『こんにちは。この間はごめんなさい。水銀燈から話は聞きました。
貴方が私を救いに来てくれたのだと、彼女は言っていました。
他にも、色々あったのだと。だから、水銀燈は、手紙を書いてあげてと
私に助言をしてくれました。何かしら、私の知らない所で何があったのかしら。
隠し事は良くないわ。キチンとお姉さんに教えなさい。
でも、疲れたのならしっかり休んでね。16歳の私でさえ、佐原さんたちと
話すのが嫌でしょうがなかったんですもの。
貴方はまだ14歳ですものね。
いいのよ、ゆっくり休んで、水でも飲んだらいいわ。
でも、一つだけお願いしちゃっていいかしら。
近いうち、またこの病院のこの部屋に来てほしいの。
貴方はまたしんどい思いをしてしまうかもしれない。
でもね、今度は違うわ。
疲れたら、私のベッドに座っていいのよ。寝転がってもいい。
でもね、変な気起こしちゃダメよ。私の心臓は繊細なのよ。
ちゃんと優しく扱ってね。
4: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:02:02.99 ID:GsULn9tf0
嘘よ。
嘘ばっかりよこんなの。
私にそんな器量、あるわけないじゃない。調子こいてたわ、
ごめんなさい。
私は知っての通り、身体が弱くて、心も狭くて、ただの淋しがりよ。
だから本当は…寄り添ってほしい。私に。
私は貴方と一緒にいたい。
別に変な意味ではありません。
ジュン君になら れてもいいです、とか、そういう
変態チックな事を伝えたいのではありません。
思春期の貴方には自制してもらって、私は好き勝手させてもらうわ。
じゃあね、また、ちゃんと来てね。
有栖川病院 316号室 柿崎めぐ 』
14: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:11:59.00 ID:GsULn9tf0
10日後。
自室のベッドに座り、ジュンが手紙を読んでいる。
「何してるです?」
パソコンを弄りながら翠星石が尋ねる。
「ん」
ペラッと2枚目をめくるジュン。
「手紙」
「誰からです?」
「お前の知らない人」
その言葉に頬を膨らませた翠星石は、椅子を降り、ベッドに
よじ登ってジュンから手紙を奪おうとする。
「おい、何すんだよ、見づらいだろ」
「いぃーから見せろです。翠星石も読みたいですぅ」
ぐぎぎ、と紙を引っ張る。
「わかった、一緒に読もう、それでいいだろ」
やれやれ、とジュンはため息をついた。
18: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:20:08.22 ID:GsULn9tf0
あの時、喉を貫いた所で、雪華綺晶は消滅した。
そこから出てきたローザミスティカは、本来水銀燈の物に
なるはずであったが、水銀燈はそれを拒否した。
理由は未だに分からない。あれほどアリスゲームにこだわっていた
水銀燈に、何が起きたというのだろうか。
話の見えないジュンをしり目に、水銀燈は3つのローザミスティカを持って、
nのフィールドに向かい、金糸雀、真紅のそれぞれに、
ローザミスティカを戻してしまった。
四肢をバラバラにされた真紅、喉に風穴が開いていた金糸雀が
それで目覚めるはずもなく、二人はジュンの部屋の鞄の中で眠っている。
唯一ローザミスティカを奪われずに残っていた翠星石を、次に起こし、
その翠星石の力を借りて、マスターたちを起こしていった。
ジュンはその時の事を思い出す。
24: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:33:34.28 ID:GsULn9tf0
「………ここは…?」
めぐがうっすらを目を開ける。
「めぐ」
水銀燈は上から覗き込み、不安そうな表情になる。
「……水銀燈?私…」
「喋らないで」
顔が横を向き、ジュンと目が合った。
「あら……」
「め、めぐさん」
「私…ベッドに寝てたんじゃ……」
「え」
半身を起こすめぐ。
「パパは?今日家に連れて帰ってくれるって言ってたのに」
きょろきょろと見回す。
「……パ……」
驚きが、徐々に諦めに変わっていく。
「そっか……」
その沈んだ瞳を、ジュンは忘れられない。時おり見せた、
あの笑っていない眼差し。
「………」
『誰もいない、この世界に呼び戻すつもり?何のため?』
