1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 21:50:55.39 ID:/EjL3wMx0
暑い。

陽射しが肌に突き刺さるような感覚を受け、私は深く帽子を被り直した。

まだ七時過ぎだというのにこの暑さは異常だ、と太陽に文句を吐きながら私は校門につっ立っていた。

通学路には学生の姿が多くなり始め、また1日が始まったんだなぁ、と実感させられる。

「りっちゃん先生、おはようございます」

「おはようー、今日も暑いなー」

桜ヶ丘の制服を来た生徒達が私に声を掛けていく。

先生、か……。

やっぱりそう呼ばれるとついさっきまでこの学校に通っていたと思っていたのに、今はさわちゃんと同じ立場になっちまった。

私、田井中律はここ、桜ヶ丘の教師となった。

さわちゃんに憧れた、とか、何か約束を果たしに来た、とかいう理由なんてはまったく無い。

正直成り行きだ。

大学でそういった資格の勉強をして、免許を取って、学校に配属されて。

そして今、私はここで教壇に立っているのだ。

「……今日は暑くなりそうだな」

2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 21:53:13.75 ID:/EjL3wMx0
日焼け止めクリーム塗っといてよかったと思いながら一人一人生徒達をチェックする。

例えば、スカートを  ていたり、シャツ出しっぱなしだったり。

そんな事をしていた側が、そんな子を注意する側になってしまった。

いやー、あの時の先生の心中ご察し致します。

いくら注意したって無駄なのに注意しなくちゃならない労力ったらありゃしない。

「りっちゃん先生おはー」

「おはよう、スカート短いよ、シャツはしまう」

「はーい」

「返事だけなら亀でも出来るぜ」

音楽室のトンちゃんはまだ生き延びていて、音楽室を使う人たちの癒しとなっていた。

今やどういった理由でトンちゃんが来たということを知る生徒はいないはず。

知ってるのは私とさわちゃんだけか。

「律先生おはようございますー」

「うっーす、携帯いじりながら歩くなよー」

そう言えばこの時間辺りに私達も登校していたなぁ、と思い、私は一緒に通った親友の顔を思い浮べた。

4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 21:55:31.47 ID:/EjL3wMx0
私達が卒業してから、ムギは有名女子大に、唯はあれから死ぬ気で勉強して和と一緒の大学に、そして澪と私も某、大学へと進路を決めた。

梓はあれからジャズ研の……なんとかちゃんと憂ちゃんを無理矢理けいおん部に加入させ、新一年生と共に部活をしていたらしい。

結構、梓は……なんだっけな……確か専門学校に、憂ちゃんは姉とは違い楽々唯と一緒の大学へ進学した。

あの時は唯と憂ちゃんの学年が一緒にならないかたまにくる連絡に冷や冷やしていた。

そして私達は……。

「さーて、授業始めるぞー。静かにー」

チャイムの音と共に騒つく教室に入り、パンパンと手を叩く。

きりーつ、と生徒が怠そうに立ち上がり、頭を下げるのを見届けたのち、私は自作のノートを開きながら今日の板書を確認する。

「今日は教科書30ページの『羅生門』の3行目からやるぞー」

私は慣れたように黒板の下にある長いチョークを指先で掴み、チョークが削れる音を感じながら文字を連ねてゆく。

もう授業も慣れたものだ。私がこの学校に入って二年が経過し、ようやく生徒からも、学校からも信頼され始めた頃。

おぼつかなかったチョーク使いも上手くなった。

「じゃあ少し音読してもらうか……今日は二日だから……ん、二日?」


七月二日、七月二日……んー、何かあった気がする。

何かの記念日だったかなぁ。えーと……うーんと……

5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 21:58:05.51 ID:/EjL3wMx0
「あっ、ムギの誕生日」

つい口に出してしまった。

生徒達の目が丸くなる。

ムギって誰っていう目だ。全く、ムギの会社系列で学食のパン売っているっていうのに。
いや知らなくて当然だ。

「りっちゃんー、ムギって誰ー?もしかして彼氏とか?」

一人の元気な女学生の一言が連鎖し、うっそー、信じられない~と、とたんに騒つく教室で私に込み上げてきたのは怒りなんかじゃなく、にやけてしまう馬鹿馬鹿しさと懐かしさであった。

「ムギが彼氏……ムギが聞いたらショックだろうなぁ」

「で、りっちゃんその人誰?」

先生と付けろ、先生と、と注意しながら私はチョークを指先でもてあそぶ。

「高校の頃組んでたバンド仲間でさ、すっげーお嬢様だったんだ。毎日お菓子とか持ってきてくれて……」

「先生とは正反対な人?」
「オマエ、テストマイナス10点な……実際は正反対なんかじゃなくて近かったかな、私とムギは」

ほら、音楽室に棚があるだろ?と私は話を続ける。

「あそこにあるティーカップの一部はそのムギが持ってきたんだよ」

「あれ、先生ってここのけいおん部だったんだ」

6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:00:23.29 ID:/EjL3wMx0
「けいおん部部長だったんだぜ、これでも……あー懐かしいなぁ」

今、ムギは海外で父親の秘書をやっているらしい。
最後に会った時の事はもう昔の思い出になってしまっていた。

「先生の時のけいおん部は何人くらいいたの?」

「私の同級生が3人、あと後輩が1人、そして私の5人しかいなかったんだ。今じゃ何十人っているんだろ?私達の時は後輩も入ってくれなくてさ」

「じゃあムギさんが同級生で、他の人は?」

確かいま聞いてきた子はけいおん部じゃなかったかな?と教室の後ろに立て掛けてあるギターケースを見る。

「ギターが少し生意気な後輩と、あとわたし達と一緒に入部してきた初心者がいてさ……ライブの時は声は枯らすわ、ギターは忘れるわ……けど天才だったんだろうな」

あの音楽センス、才能だったんだろう。今、唯はギターをまだ弾いているのだろうか。案外、ぎー太も押し入れの中で永眠してそうだが。

梓も今どこにいるんだろうなぁ。まだバンド続けていたりして。

「そして、ベースが私の親友だったんだ。中学の時かな、一緒にライブのDVD見て、バンドっていいな、カッコいいなって思ってさ、あれがきっかけだったんだよな」

一緒にベース選んだり、ドラム値切ったり、毎日毎日二人で練習して、高校でバンドを組むことを夢見て……。

そしてあの素晴らしい青春の日々があって。

「じゃあその親友がいなかったら先生バンドしてなかったんだ」

「そうだな。あいつがいなかったら大学にも行ってないし」

「じゃあ大学まで一緒だったの?」

7: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:02:48.49 ID:/EjL3wMx0
ラブラブ~、と教室が沸く。確かラブラブだな、私が男だったらよかったのに。

「そう。まぁ、私が進路決められなくて親友が行く学校にしたんだけどな。将来の夢なんてなくてさ、ただ私は離れたくなかっただけだった」

「ふーん……じゃあ」

と、生徒達が私を見た。
ある生徒が口を開く。

「今はその親友はどうしてるんですか、先生?」

「いや、それがな……」

そう言えば今日辺りまた顔を出してみるか。

「今、入院してるんだ。結局大学卒業してもあいつは先生にはならなかったし……さっ、少し無駄話しちまったな、授業飛ばすぞ」

と、わたしはえー、という生徒の発言を聞き流し、チョークを黒板に躍らせていった。


そう、今、秋山澪はとある総合病院に入院している。

これが運命なら受け入れるしかない。

私も、澪も、もう大人になってしまったから。

8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:05:53.48 ID:/EjL3wMx0
「先生さよならー」

