通行の顔を伺うことになる。
幼児を怒る母親のように「めっ!!」と言った御坂に、一方通行は反論らしい反論もせずに、ただ黙って彼女を見つめるだけ。


「お返事は?」

「…………スミマセンデシタ」

「俺も悪かったよ」

「はーい、よろしい♪」


ふいっと御坂から視線を外した一方通行は、居心地を悪そうにしながら片言で謝罪の言葉を口にした。
垣根もつられる様にして謝ると御坂は満足げに笑う。
色白い少年の耳元がほんのりと赤く染まっているのを垣根は見逃さなかった。
怒る姿も可愛いとか、上目づかいはヤバいだろとか、一方通行がもの凄く場違いなことを考えていたことが手に取るようにわかる。


「なぁ、一方通行。何だ、その……。頑張れよ」

「……うるせェ」


素直に自分の気持ちを伝えたり態度にするのが苦手な癖に、
無意識に嫉妬したり呆けてみたりする一方通行の姿を見て、垣根は微笑ましい気分になった。
それでも、一方通行のヘタレぶりは改善するべきだと思うし、大丈夫だと彼が高を括ってしまえば、御坂にいつか見放される。

13: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 21:03:26.79 ID:.CG2gec0

もう少し御坂に優しくしてやれ。
もう少し素直になってやれ。
もう少し、お前から御坂に与えてやれよ―――と、言いたいことは山ほどあるが今では時間が足りな過ぎる。

垣根は全部の意味を込めて「頑張れよ」とだけ声をかけた。
一方通行が垣根の言葉の真意を汲み取ったかは定かでないが、そこまで馬鹿な奴じゃないだろう。


「買い物だったか? さっさと行ってさっさと終らせンぞ」

「えっ? ちょっ、何でいつもアンタは強引なのよ!? あーもう、垣根さん、またね!」


垣根にかけられた言葉が余計に少年のの居心地の悪さに拍車をかけたらしく、一方通行は垣根を無視してスタスタと歩きだしてしまった。
一方通行と腕を絡めている御坂は半ば引きずられるようになりながら、顔だけをこちら向けて別れを告げた。


「おう、またな。御坂、一方通行」


それだけ言って、垣根も二人とは反対方向へと進もうとしたが、明日の予定を思い出し立ち止まって後ろを振りむいた。


「――っと、一方通行! 明日は身体検査だから、寝坊すんじゃねぇぞ!」


日が暮れはじめたせいか、学園都市を歩く人々の姿はぼんやり揺れてとして分かりにくい。
遠くに見える一方通行らしき人影の手がヒラヒラと微かに動いた。ゆらりと揺れる人影の隣には、ぴったりと寄り添う人影がもう一つ。


「ったく、羨ましい限りだな」


幸せそうに寄り添う影達を眺めながら、垣根はポツリと呟いた。

14: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 21:12:55.60 ID:.CG2gec0

浜面の財布を枯渇させる原因となった数々のメニューがテーブルに出揃う。
二人が入ったファミレスはデザートの種類の多さが自慢であり、麦野はデザート全20種完全制覇に向けてスプーンをかまえた。


「うん、どれも美味しそうね」


麦野はチョコレートケーキと抹茶プリンを交互に食べながら、頬を一生懸命はむはむと動かす。
少し苦みの訊いたチョコレートケーキと渋みが独特の抹茶プリンのほのかな甘味に、自然と口元がにんまり緩んだ。


「くーっ!、美味しぃ~」

「麦野さんにご満足いただけだようで、ようございました……」

「ウフフ。次はどれを食べようかなー」


早くも2つの皿が空になった。
何かを選ぶときに子供が歌いながら指をさす仕草を真似して麦野は次のデザートの品定めをする。
学園都市の場合、皆がLEVEL6(神様)を目指しているため、こういう時は神様に近いとされるLEVEL5の通り名を入れたりする。
「ナンバーセブンのいうとおり」もしくは「超電磁砲のいうとおり」が最もメジャーだ。


「ど、れ、に、し、よ、う、か、な。
 め、る、と、だ、う、な、あ、の、い、う、と、お、り~、っと! おっ! 次はモンブラン、君にきめた♪」

「いやもう、思う存分好きに食い散らかせばいいじゃねぇかよぉぉぉっ」


一音づつに沿って指をさし、「り」で見事モンブランを当てた麦野はウキウキとした様子でモンブランの皿を手元へと運ぶ。
心なしか頬をゲッソリさせている浜面に気づいていたが、麦野は見ないふりをきめこんだ。
全ては馬鹿男の浅はかな行動が原因なのだから自業自得だ。
浜面の「愛しの滝壺理后タンに嫌われちゃったかもしんない☆」心当たりは、ざっと以下の通り。

一つ、愛されバニーガール風メイドというゲテモノメイド服をこっそり購入していたこと。
一つ、上記の服を勧めてきた友人に借りた大量の妹系  雑誌及びDVDを滝壺に発見されたかもしれないこと。
一つ、「滝壺ってさ、最近ポッチャリしてきた?」と年頃の娘が最も気にする地雷を踏んだこと。
一つ、友人に送るつもりだった「いやぁ~やっぱし巨 も捨てがたいだろぉ」というメールを滝壺に誤送信したこと。
一つ、「恥ずかしいから」と滝壺に釘を刺されているのにも関わらず、この間勢い余ってもの凄くしつこいキスをかましたこと。

エトセトラ、エトセトラ。
心当たりというよりは、むしろ罪状ではないのかと麦野は絶句した。
次から次にウジ虫の如く湧いて出る浜面の失態に麦野は呆れ果て、今はデザート優先で半分聞き流している。
ここまで純真な乙女の地雷を無作為に踏みまくる浜面を、今の今ままで、滝壺はよく許していたもんだ。

15: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 21:15:15.24 ID:.CG2gec0

(滝壺、アンタ凄すぎ。よっく耐えられるわね)


忍ぶ女、滝壺理后に改めて感心する麦野を余所に、まだまだ出てくる心当たりを浜面は懇切丁寧に説明する。
もう自分ではどれがダウトだったのか見当がつかず、滝壺と仲がいい麦野に判断してほしいようだ。


「あとは、一昨日のアレもやっぱ駄目だよなぁぁ」

「……まぁだあるの? はーまづらぁ、アンタ、ゲスの域にまで達するわね」

「オマエの毒舌って本当に心えぐるから勘弁して……」

「勝手にえぐれてろ。 んで? 次はなんなのよ」


無駄にデカイ図体を縮こまらせて小動物のようにプルプルと小刻みに震える浜面。
そーいう仕草は女の子だからこそ可愛いのであって、浜面みたいな男がやっても可愛くない。
「むしろ気持ち悪いわ、ボケ」と麦野は冷たく吐き捨てて、さっさと話せと浜面を促した。

16: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 21:26:13.97 ID:.CG2gec0
――

一昨日の朝のこと。
眠たい目を擦りながら教室の扉をあけると、友人たちがいつものように馬鹿騒ぎを繰り広げていた。
足窓側の後ろの席――我がクラスの不幸の避雷針、上条当麻が陣取っている席の周りでワイワイと騒がしくしている。
騒ぎの中心地に足早に向かうと、浜面は集団の中に割って入った。


「オマエら、なーに気持ち悪い顔して騒いでんだよ」

「おう、浜面。おはようだにゃー」

「おっす。土御門」

「ヌフフフ、実はですね! ようやく上条さん達にも春が到来しそうなんですよ!」

「そーなんや! 僕らにも女神様が微笑んでくださったんやー! うはーっ!」


浜面に「おはよう」と言ってくれたのは土御門元春だけだった。
金髪にサングラス。何故が学ランの下にけったいなアロハシャツを着ている土御門は、他の2人を冷やかな目で眺めていた。
浜面と同じくらい背丈の大きい青髪ピアス(本性不明)と黒いツンツン頭がトレードマークの上条が、朝っぱらからテンションMAXではしゃいでいる。
キャッキャッと恋バナの話しに花を咲かせる女子高生の振る舞いにも似ているが、野郎共だとこうも吐き気をもよおす光景になるのか。
彼らは童心にでも帰っているのだろうか、と浜面も遠い目で2人を見た。

17: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 21:27:24.65 ID:.CG2gec0

「オマエ等、マジできしょいな。てかよー、女神さまってなんぞソレ」

「フッフッフ。浜面、実はな~」

「なんとなんと!」

「「霧ヶ丘女学院の子と合コンすることになったんや(だ)!」」

「な、なんだってーーっっ!!?」


予想もしない上条と青髪ピアスの発言に、浜面は驚愕のあまり身を乗り出した。

霧ケ丘女学院といえば、能力開発の分野において常盤台中学と腕を競い合ってる名門女子校。
イレギュラー的な能力の発見、開発を得意とすることで各方面で名をほしいままにしている霧ケ丘女学院だが、
浜面や上条といった健全な一般男子高校生が「霧ケ丘女学院」と聞いて思い浮かべることは―――、


「お姉さま系巨 女子高生が多いといわれる、あの『霧ケ丘』なのかっ!?」

「マジだよ! 大マジッ!!」

「夢のような話やろ? しかーしっ、決して夢ではあらへんのや!
 僕らが霧ケ丘女学院のお姉さま方と合コンすることは、すでに確定しているコト!
 これは、『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』にも覆すことは出来ん確定事項なんやでーーっ!!」

「マジなのかよ、すっげーーっ!!」


上条と青髪ピアスのどんちゃん騒ぎに、浜面も加わって更に騒がしくなる。
窓際の煩い集団を睨みつける委員長・吹寄制理を横目にいれつつ、土御門は興味なさそうに口をはさんだ。


「可愛い可愛い舞夏タンが居るから、俺は参加しないけどにゃー」


可愛い義妹への愛を貫く硬派な男の素振りを見せた土御門。
ただ単に合コンの相手が年上のお姉さまってのが気に食わないだけだろ、とすぐさま他の三人から総ツッコミをされた彼は、ただ単にシスコン兼  コン軍曹というだけであった。

18: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 21:33:54.30 ID:.CG2gec0
――

「ほぅ、合コンに参加した、と?」

「……つい、断り切れずに」


霧ケ丘女学院の女の子は三人。男側も三人揃えないとせっかくの合コンもおじゃんになってしまう。
「頼む、浜面。僕らにはオマエしか居らんねん!」と友人に泣きつかれた浜面は、土御門という人の代わりに合コンにかりだされた、というのが一連の真相らしい。


(こんの、阿保浜面がァァァアアアッッ!!)


彼女持ちの男が、男女の出会いを探す場である合コンなるものに参加しても許される訳がない。
どうしてそんな単純明快なことをこの男はすぐに考えつかないのだろうか、と麦野は頭を抱えた。
こめかみに血管が浮き出だしながら口角をひくひくと痙攣させている麦野に、浜面は視線を合わせることが出来ず下を向いている。
浜面の馬鹿さ加減に彼女の苛立ちが更に加速する。
カンカンカンカンッ、と淡い桃色のジェルネイルが施されている爪先を、麦野はテーブルに小刻みに叩きつけた。


(―――コイツは底なしのお人好しだし、マジで友達に頼まれたら断れなさそう)


『類は友を呼ぶ』と昔の偉い人は言った。
目の前で小動物のように震える男の友人も、どうしようもない馬鹿で女の子に縁の無い野郎共に決まっている。
霧ケ丘女学院という超名門女子校の女の子と知り合える機会なんて、そうそうないはず。
合コンをおじゃんにさせないため、に彼女持ちの友人の一人や二人、強引に巻き込むのも頷ける―――と、麦野は無理やりそう納得してあげた。


「ふ~ん。つい、ねえ」

「友達に土下座してまで頼まれたら、俺も断りずらくてさ……」

「普通そこはさぁ、友より彼女優先じゃないの?」

「ははっ……。面目ない」


合コンの件が滝壺を怒らせた原因だと簡単に結論づけられないが、要因の一つではある。
浜面が一つ一つ挙げていった失態が少しずつ滝壺にストレスを与えて爆発してしまった、という可能性が高いと麦野はふんだ。
滝壺の溜まりに溜まったストレスが、とうとう大噴火してしまったのだろう。
『塵が積もれば山となる』とも昔の偉い人は言っている。

19: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 21:37:16.78 ID:.CG2gec0

(――反省はしているようだし、本人が望んでいった合コンでもないみたいね)


はぁっ、と麦野から漏れたため息に浜面の肩だビクリと動いたのが見えた。
少し脅しをかけすぎたかもしれない、と麦野は適当な話題で周囲の淀んだ空気を薄くしようと試みる。
合コンの話が続いていたせいで、麦野の試みた話題転換も自然とそちらのコトに流れてしまったのが、浜面の運のつき。


「あー……っと、そーいえば、霧ケ丘女学院のおねーさまはどうだったのさ」

「いやもう、すんばらしかったですっ!!!!!」


目をキラキラと輝かせて、浜面は熱烈な叫び声を一つ上げる。
幻想殺しを持つ上条と変わらぬほどの浜面の反射神経の良さが、今の場面では仇となってしまった。


「はーまづらぁ……。ちょーっと、いいかにゃーん?」

「……えっと、すごぉぉぉく嫌な予感がするのですが」


デザートをつついていたスプーンを静かにテーブルの上に置くと、麦野はゆらりとその場に立ち上がった。
麦野の後ろの方に照明があるため、麦野の表情は影となって浜面から読み取ることは出来ない。
ダラダラと流れてくる冷や汗を拭うことも忘れ、浜面はものすごく怖い顔をしてるであろう麦野をなんとか宥めすかせようと頭をフル回転させた。
が、すぐにそんな答えが見つかるはずもなく。


(前言撤回。浜面、オマエが合コンに行きたかっただけじゃねえかよっ!!!)


ポッポッポッ、と何処からともなく小さな光の玉が複数、麦野の周囲に出現する。
白く輝く玉の光が彼女の顔を映し出した。


「ちょっ!落ち着け麦野ォォオオオっ!!」


どんな男でも虜にしそうな妖しげな笑みを浮かべる麦野は、弓形に曲げた口を歌うように動かした。


「―――死ねッ、クソ野郎」


ドガガガッ!!


学園都市が誇る超能力者が第四位、麦野沈利の『原子崩し』がファミレス内で炸裂した。

20: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 21:43:32.23 ID:.CG2gec0

麦野の能力によって出現した白く輝く光線は、浜面の右手、股、足元に触れるか触れないかの位置ですりぬけた。
一瞬のことに身動きが取れなかった浜面だったが、それが九死に一生を得る結果に繋がったのだから皮肉なものだ。
ごくり、と唾を呑んだ浜面は、すっかり腰が抜けてしまい茫然としている。


「………あ、あ、あ」

「滝壺傷つけたんだから、これくらいのお仕置きは当然の報いよ」


アワアワと口は動かすが、上手く言葉を紡げないほどビビっている浜面を、麦野はフンッと鼻で笑った。
先ほど麦野が放った光線-正式名称、粒機波形高速砲-は、最低限までその威力を落とした微弱なものだった。
光線一つの太さは一センチ程。
それでも直撃すれば大けがをするであろう代物に変わりはない。
もしもの時の事を考え、一応、心臓や脳といった命に関わりそうな部位は座標から外していたが――、


(急所にかすりもしなかったことは少し残念ね、再起不能になりゃよかったものを)


世の中の男子諸君が聞いたら真っ青になる台詞を、心の中で堂々と吐く麦野。
女心をもてあそぶ奴は女の敵なのだから、成敗したって誰からも文句を言われる必要はない。
正義の前に、悪は散った。


「ちょろーっと器物破損しちゃってすいません。コレで弁償するんで、警備員には内緒でお願いしまーす♪」

「は、はいぃぃッ……!」


麦野は真っ白になった浜面を置き去りにして席を立つと、手近にいたウエイトレスに声をかけ、財布からだした偉く高級感が漂う黒いカードを手渡す。
ステンレス製のテーブル、安っぽいスチールのイスの背もたれ、コンクリートの床其々に一センチ程の穴が空いてしまった。
浜面をぶちのめしただけなのに、傷害罪、器物破損罪で警備員にしょっぴかれるのは御免だ。
「そのカードで使えるお金は全部使って」と超能力者らしい金の羽振りの良さを見せつけた麦野は、ファミレスのドアに手をかけた。


「あ、ありがとうございましたぁぁッ」


一部始終を見ていたウエイトレスも、いまいち現状が把握できず、ただただ麦野を見送るしかできなかった。
カランカランカラン……、とドアについているチャイムの音が空しく店内に響いた。

21: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 21:51:25.43 ID:.CG2gec0
――

御坂と一方通行と別れた後、垣根は第七学区内に存在する、とあるファミレスへと足を向けていた。
デザートの豊富さが売りのそのファミレスは、麦野が友人たちと毎日のように通い詰めている行きつけの場所。
フォミレスへ向かう前に麦野が通う学校へと行ってみたのだが、待てど暮らせど彼女の姿はみつからなかった。


(メール、無視されてんな)


「これから一緒に飯でもどう?」とメールでデートの誘いをしていたのだが、麦野からの返信は未だに来ず。
デートの誘いが空回るのはいつものことだが、今回もがくりと肩を落としてしまう垣根だった。

垣根が麦野の連絡先を知っているのは、麦野がわざわざ教えてくれたからではない。
超能力者たちには特別な教育課程が設けられており、年に数回、超能力者が複数人集まり合同の講義を受けることがある。
合同の講義がある時などの連絡網として全員が互いの連絡先を把握している。
それだけのこと。

合同の講義、といっても大まかに二つある。

一つは学園都市内にある研究機関への協力。
超能力者は能力の研究利益が他学生に比べ遥かに大きい。
そのため、彼らに舞いこんでくる実験協力の依頼は多いし、複数で協力することも稀にあったりする。
「電子を操る」という能力の根本が同じ麦野と御坂は、電子操作系の応用を研究する施設に共同で継続的な実験協力している。
生体電流を操ることの出来る御坂や一方通行には、筋ジストロフィー関連の医療機関から協力の依頼が来ていたはずだし、
脳内の情報改竄の研究では、過去に一方通行と心理掌握が一緒に協力したケースもあったはずだ。


「あーぁ、明日の身体検査の相手が麦野だったら良かったのにな」


そして、もう一つが年に数回行われる身体検査。
合同の講義、といえば圧倒的にこちらを指す場合が多い。
軍隊をも退ける力を持つ超能力者が全力を出して戦える相手は限られてくる。
身体検査において対能力者の公式戦を行わなくてはならない場合、よっぽどのことが無い限り、超能力者は他の超能力者と戦う。

残念なことに、垣根の明日の身体検査の相手は通称『ナンバーセブン』、第七位の削板軍覇だ。
今回の身体検査は削板のため、という面が大きい。
未だに解明は進んでいない『原石』の力の動きをよく観察したいのだよ、というのが統括理事のお偉いさん談。
全力全開の削板の相手は疲れるだけだろ、と垣根は面倒くさそうに眉をひそめる。


(一方通行がやりゃーいいんだよ)


アイツなら、とりあえず『反射』を設定して突っ立てるだけでいい。
削板という野郎は、銃弾が当たってもかすり傷一つつけない頑丈さが謳い文句なのだから、自分の攻撃の『反射』で死ぬことはないだろう、と垣根は楽観的に考えた。

22: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 21:56:45.62 ID:.CG2gec0

明日の身体検査を憂鬱に感じながら歩いていると、垣根の視界にはすでに目的地のファミレスが見えていた。
今度こそ麦野に会えるかもしれない、と考えるだけで垣根の心は踊り、先ほどの憂鬱な気分なんて彼方へ吹き飛んでいく。
垣根が横断歩道を渡りファミレスの入口前まで足早にたどり着いた時、丁度、入口から一人の女性が出てきた。


「麦野っ!」


垣根は求めてやまない少女、麦野沈利その人だった。
ウェーブのかかった亜麻色のロングヘア、どんな男も視線を釘付けにしてしまう魅惑的なスタイル。
三つボタンの黒のブレザーに灰色チェックのベストとスカートという制服姿が、より一層彼女の凹凸のハッキリした身体のラインを引き立たせる。
芸能人なんか霞んでみえるほど凛々しくも美しい麦野の顔立ちに、垣根は何度も見惚れたものだ。


「……ゲッ、何でアンタがここに居んのよ」

「そんなの決まってるだろ? 麦野に会いに来た」


少し切れ長の二重の瞳が垣根を視界に入れた途端、麦野は肩すかしを食うように項垂れた。
さっきまで浜面の相手をして、今度は非常に面倒くさい垣根の相手をしなければならないのか、と麦野の運の無さを嘆く。
今朝見てきたテレビの星座占いはトップだったのに。これだから非科学(オカルト)は駄目だと落胆した。


「こうやってタイミングよく出会えるなんて、やっぱ俺たちって運命の赤い糸で結ばれてんだな」

「うぜえから喋るな」

「照れてるのか? 拗ねる麦野も可愛いな。まぁ、俺はどんな麦野でも愛しているけど」

「キモいキモいキモいッ! 気味悪いこと言うな、さっさと目の前から失せろメルヘン野郎!」

「心配するな、麦野。自覚はある」

「余計にタチが悪いっ!!」


カツカツと垣根を無視するかのように足早に歩く麦野の後ろを、垣根はぴったりとくっついて離れない。
そんな垣根の姿を見て一方通行が揶揄した「金魚の糞」とは言い得て妙であった。
麦野にどんなに煙たがられようが、無視されようが、睨みつけられようが、垣根はそれら全てを自分の良い様に捉えて嬉しそうに笑っている。

23: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:02:13.53 ID:.CG2gec0

(メルヘンの上、ドМかよッ! うぜえ、ひたすらにうぜえ)


麦野が垣根に対して虫酸を走らせていた時、


(……ツンツンしてる麦野も可愛いよな。ってか麦野は何しても様になるから、ヤベェ)


垣根は麦野とじゃれあう(垣根は本気でそう思っている)喜びに浸っていた。

垣根は常に積極的に麦野にアプローチを続けている。
暇を見つけてはデートに誘い、プレゼントを贈り、麦野を追いかけまわしている。
麦野にとっては軽いスト―カーみたいなものなのだが、垣根はこの点に関してもまったく気が付いていない。


(口説き文句やプレゼントなんかで麦野は落ちないってのは痛感してるしなぁ……)


超難解物件・一方通行を落とした御坂は「勢いでガンガンいってみたら上手くいった」と言っていた。
ここは超能力者への片思いを見事に実らせた先輩に倣って、勢いに任せていつもより強気に責めてみようか、と垣根は拳を握る。


「いつも言ってるだろ? 俺は沈利のことが好きだって。いい加減、俺のものになれよ」

「黙れ、そして勝手に名前を呼ぶんじぇねえよ、クソが。いつ私が許可したよ、ェエッ?」


垣根の強気に責めるは、勇気を出して麦野の下の名前を呼んでみる。
浜面も同様に、垣根も『類は友を呼ぶ輩』だった。
白髪の友人に偉そうなことを言っておいて、いざ自分の番となると少し躊躇する姿は情けないことこの上ない。
普段は他人が引いてしまうくらい「イケイケゴーゴー」状態で麦野に迫るのに、変な所で垣根は純真だった。


「まだ名前呼びが恥ずかしいなら、残念だけど今日は我慢するか」


垣根は余裕のある男を演出しているが、その瞳には微かに涙が浮かんでいる。
制服の袖で目元を擦りつつ、一つどうしても譲れないことをある垣根は麦野に反論した。


「告白の返事聞くまで、俺は黙らねえから」

「うるせえんだよ。我慢って何様なの、アンタ。何度言ったら分かる訳? 散々アンタには『ノー』って言ったはずよ」

「麦野は何もわかってねえな。俺は、俺様だよ。
 だから俺はお前からの返事は『はい』か『イエス』、若しくは『ウィ』しか受け取らねえ!」

24: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:05:56.80 ID:.CG2gec0

垣根から提示された選択肢には「交際する」の一択しか用意されていない。
麦野には垣根と付き合う自由もあれば、付き合わない自由もあるはずなのに、垣根はそれをガン無視している。
どこまでもポジティブシンキングな垣根に、麦野の堪忍袋の緒がついにブチリとキレた。


「ふ・ざ・け・ん・なァァアアアッッ!!!」


麦野は素早く周囲を確認する。
大通りを挿んだ向かい側に人影は見えるが、こちら側の歩道には誰もいない。
ただっ広い歩道は木々は規則正しく並んでおり、そびえ立つビル群はある程度頑丈そうだ。
更に目の前のムカつく野郎その二は第二位の超能力者。
ファミレスの時ほどの繊細な能力の調整は必要ない、と麦野は判断を下す。


「テメエこそいい加減諦めろよ、ゴミクズストーカーァァァッッ!!!!」

「――ッ!」


浜面の時のような溜めなんかしてやらない。
コイツに手加減なんて無意味だ。
全身全霊の怒りを込めて、高速で駆けていく白く輝く光線を垣根に向かって放出した。
垣根に触れる手前で光線は無理やり折れ曲がり、天高くうち上がった。
『未元物質』によって歪められた垣根の世界では、常識に基づいた麦野の粒機波形高速砲は通用しない。


「っと、危ねえ。お手柔らかに頼むぜ、麦野。俺だから大丈夫だけど、他の奴には無暗にうちまくるなよー。
 オマエが俺と激しい   いをしたいってんなら喜んで付き合ってやるぜ? どちらかと言えば、ベットの上だと俺としては有難いがな」


同じ超能力者でも、第二位の『未元物質』と第四位の『原子崩し』では圧倒的な力の差が存在する。
絶対的な破壊力を生み出す麦野の能力を受けながらも、垣根は顔色一つ変えない。
むしろ、身体検査の相手が麦野じゃない、と絶望していたのに、麦野のほうから構ってきてくれた! と有頂天になる始末。


「この世のに塵一つ残さず滅びろ、『未元物質』さんよぉぉ!!」

「おイタをする子猫ちゃんには躾が必要だな、『原子崩し』ちゃん?」

「いちいち行動がキメェんだよ、ナルシスト!!」


ウインクつきで返事をする垣根に麦野のイライラが頂点に達した。

25: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:14:06.73 ID:.CG2gec0

――超能力者同士の攻防が開始されてから、数分。

三対の翼を転回させ垣根は上空へと舞いあがった。
地上から容赦なく打ち込まれてくる粒機波形高速砲を、時に翼で薙ぎ払い、時に殺人光線と変えた太陽光で相殺する。


「チッ、垣根ェッ! オマエは大人しく的に成ってろってぇーのッ!!」


麦野の瞳が真っ直ぐに垣根に注がれる。
少し高めの透き通った声が垣根の名を口ずさむ。
口角を弓形に曲げ妖美に誘うように麦野が笑いかけてくる。

そして、何もかもを融解する一筋の白く輝く光線が、途切れなく空高く駆けていく。


(――――あの光線に焼きつくされたら、俺はどうなるんだろうな)


一瞬、垣根の心が揺らめき、情念に身が焦がされる。
麦野の破壊的で、衝動的で、激情的な誘惑に、垣根はすっかり虜になって彼の思考回路は鈍る。
命を削り合うような激しいぶつかり合いに熱中し、怒りの炎をあげる麦野から垣根はずっと目が離せずにいたが、


「ひぁっ!?」

「――ッ」


突如発せられた麦野の気の抜けた悲鳴が聞こえ、どこかに飛んでいた垣根の意識がハッと戻ってくる。


「つっめたぁ……っ」


垣根が察するに、あちこちが破壊された歩道の上に立ちつくす麦野が、沈没した車道のから噴水のように湧き上がった水しぶきに直撃したらしい。
ふわゆわウェーブのロングヘアがへにゃりと崩れ、黒と灰色を基調としたシックなブレザーの制服は水気を存分に吸って重そうだ。


「……最悪。最悪、最悪、超最悪ッ!」


麦野はブツブツと文句を言いながら、水飛沫が当たらないようにビルとビルの間にある路地裏に瞬時に移動した。

26: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:17:01.84 ID:.CG2gec0

(水も滴る良い女……)


水浸しの麦野の姿も案外そそるな、と垣根は男子高校生らしい率直な感想を胸に抱きつつ、目を細め改めて景色を一望した。
縦横無尽に亀裂が走り所々陥没している車道、根こそぎなぎ倒された街路樹。
衝撃波に耐えられずビル群の窓ガラスは粉々に砕け、その鋭利な破片が辺り一帯に散らばった。
車道にできた大きなクレーターの一つから、噴水のように水が噴き出している。


(水道管でもぶち壊したか。…………流石にやりすぎ、か?)


