1: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:04:17.17 ID:tgweQ+Xjo
ショウがついに、ポケモン図鑑を完成させた。

それがどれほど偉大で大切なことか、カイにはよくわかっていた。広大なヒスイの地に住むすべてのポケモンを捕まえ、観測し、その生態を記録すること。ポケモンという時に恐ろしい生き物を深く理解し、「共存共栄」に向けて歩み寄っていくこと。それは「人間とポケモン」の在り方をも変える、歴史的な転換点のきっかけとなるものだ。

シンジュ団の長として、同じヒスイに暮らす人として、カイはショウを応援していた。そして時にお忍びで、ショウの調査を私的に手伝うこともあった。

それはひとりの少女として。ただの友人として。ただただ「協力したい」という、年相応の純粋な思いが止められずに、こっそりとショウに同行していた。シンジュ団の面々も気づいてはいたが、やがて長になる者として幼いころから虚勢を張り続け、同年代の友達もできなかったカイのため、見て見ぬふりをしていた。

ショウはカイにとって、「初めてできた親友」だったのだ。


原野を駆け、海を渡り、山を乗り越え、広い世界を飛び回った。手を取り合って洞窟を抜け、月明かりの差し込む泉を泳ぎ、うららかな花畑で眠り、そして笛を奏で合った。

調査記録が日に日に積み重なっていく一方で、ふたりだけの思い出もたくさん生まれた。ふたりはいつしか「親友」すらも飛び越えた、真に心の通じ合う関係になっていた。

だから、ショウがポケモン図鑑を完成させたとき、カイは泣くほど喜んだ。ショウが念願を成し遂げたことが嬉しくてたまらなかったのだ。驚く人は幾人かいたが、ふたりの仲がそれほどまでに深くなっていたことを知る人も、もはや少なくはなかった。


「図鑑が完成したからといっても、ポケモンの調査に終わりはありません」。ショウの図鑑完成を祝う宴の日、ラベン博士が言ったその言葉をカイは額面通りに受け取った。決められたルールに則った「調査」は完結したが、何かを知るということにゴールはない。ポケモンも人も常に変化し続ける生き物だし、どこまでいっても「果て」などないのだと。

まったくもってその通りだとカイは思った。だからショウと一緒に調査をするこの日々にも終わりはないのだと、無垢な子供のように信じきっていた。

「ショウがポケモンを各地に帰して回っている」という噂を聞くまでは。

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2: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:05:58.64 ID:tgweQ+Xjo
「だって、いつまでもあたしの手元に置いておくなんて、恐れ多いじゃないですか」

ディアルガやパルキアに然るべき場所で別れを告げてきたというショウは、事情を聞かれると困ったような笑顔でそう答えた。

シンジュ団やコンゴウ団が神として崇めてきた存在を、ひとりの女の子が持っているというのはやっぱりおかしい。ここぞという場面では力を貸してもらい、調査までさせてもらったのだから、さすがにもう「お返し」しなければならない。そう思ったらしい。

カイはシンジュ団の長として、ショウのその選択には助けられた部分もあった。熱心なシンジュ団員の中には、パルキアやアルセウスというポケモンがほかのポケモンと同じように扱われることに対し、生まれたときから信じ続けてきた絶対的な存在が崩れるようで怖いと訴える者もいたのだ。「神」は「神」であって、「一匹のポケモン」ではない。彼らはそう信じたいのだろう。ショウもその想いをくみ取っていた。

だがカイは、それとは違う何かを感じていた。


ショウがポケモンを逃すということ。

そこに、どうしようもない「終わり」を感じていた。

3: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:06:36.31 ID:tgweQ+Xjo
「すべてのポケモンを元の生息地に返しているわけではない。彼女が捕獲してきたポケモンの中には、すでにこのコトブキ村を故郷のように思う個体も大勢いる。そしてそんなポケモンたちと家族のように一緒に暮らす人々も、もうこの村では珍しくなくなった。すべてのポケモンと彼女なりに対話し、『本来あるべき場所』に返しているのだろう」

そう説明するシマボシを含め、調査隊の面々はショウの選択を尊重していた。ショウは所持するほぼすべてのポケモンの所有権を一度調査隊に移し、今後も調査の参考にしたいと博士が依頼したポケモンや、村の人々と共に暮らすことを選んだポケモン以外を、毎日少しずつ元の住処に戻すことに「協力」していった。