「おう、じゃあなー」

放課後、どたばたと帰る生徒に手を振り、私も職員室を目指していた。

部活に行くもの、自宅に帰るもの、はたまた見つからないように遊びに行くもの……生徒達は様々だ。

急に騒がしくなる放課後に私はまた昔を思い出しながら歩いていく。

先ほどのギターを持った子が私に手を振りながら横を通り過ぎた。

今からけいおん部に行くのかな?
まだ顧問はさわちゃんがやっているらしい。
お茶会がなくなってからは合唱部に行っているらしいが。実際は引っ張られてるとかなんとか。

もっと自分の部活に責任持てよ、とも言えない私がいる。

私も全然行ってないからな。
なんか行ってしまうと思い出が薄れる気がして。

と言う建前であまりにけいおん部が多くなってなんというかリアクションがとれなかったのもある。

そして、先生は忙しいのだ。

「あら、田井中先生」

「さわちゃ……先生、お疲れ様です」

職員室前、ふと顔を上げるとさわちゃんがニコニコしながらこちらを見ていた。

9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:08:25.59 ID:/EjL3wMx0
さわちゃん老けないなぁ……何かまた化粧品でも多用してるんだろうか。
「ちょっと時間いいかしら」

と、手を引かれ、私は職員室から少し離れた廊下へと逆戻りさせられる。
……机のお菓子を盗み食いしたのバレたかな?

「……今日、今から澪ちゃんの病院いくんでしょ?」

「えっ、あー、まぁそうしようかなって思ってたけど」

「じゃあこれ私からの気持ち。あとの事は他の先生に言っておいてあげたから今日はお見舞いに行ってきてあげなさい」

と、私は封筒みたいなものを無理矢理手渡される。

「なんだよ、さわちゃん直接渡せばいいのに」

「私も忙しいのよ。本当は顔見せてやりたいんだけど、合唱部と吹奏楽の大会近いし」

「あー、そうだよぁ。さわちゃん人気あるから引っ張りだこだからな」

やっぱりカリスマなのかねぇ、そういうのって。
私達の時、けいおん部でだらけていたさわちゃんは本当に疲れていたんだろうなぁ。
先生になってから痛いほど実感する。

「じゃ、そういうことだから澪ちゃんによろしくね」

じゃ!、とさわちゃんは私に手を振りながら音楽室側の階段へと向かっていった。

……まぁ、そういう事なら存分にさぼらせてもらいますか。
私はさわ子、と無造作に書かれた封筒をしまい、職員室へと歩いていった。

10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:10:44.13 ID:/EjL3wMx0
本当にさわちゃんの言った通り、職員室の先生方には話が通っていて、私はそそくさと帰らされてしまった。

なんだか美味しそうな差し入れがあったんだけどなぁ、残念。

私は職員の昇降口からひょい、とスニーカーを取り出し、踵をつぶさないように履きながら駐車場へと向かった。

落ち着いた黄色の車が私のだ。みんなからは派手と言われるがトレードマークだからしょうがない。

むわっ、という熱を身体中に浴びながら乗り込み、エンジンを掛ける。

4時過ぎか……と、エアコンの冷たい空気を浴びながら呟く。

まぁ、ギリギリ。

ラジオを付け、よしっ、と掛け声と共に私は車を走らせた。

――――――――

『こんにちは、いやー今日も暑いですね、さすがの私も今日は家から出たくなかったです、さて今日のテーマはずばり青春!薄着!』

ラジオから聞こえるパーソナリティーの声に耳を傾けながら病院へと向かう。

道路にはちらほらと学生がいて、それをいちいちチェックしているところを思うと、職業病らしい。

『私も最近は皆さんとこうやって番組を楽しくやらしてもらってますが、私にだって学生時代、とかそういった淡い青春があってですねー』

赤信号、とブレーキを掛ける。
淡い青春ねぇ……私のは濃かったな、うん。

『私、見えてもっていうかラジオじゃ見えないんですけど学生時代はジャズなんて洒落たものやってまして……今だってギター弾けるといえばもてますからねーヒューヒュー』

11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:13:13.93 ID:/EjL3wMx0
ん、そういえばこの声、いつも思うんだけどどこかで聞いた声だよなぁ。

『本当は私にも憧れた先輩なんかがいちゃったわけですよ、あっ、ウチ女子校だから私のファンの人は安心してね。けど、その先輩は違う音楽サークルで……まぁ、同級生はそこにいましたけど羨ましかったなぁ』

ん、あいつまた服装乱してるな。明日注意してやろ。

『まぁ、結局はその憧れの先輩も卒業しちゃって私は晴れて人数の足りなくなったその部活に晴れて入部させられましたとさ、めでたくない、めでたくない!……はぁ。さっ、きを取り直して今日の一曲目、放課後ティーブレイクの新曲、いきますよー』


と、ラジオから軽快な音楽が流れ始める。
放課後ティーブレイク…だって。
略せばHTBかな?

なんとなくボーカルが梓の声色に似ている気がする。

あいつもこうやってメジャーになってたりしてな。

と、私は暫く、梓に似た歌声を聞きながらアクセルをぐいっ、と押し込んだ。


―――――――。

『はいっ、と言う訳で放課後ティーブレイクの新曲、『桜ヶ丘ティーブレイク』でした~。最近売れてきたこのバンド、みんなチェックしてるかな?
いやー、私も今までギター練習してたらこのバンドにいたかもしれないよ~たぶん無理だよ~!じゃあ次お便り紹介します~ラジオネームええっと……』

私は病院の駐車場に車を停め、キーを抜く。

さすが総合病院だけあって駐車場は広いが混雑しているのを見ると世界には怪我人病人が溢れているらしい。

助手席に置いてあるカバンを取り、混雑している駐車場を抜ける。

13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:15:45.93 ID:/EjL3wMx0
んー、いつ来たって慣れないな、ここ。

「あれ、あなた……」

ん、と声を掛けられた私は大きな自動ドアの前で振りかえる。
そこには赤い眼鏡がトレードマークの懐かしい顔があった。

「おう、和。久しぶり」

「やっぱり律だったのね。こうやって現場の格好をしてお互い会うの初めてだから一瞬誰かと思ったわ、律先生」

「スーツがそんなに珍しいかよ。それより私は白衣姿の方が新鮮だな、和先生」

と、私は白衣を纏う『先生』に笑い掛けた。

和はこの病院で医師として働いている。まぁ、まだ研修医らしいが。

「どうだ、やっぱり研修医は大変か?」

「ううん、そうね。色々と覚えなくちゃいけないし……けどやりがいはあるわ」

「言うと思った。和はいつだって頑張ってるイメージあるしな」

「そういわれると何かアレだけどありがとう。今日は澪のお見舞い?」

よく見ればまだ白衣に『着られている』和に尋ねられ、ああ、と頷く。

「さわちゃんにも行けって言われてさ。何か手渡されたし」

「さわ子先生が……まだ学校にいるのね」

15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:18:28.36 ID:/EjL3wMx0
「ああ、今だに人気者で恨めしいぜ」

「律だって人気あるんじゃない?カチューシャ取ったあなたも素敵よ」

そうか?と長くなり始めた前髪を照れ隠しで弄りながら、小さく笑う。
もうさすがにカチューシャの年でもないからなぁ、私達。

「じゃ、私仕事に戻るから澪とさわ子先生によろしくね」

「ああ、和も頑張れよ」

と、和は私に手を振り、別病棟へと歩いていった。

和も医者の卵か……あ、あれちなみに唯は今いずこに……?