三対の翼をゆっくりと羽ばたかせながら、垣根はばつが悪そうに頭を掻く。


(いや、麦野が真正面から構ってくれるのとか、すげえ久々だったからさぁ)


見晴らしもきき、人影も少ない。
多少の騒ぎを起こしても大丈夫だろうと高を括って麦野は垣根に仕掛けた。
麦野に夢中だった垣根は、そんなことすら考えずに仕掛けられた喧嘩を買った。
互いに学園都市二三○万人の頂点、七人しかいない超能力者。
そんな両者が正面からぶつかり合えば、周囲に与える被害も尋常ではなくなる。
麦野が相手してくれる嬉しさで大ハッスルしていた垣根は、普段なら簡単に考え付く『出来るだけ被害を食い留めよう』という配慮が、すっかり頭の片隅から消し去っていた。

-
麦野が身を隠した路地裏に垣根はゆっくりと降り立つ。
ずっと奥まで続いている細い路地裏で、麦野はビルの壁に背を委ねてハンカチで髪を拭っていた。
翼の形にした『未元物質』は狭い場所では邪魔にしかならない。背に生やした三対の翼が消失する一瞬、パッと羽根が飛び散るような淡い光が周囲に広がる。


「もぅ、最悪。マジ、完璧に萎えた……」


突然のトラブルに麦野は完全に殺す気を削がれ、眉はへの字に曲がり、ほんの少し頬を膨らませて不機嫌そうにしている。
小さなハンカチだけでは頭から浴びせられた水を取り払えきれないようで、水気を帯びた髪からポタポタと滴が垂れた。


「もう、拭いても拭いてもきりがない」


近づいてくる靴音が聞こえ、麦野は気だるそうにに視線を動かした。

27: また2回も[ピーーー]としてしまったorz 2010/05/31(月) 22:21:51.61 ID:.CG2gec0

「あぁ? 垣根、なんで居んの?」

「ぅぉッ!?」


流し目気味で視線を向けてきた麦野と垣根の視線が、カチリ、と絡み合う。
刹那、垣根が大きく目を見開く。呆けた声を漏らしながら、ほんのりと頬を染めた垣根は耐えきれずにさっと顔を背けた。
堪え切れずに、ごくりっと喉を鳴らす。


「――まぁ、いいわ。なんか一気に色んなもんが失せた。もう疲れたし、私に構うな」


垣根の変化に気がつくこともなく、麦野は興味なさげにぶっきらぼうに言葉を発した。
頭をたらし、伏せた瞳が落ち着きなく右へ左へと動く。
垣根は赤く染まった頬を麦野に見られたくなくて、片手で口元を覆った。

 
(……ヤバい。ヤバい、ヤバいヤバいヤバいっ!!)


小さな罪悪感がむずむずと垣根の心に湧きあがる。
しかし、それ以上に官能的な場面に出くわしてしまった衝撃が、身体中を駆け巡っていた。


「ちょっと聞いてんの?」

「……」

「無視すんな。―――て、なに呆けてんだよ。メルヘンの世界にでも飛んでっちゃったんでしゅかぁー?」


何度、声をかけても無反応は垣根に、麦野は嘲笑うように赤ちゃん言葉で語りかける。


(凄いものを、見てしまった……)


心臓がバクバクと高鳴る垣根に、麦野に構う余裕なんて無い。
上空で遠目で見た時も、水も滴る麦野の姿はそそるな、と思ったが、こうやって近くでまじまじと見るとその破壊力があまりにも凄すぎた。

28: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:23:35.38 ID:.CG2gec0

水気を帯びた髪は束となり麦野の顔や首筋にべったりと絡みつく。
麦野は重たい黒いブレザーを脱いでいて、半そでワイシャツからすらっと顔だした二の腕がやけに白く見えた。
ポタポタとこぼれる滴が短いチェックのスカートから   なっている太ももへと垂れ、つー……、と足をつたって地面へと落ちていく。
気だるそうな伏し目がちの瞳が、余計に麦野の色香を際立たせている。
湿った半開き口元がなんだかもの欲しそうに、見えてしまう。

彼女から醸し出される妖艶な女の魅力は、あまりにも年相応ではない。
しかし、身につける高校の制服が彼女の実年齢を克明に真実を告げてくる。
そんなギャップも、より一層垣根の情火を焼いた。


(ヤバいって、ヤバいって! ~~コレ以上近づいたら、)


コレ以上不用意に近づいてしまったら、極上の砂糖菓子の如く甘そうな彼女に、


―――見境なく、飛びついてしまいそうだ。

29: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:27:13.16 ID:.CG2gec0

麦野がゴキブリを見るような目で蔑んでも、嬉しそうに麦野の後をつけて回る垣根が、今は下を向いたまま、押し黙るばかり。


(……は? なに、コイツ)


無意味に堂々と自慢げに胸を張っている男は何処にいってしまったのか。
微妙に離れている二人の距離が境界線となり、麦野も気軽に垣根の方へと近づけない。
さっきまで麦野に構えてもらえて楽しい、と全身で麦野をイラつかせるオーラを垣根は漂わせていたというのに。


(この急な変わりようはなんなのよ。普通についていけてないんですけど、私)


垣根は己の手のひらで顔の下半分を隠しているため、どんな表情をしているのか麦野には分からない。
くせっ毛で毎朝のブローに命をかけている麦野にはいっそ憎たらしくも思えるほど、サラサラな垣根の髪。
そんな前髪からのぞく彼の眉は、苦しそうにしかめられている。

まるで、無理やり何かを抑え込むような。そんな苦渋の色が見え隠れする。

天使のような翼を発現させるメルヘンな能力を有する垣根のこと。
本当に脳髄までメルヘン漬けにでもなってしまったのかもしれない、と麦野は考えた。


「……ねぇ、返事しないけどさ。大丈夫なの? 調子よくないなら病院にでも行く?」


いきなり意味不明な行動にでた垣根の姿がいつも以上に気味悪いと思う反面、
垣根は(主に頭の)具合が悪いのかもしれないと心配になった麦野は、近寄りがたい垣根の雰囲気を無視して、彼の元へと一歩近づいた。


(自分だけの現実(パーソナリティ)が強くなりすぎたことが原因なら研究機関のほうが良いのかしら)


垣根帝督という男を麦野は好きでない。
むしろ、虫唾が走るほど嫌悪を感じる。
生理的に受け付けない、という表現が一番しっくりくる。


(まぁ、でも。なんだかんだ言って『超能力者』仲間だし)


幼い頃からの超能力者として才能を開花させた者同士、顔を合せるようになってからの月日は長い。
超能力者だからこその苦悩、重圧を分かち合うことのできる数少ない『腐れ縁』。


「―――いつも以上に変な行動とられると、私の調子まで狂うのよ」


ウザったくて面倒で嫌悪を感じる目の前の男も、麦野を構築する世界には居ないと困る存在なのだ。

30: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:32:28.63 ID:.CG2gec0

「アンタ本当に大丈夫? 脳細胞死んでたりしない?」


垣根が精一杯の所で踏みとどまっていた境界線を、麦野はあっさりと越えてきた。
麦野が歩みを進めるごとに心臓が脈を刻むスピードが増す。
バクバクバクッ、と欠如している酸素を必死に全身に運ぶが、垣根の脳までは届かない。
誘うような麦野の甘い匂いが鼻をくすぐり、くらくらと眩暈がして倒れそうになる。

指先が震える。
足が動きそうになる。

垣根の限界は、すぐそこまで近づいていた。


「ねぇってば!」


砂埃で汚れたアスファルトと、自分の足しか見えていなかった視界に麦野が割り込んでくる。
垣根のすぐ目の前に麦野は居た。
すぐ手を伸ばせば抱きしめることのできる、そんな距離。
一八〇を超すほど大柄な垣根の顔を見るためには、どうしても麦野は上目づかいになってしまう。

一方通行、さっきは鼻で笑って悪かったな、と垣根は現実逃避気味に友人への謝罪の言葉を胸に抱いた。


(正直、上目づかいの破壊力を舐めてました、俺)



31: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:33:32.34 ID:.CG2gec0

嫌でも、再び麦野と視線が絡みあってしまう。
こんなに間近で麦野と正面から見つめあったことなんて、長い片思い生活の中で無かった。


(―――麦野、可愛い)


麦野って、こんなにまつ毛が長かったんだな。
切れ長だと思っていた瞳も、近くで見るとアーモンド形で猫の目みたいだ。
すっと通った鼻筋は彫刻みたいに綺麗だし、いつも弓形に歪める口元はうっすらとした桜色。
桃色を好む麦野によく似合う色だ――、と垣根は目を細めた。


「ちょっとぉ、垣根ってば! 耳の鼓膜でもぶち破れたぁ?」


まったく返事をかえさない垣根に業を煮やした麦野は、こてっと首を横に傾げた。
相変わらず見た目とは似つかない乱暴な口調でしゃべるくせに、上目づかいのまま首をかしげる姿は、何とも愛らしい。
そこまで耐えて、垣根の限界は破られた。


ブチッ。


「…………悪い、麦野」

「えっ?」

「もう、無理。限界」

「はあ? ちょ、えっ、なに言って――」

「俺、お前が欲しくてたまらねえ」


脳みその血管が切れたような音が聞こえた後。
垣根は耐えることも考えることも放棄した。
欲しいものは、目の前に。
手が届く場所に、居るのだから―――迷わずに手に入れてしまえばいい。

32: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:39:24.18 ID:.CG2gec0

具合が悪そうな垣根なんてほっといてしまえばよかったのだ、と麦野は悔いた。
せっかく星座占いトップだと幸せな気分ではじまった一日なのに、今日はついていないことばかりだ。


「んん…っ!」


垣根のことを心配していたから、麦野は一瞬のことにすぐさま反応することが出来なかった。
ずっと押し黙っていた垣根が顔をあげてようやくまともに口を開いたかと思った時には、垣根の腕の中に居た。
「悪い」と謝っておきながら、迷いなく麦野の小さな唇へとがっついた垣根の行動はあまりも矛盾している。


「……っは、ゃめ」

「やだ」

「はぁ!? ちょ、待っ」

「待たねえ」

「ゃ、ふっ……、ん」


やっと離れたと思ったら、角度を変えて再び麦野の唇に垣根の唇が押し付けられる。
バードキス、なんて甘ったるいものじゃない。
麦野の声に一切耳を貸さない垣根は、彼女の唇を力づくでこじ開け  に を  込む。
歯列を丹念になぞり、逃げるように奥へと逃げ込む麦野の舌を強引に絡めとる。
すっかり麦野に酔わされてしまった垣根は己の欲望のまま、麦野の全てを喰い尽さんばかりに小さな口内を  た。


(腰、細えな)


やっと腕の中に閉じ込めた彼女を逃してしまわないように、麦野の腰に回した腕の力を更に強める。
気付かれないようにうっすらと目を開けば、零の距離にある麦野の顔だけが、垣根の視界に広がる全て。
息が出来ずに苦しいのか、口付けの快感に悶えているのか。
ぎゅっと閉じられた麦野の目じりには、微かに涙が浮かんでいる。
首元まで赤く染め耐えるように眉間に皺を寄せながら小刻みに身体を震わせる麦野が可愛くて、より一層、垣根の中で愛しさが増す。


(麻痺、しそうだ……、いや、もうしてるか)


自分の身体で覆いかぶさるようにして、すす汚れたビルの壁に麦野を縫いつける。
右腕で麦野の腰を抱きしめ、左手は麦野の後頭部に沿え、「イヤイヤ」と首を振ろうとする麦野の頭を固定した。

34: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:45:52.69 ID:.CG2gec0

「……ん、ぁ。ぃゃ…!」

 
どうしても耐えきれずに漏れていく声だけが、人影の異様に少ない路地裏に反響する。
ダイレクトに帰ってくる自分の声が信じられなくて、麦野は今にも卒倒してしまいそうな気分だった。
止まることを知らない垣根の口付けは、麦野にまともな呼吸をする暇さえ与えない。
「より深く、より奥へ」と喉の渇きを潤す様に垣根が角度を変える時だけ、麦野は声を漏らすと同時に息を吐くことが許された。


(息、苦しぃ……っ!)


酸素が足りない。
頭がクラクラとして痛い。

ぼんやりと霞む意識の中、麦野はなんとか踏ん張って垣根に意思表示を試みる。
力が入らない手で、垣根の胸を叩いた。
数度叩くと、無我夢中になっていた垣根も流石に気がついたらしく、麦野は垣根の気の遠くなるような長い接吻からようやく解放された。


「……がっつきすぎ、最低。殺す

「死にたくはないな。せっかく、麦野とキスしてるのに」


十分すぎるほど口付けを交わしたはずなのに、垣根は「まだ物足りない」と言いたげに麦野の頬へと唇を寄せる。
チュッ、と肌を吸うような音が聞こえて、麦野は更にカッと頬を赤く染めた。
舌と唾液が絡み合うキスより、垣根の甘えてくる頬ずりのようなキスのほうが、麦野には生々しく感じられた。

35: orz 2010/05/31(月) 22:46:39.50 ID:.CG2gec0

「なあ、麦野」


後頭部に回していた手を頬へと麦野の頬へと動かす。
垣根は麦野の輪郭に沿って這うよう麦野の顔を右手で包み込み、こつん、と己のおでこを麦野のおでこにくっ付けた。


「…………な、によ」


荒い息を整えながら、キッと麦野は垣根を睨みつける。
どうにかして、この変 に一泡も二泡もふかせてやりたいのだが、どうも調子が狂って上手くいかない。


「俺さ、麦野のこと。すげえ、好き」


ゆっくりと、一言一言区切りながら、垣根は溢れだす想いを紡いだ。
彼女に惹かれてから、彼女に恋をしてから。
何度も何度も伝えてきた言葉だが、いつまでも言い慣れない。
麦野の新しい一面を発見するたびに、垣根はまた麦野に恋をする。

愛しい人への想いは募るばかりだ。


(俺、麦野とキス、したんだよな。…………やっぱ、照れくさいな)


毎日麦野に恋をし続ける垣根は、麦野にぺたりとくっつけたおでこを擦って、今になって湧きあがってきた恥ずかしさを紛らわせた。

36: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:49:30.07 ID:.CG2gec0

麦野はおでこを擦りつけてくる垣根を、少しだけ、ほんの少しだけ、可愛いと思ってしまった。


(……、なんでこうなったのかしら)


今、垣根に囁かれた愛の言葉は、何度も聞いてきた中でも一番真摯なものだった。
麦野の後ろをヘラヘラと笑って付きまとい、バーゲンセールの安売りの如く言わ続けてきた「好き」という言葉。


(確かに、可愛いとは思うけど……)


ズシン、と心に来る"何か"が無い。
ああ、コイツ私のこと好きなんだなと理解できても、麦野の心に響いてこない。


「…………なんか違うのよ」


麦野は直感的に、違う、と思った。


(垣根じゃない。違う。なんか、違う)


歯車がうまくかみ合わないような違和感が麦野の背筋を寒くさせる。

垣根とキスをした――違う、そうじゃない。
垣根と抱き合っている――違う、望んでなんかいなかった。
私を好きだというのが垣根――違う、私は垣根を好きじゃない。

違和感の原因を知りたいという欲求、知りたくないという恐怖。
二つの感情に板ばさみになった麦野の指先が、頼りなさそうに震える。
淡い桃色のジェルネイルで綺麗にコーティングされた爪が、カチカチとブツかって音が鳴る。


『ほら、ピンクといったらさ、滝壺のジャージを思い出すんだよ。
 滝壺はもちろん似合うけどさ、案外、お前も似合うかもしんねえな、ピンク』


いつだったか、金髪の男が何気なく言った言葉が、急に麦野の脳裏に浮かんでくる。

37: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:53:04.50 ID:.CG2gec0

『はぁ? なにそれ。滝壺のついでのように言うなよ』

『いやいや、別についでって訳じゃねえよ。普通に似合いそうだなって思っただけ』

『あ、そ』

『うっわ、なに、その人を小馬鹿にした態度』

『べっつに~? アンタのダサいセンスで言われてもな、と思っただけよ』

『……オマエ、可愛くねえ』

『黙れ、駄犬が』


たいして嬉しくない、という態度をとった麦野だったけれど、その日からピンクのものを着飾るようになった。
桜色の色つきリップ、淡い桃色のジェルネイル、少し濃いめのピンクのワンピース。
金髪の男が似合うと言ってくれた色が、いつのまにか麦野の一番好きな色になっていた。


『ほらみろ、やっぱ似合うじゃねえかよ! 俺のセンスも馬鹿にできねえじゃん』


ソレ見たことか、とピンクをまとった麦野を見た金髪の男が出した、乱暴な言葉。


(……けど、)


そんな乱暴な言葉に、自然と麦野の心は羽根が生えたように軽くなり、満ちたりた気分になった。


(――――あぁ、そっか。そういうこと、……なのか)


唐突に、"何が"足りないのか、何が違うのか麦野は理解する。

38: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:55:23.78 ID:.CG2gec0

「ゴメン、垣根。違うんだわ」

「違うって、何が?」


未だに熱から醒めない垣根は幸せの中でまどろみながら麦野の話に耳を傾ける。


「本当に、ゴメン。垣根」


真摯に答えを返さなくては、と麦野は射抜くように垣根の顔を見た。
ちゃんと言わないとこの男には伝わらない。
麦野の本気が、伝わらない。


「私がさ、キスしたいって思うのは、垣根じゃない」


噛みつくようなキスも、頬ずりのようなキスも。
垣根からではなく、麦野は"違う"人から与えられたかった。


「私にはさ、他に、好きな人がいる――みたい」


たった今気付かついた真実を麦野は戸惑いながらもはっきりと口する。

ピンクが似合うと言ってくれた金髪の男が、
大事な彼女に嫌われたかもしれない、と情けなく麦野に頼って来た図体だけが無駄にデカイ不良少年が、
滝壺理后という少女の隣で、白い歯をのぞかせてにんまりと笑う浜面仕上、という人間が、


「―――私が好きなのは、ソイツ、なんだわ」


麦野沈利の心をいつの間にか掻っ攫っていった。

39: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 22:56:59.61 ID:.CG2gec0
――

「特に手伝うことはない」と御坂に言われてしまった一方通行は、手持無沙汰な様子でソファーに腰掛けていた。
目ぼしいテレビ番組でもないものかと、適当にリモコンを操作するがどれもこれも変わり映えない内容ばかり。
ソファーの前にある折り畳み式のテーブルの上に置かれていた携帯電話を手に取り、液晶画面を覗き込む。
一方通行の部屋には『時計』というものがなく、時間の確認はいつも携帯電話で済ます習慣がついていた。

現在の時刻は『PM 6:14』。ゴールデンタイムにはまだ早い。


(この時間帯だと、ニュースかワイドショーくらいしかやってねェか)


第7学区の話題を中心に扱うニュース番組にチャンネルを合わせると、一方通行は携帯電話とリモコンをテーブルの上に放り投げて寝ころんだ。
御坂の料理が出てくるまで、テレビを見ることくらいしか、一方通行の部屋には時間をつぶす方法がない。


(暇、だなァ……)


音楽を聴くための機器もなければ、ゲームの類も一切置いていない。
一方通行の部屋にあるのは必要最低限の物だけ。
殺風景な部屋をみて、この間ズケズケと遊びに来た土御門や海原光貴が、
『何もないんだぜい……』『これほどものがないというのも、逆に珍しいですね』と好き勝手言っていたのを思い出す。


「――――つい1時間ほど前、この大通りで大規模な能力者同士のいざこざがあった模様です――――」


テレビから今日のニュースの伝えるキャスター声が流れてくる。
いつもと変わり映えのないありきたりなニュースだ。

二三〇万人が暮らす学園都市はけっして治安の良い場所とは言えない。
学園都市で暮らしている人間のほとんどは善悪の判別が曖昧な未成年であり、強度(レベル)の大小あれどほぼ全員が何らかの能力を有している街だ。
力を持つ子供数が多いとなれば非行に走る少年少女も比例して増す訳で、学園都市の路地裏はちょっとした無法地帯になっている。


「――――なお、周囲に与えた被害から考えると、少なくと強能力以上の能力者同士の喧嘩ではないかと――――」


ふぁっ、と一方通行は欠伸を噛み殺した。
キャスターの凛々しい声よりも、トントントン、と台所から聞こえてくる包丁の音のほうに自然と耳が傾く。
自分のために料理を作ってくれている御坂、料理が作られるのをまったりと待っている自分。
春先から"当たり前"になったこの光景を、一歩通行はむず痒く感じながら、そのぬるま湯のような暖かさが眠気を誘う。

40: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:01:21.78 ID:.CG2gec0

「ねぇ、一方通行ぁ。もうすぐご飯できるから、お箸とコップ並べて置いて。……ってアレ?」

「…………すゥー」


八畳ほどの部屋と台所の仕切りとなっている暖簾を片手で上げ御坂が顔をだす。
声をかけたはずの相手は、自分の腕を枕代わりにして背中を丸めソファーの上で気持ち良さそうに寝息をたてていた。


「寝ちゃってる……」

「……」

「一方通行、ご飯出来るよ。食べないの?」


御坂は一方通行の肩を軽く動かすが、夢の世界に行ってしまった彼から反応は返ってこなった。
繚乱家政学校に通う友人の土御門舞夏から教えてもらった、秘伝のクリームシチューが冷めてしまう。
しかし、小さな寝息をたてて静かに眠る一方通行を無理やり起こすのは御坂にはなんだか忍びなく思えた。


(あーぁ、憎たらしいくらい美人な寝顔ですこと)


眉間の皺、眼光の鋭い目は何処にもない。
天使のような寝顔は見惚れてしまうほど綺麗だけど、本人にソレを言ったら舌打ちされるだけなので御坂はお口にチャックをする。


「くぅー、相変わらずシミ一つない綺麗な肌だわー……」


白い肌、白い髪。
神話に出てくる聖なる少女のように、美しい男。
狂ったように日焼け止めを塗り、毎週のようにトリートメントをかかさない御坂でも、正直「負けた」と思うことが多々ある。
陶器のように白い一方通行の瑞々しい肌は、女の子の理想の肌そのもの。


「気の抜けた顔で寝ちゃって、学園都市第一位の威厳はどこにいったんですかー?」


御坂は一方通行の傍まで近づくと、そのまま少年に寄り添うように床に腰を下ろした。
顔を寄せると、一方通行がすぅっと吐いた寝息が御坂の前髪を小さく揺らす。

41: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:01:53.38 ID:.CG2gec0

「ねぇ、一方通行ぁ。もうすぐご飯できるから、お箸とコップ並べて置いて。……ってアレ?」

「…………すゥー」


八畳ほどの部屋と台所の仕切りとなっている暖簾を片手で上げ御坂が顔をだす。
声をかけたはずの相手は、自分の腕を枕代わりにして背中を丸めソファーの上で気持ち良さそうに寝息をたてていた。


「寝ちゃってる……」

「……」

「一方通行、ご飯出来るよ。食べないの?」


御坂は一方通行の肩を軽く動かすが、夢の世界に行ってしまった彼から反応は返ってこなった。
繚乱家政学校に通う友人の土御門舞夏から教えてもらった、秘伝のクリームシチューが冷めてしまう。
しかし、小さな寝息をたてて静かに眠る一方通行を無理やり起こすのは御坂にはなんだか忍びなく思えた。


(あーぁ、憎たらしいくらい美人な寝顔ですこと)


眉間の皺、眼光の鋭い目は何処にもない。
天使のような寝顔は見惚れてしまうほど綺麗だけど、本人にソレを言ったら舌打ちされるだけなので御坂はお口にチャックをする。


「くぅー、相変わらずシミ一つない綺麗な肌だわー……」


白い肌、白い髪。
神話に出てくる聖なる少女のように、美しい男。
狂ったように日焼け止めを塗り、毎週のようにトリートメントをかかさない御坂でも、正直「負けた」と思うことが多々ある。
陶器のように白い一方通行の瑞々しい肌は、女の子の理想の肌そのもの。


「気の抜けた顔で寝ちゃって、学園都市第一位の威厳はどこにいったんですかー?」


御坂は一方通行の傍まで近づくと、そのまま少年に寄り添うように床に腰を下ろした。
顔を寄せると、一方通行がすぅっと吐いた寝息が御坂の前髪を小さく揺らす。

42: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:03:37.46 ID:.CG2gec0

(かわいい、なーんて言ったら頭叩れそう)


人に対して警戒心、敵対心ばかり抱いてしまう一方通行が、こうして安心しきった表情で御坂の前で眠っている。


(気を許してもらえてるってこと、よね?)


