2: 代行thx 2013/01/30(水) 16:36:37.01 ID:vDL0AxSL0
最初に聞いたのは、学校だった。

「ねぇ春香、首吊りマンションって知ってる?」

随分と久しぶりに会った気がする友人は唐突にそう切り出した。
思わずきょとんとしてしまった私に友人は畳み掛ける。

「学校に来る途中にさ、廃ビルがあるでしょ?あれ、元々はマンションだったらしいんだけど……」

「ちょ、ちょっと待って?あの、なんで今そんな話するの?」

時刻は朝八時半。
これから授業が始まろうという今、何故私は良くわからない怪談を聞かされているのだろうか。
だが質問を受けた当の彼女は事も無げに言う。

「え、なんでって……今日行ってみない?って言おうと思って」

私の笑顔が音を立てて凍ったが、その音は私の中に響いただけで相手には伝わっていないらしかった。

hanging mansion-首吊りマンション

3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 16:40:27.70 ID:vDL0AxSL0
次に聞いたのは事務所だった。

「首吊りマンション?」

と言っても、今度は私がフったのだけど。
千早ちゃんは今朝の私と同じように不思議そうな顔をした。

「うん。元マンションで今は廃墟になってるビルがあるんだけど、そこで昔住んでた人が自殺したらしくてさ」

「首を吊って?」

「そう。それから、そこでは何故か首吊りが良く起こるようになったんだって」

千早ちゃんが分り易いため息をついた。
いや、そんな顔されても。私だってなんだかなーとは思ってるけど。

「随分と、その……ありがちな怪談ね。テンプレートそのままって感じの」

まぁ、その通り。

「それで、それがどうかしたの?わざわざ事務所に来て言う事でも無いように思うけれど」

少し勘付いているのかもしれない。
何故私がわざわざ事務所に来て、千早ちゃんにこんなどうでもいい話をしているのか。

「……この後、そこに行かないかって誘われてて。良かったら千早ちゃんもどうかなーって」

「お断りするわ」

見事に斬られた。

5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 16:45:28.31 ID:vDL0AxSL0
だろうなーとは思っていたけど、これは参る。

「いや、あのね。行って帰ってくるだけでいいんだよ?」

「春香の友達の事を、私は知らないもの。気まずくなるだけよ」

「……そうかもしれないけどさぁ。怖いんだよ~」

ちょっと甘えてみる。
当然、もう、しょうがないわね……と言ってくれる事を期待してのものだ。

「ごめんなさい。本当に無理なの」

思った以上に真剣な反応が帰ってきて、私は面食らう。
千早ちゃん、そんなに怪談とか苦手だったっけ?ホラーは平気だったはずだけど。

「というより……春香も、行かないほうがいいかもしれない。なんだか嫌な予感がするのよ」

背筋がぞくりとした。
彼女の澄んだ声が持つ神秘性と、予感という予言めいた言葉。

「あ、あはは……あんまり脅かさないでよ、千早ちゃん」

無理やり笑って空気を変えようと試みる。

6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 16:50:16.69 ID:vDL0AxSL0
「本気よ」

彼女の一言で全て無に帰ったけれど。
申し訳なさそうに私を見る千早ちゃんを見て、私は誘いを断る事を決意する。
しかし、メールしても電話しても応答が無く、結局私は件のマンションの前に立つ。
悪寒はまだ取れていない。
アイドル活動が忙しくなってきた今、事務所以外での交友関係の維持には少し気を使いたくて、だから、断るにしてもきちんとその意を伝えたくて。
でも連絡がつかなくて、仕方ないから集合場所まで来て。
いつまで待っても来ない彼女に流石に腹が立ち、帰ろうと思った時、マンションの中に彼女の姿を見つける。
三階の一室、窓から私を呼んでいる。
私はおっかなびっくりマンションに足を踏み入れる。
その部屋が首吊りのあった部屋だとは知らず、そこへ向かった。

9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 16:55:20.07 ID:vDL0AxSL0
「君みたいな可愛い子がこんな事してるなんて、びっくりだよ。いや……可愛いからしてるのかな?」