多分、どこかでのほほんとやってるんだろう、と思いつつ、手続きを取りに病院内へと入っていった。



「はい、306号室の秋山澪さんですね、ではここにサインお願いします」

「たいなか…りつ、と」

「はい、ありがとうございます。そこのエレベーターから3階になりますね」

どうも、とペンを返し、慣れない病院の匂いを肺一杯に吸いながら、私はエレベーターへと向かった。

エレベーターの近くにはよくあるテレビを見るためのカードが売っていたり、灰色の公衆電話があったりとああ、病院だなぁと思えるアイテムを見つめながら私はエレベーターが下ってくるのを待つ。

16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:20:43.92 ID:/EjL3wMx0
あっ、何かメロンとか持ってくるべきだったかな?と今更に思いながら私は降りてきたエレベーターに乗り、三階を押した。

……………。

『三階でございます』

そうでございますか、と小さく呟きながらエレベーターから出、澪の病室を探す。

おっ、あった。306室、しかも個室か澪のヤツ。

「……律?」

病室内から親友の声がする。
「なんで分かるんだよ、澪」

と、私は病室の横にスライドさせる形のドアを開け、パジャマ姿の親友を見た。

「わかるさ、律の足音はがさつだからな」

「ふふん、これでもおしとやかになったんだぜ」

「嘘ばっかり」

まぁ、座れよと澪に言われ私は病室に入ると、近くにあったパイプ椅子に腰掛けた。

「お腹、大きくなったな」

「そうか?まだ5ヶ月だけどな」

17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:23:49.40 ID:/EjL3wMx0
秋山澪が先生にならなかったわけ。

それは結婚したからだ。

澪の旦那は大学で私達と同じバンドを組んでいたメンバーだ。

サークルでも一際人気があった澪を守ってきた私であったが、ソイツだけはノーマークだった。

と、いうのも私がソイツに惹かれていたという事もあるが、澪の旦那、ソイツと私は何か似ていた気がする。
世界には3人同じ奴がいる、みたいな話に当てはまるくらい。

そして、大学を卒業して、ソイツは目が眩むほど一流企業に就職して……澪と結婚した。
ちなみに旦那も秋山だ。

いやー、名前が変わらないってはいいね。

「あっ、これさわちゃんから押しつけられたヤツ」

と、私はカバンからあの封筒を取り出し、手渡した。お金でも入ってるのかな?

「ん……ああ、安産のお守り」

「あのさわちゃんが安産のお守りねぇ……心中ご察しいたします」

まださわちゃん結婚してないし。
まさか教え子に結婚、妊娠と先を越されるとは思っていなかったろうに。

「……安産のお守りだって、なんかまだ信じられないな、澪がお母さんになるなんて」

「私だってまだ実感ないさ」

18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:26:28.78 ID:/EjL3wMx0
「あのメンバーじゃ澪が一番乗り、次を狙うは梓か?ムギか?それとも大穴の唯だったりしてな」

「律はどうなんだよ、結婚しないのか?」

あー、と私はお茶を濁す。
今の生活が忙しくて結婚なんて考える暇もない。

「まぁ、おいおいな。まだ教師初心者マークが産休とるわけにはいかないんだよ」

「……律のウェディングドレスか……ふふっ」

なんで笑うんだよ、とにやける澪に問い詰める。
私がウェディングドレス……おかしくねー……おかしいし。

「私の結婚式だって律はスーツだったじゃないか。私はドレス姿だって見たことないんだぞ」

「私は胸がスカスカだからドレスは似合わねーんだよ、誰かさんと違って」

衣裳合わせで絶望したからもうドレスは勘弁したい。
あっ、結婚式は和式にしようかなぁ。

相手いないけど。

「どうだ、先生は」

澪に尋ねられる。なんだかこう見ると大人の顔になってるよな、澪。

「あー、忙しいよ。生徒達に教えるっては大変だよ、やっぱり」

「……律、なんか大人になったな」

19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:29:19.65 ID:/EjL3wMx0
「ん、そうか?」

「ああ、なんか綺麗になった」

よせやい、と私は澪が笑い掛けるのに合わせたわけじゃないが口元が笑っていた。
にやけてた、が正しいな。

「嫌でも大人になっちまうんだよ、なんか生徒を見てるとたまに思うんだ。もうこういった環境には戻れないんだなぁって。もしかしたらまだ、あの高校時代に戻りたい自分がいるのかもしれないな」

「だから、教師になったんだろ」

「ああ、多分。青春時代に心惹かれるから、けど戻れないから出来るだけその青春時代に近くに居たいんだよな、私」

大人にはなってしまうけど、大人になりたくないのが今の私なのかもしれない。

楽しすぎた青春に脚を引かれているんだ、今だって。

「……もう一度バンド、組みたかったな、あのメンバーで」

「そうだな澪。みんな今、何してんのかなぁ」

結婚式にこれなかったヤツも居たからな、正直、今皆が何もしているか完璧に分かるヤツなんていないんじゃないかな。

同窓会でも開くしかないかね、これは。


20: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:32:45.80 ID:/EjL3wMx0
―――――――

それから私達は他愛ない話を続け、病室に入ってきた看護師さんに面会時間がとっくに過ぎていることをしらされ、私は病院を追い出された。

……結婚しようかな私も。

と澪を見るたびに思ってしまう。

なんか会うたびに綺麗になってるし。

あーあ、羨ましい。

私は車に乗り込み、電源を切っていた携帯を入れる。
ん、メールが来てる。

学校からかな?とメール画面に切り替えるとそこには意外な名前があった。

『平沢唯』

消息不明第一号の彼女からのメール。

私はメールを開くことなく、電話帳から唯の番号を選んだ。

……、……、

『もしもし、りっちゃん?』

「唯!久しぶりだな!メールもらってつい電話しちまった」

『えへへ~。最近少し忙しくてやっと帰ってこれたんだー』

21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:35:21.91 ID:/EjL3wMx0
「そういえば唯、今なにやってるんだよ?まさか和と一緒に医者か?」

『まさかぁ~、大学は一緒だけど学科は違かったから。今は○○県で幼稚園の先生になったんだ』

「本当に幼稚園の先生になったんかい……じゃあ唯も『先生』だな」

『唯も?……あっ、そういえばりっちゃん、今高校の先生なんだっけ』

「ああ、さわちゃんと一緒にまだあの高校にいるぜ」
へぇ~、と受話器越しに唯の感心する声が聞こえる。

喋り方は少し大人びたけど声までは変わんないなぁ。

『いや~、せっかく帰ってこれたからみんなと遊びたいなぁって電話したんだけど……りっちゃん忙しい?』

「あ、そうだなぁ……とりあえずまだ暇だな」

『あっ、そう?実はムギちゃんも誘ったら明日日本に帰ってくるって言ってたし、あずにゃんも来てくれるって~』

「おい、唯。何おまえ海外にいるムギのこと誘ってるんだよ」

『いや~、もしかしたら来ると思って~』

実感した。ダメだコイツ根本はまるで成長してない。

「そういえば梓は今、何してるんだよ」

『あずにゃん?あずにゃんは今、なんかバンド組んでるらしいよ?』

へぇ、と私は感心する。やっぱり梓は音楽続けてたか。

23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:37:36.56 ID:/EjL3wMx0
音楽……先ほどの澪の言葉が脳裏に浮かぶ。

