――――――――――

数日後。
放課後の訪れを知らせるチャイムが鳴り響く。
特に変わった出来事が起こることもなく、その日の授業は終了した。
いつものように誘ってくる由暉子の姿がなかったので、咲は教室を早々に退室した。

静かで人気のない通学路をひとり歩いていると、前方の通りの角から一台のバンが物凄い勢いで現れた。
白いバンはそのまま咲に向かって真っすぐに突っ込んできた。

咲「……!?」

避けた咲の真横をかすめ、甲高く地面をタイヤで鳴らしながらバンが停車する。
同時にドアが開き、数人の男たちが姿を現す。
そしてそのまま、男たちは逃げ道をふさぐように咲を取り囲んだ。

男「お前が宮永咲……だな」

男の一人が、手にした紙片と見比べながら、咲の名を口にした。

咲「あなた達は、誰ですか……?」

男「我々について来てもらう」

一人が、懐から取り出した拳銃を構えた。

咲「……!」

男「手荒な真似はしたくない。大人しく従ってもらおう」


1、諦めて従う
2、従う気はない

安価下

595: ◆34iwA4dRok 2016/01/09(土) 20:36:04.33 ID:ayVCGsHl0
何と言われても、こんな怪しげな男の言葉に従う気はない。

咲「嫌です……!」

咲は強気な態度で、銃を突きつける男に宣言する。

男「……仕方ない。では力づくでも従ってもらう」

咲「……!」

知らぬ間に、音もなく背後に回っていた男の一人が咲の両手首を掴み、動きを抑える。
あらがう間もない素早さで、後ろ手にひとまとめにされた手首に手錠をかけられる。

咲「離して!う……っ」

叫ぼうとする口をふさがれ、引きずられるようにして停車中のバンに連れ込まれる。
両脇を屈強な男たちに固められ、念入りに目隠しまでされて、咲の抵抗は封じられてしまう。
完全に逃げ道を絶たれ、為すすべもなく捕らわれたまま、咲を乗せた車が発進する。

手首に食い込む冷たい金属の感触に、咲の心は重く沈んでいく。
不安に身を硬くして、車の振動に揺られながら、息をひそめて逃げるチャンスを待つことにした。


車はしばらくの間、咲を乗せたまま走り続け、やがて静かに停車した。
両腕を掴まれ、嫌悪に身を震わせる咲を車から降ろすと、目隠しをされたまま歩かされる。
目隠しを外されたのは、咲の背後でどことも知れぬ部屋の扉が固く閉ざされた後のことだった。

596: ◆34iwA4dRok 2016/01/09(土) 20:42:18.51 ID:ayVCGsHl0
灯りの抑えられたその部屋は、見た目に高級な調度で整えられた豪奢な一室だった。
足元に敷き詰められた毛足の長い絨毯、オーク材の重厚な机、天井を飾るシャンデリア、棚に並んだクリスタルの置物。
いかにも高価なインテリアの数々は、この部屋の主の財力を感じさせた。

部屋の中には、咲の他に数人の男たちがいた。
そして部屋の中央には、豪奢なこの部屋に似合いな仕立ての良い服を身に着けた、主人然とした女性が立っていた。

男「ご所望の少女を連れて参りました」

?「へえ、この子が咲ちゃん、ね……」

女性は咲の姿を上から下までじっくりと、舐めるような目つきで観察した。
捕らえた獲物の価値を見定めようとする嫌な視線だった。

?「確かに、この子からは何か特別に感じるものがあるね。こうして傍にいるだけで、私の中の血が騒ぎ出すのが分かるよ」

?「初めまして、咲ちゃん。手荒な真似をしてごめんね。あなたの身体に傷ひとつ付けないよう命じてあったけど、大丈夫だった?」

咲「……あなたは?」

健夜「私はこの屋敷の主で、小鍛冶健夜っていうの。よろしくね」

健夜「さっそくだけど、あなたが真に私の求める者か、念のため確認させてもらうね」

愛想の良い笑みを浮かべ、健夜と名乗った女性は咲へと近づく。
思わず逃げをうとうとする咲の身体を隣に佇む男がつかみ、抵抗を封じる。
健夜の手が咲の制服にかかり、左肩の部分をびりりと破かれる。

咲「……!」

597: ◆34iwA4dRok 2016/01/09(土) 20:53:49.23 ID:ayVCGsHl0
さらされた咲の左肩についた、小さな赤い三角形が三つ並んだ奇妙なアザ。
そのアザを見て、健夜の表情が見る見る喜色に染まる。

健夜「これだ、契印……。間違いない、この子は贄だ!ようやく手にいれたよ……!」

咲「ニエ……?」

初めて耳にする不吉な響きに、咲は思わず訊き返す。

健夜「あなたという存在を知ってから、私はあなたを手に入れるため苦心したよ」

健夜「あなたを見つけるのには然程手間はかからなかったけど、アレが……眷属がやっかいだったからね」

健夜「でも、これでようやく贄は私のもの……。お前たち、ここはもういいから下がっていて」

女性の命を受けた男たちは、咲を残して部屋を退去した。
部屋には咲と健夜の二人きりとなる。

健夜「あなたを得たいと望む者は多いけど、みな畏れのあまり中々手を出せないでいる」

健夜「でも私は違うよ。こうして長たちを出し抜いてやった!さあ、もうあなたは私のものだよ」

健夜「その身のすべてを私に捧げてよ。大人しくしていれば、うんと気持ちよくしてあげるから……」

なめずるような猫なで声で話しかけると、健夜は咲に向かって手を伸ばした。

598: ◆34iwA4dRok 2016/01/09(土) 20:57:00.59 ID:ayVCGsHl0
喉元に向かってきた健夜の指先に、咲は思い切り噛みついた。

健夜「きゃ……!この、贄の分際で!」

憤怒の表情で、健夜は咲の頬を力いっぱい張り飛ばした。

咲「……うっ!」

身体を倒され、咲の上に馬乗りになって健夜は怒りの声を上げた。

健夜「この私に逆らったこと、後悔させてあげるから。思いっきり痛くしてあげる……!」

健夜の手が首にかかり、そのまま容赦なく締め上げる。
息苦しさに、締め付ける健夜の腕に爪を立てたが、そのわずかな抵抗さえ健夜を喜ばせるだけだった。

健夜「ほら、どうしたの?もう抵抗しないの?」

咲「う……っ」

咲の苦悶の表情を面白がるように、健夜が舌なめずりする。
窒息寸前まで締め上げられた力を突然ゆるめられ、咲の肺に空気がなだれ込む。
酸素を求めて咲が咳き込んだとき、扉の向こうで激しい物音が起きた。
喧騒はだんだんと大きくなっていく。

健夜「どうしたっていうの?騒がしい……」

楽しみを中断された苛立ちに舌うちすると、健夜は立ち上がって扉に近づいた。

599: ◆34iwA4dRok 2016/01/09(土) 20:59:33.88 ID:ayVCGsHl0
男A「な、何だおまえは……!」

男B「ば、ば、化け物……ひいっ!」

拳銃の発射される乾いた響きが数回。
その後に続く、男たちのうめき声。

拳銃の音も、うめき声も、間もなくすべての音が途絶えた。

健夜「な……!ど、どういうこと!?何があったの!」

健夜はあわてた様子で扉を開け、廊下に飛び出した。
咲から廊下の様子は見えないが、息をのむ声が聞こえた。

健夜「あ、ああ……!」

何か重い物が倒れる鈍い物音が響き、それきり辺りは静まり返った。

咲「……何が、どうなって……?」

息苦しい無音の時間がしばらく続く。
いったい扉の向こうで何が起きたのか。

部屋を出て確認しようと、咲が身を起こしかけたとき。
ぱたぱたと廊下の向こうからあわただしい足音が近づいて来た。

由暉子「―――――咲ちゃんっ!」

咲「……ユキちゃん……?」

由暉子「大丈夫ですか、お怪我はないですか!?」

扉を勢いよく開けて現れたのは由暉子だった。

601: ◆34iwA4dRok 2016/01/09(土) 21:02:01.86 ID:ayVCGsHl0
由暉子「無事でよかったです。これ、廊下に倒れていた方から何かの鍵を手に入れたんですけど……」

咲「あ、それはもしかして、この手錠の鍵かも……」

由暉子「分かりました、今外しますね」

どうして咲がこの屋敷にいると分かったのか、不思議に思って咲は訊ねてみる。

咲「ユキちゃんは、どうしてここへ……?」

由暉子「咲ちゃんがこの屋敷に連れ込まれたって書かれたメモが、私の靴箱に入れてあったんです」

由暉子「差出人も分かりませんし、穏乃ちゃんに相談しようと思ったんですけど、何故か穏乃ちゃんと連絡が取れなくて……」

由暉子「どうしても気になったので来てみたら、門が開けっ放しで、人が沢山倒れてました」

咲「……ユキちゃんの前に誰かが来て、何かあったのかな……」


ふたりは廊下に出て、床に倒れている健夜やその取り巻きとおぼしき男たちを確認してみた。
死んではいない。みな気絶させられているようだ。
こんなことが、あんな短時間に出来るような人間とは、いったい何者なのだろうか―――――?

考えても答えは出ない。
とりあえず、咲たちはこの場を離れることにした。

602: ◆34iwA4dRok 2016/01/09(土) 21:05:11.74 ID:ayVCGsHl0
咲が連れ込まれた小鍛冶邸はりつべ市の東側の山腹、
隣の県にほど近い、街から離れた郊外にあったらしい。

咲「ユキちゃんは、ここまでどうやって……?」

由暉子「タクシーを飛ばしてきました。少し歩いて県道に出れば、ここからもまた拾えますよ」

咲「……ありがとう、ユキちゃん。こんな遠くまで助けに来てくれて……」

由暉子「いいえ、お礼なんて言わないでください。私、大したことは何もしてませんし」

咲「本当かどうかも分からないメモひとつで、危険を冒してこんな所まで来てくれた。それだけで充分だよ、本当にありがとう」

咲の言葉に、由暉子の頬が桜色に染まる。

由暉子「……か、帰りましょう。咲ちゃん」



咲と由暉子は屋敷の近くでタクシーを拾い、市内まで無事に帰り着いた。
咲のマンションの前でタクシーを降りた二人は、そこで別れることになった。

咲「ユキちゃんは一人で大丈夫?」

由暉子「平気です。皆さん気を失ってましたから、顔を見られたリしてませんし。それじゃあ咲ちゃん、また明日」

咲に元気よく手を振ると、夕暮れに染まる道を由暉子はひとり、帰っていった。

603: ◆34iwA4dRok 2016/01/09(土) 21:07:39.31 ID:ayVCGsHl0
鍵を開き、ただいまと呟きながら自宅のドアをくぐる。
今はまだ夕暮れ刻。この時間では照はまだ大学から帰らない。

破られた制服を脱ぎ、替えの制服を引き出しから取り出してハンガーに吊るすと、
疲れ切った身体をベッドに横たえ、咲はそのまま目を閉じた。

咲「………」

何故、自分はあの富豪に攫われたのだろう。
贄とは、いったい何のことなのか。

頭の中をぐるぐると駆け巡る疑問。
やがて考えることに疲れを見出した咲は、そのまま朝まで眠り続けた。

608: ◆34iwA4dRok 2016/01/11(月) 22:58:00.02 ID:D+C4Rcbr0
翌日。
由暉子と下校しようと二人で教室を出かかったところで、後ろから声がかかった。

穏乃「なんだ、今日も二人で帰るのか?学校帰りに三人で本屋でも寄らないかって、誘うつもりだったんだけど」

由暉子「穏乃ちゃん」

穏乃「近頃特に仲が良いんだな、咲とユキ。まあお邪魔虫になるのも気まずいし、二人を誘うのは辞めておくか」

咲「高鴨さん、ごめんなさい……」

穏乃「いいって。二人が仲良くしてるの見るの、私も凄く嬉しいんだからさ。それじゃあな!」

穏乃は咲と由暉子に元気よく手を振ると、軽い足取りで教室を出て行った。

由暉子「それじゃあ、私たちも帰りましょうか」

咲「うん」




家に着くと、照はまだ帰っていなかった。
咲はいつものように夕食と入浴を手早く済ませ、宿題と予習をしてからベッドに潜り込んだ。

今日は何事もなく平和な一日が過ぎた。
明日もこのまま平穏な生活が続いて欲しいと祈りながら、咲は眠りについた。

609: ◆34iwA4dRok 2016/01/11(月) 23:02:56.80 ID:D+C4Rcbr0
数日後。この日も静かに一日が過ぎて行った。
由暉子が園芸部の手伝いで遅くなるため、下校の最終時間に待ち合わせをして帰ることになった。
それまで本を読んで時間をつぶそうと考え、咲は図書館の建物に向かった。

部活動が長引いてしまったのか、由暉子が待ち合わせの校門前に姿を現したのは、
最終下校時刻を知らせるチャイムの後だった。

由暉子「ごめんなさい、お待たせしてしまって」

咲「図書館で本を借りてきたから大丈夫だよ」

由暉子「そうですか、良かった」



夕暮れの街並を、いつものように他愛ない会話を楽しみながら、ふたりは歩く。

今日も、何も起こらなかった。
この不自然なほどに穏やかな日々に、咲はほんの少しだけ不安を覚えた。

由暉子「どうしました?咲ちゃん」

咲「……ううん、何でもない」

610: ◆34iwA4dRok 2016/01/11(月) 23:07:23.34 ID:D+C4Rcbr0
いつもより学校を出るのが遅かったせいか、辺りはすでに暗くなり始めている。
天空には白く月が浮かび上がる。
明日は満月。真白に輝く月の輪郭は、ほぼ真円に近い。
恐ろしいほどに冴え冴えと美しい月を戴く空を見上げ、咲は思わず身を震わせる。

由暉子「咲ちゃん、今日はとても月が綺麗なので、良かったら少し公園に寄ってお月見しませんか?」

思ったより遅くなったので、姉が心配するかと気になったが、少し寄り道するくらいなら構わないだろう。
咲は由暉子の申し出に首を縦に振ると、二人で公園へと足を向けた。

由暉子「私、普段は朝の散歩が主ですけど、この季節だけは別です」

咲「うん。空気が澄んでて、月がとても綺麗に見えるね」

由暉子「ええ。つい外で眺めたくなります」

嬉しそうにうなずく由暉子と並んで遊歩道を歩きながら、二人は月を眺めた。
辺りに人影はなく、近くにある噴水の音だけがかすかに聞こえてくる。
咲の隣で、由暉子が魅入られたように月を見上げていた。

由暉子「咲ちゃん。穏乃ちゃんが言っていた『約束』のこと、思い出しましたか……?」

咲「……ううん」

由暉子「じゃあ、穏乃ちゃんとだけ約束してずるい!って泣いた私のことも覚えてないですか?」

咲「それは……、何となく覚えてる気がする……」

どういうわけか、由暉子に関する記憶だけは、咲の心の奥に断片的ながら残されている。

611: ◆34iwA4dRok 2016/01/11(月) 23:10:15.65 ID:D+C4Rcbr0
咲の中の古い記憶がよみがえる。

咲『泣かないで、ユキちゃん……』

咲『―――――じゃあ、ユキちゃんとも何か約束しよう』

泣きじゃくる幼き日の由暉子に、慰めるように咲はそう告げたのだった。


咲「……ユキちゃんとも、何か約束しようって」

由暉子「覚えていてくれたんですか!嬉しいです……!」

由暉子「あの時、私とっさに何も思いつかなくて、『いつか、私のお願をひとつだけ聞いて』って、そう言ったんです」

咲「そうだったね……」

由暉子「……咲ちゃんは、いつでも優しかった。いつでも周りの人たちの気持ちに敏感で」

由暉子「寂しいとき、必ず優しい言葉をかけてくれる。私はそんな咲ちゃんが大好きでした」

咲「ユキちゃん……」

由暉子「私と交わした約束のこと、覚えていてくれたのなら……お願いをしても良いですか?」


1、うなずく
2、うなずかない

安価下

613: ◆34iwA4dRok 2016/01/11(月) 23:31:53.94 ID:D+C4Rcbr0
咲「うん……いいよ」

由暉子「本当ですか?嬉しいです。でも、私のお願を聞いてくれるのは今日でなくて良いんです」

咲「え……?」

由暉子「明日、言いますね」

咲「明日?」

由暉子「……明日は満月ですね。でも今日の月も本当に綺麗です。何だが、魂を奪われそうなくらい……」

不思議に謎めいた笑みを浮かべ、魅入られたように月を見上げる由暉子の姿に、
次第に咲の胸がざわつき始める。
なんだろう、この感じは。

由暉子「咲ちゃんは、月を見て何を連想しますか?」

咲「月を見て……?」

由暉子に問われ、ふと脳裏に浮かんだ神話を、咲は語った。

咲「中国の神話かな。不老不死の霊薬を夫から奪って、月の宮殿に昇った嫦娥の伝説を思い出した」

由暉子「それは、どんな伝説なんですか?」

咲「中国の夏の時代に、罪を負って天を追われたある弓の達人と、その妻の嫦娥という女の人がいたの」

咲「地上で人間として生き、いつか自分も死ぬことを嫌がった嫦娥は、不老不死の霊薬を貰いに西王母の許へ行くよう夫を説き伏せた」

由暉子「それで……霊薬は貰えたんですか?」

咲「うん。でもその霊薬は、二人が永遠に生きるには足りたけど、完全に不老不死の身になるには一人分しか無かったの」

由暉子「……ふたりは、どうしたんです?」

咲「不老不死を独り占めしようと考えた嫦娥が、霊薬を盗み出して飲み干してしまったの」

咲「でも、夫を捨てて一人月へ昇り始めた嫦娥は罰を受けて、人でないものに姿を変えられたそうだよ」

由暉子「……姿を……」

614: ◆34iwA4dRok 2016/01/11(月) 23:37:44.04 ID:D+C4Rcbr0
咲が語り終えると、由暉子は月から視線を外し、ゆっくり振り返って静かに微笑んだ。

咲「ユキちゃんは、月を見て何を連想するの?」

由暉子「私ですか?私は、そうですね……獣」

咲「獣……?」

由暉子「昔から、狼男は月夜に変身するって言いますよね。それから、月夜には犯罪や事件の数が増えるとも」

由暉子「それと同じで、月の満ち欠けは人間の抑圧された部分を……獣性を、刺激するのだそうです」

由暉子「そして、それを抑えられない人間が過ちを犯す……」

咲「ユキちゃんも、月を見てそんな気持ちになるの……?」

由暉子「………」

咲の視線を避けるように目を伏せ、由暉子は背を向けて表情を隠した。

由暉子「……ええ。その気持ち……分かります。だって私は……」

咲「ユキちゃん……?」

様子のおかしい由暉子に、どうしたのかと咲が声をかけようとしたとき。
苦しそうな表情で、由暉子がこちらを向き直った。
その瞬間、咲はみぞおちに鈍い衝撃を感じた。

咲「……っ!」

由暉子「……ごめんなさい、咲ちゃん」

遠のく意識のなか、哀しそうに見つめてくる由暉子の表情を最後に、
咲の意識は途切れていった―――――

620: ◆34iwA4dRok 2016/01/14(木) 00:01:54.35 ID:ZT8o4hzk0

――――――――――

強く、弱く。遠く、近く。
寄せては返すさざ波のようなリズムで繰り返される、不可思議な響きの詠唱が耳をくすぐる。

咲「……ん……」

重いまぶたを開いて咲が目覚めると、辺りに人の気配はなかった。
動こうとして、自分が囚われの身になっていることに気づいた。
咲の手首は高く掲げられた状態で、黒い石柱に固く紐で縛りつけられている。

自由になるのは視線くらいなものだったが、それも縛られた腕が邪魔をして動かせる範囲は限られていた。
紐を解こうと身をよじったが、きつく縛られているため解くことが出来ない。
手首を紐が擦る動きに痛みを感じてしばし息を詰める。
かすかな体のうずきと喉の渇きを覚えて、咲は熱をはらんだ吐息をついた。

「……目が覚めた?咲……」

咲「……!?」

驚いて視線を上げると、いつの間にその場に現れた人物がこちらを見ていた。

咲「……お姉ちゃん……?」

静かな眼差しで、姉である照が咲をじっと見つめてくる。

621: ◆34iwA4dRok 2016/01/14(木) 00:04:40.12 ID:ZT8o4hzk0
咲「何で……どうして私、縛られてるの……?」

照「……それは、お前が贄だから」

咲「贄……?あの時の富豪と同じこと……それはいったい何のことなの?」

照「咲、お前はこの儀式の日に捧げられるため命を与えられ、生かされてきた存在」

咲「お姉ちゃん……?何を言って……」

照「―――――ご覧、咲。あの姿を」

照の指先の示すままに顔を上げ、目を凝らすと、光の紗の向こうに何かが見えた。

咲「あ……」

銀色の長い髪、美しく整った顔立ちの女性。……いや、女性に見える両性具有の存在。
一見人と変わらぬ姿かたちだが、その背に生えた翼が、この存在が人ではありえないことを物語っていた。

咲「……あれは……天使……?」

照「いいえ―――――翼持つ邪神。一族の崇める存在である、始祖の姿」

眼前に輝きそびえ立つ、青白く澄んだ結晶のオブジェを見上げ、咲は呆然とつぶやく。

咲「……始祖……?」

琥珀の中に封じ込められた蝶のように、
澄んだ氷塊のなか刻を止め、凍りついて動かぬその姿は命あるようには見えない。

622: ◆34iwA4dRok 2016/01/14(木) 00:08:03.82 ID:ZT8o4hzk0
照「今よりはるか昔、あるひとりの女が始祖の精を受け、その血を継いだ」

照「始祖の血をもっとも濃く継ぐ者が、一族として永い時代に渡り、この血を薄めることなく守り続けてきた」

照「その一族の長が、宮永家の当主である――――この私」

咲「え……」

照「一族の悲願は、始祖を現代に復活させること。でもこの地に堕とされたあの存在は力のほとんどを封じられ、永い時を眠りに就いている」

照「この檻を脱するためには膨大な力が必要となる。……咲、お前はまさにその目的のために造られた、特別な血と魂を持つ存在」

咲「……造られた……?」

照「最新の科学技術、遺伝子操作技術を駆使して、人工的に贄を造ることを試みた」

照「咲、お前はその実験で唯一の成功例。数々の失敗の末に生まれた、始祖復活に捧げる特別な贄」

咲「……嘘。嘘、だよね……?」

照「この日のため、私はお前を大切に見守ってきた」

咲「……!」

自分はこの異形のものに捧げられるため、造られ、生かされていたというのか。
この日まで、何ひとつ知らされることなく―――――

623: ◆34iwA4dRok 2016/01/14(木) 00:11:35.72 ID:ZT8o4hzk0
咲「嘘……お姉……ちゃ……」

血の気を失った唇が震えて、うまく言葉を紡げない。

照「どうしたの、咲?震えてる。怖いの?」

咲「……私を、殺すの?」

照「怖がる必要はない。咲を殺したりはしない、あの存在は生きた咲を求めてる。得た者に力を与える贄として、あの存在は咲を生かし続ける」

照「咲の血と魂が一族と始祖の心を捕らえ続ける限り、おまえは永遠に私たちのもの……」

咲「………」

姉の言葉のひとつひとつが呪縛となって心を縛り、あらがおうとする意思を奪っていく。
顔色を失った咲の表情を見て、照が笑みを深める。

その時、照の背後から少女の声が響いた。

「……照さま。代行者が地上で発見されました。現在、守護者による足止めを受けています」

照「そう。報告ご苦労」

声の主にねぎらいの言葉をかけた照は、ふと思いついたように目を細め、少女を呼んだ。

照「お前にはよく働いてもらったね。後は私と共に、ここで儀式を見届けるといい。来なさい」

「はい。ありがとうございます、照さま」

照「おいで――――由暉子」

咲「え……?」

624: ◆34iwA4dRok 2016/01/14(木) 00:14:45.96 ID:ZT8o4hzk0
照の言葉に、咲の目が見開かれる。
姉の背後からゆっくりとその場に姿を現したのは、由暉子だった。

由暉子「咲ちゃん……」

咲「ユキちゃん……?どうして……」

咲の視線から逃れるように、由暉子は表情を消した顔を黙ってうつむかせた。
由暉子のその態度に、咲は呆然と首を振った。

照「真屋由暉子。彼女は、私たち一族の血に連なる者」

咲「え……」

照「私たちが用意した、咲の監視役。……それが由暉子だよ」

咲「………嘘」

照「由暉子、お前の主が誰なのか、咲に教えてやるといい」

由暉子「……はい、照さま。私は長のしもべとして一族に生まれた者。長のご命令に従います」

照「処分されそうなところを、私が永らえさせることを許した失敗作。それが由暉子」

咲「失敗作……?」

照「由暉子は月に一度、一族の血を採取しなければならない半端な身体の持ち主。一族の許を離れては生きることも出来ない」

もはや嘘だとつぶやく力さえ失われ、咲はただ呆然と、
静かに姉の隣にたたずむ由暉子の姿を見つめた。

625: ◆34iwA4dRok 2016/01/14(木) 00:19:45.72 ID:ZT8o4hzk0
由暉子「私はずっと『失敗作』『なりそこない』って、一族の人たちに言われ続けてきました」

由暉子「一族の血を採取しなければ生きられないのに、贄としてはまるで役に立たない、誰にも力を与えることが出来ない」

由暉子「……照さまだけでした、私のことを生かしておいて良いと言ってくださったのは。あの時の私には、照さまが全てでした」

由暉子「照さまが助けて下さらなければ、私の命はとうに尽きています。だから、私は……」

咲「ユキちゃん……」

由暉子「……ごめんなさい。私は、裏切り者です」

姉だけでなく、由暉子まで―――――
では自分は生まれた時からずっと、それと知らぬ間に自由を奪われ、監視され、生きてきたのか。

咲「……じゃあ、ユキちゃんたちと昔一緒に過ごしたことも……」

由暉子「ええ。私は咲ちゃんの遊び相手と見張りを兼ね、先代の長に選ばれました」

由暉子「もっともあの時は、一族に関わりのない穏乃ちゃんまであの場所について来てしまったことは誤算でしたけど」

由暉子「幼い私が、咲ちゃんの見張り役という大役を仰せつかった理由は……」

由暉子「私の身体は贄としては失敗作でしたけど、一族としての能力が飛びぬけていたからです」

咲「能力……?」

由暉子「人並み外れた筋力と反射神経、反応速度、持久力。それらの能力を駆使した戦闘能力」

由暉子「昨夜お話した、狼男のようなものです。身体こそ変化しませんが、普段は薬でそれを抑えています」

由暉子「私はこの力で、咲ちゃんをお守りしていました」

咲「ユキちゃんが、私を……?」

由暉子「………」

626: ◆34iwA4dRok 2016/01/14(木) 00:25:44.87 ID:ZT8o4hzk0
由暉子「私は獣です。清らかななものを汚したい、滅茶苦茶にしたい。咲ちゃんを見ていると、ひどく残酷なことを考える事もあります」

由暉子「でも、あなたを誰より大切に守りたいとも思います。……どちらも、本当の私です」

咲「……ユキちゃん……」

背反する複雑な由暉子の想いの一端でも読み取れればと、咲は由暉子の顔をまっすぐ見つめた。
由暉子は咲のひたむきな視線を、逃げることなく黙って受け止めた。

由暉子「……咲ちゃんは、生まれながらにその役割を定められた贄。その理不尽さを、私も頭では分かるんです。でも……」

由暉子「一族の人間がどうしようもなく飢える気持ちも分かります。この飢えは、私たち一族の呪いですから」

由暉子「人を好きになる気持ちが自然なら、人を貪りたいと渇望する欲も、自然なんです」

由暉子「私は誰にも力を与えることの出来ない身体なのに、浅ましい飢えだけは定期的にやってくる……!」

由暉子「せめて私が贄としての成功作であったなら、一族の飢えを満たすことも出来るのに」

血を吐くような、由暉子の独白だった。
優しく穏やかな少女の仮面の下に、由暉子はこれほどの滾る思いを秘めていたのか。

哀しみと、怒り。愛と、憎しみ。
由暉子の瞳には独白の内容するままに、二つの相反する心がせめぎ合って存在し、揺らめいている。
咲は由暉子の昏い炎が揺らめくような瞳から目が離せなくなった。
恐ろしく、そして美しい瞳だった。

627: ◆34iwA4dRok 2016/01/14(木) 00:32:55.78 ID:ZT8o4hzk0
由暉子「……咲ちゃん。昨夜の『約束』のこと……覚えてますよね?」

由暉子「今、私のお願いをあなたに伝えます」

咲「ユキちゃん……」

由暉子「咲ちゃん、贄になってください」

咲「……!」

由暉子「咲ちゃんは私の欲しかったもの、みんな持ってる。私はずっと咲ちゃんのようになりたかった」

由暉子「だから、咲ちゃん。どうか私の代わりに贄になってください。それで、私は救われる――――」

由暉子「私が出来なかったこと、咲ちゃんなら出来るから。それが私を助けて下さった照さまに返せる唯一の恩返しだから……!」

咲「………」


1、分かった。それがあなたの願いなら
2、それを本当に望んでるの?

安価下

630: ◆34iwA4dRok 2016/01/14(木) 00:49:34.52 ID:ZT8o4hzk0
咲「……分かった。それがユキちゃんの願いなら」

由暉子「……!」

咲「それで、ユキちゃんが満足するのなら……」

由暉子「……咲ちゃんは優しいですね。やっぱり、昔のままです……」

咲「……ユキちゃん……」



照「―――――もうすぐ始祖が復活する。共にその瞬間を見届けよう。咲、由暉子」

由暉子「……はい、照さま……」

咲「………」

631: ◆34iwA4dRok 2016/01/14(木) 00:54:13.56 ID:ZT8o4hzk0

――――――――――

あれから何年が過ぎたでしょうか―――――

あの日、始祖が復活されたことで世界は一変し、
私、真屋由暉子は長のもとに身を寄せ、メイドとしてお仕えしている。

咲ちゃんは……あの日からずっと、贄としての務めを果たすことを余儀なくされている。
私の仕事は、そんな咲ちゃんの身の回りのお世話をすること。

出口のない牢に囚われ、甘い責め苦に夜毎に泣き叫ぶ、咲ちゃんの―――――



……時折、何かのささやきが夜闇を渡って私の心に忍び込み、静かに問いかける。
おまえはこの結末を心から望んだのか―――――?



助けを求めるように、涙のしずくの浮かぶ眼差しを向けてくる咲ちゃんを見ていると、
胸の奥を締め付けられるような感覚に襲われる。

私は本当に、こんな結末を望んでいたのだろうか……?