フラッシュバックする、雪華綺晶の言葉。
めぐがうっすらを目を開ける。
「めぐ」
水銀燈は上から覗き込み、不安そうな表情になる。
「……水銀燈?私…」
「喋らないで」
顔が横を向き、ジュンと目が合った。
「あら……」
「め、めぐさん」
「私…ベッドに寝てたんじゃ……」
「え」
半身を起こすめぐ。
「パパは?今日家に連れて帰ってくれるって言ってたのに」
きょろきょろと見回す。
「……パ……」
驚きが、徐々に諦めに変わっていく。
「そっか……」
その沈んだ瞳を、ジュンは忘れられない。時おり見せた、
あの笑っていない眼差し。
「………」
『誰もいない、この世界に呼び戻すつもり?何のため?』
フラッシュバックする、雪華綺晶の言葉。
26: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:38:56.37 ID:GsULn9tf0
翌日。
ジュンは病院の入り口に立っていた。
「………」
だが、正直どの面下げて会いに行けばいいのか、分からない。
ドクン、と、桑田由奈の顔が思い出される。
「う…」
視界がぐらつく。
違う、自分はめぐに会いに来たのだ。
ぶんぶんと首を振り、そう言い聞かせて、ジュンは中に入っていった。
29: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:45:38.15 ID:GsULn9tf0
「あら」
ちょうど病室の中には、看護士の佐原が食事を運んできていた。
「あ、いらっしゃいジュン君」
ベッドの上から、めぐが手を振る。
「それじゃね、めぐちゃん」
にこっと手を振り、佐原が廊下へ消える。
「水銀燈は?」
「ここよ」
真下を指さす。
「へ?」
「出てらっしゃい、水銀燈」
言葉の後、ずりずりと水銀燈が、ベッドの下から
這い出てきた。
「…どうして私がこんな事……」
口を尖らせている水銀燈。めぐは気にせず煮つけを頬張っている。
「ふうーっ」
食事を終え、めぐは食器を片づけに廊下に出ていく。
33: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:53:21.74 ID:GsULn9tf0
「…なあ」
二人きりになった所で、ジュンが口を開く。
「…一つ訊きたかったんだけど、いいか?」
壁際の水銀燈が、視線をジュンに向けてくる。
「ええ、どうぞ」
「どうして、真紅たちのローザミスティカを奪わなかったんだ?」
「………」
水銀燈は少し、何か考えているように見えた。
「…どうした?」
「答えた方が、いいかしらぁ?」
「ああ、いや、何となく訊いてみたかっただけなんだ。答えたくないなら、
それでいいよ、僕は」
「………」
ジュンは諦め、椅子に座り直す。
「私、気づいちゃったのよ」
不意に水銀燈が口を開いた。
「え?」
ガチャリ、とドアが開き、めぐが戻ってくる。
「ねぇねぇ、牛乳1パック余ってたから、もらって来ちゃった」
「えぇ?」
「ジュン君飲む?」
「いや、僕は」
「あらそう」
37: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 00:58:15.98 ID:GsULn9tf0
「じゃあ、水銀燈あげるわ。貴方いつもカリカリしてるから、こういう乳製品、
摂った方がいいんじゃないかしら」
「お黙りなさいめぐ。どの口がそんな事言ってるのかしら」
ふん、と窓の方に目を向ける。
「あら、怖い」
「………」
いつもこんなやり取りをしてるのだろうか。
「あ、ねえ、ジュン君、時間あるかしら?」
布団を畳みながら、めぐが問いかけてくる。
「え、ん、んん」
「そう、じゃあ」
ベッドから降りるめぐ。
「ちょっと、散歩しない?」
41: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:05:12.75 ID:GsULn9tf0
中庭の蝉は、より一層うるさく鳴き続けている。
「凄い鳴き声だな」
「そうね」
二人は並んで、並木道を歩き続ける。
「でもね、ジュン君」
「何?」
「蝉はね、成虫になって、一週間で死んじゃうじゃない?」
「…うん」
「だから、一生懸命鳴いているのよ、きっと」
前を向くめぐ。正面、南からの日差しが、めぐの笑顔を、一層
