1: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 16:41:27.44 ID:IHLQ+geH
※侑ちゃんは先生なので普通に成人してます
※生えてません
※▲(場所)▲←現在の場所
※▽(場所)▽←過去の場所

2: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 16:43:12.70 ID:IHLQ+geH
▲講堂▲
教師A「──えーでは。今年四月から新しく赴任された先生の紹介に移ります。高咲侑先生、よろしくお願いします」

 私はパイプ椅子から勢いよく立ち上がる。

侑「はいっ!」

 壇上のマイクへと向かう。
 壇上に上がると、さすが虹ヶ咲と思った。一学年で千人を超える生徒数を誇るマンモス学園。講堂には人で埋め尽くされていた。

侑「え、えー、マイクチェック、マイクチェック」ボフボフ

侑「皆さんおはようございます!」

侑「私の名前は高咲侑と言います。二年四組を担当する英語教師です。高校教師として働くのは、これが初めての職場です。不安はたくさんありますが、みんなと一緒に成長できればいいな、と考えています!」

侑「私は英語を教えるだけではなく、みんなの悩みを共に分かち合い、解決できるような教師になりたいです!だから、できるだけ気軽に私に相談してくれると嬉しいです!」

侑「では、私と一緒に学園生活を謳歌しましょう!以上です!」

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 壇上から降りる。
 あ~。緊張した。緊張したけれど、こうしてみんなの前で抱負を話すと、本当に教師になったんだな、って実感した。
 こみ上げる思いにフタをして、私はパイプ椅子へと戻った。

教師A「え~、では次は──」

5: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 16:45:45.56 ID:IHLQ+geH
▲二年四組▲

 私が担任をするクラスは二年四組だ。二と四。略して虹組かな?
 一度だけ大きく呼吸をした後、張り切って教室のドアを開けた。

侑「はーい。みんな席に着いてー。高咲侑先生、一発目の入場だよ~」ガララ

 教壇に立つ。すると、講堂ではあまり見えなかった顔が良く見えた。
 私が担任をする生徒たち。私が教え導かなければならない生徒たち。責任重大だね!

侑「さて、講堂でも自己紹介はしたけれど、改めてするよ」

侑「私は高咲侑。高く咲くって書いて高咲。そして侑は……にんべんに有無の有の部分って書くよ!馴染みがないかもしれないけど、覚えておいてね!」

 黒板に自分の名前を書きつつ、そう言った。

侑「学生時代色々と海外を飛び回ってね。その結果マルチリンガルになって、その能力を活かすために英語教師になったよ」

侑「さて、後はみんなからの質問に答えようかな?」

生徒A「はいは~い。高咲先生って彼氏はいるんですか?」

6: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 16:48:43.53 ID:IHLQ+geH
 定番の質問が来た……。

侑「いないよ!彼氏『は』いたことないよ!」

 うん。嘘は吐いていない。

かすみ「ちょっとそれはセクハラっっぽいよ!」

生徒A「えぇ~そうかなぁ~定番じゃん」

かすみ「だとしても!風紀委員として見過ごせないよ!」

 ……ふむ。
 どうやら虹ヶ咲には風紀委員なる委員会があるらしい。創作上のモノだけだと思ってたよ。
 私は名簿をパラパラとめくり、その生徒の名前を確認する。
 中須かすみ。風紀委員。所属している部活は無し、と……。

侑「それじゃあかすみちゃんからは何か質問ある?」

かすみ「え、私ですか。そうですねぇ~……。侑先生の好きな可愛い物って何ですか?」

 これはちょっと変化球だ。私の好きな可愛い物、ねぇ。

侑「う~ん……」

 腕を組んで考える。どうだろうか。
 まぁ素直に言えばいいか。どうせ冗談と取られるだろうし。

侑「かすみちゃんみたいな可愛い子かな!」

かすみ「……えぇっ!!かすみんが可愛いのは事実ですけどぉ……。初対面の人にそう言われるのは……」

かすみ「っていうか!それこそセクハラっぽいですよぉ!!」

侑「あはは……。ごめんごめん」

侑「ま、あまり私の話をするのもなんだし、次はみんなの自己紹介に移ろうか。とりあえず名前と所属している部活。趣味とか話して貰えると嬉しいな。じゃあ出席番号一番の──」

7: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 16:51:14.01 ID:IHLQ+geH
……
…………

かすみ「私は中須かすみです!風紀委員に所属しています!モットーは『可愛いで学園を染め上げる!』です!コッペパン作りとか、可愛い物は大体趣味です!よろしくお願いします!」

侑「ふむふむ。コッペパン作りが趣味なんだ」

かすみ「はい!作るのも食べるのも、誰かに食べて貰うのも、ぜんぶ好きです!」

侑「へぇ~。じゃあいつか私にも作ってもらいたいなぁ」

かすみ「ふっふ~ん。考えておきますよぉ」

 かすみちゃんは満更でもない様子だった。実に可愛い。

……
…………

侑「じゃあ次は……これはおうさかって読むのかな?桜坂しずくちゃん、自己紹介をよろしくね」

しずく「はい。私は桜坂しずくと言います。演劇部に所属していて、趣味は愛犬のオフィーリアと一緒に散歩をすることです。一年間という短い間ですが、よろしくお願いします」ペコ

 育ちの良さと気品を感じる一礼だった。
 お嬢様学校に通っていると言われても違和感がない。もしスール制度があるのなら、お姉さまと呼ばれたい……。いや、教師としてその考えはどうなんだ……?

侑「なるほど。演劇部なんだ。そういえば演劇部って、今顧問の先生が不在なんだよね?」

しずく「はい。とても熱のある先生なんですが最近腰を痛めてしまいまして。現在は療養中なんです」

侑「なるほどねぇ。早く治ってもらいたいね」カキカキ

しずく「そうですね」ニコッ

 桜坂しずく、と。
 しずくちゃんとは教室以外でも頻繁に顔を合わせることになりそうだ。

8: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 16:53:10.96 ID:IHLQ+geH
……
…………

侑「──って感じだね。連絡事項は以上だよ。始業式はこれで終わりだけど、部活をやっている人はこれからも頑張ってね」

侑「起立!礼!はい、さようなら~。ばいば~い」フリフリ

かすみ「侑先生!」タタタッ

侑「ん?なにかな」

かすみ「あの、私一応風紀委員なので、なにか困ったことがあったら相談してくださいね!一委員会ではありますけど、生徒会に準ずる組織なので、それなりの力は持ってますよ!」