そうではない、と言いたいのに。
私の中の獣は「そうだ」と今を肯定する。

632: ◆34iwA4dRok 2016/01/14(木) 01:00:32.00 ID:ZT8o4hzk0
咲ちゃんの流した涙の量だけ、私の心は確かに満たされていく。
私は獣なのだ。間違いなく。

咲ちゃんは、あの頃と変わらない姿のまま。
彼女は年を取らない。そういう風に、始祖に作り変えられた。
始祖が選んで交わった特別な贄だから、日々身体を貪られ、生かされ続ける。


彼女の苦しみは、終わりなく続く―――――永遠に。
かわいそうな咲ちゃん。


でも、私は……
こんな歪んだ形でも、やっぱり咲ちゃんのことが大好きで。
今の状態に落とされても私を憎もうとしない、決して汚れない彼女の魂を、
どうしようもなく愛しているのだ。


……さあ、今日も咲ちゃんを優しく慰めに行こう―――――


由暉子 Another End

637: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:07:03.79 ID:q9CefVxY0
>>627から

咲「……私はユキちゃんが本当に望むことなら、それを叶えたい」

咲「でも、ユキちゃんは本当にそれを望んでいるの……?」

由暉子「……!」

咲「私には、ユキちゃんがずっと泣いているように見える。何かに縛られて泣いているように」

咲「ユキちゃんの望みを叶えたとしても、ユキちゃんはやっぱりその呪縛から逃れられないと思う」

咲「私は……ユキちゃんが本当に笑ってる顔が見たい。ユキちゃんの本当の望みが知りたい」

由暉子「……。咲ちゃんには、見抜かれてしまうんですね」

由暉子「昔からそうでした。私の感情……いつも隠そうとしていた私の気持ちを、咲ちゃんだけが察してくれる……」

咲「ユキちゃん……」

由暉子「……私、本当はこの暗い場所から出たい……」

由暉子「咲ちゃんに惹かれたのは、私にはない光があるから。いつでも、咲ちゃんと一緒にいるその場所が天国みたいに思えて」

由暉子「すごく暖かくて、居心地が良かった……」

咲「………」

由暉子「私、自分が恥ずかしい。咲ちゃんの優しさにつけ込むようなことをして」

638: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:12:12.44 ID:q9CefVxY0
由暉子「……やっぱり駄目です。咲ちゃんはこんな暗い場所に囚われて、一族の餌食になんてなっては駄目」

照「由暉子、おまえは……」

由暉子「ごめんなさい、照さま。私、やっぱり咲ちゃんにはお日様の下で幸せになってほしい」

由暉子「こんな暗い場所で苦しむのは、私たち一族だけで充分です」

照「……私を裏切る、というんだね」

由暉子「そこを退いてください。照さま。退いて下さらなければ、たとえあなたが相手でも私は戦います……!」

照「由暉子、おまえはずっと私に忠実で従順な僕だった。でも、もはやそうでないと言うのなら、おまえを処分するしかない」

ゆっくりと、照が由暉子に近づく。
由暉子への害意をあらわす言葉と、感情を宿さない照の冷ややかな瞳。
今まで姉に対して覚えたことのない、身も凍るような危険を咲は感じた。
照の右腕が由暉子の制服の襟元をつかみ、強引にひきずり上げる。

由暉子「う……ぐ……」

喉元を締め上げられ、由暉子が苦しげな息を吐く。
下ろされていた照の左腕が持ち上がる。
手のひらが由暉子の首を捕らえた。

咲「お姉ちゃん、やめて……!」

照「………」

血の気を失い、冷たくなった指先を咲は必死の思いで握り締め、力任せに動かす。
由暉子を救う力が欲しい。
咲はこれまで望んだことがないほど強く、力を望んだ。

自分に力があれば。この縛めが今すぐ解けたなら。
手を伸ばしたそこにいる由暉子を救うことが出来るのに。

何でもいい、後でどうなっても構わないから、由暉子を救うための力が欲しい。
腕が傷つくことも厭わず、咲は力の限りに手首を縛める紐を引きちぎろうともがく。

639: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:15:19.31 ID:q9CefVxY0
咲は全身全霊を込め、願った。
力を―――――

……その時、咲の中で何かが弾けた。

咲「……!」

放出する場を持たず、咲の中で渦巻いていた力のうねりが強い意志を得てひとつの方向性を見出した。
ほとばしった光が瞬時に拡がり、その場を白く灼く。

閃光は咲を戒めていた紐を一瞬にして灼き切り、咲を囚われの身から解放した。
足元もおぼつかない、まばゆい光の中で、由暉子がいると思われる方向に足を踏み出す。

咲「……くっ」

足に力が入らない。
数歩よろめき歩いて、咲はそのまま転倒しそうになる。
倒れ込みそうになった咲の身体を、誰かの腕が受け止めた。

拡散した光は少しずつ消えてゆく。
ゆっくりと視界が戻る。

由暉子「……咲ちゃん」

かすれた由暉子の声が、咲の横から聞こえた。

咲「ユキちゃん……無事で良かった……」

由暉子「今の光は、もしかして咲ちゃんが……?」

咲「……分からないけど、多分」

照「それはお前の力だよ。咲」

由暉子「……!」

照「肩の刻印で、精神の未発達な幼いうちに封じたはずの咲の力。でも、咲の意思が封じのまじないを上回ったようだね」

照「簡単には解けないと思っていたのに……お前の心は幾重にかけた封じの鎖を打ち破るほど強くなっていたんだね」

咲「私が、強く……?」

照「………」

640: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:18:52.58 ID:q9CefVxY0
照「咲、お前はそうして由暉子と生きることを選ぶの?私の手を離れて……」

咲「お姉ちゃん……」

照「お前も由暉子も、私の庇護を離れては生きていけまい。お前たちはあまりにも異端」

照「二人とも、この私の手のうちで大人しく従っていれば、一族の中だけではあるけど不自由なく生きられる」

咲「……そうして、鎖つきの生を私たちに与えるの……?」

照「………」

咲「お姉ちゃん、私は今もお姉ちゃんのことが嫌いになれない。でも、それでも私はあなたの人形にはなれない……!」

咲「お願い、私たちを自由にさせて!」

照「……咲」

由暉子「照さま、すみません……!」

由暉子は身を低くして照の懐に踏み込むと、引いた右腕に渾身の力を込め、
心臓の位置するところ目がけて叩きつけた。

―――――由暉子の一撃は、照の心臓を貫いた。

咲「……っ!」

照の胸元が血に染まる。

由暉子「照さま……なぜ、避けなかったのですか……?」

華奢なつくりの少女の腕が、人間の胸を貫いている光景はどこか現実味がない。
あかい血の雫が滴り落ちる音が、沈黙に閉ざされた空間に秒針のように響く。

641: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:22:47.91 ID:q9CefVxY0
震える声に応えるように、照が静かに由暉子を見た。
怒りも、憎しみも、落胆もない、静かな眼差しだった。
死をもたらす由暉子の腕を、姉が自ら受け入れたことは、その眼を見れば分かった。

由暉子「………」

自分が行った凶行をこれ以上見たくないというように、由暉子は固くまぶたを閉ざす。
その細い腕を、照の胸から引き抜いた。

ゆっくりと、前のめりに倒れる照の姿を咲は呆然と見送る。
姉が最期に咲へと向けた、その一瞬の不思議な微笑み。
その意味を推し測る間もなく、照は声もなく大地にその身を沈めた。

由暉子「……ごめんなさい、照さま……」

咲「……お姉ちゃん……」

照はなぜ由暉子の腕を黙って受け入れたのか。
その答えを訊くことは、もはや永遠に叶わない。
姉の身体を抱きしめ、咲は静かに涙を流し続ける。

由暉子「咲ちゃん、私を軽蔑しますか?……でも私、人を傷つけたりするのはこれが初めてではありません」

由暉子「私は今まで一族のために、絶えず牙を磨いておかなければならない下僕でした。私の手はとうに汚れています……」

咲「……ううん、この涙は違う……。ユキちゃんに辛いことをさせてしまってごめんなさい」

咲「私よりも、ユキちゃんの方がもっと苦しい……」

由暉子「……優しいですね、咲ちゃん。私のために泣いてくれるんですか……」

642: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:25:49.79 ID:q9CefVxY0
由暉子の指が、咲の涙を優しくぬぐったその時。
遠くで鈍い爆発音と、空気を揺すぶり震わせる振動が起きた。
同時にこの場を照らす証明が一瞬暗くなる。

由暉子「……!早くここから脱出しましょう!」

咲「ユキちゃん……?」

由暉子「もうすぐここに代行者がやってきます。彼女が始祖を倒すでしょう。それまでに、ここから逃げないと……!」

由暉子は咲の手を取って強く引くと、壁際の一角へと導く。
その壁には、よく見ると扉の形の継ぎ目があった。
そこにあるのはカムフラージュされた厚い石の扉だった。

由暉子「ここが、地上に通じる脱出口に一番近い道です」

くぼんだ取っ手の部分を掴んで両脇に引く形式の扉らしい。
咲は急いで扉を開けようと、取っ手を掴んで引いてみたが、どうしても扉は開かない。

咲「この扉、鍵が……?」

由暉子「私が開けます。咲ちゃん、下がってください」

由暉子は扉に歩み寄ると、左右の取っ手を両手で掴み、全身の力を込めて引いた。
初めはびくともしないかと思われた石の扉が、少しずつ開いていく。
由暉子の額から玉の汗が流れ落ちる。
歯を食いしばり、固く閉ざされた扉と格闘していた由暉子は、やがて一気に扉を開ききった。

643: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:28:52.95 ID:q9CefVxY0
荒い息を吐いて、由暉子はそのまま床に崩れ落ちる。
白い指の爪先からは血がにじんでいた。

由暉子「咲ちゃん、どうかこのまま行ってください」

咲「行ってって……ユキちゃんは!?」

由暉子「私は出来損ないなので、普通の人よりも力が強い分、消耗も激しいんです」

由暉子「だから、もうあまり動けません……。私を置いて行ってください、あなた一人なら逃げられます」

由暉子「それに、もうすぐここに眷属の追手がきます。それを私がここで引き止めますから、咲ちゃんはその間に逃げてください」

咲「嫌だよ、ユキちゃんを置いて一人で逃げるなんて、そんなこと出来ない!」

由暉子「咲ちゃん……。でも、ここままじゃ咲ちゃんまで助からない……!」

その時、思い悩む咲の頭にひとつの考えが浮かんだ。

咲「……ユキちゃん。私にも出来ることがあったよ」

由暉子「咲ちゃん……?」

咲「私の血を飲んで、ユキちゃん」

由暉子「……!」

咲「ユキちゃんも私も一族の血を引いているのなら、私から力を得ることが出来るんじゃない?」

咲「それでユキちゃんが動けるようになるなら、私は平気だから」

由暉子「……確かにそれしか方法はないですね……分かりました。あなたの血を摂ることで、一時的に私の力を増幅させてもらいます」

644: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:30:42.79 ID:q9CefVxY0
由暉子「咲ちゃんの血と、身体に宿る生気を少しだけ分けてください」

由暉子の柔らかな唇が咲の首筋にそっと触れる。
思わず怯む咲の身体を、逃れられないように、由暉子の腕が強く捕らえる。

咲「あ……!」

確かめるよう首筋をなぞり、当てられた由暉子の鋭い犬歯が無防備な咲の肌に食い込んだ瞬間。
咲は痛みよりも強く、熱さを覚えた。
傷口に唇が触れ、そこから咲の力が由暉子に向かって流れていくのを感じる。
首筋を伝い流れる血のあとを舌先がたどり、その感触と共に、震えが来るような刺激が背筋に走った。

咲「ん……っ」

強すぎる刺激に、咲はまぶたを固く閉ざして耐える。
ようやく由暉子が唇を離したときには身体の力は入らず、かすむ意識を繋ぎ止めるのが精一杯の状態になっていた。

由暉子「……ありがとう、咲ちゃん。これで私、戦えます」

目を凝らして見やる咲に、由暉子はうっとりと微笑みを返す。
咲の意識はそこで途切れた―――――



645: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:39:35.55 ID:q9CefVxY0
……遠くから咲を呼ぶ声が聞こえる。
けれどそれは、いつも自分を悩ませたあの夢の主ではなく―――――
聞き覚えのある、なつかしい少女の声だった。


由暉子「……咲ちゃん!良かった……咲ちゃんがこのまま目を覚まさなかったらどうしようって、私……」

倒れた咲を抱き起し、繰り返し名を呼んでいたのは由暉子だった。
目線を上げて周囲を見渡すと、そこはすでに地上で、辺りはまばゆい朝の光で満たされている。

ふと目の前にいる由暉子の制服があちこち擦り切れ、血で汚れ、ひどい恰好になっていることに気が付く。

咲「ユキちゃん、あれから一体……?」

由暉子「咲ちゃんが力をくれたおかげです。追手はすべて倒しました」

由暉子「私の助力で、代行者も始祖を抹消してくれました。……もう、大丈夫です」

その健気な笑顔に、咲の胸は痛む。
由暉子はこの細腕で命をかけて咲を助けてくれたのだ。
そんな由暉子に対して、感謝の言葉をかける以外に何一つ返せるものが無いのが悔しい。

咲「ごめんなさい……。助けてもらったのに、私はユキちゃんに返せるものが何もない……」

由暉子「咲ちゃん、どうか気にしないでください。……でも、ただひとつだけ」

咲「え……?」

由暉子「あの日の約束を果たしてもらえたら嬉しいです。今、新しいお願いを思いつきました!」

由暉子がいたずらっぽい笑みを浮かべて咲を見る。

咲「……ユキちゃん?」

646: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:43:57.37 ID:q9CefVxY0
由暉子「咲ちゃん、私の新しい主になってください」

咲「え……?」

由暉子「私は一族を離れては生きていけない、半端な身体。でももう一族のもとには帰りません」

由暉子「ですから、血をいただくマスターが必要なんです」

唖然とする咲に、由暉子があわてて付け足す。

由暉子「大丈夫です!咲ちゃんほどの血の濃さなら、半年に一度でも充分ですから!」

由暉子「その代わり、私が咲ちゃんを守ります。それくらいしか、この力の使い道は無いですから」

咲「ユキちゃん……」

由暉子「咲ちゃんを利用しようとする一族の残党を返り討ちにするくらいしか出来ませんが、それでも私、咲ちゃんの傍に居たい」

考えてみれば、これは由暉子にとっての死活問題なのだ。
悩む余地なんて咲にはない。
何より、由暉子の喜ぶ顔が見たかった。

咲「分かった。約束を、果たすよ」

由暉子「良かった……!」

咲の答えに、由暉子は瞳を輝かせた。
由暉子に腕を引かれ立ち上がると、二人で日の当たる場所に向かって歩き始めた。

647: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:47:42.21 ID:q9CefVxY0

――――――――――

あれから三ヵ月。
私、真屋由暉子の周辺も、ようやく落ち着きを取り戻しました。

りつべ女学園はあの事件以来、一族関係者と思われる人間が一掃され、理事長を始めかなりの人事異動が行われ……
色々ありましたが、この街も平和になりました。
そんな日々のなか、私と咲ちゃんはと言うと―――――


咲「……こんなの、もう止めようよ……」

由暉子「恥ずかしいんですか?大丈夫です、保健室の鍵は拝借してきましたから」

私の身体の下で、制服を乱した咲ちゃんがかすかに震えているのが分かる。
保健室のベッドで、という状況に抵抗があるのか彼女の頬は羞恥に染まり、瞳には薄く涙がにじんでいる。

咲「ユキちゃん、どうしてこんな……。先週すませたばかりじゃない……」

由暉子「それはそうですけど、でもまた欲しくなったんです。今ここで、すぐに……駄目ですか?」

咲「……我慢できない?」

彼女の言葉に、私は力いっぱい頷き返す。
こうしてねだれば、優しい咲ちゃんが拒めないことを、私はよく知っている。

648: ◆34iwA4dRok 2016/01/15(金) 00:50:46.27 ID:q9CefVxY0
『半年で充分』と言ったはずが、その舌の根も乾かぬうちに私は咲ちゃんの優しさに甘え、
あれから何度も彼女に『食事』をねだった。

咲ちゃんには理性を狂わせる何かがある。
そう思わせるほど彼女の味はたまらない。

咲ちゃんは、そこにいるだけで私を誘う存在。
今日もまだ昼間の学園の中だというのに、我慢が出来なくなって彼女を襲ってしまう始末。

由暉子「さあ、咲ちゃん。目を閉じて……」

咲「……ん……」

私の下で、咲ちゃんが力を抜くのが分かる。
やわらかくて綺麗な、咲ちゃんの身も心も、もう私だけのもの。


私は罪深い獣だけど、こんな日々を与えてくれた運命には心から感謝したい。
どうか、この幸せな時間がずっと続きますように―――――。


由暉子 True End

661: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 00:05:01.67 ID:L2+kf3ZT0
>>98から

シロの狙いは自分ひとりなのだ。
咲がこの場から離れれば、他に目もくれず、シロは咲を追うだろう。

咲「……!」

他の生徒たちを巻き込ませるわけにはいかない。
咲はシロが追ってくると確信し、教室を飛び出して廊下に出た。
そのまま全力で駆け出す。


シロから逃れるため闇雲に廊下を駆け階段を昇るうちに、この校舎の最上階の踊り場にたどり着いた。
床に鉄製の水道管らしきパイプが落ちている。
屋上のメンテナンスに来た者が忘れていったのだろうか。
身を守る武器になるかも知れないと、咲はそれを拾った。

扉は取っ手にかけられた鎖の先端が南京錠で留められており、引っ張ったくらいでは外せそうにない。
が、よく見ると南京錠は壊れかけているのか支柱が外れ、鍵がかかっていない状態になっていた。
これなら簡単に外すことができる。
咲は急いで鎖を解き、屋上への扉を開いた。


屋上へ出ると、そのまま扉を閉めようと振り返る。
そこに、剣を片手にたたずむシロの姿を見つけ、咲は凍り付いたように動きを止めた。

シロ「……逃がさない」

咲「……!」

感情の読めない静かな眼差しに射すくめられ、咲は動けない。
緊張に思わず握りしめた手のひらの中、鉄パイプの冷たい感触が咲を我に返らせた。

662: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 00:08:13.41 ID:L2+kf3ZT0
訳も分からないまま、抵抗もせずに殺されるのは嫌だ。
咲は手にした鉄パイプを構え、怯みそうな心を何とか奮い立たせる。

シロ「……戦う意思があるの」

睨みつける咲に向かって、シロが動いた。
風切り音が咲の前を走り抜け、あっけなく鉄パイプは斬り落とされる。

咲「……っ!」

シロ「それでも私は、あなたを殺さなければならない」

咲に止めを刺すべく、シロは長剣を引いた。
そのまま咲の心臓をつらぬくつもりなのか。

―――――殺される、そう思った瞬間。
咲の胸に灼けつくような痛みが走り、弾けた―――――

シロ「……!」

咲を包むように、白い光の波が広がった。
咲の命を絶つはずだったシロの剣は、その光に触れると音もなく消滅した。

咲「……え……?」

白く灼けた視界の中、何が起きたのか理解できず、咲は呆然とその場に立ち尽くす。
一瞬にして剣を失ったシロが、顔を上げて咲を見た。

シロ「――――あなたは、……まさか」

初めて、シロの凍り付いた顔に感情が映る。
今の不思議な現象に、シロは咲以上の衝撃を受けているように見えた。
射るようなシロの眼差しに目をそらすことも叶わず、咲は息をつめてシロと対峙する。

シロ「なぜ彼女らの贄に、あなたが――――?」

咲「な、に……?」

シロ「答えて。あなたは全てを承知の上で彼女らの許にいるの?返答次第では、あなたを……」

静かな声の中、抑えられたシロの怒りを感じる。
夕べ初めて出会ったばかりの人間に、こんな理不尽な扱いをされ、怒りを向けられる覚えはない。
その瞬間。殺される恐怖よりも、怒りの感情が上回った。

663: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 00:10:15.28 ID:L2+kf3ZT0
咲「贄なんて、知らない!何のことか分からない質問に答える気なんてない……!」

シロ「……!」

咲の言葉に、シロの瞳が揺らいだ。
眼差しに映える怒りが影をひそめ、代わって何かを探ろうとする光が瞳に宿る。

シロ「あなたの名は……?」

咲「……咲。宮永咲」

シロ「咲……、宮永……咲」

シロ「……。今はあなたを殺さない。けれど、もしあなたが、このまま……」

咲「え……?」

咲はシロを見上げる。少女がなぜ咲を殺そうとするのか知りたいと思った。
なぜ咲を贄と呼ぶのか。少女が言っている≪彼女ら≫とは何者なのか……知りたい。
けれどシロは、咲が何かを語りかける前に、背を向けて立ち去る気配を見せた。

咲「待って!あなたは誰?どうして私のことを……」

シロ「……私の名はシロ」

咲「シロ……」

シロ「宮永咲。次の満月までに、あなた自身の選んだ道を示して」

咲「え……?」

シロ「あなたがいずれの道を選ぶのか。その答え如何では、私はあなたを……殺す」

咲「……!」

咲に鋭い一瞥を与え、そう宣言するとシロは背を向けて去っていった。
咲はその後ろ姿を呆然と見つめることしか出来なかった。

664: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 00:13:49.07 ID:L2+kf3ZT0
チャイムの音が昼の訪れを告げると、授業から解放された生徒たちは一斉に騒がしくなった。
昼を過ごすため、生徒たちはそれぞれ目的の場所に散っていく。


穏乃「咲。石について調べてくれそうな人間に心当たりがあるって言ってただろ?その人、一学年上の人なんだ」

穏乃「その人なら私達の話を馬鹿にしないで聞いてくれる。どうする?話してみる気はあるか?」

咲「……ごめんなさい、高鴨さん。私にはもう関わらない方がいいと思う」

穏乃「咲……。分かった、無理強いするつもりはないから。でも、困ったことがあったらいつでも私を頼っていいんだからな」

咲「ありがとう……」



放課後の訪れを知らせるチャイムが鳴り、咲の転校2日目が終了した。
今日は咲の掃除当番の日だと言われ、咲は割り当てられた清掃場所に向かった。

清掃も済み、道具を片付けて教室に戻り、帰り支度をする。
ふと先ほどの少女が脳裏をよぎった。
自分の命を狙った相手ではあるが、もう一度シロに会って話がしたいと思った。
咲はシロを探そうと決めた。

しかし、名前しか知らない相手を探し出す当てがあるはずもない。
せいぜい出会った場所くらいしか彼女の居所に心当たりがない。
無駄足に終わる気がしたが、昨日の現場をこの目で確かめたい思いもある。
咲は昨日の場所に向かってみることにした。

665: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 00:19:41.66 ID:L2+kf3ZT0
昼間でも近寄りがたいような鬱蒼と茂る林の中に、咲は足を踏み入れた。
しかし目的の少女の姿は見当たらない。

咲「……いない……」



その日、かなり遅くなるまで林の中を探し歩いたが、
結局シロを見つけることは出来なかった。



咲が家に着くと、姉はまだ大学から帰宅していなかった。
簡単な夕食を作って食べ、お風呂を済ませた後は、自室で宿題と自習に専念した。
照がなかなか帰らぬまま時間が過ぎる。


寝床につき、天井を見つめて姉の帰りを待つうちに、咲はいつの間にか眠りに落ちていた。
夢は見なかった。

666: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 00:21:10.02 ID:L2+kf3ZT0
朝の訪れを知らせる目覚ましの電子音とともに、咲はまぶたを開いた。
天気は上々でさわやかな朝だったが、ここ数日の出来事を思うと咲の心も晴れやかに、とはいかなかった。

照「おはよう、咲」

咲「おはようお姉ちゃん」

朝食を食べ終え、学校に行く準備が整うと、姉への挨拶を済ませて家を出た。





英語教師「……では、本日の授業はここまでにします」

5限目の終わりを告げるチャイムが鳴り、その日の授業が終了した。
咲は今日もシロを探しに行こうと決めた。

昨日シロと出会った場所に行ってみた時、シロに会うことはなかった。
もう一度同じ場所を探しても、シロを見つけることは叶わない気がする。
今日は別の場所を当たることに決めた。

667: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 00:23:33.61 ID:L2+kf3ZT0
シロを探す手がかりが何もなかったので、咲は校内の人気の少ない場所を、
片っ端からしらみ潰しに当たってみることにした。

シロの姿を求め、広い学園内を駆け巡った。
探せる限りの場所を探して回ったが、シロを見つける手がかりすら手に入れることが出来ない。



いつの間にか時は過ぎ、下校の時刻を知らせるチャイムが鳴った。
今日もシロを見つけることは出来なかった。
シロはもうこの学園内には姿を現さないつもりかも知れないと、ふと思う。
落胆しながら咲は帰路に就いた。



家に帰ると、姉はまだ帰宅していなかった。
咲は手早く夕食を作って食べ、使ったお皿やフライパンなどの片付けも終えた頃。
姉がようやく帰ってきた。

照「ただいま、咲」

咲「おかえり。お姉ちゃん」


それから姉とたあいのない会話を交わした後、咲は自室へと戻った。
時間割を見ながら明日の授業の用意を済ませ、課題のプリントに取り掛かる。


咲「終わった……」

課題を全て終えた時、すでに時計の針は11時を過ぎていた。
明日も何事もなく一日が過ぎることを願いつつ、咲は寝床についた。

668: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 00:28:45.34 ID:L2+kf3ZT0

――――――――――

学園祭本番をいよいよ明日に控え、本日の授業は4限目までとなっていた。
帰り支度を整えた生徒たちがばたばたと教室を出ていく。


今日も咲はシロを探しに行こうと決めた。
しかし、これ以上学園内を探し歩いてもシロには会えない。

咲「どこに行けば、あの人に会えるのかな……」

暫し思案した咲は、とある場所へ向かおうと決めた。


1、公園
2、街
3、自宅

安価下

670: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 01:15:51.32 ID:L2+kf3ZT0
街まで足を運んでみたが、そこでシロを見つけることが出来るなどとは本気で期待していなかった。
だからシロの姿を見かけた時、咲は驚愕に息を呑んだ。

咲「……!」

たむろする人の中、シロがこちらに横顔を見せ、静かにたたずんでいる。
鋭い眼差しが人々の頭越しのはるか遠くを見つめ、何者かの動きを探っているように見える。
辺りに気をめぐらせ、張りつめた空気をまとったその姿。

しかし、誰もシロに注意を向けない。
少女の存在に気づいてもいないのだろう。
彼女に視線を奪われているのは、その場に咲ただひとり。

見つめる咲の視線を感じ取ったのか、シロが振り返った。
その眼差しが迷うことなく真っすぐ咲を射抜く。

シロ「………」

感情の動きを映さないシロの瞳は、氷でできた鏡の欠片のような神秘さに満ち、目を逸らすことが出来ない。
流れる大気の質がそこだけ違うような、シンと張りつめた静けさがシロの周りを包んでいる。
シロの眼差しに魅入られ、動けなくなっているうちに、雑踏のざわめきが不意に遠ざかった。

671: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 01:20:53.05 ID:L2+kf3ZT0

……
………
…………

先刻から耳元を鳴らすのは、風に吹かれて揺れる草葉が互いに触れあって立てるかすかな音。
水と、草と、土の湿り気を含んだ、馴染み深いあたたかな匂いが大気に満ちている。
あの一面の緑の原を、目的もなく、ただ歩くのが好きだった。

あれは、どこなのか。
いつのことだったか。

かたわらを歩く誰かの瞳を見つめ、何か大切なことを誓い合った記憶がある。

あれは、誰だったのか。
何を誓ったのか。

水と緑に満ちた肥沃な原野にたたずみ、清らかに澄んだ大気を含む風に、今も変わらず吹かれているような。
どこか遠くてなつかしい、不思議な感覚―――――




咲「……!」

シロが咲から目を離し、背を向けたことで、唐突に意識が現実に立ち戻る。
雑踏のにぎわいがどっと押し寄せ、ひと時の静寂は、夢のごとくはかなく消え失せる。

先ほどの一瞬、咲はここが街であることを忘れた。
あの感覚はシロがもたらしたものなのか?
立ち去る背中に呼ばれるように、気が付けばシロの後を追いかけていた。

672: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 01:27:04.58 ID:L2+kf3ZT0
遠くに見え隠れするシロを追って、咲は早足で街を駆けた。
けれどいつしか、気が付けばシロの姿を見失っていた。
すべもなくその場に立ち尽くす。

これからどうしようかと考える咲に、追いかけっこに興じる子供のひとりが威勢よくぶつかった。

少年「ごめんなさい……!」

尻もちをついたまま、慌てて頭を下げる少年に『平気だから』と返し、
立ち上がるのに手を貸してやる。

少年が抱えて走っていたサッカーボールが、転んだ勢いで腕の中から飛び出した。
弾みをつけながら、ボールは路上を転がっていく。
転がるボールを追いかけ、少年がふたたび駆け出した。

車道の方へ、少年が飛び出すかたちになった瞬間。
トラックがカーブを曲がって現れた。
子供に気づいた運転手がとっさにブレーキを踏んでハンドルを切ったが、避けきれない。

少年「あ……」

立ちすくむ子供を助けようと、咲は車道に飛び出していた。
子供を突き飛ばして逃したが、それが限界だった。トラックの車体が迫る。

―――――避けきれない

そう思い、次に襲いかかるだろう衝撃を覚悟して思わず目を閉じた瞬間。
力強い腕が咲の身体を抱き寄せた。

足が地面を離れ、耳元をうなりを上げた風が吹き過ぎる。
浮遊感と、直後に襲いかかった失墜の激しさに、
我が身に何が起きているのかも分からず、咲は悲鳴を上げることすら出来ない。

咲「……っ」

思いがけない衝撃の少なさで、ふいに失墜感は治まった。
恐る恐る目を開く。
咲はシロに担ぎ上げられた状態で、いつの間にかトラックからかなり離れた路上にいた。

673: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 01:38:43.64 ID:L2+kf3ZT0
トラックは先ほどまで咲のいた場所に突っ込み、歩道の柵をへこませて勢いを止めた。
ふらふらと運転手が降りてくる。どうやら無事なようだ。

子供の方は、尻もちをついた姿勢で目を丸くしていたが、こちらも怪我はないらしい。
ほっと安堵の息をついた咲の耳に、シロの声が響いた。

シロ「無茶なことをする。人を助けるため、自分の身を危険にさらすなんて」

答える言葉を失い黙り込んだ咲に、思いがけない柔らかさを持つ声でシロが呟く。

シロ「……危なっかしいところは変わらない」

咲「え……?」

驚いて見上げたシロの表情は、相変わらず感情の読めないものだったが、どこかこれまでと違うように見える。
それはどういう意味かと問い返す前に、シロは咲を降ろし、背を向けた。
そのまま咲に声をかけさせる暇を与えず、俊敏な身のこなしでシロは走り出した。

咲「あ、待ってください……!」

慌てて後を追ったが、曲がり角を回ったそこに、もはやシロの姿はなかった。




あの後、しばらくシロの行方を求めて街を回ってみたが、結局その後彼女を見つけることは出来なかった。
シロが何を思い、行動しているのか。
今日の出来事でますます分からなくなった。

咲の命を奪うと言ったシロ。
咲の命を救ったシロ。
一体どちらがシロの本当の姿なのか―――――?

シロの取った行動と言葉が頭から離れず、
咲はその夜、なかなか寝付くことが出来なかった。

674: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 01:48:00.94 ID:L2+kf3ZT0
今日はここまでです。

没になった竜華編のあらすじ
一族の贄となり犠牲になった母の復讐のため咲を利用しようとする竜華だが、
次第に咲に惹かれはじめ…てな感じの話を用意してました。
あと、良子さんも一族の人間です。

それでは安価にご協力ありがとうございました。

679: 以下、2015年にかわりまして2016年がお送りします 2016/01/16(土) 21:22:38.11 ID:L2+kf3ZT0

――――――――――

目覚ましのアラームが鳴り響き、咲はその音で目を覚ました。

今日はりつべ女学園の学園祭当日だ。
学園祭は今日と明日の2日間に亘って開催され、この間、校内に生徒以外の人間の出入りも自由となる。
咲たちのクラス発表は、教室内でのパネル展示だった。

担任「今日はこれから、クラス展示の受付当番以外の生徒は自由に過ごして良いことになってるわ」

担任「部活動での展示や発表がある者、実行委員らは点呼を済ませたら持ち場に向かいなさい」

教師は生徒に順々に声をかけ、出席簿に印をつけていく。
点呼を済ませた咲も他の生徒たち同様に教室を出た。



りつべ女学園の巨大な中央ホールは、生徒達の出店と、その店先にたむろする人の群れで賑わっていた。
生徒以外の客もかなりいるようだ。学園祭に訪れた一般客の多さに咲は驚く。
女子高の催しと言うより、企業のイベントのような人手だ。

咲はあまり知らない顔だが、芸能人のトークショー開催を知らせるポスターもあちこちに貼られている。
ホールを見回すと、モニターやコンピューターを駆使した展示コーナーのやたら多いことが目に留まる。
随分と立派な映像機材やコンピューターを展示に利用しているところが多い。

これからどうするか考えていると、遠くの方から何かが割れるような音と共に人々のどよめく声が聞こえてきた。
何かのアトラクションでも行われているのかと思ったが、どよめきは間もなく、無秩序な叫びに変わった。
途切れ途切れに聞こえてくるあれは、悲鳴だろうか。

いったい何が起きたのか。
咲は確かめに行くことにした。

680: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 21:24:26.67 ID:L2+kf3ZT0
咲「……!」

駆けつけたその場に広がるあまりに異様な光景に、咲は思わず言葉を失う。
幾人もの生徒たちが気を失い、力なく倒れ伏している。
割れた窓ガラスの破片や千切れた校内の飾りつけが辺り一面に散らばり、情景の異様さに拍車をかけている。

何に驚いたのか、放心状態でうずくまる生徒。意識を失ったままうつ伏せに倒れている生徒。
その場に無傷な姿で立っているのは、咲のように騒ぎに気づいて駆けつけた者だけだった。
いったいこの場で何が起きたというのだろうか。

生徒A「なんなのこれ!何があったっていうの!?」

生徒B「ちょっと、大丈夫……?」

生徒C「誰か先生呼んできて!」

倒れている生徒を助けるため、咲も動こうとして、
―――――足を止めた。

咲「あ……」

眼前の光景に視線が釘付けられる。
地面に倒れ、苦痛にうめく人々の向こう――――シロが、いた。

シロ「………」

剣を手に、シロが佇んでいる。
傷つき倒れ伏した生徒たち。散らされた飾りつけ、壊れた看板。
無傷で立つもののないその光景の中、ひとり静かな面持ちで佇むシロ。

シロの持つ凶器を見とがめ騒ぎ出す者はいない。
やはり他の者の視覚に、シロの姿は全く認識されないらしい。

681: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 21:27:29.53 ID:L2+kf3ZT0
シロが剣を払い、咲へと向かってきた。
咲は息を呑む。
繰り出された一撃は、迅速の勢いで咲の頬をかすめ、背後へと狙いをそらした。

咲「――――!?」

咲の背後で、耳を聾する異様な叫びが上がる。

生徒A「きゃっ!」

生徒B「うわあっ!」

叫び声が上がると同時に、咲の周りに立っていた者が、背後から突き飛ばされるように転がった。
シロの剣は、咲の背後にいた何かを狙い、繰り出されたのだろう。
顔のすぐ横を真っすぐにのびた、白く輝きを返す刀身を視線で辿り、咲は素早く背後を伺う。

咲「……!」

何か異様な存在を思わせる影が素早く身を翻すのが、視界の隅に一瞬だけ映る。
目を凝らす間もなく、影は木々の葉陰に消えた。
シロは無言のまま剣を静かに退いた。

咲「シロさん、あなたはまた、私を助けてくれた……?」

シロ「……」

シロは咲の質問に答えないまま、目をそらす。
しかし突然弾かれたように顔を上げ、手にした剣を構えて叫んだ。

シロ「避けて!」

咲「え……?」

黒い影が物凄い勢いで倒れ込む咲の傍をかすめ過ぎるのが見えた。
シロの剣が影を貫き、ふたたび絶叫が間近で沸き起こる。

682: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 21:29:10.54 ID:L2+kf3ZT0
シロ「――――!」

剣を納めかけたシロが、機敏な動きで再び剣を構える。

「……見つけた、シロ!」

シロ「!!」

―――――ギィィン!!