引き立てている。
「僕はここにいる。私はここで、一生懸命に生きている」
「……」
ジュンはめぐの横顔をじっと見つめる。
「私には、そう言っているように聞こえるわ」
「めぐ…さん…」
立ち止まるめぐ。
「どうしたの」
「ふふ」
めぐは微笑んだまま、すっと右手を差し出してきた。
「手、繋ぎましょうか」
51: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:15:00.33 ID:GsULn9tf0
「…………」
二人の姿を、向かいから来る患者らしき人が、ちらちらと
見ながら通り過ぎていく。
「………」
ジュンは些か恥ずかしい気分になる。
「ねえ、ジュン君」
「うん?」
「私はね、目覚めたあの時」
少しうつむくめぐ。
「ああ、この世界に戻ってきてしまったんだ、って、
思ってしまったのよ」
「……」
やはりあの時の表情は、そういう意味だったのだ、と確信するジュン。
「私は本当は、パパに甘えたかった。優しくしてもらいたかった」
「……」
「水銀燈がいて、貴方がいて」
「………」
「私はこんな病気を持っていなくて、いつまでも楽しく、幸せに過ごせる日々」
「めぐさん…」
「でもね、私最近思うのよ」
胸を押さえるめぐ。
「皆、いつか終わりが来るから、一所懸命に生きるんだなぁって」
「……」
「死にたくなるほどのどん底があるから、人は幸せを幸せと捉える事が出来る」
二人の姿を、向かいから来る患者らしき人が、ちらちらと
見ながら通り過ぎていく。
「………」
ジュンは些か恥ずかしい気分になる。
「ねえ、ジュン君」
「うん?」
「私はね、目覚めたあの時」
少しうつむくめぐ。
「ああ、この世界に戻ってきてしまったんだ、って、
思ってしまったのよ」
「……」
やはりあの時の表情は、そういう意味だったのだ、と確信するジュン。
「私は本当は、パパに甘えたかった。優しくしてもらいたかった」
「……」
「水銀燈がいて、貴方がいて」
「………」
「私はこんな病気を持っていなくて、いつまでも楽しく、幸せに過ごせる日々」
「めぐさん…」
「でもね、私最近思うのよ」
胸を押さえるめぐ。
「皆、いつか終わりが来るから、一所懸命に生きるんだなぁって」
「……」
「死にたくなるほどのどん底があるから、人は幸せを幸せと捉える事が出来る」
59: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:25:35.04 ID:GsULn9tf0
「……」
ジュンは少しうつむき加減になる。
「ジュン君、ちょっと休みましょう」
はあ、はぁ、とめぐが息を荒げ、ベンチに座り込む。
「ふうーっ」
天を仰ぎ、大きく息を吐く。
「うっ」
途端、めぐは胸を押さえ、苦しそうな顔になる。
「え、ちょ、ちょっとめぐさん、大丈夫?しっかり!!」
「うう、うう」
「わ、ど、どうすれば」
「なーんちゃって」
伸びをしながら、あははは、と笑うめぐ。
「な、か、からかわないでよ!」
「あはは、ごめんなさいね、面白かったから」
楽しそうに笑うめぐ。
66: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:35:08.60 ID:GsULn9tf0
「……ねえ」
呼吸を整え、めぐが口を開く。
「ん」
「ジュン君、私、幸せに見える?」
「えっ?」
身を乗り出し、ジュンを上目遣いに見てくる。
「わ、わ」
首筋にめぐの吐息がかかり、ジュンはぞくっと身体を震わせる。
「どう?」
「ど、どうって言っても…」
「私はね、幸せよ。貴方とこうして手を繋いでいられて」
ぎゅっと手を握りしめる。
呼吸を整え、めぐが口を開く。
「ん」
「ジュン君、私、幸せに見える?」
「えっ?」
身を乗り出し、ジュンを上目遣いに見てくる。
「わ、わ」
首筋にめぐの吐息がかかり、ジュンはぞくっと身体を震わせる。
「どう?」
「ど、どうって言っても…」
「私はね、幸せよ。貴方とこうして手を繋いでいられて」
ぎゅっと手を握りしめる。
70: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:38:20.81 ID:GsULn9tf0
「ちょ、ちょっと、また引っ掛けようったって」
「あら、この目が嘘ついてるように見えるのかしら」