その男はたまたま街であっただけの人だった。
それなりに金を持っていそうだから声をかけて、今ふたりきりでここにいる。

「ああ、そこそこ。そこで立って」

マンションの一室、用意された椅子の上に立つ。
男はしゃがみ込み、足元からスカートの中を覗いている。

「はぁ、はぁ……いいね、学生らしい下着で。可愛いよ」

興奮しすぎているのか、手が小刻みに震えている。
その震える手は私に触れる事もなく、ベルトを外してそれを取り出した。

「ふぅ、はぁ、はぁ……そのまま、ちょっと足を開いて」

言われるままにポーズを変える。
大丈夫、慣れている。
同じだ……今までと。
頭の中で微分方程式を解いていれば、その間に満足して終わる。
この行為に大きな意味は無く、ただの暇潰しだと思っていれば、それで。
何分か男の言う通りのポーズを取り続けていると、男の手がペースを上げる。
そろそろだ。

「はぁっ、はぁっ!はっ、うぅっ!うっ!」

短くそう唸ると、男は私の足元に白濁を飛ばした。
少し足にかかったが、特に気にしない。とりあえず、終わりだ。

10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:00:10.13 ID:vDL0AxSL0
「待った!待って。そのまま、そのままでいて!」

突然男が叫ぶので驚いてしまった。
戸惑いながらもそれに従う。
微分方程式はもう完全に解き尽くされ、小さくなって頭の奥にある。
そうなると、突然状況が怖くなってきた。
男の妙にギラギラした目が私を射竦める。

「そのまま、そのままで。これ……」

男が差し出したのは縄だった。
先に輪がついている。
……テレビや漫画でしか見たことがない、首を吊るための……。

「大丈夫、椅子の上にいていいから。締めなくていいから。首に引っ掛けてたっててくれたら、ね」

男の声が震えている。
この人はそういう対象に興奮するのだろう。
そう無理やり納得させる。
さっきまでの達観した気分は消え失せて、ただただ早く終わらせたかった。
怖かった。

「大丈夫、倍、倍出すから。ね。安心していいから。ね」

言われるままに渡された縄、先についた輪に首を通す。
男は慣れた手付きで縄を持ち、それをカーテンレールに通す。
この椅子がなくなれば、私の体は宙に浮き、自分の体重が首を締めて……。

11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:05:21.25 ID:vDL0AxSL0
「大丈夫だから。手は出さないから。安心して、輪っかから手離して。ね」

もう逆らえなかった。
そっと、輪から手を離す。
その瞬間、男が私の足元を蹴った。
椅子が揺れ、私はふらつき、もう一度。
完全に椅子が足元を離れ、私の体は振り子のように揺れる。
窓にぶつかり、背中が痛かった。
けれど、それ以上に首に食い込む縄に焦った。

「ごめんね、ごめんね。きみがあんまりかわいいから。ごめんね」

男はそう何度も謝りながら自分自身を慰めている。
その手には同じ縄が握られていて、なんとなく私の隣で同じようにぶら下がるんだろうと思った。
頭にもやがかかり始める。
首を何度も引っ掻くが、頑丈な縄は緩む気配すら見せない。

「ごめんね、ごめんね」

男が謝りながら腰を振っている。
気持ち悪い。
いよいよぼんやりしてきた。
視界が何故か赤く染まる。

13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:10:08.39 ID:vDL0AxSL0
あれ?
今まで私と男だけだった部屋に、誰か別の人がいる。
子供だろうか。小柄な人影だ。
薄れゆく意識の中でその子を見る。
青い髪、なんだか見覚えがある。
ああ、そうだ。
千早ちゃんに、にてるんだ。
そっか。
どあがあく。
だれかがはいってくる。
このひとはだれだったかな。
もうなにも

わからない。

「春香ちゃん!」

ゆきほ?

