1: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:13:41.89 ID:0oXNO4iLo

 校舎裏で青春ドラマが始まったのを、部室の窓から見下ろしていた。

 時刻は午後三時四十分。

「告白?」

 となりからの声に、俺は曖昧に頷いた。

「それっぽいよなあ」

 園芸部が管理している畑のそば、
 裏庭にひろがる雑木林の手前くらいに、男子と女子の背中がひとつずつ。

 たぶん、下級生だろう。
 どことなくだけど、そんな感じがした。

 快晴とまではいかないが、天気は晴れだった。
 最近は日も長いし、四時前の時点じゃまだまだ明るい。

 東校舎三階の窓から、裏庭の様子ははっきり見える。
 声までは聞こえないし、顔まではわからないけど。

 がっつり覗きたいってわけでもない。
 ある意味ちょうどいい距離感とも言える。


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2: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:14:07.60 ID:0oXNO4iLo

「ロケーションはそこそこだね」

 なんて偉そうなことを、窓から顔半分をつきだした出歯亀女が言った。
 かくいう俺も出歯亀男なわけだけど。

「そう?」

「放課後、校舎裏、ふたりきり」

「はあ」

「言葉だけでもドキドキしない?」

「どうかなあ」

 覗きがいるぜ、って言おうと思ったけど、やめておいた。
 言わぬが花って言葉もある(ちょっと違うか?)。

 どうでもいいことを考えているうちに、眼下のふたりに変化が起こった。
 

3: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:14:33.86 ID:0oXNO4iLo

「あ、手握った」

 言葉のとおり、ふたりは手を握り合っていた。
 というより、片方が片方の手を掴んだらしい。

 三秒、四秒……。

 見ていられなくなって、視線をはずして窓から離れた。

 窓際から距離をとって、わざとらしく伸びなんかして見せると、覗きの相棒は不満げに唸った。

「なーにさ、冷めたふりしちゃって」

 口を尖らせている。
 俺は気取って肩をすくめた。

「こっ恥ずかしくて、見てらんないっすよ」

「やーね、そこがいいんじゃない?」

 ワイドショーを見たがる中年の主婦みたいに、彼女はにへらっと笑う。


4: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:15:00.43 ID:0oXNO4iLo

 それから、覗きにも飽きたんだろう、体を屋根の内側にしまいこんでから、窓をピシャリと閉めた。
 ちょっとアテられたみたいな疲れた声音で、彼女は呟く。

「いいよねえ、新入生には未来があってさ」

「俺らにだってあるでしょうよ」

 俺の言葉にすぐには返事をせずに、彼女は窓辺を離れた。

 ちんまい体で跳ねるように歩き、定位置のパイプ椅子まで戻ると、
 くるっと翻った勢いのまま体を落として座る。

 彼女のそういう動作はなんとなくおかしくて、見ていて飽きない。

 去年、本人にそんなことを直接言ってみたら、
 「見物料払え! 一回百円だぞ!」と脅されたものだった。

 よおしと思った当時の俺は、財布から取り出した千円を彼女に手渡して、
「じゃあやって見せて。最初のは引いて、残り九回ね」と焚き付けてみたりした。

 彼女は困ったような怒ったような顔になって、
 しばらく唇を物言いたげに動かしていたかと思うと、
 最後には「うがー!」とバカみたいに吠えて、俺に野口を突き返してきた。


5: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:15:30.86 ID:0oXNO4iLo

「あのねえ、たっくんさ、ちょっと考えてもごらんなさいよ」

 おどけた口調、わざとらしい呆れ顔。
 今度はどこかのコメンテイターみたいなすかした感じで、彼女は言った。

"たっくん"は、俺のことだ。

「彼らは高一」、と既に閉めきった窓の外を指さして彼女は言う。
 次に自分の顎を人差し指でつっついて、「うちら高二」とけだるげに呟いた。

「ほーらね?」と彼女は得意顔になったけど、俺にはよくわからなかった。

「つまり、どういうこと?」

「たっくん、カレンダー見て」

 五月。

「五月だね」

「そう。五月。うちらにしたら、高二の五月。彼らにしたら?」

「高一の五月」

 トン、と両足を揃えてふたたび立ち上がると、彼女はツタツタと窓辺に歩み寄った。


6: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:16:13.25 ID:0oXNO4iLo

「分かる? 彼らにはこれから、高一の初夏、梅雨、夏、夏休み、秋に冬……が、あるわけ」

「はあ」

「わたしたちにはある?」

「ないね」

「そう。ないの。ないのよ。一生に一度の高校一年生の学校生活は、うちらにとっては過去ってわけ」

 はー、とこれみよがしに溜め息をつく女子生徒。名を高森 蒔絵と言う。

 中学時代のあだ名はマッキー(だったとかなんとか)。

 以前、気まぐれにそう呼ぼうとしたら、
「次にその名で呼んだら呪う」と、哀しみのこもった瞳で睨まれた。

 けっこう嫌だったらしい。

 代替案として、タッキーとかモリリンとか、そういうあだ名を提案してみたこともあるけど、結局ぜんぶ棄却された。

「普通に呼んで」と懇願されてからは、特に理由がないかぎり彼女のことを「高森」と呼ぶことにしている。
 ちょっとつまらない、と思う。


7: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:16:44.94 ID:0oXNO4iLo

 そんな高森と俺はいま、東校舎三階の一角にある文芸部室にふたりきり、だ。
 
 見ようによっては青春ドラマ的と言えなくもないかもしれない。

「放課後、文芸部室、ふたりきり」

 と、さっき高森がやったのと同じ調子で試しに呟いてみると、彼女は目を丸くして、

「はあ」

 と溜め息のような声をもらした。

「言葉だけでドキドキする?」

「言葉だけならね」

 手厳しい。
 まあ、俺だって、いまさら高森と青春ドラマが発生するなんて思っちゃいない。

8: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:17:15.50 ID:0oXNO4iLo

 べつに付き合いが長いってわけじゃないけど、一年一緒にいても相手を意識するようなことも起こらなかった。

 入学したときクラスが一緒で、部活も同じところに入ったから、自然と顔を合わせる機会が増えたってだけ。
 よく言えば気さく、悪く言えば馴れ馴れしいって感じの高森は、受け身がちな俺にとっては話しやすい相手だ。

 本人には言わないけど、結構ありがたい存在だったりする。

「なーんかこう、ああいう青春ドラマを見せられると、うちらは去年一年間で、いったい何をしたっけって思うよねえ」

「勝手に一人称複数にしないでくれる?」

「思わないの?」

「べつになあ」

「充実してた?」

「……ってわけでも、ないけどさ」

9: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:19:20.32 ID:0oXNO4iLo

 高森はつまらなそうな顔をしていた。
 でも、俺は自分の高校生活の一年目に、これといった不満があったわけでもない。

 クラスメイトとの仲だって悪くなかったし、これといったトラブルに巻き込まれた記憶もない。
 派手に遊んだり騒いだりってこともなかったし、恋愛関係の出来事なんて皆無だったけど、けっこう楽しかった。

「じゃあ、高森はああいうことしたかったわけ?」

「ああいうことっていうと?」

「つまり、放課後、校舎裏、ふたりきり、みたいなこと」

「そう言われると、そうでもないんだけどね」

 肩をすくめて、高森は溜め息をつく。そこで会話は終わった。
 文芸部室にふたりきり。もともと部員数の少ない部活だけど、今日はいつもより人数が少なくて、なんだか気だるい。

 本を読んで、ときどき適当に何かを書いて、あとは年に四度、部誌を出すだけの部。
 退屈ってわけでもないけど、情熱を燃やすような部活でもない。

「彼氏ほしいなあとかも思わないんだよね、不思議とさ」

「そういうもん?」

「自分の時間が減っちゃうからなあ」

「趣味人はたいへんだねえ」

 からかうつもりもなくつぶやくと、彼女はジトッとした視線をこちらにぶつけてきた。
 よくは知らないが、高森は昔からネットゲームにハマっていたらしくて、そのなかで友達がたくさんいるらしい。
 

10: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:19:46.78 ID:0oXNO4iLo

「土日は経験値が二倍だから、出かけたくないの」
 
 結構前に、そんなことを言っていた。
 未知の領域。ゲーム内ではネナベの友達と結婚しているらしい。
 
「たっくんはー?」

「たっくんいうなマッキー。……なにが?」

「マッキーいうな。彼女ほしいとか思わないわけ?」

「思わないって言ったら、負け惜しみって思う?」

「べつに。きみ 欲なさそうだし」

 いやあるよ、と否定しそうになって、思いとどまる。
 からかわれるのが目に見えていた。 

「……俺だって思春期っすよ」

「じゃあ、好きな子とか、いるの?」

 なんてことない世間話、暇つぶしのための話題振り。
 いかにも『どうでもいいです』という高森の態度に、ちょっとむっとしつつ、それでも少し考える。

 と、一瞬、脳裏をよぎった女の子がいたけど、すぐに振り払った。

「いませんな」

「いませんか」

11: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:20:25.94 ID:0oXNO4iLo

 ほうほう、なるほどね、と、何度もわざとらしく頷いたあと、ありもしない眼鏡を直す手振りをして、

「うそだな」

 と高森は言った。

「なにゆえ」

「うそつきのスメルがした」

 あっさり看破しやがって。

「年上? 年下? 同い年?」

「……」

「……年下か」

「エスパーか、きみは」

「やーい、年下年下ー」

「子供かよ」

 からかい方が意味不明だ。

「べつにそういうんじゃなくて、昔ちょっと……」

「ふうん?」

 つっついてきたくせに、高森はたいした興味もなさげに相槌を打って、それ以上は何も言ってこなかった。

12: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:21:05.88 ID:0oXNO4iLo

「それにしても、部長遅いね? どこまで行ってるんだろう」

「部員が非協力的だから、拗ねてるんじゃないの」

「たっくん、だめじゃん」

 と高森は言った。

「そうだぞ、たっくん」

 と俺も虚空に向かって話しかけてごまかそうとしたが、高森は相手にしてくれなかった。
 むべなるかな。

「しっかし、まだ五月だってのに暑いねえ」

「まったくだ」

 ぼやいてから、ふたりそろって黙り込んだ。
 話題も尽きた。無駄話だっていつまでも出てきやしない。

 高森は落ち着かないように部室を歩きまわって、また窓を開けた。
 吹きこんだ風が日に焼けたカーテンをふくらませる。

 気だるい熱気と薄暗さのなか、午後のゆるやかな風は干したての布団みたいに気持ちいい。
 黙っていたら、居眠りしそうなくらいだった。


13: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:21:34.70 ID:0oXNO4iLo




「ただいま」という静かな声で、俺の意識は浮かび上がった。
 すぐに、自分が座ったまま眠りかけていたことに気付いた。

「あ、おかえりなさーい」
 
 高森が部室の入り口に向けて手を振った。
 視線を扉の方に向けると、部長が戻ってきたところらしい。

 文芸部部長は三年女子。物静かで取っ付きづらい印象がある。
 顔立ちは綺麗だけど、どちらかというと冷たそうな感じがする。

 表情も変化はあんまり多くない。
 片側だけ耳にかけられた前髪が、気の強そうな雰囲気に拍車をかける。
 話しづらそうだな、というのが第一印象だった。

 あくまで、第一印象、だ。


14: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:22:14.67 ID:0oXNO4iLo

 部長は自分の定位置のパイプ椅子に腰掛けて、長めの溜め息をついた。
 傍においてあった自分の荷物から下敷きを取り出したかと思うと、うちわ代わりに仰ぎはじめる。

 よっぽど暑がっているらしく、額には汗が滲んでいる。
 下敷きがつくった小さな風が、肩のあたりまで伸びた黒い髪をさらさらとなびかせていた。

「ずいぶん遅かったですね」

 べつにたいした意味もない言葉だったのに、部長は「よくぞ聞いてくれました」という顔で口を開いた。

「それがね、先生に見せたら勧誘の文句があれじゃダメだって言われて……」

「描き直したんですか?」

「もうめんどくさいから、文字書いたところ塗りつぶして、そのうえに新しく書いちゃった」

 あいかわらず、見かけに反して豪快な人だ。


15: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:22:42.58 ID:0oXNO4iLo

「だから時間かかったんですね」

「そうそう。職員室でペン借りて三十秒で終わらせたんだけどね」

「はは」

 と俺は適当に笑った。高森も「ははは」と笑った。
 そのあと俺たちふたりは黙りこんで、静かに視線を交わす。

 ……三十秒で終わったなら、何に時間が掛かったんだ?
 少し気になったけど、考えないことにした。

 降って湧いた沈黙のなか、部長は首をめぐらせて視線をあちこちにさまよわせはじめた。

「あれ、ゴローくん、帰っちゃったの?」

 部長の問いに、俺と高森は目を見合わせた。
 俺が黙っていると、高森が答えてくれた。

「よくわかんないですけど、帰っちゃいました」

「なんで?」

「なんか、『ミートソースとボロネーゼの違いが分からない』って打ちひしがれてて」

 高森の言葉に、部長は一瞬硬直した。

16: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:23:21.48 ID:0oXNO4iLo

「……え、名前が違うだけじゃないの?」

「そうなんですか?」

「たぶんだけど。だってミートソースって英語でしょ。イタリアだとボロネーゼって言うんじゃない?」

「あ、ミートソース……あ、そうですね。英語ですね、ミートソース。そういえば」

「でも、こないだ行ったお店だとメニューに別々に載ってましたよ?」

「え? じゃあ何が違うんだろうね」

 ……すごくどうでもいい会話だ。

 こほん、と部長が咳払いをする。

「そんなわけで、一応ポスター掲示板に貼ってきたから」

 気を取り直すように背筋をピンと伸ばして、俺たちふたりの顔を順番に見てから、部長はそう言った。

「お疲れ様です」という俺の声に、「でもいまさらですよねー」という高森の声が重なる。

「そうなんだけどね。仮入部期間も終わっちゃってるし。でも、先生うるさいから」

 いかにも真面目そうな態度、落ち着いた表情なのに、話す言葉はあまりに普通。

 俺のものの見方が妙な先入観に侵されているだけなんだろうけど、
 部長が普通のことを喋るたびに、それを聞くのが少し楽しい。


17: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:23:48.78 ID:0oXNO4iLo

「それにしても、勧誘の文句、ダメだったんですか」

「そう。ごめんね、せっかくふたりに考えてもらったのに」

「全然いいですよ」と俺は曖昧に笑う。
 自分がどんな提案をしたのか、既に覚えていなかった。
 
 なんとなく高森に視線をやると、彼女は彼女で、

「なんて書いたんだっけ?」

 とぼんやり首をかしげていた。

 ふたりの視線が俺に集まる。

 沈黙。

「……忘れた」

 また沈黙。
 
 やがて、部長がくすくす笑った。


18: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:24:19.53 ID:0oXNO4iLo

「……えっとね、最初は、"まったりしましょう"でいいってタクミくんが言って」

 タクミくん、も俺のことだ。

「蒔絵ちゃんが、それじゃ面白くないって言って、"レッツまったりトゥギャザー"にしようって言って……」

「……うわあ」

 俺は自分たちのセンスのなさに身震いした。
 高森の方に視線をやると、彼女もまた「トゥギャザーはないわ……」と頭を抱えていた。

「はは、トゥギャザーって、文章からにじみ出る頭の悪さが文芸部とは思えないな」

 俺はひそかに自分を棚にあげた。

「頭悪いって失礼だな。……というか、たっくんもわたしの案、『最高!』って褒めてたじゃん!」

「え、そうだっけ?」

「うん。『お、いいじゃん。グローバリゼーションだよな、やっぱ』とか言ってさ」

「……たしかに言った気がする」

 部内は雑談のノリが軽いから居心地がいいんだけど、話す内容が悪ノリに流れがちなのが困ったところだ。
 後になって自分の発言に悩まされることも少なくない。

19: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:24:48.46 ID:0oXNO4iLo

「……で、採用された文章はなんだったんですか?」

 部長はブレザーの内ポケットからスマホを取り出して、「ん」と画面をこっちに向けた。
 どうやらポスターを撮ってきたらしい。

 俺と高森は画面に向かって揃って顔を寄せた。

 掲示板に貼られたポスターの写真。文面は以下のようになっていた。

「文芸部部員募集中! お気軽に部室まで」

 担当顧問の名前と部室までの案内が、ポスターの右下にそっと添えられている。
 勧誘文句の脇には、椅子に座って本を読む「考える人」の絵が描かれていた。
 
 描いたのは部長だ。クオリティは無駄に高い。

「やっぱ部長、絵うまいっすね」

 俺の言葉に、部長は「やー、そんなことないよー」と照れた感じで前髪を何度も直しはじめた。

 自分の言葉で女の人が照れたと思うと、妙にうれしいのはどうしてなんだろう。
 俺がそういうほのかな幸せを感じている横で、高森はちょっと不満そうな顔をしていた。

「……部長、日和りましたね」

「あ、ばれた? やっぱりちょっとおかしいよね。よく見ると足が短いもんね」

「絵の話じゃないです」

「え?」


20: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:25:23.68 ID:0oXNO4iLo

「絵の話じゃないです。文です」

「え、文?」

「なんですか、この文……」

「なんかまずかった?」

「まずいっていうか……」

 なんとなく、不穏な気配が広がった。
 いったいどこが気に障ったのか分からないが、段々と彼女の声は大きくなってきている。

 妙な緊迫感。

「高森、どうしたんだよ。べつに普通のポスターだろ、これ」

「だって、これじゃ――」

 俺は生唾を飲み込んだ。

「――これじゃ、普通の文芸部みたいじゃないですか!」

 大真面目な顔で、高森はそう言った。
 俺と部長はあっけにとられる。

「……いや、普通の文芸部だろ、うちは」

 はあ、と溜め息が出た。何かと思えば、くだらない話だった。

「そうだけど! だからこそ勧誘ポスターくらい面白くしたいじゃない?」

 その結果がトゥギャザーだろ、とは言わないでおいた。


21: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:25:49.79 ID:0oXNO4iLo

「大いに不満です。こんな定型文みたいな勧誘文句じゃ、部員なんて来ませんよ」

「うーん、そこはもともと、あんまり期待してないんだけどね」
 
 部長はふわっと苦笑した。
 
「日和っちゃダメです、部長。五月ですよ。この時期にこんな文じゃ、新入生は興味も示しませんよ」

 どうやら、テンションのスイッチが切り替わったらしい。

 高森は妙な盛り上がりを見せ始めた。
 対して、俺と部長のテンションは低空飛行を続けている。

 顧問が「勧誘くらいしろ」とうるさかったのと、どうせ暇だったから、ってので作っただけのポスターだ。
 新入部員が来るかどうかなんて、正直どうでもよかったりする。

「わたしたちは文芸部なんですから、文章には責任と誇りをもたないと!」

「……うーん」

 部長が「ちょっとめんどくさいかなあ」という顔をしたので、仕方なく俺が高森に乗ってやることにした。


22: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:26:27.64 ID:0oXNO4iLo

「責任と誇り?」

「仮にも創作活動をする部なんだから、借り物の言葉じゃ駄目なんだよたっくん!」

 だからその結果がトゥギャザーだろ、と。

「たとえば、どんなのならいいの?」

 俺の問いかけに、彼女は口舌をとめて真顔に戻った。

「えっと……」

「うん」

「東京モード学園のCMみたいな……?」

 イメージからして借り物なのに創作活動とはよく言ったものだ。
 なんてことを俺が言うより先に、

「創作は模倣からはじまるんだよ!」

 高森は言い逃れするみたいに断言した。

「ふむ」
 
 と俺は頷き、鞄から筆記用具を取り出した。

「じゃあ、今から考えてみるか。どんな文章ならポスターにふさわしかったか」

 高森は目を輝かせて頷いた。

 どうせ退屈していたのだ。暇つぶしの手段は多いに越したことはない。
 乗り気になった俺たちふたりを見て、部長は、

「なんできみたちの熱意ってスロースターターなのかなあ」
 
 と溜め息をついていた。


23: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:26:57.57 ID:0oXNO4iLo

 それから俺と高森は熱心にキャッチコピーを考え始めた。
 やがて、せっかくだから作ってしまおうという話になり、部室の隅で埃を被っていたPCを起動する。
 
 一応ネットには繋がっているから、そこから適当に、それらしいフリー画像をダウンロードして背景にする。
 さすがに速度はあまり出ず、画像ファイルを落とし終えるのに数分かかることもあった。
 部室の場所と顧問名を記載してから、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しつつ、考えたフレーズを入れてみる。

 まずは夕焼けに染まる街をバックに、

「世界は君の言葉を待っている。」

 と一言。

「おお、東京モード学園っぽいよ、たっくん」

「なんかテンション上がってくるな」

「……でも、たぶん、世界は新入部員の言葉なんて待ってないよね?」

 まあ、たしかに。

「世界からしたら寝耳に水だよね、このキャッチフレーズ。『いや、別に待ってませんけど?』みたいな」

「じゃあ、『世界は君の言葉なんて待っていない。』にしとくか」

「うん、なんかそっちの方が文芸部っぽいかも」

 文芸部っぽさってなんだろうね、と部長がぼそりと後ろで呟いたが、俺たちは聞こえないふりをした。
 
 世界は君の言葉なんて待っていない。
 大きめの明朝体。白字に黒い縁取りをつける。
 

24: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:27:26.09 ID:0oXNO4iLo

「でも、ちょっと長いね」

「二行に分けてみる? こう、下の行のインデント変えて」

 世界は君の言葉なんて
                 待っていない。

「なんか微妙だね」

「下の行が短すぎるな……」

「上の行を少し削ってみる?」

「って言ってもな。削れそうなのが『世界は』しかないぞ」

「となると……『君の言葉なんて待っていない』になっちゃうね」

「勧誘ポスターにそのフレーズじゃ、ただのツンデレになっちゃうな」

「たしかに……。縦の方がいいかもね。うーん、まあ、別のパターンも作ってみようか」

 とりあえず、『世界は君の言葉なんて待っていない.docx』を保存する。


25: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:28:45.20 ID:0oXNO4iLo

「じゃあ次……」

「あ、応答なしだ」

「また? 重すぎでしょこのパソコン。部長、先生に新しいPC買ってもらいましょうよー」

「どうせ普段使うのは軽めのテキストエディタだし、そんなに支障ないでしょ」

「部誌つくるときはワードじゃないですか」

「コンピュータルームに借りにいけばいいじゃない?」

「不便ですよー」

「部誌まとめてるのわたしだもん。蒔絵ちゃん、代わりにやってくれる?」

「……さて、たっくん、次いこっか」

「うっす」

「……薄情だなあ、ふたりそろって」

 俺は聞こえないふりを続けた。

26: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:29:11.24 ID:0oXNO4iLo

 次の画像は綺麗な青空の写真を選んだ。

「綺麗な空の写真にそれらしいフォントでそれらしいこと書いとけば人目を引くよ。わたしなら見るもん」

 と高森は言った。
 誇りと責任はどこにいった、と思ったが、声には出さなかった。

「フレーズはどうする? モード学園系?」

「どんなのあったっけ……」

 高森はルーズリーフを見ながら、しばらく悩んでいたようだった。

「じゃあこれ」

 と彼女が指さしたものを、フォントをいじりながら入力する。

『原稿用紙の上に、法定速度はない。』

「意味が分からんな」

「意味の分からん爽快感はあるよ」

「うわっつらだけって感じが否めないっす」


27: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:29:54.60 ID:0oXNO4iLo

「でもこれだったら、二行にしてもちょうどよさそうだね」

「空が背景になってる理由がさっぱり分からないけどな」

「いいの! 盗んだバイクで走りだす前に原稿用紙に思いの丈をぶつけてみるの!」

 そもそも、うちは原稿用紙なんてめったに使わない。

「あと、これだと勧誘ポスターだってわかりにくいし、しっかり何のポスターなのか書いておこうよ」
 
 監督の指示に従い、キャッチフレーズの下に小さめのフォントで『文芸部、部員募集中。』と追記した。

「ダッシュとか使ってみない?」

『――文芸部、部員募集中。』(明朝体、黒縁白字)

「やだ、こんなかっこいい部員募集ポスター見たことない」

「フォントと縁取り変えただけで結構ハイセンスに見えるな」

 部長がうしろで溜め息をついたのが聞こえた。


28: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:30:20.93 ID:0oXNO4iLo

「次行ってみよう!」

「ノリノリだな、おい」

「楽しくなってきた。次これね」

 そんな調子で、俺と高森は適当な写真に適当な言葉を乗せるという作業を十数回繰り返した。

 テンションが落ち着いてくる頃には四時半を回っていて、
 その頃には俺の目もじんわりと疲れを訴えはじめていた。

「……たっくん、あのさ」
 
 と、パイプ椅子にもたれて、顔を天井に向けたままの高森が声をあげた。
 疲れた声、気だるい姿勢。机に顔をのせている俺も、たぶん、似た風に見えているのだろう。

「なに?」

 あのね、と高森は言う。

「……すっごい徒労感」

「言うな……」

「どうする? このファイル……」

 とりあえずデスクトップにフォルダを作り、完成したファイルを入れておいたが、用途は皆無だろう。

29: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:30:56.59 ID:0oXNO4iLo

「貼ってきたらいいんじゃない?」と部長は言った。

「いやです。こんなの実際に貼れません。勧誘ポスターは自己表現の場じゃありませんので」
 
 高森は部長の提案をあっさりと拒絶した。

 じゃあなんで作ったんだ? 

 ……問うまでもなく答えが浮かんだ。その場のノリだ。

「わたしは良いと思うけどな。『文章は、吃音症者が発しそこねた言葉の残骸だ。』とか」

「うわあああ!」

 と俺は頭を抱えた。
 十分前の自分が恨めしい。

「タクミくんが書くものって、だいたい思春期全開だよね」

「……し、思春期まっただなかの人間の言葉だけが、思春期の少年少女に届くんです! きっと!」

 なるほどね、と部長は楽しそうにくすくす笑う。

「吃音症者に対する配慮が欠けてるよ!」と、横で聞いていた高森が唐突に口を挟む。
「たしかに」と頷いたものの、正直もうどうでもいい。


30: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:31:50.49 ID:0oXNO4iLo

「……やっぱトゥギャザーが一番ダメージ少ないよな。笑われてもネタにできるし」

「たっくん、冷静になって。トゥギャザーも相当アレだったよ」

 俺と高森は体力と気力を使い果たし、パイプ椅子にもたれるだけの脂肪の塊と化した。
 部長はずいぶん前からひとりマイペースに本を読み始めていて、俺たちのことは一顧だにしない。

 そんな静寂が二、三分続いたあと、高森は、

「あ」

 と声をあげたかと思うと、勢い良く立ち上がった。

「どうした?」

「バスの時間。いかなきゃ」

「じゃあねー」と、部長が本から顔を上げてゆらゆら手を振る。

「おつかれさまですー、また明日!」 

 高森がバタバタと部室を出て行ったあと、俺と部長は静けさの中に投げ出された。


31: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:32:18.40 ID:0oXNO4iLo

「さて」と、本をぱたんと閉じて、部長は立ち上がった。

「どうしました?」

「印刷しちゃおう、さっきのデータ」

「え」

 口を開けた俺にむけて、部長はにやりと笑った。

「わたしの『偽・考える人』だけが衆目にさらされるなんて、どう考えてもフェアじゃないもんね」

「ちょ、っと待ってください。文をさらすのと絵をさらすのじゃ、だいぶ違いますって」

「違わない違わない。大丈夫、この部屋の壁に貼るだけだよ。悪用しないって」

「やめましょうよそれ、俺と高森、後悔と向かい合いながら生活するハメになりますって」

「それ、いいね。それもポスターにしちゃおう。『後悔と向き合いながら、生活する。』」

「無駄! 資源の無駄ですって!」

 俺が必死になるのがおもしろいのか、部長はいつにもない笑顔でパソコンに向かいはじめた。

「ほんと、勘弁してくださいって。……ひょっとして、何か怒ってます?」

「べつに。わたしひとりにポスター作成任せたくせに今更やる気になるなんてむかつくとか、
 さっきまで無視されてて腹が立ったとか、そういうんじゃないよ」
 
 根に持たれていた。


32: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:32:48.70 ID:0oXNO4iLo

「……あの、すみませんでした」

「うん。許す」

 にっこり笑いながら、部長は印刷ボタンをクリックした。
 旧式のプリンターがガッコンガッコンと不穏な音を立てながらA4用紙を吐き出しはじめる。
 負い目があるので止めようにも躊躇するが、高森と俺の名誉の為に、どこかの段階で阻止しなければならない。

「部長……あの、勘弁してください」

「『ことばが、こころを守る。』」

「マジで勘弁してください!」

 彼女は俺の懇願を尻目に、鼻歌まじりに印刷を続ける。

「あとで職員室のコピー機で拡大印刷しようね?」

「……分かりました。好きにしてください」

 お手上げのポーズをして、俺は溜め息をつく。
 仕方ない。こうなったら、とりあえずは一旦引こう。

 俺が抵抗をやめる素振りを見せると、案の定、部長はつまらなそうな顔をした。
 おそらく、からかって面白がっているだけなのだ。

 あとは部長が飽きたときに、あるいはパソコンから離れた隙に、データを消してしまえばいい。
 印刷されてしまったものに関しては……部長の行動に注意を払っておけば、晒しものになることは避けられる、はず。

「……ふむ。思ったよりいい感じだね」

 プリンターが吐き出したポスターの出来栄えに、部長は感心していた。


33: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:33:18.98 ID:0oXNO4iLo

「……環境省に怒られますよ」

「だいじょうぶ。ちゃんと使えば、無駄遣いじゃないもんね」

「……あのー」

「好きにしてって、言ってたじゃない?」

 部長は完成したポスターをぺらぺら揺らしながら立ち上がった。
 俺はうしろから静かに忍び寄り、部長の手から紙を奪い取ろうとする。

「おっと」という声と同時、彼女は体をひらりと翻し、後ろ手にポスターを隠す。

「やりますね、部長……」

「こう見えて、わたし、G級ハンターだから」

「……絶対関係ないですよね、それ」

 意外な言葉に戸惑っているうちに、プリンターが次のポスターを吐き出しはじめていた。

 とっさに伸びた俺の手より先に、部長がそれを確保する。

「『給水塔の鴉が、僕に何かを伝えようとしていた。――文芸部、部員募集中。』」

 勧誘ポスターだということをすっかり忘れて、それらしいだけの言葉を並べ始めたのが敗因だ。

「捨ててきます」

「環境省に怒られますですよ?」

 部長はわざとらしい敬語でそう言ってにっこり笑った。
 ほんとに、いい性格してる。


34: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:33:53.90 ID:0oXNO4iLo

「……仕方ないですね。俺も腹を括りましょう」

「やっと諦めてくれた?」

「ただし、俺のだけじゃなく高森の書いたものもですよ」

「うん。よーし、じゃあ下駄箱あたりに貼りにいこっか」

 彼女が胸の前にポスターを戻したのを狙って、

「とったあ!」

 と腕を伸ばした。

「おっと」

 さっきと同じようにポスターは後ろに隠される。 
 惜しい、ちょっと掴んだのに、なんてことを考えられたのも束の間。

 部長が「あっ」と声をあげた。俺が引っ張ったせいで、ポスターは彼女の手からすべり落ちたらしい。
 A4用紙はひらひらと風に乗り、開けっ放しだった窓の外へと舞い降りていった。

「げっ」

「あーあ」

「う、うわあ!」

 思わず本気の悲鳴が口からこぼれた。
 窓辺に駆け寄って外を見下ろす。

 校舎裏の草むらに俺たちの考えたキャッチフレーズがさらされていた。


35: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:34:19.93 ID:0oXNO4iLo

「しーらない、と言いたいとこだけど、ちょっとごめん」

 やりすぎちゃった、という顔で、彼女はぽりぽりと頭を掻いた。

「ちょっと取ってきます。さすがに文芸部って書いてあるし」

「そっか。ばら撒いたら勧誘になるかもね」

「美化委員に怒られますよ」

 というか俺と高森が怒る。
 
「とりあえずいってきます」

「いってらっしゃい」

 部長はひらひらと手を振ってくれた。


36: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:34:46.62 ID:0oXNO4iLo



 階段を駆け下りて、一階の渡り廊下から土足で校舎裏に回る。
 一応土のないところを選んで歩いたが、汚れてしまったらあとで洗うなり拭くなりしよう。

 くしくも、園芸部の畑の近く。
 さっきの青春下級生たちは、もういなくなってしまったらしい。
 そりゃそうか。あの出来事から三十分は経っているのだ。

 そうだよな、今時間だと、もう誰もいないはずだ。
 ほっとして溜め息をつきかけたところで、視界に人影を見つけた。

 しかも、何かの紙のようなものをじっと見つめている。
 制服のままってことは、園芸部の連中ではあるまい。

 あんまりな不運だ。
 こんなことってあるだろうか。なんだってこのタイミングで、こんな場所に誰かいたりするんだ。
 
 俺はどうにかごまかす手段を考えたが、結局正直に声をかけるしか打つ手はなさそうだった。

「あの、ちょっといい?」

 仕方なく、俺はその見知らぬ女子生徒に声をかけた。


37: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:35:15.03 ID:0oXNO4iLo

「え?」

 彼女は、びくりと大きく体を跳ねさせた。
 こんな人気のない場所で、話しかけてくる奴がいるなんて思わなかったんだろう。

 ちょっと悪いな、と思ったけど、状況が状況だから仕方ない。
 彼女が手にもっているのは、たしかにさっき落としたポスターのようだった。

 なんて不運だ。
 たまたま紙が落ちたタイミングに、たまたま人が来るなんて。

「それ、うちの部のなんだ。上から落としちゃって」

 と、俺は三階のあたりを指さした。

「勧誘ポスターなんだよ」

 内容のセンスに関しては、こちらからは触れないことにした。

「……そうだったんですか。突然降ってきたから、なにかと思いました」

「ごめん。拾ってくれてありがとう」

 俺は必死に体裁を取り繕いながら、ポスターに書かれた文が俺ではなく高森の考えたものであることを祈った。
 
「文芸部なんですか?」


38: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:35:41.33 ID:0oXNO4iLo

「うん。きみは新入生?」

 そう問いかけたところで、彼女と目が合う。

 そのとき初めて、彼女の容貌をはっきりと意識した。

 背丈は、高森よりは高いけど、部長よりは低い、ちょうどまんなかあたり。
 低くもなく、高くもない。細く見えるのは、手足の関係か。

「はい」

 どことなく緊張した様子。
 それでも彼女は、ぎこちなく微笑んだ。

 俺はひそかに見とれていた。

 肩まで伸びた髪は、毛先までストンと落ちるようなストレート。
 夕日のせいかもしれないけど、栗色に光って見えた。

 雑木林の木々が風でざわめく。
 不器用そうな笑い方。柔らかい雰囲気。
 べつに際立って線が細いとか、色素が薄いとか、そういうわけじゃない。

 それなのに、ふとした瞬間に滲むように消えてしまいそうな不確かさ。
 気のせいだろうか。どこかで、会ったことがあるような気がする。

 それどころか……いや、まさかだ。


39: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:36:12.68 ID:0oXNO4iLo

「これ、もらっちゃだめですか?」

「……え?」

「ポスター」

 大真面目な顔で、彼女は自分の手元に視線を落とした。

「まだ、部活決めてなかったんです。ちょっとだけ、興味がわいたから」

 いや、部室の場所だけ教えるから、ポスターは返してくれないか。
 と、そう言いたかったけど、そんな空気じゃなかった。

「……ああ、いいよ」と、俺は仕方なく頷く。
 
「よくできてますね、これ」

 彼女の視線がポスターの紙面に落ちるのを見て、心臓がドクンと震える。

 俺は気が気じゃなかった。

「興味があったら、部室まで来てよ」と俺は言った。

「放課後なら、いつでも誰かしらいるからさ」
 
 じゃあ、と言って、俺は背を向けた。とにかくいますぐこの場から逃げ出したかった。

「ありがとうございます」

 と、後ろから声が掛けられる。さっきより緊張がとけた感じの、軽やかな声。

 俺は返事ができなかった。
 

40: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:37:41.71 ID:0oXNO4iLo



 なんとなくすぐに部室に戻る気になれなくて、俺は東校舎の屋上へと向かった。
 本校舎の屋上も東校舎の屋上も、一応開放されてる。

 天気の良い日には本校舎の屋上をランチに使う生徒もすくなくない。
 もともとそういう用途だったのだろう。芝生が植えられていて、ベンチなんかも置かれていたりする。

 東校舎の屋上は、そういうのとは違う。すこしそっけなくて、どちらかといえばひとりになるための空間に近い。
 ベンチも芝生もない。その差はなんとなく、示唆的だという気がする。

