【DQ7】マリベル「アミット漁についていくわ。」【後日談】 その1
【DQ7】マリベル「アミット漁についていくわ。」【後日談】 その2
417 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:04:27.23 ID:QSmDR/W/0
航海十四日目:おはよう おやすみ
418 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:06:02.02 ID:QSmDR/W/0
*「…………………。」
*「…り……お………さ…!」
*「マリベルおじょうさん!」
マリベル「…………………。」
*「マリベルおじょうさん……?」
マリベル「……あ あら どうしたの?」
*「もうすぐ 港に 到着しますぜ。」
マリベル「そう… わかったわ。」
少女は一晩中どうするべきか考えていた。
少年がどうすれば目を覚ますのか。
どうすれば呪いを解くことができるのか。
マリベル「気にくわないけど やっぱり あのクソじじいを 頼るしかないのかしらね。」
いつになく冴えない頭を振り絞り考え出したのは先日助けてもらったばかりの神に再び助けを乞うことだった。
流石の神であれば呪いの一つや二つ解くことも容易いことだろうと、そう思い及んだからだった。
トパーズ「アゥ~。」
膝に乗った猫がそんな彼女の言葉を肯定するかのように一鳴きする。
マリベル「港に着いたら 行くしかないわね。」
マリベル「待っててアルス。必ずあんたを 元に戻してみせるわ。」
マリベル「…これ 借りるわね。」
少女は少年の手を強く握り、袋を腰に下げると少女は甲板へ歩き出した。
419 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:07:28.65 ID:QSmDR/W/0
マリベル「眩しい……。」
船上へ出ると少女は泣き腫らした瞳をこすり呟く。
その目の下には青いクマがくっきりと浮かんでいた。
ボルカノ「マリベルちゃん 何か思いついたのかい?」
甲板では少年の父親が待ち構えていた。
マリベル「ええ ボルカノおじさま。 行ってきますわ。」
ボルカノ「そうか。…息子を 頼んだよ。」
マリベル「はい。」
船長を含めた漁師たちは自分たちの商いや役目を果たすために少女とは別行動をとることになっていた。
務めだから仕方がないとはいえ皆その顔は暗く気が気でない様子で、
それだけ少年がこの船において大きな存在になっていたことがうかがい知れた。
*「マリベルおじょうさん 良い報せを 待ってますぜ!」
サイード「おれも 一緒に行ってやりたいところだがな。どうせ 足手まといになるだけだ。」
サイード「健闘を 祈る。」
マリベル「みんな ありがとう。」
マリベル「それじゃ 行ってくるわ。」
マリベル「ルーラ!」
船員たちに挨拶を済ませると少女は短く詠唱し、はるか遠い町へと飛び去っていった。
*「大丈夫ですかね おじょうさん。」
*「さあな… 一晩中 泣いてたからな……。」
ボルカノ「いや… 少し すっきりしたのかもしれん。」
漁師たちが心配の声を上げる中、船長だけは少女から何か別のものを感じ取っていたようだった。
ボルカノ「あの目には 強い信念が宿っていた。きっと やってくれるさ。」
コック長「信頼してるんですな。彼女のこと。」
料理長がそっと語り掛ける。
ボルカノ「わっはっは! それはみんな 同じだろうよ!」
*「この船に あの二人を 信じていない人なんて いませんもんね!」
豪快に笑う船長に同調して料理人が言う。
コック長「違いありませんな。はっはっは!」
ボルカノ「さて オレたちは オレたちの 務めを果たすとしようぜ!」
*「「「ウスッ!!」」」
こうして船長の号令の元、漁師たちは港の舟守たちに自分たちの船を託し、キンキンに冷えた獲物を抱えて町へと繰り出すのだった。
420 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:08:58.92 ID:QSmDR/W/0
*「え? あのヒゲの ジイさんかい?」
*「あの人なら ばかんすにいくんじゃよ~ とかいって どっか飛んでっちまったぞ?」
マリベル「な なんですって~~~!?」
漁師たちが町へと向かっている頃、少女は神が住まう移民たちの町へとやってきていた。
しかしお目当ての神はといえば、昨日より“ぴちぴちぎゃるを見に行く”などとぬかし何処へと行ってしまったらしい。
マリベル「…………………。」
マリベル「あんの クソじじい~~~!」
当然少女の怒りは爆発する。
マリベル「きい~っっ! どうして こんな 大事な時に限って あのクソじじいは いつもいないのよ~!」
“神頼みが必ずしも良い方向に転ぶとは限らない”
そう言いたげに東の太陽が笑っていた。
マリベル「それで! あのじじいは どこに行ったのっ!?」
*「うわ あわわわ~!」
少女に両肩を揺さぶられ、移民の男はたまらず悲鳴を上げる。
*「し しらねえ! おれはなんも聞いてねえよ!」
マリベル「あんたは!?」
*「お おれも 聞いてねえって!」
マリベル「ほ~んとう でしょうね~? 嘘ついてたら 海まで ぶっとばすわよ?」
少女が男の胸元に指を突き立ててさらに問い詰める。
*「あわわ お助け……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ごめんなさい。ちょっと 熱くなりすぎちゃったわ。」
マリベル「他を当たるわ。じゃあね。」
怯える男に少女は嘘はないと見抜き、素直に謝ってその場を後にした。
421 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:10:07.87 ID:QSmDR/W/0
マリベル「だれか 神さまの行先を 知ってるやつは いないのかしら……。」
いったい何人に聞いて回っただろうか。
誰からも帰ってくる答えは“知らぬ”、“存ぜぬ”だけでこれといって有益な情報を得ることもなく時は過ぎていった。
マリベル「まいったわね……。」
神を見つけ出せなければ少年を助けることができない。
そんな焦燥感が少しずつ少女の心を蝕んでいく。
マリベル「あつい……。」
この町に来てどれぐらいの時間が経ったのだろうか。
太陽はいつの間にか少女の真上まで昇り、焦る少女の姿を嘲笑うかのように強烈な日差しを降り注がせている。
マリベル「何か 別の方法を考えなきゃ ダメかしら……。」
仕方なく近くにあった酒場に立ち寄り、少女は冷たいものを飲んで少しの間休むことにした。
*「いらっしゃいませ。」
マリベル「マスター。ジュースちょうだい。キンキンに冷えたやつ。」
*「かしこまりました。」
程なくして出された果汁を飲みながら気持ちを落ち着かせ、少女は周りから聞こえてくる会話に耳を傾ける。
*「やーねえ あのじいさん またやったの?」
*「まんまと してやられたって 感じだわ。まさか このあたしが おしりを触られちゃうなんてね。」
カウンター席では遊び人風の女性たちが助平な年寄りの愚痴を言っている。
*「そろそろ オラ みんなの前で 披露しようかと 思うんだな~。」
*「それなら オイラも がんばって踊るっち!」
店の奥の方からは農夫の恰好をした男とあらくれ風の男が今後の活動の話をしている。
*「あいつめ また 抜け出したらしい。」
*「脱走の手口も どんどん 巧妙になってきやがる。まいったもんだな。」
すぐ後ろの卓からは元囚人にして脱獄犯の男の噂をしている。
マリベル「……ダメか。しっかし どいつもこいつも いいわよね~ 真昼間から 呑気に お酒なんか飲んじゃってさ。」
マリベル「ごちそうさま マスター。また くるわ。」
*「ありがとうございました。」
料金を払って店を後にしようと扉に手をかけた時だった。
*「…んでよ その人に頼んだら 一発で 治っちまったんだとよ!」
*「ホントかよ? おらぁ 聖職者ってのは どうも 好かんから 信用できねえがよ。」
テーブル席では二人の男が何やら話し込んでいるようだった。
*「いやいや それが おれっちの 姪っ子も その人の祈祷のおかげで 魔物の呪いが解けたんだとよ!」
マリベル「っ……!」
*「おまえが そこまで 言うなら 信じなくもないけ…。」
マリベル「ちょっと!」
*「ん? おお マリベルさんじゃねえか! どうしたんだい 今日は。」
*「今日は アルスさんと 一緒じゃねえのかぁ?」
マリベル「その話 詳しく聞かせてもらおうかしら。」
422 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:10:50.20 ID:QSmDR/W/0
*「へい らっしゃい!」
*「特別加工で 新鮮なままの マグロだよ!」
*「簡単には手に入らない 究極の魚だ! 安くしとくよっ!」
その頃、漁師たちは町で商売に精を出していた。
*「る~らら~ おにいさん それは いくらだい~?」
*「一切れ 40ゴールドってところだい!」
*「ららら~ おひとつ お~くれ~。」
*「へい~ ま~いど~!」
優雅に歌いながら品定めする青年に釣られ、漁師も思わず旋律に乗せて接客をこなす。
*「この国の連中は どうしてみんな 歌ってばかりなんだ?」
*「そりゃ 音楽の都なら 仕方ねえだろ。」
*「いらっしゃ~い~!」
仲間の漁師の疑問に銛番の男が投げやりに答える。
*「マリベルおじょうさんは あれから どうしたんだろうな。」
コック長「さあな……。まあ その内 戻ってくるだろう。」
料理長もどこか落ち着かない様子で答える。
*「だと 良いんですけどねえ。」
ボルカノ「信じて待つんだ。オレたちにできることは それだけだ。」
サイード「彼女には いろんな 知り合いがいます。きっと アテがあるのでしょう。」
ボルカノ「ああ あの子なら やってくれる。」
ボルカノ「とにかく さばき終えたら いったん船に戻るぞ。」
*「「「ウスッ」」」
船長の言葉に一同は頷くと再び自慢の品を売りさばくために商へと戻るのだった。
423 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:11:54.66 ID:QSmDR/W/0
マリベル「盲点だったわ……!」
移民の町を後にし、音楽の都の入口へと転移した少女は自分の船へと急ぎ空飛ぶ絨毯を走らせていた。
マリベル「まさか あの人が そんな力をもっていたとわね……。」
少女は移民の町の酒場で聞いた言葉を思い出す。
“マーディラスっていう国の 南にある大神殿には 高位の神官がいましてな。”
“その人に頼めば 強力な呪いも たちまち 治っちまうんですってよ。”
マリベル「あの大神官のいたところなら それくらいできる人がいても 当然ってもんよね……!」
少女は絨毯の速度を上げて船の中で眠る少年へ呟く。
マリベル「待ってなさいよ アルス。すぐに 連れてってあげるんだから……!」
既にその目に昨晩の憂いはなく、いつもの自信と活力にあふれる輝く瞳が力強く目の前の港を見据えていた。
424 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:13:05.81 ID:QSmDR/W/0
ボルカノ「アルス……。」
商いを終えた漁師たちは漁船へと戻って来ていた。
*「やっぱり 目え 覚ましませんね……。」
父親の声にも反応はせず、少年は静かに呼吸を繰り返している。
*「マリベルおじょうさんは まだ 戻って来てないんですかね……。」
ボルカノ「…どうやら そのようだな。」
少年の状態を見ても動かされた様子はなく、件の少女もまだここへは戻ってきてはいないようだった。
トパーズ「なうなう~。」
少年の身体で暖をとっていた三毛猫がハンモックから飛び降り、扉の向こうへ歩いていく。
*「ん?」
“ギッ……”
425 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:15:13.44 ID:QSmDR/W/0
その時、甲板から響く足音に一人の漁師が首をもたげ、何事かと上へと続く階段を見つめる。
マリベル「あれ…っ!? ボルカノおじさまっ! みんなっ!」
やって来たのは少女だった。
その腕には先ほど出て行った猫が抱きかかえられている。
トパーズ「なぉー。」
*「マリベルおじょうさん!」
*「……てことは。」
ボルカノ「マリベルちゃん! どうだった?」
マリベル「…………………。」
マリベル「残念だけど アテは外れたわ。」
*「そんな……!」
*「それじゃ アルスさんは……。」
ボルカノ「…………………。」
マリベル「まだよ! まだ 望みは ついえちゃいないわ!」
マリベル「ここから南にある 大神殿には 高位の神官がいて……。」
マリベル「その人なら 強い呪いも 解けるかもしれないの!」
*「そ それじゃあ……!」
ボルカノ「これから そこに行くんだな?」
マリベル「ええ! アルスと一緒にね!」
コック長「でも アルスは……。」
料理長がハンモックに横たわる少年の顔を見やる。
マリベル「忘れたの? コック長 あたしたちには 魔法のじゅうたんが あるのよ!」
そう言って少女は腰に下げた少年の袋から赤い布の端を覗かせる。
マリベル「あたしは すぐに 神官長のもとへ行くわ。」
マリベル「みんなは 疲れているでしょうから ここで休んでて!」
言うや否や少女は少年をハンモックから降ろし、なんとか肩を担ぐと甲板へ向かって歩み始める。
マリベル「ふ…んぬぬ……!」
普段とはまったく逆の状態。
少女は少年の全体重を支えながら懸命に上を目指す。
マリベル「あ……んた… 思ったより 重…たいのね……!」
コック長「マリベルおじょうさん……!」
“今まで何度ともなく負ぶらせた少女が、この少年のためにここまでするとは”
料理長だけではない。
その場の誰もが少女の健気な姿に目を見開き、その背中を見つめているしかできなかった。
引きしまった筋肉を持つ少年の身体は見た目以上に重く、少女は少しずつ前進しながらもその足元はふらついていた。
マリベル「フゥー…。はあ… はあ… …えっ?」
息を上げながら階段を上っていると急に体が軽くなり、少女は目の前を見上げる。
サイード「手を貸すぞ。」
そこには少年の身体を支える青年の姿があった。
426 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:19:11.33 ID:QSmDR/W/0
マリベル「た 助かるわ……。」
サイード「むっ… たしかに 見た目に反して けっこう重たいな。」
サイード「それだけ からだを よく鍛えている ということか……。」
感心する青年に対して少女はどこか悲しげに言う。
マリベル「いっつも あたしのこと かばったり 体張って 無理しちゃってさ……。」
マリベル「…守れ とは言っても もうこれ以上 傷ついてほしくないのよ。」
サイード「…………………。」
サイード「そういうことは アルスが起きたら 直接 言ってやるんだな。」
サイード「こいつのことだ。きっと 言われても おまえのためなら ムチャし続けるだろうが。」
マリベル「…そうね。」
マリベル「この人ったら 変なところで ガンコなんだから。ね~ アルス。」
そう言って少女は片手で少年の頬をつつく。
サイード「……甲板までで 大丈夫なのか?」
マリベル「ええ 表なら 絨毯を広げられるわ。」
サイード「おれも お供しようか?」
マリベル「絨毯にはまだ 座れると思うけど……。」
サイード「おまえたちには 借りっぱなしだからな。少しでも 恩を返したい。」
サイード「それに その大神殿とやらも この目で 見てみたいしな。」
マリベル「アルスもだけど あんたのお人よしも 大概ねえ。」
マリベル「ふふん。まあ 好きにしてちょうだい。」
サイード「わかった。」
少年を甲板に運び終えた青年は漁師たちに自分の旨を伝えると、少女と共に少年を抱えて絨毯で南へと飛んでいった。
*「頼んだぞ~~!」
三人の後ろからは無事を祈る漁師の声援が大きく響き渡っていた。
427 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:20:14.81 ID:QSmDR/W/0
サイード「あれが 大神殿か……。」
昼下がり、三人は件の大神殿に到着していた。
サイード「なんとも 荘厳な 佇まいだな… 神を祀るとはいっても これほどの規模とは……。」
地面に降り立った青年は巨大な大神殿を見上げて感嘆の息を漏らす。
マリベル「正直 あんなのには もったいないくらいよ。」
腕組をしながら少女が溜息をつく。
サイード「あんなの…?」
マリベル「ああ そっか。あんた まだ 神さまの イイトコしか 見てないんだっけ。」
サイード「どういうことだ?」
マリベル「あの じじいの 体たらくと言ったら……。」
サイード「…………………。」
“神に対してなんて罰当たりな。”とは思う青年だったが、
少女の態度に何かを察したのか、それ以上何も言う気にはならなかったらしい。
マリベル「さ 行きましょ。」
そう言うと絨毯を袋にしまい、今度は少年を青年に任せて大神殿の中を目指して歩き出す。
428 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:22:08.02 ID:QSmDR/W/0
マリベル「…………………。」
しばらく歩みを進めて少女は違和感を感じる。
サイード「どうした マリベル。」
マリベル「…いつもは シスターが 立っているはずなんだけど。」
サイード「…何か 用でもあるんじゃないのか?」
マリベル「…………………。」
マリベル「待って。」
その時少女が唐突に足を止め、青年を制する。
サイード「…………………。」
マリベル「誰か来るわ。」
二人の見据えるその先、大神殿の入口の扉からは真っ黒なローブを身に纏った呪術師を思わせる身なりの者が出てきた。
*「そこの おまえたち。お引き取り願おうか。」
それも一人ではなく複数。
マリベル「なによ あんたたち。こっちは ここの神官長に 大事な用があるのよ。」
*「神官長どのは 今 忙しいんだ。われわれの 用が済まない限り 誰にも邪魔させるわけにはいかんなあ。」
マリベル「ずいぶん 自分勝手なこと 言ってくれるじゃないの。」
マリベル「あんたたちこそ その用ってのは なんなのよ?」
物怖じもせず少女は訊ねる。
*「おまえのような小娘には 関係のない話だ。」
*「話してやっても いいだろう どうせ 一般人にはどうにもできん話だ。」
*「ふん。まあいい。」
*「われわれは 魔法の研究をしている。」
*「去る昔 ここは 魔法大国として栄え 今も その資料が 残っているというじゃないか。」
*「……究極の魔法の資料が。」
マリベル「あんたたち どこから その話を聞きつけてきたのよ。」
*「君たちと違い われわれのような 高位の呪術師にとっては 常識なのだよ。」
*「魔王亡き今 われわれが その魔法を使って 世界を牛耳ることも できるやもしれん。」
*「しかし われわれは そんなことには興味はない。われらの目的は ただ未知なる 呪術を追い求めるのみ。」
*「そのためにも ここの神官長には 知っていることをすべて 話してもらわねばならん!」
*「……たとえ 何年かかろうとな。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ふーん あっそ。」
429 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:23:52.96 ID:QSmDR/W/0
マリベル「サイード 行きましょ。」
サイード「ん? ああ。」
そうして二人は黒づくめの集団の方へと歩き出す。
*「貴様 今の話を聞いていたのか!」
すかさず呪術師の一人が叫び、二人の動きを止める。
マリベル「うるさいわねえ。あんたたちの 目的はわかったから さっさとそこを 通しなさいよ。」
マリベル「もう一度言うわ。あたしたちは 大事な用があるのよ。」
*「この……!」
*「まあいいだろう その代わり……。」
[ 呪術師Aは メラを となえた! ]
サイード「っ……!」
呪術師は少女を指さすとそこから小さな火球を放つ。
*「われわれを 倒せたならな。」
マリベル「…………………。」
*「むっ?」
それを片手で弾き飛ばし、少女は再び前進する。
マリベル「なによ。そんな ちんけな呪文で あたしを ビビらせるつもりだったの?」
*「こいつ ただの小娘では ないようだな……。」
マリベル「わかったから そこを どきなさい。邪魔なのよ。」
*「ぐっ… 皆の者!」
呪術師の一人が叫ぶとさらにその後ろから何人かが出てきて少女を取り囲む。
マリベル「……やり合おうって言うの?」
*「ふんっ 女をいたぶるほど 落ちぶれちゃいない!」
*「もし おまえが われわれよりも 優れた魔法使いであれば ここを 通してやろう。」
マリベル「ふーん? で あたしは どうすれば いいわけ?」
*「ルールは簡単だ。われわれの中から その道の スペシャリストを出す。」
*「おまえが その者たちよりも 優れた力を 示せたらば 勝ちだ。」
*「かわいそうだから だれか 一人にでも 勝てたら 特別に通してやってもいいぞ。」
マリベル「あら? ずいぶん お優しいじゃないの。」
*「ふっふっふ。それだけ おまえとの 差は 歴然ということだ。」
マリベル「はいはい。それじゃ 外までいくわよ。」
マリベル「ここじゃ 床が ボコボコになっちゃうわ。」
そう言うと少女は踵を返し、青年と少年を残して歩いて行ってしまう。
*「…………………。」
*「生意気な 娘だ……!」
*「言わせておけ。どうせ われらの勝ちは目に見えている。」
*「そ…そうだな……。」
マリベル「いつまで グズグズしてんのよ? レディを 待たせる気?」
少女は呆れた顔で冷たく吐き捨てるように言った。
430 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:25:12.90 ID:QSmDR/W/0
マリベル「さっさとしてよね。こっちは 病人がいるのよ。」
神殿の敷地から外にやってくると、少女は腰に手をあてて呪術師の集団を睨む。
*「きさまらの 都合は知らん。本気で 邪魔をするつもりなら 暴力もいとわんぞ。」
マリベル「脅しはいいから 始めるわよ。まずは どいつかしら?」
*「減らず口を…… おい!」
*「…………………。」
無口な呪術師が前に立ち、少女と対峙する。
*「そいつは ギラ系の 専門家だ。まずは お手本を 見せてやろう。」
リーダーと思わしき人物が余裕をにじませた声で言う。
*「…………………。」
[ 呪術師Bは ベギラゴンを となえた! ]
無口な呪術師が呪文を唱えると目の前の足元から二本の火柱が現れ、前方で交差した。
するとその地点から真横一列に巨大な火柱が飛び出し、辺りの地面を焼いていった。
*「…………………。」
*「今のは ギラ系の 上級呪文 ベギ……。」
マリベル「ベギラゴン。」
*「…………………!」
*「なにぃっ!?」
リーダーの呪術師が説明を終える前に少女は同じ呪文を簡単にやってのける。
マリベル「……はあ。」
それもため息をするかのように。
*「くっ 今のはほんの序の口よ! 次だ!」
*「ハッ。」
リーダーに促され、背の高い男が前に出る。
*「そいつは バギの使い手だ! 驚いて 腰を抜かすなよ?」
“まだまだ勝機はある”と言いたげにリーダーは言う。
*「はああっ! バギクロスっ!!」
大きな掛け声と共に四本の巨大な竜巻が現れ、少女の前までやってくる。
マリベル「あぶないじゃないの!」
[ マリベルは バギクロスを となえた! ]
*「なんだって!」
少女は咄嗟に同じ呪文をぶつけて竜巻をかき消してしまった。その様子を見て思わず男は声を荒げる。
*「くっ… これも 引き分けか……!」
*「次だ!」
*「はい。」
431 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:27:33.95 ID:QSmDR/W/0
いらだつ男の後ろから背の低い女性と思われる呪術師が前に出てくる。
*「いきます。」
[ 呪術師Dは マヒャドを となえた! ]
今度は呪術師の上から無数の巨大な氷の刃が現れ、少女の目の前に次々と突き刺さる。
*「ふん! これで 身動きもとれまい。」
氷の向こうに消えた少女を見据え、司令塔が鼻を鳴らす。
マリベル「ちょうど 暑かったのよ。助かるわ。」
*「えっ…。」
突然氷の壁が割れたかと思えばその向こうから少女が現れ、涼しい顔をして言う。
マリベル「マヒャド。」
そのまま少女は呟くと呪術師たちを取り囲むように氷の刃を突き刺す
マリベル「でも 邪魔よね?」
マリベル「すううう… はあああ!」
すると今度はその壁の向こうから隙間目がけて煉獄の火炎を吹き付ける。
*「ぬおっ!」
*「あ あつい!」
呪術師たちの手前までやってきた火炎はあっという間に地面を焦がし、ぶすぶすと音を立てる。
両者の目の前にあった巨大な氷塊は、跡形もなくなっていた。
*「……ちぃ! ゆけ!」
*「おうよ。」
焦りを隠せないリーダーの前に立ちふさがるようにして大男が前へ飛び出す。
*「これならどうだ!」
[ 呪術師Eは メラゾーマを となえた! ]
詠唱を終えると男の真上に巨大な火球が形成され、少女と呪術師たちの間に着弾すると猛烈な火柱をあげて爆発した。
*「ふ ふふふ… どうだ! 先ほどの 子供だましとは 比べ物にもなるまい!」
マリベル「そうね。欠伸が出るわ。」
[ マリベルは メラゾーマを となえた! ]
男の放った火球の後を追うようにして巨大な火の玉が撃ち込まれる。
*「なんだとぉ!?」
大男が信じられないといった様子で叫ぶ。
マリベル「ふあ~ まだやるの?」
432 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:29:07.89 ID:QSmDR/W/0
*「な 舐めおってぇぇ!」
*「刮目せいっ!!」
その時、遂に痺れを切らしたリーダーの呪術師が叫び声とともに呪文を唱える。
[ 呪術師Aは イオナズンを となえた! ]
マリベル「……っ!」
その直後、想像を絶する大爆発が巻き起こり辺りを黒煙に包み込んだ。
*「ふ… ははは! ふははははっ! 見たか! 流石のおまえも これには……っ!?」
*「あ あれは!」
*「か 固まってる……!」
黒煙が晴れる中、呪術師たちが見たのは体を鋼鉄に変えた少女の姿だった。
マリベル「…………………。」
マリベル「ん……ふう……。」
次第に体の色が戻り動けるようになると少女は相変わらず冷たい眼差しで言う。
マリベル「ったく ホント サイテーね。あれだけ 言っておきながら しっかり 当てに来てるじゃないの。」
マリベル「都合が悪くなったら 消せば なんとかなる とでも思って?」
*「だ 黙れ 黙れぃ!」
*「貴様の番が まだ 終わってないぞ!」
マリベル「ったく 往生際が 悪いわね。」
マリベル「イオナ…! ……モゴモゴ……モゴゴっ!?」
[ しかし じゅもんは ふうじこめられている! ]
マリベル「…っ!」
いつものように指を突き出し呪文の詠唱をするも、魔力は少女の体の中に留まったままだった。
*「どうした? 今のはハッタリか? フフフフ……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「やってくれたわね……!」
不敵に笑う呪術師に少女は自分が何をされたのかを悟り、怒りの眼差しで呪術師たちを睨む。
*「何のことだ? われわれは 常にフェアだぞ?」
マリベル「よくも そんなセリフが言えたものね。人に マホトーンなんて かけておいて。」
*「困るなあ。いくら 呪文が使えないからと言って われわれのせいにされては。」
マリベル「……あっそ。わかったわ。今は イオナズンはおろか 呪文は一切使えないみたいだしね。」
*「ほう? 素直に 負けを認めるか。さすがは 物わかりの良い お嬢さんだ。」
マリベル「だれが 負けを認めるなんて 言ったかしら?」
*「…何だと……?」
マリベル「あんな しょぼい爆発で 勝った気になってるんじゃないわよ。」
*「このアマ……!」
マリベル「あんたたちなんて 呪文を使うまでも ないわ。」
*「もういい! 皆の者 やってしまえ! そいつを 黙らせるんだ!」
遂に堪忍袋の緒が切れたのか、呪術師たちは一斉に呪文を唱え少女を倒そうと仕掛けてくる。
マリベル「はいはい。結局はこうなるのよね。」
マリベル「……ビッグバン。」
433 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:31:33.61 ID:QSmDR/W/0
そう呟くと少女は両腕を前に突き出し、全てを破壊する大爆発に魔力を変えて呪文もろとも呪術師たちを吹き飛ばす。
*「ぐあああっ!」
*「ぎゃあああ!」
*「あああぐううっ!」
*「…………………。」
“パンッ…”
マリベル「安心しなさい 手加減しておいたわ。」
転がる呪術師たちを見渡して少女は掌を払う。
*「うう……。」
*「あ…ぐ……。」
*「こ… んな… こんな ばかな……!」
マリベル「これでいいわよね?」
“イオナズンに対する答えがこれだ”と言わんばかりに、
少女はボロボロになったリーダーの呪術師を見下して問いかける。
*「ぐ… 一つ… 聞かせてくれ……。」
マリベル「なによ。まだ なんかあるの?」
*「きさまは いったい……。」
マリベル「あーら そんなことも知らずに 勝負を吹っかけてきてたの?」
少女は心底あきれた様にため息をつき、再び目を見開くと呪術師たちに宣言する。
マリベル「世界一の美少女にして 世界の救世主 マリベルさまとは このあたしのことよっ!!」
*「…………………。」
*「マリベル… そうか おまえのような 娘がそうだったとはな……。」
マリベル「人は見かけにはよらないってこと よーく覚えておくのね。呪術師さま?」
*「…………………。」
マリベル「ふんっ。」
434 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:32:21.88 ID:QSmDR/W/0
力なく横たえる呪術師たちを背に少女は歩き出す。
マリベル「遊んでくれて ありがと。」
マリベル「つまらなかったわ。じゃあね。」
435 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:34:46.91 ID:QSmDR/W/0
サイード「……来たか。」
大神殿へと続く広場で戦いを見届けていた青年が、今まさにこちらに向かってくる少女に歩み寄る。
サイード「派手な 爆発だったな。」
マリベル「いまごろ みんな 仲良く昼寝してるわよ。」
サイード「じゃあ もう いいんだな?」
マリベル「まったく 失礼しちゃうわ。あたしを 誰だと思ってたのかしら。」
不機嫌そうに少女が言う。
サイード「……口のうるさい 小娘ぐらいだろう。」
マリベル「口のうるさい は余計よ!」
サイード「……そうだったな。」
”言うまでもなかった”とは言うまでもなかった。
マリベル「はやく 行きましょ! 神官長に会わなくっちゃ。」
サイード「どれ……。」
そうして青年は再び少年を背負うと、少女を追って大神殿の中へ歩いていくのだった。
436 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:36:17.78 ID:QSmDR/W/0
*「あ あなた方は!」
神殿の中へ入った二人におびえた様子の修道女が呼びかける。
マリベル「お久しぶりね シスター。」
*「マリベルさん あの呪術師たちは……。」
マリベル「表で ノびてるわよ。」
*「ああ 良かった……。すぐに 神官長に お知らせしなくては。」
サイード「おれたちは その神官長に用があって ここまで来たんだ。」
*「まあ! その背中の人は……。」
マリベル「強力な呪いを かけられちゃってね… 神官長に 解いてもらおうと 思ってきたの。」
*「それでしたら どうぞ こちらへ!」
そう言って階段の上まで昇ると修道女は長い赤色の絨毯の上を駆け、奥の方で男性と話し込んでいるようだった。
しばらくして戻ってくると少女たちをベッドの置かれた部屋へと通す。
*「すぐに 施術しますので 少々お待ち下さい。」
マリベル「ええ。」
そして急いで部屋を後にすると別の部屋の方へと走っていった。
437 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:39:35.43 ID:QSmDR/W/0
サイード「よっ…と。」
砂漠の青年は少年をベッドに横たえると近くの椅子を引っ張り出して少女を座らせる。
マリベル「ありがと…。ふあ……。」
ほとんど無尽蔵の魔力を持つとはいえ、
不眠の上に上級呪文を唱え続けさしもの少女もかなりの疲労を覚え、目をこすり大きな欠伸をする。
*「お休みになりますか?」
炊事場に立っていた修道女が少女に語り掛ける。
マリベル「いいえ。アルスが 目覚めるのを 見るまでは 眠れないわ。」
*「そうですか……。」
修道女が心配そうに見つめる中、少女は気休め程度にと自分に目覚めの呪文をかけて気を取り直す。
サイード「便利なものだな。」
マリベル「まあね。使い方次第では どんな 呪文だって 化けるわよ。」
マリベル「でも やっぱり 万能じゃないの。」
サイード「完全に 失われた命は 戻らない……か。」
青年はつい先日別れたばかりの妖精やスライムのことを思い出していた。
マリベル「そ。それに さっきみたいな連中は 力に溺れてばっかりで 呪文の本質を 見極めようとなんて してないように 見えたわ。」
マリベル「呪文ってのは ただ 自己満足のために あるんじゃなくて 誰かのために 役に立って はじめて その真価を 発揮するってのにね。」
サイード「…………………。」
マリベル「でも… でも それでも 万能じゃないの。」
マリベル「大切な人を 眠りから 覚ましてあげることもできない。」
少女の独白は続く。
マリベル「いろんな 呪文を覚えて どんなことだって できる気に なってたけど……。」
マリベル「やっぱり駄目ね。あたしは 所詮 ただの 網元の娘なのよ。」
マリベル「メザレであんたに あれだけ 説教したっていうのに……。」
少年の手を握るその手は震えていた。
マリベル「あたしも おんなじよ。どこまで いっても 人は人でしかない。」
マリベル「神さまに なんか なれないのよ……。」
そう言って少女は静かに瞳を閉じる。
マリベル「…………………。」
祈りをささげるその姿は言葉にならない美しさと慈しみを湛えていた。
*「……っ!」
見れば見るほど不思議な神々しさすら覚え、修道女はいつの間にか胸の前で手を合わせている自分の姿に驚く。
サイード「…………………。」
青年もどこか不思議な心地がしていた。普段は絶対に見せることのない少女の姿は、
この世に天使というものがいるならこういう者のこと言うのだろうかとすら感じさせるものがあった。
そして。
*「お待たせしました。」
438 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:41:43.53 ID:QSmDR/W/0
永遠に感じられた静寂を破り、緑の法衣に身を包んだ男が姿を現す。
この大神殿で代々受け継がれてきた神官長の名を持つ、まさにその人だった。
マリベル「…………………。」
*「アルスどのの ご容態は……。」
サイード「マリベル。マリベル!」
マリベル「…………………。」
いくら揺さぶっても少女は目を閉じたまま動かない。
少年の手を握り、祈りに集中していて周りの音も、感覚も、すべてが失われているかのように硬直していた。
*「…祈りに 集中しているようです。」
サイード「では おれが 説明しましょう。」
[ サイードは これまでの いきさつを 話した。 ]
*「そうでありましたか……。」
*「わたしが おチカラになれるかは わかりませんが 全力を尽くしましょう。」
サイード「お願いします。……彼女のためにも 彼の家族のためにも。」
青年は神官長に深々と頭を下げると少年のベッドから少し後ろへ下がる。
*「シスター よろしいかな?」
*「はい。彼女は どうしますか?」
*「大丈夫だ。このまま 施術する。」
*「わかりました。さあ あなたも。」
*「はい。」
神官長と二人の修道女は少年の身体に両手をかざし、どこの教会でも行われている祈りの言葉をささげていく。
*「おお われらが神よ! その身を賭して世界を救いたもうたアルスを 魔物にかけられし いまわしき呪いより 解きはなちたまえ!」
*「そして その意識を 再び ここに呼び戻し 迷える子羊を 救いたまえ!」
*「彼の者に祝福を!」
三人がそれぞれ言葉を言い終えると、不思議なことにどこからか朗らかな老人の声が聞こえてくる。
[ ほっほっほ。また ずいぶん ひどく やられたものじゃのう。 ]
[ 心配せんでよい。その子は もうすぐ 目を覚ますじゃろう。 ]
*「あ あなたは……っ!」
[ わしは いつも そなたらと 共にあるぞ。……では さらばじゃ。 ]
その言葉を最後に声は聞こえなくなった。
439 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:43:58.35 ID:QSmDR/W/0
*「神官長!」
*「い 今のは……。」
*「うーむ まさかとは 思ったが ひょっとすると……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「あの クソじじい…… どこ行ってたのよ…。」
気付けば俯いていた少女が目を薄く開いていた。
サイード「気が付いたか マリベル。」
マリベル「えっ……何のこと?」
サイード「…………………。」
少女は自分が祈りに集中して意識が途切れていたことには気づいていないようだった。
マリベル「そ それより アルスは……。」
*「さきほどの 言葉が 真であれば じきに目覚めると……。」
マリベル「お願いよ アルス! 目を覚まして……!」
アルス「…………………。」
マリベル「……もう…!」
マリベル「いつまで 寝てるのよ! ばかアルス!」
そう言うや否や少女はベッドに横たわる少年の上に跨ると頭を揺さぶり始める。
*「うっ!!」
突如響き渡った声に少女は思わず周りを見る。
マリベル「…………………。」
マリベル「いま 誰か 何か言った……?」
*「いいえ。」
*「わたしたちは何も…。」
*「むう?」
サイード「見ろ! アルスが!」
マリベル「えっ……。」
440 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:44:47.09 ID:QSmDR/W/0
*「ねえ あそぼ?」
*「…うん。」
夢を見ていた。
*「きょうも なーんもないね。」
*「そうだね。」
まだ幼いころ、二人だけで歩いた夕日の海岸。
*「あっちに いってみよ!」
*「あ まって。」
何かないかと立ち寄った桟橋。
*「あれ なにかな。」
*「きれいだね。」
*「そうだね。」
*「まっかだね。」
海底に見えた真っ赤なサンゴ礁の欠片。
*「…………………。」
*「…………………。」
*「ねえ とってきて あげるよ。」
*「ほんとっ!?」
*「うん まってて。」
きみにあげたくってぼくは海に飛び込んだ。
*「ねえ ほんとに だいじょうぶ?」
*「すぐ もどるから。」
*「うん まってる。」
*「…………………。」
*「…………………。」
*「…………………。」
*「ねえ… ねえ……。」
*「…………………。」
*「ねえってば……。」
*「…………………。」
*「ねえっ!」
441 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:46:06.69 ID:QSmDR/W/0
*「うぐっ… ひっ… ひっく……。」
*「それでは 命に別状はないんですね?」
*「ええ もう 大丈夫でしょう。」
結局ぼくはそのまま溺れてしまった。
*「ほら もう泣かないで。」
*「ぐすっ… でも あたしのせいで……。」
*「おまえのせいじゃないよ。」
*「勝手に 飛びこんだ この子が いけないんだから。」
騒ぎを聞きつけた大人たちによってぼくは助けられた。
*「しばらく 寝かせておきましょう。」
*「でも どうして この子は……。」
*「どうしたんだろうな。普段は引っ込み思案で おとなしい子なのに。」
*「ねえ ねえ……。」
彼女が呼んでいる。
*「おきてよ… おきてよぉ……。」
彼女が泣いている。
*「おねがいよ アルス! めをさまして……!」
目を覚まさなければ。
442 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:47:52.97 ID:QSmDR/W/0
サイード「見ろ! アルスが!」
マリベル「えっ……。」
アルス「く くるし……。」
青年の声に恐る恐る正面を向くと少年が苦しそうな顔をしながらうめき声を上げていた。
マリベル「あ ああ……。」
マリベル「アルス!」
アルス「うわっ!」
アルス「ま マリベル……?」
マリベル「アルス……。」
アルス「…………………。」
気付けば少年の目の前には少女の顔があり、いつの間にか頭を抱きしめられ唇を奪われていた。
頬を伝う雫は自らのものではなかったが、ちっとも拭う気になれなかった。
マリベル「…おはよう アルス。」
アルス「お おはよう マリベル……。」
唇が離れ少しだけ照れくさそうに少年は挨拶を交わす。
今はとっくに日も暮れてきているというのに、妙にしっくりくるこの言葉は
二人の間の時がようやく一日の始まりを迎えたような、そんな安堵の気持ちを表しているようだった。
サイード「ふっ……。」
それを見ていた青年はようやく自分の務めが終わったと言わんばかりに部屋を後にする。
*「どうやら わたしたちの お役目は終わったようですね。」
*「そのようだ。では これで失礼。」
*「しっかり 休んでくださいね。」
そう言い残して聖職者たちも青年の後を追って部屋を出る。
マリベル「ありがとうございました。」
最後の修道女に礼を述べるとその女性はにっこりと笑いそのまま静かに扉を閉めた。
443 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:48:47.47 ID:QSmDR/W/0
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
残された二人は身体を起こしてしばらく無言のまま扉を見つめていたが、やがて向き直ると再びお互いの体を抱きしめ合う。
マリベル「良かった… ホントに 良かった……。」
アルス「ごめん… 心配かけたね。」
マリベル「まったくだわよ。あたしが どれだけ 苦労したと思ってるのよ……。」
アルス「ごめん。」
アルス「ありがとう。マリベル。」
マリベル「うん……。」
アルス「ありがとう。」
マリベル「…ん……。」
アルス「マリベル。」
マリベル「…………………。」
アルス「…マリベル……?」
マリベル「…スゥー…… スゥー……。」
アルス「…………………。」
アルス「そっか。眠らずに 見ていてくれたんだね。」
少年は自分に身を任せたまま眠る少女の髪を優しく撫で、そのままベッドを捲って少女を寝かしつける。
マリベル「…んん… あるす……。」
アルス「……おやすみ。マリベル。」
そうして少年と入れ替わるように少女は深い眠りに落ちていったのだった。
444 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:51:20.80 ID:QSmDR/W/0
サイード「もう 動けるのか?」
少女を寝かしつけ、しばらくしてから少年は部屋を出た。
月明かりの下、青年が池のほとりに座っているのを見つけて歩み寄ると、それに気づいた青年が話しかけてくる。
アルス「うん。おかげさまでね。」
サイード「あいつは どうした?」
アルス「今は ぐっすり 眠ってるよ。」
サイード「そうか。ようやく か。」
アルス「一睡も してなかったんでしょ?」
サイード「そのようだな。」
アルス「…………………。」
アルス「ここに来るまでに 何があったの?」
サイード「話せば 長くなるな。」
アルス「…聞かせて くれないかな。」
少年は真剣な表情で頼み込む。
サイード「ふむ。おまえが幽霊船の中で 倒れたと マリベルから聞いてな。」
サイード「魔物の呪いを受けたと。あの時の あいつの取り乱しようは その……。」
あまり思い出したくないのか、青年は少し顔を逸らして言いよどむ。
サイード「とにかく おまえを横にした後は ああでもない こうでもないと いろいろ船のみんなで 話し合ったんだが 結局 何もいい案はないまま このマーディラスに たどり着いてな。」
サイード「それから あいつは 神に会いに行ったようだが あいにく 不在だったらしい。」
サイード「だがその時 ここに 呪いを解くことができる者がいると 突き止めたらしくてな。それから 一悶着あって 今に至るわけだ。」
アルス「そっか。それが さっきの 神官長だったわけか……。」
サイード「感謝するんだな。あいつはおまえのことを ずっと 気に病んでいたからな。」
アルス「ぼくが ああなったのは 自分のせいだと?」
サイード「そうだ。自分がついていながら 申し訳ないと 親父さんに謝ってたぞ。」
サイード「それに 自分の無力さを 嘆いていた。おれからすれば あれだけの 力をもっていて 何を恥じることがあるのかと 疑問に思ったものだがな。」
アルス「そっか… また ぼくのせいで 彼女を傷つけてしまったのか……!」
アルス「…………………。」
少年の握り拳から血がしたたり落ちる。
サイード「あまり 自分を責めすぎないことだ。それが 彼女のためだと おれは 思うが。」
青年は振り返りもせず言う。
サイード「おまえも 沐浴していくといい。シスターたちには 言ってあるから 覗きに来るものもいないだろう。」
アルス「……ありがとう。」
サイード「礼なら マリベルに …だ。」
アルス「でも きみにも 世話になった。」
サイード「気にするな。こうして 少しずつでも 借りを返していかないと 一生かかっても 返せないだろうからな。」
サイード「じゃあ おれはこれから 船に戻る。おまえたちの 無事を 報告しなければな。」
アルス「それなら ぼくが……。」
サイード「おまえは ダメだ。いまは あいつの 傍にいてやれ。」
アルス「…………………。」
アルス「わかった。それなら これを 使って。」
そう言うと少年は袋の中から魔法のじゅうたんを取り出し青年に手渡す。
サイード「助かる。それじゃ また 明日。」
青年を見届けた後、少年も袋から着替えを取り出し水浴びを始めた。
体の疲労は消えたはずなのに心はどこか重たく、とても自分の回復を喜ぶ気にはなれなかった。
そうしてしばらく体を浸し、少年は天を仰ぎながら少しずつ沸き上がる感情を洗い流していくのだった。
445 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:53:51.85 ID:QSmDR/W/0
アルス「ふー……。」
水浴びを終え、再び少年は少女が眠る部屋へと足を運ぶ。
アルス「…………………。」
食欲がないので眠れるかはさておき今日はもう横になろうと決め、少女の隣に開いたベッドへと歩いていく。
マリベル「スゥー… スゥー……。」
先ほどまで自分が寝ていたベッドでは少女が小さな寝息を立てて眠っている。
だがその顔はどこか寂し気で、眉間に少しだけしわを寄せているのがぼんやりと見えた。
アルス「…………………。」
しばらく少女の寝顔を眺めながら眠気がやってくるのを待っていた少年だったが、少しだけ少女の寝息に変化が現れた気がした。
アルス「……?」
注意深く少女の口元を見ていると何か言っているようにも見える。
少しだけ興味が沸いた少年はベッドから降りて少女の顔に耳を近づける。
マリベル「……す……。」
アルス「…………………。」
マリベル「あ……。」
アルス「…………………。」
“名前を呼ばれている”
そんな気がして少年はしばらく思案した後、そっとベッドをまくり少女の隣へと滑り込むと、その体を後ろから抱きしめる。
アルス「ぼくは ここにいるよ。」
少女の温もりを全身で感じつつ少年はそっと少女にささやく。
そして小さく、赤子をあやすように低く甘い声でゆりかごの歌を口ずさみながら少女の頭を優しく叩く。
後から少女の顔は見えなかったが寝息はまた規則的に繰り返され始め、安心してくれていることを感じさせた。
アルス「おやすみ マリベル。」
三日月が優しい光を放ちながら夜空を昇っていく。
少年に抱かれて眠る少女の夢には、いったいどんな景色が映っていたのだろうか。
それは少年にも、これから目覚める本人でさえも、わからない。
そして……
446 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:54:21.33 ID:QSmDR/W/0
そして 夜が 明けた……。
447 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:57:26.55 ID:QSmDR/W/0
以上第14話でした。
マリベル「アルス キーファ 遊んでくれて ありがと。つまらなかったわ。じゃあね。」
…どうしてもこのセリフを言わせたかったんです。
今回のお話には謎の呪術師集団が登場します。
もちろん原作にはいないオリジナルなのですが、
あの世界のどこかにそういう怪しい集団がいてもおかしくはないでしょう。
ましてや過去に魔法大国が実在したという設定を考えれば、
かの大神殿にそういった連中が集まってくることも考えられます。
理由は上記の通りですが、今回はマリベルの噛ませ犬という形でそんな可能性を実現させてみました。
誰しもが一度は「あんな呪文が使えたら」と思ったことはあるでしょう。
それがどんなものであれ、常識を覆す未知のチカラに憧れるのは無理もないことです。
ドラクエの世界には様々な呪文が登場しますね。
炎や氷、雨や風に爆発。傷を癒したり命を蘇らせたり、
変わったものではサンゴの渦を巻き起こすものまで、その種類は膨大です。
ゲームをプレイしている中ではなかなか思い及びませんが、
どんな呪文であれ様々な用途があるはずです。
前回マリベルが生鮮の冷凍保存を思いついたように、
それまで殺傷のために用いられてきた呪文でさえ生活のために役立てることができます。
「ものは使いよう」という言葉がありますが、
どんな技術であれ使い方を工夫すれば生活のために、人の役に立つのです。
されどどんなチカラも万能ではありません。
このお話で書いたように、どれほどの技術を持ち、どれほどのチカラを得たとしても成しえないことがあります。
そんな時、人は自分のちっぽけさを噛みしめることになるでしょう。
どうしようもできない状況に置かれた時、最後にできるのは「祈る」ということです。
わたしは普段超越的なものの存在などまるで意識しませんが、
都合の悪い時(或いは良い時もあるかもしれません)に限っては「神頼み」をしてしまうものです。
でも、実際にはこういうこともあり得ます。
「強い気持ちは、結果に作用する」
知らず知らずのうちに強い想いが行動の端々に現れ、結果的には良い結果を産む。
…なんてことが起こり得るのです。
そこで、せっかく「神さま」のいるドラクエ7なのだからということで
少女マリベルの強い願いが神に届いた結果、少年アルスの呪いは解かれるという
ちょっと奇跡的な展開を思いついたわけです。
少々ベタかと思いますが、話のタネはそういうことなのです。
…が、実際にアルスの呪いを解いたのが「神」なのか「少女」だったのかは、わたしも考えていません。
みなさまのご想像にお任せします。
ちなみにここで登場した移民の町ではPS版と3DS版の両方からキャラクターを出演させております。
誰が誰なのか、みなさんはわかりましたか?
…………………
◇次回はマーディラスでとあるイベントが行われます。
そしてマリベルとあの方との決着は果たして……?
448 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:58:25.19 ID:QSmDR/W/0
第14話の主な登場人物
アルス
魔物の呪いを受け昏睡状態にあったが、
マリベルの必死の奔走により意識を取り戻す。
マリベル
眠りから覚めないアルスのためにあちこちへ飛ぶ。
祈るその姿は聖職者たちすら息を飲むほど美しい。
ボルカノ
息子の身を案じながらも漁師頭としての仕事をせねばならない自分に葛藤する。
マリベルにすべてを託し、船でアルスの帰りを待つ。
コック長
アミット号の料理長。
日々、アルスとマリベルの成長を目の当たりにし驚くと共に喜びを感じている。
アミット号の漁師たち(*)
一番のひよっこのアルスのことは可愛くて仕方がない。
それだけにアルスの容態を案じている。
サイード
漁師たちと共に商いに挑戦したり、
見た目のわりに重たいアルスを担いだりと忙しい一日を過ごす。
元々ひとが良いため困っている者は放っておけない性質。
神官長(*)
マーディラス大神殿にいる聖職者。
神父たちよりも強いチカラを持つが、呪術師たちに軟禁されていた。
謎の呪術師たち(*)
突如として大神殿を占拠した魔法使いの集団。
魔術を極めんと志すあまり、人としての振る舞いには少々難がある。
マリベルとの勝負に敗れ撤退する。
451 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:44:26.07 ID:KtF5zPtg0
航海十五日目: 仮面の踊る夜
452 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:45:19.33 ID:KtF5zPtg0
アルス「…ん…んん~……。」
気持ちのいい朝日が少年のいる部屋に差し込んでくる。
どうやら今日も空模様は好調のようだった。
アルス「あれ……?」
昨晩抱きかかえたままだった少女がいない。
アルス「マリベル……?」
辺りを見回しても少女の姿はなく、魔法研究をしている男たちが眠っているだけだった。
アルス「よいしょっと……。」
体を起こしてベッドから出ると少年は自分の持ち物を探るが、例のふくろが見当たらなかった。
どうやら少女が持ち出したらしい。
*「おはようございます アルスさん。」
部屋を出ると朝の早い修道女が少年に挨拶をしてくる。
アルス「おはようございます シスター。昨日は ありがとうございました。」
*「いいえ。お礼なら マリベルさんに。」
アルス「そうだ マリベルは……。」
*「マリベルさんなら 下に降りますが……。」
アルス「そうですか わかりました。」
そう言って少年は少女のもとを目指して階段を降りていく。
*「ああ! お待ちください 彼女は今……!」
少年が修道女の呼び声に気付いたのは階段を降り切ってからだった。
*「き きゃーっっ!」
アルス「…マリベル!」
突如響き渡る叫び声に少年は少女の危機を感じて走り寄る。
アルス「マリベ……へっ?」
少年の目に映ったのは体を池の中に隠し、腕を胸元で交差させて口をパクパクさせている少女の姿だった。
マリベル「…………………。」
少女の危機の原因は自分自身だと気づいたのはそれからもう間もなく、少年の視界が急に霧で包まれた時だった。
アルス「ま マヌーサ……!」
マリベル「アルスのばかああああ!」
神殿中に響き渡る大絶叫が、その日の朝の目覚ましだったとか。
453 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:46:22.94 ID:KtF5zPtg0
アルス「ごご ごめんよ マリベル! そんなつもりじゃ……。」
マリベル「へんたいへんたいへんたいへんたいへんたいっ!」
マリベル「アルスの ! やっぱり あんたは ムッツリ なのね!」
アルス「そんな 誤解だってば!」
マリベル「よりにもよって レディの水浴びを覗くなんて サイテー!」
マリベル「旅の間でさえ 見られなかったてのに どうして 今日に限って 油断しちゃったのかしらね!!」
アルス「だから これは たまたま……。」
マリベル「シスターの言うこと 聞いてなかったの? あたしが 入ってるって!」
アルス「それに 気付いた時には もう 遅かったんだって……。」
マリベル「どっちにしろ 見たんでしょ! 見たのよね~っ!?」
アルス「み 見てない! 決して 裸は見てない!」
マリベル「う~そつ~いた~ら どくばり千本の~ま……。」
アルス「大事なところは 見てないよ……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ザ……。」
アルス「本当です 信じてください マリベルさま!」
マリベル「キ。」
アルス「ぐふ……。」
[ アルスは しんでしまった! ]
死の間際、意識の遠のく中で少年はこんなにあっさりと死んでしまうにもかかわらず、不思議と心地よいと感じていたのだった。
それは最後に見た少女の顔が羞恥と怒りと驚愕が入り混じったようななんとも言えない悩ましさを湛えていたからかもしれない。
The end.
454 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:48:02.05 ID:KtF5zPtg0
アルス「ここはどこだろうか。」
神「おお アルスよ しんでしまうとは なさけない…。」
神「そなたに もういちど きかいを あた……。」
アルス「えっ なんですって?」
神「…た…び… の……な……… …い…う……。」
アルス「うわっ うわあああ!」
455 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:49:19.53 ID:KtF5zPtg0
*「ザオリク。」
アルス「う ううん……。」
少年がわけのわからない夢を見ているとどこからか少女の声が聞こえ、意識は再びこの世に引き戻されていた。
アルス「いたた……。」
*「気が付いたかしら?」
アルス「…っ!」
真上から降ってきた声に少年は一瞬戦慄を覚える。
もちろんその声の主は先ほど自分を正体不明の世界に追いやった魔王のそれだったからだ。
アルス「ひぃ おたすけ……!」
再び少年は目を瞑る。
”まさかこのまま死と生を無限に繰り返されるのではなかろうか”
そんな恐怖がこみ上げてきたからだ。
アルス「…………………。」
しかしいつまで経っても恐怖の言葉は降ってこない。
アルス「……?」
恐る恐る目を開けるとそこには少女の顔があった。
アルス「マリベル……さま…?」
そもそもここはどこなのだろうか。少女の名前を呼ぶが返事は返ってこない。
アルス「ぼくは いったい……。」
マリベル「アルスの 。」
アルス「だ だから……。」
マリベル「どうだった?」
アルス「えっ!」
456 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:50:06.63 ID:KtF5zPtg0
少年にはわけがわからなかった。
少女の頭ごしに見える景色は吹き抜けの天井。
頭の感触に気付けばそこは少女の膝の上。
顔を真赤にして問う少女。
必死に頭を回転させて少女の言わんとしていることを探り当てようと試みるも、いまいち確信はもてない。
アルス「それは つまり どういう……。」
マリベル「だ だから あたしの裸 みたんでしょ…?」
アルス「い いや だから……。」
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
マリベル「ママにすら 見せなかったのに…… ぐすん。」
アルス「わっ わっ マリベル 待って!」
マリベル「ぐす……なによ。」
アルス「その ……きれいだったよ。」
マリベル「…………………。」
アルス「大事なところは やっぱり見てないけど。」
マリベル「……ほんと?」
アルス「うん。ぼくの目に 狂いはない。」
マリベル「…アルス……。」
アルス「…マリベル……。」
マリベル「……ザキ。」
アルス「ぐはっ。」
それが少女の照れ隠しだったのか本当の怒りだったのかはわからない。しかし少年は薄れゆく意識の中こう思うのだった。
“ちゃんと 見ておけば 良かった。”
[ アルスは しんでしまった! ]
457 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:50:46.65 ID:KtF5zPtg0
マリベル「仮面舞踏会?」
*「ええ グレーテ姫の思い付きで 今日 ここで 開催されるんです。」
アルス「…………………。」
あれから再びこの世に舞い戻った少年と二度の殺人を犯した少女は、
神殿に住まう修道女から本日ここで開催されるという国の催事について情報を得ていた。
マリベル「ふうん。面白そうじゃない ね アルス!」
アルス「……そうだね。」
興味津々の少女に対して明らかに不機嫌そうな少年が答える。
マリベル「で それって いつ頃 始まるのかしら?」
*「夕方から 真夜中までと 聞いています。よろしければ ご参加していってみては?」
マリベル「おほほほ! ついに このあたしも 社交界デビューってわけね!
アルス「…そう 楽しんできてね。」
マリベル「……えっ?」
“きっと自分が行くと言えばとりあえず自分も行くと少年は言うだろう”
そんな流れを予想していた少女は豆鉄砲を喰らったかのように目を見開いている。
アルス「ぼくは ちょっと 体調が悪いから 今日は大人しくしてるよ……。」
マリベル「ちょちょ ちょっと アルス! あんたってば あたしを一人で 行かせる気っ!?」
想定外の事態に少女は狼狽する。
アルス「ごめん マリベル。でも きっと きみなら 大活躍 間違いなしだよ。」
少年は淡々と答える。
マリベル「…………………。」
マリベル「おーほほほ! そうよね。あんたがいなくても あたし一人で 会場を沸かせるには 十分よね~… ほほほ……。」
いまいち開き直れず少女は中途半端に威張って言う。
アルス「ぼくも 応援してるよ マリベル。」
少年はまっすぐ少女を見据えて言う。その瞳にいつもの輝きはなく、言われてみれば体調が悪そうとも見えなくはない。
*「……?」
二人の微妙な変化に気付かぬ修道女は疑問符を頭上に浮かべて首をかしげるしかなかった。
458 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:51:47.02 ID:KtF5zPtg0
*「…え……。」
*「ね…………す…。」
アルス「…………………。」
*「ねえったら!」
アルス「…ん……?」
マリベル「ん~? じゃないわよ!」
神殿からの帰り道、うわの空で絨毯を飛ばしていた少年は少女の声に気付かずにいたようで、
痺れを切らした少女が少年の肩を揺すりながら呼ぶ。
マリベル「ねえ もしかして 怒ってるの?」
アルス「…怒る? ぼくが?」
マリベル「そうよ……。」
アルス「どうして?」
マリベル「そりゃあ あんた……。」
アルス「船が 見えてきたよ。」
マリベル「えっ。」
自分の思考を遮る少年の言葉に視線を前へ移すとそこには確かに港に停泊する漁船アミット号の姿があった。
アルス「みんなにも 迷惑かけちゃったな。」
明らかに落胆した様子で少年が言う。
マリベル「そ そうよ! あんたのために みんな 苦労したんだからね!」
アルス「うん。」
少年を叱咤する。
そうでもしなければ少女は平常心を保っていられないような気がしていた。
マリベル「みんなに ちゃんと お礼言っとくのよ? とくに ボルカノおじさまと サイードは あんたのこと……。」
アルス「わかってる!!」
マリベル「っ……!」
アルス「っ…! ご ごめん……。」
無意識だったのだろうか、普通に言ったつもりが大声になってしまい少年は自分でも驚き、すぐに少女に謝罪する。
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
“いったい彼女は今どんな顔をしているのだろうか”
後に座るその人の表情を想像しただけで少年は心に凍てつく刃が突き刺さるような感覚を覚えた。
アルス「ごめん……。」
しかし少年には振り返る勇気がなかった。
どんな脅威にも立ち向かっていくいつものあふれ出る勇気は微塵も出なかった。
マリベル「…ん……。」
少女も小さく返すだけでそれ以上の言葉はでなかった。
次に出てくる言葉はきっと少年だけではなく、自分すら傷つけてしまうのではないか。
そんな恐怖が背筋を走り、とてもではないが何かを話す気にはなれなかった。
459 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:52:40.96 ID:KtF5zPtg0
ボルカノ「アルス! マリベルちゃん やったな!」
船に到着してからは物凄い歓迎ぶりだった。船員たちが全員甲板に集まって少年と少女を迎え、その無事を喜んだ。
*「おかえり アルス!」
*「おまえが いないと どうにも 落ち着かなくてよ~。」
*「一時は どうなるかと 思いましたよ……!」
アルス「父さん みなさん 心配をおかけして すみませんでした。」
詰め寄る漁師たちに少年が俯く。
ボルカノ「気にするな。」
ボルカノ「おまえが 無事 戻ってくれた。それだけで もう 言うことはねえ。」
そんな息子の肩に手を置き船長が微笑む。
コック長「マリベルおじょうさんも よく がんばりましたな!」
マリベル「……うん。」
なんとも言えない表情で少女が料理長の労いに頷く。
*「聞いた話によると 今日は 仮面舞踏会ってのが あるそうじゃ ないか。」
そんな折、銛番の男が城下町で耳にかじった話を持ち掛ける。
ボルカノ「今日は この国で 一泊するから ふたりで 行って来たら どうだ?」
アルス「せっかくの ところ 悪いんだけど ぼくはちょっと 体調が……。」
気を利かす父親に返す少年の表情は、どうにも浮かないものだった。
マリベル「…………………。」
ボルカノ「むっ? まだ 呪いの影響が残ってるのか?」
ボルカノ「なら まあ 無理はするな。」
ボルカノ「これから ここのお姫さまんところに 行くんだが お前は 船か宿で 休んでいたほうがいいだろう。
アルス「はい ごめんなさい。」
ボルカノ「いいってことよ。」
ボルカノ「マリベルちゃん 悪いんだが 一緒に 城に行ってくれるか?」
マリベル「も…もちろんですわ。」
一瞬狼狽した様子を見せるも、なるべく悟られないように平静を装って少女は答える。
サイード「ボルカノどの おれもお供していいですか?」
サイード「この国でしばらく 厄介になる以上 君主に挨拶ぐらいしておかねばと 思いまして。」
ボルカノ「おう! かまわねえぜ。」
サイード「ありがとうございます。」
こうして少年を船に残して漁師たちは城下町へ、
船長と少女、それから砂漠の民の青年は城へと向かってそれぞれ歩き出すのであった。
460 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:53:14.58 ID:KtF5zPtg0
ボルカノ「へえ この国のお姫さまってのは そんなに すごい人物なのか。」
マリベル「そりゃ すごいなんて もんじゃないわ。…もう いろんな 意味で。」
サイード「ほう そいつは 楽しみだな。」
城下町を抜けた橋の上、漁師たちと別れた三人はこれから謁見する国の主のことについて話していた。
マリベル「なんせ あの年で こんな大国を仕切ってるんだから 仕事のできは たしかよ。」
マリベル「ただ……。」
ボルカノ「ただ?」
マリベル「…………………。」
言葉の続きは出てこず、代わりに少女は沈黙する。
サイード「……?」
マリベル「二人とも お願いがあるんだけど……。」
ややあって口を開いたかと思えば少女は立ち止まり、神妙な面持ちで二人を交互に見やる。
ボルカノ「なんだい?」
マリベル「その… お姫さまには アルスが来てること 黙っててほしいの。」
サイード「なにか あったのか?」
マリベル「…………………。」
青年の問いにも、少女は俯いて何も話そうとしない。
ボルカノ「…………………。」
ボルカノ「わかった。アルスは家にいることにしよう。」
サイード「まあ いいだろう。」
見かねた少年の父親が気を利かして承諾すると青年もそれに続く。
マリベル「ごめんなさいね。」
申し訳なさそうに言う少女の目には若干の安堵の色が浮かぶ。
件の姫が住まう城は、もう目の前に見えていた。
461 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:55:14.80 ID:KtF5zPtg0
アルス「ふー……。」
一人船に残された少年は船縁に腕を置いて海の彼方を見つめていた。
アルス「久しぶりだな……。」
“こうして一人で静かな時をのんびり過ごすのはいったいいつ以来だっただろうか”
“過去の世界で魔王を倒してつかの間の休息を得た、あの時が最後だっただろうか”
アルス「…………………。」
少年は潮風を受けながらこれまでの旅のことを思い出していた。
幼馴染二人と好奇心から旅を始めて紛れ込んだ過去の世界。
初めて見た魔物への恐怖や高揚感。救われない人々と救われた人々。
新しい仲間との出会いと親友との別れ。少女の離脱。
魔王との邂逅。偽りの神の降臨。封印された故郷と伝説の海賊たち。
世界の復活と魔王の出現。そして全員で挑んだ魔王との最終決戦。
アルス「ふふっ。」
わずか二年のうちに起きたあっという間の出来事。
しかしそのどれもこれもが昨日のことのように思い出される。
それほど凝縮されて濃い時間だった。
そしてそれは少年にとってかけがえのない思い出であり、そのすべてが今の少年を形作っていた。
あの出来事がなければいまだに自分は臆病な漁師の息子としてある意味幸せに過ごしていただろう。
だが今は別の意味で幸せに過ごしていると言えた。
何も知らない幸せと、運命を切り開き、すべてを受け入れ充実のうちにいる幸せとでは天と地ほどの差があったのだ。
こうして今の自分がいること、それそのものが少年の幸せだった。
そしていつも隣には少女がいる。旅の始まる前のあの日と同じように。
そこまで思いを巡らせて少年は少女の顔を思い出す。
アルス「マリベル……。」
幼馴染の少女はどんなに文句を言っても結局は最後まで自分と共に旅を続けてくれた。
少年にはわかりかねていた。
少女を突き動かしていたのは彼女の好奇心なのか、彼女なりの使命感だったのか。
答えはどちらも正しかった。だがそれだけではなかった。
今回の船旅の初日に少女はもう一つの答えを教えてくれたのだ。
“あんたと 一緒に いたかっただけ”
少年は嬉しかった。小さい頃から一緒に育った少女はこんな自分のことを好いてくれていたのだ。
ワガママで、高飛車で、見栄っ張りで、強情で、人を見れば毒を吐く表向きの姿。
今思えばそのどれもが少年に対する寂しさで、自信のなさと素直じゃない優しさの裏返しだったのかもしれない。
だが、少女は勇気を振り絞って思いの丈をぶつけてくれた。
少年は思った。“二度とこの笑顔を曇らせまい”と。
しかし実際はその顔を濡らしてばかりだった。
旅の最中どんなに辛いことがあっても涙を見せなかったあの少女が、この船旅ではか弱い女の子のようにその目を泣き腫らしている。
魔王すら打ち倒したあの英雄の少女が。
アルス「…どうして………。」
その原因を作るのはいつも少年だった。
“いつも泣かせるのは自分だ”
“どうしてこんなにも彼女を悲しませているのか”
“何が彼女を弱くしてしまったのか”
思えば今朝だってそうだった。必死になって自分を眠りから覚まさせてくれた少女。
その顔を再び自分が曇らせてしまうことになろうとは思いもしなかった。
自分に非があるとはいえ、あの仕打ちにはすっかり堪えてしまい一刻も早く少女と離れたくなり、いつにも増して口数が減ってしまった。
そして今に至る。
思えばそれすら彼女を傷つけていたのかもしれない。
462 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:55:54.08 ID:KtF5zPtg0
アルス「くそ……!」
少年は自分の不甲斐なさを恨んだ。
“どうしていつもこうなるのだろう”
良かれと思ってすることは結局彼女を悲しませてしまい、最後は自分で彼女を慰めることになってしまう。
“どうすれば彼女は笑ってくれるのか”
“どうすれば彼女は喜んでくれるのか”
アルス「わからない……。」
*「にゃん。」
トパーズ「な~。」
気付けば足元で二匹の猫が少年の顔を見上げていた。
トパーズ「な~うなうなう~。」
お腹でもすいたのだろうか、少年の脚に前足をかけて伸びあがり何かを催促しているように見える。
アルス「ごはん?」
トパーズ「…………………。」
アルス「はは… わかったよ。」
“少し頭を冷やそう”
“彼女のことはそれからゆっくり考えればいい”
そう思って少年は猫を連れて船室へと下っていく。
太陽はちょうど少年の真上まで差し掛かっていた。
463 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:57:09.53 ID:KtF5zPtg0
グレーテ「よくぞ まいった 旅の者たちよ。」
少年が一人甲板で海を見つめていた頃、三人はマーディラス城の謁見の間にやってきていた。
ボルカノ「お目にかかれて 光栄です 姫さま。」
先陣を切って船長が挨拶をする。
グレーテ「うむ くるしゅうないぞ。」
ボルカノ「本日は わが グランエスタード王より 親書を お届けにまいりました。」
[ ボルカノは グレーテに バーンズ王の手紙・改を 手わたした! ]
グレーテ「なんと! エスタードとな?」
グレーテ「むっ そなたは!」
姫はそこで男二人の背に紛れていた少女に気付く。
マリベル「ごきげんうるわしゅう。お姫さま。」
二人が間を開けるとその場で少女はドレスの両端をつまんで挨拶する。
グレーテ「マリベルではないか! ということは……。」
マリベル「お生憎 アルスはいませんわ。ね ボルカノおじさま。」
そう言って少女は少年の父親の顔を見て目配せをする。
ボルカノ「ん? ああ そうだな。」
グレーテ「…そのほうは アルスとは どういう関係なのじゃ?」
二人の会話を聞いて疑問に思った姫が少年の父親に尋ねる。
ボルカノ「申し遅れました。わたしは アルスの父親で ボルカノという者です。」
グレーテ「なんと! アルスのお父上であったか! これは これは 失礼いたした。」
グレーテ「わらわは グレーテ。このマーディラスの あるじじゃ。」
少年の父と聞いた途端、姫は佇まいを直し改めて名乗る。
ボルカノ「ははっ。」
グレーテ「して なにゆえ そちたちが まいって アルスが 来ておらんのじゃ?」
マリベル「そ そのアルスは……。」
ボルカノ「アルスは 漁師としての修行をするべく 一人で漁にでております。」
少女の言葉を遮るように少年の父親が語る。
グレーテ「むう… やはり アルスは 漁師になると申すか… ううむ……。」
ボルカノ「…なにか?」
グレーテ「いいや なんでもないぞえ?」
マリベル「…………………。」
グレーテ「もし アルスが その気になってくれれば わらわの夫にと 思っていたのじゃがのう……。まこと 残念じゃ。」
グレーテ「…………………。」
姫は俯いて悲しそうに眼を伏せていたが、しばらくすると顔を上げて言う。
グレーテ「しかし アルスが 目指す道とあらば わらわも 全力で 応援するまでじゃ。」
グレーテ「ボルカノどの マリベル。アルスを頼んだぞえ?」
マリベル「えっ……!」
グレーテ「わらわの目は 誤魔化せんぞ? ……そちの気持ちもな。」
マリベル「そ そんな あ あたしは……。」
グレーテ「よいよい。無理に申さんでも。同じ男に 惚れてしまった オトメの気持ち わらわにはよくわかるぞ?」
言いよどむ少女に姫は微笑みかける。
マリベル「姫さま……。」
グレーテ「…わらわも 新しい恋を 探さねばならんようじゃの。」
名残惜し気な溜息が、静寂を押し流していく。
464 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:57:54.12 ID:KtF5zPtg0
グレーテ「……さて この話はこのへんにしておいて と。」
グレーテ「ボルカノどの そなたらの王には 良きに計らう旨 伝えておいてくれぬか。」
ボルカノ「ありがとうございます。」
グレーテ「うむ。」
グレーテ「それで…… そのほうは?」
忘れていたと言わんばかりに姫は青年に声をかける。
サイード「砂漠の民 サイード と申します。旅の道すがら しばしの間 貴国でご厄介になりますので ご挨拶にと。」
少し後ろから三人のやり取りを眺めていた青年は前に出ると深々と頭を下げて挨拶する。
グレーテ「ほっほっほ! そうであったか。」
グレーテ「見れば そちも 若くて なかなかの ハンサム顔じゃのう。」
サイード「め 滅相もございません。」
グレーテ「つれないのう。」
グレーテ「…まあよい。しばらく ゆっくりしていくがよいぞ。」
サイード「ははっ。」
グレーテ「そうじゃ せっかく 今日 ここにいるのじゃからな。みな 仮面舞踏会に 参加するがええぞえ。」
グレーテ「顔も分からぬ誰かと 手をとって踊るとは なんと トキメキであろう……。」
グレーテ「ま わらわほどの 美貌をもってすれば 仮面の上からでも バレバレじゃろうがの。ほっほっほ!」
そう言って姫は口元を押さえて上品に笑うのだった。
465 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:59:15.99 ID:KtF5zPtg0
ボルカノ「しっかし 驚いたな。」
無事謁見を済ませた三人は再び城下町へと戻ってきていた。
ボルカノ「アルスに あんな キレイなお姫さまの知り合いが いたとはよ。」
サイード「しかも アルスに惚れていたと……。」
サイード「まったく どこまでも すごい奴だよ。」
青年と船長は先ほど会ったばかりの姫について感想を述べあっていた。
マリベル「…………………。」
ボルカノ「どうしたんだい マリベルちゃん。」
サイード「浮かないを顔してるな。」
目の前で恋敵が降参したというのに少女はどこか落ち着かない様子で手を擦っている。
しばらくそのままでいたが、少女は意を決したのか手を下ろして少年の父親に話しかける。
マリベル「ねえ ボルカノおじさま。」
ボルカノ「なんだい?」
マリベル「もし アルスが漁師にならないで 王さまになるって言ったら ボルカノおじさまは どうしました?」
ボルカノ「…………………。」
ボルカノ「あいつの 好きにさせただろうな。」
マリベル「えっ……。」
ボルカノ「オレは もともと どんな道であっても あいつの好きにさせてやるつもりだったんだ。」
ボルカノ「だが あいつは 漁師になって オレのあとを継ぐことを選んだ。」
ボルカノ「どんな 理由があったかは 知らねえが オレはそれだけで じゅうぶんだよ。」
マリベル「…………………。」
466 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:00:01.20 ID:KtF5zPtg0
やはり少年の父親は誰よりも少年のことを信頼していたのだ。
息子がたとえどんな道を選ぼうと、それが息子の決めた道ならば大手を振って見守ろうと。
思えば今はいないもう一人の幼馴染の父、グランエスタードの王もそうだった。
一度は落胆したものの、彼もまた息子の進んだ道に誇りをもちその背中を全力で押してやったのだ。
“親というのはそういうものなのだろうか”
そんな風に少女が考えていた時だった。
ボルカノ「きっと マリベルちゃんも そうだったんじゃねえのか?」
マリベル「っ……。」
どうやら少年の父親にはお見通しのようだった。
船出の日に確かめ合った互いの気持ち。それは偽りのない本心からの言葉だった。
愛する者の進む道ならばどんな形であれそれを応援してあげたいと。
ボルカノ「あいつは幸せもんだな。こんなにも いろんな人から 愛されてよ。」
ボルカノ「父親として 鼻が高いぜ。」
マリベル「…………………。」
ボルカノ「ところで マリベルちゃん 今日は舞踏会に行くんだろ?」
ボルカノ「衣装は 大丈夫なのかい?」
マリベル「へっ!?」
ボルカノ「たぶん それなりにみんな めかしこんで来るだろうし マリベルちゃんも 今のうちに パーティー用の ドレスをさがしておいた方が いいんじゃないのか?」
マリベル「あ いけない… すっかり 忘れてた……。」
父親の言葉に少女は口を押えて俯く。
サイード「じゃあ ここからは 別行動だな。」
サイード「おれは まだ 参加するか決めてないが まあ いざとなれば 適当に見繕って 行くとするさ。」
サイード「いまは ひとまず 城下町を散策してくるかな。」
そう言って青年はあいさつを交わして雑踏の中に消えていった。
ボルカノ「オレも野郎どもと合流して 今日は 羽休めといくか。」
ボルカノ「それじゃあな マリベルちゃん。」
マリベル「あ…はい……。」
そうして漁師頭も宿屋の方を目指して去って行った。
マリベル「…………………。」
一人きりになった少女はしばらくその背中を見つめていたが、やがて服飾店を見つけると吸い込まれるようにその中へと消えていった。
今は昼時。
舞踏会の始まりまでは、まだ時間がたっぷりあった。
467 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:01:11.91 ID:KtF5zPtg0
マリベル「うーん。」
少女はまるで魔王と対峙するかのような真剣な目つきでドレスの品定めに興じていた。
*「舞踏会に ご参加するのですか?」
見かねた店主の女性が尋ねる。
マリベル「ええ。」
*「それでしたら こちらのドレスはいかがですか?」
そう言って店主は少女に桃色の可愛らしいふっくらとしたプリンセスタイプのドレスを見せる。
マリベル「かわいいわね。」
*「これなら お客様にもぴったりですよ。」
少女の体にドレスを当てて店主が微笑む。
マリベル「…………………。」
しばらく少女は鏡に映った自分の姿を見つめる。
もう十八になる少女だったが世の中の女性からすれば決して背のある方ではない。
旅を始める前よりかはプロポーションも抜群になったと自負はしていたが、
それでも豊満な体を武器にする踊り子たちにはかなわないとはわかっていた。
しかし端整な少女がこの何重にもフリルをあしらったふわふわのドレスを着れば、
それこそ世界中の男たちを虜にする“マリベル姫”が誕生することだろう。
マリベル「そうかもしれないわね。でも……。」
*「はい なんでしょう。」
マリベル「あっちのでいいわ。」
そう言って少女が指さしたのは、今着ている普段着の青いワンピースよりも控えめな紺色でストラップレスタイプのロングドレスだった。
*「たしかに お似合いだとは思いますが… 舞踏会には 少々 地味じゃないですか?」
店主の言う通り、そのドレスはスパンコールのような派手さもなく、フリルのような可愛さもない。
クリノリンでスカートを広げもしない。
腰から少しだけロングスカートを浮かせただけの何の飾り気もない素朴なドレスだった。
マリベル「いいのよ。これくらいが あたしには おあつらえ向きだわ。」
しかし少女は譲らなかった。
*「でも 良い生地を使ってるんですよ これは。きっと お客様の肌で 実感していただけますわ。」
マリベル「そう それは 楽しみね。」
店主もそれ以上は何も言わなかった。素直にそれを勧めてくれ、少女は購入を決めると軽く会計を済ませる。
*「ありがとうございました! また お越しくださいませ。」
決して安い買い物ではなかったが少女の財布は旅を終えた今や無尽蔵と言ってもよかった。
“彼もこれくらいなら笑って許してくれるだろう”
そう思いながら少女は店を後にするのだった。
468 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:01:54.52 ID:KtF5zPtg0
マリベル「お腹すいた……。」
服飾店を後にした少女は昼食をとりに再び町へと繰り出す。
マリベル「相変わらず 賑やかなところね。」
久しぶりに見て回るマーディラスの都は活気にあふれていた。
歌いながら踊りの練習をする男女、楽器の練習に余念のない楽師、しゃがれた声で歌う二人組の屈強な男。
”ここの空気を吸っていれば自分もこんな風になってしまうのだろうか”
そんなことを少女が考えていた時だった。
*「あれ~ そこにいるのは マリベルじゃないのかい?」
不意に後ろから呼び止められ振り返るとそこには赤髪のハンサム顔の男が立っていた。
マリベル「ヨハン!」
ヨハン「いつもと 恰好が違うから 一瞬 誰だか わからなかったな。」
ヨハン「にしても 魔王討伐のがいせん 以来じゃないか! 元気してたかい ベイビー!」
マリベル「だ~れが ベイビーよ。あいかわらず 調子いいのね。」
ヨハン「これから お昼かい? なら 一緒にどう?」
青年はいつもの調子でナンパするかのように少女を誘う。
マリベル「…………………。」
マリベル「まあ いいわ。どっか 良い店でも 紹介しなさいよ。」
ヨハン「ありゃ てっきり 誰があんたと! とか言われるかと 思ったんだけど。」
拍子抜けといった感じで青年は冗談を飛ばす。
マリベル「ぶっとばすわよ?」
対する少女はむっとした様子でにらみつける。
ヨハン「こわいなー! よしてくれよ。」
マリベル「行くの? 行かないの? あたしは別に 一人でも かまわないんですけど。」
ヨハン「わ~かった わーかった! 案内するから ついてきなよ ベイビー。」
そうして不機嫌な少女を連れて青年は陽気に歩き出すのだった。
469 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:03:28.05 ID:KtF5zPtg0
*「いらっしゃい。おや ヨハン 新しいガールフレンドかい?」
ヨハン「ははっ まあ そんなところさ。」
マリベル「な~に うそ 吹き込んでるのよ。」
マリベル「マスター こいつが 女の子連れてたら どいつもこいつも シリガル女だと 思わない方がいいわよ。」
*「はははは! こいつはまた 気の強そうなコだ。」
*「それで ご注文は? おじょうさん。」
マリベル「豆のスープでも 貰おうかしら。」
ヨハン「オイラ がっつり肉が 欲しいぜ。」
*「あいよ。」
注文を聞き終えると店の主人は背を向けて調理に勤しむ。
ヨハン「そういや アルスは 一緒じゃないのかい?」
青年は先ほどから疑問に思っていたことを口にする。
少女は基本的にあの少年とセットで現れるものだとばかり思っていたからだ。
マリベル「ああ アルスなら 体調が悪いって言って 休んでるわよ。」
少女はなるべく悟られまいとあっけらかんと答える。
ヨハン「へえ 珍しいこともあるもんだな。あの ビンビンのアルスが 調子悪いだなんてよ!」
マリベル「そうね……。」
ヨハン「なんだよ 元気ねえなあ ベイビー。もしかして そのことで アルスと何かあったのかい?」
マリベル「ばっ バカ言わないでよね!」
ヨハン「ははぁ~ん そうかそうか!」
青年は経験豊富なだけあってこの手のことには非常に勘が良いらしく、
少女が何かを隠していることはすぐにわかってしまったようだ。
マリベル「ちょっと ヨハン~?」
ヨハン「うっ。まあ なんだ。どんなことがあっても あいつなら 大丈夫さ! うん。」
マリベル「…………………。」
青年の適当な言葉を聞き流しつつ少女は先ほどの姫の言葉を思い出していた。
彼の生き方や行く道がどんなものであれ応援したいという気持ちは、どうやら彼の姫とて同じようだった。
だが彼女は立場上、自分がここから離れるわけには行かないという使命感から少年のことを諦めたのだった。
マリベル「は~……。」
どこかで安堵する自分がいたが、一方で彼女に対して申し訳ないような気がしてならなかった。
嘘をついて少年の居場所を隠したことも、自分が少年を独り占めしてしまったことも。
好いてしまったものを諦めるということはどれほど辛いことなのか、
何度と歯がゆい思いをしてきた少女にはそれが痛いほどわかっていた。
*「どうぞ。」
マリベル「ありがと。」
どうしても拭えない後ろめたさのせいか、出された食事もほとんど味を感じられなかった。
470 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:04:18.59 ID:KtF5zPtg0
マリベル「つき合わせて悪かったわね ヨハン。」
酒場を後にして宿屋の前までやってきていた二人はそこで別れることにした。
ヨハン「いいってことよ。かわいい女の子と 過ごせるなら オイラは本望さ。」
少しも気にしていない様子で青年は軽口を飛ばす。
マリベル「ったく 少しはうちのアルスを みなら……。」
マリベル「…………………。」
“口が滑った!”と言わんばかりに少女は両手で口を押える。
ヨハン「…………………。」
ヨハン「ぶふっ!」
マリベル「なっ!」
ヨハン「悪い悪い! うん! わかってるから! な~んも言わなくていいって。」
マリベル「なによ バカにして……!」
ヨハン「う~ん。何か悩んでるなら 直接その人と 腹割って話した方が 早いこともあるってもんだぜ? ベイビー。」
マリベル「えっ?」
ヨハン「それが アルスだか お姫さんだか 知らないけどよ。」
マリベル「…………………。」
まさかこの青年にそんなことを言われるとは思ってもみなかった少女は、ぽかんと口を開けて瞬きをするだけだった。
ヨハン「まっ オイラは 師匠と 舞踏会で演奏する曲の 確認があるから もう行くけどな しっかりやれよ? マリベル。」
そう言って青年は背を向けて町の北へと歩き出す。
マリベル「ヨハン!」
ヨハン「……なんだい?」
青年は振り返り尋ねる。
マリベル「ありがとう。たまには あんたも 良いこと言うじゃない。」
ヨハン「惚れちゃったかい ベイビー?」
マリベル「バーカ。あんたこそ 早く 本命を決めなさいよ!」
ヨハン「ははっ 言われちまったぜ。じゃ!」
そう言って今度こそ青年は自分の家へと帰っていった。
マリベル「さーてと。あたしも 少し休んでいこうかしら。」
一人呟き、少女も宿の中へと消えたのだった。
471 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:05:20.26 ID:KtF5zPtg0
大臣「姫さま そろそろ よろしいかと。」
大神殿の彼方、眩しい夕日が地平線へと沈み、辺りは暗がりに包まれていた。
グレーテ「うむ! では みなのもの これより 仮面舞踏会を はじめる!」
若き為政者の号令が響き渡るとロウソクが灯され、集まった数百もの人々がざわめく。
大臣「静かに!」
グレーテ「それでは ヨハンたちよ 良い曲を頼むぞえ。」
ヨハン「まっかせなって!」
*「うぉっほん。」
ヨハン「ま まじめにやるよ 師匠……。」
そんなやり取りの後、大神殿の広場には軽快なメロディーが流れ始める。
*「こんばんは マダム。」
*「よろしくてよ?」
*「どう?」
*「あら 素敵……。」
*「踊りましょうよ。」
*「ぼくと いかがですか?」
集まった人々は皆派手な衣装に身を包み、顔には上半分だけを覆うアイマスクを着用している。
よく見ればそれが誰だかはわかってしまいそうではあったが、
月光とロウソクの灯りだけでは誰かを特定するのは少々心もとないものだった。
それでも彼らは意中の異性を見つけては思い思いのステップを踏んで楽しんでいる。
マリベル「…………………。」
広場の隅、休むために設けられた卓に少女はいた。
昼間に購入した控えめのドレスに真っ白なマスクはこの場においては少々場違いなほどに地味に見える。
周りの女性たちはというと、赤やピンク、黄色や薄緑、花嫁のように純白のドレスに身を包んだ者もいる。
どうやら彼女たちは暗がりでも目立つ明るい色を好み、闇に紛れる暗い色を選んだ者は少女以外に誰もいなかった。
マリベル「……そろそろね。」
そう呟くと少女は広場に躍り出るのではなく、そっと席を外してある場所に向かっていった。
472 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:05:49.49 ID:KtF5zPtg0
グレーテ「うむうむ みな 楽しそうにしておるのう。」
踊りに興じる民を見回して若き女王は言う。
大臣「姫さまも そろそろ 踊りに行かれてはいかがですか?」
グレーテ「そうじゃの… いや 大臣こそ 先に行ってまいれ。」
大臣「……?」
グレーテ「わらわに 客が来ておるでな。」
グレーテ「……のう マリベル?」
マリベル「グレーテ姫……。」
そこには仮面を外した少女が立っていた。
473 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:07:20.14 ID:KtF5zPtg0
グレーテ「いったい どうしたというのじゃ?」
大臣と別れ、人払いを済ませた姫と少女は広場にある壇の下にやってきていた。
マリベル「…………………。」
マリベル「あたし あなたに 謝らないといけないことがあるの。」
グレーテ「はて わらわは 身に覚えがないのじゃが?」
不思議そうに首をかしげる姫を横に少女は俯いたままポツリポツリと語りだす。
マリベル「……ホントはね アルス 来てるんだ。」
グレーテ「……ふむ。」
マリベル「今は 体調崩して 港にいるはずなんだけど…。」
マリベル「来てるって言ったら 絶対 会いに行くと思って……。」
グレーテ「そうじゃのう アルスの身に なにか あったら わらわも 気が気でないわい。」
マリベル「もし そうしたら なんだか あいつを 取られちゃうような気がして。」
マリベル「あたしが 独り占めしたいからって 嘘ついてたの……。」
グレーテ「…………………。」
マリベル「でも あなたは あいつが英雄だからとか 外見がいいとか そんなんじゃなくて 本当にあいつのことを 好きだったんだって わかって……。」
マリベル「自分が 恥ずかしくなったわ。」
マリベル「あいつが どんな道を選んでも それを応援したいって気持ちは あたしも おんなじはずだったのに。いざ ここに来たら なんだか怖くなって……。」
マリベル「ごめんなさい。グレーテ姫。あなたのほうが よっぽど あいつにふさわしい人よ。」
グレーテ「…………………。」
グレーテ「まっこと そなたは 優しい奴じゃのう。」
474 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:08:40.21 ID:KtF5zPtg0
マリベル「えっ……?」
グレーテ「恋敵に ここまで 本音を打ち明けるおなごが どこにいると いうのじゃ?」
マリベル「…………………。」
グレーテ「わらわはの 最初からこうなることは わかっておったのじゃ。」
グレーテ「そなたらを見れば 一目でわかる。わらわが 割って入れる間柄ではないとな。」
グレーテ「じゃがの わらわは ほれ この通り ろくに恋などしたことがない。」
グレーテ「……まあ なんじゃ。アルスには ヒトメボレしてしまったのじゃよ。」
グレーテ「それで アルスには 二人きりで 言い寄ってはみたりはしたがの。…最初から アルスの心は 決まっておったんじゃろうて。」
グレーテ「…………………。」
グレーテ「かなわぬ恋と知りながら わらわは 夢を見たかったんじゃ。」
グレーテ「謝らねば ならんのは わらわの方じゃのう。わがままな わらわを 許しておくれ マリベル。」
マリベル「そんな! …よしてよ。」
グレーテ「じゃがのう! わらわは決めたのじゃ!」
マリベル「えっ!?」
グレーテ「きっと そちに 負けぬような 燃ゆる恋を してやるのじゃとのう!」
マリベル「…………………。」
グレーテ「今日とて そのために 若い男を たんまり集めたんじゃからのう! ほっほっほ!」
マリベル「ふ… フフフ!」
マリベル「ねえ グレーテ姫さま。」
グレーテ「堅苦しいのう マリベルとわらわの仲じゃ グレーテでよい。」
マリベル「…グレーテ。」
グレーテ「なんじゃ?」
マリベル「一緒に踊りましょ?」
グレーテ「そなたとか? ほっほっほ! いいじゃろう。」
グレーテ「じゃが わらわは 踊りにはちと うるさいぞえ?」
マリベル「望むところよ! こう見えて あたしも おどりこを マスターしてるんですから!」
グレーテ「ほほっ 楽しみじゃ。」
そうして二人は持っていた仮面を付けなおすと、再び踊りと音楽の中へ戻っていったのであった。
475 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:11:39.70 ID:KtF5zPtg0
マリベル「ふー……。」
姫との踊りを終えた少女のもとには多くの男性が詰めかけ、
その一人一人の相手を終えて少女は席につき優雅に酒をたしなんでいた。
一方の姫と言えばまだ楽しそうに若い男の相手をしている。
マリベル「あー しんど…。」
“ちやほやされるのは嫌いじゃない。”
そう思っていた少女だったがいざ沢山の男に囲まれてみれば
“肩は凝る”、“疲れる”、おまけに“面倒くさい”と散々な感想を抱いていた。
社交界というものはこんなものなのだろうかとどこか辟易とし、
つくづく自分は田舎娘にすぎないのだと、心の底でどこか否定したかった部分を完全に裏付けてしまう羽目になったのだった。
マリベル「あれは サイードかしら……。」
見れば広場の反対側の席では褐色の肌をした男がどぎまぎしながら若い娘に引っ張られていく。
慣れない舞踏会な上に不器用な青年にしてみればここはまさに異世界にして試練ともいえる状況だっただろう。
マリベル「ぷぷぷ… どうして あいつ来ちゃったのかしらね。」
不慣れな足取りで辛うじてステップを踏む青年の姿は見ていて飽きなかった。
対する娘はそんなぎこちない青年の動きをリードして遊んでいるように見える。
マリベル「まっ これも 経験ってやつよね~。」
”今度ダーマ神殿に行くことを本気で勧めるべきか”
そんなことを考えていた時だった。
*「なにかしら あの人……。」
*「やあねえ 変な人が 紛れ込んだのかしら。」
*「あれじゃ 顔どころか 髪まで わからんな。」
近くの席に座っていた参加者が新しくやって来た誰かを見て口々に言い始める。
グレーテ「マリベル。」
マリベル「グレーテ! どうしたの?」
その時、不意に名前を呼ばれて振り返るとそこには先ほどまで踊っていた姫が立っていた。
グレーテ「なにやら 奇妙な者が現れたと聞いての。」
マリベル「きみょうなもの?」
グレーテ「ほれ あれを 見てみい。」
マリベル「…………………。」
姫の目配せする方の先には一人の男と思わしき人物が立っていた。
体にはあまり見かけないおしゃれなスーツを着込んでいるのだが、問題はその上だった。
マリベル「顔が見えないわね。」
顔全体を隠す仮面にシルクハットという出で立ち。
一見仮面舞踏会にはありがちかと思われる姿だったが、
まったく自分の正体がわからなくなるような恰好をする者はこの場に誰もいなかった。
グレーテ「髪型すら 見せぬとはのう。」
大臣「おお 姫さま こちらに おいででしたか!」
476 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:13:56.13 ID:KtF5zPtg0
その時いなくなった姫を探していた大臣がやってきた。
グレーテ「大臣よ あそこにおるのは いったい 何者じゃ?」
大臣「むっ? ああ あの者でしたら 先ほど ここに来て 参加したいと申しましてな。」
グレーテ「なにゆえ そのほうは あんなにも 顔や頭を隠しておるのじゃ?」
大臣「はあ なんでも 自分の顔から頭にかけて 大きな傷があるそうで。」
大臣「皆の お目汚しに なりたくないと申しましてな。おまけに 口もきけぬと。」
マリベル「思いっきり 怪しんだけどね。」
そんな会話をしている間にもその仮面の男は誰かを捜すように広場をうろうろとしている。
そんな姿に女性たちはどこか気味の悪いものを感じて少しずつ身を引いていき、
気付けば広場の中心にはぽっかりと穴ができ、そこに例の男が一人で佇んでいた。
ヨハン「なんだ? あいつ。」
いつの間にか楽団も演奏をやめてその男の一挙手一投足を眺めている。
*「…………………。」
完全に沈黙してしまった広場の中で尚も仮面の男は周囲を見渡し、人探しをやめる気配はない。
グレーテ「これ そのほう。いったい この場に 何用じゃ?」
痺れを切らした姫が男に歩み寄り問いかける。
*「…………………。」
男は何も語らず、代わりに姫に頭を下げて紳士的な挨拶をする。
グレーテ「ふむ。口をきけぬらしいが 誰か 探し人でもおるのかえ?」
姫も敵意はないとみて男に語り掛ける。
*「…………………。」
言葉の代わりに男は小さく頷く。
グレーテ「悪いがのう そなたが おると 皆が 不審がっていかん。」
グレーテ「ここは わらわの顔に免じて お引き取り 願おうかのう?」
*「…………………。」
男は黙って姫を見つめる。否、見つめていたのは姫の肩越しに見えた濃紺のドレスを着た女性だった。
グレーテ「こ これ どこへ行くのじゃ!」
*「…………………。」
男は姫に一礼してその横を通り過ぎると、夜の帳に紛れて目立たない女性のもとへと歩み寄る。
*「…………………。」
マリベル「えっ あ あたし?」
”まさかこんなわけのわからない男に自分が指名されるとは”
そんな思いを胸に少女はしばらく男の仮面をじっと見ていたが、
男は少女に動きがないことを確認するとなにやら妙なステップを踏み始める。
*「…………………。」
マリベル「え う うそ……!」
気付けば少女は立ち上がり足が勝手にステップを踏み始めていた。
“さそうおどりだ!”