刃と刃が打ち合わされる激しい金属音が響く。

咲「あ……」

顔を上げた咲の視界に、剣を弾かれて退くシロの姿が映る。
目の前に、咲をかばう体勢で立ちはだかる長い黒髪の少女の背中があった。
少女の右手には一振りの長剣が握られている。

―――――ギィィィン!!

二人が再び音高く斬り結んだ時、激しく打ち合わされた刃と刃の間に波動が生じた。

シロ「……!」

シロの剣が砕け散るように消滅した。
衝撃に弾かれたシロは校舎の壁に叩きつけられる前に素早い身のこなしで壁を蹴り、それを避けた。

くるりと身をひるがえして着地したシロは、そのまま滑るような動きで咲に背を向ける。
そして、あっという間に木立の向こうへと姿を消した。

咲「あ……」

立ちすくむ咲に向かって、少女が静かに振り返った。

「宮永、咲さん」

咲「……!」

全く面識のないはずの黒髪の少女に名前を呼ばれ、咲は混乱する。


教師「怪我人が出たというのはここか?」

騒ぎを聞きつけた教師たちが慌ただしく駆けつけてくる。
少女は声のする方を見やると、シロが消えたのと同じ方角に向かって歩き出す。

「後ほど、この場所に来てください。お話したいことがあります」

咲「え……」

通りすがりざま、咲の耳にだけ届くように少女が囁く。
そして一陣の風のように少女は駆け抜けていった。
異様な光景のなか、ただ一人無傷な咲は、呆然とその場に立ち尽くした。

683: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 21:30:40.20 ID:L2+kf3ZT0

――――――――――

学園祭は結局、昼間の騒ぎからそのまま中止となった。
駆けつけた教師たちの手配により、咲以外の怪我人は全員病院に運ばれた。

下校を促す教師の目を盗んで、咲は少女に言われた場所へ一人おもむく。

「宮永咲さん、ですね」

声をかけられ、驚いて振り向く。そこには咲を助けた少女が立っていた。

クロ「私の名はクロ。あなたをお守りするため、この学園に来ました」

咲「守る……?」

クロ「はい。いきなり現れて、こんなことを言う私をさぞかし怪しく思われるでしょう」

咲「………」

クロ「私はもう長い間ずっと、あのシロを追い続けているのです」

クロ「シロは狂った殺人鬼です。あなたも見たでしょう、昼間のあの光景を。……あれは全てシロの仕業です」

クロ「これまで、あのシロの手によって沢山の人命が奪われました。彼女の凶行を止める為、私は戦っています」

咲「………」

クロ「今、彼女はあなたの命を狙っています。ですが私があなたをお守りします。そのために私はこの学園に来ました」

咲「あなたは……、いったい何者なの?」

クロ「私は、とある結社の者――――とだけ言っておきます」

クロ「特殊な力を持つ者に命を狙われた、あなたのような人々を守る為、私達は動いています」

クロ「私のことを胡散臭く感じるでしょうけど、『あなたをお守りする』との言葉に偽りはありません」

クロ「今はただ、私があなたを守る者で、シロがあなたの命を狙う者だということだけ心に留め置いてください」

咲「……わかりました……」

クロ「では、私はもう行きます。シロにはくれぐれもお気を付けください」

クロ「私に出来る限りの力で、影ながらあなたをお守りしますので。では、いずれまた――――」

最後の一礼をすると、クロと名乗った少女は身を翻してその場を去った。
残された咲は陰り始めた陽射しの中、頬を撫でる冷たい風に、ひとり身を震わせた。

684: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 21:31:33.44 ID:L2+kf3ZT0
咲が家に着くと、照はまだ帰宅していなかった。
夕食を作って食べ、後片付けも済ませると、他にすることも無くなってしまった。
姉の帰りをしばらく待って、読みかけの本のページをめくってみたが何ひとつ頭に入ってこない。


入浴も済ませて自室に戻ると、咲は自分がひどく疲れていることに気が付いた。
ベッドに倒れるように滑り込み、天井を見上げる。


『シロにはくれぐれもお気を付けください』


クロの言葉がふいに蘇り、咲は落ち着かない気持ちで寝がえりをうつ。
そのままかたく瞼を閉じた。

夢も見たくないという咲の願い通り、
その日はひとつも夢を見なかった。

685: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 21:33:07.49 ID:L2+kf3ZT0

――――――――――

本来なら学園祭の2日目で大いに盛り上がり賑わうはずだった校内は、重苦しい沈黙に包まれていた。
すれ違う生徒は皆、一様に不安げな、落ち着かない表情をしている。

『月曜から通常の授業に戻る』との連絡事項を伝えると、
その日のホームルームは全て終了となった。

担任「今日はいつまでも校内に残ったり、寄り道しないこと。このまま真っすぐ家に帰りなさい。いいわね」

最後に強い語調で告げると、担任は教室を出て行った。
帰り支度をしながら、咲はこれからどうしようかと迷った。


咲の命を狙う少女シロ。
シロから咲を守ると語る少女クロ。

クロの忠告に従うなら、シロに会うなどと考えず、まっすぐ家に帰るべきなのだろう。
それでも咲はどうしてかシロに会いたいと思った。

クロの監視の目が光る学園に、おそらくシロは姿を現さないだろう。
探すあてはないが、動いていればシロの方から咲に接触してくる気がする。
昨日と同様に学園を離れ、街に向かうことにした。

686: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 21:37:07.95 ID:L2+kf3ZT0
シロは咲の前に現れるのか。
分からないまま、咲はあてもなく街中を歩き続ける。
街のにぎわいから少しはずれ、人通りの少ない遊歩道に出たとき。

咲「……!」

ふと顔を上げたところ、眼前にシロの姿を見つけて咲は思わず息を止めた。
平和な情景の中、剣を片手にたたずむシロの姿を、咲の他に見とがめる者はいない。
しかし無意識のうちにシロを避けて歩く人々の姿は、彼女が幻などではなく、確かにそこに存在するのだと咲に教える。

ふと昨日の学園祭の光景が脳裏に蘇る。
咲には何故か、シロがクロの言うように皆を傷つけた犯人だとは思えない。
シロに向かって、咲は思い切って問うた。

咲「シロさん、昨日皆を傷つけた犯人は誰なんですか……?」

シロ「……なぜ、あなたは私がやったのではないと思うの?」

咲「分かりません。ですが、あなたはそんな人ではないと思うから」

正直に自分の思いを伝えると、シロは驚いたようにかすかに目を見開いた。

シロ「……あなたは……。宮永咲、あなたに伝えておかなければならない事がある」

言いながら、シロは地面に向けていた剣を持ち上げた。
一瞬身構えそうになるが、咲は大人しくその動向を見守った。

シロは咲に向かって、剣を握る腕をためらいなく振り下ろした。
白い光の波が、シロの攻撃から咲を守り、刀身を弾き返した。
シロは素早く剣を引き、光から離れる。間もなく光はおさまった。

女「……?今、光らなかった?」

男「何か光ったような……?」

咲のそばを歩いていた幾人かが光に気づいたらしく、しきりと周囲を見回している。
手にした剣を下げ、咲の様子を探るように見ながらシロが呟く。

シロ「……その光が何か分かる?」

咲「え……?」

シロ「石の力。あなたは石を持っている――――今の光がその証」

シロの言葉に、咲は石の納められたポケットに反射的に手を触れさせた。
この石が、咲を救ったあの光に関係があるというのだろうか。

687: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 21:42:37.68 ID:L2+kf3ZT0
シロ「石を使えるのは、今では私ともう一人のみ。例外はない。代行者は、私たち以外には存在しない」

シロ「だから、もし石を操れる者が現れたなら、それは……」

そこで言葉を切って、シロは咲の瞳を真っすぐ声もなく見つめた。
咲はかつてこんな真摯でひたむきな眼差しに見つめられたことは無い。
氷のように冷たく、心の動きを感じさせない瞳の奥に、シロはこんな眼差しを隠していたのか。
初めて目にした、心の奥を揺すぶられるようなシロの瞳に、咲は魅入られ言葉を無くす。

シロ「……これらは全て、彼女ら一族の新たな謀り事か……」

咲「あの……?」

意味の分からないシロの呟きに、咲は戸惑い、眉をひそめる。
シロがまぶたを閉ざした。見る者の心を射抜くような視線がようやく途絶え、咲はほっと息をつく。
再び開いたシロの瞳は静かに凪いで、元通り己の感情を映さないものに戻っていた。

シロ「一族の血の匂いを持ちながら、私の石を使える……あなたは異質な存在。あなたのような者は、他にはいない」

シロ「……宮永咲、あなたは己について、どれだけのことを知っているの?」

咲「え……?」

シロ「何も知らないのか、それとも何もかも承知の上で一族に従っているのか――――答えて」

シロが何事について訊ねているのか、咲には理解できない。
問われても、返す答えなどあるはずもない。


1、これ以上、何も考えたくない
2、訳の分からないことを訊かないで、と睨む
3、シロの言葉を理解したいと思う

安価下

689: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 21:57:02.76 ID:L2+kf3ZT0
咲「訳の分からないことを訊かないでください……!」

シロ「……本当に、何も知らない……?そう、何も聞かされていないという事か……」

シロ「贄が己の意思を持つことを許されることはない。でもあなたは自分の意思を持ち、それに従って動いているように見える」

シロ「……前に、あなたは私を助けるようなことをした。なぜ?あの時私はあなたの命を奪おうとしたのに」

シロを助けるようなこと―――――?
初めてシロと出会った時、シロを狙う影の存在を咲が知らせた、あの事だろうか。

咲「あれはただ、誰かが傷つくのを見過ごせなかったから……」

シロ「……そう。……何も知らないままのあなたという存在を、このままにするのは危険」

シロ「あなたを狩ることが、これから起こりうる最悪の事態を防ぐのに何より有効な手段かもしれない」

咲「……!」

シロ「……けれど私は、あなたを狩ることを望まない」

咲「え……?」

シロ「宮永咲、あなたは自らが何者かをもっとよく知るべき。でも知ることが、今の暮らしを壊すことに繋がるかも知れない」

シロ「知らない方が幸せだったと、後に思うような真実が暴かれるかもしれない。それでも知ることを選ぶ?」

シロ「いつわりの平穏を捨て、真実の道を歩む勇気が、あなたにはある?」

咲「……はい。どんなことになろうと、私は知りたい……!」

690: ◆34iwA4dRok 2016/01/16(土) 22:03:55.68 ID:L2+kf3ZT0
シロ「……あなたがそれを望むなら、私は知る限りのことを話す」

聞きたいことはまだまだあった。
質問しようと咲が口を開きかけた時、シロの様子が変わった。
咲が言葉を発するのを手のひらで制し、目を細めたシロは辺りの空気を探る。

咲「シロさん……?」

シロ「――――今は駄目。時間がない……私の話が聞きたければ、明日の夜九時過ぎに一人でりつべ市営公園に来て」

それだけ言い置くと、シロは素早い身ごなしで後も見ずに駆け出していった。
あっという間に雑踏に消えたシロに、声をかけることも出来ず、咲はその場に立ち尽くした。





家に帰り着き、自室に入って鞄を開けると、携帯に1件のメールが入っていた。

照『おかえり、咲。学校の様子はどうだった?今日も遅くなるから、私の帰りを待たずに休んでて』

咲「お姉ちゃん、今日も遅いんだ……」

一人きりの食事は寂しいが、姉は大学で忙しいし仕方がない。
咲は夕食と風呂を済ませ、早々に寝床についた。

灯りを消し、真っ暗な部屋の天井を見上げながら、今日一日の出来事を思い返す。
学園祭で起きた事件のこと、石のこと、シロとの約束――――

脳裏に浮かんでは消える記憶の断片にしばらく悩まされたが、
いつしか咲は深い眠りへと落ちていった。

697: ◆34iwA4dRok 2016/01/18(月) 23:08:45.99 ID:qSGaONuk0

――――――――――

日曜日の朝が訪れた。
シロとの約束の時間は夜九時。
それまで家で本でも読んで過ごそうと、咲は起き出した。



約束の時刻が近づいてきた。
姉も今は自分の部屋で読書にふけっているはずだ。
こんな夜に出かけると言えば反対されるに違いない。
咲は照に黙ってこっそり家を抜け出した。

昨日、シロは咲に『夜九時過ぎに一人でりつべ市営公園に来て』とだけ告げて去ってしまった。
りつべ市営公園は広大な敷地面積を誇る自然公園だ。どこを目指せばシロに会えるのか見当もつかない。
途方に暮れながら、咲は市営公園の正門をくぐる。

日曜の夜の公園は人気もなく静かだ。
灯りの少ない公園の遊歩道をひとり歩くのは、ひどく心許ない行為だった。
見えない暗がりに誰かが潜んでいないか警戒して進む。
そうして気をはって歩いていたせいか、普段なら聞き落としそうなわずかな息遣いを敏感に感じ取った。

咲「……!」

振り返って確かめたが、人影らしきものは見当たらない。
この場にいる人間は、咲ひとりらしい。

―――――そう、人間は。

698: ◆34iwA4dRok 2016/01/18(月) 23:11:00.23 ID:qSGaONuk0
シロに会うことだけに気を取られ、夜の闇にひそむあの名状しがたいモノの存在を忘れていた。
こうして何の備えもなく、人目につかない暗い場所にひとり無防備に立っているのは、
自分から襲ってくださいと言わんばかりの状態ではないか。

咲「あ……」

獣じみた息遣いが闇の向こうから聞こえてくる。
人ではない。人はこんな息遣いをしない。

ごくりと息をのんで、咲は半歩退いた。
気配も、咲の動きにひかれるように進む。
活路を求めて視線を彷徨わせる咲に、気配がまた一歩、近づく。

ここで足を止めることは危険だ。
咲は覚悟を決め、思い切り息を吸って駆け出した。

咲「はっ、はあっ」

気配が追ってくる。このままでは逃げきれない。
息が上がり、足元がふらついたとき。
突然、剣を手にしたシロが咲の前に枝を鳴らして降り立った。

続いて起きる、獣の絶叫。
その凄まじさに、咲は思わず瞳を固く閉じた。

……目を開くと、そこにはすでに咲を追う獣の姿は見当たらなかった。
シロが剣を払うと、刀身を穢すように露を結ぶ血のしずくが地面に散る。

699: ◆34iwA4dRok 2016/01/18(月) 23:13:57.76 ID:qSGaONuk0
咲「助けてくれてありがとうございます……。どうして私がここにいるって分かったんですか?」

シロ「この公園に入って来たときから、私はあなたを追っていたから」

咲「私を?」

シロ「あなたをつける者がいないか、確かめてた」

咲「そうですか……。あの、さっきの獣のようなものは一体何なんですか?」

シロ「あれは眷属。一族の忌まわしい行いによって生まれた、人ならざるものの血を継いだ存在」

咲「……眷属……」

シロ「この眷属は、あなたを追っていた」

咲「……!私を殺すため……?」

シロ「いえ、この眷属はあなたを守るため傍にいた」

咲「守る……!?」

シロ「あなたに危害を加える目的を持って必要以上に近づく者を排除する。この異形は主にそうするように命じられている」

シロ「獣には命を奪うことへの禁忌はない。使命を果たすためなら、容赦することも手段を選ぶこともしない」

シロ「あなたの周りで人が死ぬのは、あなたに危害を加えると判断した存在を、眷属が排除した結果にすぎない」

咲「……!」

シロ「あなたは一族の監視下に置かれてる。気づいてないだろうけど、あなたには常にあなたを守る護衛がつけられている」

咲「監視……護衛……」

700: ◆34iwA4dRok 2016/01/18(月) 23:19:33.74 ID:qSGaONuk0
シロ「あなたを守護する存在の筆頭が、クロ。あの子は一族の許可なく近づく者からあなたの身を守っている」

咲「あの人が……」

クロが咲の命を守る立場の者――――
では、そのクロと対立するシロは咲にとって『命を狙う敵』でしかないのだろうか。
そうは思いたくなくて、シロを追ってきた。
けれど今はっきりと彼女の口から聞かされたのは、咲が望んだのとは正反対の言葉だった。

咲「シロさん……」

咲はシロの瞳を覗くように見つめた。
そこには血に飢えた残忍さや残酷な本性を示すものはなく、どこまでも澄んでいる。
シロは夜空に映える、あの白い月のようだ。
見上げる者の心を不安に惑わしながら、自身はどこまでも孤高のままに、静寂の闇を照らしている。

咲「私には、あなたが敵だとは思えません」

もっと彼女の言葉に耳をかたむけ、彼女の心を知りたい。
咲がそう告げると、シロは静かに問うた。

シロ「私はあなたを殺すと言った。それでもあなたは、私を敵だと思えないと言うの?」

咲がうなずくと、初めてシロの表情が動いた。染み入るように静かな微笑み。
切ないような、苦しいような不思議な想いが沸き起こり、咲は理由の分からない心の動きに戸惑った。

シロ「……クロは真の意味で、あなたを守る者ではない」

咲「どういう事ですか……?」

シロ「近づく者を遠ざける行為があなたの意思に関わりなく行われていると知って、彼女ら一族を味方だと思えるの?」

シロ「思い出して。人の命を奪い、肉を喰らう獣の牙を。あなたという禁忌に触れ、命を落とした者のことを」

咲「あ……」

シロ「あれら眷属による容赦ない行いを統べているのがクロ。クロは一族が私に対する者として用意した存在」

シロ「あの子は私と戦うことにしか興味がない。あの子の望みは、ただ私を殺すこと」

咲の前で、互いを敵と認め合うシロとクロ。
彼女たちの関係はいったいどういうものなのだろうか?

シロ「月満ちるまで、あなたの命は一族に保証されている。――――けれどその先に、あなたに安らかな未来はない」

咲「……!」

続けてシロが咲に何事か告げようとした瞬間。
シロは急に口をつぐみ、何かの気配を察知した様子で素早く背後を振り返った。
そしてそのまま咲に背を向け、声をかける間もなく暗闇の向こうへと姿を消した。

咲「……シロさん……」

シロの去った後を見つめ、咲はしばしその場に立ち尽くした。
千々に乱された想いを胸に、咲はひとり月明りに照らされる家路をたどった。

701: ◆34iwA4dRok 2016/01/18(月) 23:28:52.46 ID:qSGaONuk0

――――――――――

数日後。
放課後の訪れを知らせるチャイムが響く。
特に校内に居残る用事もなかった咲は、荷物をまとめると大人しく家に帰ることにした。

校舎を出たところで何気なく視線を上げたとき、
何者かの強い視線を感じて咲は思わず足を止める。

咲「………」

何かが咲を見つめている。
それも一際強く飢え渇いた、人でないものの熱い視線が―――――。

泉のことや学園祭での騒ぎ、夜の公園で獣に追われたことを思い出して、咲は背筋に悪寒を走らせた。
シロが眷属と呼んだ、あの異形の生き物が、ふたたび咲を狙って現れたのか?
早くこの場を逃げようと、人の気配のする方へ駆け出しかけて―――――動きを止める。

……このまま咲がこの怪しい気配を引き連れて大勢の人のたむろする場所に出れば、
学園祭での騒ぎの二の舞になってしまうかも知れない。
どうするべきだろう?


1、人のいる方向に逃げる
2、人のいない方向に逃げる

安価下

703: ◆34iwA4dRok 2016/01/18(月) 23:49:44.71 ID:qSGaONuk0
学園祭の時のように、関係ない他の生徒たちを咲の事情に巻き込むのは嫌だ。
これ以上自分のせいで怪我人を出したくはない。
覚悟を決めると、咲は人の気配のしない方向に駆けだした。


不気味な影に追われ、咲はひたすら走り続ける。
やがて完全に人気のない場所へと追い込まれた咲に、ふいに声がかけられた。

「よくやったな。もういいぞ、下がれ」

その声に呼応するように、獣の気配が退いた。

「お前を待っていたよ……咲」

見上げた視線の先、咲の名を呼んだ女性がゆっくりとこちらに近づいてくる。
うっすらと笑みを浮かべて寄ってくる、見覚えのない人物。
その食い入るような粘つく視線に、咲の中で危険を知らせる警鐘が鳴り響く。

咲「……どうして私の名前を?」

「お前のことを、どうして知っているかだって?はは、そんなの決まってるじゃないか」

「――――それはお前が贄だからだよ、咲」

咲「……!」

逃げなければ。この女性は危険だ。
女性から少しでも離れようと、怯む身体を下がらせて逃げ場を求めて視線を彷徨わせる。
そんな咲の狼狽を嘲笑うように、笑みを深めながら女性は咲に素早く近づき、肩を掴んだ。

咲「や……っ」

力ずくで引き寄せられ、上向かされた顔に強引な力で布を押し付けられた。
息をふさがれ、苦しまぎれに大きく吸い込んだ空気に、吐き気がするような刺激臭が混ざる。

そのまま咲の意識は遠ざかった―――――



709: ◆34iwA4dRok 2016/01/20(水) 00:25:09.96 ID:xahR/s100
……まぶたを開くと、無機めいた白い照明と天井が目に入る。
ここはどこなのか?自分は何をしているのか?
ぼんやりと思いながら辺りに視線を彷徨わせる。

どことなく病院めいた匂いと造りの簡素な白い部屋に、咲はいるらしい。
手術台のような診察台の上に寝かされていると知った咲は、上体を起こそうとした。
―――――出来なかった。手も足も台にベルトで固定され、動かすことが出来ない。
そこでようやく自分が囚われの身となったことに気づく。

「やあ、咲。お目覚めのようだな。気分はどうだ?」

ドアが音もなく開いて、咲をこんな目に遭わせた元凶と思われる女性が入ってきた。
警戒に身を硬くする咲の顎を強引に掴んで、女性は咲を無遠慮な視線で確かめる。
その絡みつくような眼から逃れるため、咲は視線を落として目を伏せた。

「そう、そんな風にしおらしく私に従うといい。逆らわずにいれば可愛がってやる」

咲「あなたは誰?何が目的で、こんなことを……」

菫「私の名は弘世菫。単刀直入に言うと、私はたぐいまれなる贄であるお前が欲しい」

咲「……贄……」

菫「そう、お前は贄。始祖と私たち一族に貪られるため選ばれた、喰らう者に力を与える特別な獲物」

咲「始祖……?」

菫「私たち一族の先祖、人ならざる力を持つ存在のことだ。お前はその始祖が、我が為にと望んだ贄」

咲「……!」

710: ◆34iwA4dRok 2016/01/20(水) 00:27:25.30 ID:xahR/s100
菫「始祖は、その血にヒトを超える力を持つ遺伝子――――因子を備えている」

菫「そしてその始祖の血を引く私たちもまた、ヒトとは異なる力を持つ因子を持つ」

菫「このヒトならざるものの因子を、始祖の血を一族の中でもっとも色濃くその身に備えた者が……お前だ、咲」

咲「私……?私はあなたが言うような、ヒトを超える力なんて持ってません。そんなはず……」

菫「お前はまだ幼い頃に、力の発現を封じられたからな。けど普通の人と体の造りが違う片鱗はあったろう?」

菫「たとえば、怪我の回復が異常に早い、とか―――――

咲「……!」

菫「心当たりがあるようだな。それも始祖の血が与えた恩恵のひとつさ。血の濃い一族ほど生命力が強く長命だ」

菫「お前はその一族の誰より強く因子をその身に有している。何故ならお前は、遺伝子操作の実験の末、誕生した生命だから」

咲「え……」

菫「因子をより高純度に有する種を造る目的で、私たち一族の科学者によって作り出されたモノ、それがお前だ。咲」

咲「……嘘……」

何を言われたのか、うまく理解することが出来ない。
咲が『造られた』存在?遺伝子操作?
―――――めまいがする。手足の先が凍るように冷たい。

711: ◆34iwA4dRok 2016/01/20(水) 00:29:35.72 ID:xahR/s100
菫「信じがたくとも事実は事実だ、咲。お前が私たちの手で造られた存在だという現実は変えようがない」

咲「私は……違う。一族なんて知らない……」

菫「いくら否定しても、その身に漂う香しき匂いは、お前が一族の血を誰より濃く継いだことを私たちに教えてくれる」

菫「私たちのうちに因子をもたらした始祖の血が本来持った性質なのか、私たちは血が濃いほど同族の血に強く惹かれる傾向がある」

菫「同じ血を引く者の身も心も己のものとしたくなる獣の欲望が、この血統の中には潜んでいる……」

咲「………」

菫「お前は始祖のために用意された特別な贄。だが、そのお前を私が得たなら……私は長を超える力を持つことも可能だ」

菫「さあ、咲。この私にお前のその身に潜む力を捧げろ」

咲「嫌……!」

菫の指が、身動きの取れない咲の頬から首筋をたどり、制服をくつろげる。
生身の肌に無遠慮な手が這う。
ぞっとするような感触を、咲は唇を噛みしめて耐える。

菫「震えているな。怖いのか?」

咲「……っ」

菫「私に可愛くお願いしてみせろ。そうすれば手加減してやらないこともない」

咲「……や……」


「――――そこまでにしてもらいましょう。勝手な真似をされては困るのです」


緊迫したその場にそぐわぬ落ち着き払った声に、菫は凍り着いたように動きを止めた。
菫の喉元近く、薄皮一枚の距離を置いた至近に、研ぎ澄まされた刃先がぴたりと突きつけられている。

712: ◆34iwA4dRok 2016/01/20(水) 00:32:31.99 ID:xahR/s100
クロ「さあ、咲さんから離れてください」

咲「クロさん……!」

剣の輝きに圧されるまま、菫は診察台から離れ、背後に退く。

クロ「どうやら間に合ったようですね」

戸惑いの表情で見上げる咲の無事を確認して、クロが微笑みを返す。
こんな所にまでクロは助けにきてくれたのか。
思わぬ救いの手に、咲はほっと安堵の吐息をついた。

咲「ありがとうございます、クロさん……」

クロ「咲さんの安全を守るのが私に与えられた使命ですから」

クロは手にした剣で、咲の手足を縛るベルトをあっさりと両断した。
ようやく解放された咲は、固まった手足をぎこちなく動かし、クロの手を借りて診察台から降り立った。

菫「なぜ……どうして、お前がここにいるんだ――――クロ!」

咲「……え……?」

菫が、よく知る者のようにクロの名を呼んだ。
咲は思わずうかがうようにクロを見やる。

菫「例えお前が始祖の守護者だとしても、私はお前にこの施設への出入りを許可した覚えはない!」

クロ「………」

咲「……どういう、ことですか……?」

菫の叫びが伝える内容に、咲の胸に疑惑の暗雲が広がる。
女性は今、クロの事を何と呼んだ……?
『始祖の守護者と』そう呼ばなかっただろうか?

クロ「……菫さん。あなたという人はつくづく愚かですね」

クロのまとう、もの柔らかで人当たりの良い雰囲気がその時、静かに一変した。
伏せたまぶたをクロがゆっくり上げた時。
そこには、これまで咲は目にしたことのない、恐ろしく冷ややかな眼差しがあった。

713: ◆34iwA4dRok 2016/01/20(水) 00:38:03.53 ID:xahR/s100
クロ「贄に手出しは禁止との長の厳命をご存じないはず無いでしょう。あなたはそれを無視しましたね。長に逆らうおつもりですか」

菫「……!」

クロ「私がこのたび長と交わした契約は、シロの手から咲さんを守ること」

クロ「あなた方一族の、身内の暴走を止めるのは契約外の仕事です。あまり私の手を煩わせないでください」

菫「く……」


『……クロは真の意味で、あなたを守る者ではない』

シロの言葉が鮮明によみがえる。


咲「……クロさん、あなたは私を贄と呼んでつけ狙う一族の人間だったんですね……!」

クロ「――――その通りです。私は始祖の身をシロの手から守る契約を交わした守護者」

咲「じゃあ、シロさんは……」

クロ「シロが一族に属したことは一度もありません。これから先も、その可能性はないでしょう」

クロ「始まりから終わりまで、彼女はずっと始祖の敵。誓いを果たすその時まで、ずっと――――」

咲「誓い……?」

714: ◆34iwA4dRok 2016/01/20(水) 00:41:15.10 ID:xahR/s100
クロ「始祖をよみがえらせる重要な鍵である贄。この街にあなたが戻ったその日から、私はあなたの守りの任に就く事になりました」

クロ「……ですが実のところ、始めからずっと私はあなたが傷つくことを望んできました」

咲「え……」

クロ「あなたがもっと傷つけばいい、もっと苦しめばいい―――そう思ってました。そして、終わりにはあなたの死を望んだ……」

咲「……!」

クロ「危険にさらされていることを知りながら、あなたをわざとそのまま放置したことも何度かあります」

クロ「守り役である私は、あなたに手を下すことは出来ない。けどあなたの死が、他者によるものなら……」

クロ「あなたを守りきれなかったとそしりを受けるでしょうが、そんなこと私は全く気にしません。それよりも私はあなたの死を望む」

咲「……クロさん……」

クロ「けど悪運の強い人ですね。結局あなたは捧げられる日の間近まで、こうして生き延びてしまった」

始祖復活のため、一族が咲を必要としていることは分かった。
けれど『あなたの死を望む』と語るクロの言葉は、復活を望む一族の思惑と真っ向から対立するものだ。
クロの望みは、始祖の復活ではないのだろうか――――?