 よく晴れた五月、じっとしているだけで汗の滲んでくる肌を、屋上に出た途端、フェンス越しの風がゆるく撫でた。
 頬をたれた汗を手のひらで拭う。空はゆっくりと夕焼けに近付いていく。俺は何かを思い出しそうになった。

 さっきの女の子の顔を思い出す。
 見間違いかもしれないけど、俺は彼女のことを知っているような気がする。

 考えないようにしていたことを、また、考えてしまう。 そんなタイミングで、

「暇なの?」

 って、うしろから声がした。

「……びっくりした」

 振り返ると、校舎につながる鉄扉のすぐそば、かくれるみたいに、ひとりの女の子が膝を抱えて座っていた。
 変な日だ。女の子とばかり会う。ゴローは帰っちゃうし。

「……佐伯?」

「うん。佐伯ですよ」

 と言って、彼女は手に持っていたシャボン玉用のストローをふっと吹き込んだ。
 吹きこまれたシャボンはまんまるく光ながら風に乗る。


41: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:38:25.92 ID:0oXNO4iLo

 いちおう、文芸部員である佐伯。物腰が落ち着いていて、普段は大人びているんだけど、
 ときどきこういう、変に子供っぽいところを見せる。部活サボって屋上でシャボン玉吹いたり。

「……なんでこんなところにいるわけ?」

「朝、コンビニ寄ったらシャボン玉おいてあってさ」

「はあ」

「ちょっとやりたいなって」

「なるほどな」

 おまえの方が暇なんじゃねーかと思った。

「浅月、なにかあったの?」

 浅月、も、俺のことだ。

「なにが」

「すごい顔してたよ、今」

「どんな顔?」

「誰かに似てたな。誰だっけ……」

 そう言ったきり、彼女は何か考えこむような様子で黙りこんでしまった。


42: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:38:56.75 ID:0oXNO4iLo

「部活は?」

「高森とゴローは帰ったよ。そっちこそサボり?」

「べつにさぼってないよ。こういう時間が必要なんだよ」

「知らないけどさ」と、俺は溜め息をついた。

「浅月」

「なに?」

「なんかつらそうだよ」

「……や。そんなことないけど」って、俺はごまかし笑いをした

「やっぱり誰かに似てるなあ」って佐伯は言った。

 佐伯がつくりだしたシャボン玉が、屋上にふわふわ浮かびながら、昼下がりの太陽を浴びてきらきら光っている。
 なんとなく、いろんなことを思い出す。順不同に。
 
 子供の頃の夏。中学のとき、屋上で言われた言葉。眠られずに起きたとき聞いた、両親の会話。途絶えたメール。誰かの泣き顔。

「……そろそろ帰るよ」

「そう? そうだね。もうそういう時間だね」

 じゃあばいばい、って佐伯はひらひら手を振った。


43: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:39:31.61 ID:0oXNO4iLo



 部活を終えてマンションに帰ると、静奈姉はもう帰ってきていたみたいだった。
 ダイニングのソファに寝転がって、クッションを抱えたままテレビを眺めている。

「ただいま」と声をかけると、「おかえりなさーい」と声だけは元気に帰ってきた。

「遅かったね」と静奈姉は言った。

「いつもどおりだよ」と答えると、彼女はちらりと掛け時計の針を見つめたあと、小さくうなずく。

「うん。たしかに。そうかもしれない」

 地元から遠くの高校に進学すると決めたとき、俺は一人暮らしをしようと思っていた。
 というと因果関係が逆で、実際は一人暮らしがしたかったから遠くの高校に進学しようとしたんだけど。

 当然、両親からは猛反対を食らって、何回も説得されたけど、最終的には折れてくれた。
 折れたというより、諦めたって感じだったけど。

 それでもいきなり一人暮らしなんてさせるわけにはいかないから、せめて親戚の家に下宿という形で、と言われたが、
 俺はこれも拒否した。自分でもワガママ言い放題、困った子供だとは思う。

 べつに自立心が旺盛だったわけじゃないし、なんでも自分ひとりでできるとたかを括っていたわけでもない。
 それどころじゃなかっただけだ。


44: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:40:02.60 ID:0oXNO4iLo

 進学先の高校の近くに親戚が暮らしていることは分かっていた。
 だからこそ、そこを選んだという面もある。
 お目付け役をつける形なら、話も通ると思ったのだ。本当はそれだけじゃなかったけど。

 とはいえ、そもそも下宿と言っても、子供のワガママの為に親戚に迷惑をかけるのは、両親の望むところでもなかった。

 そこで手を挙げてくれたのが、大学に通うために一人暮らしをしていた静奈姉。
 五歳か六歳だったか、年上の親戚。

 子供の頃から従姉弟のように遊んでいて、お互い知らない仲じゃない。
 
 なによりも俺の心情を汲んでくれて、
 家賃や諸々の生活費を折半することを条件に、俺がここで暮らすことを許してくれた。
 おじさんたちと静奈姉には頭があがらない。

 もちろん、実際に俺が払うべき金を出してくれている両親にも、感謝はしている。

 そういう状況になってはじめて、うちが世間一般的には、比較的裕福な家庭に属するのだとも知った。
 ……そういうことの諸々が、俺としては嫌だったんだけど。

「タクミくんさ、何部だっけ?」

 寝転がったまま、静奈姉は気の抜けた声でそう訊ねてきた。

「文芸部」

「……文芸部かあ」

 何かを思い出すみたいに、彼女はしばらく黙り込んだ。


45: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:40:29.11 ID:0oXNO4iLo

「……ごはん、つくろっか。お腹すいたでしょ」

 そう言って笑った静奈姉は、ソファから起き上がった。

「手伝う」

「いいよ。疲れてるでしょ」

「運動部でもあるまいし、べつにたいして疲れてもないよ。静奈姉こそ、バイトだったんでしょ?」

「いーの。タクミくんにご飯つくらせたりしたら、お父さんたちに何言われるかわかんないもん」

「世話になってるのは俺だし」

「……このやりとり、何度目だっけ?」

「忘れた」

「変わんないよね、お互い」

 彼女はくすくす笑ってからヘアゴムで長い髪を後ろにまとめて、ビリジアンのエプロンをつけた。
 かたちから入るタイプなんだ、って、ここに来てすぐの頃に言っていた。

 変わらないと彼女はいうけど、昔の静奈姉はもっとはしゃいだり、感情をあらわにすることが多かったような気がする。
 もちろん、歳をとって落ち着いてきた、といえばそうなんだろうけど。

 そういう些細な変化が、この街にいなかった俺には少し寂しかったりする。
 時間の流れを突きつけられるようで。


46: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:40:59.05 ID:0oXNO4iLo

 そのままキッチンに向かって、静奈姉はひとりで料理をはじめてしまった。
 俺はとりあえず着替えることにした。

 一応2DKで、俺用の部屋も用意してもらえた。もともとは物置として使っていたらしい。

 荷物をおいて部屋着に着替えてからダイニングに戻ると、

「お皿出してもらえる?」と声を掛けられた。

 うなずいて俺はキッチンに入り込み、棚から食器を用意した。
 
 食事ができあがってからテーブルに運び、向い合って座る。

「いただきます」

「めしあがれ」

 そして黙々と食事がはじまる。お互い喋らないってわけじゃないけど、何を話せばいいのか分からなかった。
 そういう雰囲気がまるまる一年続いて、なんだかお互い、口数も段々減ってきたような気がする。

 気まずさを感じているのは、俺だけなのかもしれないけど。

47: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:41:25.60 ID:0oXNO4iLo

「……学校、どう?」

 ときどき、沈黙を嫌うみたいに、静奈姉は俺にそういう質問をぶつけてくる。
 気まぐれなのかもしれないし、ずっと話しかけるタイミングを窺っていたのかもしれない。

 俺には知りようもないことだ。

「楽しいよ」

「そっか。ならよかった」

 静奈姉はふんわり笑った。
 この人に迷惑をかけているのだと思うと、すぐにでもここを出て行くべきだという気持ちになる。

 でも、ぜんぶがいまさらだ。
 途中でやっぱりなし、にするわけにも、たぶん、いかないのだろう。

「新学期だけど、新入部員とか来たの?」

「いや。全然だよ。部員全員、やる気ないし、勧誘もとくにしてるわけじゃないし」

 ポスターの話をしようかどうか迷ったけど、どう話せばいいのかわからなくて、結局やめた。
 会話が途切れるのをおそれるみたいに、静奈姉は言葉を続けてきた。

「……明日は、バイト?」 

「うん。夕方から」

「ご飯はどうする?」

「適当に買って済ませるけど……どうして?」

 普段からそうしているから、いまさら聞くこともないのに。

「ううん。明日、ともだちにご飯誘われたから、どうしようかと思って」

48: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/14(土) 12:42:06.72 ID:0oXNO4iLo

「行ってくればいいじゃん」とすぐさま言ってから、ちょっと偉そうだったかな、と反省する。

「俺に気使うことないよ」

「そうかな」と静奈姉は曖昧に笑った。そうもいかないよ、と内心では思っているんだろう。

「いつも俺のせいで迷惑かけてるんだし、そこまで気使われたら、俺、申し訳なくてここにいられないよ」

 静奈姉は少し戸惑った顔をしていたけど、やがて取り繕うように笑って、頷いた。
 申し訳ない、だってさ。俺は自嘲する。ここにいる時点で、いまさらだ。わかってるのに。

「うん。じゃあ、明日、帰り遅くなるかも」

「了解」

 その話が終わると、気まずい雰囲気はきっかけもなく徐々にほぐれていった。
 俺と静奈姉は、ふたりで並んでテレビを見ながら、出ているタレントについてのゴシップめいたあれこれについて話した。

 お互いが思っているだろうことについては、何も喋らなかった。これまでそうしてきたように。

53: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:07:29.17 ID:ZQjZY+y8o



「時間は取り戻せません」と、去年の入学式の後、教卓に立っていた当時の担任は言った。

「どんなふうに過ごしていても時間は流れます。楽しくても苦しくても、何もかもが過ぎていきます。
 なにかのきっかけで大きく変化してしまうこともありますし、
 ちょっとした変化だったはずなのに、積み重なって大きく変わってしまっていたことに気付くこともあります。
 ごく当たり前のことです。仲の良かった人といつのまにか話しづらくなったり、
 以前は想像もしていなかったような相手と、気付いたら深く結びついていたりします」

 それでも時間は、すべて地続きになっています、と彼は話を続ける。

「ふとしたときに、ふるい友達のことを思い出して、懐かしくなったり、寂しくなったりします。
 以前とは大きく変わってしまっていることに不意に気付き、悲しくなったりします。
 大事だったもの、楽しかった繋がりが、いつのまにか失われていることに気付いて、耐えられなくなることもあります」

 彼はそこで笑った。

「年寄りのたわごとです。笑ってください。あなたたちはそれが許される年齢です」

 実際、何人かはバカにして笑った。

「覚えていてください。どんな人間も、突然大人になるわけでも、突然子供でなくなるわけでもありません。
 過去を現在から切り離すことは困難ですし、未来は現在の地続きにあります。
 地続きですが、それでも変化は必ず訪れます。
 変化が不可避なら、後悔も不可避です。あなたたちは、可能なかぎり現在に真摯に、誠実に生きてください」

 気付いたときに何もかも手のひらからこぼれ落ちている、そんなことにはどうかしないでください。
 
 そんな、それだけの言葉を、俺は不思議と覚えている。説教臭いって鼻で笑おうとしたのに。 
 

54: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:07:55.36 ID:ZQjZY+y8o



 そして、そんな取り戻すことのできない貴重な高二の初夏の土曜に、
 俺は友人の家で怠惰にゲームにふけっていた。

『じゃあ、セント・マキエルの街でシーカーたちを壊滅させたのは……』

『あなたの仕業だったのね! グレイル!』

「なー。タクミくんさあ」

 ゴローの部屋のゴローのベッドで横になったまま、ゴローは、俺にそう声を掛けてきた。

「あい?」

 俺はボタンを押した。

『……話す義務はない』

『どうしてだ、グレイル! どうしてそんなことを!?』

「ゲームすんのは別にいいんだけどさあ」

「おう」

『……ふん』

『グレイル!』

『勘違いしないでほしいものだな。最初からおまえたちの仲間になった覚えなどない。私は常に、私の目的の為に行動している』

「……人んちで、がっつりRPGすんなよ」

『グレイル、てめえ……!』


55: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:08:51.92 ID:ZQjZY+y8o

「んー、でも、ここまで来たら続き気になるし……。な、最近のゲームって当たり前みたいにボイスあるんだな」

『グレイル! ちくしょう、おまえみたいな奴を、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ良い奴だと思ってた俺がバカだったよ!』

「タクミ、あのさ……」

「んー?」

『……好きに罵ればいい。そんな言葉などでは、何ひとつ取り戻せん』

「グレイル、死ぬぜ」

「……おい、まじかおまえ」

「レオン庇って死ぬ」

「マジか、おい」

「ちなみにグレイルの目的はレオンの肉体に宿った呪印の副作用を除去することでな……」

「やめろ、おいやめろ」

「そのために必要な魔鉱石の加工技術を手に入れるために敵組織に参加して……」

「ごめんゴロー、俺が悪かった」

「それというのもグレイルの正体はレオンの姉の元許嫁で、死んだ恋人の弟の命を守るために恋人の仇である組織のしもべとなり……」

「うわー、あーあーあー!」

 俺はコントローラーを放り投げて頭を抱えた。目を閉じても耳を塞いでも手遅れだった。
 
 知ってしまったことを、知らなかったことにはできない。
 刻まれた情報は、抹消することができない。

 俺がこの短い人生の中で学んだいくつかの教訓の中で、もっとも実感に基づく言葉が、また思い出された。


56: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:09:23.14 ID:ZQjZY+y8o

 ベッドに寝転がるゴローを睨んだ。こいつには慈悲というものがないのか。

「どういうつもりだ、貴様!」

 思わず詰め寄った俺に対して、ゴローは呆れたような溜め息をついた。

「どういうつもりはこっちの台詞だ。何しに来やがった」

「遊びにきたんだよ! で、遊んでたんだよ!」

「どうぞ続けてくれたまえ」

 と言って、彼は手のひらでコントローラーを示した。
 知的に眼鏡の位置をくいっと直しながら、首を動かして前髪を揺らす。切れ長な目元がかすかに笑っている。

「続けられるか! ネタバレされて!」

「大丈夫。世の中にはネタバレを読んでから叙述トリックミステリを読むような人間もいるんだぜ」

 俺はゲーム機本体の電源を切った。

「……セーブしなくていいのかい?」

「いいさ。人生はオートセーブだからな」

「ま、たしかに」

 ゴローは神妙に頷いてから、さっきからぺらぺらとめくっていた漫画雑誌をパタンと閉じて、体をベッドから起こした。


57: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:10:00.31 ID:ZQjZY+y8o

「たしかに。なるほど。言い得て妙。セーブポイントからやり直しってわけにはいかないさな」

 しきりにうんうん頷きはじめる。変なところでひっかかる奴だ。

 それ以降急にゴローが黙り込んでしまったので、なんだろうと思って、俺は奴の顔をしばらく眺めていた。 
 
 ゴローとも、なんだかんだで一年以上の付き合いになるのだと思うと不思議な感じがする。
 はじめは、部活が一緒ってだけの付き合いだった。クラスだって違うし、話したこともなかった。
 べつに性格が合わないってわけでもないけど、ゴローは積極的に誰かと話すタイプじゃなかったし、俺もそうだ。

 それでも一応、少人数の部活で長い時間一緒にいるとなれば、よくも悪くも距離は近くなるわけで、
 気付いたころには、けっこう仲良くなってた。

「……は。ため息も出ねえな」

 なんて、不意にゴローは言って、はー、とため息をついた。

 出てるじゃねえか、と思ったけど口には出さなかった。
 どうでもいい。

「どうしたんだよ」

 尋ねると、眼鏡の向こうの二対の瞳が、くるりと動いてこちらを見た。
 ちょっとどきりとする。

「どうかしたのはおまえの方じゃないか?」

「え?」


58: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:10:27.05 ID:ZQjZY+y8o

「普段だったら、ゲームに飽きて出かけようって言いだす頃だろ」

「え、いや……」

 言われてみれば、いつもはたしかにそういうパターンが多かった。
 時計を見ると、正午を回っていた。腹をすかせて出かけている頃だ。たしかに。

「べつに、どうかしたってわけじゃないけど」

「ふうん?」とゴローは意味ありげに首をかしげてから、ベッドを降りた。

「変だぜ、今日のおまえ」

 真顔で、ゴローはそう言った。

「去年の今頃もそんな感じで上の空だったな」

「ホントに、べつに何も……」

「ホントに?」

「……なくはないけど」

「内容には、興味はないけどな」

 ゴローがぽつりと呟いたときに、開けっ放しだったドアの隙間から三毛猫がえらそうな顔で部屋に入り込んできた。
 そいつはそのまま俺の膝あたりまでやってきて、太腿あたりに額をこすりつけてくる。

 そいつの頭をそっと撫でた。


59: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:10:57.43 ID:ZQjZY+y8o

「……よくわからないんだよな」

「なにが」

「なにが分からないのかさえ、よくわからない」

「自分で分からないことが、他人に分かるわけもないわな」

 ゴローはうんうん頷く。俺もそう思う。分かってもらえるなんて思ってたわけでもないけど。

「タクミくんさ、一年の頃からずっとそうだよな」

 感慨深げにゴローは溜め息をつく。

「何がそんなに引っ掛かってるんだ?」

 なんだろう。それは難しい質問だ。答えるのが、とてもむずかしい。
 たくさんのこと。いろんなことの、重なり。さまざまな行き違い、座礁、混乱。
 掛け違いのボタン、誤字だらけのメール、宛先不明の郵便物。

「つまり、俺は……」

 と、口を開く。

「俺は?」

 とゴローは続きを促す。


60: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:11:23.91 ID:ZQjZY+y8o

「俺は……ロマンチストなんだよ」

「ほお?」

 けったいな言葉が出てきやがった、とゴローは肩をすくめた。

「ロマンチストだから。自分が暮らしてる世界が、もっと素晴らしくドラマティックであるべきだと思ってるんだな」

「ふむ?」

「楽しくて、きらきらしてて。昔は、そういうふうに見えたんだ。でも、ずっとそのままってわけにはいかない」

「そうかい?」

「いつのまにか、会えなくなった人とか。せわしなくなって遠ざかった縁とか。楽しかったこと、ずっと続くと思ってたんだ、俺」

「なるほどね」

「いつのまにか、会えなくなってた。いろんな人と。そうこうしてるうちに俺にもいろいろあったし、昔のままじゃいられない」

「……」

「気付いたら、見える世界は偏ってて、退屈で、どこか色褪せてて、昔みたいにきらきらしなくなってた」

「はあ」


61: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:11:50.91 ID:ZQjZY+y8o

「これからもう、ああいうきらきらした景色に出会うことはないのかなって思うんだ。
 ぜんぶ変わっていって、なくなっていって、残るのはこういう、やりきれない気持ちだけなのかもしれないって」

 昔は何も知らなかった。何も知らなかったから、楽しかった。
 今は、少しだけど知ってしまった。変わっていくこと。流されていくこと。

「ふうん、なるほどね」

 ゴローはどうでもよさそうにうなずいて、俺のかたわらの猫を抱き上げて、肉球をふにふにしはじめた。

「じゃあさあ、タクミくん。こうしないかにゃ?」

「きもちわる。いまどっから声出した?」

「喉から。……なあタクミくん、俺と賭けをしないか?」

「賭け?」

 そう、賭けだよ。ゴローはそう言って眼鏡をはずして、枕元のボックスティッシュから紙を二枚抜き取ってレンズを拭いた。
 そんな何かの片手間みたいなどうでもよさそうな調子。それなのに、ゴローの声はいつもより真面目そうに響いた。

62: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:13:29.77 ID:ZQjZY+y8o

「きらきらじゃなくなってしまった世界。楽しいことが過ぎ去っていく世界。なにもかも悲しくて悲しくてとてもやりきれないだけの世界。
 いま、おまえが言ったのは、そういう世界のお話だ。違うか?」

「違わない」

「じゃあ、賭けをしようぜ、タクミ」

 そう言ってやつは、猫の肉球で俺のうなじをパンチしはじめた。くすぐったい。

「この世は本当に、なにもかもやりきれないだけの、退屈なだけの世界なのか?
 それとも、世界はもっときらきらしていて、ドラマティックで、素晴らしいものなのか?
 どちらかが真実で、どちらかが嘘なのか?」

「……は?」

「世界は、退屈か? それとも、きらきらか? そういう賭けをしようぜ」
 
 季節は初夏。けだるい土曜の午後、天気は晴れ、部屋には人間が二匹と猫が一匹。
 くしくも、夏への距離は遠くない。

「……何を、どう賭けるんだよ」

「おまえが勝ったら、なんでも言うこと聞いてやる。俺が勝ったら牛丼おごれよ」

「勝敗の基準は?」

「簡単だろ。これからおまえの日々に、きらきらが起こるかどうか、だ」

 きらきら。きらきらってなんだよって思った。どういうことだよ、きらきらって。
 でも、

「いいよ」って俺は頷いた。

 こうして、この土曜、まどろんだような心地のまま、俺とゴローの賭けははじまった。
 べつに深い意味なんてなかったんだけど。


63: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:14:33.91 ID:ZQjZY+y8o

 その土曜は結局することもなくて、仕方なく本屋にいったり中古ゲームショップにいったりしたけど何も買わなかった。
 昼食はマックで済ませて、あとは自転車でそれぞれの家に解散した。大概の土曜はそんな感じだ。

 当然、日曜だって何か特別なことが起こるわけでもなかった。
 眠かったから寝て、腹が減ったから起きだして、昼過ぎからバイトだった。

 バイト先に選んだのはコンビニだった。
 距離的に近かったからというのもあるし、仕事が楽そうだったから、というのもある。
 ガソリンスタンドやなんかは雰囲気に馴染めそうになかった。飲食店でもよかったのだが、時間帯と距離の都合でやめた。

 当然バイトはただのバイトで、とくにきらきらとしたことは起こらなかった。
 暇な時間に他のバイトの学生と無駄話をしていたら仕事は終わっていた。
 
 もちろん、こんな調子で何かが変わるわけもない。

 で、翌週の月曜、当たり前のように登校して、自分の席に腰掛けて、「やっぱり五月だってのに暑いな」ってぼやいてたら、
 
「たっくん!!」
 
 って、泣きそうな顔の高森が教室にやってきて、春からのクラスメイトたちは面食らっていた。

「たっくんって誰?」というふうにさまよう同級生たちの視線。
 この状況で立ち上がるのはいやだなあと思ってたら、高森が俺の姿を見つけて急ぎ足でツタツタ歩み寄ってきた。


64: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:15:00.28 ID:ZQjZY+y8o

「たっくん、どういうこと!」

「な、なにが」

「心当たりがないなんて言わせないからね? これ!」

 と高森が俺の顔の前に突き出してきたのは、先週つくった例の勧誘ポスターだった。
"ことばは、きみの思いにかたちを与える"――文芸部、部員募集中。(高森作)

「下駄箱のとこに貼ってあった!」

「……まじで?」

「たっくんじゃないの?」

「俺、知らない」

「……え、じゃあ部長?」

「いや、部長はさすがに、そういうことしないと思うけど」

「じゃあゴローくん? それともちーちゃん?」

「どっちもあの日は部室にいなかっただろ」

「じゃあ誰!」

「高森、犯人探しは後にしようぜ」

「でも!」

「冷静になれよ、一枚貼られてたってことは……」

「……まさか」


65: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:15:36.54 ID:ZQjZY+y8o

 そこからの俺と高森の行動は迅速だった。危険でない程度の速度で廊下や階段を素早く移動。
 掲示板や壁をくまなく調査し、例のポスターが貼られていないかどうかを確認。

 もし発見された場合はすぐに回収。画鋲は放置した。

 結果、回収されたのは九枚。下駄箱、各階廊下の掲示板やトイレ前の壁など、実にさまざまな場所に掲示されていた。

 俺と高森は回収作業を終えたあと、東校舎と本校舎をつなぐ渡り廊下の出入り口に座り込んで呼吸を整えた。

「何者かの敵意を感じるよね」と高森は疲れきった声でぼやく。

「最悪の朝だ」と俺も思わず唸った。

 何が悲しくて月曜の朝から校舎中を駆け回らなきゃいけないんだろう。
 
「やっぱり陰謀だと思う?」

「誰の」

「第二文芸部とか」

「まさか。あいつら俺らに興味ないだろ」

「じゃあ生徒会? PTA?」

 ……文芸部の勧誘ポスターを貼ってそいつらに何のメリットがあるんだ?


66: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:16:31.92 ID:ZQjZY+y8o

 と、高森の行き場のない怒りが疑念になって方々に向かいはじめたまさにそのとき、

「おおい」と校舎の方から声が掛けられた。

 ハンプティダンプィみたいなまんまるい体型。普通の人より一回り以上大きい体躯。
 太っているせいで、首がどこにあるのかよくわからない。
 整えられているわけでもない伸びっぱなしのまばらな無精髭、ぼさぼさの髪はくるくると渦巻いている。
 野暮ったい黒眼鏡から覗く瞳は熊のように優しげだ。

「ポスター剥がしちゃったのかあ?」

「あんたか!」

 と俺と高森の声がそろった。

「え、なに?」と戸惑った様子でおどおどしはじめた大男は、文芸部顧問の中田 英之。
 担当教科は現国。あだなはヒデ。

「先生か……盲点だった」

 高森に恨ましげにみつめられて、ヒデはかわいそうなくらいにおろおろしはじめた。

「え、なんかまずかった? 部室に勧誘ポスターあったから、みんなやる気になってくれたんだなあと思って……」

「……どういうこと? 印刷したのは先生じゃないんですか?」

 やべ、処分してなかった、と俺は視線を逸らした。

「……たっくん?」

「あー、うん」

 やは、とごまかし笑いが出た。


67: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:17:06.33 ID:ZQjZY+y8o



 そんな騒々しい朝の顛末の影響は、案外早く訪れた。
 といっても、問題になったのはポスターそのものじゃない。

 その日の放課後のこと。

 いつもの文芸部室には、今日は四人の部員がいた。
 俺にゴロー、高森、部長。佐伯はたぶん、屋上かどこかだろう。

 気だるい午後の日差しのなかで、ゴローは居眠り、部長は読書、俺と高森は"バリチッチ"をやっていた。
 朝のポスター騒動も、早めに対策をとれたおかげで被害はなかったし、多少責められはしたが、高森は上機嫌だった。

「チッチッチッチー、バリチッチ。2」

「あっ」

「ふふふ。たっくん、まだまだだね」

「……なに、その遊び」

 部長は呆れ顔だった。

「子供の頃やりませんでした?」

「覚えてないなあ」

「わたしも従兄に教わったんですけどね」

「俺は親戚に」

 そんな話をしてるときだった。嵯峨野 連理があらわれたのは。


68: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:17:32.33 ID:ZQjZY+y8o

 ノックの音は、なんとなく威圧的に聴こえた。どこか肩肘の張ったような。
 でもとにかくノックはノックだったし、ポスターは回収したけど、一応文芸部は部員を募集中だ。
 不意の来客があっても変なわけじゃない。

「どうぞ」と部長が言うと、ドアは静かに開かれた。

「失礼します」と儀礼めいた声音で呟いた男は、見るからに身長が180センチ前後はありそうなすらりとした男子だった。
 長い手足に整った顔立ち。髪は短めだけど、ワックスかなにかでふんわりボリュームを出して整えてある。
 切れ長の目元、しゅっとした顎。体つきは細いけどガリガリってわけでもなさそうだ。

 その人は扉の内側に体をしまいこんでから、あたりを落ち着いた様子で見回して、

「第一文芸部の部室はここでいいのかな?」

 静かに訊いてきた。

「そうですよ」と部長は答えた。

「何か用事? 嵯峨野くん」

 俺は部長の顔と例の男子生徒の顔を見比べた。

「部長のお知り合いですか?」

「同級生」

「はあ」 

 先輩なのか、と思った。まあなんとなく、そうじゃなかったら落ち込んでたけど。


69: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:17:58.64 ID:ZQjZY+y8o

「いや。朝、廊下でその子とぶつかって」と、彼は高森の方を見た。

「あー」という顔を高森はした。

「その節はとんだご迷惑を……」

「いや。こっちも不注意だった。それで、そのときにこれを落としていったから、使うのかもしれないと思って」

 彼は手に持っていた紙を前の方に掲げた。

「あ、それ」

「勧誘ポスターみたいだけど、今時期たいへんだね」

 嵯峨野先輩はにっこり笑って、部長にポスターを差し出す。

「ありがとう。教室で渡してくれてよかったのに」

「ああ、うん」

 そのとき彼が、ちらりと高森の方を見たような気がした。気のせいかもしれない。

「それにしても、第一文芸部って、活動してたんだね」

「してましたよ」と部長は心外そうに言った。

「てっきり都市伝説みたいなものだと思ってたから、部室があるって知ってびっくりしたよ」

「そりゃ、第二に比べたら人数も少ないけどね……」


70: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:18:38.96 ID:ZQjZY+y8o

 なんでかわからないけど、俺は居心地悪く感じた。

「よくわからないんだけど、どうして文芸部って分裂してるの?」

「なんだろ、音楽性の違いかな」

 部長の適当な返事に、先輩は軽快に笑った。

「それじゃ、行くよ。お邪魔しました」

 背を向けた先輩に対して、部長は「うん。ばいばい」と言ってひらひらと手を振る。

 少しの沈黙が残る。

「わたし、あの人苦手」

 ぼんやりこぼした高森に対して、ゴローが無責任に、

「そう? かっこいいじゃん」なんて言った。

 たしかに、と俺も思う。 

 そのときはそれで終わりだと思ったのだ。


71: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:19:05.60 ID:ZQjZY+y8o



 それから高森は手遊びにも退屈したのか、しまってあった部誌のバックナンバーに目を通し始めた。
 手持ち無沙汰になった俺は部長とどうでもいいような話をはじめた。

「シンデレラってあるじゃないですか」

「あるね、シンデレラ」

「めでたしめでたし、で終わるじゃないですか」

「うん」

「あれ、どう思います?」

「どうって?」

「シンデレラは王子様と結婚して幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし、で物語は終わりますよね?」

「うん」

「もしそこに続きがあったとしたら、部長は知りたいと思いますか?」

「めでたしめでたしの、その続きってこと?」

「はい。もしかしたら、シンデレラはもっと幸せになっているかもしれないし、もしくは、突然の不幸に見舞われているかもしれない」

 幸せな終わり方をする物語、御伽話。めでたしめでたし、の物語。
 その物語の続き。


72: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:19:45.59 ID:ZQjZY+y8o

 恋愛映画でようやく結ばれた男女は、三ヶ月後には価値観の違いで別れているかもしれない。
 青春小説で固い絆で結ばれた友人たちは、やがては離れ離れになるだろう。
 さまざまな思索の末にささやかな幸せを実感できた中年男性は、日々の忙しなさに負けて、また元通り憂鬱な生活を送るのかも。