侑「おぉ~。頼もしいね。かすみちゃんの方が虹ヶ咲歴は長いんだし、困ったら是非とも頼らせてもらうね」

かすみ「はい!かすみんにお任せあれです!」

侑「うん!夫婦のように支え合って生きていこう!」

9: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 16:54:58.20 ID:IHLQ+geH
かすみ「えぇ!夫婦って!何言ってるんですか!?またセクハラですか!?風紀委員にいい度胸ですねぇ!!」

侑「ごめんごめん。ちょっと舞い上がっちゃってさ。それじゃあ風紀委員のお仕事頑張ってね」ポフッ

かすみ「頭に手を置かないでくださいよぅ……」

侑「なんだか据わりがいいんだよねぇ……。あ、しずくちゃんはまたね」

しずく「え?」ビクッ

ガララ

しずく「行っちゃった……」

 一体どういうことだろう。ただの別れの挨拶だったんだろうか。
 ちょっと困惑していると、中須さんがこっちに来た。

かすみ「ふぅ。なんだか厄介なクラスに入っちゃったみたいだね。しず子」

しずく「しず子って、私のこと?」

 しず子。初対面でいきなりあだ名だろうか。距離感の近い子だなぁ。

かすみ「そーだよ。しず子以外誰がいるの?」

10: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 16:56:59.43 ID:IHLQ+geH
しずく「まぁいないけど……。でも初対面でしず子って」

かすみ「そっちの方が可愛いじゃん。しず子、いいじゃん!呼びやすいし!」

しずく「別にいいけど……。まぁこれから一年間よろしくね」

かすみ「うん!しず子も困ったことがあれば、私に相談してくれていいからね!」

 自信満々に言い放つ中須さん。
 私とは真逆の性格をしているってすぐ分かった。相容れないかもしれない。

しずく「ありがとう。心の中にとどめておくね」

かすみ「それにしても、どう?しず子から見て侑先生は」

しずく「私から見て、か……」

 高咲侑先生。中須さん同様に距離感の近い人だと思う。でも、それ以上に底知れない何かを感じる。
 演劇で培った私の観察眼がそう告げている。でも、それを中須さんに言っても変に思われるだけだろう。

しずく「変に堅物そうな先生じゃなくてよかったって思うよ」

かすみ「それは言えてるかも……」

しずく「それに、中須さんとは相性のいい先生だと思うよ?」

かすみ「え?どういうこと?」

 先ほどのやり取り。水が合うって奴だろうか。とてもしっくりきた。

しずく「だって、まるで夫婦漫才みたいだったもん。毎日の楽しみになるかもね」

かすみ「ちょっ。それ恒例にしないでよ!!」

しずく「ふふっ」

 存外、いいクラスを引いたのかもしれない。心の中でそう思った。

11: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 16:58:53.20 ID:IHLQ+geH
▲喫煙所▲

侑「ふぅ……」

 とりあえず。始まりの挨拶から顔合わせまで無事に終わった。

侑「すぅ……はぁ……」モクモク

 紫煙を吐く。
 同時に、先ほどのクラスの顔合わせを思い出す。
 少し騒がしそうだけど、特に変わったところがない普通のクラス。とはいえ、十人十色という言葉がある通り、人の数だけ個性がある。
 何も起こらないわけはないだろう。

侑「備えるに越したことはないよね」

 胸ポケットに入っているメモ帳を触る。一応、クラス全員の自己紹介の要点はまとめた。特に何かの役に立つとは思えないが、書くという行為はメモ帳だけでなく脳内にも刻まれやすい。
 虹ヶ咲全生徒、とまでは不可能だが、せめて自分のクラスくらいはしっかりと見たいと思った。

侑「ん……?」

 こちらへと近づいてくる気配がする。マンモス学園なので生徒も多いが先生も多い。なので喫煙所に来るのはおかしくない。おかしくないが、身に覚えのある気配だった。

12: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:01:06.97 ID:IHLQ+geH
ランジュ「──全く、こんな所にいたのね」

侑「え、えぇ!ランジュちゃん!?」

 そこにいたのは私の親友のランジュちゃんだった。
 ここにいるはずがない。むしろ学園という学び舎にいたら不味い存在だ。

侑「来ちゃだめだよ!もしランジュちゃんと一緒にいるところを誰かに見られたら……」

ランジュ「なによぅ……。私だって、侑の就任を祝いたかったんだから。素直に受け取りなさいよ」ズイッ

 唇を尖らせながら、ランジュちゃんは何かを渡した。

侑「わわっ。これは……すごい花束……」

ランジュ「ふふん。侑の為にいくつも花屋を回ったわ。一件ずつ回って、気に入った花を一輪だけ買っていくの。どう?素敵でしょう?」ニコッ

 あっけからんと言い放つランジュちゃん。笑顔が眩しい。
 ランジュちゃんから花束を受け取ると、なんだか妙に目頭が熱くなった。

13: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:03:52.06 ID:IHLQ+geH
侑「うん……。ありがとう。ランジュちゃん。私、教師を諦めなくてよかった」グシグシ

ランジュ「……。本当に、教師になれて良かったわね」

侑「……うんっ!まぁ、英語教師だけど頑張るよ!」グッ

ランジュ「えぇ。応援してるわ。ってなによこんな時に……」プルルル

ランジュ「私よ。えぇ。分かったわ。今行くから待ってなさい。じゃあそろそろ行くから。頑張りなさい、侑」

侑「うん。ランジュちゃんも頑張ってね。えぇと、健闘を祈る?」

ランジュ「ドンパチをやるとでも思ってるの?そんな訳ないでしょ?再見、侑」スタスタスタ

侑「……」フリフリ

侑「やれやれ……。学園内で一緒にいるところを見られたら、一発退職もあり得るよ」

侑「でも……」

 確かな重みを感じる花束。
 一輪一輪ランジュちゃんが選んでくれたものらしい。
 そう思うと、感謝と歓喜の気持ちが胸の底から湧いてくる。

侑「……ありがとね。ランジュちゃん」

 未だ昇る紫煙を強引に消し、私は喫煙所を後にした。
 ……この花束はとりあえず、職員室に大急ぎで置きに行くとしよう。

14: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:06:07.62 ID:IHLQ+geH
▲学園内劇場ホール▲

部長「みんな。今日は前任の先生から引き継ぐ形で、新しい顧問の先生が来るよ」

 稽古を始める前、演劇部の部長は演劇部全員を招集した。
 新しい顧問の先生……まさか、ね。

しずく「部長。その人は演劇に詳しいんですか?」

部長「ふふっ。いいや、全くのトーシロらしい」

しずく「それでは本当に、あくまで繋ぎの先生ってことでしょうか」

部長「うん。そうだね」

しずく「そう、ですか……」

 心臓の鼓動がいつもより早い気がする。暑くないはずなのにどこかじんわりと汗ばむ。
 何の予兆だろう……。

15: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:07:41.07 ID:IHLQ+geH
ガチャ