だがカイはもう、いつものようにショウの手伝いを申し出ることはできなかった。彼女が「この世界」との繋がりを絶とうとしているようで、怖くてたまらなかった。

ショウが時空の裂け目から、はじまりの浜に落ちたというあの日。あの日から始まった長い長い物語の「終わり」。それは異変の解決でもポケモン図鑑の完成でもなく、すべてのポケモンを手放すということだったのだと、ひとりで痛感していた。


あれだけ仲が良かったカイが突然現れなくなったことについては、ショウも思うところがあったのだろう。ある日カイのもとに、ショウのムクホークが手紙を届けに来た。

「次の満月の夜 群青の海岸 砂の手にて 一緒に遊びませんか」と、それだけが記されている手紙。

カイがその文面に目を通すのを見届けると、ムクホークは一瞬だけカイの目を見つめ、いつもとは違う方向へと飛び去って行った。

確か、ショウが調査隊の入隊試験で捕まえたころからの相棒だと聞いたことがある。

あのムクホークも、もう戻ってこないような気がした。

4: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:07:37.26 ID:tgweQ+Xjo
その日の空は綺麗に澄み渡っていて、輝く満月と星々が海の水面にまで反射して浮かぶ、とても美しい夜だった。

誘いを受けた側ではあるが、カイは夕方頃にもう浜に着いて、赤い陽が沈む様子を背に感じながら、ショウが来るのをずっと待っていた。グレイシアと共に砂の手の先に腰を下ろし、夜が更けるのを静かに待った。

グレイシアの耳がぴくりと動く。後ろの方で、砂浜を歩く足音が聞こえる。カイは、ゆっくりと振り向いた。


「なんだ、もう来てたんですね」

「ショウさん……!」

「もしかして、ずっと待っててくれてたんですか? 悪いことしちゃいましたね」

「いいの。ここはわたしもお気に入りのところだから」


ショウからやや離れた後方、薄闇の中に光る眼が浮かんでいる。それはショウの一番の相棒であるレントラーだった。

ショウの腰元を見やると、いつものポケモンボールがひとつもついていない。


「大丈夫なの? その子だけで」

「うん。今日は調査じゃないから」

「え……」

5: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:08:17.02 ID:tgweQ+Xjo
「調査だったら、門番さんたちに行き先を教えないとでしょ? 今日は遊びにきただけだし、誰にも知られたくなかったから……内緒で出てきたんです」

「そ……そうなんだ。でも、どうして今日はその子だけ……?」

「……ははっ。自分なりに整理つけて、きちんとお別れしたつもりなんだけど……この子だけはあたしのことが心配みたいで、ずっとついてきてくれてるの。困ったなぁ」


カイは単純に、レントラーしか手持ちがいないことを心配しただけだったが、質問の意図とは違う答えが返ってきて、胸にひゅっと風が吹いた気がした。


(ああ、もう……隠す気なんかないんだ)


ショウはすでに、すべての手持ちポケモンと別れてしまっていた。

ショウがよく見せる、困ったような笑顔。今日はその中に、寂しさしか感じなかった。

カイが言葉に詰まっていると、ショウはその横を通り抜け、雪駄を脱いで裸足で海辺へと入っていった。ぬかるんだ足元の感触を楽しむように歩いている。


「海で遊ぶの、嫌いなんじゃなかったっけ」

「そんなことないですよ。泳ぎは下手だけど、こうして浅瀬で遊ぶのは好きなんです」

6: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:08:49.59 ID:tgweQ+Xjo
渚に腰を下ろし、ぴちゃぴちゃと海水に手を濡らしている。こうしてみると、やはりこの子は年相応の女の子なんだと実感する。そんなショウを、レントラーは離れた位置に座って見守り続けていた。カイはその目に、あのムクホークと同じ雰囲気を感じた。


「……本当に、みんな逃がしちゃったの?」

「……ええ」

「……わからない……わからないよ」

「……」

「本来あるべき場所にポケモンを返すっていうのは、理解できるけど……レントラーやムクホークはあなたの家族みたいなものだったじゃない。この子たちはあなたとずっと一緒にいるのがいいんだよ! なのに、この子たちまで手放すなんて……っ」


カイはショウの横に立ち、胸に手を当てながら疑問を伝えた。

ショウはゆっくりと立ち上がり、薄暗い水平線を見つめた。遠くの方で、タマンタとマンタインがちゃぷんと跳ねた。


「家族……」

「そう、家族だよ」

「たしかに、この子たちは……家族です。だから、お別れするのはとてもつらかったです」

「だったら……!」

「でも、家族とのお別れをつらく感じるほど……あたしが元いた世界に残してきた家族のことが、頭に浮かんでしまうんです」

「っ!」

7: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:09:58.44 ID:tgweQ+Xjo
……ショウの親。ショウの家族。