 仲の良かった友達が自分のことを忘れるかもしれないし、大好きだった人たちが、喧嘩別れをしているかもしれない。

 物語に続きがあるとすれば、それは幸せなだけではないかもしれない。

 好き合っていた男女だって、うんざりしてすぐに別れてしまったのかも。

「タクミくんは、知りたいの?」

「それを迷っていたんです」

「……どっちにしても、知らない方が幸せなことってあるよね」

「……」

 知らない方が幸せだったこと。知ってしまったら、元には戻れないこと。

「もし、不幸な結末に耐え切れないなら、どうすればいいか分かる?」

 部長は静かにそう訊ねてきた。俺は首を横に振った。

「ページをめくるのをやめればいいんだよ。幸せなページで、続きを読むのをやめてしまえばいい」

 だからそれは、覚悟の問題なんだと部長は言った。


73: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:20:43.43 ID:ZQjZY+y8o

「あるところに男の子と女の子がいました。ふたりは仲良くなって、お互い好き同士になって、付き合うことになりました」

 めでたしめでたし、と部長は言う。

「その先に何があるのかな? もしかしたら、そこがもっとも幸福な地点なのかもしれない。もちろん、そうじゃないかもしれない。
 でも、ページをめくるのをやめてしまえば、続きは知らずに済む。物語を幸福で終わらせられる」

 だから、と部長は言った。

「不安ならページをめくらなければいい。その先に何があるのかなんて誰にも分からないんだから。
 ひょっとしたら、知ってしまったら後悔することになるのかも。何もかも、台無しになってしまうかも。
 それでもどうしても"つづき"が知りたいなら、"その後"を知りたいなら、それなりの覚悟をしなきゃいけないよね」

 だって、その先に幸福が約束されてるなんて、かぎらないんだから。

 ――これからもう、ああいうきらきらした景色に出会うことはないのかなって思うんだ。
 ――ぜんぶ変わっていって、なくなっていって、残るのはこういう、やりきれない気持ちだけなのかもしれないって。
 
 自分が発した言葉を、なぜか今思い出す。続く未来に幸せがないなら、ページをめくるのをやめてしまえばいい。

 幸せなページで、読むのをやめてしまえば、幸せな場面で物語が終われば、それは幸せな物語だ。
 幸せに物語を終わらせたいなら、そうすればいい。

 でも、それは、まるで……。

 考えかけたところで、また、部室の扉がノックされた。
 

74: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/15(日) 19:22:16.04 ID:ZQjZY+y8o

 さっきとおんなじように部長が「どうぞ」と言うと、失礼します、と声が聞こえた。
 女の子の声。聞き覚えのある声。
 
 俺は少しだけ緊張した。

「文芸部の部室はこちらですか?」

 みんながみんな、きょとんとした。

 部長も、ゴローも、高森も。
 俺だけが少しだけ違った。
 
 先週、校舎裏で見た顔。見覚えのあった顔。ポスターを拾った少女。

 彼女は俺の顔を見つけて、ほっとしたように息をついた。

「えっと、文芸部に興味があって、見学させていただきたいんですけど……大丈夫ですか?」

「……入部希望者?」

「あ、はい」

 部長の質問にうなずくと、彼女はにっこり笑ってぺこりとお辞儀をした。

「一年の藤宮ちはるです。よろしくお願いします」

 土曜の昼にゴローとした賭けのことを、俺は思い出した。
 なんとなく、いろんなことが怖くなる。

 それでも、藤宮ちはるは、うかがうように俺を見て、
 それからもう一度にっこり笑った。

79: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:47:36.28 ID:ZFXDl97Lo



「ちーちゃんは既にいるから、なんて呼ぼっか。はるちゃん? るーちゃん?」

 高森のそんな馬鹿げた質問に、藤宮ちはるは得意の笑顔で「じゃあるーちゃんで」とあっさり言った。

「よろしくるーちゃん」と言って高森は藤宮の頭をくるくる撫で回す。
 あはは、って首を竦めて藤宮はくすぐったそうに身をよじった。

「藤宮ちはる」と俺は口の中だけで復唱した。誰にも聞こえなかったと思ったのに、ゴローだけは耳ざとく気付いたらしい。

「知り合い?」なんて訊いてきたから、とっさに「いや」って否定してから藤宮の方を見ると、彼女もこっちの方を見ていた。 
 一瞬だけかち合った視線があっというまに逸らされる。

 そうこうしているうちに部長がささっと戸棚から紙切れを用意して、はい、と藤宮に差し出した。

「なんですか、これ」

「入部届」

 有無を言わせない強引な勧誘だった。


80: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:48:18.25 ID:ZFXDl97Lo

「……見学って言ってませんでしたか?」

「G級ハンターは狙った獲物をのがしません」

 気まぐれめいた俺の質問に部長から帰ってきたのは、そんな声だった。
 つい先週まで勧誘に対するやる気なんて片鱗も見せなかったくせに、一変大攻勢だ。
 ……もしかしたら、やる気がないからこそここで捕まえて終わりにしたいのかもしれない。

「あ、かまわないですかまわないです。入ります」

 不思議とまったく戸惑いも見せずに、藤宮ちはるは入部届を受け取った。
 まるで最初からそうすると決めていたみたいにあっさりと、にこにこと。

 高森が差し出したボールペンを受け取ると、ペン先を紙に押し付けたままの姿勢で、彼女は少し沈黙する。
 それからまた俺の方を見た。

「……ひょっとしてご迷惑ですか?」

 うかがうように。


81: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:48:52.32 ID:ZFXDl97Lo

「いや。……どうして俺に訊くの」

「なんだか、そういうふうに見えたので」

「べつに、迷惑じゃないよ。きみの好きにすればいい」

 藤宮ちはるは、やけに俺のことを気にかけているみたいに、視線や、言葉を、向けてきたような気がする。
 でもそれは、ひょっとしたら逆で、彼女は普通の態度で俺に接しているのかもしれない。

 俺が彼女を気にかけているからそう見えるだけなのかもしれない。そういうのを察して、気にしているのかもしれない。
 本当のところは分からない。

 藤宮から目を逸らすと、高森と目が合った。

「なに?」って訊いたら、「なんでもない」って彼女はそっぽを向く。

 変な日だ、と思った。


82: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:50:01.81 ID:ZFXDl97Lo



 入部届には印鑑と保護者の連絡先が必要なので、実際にどうなるのかはまだ分からない。
 それでも藤宮の態度を見るに、もう部員としてやっていく気でいるらしかった。

「ま、これで第一文芸部存続の危機は乗り切ったね」

 部長はあっさりそう言った。

「……え?」

「存続の危機って、どういうことですか?」

 俺と高森がおんなじところに違和感を覚えた。

 気付いてなかったの? と部長は目を丸くする。

「今の二年生は、タクミくんにゴローくんに、蒔絵ちゃんにちえちゃんの四人でしょ」

「はあ」

 一瞬だけ、ちらりと藤宮ちはるがこちらを見た気がした。たぶん、さっきから自意識過剰になっているんだろう。

「部活動の存続に必要な部員数は五名以上。わたしは今年の十月で引退だから、もし新入生が入らなければ部員数が五人を下回って……」

「……廃部だったんですか?」

 うん、と部長はあっさりうなずく。
 最初に言えよ、と思った。


83: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:50:43.30 ID:ZFXDl97Lo

「厳密に言うと、廃部か同好会格下げか……一番ありえたのが、合併吸収だったね」

「っていうと……」

「第一が第二に吸収されてたかもってことですか?」

 高森と俺はげんなりした。ゴローはどうでもよさそうに机に突っ伏して眠り始めた。

「えっと……第一と第二があるんですか?」

 藤宮だけが、不思議そうに首をかしげる。
 誰も質問に答えようとしなかった。

 ……誰か答えろよ、と俺は思った。

「部長」

「えっとね、パスいち」

「いや部長。こういうとき部長が説明するもんでしょう」

「パスはパス。蒔絵ちゃん?」

「わたし日本語わかんない。パスに」

「いやおまえ。文芸部が日本語わかんないっておまえ」

「たっくん、よろー」

「……ゴロー?」

 返事はない。
 ……どいつもこいつも。

84: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:51:10.42 ID:ZFXDl97Lo

「……とりあえず、座って」

 俺は壁に立てかけてあったパイプ椅子を出して、適当な位置に置いた。
 藤宮はぺこっと頭をさげてから腰を下ろす。

 俺もまた定位置に腰掛けた。

「紳士だね」と高森が茶化す。

「きみらが適当すぎるんだ。それで、なんだっけ。第二の話か」

「はい。あ、その前に……」

「ん?」

「あの、名前……」

 俺は一瞬、緊張した。

「俺の?」

「あ、はい。……えと、みなさんのお名前を、まだうかがってないなあ、と」

「あ、ああ」

 勘違い。そりゃそうだ。普通、自己紹介くらいする。べつに正式に入部したときでもいいとは思うけど。
 だからこういうの、部長の役目のはずなのに。


85: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:51:54.61 ID:ZFXDl97Lo

 そう思って彼女の方を見ると、ふうん、というような顔で俺と藤宮の方を眺めていた。
 どうでもよさそうな、それでいて興味深そうな顔。

 犬のトリミングを初めて見るみたいな顔だ。
 こういうふうにやるんだ、と感心はするけど、そもそも興味があるわけではない、みたいな。

 高森は高森で、眠そうな目でこっちを眺めるばかりで何も言ってくれない。

 ……なんなんだろう、いったい。

「名前に関しては、あとでそれぞれ各自に自己紹介させよう。めんどくさいから」

「あ、はい。わかりました」

 めんどくさいから、ってところで、彼女は苦笑いした。

「とりあえず俺の名前は……」

 やはり、少しだけ躊躇してしまう。ためらう理由なんてないはずなのに。
 でも、偽名を名乗ったところで意味なんてない。結局すぐにバレてしまうことなのだ。

「浅月。浅月拓海」

「……あさづき、たくみ」

 何か、音の響きをたしかめるみたいに藤宮ちはるは復唱した。
 

86: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:52:56.65 ID:ZFXDl97Lo

「……呼び捨て?」

「あ、た、タクミ……先輩」

「はい」

「わたし、藤宮ちはるです」

「……さっきも聞いたよ」

「はい。藤宮です」

「うん。それで、藤宮……」

 なんと呼ぶべきか、一瞬だけ迷って。
 いちばん違和感のある呼び方を、けっきょく選んだ。

 やっぱり、彼女は"そう"なんだろうか。名前からして、そうとしか考えられない。

 でも……そうだとしたら、彼女の方から、何か言ってくるはずだ。
 もし、覚えていれば。

 もし"そう"だとしても、忘れているなら仕方ない。
 たぶん、忘れてしまっているだろう。子供の頃のことだ。もうずっと昔のこと。

 あれから背だって伸びた。声変わりだってした。内面だってあの頃のままとはいかない。
 屈折したりひねくれたりしてきた。当時の自分がどうだったかなんて、思い出せない。

 彼女がもしも本当に"そう"で、俺のことを忘れてしまっているんだとしたら。
 俺が恐れていたとおりに、何もかもが変わってしまっていたんだとしたら。

 やっぱり少し悲しい。それが恐くて、探すことだってできずにいたのに。

87: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:53:31.15 ID:ZFXDl97Lo

「それで、第一とか第二って……?」

 藤宮ちはるの質問に、俺は考え事を一時中断する。
 いまさら考えたって仕方ないことだ。

「……うちの学校には、文芸部がふたつあるんだよ。第一と第二。で、うちが第一」

「はあ。どうしてまた?」

「方向性の違いだな。もともとはひとつだったんだ。部員数も多くて人気の文化部だった。
 今の第一は部員数が五人。きみを含めると六人になる。第二はたぶん新入生合わせて、十八人くらいかな」

「じゅうはちにん」

 と藤宮は復唱した。

「ええと、方向性って……?」

「つまり、もともとの文芸部っていうのが、文芸部とは名ばかりの茶飲み部だったんだ。
 かろうじて年に一回部誌を発行して活動はしてたけど、それすらまともに出さない奴がいた。
 それで、普通の文芸部として活動したい奴らが集まって、不真面目な奴らの排斥運動を行ったんだな」

「……排斥」

「そしたら、真面目な奴の方が少なくて、不真面目な奴らの方が多かった。結果、第二の方が人数が多い」

「なんだか、なんだかなあってお話ですね」

「あいつらは基本的に、第二理科実験室でお菓子食べながら喋ってるだけだから。それもそれで悪くはないんだけどな。
 ただ、あっちは文芸部とは名ばかりだし、所属してる奴らのノリも、こっちとはちょっと違う」

 そういう確執は何年か前に起こったことで、今となってはそれぞれ別の部として何のしがらみもなくなっている。
 とはいえ、人種が違うというのはたしかで、一緒にいると、どうしてもエネルギーが吸い取られるのを感じる。

 あっちはこっちを苦手に思っていなさそうなのが、かえってしんどかったりもする。


88: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:54:37.83 ID:ZFXDl97Lo

「じゃあ、つまり、この部の人たちは真面目な文芸部員ってことですか?」

「いや?」

 俺の否定に、藤宮はきょとんとした。

「昔はそうだったけど、今はこっちはこっちでサボり部だな。
 要するに、あっちは騒ぎたいサボり部、こっちはまったりしたいサボり部って感じ」

「どっちにしてもサボり部なんですね……」

「入部を取り下げるなら今のうちだよ」

「いえ。ぜんぜん問題無いです。サボり、どんとこいです」

 どんとこいて。

「まあ、といっても、一応年四回部誌は発行してる。これ、想像するより忙しないペースだったりするんだよな」

「はあ。部誌ですか。何を書くんですか?」

「好きなもの。小説とか詩とか川柳とか散文とか戯曲とか随筆とか」

「タクミ先輩は何を書くんですか?」

「随筆が圧倒的に楽だな」

「ずいひつ……」

「去年は冬の深夜に小腹が空いた時に夜食として食べるカップヌードルの魅力について書いた」 

 割と好評だった。

「それはそれは……」と藤宮は愛想笑いをした。

「まあ、きみもそのうち書くことになると思うから」

 俺が言いかけたところで、部長が「あっ」と声をあげた。

89: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:55:11.74 ID:ZFXDl97Lo

「ていうか、作るよ、部誌」

 突然の断定に、俺は戸惑った。

「いつですか?」

「六月中には出したい」

「ていうと、来月中ってことですか」

「うん。言ってなかったっけ?」

 訊いてませんでした。

「……ま、そういうわけで、けっこう忙しないんだよ」

「そうみたいですね」と藤宮は困った顔で頷いた。
 

90: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:56:04.07 ID:ZFXDl97Lo



「そんなわけで、部誌作るらしいぜ」

 バイトがあるからと言って部活を早めに抜けだしたあと、東校舎の屋上に気紛れに顔を出すと、佐伯がこのあいだと同じように座り込んでいた。

「了解」

 また、シャボン玉を吹いている。
 退屈じゃないんだろうか。何をどう繰り返したところで、シャボン玉はシャボン玉だ。
 何個つくったところで、どれだけ長く飛んだところで、同じものなのに。

「それで、新入部員はどんな子?」

「……」

「かわいい?」

「……まあ」

「何か思うところでもあるの?」

「まあ、ある」

「ふうん?」

「子供の頃、一緒に遊んだことがある」

「浅月、高校に入学するときに引っ越してきたんじゃないの?」

「うん。子供の頃、夏休みの間だけ、こっちの親戚んちに遊びに来てたことがあるんだ。そのときに、会った子だと思う」

「思う、って?」

91: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:56:31.56 ID:ZFXDl97Lo

「名前は一緒」

「顔立ちとか、立ち居振る舞いは?」

「……似てるな。振る舞いとか仕草に至っては、懐かしいくらいだ」

「なのに、思う、なの?」

「……話さなかったから」

「訊いてみればいいのに」

「違うかもしれないし、あっちは俺のことなんて覚えてないだろうし」

「へんなの」と佐伯は言った。俺もそう思う。
 子供の頃、一緒に遊んだだけの相手。そう思えるなら、べつに相手が覚えていなくたってかまわないはずだ。
 声をかけて覚えていなくても、何か問題があるわけじゃない。子供の頃の話なのだ。

 たしかめるのが怖いのは、どうしてだろう。
 自分だけが過去に取り残されているような気がするからだろうか。



92: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/17(火) 21:57:23.52 ID:ZFXDl97Lo

 あれから、数年経って、連絡を取り合わなくなってからも、お互い、いろんなことがあったはずだ。
 小学生だった。でも、歳をとって、中学生になって、今は高校生になって。

 部活とか、受験とか、友達関係とか、恋愛とか、いろんな変化があったはずで。
 そんななかで、一緒に遊んだだけの相手のことなんて、もう覚えていないかもしれない。

 それを確認するのが怖いのかもしれない。
 俺はこんなに過去に執着してるのに、相手にとってそれがたいしたことのないことだったら、と。
 
「臆病だね」

 佐伯は何かを察したみたいにそう言った。

「たしかに」と俺は頷く。佐伯に対しては、俺は妙に素直になってしまう。
 覚えているのか、訊いてみたい気もする。でも、訊いたところでどうなる、という気もする。

 よくわからない。

「そろそろバイトだから、いくよ。佐伯も、部活顔出せよ」

「部誌の原稿は遅れないから、へいき」

 そういう問題じゃない。

「じゃあね、浅月」

 ばいばい、と手を振る佐伯に見送られて、俺は体を校舎にしまいこんでから溜め息をついた。

 藤宮ちはる。名前は一緒だ。俺が間違えるはずがない。表情も、仕草も、あの頃とは違うけれど、面影がある。
「違うかもしれない」なんて言いながら、俺は確信していて、そのうえで知らんぷりをしている。

 あの子は、たぶん、“るー”だ。

97: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:41:41.79 ID:s4jNJoDro



 五時から九時まではバイトだった。
 平日の夕方というのはけっこう混みあうもので、仕事内容は簡単とはいえけっこう忙しかったりする。

 七時過ぎくらいに高森が気の抜けた私服姿でやってきて、

「これちょうだい」

 と言いながら二千円分のウェブマネープリペイドカードを差し出してきた。

「躊躇ないね」

「今八周年イベントで経験値二倍キャンペーンやってるの。ペットいないと不便なの」

「ふうん」

「今月のパッチで高レベル向けの新しいマップとグループクエストが実装されてね、みんなで行こうって約束してるんだ」

「はあ」

「そんなわけで帰るね。友達狩場で待ってるし。あんまり待たせちゃうと薬切れちゃうかもだし。たっくんがんばってね」

「そっちもなんか知らんががんばれ」

「おうともさ」

 高森はウェブマネーと牛乳と食パンとチーズ、それからポテチと箱アイスを買って帰っていった。
 

98: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:42:19.24 ID:s4jNJoDro

 納品されてきた商品を棚に並べて在庫を整理し終わる頃には客足もおさまってくる。
 一緒のシフトに入っている大学生の人はウォークインに入って飲料の在庫の整理、もうひとりは売り場を見ながら発注業務。
 残った俺はレジにぼんやり立ちながら煙草や資材の補充をしていた。

 ぼんやりしながら、俺はるーのことを考えた。

 るー。
 藤宮ちはる。

 あの眩しかった夏のこと。
 あのときは、あんな夏がずっと続くんだと思ってた。
 次の年も、その次の年も、当たり前みたいに、夏になれば会えると思ってた。

 中学に入って、部活や勉強や塾で忙しくなって。
 夏休みになっても、親戚の家に遊びに行っている暇なんてほとんどなかった。
 そもそも、墓参りなんかで行っていたわけではなくて、単に親が親戚に相談したいことがあって、そのついでにしばらく世話になっていただけだったようだし。

 るーとは、会わなくなってからもメールのやりとりをしていたけど、
 年が一個違う分、生活のなかで興味を持つ対象もずれてきて、
 共通の話題だっていくつもなかったし、あったとしても、そんなにずっと続くようなものじゃない。

 結局、いつのまにか、連絡をとらなくなって。
 そうこうしてるうちに、一度携帯を壊してしまい、そのときに連絡先のデータが消えてしまった。
 今では、連絡のとりようもない。

 藤宮ちはる。
 彼女は覚えてるんだろうか。

99: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:42:48.14 ID:s4jNJoDro



 バイトを終えて部屋に戻ると、先に静奈姉が帰ってきていた。
 
「おかえり」と静奈姉はふんわり笑った。
 前と変わらないような笑顔。俺はなんとなく気まずく思う。

 るーに会ったということを、伝えるかどうか迷う。
 こっちに来てから、俺と静奈姉はほとんどあの頃の話をしていない。
 
 もちろん、お互い、忘れたわけじゃないことは分かっている。
 昔話をしたことだってないわけじゃない。

 でも、あの夏の話をすると、静奈姉はある地点で話すのをやめる。
 まるでその地点から先のことが、まだ未消化のまま彼女の内側でくすぶってるみたいに。

 それはたぶん、俺の知らない話なんだろうと思う。
 俺がこの街を去ってから、きっと、何かがあって、前まで通りではなくなってしまったんだろう。

 今ではなんとなく、その理由は想像がついていたりもする。

 だからこそ、俺は静奈姉に、あの夏一緒にいてくれた人たちの話をできずにいた。
 あんなに近くにいた人たちのこと。

100: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:43:42.37 ID:s4jNJoDro

 何をしてたんだっけ? 今じゃもう、思い出せない。
 映画を見たりゲームをしたり、バーベキューにプール、夏祭り。
 みんなで集まって泊まって騒いでたこともあった。

 みんな、わくわくしてた。みんな笑ってた。楽しそうだった。
 るーも、静奈姉も、俺も。

「……タクミくん?」

「え?」

 ふと気付くと、静奈姉が俺の顔を覗き込んでいた。

「な、なに?」

「なにかあったの? すごい顔してたよ」

「すごい顔って。してないよ」

「してたよ。今世紀いちばんすごい顔だったよ」

 意味がわからない。

「悩み事? バイトでなにかあった?」

「いや、べつに。始めてもう一年経つし、いまさら何もないよ」

「そう? そういえば、新人さんとか増えた?」

「いや、何人か面接に来たらしいけど、落としたって聞いた」

101: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:44:11.57 ID:s4jNJoDro

「そうなんだ。……今日はご飯、食べてきたの?」

「一応、帰りに廃棄もらって」

「そ。それで足りた?」

「うん」

「そっか」

 それっきり会話はなくなってしまった。

 とりあえず最初にシャワーを浴びて着替えてしまった。
 他人と共同生活をしているとなると、好きな時間に入るというわけにもいかない。

 風呂からあがって自室に戻り、タオルで髪を乾かしながら、今日の授業のことと、出された課題のことを思い出す。
 面倒だけど、やらなきゃいけないことを先延ばしにしているわけにもいかない。

 でも面倒だな、って思ってベッドに寝転がる。
 この部屋には漫画もゲームもテレビも何もない。

 暇を潰すとなるとスマホをいじるくらいしかないわけだ。
 

102: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:44:38.58 ID:s4jNJoDro

 俺はなんとなくの思いつきで、子猫の画像を検索しはじめた。
 小動物の画像をながめているとあっというまに一時間が潰れてしまった。

 課題はとうぜん手付かずだ。
 
 猫の魔力はおそろしい。

 とりあえず、明日の朝考えることにしよう。
 
 そう思ってベッドに入ってから、部誌の話を思い出す。
 藤宮ちはる……にはああいったけど、今回はどうしたものか。

 部長にも、俺の書くものはたいがい思春期全開だって笑われたし。
 かといって、何も出さないわけにもいかない。

 まあ、一応一ヶ月はあるはずだし、今考えなくてもどうにかなるだろう。
 
 次に気がかりなのは、るーのこと。
 ……明日、声を掛けてみるべきかもしれない。

 でも、と頭は混乱する。
 話したところで、分かったところで、お互い気まずいだけなのかもしれない。

 俺にとっては、覚えられていなくて、ああ、残念だ、で終わってしまえるほど、るーの存在は小さくない。

 自分でもばかみたいだと思うけど、彼女に会えることを期待して、この街に来た部分もある。
 まあいいや、と俺は思った。
 
 ぜんぶ、明日考えよう。そう思って寝た。


103: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:45:07.79 ID:s4jNJoDro



 夢見が悪くてうまく寝付けず、おかげで朝は寝過ごしそうになって、静奈姉に起こされた。
 食パンにチーズをのせて焼いて、あとは牛乳を飲んで、それが朝食。

 カーテン越しに差し込む朝の日差しを浴びながら、ダイニングのテーブルで向い合って食事する。

「今日もバイト?」

「だね」

「がんばってね」

「うい」

 寝付きが悪かったせいで、目がしょぼしょぼした。

「……眠そうだね」

「眠りの体感時間って、どうしてあんなに差があるんだろうね」

「さあ。なんでだろう」

 十五分ですごく寝た気になるときもあるし、何時間寝ても疲れがとれないときもある。
 あれを操作できたら人生がすごく幸せになると思うのに。


104: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:45:34.06 ID:s4jNJoDro

「昨日は眠れなかったの?」

「いろいろ考えてたら、寝付けなくて。課題のこととか、部誌のこととか」

「……やっぱり、何かあった?」

 こういうところ、静奈姉は妙に鋭い。

「なにもないって」

「そう。なら、いいんだけど」

 たぶん、べつに納得したわけじゃないと思う。引き下がってくれたんだ。
 年頃の男の子だし、秘密のひとつやふたつ、みたいな。

 ……それはそれで不名誉な気がする。


105: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:46:00.85 ID:s4jNJoDro



 準備を終えて外に出ると、五月の朝は晴れやかだった。

「まさに五月晴れって感じだなあ」

「そう? 違うと思うけど」

「違うの? 五月に晴れてりゃ五月晴れじゃないの? 五月晴れってどういうのなの?」

「分かってて"まさに"って言ったんじゃなかったの?」

 静奈姉は呆れ顔をする。言葉は知ってるしなんとなくのイメージもつかめるけど、具体的にどういうものを言うのかは知らない。

「五月晴れっていうのは、梅雨時に見られる晴れ間のことらしいよ」

「え、五月って梅雨なの?」

「昔の五月は、いまでいう六月」

「あ、そういうこと」

「……どっちにしても、良い天気だね、今日は」

 本当なら静奈姉はもっと朝がゆっくりなんだけど、今日は午前中に友達と会う約束をしているらしく、一緒の時間に出掛けることになった。


106: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:47:17.56 ID:s4jNJoDro

「そっか。でももうすぐ梅雨だね」

「雨はいやだな。洗濯物、乾かないし。湿気で髪ボサボサになるし……」

「まあまあ、雨だってがんばってるんだから」

 俺はなぜか雨の肩を持った。

 さて、と俺は静奈姉と別れて学校へと向かう。

 とりあえず、学校についたら課題やらないとな。

 ランドセルを背負った小学生たちの流れ。
 俺は駅へと急ぐ。

 懐かしい街ではあるけど、俺が前に世話になったのは静奈姉の家だ。
 今俺と静奈姉が暮らしている部屋とは、当然だけどけっこう離れている。そうじゃなきゃ部屋を借りてる意味がない。

 だからなんとなく、俺はこの街に疎外感を抱いている。
 自分ひとりが仲間はずれにされてるみたいに。
 まあ、望んで来たんだけど。


107: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:47:45.92 ID:s4jNJoDro


 
「よくよく考えたらだよ、たっくん」

 と、高森は朝から俺の教室にやってきて、俺の机に座って、不満気な顔で人差し指を立てた。

「六月に部誌出すっていったって、もう再来週には定期テストが始まるわけじゃない?」

「だな」

「正直、テスト勉強とかしたいわけじゃない?」

「まあ、そのためにテスト期間中は部活が休みなわけだし」

「でも部誌を出すって言われたら、原稿書かないわけにはいかないじゃない?」

「おう」

「つまり、わたしが勉強しなかったのは部誌の原稿を書かなきゃいけないからなんだよ」

「ん?」

「だからテストの結果が悪くても、それは部活のせいであってわたしのせいじゃない」

 とんだ言い訳だ。

「それは建前で?」

「昨日買ったばかりのペットの期限がもったいないから勉強するよりゲームしたい」

「おまえちょっと生活改めた方がいいよ」

 高森はうがーって吠えた。こういう愚痴ならクラスメイトに言えばいいのに。
 と思うけど、まあ、部誌のことは部員に言うのが一番共感を得られるか。


108: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:48:12.34 ID:s4jNJoDro

「たっくん眠そう?」

 不意にこっちを向いて、はじめて気付いたみたいに高森はそう言った。

「まあ、うん」

「寝不足? 駄目だよ、ちゃんと寝ないと」

「おまえだってネトゲで夜更かししてるんじゃないの?」

「経験値二倍なの、夜十時までだから、日付変わる前には寝るよ」

 こいつ、ネトゲの経験値で就寝時間決めてるらしい。筋金入りだ。

「というかね高森さん。僕はこれから勉強しなきゃいけないから、ちょっと机をどいてもらえない?」

「どうしたのたっくん。熱でもあるの?」

「俺だって勉強くらいする」

 高森は俺の机から降りると、隣の席の椅子を勝手に借りた。
 どうせその席の主も、他の誰かの席を無断借用してるみたいだからいいんだけど。

 俺が筆記用具を取り出したところで、高森は思い出したみたいに、

「そういえば昨日の新入部員」

 と口に出した。俺の意識はそこで急停止を迫られた。


109: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/19(木) 22:48:38.61 ID:s4jNJoDro

「藤宮ちはる?」

「そう。その子。たっくん、知り合い?」

「なんで?」

「なんとなくそういうふうに見えたから」

「知り合いっていうか……」

 どう答えればいいか分からなくて、困った。
 
「わかんない。なんとなく、知ってるような気もするけど」

「ふうん?」

 どうしよう、と思う。
 藤宮ちはる。やっぱり話してみるべきかもしれない。気になるのはたしかなのだ。

 つーか、今は課題だ。

「ほら、自分のクラスに帰れ。俺は勉強するんだ」

「ちぇ。はーい」

 高森はようやく去っていったが、俺は奴の言葉のせいで課題に集中することがなかなかできなかった。


113: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:21:12.28 ID:D4qOgycfo


 
 昼休みになった途端、俺はぐだあっと自分の席に突っ伏した。

 結局どうしよう、こうしようなんてことを考えてるうちに授業に集中できなかった。
 こういうのが俺の問題点だ。
 
 考え事に気を取られて、現在の状況そのものを疎かにしてしまう。
 過去の後悔や未来の不安ばかりに足を取られ、現在を楽しもうという意識が欠けている。
 
 ゆとりがないのだ。
 
 そんなことをぶつぶつ考えながら窓の外をながめて"地上の星"を鼻歌で歌っているとゴローがやってきて、

「タクミ、飯食お」

 と誘ってきた。

「断る」

 俺の一言にゴローは面食らっていた。

「なぜ?」

「いや。特に理由はないけど」

「じゃあ飯食お」

「いいよ」

「……なんで断ったんだよ」

「一回目はとりあえず断っとこうみたいな」

 ゴローはめんどくさそうに弁当の包みを持ち上げて、俺を促して教室を出た。
 俺も昼食を鞄から取り出して彼の背中を追う。


114: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:21:42.37 ID:D4qOgycfo

 ゴローは高いところが好きだ。

 だから彼と昼食をとるって話になると、だいたい屋上に行こうって話になる。
 本校舎の屋上。芝生とベンチのある憩いの空間。

 広々としていて、何組もの生徒がそれぞれに集まって過ごしている。

「調子はどうだい?」って、ゴローはベンチに座って弁当の包みを広げながら訊ねてきた。

「何の?」

「賭けさ」

「ああ」

 そんな話もあったっけ、と俺は思った。
 もう遠い昔の出来事という気さえする。

「どうかな」

 俺は首をかしげる。きらきら……? どうだろう。たしかに、平凡で退屈なだけではないかもしれない。
 じゃあこれがいいことの前触れかと言われると、正直よくわからない。

115: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:22:08.79 ID:D4qOgycfo

 空は青く澄んでいる。頭上にはツバメが飛んでいる。五月のツバメ。
 ベンチの脇に置かれたプランターのパンジーを眺めながら、俺はコンビニの袋からサンドイッチを取り出した。

 最初の頃は静奈姉が張り切って弁当をつくるって言ってくれたけど、俺のために早起きさせるのは申し訳なかった。
 俺自身が自分でつくってもよかったんだけど、そうしようとするとやっぱり静奈姉が作ると言い出す。

 だから、結局コンビニで買ってくることにしている。

「今日もツナサンド?」

「おう」

「よく足りるよな、それで」

「自分でも結構不思議なんだよな」

「燃費いいよな。太んねえだろ」

「ときどき困る」

「ふうん」


116: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:22:46.75 ID:D4qOgycfo


 そんなふうに俺とゴローがぼんやり過ごしていると、高森と佐伯が並んで屋上にやってきて、

「おっす」

 と声を掛けてきた。

「うす」

「一緒していい?」

「どーぞどーぞ」

 喋っていたのは高森だけで、佐伯は高森の斜め後ろからいつものぼんやりした目で俺たちを眺めていた。
 佐伯と高森は同じクラスらしくて、けっこう一緒に行動することが多いらしい。

 パット見の印象だとタイプが違うように見えるから微妙に不思議だ。
 でもまあ、高森も騒がしい印象はあるけど、内面的にはやっぱり第一文芸部的なところがあるし、合わないことはないのだろう。

「ねむ」と、高森はあくびをしながら弁当の包みを膝の上で広げる。

「部誌の原稿、どうするか決めた?」

「いや。まだ何も考えてない」

 俺はそう答えてから、ゴローは、と訊いてみた。

「いつもどおり適当に書くけど」


117: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:23:18.32 ID:D4qOgycfo

「そっか。どうしよっかな。何書こうかな」

 悩み深そうに溜め息をつきながら、高森はたまごやきを食べた。
 ときどき顔を合わせると、このメンバーで昼食をとることがある。
 学年と部活が一緒ってだけだし、普段からみんなで遊んだりはしないけど、こういうふうに過ごすことは珍しくない。

 みんな中身がまったりしててテンションが一定だから、付き合いやすかったりする。

「高森、あれ書かないの? オリエンタルファンタジー風味のやつ」

 高森は去年一年間、四回の部誌の発行を、まるまる一本の小説に使った。
 中世東洋風異世界ファンタジー。
 漫画みたいだったけど、けっこう面白かった。長かったけどその分の読み応えもあった。

「あれ、もう完結したもん」

「スピンオフとか書けそうだったじゃん。俺、隠れ里の竜人の話読みたい」

 うーん、と高森は唸った。

118: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:24:05.38 ID:D4qOgycfo

「でもねえ、違うんだよ」

「違うって何が?」

「つまり、あの話は一度あそこで完結しちゃってるわけ」

「はあ」

「そこに何かを付け足そうとすると、もうそれは別のお話になっちゃうわけ。
 けっこう、他の人にも書かないのって言われたりするんだけど、そのたびに悩んじゃうんだよね」