 突如開く扉。そこから現れたのは。

侑「やあやあ演劇部のみんな。元気に演じているかい?って、ミーティングの最中だったかな?」

 嗚呼……。予想は的中した。

部長「いいえ、高咲先生。タイミングバッチリです。では早速ですが、自己紹介をお願いします」

侑「うんっ!みんなとは始業式で会ったばかりだとは思うけど一応。二年四組の担任の高咲侑だよ。演劇についてはちっとも分からないけど、分からないなりに色々勉強していくからさ。前の先生が戻ってくるまでよろしくね!」ブイッ

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侑「あぁそうだ。うちのクラスの部員は……うん。しずくちゃんだけみたいだね。もしかしたらしずくちゃんには色々迷惑かけるかもしれないけど、よろしくね」

しずく「……はい。よろしくお願いします。高咲先生」ニコッ

 真っ直ぐに見据える二つの眼。
 私の奥底を見られているようで、自然と私は視線を外した。

侑「……。それじゃあ早速、稽古を見せて貰おうかな」

部長「はい。それじゃあいつも通り発声練習から始めるよ。その後はエチュードに移るから」

部員一同「はいっ!」

侑「おぉう……。ずいぶん統率が取れているんだね」

16: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:09:56.85 ID:IHLQ+geH
……
…………

▲客席▲
侑「へぇ。基礎連一つ取っても普通の部活っぽくないね」

部長「えぇ、まぁ。虹ヶ咲がいくら一学年四桁を超えるマンモス学園だからと言って、演劇は部活動の中ではやはり異質です」

侑「それで一つ聞きたいんだけどさ。さっきエチュードって言ってたけど、演劇のエチュードって言うと何なのかな?」

部長「はい。演劇のエチュードとは即興劇のことです。役者達には簡単な設定が与えられるんです。時代設定、人物の性格等」

部長「それを役者が自由に解釈し、舞台の上でアドリブで物語を作っていく。それがエチュード。即興劇というモノです」

部長「普通は台本を与えられてからやるものですが、まずは私の方針でもっと簡略化したものを実施しているんです。その方が役者達の味が出ますし、アドリブ力が鍛えられますから。ちなみに、台本有りのエチュードは次に行います」

侑「なるほどねぇ。ちなみに鑑賞に当たってポイントとかあるの?」

部長「そうですね……。私が重視するのは『どれだけその人物を落とし込めているのか』。それだけを押さえておけば大丈夫だと思います」

侑「おぉ。それなら分かりやすい。演技が自然に見えるなら、その人になりきってるってことだもんね。アドリブで自然に見えるなら、なかなかの演技力ってことかな」

部長「その通りです」

17: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:12:02.96 ID:IHLQ+geH
……
…………

侑「アレだね。色々な人のエチュードを見たけど、人によってだいぶ演技が違うし、一瞬で地力が分かるもんだね」

部長「へぇ……。演劇に馴染みが無いのにそれを分かるんですか。豊かな感受性をお持ちなんですね」

侑「ははは……。教師だからね。生徒に学問を授け、生徒を導く職業だから。自然と観察眼は鍛えられたのかも。まぁ、新任だけどさ」ポリポリ

部長「なるほど……。おや、次は先生のクラスのしずくですよ」

侑「お。やっぱ見知った顔があるとちょっと期待しちゃうね」

部長「……。そうですか」

侑「盲目の少女に、怒りっぽい肉屋さん、スラムの孤児、ねぇ……。今さらだけどなかなか尖った配役だよね」

部長「そうですね。まぁ、だからこそ地力がハッキリするんですが」

18: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:14:16.39 ID:IHLQ+geH
▲舞台▲

部員A「よぉ、そこの嬢ちゃん。肉買ってかないか?」

しずく「……」

部員A「おい!そこの嬢ちゃんだよ!デカいリボンを付けたそこの!」

しずく「あぁ。私のことでしたか。失礼しました」

部員A「失礼じゃねぇよ。いくら目が見えてねぇからってちょっと失礼が過ぎるんじゃねぇのか?」クイクイ

部員B「……」

しずく「ふふ。目が見えていない、ですか」

部員B「……ッ」

しずく「全く。困ったモノですね。肉屋さんとスラムの子が結託してスリですか?盲目だからと舐められたものですね」

しずく「それに、いつ私が盲目だと気づいたんです?最初から標的にしていないと出てこない言葉ですよ──」

19: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:16:49.24 ID:IHLQ+geH
▲客席▲

侑「なるほど。これは凄いね」

部長「おや。先生。何が凄いと?」

侑「今までの子達は盲目の少女を『弱者』として表現していたけど、しずくちゃんは盲目の少女なりに得た経験で人の悪意を回避してる」

侑「それでも、時代設定的に言えば盲目って、搾取される弱者って普通は捉えるよね。でも、しずくちゃんの演技だと『強者』に見える盲目の少女だよ」

部長「……えぇ。全くその通りです。盲目という設定。安直に弱者として捉え、役に落とし込むのは一概に悪とは言い難いです。時代背景から言っても、社会福祉の発達していない時代でしょうし、むしろ強者と表現することの方が悪手と言えるかもしれない」

部長「しかししずくは、あくまで自然に『盲目の少女という強者』を演じられている」

部長「ほら。見てください。他の部員もしずくに引っ張られて、盲目の少女を強者として認識した演技になっている」

侑「うぅむ。凄いねしずくちゃん」

部長「えぇ。全くです。本来エチュードとは、その人物のバックボーン、外堀を埋める作業の意味もあるんです」

部長「台本外に書かれた裏設定を自分の中で作り上げる。そうして固めた裏設定を自らに落とし込めば、より台本に書かれた演技が自然なモノとなる」

部長「しずくの考える裏設定は、とても緻密なんです。開頭して、他の部員にどんな脳みそをしているのか見せてやりたいくらいです」

20: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:19:03.15 ID:IHLQ+geH
侑「物騒だねぇ……。まぁつまり、どれだけその人物を落とし込めているのか。それを考えると……」