「なぁ、唯……相談なんだが」

私は胸のうちを唯に話始めた。

―――――――、

『み、澪ちゃんが妊娠あわわわわ!?』

「なんでおまえが動揺するんだよ、で、さっきの話どうする?」

『ん~、練習すれば大丈夫だよ!私もまたみんなで一緒にやりたかったんだー』

「じゃあ決まりだ。ムギや梓には私から言ってみるから。あと和だな」

『うん、ギー太もやっとまた日の目を浴びる日が…』

やはり押し入れだったか……あわれ、ギー太。

とりあえず、切るぞ。と私は唯に言い、会話を終わる。

さて、問題は場所、そして私達の腕だ。


もう一度ライブをしたい、というのが澪の願いだ。



25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:40:00.82 ID:/EjL3wMx0
ならば叶えてあげようじゃないか。ムギまで帰ってくるんだ、出来るかぎりはしたい。

ムギと梓は喜んで参加すると言ってくれた。

さて、最後だと私は携帯を操作する。

「あっ、もしもし、和か?実はな……」

こうして、私達の再ライブ計画が密かに始まったのだ。

決して澪にばれないように。

しかし物事はそううまくは行かなかった。

『……あまり賛成は出来ないわ』

「……なんでだよ。和なら賛成してくれるんと思ったんだけど」

『本当はこんなこと、部外者に話しちゃいけないんだけど……律だから言うわ。実は……澪が入院している理由はね』

和が言葉を搾り取るように一呼吸置く。

嫌な予感がした。

『澪のお腹の中の子……流産するかも知れないのよ』

「…………嘘だろ」

だって今日だってあんな元気に……あんなに楽しそうに私と話してたのに。

26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:42:10.98 ID:/EjL3wMx0


「そのこと……澪は知ってるのか?」

『ええ。自分からすべて教えてくれって。そして澪は入院を選んだ。澪自身だって安全じゃないのよ』

元々体が強いわけじゃなかったのね、と和は呟く。確かに昔はよく休んだりもしていたが年齢が上がるごとにそんなことも減っていったし。

「ごめん、少し今気持ちの整理がつかなくなっちった……また掛ける」

『澪にはこの話は黙っておくわ。期待させるのも可哀想だし』

じゃあ、と私は携帯を切る。
私は……どうすればいい?お腹の子も、澪も死ぬかもしれない……。

澪はみんなに会えることを望んでいたんぞ……アイツはわかって言ったんじゃないのか?

これが最後になるかもしれない。

感情が押さえ切れなくなり、私は携帯を地面に叩きつける。

神様のバカ野郎、

と、疎らな駐車場で一人、流れ出る気持ちを押さえられないまま、呟いた。


―――――――。

27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:44:30.53 ID:/EjL3wMx0
>>24
気がつかなかった。ありがとう///

夜。
真っ暗闇な部屋の中、私は冴えた目を訝しく思いながらベッドに横たわっていた。

携帯が震える。
力なく携帯を手に取り、顔に近付ける。

「……もしもし」

『あっ、先輩ですか?梓です。あのライブの話、さわ子先生に話したら喜んで協力するって』

「……その件なんだけどな」
ぽつり、ぽつりと私は梓に言葉を吐いていった。



『澪先輩が流産!?』

「もしもの時は梓のバンドだけやってもらうしかないな」

『……私、先輩達とバンドしたいです』

そうは言ってもな、と私は呟いた。
澪が呼べなきゃ私達が集まる意味が無いじゃないか。
もう一度澪に私達のバンドを見せるのが目的なのに。

28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:46:48.44 ID:/EjL3wMx0
『律先輩らしくないです』
えっ、と私は聞き返す。

『昔の律先輩はもっと積極的でした。もっと素直でした。私は少なくとも信じてます、澪先輩も赤ちゃんも大丈夫だって。だから律先輩も澪先輩を信じましょうよ』

「……信じるか」

今まで、何度も信じて、何度も裏切られた。

けど、信じていいんだろうな、親友の事を信頼できないで、私は何を信じられるんだよ。

私のバカ野郎。

「分かった、私も澪を信じてみるよ。私達の自分勝手な信じ方かもしれないけどさ」

悪かったな、梓と最後に小さく付け足すと、電話の向こうの彼女は何か恥ずかしそうに言葉を呟いていた。

携帯を放り出す。

私を締め付ける拘束が緩くなったような気がしたらなんだろうか、急に目蓋が重くなってきた。

明日シャワー浴びればいいか。

目を閉じる。

まどろみに身を委ねていると目蓋の裏に、あの日の澪が浮かんだような気がして、私の意識は夢と共にあの日へと遡っていた。

30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:49:10.17 ID:/EjL3wMx0
『律、大事な話がある』

春、私達が卒業するあれは一週間前だった。
私と澪は既に卒業を待つばかりで、私達はいつものカフェで暇をつぶしていた時である。

『なんだよ、改まって』

『私、教師になるの止める』

『……えっ?』

み、澪さーん?と私はじっ、とこちらを見る澪に問い掛ける。
んー、いつものアレかな?追い詰められるとこうなるからなぁ。少し震えてるし。

『今更何言ってんだよ、また大学入り直す気か?』

『違うんだ、私、私……』

コーヒーを啜る。
なんだ、私にプロポーズでもしてくれるのか?
あー、そしたら返事に悩むなぁ。

『……け、けけ、結婚しようと思うんだ』

『……………………はっ?』

31: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:51:27.88 ID:/EjL3wMx0
結婚……?
澪が?
アイツとか?
頭にハテナマークか点在している。

『ど、どうかな?』

『あっ、いや、そうだなぁ』

なんだか混乱してきた結婚なんて私したことないし分からないというかそんなこと今言われたってこっちだって心の準備があっ、結婚式ってやっぱりドレスか勘弁してくれ。

そして落ち着け私。

こっちまでカタカタ震え始めた手でコーヒーを飲む。

味は分からない。

その代わり、頭は少し落ち着いた気がする。

『いいと、思うぞ』

私はようやく言葉を口にした。
澪が幸せなら、私だって幸せなはずだ。

私達は運命共同体で生きてきたんだ。

だからきっと…………。

映像が乱れ、澪の顔が歪む。
耳元で何かが振動しているような気がす…

32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:53:43.43 ID:/EjL3wMx0
携帯が振動している。

目を覚ますとそこは見慣れた天井であった。

ああ、昨日はあのまま寝たんだっけ?と目を擦りながら振動する携帯を手に取った。

9時少し前。
そういえば今日遅れないように目覚ましをセットしたんだっけ?と昨日の記憶を呼び戻す。

とりあえず、風呂に入らなきゃな。
寝癖のまま行ったら唯に馬鹿にされそうだ。

私はシャツを適当に脱ぎ捨て、バスルームへ向かう。
途中の鏡には高校時代からまるで成長していない見慣れた身体が映り、梓が私よりボインボインになっていたら馬鹿にされるんだろうなぁ、と少し思った。



待ち合わせは学校近くのファーストフード店にしようという話で。
確かムギがバイトしていたお店だったはずだ。

私は早めに歩きながら時計をみる。

……少し遅れそうだ。

周りの道には休みだというのに学校へ向かう生徒達がちらほらと見られ、ばれないか心配だったが余計な気遣いだったみたいだ。

私は信号機の前で立ち止まりながら目と鼻の先のファーストフード店を見た。


34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:55:53.58 ID:/EjL3wMx0
あれ、まだ来てないな。それとも店に入ったか?