ショウはこれまで、自分が「元いた世界」のことを、カイに対してさえあまり話してこなかった。否、誰にも話してこなかった。

とくに「親」の話は、幼いころに親を亡くして顔も覚えていないというカイに遠慮して、半ば禁句のように扱っていたほどだ。カイもショウが遠慮していることには薄々気づいていた。

カイもすすんで聞けなかったし、ショウも自ら話さなかったアンタッチャブルな部分。そこについに触れたことに、カイはただならぬ衝撃を受けた。


「……長い話になるかもしれません。座りましょ」

「……」


ショウはもう一度砂浜に腰を下ろし、自分の隣の砂浜をぽんぽんと叩いた。カイも同じように隣に座る。

波音が、ふたりの間に流れるしばしの沈黙を取り持つ。

青白い月明かりがふたりを静かに照らし、夜風がその頬を撫でた。

ショウはやがて、ぽつぽつと話し始めた。

8: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:10:47.63 ID:tgweQ+Xjo
「シンオウさま……アルセウスと神殿でお別れしたときに、言われたんです。『どちらに居たいか』って」

「!」

「そのときは、何も答えられませんでした。元の世界に戻るなんて、もう二度とできないことだと思ってたから」


カイが唇を震わせながらうつむく。それでもショウは言葉を続けた。


「でもアルセウスは、あたしが望めばその通りにするとだけ言って、姿を消してしまいました」


ああ、やはり。

ショウは、この世界に別れを告げようとしているんだ。


「……いくつものポケモンを『在るべき場所』に返すうちに、考えるようになったんです。あたしの……あたし自身の『在るべき場所』は、どっちなんだろうって」

「……っ」


カイはたまらない気持ちになって、おもむろにショウの手を握る。


「……」


ショウは驚くこともなく、優しくその手を包み、カイに体重を預けた。

9: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:11:35.04 ID:tgweQ+Xjo
「あたしは確かに、自分から望んで『元の世界』を去りました。まさか自分が時空の裂け目に飲み込まれるなんて思ってなかったけど、確かに望んでこの世界に来たんです」

「……」

「あたしがもといた世界では……あたしなんて、特別でもなんでもない、ただの女の子でした。人より優れたところなんて何もなくて、友達もいなくて……つらい思いや寂しい思いもたくさんしました。どうしてこんな世界に生まれてきたんだろうって、いつも思ってた気がします」


「でも、アルセウスのおかげでこの世界にやってきて……たくさんの人に出会ったり、ポケモンと触れ合ったりして、色々なことに気付けたんです。前を向いて生きていくためにはどうすればいいか。人生において大切なことは何なのか」


「そして、カイさんともお友達になれて……いろんなところに遊びに行って、いろんな楽しいことを教えてもらって。世界って、こんなにも美しかったんだなって、思えるようになりました」

「ショウさん……」

「えへへ……あたし、誰かとこんなに仲良くなれたこと、今までなかったんですよ?」


左肩にもたれかかってくるショウの体温と重みが、今のカイにはたまらなく愛おしかった。

ショウにとっても、カイは「初めてできた友達」だった。

カイはショウを強く抱き寄せる。ショウも抵抗はしなかった。線の細い、身軽で柔らかな体躯。自分より小さなこんな女の子が、荒ぶるポケモンや神々と渡り合っていたなんて、今でもどこか信じられなかった。

10: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:12:42.47 ID:tgweQ+Xjo
「……本当に……帰っちゃうの」

「……」

「そんなの、わたし信じられない……嫌だよ……」

「……まだ、決めてませんよ。行かないかもしれません」

「……」

「今度行ってしまったら、きっと……もう二度とこっちには戻ってこられない。そんな気がするんです。だから慎重に考えてます」

「……そうだよね」


ショウはそう言ったが、カイには薄々わかっていた。

行くかどうかをまだ決めていないなら、すべてのポケモンを手放すなんてことはしない。ショウはもう、心の中で「行く」と決めているのだ。

だがその一方で未練も残っている。一度行けば二度と戻って来れないところに、後ろ髪を引かれるような思いで行くわけにはいかない。だからひとつひとつの未練と向き合い、自分なりに自分を納得させてきたのだろう。