14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:15:08.13 ID:vDL0AxSL0
その日、午前中に事務所にいたのは私と真ちゃんだけだった。
あ、もちろんプロデューサーと音無さんはいたけど、アイドルは、って意味で。
プロデューサーと音無さんにはもう出していたから、真ちゃんの為にお茶を淹れる。
良い香り。これならオーケー。

「どうぞ、真ちゃん」

朝からどこかを走ってきたらしい真ちゃんの前に湯のみを置く。

「おっ、サンキュー雪歩!いやーやっぱり雪歩のお茶が一番だよね」

真ちゃんが笑顔でそう言うから、私も笑顔で返した。
隣に座って自分のお茶を飲む。
手前味噌だけど、美味しいと思う。文句なし。

「ねぇ雪歩、今度のライブなんだけどさぁ」

「う、うん。あの曲って……」

真ちゃんと他愛もない会話をする。
プロデューサーは仕事をしていて、音無さんは私達を見てにこにこしている。
いつもの事務所、平和な事務所。
私の大好きな……。

ドアが開いて、日常が壊れる。
事務所の入り口に立っているスーツ姿の男性を、私は知っている。
柧武惣一郎さん。
東京都生活対策課に務める、心霊嫌いの公務員。
そして、私のもう一つの仕事を知っている人。

15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:20:36.12 ID:vDL0AxSL0
「失礼します。萩原さんいらっしゃいますでしょうか」

気弱な態度で挨拶をする彼に、プロデューサーが黙って視線を送る。
その視線の意図を理解してかどうか、柧武さんはにへらと笑った。

「あの……」

恐る恐る声をかける。
私がいるとわかって、今度は満面の笑みになる。

「あ、萩原さん!良かった、ご実家に連絡したんですけどもう出掛けられたって聞いて。ええと、少しお時間いただけますか?」

「柧武さん、私はもう……」

「ちょっと惣一郎さん!もう雪歩には関わらないって言ったじゃないですか!」

すごい剣幕で柧武さんに掴みかかったのは真ちゃんだった。

「い、いえ!僕もそのつもりだったんですけど、その、他の方が皆出払ってまして!」

「真、やめろ。柧武さんだって仕事でやってるんだし」

プロデューサーが後ろから真ちゃんを諌める。
真ちゃんは苦い顔をしながらも、襟を掴んでいた手を離した。

「げほ。ええと……よ、よろしいですか?」

プロデューサーと真ちゃんが私を見た。
音無さんは状況が掴めないようで、とにかくおろおろしている。

16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:25:06.81 ID:vDL0AxSL0
「……お話を聞くだけなら。行きましょう、柧武さん」

柧武さんは、ずれた眼鏡をくいっと直した。

……。

「いえ、ほんと申し訳ないです。深小姫さんが旅に出てなければ良かったんですが……」

柧武さんは本当に恐縮しているようで、さっきから何度も頭を下げている。
ここまで謝られるとこちらこそ申し訳ないが、真ちゃんは納得いかないようでまだ怒っている。

「全く……いいですか惣一郎さん。雪歩はですね、もうAランクアイドルなんですよ?」

「はぁ、存じております……最近、よくテレビでも拝見しますし。いや可愛いのなんのって」

にへら、と笑ったその顔に正拳がめり込む。
何を言っても真ちゃんの神経を逆撫でするだけなんだろうと思うと、やっぱり気の毒だった。

「忙しいし、あんな危ない事はもうやらせるわけにはいかないんです!」

「ですが、プロデューサーさんは何も……」

「それは……」

真ちゃんもついに黙ってしまう。
そう、プロデューサーさんと真ちゃんは私が何をしていたか知っている。
柧武さんからの依頼がそれ以外無いことも知っている。
だけど、プロデューサーは何も言わなかった。
……きっと、私に決めろと言っているんだと思う。

19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:30:21.28 ID:vDL0AxSL0
「あの、話してください。今日は何故来たのか」

柧武さんが真面目な顔になる。仕事の顔だ。
と、思ったら、鼻から赤い物が垂れた。

「……ズッ」

一度真面目な空気にしてしまったせいで気まずいのだろう、柧武さんは無言で鼻血を啜った。
私が笑いながらティッシュを差し出すと、彼もまた笑って受け取った。

「失礼しました。今日来たのは都内にある“あるマンション”で口寄せをして欲しいからです」

「マンション?」

柧武さんが頷いて、続ける。

「通称、首吊りマンション。首吊りが多発する為、買い手のつかないビルです」

……。

「あの……私の勘違いで無ければ、ですよ?アイドルの萩原雪歩さんと菊地真さんじゃ……」

「ああ、彼女達そっくりでしょ?良く言われるんですよ」

柧武さんが笑いながらフォローしてくれる。
ほんの一年前とくらべて随分と動きづらくなったなぁ、と改めて思う。
有名税というヤツなんだろうか。

20: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:35:21.81 ID:vDL0AxSL0
「そうですか……ええと、マンションですね。いや、それがですね。自殺者なんていないんですよ、あそこ」