ファーストフード店の方を眺めてもそこには向かいで信号を待つウチの学生しか見当たらない。

何かか細い、まるで陽炎のような印象を受ける子だ。

目はどこかを見据え、現実が見えていないような。

私の本能が警笛を鳴らしている。

あの子は危ない。

教師になって分かり始めたこの警笛が頭の中で鳴り響いている。

その時だった。

ふらり、と彼女の身体が横断歩道の前に傾いた。

あの馬鹿ッ!と気が付けば私は飛び出していて。

私は左から聞こえる重音。

正面から向かってくるトラックを虚ろな目で見る彼女を私は思い切り押し返した。

36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 22:59:28.44 ID:/EjL3wMx0
彼女がこちらを見る。

驚いた顔。

ブレーキ音。

視線の片隅に梓が見えた気がした。

なんだアイツも遅れてきたのか。

急ぐ必要無かったな、と思った瞬間、私の身体は宙を舞った。

悲鳴、怯え。

意識はもう、途切れる寸前。

学生は無事らしい。ああ、よかっ………た…………。













37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:01:54.09 ID:/EjL3wMx0
『律、どう……かな?』

いいんじゃないか?と親友のウェディングドレス姿に私は素直に感想を述べた。

結婚式ももう間近に迫っている。[アイツ]は今日どうしても外せない仕事があるらしく、私が変わりに身繕いに来たわけだ。
土下座までされたら行くしかないよなぁ。
仮にも一度は心が傾いた相手だし。

『けど、なんか少しボディライン出てないか?』

『そういったモンは目立ってなんぼじゃないのか』

私のように貧相なもんじゃないし、と澪の胸を眺めていたらなんだかむかむかしてきた。

半分、いや、3割でいいから分けてくれ。

『そういえば、ムギは結婚式来れるって?』

『ムギは飛んで帰ってきてくれるって。唯は音信不通、というか和に頼んでおいたから大丈夫だと思うけど』

『梓も来るって言ってたな』

やっとけいおん部が勢揃いすると思ったらまさかそれが澪の結婚式とは。

なんだか皮肉だなぁ。

私はムギあたりだと思ってたんだけど。

38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:04:27.62 ID:/EjL3wMx0
『……なぁ、澪』

なんだ、と澪は聞き返す。
私はその時、澪が見せた表情を忘れることはないだろう。

『……幸せにな』

『……ああ』

あの時の笑顔。あれは澪と知り合って以来、最高の笑顔だった。





『けど、お前だって幸せにならないといけないんだぞ』

えっ?
あれ、こんな展開だったけ?

『ほら、唯も梓も、ムギもそして私も、お前を待ってる』
待ってる?
いや、待ってるのは澪の結婚式であって私じゃないよな。

何か勘違いしてないか?

『そろそろ起きてやれよ。もう十分寝たろ?』

39: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:06:37.83 ID:/EjL3wMx0

……ああ、なるほど。
そりゃそうだ。私はよいしょ、と立ち上がる。

『悪い夢だったと思ってたけど……いい夢が見れたから案外よかったのかもしれないぜ』

『……全く、早く行け』

じゃあな、夢の中の澪、と私は言うと、おもいっきり自分の頬をつねった。





「……りっちゃん~……zzz」

目が覚めてまず、聞こえたのは唯のいびきであった。
もっといい目覚まし時計はなかったんだろうか。

私は見慣れない天井の染みでも数える作業に入ろうと思ったがそうもいかないらしく、痛む身体を起こした。

右手あり、左手あり、右足あり、左足あり。

どうやら五体満足らしい。
もっとも、身体を起こせるくらいだから健康か。

49: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:27:32.27 ID:/EjL3wMx0
「おい、唯起きろ唯!」

ゆさゆさ、と唯を擦ってみる。
こうやって会うのは澪の結婚式以来。
やっぱり顔かたちは大人になってても唯は唯だ。
根元が変わってない。

「……んあ~……憂あと5分……」

というか成長しろ。

「……お菓子食べちまうぞ~」

「お菓子ッ!?」

頭が上がる。おでこには赤く腕の後が付いていて、端から見れば間抜けそのものだな。

「あっ、りっちゃんおはよう!」
「ああ、おはよう。唯のいびきで目が覚めたぜ」

せっかくいい夢をみていたのにな。

と、唯を見ていると途端に彼女の顔が泣き顔に変わってゆく。

「ずっど目がざめないどおもっだよりっぢゃん……」

「はいはい、心配ありがとうな」

と、唯を抱き締める。

50: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:30:01.73 ID:/EjL3wMx0
温かい。
梓はこの温かさを部活に来るたび味わっていたのか。

なんだか羨ましくなってきた。

「あっ、私みんなに連絡してくるからー」

既に泣き止んでいる唯にはいはい、と苦笑いを浮かべながら私は唯を見送る。

………、………よし。

よいしょ、とベッドから飛び降りる。

歩け……るな。

どうやら打ったのは頭だけらしい。

トラックの運転手、ナイス判断。

私は見つからないように静かに病室のドアを開け、ここがどこだか把握する。

……澪の病室に近いな。

「……先生」

見つかった!と私は声のした方を振り向くとそこには

「お前……あの時の」

51: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:32:40.82 ID:/EjL3wMx0
飛び出した生徒が立っていた。脚に包帯が巻いてある以外は外傷もないみたいだ。
生徒はただ私の前で俯くだけで私はこれはしょうがないな、と生徒の手を引っ張った。

「少し、話すことがある」

半ば無理矢理手を引き、病室へ招き入れた。
個室なのはムギの財力かな?あとでお礼言っておかなきゃ。

私は生徒に唯が座っていた椅子を差出し、自分は今まで寝ていたベッドに腰を下ろした。

「で、なんであんな事したんだよ。私が止めなきゃ死んでたぞ」

もしくは私と一緒で悪い夢を見ていたか。

「先生は、何で私を助けたんですか?」

「何で?そりゃあ目の前で死にそうな人を助けるのに理由なんていらないだろ」

「私は死にたかったんです」

死にたかった、と私は呟く。だけど死ぬには死ぬでもっと確実性のある死に方があるのにな。
だとすると、これは、

「それは、嘘だ。お前は死ぬ気なんてさらさら無かった、までは言い過ぎかもしれないけど確実に自殺する気は無かった」

生徒が違うッ!と私を見る。
怒りの表情をじゃなく、驚いた表情でだ。


52: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:35:04.06 ID:/EjL3wMx0
「まぁ、いいや。追及はしないよ。お前だって考えがあったんだろ、悩みがあったんだろ」