部長「はい。現時点で、部内に敵う人間はいないでしょう」

侑「まいったねこりゃ。すごい子の担任になっちゃったよ」

侑「ちなみに。しずくちゃんがそこまで役を降ろせる理由って何かあるのかな?」

部長「……そうですね。『底知れない器』だから。でしょうか」

侑「……んん?」

部長「もっとも。それが弱点というか。だからこそ怖い部分もあるのですが」

侑「ちょちょ。一人で浸らないでよ」

部長「ふふっ。それはしずくをずっと見ていればいつか分かるかもしれませんよ。演出家の私がそれに気づいたのは、かなり後でしたが……」

侑「ふぅん?まぁそこまで言うなら答えは聞かないよ。それにしても、ずいぶんしずくちゃんのこと買ってるんだね」

部長「えぇ。それはもう……ひどく」ニコッ

21: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:22:41.75 ID:IHLQ+geH
……
…………

侑「いやぁ、みんな凄いね!さすが演劇部!」パチパチ

部長「ありがとうございます。マンモス学園のいい所ですね。部員が多いとそれだけで刺激が多く、互いに意識し合って競争できる」

侑「うんうん!ちなみに次は何をするの?」

部長「いつもならこの後、バックミュージックをかけながら台本有りのエチュードの稽古をするんですが……。どうにもスピーカーの調子が悪いみたいで」

侑「バックミュージック?演劇ってBGMが控えめなイメージ、っていうか、そもそも無いイメージなんだけど」

部長「そうですね。役者の演技が重視されるので、BGMとかそういった余計な物は排除する傾向が強いです。しかし、私は他の方にも受け入れやすく、それでいて新しい演劇の形が作りたいんです」

部長「私の目指す新しい演劇の形は、書き割りや裏で流れている音楽。それら全て凌駕して脇役に置いてしまえるような、そんな圧倒的な演技で作られる演劇なんです」

侑「へぇ……?よく分かんないけど凄そうだね」

部長「ふふっ。いずれこの感覚を共有できると嬉しいですね」

侑「そうだねぇ」

22: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:24:49.38 ID:IHLQ+geH
 それにしても、バックミュージックか。
 私はチラリと舞台を見る。すると舞台の横には大きなピアノが置いてあった。ここはたまに講堂の代わりに使われるらしいし、校歌斉唱の時とかに使われるのだろう。
 私は演劇に関して何も力になれることはない。けど、一応顧問だし、それもバックミュージックとか伴奏という形なら……。

侑「その……部長さん。バックミュージックなら、私も協力できるかもしれないよ」

部長「ふむ?どういうことですか?」

侑「ほらアレ」

部長「舞台横にあるピアノ、ですか。おや?先生は確か英語の担当教師ですよね?」

侑「ま、論より証拠ってね。今日はみんな私に付き合ってよ」ヒョイッ

 客席から舞台へと進み、ピアノの椅子へと座った。
 顧問一日目だ。ちょっとくらいの我がままは許してくれるはずだ。

侑「そうだな。しずくちゃん。それと──」

 私は先ほど見た生徒の中でめぼしい人たちに声をかけていく。

23: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:27:27.15 ID:IHLQ+geH
▲舞台▲

 演劇にバックミュージック。私は正直言っていらないと思っている。部長のことは演劇の道に進む一人の演出家として尊敬はしているが、その考えに賛同はできない。
 書き割り、効果音等、演劇を装飾するものはいくつもあるが、私は奢侈な衣装さえもいらないと考えている。
 たった一人の役者。役者が行う一人の人間の表現。それを切り取る舞台。終わりと始まりを告げる幕。それだけで演劇は完成する。
 舞台セット等は、全て雑音。
 部長が言うには、それら全て凌駕できる、それら全て脇役における、圧倒的な演技が見たい、とのことだったけど。それは部長の我がままが過ぎると思う。
 しかし。いつの日も演出家とは傲慢なモノ。それくらい傲慢でなくては、何人もの役者を束ねる演出家は成り立たないのかもしれない。

侑「みんな!準備はいいかな?」

 高咲先生。今日赴任してきたばかりで、教師をするのも初めて。
 そして、演劇も全くの素人だという。
 繋ぎの先生なら繋ぎの先生らしく、特に口出しをせずに見守るだけでいいのに。そう思う人は少なくないだろう。
 恐らくきっと、いや間違いなく、部長もその一人だ。

しずく「はい。問題ありません」

 私同様、数人の部員も返事をする。

侑「それじゃあ自分のタイミングで始めちゃっていいよ。私はそれに合わせるから」

24: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:29:20.14 ID:IHLQ+geH
 音楽科の先生でもない人が、劇に花を添えるピアノを弾けるだろうか。いや、雑音に過ぎないだろう。
 いけない。いけない。愚痴を考えていても仕方がない。
 今からは台本アリの即興劇を行わなければならないのだ。早く役を降ろさないと……。
 次に私が演じるのは、奴隷脱却を目指すために他の奴隷を先導するリーダー役──

しずく「──どうだい。作戦の準備は順調かい?」

 一瞬で役に入る。
 私はこの奴隷のリーダーに、女性という縛りを入れた。
 どうして女性にしたのか。そこにはきちんとした理由付け、裏設定が存在する。

しずく「──そうかい。それは重畳だ」

 それは、女性の奴隷であるからこそ、奴隷解放という大役は自分にしかできないと『彼女』自身が思ったから。
 鉱山奴隷は殆どが男性だ。女性の鉱山奴隷は早晩死に至るか、それとも他の奴隷の性欲処理に使われるか、悲惨な目に遭う場合が多い。
 けれどだからこそ、そんな奴隷の中の奴隷の彼女なら。
 奴隷のリーダーだなんて、疑われるわけはない。だからこそ彼女は奴隷脱却を目指すために、自らリーダーを演じたのだ。
 そう、彼女はリーダーを演じている。
 彼女自身は姉御肌でも自信満々でも無かった。理想のリーダー像を考え、弱気な自分を押し殺してリーダーを演じているのだ。それらは全て、奴隷という身分から脱する為に。
 私は彼女のリーダーの演技を演技する。
 そんな彼女の内心はきっと──

しずく(──!!)

 ピアノの音が聞こえる。高咲先生が鍵盤を弾き始めたのだ。

25: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:31:22.50 ID:IHLQ+geH
 その音色は優しく、控えめに。けれど確かに聞こえる音で。
 少し明るい感じもあれど、どこか不安定な。そんなメロディだった。
 これは、表の彼女と裏の彼女を上手く表現した伴奏だった。私はその伴奏に、乗せられてしまう。

しずく「──期待しているよ。作戦遂行まで、もう残り時間はカツカツなんだ……っ」

 嗚呼。
 不意に。不意に出た。
 姉御肌を演じているとはいえ、ふと出てしまう彼女の弱い部分。残り時間が僅かということの焦り。本当に上手くここを脱出できるのか。奴隷を辞められるのか。そして、もし作戦が失敗して捕縛されてしまったら。
 そんな不安が、感情が、自然と口を衝いて出た。出させられた。

しずく「──ふぅ……。これでこの鉱山とも、おさらばと思うと……」

 彼女は一旦一人になり、これまでの鉱山での思い出を振り返る。
 それと同時に、高咲先生の曲調が変わる。
 これは、落ち着いた曲調で、どこか切ない。

しずく「──色々と、あったねぇ……」

 奴隷として酷使された現在進行形の話。しかし、ここも見納めと思うと──

しずく(!!)