「ごめん、言ってる意味わかんない」

 つまりさ、と彼女はからあげを咀嚼、嚥下してから語る。

「あれ、評判は悪くなかったけど、じゃああの続きとして、あの雰囲気のままのものを書こうとしても無理なわけね。
 問題は解決して、一定の展開を見せた以上、それまでの雰囲気通りのものは書けないわけじゃない?」

「はあ」

「あれを読んで楽しかったって言った人が求めるのは、続きじゃなくて反復なんだよ。
"あの感じ"がまた読みたいのであって、"続き"が読みたいわけじゃないんだと思う。
 でも、"続き"を書くとなると、"あの感じ"にはならない。べつに書いたっていいけど、それは誰かが求めるものとは違っちゃうんだよ」

"わたしはそれを書く/あなたの望むかたちとは違うかもしれない/あなたの望む通りではないかもしれない/とにかくわたしはそれを書く"

「なるほどな」

 俺はよくわからなかったけどうなずいておいた。


119: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:24:52.28 ID:D4qOgycfo

「たっくんはどうするの? 部誌」

「……どうすっかなあ」

 正直、気分としてはそれどころじゃなかった。
 藤宮には随筆と言ったけど、厳密に言うと俺の書いたものは随筆風の創作小説だった。
 内容に関しては「よくわからない」とみんなに言われた。俺もそう思う。

 何かを書くというのは、体力を消耗する行為だ。
 わりと疲れるし、楽しくて書いてるときもあれば、しんどいのに書いてるときもある。
 
 なんでかはわからないけど、しんどいからやめちまおうとは思わない。
 しんどいけど書き続ける。そういう精神が、けっこうな頻度で必要になる。
 
 それができなければ、何かを完成させることなんて、まぐれか幸運でしかできやしない。

「……考え中」と俺は答えた。

120: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:25:20.72 ID:D4qOgycfo

 そんな話をしていると、「あっ」という声がすぐそばから聞こえた。

 どきりとする。

 声だけで誰だか分かるって、どういうことだよって思った。
 顔を合わせて何日も経ってないのに。

「あ、るーちゃん」

 と、高森は決めたばかりのあだ名で彼女のことをあっさり呼んだ。
 そのまんますぎて、俺にはしんどい。

「こんにちは」と彼女は笑う。

「皆さんでお食事ですか?」

「そうそう」

 妙にかしこまった言い回しと、気取らない自然な表情。
 彼女のうしろには友達らしい女の子がいた。

 ふたりは「それじゃあ」と言ってあっさりと去っていく。

121: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:26:45.11 ID:D4qOgycfo


「……声、かけないの?」

 そう言ったのは佐伯だった。途端に、三人の視線は俺に集まる。

「……待て。なんでそうなる」

「知り合いかもしれないんでしょ?」

 と言葉を返してきたのは高森だった。二人揃ってどういうことだ。

「まあ」

「確認してみたらいいじゃん」

 煽る高森に、

「昔遊んだ子なんでしょ? 浅月が覚えてるくらいなら、あの子も覚えてるかも」

 佐伯が追随する。
 
 なにそれ聞いてない、って高森が食いつくもんだから、佐伯がぺらぺらと説明をはじめた。

「なんだよ、ちゃんと面白そうなことになってるんじゃないか」

 ゴローは眼鏡をくいっと直した。


122: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:27:57.59 ID:D4qOgycfo

「じゃあ、ひょっとしてこないだ言ってた、たっくんの年下の女の子って、るーちゃんのこと?」

 なんだ、年下の女の子って。

「なにそれ」と訊ねたのはゴローだった。

「ゴロちゃん知らない? たっくんに好きな子いるのってきいたら、年下の女の子と昔なんかあったって言ってた」

「言ってねえよ」

「ゴロちゃんっていうな」

「でもエスパーかって言ってたし、あたってたってことでしょ?」

 俺とゴローからそれぞれ別々のツッコミが入ったが、高森は片方にしか反応しなかった。
 佐伯が冷静な調子で話を整理する。 

「つまり、子供の頃一緒に遊んだ女の子のことを、好きな子をきかれたときに思い浮かべたんだね」

 佐伯の場合、からかうつもりもなく、純粋に質問してくるからタチが悪い。

「そういやタクミ、自分のことロマンチストって言ってたもんな」

 たしかに言った。

 三人寄れば文殊の知恵とよく言うが、この場合、それぞれに対する俺の発言を整理すれば辻褄が合ってしまうわけか。
 そうやすやすと他人に何かを話すもんじゃない。猛省する。

123: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:28:48.17 ID:D4qOgycfo

「じゃあ、ひょっとして浅月の初恋?」

 俺は返答に詰まった。

「……」

 詰まった、のが答えのようなものだった。

「たっくん……しかも、たっくんとその話をしたの、るーちゃんが入部する前だったよね」

「……そうだっけ?」

「つまり、るーちゃんがこの学校にいることに気付くよりも先に、好きな子のこと訊かれてるーちゃんを思い浮かべたんでしょ?」

「……いや、どうだったっけ?」

「浅月、漫画みたいだね」

 どういうたとえだ。

「うるさい。シャラップ。もういい。この件に関しては口出し無用だ。第一証拠はあるのか、証拠は」

「なるほどなあ、初恋の相手で、しかもモロに引きずってたから、話しかけるのを躊躇してたわけか」

「口出しするなというに」

「自分はめちゃくちゃ引きずってるのに相手が覚えてなかったらショックだもんね……」

「でも、遊んでたって言っても子供の頃なんでしょ? 中学ならまだしも高校入ってそれって、浅月、それもう一途とかじゃないよ。妄執だよ」

「そういうんじゃない! 俺はただるーと……」

「るー?」

 三人は言葉を止めて俺のことをじっと見つめた。 
 俺はうつむくことしかできなかった。


124: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:29:28.73 ID:D4qOgycfo



 そんなことがあったから、放課後になってもすぐに部室に顔を出す気にはなれなかった。
 かといって他に行き場もないし、部屋に帰るつもりもなかった。
 どっちにしてもバイトまではどこかで時間を潰さなきゃいけない。

 俺は東校舎の屋上に向かった。

 もしかしたら佐伯がいるかもしれない、とも思ったけど、今日はそんなことはなかった。

 本校舎の屋上に出たあとだと、やっぱりこっちの屋上には寂しい印象を受ける。

 それに、こっちの屋上にひとりでいると、どうしてもいろいろなことを考えてしまう。

 逃げるようにこの街にきてから一年が経つ。
 未だに消化できずにいることが、俺の前に横たわっている。

 フェンス越しに、街を見下ろす。

 この街で暮らしている人々のこと。俺の住んでいた街で暮らしていた人々のこと。
 いろんなことを想像する。いろんな人達が、いろんなふうに生きているところを、想像する。

 いろんなことが、分からなくなっていく。

125: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:30:57.88 ID:D4qOgycfo

 そんな気分のときにこの屋上に立っていると、決まって彼が現れる。

「ひさしぶりだな」

 と、そいつは言った。
 給水塔の脇。ハシゴを登った先のスペースから足だけを出して座っている。

 口元には煙草。真っ黒の長い前髪が顔を隠していて、表情はほとんど覗けない。
 骨ばった痩身の体格、ひょろ長い身長。骸骨みたいだと思う。骨格標本みたいだ、と。

 ずっと前からの顔見知り。学年もクラスも知らない。けど、彼がここで煙草を吸っていることは俺も知っている。
 あんまりにも堂々としているせいで、誰も咎めないのか。そもそもこんな屋上にやってくる奴は、そうそういないけど。

 他の誰かがいるときは、不思議と顔を見せない。いったいどうやって他人を察知しているのか。
 俺ひとりでくると、ときどきここで煙草を吸っている。

 べつに咎める気も沸かないけど、一応第二文芸部に所属しているのに、部活に顔を出さなくていいんだろうか。
 

126: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:31:56.18 ID:D4qOgycfo

「鷹島 スクイ」

 と彼はずっと前、俺に名乗った。
「変な名前」と思わず口に出したら「俺のせいじゃない」と彼は笑ってた。

「親のせい?」

「いや、おまえのせいさ」

 俺は意味も分からず笑ったものだった。

「何を考えてる?」
 
 スクイは煙を吐き出してから楽しげに笑って、そう訊ねてきた。笑いどころなんてひとつもなかったのに。変な奴だ。

「女のことか?」

「あたり」

「姉貴のことはいいのかい?」

「……」

 まあ、俺には関係ないけどな。スクイはそう言った。

「そっちこそ、部活はいいの?」

「そういやあ、、部誌作るって言ってたな。奴らも思いつきでよくやるもんだ」

「珍しいね」

「俺は何も書く気がしないけどな」


127: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:32:28.44 ID:D4qOgycfo

「きみね、協調性とかないの?」

「協調性っていうのは、自分の判断や価値観や物事の正否の判断を一旦留保して、周囲の流れに合わせる能力のことか?」

「……そういう定義だっけ?」

「みんなが魔女狩りをしているときに魔女を火炙りにしたり、みんながユダヤ人を殺しているときに隣人を通報したりできる能力のことだろ?」

「……発言がいちいち黒すぎるんだよなあ、おまえ」

「みんながお国の為にって言ってるときに、戦争反対って言ってる奴がいたら、非国民だって村八分。なあ、それが協調性ってやつさ」

 俺はコメントを差し控えた。
 話せば話すほど、第二文芸部向きの性格じゃない。
 ていうか、(俺が言うのものなんだけど)社会生活に向いてない。

「本当の協調性っていうのは、みんなに部誌の原稿を寄せることを強要するもんじゃない。
 部誌の原稿を書きたくない奴の気持ちにも配慮して、書いてほしい奴と書きたくない奴の間の折り合いをつける。
 それが協調性ってもんだろう」

 だから俺は合唱コンクールも球技大会も修学旅行も不参加だ。スクイは堂々とそう宣言する。
 おまえらが、「したくない」という俺の意思を尊重しないなら、「みんなでするべきだ」というおまえらの意思を、俺は尊重しない。

 彼が言うのはそういうことだ。

 いろんな人がいるもんだ。


128: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:33:34.16 ID:D4qOgycfo

 さて、とスクイは梯子の上から跳ね降りる。
 結構な高さだというのに、なんてこともなさそうに。

「俺は行くよ」

「今日は何?」

「べつに用事があるわけじゃない。用事なんてあるわけがない」

「ふうん」

「まあ、おまえもがんばれよ。優等生」

「そっちもな。劣等生」

 は、とスクイは皮肉げに笑う。どこか、うれしそうだった。
 規律を無視し、秩序を乱し、集団を軽んじ、協調をあざ笑う。
 大人はそれを思春期と呼ぶ。俺たち学生も、スクイみたいな奴をどこかでバカだと感じる。

 でも、スクイにとってはそうではない。
 スクイにとっては、スクイの言葉を理解しない奴が、バカなのだ。
 そんなバカだらけの世界を、スクイはまともに生き延びようとは思わないのだ。


129: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:34:00.84 ID:D4qOgycfo

 ドッジボールで勝利するのはドッジボールに熱中して楽しめる奴だ。
「そもそもなんでドッジボールなんてしなきゃいけないんだ?」なんて考えはじめる奴は、残念だけどドッジボールの勝者にはなれない。

 たぶん、次からは誘ってももらえなくなるだろう。

 でも、そういう奴はべつに負けたところで悔しくはないだろうとも思う。
 なぜドッジボールをするのか、なぜドッジボールで勝たなければいけないのか。
 その前提に対してひとたび疑問を抱けば、「こうだ」と言える理由なんてひとかけらだって見当たらないことに気付けるはずだ。

 勝たなきゃいけない理由がないなら、負けたところでなぜ悪い?
 不参加を決め込んで不戦敗になろうと、何が悪い?

 そう悟ってしまえば、ドッジボールなんて知ったことじゃない。

「そういうルールのそういうゲームをやるのはきみたちの勝手だけど、僕がそれに参加してあげる義理はないよね」
 と、そう言ってしまえばそれで済んでしまう話なのだ。

 ドッジボールで勝って大会に優勝してトロフィーをもらって嬉しいって、そういう気持ちもまあわからないでもない。
 でも、みんながみんなトロフィーを欲しがってるわけじゃないし、ドッジボールを好きなわけでもない。
 そもそもドッジボールなんて嫌いだって言う権利だってやっぱりあるはずだ。

 天秤を疑うこと。たぶん、それがスクイの価値観だ。

 でも、それは鷹島スクイの価値観であって、浅月拓海の価値観ではない。

130: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:35:12.56 ID:D4qOgycfo

 スクイが去ってしまってから、俺はいくつかのことについて考えた。
 姉のこと、みんなのこと、スクイのこと、

 るーのこと、

 を、考えはじめた途端、鉄扉がぎいと音を立てて軋んだ。

 振り返ると、そこには思い浮かべたままの顔が立っていた。
 息を切らせて、肩を上下させて、いかにも階段を駆け上ってきたという風情。

 彼女は屋上に昇って、いま俺の前にいる。 
 夕日を正面から浴びた彼女の表情は、ちょっと苦しげだった。
 たいした距離じゃないのに、どれだけの勢いで走ってきたんだか。

 そういえばあの子は、運動が得意じゃなかったかもしれない。

 彼女の表情は夕日で橙色に染まっていたけど、彼女から見たら、俺の顔は逆光でよく見えなくなっているだろう。
 逆光の中に、影法師みたいに映っているはずだ。

 誰そ彼。

 屋上の縁、フェンスの傍に俺は立っている。
 そこから、入り口の鉄扉まで、距離は短くもないけど、長くもない。

 その距離のまま、彼女は息を整えて、俺はその姿をじっと眺める。

131: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:35:55.92 ID:D4qOgycfo

「どうしたの」と俺は近付かずに声をかけた。

「佐伯先輩が、きっとここにいるだろうって」

「……何か用事?」

「部活、出ないのかな、って」

 はあ、と大きく息を整えてから、彼女はこっちへと歩み寄ってきた。

「呼んでこいって言われた?」

「いえ。わたしが勝手に」

「はあ。それはまた」

 彼女は俺の隣までやってきて、俺がしていたように、フェンス越しに街を見下ろす。

 わあ、と声をあげた。

「いい景色ですね」

 たしかに、と俺は思う。
 うちの学校はちょっと高台になっているから、屋上から街を見下ろすとなると、けっこうな高さからになる。
 東校舎からは夕日も見える。
 
 日没まではまだあるけれど、空は暗くなりはじめている。

 こういう景色は、たしかに悪くない。

132: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:36:25.10 ID:D4qOgycfo

 そういえば。
 ポスターを拾われたとき以来か。彼女とふたりきりになったのは。

「景色を見ていたんですか?」

「うん。いや、どうかな」

「……どっちですか?」

 彼女はくすくす笑う。

「考えごとをしてた。いろいろ」

「……考えごと、ですか?」

「うん。答えが出ないこととか、考える前に行動すれば済むこととか。それでも最初に考えちゃうんだ」

「はあ。それは、たいへんですねえ」

 他人事みたいな言い方が、なんだかなつかしくて、うれしかった。

133: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:37:03.17 ID:D4qOgycfo

「部室、いこっか。暗くなってきたし」

 結局何も言えずに、俺はフェンスに背を向けて、扉へと向かった。

 ドアノブに手をかけたタイミングだった。

「あの」

 と声をかけられて、振り返る。
 今度は彼女の表情が逆光になってよく見えない。

「浅月、拓海先輩」

「……なんで急にフルネーム?」

「わたし、藤宮ちはるです」

「……うん。知ってる」

「……ちはるです」

 動悸が走る。


134: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:37:47.92 ID:D4qOgycfo

 どう応えるべきか、迷った。
 彼女の表情は、よく見えない。
 何を俺に伝えようとしているのか、分からない。

 いや、分かるような気もするけど。 
 それはなんとなく、俺の勝手な期待なんじゃないか、とか。
 勘違いだったらどうしよう、とか。

「……わたしのこと、覚えてませんか?」

 ……そんなことばかりだ。
 結局、俺は自分のことばっかり気にしてる。
 自分を守ることばっかりだ。

 顔が見えなくたってわかるのに。
 彼女の声は震えてるのに。

 彼女は何回も何回も、繰り返し俺に名前を告げた。
 それはきっと彼女なりのシグナルだったんだろうと思う。
 俺は自分が傷つきたくないがために、その信号を無視し続けていた。

135: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:38:21.87 ID:D4qOgycfo

「名前、おんなじです。同姓同名じゃないですよね。珍しい苗字だし」

 言葉を重ねるほどに声が震えていく。
 俺は自分が嫌になった。なんで、この子にそんなことをさせてしまったんだろう。

 分かってたのに。

「タクミくん、なんですよね? どうして、何も言ってくれないんですか?」

 悲しいのか、怖いのか、よくわからない、取り繕おうとするような、冷静なふりをした、不思議な震え。
 彼女はごまかすみたいに、笑う。

「どうして、連絡くれなくなったんですか? ……わたしのこと、きらいになったんですか?」

 るー。
 るーだ。
 下手なごまかし笑い。強がりぐせ。大人ぶった口調は、もうだいぶ馴染んでいるけど。

 素直で天真爛漫に見えるのに、相手を気遣って自分を抑えこみがちな性格。
 去勢を張って強がるけど、臆病で怖がりで甘えたがりの。

 それがわかってるのに、姿形が違うから、時間が流れたからって、俺は彼女のことを無視していた。
 我ながら成長しない。むしろ退化したのかもしれない。子供の頃より、怖いものがたくさん増えた。

「るー」

 そう呼んだ途端、彼女の肩からすっと力が抜けたのが分かった。
 
「ごめん。久しぶりすぎて、戸惑ってた」

 会いたかった。会いたくなかった。話したいことがたくさんある。知られたくないこともたくさんある。

136: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:38:55.15 ID:D4qOgycfo

 藤宮ちはる――るーは、急に跳ねるみたいに駆け出してきた。

 俺に向かって、早歩きよりちょっとはやいくらいの駆け足で。
 まっすぐに。そう長くない距離を。そのままのスピードで。

 ていうか。

 ぶつかる。

「うお!」

 と声をあげたのは俺だけだった。るーは減速もせず、勢いも殺さず、飛びつくみたいに体をぶつけてきた。
 せめて抱きつくくらいにしてほしかったけど、ほとんどタックルだった。

 俺の体はるーの勢いと鉄扉に挟まれて軋んだ。
 体重が軽いからたいしたダメージじゃないっていっても、危うく頭を打つところだった。

「危ないって、るー!」
 
 俺は思わず抗議の声をあげる。
 彼女は一瞬だけくっついた体をパッと離して距離をとり、俺の両側のほっぺたを、両手でつねってのばした。

「なんで連絡くれなかったんですか!」

「いたひいたひ」

 今度はぱっと指を頬から離して、握りこぶしをつくると俺の腹のあたりをぽすぽす叩き始める。
 こんなテンションだっけ?
 さっきまでのおしとやかとすら言えそうな雰囲気とのギャップに、少し戸惑う。


137: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:39:54.34 ID:D4qOgycfo

「こっちにきてるなんて、聞いてないです。タクミくんのばか。ばか」

「いや、待てって。いろいろ事情があったんだよこっちにも」

「どんな事情ですか!」

「えっと、つまり、いろいろと……」

「説明してください!」

「待て、ひとまず落ち着け」

「落ち着けません。わたしをカナヅチにした責任、とってもらいますからね!」

「まだ泳げないのか? ていうかそれ、俺のせいか?」

「タクミくんのせいです! とにかく、言いたいことがたくさんあるんですからね!」

「……あー、待て。ほんとにひとまず落ち着け」

 ふー、ふー、と息を荒くして、尻尾を踏まれた猫みたいに肩をいからせて、るーは俺をじとっと見つめてる。
 目が潤んでる。

 ていうか。

「……なんで泣くの」

「……泣いてないです。これは、目にゴミが」

 うつむいて、ぽろぽろと涙をこぼしはじめる。
 これはもう、言い逃れはできないな、と思った。


138: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/22(日) 17:40:21.22 ID:D4qOgycfo

 俺はしばらく黙ったまま、るーが落ち着くのを待った。 
 とりあえずポケットティッシュを取り出して彼女に渡した。
 るーは子供みたいに鼻をかんだ。

 るー……だよなあ。こういうとこ。

「とりあえず、説明は全部する」

「……逃げませんよね?」

「逃げられないだろ」

「……え?」

「でも、とりあえず話は後にしよう。ここだとなんだからな」

「どういう意味ですか?」

 俺は扉の方を向いて、深呼吸をしてから、ノブを捻って勢いよくドアを開けた。

 高森とゴローと部長が揃って扉の近くに立っていた。

「……高森。おまえその覗き癖治せ」

「あはは」

 と高森は苦笑した。
 振り返ると、まだ赤い目元をこすりながら、るーは笑ってた。


142: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:34:45.93 ID:uj/X8DPAo



「じゃあ、今日は部活サボってずっと屋上にいたんだ」

 部室についてから、部長はどうでもよさそうに言った。

「ずっとって……ちょっと屋上行ったら、すぐ顔を出すつもりでしたよ」

「ちょっと、ね」

 と言って、部長は窓の外に視線をやった。
 夕焼け。

 ……夕焼け?

「もうすぐ下校時間だよ」

「……そういえば」
 
 さすがに、ちょっと戸惑う。
 そんなに長い時間、俺は屋上にいたのか?

 よく思い出せない。

「いったい何やってたの?」

「考えごとをしてたんです」

「まあべつにいいんだけどね。顔出せる日に出してもらえれば」

 って、やばい。

「バイト……」


143: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:35:13.97 ID:uj/X8DPAo

 時計を見ると、バイトの時間まで三十分を切っていた。

「うわ」

「どうかしたんですか?」

 すっかり落ち着いた様子のるーが、横から俺の顔を見上げた。
 距離感は、さっきまでよりずっと近付いてるけど、その顔は今の俺には見慣れない女の子のものだ。
 思わず目をそらす。

「や。今日、バイト。いそがないと、間に合わない」

「ずいぶんぼーっとしてたんだね」

 部長はちょっと驚いた表情で、俺の顔をじっと見つめてくる。
 視線から逃れるみたいに他の奴を見ると、ゴローもまた、こちらをうかがうように眺めていた。

「行かないと」

 るーの方を、俺は思わず振り返って、目が合った瞬間、戸惑った。
 べつに、怒ってもいなかったし、悲しそうでもなかったし、悔しそうでもなかった。

 ただ取り繕ったような無表情で一拍呼吸をした後、

「仕方ないですね」

 と笑った。
 彼女はこんなふうに笑ったっけ? もうよく思い出せない。 


144: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:36:15.47 ID:uj/X8DPAo

「ごめん」

「いいです。ちゃんと説明してくれますよね?」

「うん。約束する。じゃあ……」

「はい」

 にっこりと、また笑う。 
 その笑みが、衒いのないものなのか、それとも昔のような強がりなのか、見分けがつかない。
 
 当たり前だ。いくら一緒に遊んだことがあるっていったって、言ってみれば"それだけ"だ。
 この子のこと、この子の過ごしてきた時間のことを、俺は何も知らない。

 さっきだって、ひさしぶりに仲の良かった友人に会ったから感極まっただけだったんだろう。
 俺が彼女に抱いているような感情を、彼女もまた抱いているかもしれないなんて、そんなことは考えちゃいない。

 そう思っておかないと、すがりつきそうになる。


145: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:36:45.60 ID:uj/X8DPAo

 店までの道を急ぎながら、俺はるーに、何をどこまで説明すればいいんだろうと考えた。
 
 るーに会いたかったのは本当だ。
 でも本当は、話したいことなんてなかったのかもしれない。
 
 一緒に何かをしたかったわけでも、見せたいものがあったわけでもない。

 それでもなんとなく、心が暖かくなっているのを感じる。
 
 彼女は俺を覚えていた。それが嬉しかった。
 
 店についたのは時間の五分前で、一分で着替えて売り場に出ると、先輩たちは「珍しいね」って笑ってくれた。
 俺は遅れそうになったくせに上機嫌だった。
 
 常連のおじちゃんに「なにか良いことでもあったの?」って訊かれるくらいに。
 なんでもないですよ、なんて答えながら、俺は気持ちを落ち着かせる。
  
 その日はひとつもミスをしなかった。クレームもトラブルもなかった。
 いつもこうならいいのに、と思った。


146: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:37:15.81 ID:uj/X8DPAo

 そんな調子でバイトを終えて店を出ると、軒先のアーチ型バリカーに腰をかけている女の子がいた。
 いや、女の子っていうか。

「……るー?」

「あ」
 
 と、彼女はこっちを振り返った。ぎくっとした感じで。
 
「えっと、奇遇ですね?」

 また、笑う。私服姿だったから、一瞬、反応に困った。

「……奇遇か?」
 
「ほんと。ほんと偶然」

「高森に聞いたの?」

 そう訊ねると、るーはちょっと表情を凍らせたあと、素直にうなずいた。


147: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:37:43.56 ID:uj/X8DPAo

「……はい。帰りに部長と蒔絵先輩と三人でケーキを食べに行ったんですけど、そのときに」

「ケーキ」

 帰りにケーキを食べに行く。
 
「へ、へえ……」

 高森にそんなおしゃれアンテナあったのか。
 つーか部長もそういうのに付き合うのか。

 女子部員と男子部員じゃ、当たり前だけど距離感が違うんだろう。

 それにしても高森がそういうことをするのも珍しい。いつもはネトゲだバスの時間だってうるさいくせに。
 ああ、でも、このあいだはイベント期間中だったから早めに帰っただけだったのかもしれない。

 女子って行動範囲が男とは違うもんなのか、やっぱり。

 俺は彼女たちに対する認識を改めるべきなのかもしれない。


148: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:38:32.65 ID:uj/X8DPAo

 なんて思って黙り込んでいると、

「ごめんなさい!」とるーは唐突に謝った。

「……怒ってます、よね?」

 びくびくした調子でこちらを窺う彼女の態度に、俺は面食らう。

「な、なにが」

「いえ、ちがうんです。わたしも迷ったんです。学校一緒なんだからべつに明日でもかまわないって」

「はあ」

「それにいくらなんでもバイト先にまで押しかけて待ちぶせって、どう考えてもストーカー的ですし……」

「あ、うーん。そう?」

「べつにそういうつもりじゃないんですよ? 蒔絵先輩が、会いにいっても怒らないだろうって言ってくれたので……」

「るー」

「でも、やっぱり気味が悪いかなあとか、いろいろ……」

「るー、落ち着け」

「……はい」

 るーは空を仰いで、ふー、と軽く息を吐いた。
 緊張しているのか、上気して赤くなった頬を、彼女は右手でパタパタ仰いだ。
 
 そういうのがわかると、こっちはかえって落ち着いてくる。


149: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:38:58.77 ID:uj/X8DPAo

「一回帰ったの?」

「はい?」

「服」

「あ、はい」

「で、わざわざこっちまで来たんだ」

「……はい」

「わざわざ」

 静奈姉の部屋から近い店を選んだから、るーの家からだと、けっこう離れてるはずだ。
 地下鉄二駅分くらい。

「……やっぱり、ちょっと、変ですよね」

「べつに気にしてないよ」

 そこまでされるとは思ってなかったら、けっこう意外だけど。

 るーは何を言ったらいいのか分からなくなったみたいに「あー」とか「うー」とか言い始める。
 何を俺相手にそんなに緊張することがあるんだ分からない。


150: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:39:39.86 ID:uj/X8DPAo

「とりあえず、もう遅いし帰ろう。送るから」

「……はい」

 なんだか気まずそうに、るーは俯いた。
 送る、という言葉に、特に異論もないらしい。

 そりゃ、まあ、そんな話はいまさらか。

 何か話したいこととか、訊きたいこととかあって会いに来たんだと思った。
 だから彼女が話しだすのを待っていたけど、しばらく黙っていても、るーは何も訊いてこなかった。

 たぶん、似たようなことを考えてるんだろう。そう思った。

「お姉さんたち」

「……はい?」

「元気?」

「あ、はい。それはもう」

「今何してるの?」

「ちい姉は、いまは大学で、すず姉は、専門です」

 呼び方が変わってるな、なんてことを思った。たぶん、彼女は気付いていないのかもしれない。
 離れていた分、そういう些細な変化にいちいち気付いてしまう。


151: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:40:35.34 ID:uj/X8DPAo

「専門って、何の?」

「動物です」

「あー」

 似合う。

 そんなふうに、誰がどうしてるとか、何がどうなったとか、当時頻繁に顔を合わせた人たちの話で盛り上がる。 
 
 それくらいしか、共通の話題はなかった。

 ひとしきりそういう話が終わる頃には駅についていた。
 切符を買って改札を抜け、車両を待つ間、しばらく沈黙が続く。

「……どうして」

 と不意にるーは言った。

「どうして、連絡くれなかったんですか?」

「……えっと、まあ、それはいろいろあったんだけど」

 というか。
 彼女の方も、俺とそんなに連絡を取りたがってなかったんじゃないかと思ってた。
 最初の頃はともかく、徐々に面倒になっていったんじゃないかって。


152: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:41:19.25 ID:uj/X8DPAo

 それでも、彼女にとって俺は友達だったのだろう。
 今になってそう思えるのは、なんとなくうれしい。
 怒ってくれたことがうれしい。

「携帯壊れたんだよ」

「……は」

「データ飛んじゃって。連絡先、わかんなくて」

 親戚でもなんでもない、一緒に遊んだだけの相手。
 それでも、人づてに頼めば、どうにかなったかもしれないけど。

 静奈姉に頼めば、どうにかなるかもしれないと思ったけど、
 俺が帰ったあとくらいから、あのとき一緒に遊んでいた人たちと連絡をとらなくなったらしかった。

 頼もうとしたときも、気乗りしない雰囲気だった。
 だから、頼めなかった。

 こっちに来てからも、るーや、他の人たちがどうしているのか、静奈姉には聞けなかった。

 るーは長い間押し黙っていたが、やがてくすくすと笑い始めた。

「そ、そうだったんですか」


153: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:42:09.66 ID:uj/X8DPAo

 それだけのことだったのかと、ほっとしたみたいに。

「いや、うん、そんなわけで、こっちに来るときも連絡したかったんだけど、覚えてるかどうか、わかんなかったし」

「……いつ、こっちに来たんですか?」

「去年の春だよ」

「一年前、ですか」

「うん」

「今はどこに住んでるんですか?」

「静奈姉の部屋」

「……静奈さん、元気ですか?」

「うん。たぶん。……どうなんだろう」

 やっぱり、るーが静奈姉の近況を知らないってことは、そのあたりの繋がりは途絶えていたんだろう。
 車両がやってきて、音を立てて扉を開けた。
 
 乗り込もうとした瞬間、背中から、

「覚えてましたよ」

 と、そんな声が聞こえた。


154: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:42:37.70 ID:uj/X8DPAo

 乗客の数は多いとは言えなかった。おかげで、小声なら話を続けられそうだった。
 時間が時間だし、終点に近いから、無理もない。

「いつから俺だって気付いてたの?」

「さあ? いつからでしょう。タクミく……先輩は?」

「べつにいいよ。呼び方そのままで」

「でも、いちおう」

「かえってくすぐったいから」

「……じゃあ、タクミくん」

 彼女はまた笑った。

「なんで笑うの」

「このやりとりの方がくすぐったいです」

 たしかに。

「それで、タクミくんは?」

「……内緒」

「ということは、けっこう前から気付いてたんですね?」

「……」

 相変わらず、ぐいぐいくるなあ。
 

155: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:43:21.34 ID:uj/X8DPAo

「気付いてて、無視してたんですね?」

「……や。まさか本人だとは思わなかったし」

「本当に?」

 俺は目を逸らした。

「ほんとうに?」

 隣から、るーは顔を覗き込んでくる。
 学校の外だからか、さっきから妙に距離が近い。
 
 いや、それとも俺が変に意識してるからそう感じるだけで、彼女にしたら子供の頃の友達だから、当然の距離なのかもしれない。
 
「まあ、もしかしたらとは、思ってたけど」

「じゃあ、名前名乗った段階で気付けたじゃないですか」

「それは、お互いさまじゃない? 俺も名前言った段階で反応なかったから、てっきり別人か、覚えてないかのどっちかだと思ったし」

「……それは、それは、そうかもしれないです」

 たぶん、お互いがお互い、おんなじことを考えて、声を掛けられなかったんだろう。
 今になってそう分かった。

 そう分かった途端、ばからしくて笑ってしまう。

156: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:44:07.78 ID:uj/X8DPAo

 駅を出て、るーと一緒に歩く。
 こんなふうに歩いていると、不思議な気持ちになる。

 前を向いているるーの横顔を歩きながら盗み見ていると、彼女はふっと視線を合わせてきて、「なんですか?」って顔をした。

 しかたなく、俺は正直に話すことにした。

「本当は気付いてたんだよ」

「なにがですか?」

「るーだ、って。ポスターのときから」

「……」

「でも、なんとなく、話しかけづらくて」

「なんでですか?」

「ずいぶん長い時間が経ったし、もともとそんなに長期間顔を合わせてたわけでもない。
 忘れられてるかもしれないし、覚えてたとしても、今となってはどうでもいい存在なのかもって」