私は、彼女の頭を撫でる。ビクッ、と小動物のように震えたが、受け入れてくれたようだ。

まるで、こうやって慰められるのを待っていたかのように。

「けどさ、思い詰めたときは誰かを信頼してやれ。誰かその事を話してみるのもいいんじゃないか?親友でもいい、家族でもいい、もちろん私だっていいさ」

「……はい」

「あと、やっぱり死のうなんて考えちゃだめだぞ」

と、私は彼女のおでこに軽くデコピンを飛ばした。

「お前が死んだらみんなが悲しむよ。誰かに泣かれてから、あっ、私は愛されていたなんて思ったって遅いんだ」

ぎゅ、と抱き締める。
唯方式だな。この方が気持ちが伝わる気がした。

「……先生は、私が死んだら泣いてくれますか」

「多分、号泣だな。そして怒る。みんなだってそうさ。だからお前は独りなんかじゃない。自殺なんて悲しいこと二度としないでくれよ」

生まれてきた命を捨てる人が世の中には沢山いる。

生まれること自体が奇跡なようなものなのに、生まれてきた事が幸せなのに。

人がその事を生きている間に忘れてしまうんだよな。


53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:37:20.62 ID:/EjL3wMx0
「…ありがとう、先生」

彼女の方も私を抱き締めてくれる。

温かい。

生きているってことはこんなにも温かい。

お腹の中の子も、澪の温かさを感じているのかな?

なら澪の赤ちゃんは世界一幸せものだ。

私は生徒の体温を感じながら、この病棟にいる、澪の事を思い浮べた。




―――――――――、

それからの月日は流れるようだった。

私は早々に退院し、職務に戻った。
あの生徒について色々してあげたかったし、何よりバンドの話し合いを学校側としたかったからだ。

けど、なんだかさわちゃんがちゃーんと根回ししてくれているみたいで、準備自体は面白いように進んでいった。

問題は私達の方である。

ムギは当分日本にいるらしいからいいとして、私は毎日仕事があるし、梓も本職のバンドがある。
唯は……なんか憂ちゃんと自分の幼稚園で一緒に働いているらしいからまぁ、忙しそうだ。

54: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:39:31.24 ID:/EjL3wMx0
私達の共通の練習時間があまりにもないのだ。

そして問題はもう一つ。

ベースがいないこと。

さすがに澪にやらせる訳にも行かないし。出来るならいいけど。

一応、代理を考えなくてはいけない。

憂ちゃんにでも頼むかな、と思っていると梓から、提案があった。

皆のことをよく知っている助っ人をつれてくるらしい。

……さわちゃんの知り合いじゃなきゃいいけど。


こうして、あっと言う間に月日は流れ、

終業式前日。

55: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:41:46.64 ID:/EjL3wMx0
『ええ、澪の体調も安定しているし大丈夫よ。澪には梓のバンドが学校に来るって話してあるから』

和の明るい声が聞こえ

「そうか!よしッ!俄然やる気が出てきた!」

『院長には外出許可は取ってあるし、私も付いていくから心配しないで』

「何から何まで悪いな、和」

『何言ってるのよ。迷惑掛けるのは昔からでしょ』

そりゃそうだ、と私達は笑い合い、じゃあ明日な、と別れを告げた。


あとは明日を待つばかり……もちろん不安はある。
今夜は眠れそうもないな、と初めてのライブの時を私は思い出していた。

あの時のドキドキだもんな、心配で楽しみで不安で幸せな。

二度と味わないと思っていた感覚が蘇ってきた。

気持ちがいい。

ベッドで横になる私は朝までこの感覚を味わってもいいんじゃないかと思っていたが、



56: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:43:56.06 ID:/EjL3wMx0
……、……。

「朝か…」

年らしい。徹夜がつらい。いつの間にか寝てしまっていた自分になんだか情けなくなったり、緊張に強くなっのかなとポジティブに考えてみたりしながら準備を進める。

スティックよし、タオルよし、水よし、やる気よし。

行ってきます、と誰もいない部屋に呟く。

もしも、私がアイツと結婚、いや付き合っていたらこの関係は逆になったのかな?と少し思い描き、馬鹿らしいと妄想を断ち切った。


―――――――。

終業式。

それ自体は厳かに進んでいる。私は皆に気が付かれないように体育館の横、ステージの脇に移動する。

「あっ、律先輩」

「おう、梓お疲れ。皆さんも今日はありがとうございます」

と、放課後ティーブレイクのメンバーに頭を下げる。
「私、夢だったんですよ。またこの体育館で演奏するの。しかもまたあのメンバーで出来るなんて」

「私だってそうさ……おっ、そろそろ」

終わりかな?と腕時計を眺める。

57: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:46:29.11 ID:/EjL3wMx0
ちなみにこの反対側には唯達が待機している。

唯のヤツ寝てないといいけど。

『これで、終業式を終わります』

さわちゃんのアナウンスだ。
体育館の気が緩むのが分かる。

『が、今日はスペシャルゲストに来ていただいてます!紹介しましょう、我が高の卒業生、中野梓率いる放課後ティーブレイクの皆さんです!』

「さぁ、梓出番だ」

「はい、じゃあ設備お願いします」

梓達が大歓声の中、飛び出していくのを確認すると私はステージの幕を下ろす。
ちょうど梓達には幕の前に立ってもらうという約束だ。
この間に私達で楽器を準備するって寸法だ。

『こんにちはー、放課後ティーブレイクですー』

わー、と歓声が体育館にこだまする。へー、やっぱり梓やつなかなか人気あるんだな。

「じゃあ、りっちゃん準備しましょうか」

「おっ、さわちゃんいつの間に」

まぁまぁ、とさわちゃんはアンプを持ちながら笑い掛けてくれる。

「早くしないと梓ちゃん話すこと無くなっちゃうかも知れないじゃない」

58: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:48:38.17 ID:/EjL3wMx0
「そりゃそうだ」

唯みたいに天然じゃないしなぁ、と私もドラムを運び始めた。

……、

『皆さん、私達の新曲聞いてくれましたか??』

あれから15分。そろそろネタ切れかな?
準備の方は唯達にも手伝ってもらいようやく終わった。

「じゃあさわちゃんあとはよろしく」

「ええ、りっちゃん達の演奏楽しみにしてるわ」

任せろっとピースサインを飛ばし、唯達のステージ脇へと向かう。

ゆっくりとステージが開き、

『準備も出来ました!じゃあ盛り上がっていくですーー!!』

と、梓達が各々の楽器に向かった事を確認し、私はほっ、と息を吐いた。

「りっちゃん、りっちゃん!今、和ちゃんから電話来て澪ちゃんもう体育館にいるって」

「そうか……」

どうやら唯宛てに電話があったらしい。

ほっ、と私は薄っぺらい胸を撫で下ろし、ステージ脇から体育館をみる。

59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:51:40.73 ID:/EjL3wMx0
……ああ、あれか。

後ろの方に車椅子に乗っている澪を見付けられた。

後ろで和が何か澪に話し掛けている。

車椅子なんか取り出してまた大げさな。

和は昔から心配性だからな。

『じゃあ一曲目、じゃじゃ馬ロックンロール!』

ジャーン、と聞きなれた音が体育館に響く。

「なんだ、梓がボーカルなのか」

「もしかしたら私達の頃もボーカルしたかったんじゃなかったのかしら」

「かもな、ムギ。まぁ、多分……」

澪に憧れたんだろうなぁ。あいつは澪をそういう羨望の眼差しで見ていたし。

私、一応部長だったんだけどー。

「そういえば助っ人はまだ?」

「ええ、まだみたい。なんか今、仕事場から急いで向かってるらしいんだけど」

なんと多忙な助っ人だこと。
私はスティックを指で弄びながら、梓達の演奏に耳を傾けていた。

60: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:54:12.18 ID:/EjL3wMx0
――――――――、