マンションを管理しているらしいおじさんはそう言った。
柧武さんから聞いた首吊りマンションの噂と違う。

「あの、僕達はどこかに物件の事を吹聴する事はありませんので……」

「いやいや違うんです。本当に出てないんですよ」

柧武さんが言うには、あのマンションが駄目になったのは首吊り自殺が出たからで、それ以後も何人も死んでいると……。
でも、管理人さんの話ではそんな事は無いという。
変だ、明らかに。

「ならどうして首吊りマンションだなんて噂があるんです?」

「それは……出るんだそうです。首を吊った男女の幽霊が」

「男女の幽霊?」

思わず首を突っ込んでしまった。
話を聞くだけのつもりだったのに。

「驚いた、声までそっくりだ。ええ、そうなんです。そのせいでどんどん入居者も減って……売りに出しても買い手がつかず、生活対策課さんにお願いしたわけです」

21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:40:24.41 ID:vDL0AxSL0
「その幽霊は決まった場所で出るんですか?」

「ええ、いつも三階のある部屋に……」

柧武さんが私を見ている。
真ちゃんも心配そうにしている。
……決断しよう。今。

「わかりました。案内してください。……口寄せしましょう」

口寄せ。
有名な所だと恐山のイタコだろうか。
死者の霊を自分の体に降ろし、自分の口を死者に貸して彼らの意志を伝える行為。
当然特殊な体質を必要とし、死者に近寄る分現実に帰還できない可能性を孕む危険な行為。
そして、それを生業にする者もいる。
口寄せ屋。
口寄せを行い他者から報酬を得る者。
私は本職ではないけど、その素質があるのは昔からわかっていた。
小さい頃はよく心配されたけれど、死者と生者の区別がつくようになってからはそんな事も無くなった。
そして、一年前のあの日。
あの一件以来、私は時折柧武さんの依頼を受けて口寄せをしている。
“アイドル”萩原雪歩の裏の顔は……“口寄せ屋”萩原雪歩だった。

「ゆき……ごほん。わかってると思うけど、危ないんだよ?いいの?」

真ちゃんが心配してくれている。

22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:45:10.10 ID:vDL0AxSL0
「心配しないで、私は大丈夫」

私が口寄せをするのは、失礼だけど柧武さんの為じゃない。
もちろん、報酬が目当てでもない。
苦しみ続ける死者の為だ。

……。

柧武さんの車の中で衣装に着替える。
集中するための衣装……ある口寄せ屋の人に倣って身に付ける事にしている。
上からコートを羽織り、その場へ。

「この部屋です」

いる、と思った。
何かの跡がある。けど、これは……。

「もしかすると、この部屋で起こった事じゃないのかも」

ぽつりというと、真ちゃんが不思議そうな顔をした。
……柧武さんは、幽霊が怖いので車で待っている。

「どういう事?このマンションにいるんじゃないの?」

「私にもまだわからないけど……大丈夫。これだけ跡があれば、追えるから」

部屋のドアを開ける。
埃が舞った。
やっぱり、いる。

23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:50:16.12 ID:vDL0AxSL0
「あの……随分とお若いようですが、本当に大丈夫なんですか?」

心配そうな管理人さんを真ちゃんが手で制した。
有り難い。集中できないと、彼らには会えないから。

「すぅ……」

埃っぽいのを我慢して大きく息を吸い、

「はぁ……」

それを全部吐き出す。
目を閉じて、開く。

「……あなたね」

そこにいたのは、私達と同じ年頃の女の子だった。

……。

雪歩の目が虚空を見つめて止まる。
見えているんだ、ボク達には見えない者が。

「もういいですよ、管理人さん」

「あ、はぁ……すみません、邪魔をしてしまって」

管理人さんがぺこりと頭を下げる。
頭頂部が少し薄くなっているのが見えた。

24: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 17:55:13.44 ID:vDL0AxSL0
「……でも、大丈夫なんでしょうか。見る限り気の弱そうなお嬢さんですし」