咲「あなたの望みは、他の一族の人たちとは違うの……?」

クロ「進んで一族の邪魔をする気はありませんが、利害が反すれば一族ともたもとを分かつことも辞さないつもりです」

クロ「彼女らとは、シロが邪魔という点で見解が一致しました。その点において、協力しているだけなのです」

咲「あなたは一族の人間ではないの?」

クロ「ええ、違います。一族はシロが滅ぼさんと狙う標的。私はシロを倒すことを目的とする者」

クロ「そしてシロにとって私は、忘れることも許すことも出来ない裏切り者……」

咲「裏切り……?」

715: ◆34iwA4dRok 2016/01/20(水) 00:53:14.10 ID:xahR/s100
クロ「……一族は私にとって、シロをおびき寄せる囮にしか過ぎません。彼女らに飼われるつもりはない」

クロ「私の真の望みはただひとつ。シロを苦しめ、この手で殺すこと。それ以外のことなんて私にはどうでもいいのです」

咲「どうして、そこまでしてシロさんを……」

クロ「……憎いから。シロと私の確執は、己の尾を喰らずにはいられない身喰いの蛇と同じもの。片方が滅びるまで、この憎しみの円環は終わらない」

咲「クロさん……」

クロ「それにしても、あの魂があなたの中にあるなんて。今更こんな形であなたに会うことになるとは思いもしませんでした」

咲「え……?」

クロ「あなたという人は、つくづく因果な星の下に生まれるよう運命づけられた人らしいですね」

クロ「あなたは始祖の捧げられた供物。それがあなたに架せられたさだめですか……今も変わらず」

クロ「復活の儀式であなたが始祖と交わる瞬間のシロの顔が見ものですね。さぞ苦しむことでしょう、再びあなたを救えなかったことに」

咲「クロさん、いったい何のことを……?」

クロ「私があなたの死を望むのも、すべてシロを苦しめるため。私はあなたの死に苦悩する彼女の顔が見たい」

クロ「まあ、それは叶いませんでしたけど。でもこれからあなたを始祖に奪われたときのシロの苦しみを思うとゾクゾクします」

クロ「彼女はあなたを救うことだけを望み、生きてきました。その彼女の目の前で、大切なあなたが始祖のものになるのですから」

咲「クロさん……」

少しも笑っていないクロの眼差しの奥に、シロに対する激情が炎となって揺らめくのを見た。
シロとクロの間には、咲には伺い知ることの出来ない、深く激しく互いの生存を認められない程に対立しあう何かがあるようだ。
それが何か、探ろうとする咲の視線をはぐらかすように、クロは笑みを浮かべて告げた。

クロ「始祖はもうずいぶん永い間、あなたという贄の存在を待ち続けました。けれど、その日もようやく明日で終わる」

クロ「儀式の刻が来ました。明日の深夜、満月が中天に達するとき。――――さあ、行きましょうか」

菫「待て、クロ……!」

クロ「……まだ私に何か?」

716: ◆34iwA4dRok 2016/01/20(水) 00:59:59.14 ID:xahR/s100
菫「クロ、お前はいつも一族を見下してるようだな。だが贄と馬鹿にする咲は、お前と同じ遺伝情報を持つ存在でもあるんだぞ」

クロ「……どういう意味ですか、それは」

菫「理論的には始祖のクローンすら造ることが可能な遺伝子操作技術はあるはずなのに、どうしてだかそれが今になっても成功しない」

菫「ところが始祖の遺伝子の再現に行き詰った科学者が信託に従い、錬金術めいた方法を取り入れたら、咲という完璧な贄が誕生した」

菫「その信託にあった方法のひとつがクロ、お前の血から別の遺伝情報を採取して実験体に加えることだったのさ」

クロ「……!」

菫「おかげで一族は理想の贄を得ることが出来た。もっとも咲の成功以来、新たに完璧な贄を生み出す実験はどれも成ってはいないが」

菫「咲が成功した理由は謎だ。全く同じ工程を踏んでも、成功例が咲の他には皆無だからな」

クロ「……つまり、私が永い眠りに就いているのを良いことに、あなた達は勝手に私の血を実験に使ったという訳ですか」

菫「と、当時の長が始祖から受けた信託だ!お前はこの百年近くの間ずっと目覚めなかったし……」

クロ「……なるほど、そういうことですか。ずいぶんと皮肉で残酷なことを考える人ですね、始祖は」

クロ「最も濃い一族の血に、私のうちにひそむ力を混合させた特別な贄」

クロ「この贄の器こそが、あの魂を宿らせるに相応しいと始祖は考えたのでしょうね」

クロ「そうして『あの人』が戻るのにもっとも相応しい器を用意させた訳ですか。……聞きましたか、咲さん?」

咲「……クロさん」

クロ「あなたは私と――――ひいてはあのシロと同じ存在だそうです。……悪い冗談ですね」

717: ◆34iwA4dRok 2016/01/20(水) 01:01:38.83 ID:xahR/s100
クロ「造られた贄ふぜいが、私たちと同じものとなる可能性を秘めているだなんて」

閃くような一瞬の動きで、クロの剣は菫の胸を貫いた。

咲「……!」

声を上げる間もなく絶命した菫の身体を無慈悲に靴底で踏みにじり、クロは振り返った。

クロ「私は、あなたなんて認めない」

冷ややかな声でクロが告げる。
ひたりと頬に血のついた刀身を突きつけられ、咲は全身を凍りつかせた。
このまま命を絶たれるかと覚悟したとき、クロは静かに剣を退いた。

クロ「あなたを殺さず生かしておくことが、こんなにも苛立たしい事になるとは思いもしませんでした」

咲「……クロさん……」

クロ「こうなれば始祖に穢されるあなたの姿をシロに見せつけてやらないと、私の気が澄みません」

クロ「あなたを始祖の許に連れていって、あの異端の存在に身も心もおとしめて差し上げましょう」

クロ「許しを乞うあなたの目の前で、シロの命を絶つのもまた一興――――」


その時、地を揺るがす低い爆音が廊下の向こうから届いた。
続いて建物を襲った横揺れの振動。

718: ◆34iwA4dRok 2016/01/20(水) 01:06:34.69 ID:xahR/s100
クロ「……!もしや、彼女がここへ――――?確かめなければ」

素早く身をひるがえすと、クロは咲を残して部屋を出て行った。
閉ざされた扉のキーがロックされたことを示す、小さなセンサーライトが灯る。
咲はこじ開けようと試みたが、やはり扉は開かなかった。

無残に息絶えた女性に姿をさらしておくのも忍びなく、診察台の近くに見つけた白い布で動かぬ身体をそっと覆う。
立ち上がって部屋を見回し、これからどうするべきか考えた。

このまま諦めて、クロが来るのをただ待つのは嫌だ。
何か扉をこじ開ける道具となる物はないか、部屋を調べてみた。
殺風景な部屋の中は、咲が寝かされていた診察台の他には、大きな薬品棚がひとつきりしか置かれていない。


1、薬品棚を調べる
2、診察台を調べる
3、部屋の隅を調べる

安価下

720: ◆34iwA4dRok 2016/01/20(水) 01:37:00.32 ID:xahR/s100
ふと視線をやった先に、診察台の支柱が飛び込む。
患者を乗せたまま室内を移動できるようになっているのか、診察台を支える支柱の先には小さな車輪がついていた。
これなら一人でも診察台を動かすことが出来そうだ。

勢いをつけて頑丈な診察台をぶつければ、もしかするとあの扉を吹き飛ばすことも可能かもしれない。
このまま手をこまねいているよりは、と診察台に手をかける。
思い切り力を込めて押すと、台はゆっくりと動いた。

咲「……動いた……これをあの扉にぶつければ……!」

一人で動かせたことに勢いを得て、さらに力を込めて押す。
加速をかけ、それなりの勢いのついた台を思いきり扉にぶつける。

一度ぶつけたぐらいでは扉はびくともしない。
けれど何回か繰り返すうち、扉は少しづつへこんで変形し、壁の合わせ目に隙間ができる。
そのわずかな隙間に鉄製の棒を差し込むと、それをテコに体重をかけ、咲は扉を無理やりこじ開けた。



咲は物陰に身を隠し、警戒しながら廊下を進んだ。
走り続けた廊下の突き当り、曲がり角の手前で白衣姿の所員が数名床にのびているのが目に留まる。

シロ「ここにいたの」

ふいに聞こえてきた声に息を呑んで見やると、そこにシロが立っていた。

シロ「脱出するからついてきて」

咲「シロさんはどうしてここに?」

シロ「……あなたがこの場所にいると知って、来た」

咲「もしかして、私を助けようと……?」

シロ「………」

シロは何も答えなかったが、その沈黙が逆に咲の指摘が真実をついているのだと教えてくれる。

シロ「行くよ」

そっけなく言うと、シロは背を向けて歩き出す。
咲はあわててシロの後を追った。

726: ◆34iwA4dRok 2016/01/21(木) 18:45:36.87 ID:Q0DuC6kH0
この施設の出口らしきものが、長い廊下の果てに広がる正面ホールの奥に見えた。
ここまで誰にも出会うことなくたどり着けたことに、咲はほっと安堵の息をついた。
どうやらこのまま無事に施設を抜けることが出来そうだ。

先を走っていたシロが唐突に足を止めた。
遅れないよう懸命に走っていた咲は、シロの背にぶつかって止まった。
何があったのかと、シロの肩越しに向こうをうかがう。

シロ「……クロ」

咲「……!」

シロのつぶやきに、咲の背が凍る。
脱出まであと少しのところで、咲たちの前に最大の敵が立ちふさがったのだ。
クロは咲たちの進路を阻むように出口に続くホールの中央にたたずんでいた。

クロ「このまま咲さんをあなたに奪われるわけにはいきません。返してもらいましょう、シロ」

シロ「断る」

クロ「そう答えると思いました。では力づくで確保させてもらうのです」

掴んだ剣を軽々と振るうと、クロは一分の隙もなく正眼に構えた。

クロ「さあ、シロ。殺し合いましょう」

シロ「……あなたの望むように」

727: ◆34iwA4dRok 2016/01/21(木) 18:51:52.16 ID:Q0DuC6kH0
シロはクロから目を離さないまま、背にかばった咲の腕をうながすように後ろ手にとん、と叩いた。
彼女の横顔を見上げると、先に行け、というように小さく顎で出口を示す。
自分がクロを引き付けているうちに咲に逃げろと伝えているのだ。

クロ「……その言葉、咲さんの為なんですね」

冷たい怒りをたたえた眼差しが、ちらりと咲を見る。

咲「……!」

その眼に込められた強い憎しみに恐れを覚える。

クロ「シロの最優先事項は、いつだってあの人を守ること。私と戦う間に咲さんを逃がすつもりですね」

クロ「あなたには私と本気でやり合う気なんて初めからない。なら、その気にさせてみせるのです!」

言いざまクロは構えを解き、身を低くして走り出す。
身構えたシロに向かってではなく、出口に向かって。
驚く咲たちの目の前で、クロの華奢に見える指がドアの開閉を操作する配線板をたたき潰した。

咲「……!」

クロ「これでもう、咲さんの力ではドアを開けない。私を倒すしか道はなくなりましたね」

シロ「………」

クロ「それでいい。さあ、私と戦いなさい!」

クロが離れた距離を一気に詰める跳躍を見せたとき、シロは咲の肩を強く押して突き飛ばした。
床に転がった咲の視界に、クロの斬撃を構えた刀身で受け止めるシロの姿が飛び込む。

728: ◆34iwA4dRok 2016/01/21(木) 18:58:36.86 ID:Q0DuC6kH0
鋭い剣さばきで繰り出されるクロの攻撃を、シロはことごとく受け流し、打ち落としていく。
二人の少女の凄まじいぶつかり合いに圧倒され、咲は身動きも忘れてその光景に見入った。

クロ「――――あなたと刃を交わすこの瞬間だけが、生きていることを感じさせてくれる……」

クロ「私にはあなたを倒すことしか目的はない。だからシロ、あなたももっと強く私を憎むのです!」

殺意を込めてシロに打ちかかる、流血に酔うようなクロのその言葉と表情に、
咲は何故か言い知れぬ哀しみを覚える。

咲を逃すためクロの挑戦を避けずに受けたシロ。
シロとの命のやり取りに至上の喜びを愉しむクロ。

ふたりの争いを、ただ黙って見ているのは辛かった。


1、ふたりの争う姿を見たくない。止めに入る
2、止められない。黙って見ている

安価下

730: ◆34iwA4dRok 2016/01/21(木) 20:44:36.58 ID:Q0DuC6kH0
咲はたまらなくなって叫んだ。

咲「シロさん、クロさん!これ以上争うのはやめてください!二人のそんな姿、私は見たくないです!」

そう言って立ち上がると、咲は後先も考えずふたりの間に割って入った。
咲の行動にシロが驚愕の表情で剣を退く。

クロ「あなたは、また私の邪魔をするのですか……!」

怒りに燃えるクロの眼差しが咲を射る。
その視線の強さに思わず動けなくなった咲目がけて、クロは構えた刀身を鋭く繰り出した。

咲「……!」

刺される、と思った咲の身体を抱き寄せ、シロが腕の中に包み込む。
クロの剣先は、身体を張って咲をかばったシロの左脇腹に突き立った。

咲「シロさん……!」

しかしそれと同時に、シロが突き出した刀身がクロの鳩尾を貫く。
交差するように互いの身体を貫いた剣は、しかしほんの僅かだけシロの剣の方が速く深かった。
血をこぼれさせながら剣を退いたクロが傷ついた脇腹を片手で押さえたまま、よろめいて右ひざを床につく。

クロ「……っ!」

はっと顔を上げたクロの左肩を、シロの剣が貫いた。

クロ「くはっ……」

そのまま杭打つように貫いた身体を壁に縫い付け、シロはクロの動きを封じる。
衝撃でクロの手を離れた剣が音を立てて床に落ちた。
痛みに息を切らせながら、クロはシロを見上げて叫んだ。

クロ「なぜ止めを刺さないんですか、シロ!あなたはどこまでも私を侮るつもりですか!?」

クロ「あなたが本気で私を倒さない限りこの戦いは終わらない。私を止めたければ、その剣で私を討ちなさい!」

シロ「………」

731: ◆34iwA4dRok 2016/01/21(木) 20:50:48.48 ID:Q0DuC6kH0
クロの血を吐くような叫びに、シロはほんの一瞬苦しげな表情を浮かべた。
が、すぐそれは仮面じみた無表情の下に隠される。
クロには答えず、シロは広げた手のひらをクロの額に押し当てた。

クロ「あ……」

シロの触れた場所から力を奪われるように、クロの瞳が急速に光を失う。
クロの膝が、かくんと折れる。
シロが額に当てた手を離し、クロの肩を貫いた剣を抜くと、支えを失った身体はそのまま床に倒れ込む。
倒れ伏したクロのまぶたは固く閉ざされたまま、ぴくりとも動かない。

咲「クロさん……っ」

シロ「殺してはいない。動けないよう気を奪っただけ」

シロ「致命傷を喰らい、回復の力を奪われれば暫くの間は動くことが出来ない。今のうちにここを脱出する」

そう言って歩き始めたシロの横顔がやけに白いことに気づいて、咲は眉をひそめる。
背を向け、足早に出口に向かうシロの歩いた後に、床に点々とあざやかな血のしずくが落ちていく。

咲「!!シロさん、血が……」

あまりに平気そうに振る舞うのでつい失念していたが、シロも脇腹を刺されて傷を負っていたのだ。
傷の具合を確かめようと、咲はあわててシロの前に回り込んで足を止めさせる。
足を止める間にも着衣を伝って落ちる血と、服に染み込んだ血の色が広がっている。かなりの出血量だ。

咲「ひどい血です、早く手当しないと……!」

シロ「私に構わないでいい。急ごう」

服を掴んだ咲の手をそっと外すと、シロは再び足早に歩き始める。
それ以上、引き止めることも出来ず、咲も後を追う。
床に捺された血の跡を辿りながら、せめてこれ以上は傷ついたシロに負担をかけないよう、遅れないようにと急いだ。

732: ◆34iwA4dRok 2016/01/21(木) 20:55:06.23 ID:Q0DuC6kH0
建物を出た外は、咲の予想もしなかったような不思議な場所だった。
巨大な地下空洞の中心に建てられた建築物を抜け、迷路のごとく入り組んだ洞窟を、シロに導かれて走る。
どこまでも続く闇の中、シロの剣の仄かに光る輝きが灯り代わりとなって辺りを照らす。


這わないと進めない狭い横道を抜けると、少し広けた場所に出た。

シロ「ここは地上に続く洞窟のひとつ。先に登って。しんがりは私が務める」

果てしない暗渠がどこまでも続いているような坂道を、シロにうながされるまま咲は登り始める。
地上に着くことなど無いのでは、そう思わせるほど長い間続いた登坂の道もやがて終わりを告げる。
登りつめた坂は横穴の羨道に通じ、しばらくそこを進むとようやく羨道の突き当りにたどり着く。

シロ「この先が、地上への出口」

そう言ってシロが指さしたそこは、硬い石壁に四方を囲まれた狭い岩室の中だった。
シロは石壁の前に立ち、真っすぐ上に向け立てた剣を身体の前で両手に構え、祈るようにまぶたを閉ざす。

咲「あ……」

かけられた鍵がどこかで外れるような奇妙な感じがした。
石壁の平らかな面に亀裂が走り、からくり仕掛けが動くような音を立て、
四角くくり抜かれた岩肌が外側に倒れ込んでいく。

ようやく地下からの脱出を果たした。

733: ◆34iwA4dRok 2016/01/21(木) 21:04:07.24 ID:Q0DuC6kH0
すでに陽は落ち、夜空に浮かぶ月の輝きがしんと静まりかえった森の底を、
幾重にも重なり合う樹木の隙間からほんのり照らしている。

ほっと深呼吸を繰り返し、澄んだ夜気を味わっていた咲は、シロが黙ってこちらを見つめているのに気が付いた。
ふと思い出して制服のポケットから石を取り出し、本来の持ち主であるシロに差し出した。

シロ「あなたが求めるなら、石はあなたの助けとなる。石を手放さないで。これがあなたを守るだろうから」

シロは咲の手を取ると、手のひらに石を乗せた。
そして咲の手に石を握り込ませる。
シロの手は冷たかったが、その指先の感触はなぜか咲に嫌悪を与えない。
手はすぐに離されたが、シロの触れた肌に、その名残がいつまでも残された。

咲「この石には、どんな力が秘められているんですか?」

シロ「これはあなたの魂のうちに潜む力を操る触媒となる。大気中の気を集め、コントロールするものとして使われることが多い」

咲は石を再びポケットに仕舞った。

シロ「……あなたの家族は、今どうしているの」

咲「両親は……三年前に亡くなりました。今は姉と二人暮らしです」

シロ「あなたの親が本当の両親でないことを、あなたは知っているの?」

咲「……はい。先ほど聞かされました……」

シロ「あなたの家族が一族の関係者である確率は高い」

咲「……!」

シロ「始祖の贄であるあなたの身柄を、一族が全く無関係の者に託すとは考えにくい」

シロ「家族全員が関係者であるとは限らない。でも家族の誰かがそうである可能性は否定できない」

咲「……お姉ちゃんは……」

シロ「仮にあなたの姉は無関係だとしても、家には帰らない方がいい。姉を巻き込むことになるかも知れない」

咲「あ……」

734: ◆34iwA4dRok 2016/01/21(木) 21:14:57.25 ID:Q0DuC6kH0
シロ「あなたは始祖復活の鍵。あなたを捕らえようと一族も躍起になってる頃。家には戻らないで、身を隠した方がいい」

咲「そう、ですね……。でも、いったいどこへ……」

誰も巻き込んではならないと思えば、照も良子も頼ることは出来ない。
慣れない街では、ひとりで身を隠す場所のあてもない。

シロ「……私について来て」

途方に暮れる咲にそう告げると、シロは歩き始めた。
咲もあわてて後を追う。




咲「ここは……?」

シロに導かれてたどり着いたのは、未だ人の手のつかぬ深く古い森の一角だった。
不思議なほどに澄んだ空気のただよう、清らかで心癒される静けさに満ちた場所。

シロ「大地の力が今も残る、数少ない場所のひとつ」

咲「綺麗な場所ですね……」

素直に感嘆の思いを言葉に乗せると、シロを包む空気がふわりとやわらぐのが分かった。

咲「ここなら、安全なんですか?」

シロ「ここは石を置いて編まれた結界の中。一族もこの場所を見つけることは難しい」

735: ◆34iwA4dRok 2016/01/21(木) 21:28:44.01 ID:Q0DuC6kH0
かなりの樹齢を重ねていそうな大きな木の下に咲を招くと、シロはその根元に静かに腰を下ろした。
夜なのに少しも肌寒さを感じさせない。この場所が帯びた力のせいかも知れない。
咲もシロの隣にそっと腰を下ろした。

咲「シロさん、怪我は大丈夫ですか……?」

咲をかばって負った傷の具合を確かめようと伸ばした手を押しとどめ、シロが答える。

シロ「しばらく休めば癒える。私の身体はそういう風に出来ている」

そう言って木に背中をあずけ、シロはまぶたを閉ざした。
決して口にはしないが、先ほどの戦いで相当のダメージを受けたようだ。
白い横顔には隠しきれない疲労の色が伺える。

咲「何か私に出来る事はありませんか?」

シロ「あなたがそこに居れば、私はそれでいい」

咲「シロさん……」

シロ「あなたも休んで」

目を閉じ黙り込んで休むシロの姿は、野生の獣が傷を癒す為じっとうずくまって回復を待つ様子に似ている。
規則正しくなっていく呼吸を数えていると、先刻の言葉通りシロの体力が回復しているらしいことが分かった。

次第にゆるやかになる呼吸に、眠ったのかとシロをうかがう。
傷が元で熱が出ていないか確かめようと、咲はシロの額に手を当てる。
――――熱はないようだ。安堵に息をつく。

シロ「………」

シロの瞳がいつの間にか開き、咲を見つめていることに気が付いて、慌てて手を離した。
呼吸の触れ合うような至近距離で、ふたりは暫し無言のまま見つめ合った。

互いに目をそらすことなく、真っすぐ見つめ合ううちに、咲の胸に切ない思いがこみ上げる。
シロは多くを語らない。語らないまま、己が身を挺して咲を守ろうとする。
シロに訊ねたいことは山ほどあった。けれど心を見せない眼差しを前にすると、うまく言葉が浮かばない。

736: ◆34iwA4dRok 2016/01/21(木) 21:55:48.51 ID:Q0DuC6kH0
先に視線を外したのはシロの方だった。
目を伏せ、咲の瞳から目をそらしたシロがぽつりと訊ねる。

シロ「あなたは、眠らないの」

咲「……まだ眠る気にはなれないから……」

シロ「あなたを追う者がいるか気になるの?」

咲「……はい」

シロ「少し眠るといい。あなたの眠りは私が守る」

咲「シロさん……」

シロ「望むなら、一族を一人残らず滅ぼし尽くしてでもあなたを守るから。だから、安心して眠るといい」

恐ろく――――そしてひどく哀しい言葉だった。

咲「シロさん、あなたは本当は人を傷つけることを苦しいと思っている……?」

シロ「……なぜ、そんな風に思うの」

咲「シロさんはこれまで無駄な殺生をしていない。クロさんの事も……。戦いを望んでいるようには見えなかったから」

シロ「………」

咲を助けたあの時、シロの力はクロを上回っていた。
命を断とうと思えばシロにはそれが出来たはずだ。けれど彼女はそうしなかった。

咲のことも、そうだ。
直ちに贄の命を奪うことが、おそらく復活を妨げる最善の道だったはずなのに。
シロは咲に『次の満月まで待つ』と猶予を与えた。

咲「あなたの行動は、誰かの命を断つことを平気だと考える人の取る行動には思えません」

咲「本当は戦いの中で誰かの命を奪うことなんて、望んでいないんでしょう……?」

737: ◆34iwA4dRok 2016/01/21(木) 22:52:02.09 ID:Q0DuC6kH0
シロ「………私は代行者。始祖や一族たちと戦うことは、私が自ら望んで授かった使命。誰かに押し付けられた運命じゃない」

シロ「使命を果たすためなら、どれほど多くの命を狩ることになろうと構わない。そうして私は生きてきた。もはや何も感じない」

そう呟く声は、きっぱりと迷いのないものだった。
けれどその声の強さに反して、シロの眼差しに射した揺らぎに咲は気づいた。
シロの心に初めて触れた気がして、そこでようやくはっきりと悟った。

シロが冷たく静かな湖のような眼差しの底に、永きに渡る歳月の中に覚えた、
痛み、哀しみ、苦しみの全てを沈めてきたことを。
シロは何も感じない訳ではない。何も感じないよう、心の奥深くに思いを沈めているだけなのだ。
命を断つことに怯えれば、戦えなくなるから。

咲「……痛い、ですね……」

シロ「……!どこか傷めたの。傷を見せて」

咲がぽつりと漏らした呟きに、驚いた様子でシロが身を起こす。

咲「私じゃなく、シロさんが」

シロ「私が……?今はどこも痛まない」

咲「違います、身体の傷のことじゃなく……心のことです」

シロ「心―――…。痛みなんてない。私は何も感じない」

咲「自分では気づいていないんですね……。痛みを忘れて戦うことが、きっとあなたには必要だったんでしょう」

咲「でも、この痛みはきっと悪いものじゃないと思います。あなたの心が優しいことを感じられるから」

咲「迷いや情けを弱さと切り捨てないで。命を奪うことが平気だなんて、あなたには無理に思ってほしくないから」

シロ「……あなたは……」

驚いた顔で咲の言葉に聞き入っていたシロは、やがてかすかに微笑んた。

シロ「戦いには無用と多くの人が否定する弱さを、あなたは無駄なものじゃないと言うんだね……」

シロ「戦いを続ける長い年月の間に、私にそんな風に言ったのは……あなたが初めて」

やわらいだシロの表情に、咲の心もあたたかく解ける。
二人の間をおだやかな沈黙が包んだ。

741: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:17:30.74 ID:ZxQbp5CC0
互いの心が通じ合ったような雰囲気の中で、咲はずっと疑問に思っていたことを問うてみた。

咲「シロさんはなぜ、私を守ろうとするんですか?こんな……命を賭けて、傷ついてまで……」

シロ「……知りたいの?」

咲「はい……」

シロ「なら……手を出して」

シロの求めるまま、差し出した手のひらにシロの右手が重ねられる。
その指が咲の手を握りしめたとき、咲の脳裏に鮮明なヴィジョンが浮かんだ。


……
………
…………


シロも彼女も、共に今とは違う響きの名を持ち、すでに滅びて久しい時代の国で暮らしていた遥かな過去。
……これはあの頃のシロの記憶。しかし同時にこれは彼女自身の思い出。

豊潤な土と草の匂いに包まれ、なだらなか平野の広がる古の大河のほとり。
そこに大勢の人々が暮らす都市をはるかに見下ろし、彼女は供もなく佇んでいた。
その背中にシロは声かける。
振り返った彼女の顔は、こんな時だというのに穏やかだった。

シロ『あの存在の求めに応じて、あなたが自分の魂を捧げることに同意したと聞いた。……本気なの?』

静かにうなずく彼女に、シロは吐き捨てるように怒りの声を上げる。

シロ『馬鹿なことを……!自分たちを守る者を敵に引き渡すなんて、皆は何を考えてるの』

シロ『あなたも何故そんな申し出に同意したの。黙ってあいつに喰われてやるつもり?』

『私は自分があの存在に捧げられる時を狙い、あれを封じることを試みるつもり。皆もその提案に賛成し、彼女らの要求に従うと返答したの』

彼女のその言葉にシロは目を見開く。

742: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:22:50.71 ID:ZxQbp5CC0
シロ『確かにあなたの魂をもってすれば、あれを再び封じることも可能かもしれない』

シロ『でも、それじゃあなたの魂が永遠にあいつと共に時の彼方に縛られるということ』

シロ『あまりにあなたの犠牲が大きすぎる。あいつを縛るためあなたの魂を使うなんて、認めない』

それでも自分たちにはもはやその方法しか、敵を封じる手段は残されていない。
そのことはシロ自身が誰よりもよく分かっていた。
このままではあと数日のうちに、次元の彼方の牢獄から完全に脱した異界の化物がこの世界を貪り尽くしてしまう。

よみがえりを妨げ、倒すのは今しかない。けれど私たちには倒すすべがない。
かつてあの異形を封じの地に落とした高次の存在が自らに代わって戦わせるため、力の一部を分け与えた地上の存在……代行者。
代行者として不滅の命と人を超える力を授けられた、シロとその片割れ。ふたりの少女。
彼女らは敵を滅ぼす最後の希望となるはずだった。
共に力を合わせ、異形を倒すと誓った片割れがシロを裏切り、敵勢力に走りさえしなければ。

今のシロ一人の力では、あの圧倒的な存在を滅ぼすだけの力が足りない。
力を補うようなものがどうしても必要だ。
そして人々はその方法として、この地の守り人である彼女の魂を封じの要として捧げることに同意したのだ。

彼女も皆も、すでに最後の手段をとることを決めてしまっていた。時間が足りなかった。
あの残酷で強大な存在に、半身を失った今のシロが打ち勝つには絶対的に経験が足りない。
止めることが出来ない自分の無力さが、ただ悔しかった。

『あなた一人を、私のいなくなったこの地に残していかなければならない事だけが気がかり』

彼女はそうつぶやく。
代行者としての永きに渡る孤独で過酷な生を、シロはこれからただ独りで超えて行かねばならないのだろうから、と。
相変わらず人のことばかり気にかける彼女にシロの胸が苦しくなる。

743: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:26:16.71 ID:ZxQbp5CC0
『人々を守る身である私が、己の魂を賭けて使命を果たすことに後悔はない』

『けれど、私に仕えていたばかりに代行者として選ばれたあなたが、私は不憫でならない……』

穏やかで優しい、輝くような魂を持つ、この人。
この人を守ることを己の生涯の使命を定め、シロは代行者に志願した。
片割れも共に同じ思いを抱いていると考えていたが、それは違った。

信頼は最悪の形で裏切られた。
もっと早く片割れの心に気づいていれば、こんな事態にはならなかったのかも知れない。

シロ『あの子が私たちを裏切らなければ……』

『あの子を憎んではいけない。あの子にはあの子なりの理由があったんでしょう。人の心を他者が容易く推し測ることは出来ない』

シロ『あなたは、あの子が憎くないの……?』

『私は誰も恨んでいない。あの子も、人々も、そして……あの存在のことも』

シロ『あなたを人身御供に差し出す皆のことも、あなたの魂を望む化物のことも憎まないと言うの?……あなたらしい』

シロは彼女の横顔を見上げた。
人も、運命も、敵さえも攻めようとせず、いつもと変わりない穏やかな表情でいる彼女の姿に胸が痛む。

シロ『……私がもっと強ければ、あなたを犠牲にする必要なんてなかった』

俯いて唇を噛みしめるシロの肩に、彼女はそっと手を置いた。

『あなたがいつか、あれの元から私を救ってくれるのでしょう?』

彼女の言葉に、シロははっと顔を上げる。
こちらを見つめる彼女の瞳には、本心からシロを信じる想いが見てとれる。

シロ『――――必ず助ける。あなたを縛るものから、いつか必ず私が。どれほど時が過ぎようと、あなたの魂を解放してみせる』

シロの力強い言葉に、彼女は静かに微笑んだ。
彼女との誓いを果たすため、シロはこの日より永く果てしない孤独の日々を独り乗り越えていくことになる。


始祖は彼女の魂を捕らえたまま、この世界から封じの地へと再び放逐された。
しかし彼女が命を賭けて守ろうとした人々と都市は、始祖の強大な力の前に、シロを残してあえなく滅び去った。
ただ一人生き延びたシロは、始祖とその一族を追い求め時代を駆け抜け続ける。

そうして今、シロは思いがけず彼女の魂にめぐり逢うこととなる。
始祖に捧げる贄として――――

744: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:30:07.20 ID:ZxQbp5CC0

――――――――――

咲が永い眠りから醒めると、目の前にはシロがいた。
かなりの時間が経ったように思えたが、月の位置は変わらず、夜もいまだ明けてはいない。
シロの記憶に引き込まれてより、さほど時は過ぎていないらしいことが分かる。

咲「……シロさんは、私が彼女の魂を持っていると……?」

シロ「………」

咲「違う、私じゃない。私はあなたのことを何も知らない」

シロが彼女に向けた尊敬と親愛に満ちた眼差し。
咲は自分がシロの心に秘められていたあの想いに見合うだけの存在であると、とても思えない。

咲「違います……」

弱弱しく否定する咲を見つめ、シロが不意に微笑んだ。

シロ「――――初めは分からなかった。あなたから一族の匂いを誰より強く感じた上、魂の輝きが彼女のものより弱かったから」

シロ「でもそれは計略だった。作り上げた贄の器に彼女の魂を封じて力を奪い、それを貪ることによって新たな力を得ようとする始祖の」

シロ「今は抑えつけられ、輝きも曇らされてるけど、それでもあなたの魂の本質は変わらない。あなたは間違いなく彼女の魂を持つ者」

咲「……でも私は、何も覚えていません」

シロ「記憶がなくても構わない。私はあなたを守る」

咲「それは彼女と交わした昔の誓いを果たすため?そのためだけにあなたは私を守るんですか?」

シロが助けてくれたことが嬉しかったが、彼女にとってそれは昔の誓いに縛られての行為だったのか。
別の人の身代わりに咲を助けているに過ぎないと、シロにそう告げられたように思えて胸が痛みを覚える。

シロ「初めはそれだけのつもりだった。今のあなたがどんな人であるかに関わりなく、あの人の魂だから守ると」

咲「………」

シロ「でも、あなたを知るうちに悟った。あなたの魂は確かにあの人のものだけど、あなたはあの人とは違う」

シロ「魂は同じでも、記憶がなければ全くの別人だと」

咲「……私は、シロさんをがっかりさせてしまったんでしょうか」

シロ「いえ、その事実は私にとって辛いことではなかった」

咲「え……?」

745: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:36:16.66 ID:ZxQbp5CC0
シロ「あなたは私が『痛い』のだと言った。あの人を失った時、私の心はどこかが死んだ。痛みを感じることも忘れてしまった」

シロ「……そう思ってた。でも私は自分の抱える感情をただ忘れようとしていただけだったのかも知れない」

咲「シロさん……」

シロ「あなたに言われて思い出した……痛みというものを。これが、生きているということ……」

シロ「宮永咲、私の痛みに気づいたのは他でもない、あなた。今は誓いのことが無くてもあなたを守りたいと思う」

シロ「彼女だからではなく、あなただから守りたい、と」

咲に向けられた曇りのないシロの眼差しは、包み隠すことない真摯な想いを伝えていた。
咲を守るというシロの言葉に偽りはない。
咲は誰より何よりも、この迷いのない瞳の持ち主を信じたいと思った。