『ありがとー!!……さっ、これで放課後ティーブレイクの演奏は終わりなんですが』

えぇー、と体育館が揺れる。

どうやら私達の出番が近いらしい。

「けど、よく唯文化祭の衣裳入ったな」

「えへへ~、可愛いからとっといたんだぁ」

と、懐かしき浴衣ドレスを身に纏った唯がくるり、と回る。

ムギのは当時の衣裳をさわちゃんが手直ししてくれた。

私は残念ながらスーツだ。

まぁ、先生オーラを出すにはこれが一番だからな。

という言い訳でさわちゃんが忙しくて準備できなかったんだよなぁ。

『実は、今日は私達よりスペシャルなゲストがいるんです!皆さんが知ってるあの人も!』

ざわ、ざわと生徒達にざわめきが走る。

知ってる人、ねぇ。

61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/23(金) 23:57:54.34 ID:/EjL3wMx0
『では登場していただきますです!先輩方ー!!』

「よし、行くぞ!」

と、唯を先頭に私達はステージへと出ていった。

会場は騒めき、私が出てきたことでその騒めきも最高点に達する。

うわ、なんだかはずかしいぞこれ……先生方も見てるし。

そして、澪を見る……。

ん、思考が停止してるみたいだ。

と、眺めていると唯がマイクを取る。

『けいおん部OB、放課後ティータイムですー!皆さん、元気ですかー?』

元気でーす、やら、あれりっちゃん先生じゃない?とか聞こえるな……はずい。

『さっそくだけどメンバー紹介いくよー!私、ギターこと平沢唯です、よろしくー!……そしてキーボード、ことぶき紬!さっきまで演奏してくれていたギター、中野梓!』

そしてー!
と、唯が私に注目を浴びせようとする。

『皆ご存知桜ヶ丘高校教師、ドラムの田井中律だぁぁぁ!!』

一気に沸き上がる体育館。

62: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/24(土) 00:00:36.20 ID:VqnbhhEv0
りっちゃんー、りっちゃん先生ーと黄色い声がちらほらとこだまする。

いやー私の人気も捨てたものじゃないな、やっぱりあれか?前髪おろしてるからかな?

『最後に……私達は今日、そのメンバーに会うために今日あつまりました。ベース、秋山澪ッ!』

唯がズバッ、と澪を指差し、皆の視線が澪に思い切り突き刺さった。

『澪ちゃん久しぶり~、私は元気だよ~』

何普通に話してんだよ、唯!
私は後ろでドラムを鳴らす。
あっ、そういえばマイク近くにあったような……あっ、コレコレと私はドラムの音を拾うマイクを取り外す。

『澪、みんなおまえのために集まったサプライズゲストだ。今日はお前の為に演奏する。そして次は……一緒に演奏しような。みんなお前のことが大好きだから待ってるよ、澪』

私は、彼女の目から涙が零れるのを見た。
澪は昔から泣き虫だからなぁ。

と、私はムギや梓、唯と顔を見合わせ、笑い合った。
やっぱり、来てよかった!集まってよかった!

『さぁ、じゃあ最初の一曲目、カレーのちライスいくよ~』

「ちょっと待ったぁぁぁぁ!!」

なんだか聞きなれた声と共に体育館の扉が開く。
ん、と目を凝らすとそこには、
あっ、えーと……名前なんだっけなぁ。

64: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/24(土) 00:04:06.00 ID:VqnbhhEv0
「ベース代理、鈴木純!とうちゃぁぁぁく!!」

「あっ、鈴木純だ思い出した。あのジャズ研にいた」

「そうですよ、律先輩。今はラジオのパーソナリティーやってるみたいです」

そういえばよくこの声のラジオを聞いていたような気がするが結局最後まで聞かないから誰だか分かんなかったし。

そっかー、だからラジオで放課後ティーブレイクの曲流していた訳か。

……みんな色々頑張ってるんだなぁ。

「澪先輩ッ!あとは私に任せてください」

「あ、ああ……えっと確かジャズ研の」

「そうです!今話題の人気パーソナリティー、鈴木純!みんな、ラジオ聞きながら勉強してるかぁ!!」

おー!!と異様に盛り上がる体育館。いやー、若いテンションって凄いなぁ。

私達もそんなもんだったか。

と、澪に握手した後にどたどたとステージへ上がってゆく。

「お待たせ、梓!先輩方!遅れてすみませんでした」

「純、まさか今まで生放送してたの…?」

「いやー、実は抜け出してきちゃってさ、というのは嘘で今日は録音してきただけだったから」

65: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/24(土) 00:06:31.83 ID:VqnbhhEv0
と、ベースを取り出しながらニコニコ笑う純ちゃん。
この子は梓の事が本当に好きなんだろうな。だからこうやって仕事があっても急いで駆け付けてくれる。
息を切らせて、額に汗浮かべて。

ありがとう、と私は心の中で呟く。

……さて、じゃあ本番と行きますか!

スティックを振りかぶる。こうやってリズム取ることが出来るのもみんなのおかげだ。

息を吸う。酸素が体中に行き渡るように。

皆に気持ちが伝わるように。
そして澪に。

「いくぞー!ワン、ツー、ワンツースリーフォー!!」







――――――――、

『私の恋はホッチキスでしたー!いやー、ちょっと休憩ー』

と、カレー、筆ペン、ホッチキスを3曲こなし、そろそろ、というか身体がもう限界に近づいている、と水を飲みながら思う。


66: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/24(土) 00:09:21.53 ID:VqnbhhEv0
やっぱり日々の鍛えが足りねぇのかな。

高校時代は毎日叩いてたからだろうか、こんな疲労感は感じたことなかった。

年?さわちゃんじゃあるまいし。

唯がペットボトルを床に置き、息を吸う。

『……じゃあ次が最後の曲、ふわふわタイム!!いくよー』

がんばれ私、と乳酸が溜まった腕を振り上げる。

澪が見てるんだ、ここでヘマ出来ない。

ムギも、梓も、純ちゃんも、唯も……同じ気持ちなんだろう。

と、視線を唯に向ける。

が、

ん、あの表情……

どこかでみたことのあるような無いような、なんだろうあの顔は。
そう確かあれは……唯の声が枯れて……歌詞を忘れて!!