「なんでそういうこと言うんですか?」

 るーは、ちょっと戸惑ったみたいだった。

「だいぶ久しぶりだったし」

「それは、そうですけど、でも、そういうの、へんですよ」

「かも」

 たしかに。変かもしれない。普通に話しかけて、なつかしいね、で済んだ話なのかもしれない。


157: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:44:56.15 ID:uj/X8DPAo

「それに、なんとなく、遠く感じて」

「遠く、って?」

「なんか、綺麗になってたから」

「……は」

 るーは一瞬あっけにとられたように口を広げたあと、眉をつりあげて俺の肩をばしっと叩いた。

 痛い。

「なんですか急に。タクミくんのくせに」

「いや、俺のくせにってどういうこと」

「お姉さんをからかうの、よくないです」

「……俺の方がお兄さんなんですけどね」

「年上だって、聞いてなかったです」

「俺は知ってたけど」

「てっきり下だと思ってました」

 ……まあ、当時は身長もるーの方がちょっと高いくらいだったし、仕方ないのかも。


158: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:45:35.36 ID:uj/X8DPAo

「……背、伸びましたね」

「そりゃ、まあ。るーだって伸びただろ」

 見上げられて、思わず目をそらす。

「男の子みたいです」

「……男の子だよ」

「そういう意味じゃなくて……」

 と言ってから、彼女は首を横に振って話すのをやめた。
 歩いているうちに、懐かしい道へと近付いていく。

 あの頃、何度か通った道。
 景色は少しずつ変わっていて、夜だから、前に見たときと印象も違うけど。

 そういえば、夏が近いんだ。


159: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:47:18.74 ID:uj/X8DPAo

「どうして、こっちに来たんですか?」

 俺は、答えに窮した。
 窮して、

「るーに会いたかったから」

 と、試しに言ってみた。

 ばし、ってまた叩かれる。

「タクミくん、変わりました」

 ふてくされたみたいに、るーはそっぽを向いた。

「言ってみただけだよ」

「なおさら問題です」

「嘘ってわけでもない。るーに会いたかったのも、本当」

 るーは口をもごもごゆがませて、困ったような、怒ったような顔をした。
 
「……まあ、わたしだって、会えてうれしくないわけじゃないですよ」

「ならよかった」

 と、それだけ言って、話をごまかす。
 べつに、嘘をついたわけでもないけど、それだけじゃないのも、本当だ。



160: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:48:05.12 ID:uj/X8DPAo

「タクミくん、女の子慣れしました?」

「なこと、ないと思うけど」

 そりゃ、子供の頃よりは多少は、とも思う。
 けどまあ、綺麗とか、会いたかったとか、ちょっと軽々しかったかもしれない。

「蒔絵先輩……」

「ん?」

「……やっぱり、なんでもないです」

「高森がなに?」

「聞こえてるじゃないですか。……なんでもないです」

 そう言ったきり、るーは何も言わなくなった。
 俺たちはそのまま、彼女の家までの道のりを歩く。
 
 直接訪れたことはなかったけど、何度か家の近くまできたことはあった。
 見た目の印象は、何も変わらない。広い庭、大きな家。

「あんまり、夜遅くにひとりで出歩くなよ」

 一応、俺はそう言っておいた。

「世の中、良い奴ばっかりじゃないから」

161: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:48:45.91 ID:uj/X8DPAo

 るーは戸惑ったような顔のまま、しばらく返事をしてくれなかった。

「どうした?」

「あ、いえ。本当に、背、伸びたなあ、って」

「……何の話をしてるんだ」

「声も、変わりましたね」

「そりゃあ……」

 そりゃ、そうだ。
 喉仏がつきだして、声変わりがあって、体格だって変わる。
 そういう変化は、俺だけじゃない。

 るーだって、相応の変化が……。
 なんてことを考えたらまた意識してしまいそうだから、やめた。

「とりあえず、明日学校で」

「あ……はい」

 まだ何か、話し足りないこと、聞き足りないことがあるような気がした。たぶん、お互いにそうなんだろう。
 でも、それはまた、思い出したときに話せばいい。


162: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/23(月) 21:49:24.88 ID:uj/X8DPAo

「とりあえずは、先輩後輩だな」

「タクミくんが先輩って、変な気分です」

 俺も変な感じがするが、るーにそれを言われるといろいろと複雑だ。
 年上として見られてない、というか、なんなら男としても見られてない感じがする。

 たぶん、この子にとって俺は、弟分とか、子分とか、そういう存在だったんだろう。
 なんとなくそう思う。

「また明日」

 と俺は言った。

「はい。また明日」

 るーも、そう言った。

 るーが家に入るまで待とうと思ったけど、彼女はこっちを向いたまま動こうとしない。 
 仕方なく背を向けて振り返ると、彼女はにっこり笑ってひらひら手を振ってくれた。

 誰に見られてるわけでもないけど気恥ずかしくて、俺はうなずいて軽く手をあげるだけにしておいた。

 歩いても歩いても、足の裏の感触がうまくつかめない。
 
 夢でも見ているのかもしれない、とぼんやり思った。

166: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:35:57.88 ID:Xdnzlkp4o

◇[Wounded Deer]


 嵯峨野先輩が文芸部の部室をふたたび訪ねてきたとき、部室にいたのは俺とるーだけだった。

 高森とゴローは図書室で調べ物、部長はコンピュータルームで原稿の雛形作り。
 佐伯はたぶん、屋上。

「こんにちは」と嵯峨野先輩は言った。

 まさか新入部員のるーに応対させるわけにもいかず、「どうも」と返事をしたのは俺だった。
  
 いったい何の用事だろう、と思っていたら、

「あの子はいないの?」

 と先輩は部室を見回しながら訊ねてきた。

「はあ。部長なら……」

「あ、いや。由良さんじゃなくて」

「はい?」

「えっと。ぶつかってきた子」

「……高森ですか?」

「あ、うん。そうそう」

 嵯峨野先輩は気まずそうに頬を掻いた。


167: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:36:32.66 ID:Xdnzlkp4o

「高森に何か用事ですか? 治療費なら払えないと思いますよ」

 そんな金あるならウェブマネーにつぎ込んでるだろうし。

「治療費?」

「ぶつかったことで何か言いにきたのかと」

「あ、いや。ちょっと遊びに来てみただけなんだよ。文芸部っていうのに興味があって」

「はあ。面白いことは何もないと思いますけど」

 俺はるーと顔を見合わせた。
 
 あの夜以来、俺とるーは一応、お互いをお互いと認識しながら、特にそれ以上の何かがあるわけでもなく、
 ごくあたりまえの部活動の先輩後輩としての距離を保っていた(……ただのそれよりは、若干距離が近いかもしれないけど)。

 だからふたりきりになって沈黙があったって気まずさはなかったんだけど、誰かが入ってくると途端に空気が乱れる。

 まず、第三者の前で「るー」とか「タクミくん」とか呼び合うのは、思った以上に照れが入る。
 おかげで俺たちの口数は、三人以上のやりとりでは極端に少なくなった。

168: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:37:18.93 ID:Xdnzlkp4o

「そっちの子は、新入部員? 勧誘した甲斐があったね」

 嵯峨野先輩は顧問みたいな口調でそう言って、るーを見る。
 彼女はぺこりと頭をさげた。たぶん、この部とどういう関係がある人なのか、わからないんだろう。
 なにせ俺も分かってない。

「今は何をやってるの?」

「部誌の原稿作りです」

 突然、部誌に寄せて何かを書けって言われたって、普段書く習慣がないかぎりそうそう書けやしない。
 そういうわけで、新入部員るーの教育係に、俺は任命された。

 部長も高森も面白がってる様子だったけど、まあ、いまさら俺もるーもそういうのを気にしたりはしなかった。
 というか、俺が気にしたとしても、るーが気にしてないんだから仕方ない。

 俺に教えてもらえって言われたときの、るーの「じゃあ是非」って満面の笑み。
 あの笑みには不思議と逆らえない。

 そういうわけで、基本的な文章作法(国語の授業で習うけど、意識しないとすぐに忘れがちな)とか、
 あとは随筆や小説や散文の違いなんかを、おおまかに、るーに説明しているところだった。

「部誌なんて作るんだ。……他の人たちはどこにいるの?」

 俺とるーは、ふたたび顔を見合わせた。

 でも、答えて困ることにもならないだろうと思って、俺は素直に返事をした。

「部長はコンピュータルームに。残りのふたりは、図書室で調べ物です」

「ふうん。図書室」

 ……この人、なにか変だ。

169: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:40:43.22 ID:Xdnzlkp4o

 変っていうか……いや、まあ、俺には関係ないんだけど。

「そっか。ふうん。じゃあ、がんばってね。おじゃましました」

「あ、先輩」

 颯爽と去っていこうとした先輩の背中に、俺は声をかけた。

「先輩の名前、なんていうんですか?」

「嵯峨野連理」

 と彼は言った。
 
「さがのれんり」

「紙とペンを貸してもらえる?」

 俺が手元にあったルーズリーフとシャープペンを差し出すと、彼はさらさらとそこに字を並べ始めた。

 嵯峨野 連理。

「すごい名前だろ? 五十五画ある。小学校高学年あたりから、テストのたびに書くのが大変だった」
 
 小学生で習う常用漢字だけでできてるような俺の名前とは発想からして違う感じだ。

「かっこいいですね」

「どうかな」

 と彼は照れ笑いしてから、再び背を向けて去っていった。


170: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:41:09.26 ID:Xdnzlkp4o

「どう思う?」

 扉がしまってから、俺はるーにそう訊いてみた。

「なにがですか?」

「今の人、文芸部とは何の関係もない、ただの三年生なんだけど」

「はあ」

「何しにきてるんだと思う?」

「よく来るんですか?」

「今日で二度目」

「なんだか、蒔絵先輩のことを聞きにきたように見えたんですけど」

 るーはシャープペンのノックボタンで自分のほっぺたをつつきながら首をかしげた。

「俺にもそう見えた」

「蒔絵先輩と仲良いんですか?」

「いや。このあいだ廊下でぶつかったのが初対面らしい」

「一目惚れですかね?」

「やっぱりそう思う?」

「やっぱりそうなんですか?」

「知らない。俺も会うの二回目だし」

「世間ってすごいですねえ」

 俺とるーはそろって感心した。

171: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:41:44.89 ID:Xdnzlkp4o

「一目惚れかあ」

 しばらく沈黙があったあと、るーはまた自分のほっぺたをシャーペンでつつきながら溜め息のように呟く。

「一目惚れって、見た目が好きってことですよね?」

 元も子もない。

「フィーリングかもしれない」

「でも、フィーリングって、話してみたら違ったってパターンの方が多いと思うんです」

 ……まあ、もしぱっと見た瞬間の印象と実際が合致してたとしたら、すごい確率だとは思う。

「ていうか、話してもない段階でフィーリングとかあるわけないじゃないですか」

「立ち居振る舞いとか、話し方とか、表情とか」

「そういうのって、ある意味、見た目にいれちゃっていいと思うんですよ」

「ふむ。なるほどな」

 正直どうでもいいなあ、と思いながら話を聞き流しつつ、俺はルーズリーフに残された嵯峨野連理という文字を眺めた。
 改めてすごい名前だ。

 嵯……山が高く険しい。
 峨……山が高く険しい。
 野……自然の。

「連理の山は高く険しい、というのでどうでしょう」

「……タクミくん、わたしの話きいてました?」

「きいてたきいてた」

 つーか、人の名前で遊ぶのはやめとこう。

172: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:44:09.33 ID:Xdnzlkp4o

 少しするとゴローが部室に帰ってきて、並んで座る俺とるーをちらりと見たあと、窓際の定位置に腰掛けてノートを広げ始めた。

「何か書くの?」

「ミートソースとボロネーゼの違いについて書く」

 ゴローは真剣な顔をしていた。

「どこかに必要としている人がいるかもしれない」
  
「……まあ、いるかもなあ。高森は一緒じゃないの?」

 ゴローは一瞬、よくわからない顔をした。何かに納得がいかないような。

「わからん」

「……一緒だったんだろう?」

「うん。図書室だった。なんであんなのがモテるんだ?」

 あんなのて。
 ゴローはべつに高森を嫌っているわけではないが、喧嘩友達として近付きすぎて、女子として見られなくなってしまったらしい。

「モテてたの?」

「こないだの先輩。あいつに声かけてた」

 俺とるーは顔を見合わせた。


173: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:44:37.07 ID:Xdnzlkp4o

 さらに少し経ったあと、高森が疲れたような顔で部室のドアにもたれるようにしながら戻ってきた。

「おかえり」

「ただいま……」

 ふらふらと覚束ない足取りで、自分の定位置へと戻ると、彼女はぐったりと机に突っ伏した。
 
「……どうした?」

「つかれた」

「調べ物は?」

「わたし、何調べにいったんだっけ」

 俺が知るかよと思った。

「そうだ。アナグラム考えにいったんだ」

「……アナグラム?」

「うん。アナグラム。人名辞典片手にアナグラム考えようと思ったの。小説に使おうと思って」

「はあ」

「アナグラムってなんですか?」と、るーが俺に小声で訊ねてきた。

174: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:45:18.09 ID:Xdnzlkp4o

「暗号みたいな奴だよ、文字入れ替えて別の文つくったりする奴」
 
「人名って言ってましたけど」

「よくあるんだよな。ある人物の名前を入れ替えると別の言葉になったりするの。あとは別の名前になったり」

「何か意味はあるんですか?」

「ある場合もあるし、ない場合もある」

 大抵の場合はあるが、たいした意味がない場合もある。

「おもしろいですね」

「まあでも、そういう小細工に凝り始めると本筋がおろそかになりがちなんだよな」

「そうなんですか?」

「タイトルや登場人物の名前を考えるのに時間をかけすぎて本編書く時間なくなったりな」

「経験談ですか?」

「……」

 俺は黙秘した。



175: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:45:46.16 ID:Xdnzlkp4o

「オリキャラの名前で姓名判断とかするようになったら末期だよねえ」

 高森はぼんやり呟く。いろいろ痛い流れになってきた。

「でもけっこう楽しくない? 合ってても楽しいし、合ってなかったら話のアイディアになるし」

 そこらへんから高森とゴローは、高校の文芸部らしいようなそうじゃないような、という話題で盛り上がり始めた。
 そっちの会話には混ざらずに、るーはちらりと時計を見て、

「タクミくん、今日はバイトですか?」

 と訊いてきた。

「いや。今日は休み」

「じゃあ一緒に帰りましょう」

 一瞬、むっと言葉に詰まる。いちいちそういう反応になってしまうあたり、俺もバカみたいだ。
 そもそも、誰かと一緒に帰ったりすることが少ないからなんだけど。


176: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:47:01.68 ID:Xdnzlkp4o

 会話が一段落して、自分の原稿の作業に入ったゴローの横で、高森は憂鬱そうに溜め息をついていた。

「どうしたの?」

 訊ねると、何か言いにくそうに口をもごもごとしはじめる。
 まあ、なんとなく想像はつく。

「ナンパされた?」

「たっくんエスパー?」

「されたんだ」

 どうでもいい会話のつもりだったんだけど、部誌のバックナンバーに目を通していたるーが顔をあげて何かを言いたげにした。

「どしたの?」

「なんでもないですなんでもないです」

 聞いたら聞いたで、そっぽを向く。
 なんなんだろう、と思いながら、高森の話の続きを聞く。

「知らない先輩に声かけられて……」

「はあ。珍しいね」

 たぶん知らない先輩じゃないぞ、と言おうか迷ったけど、高森はたぶん嵯峨野先輩の顔をよく見ていない。

177: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:47:42.68 ID:Xdnzlkp4o

 人懐っこそうな印象と裏腹に、高森はけっこう人見知りが激しくて、目上の人や異性が相手だとうまく話ができないらしい。
 俺やゴローや部長に対しても、最初の頃はけっこう警戒心旺盛だった。

 最終的に仲良くなれたのは、たぶん、文芸部全体がお互いに対して放任主義を貫いているからだ。
 他人のスタイルに口出ししない。他人の生活に踏み入らない。

 そういう相手に対しては高森も自分を出せるらしくて、最終的には自分が踏み込んでいくタイプになっていく。
 そっけない猫ほど懐けば飼い主の傍を離れないもんなのだ(たぶん)。

「知らない人と話すの、疲れる」

「まあ、だろうね」

 彼女はけっこう猫かぶりで、周囲に心を許せる相手がいないと、声が小さくなったり人と目を合わせなくなったりする。

 ずっと前に、

「こう見えてわたし、すっごい人見知りなんだよ!」

 と胸を張ってドヤ顔で言っていた。なぜか自信満々で。


178: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:48:53.10 ID:Xdnzlkp4o

「で、なんて声かけられたの?」

「……なんだっけ。文芸部がどうこう言ってた気がする」

「ふうん」

「また今度遊びに来るって言ってた。活動に興味あるからって」

「なんて答えたの?」

「お好きにどうぞって」

 まあ、そう応えるしかないだろう。

「おつかれ。たいへんだったね」

「ありがとうたっくん。わたしのことを分かってくれるのはたっくんだけだよ」

 いつのまにか俺は高森の中で唯一の理解者ポジションまで出世していたらしい。

 そんな話をしていると、るーが控えめに「あのー」と手をあげた。

「その、たっくんって……」

「ん?」

「……あ。なんでもないです、なんでもないです」

 るーは手をぱたぱた振った。
 

179: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:49:46.21 ID:Xdnzlkp4o



 駅までの道をるーとふたりで歩きながら、特に話すことのない自分たちに気付く。
 
 文芸部の部誌のバックナンバーの話とか、俺の書いた文章の話とか、そういうこと。
 ゴローや部長のついてとか、嵯峨野先輩と高森の話とか。

 るーはやっぱり何かを言いたげにしているように見えたけど、聞いても何も言ってくれない。
 言いづらいことなのかもしれないし、ほんとうになんでもないのかもしれない。

 どちらにしても、何かを言われるまで放っておくことにした。

「部誌、何か書けそう?」

「うーん、どうでしょう」
 
 るーはふんわり苦笑した。

「楽しそうだなって思いますけど、書くってなると、ちょっと照れが入りますよね」

「誰にも見せない日記とか書くようにすると、けっこう慣れるよ」

「タクミくん、やってたんですか?」

「去年はやってたな。最近、ぜんぶ捨てちゃったけど」

「どうしてですか?」

「静奈姉にみつかって……」

「あー」

 そのときはしばらく静奈姉の顔を見れなかった。


180: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:50:12.93 ID:Xdnzlkp4o

「見せないつもりで書くと、いろいろ書いちゃうんだよな」

「それは……困りますね」

「ブログに鍵とかつけたりとか、ラインのタイムラインで、自分にしか見れないようにして投稿とかって手もあるけど」

「……間違って公開しちゃったりしません?」

「気をつければ平気だと思うけどね」

「ラインと言えば……」

「ああ」

 と、ポケットから携帯を取り出す。るーも鞄を開けて、内側のポケットから同様に。

「ふるふるする?」

「位置情報オンにするの、めんどくさいです」

「いいじゃん、ふっとこうぜ」

「しかも振らなくてもできるじゃないですか、あれ」

「そうなの?」

「はい」

「……そうなんだ」

「なんでショック受けてるんですか?」

「いままで振ってたから」

 るーはくすくす笑った。

181: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:50:39.87 ID:Xdnzlkp4o

「番号、交換しましょう。登録すればでてきますよね」

「あ、うん」

 るーの番号を教えてもらって、電話帳に登録する。
 出てくるかな、と思ったけど、よくよく考えたら友達の自動追加機能をオフにしていたんだった。

 設定を変えたら、すぐに出てきた。

 名前は「るー」になっていた。

「るー」

「はい。るーです」

 どこでもるーなんだなあ、とぼんやり思う。
 妙な感心をしていると、スマートフォンが短く二度振動した。

 画面を見ると、るーからのメッセージだった。
 うさぎが地面に寝そべっている奇妙なスタンプだけ。
 
 るーはいたずらっぽく笑っている。
 ちょっと笑ったけど、俺はノーコメントを貫いた。

「既読スルーですか!」

 やかましい。


182: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/25(水) 22:51:12.37 ID:Xdnzlkp4o

「そういえば、こっちに来てから一年なんですよね? どうですか?」

「どうって?」

「慣れました?」

「まあ、普通に生活する分には……」

 といっても、普段買い物に行く場所とか、学校の周辺や、ゴローの家のあたりが俺の行動範囲の限界だったりする。
 それ以外の場所はほとんど訪れない。もともと出掛ける方じゃないし、知らない土地となればなおさら、腰は重たくなる。

「あんまり出掛けたりしないんですか?」

「うん。土地勘ないし、土日、バイトの場合多いし、そうじゃない日はゴローと遊ぶか、家にいるし」

「そうですかー」

 ぼんやりとした調子で相槌を打つと、るーは黙りこんだ。何かを考えているらしい。

 そうこうしているうちに駅について、そこからは明日の天気とか、コンビニのデザートの新商品の話とかをした。
 
 それじゃばいばい、と別れて駅を出た頃には、外は赤く染まっていた。
 

186: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:51:19.78 ID:KuRGWnJ0o




 そして翌週の放課後になると、嵯峨野先輩は文芸部の部室に長い時間居座るようになった。

「入部しちゃおうかなあ」なんて冗談めかして笑う表情はいかにも好青年的な爽やかさ。
 
 それでも「ぜひそうしてください」って声を掛けるような部員はひとりもいなかった。
 かといって嵯峨野先輩が来ることに文句を言う奴もいない。

(なんせどうでもいい)

 とはいえ、嵯峨野先輩の高森に対するアプローチは誰から見ても分かりやすかったために、
 高森だけがやたらと疲弊する結果になった。

 二日目には嵯峨野先輩は高森のことを「蒔絵ちゃん」と呼び始めた。

 この人すげえな、と俺とゴローは感心していた。

 感心しつつ、スルーしていた。


187: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:51:45.26 ID:KuRGWnJ0o

「もうやだ」と高森が言い出したのは水曜の朝のこと。
 そのとき、高森とゴローが俺のクラスに遊びにきていた。

「はっきり迷惑ですって言えばいいんじゃないの?」
 
「でも、べつに何か直接言われたわけじゃないし、自意識過剰かも……」

 高森は先輩に対しては妙な気弱さを発揮していて、それが話をよりいっそう面倒にしていた。

「だったら放置するしかないな」

「ゴロちゃん冷たいよ?」

「俺は高森とあの先輩のことより、タクミと新入部員のことの方が気になる」

 流れ弾をくらったな、と俺は思った。

「そういえばわたしも気になる。一緒に帰ったりしてるみたいだけど、付き合うことになったの?」

「いや」

 そういうんじゃないって、前も言った。

「つまんない」

「つまるつまらないで人間関係に口出しするなよ……」

「他人のことはひとごとで楽しむのが当然でしょ?」

「じゃあ高森も嵯峨野先輩とよろしくやってくれ」

「たっくん冷たい」

 なんせ他人事だ。


188: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:52:26.92 ID:KuRGWnJ0o

「ほんとにあの先輩が入部したらどうする?」

「泣く」

 俺の質問に、本当に泣きそうな顔で高森はうなだれた。

「そんなに苦手なの?」

「とても苦手な部類」

「悪い人じゃないと思うけど」

「わたしのペースを乱す人は、たいがい苦手」

 いい人だとよりいっそう苦手、と高森は頬杖をついた。

「まあまあ」

 なんてなだめていたら、高森は深々と溜め息をつき、たっぷり十秒黙りこんだかと思うと、

「カラオケいきたい」

 と言い出した。

「なぜ急にカラオケ」

「カラオケいきたい。今日行こ? 部のみんな誘って」

 俺とゴローは顔を見合わせた。


189: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:53:13.27 ID:KuRGWnJ0o

 こういう高森の思いつきに付き合わされて、ボーリングだのなんだのに行くことは、今までも何度かあった。
 もうすぐ中間で、しかも部誌の原稿作業もある。
 
 が、まあ、そんなことを言っていたら永遠に何もできやしない。
 いつだってしなきゃいけないこととやりたいことのバランスを取って生きていかなきゃいけないのだ。

「部長とちいちゃんと、そう。るーちゃんも誘ってさ。そだ。るーちゃんの歓迎会ってことにしよ」

 るーともほぼ初対面のはずなのに、そっちに抵抗はないらしい。
 まあ、異性・同性、年下・年上って差もあるから、不自然ではないのかもしれない。

「たっくん、るーちゃん誘っておいて」

「誘うも何も、いくとしたら部活の後だろ?」

「るーちゃん誕生日まだでしょ? 部活の後だと一時間くらいしか歌えないじゃん」

「どっちにしても、部室に集まってからみんなに予定確認すればいいだろ」
 
「そっかあ、そっかなあ」

 高森はそんなふうにうめいた。

190: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:53:52.60 ID:KuRGWnJ0o



 その日の昼休み、俺は本校舎ではなく東校舎の屋上に向かった。

 案の定、フェンスのそばに座り込んで、佐伯はサンドイッチを食べていた。

「うす」と声をかけると、「うす」とどうでもよさそうに返事が帰ってくる。

「わざわざこっち来たの?」

「それは俺が言いたいことでもある。今日は高森と一緒じゃないの?」

「いつも一緒ってわけじゃないよ。一緒じゃないときもけっこうある」

「高森は一緒にいたがるんじゃない?」

「まあ、うん。マキはわたしのことすきだからね」

 自信、というわけでもないだろう。困ったような調子で、佐伯は笑う。

「ここから何か見える?」

「浅月には何か見えるの?」

「街とか」

「漠然としてるね。きっと浅月には、世界も漠然とした見え方がしてるんだろうね」

「どういう判断? それ」

「屋上からの景色判断」

 佐伯は自分の隣を手のひらでとんとん叩いて、どうぞ、と手招きした。

 招待を受けて、俺は彼女のとなりに座り込んで袋からパンを取り出す。

191: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:54:20.30 ID:KuRGWnJ0o

「今日はクリームパンですか」

「チョコデニッシュもある」

「甘いのばっかりだね」

「おいしいよ」

「知ってる。ねえ、わたしのところに来てよかったの?」

「なにが?」

「彼女さん、怒るんじゃない?」

「彼女?」

「ちはるちゃんだっけ?」

「彼女じゃない」

「そうなんだ」

 話を振ってきたわりに、佐伯はどうでもよさそうだった。


192: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:54:46.31 ID:KuRGWnJ0o

「みんなして、そういう話をするんだな」

「思春期だしね」

「……よくわかんないんだよな、俺には」

「なにが?」

「好きとか、そういうの」

「みんな、実は分かってないよ。分かったつもりになってるだけ」

 わたしにだって分からない。そう言って佐伯は自嘲気味に笑う。

「佐伯は、彼氏とかいたことある?」

 少しの沈黙。

「……ない。浅月は?」

「彼氏はさすがにいないなあ」

「そうじゃなくて」

「俺のことはいいだろ」

 二秒くらい俺と目を合わせてから、何かを察したみたいな顔で、佐伯は話をやめた。


193: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:55:12.46 ID:KuRGWnJ0o

「そういうの、考えたことなかったんだ。いろんなこと、あって」

 佐伯は、いつも、遠くを見ているような顔をしている。
 彼女は俺を誰かに似ていると言っていたけど、俺に言わせれば、彼女のそういうところの方こそ、誰かに似ている。
 
 目の前の何かではない、頭のなかの何かを見つめるようなその表情は、誰かに似ている。

「同じく」とつぶやくと、佐伯は「おそろいだね?」って誰かみたいに笑った。

 それからぼんやりと、彼女は俺の知らないうたを口ずさんだ。

「トンネル抜ければ、そこはまた、大きな、トンネルのなか」

 昼の太陽は俺たちの頭上で光を撒き散らしている。
 屋上に届く音は何もかもが透明な膜越しに聞くように遠く感じる。

「そういや、高森がカラオケいきたいって。今日」

「わたしも?」

「行かない?」

「いいよ」


194: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:55:43.23 ID:KuRGWnJ0o

 俺はポケットから携帯を取り出して、佐伯の参加を高森に伝えた。 
 ポケットにしまいなおすと、携帯がすぐにブルっと震える。
  
 やけに早いな、と思って取り出して画面を見ると、メッセージの主は高森ではなかった。

『秋津 よだか : こっちは雨です。』

 メッセージと一緒に、どこかの屋上からの景色が添えられている。
 暗く立ち込める雲の下、雨の街は薄暗くて、いま見ている空と繋がっているなんて、うまく想像できない。

 でも、それはたしかに、いまこの瞬間、遠い街でたしかに存在する景色なのだ。
 本校舎の屋上で、いまも誰かが楽しげに昼食をとっているんだろうとも思う。
 たぶん、この場所の雰囲気とは、まったくちがうかたちに。

「佐伯って、きょうだいいる?」

「兄がいます」

 彼女はなぜか敬語だった。俺は肩をすくめる。

「仲良い?」

「どうかな。基本的には好きだよ……その分、憎らしくなるときがあるかも。浅月は一人っ子だったよね?」

「うん。まあ、たぶん」

「……どういう意味?」

「いろいろあるんだよ」

「……そっか。まあ、いろいろあるよね」

195: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:56:09.86 ID:KuRGWnJ0o

「好きとか嫌いとか、よくわかんないんだよな」

「そうなの?」

「うん。ずっとこのままじゃだめなのかな。仲がいいだけ。何も変わらずに」

「ああ、うん……。わかる。わかるよ」

 佐伯は何度かうなずいてから、首を横に振った。

「でも、変わらずにはいられないよ。ぜんぶぜんぶ、変わっていくんだよ」

「……」

「浅月はそうでも、ちはるちゃんの方は、どうなのかな」

 俺は黙りこむ。

「変わることを、望んでるのかもしれないよね」

 ……。

「かわいい子だし、中学のときも、彼氏くらいいたかもね」

「……」

「そういうの、きっと、当たり前のことなんだよね」

「たぶんね」

 と俺は平気なふりをした。


196: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:56:36.76 ID:KuRGWnJ0o



 放課後になって文芸部室にいくと、既に部員たちが全員そろっていた。
 
 佐伯もゴローも部長も高森も、それからるーも。

 高森は既にみんなにカラオケの話をしていたらしくて、部長も乗り気みたいだった。
 さて、じゃあヒデに話して部活は課外活動ってことにしてもらおう、という流れになったタイミング。

 そのときに扉がノックされたから、高森は一瞬びくびくした顔で扉を見つめていた。
 でも、入ってきたのは嵯峨野先輩ではなかった。

「失礼するよ」と部室に入ってきたのは、見知らぬ男子生徒だ。

 どこかで見たような顔という気がしたけど、たぶん話したことはない。
 何かの機会で顔を合わせただけだろう。

 彼は部員の顔をひととおり眺めたあと何かを確認するみたいにうなずいて、部長の方を見た。

「由良さん、ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな」

「どちらさま?」

 部長はぼんやり首をかしげた。

「第二文芸部の部長をやってる及川です」

「あ、及川くん?」

 名前を言われればわかるのに顔を見てもわからないあたり、部長もひどいと思う。

 こほんと咳払いをしてから、及川先輩とやらは話をはじめた。
 どこかわざとらしい口調で。なんとなく、敵意のような含みを感じる。


197: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:57:03.38 ID:KuRGWnJ0o

「ちょっとお願いしたいことがあるんだ」

「なに?」

「そのまえに訊きたいんだけど、きみたちも六月中に部誌を出すんだって?」

「"も"ってことは、第二も出すの?」

「ああ。そのことで提案があるんだ」

「提案?」

「うん。オリエンテーションみたいなものなんだけどね。ちょっと勝負をしないか?」

 部長は首をかしげて、俺やゴローの顔を助けを求めるみたいに見回した。
 何言ってるのこの人、という顔で。

「同じ日に、部誌を発行して、全クラスに配布しないか」

「……はあ。そのこころは?」

「その翌週に、昇降口の傍に投票箱を設置して、どちらの部誌が面白かったかを投票してもらう」

「……」

「つまり、部誌の出来を競い合うゲームをしないか?」

 何言ってんだこの人、という顔をみんながした。
 
「はあ。なんでまた?」

「楽しそうじゃない?」

 及川さんはにっこり笑う。
 べつに楽しそうでもない。


198: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:57:29.74 ID:KuRGWnJ0o

 部長は数秒、考えこむような表情をしていたけど、五秒くらいしてからいかにも「考えるのがめんどくさい」って顔をして、

「いいよ」

 と独断で決めた。

「いいんですか。そういうの、許可とか必要あるんじゃ……」

 俺の疑問に答えたのは部長ではなく及川さんだった。

「もう、両方の顧問と、他の先生方の許可もとってあるよ。生徒会にも一応」

 おいおい。先にこっちに話を通せよ、と俺はちょっと呆れた。

「で、提案なんだけど」

「……はあ」

 部長はちょっとうっとうしそうな顔をしていた。

「もし投票で俺たちが勝ったら、第一と第二を交換しないか?」

「はい?」

「つまり、俺たちが第一、きみたちが第二になる」

「……」

「勝った方が第一文芸部。そういう賭けをしないか?」

 俺は、部長の表情を見る。「すごくどうでもいいしめんどくさい」という顔。
 ゴローと高森を見ると、「この人が何を言いたいのかわからない」という顔をしている。
 俺にもよくわからない。


199: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:58:15.17 ID:KuRGWnJ0o

「なんでそんな賭けを?」

「特に理由はないよ」

「だって、そんなの、わたしたちで決められることじゃないでしょ?」

「言ったろ。もう許可はとってある」

 俺はちょっと笑いそうになった。
 くだらないことにたいして、すごく真面目な行動力を発揮している。
 ある意味で第二文芸部らしい。

「俺たちが勝ったら、これからは俺たちが第一文芸部だ」

「いいよ」
 
 と部長はうなずいた。
 それから部員たちの表情を見回して、「いいよね?」と首をかしげる。

 俺もゴローも高森もうなずく。るーは、どう反応していいか分からない顔をしている。ずっと。

「なんなら今すぐでもいいです」という俺の言葉に、

「それじゃおもしろくない」と及川さんは笑った。
 
 俺たちは既に楽しめそうもない。


200: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/26(木) 23:59:02.59 ID:KuRGWnJ0o

 それから及川さんは、期日とか、部誌の内容についておおまかなルールを決めたあと、

「じゃあ、よろしく」と背を向けて部室を去ろうとした。
 その背中に俺は声を掛ける。

「聞いてもいいですか?」

 彼は肩越しにこちらを振り向いた。
 
「なに?」

「もしこっちが勝ったら、第二は何をしてくれるんですか?」

 考えていなかった、という顔を彼はした。
 そのときだ。

 そのとき、俺はイラッとした。
 勝負なんてどうでもいいし、どっちが第一でどっちが第二かなんてどうでもいい。
 でも、そういう顔は、ムカつく。

「考えとくよ」と及川さんは言った。アンフェアだとは、どうやら思わないらしい。

 俺は苦笑して、ゴローの顔を見た。ゴローは肩をすくめていた。


201: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/27(金) 00:00:04.68 ID:s/W9kd+Qo