この人は良い人なんだなと思う。
マンションの事でなく、雪歩の事を心配してくれている。

「大丈夫ですよ。口寄せに必要な物が何か、お分かりですか」

「えっと……すみません、見当も」

「まずは先天的な才能。そして引きずられない意志の強さ。それから……」

ボクは思う。
雪歩は天性の口寄せ屋だと。
なぜなら、彼女は……。

「優しさ、です」

誰よりも深く、人を想う事ができるから。
生者死者の別け隔てなく、人を感じる事ができるから。
心配はしている。だけど、信じてもいる。
自分の中にある奇妙な感情が可笑しくて、少し笑った。
管理人さんは、そんなボクを不思議そうに見ていた。

25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:01:15.57 ID:vDL0AxSL0
彼女の過ごした日々が見える。
ここは、彼女の住んでいた家だったのだろう。
両親と、姉。
四人家族で暮らし、そして死ん……

「……違う」

先へ。
彼女の残した物を辿っていく。
彼女がいわゆる  交際を始めた場面。
妙な男を見つけた場面。
そして、死ぬ場面。
ここじゃない。このマンションで死んだわけじゃない。
ここで暮らした時間が長かったから、ここにいるだけ。
なら、本当に死んだのはどこ?

『……ぁ』

彼女が何か言った。
私はそこに集中する。
唇を、意識を、彼女と、重ねて、理解を。

「……る、か」

彼女が、笑った。
パチンと弾けて意識が元のマンションに戻る。
体中から嫌な汗がどっと流れる。

26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:05:36.54 ID:vDL0AxSL0
「雪歩!大丈夫!?」

真ちゃんが倒れそうになった私を支えてくれる。

「大丈夫……けど、わかった。全部、わかったよ」

管理人さんも一歩遅れて入ってくる。

「管理人さん。ここに住んでいた家族に、高校生の娘さんがいませんでしたか?」

管理人さんは少し首を捻って、手を打った。

「ああ!確かにいました!姉妹だったんですけど、下の娘さんが誰かと心中したって話で……それがあって、一家は引っ越して……って、まさか?」

「はい。男女の霊っていうのは、その娘さんと心中したっていう男の人の二人です」

「そういえば、あの一家がいなくなってから噂が広まっていたような……でも、現場はここじゃないですよ」

「それもわかりました。けど、彼女はここで住んでいた時間を日常と思っていて、亡くなった後も帰ってきていたんです」

管理人さんがうぅむと唸ったが、納得するまで説明する余裕はない。

「真ちゃん、柧武さんの車まで連れていって。急がなきゃ」

「え、う、うん。どうしたの?」

「……春香ちゃんが危ないの」

28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:10:11.88 ID:vDL0AxSL0
「惣一郎さん!もっと飛ばして!」

真ちゃんが運転席の後ろから柧武さんを煽る。

「目一杯ですって!これ以上は流石にまずいです!」

「友達が危ないんですよ!もっと出して!」

あのマンションにいた女の子は、いつか見せてもらった春香ちゃんと同じ制服を着ていた。
恐らくは同級生で、友達だったんだと思う。
そして、彼女だけが死に、その後春香ちゃんを呼んだ。

「もう到着しますから!危ないからじっとしててください!」

「雪歩!準備いい!?」

真ちゃんの声に頷く。
蝋燭を四本と、スコップをしっかりと握る。

「柧武さんは車で待っていてください。すぐ終わらせますから」

柧武さんは驚く程力強く頷いた。

「……情けないなぁ」

真ちゃんはそう言うけど、そういう人だって必要なのだ。
車を降りてマンションの階段を駆け上がる。
ヒールで走りにくいけど、そうも言っていられない。
事務所に電話をかけたら、春香ちゃんはもう向かったと言われた。
間に合わなくなる前に、連れて行かれる前に。たどり着かなくてはならない。

30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:15:05.94 ID:vDL0AxSL0
「ここ!」

埃の上に残る足跡を追い、三階の部屋の前に立つ。
一度深呼吸して呼吸を落ち着ける。
コートのボタンを全てはずし、脱ぎ捨てた。

「真ちゃん!」

「オッケー!」

真ちゃんがコートを持ってくれる。
蝋燭四本全てに火をつけて、部屋のドアを開けた。

33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:20:10.82 ID:vDL0AxSL0
「ゆ、雪歩!?なんて格好して……」