唯の顔が青ざめてゆく。
梓はそんなことつゆしらずギターを弾いているし。

67: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/24(土) 00:11:45.37 ID:VqnbhhEv0
頼む、と私は神に願う。

そして、

『君を見てると、いつもハートドキドキ』

歌声が響いた。
まるであの時のように。
凛として、澄んだ歌声が。

私達が待ち望んだ歌声が。

私は思わず、立ち上がる。
ムギも、唯も思わず手を止めた。

梓に至ってはもう涙ぐんでやがる。

皆の目線の先、そこにはさわちゃんと、マイクを持った澪の姿があった。

『おい、みんなどうしたんだ?演奏止めるなんて、そんなに私の歌が聞きたくないのか?』

いや、そうじゃない。そうじゃないんだよ、澪。

澪だって分かってるくせに。

みんな待っていたんだよ。この瞬間を。

誰も口には出さなかったけど、誰もが望んでいたんだ。

本当の、放課後ティータイムを。

68: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/24(土) 00:14:43.18 ID:VqnbhhEv0
『やっぱり私がいないとだめだな、唯』

『澪ちゃん……』

『あっ、なんか緊張してきたなんか勢いで歌っちゃったけどってさわ子先生もそんなにマイク向けないでください恥ずかしいー!!』

ふぅ、と定位置に座る。

まるで夢見たいで、望んでいた結果が今ここにある。

「いくぞー澪!!いつまでも恥ずかしがって、失敗しても知らないからなー!」

大声で叫び、スティックを振りかざす。

唯も笑っている。梓も、ムギも、純ちゃんも、和も、さわちゃんも。

そして私も。

「最後の曲、ふわふわタイムッ!!」

体育館が熱狂で包まれる。
澪の歌声が響く。


復活した私達の放課後ティータイムによる演奏はこうして始まり、

大熱狂の中、幕を閉じたのであった。

69: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/24(土) 00:17:05.42 ID:VqnbhhEv0
―――――――、

『皆さん~、こんにちは!今日もちゃんとお昼ご飯食べましたか~?パーソナリティーの純がお送りするこの時間!
どうお過ごしですか~?いやー最近私ですね、昔の仲間からライブに誘われまして!遂にギターデビューですよ!!これでバンドにヘッドハンティングされるのも時間の問題ですね!な~んて……さっ、お便り紹介します~』

純ちゃんのラジオが流れる。私はハンドルを握りながら、その放送を聞き流していた。

あれから月日が流れ、私は焦る気持ちを押さえつつ、病院へと向かっていった。

今ではライブがあったことすら懐かしく感じる。

ライブが終わるとムギはまた海外へと旅立ち、唯も、梓も、純ちゃんも自分の本当にあるべき場所へと戻っていった。

そしてそれは私も同じで、けど、すべてがまたあの日常に戻ったわけじゃない。

あの日から、私はけいおん部の部員に頼まれ、顧問となった。

もちろん、ティータイムしに行くわけではないが、私はよく音楽室で怠けている。

どうも音楽室は怠けるイメージが定着していたらしい。

生徒達の練習を見ながら、ムギが残していったティーカップで安物の紅茶を飲む。

それがすごくいい。

そういえば大掃除には唯の置いていったカエルの置物や、あの着ぐるみが倉庫にしまってあって生徒達が顔を見合わせていたっけ。

そして、あの自殺未遂の生徒がけいおん部に入った。
私達をみて、何かをしたくなったそうだ。

71: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/24(土) 00:19:51.43 ID:VqnbhhEv0
あの子が何か目標を見つけられることを刹那に願う。

さわちゃんからはまた先生の顔になってきたと誉められた。けど、私はまださわちゃんを超えるどころか同等にもいかないな。

そういえばいつ、結婚するんだろうか。
こればかりは永遠の謎なのかもしれない。

『はーいじゃあここで何か曲でもかけますかね!えーとそうだなぁ……えっ、何?私のギターが聞きたい?
はは、また次の機会にね。多分無いけど!そもそも私ベースだし曲にならないって!じゃあ、最近オリコンチャート一位、放課後ティータイムブレイクのアルバムから……』

ハンドルを切る。

今日も世界は病人とけが人と、そして一部の新たな命を待ちわびる人たちで溢れかえっている。
適当に駐車場に止め、私は小走りで病院へ向かう。

学校の仕事はすべて任せてきた。今日も澪が心配で授業どころじゃなかったんだ。

既に見慣れた看護婦さんに笑顔を振り向きながら名前を殴り書き、エレベーターに走る。

一階、二階、三階……開くボタンを連打し、澪の病室へと向かう。

またメロン忘れたが今日くらいは許しくれるだろう、と小走りなる身体を押さえ付けていたが、

私は澪の病室で足を止めた。

「おぅ、久しぶり」



73: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/24(土) 00:22:01.28 ID:VqnbhhEv0
『アイツ』が病室の前でうろうろとしていたからだ。

こいつもお父さんか。

なんかムカつく気持ちになるのは嫉妬なのだろうか。
澪に?それともアイツにか?
……その答えは理解なんてしないで捨て去った。

「……律?」

少し扉が開いた病室からか細い澪の声が聞こえる。

「……入って来いよ」

澪が私を招き入れる。なんだろう、澪の病室からは今まで感じなかった不思議な匂いがする。なんというか、本能が刺激されるような。

「旦那はいいのかよ」

私はアイツを見ながら嫌みたらしく呟く。

「……気を使ってくれてるんだよ、な」

澪の声にアイツは少し困ったような笑いを浮かべた。
……なら、そういうことならお構いなく。

74: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/24(土) 00:24:31.97 ID:VqnbhhEv0
私は澪の病室に入り、静かにスライド式のドアを閉めた。

「……どうだった?」

「死ぬほど痛かった」

だよなぁ、と私はゆっくり澪のベッドへと近づく。そこには今まで無かった小さな可愛いベッドが置いてあり、

澪の子供が、いやまだ赤ん坊がすやすやと、夢の中をさ迷っているようだった。

どうだい、この世に生まれた感想は?

「どうだ、可愛いだろ?」

「……ああ、攫いたいくらい」

先程から刺激されていたのは母性本能というやつか。
なんというか、このまま君だけを奪い去りたい。
あ、それは違うか。

「体調は大丈夫なのか?」

「ああ、少し疲れただけだよ」

私は前座ったのと同じだろう、パイプ椅子に腰掛ける。

「で、どうだ?母親になった感想は」

「……命って重いなぁって」

80: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/07/24(土) 00:44:43.53 ID:VqnbhhEv0
そうだな、と私はまた綺麗になったんじゃないかと恨めしく思う新米母親の顔を眺めながらあの生徒のことを考える。

あの生徒もこうやって生まれてきて、皆に祝福されて。

私達だってそうだ、生まれることはこんなにも幸せなのに、人は自ら死を選ぶ。
それを潔しというか、それとも……。

「あっ、そういえばこの子の名前、決めたのか?」

と私は近くにあったりんごを手に取り、ナイフは何処かな?とあたりを探しながら尋ねた。
り、りんごくらい剥けるやい!

「……実は前から話し合ってたんだけどさ」

ああ、とようやく見つけた果物ナイフですらすらとりんごの皮を剥く。
そりゃあ名前は大事だよな。例えば祖母から一文字もらうとか、歴史上の人物に似せるとか。
あとは唯、憂みたいに姉妹で似せるとか……はまだ早いかな。

しかし私が次の澪の発言に動揺しこの果物ナイフで思い切り指を切ってしまい、和にため息混じりで治療されるのはここだけの話だ。

最後に、

願うことなら、

私達の今が、そして未来が、平和であり続けますように。

「アイツがさ、私の名前と、律の名前から一文字もらって、元気で可憐な女の子になるようにって……って律大丈夫か!?りんご剥くなんてそんな柄にもないことするからってああ、動くな!そんな大丈夫な訳ないだろ?
今、医者呼んでやるから!……うわ、私達が騒いだから泣き出しちゃった!!はーい、はいよしよしってなんでお前まで半べそかいでるんだよまったく……今ナールコール押してやるから…あっーはいはいこのお姉さんおっちょこちょいだからねーだから泣かないでー!!」

終わり。

引用元: 律「私も、澪も、もう大人になってしまったから」