477 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:15:15.99 ID:KtF5zPtg0
少女がそう気づいた時にはもう遅かった。
マリベル「…っ!」
いつの間にかその手は男に握られ、相手のペースに合わせて足を動かしていく。
マリベル「……どういうこと?」
強制的に引っ張り出した割には相手の動きは非常に紳士的で、まるで少女の動きを完全に理解しているようであった。
*「…………………。」
男は何も語らない。否、語れないのだろう。
しかしその動きからにじみ出る気品ややさしさ、そして力強さは警戒していた少女の心境を少しずつ変えていく。
マリベル「ふ ふふ……。」
さすがは“おどりこ”や“スーパースター”を極めているだけあって少女も負けじと上品かつ力強い動きで応える。
*「お おお……。」
*「すごいじゃない あの人!」
*「いや 女の方も なかなか……!」
それまで黙って二人の動きを見ていた参加者たちも徐々にその見事な動きに惹かれていく。
ヨハン「……いいね! 乗ってきたじゃないか!」
そう呟いて赤髪の青年はトゥーラをかき鳴らし、情熱的な調べを奏で始める。
唯一無二の演奏を受けて二人の踊りはさらに加速していく。
しなやかに伸びる腕。複雑に絡み合う脚。柔らかく曲線を描く体。そしてほとばしる熱。
その場にいた誰もが見とれ、思わず息を飲んだ。
愛と哀の調べに乗って二人はどこまでも美しく、力強く踊り続ける。
グレーテ「……見事じゃ!」
そしてトゥーラの調べが最高潮に達した時だった。
*「……っ!」
478 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:16:01.95 ID:KtF5zPtg0
突然男が足をつまずかせて前に倒れ、そのはずみで固定してあったシルクハットが地面に転がり落ちる。
マリベル「えっ…!?」
*「…………………!」
すると男は起き上がりわき目もふらず大神殿の外へと走り出した。
まるでこの場から逃げるかのように。
マリベル「…………………。」
しばらくその後姿を呆然と眺めていた少女だったが、
男の忘れていったシルクハットを見つけるとそれを拾い上げ、まじまじとそれを見つめる。
ヨハン「なーんだよ! せっかく いいところだったのに!」
演奏をしていた青年が名残惜しそうに叫ぶ。
*「あんなすごい やつが この国にいたのか!?」
*「惚れ惚れしちゃったー!」
*「まさか あそこで 転ぶとは……。」
グレーテ「むむう…… しかし まっこと 見事な動きじゃった。あれは いったい……。」
参加者たちがいなくなった男についてあれこれと感想を述べ、辺りは騒然となる。
マリベル「…………………。」
そんな中、踊っていた当事者はあることに気が付く。
マリベル「頭に傷なんて なかったじゃない……。」
479 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:17:12.55 ID:KtF5zPtg0
グレーテ「マリベルよ また 暇なときにでも 会いに来てくれんかの。」
グレーテ「なんといっても わらわとそなたは マブダチじゃからの! ほっほっほ!」
マリベル「ええ 必ずよ!」
月が真上に差し掛かった頃、少女は姫と固く抱き合い別れを告げ、今は一人港を目指して一人歩いていた。
砂漠の民の青年は宿に泊まると言って途中で別れた。
トゥーラ弾きの青年は師匠や姫と何やら話し込んでいるようだったのでそのまま放っておくことにした。
マリベル「…………………。」
少女は胸に抱えたシルクハットを見つめ、考えにふけっていた。
あの男はいったい何者だったのだろうか。口のきけぬ、顔と頭に大きな傷のある男。
しかし実際は頭に大きな傷などなかった。それどころかその髪は美しい漆黒で肩まであったのだ。
マリベル「どうも 怪しいのよね……。」
思えば口がきけぬという点も顔に傷があるという点も疑おうとすれば疑えぬことはなかった。
ただ大臣からそう聞かされていたからそう思わなかっただけのことだったのだ。
マリベル「…………………。」
そして何より納得いかなかったのは男がどうしてあんな場面で転んだのかだった。
少女からしてみればそれは決して難しいステップではなかったのだ。
“あれほどまでの踊りを見せた男があの程度の動きでもつれるはずがない”
マリベル「……っ!」
そんな風に考えていた時、少女の頭にある記憶がよぎった。
480 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:18:02.89 ID:KtF5zPtg0
…………………
*「あっ!」
マリベル「ばっかね~ また 転んだの?
*「イテテ……。」
それはまだ少女が少年たちと旅をしていた時のこと。
マリベル「そんなんじゃ いつまで経っても マスターできないわよ?」
少年たち一行は過去のダーマ神殿を救った後、しらみつぶしに初級職を総なめしてしまおうと躍起になっていた。
アルス「は… ははは…… あつっ!」
マリベル「…ったくもう しょうがないわね~ ホイミ。」
アルス「…ありがとう マリベル。」
マリベル「いいから さっさと 続けなさいよ。あんた いっつも おんなじところで 転ぶわよね~。」
アルス「どうも この動きが 苦手みたいでさ……。」
ガボ「オイラなんて もう なんでも踊れそうだぞ! へっへ~ん。」
マリベル「ほら さっさと やる!」
アルス「…うん。」
481 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:18:46.80 ID:KtF5zPtg0
…………………
アルス「イテッ!」
マリベル「あ~もう! なんて センスがないのかしら!」
マリベル「もう 見てらんないわ! ほら 手~貸しなさい!」
アルス「う うん……。」
マリベル「こう! こうして! こうよ! わかった!?」
アルス「…………………。」
アルス「こうして… こうして… こう?」
マリベル「……なんだ できるんじゃないの。」
アルス「えっ?」
マリベル「あ~あ つきあって損したわ~。ほら さっさと終わらして 次の職業やるわよ?」
アルス「…………………。」
482 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:20:45.99 ID:KtF5zPtg0
マリベル「あの時の動き……。」
少女はそこまで思い出して先ほどの仮面の男の動きと照らし合わせる。
マリベル「…………………。」
マリベル「まさかねえ?」
そう、少年は今、体調不良で漁船アミット号で休んでいるはずだった。
いくら共通点があったとしても少年が動けない以上あの男は別の誰かに違いない。
少女はそう結論付けることにした。
マリベル「あっ……。」
船までたどり着いた時、少女は甲板に誰かがいることに気が付いた。
緑色の上着に少し血で染まった白いシャツ。
肩まで伸びた後髪を一本に束ねている少年、彼女のよく知る幼馴染にして恋人その人だった。
マリベル「アルス。」
アルス「マリベル? もう 舞踏会は終わったの?」
少女に呼ばれた少年はどうしてここに少女がいるのか分からないといった様子で問いかける。
マリベル「ええ……。」
アルス「あれ どうしたのそれ?」
そう言って少年は少女が胸に抱えたシルクハットを指さす。
マリベル「えっ… ああ いや なんでもないのよ。」
少女はそれを背に隠す。
アルス「……?」
首をかしげる少年に少女は思い切って今日のことを告げる。
マリベル「…………………。」
マリベル「あのね アルス。実は グレーテ姫と 話してきたんだけど。」
アルス「…………………。」
マリベル「グレーテに あんたのこと話したら ちょっと 残念そうにしてたけど それでも あんたの選んだ道を 応援するって言ってたわ。」
アルス「……そっか…。」
マリベル「……会いに行かなくていいの? あの人 本当に あんたのことが……。」
アルス「今は…… 今は 会わない方がいいと思う。」
マリベル「…………………。」
アルス「きっと いま 行ったら 彼女を泣かせちゃいそうな気がする。」
マリベル「…………………。」
アルス「でも 近いうちに 必ず 会いに行く。会って 自分の口から話すよ。ぼくのことも きみとのことも。」
アルス「ぼくが どれだけ 彼女に感謝しているかも。」
マリベル「…そう……。」
少年が今どんな表情をしているのか、少女にはわからなかった。
しかし少女は少年の言葉を信じることにした。
”きっと彼は一度やると言ったことは絶対にやるだろう”
長い間少年のことを見てきた少女にはそれが彼の本心であることがすぐにわかったのだった。
483 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:22:10.91 ID:KtF5zPtg0
アルス「…………………。」
マリベル「ねえ アルス。」
黙ったままの少年の背中に少女は語り掛ける。
マリベル「少し 踊らない?」
アルス「えっ? まだ 踊り足りないの?」
突然の提案に少年は振り返り、意外そうな顔で問い返す。
マリベル「なんでもいいじゃないの!」
アルス「うーん……。」
マリベル「ふっ……。」
渋る少年を見て少女は少しだけ悪戯に笑うと、一人でに靴を鳴らして踊りだす。
アルス「あ しまっ…!」
マリベル「もう 遅いわよっ!」
“やられた!”
自分たちのいる場所を思い出してみればここは船上。そして少女の少し荒っぽいステップ。
彼女は少年に“船上ダンス”を仕掛けてきたのだった。
マリベル「うふふ……。」
アルス「ごく…っ。」
少年はいつの間にか同じようにステップを踏んでいた。まんまと彼女の罠にかかってしまったのである。
マリベル「…最後まで つきあってよね。」
アルス「…………………。」
意を決した少年は少女の手を取るとゆっくりと足を動かし始める。
マリベル「…………………。」
波の音を背景に少女は月空の下で先ほどの情熱的な瞬間を思い出すかのように体を動かす。
あの時感じたのはまさに心が躍るということだったのかもしれない。
アルス「…………………。」
対する少年も何度も練習した記憶を頼りに少女に合わせて華麗なステップを踏み、巧みに少女の体を支える。
マリベル「…………………。」
何度も何度も少年の練習に付き合って覚えたアクロバティックな動き。
アルス「…………………。」
少女は奇妙な感覚だった。
顔も、名も、そして動きのくせすら知る由もない二人の男女が、
どうして初めて聞く旋律に合わせてあそこまで息を合わせられたのか。
形式的な社交ダンスとは異なる本気の踊りを。魅せるための激しく情熱的な踊りを。
マリベル「ねえ。」
アルス「うわっ…!」
マリベル「きゃっ……!」
484 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:23:44.96 ID:KtF5zPtg0
少女が真相を確かめようとした時、少年は突如体勢を崩して前のめりに倒れこんだ。
アルス「いてて……。」
それはかつて少年が練習に明け暮れていた時によく転んでいたあのステップ。
マリベル「…ふ…ふふふ……!」
少女は確信を得てこみ上げる笑いを堪え切れずに口元を隠す。
アルス「えっ?」
マリベル「あっははは! どうして もっと 早く気づかなかったのかしら!」
そういうと少女は先ほど床に放ったシルクハットを抱えて少年のもとへ戻る。
アルス「ま マリベル……?」
マリベル「はい お忘れ物ですわよ? 仮面の男さん。」
アルス「…………………。」
少年は立ち上がり無言でそれを受け取ると船縁に寄りかかり暗い海を見つめる。
アルス「……どうして わかったの?」
マリベル「ばかね~ あたしが あんたのくせを 見抜けないとでも 思ったのかしら?」
マリベル「アルスってば 何度も 同じところで 転ぶんだもの。わからないわけがないわ。」
アルス「変装は完璧だと 思ったんだけどなあ。」
背中越しに指さされ、少年はぼんやりと呟く。
マリベル「まったく なんて 怪しい恰好で くるのよ。」
少女は両手を腰に当てて軽く眉を吊り上げている。
マリベル「もうちょっと ましな 恰好なかったの? もっともらしい 理由まで つけちゃって。」
マリベル「おまけに あんなのに ウロウロされちゃ 誰だって 怪しむに決まってるじゃないの。」
アルス「うーん……。」
少年は尚も首をひねっている。
アルス「正体がバレたら 騒ぎになるかと 思ってさ。」
マリベル「…………………。」
マリベル「……はあ…。」
実際はそれが裏目に出たのだと声を大にして言いたい少女だったが、
幸い自分以外に気付いているものはいない様子だったのでそれ以上は追及しないでおくことにした。
アルス「ごめん マリベル。」
その時ようやく少年は振り返り、少女に謝罪の言葉を述べる。
マリベル「別にいいわよ。あんたが あんな 突拍子もないこと するなんて 意外だったけど… 悪くなかったわ。」
少年の真っすぐな瞳から目を逸らして少女は言う。
アルス「ううん。そうじゃないんだ。」
マリベル「えっ?」
485 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:24:44.02 ID:KtF5zPtg0
思わぬ言葉に少女は少年に視線を戻す。
アルス「体調が悪いなんて 嘘だったのさ。」
アルス「でも なんだか あれ以上 話してたら きみを 傷つけちゃいそうな気がしてさ……。」
マリベル「……気づいてたわよ。」
結い上げていた髪を下ろし、伏し目がちに少女は言う。
アルス「えっ!」
マリベル「いくらなんでも あんなことしたんだもの 気を悪くするのも当然だわ。」
アルス「い いや あれは ぼくが いけなかったからで……!」
慌てて少年が身振り手振りしながら言う。
マリベル「ううん。あたしも あそこまで するつもりはなかったんだけど……。」
マリベル「……やっぱり は 恥ずかし…くて…。」
指をもじもじさせながら少女は赤面する。
アルス「…………………。」
アルス「今度からは 気を付けます。」
マリベル「う… うん。」
アルス「…………………。」
マリベル「さっ! てと。」
マリベル「もう一回踊りましょ!」
少女は吹っ切れた様に背を向けると体を捻って微笑んで言う。
アルス「ええっ! まだやるの!?」
マリベル「あたしが やるって言ったら やるのよ! ほら!」
不満そうに言う少年の腕を引っ張り踊りの体勢を作る。
アルス「は はは……。」
マリベル「…今度は ゆっくりね。」
アルス「……こう?」
少年は少女の手を引きゆっくりと動き出す。
マリベル「……もっと 近くで…。」
アルス「……うん。」
そうしてお互いの体を抱き合うように密着させ、さざ波の音を聞きながら二人は心ゆくまで踊り明かしたのだった。
真夜中過ぎにもかかわらず城下町の方から聞こえてきた優しい調べは、いったい誰のものだったのか。
二人が知る由もない。
そして……
486 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:25:11.64 ID:KtF5zPtg0
そして 夜が 明けた……。
487 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:26:26.21 ID:KtF5zPtg0
以上第15話でした。
さて、今回のお話ではグレーテ姫とマリベルという因縁の二人がアルスを巡ってお互いの本音をぶつけ合います。
原作を最後までプレイした方にはお分かりかと思いますが、
主人公のお相手はいったい誰になるのかと巷では論争になったりしたものですね。
(わたしはもちろんマリベル一択ですが、人によってはグレーテ姫、
はたまたアイラやリーサ姫だと思った方もいるでしょう。)
この第11話はなんとか二人を穏便に和解させたいと思って苦心した結果でもあります。
非常に苦しいですが、きっとあの二人は気が合うと踏んでこういった運びとなりました。
こんなのでも納得していただける方がいらっしゃれば幸いです。
それで、このお話を作るのに欠かせない存在だったのが楽師ヨハンです。
普段はあんなチャランポランですが、いざという時にはかなり気の利く青年だと思います。
「大勢の女性に囲まれている彼だからこそ言えるセリフがあるのではないか」
そう思い今回はマリベルとグレーテの間を取り持つのに、間接的ですが一役買ってもらいました。
そんな彼は果たして誰が本命なのか。
原作からはうかがい知れませんが、きっと彼は突き放してくる女性に惹かれる性質だとは推測できます。
そう考えると彼を軽くあしらっていたアイラとの組み合わせはお似合いかもしれませんが、
彼がグランエスタードの王位につくとなると……あんまり想像がつきませんね。
以上、戯言でした。
…………………
◇次回はマーディラスを離れて次なる地を目指します。
その間、エスタードでボルカノの語り草となっている「あの漁」をやるのですが……
※しばらくは平和なお話が続きます。
もしよろしければお暇な時にでもお読みください。
488 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:26:55.77 ID:KtF5zPtg0
第15話の主な登場人物
アルス
とある出来事から生死の境をさまよう。
体調不良を装って船で休んでいたが、
その後変装して大神殿に。
マリベル
仮面舞踏会に参加し、グレーテと和解。
突如現れた仮面の男と情熱的な踊りを繰り広げる。
ボルカノ
病み上がりのアルス船をに置いて、グレーテのもとに親書を届けに行く。
その後は宿で休憩。
アミット号の船員たち(*)
本日は仕事がないので城下町で一日を過ごす。
思い思いの羽休めを満喫。
サイード
不慣れながらも舞踏会に参加。
若い女性たちにリードされながらなんとか踊る。
しばらくはマーディラスに滞在することに。
グレーテ
マーディラスを治める若き姫君。容姿は美しいが癇癪もち。
失恋するも漁師になることを選んだアルスのことを応援している。
大神殿で仮面舞踏会を開催する。
ヨハン
国一番の楽師にして伝説のトゥーラの引き手。
ユバールの血を受け継いでいるがどうにも軽い性格で女たらし。
だが一方で義理深い一面をもつ。
仮面舞踏会では師や他の楽師と共に演奏を担当。
492 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:49:19.87 ID:W5dqu19v0
航海十六日目:銀色の雨
493 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:51:07.63 ID:W5dqu19v0
サイード「短い間ですが 世話になりました。」
舞踏会を終えた次の日の朝、マーディラスの港では砂漠の民の青年が漁師たちと別れの挨拶を交わしていた。
ボルカノ「なーに いいってことよ。オレたちも いろんな話が聞けて 楽しかったぜ。」
*「たぶん あんちゃんは 将来大物になるぜ? おれは そんな予感がする。」
*「もし フィッシュベルに 立ち寄るようなことがあったら 是非 訪ねてきてください! 歓迎しますよ!」
サイード「それは 楽しみです。」
コック長「砂漠の伝統料理は なかなかだったな。また レシピでも 教えてくれ。」
*「あ ずるいですよコック長! いつの間に そんなことを!」
サイード「ははは… それも またいつか。」
*「ネコちゃんも 元気でな。」
*「にゃん。」
トパーズ「なうー。」
二匹の猫はお互いの匂いを嗅ぎ合っている。どうやら別れが近いことを察しているのだろうか。
マリベル「せっかく二匹とも 仲良くなったのにねー。」
そんな猫たちの様子をまじまじと見つめながら少女が呟く。
サイード「さすがに 一人旅は 寂しいからな。相棒を置いて 行くわけにはいかん。」
マリベル「わかってるわよっ ふふ。」
アルス「サイードも 元気でね。」
サイード「結婚式には もちろん 呼んでくれるだろうな?」
アルス「えっ……!?」
マリベル「そっちこそ 女王さまを 泣かすんじゃないわよ~?」
言葉に詰まる少年を他所に少女は余裕の表情で言う。
サイード「き きさま 聞いていたのか!?」
マリベル「ええ 聞いてましたとも。最初から 最後まで ばーっちりね。」
マリベル「大事なネックレスを預けて 予約しちゃうなんて あんたも きざったらしいのね~。」
サイード「だから 女王さまとは 何ともないと…。」
マリベル「はいはい 悪かったですよ~だ。」
アルス「そ それじゃあ もう 行くね?」
サイード「ふん! さっさと こいつを 連れて行ってくれ。」
マリベル「じゃあね~。」
サイード「くっ……。」
苦々しい表情の青年を尻目に少女は船長の元へ歩み寄る。
マリベル「ボルカノおじさま 行きましょ!」
ボルカノ「もう いいんだな?」
マリベル「ええ!」
ボルカノ「よーし 錨をあげろー! 出航だあー!」
*「「「ウスッ!」」」
こうして漁船アミット号は二日間の滞在を終え、次なる大地を目指して海原へと繰り出すのであった。
サイード「……達者でな。」
仲間の船出を見届けた後、青年はこの地で見分を広めるべく再び城下町へと歩き出した。
*「…にゃう~………。」
その隣でお腹いっぱいにエサをもらって少し肥えた相棒が、物珍しそうな顔で新しい土地の地面を踏み歩く。
一人と一匹の旅は、まだまだ始まったばかりなのだ。
494 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:51:39.80 ID:W5dqu19v0
マリベル「ずいぶん 慌ただしく駆け抜けたわね。 この二日間 いや 三日かしら。」
船の甲板の上、遠ざかる港を見つめながら少女が呟く。
アルス「ご ご迷惑をおかけしました……。」
マリベル「まっ あんたのせいじゃ ないから あんまり気にしないことね。」
アルス「う うん。」
マリベル「それにしても これから 楽しみね!」
マリベル「腕が鳴るわ~。」
アルス「…そうだね!」
時は遡ること一刻ほど前、まだ港に漁師たちが集まる前の頃のことだった。
495 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:52:42.84 ID:W5dqu19v0
マリベル「え… 一本釣り?」
ボルカノ「ああ どうも 昨日 酒場で聞いたんだが この辺りの海域には 大型の回遊魚が 回ってきているみたいでな。」
マリベル「そ それじゃあ この間みたいな マグロとか釣れちゃったりするわけ!?」
ボルカノ「むっ? ああ そうだよ。」
マリベル「…も……。」
アルス「も?」
マリベル「燃えてきたわ! アルス! あんたには負けないからね!」
アルス「えっ!?」
マリベル「漁の腕でも この マリベルさまには かなわないってことを 記憶に刻み込んでやるわ!」
アルス「ええー!?」
ボルカノ「はっはっは! こりゃ オレたちも 負けてらんないな!」
アルス「でも 一本釣り漁って かなり 体力がいるんでしょ?」
マリベル「あーら あたしには 体力はなくても 魔力があるわ! ちょちょいと 応用すれば 男にだって負けないんだからね!」
アルス「うぐぐぐ……。」
ボルカノ「わっはっは! 今から 楽しみだな。」
ボルカノ「後で コツを教えてやるから 今日は みんなで 競争だな。」
マリベル「おっほほほ! 待ってなさいよ 巨大魚! この マリベルさまが いくらでも 釣り上げて見せるわ!」
アルス「ぼ ぼくだって……!」
496 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:53:45.09 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「それ! 網をひけ!」
*「「「ウースっ!」」」
港からほど近い岸辺にやってきた漁船アミット号の上では一本釣りのためのある仕込みを行っていた。
マリベル「うわー! これ 全部イワシなの!?」
一行が獲りに来ていたのは一本釣りのエサに使うためのイワシだった。
大型の回遊魚はこういった小魚の群れを追ってやってくる習性があるため、
今回の漁では時間の都合上、沿岸にいて比較的手に入りやすいイワシをエサとすることとなったのだった。
アルス「一瞬で 確保できちゃったね。」
大きな生け簀の中に入れられた大量のイワシは脆い鱗をまき散らしながら泳いでいる。
日の光に当てられてキラキラと光輝く鱗の渦は見ていて飽きないものがあった。
*「うまそうだなあ そのまま 食いたくなっちまうぜ。」
*「大事なエサなんだ。がまんしろよ。」
漁師たちにとっては見慣れた魚だがやはり鮮度のいいものには食欲をそそられるのか、中には涎を垂らしている者すらいる。
ボルカノ「よーし これだけ あれば足りるだろう。」
ボルカノ「出航だ! 急いで 漁場に向かうぞ!」
*「「「ウスッ!」」」
こうして無事準備を整えた一行はそこから南下した場所にある大陸と島の間、
ちょうど円形になった海域に向かい船を走らせるのだった。
497 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:54:36.59 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「見つけたぞ。」
日はだいぶ高度を上げ、少しずつ昼間の暑さが顔をのぞかせようとしていた。
船長は望遠鏡を覗くのをやめ、船員たちに指示を送る。
ボルカノ「あっちだ! 海鳥の群れを見つけたぞ!」
*「ウス!」
*「ガッテン!」
漁師たちは船長の指し示す方に向かって船を進める。
マリベル「ボルカノおじさま どうして 海鳥の群れを探してたの?」
ボルカノ「マリベルちゃん どうして あの海鳥たちは 群がっていると思う?」
マリベル「……エサをとるため かしら?」
ボルカノ「その通り。そして あの海鳥たちが 狙ってるのは イワシだ。」
マリベル「つまり 同じように そのイワシを狙って やってくる奴らを 釣り上げるって言うのね!」
ボルカノ「さすがは マリベルちゃんだ。察しがいい。」
マリベル「うふふ。これでも網元の娘ですから……。」
どうも少女は少年の父親に褒められるのが苦手な様で、簡単な誉め言葉でもすぐに顔がほころんでしまうのだった。
アルス「…………………。」
そんな少女を複雑な顔で見つめる少年はいったい何を思っていたのか。
それは彼の父親ですらわからない。
498 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:56:49.17 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「ここらへんで いいだろう。錨を下ろすんだ!」
*「ウス!」
ほどなくして海鳥の群れの近くに船を泊め、船長は錨を下ろすように指示すると少年たちに話しかける。
ボルカノ「どの漁でも 同じだが 大切なのは カラダ全体を使うことだ。じゃねえと すぐに 腕がしびれちまうぞ。」
マリベル「はーい。」
アルス「わかりました。」
*「おっと アルス! おまえには まず エサ撒きをやってもらうぜ?」。
一本釣り漁はスピードが命であるため、釣る者と餌を配る者、そして餌を撒く者などの役割が定められていた。
基本的に釣る役を担えるのは経験を積んだ熟練の漁師だけとされている。
そうでない若手の漁師はまず餌配りや餌撒きをして釣る者の手助けをするのが習わしだった。
*「この船にのったやつは 必ず 通る道だ。頼んだぜ?」
アルス「……はい!」
ボルカノ「わっはっは! 息子よ まあ 悪く思うな。何事も こうやって 少しずつ 経験していくもんだ。」
アルス「わかってます 船長。」
少年は竿を握れないことを少しだけ残念に思う反面、
船長の息子だからと特別扱いされないことに少しだけ喜びを覚え、与えられた仕事を全うしようと意気込むのだった。
マリベル「…………………。」
少女の心は複雑だった。
少年は漁師の一員として、たいへんな上に地味ながら大事な仕事を任されている。
それは少年の成長を見守る少女にとっても喜ばしいことであった。
だがそれに比べて今の自分は網元の娘として、半分は客として扱われている。
普通に考えてみれば初めて漁に出たものが竿を握れるはずもなく、
地道な下積みを経て初めて魚と対峙できるのだろうが、これから自分はその過程を飛ばして甲板に立つ。
そんな二人の立場の違い、否、男女の違いといった方がいいのだろうか、それを再確認させられているような気がしてならなかった。
なんとなく、自分がどうして今まで漁に連れて行ってもらえなかったのかがわかってしまったような気がした。
アルス「…マリベル?」
マリベル「……えっ?」
アルス「どうしたの? 浮かない顔しちゃってさ。」
アルス「ぼくのことなら 気にしないでよ。きみが 大物釣れるように 頑張るからさ!」
自信に満ちた表情で少年が言う。
マリベル「…………………!」
それはなんでもないような気づかいだった。
しかしどこかで少女の胸は高鳴ってしまっていた。
マリベル「ふふっ。」
“今はこのことで悩むのはやめよう”
“彼が自分のために頑張ると言ってくれたのだ”
“ならば自分はそれに全力で応えるべきだ”
そう思えたのだった。
マリベル「まっかせときなさい! あたしが あんたの分まで いっぱい釣り上げて見せるわよ!」
威勢よく声を張り上げると少女は手に持った竿を力強く握りしめる。
マリベル「さあ 行くわよ!」
群れが去るまでの短期決戦。
船長の合図で投げ込まれた撒き餌と共に、一本釣り漁は幕を上げた。
499 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:59:38.27 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「…きたな!」
釣り糸が絡まぬよう船の片弦だけに立って行われる一本釣り漁はそれぞれの立ち位置もたいへん重要であった。
船首と船尾に釣る者が立ち、中央には餌撒きと餌配りが立ってそれぞれの役割を全うする。
最初に引きがあったのはやはり船尾に立っていた船長だった。
重たい引きを腕に感じ力強く竿を引っ張り上げれば一瞬で魚が宙を舞い、その勢いで針が外れて甲板へと落ちる。
黒光りする背に側面にかけて銀の虎模様の入ったソレは、脂が乗って丸々と太っていた。
*「良い型のマルサバカツオですね!」
そう言って別の漁師が餌を渡すと漁師頭は素早くイワシを針にかけてそれ投げ込む。
片手で竿を小刻みに動かし、もう片方の手で長い柄杓のような物を使って海面をたたけばたちまち次の魚が食いつく。
まさに入れ食い状態となっていた。
マリベル「ボルカノおじさま それはなんですの?」
少女が長い棒を指して問う。
ボルカノ「これは カイベラといってね。これで 海面を叩いてやれば イワシが逃げているって 魚に勘違いさせられるのさ。」
船長が餌を付け替えながら言う。
マリベル「ふんふん なるほど そういうことなのね。」
そういうと少女は身体に呪文をかけ、左手で餌の付いた竿を海面に垂らしながら右手のカイベラで海面を叩く。
マリベル「…………………。」
辛抱強く海面を見つめてその時を待つ。
その横では船長がまたしても次の獲物を釣り上げていく。
船首の方でも漁師の一人が次々とカツオを甲板に放り込む。
マリベル「むむぅ。なかなか 来ないわね。」
そう言って少女は釣れない原因を探り始める。
マリベル「…………………。」
隣に立つ船長に注目してその動きを観察する。
自分に足りないものは……。
マリベル「あっ そうか!」
何かに気付いた少女はすぐさまその動きを自分にも取り入れる。
マリベル「…………………。」
マリベル「……っ!」
にわかに竿が重たくなり、何かに引っ張られる感覚を全身で感じる。
ボルカノ「マリベルちゃん 思いっきり 竿を立てるんだ!」
マリベル「はいっ!」
その様子に瞬時に気が付いた船長の助言通り、少女は身体をしならせて竿を思い切り持ち上げる。
500 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:00:15.23 ID:W5dqu19v0
マリベル「……!」
針にひっかかったままの丸々と太ったカツオが甲板に転がり込む。
ボルカノ「…お見事!」
マリベル「…………………。」
少女は竿とカイベラを置いて自分の釣り上げた獲物をまじまじと見つめている。
マリベル「…やった!」
マリベル「アルスー! やったわよ!」
アルス「おめでとう マリベル!」
少女が獲物を釣り上げたことに少年も素直に喜んでくれているようだった。
マリベル「この調子で ドンドン釣っちゃうわよ!」
アルス「こっちも がんばるよ。」
アルス「……よし!」
少年も気合を入れなおすと今度は餌配りの仕事に取り掛かり始める。
コック長「血抜きは わしらが やっておきますから マリベルおじょうさんは 釣りに集中してください。」
マリベル「ありがとう コック長!」
マリベル「見てなさい! あいつが 腰ぬかすくらい 釣ってやるんだからね!」
そう自分に言い聞かして少女も再び釣り針を垂れる。
カツオとの勝負はまだこれからだった。
501 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:02:01.21 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「こんなところか……。」
まだ日が天頂を通る前、漁を始めてから二刻ほどした時だった。
海鳥の群れもいなくなり、辺りからはイワシもカツオの群れもほとんど見受けられなくなった。
ボルカノ「撤収だ! 錨を上げろ!」
*「「「ウスッ!」」」
漁師頭の号令と共に漁師たちは一斉に竿を引き、船を発進させる。
船の操縦を数名に任せ、その他の船員たちは釣れた獲物の処理や使い終えた道具の片づけを行うことになった。
マリベル「うーん 思ったより 釣れなかったわね……。」
二刻で少女が釣り上げたカツオは30匹ほどだった。それでも初めての一本釣り漁にしては本当によく釣ったと言える。
ボルカノ「いやいや マリベルちゃん ひょっとすると アルスより センスがあったりしてな。わっはっは!」
アルス「すごいや マリベル! こんなに釣っちゃうなんて!」
少年やその父親は素直に少女のがんばりを褒める。
長い間彼女のこらえ性の無さに苦労した少年にとっては、
少女が大変な重労働を辛抱強くやり続けたことはもはや奇跡と言っても良かった。
それほどに少女も今回の漁には思い入れをもって挑んだということだったのだろう。
マリベル「ふふっ ありがとっ。」
マリベル「でも ボルカノおじさまみたいに ポンポン 針から外れたら もっと たくさん 釣れたかもしれないのに…… やっぱり 難しいのね。」
照れながらも少女は悔しそうに言う。
*「ああ 跳ね釣りですか。あれは少なくとも 三年は修行しないと うまくいかないんですぜ。」
船長と同じように大量にカツオを吊り上げた銛番の男がやってきて言う。
マリベル「そりゃ そうよね~。いい勉強になったわ。」
ボルカノ「おう コック長 血抜きはもう 済んだのか?」
コック長「ええ 一匹残らず やってきおきましたよ。」
この日の漁獲は指の先から肘ほどの長さの物が全部で三百匹ほどだった。
比較的よく釣れて味も良いこのカツオは鮮度が落ちるのも早いのだが、
それ以上に早めに血抜きをしなければ食あたりを起こす物質が体内で生成されてしまうため、
釣ったらその場で血抜きをしておかなければならなかったのだ。
*「早くしないと 売り物にならなくなっちゃいますからね!」
ボルカノ「よし それじゃ あとは保存だが……。」
マリベル「お任せあれ! ほら アルスもやるのよっ!」
アルス「え? あれ ぼくもやるの!?」
マリベル「あら レディだけに あんな姿 晒せって言うの?」
アルス「う… わかったよ……。」
アルス「それじゃ ぼくはこっちから行くね。」
マリベル「じゃあ あたしはこっちの列ね。」
そうして二人は真っ白に輝く冷たい息を吐きながら満遍なくカツオの列を凍らせていく。
ボルカノ「便利なもんだな。あれ。」
コック長「いつか 食材の保存方法が 変わるかも しれませんな。」
*「え? みんな あんなの 吐くようになるのか?」
コック長「バカモン。冷凍保存する技術が 出てくるようになるってことだよ。」
*「きっとこりゃ 高く売れますよ~! ボク 帰ったら 久しぶりに城下町で 遊んじゃおうかな~!」
そう言って飯番は小躍りしながらにやつく。
*「気が早えな おまえ。まだまだ 航海はこれからだぜ?」
*「ははは… わかってますって!」
そんなやり取りをしながら男たちは二人の作業が終わるのを見つめる。
真剣ながらもどこか楽しそうに見える二人の姿は見ていて飽きないものがあり、
屈強でこわもてなはずの漁師たちの表情もいつの間にか子を見守る親のようなそれになっていた。
雲一つない空の下、温かい日差しを浴びながら漁船アミット号は次なる目的地へと向けて再び舵を切るのだった。
502 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:04:02.72 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「お 城が見えてきたな。」
その後北上しながら漁場をいくつか見つけては少しだけ漁をし、
漁船はマーディラスの大陸とグリンフレークのある大陸との境、つまり海峡を越えようとしていた。
マリベル「あら 本当だわ。…見て見て アルス!」
アルス「うん?」
マリベル「だれか 橋の上にいるわよ?」
アルス「えっ!」
少女の呼び声にマーディラスの方を見やると確かに橋の辺りに人影が見える。
マリベル「だれだろうね。」
アルス「…………………。」
少年は意識を集中させ、遠い海の向こうの崖に佇む誰かの姿を見据える。
アルス「……!」
黙ったままの少年だったが、突然手を上げたかと思えばゆっくりと大きく左右に振った。
まるで誰かに合図を送っているかのように。
マリベル「どうしたの?」
アルス「……ううん。何となくね。」
果たして少年の見つめるその先の人物に少年の姿が見えたかどうかはわからない。
だがどういうわけか少年はそうせずにはいられなかった。
マリベル「…………………。」
マリベル「…まっ 誰でもいいわ。」
マリベル「それより ボルカノおじさま。今日はどこまで 行くんですの?」
ボルカノ「ああ それなんだが……。このまま 夜通しで突っ走るか どこかで休憩するか 迷ってるんだよ。」
マリベル「夜通しだと どうなりますの?」
ボルカノ「次の目的地までは 明日の 真夜中ごろには つくだろうな。」
マリベル「どこかで 休憩すると?」
ボルカノ「明後日の昼頃 だな。」
マリベル「うーん。記憶が正しければ この辺りに 一軒だけ 宿があったはずなんだけど……。」
アルス「いいんじゃないかな 昨日は みんな じゅうぶん 休んだんだろうし。」
少女が頬に手を添えて考え込んでいると、それまで西の方を見つめていた少年が向き直って言う。
ボルカノ「……まあな。」
実際、漁師たちはマーディラスに滞在している間、少年や少女のように慌ただしい時間を過ごしていたわけでなく、
城下町で二日間を過ごしてしっかりと羽休めを終えていたところだった。
それにこれまで何十日もの間陸に上がらず漁に出ていた漁師たちにとっては
一日ベッドに横にならなかったからといってどうこうという話ではなかったのだ。
ボルカノ「二人とも 体は大丈夫なのか?」
マリベル「うふふ。これぐらいで 音を上げるようじゃ 英雄なんて 務まっていませんですことよ!」
アルス「……父さんの子ですから!」
ボルカノ「……決まりだな!」
二人の言葉に頷くと船長は号令をかける。
ボルカノ「おまえたち! 今日は このまま 船を走らせる! 到着は明日の夜中だ! いいな!」
*「「「ウスッ!!」」」
こうして日も傾きかけた頃、漁船アミット号はあの忌まわしき事件以来の夜通しでの航海を決め、
一同は交代で見張りと操舵を行うこととなったのだった。
トパーズ「くぁ~……。」
甲板で日光浴に耽る三毛猫は、どこまでも退屈そうに欠伸をするだけだった。
503 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:05:54.70 ID:W5dqu19v0
マリベル「気持ちいい風ねー。」
アルス「……そうだね。」
西から吹く涼しい風を受けながら、帆船は夜の海をゆっくり確実に東へとその船体を滑らせていた。
マリベル「ねえ あそこにあった 洞窟のこと 覚えてる?」
アルス「……覚えてるよ。」
甲板で見張りをする少年に付き合っていた少女が不意に話しかける。
アルス「たしか お宝探しだとか言って みんなで 張り切って 乗り込んだんだっけ。」
マリベル「あの時の キーファとガボの はしゃぎようったらね。見ていておかしかったわ。」
アルス「洞窟の中も 不気味だったけど あそこにいた 魔物もかなり 厄介だったよね。」
アルス「えーっと なんだっけ? コスモファントムみたいなやつ。」
マリベル「洞窟の魔人で いいんじゃないの? にしても 趣味悪いやつよね~。」
マリベル「どこの誰が 流した噂だか知らないけど やってきた人間を 片っ端から殺していたなんてね。」
アルス「好奇心は 猫を殺す か……。」
トパーズ「なおー。」
そう言って少年は足元で八の字を描いていた三毛猫を抱きかかえる。
マリベル「ちょっと 縁起でもないこと 言わないでよ。」
アルス「ごめんごめん。」
マリベル「それにしても どうして 洞窟がなくなって あんな宿が立ったのかしらね。」
マリベル「毒沼の真ん中に 宿屋を立てるなんて あたまが どうかしてるわ。」
二人で三毛猫を撫であっていると、思い出したかのように少女が呟く。
アルス「洞窟って 数百年で 消えちゃうものなのかな?」
マリベル「バカねえ。そんなこと言ったら 他の洞くつだって とっくになくなってるわよ。」
アルス「…………………。」
アルス「えーっと レブレサックにあった 魔物の洞くつは……。」
マリベル「……お店になったわね。」
アルス「ダーマの洞くつは……。」
マリベル「山賊のアジト……。」
アルス「マリベル……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「って なに言ってんのよ! 今でも そのままの洞くつなら いっぱいあるじゃないの!」
アルス「あ ばれちゃった?」
マリベル「キーッ! アルスのくせに このあたしを 陥れようとするなんて 生意気よ!」
トパーズ「フギャアアアッ!」
504 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:08:32.54 ID:W5dqu19v0
しっぽを触っていた少女の手に力が入ったのか、思わぬとばっちりを受け三毛猫は絶叫を上げる。
マリベル「あっ ごめんなさいね。」
トパーズ「ぅう~。」
鼻頭をなめて低く呻く猫に謝りながら少女は優しく患部を撫でる。猫は少女を恨めしそうに見た後、少年の腕の中で少しだけもがき、さっさと降りて船室の方へ行ってしまった。
アルス「あははは!」
マリベル「…ったく。要するに 脆いところは崩れて 後から来た人が 埋め立てて 造っただけの話よね。」
アルス「だとすると いまも 地下には 魔物たちが 潜んでいるのかもね。」
マリベル「……よしなさいよ。」
二人の間を風が抜けていく。
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
マリベル「今日は おつかれさま。」
アルス「えっ?」
突然の労いの言葉に少年は戸惑う。
マリベル「たいへんだったでしょ?」
アルス「……まあね。」
少女は先の漁で汗を流して働いていた少年の姿を思い浮かべていた。
マリベル「悪いわね あたしだけ はしゃいじゃってさ。」
釣り手が楽な仕事ではないことはお互いわかっていた。
だが少女はなんとなくそう言わずにはいられなかったのだった。
アルス「マリベルだって あんなに がんばってたじゃないか。」
アルス「どれも 大切な役割に 変わりないし ぼくは そのうちの一人として 仕事ができるだけでも 満足さ。」
アルス「それに ぼくも これから少しずつ みんなや 父さんに 仕込んでもらうからさ。」
思いのほか少年はなんでもない風に言う。
マリベル「……そうよね。あんたは これから いっぱい修行して 立派な漁師になって……。」
マリベル「あたしは……。」
マリベル「この漁が終わったら… やっぱり あたしはもう 連れてってもらえないんだもんね……。」
アルス「マリベル……。」
マリベル「本当は ずっと……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「なんでもないわ。…今のは 忘れてちょうだい。」
アルス「…………………。」
アルス「マリベル。」
505 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:12:20.56 ID:W5dqu19v0
マリベル「ん? …っ!」
マリベル「……なによ。」
呼ばれたと思ったら不意に抱きしめられ、少女は困惑しているような怒っているような、
そして少しだけ恥ずかしそうな顔を横に逸らす。
アルス「ごめん 本当は ぼくも ずっと一緒にいたいけど……。」
マリベル「…わかってるわ。ワガママだって。」
アルス「…だからさ 一緒にいられる時間は 他の人より 少ないかもしれないけど その時間を 大切にしよう?」
マリベル「…………………。」
マリベル「なによ… アルスのくせに かっこつけちゃってさ。」
少年の肩に頭を乗せると、少女は照れ隠しの悪態をつく。
マリベル「あたしを 満足させられなかったら メラゾーマ百発よ?」
上目使いに少年を見上げて少女はさらっと恐ろしいことを言ってのける。
アルス「せめて メラじゃ……。」
マリベル「あら そんなに ザキがいいですって?」
アルス「メラゾーマでいいです。」
マリベル「…バカね。しないわよ そんなこと。」
ジトっと少年を睨んでいた少女だったが、あまりの少年の即答ぶりに思わずクスッと笑う。
アルス「前科があるからなあ。」
マリベル「だーかーらー。悪かったって 言ってるじゃないの!」
そう言って眉を吊り上げると、今度は腕を伸ばして少年の頬を引っ張る。
アルス「わ わハっハ わハヒまヒハ!」
身振り手振りで降参の意思を示し少年は必死に懇願する。
マリベル「ふんっ。」
アルス「あいたた……。」
マリベル「もとはと言えば あんたが 悪いんだからね? わかってるの?」
アルス「ハイ ワカッテマス。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ね アルス。」
訝しげに少年の顔を睨んでいた少女だったが、
少しだけ頬を染めて少年の名前を呼ぶと何かを訴えるように上目がちに少年の目を見つめる。
アルス「…………………。」
マリベル「……もうっ やっぱり にぶちんね。」
黙ったまま見つめ返す少年に痺れを切らして少女は後を向いてしまう。
マリベル「は~あ。どうして こんなの 好きになっちゃったのかしらね~。」
アルス「マリベル。」
マリベル「なによ…っ!?」
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
マリベル「あっ……。」
506 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:15:02.35 ID:W5dqu19v0
振り向きざまを狙った不意打ちの接吻。
少女は一瞬何をされたか分からずにいたが、
唇の離れる瞬間にそれがなんだったのかに気付き、名残惜しげに短い声を漏らす。
アルス「…もう一回?」
マリベル「…………………。」
マリベル「……うん。」
どこか意地悪そうに見つめる少年に少しだけ心臓の高鳴りを覚えて見とれる少女だったが、
真っ赤になったまま少しだけ目を逸らすと絞り出すように懇願の言葉を呟いた。
アルス「大好きだよ マリベル。」
そんな少女が愛おしくてたまらなくなり、少年は促されるまでもなく素の言葉を少女に浴びせる。
そして少女の首に腕を回して正面を向けさせると、そのまま吸い込まれるように唇を重ね合わせた。
マリベル「ん…ん…… ふ……。」
荒くなる少女の息を聴きながら、ゆっくりとその柔い感触を確かめるように口を動かし少女の唇に自分のそれを這わせていく。
心臓と心臓の鼓動が重なり、いつしか二人は一体となってしまったような錯覚を覚えていった。
アルス「……苦しかった?」
長く短い時の中で愛を確かめ合った後、
どちらともなく離された口元からは刹那の橋がかけられ、風に流されて水面へと消えていった。
マリベル「はあ… ちょ…ちょっとね。」
少しだけ乱れた息を整えながら少女が答える。
その頬は林檎のように染まり、瞳はとろんと溶け、少年の理性を根こそぎ奪い去るかのような際どさを感じさせた。
アルス「ゴク……。」
マリベル「アルス……。」
“あっ まずいかも”
少年がそう思った時だった。
507 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:16:56.50 ID:W5dqu19v0
*「それでよ うちのカミさんが言うんだ。いつまで 待たせるんだってな。」
階下から近づいてくる声に気付いて少年がさっと少女から腕を離す。
*「そりゃ おめえ そんなの おまえが その気になりゃあよ……。」
*「おっ アルスに マリベルおじょうさん。見張りごくろうさん。」
*「なーんだ 二人で イチャイチャしてたのかい?」
*「ついでに こいつの のろけ話でも 聞いてくれよー!」
アルス「は ハハハ……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「……んもうっ。」
少女の悪態を横に聞きながら少年は乾いた笑いを上げることしかできなかった。
ただ、あのまま放っておいたら何をしてしまうのか、否、何をされるかわかったものではなかった。
そうなってしまえば取り返しのつかないことになる。
言い方は悪いが少年はこの二人の漁師に救われたのだ。
*「それでさ カミさんったらよぉ……。」
頭に入ってこないのろけ話を聞きながら少年はそっと胸を撫でおろし、
この後またどうやって少女のご機嫌をとろうかと考え始めるのだった。
そんな少年を眺め、星空に浮かんだ月が楽しそうに笑っていた。
そして……
508 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:17:29.45 ID:W5dqu19v0
そして 夜が 明けた……。
509 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:18:59.79 ID:W5dqu19v0
以上第16話でした。
*「ボルカノさんのことは 城下町でもよく ウワサしてるんだ。」
*「荒れた海での いっぽん釣りは 今でも 語りぐさだよ。」
既にこの旅の中ではいくつかの漁法を行ってきましたが、
原作をプレイしているとこの一本釣り漁業はちょっと特別なものであることが分かります。
「ああ、これぞ漁」というインパクトは確かにありますよね。
わたしは実際に一本釣りを見たことはありませんが、
ドキュメンタリー番組などで見かけるカツオ一本釣り漁は物凄い迫力ですよね。
針を入れた傍から釣れる光景には息を飲むものがあります。
ああいう風に入れ食い状態になるのはカツオの習性を利用した方法なんだとか。
興奮状態になったカツオは動くものをなんでも飲み込もうとするらしいですね。
ドラクエの世界で疑似餌などを使っているかどうかはわかりませんが、
今回のお話では実際に昔行われていた漁法を参考にさせていただきました。
(なので一応エサには生のイワシを用意しましたが)
それで、キーアイテムとなるのが「カイベラ」。
棒の先に竹の筒を半分にしたような物を取り付けた道具らしいのですが、
現在の様にスクリューの無い時代にはそれを水面に叩きつけてしぶきを起こしたそうです。
きっと大変な労力だったでしょうね。
マリベルがそれをこなす上でわたしなりに考えたのが魔力で身体を強化するという安直なものなのですが、
実際主人公たちがレベルアップして強くなるのはどういう原理なのかと考えた時に
どんなに体が丈夫になっても人には限界があると思うので、
やはりそういった謎の力を使って身体を強化していると解釈するのが無難ものかと。
みなさんはどうお考えでしょうか。
…………………
◇次回はいつもとは違った形式で物語をお届けします。
510 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:20:38.86 ID:W5dqu19v0
第16話の主な登場人物
アルス
アミット号の新人漁師。
船長の息子にして世界の英雄という立場であるが、
新入りに変わりはないため漁においては特別扱いされない。
本人もそれでよいと思っている。
マリベル
自分が網本の娘であることを再認識する。
悲しくはあるが、アルスのことを後ろから応援したいと思っている。
ボルカノ
アミット号を仕切る国一番の漁師。
一本釣り漁では誰もが見とれる腕で獲物を吊り上げる。
コック長
場合によっては甲板に出て漁の手伝いをすることもある。
サイードに砂漠の料理を教えてもらっていた。
めし番(*)
コック長と一緒に甲板へ出て獲物の処理をする。
モリ番(*)
今回の漁ではボルカノと同じように釣り役に徹する。
アミット号の漁師たち(*)
新人アルスの成長を見守る先輩漁師たち。
漁が滞りなく進むよう、流れるような動作で作業に勤しむ。
トパーズ
アミット号のお守り猫。
暇な時は寝ているか、アルスやマリベルのもとへ行くことが多い。
511 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:38:16.91 ID:W5dqu19v0
航海十七日目:ある少女の一日 / 少年の独白
512 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:42:08.12 ID:W5dqu19v0
“漁船アミット号の朝は早い”
と、言いたいところだけど、漁をしながら長期間航海を続ける漁師たちに朝も何もないわ。
もっとも、今回の航海は特別なものだからいつもとは勝手が違うんだけど。
基本的に夜通しで船を走らせている間、交代で見張りと舵取りをしなきゃいけないから、
漁師たちは寝たり、寝なかったり、その日の予定で一日の動きが変わってくるわけよ。
あたしと言えば、今日は朝から三毛猫のトパーズに扉を叩かれてコック長たちが起こしに来る前に起きちゃったわ。
まったく、人の苦労も知らないでネコちゃんってのはいい気なもんよね。
隣で寝ているんだからあいつが止めてくれればいいのに、ホント気が利かないやつ。
仕方ないから起きて着替えて、あたしがいつも作ってる猫用のごはんをあげる。
流石に人と同じようなのを与えるわけにはいかないからね。
もっとずっと健康志向な献立で体調を保ってあげるの。あたしってばなんて優しい人なのかしら。
それが終わって二度寝しようと思ったら今度はコック長たちが来ちゃうんだもの。
せっかくの睡眠時間はあっさり朝ごはんの準備時間に早変わりよ。
今日の献立は芋のサラダとトマトのスープ、それから厚切りのベーコンとトースト。
朝だけどみんな本当によく食べるから作る量もかなりのものだわ。
芋の皮むき一つとってもその数は軽く二十弱。
面倒な作業だけど隣から起きてきた奴にテキトーに任せてあたしはひたすらベーコンを焼いたわ。
燻されたいい香りが寝不足ですっかりしぼんだお腹を少しずつ元に戻して、すっかりあたしもお腹ペコペコよ。
それから日が完全に昇りきる前にそれまで寝ていた漁師たちも少しずつ起きてきて、今日の朝ごはんが始まったわ。
やっぱり海の男たちね。あれだけ用意した料理がみるみるなくなっていくんだもの。作り甲斐があるってもんだわ。
食べ終わったら交代で来た漁師の人が皿を洗い、その横でコック長とあたしが鍋を洗う。
飯番といえばもうお昼ご飯の下ごしらえを始めようとしているわ。
それから自分の仕事を済ませたら、悪いんだけどあいつのハンモックで寝かせてもらうことにしたの。
流石に調理場はうるさいし、寝てたら気を使わせちゃうからね。
それにどうせあいつはしばらく表の見張りでいないし、昨日は遅くまで付き合ってあげたんだからこれぐらい良いわよね。
ハンモックに横になろうとしたらそこには先客がいたわ。三毛猫のトパーズよ。
まったくこの子ったらあたしの睡眠の邪魔をするのが生きがいなのかしらっていうくらいね。
仕方ないから渋るトパーズを無理やり持ち上げて自分の寝場所を確保することにしたわ。
もちろん嫌そうに鳴いてたけどそんなことは知ったことじゃないわ。あたしの眠りを妨げた罪は大きいのよ。
それからしばらく仮眠をとってお昼ご飯の準備が本格的に始まる前に体を休めておくことにしたわ。
この船の上での料理は戦場なのよ。
513 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:45:13.08 ID:W5dqu19v0
日もだいぶ昇った頃に目を覚ましたあたしはとりあえず濡らした布で体を拭いてお風呂に入れなかった体をきれいにしていくの。
もちろん簡単なカーテンをかけて誰にも見られないようにね。
そもそも男だらけのこの船の中であたしってば紅一点だから普通に考えてみればかなり危ないのよね。
まあこの船に一人を除いてそんなことをする人はいないし心配はないんだけどね。
身体を洗い終わったらすぐに昼食の手伝いが始まるわ。
お昼の献立は鶏を二匹つかった香草蒸しにニンニクときのこの唐辛子パスタ、それから鶏からとれた出汁の玉ねぎスープ。
いくら途中の町や港で買い足せるからと言って船の上では食材は何一つ無駄にはできない。
過酷な旅に野営を重ねてきたあたしにとっては当たり前の感覚だけど、
いろいろと考えながら食材を使わなきゃいけないのはやっぱり難しいのよね。
そこの辺りは流石はコック長といったところかしらね。
パパや漁師のみんなが信頼を置くだけあるってものね。
なんでも今日の夕方からまた漁を始めるらしくて、男どもは競うように鶏肉に手を伸ばしては腹の中へ放り込んでいたわ。
体力付けなきゃいけないのはわかるけどもう少し味わってほしいもんだわよ。
そうこう言ってるうちに出遅れたやつが渋い顔でこっちを見てくるもんだから、
かわいそうになって皿洗いの時に差し入れしてあげる羽目になっちゃったわよ。
ホントとろいんだから、余計な世話を焼かなきゃいけなくなるこっちにの身にもなりなさいってんだわ。
昼すぎ、風に当たりに甲板に出たらボルカノおじさまが船の先端で海面を鋭い目で見ていたわ。
どうやら潮の流れを見てこの先魚がどのあたりに来るかを見ているんですって。
その横では普段は間抜け面のあいつが真剣そうな顔してその話を聞いていたわ。
あたしが後ろの方からその様子を見てるのなんてまったく気づいてないみたい。
せっかくこーんな美少女が見守ってあげてるんだから挨拶くらいしたらどうなのかしら。失礼しちゃうわ。
でも、いつもは何考えてるか分からないあいつが時々見せるあの顔はちょっとかっこいいなって思うわ。
ちょっと前まではカボチャの方が素敵だと思ってたのに、今なら素直にそう思えるんだから人って変わるものね。
いつかあいつもボルカノおじさまを追い越してエスタード一の漁師って呼ばれる日が来るのかしらね。
そしたらあたしは世界一の美少女、いやその頃には美女の方が正しいのかしら、まあいいわ。
あたしは世界一の美女にしてエスタード一の漁師の、漁師の……。
まっ、なんでもいいかしらね。
とにかくあいつには誰にも恥じない男になってもらわなくちゃ困るわ。
そうでないとつり合いがとれないものね。誰ととは言わないけど。
そんなこと考えてたらあいつがこっちに気付いて笑って呼ぶもんだから咄嗟で変な声が出ちゃったじゃない。
まったくレディに恥をかかせるなんてあいつもなってないわね。
後で仕返ししてやろうっと。
514 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:47:46.80 ID:W5dqu19v0
そうして時間を過ごしているうちにすっかり日は傾いて夕方。
甲板が慌ただしくなって漁師たちがボルカノおじさまの指示を待たずとも自主的にどんどん仕事をこなしていく。
やっぱりお互い信頼して何をすべきなのか分かってるのね。
少し緊張してるけどあいつも状況を見て自分のすべきことを見つけてなんとかやってるみたい。
昔だったらおろおろするだけで何もできなかっただろうに、あいつも随分成長したんだなって感心したわ。
もちろんあたしの進歩には敵わないけどね。
今日は海面付近で群れを作る魚たちを網で獲るらしいわ。
今まで比較的深い所の、しかも大きな魚ばかり狙って漁をしていたから返って今回の漁は新鮮味があって面白かったわ。
なんてったってあたしも投網の技術に関しては自信があったからね。
漁師たちに混じって投げるのを手伝ったりしたわ。
結局それが運よくなのかわからないけどちょうど魚の群れに当たって、正に一網打尽よ。
重たすぎて引き揚げるのが辛いくらいだったからバイキルト使っちゃったわよ。
こんなところでもそつなく対応してしまう自分が怖いわ。
投げられた網を回収して、それだけで甲板には魚の山が積みあがっていたわ。
でも問題はここからよ。
すぐにみんなお腹を出して、食材にできるものは別にしてあとは全部冷凍保存。
この作業が大変なのなんの。
なんせ何百匹という魚を一匹一匹捌いていかなきゃならないんだからそりゃ骨も折れるってものよね。
網の手入れはひとまず置いといて船の全員で片っ端から選別しては捌いて、
ある程度まとまったらあたしとあいつでひたすら凍らせる作業の繰り返し。
もう口が凍傷になっちゃうかと思ったわよ。
鮮度を保つためには仕方ないとはいえこっちの身にもなって欲しいもんだわ。
もちろん獲った魚は全部冷凍じゃなくてこれまで通り塩漬け、酢漬け、干物、コック長が小さな窯を使って燻製を作ったりしてね。
全部が全部生で出されても調理の仕方がわからないなんて人も内陸の町にはいたりするから、これも大事な保存方法なのよね。
それに、やっぱり加工するにしてもコック長みたいな料理人が作った方が美味しく仕上がるってものよね。
こっちだってこれで食べていかなくちゃいかないわけだもの、常により高く取引できるように努力を惜しまないのよ。
あたしも網元の娘としてそういうセンスを磨かないとダメね。
これまでの旅で十分身に着けたつもりだったけど、この手のことについては果てが見えそうにないわ。
まっ、それだけやりがいがあるってもんだわよね。
515 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:49:53.44 ID:W5dqu19v0
魚を処理し終わって一息つけるかと思いきやすぐさま夕飯の準備よ。
今日は昨日釣り上げたカツオとさっき獲れた魚をふんだんに使ったフルコースね。
たたきに、燻製、意外といける炒め物まで、手分けして存分に腕を振るってあげたわ。
結果は大反響。まったく、あたしってばフィッシュベルでお店が経営できるんじゃないかしらね。
コック長も飯番もそんな手もあったのかとか言って雷にでも打たれたみたいだったわ。
まあそうしたらこの船で誰が料理作るのよって話だけど。
夕飯が終わった後も漁師たちは網の手入れが終わってなかったみたいだからあたしも混じって手伝ったわ。
みんなは休んでていいって言ってくれたけど、やっぱりあたしだけが特別扱いなのも嫌だし、
何より自分だけ手持無沙汰っていうのがなんとなく許せなかったのよね。
疲れた体に鞭打って手入れを終えて、気づけば辺りは真っ暗。
もともと夜だったのはわかってたけど今日は新月だったみたいで、見上げれば月のない夜空が延々と広がっていたわ。
それで辺りを見回してみたら空をぼーっと眺めているあいつを見つけて、昼間の仕返しに後から首に息を吹き付けてあげたの。
そしたら驚いたあいつの素っ頓狂な声。
おかしかったらありゃしなかったわ。これでお相子ってところかしらね。
それからしばらく二人でどうでもいい会話をしながら過ごしてたんだけど、
気づいた時にはもう瞼がほとんど塞がってて、また目を開けた時にはハンモックに横になってたのよね。
いったいあの後どうしちゃったのかしら。
あたしのことだから死に物狂いで歩いて降りたのかしらね。
まあそういうことにしておきましょ。
でもおかしいわね。いつもバッグに隠してあるあたしだけの航海日誌を抱えたまま寝てたなんて。
いつの間にこんなもの持って寝てたのかしら。
やーねえあたしってば。
たぶん、真夜中を過ぎたぐらいだったかしら。
いつの間にか船の揺れが小さくなってどうやら港に到着したみたいね。
でも周りの物音がしないのをみると今日はこのままここで一泊するみたいね。
ま、このまま疲れた体で宿まで行く気力もなかったし、ありがたいと言えばありがたいことね。
さて、あしたはどんなことがあたしたちを待ってるのかしらね。
…………………
516 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:52:47.26 ID:W5dqu19v0
どうやら彼女はもう限界らしかった。
無理もない。
昨日は遅くまで付き合わせちゃって、今朝はいつもより早く起こされ、料理に片付け、
漁の手伝いに魚の後処理、休む間もなく夕飯の支度に網の手入れ。
途中で仮眠はとったとはいえ、彼女にとっては少々酷な一日だったかもしれない。
もっとも、過酷な旅をしていた頃はこれ以上にひどい有様だったこともあったのだが。
なんにせよ今の彼女はぼくの言葉にも虚ろで、もう半分は夢を見ているようだった。
次第に頭が下がり始め、時々はっとしては頭を振っている。
もう寝かせよう。
そう思いぼくは彼女の体を抱きとめるとそのまま脇の下から背中にかけ、
もう片方は膝の下を抱えて持ち上げ、ゆっくりと起こさないように彼女を船室の一番奥へと運んでいく。
途中で見つかった時はどうなるかと思ったけどどうやら見て見ぬふりをしてくれているようだった。
彼らには後でお礼を言っておかなければ。
調理場にあるハンモックに彼女を横たえると少しだけ彼女は目を覚まし、
かけてあった鞄の中から何かを取り出しては広げて顔に被せる。
どうやら航海日誌のようだった。
だがそれはぼくたち漁師がつける簡素で分厚いものではなく、
織り込まれた羊皮紙を何十枚か束ね、可愛らしい装飾を施した本のようだった。
まじまじとそれを眺めていると不意に彼女が寝返りを打ち、例の日誌が床に転げ落ちる。
ぼくがそれを拾おうと手を伸ばしたとき薄闇の中である一文だけが目に映った。
そこに書かれていた内容はこうだった。
“あたしはこれからあいつのために何をするべきなのか”
517 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:53:51.50 ID:W5dqu19v0
一瞬でそれは見えなくなってしまったが、
その文になんとなく彼女がここのところ見せていたどこか思い悩むような表情はこれが原因だったのだろうかと思いを巡らせた。
ぼくは彼女が一緒にいてくれるというだけでそれ以上はもう何も望まない。
だが、どうやら彼女はそうじゃないのかもしれない。
ぼくは何を彼女に無理強いするつもりもなく、ただ彼女のやりたいように楽しく生きていてくれればそれでいいと思っていたのだが。
漁についてきてくれとは言わない。
ではぼくは彼女になんと言ってやれば良いのだろうか。
こればっかりはぼくがどうこう言って解決できる問題ではないのかもしれない。
そこまで考えて日誌を拾い上げると、彼女の腕の中にそれを滑り込ませ、ぼくは厨房を後にした。
518 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:55:26.18 ID:W5dqu19v0
自分の寝床のある食堂の椅子に座って今日一日を振り返る。
朝から食事は大満足だった。
旅をしていた頃だって、乏しい食材でも彼女がよく料理をしてくれたから、
量は少なかったけど楽しくて、満足していたことには変わりない。
だけど今や彼女は豊富な食材や料理人に囲まれて思う存分にその腕を振るってくれている。
すべてにおいて文句のつけようもない。
ただ昼はみんなの食べる速さのあまりにちっとも鶏肉が食べられずじまいだった。
それでも見かねた彼女が、皿洗いをしている時に昨日の残りをこっそりくれたのが嬉しくてたまらなかったな。
それから今日は父さんに魚の群れと潮の流れのことを教わった。
この世界には膨大な種類の魚がいて、場当たりではなく一つ一つを追いかけて漁をしなければならない以上、
この勉強は漁師にとってはなくてはならない知識だ。
知識だけじゃない。体の感覚をすべて使ってその時の状況を読み、的確に動いていかなければ漁は成功しない。
少しずつ経験を積んで、ぼくもいつかは父さんを超える漁師になるために精進しなければならない。
そのためにもこうやって吸収できることはなんでも吸収していかなければ。
520 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:57:36.19 ID:W5dqu19v0
日が暮れてきた頃、漁師のみんなと一緒に今日は魚群を狙って海面付近で曳網をした。
移動しながらの漁となると漁法も限られてくるしチャンスも少ない、そこで頼りになるのがやはり父さんの目だ。
号令と共に放った網はすぐに魚群を飲み込んでずっしりと重たくなった。
引き揚げるとそこにはやはり大量の魚たちが掛かっていた。
網の目は大きめにしたあったから売り物にならないような小さな魚はかからなかったけど、それ以上に収穫は多かった。
片っ端から腹を出しては選別し、ぼくと彼女で加工しないものを冷凍していく。
それが終わった後はすぐに網の手入れだ。
複雑に入り組んでいる網はところどころ絡まったり変なものがくっついたりしている。
でもこういうものを放っておいては次に使う時にちゃんと広がらなかったり、魚が傷ついてしまったりする。
だから地道な作業だけどこの手入れだけは絶対に欠かせない大事な作業なんだ。
しばらくして夕飯に呼ばれて食堂に降りれば今日も豪勢な料理がテーブルの上に所狭しと並んでいた。
目移りしそうになりながら一つ一つ丁寧感想を言いながらに食べていく。
獲った魚が美味しい料理になって出てくるのはもちろん嬉しいし、
そうやって美味しそうに食べるぼくたちを見て料理をした3人も嬉しそうだった。
夕飯を食べ終わったらさっき終わらなかった網の手入れの続きだ。
丁寧にゴミを取り除きながら甲板に並べて乾かしていく。
切れやほつれがないか確かめながら作業を進めていたら夕飯の後片付けを終えた彼女がやってきて手伝ってくれた。
ぼくに加えて操舵や見張りをしていた人も休んでいるように言ったんだけど彼女は引かなかった。
どうやらただ乗っているだけの時間というのがなんとなく嫌ならしい。
もうこの船の誰もが彼女を網元の娘としてではなく一人の船員として見ているというのに。
いや、もしかすると漁師たち以上に彼女はこの船の上では働き者なのかもしれない。
漁師たちだけでは乗り越えられなかった困難も彼女がいてくれたおかげで突破することができた。
ぼくも彼女にどれほど助けられたことかわからない。
それくらいみんなが彼女に感謝していたし慕っていた。あの父さんですらね。
どちらかというとぼくは彼女が辛くないのか心配だった。
誰がどう見たってこの2週間はいろいろありすぎたと思う。
行く先々で事件が起こり、ひと悶着あり、魔物たちと戦う。
まるであの旅の続きをしているかのように。
それもほぼ毎日それの繰り返しで、流石に彼女も疲労が溜まっているのではないだろうかってね。
ぼくの予感は当たっていた。
作業が終わって星を見ていたら彼女がやってきて、その後、今に至る。
確かに宿に泊まったりしてるから肉体的な疲労はそこまでないかもしれないが、蓄積というものがあったに違いない。
彼女にはしばらくゆっくりしてもらいたいものだ。
521 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 23:00:03.99 ID:W5dqu19v0
そこまで考えてぼくはふと隣の厨房で眠る彼女の顔を思い浮かべた。
この航海中、彼女は今まで以上に色んな表情を見せてくれた。
怒ったり笑ったりした顔はしょっちゅう見てるけど、あんな泣き顔を見せることなんて一度もなかった。
そう、気丈な彼女はどんな辛いことがあってもあの旅の中で涙を見せることはなかった。
プライドのせいで弱い自分を見せられなかったのはあるかもしれない。
でも、よく考えてみたら彼女の涙のほとんどの原因はぼくにあるのだろう。
最初の夜も、フォロッド城でも、クレージュでも、砂漠でも。
それに最近だって大神殿で泣かれてしまった。
ああなってしまったら不器用なぼくにはどうすればいいか分からないし、ただ抱きしめて謝ることしかできない。
理由は様々だけど、ぼくにはあの彼女が涙を見せるということ自体が衝撃的なことだった。
明らかに以前の彼女とは違うのだ。
いや、もしかしたら彼女はぼくたちに隠れてこっそり泣いていたのかもしれない。
でも今は恥ずかしがることもなく涙を流している。
きっと強がらずに素の自分を曝け出すことに対して彼女の中で何か思うところでもあったのだろう。
ぼくにとってはそれが嬉しかった。
彼女とはどんな気持ちも共有していたい。
これまでどうしてあげることもできなかった心の傷に気付いてあげることができる。
抱きしめて慰めてあげることができる。
一緒に笑って泣いて、時には怒ったりして。
これから起こるどんなことでも彼女と一緒なら乗り越えていける。
そんな確信がぼくにはある。
さて、そろそろぼくも寝よう。明日は彼女とどんなことを話そうかな。
522 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 23:01:12.03 ID:W5dqu19v0
…………………
小さな船着き場へとたどり着いた船の中で、漁師たちが一人、また一人と眠りについていく。
少年は全員が寝静まったことを確認すると、食堂の卓を照らしていた小さな蝋燭を吹き消した。
真っ暗になった船内で、少年は自分の寝床で丸くなっている三毛猫を抱え、
三人分の大きないびきの木霊する中、小さな寝息を立てて眠り始めるのだった。
明日からの未来に、淡い希望を抱きながら。
そして……
523 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 23:01:43.77 ID:W5dqu19v0
そして 夜が 明けた……。
524 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 23:02:49.96 ID:W5dqu19v0
以上第17話でした。
今回はこれまでのお話の中で二人が募らせてきた想いを少しだけ語ってもらおうと、
趣向を変えてマリベルとアルスの独白という形にしてみました。
二次創作のお話を書くうえで、
どんなキャラクターにせよイメージというものが土台になってセリフなり描写なりが作られていくと思うのですが、
こういった一人語りとなるとそういうものが如実に出てしまいます。