「……」
「よく見て」
更に二人の顔が近付く。
「ちょ……」
「もっと」
めぐの手が、ジュンの両肩に置かれる。
「う…」
「もっと……」
フウ、フウ、という、息の音まで聞こえる距離。
「………」
めぐが瞳を閉じる。
「………」
ジュンの唇に、何かとても柔らかいものが触れた。
何か温かく、それでいて、ぬめっとした感触。んぷ、んぷ、と、
妙な音が何度も聞こえた。
「あら、この目が嘘ついてるように見えるのかしら」
「……」
「よく見て」
更に二人の顔が近付く。
「ちょ……」
「もっと」
めぐの手が、ジュンの両肩に置かれる。
「う…」
「もっと……」
フウ、フウ、という、息の音まで聞こえる距離。
「………」
めぐが瞳を閉じる。
「………」
ジュンの唇に、何かとても柔らかいものが触れた。
何か温かく、それでいて、ぬめっとした感触。んぷ、んぷ、と、
妙な音が何度も聞こえた。
81: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 01:45:34.84 ID:GsULn9tf0
「……………」
昼が近付き、ジュンはぼーっと遠くを眺めていた。
自分の肩で、めぐが寝息を立てている。
まるで小さな子どものように、めぐが呼吸をする度に、
彼女の柔らかさが伝わってくる。
「……………」
頭の中は、真っ白なようでいて、何かふわふわとしたものが
花畑の中を舞っている。
この感覚は何だろう、とか、ジュンはそういった疑問すら
浮かんでこなかった。
ただ、そこから一歩も動く気は起きなかったし、きっと隣で
寝ているめぐも、同じ事を考えていただろう、と、ジュンは感じていた。
99: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:05:15.05 ID:GsULn9tf0
「真紅たちを?」
椅子に座ったジュンが、驚いたように言う。
「ええ、そうよ」
めぐがベッドの上から答える。
「大丈夫よ、貴方は私が壊した人形の魂を、自身の手で
呼び戻してみせたじゃないの。私知ってるのよ」
「あ……」
「ローザミスティカは金糸雀、真紅の中にある。それを貴方が直す」
「…僕に…」
「ジュン君、よく聞いて」
顔を上げるジュン。
「私は真紅と話したわ。色んな事を」
「………」
「貴方にはあの子が必要なのよ。きっとこれから訪れる、
色んな局面で」
「……真紅」
「だから、直してあげて。あの子たちの魂も、きっとそれを望んでると思うから」
ふふ、とめぐは笑う。
104: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:12:59.21 ID:GsULn9tf0
「……」
ジュンは目を閉じる。
自分がつらい時、倒れそうになった時。
いつも傍にいてくれた少女。胸の奥が苦しい時は、胸をさすってくれた。
布団にくるまっている自分を、部屋の外で、ずっと見守っていてくれた。
ローゼンメイデンの第5ドール、真紅。
そして今、彼女が迷子になっている。自分を守るために犠牲となって、
暗闇の世界を彷徨っている。
「ジュン」
壁際、水銀燈が呟いた。
「迎えに行って、あげなさい」
そう言って、少し笑った。
「…うん、分かったよ」
ジュンはこくりと頷く。
「その代わり」
めぐは言葉を続ける。
ジュンは目を閉じる。
自分がつらい時、倒れそうになった時。
いつも傍にいてくれた少女。胸の奥が苦しい時は、胸をさすってくれた。
布団にくるまっている自分を、部屋の外で、ずっと見守っていてくれた。
ローゼンメイデンの第5ドール、真紅。
そして今、彼女が迷子になっている。自分を守るために犠牲となって、
暗闇の世界を彷徨っている。
「ジュン」
壁際、水銀燈が呟いた。
「迎えに行って、あげなさい」
そう言って、少し笑った。
「…うん、分かったよ」
ジュンはこくりと頷く。
「その代わり」
めぐは言葉を続ける。
108: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:19:44.23 ID:GsULn9tf0
「あの子たちが直るまで、ここには来ないで、ジュン君」
「え?」
ジュンは思わず声を上げる。
「……」
水銀燈が、視線を伏せる。
「もう一度ここに来る時は、真紅を連れてきて欲しいの」