咲「……ありがとうございます、シロさん」

咲の言葉に、シロは静かな微笑を返す。

シロ「少し眠った方がいい。明日のために」

咲「シロさんも疲れてるんでしょう?ここが安全だというなら、一緒に休みましょう」

シロ「私はいい。眠くないから」

咲「眠れないんですか?」

シロ「………」

咲は手を伸ばし、シロの頭を自分の肩の上に乗せた。

咲「お姉ちゃんにこうしてもらうと、悪い夢にうなされて目覚めた夜も安心して眠れました。これならシロさんも眠れますか……?」

一瞬離れようと動きかけたシロは、暫くためらった後、そのままじっと動かなくなった。
咲も静かに目を閉じる。
やがて間もなく眠りが咲の上に訪れた。

746: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:39:07.72 ID:ZxQbp5CC0

……
………
…………

白い闇が、彼女を包んでいた。


――――汝、気高き魂の者よ。
汝を我が物とし、我は蘇る。
汝の魂、我が力となりて、我と共に悠久の時を生きるものなり――――

――――来よ、我が贄よ。
我が手が汝の身に与える悦楽のうちに酔いて溺れるがいい。
輝かしき汝の身も心も、我のもの――――

『私の身を求めるのね、異形の力強き獣。でもこの身も魂も、むざとあなたにはやれない』

――――汝は我にその身を捧げる為、我が封土へと参じたのではないのか――――

『私の魂は、あなたの支配を受けることを拒む。たとえ刺し違えようとも、争う道を選ぶ』

――――我を封じると言うか――――

始祖の侮るような気配にも動じることなく、彼女は静かに瞳を閉ざす。
そして己の魂を鍵として、始祖の身と魂を深淵の地に縛す封じの呪を、祈りを込めて唱え始めた。

――――止めよ、我が寵を受けしもの。
汝が望むなら、我は汝にあらゆる悦びと力を与えるつもりであったものを――――

どのような言葉も、決して彼女の意思を揺るがせることはない。
編まれた呪は光の檻となって始祖を縛り、這い出ようとしたはずの深淵に、再び始祖の身を押し返す。

――――されば汝、我と共に、闇に堕ちよ。
時到るまで、我が手中にてあらゆる手を尽くし、汝の魂を弄ばん。
汝が自ら乞いて、我に従うその日まで、汝の魂に解放の刻はあらず――――

残酷な始祖の宣言が無慈悲な白い腕となって、彼女の魂へと伸びる。
始祖の腕に囚われた最期の瞬間。
ただひとつ心に浮かんだのは、彼女を救うと誓った少女の真摯な眼差しだった……

747: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:40:30.30 ID:ZxQbp5CC0
……あの眼差しに再びめぐり逢う日が訪れることを祈りながら、夢から醒めた。
目を開けるとそこにはシロの瞳があった。
相変わらずの冷たく澄んだ無表情が、息の触れ合う至近距離に迫り、咲は息を呑む。

咲「……!」

シロ「……起きたの」

素っ気なくつぶやいて、シロは咲から身を離す。

咲「何かあったんですか?」

シロ「……あなた、ずいぶんとうなされてた」

咲「あ……」

だから心配した、とシロは口にしなかった。
けれど心を知った今だからこそ気づくことの出来る感情の動きをシロの瞳の中に見つけた。
咲を案じる気遣いの色に、くすぐったいような暖かさを覚える。

咲「大丈夫です。シロさんがそばにいてくれたから」

咲が微笑みかけると、シロはまぶしいような表情で目をそらした。




シロが用意してくれた簡素な食事を済ませた後。
咲はシロに問いかけた。

咲「これから、どうするつもりなんですか?」

シロ「私の成すべき使命を果たしに行く。――――始祖を倒す」

咲「……!」

748: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:42:29.25 ID:ZxQbp5CC0
シロ「あなたの魂を未来永劫解放するには、あの存在を完全に消滅させるしかない」

シロ「復活の儀式が行われる祭祀の場はすでに分かっている。そこに潜入し、蘇った始祖を討つ」

咲「でも、危険なんじゃ……」

シロ「かつてとは違う。戦いの経験を重ね、代行者として私は力をつけた。始祖は必ず私が倒す。あなたはここに隠れていて」

咲「あなたを危険な目に遭わせて、私だけ安全なところにですか?そんなの……」

シロ「始祖を討つことは私に与えられた使命。あなたが責任を感じる必要はない」

咲「……私も連れていってください」

シロ「駄目。危険すぎる」

咲「足手まといかも知れません。でも私に出来ることがほんの僅かでもあるのなら、あなたと共に行きたい」

咲「たとえ囮としてでもいい、シロさんの役に立ちたいんです」

シロ「……それは……」

咲「ただ守られて、危険が去るのを待っているだけなんてそんなの嫌です。お願いします、シロさん!」

シロ「………」

 

750:  2016/01/24(日) 19:45:56.43 ID:ZxQbp5CC0
咲の決意のほどを見て取ったのか、シロは目を伏せ呟いた。

シロ「……分かった、あなたを一人にするのは危険かも知れない。そばにいれば守れる……私から離れないで」

咲「分かりました。決して離れません」

シロ「宮永咲、あなたは……」

咲の名をいつまでもフルネームで呼ぶシロのぎこちない生真面目さに、咲は思わず微笑んだ。

シロ「……どうしたの?」

咲「咲で、いいです」

シロ「……?」

戸惑ったように口をつぐんだシロに、咲は笑顔で返す。

咲「あなたには、名前で呼んでほしいです」

シロ「……サ、キ……。咲……」

咲「よろしくお願いします、シロさん」

シロ「分かった……咲」

困ったようなぎこちないシロの反応がおかしくて、咲はまた少し笑った。

751: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:48:15.18 ID:ZxQbp5CC0
咲「あの、出かける前にひとつだけいいですか?」

シロ「何?言ってみて」

咲「お姉ちゃんに連絡したいんです」

シロ「あなたの姉に……」

咲「お姉ちゃん、きっと心配してます。会えないならせめて私の無事だけでも知らせたいんです」

シロ「……分かった。あなたの望むように」

シロの承諾を得て、咲は制服のポケットから携帯を取り出す。
数回の短いコールが続いた後、息せき切った姉の声が携帯の向こうから響いた。

照『――――咲!』

咲「お姉ちゃん、あの……」

照『咲、無事だったの!?今どこから掛けてるの!?』

咲「心配かけてごめんなさい、ずっと連絡取れない状態で……とにかく、私は無事だから」

照『どういうこと?お前が事故に遭って病院に運び込まれたって、ついさっき連絡があったのに』

咲「え……?」

照『私はこれから病院に向かおうと家を出るところだった。なのにその咲から連絡があるなんて……どういうことなの?』

咲「……!行っちゃ駄目、お姉ちゃん!それは罠だよ!」

一族は咲に対する人質として照の身柄を押さえようと考えたのだろうか。
嘘の情報で照をおびき寄せ、姉を捕らえようと画策したのか。

照『罠?何のことなの、咲?』

咲「とにかく行っちゃ駄目!私は無事だから!」

咲は切羽詰まった早口で、シロに姉の状況を伝えた。

咲「このままじゃお姉ちゃんが危ないんです!」

シロ「……仕方ない。ここの場所をあなたの姉に伝えて」

咲「お姉ちゃん、今から言う場所に急いで来て」

携帯を固く握り締め、咲はこの場所までの道のりをシロの語るまま姉に伝えた。

752: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:51:12.13 ID:ZxQbp5CC0

――――――――――

照「咲……!」

咲「お姉ちゃん、ここだよ!」

車から降りた照に、咲は大きく手を振って居場所を知らせる。
声に振り返った照は、咲の隣にたたずむシロに視線を合わせ、眉を寄せた。

照「……彼女は?」

咲「私を助けてくれたシロさんだよ。シロさん、紹介します。私の姉の……」

姉の許に駆け寄ろうとする咲を手で制し、鋭い眼差しを細めてシロは照を検分するように見た。

シロ「……。あなたの姉からは一族の血を感じない」

咲「良かった……」

シロがさえぎる手を降ろしたので、咲は迷いなく照のそばに駆け寄った。

照「咲、電話ではよく分からなかったんだけど……いったい昨日は何があったの?」

咲の身体を両腕に受け止め、怪我したところは無いか、ひと通り探るように咲の全身を確かめる。
妹がまったくの無傷だと悟ると、ようやく照は安心したように笑顔を見せた。

照「何があったのかと、昨夜は気が気じゃなかったよ」

咲「ごめんなさい。沢山のことがありすぎて……」

照「とにかく、一度家に帰ろう。良子さんも心配してる」

咲「駄目なの、お姉ちゃん。私がお姉ちゃんのそばにいたら危険に晒してしまうから、まだ戻れないの」

照「どうして?」

咲「今夜だけは、駄目なの。明日になれば帰るから。だから……」

照「……明日では遅いんだよ、咲。今夜でなければ」

咲「え……?」

753: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:53:31.85 ID:ZxQbp5CC0
その声の中にこれまで感じたことのない違和感を覚えて、咲が顔を上げたその時。
照の手のひらに出現したモノが何なのか、にわかに理解できず咲の思考が凍り付く。
……黒く鈍色に光る、両刃の剣だった。

シロ「……おまえは!」

目を見張ったシロに向けて、照は手にした剣を瞬時に構える。
そして驚くほど鋭い動きでそれを投げつけた。
瞬きするほどの間の出来事だった。

あのシロが一歩も動くことの叶わぬ速さで剣は一筋の線となって走り、
その刀身は狙い違わずシロの胸を貫いた。

シロ「く……は……」

衝撃に弾き飛ばされたシロの身体は大きく空に枝を広げる木の幹に、
身をかばうことも出来ず背中から叩きつけられる。

咲「――――!」

何が起きたのか分からず、ただ声にならない悲鳴を上げる咲の身体を照が強い力で引き寄せた。
バランスを崩し、腕の中に倒れ込む咲の身体を照は優しく受け止める。
抱き寄せた咲の耳に唇を寄せ、照がそっと囁く。

照「吸血鬼を殺すには、ハシバミの木の杭。では不滅の代行者を滅ぼすには何が必要だと思う?」

咲「おねえ……ちゃ……」

照「苦しい?代行者。不死の者といえど痛みはあるようだからね」

照の言葉が意味するものを、咲の凍り付いた脳が次第にしみ通るように理解していく。
凄まじい力でシロを貫いた剣は、そのまま背後の木の幹にシロの身体を縫い付ける形になっている。
木に背をもたせかけ、倒れ込んだ姿勢のままシロは立ち上がることも出来ず、無言で苦痛に耐えている。

身体を貫く剣を引き抜こうと、胸に生えた柄頭に手を伸ばしたシロはそこで動きを止めた。
シロの顔色がこれまで見たこともないほど血の気を失っている。

シロ「……これ、は……」

照「力が入らないでしょう、代行者。今のお前にその剣を抜くことは出来ない」

咲「お姉ちゃん、シロさんに何を……!?」

754: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:55:37.33 ID:ZxQbp5CC0
照「その剣は始祖が遥か昔に代行者を倒すべく、力を秘めた石から造り出した物」

照「かつてこの地上に栄え、やがて始祖によって滅ぼされた古代都市の地下遺跡から発掘された」

シロ「……!」

照「その石を介して力が失われていくのが分かるでしょう?その剣は、石の持つ光の力を吸収する性質を逆利用させてもらったもの」

照「お前たち代行者の持つ剣には及ばずとも、お前の動きを僅かの間封じる程度の用は足りる」

照「残念だったね、代行者。咲は返してもらう。今夜の儀式に咲は欠かせない存在だから」

シロを代行者と呼ぶ姉の冷徹な横顔を見上げ、咲は唇を震わせた。
始祖の名を呼び、ためらうことなくシロを傷つけた照。
咲を今夜の儀式に欠かせない存在と断じた照。
では、それでは姉は……

咲「……お姉……ちゃん……」

かすれた呼び声に照が振り向く。その顔はいつもの優しい姉のものだった。
けれど咲にはもう、この人を味方と思うことは出来なかった。

咲「お姉ちゃんは、一族の人間だったんだね……!」

力いっぱい胸を突き飛ばして、咲は照の腕から逃れた。

照「……その通りだよ、咲。私は一族の血をひく者のひとり」

シロ「なぜ、お前はその気配を断っていられたの。お前からは確かに一族の匂いを感じなかった。けど今は……」

照「私は歴代の一族の中でも、特に強い始祖の力を備えて生まれた。ほんの一時であれば代行者を謀ることも可能な程に、ね」

シロ「あなたの持つ、その力の強さ……。あなたはもしや、長……!?」

照「そう。私は一族を統べる者。始祖の意思の許、一族を導く存在」

咲「お姉ちゃんが……」

755: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 19:57:37.41 ID:ZxQbp5CC0
ふと、その時になって初めて森の様子がおかしいことに気が付いた。
森のそこかしこに溢れていた鳥や虫、小動物の気配がきれいに消えている。
代わりにあたりを包むのは、異形の獣のあかく飢えた視線と荒ぶる無数の息遣い。

いつの間にか森は我が物顔に這い回る眷属に侵され、異端の存在に怯えた小動物は皆、森のどこかに身を潜めてしまっていた。
そしてその眷属達を支配下に置くのは、咲が今日まで姉と慕ったこの目の前の人物なのか――――

照「一族を代表する者として、我らを脅かす代行者の存在を見過ごすことは出来ない」

照「代行者、あなたにはここで退場してもらう。この先の舞台にあなたという役者は必要ない」

シロ「……私をそう簡単に退けることは出来ない」

照「自分は不滅の存在だから……という訳ね。死なない、いや死ねないというのは、時に残酷なものだね」

照「それは、苦しみが終わりなく続くことを意味するのだから」

抵抗を封じられ、動けないシロのそばに照がゆっくりと近づく。

咲「……!」


1、いう事を聞くから、この人に手を出さないで!
2、身体を張って姉を止める
3、何も見たくない。顔を伏せる

安価下

757: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 21:07:40.10 ID:ZxQbp5CC0
咲「止めて、お姉ちゃん!いう事を聞くから、この人に手を出さないで!」

シロ「私のことはいい、あなたは逃げて!」

照「……この女のために私に従うと言うの?」

咲「儀式には私がいればいいんでしょう?お姉ちゃんの望み通りに何でもする。だからシロさんをこれ以上傷つけないで……」

照「………」

照の靴が砂利を踏んで、苛立ったような音を立てた。
それほど大きな音でもなかったのに、すくみ上がった咲の心臓はその音に激しく反応して早鐘を打ち始める。
急に興味を失ったようにシロに背を向けた照が、咲へと向かっていく。

照「何でもする……?なら、その通りにしてもらおう」

姉の指が咲の腕を捕らえ、力任せに引き寄せた。
必死に抗う咲を背中から抱き込むと、もがく咲の髪をわし掴みにし、顎をのけぞらせた。
咲の白い喉が姉の前に無防備にさらされる。照はその首筋に唇を寄せると、肌に軽く歯を立てた。

咲「あ……!」

やわらかい喉を喰い破られそうな恐れに、咲の身体がすくむ。
その怯えを愉しむのか、照は咲の肌に唇を寄せたまま含み笑いを漏らしてささやく。

照「何でもするんでしょう、咲。それなら私をお前の反応で愉しませて」

抱き込んだ身体に、シロに見せつけるように指を這わせ、照の舌が首筋から頬を伝い、耳を噛む。

咲「……ふ……」

恐れとは違う何かが、咲の背にぞくりと震えを走らせる。

照「考えたことはない?代行者。永きに渡る虜囚の日々に、始祖に囚われた彼女がどんな目に遭わされて来たか」

シロ「……!」

照「汚れない魂をあらゆる手管で貶め、苛み、穢す。そんな風にとらえた獲物を愉しみながら、無為の日々、始祖は渇きを癒してきた」

照「……咲、思い出してごらん」

姉のささやきに、咲はびくりと身体をすくませる。

758: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 21:15:16.86 ID:ZxQbp5CC0
照「お前の魂は覚えているはず。あの日々を」

やわらかく耳に歯を立てられる。

照「お前に触れた、あの指を」

制服の裾をまくりあげ、指がゆっくりと肌を這う。

照「お前の魂に刻み込まれた、あの悦楽を」

熱い唇に、痛いくらい強く肌を吸い上げられて体が震える。

照「思い出してごらん……」

咲「……やめて、お姉ちゃん……」

姉の言葉によって、魂の深いところから静かに浮上してくるものがある。
それは今の咲には憶えのないはずの記憶。囚われ続けた魂の記憶。

咲「嫌……私はこんなの、知らない……!」

照「お前は今も変わらず私のもの。忘れることなど許さない」

シロ「――――彼女を離して!」

咲に対する照の仕打ちに耐えかねたように、シロが懸命に身をよじる。
残された最後の力をしぼり、シロは強引に身を起こした。
胸を貫かれた状態のまま、半ば身を千切る勢いで幹に食い込む刀身を身体ごと引き抜く。

シロ「く……!」

あまりの激痛からか、シロは何とか自由を取り戻した膝を折ってうずくまる。
が、一瞬後には立ち上がり大きく地面を蹴った。
シロは咲たちの頭上を越え、その背後に降り立つと、照の足首を刈るように低く鋭い蹴りを放つ。
その攻撃を避けようと、身をかわした照の腕から咲を捕らえる力がゆるむ。

シロ「……こっち」

シロに呼ばれ、まろぶように咲は照の腕を逃れる。
半ば倒れ込むように駆け寄った咲の身体を抱え、シロは再び大きく跳躍した。

照「……驚いた、その身体でまだ動けるの……」

姉の感嘆したような声が、風に巻かれて遠くなる。

シロ「息を止めて」

担がれた耳元にシロの声が小さくささやきかける。
何故と問い返すこともなく、咲は大きく吸い込んだ息を止めた。
自由落下の感覚とともに咲の眼前に水面が迫る。
シロが飛び降りたそこは渓谷の間を流れる川面が大きく広がっていた。

派手な水柱を上げ、シロに抱えられた状態のまま咲の身体は水中に没した。

759: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 21:20:39.51 ID:ZxQbp5CC0
……どれくらい下流に流されただろうか。
気が付けば、流れのゆるやかになった浅瀬に二人は流れ着いていた。

シロは、と見れば咲の身体を離さないよう強く抱え込んだまま気を失ったようだ。
彼女の胸には刀身が痛々しく突き立ったままだ。
シロの周囲の水が血の色に濁っている。このままでは血は止まらない。
力尽きて意識のないシロの身体を、咲は懸命に岸に引き上げた。

渇いた下草の上にシロの身体を横たえ、咲は荒い息をついて汗をぬぐった。
冷たい唇にそっと指を増れて確かめると、シロが微かに呼吸を繰り返しているのが分かる。

シロ「……咲、怪我はない?」

声に弾かれたように顔を上げると、固く閉ざされていたシロの瞼が開かれ、こちらを見ていた。
自分の方がよほどひどい状態なのに、先に咲の安否を確かめるシロにかすかな苛立ちを覚える。

咲「私は大丈夫です。シロさんの方がずっとひどい怪我……」

シロ「私なら問題ない。私の身体はどんな深い傷も、時間が経てばいずれ回復する」

咲「でも痛みはあります。あなたの身体は機械じゃない。無茶ばかりしないで、もう少し自分の身体を労わることを考えてください」

シロ「………」

咲「シロさん……?どうかしましたか?」

シロ「そんな風に言われるのは、ずいぶん久しぶりのことだと思って。……心配かけたね」

咲「……シロさん……」

シロ「咲、剣を抜いてほしい。私ひとりの力では、この剣を抜くことは出来ない」

咲「で、でも……」

このまま剣を引き抜けば、今は刃先でせき止められている傷口が開いて大量の出血が起こるだろう。
一度にあまりに多くの血が失われれば、いかなシロといえど、ただでは済まないのではないか。
ためらう咲の腕を掴んで、シロはきっぱりと言った。

シロ「構わない。抜いて」

咲「……分かりました」

息を呑んで覚悟を決めると、緊張に震える指を柄に添え、シロの胸に生えた剣を一息に抜いた。
血を吸って濡れ光る刃が抜かれた瞬間、大きくシロが咳き込んだ。
両手に抱えた血塗られた剣を川面に放って沈めると、咲はシロの傍らにしゃがみ込む。

肺をやられたのだろうか。咳き込むシロの口元から鮮やかな色の血が零れ落ちる。
昨夜の比ではない量の出血に、見ている咲の方がめまいを起こしそうになる。
何か止血するための者が必要だったが、身一つで逃亡を続ける二人の手元には応急処置のための布一枚すらない。
せめて新たな血が流れるのだけでも抑えようと、そっと押し当てた咲のハンカチが見る見る赤く染め上がる。

760: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 21:27:28.33 ID:ZxQbp5CC0
咲「血が……まだ止まらない……」

シロ「剣さえ抜けば、時間はかかるけど後は何とか回復する。でも私はまだしばらく動けない。咲は一人で逃げて」

咲「シロさんを置いて逃げるなんて出来ません」

シロ「私に構わないでいい。行って」

咲「そんなこと出来ません!私のせいで、こんなに傷ついてしまったシロさんを置いて逃げるなんて嫌です!」

咲「シロさんのために、私は何も出来ないかも知れない。でも、せめてそばにいさせてください」

シロ「あなたは私の行為に恩義を感じる必要はない。あなたを守るのは、私が勝手にしていること」

シロ「たとえ私が戦いに敗れても、そのことであなたが思い悩む必要なんてない」

咲「シロさん、あなたは……もしかして私のために命を落としても構わないつもりでいるんですか……?」

シロ「あなたを守ることが出来るなら、死もいとわない」

咲「そんな勝手なこと言わないでください!シロさんの犠牲で助かったとしても、私は嬉しくありません!」

咲「私を助けることだけ優先させないで、あなたが生き延びる事を第一に考えてください……!」

シロ「……あなたは……。あの人と同じようで、やはり違う」

咲「違うと辛いですか?」

シロ「いや、違うことを今は心地良いと思う」

咲「シロさん……」

シロ「咲、肩を貸して。諦めるつもりが無いのなら動こう。間もなくここに追ってがかかる。その前に移動しなければ」

咲「……はい!」

よろめきながら立ち上がったシロに肩を貸し、少しでも回復までの時間を稼ごうと、
二人は頼りない逃亡の歩みを開始した。

761: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 21:33:19.93 ID:ZxQbp5CC0
思ったよりあの剣に与えられたダメージは大きいのか、シロの傷はなかなか回復しない。
時間は刻一刻と過ぎ、追手の気配はもう間近に迫っている。

シロ「私がここで追手を引き付ける。その間に咲は逃げて」

咲「……いえ、私が追手を引き付けます。だからシロさんはここで傷を癒してください」

シロ「!!私のことはいい。あなたが危険を侵す必要はない」

咲「もしかすると、眷属は私の血に惹かれて追ってくるんじゃないですか……?」

シロ「………」

咲「私がいなければシロさんは見つからないかも知れないんですね」

咲「……私ひとりなら、捕まってもすぐに殺されることはないでしょう。私は贄として儀式に必要だから」

咲「けど、シロさんは違う。次に捕まったら、きっと……。私はあなたに逃げ延びてほしいんです」

シロ「咲……」

咲「今まで、守ってくれてありがとうございました。……あなたはもう充分に約束を果たしたと思います」

咲「そんなになるまでシロさんは私を守ってくれた。だから今度は私があなたを守る番です。逃げ延びてください、シロさん」

シロ「止めて……!」

引き止めようと伸ばされた手をすり抜け、咲はシロをその場に残したまま岩陰から走り出た。
出来る限りシロの潜む場所から離れようと、足場の悪い岩場を乗り越え、精一杯の速さで駆ける。


手のひらや指先が切れるのも構わず、岩に取りつき荒れた鋭い岩肌を夢中でつかむ。
転んでもすぐに立ち上がり、ひたすら走り続ける。
少しでもシロから遠くへ。

762: ◆34iwA4dRok 2016/01/24(日) 21:39:38.25 ID:ZxQbp5CC0
血の匂いに誘われたのか、咲を追う気配が迫る。
全速力で走り続けたせいで、肺が灼けつくように熱くて息が苦しい。
心臓が破れそうなほど鼓動を打つ。

次第に数を増し、ひしひしと迫る獣の気配。
咲はただ息を切らせ、重くなる足を前へ前へと動かし続ける。

――――気が付けば、四方を気配に囲まれていた。
葉陰に光るあかい無数の目が咲を取り囲んでいる。もうどこにも逃げ場はない。
咲は両手を地面について、その場にうずくまった。

荒い息をつく咲の前に、砂利を踏む靴音が近づく。
喉をあえがせ顔を上げると、冷たい目を細めた照が咲を見下ろしていた。

照「お帰り、咲。鬼ごっこはもうお終い?」

咲「……お姉ちゃん……」

照「お遊びはここまでだよ。お前はあの女のために良く頑張った。もう充分でしょう?」

立ち上がることも出来ない咲の前にしゃがみ込むと、照は咲の顎をつかみ上げた。

照「儀式の刻まで、今しばらくお休み……咲」

姉の声が優しくささやきかけ、その指が額に触れた瞬間。
軽い衝撃とともに視界が暗くなる。

まもなく咲の意識は、底の見えない暗闇へと滑り落ちた――――



768: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 18:52:56.71 ID:JeakiW2P0

――――――――――

強く、弱く。遠く、近く。
寄せては返すさざ波のようなリズムで繰り返される、不可思議な響きの詠唱が耳をくすぐる。
聞き覚えのないその響きが、封じられた存在をこの世界に招く謡いであると、何故か分かった。
詠唱と儀式により活性化され、変質した場に満ちた力の源が始祖のむき出しの魂に触れ、目覚めをうながす。


咲「……ん……」

重いまぶたを開いて咲が目覚めると、辺りに人の気配はなかった。
動こうとして、自分が囚われの身になっていることに気づいた。
咲の手首は高く掲げられた状態で、黒い石柱に固く紐で縛りつけられている。

自由になるのは視線くらいなものだったが、それも縛られた腕が邪魔をして動かせる範囲は限られていた。
紐を解こうと身をよじったが、きつく縛られているため解くことが出来ない。
手首を紐が擦る動きに痛みを感じてしばし息を詰める。
かすかな体のうずきと喉の渇きを覚えて、咲は熱をはらんだ吐息をついた。

クロ「意識が戻ったようですね。夢うつつのままでいれば辛いこともなかったでしょうに」

咲「……!」

驚いて視線を上げると、いつの間にかその場に現れたクロが優しく微笑みかけた。

クロ「ほら、その眼でしかと見てください……あの姿を」

クロの指先の示すままに顔を上げ目を凝らすと、光の紗の向こうに何かが見えた。
銀色の長い髪、美しく整った顔立ちの女性。……いや、女性に見える両性具有の存在。
一見人と変わらぬ姿かたちだが、その背に生えた翼が、この存在が人ではありえないことを物語っていた。

咲「……あれは……天使……?」

クロ「いいえ―――――翼持つ邪神。一族の崇める存在である、始祖のお姿です」

眼前に輝きそびえ立つ、青白く澄んだ結晶のオブジェを見上げ、咲は呆然とつぶやく。

咲「あれが……始祖……」

琥珀の中に封じ込められた蝶のように、
澄んだ氷塊のなか刻を止め、凍りついて動かぬその姿は命あるようには見えない。

769: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 18:54:27.07 ID:ceKfBPIL0
クロ「召喚の詠唱が始祖の許に届く頃、月はちょうどこの真上に達する。その時この世界と始祖の封じられた地が完全に重なります」

クロ「ほんの束の間ですが、始祖は縛を解かれ、この場に満ちた力が始祖の身をこの世界に実体化させる」

クロ「そのわずかな刻限に始祖はあなたと交わり、力を得るのです。ああ、その瞬間が待ち遠しい……ねえ、長」

クロの言葉に咲の身体か強張る。
こちらにゆっくりと近づくその姿を、咲の瞳はしっかりと捉えてしまう。
この期に及んでも信じたくはなかった。
姉の照が、咲を贄にと望んだ一族の長であるということを。

照「咲……」

咲「……お姉ちゃん」

照は光の乱舞する円陣にためらうことなく足を踏み入れ、咲の顔を覗き込んだ。
頬に伸ばした指先で触れながら、照は穏やかに語りかける。

照「咲、お前が私に逆らうことなく黙って従いさえすれば、ずっとお前を守ってやれる」

照「心も身体も、何もかも私に捧げること。そうすれば楽になれる。お前は私に庇護を離れては生きていけない」

照「受け入れなさい、咲。私の支配を」

咲「お姉……ちゃん……」

照の指が咲の顎を捉えたその時。

遠くで鈍い爆発音と、空気を揺すぶり震わせる振動が起きた。
同時にこの儀式の場を照らす証明が、一瞬暗くなる。

照「―――――何事?」

『侵入者です!』

照の問いかけに直ちに反応し、マイクの声が答えた。

770: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 18:55:18.38 ID:ceKfBPIL0
『侵入者は施設内の各所に爆発物を仕掛けた模様。警備班が侵入者の行方を追っています』

『爆破による指揮系統の分断と、消火活動の優先により現在、侵入者を捕らえることが困難な状況です』

クロ「……やはり来ましたね、シロ。一族の初代との盟約通りシロは私が討ちます。あなたは手を出さないでください」

照「好きにして。あれのことはあなたに一存してある。儀式が終わるまで足止めできればそれで良い」

クロ「……決着をつけます。永きに渡った因縁も今日限りにしたいと思いますので」

伸ばした右手の先に白く輝く剣を出現させると、クロはそれを鋭く振るって風を斬った。
儀式の間を閉ざしていたぶ厚いドアが外から二つに裂かれて倒れた。
クロと同じく剣を構え、斬り捨てたドアの残骸を乗り越え、シロが現れる。

クロ「何もかも、今宵で終わりにしましょう。シロ」

シロ「……遥か昔に終わっていたはずの事を、こんな時代まで持ち越さなければならなかったのは、全てあなたの裏切りが始まりだった」

クロ「そう……私が代行者としての責務の通り、あなたと、そして彼女と力を合わせていれば全てが終わっていた」

咲「……!クロさんが、シロさんと同じ代行者……」

クロ「……あなた方が必要としたのは、私という個じゃない。代行者の力を分ける器としての資質のみ」

クロ「一人の人間に与えるには危険すぎる力を、ふたつに割いて託す片割れとして」

クロ「代行者の片割れ、それだけの存在でいる事が私には耐えられなかった。私という人間を、シロにも皆にも認めさせたい」

シロ「………」

クロ「あなたの心に刺さる棘として忘れられない存在となるなら、同胞を裏切り、ヒトの敵と呼ばれることも厭わない」

クロ「なのに、結局あなたは本気で戦ってくれない。本当は私との戦いを終わらせるだけの実力を持ちながら」

クロ「その見下すような態度がどれほど屈辱か、あなたには決して分からないのでしょうね」

クロ「あなたがもっと私を憎み返してくれれば、こんなにも渇くことはなかった……」

シロ「……あなたを裏切りに走らせたのは、私なの」

クロ「今さら言っても詮無いこと、過去は変えられません。……さあ、今度こそ全力で私と戦いなさい」

771: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 18:58:28.69 ID:ceKfBPIL0
クロ「あの人の魂を助けたければ、まずは私を倒すことです。私を倒さなければ彼女のところへは行かせない!」

怒涛のようにたたきつけられるクロの力強い斬撃を受け、かわし、シロはしのぎ続ける。
ふたりの力は拮抗している。何かのきっかけでこの均衡が崩されない限り決着はつきそうにない。
治りきらない傷が開いたのか、シロの足元に点々と赤いしずくが飛び散る。

クロ「ずいぶんと勝ちを焦っているようですね、シロ。それほどまでに彼女を救いたいのですか?」

シロの攻撃をすべて受け流しながら、クロはシロをなぶるように猫なで声でささやく。

クロ「けど、焦れば焦るほどあなたは私に勝てなくなるのです」

シロの体勢が崩れ、一瞬動きが乱れる。 そのほんの僅かな隙をクロの目は見逃さなかった。

クロ「ほら、こんな風に……隙だらけです、シロ!」

叫びとともに、クロは剣をシロの腹に突き立てた。

シロ「……!」

初めてシロの顔に苦痛の色が走る。
シロに苦痛を与えたことに喜びを覚えるのか、クロは残忍な笑みを浮かべる。

シロ「―――――捉えた」

クロ「え……」

腹をつらぬかれたまま、剣を握るクロの手首を捕らえ、
動きの止まったクロに向けて、シロは右手の剣を短槍のように構える。

クロ「馬鹿な……!己の身をおとりに私の動きを止めた!?」

驚愕の叫びが終わらぬ速さで、シロの剣がクロの胸を捉えた。

クロ「ぐああっ!」

クロの胸をつらぬいた刀身が光を放ち始める。
その輝きに、シロの意図を悟ったクロが顔色を変えて叫ぶ。

クロ「シロ、あなたは石を共振させるつもりですか!?そんなことをすれば、あなたもただでは済まない!」

シロ「………終わりにしよう。あなたの望み通り」

クロ「え……」

772: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 19:01:01.30 ID:ceKfBPIL0
シロ「あなたを倒すことから、私はもう逃げない。すべての罪は私が背負う」