眉をしかめつつ、御坂が近くにいることを嫌がらないとか、
「美味しい」とは言わないけど、御坂は作った料理を残さず完食するとか、
一方通行の無自覚な行動や仕草から感じ取れる愛情は、例をあげたらきりがない、と御坂はくすっと笑った。
不器用な少年が愛して叱らなくて、御坂はついつい人差指で一方通行の頬をツンツンと突つく。
思いのほか柔らかい頬の弾力に、御坂はにんまりと口角をあげた。


「ねぇ。アンタさ、気がついてんの?」


今、御坂に一方通行お得意の『反射』がきいていないことに、彼は気付いているだろうか。
付き合うようになってから、何度彼に腕を絡め、抱きついたかなんて御坂にも数えきれない。
一方通行の死角から――たとえば背中から――、突然抱きついても反射の膜に跳ね返されたことは、一度としてない。
御坂が手を伸ばせば、いつだって、一方通行に触れることができる。

御坂にはそれが許されている。

 

43: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:05:14.15 ID:.CG2gec0

「反射の設定に『私』を除外してるのは、なんで?」


ふにふにと、柔らかい頬の感触を楽しみながら、御坂は幸せそうな笑顔で答が返ってこない質問を続けた。

御坂美琴なら、反射をしなくても、拒絶の膜をはらなくても、一方通行を傷つけることはない。

そんな絶対的な信頼を、自分は少年から寄せてもらえているのだろうか。
そうだったらいいなと御坂は願う反面、やはり本人から言ってもらわないと分からない事柄だとため息をつく。


「言葉にさ、してもらわないと分かんないこともあるんだからなー」


ふにふに、ふにふに。


「垣根さんみたく、言いまくれともいわなけどさぁー」


ふにふに。


「…………たまには、言葉にしてくんなきゃ、」


ふに…。


(――――私だって、不安になるんだから…………この、馬鹿)


44: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:08:57.32 ID:.CG2gec0

「…………面倒くせェ女だな、オマエ」


頬を突いていた御坂の右手が突然、ガシッと握られてそのまま勢いよく引っ張られた。


「へっ!?」


いきなりの出来事に対応しきれなかった御坂は、なすがままソファーの上へと誘いこまれる。
ソファーの上で寝そべっている一方通行の上に被さるような形となり、御坂は身体を固まらせた。
一方通行の顔を上から覘くのは先ほどと変わらないのだが、御坂の真下に居る男は、実に面白そうにニタニタと笑っている。


「ア、アンタ……ッ! い、ぃつからぉ、お、起きてたのよぉおおッ!」


寝ているから、と思って呟いた言葉や行為の数々が御坂の脳内にフラッシュバックする。
この男はいつから御坂の一人芝居を寝たふりをしながら見ていたのだろうか、とあまりの照れくささに御坂の顔は沸騰した。
そんな御坂の一挙一動を見て、一方通行はくくっと笑い声を噛みしめていた。


「どもンな。ンで大声で巻くしたてンな。耳が痛ェっつーの」

「う、うるさいッ!!」

「カカカッ。うっせェのはオマエだろォが」


御坂の右手の指と指の間に滑り込むように、一方通行の指が絡んでくる。
一本一本の指に力が加えられて改めてギュッと握りしめられた。
ねっとりと絡んでくる一方通行の指の感触が更に御坂の羞恥を掻きたてる。
恥ずかしさに耐えきれなくなった御坂は起き上ろうとしたが、いつの間にか腰に回されていた腕に邪魔される。

身体が密着し、互いの顔の距離も数センチ。
一方通行の存在があまりにも近すぎて、御坂の心臓は跳ね上がった。


(なに。なに。なんなのよ、この状況! 普段は手すら自分から握ってこないくせにッ――!!)


また御坂が逃げようと企てないように、一方通行はがっちりと御坂の腰を固定する。
いつもは彼女のほうから積極的に飛びついてキスをねだるというのに、一方通行から責められるとこうも大人しくなるのか。


(へェ。こりゃァ、面白い発見だな)


予想外の御坂の反応に多少驚きつつも、一方通行は普段は勝気で強気な少女の可愛らしい一面を満足げに見つめた。

45: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:14:04.34 ID:.CG2gec0

「モヤシのくせに、生意気よ……」

「誰がモヤシだ、誰が」

「…………ヘタレのくせに」

「オマエ、俺になにか恨みでもあンのかよ。言いたいほうだいだなァ、オイ」

「……そんなの、自分で考えたら?」


御坂は不満そうに眉を顰めると、ふいっ、と顔を横に動かしつむじをまげた。
独り言を盗み聞きしていたのだからそれくらい察しなさいよ、という御坂の不満がオーラとなって滲みでる。
眉をハの字にまげて口を尖らせる御坂の姿はどこか幼くみえる。
姉御肌をふかせている彼女も、まだまだ14歳の女子中学生なのだ。


(……ッたく。ガキに余計な気ィ使わせるたァ、俺もたかが知れてンな)


下校時の校門前にて垣根に言われたことがよみがえる。ただ一言、頑張れよ、と。
その言葉とともに、肩を叩かれたのだけなのだが、垣根が言わんとしていたことは一方通行にも容易に想像がついた。
そンぐらい、言われなくてもわかってンだよ、と一歩通行は御坂に悟られないように心の中で愚痴をこぼす。


(ちったァ、俺の方から超電磁砲に歩み寄れってことだろ)


幼いころに学園都市に捻じ込まれてから、一方通行の日常が幸せだったとはいえない。
対して珍しくもない二文字の姓と三文字の名を捨てて、ただの『一方通行』として生きることになった程度の地獄なら見てきた。


(…………今でこそ、コイツと付き合ったり、垣根とか馬鹿みたいつるンだりしてっけど―――、)


くだらない人生の中で、一方通行は常に一人きりだった。
無条件の愛情を注いでくれる人なんて今までいなかった。
「好きだよ」と耳元で囁いてくれたのも、ぎゅっと抱きしめてくれたのも、御坂がはじめてだった。


(なんつーか。……どうしていいのかわかンねェンだ、俺は)


好きだよと笑ってくれる人に、自分がどうすればいいのか。
どうすれば、嬉しいと伝えられるだろうか。
どうすれば、有難うと伝えられるのだろうか。
人から大切にされた経験が圧倒的に乏しい少年は、戸惑い悩み、結局その愛を黙って享受することしかできなかった。


(その俺の甘えが、オマエを傷つけてたってンなら。俺は、とんだ大馬鹿野郎だ)

46: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:18:14.85 ID:.CG2gec0

一方通行は絡めていた指を離すと、乱れてしまった髪をほぐす様に御坂の頭を撫でてやる。
どうか、いつも見たいに向日葵のような満開の笑顔をみせてはくれないだろうか。


「……拗ねンなよ、美琴」


機嫌を損ねてしまったお姫様の耳がピクリと小さく跳ねるように動いた。


「……」


無言のままむぅと頬を膨らませてまだちょっとだけ不貞腐れている御坂が、一方通行の胸元にズリッと頬をすり付けた。
心臓がある位置に耳を擦りつけると、目を閉じて彼の心音に聞き入る。
トクトクと、少しだけ早めに時を刻む少年の心音に、御坂は表情をゆるめた。


「へへっ、一方通行も緊張してんのね」

「……うっせェ」


はじめて目の前の女名を口にした。
慣れないことをした一方通行は面はゆくなり、締りのない笑顔を振りまく御坂にぶっきらぼうに返事を返した。


「えへへ」

「にやけンな、うぜェ」

「ねぇ、一方通行」

「あン?」


胸元から顔をあげると、御坂はあいている両手を一方通行の首に回して自分から彼に抱きつく。
本人は動揺を隠しているつもりなのだろうが、女性よりも透き通った美しい一方通行の白い肌が、彼の頬の紅潮を丸わかりにする。
少しだけ情けなく揺れる赤い眼孔の中に、同じくらい顔が沸騰している御坂自身の姿が鏡のように映っていた。

互いの鼻筋が擦れる。
二人の距離はコンマゼロ。


「……ちゅーして」

「……おゥ」

47: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:21:56.39 ID:.CG2gec0

まだ両手の指で足りるくらいしか経験したことのない行為に、互いにまだ照れくささを拭いきれない。
割れ物に触れるように頬を包む一方通行の手のひらの温もりが御坂の幸福度指数を上昇させる。


「んっ……」


ほんの一瞬。
触れるか触れないか、小鳥のような口付けを落とされた後、御坂の唇は再び蓋をされた。
カサカサしてる訳でもなく水分を含んでいる訳でもない。
一方通行の唇の感触は不思議だな、と御坂はやけに冷静な感想を抱く。

御坂が愛用している薬用リップのツンとした香りが鼻を刺激して、一方通行はつい唇を離してしまう。


「……ちょっと、やめないで」

「いや、別にやめる気はねェけど」

「じゃあ、もっと、ちょーだい…」


首にしがみつけた両腕の位置を動かして、じれったい一方通行の頭を抑え込んで自分から口付けをする御坂。
「ちょーだい」と男にねだっておきながら、痺れをきらして積極的にガンガン責めていく姿は、普段の彼女そのままで。
一方通行にからかわれて、あたふたとしていたいじらしい様子は何処へ行ってしまったのか。


(あーァ、すでに元のとおりだな)


御坂の耳筋を指でなぞりながら、一方通行は少しだけ残念そうにぼやく。
何度も何度も、小鳥のようなキスを御坂から降らせらられるたびに、一方通行は「好き、好き」と言われているような気がした。
最後に鼻のてっぺんにちゅっと口付けを落とすと、御坂は口惜しそうに顔を離した。

48: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:23:12.38 ID:.CG2gec0


「……キス。いっぱい、しちゃったねぇ。ははっ」

「……ンなの、俺が知るかよ」


くすぐったい空気に耐えきれず、御坂は「うへへ」と腑抜けになった顔で笑う。
耳筋を撫でていた手のひらを一方通行はすっと頭のてっぺん目がけて、這うように投げ上げた。
ゾワッとした感覚に背中をピクリと震わせた御坂が、一方通行にはとても愛らしく思えた。
なにすんの、とじっと睨みつけてくる少女に、少年の心の中の恋慕の想いが膨らんでいく。


「―――、美琴」


御坂の髪を梳けば、一方通行の指は引っかかることなくすっと落ちていく。


「なにー?」


一方通行の手の感触が気持ち良いのか、ごろごろと喉を鳴らす猫のように御坂は目を細めた。


「俺もさ、オマエのこと好――」


ジャジャジャジャーンッ! 
ジャジャジャジャーンッ!


テーブルの上に置かれている一方通行の携帯電話のけたたましい着信音が鳴り、少年の声はあっさりかき消されてしまった。

49: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:25:40.82 ID:.CG2gec0

「………………」

「はぇ? 電話?」


あまりにも唐突に邪魔が入り、柄にもなく馬鹿正直に自分の想いを言葉にしようとしていた一方通行の思考回路は完璧に停止した。
白い肌に白い髪の少年は、心まで真っ白にして唖然とした表情で携帯電話を睨みつけている。
慣れないことをしていい所で邪魔が入るお約束過ぎる展開に、一方通行はまったくついていけなかった。


「一方通行、電話鳴ってる」


腕の力もすっかり抜けてしまい、御坂が携帯電話を取ろうとひょいっと起き上ると、御坂の腰にまわしていた一方通行の腕はだらりと床に落ちた。
「よっこいしょ」と床に腰を下ろした御坂は、装飾性ゼロの一方通行の携帯を手に取ると、ソファーの上で灰になっている少年に手渡す。


「ほら、木原さんからッ!」


チラッと見えた液晶画面に表記された人物の名前を告げ、御坂は一方通行に電話に出ろとそくした。
一方通行と御坂の良い雰囲気をぶち壊した(御坂は十分にいちゃつけて満足してるが)犯人の名を聞いた瞬間、一方通行は勢いよくソファーの上から起き上る。
ガシィッ! と差し出された携帯電話を強引にひっつかむと、


「木ィィィ原くゥゥゥゥゥゥゥゥン!!?」


行き場を失った羞恥と煮えたぎった憤怒の全てを、電話の先の男へとがなりつけた。
一方通行の急変に、御坂はびくっと肩を動かしマジマジと一方通行を凝視する。


50: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:29:31.65 ID:.CG2gec0

『突然意味なく吠えんなクソガキ。鼓膜破れてたらぶち殺すとこだぞ』

「黙れ若造。その前にオマエを愉快に素敵にスクラップにしてやっから感謝しろや」


こめかみに血管を浮かばせて、一方通行なりの茶目っけたっぷりな皮肉がぶちまけられた。
先ほどのがなり声が反響して、キィィンと耳に障る電子音が両者の耳の中で残響となる。
「こちとら明日の身体検査の件で多少の変更があって連絡しただけだってのに、面倒臭え」と木原数多は、不機嫌そうにぼやいた。
久しぶりにエンジン全開な一方通行に再会した御坂は、ソファーのに胡坐をかいて座る彼の隣にちょこんと座り事の成り行きを見守るしかなかった。


『ママの母 を恋しがる赤ちゃんに負ける気はしねえよ』

「アァン?」

『つーか、いつも以上に不機嫌だな。超電磁砲とイイコトしてた最中か?』


ピシィッ!


その場の空気が凍った。
氷点下すら凌ぐ極寒の世界にようこそ。

51: VIPにかわりましてGEPPERがお送りします 2010/05/31(月) 23:35:23.05 ID:.CG2gec0

一方通行はもちろんのこと、彼の肩に頭を寄せていた御坂にも、木原の冗談はしっかりと聞こえている。
携帯電話の向こうから、「シュッ、ボッ」と立て続けに微かな音が聞こえた後、木原がふぅーっとゆっくり息を吐いた様子が伝わってくる。
やけに匂いのキツイ外国製の煙草を吸っている普段の通りの木原の姿が思い浮かぶ。


『オイオイオイ、マジかよ。なに、今日はオマエの脱●●記念日ってヤツ? とりあえず、――おめでとう?』


「あー、ようやくオマエも一人前の男になった訳だ」とやけに生温かいものを見守るような声が二人の元に届く。
ミシミシ……ッ! と一方通行に握りしめられている携帯電話が悲鳴をあげた。


「木原くン、オマエな―――ッ」


木原に反論しようとした時、ふいに一方通行の上着がひっぱられた。
彼のの肩に顔を埋めている御坂が、くいっと一方通行の制服の裾を握りしめている。
前髪だけが奇妙に浮き上がり、バチンッと彼女の周囲を走る紫電の光がスパークした。
木原の無神経すぎる発言は、花も恥じらう乙女の御坂には恥辱でしかなく、その目元には目一杯の涙が溜められていた。


「―――木原、オマエ、マジでぶちのめす」

『カッコイーッ!! 本当に一皮剥けやがって、惚れちゃいそーだぜ一方通行!!』

「スクラップの時間だぜェ! クッソ野郎がァあああッ!!」


刹那、バチバチッ! と大きな音が部屋の中に轟いた。
ブチリと綺麗に血管が切れた一方通行と、彼を面白おかしく挑発する木原数多の喧嘩は、強制的に幕が下される。


「ふ、ふぇぇぇえええええッ!!」


自分をもちこたえることが無可能になった御坂が、能力を暴発させて諸悪の根源である携帯電話を破壊した。
一方通行はベクトル操作のおかげでまったくの無傷だったが、ベクトルの先にあった家電製品の数々が黒い煙をあげてご臨終してしまった。


64: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/02(水) 11:47:05.74 ID:z2RVxXY0

『―――そう。体調が優れないの。なら仕方ないわね。今期の沈利の分の身体検査は貴女が万全に回復してからにしましょう。
 天井には私から言っておくから、明日の美琴との共同の実験協力も休んでもらって構わないわ』

「迷惑掛けるわね、芳川。……悪いけど、そうさせてもらう」

『超能力者の貴女たちあってこその身体検査と実験協力だもの。
 でも、仕方のないこととはいえ、体調不良を理由に欠席するのは沈利で三人目だし……。
 研究者の立場としては言えば、今回の身体検査は大した収穫は期待できそうにないわね』

「私以外にも身体検査休む奴いるの?」

『第二位と第六位が欠席ね。
 第六位がサボるのはいつものことだからいいとして、第七位と公式戦を予定していた第二位が休むのは手痛いところよ』

「ふ~ん。そっ、か。―――頭痛いから、電話きるわね」

『連絡ありがとう。お大事にね』


顔なじみの研究者、芳川桔梗に携帯電話で欠席の旨を伝えると、麦野はもぞもぞと毛布を頭まで被せ身体を小さく丸める。
今日は学期末の身体検査がある日だったが、朝の陽ざしで目は冷めたのにどうしても身体を起こすことが出来なかった。

65: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/02(水) 11:48:57.04 ID:z2RVxXY0

ガンガンと断続的に痛む頭。
石のように重い瞼。
チクチクと針で刺される様に辛い、心。

気付かなかったほうがいい事柄なんてこの世にはごまんとある。
心の隅っこの、そのまた隅っこに影を潜めていた感情を見つけてしまわなければ、麦野は変わらぬ日常を送れたのに。

何処で集めてくるのかさえ謎なマイナーB級映画のチラシを食い入るように読む絹旗に呆れて、
スーパーで買い込んだサバ缶をビニール袋からいそいそと取り出すフレンダに眉をしかめて、
ソファー席の背もたれに背中を預けてだらっと気だるそうに正体不明な電波を受信する滝壺に目を見張る。

――なんて、お決まりとなっている友人達とのやり取りも。

「話のきっかけが掴めない」と中身のない頭を抱えて浜面が悩んでいれば、
ゲラゲラとひとしきり馬鹿にした後で、滝壺が地味にハマっているアーティストを教えてあげる。

「感情表現が乏しい私が、どうやって浜面とつきあえば良いの……?」と滝壺が困惑していたら、
心配し過ぎだ笑い飛ばし、浜面は今のアンタが好きなんだから無理なんかしなくていいと諭してやる。

――なんて、お決まりとなってる恋愛相談役も。


(……いつも通りに、出来たはずなのに……)


たった一つの感情を理解しただけ。
浜面のことが好きなのだ、とわかっただけ。

それだけのことなのに、自分を取り巻く日常の全てが壊れてしまうそうなで、麦野はカタカタと身体が震わせた。


(ばっかみたい。……今更どうしろってのよ)


どうにもできないじゃないか、と麦野は心の中で吐き捨てた。
好きな男の隣には、もう他の女が居る。その女は麦野の友人で。
女と男の仲を取り持ったのは他でもない、麦野本人。


66: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/02(水) 11:51:11.66 ID:z2RVxXY0

今更なんになるという。
好きだと気がついてなんになるのいうのか。


(だって、アイツ等は。浜面も滝壺も、私の掛け替えのない友達で……っ!)


麦野沈利は超能力者で原子崩しで、軍隊をも退けることが出来、簡単に人を殺す力を持っている。
誰もが麦野を恐れて近づいてさえ来ないのに、彼らは麦野と一緒に居てくれる。

絹旗もフレンダも滝壺も、浜面も。
麦野の大切な友達なのだ。


(……どっちも、失いたくないよ……っ!)


くだらない事で笑いあい、意味のない事で喧嘩をするそんな存在。
唯一無二の友達を、麦野は失いたくなかった。死んでも手放したくはなかった。


―――『化け物』と、呼ばれるだけの日々だった。
能力開発を受けて間もなく麦野はその才の片鱗をみせつけ、間もなくに超能力者へと登りつめた。
迷いなく容赦なく慈悲すらも許さずに、一直線に何もかもをぶち抜く『原子崩し』。
圧倒的な彼女の破壊力に畏怖し才能を妬み、周囲の人間は麦野を化け物と揶揄した。

生徒も教師も研究者も、子供も大人も、麦野に笑いかけてなんてくれなかった。
一人で膝を抱えて闇にまぎれた夜の苦しみを、麦野は今も忘れていない。


(――やっと)


永遠に留まるものは存在しない。この世にある全ては徐々に姿を変えていく。
同じ超能力者の連中と『腐れ縁』の付き合いをするようになったり。
フレンダや滝壺、絹旗といつ間にかつるむようになったり。滝壺に惚れた浜面と知り合いになったり。

クソくらえと投げ捨てていた人生も悪いもんじゃない、と思えるまでにはなった。


(やっと、守りたいと思える人と、背負いたいと思える人たちと出会えたのに……っ)


自分の手で壊れるわけがないじゃないか、と麦野はシーツを握っていた手に更に力を込めた。


78: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/06(日) 22:37:38.88 ID:Bq8XTX60

麦野が導いた答えはだた一つ。


「はっ、好きにわかって瞬間に失恋かよ!」


誰かに見つからぬよう、身を隠すように被っていた毛布を、麦野は右足で思い切り蹴りあげてベット脇へと押しやった。
自分の吐いた二酸化酸素が溜まって濁っていたの布団の中の空気が一瞬にして四散する。
すぅっと大きく息を吸えば、麦野の肺の中に嫌になるほど新鮮な空気が入ってくる。


「……くくっ、あはっ、あはははははははっ!!」


ふつふつと込み上げてくる可笑しさに耐えきれず、噛み殺そうとした笑い声が部屋中に響く。
自慢の髪が乱れるのも構わずに麦野にはわしわしと両手で乱暴に頭を掻いた。
なんて愚かな女だ。
麦野は自身のあまりの滑稽さに、馬鹿さ加減に、笑わずにはいられなかった。

誰にもこの想いを告げずにひっそりと恋を終わらせるしか麦野の大切な者は守れない。
胸を締め付けるほど愛しく感じる浜面仕上という男を諦める以外、方法はない。

諦めろ―――諦めろ、諦めろ。諦めろ!


(諦めろっつってんだよ、麦野沈利ッッ!!)

80: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/06(日) 22:55:54.99 ID:Bq8XTX60

「あはっ! ……ははっ………」


自分の心に無理やり蓋をするにつれ、グルグルと縛りつけるたびにつれ、麦野の笑い声は次第に小さくなっていく。


「………っ」


にいっ、と白い歯をのぞかせて子供のように笑う浜面の顔が、涙の向こうに浮かんでは消えていく。
一人の女の子の背中をがむしゃらに追いかける姿がほほえましかった。
単純なことで一喜一憂する表情に心がくすぐられた。
雪がゆっくりと積もるように、小さな幸せがちょっとづつ重なって、『好き』を形作っていた。


「……はーまづらぁ。……私ね。私……、」


そこまで言って、麦野は口を閉じる。


(―――私、アンタの事が好きなんだ)


滝壺に申し訳がなくて、心の中だけでしか麦野は素直になれなかった。
昨日、垣根と交わした抱擁も口付けも麦野にとって初めての経験ならば、浜面に恋をしたすらも、麦野にとっては初めての経験で。


(――でもね)


頑張れ、頑張れ、と彼らの背中を麦野は押し続けた。
浜面、一生懸命滝壺を守ってあげなよね。
滝壺、素直に浜面の隣で笑ってあげなよね。
そうやって麦野はじれったい浜面と滝壺の背中を押し続けた。


(アンタ等を応援する気持ちも、幸せを願う気持ちも、嘘じゃないから)


「付き合うことになった」とはにかみながら笑う二人に報告をうけたとき、麦野は嬉しかった。
大切な人たちが肩を寄せ合って幸せそうに笑っていたから、麦野も幸せだった。
だから、きっとこれでいいのだと、麦野は思う。


十数年生きて、
麦野が初めて知った恋の味は、

―――泣きたいくらいに幸せで、苦いものだった。

81: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/06(日) 23:09:31.59 ID:Bq8XTX60

「情けない事この上無いわね。学園都市第四位『原子崩し』が、こーんな駄目駄目でどうするんだか」


このままジメジメと悩んでも意味はない。
考えたって考えたって答えが覆る事はないのだから。
頬に数滴流れた滴をゴシゴシとパジャマの裾で力任せに擦り、麦野はもたもたと起き上った。


(実験協力も休むからスケジュールも大きくずれこむわねー……。
 実験の合間に電子の固定化について教えてって美琴に頼まれてたのに。後でメールしとくか。
 そういえば、兵器開発関連の施設にさっさと協力の断り入れなきゃなー。人を殺人光線扱いしないでほしいわ。
 何日までに返事するんだっけ…。あっ、身体検査の補講っていつのなるか芳川に聞くの忘れてたし。いいや、メールついでに美琴に聞こう)


自分の気持ちのことも、浜面や滝壺のことも、今はコレ以上考えたくない。
麦野は気を抜けば直ぐに湧き上がってくる感情を振り切るように、休んだ後にしなければならない事を列挙する。
それなりに慌ただしい日々をに送っている麦野。
次から次へとやるべき用事が、ずきずきと痛む頭を更に圧迫する感覚がして麦野は渋い顔をした。


「駄目だ、頭上手く回らない。……シャワーでも浴びるか」


頭をすっきりさせようと、麦野はシャワーを浴びるためにベットから降りて浴場へと行こうとした時、
「ヴヴ…ヴヴ…」と枕元に居たビビットピンクの携帯が小刻みに動いて、赤いランプをぴかぴかと光らせた。


「こんな時間にメール?」

82: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/06(日) 23:30:49.95 ID:Bq8XTX60

麦野は携帯電話を二つもっている。
研究員や施設の連絡用の白い携帯と、滝壺達や美琴といった友人専用のビビットピンクの携帯。

七月下旬の学期末。
学園都市のどこの学校でも、ここ数日は定期試験という名の身体検査が学生を悩ませているはずだ。
誰もが少しでもいい結果をだしたいと身体検査に集中しているだろうに。
メールの送り主はそんな学園都市の学生特有の生態とはかけ離れいているらしい。


――

to 麦野沈利
from フレンダ

tilte おっはよー

---

朝早くにごめんね。
ちょっと聞きたいことがあってさ。
滝壺が最近あんまり元気がないんだー。
結局、あの子ったら3日前の夜からあんまり寝てない訳よ。
私がしつこく聞いても何も話してくれないし……。

麦野なにか知らない?