「そ、それはどうして」
めぐは少し首をかしげ、諭すように呟く。
「あの子には、お礼を言わないといけないの。私は」
「お礼?」
「そう、こんなに幸せにしてくれた、お礼を」
「……」
「それに、貴方の扱い方も、勉強しておきたい」
「あっ……」
扱い方。
「なぁに、勉強しちゃまずい事なのかしら。貴方の扱い方を分かっている人と、
全然分かってない人、どっちがいい?」
意地悪っぽく笑うめぐ。
「えっ……あ」
真っ赤になるジュン。
113: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:24:21.46 ID:GsULn9tf0
「決まりね」
めぐは視線を少し下に向け、安心したように笑う。
「ね」
手を組み、遊ばせながら呟くめぐ。
「直したら、真紅と一緒にここへ来て…」
ジュンはその様子を見つめている。
「また、手を繋いで、お散歩しましょう」
そう言って、右手を出す。
「約束」
「ああ、必ずまた来るよ」
頷いたジュンはめぐの手を取り、力強く握手した。
「………」
水銀燈はその様子を見ていたが、やがて窓の外に
視線を移す。
窓の外は、蝉の鳴き声がいつまでも続いていた。
119: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:31:57.89 ID:GsULn9tf0
それから4ヶ月が過ぎ、季節は肌寒い冬。
ジュンはめぐに、手紙を書いていた。
「……ジュン」
背後から、紅色の人形が声を掛ける。
「何をしているの?」
「ん、ああ」
カリカリ、という音。
「めぐさんに、手紙を書いてるんだよ」
「手紙?」
「ああ、ちょっと病室で手紙を取れなくなったらしいんで、
住所は別なんだけど」
「へえ、そうなの」
「ねえ、しんくー、ヒナのクレヨンどこ行ったか知らない?」
ドアの隙間から、雛苺が入ってきた。
「知らないに決まってるでしょ。雛苺、少しは片づけというものを
覚えなさい」
「う~、わかったの」
ととと、と二階へと上がっていく。
124: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:39:41.08 ID:GsULn9tf0
雪華綺晶が消滅した器を使い、ジュンは雛苺までを復元する事に成功した。
蒼星石は無理だったが、翠星石は、それについては納得してくれた。
今日は、直ったという知らせ、そして、いつ遊びに行けばいいかを
書いている。
これはめぐからのリクエストで、『直ったら手紙で連絡下さい』と言われて
いたためだ。
そして投函してから一週間後。
129: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:46:01.96 ID:GsULn9tf0
ジュンは有栖川大学病院の入り口にいた。
「う~、寒い」
コンビニ帰りの道、そこにこの大学病院は位置している。
「あら」
入口で、佐原と出くわした。
「こんにちは、桜田君」
「こんにちは」
ジュンを見て、ふと首をかしげる佐原。
「桜田君、身長伸びたかしら」
「え?え…どうだったですかね…」
「ええ、まあよく分からないけど、何だかカッコよくなったわよ」
ははは、と笑う二人。
136: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 02:57:52.95 ID:GsULn9tf0
「ところで、今日はどうしたの?」
「え」
不思議そうに見つめてくる。
「あ、あの、柿崎めぐさんに会いに」
「…え?」
突然佐原の表情が訝しげになる。
「最近会ってなかったから」
「……さく…最近?」
「ええ、ここ4ヶ月くらい」
「………桜田君」
「少し前から手紙も返ってこなかったんで、どうし」
「桜田君こっち来て」
言葉を途中で遮り、中庭にジュンを引っ張っていく佐原。
「な…ど、どうしたんですか」
「あの子は2ヶ月前に亡くなったわ」
157: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:15:48.26 ID:GsULn9tf0
ビュオオオオオ、と、木枯らしが吹き荒れる。
「…え?」
ジュンは、一瞬目の前の女性の言葉が理解出来なかった。
「発作が、その少し前から悪化してて」
何。何?