シロはきつくまぶたを閉じ、剣を握る腕に力を込めた。

クロ「うああああ……!!」

辺りに閃光があふれ、光に灼かれた咲の視界が白一色に染まる。
シロの力をまともに受けたクロの苦痛の叫びが、白い闇のなか響き渡る。
クロの声が力を失うとともに、光も急速に収束する。

シロ「もっと昔に、こうすべきだった……」

クロ「それが分かっていながら、何故そうしなかったのですか?私を、認めないんですか……?」

シロ「クロを認めないつもりなんてなかった。ただ、どんな形でも生きていてほしいと。でも、それがあなたには苦しかったの……」

乱れた前髪の隙間から、クロはゆっくりと視線を上げた。
急速に光を失う瞳に以前のような力はない。
しかしその眼差しは静かに安らいでいて、満足気にすら見える。

クロ「……そうですか。ようやくあなたは認めてくれたんですね。対等の存在として、倒すべき者として……私を」

クロ「その言葉を、あなたから聞けて良かった。……姉さん」

シロ「………」

クロの身体がゆっくりと淡い光に包まれ始める。

クロ「二つに分けられた力も、いつかはひとつに還る。その時が、来ました」

クロ「……最後まで、あなたに勝てませんでしたね。姉さん……」

最期に穏やかに澄んだ眼差しをシロに向け、クロは静かな笑みを浮かべた。
やがてシロの腕の中、クロの身体は光の粒子となって消えた。

クロの胸を貫いていた剣が寂しい音を立てて地に落ちる。
クロの力を得たことの、それだけが証のように刀身が輝いている。
妹の身体を支えていたシロの手は、暫くの間何もかも失せた虚空を抱いていたが、やがて静かに落とされる。
振り向かない背中に、言い知れぬシロの痛みを感じ、咲はかけるべき言葉を失った。

773: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 19:03:59.92 ID:ceKfBPIL0
照「なかなか興味深いものを見せてもらった。片翼を自らもぎ取り、妹殺しの罪を背負った代行者……か」

シロ「残るはあなた一人。咲をそこから解放して。このまま退けば、命まで奪うことはしない」

照「……嫌だと言ったら?」

シロ「戦うしかないなら、手加減はしない」

落ちた剣を拾い上げたシロが、照に向けて構えた。

照「あなたに私が倒せるの?」

照は剣を構えるシロと対峙しながら戦うための武器も持たず、身を守るための盾さえ構えようとしない。
無防備にさえ見える照のその姿に、シロの剣先はためらいを見せる。

照「来ないのなら、こちらから行くよ。代行者」

照は地を蹴ると、シロに向けて猛然と駆けた。
シロの繰り出す斬撃を地に伏した頭上にかわすと、照は手のひらをシロに向けてかかげた。
何のつもりかと、退こうとしたシロの身体が次の瞬間、衝撃に大きく弾かれる。

シロ「ぐ……っ」

そのまま背後の壁に叩きつけられそうになるのを辛うじて身を返し、両膝で衝撃を殺してから床に降り立つ。
先に受けた傷口が、その衝撃に更に開いたらしい。シロの足元に落ちる血のしずくが数を増す。

シロ「それは……天雷の力!?始祖の力をどうしてあなたが……」

驚愕に目をみはるシロに、照は左手をかかげて見せつけ、静かに微笑んだ。
その指先に、静電気のような青白い雷が走る。

照「始祖の血にひそむ因子をもっとも顕著させた者。それが長と呼ばれる地位に立つ者の条件」

照「始祖の血を継ぐ者が、その力を使えたところで何の不思議もないでしょう?」

シロ「これまで一族の長と呼ばれる者と戦ったことも何度かある。でもあなた程の力の使い手に出会ったことはない。あなた……何者?」

照「……言ったでしょう?私は長だと」

再び照がシロへと迫る。
シロが繰り出した鋭い突きを、照はわずかに顔を逸らしただけでかわした。
刃を返し、続けて横殴りに襲う一撃を照は刀身に手のひらを当てて電撃で弾いた。
体勢の崩れたシロの胸に、空いた方の手のひらを押し当て、再び雷の放たれる光が走る。

774: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 19:06:12.07 ID:ceKfBPIL0
シロ「くは……っ」

傷ついた胸にまともに電撃を喰らい、シロは受け身を取ることも出来ず壁に叩きつけられる。
血を吐いて膝をついたシロの手から剣がこぼれ落ちる。

照「癒えない傷を抱えた代行者なんて私の敵じゃない。咲の目の前で、己の無力を噛みしめながら死んでいくといい」

咲「お姉ちゃん、もうやめて!シロさん……!」

血の気を失い、冷たくなった指先を咲は必死の思いで握り締め、力任せに動かす。
自分に力があれば。この戒めが今すぐ解けたなら。
手を伸ばしたそこにいるシロを救うことが出来るのに。
何でもいい、後でどうなっても構わないから、シロを救うための力が欲しい。

腕が傷つくこともいとわず、咲は力の限りに己の手首をいましめる紐を引きちぎろうともがく。
咲は全身全霊を込めて願った。
力を―――――


その時、咲の中で何かが弾けた。
放出する場を持たず、咲の中で渦巻いていた力のうねりが強い意志を得てひとつの方向性を見出した。
触媒となったのは、シロが持たせてくれたあの石。
石から溢れ、ほとばしった光が瞬時に拡がり、その場を白く灼いた。

咲「あ……」

閃光は咲を戒めていた紐を一瞬にして灼き切り、咲を囚われの身から解放した。
足元もおぼつかない眩い光の中、いったちどちらの方向を目指すべきか、とったに迷った。
―――――戦うには、シロの武器が必要だ。
そう考えた咲は、先ほどシロの剣が落とされたと思われる方向に足を進めた。

咲「……!」

指先に硬い感触が触れた。
手探りで確かめると、それは咲の求めたシロの剣だった。柄を探り当てて握り締める。

……あたりに拡散していた光が少しずつ消えていく。
ゆっくりと視界が戻る。
シロの剣を抱え、立ち上がろうと見上げると、目の前に照が立っていた。
思わぬことに咲はぎくりと身を震わせる。

775: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 19:08:42.30 ID:ceKfBPIL0
照「咲、その剣を渡しなさい」

咲「……嫌」

照「その剣は代行者の意思を具現化したもの。戦いへの意思ある限り消えることはない」

照「でもどうやら今の彼女を見ると、現状を維持するのがやっとのよう。あんな弱った身体ではもはや戦えまい」

うながすように咲の視線を向けさせた先に、満身創痍といった身体のシロの姿があった。

照「お前が大人しくそれを私に渡せばすべての因縁が終わる。代行者の永く辛い生に引導を渡してやるのがお前の役目でしょう」

姉に何と言われようと、この剣を渡すことはだけは出来ない。
咲は差し伸べられた手をきっぱりと拒んだ。

咲「嫌、お姉ちゃんにこの剣は渡せない……!」

照「あくまで私に抵抗すると言うの、咲。そうしてあの代行者を選ぶと。……お前は結局最後まで私を選ぶ事はないんだね」

咲「お姉ちゃん……」

照「よく分かった。なら力でお前を奪う。あの女から……」

ゆっくりと床を踏みしめ、照が咲へと近づく。
決して奪われまいと強く剣を抱え込み、近づく姉から逃れるため力の入らない膝でいざり下がる。

その時、もはや動けないかと思っていたシロが地を蹴り、照に向かって躍りかかった。
シロの捨て身の襲撃をかわすため、照は素早くその場を飛びすさる。
地に降り立つ衝撃さえ傷ついた身体には辛いのか、着地の勢いを殺しきれずシロはよろめいて床に手をつく。

咲「シロさん……!」

荒い息をつくシロに片手を伸ばし、傷ついたシロを照からかばうように強く抱きしめた。

776: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 19:12:36.58 ID:ceKfBPIL0
照「咲の腕の中で死ねることを幸いと思いなさい」

シロ「ただでは死なない。私の命を賭けて、あなたを道連れにしてみせる」

照「そんな身体であなたに何が出来るの」

咲「シロさん……!」

このままでは、シロは咲を守ろうとして命を落とす。
この人を自分のために死なせなくはない。
シロの力になりたい。守られるだけでなく、この人を守りたい――――


祈りが力となり、咲の中から再び光が溢れ出す。
先ほどのような空間を灼き尽くす烈しいものではない。穏やかで暖かくやわらかな光。
傷ついたシロを守るように広がり淡光が降り注ぐ。

シロ「……傷が……癒えていく……。この力は、あの人の守りの力……」

天を仰ぎ見上げるシロの眼差しが、懐かしむような色を帯びる。
光はやがて静かに消えていった。
抱きしめる咲の指をそっと握り返すと、シロはゆらりと立ち上がる。
見上げる咲の手から剣を受け取り、構えた。

たたずむ照の指に雷電が爆ぜる。
互いの力のすべてを賭け、ふたりは刃を交わした。

咲「……!」

シロの剣が真っすぐ照の胸を貫いた。
ゆっくりと姉の身体が前のめりに倒れていく。
その一瞬に、照が向けた不思議な微笑。その意味を推し測る間もなく、照は大地にその身を沈めた。

咲「……お姉ちゃん……」

静かに横たわるもの言わぬ照の骸に触れると、ぬくもりと共に姉の魂が失われていくのが分かった。
この人は咲を騙して利用した人。けれど本当にすべてが偽りだったのだろうか?
姉が咲に与えてくれた愛情のいくつかは、姉の本当の想いだったのではないだろうか?
しかしその答えを訊くことは、もはや叶わない。

777: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 19:15:37.05 ID:ceKfBPIL0
異なる次元が重なる衝撃によって引き起こされた振動が、音もなく空間を震わせる。
始祖を封じ込めた光の結晶が白熱の輝きを増した。結晶の表面にさざ波が小刻みに走る。
氷塊が溶けるように、結晶の表層は見る見る硬質さを失う。
今や始祖を包む結晶は、物理法則を無視してそびえ立つ水の壁へと変じていた。

シロ「……目醒める」

シロのつぶやきと同時に大気は一瞬、真空のように音を失う。
突然訪れた静寂に、心臓の鼓動が早鐘を打つ音が咲の耳奥に響く。

始祖のまぶたが数度震え、ゆっくりと開かれた。
透徹した氷のような眼差しが白いまぶたの奥から現れる。
幻想的なあかい瞳に心を奪われ、咲は声もなくその瞳に見入った。

シロ「目を見ては駄目。――――魅入られる」

シロの冷静な言葉に、頭から冷や水を浴びせられたように咲の意識が戻る。
慌てて始祖の眼差しから視線を逸らす。

始祖を見上げ、シロが剣を構える。

咲「どうするつもりなんですか、シロさん?」

シロ「あれを倒す。ここで逃せばあれは地上を狩場にヒトの命を貪り、より強い力を得る」

咲「ひとりで戦うつもりなんですか!?無茶です!」

シロ「あなたが私に戦う力を与えてくれた」

咲「え……?」

シロ「咲とクロの力を得た今の私なら、あれに止めを刺すことも可能だと思う。咲はこの場から離れて」

咲「私も……私もシロさんと一緒に戦わせてください」

シロ「駄目、危険すぎる」

咲「お願いします!囮でもいい、何か私に出来ることがあるのなら教えてください。もう守られてるだけなのは嫌なんです!」

シロ「……分かった。あなたの力を私の貸して」

咲「シロさん、ありがとうございます!」

778: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 19:18:33.65 ID:ceKfBPIL0
シロ「未だ贄を得ていない始祖は完全じゃない。一時的な召喚の儀式によって仮の器を得てこの地に降り立っただけ」

シロ「今の状態があれを倒す唯一の機会。……石を使って」

咲「石を……」

シロ「強い思いを込めて石に願えば、石はあなたが力を操る助けとなる」

シロ「あなたの魂のうちに潜在する力であれば、始祖を止めることが出来るかも知れない」

咲「……分かりました。やってみます」


獲物を魅了する優美な動きで、封じられた空間から始祖の白い指が伸ばされる。
まるで水面をかき分けるような容易さで、阻まれることなく始祖の指先は結晶を抜ける。
封じの檻は今や完全に力を失っているようだった。

シロ「……来る!」

残忍な悦びを含んだ始祖の視線が、咲の姿を捉える。

―――――来ヨ、我ガ贄―――――

始祖の嵐のような思念が、咲に向けてたたきつけられる。

咲「―――――!!」

雷に撃たれたような衝撃に、そのまま意識を失いそうになる。
倒れかかった咲の身体をシロの腕が支えた。

シロ「己の意思をしっかりと持って。あなたがその気になれば、始祖に意識を持っていかれることもない」

シロの言葉を聞きつけたように目を細めた。
咲を背にかばい、始祖の視線を真っ向から受け止めたシロは怯むことなく名乗りを上げる。

シロ「私は代行者。あなたがこの地に存在すべき場所はない。元の次元へと戻って」

その言葉を理解したのか、始祖は確かな排除の意思をもって白い手のひらを高く掲げた。
手を差し伸べた空間から白い光が生まれ、まばゆい雷球となって周囲の空間を灼く。

シロ「……伏せて!」

シロが剣をかかげた所に、ふくれ上がった雷球が光の柱となって降り注ぐ。
……しばらくして膨大な光に灼かれた視界が戻る。

咲「シロさん……っ」

シロは雷の直撃を受けたかに見えたが、避雷針のようにかかげた剣で降り注ぐ雷撃を薙ぎ払ってしのいだらしい。
周りを取り囲む地面は黒く灼かれていたが、シロは無傷たっだ。

779: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 19:22:17.67 ID:ceKfBPIL0
シロ「石に意識を集中させ、集めた力を始祖に叩きつけて」

咲「分かりました、やってみます……!」

シロにうなずき返して、咲は石に意識を集中させ始める。
シロは始祖に向けて剣を構え、斬りかかるため地を蹴ろうとする。

その時、シロの動きを牽制するように、至近距離に雷が落とされた。
大気を引き裂く轟音と閃光が目の前で爆発的に拡がる。

咲「シロさん……!?」

雷が落ちた瞬間、降り注いだ膨大な光の柱がシロを圧したかと咲の目には映った。
視界が戻ったとき、飛び込んできたのは剣をはすに構えたシロの立ち姿だった。
頭上に落ちた雷の力を、シロは先程のようにすべて剣で受けしのぎ切ったようだ。

シロ「続けて。始祖があなたを傷つけることはない」

咲「でも、シロさんは……!」

シロ「私のことはいい。……行く」

次々と落とされる雷を避けながら、シロは地を駆け、始祖の本体に迫る。
襲いかかる襲撃をかわし、始祖へと斬りかかった。
雷に刀身を弾かれ、シロの攻撃がかわされる。

咲「シロさん……」

咲が始祖の力を抑えることが、シロを助けることに繋がるのか。
思いを込め、始祖に打ち勝つ力を石に願う。
石が光り始めた。咲の祈りに応えるべく石は光を強める。

思いの強さに呼応して輝きを増す光に励まされ、咲は石を媒体に己の中の力を操ることに集中する。
咲の中で次第に力が強まっていく。

咲「今だ……!」

始祖へと向けて放った石の力が光の槍となって走る。
光はまっすぐに黒い石柱を貫き、その衝撃に柱は円陣から吹き飛ばされた。
あたりの空間に放出していた場を形成する要が倒れたことで、始祖を包む光が弱まる。

780: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 19:23:51.03 ID:ceKfBPIL0
始祖の雷がシロを襲った。

シロ「ぐぅ……っ」

降り注ぐ光の柱を刀身で受け止め、シロの身体が衝撃に傾ぐ。
膝をつき、苦しげに息をつくシロを視界に止め、咲の心が焦りを覚える。

このまま雷を受け続ければシロは危ないかも知れない。
何とかして始祖の力を殺ぎ、シロを助けなければ。

咲「シロさん……!」

咲が始祖の翼に向けて放った石の力が、光の槍となって走る。



※コンマ40以上で攻撃がクリーンヒット
39以下でゲームオーバー

安価下

782: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 20:37:11.99 ID:ceKfBPIL0
咲が始祖の翼に向けて放った石の力が、
光の槍となって始祖の翼を貫いた。
咲の攻撃はかなり効いたようだ。始祖が衝撃に怯む。


シロ「―――――捉えた」

その瞬間を見逃さず、シロの一撃が始祖の胸を深々と貫いた。


―――――グアアアアアアア!!


始祖の身を包んでいた力がこれまでにないほど弱まり、
その姿を薄れさせていく。
そして、やがて光の粒子とともに消失していった。



783: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 20:44:04.41 ID:ceKfBPIL0
咲「……倒した、の……?」

シロ「ええ。始祖の存在はこの次元から完全に消えた」

咲「シロさん、身体は無事ですか?」

シロ「大丈夫。あなたの力に助けられた、咲」

咲「良かった……」

シロ「私は誓いを果たした。あなたと、そして私も共に永い束縛から解放されることになった」

静かな口調で語るシロの表情は、重い使命をようやく果たし終えた穏やかさに満ちて、
どこか突き抜けたように澄んでいた。

咲「ありがとうございます、シロさん。私、あなたにはいくら感謝の言葉を言っても言い切れません」

シロ「ううん。あなたを救うことは、私の願いだったから」

咲「シロさん……」

784: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 20:48:35.05 ID:ceKfBPIL0
シロ「でも、ひとつだけ。今度はあなたに私の願いを叶えてもらえたら嬉しい」

咲「何ですか?私に出来ることなら何でも言ってください!」

シロ「じゃあ、言う。……咲、あなたにそばにいて欲しい」

咲「シロさん……。分かりました、私で良ければ、ずっとシロさんのそばにいます」

シロ「咲……」

うなずく咲に淡く微笑んだシロが、咲を引き寄せふわりと抱き込んだ。
シロの暖かな腕に包まれ、咲はほっと息をついた。

シロ「本当に今、あなたは私の腕の中にいるんだね……」

咲「はい……シロさん」

シロ「ずっと、こうしたかった。あなたを……抱きしめたかった」

咲「シロさん……」

シロの言葉にうなずき、咲もシロの背に腕を回してしっかりと抱き返した。

785: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 20:57:48.28 ID:ceKfBPIL0

――――――――――

……あれから二年が過ぎた。
私は今、シロさんと共に日々を過ごしている。

代行者としての責務を終え、普通の人間に戻ったシロさんとふたり、
街の喧騒を離れ、静かで素朴な人々の住まう土地にいた。

もうすぐこの地は雪に閉ざされる。
静かで厳しい自然に肌で触れる生活は、
私たちがただ純粋に生きることに目を向ける良い機会になるだろう。

澄んだ空気と豊かな自然に囲まれて、
シロさんは少しずつ何かから解放されるように笑顔を取り戻していく。

咲「シロさん、雪が降って来ましたよ!」

寒さに鼻を赤くしながら、私は部屋へと飛び込む。

シロ「咲……。またそんな寒そうな恰好で外にいたの」

私の無防備だった襟首にシロさんが優しくマフラーを巻き付けてくれる。
薄着だった肩には厚手のオーバーを被せられた。
冷たくなった手のひらをシロさんの暖かい両手が包み込む。

咲「シロさんは心配性ですね。雪が降って来たのが見えたから、ちょっと出ただけですよ」

シロ「油断は大敵。さあ、手袋もつけて」

咲「分かりました」

素直に渡された手袋を身に着けると、シロさんはふんわりと笑みを浮かべた。

シロ「さ、これで良し。外に出てもいいよ」

咲「シロさんも雪を見ませんか?」

シロ「先に出てて。私も上着を着たらすぐに行くから」

咲「はい。待ってますね」

屈託のないシロさんの笑顔に同じように笑みを返し、私は部屋を出ていった。

786: ◆34iwA4dRok 2016/01/29(金) 21:01:37.88 ID:ceKfBPIL0

――――――――――

夜の帳が降りる頃。
暖かなベッドの中、私はそっと寝返りをうつ。

隣に眠るシロさんの穏やかな寝顔をしばし見つめる。
肩の下まで捲れた掛け布団を被せ直してやると、シロさんが薄く目を開いた。

シロ「咲……」

呟きと同時に抱き寄せられ、私は抗うことなくその胸の中に身を寄せた。
シロさんの鼓動がとくんとくんと規則正しい音を刻むのが耳に心地よく響く。

咲「シロさん、あたたかいです……」

シロ「咲も、あったかい……」

私を抱きしめたまま目を閉じ、シロさんは再び眠りへと誘われる。
遠い昔に願ったように、この眠りが少しでも穏やかであるようにと祈る。


やがて春が訪れ、雪解けの水が川に溢れるのを待ち遠しく思いつつ、
私はそっと目を閉じた―――――。


シロ True End

794: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 22:17:37.37 ID:zk/hQ3DD0
>>77から

咲「……こんな事、誰にも相談できないよ……」

穏乃「咲……。そうだな……」

何が起こったのか、当事者の自分たちにさえ分からないのに。
他人に説明して納得してもらう事など不可能だ。
二人は足取り重くその場を離れた。



校門まで戻り、泉に脅されたとき落とした鞄を探していると結構な時間がたってしまった。
学園祭の準備に駆け回っていた生徒たちの殆どはすでに帰宅したようだ。
ふと、そのとき校門前に車を停めた照の姿が目に入ってきた。

照「咲、遅いから迎えに来た」

咲「お姉ちゃん……」

照「どうしたの?そんな虚ろな目をして……学校で何かあったの?」

咲は手短に、先程出くわした異常な体験を語った。

照「そう……。転校早々大変な目にあったね」

咲「お姉ちゃん、信じてくれるの?」

照「当たり前でしょう。たった一人の大事な妹の話なんだから」

咲「お姉ちゃん、ありがとう……」

照「じゃあ、帰ろう。咲」

795: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 22:21:27.20 ID:zk/hQ3DD0
家に帰り着くと、照は咲を椅子に座らせて部屋を出て行った。
しばらくして薬箱と水に濡らしたタオルを手に戻ってくる。
咲の顎をつかみ、傾けた頬をタオルでそっと拭った。

咲「つ……っ」

叩かれた跡に触れられ、忘れていた痛みがよみがえる。
思わず顔をしかめる咲を見て、照が眉をひそめた。

照「よく冷やしておかないと。明日は腫れ上がってしまうからね」

そのまま顔を冷やすよう指示し、土で薄汚れた咲の制服を脱がせ、
咲の体に怪我がないか確認していく。

照「ん……、他は大丈夫なようだね。……咲?」

姉にまた自分のことで心配かけてしまった。
これ以上、照の負担になることを望まないのに。

照「……咲、私に話したことを気に病んでいるの?でも私はお前が頼ってくれた事が嬉しい」

そう言うと、咲を安心させるやわらかな笑顔を向けた。

照「疲れたでしょう?もう寝た方がいい」

咲「うん……」

照「今日のところはゆっくりお休み、咲」

咲「分かった……お休みなさい、お姉ちゃん」


自室に戻ると、着替えてからベッドに転がるように横になり、明かりを落とす。
そのまま咲は夢も見ないほど深い眠りに落ちた。

796: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 22:23:17.17 ID:zk/hQ3DD0
次の日も目覚めもあまり快適なものではなかった。
朝の光の下では、昨日の非現実な出来事はますます夢のように思える。

照「おはよう、咲。昨夜はよく眠れた?」

咲「うん……」

先に食卓についた姉に促され、咲は照の向かいの席に腰を下ろす。
朝食を素早く平らげると、咲は重い足を動かして学校へと向かった。




放課後の訪れを知らせるチャイムが鳴り、
咲の転校二日目が終了した。

そういえば照が、今日は帰りが早いと話していた。
咲が帰るのを待っているかもしれない。

素早く帰り支度を済ませると、咲は教室を出た。

797: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 22:25:29.77 ID:zk/hQ3DD0
ただいま、と声をかけながら玄関の扉を開けると、
玄関のたたきには照の靴が並べられていた。
咲も靴を脱ぐと、姉の気配のするリビングへと向かう。

照「咲、お帰り。早かったね」

咲「ただいま。お姉ちゃんこそ」

照「今日は咲にお土産があるの」

言いながら、照はテーブルの上に置かれた箱を持ち上げて見せた。

照「ムーン・ブランシュのモンブランを買ってきた。これはあまり甘くないから咲も好きだったでしょ?」

それは有名な洋菓子店のケーキだった。
この店の生クリームは甘さが控えめなので、甘い物が苦手な咲が好んで食べることが出来るお菓子だった。
昨日の一件で塞いでいた咲を気遣って、大学帰りにわざわざ買ってきてくれたのだろう。

咲「お姉ちゃん、ありがとう……」

照「今日はいい豆も手に入ったから、今から豆を挽いてコーヒーを淹れてあげる。待ってて」

コーヒーミルを食器棚から取り出してテーブルに並べ、アルミの缶容器から分量を量って豆を移し、挽く。
ガリガリと心地良い音を立てて挽かれるコーヒー豆の芳ばしい香りが食卓に広がる。
熱い湯を沸かし、挽いた粉の上に注ぐと薫り高い湯気が立つ。
じっくり時間をかけて蒸されながら、雫が一滴ずつサイフォンを落ちていく。

798: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 22:28:03.85 ID:zk/hQ3DD0
そうやって照がコーヒーが入るのを待つ間に、
咲はケーキを箱から皿に移してカップと共に食卓に並べる。

淹れ終えたコーヒーをカップに注いで、やや遅めのティータイムの準備が整った。
姉に勧められ、ほろ苦い芳香を楽しみながら、咲はカップに口をつける。

照「味はどう?」

咲「とっても美味しい……」

素直な感想を述べると、照は顔をほころばせた。

照「喜んでもらえたようで良かった」

咲「お姉ちゃんは昔から、コーヒーを淹れるのが上手いね」

コーヒーの良い香りに包まれたリビングで、
仲の良い姉妹二人はなごやかな団欒の時を過ごした。

姉と他愛ない会話を交わすこのしばらくの間、
咲は心をわずらわす事柄から解放された。

咲「……ありがとう、お姉ちゃん」

姉への感謝の思いを込めた小さな一言を聞き逃すことなく、
照は咲に優しく微笑み返した。

799: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 22:31:08.74 ID:zk/hQ3DD0

――――――――――

翌日。
授業が終わると、今日も咲はまっすぐに家へと帰宅する。
少し時間が早かったせいか、照はまだ帰っていなかった。

姉が帰ってきたらすぐに食べられるようにと、二人分の食卓の用意をしながら咲は照の帰宅を待った。
間もなく照が大学から帰ってきた。


照「咲、帰ってたの。夕食はもう済ませた?」

テーブルの上に手つかずの食事が二人分並べてあるのを見て、照は目を丸くした。

照「食べないで待っててくれたんだね。ありがとう、咲」

咲「ううん。それじゃあ一緒に食べよう、お姉ちゃん」


夕食が終わり、二人で食器を洗って片付けた後。
照が咲へと提案する。

照「食後のオセロでもしようか、咲。勝った方がデザートを用意するというのはどう?」

咲「うん、いいよ」

頷くと、咲はクローゼットからオセロ盤を取り出しに行く。
昔はよくこうして二人でオセロをしたものだが、何度挑戦しても姉に勝てたためしがない。
こっそり良子を相手に特訓したことも懐かしい思い出だ。

今でもハンデなしては照には勝てないが、それでも少しずつ差が縮まっていくのが嬉しくて、
食後のオセロはしばらくの間、二人の習慣になっていた。

800: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 22:32:47.68 ID:zk/hQ3DD0
咲「今日は負けないよ」

リビングの床にオセロ盤を置き、真剣な表情で盤に向かう咲を眺めて照が微笑む。

勝負も終盤に差し掛かり、ひとつの選択が勝敗の分け目となって見る見る咲の優勢となる。
咲はそのまま勝負を進め、見事に逆転勝ちを決めた。

照「強くなったね、咲」

咲「お姉ちゃんに勝ったのは初めてだね。何だか嬉しいな」

照「デザートは何がいい?なんでも好きなものを言いなさい」

少し考えて「アイスが食べたい」と答えると、照は笑ってキッチンへと席を外す。
戻ってきた照の手の中には大量のアイスが抱えられていた。

咲「お姉ちゃん、ひとつでいいから……」

仲睦まじい姉妹でのひとときが穏やかに過ぎていった。




今日は何事もなく一日が過ぎた。
明日も平穏な一日を迎えられることを願いつつ、咲は寝床についた。

801: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 22:35:02.51 ID:zk/hQ3DD0

――――――――――

今朝は目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
咲はベッドの上に身を起こし、目覚ましのアラームを止めた。


咲がリビングに行くと、照は淹れたてのカフェオレを咲に手渡した。

照「おはよう、咲」

咲「おはよう、お姉ちゃん」

照「それじゃあ食事にしようか」


朝食を済ませると、まだ少し早いが咲は家を出た。
まだ早いせいか校門前を歩く生徒の数もまばらだった。

教室に入り、しばらくして授業の開始を告げるチャイムが鳴った。
遅れて教室に現れた教師を見て、おしゃべりに熱中していた生徒たちは慌てて席につく。




学園祭本番をいよいよ明日に控え、本日の授業は4時限目までとなっていた。
部活に所属していない咲はそのまま家に帰ることにした。

802: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 22:38:19.91 ID:zk/hQ3DD0
いつもと変わりなく帰宅したものの、転校初日に起きた事件のせいで、
心のどこかをずっと占めている重苦しい空気がまといついて離れないのを感じる。
沈みかけた咲の意識を現実に引き戻すように、自宅への来客を告げるチャイムが鳴る。

慌てて玄関前に行くと、「荷物です」という大きな声が扉の向こうから響く。
咲は急いでドアを開けた。

届けられたのは、小さな鉢植え。
差出人は照で、受取人は咲となっていた。
何故これが届けられたのか分からない侭どうしようかと考えて居た時。
今度は携帯が鳴った。

咲「……お姉ちゃん?」

照『咲、荷物は届いた?』

咲「え……?うん、届いたよ」

姉の意図は分からないものの、届いた鉢植えの送り主が確かに照だと分かり、
咲はほっと安堵の息をついた。

照『大学に向かう途中でふとその鉢植えに目が留まってね。それ、なんていう植物か分かる?』

咲「ううん。なんていうの?」

803: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 22:41:43.34 ID:zk/hQ3DD0
照『それは、グリーンネックレスという観葉植物だよ』

咲「グリーンネックレス?」

照『そう。グリーンネックレスは10月27日の誕生花、つまり咲の誕生花なんだよ。そう思ったら、つい手にしてた』

咲「お姉ちゃん……」

この数日持て余し揺らいでいた気持ちが、
携帯越しの姉の言葉にやわらかく受け止められた気がする。


照『あと少しで講義が終わるから、一緒に夕食をとろう。私の帰りを待っててくれる?咲』

咲「うん。……待ってる」



やがて通話が切れる。
照の余韻を離したくなくて、咲はしばらく携帯を握りしめていた。

804: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 23:28:22.25 ID:zk/hQ3DD0

――――――――――

目覚ましのアラーム音が響き、その音で目を覚ました。
今日はりつべ女学園の学園祭当日だ。

照「おはよう、咲、今日は確か学園祭だったね」

咲「うん。お姉ちゃんは来れる?」

照「今日は大学の講義が昼からなんで、午前中は咲に付き合うよ」

咲「本当?嬉しいな」



学園祭における咲たちのクラス発表は、教室内でのパネル展示だった。

担任「今日はこれからクラス展示の受付当番以外の生徒は自由に過ごして良いことになってるわ」

担任「部活動での展示や発表がある者、実行委員らは点呼を済ませたら持ち場に向かいなさい」

教師は生徒に順々に声をかけ、出席簿に印をつけていく。
点呼を済ませた咲も、他の生徒たち同様に教室を出た。

姉と待ち合わせていた校門前まで駆けていく。

咲「お姉ちゃん、お待たせ」

照「それじゃあ案内してもらおうかな」

咲「うん、任せて」

805: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 23:30:59.79 ID:zk/hQ3DD0
りつべ女学園の巨大な中央ホールは生徒達の出店と、その店先にたむろする人の群れで賑わっていた。
生徒以外の客もかなりいるようだ。学園祭に訪れた一般客の多さに驚く。
女子高の催しと言うより企業のイベントのような人手だ。