「いかに原作に近い形で、読む人のイメージを壊さずに書けるか」
……難しいことですね。
「マリベル」という人気の高いキャラクターは勿論、
「主人公(アルス)」というプレイヤーの分身に色を付けていくというのはある種の冒険です。
描写と言えば、このSSの中では飲食の場面がたびたび登場しますが、
ドラクエの世界で食されているものがどんなものなのか
明確に描写されているところは見たことがありません。
(ただの勉強不足かもしれませんが……)
そこで悩むのは「現実世界で食べられている料理の名前をそのまま出して良いものか」ということです。
「アンチョビサンド」のようにわかりやすく名前の出ている物は良いのですが、
他にどんな料理があるのかはほとんどわかりません。
例えば、このお話では言えばペペロンチーノ一つとっても
「ニンニクときのこの唐辛子パスタ」と表現しております。
実際、「パスタ」なんてものがあるのかすらわからない以上、料理の名前を出すこと自体博打です。
「食事の描写がわかりにくい!」と戸惑われた方もいらっしゃるかと思いますがご容赦ください……。
ちなみに、前回登場した「マルサバカツオ」も勿論架空の生き物です。
…………………
◇ようやく次の目的地へと到着したアミット号。
王からの指令を受ける一行はある問題を抱え、別行動を取るのですが……
525 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 23:03:37.36 ID:W5dqu19v0
第17話の主な登場人物
アルス
漁についてきたマリベルの体を案じているが、
一方で一緒にいられる時間を大事にしようとも思っている。
少女の変化には敏感で、いろいろと思うところがある様子。
マリベル
網本の娘としてではなく、一人の船員としてアミット号に乗り込む。
日々成長するアルスのことを見守っている。
実は隠れて自分だけの航海日誌を付けているらしい。
526 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 20:57:41.51 ID:3FxrOVId0
航海十八日目:少女、城へ行く / 迷子を探せ
527 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 20:59:23.05 ID:3FxrOVId0
マリベル「あふぁ~… 良く寝た……。」
朝日が半分ほど登った頃、波に揺られる船の中で少女は眠りから覚めた。
マリベル「あら?」
いつの間にか腕に日誌を抱えたまま寝ていたことを思い出し、そっとそれを鞄に戻すと濡れた布で身体を拭きながら呟く。
マリベル「だれにも 見られてないわよね……。」
それが日誌の内容なのか、自分の体のことなのかは彼女にしかわからない。
“カシ…カシ……”
そんな中、隣の部屋から餌を催促する猫が扉を叩く音が小さく聞こえてきた。
マリベル「はいはい 待ってなさいよ。」
手短に体を清め終えると少女は猫のエサを作りながら扉の向こうに呼びかける。
漁船は昨日の真夜中のうちに港に到着し乗組員全員が眠っていたらしく、どうやらまだ誰も起きてはいないようだった。
トパーズ「なお~。」
一匹を覗いては。
マリベル「シーッ! 静かにしてよね。みんなが 起きちゃうじゃない。」
トパーズ「…………………。」
扉を開けて餌入れと共に少女が現れると途端に三毛猫が膝に飛びついて餌をねだる。
マリベル「はい どうぞ。」
それからその部屋、つまり食堂の中を見やる。
コック長「グ… ゴゴゴ……。」
飯番「…ふしゅるるる……。」
アルス「スゥ……スゥ……。」
料理人たちの間に混じって少年もまだ眠っていた。昨晩も少女と話した後、遅くまで仕事をしていたのだろうか。
マリベル「…………………。」
少女はその様子を眺めていたがしばらくして少年の毛布がずり落ちていることに気付き、そっとそれを掛けなおしてやる。
マリベル「ふふっ……。」
それから少年の頬をぷにぷにと指で押して遊び、やがて飽きると猫を抱えて忍び足で船の上へと歩き出した。
528 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:02:37.45 ID:3FxrOVId0
マリベル「まぶし……。」
甲板へやってきた少女は朝日の眩しさに思わず顔を隠す。
腕に抱いた三毛猫も眩しそうに眼をつむっている。
空にはそれなりに雲はあったが本日も概ね晴れのようだった。
マリベル「平和な朝ね~。」
トパーズ「ナー。」
辺りを見回しても人は見当たらず、閑散とした港にはカモメの鳴き声が木霊しているだけだった。
マリベル「散歩でも しようっか?」
トパーズ「なおー……。」
そう言って三毛猫を降ろし、港と呼ぶには少々小さい船着き場へと降りて辺りを散策する。
マリベル「…………………。」
トパーズ「…………………。」
“何か変わったものはないだろうか。”
そんな期待を胸に少女も三毛猫も無言で歩く。
しかし船が二隻泊まれる程度のこの船着き場にそんな興味深いものなどあるはずもなく、少女はつまらなそうに近くの係船柱に腰かける。
マリベル「なにも ないわね~。」
トパーズ「…………………。」
ため息をつく少女を他所に三毛猫は入念に辺りの匂いを嗅いでいる。
知らない土地にくれば大抵こうなるのだからおかしな話ではないのだが、それが一層少女にはつれなく見えてしまう。
マリベル「はぁ……。」
*「どうしたの?」
529 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:04:53.80 ID:3FxrOVId0
マリベル「きゃっ!」
しばらく猫の動きを目で追っていた彼女だったが、不意に後ろから呼びかけられて体が跳ねる。
アルス「あっ ゴメン 驚かせちゃった?」
マリベル「び びっくりするじゃないの!」
アルス「おはよう マリベル。」
マリベル「お… おはよう……。」
アルス「一人で散歩? あ トパーズもいたんだっけ。」
トパーズ「な~う~。」
そう言って少年は三毛猫を拾い上げる。
マリベル「ま~ね。」
アルス「今朝は よく眠れた?」
マリベル「うん。」
返事の通りもう少女の顔には疲労の様子は残っていなかった。それを見て少年は少しだけ安堵する。
マリベル「ねえ アルス。」
アルス「ん?」
マリベル「昨日 あたし あんたと話してた辺りから 記憶があいまいなんだけど どうしちゃったのかしら?」
アルス「え……と……。」
曖昧ながらも鋭い質問に少年はどう答えたものか考えあぐねる。
マリベル「……?」
アルス「そ そう! 自分で ちゃんと 部屋に戻ってったよ!」
マリベル「本当に?」
マリベル「なにか いやらしいこと してないでしょうね~。」
アルス「ち 誓ってしてません。」
マリベル「神さまに誓って 言える?」
アルス「も もちろん。」
マリベル「…あんな クソじじいに 誓って言えるようじゃ やっぱり あんた……。」
少年はまんまとはめられたようである。
530 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:06:15.60 ID:3FxrOVId0
アルス「誤解だよ! ひきょうだよ!」
マリベル「うふふ。冗談よ。」
アルス「ほっ。」
マリベル「でも 変なのよね~。いつも 鞄にしまってある に……っ!」
アルス「えっ?」
マリベル「なんでもないわっ。」
アルス「もしかして 航海日誌のこと?」
マリベル「な なんで あんたが それを 知ってるのよ!」
マリベル「あっ さては あんた あれ 読んじゃったわけっ!?」
口に出すまいと思っていた物をピタリと当てられ、少女は困惑と同時に少年にさらなる疑惑の目を向ける。
アルス「い いやいや 決して読んでないから! 本当だから!」
“一文を除いては”とは死んでも言えなかった。
マリベル「嘘おっしゃい! じゃあ 何で あれの中身が 航海日誌だなんて わかるのよ!」
アルス「い いや なんとなく……。」
実際事細かに内容を見たわけではないので厳密にはあれが航海日誌だったのかはわからない。
ただ、それらしき何かと思って口に出しただけだったのだが。
マリベル「う 嘘よね…!?」
マリベル「ま まさか よりにもよって あんたに 見られるなんて……!」
そう言って少女は頭を抱えてしまう。
アルス「ま マリベル落ち着いて!」
マリベル「ふ ふふ…… ビッグバンと ジゴスパークと マダンテ どれがいいかしら……?」
トパーズ「……!」
必死に少年がなだめるも少女は世にも恐ろしい選択肢をずらずらと並べていく。
そんな少女からあふれ出る不吉な雰囲気に思わず猫が飛び退く。
アルス「……本当に 読んでないって。」
またかと思い少年は半分自棄になって言う。
マリベル「…………………。」
アルス「いいよ もう どれでも 好きにすればいいじゃないか。」
マリベル「……信じてあげる。」
しかし少女から返ってきたのは意外な言葉だった。
アルス「え……。」
マリベル「その代わり 本当にあの後 どうしたのか 詳しく話してちょうだい。」
アルス「…………………。」
アルス「わかった。」
本当のことを話すべきか少しだけ迷った少年だったが、
真実を知りたいという少女の意を汲んで昨晩あったことを話し始めたのだった。
531 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:07:09.25 ID:3FxrOVId0
マリベル「は 恥ずかしぃ……。 そんな シュウタイ さらしていたなんて……。」
マリベル「今なら いくらでも れんごく火炎が 吹けそうだわよ……。」
少年からことの顛末を聞いた少女は両手を膝に置き、顔を真赤に染めては俯いて言う。
アルス「…でも かわいかった。」
マリベル「ふ ふんっ……。」
*「お いたいた 二人とも!」
少年の一言に少女は赤い顔のままそっぽを向いていたが、再び声のする方へと振り返る。
アルス「あ おはようございます。」
マリベル「おはよう。」
*「マリベルおじょうさん もう 朝ごはんの支度を 始めますよ!」
そこにいたのは飯番を任されている男だった。どうやら料理長から少女を呼びに寄越されたらしい。
マリベル「あら そう。わかったわ。」
アルス「ぼくも 手伝います。」
*「お 嬉しいですね! それじゃ 行きましょうか!」
トパーズ「なお~。」
それからいつものように朝食の準備を済ませ、漁船アミット号は新しい一日を迎えたのであった。
532 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:08:00.94 ID:3FxrOVId0
ボルカノ「この町が どういうところかは 大体わかった。」
朝食を終えた後、乗組員たちは今日一日の予定を会議室で話し合っていた。
ボルカノ「それで ここじゃ 誰に 締約書を渡せばいいんだ?」
だがここに来てある問題が発覚することとなったのだ。
アルス「うーん……。」
マリベル「この町も 町長って 呼べる人はいないのよね。世界一の 資産家の奥さんは 住んでるけど。」
アルス「町長がいない以上 住民会議を 開いてもらうしかないかと思います。」
マリベル「…てことは 下手をすると しばらく 滞在してなきゃ いけないのかしらね。」
*「ええっ! まだまだ 行くとこは いっぱいあるってのに 足止めか!?」
ボルカノ「…………………。」
ボルカノ「とりあえず 行ってみるしかないか。」
ボルカノ「準備ができたら 出発するぞ。今日は 荷物が たくさんあるからな!」
*「「「ウスッ!」」」
ここで話していても埒が明かない。
そう判断した船長の号令で一同は動き出し、魚の詰まった木箱を抱えてすぐ北に見える町へと歩き出したのだった。
533 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:09:36.67 ID:3FxrOVId0
*「ようこそ ルーメンの町へ。こんな片田舎に 旅のお方とは めずらしい。」
男性が片田舎と呼んだこの町こそ、
今回の一行の目的地にしてかつて再三滅びの運命を少年たちに救われた町、ルーメンだった。
*「おや? それは…… なんと! あなたたちは 漁師ですか?」
ボルカノ「おう! この町の広場で 市を 開きたいんだが どうかね。」
*「そりゃあ みんな 大歓迎ですよ!!」
*「みんなには ぼくたちから 伝えておきますから どうぞ 始めちゃってください。」
ボルカノ「わるいな。」
そう言って男性は町の中へと消えていった。
*「しかし…… 本当に ド田舎だな。」
漁師の一人が呟く。
ボルカノ「あの調子じゃ 漁師をやってる人間も ほとんどいなそうだし ここの町とは 特に 締約を結ばなくても いいんじゃないか?」
バーンズ王からの書状には港への停泊権、国の間での漁獲量の取り決め、
近海での漁業権及び安全保障など様々な項目が並んでいたが、
そもそもここまでやってくること自体が少なく、許可を取らなければならない相手がいない以上、
反って余計な取り決めはしない方がお互いのためになるのではないかと船長は考えていた。
マリベル「あたしも そんな気が してきたわ……。」
アルス「まあまあ とりあえず よろしくお願いしますってことで……。」
ボルカノ「……あいさつだけで 良さそうだな。」
ボルカノ「よし お前ら 商品を広げるぞ! 市の 準備だ!」
*「「「ウスッ!!」」」
534 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:10:34.82 ID:3FxrOVId0
*「いらっしゃい いらっしゃい!」
*「とれたてピチピチの魚を さらに 冷凍して 鮮度そのまま!」
*「うちでなきゃ 味わえない 素材そのままのうまさだよ!」
*「うわっ 全然 におわねえ! あんちゃんこれ どうなってんの?」
*「カチコチだ! いったい どうやったんだこりゃ…?」
*「へっへっへ! すごい 技術があんだよ!」
*「おひとつ おくれ!」
*「あ あたしも!」
*「でっかい 魚…!」
*「おお これうまそうだな!」
535 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:11:45.13 ID:3FxrOVId0
アルス「ひぃ ひぃ……。」
マリベル「ふぅ ふぅ……。」
マリベル「なんてことなの! あれだけ あった 魚が 飛ぶように売れたわ…!」
少女の言葉通り、町の中心に並べられた大量の魚は噂を聞きつけた住人たちによってあれよあれよという間になくなり、
今ではカツオの切り身ぐらいしか残っていない。
アルス「すごい 盛況だったね!」
ボルカノ「まさか ここまで 売れるとはな……。」
船長や漁師たちもあまりの客の殺到具合に少し引き気味。
マリベル「しっかし 魔王が現れたとかいって みんな 家の中に ひきこもってたっていうのに いなくなったとたん こんなに活気づくなんてね……。」
少女が辺りを見回して言う。
確かに町の中は依然とは比べられないほどに活気づいていた。
町の中を歩く人々の顔も明るく、どこか楽しそうに見える。
アルス「それだけ 抑圧されていたってことだろうね。」
マリベル「ま おかげさまで きれいに売れたし あたしたちから言わせれば 文句はないんだけどね。」
少女の言うようにいつの間にか木箱の中はゴールドでいっぱいになっていた。
普段のアミット漁でもこれほどの利益をあげることはなかなかできないためか、漁師たちもホクホク顔で頷いている。
ボルカノ「それで これから どうするかだ。」
ボルカノ「思ってたよりも 要件が 早く片付いちまったし 午後は 解散しようと思うんだが。」
マリベル「ああ それなら あたしは ちょっと 王さまに会ってこようかしら。」
ボルカノ「ん? どうしてだい?」
少女の突然の言葉に船長は思わず首をひねる。
マリベル「この町のこととか 王さまに 先に報告しておいた方が 安心して 航海が続けられると思いまして。」
アルス「ぼくも 行こうか?」
マリベル「ダメよ。あんたは ここで みんなに 漁のことを 教えてもらってなさい!」
アルス「わ わかったって……。」
ボルカノ「助かるぜ マリベルちゃん。」
マリベル「うふふっ お任せくださいな。」
アルス「…………………。」
本当は少しでも一緒にいたいという気持ちを抑えて少年は黙り込む。
マリベル「…ふっ……。」
そんな少年の気持ちに気付きながらも、少女は少年の漁師としての向上のために心を鬼にするのだった。
536 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:13:04.89 ID:3FxrOVId0
*「これはこれは マリベルどの!」
*「おや? アミット漁は もう 終わったのですか?」
昼頃になり一行が市場をたたんだ後、少女は一人故郷の島にある城へとやってきていた。
マリベル「いいえ。実は うちの船が立ち寄っている町のことで 王さまに お話があるのよ。」
*「そうでありましたか! 王さまは 謁見の間におわします。どうぞ お進みください。」
マリベル「ありがとう。」
番兵たちに通され、三階にある謁見の間を目指して少女が階段を上っていると何やら婦人の話し声が聞こえてきた。
*「大丈夫だって! きっと お父さまなら あなたのこと わかってくれるはずだわ!」
*「うう… そ そうでしょうか……。」
マリベル「……?」
*「あ マリベル!」
なにやら込み入った話をしていた二人だったが、
こちらの姿に気付くと片方の可愛らしい少女が来訪者の名前を呼んで掛けてくる。
マリベル「リーサ姫?」
リーサ「どうしたの? あ もしかして アミット漁が終わったのね?」
マリベル「いいえ。実は ある町のことで 王さまに お話がありまして。」
リーサ「まあ そうだったの? それより 聞いてよ この人がね……。」
*「お お待ちくださいまし! やっぱりわたくしは……。」
リーサ「いいじゃない! この際だから マリベルにも 話してあげて?」
*「…は はい……。」
537 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:16:00.23 ID:3FxrOVId0
マリベル「それで 王さまに 想いを伝えたい…と。」
少女は婦人のバーンズ王に対する熱い思いを聞き、一言でそれをまとめる。
リーサ姫「そうなの。」
*「何度も何度も 打ち明けようと 思ったのですが 結局 今の今まで できずに……。」
婦人は瞳を閉じてため息をつく。
マリベル「…………………。」
マリベル「まあ 話してみないと 何も 先に 進まないんじゃないのかしら?」
*「それは そうなのですが……。」
マリベル「リーサ姫は どう思って いらっしゃるんですか?」
いくらこの婦人と王が上手くいったとして、
亡き王妃との間の娘である姫が首を縦に振らなければその後王家が揺るぐ可能性も出てくるだろう。
そう考えて少女は本人に確かめることにした。
リーサ姫「私は いいんじゃないかなーと 思ってるの。」
リーサ姫「お父さまは お母さまが亡くなってから もう ずっと 一人で 私やお兄さまのことを 育ててくれたんだもの。」
リーサ姫「アイラが来てくれたとはいっても やっぱり どこかで寂しいと 思ってるに違いないわ。」
リーサ姫「それに 家族が 増えたら 私も 嬉しいなって……。」
それが彼女の本心なのかはわからない。ただ、自分の父親やこの婦人のことを思って言っているということは伺えた。
マリベル「そう… そうですか……。」
マリベル「アイラは?」
リーサ姫「アイラも 応援してるって 言ってたわ。」
どうやらもう一人の王女もそれについては否定していないようだった。
*「でも… もし ダメだったら……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「一つ いいですか?」
*「……なんでしょう。」
マリベル「わたしは これから わたしたちの国の 王妃になる人が そんな風に いつまでも うじうじしている人だったら 耐えられないわ。」
マリベル「そのことを はっきりと 覚えておいてくださいね。」
煮え切らない婦人に対して少女は釘をさす。
リーサ姫「マリベル……。」
マリベル「わたしから 言いたいことは それだけです。」
マリベル「それでは わたしも 王さまに お話があるので これで失礼しますわ。」
それだけ言うと少女は踵を返して三階へ続く階段をつかつかと上って行ってしまった。
*「あっ……。」
*「…………………。」
538 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:17:35.86 ID:3FxrOVId0
大臣「おお マリベルではないか!」
階段を登り切ったところで国王を補佐する大臣が少女を見つけ歩み寄ってきた。
マリベル「こんにちは 大臣。締約書のことで 王さまに お話があるの。」
大臣「そうであったか。ささ では こちらへ。」
そう言って大臣は少女を玉座の前まで案内する。
バーンズ王「よく来てくれた マリベルよ。また 何か 起こったのか?」
マリベル「こんにちは 王さま。さすが お察しが よろしくって。」
少女は微笑んで挨拶をする。
バーンズ王「まあ そうでもなければ わざわざ アミット漁の途中で ここまで きたりせんじゃろう。」
マリベル「そうなんです。実は……。」
[ マリベルは 事情を説明した。 ]
バーンズ王「ふうむ。そうか……。」
マリベル「ですから ルーメンは あいさつだけで 済ませようかと 思うんです。」
マリベル「漁にしたって あそこまで 行くことは ほとんど ないでしょうし……。」
バーンズ王「うむ わかった。では その ルーメンについては また しかるべき時がきたら 使いをよこすとしよう。」
マリベル「わかりました。それから こちらが これまで 預かってきた 各国や町からの書状です。」
[ マリベルは 預かった書状を バーンズ王に 手わたした! ]
バーンズ王「ご苦労だったな。それに 領海内での 安全保障の項については わしも 盲点じゃった。」
バーンズ王「ありがとう マリベルよ。」
マリベル「もったいない お言葉ですわ 王さま。」
バーンズ王「これからも アルスや ボルカノを 頼んだぞ!」
マリベル「は はい!」
バーンズ王「では 引き続き 気を付けてな。」
539 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:19:52.90 ID:3FxrOVId0
マリベル「あら?」
王との謁見を終え、階段を降りてきた少女の目の前には先ほどとは別の人物が立っていた。
アイラ「あら マリベルじゃない!」
それは先ほど少女が名前を口にしたばかりの、元ユバールの踊り子にしてこの国のもう一人の王女だった。
マリベル「アイラ! 元気してた?」
お互いの顔を見ると二人は駆け寄り軽く抱き合う。
アイラ「あたりまえよ! マリベルこそ 慣れない 漁船での生活で 苦労してるんじゃない?」
マリベル「ううん けっこう たのしくやってるわよ。」
アイラ「そう それなら いいんだけど。」
アイラ「それよりも 聞いたわよ~ アルスとのことっ!」
マリベル「えっ…!!」
まさか王女がそのことを知ってるとは思わず少女は“アストロン”をかけられたかのように固まって動かなくなる。
アイラ「マリベルも 隅に置けないわねー あんなに 素直じゃなかったのに!」
マリベル「ちょ ちょっと アイラ…!」
王女は意地悪そうな笑みを浮かべる。
アイラ「あら ちょっと からかいすぎたかしら。ウフフっ。」
マリベル「もうっ!」
なんとも楽しげに笑う王女に少女がかわいらしく抗議する。
アイラ「で ちゃんと 彼とは うまくやってるの?」
マリベル「っ…… うん……。」
あの夜以来いくつもの困難を乗り越えながら二人は順調に互いの距離を詰めている。
そんな気が少女もしていたため、なんとか王女の問いかけにも答えることができた。
アイラ「あーあ うらやましいな マリベルは。」
マリベル「えっ?」
唐突な言葉に思わず少女は下がっていた目線を上げる。
アイラ「あんなに 素敵な人 滅多にいないもの。そんな人と結ばれた マリベルは 幸せ者よ。」
王女はどこか寂しそうな、なんとも言えない表情をしていた。
マリベル「アイラ……。」
アイラ「でも 安心しちゃダメよ? きっと 世界中の美女が 彼を狙っているに違いないから。」
マリベル「っ… も もちろん 誰にも 渡さないわ! あいつのことを 全部受け止めてやれるのは 世界で あたしだけなんだから!」
マリベル「あっ ボルカノさんやマーレさんには 敵わないかもしれないけど……。」
そう言って少女は再び意気を失くして俯く。
アイラ「ふ ふふふ……。あっはははは!」
そんな少女を他所に王女は高らかに笑いだす。
マリベル「アイラ……?」
アイラ「やーっぱり あなたには 敵わないわね マリベル。」
アイラ「これなら どんな人が 彼に言い寄ったって 大丈夫そうね。 安心したわ。」
そう言って王女はまなじりに溜まった涙を拭いて微笑む。
540 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:21:02.59 ID:3FxrOVId0
マリベル「アイラ……。」
アイラ「そうそう そういえば さっきここにいた おばさまだけどね。」
アイラ「マリベルに ありがとうと伝えておいてください ってさ。なんだか 晴れ晴れとした 感じだったわよ。」
マリベル「……そう。」
先ほどの婦人はきっと本当に決意したのだろう。
国王の答えがどうかはさておき、結果を聞ける日がそのうち来るのだろう。
そう思い少女は瞳を閉じて微笑む。
マリベル「あっ そうだ アイラ お昼ってもう 食べちゃった?」
アイラ「まあね。城のお昼は 基本的に 同じ時間だから……。」
マリベル「そっか……。」
アイラ「いいわよ。食後のデザートでも 食べようかと 思ってたから!」
そう言って王女は片目を閉じてウィンクする。
マリベル「ホント!?」
アイラ「たまには 二人だけで 城下町を 歩きましょうよ! あ リーサも連れていく?」
マリベル「賛成っ! リーサ姫の 恋愛事情とか 聞きたいもの!」
アイラ「うふふっ あんまり 期待できないと 思うけどね。」
こうして少女たちは姫を連れて楽しそうに昼下がりの城下町へと繰り出すのであった。
王女二人に英雄の美少女という取り合わせに城下町は大いに盛り上がったとかなんとか。
541 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:21:53.45 ID:3FxrOVId0
アルス「どうして こうなったんだろ……。」
そんな少女たちが会話に華を咲かせている頃、少年はとある“困ったこと”に苦心していた。
*「いやー まさか こんなことになるとはな。」
漁師の一人が苦笑して呟く。
元はと言えば“モンスターおじさんの運営するモンスターパークがある”と
町人に聞いた漁師の一人がそこへ行こうと提案したことから始まった。
食材の調達も済み、次の目的地までそう離れていないことから今日はいとまにするということもあって、
誰も反対することなく見物へとやってきたのだったが、どうやら間が悪かったようだ。
ボルカノ「メタルスライムっていうと この前 会った 体がブヨブヨしてる 金属の魔物のちっこいのだろ?」
アルス「うん……。」
遡ること数刻前。
…………………
542 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:22:38.97 ID:3FxrOVId0
*「おお お前さんか!」
*「モンスターたちから 話は聞いておるぞ! 魔王を 倒してくれたそうじゃないか!」
*「モンスターたちを代表して わしからも 礼を言わせてもらうよ。」
アルス「いえいえ とんでもない。」
*「むむ どうやら お仲間さんがいっぱいのようじゃな。」
アルス「今日は みんなで 遊びに来たんです。」
*「そうか。きっと モンスターたちも 喜ぶじゃろう……。」
*「…………………。」
アルス「どうか したんですか?」
*「うーむ 実はのう……。」
…………………
543 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:23:44.72 ID:3FxrOVId0
アルス「行方不明の メタルスライムを 探せ…か。」
そう、モンスターじいさんの言う“困ったこと”とは
つい先日まで山地にいたはずのメタルスライムが姿を見せなくなったということだった。
コック長「そんなに すばしっこいというやつを わしらが 見つけられるんじゃろうか。」
アルス「みんなで 手分けすれば もしかしたら 見つかるかもしれません。見物がてら みなさんも 探してみてください。」
ボルカノ「それじゃ 夕日が沈む前にここに 集合だ。いいな。」
*「「「ウスッ!」」」
アルス「ここの魔物たちは みんな 人間に対して 友好的です。」
アルス「あんまり 怖がると 向こうが 悲しむかもしれませんので みんな 楽しんできてください。」
*「おうよ!」
こうして一行はそれぞれ好きな場所へと移動しながら行方知れずのメタルスライムを探すことになったのだった。
544 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:25:05.08 ID:3FxrOVId0
ダークパンサー「ガウッ ガウッ!」
オニムカデ「プギー! プギー!」
*「お おう…。」
*「ホントに 魔物が いっぱいいるんだな……。」
草原地帯へとやってきた漁師たちが早速魔物と対面して面食らっている。
スライム「ピキー!」
*「お こいつって アルスの言ってた メタルスライムじゃ ねえのか?」
*「よく見ろ 色が 青じゃねえか。たぶん 普通のスライムだろ。」
スライム「おじさんたち だあれ? ぼく スライムだよ!」
*「うおっ!」
*「驚いたな おまえさん しゃべれるのか!」
スライム「ぼくだけじゃないよ! ここには 人と話せる魔物が いっぱいいるんだよ!」
*「こりゃ 思ったより 楽しめそうだな。」
*「だな。いろんなやつと 話してみようぜ。」
*「見ろよ! このワンコ 首が二つあるぜ!」
バスカービル「くううーん……。」
もはや迷子探しをそっちのけで漁師たちはモンスターパークを満喫し始めてしまうのだった。
545 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:25:46.34 ID:3FxrOVId0
アルス「そっか ありがとう。」
エイプバット「いいってことよ またなんかあったら 飛んでいくぜ。」
アルス「よろしくね。」
メタルスライムと聞いて真っ先に少年がやってきたのは山地のエリアだった。
最後に来た時にもあの怖がりなメタルスライムはそこにある洞くつで見かけたからである。
しかしどの魔物に尋ねても見かけていないという話だった。
ボルカノ「そうか じゃあ ここには もういないかもしれないのか。」
少年についてきた父親が腕を組んで言う。
アルス「そうみたい。他を探そうか。」
ボルカノ「その メタルスライムってやつに 仲間はいねえのか?」
アルス「心当たりは いくつか あるんだけど……。」
ボルカノ「じゃあ しらみつぶしに 回っていくとしようぜ。」
アルス「うん。」
こうして少年とその父親は観光に耽る漁師たちを放って律儀に一か所一か所回っていくことにしたのだった。
546 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:27:55.64 ID:3FxrOVId0
スライム「あっ アルスさんだ! こんにちは!」
アルス「やあ 迷子のメタルスライムを 探してるんだけど 知らないかい?」
スライム「プルプル… ぼく わかんないや。」
アルス「そっか。」
*「ホイミ!」
[ アルスの キズが 回復した! ]
アルス「……ありがとう。」
*「…………………。」
*「……知りませんね。」
*「知らんなあ わしの 部下じゃないからのー。」
*「やっぱり メタルはゴールドには 勝てないさ!」
*「…………………。」
[ スライムタワーは グラグラしている! ]
*「ぴ? ぴるる?」
*「それより ボクを みがいてかない?」
*「そんなコ いたんベスか?」
*「ピキー!」
*「はぐれメタル ナラ ワカルケド……。」
*「ピュキー!」
*「ピキュキュ?」
*「プルプル…… フルフル……。」
*「ギギ…… ワタシハ ハンター…… メタルハンター……。」
アルス「まさか もう やっちゃった?」
メタルハンター「ヤッテナイ……。」
メタルキング「ブヨヨ…。」
アルス「う~ん。」
ボルカノ「何言ってるか さっぱりわからんな。」
メタルライダー「なに? メタルスライムが 消えただと?」
メタルライダー「それは 由々しき事態だが 残念ながら わたしも 見てはいないな。」
メタルライダー「なあ 相棒よ。」
*「…………………。」
547 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:30:01.85 ID:3FxrOVId0
ボルカノ「結局 どこにもいなかったな。」
アルス「はぁ……。」
日がちょうど地平線に足を付けた頃になっても件のメタルスライムが見つかることはなかった。
途方に暮れた少年と父親は諦めてパークの入口へと戻り、漁師たちの帰りを待つばかりだった。
*「探すには 探しましたけど 見つかりませんでしたぜ。」
*「びっくらこいたぜ。あんな でっかい 魔物がいたなんてよ!」
*「そっちも ダメだったのか。」
戻ってきた漁師たちも手掛かりは掴めなかったようだ。
コック長「マリベルおじょうさんも 心配してるだろうし そろそろ 町に 帰らないか。」
*「そうですねー。」
パークの経営者には結局見つからなかったと報告して帰るしかない。
そう誰しもが思った時だった。
*「あら みんな ここにいたの。」
548 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:31:34.00 ID:3FxrOVId0
アルス「えっ!」
後からした声に少年が振り向くとそこには昼間別れたはずの少女が立っていた。
その胸には銀の光沢のあるスライムを抱えている。
マリベル「まったく 情けないわね~。みんなして どこ探してたわけ?」
アルス「マリベル どうしてここに……?」
アルス「それに その子は……。」
少年が震える指先でそれを指す。
マリベル「ああ さっき 城下町から戻ってきたんだけど みんな船だけ残して どこにも いないんだもん。どうせ ここだろうと 思ってね。」
マリベル「それで モンスターじいさんに 話を聞いたら この子が 行方不明だって聞いてね。砂漠で 見つけてきたわけよ。」
メタルスライム「ピキー!」
少女の言葉にそのスライムは元気よく鳴き声を上げる。
アルス「え でも 確かに 砂漠は 探したはずなんだけど……。」
マリベル「メタルブラザーズは 見たのかしら?」
首を捻る少年に少女は問いかける。
アルス「も もちろん! でも それしか いなかったから……。」
マリベル「は~ あっきれた。もう よく見なさいよ! メタルブラザーズは3匹でしょ!」
マリベル「むしろ 4匹のやつがいたら 是非 教えてほしいもんだわよ。」
アルス「あっ!」
少年の脳裏には普段は絶対に崩れない形がいつになくグラグラしているメタルブラザーズの姿が浮かんでいた。
マリベル「へんだと思って 話してみたら すっかり仲良くなっちゃって 遊んでただけですって。」
マリベル「ねー。」
メタルスライム「…ナカヨシ!」
*「な なんて 人騒がせな……。」
*「ほえ~。」
アルス「…………………。」
感想をあげる漁師たちを他所に少年は口を半開きにして呆然と立ち尽くしている。
マリベル「さ はやく おいき。」
メタルスライム「ピキー! マリベル モ スキー!」
マリベル「もう一人の 友達が 山で待ってるわよ?」
メタルスライム「ピ ピキー! ボク モウ イクネ!」
マリベル「今度 遊びに行くときは 誰かに 言っておくのよ!」
メタルスライム「ワカッタ! アリガト! アリガト!」
549 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:32:17.47 ID:3FxrOVId0
マリベル「さ あたしたちも 帰りましょ!」
無事案内人にメタルスライムを預け、少女は一行に町への帰還を促す。
ボルカノ「そうだな。」
*「けっこう 楽しかったなー!」
*「腹減ったぜ……。」
*「はやく 宿に 行きましょうよ!」
コック長「どれどれ この地方の味を もっと 確かめるとしようか。」
アルス「…………………。」
マリベル「なーにやってるのよ アルス。」
一行が動き出しても固まったままの少年を少女が呼ぶ。
アルス「…えっ……?」
マリベル「いつまで 固まってんのよ! 早くしないと 置いてっちゃうわよ?」
アルス「…ぼくの 半日は いったい……。」
それでも尚、少年は青い顔で呪詛でも唱えるかのようにぶつぶつと呟いている。
マリベル「もうっ わかったから! ほらっ。」
アルス「あっ……。」
いつまでも視線の定まらない少年に痺れを切らして少女が手を引く。
マリベル「うじうじしてると かわいい 女の子が いなくなっちゃうわよ~。」
アルス「は ハハハ……。」
そんなことあってはたまらないと言わんばかりにから笑いすると、少年は諦めて少女に歩調を合わせて進みだす。
マリベル「で 久しぶりのパークは どうだった?」
アルス「うん それがね……。」
そんな他愛もない会話をしながら二人は少し前を行く漁師たちの背を追いかけていくのだった。
550 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:33:10.41 ID:3FxrOVId0
マリベル「ふう… やっぱり 自分で作る料理より 誰かに作ってもらった方が 楽でいいわよね~。」
宿で食事を済ませた一行は思い思いの時間を過ごしていた。
早々に横になる者、散歩に行く者、さらに食事をする者、酒を交わして仲間との会話に盛り上がる者。
そんな中に少年と少女も混じっていた。
アルス「やっぱり たいへん?」
マリベル「あたりまえよ。一人二人の量とは わけが 違うんだからね!」
少女がカウンターに頬杖をついて愚痴をこぼす。
マリベル「アルス あんた たまには あたしの代わりに 料理作ってよ。」
アルス「う うーん あんまり 自信ないな……。」
その隣で少年が頬を掻く。
マリベル「そんなこと言ってたら いつまでたっても 上達しないわよ?」
アルス「ちょっとは 練習してるんだけど……。」
マリベル「うふふっ 偉いわ アルス。ちゃんと 言いつけを 守ってたのね!」
アルス「とは言っても うちじゃ 母さんが 作ってくれるから なかなか 機会がないんだけどね。」
マリベル「じゅうぶんよ。それに マーレおばさまの横で 見てるだけでも 勉強になるんじゃないかしら。」
アルス「まあね。でも 母さん 手際が良すぎて 何やってるのか あんまりわからないんだけどさ。」
マリベル「……その分じゃ あたしが 料理を作らなくてもいい日は 遠そうね……。」
ぼそっと本音が漏れる。
アルス「えっ?」
マリベル「なーんでもないのよっ! それより グラスが空っぽよ。」
そう言ってはぐらかすと少女は少年が飲み干したグラスを指さして言う。
マリベル「お姉さん オススメちょうだい。」
*「はいはーい。」
551 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:35:05.86 ID:3FxrOVId0
*「それじゃ あの二人は どこまで いってるんだ?」
カウンターで飲んでいる少年と少女の背中を横目に漁師たちはひっそりと俗な話で盛り上がっていた。
*「あんまり 現場は見てねえから わからんが コック長たちの話じゃ 同じベッドで 寝てたとか なんとか……。」
広間を照らすロウソクの灯りが会話に妖しい雰囲気を漂わせていく。
*「おい それって もう……。」
*「さあな。だけどよ ここのところの 仲の良さを見てると あながち 間違いじゃないかもしれねえな。」
確かに漁師たちの目から見ても“お嬢様と付き人”くらいの関係にしか見えなかった二人が、
いつの間にか“かかあ天下”のような関係に昇格したような印象を受けていた。
正確に言えばもともと仲は良かったのだろうが、今ではずっとお互いの距離が近くなりどこからどう見ても恋人に見えるのである。
それに加えて“そんな噂”を聞けば“そんな発想”になるのも無理はないことだった。
*「うぇっへっへ! しかし アルスも 隅に 置けないやつだな。」
*「まさか アミットさんの娘を めとるなんてよ! ぐへへへ……。」
*「ちょっと~?」
*「「ひぃ!」」
思わずかけられた言葉に二人の背筋が凍る。
マリベル「あたしが アルスと なんですって~?」
少女の目は座っていた。
*「お おたすけー!」
今日出くわしたどんな魔物よりも恐ろしいモンスターがそこにはいたのだった。
マリベル「おほほほほ~ 待ちなさ~い?」
こうして酒を酌み交わしながら、漁船アミット号一行は久しぶりに全員そろって宿で楽しく一晩を過ごしたのだった。
そして……
552 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:36:08.13 ID:3FxrOVId0
そして 夜が 明けた……。
553 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:37:16.61 ID:3FxrOVId0
以上第18話でした。
*「あなたたちの おかげで 私も勇気が もてるような気が してきましたわ。」
*「今夜 王さまに 私の気持ち つたえてみようかしら……。」
*「……て。たしか この前も そう思ったのに……。わたくしの いくじなし……。」
PS版のエンディングの最中、グランエスタード城で聞ける婦人の台詞です。
今回のお話ではバーンズ王に想いを寄せるそんな彼女に脚光を浴びせてみました。
その後どうなったのかはわかりませんがこのSSでは結局打ち明けていないという設定になっております。
果たしてバーンズ王は婦人の想いを受け止めるのか、それとも亡きお后への想いを貫くのか。
ある意味あの島の未来を決める大事なお話です。
どちらにせよあのエンディングの後、バーンズ王は難しい判断を迫られる日が来るでしょう。
後のことはご想像にお任せします。
そして後半に書いたのはモンスターパークでの騒動。
あれだけの魔物が同じところに集うのだからきっと魔物同士で何かいざこざが起こるだろうと考え、今回のお話を書き起こしました。
モンスターパークと言えば、PS版のモンスターパークでは台詞の前に魔物の名前が表示されますが
3DS版では“*”で統一されています。
そういったこまかい違いもあれば、新たに追加された魔物が増えているといった大幅な変更まで。
お話を書くうえでどう処理したものか迷いましたが、結局は演出の関係で折衷となりました。
ちなみに「メタルブラザーズ」は3DS版(ダウンロード石版)からの参戦です。
…………………
◇次回はクレージュから次の目的地までの短めのお話です。
554 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:39:59.67 ID:3FxrOVId0
第18話の主な登場人物
アルス
せっかくの暇な時間を有効に使おうと思った矢先、
モンスターパークでの事件に巻き込まれる。今回はいいとこなし。
マリベル
町で市を終えた後、一人でグランエスタード城へ。
懐かしい仲間や知り合いとの再会を終えルーメンへ戻る。
漁師たちが手をこまねいていた事件をあっさりと解決してみせる。
ボルカノ
息子のアルスについてモンスターパークを見て回る。
結果はほとんど徒労に終わってしまったが、本人もそれなりに楽しんでいた模様。
アミット号の乗組員たち
アルスに連れられモンスターパークへとやってくるも、
見物に忙しくて迷子探しどころではなくなる。
バーンズ王
グランエスタードを統治する王。
アルスたちに課した任務の成功はもちろん、
アミット漁の成功を祈っている。
アイラ
元ユバールの踊り子にしてグランエスタードの王女。
道中連れ添ったマリベルとは非常に仲が良い。
リーサ姫
自分のことよりも妻と息子を両方とも失ってしまった父親のことを心配している。
煮え切らない様子の婦人の背中をそっと押す。
婦人(*)
バーンズ王に想いを寄せる婦人。
募る想いをなかなか打ち明けられずに悶々としていたが、
リーサやマリベルの後押しで遂に決心をする。
モンスターおじさん(*)
ルーメンの北にあるモンスターパークを運営する心優しき男性。
行方不明になったメタルスライムのことを気にかけ、何日も探していた。
メタルスライム
モンスターパークで暮らす魔物。かなり臆病な性格。
偶然知り合ったメタルブラザーズと仲良くなり、
遊んでいるうちに行方不明扱いに。
555 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:14:33.48 ID:qDyAt+CI0
航海十九日目:つかまえた
556 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:16:10.33 ID:qDyAt+CI0
マリベル「へえ あの奥さん いなくなったんだ。」
明くる日、一行は朝日が昇るとすぐに朝食を済ませ、早々にルーメンの船着き場を出発していた。
現在はしばらく航行し、目の前には二つの大陸が見えている。
アルス「うん ブルジオさんと 仲直りするっていって それっきりなんだって。」
少年と少女は船尾に立ち、離れ行くルーメンのある島を眺めながら話をしていた。
マリベル「あの人 後悔してたもんね。いつまでも 意地はるんじゃなかったってさ。」
アルス「うまくいくと いいね。」
マリベル「どうかしら。あの ブルジオさんだもん。」
マリベル「それに きっと 息子なんて 見たら ひっくり返っちゃうわよ。」
アルス「あまりの 臭さに?」
マリベル「あまりの 汚さもね。」
*「「あっははは!」」
二人は顔を見合わせると愉快そうに腹を抱えて笑い出す。
マリベル「それにしても あの お屋敷って あの時から あのままなのかしらね。」
アルス「うーん チビィのお墓も いつの間にか 立派になってたし 一階もきれいになってたから 一度は 建て直したんじゃないのかな。」
マリベル「…かもね。」
マリベル「そうだ アルス チビィのかたみって 持ってる?」
アルス「うん。」
そう言って少年は袋の中から虫のような形をした琥珀色の塊を取り出す。
マリベル「…………………。」
少女はそれを見つめ、やがて目を伏せた。
アルス「どうしたの?」
マリベル「…………………。」
マリベル「……大切な人のために 命を張ろうとするのって 人だけじゃないのよね。」
アルス「…………………。」
思ってもみなかった言葉に少年は目をぱちくりさせる。
マリベル「今だったら チビィやロッキーの気持ちも 痛いほどわかるわ。」
マリベル「あたしもね きっと いつか そういう時が 来るのかもなって。」
アルス「マリベル……。」
マリベル「それがパパなのか ママなのか ……あんたなのかもしれない。」
マリベル「それでも きっと あたしは その時 満足して 死んでいけるんだろうなって。」
マリベル「前は 誰かのために 死ぬなんて 真っ平ごめんって思ってたわ。」
マリベル「でも 今は 違う。」
マリベル「どこかで みじめに野垂れ死するでもなく 欲望の限りをつくした後でもなく 大切な人のために 死んでいけるなら それも悪くないかなってさ。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ごめん。いまのは 忘れてちょうだ……っ!」
アルス「…………………。」
557 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:17:28.84 ID:qDyAt+CI0
言葉を遮って少年が少女の体を優しく抱きしめる。
マリベル「あ アルス……?」
アルス「させないよ そんなこと。」
マリベル「えっ?」
アルス「死ぬときは一緒って 言ったのは きみじゃないか。」
アルス「きみは どんなことがあっても 生き延びて 幸せに生きるんだ。いいね?」
マリベル「…………………。」
マリベル「ふふっ 一本取られたわね……。」
ささやく少年の言葉に心地よさと嬉しさ、そして少しだけの哀しさを覚え、少女はそっと瞳を閉じる。
“自分がいなければ何もできない”
そんな風に思っていた少年がいつの間にかこんなに強く、大きくなったのに対して
自分はこの少年なしでは生きていけなくなってしまった。
そんな風にすら思えたのだ。
*「あのー……。」
*「「ギャッ!!」」
いつの間にか二人の前に立っていた男に声をかけられ二人は毛を逆立てて飛び退く。
*「お楽しみのところ 悪いんですけど マリベルおじょうさん そろそろ お昼の準備をしますよ。」
マリベル「あ え… ええ わかったわ……!」
アルス「そ そっか それじゃ また 後でね!」
マリベル「うん……。」
空気を読まない飯番の男に促され、少女は甲板を降りて行った。
アルス「び ビックリした……。」
*「アルスさん アルスさん。」
アルス「は はい?」
*「今夜にでも マリベルおじょうさんとの アツイ話 聞かせてくださいよっ。」
アルス「え………………。」
*「楽しみにしてますからね!」
それだけ残して固まる少年を尻目に料理人はそそくさと調理場へと向かっていってしまった。
アルス「…ま まいったな……。」
そうして少年はふらつく足取りで見張りへと戻るのだった。
558 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:19:01.35 ID:qDyAt+CI0
ボルカノ「しかし 助かったぜ。もしかしたら この先も そういう町や村が あるかもしれないからな。」
今は昼時、一行は交代で食事をとりながら少女が交わした国王とのやりとりついて話していた。
マリベル「お役に立てて 嬉しいですわ。」
配膳が終わり自分の食事に手を付けたばかりの少女が微笑む。
アルス「この先の目的地で 同じようなところは あったかな?」
マリベル「どうかしら…… ううん。一応は 大丈夫なんじゃないかしら。」
ボルカノ「それなら 安心だ。ただ あの ルーメンの町が ちょっと 特殊だったってわけだな。」
*「たしかに 町長もいない 町なんて 珍しいっすよね。」
*「でも ハーメリアも そうだったじゃないか。」
*「あそこは 一応 アズモフっていう博士がいただろ?」
*「まあ そうだけどよ……。」
ボルカノ「とにかくだ 次は 村長がいるみてえだし とくに心配はなさそうだな。」
マリベル「温泉! 今度こそ 温泉入りたーい!」
少女が興奮気味に言う。
*「その温泉ってのは どんなとこなんです?」
アルス「……混浴の大浴場です。」
*「「「うおおおっ!」」」
*「本当か アルス!」
*「むほっ!」
*「船長! 急いでいきましょうぜ!」
ボルカノ「……お前ら 目的 忘れてないか?」
雄たけびを上げる漁師たちに思わず船長も苦笑する。
マリベル「もう やーねえ みんなして!」
マリベル「いっとくけど あたしは みんなとは 入らないからね!」
あからさまな助平心に少女も眉を吊り上げて宣言する。
*「そんな殺生な!」
*「なんてこった……。」
*「千載一遇のチャンスが……。」
漁師たちはこの世の終わりかのような顔を浮かべて嘆く。
マリベル「……ったく。」
アルス「…………………。」
559 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:20:14.03 ID:qDyAt+CI0
マリベル「まったく 男って どうして すぐそうなるのかしら。」
食事の後片付けを終えた少女は食堂で休む少年のハンモックを奪ってぶつぶつと文句を言っている。
アルス「まあまあ。みんな たぶん 冗談で 言ってるんだと思うよ。」
寝床を盗られた少年は椅子に腰かけ卓に寄りかかったまま答える。
マリベル「ホントに そうかしら?」
あの時の漁師たちの落ち込み様をみた少女には少年の言葉はにわかには信じがたかったし、
実際に少女の抱いた疑念はほぼほぼ正しいというのが現実だった。
アルス「それにしても エンゴウか…… あの時の ほむら祭は 楽しかったよね。」
少年は魔王を倒した後の凱旋で立ち寄った際のことを思い出して言う。
アルス「過去のほむら祭は ろくに 楽しんでいられなかったもんなあ。」
マリベル「まあ…そうね。お祭りって言うと うちのアミット漁ぐらいしか なかったし たまには ああいうのも 悪くないけど……。」
アルス「グランエスタードも 恒例のお祭りとか やればいいのにね。」
マリベル「……あの 何もない島で お祭りやるっていう方が 難しいんだわよ。」
アルス「そんなことないよ。水の精霊は あの島に 眠っていたんだから やろうと思えば できるんじゃないかなあ。」
マリベル「そうはいっても 水の精霊のこと みんな わかってるのかしら。」
アルス「うーん……。」
アルス「…もし 知らなくても ぼくたちが 広めていけばいいんじゃないかな。」
マリベル「…………………。」
マリベル「…面倒くさい。」
マリベル「いっそのこと 魔王討伐を記念して あたしたちを 祭り上げればいいだわよ!」
アルス「ええっ? なんか 恥ずかしいよ……。」
マリベル「いいじゃないの あたしたちは それくらいのことを したんだから。」
アルス「きっと そのうち 面倒になると思うよ?」
マリベル「どうしてよ。」
アルス「毎年毎年 お祭りのときに 主賓にされて 挨拶させられて みんなに囲まれて……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「やっぱり なしね。」
そう言うと少女は壁側に寝返りを打ってつまらなそうに大きなため息をつく。
560 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:22:17.16 ID:qDyAt+CI0
マリベル「…あ そうだ!」
かと思えば突然跳ね起きて炊事場から何かを持ってきた。
マリベル「じゃーん。」
アルス「あ それって…!」
マリベル「あたしの お気に入りのドレスよ!」
その手にぶら下がっていたのはかつてフォロッド城での事件で破かれてしまった少女の一張羅だった。
アルス「どうしたの?」
マリベル「ほら 昨日 城下町に行ってきたでしょ? その時に 偶然 同じのが 一着だけあったから 買ってきたのよ。」
マリベル「このドレスも 大人っぽくて 好きだけど やっぱり これも惜しくってさ。」
マリベル「うふふ。高かったんだからね~。」
そう言って少女は買ったばかりのドレスを両手に掲げて鼻歌を鳴らす。
アルス「たしかに それの方が マリベルって感じだしね。」
マリベル「それって 褒めてるの?」
アルス「も もちろんだよ……。」
アルス「…そ そういえば 頭巾も買ってきたの?」
マリベル「え? ええ そうだけど それが どうかしたかしら?」
アルス「いや せっかく きれいな 髪なのに また 隠しちゃうのかなって。」
マリベル「なっ……。」
少女はいつの間にか立ち上がった少年に髪を撫でられていた。
マリベル「…………………。」
心地よい感触と少年の真っすぐな殺し文句に思わず顔が熱を帯び、少女はしばらく黙り込んで思案する。
マリベル「……そうね そこまで 言われちゃ 仕方がないわ。」
マリベル「…頭巾をするのは 甲板に出た時と お料理中 だけに しておこうかしらね。」
いつもは潮風で髪が痛むのを防ぐためと周りには言い聞かしているが、
本当のところはところどころ跳ね返る癖っ毛が恥ずかしく、
隠しておきたいというのが彼女なりの本音だった。
しかしフォロッドの王太后のみならず少年にまでこう言われてしまった以上、
必要以上に髪を隠すことも、気にすることもないのではないかと、少しだけだがそんな風に思えたのだった。
マリベル「…で いつまで 触ってるのよ?」
アルス「…飽きるまで。」
気付けば少年は少女の跳ね返った巻き毛を指に巻き付かせて遊んでいた。
マリベル「…………………。」
”いったい何が楽しいのだろうか”
少年の考えることはさっぱりわからなかったが、なんだか振り払うのも惜しいような気がして、
言葉通り少年が飽きるまで少女はそうして身を預けているのだった。
561 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:24:27.14 ID:qDyAt+CI0
ボルカノ「いいか アルス 今日の漁は まさに 魚のゴキゲン次第だ。」
夕刻になってあたりが暗くなり始めた頃、漁船アミット号はまだ大陸間の細長い海域を航行し続けていた。
既に地図上ではもう少し行けばこの海域を抜け西側が開けてくるという位置に差し掛かっている。
ボルカノ「流し網っていうのは こっちから 働きかけない以上 うまいこと 魚の群れに 当たることを 祈るしかねえ。」
ボルカノ「だからこそ 時期や 潮目 天候が 大事になってくる。」
ボルカノ「少しずつでいいから しっかり 覚えていけよ。」
アルス「わかりました。」
本日行う“流し網”という漁法は“刺し網漁”に分類されるものの一つで、
一般的な刺し網漁法が帯状の網をオモリで海底に固定して通りかかる魚を捕えるのに対して、
流し網の場合は軽いオモリを使い、浮標の付いた身網を漁船が曳回して流れてきた魚を捕える漁法である。
航行を続けながら漁を行うアミット号にとっては都合の良い漁法の一つだった。
アルス「でも ここで サケが 獲れるとなると それこそ エンゴウの人たちに 配慮しなくちゃ いけなくなるね。」
そして今回の狙いはサケ。
エスタード島では馴染みのない魚ではあったが、他の大陸ではところどころで振舞われており、
ルーメンで仕入れた情報を元にこの海域で漁をすることになったのだった。
ボルカノ「まあな。ただ 他の漁場で ちゃんと育った サケが獲れるなら どこが一番の漁場か 見極めなくちゃならねえ。」
ボルカノ「今は とりあえず 確認も兼ねて しっかり やらせてもらうとしようぜ。」
アルス「はい。」
562 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:26:50.96 ID:qDyAt+CI0
*「ボルカノさん! そろそろ いいですか!」
ボルカノ「おう! そろそろ 引き揚げるぞ!」
*「「「ウスッ!」」」
船長の号令で漁師たちが少しずつ網を引っ張っていく。
*「おっ! かかってるぜ……!」
先頭で浮網を引いていた漁師が薄闇の中で魚影を確認する。
*「よっしゃ どうやら アタリみてえだ!」
*「ったく これだけ 重くっても どれだけ かかってんのか さっぱりだぜ。」
ボルカノ「気張っていけよ お前たち!」
*「「「ウース!」」」
船長の言う通り、本当の勝負はここからだった。
刺し網漁というのは、比較的水深の浅い沿岸部で海底にいる甲殻類や底魚を対象とする場合、その長さは短い。
しかし遠洋で行われる流し網漁の場合、対象は回遊魚となりその長さは数百反に及ぶこともあるという。
アミット号は漁船としてかなり大きい方だが、乗組員の人数はさして多いというわけではないため、労働力を考えてある程度規模は抑えられていた。
アルス「ふう… ふう…。」
*「ぐっ ぬぬぬ……。」
*「ふんっ ふんっ!」
しかしそれでもかなりの重労働であることに変わりなく、長期戦を強いられる漁師たちの顔には疲労の色が見え始めていた。
マリベル「お待たせ! あたしも 手伝うわよ!」
そこへ夕飯の準備を終えた少女が作業着に着替えて甲板へ飛び出してきた。
アルス「マリベル……!」
マリベル「ふふっ みんなして お疲れのようね。でも このあたしが いれば……!」
マリベル「ふんっ……!」
そう意気込んで少女は漁師たちの間に滑り込んで力強く浮網を引き始める。
*「ぬおっ……!」
アルス「は ハハハ……!」
マリベル「今日は… コック長の…特製シチューよ! 会心のでき…だからっ みんな がんばるのよっ!!」
*「こりゃ へばってらんねえな!」
ボルカノ「それ もう一息だ!」
*「「「ウスッ!」」」
563 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:28:53.64 ID:qDyAt+CI0
少女の鼓舞に気を引き締めなおした漁師たちは力を振り絞り一つ一つ確実に浮標を回収していった。
*「よしよし いい感じだ……!」
ところどころ絡んだ型の良いサケが次々と甲板へ並べられ、漁師たちに笑みがこぼれる。
*「これで 最後だ!」
そして最後の浮標が引き上げられた。
*「ぶはぁっ!」
*「うおお 終わったぜ!」
*「ちと 力みすぎたかな……。」
アルス「はっ… はっ… はあ……。」
ボルカノ「ふう……。」
長い長い揚網(ようもう)作業を終え、漁師たちは座り込んで息を整えている。
マリベル「みんな お疲れさま。」
マリベル「さっさと 処理して ひとまず 夕飯にしましょ。」
額の汗を拭いながら少女が労う。
ボルカノ「む そうだな……。」
そう言うと漁師たちはさっと起き上がり獲れたてのマスを捌き始めた。
564 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:29:48.06 ID:qDyAt+CI0
*「おお 筋子もってるぜ。」
漁師の一人が呟く。
マリベル「えっ! ホントに!」
少女が興奮気味に反応する。
アルス「マリベル ハラ子好きだったっけ?」
マリベル「何言ってんのよ。好きっていうか 美味しいじゃない!」
アルス「ま まあ そうだね……。」
ボルカノ「そうか もうすぐ そういう時期なのか……。」
すると何か思い当たる節があるのか少年の父親が顎に手を添えまじまじと見つめる。
マリベル「どうしたの ボルカノおじさま。」
ボルカノ「いや そろそろ サケも 川に帰る頃だったんだと 思ってな。」
マリベル「…この辺に 川なんて あったかしら?」
アルス「……ナイラ?」
マリベル「ええっ あんな バカでかい川に 帰るって言うの!?」
ボルカノ「いや もしかすると ここから もっと 西にある川かもしれん。」
アルス「そんな所に 川なんて あったかなあ。」
マリベル「……ははあ あそこかしらね。」
顎に手を置いて疑問符を浮かべる少年とは違い少女はそれがどこかわかったらしく、一人でうんうんと頷いている。
アルス「えっ?」
マリベル「ほら リードルートの 北から西にかけて 大きな川があったじゃない。」
アルス「…………………。」
マリベル「思い出せないの? ダメね~ まったく。」
アルス「うっ 悪かったですね……。」
*「おおい みんな 休んでいないで 手伝ってくれよ!」
ボルカノ「むっ おお すまんすまん。」
ボルカノ「ほら 二人とも 早く終わらせて 飯にするんじゃねえのか。」
マリベル「あら いやだ あたしったら。」
アルス「そうだった もう 腹ペコだよ……。」
そうして漁師の催促に我に返った三人は雑談をやめ、すきっ腹を抱えて作業に戻っていった。
空には既に月が昇り、辺りはとばりで埋め尽くされていた。
565 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:32:24.39 ID:qDyAt+CI0
マリベル「さすがに この長さは しんどいわね……。」
それから夕食を済ませた後、現在は数名で網の点検をしているのだが、
如何せん網の長さが尋常ではないのでその作業になかなか終わりが見えない。
マリベル「あんた なんか 面白い話ないの?」
アルス「えっ 急に そんなこと 言われても……。」
マリベル「…そーよねー……。」
最初から期待はしていなかったのだろうが、その顔にはハッキリ“つまらない”と書いてあった。
アルス「それを言うなら こっちの セリフだよ。」
アルス「城に行った時 なんか なかったの?」
マリベル「…そうねえ……。」
マリベル「あっ。」
少年に返され、何かを思い出したかのように少女は声を発する。
マリベル「そういえば 前から お城に 王さまがうんぬんって 言ってた おばさんがいたでしょ?」
アルス「いたいた。王さまに 片思いしてる 人だよね。」
マリベル「その人がね リーサ姫に 背中を押されてたわよ。」
アルス「えっ リーサ姫が!?」
姫がこれから自分の義理の母になるかもしれない人物を応援するなど、傍から見ればにわかには信じがたい話だった。
マリベル「そう そうなのよ。」
マリベル「それでも うじうじしてたから あたしが ビシっと言ってあげたんだけどね。」
アルス「なんて?」
マリベル「王妃になる人が そんなんでどうするって それだけよ。」
マリベル「ずいぶん 神妙な 面持ちしてたけど 後で アイラ伝いで お礼を言われたわ。」
アルス「そっか。じゃあ いよいよ 覚悟を決めたんだね。」
マリベル「まっ どうせ あの人のことだから また やっぱりダメなんです~ とか 言いそうだけどね。」
アルス「あはははっ! でも もし 王さまが真剣に考えたら 王室が また 変わるかもね。」
マリベル「は~あ もしかして あたし 面倒ごとに 加担しちゃったのかしら。」
これから先起こるだろうことを想像して少女はため息をつく。
アルス「そんなことないよ。マリベルの意見は もっともだって きっと みんな 言うと思うよ。」
マリベル「…アルスは どう思う? 新しい 王妃さまが 誕生して もし 子供が できて それが 男の子だったら。」
アルス「…きっと その子が 次の王さまに なるんだろうね。」
マリベル「そうなのよねえ。そうしたら リーサ姫や アイラの立場は どうなっちゃうのかしら。」
アルス「…わからない。でも リーサ姫も アイラも 決して 悪いようにはならないと思うけどな。」
マリベル「どうしてよ。」
アルス「もし 王子が誕生したら リーサ姫も アイラも 結婚のことで 悩まなくて済むだろうし 王さまも あの二人を 愛してるはずだから きっと 大事にしてくれると思うんだ。」
アルス「それに もし 王子が生まれなくても それはそれ。 今まで通り リーサ姫か アイラがお婿さんを もらって それで おしまいさ。」
アルス「考えようによっては エスタードの未来の 選択肢が 増えたってことになるんじゃないかな。」
マリベル「…………………。」
マリベル「いっつも あったますっからかんの ふりして けっこう 考えてるのね。」
アルス「ひどいなあ。」
マリベル「冗談よ ジョーダン。」
マリベル「…あ これで 最後ね!」
566 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:33:57.88 ID:qDyAt+CI0
話し込んでいるうちに最後の一反まで点検が終わり、少女は感嘆の声を上げポキポキという音を鳴らしながら首を回す。
マリベル「ん あーあ……。」
*「終わった……!」
*「ふいー これで 今日の仕事は終わりだな。」
漁師たちも欠伸をしながら作業を終えた達成感を味わっている。
*「見ろよ 港が 見えてきたぜ!」
アルス「本当だ……。」
漁師の言葉に北を見ればそこには灯りの付いた小さな船着き場のようなものがあった。
マリベル「ようやく 着いたわね。」
*「でも 今日は もう 遅いから 宿も 閉まってるだろうな……。」
*「ちぇー 温泉入ろうと思ったのにな。」
*「まあ いいじゃねえか お楽しみは また 明日だ。」
*「へっへっへ!」
マリベル「…………………。」
*「ご ゴホン! オレは 船長に 点検が終わったことを 伝えてきますぜ。」
*「お おれもっ!」
少女のしかめっ面を尻目に漁師たちはそそくさと甲板を降りて行ってしまった。
マリベル「まったく あれじゃ 明日は 油断できないわね……。」
舵取りを残していなくなった漁師たちの後を見つめながら少女は腕を組んで呟くのだった。
567 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:36:01.69 ID:qDyAt+CI0
それからほどなくして漁船アミット号は船着き場に到着し、朝まで休眠をとることになった。
マリベル「あーあ それにしても あたしってば 罪な女ね……。」
二人だけとなった甲板で足元に絡みつく三毛猫を見つめながら少女が呟く。
アルス「えっ?」
マリベル「なんせ 王子になれた人を 奪っちゃったんだもの。」
屈託のない笑顔で少女が笑う。
アルス「…ぼくは 王さまになんて なるつもりはないよ。」
アルス「だって ぼくは 漁師になるって ずっと前から 決めてたし それに……。」
マリベル「それに?」
アルス「王さまになったら きみと 一緒に いられないじゃないか。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ホント あんたって ばっかねー。」
アルス「むっ なんだよ……。」
少しだけ口角を上げて言う少女に少年は拗ねたように抗議する。
マリベル「あんたは 王様になんて なれっこないわよ。」
マリベル「なんたって このあたしが そんなこと 許すわけないじゃない。」
マリベル「あんたは これまでも これからも あたしのものよ。誰にも 渡してやるもんですか。」
アルス「それ 普通 ぼくの セリフじゃないの?」
あっけらかんと言ってのける少女に少年がツッコミを入れる。
マリベル「はあ? なーに 調子に乗ってんのよ。あたしは あたしのものよ。」
マリベル「ふふっ それとも なあに? あんたのものにしたいって言うの?」
勝ち誇ったように、それでいて挑発するように少女が言う。
アルス「…………………。」
押し黙る少年に尚も少女は続ける。
マリベル「それなら… 捕まえてごらんなさいな。」
マリベル「このあたしが ぐうの音も 出ないほど 良い男になって あたしをあんたのものにしてみせてよ。」
アルス「…………………。」
マリベル「……ちょっと なんか 言ったらどうなっ……!」
アルス「つかまえた。」
568 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:37:32.91 ID:qDyAt+CI0
少女はいきなり腰をがっちりと抱かれ、気づけば目の前に少年の顔があった。
マリベル「あ いや そういう意味じゃ……んっ……!」
いきなりのことに戸惑っているうちに唇を奪われ、少女は成す術なく身を預ける。
アルス「…………………。」
マリベル「…ふ……ん…… はあっ……。」
やがて唇を離すと少年は少しだけ赤い顔で少女を見つめそっと呟く。
アルス「……努力するよ。」
マリベル「……ばか。」
真っ赤に染まった少女の口からはもはやそれしか出てこなかった。
トパーズ「なーお。」
そうして言葉を失くした二人の代わりをするかのように
三毛猫が足元でつまらなそうに月を見上げて鳴くのだった。
そして……
569 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:38:13.32 ID:qDyAt+CI0
そして 夜が 明けた……。
570 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:39:51.48 ID:qDyAt+CI0
以上第19話でした。
今回はルーメンからエンゴウまでの短いお話でした。
それでもお話の中には原作をプレイしていて思ったことをふんだんに盛り込んであります。
別居していたブルジオ夫妻のこと、
ルーメンで出会った二匹の魔物を通して少女が思うこと、
グランエスタードの世継ぎのこと、
そしてマリベルがどうしていつも頭巾をしているのかということ。
とあるサイトさんでは中世ヨーロッパの人々の服装について書かれた本を紹介されていて、
その中には女性の服装の挿絵があるのですが(もちろん男性のものも)、どう見てもマリベルのソレそっくりなんですね。
きっと鳥山さんはそういった資料から登場人物の服装をデザインしていったのだと思いますが、
そうであるならばマリベル以外にも頭巾をしている女性がいてもおかしくはないと思うんです。
(マーレなんかのそれはちょっと違うと思うんですが)
何が言いたいのかといいますと、「ファッションとして片づけるにはちょっと限界があるのでは」ということです。
そこでこのお話の中では「癖っ毛が恥ずかしいから」という理由も付け加えさせていただきました。
まあ3DS版では惜しげもなく髪を晒してくれているのでなんとも言えないのですが……
その方が可愛げがありますものね。
どれもこれもわたしの想像のうちのことですが、
些細なことでも考えてみると面白いものですよね。
…………………
◇火山のふもとの村にたどり着いたアミット号。
しかしそこにやってきていたのは彼らだけではなく……
571 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:40:53.79 ID:qDyAt+CI0
第19話の主な登場人物
アルス
航海中暇な時はマリベルと話していることが多い。
自分の未来だけでなく、故郷の未来のこともよく考えている。
マリベル
人や魔物たちとの出会いと別れを繰り返し、
自分の生き方を考えることが多くなった。
城下町へ行った際にいつものドレスを入手。
ボルカノ
アミット号の船長として息子のアルスに様々な知識を教え込む。
馴染み無い魚でも果敢に漁に挑戦する。
めし番(*)
アミット号の料理人。
雰囲気をぶち壊すのに定評がある。
アミット号の船員たち
人数こそ少ないが、技量と腕っぷしでそれを補う。
パワフルな精鋭たち。
576 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:13:29.64 ID:LLGD6zi70
航海二十日目:ハダカのこころ
577 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:14:05.31 ID:LLGD6zi70
マリベル「なんか 船が 増えてない?」
朝、少女が甲板から辺りを見渡すとそこには昨晩まではなかったはずの船が数隻泊まっていた。
アルス「いつの間に 来てたんだろうね。」
隣に立つ少年も他の漁師たちも覚えがないという。
マリベル「ま まさか……。」
アルス「どうしたの マリベル 置いてくよ?」
顔色悪そうに突っ立っている少女に木箱を抱えて前を行く少年が呼び掛ける。
マリベル「えっ あ 待ちなさいよ!」
少女の中にはある懸念があったのだったが今はそれを確かめる術もなく、
少年に呼ばれて少女は我に返り慌てて駆け寄っていくのだった。
578 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:14:56.41 ID:LLGD6zi70
ボルカノ「おお こりゃ すごい 人だな。」
村までやってきた一行の目に飛び込んできたのは人込みだった。
*「……ってえと さっきの船は ぜんぶ 旅客船だったってわけか。」
*「これなら もっと 魚を持ってきてもよかったかな?」
*「いやいや フィッシュベルに持って帰る分が 減っちまうぜ。」