―――


滝壺と同じ高校に通っていて、麦野の友達でもあるフレンダからのメールだった。


(最重要事項は、コレ、ね)


先ほど作成していた『やるべき事リスト』の優先順位が一気に変動する。
麦野が真っ先にしなければいけない事は、
御坂への謝罪でも身体検査の補講の確認でも兵器開発関連の施設に断りの連絡をいれることでもなくて、
いつもの如く駆り出される恋愛相談役だ。


「ほんっとに、世話の焼けるやつらだわ」


浜面に偉そうに言った手前、さっさと仲直りのきっかけを作ってあげないとな、と麦野は苦笑した。

89: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/10(木) 12:00:27.11 ID:UesorYw0
――

「最近の俺、マジでついてねえ……」


小さな不幸が短期間で連続で続いてしまえば、誰だって幻想殺しの少年のようにぼやきたくもなる。

AIM拡散力場に関する論文の〆切が迫り眠る時間を削って作業する日々が続く中、
統括理事のお偉いジジイから直々に『原石の解明をしろ』と有難くもないご指名を受けた木原。
超能力者の共同身体検査全体の現場総責任者でもある彼は、ここ2,3日まともに寝ることも出来なかった。

疲労蓄積、睡眠不足。
三〇を過ぎた身体にはかなり堪える苦行だ。
さっさと身体検査を終わらせて仮眠室のベットにもぐりこんでやる。
真っ赤に充血した眼で「終ったら即効で寝る!」と決意した木原をよそに、部下の芳川が研究室へと戻って来た。


「木原主任、削板軍覇からも今日は欠席したいと連絡が入ったわ」

「はぁッ!?」


またもや彼の元に更なる不運が訪れる。
ついていない時はとことんついていないものなのだ。


「ちょっと待て! 今日の身体検査の主目的は、第七位が全力を出した時のAIM拡散力場の変動の観測だろうが!」

「そうなのよね。貝積統括理事は今回の測定にかなり期待してたみたいだし、困ったものね」

「困ったものね、だけで済まそうとすんな!
 欠席するとぬかした奴は削板で三人目、連絡すら寄越さない第六位を入れたら四人目だぞ、おい!
 あんの、クソガキども! あんまり俺達大人をなめやがるようなら、お仕置きの一つや二つぶちかまさないと駄目だらしいなぁ!」


研究所名物のまっずいコーヒーが入ったコップに口をつけながら、芳川はどうしようもないじゃないかと言った顔で木原を見た。

90: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/10(木) 12:07:55.77 ID:UesorYw0

「そうは言っても、子供たちに無理をさせる訳にはいかないでしょう?
 彼らは私達の研究対象であることに変わりなくても、モルモットみたいな扱いはしたくないわ」


コーヒーの独特の苦みが最大限まで歪められたような味が彼女の口内を侵食する。
いい加減この苦みに慣れたはずなのだが、どうにも耐えきれず眉間にしわが寄る芳川。
缶コーヒーに格別の拘りを持つ一方通行が一口飲んで「不味い」と放り出しただけの事はある。


「そもそも、木原主任。貴方が彼らを雑に扱う輩が許せなくて、この共同身体検査を提唱したのでしょう?
 私は上司である貴方の倫理観に基づいて彼らに欠席の許可を与えたのだから、文句を言われる筋合いはないわね」


芳川はさらりとそう言うと、机に広げられていた資料を手に取った。
木原は彼女に反論する言葉を探すことも億劫になり、


「―――チッ」


と、小さな舌打ちを一つ。

ため息とともに灰皿に煙草を押しつけると、木原も今日のデータ解析に必要となる計測機器の確認を始めた。
四人も超能力者が休むもうと、一方通行、超電磁砲、心理掌握の身体検査は予定通り行わなくてはならないのだから。

身体検査の補講、AIM拡散力場に関する論文、その他諸々。
ガタガタに崩れてしまったスケジュールのおかげで、木原がゆっくり惰眠を貪れるのはまだまだ先のようだ。

91: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/10(木) 12:57:36.75 ID:UesorYw0
――

ドガン! という爆音とともに大きな水飛沫があがる。


『―――砲弾初速1030m/sec、連発能力8発/min、着弾分布18.9mm、総合評価5』


野外にあるプールを見渡せる観測室から、スピーカーを通して身体検査の結果がすぐさま知らされる。
余ったコインを手のひらでジャラジャラさせながら、御坂は届けられた結果に満足そうに頷いた。
うんうんと嬉しそうにしている御坂を怪訝な顔で見つめる少女が一人。
常盤台中学指定の競泳水着姿をしている心理掌握は、訳が分からず首を傾げた。


「ねぇ、超電磁砲。常盤台の期末能力測定と同じことするなんて意味ないんじゃないの?」

「そうでもないわよ」

「……? 意味が分からないわ」


麦野には劣るものの中学生らしからぬ彼女の豊満な身体つきが眩しくて、御坂はくらっと目が回る。
幼児体型から未だぬけきれない自分の体型を切なく思いつつ、頭にはてなマークを浮かべる心理掌握の疑問に答えてやる。


「せーんぱい、さて問題です。私の目下の能力上における課題はなんでしょうか?」

「能力のコントロール制御かしら。貴女、超能力者の癖してすぐ能力を暴発させるものね」

「あはは……手厳しいご意見ですこと。まぁ。その通りなんだけど」

「原子崩しに電子操作のコツを教えてもらってるんでしょう? 
 あまり変わり映えがしないなら、わざわざ時間を裂いてくれる彼女に申し訳が立たなくなるわよ」

「ちょっとは結果になってきたわよ。アンタだってさっき私の身体検査結果聞いたでしょ」

「砲弾初速1030m/sec、連発能力8発/min、着弾分布18.9mm、総合評価5、ね。いつも通りで変わり映えがない――、」


さきほどスピーカーから聞こえてきた内容をスラスラと話していた心理掌握は、ふと御坂の常盤台での期末能力測定の結果を思い出し、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「と言うよりは、砲弾初速、連発能力、着弾分布すべての数値が期末能力測定の結果と同じね」

94: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/10(木) 18:33:47.33 ID:UesorYw0

精神系能力の最高峰である心理掌握が自身の記憶を違える訳がない。
『3』と書かれているスタート台に立つ御坂は、
一寸の狂いもなく数日前に行われた常盤台の期末能力測定と同じ結果を測定結果を叩きだしたのだ。


「全ての数値をまったく同じしろ、
 なんて無茶ぶりな課題を木原さんから与えられた時はどうしようかと思ったけど。
 案外、実際にやってみたらなんとかなるもんねー♪」

「集中した意識下でそれすらも出来ないなら、超能力者を名乗るのはよしなさいな」

「だーかーら! ちゃんと出来たんだから、そこまで言わなくてもいいじゃない」


せっかく課題を見事にクリアして気分よくしていたのに、と御坂は不貞腐れる。
まだまだ子供っぽい後輩に「はいはい、そうね」と棒読みで褒めてあげた心理掌握は、くるりと踵を返す。


「暑いからってプールで行われた貴女の測定に付き合ったけど、
 さすがにコレ以上いると唇が青くなりそうだわ。
 塩っぽい匂いも鼻につくようになってきたし……。私はそろそろ研究所(ナカ)に戻るわね」

「ちょ、待ってよ! せっかく一緒に来たのに置いてくな!」

「はいはい、分かったから走らない。貴女が巻きあげた水で床が滑り易くなってるから」


シャワー付きの更衣室へ向かう心理掌握の後を御坂は小走りで追いかける。
「貴女、一方通行とのことからかわれた時なんて特に暴走しやすいでしょう?」と心理掌握が指摘すると、
「な、な、なに言ってんよアンタ!!」と御坂が顔を真っ赤にして、そんなことはないと必死に否定した。

キャッキャッと若い女の子独特の空気を発しながら、じゃれつく二人。

超能力者としてどれほど強大な能力を持っていたとしても、研究員達に映る彼女たちは可愛らしい女子中学生そのもので。
現場で御坂の測定を見守っていた研究員達が、去っていく少女たちのやり取りを微笑ましそうに見つめていた。

95: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/10(木) 18:53:01.29 ID:UesorYw0

シャワーを浴び制服に着替え、脱衣所の鏡の前で濡れた髪を乾かしていた時、御坂はある事に気づく。


「心理掌握。アンタ今日の身体検査なんにもしてないんじゃないの?」


以前から予定されていた第二位と第七位の公式戦が急遽中止となり、
午後に行われるはずだった彼ら以外の超能力者の身体検査が午前中に繰り上がったのだ。
しっかりと身体検査に参加している以上、心理掌握もなんらかの測定や実験をしなければならない。

――と言うのに、

隣で優雅に櫛で髪を梳かしている御坂の先輩は、
共同の身体検査が行われるこの研究所に来てからずっと御坂と行動をともにしているだけなのだ。
人に散々ダメ出しをしておいて、自分は測定をどうどうサボりか? という視線を御坂は心理掌握へと送る。


「今日、未元物質とナンバーセブンとの公式戦が予定されていたでしょう?」

「それのせいかは知らないけど、木原さんの目の隈すごいことになってたよね。休止になってよかったのかな……?」

「良くはないけど、超能力者(私達)のことを優先してくれての処置じゃないかしら。
 超能力開発が彼らの第一目的でしょうに、相変わらず甘い人間ばかりが揃っている場所なのよ」

「…………、そうだね」


木原数多が提唱した共同身体検査がはじまってから、すでに三年が経とうとしている。
殺罰していた彼女達の世界が徐々に変わり始めたはじまりは、変わらずに彼女達をさりげない優しさに包んでくれている。
心がくすぐったくなってにんまりと笑った御坂に釣られて、心理掌握も口角を僅かにあげた。

96: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/10(木) 18:56:42.71 ID:UesorYw0

「話がずれたわ。
 その公式戦中のナンバーセブンの心理状況を変化を観察する――ってのが今回の課題だったから。
 公式戦が中止で延期されたからには、私の身体検査も補講時に行われるのよ」

「心理状況の変化もなにも、アイツの頭の中には熱血と根性しかないじゃん」

「多分、そうなるでしょうね。あの人、単純だもの」


愛と根性の男、削板軍覇。
義理人情にあつい硬派な彼を二人は決して悪い人だとは思っていないのだが、あの単純さだけはどうにもしこりに残る。
何て言うか、好みのタイプではないのよね、と視線だけで同意する少女達。


「………それにしても。沈利ってば体調が悪いらしいけど大丈夫なのかなぁ」

「―――さぁ、どうかしらね」


髪を乾かしていたアイロンの電源を切りながら、心理掌握は意味ありげに美琴の呟きに返答する。
鏡に映る心理掌握の苦笑の理由を、御坂が察することは出来なかった。


(多分、未元物質と原子崩しの間で何かがあった、と考えるのが妥当でしょうね)


でなければ麦野に心底惚れこんでいる彼が、麦野の傍にいられるせっかくの好機である身体検査を休むはずがないのだ。
麦野のためなら、火の中水の中、天国だとうが地獄だろうが突き進むのが垣根という男。

おそらく、垣根は麦野に会いたくない。
若しくは、麦野にあわせる顔がないのだろう。

―――だから、かの少年は好機を自ら捨て去った。


(原子崩しの休んだ理由はともかくとして、未元物質の理由は誰だって簡単に思いつくわよ)


隣で「ねーねー、どういうこと?」と尋ねてくる鈍感娘は除くとしてね、と心の中で心理掌握は付け足した。

97: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/10(木) 20:38:37.13 ID:UesorYw0
――

『未元物質』、それはこの世に存在しない素粒子を生み出す、垣根だけが持つ能力。

それが垣根の自分だけの現実であり、自分だけの世界を構築するものだった。
能力者は大なり小なり世界の理の枠外に生きている存在だが、垣根はあまりにも枠の外へと行き過ぎた。
他の超能力者でさえ物理法則に従っているというのに、自分はその物理法則の中に入れない。

未元物質、そこは誰の常識も通用しない世界。
垣根帝督だけが理解できる、彼だけしか居ない空間。

彼は寂しいとも悲しいとも思わなかった。
どうせ、誰にも理解できないのだからの目を瞑り、物理世界で生きる他人と距離をとった。


(―――麦野、お前が俺を見つけてくれたんだ)


どんなにキリキリと胸が締め付けられても、垣根の脳裏に浮かぶのは愛しい彼女のことだけ。


『いい加減、下だけ向いて「誰にも理解されない」って背中で主張するのやめたら? 
 声にしなきゃ誰にも分んないっつーのに、大の男がグチグチとウザったいたらありゃしない。
 テメェにも誇れるもんがあるんだから、堂々としてりゃいいのよ』


こんな情けない奴が自分より序列が上だなんて信じられない、と垣根を睨みつけてきた麦野。
「女々しいのよ、アンタ」と垣根をバッサリと切り捨てた麦野。
そっぽを向けた垣根の背中に気が付いてくれた麦野。

自分を誇れ、と大輪の花のような笑みを向けてくれた、垣根の唯一の人。


(俺には、お前だけなんだ。お前だけしか、いらないんだ……っ)


己の腕の中に閉じ込め、力強く抱きしめた彼女の感触が未だに残っている。
鼻を擽る髪の香りも、艶めかしい色香も、潤んだ瞳も、柔らかい桜色の唇も。全部、全部。
ようやく、本当にようやく手に入れたかもしれないと思った虹色の宝石は、自分以外の者のために存在した。


『私が好きなのは、ソイツ、なんだわ。―――だから、ゴメン』


どんなに耳をふさいでも、フラッシュバックする麦野の言葉に、垣根が耐えきれずに吠えた。


「チクショウ……。チクショウ、チクショウ、チクショォオオオオオッ!!」


激情のままに絶叫し、ドンッ!! と垣根は部屋の壁を殴った。

98: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/10(木) 21:06:25.86 ID:UesorYw0

しばらくすると、コンクリートの壁に打ち付けた手の甲は血だらけになった。
手が傷つくのも血で壁が汚れるのも無視して、力の抜けてもなお、垣根は何度も何度も拳を握る。


「チクショウ……」


麦野の笑顔も声も心も人生も、全てが自分のものになればいい、と垣根は望んだ。
あの日、麦野に惹かれたから、垣根の全ては麦野のためにあったといってもいい。
一生を賭けてもいいと思える女に、彼は出会ったのだ。

こいつしかいない、と感じた。
こいつだけが欲しいと、本能が訴える。

それなのに、垣根が欲しいと願った全ては砂となって消え失せようとしている。


「なぁ、麦野。浜面って誰だよ……!?」


浜面仕上。
ごめん、と一言だけ垣根に謝った麦野が口にした、男の名。麦野が好きだと言った、男の名。

見たことも聞いたことも会ったこともない浜面という男が、憎くて恨めしくて仕方がなかった。
麦野は垣根のモノでもないのに、突然現れた浜面に大切な女を横取りされたような感覚に陥ってしまう。

垣根が今いるのは自分の部屋で、彼一人しかいない、未元物質のような空間。
その場に麦野はいないこと重々承知していても、垣根は彼女へ聞かずにはいられなかった。


「―――俺じゃ、駄目なのかよ……っ!?」


ズルズルと足元から崩れた垣根は床の上で呆然と座り込む。
昨日、腕の中に麦野を閉じ込めた時に、無理やりにでも自分のものにしていれば良かったのではないか、と悪魔が囁いてくる。


(…………そのほうが、俺は楽だったかもしれないな)


自分が光の世界で生きる理由になった女を、どうしても汚すことなんて垣根にはできなかった。
垣根がもう一度足を踏み込んでみようと思った物理世界で、一番に幸せになってほしいと思う女を泣かせることなんて出来なかった。

浜面という男の隣で笑うことが至上の幸せと麦野が感じているのならば――、


(俺に、壊すことなんてできる訳がねえんだ……ッ)

119: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:10:16.47 ID:wq0f9b.0
――

課せられた身体検査にそれなりの結果を残した一方通行が、木原達のいる研究室のパイプ椅子にふんぞり返る。
御坂の計測を担当していた芳川が、まとめ終えた計測結果の資料から顔をあげると、丁度視線の先に彼が居た。
少年の不機嫌そうな態度は見慣れたものだが、今日はいつにも増して眉間の皺が多い。


「なんだかやけにご機嫌斜めね、一方通行。コーヒーでも飲んで気分転換する?」

「ココのクソ不味いコーヒーなンていらねェ」

「美味とまでは言えないけれどそれなりに病みつきになる味なのに。残念ね」

「あれはコーヒーじゃなくて泥水だ、泥水。ンなもンを飲むほォが可笑しい」


本日三杯目となるコーヒーに舌鼓を打とうと席を立ちあがった芳川が目元を吊り上げる。
泥水と一方通行の評された飲み物の虜になっている彼女に、一方通行の言葉は心外だったようだ。
じと~っとした視線も向けてくる芳川を無視して少年は足を組みかえた。
ギシギシ…、とパイプ椅子が鈍い音を鳴らす。


「おつかれさまでーす」

「失礼するわ」


新たな入室者達の声が、バチバチと静かに火花を散らす二人の空気を和らげる。
丸襟の半そでワイシャツの上にサマーニットを着込み、紺のスカートという常盤台の夏の制服姿の少女達。
しっかりと髪をキレイに乾かした心理掌握とは対照的に、御坂の髪はまだ若干水気を帯びている。
首にひっかけたバスタオルでわしゃわしゃと髪を乾かす御坂が、一方通行の瞳に映る。


「…………」

「~~~っ」


数秒間の沈黙。
彼の視線にうっすらと頬を染めた御坂が、ふいっとそっぽを向く。
昨日、彼の携帯電話や自宅の電化製品に止めを刺した後、逃げるように帰ってしまった御坂。
木原から言われた言葉を妙に意識してしまって、あれほど追いかけていた彼を急に見つめられなくなってしまった。
少女の心は一方通行への申し訳なさと気恥ずかしさでいっぱいで、
誤魔化す様に力任せにタオルと動かす御坂に、密かに一方通行の眉間の皺が増す。

120: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:17:03.73 ID:wq0f9b.0

コーヒー中毒の少年との言い争いは不毛な結果しか生まないと悟った芳川は、少女達をソファーへと誘いつつ話をふった。


「美琴お疲れさま。心理掌握、アナタまで補講扱いになってしまったのは申し訳なかったわ、ごめんなさいね」

「第二位・第七位ともに欠席なら仕方ないわ」

「でもさ、三人とも学校違うし、予定調整してたら補講できるのって夏休み期間中だけじゃないの?」

「私も木原主任も、できるだけ早めの日程で調整するつもりではいるのだけれど……。
 美琴の言うとおり、夏休みと被ると思うわ。早くて七月の末日ってところね」

「いいのよ、本当に。どうせ帰る予定もないし。
 寮の祭りだってまだ先だもの。暇を持てあますくらいなら補講するほうがマシなのよ」


体調不良を理由にドタキャンをかました男共に、心理掌握は巻き込まれた形だ。
愚痴の一つや二つ溢すのが当たり前なのに、彼女はしれっとした顔で『仕方ない』と流すだけ。
まさに常盤台中学が求める『お嬢さま』像そのままの心理掌握。
心理掌握の態度に感心しきりの芳川には聞こえないように、
しかし、隣に座る心理掌握の耳元には確実に届くような声で、御坂がボソリと一人言を言った。


「―――さすがに、例のサボり魔もそろそろ単位のために補講に顔だす頃合だもんね」

「ちょっ、超電磁砲!? 貴女、なんのことを言ってるのかしらッ!?!?!?」

121: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:18:32.39 ID:wq0f9b.0

いきなりソファーから飛び上がった心理掌握が、沸騰させた顔で大声をあげた。
普段の上品な物腰が様になっている彼女の慌てふためく姿に、
向かい合わせのソファーに居た芳川のみならず、
不貞腐れていた一方通行や、自身の机で仕事にかじりついて木原や他の研究員達までもが、ギョッとした顔持ちで心理掌握を注目する。

見られている。
確実に見られている。

汗をダラダラとかいて焦る少女はおほんと咳こんだ後、


「な、ななんでもないわ。あまり気にしないで頂戴」


それだけ口すると、再びソファーへと腰を下ろした。


(いやいやいや、めちゃくちゃ気になるんですけどぉおおおお!!!!)


無言のままでも、一同の心の声は精神感応系の能力を有する心理掌握にはバレバレ。
しかし、彼女は聞こえてくるそれらの声をあえてシャットアウトした。
心理掌握が誰にも教えずにいた秘密を御坂が何故知っているのか。
なんでなんでと心理掌握が御坂を睨みつけると、御坂は「……えっ、図星だったの……?」と言いたげな顔で固まっていた。

122: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:22:59.73 ID:wq0f9b.0
超能力者は皆が整った顔をしている。
神は彼らに二物も三物も与えすぎたのだ。
もちろん、心理掌握も例にもれず大層美しい御顔立ちの持ち主。
美人の怒った顔は迫力があって怖いとよく言うが、御坂を見つめる心理掌握の完璧な微笑みはそれとは比較にならないほど怖ろしい。


「あ、あははー……」

「…………超電磁砲?」

「うぅ……。その、あのぉ―――ごめんなさいぃ」


乾いた笑いを浮かべた御坂だが、彼女の気迫に押されて頭を垂れた。
乙女の踏みこんではいけない領域に無遠慮に足を踏み込んだことへの罪悪感がにじわじわと募っていく。
心理掌握の長~~い吐息にしょぼんと肩身を小さくさせた少女が、一応反省していることは窺い知れた。


「……私も取り乱して悪かったわ」


なんだかんだで放っておけない後輩の頭をポンポンと撫でてやり、心理掌握は「この話はここでお終いにしましょう、ね?」と声をかけた。
涙目のまま、御坂がこくりと首を僅かに動したことで、心理掌握のとっても気になる話題の幕は下ろされた。

未だに彼女たちのやり取りの展開に着いていけていない周囲の人間は、思考も身体も固まったまま。
どうやってこの空気を変えようか、と芳川が打開案を練るが無駄な努力となる。
いつの間にか石化から解けていた木原が、微妙な空気を一転させたからだ。


「オイ、そこのクソガキ。この資料を垣根の馬鹿野郎のところまで持っていけ」

「あァ?」

「補講の通達とその他諸々のデータだ。超電磁砲とのデートついででいいから渡してこいや」

「ふえっ!?」

「つーかコレは命令だから。
 超電磁砲の遠隔操作で俺の携帯まで死ぬわ、そのせいで論文のデータ吹っ飛ぶわでこっちは散々なんだよ」

124: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:28:37.55 ID:wq0f9b.0
――

近くの大通りが先日の能力者同士の抗争によって半壊状態に陥った影響で、溜まり場となっているレストランは一時休業。
今回のガールズトークの場所として白羽の矢がたったのは、巷の女子中高生の心を掴んではなさいと話題のデザート専門店。
近頃甘いものに目がない絹旗たっての希望により決定した。

麦野はデザート専門店へ行く道すがら、『KEEPOUT』の黄色いテープで封鎖された大通りへと立ちよったのだが、
半壊してしまった道を直したり、吹き飛んだガラスの撤去をしている警備員の先生方の背中が、彼女のささくれた心に追い打ちをかけた。

感情のまま自分勝手な行動して、他人に迷惑をかけて。
巨大な能力を「気に食わないから」という理由だけで振りかざした己は、
―――やはり『化け物』と呼ばれても仕方ない。

そんな女を好きになる男はいない。
友人としては仲がいいかもしれないが、浜面だって、きっと、麦野を恋愛対象にいれてない。
『化け物』に好き好んで寄って来る男なんて居な―――、


(……いや。化け物を好むモノ好きが一人いた、か)


垣根帝督。
いつの頃からか麦野の後ろをついて回るようになった男。
プライドが高い傲慢な俺様ナルシストで、ウザったくてムカつくだけのストーカー野郎。

だけど、


『俺、麦野のこと、すげえ、好き』


だけど、こんな化け物の自分に、迷いなく想いを告げてきてくれた、男。


(―――垣根にも、悪い事しちゃったなかな)


彼から差し出された手を握りしめれば、楽だったのかもしれない、と麦野は振り返る。
親からも愛情を受けたことのない麦野にとって、垣根が放った言葉がすごく魅力的に聞こえたのも事実。

それでも、
誰かに全身全霊の愛を注いでもらえることよりも、気付いてしまった気持ちに麦野は突き動かされた。
とうに結論が出た将来のない選択肢でも、麦野は選ばずにはいられなかったのだから、どうしようもない。
何もかも気がつかなければよかったという後悔は、今も彼女の頭の隅に渦巻く。

デザート専門店のドアを開ければ、カランカラン来客を知らせるベルの音が鳴った。
その音に気がついたのはフロアに居た店員と、麦野に向かってブンブンと手をふる小学生くらいのショートボブの女の子。

126: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:36:07.01 ID:wq0f9b.0

「麦野、絹旗。おっはー!」

「フレンダ、それに滝壺も。おーっす」

「超おはようございます、お二人とも」

「……おはよぉ、みんな」


先に着いていた絹旗最愛と麦野がメニュー表を見ていると、ようやくフレンダと滝壺理后が合流した。
足取りの重たげな滝壺の腕をフレンダが握って、ズルズルと引きずるようにしてつれてきたらしい。
「凄く体力消耗した……」と呟きながらドカッと麦野の隣に腰かけたフレンダからは、花の女子校生らしさが一切感じられない。

麦野とフレンダの向かい側。
絹旗が座っている隣の席へと腰かけた滝壺の様子は、何処となく『変』だった。

いつも以上にボーっと視点の定まらない滝壺は、一見して疲れているとわかる。
彼女の充血した目、赤く擦ったような後が残る目元と鼻、目の下にくっきり出来ている隈がなんとも痛々しい。


(あんの、クソ浜面ぁぁああああああ!!!)


麦野は頭の中で千回ほど浜面に踏みつけた。
浜面は麦野がこの世で最も心奪われた異性であることは認めよう。

しかし、だ。

滝壺をここまで落ち込ませる浜面に怒りを抱くのは、麦野にとってまったく別の話。
よくもまぁ、私の大切な親友を傷つけやがったなコンチクショウ、と思うのは極自然なこと。
相当お悩みの様子である滝壺の異変に、絹旗も気付いているようだ。
小学生ほどのちびっ子が恐る恐る口を開く。

127: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:39:21.75 ID:wq0f9b.0

「滝壺さん、目をしょぼしょぼさせて超寝むそうですね。……何か、あったんですか?」

「それがねー。結局、この子ったら三日前の夜からあんまり寝てない訳よ」


絹旗の問いに、フレンダが答えた。


(―――三日前、ねぇ)


三日前。
おそらく滝壺の彼氏にして、滝壺をここまで憔悴させやがったクソ野郎こと浜面が、
霧ケ丘女学院のお姉さま方と合コンをした日だったはず。
大方、そのことがきっかけで滝壺の不満が爆発したのだろう。
先日立てた麦野の予想がドンピシャに当たってしまった。


「うえぇっ!? それ本当なんですか、滝壺さん!
 滝壺さんはいっつもファミレスでも超自由に寝る人なのに……」

「ちょっと、ね」


言葉少なげに話を濁す滝壺の姿が、他の三人の胸を締め付ける。


「滝壺さん、それだけじゃ超分からないです……」

「私がしつこく聞いても、何も話してくれないし。
 今日だって気分転換になるからって無理やりひっぱって連れてきたのよね」


しょんぼりとしてしまった絹旗を見かねたフレンダが、私達が滝壺の気分転換させてあげよう、という意味を込めてフォローした。

128: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:43:22.34 ID:wq0f9b.0

「自分まで落ち込んでいたら駄目駄目!」と握りこぶしで決意を新たにした絹旗が、
手に持っていたメニュー表を、滝壺に見やすいように広げ直す。


「たまには何かドリンクバー以外の注文も超してみましょう!」


ドリンクバーだけの注文で何時間も居座るいつものパターンから変えてみよう、という試みらしい。


「そうね。結局、美味しいもの食べれば少しは元気出るかもだし!」

「……ん、ありがとう、ふれんだ。きぬはた。でも、お腹へってないからいい」


絹旗の提案は、滝壺の心にかすりもしなかった模様
肩をがくりと落とした絹旗とフレンダをよそに、さてどうやって事を切りだそうかと思案する麦野。
滝壺のために「あーでもない、こーでもない」と悩む三人をおいてけぼりにして、滝壺はただただ、窓から外の様子を伺っていた。
視点の定まらない彼女の瞳が無意識に何かを追いかける。
十中八九、ここには居ない馬鹿な男の背中。


「ええっと、ほら、麦野も! 超ぼさっとしてないで、何か頼みませんかっ!?」

「そうそう! 滝壺も実際にご飯とか出てきたら、お腹すくかもしれないじゃんっ?」


撃沈しかけていたフレンダと絹旗は諦めずに、麦野にも話題を振ってくる。
もう少しだけ、情報を整理する時間がほしかった麦野は提案に乗ることにする。


「じゃあ、シャケ定食」

129: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:45:28.56 ID:wq0f9b.0

麦野が迷いなく、そう言った。
デザート専門店で「シャケ定食」と堂々と言ってのけた。


「ここはデザート専門店ですから、超場所違いな注文ですよ、麦野」

「麦野の頭の中には、シャケしか選択肢がない訳?」

「残念だけど、このお店には、むぎのの好きな鮭はおいてないと思う」


すぐさま四方から突っ込みが飛び交う。

呆れたように麦野を見つめる絹旗、やれやれと両手組むフレンダまではいい。
ぼけっとしていた滝壺までにが素早く反応してみせた。
あまりにも意外すぎて、麦野の目が点になる。
最年長としてお姉さん風を吹かしているからこそ、麦野の羞恥は計り知れなくて、