「俺たちが決めてもいいですか?」

「……まあ、対等な条件ならね」

「じゃあ、何か考えておきます」

「ああ、よろしく」

 そう言って及川さんは去っていった。
 閉ざされたドアをみんなで十秒くらい見つめたあと、沈黙が起こる。

 高森と俺は苦笑いをして、ゴローは眠そうにあくびをした。
 るーは、なにがなんだかわからないような顔。
 
 部長だけが、真面目な顔でずっと自分の手の甲を見つめていたけど、しばらくしたら手のひらを打ち鳴らして、

「じゃ、カラオケいこっか」

 とにっこり笑う。一連の流れに置いてけぼりにされていたるーだけが、きょろきょろとみんなの顔を見回していた。
 

205: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/28(土) 19:01:23.32 ID:e5/BPC6No



 職員室に行くと、ヒデは自分の机で何かの作業をしているようだった。

「中田先生、部誌の話なんですけど」

「あ、うん。第二と合同で何かの企画をやるんだろ? やっぱりみんなやる気出してくれたんだね。新入部員も入ったし」

 部長はちょっと溜め息をつきそうになって、さすがにやめておいたみたいだった。

「第一と第二が入れ替わるかもって」

「うん。第一の座を賭けて勝負なんて面白いよね。きっと、普段文芸部の活動を見てない人も興味を持つよ」

 やさしげな熊みたいな顔で、ヒデはぽわぽわ笑った。

「……そうですね、そうかもしれない」

 部長はべつに異論を唱えたりはしなかった。どうせもう引き受けてしまった勝負なのだ。

「それで、みんなそろって何の用事?」

「今日は新入部員の歓迎会をしたいので、活動を休みにしたいんです」

「ああ、うん。了解。戸締まりは?」

「しておきました」

「分かった。うん。部誌の作業は、いつもどおりみんなに任せていいよね?」

「はい。最終確認だけしていただければ」

「了解。しっかりね」

 そんなわけで、顧問公認でカラオケに行くことになった。



206: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/28(土) 19:02:18.52 ID:e5/BPC6No



 昇降口を出てから、少しだけみんなが靴を履き替えるのを待つ。
 女子集団は移動するにもおしゃべりをしていて、おかげで男子とは足並みがなかなか揃わない。
 
 そんなタイミングでゴローとふたりきりになると、彼は少し困った感じに笑った。

「どうやら、あの賭け、勝てそうもないな」

「べつに負けたっていいだろ。名前が変わったってやることが変わるわけでもない」

「そっちじゃない。俺とおまえの賭けのことだよ」

「……ああ。そっち」

 そういえば、あれもあれで賭けだったんだっけ。
 すっかり頭から抜け落ちていた。

「……勝てそうもないって、どういうこと?」

「うん。なんとなく分かった。藤宮が入部してきたときは、ちょっとどうにかなるかとも思ったんだけどな」

「……きらきら?」

「そう。タクミくんにとってのきらきらの話」

 藤宮ちはるが、俺にとってのきらきらになりうるかもしれない、とゴローは思っていたらしい。
 そして、その考えを今翻した。

 俺はちょっと意外に思う。俺の方こそ、敗北宣言をしなきゃいけないかもしれないと考えそうになっていたのに。


207: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/28(土) 19:03:20.06 ID:e5/BPC6No

「でも、どうやら無理みたいだな」

 吹奏楽部の音階練習の響きが聞こえた。日差しがあるせいで、外は少し暑い。
 グラウンドで野球部が練習をしているのが見える。剣道部が敷地の外周をランニングしている。
 
「タクミが退屈そうにしてたのは、楽しいことがないからだと思ってた。毎日が平板で退屈だからだと思ってた」

 違うんだな、とゴローは言う。

「おまえは何かに気を取られていて、目の前のことを素朴に受け取ることができなくなってるみたいだ」

「……」

「なにが目の前にあったって、他のことを考えてる」

「……」

「おまえ、本当は、藤宮に会いたくなかったんじゃないか?」

 勝手なことを言われている、と思った。
 怒ってもいいところだ。たぶん。

"たぶん"と思うということは、俺は怒ってない。

「なあ、日々はそんなに退屈で、世界はそんなに平板か? 本当に?」


208: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/28(土) 19:04:16.64 ID:e5/BPC6No

 あの夏のことを思い出す。何もかもがきらきらに輝いていた。
 昼寝の午後、プールの水面、みんなで出掛けた道、祭りの金魚、
 台風の夜、大騒ぎのバーベキュー、UFOキャッチャーのぬいぐるみ。
 
 朝から遊んで、遊び疲れて昼寝して、昼食をとってからみんなで出掛けたような日々。
 隣にはるーがいた。傍にはみんながいた。

 るーの姉たち。静奈姉。それから、遊馬兄と美咲姉、遊馬兄の友達。 
 きらきらしていた? きらきらしていた。

 でもそれは、俺が"知らなかった"からだ。
 ものごとのひとつの側面しか見えていなかったからだ。
 隠されていたもの、裏側にはりついていた影、マジックミラーの向こう側。

「日々が退屈だとも、世界が平板だとも、べつに思わないよ、俺は」

 そう答えた。本当にそう思った。

「つまり俺は、ロマンチストなんだよ」

 ゴローは納得がいかないような顔をしていた。
 
 俺はポケットから携帯を取り出して、"秋津よだか"とのトークを開く。
 例の写真を、もう一度見る。彼女は濡れながらこの画像を撮ったのだろうか。

 俺はカメラを上に向けて、透き通るように晴れ渡った五月の空を撮影する。
 
 こっちは晴れてるよ。そう添えて、その画像を送った。
 それが本当のことだ。誰がどう感じようと、それはそういうものだ。

「……それにしても、遅いな、あいつら」

 ゴローはぼやきながら後ろを振り返る。たしかに、みんな遅い。


209: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/28(土) 19:04:59.64 ID:e5/BPC6No



 で、やっと出てきた女子部員たちに、ひとり男が混じっていた。

「やあ」

 と嵯峨野先輩はにっこり笑って俺たちに向けて手を挙げた。

「どうも」と俺たちは頭をさげる。

「カラオケ行くんだって? 俺も一緒に行ってもいい?」
 
 恐れのない人だなあと俺は思ったが、まあ案外こんなもんなのかもしれない。
 自分が遠慮がちだからそう感じるだけなのかもしれない。

「だめです」

 と、それでも俺は断っておいた。高森が救いを見たような顔をする。

「え、駄目?」

「……や、べつにいいです」

 でも聞き返されると断りきれなかった。自分を悪者にしたくないタイプなのだ。
 高森は裏切られたような顔をしていた。

 よっぽど苦手らしい。

 とはいえ、どうやって断れというんだ、こんな言われ方をして。


210: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/28(土) 19:06:12.08 ID:e5/BPC6No

 そんなわけで俺たちは駅前近くのカラオケ店に連れ立って向かった。
 男子三人女子四人、計七名。

 冷静に考えれば奇妙な組み合わせかもしれない。

 いっそ嵯峨野先輩が本当に文芸部に入ってしまえば、この奇妙さも少しは軽減されるような気もする。
  
 部屋に入ってデンモクをまっさきに掴んだのはゴローだった。 
 こういうとき一番乗りするのはいつも高森なんだけど、嵯峨野先輩のせいで少し緊張状態にあるらしい。
 おかげで俺たちもやりづらい。

「ほら、タクミ」

「俺?」

「一発かましてくれ」

「わー」とるーがうれしそうに笑った。
 
 仕方ないな、と俺は覚悟をきめて、少し考えてから曲を入れた。


211: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/28(土) 19:07:25.89 ID:e5/BPC6No

 カラオケの定番やランキングに入っているような曲は歌えない。
 というか普段ならそういうことを意識しないのだが(みんな気にしないし)。

 とりあえず「1000のバイオリン」をほどほどノリながら歌った。
 歌うのは嫌いじゃない。上手くないけど。愛想っぽい縦ノリが痛い。

 誰かが勝手に採点をオンにしてたらしく、曲が終わると点数が表示された。83点。
 一曲目歌ったあとの沈黙は、ノッてる奴がいないと痛い。

 が、大声で歌う俺を見ているうちに、高森も気を使うのがばからしくなったらしい。
 嵯峨野先輩を気にしても仕方ないと悟ったのか、俺の次に歌ったのは彼女だった。

 高森が歌ったのは大森靖子の「絶対絶望絶好調」だった。無駄に上手い。

 91点。
 ああ、もうこれで俺が気を使わなくても大丈夫だ、と思った。
 

212: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/11/28(土) 19:08:08.89 ID:e5/BPC6No



 部長とるーはほとんど歌わなかった。ときどき思い出したみたいに高森とデュエットしたりしてたけど。

 それもそのはずで、そもそもは高森の気分転換のためのカラオケだったのだ。
 気分転換どころか、ストレスの原因(といったら可哀想だけど)が一緒に来てしまったけど。

 ゴローはずっとタンバリンを鳴らしていた。
 佐伯はというと、意外にも好きなタイミングで好きな曲を入れて勝手に歌っていた。
 たいてい、みんなの知らない曲だった。

 それで嵯峨野先輩はというと、ひたすらにバックナンバーを歌っていた。
 どうやら好きらしい。

 俺は妙な対抗心を働かせてバックホーンを歌ったけど、冷静に考えたらあんまり対抗できていなかった。

 ともかく高森は嵯峨野先輩のことが気にならなくなるくらいに熱心に歌った。

 途中からその歌いぶりにみんなが聞き惚れていた。
 高森が宙舟を歌えばみんながほおっとなった。高森が地上の星を歌えばみんなが我が身を省みた。
 高森が糸を歌えば誰もが涙ぐんだ(中島みゆきが好きなのかもしれない)。
 
「糸」を歌いきったあと、「この曲を藤宮ちはるさんに捧げます! 入部してくれてありがとう!」と高森が叫ぶ。
 俺たちは感涙しながらぱちぱちと拍手をした。るーはにこにこと「ありがとうございます!」と返事をしていた。
 
 俺は新入部員の歓迎会という建前を忘れていたが、「るー、ありがとう!」と騒いだ。
 みんながみんなるーに「ありがとう!」と声をかけた。

 ちょうどいいタイミングでゴローの頼んだコロッケを持ってきた店員は、宗教の集まりを見るみたいな顔をしていた。



219: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/01(火) 23:48:02.77 ID:OBEIEYcPo




 歌をうたう高森のハイテンションぶりをみて、嵯峨野先輩がどんな反応をしたかというと、これが意外にも好印象だったらしい。
 
 高森の方もまた、一度テンションの殻を破ったところを見せてしまうと、彼のことが平気になったらしい。

「蒔絵ちゃん、歌うまいんだね」

「まあそうですね。そういうとこあります」

 なんて、ふたりで楽しそうに会話していた。
 そんな調子で高森のテンションが高めになったところで嵯峨野先輩が連絡先をきくと、彼女はあっさり教えていた。
 華麗なやり口だと俺は思った。
 
 それから先輩は映画を観るのが趣味だとかそういう話をして、知っている映画をいくつか挙げた。
 高森がそのうちのひとつに反応を示すと、「実はその映画の監督の新作が今やってて……」という話になり、
 最終的に「じゃあ今度一緒に見に行かない?」なんて誘いにいつのまにか変わっていた。

 俺が同じことをやろうとしてもこうは行くまい。

「あ、いや……ふたりでですか?」

 と高森がちょっと冷静になって難色を示すと、嵯峨野先輩はあっさりひいて、

「いや、何人かでさ。ここにいるみんなでもいいけど」

 と当たり前のようにみんなの顔を見回す。
 
「今週の土曜にでも、どう?」

 俺たちは顔を見合わせた。


220: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/01(火) 23:48:28.66 ID:OBEIEYcPo

「……あ、や。待ってください」

 と高森が言いかけたところで、

「俺はいいっすよ」

 とゴローは言った。
 
 俺たちは面食らった。

「タクミは?」

「……土曜? バイト夜からだし、まあ平気だけど」

「高森も暇だって言ってただろ?」

「え……」

「どうせ家でゲームやるだけだって言ってたじゃん」

 事実を婉曲的な表現で持ちだしたゴローに対して、高森は「うっ」と言葉に詰まる。

「蒔絵ちゃん、ゲームとかやるんだ。どんなの?」と嵯峨野先輩が妙に食いつく。
 
 さすがに、怪訝に思う。この人ちょっと変じゃないか?

 とはいえ、今それより気になるのは、むしろゴローの対応の方だった。
「映画館に観に行くより、レンタルショップで借りてきた映画をひとりで見た方が面白いし数も見れる」と豪語してたのに。
 

221: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/01(火) 23:49:28.12 ID:OBEIEYcPo

 何のつもりだと思ってゴローを見ると、彼はどうでもよさそうに部長と佐伯にも予定を確認しはじめた。

 ふたりは一瞬ずつ、ちらりとゴローと目を合わせて、なにかを察したような顔をして、

「大丈夫」「平気だよ」とそれぞれ頷いた。

 最後に彼はるーの方を見て、

「藤宮は?」と訊ねる。

「……皆さんがいくなら」と、突然の流れに戸惑いながらも、るーは頷く。

 どういうつもりだと問いたかったけど、嵯峨野先輩はすごく乗り気で、「じゃあ上映時間調べてから連絡するよ」とにっこり笑った。
 
 マジでか、と俺は思った。


222: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/01(火) 23:49:56.18 ID:OBEIEYcPo



 とにかくその場はそれで解散になり、その週の土曜に出掛けるという話になった。
 家に帰ってからラインに通知が来て、何かと思ったら文芸部のトークグループをゴローが勝手につくったようだった。

『第一文芸部(5)』

 るーの連絡先は知らなかったらしく、彼女は含まれていない。

『そんなわけで土曜日映画です』

『どういうつもりだ!』

 ゴローのメッセージに対して、即座に高森から怒りの返信。

『え、いいじゃんべつに。みんなで映画観たかったんだよそう、きっとそう』

 ゴローは文字媒体だと五割増しくらいで発言が適当になる。

『わたしは観たくない!』

『どうせ暇だろ』

『休日の使い方なんて自由なはず!』

『どうしてもっていうなら行かなくてもいいと思うけど、べつに』

 通知がうざい。

 とりあえず通知をオフにして、様子をうかがう。
 ところがそれから十五分くらい返信が途絶えた。

 俺がちょっと不安になったところで、高森から『行く』というメッセージ。

 ……たぶん、『自分がいないところでみんなで出掛けてるのもそれはそれでいや』ってことだろうな。
 佐伯も部長も抵抗なさそうだったし。


223: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/01(火) 23:50:21.55 ID:OBEIEYcPo

 しかし、これはどういうつもりなんだろう、とちょっとだけ思う。
 
 部長も佐伯も、あんなに簡単に話に乗るとは思わなかった。
 考える隙なんてほとんどなかったはずなのに。

 まあいいか、と俺は思う。そんなのは気にしたって仕方ないことだ。
 どうせ今日はまだ水曜。土曜のことなんかより、明日のことを考えなきゃいけない。

 そういえば、例の第二文芸部とのやりとりのこともある。
 
 なんで今急に、いろんなことが起き始めているんだろう。
 そんな疑問を持ったけど、それもまた考えても仕方ないことだ。

 ほとんどのことは、俺とは無関係に起きる。

『そういえば、みんな、部誌は何書くの?』

 訊ねてきたのは部長だった。

『ミートソースとボロネーゼの違い』とゴロー。

『じゃあわたしカルボナーラとペペロンチーノ』と高森。

 俺は『ナポリタンの起源』と答えた。すぐに既読4ついた。
 みんな暇なのか? 俺もだけど。

『わたしは何も書きたいことがないということについて書きます』と佐伯。

『あとはりねずみのこととか』と続く。

『なんだそれ』とゴロー。俺もそう思った。


224: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/01(火) 23:50:53.05 ID:OBEIEYcPo

『はりねずみかわいいよね。ひらがなにするともっとかわいい』

 そう語る佐伯のラインのアイコンはピンク色の、オウムかインコかよく分からない鳥の写真だ。

『動物全般がかわいい』と高森。

『猫がいちばんかわいいけどな』とゴロー。

 部誌の話はどこにいった。

『蒔絵ちゃんは小説?』と、部長が話を戻す。

『たぶんそうなると思います』

『タクミくんは?』

 ……そうか。ゴローは本当にパスタ系で行くらしいから、答えてないのは俺だけってことになるのか。
 俺は、第二文芸部の、及川さんとの会話を思い出す。

『ほどほどに、疲れない感じのものを』

『随筆?』

『ほどほどに疲れない感じのものを装ってはいるけど、よく読むと疲れる感じのものが理想です』

『ジャンルを聞いてるんだけど……』

『ノリに任せます』

『……出来を見て判断します』

 書き始めの段階では日記だったつもりが、気付くと小説になってる、というパターンが割と多い。
 まあ、そんな調子で結局小説であることが多かった。


225: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/01(火) 23:51:20.35 ID:OBEIEYcPo

 突然、ゴローからグループに画像が送られてくる。
 どうやらゴローの家の猫の写真らしい。丸くなって、クッションのうえで眠っている。

『かわいい』と佐伯。

『寝てる猫はだいたいかわいい』と高森。

『まあ飼い主に似るっていうしな』とゴローは調子に乗っていた。
  
 俺はそこでとりあえずラインを閉じた。 
 部誌のこと。本当に、例の企画めいたことをやるつもりなら、ヒデが言っていたように、普段より注目は受けるかもしれない。
 というか、注目を受けなければ成立しない企画だから、注目を受けるだろう。

 第二の行動力は半端ではないし、お祭り騒ぎが好きな奴らだ。
 教師陣や生徒会にまで許可をとった以上、各学級にホームルームで通達とかしかねないし、ポスターくらい作りかねない。

 それを思うと少しだけ気分が重くなった。
 勝ち負けで言ったら、たぶん負ける。それが分かっているのが、ちょっとだけしんどい。
 もちろん、勝つために書くわけではない。だからといって、負けの烙印を押されたら、悔しくないわけがない。

 溜め息をついたところで、ラインの通知が鳴った。
 またか、と思ったけど、よく考えたらグループトークの通知はさっきオフにしておいたのだった。

 メッセージを見ると、どうやらまた、秋津よだかからのものだった。
 一日に何度もメッセージをよこすのは珍しい。

『こんな日だけど、夜空はきれいです』

 添えられた写真は、どうやら夜空を写したものらしいが、俺には真っ黒にしか見えなかった。


226: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/01(火) 23:52:07.65 ID:OBEIEYcPo



 誰も誘わないもんだから、仕方なく俺がるーにグループへの招待を送った。
 べつに誰が困るわけでもないだろうし、困るなら別のグループをつくれば済むことだ。

 るーは儀礼めいた挨拶だけすると、それ以降は発言しなかった。
 それから個別ラインで、俺に『ありがとうございます』とメッセージをよこした。
 実物より文面の方がそっけない感じになるのが、いかにも彼女らしい。

 それからまた、個別の方で追撃が来る。

『ちょっと訊きたいんですが、タクミくんって、蒔絵先輩と付き合ってたんじゃないんですか?』

 俺は一瞬混乱した。

『なんでそう思ったの?』

『たっくんて呼んでましたし、仲良さそうでしたし、よく話してましたし、付き合わないまでもいい感じなのかな、と』

『それは気のせいだな』

『気のせいでしたか』

『高森は人をあだ名で呼ぶくせがあるんだよ』

『そうだったんですか』

『大抵、あだ名の方が名前より長くなる』

 タクミ→たっくん、ゴロー→ゴロちゃん、ちえ→ちーちゃん。見事に長くなっている。

『かんちがいしてました』

『そういう事実はないです。もう寝なさい』

『おやすみなさい』とるーは素直に返事をよこした。
 
 

227: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/01(火) 23:52:45.13 ID:OBEIEYcPo

 ふう、ようやく落ち着いたな、と思ったところで、またラインの通知。
 普段は一日に一度も鳴らない日の方が多いのに、今日に限っていったいなんなんだろう、と思って画面を見る。
 
『しあわせってなんだろうね?』

 秋津よだか。

 知るかよ、と俺は思う。

『探せば?』

『見つかると思う?』

『どこかにはあるかも』

『そうだといいよね』

『ないかも』

『なかったら悲しいね』

『悲しい』

『おやすみ』

『おやすみ』

 そして俺は携帯の電源を落とした。
 課題をしてから少し部誌の原稿の内容について考えて、思いついた言葉や題材のメモをノートに残す。  

"遠足、楽しげな顔、地球の裏側、燃え続けている、秋津よだか、
 星、鳥、燃え続けている、飛行機事故、虫刺され、知ること、知らないこと、ハッピーエンド、
 ページをめくらないこと、猫の死体、鷹島スクイ、鉱質インク、手首、花火、目を瞑る、“

 ふと気付くと随分長い間ぼーっとしてしまっていたみたいだった。

「まだ寝ないの?」と扉の向こうから静奈姉が声をかけてきた。明かりが漏れていたらしい。
「もう寝るよ」と俺は答えた。そして実際、シャワーを浴びて眠った。少しだけ夢を見た。


232: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:13:10.04 ID:HC95gLgbo



 そして問題の土曜の朝、待ち合わせの場所に指定された駅前のドーナツ屋に姿を見せたのは、嵯峨野先輩と高森とるーだけだった。

 ちょうど約束の時間を過ぎた頃、ゴロー、佐伯、部長、それぞれから示し合わせたように連絡が来た。

「急用が出来たので今日はいけない」とゴロー。

「歯医者の予約を入れていたのを忘れていました」と佐伯。

「部誌の作業が遅れているので」と部長。
 
 みんな急用ができたみたいです、と報告すると、嵯峨野先輩は「そうなんだ」とちょっと困った顔をした。
 高森は「仕方ないね」と溜め息をついていたが、るーはどっちでもよさそうだった。

 土曜の朝十時過ぎ、開店直後のドーナツショップにはあまり人気がなかった。
 俺たちを除いて何組かの客がいるだけで、まだどちらかというと朝の静けさを引きずっているような様子。

「じゃあ、とりあえずこの四人で映画に行く?」

「……に、しますか」

 一度観に行くことを受け入れたわけで、そうなると集まらなかったからといって解散するのも気が進まない。
 ましてや、一人二人ならともかく、四人揃っているわけで。


233: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:14:11.60 ID:HC95gLgbo

 というか。
 そういうことを見越してゴローが謀ったのではないかと疑ってしまう俺は性格が悪いのか?

 高森もるーも、そういうことを一切疑っていない様子で、おかげで俺は自分がひどく疑心暗鬼の状態なんじゃないかと悲しくなった。
 
「それにしても、みんな揃って用事とはね」

「まあ、土曜はみんな忙しいですからね」

 たぶん。知らないけど。
 高森は「それならわたしだって経験値……」とぼやいていたけど、俺はしらんぷりした。

「映画の上映時間だけど、昼過ぎからみたいなんだよね。それまでどっかで時間潰そうか」

 まあ、そうなっちまったもんは仕方ない、と嵯峨野先輩に従う。
 彼も彼で人数が少なくなると落ち着いて仕切り始めた。

 このあいだは俺たちに乗っかったかたちだったけど、今回は彼が提案した形になる。
 ちょっとだけ彼の対応が変わっているあたり、責任感が強くて柔軟なタイプなのかもしれない。

 悪い人じゃないんだよな。
 馴れ馴れしいけど。


234: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:14:41.93 ID:HC95gLgbo

「映画館って、モールですよね?」

 と訊ねたのはるーだった。モールというのは近隣にある大型複合施設の通称だ。
 以前、この街に来た時も行ったことがある。ほとんどよく覚えていないけど。
 
 あのときもみんな一緒だった。

「モールに映画館なんてあったっけ?」

「昔はなかったんですけど、モール自体が改装されて、そのときに映画館がすぐ傍に……」

 ずいぶん思い切った改装だ。

「モールでぶらぶらしながら時間つぶして、お昼食べてから映画行く?」

「それがよさそうですね」と高森は頷いた。

 なんだか、普段とメンバーが違うせいで、高森のノリも違うような気がした。
 こういうとき、行き先を決めたりするのはもっぱら佐伯や部長で、高森は決めたことにただ従う場合が多かったのに。
 
 人間って柔軟な生き物なんだなあ、と妙な感動を覚える。
 ひとりでいることが多いと、そんなことすら分からない。


235: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:15:20.67 ID:HC95gLgbo

 そういうわけで、その場で軽食をとってから駅へ移動。モールへと向かった。

 モールと言った途端、高森がやけに乗り気になったのが気になって、

「妙に乗り気だけど、モールに何かあるの?」

 と訊ねると、

「ゲーセンでプリパラする」

 と反応に困る返事が来た。
 特にコメントもない。

 嵯峨野先輩は移動中、天気とか、部誌の話とか、いろいろみんなに話題を振ってきた。
 膨らませ方がうまいのか、次から次へと話題が転がり、会話が途切れることはなかなかない。

 というか、聞き上手なんだろう。
 
 自然と話は嵯峨野先輩と高森、俺とるーのふたりに分かれていった。
 嵯峨野先輩が高森に話題を振るもんだから、当然と言えば当然だ。

「るーは、モール、よく行くの?」

 気紛れにそう訊ねると、意外な質問だったみたいに、彼女は一瞬だけ黙りこんだ。

「あんまり。ときどき、お姉ちゃんたちについていくときはありますけど」

「そうなんだ。映画とかは見ないの?」

「たまに気になるのがあるときは観に行きますよ。でも、そんなには」


236: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:16:32.49 ID:HC95gLgbo

「休みの日とかって何してるの?」

 俺は適当に「困ったらこれを振っときゃ間違いない」みたいな話題を振った。

「えっと、買い物に出掛けたり、本を読んだり、友達と遊んだり」

「ああ、一緒一緒」

「おそろいですね」

「ですねー」

 ホントかよ、と俺は思った。たぶん俺と彼女じゃ「買い物」の意味も違う。読む本さえ違いそうだ。

「……本って、どんなの?」

 俺は嵯峨野先輩を見習って、ちょっとだけ話題を膨らませてみた。

「基本的に、小説が多いですね」

「どんなの?」

「だいたい、映画とかドラマの原作が多いですね。文学みたいなのは、あんまり」

 るーは照れたみたいに笑った。そういう表情が珍しくて、ちょっとどきっとする。
 して、一個下の女の子の照れた顔にどきっとしてしまう自分の耐性のなさに情けなくなる。


237: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:17:05.77 ID:HC95gLgbo

「最近だと……」と、るーは今やっているドラマの原作本を挙げた。
 
「ああ、読んだそれ」

「おもしろいですよね」

「うん。あの作者、昔はシリアスなものをシリアスにやってたけど、最近はシリアスなものを軽やかにやってるんだよな」

 と俺は適当に思いつきの批評をした。本当にそう思ってるんだけど、言ってからなんとなく後悔する。

「そうなんですか?」とるーは気にした風もなく首をかしげる。俺は恥ずかしくなる。

「うん。そんな感じがする」

 と俺は曖昧にぼかした。

「タクミくん、けっこう本を読むんですか?」

「……そんなには。図書室でときどき借りて読むくらいで」

「さすが文芸部員」

 話題を誘導する技量がないから、すぐに自分に都合の悪い展開になってしまった。
 なるべくなら、自分の話はしたくない。

「……そういや、るーは部誌、何書くか決めた?」

「あ、えっと……まだ悩んでます。早めに決めないといけないものなんですか?」


238: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:17:31.29 ID:HC95gLgbo

「部長が気にしてたんだよな。たぶん、早めにレイアウト組みたいんだと思う。配置考えてるの、部長だから」

「……単純に、並べるだけじゃないんですか?」

「あの人、変なところで凝り性だから」

「はあ。そうでしたか」

 また話がずれてる。
 俺に相手から話題を引き出す能力はないらしい。

 そんなこんなで話していると目的の駅について、そこから徒歩五分のモールへと向かった。

 それにしても、意外と話せるもんだな、と俺は思った。

 何を話せば良いのかわからないって、本当はなんとなく困ってたのに。
 それもきっと、彼女のおかげなんだろう。


239: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:18:23.25 ID:HC95gLgbo



 冗談かと思ったんだけど、高森はモールについた途端迷わずにゲームコーナーへと向かった。
  
 店の外観は以前見たのとほとんど変わらないが、店内に入るとすぐに記憶との違いが目につく。
 
 もちろん、当時は今よりずっと背が低かった。
 あのときは何もかもが大きくて広く見えた。人だって、ずっとたくさんいるように感じた。
 何かのテーマパークのようにすら、俺は感じていた。天井はずっと高く感じた。

 けれど今となっては、それはどこにでもある大型複合商業施設にしか見えなかった。
 何かを知るというのはそういうことなのかもしれない。

 テナントはいくつも入れ替わり、内装も以前とはかけ離れていて、昔軽食屋のあったスペースがただの休憩所になっていたりした。

 時刻は十一時ちょっと前と言ったところ。
 付近にあるフードコートには、混みあう前に昼食を済ませてしまおうという層か、それとも遅い朝食をとろうという層のどちらかが何組か。
 開店してからそう時間が経っているわけではないから、人気はそう多くはないけれど、かといって空いているというふうでもない。

 ゲームセンターでは、親の買い物に付き合わされて飽きた様子の子供たちがはしゃいでいる。


240: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:20:03.33 ID:HC95gLgbo

 高森は本当に女児向けカードゲームコーナーに座り込みはじめた。
 どうやらバッグのなかにカード入れを持ってきたらしい。最初からそのつもりだったんじゃねーか、と困る。
 最初は三人で並んで高森のプレイを見ていたけど、さすがに何分も見ている気にはなれなくて、嵯峨野先輩だけをおいてその場を離れた。

「タクミくん、UFOキャッチャーありますよ」

「ああ、うん」

「タクミくん、得意ですよね」

「……」

 得意。得意か。

 プライズキャッチャーの前に、子供がふたりいた。プライズは子供向けアニメの人気キャラクターのぬいぐるみ。
 
 男の子がクレーンを操作しているのを、女の子がわくわくした顔で眺めている。 
 が、とれない。

「あらら」とるーは残念そうな顔をした。

 それから子どもたちはうしろから見ていた俺たちを振り向くと、ちょっと機体から離れた。
 どうやら順番待ちだと思われたらしい。

 俺は財布を取り出して小銭を突っ込み、さっきの子どもたちが狙っていたぬいぐるみを動かす。
 とれない。三度ほど同じように、ぬいぐるみをクレーンでつついた。

「昔は、一発でとってましたよね」

「まあ、そういうことだよ」

「……何がですか?」


241: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:20:38.27 ID:HC95gLgbo

 俺がゲーム機から離れると、さっきの子どもたちがふたたびクレーンゲームの前に立った。
 小銭をつっこんで、緊張した面持ちでクレーンを操作する。
  
 今度は、クレーンがしっかりプライズを掴んでいた。

「……あ」

「遊馬兄も同じことをやってたんだよ。とりやすいように、位置とか角度をちょっとずらしてから、俺と代わったんだ、あのとき」

「……そうだったんですか?」

「うん。そういう人だった」

 ぬいぐるみを手に、うれしそうにはしゃぐ子どもたちの姿を眺める。

「……お兄さんが」

「うん。俺が取れたのは、遊馬兄のおかげだよ。俺がすごかったわけじゃない」


242: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:21:34.01 ID:HC95gLgbo

 るーはちょっと黙りこんだまま、俺の顔を見上げてきた。
 少し、落ち着かない気分になる。今更こんな種明かしをしたって、誰が得をするわけでもない。

 ちょっとだけ、後悔する。

「……でも、じゃあ、あの子が今ぬいぐるみを取れたのも、タクミくんのおかげなんですか?」

「いや。取りやすくしただけで、実際に取れたのはあの子の実力だよ」

「じゃあ、やっぱり、タクミくんはすごかったんですよ。それに、取りやすく調整するのだって、誰にでもできることじゃないです」

 そう言ってにっこり笑った。
 
 参ったな、と俺は思う。これだからるーは苦手なんだ。
 俺がどんなことを言われれば喜ぶのか分かってるみたいだ。
 
 なんにもできない自分、誰かにやさしい言葉をかけることのできない自分。
 意識してしまう。そういうことを。


243: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/03(木) 21:22:23.12 ID:HC95gLgbo

「そういえば、まだカナヅチなんだっけ?」

「……なんで急に、その話になるんですか」

 ちょっと困った顔で、るーは目を泳がせた。

「泳げないからって死ぬわけじゃないって言ったの、タクミくんです」

「それを言われると、ちょっと責任感じるな」

「じゃあ、責任とってわたしに水泳教えてください。今年の目標は25メートルです」

 また、にっこり笑う。
 
「ああ、うん……機会があったらね」

 曖昧にして逃げようとした俺を、

「約束ですよ」

 とるーは捕まえる。
 本当に困った子だ。

 かなわない。

 少し、くすぐったくて嬉しいような、そんな気持ちになる。
 そういうときにはいつも、俺はよだかのことを思い出してしまう。

 彼女は今どうしているんだろう、なんてことを、考えてしまう。

 それにしても、るーは、遊馬兄が今どうしているのかを知っているんだろうか。

 知りたいような気もしたし、知りたくないような気もする。
 知ってしまうのが恐くて、俺は気になることを聞けないままだった。
 一年間、静奈姉にそうしていたのと同じように。


249: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/05(土) 20:19:13.32 ID:ql/eIKo9o



 高森がゲームに飽きたあと、昼食をフードコートで簡単に済ませてから、時間までぶらぶらと店内を回ることにした。
 
 歩いていると、俺たちと同年代くらいの人がけっこういたりして、すれ違うたびに自分たちがどう見えるかを意識してしまう。
 男女四人で、近いようでどこか距離のある四人。

 友達同士というには距離がある。かといって、特別な関係に見えるほど親密そうでもないだろう。
 あらためて、この四人というメンバーのおかしさを感じる。

 そもそも俺だって中心に立って動くタイプじゃないし、高森だってそうなのだ。

 集団の斜め後ろくらいが安心できる。

「タクミくん、見てくださいこれ」

 と、雑貨屋の入り口にあった商品を手にとって、俺を手招きする。

「なに?」

「くまー」

 と、彼女は奇妙な顔をした熊のキーホルダーを掲げてきた。

「……お、おう。どうしたそれ」

 俺は奇怪な形をした熊の眼力に圧倒されて一瞬怯んだ。

「かわいいです」

「……かわいいか?」

 目の位置が高くて蛙のように思えるが、るーはローテンションのままそこそこご機嫌にその熊を眺めていた。


250: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/05(土) 20:20:03.17 ID:ql/eIKo9o

「知らないんですか? 最近一部で人気のゆるキャラですよ」

「ゆるいか?」

「わたしの周囲にも理解者はいませんが、このキャラクターの公式ツイッターアカウントのフォロワーは三百人を越えています。じわじわと人気が広がってるんですよ」

 ホントかよ。

「……その熊、片耳ないけど」

「おなかをすかせた自分の子供に食べさせたという設定があります」

「首に巻かれた包帯は?」

「あ、それはファッションって設定です」

「瞳があらぬ方向をむいてるのは……なぜなんだ?」

「ふなっしーだってそうじゃないですか」

 言われてみればそうなんだけど、このキャラをあれと並べていいものなのだろうか。

「ちなみにそのキャラ、なんて名前なの?」

「くまのくらのすけです。人気急上昇中ですよ!」とるーは胸を張った。

 くらのすけって顔か?
 