ボルカノ「とにかく オレたちは 村長の所に 行ってくるから おまえたち 適当に 店を広げておいてくれ。」
*「「「ウスッ!」」」
そうして漁師たちは早速持ってきた魚を並べ、店を構え始める。
ボルカノ「それじゃ オレたちも 行くぞ。」
アルス「うん。」
マリベル「…ええ……。」
アルス「どうしたの マリベル?」
どこか覇気のない返事をする少女に少年が尋ねる。
マリベル「この分じゃ 温泉も いっぱいよね……。」
アルス「…やっぱり 見られたくない?」
マリベル「あったりまえじゃないの! …はーあ 諦めるしかないのかしらねえ。」
盛大なため息をつきながら少女はがっくりと項垂れる。
ボルカノ「がっははは! また 来れば いいじゃないか。」
マリベル「……ええ……。」
生返事をしながら少女はとぼとぼと村長の屋敷を目指して歩き出す。
アルス「あ はは…は。」
ボルカノ「…………………。」
少年とその父親は苦笑いしながらそれに続くしかなかったのだった。
579 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:15:45.62 ID:LLGD6zi70
マリベル「ええっ 村長に 会えないですって!?」
せっかくの温泉への望みが絶たれ、腹いせにさっさと用を済ませて適当に休んでいこうと思っていた少女だったが、
屋敷で使用人に聞かされたのは意外な言葉だった。
*「ええ そうなんです。今は 観光客の方々との お話で 忙しいようで……。」
マリベル「こっちは ただの観光で 来てるんじゃないのよ!?」
マリベル「王さまから 預かった 大事な大事な 書状を 持ってきてるんだから!」
*「そ そうは 言われましても わたくしでは……。」
ボルカノ「まあまあ マリベルちゃん。」
詰め寄る少女をなだめすかして漁師頭が給仕人に問う。
ボルカノ「村長さんに あとどれぐらいで 話が 終わるのかだけでも 聞いてきてくれませんか?」
*「わ わかりました 少々 お待ちを……。」
そう言って使用人はすごすごと奥の階段を上っていった。
マリベル「いったい あの連中は どこのやつらなのよ……!」
少女が両手を腰に当てて眉間にしわを寄せる。
アルス「……さっきの人たち なんか いい匂いしてなかった?」
ボルカノ「んっ?」
マリベル「そういえば… どっかで 見たことあるような……。」
*「お待たせしました。」
少年の言葉に少女が何かを思い出そうとしていると先ほどの使用人が降りてきた。
*「どうぞ こちらに。」
そう言って使用人は少年たちを案内する。
マリベル「……?」
580 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:17:19.95 ID:LLGD6zi70
村長「これはこれは アルスさん マリベルさん わざわざ お越しくださったのに お待たせして 申し訳ありません。」
階段を昇ると、炎の村の長が少年たちを出迎え慌てて謝罪してきた。
アルス「いえ ほむら祭の時は お世話になりました 村長さん。」
マリベル「…………………。」
マリベル「待たせたっていうわりには その 先客が いないじゃないの。」
気にせず挨拶をする少年を横目に訝しげな表情を浮かべて少女が問う。
村長「…それが……。」
*「いや~ん❤」
*「「「…っ!」」」
表から聞こえてきた 声ともとれそうな甘ったるい悲鳴に、三人は一斉に窓の外を見る。
*「ふんがー!」
そして目をぱちくりさせる船長を他所に少年と少女は盛大なため息をつくのだった。
“アイツか……”
581 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:18:02.22 ID:LLGD6zi70
村長「メモリアリーフからの お客さんなんですが どうも あの頭首は 変な 趣味をお持ちのようで……。」
マリベル「ここまでやってきて あんなことするなんて ヘン もここまでキたのね。」
マリベル「……うっわ やだやだ。アルス はやく 用を終わらして さっさと 逃げましょうよ!」
マリベル「いつまでも ここにいたら ヘン がうつるわ!」
村長「なんでも そこが 終わったら今度は 温泉で やるんだとか。」
マリベル「……サイアク。」
アルス「…………………。」
村長「と ところで そちらのお方は……。」
なんとかこの場の空気を打破しようと村長が二人の後ろに立つ大男について問う。
ボルカノ「アルスの父の ボルカノです。この度は グランエスタード王の命で 参りました。」
[ ボルカノは バーンズ王の手紙・改を 村長に 手わたした! ]
村長「なんと アルスさんの お父上でしたか。」
そう言って書状を受け取ると村長はそれに目を通す。
村長「むっ どれどれ…… ははあ…… なるほど。」
村長「だいたいのことは わかりました。では お返事を書きますので しばらく お時間を いただけますかな。」
ボルカノ「ありがとうございます。」
ボルカノ「それと これから 広場で 魚を売らせてほしいんですが いいですかね。」
村長「お おおっ それでしたら 大歓迎ですよ。どうぞ お好きなだけ。」
ボルカノ「ありがとうございます。」
思惑はさておき、村長の快諾を受け船長は深々と礼をする。
マリベル「…ほらっ 二人とも 早く行きましょ!」
アルス「うわ 引っ張らないでよ! うわわわ……!」
ボルカノ「ぬおっ……!」
そうして一先ず用が済んだと分かった途端、少女はものすごい勢いで二人を引っ張り階段を降りていくのだった。
582 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:19:57.60 ID:LLGD6zi70
*「なんだなんだ?」
*「見ろよ なかなか 面白えじゃねえか!」
案の定、屋敷の外には見物客が集まってきていた。
荒くれの姿をした男が嬉しそうな給仕人の娘を延々と追いかけるという
村長宅のテラスで行われている奇妙な光景を目の当たりにし、周囲は大きな騒めきに包まれていた。
*「いいぞー!」
*「ねえちゃん こっち 向いてくれー!」
*「やだよ なんだい あれ。」
*「オレにもやらせろー!」
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
ボルカノ「…………………。」
そんな様子を三人は呆然と見つめる。
マリベル「…サイテー。あんなののために 温泉に 入れないなんて。」
アルス「…ぼくも 今日は 普通に宿屋で お風呂入ろうかな。」
ボルカノ「宿に 泊まれたらな。」
少年の父親は人だかりを見て今晩泊まる宿はないだろうと最初から気付いていたようだ。
アルス「……そうだね。」
少年も諦めたように肩を落とし両手を軽く上げる。
マリベル「ああ チカラが抜けてゆく……。」
アルス「おっと。」
マリベル「ボルカノおじさま は 早く 行きましょ……。」
少年に支えられて少女が絞り出すように言う。
ボルカノ「そうしたいのは やまやま なんだが……。」
そう言って少年の父親の指す先には村人に混じって歓声を上げる船員たちの姿があったのだった。
583 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:21:46.47 ID:LLGD6zi70
その後、興奮する漁師たちをなんとか落ち着かせ、
メモリアリーフの主人の奇行を横に見ながらアミット号一行は少しだけ店を開いた。
購買者は村人が多かったが、お土産にするのだといって観光客たちもそこそこに買い付けていった。
マリベル「は~あ……。」
現在は店もたたみ、今晩をどう過ごすのかを宿屋兼食事処である“温泉亭”で話しながら遅めの昼食を摂っている。
マリベル「まったく あんなのの 何がいいって 言うのかしら。」
先ほどまで繰り広げられていた光景を思い出し、少女は肺の中の空気を全て吐き出す。
*「いやいや マリベルおじょうさん あんな光景 滅多にみられるもんじゃ ないですよ。」
*「まあ もう 見飽きたけどな。」
ボルカノ「あの 頭首は いつも あんなんなのか?」
アルス「……うん。」
ボルカノ「…それで よく ハーブ園が 回っているな……。」
少年の父親がもっともな疑問を口にする。
マリベル「きっと 使用人たちが しっかりしてるからだわよ。…メイド以外は。」
少女は食べ物を口に運ぶ代わりにこれでもかと毒を吐き続ける。
*「それで 今晩は どうするんです?」
ボルカノ「空きがないいじょう 船で 寝るしかねえな。」
アルス「ぼくは 構わないけど……。」
*「せめて おじょうさんだけでも 泊まれないんすかね。」
年頃の女性に気を利かせて銛番が尋ねる。
マリベル「あら おきづかいは けっこうよ。」
マリベル「あいつらと 同じ宿で 泊まるなんて まっぴらだもんね!」
マリベル「きっと あたしまで ヘン になっちゃうわ。」
アルス「……ごくっ。」
584 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:22:19.66 ID:LLGD6zi70
*「おっ いま アルス ちょっと 期待してただろ。」
食べ物を飲み込んだからなのか、はたまた別の何かなのか。
喉を鳴らした少年を漁師の一人が茶化す。
アルス「えっ そ そんなこと ありませんよっ!」
マリベル「…… 。」
アルス「ご 誤解だよ!」
ボルカノ「わっはっは!」
*「がっはっは!」
コック長「まあ 宿は取れないが 温泉は しっかり 入らせてもらおうかね。」
*「そうですよ! ここまで来たのに もったいないですって!」
*「あとで 行こうぜ。」
*「メモリアリーフの人たちも いるかもな。」
*「バカ それが 狙いよ ぐっへっへ。」
顔を赤くする少年と少女を差し置いて他の乗組員たちは非常に楽しそうにこのあとの話をしている。
マリベル「……あんたも 行ってくれば?」
アルス「えっ?」
マリベル「あたしは 我慢するけど あんたは 平気なんでしょ?」
マリベル「遠慮しないで 行ってきなさいよ。」
アルス「…うーん……。」
決して少年の目を見て話そうとしない少女を見ながら少年は迷っていた。
確かに彼女の言う通り自分が気にすることはないので漁師たちについて行っても何ら問題はないのだが、
少女残して自分だけ楽しんでしまうのも何かが違う気がしていた。
アルス「まあ 考えとくよ。」
結局少年はそれだけ言ってお茶を濁すしかなかった。
マリベル「………はあ……。」
アルス「…………………。」
喧噪の中に紛れて吐き出されたため息を少年は聞き洩らさなかった。
585 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:23:02.60 ID:LLGD6zi70
マリベル「あーあ つまんないのー。」
漁師たちが温泉につかりに行ってしまい、一人取り残され少女は当てもなく村の中を歩いていた。
今は喧騒もなくなり、村の中は普段通りの静けさを擁している。
マリベル「男は いいわよねー 気楽でさ。」
誰に言うでもなく、自分に語り掛ける。
マリベル「あいつも 行っちゃったのかな……。」
なんとも難しい表情をしていた少年の顔を思い出す。
マリベル「…………………。」
マリベル「まいっか。…あいつの 自由よね。」
“考えとく”という言葉だけではどうするかは推測できない。
押しに弱い彼ならば誘われたら行ってしまいそうな気もするが。
マリベル「…あ……。」
そうこう考えているうちに少女は一見の店の前で立ち止まる。
“ラルドン商店へ ようこそ! うらないも できます。”
そう書かれた看板が目の前に立っていた。
マリベル「パミラさんと イルマさん 元気にしてるかな……。」
助手の方はもちろん元気であることだろう、しかし老いた占い師のことはなんとなく気になってしまう。
マリベル「…せっかくだから 顔だけでも 見ていこうかしらね。」
最後に会ってからさして時が流れたわけでもないが、ここまで来たのであれば挨拶をしておいてもいいだろう。
そんな風に思い少女は店の中へと入っていったのだった。
586 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:24:51.17 ID:LLGD6zi70
*「いらっしゃいませー! あらっ? あなたは……!」
マリベル「こんにちは イルマさん。」
少女が店の扉を開くと元気の良い声と共に一人の女性が現れた。
イルマ「マリベルさん いらっしゃってたの! もっと 早く 声をかけてくれれば 良かったのに。」
そう言って若き占い師は微笑む。
マリベル「ごめんなさいね さっきまで お店やってたから。」
マリベル「元気にしてたかしら?」
イルマ「そりゃ もちろんですよ。あれから ますます 占いの腕も 磨いたんですよ!」
マリベル「そう やっぱり 将来のパミラさんは あなたみたいね。」
イルマ「そ そんな お世辞を……。」
少しだけ照れた様子で若き占い師ははにかむ。
マリベル「あ そうだ パミラさんはどう?」
イルマ「パミラさまなら 奥にいらっしゃいますよ。ここのところ 事件もなくて 張り合いがないんだとか。」
マリベル「そう じゃあ 挨拶していこうかしら。」
イルマ「ちょっと お待ちください。」
イルマ「パミラさまー マリベルさんが お見えですよー。」
娘の呼びかけにややあってから老婆が声を返す。
*「おお マリベルか 入っておいで。」
イルマ「さ どうぞ。」
マリベル「ありがとう。」
若き占い師に促され、少女は暗い部屋へと足を踏み入れる。
*「よく きたね マリベル。また キレイになったんじゃないかい?」
すると薄暗い部屋の奥に水晶を置いて佇む人の良さそうな老婆が少女に声をかけてきた。
マリベル「パミラさんも お元気そうでなによりだわ。」
パミラ「まだまだ このとおりじゃわい。」
パミラ「それにしても 今日はどうしたのじゃ? また何か 困ったことでも あったのかい?」
マリベル「あ いや そういうわけじゃ ないんだけど……。」
パミラ「そういう割には 何か 憂いた顔をしておるのう。どうせ 悩みでも あるじゃろう。」
マリベル「えっ…?」
パミラ「隠さないで 話してごらん? それとも 占ってみせようかね?」
マリベル「あたしが 悩んでること……。」
パミラ「うむ あいかわらず 心の奥底で わだかまってることが いろいろ あるようじゃのう。」
パミラ「どれ お代は いいから 少し 見てあげるとしようかね。」
そこまで言うと占い師の老婆は助手に声をかける。
パミラ「イルマ! 少しの間 誰も とおさんでおくれ。」
イルマ「はーい。」
返事と共に入口には幕が敷かれ、部屋の中はさらに暗くなる。
587 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:28:20.77 ID:LLGD6zi70
パミラ「さて それじゃ 始めるとしようじゃないか。」
マリベル「ま 待って! あたし そんな つもりじゃ……。」
パミラ「いいんだよ。おまえさんたちには 恩があるからね これくらいの ことはさせておくれよ。」
パミラ「それじゃ カオを見せてごらん……。」
そう言って老婆は水晶を挟んで少女の顔を覗き込む。
マリベル「…………………。」
パミラ「ううむ これは…… いろんな景色が見える。それに お前さんの顔も。」
パミラ「……何やら神妙な… むっ? 満足そうな表情に 変わったようじゃ。」
パミラ「……お前さんを 囲む たくさんの人々。みんな 幸せそうじゃのう。」
パミラ「場面が 変わったようじゃ……。これは 巨大な船かのう。」
パミラ「また 変わったぞ…… こっちは荒れ狂う海 それに……。」
パミラ「…………………。」
マリベル「……どうしたの?」
パミラ「うむ…… どうやら この先 お前さんたちに いろんな運命が 降りかかる様に見える。」
パミラ「最初に見たものは どうやら その後のようじゃ。」
パミラ「じゃが そのことが お前さんの悩みと どうつながっていくのかは わしにもちとわからんのう。」
マリベル「そう……。」
パミラ「ふうむ どうやら お前さんは 数奇な運命のもとにいるように感じる。」
パミラ「あの少年もそうじゃが いったい お前さんは 何者なんじゃろうかのう?」
マリベル「……?」
パミラ「まあよい また 何か 見て欲しいことが あれば 立ち寄るがよいぞ。」
パミラ「わしは いつでも お前さんたちの 味方じゃからな!」
マリベル「……え ええ ありがとう。」
なんとも腑に落ちないものを抱えたまま少女は部屋を後にする。
イルマ「お疲れさまでしたー! どうでしたか?」
部屋の外で待機していた助手の娘が声をかける。
マリベル「…よく わからないわ。」
イルマ「そうですか… あ でも あたしは ひとつ わかったことがありますよ!」
なんとも言えない答えを返す少女に若き占い師は人差し指を立てて自信ありげに言う。
マリベル「えっ……?」
イルマ「今晩 月が てっぺんまで昇った頃 温泉にいけば いいことが あるみたいですよ!」
マリベル「真夜中に 温泉に 行くの?」
イルマ「これでも 会心の占いだと 思うんですけど……。」
頬に手を当てて娘は呟く。
マリベル「…そう ありがとう。考えとくわ。」
マリベル「ああ それから これ。」
そう言うと少女は微笑んで占い師の娘に何かを手渡す。
イルマ「えっ これは……?」
マリベル「お礼よ。また よろしくね。」
イルマ「こ こんなに…!」
マリベル「じゃあね!」
そう言って少女は店を飛び出して行ってしまった。
イルマ「こんな 大金 どっから 出てくるのよ……!?」
掌に置かれた多額の貨幣をまじまじと見つめ娘は固まるのだった。
588 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:29:26.71 ID:LLGD6zi70
マリベル「数奇な運命…か……。」
店を出た少女は先ほど老婆から言われた言葉を思い出していた。
マリベル「いろんな光景に人々…… 神妙で……満足そうなあたし……。」
マリベル「……ダメね さっぱりわからないわ。」
どんなに考えても思い当たるようなことは浮かんでこなかった。
マリベル「あーあ 温泉でも入って ゆっくり考えたいところだけど……。」
肝心の温泉は多くの人で溢れたまま。
女性だけならまだしもどうせ男性ばかりで女性が入ってくるのを今か今かと待ち構えているに違いない。
そんな風に考えたら恐ろしくてとてもではないが入る気にはなれなかった。
マリベル「ここも 有名になったら ずっと こんな感じになっちゃうのかしら……。」
そう考えると先ほど若い占い師に言われた深夜の温泉というのは少し気になるところだった。
もしかすれば深夜であれば誰にも遭遇せずに入浴することができるかもしれない。
マリベル「かけてみるか……。」
そう呟いて少女は再び当てもなく村の中を彷徨い始める。
静かになった村には件の温泉のある井戸の中から漏れた男女の楽しそうな声が響いていた。
589 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:30:40.08 ID:LLGD6zi70
*「いやあ 良かった良かった!」
*「メイドさんたちが あんなに いるとはよお!」
*「あのご主人 さまさま だったな!」
*「こんなの カミさんに 話せねえよ……。」
日も落ちた頃、温泉亭ではいろんな意味で入浴を十分楽しんだ漁師たちが口々に感想を述べていた。
*「来てよかった……。」
コック長「おまえ まだ 顔赤いぞ。」
もはや温泉の感想などではなく、混浴という事実のもたらした効能についての話題しか上がっていなかった。
マリベル「…………………。」
そんな様を少女だけが不機嫌そうに眺め、何もしゃべることなく食事に徹していた。
*「おい 食べ終わったら もう一回 行こうぜ!」
*「いいね どうせなら 温泉の効能を 存分に 楽しもうぜ!」
*「とか 何とか いって どうせ 女が目当てなんだろ?」
*「おまえだって 鼻の下 伸ばしてたくせに 何言ってんだ。」
*「へっ バレてたか。」
漁師たちは昼間の入浴に飽き足らず夜の入浴もしっかり堪能するつもりでいるらしい。
果たして裸になるのは身体なのかそれとも邪な感情なのか。
マリベル「……ごちそうさま!」
いい加減ここにいてはいつ自分まで引っ張り込まれるか分かったものではない。
そんな風に感じて少女は早々に席を立ち足早に外へ出て行ってしまった。
*「ああ マリベルおじょうさん 行っちまったぜ!」
*「くそっ なんとかして 誘おうと 思ったのによ……!」
ボルカノ「よく 考えてみろ お前たち。もし そんなことが アミットさんに 知れたら どうなったことか わからんぞ?」
そこまで来てようやく漁師頭が口を開く。
彼にとっては正直混浴などどうでもよかったが、
万が一仲間が下手なことをしては網元に申し訳が立たないと思いここは場を鎮めることにしたのだ。
*「うっ…!」
*「い いやあ おっしゃる とおりでさあ。」
*「あぶねえ あぶねえ 危うく 首が 跳んじまうところだったぜ。」
アルス「…………………。」
そんなやり取りを少年は複雑な顔で見つめるのだった。
590 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:32:16.67 ID:LLGD6zi70
マリベル「あーあ もう やんなっちゃうわ。」
一人宿を出た少女は行く当てもなく村の中をぶらついていた。
マリベル「この分だと 酒場も 混んでるわよねえ。」
そうは言ってもこのまま船に帰るのも少々癪に感じ、少女は不機嫌そうに腕を組みながら酒場へと入っていくのだった。
*「いらっしゃい! おや これは これは マリベルさんじゃないか!」
マリベル「こんばんは マスター。」
マリベル「…………………。」
適当に挨拶を交わすと少女は辺りを見渡す。
*「そんでよ ご主人ったらさ……。」
*「まったく あの人には 驚かされてばかりだぜ……。」
*「ダンスダンス ダダダン ダンスッ!」
*「ステキ……。」
店のカウンターには例のハーブ園からやってきた従業員と思わしき男たちが、
その反対側では相変わらず情熱的な踊りを見せている踊り子とそれに見入る女性が何人かいるだけだった。
マリベル「おもったより 空いてたわね……。」
*「マリベルさん 今日は 何にします?」
マリベル「何か オススメでもある?」
*「はい それでしたら 買ったばかりの ハーブで 作ったのが。」
マリベル「せっかくだから それ もらおうかしら。」
*「かしこまりました。」
そう言って店主は少女の目の前にトウキビ酒に大量のハーブを散らした薄緑色に輝くハーブ酒を差し出す。
マリベル「……いい香り。」
鼻を近づける前から鼻腔をすっきりとした爽やかな香りが突き抜けていく。
まるでバロックの橋で飲んだハーブティーを思わせるようなそれは
食後の苦しさを取り去ってくれるかのような清涼さを漂わせていた。
*「どうです? 食後には ぴったりのお酒でしょう?」
マリベル「……いいわね これ。」
“今度あのハーブ園に寄ったときはハーブを大量買いして家で作り置こうか”
そんな風に少女はぼんやりと考えていた。
*「いらっしゃいませ!」
また一人新しい客が入ってくるまでは。
591 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:33:32.09 ID:LLGD6zi70
*「あ やっぱり いらしてましたか アルスさん。」
マリベル「……アルス。」
アルス「こんばんは。」
アルス「…やあ ここだったんだね。」
少年は軽く手を上げて挨拶を交わす。
マリベル「なによ あんたも みんなと一緒に 混浴に行ったんじゃなかったの?」
アルス「……きみだけ残して 入るのも なんだかね。」
マリベル「ふん 調子いいこと 言っちゃって。」
少女は相変わらず不機嫌そうに言う。
アルス「……マスター 彼女と同じのを。」
*「かしこまりました。」
そう言って先ほどと同じように店主は手早く少年にハーブ酒を差し出す。
マリベル「どうせ あんたも 女の人の裸 見たいくせに この 。」
少女は少年の顔を見ようとせず頬杖をついたまま。
アルス「…………………。」
少年はちびちびと出された酒を飲みながら視線を天井にやり考え込む。
アルス「そういえばさ。」
マリベル「…………………。」
アルス「あの人たち 明日は 早いから 深夜は 入らないんだってさ。」
マリベル「……あっそ。」
そっぽを向いたままそれだけ返すと少女は杯を傾ける。
アルス「…………………。」
マリベル「…………………。」
二人は無言で酒を煽る。
“カラン”という氷の音が狭い店の中へ消えていった。
アルス「…本当はさ。」
しばらく押し黙ったままだった少年がポツリとつぶやく。
アルス「一緒に 入りたかったなって。」
マリベル「…………………。」
マリベル「…えっ? はっ……?」
592 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:34:40.14 ID:LLGD6zi70
少年から飛び出した突然の言葉に少女は一瞬理解が遅れ、ややあってから驚いた表情で少年の方を振り向いた。
かくいう少年は杯の中を見詰めながら少し照れた顔をしている。
アルス「いや なんでもない。忘れて。」
マリベル「ばっ ばっかじゃないの!?」
マリベル「な なんで あたしが あんたと お風呂に……。」
真赤になって少女は小さく叫ぶと再びそっぽを向いて黙り込んでしまった。
アルス「ごめん。」
短く謝ると少年は杯の中の残りを一気に飲み干す。
アルス「マスター ごちそうさまでした。また いつか。」
そう言って少年は多めのお金を置いて席を立つ。
*「ありがとうございました。」
アルス「おやすみ マリベル。」
マリベル「…………………。」
それだけ残して少年は静かに扉を開け、表へと出て行ってしまった。
マリベル「…………………。」
“バタン”という重たい音が店内に木霊し、一人の客が帰って行ったことを報せる。
マリベル「…ばかアルス。」
独りいなくなった少年に呟くと、少女は自分の中にわだかまる複雑な思いを洗い流すように残りのハーズ酒を飲み干した。
マリベル「マスター もう一杯。」
*「かしこまりました。」
店の主人は何も言わずに黙々と酒を作り始める。
そうして再び店内には男たちの楽しそうな声とステージを踏み鳴らす踊り子の靴音、
そして氷がグラスを叩く音だけが静かに響いていったのであった。
593 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:37:34.89 ID:LLGD6zi70
マリベル「…………………。」
夜も更けた頃、満天の星空の下で少女は一人、
酒で火照った身体を覚まそうと村の隅に置かれた角材に腰かけて煌々と揺らめく灯を眺めていた。
マリベル「…バカみたい……。」
少女には少年の行動がわかりかねていた。
前ならば男たちだけで温泉に浸かっていたはずの彼が今日ばかりは誰ともつるもうとせず、
それどころか少女だけが入らないからというだけで自分まで入らないと言い出す始末。
あまつさえその彼は自分と入りたいと言ってのけたのだ。
“本当はさ 一緒に 入りたかったなって。”
今まで決して彼が自分の願望をそんな形で口にすることはなかった。
それが他の男たちがむき出しにする邪な欲望だったのかはわからない。
しかしあの時少年が見せた顔はそれとは違って、どこか自分の羞恥の気持ちを隠しているように見えた。
それがますます少女を混乱させていた。
“ばっかじゃないの!? なんで あたしが あんたと……。”
思えば先ほどは驚愕と恥じらいから咄嗟であんな風に言ってしまったが、少々あれは言いすぎだったかもしれない。
自分と彼は既に恋人なのであって友達でもただの幼馴染でもない。
であれば入浴を共にするというのはさほど不自然なことではないのかもしれない。
しかしどういうわけか未だに自分の中で自らのすべてを晒してしまうことへの不安が先を行ってしまい、それを許そうとしないのだった。
たとえ相手が自分の好いた幼馴染であったとして。
マリベル「…はあ……。」
少女は基本的に相手がどう思おうが自分の思ったことはすべて言ってきたし、自分の気持ちに嘘はつかないようにしてきた。
時にはそれが人に自分を以て“わがまま”と言わしめる要因でもあったのだが、本人はそれをあまり気にしては来なかった。
今でこそ場面をわきまえられるようになったが、基本的に彼女の姿勢は変わらない。
しかしそんな彼女もあの少年と何かをしたり何かをしてもらうようなことに関しては正直に口に出せないこともあった。
様々な出来事を通してこれまでの旅も、そしてこの旅の中でも彼との距離を詰めていっていたはずだったが、
どうにも越えられない一線というものがあったらしい。
マリベル「やっぱり 恥ずかしいわよ……。」
そう言って少女は誰に見られているわけでもないのに両手で紅潮した頬を隠す。
彼にも散々正直にいろいろなことを言ってきたはずだったがこればっかりは言えない部類だったようだ。
マリベル「……ぶるっ………。」
あれこれ悩んでいるうちに気付けば体はすっかり冷え、
心地よく吹いていたはずの風はいつの間にか北風に変わり寒さを運んできていた。
マリベル「…さむい……。」
火に当たり寒さを紛らわそうとするも体の芯が冷えるような感覚に思わず身がすくむ。
マリベル「あっ……。」
なんとか暖をとれないものかと辺りを見渡した時、ふと煙の立ち上がる井戸が目に入った。
マリベル「温泉かあ……。」
“あの人たち 明日は 早いから 深夜は 入らないんだってさ。”
先ほど少年が言っていた言葉を思い出す。
マリベル「…………………。」
井戸までやって来た少女は耳を近づけて音で中の様子を探る。
マリベル「……誰も いないみたいね。」
“行くなら今しかない。”
そう思い立ち少女は急いで井戸の中へと降りて行くのだった。
594 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:39:00.51 ID:LLGD6zi70
井戸の中は温泉の湧き出る音だけが木霊し、他には何も聞こえなかった。
マリベル「…………………。」
少女は目を凝らして辺りを確認する。
マリベル「……やった!」
奥の隅々までつぶさに観察したが確かにそこには誰もおらず、少女は思わず握り拳を作る。
マリベル「今のうち 今のうち……!」
そう言って少女はドレスを脱ぎ、近くにあった籠にまとめると浴巾(よっきん)を体に巻きつけて湯へと近づいた。
その時だった。
*「…いやあ 外は冷えるなおい。」
*「ホントだよな! もういっぺん 入っていっちまうか!」
マリベル「…っ!」
“しまった!”
どうやら二人組の男が井戸の手前までやってきているらしい。
自分の後に誰かが来る可能性などすっかり頭から抜け落ちていた少女は慌てて踵を返す。
このままでは湯に浸かれないどころか布越しとはいえ自分の裸体を見られてしまう。
そんな焦りから思うように濡れた床の上を走れず、少女は泣きたい気持ちになった。
そしてまたその時だった。
*「待ってください!」
男たちとは別の声が聞こえてきた。
*「あん?」
*「なんだ あんちゃん あんたも 風呂かい?」
*「いま 女の子が 一人で 入っているんです。」
*「なら 尚更 入らなくっちゃよ! なんせ ここは 混浴なんだぜ。」
*「そうだぜ へっへっへ……!」
男たちはいやらしい笑い声を上げる。
*「頼みます! 誰かに見られたくないからって 何度も あきらめていたのが ようやく 一人で ゆっくり 入れる時が来たんです。」
*「せめて 彼女が 出てくるまで 待ってください!」
*「……どうするよ?」
*「うーん……。」
*「お願いします! 宿代でも なんでも お支払いしますから!」
*「え ほ ホントか?」
*「そこまで 言われちゃ 仕方ねえ。まあ 風呂なら 宿にも あるからいいけどよ。」
*「ありがとうございます!」
*「……おう 確かに 受け取ったぜ。」
*「そのじょうちゃんに ヨロシクな! がっははは!」
その言葉を最後に男たちの声は聞こえなくなった。どうやら行ってしまったようだ。
595 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:40:14.61 ID:LLGD6zi70
マリベル「…………………。」
“助かった”
少女はドレスにかけたその手をいったん止める。
マリベル「…アルス?」
少しだけ大きな声で井戸の上にいる人物を呼ぶ。
アルス「ぼくは いいから ゆっくり 浸かっていきなよ!」
声の主はそう言って少女を気遣う。
マリベル「…………………。」
少女はしばらく俯いて考えていたが、やがて決心するともう一度上にいる少年に呼びかける。
マリベル「アルス! 降りてきなさいよ!」
アルス「えっ?」
少女の真意が分からず少年は聞き返す。
マリベル「……い… いっしょに はいりましょ!」
ややあって返ってきた声は、少しだけ上擦っていた。
アルス「……うん!」
何かの呪文を唱える音が響いたあと、少年は降りてきた。
アルス「や やあ……。」
下まで降りてくると少年は少女の方を見ずにそのまま背中越しに言う。
マリベル「……こっち 見なさいよ。」
アルス「で でもっ……。」
マリベル「いいからっ!」
躊躇する少年に少女が語気を荒げる。
アルス「…………………。」
596 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:42:01.96 ID:LLGD6zi70
振り返った少年は少女の体を見て黙ったまま固まった。
すらっと伸びた手足、絹のように白くやわらかな肌。
そしてまるで人形のように整った顔立ちは誰が見ても文句のつけようなどなかった。
マリベル「…なんか いったら どうなの?」
少女が恥ずかしそうに体を捩る。
アルス「…よかった……。」
マリベル「えっ?」
アルス「……タオルしてなかったら どうしようかと思った……。」
少年は冷や汗を流しながら言う。
体は大きな浴巾によって隠されてはっきりと見えはしないが、
それでも小さすぎず大きすぎない胸にくびれた腰から尻、
そして膝上までにかけての曲線美は少年の目のやり場を困らせるには十分すぎた。
マリベル「…………………。」
マリベル「はー……。」
少年の拍子抜けする感想に盛大なため息をついて少女が言う。
マリベル「まさか あたしが 素っ裸で 立ってるとでも 思ったの?」
マリベル「もっと 他に ないわけ? こう キレイだとか なんとか。」
アルス「いや 肌がきれいなのは 知ってたし……。」
マリベル「……もうっ!」
少しぐれた様子で少女は浴槽に向かうと、体を流してさっさと湯に入っていった。
アルス「…ご ごめん……。」
マリベル「いつまで そうしてるのよ はやく あんたも 入ったら?」
アルス「え あっ うん!」
少女の催促に少年は素早く服を脱ぎ、浴巾を腰に巻いて湯をかけてから少女の隣に腰を落とす。
597 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:43:35.86 ID:LLGD6zi70
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
浴槽に背をもたれ、二人はお互いを見ないように目線を下にしたまま黙り込む。
マリベル「あ あのさ……。」
なんとなく気まずい空気を打開するかのように少女が話し出す。
アルス「…うん?」
視線だけ少女の膝に移しながら少年が相槌を打つように問う。
マリベル「ありがと。あいつら 追っ払ってくれてさ。」
アルス「……うん。」
マリベル「…それに さっきは ごめんなさい。」
アルス「えっ?」
思いがけない言葉に少年は少女の顔を見つめる。
マリベル「あんな 言い方しちゃってさ。」
少女は尚も俯いたまま答える。
アルス「…いいんだ。謝るのは ぼくの方さ。」
アルス「だれだって あんなこと 言われたら そうなるよ。」
自分の膝に視線を落とし少年は後悔するように呟く。
マリベル「……恥ずかしかったの。あんたに あたしの体 見られちゃうのがさ。」
マリベル「あたしたち もう ただの幼馴染じゃないっていうのにね。」
アルス「ぼくも ちょっと 急すぎたと思う。ごめん。」
アルス「…でも やっと 叶ったんだな……。」
そう言って少年は目を閉じる。
598 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:44:38.06 ID:LLGD6zi70
マリベル「えっ……。」
その言葉の意味が分からず今度は少女が少年を見つめる。
目に映った少年の身体は細身ながらかなりの筋肉質で、
その肌には相変わらず癒えない傷痕がいくつも刻み込まれており、
これまで彼がいかに身を挺して仲間を守ってきていたかが窺えた。
まるで誰かの傷を肩代わりするかのように。
マリベル「…………………。」
少女も滅多なことでは見ない少年の裸体は、非常に痛々しくもあり、
それでいて猛々しく、不思議な魅力を醸し出していた。
だがその傷の多くが彼女を守るためにつけられたものであることもわかっていた。
アルス「……マリベル?」
マリベル「…………………。」
少女は少年の言葉も聞こえぬほど食い入るように少年の身体を見つめていた。
いったいどれほどの血がこの体から流れたというのだろうか。
いつも何食わぬ顔して少女をかばい続けるその体は、どれほどの痛みを抱えてきたというのだろうか。
改めて目の前にして見ているうちに少女の中で感情が沸き上がってくる。
マリベル「アルス……。」
アルス「ん?」
呼び掛けに応じるその瞳は優しく、そんなものなど最初からなかったかのように少女の翡翠色の瞳を写していた。
マリベル「ごめんなさい。」
アルス「えっ?」
マリベル「ありがとう。」
そう言って少女は少年の身体を、その傷痕を労わる様に、何度も、何度も優しく撫でる。
アルス「…………………。」
アルス「それは ぼくのセリフだって いつも 言ってるじゃないか。」
そうして少年は少女の手を取り、そのまま優しく少女の肩を抱く。
マリベル「…ばかアルス……。」
そう言って少女は少年の肩に首をもたれる。
密着する二人の体がいつもより熱く感じられたのは、温泉のせいだったのだろうか。
599 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:47:44.81 ID:LLGD6zi70
アルス「…嬉しいな。」
しばらくして少年が呟く。
アルス「夢だったんだ。こうして 誰にも邪魔されずに 二人で 温泉に入るのがさ。」
マリベル「うふふっ。あんたってば 意外と ロマンチストなのね。」
アルス「意外で 悪かったね……。」
不服そうに少年が言う。
マリベル「スねないの! これでも 褒めてんだからね?」
アルス「はいはい。」
そう言って少年は微笑む。
マリベル「…ふふ……。」
アルス「…………………。」
マリベル「……また 来ましょうよ。」
アルス「二人っきりで?」
マリベル「あったりまえじゃないの! やっぱり見られたくないし それに……。」
マリベル「誰にも 邪魔されたくないからね!」
片手を腰につけて少女は悪戯な笑みを浮かべる。
アルス「あっははは! また 夜中にこっそり 来ないとね。」
楽しそうに少年が笑う。
マリベル「…そういえば さっきは 何の呪文を かけたの?」
先ほど上から聞こえた呪文の発動音を思い出し少女が尋ねる。
アルス「えっ? ああ あれ見てよ。」
マリベル「……!」
少年に促されて視線を移したその先には入口から滴る水滴があった。
マリベル「もしかして 入口を ヒャドで 塞いだの?」
アルス「アタリ。だから 一応 時間制限が あるんだけどね。」
マリベル「そうねえ のぼせないくらいには 早めに 上がらないと いけないものね。」
アルス「ずっと 独占するわけにも いかないからね。」
マリベル「…そっ。でも……。」
“今晩 月が てっぺんまで昇った頃 温泉にいけば いいことが あるみたいですよ!”
アルス「……!」
マリベル「もう少し こうしてたいな。」
そう言って少年にもたれかかる少女の白魚のような体が少しだけ桜色に染まって見えたのは
湯にあてられたせいなのか、それとも彼女なりの恥じらいの色だったのか。
同じように頬を染められた少年が知る術はなかったのだった。
そして……
600 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:48:24.32 ID:LLGD6zi70
そして 夜が 明けた……。
601 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:52:44.44 ID:LLGD6zi70
以上第20話でした。
「ドラクエの世界にお風呂に入る文化はあるのか」
描写の上で非常に悩んだ部分です。
そこで原作中に出てくる民家や宿屋をすべて回ってみたのですが
わたしが見つけた範囲内ではグランエスタード城下町に一件、
過去のハーメリアに一件、ルーメンに一件といった具合です。
これだけ見るとあまり文化として根付いていないのではないかと思われますが、
マリベルとの会話の中でお風呂は毎日入るのが普通であることがわかります。
「アルスは ちゃんと 毎日 おフロに入ってる?」
(実際ゲーム画面では置かれていなくても、トイレ然りきっと省略されているだけなのでしょう。)
ただそうなるとお風呂を沸かすための設備などはどうしているのか…
なんてことを考えてみてはみたんですが、ハッキリ言うとよくわかりませんでした。
第6話でもマリベルがお風呂に入るシーンがあるのですが、
結局は描写を減らしてだましだまし書くことでことなきを得ました。
難しいものですねえ…
さて、今回はエンゴウで温泉に入るというイベントを書きました。
「温泉! 温泉入りたーい!」
…とは言いつつも、混浴だからやっぱり恥ずかしい。
結局原作では一度も温泉に入ることなくエンディングを迎えてしまいました。
(仕様上、着衣のままでジャボジャボ入っていけるのですが)
そこで、このお話ではアルスのチカラを借り、マリベルに念願だった温泉に浸かってもらったというわけです。
…観光の目玉として確立させたいのであればやはり男女別で入れるよう配慮してもらいたいものですよね。
もちろん、混浴は混浴の良さがあるので無くさないとして。
…………………
◇果たしてパミラが占いを通してみたのはいったいなんだったのか。
それはまた後々。
602 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:54:47.83 ID:LLGD6zi70
第20話の主な登場人物
アルス
混浴で入るのをためらう少女に遠慮して自分も温泉には入らずにいた。
吹っ切れたマリベルと共に深夜の貸切温泉へ。
マリベル
裸を見られるのが恥ずかしく温泉に入るのを拒否していたが、
イルマの占いやアルスの手助けでなんとか入ることに成功。
ボルカノ
混浴は別にどうでもよく、温泉自体をしっかり堪能。
メモリアリーフの当主に唖然とする。
コック長
アミット号で一番の年長者。
もともとお風呂が好きなので温泉は楽しみだった模様。
アミット号の乗組員たち(*)
魚を売りさばいた後は温泉で混浴を楽しむ(愉しむ?)
日頃の疲れを存分に癒してほくほく顔に。
パミラ
エンゴウで代々占い師を務めている。「パミラ」は襲名制。
占いの腕は確かで、知識も豊富。
イルマ
パミラの助手を務める若い女性。
一見ただの元気な娘だが、占いの腕をちゃくちゃくと上げている。
村長
エンゴウの長。
村を発展させようとするあまり炎の精霊をないがしろにしていたが、
魔王復活から討伐までの一連の事件を経て改心する(?)
メモリアリーフの当主(*)
荒くれ男に扮してメイドを追いかけるという奇行が有名。
それでもハーブ園は上手くいっているというのだから世の中わからない。
605 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:13:45.37 ID:/ZAUKCR40
航海二十一日目:冷めないハーブティー / 同じ月を見てる
606 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:15:07.02 ID:/ZAUKCR40
コック長「ん?」
日が昇り始めた頃、アミット号の料理長はいつものように網元の令嬢を起こして朝食の準備に取り掛かるために調理場へと続く扉を開けた。
マリベル「あら おはよう コック長。」
少女は既に起きて着替え終えていた。
コック長「珍しく 今日は 早いですな マリベルおじょうさん。」
マリベル「うん まあね。」
そう言って少女は微笑む。
コック長「……なにか いいことでも ありましたかな?」
マリベル「へっ? あ いや そんなことないわよっ?」
コック長「…わしに 隠し事しても ムダですぞ。」
上擦った声で少女は誤魔化そうとする少女に料理長は片眉を上げて釘をさす。
マリベル「べ 別に いいじゃないの。」
コック長「なにやら 肌のつやが いつもより 良くなっているような……。」
コック長「さては 昨晩でも 温泉に入りましたかな?」
ずずいと寄って少女の顔をまじまじと見つめると料理長はズバリと少女の隠し事を当てて見せる。
マリベル「っ……。」
コック長「良かったですな ちゃんと 誰にも見られず 入れたんですか?」
絶句する少女に対して料理長は特に顔色を変えずに質問を続ける。
マリベウ「え ええ まあね……。」
コック長「……ふうむ。ははあ そういうことですか。」
歯切れの悪い少女を見てコック長はある仮説を立てる。
マリベル「な なにっ?」
コック長「いやいや なんでも ありませんぞ。」
マリベル「ちょっと コック長 何か 勘違いしてないでしょうね!」
コック長「何がですかな?」
マリベル「うっ……。」
その“何が”が言えず少女は押し黙る。
コック長「いいんです 言わなくても。わしは わかっておりますし 誰にも 言いませんからな。」
マリベル「えっ ち ちが……。」
コック長「さて それでは あいつを起こしますから ちょっと 待っててください。」
そう言って料理長は少女の言葉を最後まで聞かずに隣の部屋へ出て行ってしまう。
コック長「……おい 起きろ。朝だぞ。」
*「……うーん…。」
マリベル「…………………。」
マリベル「どうして あんなに 勘がいいのよ!」
一人になった部屋で少女は誰にも聞こえないように小さく叫ぶのだった。
607 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:16:10.98 ID:/ZAUKCR40
アルス「えっ バレた!?」
マリベル「シーっ!」
マリベル「大きな声で 言わないでよっ! 余計に あやしまれちゃうじゃないっ!」
そういって少女は少年の口を塞ぐ。
*「……?」
近くにいた漁師が不思議そうにあたりをキョロキョロと見渡す。
アルス「モガモガ…… ぷはぁ!」
アルス「ど どうして わかったんだろ……。」
物陰に隠れたところでようやく口を解放された少年が呟く。
マリベル「肌の加減で あたしが 温泉に入ったことは わかったらしいんだけど……。」
アルス「それにしたって ぼくまで いたって どうしてわかるんだろう……。」
マリベル「侮れないわ コック長……。」
マリベル「とにかくっ! これ以上 他の人に 知られたりでもしたら 面倒どころか あたしがここ いられなくなっちゃうわ!」
マリベル「アルス! あんたは 何もなかったふりするのよ! いいわねっ。」
そうまくしたてて少女は指先を少年の顔に突きつける。
アルス「わ わかったよ……。」
やや引き気味にそれを承諾すると少年は見張りに戻って行くのだった。
マリベル「まったく 油断ならないわね。」
一人呟く少女は自身の恥ずかしさよりもとあることを気にしていた。
“なにっ アルスが うちのマリベルと 風呂に!? け けしからんっ!!”
マリベル「…こんなこと パパに知れたら なんて言うか わかったもんじゃないわ。」
万が一そんなことがあっては娘を溺愛しているあの父親のことだ、
たとい相手が信頼を置いているあの少年だったとしても何をするか。
マリベル「もう一回 コック長に 釘をさしておくかしらね。」
ほとぼりが冷めるまで少女の中の最高機密の一つとして刻み込まれたのであった。
608 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:16:52.64 ID:/ZAUKCR40
東の空から昇った太陽が真上に差し掛かろうかという頃、
漁船アミット号は次の目的地を目指して西の方角へと航海を続けていた。
*「んん? なんだ ありゃ?」
そんな折、甲板で操舵をしていた漁師の一人が何かに気が付いた。
*「なんだい ありゃあ。」
*「さあ おれにも わからん。」
それを皮切りに次々と漁師たちが遠くに見える何かに視線を注ぐ。
*「みんな 飯だぞー!」
その時、休憩していた別の漁師が甲板へやってきて昼時を告げる。
*「よう あれ 知ってるか?」
その男にも同じ質問を投げかける。
*「えっ あれって……。」
*「……よくわからんが アルスたちなら 知ってるんじゃないか?」
*「アルスは?」
*「昼当番だから 下にいるぜ。」
*「おうよ じゃあ 後 頼んだぜ。」
*「任せとけ。」
そんなやり取りを交わし、漁師たちは一人を残して下に降りて行った。
609 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:17:59.80 ID:/ZAUKCR40
漁師たちが食堂までやってくると、既に食事を終えた船長と新しい皿の配膳と片づけをしている少年たちがいた。
*「お いたいた。」
*「よう アルス。なんか いま 北の方に 変な塔が見えたんだけどよ。」
アルス「北ですか? 南じゃなくて。」
“塔と言えば南にはかつて魔王が居城としていた巨大な塔があったはずなのだが”
そう思い少年は聞き返す。
*「おう なんか 良く分からねえが 派手な色した 塔だったぜ。」
マリベル「それって バロックタワーじゃない?」
話を聞いていた少女が思い出したように呟く。
*「……?」
アルス「ああ 天才建築家 バロックが 生涯の最後に造った作品です。」
アルス「ぼくたちも 登ったことがありますよ。」
マリベル「あの中は そりゃあもう 侵入者をはばむ 罠ばっかりでねえ。」
アルス「でも 塔の最深部には 彼が残した お宝が あったんです。」
*「へえ それでそれで。」
アルス「……お宝とは なんてことない 石盤が二枚だけでしたとさ。」
続きを聞きたがる漁師に少し考えてから少年は答える。
*「なんでえ つまんねえな。」
マリベル「…………………。」
ボルカノ「その石版ってのは お前たちが 探していた アレか?」
アルス「うん。」
マリベル「…結果的には バロックさんに 助けられたってことですわ。」
*「ふーん じゃあ あの塔の中には もう 何も残ってないのか?」
アルス「ええ そうです。」
マリベル「それでも ないはずの お宝を求めて やってくる人は 後を絶たないんだけどね。」
*「まあ お宝っていう 響きだけで なんか ワクワクするもんな。」
コック長「おいおい 料理が冷めちまうから はやく 食べてくれ。」
*「お 悪いな コック長。」
そうして料理長に促され、漁師たちは話をやめて食事に手を伸ばし始めるのだった。
610 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:20:48.00 ID:/ZAUKCR40
マリベル「アルス。」
昼下がり、食堂にある自分のハンモックで休憩をとっていた少年は少女に呼ばれる。
マリベル「お茶にしない?」
アルス「えっ うん……。」
ゴロリと寝返りを打って少年は声の方に振り返る。
何やら爽やかないい匂いが漂ってきた。
アルス「よっこらせ。」
マリベル「はい コレ。」
そう言って席に着いた少年に少女は揺れに強い大きめのコップを手渡すと、ポットの中の液体を半分ほど注いでいく。
アルス「あれっ これって……。」
マリベル「昨日のうちに コック長たちが 買ってきたんですって。」
アルス「スウー……はー……。いい香りだね。」
コップの中からは眠気を吹き飛ばすような透き通った香りが立ち上っている。
マリベル「ふー…ふー……。」
マリベル「…っ! あちち……。」
揺れる船内で熱いものをすするのはなかなか以て難しいものがある。
少女は運悪く口の中に予定より多めの量が入ってきてしまったらしく目をぎゅっとつぶった。
アルス「…ふふ ははは……。」
その様子がどうにもおかしく少年は思わず笑いをこぼす。
マリベル「な なによ……。」
アルス「いや かわいくて つい。」
マリベル「むっ また 調子いいこと 言って。」
アルス「…ふふふ。」
そうやってムキになる姿が余計愛おしくなり、少年の目はだらしなく垂れさがる。
マリベル「…なんて顔してるのよ……?」
そんな様子に少女も怒る気が失せ、ため息をつきながら次の一口をすする。
マリベル「……あっ。」
611 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:22:04.04 ID:/ZAUKCR40
何かを思い出したらしく、少女は急いで調理場へと走っていくと、しばらくしてその“何か”を抱えて戻ってきた。
マリベル「じゃーん。マリベル特製クッキーよ!」
アルス「……やった!」
少女の手の上にはたくさんのクッキーが乗ったお皿があった。
マリベル「やっぱり ハーブティーだけじゃ 寂しいからね。」
アルス「いつ作ったの?」
マリベル「朝一番でね。いい匂い してたでしょ?」
“美味しいお茶菓子と共にハーブティーをたしなむ”
今朝少女がわざわざ早起きしていたのはこのためだった。
アルス「……うーん 覚えてない。」
マリベル「…あっそ まあいいわ。たくさんあるから 遠慮なく 食べてちょうだい。」
アルス「うん。」
そう言って少年は早速一つ摘み取ってかじりつく。
アルス「…サク…サク……ごくん。」
マリベル「……どう?」
アルス「おいしい。」
マリベル「…うふふ。あったりまえよね~ このマリベルさまに 失敗なんてないんだから。」
アルス「…………………。」
”先ほど小さな失敗をしていたではないか”と言わずに微笑むのは少年の優しさか。
マリベル「まっ ホントは 明日食べる予定だったんだけどね。」
アルス「…………………。」
心の中で小さくツッコミを入れながら少年は少し冷めて飲みやすくなったハーブティーを一口すする。
612 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:23:21.41 ID:/ZAUKCR40
マリベル「ハーブかあ……。」
不意に少女が呟く。
アルス「ん?」
マリベル「ううん ちょっと グリンフレークのことを思い出しただけよ。」
アルス「リンダとペペのこと?」
マリベル「うん。」
マリベル「…………………。」
アルス「どうしたの?」
マリベル「もしも… もしもよ?」
マリベル「どうしてもあたしが 他の男と 結婚しなくちゃいけなくなったら……。」
マリベル「アルス。あなたは どうする?」
口調こそ平然としているがどこか少女は不安そうに俯いて上目遣いに見る。
アルス「…………………。」
突拍子も無いながら非常に繊細な質問に少年は真剣に考える。
アルス「……そうだなあ。」
やがて答えがまとまったのか少年は顔を上げた。
アルス「本当のところ ぼくは 君さえ幸せでいてくれたら それでいいと 思ってたけど。」
マリベル「…………………。」
アルス「やっぱり 嫌だな。他の誰かと 君が 一緒にいるなんて。」
アルス「自分の気持ちに嘘ついて 結局 後で 後悔するくらいなら……。」
一呼吸を置いて気持ちを吐き出すように少年は少女の顔を真っすぐに見据えて言う。
アルス「ぼくは 君をさらってでも 連れていく。誰にも 見つからないような 遠い所へね。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ブフっ…… ぷぷぷ……。」
613 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:25:08.26 ID:/ZAUKCR40
いつの間にか少女は口元を抑えて必死に笑いを堪えていた。
アルス「な なんだよ……。」
マリベル「あっははは! だって あんた…… あんな 恥ずかしいセリフを……。」
アルス「…うっ……。」
言われてみれば確かに今の発言は顔から火が飛び出るくらいこっぱずかしい台詞に他ならなかった。
だが少年は同時にあることに気付く。
アルス「言わせたのは どこの 誰だよ。」
マリベル「ハッ…… う うん まあ そうだけど……。」
アルス「せっかく 真剣に考えたのに 損した気分だよ。」
そう言って恥ずかしそうに体ごとそっぽを向くと足を組んでハーブティーを一気に飲み干す。
マリベル「…もうっ 言ったでしょ? もしものことって。」
困ったような顔で少女は微笑む。
アルス「…そうだけど。やっぱり ペペさんみたいに 家族も リンダさんも救えないくらいなら ぼくは……。」
マリベル「……ばかねえ。まず その状況をなんとかしようって 思わないの?」
マリベル「二人で逃げなくても いいように その時は あなたが なんとかしてよ。」
マリベル「…駆け落ちなんて それからでも じゅうぶんだわ。」
アルス「……わかってる。」
マリベル「まっ 間違っても そんなことにはならないと思うから 心配するだけ無駄だったかしらね。」
アルス「…………………。」
少年は気を紛らわそうとハーブティーを注ぎなおし、また一つクッキーを頬張る。
614 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:25:56.07 ID:/ZAUKCR40
マリベル「……今度 さ。」
不意に少女がポツリと語る。
アルス「ん?」
マリベル「あそこのハーブ園に 行こうよ。」
アルス「ふハりで?」
マリベル「当り前じゃない。それとも あたしと 二人っきりじゃ 不満かしら?」
昨晩二人でまた湯に浸かろうと話したばかりとは思えない言葉を発しながら少女は目を細める。
アルス「…ゴクン…… めっそうもない。」
マリベル「……そしたらそこで たっくさん ハーブを買って うちでも 育てるの。」
マリベル「あっ もちろん 水をやったり その他 もろもろの世話は アルスの役目だからね。」
少女はにやりと笑う。
アルス「それ 前も 聞いたような……。」
マリベル「そうかしら?」
アルス「でも ぼくが いない間どうするの?」
マリベル「そんなに 長い漁やるの?」
少しだけ顔を曇らせて少女が尋ねる。
アルス「……わからない。前と比べて 漁場が近くなったから すぐに帰ってこられると思うけど。」
マリベル「じゃあ すぐに帰ってきて あんたが やれば いいのよ。」
アルス「はは…… マリベルには 敵わないなあ。」
マリベル「当然じゃない。あんたが あたしに勝てることが あって?」
アルス「……うーん。」
首を捻って考える少年を見て少女は勝ち誇った様な笑みを浮かべて目を閉じる。
マリベル「ほーら 見なさい! あんたは 素直に あたしの言うことを聞いてれば……っ!?」
アルス「こうしちゃえば ぼくの勝ち。」
615 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:27:42.62 ID:/ZAUKCR40
“またやられた”
いつの間にか席を立った少年に後ろから抱きしめられながら、少女は飛び跳ねそうな心臓を抑えて言う。
マリベル「……ずるい。」
彼にこうされてしまうと少女はまったく抵抗する気にならなくなってしまう。
それは他のどんなことでも優勢を保つ彼女にとってたった一つにして最大の弱点だった。
それを知ってか知らずか、少年は優しく、力強く彼女を包み込んでいく。
アルス「ずるくていいんだ。」
だがそんな少年も、包み込まれているのは“彼女”なのか“自分の心”なのかわからないでいた。
少女を抱きしめている時、少年の心は温かく包み込まれているような安心感と満足感が満ちていた。
だからこそ少年は悲しくなったり、嬉しくなったり、寂しくなったり、そして愛しくなった時、
少女の体を思いっきり抱きしめるのだった。
マリベル「ね 約束よ?」
アルス「うん 行こう。ふたりで。」
波に揺られながら心行くまで時間を過ごし、互いの心が冷めぬように温めあう。
そんな二人に忘れられたハーブティーだけが、寂しそうに冷えていくのだった。
616 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:28:30.00 ID:/ZAUKCR40
ボルカノ「錨を降ろせ!」
それから漁船は何の問題もなく航行を続け、夜も更けた現在、
一行は小さな港を見つけて新しい大陸に降り立っていた。
マリベル「着いたのね! リートルードへ!」
少女が大きく体を伸ばして言う。
ボルカノ「今日は遅いから 明日にするか?」
アルス「いや たしか あそこには 大きな宿が あったはずだよ。」
マリベル「きっと あたしたちが 行っても 余裕で泊まれるわよね!」
ボルカノ「…どうするよ?」
コック長「今回は 店も開きませんし このまま 行っても いいんじゃないですかな。」
ボルカノ「よし! じゃあ このまま リートルードへ 出発するぞ!」
*「「「ウスッ!」」」
そうして船長の号令と共に一行は町へと向かって歩き出す。
マリベル「あっ 先に行ってて!」
そう言って少女は船に戻ると三毛猫を抱えて戻ってきた。
トパーズ「なうー。」
追いついてきた少女に少年が問う。
アルス「トパーズも 連れていくの?」
マリベル「一日 ほったらかしにしてたら かわいそうじゃない。」
アルス「それもそうだね。」
少年は三毛猫の顎を撫でながら頷く。
マリベル「さ いきましょ。」
アルス「うん。」
そうして二人は先を歩く漁師たちのもとへ小走りに向かっていった。
一行の向かう先に見える芸術の町はまだ明かりが灯っており、どこか幻想的な光景を醸し出していた。
617 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:31:53.92 ID:/ZAUKCR40
*「うひゃあ こりゃまた 変な建物が いっぱいだな!」
町に着いた漁師が開口一番に率直な感想を述べる。
もともと芸術的な感覚など二の次な漁師たちにとってこの町の前衛的な芸術の様式にはとてもついていけない隔たりがあったのだ。
マリベル「あら 奇遇ね あたしも これには どうかと思うわ。」
うんざりといった様子で少女が言う。
ボルカノ「マリベルちゃんが 言うなら たぶん 間違いねえんだろうな。」
アルス「感性が合う人には 合うのかもしれないけど 合わない人には とことん わからないのが 芸術だからね。」
マリベル「それを ここの人たちは これが当たり前のように 言うもんだから まいっちゃうのよね。」
*「まあ いいから さっさと 宿に行きましょうぜ。もう 眠くってしゃあねえ。」
*「だな。」
アルス「ほら あそこが この町の宿ですよ!」
少年が指差す先には二階建ての大きな宿屋が立っていた。
*「おお すげえ!」
コック長「さすがは 観光業で もうけているだけ あるな。」
マリベル「おまけに 宿代も格安! いいことづくめってわけ!」
*「よっしゃ! そいつは ラッキーだ!」
*「ぼく エンゴウで 結構 飲み食いしちゃって ちょっと ピンチだったんですよ!」
そんな会話をしながら一行は宿の中へと入っていく。
*「いらっしゃいませ。お泊りになりますか?」
宿の受付ではすっかり回復した女将が温かい笑顔で一行を迎え入れた。
ボルカノ「部屋は空いてるかい?」
*「ええ まだ だいぶ 余裕がありますよ。」
ボルカノ「よし それじゃ ここで 解散だ。明日は 適当に 観光でもしていてくれ。」
*「「「ウスッ。」」」
そうして一行は部屋の登録を済ませてそれぞれ散っていくのだった。
アルス「おやすみ。」
マリベル「うん。」
一人部屋がまだまだ空いていたため少年と少女も今日は久しぶりに別々の部屋を取り、
就寝の挨拶を済ませてそれぞれの部屋に入っていった。
618 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:33:36.64 ID:/ZAUKCR40
アルス「ふー……。」
軽く風呂を済ませた後、少年はベッドに転がり一人窓から差し込む月明かりを見つめていた。
昨晩は宿にこそ泊まれなかったとはいえ、温泉に浸かりじっくりと体を労わったためか、
今晩はあまり疲労も溜まっておらず、このまま眠ってしまうのもなんだか惜しいような気がしていた。
アルス「下に行くか……。」
そう言って少年は扉を開けると階下にある酒場へと降りて行った。
*「いらっしゃいませ。」
ボルカノ「おう なんだ アルス お前も来たのか。」
アルス「父さん。」
コック長「まあ お前も こっちきて 飲もうじゃないか。」
アルス「はい。」
二人に促され少年は適当な飲み物を注文して男たちの中に座る。
コック長「それで どうなんじゃ?」
アルス「…いろいろと 覚えることが多くて たいへんですけど 今は漁に出られる 嬉しさの方が 上ですね。」
コック長「…そりゃ よかった 嫌になって 投げだされでもしたら どうしようかと 思ったよ。」
ボルカノ「漁のことは 今はいい。お前なら すぐに 上達するだろう。」
コック長「それよりも じゃ。」
アルス「……なんですか?」
コック長「何ですか じゃないわい。マリベルおじょうさんとのことだ。」
アルス「えっ……。」
*「お待たせいたしました。」
どうしたものかと少年が固まっていると酒場の主人が注文した酒を席に置く。
ボルカノ「ちゃんと うまく やってんのか?」
アルス「……うん。」
少年は出された酒を一口飲み、杯を置いてポツリと言う。
コック長「ここのところ やけに おじょうさんの機嫌が よくてな。」
アルス「そ そうですか……。」
ボルカノ「まあ あんまり 無粋なことは聞かねえけどよ 女の子ってのは 繊細だ。」
ボルカノ「オレが若いころも けっこう たいへんだったもんだ。」
父親は懐かしむような遠い目をして言う。
コック長「わっはっは! マーレも乙女じゃったからのう!」
ボルカノ「……ゴホン。とにかく 大事にしてやるんだな。ちょっとしたことでも 傷つきやすいもんだからよ。」
コック長「みんなに 迷惑がかからない程度に な!」
アルス「は はい。」
アルス「…そういえば……。」
619 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:35:37.94 ID:/ZAUKCR40
ふと少年は何かを思い出す。
ボルカノ「ん?」
アルス「最近 悩んでることが あるみたいなんだ。」
コック長「あの マリベルおじょうさんが 悩むことってったら そりゃ 家族のことか お前さんのことくらいだろうよ。」
察しの良い料理長がすぐにその原因を言い当てる。
コック長「心当たりは ないのか?」
アルス「うーん。なんていうか これから先 何をするか みたいなことだと思うんですけど……。」
少年が腕を組んで答える。
コック長「これから先 か。網元の娘としてではなく 彼女自身が 何をするかってことか?」
アルス「なんとか 気の利いたことでも 言えればいいんですけどね……。」
コック長「そればっかりは 彼女自身が 決めることじゃからな。」
やはり料理長も少年と同じことを考えていたようだ。
アルス「なんだか 歯がゆいんです。何もしてあげられなくて……。」
コック長「ふーむ。」
ボルカノ「……見守ってやれ。」
アルス「えっ?」
するとしばらく黙って話を聞いていた少年の父親がゆっくりと口を開く。
ボルカノ「何もできなくても 黙って傍で 見守ってやることだけはできる。」
ボルカノ「もし 彼女が 立ち止まったら 背中を押してやればいい。」
ボルカノ「ふさぎ込むようなことがあったら その時は お前が そっと 手を取ってやるんだ。」
ボルカノ「それに なにより……。」
ボルカノ「信じてやるんだな 彼女のことを。」
アルス「…父さん……。」
アルス「……うん。」
どんな時でも互いを信じてここまで生きてきた自分の両親のことを少年はよくわかっていたからこそ、
父親の言葉には素直にうなずけたし、不思議な安心感があった。
コック長「…さ そういう話はそこまでにして 今日も遅いから 適当に 切り上げるとしますかな。」
そう言って料理長は自分の杯を傾ける。
ボルカノ「……だな。」
少年の父親もそれに続いて杯を一気に乾かす。
アルス「…………………。」
少年はそんな二人の間で再び窓の向こうを見上げる。
丑三つ時の月は相変わらず空高く、美しい光を放っていた。
620 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:40:27.25 ID:/ZAUKCR40
マリベル「うーん……。」
少年たちが酒場で語らっていた頃、少女もまた入浴を済ませてベッドに横になっていた。
マリベル「なんだか ベッドが 懐かしいわー。」
とは言ってもせいぜい二日ぶりにすぎないのだが、
エンゴウで宿に泊まれなかったという悔しさから少女は全身でベッドの柔らかさを味わうのだった。
マリベル「…………………。」
うつ伏せに寝転がり枕を胸に抱きながら少女はなんとなく昼間少年と交わした会話を思い出す。
“そんなに 長い漁やるの?”
“……わからない。前と比べて 漁場が近くなったから すぐに帰ってこられると思うけど。”
“じゃあ すぐに帰ってきて あんたが やれば いいのよ。”
マリベル「すぐに帰ってくる か……。」
少年はああ言っていたが、実際漁は魚が獲れるまで帰ってこないこともある。
さすがに積荷が尽きれば帰らざるを得ないのだろうが、こればっかりはその時の漁獲次第。
いくら目当ての魚が近くでとれるようになったからと言って毎日が日帰りというわけではない。
時には一週間以上航海することもあるのだろう。
マリベル「どうしよう あたし……。」
少年の帰りを待つ間、家でじっとしていろべきなのか。
現にフィッシュベルの漁師の妻の多くはそうして夫の帰りを待っている。例えばあの少年の母親もその一人。
621 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:42:49.19 ID:/ZAUKCR40
マリベル「…………………。」
“パパとママはなんていうかしら。”
そんな想像をしてみる。
最終的には少年達と冒険を再開することを許してくれた両親だったが、
使命を受けた旅が終わった今、網元の娘としてどう生きていくべきかについては話が別なのかもしれない。
マリベル「んー……。」
そもそも自分はまだこれからどう過ごしていくのか何も決めていない。
ただ漠然とあの少年の顔が浮かんでくるだけで具体的に何をするべきなのかはわからない。
やはり他の女性たちと同じように村で時間を過ごし、きれいな服を着て、嗜みや習い事に精を出す。
そしていつかは世界の王宮や名家と交流し華やかな舞台で生きていく。
網元の娘として生きるというのは今の世界ではそういうことなのだろう。
きっと自分の母もそうしたはずだ。ましてや世界を救った英雄とあらばどこからも引っ張りだこになるだろう。
マリベル「でも……。」
それが必ずしも自分のやりたいこととは限らない。
確かに、讃えられて令嬢として華やかな世界で生きるというのは決して悪い選択肢ではない。
普通の人より優遇されて生きることができるのはまず間違いないだろう。
しかしそれが自分の幸せなのかと聞かれたら頷く自信はない。
自分が世界を救ってまで得たかったものは名誉や富のためではなかったのだ。
“あたしが そうしたかったから そうしただけ。”
少女は寝返りを打って天井に掲げた自分の掌を見つめる。
好奇心のうちに危険な旅に出たりして、出会いと別れを繰り返し、力を得ては脅威を打ち払い、
少年と共に成長し、いつしか惹かれるようになり、最終的には世界のために奮い立ってみせた。
ただの好奇心はいつしか勇気となって少女を突き動かし続けた。
数々の因縁をもつ仲間たちの中で唯一何の変哲もない人生を歩んでいたはずの少女は、
自ら運命を切り開いて新しい世界を勝ち取ったのだ。
マリベル「…………………。」
それもこれもどうしても見たかった未来があったからに他ならない。
世界中の人々や家族と仲間の笑顔に囲まれ、自分がいて、あの少年がいる。
そんな“未来”を少女は“現在”にして見せた。
だがこれが終着点ではない。
マリベル「……アルス。」
あの少年は漁師となり、いつか必ず自分を幸せにしてみせると言ってくれた。
だが自分は彼に何がしてあげられるだろう。きっと彼は何も望まないと言うだろう。
船出を見送り、漁の帰りを待ち、港で出迎える。それだけで良いと言うだろう。
もしかするとそれすら遠慮するかもしれない。
彼は少女が幸せであればそれでいいと、ただ彼女がしたいことをしていて欲しいと言うかもしれない。
マリベル「ホントはいつでも 一緒にいたいくせに。」
しかしそれは叶わないことだと分かっている。
だからこそ少年はせめていられる時はその時間を大切にしようと言ったのだろう。
それ以外の時間、つまり彼が漁に出ている間は彼女がどんなことをしていようが構わないと、そういうつもりだったのだろう。
マリベル「…そうね………。」
そうであるならば少女のやりたいことは決まっている。
しかし。
“彼と自分のためにできることとはいったいなんだろうか”
マリベル「あーもう! わかんないわよっ!」
トパーズ「っう~。」
結局結論は出ずに堂々巡りなのだった。
622 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:44:14.57 ID:/ZAUKCR40
マリベル「……ねえ おまえは どう思う?」
そう言って少女は足元でうずくまる三毛猫に語り掛ける。
トパーズ「…………………。」
“自分で考えな”
無言で鼻先を見つめてくる三毛猫はなんとなくそう言っているように見えた。
マリベル「…………………。」
マリベル「そうよね。」
そう言うと少女はベッドから体を起こし窓の向こうを見上げる。
月は二カっと笑ったまま何も答えてはくれない。
マリベル「……ふふっ。」
今はそんなことで悩めることすら愛おしくて、少女は一人微笑む。
奇しくも同じ月を見上げる二人は同じ想いを抱えながらもその内を打ち明けることはなく、
いつしか襲ってきた眠気につられ、ぼんやりと深い夜の中に落ちていくのだった。
そして…
623 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:46:35.59 ID:/ZAUKCR40
そして 次の朝。
624 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:49:30.48 ID:/ZAUKCR40
以上第21話でした。
アルスは漁師になりました。
ではマリベルはこれから何をするのか。
第17話でマリベルが日記に残していたように、
「魔王を倒し世界に平和を取り戻した今、自分は何をするべきなのか」という疑問が少女の中に沸き上がります。
果たして少女は答えを出すことができるのでしょうか。
そしてそれはどんな答えなのか。
……お話を進めていきましょう。
…………………
◇リートルードへやってきたアルスは偶然にもとある人物と再会します。
そしてそこでは妙な噂が……?