「――――サバ缶命のフレンダにだけには言われたくない」


と、苦し紛れの文句をいうことしか出来なかった。

130: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:49:00.30 ID:wq0f9b.0

昨日、浜面から聞かされた「愛しの滝壺ちゃんを怒らせらかもしれない心当たり☆」の総復習。

一つ、愛されバニーガール風メイドというゲテモノメイド服をこっそり購入していたこと。
一つ、上記の服を勧めてきた友人に借りた大量の妹系  雑誌及びDVDを滝壺に発見されたかもしれないこと。
一つ、「滝壺ってさ、最近ポッチャリしてきた?」と年頃の娘が最も気にする地雷を踏んだこと。
一つ、友人に送るつもりだった「いやぁ~やっぱし巨 も捨てがたいだろー」というメールを滝壺に誤送信したこと。
一つ、「恥ずかしいから」と滝壺に釘を刺されているのに、この間勢い余ってもの凄くしつこいキスをかましたこと。

上記の浜面の身勝手な行動が滝壺を少しづつ追い詰めて、
「まったくモノを考えず友人に言われるがまま霧ケ丘の女の子との合コンに参加したこと」が滝壺のトリガーを引いてしまった。


(…………まぁ、滝壺の堪忍袋の緒がきれたのは当然のことね)


当たり障りのない会話で場の空気を盛り上げようとするも、から回っているフレンダと絹旗の渇いた声だけが耳に届く。
滝壺は強硬なまでに口を開こうせず、窓の外をみつめるばかりだ。
先日、嫌というほどデザートを食べ尽くした麦野が注文したのはアイスコーヒー。
ガムシロップとミルクが均等に混じり合うように、くるくるとストローを回す。
ぐるぐると螺旋を描きながら消えていくソレを見つめながら、麦野は舌打ちをしたい衝動を我慢した。

一体、滝壺は何を考えているのだろうか。
この場にはフレンダも絹旗も、自分も居るのに。
彼女は何も教えてくれない。語ってくれない。

浜面仕上のことで頭がショートしているのは分かるが、思考を停止させたような滝壺の態度が麦野には気に入らない。
ただ黙んまりを決め込む滝壺の悲しそうな顔が、見ては居られない。

131: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:55:39.13 ID:wq0f9b.0

「ねぇ、滝壺」


麦野が滝壺に声をかけた。
ストローを回すのを止めた手の爪に、昨日までつけていた桃色ネイルは存在しない。
ネイルだけじゃない。集めに集めたピンク系の洋服は全てクローゼットの奥底へと押しやり、桜色のリップクリームも家のゴミ箱の中にほうり捨てた。
唯一、友達専用のビビットピンクの携帯だけは処分することも出来なくて、鞄の中に入っている。
麦野の取り囲むものから、浜面が絡むものが極端に減っている―――というよりは、麦野が意図的に減らした。

早く、なかったことにしないと。
早く、気持ちを消え去ってしまないと。


「……なに?」


滝壺が返答する。
一斉に麦野の方へと視線が集まる。
麦野の心の焦りなんて、三人は知らなくていいことだ。


「アンタはさ、色々と我慢しすぎなんだよ」

「急に、どうしたの?」

「だから、アンタは我慢しすぎだっつったんだよ。私たちに対しても、浜面に対しても、だ」

「そんな、我慢なんて――、」

「してないって言えんの? 言えねえだろ。無理に見栄なんてはるんじゃねーよ、鬱陶しい! 
 絹旗も言ってただろうが。テメェが声に出さないととテメエの心なんて誰にもわかる訳がない。私たちは精神感応系じゃねーんだ!」


容赦ない麦野の言葉に反論も出来ず、滝壺は息を飲む。
彼女がはっきりと自分の口で主張しなければ、誰にも彼女の気持ちなんてわかりっこない。
精神感応系の能力者なら、正確に今の滝壺の心中を理解できるかもしれないが、本人の許可なく覗いた心に意味などない。
滝壺が自分の言葉で示さないと、誰も彼女のことは分からないのだ。

麦野だって、
浜面だって、

「私の気持ちはこうなの」と滝壺が声を大にして叫んでくれないと、わからない。

132: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 03:59:52.41 ID:wq0f9b.0

「麦野! さすがに言葉がすぎるよ!」

「超言葉がキツイですって、麦野!」

「これくらい言わないと滝壺はわからないのよ!!!!」


衰弱している相手を追い込んでどうする、とフレンダと滝壺が噛みついてきたが、彼女達の優しさを麦野は敢えて一刀両断した。
彼女達が滝壺のメンタル面を『甘い優しさ』で気遣うならば、麦野は『厳しい優しさ』で現実をつきつける。


「滝壺、その瞳ひんむいて周りを良く見ろ! テメエの目の前には誰がいやがるッ!!?」


俯いていた滝壺の顔があがり、ようやく移ろいでいた彼女の瞳と三人の瞳の視線がカチリとぶつかる。

心配のあまり今にも泣き出してそうになるのを必死に堪えている絹旗最愛が、
愛用のベレー帽をぎゅっと握りしめて憂いを含んだ瞳で口を尖らせるフレンダが、
偉そうにふんぞり返って腕を組み、眉をつり上げて怒っている麦野沈利が、

―――――見開かれた滝壺の視界には、大好きな友達が居る。


「…………あっ」


悲しくて、辛くて、痛くて。
不安で不安で不安で、心が壊れてしまいそうで。
殻に閉じこもって見ない振りして聞かない振りして気付かない振りして、
やっと思いで滝壺は自分の心を保っていた。

麦野には、ソレが許せなかった。
そんなふうにして全部を一人で抱え込んでしまう滝壺が、
自分達には何も背負わせてくれない滝壺が、麦野には許せなかった。


「辛いことがあるなら! 不安なことがあるなら! 
 私達くらいには愚痴れって言ってんだよ、このアホ滝壺!!!!」

133: orz ◆C8R0f0bYVU 2010/06/21(月) 04:04:50.86 ID:wq0f9b.0

そこまでいい放つと、麦野はアイスコーヒーを一口つけて喉を潤す。
滝壺に伝えたかった想いの丈を存分に吐きだした麦野は、他の二人にも促した。


「気軽にそんな話もできないほど、わたしたちの関係って浅かったっけ?」

「そんなことは超ないです」

「結局、わたしらは大親友だから、どんなことだってぶちまけあって良い訳よ」


フレンダも絹旗も、本音は麦野と同じ。
麦野の意見に同意した彼女たちは、滝壺に向かってにっこりと笑ってみせた。

友達なのだから遠慮なんていらない。
全力でぶつかってくれれば全力で受け止める。
それが、自分たち四人には出来るはずだし、そうでありたいと願う形なのだから。

「まぁ、そーいうことよ」とイタズラが成功した子供にソックリな笑みを浮かべた麦野の頭を、
「気持ちの代弁は助かったけど、滝壺相手にすごむのは頂けないから減点」とフレンダがペシっと叩いた。


「……ありがと、みんな」


声を震わせて紡いだ滝壺の想いを聞き届けたのは、隣に座っていた絹旗だけ。
なぜなら向かいのソファー席に座っている高校生二人組が、
「痛ぇな、この×××!」「結局、今時放送禁止用語なんて流行らない訳よ!」と騒ぎ出していたからだ。

140: ◆C8R0f0bYVU 2010/06/27(日) 01:07:34.43 ID:fZiGHAk0
―――

目指すは体調不良で身体検査を欠席(という名の自主休講)した垣根帝督の自宅。

資料が入った茶封筒を木原から無理やり押しつけられた一方通行と御坂は、
気まずい雰囲気のまま、研究所から垣根の自宅までの道程を歩く。
一方通行の三歩後ろの位置をキープして歩く御坂。
何かを訴えるように背中に刺さってくる視線に文句を言いたい一方通行であったが、どうも上手い言葉を見つけ出せない。
正直、こんな微妙な空気などさっさと払拭したいのだが、考えが堂々巡りするばかりだ。


(なにを言えばコイツの機嫌は直るンだ……)


そもそも一方通行は人に気遣うこと言うこと自体なれていない。
自分からも多少は御坂に対して誠意をみせるべきだと、昨日、ようやく気がついた彼であったが、
決意を新たにしたところで一日や二日で容易くどうこう出来ることでもない。

人間、そう簡単に変わる事なんて出来やしないのでる。


(いつもの調子のコイツなら、手の一つでも握ってやればいいンだろォが……)


明らかにいつもと調子が違う今日の御坂に通用するかは謎だ。
身体検査の間ずっと、御坂は彼と視線を合わせようとしなかった。

―――もろもろの原因である木原のクソ野郎の顔をボコってやらないと気が済まねェ。

などと、今朝がたまでは木原相手にいきり立っていた彼も、御坂の微妙な態度にソレさえも萎えてしまった。
台所にポツンをおかれていたクリームシチューを一人で食べた昨夜の寂しさが、一方通行の背後にベットリと纏わりついて離れない。
御坂がちっとも構ってくれなくて、朝から眉間の皺を深くさせ不貞腐れてる少年の我慢も、そろそろ限界。

141: ◆C8R0f0bYVU 2010/06/27(日) 01:16:31.15 ID:fZiGHAk0

「…………オィ、美琴」

「ぅえ!? ぁ、ななな、なにっ!!?」

「いちいちきょどる必要はねェだろ。
 昨日は俺ン家の電化製品全滅させて逃亡したと思えば、今日は朝から俺のことガン無視ですかァ?」

「っな! 別に無視なんか――、」

「してますゥー。家電ぶっ壊したことが気まずいってか? 
 壊れたモンは、また買い直せばいいだけの話だ。
 ンな事で一々騒ぐような男じゃねェよ、俺は。そもそもの原因は木原の野郎だしなァ」

「……ぁ、アンタの携帯とか家のモノ壊して悪いなぁ、って思ってるのもあるけど……」


歩きながら会話を続けていたが、一方通行の後ろから聞こえていた足音が途切れる。
少年がくるりと後ろを振りかえると、御坂が耳元まで赤く染め上げて立ち尽くしてる姿が視界に入る。
もじもじと両手の人差し指絡ませつつ、頭から煙が出てしまいそうな少女は口をモゴモゴとさせる。


「……その。ぁの、えっと……」


御坂の頭の中をいっぱいいっぱいにしている少年を少女の瞳が捉えた。
恥ずかしそうに、頼りなさそうに、一方通行をみつめる御坂。


「だって、木原さんが『イイコトしてたのか』とか『●●卒業おめでとー』とか変なコト言うんだもん……っ!」


そんなコト言われたら妙に意識してしまうのは、当然。
昨日の木原が一方通行をからかった冗談のネタに、乙女である御坂は過敏に意識してしまう。
確かに、一方通行と御坂は昨日ソファーの上で抱きしめあって軽いキスをたくさん交わしたけれど。


142: ◆C8R0f0bYVU 2010/06/27(日) 01:35:29.68 ID:fZiGHAk0

「木原さんが言ってた『イイコト』ってのはつまり、その、だから……」


言葉を遠回しに遠回しに、やんわりぼんやりと伝えようとする御坂に業をにやした一方通行が、単刀直入に『イイコト』の指す意味を指摘する。


「まどろっこしい。よォは、xxx」

「だぁあああああああ!!! なに涼しい顔してそんな事をさらっと言おうとするのよアンタはぁあああああああ!!!??」


疎らとはいて人通りのあるところで何を堂々と言おうとするのだ、この男は。
もともと話題を変更したのは己であることが頭から飛んでしまった少女は、少年を腕をガシィ!と掴むと全速力で駆けだす。
別に二人の会話に注目していた他人など見受けられないのだが、御坂は一刻を早くこの場から消え去りたかった。


「美琴ォおお! 人を無理やり引きずンなァぁあああ!!」

「一方通行が悪いんだからね、こんのお馬鹿ぁーーーっっ!!!!」

「ハァ!? 誰が馬鹿だってェ!?」

「アンタに決まってんでしょッ!?」

「俺が何したってンだッ! オマエがまどろっこしく言うから、変わりにセックs」

「うるさい、うるさい、うるさぁああああいッッッ!!!!!!」

「煩ェのはオマエだ美琴ッ!!」 

144: ◆C8R0f0bYVU 2010/06/27(日) 11:34:43.97 ID:fZiGHAk0
―――

ゲームセンターで一通り騒いだ後、暑さしのぎという名目で訪れたコンビニ。
アイスやら飲み物やらを買い込んで,そのままの駐車場の片隅を陣取ってしゃがみこむ男子高校生が四人。
ここ数日、この世の絶望の中でもがいている浜面の息抜きのために、街へと繰り出したのだが、
当の浜面は四六時中どんよりとした面持ちでため息ばかりついている。

ベートーベンの運命のイントロを背景にスイカバーをもしゃもしゃする浜面。
「やけスイカバー食いに付き合うぜよ」と浜面の肩にポンと手を乗せた土御門。
両名は、現在ピンチに陥ってる上条に対して、綺麗に無視を決め込んだ。


(前略、皆様いかがお過ごしでしょうか。七月下旬、夏の暑さが厳しい今日この頃。
 そろそろ夏休みの季節ですね。学生の青春がかかる、大切な大切な季節のはずなのに、
 帰りのHRで担任の小萌先生から「はーい、四馬鹿の皆はそろって補講決定でーす」と
 お告げを頂いて不幸な気持ち全開で悪友たちと帰宅中の私・上条当麻は、
 ただ今、その悪友の一人に睨まれております――――、)


上条の現実逃避は、世界3大テノールもビックリ野太い男の声で遮断される。
どこから取り出したのか見当もつかない白いハンカチを噛んで、「きーっ!」と悔しがる大男。
そんなモン視界に入れることすら放棄したい上条であったが、
昼ドラに出てくる小姑のような青髪ピアスがズズイと顔を近づけて、口を切った。


「この間の合コンした子ぉ全員からデートのお誘いが来たとか、なんなん自分!?」

146: ◆C8R0f0bYVU 2010/06/27(日) 12:00:59.53 ID:fZiGHAk0

青髪ピアスの主張は一点のみ。

黒髪ロングの正統派美人の姫神秋沙、
天然爆 ドジっ子の風斬氷華、
Sっ気漂う年上お姉さまの結標淡希、
上条、浜面、青髪ピアスの三人で行った合コンのお相手、

その三名全員のフラグを成立させた上条が憎たらしくて羨ましくてたまらないのだ。


「あないにかわい子ぉ達を一人占めとか、カミやんには地獄の鉄槌が必要なようやなっ!!」


対カミジョ―属性を持つ『鉄壁の女』、
委員長・吹寄制理を除く女子クラスメイト全員とのフラグだけじゃ飽き足らないのか、と青髪の男が負け犬の遠吠え。


「だからさ、何度言えば分かるんだよ、青髪」


面倒くさそうに頭を掻きながら、上条が反論する。


「デートのお誘いじゃねえって。
 結標さんからは『買い物荷物持ち手伝って』って俺をパシリ扱い。
 姫神からは『友達へのプレゼント選びに付き合えってほしい』って俺をアドバイザー扱い。
 風斬からは『相談に乗ってくれないかな?』って俺をカウンセラー扱い。
 これの何処がデートのお誘いなんだっての!! 全部、駄フラグばっかじゃねーかよ!!」


駄フラグと言い切りやがった、この男。
ロンリーな寂しい青春を謳歌中の青髪ピアスは問う。
おお、神よ。このクソ男を許すべきであろうか。

147: ◆C8R0f0bYVU 2010/06/27(日) 12:12:34.37 ID:fZiGHAk0
「うっわ、自覚なしとかホンマありえへん! もういややこの子、誰かコイツの脳味噌かち割ったって!!」


無視ぶっこいて無いでテメエからも何か言うたれや、と土御門と浜面にふる青髪ピアス。


「カミやんの頭をかちわった所でフラグ体質はどうにもならないぜい? 
 まぁ、どうしてもって言うなら、カミやんの存在自体をなんとかしないと効果はないと思うにゃー」

「上条! 男の鈍い態度ってのは許されないんだ! 
 現に俺は痛い目にあってる最中だっての……、滝壺、本当にゴメンなぁあああ」


そもそも合コン自体に参加していない土御門にとってはどうでもいいこと。
現在、最愛の彼女に避けられる地獄の中にいて自分のことで手一杯の浜面は、
上条の鈍感な行動に今まで己が滝壺に行ってしまった愚行を重ね合わせ、更にズドーンと落ち込んでしまった。
もしゃもしゃしていたスイカバーの残骸がボタリとコンクリートの地面に落下。
それが余計に浜面の哀愁を深くさせる。


「オマエ等、だ・ま・れ! 浜面は、その、……頑張れ!
 なんかしらんが、最近インデックスの機嫌も悪いから噛みつかれるし!
 上条さんは身体的にも精神的にも傷ついてるんでせうよ!?」
 

神よ、わざわざ答えはいりません。
この男への断罪は抹殺しかありません。
全世界の男を敵に回すようなクソ野郎には、この手で天誅を下すべきなのでしょう。


「自慢にしか聞こえんわ!! 滅べ! 男の敵めぇぇぇぇえええええええ!!!!」

「そんなの理不尽だ! あーもう、不幸だぁあああああああああああ!!!!」

「理不尽なんはコッチやぁあああああああああ!!!」


青髪の大男が憎たらしいフラグ男を倒すべくゆらりと動いたその時、
コンビニの角の道から、全力疾走する男女の影が現れた。

148: ◆C8R0f0bYVU 2010/06/27(日) 14:36:14.51 ID:fZiGHAk0

「……もう、ここまでくればいいか、な……?」


はぁっ、と息を整える御坂の後ろで、死んだ魚のような目のままぜえぜえと肩で息をする一方通行。
ギャーギャー口喧嘩をしながらの全力疾走は、元々モヤシ体型で体力がない彼に大ダメージを喰らわせた。
ベクトル操作でどうこうすればいい程度の問題なのだが、
いかんせん右腕を御坂に引っ掴まれるわ、バチバチと奔る紫電の光を避けなければならないわで、
筋力のベクトル操作にまで意識がいかなかったのが真相である。


「……ったく、アンタってば頭イイ癖して、TPOって言葉知らないのね」


汗のせいで額にこびりついた前髪を払いのけながら、御坂は少年の腕を握る手を動かす。
御坂の手の動きに合わせて一方通行の腕がブラブラと宙を踊る。
少女の行動は、多分、改めて沸き上がる恥ずかしさの裏返しだろう、と一方通行は推測する。
手を握ったりすると、御坂は照れ隠しのように腕を動かすことが多々あった。


(さきにTPOを無視したのはオマエなンだけどな)


御坂の機嫌を損ねるのは沢山なので、あえて口には出さない。
ブラブラと右腕を御坂の好きなようにされる一方通行は、
彼女に気付かれないように、ほっと一息をつく。

騒ぎに騒ぎまくったおかげなのだろうか。
その瞳に一方通行を映しても、研究室での一コマの時ような視線を反らす様子は見受けられない。

152: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/01(木) 10:54:58.51 ID:UPG3BMo0

突然目の前に飛び込んできた男女の姿に、コンビニの前でたむろしている高校生四人の視線が釘付けとなる。

白髪頭の身体の線やけに細い少年と、茶髪ですらっとしたスタイルの少女。
少年のほうは、学園都市一の呼び声も高い、長点上機学園の制服を身にまとい、
少女のほうは、名門お嬢さま校として有名な常盤台の制服を着用している。

超有名校のカップルというだけでも注目を浴びそうな二人連れは、
上条達四人の存在にまったく気付いていないらしく、それはそれは仲よさそうに会話をしている。


(なんだかんだで彼女と仲良くしてるんじゃん、一方通行)


動きをとめた青髪ピアスを無視して上条は呑気にそんなことを考える。

高校からつるむようになった浜面を抜かし、白髪頭の男――一方通行と上条達は顔見知りだ。
路地裏での喧嘩に明け暮れ、お互いにやんちゃだった中学時代に知り合った喧嘩仲間とでもいえばいいだろうか。
無能力者である上条が、学園都市最強の『一方通行』を地面に叩きつけた喧嘩は、
今でも一部の生徒達の間で伝説として語り継がれてはいる。
――『幻想殺し』のタネが割れている今となっては、上条が一方通行に勝つのは厳しいかもしれないが。

喧嘩に明け暮れた若気の至りの頃からの知り合いから、「彼女が出来た」と上条が聞いたのは、つい三ヶ月程前のこと。
その報告だけで一方通行の恋愛話は終わってしまい、その後彼女がどーのこーのと語る事はなかった。
上条は密かに不器用な少年の恋の続きを心配していたのだが、ただの杞憂に過ぎなかった、と上条は胸を撫で下ろす。

いつも眉間に皺をよせて難しい顔ばかりしている少年は、やはり今も不機嫌そうに顔を歪めているが、
隣にいる少女と腕を絡ませ顔を寄せて会話をする姿はまんざらでもなさそうだ。


「…………なんやねん」


目の前の光景に己の羨望を重ねたのか。
青髪ピアスは一方通行と御坂にむかって、情けない声をあげた。
上条に鉄槌を下すべく握りしめた拳はなりを潜め、がくりと膝をコンクリートの地面に落として絶望の海へと身を委ねる青髪ピアス。


「ホンマこの世は不条理や、不公平や、不平等や」

「お、おい。青髪……?」


ブツブツと小声で呟く青髪ピアスに、上条がおろるおそる近づこうとする。
先ほど、土御門が浜面にしてやったように、上条も悲しいオーラを纏う男の肩を叩こうと腕を伸ばす。
が、勢いよくガバリと顔を上げた青髪ピアスの動作に驚いて、上条はその手を引っ込めた。

154: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/01(木) 13:02:33.50 ID:UPG3BMo0

「ホンマ、なんなん自分ら!? 羨ましい、羨ましいでコンチクショ―!!!」 
 

青髪ピアスの叫び声が、駐車場に木霊する。
二人だけの世界を作り出していた一方通行と御坂も、空気を裂くような野太い男の声で、
コンビニの駐車場にたむろする男子高校生四人組の存在をようやく認識する。


「……えっ? 青髪ピアスさん?」

「土御門に、上条まで居やがンのかよ……」


今日の超能力者の共同身体検査が午前中に早々と終了してしまった原因その一を発見。
青髪ピアスの前に何故か正座している上条と、コンビ二の外壁に背中を預けてスイカバーを食べている土御門。
地面に落ちたスイカバーの残骸の近くでヘタれこんでいる金髪の男だけ、一方通行には見覚えがなかった。

身体検査をさぼってコンビニで学友とサボりですか、と肩の力を抜かして呆れる御坂。
かたや、面倒くさい連中に出くわしてしまった、と頭を痛くする一方通行。
いきり立っている青髪の男の様子を見ても、嫌な予感しかしない。


「上やんは相変わらずフラグ量産機やし!
 土御門は義妹との仲良しライフを過ごしとるし!!
 浜面かて喧嘩中とか言ってるけど、その喧嘩やて彼女おるから出来ることやん!!!?」
 

もうすぐ、待ちに待った夏休み。
かわいい女の子との思い出ダイアリーを綴りたい夏休み。
一六の夏は一度しかないのだ。自分だって女の子と仲良くしたい思い出を作りたい。
何故、己だけ寂しい青春を送らねばならんのだ、と主張する一八〇オーバーの大男。
名を呼ばれた面々は、ロンリ―な寂しい男の同情的な視線を向けた。
失意のどん底にいる浜面にさえも、「こいつ、駄目だ。俺より駄目な野郎だ……」と言われる始末。


「しまいには、一方通行は御坂ちゃんとキャッキャウフフの放課後デートをお楽しみ中ときたもんや!!!」


「僕かて青春したいねん、ラブコメしたいねんでー!!」と付け足して、一方通行と御坂にも噛みつく青髪ピアス。

159: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/04(日) 00:17:09.14 ID:2v5/dW20

「な、なによ、キャッキャウフフって! そそ、そんなことしてないわよ!!」


青髪ピアスの言葉にすぐさま反応した御坂に男達の視線が集まる。
気難しい第一位様の心を射止めた少女はその視線にあわふたと狼狽し、隠れるように一方通行の後ろへと引っ込んだ。
無意識に彼の腕を掴んでいた手を動かして、両腕でしっかりと一方通行の腕にしがみ付き直す。

そんな美琴の仕草を見て、男達の脳はすぐさま一つの結論を導き出した。
口にしなくても、目で会話しなくても。

―――男達の答えは、同じ。


「「「何処をどう見てもいちゃついてるようにしか見えないぞ(ぜい)」」」

「――っ!!」

「オマエら、とりあえず黙れ」


木原数多が炙った少女の羞恥心に再度火がついてしまったらどうしてくれる。
一方通行は自由なほう手でシッシと彼らを払いのけるように手を振った。
電撃姫のご機嫌とりに苦労している身にもなってほしい、と赤い眼光が男どもを刺す。


「…………いいじゃん、いちゃついたって。やっと恋人になれたんだから」


後ろにいる少女がボソリと呟いた声が聞こえて、一方通行が振り返る。


「あァ?」

「何よ、皆して私のことからかって。私がどんだけ頑張ってコイツの彼女になったと思ってんのよ!!」

「あの、美琴……さン?」

「一年よ、一年! 
 一年間ずっと『好きだ』って言い続けて、頑張って、頑張って!
 超能力者としてのプライドも恥も全部かなぐり捨てて、ようやく好きな男を手に入れたのよ!?」

「ちょ、オマエ、落ち着け――、」

「恋人なんだから、いちゃついて当然!!
 他人にからかわれる言われも、文句を言われる筋合いもない!
 そんな羨ましいなら、自分の力で彼女の一人や二人、ゲットしなさいよゴルァアアアア!!!」

162: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/04(日) 14:07:53.92 ID:2v5/dW20

ここ二日、御坂は色んな人からからかわれ続けた。
昨日は垣根帝督、木原数多。今日は心理掌握、それに青髪ピアスときたもんだ。
見知らぬ男子高校生にまでニヤニヤとした顔でみつめられてしまえば、御坂の堪忍袋の緒も限界に達する。


「青髪ピアスさん。もっと、自分の周りを良~~~っく見たら?」


そうしたら、貴方に惹かれてる女の子の存在にだって嫌でも気付くでしょ、と心中だけで付け足す。
青髪ピアスが心理掌握の心に応えてるかどうかまでは御坂の知る所ではないが。
普段凛々しくて大人っぽい心理掌握があんなにうろたえるほど、この青髪の男に惹かれていることは確かだ。


「垣根さんも心配だし、さっさと行くわよ、一方通行!」

「……お、おォ」

163: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/04(日) 14:08:25.47 ID:2v5/dW20

開き直った女は強い。
先ほどのまでの恥じらいは、本当に何処へ行ってしまったのか。
一方通行の腕に堂々と頬ずりしながら、御坂は本来の目的を告げ歩みを進める。

茫然した状態で彼女につられる様に歩きだした少年の「じゃァ、な」という声だけが、駐車場に響いた。


「なかなか男前な彼女と付き合ってるんだな、アイツ」


可憐な容姿とは裏腹に、白い頭の少年の愛する彼女は姉御肌気質のようだ、と感想を漏らす上条。


「……御坂ちゃんにまで、全否定された僕っていったい……」

「まぁ確かに、一方通行の彼女さんの言う通りだにゃー、青髪ピアス」


他人に構う暇があれば彼女を作る努力をしろ馬鹿野郎、と正論を叩きつけられた青髪ピアスは、
銀ダライを上からゴ―ンッ!! とぶつけられたような衝撃をうけて地にひれ伏した。
彼の浮き沈みする姿をにゃはははと笑い飛ばしながら土御門が止めを刺した。