はっと気付くと私はちゃんと地面に立っていた。
首に縄もかかっていない。

「あれ?私……」

ボンテージ姿の雪歩がすっと部屋の隅を指差す。

「見えるでしょ、あの人が」

それは、さっきまで目の前にいたはずの男の人だった。
まだ、その……  行為をしている。

「ひゃうっ!?ちょ、なんでこの人……雪歩もどうして平気なの!?」

「あの人はね、殺人鬼なの」

雪歩は驚くほど冷静で、今の状況を全部理解しているようだった。

「  交際を持ちかけてきた女子高生を、首を吊らせて殺した。それが、あの子」

指差す方向が変わる。
今度は窓の方だ。
私はそこに何がいるか知っていた。
今日、私を誘った友達が、ぶら下がっているのだ。

「春香ちゃん、知ってるよね」

「う、うん。同級生だけど……ちょっと、待ってよ。死んだって、え?」

34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:25:21.37 ID:vDL0AxSL0
意味がわからない。
じゃあ今日話したあの子は何で、今私は何を見ているの?

「……春香ちゃんの意識はね、今現実と死後の世界の間にいるの」

「死後の、世界……私死んじゃったの!?」

「まだ大丈夫。けど、何でここに来ちゃったかわかる?」

ここに来た理由?それは……

「えっと、呼ばれた、から?」

「そう。あの子が春香ちゃんを呼んだんだよ。寂しかったから……だと思う」

寂しかった。
確かに、あの子とは仲が良かった。
忙しくなって、あんまり会わなくなって、でも……それって……。

ぎぃいいい。

どんっ。

突然音がした。

「なっ、何!?」

「春香ちゃん、私から離れないで!」

雪歩が火のついた蝋燭を前に出す。私は隠れるように後ろに回った。

36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:30:07.57 ID:vDL0AxSL0
「あの子……すごく強い意志を感じる」

音の原因はその友達だった。
体を揺すってカーテンレールを軋ませて、壁に体をぶつけていたのだ。
その真っ黒な目はじっと私を見つめている。

「寂しいのはわかる。私だって一人は嫌いだから。でも、だからって友達を巻き込んでいいの?」

雪歩は彼女に語りかけているようだ。説得するつもりなのだろうか。

「春香ちゃんはまだ生きてる。あなたは……可哀想だけども死んでしまったの。一緒にはいられないの!」

ぎぃいいいい、どんっ。

音はどんどん大きくなっている。
これは……説得出来ているんだろうか?

「どうして……?寂しかったんじゃないの……?」

悩む雪歩に声をかけようと思った時、雪歩の体が硬直する。

「ゆ、雪歩……?」

『……い、だ』

雪歩の口から雪歩の物でない声が響く。
私はその声に聞き覚えがあった。

『きらいだ』

37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:35:28.14 ID:vDL0AxSL0
『きらいだきらいだきらいだきらいだきらいだきらいだきらいだきらいだ』

『はるかなんてきらいだ』

この言葉は、あの子の言葉だ。

『わたしよりかわいいわたしよりにんきだわたしよりわたしよりわたしより』

『あんたなんかしねばいいしねばいいしねばいい』

彼女は寂しくて私を呼んだんじゃない。
はっきりと憎悪を持って私を呼んだんだ。
でも私は驚かない。

「……やっぱり、私のこと嫌いだったんだね」

『きらいだきらいだきらいだきらいだしねしねしねしねしねしね』

雪歩の口から聞こえる彼女の思い。

「ごめんねぇ、アイドルで。人気者で。あなたなんかよりずっと可愛くて」

私はそれを理解した。

「でもね」

何故なら。

「私だってあなたなんか大嫌いだった。なんでも出来るあなたが」

39: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:40:11.21 ID:vDL0AxSL0
「私が可愛い?こーんな特徴無い私が?私はね、ずっと羨ましかったんだよ?」