 落ち着いた曲調だったはずが、どんどん激しくなっていく。

しずく「悪い思い出ばかりじゃなかった……。でも、私の体に、瞳に、心に刻まれた傷は、胸の中に瞋恚を滾らせた……ッ!!」ギリッ

26: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:32:53.44 ID:IHLQ+geH
 悪い思い出ばかりでは無かった。
 けれどここでの思い出は、口にするのも憚られ、唾棄すべき思い出がやはり、ほぼ全ての比重を占めている。
 ピアノの音色が、よりその怒りを際立たせる。私の中の怒りが、本物になっていく。
 だけどこの怒りは、抑えなくてはならない。私がやるのは。私たちがやるのは、復讐ではなく脱出なのだ。

しずく「──だめだ。だめだだめだだめだ……ッ!私たちは、脱出しなければいけない……ッ!こきつかってきた奴らに復讐なんざ、考えちゃ……ッ!」

 葛藤。
 ピアノの音色はまるで、荒れ狂う海の波のようだった。寄せては返す怒りの感情。しかし、それに終始していては必ず作戦は失敗する。諫める感情もまた、波のように押し寄せる。
 私の中の怒りと理性が、ピアノによってより際立つ。それが、本物になっていく。
 同時に、私の中で一つの思いが結晶となっていく。
 私は……奴隷のリーダーだ──

27: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:34:04.82 ID:IHLQ+geH
▲舞台横▲

 すごい。
 しずくちゃん。君はやっぱりすごい。
 しずくちゃんの吐露する演技が、表現が、私の音色に現実味を付与している。
 エチュード。
 それは即興劇、のはず。
 けれど、これはなんだろう。
 一つの曲?いや違う。
 一つの劇?いやこれも違う。
 それなら、きっとこれは。

侑「舞台の上で創り上げられる、一つの世界だ……」

 しずくちゃんの演技がどんどん光る。私はそれを追うように、先回りするように音色を置いていく。
 鍵盤を叩く一瞬一瞬に気が抜けない。けれど、それがやめられない。
 刺激的で、感情的な一瞬一瞬。
 喜びが止まらない。
 そうだ。創作とは。こういうものだ。こういうものだった。

侑「ふふふっ」

 楽しい。鍵盤を弾くのが楽しい。しずくちゃんの演技に彩りを加えられるのが楽しい。
 私一人じゃいけない高みへ行くのがやめられない。
 これは、これはそう。あの時みたいな……。

28: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:36:17.21 ID:IHLQ+geH
──
『ずっとずっと……ここで侑ちゃんと歌っていたい……。だめ、かな……?』
──

侑「……」

 しずくちゃんの演技は終わらない。とうの昔に終わる、終わらないという次元では無くなっているのだろう。
 私も、終わらせたくない。この楽しい歓喜の時間が終わるだなんて考えられない。
 しかし。私は楽しんでピアノを弾いてもいいのだろうか。
 お前のピアノじゃ、誰にも伝わることはない、そんな声も胸の内から聞こえてくる。
 けれど、もう関係ない。
 もう二度と本気でピアノなんて弾けないと思っていた。でも、私はもう一度こうして、本気の気持ちを乗せたピアノを弾けてしまっている。
 しずくちゃんのおかげで、もう一度本気でピアノを弾けるようになった……。
 鍵盤を走る手が止まらない。疲れなんて一切感じない。それほど私はしずくちゃんの演技と伴奏に集中してしまっていた。
 今の私が感じているのは、絶頂にも似た、甘美な感覚。

侑「──やめられるわけ、ないじゃん……ッ!」

 すでに舞台の上はしずくちゃんの独壇場になってしまっている。主役はしずくちゃんで、他の部員たちは全てしずくちゃんを彩るだけの装飾品。私も、私ももっと!しずくちゃんを彩って装飾したい……!そんな気持ちが大きくなる。
 私がもっと弾きたくなる感情に吞み込まれそうになった瞬間。

部長「──はい。それまで」パンッ

 現実に、戻される。

29: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:38:28.29 ID:IHLQ+geH
▲舞台▲

しずく「……あ」

しずく「わた、私は……」

 自らの手の平を見る。
 桜坂しずく。私は、桜坂しずくだった……。
 奴隷でもない。姉御肌を演じる女性でもない。私は。桜坂しずくだった。
 鉱山仕事で刻まれた深い傷の痕も無い、綺麗な手の平をしている。
 深かった。深すぎた。
 役に入り込むとかそういう次元ではない。
 私は、『彼女』だった。

しずく「……すごい」ブルルッ

 震えた。
 こんなこと、一度も無かった。
 あり得なかった。
 私の中の常識が、音を立ててガラガラと崩れていく。
 ピアノは、伴奏は、高咲先生は、雑音では無かった。
 そう、心の奥底。魂の部分で理解してしまった。
 理解させたのは。新たなる常識を私の体に刻んだのは。

しずく「高咲侑先生……あなたは一体……」

30: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:39:42.02 ID:IHLQ+geH
▲学園内劇場出入口▲

侑「それじゃあね。みんな!今日は刺激的な一日だったよ!明日から通常のカリキュラムだから!遅刻せず登校するように!」ガチャ

侑「よし、施錠確認!ばいばい!」スタスタ

部長「はい。さようなら高咲先生」

しずく「……お疲れさまでした」

部長「……」

 私は高咲先生を見送る。
 先ほどの熱に浮かされるような一瞬を感じさせないような、カラッとした表情をしていた。私は今までに感じたことも無い熱情を持て余し、つい、説明を求めたくなってしまった。

しずく「あ、あの部長……」

部長「……なんだいしずく。話したいことがあるなら、歩きつつ話そうじゃないか」スタスタ

 部長も思うところがあるのか、神妙な顔つきをしていた。

しずく「あの人は……高咲先生は一体何者なんですか?」

部長「……そうだね。しずくに正直に、何の衒いもなく言ってしまえば、全くの不明、というしかないね」

しずく「部長……」

部長「私自身驚愕してるよ。演劇の素人だと言うのになんだあの演奏は。それも、高水準なレベルの演奏技術を持っている」

31: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:41:08.74 ID:IHLQ+geH
しずく「はい……」