何を言っている。
この佐原という看護士は何を言っている。
コンビニの袋が、どさりと地面に落ちた。
162: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:20:17.04 ID:GsULn9tf0
ジュンはメモを持って走り続けていた。
「はっ、はっ」
閑静な住宅街を突っ切り、小高い山の麓にある教会。
人が住んでいるような形跡はあるものの、庭は荒れ放題である。
「はっ、はっ」
それはつまり、誰かが忍び込んで宿にしていても、おかしくない、という事だ。
玄関口に、黒い羽根。
「水銀燈!!」
ジュンはありったけの声で叫んだ。
「出て来い!!水銀燈!!」
反応はない。
「水銀燈出て来い!!ふざけんなこの馬鹿野郎!!ふざけんな!!」
ジュンは涙が溢れてくるのを感じた。
「何で教えてくんなかったんだ!!お前分かってたんだろ!!」
物音ひとつしない。
「おい!!答えろよ!!答えろよこの!!」
ガチャガチャと門を揺するジュン。
「ジュン」
透き通った声が聞こえた。
166: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:26:10.57 ID:GsULn9tf0
上空から、黒翼の天使が舞い降りてきた。
「――――水銀燈」
涙と鼻水でくしゃくしゃになったジュンの顔を、悲しそうに見つめる
第1ドール。
「ジュン」
何かを通り過ぎてしまったような、その死んだ眼に、ジュンは言葉をつぐんだ。
「………」
「……」
しばらくの沈黙。
「―――良かったわ、今日会えて」
破ったのは水銀燈だった。
172: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:35:12.32 ID:GsULn9tf0
「今日、渡しに行こうと思ってたの」
そう言って、懐から封筒を取り出す。切手などは貼っていない。
「………」
「気づいてしまったのね」
「………」
「ごめんなさい…ずっと、黙っていて」
その瞬間、水銀燈の胸倉をつかむ。
「きゃ…!」
「ふざけんな!!何がごめんなさいだよ。何が!!!」
喉の奥から、何か熱いものがこみ上げてくる。
「何が……う……」
水銀燈をつかんだ手を離し、ジュンはその場に崩れ落ちる。
「どうして、どうして……」
「ジュン…」
「何で、何で何で何だよおおおおおおおおあああぁぁぁぁっっっっ!!!!!」
ジュンはその場に突っ伏し、嗚咽を漏らし始める。
「ジュン……」
水銀燈は口元を押さえ、その場にへたり込んだ。
「ああ、ああ、ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、めぐ、めぐ」
ぶるぶると震えながら、水銀燈は何度も鼻をすすった。
177: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:42:12.37 ID:GsULn9tf0
―――ごめんなさい
―――今の私には、こうして
―――貴方の胸元にいてあげる事しか出来ない
―――許して
―――どうか許して
180: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:45:29.59 ID:GsULn9tf0
―――あの頃から、めぐの息切れが早まったの
―――きっとあの子も、もう気づいていたと思うわ
―――敏感な子だもの
―――何でも分かってしまう
―――分かり過ぎるから
―――9月に入って、めぐは別れの手紙を書き始めた
―――集中治療室に運ばれる回数も増えた
―――胸を押さえる回数が増えて
―――まともに喋れなくなって
―――食事もまた食べなくなった
185: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:50:26.43 ID:GsULn9tf0
―――ベッドの衣ずれが、「痛い、痛い」って
―――何度も貴方に言おうと思ったわ
―――でも、めぐはその度に
―――言ったら舌噛んでここで今死ぬわよって
―――絶対それは許さないって
―――胸を押さえながら言うの
―――真紅たちが直ったっていう報告が来るまで
―――教えないでほしいと
―――報告が来たら、私の死を教えてほしい
―――あの子には、真紅が必要なのよ
191: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 03:55:25.13 ID:GsULn9tf0
―――私は死ぬ
―――でも、ジュン君は生きている
―――だったら、これから生き続ける人たちと
―――幸せになって欲しいから
―――その時に、手紙を渡してあげてほしい
―――もうすぐ書き終わるから
―――貴女はどこへでも飛んでいきなさい
―――貴女は生きている
―――野良猫になってしまっては駄目
―――キチンと幸せになりなさい
195: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:00:12.99 ID:GsULn9tf0