ショウがカイの胸に額をこすりつける。カイは頭巾の奥にある長い髪を撫で、もう一度強く抱きしめた。

この感触は嘘じゃない。この温度も嘘じゃない。この少女は確かに今ここにいると、そう思えるのに……このまますうっと腕をすり抜けて、空の向こうに消えてしまいそうな儚さを、ショウに感じずにはいられなかった。

11: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:13:34.85 ID:tgweQ+Xjo
「ショウさんは……わたし以外の誰かに、相談したの?」

「……」

「い、いいんだよ、言っても。怒ったりしないから」

「ふふ……わかってます。相談ってわけじゃないけど、コギトさんに少しだけそれに近い話をしたことはあります」


時空の裂け目から落ちてきた、時の迷い人。果たして自分はこの世界に居続けてもいいのだろうか。

そう尋ねると、コギトは「好きなようにせい」「どのみちお前を止められるものはおらん」と言ったそうだ。


「『私に聞くな』って感じの目でした。でも、言っていることは正しかったと思います。あたしが居たい方に居ればいいんだって……きっと、それだけでいいんですよね」

「……そう」

「……ええ」

「あなたは……どっち?」

「……」

「あなたが居たい世界は……どっちなの?」

12: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:14:22.95 ID:tgweQ+Xjo
核心に触れる質問に、ショウはしばらく答えなかった。

寄せては返す波の音だけがふたりを包む。

カイは、腕の中にいる少女が、自分を傷つけてしまうことを恐れて何も言えないのだということも十分理解していた。

それでも聞きたかった。ショウの口から。


「……どっちにいたいとか、どっちにいたくないとか……そういうことじゃないんです」

「……」

「あたしは、カイさんやレントラーたちがいるこの世界が大好き。叶うことなら、ずっとこのまま、この世界で生きていたい」

「だ、だったら……!」

「でも……どうしてだろう。『戻らなきゃいけない』っていう義務感みたいなものも、ずーっと心に刺さってるんです」

「!」

「ずっと刺さったまま……抜けないんです。この世界に落ちてきた時から、ずっと」


ショウがもぞもぞと顔を上げて、カイの顔を覗き込む。

その目には、いっぱいの涙が溜まっていた。


「あたしはどっちにいるべきなのか……もうあたし自身も、わからないんです……」

「……っ」


その表情を、震えるような声を通して、カイの心にショウの気持ちが流れ込んできた。

13: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:15:40.28 ID:tgweQ+Xjo
見たこともない世界。自分の常識が通じない時代。

はじまりの浜に落ち、あれよあれよと調査隊に入ることが決まってしまったそのときからずっと、ショウには元の世界のことが引っ掛かっていた。

家族を残してきたことへの後悔。もう元の世界に戻れないのではないかという不安。孤独感にさいなまれ、満足に眠ることもできなかったいくつもの夜。

これは夢だ。ぐっすり眠って、朝起きたらきっと、すべてがもとに戻っている……最初の頃はそう願いながら夜を明かしていた。

だが様々な人と出会い、多くのポケモンたちと触れ合い……この世界はいつしかショウにとって、大切なものになりすぎてしまった。

自分を必要としてくれる人が、自分についてきてくれるポケモンたちがたくさんいる世界。心のすべてを預けてもいいと、そう思える友達にも出会えた世界。ショウはこの世界のため、たくさんの努力を積み重ねてきた。


もう、いいのかもしれない。すべてを忘れて、この時代に生きる人となってもいいのかもしれない。

何度もそう思ってきたが……それでも心のどこかに、元の世界のことを完全に忘れてしまうことを許さない自分がいた。

「自分はこの時代の人間ではない」という、純然たる事実。目を閉じればまだおぼろげに思い出せる家族の顔。

それらが、「元の世界に戻らなければいけない」という気持ちを失ってしまうことへの恐怖をショウに抱かせた。

相反するふたつの気持ちに押しつぶされ、もはやショウの心は壊れてしまいかねない状態だった。


「カイさん……おしえて……おしえてよ……っ」

「……」


泣きじゃくるショウを前にしてようやく、カイは自分がショウを苦しめる原因のひとつに……ショウにとっての「最後の未練」になっていたことに気付いた。気付いてしまった。

14: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:16:11.47 ID:tgweQ+Xjo
ショウの涙を見るのは初めてだった。

優しく抱きしめても、髪を撫でても、ショウの不安を取り除くことはできない。

初めてできた大切な友達が、心を預けられる想い人がこんなにも苦しんでいるのに、自分にできることはないのか。


(わ、わたしが……)