言っていて涙が出てきた。

「私なんかよりずっと綺麗で、勉強も運動も得意で。友達付き合いも上手で、要領が良くて」

『きらいだきらいだきらいだきらいだ』

雪歩も泣いている。
つまり、あの子も泣いている。

「だいっきらいだった!どうして私なんかと友達でいてくれるのかなって!ずっと!鬱陶しかった!」

比べられる事が嫌で、隣にいるのが嫌で。

「嫌いだったよ……なのに、なんで?なんで私の事そんなに認めてたって、今更……死んじゃった後に言わないでよぉ!」

『きらいだ』

泣きじゃくる私を、雪歩が抱きしめてくれた。
皮の匂いがする……。

「雪歩……あの子、自由に出来る?」

「……出来るよ、春香ちゃん」

「なら、お願い。死んだ後も私にこだわる必要なんか無いよって、教えてあげて」

雪歩は黙って頷いた。

41: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:45:12.58 ID:vDL0AxSL0
「あなたはもう、ここに居続けなくていいの。ね?」

彼女はもう暴れていなかった。
最初からいなかったように、その場から消えて失せる。
私の顎から、最後の涙が切れた。

「雪歩……あの子はどこへ行ったの?」

「いつか、私達も行く所。でも、きっとずっと後にだけどね」

雪歩が微笑む。
私も笑った。

「春香ちゃん、聞いて。ずっと遠くから声が聞こえるでしょ?」

雪歩の言うとおり、声が聞こえる。
これは、誰の声だったっけ。

「真ちゃんの声だよ。その声に集中していたら、戻れるから。ほら……」

「……ヵ……るか!はるか!」

「雪歩」

「ん?」

「ありがとう」

最後に見えたのは、雪歩じゃなくて彼女の笑顔だった。

42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:50:10.81 ID:vDL0AxSL0
春香ちゃんの意識は元に戻ったようだった。
ひとつため息をついて、部屋の隅を見る。

「彼女は、ただの女子高生。悩んで、人を好きになって、嫌いになって、それだけ」

男は今までずっと使っていた彼女がいなくなったから、今度は私を見ている。
その手はずっと  を握って、  続けている。

「けどあなたは違う。あなたは、彼女を巻き込んだ……全ての、元凶」

私が部屋に入る時、握っていた物。
いつも使っているスコップを認識する。
手元にずしりと重みがあって、スコップがこの世界にも現れる。

「嬉しいの?私の格好が好き?これがいいの?」

ちーっ、と胸元のジッパーを下げる。
男の顔が喜色に染まる。

「……これだから、男は」

本当に嫌になる。
もちろん全員がそうだとは言わない。
女だって醜い部分はある。
だけど、この人だけは許してはいけない。

「穴掘って、埋めてやる」

43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 18:55:29.01 ID:vDL0AxSL0
「もう、大丈夫なんですかね?」

柧武さんは怯えきっている。

「大丈夫です。もうあそこには何も残ってません」

そう、何も残っていない。
不幸にも巻き込まれたあの子は春香ちゃんの言葉を受けて旅立った。
そして、原因になった男は……私が消した。

「そうですか!いやぁ流石萩原さん!お疲れ様です!」

あっはっはとどこかネジが外れたように笑う柧武さんを傍目に、春香ちゃんの様子を見る。
春香ちゃんは、私を見てどう思っただろうか。
不気味だと、思っただろうか。

「……」

事務所に送ってもらっている間、私達は無言だった。
柧武さんだけが、愉快そうに笑い続けていた。

45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 19:00:08.50 ID:vDL0AxSL0
「ねぇ、雪歩」

事務所に着いてすぐ、春香ちゃんに話しかけられた。

「……なに?春香ちゃん」

「あの、さ。えっと……どうして、ボンテージなの?」

真ちゃんと私は一度顔を見合わせてしまった。

「春香、そ、そこなの?疑問に思うの!あは、あはははは!」

「ち、違うの。趣味じゃなくて、えっと……理由があって!えっと……真ちゃん、笑ってないで何か言ってよぉ」

何を聞かれるかと身構えていたのに、まさかの衣装について。
今更ながら恥ずかしくなってしまった。

「……雪歩、あれって、幽霊の言葉を聞いてたの?」

「……うん。そうだよ」

春香ちゃんは何も言わない。

「気持ち悪いよね、こんなの……不気味って、思うよね」

不安が口をついて出た。
いつもそうだ。知られた後は拒絶が待っている。
受け入れてくれたのはプロデューサーと真ちゃんだけ。

「普通じゃないよね、私。あの、でも、別に普段はそんな事……」

46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 19:05:15.35 ID:vDL0AxSL0
「うん、普通じゃないけど。気持ち悪いとは思わないなぁ」