かなり場違いな啖呵をきった御坂であったが、
うじうじと恋に迷い悩む少年達の心をグザッと大きな亀裂を生じさせる程度の戦果はあげられた。


「自分の力で手に入れた、か……」


御坂の言葉は、滝壺への罪悪感で死にそうになっている浜面の顔に影を落とした。


『ずっと『好きだ』って言い続けて、頑張って、頑張って!』


滝壺に惹かれて滝壺がどうしても欲しくて。
体裁なんて気にしないでがむしゃらに口説き続けた。
滝壺に好きだと言い続けた、過去の自分。

自分も彼女と同じだったはずなのに。いったい何処で自分は選択を謝ってしまったのだろうか。

164: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/04(日) 15:56:58.19 ID:2v5/dW20

「――――そうだよな」


頑張って、頑張って、ようやく滝壺の彼氏になれたんだ。


「もう一度、プライドも恥も全部かなぐり捨てて、自分の力で手に入れてるしかなねえよな」


自ら望んで努力して手に入れた幸せを無下にしてたまるか。
決意を新たにした浜面が顔をあげて空を仰ぐ。

それと同時に、prrrrrr、とズボンのポケットに突っ込んでいた浜面の携帯鳴った。


『わたし、この歌好きだよ』


話題に困っていた時、「まぁ多少の会話にはなるでしょ」と麦野が教えてくれたミュージャンの歌。
「はまづらもこのミュージシャン好きなの?」とたどたどしく笑った滝壺専用に設定した、着信音。

四日間ぶりに聞こえてきた着信音に、浜面はごくりと唾を飲み込んだ。

167: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 02:00:23.51 ID:s.Gg2V60
―――

ちょっとずつ、ちょっとずつ。
ゆっくりでいて、それでいて確実に、心を擦りきらせていった滝壺に、
「大好きな彼氏が合コンに行った」という事実は壊滅的なダメージを与えたらしい。
浜面の一つ一つの愚行に滝壺自身も気付かないうちに彼女の心に負荷をかけ続け、止めの一撃が、ソレ。


「――――はまづら、私に愛想尽かしたんだよっ、きっと…っ!」


人よりワンテンポ遅い自分にイライラしてたんだ。
自分だけの現実を掌握しきれない自分の意志の弱さに呆れたんだ。
ゆらゆらとAIMの波に身を委ねるばかりで、現実の世界で生きようとしない自分に見切りをつけたんだ。
あんなに『大好きだよ』と言ってくれた浜面は、私のことを嫌いになってしまったんだ―――と嘆く、滝壺。


(…………、そんなことないのよ、滝壺)


「滝壺に嫌われたかもしれない」と我にも縋るように頭を下げた浜面は、滝壺の事で頭が一杯だったのだから。
瞳に涙を溜めこんで、胸の内に溜めこんだモノを吐きだす滝壺の姿が、麦野にはとてもとても小さく見える。


「大丈夫よ」


麦野はそう呟きながら、彼女の震える肩を抱きめてやりたくなった。
浜面は滝壺のことを嫌いになんてなってない。

今のアンタと一緒。
この世で最愛の人である滝壺理后に嫌われたかもしれない、と浜面も不安になってる。


「実はさ、昨日、浜面に泣きつかれたのよねー。『滝壺に嫌われたかもしれん、どうしよう、麦野!!?』ってね」

「超最悪ですね、浜面。まーだ麦野の世話になるつもりですか」

「まぁ、二人を取り持ったのは麦野だし。世話焼き見合いばあさんは2人のためにせっせと働くのよね」


フレンダと同い年の女子高生に向かって「ばあさん」とは失礼。
胸元に顔を埋めてくる滝壺の背中を優しく擦りながら、麦野は口をすべらせたうっかり者を睨みつける。


「フレンダ、後で覚えてろよ」

「ひぃっ!」

168: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 02:35:20.59 ID:s.Gg2V60

「アンタに嫌われたかもしれないってこの世の終わりって絶望してた。いやぁ、見物だったわね、アレは」

「……うそ。はまづら、わたしのこと嫌いになったんだもん」

「そんな嘘つかない。確かに浜面ってさ今回みたいに滝壺のこと傷つけたり、アホな大ポカかましたりする奴だけど――、」


滝壺の追いかける浜面の背中は、尻尾をブンブンと振ってご主人様の背中を必死で追いかける大型犬に酷似している。
学園都市に数多居る女生徒なんか一切、目もくれない(合コンにいったりする馬鹿な愛嬌はあるが)浜面の視界には、
滝壺理后、ただ一人しか映っていない。


「―――浜面ほどアンタに惚れこんでる男はいないよ」


彼の視界の中に麦野沈利は存在しない。


「超ベタ惚れですもんね~。みてるこっちが超火傷しそうなくらい」

「そうそう、あんなに想われるって中々ないよ? まぁ、浜面が相手ならわたしはお断りだけど」


馬鹿男の滝壺命ぶりは、フレンダも絹旗も呆れるほど理解している。


「でも……」


三人の言葉を聞いても滝壺の心はまだ揺れる。
不安で壊れそうな心は癒されない。


「自信を持ちなさい、滝壺。アンタはいい女よ。なんたって、この麦野沈利が認めた女なんだから」

「むぎの……」

「滝壺、大丈夫よ」


もう一度「大丈夫だよ」と麦野は囁いて、
小動物のように小さく丸まった滝壺の背中をそっと叩いた。
ポンポンッと優しくリズムよく。少女を元気づけるように、勇気づけるように。

169: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 02:47:14.67 ID:s.Gg2V60


「不平不満をありったけ浜面にぶつけて、謝らせてさ。そんで、不安なんて吹き飛ぶくらい、抱きしめてもらっておいで」


どんなに不安だったか、悲しかったか、寂しかったか。
全部、全部。浜面にわからせてやりなさい。
どんなに浜面が好きなのかを知らしめて、思いっきりぎゅっと愛されてもらいなさい。

――――涙に暮れるより、可憐に咲く花のように笑うアンタのほうが可愛いのだから。


「……うんっ!」


たぼたぼのピンクのジャージの袖で目元を拭い、ようやく滝壺は麦野の胸元から顔を上げる。


「むぎの! ありがとう! フレンダもきぬはたも、ありがとう!」


野の片隅に咲く小さな花の様に無垢で純粋で愛らしい、滝壺の笑顔。
三人への感謝を口にすると滝壺はそそくさと席を立ち、デザート専門店のドアを潜って駆けだした。
一刻も早く、一秒でも一分でもすぐに。彼女は、憎たらしくも愛しい男に会いたいのだろう。

ドアが閉じて、すでに見えなくなった滝壺の後ろ姿を想像して、フレンダが一言。


「いやはや、青春ですなぁ~」

「あーぁ、わたしたちにも超早く春が来てほしいもんですね……」


中学生になったばかりの絹旗がいっちょ前に「彼氏がほしいー!」と叫んで、テーブルにぐてぇーっと上半身を寝転がせた。


「春、ねぇ」


フレンダと絹旗の滝壺への(というより恋愛に生きている女子への)羨望を含んだ会話を聞いて、
麦野は「当分、自分には縁の遠い話」だと自虐的な笑みを浮かべて、コップに残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干した。

170: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 02:50:37.90 ID:s.Gg2V60
―――

走ってデザート専門店を出て行った滝壺の後ろ姿を「青春だねぇ」とニヤニヤと阿保面で見守っていたフレンダと絹旗も、
完全下校時刻が近いことを理由に各々の住処である学区へと帰っていった。
中学生である絹旗が寮の門限を厳格に守るのは当然。
しかし、フレンダは滝壺と通っている高校も学生寮も同じ、更に言うならば滝壺のルームメイトでもある。
彼女くらいは滝壺の帰りを待ってあげてもいいのものなのだが、
『どーせ滝壺は夜の大運動会で、今日は帰ってこないでしょ』と余計な見通しの元、帰宅。
麦野もフレンダと意見に同意なので、滝壺を待つことなく自宅への帰路に着いている途中だった。

『完全下校時刻です、完全下校時刻です。学生のみなさんは速やかに帰路について――』と空に悠々と浮かぶ飛行船からアナウンスが流れる。
間もなくバスや電車といった交通手段の終電が近づく時間帯。
麦野の目の前には忙しなく進む学生達の群れが行きかう。
ピピピピ、と学生鞄の中から聞こえきた音につられて、麦野は道の端で足を止めた。


『よう、麦野! 今大丈夫か?』


ビビットピンクの携帯に電話をかけてきたのは浜面だった。


『滝壺にさ、すまなかったって謝って、許して貰えたぜ!』


電話越しに聞こえてくる声はうわずっていて、彼が興奮していることが麦野には手に取るように分かる。
滝壺と無事仲直りが出来たと狂喜乱舞する浜面の報告を、麦野は微妙な心境で耳を傾けていた。

二人が仲直りできて良かった、とほっとする気持ちと、
ああ、二人はが仲直りしてしまった、と残念に思う気持ちが麦野の心の天秤を揺らす。

171: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 02:58:57.61 ID:s.Gg2V60

『麦野、ほんっとぉ~~~に有難うな!!!』

「はいはい、私を崇め敬え尊べ。全ては麦野様のおかげなんだからにゃーん?」

『ははーっ! 全ては麦野様のおかげです』

「今回のことよーく反省しなさい。また同じことでもあったら今度こそテメエの●●ぶち抜く」

『ひぃいいい! 恐ろしいこと言うな、お前が言うとマジで洒落にならんっ……!
 でも、心配してくれてサンキューな。今回の事で俺がどんだけ滝壺に惚れてるか痛いほどわかったから。大丈夫だ』

「ほんと、頼むわよ? 一応アンタのこと見込んでんだからさ」

『ああ、絶対だ。絶対、俺は二度と滝壺を傷つけねえ。
 ―――神様にだって誓ってやるさ。居るかどうかは知らねえけど、さ』


浜面の言葉に、麦野は思わず口角をあげる。
『――神様にだって誓ってやるさ』ときたもんだ。
科学が蔓延るこの学園都市で口走るとは、やはり浜面仕上は阿呆な男だ。
学生たちが居る場所は自分だけの現実のみが価値として判断される世界。
そこに、わざわざ他人(神様)を持ちだすとはちゃんちゃら可笑しい。

けれど、
時代がどれだけ進むもうと、科学がどれだけ発展しようと、
生涯の伴侶との永遠の愛を誓うのは、今も昔も、十字架の前・神父の前・神様の前が定番なのだ。

学園都市における神様の呼び方は様々だ。
神ならぬ身にして天上の意思に辿り着くもの、SYSTEM、絶対能力者、LEVEL6。
残念なことに超科学を有する学園都市において、絶対能力者はまだ誕生していない。
存在しているのは、神様に近いとされる七人のLEVEL5。
丁度いいことに、浜面の電話相手は超能力者の原子崩しだ。
彼の決意を見届ける役の代理くらいなら自分にも勤まるかもしれない―――、とそこまで考えると、麦野の口は自然と開いていた。


「だったら、神様(LEVEL6)に近いって言われてる私(LEVEL5)にでも誓っとけば?」

『そりゃあナイスアイディアだ。麦野が俺の滝壺への愛を保証してくれるなら、これほど力強いモンはないな』


保証してやる。全て、保障してやるさ。
どれだけ二人が互いを想いやっているか。
どれがけ二人が祝福されているのか。
どれだけ二人が結ばれて幸せそうに笑っているのか。
浜面と滝壺の育んできた大切なモノを、一番近くで見てきたのは麦野なのだから。

声を大にして言ってやる。
胸を張って言ってやる。

172: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 03:00:39.04 ID:s.Gg2V60
「―――保証してやる。アンタらの愛は本物だよ」


私なんかが入り込む余地がないくらいに、という本音はそっと仕舞い込む。


『サンキュー、なんか自信ついたわ。なにからなにまで悪ぃな、麦野。
 ほんとオマエってイイ奴だ。何で彼氏がいないのか不思議でしょうがねえわ』


先ほどの反省は何処にいったのだろうか。
反省した間違いは二度と起こさないと力強く宣言した浜面は、さっそく女の子の進入禁止地帯ど真ん中に在る地雷を踏んだ。


(……うっわ、今のはきっつい……)


グサリと麦野の心臓を抉る一言が放たれた。
男から彼氏がいないことを心配されること自体、プライドの高い麦野には癪に障る。

それを、浜面から―――初めて淡い恋心を抱いた相手から言われた。

麦野にしてみれば、最悪だ、という感想しか出てこない。
自分だけのモノになってほしい、と
喉から手がでるのを必死に耐えている己が麦野には馬鹿馬鹿しくさえ思えてきた。
自身の動揺を電話の向こうに居る浜面に諭させないように、
「余計なお世話だ、死ね」と得意の毒舌でも発しようとした麦野の唇は、浜面の次の言葉で動きを停止させる。


『麦野はイイ女なのに。世の中の男って見る目ねぇよなー』


麦野はイイ女。

浜面は確かにそう言った。
はっきりと麦野の鼓膜をぶち抜いたソレは、決して幻聴ではない。
頭を鈍器で殴られたような衝撃が麦野を襲った。
グワングワンと安定しない脳味噌のせいで、彼女の思考の境が曖昧になってしまう。
感情と理性の区別が混じり合って視界が鈍る。

173: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 03:03:07.48 ID:s.Gg2V60

「……私って、イイ女?」

『おう、当たり前だろ。高飛車で偉そうで怖いけどさ、オマエほど仲間想いで世話好きでどんな時も頼りになる女なんて、俺しらねえ』

「…………、霧ケ丘女学院のおねえさまより?」

『麦野はなんだかんだいって性格いいし、顔もスタイルも芸能人並。それで第四位の「原子崩し」だろ? 超完璧じゃん!』


浜面が素直に下す麦野への評価に、彼女は更に混乱する。
求めてやまない人が、愛しくてやまない人が、
自分のことをすごい奴だと認めてくれている、自分のことをイイ女だと見てくれている。
浜面にとっては何気ない普段の会話でなくとも、麦野にとってそれら一つ一つは麻薬のように甘い誘惑で。


(浜面は私のことを、そんな風に思ってくれていたのなら――、)


ごくり、と麦野は唾を飲み込んだ。
一度麻痺してしまった思考回路を修復することは不可能だった。
己の欲望のまま、在りもしない将来に心が擦り寄りたくなる。
駄目だ、コレ以上は駄目、と心の奥底に鳴る警告音が、必死に彼女を思いとどまらせようとする。


「―――もし、」


駄目、聞いては駄目。


『ん?』

「もしも、よ」


駄目、駄目。
踏み留まらければ。
突き破っても傷つくのは麦野沈利(私)だけなのに――。


「もし、アンタが滝壺に惚れてなかったら、私のこと、どう思ったのかしら……?」


その一瞬、理性が感情に敗北した。

必死の思いで決断した答えに反する行動を起こしてしまった。
「もし」なんて仮定の話をしたって意味がないことくらい、頭が麻痺している麦野にだって重々わかっていること。
それでも、聞かずには居られなかったのだ。
一度かかってしまったエンジンは、易々と止まらない。

174: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 03:07:10.16 ID:s.Gg2V60

『そりゃあ、やっぱオマエの事をすげえなぁって思って――、』


携帯電話を持つ手が震える。


(聞きたい、聞きたくない、聞きたい、聞きたくない、聞きたい、聞きたくない――――聞きたい)


どれほど懸命に抵抗しても、導き出される答えは一つ。
麦野沈利は、浜面仕上の仮定の答えを知りたい。


『もしかしたら、好きになってたかもな。ははっ!』


いつもと変わらないおちゃらけた口調で、浜面は笑いながらそう言った。


麦野の中の時が、止まった。


高鳴る心臓音がうるさい。
上手く呼吸が出来なくて、肺が苦しい。

175: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 03:08:18.02 ID:s.Gg2V60

「……っは!」


吐き捨てるような声が合図となって呼吸が再開される。
小刻みにカチカチと鳴る歯軋りが浜面に聞こえていないことを、麦野は願った。
への字に垂れ下がった口角を無理やりあげる。


「…………はーまづらぁ、あんまり図に乗んなよ? アンタなんてこっちから願下げよ」

『あはははっ! ま、俺見たいな馬鹿より、レベルの高い男がお似合いだよな麦野には』


馬鹿な男でも、浜面が良かったのに。
浜面が居ればレベルの高い男になんて見向きもしないのに。

頭の中だけで彼の言葉を否定する。


「……そーいうこと。じゃ、もう電話切るわ」

『おう。またな』

「じゃあね、馬鹿浜面」


なけなしの意地でなんとか最後の最後で我に返った麦野。
平静を装って浜面との電話を終わらせた直後、身体中にどっと疲れ押し寄せた。
鉛のように重い疲労感があまりにも気だるくて、麦野は歩きだすことすら出来なかった。

暫くの間ぼーっと亡霊の如く道端に立ち尽していた麦野の瞳はとても虚ろで、
彼女の意識が現実へと戻るキッカケと作ったのは、ポツポツと頭や肩の上におちてくる滴の感触。


「―――雨、か」

176: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 03:11:06.79 ID:s.Gg2V60

……ポツリ、ポツリ。ポタポタポタ、タタタタタ、ザァアアアアアアア。

季節外れの雨は、急激にその激しさを増していく。
自慢のゆるふわウェーブの髪がへにゃりと崩れ、髪の毛から頬へと水滴が流れおちた。
昨日の垣根との取っつきあいが原因でずぶ濡れなった黒と灰色の制服の代わりに着てきた、
白のシフォンのワンピースには雨粒が染み込んで、下に着込んでいた薄黄色のキャミソールがうっすらと浮き出る。

水気で重たくなった髪をかきあげながら、麦野はついていないと肩を落とした。
二日続けて頭から水を被ることになるなんて、ついていないとしか言い様がない。
多分、人はこういう時に『不幸だ』と呟きたくなるのかもしれない。


(―――ねぇ、浜面。どうして私じゃ駄目だったのかな?)


いや、なんとも馬鹿らしい愚問だ、と麦野は首を振る。

浜面が選んだのは滝壺なのだ。
黒髪の子良いとか、天然なゆったりとした子が良いとか、大人しい温和な子が良いとか。
庇護欲を掻きたてられるからとか、守ってあげなくちゃと思わせるからとか―――、そんなの、一切合財関係ない。
滝壺が、滝壺だからこそ、浜面は彼女を選んだ。

浜面仕上は、滝壺理后という人間に惚れこんだ。

麦野も誰も。
滝壺の代わりになることなんて不可能だ。


(わかってる、わかってるのよ。そんなことっ……)


締め付けられる心臓が痛くて、ぎゅうと両手で胸元を抑える。
こみ上がってくる感情に流されないように唇を噛み眉をひそめた。
悔しい悲しい痛い辛い怖い。色んな感情が顔を出しては隠れていく。
無性に、麦野は泣きなくなった。
周囲の目を気にしないで、赤子のように大声をあげて泣きたかった。

泣いてしまいたいほど、浜面への愛しさがどんどん麦野の身体を包んでいく。


(それでもさぁ……ッ!!)


どんなに想ったって、実ることはない。
どんなに望んだって、叶うことはない。
どんなに夢みたって、現実が待っている。

困ったように、それでいて優しく笑う男の隣にいるのは、―――決して、自分でないという現実が待っている。

177: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 03:12:45.31 ID:s.Gg2V60

「私はさ、浜面が……、好き、だよ」


麦野が渾身の力を込めて吐きだした小さな叫び声をザーザーと降り注ぐ雨音が遮断する。


『好きになってたかもな』


ぐるぐると脳内をリフレインする浜面の言葉。
ほんの一瞬でも現実を忘れて高揚してしまった自分が憎たらしい。
ほんの一瞬でもあり得ない何かを期待してしまった自分が恥ずかしい。
そして麦野は、いかに自分が浜面のことが好きなのかを思い知らされた。


「……私だって、私だって。浜面だから、好きになったのに…っ!」


アンタが、アンタだから、惹かれたのだ、と麦野は叫ぶ。
困ったように優しく笑いかけてくれたのが嬉しかった。
『化け物』と恐れられた私に可愛らしい桃色が似合うと言ってくれて幸せだった。
たった一人の女の子のために、何もかも放り投げて懸命に恋だけを追いかける姿が微笑ましかった。
浜面の笑顔が優しさが生き様が、全部、全部。

麦野沈利は、浜面仕上の全てが、好きで、大好きで。


「……うえぇぇ……、浜面ぁ、はぁ、っまづらぁぁぁっ……っ」


浜面、浜面。好きだよ、浜面。

麦野はそれだけを繰り返した。何度も、何度も。
とうとう身体の力が抜けてしまい、麦野は膝から地面に崩れ落ちる。
ビチャ、と服が泥に汚れる。まっさらなワンピースに取れない汚れが付着する。
それでも、麦野は構わず泣き続けた。

178: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/05(月) 03:16:22.01 ID:s.Gg2V60

滝壺が好きだという浜面をからかいながら応援したし、ちょっと浜面が気になるという滝壺にせっせと浜面のことを奨めた。
話のきっかけが無いと浜面が頭を抱えて悩んでいれば、滝壺が地味にハマっているアーティストを教えた。
感情表現が乏しい自分がどうやって浜面とつきあえば良いのかと滝壺が困惑していたら、浜面は今のアンタが好きなんだから無理しなくていいと諭した。

頑張れ、頑張れ、と押し続けた彼らの背中が、今だけはとても遠くに感じられる。
二人が肩を寄せ合って幸せそうに笑っている姿を見るのが、麦野はすごく好きで。
二人が結ばれたことは本当に良かったと思っていることは変わりは無い。


(これが、最高のハッピーエンドの形なのよ)


チクリと痛む胸を無視して、麦野はそう自分を言い聞かせる。

涙とともに流れていくのは、焦がすよう燃えて消えいく恋心。
ただ、今だけは許してほしかった。
学園都市に揉まれて生き続けた十数年。
はじめて知った気持ちに、今この時だけは素直でいさせてほしかった。

今だけ。
雨がやんだら、全て終りにするから。
だから、今だけでは許してちょうだい、滝壺。


(―――お願い、滝壺。今だけは、浜面のことを好きでいさせて)


麦野沈利の初恋は、たった二日間の命だった。
季節外れの雨がその全てを無へと還していく。


あっけない少女の恋の幕切れを見届ける人は――――――まだ、現れない。

196: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/14(水) 18:49:48.29 ID:HjdqwCo0

「……垣根さんの家遠すぎ。さすがにこの炎天下をずっと歩くのは辛いぃ……っ」

「あいつン家はもうすぐだ。こンなとこでへばンなよ」

「アンタは良いわよね。この暑さを反射してるんでしょー? 常時快適空間とか羨まし過ぎる」


少女の香り、温もり、存在。その全てを肌で感じたくて反射の全てを切っている、なんて一方通行が口にだせる訳もない。


「勝手いってろ」

「あーもう、あっつい…っ」


昼の太陽の日差しの暑さに根負けしそうになっている御坂から、うぐぅ、とぐうの音のが聞こえてくる。
さきほどまで全速力で駆けだして、大声で野郎どもに啖呵を切って、今はぐでっとへばる少女。
ころころと表情を忙しなく変える隣の少女に、さっさと歩けとそくす一方通行は、


『頑張れよ』

と、昨日おのれの背を押してくれた垣根の言葉を再度思い出していた。
沈む夕日、揺れる陽炎の中でからかいながら自信を応援してくれた自意識過剰な男は、今、何を感じ何を想っているのだろうか。

197: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/14(水) 18:54:50.24 ID:HjdqwCo0

(…………垣根、俺は自分から動いたぞ)


与えることに甘えずテメエから動け、垣根に言われた通りに。
自分を甘やかせてくれる、自分を全身全霊で愛してくれる少女に、少しだけ想いを返すことが出来た。

そうして、向日葵の大輪ように笑う彼女の笑顔を、少年の手で手に入れた。

がっちりと固定されてしまった腕は、自由に動かすことも出来ない。
互いの腕と腕が密着するせいでじんわりとした暑さが生じる。
頭を預けられた右の肩口だけが重たくて、少しばかり歩きにくい。
それでも、御坂にしがみつかれた右腕の重さが、一方通行に安らぎを与えてくれる。

柄にもねェけど、と前置きをしてから彼は目を細めた。


(多分、こういうのが『幸せ』っつーものなのかもしれねェな)


そもそも、幸せなんてものに広義も狭義も定義もありはしないだろうけど。
こういうさり気ないことで心が満ち足りる日常を、幼いころから、呆然と欲しがっていたのだろう、と少年は振り返る。


(……いや、違うな)


一方通行は無言のまま、首を振る。
予想でしかないが、超能力者、皆が切望しているのかもしれない。――――垣根も、そうなのかもしれない。


「……? アンタ、なにか考え事でもしてんの?」

「別に、なンでもねェよ」


不思議そうに一方通行の顔を覗く御坂に、彼はなんでもない、とだけ返答した。

214: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/20(火) 14:14:53.88 ID:oPDLTf.0
―――

近代的なビル群が規則的に並ぶ学園都市において、一方通行と御坂の目の前に佇む建物はあまりにも場違いだった。


「うっわ、また凄い所に住んでるのね、垣根さん」

「学園都市だと、こォいう建物は絶滅危惧種だかンなァ」

「絶滅危惧種ってレベルじゃないでしょ。私は日本全体で絶滅したと思ってたわよ」

「垣根の頭はメルヘンで出来てンだよ。深くつっこんだら負けだろ」

「……そうだけどさぁ、こういう建物、テレビでしか見たことないから。―――つい、ね」


垣根の住むアパートを初めてみた御坂がもらした感想に、一方通行も内心で同意する。

『日本人なら畳だろ、畳!』とぶつくさ言いながら、垣根が賃貸情報誌を授業中に読みふけっていたのは先月のこと。
もともとは、一方通行も居を構えている長点上機学園指定の男子寮に住んでいた彼だが、何かを思い立ったのか、引越しすると言いだしたのだ。
学園都市の最新鋭の技術が施された男子寮を抜け出して垣根が自分の住処とした場所は、彼らしいといえば彼らしいし、彼らしくないといえば彼らしくない。


(やっぱ、俺。時々アイツのこと分かンなくなるわ)


知り合って早数年。
なんだかんだ言っても、垣根は一方通行のは親友、と言ってもいい間柄。
それでも、第二位の思考回路に時々ついていけなくなる第一位だった。
ポカンと口を大きく開けて目の前の建物を喰いいるように見るめる第三位は、さらについていけていない。


「――――つい、『ここは、いったい何処の白川郷なのよっ!?』って言いたくなるのよ」


つっこんだら負けだ、という一方通行の言葉を無視して、御坂が言った。
ででん、と二人の前に鎮座する、水田に囲まれた田舎にとてもマッチする建物。
こんなの、テレビでしかな見たことのない、と御坂が小さな声で嘆息。

国の文化遺産に指定されてもおかしくない合掌造りの家。
それが、垣根帝督の住処だった。

216: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/20(火) 14:54:51.62 ID:oPDLTf.0

国の重要文化財に指定されるのはいつだろうか、と思えてならない古風で学園都市の中で異彩を放つソレは、
中の作りに些か人の手が加えられており、数人の単身者が住めるようにリフォーム済み。