咲は照を案内しながら、順番に校内の催しを見て回った。


照「咲、あれは何?」

咲「占星術部のコンピューター占いだって。行ってみようか」

二人は空いているブースへと進んだ。

照「どれどれ、ここのキーボードで生年月日と名前を入力して、この実行キーを押す、と……」

照「咲、やってみて」

咲「私がやるの?」

照「うん。ほら」

勧められるまま、自分の名前と誕生日を入力し、実行キーを押した。
しばらくして、モニターに映し出された占いの結果を興味津々に覗き込んでいた照が、声に出して読み上げる。

照「なになに……『きわめて良好。この調子で頑張ると吉』……だって。良かったね、咲」

咲「うん。お姉ちゃんもやってみて」

照「そうだね。ええと……」

807: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 23:35:43.88 ID:zk/hQ3DD0

――――――――――

咲「一通り見て回ったね」

照「そうだね。お、あそこに甘味処がある。ちょっと寄ってみようか」

咲「お姉ちゃんは本当に甘いものが好きだね」

照「咲は甘い物苦手だけど、お茶するくらいなら構わないでしょう」

それくらいなら何とか、と照に誘われるまま甘味処の看板を上げる教室の暖簾をくぐった。


照「なかなか盛況のようだね」

奥に空いた席を見つけ、咲と照はそこに腰を下ろした。

生徒「いらっしゃいませ。ご注文は?」

照「どうする?咲」

咲「じゃあ、私は抹茶を」

照「そう。昔は緑茶を飲んだだけでも目が冴えて、夜は眠れないなんて言ってた咲がねえ……」

言いながら、照は咲の頭を軽く撫でる。

咲「そんな昔のことは忘れてよ、お姉ちゃん……」

子供の頃の話を持ち出されて、咲は恥ずかしさの余り頬を桜色に染める。
そんな咲をあたたかな微笑みで照が見つめる。

808: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 23:38:06.34 ID:zk/hQ3DD0

――――――――――

照「それじゃあ、私は大学に行くね」

咲「うん。今日はお姉ちゃんと一緒に居れて楽しかったよ」

照「私もだよ、咲。誘ってくれてありがとう」




校門まで姉を見届けて、校内へときびすを返そうとしたその時。
遠くの方から何かが割れるような音と共に人々のどよめく声が聞こえてきた。

何かのアトラクションでも行われているのかと思ったが、
どよめきは間もなく無秩序な叫びに変わった。
途切れ途切れに聞こえてくるあれは、悲鳴だろうか。

いったい何が起きたのか。
咲は確かめに行くことにした。

810: >>806 姉妹百合いいですよね~ 2016/02/03(水) 23:40:51.28 ID:zk/hQ3DD0
咲「……!」

駆けつけたその場に広がるあまりに異様な光景に、咲は思わず言葉を失う。
幾人もの生徒たちが気を失い、力なく倒れ伏している。
割れた窓ガラスの破片や千切れた校内の飾りつけが辺り一面に散らばり、情景の異様さに拍車をかけている。

何に驚いたのか、放心状態でうずくまる生徒。意識を失ったままうつ伏せに倒れている生徒。
その場に無傷な姿で立っているのは、咲のように騒ぎに気づいて駆けつけた者だけだった。
いったいこの場で何が起きたというのだろうか。

生徒A「なんなのこれ!何があったっていうの!?」

生徒B「ちょっと、大丈夫……?」

生徒C「誰か先生呼んできて!」

倒れている生徒を助けるため、咲も動こうとして、
―――――足を止めた。

咲「あ……」

眼前の光景に視線が釘付けられる。
地面に倒れ、苦痛にうめく人々の向こう――――あのときの少女が、いた。

「………」

剣を手に、少女が佇んでいる。
傷つき倒れ伏した生徒たち。散らされた飾りつけ、壊れた看板。
無傷で立つもののないその光景の中、ひとり静かな面持ちで佇む少女。

少女の持つ凶器を見とがめ騒ぎ出す者はいない。
他の者の視覚に、少女の姿は全く認識されないらしい。

811: ◆34iwA4dRok 2016/02/03(水) 23:43:17.42 ID:zk/hQ3DD0
少女が咲へと向かってきた。 咲は息を呑む。
繰り出された一撃は迅速の勢いで咲の頬をかすめ、背後へと狙いをそらした。

咲「――――!?」

咲の背後で、耳を聾する異様な叫びが上がる。

生徒A「きゃっ!」

生徒B「うわあっ!」

叫び声が上がると同時に、咲の周りに立っていた者が、背後から突き飛ばされるように転がった。
少女の剣は、咲の背後にいた何かを狙い、繰り出されたのだろう。
顔のすぐ横を真っすぐにのびた、白く輝きを返す刀身を視線で辿り、咲は素早く背後を伺う。

咲「……!」

何か異様な存在を思わせる影が素早く身を翻すのが、視界の隅に一瞬だけ映る。
目を凝らす間もなく、影は木々の葉陰に消えた。
少女は無言のまま剣を静かに退いた。

咲「あなたは、私を助けてくれた……?」

「……」

少女は咲の質問に答えないまま目をそらす。
しかし突然弾かれたように顔を上げ、手にした剣を構えて叫んだ。

「避けて!」

咲「え……?」

黒い影が物凄い勢いで倒れ込む咲の傍をかすめ過ぎるのが見えた。
少女の剣が影を貫き、ふたたび絶叫が間近で沸き起こる。

812: ◆34iwA4dRok 2016/02/04(木) 00:38:41.74 ID:jj+jNsq90
剣を納めかけたシロが、機敏な動きで再び剣を構える。

「……見つけた、シロ!」

「!!」

―――――ギィィン!!

刃と刃が打ち合わされる激しい金属音が響く。

咲「あ……」

顔を上げた咲の視界に、剣を弾かれて退く少女の姿が映る。
目の前に、咲をかばう体勢で立ちはだかる長い黒髪の少女の背中があった。
黒髪の少女の右手には一振りの長剣が握られている。

―――――ギィィィン!!

二人が再び音高く斬り結んだ時、激しく打ち合わされた刃と刃の間に波動が生じた。

「……!」

シロと呼ばれた少女の剣が砕け散るように消滅した。
衝撃に弾かれたシロは校舎の壁に叩きつけられる前に素早い身のこなしで壁を蹴り、それを避けた。

くるりと身をひるがえして着地したシロは、そのまま滑るような動きで咲に背を向ける。
そして、あっという間に木立の向こうへと姿を消した。

咲「あ……」

立ちすくむ咲に向かって、少女が静かに振り返った。

「宮永、咲さん」

咲「……!」

全く面識のないはずの黒髪の少女に名前を呼ばれ、咲は混乱する。


教師「怪我人が出たというのはここか?」

騒ぎを聞きつけた教師たちが慌ただしく駆けつけてくる。
少女は声のする方を見やると、シロが消えたのと同じ方角に向かって歩き出す。

「後ほど、この場所に来てください。お話したいことがあります」

咲「え……」

通りすがりざま、咲の耳にだけ届くように少女が囁く。
そして一陣の風のように少女は駆け抜けていった。
異様な光景のなか、ただ一人無傷な咲は、呆然とその場に立ち尽くした。

813: ◆34iwA4dRok 2016/02/04(木) 00:41:24.04 ID:jj+jNsq90
学園祭は結局、昼間の騒ぎからそのまま中止となった。
駆けつけた教師たちの手配により、咲以外の怪我人は全員病院に運ばれた。

下校を促す教師の目を盗んで、咲は少女に言われた場所へ一人おもむく。

「宮永咲さん、ですね」

声をかけられ、驚いて振り向く。そこには咲を助けた少女が立っていた。

クロ「私の名はクロ。あなたをお守りするため、この学園に来ました」

咲「守る……?」

クロ「はい。いきなり現れて、こんなことを言う私をさぞかし怪しく思われるでしょう」

咲「………」

クロ「私はもう長い間ずっと、あのシロを追い続けているのです」

クロ「シロは狂った殺人鬼です。あなたも見たでしょう、昼間のあの光景を。……あれは全てシロの仕業です」

クロ「これまで、あのシロの手によって沢山の人命が奪われました。彼女の凶行を止める為、私は戦っています」

咲「………」

クロ「今、彼女はあなたの命を狙っています。ですが私があなたをお守りします。そのために私はこの学園に来ました」

咲「あなたは……、いったい何者なの?」

クロ「私は、とある結社の者――――とだけ言っておきます」

クロ「特殊な力を持つ者に命を狙われた、あなたのような人々を守る為、私達は動いています」

クロ「私のことを胡散臭く感じるでしょうけど、『あなたをお守りする』との言葉に偽りはありません」

クロ「今はただ、私があなたを守る者で、シロがあなたの命を狙う者だということだけ心に留め置いてください」

咲「……わかりました……」

クロ「では、私はもう行きます。シロにはくれぐれもお気を付けください」

クロ「私に出来る限りの力で、影ながらあなたをお守りしますので。では、いずれまた」

最後の一礼をすると、クロと名乗った少女は身を翻してその場を去った。
残された咲は陰り始めた陽射しの中、頬を撫でる冷たい風に、ひとり身を震わせた。

814: ◆34iwA4dRok 2016/02/04(木) 00:42:37.07 ID:jj+jNsq90
咲が家に着くと、照はまだ大学から帰宅していなかった。
夕食を作って食べ、後片付けも済ませると他にすることも無くなってしまった。
姉の帰りをしばらく待って、読みかけの本のページをめくってみたが何ひとつ頭に入ってこない。


入浴も済ませて自室に戻ると、咲は自分がひどく疲れていることに気が付いた。
ベッドに倒れるように滑り込み、天井を見上げる。


『シロにはくれぐれもお気を付けください』


クロの言葉がふいに蘇り、咲は落ち着かない気持ちで寝がえりをうつ。
そのままかたく瞼を閉じた。

夢も見たくないという咲の願い通り、
その日はひとつも夢を見なかった。

815: ◆34iwA4dRok 2016/02/04(木) 00:48:09.59 ID:jj+jNsq90

――――――――――

本来なら学園祭の2日目で大いに盛り上がり賑わうはずだった校内は、重苦しい沈黙に包まれていた。
すれ違う生徒は皆、一様に不安げな落ち着かない表情をしている。

『月曜から通常の授業に戻る』との連絡事項を伝えると、
その日のホームルームは全て終了となった。

担任「今日はいつまでも校内に残ったり、寄り道しないこと。このまま真っすぐ家に帰りなさい。いいわね」

最後に強い語調で告げると、担任は教室を出て行った。
咲はまっすぐに家に帰ることにした。



玄関を開け、リビングに入るとちょうど電話が鳴った。
靴を放り出して駆け寄り受話器を取る。

咲「はい、宮永です」

照『咲、帰ってたの。良かった』

咲「お姉ちゃん、どうしたの?」

照『お前が心配だから早く帰るつもりだったけど、ちょっと遅くなりそうだから私の帰りを待たずに休んでて』

咲「……うん、分かった……」

816: ◆34iwA4dRok 2016/02/04(木) 00:50:09.72 ID:jj+jNsq90
今日も照の帰りが遅くなると知った途端、急に寂しさがつのる。
咲の落胆が伝わったのか、照が気遣わしげに咲の名を呼ぶ。

照『どうしたの、咲?何かあったの?』

咲「ううん、何でもない。気にしないで」

姉に心配をかけないよう、慌てて取り繕う。
そんな咲に笑みを含ませた声で照が優しく告げた。

照『やっぱり今日はサークルを休んで帰ることにするよ。すぐに戻るから、もう少しだけ待ってて』

咲「……ありがとう。お姉ちゃん」



その後まもなく帰ってきた照となごやかな夕食のひとときを過ごし、夜が更けていった。
すでに時計の針は日付変更線を超え、人も街も寝静まる真夜中過ぎを指している。

今夜はやけに頭の中が冴えていた。
身体は疲れているはずなのに、どうしてか眠れない。
早く眠らなければと焦りに苛立つ気持ちでまぶたを閉ざしても、穏やかな眠りが訪れる気配はない。

寝付けない身体を、落ち着きなく何度もシーツの中で反転させる。

―――――眠れない。

とうとう眠るのを諦めて、咲はベッドを降りた。
カーテンの隙間からのぞく夜空を見上げたが、闇のとばりに閉ざされた空に夜明けはまだ遠い。
真夜中の静けさに包まれて時間を持て余す。
ひとりでいることが急に不安になり、姉の声がどうしても聴きたくなった。

咲は衝動的に照の部屋へと向かった。

817: ◆34iwA4dRok 2016/02/04(木) 00:53:41.57 ID:jj+jNsq90
つい照の部屋の前まで来てしまったが、こんな遅い時間ではとうに眠ってしまっただろう。
ほとんど諦めの気持ちで控えめに扉をノックする。

照「――――咲?こんな時間にどうしたの?入りなさい」

思いがけなくノックに応えたその声に、あたたかな安堵の思いが広がる。
咲がそっと扉を開けると、灯りを抑えた部屋の中、
窓際の机の前に腰を下ろした照が手にした本から顔を上げた。

照「どうしたの、咲?眠れないの」

咲「うん、少し目が冴えて……」

照「そう……。そこに座って」

姉のすすめに従い、示された椅子に腰を下ろす。

照「咲、何か悩み事でもあるんじゃないの?」

咲「……!どうして分かるの?」

照「大事な妹のことだからね。昔から悩み事や辛い事があった夜、お前は必ず私の部屋にやって来た」

照「話してごらん、咲。お前が語るどんな言葉も信じるから」

咲「お姉ちゃん……」

咲は思い切って学園祭でシロの襲撃を受けたこと、
そしてクロに助けられたことを姉に話した。

照「……そんなことがあったの。確かに、眠れなくもなるね」

818: ◆34iwA4dRok 2016/02/04(木) 00:57:19.28 ID:jj+jNsq90
誰かに聞いてもらえたという安堵感に、咲の身体をずっと包んでいた緊張がゆっくりと解けていく。
安心した途端、薄着の我が身を急に意識して寒さを覚え、僅かに身体を震わせた。

照「寒いの?」

咲「うん、少し」

照「そんな薄着でいるから。まだ初秋とはいえ、夜は冷えるのに」

溜息をついて立ち上がると、照は傍らの自分のベッドから上掛けをかき集めて腕に取った。

照「おいで、咲」

呼ばれて、差し伸べられた姉の手を咲が素直に取ると、照はそのまま咲を腕の中に引き寄せる。
手にした上掛けの中に咲の身体を包み込むと、上掛けごと咲を腕の中に抱き込んだ。

照「これでもう寒くないでしょう?」

咲「うん、あったかい……」

照「咲が眠くなるまで傍にいるから。安心して、ここでお休み」

導かれるまま照のベッドに横になると、照は咲の枕元に腰かけて咲の頭を撫ぜた。

照「こうしていると、昔よく眠れないと私の部屋を訪れた咲に絵本を読んでやったことを思い出すね」

咲「うん……」

照「今夜も良く眠れるよう、あの頃のように絵本でも読んであげようか?」

咲「もうそんな年じゃないから、いいよ」

咲が慌てて答えると、照は咲のうろたえぶりを可笑しそうに笑った。

819: ◆34iwA4dRok 2016/02/04(木) 01:03:28.94 ID:jj+jNsq90
照「……そういえば覚えてる?『雷神と嵐の神』の物語を読んであげた時のこと」

雷神と、その敵である嵐の神の物語。
それは姉が幼い咲に読み聞かせてくれた昔話のひとつ。


その昔、雷神に育てられた少女がいた。雷神はそれは大切に少女を育てた。
ある日少女は嵐の神の娘に出会い、彼女に連れられ共に雷神の家を出る。
少女がいなくなったことに気づいた雷神は、住処を出て少女を探した。
嵐の神は、少女を追いかけて現れた雷神を焼き殺した。

嵐の神は少女に言う。
「お前は元々わたしの家族だった。雷神はお前をわたしから奪った憎い敵。無事にお前を救い出せて良かった」
少女はいつしか雷神のことを忘れ、嵐の神のもとで幸せに暮らした――――


照「お前は昔、少女に置いていかれた雷神がかわいそうだと言って泣いてたね」

姉のその一言で、咲の脳裏に幼い自分が告げた言葉が鮮明によみがえる。

咲『あの子が行っちゃって、雷の神様はひとりぼっちなんだね』

咲『神様はさみしかったんだよね。神様、かわいそう……』

そう言って姉の前で大泣きした過去の記憶の気恥ずかしさに、咲は思わず赤面する。

照「あの物語を、咲がそんな風に感じるとは思わなかった。……ねえ、今でも少女に置いて行かれた雷神のことが可哀想だと思う?」

咲「……うん。今でもそう思うよ」

照「……そう。お前は優しい子だね、咲。あの頃と少しも変わっていない。優しくて真っすぐで、綺麗なまま」

咲「………」

照の染み入るような言葉に、咲は胸の奥に痛みを感じる。
綺麗なまま?――――違う。
照が知らないだけで、咲はもう何も知らない無垢な子供ではない。

820: ◆34iwA4dRok 2016/02/04(木) 01:28:21.58 ID:jj+jNsq90
咲「そんなこと、ない。私はもうあの頃の私じゃない。少しも綺麗じゃない……」

それ以上はもう何も言葉にすることが出来ず、咲はきつく唇を噛みしめる。

照「咲、止めなさい。唇が切れる」

囁くとともに、咲の髪を優しくすいた。
咲の心を慰めるように繰り返されるその優しい感触に、泣きたいような気持ちがこみ上げる。

照「咲、お前は何ひとつ変わっていない。お前の魂は綺麗なまま。誰にもお前の本質を穢すことなんて出来ない」

咲「お姉ちゃん……」

照「――――ねえ、咲。日曜は何か用事がある?」

咲「え……?」

特にはないけれど、と戸惑いながら姉を見上げて答える。

照「一緒に街に出かけない?気晴らしに映画でも観に行こう」

咲「うん……行きたい」

姉が咲を元気づけようと誘ってくれたことが分かったから、咲はすぐさま頷いた。

照「なら、早く休んで一日元気に過ごせるようにしないとね」

照「私がずっとついてるから、ここで安心して眠るといい。……お休み、咲」

姉の言葉と同時に、咲の身体に眠りの波が押し寄せる。
ようやく訪れた睡魔に身を寄せ、咲はゆっくりとまぶたを閉じた。

821: ◆34iwA4dRok 2016/02/04(木) 01:31:24.62 ID:jj+jNsq90
翌日。
目を覚ますと、照はもう部屋にはいなかった。
咲は照のベッドから起き出し、リビングへと向かった。

照「おはよう、咲」

咲「おはよう、お姉ちゃん」

照「まだ少し早いけど、もう少し寝なくていいの?」

咲「ううん。お姉ちゃんのおかげでよく眠れたから大丈夫」

照「そう、良かった。なら出かけようか。朝食も外で済ませるから、早く着替えておいで」

咲「うん、分かったよ」



照の車でやってきたのは、りつべ市に最近できたばかりの総合アミューズメントビル内の映画館だった。
最近流行りのシネマ・コンプレックス――――複合映画館というもので、
新作の娯楽映画から旧作のリバイバルまでバラエティに富んだラインナップを常時公開している。

照「咲、どの映画を観たい?」


1、家族アニメ映画『ポケパンマンの大冒険』
2、名作リバイバル映画『バビロン・天使の詩』
3、ミステリー映画『スパイ・サスぺクト』

安価下

833: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 00:20:13.14 ID:RdXIn4OW0
照「お、これを選んだね」

咲「知ってるの?」

照「原作を読んだことがあるんだけど、なかなか興味深い内容で印象に残ってるの」

咲「そっか、それは楽しみだね」




―――――上映が終了した。
咲の周囲の人々が満足げな表情で次々と席を立ち、灯りの点された館内を出ていく。

不思議な映画だった。
内容は、サーカスの少女に恋をしたとある天使が地上に降りて人間となり、少女に会いに行くという物語。
普通の恋愛映画という感じではなく、見終わった後に不思議に静かな余韻が残る――――そんな映画だった。

照「咲、映画はどうだった?」

咲「すごく面白かったよ。たまにはこういう映画もいいね」

照「そうだね、咲が楽しめたのなら良かった。やっぱり咲とは映画の趣味も合うようだね」

834: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 00:23:03.18 ID:RdXIn4OW0
映画館を出てから街でひとしきりショッピングなどを楽しみ、
最後に姉に連れられて来たのはこのスカイラウンジだった。
高層ホテルの最上階に位置する、りつべ市でも有名な欧風料理のレストラン。

店内にはゆるやかなピアノの音色が流れ、程よく落とされた照明の下で皆が食事を楽しみ、グラスを傾けている。
壁面いっぱいのガラス窓からはりつべ市の夜景が一望できた。

咲「すごいね……灯りが宝石みたい」

海鮮料理のフルコースを味わった後、デザートのクランベリーパイを食べ終えた咲が感嘆の意を述べた。
夜闇に街の明かりが浮かぶ眼前の景色に溜息が漏れる。

照「ここは料理の味も良いし眺めも良いから、咲を連れて来たいと思ってたの」

姉はこういった場所によく来るのだろうか?
大学の付き合いでか、それとも……
これまで照のプライベートに関して、あまり深く訊ねたことがなかった。
ふと心に浮かんだ疑問を口にする。

咲「お姉ちゃんは好きな人とかいるの?」

照「いきなり何を言い出すかと思えば……」

咲「お姉ちゃんに付き合ってる人がいるなら、どんな人か知りたいと思って」

照「そうだね……じゃあ正直に言うよ。好きな人なら、いる」

咲「同じ大学の人?」

照「ううん、もっとずっと前から思い続けてきた。何年前からになるのか私自身忘れたぐらい」

咲「ずっと前……それはお姉ちゃんの初恋なの?」

照「……そうかも知れないね」

835: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 00:25:54.03 ID:RdXIn4OW0
照「でも、困ったことに当の相手は、私自身持て余しているこの気持ちに気づかないまま」

照「いっそこんな感情は要らないと思っても、そうはいかない。人の想いとは侭ならないものだね……」

姉のような人に想われ、それに全く気付かないような人がいるなんて、咲には信じられない。
今まで咲のために色々と世話を焼いてくれた照には幸せになってほしい。

咲「お姉ちゃんの想いが、早くその人に届くといいね」

照「………。そうだね」

咲「お姉ちゃん?疲れてるんじゃない?」

せっかくの休日をつぶして、ずっと自分と過ごしてくれた姉が疲れたのではないか心配になった。
そう告げると、照は嬉しそうに微笑んだ。

照「咲といて私が疲れるはずないでしょう。むしろお前と一緒にいると、日頃の疲れが癒される気さえするよ」

照「咲と一緒に時を過ごすことは、私にとって何よりの幸せなんだから」

咲「お姉ちゃん……」

照「でもそろそろ帰らないと、咲の方が疲れてそうで心配。お前は昔から人混みが苦手だったからね」

照「今日は楽しかった。咲さえ良ければ、また一緒に出かけよう」

咲「うん、お姉ちゃん」

836: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 00:29:47.04 ID:RdXIn4OW0

――――――――――

かすかな光さえ見出せぬ深く暗い闇のなか。
咲は己の名を呼ぶあの声を、ただひたすら待ち続ける自分に気が付いた。

そう、待っている。
あの声を。あの響きを。

(……キ……)

―――――聞こえてきた。
あの声が、咲の名を呼んでいる。

(……サキ、来ヨ……)

待ちわびた声とともに、暗がりに灯りがともるように。

(……コチラに、早ク来ヨ……)

ぽっと白くほのかな光が生まれる。
目を凝らしてよく見れば、それは光でなく白い影だった。

(……来ヨ……)

―――――白影は闇を圧して拡がり続け、

(……我、汝のチカラ喰ライテ……)

―――――やがて、この身を包んだ。

(……現世二……)

誰かが背後から包み込むように咲を抱きしめている。
やわらかな抱擁に、そのままこの身を任せてしまいたくなる。

(……サキ……)

私を呼び、抱きとめる。
あなたはいったい……誰……?



……名を呼ぶ声の残響が耳に新しいまま、咲は浅い眠りから覚めた。

咲「……また、あの夢……」

あの夢を見たのは久しぶりのことだった。
いつとも知れぬ幼き頃より、咲の眠りを訪れるあの夢は、
年を重ねるごとに次第にあざやかさを増していく気がする。
夢の名残を払うように頭を振ると、咲はベッドを降りた。

837: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 00:31:45.29 ID:RdXIn4OW0
夢見が良くなかったせいか、今朝は少し気分がすぐれない。
生徒の群れに混じってうつむき加減に廊下を歩き、教室へと向かう。



午後になって雨が降り始めた。
出がけに見た天気予報では、降るのは夜半過ぎということだったので、傘は持って出なかった。
昇降口でしばらく雨を眺めて上がるのを待ってみたが、降り続く雨はやみそうにない。
それどころかますます雨足が強まっている。
これ以上待っても無駄だと諦め、咲は雨の中を走り出した。


家に帰り着く頃には、咲の全身はすっかり濡れそぼった状態になっていた。
十月の肌寒さが雨に濡れた身体にはひどく堪える。
雨を吸って重くなった制服が肌に張り付いて、脱ぎにくいのに苦労しながら私服に着替える。
少し熱っぽい身体を休めようと、咲は照が帰宅するのも待たず早々に床に就いた。

838: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 00:34:02.78 ID:RdXIn4OW0
ふと、身近に人の気配を感じて咲は意識を取り戻した。
熱でぼんやりする視界に、心配げに見守る照の姿が映る。

照「咲、ひどい熱……雨に濡れたの?ごめんね、私が迎えに行ってやればこんなことには……」

咲「お姉ちゃんのせいじゃないよ。私が傘を忘れたから……」

照「今夜はずっと傍についてるから、ゆっくり眠りなさい」

優しい声で告げる照に安堵を覚えた咲は、まぶたを閉ざして再び眠りについた。




額に当てられたひんやりとした手のひらの感触に、咲はようやく目覚めた。
目を開いて見上げると、案じるような眼差しが咲を見ている。

咲「お姉ちゃん……もう朝?」

照「うん。……熱が退かないね。学校に電話をいれておくから、今日はゆっくりと休みなさい」

咲「分かった……」

照「何か欲しいものはある?買い出しに行ってくる」

咲「薬を飲んで、一人で寝ていれば大丈夫だから。お姉ちゃんは大学に行って」

照「寝込んでる咲を一人になんてする気はない」

そう言うと、布団越しに優しく咲の胸元をたたいた。
眠気を誘う穏やかなリズムに、いつしか咲は眠りの中へと引き込まれていった。

839: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 00:37:46.62 ID:RdXIn4OW0
……夢を見ている。
いや、これは夢ではない。
記憶の深層に硬く封じ込めたはずの、忌まわしい出来事。


女の声が聞こえる。
含み笑いの声がなぶるように執拗に、容赦のない言葉を咲の耳元で繰り返しささやく。

母『諦めなさい、咲。助けなんて来ないわ』

そんなの嘘だ。
お姉ちゃんが帰ってくれば、こんな――――

母『いくら呼んでも、照は来ないわよ』

嘘だ。信じない。
絶対に従うものか。

母『泣いても、許しを請うてもお前を解放する気はないわ。諦めて大人しく私に従いなさい』

母『そうすればもっと優しくお前を扱ってあげる。……こんな風に』

言いながら生身の肌に触れる、母の手の感触。
嫌、嫌、イヤ―――――
もう嫌、止めて、離して……許して。
こんなの、違う。
こんなの、私じゃない―――――!

母『感じやすいことを恥じる必要はないわ。お前のこの身体に流れる血が、それを求めるのだから』

母『辛いでしょう?声を出してごらんなさい。ほら――――』

こんなの間違ってる。
こんなこと、許されない。

母『禁忌に触れることが怖い?なら、ひとつお前に良いことを教えてあげる』

840: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 00:42:10.47 ID:RdXIn4OW0
母『咲、お前は私の本当の娘じゃない。照もお前の姉じゃない、血の繋がらない他人よ』

――――分からない。この人は何を言っているの?
私とお姉ちゃんが姉妹じゃない……?