春香ちゃんは事も無げに言った。

「だって、あの子を助けられたのって雪歩のおかげだし、私が助かったのだってそう。すっごく感謝してる」

たったそれだけの事で、私は驚いてしまって言葉が出なくなった。
何故か涙が出てきて、黙ったまま涙目で春香ちゃんと真ちゃんを交互に見る。

「ど、どしたの雪歩。私、なんか悪いこと言っちゃった?」

心配そうな春香ちゃんを見て、真ちゃんが笑う。

「ウチの女王様はお礼言われると混乱しちゃうんだよ。で、そういう時はこうしてあげると落ち着くんだってさ」

ぎゅっと体に手を回される。
今度は春香ちゃんが笑った。

「そっかそっか。じゃあ私もー」

両側から抱きしめられる。
なんだか余計に混乱して、顔が真っ赤になった。

「あはは、雪歩は心配性だなぁ。春香が雪歩の事嫌いになるわけないじゃない。ねぇ?」

「そーだよ、当たり前でしょ?ゆーきほっ!」

真ちゃんに頭を撫でられながら、春香ちゃんに頬ずりされる。

「あぅ、あわっ……わ、わわ私、あ、穴掘って埋まってますぅ!」

47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 19:10:19.08 ID:vDL0AxSL0
「ほー、そりゃ良かった。無事終わったんだな」

次の日、私はあった事をプロデューサーに話してみた。
予想通り、プロデューサーは雪歩の事を知っていたようだ。

「でもすごいですよね、雪歩。私だったらとても……怖くて、あんな事出来ないと思います」

プロデューサーは腕組みしたまま笑う。

「はっはっは、そりゃそうだろう。雪歩本人だって毎回ビビってるんだからさ」

「え?でも、すごく堂々としてましたよ?何ならステージ上がる前の方がびくびくしてるくらい」

「んー、そうだなぁ。雪歩はほら、人の為に動く時が一番力出るタイプだから」

それはすごく良くわかる。

「あいつはなぁ、なんていうか……言い方は悪いけど、どっか壊れてるんだよ。男が怖かったり、犬が怖かったりも一種の副作用だな」

壊れてる?

「壊れてるってどういう事ですか?」

「……普通じゃない力があると、普通には生きられないのかもな。あいつの精神の深い所で、バランスが狂ってるんだ」

バランス。
さっきの話から考えれば、人の為に尽くしすぎる、という事だろうか。

48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 19:15:13.92 ID:vDL0AxSL0
「でも、人のために何かが出来るって良いことだと思うんですけど……」

プロデューサーが真顔になる。

「春香。雪歩は今回、お前の為に命を賭けたんだ。口寄せってのは戻ってこれなくなるかもしれない危ない事だからな。それはわかるか?」

「えっと、はい」

「放っておくと、あいつはそれを何度だって繰り返す。薄いんだ、執着が。あいつは……少しだけ、俺達から遠い場所にいる」

昨日見た雪歩の姿。
儚くて、消えてしまいそうな雪のお姫様。
現実と死後の世界、その狭間での奇妙な存在感。
雪歩にとって、あそこが本当の居場所なのかもしれない。

「真がついてたのは、お前を引き戻す為じゃない。雪歩を遠ざけない為なんだ。楔がないと、雪歩はどこかへ行ってしまうからな」

そんなのは、嫌だ。
私を助けてくれた雪歩。
今度は私が助けてあげたい。

「でも、春香が知ったのは良い事だな」

「え?」

「今度は春香も楔の一つになってくれ。俺や真だけじゃ、もしかすると……」

プロデューサーは先を飲み込んだ。
言いたく無いんだろう。私も聞きたくない。
続きを促す代わりに、私は大きく頷いた。

49: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/01/30(水) 19:20:10.45 ID:vDL0AxSL0
冬の日差しが差し込む事務所、雪歩が柔らかい挨拶と一緒にやってくる。
私は一度プロデューサーの顔を見た後、雪歩に駆け寄って思い切り抱きしめた。

hanging mansion-首吊りマンション 終

引用元: 雪歩「低俗霊iDOLATRY」