251: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/05(土) 20:20:33.94 ID:ql/eIKo9o

 話をぐだぐだと聞いていると、るーは「ちょっと待っててください」と声をかけて、レジまでとたとたと走って行ってしまった。
 ……むかしはもっと、シンプルにかわいいものに惹かれてた気がするんだけど。

 まあ、数年間会っていなかったわけで、趣味くらい多少変わっていても変ではない。

 というか、むしろちょっと安心してしまった。

 再会してからのるーは、どこか一歩引いていて、話していてもちょっと遠慮がちなところがあった。
 でも今のるーは、昔みたいに楽しそうで子供っぽくて、単純に楽しそうだった。

 なんにも変わってないみたいに笑っている。
 そういう姿を見ると、ちょっとほっとする。

「おまたせしました」とレジから戻ってきてすぐ、るーは俺に向けて「はい」と紙袋を差し出す。
 みれば、彼女は袋を二つ持っていた。

「……え、なにこれ」

「プレゼントです。記念に」

「……あの、開けていい?」

「はい」と彼女はにっこり笑う。

 出てきたのはくらのすけだった。

「おそろいですよ」とにっこり笑う。
 こういうの、たぶん、意識しないでやってるんだろうなあ、と思う。
 彼女の方からしたらきっと、なんでもないことなのだ。とにかく今一緒にいたから、という理由だけで。

「……ありがとう?」

「わたしだと思って大事にしてくださいね」

 冗談めかした口調のるーに、「この熊をるーだと思うのは無理があるよなあ」と、俺は大真面目に思った。


252: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/05(土) 20:21:04.91 ID:ql/eIKo9o

 それにしても、と、改めてるーの姿を見る。
 
 再会して初めて見る私服姿は、昔の印象とはちょっと違う。
 昔はやっぱり服装も子供っぽくて動きやすそうな、活発な印象のものをよく着ていたように思う。
(まあ、それにしてもけっこう女の子らしい服装ではあった気もするが)

 それが久しぶりに会ってみれば、パッと見で「高校生くらいの女の子」らしい服装でやってくるわけだ。
 
 いや、そりゃそうだ。
 俺たちが会っていたのは小学生の頃のことで、今俺たちは高校生なわけだ。

 でも、なんでだろう?

 一定の年齢以上の私服姿の女の子っていうものには、妙な威圧感がある気がする。
 年下だったり同い年だったりしても、自分が圧倒的に後手に回ってしまっている気分にさせられるのだ。

 その時点でちょっと遠く感じたりもする。

 ……たぶん、普段女の子とあんまり遊んだりしないからなんだろうけど。


253: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/05(土) 20:21:36.68 ID:ql/eIKo9o

 るーもそうだけど、高森の方も私服で会うとけっこう印象が違う。

 まあ、とはいえこんなふうに一緒に出掛けたのがはじめてってわけでもない。
 
 文芸部でカラオケに行こうとか、そういうときだって今までもあった。だから、初めて見たってわけじゃないんだけど。

 そういうことがあるたびに思うのが、ネトゲにすべてを捧げてるように見える高森が、意外とファッションなんかに気を遣う女の子なんだってことだ。
 
 髪型や服装ひとつとったって、ちゃんと見られることを意識してる。
 少なくとも(年頃の女の子ってことを考慮すれば、べつにおかしくはないけど)適当にひっつかんだ服を適当に着回してる感じではない。

「女の子らしさ」を殺さない程度のボーイッシュ、とでもいうような。

 そもそもの話、見てくれはそこそこかそれ以上、という奴なのだ。
 
 髪とか肌とか、自然な風にして、手入れされているような。

 前に一度、そういう感想が口をついて出てしまったときがあった。
「髪きれいだよな」なんて。思わず出てきた言葉だったけど、我ながらちょっとどうかと思う。

 高森は一瞬戸惑った顔をしてから、わざとらしくふふんと鼻を鳴らして、

「まあね、女の子だからね。ちょっとだけなら触ってもいいよ」

 なんて得意がっていた。たぶん照れてたんだと思う。
 ちなみに本当に触ろうとしたら逃げられた。

 俺は渡された紙袋のなかの熊をもういちど眺めてみる。
 変な顔。こういう変なものに惹かれるのは、やっぱり「るーらしい」のかもしれない。
 そこに、やっぱり少しだけ安心する。目の前にいるのは「女の子」だけど、「るー」だ。

 とにかく、私服姿の女の子を前にすると、ちょっと萎縮してしまう、というお話。


254: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/05(土) 20:22:07.42 ID:ql/eIKo9o



 映画館はそこそこ繁盛している様子だった。
 
 混んでいるからちょっと不安だったんだけど、チケットはあっさり買えた。
 どうやら今週から上映される人気シリーズの影響で混み合っているだけらしくて、俺たちが観る映画はそこまで人気ではないらしい。
 
 高森と出掛けるための口実なのかと思ったら、嵯峨野先輩は今日の映画を本当に楽しみにしていたらしい。

 好きな監督なんだ、と言っていた。
 ずっと昔にこの人の映画を観てから、いろんな映画を観るようになったんだよ。 
 単純な娯楽作品として見たらそんなに面白くはないかもしれないけど、綺麗な映画を撮る人なんだよ。

 そんなふうに。

 何についてもそうだ。好きなものについて話す人は、いつだって楽しそうだ。
 だから、俺は彼のことを、今までより少しだけ好きになる。

 憧れに近い気持ちで。


255: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/05(土) 20:22:58.46 ID:ql/eIKo9o

 チケットを買って、ポップコーンと飲み物を買い終える頃に、入場案内のアナウンスがされた。
 シアター内に入ると、騒々しかったロビーとは打って変わって静けさに満ちた雰囲気に飲み込まれる。

 映画館のこういうところは嫌いじゃない。
 価格設定を見なおしてもらえれば、毎週のように来るかもしれない。

「楽しみですね」って、るーは俺の隣りに座って笑った。

 席順は、嵯峨野先輩、高森、るー、俺の順番。
 妥当と言えば妥当な感じもした。

 新作映画の予告を観ていると、見終わる前から、また来てみようかな、なんてことを思う。
 我ながら単純だ。

 なんとなく、隣に座るるーを見ると、彼女もこっちを見ていた。

「なんですか?」という顔をされたので、「なんでもない」と軽く頷く。

「そうですか」というふうにちょっと笑って、彼女はスクリーンに視線を戻した。

「……前から思ってたけど、なんでふたりってそんなに意思疎通できてるの?」

 ことの成り行きを横で見ていたらしい高森が、小声でそう問いかけてくる。

「いや。表情とかで分かるだろ、こういう場合」

「……そっかなあ」
 
 なんて高森は首をかしげていた。
 さて、もうすぐ映画がはじまるみたいだ。

 スクリーンに集中しよう。
 嵯峨野先輩の話を聞いていたら、俺も興味が湧いてきた。

256: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/05(土) 20:23:28.54 ID:ql/eIKo9o


  
 ……映画。

 そういえば、遊馬兄の部屋に入ったことがある。

 お調子者、三枚目って感じの印象だったけど、彼の部屋には洋画のDVDや翻訳小説なんかが小奇麗に並べられていた。
 部屋の片隅においてあったアコースティックギター。「インテリアだ」って本人は笑ってたけど、ちょくちょく触っていたみたいだった。
 
 漫画やアニメをけっこう見ていたから、なんとなくそういう趣味の人なんだと最初は思った。
 よく話を聞いたら、そういう趣味の友達に勧められて観たり読んだりしはじめたんだと言っていた気がする。
 べつに嫌いでもないけど、その友達がいなかったらそんなに興味もなかったと思う、って、そう笑ってた。

 俺がやっていたようなゲームを持っていたけど、それだって「子供の頃からやってるシリーズだから」って言って笑ってた。

 一度だけ、彼がギターを弾くのを見せてもらったことがある。
 そんなに上手でもなかったけど、だからといって下手でもなかった。

 遊馬兄は、他人の趣味や特技に関心を示したりすることはあったけど、自分の趣味を他人と共有したりしようとはしなかった。

 そういうことをなんとなく思い出す。
 お調子者で、突拍子もなくて、何も考えてなさそうで、いつも楽しそうな変人。

 それなのに今にして思えば、彼はいつだって、他人との距離感みたいなものを意識していたみたいに思える。
 他人との距離をはかって、一定に保とうとしているかのような。
 どこまで踏み込んでいいのか、どこから踏み込んだらまずいのか、常に気にして、一線を保とうとするような。

 あの頃の彼の年齢を思い出すと、それを今の自分が上回ってしまっていることに愕然とする。

 俺が見ていた彼は、今の俺なんかより、ずっとずっと大人みたいに見えたのだ。
 みんなと一緒にいると楽しそうに笑っているけど、ふと気付くと、とても寂しそうな顔をしたりしていて。
 それを見ているこっちに気付くとなんでもなさそうに笑うから、気のせいだったのかって納得したりして。

 あの人は、本当に俺が見ていた通りの人だったんだろうか。
 そんなことを思う。



257: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/05(土) 20:23:55.27 ID:ql/eIKo9o



 映画は、思ったよりも面白い映画じゃなかったけど、思ったよりは楽しめた。
「面白さ」と、それを「楽しめるか」というのは別なのだ。

 そういう意味では、俺にとっても好みの映画だった。
 というか、わりと感動していた。

「ラストシーン手前で、主人公がひとりで料理を作るシーンがよかったですね」

「うん」

「ふと鏡を見て、自分の顔を見て驚くところ」

「うん」

「胸が締め付けられました」

「うん。よかったね。俺としては、中盤の雑踏のシーンが一番キたな。風船持った女の子とすれ違ったとこ」

「あのあとの女の台詞もいいですよね」

「そうそう」

 と、俺と嵯峨野先輩は女子そっちのけで盛り上がった。

「……なんか仲良くなってるね」とうしろで高森がぼやくのが聞こえる。

「いいことですよ、たぶん」

「……なのかな。たっくん、複雑に見えてけっこう単純だよね」

「そういうところ、ありますね」

「単純に見えて複雑なとこもあるけど。るーちゃんも、こんなの相手だと苦労するねえ」

「な、なんですか、それ」

「そこ。人が余韻に浸ってる横で陰口叩くな」

 口を挟むと、

「陰口じゃないもーん」
 
 と高森は子供みたいな顔でそっぽを向いた。るーの方を見ると、また目を泳がせる。
 カナヅチのくせに目だけ泳がせるとは器用な奴だ。


258: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/05(土) 20:25:59.09 ID:ql/eIKo9o

「さて、このあとはどうする? そろそろ解散しよっか?」
 
 あんまり遅くなってもあれでしょ、と嵯峨野先輩は提案する。

「……ですね。今から帰ったら夕方ですし」

「浅月、この監督の映画に興味あるなら、うちにDVD何本かあるから、今度貸すよ」

 と、嵯峨野先輩は言ってくれた。

「ホントですか?」

「うん。オススメのがけっこうあるんだ。今日の奴が好きだったら、ハマるのもいくつかあると思う。好みはあるけど」

「ぜひお願いします」

 俺は嵯峨野先輩に対して心の中で多大な謝罪を送った。
 今まで爽やかイケメンナンパ野郎とか思ってたけど、ぜんぜんいい人だ。

 感動に涙が出そうになる。

「じゃあ今度、学校に持ってくよ。放課後は文芸部の部室にいるんだろ?」

「はい。ありがとうございます! 一生ついてきます!」

「なんだそれ。大袈裟だなあ」

 俺たちはひとしきり笑い合う。
 
 うしろでるーが、

「将を射んと欲すれば……の、馬、ですかね」

 と、溜め息をついて、

「いや、普通に仲良くなっちゃったんじゃない?」

 と高森が苦笑したのが聞こえた。

 空は、午前中より少し暗くなっている。
 雨が降り出しそうな雲だった。

264: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:02:15.69 ID:NdAUtaeco

◇[Wild Nights]


 翌週の月曜の朝、登校するとゴローと佐伯が俺の席の近くで話をしていた。

「土曜はどうだった?」とゴローは訊いてくる。

「まあそこそこだよ」と俺は答えた。

 るーにもらったへんてこな熊のキーホルダーを、俺は鞄につけておいた。
 他に使い道が思いつかなかったし、かといってどこにもつけずになくしてしまうのもなんとなく申し訳ない。

「そこそこね」と佐伯は意味ありげに頷く。

「きみら、用事ってなんだったの?」

「歯医者」と佐伯。

「耳鼻科」とゴロー。

「……」

「ほんとだよ」

 ちょっと間を置いてみたけど、佐伯もゴローもそれ以上は何も言ってくれなかった。
 ほんとだよ、というあたり、疑われる心当たりがあると言っているようなものだ。


265: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:03:13.35 ID:NdAUtaeco

 まあいいや、と俺は割り切って、別の話を振ることにした。

「部誌の原稿、調子どう?」

 ゴローと佐伯は顔を見合わせて、首をかしげた。

「なんか、どうにもおかしいんだよな」

「わたしも」

「……おかしいって?」

「いつもの調子が出ない」

 ゴローは心底疑問だというふうに溜め息をついた。
 いつもの調子。いつもの調子ってなんなんだろう。いつも、好き勝手に書いているだけなのに。

 本当に、ふたりは不思議そうだった。何が原因なのかわからない、というふうに。
 
 高森や、部長が言うならまだ分かる。
 彼女たちは、他人の視線を意識する人たちだから。

 でも、このふたりがそんなことを言うのは意外な気がした。

 周囲の状況に惑わされず、いつでも自分であり続けることができる人たち。
 俺はふたりを、そういう性質の人として理解していた。

266: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:03:41.50 ID:NdAUtaeco

「浅月はどうなの?」

「俺はまだ白紙」

「まずいんじゃない?」

「まずいね」

 窓の外はどんよりと曇っていた。もう、季節は梅雨へと入り込もうとしている。
 
「午後から雨が降るかもだとさ」

 俺の視線の先を見て、ゴローがそう言う。

「雨……」

 雨。
 
 ふと、頭痛を覚える。風邪でもひいたのだろうか。それとも、寝不足のせいだろうか。
 曇り空。何かを思い出しそうで、何も思い出せない。いつもだ。


267: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:04:09.36 ID:NdAUtaeco

 どうでもいい会話が途切れたタイミングで、高森がやってきた。
 どいつもこいつも、自分のクラスに話し相手がいないのか、と思う。

 ……もちろん、いるんだろう。べつに、ここじゃなくてもいい。ここだっていいけど、ここじゃなくてもいいのだ、みんな。

 高森は、空模様のせいか、いつもよりずっと元気がないように見えた。

「おはよう」と告げる声だって、どことなく頼りない。

 思わず「どうしたの?」と訊ねると、なんでもなさそうに「なにが?」と笑う。
 
 だったらそれ以上何も聞けやしない。
 そう見えただけだったのだろう。


268: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:04:36.04 ID:NdAUtaeco


 
 昼休みに東校舎の屋上へ向かうと、鷹島スクイは当たり前のような顔で立っていた。

「調子はどうだい」と俺は訊ねる。

「最悪だな」とスクイは言う。

「何も書けやしない」

 ああ、そうか。こいつも文芸部なんだっけ。
 ……そうだったっけ? 俺はその話を、どこで聞いたんだろう。

 たぶん、どこかでいつか聞いたんだろう。そういうものとして、俺は記憶している。

「みんなそう言うんだ。何をそんなに、揃って調子を崩してるんだろう?」

「おまえだって人のことは言えないだろ。浅月拓海」

「俺のことを知ってるみたいなことを言うね。鷹島スクイ」

 彼は俺の言葉を軽く受け流すと、梯子を昇って給水塔のスペースへと上がっていった。

「来いよ」と彼は言う。俺はそれに従う。

269: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:05:26.15 ID:NdAUtaeco

「佐伯ちえも、林田吾郎も、由良めぐみも、一見強そうだ。軸がぶれない。周囲に影響されない」

 そういうふうに見える、と鷹島スクイは言う。

「でも、本当のところ違う。あいつらは、人並みに他人に影響されやすいんだ。
 ちょっとした出来事や天気の違い、状況や体調に、当たり前に影響される。
 そう見えないのは、あいつらが周囲の影響を受け取らない生き方を選択してるからだ」

「選択」と俺は繰り返す。

「ひとりでいる奴は、強い。でも、ひとりでいる奴が強くいられるのは、ひとりでいるときだけだ」

「……意味がわかんねえ」

「たとえどのような生き方を選択していようと、他人と関わらざるを得ないタイミングがある。
 そのとき、ああいう奴らは、自分の選択した生き方と、周囲との兼ね合いに苦労するのさ。
 自分が独立した一個ではなく、何かのうちの一個だと意識したとき、ああいう奴らは弱い」

「……つまり、何が言いたいの?」

「藤宮ちはるが読むかもしれないってことを意識すると、いつもの調子で小説が書けないんじゃないか?」

 俺はぎくりとした。本当に、見てきたみたいにものを言う奴だ。

「そういうことだよ。読むかもしれない『誰か』を意識すると、文章は弱くなるんだ。『自分』だけでいられなくなる」

「今までだって、部誌は出してた」

「誰も読んじゃいなかった。読んでいたとしても、大雑把に、だ。
 精緻に読み解こうとする奴なんていなかった。文芸部はよくわからんもんを書いてるな、で終わりだ。
 でも……今度はちょっと、違う。検証されるかもしれない、と、みんな思ってる」


270: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:05:59.78 ID:NdAUtaeco

 部誌にあげる原稿なんて、みんな、娯楽作品として書いているつもりはない。
 ただ、自分が書きたいもの、書こうと思えるものを、書く。

 それが誰にどう思われるかどうかなんてこと、いちいち気にしない。

 適当に義務感だけで書くなら別だろうけど、うちの奴らは基本的に、書くのが好きな部員ばかりだ。

 だから、そこには自意識が投影される。
 自分のこと、自分が好きなもの、自分が望むこと、自分が怒りを感じること、自分が悲しいと思うこと。
 そういうものを書こうとする。

 だから、それが誰かに見られ、咎められるかもしれない、と思うと、筆が止まる。
 ぎこちなくなる。
 
「……例の、第二とのやりとりが原因ってことか?」

「だろうな」と鷹島スクイは確信しきった調子で頷く。

「本当は、どいつもこいつもひっそりやりたいんだ。だろ? 戦わせるつもりなら文字になんてしない」

「どうかな」と、そこに対しての同意は保留する。

「べつに俺は、そういうつもりで書いてるんじゃない」

「……本当にそうか?」

 鷹島スクイは笑う。

「じゃあ、どうしておまえは、死んじまった猫の話ばかり書くんだ?」

「……」

「誰にも愛されなかった猫、誰にも顧みられなかった猫、誰にも悼まれなかった猫。どうしてそんな猫の話ばかりを書く?」


271: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:06:26.94 ID:NdAUtaeco

 どこかで分かってるんだろ、と鷹島スクイは続けた。

「そんなものを読んだ相手が、どんなふうに感じるか。本当は予想がついてるんだ。
 おまえだって、べつに誰かに読んでほしいわけじゃない。でも、腹の底に溜め込んでもいられない。
 だから書くんだろ。誰にも耳を傾けてもらえないだろうことを、文章にして、残しておきたいんだろ?」

「……」

「藤宮ちはるがいると、楽しいかい?」

 不意に、彼は話を変える。俺は、彼が何かを言うより先に、彼が何を言うつもりなのか分かった。
 分かったうえで、頷く。

「姉貴のことはいいのかい?」

 咎めるように、鷹島スクイはそう言った。
 俺は答えられなかった。


272: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:07:00.17 ID:NdAUtaeco

 答えられずに、話をする。

「遠足が、あるだろ」

「……遠足?」

「そう、遠足。バスに乗って、みんなでどこかに行くんだ。楽しげに童謡なんか歌いながらさ。
 どっかの丘の上の自然公園とかだ。ついたらアスレチックで遊んだり、シートを広げてお弁当を食べたりする」

「……それが?」

「行きの道の途中で、車に轢かれた猫の死体があったら、どんな気分になる?」

「……どんな?」

「みんな、どんな気分なんだろうな? 俺はそれを上手く想像できないんだ。
 いたたまれなさ? 水を差されたような居心地の悪さ? もっと素朴に、"かわいそう"って同情するのか?」

「さあね」と鷹島スクイは鼻で笑う。

「楽しい遠足の途中に一瞬だけ猫の死体が割り込む。そうすると俺は、もうその遠足を、素直に楽しむことができなくなる」

 だってそこで、その日、猫が一匹、死んでいたんだ。

「でも、じゃあ、その死体がそこに転がっていなかったら、ずっと楽しい気分のまま遠足が終わるのかな?」

 鷹島スクイは答えない。

「だって、猫は死んでるんだ。どこかで死んでるんだよ。いつも。じゃあ、幸せを感じることなんて、不可能じゃないか?」

 ずっとずっと、いたたまれなさと、居心地の悪さと、同情とが、邪魔をする。 
 自分が何かを楽しんでいるとき、その裏側に、誰かの悲しみがあることを想像する。目に見えなくても、それはいつでもそこにある。

「おまえ、変だぜ」と鷹島スクイは笑った。


273: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:07:45.50 ID:NdAUtaeco

「そう、変なんだよ」

 そんなことを考えなければ、見ないふりをしていれば、知らないふりをしていれば、人は幸福でいられる。
 隠されていたもの、裏側にはりついていた影、マジックミラーの向こう側。

 知らずにいれば、覚えずに済む罪悪感。

 だから、知ろうとしてはいけない。幸福でいたければ、考えるのをやめなくちゃいけない。
 ページをめくっちゃいけない。何が潜んでいるか分からない暗闇に光を当ててはいけない。
 知ってしまったことを知らなかったことにはできないんだから。

「"世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない"」と鷹島スクイは言った。

 俺は一瞬だけその言葉について考えて、ごく自然のなりゆきとして秋津よだかのことを思い出す。
 それから笑った。たいした皮肉だ。

「幸福は、感受性の麻痺と想像力の欠如と思考の怠慢がもたらす錯覚だ」

 と彼は言う。

「幸福なんてものは、ありえない」
 
 と鷹島スクイは言い直した。  

「ああ、そう」と、俺はどうでもいいふうを装って、軽くうなずいた。


274: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:08:18.36 ID:NdAUtaeco



 不意に、物音が聞こえた。
 
 俺は息をひそめる。誰かが、近付いてきている。
 扉が軋む音がして、俺たちの真下から、誰かがやってきた。

「息が詰まるよな」と男子生徒の声が聞こえた。

「及川さん、張り切ってるもんな。第一とか第二とか、正直どうでもいいんだけど」

「だよなあ」

 ……狙いすましたようなタイミングだ。
 及川、第一、第二。たぶん、第二文芸部の部員たちなんだろう。
 例の部誌の話、彼らがどう思っているのか気になってはいたが、どうやら一枚岩ではないらしい。

 当然か。部員数が多いんだから。

「でもまあ、正直第一の奴らを打ち負かせたら気分がいいよな」

「おまえ、第一嫌いなの?」

「だってあいつら、書くものも態度も偉そうじゃね?」

「読んだことも話したこともねえからわかんねえよ」

「なんか、"自分たちはなんでも人より分かってます"って感じでさ。書くものも妙にまどろっこしいし」

「あー、たしかに小難しい感じのが多い気はする」


275: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:08:58.46 ID:NdAUtaeco

「俺らのことバカにしてる気がするんだよな。自分たちが書いてるものが正当で、俺らのことお遊びでやってるとか思ってそう」

「そっかなあ。被害妄想じゃねえ?」

「かな」

「コンプレックスとか」

「それもあるかもしんねえけど」

「まあ、でもちょっと分かる。感じ悪いっていうか、排他的だよな」

「うん。べつに"分かってくれなくてもかまわないよ"って感じの態度が、妙に鼻につくんだよ。
 分からせようとする気がないだけじゃねえかって思う」

「おまえ、言い過ぎな」

「ま、いいだろ。俺とおまえだけなんだし。でもさ、及川さん、なんであんなこと言い出したわけ?」

「あー、うん。俺、ちょっと他の先輩に聞いたんだけどさ」

「ん?」

「及川さん、第一の部長に告ったことあるらしいよ」

「え、マジで?」

 マジか。部長、及川さんが部室にきたとき、「どちらさま?」って言ってたぞ。

276: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/07(月) 23:09:37.78 ID:NdAUtaeco

「で、振られたんだって」

「はあ。で?」

「それだけ」

「……それが部誌の話とどう繋がるわけ?」

「あっちの部長、書くことにやたらこだわってる感じだろ」

「あー、たしかに、熱量は半端じゃねえよな。図書室で調べ物してるとことか、ちょっと怖いもんな。美人だけど」

「美人かあ?」

「感想は人それぞれだな」

「まあ、ようするに、腹いせなんじゃねえの?」

「……どういうこと?」

「相手が一番こだわってることで自分が上位に立ってるって見せつけて、プライドを傷つけたいんじゃねえ?」

「え、及川さん性格悪いな」

「憶測だけどな。本当だとしたら、付き合わされるこっちの身にもなってほしいけど」

「でもまあ、どっちにしても部誌出すのはもともとの予定だったし、影響ないっちゃないだろ」

「まあな」

 それからふたりは、第二文芸部のかわいい女の子といい感じだとかどうとかいう話をして盛り上がったあと帰っていった。
 ちょっとした息抜きをしにきただけだったらしい。

 俺は溜め息をついて空を見上げた。
 ぽつりと、鼻先に粒が当たる。

 雨が降ってきたみたいだ。


280: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/09(水) 23:12:57.08 ID:cEBHTxlko



 放課後の部室にはみんながそろっていた。

 俺が来るよりも先に嵯峨野先輩が顔を出しにきたらしい。
 部長は俺に「あずかりもの」と言って紙袋を差し出してきた。
 
 中身は数本のDVD。律儀な人だ。今度、礼を言っておかなきゃならない。

 部長、高森、ゴロー、佐伯、それからるー。
 全員がそろっていて、全員が黙っていた。

 べつに、それ自体は珍しいことじゃない。
 るーが入ってからは、彼女に気を使って話しかけたりして、みんなうるさいときもあったけど。
 基本的にはみんな静かな奴らなのだ。

 唯一の例外ともいえる高森も、今日は様子が変だった。


281: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/09(水) 23:13:30.01 ID:cEBHTxlko

 なんだかな、と思った。

 昼休みからずっと、なんとなく気分が重い。
 何か理由がありそうな気がしたけど、思いつかなかった。

 今日、印象的なことなんてほとんどなかったような気がするのに。

 頭がぼんやりする。
 誰かと、何かを話したような気がするのに、思い出せない。
 誰だっけ? 何を聞いたんだっけ?

 外では雨が降っている。
  
「もう梅雨だね」と、部長が言った。

「ですね」とゴローが相槌を打つ。

「みんな、傘持ってきた?」

「一応」と俺は答える。「はい」とゴローとるーも返事をする。

 高森は黙り込んでいる。


282: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/09(水) 23:14:07.54 ID:cEBHTxlko

 部長は、それについて何も言わなかった。

 俺は話を変えることにした。

「部長って告白されたことありますか?」

 とっさに出てきた言葉がそれだったのは、自分でも意外だった。
 どうしてそんな疑問を覚えたのか、よくわからない。

「なんで?」と部長は首を傾げる。

 高森が顔をあげて、部長の方を見た。

「なんとなく、訊いてみただけです」

「あるよ」と部長はあっさりうなずいたかと思うと、「たぶんね」と曖昧にぼかす。

「相手のこと、覚えてます?」

「一応。でも、忘れるようにしてる」

「なんで?」

「断ったら、そう頼まれたから。なかったことにしてくれって」

「じゃあ、話しちゃまずいことなんですかね」

「ああ、そうだね。ごめん。今のナシ」

 残念、と俺は思う。
 話したことはなかったことにはならない。


283: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/09(水) 23:14:36.34 ID:cEBHTxlko

「どんな」と高森は不意に言葉を吐き出した。
 途切れ途切れの呼吸。どこか思いつめたみたいな顔。
 彼女の瞳がぼんやりと部長の方へと向かう。
 
「どんな気分でした?」

「……何が?」

「告白されたとき」

「困った、かな。知らない人だったし、戸惑った、かも」

 部長は、衒いもなくそう呟く。

「じゃあ、振ったときはどんな気分でしたか?」

「どんな、って?」

 訊ね返されると、高森は急に黙りこんで、俯いてしまった。
 俺たちは彼女の態度に戸惑う。

 何があったのか、よく分からない。

 やがて、彼女はポロポロと涙をこぼしはじめた。
 頼りない、小さな嗚咽だけが、雨と沈黙のなかでいやに大きく響いた。


284: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/09(水) 23:15:06.24 ID:cEBHTxlko

「わたしは悪くない」と高森は震えた声で言った。

「わたしは悪くない」と彼女は繰り返す。

 何度も何度も。わたしは悪くない、わたしは悪くない。
 彼女がそう言うなら、きっとそうなのだろう、と俺は思った。

「ごめん、タクミくん」
 
 と、部長は言う。
 俺はパイプ椅子から立ち上がって、ゴローとるーに目配せをする。ふたりは頷いた。

 俺たち三人は、高森を部長に任せて部室を出ることにした。

 他に何ができる?


285: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/09(水) 23:15:38.18 ID:cEBHTxlko



「蒔絵先輩、どうしたんでしょう……」

 るーは心配そうに呟く。「さあ?」と俺は首を傾げた。
 本当にわからなかった。一年間一緒にいて、こんなことは初めてだ。
 何かがあったのは間違いないだろう。

 彼女が泣いたのは、俺のせいなのかもしれない。
 俺が部長に振った話題が、彼女の感情のどこかを揺さぶってしまったのかもしれない。

 だとすれば……だとしても……。

 俺はそれを知らないし、だから何も言う資格はない。

「ほっとけばすぐに治るさ」とゴローは言った。

 少しだけ、ゴローのことが憎くなる。
 俺の冷めた部分を指摘して否定するくせに、ゴローは時折、他人に対して俺以上に淡白だ。
 
「本当にそう思う?」と俺は試しに訊いてみた。彼は怯んだ様子もなく、

「そう思えないなら、おまえが心配してやれよ」と、やはり他人事のように言った。
 
 何もかもが噛み合わないような気がした。


286: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/09(水) 23:17:45.50 ID:cEBHTxlko

 やりとりを横で見ていたるーが、心配そうな視線を投げかけてくる。 
 
 俺は深呼吸をした。どうも、変になっている。俺もゴローも。
 落ち着け、と俺は自分に言い聞かせる。

「高森は、悪くないってさ」

 ゴローは呟いた。そのことについて、俺は何も知らない。

「何か知ってる?」と試しに訊いてみる。「知らない」とゴローは言う。

「あいつが悪くないって言うんなら、悪くないんだろうな」

 それは高森に対する信頼から出た言葉、という感じではなかった。
 ごく当たり前の事実を受け止めるように、算数の検算をするみたいに、ゴローは呟いた。

 高森は悪くないのだろう。でも、それはあまり意味のないことだ、とでもいうふうに。


287: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/09(水) 23:18:12.29 ID:cEBHTxlko

 廊下を歩いて、文芸部室を離れる。べつに目的地があったわけじゃない。
 どっちにしても同じ場所に居続けるのは息が詰まった。

「……さっき、部室に嵯峨野先輩がきたとき」

 歩きながら不意に口を開いたのはるーだった。
 俺は彼女の方を見たけど、彼女は自分の足元を見ながら歩いていた。そういうものだ。

「ふたりとも、様子が変でした。そういえば。嵯峨野先輩が、蒔絵先輩に謝ってて」

「……謝ってた?」

「はい。たしか、"変なこと言ってごめん"って。ひょっとしたら……」

「そういえば、さっきの高森、告白ってワードに引っ掛かってたな。振ったときの気分、っても言ってたっけ」

 ああ、なるほど、と俺は勝手に納得した。確証があるわけじゃないけど、ない話じゃない。

「……だとして、なんで高森が落ち込んでるんだ?」

 俺は、なんとなく分かるような気がした。 
 でもそれはあくまで想像で、口には出さない。きっと、ふたりもそうだったと思う。

「"わたしは悪くない"、か」

 素直で純粋なところがある高森らしい発言だ。
 でも、悪いことをしなければ、誰も傷つけずに済むわけではない。

 当たり前のことだ。

 なんとなく立ち止まって、ポケットから携帯を取り出す。
 よだかから、メッセージが来ていた。

「会いたい」

 と一言。
 俺は、返信しなかった。

290: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:47:49.91 ID:yM3Y2q1bo



 しばらくしてから部室に戻ると、高森と佐伯がいなくなっていた。

 部長は窓際でパイプ椅子に腰掛けて、ぼんやりと外の雨を眺めている。

「あいつらは?」

 と訊ねると、

「行っちゃった」

 とよく分からない答えが帰ってきた。まあ、今はここにいない、というだけで、状況は十分すぎるくらいに想像できる。 
 べつに、何が変わるというわけでもない。

 理由に関しては、聞かないことにした。

 どっちがいいのだろう。

 泣いている理由を探られるのと、あれこれ勝手に想像して納得されること。
 
 どっちも、俺だったら嫌だ。
 
 だから、すぐに考えるのをやめる。
 かといって、それが何かの救いになるわけでもない。
 

291: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:48:25.86 ID:yM3Y2q1bo

 ふう、と溜め息をついて、部長は鞄からノートを取り出した。
 それからシャープペンを握って、何かを書こうとしはじめる。何かを言おうとすることもない。

「何をするんですか?」と俺は訊ねる。部長は「ん?」という不思議そうな顔をした。

「部誌の原稿。もう六月になるし、みんなも原稿完成させてね」

 俺はちょっとだけうんざりした。
 でも、きっとそれは彼女なりの正解なのだ。
 
「書けそうにないな」とゴローは呟いて、自分の定位置の椅子に体を投げ出すみたいに座った。

「なにが理由か分からないけど、何も書けそうにないです。なんでだろう、なにかおかしいんだな、今回は」

「なにかって、なに?」

 困ったように部長は苦笑した。ゴローがこんな抽象的な言い方をするなんて、珍しい。

「よくわからない。いつものように書こうとしてみても、どうも止まっちゃうんです」

 部長はゴローの言葉を聞いて、少し考えるような仕草をした。


292: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:49:59.68 ID:yM3Y2q1bo

「……まあ、どうにか書いて」

 と、結局彼女は笑った。

 文章は、結局、書く人間の裁量次第でどうにでもなる分野だ。
 適当に書こうと思えば書ける。

 文字と単語を並べさえすればいいのだ。
 意味のない言葉を意味ありげに並べ立てても、読んだ人間にはそこそこのものに見えてしまう。
 意味のない描写を繰り返し続けるだけで、読んだ者はそこに意味があるかのように受け取ることができる。

 そこに意味を込めるか込めないかは、結局は書く人間の選択次第だ。

 込めたところで意味を掬い取ってもらえないときもあれば、込めなくても勝手に意味を読み取ろうとする者もいる。

 書いた人間と実際の文章の間には断絶があり、実際の文章と読んだ人間の間にも断絶がある。

 書いた人間の期待する読み方をしてくれる人間なんてほとんどいない。
 
 だからといって、伝わらないからといって、伝わらない文章を書いても意味はない。

 書く人間は、読む人間に伝わるかどうかを一旦棚上げして、それでも伝わるような努力をしなければならない。
 越境不能の断絶を、少しでも埋め続けなければならない。

 その努力をするかしないかは、結局書く人間の選択次第だ。
 

293: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:53:29.55 ID:yM3Y2q1bo

 部長はノートのうえにシャープペンをさらさらと走らせる。

「部誌のエピグラフ、こんなんにしようと思う」

 彼女は楽しそうな顔で俺たちにその文字列を見せてくれた。

“Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
 Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
 und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
 ICH BIN ich und DU BIST du -
 und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schon,
 wenn nicht, dann ist auch das gut so.”