(わたしが……言ってあげなきゃ、だめなんだ……)


元の世界へお帰り、と。

この世界もわたしも、もう大丈夫だから。

あとのことは任せて、安心して、自分が生まれた世界へお戻り、と。

そう言って、ショウを苦しみから解放してあげられるのは、自分だけなんだ。

その事実に気が付き、カイの目からも涙が溢れた。


抱きしめ合いながら涙を流すふたりを、グレイシアとレントラーは静かに見つめ続けていた。

15: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:17:04.47 ID:tgweQ+Xjo
いつか、こんな日が来てしまうのではないかと思っていた。

空から落ちてきた、時空の迷い人。

ショウがいきなりこの世界に現れたのと同じように、この世界から音もなくすうっと消えてしまう日が、いつかは来るのではないかと……カイも心のどこかで思っていた。

それを止めることなど……「終わり」を阻止することなどできないのだろう。

だから、その日を後悔せずに迎えたい。

ショウがいついなくなっても大丈夫なようになりたい。

あなたが本気で「元の世界に帰りたい」と言ったとき、笑って送り出してあげられるようになりたい。

大人ぶってそう強がっていたが……そんな希望は、綺麗事だ。

本当は……そんな日なんか、一生来てほしくなかった。


カイは、ショウのことが好きだった。

ショウといつまでも一緒にいたかった。

ショウといつまでも同じ時を過ごしていたかった。

ショウのことを、心から愛していた。

16: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:17:42.16 ID:tgweQ+Xjo
泣き疲れてしまったふたりは、抱きしめ合った体勢のまま、砂浜にぽとりと倒れこんだ。

空には星々が瞬き、どこまでも、どこまでも広がっていた。


「……本当は……」

「……」

「本当は……どこにも行ってほしくないよ。あなたとずっと一緒にいたいよ」


「でも……コギトさんの言う通りだね。ショウさんが『行く』って本気で思ったら……それを引き止めることなんて、誰にもできない」


「あなたはきっと、わたしの手をすり抜けて……光になって……この空に浮かぶ星のように、手の届かない存在になってしまう」


カイは仰向けになったまま、夜空に向かって手を伸ばす。


「それはわたしにとって悲しいことだけど……でも、嬉しいことでもあるんだと思う。だって、ショウさんが望んだことなんだから」


「ショウさんの夢が叶うことが……わたしにとっても一番嬉しいことのはずだから……」


再びいっぱいになった涙があふれ、カイの頬を雫が伝う。

ショウはその雫を指先でぬぐった。カイの頬には細かな砂粒が残った。

17: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:18:22.18 ID:tgweQ+Xjo
「……わたしね、お母さんの顔は知らないの。物心つく前に亡くなっちゃったから」

「……」

「でも……ショウさんには、まだいるんだよね。お母さんが……大切な家族が、元の世界にいるんだよね」

「カイさん……」

「だったら……帰った方がいいよ。だって、 “帰るべきところ” があるんだもん。お母さんだってきっと……ショウさんのことずっと待ってるに違いないよ……」


「ショウさんがお母さんと会えるのなら、わたしは嬉しいから……だからわたしは大丈夫なの。これは本当の気持ちだよ?」

「……」

「でも、あなたがいなくなったら寂しい。わたしの初めてのお友達が……一番のお友達がいなくなっちゃったら、悲しい。これもわたしの中にある、本当の気持ち」


「どっちもわたしの、本当の気持ち。でも、どっちかは選ばないといけない。だったらわたしは……ショウさんが幸せになる方を選びたい」

「!」

「あなたのことが……大好きだから」


精一杯の笑顔を、ショウに見せる。

その顔を見て、ショウはまた子供のように泣き出してしまった。

18: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:19:51.90 ID:tgweQ+Xjo
カイは身体を起こして座り直し、ショウを抱き上げて、自分の膝の上に乗せた。

頭巾を外し、前髪を流す。

こうして見ると……ショウはやはり、どうしようもなく普通の女の子だった。

自分より一回りも小さい、ごくごく一般的な女の子。

だがカイは、この少女に大切なことをたくさん教わった。

今のカイにとっては、この女の子こそが世界のすべてだった。


「大好きだよ……ショウさん」


泣きじゃくり、涙と海風で冷えてしまったショウの頬に、そっと口を寄せる。


「あたしも……あたしも、カイさんが好き……」


ショウの言葉を聞いて、カイは優しく微笑んだ。

19: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:20:32.85 ID:tgweQ+Xjo
――――――
――――
――