部長「人の発する感情表現に合わせ、リアルタイムで伴奏できるなんて並大抵のことじゃない。それに、先生のピアノはしずくの演技を凌駕もしなければ、脇役にもなっていない」

 そうだ。そこだ。そこが私の中で一番の衝撃だった。

しずく「そこです。一言で言い表すのなら……調和、でしょうか」

部長「うん。その通りだね」

しずく「私は演劇において曲や舞台セット、衣装までもがいらないと考えていました。けれど今日、その常識がひっくり返された気がします」

部長「……。そうなんだね」

しずく「……。何なんでしょう、いったい。音楽科の先生でもないのに。いや、音楽科の先生だとしてもおかしいです。正直、頭が混乱していてよく……」

部長「……ふぅ。そうだね。これ以上議論を重ねても収穫は無さそうだ。まぁ、分かったことはとりあえず二つだ」

しずく「二つ?」

部長「うん。高咲先生は、ただの英語教師じゃないってことさ。それともう一つは……。いや、これは言わないでおこう」

 言いかけて、やめた。気にはなるが、食い下がっても部長は言わない。部長はそういう人だった。

32: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/21(水) 17:43:19.32 ID:IHLQ+geH
しずく「……部長がそう仰るのであれば何も言いませんが」

部長「あぁ。……そうだ。しずくは先生のクラスの生徒なんだろう?」

しずく「そうですけど……?」

部長「部長命令だ。高咲先生と積極的に接して、高咲先生のことを暴くんだ」

しずく「えぇ……?暴くってそんな、探偵みたいな……。いや、でも……」

 唐突な指示に困惑した。
 しかし、高咲先生の謎を知るには、それ以上に適した方法もないと感じた。

部長「私はね、しずく。君の演技をとても買っているんだ。それと同時に、君の演技に深みを与えるにはどうすればいいか常々考えている」

しずく「……?何ですか?突然」

部長「役を演じる者。その演技の深みには、圧倒的に経験がいると私は思う。だから、謎の多い不思議な人間と接することは、役者として得る物が多いと思うよ」

しずく「……確かに、そうですね」

部長「それにこれは部長命令だ。否、と返すのは許さないよ」

しずく「……分かりました。頑張ります」

部長「うん。実りある結果になるいいね。それじゃあしずく。またね」

しずく「はい。お疲れさまでした」スタスタ……

……
…………

部長「……」

部長「しずく。分かったことのもう一つはね」

部長「良くも悪くも。君を変えてしまったということさ」

部長「たった一日しか会っていない、演劇も知らないような、素人の人間によってね」

部長「全く。妬ましい限りだ。ふふっ……」

41: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:37:30.61 ID:MMmTtJ3e
▲桜坂邸▲

しずく「はぁ……なんだか今日は疲れた……」ボフッ

 始業式だから初対面の人と接しなきゃいけないし、そもそも友人自体そんなにいないし、疲れるのは覚悟してたことだけど……。
 そうベッドに転がっていると。

スイ「一番の疲労の原因は高咲先生のことかい?」

しずく「まぁ……そうだね。ちょっとまだ整理付いていないところもあるし」

 高咲先生。私の担任ので英語の先生。そして、調和のピアノを弾く演奏家。
 私が演じ、先生が際立たせる。あのワンシーン。
 思い返すだけで心臓がうるさいほど高鳴る。

スイ「良かったね。しずく。いい先生が担任で」

 いい先生、か……。

しずく「そうかな……。正直、分からないよ」

スイ「君は相変わらず、人前と舞台以外だとネガティブだね」

しずく「仕方がないでしょ。だって高咲先生のあの目、見たでしょ?」

スイ「真っ直ぐな目でいいと思うけどな。教師って職業であそこまでキラキラしてる人はなかなかいないと思うよ」

しずく「そうじゃなくて。なんていうか……。全てを見透かすような……そんな目だった」

スイ「考え過ぎだよ。視線を交差するだけで全て見透かすなんて、そんなことできっこない」

しずく「本当にそう思う?高咲先生は未知数なんだよ?」

スイ「う~ん。そう警戒することないと思うけどなぁ。まぁ確かに、演技の邪魔にならず、むしろ引き上げてくるような伴奏をリアルタイムで弾ける、っていうのは凄かったけど……」

しずく「そこだよ。だからおかしいんだよ。演劇のことを一切知らないような素人が、音楽教師でもない人が、そんなことできるなんて」

 本当は演劇に関して熟知しているベテラン、というなら分かるが……。でも、そんな感じは一切しなかった。

42: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:40:16.45 ID:MMmTtJ3e
スイ「だからこれから知ろうとするんだろう?まだ会って一日目じゃないか。ゆっくりと知っていこうよ」

 スイにそう言われ若干たじろぐ。

しずく「……。そう、だけど……」

 だけど。それだけなのは確かだけど……。
 でもだって、高咲先生は異質で、変なのに……。それなのに。

スイ「それなのに、普通だから。変な人、異質な人なのに、それが普通だって受け入れられている。それがおかしいって?」

しずく「……そうだよ。私とは正反対の人。だから警戒もする。当然でしょ……?」

スイ「はぁ。やれやれ。しずくのネガティブ思考というか、後ろ向きな頑固というか。これは折角の機会じゃないか。高咲先生の近くで『異質で普通』を学ぶさ」

スイ「高咲先生は不思議な人だ。でも『普通』に受け入れられている。担任で顧問の先生がそういう人。これはチャンスだよ。活かさなきゃ損だよ損」

しずく「……うん」

 迷っていても仕方がない。
 高咲先生に接触して、それで正体を暴く。そうすればきっと……私にも掴めるはず。
 普通の輪郭を。

しずく「私、頑張る」グッ

 拳をギュッと握る。緊張と不安、そして期待からか、じんわりと手汗を搔いていた。

スイ「……それでさ。しずく」

しずく「なに?」

スイ「初対面の人に言うのもアレなんだけどさ……」

 スイが珍しく口ごもっている。

しずく「なに?ハッキリいいなよ。私の声は筒抜けだけど、そっちは分からないんだからさ。言わないと伝わらないよ」

スイ「その、しずくが『二重人格』って。スイっていうもう一つの人格を持っていること、話してもいいんじゃないかな?」

43: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:41:59.80 ID:MMmTtJ3e
しずく「──」