625 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:50:11.58 ID:/ZAUKCR40
第21話の主な登場人物
アルス
思い悩むマリベルのことを心配している。
マリベルのこととなると普段の様子からは想像もできないセリフを吐いたりする。
マリベル
これから先、自分がどうやって生きていくのか考え中。
メモリアリーフのハーブが気に入った様子。
ボルカノ
アルスとマリベルの姿にかつての自分とマーレを思い出し、
懐かしさを感じるとともに的確な助言を与える。
コック長
非常に堪が良く、人の些細な変化でも見逃さない。
アルスとマリベルのことを案じ、時には相談に乗ることも。
アミット号の漁師たち(*)
知らない土地へ行くことがちょっとした楽しみになりつつある。
面白そうなことにはすぐに飛びつく。
トパーズ
今回はマリベルと共にリードルートへ上陸。
時々人の言葉を解するかのように振舞うことがある。
*「…………………。」
*「…り……お………さ…!」
*「マリベルおじょうさん!」
マリベル「…………………。」
*「マリベルおじょうさん……?」
マリベル「……あ あら どうしたの?」
*「もうすぐ 港に 到着しますぜ。」
マリベル「そう… わかったわ。」
少女は一晩中どうするべきか考えていた。
少年がどうすれば目を覚ますのか。
どうすれば呪いを解くことができるのか。
マリベル「気にくわないけど やっぱり あのクソじじいを 頼るしかないのかしらね。」
いつになく冴えない頭を振り絞り考え出したのは先日助けてもらったばかりの神に再び助けを乞うことだった。
流石の神であれば呪いの一つや二つ解くことも容易いことだろうと、そう思い及んだからだった。
トパーズ「アゥ~。」
膝に乗った猫がそんな彼女の言葉を肯定するかのように一鳴きする。
マリベル「港に着いたら 行くしかないわね。」
マリベル「待っててアルス。必ずあんたを 元に戻してみせるわ。」
マリベル「…これ 借りるわね。」
少女は少年の手を強く握り、袋を腰に下げると少女は甲板へ歩き出した。
419 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:07:28.65 ID:QSmDR/W/0
マリベル「眩しい……。」
船上へ出ると少女は泣き腫らした瞳をこすり呟く。
その目の下には青いクマがくっきりと浮かんでいた。
ボルカノ「マリベルちゃん 何か思いついたのかい?」
甲板では少年の父親が待ち構えていた。
マリベル「ええ ボルカノおじさま。 行ってきますわ。」
ボルカノ「そうか。…息子を 頼んだよ。」
マリベル「はい。」
船長を含めた漁師たちは自分たちの商いや役目を果たすために少女とは別行動をとることになっていた。
務めだから仕方がないとはいえ皆その顔は暗く気が気でない様子で、
それだけ少年がこの船において大きな存在になっていたことがうかがい知れた。
*「マリベルおじょうさん 良い報せを 待ってますぜ!」
サイード「おれも 一緒に行ってやりたいところだがな。どうせ 足手まといになるだけだ。」
サイード「健闘を 祈る。」
マリベル「みんな ありがとう。」
マリベル「それじゃ 行ってくるわ。」
マリベル「ルーラ!」
船員たちに挨拶を済ませると少女は短く詠唱し、はるか遠い町へと飛び去っていった。
*「大丈夫ですかね おじょうさん。」
*「さあな… 一晩中 泣いてたからな……。」
ボルカノ「いや… 少し すっきりしたのかもしれん。」
漁師たちが心配の声を上げる中、船長だけは少女から何か別のものを感じ取っていたようだった。
ボルカノ「あの目には 強い信念が宿っていた。きっと やってくれるさ。」
コック長「信頼してるんですな。彼女のこと。」
料理長がそっと語り掛ける。
ボルカノ「わっはっは! それはみんな 同じだろうよ!」
*「この船に あの二人を 信じていない人なんて いませんもんね!」
豪快に笑う船長に同調して料理人が言う。
コック長「違いありませんな。はっはっは!」
ボルカノ「さて オレたちは オレたちの 務めを果たすとしようぜ!」
*「「「ウスッ!!」」」
こうして船長の号令の元、漁師たちは港の舟守たちに自分たちの船を託し、キンキンに冷えた獲物を抱えて町へと繰り出すのだった。
420 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:08:58.92 ID:QSmDR/W/0
*「え? あのヒゲの ジイさんかい?」
*「あの人なら ばかんすにいくんじゃよ~ とかいって どっか飛んでっちまったぞ?」
マリベル「な なんですって~~~!?」
漁師たちが町へと向かっている頃、少女は神が住まう移民たちの町へとやってきていた。
しかしお目当ての神はといえば、昨日より“ぴちぴちぎゃるを見に行く”などとぬかし何処へと行ってしまったらしい。
マリベル「…………………。」
マリベル「あんの クソじじい~~~!」
当然少女の怒りは爆発する。
マリベル「きい~っっ! どうして こんな 大事な時に限って あのクソじじいは いつもいないのよ~!」
“神頼みが必ずしも良い方向に転ぶとは限らない”
そう言いたげに東の太陽が笑っていた。
マリベル「それで! あのじじいは どこに行ったのっ!?」
*「うわ あわわわ~!」
少女に両肩を揺さぶられ、移民の男はたまらず悲鳴を上げる。
*「し しらねえ! おれはなんも聞いてねえよ!」
マリベル「あんたは!?」
*「お おれも 聞いてねえって!」
マリベル「ほ~んとう でしょうね~? 嘘ついてたら 海まで ぶっとばすわよ?」
少女が男の胸元に指を突き立ててさらに問い詰める。
*「あわわ お助け……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ごめんなさい。ちょっと 熱くなりすぎちゃったわ。」
マリベル「他を当たるわ。じゃあね。」
怯える男に少女は嘘はないと見抜き、素直に謝ってその場を後にした。
421 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:10:07.87 ID:QSmDR/W/0
マリベル「だれか 神さまの行先を 知ってるやつは いないのかしら……。」
いったい何人に聞いて回っただろうか。
誰からも帰ってくる答えは“知らぬ”、“存ぜぬ”だけでこれといって有益な情報を得ることもなく時は過ぎていった。
マリベル「まいったわね……。」
神を見つけ出せなければ少年を助けることができない。
そんな焦燥感が少しずつ少女の心を蝕んでいく。
マリベル「あつい……。」
この町に来てどれぐらいの時間が経ったのだろうか。
太陽はいつの間にか少女の真上まで昇り、焦る少女の姿を嘲笑うかのように強烈な日差しを降り注がせている。
マリベル「何か 別の方法を考えなきゃ ダメかしら……。」
仕方なく近くにあった酒場に立ち寄り、少女は冷たいものを飲んで少しの間休むことにした。
*「いらっしゃいませ。」
マリベル「マスター。ジュースちょうだい。キンキンに冷えたやつ。」
*「かしこまりました。」
程なくして出された果汁を飲みながら気持ちを落ち着かせ、少女は周りから聞こえてくる会話に耳を傾ける。
*「やーねえ あのじいさん またやったの?」
*「まんまと してやられたって 感じだわ。まさか このあたしが おしりを触られちゃうなんてね。」
カウンター席では遊び人風の女性たちが助平な年寄りの愚痴を言っている。
*「そろそろ オラ みんなの前で 披露しようかと 思うんだな~。」
*「それなら オイラも がんばって踊るっち!」
店の奥の方からは農夫の恰好をした男とあらくれ風の男が今後の活動の話をしている。
*「あいつめ また 抜け出したらしい。」
*「脱走の手口も どんどん 巧妙になってきやがる。まいったもんだな。」
すぐ後ろの卓からは元囚人にして脱獄犯の男の噂をしている。
マリベル「……ダメか。しっかし どいつもこいつも いいわよね~ 真昼間から 呑気に お酒なんか飲んじゃってさ。」
マリベル「ごちそうさま マスター。また くるわ。」
*「ありがとうございました。」
料金を払って店を後にしようと扉に手をかけた時だった。
*「…んでよ その人に頼んだら 一発で 治っちまったんだとよ!」
*「ホントかよ? おらぁ 聖職者ってのは どうも 好かんから 信用できねえがよ。」
テーブル席では二人の男が何やら話し込んでいるようだった。
*「いやいや それが おれっちの 姪っ子も その人の祈祷のおかげで 魔物の呪いが解けたんだとよ!」
マリベル「っ……!」
*「おまえが そこまで 言うなら 信じなくもないけ…。」
マリベル「ちょっと!」
*「ん? おお マリベルさんじゃねえか! どうしたんだい 今日は。」
*「今日は アルスさんと 一緒じゃねえのかぁ?」
マリベル「その話 詳しく聞かせてもらおうかしら。」
422 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:10:50.20 ID:QSmDR/W/0
*「へい らっしゃい!」
*「特別加工で 新鮮なままの マグロだよ!」
*「簡単には手に入らない 究極の魚だ! 安くしとくよっ!」
その頃、漁師たちは町で商売に精を出していた。
*「る~らら~ おにいさん それは いくらだい~?」
*「一切れ 40ゴールドってところだい!」
*「ららら~ おひとつ お~くれ~。」
*「へい~ ま~いど~!」
優雅に歌いながら品定めする青年に釣られ、漁師も思わず旋律に乗せて接客をこなす。
*「この国の連中は どうしてみんな 歌ってばかりなんだ?」
*「そりゃ 音楽の都なら 仕方ねえだろ。」
*「いらっしゃ~い~!」
仲間の漁師の疑問に銛番の男が投げやりに答える。
*「マリベルおじょうさんは あれから どうしたんだろうな。」
コック長「さあな……。まあ その内 戻ってくるだろう。」
料理長もどこか落ち着かない様子で答える。
*「だと 良いんですけどねえ。」
ボルカノ「信じて待つんだ。オレたちにできることは それだけだ。」
サイード「彼女には いろんな 知り合いがいます。きっと アテがあるのでしょう。」
ボルカノ「ああ あの子なら やってくれる。」
ボルカノ「とにかく さばき終えたら いったん船に戻るぞ。」
*「「「ウスッ」」」
船長の言葉に一同は頷くと再び自慢の品を売りさばくために商へと戻るのだった。
423 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:11:54.66 ID:QSmDR/W/0
マリベル「盲点だったわ……!」
移民の町を後にし、音楽の都の入口へと転移した少女は自分の船へと急ぎ空飛ぶ絨毯を走らせていた。
マリベル「まさか あの人が そんな力をもっていたとわね……。」
少女は移民の町の酒場で聞いた言葉を思い出す。
“マーディラスっていう国の 南にある大神殿には 高位の神官がいましてな。”
“その人に頼めば 強力な呪いも たちまち 治っちまうんですってよ。”
マリベル「あの大神官のいたところなら それくらいできる人がいても 当然ってもんよね……!」
少女は絨毯の速度を上げて船の中で眠る少年へ呟く。
マリベル「待ってなさいよ アルス。すぐに 連れてってあげるんだから……!」
既にその目に昨晩の憂いはなく、いつもの自信と活力にあふれる輝く瞳が力強く目の前の港を見据えていた。
424 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:13:05.81 ID:QSmDR/W/0
ボルカノ「アルス……。」
商いを終えた漁師たちは漁船へと戻って来ていた。
*「やっぱり 目え 覚ましませんね……。」
父親の声にも反応はせず、少年は静かに呼吸を繰り返している。
*「マリベルおじょうさんは まだ 戻って来てないんですかね……。」
ボルカノ「…どうやら そのようだな。」
少年の状態を見ても動かされた様子はなく、件の少女もまだここへは戻ってきてはいないようだった。
トパーズ「なうなう~。」
少年の身体で暖をとっていた三毛猫がハンモックから飛び降り、扉の向こうへ歩いていく。
*「ん?」
“ギッ……”
425 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:15:13.44 ID:QSmDR/W/0
その時、甲板から響く足音に一人の漁師が首をもたげ、何事かと上へと続く階段を見つめる。
マリベル「あれ…っ!? ボルカノおじさまっ! みんなっ!」
やって来たのは少女だった。
その腕には先ほど出て行った猫が抱きかかえられている。
トパーズ「なぉー。」
*「マリベルおじょうさん!」
*「……てことは。」
ボルカノ「マリベルちゃん! どうだった?」
マリベル「…………………。」
マリベル「残念だけど アテは外れたわ。」
*「そんな……!」
*「それじゃ アルスさんは……。」
ボルカノ「…………………。」
マリベル「まだよ! まだ 望みは ついえちゃいないわ!」
マリベル「ここから南にある 大神殿には 高位の神官がいて……。」
マリベル「その人なら 強い呪いも 解けるかもしれないの!」
*「そ それじゃあ……!」
ボルカノ「これから そこに行くんだな?」
マリベル「ええ! アルスと一緒にね!」
コック長「でも アルスは……。」
料理長がハンモックに横たわる少年の顔を見やる。
マリベル「忘れたの? コック長 あたしたちには 魔法のじゅうたんが あるのよ!」
そう言って少女は腰に下げた少年の袋から赤い布の端を覗かせる。
マリベル「あたしは すぐに 神官長のもとへ行くわ。」
マリベル「みんなは 疲れているでしょうから ここで休んでて!」
言うや否や少女は少年をハンモックから降ろし、なんとか肩を担ぐと甲板へ向かって歩み始める。
マリベル「ふ…んぬぬ……!」
普段とはまったく逆の状態。
少女は少年の全体重を支えながら懸命に上を目指す。
マリベル「あ……んた… 思ったより 重…たいのね……!」
コック長「マリベルおじょうさん……!」
“今まで何度ともなく負ぶらせた少女が、この少年のためにここまでするとは”
料理長だけではない。
その場の誰もが少女の健気な姿に目を見開き、その背中を見つめているしかできなかった。
引きしまった筋肉を持つ少年の身体は見た目以上に重く、少女は少しずつ前進しながらもその足元はふらついていた。
マリベル「フゥー…。はあ… はあ… …えっ?」
息を上げながら階段を上っていると急に体が軽くなり、少女は目の前を見上げる。
サイード「手を貸すぞ。」
そこには少年の身体を支える青年の姿があった。
426 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:19:11.33 ID:QSmDR/W/0
マリベル「た 助かるわ……。」
サイード「むっ… たしかに 見た目に反して けっこう重たいな。」
サイード「それだけ からだを よく鍛えている ということか……。」
感心する青年に対して少女はどこか悲しげに言う。
マリベル「いっつも あたしのこと かばったり 体張って 無理しちゃってさ……。」
マリベル「…守れ とは言っても もうこれ以上 傷ついてほしくないのよ。」
サイード「…………………。」
サイード「そういうことは アルスが起きたら 直接 言ってやるんだな。」
サイード「こいつのことだ。きっと 言われても おまえのためなら ムチャし続けるだろうが。」
マリベル「…そうね。」
マリベル「この人ったら 変なところで ガンコなんだから。ね~ アルス。」
そう言って少女は片手で少年の頬をつつく。
サイード「……甲板までで 大丈夫なのか?」
マリベル「ええ 表なら 絨毯を広げられるわ。」
サイード「おれも お供しようか?」
マリベル「絨毯にはまだ 座れると思うけど……。」
サイード「おまえたちには 借りっぱなしだからな。少しでも 恩を返したい。」
サイード「それに その大神殿とやらも この目で 見てみたいしな。」
マリベル「アルスもだけど あんたのお人よしも 大概ねえ。」
マリベル「ふふん。まあ 好きにしてちょうだい。」
サイード「わかった。」
少年を甲板に運び終えた青年は漁師たちに自分の旨を伝えると、少女と共に少年を抱えて絨毯で南へと飛んでいった。
*「頼んだぞ~~!」
三人の後ろからは無事を祈る漁師の声援が大きく響き渡っていた。
427 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:20:14.81 ID:QSmDR/W/0
サイード「あれが 大神殿か……。」
昼下がり、三人は件の大神殿に到着していた。
サイード「なんとも 荘厳な 佇まいだな… 神を祀るとはいっても これほどの規模とは……。」
地面に降り立った青年は巨大な大神殿を見上げて感嘆の息を漏らす。
マリベル「正直 あんなのには もったいないくらいよ。」
腕組をしながら少女が溜息をつく。
サイード「あんなの…?」
マリベル「ああ そっか。あんた まだ 神さまの イイトコしか 見てないんだっけ。」
サイード「どういうことだ?」
マリベル「あの じじいの 体たらくと言ったら……。」
サイード「…………………。」
“神に対してなんて罰当たりな。”とは思う青年だったが、
少女の態度に何かを察したのか、それ以上何も言う気にはならなかったらしい。
マリベル「さ 行きましょ。」
そう言うと絨毯を袋にしまい、今度は少年を青年に任せて大神殿の中を目指して歩き出す。
428 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:22:08.02 ID:QSmDR/W/0
マリベル「…………………。」
しばらく歩みを進めて少女は違和感を感じる。
サイード「どうした マリベル。」
マリベル「…いつもは シスターが 立っているはずなんだけど。」
サイード「…何か 用でもあるんじゃないのか?」
マリベル「…………………。」
マリベル「待って。」
その時少女が唐突に足を止め、青年を制する。
サイード「…………………。」
マリベル「誰か来るわ。」
二人の見据えるその先、大神殿の入口の扉からは真っ黒なローブを身に纏った呪術師を思わせる身なりの者が出てきた。
*「そこの おまえたち。お引き取り願おうか。」
それも一人ではなく複数。
マリベル「なによ あんたたち。こっちは ここの神官長に 大事な用があるのよ。」
*「神官長どのは 今 忙しいんだ。われわれの 用が済まない限り 誰にも邪魔させるわけにはいかんなあ。」
マリベル「ずいぶん 自分勝手なこと 言ってくれるじゃないの。」
マリベル「あんたたちこそ その用ってのは なんなのよ?」
物怖じもせず少女は訊ねる。
*「おまえのような小娘には 関係のない話だ。」
*「話してやっても いいだろう どうせ 一般人にはどうにもできん話だ。」
*「ふん。まあいい。」
*「われわれは 魔法の研究をしている。」
*「去る昔 ここは 魔法大国として栄え 今も その資料が 残っているというじゃないか。」
*「……究極の魔法の資料が。」
マリベル「あんたたち どこから その話を聞きつけてきたのよ。」
*「君たちと違い われわれのような 高位の呪術師にとっては 常識なのだよ。」
*「魔王亡き今 われわれが その魔法を使って 世界を牛耳ることも できるやもしれん。」
*「しかし われわれは そんなことには興味はない。われらの目的は ただ未知なる 呪術を追い求めるのみ。」
*「そのためにも ここの神官長には 知っていることをすべて 話してもらわねばならん!」
*「……たとえ 何年かかろうとな。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ふーん あっそ。」
429 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:23:52.96 ID:QSmDR/W/0
マリベル「サイード 行きましょ。」
サイード「ん? ああ。」
そうして二人は黒づくめの集団の方へと歩き出す。
*「貴様 今の話を聞いていたのか!」
すかさず呪術師の一人が叫び、二人の動きを止める。
マリベル「うるさいわねえ。あんたたちの 目的はわかったから さっさとそこを 通しなさいよ。」
マリベル「もう一度言うわ。あたしたちは 大事な用があるのよ。」
*「この……!」
*「まあいいだろう その代わり……。」
[ 呪術師Aは メラを となえた! ]
サイード「っ……!」
呪術師は少女を指さすとそこから小さな火球を放つ。
*「われわれを 倒せたならな。」
マリベル「…………………。」
*「むっ?」
それを片手で弾き飛ばし、少女は再び前進する。
マリベル「なによ。そんな ちんけな呪文で あたしを ビビらせるつもりだったの?」
*「こいつ ただの小娘では ないようだな……。」
マリベル「わかったから そこを どきなさい。邪魔なのよ。」
*「ぐっ… 皆の者!」
呪術師の一人が叫ぶとさらにその後ろから何人かが出てきて少女を取り囲む。
マリベル「……やり合おうって言うの?」
*「ふんっ 女をいたぶるほど 落ちぶれちゃいない!」
*「もし おまえが われわれよりも 優れた魔法使いであれば ここを 通してやろう。」
マリベル「ふーん? で あたしは どうすれば いいわけ?」
*「ルールは簡単だ。われわれの中から その道の スペシャリストを出す。」
*「おまえが その者たちよりも 優れた力を 示せたらば 勝ちだ。」
*「かわいそうだから だれか 一人にでも 勝てたら 特別に通してやってもいいぞ。」
マリベル「あら? ずいぶん お優しいじゃないの。」
*「ふっふっふ。それだけ おまえとの 差は 歴然ということだ。」
マリベル「はいはい。それじゃ 外までいくわよ。」
マリベル「ここじゃ 床が ボコボコになっちゃうわ。」
そう言うと少女は踵を返し、青年と少年を残して歩いて行ってしまう。
*「…………………。」
*「生意気な 娘だ……!」
*「言わせておけ。どうせ われらの勝ちは目に見えている。」
*「そ…そうだな……。」
マリベル「いつまで グズグズしてんのよ? レディを 待たせる気?」
少女は呆れた顔で冷たく吐き捨てるように言った。
430 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:25:12.90 ID:QSmDR/W/0
マリベル「さっさとしてよね。こっちは 病人がいるのよ。」
神殿の敷地から外にやってくると、少女は腰に手をあてて呪術師の集団を睨む。
*「きさまらの 都合は知らん。本気で 邪魔をするつもりなら 暴力もいとわんぞ。」
マリベル「脅しはいいから 始めるわよ。まずは どいつかしら?」
*「減らず口を…… おい!」
*「…………………。」
無口な呪術師が前に立ち、少女と対峙する。
*「そいつは ギラ系の 専門家だ。まずは お手本を 見せてやろう。」
リーダーと思わしき人物が余裕をにじませた声で言う。
*「…………………。」
[ 呪術師Bは ベギラゴンを となえた! ]
無口な呪術師が呪文を唱えると目の前の足元から二本の火柱が現れ、前方で交差した。
するとその地点から真横一列に巨大な火柱が飛び出し、辺りの地面を焼いていった。
*「…………………。」
*「今のは ギラ系の 上級呪文 ベギ……。」
マリベル「ベギラゴン。」
*「…………………!」
*「なにぃっ!?」
リーダーの呪術師が説明を終える前に少女は同じ呪文を簡単にやってのける。
マリベル「……はあ。」
それもため息をするかのように。
*「くっ 今のはほんの序の口よ! 次だ!」
*「ハッ。」
リーダーに促され、背の高い男が前に出る。
*「そいつは バギの使い手だ! 驚いて 腰を抜かすなよ?」
“まだまだ勝機はある”と言いたげにリーダーは言う。
*「はああっ! バギクロスっ!!」
大きな掛け声と共に四本の巨大な竜巻が現れ、少女の前までやってくる。
マリベル「あぶないじゃないの!」
[ マリベルは バギクロスを となえた! ]
*「なんだって!」
少女は咄嗟に同じ呪文をぶつけて竜巻をかき消してしまった。その様子を見て思わず男は声を荒げる。
*「くっ… これも 引き分けか……!」
*「次だ!」
*「はい。」
431 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:27:33.95 ID:QSmDR/W/0
いらだつ男の後ろから背の低い女性と思われる呪術師が前に出てくる。
*「いきます。」
[ 呪術師Dは マヒャドを となえた! ]
今度は呪術師の上から無数の巨大な氷の刃が現れ、少女の目の前に次々と突き刺さる。
*「ふん! これで 身動きもとれまい。」
氷の向こうに消えた少女を見据え、司令塔が鼻を鳴らす。
マリベル「ちょうど 暑かったのよ。助かるわ。」
*「えっ…。」
突然氷の壁が割れたかと思えばその向こうから少女が現れ、涼しい顔をして言う。
マリベル「マヒャド。」
そのまま少女は呟くと呪術師たちを取り囲むように氷の刃を突き刺す
マリベル「でも 邪魔よね?」
マリベル「すううう… はあああ!」
すると今度はその壁の向こうから隙間目がけて煉獄の火炎を吹き付ける。
*「ぬおっ!」
*「あ あつい!」
呪術師たちの手前までやってきた火炎はあっという間に地面を焦がし、ぶすぶすと音を立てる。
両者の目の前にあった巨大な氷塊は、跡形もなくなっていた。
*「……ちぃ! ゆけ!」
*「おうよ。」
焦りを隠せないリーダーの前に立ちふさがるようにして大男が前へ飛び出す。
*「これならどうだ!」
[ 呪術師Eは メラゾーマを となえた! ]
詠唱を終えると男の真上に巨大な火球が形成され、少女と呪術師たちの間に着弾すると猛烈な火柱をあげて爆発した。
*「ふ ふふふ… どうだ! 先ほどの 子供だましとは 比べ物にもなるまい!」
マリベル「そうね。欠伸が出るわ。」
[ マリベルは メラゾーマを となえた! ]
男の放った火球の後を追うようにして巨大な火の玉が撃ち込まれる。
*「なんだとぉ!?」
大男が信じられないといった様子で叫ぶ。
マリベル「ふあ~ まだやるの?」
432 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:29:07.89 ID:QSmDR/W/0
*「な 舐めおってぇぇ!」
*「刮目せいっ!!」
その時、遂に痺れを切らしたリーダーの呪術師が叫び声とともに呪文を唱える。
[ 呪術師Aは イオナズンを となえた! ]
マリベル「……っ!」
その直後、想像を絶する大爆発が巻き起こり辺りを黒煙に包み込んだ。
*「ふ… ははは! ふははははっ! 見たか! 流石のおまえも これには……っ!?」
*「あ あれは!」
*「か 固まってる……!」
黒煙が晴れる中、呪術師たちが見たのは体を鋼鉄に変えた少女の姿だった。
マリベル「…………………。」
マリベル「ん……ふう……。」
次第に体の色が戻り動けるようになると少女は相変わらず冷たい眼差しで言う。
マリベル「ったく ホント サイテーね。あれだけ 言っておきながら しっかり 当てに来てるじゃないの。」
マリベル「都合が悪くなったら 消せば なんとかなる とでも思って?」
*「だ 黙れ 黙れぃ!」
*「貴様の番が まだ 終わってないぞ!」
マリベル「ったく 往生際が 悪いわね。」
マリベル「イオナ…! ……モゴモゴ……モゴゴっ!?」
[ しかし じゅもんは ふうじこめられている! ]
マリベル「…っ!」
いつものように指を突き出し呪文の詠唱をするも、魔力は少女の体の中に留まったままだった。
*「どうした? 今のはハッタリか? フフフフ……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「やってくれたわね……!」
不敵に笑う呪術師に少女は自分が何をされたのかを悟り、怒りの眼差しで呪術師たちを睨む。
*「何のことだ? われわれは 常にフェアだぞ?」
マリベル「よくも そんなセリフが言えたものね。人に マホトーンなんて かけておいて。」
*「困るなあ。いくら 呪文が使えないからと言って われわれのせいにされては。」
マリベル「……あっそ。わかったわ。今は イオナズンはおろか 呪文は一切使えないみたいだしね。」
*「ほう? 素直に 負けを認めるか。さすがは 物わかりの良い お嬢さんだ。」
マリベル「だれが 負けを認めるなんて 言ったかしら?」
*「…何だと……?」
マリベル「あんな しょぼい爆発で 勝った気になってるんじゃないわよ。」
*「このアマ……!」
マリベル「あんたたちなんて 呪文を使うまでも ないわ。」
*「もういい! 皆の者 やってしまえ! そいつを 黙らせるんだ!」
遂に堪忍袋の緒が切れたのか、呪術師たちは一斉に呪文を唱え少女を倒そうと仕掛けてくる。
マリベル「はいはい。結局はこうなるのよね。」
マリベル「……ビッグバン。」
433 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:31:33.61 ID:QSmDR/W/0
そう呟くと少女は両腕を前に突き出し、全てを破壊する大爆発に魔力を変えて呪文もろとも呪術師たちを吹き飛ばす。
*「ぐあああっ!」
*「ぎゃあああ!」
*「あああぐううっ!」
*「…………………。」
“パンッ…”
マリベル「安心しなさい 手加減しておいたわ。」
転がる呪術師たちを見渡して少女は掌を払う。
*「うう……。」
*「あ…ぐ……。」
*「こ… んな… こんな ばかな……!」
マリベル「これでいいわよね?」
“イオナズンに対する答えがこれだ”と言わんばかりに、
少女はボロボロになったリーダーの呪術師を見下して問いかける。
*「ぐ… 一つ… 聞かせてくれ……。」
マリベル「なによ。まだ なんかあるの?」
*「きさまは いったい……。」
マリベル「あーら そんなことも知らずに 勝負を吹っかけてきてたの?」
少女は心底あきれた様にため息をつき、再び目を見開くと呪術師たちに宣言する。
マリベル「世界一の美少女にして 世界の救世主 マリベルさまとは このあたしのことよっ!!」
*「…………………。」
*「マリベル… そうか おまえのような 娘がそうだったとはな……。」
マリベル「人は見かけにはよらないってこと よーく覚えておくのね。呪術師さま?」
*「…………………。」
マリベル「ふんっ。」
434 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:32:21.88 ID:QSmDR/W/0
力なく横たえる呪術師たちを背に少女は歩き出す。
マリベル「遊んでくれて ありがと。」
マリベル「つまらなかったわ。じゃあね。」
435 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:34:46.91 ID:QSmDR/W/0
サイード「……来たか。」
大神殿へと続く広場で戦いを見届けていた青年が、今まさにこちらに向かってくる少女に歩み寄る。
サイード「派手な 爆発だったな。」
マリベル「いまごろ みんな 仲良く昼寝してるわよ。」
サイード「じゃあ もう いいんだな?」
マリベル「まったく 失礼しちゃうわ。あたしを 誰だと思ってたのかしら。」
不機嫌そうに少女が言う。
サイード「……口のうるさい 小娘ぐらいだろう。」
マリベル「口のうるさい は余計よ!」
サイード「……そうだったな。」
”言うまでもなかった”とは言うまでもなかった。
マリベル「はやく 行きましょ! 神官長に会わなくっちゃ。」
サイード「どれ……。」
そうして青年は再び少年を背負うと、少女を追って大神殿の中へ歩いていくのだった。
436 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:36:17.78 ID:QSmDR/W/0
*「あ あなた方は!」
神殿の中へ入った二人におびえた様子の修道女が呼びかける。
マリベル「お久しぶりね シスター。」
*「マリベルさん あの呪術師たちは……。」
マリベル「表で ノびてるわよ。」
*「ああ 良かった……。すぐに 神官長に お知らせしなくては。」
サイード「おれたちは その神官長に用があって ここまで来たんだ。」
*「まあ! その背中の人は……。」
マリベル「強力な呪いを かけられちゃってね… 神官長に 解いてもらおうと 思ってきたの。」
*「それでしたら どうぞ こちらへ!」
そう言って階段の上まで昇ると修道女は長い赤色の絨毯の上を駆け、奥の方で男性と話し込んでいるようだった。
しばらくして戻ってくると少女たちをベッドの置かれた部屋へと通す。
*「すぐに 施術しますので 少々お待ち下さい。」
マリベル「ええ。」
そして急いで部屋を後にすると別の部屋の方へと走っていった。
437 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:39:35.43 ID:QSmDR/W/0
サイード「よっ…と。」
砂漠の青年は少年をベッドに横たえると近くの椅子を引っ張り出して少女を座らせる。
マリベル「ありがと…。ふあ……。」
ほとんど無尽蔵の魔力を持つとはいえ、
不眠の上に上級呪文を唱え続けさしもの少女もかなりの疲労を覚え、目をこすり大きな欠伸をする。
*「お休みになりますか?」
炊事場に立っていた修道女が少女に語り掛ける。
マリベル「いいえ。アルスが 目覚めるのを 見るまでは 眠れないわ。」
*「そうですか……。」
修道女が心配そうに見つめる中、少女は気休め程度にと自分に目覚めの呪文をかけて気を取り直す。
サイード「便利なものだな。」
マリベル「まあね。使い方次第では どんな 呪文だって 化けるわよ。」
マリベル「でも やっぱり 万能じゃないの。」
サイード「完全に 失われた命は 戻らない……か。」
青年はつい先日別れたばかりの妖精やスライムのことを思い出していた。
マリベル「そ。それに さっきみたいな連中は 力に溺れてばっかりで 呪文の本質を 見極めようとなんて してないように 見えたわ。」
マリベル「呪文ってのは ただ 自己満足のために あるんじゃなくて 誰かのために 役に立って はじめて その真価を 発揮するってのにね。」
サイード「…………………。」
マリベル「でも… でも それでも 万能じゃないの。」
マリベル「大切な人を 眠りから 覚ましてあげることもできない。」
少女の独白は続く。
マリベル「いろんな 呪文を覚えて どんなことだって できる気に なってたけど……。」
マリベル「やっぱり駄目ね。あたしは 所詮 ただの 網元の娘なのよ。」
マリベル「メザレであんたに あれだけ 説教したっていうのに……。」
少年の手を握るその手は震えていた。
マリベル「あたしも おんなじよ。どこまで いっても 人は人でしかない。」
マリベル「神さまに なんか なれないのよ……。」
そう言って少女は静かに瞳を閉じる。
マリベル「…………………。」
祈りをささげるその姿は言葉にならない美しさと慈しみを湛えていた。
*「……っ!」
見れば見るほど不思議な神々しさすら覚え、修道女はいつの間にか胸の前で手を合わせている自分の姿に驚く。
サイード「…………………。」
青年もどこか不思議な心地がしていた。普段は絶対に見せることのない少女の姿は、
この世に天使というものがいるならこういう者のこと言うのだろうかとすら感じさせるものがあった。
そして。
*「お待たせしました。」
438 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:41:43.53 ID:QSmDR/W/0
永遠に感じられた静寂を破り、緑の法衣に身を包んだ男が姿を現す。
この大神殿で代々受け継がれてきた神官長の名を持つ、まさにその人だった。
マリベル「…………………。」
*「アルスどのの ご容態は……。」
サイード「マリベル。マリベル!」
マリベル「…………………。」
いくら揺さぶっても少女は目を閉じたまま動かない。
少年の手を握り、祈りに集中していて周りの音も、感覚も、すべてが失われているかのように硬直していた。
*「…祈りに 集中しているようです。」
サイード「では おれが 説明しましょう。」
[ サイードは これまでの いきさつを 話した。 ]
*「そうでありましたか……。」
*「わたしが おチカラになれるかは わかりませんが 全力を尽くしましょう。」
サイード「お願いします。……彼女のためにも 彼の家族のためにも。」
青年は神官長に深々と頭を下げると少年のベッドから少し後ろへ下がる。
*「シスター よろしいかな?」
*「はい。彼女は どうしますか?」
*「大丈夫だ。このまま 施術する。」
*「わかりました。さあ あなたも。」
*「はい。」
神官長と二人の修道女は少年の身体に両手をかざし、どこの教会でも行われている祈りの言葉をささげていく。
*「おお われらが神よ! その身を賭して世界を救いたもうたアルスを 魔物にかけられし いまわしき呪いより 解きはなちたまえ!」
*「そして その意識を 再び ここに呼び戻し 迷える子羊を 救いたまえ!」
*「彼の者に祝福を!」
三人がそれぞれ言葉を言い終えると、不思議なことにどこからか朗らかな老人の声が聞こえてくる。
[ ほっほっほ。また ずいぶん ひどく やられたものじゃのう。 ]
[ 心配せんでよい。その子は もうすぐ 目を覚ますじゃろう。 ]
*「あ あなたは……っ!」
[ わしは いつも そなたらと 共にあるぞ。……では さらばじゃ。 ]
その言葉を最後に声は聞こえなくなった。
439 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:43:58.35 ID:QSmDR/W/0
*「神官長!」
*「い 今のは……。」
*「うーむ まさかとは 思ったが ひょっとすると……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「あの クソじじい…… どこ行ってたのよ…。」
気付けば俯いていた少女が目を薄く開いていた。
サイード「気が付いたか マリベル。」
マリベル「えっ……何のこと?」
サイード「…………………。」
少女は自分が祈りに集中して意識が途切れていたことには気づいていないようだった。
マリベル「そ それより アルスは……。」
*「さきほどの 言葉が 真であれば じきに目覚めると……。」
マリベル「お願いよ アルス! 目を覚まして……!」
アルス「…………………。」
マリベル「……もう…!」
マリベル「いつまで 寝てるのよ! ばかアルス!」
そう言うや否や少女はベッドに横たわる少年の上に跨ると頭を揺さぶり始める。
*「うっ!!」
突如響き渡った声に少女は思わず周りを見る。
マリベル「…………………。」
マリベル「いま 誰か 何か言った……?」
*「いいえ。」
*「わたしたちは何も…。」
*「むう?」
サイード「見ろ! アルスが!」
マリベル「えっ……。」
440 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:44:47.09 ID:QSmDR/W/0
*「ねえ あそぼ?」
*「…うん。」
夢を見ていた。
*「きょうも なーんもないね。」
*「そうだね。」
まだ幼いころ、二人だけで歩いた夕日の海岸。
*「あっちに いってみよ!」
*「あ まって。」
何かないかと立ち寄った桟橋。
*「あれ なにかな。」
*「きれいだね。」
*「そうだね。」
*「まっかだね。」
海底に見えた真っ赤なサンゴ礁の欠片。
*「…………………。」
*「…………………。」
*「ねえ とってきて あげるよ。」
*「ほんとっ!?」
*「うん まってて。」
きみにあげたくってぼくは海に飛び込んだ。
*「ねえ ほんとに だいじょうぶ?」
*「すぐ もどるから。」
*「うん まってる。」
*「…………………。」
*「…………………。」
*「…………………。」
*「ねえ… ねえ……。」
*「…………………。」
*「ねえってば……。」
*「…………………。」
*「ねえっ!」
441 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:46:06.69 ID:QSmDR/W/0
*「うぐっ… ひっ… ひっく……。」
*「それでは 命に別状はないんですね?」
*「ええ もう 大丈夫でしょう。」
結局ぼくはそのまま溺れてしまった。
*「ほら もう泣かないで。」
*「ぐすっ… でも あたしのせいで……。」
*「おまえのせいじゃないよ。」
*「勝手に 飛びこんだ この子が いけないんだから。」
騒ぎを聞きつけた大人たちによってぼくは助けられた。
*「しばらく 寝かせておきましょう。」
*「でも どうして この子は……。」
*「どうしたんだろうな。普段は引っ込み思案で おとなしい子なのに。」
*「ねえ ねえ……。」
彼女が呼んでいる。
*「おきてよ… おきてよぉ……。」
彼女が泣いている。
*「おねがいよ アルス! めをさまして……!」
目を覚まさなければ。
442 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:47:52.97 ID:QSmDR/W/0
サイード「見ろ! アルスが!」
マリベル「えっ……。」
アルス「く くるし……。」
青年の声に恐る恐る正面を向くと少年が苦しそうな顔をしながらうめき声を上げていた。
マリベル「あ ああ……。」
マリベル「アルス!」
アルス「うわっ!」
アルス「ま マリベル……?」
マリベル「アルス……。」
アルス「…………………。」
気付けば少年の目の前には少女の顔があり、いつの間にか頭を抱きしめられ唇を奪われていた。
頬を伝う雫は自らのものではなかったが、ちっとも拭う気になれなかった。
マリベル「…おはよう アルス。」
アルス「お おはよう マリベル……。」
唇が離れ少しだけ照れくさそうに少年は挨拶を交わす。
今はとっくに日も暮れてきているというのに、妙にしっくりくるこの言葉は
二人の間の時がようやく一日の始まりを迎えたような、そんな安堵の気持ちを表しているようだった。
サイード「ふっ……。」
それを見ていた青年はようやく自分の務めが終わったと言わんばかりに部屋を後にする。
*「どうやら わたしたちの お役目は終わったようですね。」
*「そのようだ。では これで失礼。」
*「しっかり 休んでくださいね。」
そう言い残して聖職者たちも青年の後を追って部屋を出る。
マリベル「ありがとうございました。」
最後の修道女に礼を述べるとその女性はにっこりと笑いそのまま静かに扉を閉めた。
443 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:48:47.47 ID:QSmDR/W/0
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
残された二人は身体を起こしてしばらく無言のまま扉を見つめていたが、やがて向き直ると再びお互いの体を抱きしめ合う。
マリベル「良かった… ホントに 良かった……。」
アルス「ごめん… 心配かけたね。」
マリベル「まったくだわよ。あたしが どれだけ 苦労したと思ってるのよ……。」
アルス「ごめん。」
アルス「ありがとう。マリベル。」
マリベル「うん……。」
アルス「ありがとう。」
マリベル「…ん……。」
アルス「マリベル。」
マリベル「…………………。」
アルス「…マリベル……?」
マリベル「…スゥー…… スゥー……。」
アルス「…………………。」
アルス「そっか。眠らずに 見ていてくれたんだね。」
少年は自分に身を任せたまま眠る少女の髪を優しく撫で、そのままベッドを捲って少女を寝かしつける。
マリベル「…んん… あるす……。」
アルス「……おやすみ。マリベル。」
そうして少年と入れ替わるように少女は深い眠りに落ちていったのだった。
444 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:51:20.80 ID:QSmDR/W/0
サイード「もう 動けるのか?」
少女を寝かしつけ、しばらくしてから少年は部屋を出た。
月明かりの下、青年が池のほとりに座っているのを見つけて歩み寄ると、それに気づいた青年が話しかけてくる。
アルス「うん。おかげさまでね。」
サイード「あいつは どうした?」
アルス「今は ぐっすり 眠ってるよ。」
サイード「そうか。ようやく か。」
アルス「一睡も してなかったんでしょ?」
サイード「そのようだな。」
アルス「…………………。」
アルス「ここに来るまでに 何があったの?」
サイード「話せば 長くなるな。」
アルス「…聞かせて くれないかな。」
少年は真剣な表情で頼み込む。
サイード「ふむ。おまえが幽霊船の中で 倒れたと マリベルから聞いてな。」
サイード「魔物の呪いを受けたと。あの時の あいつの取り乱しようは その……。」
あまり思い出したくないのか、青年は少し顔を逸らして言いよどむ。
サイード「とにかく おまえを横にした後は ああでもない こうでもないと いろいろ船のみんなで 話し合ったんだが 結局 何もいい案はないまま このマーディラスに たどり着いてな。」
サイード「それから あいつは 神に会いに行ったようだが あいにく 不在だったらしい。」
サイード「だがその時 ここに 呪いを解くことができる者がいると 突き止めたらしくてな。それから 一悶着あって 今に至るわけだ。」
アルス「そっか。それが さっきの 神官長だったわけか……。」
サイード「感謝するんだな。あいつはおまえのことを ずっと 気に病んでいたからな。」
アルス「ぼくが ああなったのは 自分のせいだと?」
サイード「そうだ。自分がついていながら 申し訳ないと 親父さんに謝ってたぞ。」
サイード「それに 自分の無力さを 嘆いていた。おれからすれば あれだけの 力をもっていて 何を恥じることがあるのかと 疑問に思ったものだがな。」
アルス「そっか… また ぼくのせいで 彼女を傷つけてしまったのか……!」
アルス「…………………。」
少年の握り拳から血がしたたり落ちる。
サイード「あまり 自分を責めすぎないことだ。それが 彼女のためだと おれは 思うが。」
青年は振り返りもせず言う。
サイード「おまえも 沐浴していくといい。シスターたちには 言ってあるから 覗きに来るものもいないだろう。」
アルス「……ありがとう。」
サイード「礼なら マリベルに …だ。」
アルス「でも きみにも 世話になった。」
サイード「気にするな。こうして 少しずつでも 借りを返していかないと 一生かかっても 返せないだろうからな。」
サイード「じゃあ おれはこれから 船に戻る。おまえたちの 無事を 報告しなければな。」
アルス「それなら ぼくが……。」
サイード「おまえは ダメだ。いまは あいつの 傍にいてやれ。」
アルス「…………………。」
アルス「わかった。それなら これを 使って。」
そう言うと少年は袋の中から魔法のじゅうたんを取り出し青年に手渡す。
サイード「助かる。それじゃ また 明日。」
青年を見届けた後、少年も袋から着替えを取り出し水浴びを始めた。
体の疲労は消えたはずなのに心はどこか重たく、とても自分の回復を喜ぶ気にはなれなかった。
そうしてしばらく体を浸し、少年は天を仰ぎながら少しずつ沸き上がる感情を洗い流していくのだった。
445 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:53:51.85 ID:QSmDR/W/0
アルス「ふー……。」
水浴びを終え、再び少年は少女が眠る部屋へと足を運ぶ。
アルス「…………………。」
食欲がないので眠れるかはさておき今日はもう横になろうと決め、少女の隣に開いたベッドへと歩いていく。
マリベル「スゥー… スゥー……。」
先ほどまで自分が寝ていたベッドでは少女が小さな寝息を立てて眠っている。
だがその顔はどこか寂し気で、眉間に少しだけしわを寄せているのがぼんやりと見えた。
アルス「…………………。」
しばらく少女の寝顔を眺めながら眠気がやってくるのを待っていた少年だったが、少しだけ少女の寝息に変化が現れた気がした。
アルス「……?」
注意深く少女の口元を見ていると何か言っているようにも見える。
少しだけ興味が沸いた少年はベッドから降りて少女の顔に耳を近づける。
マリベル「……す……。」
アルス「…………………。」
マリベル「あ……。」
アルス「…………………。」
“名前を呼ばれている”
そんな気がして少年はしばらく思案した後、そっとベッドをまくり少女の隣へと滑り込むと、その体を後ろから抱きしめる。
アルス「ぼくは ここにいるよ。」
少女の温もりを全身で感じつつ少年はそっと少女にささやく。
そして小さく、赤子をあやすように低く甘い声でゆりかごの歌を口ずさみながら少女の頭を優しく叩く。
後から少女の顔は見えなかったが寝息はまた規則的に繰り返され始め、安心してくれていることを感じさせた。
アルス「おやすみ マリベル。」
三日月が優しい光を放ちながら夜空を昇っていく。
少年に抱かれて眠る少女の夢には、いったいどんな景色が映っていたのだろうか。
それは少年にも、これから目覚める本人でさえも、わからない。
そして……
446 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:54:21.33 ID:QSmDR/W/0
そして 夜が 明けた……。
447 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:57:26.55 ID:QSmDR/W/0
以上第14話でした。
マリベル「アルス キーファ 遊んでくれて ありがと。つまらなかったわ。じゃあね。」
…どうしてもこのセリフを言わせたかったんです。
今回のお話には謎の呪術師集団が登場します。
もちろん原作にはいないオリジナルなのですが、
あの世界のどこかにそういう怪しい集団がいてもおかしくはないでしょう。
ましてや過去に魔法大国が実在したという設定を考えれば、
かの大神殿にそういった連中が集まってくることも考えられます。
理由は上記の通りですが、今回はマリベルの噛ませ犬という形でそんな可能性を実現させてみました。
誰しもが一度は「あんな呪文が使えたら」と思ったことはあるでしょう。
それがどんなものであれ、常識を覆す未知のチカラに憧れるのは無理もないことです。
ドラクエの世界には様々な呪文が登場しますね。
炎や氷、雨や風に爆発。傷を癒したり命を蘇らせたり、
変わったものではサンゴの渦を巻き起こすものまで、その種類は膨大です。
ゲームをプレイしている中ではなかなか思い及びませんが、
どんな呪文であれ様々な用途があるはずです。
前回マリベルが生鮮の冷凍保存を思いついたように、
それまで殺傷のために用いられてきた呪文でさえ生活のために役立てることができます。
「ものは使いよう」という言葉がありますが、
どんな技術であれ使い方を工夫すれば生活のために、人の役に立つのです。
されどどんなチカラも万能ではありません。
このお話で書いたように、どれほどの技術を持ち、どれほどのチカラを得たとしても成しえないことがあります。
そんな時、人は自分のちっぽけさを噛みしめることになるでしょう。
どうしようもできない状況に置かれた時、最後にできるのは「祈る」ということです。
わたしは普段超越的なものの存在などまるで意識しませんが、
都合の悪い時(或いは良い時もあるかもしれません)に限っては「神頼み」をしてしまうものです。
でも、実際にはこういうこともあり得ます。
「強い気持ちは、結果に作用する」
知らず知らずのうちに強い想いが行動の端々に現れ、結果的には良い結果を産む。
…なんてことが起こり得るのです。
そこで、せっかく「神さま」のいるドラクエ7なのだからということで
少女マリベルの強い願いが神に届いた結果、少年アルスの呪いは解かれるという
ちょっと奇跡的な展開を思いついたわけです。
少々ベタかと思いますが、話のタネはそういうことなのです。
…が、実際にアルスの呪いを解いたのが「神」なのか「少女」だったのかは、わたしも考えていません。
みなさまのご想像にお任せします。
ちなみにここで登場した移民の町ではPS版と3DS版の両方からキャラクターを出演させております。
誰が誰なのか、みなさんはわかりましたか?
…………………
◇次回はマーディラスでとあるイベントが行われます。
そしてマリベルとあの方との決着は果たして……?
448 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/06(金) 20:58:25.19 ID:QSmDR/W/0
第14話の主な登場人物
アルス
魔物の呪いを受け昏睡状態にあったが、
マリベルの必死の奔走により意識を取り戻す。
マリベル
眠りから覚めないアルスのためにあちこちへ飛ぶ。
祈るその姿は聖職者たちすら息を飲むほど美しい。
ボルカノ
息子の身を案じながらも漁師頭としての仕事をせねばならない自分に葛藤する。
マリベルにすべてを託し、船でアルスの帰りを待つ。
コック長
アミット号の料理長。
日々、アルスとマリベルの成長を目の当たりにし驚くと共に喜びを感じている。
アミット号の漁師たち(*)
一番のひよっこのアルスのことは可愛くて仕方がない。
それだけにアルスの容態を案じている。
サイード
漁師たちと共に商いに挑戦したり、
見た目のわりに重たいアルスを担いだりと忙しい一日を過ごす。
元々ひとが良いため困っている者は放っておけない性質。
神官長(*)
マーディラス大神殿にいる聖職者。
神父たちよりも強いチカラを持つが、呪術師たちに軟禁されていた。
謎の呪術師たち(*)
突如として大神殿を占拠した魔法使いの集団。
魔術を極めんと志すあまり、人としての振る舞いには少々難がある。
マリベルとの勝負に敗れ撤退する。
451 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:44:26.07 ID:KtF5zPtg0
航海十五日目: 仮面の踊る夜
452 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:45:19.33 ID:KtF5zPtg0
アルス「…ん…んん~……。」
気持ちのいい朝日が少年のいる部屋に差し込んでくる。
どうやら今日も空模様は好調のようだった。
アルス「あれ……?」
昨晩抱きかかえたままだった少女がいない。
アルス「マリベル……?」
辺りを見回しても少女の姿はなく、魔法研究をしている男たちが眠っているだけだった。
アルス「よいしょっと……。」
体を起こしてベッドから出ると少年は自分の持ち物を探るが、例のふくろが見当たらなかった。
どうやら少女が持ち出したらしい。
*「おはようございます アルスさん。」
部屋を出ると朝の早い修道女が少年に挨拶をしてくる。
アルス「おはようございます シスター。昨日は ありがとうございました。」
*「いいえ。お礼なら マリベルさんに。」
アルス「そうだ マリベルは……。」
*「マリベルさんなら 下に降りますが……。」
アルス「そうですか わかりました。」
そう言って少年は少女のもとを目指して階段を降りていく。
*「ああ! お待ちください 彼女は今……!」
少年が修道女の呼び声に気付いたのは階段を降り切ってからだった。
*「き きゃーっっ!」
アルス「…マリベル!」
突如響き渡る叫び声に少年は少女の危機を感じて走り寄る。
アルス「マリベ……へっ?」
少年の目に映ったのは体を池の中に隠し、腕を胸元で交差させて口をパクパクさせている少女の姿だった。
マリベル「…………………。」
少女の危機の原因は自分自身だと気づいたのはそれからもう間もなく、少年の視界が急に霧で包まれた時だった。
アルス「ま マヌーサ……!」
マリベル「アルスのばかああああ!」
神殿中に響き渡る大絶叫が、その日の朝の目覚ましだったとか。
453 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:46:22.94 ID:KtF5zPtg0
アルス「ごご ごめんよ マリベル! そんなつもりじゃ……。」
マリベル「へんたいへんたいへんたいへんたいへんたいっ!」
マリベル「アルスの ! やっぱり あんたは ムッツリ なのね!」
アルス「そんな 誤解だってば!」
マリベル「よりにもよって レディの水浴びを覗くなんて サイテー!」
マリベル「旅の間でさえ 見られなかったてのに どうして 今日に限って 油断しちゃったのかしらね!!」
アルス「だから これは たまたま……。」
マリベル「シスターの言うこと 聞いてなかったの? あたしが 入ってるって!」
アルス「それに 気付いた時には もう 遅かったんだって……。」
マリベル「どっちにしろ 見たんでしょ! 見たのよね~っ!?」
アルス「み 見てない! 決して 裸は見てない!」
マリベル「う~そつ~いた~ら どくばり千本の~ま……。」
アルス「大事なところは 見てないよ……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ザ……。」
アルス「本当です 信じてください マリベルさま!」
マリベル「キ。」
アルス「ぐふ……。」
[ アルスは しんでしまった! ]
死の間際、意識の遠のく中で少年はこんなにあっさりと死んでしまうにもかかわらず、不思議と心地よいと感じていたのだった。
それは最後に見た少女の顔が羞恥と怒りと驚愕が入り混じったようななんとも言えない悩ましさを湛えていたからかもしれない。
The end.
454 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:48:02.05 ID:KtF5zPtg0
アルス「ここはどこだろうか。」
神「おお アルスよ しんでしまうとは なさけない…。」
神「そなたに もういちど きかいを あた……。」
アルス「えっ なんですって?」
神「…た…び… の……な……… …い…う……。」
アルス「うわっ うわあああ!」
455 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:49:19.53 ID:KtF5zPtg0
*「ザオリク。」
アルス「う ううん……。」
少年がわけのわからない夢を見ているとどこからか少女の声が聞こえ、意識は再びこの世に引き戻されていた。
アルス「いたた……。」
*「気が付いたかしら?」
アルス「…っ!」
真上から降ってきた声に少年は一瞬戦慄を覚える。
もちろんその声の主は先ほど自分を正体不明の世界に追いやった魔王のそれだったからだ。
アルス「ひぃ おたすけ……!」
再び少年は目を瞑る。
”まさかこのまま死と生を無限に繰り返されるのではなかろうか”
そんな恐怖がこみ上げてきたからだ。
アルス「…………………。」
しかしいつまで経っても恐怖の言葉は降ってこない。
アルス「……?」
恐る恐る目を開けるとそこには少女の顔があった。
アルス「マリベル……さま…?」
そもそもここはどこなのだろうか。少女の名前を呼ぶが返事は返ってこない。
アルス「ぼくは いったい……。」
マリベル「アルスの 。」
アルス「だ だから……。」
マリベル「どうだった?」
アルス「えっ!」
456 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:50:06.63 ID:KtF5zPtg0
少年にはわけがわからなかった。
少女の頭ごしに見える景色は吹き抜けの天井。
頭の感触に気付けばそこは少女の膝の上。
顔を真赤にして問う少女。
必死に頭を回転させて少女の言わんとしていることを探り当てようと試みるも、いまいち確信はもてない。
アルス「それは つまり どういう……。」
マリベル「だ だから あたしの裸 みたんでしょ…?」
アルス「い いや だから……。」
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
マリベル「ママにすら 見せなかったのに…… ぐすん。」
アルス「わっ わっ マリベル 待って!」
マリベル「ぐす……なによ。」
アルス「その ……きれいだったよ。」
マリベル「…………………。」
アルス「大事なところは やっぱり見てないけど。」
マリベル「……ほんと?」
アルス「うん。ぼくの目に 狂いはない。」
マリベル「…アルス……。」
アルス「…マリベル……。」
マリベル「……ザキ。」
アルス「ぐはっ。」
それが少女の照れ隠しだったのか本当の怒りだったのかはわからない。しかし少年は薄れゆく意識の中こう思うのだった。
“ちゃんと 見ておけば 良かった。”
[ アルスは しんでしまった! ]
457 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:50:46.65 ID:KtF5zPtg0
マリベル「仮面舞踏会?」
*「ええ グレーテ姫の思い付きで 今日 ここで 開催されるんです。」
アルス「…………………。」
あれから再びこの世に舞い戻った少年と二度の殺人を犯した少女は、
神殿に住まう修道女から本日ここで開催されるという国の催事について情報を得ていた。
マリベル「ふうん。面白そうじゃない ね アルス!」
アルス「……そうだね。」
興味津々の少女に対して明らかに不機嫌そうな少年が答える。
マリベル「で それって いつ頃 始まるのかしら?」
*「夕方から 真夜中までと 聞いています。よろしければ ご参加していってみては?」
マリベル「おほほほ! ついに このあたしも 社交界デビューってわけね!
アルス「…そう 楽しんできてね。」
マリベル「……えっ?」
“きっと自分が行くと言えばとりあえず自分も行くと少年は言うだろう”
そんな流れを予想していた少女は豆鉄砲を喰らったかのように目を見開いている。
アルス「ぼくは ちょっと 体調が悪いから 今日は大人しくしてるよ……。」
マリベル「ちょちょ ちょっと アルス! あんたってば あたしを一人で 行かせる気っ!?」
想定外の事態に少女は狼狽する。
アルス「ごめん マリベル。でも きっと きみなら 大活躍 間違いなしだよ。」
少年は淡々と答える。
マリベル「…………………。」
マリベル「おーほほほ! そうよね。あんたがいなくても あたし一人で 会場を沸かせるには 十分よね~… ほほほ……。」
いまいち開き直れず少女は中途半端に威張って言う。
アルス「ぼくも 応援してるよ マリベル。」
少年はまっすぐ少女を見据えて言う。その瞳にいつもの輝きはなく、言われてみれば体調が悪そうとも見えなくはない。
*「……?」
二人の微妙な変化に気付かぬ修道女は疑問符を頭上に浮かべて首をかしげるしかなかった。
458 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:51:47.02 ID:KtF5zPtg0
*「…え……。」
*「ね…………す…。」
アルス「…………………。」
*「ねえったら!」
アルス「…ん……?」
マリベル「ん~? じゃないわよ!」
神殿からの帰り道、うわの空で絨毯を飛ばしていた少年は少女の声に気付かずにいたようで、
痺れを切らした少女が少年の肩を揺すりながら呼ぶ。
マリベル「ねえ もしかして 怒ってるの?」
アルス「…怒る? ぼくが?」
マリベル「そうよ……。」
アルス「どうして?」
マリベル「そりゃあ あんた……。」
アルス「船が 見えてきたよ。」
マリベル「えっ。」
自分の思考を遮る少年の言葉に視線を前へ移すとそこには確かに港に停泊する漁船アミット号の姿があった。
アルス「みんなにも 迷惑かけちゃったな。」
明らかに落胆した様子で少年が言う。
マリベル「そ そうよ! あんたのために みんな 苦労したんだからね!」
アルス「うん。」
少年を叱咤する。
そうでもしなければ少女は平常心を保っていられないような気がしていた。
マリベル「みんなに ちゃんと お礼言っとくのよ? とくに ボルカノおじさまと サイードは あんたのこと……。」
アルス「わかってる!!」
マリベル「っ……!」
アルス「っ…! ご ごめん……。」
無意識だったのだろうか、普通に言ったつもりが大声になってしまい少年は自分でも驚き、すぐに少女に謝罪する。
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
“いったい彼女は今どんな顔をしているのだろうか”
後に座るその人の表情を想像しただけで少年は心に凍てつく刃が突き刺さるような感覚を覚えた。
アルス「ごめん……。」
しかし少年には振り返る勇気がなかった。
どんな脅威にも立ち向かっていくいつものあふれ出る勇気は微塵も出なかった。
マリベル「…ん……。」
少女も小さく返すだけでそれ以上の言葉はでなかった。
次に出てくる言葉はきっと少年だけではなく、自分すら傷つけてしまうのではないか。
そんな恐怖が背筋を走り、とてもではないが何かを話す気にはなれなかった。
459 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:52:40.96 ID:KtF5zPtg0
ボルカノ「アルス! マリベルちゃん やったな!」
船に到着してからは物凄い歓迎ぶりだった。船員たちが全員甲板に集まって少年と少女を迎え、その無事を喜んだ。
*「おかえり アルス!」
*「おまえが いないと どうにも 落ち着かなくてよ~。」
*「一時は どうなるかと 思いましたよ……!」
アルス「父さん みなさん 心配をおかけして すみませんでした。」
詰め寄る漁師たちに少年が俯く。
ボルカノ「気にするな。」
ボルカノ「おまえが 無事 戻ってくれた。それだけで もう 言うことはねえ。」
そんな息子の肩に手を置き船長が微笑む。
コック長「マリベルおじょうさんも よく がんばりましたな!」
マリベル「……うん。」
なんとも言えない表情で少女が料理長の労いに頷く。
*「聞いた話によると 今日は 仮面舞踏会ってのが あるそうじゃ ないか。」
そんな折、銛番の男が城下町で耳にかじった話を持ち掛ける。
ボルカノ「今日は この国で 一泊するから ふたりで 行って来たら どうだ?」
アルス「せっかくの ところ 悪いんだけど ぼくはちょっと 体調が……。」
気を利かす父親に返す少年の表情は、どうにも浮かないものだった。
マリベル「…………………。」
ボルカノ「むっ? まだ 呪いの影響が残ってるのか?」
ボルカノ「なら まあ 無理はするな。」
ボルカノ「これから ここのお姫さまんところに 行くんだが お前は 船か宿で 休んでいたほうがいいだろう。
アルス「はい ごめんなさい。」
ボルカノ「いいってことよ。」
ボルカノ「マリベルちゃん 悪いんだが 一緒に 城に行ってくれるか?」
マリベル「も…もちろんですわ。」
一瞬狼狽した様子を見せるも、なるべく悟られないように平静を装って少女は答える。
サイード「ボルカノどの おれもお供していいですか?」
サイード「この国でしばらく 厄介になる以上 君主に挨拶ぐらいしておかねばと 思いまして。」
ボルカノ「おう! かまわねえぜ。」
サイード「ありがとうございます。」
こうして少年を船に残して漁師たちは城下町へ、
船長と少女、それから砂漠の民の青年は城へと向かってそれぞれ歩き出すのであった。
460 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:53:14.58 ID:KtF5zPtg0
ボルカノ「へえ この国のお姫さまってのは そんなに すごい人物なのか。」
マリベル「そりゃ すごいなんて もんじゃないわ。…もう いろんな 意味で。」
サイード「ほう そいつは 楽しみだな。」
城下町を抜けた橋の上、漁師たちと別れた三人はこれから謁見する国の主のことについて話していた。
マリベル「なんせ あの年で こんな大国を仕切ってるんだから 仕事のできは たしかよ。」
マリベル「ただ……。」
ボルカノ「ただ?」
マリベル「…………………。」
言葉の続きは出てこず、代わりに少女は沈黙する。
サイード「……?」
マリベル「二人とも お願いがあるんだけど……。」
ややあって口を開いたかと思えば少女は立ち止まり、神妙な面持ちで二人を交互に見やる。
ボルカノ「なんだい?」
マリベル「その… お姫さまには アルスが来てること 黙っててほしいの。」
サイード「なにか あったのか?」
マリベル「…………………。」
青年の問いにも、少女は俯いて何も話そうとしない。
ボルカノ「…………………。」
ボルカノ「わかった。アルスは家にいることにしよう。」
サイード「まあ いいだろう。」
見かねた少年の父親が気を利かして承諾すると青年もそれに続く。
マリベル「ごめんなさいね。」
申し訳なさそうに言う少女の目には若干の安堵の色が浮かぶ。
件の姫が住まう城は、もう目の前に見えていた。
461 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:55:14.80 ID:KtF5zPtg0
アルス「ふー……。」
一人船に残された少年は船縁に腕を置いて海の彼方を見つめていた。
アルス「久しぶりだな……。」
“こうして一人で静かな時をのんびり過ごすのはいったいいつ以来だっただろうか”
“過去の世界で魔王を倒してつかの間の休息を得た、あの時が最後だっただろうか”
アルス「…………………。」
少年は潮風を受けながらこれまでの旅のことを思い出していた。
幼馴染二人と好奇心から旅を始めて紛れ込んだ過去の世界。
初めて見た魔物への恐怖や高揚感。救われない人々と救われた人々。
新しい仲間との出会いと親友との別れ。少女の離脱。
魔王との邂逅。偽りの神の降臨。封印された故郷と伝説の海賊たち。
世界の復活と魔王の出現。そして全員で挑んだ魔王との最終決戦。
アルス「ふふっ。」
わずか二年のうちに起きたあっという間の出来事。
しかしそのどれもこれもが昨日のことのように思い出される。
それほど凝縮されて濃い時間だった。
そしてそれは少年にとってかけがえのない思い出であり、そのすべてが今の少年を形作っていた。
あの出来事がなければいまだに自分は臆病な漁師の息子としてある意味幸せに過ごしていただろう。
だが今は別の意味で幸せに過ごしていると言えた。
何も知らない幸せと、運命を切り開き、すべてを受け入れ充実のうちにいる幸せとでは天と地ほどの差があったのだ。
こうして今の自分がいること、それそのものが少年の幸せだった。
そしていつも隣には少女がいる。旅の始まる前のあの日と同じように。
そこまで思いを巡らせて少年は少女の顔を思い出す。
アルス「マリベル……。」
幼馴染の少女はどんなに文句を言っても結局は最後まで自分と共に旅を続けてくれた。
少年にはわかりかねていた。
少女を突き動かしていたのは彼女の好奇心なのか、彼女なりの使命感だったのか。
答えはどちらも正しかった。だがそれだけではなかった。
今回の船旅の初日に少女はもう一つの答えを教えてくれたのだ。
“あんたと 一緒に いたかっただけ”
少年は嬉しかった。小さい頃から一緒に育った少女はこんな自分のことを好いてくれていたのだ。
ワガママで、高飛車で、見栄っ張りで、強情で、人を見れば毒を吐く表向きの姿。
今思えばそのどれもが少年に対する寂しさで、自信のなさと素直じゃない優しさの裏返しだったのかもしれない。
だが、少女は勇気を振り絞って思いの丈をぶつけてくれた。
少年は思った。“二度とこの笑顔を曇らせまい”と。
しかし実際はその顔を濡らしてばかりだった。
旅の最中どんなに辛いことがあっても涙を見せなかったあの少女が、この船旅ではか弱い女の子のようにその目を泣き腫らしている。
魔王すら打ち倒したあの英雄の少女が。
アルス「…どうして………。」
その原因を作るのはいつも少年だった。
“いつも泣かせるのは自分だ”
“どうしてこんなにも彼女を悲しませているのか”
“何が彼女を弱くしてしまったのか”
思えば今朝だってそうだった。必死になって自分を眠りから覚まさせてくれた少女。
その顔を再び自分が曇らせてしまうことになろうとは思いもしなかった。
自分に非があるとはいえ、あの仕打ちにはすっかり堪えてしまい一刻も早く少女と離れたくなり、いつにも増して口数が減ってしまった。
そして今に至る。
思えばそれすら彼女を傷つけていたのかもしれない。
462 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:55:54.08 ID:KtF5zPtg0
アルス「くそ……!」
少年は自分の不甲斐なさを恨んだ。
“どうしていつもこうなるのだろう”
良かれと思ってすることは結局彼女を悲しませてしまい、最後は自分で彼女を慰めることになってしまう。
“どうすれば彼女は笑ってくれるのか”
“どうすれば彼女は喜んでくれるのか”
アルス「わからない……。」
*「にゃん。」
トパーズ「な~。」
気付けば足元で二匹の猫が少年の顔を見上げていた。
トパーズ「な~うなうなう~。」
お腹でもすいたのだろうか、少年の脚に前足をかけて伸びあがり何かを催促しているように見える。
アルス「ごはん?」
トパーズ「…………………。」
アルス「はは… わかったよ。」
“少し頭を冷やそう”
“彼女のことはそれからゆっくり考えればいい”
そう思って少年は猫を連れて船室へと下っていく。
太陽はちょうど少年の真上まで差し掛かっていた。
463 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:57:09.53 ID:KtF5zPtg0
グレーテ「よくぞ まいった 旅の者たちよ。」
少年が一人甲板で海を見つめていた頃、三人はマーディラス城の謁見の間にやってきていた。
ボルカノ「お目にかかれて 光栄です 姫さま。」
先陣を切って船長が挨拶をする。
グレーテ「うむ くるしゅうないぞ。」
ボルカノ「本日は わが グランエスタード王より 親書を お届けにまいりました。」
[ ボルカノは グレーテに バーンズ王の手紙・改を 手わたした! ]
グレーテ「なんと! エスタードとな?」
グレーテ「むっ そなたは!」
姫はそこで男二人の背に紛れていた少女に気付く。
マリベル「ごきげんうるわしゅう。お姫さま。」
二人が間を開けるとその場で少女はドレスの両端をつまんで挨拶する。
グレーテ「マリベルではないか! ということは……。」
マリベル「お生憎 アルスはいませんわ。ね ボルカノおじさま。」
そう言って少女は少年の父親の顔を見て目配せをする。
ボルカノ「ん? ああ そうだな。」
グレーテ「…そのほうは アルスとは どういう関係なのじゃ?」
二人の会話を聞いて疑問に思った姫が少年の父親に尋ねる。
ボルカノ「申し遅れました。わたしは アルスの父親で ボルカノという者です。」
グレーテ「なんと! アルスのお父上であったか! これは これは 失礼いたした。」
グレーテ「わらわは グレーテ。このマーディラスの あるじじゃ。」
少年の父と聞いた途端、姫は佇まいを直し改めて名乗る。
ボルカノ「ははっ。」
グレーテ「して なにゆえ そちたちが まいって アルスが 来ておらんのじゃ?」
マリベル「そ そのアルスは……。」
ボルカノ「アルスは 漁師としての修行をするべく 一人で漁にでております。」
少女の言葉を遮るように少年の父親が語る。
グレーテ「むう… やはり アルスは 漁師になると申すか… ううむ……。」
ボルカノ「…なにか?」
グレーテ「いいや なんでもないぞえ?」
マリベル「…………………。」
グレーテ「もし アルスが その気になってくれれば わらわの夫にと 思っていたのじゃがのう……。まこと 残念じゃ。」
グレーテ「…………………。」
姫は俯いて悲しそうに眼を伏せていたが、しばらくすると顔を上げて言う。
グレーテ「しかし アルスが 目指す道とあらば わらわも 全力で 応援するまでじゃ。」
グレーテ「ボルカノどの マリベル。アルスを頼んだぞえ?」
マリベル「えっ……!」
グレーテ「わらわの目は 誤魔化せんぞ? ……そちの気持ちもな。」
マリベル「そ そんな あ あたしは……。」
グレーテ「よいよい。無理に申さんでも。同じ男に 惚れてしまった オトメの気持ち わらわにはよくわかるぞ?」
言いよどむ少女に姫は微笑みかける。
マリベル「姫さま……。」
グレーテ「…わらわも 新しい恋を 探さねばならんようじゃの。」
名残惜し気な溜息が、静寂を押し流していく。
464 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:57:54.12 ID:KtF5zPtg0
グレーテ「……さて この話はこのへんにしておいて と。」
グレーテ「ボルカノどの そなたらの王には 良きに計らう旨 伝えておいてくれぬか。」
ボルカノ「ありがとうございます。」
グレーテ「うむ。」
グレーテ「それで…… そのほうは?」
忘れていたと言わんばかりに姫は青年に声をかける。
サイード「砂漠の民 サイード と申します。旅の道すがら しばしの間 貴国でご厄介になりますので ご挨拶にと。」
少し後ろから三人のやり取りを眺めていた青年は前に出ると深々と頭を下げて挨拶する。
グレーテ「ほっほっほ! そうであったか。」
グレーテ「見れば そちも 若くて なかなかの ハンサム顔じゃのう。」
サイード「め 滅相もございません。」
グレーテ「つれないのう。」
グレーテ「…まあよい。しばらく ゆっくりしていくがよいぞ。」
サイード「ははっ。」
グレーテ「そうじゃ せっかく 今日 ここにいるのじゃからな。みな 仮面舞踏会に 参加するがええぞえ。」
グレーテ「顔も分からぬ誰かと 手をとって踊るとは なんと トキメキであろう……。」
グレーテ「ま わらわほどの 美貌をもってすれば 仮面の上からでも バレバレじゃろうがの。ほっほっほ!」
そう言って姫は口元を押さえて上品に笑うのだった。
465 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 17:59:15.99 ID:KtF5zPtg0
ボルカノ「しっかし 驚いたな。」
無事謁見を済ませた三人は再び城下町へと戻ってきていた。
ボルカノ「アルスに あんな キレイなお姫さまの知り合いが いたとはよ。」
サイード「しかも アルスに惚れていたと……。」
サイード「まったく どこまでも すごい奴だよ。」
青年と船長は先ほど会ったばかりの姫について感想を述べあっていた。
マリベル「…………………。」
ボルカノ「どうしたんだい マリベルちゃん。」
サイード「浮かないを顔してるな。」
目の前で恋敵が降参したというのに少女はどこか落ち着かない様子で手を擦っている。
しばらくそのままでいたが、少女は意を決したのか手を下ろして少年の父親に話しかける。
マリベル「ねえ ボルカノおじさま。」
ボルカノ「なんだい?」
マリベル「もし アルスが漁師にならないで 王さまになるって言ったら ボルカノおじさまは どうしました?」
ボルカノ「…………………。」
ボルカノ「あいつの 好きにさせただろうな。」
マリベル「えっ……。」
ボルカノ「オレは もともと どんな道であっても あいつの好きにさせてやるつもりだったんだ。」
ボルカノ「だが あいつは 漁師になって オレのあとを継ぐことを選んだ。」
ボルカノ「どんな 理由があったかは 知らねえが オレはそれだけで じゅうぶんだよ。」
マリベル「…………………。」
466 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:00:01.20 ID:KtF5zPtg0
やはり少年の父親は誰よりも少年のことを信頼していたのだ。
息子がたとえどんな道を選ぼうと、それが息子の決めた道ならば大手を振って見守ろうと。
思えば今はいないもう一人の幼馴染の父、グランエスタードの王もそうだった。
一度は落胆したものの、彼もまた息子の進んだ道に誇りをもちその背中を全力で押してやったのだ。
“親というのはそういうものなのだろうか”
そんな風に少女が考えていた時だった。
ボルカノ「きっと マリベルちゃんも そうだったんじゃねえのか?」
マリベル「っ……。」
どうやら少年の父親にはお見通しのようだった。
船出の日に確かめ合った互いの気持ち。それは偽りのない本心からの言葉だった。
愛する者の進む道ならばどんな形であれそれを応援してあげたいと。
ボルカノ「あいつは幸せもんだな。こんなにも いろんな人から 愛されてよ。」
ボルカノ「父親として 鼻が高いぜ。」
マリベル「…………………。」
ボルカノ「ところで マリベルちゃん 今日は舞踏会に行くんだろ?」
ボルカノ「衣装は 大丈夫なのかい?」
マリベル「へっ!?」
ボルカノ「たぶん それなりにみんな めかしこんで来るだろうし マリベルちゃんも 今のうちに パーティー用の ドレスをさがしておいた方が いいんじゃないのか?」
マリベル「あ いけない… すっかり 忘れてた……。」
父親の言葉に少女は口を押えて俯く。
サイード「じゃあ ここからは 別行動だな。」
サイード「おれは まだ 参加するか決めてないが まあ いざとなれば 適当に見繕って 行くとするさ。」
サイード「いまは ひとまず 城下町を散策してくるかな。」
そう言って青年はあいさつを交わして雑踏の中に消えていった。
ボルカノ「オレも野郎どもと合流して 今日は 羽休めといくか。」
ボルカノ「それじゃあな マリベルちゃん。」
マリベル「あ…はい……。」
そうして漁師頭も宿屋の方を目指して去って行った。
マリベル「…………………。」
一人きりになった少女はしばらくその背中を見つめていたが、やがて服飾店を見つけると吸い込まれるようにその中へと消えていった。
今は昼時。
舞踏会の始まりまでは、まだ時間がたっぷりあった。
467 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:01:11.91 ID:KtF5zPtg0
マリベル「うーん。」
少女はまるで魔王と対峙するかのような真剣な目つきでドレスの品定めに興じていた。
*「舞踏会に ご参加するのですか?」
見かねた店主の女性が尋ねる。
マリベル「ええ。」
*「それでしたら こちらのドレスはいかがですか?」
そう言って店主は少女に桃色の可愛らしいふっくらとしたプリンセスタイプのドレスを見せる。
マリベル「かわいいわね。」
*「これなら お客様にもぴったりですよ。」
少女の体にドレスを当てて店主が微笑む。
マリベル「…………………。」
しばらく少女は鏡に映った自分の姿を見つめる。
もう十八になる少女だったが世の中の女性からすれば決して背のある方ではない。
旅を始める前よりかはプロポーションも抜群になったと自負はしていたが、
それでも豊満な体を武器にする踊り子たちにはかなわないとはわかっていた。
しかし端整な少女がこの何重にもフリルをあしらったふわふわのドレスを着れば、
それこそ世界中の男たちを虜にする“マリベル姫”が誕生することだろう。
マリベル「そうかもしれないわね。でも……。」
*「はい なんでしょう。」
マリベル「あっちのでいいわ。」
そう言って少女が指さしたのは、今着ている普段着の青いワンピースよりも控えめな紺色でストラップレスタイプのロングドレスだった。
*「たしかに お似合いだとは思いますが… 舞踏会には 少々 地味じゃないですか?」
店主の言う通り、そのドレスはスパンコールのような派手さもなく、フリルのような可愛さもない。
クリノリンでスカートを広げもしない。
腰から少しだけロングスカートを浮かせただけの何の飾り気もない素朴なドレスだった。
マリベル「いいのよ。これくらいが あたしには おあつらえ向きだわ。」
しかし少女は譲らなかった。
*「でも 良い生地を使ってるんですよ これは。きっと お客様の肌で 実感していただけますわ。」
マリベル「そう それは 楽しみね。」
店主もそれ以上は何も言わなかった。素直にそれを勧めてくれ、少女は購入を決めると軽く会計を済ませる。
*「ありがとうございました! また お越しくださいませ。」
決して安い買い物ではなかったが少女の財布は旅を終えた今や無尽蔵と言ってもよかった。
“彼もこれくらいなら笑って許してくれるだろう”
そう思いながら少女は店を後にするのだった。
468 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:01:54.52 ID:KtF5zPtg0
マリベル「お腹すいた……。」
服飾店を後にした少女は昼食をとりに再び町へと繰り出す。
マリベル「相変わらず 賑やかなところね。」
久しぶりに見て回るマーディラスの都は活気にあふれていた。
歌いながら踊りの練習をする男女、楽器の練習に余念のない楽師、しゃがれた声で歌う二人組の屈強な男。
”ここの空気を吸っていれば自分もこんな風になってしまうのだろうか”
そんなことを少女が考えていた時だった。
*「あれ~ そこにいるのは マリベルじゃないのかい?」
不意に後ろから呼び止められ振り返るとそこには赤髪のハンサム顔の男が立っていた。
マリベル「ヨハン!」
ヨハン「いつもと 恰好が違うから 一瞬 誰だか わからなかったな。」
ヨハン「にしても 魔王討伐のがいせん 以来じゃないか! 元気してたかい ベイビー!」
マリベル「だ~れが ベイビーよ。あいかわらず 調子いいのね。」
ヨハン「これから お昼かい? なら 一緒にどう?」
青年はいつもの調子でナンパするかのように少女を誘う。
マリベル「…………………。」
マリベル「まあ いいわ。どっか 良い店でも 紹介しなさいよ。」
ヨハン「ありゃ てっきり 誰があんたと! とか言われるかと 思ったんだけど。」
拍子抜けといった感じで青年は冗談を飛ばす。
マリベル「ぶっとばすわよ?」
対する少女はむっとした様子でにらみつける。
ヨハン「こわいなー! よしてくれよ。」
マリベル「行くの? 行かないの? あたしは別に 一人でも かまわないんですけど。」
ヨハン「わ~かった わーかった! 案内するから ついてきなよ ベイビー。」
そうして不機嫌な少女を連れて青年は陽気に歩き出すのだった。
469 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:03:28.05 ID:KtF5zPtg0
*「いらっしゃい。おや ヨハン 新しいガールフレンドかい?」
ヨハン「ははっ まあ そんなところさ。」
マリベル「な~に うそ 吹き込んでるのよ。」
マリベル「マスター こいつが 女の子連れてたら どいつもこいつも シリガル女だと 思わない方がいいわよ。」
*「はははは! こいつはまた 気の強そうなコだ。」
*「それで ご注文は? おじょうさん。」
マリベル「豆のスープでも 貰おうかしら。」
ヨハン「オイラ がっつり肉が 欲しいぜ。」
*「あいよ。」
注文を聞き終えると店の主人は背を向けて調理に勤しむ。
ヨハン「そういや アルスは 一緒じゃないのかい?」
青年は先ほどから疑問に思っていたことを口にする。
少女は基本的にあの少年とセットで現れるものだとばかり思っていたからだ。
マリベル「ああ アルスなら 体調が悪いって言って 休んでるわよ。」
少女はなるべく悟られまいとあっけらかんと答える。
ヨハン「へえ 珍しいこともあるもんだな。あの ビンビンのアルスが 調子悪いだなんてよ!」
マリベル「そうね……。」
ヨハン「なんだよ 元気ねえなあ ベイビー。もしかして そのことで アルスと何かあったのかい?」
マリベル「ばっ バカ言わないでよね!」
ヨハン「ははぁ~ん そうかそうか!」
青年は経験豊富なだけあってこの手のことには非常に勘が良いらしく、
少女が何かを隠していることはすぐにわかってしまったようだ。
マリベル「ちょっと ヨハン~?」
ヨハン「うっ。まあ なんだ。どんなことがあっても あいつなら 大丈夫さ! うん。」
マリベル「…………………。」
青年の適当な言葉を聞き流しつつ少女は先ほどの姫の言葉を思い出していた。
彼の生き方や行く道がどんなものであれ応援したいという気持ちは、どうやら彼の姫とて同じようだった。
だが彼女は立場上、自分がここから離れるわけには行かないという使命感から少年のことを諦めたのだった。
マリベル「は~……。」
どこかで安堵する自分がいたが、一方で彼女に対して申し訳ないような気がしてならなかった。
嘘をついて少年の居場所を隠したことも、自分が少年を独り占めしてしまったことも。
好いてしまったものを諦めるということはどれほど辛いことなのか、
何度と歯がゆい思いをしてきた少女にはそれが痛いほどわかっていた。
*「どうぞ。」
マリベル「ありがと。」
どうしても拭えない後ろめたさのせいか、出された食事もほとんど味を感じられなかった。
470 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:04:18.59 ID:KtF5zPtg0
マリベル「つき合わせて悪かったわね ヨハン。」
酒場を後にして宿屋の前までやってきていた二人はそこで別れることにした。
ヨハン「いいってことよ。かわいい女の子と 過ごせるなら オイラは本望さ。」
少しも気にしていない様子で青年は軽口を飛ばす。
マリベル「ったく 少しはうちのアルスを みなら……。」
マリベル「…………………。」
“口が滑った!”と言わんばかりに少女は両手で口を押える。
ヨハン「…………………。」
ヨハン「ぶふっ!」
マリベル「なっ!」
ヨハン「悪い悪い! うん! わかってるから! な~んも言わなくていいって。」
マリベル「なによ バカにして……!」
ヨハン「う~ん。何か悩んでるなら 直接その人と 腹割って話した方が 早いこともあるってもんだぜ? ベイビー。」
マリベル「えっ?」
ヨハン「それが アルスだか お姫さんだか 知らないけどよ。」
マリベル「…………………。」
まさかこの青年にそんなことを言われるとは思ってもみなかった少女は、ぽかんと口を開けて瞬きをするだけだった。
ヨハン「まっ オイラは 師匠と 舞踏会で演奏する曲の 確認があるから もう行くけどな しっかりやれよ? マリベル。」
そう言って青年は背を向けて町の北へと歩き出す。
マリベル「ヨハン!」
ヨハン「……なんだい?」
青年は振り返り尋ねる。
マリベル「ありがとう。たまには あんたも 良いこと言うじゃない。」
ヨハン「惚れちゃったかい ベイビー?」
マリベル「バーカ。あんたこそ 早く 本命を決めなさいよ!」
ヨハン「ははっ 言われちまったぜ。じゃ!」
そう言って今度こそ青年は自分の家へと帰っていった。
マリベル「さーてと。あたしも 少し休んでいこうかしら。」
一人呟き、少女も宿の中へと消えたのだった。
471 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:05:20.26 ID:KtF5zPtg0
大臣「姫さま そろそろ よろしいかと。」
大神殿の彼方、眩しい夕日が地平線へと沈み、辺りは暗がりに包まれていた。
グレーテ「うむ! では みなのもの これより 仮面舞踏会を はじめる!」
若き為政者の号令が響き渡るとロウソクが灯され、集まった数百もの人々がざわめく。
大臣「静かに!」
グレーテ「それでは ヨハンたちよ 良い曲を頼むぞえ。」
ヨハン「まっかせなって!」
*「うぉっほん。」
ヨハン「ま まじめにやるよ 師匠……。」
そんなやり取りの後、大神殿の広場には軽快なメロディーが流れ始める。
*「こんばんは マダム。」
*「よろしくてよ?」
*「どう?」
*「あら 素敵……。」
*「踊りましょうよ。」
*「ぼくと いかがですか?」
集まった人々は皆派手な衣装に身を包み、顔には上半分だけを覆うアイマスクを着用している。
よく見ればそれが誰だかはわかってしまいそうではあったが、
月光とロウソクの灯りだけでは誰かを特定するのは少々心もとないものだった。
それでも彼らは意中の異性を見つけては思い思いのステップを踏んで楽しんでいる。
マリベル「…………………。」
広場の隅、休むために設けられた卓に少女はいた。
昼間に購入した控えめのドレスに真っ白なマスクはこの場においては少々場違いなほどに地味に見える。
周りの女性たちはというと、赤やピンク、黄色や薄緑、花嫁のように純白のドレスに身を包んだ者もいる。
どうやら彼女たちは暗がりでも目立つ明るい色を好み、闇に紛れる暗い色を選んだ者は少女以外に誰もいなかった。
マリベル「……そろそろね。」
そう呟くと少女は広場に躍り出るのではなく、そっと席を外してある場所に向かっていった。
472 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:05:49.49 ID:KtF5zPtg0
グレーテ「うむうむ みな 楽しそうにしておるのう。」
踊りに興じる民を見回して若き女王は言う。
大臣「姫さまも そろそろ 踊りに行かれてはいかがですか?」
グレーテ「そうじゃの… いや 大臣こそ 先に行ってまいれ。」
大臣「……?」
グレーテ「わらわに 客が来ておるでな。」
グレーテ「……のう マリベル?」
マリベル「グレーテ姫……。」
そこには仮面を外した少女が立っていた。
473 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:07:20.14 ID:KtF5zPtg0
グレーテ「いったい どうしたというのじゃ?」
大臣と別れ、人払いを済ませた姫と少女は広場にある壇の下にやってきていた。
マリベル「…………………。」
マリベル「あたし あなたに 謝らないといけないことがあるの。」
グレーテ「はて わらわは 身に覚えがないのじゃが?」
不思議そうに首をかしげる姫を横に少女は俯いたままポツリポツリと語りだす。
マリベル「……ホントはね アルス 来てるんだ。」
グレーテ「……ふむ。」
マリベル「今は 体調崩して 港にいるはずなんだけど…。」
マリベル「来てるって言ったら 絶対 会いに行くと思って……。」
グレーテ「そうじゃのう アルスの身に なにか あったら わらわも 気が気でないわい。」
マリベル「もし そうしたら なんだか あいつを 取られちゃうような気がして。」
マリベル「あたしが 独り占めしたいからって 嘘ついてたの……。」
グレーテ「…………………。」
マリベル「でも あなたは あいつが英雄だからとか 外見がいいとか そんなんじゃなくて 本当にあいつのことを 好きだったんだって わかって……。」
マリベル「自分が 恥ずかしくなったわ。」
マリベル「あいつが どんな道を選んでも それを応援したいって気持ちは あたしも おんなじはずだったのに。いざ ここに来たら なんだか怖くなって……。」
マリベル「ごめんなさい。グレーテ姫。あなたのほうが よっぽど あいつにふさわしい人よ。」
グレーテ「…………………。」
グレーテ「まっこと そなたは 優しい奴じゃのう。」
474 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:08:40.21 ID:KtF5zPtg0
マリベル「えっ……?」
グレーテ「恋敵に ここまで 本音を打ち明けるおなごが どこにいると いうのじゃ?」
マリベル「…………………。」
グレーテ「わらわはの 最初からこうなることは わかっておったのじゃ。」
グレーテ「そなたらを見れば 一目でわかる。わらわが 割って入れる間柄ではないとな。」
グレーテ「じゃがの わらわは ほれ この通り ろくに恋などしたことがない。」
グレーテ「……まあ なんじゃ。アルスには ヒトメボレしてしまったのじゃよ。」
グレーテ「それで アルスには 二人きりで 言い寄ってはみたりはしたがの。…最初から アルスの心は 決まっておったんじゃろうて。」
グレーテ「…………………。」
グレーテ「かなわぬ恋と知りながら わらわは 夢を見たかったんじゃ。」
グレーテ「謝らねば ならんのは わらわの方じゃのう。わがままな わらわを 許しておくれ マリベル。」
マリベル「そんな! …よしてよ。」
グレーテ「じゃがのう! わらわは決めたのじゃ!」
マリベル「えっ!?」
グレーテ「きっと そちに 負けぬような 燃ゆる恋を してやるのじゃとのう!」
マリベル「…………………。」
グレーテ「今日とて そのために 若い男を たんまり集めたんじゃからのう! ほっほっほ!」
マリベル「ふ… フフフ!」
マリベル「ねえ グレーテ姫さま。」
グレーテ「堅苦しいのう マリベルとわらわの仲じゃ グレーテでよい。」
マリベル「…グレーテ。」
グレーテ「なんじゃ?」
マリベル「一緒に踊りましょ?」
グレーテ「そなたとか? ほっほっほ! いいじゃろう。」
グレーテ「じゃが わらわは 踊りにはちと うるさいぞえ?」
マリベル「望むところよ! こう見えて あたしも おどりこを マスターしてるんですから!」
グレーテ「ほほっ 楽しみじゃ。」
そうして二人は持っていた仮面を付けなおすと、再び踊りと音楽の中へ戻っていったのであった。
475 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:11:39.70 ID:KtF5zPtg0
マリベル「ふー……。」
姫との踊りを終えた少女のもとには多くの男性が詰めかけ、
その一人一人の相手を終えて少女は席につき優雅に酒をたしなんでいた。
一方の姫と言えばまだ楽しそうに若い男の相手をしている。
マリベル「あー しんど…。」
“ちやほやされるのは嫌いじゃない。”
そう思っていた少女だったがいざ沢山の男に囲まれてみれば
“肩は凝る”、“疲れる”、おまけに“面倒くさい”と散々な感想を抱いていた。
社交界というものはこんなものなのだろうかとどこか辟易とし、
つくづく自分は田舎娘にすぎないのだと、心の底でどこか否定したかった部分を完全に裏付けてしまう羽目になったのだった。
マリベル「あれは サイードかしら……。」
見れば広場の反対側の席では褐色の肌をした男がどぎまぎしながら若い娘に引っ張られていく。
慣れない舞踏会な上に不器用な青年にしてみればここはまさに異世界にして試練ともいえる状況だっただろう。
マリベル「ぷぷぷ… どうして あいつ来ちゃったのかしらね。」
不慣れな足取りで辛うじてステップを踏む青年の姿は見ていて飽きなかった。
対する娘はそんなぎこちない青年の動きをリードして遊んでいるように見える。
マリベル「まっ これも 経験ってやつよね~。」
”今度ダーマ神殿に行くことを本気で勧めるべきか”
そんなことを考えていた時だった。
*「なにかしら あの人……。」
*「やあねえ 変な人が 紛れ込んだのかしら。」
*「あれじゃ 顔どころか 髪まで わからんな。」
近くの席に座っていた参加者が新しくやって来た誰かを見て口々に言い始める。
グレーテ「マリベル。」
マリベル「グレーテ! どうしたの?」
その時、不意に名前を呼ばれて振り返るとそこには先ほどまで踊っていた姫が立っていた。
グレーテ「なにやら 奇妙な者が現れたと聞いての。」
マリベル「きみょうなもの?」
グレーテ「ほれ あれを 見てみい。」
マリベル「…………………。」
姫の目配せする方の先には一人の男と思わしき人物が立っていた。
体にはあまり見かけないおしゃれなスーツを着込んでいるのだが、問題はその上だった。
マリベル「顔が見えないわね。」
顔全体を隠す仮面にシルクハットという出で立ち。
一見仮面舞踏会にはありがちかと思われる姿だったが、
まったく自分の正体がわからなくなるような恰好をする者はこの場に誰もいなかった。
グレーテ「髪型すら 見せぬとはのう。」
大臣「おお 姫さま こちらに おいででしたか!」
476 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:13:56.13 ID:KtF5zPtg0
その時いなくなった姫を探していた大臣がやってきた。
グレーテ「大臣よ あそこにおるのは いったい 何者じゃ?」
大臣「むっ? ああ あの者でしたら 先ほど ここに来て 参加したいと申しましてな。」
グレーテ「なにゆえ そのほうは あんなにも 顔や頭を隠しておるのじゃ?」
大臣「はあ なんでも 自分の顔から頭にかけて 大きな傷があるそうで。」
大臣「皆の お目汚しに なりたくないと申しましてな。おまけに 口もきけぬと。」
マリベル「思いっきり 怪しんだけどね。」
そんな会話をしている間にもその仮面の男は誰かを捜すように広場をうろうろとしている。
そんな姿に女性たちはどこか気味の悪いものを感じて少しずつ身を引いていき、
気付けば広場の中心にはぽっかりと穴ができ、そこに例の男が一人で佇んでいた。
ヨハン「なんだ? あいつ。」
いつの間にか楽団も演奏をやめてその男の一挙手一投足を眺めている。
*「…………………。」
完全に沈黙してしまった広場の中で尚も仮面の男は周囲を見渡し、人探しをやめる気配はない。
グレーテ「これ そのほう。いったい この場に 何用じゃ?」
痺れを切らした姫が男に歩み寄り問いかける。
*「…………………。」
男は何も語らず、代わりに姫に頭を下げて紳士的な挨拶をする。
グレーテ「ふむ。口をきけぬらしいが 誰か 探し人でもおるのかえ?」
姫も敵意はないとみて男に語り掛ける。
*「…………………。」
言葉の代わりに男は小さく頷く。
グレーテ「悪いがのう そなたが おると 皆が 不審がっていかん。」
グレーテ「ここは わらわの顔に免じて お引き取り 願おうかのう?」
*「…………………。」
男は黙って姫を見つめる。否、見つめていたのは姫の肩越しに見えた濃紺のドレスを着た女性だった。
グレーテ「こ これ どこへ行くのじゃ!」
*「…………………。」
男は姫に一礼してその横を通り過ぎると、夜の帳に紛れて目立たない女性のもとへと歩み寄る。
*「…………………。」
マリベル「えっ あ あたし?」
”まさかこんなわけのわからない男に自分が指名されるとは”
そんな思いを胸に少女はしばらく男の仮面をじっと見ていたが、
男は少女に動きがないことを確認するとなにやら妙なステップを踏み始める。
*「…………………。」
マリベル「え う うそ……!」
気付けば少女は立ち上がり足が勝手にステップを踏み始めていた。
“さそうおどりだ!”