「わたしの願いは、ひとつだけ」


「ショウさんのことがこんなにも大切で仕方ないって友達が……確かにこの世界にいるということ。それだけを忘れないでほしいの」


「あなたがわたしのことを想ってくれるなら、わたしはあなたの中で生き続け、あなたとずっと一緒にいられるはずだから」


「あなたが元の世界に戻っても、わたしはそこにいられるから」


「だから、わたしのことを忘れないように……もっと身体に刻み込ませて」


「わたしもあなたのこと、ずーっとずっと忘れたくないから」


掻き抱いて、口づけをして、髪を撫でて、泣き合って。


意識がなくなるその時まで、大好きだよと囁き合っていたことだけは覚えている。


気付けば、群青の海岸は日の出を迎え、その明るさでカイは目を覚ました。

20: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:21:42.76 ID:tgweQ+Xjo
「……」


もぞもぞと身を起こす。


頬や二の腕についた細かな砂粒を払い、溜息をついた。


静謐な海風がそよぎ、髪が揺れる。


よくポケモンに襲われなかったものだ。カイは長として許されない無防備さを反省した。


はっとなって立ち上がり、急いで辺りを見渡す。


「ショウさん!?」


だが、付近にショウの姿はなかった。


レントラーもどこかに去っていた。

21: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:22:18.91 ID:tgweQ+Xjo
「……?」


あれだけ頑としてショウのことだけを見つめ続けていたレントラーがいない。


一方的に別れを告げられても、彼女を守り通すため、ずっと付かず離れずの位置で控えていたあの子がいない。


浜辺におなかを着けて静かに眠っているグレイシアだけが、そこにいた。


「……」


グレイシアのもとに近づこうとしたとき、カイは自分の利き腕に、頭巾がきゅっと結ばれていたことに気が付いた。


ショウがいつも使っていた頭巾だ。


自分ひとりでは、こんな風には結べない。

22: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:23:05.03 ID:tgweQ+Xjo
「……ぇ……」


どく、どく、と途端に心臓が嫌な音を立てはじめたような気がした。


震える手で頭巾の結び目をそっと撫でたとき、腰元に違和感をおぼえた。


背面にいつも差しているカミナギの笛を手に取る。


かちゃん、と音が鳴った。


「……っ……」


ゆっくりと、それを抜き取る。


自分の腰には、二本の笛が差さっていた。


自分がいつも使っているものと、もうひとつは……ショウの笛だ。


「カイさんと一緒に曲を奏でたい」と言って、ショウが一生懸命に練習していた、あの笛だ。

23: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:24:14.90 ID:tgweQ+Xjo
「……」


カイは顔を上げる。


美しい、あまりにも美しい朝焼けが、目の前に広がっている。


だが、もう辺りのどこにも、ショウはいなかった。



カイは、ショウがこの世界から消えてしまったことを悟った。


「っ……」


身体に力が入らない。


わなわなと唇が震える。


よろめくように一歩、また一歩と海に向かって歩き、足首まで海水に浸かったところで、へたりこんだ。


眩しい朝日が、どこまでも続く水平線を浮かび上がらせ、世界の広大さをカイの身に刻み込む。


だが、もうこの世のどこにも、ショウはいないのだった。

24: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2022/02/17(木) 13:25:11.90 ID:tgweQ+Xjo
「……っ、ぁぁ……うぁあ……」


カイは崩れ落ち、海に向かって、子供のように泣き続けた。


涸れ果てたと思っていた氷色の目から、大粒の雫が溢れる。


さっきまで自分の中にあったぬくもりが、自分にもたれかかってくれていた重みが、もうどこにもない。


すべてが海に溶けてしまったかのように、もうそこには何もなかった。


「ショウさん……ショウさぁん……っ!」


目を閉じるだけでショウの笑顔が思い浮かぶ。


優しくて明るい彼女の声は、いつだって思い出せる。


それなのに、もうどこにもいない。


一生分の「好き」を伝えて、一生消えない思い出を心に残したはずなのに。


一生戻れないと思っていた故郷に、彼女はやっと帰れたというのに。


彼女の望みが、ついに叶ったのに。


どうしたって、涙は止まってくれなかった。


困り顔のグレイシアだけが、カイを見守り続けていた。



~fin~

引用元: 【ポケモン】あなたと過ごす最後の日【LEGENDSアルセウス】