―――生きるっていうのは、つらいわよ
―――正直、5歳で死んでれば
―――つらい事の大半は、経験しなくて済んだのよ
―――首を吊ろうとしてみたり
―――親を騙して、睡眠薬を飲んでみたり
―――剃刀で手首を切ろうとしたり
―――でもね、よっぽど深く切らないと
―――死ぬような勢いで血は出ないの
―――睡眠薬も、ホントに大量に飲まないと駄目
―――首なんて、キチンと準備しないと苦しくて死ねない
196: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:02:56.80 ID:GsULn9tf0
―――そうしてね
―――人は、自分が死ねなかったと自覚した時
―――どうしようもない絶望を知る
―――でもね、生きてて、私は今良かったって思えるの
「それは、私たちに出会えたから」
壁を背に座り込み、ジュンは泣きながら水銀燈を
撫でている。
「…そう、めぐは言っていた」
水銀燈は何度もジュンの胸をさすりながら、すん、すん、と
鼻をすすっている。
「ねえ、ジュン」
眼を閉じ、かすれた声で呟く水銀燈。
200: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:10:08.55 ID:GsULn9tf0
「私、別のどこかへ行こうと思うの」
すん、と鼻を鳴らす。
「別のどこか……?」
「ええ……どこか遠く。どこか…とても遠い所に」
ジュンはしばらく水銀燈を撫でていたが、
やがてその手を止め、身体を離す。
水銀燈は塀の上に立ち、一度ジュンを振り返る。
「行くのか…?」
「ええ…また、縁があれば、どこかで会いましょう」
水銀燈はごしごし、と鼻をこすり、ティッシュで拭く。
「………」
震えながら、水銀燈は一度大きく深呼吸をし、
くしゃくしゃの顔に笑顔を作って見せる。
203: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:17:43.26 ID:GsULn9tf0
「さようなら、桜田ジュン。私はめぐを救えなかった。
自分の事しか考えていなかった。
蒼星石も、雪華綺晶も、私が壊したの。
全ては私のワガママから始まった。
めぐを巻き込まないなんて、都合のよい話はどこにもなかった。
私があの子と契約しなければ良かったのかもしれない。
貴方はそんな事ないって言うかもしれない。
でも、私の心の中を、後悔がいつも彷徨っている。
だから私は、この街から消える事にするわ。
でもね、これだけは間違えないで。
めぐは幸せそうに死んでいったわ。貴方にお礼を言っておいてと。
私が傍で泣き続けているのに、あの子はずうっと笑ってた。
そうして頭を撫でてくれた。
仲良くなってた看護士さんも誰も呼ばずに、そのまま…。
207: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:20:44.99 ID:GsULn9tf0
最後にね…めぐはこう言っていたわ。
『いつか、どこかで、また逢いましょう』
それじゃね、バイバイ」
水銀燈は翼を広げて飛び上がり、そのまま冬の、
灰色の空へと消えていった。
木枯らしが吹き抜ける中、舞い落ちる黒い羽根が、ジュンの
周りへと降り注いでいた。
212: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:29:32.53 ID:GsULn9tf0
ベッドの上に、手紙が広げられていた。
数枚の便せんに、びっしりと書かれた文字。
ところどころ、何か震えてペンが走ったような跡があったり、
くしゃくしゃになっている部分がある。
けれど、文字は一文字一文字が、しっかり丁寧に、
書き綴られていた。
215: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:30:37.29 ID:GsULn9tf0
桜田ジュン君へ
最初に言っておきます。この手紙が、私からの最後の言葉になります。
ごめんなさい、私はもう貴方とは会えません。
遠くへ行く事になりました。
あの316号室から、私は引っ越さないといけなくなりました。
本当は貴方にキチンと会って、謝るべきなのだと思っていましたが。
心配しないで。私は貴方の気持ちを十分分かっているつもりよ。
最初の私は、貴方にどう映っていたのかしら。
今となっては、私には推測しか出来ません。
貴方のシャツの裾を引っ張って、脇腹をつねりながら
「ねえ、私ってどんな感じだった?」なんて尋ねる事はもう出来ない。
でもあれから何度も来てくれた貴方の御蔭で、
私は幸せでした。きっと。
216: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:31:17.19 ID:GsULn9tf0
あれから病院食もキチンと食べた。
ほうれん草のおひたしも、噛めば噛むほど味が滲み出てきて、
割と美味しかったわ。知ってる?