 残念ながら、これは伝わらないタイプの文言だ。

 でも、こういうセンスは嫌いじゃない。
 読んだ人間に、「これはいったい何を言おうとしているのか」という問いかけを生む文章。
 それを読み解こうと欲するものにだけ応じてくれる文章。
 
 個人的には、そういう文章が好きだ。

「それは、なんですか? ドイツ語?」

「ゲシュタルトの祈り」

 と彼女は教えてくれた。

「それと、メッセージ」

「誰に対する?」

「及川くんとか、読む人とか」

 俺は少し笑った。
 

294: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:54:12.44 ID:yM3Y2q1bo

「タクミくんの調子はどう?」

「まだ白紙です」

「そろそろ書いてね。期限、すぐだよ」

「わかってます」

「それと、任命」

「……はい?」

「藤宮さんに、書き方、教えてあげて」

「……書き方?」

 不意に部長の口から名前が出て、るーは戸惑ったみたいだった。

「困ってるみたいだから」

「なんで俺が」

 と言いかけて、普段ならともかく、今はほかに適任がいないことに気付く。
 ゴローはいつだって自分の書いたもの以外に興味が無い。
 
 佐伯は基本的に参考にならないし、高森は人に教えるのがうまくない。
 俺だってうまくないけど、高森は「なんとなくカチって感じ」みたいな教え方をするし。


295: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:54:46.67 ID:yM3Y2q1bo

「……教えるっていったって」

「タクミくんなりのやりかたでいいよ。参考にならないことはないと思う」

「……」

「タクミくんの書くもの、この部のなかでいちばん技巧派……っていうか、技巧頼みって感じだし」

 ……暗に中身が無いとバカにされた気がする。

「藤宮さん、小説が書きたいみたいだから」

 俺はるーの方を見る。彼女はきょとんとした顔で俺を見返してきた。

「そうなの?」

「はい」

 訊ねると、にっこり笑う。
 こういうときにありがちな照れもない。

「なんとなく、おもしろそうだと思って」

 怯えもない。こういう奴は何が飛び出してくるかわからないから怖い。


296: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:55:26.12 ID:yM3Y2q1bo

「じゃあ、図書室いくか」

「ここじゃ駄目なんですか?」

「駄目ってことはないけど」と言いながら、俺はちらりとゴローの方を見る。
 どう見ても、行き詰まってイライラしている。

 集中したいときは周りの雑音が気になるタイプだ。
 あいつが書けるにしても書けないにしても、話すなら外でやったほうがいい。

 本当は、図書室は私語厳禁なんだけど、うちの学校は利用者も少ないし、広いから端の方なら迷惑もかからない。

「じゃあ、ちょっと行ってきます」と俺は部長に声をかけた。

「いってらっしゃい」と部長はひらひらと手をふってくれる。


297: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:56:13.55 ID:yM3Y2q1bo



 佐伯と高森は帰ったのだろうか。それとも、どこか別の場所にいるのだろうか。

 ひとまず、どうでもいいか、と思う。

 俺は階段の踊り場で一度立ち止まって、携帯を取り出して、「ゲシュタルトの祈り」について調べてみた。
 それを読んで飲み込んだあと、少しだけ考えて、携帯をしまった。

「入部してけっこう経ちますけど、いまだにちょっと、部の雰囲気、つかめないです」

 るーは困ったふうに笑いながらそう言う。「だいたいあんな感じだよ」と俺は答える。

「俺もよくわかってない」

「タクミくんも、わからない人筆頭なんですけどね」

「俺なんかいちばん分かりやすいよ」

「それはたぶん、タクミくん自身のことだから、そう思うんだと思いますよ」

「……まあ、そうかもしれない」

 るーが言ったような認識は、文章においても大切だ。
 自分で書いたものの仕掛けや構造は、自分では分かる。

 けれど、読んだ人間が、他の雑多な文言や意味ありげな言葉に惑わされず、"仕掛けや構造"だけを見つけることは難しい。
 兼ね合いってものがある。
 
 そういう認識を最初から持っているだけ、るーは文章……というより、伝達、表現の才能がある。

 あるいは、俺が苦手としているからそう思うだけで、誰でもみんなそんなことは知っているのかもしれない。
 

298: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:56:44.33 ID:yM3Y2q1bo

 図書室の奥にある窓際のカウンター席に並んで座り、俺とるーはノートと筆記用具を広げる。

「小説って、どんなの書きたいの?」

 その質問に、るーは即座に答えた。

「穏やかな話が書きたいです」

 ……あー、こいつは第一向きだ、と思った。
 第二向きの奴は、ジャンルを言う。ホラーとか、ミステリーとか、ファンタジーとか。
 あるいは、あらすじを説明しだしたり。

 第一向きの奴は、漠然としたイメージだけを言う。

 根本的に、そういう奴っていうのは、何かを書くのに向いていない。
 書くのにも設計図がいるし、設計図には具体的なイメージがいる。

 それを楽しんでやれる奴がおもしろいものを書く。楽しんでやれなくても、設計図を作る気になれる奴は人を楽しませることができる。
 それができない奴は、人を楽しませることを、一旦思考の埒外におくしかない。

 そういう奴でも何かを書くことは許される。それが文章のいいところだと個人的には思う。


299: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:57:22.57 ID:yM3Y2q1bo

「一般論としてだけど、話をつくるうえでいくつか言えることはある」

「はい」

「まず、テーマとか、モチーフを決めること。変な力を持った女の子とか、未来のことが書いてある日記とか」

「はい」

「あとは、起承転結を意識すること。主に、転と結を。序破急でもいい。骨組みはなんでもいい」

「はい」

「ショートショートならアイディア勝ちみたいなところはあるな。読者をあっと言わせたら勝ちだ」

「……はい。あの、ひとつ訊いていいですか?」

「うん」

「タクミくんは、それをやってるんですか?」

「いや、してない」

 俺は堂々と断言した。

「……」

「……ま、そんなもんなんだ」

 展開が地味だとか、盛り上がりに欠けるとか、そういうのは外見の話だ。
 そういうのも大事だけど、それより大事にしたいものがあるなら、なくてもかまわない。
 
 盛り上がるシーンをばっさりカットしたり、重要な台詞を無意味そうに書いたり。
 そういうのも、自分が書きたいもののイメージと一致してるなら、断然アリなわけだ。


300: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:58:32.13 ID:yM3Y2q1bo

「……俺も、作劇の勉強なんてしっかりしてないから、参考になれることなんて言えないな」

「いえ、参考になりますよ。……たぶん」

 るーはちょっと不安げに目を逸らした。

「俺は俺のことしか言えない。でも、俺の真似をしても仕方ないから、とりあえず俺のやりかたを知って、あとは自分なりに考えればいいと思う」

「……さっき、部長が"技巧頼み"って言ってましたけど」

「たぶん、対比とかメタ構造とか、そこらへんのことだと思うけど……」

 と、マジックの種明かしをするように、部室から持ってきた去年までの部誌を出して、自分の書いたものの解説をしてみる。
 
 どのような効果を意図したか、それが上手くいったかどうか、反省点はどこか。
 その検証をひたすらに説明してみせる。
 
 すらすらとそんなことができる程度には、俺は自分の書いたものを何度も読み返していた。
 
「けっこう、いろいろ考えてるんですね」

「考えてるというか、考えないと書けない。そしてそのほとんどが誰にも伝わってない」

 じゃなかったら、説明してはじめて「いろいろ考えてる」なんて言われない。

「……はあ。もっとわかりやすく書けばいいのでは。こう、気付かれるように」

「気付かれるか気付かれないかぎりぎりのラインが楽しいんだよ」

「……難儀な人ですね」

 るーは呆れたふうに溜め息をついた。


301: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 12:59:15.02 ID:yM3Y2q1bo

 他人の書くものをこちらで制御したりするわけにはいかないので、結局るーは自分なりに自由に書くしかない。

 自由というのは、けれどいちばんむずかしい。

 だから、分かりやすいアウトラインをひとつ、自分で手に入れるしかない。
 構造。

 それは入り口と出口の対比であったり、多層的に入り組んだジグソーパズルであったり、フラクタルであったりする。
 
 まったくの自由で書き始めるというのは難しいので、文芸部では初心者にまず、何本かのお題小説を書かせる。

 三題噺とか、そういう奴。
 俺や高森やゴローもそれをやった。たぶん、部長もやった。佐伯はやっていない気がする。

 書きたいという欲求を持っている奴は二種類に分けられる。
 書きたいものを持っている奴と、書きたいものが分からない奴。

 だから、三題噺をさせる。すると、同じテーマで書いても、テーマの処理の仕方がそれぞれに異なる。
 テーマが独自性を決めるのではなく、その調理の仕方に個性が出る。

 そして自分なりの"調理の仕方"を覚えれば、いろいろなものについて、同じ手順で書き進めることができるようになる。

 ……はずだ、たぶん。

302: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 13:00:19.30 ID:yM3Y2q1bo

 そういうわけで、それからるーに何本かの三題噺を書いてもらった。
 最初は行き詰まっていたが、三本を完成させる頃には、るーもなんとなく書くコツみたいなものを掴んできたようだった。

 書き始めるときの最大の壁は、「物語はかくあらねばならない」という自分の決めたイメージを一旦帳消しにすること。
 それができれば、とりあえず書くことに対する苦手意識は消える。

 ……と思う。たぶん。

 そして最終的には、自分が書いたどの小説にも必ず存在している"なにか"を見つけられるようになる。
 別の何かについて書いても、必ず顔を出す"なにか"。テーマが変わっても通奏低音のように響く"なにか"。
  
 それが見つかれば、それがそいつの"書きたいこと"だ。

 ……たぶん。

「とりあえず、なんとなくイメージはつかめた?」

 気付けば一時間近い時間が経っていた。そろそろ部室に戻ってもいい頃だろう。
 
「なんとなくは」とるーは不安そうな顔をしていた。

「なんなら、今書いた話をちょっと手直しして部誌に載せてもいい」

「……でもこれ、習作ですよ」

「みんな習作だよ」


303: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/12(土) 13:01:01.80 ID:yM3Y2q1bo

「……そういうものですか?」

「完成の基準なんて、自分で決めるしかないし、自分がどこまでできるかだって、自分で判断するしかないからな」

「もうちょっと、いろいろ書いてみたいです」

「じゃあ、とりあえず部室に戻ろう。もうひとりでできるだろ?」

「分からないことがあったら、訊いてもいいですよね?」

「もちろん」

「ありがとうございます」とるーはにっこり笑う。
 
 本当に、俺は何かの参考になるようなことができているんだろうか。
 
 なぜだか俺も、意外と集中していたらしく、一段落つくと頭がぼーっとするのを感じた。
 高森はどうしてるだろう。そんなことを考える。
 よだかに、なんと返信すればいいだろう、なんてことも。
  
 そして、部長がノートに書いた文字列を思い出す。 

 ……俺も、何かを書かなきゃいけない。
 来月からは、第二文芸部になるかもしれないし。


308: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/14(月) 22:15:35.72 ID:hMgqCz0ko



 部室には、部長とゴローしかいなかった。
 
 バイトがあるからといって抜けだした後、なんとなく屋上へと向かう。
 
 佐伯がいるかもしれない。そう思ったのに、いたのは高森だけだった。
 東校舎の屋上と高森という人物は、どことなく不釣り合いな感じがした。

 高森は、扉の音にも足音にも振り返らず、ただフェンスの傍に立って街を見下ろしている。
 
 こっちを向いてくれないから、泣いているのかどうかさえ、分からなかった。
 不意に、鳥影が頭上をかすめる。

「たっくん、知ってた?」

 彼女は振り返らずに言葉を発した。

「このあいだの映画の日、みんな、わざと、わたしたちを四人にしたんだって。部長も、ゴロちゃんも、ちーちゃんも」

 そんなことだろうと、俺は思っていた。
 
「知らなかった」と俺は答えた。


309: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/14(月) 22:16:28.20 ID:hMgqCz0ko

「わたし、嵯峨野先輩、苦手だった」

「うん」

「みんな、それを知ってたはずなのにね」

「ひどいって思う?」

「少しだけ」

「でも、べつに悪いことってわけでもない。嵯峨野先輩を応援してたわけでもないと思う」

「うん。そうなんだろうね」

 高森は、まだ振り返らない。

「たぶん、ちがうの」と高森は言った。

「ちがうって、なにが?」

「わたしと、嵯峨野先輩のことじゃない。たぶん、たっくんとるーちゃんのこと、みんなは気にしてたんだよ」

「……」


310: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/14(月) 22:17:06.91 ID:hMgqCz0ko

「たっくんが、部室になかなか来なかった日、あったじゃない。たっくんが、るーちゃんのこと、"るー"って呼ぶようになった日」

 屋上でぼーっとしていた俺を、るーが迎えに来た日。
 いつのまにか、日が沈みかけていた日のこと。

「あの日、たっくんが来る前に、部室で、みんなでるーちゃんに訊いてみたんだ。たっくんとの関係。るーちゃん、教えてくれて……」

「……」

「たっくんが覚えてるかどうか不安なんだって、るーちゃん、言ってた」

 そのとき、初めて高森は振り返った。
 いつもの楽しげなものとは違う。さっきまでの、落ち込んだような顔とも違う。
 感情の見えない、それなのに透き通って見える、不思議な表情。

「だからけしかけたの。問い詰めちゃえば、って。たっくんがるーちゃんを覚えてたのは、わたしたちみんな、知ってたから」

 高森はそこで、少し笑った。

「軽蔑する?」
 
 と、おそろしげに訊ねてきた彼女に、

「どうして?」

 と心からの問いを返す。

 高森はまた笑った。


311: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/14(月) 22:18:13.90 ID:hMgqCz0ko

「人のこと言えないんだ」と高森は言った。
 
 それを言ってしまえば、誰にも何も言えやしない。

「でも、そんなことじゃないの。悲しいのは、そこじゃないの」

「誰のことも傷つけられずに生きられる人間なんかいるかよ」と俺は言った。

 高森は何も言わなかった。的外れだったのかもしれない。

「望むと望まざるとにかかわらず、俺たちはいつだって誰かを傷つけていくんだ。
 俺たちにできるのは、俺たちに選び取れるのがそういう生き方だけなんだってことを、自覚したうえで受け入れることだけだ」

「……たっくんはどうなの?」

「なにが」

 高森は、俺の目をじっと見据えた。鋭いというわけでもない、睨むというのでもない。それなのに、射すくめるような瞳。

「たっくんは、受け入れられるの?」

「……」

「自分が悪いわけじゃない。でも、自分の存在が誰かを傷つけている。そう気付いたとき、それを受け入れて開き直ることができるの?」

「……」

「たっくんは、口先だけ、だね」

312: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/14(月) 22:18:47.31 ID:hMgqCz0ko



 六月がやってきて、第一文芸部の部員たちは、白々しいような違和感に包まれたまま、部誌を完成させた。
 
 るーは小説を、習作として五本ほど。部長はよくできた短編を五本と、読んだ本の感想を三つ、編集後記と雑感等をいくつか。
 高森は、前に言っていた小説のスピンオフを結局書いた。
 
 ゴローはというと、よく分からない散文をいくつか、どうでもいいような随筆を一本、景色のようなオチのない小説を一本。
 佐伯は、閉ざされた扉をノックし続ける男の話。

 俺は、随筆のような小説を一本。

 結局部長は、例のエピグラフを使わなかった。
 
 無難な編集、無難なまとめ。

 完成させてからも、何か、嘘をついているような感覚がずっと残った。
 そのせいだろうか。部室に行っても、今までのように会話があったりしなかった。

 今までどんなふうに話をしていたのか思い出せないくらいの沈黙が、"みんな"を覆っていた。
 なんでなのかは分からない。


313: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/14(月) 22:19:27.95 ID:hMgqCz0ko

 嵯峨野先輩はときどき部室にやってきていたけれど、やがてそれも途絶えた。
 たぶん、高森に気を使わせないつもりでやってきていたんだと思う。

 気にしてない、と主張するために。
 それもかえって互いを疲れさせるだけだと気付いたのかもしれない。
 
 第二文芸部との対決(というと違和感があるが、そうとしか言えない)については、教師陣の協力があった。

 第二が中心になって、全クラスの担任に頼み込み、部誌をホームルームで配布してもらう。
 昇降口近くに投票箱を設置し、どちらの部誌が面白かったか、そのなかのどの文章を気に入ったかを、任意で投票してもらう形。

「楽しみだね」と、本気か冗談か、部長は笑っていた。誰も同意しなかった。

 その対決の決行の一週間前に、それは起こった。

314: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/14(月) 22:20:06.18 ID:hMgqCz0ko



 その日の放課後、るーが提案して、女子部員たちは帰りにどこかに買い物に行くという流れになっていたらしい。
 
“佐伯、高森、部長、るーは、一緒に買物に出掛けていた。”

 ゴローはその日、用事があるといって部室に顔を出さなかったが、これは“耳鼻科の診察を受けていた”とあとで確認できた。

 そして俺だけが部室に残って少し作業をしていた。少ししてから屋上に行くと、例のように鷹島スクイがいた。

「書けたか?」と彼は訊いてきた。

「まあ、一応」と俺は答えた。書けなくても、本当はどうということもないのだ。

 例の、給水塔の陰のスペースで煙に巻かれていると、また第二文芸部の部員たちが屋上にやってきた。

 聞こえてきたのは陰口だった。

 俺とスクイは何も言わずに黙ってそれを盗み聞いていた。

 その日の夕方、校舎裏の、今は使われていない焼却炉で、第二文芸部の部誌の原稿が燃やされていた。


315: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/14(月) 22:20:38.25 ID:hMgqCz0ko



「おまえらだろ!」

 と、第二の部員の何人かが、こっちの部室に怒鳴りこんできた。

「おまえらのうちの誰かだ!」

 そう怒鳴る男子生徒の声を、俺はどこかで聞いたような気がしたけど、どうしても思い出せなかった。
 
「わたしたちじゃないよ」と部長は毅然として言った。

 るーも、高森も、どこか不安そうだった。佐伯やゴローは、いつものように壁を張ったように様子を眺めている。

 乗り込んできた男子生徒と、それを落ち着くように諭す、他の部員たち。
 けれど彼らも、どこか疑わしげな視線を、俺たちに向けていた。

「他に考えられない」と、憤った調子で男子生徒は続ける。

「でも、そんなことする理由がないよ」

「負けたくなかったからじゃないのか」

「……」

 ふう、と部長は溜め息をついた。その態度が、余計に彼を苛立たせたみたいだった。


316: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/14(月) 22:21:34.19 ID:hMgqCz0ko

 本当に、俺たちがそんなことをする理由はない。
 勝ち負けになんてもともとこだわっていないし、みんな、人のつくったものを踏みにじれるほど無神経じゃない。

 でも、それはこっちの言い分だ。
 たしかに、第二文芸部の立場からすると、俺たちの仕業としか考えられないだろう。

「とりあえず、落ち着け」と、怒鳴り声をあげている男子生徒を、他の生徒が諭す。

 そこに及川さんが現れて、彼らにひとまず部室に戻るように言った。

「悪いね。興奮してるみたいなんだ。許してやってくれ」

 と、彼は部長の目を見て言った。

「うん。仕方ないよ」

 他の第二の部員たちが部室に戻ってから、及川さんは俺たちの顔を見回した。

「とりあえず、誰がしたのかは分からないけど、原稿自体はもうパソコンに入ってるから、発行は問題なくできるんだ」

「……誰かがしたと、思ってるんですか?」

 高森が、おそるおそる、そう訊ねた。及川さんは、怒りのこもった皮肉げな笑みを浮かべた。

「たまたま風にさらわれて、たまたま焼却炉に入って、たまたま火がついたんだって思う?」

 どっちにしても、あんまり気分の良い話じゃない、と彼は言う。

「きみたちを疑ってるわけじゃないよ」と彼は首を横に振った。

「原稿をしまっていた場所は部員しか知らないし、かといって、誰にも見つからないようにしていたわけでもない。
 疑うつもりになれば、誰のことだって疑える。きみたち以外にも、うちの部員に個人的な恨みがある人間がいたのかもしれないし」


317: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/14(月) 22:22:45.40 ID:hMgqCz0ko

 それに、と彼は言葉を続ける。 

「犯人探しをするつもりはないよ。でも印刷していた原稿は何部かあって、そのうちの一部だけだったんだ。
 つまり、べつに原稿を台無しにするつもりでやったわけじゃないんだと思う」
 
「……それって、何部か一緒にしまってあったってことですか?」

 そう訊ねたのはるーだった。質問に、及川さんは頷いた。

「そのなかの一部だけが燃やされてた?」

「そうなるね」

 ……したところで何の得にもならない行為。ただ、気分が悪くなるだけの行為。
"誰かの気分を悪くさせるためだとしか思えない行為"。
 
 るーは苦しげに俯いた。
 それは、あきらかに誰かの悪意だ。

 達成すべき目的のためではない、何かの意図があってのことではない。
 ただ、悪意ある何者かが存在するということを、誇示するためかのような。

「……とりあえず、焼却炉が使われてて騒ぎになったから、うちもしばらくは騒がしくなるかもしれない。
 でも、なんとか落ち着けて、予定通りに例の投票はしたいって思うんだ。そっちも原稿はできてるんだろ?」
 
「うん」

 部長はうなずいた。俺はなんとなく後ろめたくなった。
 及川さんが帰ってしまったあと、俺たちは自分たちがその日、何をしていたのかを話した。
 はっきりしたアリバイがないのは俺だけだったけど、だからって俺を疑うような奴は誰もいない。

 翌週から俺たちは第二文芸部になった。
 季節はもう梅雨になっていて、その週はずっと雨が降ったり止んだりを繰り返していた。

 秋津よだかがこの街にやってきたのは、その週の土曜のことだった。


323: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/16(水) 23:28:41.15 ID:BrIDRgmlo

◇[Boanerges]


 金曜の夜に連絡をよこして、翌日の土曜の昼過ぎに、秋津よだかは新幹線駅にやってきた。
 明らかに日帰りする気のない大荷物を抱えて新幹線を降りると、彼女は俺の姿を見つけてパタパタと駆け寄ってきた。

「ひさしぶり」と彼女は笑う。

 髪の長さも、風貌も、歳相応と思えば歳相応に見えるのに、動作や態度が妙に落ち着いているせいで、十歳くらい年上にも見えてしまう。

 動きは遅いわけじゃないけど、どこか鈍い印象がある。
 声のか細さ、線の細さ、表情の希薄さ。姿勢も声音も表情も主張が薄い、空気に溶けるような少女。

 それなのに、ぶれない軸があるみたいに、よだかは周囲の景色や流れに溶け込まない。
 動き続ける景色のなかで、彼女だけが強い磁力か何かで地面に縫い付けられているような、強さ。

 最後に姿を見たのはもう一年以上も前のことなのに、彼女から受ける印象はおどろくほど変わっていなかった。

「ずいぶん急だったな」

「会いたかったから」

「そう」

 素朴に笑うよだかに、俺は安心と怯えがないまぜになったような不思議な気分になる。

 六月半ばともなれば、春先の透き通るような肌寒さも褪せたような色調の曖昧さもすっかりなくなっていた。
 空をすっぽり覆う灰色雲から降りしきる静かな雨は、昨日の夜から降り続けていて、今も止む気配を見せない。

 気温はそこまで高くないが、湿気があるせいで、空気は妙に肌を刺激してうっとうしい。


324: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/16(水) 23:29:22.87 ID:BrIDRgmlo

 荷物を受け取ってホームを歩き始めたとき、よだかは俺の顔を見上げるように覗き込んできて、

「たくみ、なんか変わった?」

 と言った。

「一年経てば、少しはね」

「もうそんなに経つんだね」

 よだかは溜め息をつくようにそう呟いた。

「今日中に帰るつもりなの?」

 駅を出てすぐ、俺は気になっていることをよだかに訊ねた。

「だったらそんなに荷物持ってきてないよ」

「ホテルとってるの?」

「ううん」

「……どうするつもりなの」

「たくみのとこ、いこうと思ってたけど」

「……無理だよ」
 

325: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/16(水) 23:29:58.12 ID:BrIDRgmlo

「どうして?」

「言ってないっけ。いま、親戚の部屋にいるから」

「知ってる」

「……あのな。知ってるなら、あらかじめ連絡してくれ。いきなり来られて許可とれるわけないだろ」
 
 こういう奴だとは知っていたけど、呆れる。
 何も変わってない。

「じゃあ、今晩  ホテルいこ」

「……なにいってんの、おまえ」

「たくみの部屋がだめなら、そうするしかないでしょ」

「なんで二択なんだよ。……なにしに来たんだよ、おまえ」

「たくみに会いにきたんだよ」

 よだかはぶれない。怯まないし、恐れない。
 表面的にはそう見えるし、そうである以上、本当に怯んでいないのか、恐れていないのかなんて、見ているこっちには分からない。
 
 何を考えているのか分からない女。


326: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/16(水) 23:30:27.49 ID:BrIDRgmlo

「……とりあえず、静奈姉に頼んでみるよ」

「親戚って、女の人なの?」

「言ってないっけ」

「それは聞いてない」

「じゃあ、今言った」

「そうなんだ。へー」

 よだかはどうでもよさそうだった。
 
「これからどうするつもりなの?」

「とりあえずどっかに、荷物置きたいかな」

「……だから、置く場所がないだろ」

「じゃあ、とりあえずタクミの部屋で預かってよ。泊まるかどうかは、今はいいからさ」

「コインロッカーとか」

「……」

 よだかは黙りこんで、俺の目をじっとみつめてくる。
 いつもこうだ。こいつはいざというとき、ただ黙って俺のことを見上げてくる。
 

327: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/16(水) 23:31:08.90 ID:BrIDRgmlo


 甘えてくる。
 そういうことをする女の子は、俺の周りにはほかにいない。

 みんな、どこかで不器用で、他人にすがりついたり、頼ったり、甘えたりってことが素直にできない。

 よだかは逆だ。
 他人にすがり、頼り、甘えることしかできない。

 見抜かれているような気さえする。

「たくみの住んでるとこ、見てみたい」

 俺は、仕方なく頷いた。
 荷物を置くだけだ、と自分に言い聞かせる。

 たぶん、静奈姉に頼めば、彼女はよだかを泊めることを嫌だとは言わない。
 言わないけど、それはマナー違反だ。

 だからあくまで最後の手段。荷物は、ひとまず預かるだけだ。


328: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/16(水) 23:31:45.98 ID:BrIDRgmlo

 静奈姉は朝から出掛けていた。
 最近は大学で何かあるのか、けっこう慌ただしくしている。

 バイトに勉強に交友関係にと忙しそうで、家事も俺がこなすことが多かった。
 ゆっくりと話をする時間なんて、最近はとれてないかもしれない。

 だから女を連れ込んだなんて言われるのは、ちょっと嫌だ。

 一応、静奈姉には、「友達がうちに泊まりたいって言ってるんだけど」と連絡しておく。
 そういう言い方が、一番無難だという気がした。

「……とはいえ、女であることを隠しておくのもアンフェアという気もするよな」

 部屋について荷物を置いてから、メッセージの文面を考えているとき、ひとりごとのつもりで呟いた。

「いまさら公正さなんて気にしてどうなるの?」

 と、よだかはどうでもよさそうに言った。
 自分のことを話しているのに、他人事みたいな言い方をする奴だ。

「たくみがフェアであることをいつも気にしてるのって、嫌われたくないから?
“嘘をつかない”“遅刻しない”“他人の秘密を漏らさない”“だから俺を受け入れて”っていう、自信のなさの裏返し?」

 俺はとりあえずその言葉を無視した。


329: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/16(水) 23:33:29.82 ID:BrIDRgmlo

 つまらなそうな顔をして、よだかは俺のベッドに勝手に倒れ込んだ。

 スカートから伸びた細い足がぱたぱたと何度も上下する。
 なんとなく、足首の動きに目を奪われる。

 骨のように細く、陶器のように白い。
 生きている感じがしない。無機物めいた、作り物めいた、石膏めいた、それが動いている。

「荷物置くだけって言っただろ。何寝てんだよ」

「たくみの匂いがする」

 といって、よだかは顔を枕に押し付けていた。

「やめろ」

「わたしの匂いかぐ?」

「……あのな」

「でも、今日はちょっと汗くさいかも」

 俺が溜め息をつくと、よだかはくすくす笑った。

「冗談だよ、冗談」

 そう言って、彼女はベッドに寝そべったまま、彼女は部屋を見回しはじめた。


330: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/16(水) 23:34:06.61 ID:BrIDRgmlo

「ここがたくみの部屋かあ。何にもないね」

「……人の家だしな」

 テレビも観ないし音楽も聴かない。ゲームも、ゴローの家にでも行かないかぎりやらなくなった。
 漫画なんかも、昔読んでた奴が完結してから、新しいのに手を伸ばさなくなった。

 勉強するか、文章でも書くか、図書室で本でも借りて読んでいるか、そうでもなければバイトでもしているのが俺の時間の潰し方だ。

「つまんないね」

「じゃあ帰れよ」

「やだよ。新幹線代高かったもん。元とってから帰る」

「元ってなに」

「とりあえず、匂い?」

「……だからさ」

 ……よそう。たぶん、延々と繰り返すだけだ。
 俺の反応を面白がってるだけだ。そのうち飽きるだろう。

「このあと、どうする気?」

 話の流れを断つつもりでそう訊ねると、それまでとは違う心細そうな声で、小さな、頼りない声で、よだかは、

「わかんない」

 と言った。


331: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/16(水) 23:35:20.66 ID:BrIDRgmlo

「ねえたくみ」

「……なに」

「こっちきて」

 寝そべったまま、彼女はこっちにふざけた感じで両腕を伸ばしてくる。
 少し警戒したけど、また例の目でしばらく見つめられて、結局俺は折れた。

 言われるがままに距離を詰めると、彼女は俺の腕を引っ張ってひきずり倒そうとしてきた。
 バランスを崩して膝を床につくと、体を起こして俺の首に飛びつくみたいに腕を回してきた。

「……急になに」

 本当に、嫌気がさす。 強く拒絶できない自分。それを知って、イタズラをしかけてくるよだか。
 俺たちは、たぶん共犯で、お互いが被害者で、お互いが加害者だ。

 よだかは、俺の肩に額を押し付けて、顔を隠したまま、何秒か黙りこんだ。
 そして、不意に、

「たくみ、結婚しよ」

 なんて言い出す。

「……あのな」

「いや?」

 俺がその言葉に反応しかけたときに、彼女は顔をあげて、至近距離で俺の目をじっとみつめてきた。
 その瞳が、すがりつくように真剣で、振り払えない気持ちと、踏み込めない恐れとが同時に襲ってきて、俺を一気に混乱させる。


332: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2015/12/16(水) 23:36:02.56 ID:BrIDRgmlo

「……うそだよ、ばーか」

 そう言って彼女は俺の拘束をほどいて、またベッドに寝転がると、そのままこっちに背を向けた。

「たくみのばーか。だまされてやんの」

 ふてくされたような、でも、感情を隠すみたいに強張った感じの声。
 反応に困ったまま、俺はよだかの黒い髪が、枕のうえで広がるのを眺めた。

「ねえ、街を案内してよ」

 こっちを見ないまま、彼女はそう言う。

「たくみが住んでる街。通ってる学校。通る道とか、バイトしてる店とか。見てみたいな」

 俺は、仕方なく頷いた。それがたぶん、俺にできる限界だ。

「……分かったよ」

 溜め息まじりの俺の言葉に、よだかは、「ごめんね」と小さく呟いた。


333: ◆1t9LRTPWKRYF 2015/12/16(水) 23:36:36.51 ID:BrIDRgmlo
つづく