477 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:15:15.99 ID:KtF5zPtg0
少女がそう気づいた時にはもう遅かった。
マリベル「…っ!」
いつの間にかその手は男に握られ、相手のペースに合わせて足を動かしていく。
マリベル「……どういうこと?」
強制的に引っ張り出した割には相手の動きは非常に紳士的で、まるで少女の動きを完全に理解しているようであった。
*「…………………。」
男は何も語らない。否、語れないのだろう。
しかしその動きからにじみ出る気品ややさしさ、そして力強さは警戒していた少女の心境を少しずつ変えていく。
マリベル「ふ ふふ……。」
さすがは“おどりこ”や“スーパースター”を極めているだけあって少女も負けじと上品かつ力強い動きで応える。
*「お おお……。」
*「すごいじゃない あの人!」
*「いや 女の方も なかなか……!」
それまで黙って二人の動きを見ていた参加者たちも徐々にその見事な動きに惹かれていく。
ヨハン「……いいね! 乗ってきたじゃないか!」
そう呟いて赤髪の青年はトゥーラをかき鳴らし、情熱的な調べを奏で始める。
唯一無二の演奏を受けて二人の踊りはさらに加速していく。
しなやかに伸びる腕。複雑に絡み合う脚。柔らかく曲線を描く体。そしてほとばしる熱。
その場にいた誰もが見とれ、思わず息を飲んだ。
愛と哀の調べに乗って二人はどこまでも美しく、力強く踊り続ける。
グレーテ「……見事じゃ!」
そしてトゥーラの調べが最高潮に達した時だった。
*「……っ!」
478 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:16:01.95 ID:KtF5zPtg0
突然男が足をつまずかせて前に倒れ、そのはずみで固定してあったシルクハットが地面に転がり落ちる。
マリベル「えっ…!?」
*「…………………!」
すると男は起き上がりわき目もふらず大神殿の外へと走り出した。
まるでこの場から逃げるかのように。
マリベル「…………………。」
しばらくその後姿を呆然と眺めていた少女だったが、
男の忘れていったシルクハットを見つけるとそれを拾い上げ、まじまじとそれを見つめる。
ヨハン「なーんだよ! せっかく いいところだったのに!」
演奏をしていた青年が名残惜しそうに叫ぶ。
*「あんなすごい やつが この国にいたのか!?」
*「惚れ惚れしちゃったー!」
*「まさか あそこで 転ぶとは……。」
グレーテ「むむう…… しかし まっこと 見事な動きじゃった。あれは いったい……。」
参加者たちがいなくなった男についてあれこれと感想を述べ、辺りは騒然となる。
マリベル「…………………。」
そんな中、踊っていた当事者はあることに気が付く。
マリベル「頭に傷なんて なかったじゃない……。」
479 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:17:12.55 ID:KtF5zPtg0
グレーテ「マリベルよ また 暇なときにでも 会いに来てくれんかの。」
グレーテ「なんといっても わらわとそなたは マブダチじゃからの! ほっほっほ!」
マリベル「ええ 必ずよ!」
月が真上に差し掛かった頃、少女は姫と固く抱き合い別れを告げ、今は一人港を目指して一人歩いていた。
砂漠の民の青年は宿に泊まると言って途中で別れた。
トゥーラ弾きの青年は師匠や姫と何やら話し込んでいるようだったのでそのまま放っておくことにした。
マリベル「…………………。」
少女は胸に抱えたシルクハットを見つめ、考えにふけっていた。
あの男はいったい何者だったのだろうか。口のきけぬ、顔と頭に大きな傷のある男。
しかし実際は頭に大きな傷などなかった。それどころかその髪は美しい漆黒で肩まであったのだ。
マリベル「どうも 怪しいのよね……。」
思えば口がきけぬという点も顔に傷があるという点も疑おうとすれば疑えぬことはなかった。
ただ大臣からそう聞かされていたからそう思わなかっただけのことだったのだ。
マリベル「…………………。」
そして何より納得いかなかったのは男がどうしてあんな場面で転んだのかだった。
少女からしてみればそれは決して難しいステップではなかったのだ。
“あれほどまでの踊りを見せた男があの程度の動きでもつれるはずがない”
マリベル「……っ!」
そんな風に考えていた時、少女の頭にある記憶がよぎった。
480 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:18:02.89 ID:KtF5zPtg0
…………………
*「あっ!」
マリベル「ばっかね~ また 転んだの?
*「イテテ……。」
それはまだ少女が少年たちと旅をしていた時のこと。
マリベル「そんなんじゃ いつまで経っても マスターできないわよ?」
少年たち一行は過去のダーマ神殿を救った後、しらみつぶしに初級職を総なめしてしまおうと躍起になっていた。
アルス「は… ははは…… あつっ!」
マリベル「…ったくもう しょうがないわね~ ホイミ。」
アルス「…ありがとう マリベル。」
マリベル「いいから さっさと 続けなさいよ。あんた いっつも おんなじところで 転ぶわよね~。」
アルス「どうも この動きが 苦手みたいでさ……。」
ガボ「オイラなんて もう なんでも踊れそうだぞ! へっへ~ん。」
マリベル「ほら さっさと やる!」
アルス「…うん。」
481 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:18:46.80 ID:KtF5zPtg0
…………………
アルス「イテッ!」
マリベル「あ~もう! なんて センスがないのかしら!」
マリベル「もう 見てらんないわ! ほら 手~貸しなさい!」
アルス「う うん……。」
マリベル「こう! こうして! こうよ! わかった!?」
アルス「…………………。」
アルス「こうして… こうして… こう?」
マリベル「……なんだ できるんじゃないの。」
アルス「えっ?」
マリベル「あ~あ つきあって損したわ~。ほら さっさと終わらして 次の職業やるわよ?」
アルス「…………………。」
482 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:20:45.99 ID:KtF5zPtg0
マリベル「あの時の動き……。」
少女はそこまで思い出して先ほどの仮面の男の動きと照らし合わせる。
マリベル「…………………。」
マリベル「まさかねえ?」
そう、少年は今、体調不良で漁船アミット号で休んでいるはずだった。
いくら共通点があったとしても少年が動けない以上あの男は別の誰かに違いない。
少女はそう結論付けることにした。
マリベル「あっ……。」
船までたどり着いた時、少女は甲板に誰かがいることに気が付いた。
緑色の上着に少し血で染まった白いシャツ。
肩まで伸びた後髪を一本に束ねている少年、彼女のよく知る幼馴染にして恋人その人だった。
マリベル「アルス。」
アルス「マリベル? もう 舞踏会は終わったの?」
少女に呼ばれた少年はどうしてここに少女がいるのか分からないといった様子で問いかける。
マリベル「ええ……。」
アルス「あれ どうしたのそれ?」
そう言って少年は少女が胸に抱えたシルクハットを指さす。
マリベル「えっ… ああ いや なんでもないのよ。」
少女はそれを背に隠す。
アルス「……?」
首をかしげる少年に少女は思い切って今日のことを告げる。
マリベル「…………………。」
マリベル「あのね アルス。実は グレーテ姫と 話してきたんだけど。」
アルス「…………………。」
マリベル「グレーテに あんたのこと話したら ちょっと 残念そうにしてたけど それでも あんたの選んだ道を 応援するって言ってたわ。」
アルス「……そっか…。」
マリベル「……会いに行かなくていいの? あの人 本当に あんたのことが……。」
アルス「今は…… 今は 会わない方がいいと思う。」
マリベル「…………………。」
アルス「きっと いま 行ったら 彼女を泣かせちゃいそうな気がする。」
マリベル「…………………。」
アルス「でも 近いうちに 必ず 会いに行く。会って 自分の口から話すよ。ぼくのことも きみとのことも。」
アルス「ぼくが どれだけ 彼女に感謝しているかも。」
マリベル「…そう……。」
少年が今どんな表情をしているのか、少女にはわからなかった。
しかし少女は少年の言葉を信じることにした。
”きっと彼は一度やると言ったことは絶対にやるだろう”
長い間少年のことを見てきた少女にはそれが彼の本心であることがすぐにわかったのだった。
483 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:22:10.91 ID:KtF5zPtg0
アルス「…………………。」
マリベル「ねえ アルス。」
黙ったままの少年の背中に少女は語り掛ける。
マリベル「少し 踊らない?」
アルス「えっ? まだ 踊り足りないの?」
突然の提案に少年は振り返り、意外そうな顔で問い返す。
マリベル「なんでもいいじゃないの!」
アルス「うーん……。」
マリベル「ふっ……。」
渋る少年を見て少女は少しだけ悪戯に笑うと、一人でに靴を鳴らして踊りだす。
アルス「あ しまっ…!」
マリベル「もう 遅いわよっ!」
“やられた!”
自分たちのいる場所を思い出してみればここは船上。そして少女の少し荒っぽいステップ。
彼女は少年に“船上ダンス”を仕掛けてきたのだった。
マリベル「うふふ……。」
アルス「ごく…っ。」
少年はいつの間にか同じようにステップを踏んでいた。まんまと彼女の罠にかかってしまったのである。
マリベル「…最後まで つきあってよね。」
アルス「…………………。」
意を決した少年は少女の手を取るとゆっくりと足を動かし始める。
マリベル「…………………。」
波の音を背景に少女は月空の下で先ほどの情熱的な瞬間を思い出すかのように体を動かす。
あの時感じたのはまさに心が躍るということだったのかもしれない。
アルス「…………………。」
対する少年も何度も練習した記憶を頼りに少女に合わせて華麗なステップを踏み、巧みに少女の体を支える。
マリベル「…………………。」
何度も何度も少年の練習に付き合って覚えたアクロバティックな動き。
アルス「…………………。」
少女は奇妙な感覚だった。
顔も、名も、そして動きのくせすら知る由もない二人の男女が、
どうして初めて聞く旋律に合わせてあそこまで息を合わせられたのか。
形式的な社交ダンスとは異なる本気の踊りを。魅せるための激しく情熱的な踊りを。
マリベル「ねえ。」
アルス「うわっ…!」
マリベル「きゃっ……!」
484 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:23:44.96 ID:KtF5zPtg0
少女が真相を確かめようとした時、少年は突如体勢を崩して前のめりに倒れこんだ。
アルス「いてて……。」
それはかつて少年が練習に明け暮れていた時によく転んでいたあのステップ。
マリベル「…ふ…ふふふ……!」
少女は確信を得てこみ上げる笑いを堪え切れずに口元を隠す。
アルス「えっ?」
マリベル「あっははは! どうして もっと 早く気づかなかったのかしら!」
そういうと少女は先ほど床に放ったシルクハットを抱えて少年のもとへ戻る。
アルス「ま マリベル……?」
マリベル「はい お忘れ物ですわよ? 仮面の男さん。」
アルス「…………………。」
少年は立ち上がり無言でそれを受け取ると船縁に寄りかかり暗い海を見つめる。
アルス「……どうして わかったの?」
マリベル「ばかね~ あたしが あんたのくせを 見抜けないとでも 思ったのかしら?」
マリベル「アルスってば 何度も 同じところで 転ぶんだもの。わからないわけがないわ。」
アルス「変装は完璧だと 思ったんだけどなあ。」
背中越しに指さされ、少年はぼんやりと呟く。
マリベル「まったく なんて 怪しい恰好で くるのよ。」
少女は両手を腰に当てて軽く眉を吊り上げている。
マリベル「もうちょっと ましな 恰好なかったの? もっともらしい 理由まで つけちゃって。」
マリベル「おまけに あんなのに ウロウロされちゃ 誰だって 怪しむに決まってるじゃないの。」
アルス「うーん……。」
少年は尚も首をひねっている。
アルス「正体がバレたら 騒ぎになるかと 思ってさ。」
マリベル「…………………。」
マリベル「……はあ…。」
実際はそれが裏目に出たのだと声を大にして言いたい少女だったが、
幸い自分以外に気付いているものはいない様子だったのでそれ以上は追及しないでおくことにした。
アルス「ごめん マリベル。」
その時ようやく少年は振り返り、少女に謝罪の言葉を述べる。
マリベル「別にいいわよ。あんたが あんな 突拍子もないこと するなんて 意外だったけど… 悪くなかったわ。」
少年の真っすぐな瞳から目を逸らして少女は言う。
アルス「ううん。そうじゃないんだ。」
マリベル「えっ?」
485 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:24:44.02 ID:KtF5zPtg0
思わぬ言葉に少女は少年に視線を戻す。
アルス「体調が悪いなんて 嘘だったのさ。」
アルス「でも なんだか あれ以上 話してたら きみを 傷つけちゃいそうな気がしてさ……。」
マリベル「……気づいてたわよ。」
結い上げていた髪を下ろし、伏し目がちに少女は言う。
アルス「えっ!」
マリベル「いくらなんでも あんなことしたんだもの 気を悪くするのも当然だわ。」
アルス「い いや あれは ぼくが いけなかったからで……!」
慌てて少年が身振り手振りしながら言う。
マリベル「ううん。あたしも あそこまで するつもりはなかったんだけど……。」
マリベル「……やっぱり は 恥ずかし…くて…。」
指をもじもじさせながら少女は赤面する。
アルス「…………………。」
アルス「今度からは 気を付けます。」
マリベル「う… うん。」
アルス「…………………。」
マリベル「さっ! てと。」
マリベル「もう一回踊りましょ!」
少女は吹っ切れた様に背を向けると体を捻って微笑んで言う。
アルス「ええっ! まだやるの!?」
マリベル「あたしが やるって言ったら やるのよ! ほら!」
不満そうに言う少年の腕を引っ張り踊りの体勢を作る。
アルス「は はは……。」
マリベル「…今度は ゆっくりね。」
アルス「……こう?」
少年は少女の手を引きゆっくりと動き出す。
マリベル「……もっと 近くで…。」
アルス「……うん。」
そうしてお互いの体を抱き合うように密着させ、さざ波の音を聞きながら二人は心ゆくまで踊り明かしたのだった。
真夜中過ぎにもかかわらず城下町の方から聞こえてきた優しい調べは、いったい誰のものだったのか。
二人が知る由もない。
そして……
486 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:25:11.64 ID:KtF5zPtg0
そして 夜が 明けた……。
487 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:26:26.21 ID:KtF5zPtg0
以上第15話でした。
さて、今回のお話ではグレーテ姫とマリベルという因縁の二人がアルスを巡ってお互いの本音をぶつけ合います。
原作を最後までプレイした方にはお分かりかと思いますが、
主人公のお相手はいったい誰になるのかと巷では論争になったりしたものですね。
(わたしはもちろんマリベル一択ですが、人によってはグレーテ姫、
はたまたアイラやリーサ姫だと思った方もいるでしょう。)
この第11話はなんとか二人を穏便に和解させたいと思って苦心した結果でもあります。
非常に苦しいですが、きっとあの二人は気が合うと踏んでこういった運びとなりました。
こんなのでも納得していただける方がいらっしゃれば幸いです。
それで、このお話を作るのに欠かせない存在だったのが楽師ヨハンです。
普段はあんなチャランポランですが、いざという時にはかなり気の利く青年だと思います。
「大勢の女性に囲まれている彼だからこそ言えるセリフがあるのではないか」
そう思い今回はマリベルとグレーテの間を取り持つのに、間接的ですが一役買ってもらいました。
そんな彼は果たして誰が本命なのか。
原作からはうかがい知れませんが、きっと彼は突き放してくる女性に惹かれる性質だとは推測できます。
そう考えると彼を軽くあしらっていたアイラとの組み合わせはお似合いかもしれませんが、
彼がグランエスタードの王位につくとなると……あんまり想像がつきませんね。
以上、戯言でした。
…………………
◇次回はマーディラスを離れて次なる地を目指します。
その間、エスタードでボルカノの語り草となっている「あの漁」をやるのですが……
※しばらくは平和なお話が続きます。
もしよろしければお暇な時にでもお読みください。
488 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/07(土) 18:26:55.77 ID:KtF5zPtg0
第15話の主な登場人物
アルス
とある出来事から生死の境をさまよう。
体調不良を装って船で休んでいたが、
その後変装して大神殿に。
マリベル
仮面舞踏会に参加し、グレーテと和解。
突如現れた仮面の男と情熱的な踊りを繰り広げる。
ボルカノ
病み上がりのアルス船をに置いて、グレーテのもとに親書を届けに行く。
その後は宿で休憩。
アミット号の船員たち(*)
本日は仕事がないので城下町で一日を過ごす。
思い思いの羽休めを満喫。
サイード
不慣れながらも舞踏会に参加。
若い女性たちにリードされながらなんとか踊る。
しばらくはマーディラスに滞在することに。
グレーテ
マーディラスを治める若き姫君。容姿は美しいが癇癪もち。
失恋するも漁師になることを選んだアルスのことを応援している。
大神殿で仮面舞踏会を開催する。
ヨハン
国一番の楽師にして伝説のトゥーラの引き手。
ユバールの血を受け継いでいるがどうにも軽い性格で女たらし。
だが一方で義理深い一面をもつ。
仮面舞踏会では師や他の楽師と共に演奏を担当。
492 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:49:19.87 ID:W5dqu19v0
航海十六日目:銀色の雨
493 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:51:07.63 ID:W5dqu19v0
サイード「短い間ですが 世話になりました。」
舞踏会を終えた次の日の朝、マーディラスの港では砂漠の民の青年が漁師たちと別れの挨拶を交わしていた。
ボルカノ「なーに いいってことよ。オレたちも いろんな話が聞けて 楽しかったぜ。」
*「たぶん あんちゃんは 将来大物になるぜ? おれは そんな予感がする。」
*「もし フィッシュベルに 立ち寄るようなことがあったら 是非 訪ねてきてください! 歓迎しますよ!」
サイード「それは 楽しみです。」
コック長「砂漠の伝統料理は なかなかだったな。また レシピでも 教えてくれ。」
*「あ ずるいですよコック長! いつの間に そんなことを!」
サイード「ははは… それも またいつか。」
*「ネコちゃんも 元気でな。」
*「にゃん。」
トパーズ「なうー。」
二匹の猫はお互いの匂いを嗅ぎ合っている。どうやら別れが近いことを察しているのだろうか。
マリベル「せっかく二匹とも 仲良くなったのにねー。」
そんな猫たちの様子をまじまじと見つめながら少女が呟く。
サイード「さすがに 一人旅は 寂しいからな。相棒を置いて 行くわけにはいかん。」
マリベル「わかってるわよっ ふふ。」
アルス「サイードも 元気でね。」
サイード「結婚式には もちろん 呼んでくれるだろうな?」
アルス「えっ……!?」
マリベル「そっちこそ 女王さまを 泣かすんじゃないわよ~?」
言葉に詰まる少年を他所に少女は余裕の表情で言う。
サイード「き きさま 聞いていたのか!?」
マリベル「ええ 聞いてましたとも。最初から 最後まで ばーっちりね。」
マリベル「大事なネックレスを預けて 予約しちゃうなんて あんたも きざったらしいのね~。」
サイード「だから 女王さまとは 何ともないと…。」
マリベル「はいはい 悪かったですよ~だ。」
アルス「そ それじゃあ もう 行くね?」
サイード「ふん! さっさと こいつを 連れて行ってくれ。」
マリベル「じゃあね~。」
サイード「くっ……。」
苦々しい表情の青年を尻目に少女は船長の元へ歩み寄る。
マリベル「ボルカノおじさま 行きましょ!」
ボルカノ「もう いいんだな?」
マリベル「ええ!」
ボルカノ「よーし 錨をあげろー! 出航だあー!」
*「「「ウスッ!」」」
こうして漁船アミット号は二日間の滞在を終え、次なる大地を目指して海原へと繰り出すのであった。
サイード「……達者でな。」
仲間の船出を見届けた後、青年はこの地で見分を広めるべく再び城下町へと歩き出した。
*「…にゃう~………。」
その隣でお腹いっぱいにエサをもらって少し肥えた相棒が、物珍しそうな顔で新しい土地の地面を踏み歩く。
一人と一匹の旅は、まだまだ始まったばかりなのだ。
494 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:51:39.80 ID:W5dqu19v0
マリベル「ずいぶん 慌ただしく駆け抜けたわね。 この二日間 いや 三日かしら。」
船の甲板の上、遠ざかる港を見つめながら少女が呟く。
アルス「ご ご迷惑をおかけしました……。」
マリベル「まっ あんたのせいじゃ ないから あんまり気にしないことね。」
アルス「う うん。」
マリベル「それにしても これから 楽しみね!」
マリベル「腕が鳴るわ~。」
アルス「…そうだね!」
時は遡ること一刻ほど前、まだ港に漁師たちが集まる前の頃のことだった。
495 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:52:42.84 ID:W5dqu19v0
マリベル「え… 一本釣り?」
ボルカノ「ああ どうも 昨日 酒場で聞いたんだが この辺りの海域には 大型の回遊魚が 回ってきているみたいでな。」
マリベル「そ それじゃあ この間みたいな マグロとか釣れちゃったりするわけ!?」
ボルカノ「むっ? ああ そうだよ。」
マリベル「…も……。」
アルス「も?」
マリベル「燃えてきたわ! アルス! あんたには負けないからね!」
アルス「えっ!?」
マリベル「漁の腕でも この マリベルさまには かなわないってことを 記憶に刻み込んでやるわ!」
アルス「ええー!?」
ボルカノ「はっはっは! こりゃ オレたちも 負けてらんないな!」
アルス「でも 一本釣り漁って かなり 体力がいるんでしょ?」
マリベル「あーら あたしには 体力はなくても 魔力があるわ! ちょちょいと 応用すれば 男にだって負けないんだからね!」
アルス「うぐぐぐ……。」
ボルカノ「わっはっは! 今から 楽しみだな。」
ボルカノ「後で コツを教えてやるから 今日は みんなで 競争だな。」
マリベル「おっほほほ! 待ってなさいよ 巨大魚! この マリベルさまが いくらでも 釣り上げて見せるわ!」
アルス「ぼ ぼくだって……!」
496 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:53:45.09 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「それ! 網をひけ!」
*「「「ウースっ!」」」
港からほど近い岸辺にやってきた漁船アミット号の上では一本釣りのためのある仕込みを行っていた。
マリベル「うわー! これ 全部イワシなの!?」
一行が獲りに来ていたのは一本釣りのエサに使うためのイワシだった。
大型の回遊魚はこういった小魚の群れを追ってやってくる習性があるため、
今回の漁では時間の都合上、沿岸にいて比較的手に入りやすいイワシをエサとすることとなったのだった。
アルス「一瞬で 確保できちゃったね。」
大きな生け簀の中に入れられた大量のイワシは脆い鱗をまき散らしながら泳いでいる。
日の光に当てられてキラキラと光輝く鱗の渦は見ていて飽きないものがあった。
*「うまそうだなあ そのまま 食いたくなっちまうぜ。」
*「大事なエサなんだ。がまんしろよ。」
漁師たちにとっては見慣れた魚だがやはり鮮度のいいものには食欲をそそられるのか、中には涎を垂らしている者すらいる。
ボルカノ「よーし これだけ あれば足りるだろう。」
ボルカノ「出航だ! 急いで 漁場に向かうぞ!」
*「「「ウスッ!」」」
こうして無事準備を整えた一行はそこから南下した場所にある大陸と島の間、
ちょうど円形になった海域に向かい船を走らせるのだった。
497 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:54:36.59 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「見つけたぞ。」
日はだいぶ高度を上げ、少しずつ昼間の暑さが顔をのぞかせようとしていた。
船長は望遠鏡を覗くのをやめ、船員たちに指示を送る。
ボルカノ「あっちだ! 海鳥の群れを見つけたぞ!」
*「ウス!」
*「ガッテン!」
漁師たちは船長の指し示す方に向かって船を進める。
マリベル「ボルカノおじさま どうして 海鳥の群れを探してたの?」
ボルカノ「マリベルちゃん どうして あの海鳥たちは 群がっていると思う?」
マリベル「……エサをとるため かしら?」
ボルカノ「その通り。そして あの海鳥たちが 狙ってるのは イワシだ。」
マリベル「つまり 同じように そのイワシを狙って やってくる奴らを 釣り上げるって言うのね!」
ボルカノ「さすがは マリベルちゃんだ。察しがいい。」
マリベル「うふふ。これでも網元の娘ですから……。」
どうも少女は少年の父親に褒められるのが苦手な様で、簡単な誉め言葉でもすぐに顔がほころんでしまうのだった。
アルス「…………………。」
そんな少女を複雑な顔で見つめる少年はいったい何を思っていたのか。
それは彼の父親ですらわからない。
498 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:56:49.17 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「ここらへんで いいだろう。錨を下ろすんだ!」
*「ウス!」
ほどなくして海鳥の群れの近くに船を泊め、船長は錨を下ろすように指示すると少年たちに話しかける。
ボルカノ「どの漁でも 同じだが 大切なのは カラダ全体を使うことだ。じゃねえと すぐに 腕がしびれちまうぞ。」
マリベル「はーい。」
アルス「わかりました。」
*「おっと アルス! おまえには まず エサ撒きをやってもらうぜ?」。
一本釣り漁はスピードが命であるため、釣る者と餌を配る者、そして餌を撒く者などの役割が定められていた。
基本的に釣る役を担えるのは経験を積んだ熟練の漁師だけとされている。
そうでない若手の漁師はまず餌配りや餌撒きをして釣る者の手助けをするのが習わしだった。
*「この船にのったやつは 必ず 通る道だ。頼んだぜ?」
アルス「……はい!」
ボルカノ「わっはっは! 息子よ まあ 悪く思うな。何事も こうやって 少しずつ 経験していくもんだ。」
アルス「わかってます 船長。」
少年は竿を握れないことを少しだけ残念に思う反面、
船長の息子だからと特別扱いされないことに少しだけ喜びを覚え、与えられた仕事を全うしようと意気込むのだった。
マリベル「…………………。」
少女の心は複雑だった。
少年は漁師の一員として、たいへんな上に地味ながら大事な仕事を任されている。
それは少年の成長を見守る少女にとっても喜ばしいことであった。
だがそれに比べて今の自分は網元の娘として、半分は客として扱われている。
普通に考えてみれば初めて漁に出たものが竿を握れるはずもなく、
地道な下積みを経て初めて魚と対峙できるのだろうが、これから自分はその過程を飛ばして甲板に立つ。
そんな二人の立場の違い、否、男女の違いといった方がいいのだろうか、それを再確認させられているような気がしてならなかった。
なんとなく、自分がどうして今まで漁に連れて行ってもらえなかったのかがわかってしまったような気がした。
アルス「…マリベル?」
マリベル「……えっ?」
アルス「どうしたの? 浮かない顔しちゃってさ。」
アルス「ぼくのことなら 気にしないでよ。きみが 大物釣れるように 頑張るからさ!」
自信に満ちた表情で少年が言う。
マリベル「…………………!」
それはなんでもないような気づかいだった。
しかしどこかで少女の胸は高鳴ってしまっていた。
マリベル「ふふっ。」
“今はこのことで悩むのはやめよう”
“彼が自分のために頑張ると言ってくれたのだ”
“ならば自分はそれに全力で応えるべきだ”
そう思えたのだった。
マリベル「まっかせときなさい! あたしが あんたの分まで いっぱい釣り上げて見せるわよ!」
威勢よく声を張り上げると少女は手に持った竿を力強く握りしめる。
マリベル「さあ 行くわよ!」
群れが去るまでの短期決戦。
船長の合図で投げ込まれた撒き餌と共に、一本釣り漁は幕を上げた。
499 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 12:59:38.27 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「…きたな!」
釣り糸が絡まぬよう船の片弦だけに立って行われる一本釣り漁はそれぞれの立ち位置もたいへん重要であった。
船首と船尾に釣る者が立ち、中央には餌撒きと餌配りが立ってそれぞれの役割を全うする。
最初に引きがあったのはやはり船尾に立っていた船長だった。
重たい引きを腕に感じ力強く竿を引っ張り上げれば一瞬で魚が宙を舞い、その勢いで針が外れて甲板へと落ちる。
黒光りする背に側面にかけて銀の虎模様の入ったソレは、脂が乗って丸々と太っていた。
*「良い型のマルサバカツオですね!」
そう言って別の漁師が餌を渡すと漁師頭は素早くイワシを針にかけてそれ投げ込む。
片手で竿を小刻みに動かし、もう片方の手で長い柄杓のような物を使って海面をたたけばたちまち次の魚が食いつく。
まさに入れ食い状態となっていた。
マリベル「ボルカノおじさま それはなんですの?」
少女が長い棒を指して問う。
ボルカノ「これは カイベラといってね。これで 海面を叩いてやれば イワシが逃げているって 魚に勘違いさせられるのさ。」
船長が餌を付け替えながら言う。
マリベル「ふんふん なるほど そういうことなのね。」
そういうと少女は身体に呪文をかけ、左手で餌の付いた竿を海面に垂らしながら右手のカイベラで海面を叩く。
マリベル「…………………。」
辛抱強く海面を見つめてその時を待つ。
その横では船長がまたしても次の獲物を釣り上げていく。
船首の方でも漁師の一人が次々とカツオを甲板に放り込む。
マリベル「むむぅ。なかなか 来ないわね。」
そう言って少女は釣れない原因を探り始める。
マリベル「…………………。」
隣に立つ船長に注目してその動きを観察する。
自分に足りないものは……。
マリベル「あっ そうか!」
何かに気付いた少女はすぐさまその動きを自分にも取り入れる。
マリベル「…………………。」
マリベル「……っ!」
にわかに竿が重たくなり、何かに引っ張られる感覚を全身で感じる。
ボルカノ「マリベルちゃん 思いっきり 竿を立てるんだ!」
マリベル「はいっ!」
その様子に瞬時に気が付いた船長の助言通り、少女は身体をしならせて竿を思い切り持ち上げる。
500 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:00:15.23 ID:W5dqu19v0
マリベル「……!」
針にひっかかったままの丸々と太ったカツオが甲板に転がり込む。
ボルカノ「…お見事!」
マリベル「…………………。」
少女は竿とカイベラを置いて自分の釣り上げた獲物をまじまじと見つめている。
マリベル「…やった!」
マリベル「アルスー! やったわよ!」
アルス「おめでとう マリベル!」
少女が獲物を釣り上げたことに少年も素直に喜んでくれているようだった。
マリベル「この調子で ドンドン釣っちゃうわよ!」
アルス「こっちも がんばるよ。」
アルス「……よし!」
少年も気合を入れなおすと今度は餌配りの仕事に取り掛かり始める。
コック長「血抜きは わしらが やっておきますから マリベルおじょうさんは 釣りに集中してください。」
マリベル「ありがとう コック長!」
マリベル「見てなさい! あいつが 腰ぬかすくらい 釣ってやるんだからね!」
そう自分に言い聞かして少女も再び釣り針を垂れる。
カツオとの勝負はまだこれからだった。
501 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:02:01.21 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「こんなところか……。」
まだ日が天頂を通る前、漁を始めてから二刻ほどした時だった。
海鳥の群れもいなくなり、辺りからはイワシもカツオの群れもほとんど見受けられなくなった。
ボルカノ「撤収だ! 錨を上げろ!」
*「「「ウスッ!」」」
漁師頭の号令と共に漁師たちは一斉に竿を引き、船を発進させる。
船の操縦を数名に任せ、その他の船員たちは釣れた獲物の処理や使い終えた道具の片づけを行うことになった。
マリベル「うーん 思ったより 釣れなかったわね……。」
二刻で少女が釣り上げたカツオは30匹ほどだった。それでも初めての一本釣り漁にしては本当によく釣ったと言える。
ボルカノ「いやいや マリベルちゃん ひょっとすると アルスより センスがあったりしてな。わっはっは!」
アルス「すごいや マリベル! こんなに釣っちゃうなんて!」
少年やその父親は素直に少女のがんばりを褒める。
長い間彼女のこらえ性の無さに苦労した少年にとっては、
少女が大変な重労働を辛抱強くやり続けたことはもはや奇跡と言っても良かった。
それほどに少女も今回の漁には思い入れをもって挑んだということだったのだろう。
マリベル「ふふっ ありがとっ。」
マリベル「でも ボルカノおじさまみたいに ポンポン 針から外れたら もっと たくさん 釣れたかもしれないのに…… やっぱり 難しいのね。」
照れながらも少女は悔しそうに言う。
*「ああ 跳ね釣りですか。あれは少なくとも 三年は修行しないと うまくいかないんですぜ。」
船長と同じように大量にカツオを吊り上げた銛番の男がやってきて言う。
マリベル「そりゃ そうよね~。いい勉強になったわ。」
ボルカノ「おう コック長 血抜きはもう 済んだのか?」
コック長「ええ 一匹残らず やってきおきましたよ。」
この日の漁獲は指の先から肘ほどの長さの物が全部で三百匹ほどだった。
比較的よく釣れて味も良いこのカツオは鮮度が落ちるのも早いのだが、
それ以上に早めに血抜きをしなければ食あたりを起こす物質が体内で生成されてしまうため、
釣ったらその場で血抜きをしておかなければならなかったのだ。
*「早くしないと 売り物にならなくなっちゃいますからね!」
ボルカノ「よし それじゃ あとは保存だが……。」
マリベル「お任せあれ! ほら アルスもやるのよっ!」
アルス「え? あれ ぼくもやるの!?」
マリベル「あら レディだけに あんな姿 晒せって言うの?」
アルス「う… わかったよ……。」
アルス「それじゃ ぼくはこっちから行くね。」
マリベル「じゃあ あたしはこっちの列ね。」
そうして二人は真っ白に輝く冷たい息を吐きながら満遍なくカツオの列を凍らせていく。
ボルカノ「便利なもんだな。あれ。」
コック長「いつか 食材の保存方法が 変わるかも しれませんな。」
*「え? みんな あんなの 吐くようになるのか?」
コック長「バカモン。冷凍保存する技術が 出てくるようになるってことだよ。」
*「きっとこりゃ 高く売れますよ~! ボク 帰ったら 久しぶりに城下町で 遊んじゃおうかな~!」
そう言って飯番は小躍りしながらにやつく。
*「気が早えな おまえ。まだまだ 航海はこれからだぜ?」
*「ははは… わかってますって!」
そんなやり取りをしながら男たちは二人の作業が終わるのを見つめる。
真剣ながらもどこか楽しそうに見える二人の姿は見ていて飽きないものがあり、
屈強でこわもてなはずの漁師たちの表情もいつの間にか子を見守る親のようなそれになっていた。
雲一つない空の下、温かい日差しを浴びながら漁船アミット号は次なる目的地へと向けて再び舵を切るのだった。
502 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:04:02.72 ID:W5dqu19v0
ボルカノ「お 城が見えてきたな。」
その後北上しながら漁場をいくつか見つけては少しだけ漁をし、
漁船はマーディラスの大陸とグリンフレークのある大陸との境、つまり海峡を越えようとしていた。
マリベル「あら 本当だわ。…見て見て アルス!」
アルス「うん?」
マリベル「だれか 橋の上にいるわよ?」
アルス「えっ!」
少女の呼び声にマーディラスの方を見やると確かに橋の辺りに人影が見える。
マリベル「だれだろうね。」
アルス「…………………。」
少年は意識を集中させ、遠い海の向こうの崖に佇む誰かの姿を見据える。
アルス「……!」
黙ったままの少年だったが、突然手を上げたかと思えばゆっくりと大きく左右に振った。
まるで誰かに合図を送っているかのように。
マリベル「どうしたの?」
アルス「……ううん。何となくね。」
果たして少年の見つめるその先の人物に少年の姿が見えたかどうかはわからない。
だがどういうわけか少年はそうせずにはいられなかった。
マリベル「…………………。」
マリベル「…まっ 誰でもいいわ。」
マリベル「それより ボルカノおじさま。今日はどこまで 行くんですの?」
ボルカノ「ああ それなんだが……。このまま 夜通しで突っ走るか どこかで休憩するか 迷ってるんだよ。」
マリベル「夜通しだと どうなりますの?」
ボルカノ「次の目的地までは 明日の 真夜中ごろには つくだろうな。」
マリベル「どこかで 休憩すると?」
ボルカノ「明後日の昼頃 だな。」
マリベル「うーん。記憶が正しければ この辺りに 一軒だけ 宿があったはずなんだけど……。」
アルス「いいんじゃないかな 昨日は みんな じゅうぶん 休んだんだろうし。」
少女が頬に手を添えて考え込んでいると、それまで西の方を見つめていた少年が向き直って言う。
ボルカノ「……まあな。」
実際、漁師たちはマーディラスに滞在している間、少年や少女のように慌ただしい時間を過ごしていたわけでなく、
城下町で二日間を過ごしてしっかりと羽休めを終えていたところだった。
それにこれまで何十日もの間陸に上がらず漁に出ていた漁師たちにとっては
一日ベッドに横にならなかったからといってどうこうという話ではなかったのだ。
ボルカノ「二人とも 体は大丈夫なのか?」
マリベル「うふふ。これぐらいで 音を上げるようじゃ 英雄なんて 務まっていませんですことよ!」
アルス「……父さんの子ですから!」
ボルカノ「……決まりだな!」
二人の言葉に頷くと船長は号令をかける。
ボルカノ「おまえたち! 今日は このまま 船を走らせる! 到着は明日の夜中だ! いいな!」
*「「「ウスッ!!」」」
こうして日も傾きかけた頃、漁船アミット号はあの忌まわしき事件以来の夜通しでの航海を決め、
一同は交代で見張りと操舵を行うこととなったのだった。
トパーズ「くぁ~……。」
甲板で日光浴に耽る三毛猫は、どこまでも退屈そうに欠伸をするだけだった。
503 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:05:54.70 ID:W5dqu19v0
マリベル「気持ちいい風ねー。」
アルス「……そうだね。」
西から吹く涼しい風を受けながら、帆船は夜の海をゆっくり確実に東へとその船体を滑らせていた。
マリベル「ねえ あそこにあった 洞窟のこと 覚えてる?」
アルス「……覚えてるよ。」
甲板で見張りをする少年に付き合っていた少女が不意に話しかける。
アルス「たしか お宝探しだとか言って みんなで 張り切って 乗り込んだんだっけ。」
マリベル「あの時の キーファとガボの はしゃぎようったらね。見ていておかしかったわ。」
アルス「洞窟の中も 不気味だったけど あそこにいた 魔物もかなり 厄介だったよね。」
アルス「えーっと なんだっけ? コスモファントムみたいなやつ。」
マリベル「洞窟の魔人で いいんじゃないの? にしても 趣味悪いやつよね~。」
マリベル「どこの誰が 流した噂だか知らないけど やってきた人間を 片っ端から殺していたなんてね。」
アルス「好奇心は 猫を殺す か……。」
トパーズ「なおー。」
そう言って少年は足元で八の字を描いていた三毛猫を抱きかかえる。
マリベル「ちょっと 縁起でもないこと 言わないでよ。」
アルス「ごめんごめん。」
マリベル「それにしても どうして 洞窟がなくなって あんな宿が立ったのかしらね。」
マリベル「毒沼の真ん中に 宿屋を立てるなんて あたまが どうかしてるわ。」
二人で三毛猫を撫であっていると、思い出したかのように少女が呟く。
アルス「洞窟って 数百年で 消えちゃうものなのかな?」
マリベル「バカねえ。そんなこと言ったら 他の洞くつだって とっくになくなってるわよ。」
アルス「…………………。」
アルス「えーっと レブレサックにあった 魔物の洞くつは……。」
マリベル「……お店になったわね。」
アルス「ダーマの洞くつは……。」
マリベル「山賊のアジト……。」
アルス「マリベル……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「って なに言ってんのよ! 今でも そのままの洞くつなら いっぱいあるじゃないの!」
アルス「あ ばれちゃった?」
マリベル「キーッ! アルスのくせに このあたしを 陥れようとするなんて 生意気よ!」
トパーズ「フギャアアアッ!」
504 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:08:32.54 ID:W5dqu19v0
しっぽを触っていた少女の手に力が入ったのか、思わぬとばっちりを受け三毛猫は絶叫を上げる。
マリベル「あっ ごめんなさいね。」
トパーズ「ぅう~。」
鼻頭をなめて低く呻く猫に謝りながら少女は優しく患部を撫でる。猫は少女を恨めしそうに見た後、少年の腕の中で少しだけもがき、さっさと降りて船室の方へ行ってしまった。
アルス「あははは!」
マリベル「…ったく。要するに 脆いところは崩れて 後から来た人が 埋め立てて 造っただけの話よね。」
アルス「だとすると いまも 地下には 魔物たちが 潜んでいるのかもね。」
マリベル「……よしなさいよ。」
二人の間を風が抜けていく。
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
マリベル「今日は おつかれさま。」
アルス「えっ?」
突然の労いの言葉に少年は戸惑う。
マリベル「たいへんだったでしょ?」
アルス「……まあね。」
少女は先の漁で汗を流して働いていた少年の姿を思い浮かべていた。
マリベル「悪いわね あたしだけ はしゃいじゃってさ。」
釣り手が楽な仕事ではないことはお互いわかっていた。
だが少女はなんとなくそう言わずにはいられなかったのだった。
アルス「マリベルだって あんなに がんばってたじゃないか。」
アルス「どれも 大切な役割に 変わりないし ぼくは そのうちの一人として 仕事ができるだけでも 満足さ。」
アルス「それに ぼくも これから少しずつ みんなや 父さんに 仕込んでもらうからさ。」
思いのほか少年はなんでもない風に言う。
マリベル「……そうよね。あんたは これから いっぱい修行して 立派な漁師になって……。」
マリベル「あたしは……。」
マリベル「この漁が終わったら… やっぱり あたしはもう 連れてってもらえないんだもんね……。」
アルス「マリベル……。」
マリベル「本当は ずっと……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「なんでもないわ。…今のは 忘れてちょうだい。」
アルス「…………………。」
アルス「マリベル。」
505 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:12:20.56 ID:W5dqu19v0
マリベル「ん? …っ!」
マリベル「……なによ。」
呼ばれたと思ったら不意に抱きしめられ、少女は困惑しているような怒っているような、
そして少しだけ恥ずかしそうな顔を横に逸らす。
アルス「ごめん 本当は ぼくも ずっと一緒にいたいけど……。」
マリベル「…わかってるわ。ワガママだって。」
アルス「…だからさ 一緒にいられる時間は 他の人より 少ないかもしれないけど その時間を 大切にしよう?」
マリベル「…………………。」
マリベル「なによ… アルスのくせに かっこつけちゃってさ。」
少年の肩に頭を乗せると、少女は照れ隠しの悪態をつく。
マリベル「あたしを 満足させられなかったら メラゾーマ百発よ?」
上目使いに少年を見上げて少女はさらっと恐ろしいことを言ってのける。
アルス「せめて メラじゃ……。」
マリベル「あら そんなに ザキがいいですって?」
アルス「メラゾーマでいいです。」
マリベル「…バカね。しないわよ そんなこと。」
ジトっと少年を睨んでいた少女だったが、あまりの少年の即答ぶりに思わずクスッと笑う。
アルス「前科があるからなあ。」
マリベル「だーかーらー。悪かったって 言ってるじゃないの!」
そう言って眉を吊り上げると、今度は腕を伸ばして少年の頬を引っ張る。
アルス「わ わハっハ わハヒまヒハ!」
身振り手振りで降参の意思を示し少年は必死に懇願する。
マリベル「ふんっ。」
アルス「あいたた……。」
マリベル「もとはと言えば あんたが 悪いんだからね? わかってるの?」
アルス「ハイ ワカッテマス。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ね アルス。」
訝しげに少年の顔を睨んでいた少女だったが、
少しだけ頬を染めて少年の名前を呼ぶと何かを訴えるように上目がちに少年の目を見つめる。
アルス「…………………。」
マリベル「……もうっ やっぱり にぶちんね。」
黙ったまま見つめ返す少年に痺れを切らして少女は後を向いてしまう。
マリベル「は~あ。どうして こんなの 好きになっちゃったのかしらね~。」
アルス「マリベル。」
マリベル「なによ…っ!?」
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
マリベル「あっ……。」
506 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:15:02.35 ID:W5dqu19v0
振り向きざまを狙った不意打ちの接吻。
少女は一瞬何をされたか分からずにいたが、
唇の離れる瞬間にそれがなんだったのかに気付き、名残惜しげに短い声を漏らす。
アルス「…もう一回?」
マリベル「…………………。」
マリベル「……うん。」
どこか意地悪そうに見つめる少年に少しだけ心臓の高鳴りを覚えて見とれる少女だったが、
真っ赤になったまま少しだけ目を逸らすと絞り出すように懇願の言葉を呟いた。
アルス「大好きだよ マリベル。」
そんな少女が愛おしくてたまらなくなり、少年は促されるまでもなく素の言葉を少女に浴びせる。
そして少女の首に腕を回して正面を向けさせると、そのまま吸い込まれるように唇を重ね合わせた。
マリベル「ん…ん…… ふ……。」
荒くなる少女の息を聴きながら、ゆっくりとその柔い感触を確かめるように口を動かし少女の唇に自分のそれを這わせていく。
心臓と心臓の鼓動が重なり、いつしか二人は一体となってしまったような錯覚を覚えていった。
アルス「……苦しかった?」
長く短い時の中で愛を確かめ合った後、
どちらともなく離された口元からは刹那の橋がかけられ、風に流されて水面へと消えていった。
マリベル「はあ… ちょ…ちょっとね。」
少しだけ乱れた息を整えながら少女が答える。
その頬は林檎のように染まり、瞳はとろんと溶け、少年の理性を根こそぎ奪い去るかのような際どさを感じさせた。
アルス「ゴク……。」
マリベル「アルス……。」
“あっ まずいかも”
少年がそう思った時だった。
507 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:16:56.50 ID:W5dqu19v0
*「それでよ うちのカミさんが言うんだ。いつまで 待たせるんだってな。」
階下から近づいてくる声に気付いて少年がさっと少女から腕を離す。
*「そりゃ おめえ そんなの おまえが その気になりゃあよ……。」
*「おっ アルスに マリベルおじょうさん。見張りごくろうさん。」
*「なーんだ 二人で イチャイチャしてたのかい?」
*「ついでに こいつの のろけ話でも 聞いてくれよー!」
アルス「は ハハハ……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「……んもうっ。」
少女の悪態を横に聞きながら少年は乾いた笑いを上げることしかできなかった。
ただ、あのまま放っておいたら何をしてしまうのか、否、何をされるかわかったものではなかった。
そうなってしまえば取り返しのつかないことになる。
言い方は悪いが少年はこの二人の漁師に救われたのだ。
*「それでさ カミさんったらよぉ……。」
頭に入ってこないのろけ話を聞きながら少年はそっと胸を撫でおろし、
この後またどうやって少女のご機嫌をとろうかと考え始めるのだった。
そんな少年を眺め、星空に浮かんだ月が楽しそうに笑っていた。
そして……
508 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:17:29.45 ID:W5dqu19v0
そして 夜が 明けた……。
509 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:18:59.79 ID:W5dqu19v0
以上第16話でした。
*「ボルカノさんのことは 城下町でもよく ウワサしてるんだ。」
*「荒れた海での いっぽん釣りは 今でも 語りぐさだよ。」
既にこの旅の中ではいくつかの漁法を行ってきましたが、
原作をプレイしているとこの一本釣り漁業はちょっと特別なものであることが分かります。
「ああ、これぞ漁」というインパクトは確かにありますよね。
わたしは実際に一本釣りを見たことはありませんが、
ドキュメンタリー番組などで見かけるカツオ一本釣り漁は物凄い迫力ですよね。
針を入れた傍から釣れる光景には息を飲むものがあります。
ああいう風に入れ食い状態になるのはカツオの習性を利用した方法なんだとか。
興奮状態になったカツオは動くものをなんでも飲み込もうとするらしいですね。
ドラクエの世界で疑似餌などを使っているかどうかはわかりませんが、
今回のお話では実際に昔行われていた漁法を参考にさせていただきました。
(なので一応エサには生のイワシを用意しましたが)
それで、キーアイテムとなるのが「カイベラ」。
棒の先に竹の筒を半分にしたような物を取り付けた道具らしいのですが、
現在の様にスクリューの無い時代にはそれを水面に叩きつけてしぶきを起こしたそうです。
きっと大変な労力だったでしょうね。
マリベルがそれをこなす上でわたしなりに考えたのが魔力で身体を強化するという安直なものなのですが、
実際主人公たちがレベルアップして強くなるのはどういう原理なのかと考えた時に
どんなに体が丈夫になっても人には限界があると思うので、
やはりそういった謎の力を使って身体を強化していると解釈するのが無難ものかと。
みなさんはどうお考えでしょうか。
…………………
◇次回はいつもとは違った形式で物語をお届けします。
510 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 13:20:38.86 ID:W5dqu19v0
第16話の主な登場人物
アルス
アミット号の新人漁師。
船長の息子にして世界の英雄という立場であるが、
新入りに変わりはないため漁においては特別扱いされない。
本人もそれでよいと思っている。
マリベル
自分が網本の娘であることを再認識する。
悲しくはあるが、アルスのことを後ろから応援したいと思っている。
ボルカノ
アミット号を仕切る国一番の漁師。
一本釣り漁では誰もが見とれる腕で獲物を吊り上げる。
コック長
場合によっては甲板に出て漁の手伝いをすることもある。
サイードに砂漠の料理を教えてもらっていた。
めし番(*)
コック長と一緒に甲板へ出て獲物の処理をする。
モリ番(*)
今回の漁ではボルカノと同じように釣り役に徹する。
アミット号の漁師たち(*)
新人アルスの成長を見守る先輩漁師たち。
漁が滞りなく進むよう、流れるような動作で作業に勤しむ。
トパーズ
アミット号のお守り猫。
暇な時は寝ているか、アルスやマリベルのもとへ行くことが多い。
511 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:38:16.91 ID:W5dqu19v0
航海十七日目:ある少女の一日 / 少年の独白
512 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:42:08.12 ID:W5dqu19v0
“漁船アミット号の朝は早い”
と、言いたいところだけど、漁をしながら長期間航海を続ける漁師たちに朝も何もないわ。
もっとも、今回の航海は特別なものだからいつもとは勝手が違うんだけど。
基本的に夜通しで船を走らせている間、交代で見張りと舵取りをしなきゃいけないから、
漁師たちは寝たり、寝なかったり、その日の予定で一日の動きが変わってくるわけよ。
あたしと言えば、今日は朝から三毛猫のトパーズに扉を叩かれてコック長たちが起こしに来る前に起きちゃったわ。
まったく、人の苦労も知らないでネコちゃんってのはいい気なもんよね。
隣で寝ているんだからあいつが止めてくれればいいのに、ホント気が利かないやつ。
仕方ないから起きて着替えて、あたしがいつも作ってる猫用のごはんをあげる。
流石に人と同じようなのを与えるわけにはいかないからね。
もっとずっと健康志向な献立で体調を保ってあげるの。あたしってばなんて優しい人なのかしら。
それが終わって二度寝しようと思ったら今度はコック長たちが来ちゃうんだもの。
せっかくの睡眠時間はあっさり朝ごはんの準備時間に早変わりよ。
今日の献立は芋のサラダとトマトのスープ、それから厚切りのベーコンとトースト。
朝だけどみんな本当によく食べるから作る量もかなりのものだわ。
芋の皮むき一つとってもその数は軽く二十弱。
面倒な作業だけど隣から起きてきた奴にテキトーに任せてあたしはひたすらベーコンを焼いたわ。
燻されたいい香りが寝不足ですっかりしぼんだお腹を少しずつ元に戻して、すっかりあたしもお腹ペコペコよ。
それから日が完全に昇りきる前にそれまで寝ていた漁師たちも少しずつ起きてきて、今日の朝ごはんが始まったわ。
やっぱり海の男たちね。あれだけ用意した料理がみるみるなくなっていくんだもの。作り甲斐があるってもんだわ。
食べ終わったら交代で来た漁師の人が皿を洗い、その横でコック長とあたしが鍋を洗う。
飯番といえばもうお昼ご飯の下ごしらえを始めようとしているわ。
それから自分の仕事を済ませたら、悪いんだけどあいつのハンモックで寝かせてもらうことにしたの。
流石に調理場はうるさいし、寝てたら気を使わせちゃうからね。
それにどうせあいつはしばらく表の見張りでいないし、昨日は遅くまで付き合ってあげたんだからこれぐらい良いわよね。
ハンモックに横になろうとしたらそこには先客がいたわ。三毛猫のトパーズよ。
まったくこの子ったらあたしの睡眠の邪魔をするのが生きがいなのかしらっていうくらいね。
仕方ないから渋るトパーズを無理やり持ち上げて自分の寝場所を確保することにしたわ。
もちろん嫌そうに鳴いてたけどそんなことは知ったことじゃないわ。あたしの眠りを妨げた罪は大きいのよ。
それからしばらく仮眠をとってお昼ご飯の準備が本格的に始まる前に体を休めておくことにしたわ。
この船の上での料理は戦場なのよ。
513 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:45:13.08 ID:W5dqu19v0
日もだいぶ昇った頃に目を覚ましたあたしはとりあえず濡らした布で体を拭いてお風呂に入れなかった体をきれいにしていくの。
もちろん簡単なカーテンをかけて誰にも見られないようにね。
そもそも男だらけのこの船の中であたしってば紅一点だから普通に考えてみればかなり危ないのよね。
まあこの船に一人を除いてそんなことをする人はいないし心配はないんだけどね。
身体を洗い終わったらすぐに昼食の手伝いが始まるわ。
お昼の献立は鶏を二匹つかった香草蒸しにニンニクときのこの唐辛子パスタ、それから鶏からとれた出汁の玉ねぎスープ。
いくら途中の町や港で買い足せるからと言って船の上では食材は何一つ無駄にはできない。
過酷な旅に野営を重ねてきたあたしにとっては当たり前の感覚だけど、
いろいろと考えながら食材を使わなきゃいけないのはやっぱり難しいのよね。
そこの辺りは流石はコック長といったところかしらね。
パパや漁師のみんなが信頼を置くだけあるってものね。
なんでも今日の夕方からまた漁を始めるらしくて、男どもは競うように鶏肉に手を伸ばしては腹の中へ放り込んでいたわ。
体力付けなきゃいけないのはわかるけどもう少し味わってほしいもんだわよ。
そうこう言ってるうちに出遅れたやつが渋い顔でこっちを見てくるもんだから、
かわいそうになって皿洗いの時に差し入れしてあげる羽目になっちゃったわよ。
ホントとろいんだから、余計な世話を焼かなきゃいけなくなるこっちにの身にもなりなさいってんだわ。
昼すぎ、風に当たりに甲板に出たらボルカノおじさまが船の先端で海面を鋭い目で見ていたわ。
どうやら潮の流れを見てこの先魚がどのあたりに来るかを見ているんですって。
その横では普段は間抜け面のあいつが真剣そうな顔してその話を聞いていたわ。
あたしが後ろの方からその様子を見てるのなんてまったく気づいてないみたい。
せっかくこーんな美少女が見守ってあげてるんだから挨拶くらいしたらどうなのかしら。失礼しちゃうわ。
でも、いつもは何考えてるか分からないあいつが時々見せるあの顔はちょっとかっこいいなって思うわ。
ちょっと前まではカボチャの方が素敵だと思ってたのに、今なら素直にそう思えるんだから人って変わるものね。
いつかあいつもボルカノおじさまを追い越してエスタード一の漁師って呼ばれる日が来るのかしらね。
そしたらあたしは世界一の美少女、いやその頃には美女の方が正しいのかしら、まあいいわ。
あたしは世界一の美女にしてエスタード一の漁師の、漁師の……。
まっ、なんでもいいかしらね。
とにかくあいつには誰にも恥じない男になってもらわなくちゃ困るわ。
そうでないとつり合いがとれないものね。誰ととは言わないけど。
そんなこと考えてたらあいつがこっちに気付いて笑って呼ぶもんだから咄嗟で変な声が出ちゃったじゃない。
まったくレディに恥をかかせるなんてあいつもなってないわね。
後で仕返ししてやろうっと。
514 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:47:46.80 ID:W5dqu19v0
そうして時間を過ごしているうちにすっかり日は傾いて夕方。
甲板が慌ただしくなって漁師たちがボルカノおじさまの指示を待たずとも自主的にどんどん仕事をこなしていく。
やっぱりお互い信頼して何をすべきなのか分かってるのね。
少し緊張してるけどあいつも状況を見て自分のすべきことを見つけてなんとかやってるみたい。
昔だったらおろおろするだけで何もできなかっただろうに、あいつも随分成長したんだなって感心したわ。
もちろんあたしの進歩には敵わないけどね。
今日は海面付近で群れを作る魚たちを網で獲るらしいわ。
今まで比較的深い所の、しかも大きな魚ばかり狙って漁をしていたから返って今回の漁は新鮮味があって面白かったわ。
なんてったってあたしも投網の技術に関しては自信があったからね。
漁師たちに混じって投げるのを手伝ったりしたわ。
結局それが運よくなのかわからないけどちょうど魚の群れに当たって、正に一網打尽よ。
重たすぎて引き揚げるのが辛いくらいだったからバイキルト使っちゃったわよ。
こんなところでもそつなく対応してしまう自分が怖いわ。
投げられた網を回収して、それだけで甲板には魚の山が積みあがっていたわ。
でも問題はここからよ。
すぐにみんなお腹を出して、食材にできるものは別にしてあとは全部冷凍保存。
この作業が大変なのなんの。
なんせ何百匹という魚を一匹一匹捌いていかなきゃならないんだからそりゃ骨も折れるってものよね。
網の手入れはひとまず置いといて船の全員で片っ端から選別しては捌いて、
ある程度まとまったらあたしとあいつでひたすら凍らせる作業の繰り返し。
もう口が凍傷になっちゃうかと思ったわよ。
鮮度を保つためには仕方ないとはいえこっちの身にもなって欲しいもんだわ。
もちろん獲った魚は全部冷凍じゃなくてこれまで通り塩漬け、酢漬け、干物、コック長が小さな窯を使って燻製を作ったりしてね。
全部が全部生で出されても調理の仕方がわからないなんて人も内陸の町にはいたりするから、これも大事な保存方法なのよね。
それに、やっぱり加工するにしてもコック長みたいな料理人が作った方が美味しく仕上がるってものよね。
こっちだってこれで食べていかなくちゃいかないわけだもの、常により高く取引できるように努力を惜しまないのよ。
あたしも網元の娘としてそういうセンスを磨かないとダメね。
これまでの旅で十分身に着けたつもりだったけど、この手のことについては果てが見えそうにないわ。
まっ、それだけやりがいがあるってもんだわよね。
515 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:49:53.44 ID:W5dqu19v0
魚を処理し終わって一息つけるかと思いきやすぐさま夕飯の準備よ。
今日は昨日釣り上げたカツオとさっき獲れた魚をふんだんに使ったフルコースね。
たたきに、燻製、意外といける炒め物まで、手分けして存分に腕を振るってあげたわ。
結果は大反響。まったく、あたしってばフィッシュベルでお店が経営できるんじゃないかしらね。
コック長も飯番もそんな手もあったのかとか言って雷にでも打たれたみたいだったわ。
まあそうしたらこの船で誰が料理作るのよって話だけど。
夕飯が終わった後も漁師たちは網の手入れが終わってなかったみたいだからあたしも混じって手伝ったわ。
みんなは休んでていいって言ってくれたけど、やっぱりあたしだけが特別扱いなのも嫌だし、
何より自分だけ手持無沙汰っていうのがなんとなく許せなかったのよね。
疲れた体に鞭打って手入れを終えて、気づけば辺りは真っ暗。
もともと夜だったのはわかってたけど今日は新月だったみたいで、見上げれば月のない夜空が延々と広がっていたわ。
それで辺りを見回してみたら空をぼーっと眺めているあいつを見つけて、昼間の仕返しに後から首に息を吹き付けてあげたの。
そしたら驚いたあいつの素っ頓狂な声。
おかしかったらありゃしなかったわ。これでお相子ってところかしらね。
それからしばらく二人でどうでもいい会話をしながら過ごしてたんだけど、
気づいた時にはもう瞼がほとんど塞がってて、また目を開けた時にはハンモックに横になってたのよね。
いったいあの後どうしちゃったのかしら。
あたしのことだから死に物狂いで歩いて降りたのかしらね。
まあそういうことにしておきましょ。
でもおかしいわね。いつもバッグに隠してあるあたしだけの航海日誌を抱えたまま寝てたなんて。
いつの間にこんなもの持って寝てたのかしら。
やーねえあたしってば。
たぶん、真夜中を過ぎたぐらいだったかしら。
いつの間にか船の揺れが小さくなってどうやら港に到着したみたいね。
でも周りの物音がしないのをみると今日はこのままここで一泊するみたいね。
ま、このまま疲れた体で宿まで行く気力もなかったし、ありがたいと言えばありがたいことね。
さて、あしたはどんなことがあたしたちを待ってるのかしらね。
…………………
516 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:52:47.26 ID:W5dqu19v0
どうやら彼女はもう限界らしかった。
無理もない。
昨日は遅くまで付き合わせちゃって、今朝はいつもより早く起こされ、料理に片付け、
漁の手伝いに魚の後処理、休む間もなく夕飯の支度に網の手入れ。
途中で仮眠はとったとはいえ、彼女にとっては少々酷な一日だったかもしれない。
もっとも、過酷な旅をしていた頃はこれ以上にひどい有様だったこともあったのだが。
なんにせよ今の彼女はぼくの言葉にも虚ろで、もう半分は夢を見ているようだった。
次第に頭が下がり始め、時々はっとしては頭を振っている。
もう寝かせよう。
そう思いぼくは彼女の体を抱きとめるとそのまま脇の下から背中にかけ、
もう片方は膝の下を抱えて持ち上げ、ゆっくりと起こさないように彼女を船室の一番奥へと運んでいく。
途中で見つかった時はどうなるかと思ったけどどうやら見て見ぬふりをしてくれているようだった。
彼らには後でお礼を言っておかなければ。
調理場にあるハンモックに彼女を横たえると少しだけ彼女は目を覚まし、
かけてあった鞄の中から何かを取り出しては広げて顔に被せる。
どうやら航海日誌のようだった。
だがそれはぼくたち漁師がつける簡素で分厚いものではなく、
織り込まれた羊皮紙を何十枚か束ね、可愛らしい装飾を施した本のようだった。
まじまじとそれを眺めていると不意に彼女が寝返りを打ち、例の日誌が床に転げ落ちる。
ぼくがそれを拾おうと手を伸ばしたとき薄闇の中である一文だけが目に映った。
そこに書かれていた内容はこうだった。
“あたしはこれからあいつのために何をするべきなのか”
517 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:53:51.50 ID:W5dqu19v0
一瞬でそれは見えなくなってしまったが、
その文になんとなく彼女がここのところ見せていたどこか思い悩むような表情はこれが原因だったのだろうかと思いを巡らせた。
ぼくは彼女が一緒にいてくれるというだけでそれ以上はもう何も望まない。
だが、どうやら彼女はそうじゃないのかもしれない。
ぼくは何を彼女に無理強いするつもりもなく、ただ彼女のやりたいように楽しく生きていてくれればそれでいいと思っていたのだが。
漁についてきてくれとは言わない。
ではぼくは彼女になんと言ってやれば良いのだろうか。
こればっかりはぼくがどうこう言って解決できる問題ではないのかもしれない。
そこまで考えて日誌を拾い上げると、彼女の腕の中にそれを滑り込ませ、ぼくは厨房を後にした。
518 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:55:26.18 ID:W5dqu19v0
自分の寝床のある食堂の椅子に座って今日一日を振り返る。
朝から食事は大満足だった。
旅をしていた頃だって、乏しい食材でも彼女がよく料理をしてくれたから、
量は少なかったけど楽しくて、満足していたことには変わりない。
だけど今や彼女は豊富な食材や料理人に囲まれて思う存分にその腕を振るってくれている。
すべてにおいて文句のつけようもない。
ただ昼はみんなの食べる速さのあまりにちっとも鶏肉が食べられずじまいだった。
それでも見かねた彼女が、皿洗いをしている時に昨日の残りをこっそりくれたのが嬉しくてたまらなかったな。
それから今日は父さんに魚の群れと潮の流れのことを教わった。
この世界には膨大な種類の魚がいて、場当たりではなく一つ一つを追いかけて漁をしなければならない以上、
この勉強は漁師にとってはなくてはならない知識だ。
知識だけじゃない。体の感覚をすべて使ってその時の状況を読み、的確に動いていかなければ漁は成功しない。
少しずつ経験を積んで、ぼくもいつかは父さんを超える漁師になるために精進しなければならない。
そのためにもこうやって吸収できることはなんでも吸収していかなければ。
520 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 22:57:36.19 ID:W5dqu19v0
日が暮れてきた頃、漁師のみんなと一緒に今日は魚群を狙って海面付近で曳網をした。
移動しながらの漁となると漁法も限られてくるしチャンスも少ない、そこで頼りになるのがやはり父さんの目だ。
号令と共に放った網はすぐに魚群を飲み込んでずっしりと重たくなった。
引き揚げるとそこにはやはり大量の魚たちが掛かっていた。
網の目は大きめにしたあったから売り物にならないような小さな魚はかからなかったけど、それ以上に収穫は多かった。
片っ端から腹を出しては選別し、ぼくと彼女で加工しないものを冷凍していく。
それが終わった後はすぐに網の手入れだ。
複雑に入り組んでいる網はところどころ絡まったり変なものがくっついたりしている。
でもこういうものを放っておいては次に使う時にちゃんと広がらなかったり、魚が傷ついてしまったりする。
だから地道な作業だけどこの手入れだけは絶対に欠かせない大事な作業なんだ。
しばらくして夕飯に呼ばれて食堂に降りれば今日も豪勢な料理がテーブルの上に所狭しと並んでいた。
目移りしそうになりながら一つ一つ丁寧感想を言いながらに食べていく。
獲った魚が美味しい料理になって出てくるのはもちろん嬉しいし、
そうやって美味しそうに食べるぼくたちを見て料理をした3人も嬉しそうだった。
夕飯を食べ終わったらさっき終わらなかった網の手入れの続きだ。
丁寧にゴミを取り除きながら甲板に並べて乾かしていく。
切れやほつれがないか確かめながら作業を進めていたら夕飯の後片付けを終えた彼女がやってきて手伝ってくれた。
ぼくに加えて操舵や見張りをしていた人も休んでいるように言ったんだけど彼女は引かなかった。
どうやらただ乗っているだけの時間というのがなんとなく嫌ならしい。
もうこの船の誰もが彼女を網元の娘としてではなく一人の船員として見ているというのに。
いや、もしかすると漁師たち以上に彼女はこの船の上では働き者なのかもしれない。
漁師たちだけでは乗り越えられなかった困難も彼女がいてくれたおかげで突破することができた。
ぼくも彼女にどれほど助けられたことかわからない。
それくらいみんなが彼女に感謝していたし慕っていた。あの父さんですらね。
どちらかというとぼくは彼女が辛くないのか心配だった。
誰がどう見たってこの2週間はいろいろありすぎたと思う。
行く先々で事件が起こり、ひと悶着あり、魔物たちと戦う。
まるであの旅の続きをしているかのように。
それもほぼ毎日それの繰り返しで、流石に彼女も疲労が溜まっているのではないだろうかってね。
ぼくの予感は当たっていた。
作業が終わって星を見ていたら彼女がやってきて、その後、今に至る。
確かに宿に泊まったりしてるから肉体的な疲労はそこまでないかもしれないが、蓄積というものがあったに違いない。
彼女にはしばらくゆっくりしてもらいたいものだ。
521 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 23:00:03.99 ID:W5dqu19v0
そこまで考えてぼくはふと隣の厨房で眠る彼女の顔を思い浮かべた。
この航海中、彼女は今まで以上に色んな表情を見せてくれた。
怒ったり笑ったりした顔はしょっちゅう見てるけど、あんな泣き顔を見せることなんて一度もなかった。
そう、気丈な彼女はどんな辛いことがあってもあの旅の中で涙を見せることはなかった。
プライドのせいで弱い自分を見せられなかったのはあるかもしれない。
でも、よく考えてみたら彼女の涙のほとんどの原因はぼくにあるのだろう。
最初の夜も、フォロッド城でも、クレージュでも、砂漠でも。
それに最近だって大神殿で泣かれてしまった。
ああなってしまったら不器用なぼくにはどうすればいいか分からないし、ただ抱きしめて謝ることしかできない。
理由は様々だけど、ぼくにはあの彼女が涙を見せるということ自体が衝撃的なことだった。
明らかに以前の彼女とは違うのだ。
いや、もしかしたら彼女はぼくたちに隠れてこっそり泣いていたのかもしれない。
でも今は恥ずかしがることもなく涙を流している。
きっと強がらずに素の自分を曝け出すことに対して彼女の中で何か思うところでもあったのだろう。
ぼくにとってはそれが嬉しかった。
彼女とはどんな気持ちも共有していたい。
これまでどうしてあげることもできなかった心の傷に気付いてあげることができる。
抱きしめて慰めてあげることができる。
一緒に笑って泣いて、時には怒ったりして。
これから起こるどんなことでも彼女と一緒なら乗り越えていける。
そんな確信がぼくにはある。
さて、そろそろぼくも寝よう。明日は彼女とどんなことを話そうかな。
522 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 23:01:12.03 ID:W5dqu19v0
…………………
小さな船着き場へとたどり着いた船の中で、漁師たちが一人、また一人と眠りについていく。
少年は全員が寝静まったことを確認すると、食堂の卓を照らしていた小さな蝋燭を吹き消した。
真っ暗になった船内で、少年は自分の寝床で丸くなっている三毛猫を抱え、
三人分の大きないびきの木霊する中、小さな寝息を立てて眠り始めるのだった。
明日からの未来に、淡い希望を抱きながら。
そして……
523 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 23:01:43.77 ID:W5dqu19v0
そして 夜が 明けた……。
524 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 23:02:49.96 ID:W5dqu19v0
以上第17話でした。
今回はこれまでのお話の中で二人が募らせてきた想いを少しだけ語ってもらおうと、
趣向を変えてマリベルとアルスの独白という形にしてみました。
二次創作のお話を書くうえで、
どんなキャラクターにせよイメージというものが土台になってセリフなり描写なりが作られていくと思うのですが、
こういった一人語りとなるとそういうものが如実に出てしまいます。
「いかに原作に近い形で、読む人のイメージを壊さずに書けるか」
……難しいことですね。
「マリベル」という人気の高いキャラクターは勿論、
「主人公(アルス)」というプレイヤーの分身に色を付けていくというのはある種の冒険です。
描写と言えば、このSSの中では飲食の場面がたびたび登場しますが、
ドラクエの世界で食されているものがどんなものなのか