うちの病院食ってね、1Fの集中調理室で作ってて、盛り付けしてる時には
60度を超えてるの。熱すぎじゃない?正直。
でもね、それには理由があって、私たちの所に届く頃には、
食べやすい温度になっているんですって。ちょっと意外で、知らなかったわ。
本当は、私の知らない所で、皆が優しかった。
私、佐原さんに時計投げつけてケガさせちゃった事があるの。
でもね、佐原さん怒らなかった。あの人優しかったでしょ。仕事だからっていうのもあるのかもしれないけど、
多分そういう性格なんだろうなぁ、って、今になって思うの。
私が水銀燈を追いだした時もそう。別に彼女は同情していたわけじゃない。
私に真正面から向き合っていただけ。
私はそれに気付かなかった。有栖川大学病院の316号室で、じっと
一人でうずくまっていただけ。
正直気づくのが遅すぎた気がしています。私の人生は、限られていた。
貴方たちよりもずっと。だったら、私を見守っている小さな世界だけにでも、
キチンと向き合うべきだった。
けれど私は、後悔なんてしていない。
219: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:32:37.43 ID:GsULn9tf0
これは諦めじゃない。冒頭で書いたけど、あれはウソです。
私はこの手紙で終わりにするつもりなんてない。
でも私はこれから、ずっと先まで話せなくなる
この身体はじき動かなくなって、冷たく腐ってゆく。そうなる前に
私は焼かれ、骨になって箱に入れられる。
こうなる事はずうっと昔から分かっていた事。
でもね私は貴方に出会えて、前を向く事が出来た。
負け犬同士だったけど、私は少しでも、そこから
這い上がれたかしら。
生きてる意味なんてないと思ってた。
水銀燈も真紅という人形も同じ。いずれ絶望して
滅んでしまうのなら、楽しむ必要なんてない。生きてる意味なんてない。
違ったの。皆そう、生きてる意味なんて皆知らない。
必死になって自分が生きてる意味を探す。探しあてようとする。
そのために生きているんだって分かったわ。
221: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:33:27.94 ID:GsULn9tf0
私は死ぬわけじゃない。先に向こうの世界に行くだけ。
しばらく会えなくなるだけ。またこの世界で貴方に会うために。
追いかけてきちゃダメよ。 貴方はキチンとこの世界で、
幸せになって頂戴。
学校に行けば女の子だっていっぱいいるし、
男の子の友達だってまた出来ると思うわ。
10年も経てば貴方は仕事に就いて、結婚相手を探している頃かも
しれないわね。
いいのよそれで。幸せになる事を忘れないで。
そうしてこの別れが美しい思い出に変わる頃にでも、私はまたこの世界に戻ってくるわ。
今度出会えたらもっとお話ししましょう。その時傍に水銀燈がいてくれるか
分からないけれど。
222: ◆JtU6Ps3/ps 2008/07/19(土) 04:34:06.74 ID:GsULn9tf0
今、私の横で、水銀燈が泣いています。バカみたいに
わんわん泣いているのよ。ホント、バッカみたい。
ごめんね、ごめんなさいね、こんな事しか書けなくて。
もう何を書いていいか分からない。どうしていいか分からない。
でも、これだけは言える。ありがとう、桜田君。
またいつかめぐり会える時が来たなら…
私はまた、あの316号室で、待ってるから。
だから…… 身体には気をつけてね また逢いましょう この世界で
柿崎めぐ
【完】
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