母『安心した?母子の間違いだけは侵さずに済んで』

どうしてこんな事をするの?
どうして、こんな――――

母『お前が悪いのよ、咲。お前という存在が私の飢えを誘い、欲を刺激する……』

母『諦めきれない権力への渇望が、抑えられない本能が私を衝き動かすの』

咲を押さえつける母の腕にさらに強く力が込められる。
掴まれた手首が痛みを訴えたが、懇願は相手を悦ばせるだけだと辛うじて声を上げるのを堪えた。

けれど。
痛みと、それを上回る感覚に縛されたように動けない。
荒々しく身体を貪る感触にあらがえない。



咲『もう許して、お母さん……!』

ついに堪えきれず上げた咲の言葉に、母は満足したように声を上げて笑った―――――

841: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 00:49:31.27 ID:RdXIn4OW0
咲「……!」

悪夢に追われるように目が覚めると、部屋にはすでに夜の帳が落とされていた。
ふらつく上体を起こし、咲は額に浮かんだ寝汗をぬぐう。
手足の先から血の気が退いて、熱にうなされたはずの指先がひどく冷たい。

……あれは夢。ただの夢にすぎない。
今はもう、咲にあの悪夢を与えた人はこの世にいない。
そう言い聞かせて震える身体を何とか静める。

ふと顔を上げると、薄暗い部屋の枕元に花瓶いっぱいに花束が飾られているのが目に留まった。
照がなぐさめに買って来てくれたのだろうか。
甘い花の香が、悪夢に動揺する心を落ち着かせるように優しく咲の中に滑り込む。
泣き出したいような気分が不意に押し寄せ、咲は立てた膝を押し付け、強くまぶたを閉ざした。

「……咲、起きましたか?」

いたわるようにかけられた声に、弾かれたように振り返る。
いつの間に扉を開けたのか、そこには水差しと氷のうを手にした良子が立っていた。

咲「良子さん?どうしてここに……」

良子「学校帰りにお見舞いに寄ったんです。どれ、熱は下がりましたか?」

咲の額に自分の額を押し当て具合を確かめると、良子は満足したように頷いた。

良子「オーケー。熱は退いたみたいですね。ずっと夢にうなされてるみたいだったので心配しました」

その何気ない一言に咲は雷に打たれたように身体をすくませた。
三年前、何も知らなかった咲を襲ったあの出来事。
熱に浮かされた夢うつつの中よみがえった、かつての忌まわしい記憶。

咲「私、何かおかしなこと言ってました……?」

良子「……いえ。特には」

咲「そうですか……」

良子「それより、早く照を安心させてあげなさい。咲を心配してずいぶんと落ち着かない様子でしたから」

咲「はい、良子さん」

842: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 00:54:19.50 ID:RdXIn4OW0
良子「じゃあ、私はこれで帰ります。お大事に、咲」

にこやかに咲に手を振って、良子は部屋を出て行った。
良子と入れ替わりに照が咲の部屋を訪れる。

照「良かった、その顔色だと熱は下がったみたいだね。でももう少し眠りなさい。無理は禁物だよ」

姉の言葉に、咲は思わず身を硬くする。
再びあの悪夢を思い出したらと思うと眠るのが怖い。
うつむいたまま動かない咲に、照がそっと訊ねる。

照「……嫌な夢でも見た?」

咲「………」

照「今夜は私がここにいるから、安心して眠りなさい。嫌な夢にうなされたら、すぐに起こしてあげるから。さあ……」


落ち着いた照の優しい眼差しにうながされ、咲は再び眠りに就いた。
静かで穏やかな安らぎの中、今度は一度も悪夢を見なかった。

843: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 01:38:46.69 ID:RdXIn4OW0
翌日。
大事をとって今日も休んだ方が良いのではとの照の反対を押し切って咲は登校した。
ゆっくり休んだおかげで動けるようになっていたし、何よりこれ以上姉をわずらわせたく無い。

授業の開始を告げるチャイムが鳴り、生徒たちは席についた。




4限目の化学の授業が終了した。
教科書をまとめて席を立つと、他の生徒にまぎれ咲も化学室を出ようとした。

良子「咲、ちょっと話があるから待っててください」

咲「はい」


生徒たちは次々と化学室を出て行き、間もなく咲と良子の二人きりとなる。

良子「熱が下がったばかりなのに、もう学校に出てきたりして大丈夫なんですか?」

咲「大丈夫です。お姉ちゃんも良子さんも心配性ですね」

良子「咲はどうも危なっかしいところがありますから、私も照もつい過保護になってしまうんです」

良子「そんなわけで、今日の帰りは車で送りますから待っていてください」

咲「分かりました。よろしくお願いします」

844: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 01:41:34.33 ID:RdXIn4OW0
良子「咲、照のことが好きですか?ずっと一緒にいたいですか?」

唐突な質問に、咲は戸惑いを覚えて良子を見上げる。

咲「どうして急にそんなことを訊くんですか?」

良子「イエスかノーかで答えてください、咲」

咲「……分かりました。私はお姉ちゃんが好きです」

咲「お姉ちゃんと、そして良子さんと。ずっと一緒にいたいと思ってます」

良子「……そうですか。咲が幸せなら、私はそれでいいです」

咲「良子さん……?」

良子「時間を取らせてすみませんでした。良かったら一緒に昼食を取りませんか?」

咲「はい。喜んで」


良子の優しい眼差しにうながされ、ふたりは化学室を出て食堂へと向かった。

845: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 01:43:14.16 ID:RdXIn4OW0

――――――――――

翌日。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、何事もなく授業はすべて終了した。
咲が校門を出ると、姉の車が近づいてきた。

咲「お姉ちゃん……?」

照「咲、今日は一緒に買い出しをしよう」

咲「買い出し?」

照「転校手続きや挨拶廻りやらにまぎれて、引っ越し祝いをしてなかったからね。二人でご馳走を作ってお祝いしよう」

咲を助手席のシートに収め、そのまま車で街へと出かけた。




照「思ったより大荷物になっちゃったね」

咲「そうだね」

料理に必要なものを買い込み、思いがけない量になった食材を抱えてふたりは家に帰り着いた。
キッチンの調理台に材料を並べ、さっそく二人で調理に取りかかる。

846: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 01:47:21.52 ID:RdXIn4OW0
前菜にえびの温野菜サラダ、トマトドレッシング添え。
ポワロのスープと、白身魚のポワレ香草風味。
牛肉の赤ワイン煮マカロニ添えをメインの肉料理に。
甘い物が苦手な咲のため、デザートはオレンジのゼリー寄せ。

まずは下ごしらえからと咲は野菜の皮むきを、照は肉に焼き色をつけて煮込む役割をそれぞれ引き受けた。
他愛のない会話を交わしながら、休まず手を動かし続け、手間暇かけた料理は仕上がっていく。

じっくり2時間煮込んだ肉を煮汁をこして器に盛り、オリーブ油をからめたマカロニを添え、テーブルに並べる。
焼き上がった魚をクリームソースの上に乗せ、全ての料理がテーブルに出そろう頃には、すっかり日は暮れていた。
程よく冷えたシャンパンを用意して、晩餐の準備は整った。

照「それじゃあ、乾杯」

テーブルの上の燭台に火を灯すと、部屋の照明を落とし席についた。
グラスの縁を軽く打ち合わせて鳴らし、微笑みを交わす。


妻や娘たちの存在を無視し、独り身のように振る舞う余所余所しい父。
娘たちに対して、決して打ち解けた態度をとることのなかった威圧的な母。

中学生になって姉と家を出るまで、親に構われることのない二人きりの姉妹として、
咲と照はあの冷たく広い邸宅で寄り添うように生きてきた。
頼りに出来ぬ両親の代わり、ずっとそばで咲を見ていてくれた照。

咲「いつもありがとう、お姉ちゃん。お姉ちゃんのおかげで、私は普通の生活を送っていられる」

照「大事な妹の暮らしが守られるよう務めるのは姉として当然。何も気にすることないよ」

咲「……妹……」

照が口にした『大事な妹』という言葉に、胸が苦しくなる。
自分はすでに知ってる。けれど姉にはそれを伝えたくはなかった。
これまでの二人の関係が変わってしまうような気がして。

847: ◆34iwA4dRok 2016/02/06(土) 02:07:20.14 ID:RdXIn4OW0
けれどもう、それも限界だった。

咲「……私は知ってるよ、お姉ちゃん。私がお姉ちゃんの本当の妹じゃないってこと」

照「咲……いつからそれを?誰がお前にそのことを?」

咲「三年前、お母さんが私に……」

照「……そう」

咲「………」

照「いい?咲。よく聞きなさい。お前が本当の妹か、そうでないか。私にとってそんなことは大した問題じゃない」

照「私がずっと大切に思い、守り続けてきたのは他でもない咲なんだから」

咲「お姉ちゃん……」

照「誰かに頼まれたとか義務だとか、咲のそばにいたことにそんな別の理由なんてない。ただ私が咲のそばにいたかっただけ」

照「咲に出会うまで、私は真にこの世界に生きてはいなかった。誰かを求めることもなく、何も必要とせず、私はずっと独りで生きてきた」

照「そうして生きていけると思ってた。なのに咲と共に暮らすうち、私の中で何かが少しずつ変わっていった」

照「不思議……あれほど不可思議だった『心』というものさえ、今ではよく分かる気がする。お前が私を変えたんだよ、咲」

咲「私が……?」

照「お前はよく私に迷惑をかけたと言うけど、そんな風に思ったことは一度だってない。私は咲の助けになれることが嬉しい」

照「私だけが一方的に、咲を必要としているんじゃないって思えるから……」

照「これまで通り、私はお前のそばにいたい。出来ればこの先もずっと」

咲「私も、お姉ちゃんとずっと一緒にいたい。お姉ちゃんの助けになりたい……」

咲のその言葉に、照の眼差しが喜びをたたえて優しく細められる。

照「そうだね……いつか咲の助けを必要とする日が来るかもしれない。その時は私に力を貸して。約束だよ、咲」

咲「うん。約束するよ、お姉ちゃん――――」

852: ◆34iwA4dRok 2016/02/10(水) 22:29:52.00 ID:iKGhhxgJ0

――――――――――

数日後。
その日も静かに他愛のない日常が過ぎる。
この不自然なほど穏やかな日々に、咲はほんの少しだけ不安を覚える。

照「どうしたの、咲?」

姉のやわらかな声に、すぐにその思いを打ち消した。



明日はいよいよ満月。
真白に輝く月の輪郭はほぼ真円に近い。
恐ろしいほど冴え冴えと美しい月を見上げ、咲は我が身を抱く腕に力を込める。
あまりに美しいものを目にすると、人は圧倒され不安になるのかも知れない。

照「咲、ぼんやりとして……何か考え事?」

咲「うん。月があんまり綺麗で、少し怖くなったの」

咲が答えると、照は月を見上げる目を細めて呟いた。

照「あの月が空に満ちては欠けるさまを、私は幾たびと目にしてきた……でも、月を美しいを思ったことはなかった」

照「私にとって月は、天の定めた刻を示す暦に過ぎない。月の満ち欠けに思いをはせる時……」

照「重ねた月日の永さに思い至って、心静かにはいられなくなる。私にとって月は、好ましい存在じゃない」

咲「お姉ちゃん……?」

照「――――けれど、お前と過ごすようになって少しだけ変わった」

照「お前が月を美しいと言うたびに、私の目にも次第に月が美しいものと映るようになった」

853: ◆34iwA4dRok 2016/02/10(水) 22:33:24.57 ID:iKGhhxgJ0
照「咲の言う通り、確かに今夜の月は美しい。何故だか目を奪われる」


……今夜の姉はどこかがいつもと違う。
何事か惑う思いがあり、その事に心の多くを奪われているように見える。

夜空に輝く月から視線を外さず、しかし心はどこかもっと遠い所を彷徨っているような照に、
咲は言い知れぬ不安と焦燥を覚える。
声をかけることが出来ないまま、咲は照の隣に並んで同じように月を見上げた。

照「……ずっと願いつづけてきた望みがある。その望みを叶えるため、私はこれまであらゆる手を尽くしてきた」

咲「望み……?」

照「………」


月はたまらなく美しかった。
けれど、どこかしら見る者の不安を掻き立てる。
その正体が分からないまま、咲は照の顔をぼんやりと見つめていた。

854: ◆34iwA4dRok 2016/02/10(水) 22:35:54.66 ID:iKGhhxgJ0

――――――――――

気が付けばまた、あの白い闇が身体を包んでいた。
ただひたすら暖かく心地良くこの身を抱いて離さない。

声が。あの声が、また。
咲を呼んでいる。

あらがい難い強き力で呼ぶ声に、
成す統べもなくただ引き寄せられる。

――――来よ、咲。我が元に
汝はもうすぐ我のもの――――





咲「……!」

呼ばれる声に目を開くと、朝の陽光が部屋を満たしていた。
咲はベッドから身を起こし、熱を持ったようにぼんやりとする頭をはっきりさせようと数回振る。

照「咲……起きたの?」

軽いノックの音と共に、咲の起床に気が付いたらしい照の声が扉越しにかけられる。
夢の残滓を強引に追い払い、咲はあわてて服を着替えた。

855: ◆34iwA4dRok 2016/02/10(水) 22:38:52.09 ID:iKGhhxgJ0
リビングにはいつもの朝と違うどこか張りつめた空気が漂っていた。
こちらに背を向けて立つ照に、一瞬咲は声をかけることを躊躇う。

照「……おはよう、咲」

咲に背を向けたまま照が言った。
いつもと変わりなくやわらかな声だったが、なぜか咲の鼓動が早鐘を打ち始める。

咲「おはよう、お姉ちゃん……何かあったの?」

照「それはどういう意味?何かあったように見えるの?」

振り返って訊ねる照の顔には、普段通りの優しい笑顔が浮かんでいるのに。
どうしてか胸の動悸は治まらない。

咲「あ……、別にそういう訳じゃ……」

照「それよりも、咲。これからすぐに出かけるから。お前を連れていかなければならない場所があるの」

咲「私を?どこへ……」

照「来れば分かる。――――いいから来なさい」

咲「お姉ちゃん……?」

照「ねえ、咲。覚えてる?私の助けになりたいって言ってたこと」

咲「え、うん……」

照「その時が来たの。私に、お前の力を貸してほしい」

姉の怖いくらいに深い瞳を間近にして、咲は身じろぐ事も出来ずただ立ち尽くす。

照「私に従ってくれるね、咲?」

咲「………」

促されるまま、咲は首を縦に振った。

照「いい子だね、咲……」

856: ◆34iwA4dRok 2016/02/10(水) 22:42:47.69 ID:iKGhhxgJ0
「おかしな事を……彼女の同意を求める必要なんてないじゃありませんか」

突然響いた声に、咲ははっと顔を上げる。

「もし逆らうのなら、力のままに従わせればいいだけの事なのです。だって彼女は『贄』なんですから」

「それとも共に過ごすうちに、その贄に情が移ってしまったとでも言うんですか?長」

振り向いた視界に飛び込む黒髪の少女。

咲「クロさん……?」

どうしてここに、と小さく呟く。
彼女はいつからそこにいたのか、宮永家のリビングに自然な笑顔で佇んでいる。

照「……クロ」

クロ「滑稽なものですね。育て上げ喰らおうとする捕食者を、そうと知らず無心に慕うひな鳥……」

咲「それは……どういう……」

クロ「まだ分からないのですか?それとも本当は分からないフリをしているだけですか?認めるのが恐ろしくて」

クロ「あなたはずっと騙されていたと言っているのです。それも、あなたが最も信頼する者に」

咲「……!」

クロ「ヒトならざる存在の血を継ぐ一族の長。それが、この方です」

掲げられた指先が示す人物の顔を、咲は呆然と見上げる。

咲「お姉ちゃん……嘘、だよね……?」

照「咲……」

咲の両肩を姉の手がそっと抱きしめる。
あたたかく優しいその感触。今まで信じてきたこの手の温もりも、全ては偽りだったのだろうか?

857: ◆34iwA4dRok 2016/02/10(水) 22:45:28.10 ID:iKGhhxgJ0
クロ「あなたという贄を内外の敵から守るため、長は最も身近な場所であなたの成長を見守って来られました。あなたの姉として」

クロ「それもこれも、特別な贄として用意されたあなたを儀式の刻に捧げるため」

咲「……!」

クロ「一族の崇める存在である始祖、あなたはその始祖のためだけに生まれた贄なのです」

クロの言葉が胸を貫くたび、全身から血の気が引く。
冷たく冷え切った心と身体が凍えるように寒い。
いっそここで意識を手放してしまえば楽になれる。

今にもその場に倒れ込みそうな咲を支えているのは、皮肉なことに肩を掴む照の腕だった。
自分の生殺与奪権を握る、咲の姉――――だった人。

咲「お姉ちゃんは、私を生贄にするの……?」

照「……私は咲を犠牲にしたりはしない」

クロ「何を言っているんです、長!その者は始祖をよみがえらせるための供物なのです!」

クロ「そのためだけに造られた、ヒトにあらざるものではありませんか!」

照「お前の指図を受ける気はない。身の程をわきまえるがいい」

クロ「……惰弱な感傷は一族を率いて上に立つ方にはふさわしくないもの。情に流され始祖復活を諦めるつもりですか!?」

照「お前の目的は、始祖の復活と代行者の抹殺だったね。無論そのことは忘れてはいない」

照「この世界の誰よりも、それを望んでいるのは私。お前などに言われるまでもない。――――去れ」

クロ「………」

照に慇懃な一礼をすると、冷ややかな視線を咲に投げつけ、クロは部屋を出て行った。
後には咲と照だけが残された。

858: ◆34iwA4dRok 2016/02/10(水) 22:51:08.18 ID:iKGhhxgJ0
姉が今日まで与えてくれた優しい庇護。
それは全て、照にとって咲が贄という道具だったからなのか?

咲「……お姉ちゃんは、私が贄だから今まで守ってくれたの?」

照「違う、咲。確かに始まりはそうだった。けど共に暮らすうち、それだけでは無くなった」

照「いつからか私はお前のことを、一族の長という立場から見ることが出来なくなっていたの」

咲「お姉ちゃん……」

照「もはやお前を始祖に捧げるただの贄として扱うことは出来ない。咲という存在を、失えないと思ってる」

照「初めは、妹として。今は……それ以上の存在として。私は咲を想っている。信じてほしい、咲」

照「お前に向けるこの想いだけが、私がこの世界で得た只一つの真実だよ」

咲「………」

咲を見つめる照の眼差しには、これまで咲が見たことのない、
苦しいような切迫した光が宿っていた。

照「咲、私はお前と生きることを望んだ。たとえそれが世界を混沌に導く選択だとしても、私はもうすでに心を決めた」

照「私は全てを捨て、お前と共に生きる道を選ぶ。そのためにはお前の力が必要なの」

姉の独白に、咲は何と答えるべきか。
己の心に問いかけた。


1、自分は初めから姉のもの
2、この人を選ぶことは危険だ

安価下

860: ◆34iwA4dRok 2016/02/10(水) 23:39:25.78 ID:iKGhhxgJ0
苦しいとき、辛いとき。照はいつでも傍で咲を支えてくれた。
照がいなければ、自分はとうの昔に生きることを放棄していたかも知れない。
姉に恩返しをしたい。ずっとそう考えて生きてきた。

咲が照のために出来ることは無いのだろうか?
照が咲に望むことは何だろうか?

常に求め続けてきたその問いに対する答えが、今ようやく分かった気がする。
照がこれまで自分を偽っていた事実でさえ、この決断の妨げにはならない。
咲は真っすぐに照を見つめて告げた。

咲「私の命は、初めからお姉ちゃんのもの。お姉ちゃんの好きにしていいよ」

照「……咲、お前は私の望むまま他の何もかも捨てて私に全てを捧げると言うんだね?」

咲「うん。私はお姉ちゃんのものだから……」

咲の言葉に、照は静かに微笑みを浮かべた。

照「……とうとうお前は私の許から逃げなかったね」

咲「え……?」

照「お前を捕らえる手を離し、普通に一生を送らせることがお前の幸せにつながるのだと迷いながら……」

照「自ら進んでお前の手を離すことを、私は選べなかった」

咲「お姉ちゃん……」

照「でも、咲自身が私と共に生きる道を選んでくれた。私はもう迷わない。―――咲、一緒に行こう」

咲「うん……お姉ちゃん」

864: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:04:18.48 ID:2nKTW9xl0

――――――――――

咲が照に連れられ、訪れたそこは、深い地底への入り口だった。

照「これより先、儀式の終わる時まで一族のいかなる者も祭祀の場に踏み入ることを禁ずる」

長の命と共に、祭祀場と地上をつなぐ唯一の扉が閉ざされた。
地底に秘された祭祀の場に向かう者は咲と照、クロの三人だけとなった。

長い長い地下への通路を、照に手を取られて下っていく。
姉の導きによりたどり着くこの先が、
決して安らぎに満ちた安住の地ではないことには既に気づいていた。
もはや後戻りは許されない。


クロ「ご覧ください、咲さん。あれが始祖のお姿です」

クロの指先の示すままに顔を上げ目を凝らすと、光の紗の向こうに何かが見えた。
銀色の長い髪、美しく整った顔立ちの女性。……いや、女性に見える両性具有の存在。
一見人と変わらぬ姿かたちだが、その背に生えた翼が、この存在が人ではありえないことを物語っていた。

咲「……あれは……天使……?」

クロ「いいえ―――――翼持つ邪神。一族の崇める存在である、始祖のお姿です」

眼前に輝きそびえ立つ、青白く澄んだ結晶のオブジェを見上げ、咲は呆然とつぶやく。

咲「あれが……始祖……」

琥珀の中に封じ込められた蝶のように、
澄んだ氷塊のなか刻を止め、凍りついて動かぬその姿は命あるようには見えない。

865: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:05:43.03 ID:2nKTW9xl0
クロ「今宵、あなたという贄を得てようやく始祖はこの世界によみがえる」

振り返ったクロが、咲へと笑いかける。

クロ「永い時を経て、やっとこの日を迎えることができた。長、早くその贄を儀式の場へ。間もなく月が中天に達します」

クロ「儀式の刻、咲さんが始祖の穢される瞬間が待ち遠しいのです」

咲「クロさん、あなたはもしかして私を憎んでいるんですか?どうして……」

咲がクロに出会ったのは、りつべ市に再び戻ってきたここ二週間ほどのことだ。
これほどあからさまに憎まれる理由が、どうしても分からない。

咲「憎まれる理由に心当たりがあるほど、私はあなたを知らない」

クロ「あなたはご存知なくても、私は昔のあなたを知っているのです。あなたが私を覚えていないだけのこと」

咲「それは、私がりつべ市に暮らしていた頃のことですか……?」

クロ「いえ……もっと、ずっと昔のことです」

咲「え……?」

クロ「昔のあなたを知っているのは私だけではありません。シロもあなたをよく知っています」

咲「あの人が……?」

クロ「シロがあなたを殺そうとしたのは、あなたが始祖に捧げられる贄だからという理由だけではないのでしょう」

クロ「あなたが一族に絡めとられ、良いように利用されていることが彼女には許せなかったのでしょうね」

866: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:08:32.18 ID:2nKTW9xl0
クロ「可哀想な人ですね、あなたは。結局今も昔も始祖のものなんですから」

クロ「――――ああ、そういえば。あなたの昔を知るものがもうひとり存在しました」

咲「……それは……?」

クロ「始祖です。あなたの事を、とてもよく知っている」

咲「え……」

クロ「だからこそ、復活のための贄が他ならぬあなたでなければならなかったのでしょうね」

言いながら、クロの腕が咲を掴もうと伸ばされる。
――――その時。


クロ「……ぐ……!」

咲「……!?」


目の前で繰り広げられた異様な光景に、咲は声もなく立ち尽くす。
照の左腕がクロの胸を貫いていた。

クロ「……なぜ、私を……!?」

照「お前は代行者の対なる翼。お前の力を代行者に奪われることがあれば厄介。なら、奪われる前に消してしまえばいい」

クロ「だから私を……!?」

照「クロ、お前は充分に生きた。ここで終わりにしても構わないでしょう?」

クロ「ぐは……っ」

照の腕が、また少し深くクロの胸に食い込む。
クロは血の気を失った顔を上げ、痛みに喉をあえがせながらも不敵な笑みを浮かべてみせた。

867: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:10:59.15 ID:2nKTW9xl0
クロ「あなたが一族の長なら、私がこの程度では死なないことをご存じでしょう?あなたに私は殺せない」

クロ「私の命を絶てるものはシロと、あとは……」

照「お前に力を授けた存在か、それと同程度の力を持つ存在くらい――――でしょう?」

歯を食いしばって耐えるクロの胸から、照はゆっくりと腕を抜いた。
握り締めた照のこぶしが、手のひらを上に開かれる。
そこには、光を放つ『石』がひとつ、乗せられていた。

照「これが、お前の命を支える要」

クロ「そんな……まさか!それを私から分かつことが出来るなんて!もしや、あなたは……」

照「長年に渡る、お前の働きに感謝する。おやすみ、クロ。もう眠りに就くがいい……永遠に」

手のひらの上で音もなく石が砕け散った。
きらめく破片が舞い散り、石の放つ淡い光がはかなく消えた。
あやつり糸が切れた人形のように、クロがかくんと膝をついた。

868: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:14:19.70 ID:2nKTW9xl0
クロ「……あ……」

生気を失った瞳が、誰かの姿を求め、辺りをさまよう。
クロの指先が何かを求めるように、かすかに虚空に伸ばされる。
咲はクロのそばに跪いて、力なく投げ出されたその手をそっと握りしめた。

クロ「……あなたは……私を許すのですか。あなたを傷つけ、危険に晒そうとしたこの私を?」

咲「クロさん……」

クロが口元に淡く掃かせた微笑みは、終わりを目前にした者の静けさに満ちていた。

クロ「時折、思わずにはいられなかった。あなたを憎まずにいれば、私たちには別の道もあったのでは、と……」

クロ「あの日々が続いていればと……いえ、それこそ、つまらない……感傷、ですね……」

溜息のような呼吸を最後に、クロの瞳にかすかに灯っていた命の光が消えた。
命の失われる瞬間を目の当たりにして咲の身体が震える。
魂が黄泉路へと駆け去った肉体がただの抜け殻と化していくのが分かって、哀しかった。
クロの身体が、白い光に包まれあがら薄れていき、やがて消えていった。

869: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:17:54.08 ID:2nKTW9xl0
咲「なぜ……クロさんを?彼女は仲間じゃなかったの?」

照「クロは咲に危害を加えることにこだわっていた。あのまま生かしておけばお前の身が危ういと判断した」

照「だから消したの。……私が恐ろしい?咲」

咲「……それでも、お姉ちゃんについて行くって決めたから」

照「そう……。じゃあ、そろそろ行こうか」

咲「どこへ……?」

照「私とお前が、共に生きるための世界を手に入れに。でもその前に――――出てきたらどう?代行者」

姉の声とともに、物陰にひそんでいたシロが音もなく姿を現した。

シロ「騙されないで、宮永咲。あなたの姉はあなたを利用するのだけが目的。あなたは贄として扱われるだけ」

照「私は咲を、ただの贄としては見ていない。ただの贄として扱う気もない」

照「今の私の望みはひとつ。誰の妨げも受けず、咲と共に生きること。邪魔をしないで」

870: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:20:37.29 ID:2nKTW9xl0
シロ「そんな言葉は信じられない。それなら何故あなたは始祖をよみがえらせるの」

シロ「共に生きたいという望みと、始祖を復活させる行動は、彼女が贄である限り相容れない」

照「………」

シロ「あなたが始祖の復活を成そうとする限り、私はあなたを倒す」

照を狙うシロの視線に冷たい殺気がこもる。
姉をシロから守らねば、と考えた瞬間、咲の身体は動いていた。

咲「お姉ちゃん、危ない……!」

照の喉元を薙ぐ構えを見せたシロに、咲は精一杯の力を込めてぶつかった。
咲の行動があまりに思いがけないものだったのか、シロは容易くバランスを崩し、よろめいた。

シロ「なぜ……」

咲「お姉ちゃんは殺させない……!」

咲の宣言にシロが目を見開く。
戦いの最中であることを忘れたように、シロの腕が構えを解いた。
咲を見つめるシロの瞳には、信じる者に傷つけられた者のような、ひどく頼りない光が宿っていた。

照「咲を惑わすのはそこまでにしてもらう。咲はすでに選んだ、私を生きることを」

シロ「………」

871: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:22:39.50 ID:2nKTW9xl0
照「咲と共に在るのは私、お前ではない。今のお前は咲には無用の存在。大人しく消えなさい」

静かに告げる照の腕が、無防備なシロの胸を貫いた。

シロ「……っ」

照「お前の力は我々とは相反する力。お前は私にとって危険な、排除すべき敵でしかない」

微笑を浮かべ、シロの胸からゆっくりと腕を引き抜く。
胸を押さえ、色を失った唇を引き結び、シロは照を見上げた。
照がシロに見せつけるように、握り締めたこぶしを開く。
手のひらには、クロの時と同じように石が淡い光を放っていた。

照「もうお眠り、お前は私には勝てない。――――昔も、今も」

シロ「……あなた、は……」

照の手のひらから石が砕け散った。辺りに破片が舞い散る。
どこか厳粛な面持ちでその光景を見つめていたシロは、
砕け散った石の最後のきらめきが消えると、ゆっくりと咲に視線を向けた。

静かな眼差しだった。
凪いだその瞳の中には怒りも憎しみも、そして絶望さえもない。
ただ静けさに満ちていた。

シロ「……あなたが彼女を選んだのなら、それもまた運命。この結果を私も受け入れよう」

シロ「他ならぬあなたが与えたものなら……それも良い。後悔はない」

そう言いきるシロの声は、いっそ穏やかなくらいに静かだった。
諦めではなく、全てをあるがまま受け入れることを決めた眼差しが咲を見つめる。
取り返しのつかない選択をしたという畏れと、理由の分からない喪失感とを咲は覚えた。

872: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:39:13.52 ID:2nKTW9xl0
それでも、もはや咲は照を選んだ。
たとえ姉がこの世界にどんな災厄をもたらす存在だとしても、咲は選んだ――――

決意をこめシロを見つめ返す咲の表情に、咲の思いの強さを見たのか。
満足したようにうなずいて、シロはまぶたを閉じた。
シロの身体が光に包まれながら薄れていく。

咲「………」

まばゆい光の最後の欠片が消えたとき、シロの姿はすでにその場になかった。

照「……これで、この世界に私を脅かす存在はいなくなった。さあ、おいで……咲」

招くように、照が手を差し伸べた。
咲は黙ってその手を取った。



凍り付いた刻の中に封じられた異形の姿を見上げ、照は咲を振り返った。

照「咲、お前の力を私に貸して。あれをここから解き放つ」

何をすればいいのか分からず戸惑う咲の肩を抱き寄せ、照は咲の左手首を取る。
照の人差し指が咲の手のひらを真一文字になぞった瞬間、痛みがはしった。

咲「……!」

てのひらに刃物で切られたような傷が走り、その傷口から鮮血がしたたり落ちる。
その血のしずくが地面に描かれた円陣へと落ちる。
その刹那、目に見えない波動が広がったように空間が震えるのが分かった。
咲の視界に始祖の姿を入れさせ、照は幼子に言い聞かせるようにささやいた。

照「さあ、詠じて咲。呪縛からの解放のことばを。お前の魂は、そのことばを知っている」

咲の唇が無意識のうちにことばを紡ぎはじめる。
それはすでに滅びた時代の、神を祀るためのことば。
ことばが詠唱となって辺りを響かせる。

873: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:43:22.38 ID:2nKTW9xl0
長い詠唱を終え、ようやく息をついた時には、
高まる内圧にめまいを覚え立っているのがやっとの状態になっていた。

照「……ありがとう、咲。あとは……」

顎を掴み、照が咲の顔を強引に上げさせる。

咲「んっ……!」

全てを貪ろうとするような照の激しい口づけに、拒むことも出来ず翻弄される。
すがりつく指先に無意識のうちに力がこもる。
照の手が咲の手に重ねられ、奪われるような力強さで、指先ごとに握り込まれた。

照「お前を、手に入れるだけ……」

咲をようやく解放した照の唇が、咲の耳に熱くささやきかけ、ゆっくりと首筋をたどる。
反射的に逃れようとして、恐ろしく力強い抱擁に咲の動きは封じられる。

照「咲、私を拒まないで。拒めば私自身、何をするか分からない。私に逆らわないで」

咲「……お姉……ちゃん……」

もはや何をされようと、今の咲には照に逆らう意思はない。
照の言葉に、黙ってうなずいた。

照「いい子だね……ごらん、咲。あの異形の姿を」

咲「あれは……」

照「神なんて呼ばれてるけど、あれはそんな至高の存在じゃない。獣の本能に縛られた生き物に過ぎない」

照「次元の狭間に封じられ動けぬ器から、あの生き物は一部だけど霊魂の自由を取り戻した」

照「あれは必要に応じて獄から己の魂を抜け出させ、地上に影響を与えてきた。その行いのひとつが、一族―――」

874: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:45:30.12 ID:2nKTW9xl0
照「あれがこの世界に一族を造った最大の目的は、己が地上で動く身体を得るため、ただ人を超える力を持つ肉体を誕生させること」

照「己の血と力を継いだ血族を造り、ついには記憶までも継いだ化身ともいえるヒトの器に宿り、あの獣は長として一族を導いてきた」

咲「え……」

照「始祖の霊魂の一部を、血のうちに宿して生まれたヒト。それが――――この、私」

咲「……!」

照「そう……あれは私。あの異形の獣は、この私自身の姿なんだよ、咲」

姉の衝撃的な言葉を理解しきれず、咲は混乱する。
照が、始祖?
咲を贄と決め、目覚めてヒトを喰らい、世界を滅びに導くもの――――?
およそ信じがたい告白は、しかし見上げた照の眼差しを目にした瞬間、全て真実なのだと分かってしまう。

咲「……ヒトを滅ぼさず、共存は出来ないの……?」

照「ヒトを喰らわずに私に生きろというの?それは不可能だよ」

875: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:48:43.58 ID:2nKTW9xl0
照「ヒトが家畜を喰らい腹を満たすように、私もヒトの命を喰らわないと力を得ることはできない」

照「何よりそうしてヒトを喰らって力をつけないと、私は地上に存在することも叶わない」

咲「………」

照「私とお前がこの世界に共に在るためなら、他の何を犠牲にしても構わない」

照「咲、力を与えて。私がお前と共に生きるための力を――――」

赤い光を放つ照の瞳が、魂まで縛りつける強い力で咲の視線を奪い取る。
目をすらすことも出来ず、照の顔が近づくのを、咲は唇を震わせながらただ見つめた。

角度を替え、繰り返されるごとに深まる照の行為。
息苦しさに思わず開いた咲の唇を割って、舌を絡め、唇に軽く噛みつき、照は咲を貪る。
重ねられ、深く触れ合う舌を介して咲の身体から照へと、力の流れる感覚がある。
これまで覚えたことのない、魂ごと奪われるような激しい感覚が咲の身体を支配する。


世界と引き替えに選んだ、この道がもたらす犠牲の重さに怯む咲の心を溶かすように、照の唇と指が咲に触れる。
照の触れた場所が熱くはらんで、もう何も考えられない。

ゆっくりと地面に横たえられながら、咲は静かに目を閉じた――――。


876: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:51:34.51 ID:2nKTW9xl0

――――――――――

照「……咲、眠ったの?」

そっと声をかけてみたが、咲の返事はない。
覗き込んだ腕の中、余程疲れたのか、目覚める様子もなく昏々とした眠りに就いている。
……少し意地悪く扱いすぎたか。

シーツに丸くなって眠る咲の静かな眠りを妨げぬよう、
そっと目じりに浮かぶ涙の雫をぬぐって、身を起こす。

時刻を見れば、午前零時を過ぎたばかり。
都会に住まうものたちが眠るには、まだ少し早い時間だ。



ブラインドを開けて窓から外を見下ろせば、
眼下に立ち並ぶ高層ビルの街灯りが人々の営みを示して未だまばゆく輝いている。
夜景を見下ろしながら、薄く笑う。

世界は今、この手のひらの上でゆっくりと変容していく。
この私がかく在るべきと望むかたちへと。

始祖の力を取り戻し、そばに咲の存在ある今。
ヒトの心を支配する力を持った私に望みを妨げる者は、すでに地上には存在しない。
使役のため、新たな眷属を作り出すこともこの手には容易い。

877: ◆34iwA4dRok 2016/02/11(木) 22:53:29.00 ID:2nKTW9xl0
代行者不在のこの地に私を止めるものは無い。
人を、世界のすべてを、少しずつ望むものへと変えていく。

急いで喰らい尽くしてこの世界を壊す気はない。
ゆっくりと、ひそやかに、私は世界を呑み込んでいこう。

――――咲。

無防備なまでに一途に、やわらかなその身を私に差し出して眠るこの小さき存在に、
なぜ私はここまで心奪われてしまったのだろうか。

欲望のまま、心のおもむくまま全てを手に入れ貪り尽くすはずだった贄と、
共に在ることを最大の望みとするとは……
堕ちたものだ、と――――そう思う。

でも、それもまた一興。
今はただ、咲と共に在るこの刻を守るため、世界を手に入れよう。


おやすみ、咲。
今はしばし安らかな眠りのなか、良い夢を。


照 True End

引用元: 【咲-Saki-】咲「私が…贄…?」【たまに安価】