明確に描写されているところは見たことがありません。
(ただの勉強不足かもしれませんが……)
そこで悩むのは「現実世界で食べられている料理の名前をそのまま出して良いものか」ということです。
「アンチョビサンド」のようにわかりやすく名前の出ている物は良いのですが、
他にどんな料理があるのかはほとんどわかりません。
例えば、このお話では言えばペペロンチーノ一つとっても
「ニンニクときのこの唐辛子パスタ」と表現しております。
実際、「パスタ」なんてものがあるのかすらわからない以上、料理の名前を出すこと自体博打です。
「食事の描写がわかりにくい!」と戸惑われた方もいらっしゃるかと思いますがご容赦ください……。
ちなみに、前回登場した「マルサバカツオ」も勿論架空の生き物です。
…………………
◇ようやく次の目的地へと到着したアミット号。
王からの指令を受ける一行はある問題を抱え、別行動を取るのですが……
525 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/08(日) 23:03:37.36 ID:W5dqu19v0
第17話の主な登場人物
アルス
漁についてきたマリベルの体を案じているが、
一方で一緒にいられる時間を大事にしようとも思っている。
少女の変化には敏感で、いろいろと思うところがある様子。
マリベル
網本の娘としてではなく、一人の船員としてアミット号に乗り込む。
日々成長するアルスのことを見守っている。
実は隠れて自分だけの航海日誌を付けているらしい。
526 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 20:57:41.51 ID:3FxrOVId0
航海十八日目:少女、城へ行く / 迷子を探せ
527 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 20:59:23.05 ID:3FxrOVId0
マリベル「あふぁ~… 良く寝た……。」
朝日が半分ほど登った頃、波に揺られる船の中で少女は眠りから覚めた。
マリベル「あら?」
いつの間にか腕に日誌を抱えたまま寝ていたことを思い出し、そっとそれを鞄に戻すと濡れた布で身体を拭きながら呟く。
マリベル「だれにも 見られてないわよね……。」
それが日誌の内容なのか、自分の体のことなのかは彼女にしかわからない。
“カシ…カシ……”
そんな中、隣の部屋から餌を催促する猫が扉を叩く音が小さく聞こえてきた。
マリベル「はいはい 待ってなさいよ。」
手短に体を清め終えると少女は猫のエサを作りながら扉の向こうに呼びかける。
漁船は昨日の真夜中のうちに港に到着し乗組員全員が眠っていたらしく、どうやらまだ誰も起きてはいないようだった。
トパーズ「なお~。」
一匹を覗いては。
マリベル「シーッ! 静かにしてよね。みんなが 起きちゃうじゃない。」
トパーズ「…………………。」
扉を開けて餌入れと共に少女が現れると途端に三毛猫が膝に飛びついて餌をねだる。
マリベル「はい どうぞ。」
それからその部屋、つまり食堂の中を見やる。
コック長「グ… ゴゴゴ……。」
飯番「…ふしゅるるる……。」
アルス「スゥ……スゥ……。」
料理人たちの間に混じって少年もまだ眠っていた。昨晩も少女と話した後、遅くまで仕事をしていたのだろうか。
マリベル「…………………。」
少女はその様子を眺めていたがしばらくして少年の毛布がずり落ちていることに気付き、そっとそれを掛けなおしてやる。
マリベル「ふふっ……。」
それから少年の頬をぷにぷにと指で押して遊び、やがて飽きると猫を抱えて忍び足で船の上へと歩き出した。
528 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:02:37.45 ID:3FxrOVId0
マリベル「まぶし……。」
甲板へやってきた少女は朝日の眩しさに思わず顔を隠す。
腕に抱いた三毛猫も眩しそうに眼をつむっている。
空にはそれなりに雲はあったが本日も概ね晴れのようだった。
マリベル「平和な朝ね~。」
トパーズ「ナー。」
辺りを見回しても人は見当たらず、閑散とした港にはカモメの鳴き声が木霊しているだけだった。
マリベル「散歩でも しようっか?」
トパーズ「なおー……。」
そう言って三毛猫を降ろし、港と呼ぶには少々小さい船着き場へと降りて辺りを散策する。
マリベル「…………………。」
トパーズ「…………………。」
“何か変わったものはないだろうか。”
そんな期待を胸に少女も三毛猫も無言で歩く。
しかし船が二隻泊まれる程度のこの船着き場にそんな興味深いものなどあるはずもなく、少女はつまらなそうに近くの係船柱に腰かける。
マリベル「なにも ないわね~。」
トパーズ「…………………。」
ため息をつく少女を他所に三毛猫は入念に辺りの匂いを嗅いでいる。
知らない土地にくれば大抵こうなるのだからおかしな話ではないのだが、それが一層少女にはつれなく見えてしまう。
マリベル「はぁ……。」
*「どうしたの?」
529 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:04:53.80 ID:3FxrOVId0
マリベル「きゃっ!」
しばらく猫の動きを目で追っていた彼女だったが、不意に後ろから呼びかけられて体が跳ねる。
アルス「あっ ゴメン 驚かせちゃった?」
マリベル「び びっくりするじゃないの!」
アルス「おはよう マリベル。」
マリベル「お… おはよう……。」
アルス「一人で散歩? あ トパーズもいたんだっけ。」
トパーズ「な~う~。」
そう言って少年は三毛猫を拾い上げる。
マリベル「ま~ね。」
アルス「今朝は よく眠れた?」
マリベル「うん。」
返事の通りもう少女の顔には疲労の様子は残っていなかった。それを見て少年は少しだけ安堵する。
マリベル「ねえ アルス。」
アルス「ん?」
マリベル「昨日 あたし あんたと話してた辺りから 記憶があいまいなんだけど どうしちゃったのかしら?」
アルス「え……と……。」
曖昧ながらも鋭い質問に少年はどう答えたものか考えあぐねる。
マリベル「……?」
アルス「そ そう! 自分で ちゃんと 部屋に戻ってったよ!」
マリベル「本当に?」
マリベル「なにか いやらしいこと してないでしょうね~。」
アルス「ち 誓ってしてません。」
マリベル「神さまに誓って 言える?」
アルス「も もちろん。」
マリベル「…あんな クソじじいに 誓って言えるようじゃ やっぱり あんた……。」
少年はまんまとはめられたようである。
530 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:06:15.60 ID:3FxrOVId0
アルス「誤解だよ! ひきょうだよ!」
マリベル「うふふ。冗談よ。」
アルス「ほっ。」
マリベル「でも 変なのよね~。いつも 鞄にしまってある に……っ!」
アルス「えっ?」
マリベル「なんでもないわっ。」
アルス「もしかして 航海日誌のこと?」
マリベル「な なんで あんたが それを 知ってるのよ!」
マリベル「あっ さては あんた あれ 読んじゃったわけっ!?」
口に出すまいと思っていた物をピタリと当てられ、少女は困惑と同時に少年にさらなる疑惑の目を向ける。
アルス「い いやいや 決して読んでないから! 本当だから!」
“一文を除いては”とは死んでも言えなかった。
マリベル「嘘おっしゃい! じゃあ 何で あれの中身が 航海日誌だなんて わかるのよ!」
アルス「い いや なんとなく……。」
実際事細かに内容を見たわけではないので厳密にはあれが航海日誌だったのかはわからない。
ただ、それらしき何かと思って口に出しただけだったのだが。
マリベル「う 嘘よね…!?」
マリベル「ま まさか よりにもよって あんたに 見られるなんて……!」
そう言って少女は頭を抱えてしまう。
アルス「ま マリベル落ち着いて!」
マリベル「ふ ふふ…… ビッグバンと ジゴスパークと マダンテ どれがいいかしら……?」
トパーズ「……!」
必死に少年がなだめるも少女は世にも恐ろしい選択肢をずらずらと並べていく。
そんな少女からあふれ出る不吉な雰囲気に思わず猫が飛び退く。
アルス「……本当に 読んでないって。」
またかと思い少年は半分自棄になって言う。
マリベル「…………………。」
アルス「いいよ もう どれでも 好きにすればいいじゃないか。」
マリベル「……信じてあげる。」
しかし少女から返ってきたのは意外な言葉だった。
アルス「え……。」
マリベル「その代わり 本当にあの後 どうしたのか 詳しく話してちょうだい。」
アルス「…………………。」
アルス「わかった。」
本当のことを話すべきか少しだけ迷った少年だったが、
真実を知りたいという少女の意を汲んで昨晩あったことを話し始めたのだった。
531 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:07:09.25 ID:3FxrOVId0
マリベル「は 恥ずかしぃ……。 そんな シュウタイ さらしていたなんて……。」
マリベル「今なら いくらでも れんごく火炎が 吹けそうだわよ……。」
少年からことの顛末を聞いた少女は両手を膝に置き、顔を真赤に染めては俯いて言う。
アルス「…でも かわいかった。」
マリベル「ふ ふんっ……。」
*「お いたいた 二人とも!」
少年の一言に少女は赤い顔のままそっぽを向いていたが、再び声のする方へと振り返る。
アルス「あ おはようございます。」
マリベル「おはよう。」
*「マリベルおじょうさん もう 朝ごはんの支度を 始めますよ!」
そこにいたのは飯番を任されている男だった。どうやら料理長から少女を呼びに寄越されたらしい。
マリベル「あら そう。わかったわ。」
アルス「ぼくも 手伝います。」
*「お 嬉しいですね! それじゃ 行きましょうか!」
トパーズ「なお~。」
それからいつものように朝食の準備を済ませ、漁船アミット号は新しい一日を迎えたのであった。
532 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:08:00.94 ID:3FxrOVId0
ボルカノ「この町が どういうところかは 大体わかった。」
朝食を終えた後、乗組員たちは今日一日の予定を会議室で話し合っていた。
ボルカノ「それで ここじゃ 誰に 締約書を渡せばいいんだ?」
だがここに来てある問題が発覚することとなったのだ。
アルス「うーん……。」
マリベル「この町も 町長って 呼べる人はいないのよね。世界一の 資産家の奥さんは 住んでるけど。」
アルス「町長がいない以上 住民会議を 開いてもらうしかないかと思います。」
マリベル「…てことは 下手をすると しばらく 滞在してなきゃ いけないのかしらね。」
*「ええっ! まだまだ 行くとこは いっぱいあるってのに 足止めか!?」
ボルカノ「…………………。」
ボルカノ「とりあえず 行ってみるしかないか。」
ボルカノ「準備ができたら 出発するぞ。今日は 荷物が たくさんあるからな!」
*「「「ウスッ!」」」
ここで話していても埒が明かない。
そう判断した船長の号令で一同は動き出し、魚の詰まった木箱を抱えてすぐ北に見える町へと歩き出したのだった。
533 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:09:36.67 ID:3FxrOVId0
*「ようこそ ルーメンの町へ。こんな片田舎に 旅のお方とは めずらしい。」
男性が片田舎と呼んだこの町こそ、
今回の一行の目的地にしてかつて再三滅びの運命を少年たちに救われた町、ルーメンだった。
*「おや? それは…… なんと! あなたたちは 漁師ですか?」
ボルカノ「おう! この町の広場で 市を 開きたいんだが どうかね。」
*「そりゃあ みんな 大歓迎ですよ!!」
*「みんなには ぼくたちから 伝えておきますから どうぞ 始めちゃってください。」
ボルカノ「わるいな。」
そう言って男性は町の中へと消えていった。
*「しかし…… 本当に ド田舎だな。」
漁師の一人が呟く。
ボルカノ「あの調子じゃ 漁師をやってる人間も ほとんどいなそうだし ここの町とは 特に 締約を結ばなくても いいんじゃないか?」
バーンズ王からの書状には港への停泊権、国の間での漁獲量の取り決め、
近海での漁業権及び安全保障など様々な項目が並んでいたが、
そもそもここまでやってくること自体が少なく、許可を取らなければならない相手がいない以上、
反って余計な取り決めはしない方がお互いのためになるのではないかと船長は考えていた。
マリベル「あたしも そんな気が してきたわ……。」
アルス「まあまあ とりあえず よろしくお願いしますってことで……。」
ボルカノ「……あいさつだけで 良さそうだな。」
ボルカノ「よし お前ら 商品を広げるぞ! 市の 準備だ!」
*「「「ウスッ!!」」」
534 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:10:34.82 ID:3FxrOVId0
*「いらっしゃい いらっしゃい!」
*「とれたてピチピチの魚を さらに 冷凍して 鮮度そのまま!」
*「うちでなきゃ 味わえない 素材そのままのうまさだよ!」
*「うわっ 全然 におわねえ! あんちゃんこれ どうなってんの?」
*「カチコチだ! いったい どうやったんだこりゃ…?」
*「へっへっへ! すごい 技術があんだよ!」
*「おひとつ おくれ!」
*「あ あたしも!」
*「でっかい 魚…!」
*「おお これうまそうだな!」
535 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:11:45.13 ID:3FxrOVId0
アルス「ひぃ ひぃ……。」
マリベル「ふぅ ふぅ……。」
マリベル「なんてことなの! あれだけ あった 魚が 飛ぶように売れたわ…!」
少女の言葉通り、町の中心に並べられた大量の魚は噂を聞きつけた住人たちによってあれよあれよという間になくなり、
今ではカツオの切り身ぐらいしか残っていない。
アルス「すごい 盛況だったね!」
ボルカノ「まさか ここまで 売れるとはな……。」
船長や漁師たちもあまりの客の殺到具合に少し引き気味。
マリベル「しっかし 魔王が現れたとかいって みんな 家の中に ひきこもってたっていうのに いなくなったとたん こんなに活気づくなんてね……。」
少女が辺りを見回して言う。
確かに町の中は依然とは比べられないほどに活気づいていた。
町の中を歩く人々の顔も明るく、どこか楽しそうに見える。
アルス「それだけ 抑圧されていたってことだろうね。」
マリベル「ま おかげさまで きれいに売れたし あたしたちから言わせれば 文句はないんだけどね。」
少女の言うようにいつの間にか木箱の中はゴールドでいっぱいになっていた。
普段のアミット漁でもこれほどの利益をあげることはなかなかできないためか、漁師たちもホクホク顔で頷いている。
ボルカノ「それで これから どうするかだ。」
ボルカノ「思ってたよりも 要件が 早く片付いちまったし 午後は 解散しようと思うんだが。」
マリベル「ああ それなら あたしは ちょっと 王さまに会ってこようかしら。」
ボルカノ「ん? どうしてだい?」
少女の突然の言葉に船長は思わず首をひねる。
マリベル「この町のこととか 王さまに 先に報告しておいた方が 安心して 航海が続けられると思いまして。」
アルス「ぼくも 行こうか?」
マリベル「ダメよ。あんたは ここで みんなに 漁のことを 教えてもらってなさい!」
アルス「わ わかったって……。」
ボルカノ「助かるぜ マリベルちゃん。」
マリベル「うふふっ お任せくださいな。」
アルス「…………………。」
本当は少しでも一緒にいたいという気持ちを抑えて少年は黙り込む。
マリベル「…ふっ……。」
そんな少年の気持ちに気付きながらも、少女は少年の漁師としての向上のために心を鬼にするのだった。
536 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:13:04.89 ID:3FxrOVId0
*「これはこれは マリベルどの!」
*「おや? アミット漁は もう 終わったのですか?」
昼頃になり一行が市場をたたんだ後、少女は一人故郷の島にある城へとやってきていた。
マリベル「いいえ。実は うちの船が立ち寄っている町のことで 王さまに お話があるのよ。」
*「そうでありましたか! 王さまは 謁見の間におわします。どうぞ お進みください。」
マリベル「ありがとう。」
番兵たちに通され、三階にある謁見の間を目指して少女が階段を上っていると何やら婦人の話し声が聞こえてきた。
*「大丈夫だって! きっと お父さまなら あなたのこと わかってくれるはずだわ!」
*「うう… そ そうでしょうか……。」
マリベル「……?」
*「あ マリベル!」
なにやら込み入った話をしていた二人だったが、
こちらの姿に気付くと片方の可愛らしい少女が来訪者の名前を呼んで掛けてくる。
マリベル「リーサ姫?」
リーサ「どうしたの? あ もしかして アミット漁が終わったのね?」
マリベル「いいえ。実は ある町のことで 王さまに お話がありまして。」
リーサ「まあ そうだったの? それより 聞いてよ この人がね……。」
*「お お待ちくださいまし! やっぱりわたくしは……。」
リーサ「いいじゃない! この際だから マリベルにも 話してあげて?」
*「…は はい……。」
537 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:16:00.23 ID:3FxrOVId0
マリベル「それで 王さまに 想いを伝えたい…と。」
少女は婦人のバーンズ王に対する熱い思いを聞き、一言でそれをまとめる。
リーサ姫「そうなの。」
*「何度も何度も 打ち明けようと 思ったのですが 結局 今の今まで できずに……。」
婦人は瞳を閉じてため息をつく。
マリベル「…………………。」
マリベル「まあ 話してみないと 何も 先に 進まないんじゃないのかしら?」
*「それは そうなのですが……。」
マリベル「リーサ姫は どう思って いらっしゃるんですか?」
いくらこの婦人と王が上手くいったとして、
亡き王妃との間の娘である姫が首を縦に振らなければその後王家が揺るぐ可能性も出てくるだろう。
そう考えて少女は本人に確かめることにした。
リーサ姫「私は いいんじゃないかなーと 思ってるの。」
リーサ姫「お父さまは お母さまが亡くなってから もう ずっと 一人で 私やお兄さまのことを 育ててくれたんだもの。」
リーサ姫「アイラが来てくれたとはいっても やっぱり どこかで寂しいと 思ってるに違いないわ。」
リーサ姫「それに 家族が 増えたら 私も 嬉しいなって……。」
それが彼女の本心なのかはわからない。ただ、自分の父親やこの婦人のことを思って言っているということは伺えた。
マリベル「そう… そうですか……。」
マリベル「アイラは?」
リーサ姫「アイラも 応援してるって 言ってたわ。」
どうやらもう一人の王女もそれについては否定していないようだった。
*「でも… もし ダメだったら……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「一つ いいですか?」
*「……なんでしょう。」
マリベル「わたしは これから わたしたちの国の 王妃になる人が そんな風に いつまでも うじうじしている人だったら 耐えられないわ。」
マリベル「そのことを はっきりと 覚えておいてくださいね。」
煮え切らない婦人に対して少女は釘をさす。
リーサ姫「マリベル……。」
マリベル「わたしから 言いたいことは それだけです。」
マリベル「それでは わたしも 王さまに お話があるので これで失礼しますわ。」
それだけ言うと少女は踵を返して三階へ続く階段をつかつかと上って行ってしまった。
*「あっ……。」
*「…………………。」
538 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:17:35.86 ID:3FxrOVId0
大臣「おお マリベルではないか!」
階段を登り切ったところで国王を補佐する大臣が少女を見つけ歩み寄ってきた。
マリベル「こんにちは 大臣。締約書のことで 王さまに お話があるの。」
大臣「そうであったか。ささ では こちらへ。」
そう言って大臣は少女を玉座の前まで案内する。
バーンズ王「よく来てくれた マリベルよ。また 何か 起こったのか?」
マリベル「こんにちは 王さま。さすが お察しが よろしくって。」
少女は微笑んで挨拶をする。
バーンズ王「まあ そうでもなければ わざわざ アミット漁の途中で ここまで きたりせんじゃろう。」
マリベル「そうなんです。実は……。」
[ マリベルは 事情を説明した。 ]
バーンズ王「ふうむ。そうか……。」
マリベル「ですから ルーメンは あいさつだけで 済ませようかと 思うんです。」
マリベル「漁にしたって あそこまで 行くことは ほとんど ないでしょうし……。」
バーンズ王「うむ わかった。では その ルーメンについては また しかるべき時がきたら 使いをよこすとしよう。」
マリベル「わかりました。それから こちらが これまで 預かってきた 各国や町からの書状です。」
[ マリベルは 預かった書状を バーンズ王に 手わたした! ]
バーンズ王「ご苦労だったな。それに 領海内での 安全保障の項については わしも 盲点じゃった。」
バーンズ王「ありがとう マリベルよ。」
マリベル「もったいない お言葉ですわ 王さま。」
バーンズ王「これからも アルスや ボルカノを 頼んだぞ!」
マリベル「は はい!」
バーンズ王「では 引き続き 気を付けてな。」
539 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:19:52.90 ID:3FxrOVId0
マリベル「あら?」
王との謁見を終え、階段を降りてきた少女の目の前には先ほどとは別の人物が立っていた。
アイラ「あら マリベルじゃない!」
それは先ほど少女が名前を口にしたばかりの、元ユバールの踊り子にしてこの国のもう一人の王女だった。
マリベル「アイラ! 元気してた?」
お互いの顔を見ると二人は駆け寄り軽く抱き合う。
アイラ「あたりまえよ! マリベルこそ 慣れない 漁船での生活で 苦労してるんじゃない?」
マリベル「ううん けっこう たのしくやってるわよ。」
アイラ「そう それなら いいんだけど。」
アイラ「それよりも 聞いたわよ~ アルスとのことっ!」
マリベル「えっ…!!」
まさか王女がそのことを知ってるとは思わず少女は“アストロン”をかけられたかのように固まって動かなくなる。
アイラ「マリベルも 隅に置けないわねー あんなに 素直じゃなかったのに!」
マリベル「ちょ ちょっと アイラ…!」
王女は意地悪そうな笑みを浮かべる。
アイラ「あら ちょっと からかいすぎたかしら。ウフフっ。」
マリベル「もうっ!」
なんとも楽しげに笑う王女に少女がかわいらしく抗議する。
アイラ「で ちゃんと 彼とは うまくやってるの?」
マリベル「っ…… うん……。」
あの夜以来いくつもの困難を乗り越えながら二人は順調に互いの距離を詰めている。
そんな気が少女もしていたため、なんとか王女の問いかけにも答えることができた。
アイラ「あーあ うらやましいな マリベルは。」
マリベル「えっ?」
唐突な言葉に思わず少女は下がっていた目線を上げる。
アイラ「あんなに 素敵な人 滅多にいないもの。そんな人と結ばれた マリベルは 幸せ者よ。」
王女はどこか寂しそうな、なんとも言えない表情をしていた。
マリベル「アイラ……。」
アイラ「でも 安心しちゃダメよ? きっと 世界中の美女が 彼を狙っているに違いないから。」
マリベル「っ… も もちろん 誰にも 渡さないわ! あいつのことを 全部受け止めてやれるのは 世界で あたしだけなんだから!」
マリベル「あっ ボルカノさんやマーレさんには 敵わないかもしれないけど……。」
そう言って少女は再び意気を失くして俯く。
アイラ「ふ ふふふ……。あっはははは!」
そんな少女を他所に王女は高らかに笑いだす。
マリベル「アイラ……?」
アイラ「やーっぱり あなたには 敵わないわね マリベル。」
アイラ「これなら どんな人が 彼に言い寄ったって 大丈夫そうね。 安心したわ。」
そう言って王女はまなじりに溜まった涙を拭いて微笑む。
540 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:21:02.59 ID:3FxrOVId0
マリベル「アイラ……。」
アイラ「そうそう そういえば さっきここにいた おばさまだけどね。」
アイラ「マリベルに ありがとうと伝えておいてください ってさ。なんだか 晴れ晴れとした 感じだったわよ。」
マリベル「……そう。」
先ほどの婦人はきっと本当に決意したのだろう。
国王の答えがどうかはさておき、結果を聞ける日がそのうち来るのだろう。
そう思い少女は瞳を閉じて微笑む。
マリベル「あっ そうだ アイラ お昼ってもう 食べちゃった?」
アイラ「まあね。城のお昼は 基本的に 同じ時間だから……。」
マリベル「そっか……。」
アイラ「いいわよ。食後のデザートでも 食べようかと 思ってたから!」
そう言って王女は片目を閉じてウィンクする。
マリベル「ホント!?」
アイラ「たまには 二人だけで 城下町を 歩きましょうよ! あ リーサも連れていく?」
マリベル「賛成っ! リーサ姫の 恋愛事情とか 聞きたいもの!」
アイラ「うふふっ あんまり 期待できないと 思うけどね。」
こうして少女たちは姫を連れて楽しそうに昼下がりの城下町へと繰り出すのであった。
王女二人に英雄の美少女という取り合わせに城下町は大いに盛り上がったとかなんとか。
541 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:21:53.45 ID:3FxrOVId0
アルス「どうして こうなったんだろ……。」
そんな少女たちが会話に華を咲かせている頃、少年はとある“困ったこと”に苦心していた。
*「いやー まさか こんなことになるとはな。」
漁師の一人が苦笑して呟く。
元はと言えば“モンスターおじさんの運営するモンスターパークがある”と
町人に聞いた漁師の一人がそこへ行こうと提案したことから始まった。
食材の調達も済み、次の目的地までそう離れていないことから今日はいとまにするということもあって、
誰も反対することなく見物へとやってきたのだったが、どうやら間が悪かったようだ。
ボルカノ「メタルスライムっていうと この前 会った 体がブヨブヨしてる 金属の魔物のちっこいのだろ?」
アルス「うん……。」
遡ること数刻前。
…………………
542 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:22:38.97 ID:3FxrOVId0
*「おお お前さんか!」
*「モンスターたちから 話は聞いておるぞ! 魔王を 倒してくれたそうじゃないか!」
*「モンスターたちを代表して わしからも 礼を言わせてもらうよ。」
アルス「いえいえ とんでもない。」
*「むむ どうやら お仲間さんがいっぱいのようじゃな。」
アルス「今日は みんなで 遊びに来たんです。」
*「そうか。きっと モンスターたちも 喜ぶじゃろう……。」
*「…………………。」
アルス「どうか したんですか?」
*「うーむ 実はのう……。」
…………………
543 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:23:44.72 ID:3FxrOVId0
アルス「行方不明の メタルスライムを 探せ…か。」
そう、モンスターじいさんの言う“困ったこと”とは
つい先日まで山地にいたはずのメタルスライムが姿を見せなくなったということだった。
コック長「そんなに すばしっこいというやつを わしらが 見つけられるんじゃろうか。」
アルス「みんなで 手分けすれば もしかしたら 見つかるかもしれません。見物がてら みなさんも 探してみてください。」
ボルカノ「それじゃ 夕日が沈む前にここに 集合だ。いいな。」
*「「「ウスッ!」」」
アルス「ここの魔物たちは みんな 人間に対して 友好的です。」
アルス「あんまり 怖がると 向こうが 悲しむかもしれませんので みんな 楽しんできてください。」
*「おうよ!」
こうして一行はそれぞれ好きな場所へと移動しながら行方知れずのメタルスライムを探すことになったのだった。
544 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:25:05.08 ID:3FxrOVId0
ダークパンサー「ガウッ ガウッ!」
オニムカデ「プギー! プギー!」
*「お おう…。」
*「ホントに 魔物が いっぱいいるんだな……。」
草原地帯へとやってきた漁師たちが早速魔物と対面して面食らっている。
スライム「ピキー!」
*「お こいつって アルスの言ってた メタルスライムじゃ ねえのか?」
*「よく見ろ 色が 青じゃねえか。たぶん 普通のスライムだろ。」
スライム「おじさんたち だあれ? ぼく スライムだよ!」
*「うおっ!」
*「驚いたな おまえさん しゃべれるのか!」
スライム「ぼくだけじゃないよ! ここには 人と話せる魔物が いっぱいいるんだよ!」
*「こりゃ 思ったより 楽しめそうだな。」
*「だな。いろんなやつと 話してみようぜ。」
*「見ろよ! このワンコ 首が二つあるぜ!」
バスカービル「くううーん……。」
もはや迷子探しをそっちのけで漁師たちはモンスターパークを満喫し始めてしまうのだった。
545 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:25:46.34 ID:3FxrOVId0
アルス「そっか ありがとう。」
エイプバット「いいってことよ またなんかあったら 飛んでいくぜ。」
アルス「よろしくね。」
メタルスライムと聞いて真っ先に少年がやってきたのは山地のエリアだった。
最後に来た時にもあの怖がりなメタルスライムはそこにある洞くつで見かけたからである。
しかしどの魔物に尋ねても見かけていないという話だった。
ボルカノ「そうか じゃあ ここには もういないかもしれないのか。」
少年についてきた父親が腕を組んで言う。
アルス「そうみたい。他を探そうか。」
ボルカノ「その メタルスライムってやつに 仲間はいねえのか?」
アルス「心当たりは いくつか あるんだけど……。」
ボルカノ「じゃあ しらみつぶしに 回っていくとしようぜ。」
アルス「うん。」
こうして少年とその父親は観光に耽る漁師たちを放って律儀に一か所一か所回っていくことにしたのだった。
546 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:27:55.64 ID:3FxrOVId0
スライム「あっ アルスさんだ! こんにちは!」
アルス「やあ 迷子のメタルスライムを 探してるんだけど 知らないかい?」
スライム「プルプル… ぼく わかんないや。」
アルス「そっか。」
*「ホイミ!」
[ アルスの キズが 回復した! ]
アルス「……ありがとう。」
*「…………………。」
*「……知りませんね。」
*「知らんなあ わしの 部下じゃないからのー。」
*「やっぱり メタルはゴールドには 勝てないさ!」
*「…………………。」
[ スライムタワーは グラグラしている! ]
*「ぴ? ぴるる?」
*「それより ボクを みがいてかない?」
*「そんなコ いたんベスか?」
*「ピキー!」
*「はぐれメタル ナラ ワカルケド……。」
*「ピュキー!」
*「ピキュキュ?」
*「プルプル…… フルフル……。」
*「ギギ…… ワタシハ ハンター…… メタルハンター……。」
アルス「まさか もう やっちゃった?」
メタルハンター「ヤッテナイ……。」
メタルキング「ブヨヨ…。」
アルス「う~ん。」
ボルカノ「何言ってるか さっぱりわからんな。」
メタルライダー「なに? メタルスライムが 消えただと?」
メタルライダー「それは 由々しき事態だが 残念ながら わたしも 見てはいないな。」
メタルライダー「なあ 相棒よ。」
*「…………………。」
547 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:30:01.85 ID:3FxrOVId0
ボルカノ「結局 どこにもいなかったな。」
アルス「はぁ……。」
日がちょうど地平線に足を付けた頃になっても件のメタルスライムが見つかることはなかった。
途方に暮れた少年と父親は諦めてパークの入口へと戻り、漁師たちの帰りを待つばかりだった。
*「探すには 探しましたけど 見つかりませんでしたぜ。」
*「びっくらこいたぜ。あんな でっかい 魔物がいたなんてよ!」
*「そっちも ダメだったのか。」
戻ってきた漁師たちも手掛かりは掴めなかったようだ。
コック長「マリベルおじょうさんも 心配してるだろうし そろそろ 町に 帰らないか。」
*「そうですねー。」
パークの経営者には結局見つからなかったと報告して帰るしかない。
そう誰しもが思った時だった。
*「あら みんな ここにいたの。」
548 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:31:34.00 ID:3FxrOVId0
アルス「えっ!」
後からした声に少年が振り向くとそこには昼間別れたはずの少女が立っていた。
その胸には銀の光沢のあるスライムを抱えている。
マリベル「まったく 情けないわね~。みんなして どこ探してたわけ?」
アルス「マリベル どうしてここに……?」
アルス「それに その子は……。」
少年が震える指先でそれを指す。
マリベル「ああ さっき 城下町から戻ってきたんだけど みんな船だけ残して どこにも いないんだもん。どうせ ここだろうと 思ってね。」
マリベル「それで モンスターじいさんに 話を聞いたら この子が 行方不明だって聞いてね。砂漠で 見つけてきたわけよ。」
メタルスライム「ピキー!」
少女の言葉にそのスライムは元気よく鳴き声を上げる。
アルス「え でも 確かに 砂漠は 探したはずなんだけど……。」
マリベル「メタルブラザーズは 見たのかしら?」
首を捻る少年に少女は問いかける。
アルス「も もちろん! でも それしか いなかったから……。」
マリベル「は~ あっきれた。もう よく見なさいよ! メタルブラザーズは3匹でしょ!」
マリベル「むしろ 4匹のやつがいたら 是非 教えてほしいもんだわよ。」
アルス「あっ!」
少年の脳裏には普段は絶対に崩れない形がいつになくグラグラしているメタルブラザーズの姿が浮かんでいた。
マリベル「へんだと思って 話してみたら すっかり仲良くなっちゃって 遊んでただけですって。」
マリベル「ねー。」
メタルスライム「…ナカヨシ!」
*「な なんて 人騒がせな……。」
*「ほえ~。」
アルス「…………………。」
感想をあげる漁師たちを他所に少年は口を半開きにして呆然と立ち尽くしている。
マリベル「さ はやく おいき。」
メタルスライム「ピキー! マリベル モ スキー!」
マリベル「もう一人の 友達が 山で待ってるわよ?」
メタルスライム「ピ ピキー! ボク モウ イクネ!」
マリベル「今度 遊びに行くときは 誰かに 言っておくのよ!」
メタルスライム「ワカッタ! アリガト! アリガト!」
549 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:32:17.47 ID:3FxrOVId0
マリベル「さ あたしたちも 帰りましょ!」
無事案内人にメタルスライムを預け、少女は一行に町への帰還を促す。
ボルカノ「そうだな。」
*「けっこう 楽しかったなー!」
*「腹減ったぜ……。」
*「はやく 宿に 行きましょうよ!」
コック長「どれどれ この地方の味を もっと 確かめるとしようか。」
アルス「…………………。」
マリベル「なーにやってるのよ アルス。」
一行が動き出しても固まったままの少年を少女が呼ぶ。
アルス「…えっ……?」
マリベル「いつまで 固まってんのよ! 早くしないと 置いてっちゃうわよ?」
アルス「…ぼくの 半日は いったい……。」
それでも尚、少年は青い顔で呪詛でも唱えるかのようにぶつぶつと呟いている。
マリベル「もうっ わかったから! ほらっ。」
アルス「あっ……。」
いつまでも視線の定まらない少年に痺れを切らして少女が手を引く。
マリベル「うじうじしてると かわいい 女の子が いなくなっちゃうわよ~。」
アルス「は ハハハ……。」
そんなことあってはたまらないと言わんばかりにから笑いすると、少年は諦めて少女に歩調を合わせて進みだす。
マリベル「で 久しぶりのパークは どうだった?」
アルス「うん それがね……。」
そんな他愛もない会話をしながら二人は少し前を行く漁師たちの背を追いかけていくのだった。
550 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:33:10.41 ID:3FxrOVId0
マリベル「ふう… やっぱり 自分で作る料理より 誰かに作ってもらった方が 楽でいいわよね~。」
宿で食事を済ませた一行は思い思いの時間を過ごしていた。
早々に横になる者、散歩に行く者、さらに食事をする者、酒を交わして仲間との会話に盛り上がる者。
そんな中に少年と少女も混じっていた。
アルス「やっぱり たいへん?」
マリベル「あたりまえよ。一人二人の量とは わけが 違うんだからね!」
少女がカウンターに頬杖をついて愚痴をこぼす。
マリベル「アルス あんた たまには あたしの代わりに 料理作ってよ。」
アルス「う うーん あんまり 自信ないな……。」
その隣で少年が頬を掻く。
マリベル「そんなこと言ってたら いつまでたっても 上達しないわよ?」
アルス「ちょっとは 練習してるんだけど……。」
マリベル「うふふっ 偉いわ アルス。ちゃんと 言いつけを 守ってたのね!」
アルス「とは言っても うちじゃ 母さんが 作ってくれるから なかなか 機会がないんだけどね。」
マリベル「じゅうぶんよ。それに マーレおばさまの横で 見てるだけでも 勉強になるんじゃないかしら。」
アルス「まあね。でも 母さん 手際が良すぎて 何やってるのか あんまりわからないんだけどさ。」
マリベル「……その分じゃ あたしが 料理を作らなくてもいい日は 遠そうね……。」
ぼそっと本音が漏れる。
アルス「えっ?」
マリベル「なーんでもないのよっ! それより グラスが空っぽよ。」
そう言ってはぐらかすと少女は少年が飲み干したグラスを指さして言う。
マリベル「お姉さん オススメちょうだい。」
*「はいはーい。」
551 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:35:05.86 ID:3FxrOVId0
*「それじゃ あの二人は どこまで いってるんだ?」
カウンターで飲んでいる少年と少女の背中を横目に漁師たちはひっそりと俗な話で盛り上がっていた。
*「あんまり 現場は見てねえから わからんが コック長たちの話じゃ 同じベッドで 寝てたとか なんとか……。」
広間を照らすロウソクの灯りが会話に妖しい雰囲気を漂わせていく。
*「おい それって もう……。」
*「さあな。だけどよ ここのところの 仲の良さを見てると あながち 間違いじゃないかもしれねえな。」
確かに漁師たちの目から見ても“お嬢様と付き人”くらいの関係にしか見えなかった二人が、
いつの間にか“かかあ天下”のような関係に昇格したような印象を受けていた。
正確に言えばもともと仲は良かったのだろうが、今ではずっとお互いの距離が近くなりどこからどう見ても恋人に見えるのである。
それに加えて“そんな噂”を聞けば“そんな発想”になるのも無理はないことだった。
*「うぇっへっへ! しかし アルスも 隅に 置けないやつだな。」
*「まさか アミットさんの娘を めとるなんてよ! ぐへへへ……。」
*「ちょっと~?」
*「「ひぃ!」」
思わずかけられた言葉に二人の背筋が凍る。
マリベル「あたしが アルスと なんですって~?」
少女の目は座っていた。
*「お おたすけー!」
今日出くわしたどんな魔物よりも恐ろしいモンスターがそこにはいたのだった。
マリベル「おほほほほ~ 待ちなさ~い?」
こうして酒を酌み交わしながら、漁船アミット号一行は久しぶりに全員そろって宿で楽しく一晩を過ごしたのだった。
そして……
552 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:36:08.13 ID:3FxrOVId0
そして 夜が 明けた……。
553 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:37:16.61 ID:3FxrOVId0
以上第18話でした。
*「あなたたちの おかげで 私も勇気が もてるような気が してきましたわ。」
*「今夜 王さまに 私の気持ち つたえてみようかしら……。」
*「……て。たしか この前も そう思ったのに……。わたくしの いくじなし……。」
PS版のエンディングの最中、グランエスタード城で聞ける婦人の台詞です。
今回のお話ではバーンズ王に想いを寄せるそんな彼女に脚光を浴びせてみました。
その後どうなったのかはわかりませんがこのSSでは結局打ち明けていないという設定になっております。
果たしてバーンズ王は婦人の想いを受け止めるのか、それとも亡きお后への想いを貫くのか。
ある意味あの島の未来を決める大事なお話です。
どちらにせよあのエンディングの後、バーンズ王は難しい判断を迫られる日が来るでしょう。
後のことはご想像にお任せします。
そして後半に書いたのはモンスターパークでの騒動。
あれだけの魔物が同じところに集うのだからきっと魔物同士で何かいざこざが起こるだろうと考え、今回のお話を書き起こしました。
モンスターパークと言えば、PS版のモンスターパークでは台詞の前に魔物の名前が表示されますが
3DS版では“*”で統一されています。
そういったこまかい違いもあれば、新たに追加された魔物が増えているといった大幅な変更まで。
お話を書くうえでどう処理したものか迷いましたが、結局は演出の関係で折衷となりました。
ちなみに「メタルブラザーズ」は3DS版(ダウンロード石版)からの参戦です。
…………………
◇次回はクレージュから次の目的地までの短めのお話です。
554 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/09(月) 21:39:59.67 ID:3FxrOVId0
第18話の主な登場人物
アルス
せっかくの暇な時間を有効に使おうと思った矢先、
モンスターパークでの事件に巻き込まれる。今回はいいとこなし。
マリベル
町で市を終えた後、一人でグランエスタード城へ。
懐かしい仲間や知り合いとの再会を終えルーメンへ戻る。
漁師たちが手をこまねいていた事件をあっさりと解決してみせる。
ボルカノ
息子のアルスについてモンスターパークを見て回る。
結果はほとんど徒労に終わってしまったが、本人もそれなりに楽しんでいた模様。
アミット号の乗組員たち
アルスに連れられモンスターパークへとやってくるも、
見物に忙しくて迷子探しどころではなくなる。
バーンズ王
グランエスタードを統治する王。
アルスたちに課した任務の成功はもちろん、
アミット漁の成功を祈っている。
アイラ
元ユバールの踊り子にしてグランエスタードの王女。
道中連れ添ったマリベルとは非常に仲が良い。
リーサ姫
自分のことよりも妻と息子を両方とも失ってしまった父親のことを心配している。
煮え切らない様子の婦人の背中をそっと押す。
婦人(*)
バーンズ王に想いを寄せる婦人。
募る想いをなかなか打ち明けられずに悶々としていたが、
リーサやマリベルの後押しで遂に決心をする。
モンスターおじさん(*)
ルーメンの北にあるモンスターパークを運営する心優しき男性。
行方不明になったメタルスライムのことを気にかけ、何日も探していた。
メタルスライム
モンスターパークで暮らす魔物。かなり臆病な性格。
偶然知り合ったメタルブラザーズと仲良くなり、
遊んでいるうちに行方不明扱いに。
555 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:14:33.48 ID:qDyAt+CI0
航海十九日目:つかまえた
556 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:16:10.33 ID:qDyAt+CI0
マリベル「へえ あの奥さん いなくなったんだ。」
明くる日、一行は朝日が昇るとすぐに朝食を済ませ、早々にルーメンの船着き場を出発していた。
現在はしばらく航行し、目の前には二つの大陸が見えている。
アルス「うん ブルジオさんと 仲直りするっていって それっきりなんだって。」
少年と少女は船尾に立ち、離れ行くルーメンのある島を眺めながら話をしていた。
マリベル「あの人 後悔してたもんね。いつまでも 意地はるんじゃなかったってさ。」
アルス「うまくいくと いいね。」
マリベル「どうかしら。あの ブルジオさんだもん。」
マリベル「それに きっと 息子なんて 見たら ひっくり返っちゃうわよ。」
アルス「あまりの 臭さに?」
マリベル「あまりの 汚さもね。」
*「「あっははは!」」
二人は顔を見合わせると愉快そうに腹を抱えて笑い出す。
マリベル「それにしても あの お屋敷って あの時から あのままなのかしらね。」
アルス「うーん チビィのお墓も いつの間にか 立派になってたし 一階もきれいになってたから 一度は 建て直したんじゃないのかな。」
マリベル「…かもね。」
マリベル「そうだ アルス チビィのかたみって 持ってる?」
アルス「うん。」
そう言って少年は袋の中から虫のような形をした琥珀色の塊を取り出す。
マリベル「…………………。」
少女はそれを見つめ、やがて目を伏せた。
アルス「どうしたの?」
マリベル「…………………。」
マリベル「……大切な人のために 命を張ろうとするのって 人だけじゃないのよね。」
アルス「…………………。」
思ってもみなかった言葉に少年は目をぱちくりさせる。
マリベル「今だったら チビィやロッキーの気持ちも 痛いほどわかるわ。」
マリベル「あたしもね きっと いつか そういう時が 来るのかもなって。」
アルス「マリベル……。」
マリベル「それがパパなのか ママなのか ……あんたなのかもしれない。」
マリベル「それでも きっと あたしは その時 満足して 死んでいけるんだろうなって。」
マリベル「前は 誰かのために 死ぬなんて 真っ平ごめんって思ってたわ。」
マリベル「でも 今は 違う。」
マリベル「どこかで みじめに野垂れ死するでもなく 欲望の限りをつくした後でもなく 大切な人のために 死んでいけるなら それも悪くないかなってさ。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ごめん。いまのは 忘れてちょうだ……っ!」
アルス「…………………。」
557 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:17:28.84 ID:qDyAt+CI0
言葉を遮って少年が少女の体を優しく抱きしめる。
マリベル「あ アルス……?」
アルス「させないよ そんなこと。」
マリベル「えっ?」
アルス「死ぬときは一緒って 言ったのは きみじゃないか。」
アルス「きみは どんなことがあっても 生き延びて 幸せに生きるんだ。いいね?」
マリベル「…………………。」
マリベル「ふふっ 一本取られたわね……。」
ささやく少年の言葉に心地よさと嬉しさ、そして少しだけの哀しさを覚え、少女はそっと瞳を閉じる。
“自分がいなければ何もできない”
そんな風に思っていた少年がいつの間にかこんなに強く、大きくなったのに対して
自分はこの少年なしでは生きていけなくなってしまった。
そんな風にすら思えたのだ。
*「あのー……。」
*「「ギャッ!!」」
いつの間にか二人の前に立っていた男に声をかけられ二人は毛を逆立てて飛び退く。
*「お楽しみのところ 悪いんですけど マリベルおじょうさん そろそろ お昼の準備をしますよ。」
マリベル「あ え… ええ わかったわ……!」
アルス「そ そっか それじゃ また 後でね!」
マリベル「うん……。」
空気を読まない飯番の男に促され、少女は甲板を降りて行った。
アルス「び ビックリした……。」
*「アルスさん アルスさん。」
アルス「は はい?」
*「今夜にでも マリベルおじょうさんとの アツイ話 聞かせてくださいよっ。」
アルス「え………………。」
*「楽しみにしてますからね!」
それだけ残して固まる少年を尻目に料理人はそそくさと調理場へと向かっていってしまった。
アルス「…ま まいったな……。」
そうして少年はふらつく足取りで見張りへと戻るのだった。
558 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:19:01.35 ID:qDyAt+CI0
ボルカノ「しかし 助かったぜ。もしかしたら この先も そういう町や村が あるかもしれないからな。」
今は昼時、一行は交代で食事をとりながら少女が交わした国王とのやりとりついて話していた。
マリベル「お役に立てて 嬉しいですわ。」
配膳が終わり自分の食事に手を付けたばかりの少女が微笑む。
アルス「この先の目的地で 同じようなところは あったかな?」
マリベル「どうかしら…… ううん。一応は 大丈夫なんじゃないかしら。」
ボルカノ「それなら 安心だ。ただ あの ルーメンの町が ちょっと 特殊だったってわけだな。」
*「たしかに 町長もいない 町なんて 珍しいっすよね。」
*「でも ハーメリアも そうだったじゃないか。」
*「あそこは 一応 アズモフっていう博士がいただろ?」
*「まあ そうだけどよ……。」
ボルカノ「とにかくだ 次は 村長がいるみてえだし とくに心配はなさそうだな。」
マリベル「温泉! 今度こそ 温泉入りたーい!」
少女が興奮気味に言う。
*「その温泉ってのは どんなとこなんです?」
アルス「……混浴の大浴場です。」
*「「「うおおおっ!」」」
*「本当か アルス!」
*「むほっ!」
*「船長! 急いでいきましょうぜ!」
ボルカノ「……お前ら 目的 忘れてないか?」
雄たけびを上げる漁師たちに思わず船長も苦笑する。
マリベル「もう やーねえ みんなして!」
マリベル「いっとくけど あたしは みんなとは 入らないからね!」
あからさまな助平心に少女も眉を吊り上げて宣言する。
*「そんな殺生な!」
*「なんてこった……。」
*「千載一遇のチャンスが……。」
漁師たちはこの世の終わりかのような顔を浮かべて嘆く。
マリベル「……ったく。」
アルス「…………………。」
559 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:20:14.03 ID:qDyAt+CI0
マリベル「まったく 男って どうして すぐそうなるのかしら。」
食事の後片付けを終えた少女は食堂で休む少年のハンモックを奪ってぶつぶつと文句を言っている。
アルス「まあまあ。みんな たぶん 冗談で 言ってるんだと思うよ。」
寝床を盗られた少年は椅子に腰かけ卓に寄りかかったまま答える。
マリベル「ホントに そうかしら?」
あの時の漁師たちの落ち込み様をみた少女には少年の言葉はにわかには信じがたかったし、
実際に少女の抱いた疑念はほぼほぼ正しいというのが現実だった。
アルス「それにしても エンゴウか…… あの時の ほむら祭は 楽しかったよね。」
少年は魔王を倒した後の凱旋で立ち寄った際のことを思い出して言う。
アルス「過去のほむら祭は ろくに 楽しんでいられなかったもんなあ。」
マリベル「まあ…そうね。お祭りって言うと うちのアミット漁ぐらいしか なかったし たまには ああいうのも 悪くないけど……。」
アルス「グランエスタードも 恒例のお祭りとか やればいいのにね。」
マリベル「……あの 何もない島で お祭りやるっていう方が 難しいんだわよ。」
アルス「そんなことないよ。水の精霊は あの島に 眠っていたんだから やろうと思えば できるんじゃないかなあ。」
マリベル「そうはいっても 水の精霊のこと みんな わかってるのかしら。」
アルス「うーん……。」
アルス「…もし 知らなくても ぼくたちが 広めていけばいいんじゃないかな。」
マリベル「…………………。」
マリベル「…面倒くさい。」
マリベル「いっそのこと 魔王討伐を記念して あたしたちを 祭り上げればいいだわよ!」
アルス「ええっ? なんか 恥ずかしいよ……。」
マリベル「いいじゃないの あたしたちは それくらいのことを したんだから。」
アルス「きっと そのうち 面倒になると思うよ?」
マリベル「どうしてよ。」
アルス「毎年毎年 お祭りのときに 主賓にされて 挨拶させられて みんなに囲まれて……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「やっぱり なしね。」
そう言うと少女は壁側に寝返りを打ってつまらなそうに大きなため息をつく。
560 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:22:17.16 ID:qDyAt+CI0
マリベル「…あ そうだ!」
かと思えば突然跳ね起きて炊事場から何かを持ってきた。
マリベル「じゃーん。」
アルス「あ それって…!」
マリベル「あたしの お気に入りのドレスよ!」
その手にぶら下がっていたのはかつてフォロッド城での事件で破かれてしまった少女の一張羅だった。
アルス「どうしたの?」
マリベル「ほら 昨日 城下町に行ってきたでしょ? その時に 偶然 同じのが 一着だけあったから 買ってきたのよ。」
マリベル「このドレスも 大人っぽくて 好きだけど やっぱり これも惜しくってさ。」
マリベル「うふふ。高かったんだからね~。」
そう言って少女は買ったばかりのドレスを両手に掲げて鼻歌を鳴らす。
アルス「たしかに それの方が マリベルって感じだしね。」
マリベル「それって 褒めてるの?」
アルス「も もちろんだよ……。」
アルス「…そ そういえば 頭巾も買ってきたの?」
マリベル「え? ええ そうだけど それが どうかしたかしら?」
アルス「いや せっかく きれいな 髪なのに また 隠しちゃうのかなって。」
マリベル「なっ……。」
少女はいつの間にか立ち上がった少年に髪を撫でられていた。
マリベル「…………………。」
心地よい感触と少年の真っすぐな殺し文句に思わず顔が熱を帯び、少女はしばらく黙り込んで思案する。
マリベル「……そうね そこまで 言われちゃ 仕方がないわ。」
マリベル「…頭巾をするのは 甲板に出た時と お料理中 だけに しておこうかしらね。」
いつもは潮風で髪が痛むのを防ぐためと周りには言い聞かしているが、
本当のところはところどころ跳ね返る癖っ毛が恥ずかしく、
隠しておきたいというのが彼女なりの本音だった。
しかしフォロッドの王太后のみならず少年にまでこう言われてしまった以上、
必要以上に髪を隠すことも、気にすることもないのではないかと、少しだけだがそんな風に思えたのだった。
マリベル「…で いつまで 触ってるのよ?」
アルス「…飽きるまで。」
気付けば少年は少女の跳ね返った巻き毛を指に巻き付かせて遊んでいた。
マリベル「…………………。」
”いったい何が楽しいのだろうか”
少年の考えることはさっぱりわからなかったが、なんだか振り払うのも惜しいような気がして、
言葉通り少年が飽きるまで少女はそうして身を預けているのだった。
561 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:24:27.14 ID:qDyAt+CI0
ボルカノ「いいか アルス 今日の漁は まさに 魚のゴキゲン次第だ。」
夕刻になってあたりが暗くなり始めた頃、漁船アミット号はまだ大陸間の細長い海域を航行し続けていた。
既に地図上ではもう少し行けばこの海域を抜け西側が開けてくるという位置に差し掛かっている。
ボルカノ「流し網っていうのは こっちから 働きかけない以上 うまいこと 魚の群れに 当たることを 祈るしかねえ。」
ボルカノ「だからこそ 時期や 潮目 天候が 大事になってくる。」
ボルカノ「少しずつでいいから しっかり 覚えていけよ。」
アルス「わかりました。」
本日行う“流し網”という漁法は“刺し網漁”に分類されるものの一つで、
一般的な刺し網漁法が帯状の網をオモリで海底に固定して通りかかる魚を捕えるのに対して、
流し網の場合は軽いオモリを使い、浮標の付いた身網を漁船が曳回して流れてきた魚を捕える漁法である。
航行を続けながら漁を行うアミット号にとっては都合の良い漁法の一つだった。
アルス「でも ここで サケが 獲れるとなると それこそ エンゴウの人たちに 配慮しなくちゃ いけなくなるね。」
そして今回の狙いはサケ。
エスタード島では馴染みのない魚ではあったが、他の大陸ではところどころで振舞われており、
ルーメンで仕入れた情報を元にこの海域で漁をすることになったのだった。
ボルカノ「まあな。ただ 他の漁場で ちゃんと育った サケが獲れるなら どこが一番の漁場か 見極めなくちゃならねえ。」
ボルカノ「今は とりあえず 確認も兼ねて しっかり やらせてもらうとしようぜ。」
アルス「はい。」
562 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:26:50.96 ID:qDyAt+CI0
*「ボルカノさん! そろそろ いいですか!」
ボルカノ「おう! そろそろ 引き揚げるぞ!」
*「「「ウスッ!」」」
船長の号令で漁師たちが少しずつ網を引っ張っていく。
*「おっ! かかってるぜ……!」
先頭で浮網を引いていた漁師が薄闇の中で魚影を確認する。
*「よっしゃ どうやら アタリみてえだ!」
*「ったく これだけ 重くっても どれだけ かかってんのか さっぱりだぜ。」
ボルカノ「気張っていけよ お前たち!」
*「「「ウース!」」」
船長の言う通り、本当の勝負はここからだった。
刺し網漁というのは、比較的水深の浅い沿岸部で海底にいる甲殻類や底魚を対象とする場合、その長さは短い。
しかし遠洋で行われる流し網漁の場合、対象は回遊魚となりその長さは数百反に及ぶこともあるという。
アミット号は漁船としてかなり大きい方だが、乗組員の人数はさして多いというわけではないため、労働力を考えてある程度規模は抑えられていた。
アルス「ふう… ふう…。」
*「ぐっ ぬぬぬ……。」
*「ふんっ ふんっ!」
しかしそれでもかなりの重労働であることに変わりなく、長期戦を強いられる漁師たちの顔には疲労の色が見え始めていた。
マリベル「お待たせ! あたしも 手伝うわよ!」
そこへ夕飯の準備を終えた少女が作業着に着替えて甲板へ飛び出してきた。
アルス「マリベル……!」
マリベル「ふふっ みんなして お疲れのようね。でも このあたしが いれば……!」
マリベル「ふんっ……!」
そう意気込んで少女は漁師たちの間に滑り込んで力強く浮網を引き始める。
*「ぬおっ……!」
アルス「は ハハハ……!」
マリベル「今日は… コック長の…特製シチューよ! 会心のでき…だからっ みんな がんばるのよっ!!」
*「こりゃ へばってらんねえな!」
ボルカノ「それ もう一息だ!」
*「「「ウスッ!」」」
563 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:28:53.64 ID:qDyAt+CI0
少女の鼓舞に気を引き締めなおした漁師たちは力を振り絞り一つ一つ確実に浮標を回収していった。
*「よしよし いい感じだ……!」
ところどころ絡んだ型の良いサケが次々と甲板へ並べられ、漁師たちに笑みがこぼれる。
*「これで 最後だ!」
そして最後の浮標が引き上げられた。
*「ぶはぁっ!」
*「うおお 終わったぜ!」
*「ちと 力みすぎたかな……。」
アルス「はっ… はっ… はあ……。」
ボルカノ「ふう……。」
長い長い揚網(ようもう)作業を終え、漁師たちは座り込んで息を整えている。
マリベル「みんな お疲れさま。」
マリベル「さっさと 処理して ひとまず 夕飯にしましょ。」
額の汗を拭いながら少女が労う。
ボルカノ「む そうだな……。」
そう言うと漁師たちはさっと起き上がり獲れたてのマスを捌き始めた。
564 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:29:48.06 ID:qDyAt+CI0
*「おお 筋子もってるぜ。」
漁師の一人が呟く。
マリベル「えっ! ホントに!」
少女が興奮気味に反応する。
アルス「マリベル ハラ子好きだったっけ?」
マリベル「何言ってんのよ。好きっていうか 美味しいじゃない!」
アルス「ま まあ そうだね……。」
ボルカノ「そうか もうすぐ そういう時期なのか……。」
すると何か思い当たる節があるのか少年の父親が顎に手を添えまじまじと見つめる。
マリベル「どうしたの ボルカノおじさま。」
ボルカノ「いや そろそろ サケも 川に帰る頃だったんだと 思ってな。」
マリベル「…この辺に 川なんて あったかしら?」
アルス「……ナイラ?」
マリベル「ええっ あんな バカでかい川に 帰るって言うの!?」
ボルカノ「いや もしかすると ここから もっと 西にある川かもしれん。」
アルス「そんな所に 川なんて あったかなあ。」
マリベル「……ははあ あそこかしらね。」
顎に手を置いて疑問符を浮かべる少年とは違い少女はそれがどこかわかったらしく、一人でうんうんと頷いている。
アルス「えっ?」
マリベル「ほら リードルートの 北から西にかけて 大きな川があったじゃない。」
アルス「…………………。」
マリベル「思い出せないの? ダメね~ まったく。」
アルス「うっ 悪かったですね……。」
*「おおい みんな 休んでいないで 手伝ってくれよ!」
ボルカノ「むっ おお すまんすまん。」
ボルカノ「ほら 二人とも 早く終わらせて 飯にするんじゃねえのか。」
マリベル「あら いやだ あたしったら。」
アルス「そうだった もう 腹ペコだよ……。」
そうして漁師の催促に我に返った三人は雑談をやめ、すきっ腹を抱えて作業に戻っていった。
空には既に月が昇り、辺りはとばりで埋め尽くされていた。
565 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:32:24.39 ID:qDyAt+CI0
マリベル「さすがに この長さは しんどいわね……。」
それから夕食を済ませた後、現在は数名で網の点検をしているのだが、
如何せん網の長さが尋常ではないのでその作業になかなか終わりが見えない。
マリベル「あんた なんか 面白い話ないの?」
アルス「えっ 急に そんなこと 言われても……。」
マリベル「…そーよねー……。」
最初から期待はしていなかったのだろうが、その顔にはハッキリ“つまらない”と書いてあった。
アルス「それを言うなら こっちの セリフだよ。」
アルス「城に行った時 なんか なかったの?」
マリベル「…そうねえ……。」
マリベル「あっ。」
少年に返され、何かを思い出したかのように少女は声を発する。
マリベル「そういえば 前から お城に 王さまがうんぬんって 言ってた おばさんがいたでしょ?」
アルス「いたいた。王さまに 片思いしてる 人だよね。」
マリベル「その人がね リーサ姫に 背中を押されてたわよ。」
アルス「えっ リーサ姫が!?」
姫がこれから自分の義理の母になるかもしれない人物を応援するなど、傍から見ればにわかには信じがたい話だった。
マリベル「そう そうなのよ。」
マリベル「それでも うじうじしてたから あたしが ビシっと言ってあげたんだけどね。」
アルス「なんて?」
マリベル「王妃になる人が そんなんでどうするって それだけよ。」
マリベル「ずいぶん 神妙な 面持ちしてたけど 後で アイラ伝いで お礼を言われたわ。」
アルス「そっか。じゃあ いよいよ 覚悟を決めたんだね。」
マリベル「まっ どうせ あの人のことだから また やっぱりダメなんです~ とか 言いそうだけどね。」
アルス「あはははっ! でも もし 王さまが真剣に考えたら 王室が また 変わるかもね。」
マリベル「は~あ もしかして あたし 面倒ごとに 加担しちゃったのかしら。」
これから先起こるだろうことを想像して少女はため息をつく。
アルス「そんなことないよ。マリベルの意見は もっともだって きっと みんな 言うと思うよ。」
マリベル「…アルスは どう思う? 新しい 王妃さまが 誕生して もし 子供が できて それが 男の子だったら。」
アルス「…きっと その子が 次の王さまに なるんだろうね。」
マリベル「そうなのよねえ。そうしたら リーサ姫や アイラの立場は どうなっちゃうのかしら。」
アルス「…わからない。でも リーサ姫も アイラも 決して 悪いようにはならないと思うけどな。」
マリベル「どうしてよ。」
アルス「もし 王子が誕生したら リーサ姫も アイラも 結婚のことで 悩まなくて済むだろうし 王さまも あの二人を 愛してるはずだから きっと 大事にしてくれると思うんだ。」
アルス「それに もし 王子が生まれなくても それはそれ。 今まで通り リーサ姫か アイラがお婿さんを もらって それで おしまいさ。」
アルス「考えようによっては エスタードの未来の 選択肢が 増えたってことになるんじゃないかな。」
マリベル「…………………。」
マリベル「いっつも あったますっからかんの ふりして けっこう 考えてるのね。」
アルス「ひどいなあ。」
マリベル「冗談よ ジョーダン。」
マリベル「…あ これで 最後ね!」
566 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:33:57.88 ID:qDyAt+CI0
話し込んでいるうちに最後の一反まで点検が終わり、少女は感嘆の声を上げポキポキという音を鳴らしながら首を回す。
マリベル「ん あーあ……。」
*「終わった……!」
*「ふいー これで 今日の仕事は終わりだな。」
漁師たちも欠伸をしながら作業を終えた達成感を味わっている。
*「見ろよ 港が 見えてきたぜ!」
アルス「本当だ……。」
漁師の言葉に北を見ればそこには灯りの付いた小さな船着き場のようなものがあった。
マリベル「ようやく 着いたわね。」
*「でも 今日は もう 遅いから 宿も 閉まってるだろうな……。」
*「ちぇー 温泉入ろうと思ったのにな。」
*「まあ いいじゃねえか お楽しみは また 明日だ。」
*「へっへっへ!」
マリベル「…………………。」
*「ご ゴホン! オレは 船長に 点検が終わったことを 伝えてきますぜ。」
*「お おれもっ!」
少女のしかめっ面を尻目に漁師たちはそそくさと甲板を降りて行ってしまった。
マリベル「まったく あれじゃ 明日は 油断できないわね……。」
舵取りを残していなくなった漁師たちの後を見つめながら少女は腕を組んで呟くのだった。
567 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:36:01.69 ID:qDyAt+CI0
それからほどなくして漁船アミット号は船着き場に到着し、朝まで休眠をとることになった。
マリベル「あーあ それにしても あたしってば 罪な女ね……。」
二人だけとなった甲板で足元に絡みつく三毛猫を見つめながら少女が呟く。
アルス「えっ?」
マリベル「なんせ 王子になれた人を 奪っちゃったんだもの。」
屈託のない笑顔で少女が笑う。
アルス「…ぼくは 王さまになんて なるつもりはないよ。」
アルス「だって ぼくは 漁師になるって ずっと前から 決めてたし それに……。」
マリベル「それに?」
アルス「王さまになったら きみと 一緒に いられないじゃないか。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ホント あんたって ばっかねー。」
アルス「むっ なんだよ……。」
少しだけ口角を上げて言う少女に少年は拗ねたように抗議する。
マリベル「あんたは 王様になんて なれっこないわよ。」
マリベル「なんたって このあたしが そんなこと 許すわけないじゃない。」
マリベル「あんたは これまでも これからも あたしのものよ。誰にも 渡してやるもんですか。」
アルス「それ 普通 ぼくの セリフじゃないの?」
あっけらかんと言ってのける少女に少年がツッコミを入れる。
マリベル「はあ? なーに 調子に乗ってんのよ。あたしは あたしのものよ。」
マリベル「ふふっ それとも なあに? あんたのものにしたいって言うの?」
勝ち誇ったように、それでいて挑発するように少女が言う。
アルス「…………………。」
押し黙る少年に尚も少女は続ける。
マリベル「それなら… 捕まえてごらんなさいな。」
マリベル「このあたしが ぐうの音も 出ないほど 良い男になって あたしをあんたのものにしてみせてよ。」
アルス「…………………。」
マリベル「……ちょっと なんか 言ったらどうなっ……!」
アルス「つかまえた。」
568 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:37:32.91 ID:qDyAt+CI0
少女はいきなり腰をがっちりと抱かれ、気づけば目の前に少年の顔があった。
マリベル「あ いや そういう意味じゃ……んっ……!」
いきなりのことに戸惑っているうちに唇を奪われ、少女は成す術なく身を預ける。
アルス「…………………。」
マリベル「…ふ……ん…… はあっ……。」
やがて唇を離すと少年は少しだけ赤い顔で少女を見つめそっと呟く。
アルス「……努力するよ。」
マリベル「……ばか。」
真っ赤に染まった少女の口からはもはやそれしか出てこなかった。
トパーズ「なーお。」
そうして言葉を失くした二人の代わりをするかのように
三毛猫が足元でつまらなそうに月を見上げて鳴くのだった。
そして……
569 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:38:13.32 ID:qDyAt+CI0
そして 夜が 明けた……。
570 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:39:51.48 ID:qDyAt+CI0
以上第19話でした。
今回はルーメンからエンゴウまでの短いお話でした。
それでもお話の中には原作をプレイしていて思ったことをふんだんに盛り込んであります。
別居していたブルジオ夫妻のこと、
ルーメンで出会った二匹の魔物を通して少女が思うこと、
グランエスタードの世継ぎのこと、
そしてマリベルがどうしていつも頭巾をしているのかということ。
とあるサイトさんでは中世ヨーロッパの人々の服装について書かれた本を紹介されていて、
その中には女性の服装の挿絵があるのですが(もちろん男性のものも)、どう見てもマリベルのソレそっくりなんですね。
きっと鳥山さんはそういった資料から登場人物の服装をデザインしていったのだと思いますが、
そうであるならばマリベル以外にも頭巾をしている女性がいてもおかしくはないと思うんです。
(マーレなんかのそれはちょっと違うと思うんですが)
何が言いたいのかといいますと、「ファッションとして片づけるにはちょっと限界があるのでは」ということです。
そこでこのお話の中では「癖っ毛が恥ずかしいから」という理由も付け加えさせていただきました。
まあ3DS版では惜しげもなく髪を晒してくれているのでなんとも言えないのですが……
その方が可愛げがありますものね。
どれもこれもわたしの想像のうちのことですが、
些細なことでも考えてみると面白いものですよね。
…………………
◇火山のふもとの村にたどり着いたアミット号。
しかしそこにやってきていたのは彼らだけではなく……
571 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/10(火) 19:40:53.79 ID:qDyAt+CI0
第19話の主な登場人物
アルス
航海中暇な時はマリベルと話していることが多い。
自分の未来だけでなく、故郷の未来のこともよく考えている。
マリベル
人や魔物たちとの出会いと別れを繰り返し、
自分の生き方を考えることが多くなった。
城下町へ行った際にいつものドレスを入手。
ボルカノ
アミット号の船長として息子のアルスに様々な知識を教え込む。
馴染み無い魚でも果敢に漁に挑戦する。
めし番(*)
アミット号の料理人。
雰囲気をぶち壊すのに定評がある。
アミット号の船員たち
人数こそ少ないが、技量と腕っぷしでそれを補う。
パワフルな精鋭たち。
576 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:13:29.64 ID:LLGD6zi70
航海二十日目:ハダカのこころ
577 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:14:05.31 ID:LLGD6zi70
マリベル「なんか 船が 増えてない?」
朝、少女が甲板から辺りを見渡すとそこには昨晩まではなかったはずの船が数隻泊まっていた。
アルス「いつの間に 来てたんだろうね。」
隣に立つ少年も他の漁師たちも覚えがないという。
マリベル「ま まさか……。」
アルス「どうしたの マリベル 置いてくよ?」
顔色悪そうに突っ立っている少女に木箱を抱えて前を行く少年が呼び掛ける。
マリベル「えっ あ 待ちなさいよ!」
少女の中にはある懸念があったのだったが今はそれを確かめる術もなく、
少年に呼ばれて少女は我に返り慌てて駆け寄っていくのだった。
578 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:14:56.41 ID:LLGD6zi70
ボルカノ「おお こりゃ すごい 人だな。」
村までやってきた一行の目に飛び込んできたのは人込みだった。
*「……ってえと さっきの船は ぜんぶ 旅客船だったってわけか。」
*「これなら もっと 魚を持ってきてもよかったかな?」
*「いやいや フィッシュベルに持って帰る分が 減っちまうぜ。」
ボルカノ「とにかく オレたちは 村長の所に 行ってくるから おまえたち 適当に 店を広げておいてくれ。」
*「「「ウスッ!」」」
そうして漁師たちは早速持ってきた魚を並べ、店を構え始める。
ボルカノ「それじゃ オレたちも 行くぞ。」
アルス「うん。」
マリベル「…ええ……。」
アルス「どうしたの マリベル?」
どこか覇気のない返事をする少女に少年が尋ねる。
マリベル「この分じゃ 温泉も いっぱいよね……。」
アルス「…やっぱり 見られたくない?」
マリベル「あったりまえじゃないの! …はーあ 諦めるしかないのかしらねえ。」
盛大なため息をつきながら少女はがっくりと項垂れる。
ボルカノ「がっははは! また 来れば いいじゃないか。」