しずく「はぁ?」

 言うに事を欠いて。何を言っているんだ。

しずく「そんなこと、できる訳ない!スイが言ったんでしょ!?目を見ただけで全て見透かすなんてできないって!」

しずく「スイは高咲先生を一日見ただけで何を分かった気でいるの!?」

 声が自然と荒々しくなる。この声量じゃ下の階にも聞こえているかもしれない。
 でも、止められない。

しずく「それに……。それに!!」

しずく「二重人格なんて言ったら変な子って言われるだけだよ!絶対に隠さなきゃいけない最優先のことだよ!」

スイ「ご、ごめんしずく……。ちょっと軽率だったよ……」

しずく「……」

 たまにスイの楽観的過ぎるところが嫌になる。軽薄と言い換えてもいいかもしれない。
 でも……。

しずく「……いいよ、別に」

スイ「しずく……」

しずく「スイのおかげで、今の私がいるんだもん。私から言えることなんて、ないよ」

スイ「……そっか」

しずく「うん……」

 やや拗ねたように言ってしまう。こういう時は、あまり心の声をスイに聞かれたくない。
 私の思っていることは、スイには筒抜けだ。しかし、スイに人格が移っている間は私の心の声は聞こえない。スイが主人格となって体を動かすことはあまりないので特に意味はないのだが。
 私にもスイの心の声が聞こえたらなぁ……。

スイ「それで、しずく。高咲先生の正体を暴くっていうことだけど……」

 微妙な雰囲気の流れを断ち切るようにスイは言う。

しずく「うん」

スイ「具体的にどうするつもり?」

しずく「……え」

 あ。あぁ。そうだ。それもそうだ。
 考えもしていなかった。
 高咲先生の謎を暴く。そしてあの伴奏の秘密を知る。
 目的はハッキリしていたけど手段は考えていなかった。

しずく「ど、どどどどどうしよう……」

スイ「ふ~む。ここまで慌てているしずくは久々に見るね」

しずく「どうしよう……。部長に指示を仰ぐ訳にもいかないだろうし……。友人と協力してってわけにも、そんな親しい友人なんていないし……」

44: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:43:53.08 ID:MMmTtJ3e
スイ「いつもの演技じゃだめなの?『高咲先生の秘密を暴く探偵役』みたいな感じでさ」

 それは実にいいアイディアに思えた。しかし、今回はいつもと同じではないのだ。

しずく「……正直言って難しい」

スイ「それはなんで?」

しずく「私が演じる役って、相手から求められた時とか、台本に書いてあることとか、受動的なの……。自分のために演技をするってことは……ちょっと難しい気がする……。でも……」

スイ「ふ~む。他人から求められる演技には自信を持って対応できるけど、自分が求める目的の為には自信がない、と。ネガティブなしずくらしいね」クスクス

 ぐぅ。何も言い返せない。

しずく「この……。他人事だと思って……」

スイ「他人事じゃあないさ。しずくとは一心同体な訳だしね。まぁ、だからこそ、状況を打開する簡単な方法も一つあるわけで」

 分かってる。一番簡単で確実な方法が一つだけある。
 普段の私なら、そうしていること。
 舞台から降りた私が、困っている時いつも行っている方法……。
 簡単だ。ポジティブで楽観的で、人当たりのいいスイと人格を入れ替える。ただそれだけでいい。
 でも……。

しずく「今回だけは、私に当たらせて。スイ」

 私はハッキリと、強い意志を持ってそう言った。スイに任せれば上手くいく気はする。けれど、それでは私の本当に欲しい物は手に入らない。そんな気がした。

スイ「……うん。そうだね、しずく」

しずく「スイが高咲先生と接すれば簡単かもしれない。でも、今回は私がやりたいんだ。『桜坂しずくのスイ』じゃない。『桜坂しずくのしずく』がやりたいことなんだ」

スイ「……そっか。それなら私からは何も言わないよ」

しずく「うん。ありがとう。スイ」

スイ「いいんだよ、しずく。それじゃあ明日から、頑張ろう」

しずく「……うんっ!」

 正直に言うと、『しずく』として高咲先生と接することに恐怖はある。『スイ』は完全だけれど、『しずく』はまだ発展途上だから。
 『しずく』として接した結果、ここまで積み上げてきた『普通の桜坂しずく像』が崩れ、『変な桜坂しずく像』となってしまうかもしれない。
 でも。
 それでも。
 高咲先生には『しずく』が接しなければいけない。
 そんな、確信に近い思いがあるから──

45: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:45:52.72 ID:MMmTtJ3e
▲二年四組教室▲

侑「──ってな訳で。始業式から一か月が経過して、段々このクラスにも馴染んできたんじゃないかい?みんな」

 あの私の決意から、既に一か月が経過していた──。

生徒A「先生はどうなんですか?」

侑「私?まぁ、私はね。初めての教師、初めての学校、そういったプレッシャーがいっぱいあったけど……」

生徒A「けど?」

侑「──余裕だね」キリッ

侑「いやー、持ち前の才能が怖くなるよね!最近は体の調子もいいし!教師をやって調子がいいってね!うぷぷw」プププ

生徒B「自分で言って自分で笑ってる……」

侑「ふふふ……。英語の授業も完璧だったような、そんな気がするよ!」プヒョヒョ

かすみ「でもぉ。侑先生。今日の英語の授業でスペル間違ってましたよね?」グフフ

侑「!!かすみちゃん!!それは言わないお約束でしょ!」

生徒A「出た!先生とかすみちゃんの夫婦漫才!」

\パチパチパチパチパチパチパチパチ/

かすみ「ちょ!!やめてくださいよそれっ!!なんで拍手まで恒例になってるんですかっ!!」

侑「私たちをクラスのみんなが祝福してくれているんだよ!」キリッ

かすみ「キリッ!じゃないですよ!」

生徒B「まーでも。なんだか楽しいクラスで私は気に入ってるかな」

生徒C「そうそう!先生も高咲先生ってより侑先生!って感じだし」

侑「うんうん。高咲先生でも侑先生でも。私はどちらでも大歓迎だよ!」ドンッ

生徒A「う~んでも。侑先生っていうか。侑ちゃん先生って感じだよね」

生徒B「あ、それは思う!侑ちゃん先生だよね!」

侑「えぇ!?侑ちゃん先生!?……ふむ。悪くない、かも?」

かすみ「可愛いとは思いますけど、先生としての威厳って感じだと……」

侑「おぉう……。かすみちゃんから可愛い認定を頂いてしまった……。でも他の先生に知られたら注意されそうだし、侑ちゃん先生はちょっとね……」

生徒A「えー。いいと思ったんだけどなぁ」

侑「……。呼ぶなら、こっそりね」コソッ

46: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:47:50.41 ID:MMmTtJ3e
生徒A「!!」

生徒B「うぇーい!公式からのご認可、頂戴しました!」パンパンッ

\ユーチャン!!センセ!!ユーチャン!!センセ!!ユーチャン!!センセ!!ユーチャン!!センセ!!/

侑「ちょちょちょ!盛り上がりすぎだって!あぁ、聞こえてない!」アワアワ

ピピピーツ

かすみ「皆さん!さすがにそれは可愛くないですよ!」

かすみ「可愛くない悪ノリを発見次第!かすみんホイッスルが唸りを上げますからねっ!」ビシィッ

生徒A「ご、ごめん」

生徒B「悪かったよぉ……」

かすみ「分かればいいんですっ!」ピヒョー

侑「かすみちゃん……!」トキメキッ

生徒C(う~ん。この持ちつ持たれつの関係……!)