垣根が借りている部屋は最上階、三階建ての一番上の部屋に当たる。
彼に会うためには、廊下の先にある、踏みしめる度にギシギシと嫌な音を鳴らす傾斜の急な階段を登らなければならない。

「うわー、すごーい」とアパートの中を珍しそうに眺める少女を、一方通行は横目で視界に入れる。


「…………」


じいっと送られてくる視線に御坂がすぐさま反応した。


「なによ。人の顔をみて睨まないでちょうだい」

「……いやァ、まァ」

「ハッキリしないわねぇ」

(急な階段を上らせたら、確実に中身が見えンだろォなァ……)


こんな転びそうな階段を上る場合、万が一のことを考えて一方通行が下敷きに慣れるように、御坂を先に登らせるべきだ。
超能力者にそんな心配は不用意なのだろうが。
彼氏として、彼女を脅かすことは些細な危険性でも排除したい気持ちに、強度の有無上下は関係ない。

ただし、御坂を先に登らせるとなると、必然的に彼女の短いスカートの  が一方通行の眼前に広がってしまう危険が生じる訳で。

御坂が身に纏っている常盤台の制服は、中学校指定の制服にしてはやけにスカートの丈が短い。
一方通行が以前に会ったことがある、御坂の友達――確か、佐天と初春と言ったか――が来ていたセーラー服は、ひざ小僧くらいの長さだった。
比較的制服を自由にカスタマイズすることが許されている高校生達よりも短いと思われる、常盤台の制服。
たとえ、その下に短パンの強固な守りがあると知っていても、思春期真っ盛りの彼は目のやり場に困ってしまうのだ。


「なんつーか、その」


腰に両手を当てて少しばかり不機嫌そうに眉をひそめる彼女に、一方通行は定まらない視線を送る。
なかなか言い出せない事実に、少年の唇はうまく言葉を紡げない。
また、今朝のように彼女の恥ずかしさが大暴走して、無視されるのだけは避けたい。
だから、一方通行は御坂の神経を逆なでしないような言葉を探す。


217: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/20(火) 15:44:48.45 ID:oPDLTf.0

某馬鹿正直なツンツン頭の少年風に言うなら、こうだ。
『転ンだら危ねェから、お前が先に階段登れ。ただ。お前のスカートの  見えるかもしれねェから、学生鞄か何かで隠せ』である。
直球ど真ん中。
捕手のグローブに真っ直ぐ叩きこめるくらいの、ストレート。
言えるわけがない、と一方通行はすぐさま却下を下す。
そんな球を叩きこんでしまえば、雷帝の怒りが炸裂すること間違いなし。木造づくりのアパートが焼け焦げること確実。

学園都市随一の頭脳が弾きだした答えは、


「――――喉、渇いた。お前コンビニでもいって缶コーヒー買って来い」


ようは、なんでも良いから理由をつけて、彼女に階段を上らせなけれないいのだ。
ピピッ!『▽ あくせられーたはにげだした!!』なんて、脳裏の片隅から聞こえてくるBGMはきっと幻聴である。
「えーっ」と不満の声を上げる御坂の声にも、一方通行は無視を決め込む。


「……垣根は体調崩して休ンだンだろ、多分。
 缶コーヒーのついでに、スポーツドリンクでもゼリーでもインスタントの粥でもなんでもいい。身体に良さそうなもの買ってこい」


適当にそれらしい理由をつけ足す。

垣根が休んだ理由を二人は木原から聞かされていない。
体調が優れずに休んだ、と聞いたのは第四位、麦野沈利だ。
麦野命の男が、愛しの麦野会える身体検査を休むなんてありえない。這ってでも来るストーカー気質の持ち主なのだから。

それなのに、垣根は欠席した。

麦野に「顔も見たくない」と拒絶されたか、はたまた「嫌いだ」と振られたかのかは定かではないが、


(十中八九、麦野関連ってことで間違いねェだろ)


それならば、女でしかも年下である御坂はいない方がいいのかもしれない、と一方通行は考える。
総じてプライドの高いヤツらが多い、超能力者。相手に弱みを見せることを極端に嫌う面も否定できない。
レディーファーストというか、麦野以外の女性に対しては余裕を持って接する垣根のこと。
御坂がいれば気張って本音を話そうとはないだろう。


(……少しは、吐きださせてやれるといいンだがなァ)


己の道を突き進みすぎる、自意識過剰で友達想いで一途な男の心に巻きつくモノを、少しでも緩めてやれれば、一方通行としては上出来。
垣根の様にさり気ない仕草で他人の背中を押すなんてこと、器用に出来る自信はこれっぽちもないけれど。

「それも、そうね。ちょっといって来る」と言い残して近くのコンビニへと向かった御坂の後ろ姿を見送ると、一歩通行はギリギリとなる階段を上り始めた。

225: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/20(火) 23:45:26.24 ID:oPDLTf.0
―――

玄関の扉の横につけられたインターホンを鳴らすこと数十回。
一方通行が玄関先で扉の内側に居る垣根の名を大声で呼び続けて、およそ五分。
借金の取り立て屋の様に、作りの安っぽい扉を足でガンガンと蹴りつけても、家主からの応答は一切ない。


「オラ、垣根ェッ!! いるのはわかってンだぞ!!」


いいからさっさと出て来い、と声を荒げる一方通行。
垣根が居留守を使っていることは第一位にはバレバレであった。
扉の隙間から、垣根のAIM拡散力場が駄々漏れしており、それらのベクトルが、
今は御坂が隣に居ないため反射のオート設定を元に戻していた彼の肌に、微かに反射する。

一方通行はそれほど気の長いタイプではない。
痺れを切らした一方通行は、己の右足の底にベクトルを集中されて、再び扉を蹴りつけた。


「ッオラよ!!」


ドォォ…ンッと無理やり蹴り破られた扉が床に倒れる音とともに、彼の周囲に埃が舞う。
空気中を舞う埃のせいで部屋の向こうがぼんやりと霞む。


「――あン?」


段々と視界がクリアになっていくにつれて、一方通行の眉間に刻まれた皺の深さが増していった。


226: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/20(火) 23:46:59.12 ID:oPDLTf.0

「……な、ンだよ、これは」


合掌造りの最上階にある垣根の自室はそれほど広くはなかった。
普通の家に比べて、床と天井との距離が些か近い。
屋根裏部屋のような、彼の部屋。
一方通行の視線の丁度まっすぐの位置にある小窓は、その窓ガラスを見るも無残に砕かれていた。
床に敷き詰められた畳は剥がされ、引き裂かれ、ボロボロに捨て置かれている。
割れた小窓から侵入してくる外気が、唯一「正常」と思わせる要素だった。

強盗にでも押し入られたように荒れ果ててしまった垣根の自室で、あるものが、一方通行の目を引いた。

壁に無数につけられた、赤い、跡。
何度も何度も擦りつけたような、殴りつけたような、赤い赤い血痕。


「…………不法侵入罪で訴えるぞ、一方通行」


部屋の片隅。
壁に背を預けるようにして凭れかかる男が、いつものように憎たれ口を叩いてきた。
掠れた喉に鞭打って、声を無理やり振りぼって出し、虚勢を張る垣根を一方通行の赤い眼光が捉える。

227: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/21(水) 00:15:39.34 ID:YI2/Duo0

傷跡が深く刻まれた床の上に落ちている白い一片の羽根を手に取りながら、垣根へ一方通行は話しかける。
生まれたての小鳥のように柔らかな手触りが、妙に少年の心をざわざわと掻きまわした。
掌の中にある羽根はこんなにも無垢でキレイなのに。
天使のような六対の羽根を発現されて、顔に影を落とす男は、一体何を仕出かしたのだろうか。
その羽根で。部屋を傷つけ、己の身体を切り刻み、己の心まで切り裂いたのだろうか。


「勝手におじゃまさせてもらったぜェ。それにしても、見事な荒具合みたいだな、ええ? オイ」

「…………ハッ、笑いにでもきやがったのか? 残念だな、テメエの腹筋を壊すぐれえのビックリショ―の開催は予定してねえんだよ」

「そりゃあ、残念だ。ゲラゲラ笑ってやるつもりだったんだが……、一気に気が失せたやがったわ」

「そーかい。それじゃあさっさと帰れよ」

「ああ……、笑えねェ。マジで笑えねェわ、垣根――、」


垣根は両手を組んで、立っている。
上手く一方通行の方から、手の甲を見えないようにしているが、ポタポタと時折床へと落ちる赤い滴までは隠せていない。
壁に無数につけられた血痕を目を凝らして注意深く見れば、掌をグーで握って壁を殴ったような跡だと気付く。

手を真っ赤にしてまでオマエを追い詰めたモンは何だってンだ。
歯を食いしばってまで一人で耐えようとするのは何故だ、この大馬鹿野郎。


「――――オマエが、こんな状況になっちまって、笑える訳がねェだろう」

234: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/23(金) 00:40:19.80 ID:ec4ErCM0

「ったく、辛気臭ェ面しやがって……」


壁に付着した血痕を少年の白い指がゆっくりとなぞる。
赤い跡一つ一つに、やり切れない思いの丈をぶつけたのだろう。
その数、無数。
それに比例するだけ、一方通行の目の前に立っている男の内情は静かに荒れているはずだ。

魂の籠った説教をするスキルも、優しい言葉で慰めるスキルも、一方通行は持ち合わせていない。
親友の心を掻き乱しているモノを少しでも吐き出させてやれたらと思うのに、上手い方法は思い浮かない己が情けなくすらある。

一方通行が左手で雑に持ってる茶封筒。
この書類の束が入っている封筒の他にも、一方通行は木原から渡されていたものがある。
研究所を出る間際、「荷物取ってくる」とその場を離れた御坂には内緒にする形で。
制服のスボンのポケットに手を入れれば、掌に丁度よく収まる程の箱の存在を改めて認識する。
「餞別だ」木原が投げて寄越してきた、角が少しよれてしまった、煙草の箱。


「おらよ」


ポケットから箱を取り出す。
自分の分の煙草を確保してから、一方通行は煙草を箱ごと垣根へと手渡した。


「―――あぁ? なんだよ、これ」

「木原くンから。餞別だとよォ」


投げられてしまえば、組んだ腕を開放しなければならない。
一瞬、受け取るかどうか迷った垣根であったが、結局そのまま腕を解いて煙草の箱を受け取った。
既に封が切られているソレの中には数本しか中身が残っていない。


「これが餞別ってか? 随分とケチくせえ餞別もあったもんだな」

「それは俺も同意だ」


血が流れるのもそのままに、怪我の応急処置をすることもせず、負傷したままの手で煙草を箱から一本抜く。
指を動かすたびに、ビリッと手の甲に走る痛み。
垣根はうっかり人差指と中指の間に挿んだ煙草を落としそうになり、舌打ちを一つ。
唇に挿んでから「火、よこせ」と垣根が要求すると、先端に火をつけ終えていた一方通行がライターを投げてきた。
カチッ、と100均に売っていような安っぽいライターの音が部屋に響く。

吸って、吐く。
一方通行と垣根の周囲には、灰に近い白い煙が巻き散らかされるが、すぐに何処かへと消えてしまう。
換気扇も空気洗浄機も回していないが、割れた小窓がその役割を果たしているらしい。

236: た、煙草は20歳になってから……orz ◆C8R0f0bYVU 2010/07/23(金) 00:58:41.72 ID:ec4ErCM0

青少年の癖に、慣れた手つきで火をつけ、煙草を吸う二人の少年。
清掃ロボットが街を徘徊し未成年の禁酒・禁煙について厳しく取り締っているが、
治安が決して良いとは言えない学園都市では、裏をかいて飲酒・喫煙を恰好している少年少女は後を絶たない。
しかし、研究者でもあるが教育者・保護者の役割を持つ木原が、彼らの喫煙を率先して容認しているあたり、
学園都市の大人側にも、多少の問題はあるとしか言いようがないのだか。

しばしの間、ニコチン摂取に勤しむ彼らに沈黙が生まれる。
ジジジッと煙草がじりじりと焼け焦げていく音と、煙を吐く息の音だけが耳に届いた。

そういえば、と垣根は記憶の糸をたぐる。
部屋の隅っこに転がっていたガラス製の灰皿を勝手に見つけ出して、手近な所に置いた白髪の男は、
いつぞやか、今とは逆、垣根が彼に煙草を差し出した時に「禁煙してンだ」と言って断っていたような。
確か、三ヶ月ほど前の話。


「一方通行、オマエ煙草止めたんじゃねえの?」

「あァ? ……まぁ一応な。今も禁煙中だ、禁煙中ゥ」

「禁煙中って……。現在進行形で吸ってるじゃん」

「けむいの嫌いって言われたかンな。美琴の前では吸わねェようにしてンだよ」

「禁煙っつーより、分煙だろ、ソレ」

「うっせェ」


なるほど、御坂の前で控えてる位の配慮は出来てるのか、と感心する垣根。
今さっき想い浮かべた記憶の端に、そういえば御坂もいた事を更に思い出す。
サラッと他人の惚気を聞いてしまった。
こっちは麦野に振られたせいで色んなものがガタガタに崩れてしまいそうなのに。
見知らぬ馬鹿ップルなら、苛立ちに任せて未元物質で天国へと導いてやるのだが、惚気た相手は一方通行。

声を噛み殺す様に、クッと笑いを噛み締める。
友の幸せは、己の幸せというもの、なのだろうか。
嫉妬の感情すら込み上げてこない。

 

239: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/23(金) 01:36:55.70 ID:ec4ErCM0

「てか、さらっと流しちまったけどよ。オマエ、美琴って言ったよな」

「……おゥ」

「超電磁砲じゃなくて。美琴、な」

「…………、超電磁砲じゃなくて。美琴、だ」

「念願が叶ったようでよかったじゃねえか。おめっとさん」


昨日『頑張れよ』と言った言葉に込めた意味を彼は正しく理解できたようだ。

長点上機学園の校門の前で一方通行のこと待っていた御坂の横顔は、少しだけ寂しそうだったけれど、
与え続けていたばかりの御坂にようやく注がれがれはじめた、一方通行の愛情。
ココには居ない御坂にも対しても、よかったな、と心の中で呟く。


「オマエのおかげだ、垣根」

「別に、俺はなにもしてねえよ」


ありがとう、と安易に言わない所が一方通行らしいな、と垣根は苦笑する。
互いに視線を合わせることもなく、ここで会話が途切れた。

再度訪れる、沈黙。

240: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/23(金) 02:09:30.03 ID:ec4ErCM0

一方通行と御坂美琴。
垣根は二人をずっと見守ってきた。
だからこそ、醜い感情を露わにすることなく、素直に話に耳を傾けることができる。

垣根の中に湧いてくるを強いて言うなれば、
相変わらず仲が良さそうで安心した、とほほえましくなる感情と、


(――――俺も、一方通行と御坂みたいに。麦野とそういう風な関係になりたかった)


羨ましい、と少しだけ胸がしめつけられる感情。

244: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/24(土) 16:08:50.64 ID:6ACgEqs0

瞬く間に一本目の煙草が消失する。
垣根はガラス製の灰皿に残骸を投げ捨て、箱からもう一本取り出し、ライターで着火。
木原が愛用している外国製の煙草はやけに匂いがキツイ代物だ。
煙は小窓からのから外気に乗って換気されるのに、香水よりも鼻につくツンとした香りだけは部屋の中に居座る。

木原からの餞別の品である煙草の味は、喉の奥をジリジリと傷めるつけるような苦み。
ただ、それだけ。匂いもキツイし、味も最悪。
「そこがいいんじゃねえか」と、垣根の脳裏に浮かんだ男が目尻を上げて笑った気がした。


「しっかし、苦ェ煙草だな、コレ」

「まぁな。もう一本吸うか?」


垣根と同じく、一本目の煙草を吸い終えた一方通行に垣根が尋ねる。
一方通行はしばし「ンー……」と悩んだような顔をして、


「……いや、いい。遠慮しとく」

「『これ以上吸ったら、匂いとかで美琴にばれそうだしなァ』ってか?」

「人の心勝手に読むなっての。いつからオマエは心理掌握になったンですかァー?」

「俺の未元物質にかかれば出来ねえことはねえんだよ。つか、否定しねえのな」

「適当にホラ吹くな。『俺に常識は通用しねえ』っつーことか? うっわァ、マジないわ」

「―――そうだな、俺に常識は通用しねえ、な」


垣根は言葉とともに、灰色に近い煙を吐きだした。

246: すいません、ありがとうございます ◆C8R0f0bYVU 2010/07/24(土) 20:30:01.23 ID:6ACgEqs0

力任せに壁を殴りつけても、灰色の煙に紛れ込ませても、気高く咲き誇る彼女への情愛が増すばかり。
ふっ、とまた煙を吐く。とすん、と心に積もる想い。
繰り返し、繰り返し。
それは、一分一秒の速さで、嵩張って大きくなって徐々に垣根の内を侵食していく。

麦野の隣にいる資格はすでに剥奪されたのに、渇望が止まらぬ心。

垣根がいる世界と麦野のいる世界は、違う。
結局、自分自身にしか理解できない世界の中で孤立する定めなのだろう、と垣根はため息を一つ。
さぁっと風にかき消される煙のように、この鉛のように重たい吐息も跡形もなくこの世から消滅してしまえばいいのに、と思えてならない。
『未元物質(自分だけの現実)』という物理法則の世界から除外された己が、美しい花を望んではならなかったのだ。


「…………誰の常識も通用しねえ世界なんだよ、な」

「…………」


ぽろっと漏れだした垣根の弱さを、一方通行は黙って聞く。
今にも泣いてしまいそう青年を視界にすら、入れずに。
垣根は自分に語りかけている訳ではない、と判断したからだ。
独り言のようなものだろう、と少年は目を瞑って耳を傾ける。口を閉じる。

彼の独白を、邪魔しないように。

ただ、気配を消すようなことはしない。
誰の常識も通用しない世界、―――誰もいない世界だとのたまった垣根に対した、一方通行はちょっとした反抗心が湧いたからだ。

うるせえ。
少なくとも、俺はオマエの近くにいンだろォがよ、という無言の主張。

248: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/24(土) 20:55:50.46 ID:6ACgEqs0

喉の奥にひっかかる独特の苦み。
蛇のように絡みついて離れないしつこさが、あまりにも自分に似ていて、可笑しくなる。


「逆も、また然り」


誰の常識も通用しない世界、誰もいない垣根帝督だけが存在する世界。
幼いころから、そうやって自分と他人との距離を理解していた垣根であったが、今にして気付いたことがある。

つまり、逆説。
垣根の常識だけが通用しない物理世界、皆がいるのに垣根提督だけが存在しない空間。
ちゃんと物理法則のしばりの中で生きる麦野のいる世界に、そもそも垣根は最初からいなかった。
いてはいけなかった、という解答。

麦野に出会い、惹かれ、欲しいと渇望した。
彼女がいるから、そっちの世界で生きることを生きる決意を固めた。

しかし、


「はなから、答えは決まってたらしい」


垣根はそこで生きて行くことは、できない。許されない。
麦野の近くに居る、と錯覚したことがそもそもの間違い。


全て、自分の勘違いでしかなかった。

249: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/24(土) 21:09:34.25 ID:6ACgEqs0
遮蔽物をまっすぐに射抜く原子崩しの名の通り。逃げることなく背筋をしゃんと伸ばして立ち向かう、麦野沈利。

彼女は、垣根の太陽だった。―――いや、今でも垣根の心でサンサンと光る太陽である。
それでけではない。
彼女は垣根の月であり、青空であり、満天の星であり、風であり、水であり、光であり、……闇でもある。

青年の五感が感じるもの全てに麦野の面影がある。
この世に存在するものに、麦野という女性の価値を見出すのが、垣根、という男なのだ。

熱い太陽は、彼女の激しさ。
静かな月は、彼女の潔さ。
澄んだ青空は、彼女の清さ。
満天の星は、彼女の輝き。
なびく風は、彼女の優しさ。
冷たい水は、彼女の冷酷さ。

光は、彼女の笑顔。
闇は、彼女の泣き顔。

垣根がいるところ、全てに彼女が居て、垣根に語りかけてくる。彼女を感じるのに。

世界は、なんと非情なのだろうか、と垣根は溢す。


「――――世界はいつでも優しくねえな、一方通行」


化け物と蔑まれ、地獄のような日々から、
俺は、垣根帝督は、超能力者は、脱出したはずではなかったのだろうか。

250: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/24(土) 21:29:49.79 ID:6ACgEqs0

「オマエにとって、世界は、優しくねェのか」

「…………、まったく、優しくねえな」


垣根からの解答が変わらず「世界は優しくない」だったことが面白くない一方通行。
呆けた顔で絶望に暮れる男の馬鹿な考えを木端微塵に粉砕してやらなければ、少年の苛立ちは収まらない。

世界は優しくない? 垣根以外は誰も存在しない? ―――ふざけてンじゃねェ、と一方通行は立ちあがる。


「例えば、だ」


一方通行は、光を失った垣根の瞳を赤い眼孔で睨みつけ、らしくもない言葉を紡ぎ始める。

どうしてこんなことを言うのか、行動に移そうとするのか。
何故そんな事をするのかと問われれば、彼は迷いなくこう言うはずだ。
「借りを作ったままじゃ、背中がむず痒くて仕方ねェンだよ」、と。


「例えば、そんな下らねェ世界を作りやがったのが、神ってふざけた野郎だとする」

「止せ。十字教徒になったつもりはねーぞ」

「黙って聞けッ!!!!」


一方通行の怒声が部屋を包む。
うるせェ、と今度はしっかりと口で吐き捨てる一方通行。
もう、黙って聞いてやるなんて自分らしくもない行動にをとってやるいわれはねェ、と青筋をピクリと立てる。
これほどまでに荒れている少年を見るのはいつ以来だろうか、と垣根はぼんやりと考える。
少なくとも、御坂に好意を寄せられる様になってからは、久しく拝んでいない。

251: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/24(土) 21:47:10.38 ID:6ACgEqs0
絶望の果て、悲しむことすら忘れてしまった垣根。
多分、彼は同意してほしいのだろうが、同意なんかしてはやるつもりは、一方通行には更々なかった。
ビリビリッ、と垣根の鼓膜が痺れる。
まるで、電撃を食らったかのような衝撃。
何処かの電撃姫を思い起こさせるような怒声や、彼には似合わない熱い背中は、彼女の影響もあるのかもしれない。


「垣根に。……俺のダチに優しくねえ世界を作った低能な神なんて、こっちから願下げだ」


白い髪の少年は、拳を握る。
ある約束を、誓うために。

親友の瞳に、再び光を灯すために。


「神が世界を作るってンならよォ―――、」


にやり、と三日月のように口角を裂いた。

学園都市において、偶像的で曖昧な神は存在しない。
皆が神様を目指すこの街に存在するのは、神に近いとされている七人のLEVEL5。
能力者たちが目指す神とは、一方通行が知っている神とは、この街における神の呼び名とは。

神ならぬ身にして天上の意思に辿り着くもの、SYSTEM、絶対能力者――――LEVEL6。

学園都市の頂点、超能力者の序列第一位が堂々と宣言する。


「俺が、神(LEVEL6)ってやつになって、世界を丸ごと書き換えてやらァ!!」




255: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/24(土) 22:33:49.95 ID:6ACgEqs0

殴りつけるような宣誓は続く。


「ンで、垣根、オマエにも『ちったァ、マシな世界』だって思えるような世界を作ってやる」


木原数多が、超能力者たちの不当な扱いに切れて、学園都市に啖呵をきってくれたように。
御坂美琴が、孤独の海の中で沈んでいた一方通行に、無償の愛を与えてくれたように。
垣根帝督が、情けない己の背中をトン、と押してくれたように。

己だって、誰かのために何かを成せるはずなのだ、と少年は目を据える。


「―――だから、絶望すンな」


オマエの世界は、これからだ、と一方通行が語りかける。

世界は終ってなどいない。
垣根が存在しない世界なんて、幻想にすぎない。
そんなふざけた幻想はぶち壊すだけだ。

未元物質なんて、垣根がひいた境界線なんて、彼よりも序列が上である一方通行に越えられないはずがない

いいや、と一方通行は即座に否定する。彼だけではない。
木原も、芳川も、ほかの研究者たちも。一方通行も、御坂も、他の超能力者も。
何が何でも彼を一人になどしてやらないと怒り、意地でも境界線を超えようともがくに違いない。

―――それは、麦野沈利にだって、例外ではない。彼女だって、垣根の孤独を許さないはずだ。


「…………、オマエが居ない世界はつまんねェンだよ」


だから、さっさと目を覚ましやがれ、大馬鹿野郎。

 

258: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/24(土) 22:58:10.59 ID:6ACgEqs0

「……やめてくれ、一方通行」


一方通行の宣誓を垣根は吐き捨てる。
そんなものはいらない、とかなぐり捨てる。


「俺が居るっつーくだらない前提がある世界なんて、これっぽっちも興味ねえ」


垣根がその場に居ることが許される世界。

―――それは、麦野のことを好きでいていい世界であり、麦野を欲していい世界と同義。


「…………俺は、アイツが居ないと生きていけない」


麦野が垣根の生きる理由であり、己の全てであり、世界を作る森羅万象。
「アンタの気持ちに答えることはできない」と垣根は麦野に言われたのだ。
それはイコール、「麦野のことを欲してはいけない、好きでいてはいけない」ということだろう。


「麦野は、俺の気持ちにはこたえられねえんだとよっ……!」


ごめん、垣根。


「浜面って野郎のことが好きだって言ったんだっ!!」


私、浜面って男のことが、好き、みたい。


「――――俺じゃ、駄目だって腕の中から離れて行ったんだッッッ!!!!!」


だから、ごめん。垣根。

259: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/25(日) 01:12:05.23 ID:RBxJ5y60

彼女は、この両腕の中に居たはずのなのに。
垣根が逃さないように閉じ込めていた麦野は、あっさりと彼の施錠を抜けて飛んでいった。
両腕に残ったのは砂のように更々と崩れて失われていく彼女の名残。

再び。
あの時の温もりが欲しくて、


垣根は無意識に腕を動した。


ひゅっと風斬りの音が空しく鳴る。
彼の腕は、ただ、空気を裂いただけに止まった。当たり前だ、彼女は―――、麦野はここにいないのだから。


「…………チクショウッ」


260: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/25(日) 01:13:20.23 ID:RBxJ5y60

幸せを壊せないと諦めて、
そもそも好きになってはいけなかったと言い訳して、
「駄目だ、駄目だ、駄目だ」と何度も何度も否定したのに。
抵抗して足掻いて己を傷つけて追い込んで最後の最後のまで狂奔した垣根であったが、


「チクショウ、チクショウ、なんで俺は、こんなに馬鹿なんだよッ……!」


最後の最後の最後に求めてしまったのは、彼女の暖かさ。
キッカケさえあれば後は制御のできぬまま流されるまま、である。
無理やり押し込めていた感情は激流の如く押し寄せて渦を巻き、垣根の心のダムを決壊させた。