マリベル「……ええ……。」
生返事をしながら少女はとぼとぼと村長の屋敷を目指して歩き出す。
アルス「あ はは…は。」
ボルカノ「…………………。」
少年とその父親は苦笑いしながらそれに続くしかなかったのだった。
579 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:15:45.62 ID:LLGD6zi70
マリベル「ええっ 村長に 会えないですって!?」
せっかくの温泉への望みが絶たれ、腹いせにさっさと用を済ませて適当に休んでいこうと思っていた少女だったが、
屋敷で使用人に聞かされたのは意外な言葉だった。
*「ええ そうなんです。今は 観光客の方々との お話で 忙しいようで……。」
マリベル「こっちは ただの観光で 来てるんじゃないのよ!?」
マリベル「王さまから 預かった 大事な大事な 書状を 持ってきてるんだから!」
*「そ そうは 言われましても わたくしでは……。」
ボルカノ「まあまあ マリベルちゃん。」
詰め寄る少女をなだめすかして漁師頭が給仕人に問う。
ボルカノ「村長さんに あとどれぐらいで 話が 終わるのかだけでも 聞いてきてくれませんか?」
*「わ わかりました 少々 お待ちを……。」
そう言って使用人はすごすごと奥の階段を上っていった。
マリベル「いったい あの連中は どこのやつらなのよ……!」
少女が両手を腰に当てて眉間にしわを寄せる。
アルス「……さっきの人たち なんか いい匂いしてなかった?」
ボルカノ「んっ?」
マリベル「そういえば… どっかで 見たことあるような……。」
*「お待たせしました。」
少年の言葉に少女が何かを思い出そうとしていると先ほどの使用人が降りてきた。
*「どうぞ こちらに。」
そう言って使用人は少年たちを案内する。
マリベル「……?」
580 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:17:19.95 ID:LLGD6zi70
村長「これはこれは アルスさん マリベルさん わざわざ お越しくださったのに お待たせして 申し訳ありません。」
階段を昇ると、炎の村の長が少年たちを出迎え慌てて謝罪してきた。
アルス「いえ ほむら祭の時は お世話になりました 村長さん。」
マリベル「…………………。」
マリベル「待たせたっていうわりには その 先客が いないじゃないの。」
気にせず挨拶をする少年を横目に訝しげな表情を浮かべて少女が問う。
村長「…それが……。」
*「いや~ん❤」
*「「「…っ!」」」
表から聞こえてきた 声ともとれそうな甘ったるい悲鳴に、三人は一斉に窓の外を見る。
*「ふんがー!」
そして目をぱちくりさせる船長を他所に少年と少女は盛大なため息をつくのだった。
“アイツか……”
581 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:18:02.22 ID:LLGD6zi70
村長「メモリアリーフからの お客さんなんですが どうも あの頭首は 変な 趣味をお持ちのようで……。」
マリベル「ここまでやってきて あんなことするなんて ヘン もここまでキたのね。」
マリベル「……うっわ やだやだ。アルス はやく 用を終わらして さっさと 逃げましょうよ!」
マリベル「いつまでも ここにいたら ヘン がうつるわ!」
村長「なんでも そこが 終わったら今度は 温泉で やるんだとか。」
マリベル「……サイアク。」
アルス「…………………。」
村長「と ところで そちらのお方は……。」
なんとかこの場の空気を打破しようと村長が二人の後ろに立つ大男について問う。
ボルカノ「アルスの父の ボルカノです。この度は グランエスタード王の命で 参りました。」
[ ボルカノは バーンズ王の手紙・改を 村長に 手わたした! ]
村長「なんと アルスさんの お父上でしたか。」
そう言って書状を受け取ると村長はそれに目を通す。
村長「むっ どれどれ…… ははあ…… なるほど。」
村長「だいたいのことは わかりました。では お返事を書きますので しばらく お時間を いただけますかな。」
ボルカノ「ありがとうございます。」
ボルカノ「それと これから 広場で 魚を売らせてほしいんですが いいですかね。」
村長「お おおっ それでしたら 大歓迎ですよ。どうぞ お好きなだけ。」
ボルカノ「ありがとうございます。」
思惑はさておき、村長の快諾を受け船長は深々と礼をする。
マリベル「…ほらっ 二人とも 早く行きましょ!」
アルス「うわ 引っ張らないでよ! うわわわ……!」
ボルカノ「ぬおっ……!」
そうして一先ず用が済んだと分かった途端、少女はものすごい勢いで二人を引っ張り階段を降りていくのだった。
582 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:19:57.60 ID:LLGD6zi70
*「なんだなんだ?」
*「見ろよ なかなか 面白えじゃねえか!」
案の定、屋敷の外には見物客が集まってきていた。
荒くれの姿をした男が嬉しそうな給仕人の娘を延々と追いかけるという
村長宅のテラスで行われている奇妙な光景を目の当たりにし、周囲は大きな騒めきに包まれていた。
*「いいぞー!」
*「ねえちゃん こっち 向いてくれー!」
*「やだよ なんだい あれ。」
*「オレにもやらせろー!」
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
ボルカノ「…………………。」
そんな様子を三人は呆然と見つめる。
マリベル「…サイテー。あんなののために 温泉に 入れないなんて。」
アルス「…ぼくも 今日は 普通に宿屋で お風呂入ろうかな。」
ボルカノ「宿に 泊まれたらな。」
少年の父親は人だかりを見て今晩泊まる宿はないだろうと最初から気付いていたようだ。
アルス「……そうだね。」
少年も諦めたように肩を落とし両手を軽く上げる。
マリベル「ああ チカラが抜けてゆく……。」
アルス「おっと。」
マリベル「ボルカノおじさま は 早く 行きましょ……。」
少年に支えられて少女が絞り出すように言う。
ボルカノ「そうしたいのは やまやま なんだが……。」
そう言って少年の父親の指す先には村人に混じって歓声を上げる船員たちの姿があったのだった。
583 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:21:46.47 ID:LLGD6zi70
その後、興奮する漁師たちをなんとか落ち着かせ、
メモリアリーフの主人の奇行を横に見ながらアミット号一行は少しだけ店を開いた。
購買者は村人が多かったが、お土産にするのだといって観光客たちもそこそこに買い付けていった。
マリベル「は~あ……。」
現在は店もたたみ、今晩をどう過ごすのかを宿屋兼食事処である“温泉亭”で話しながら遅めの昼食を摂っている。
マリベル「まったく あんなのの 何がいいって 言うのかしら。」
先ほどまで繰り広げられていた光景を思い出し、少女は肺の中の空気を全て吐き出す。
*「いやいや マリベルおじょうさん あんな光景 滅多にみられるもんじゃ ないですよ。」
*「まあ もう 見飽きたけどな。」
ボルカノ「あの 頭首は いつも あんなんなのか?」
アルス「……うん。」
ボルカノ「…それで よく ハーブ園が 回っているな……。」
少年の父親がもっともな疑問を口にする。
マリベル「きっと 使用人たちが しっかりしてるからだわよ。…メイド以外は。」
少女は食べ物を口に運ぶ代わりにこれでもかと毒を吐き続ける。
*「それで 今晩は どうするんです?」
ボルカノ「空きがないいじょう 船で 寝るしかねえな。」
アルス「ぼくは 構わないけど……。」
*「せめて おじょうさんだけでも 泊まれないんすかね。」
年頃の女性に気を利かせて銛番が尋ねる。
マリベル「あら おきづかいは けっこうよ。」
マリベル「あいつらと 同じ宿で 泊まるなんて まっぴらだもんね!」
マリベル「きっと あたしまで ヘン になっちゃうわ。」
アルス「……ごくっ。」
584 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:22:19.66 ID:LLGD6zi70
*「おっ いま アルス ちょっと 期待してただろ。」
食べ物を飲み込んだからなのか、はたまた別の何かなのか。
喉を鳴らした少年を漁師の一人が茶化す。
アルス「えっ そ そんなこと ありませんよっ!」
マリベル「…… 。」
アルス「ご 誤解だよ!」
ボルカノ「わっはっは!」
*「がっはっは!」
コック長「まあ 宿は取れないが 温泉は しっかり 入らせてもらおうかね。」
*「そうですよ! ここまで来たのに もったいないですって!」
*「あとで 行こうぜ。」
*「メモリアリーフの人たちも いるかもな。」
*「バカ それが 狙いよ ぐっへっへ。」
顔を赤くする少年と少女を差し置いて他の乗組員たちは非常に楽しそうにこのあとの話をしている。
マリベル「……あんたも 行ってくれば?」
アルス「えっ?」
マリベル「あたしは 我慢するけど あんたは 平気なんでしょ?」
マリベル「遠慮しないで 行ってきなさいよ。」
アルス「…うーん……。」
決して少年の目を見て話そうとしない少女を見ながら少年は迷っていた。
確かに彼女の言う通り自分が気にすることはないので漁師たちについて行っても何ら問題はないのだが、
少女残して自分だけ楽しんでしまうのも何かが違う気がしていた。
アルス「まあ 考えとくよ。」
結局少年はそれだけ言ってお茶を濁すしかなかった。
マリベル「………はあ……。」
アルス「…………………。」
喧噪の中に紛れて吐き出されたため息を少年は聞き洩らさなかった。
585 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:23:02.60 ID:LLGD6zi70
マリベル「あーあ つまんないのー。」
漁師たちが温泉につかりに行ってしまい、一人取り残され少女は当てもなく村の中を歩いていた。
今は喧騒もなくなり、村の中は普段通りの静けさを擁している。
マリベル「男は いいわよねー 気楽でさ。」
誰に言うでもなく、自分に語り掛ける。
マリベル「あいつも 行っちゃったのかな……。」
なんとも難しい表情をしていた少年の顔を思い出す。
マリベル「…………………。」
マリベル「まいっか。…あいつの 自由よね。」
“考えとく”という言葉だけではどうするかは推測できない。
押しに弱い彼ならば誘われたら行ってしまいそうな気もするが。
マリベル「…あ……。」
そうこう考えているうちに少女は一見の店の前で立ち止まる。
“ラルドン商店へ ようこそ! うらないも できます。”
そう書かれた看板が目の前に立っていた。
マリベル「パミラさんと イルマさん 元気にしてるかな……。」
助手の方はもちろん元気であることだろう、しかし老いた占い師のことはなんとなく気になってしまう。
マリベル「…せっかくだから 顔だけでも 見ていこうかしらね。」
最後に会ってからさして時が流れたわけでもないが、ここまで来たのであれば挨拶をしておいてもいいだろう。
そんな風に思い少女は店の中へと入っていったのだった。
586 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:24:51.17 ID:LLGD6zi70
*「いらっしゃいませー! あらっ? あなたは……!」
マリベル「こんにちは イルマさん。」
少女が店の扉を開くと元気の良い声と共に一人の女性が現れた。
イルマ「マリベルさん いらっしゃってたの! もっと 早く 声をかけてくれれば 良かったのに。」
そう言って若き占い師は微笑む。
マリベル「ごめんなさいね さっきまで お店やってたから。」
マリベル「元気にしてたかしら?」
イルマ「そりゃ もちろんですよ。あれから ますます 占いの腕も 磨いたんですよ!」
マリベル「そう やっぱり 将来のパミラさんは あなたみたいね。」
イルマ「そ そんな お世辞を……。」
少しだけ照れた様子で若き占い師ははにかむ。
マリベル「あ そうだ パミラさんはどう?」
イルマ「パミラさまなら 奥にいらっしゃいますよ。ここのところ 事件もなくて 張り合いがないんだとか。」
マリベル「そう じゃあ 挨拶していこうかしら。」
イルマ「ちょっと お待ちください。」
イルマ「パミラさまー マリベルさんが お見えですよー。」
娘の呼びかけにややあってから老婆が声を返す。
*「おお マリベルか 入っておいで。」
イルマ「さ どうぞ。」
マリベル「ありがとう。」
若き占い師に促され、少女は暗い部屋へと足を踏み入れる。
*「よく きたね マリベル。また キレイになったんじゃないかい?」
すると薄暗い部屋の奥に水晶を置いて佇む人の良さそうな老婆が少女に声をかけてきた。
マリベル「パミラさんも お元気そうでなによりだわ。」
パミラ「まだまだ このとおりじゃわい。」
パミラ「それにしても 今日はどうしたのじゃ? また何か 困ったことでも あったのかい?」
マリベル「あ いや そういうわけじゃ ないんだけど……。」
パミラ「そういう割には 何か 憂いた顔をしておるのう。どうせ 悩みでも あるじゃろう。」
マリベル「えっ…?」
パミラ「隠さないで 話してごらん? それとも 占ってみせようかね?」
マリベル「あたしが 悩んでること……。」
パミラ「うむ あいかわらず 心の奥底で わだかまってることが いろいろ あるようじゃのう。」
パミラ「どれ お代は いいから 少し 見てあげるとしようかね。」
そこまで言うと占い師の老婆は助手に声をかける。
パミラ「イルマ! 少しの間 誰も とおさんでおくれ。」
イルマ「はーい。」
返事と共に入口には幕が敷かれ、部屋の中はさらに暗くなる。
587 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:28:20.77 ID:LLGD6zi70
パミラ「さて それじゃ 始めるとしようじゃないか。」
マリベル「ま 待って! あたし そんな つもりじゃ……。」
パミラ「いいんだよ。おまえさんたちには 恩があるからね これくらいの ことはさせておくれよ。」
パミラ「それじゃ カオを見せてごらん……。」
そう言って老婆は水晶を挟んで少女の顔を覗き込む。
マリベル「…………………。」
パミラ「ううむ これは…… いろんな景色が見える。それに お前さんの顔も。」
パミラ「……何やら神妙な… むっ? 満足そうな表情に 変わったようじゃ。」
パミラ「……お前さんを 囲む たくさんの人々。みんな 幸せそうじゃのう。」
パミラ「場面が 変わったようじゃ……。これは 巨大な船かのう。」
パミラ「また 変わったぞ…… こっちは荒れ狂う海 それに……。」
パミラ「…………………。」
マリベル「……どうしたの?」
パミラ「うむ…… どうやら この先 お前さんたちに いろんな運命が 降りかかる様に見える。」
パミラ「最初に見たものは どうやら その後のようじゃ。」
パミラ「じゃが そのことが お前さんの悩みと どうつながっていくのかは わしにもちとわからんのう。」
マリベル「そう……。」
パミラ「ふうむ どうやら お前さんは 数奇な運命のもとにいるように感じる。」
パミラ「あの少年もそうじゃが いったい お前さんは 何者なんじゃろうかのう?」
マリベル「……?」
パミラ「まあよい また 何か 見て欲しいことが あれば 立ち寄るがよいぞ。」
パミラ「わしは いつでも お前さんたちの 味方じゃからな!」
マリベル「……え ええ ありがとう。」
なんとも腑に落ちないものを抱えたまま少女は部屋を後にする。
イルマ「お疲れさまでしたー! どうでしたか?」
部屋の外で待機していた助手の娘が声をかける。
マリベル「…よく わからないわ。」
イルマ「そうですか… あ でも あたしは ひとつ わかったことがありますよ!」
なんとも言えない答えを返す少女に若き占い師は人差し指を立てて自信ありげに言う。
マリベル「えっ……?」
イルマ「今晩 月が てっぺんまで昇った頃 温泉にいけば いいことが あるみたいですよ!」
マリベル「真夜中に 温泉に 行くの?」
イルマ「これでも 会心の占いだと 思うんですけど……。」
頬に手を当てて娘は呟く。
マリベル「…そう ありがとう。考えとくわ。」
マリベル「ああ それから これ。」
そう言うと少女は微笑んで占い師の娘に何かを手渡す。
イルマ「えっ これは……?」
マリベル「お礼よ。また よろしくね。」
イルマ「こ こんなに…!」
マリベル「じゃあね!」
そう言って少女は店を飛び出して行ってしまった。
イルマ「こんな 大金 どっから 出てくるのよ……!?」
掌に置かれた多額の貨幣をまじまじと見つめ娘は固まるのだった。
588 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:29:26.71 ID:LLGD6zi70
マリベル「数奇な運命…か……。」
店を出た少女は先ほど老婆から言われた言葉を思い出していた。
マリベル「いろんな光景に人々…… 神妙で……満足そうなあたし……。」
マリベル「……ダメね さっぱりわからないわ。」
どんなに考えても思い当たるようなことは浮かんでこなかった。
マリベル「あーあ 温泉でも入って ゆっくり考えたいところだけど……。」
肝心の温泉は多くの人で溢れたまま。
女性だけならまだしもどうせ男性ばかりで女性が入ってくるのを今か今かと待ち構えているに違いない。
そんな風に考えたら恐ろしくてとてもではないが入る気にはなれなかった。
マリベル「ここも 有名になったら ずっと こんな感じになっちゃうのかしら……。」
そう考えると先ほど若い占い師に言われた深夜の温泉というのは少し気になるところだった。
もしかすれば深夜であれば誰にも遭遇せずに入浴することができるかもしれない。
マリベル「かけてみるか……。」
そう呟いて少女は再び当てもなく村の中を彷徨い始める。
静かになった村には件の温泉のある井戸の中から漏れた男女の楽しそうな声が響いていた。
589 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:30:40.08 ID:LLGD6zi70
*「いやあ 良かった良かった!」
*「メイドさんたちが あんなに いるとはよお!」
*「あのご主人 さまさま だったな!」
*「こんなの カミさんに 話せねえよ……。」
日も落ちた頃、温泉亭ではいろんな意味で入浴を十分楽しんだ漁師たちが口々に感想を述べていた。
*「来てよかった……。」
コック長「おまえ まだ 顔赤いぞ。」
もはや温泉の感想などではなく、混浴という事実のもたらした効能についての話題しか上がっていなかった。
マリベル「…………………。」
そんな様を少女だけが不機嫌そうに眺め、何もしゃべることなく食事に徹していた。
*「おい 食べ終わったら もう一回 行こうぜ!」
*「いいね どうせなら 温泉の効能を 存分に 楽しもうぜ!」
*「とか 何とか いって どうせ 女が目当てなんだろ?」
*「おまえだって 鼻の下 伸ばしてたくせに 何言ってんだ。」
*「へっ バレてたか。」
漁師たちは昼間の入浴に飽き足らず夜の入浴もしっかり堪能するつもりでいるらしい。
果たして裸になるのは身体なのかそれとも邪な感情なのか。
マリベル「……ごちそうさま!」
いい加減ここにいてはいつ自分まで引っ張り込まれるか分かったものではない。
そんな風に感じて少女は早々に席を立ち足早に外へ出て行ってしまった。
*「ああ マリベルおじょうさん 行っちまったぜ!」
*「くそっ なんとかして 誘おうと 思ったのによ……!」
ボルカノ「よく 考えてみろ お前たち。もし そんなことが アミットさんに 知れたら どうなったことか わからんぞ?」
そこまで来てようやく漁師頭が口を開く。
彼にとっては正直混浴などどうでもよかったが、
万が一仲間が下手なことをしては網元に申し訳が立たないと思いここは場を鎮めることにしたのだ。
*「うっ…!」
*「い いやあ おっしゃる とおりでさあ。」
*「あぶねえ あぶねえ 危うく 首が 跳んじまうところだったぜ。」
アルス「…………………。」
そんなやり取りを少年は複雑な顔で見つめるのだった。
590 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:32:16.67 ID:LLGD6zi70
マリベル「あーあ もう やんなっちゃうわ。」
一人宿を出た少女は行く当てもなく村の中をぶらついていた。
マリベル「この分だと 酒場も 混んでるわよねえ。」
そうは言ってもこのまま船に帰るのも少々癪に感じ、少女は不機嫌そうに腕を組みながら酒場へと入っていくのだった。
*「いらっしゃい! おや これは これは マリベルさんじゃないか!」
マリベル「こんばんは マスター。」
マリベル「…………………。」
適当に挨拶を交わすと少女は辺りを見渡す。
*「そんでよ ご主人ったらさ……。」
*「まったく あの人には 驚かされてばかりだぜ……。」
*「ダンスダンス ダダダン ダンスッ!」
*「ステキ……。」
店のカウンターには例のハーブ園からやってきた従業員と思わしき男たちが、
その反対側では相変わらず情熱的な踊りを見せている踊り子とそれに見入る女性が何人かいるだけだった。
マリベル「おもったより 空いてたわね……。」
*「マリベルさん 今日は 何にします?」
マリベル「何か オススメでもある?」
*「はい それでしたら 買ったばかりの ハーブで 作ったのが。」
マリベル「せっかくだから それ もらおうかしら。」
*「かしこまりました。」
そう言って店主は少女の目の前にトウキビ酒に大量のハーブを散らした薄緑色に輝くハーブ酒を差し出す。
マリベル「……いい香り。」
鼻を近づける前から鼻腔をすっきりとした爽やかな香りが突き抜けていく。
まるでバロックの橋で飲んだハーブティーを思わせるようなそれは
食後の苦しさを取り去ってくれるかのような清涼さを漂わせていた。
*「どうです? 食後には ぴったりのお酒でしょう?」
マリベル「……いいわね これ。」
“今度あのハーブ園に寄ったときはハーブを大量買いして家で作り置こうか”
そんな風に少女はぼんやりと考えていた。
*「いらっしゃいませ!」
また一人新しい客が入ってくるまでは。
591 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:33:32.09 ID:LLGD6zi70
*「あ やっぱり いらしてましたか アルスさん。」
マリベル「……アルス。」
アルス「こんばんは。」
アルス「…やあ ここだったんだね。」
少年は軽く手を上げて挨拶を交わす。
マリベル「なによ あんたも みんなと一緒に 混浴に行ったんじゃなかったの?」
アルス「……きみだけ残して 入るのも なんだかね。」
マリベル「ふん 調子いいこと 言っちゃって。」
少女は相変わらず不機嫌そうに言う。
アルス「……マスター 彼女と同じのを。」
*「かしこまりました。」
そう言って先ほどと同じように店主は手早く少年にハーブ酒を差し出す。
マリベル「どうせ あんたも 女の人の裸 見たいくせに この 。」
少女は少年の顔を見ようとせず頬杖をついたまま。
アルス「…………………。」
少年はちびちびと出された酒を飲みながら視線を天井にやり考え込む。
アルス「そういえばさ。」
マリベル「…………………。」
アルス「あの人たち 明日は 早いから 深夜は 入らないんだってさ。」
マリベル「……あっそ。」
そっぽを向いたままそれだけ返すと少女は杯を傾ける。
アルス「…………………。」
マリベル「…………………。」
二人は無言で酒を煽る。
“カラン”という氷の音が狭い店の中へ消えていった。
アルス「…本当はさ。」
しばらく押し黙ったままだった少年がポツリとつぶやく。
アルス「一緒に 入りたかったなって。」
マリベル「…………………。」
マリベル「…えっ? はっ……?」
592 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:34:40.14 ID:LLGD6zi70
少年から飛び出した突然の言葉に少女は一瞬理解が遅れ、ややあってから驚いた表情で少年の方を振り向いた。
かくいう少年は杯の中を見詰めながら少し照れた顔をしている。
アルス「いや なんでもない。忘れて。」
マリベル「ばっ ばっかじゃないの!?」
マリベル「な なんで あたしが あんたと お風呂に……。」
真赤になって少女は小さく叫ぶと再びそっぽを向いて黙り込んでしまった。
アルス「ごめん。」
短く謝ると少年は杯の中の残りを一気に飲み干す。
アルス「マスター ごちそうさまでした。また いつか。」
そう言って少年は多めのお金を置いて席を立つ。
*「ありがとうございました。」
アルス「おやすみ マリベル。」
マリベル「…………………。」
それだけ残して少年は静かに扉を開け、表へと出て行ってしまった。
マリベル「…………………。」
“バタン”という重たい音が店内に木霊し、一人の客が帰って行ったことを報せる。
マリベル「…ばかアルス。」
独りいなくなった少年に呟くと、少女は自分の中にわだかまる複雑な思いを洗い流すように残りのハーズ酒を飲み干した。
マリベル「マスター もう一杯。」
*「かしこまりました。」
店の主人は何も言わずに黙々と酒を作り始める。
そうして再び店内には男たちの楽しそうな声とステージを踏み鳴らす踊り子の靴音、
そして氷がグラスを叩く音だけが静かに響いていったのであった。
593 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:37:34.89 ID:LLGD6zi70
マリベル「…………………。」
夜も更けた頃、満天の星空の下で少女は一人、
酒で火照った身体を覚まそうと村の隅に置かれた角材に腰かけて煌々と揺らめく灯を眺めていた。
マリベル「…バカみたい……。」
少女には少年の行動がわかりかねていた。
前ならば男たちだけで温泉に浸かっていたはずの彼が今日ばかりは誰ともつるもうとせず、
それどころか少女だけが入らないからというだけで自分まで入らないと言い出す始末。
あまつさえその彼は自分と入りたいと言ってのけたのだ。
“本当はさ 一緒に 入りたかったなって。”
今まで決して彼が自分の願望をそんな形で口にすることはなかった。
それが他の男たちがむき出しにする邪な欲望だったのかはわからない。
しかしあの時少年が見せた顔はそれとは違って、どこか自分の羞恥の気持ちを隠しているように見えた。
それがますます少女を混乱させていた。
“ばっかじゃないの!? なんで あたしが あんたと……。”
思えば先ほどは驚愕と恥じらいから咄嗟であんな風に言ってしまったが、少々あれは言いすぎだったかもしれない。
自分と彼は既に恋人なのであって友達でもただの幼馴染でもない。
であれば入浴を共にするというのはさほど不自然なことではないのかもしれない。
しかしどういうわけか未だに自分の中で自らのすべてを晒してしまうことへの不安が先を行ってしまい、それを許そうとしないのだった。
たとえ相手が自分の好いた幼馴染であったとして。
マリベル「…はあ……。」
少女は基本的に相手がどう思おうが自分の思ったことはすべて言ってきたし、自分の気持ちに嘘はつかないようにしてきた。
時にはそれが人に自分を以て“わがまま”と言わしめる要因でもあったのだが、本人はそれをあまり気にしては来なかった。
今でこそ場面をわきまえられるようになったが、基本的に彼女の姿勢は変わらない。
しかしそんな彼女もあの少年と何かをしたり何かをしてもらうようなことに関しては正直に口に出せないこともあった。
様々な出来事を通してこれまでの旅も、そしてこの旅の中でも彼との距離を詰めていっていたはずだったが、
どうにも越えられない一線というものがあったらしい。
マリベル「やっぱり 恥ずかしいわよ……。」
そう言って少女は誰に見られているわけでもないのに両手で紅潮した頬を隠す。
彼にも散々正直にいろいろなことを言ってきたはずだったがこればっかりは言えない部類だったようだ。
マリベル「……ぶるっ………。」
あれこれ悩んでいるうちに気付けば体はすっかり冷え、
心地よく吹いていたはずの風はいつの間にか北風に変わり寒さを運んできていた。
マリベル「…さむい……。」
火に当たり寒さを紛らわそうとするも体の芯が冷えるような感覚に思わず身がすくむ。
マリベル「あっ……。」
なんとか暖をとれないものかと辺りを見渡した時、ふと煙の立ち上がる井戸が目に入った。
マリベル「温泉かあ……。」
“あの人たち 明日は 早いから 深夜は 入らないんだってさ。”
先ほど少年が言っていた言葉を思い出す。
マリベル「…………………。」
井戸までやって来た少女は耳を近づけて音で中の様子を探る。
マリベル「……誰も いないみたいね。」
“行くなら今しかない。”
そう思い立ち少女は急いで井戸の中へと降りて行くのだった。
594 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:39:00.51 ID:LLGD6zi70
井戸の中は温泉の湧き出る音だけが木霊し、他には何も聞こえなかった。
マリベル「…………………。」
少女は目を凝らして辺りを確認する。
マリベル「……やった!」
奥の隅々までつぶさに観察したが確かにそこには誰もおらず、少女は思わず握り拳を作る。
マリベル「今のうち 今のうち……!」
そう言って少女はドレスを脱ぎ、近くにあった籠にまとめると浴巾(よっきん)を体に巻きつけて湯へと近づいた。
その時だった。
*「…いやあ 外は冷えるなおい。」
*「ホントだよな! もういっぺん 入っていっちまうか!」
マリベル「…っ!」
“しまった!”
どうやら二人組の男が井戸の手前までやってきているらしい。
自分の後に誰かが来る可能性などすっかり頭から抜け落ちていた少女は慌てて踵を返す。
このままでは湯に浸かれないどころか布越しとはいえ自分の裸体を見られてしまう。
そんな焦りから思うように濡れた床の上を走れず、少女は泣きたい気持ちになった。
そしてまたその時だった。
*「待ってください!」
男たちとは別の声が聞こえてきた。
*「あん?」
*「なんだ あんちゃん あんたも 風呂かい?」
*「いま 女の子が 一人で 入っているんです。」
*「なら 尚更 入らなくっちゃよ! なんせ ここは 混浴なんだぜ。」
*「そうだぜ へっへっへ……!」
男たちはいやらしい笑い声を上げる。
*「頼みます! 誰かに見られたくないからって 何度も あきらめていたのが ようやく 一人で ゆっくり 入れる時が来たんです。」
*「せめて 彼女が 出てくるまで 待ってください!」
*「……どうするよ?」
*「うーん……。」
*「お願いします! 宿代でも なんでも お支払いしますから!」
*「え ほ ホントか?」
*「そこまで 言われちゃ 仕方ねえ。まあ 風呂なら 宿にも あるからいいけどよ。」
*「ありがとうございます!」
*「……おう 確かに 受け取ったぜ。」
*「そのじょうちゃんに ヨロシクな! がっははは!」
その言葉を最後に男たちの声は聞こえなくなった。どうやら行ってしまったようだ。
595 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:40:14.61 ID:LLGD6zi70
マリベル「…………………。」
“助かった”
少女はドレスにかけたその手をいったん止める。
マリベル「…アルス?」
少しだけ大きな声で井戸の上にいる人物を呼ぶ。
アルス「ぼくは いいから ゆっくり 浸かっていきなよ!」
声の主はそう言って少女を気遣う。
マリベル「…………………。」
少女はしばらく俯いて考えていたが、やがて決心するともう一度上にいる少年に呼びかける。
マリベル「アルス! 降りてきなさいよ!」
アルス「えっ?」
少女の真意が分からず少年は聞き返す。
マリベル「……い… いっしょに はいりましょ!」
ややあって返ってきた声は、少しだけ上擦っていた。
アルス「……うん!」
何かの呪文を唱える音が響いたあと、少年は降りてきた。
アルス「や やあ……。」
下まで降りてくると少年は少女の方を見ずにそのまま背中越しに言う。
マリベル「……こっち 見なさいよ。」
アルス「で でもっ……。」
マリベル「いいからっ!」
躊躇する少年に少女が語気を荒げる。
アルス「…………………。」
596 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:42:01.96 ID:LLGD6zi70
振り返った少年は少女の体を見て黙ったまま固まった。
すらっと伸びた手足、絹のように白くやわらかな肌。
そしてまるで人形のように整った顔立ちは誰が見ても文句のつけようなどなかった。
マリベル「…なんか いったら どうなの?」
少女が恥ずかしそうに体を捩る。
アルス「…よかった……。」
マリベル「えっ?」
アルス「……タオルしてなかったら どうしようかと思った……。」
少年は冷や汗を流しながら言う。
体は大きな浴巾によって隠されてはっきりと見えはしないが、
それでも小さすぎず大きすぎない胸にくびれた腰から尻、
そして膝上までにかけての曲線美は少年の目のやり場を困らせるには十分すぎた。
マリベル「…………………。」
マリベル「はー……。」
少年の拍子抜けする感想に盛大なため息をついて少女が言う。
マリベル「まさか あたしが 素っ裸で 立ってるとでも 思ったの?」
マリベル「もっと 他に ないわけ? こう キレイだとか なんとか。」
アルス「いや 肌がきれいなのは 知ってたし……。」
マリベル「……もうっ!」
少しぐれた様子で少女は浴槽に向かうと、体を流してさっさと湯に入っていった。
アルス「…ご ごめん……。」
マリベル「いつまで そうしてるのよ はやく あんたも 入ったら?」
アルス「え あっ うん!」
少女の催促に少年は素早く服を脱ぎ、浴巾を腰に巻いて湯をかけてから少女の隣に腰を落とす。
597 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:43:35.86 ID:LLGD6zi70
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
浴槽に背をもたれ、二人はお互いを見ないように目線を下にしたまま黙り込む。
マリベル「あ あのさ……。」
なんとなく気まずい空気を打開するかのように少女が話し出す。
アルス「…うん?」
視線だけ少女の膝に移しながら少年が相槌を打つように問う。
マリベル「ありがと。あいつら 追っ払ってくれてさ。」
アルス「……うん。」
マリベル「…それに さっきは ごめんなさい。」
アルス「えっ?」
思いがけない言葉に少年は少女の顔を見つめる。
マリベル「あんな 言い方しちゃってさ。」
少女は尚も俯いたまま答える。
アルス「…いいんだ。謝るのは ぼくの方さ。」
アルス「だれだって あんなこと 言われたら そうなるよ。」
自分の膝に視線を落とし少年は後悔するように呟く。
マリベル「……恥ずかしかったの。あんたに あたしの体 見られちゃうのがさ。」
マリベル「あたしたち もう ただの幼馴染じゃないっていうのにね。」
アルス「ぼくも ちょっと 急すぎたと思う。ごめん。」
アルス「…でも やっと 叶ったんだな……。」
そう言って少年は目を閉じる。
598 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:44:38.06 ID:LLGD6zi70
マリベル「えっ……。」
その言葉の意味が分からず今度は少女が少年を見つめる。
目に映った少年の身体は細身ながらかなりの筋肉質で、
その肌には相変わらず癒えない傷痕がいくつも刻み込まれており、
これまで彼がいかに身を挺して仲間を守ってきていたかが窺えた。
まるで誰かの傷を肩代わりするかのように。
マリベル「…………………。」
少女も滅多なことでは見ない少年の裸体は、非常に痛々しくもあり、
それでいて猛々しく、不思議な魅力を醸し出していた。
だがその傷の多くが彼女を守るためにつけられたものであることもわかっていた。
アルス「……マリベル?」
マリベル「…………………。」
少女は少年の言葉も聞こえぬほど食い入るように少年の身体を見つめていた。
いったいどれほどの血がこの体から流れたというのだろうか。
いつも何食わぬ顔して少女をかばい続けるその体は、どれほどの痛みを抱えてきたというのだろうか。
改めて目の前にして見ているうちに少女の中で感情が沸き上がってくる。
マリベル「アルス……。」
アルス「ん?」
呼び掛けに応じるその瞳は優しく、そんなものなど最初からなかったかのように少女の翡翠色の瞳を写していた。
マリベル「ごめんなさい。」
アルス「えっ?」
マリベル「ありがとう。」
そう言って少女は少年の身体を、その傷痕を労わる様に、何度も、何度も優しく撫でる。
アルス「…………………。」
アルス「それは ぼくのセリフだって いつも 言ってるじゃないか。」
そうして少年は少女の手を取り、そのまま優しく少女の肩を抱く。
マリベル「…ばかアルス……。」
そう言って少女は少年の肩に首をもたれる。
密着する二人の体がいつもより熱く感じられたのは、温泉のせいだったのだろうか。
599 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:47:44.81 ID:LLGD6zi70
アルス「…嬉しいな。」
しばらくして少年が呟く。
アルス「夢だったんだ。こうして 誰にも邪魔されずに 二人で 温泉に入るのがさ。」
マリベル「うふふっ。あんたってば 意外と ロマンチストなのね。」
アルス「意外で 悪かったね……。」
不服そうに少年が言う。
マリベル「スねないの! これでも 褒めてんだからね?」
アルス「はいはい。」
そう言って少年は微笑む。
マリベル「…ふふ……。」
アルス「…………………。」
マリベル「……また 来ましょうよ。」
アルス「二人っきりで?」
マリベル「あったりまえじゃないの! やっぱり見られたくないし それに……。」
マリベル「誰にも 邪魔されたくないからね!」
片手を腰につけて少女は悪戯な笑みを浮かべる。
アルス「あっははは! また 夜中にこっそり 来ないとね。」
楽しそうに少年が笑う。
マリベル「…そういえば さっきは 何の呪文を かけたの?」
先ほど上から聞こえた呪文の発動音を思い出し少女が尋ねる。
アルス「えっ? ああ あれ見てよ。」
マリベル「……!」
少年に促されて視線を移したその先には入口から滴る水滴があった。
マリベル「もしかして 入口を ヒャドで 塞いだの?」
アルス「アタリ。だから 一応 時間制限が あるんだけどね。」
マリベル「そうねえ のぼせないくらいには 早めに 上がらないと いけないものね。」
アルス「ずっと 独占するわけにも いかないからね。」
マリベル「…そっ。でも……。」
“今晩 月が てっぺんまで昇った頃 温泉にいけば いいことが あるみたいですよ!”
アルス「……!」
マリベル「もう少し こうしてたいな。」
そう言って少年にもたれかかる少女の白魚のような体が少しだけ桜色に染まって見えたのは
湯にあてられたせいなのか、それとも彼女なりの恥じらいの色だったのか。
同じように頬を染められた少年が知る術はなかったのだった。
そして……
600 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:48:24.32 ID:LLGD6zi70
そして 夜が 明けた……。
601 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:52:44.44 ID:LLGD6zi70
以上第20話でした。
「ドラクエの世界にお風呂に入る文化はあるのか」
描写の上で非常に悩んだ部分です。
そこで原作中に出てくる民家や宿屋をすべて回ってみたのですが
わたしが見つけた範囲内ではグランエスタード城下町に一件、
過去のハーメリアに一件、ルーメンに一件といった具合です。
これだけ見るとあまり文化として根付いていないのではないかと思われますが、
マリベルとの会話の中でお風呂は毎日入るのが普通であることがわかります。
「アルスは ちゃんと 毎日 おフロに入ってる?」
(実際ゲーム画面では置かれていなくても、トイレ然りきっと省略されているだけなのでしょう。)
ただそうなるとお風呂を沸かすための設備などはどうしているのか…
なんてことを考えてみてはみたんですが、ハッキリ言うとよくわかりませんでした。
第6話でもマリベルがお風呂に入るシーンがあるのですが、
結局は描写を減らしてだましだまし書くことでことなきを得ました。
難しいものですねえ…
さて、今回はエンゴウで温泉に入るというイベントを書きました。
「温泉! 温泉入りたーい!」
…とは言いつつも、混浴だからやっぱり恥ずかしい。
結局原作では一度も温泉に入ることなくエンディングを迎えてしまいました。
(仕様上、着衣のままでジャボジャボ入っていけるのですが)
そこで、このお話ではアルスのチカラを借り、マリベルに念願だった温泉に浸かってもらったというわけです。
…観光の目玉として確立させたいのであればやはり男女別で入れるよう配慮してもらいたいものですよね。
もちろん、混浴は混浴の良さがあるので無くさないとして。
…………………
◇果たしてパミラが占いを通してみたのはいったいなんだったのか。
それはまた後々。
602 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/11(水) 19:54:47.83 ID:LLGD6zi70
第20話の主な登場人物
アルス
混浴で入るのをためらう少女に遠慮して自分も温泉には入らずにいた。
吹っ切れたマリベルと共に深夜の貸切温泉へ。
マリベル
裸を見られるのが恥ずかしく温泉に入るのを拒否していたが、
イルマの占いやアルスの手助けでなんとか入ることに成功。
ボルカノ
混浴は別にどうでもよく、温泉自体をしっかり堪能。
メモリアリーフの当主に唖然とする。
コック長
アミット号で一番の年長者。
もともとお風呂が好きなので温泉は楽しみだった模様。
アミット号の乗組員たち(*)
魚を売りさばいた後は温泉で混浴を楽しむ(愉しむ?)
日頃の疲れを存分に癒してほくほく顔に。
パミラ
エンゴウで代々占い師を務めている。「パミラ」は襲名制。
占いの腕は確かで、知識も豊富。
イルマ
パミラの助手を務める若い女性。
一見ただの元気な娘だが、占いの腕をちゃくちゃくと上げている。
村長
エンゴウの長。
村を発展させようとするあまり炎の精霊をないがしろにしていたが、
魔王復活から討伐までの一連の事件を経て改心する(?)
メモリアリーフの当主(*)
荒くれ男に扮してメイドを追いかけるという奇行が有名。
それでもハーブ園は上手くいっているというのだから世の中わからない。
605 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:13:45.37 ID:/ZAUKCR40
航海二十一日目:冷めないハーブティー / 同じ月を見てる
606 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:15:07.02 ID:/ZAUKCR40
コック長「ん?」
日が昇り始めた頃、アミット号の料理長はいつものように網元の令嬢を起こして朝食の準備に取り掛かるために調理場へと続く扉を開けた。
マリベル「あら おはよう コック長。」
少女は既に起きて着替え終えていた。
コック長「珍しく 今日は 早いですな マリベルおじょうさん。」
マリベル「うん まあね。」
そう言って少女は微笑む。
コック長「……なにか いいことでも ありましたかな?」
マリベル「へっ? あ いや そんなことないわよっ?」
コック長「…わしに 隠し事しても ムダですぞ。」
上擦った声で少女は誤魔化そうとする少女に料理長は片眉を上げて釘をさす。
マリベル「べ 別に いいじゃないの。」
コック長「なにやら 肌のつやが いつもより 良くなっているような……。」
コック長「さては 昨晩でも 温泉に入りましたかな?」
ずずいと寄って少女の顔をまじまじと見つめると料理長はズバリと少女の隠し事を当てて見せる。
マリベル「っ……。」
コック長「良かったですな ちゃんと 誰にも見られず 入れたんですか?」
絶句する少女に対して料理長は特に顔色を変えずに質問を続ける。
マリベウ「え ええ まあね……。」
コック長「……ふうむ。ははあ そういうことですか。」
歯切れの悪い少女を見てコック長はある仮説を立てる。
マリベル「な なにっ?」
コック長「いやいや なんでも ありませんぞ。」
マリベル「ちょっと コック長 何か 勘違いしてないでしょうね!」
コック長「何がですかな?」
マリベル「うっ……。」
その“何が”が言えず少女は押し黙る。
コック長「いいんです 言わなくても。わしは わかっておりますし 誰にも 言いませんからな。」
マリベル「えっ ち ちが……。」
コック長「さて それでは あいつを起こしますから ちょっと 待っててください。」
そう言って料理長は少女の言葉を最後まで聞かずに隣の部屋へ出て行ってしまう。
コック長「……おい 起きろ。朝だぞ。」
*「……うーん…。」
マリベル「…………………。」
マリベル「どうして あんなに 勘がいいのよ!」
一人になった部屋で少女は誰にも聞こえないように小さく叫ぶのだった。
607 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:16:10.98 ID:/ZAUKCR40
アルス「えっ バレた!?」
マリベル「シーっ!」
マリベル「大きな声で 言わないでよっ! 余計に あやしまれちゃうじゃないっ!」
そういって少女は少年の口を塞ぐ。
*「……?」
近くにいた漁師が不思議そうにあたりをキョロキョロと見渡す。
アルス「モガモガ…… ぷはぁ!」
アルス「ど どうして わかったんだろ……。」
物陰に隠れたところでようやく口を解放された少年が呟く。
マリベル「肌の加減で あたしが 温泉に入ったことは わかったらしいんだけど……。」
アルス「それにしたって ぼくまで いたって どうしてわかるんだろう……。」
マリベル「侮れないわ コック長……。」
マリベル「とにかくっ! これ以上 他の人に 知られたりでもしたら 面倒どころか あたしがここ いられなくなっちゃうわ!」
マリベル「アルス! あんたは 何もなかったふりするのよ! いいわねっ。」
そうまくしたてて少女は指先を少年の顔に突きつける。
アルス「わ わかったよ……。」
やや引き気味にそれを承諾すると少年は見張りに戻って行くのだった。
マリベル「まったく 油断ならないわね。」
一人呟く少女は自身の恥ずかしさよりもとあることを気にしていた。
“なにっ アルスが うちのマリベルと 風呂に!? け けしからんっ!!”
マリベル「…こんなこと パパに知れたら なんて言うか わかったもんじゃないわ。」
万が一そんなことがあっては娘を溺愛しているあの父親のことだ、
たとい相手が信頼を置いているあの少年だったとしても何をするか。
マリベル「もう一回 コック長に 釘をさしておくかしらね。」
ほとぼりが冷めるまで少女の中の最高機密の一つとして刻み込まれたのであった。
608 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:16:52.64 ID:/ZAUKCR40
東の空から昇った太陽が真上に差し掛かろうかという頃、
漁船アミット号は次の目的地を目指して西の方角へと航海を続けていた。
*「んん? なんだ ありゃ?」
そんな折、甲板で操舵をしていた漁師の一人が何かに気が付いた。
*「なんだい ありゃあ。」
*「さあ おれにも わからん。」
それを皮切りに次々と漁師たちが遠くに見える何かに視線を注ぐ。
*「みんな 飯だぞー!」
その時、休憩していた別の漁師が甲板へやってきて昼時を告げる。
*「よう あれ 知ってるか?」
その男にも同じ質問を投げかける。
*「えっ あれって……。」
*「……よくわからんが アルスたちなら 知ってるんじゃないか?」
*「アルスは?」
*「昼当番だから 下にいるぜ。」
*「おうよ じゃあ 後 頼んだぜ。」
*「任せとけ。」
そんなやり取りを交わし、漁師たちは一人を残して下に降りて行った。
609 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:17:59.80 ID:/ZAUKCR40
漁師たちが食堂までやってくると、既に食事を終えた船長と新しい皿の配膳と片づけをしている少年たちがいた。
*「お いたいた。」
*「よう アルス。なんか いま 北の方に 変な塔が見えたんだけどよ。」
アルス「北ですか? 南じゃなくて。」
“塔と言えば南にはかつて魔王が居城としていた巨大な塔があったはずなのだが”
そう思い少年は聞き返す。
*「おう なんか 良く分からねえが 派手な色した 塔だったぜ。」
マリベル「それって バロックタワーじゃない?」
話を聞いていた少女が思い出したように呟く。
*「……?」
アルス「ああ 天才建築家 バロックが 生涯の最後に造った作品です。」
アルス「ぼくたちも 登ったことがありますよ。」
マリベル「あの中は そりゃあもう 侵入者をはばむ 罠ばっかりでねえ。」
アルス「でも 塔の最深部には 彼が残した お宝が あったんです。」
*「へえ それでそれで。」
アルス「……お宝とは なんてことない 石盤が二枚だけでしたとさ。」
続きを聞きたがる漁師に少し考えてから少年は答える。
*「なんでえ つまんねえな。」
マリベル「…………………。」
ボルカノ「その石版ってのは お前たちが 探していた アレか?」
アルス「うん。」
マリベル「…結果的には バロックさんに 助けられたってことですわ。」
*「ふーん じゃあ あの塔の中には もう 何も残ってないのか?」
アルス「ええ そうです。」
マリベル「それでも ないはずの お宝を求めて やってくる人は 後を絶たないんだけどね。」
*「まあ お宝っていう 響きだけで なんか ワクワクするもんな。」
コック長「おいおい 料理が冷めちまうから はやく 食べてくれ。」
*「お 悪いな コック長。」
そうして料理長に促され、漁師たちは話をやめて食事に手を伸ばし始めるのだった。
610 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:20:48.00 ID:/ZAUKCR40
マリベル「アルス。」
昼下がり、食堂にある自分のハンモックで休憩をとっていた少年は少女に呼ばれる。
マリベル「お茶にしない?」
アルス「えっ うん……。」
ゴロリと寝返りを打って少年は声の方に振り返る。
何やら爽やかないい匂いが漂ってきた。
アルス「よっこらせ。」
マリベル「はい コレ。」
そう言って席に着いた少年に少女は揺れに強い大きめのコップを手渡すと、ポットの中の液体を半分ほど注いでいく。
アルス「あれっ これって……。」
マリベル「昨日のうちに コック長たちが 買ってきたんですって。」
アルス「スウー……はー……。いい香りだね。」
コップの中からは眠気を吹き飛ばすような透き通った香りが立ち上っている。
マリベル「ふー…ふー……。」
マリベル「…っ! あちち……。」
揺れる船内で熱いものをすするのはなかなか以て難しいものがある。
少女は運悪く口の中に予定より多めの量が入ってきてしまったらしく目をぎゅっとつぶった。
アルス「…ふふ ははは……。」
その様子がどうにもおかしく少年は思わず笑いをこぼす。
マリベル「な なによ……。」
アルス「いや かわいくて つい。」
マリベル「むっ また 調子いいこと 言って。」
アルス「…ふふふ。」
そうやってムキになる姿が余計愛おしくなり、少年の目はだらしなく垂れさがる。
マリベル「…なんて顔してるのよ……?」
そんな様子に少女も怒る気が失せ、ため息をつきながら次の一口をすする。
マリベル「……あっ。」
611 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:22:04.04 ID:/ZAUKCR40
何かを思い出したらしく、少女は急いで調理場へと走っていくと、しばらくしてその“何か”を抱えて戻ってきた。
マリベル「じゃーん。マリベル特製クッキーよ!」
アルス「……やった!」
少女の手の上にはたくさんのクッキーが乗ったお皿があった。
マリベル「やっぱり ハーブティーだけじゃ 寂しいからね。」
アルス「いつ作ったの?」
マリベル「朝一番でね。いい匂い してたでしょ?」
“美味しいお茶菓子と共にハーブティーをたしなむ”
今朝少女がわざわざ早起きしていたのはこのためだった。
アルス「……うーん 覚えてない。」
マリベル「…あっそ まあいいわ。たくさんあるから 遠慮なく 食べてちょうだい。」
アルス「うん。」
そう言って少年は早速一つ摘み取ってかじりつく。
アルス「…サク…サク……ごくん。」
マリベル「……どう?」
アルス「おいしい。」
マリベル「…うふふ。あったりまえよね~ このマリベルさまに 失敗なんてないんだから。」
アルス「…………………。」
”先ほど小さな失敗をしていたではないか”と言わずに微笑むのは少年の優しさか。
マリベル「まっ ホントは 明日食べる予定だったんだけどね。」
アルス「…………………。」
心の中で小さくツッコミを入れながら少年は少し冷めて飲みやすくなったハーブティーを一口すする。
612 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:23:21.41 ID:/ZAUKCR40
マリベル「ハーブかあ……。」
不意に少女が呟く。
アルス「ん?」
マリベル「ううん ちょっと グリンフレークのことを思い出しただけよ。」
アルス「リンダとペペのこと?」
マリベル「うん。」
マリベル「…………………。」
アルス「どうしたの?」
マリベル「もしも… もしもよ?」
マリベル「どうしてもあたしが 他の男と 結婚しなくちゃいけなくなったら……。」
マリベル「アルス。あなたは どうする?」
口調こそ平然としているがどこか少女は不安そうに俯いて上目遣いに見る。
アルス「…………………。」
突拍子も無いながら非常に繊細な質問に少年は真剣に考える。
アルス「……そうだなあ。」
やがて答えがまとまったのか少年は顔を上げた。
アルス「本当のところ ぼくは 君さえ幸せでいてくれたら それでいいと 思ってたけど。」
マリベル「…………………。」
アルス「やっぱり 嫌だな。他の誰かと 君が 一緒にいるなんて。」
アルス「自分の気持ちに嘘ついて 結局 後で 後悔するくらいなら……。」
一呼吸を置いて気持ちを吐き出すように少年は少女の顔を真っすぐに見据えて言う。
アルス「ぼくは 君をさらってでも 連れていく。誰にも 見つからないような 遠い所へね。」
マリベル「…………………。」
マリベル「ブフっ…… ぷぷぷ……。」
613 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:25:08.26 ID:/ZAUKCR40
いつの間にか少女は口元を抑えて必死に笑いを堪えていた。
アルス「な なんだよ……。」
マリベル「あっははは! だって あんた…… あんな 恥ずかしいセリフを……。」
アルス「…うっ……。」
言われてみれば確かに今の発言は顔から火が飛び出るくらいこっぱずかしい台詞に他ならなかった。
だが少年は同時にあることに気付く。
アルス「言わせたのは どこの 誰だよ。」
マリベル「ハッ…… う うん まあ そうだけど……。」
アルス「せっかく 真剣に考えたのに 損した気分だよ。」
そう言って恥ずかしそうに体ごとそっぽを向くと足を組んでハーブティーを一気に飲み干す。
マリベル「…もうっ 言ったでしょ? もしものことって。」
困ったような顔で少女は微笑む。
アルス「…そうだけど。やっぱり ペペさんみたいに 家族も リンダさんも救えないくらいなら ぼくは……。」
マリベル「……ばかねえ。まず その状況をなんとかしようって 思わないの?」
マリベル「二人で逃げなくても いいように その時は あなたが なんとかしてよ。」
マリベル「…駆け落ちなんて それからでも じゅうぶんだわ。」
アルス「……わかってる。」
マリベル「まっ 間違っても そんなことにはならないと思うから 心配するだけ無駄だったかしらね。」
アルス「…………………。」
少年は気を紛らわそうとハーブティーを注ぎなおし、また一つクッキーを頬張る。
614 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:25:56.07 ID:/ZAUKCR40
マリベル「……今度 さ。」
不意に少女がポツリと語る。
アルス「ん?」
マリベル「あそこのハーブ園に 行こうよ。」
アルス「ふハりで?」
マリベル「当り前じゃない。それとも あたしと 二人っきりじゃ 不満かしら?」
昨晩二人でまた湯に浸かろうと話したばかりとは思えない言葉を発しながら少女は目を細める。
アルス「…ゴクン…… めっそうもない。」
マリベル「……そしたらそこで たっくさん ハーブを買って うちでも 育てるの。」
マリベル「あっ もちろん 水をやったり その他 もろもろの世話は アルスの役目だからね。」
少女はにやりと笑う。
アルス「それ 前も 聞いたような……。」
マリベル「そうかしら?」
アルス「でも ぼくが いない間どうするの?」
マリベル「そんなに 長い漁やるの?」
少しだけ顔を曇らせて少女が尋ねる。
アルス「……わからない。前と比べて 漁場が近くなったから すぐに帰ってこられると思うけど。」
マリベル「じゃあ すぐに帰ってきて あんたが やれば いいのよ。」
アルス「はは…… マリベルには 敵わないなあ。」
マリベル「当然じゃない。あんたが あたしに勝てることが あって?」
アルス「……うーん。」
首を捻って考える少年を見て少女は勝ち誇った様な笑みを浮かべて目を閉じる。
マリベル「ほーら 見なさい! あんたは 素直に あたしの言うことを聞いてれば……っ!?」
アルス「こうしちゃえば ぼくの勝ち。」
615 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:27:42.62 ID:/ZAUKCR40
“またやられた”
いつの間にか席を立った少年に後ろから抱きしめられながら、少女は飛び跳ねそうな心臓を抑えて言う。
マリベル「……ずるい。」
彼にこうされてしまうと少女はまったく抵抗する気にならなくなってしまう。
それは他のどんなことでも優勢を保つ彼女にとってたった一つにして最大の弱点だった。
それを知ってか知らずか、少年は優しく、力強く彼女を包み込んでいく。
アルス「ずるくていいんだ。」
だがそんな少年も、包み込まれているのは“彼女”なのか“自分の心”なのかわからないでいた。
少女を抱きしめている時、少年の心は温かく包み込まれているような安心感と満足感が満ちていた。
だからこそ少年は悲しくなったり、嬉しくなったり、寂しくなったり、そして愛しくなった時、
少女の体を思いっきり抱きしめるのだった。
マリベル「ね 約束よ?」
アルス「うん 行こう。ふたりで。」
波に揺られながら心行くまで時間を過ごし、互いの心が冷めぬように温めあう。
そんな二人に忘れられたハーブティーだけが、寂しそうに冷えていくのだった。
616 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:28:30.00 ID:/ZAUKCR40
ボルカノ「錨を降ろせ!」
それから漁船は何の問題もなく航行を続け、夜も更けた現在、
一行は小さな港を見つけて新しい大陸に降り立っていた。
マリベル「着いたのね! リートルードへ!」
少女が大きく体を伸ばして言う。
ボルカノ「今日は遅いから 明日にするか?」
アルス「いや たしか あそこには 大きな宿が あったはずだよ。」
マリベル「きっと あたしたちが 行っても 余裕で泊まれるわよね!」
ボルカノ「…どうするよ?」
コック長「今回は 店も開きませんし このまま 行っても いいんじゃないですかな。」
ボルカノ「よし! じゃあ このまま リートルードへ 出発するぞ!」
*「「「ウスッ!」」」
そうして船長の号令と共に一行は町へと向かって歩き出す。
マリベル「あっ 先に行ってて!」
そう言って少女は船に戻ると三毛猫を抱えて戻ってきた。
トパーズ「なうー。」
追いついてきた少女に少年が問う。
アルス「トパーズも 連れていくの?」
マリベル「一日 ほったらかしにしてたら かわいそうじゃない。」
アルス「それもそうだね。」
少年は三毛猫の顎を撫でながら頷く。
マリベル「さ いきましょ。」
アルス「うん。」
そうして二人は先を歩く漁師たちのもとへ小走りに向かっていった。
一行の向かう先に見える芸術の町はまだ明かりが灯っており、どこか幻想的な光景を醸し出していた。
617 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:31:53.92 ID:/ZAUKCR40
*「うひゃあ こりゃまた 変な建物が いっぱいだな!」
町に着いた漁師が開口一番に率直な感想を述べる。
もともと芸術的な感覚など二の次な漁師たちにとってこの町の前衛的な芸術の様式にはとてもついていけない隔たりがあったのだ。
マリベル「あら 奇遇ね あたしも これには どうかと思うわ。」
うんざりといった様子で少女が言う。
ボルカノ「マリベルちゃんが 言うなら たぶん 間違いねえんだろうな。」
アルス「感性が合う人には 合うのかもしれないけど 合わない人には とことん わからないのが 芸術だからね。」
マリベル「それを ここの人たちは これが当たり前のように 言うもんだから まいっちゃうのよね。」
*「まあ いいから さっさと 宿に行きましょうぜ。もう 眠くってしゃあねえ。」
*「だな。」
アルス「ほら あそこが この町の宿ですよ!」
少年が指差す先には二階建ての大きな宿屋が立っていた。
*「おお すげえ!」
コック長「さすがは 観光業で もうけているだけ あるな。」
マリベル「おまけに 宿代も格安! いいことづくめってわけ!」
*「よっしゃ! そいつは ラッキーだ!」
*「ぼく エンゴウで 結構 飲み食いしちゃって ちょっと ピンチだったんですよ!」
そんな会話をしながら一行は宿の中へと入っていく。
*「いらっしゃいませ。お泊りになりますか?」
宿の受付ではすっかり回復した女将が温かい笑顔で一行を迎え入れた。
ボルカノ「部屋は空いてるかい?」
*「ええ まだ だいぶ 余裕がありますよ。」
ボルカノ「よし それじゃ ここで 解散だ。明日は 適当に 観光でもしていてくれ。」
*「「「ウスッ。」」」
そうして一行は部屋の登録を済ませてそれぞれ散っていくのだった。
アルス「おやすみ。」
マリベル「うん。」
一人部屋がまだまだ空いていたため少年と少女も今日は久しぶりに別々の部屋を取り、
就寝の挨拶を済ませてそれぞれの部屋に入っていった。
618 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:33:36.64 ID:/ZAUKCR40
アルス「ふー……。」
軽く風呂を済ませた後、少年はベッドに転がり一人窓から差し込む月明かりを見つめていた。
昨晩は宿にこそ泊まれなかったとはいえ、温泉に浸かりじっくりと体を労わったためか、
今晩はあまり疲労も溜まっておらず、このまま眠ってしまうのもなんだか惜しいような気がしていた。
アルス「下に行くか……。」
そう言って少年は扉を開けると階下にある酒場へと降りて行った。
*「いらっしゃいませ。」
ボルカノ「おう なんだ アルス お前も来たのか。」
アルス「父さん。」
コック長「まあ お前も こっちきて 飲もうじゃないか。」
アルス「はい。」
二人に促され少年は適当な飲み物を注文して男たちの中に座る。
コック長「それで どうなんじゃ?」
アルス「…いろいろと 覚えることが多くて たいへんですけど 今は漁に出られる 嬉しさの方が 上ですね。」
コック長「…そりゃ よかった 嫌になって 投げだされでもしたら どうしようかと 思ったよ。」
ボルカノ「漁のことは 今はいい。お前なら すぐに 上達するだろう。」
コック長「それよりも じゃ。」
アルス「……なんですか?」
コック長「何ですか じゃないわい。マリベルおじょうさんとのことだ。」
アルス「えっ……。」
*「お待たせいたしました。」
どうしたものかと少年が固まっていると酒場の主人が注文した酒を席に置く。
ボルカノ「ちゃんと うまく やってんのか?」
アルス「……うん。」
少年は出された酒を一口飲み、杯を置いてポツリと言う。
コック長「ここのところ やけに おじょうさんの機嫌が よくてな。」
アルス「そ そうですか……。」
ボルカノ「まあ あんまり 無粋なことは聞かねえけどよ 女の子ってのは 繊細だ。」
ボルカノ「オレが若いころも けっこう たいへんだったもんだ。」
父親は懐かしむような遠い目をして言う。
コック長「わっはっは! マーレも乙女じゃったからのう!」
ボルカノ「……ゴホン。とにかく 大事にしてやるんだな。ちょっとしたことでも 傷つきやすいもんだからよ。」
コック長「みんなに 迷惑がかからない程度に な!」
アルス「は はい。」
アルス「…そういえば……。」
619 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:35:37.94 ID:/ZAUKCR40
ふと少年は何かを思い出す。
ボルカノ「ん?」
アルス「最近 悩んでることが あるみたいなんだ。」
コック長「あの マリベルおじょうさんが 悩むことってったら そりゃ 家族のことか お前さんのことくらいだろうよ。」
察しの良い料理長がすぐにその原因を言い当てる。
コック長「心当たりは ないのか?」
アルス「うーん。なんていうか これから先 何をするか みたいなことだと思うんですけど……。」
少年が腕を組んで答える。
コック長「これから先 か。網元の娘としてではなく 彼女自身が 何をするかってことか?」
アルス「なんとか 気の利いたことでも 言えればいいんですけどね……。」
コック長「そればっかりは 彼女自身が 決めることじゃからな。」
やはり料理長も少年と同じことを考えていたようだ。
アルス「なんだか 歯がゆいんです。何もしてあげられなくて……。」
コック長「ふーむ。」
ボルカノ「……見守ってやれ。」
アルス「えっ?」
するとしばらく黙って話を聞いていた少年の父親がゆっくりと口を開く。
ボルカノ「何もできなくても 黙って傍で 見守ってやることだけはできる。」
ボルカノ「もし 彼女が 立ち止まったら 背中を押してやればいい。」
ボルカノ「ふさぎ込むようなことがあったら その時は お前が そっと 手を取ってやるんだ。」
ボルカノ「それに なにより……。」
ボルカノ「信じてやるんだな 彼女のことを。」
アルス「…父さん……。」
アルス「……うん。」
どんな時でも互いを信じてここまで生きてきた自分の両親のことを少年はよくわかっていたからこそ、
父親の言葉には素直にうなずけたし、不思議な安心感があった。
コック長「…さ そういう話はそこまでにして 今日も遅いから 適当に 切り上げるとしますかな。」
そう言って料理長は自分の杯を傾ける。
ボルカノ「……だな。」
少年の父親もそれに続いて杯を一気に乾かす。
アルス「…………………。」
少年はそんな二人の間で再び窓の向こうを見上げる。
丑三つ時の月は相変わらず空高く、美しい光を放っていた。
620 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:40:27.25 ID:/ZAUKCR40
マリベル「うーん……。」
少年たちが酒場で語らっていた頃、少女もまた入浴を済ませてベッドに横になっていた。
マリベル「なんだか ベッドが 懐かしいわー。」
とは言ってもせいぜい二日ぶりにすぎないのだが、
エンゴウで宿に泊まれなかったという悔しさから少女は全身でベッドの柔らかさを味わうのだった。
マリベル「…………………。」
うつ伏せに寝転がり枕を胸に抱きながら少女はなんとなく昼間少年と交わした会話を思い出す。
“そんなに 長い漁やるの?”
“……わからない。前と比べて 漁場が近くなったから すぐに帰ってこられると思うけど。”
“じゃあ すぐに帰ってきて あんたが やれば いいのよ。”
マリベル「すぐに帰ってくる か……。」
少年はああ言っていたが、実際漁は魚が獲れるまで帰ってこないこともある。
さすがに積荷が尽きれば帰らざるを得ないのだろうが、こればっかりはその時の漁獲次第。
いくら目当ての魚が近くでとれるようになったからと言って毎日が日帰りというわけではない。
時には一週間以上航海することもあるのだろう。
マリベル「どうしよう あたし……。」
少年の帰りを待つ間、家でじっとしていろべきなのか。
現にフィッシュベルの漁師の妻の多くはそうして夫の帰りを待っている。例えばあの少年の母親もその一人。
621 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:42:49.19 ID:/ZAUKCR40
マリベル「…………………。」
“パパとママはなんていうかしら。”
そんな想像をしてみる。
最終的には少年達と冒険を再開することを許してくれた両親だったが、
使命を受けた旅が終わった今、網元の娘としてどう生きていくべきかについては話が別なのかもしれない。
マリベル「んー……。」
そもそも自分はまだこれからどう過ごしていくのか何も決めていない。
ただ漠然とあの少年の顔が浮かんでくるだけで具体的に何をするべきなのかはわからない。
やはり他の女性たちと同じように村で時間を過ごし、きれいな服を着て、嗜みや習い事に精を出す。
そしていつかは世界の王宮や名家と交流し華やかな舞台で生きていく。
網元の娘として生きるというのは今の世界ではそういうことなのだろう。
きっと自分の母もそうしたはずだ。ましてや世界を救った英雄とあらばどこからも引っ張りだこになるだろう。
マリベル「でも……。」
それが必ずしも自分のやりたいこととは限らない。
確かに、讃えられて令嬢として華やかな世界で生きるというのは決して悪い選択肢ではない。
普通の人より優遇されて生きることができるのはまず間違いないだろう。
しかしそれが自分の幸せなのかと聞かれたら頷く自信はない。
自分が世界を救ってまで得たかったものは名誉や富のためではなかったのだ。
“あたしが そうしたかったから そうしただけ。”
少女は寝返りを打って天井に掲げた自分の掌を見つめる。
好奇心のうちに危険な旅に出たりして、出会いと別れを繰り返し、力を得ては脅威を打ち払い、
少年と共に成長し、いつしか惹かれるようになり、最終的には世界のために奮い立ってみせた。
ただの好奇心はいつしか勇気となって少女を突き動かし続けた。
数々の因縁をもつ仲間たちの中で唯一何の変哲もない人生を歩んでいたはずの少女は、
自ら運命を切り開いて新しい世界を勝ち取ったのだ。
マリベル「…………………。」
それもこれもどうしても見たかった未来があったからに他ならない。
世界中の人々や家族と仲間の笑顔に囲まれ、自分がいて、あの少年がいる。
そんな“未来”を少女は“現在”にして見せた。
だがこれが終着点ではない。
マリベル「……アルス。」
あの少年は漁師となり、いつか必ず自分を幸せにしてみせると言ってくれた。
だが自分は彼に何がしてあげられるだろう。きっと彼は何も望まないと言うだろう。
船出を見送り、漁の帰りを待ち、港で出迎える。それだけで良いと言うだろう。
もしかするとそれすら遠慮するかもしれない。
彼は少女が幸せであればそれでいいと、ただ彼女がしたいことをしていて欲しいと言うかもしれない。
マリベル「ホントはいつでも 一緒にいたいくせに。」
しかしそれは叶わないことだと分かっている。
だからこそ少年はせめていられる時はその時間を大切にしようと言ったのだろう。
それ以外の時間、つまり彼が漁に出ている間は彼女がどんなことをしていようが構わないと、そういうつもりだったのだろう。
マリベル「…そうね………。」
そうであるならば少女のやりたいことは決まっている。
しかし。
“彼と自分のためにできることとはいったいなんだろうか”
マリベル「あーもう! わかんないわよっ!」
トパーズ「っう~。」
結局結論は出ずに堂々巡りなのだった。
622 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:44:14.57 ID:/ZAUKCR40
マリベル「……ねえ おまえは どう思う?」
そう言って少女は足元でうずくまる三毛猫に語り掛ける。
トパーズ「…………………。」
“自分で考えな”
無言で鼻先を見つめてくる三毛猫はなんとなくそう言っているように見えた。
マリベル「…………………。」
マリベル「そうよね。」
そう言うと少女はベッドから体を起こし窓の向こうを見上げる。
月は二カっと笑ったまま何も答えてはくれない。
マリベル「……ふふっ。」
今はそんなことで悩めることすら愛おしくて、少女は一人微笑む。
奇しくも同じ月を見上げる二人は同じ想いを抱えながらもその内を打ち明けることはなく、
いつしか襲ってきた眠気につられ、ぼんやりと深い夜の中に落ちていくのだった。
そして…
623 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:46:35.59 ID:/ZAUKCR40
そして 次の朝。
624 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:49:30.48 ID:/ZAUKCR40
以上第21話でした。
アルスは漁師になりました。
ではマリベルはこれから何をするのか。
第17話でマリベルが日記に残していたように、
「魔王を倒し世界に平和を取り戻した今、自分は何をするべきなのか」という疑問が少女の中に沸き上がります。
果たして少女は答えを出すことができるのでしょうか。
そしてそれはどんな答えなのか。
……お話を進めていきましょう。
…………………
◇リートルードへやってきたアルスは偶然にもとある人物と再会します。
そしてそこでは妙な噂が……?
625 : ◆N7KRije7Xs 2017/01/12(木) 19:50:11.58 ID:/ZAUKCR40
第21話の主な登場人物
アルス
思い悩むマリベルのことを心配している。
マリベルのこととなると普段の様子からは想像もできないセリフを吐いたりする。
マリベル
これから先、自分がどうやって生きていくのか考え中。
メモリアリーフのハーブが気に入った様子。
ボルカノ
アルスとマリベルの姿にかつての自分とマーレを思い出し、
懐かしさを感じるとともに的確な助言を与える。
コック長
非常に堪が良く、人の些細な変化でも見逃さない。
アルスとマリベルのことを案じ、時には相談に乗ることも。
アミット号の漁師たち(*)
知らない土地へ行くことがちょっとした楽しみになりつつある。
面白そうなことにはすぐに飛びつく。
トパーズ
今回はマリベルと共にリードルートへ上陸。
時々人の言葉を解するかのように振舞うことがある。
コメントする
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。