「どうして、俺はこうも諦めが悪い男なんだッ……!!!!」


理屈をこねても、どれほど目をそむけても。

垣根の根本は変わらない。
変えることなんか不可能だった。

溢れる想いは涙となり、声となり、垣根はぐしゃぐしゃになった顔なんてお構いなしに、ようやく本音を露わにさせる。


「―――チ、クショウ! 俺は、麦野がっ、好きなんだよっ…」


垣根、とイタズラっぽく目尻を緩めほほえんだ麦野が、瞼の裏に焼きつく。


「ど、うしよぉも、ねぇくらい、アイツのことが、好きなんだよぉおおおおおおおおッッ!!!!!!」


なぁ、麦野。ごめん、俺、やっぱりオマエのこと好きだ。


「―――麦野ッ!! 麦野ォ……ッ!」


好きなんだ、大好きなんだ。

愛しているだ、オマエのこと。どうしようもないほどに、どうしようもなくなってしまうほどに。



261: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/25(日) 02:18:40.28 ID:RBxJ5y60

「答えが出たようだな、垣根」


二ィ、と歯を見せて笑いかける一方通行。
垣根帝督は麦野沈利に骨の髄まで惚れこんでいる、というシンプルな答え。
意味不明な幻覚に囚われて視界がぼやけていた男は、どうやら正しく軌道修正して戻って来たようだ。


「……っ、気、づいたとして、…どぉ、にもなんねえだろう、がよ」


嗚咽を含んだ声で、たどたどしく返答する垣根。



「オマエさぁ、麦野に「オマエの気持ちには答えられねえ」って言われたンだよなァ?」


身体検査のサボりの理由は麦野にふられたせいだったのかと考えながら、
一方通行は垣根が勘違いしているであろう点について訂正する。

麦野には他に好きな男がいる。
だからこそ、垣根の気持ちに答えられないと言ったのだろうが、それだけではないか。


「でもな。別に、オマエが麦野のことを好きでいちゃダメだ、なンて麦野は一言も言ってねェだろ」


付き合うのは諦めろ、以前から垣根に口を酸っぱく発言していた麦野。
だが、一方通行は彼女が、「垣根が自分を好きでいてはいけない」、といった主旨の発言を今まで聞いたことがなかった。
「きっと、垣根が麦野に振られた時だって、そんな発言はなかっただろォ?」と一方通行は指摘する。

白髪男が軽々と言ってのけた真実に、折角のイケメンフェイスを涙と鼻水で汚らせた垣根は、身体を固まらせた。

262: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/25(日) 02:27:50.59 ID:RBxJ5y60

「…………は?」

「だから、想いが通じるかどォかは別にして。
 オマエが麦野を好きでいることに関しては、問題はねェんじゃねェの? って話」


一方通行の言っていることは、事実ならば――、


「……ぉ、俺は、麦野のことを好きでいて、いい、のかよっ」


自分は、彼女のことを好きでいても構わないのだろうか。
麦野が笑っている世界で、垣根をしばりつけない物理世界で生き続けてもいいのだろうか。


「かまわねェと思うぞ。俺は、な」


可能性を提示しただけであって、麦野がどう感じるかまではしらねェけどな、と続ける天邪鬼な男が一人。

263: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/25(日) 02:28:54.42 ID:RBxJ5y60

「垣根、オマエはどうしたいンだ?」

「俺は……、」


そんなの、決まっている。
迷いに迷ってでた答えは、麦野がすきでいたいという自分勝手な欲望。

制服の袖でゴシゴシと汚れた面を擦る。
口にくわえていた煙草は灰皿に捨てた。

手の甲の血はいつの間にか止まっていた。


「――――麦野のことを、ずっと、好きでいたい」


死ぬまで一生。己に授けられた時間の最後の最後の最後まで、彼女だけを想い続けたい。


「そォか」

 
ようやく、本当に、ようやく「マシ」な面をみせた垣根に向かって、一方通行は握った拳を差し出した。


「まァ、その、なンだ。――――頑張れや、色々とな」

「おう。さんきゅー、な」


垣根も握った拳を一方通行へと差し出す。
ガツン、と二度三度拳をぶつけ合い、最後にパァン、とお互いの手のひらで、タッチ。

そうして、止まっていた垣根の足は再び動き始める。
また、麦野の背中を追うために、動き始める。

269: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 00:47:20.34 ID:0L6X9ew0

急く足は一直線へと動いていく。
どこに向かって進んでいけばいいのかなんて、垣根は迷わない。
具体的な目的地の地名は必要ない。垣根の心を奪い去った罪びとがいるところが、彼のいくべき場所なのだ。


(――――理由なんて、いらねえんだ!)


垣根が彼女の背中を追い続けていたのは、ただ、一目でもいいから愛しい人に会いたかったから。

今までも、それだけだった。
これからも、それだけで十分だ。

一方通行に蹴り破られたドアを潜り、傾斜が急な階段を走りながら下っていく。
ギシギシッと悲鳴をあげる板を力強く踏みしめて、垣根は再び光の世界へと舞い戻る。

早く、早く。
少年は歩みを進める。


(麦野、どんな顔するのかな)


「しつこいんだよ、このストーカー野郎がぁあああ!!」と、怒り狂うのだろうか。
「ほんと、アンタも飽きないわね……っ!」と、眉間にしわを寄せて頭を抱えるのだろうか。
「……大丈夫?」と首を傾げて心配そうな面持ちで見つめてくれるのだろうか。


(それとも――、)


「垣根っ!!」と頬を染めて、大輪の花のような笑顔を向けてくれるだろうか。


(いや、それはないか)


クックッ、と垣根は笑う。
いつの日かそういう未来がくればいいけれど、とりあえず、今は期待できそうにない。

それでも。
麦野に会えるならば、麦野を好きでいていいならば。
垣根はもう、見失わない。覚悟は決まったのだから、まっすぐに、突き進めばいいだけだ。

271: 今日中に終らせるつもりなんで、特に駄目とかないです……orz ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 01:45:22.16 ID:0L6X9ew0


廊下を抜け、合掌づくりの一風変わった改造アパートの玄関を出たところで、


「えっ? 垣根さん!?」


自室の中に居ると思っていた垣根が出てきたことに驚いて、素っ頓狂な声を上げた御坂と顔を合わせた。


「あれ、体調不良で休んでいたんじゃ……?」

「悪い御坂。今急いでるんだ」


そのまま足を止めずに御坂の横を忙しなくすり抜けた垣根に、御坂は戸惑いを隠せない。
一方通行と一緒に自室で過ごしてるとばかり考えていたためか、忙しなく走っていく青年の意図が掴めない。
ただ、垣根がどこかに向かって前進していることだけ、なんとなく察することが出来た。

ちらっと御坂は空を見上げた。
無意識に前髪が僅かに浮き上がり、小さな紫電の光が生じる。
沈む夕日にとって代わるように、重苦しい黒雲がここまで来ようとしている。
御坂の感覚的な予想では、あと数分で降りはじめそうだ。

コンビニ向かっている途中で通り雨の予兆を感じ取った御坂は、前もって用意してものがある。

272: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 01:47:33.18 ID:0L6X9ew0

(かなり、大降りになりそうね)


真夏の暑さを沈める大雨。
御坂の横を通り抜けた垣根は手ぶらのままなので、このままだとずぶ濡れコース大決定である。
透明なビニール袋の中をガサゴソと探る。
先ほどコンビニで買ってきた、スポーツドリンク、缶コーヒー、ゼリーなのどの他に買ったもの。
二つのあるから一つ渡しても特に支障はないでしょ、と自己完結。


「―――垣根さんっ!」


遠くなっていく後ろ姿に声をかけて、御坂は手に取ったモノを投げる。
彼女の大声に反応して振り返った垣根。


「……折り畳み傘ァ!?」

「雨、降りそうだから!!」


人指し指を空に向かって指した御坂につられて垣根も空を見上げると、遠くに灰色の雲の影がちらりと見えた。


「御坂も、さんきゅーなっ!」

「……『も』?」


その言葉だけを言い残し去っていく垣根を、御坂は首を傾げながら見送った。

275: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 02:10:40.53 ID:0L6X9ew0

御坂の言っていた通り垣根がアパートを飛び出した数分後には、第七学区の全域で大雨が襲来していた。
彼女が手渡してくれた水色の折り畳み傘が、
激しい滴の洪水に折れそうになりながらも、頼りなげではあるが、垣根のことを守ってくれている。
これほどの大雨の中を六対の羽根で飛ぶのは危険なので、
水たまりの跳ね返りでズボンのすそが汚れるのも気にせずに、垣根は足を動かし続けた。

彼の視界を、馴染みある第七学区の風景が現れては消えていく。

麦野のお気に入りのファミレスがある大通りを通りぬけると、
昨日、垣根と麦野が私闘を繰り広げ、陥没してしまった道路や窓ガラスのくだけちったビル群の周囲が、
『KEEP OUT』と表記されている黄色いテープで封鎖されている。
雨の中、雨合羽を身にまとって、作業に当たっている警備員の姿も見受けられる。


(……やっぱ、さすがに暴れすぎたよなぁ)


ちょっとだけ罰が悪そうに顔を顰めた垣根は、そのまま大通りを突き抜ける。
封鎖されている範囲に、麦野御用達のファミレスも含まれているため、彼女の居る場所はこことは別なのだろう。
いつもの騒がしい面子――フレンダや絹旗、滝壺らとおしゃべりに花を咲かせられそうな店。


(――となると、)


クラスの女子が『美味しいんだって』と騒いでいた、デザート専門店があるエリア付近だろうと的を絞る。
ここまでならばそう遠くない、とそのエリアへと向かおうと、手前の路地を曲がる。


そして、

垣根は、目の前の道端の端で地面に座り込んで泣いている一人の少女と遭遇した。

277: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:13:36.73 ID:0L6X9ew0

少女は、―――麦野沈利は、泣いていた。
いつもセット欠かさない自慢の髪をグシャグシャにして、
綺麗に手入れされている服を泥だらけにして、天を仰いで、雨音に消えそうになり位の声で、泣いていた。


「……うえぇぇ……、浜面ぁ、はぁ、っまづらぁぁぁっ……っ」


浜面、浜面。好きだよ、浜面。
壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返す麦野の姿に、垣根の足が止まった。
『好きだ』と言っていた男の名を泣きじゃくりながら紡ぐ少女に、垣根の心像がぎゅっと締め付けられる。


(―――抱きしめてやりたい)


今すぐにでも抱きしめて、昨日のように両腕の籠の中に閉じ込めて、大丈夫だ頭を撫でてやりたい。

けれど、
昨日麦野が小さな声でたどたどしく伝えてきたとおり、


(俺じゃ……、『違う』んだろうな)


肩を縮ませて震える少女が求めているのは、
今、この場にかけつけて欲しいと願っているヒーローは、垣根ではなく、別の男。
その現実に、垣根の傘をもつ手が震える、奥歯がギリギリと鳴る。


垣根が、今、麦野のためにしてあげられること。


「……麦野」


それは、


「……せっかく、可愛い格好してるのに。台無しになっちまってるぞ?」


水色の傘を彼女の上にかざして、彼女の温もりがコレ以上攫われないようにすることと、


「――――か、きね?」


一人の少女の恋の終わりを、静かに見守ること。

278: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:22:42.80 ID:0L6X9ew0


そうして、垣根は小さな声で、己の諦めの悪さを露呈させる。


―――なぁ、麦野。

―――俺さ、オマエのこと好きなんだ。

―――どうしようもないくらい、俺の中は麦野で占められてて、

―――麦野なしじゃ、生きていけないんだ。


279: ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:24:27.05 ID:0L6X9ew0

突然目の前に現れた垣根を、茫然と見あげる麦野に、垣根は微笑みかける。



―――だからさ。


―――俺、これからも麦野のこと、好きでいてもいいよな?



また、君と同じ世界で生きてもいいだろうか、と尋ねた男。

問いに返した少女の答えは雨の音にまぎれて、男の耳元だけに届く。



「                」




ザ―…ッと激しく降り続く雨は未だ晴れそうにない。

しかし、少女を守るようにして傘をかざす男は、幸せそうな笑顔を浮かべた。


――――
垣根「いい加減返事聞かせろ、原子崩し」麦野「黙れ」 END

281: 後日談 ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:34:12.03 ID:0L6X9ew0
―――


学園都市は夏休み期間に突入した。
芳川が言っていた通り、身体検査の補講は七月末日に行われた。

そして、時刻はお昼の時間帯。
補講を終らせた超能力者や研究者たちの面々は、各々の時間を過ごし始める。

282: 後日談・削板くんと秋沙ちゃん ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:35:50.75 ID:0L6X9ew0

うっすらと空の色が茜に染まりつつある時刻、軍覇は一人の少女と公園に居た。

せっかく、焼き肉を出しに二人きりでの外出に成功したというのに、
「おーい、もしもしー?」と声を駆けても、幼馴染の少女は携帯電話の画面に釘付け。
学園都市第七位・愛と根性が売りの削板軍覇にも、目の前の状況を打破する案は考えつかない。


「上条くん。素敵……」


一緒に取ったという写メを待ち受けにしたらしい。
携帯の画面をみつめうっとりとした表情を浮かべる幼馴染の少女――名を、姫神秋沙という彼女は、つい十日ほど前に合コンをした相手に御熱をあげている。
根性だけで彼女を引き留めることなど出来るはずもなく、削板は好敵手となった男の文句をブツクサと言うだけだった。


「なぁ、そんなナヨナヨしやヤツの何処が良いんだ。俺にはさっぱりわからん」

「ナヨナヨなんかしてない。その言葉取り消して。軍覇」

「なっ! 俺は秋沙のことを思ってだなぁ……!」

「軍覇は私に構いすぎ」

「……そうバッサリ言わなくても」


姫神が上条という野郎の擁護をすればするほど、銃弾すら貫かない削板に大打撃を与えていく。
少しでも好きな女の子の傍にいたい男心をあっさり拒絶された悲しみは計り知れない。


「というか。軍覇って暑苦しい」

「あつ……っ!!」


携帯電話から視線をまったく動かさずに、上条の文句を言う削板を容赦なく切り捨てる。
「そこまで言わなくても」と
削板が耳が垂れた子犬のようにしゅんとしても、
姫神としては「好きな人の悪口いう人のほうが最低」という言い分しかでてこない。

283: 後日談・削板くんと秋沙ちゃん ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:38:42.02 ID:0L6X9ew0

携帯電話から視線をまったく動かさずに、上条の文句を言う削板を容赦なく切り捨てる。
「そこまで言わなくても」と
削板が耳が垂れた子犬のようにしゅんとしても、
姫神としては「私の好きな人の悪口いう人のほうが。最低」という言い分しかでてこない。


「私が『合コン行った』って言っただけで。
 身体検査サボってまで。一日中私の後ろを付きまとった人を暑苦しい以外に何ていえばいいの?」

「だって、身体検査なんかより、秋沙のことが――、」


心配なんだ、という言葉を発する前に、姫神が削板の言葉を制した。


「確かに私は『原石』だけど。別に合コンに行っただけで危ない目には合わない」


天然の能力者――原石。
世界に五十人程度しかいない彼らは、学園都市内に置いても特殊な立場に居る。
無能力者に分類されている姫神ですら、一部の学者・科学者たちの間での研究価値は超能力者にも匹敵する。

学園都市内外の組織に目をつけられて誘拐されそうになったり。
心ない科学者たちが無理な開発を強いてきたり。

彼らは原石故に、様々なゴタゴタに巻き込まれやすい。

284: 後日談・削板くんと秋沙ちゃん ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:40:44.59 ID:0L6X9ew0

「…………だって、お前が『合コン』なんてわけのわからんもんに行くから」


削板にとって、『合コン』はまったく得体のしれない場所だった。
また何かに巻き込まれたのではないか、と削板は心配で心配で心配で仕方なかったのだが、


「何度言えば。軍覇は分かるの? ただ単に。友達に誘われたから他校の男子高校生とカラオケに行っただけ」


そもそも、『合コン』について何の知識もない、おつむの弱い削板の一人芝居だっただけ訳で。


「心配してくれるのは嬉しいけど。過保護すぎ」

「……過保護って。そんなつもりはないんだがなぁ……ただ、さ」


不機嫌そうにしている姫神の態度。
しょんぼりと寂しそうに視線を落とした削板は、ただただ遠い日の出来ごとを思い出す。

無数の死体の中、血に染まったまま茫然と立ち尽くしていた少女。
「わたしのせいでみんながしんでいく」と泣きじゃくった彼女に誓った約束。

学園都市にいようが、どこにいようが。軍覇は彼女と交わした約束を守りたいだけなのだ。


「俺が、秋沙を守る」


それだけなんだ、と軍覇が漏らした独り言は、
「やっぱり。上条くん素敵」と目をハートマークにしている少女には聞こえなかったようだ。

恋の道のりはまだまだ前途多難だな、と内心で根性を入れ直す削板であった。


285: 後日談・青髪くんと心理掌握ちゃん ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:46:02.12 ID:0L6X9ew0
―――


夏休み初日に行われた身体検査の補講後、少女の元にチャンスが訪れた。

木原に散々説教されながらの身体検査を終えたサボり常習犯の第六位こと青髪ピアスと、
偶然にも二人きりになった心理掌握が、胸をドギマギさせてどう会話を切りだそうと迷っていたその時。
青髪ピアスがポツリと「こないだの合コンは散々やったなぁ」と溢したのだった。


「えっ……、合コンに行ってきた、の……?」

「そーやねん」


「聞いてぇな心理掌握ちゃん」とおいおいとワザとらしい亡き真似をしながら青髪ピアスが話を続ける。
気になっている人から合コンに行ったんだと聞かされてハートブレイク一歩手間の少女は、
その時の詳しい報告など聞きたくないはなかったのだが、数か月ぶりに会話できるこの状況を手放さすのが惜しくてついつい耳を傾ける。
中学生と高校生。学校も違うのは当然として、身体検査もたまにしか来ない男だ。
こうして二人だけで会話できる好機を、心理掌握としても簡単には失いたくない。


「僕ぁね、巨 系のお姉さまと仲良うなれるチャンスなんて中々無いさかい、めっちゃ気合いいれて頑張ってん!
 けど、結局はカミやんのイイとこどりや! お姉さま方全員の心をカミやんが掻っ攫ってしまいよった!
 合コンをセッティングした僕の苦労がパーになってしもたんやぁぁぁぁああああああ!!!!」

「……えぇと、そのカミやんさんという殿方は艶福家でいらっしゃるのね」

「女の子にモテ過ぎるせいで全世界の男を敵に回すような野郎やで。まぁ、それだけえぇヤツって事なんやけどなー」


286: 後日談・青髪くんと心理掌握ちゃん ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:47:15.01 ID:0L6X9ew0

憎たらしくも憎み切れずといった表情で項垂れる青髪ピアスには悪いが、心理掌握はその"カミやん"という人に大いに感謝した。
青髪ピアスは、女の子という属性をもつ生物になら見境なく愛情を振りまく。
大抵の女子は彼のそういう側面に眉をひそめるが、数打ちゃ当たると昔の人も言っている通り、万が一にも彼に心を寄せる人が現れてもらっては困る。
心理掌握の胸の内に、この明け透けのない男を他の誰かに取られたくない、という嫉妬心がわき上がる。

どれほど能力を制限しても無自覚の力で嫌でも人の心を覗いてしまう心理掌握に対して、
(心の声駄々漏れっていうxxxも、意外にこう、ええかもしれんなぁ……)と感想を抱いた青髪ピアス。
その時は怒りの鉄拳で彼を沈めた少女であったが、人のプライバシーを踏みにじる自分に対して一欠片も裏表のない彼の態度が心に残り――、今に至る。

誰かに惹かれるキッカケなんて、人それぞれ。


「あーぁ、カミやんも、浜面も、一方通行も。
 彼女持ちはええよなー。野郎どもが羨ましくて仕方ないわ。
 僕かてかわゆい女の子と仲良うしたい、いちゃいちゃしたい、青春したいいいいいい!!」


握りしめた両手をぐわっと天に向けて勢いよく突き立てる青髪ピアスの瞳に炎が宿る。
「こうなれば何が何でもかわゆい女の子と過ごす魅惑の夏休みを送ってやるー!」と決意を新たにする彼。

今が動き出すキーポイントじゃないののか? と心理掌握の第六感が囁いてくる。


(―――そうよ)


じわりとこめかみから顎へと流れた汗は、夏の暑さのせいではない。
窓に差し込むコンクリートの陽ざしの照り返りにも負けない程、心理掌握の体内温度が急上昇する。


(私だって素敵な夏を過ごしたいもの。素敵な恋を、してみたいもの……っ!)


トクトクと脈打つ心臓。
やけに水分を欲しがる喉。
今にでも、眩暈で気絶してしまいそう。

手に汗握る心理掌握の様子を、細目で不思議そうに覗う男に視線をやる。

進まないと、恋ははじまらない。
これは、はじめの一歩。


287: 後日談・青髪くんと心理掌握ちゃん ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:50:42.89 ID:0L6X9ew0

「わ、わ、わわ私でよければ、貴方と楽しい夏を過ごしても、ぃ、いいのだけれど……っ?」


緊張のあまり語尾が上がってしまい、何故か疑問形に。
高慢そうに聞こえるイントネーション。
声が上擦っただけでも居た堪れない気持ちになるのに、こんな時まで女王様キャラを抜けきれない。
心理掌握は穴があったらすぐにでも隠れてしまいたい心情なのだが、生憎、入れそうなスペースは見当たらない。

ドッ、ドッ、ドッ。
心臓の音が身体中に反響する。
全身にじんわりと湧きでる汗。

青髪ピアスからの返事は返ってこない。


288: 後日談・青髪くんと心理掌握ちゃん ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:51:33.01 ID:0L6X9ew0

彼からの返事を聞くまでの時間が異様に長く感じる。
心理掌握の体感時間は、永遠にも近かった。

一秒、二秒……、十五秒ほどたった頃、ようやく青髪ピアスが口を開いた。


「…………はい? え? ぇえっ? つまり、何、心理掌握ちゃんが僕と仲良うしてくれる、ってコト……っ?」

「な、仲良くするというよりは――、」


心理掌握は混乱した頭で勢いづく。


「―――正式なお付き合いをして頂きたいの!!」


さっきの失態で心理掌握はある意味、ふっきった。
こうなれば、押すという選択肢だけに向かって突っ走るほかない。


「…………あーと、ソレって、俗に言うカレカノっていう意味でのお付き合い……、ってことなんやろか」


心理掌握の目の前に立つ青髪ピアスは、鳩が豆鉄砲を食らったような阿保面で現状把握につとめていた。
信じられない、と見開かれた彼の瞳が主張している。
青髪ピアス、十六歳。
女の子から好意的な視線を向けられるのは初体験で、彼もまた、混乱していた。


「そう、なるわ」

「マ、ジで……?」

「……私は本気よ。貴方のこと気になるの」

「僕のコト、好き、なん……?」



何度も何度も確認してくる男に業をにやした少女が、とうとう会心の一撃を繰り出した。


「――――好きよ。私は貴方が、好き」


甘い甘い夏が始まろうとしている少年少女。―――そして、彼らをそっと見守る影が二つ。

289: 後日談・木原くんと桔梗さん ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:52:58.90 ID:0L6X9ew0

ようやく出揃った身体検査をまとめ終えて、研究者達の仕事はひと段落。
自販機の置いてあるロビーの一角でしばし休憩でもとるか、と椅子から重い腰をあげた木原と芳川であったが、
ロビーにいた先客たちのせいで目的を果たすことは出来ず、先客たちに気づかれないようにノコノコとその場を離れた。


「意外な組み合わせだったわね」

「一方通行と超電磁砲の次は、心理掌握とサボり魔が仲良こよしってかぁ?」


ロビーにいた先客たちとは、さきほど身体検査を終えたばかりの青髪ピアスと心理掌握の二人。
スカートの袖をぎゅっと握って顔を赤らめる少女と、豆鉄砲を食らったような顔をして茫然としている少年の姿は、
まるで、芳川や木原が子供だった頃に流行ったトレンディードラマの一場面のようだった。
木原の隣を歩く芳川は「微笑ましい限りだわ」とクスクスと笑っているが、
青春時代だからこそ許される爽やかな甘い空気を思い出し、いい歳をとうに超えてしまった木原は、胃がむせかえりそうなる。


「あら、その子たちだけじゃないわよ」


芳川は二日前の少女達との会話を振りかえって、そう言った。
「あんなのタイプじゃない」と口にしながらも、垣根のことを話す麦野は満更でもなさそうに微笑んでいた。

まだ、その時ではないのかもしれないけれど。
大人びていて、それでいて寂しがり屋な女の子の新しい恋のはじまりは―――、


「第二位が沈利の心を手に入れるのも時間の問題かも、ね」

「マジかよ。超能力者同士でスロトベリってんじゃねえっての」


怪訝そうな顔を浮かべる木原を無視して、そうそう、と芳川は話を続ける。

290: 後日談・木原くんと桔梗さん ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:54:37.03 ID:0L6X9ew0

怪訝そうな顔を浮かべる木原を無視して、そうそう、と芳川は話を続ける。


「確か、第七位も最近は幼馴染の女の子が気になる、とかそんなこと言ってたかしら」

「チッ! どいつもこいつも浮かれやがって。だから夏は嫌なんだ。暑さで脳味噌溶けた可哀そうなヤツ等を見てると、マジで砂を吐きたくなる」

「そうかしら。恋って素敵よ? 好きな人のためならどんな事でもがんばろうって思えるもの」

「くっだらねえ」


カツ、カツ、と皮靴が床を蹴る音が鳴る。
面白くなさそうに吐き捨てた木原の背中を見つめる芳川の口角があがる。
ガシガシと髪を乱雑にかしむしって「俺には関係とない」と言わんばかり態度が、なんとも素直じゃない彼らしい。


「――――クソガキどもはいい気なもんだな。俺様は仕事に撲殺されイライラしっぱしだっつーのによぉ」

(本当にイラついている時は煙草を死ぬほど吸う癖に)


白衣のポケットに入っているであろう愛用の煙草を取り出さないのは、どうしてかしら。
憎まれ口を叩きつつ可愛がっている子供たちの幸せそうな姿を、学園都市の大人の中で彼が一番喜んで見守っているに決まっているのに。


(そうね、十中八九……)


大切に大切に守っていたひな鳥たちの巣立ちの気配を察して、一抹の寂しさを感じているのだろう。
相変わらず不器用な男だわ、と普段は頼りになる上司の背中から漂う哀愁に魅了されている女が苦笑した。

291: 後日談・木原くんと桔梗さん ◆C8R0f0bYVU 2010/07/26(月) 04:55:34.90 ID:0L6X9ew0

「私が連日のサービス残業にも文句も言わないで全力をつくすのも、恋の成せる業かもしれないわ」

「あーあー、そうかよ。そりゃよかったな」


芳川の発言に興味を寄せることなく、木原は大きな欠伸を噛み殺して、


「寝る。俺が起きるまでに各機関に測定結果の通達しとけ」


手短に今後の指示を告げ、仮眠室へと続く廊下の角を曲がった。
途端に、訪れる沈黙。


「――――これだから、鈍い男はやっかいね」


仕事を押し付けられた形になったは芳川は、なんとも言えない顔をして、少しの間立ち止まっていた。

引用元: 垣根「いい加減返事をきかせろ、原子崩し」麦野「黙れ」