生徒C(やはり夫婦!いいね!)グッ

侑「じゃあみんな。そろそろ終わりだよ!帰りも気を付けてね!部活のある人は引き続き頑張るように!」フリフリ

しずく「……」

 一切、場のノリについていけなかった……。

……
…………

しずく「はぁ……」ズーン

 もう一か月も経過しちゃった。何が高咲先生には『しずく』が接しなきゃならない、だ。ろくな収穫も得られないまま、時間だけが過ぎていく……。

スイ「う~ん。それはしずくが『きょ、今日の天気は素晴らしいですねぇ!』とか『桜坂しずくって名前、どう思いますかっ!?』とか『か、髪型いいですねぇ……!?』とかコミュ障炸裂させてるからだよ」ヒソヒソ

しずく「ちょ、ちょっと、スイ!学園内では出てこないでよ!」ヒソヒソ

スイ「いやだって……あんまりにもあんまりだから……」

しずく「……。私だって頑張ってるもん……」ズーン

スイ「やれやれ……先行き不安過ぎるよ。他の生徒と先生と同じように接すればいいだけなのに……」

しずく「だって肩の力が抜けないんだもん……」

スイ「もんもん、言ったって悶々とした気持ちは変わらないよ。しずく」

しずく「うぅ……ん?『もんもん言ったって悶々とした気持ちは変わらない』?」

スイ「ん?」

 その時。私に電流が……いや雷撃が脊髄を貫く感覚。
 思い出せ、しずく。
 あの時の高咲先生の台詞を……!
 そう、アレは確か……。

──
『いやー、持ち前の才能が怖くなるよね!最近は体の調子もいいし!教師をやって調子がいいってね!うぷぷw』
──

47: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:49:46.71 ID:MMmTtJ3e
 もっとコンパクトに!

──
『最近は体の調子もいいし!教師をやって調子がいいってね!』
──

 こ、これだあ!!
 高咲先生はダジャレで笑う!つまりダジャレが大好き!
 これだあ!!

スイ「ちょ、しずく……?」

しずく「少し黙ってて」ガタンッ

スイ(……!強い意志をひしひしと感じる……!声も出せないくらい拒絶が強い!でも、でもこれは!!)

スイ(絶対暴走する気がする!!)

しずく「高咲先生!」タッタッタ

侑「ん?なにしずくちゃん。って顔こわっ」

しずく「すぅ……はぁ……」

侑「……?」

しずく「『もんもん言ったって悶々とした気持ちは変わらない』!!」ビシィッ

侑「──」

スイ(うわああああああああああああああ!!)

しずく「……?」

 高咲先生。固まってる。

スイ(これは……!!圧倒的空回り!!分かってはいた。けど止められなかった!!)

 よく聞こえなかったのかな。
 それならもう一回。

スイ(ちょ──)

しずく「『もんもん言ったって悶々とした気持ちは変わらない』!!!!」ババーン

スイ(ダブルでいったぁ!?)

侑「……ッ」クッ

スイ(え)

侑「……ぷ」

侑「ぷぷ、ぷ……はは、あはははははははははっ!!」

侑「なにそれしずくちゃんっ!『もんもん言ったって悶々とした気持ちは変わらない』!?最高過ぎるよしずくちゃん!!」プププ…

スイ(……えぇ)

しずく「……!!」グッ

 確かな手応え!確かな効果!これは、やった……!?
 よし。この方向で攻めていけばきっと……!
 って、この方向って、ダジャレ……?ダジャレで攻める……?

生徒A「え……桜坂さんってそういう人だったんだ」

48: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:51:25.13 ID:MMmTtJ3e
しずく「え」

生徒B「ちょっと変なのw」

しずく「──」

 変。変……?
 そ、そうだ……!何を言ってるんだ私は!!
 突然声を大きくしてダジャレを言う人なんて頭がおかしい!
 ま、まずい!一年かけて虹ヶ咲で作り上げた『優等生な桜坂しずく像』に傷が入る!突発的に先生に対してダジャレを言う『不思議で変な桜坂しずく像』に変化してしまう!
 ど、どうすれば……!

スイ(!!しずくの拒絶が消えた!!)

しずく(スイ)「あはは。ごめんなさい、高咲先生。今のは中須さんからの罰ゲームだったんです」

侑「あはははは……ってえぇ?なに?かすみちゃんからの罰ゲーム?」ププッ

しずく(スイ)「はい。ちょっと中須さんとゲームをしていまして。それで罰ゲームをする流れになってしまったんです。内容は『高咲先生に突然ダジャレを言う』って内容でした」

生徒A「な~んだ。中須さんが関わってたのかぁ」

生徒B「それを素直に実行しちゃうなんて、桜坂さんって真面目だよねぇ」

生徒A「うんうん。見た目通り優等生って感じ。中須さんだって本気で実行して欲しいって思ったわけじゃないと思うよ?」

しずく(スイ)「あ、そうだったの?ふふっ。恥ずかしいことしちゃった」ニコッ

生徒B「そうそう」

しずく(スイ)「あ、そうだ。悪ノリが嫌いな中須さんのことだから、私がダジャレを言ったってことを聞いたら気を悪くするかも。だからこのことは中須さんには秘密にしてね」

生徒A・B「おっけー」

しずく(スイ)「よろしくね」ニコッ

 スイ……!
 ありがとう!やっぱりスイは頼りになるね!
 じゃあそろそろ代わるよ!
 スイの人格の時も、私が意思を持って語り掛ければスイに伝わるのだ。

侑「なーんだ。そういうことね。私としてはダジャレ愛好家が身近にいたんだって嬉しくなっちゃのにぃ」ブーブー

生徒A「いやいや。ヤバいですって侑ちゃん先生。あれで笑うってなかなかですよ?」

侑「笑っちゃうのはどうしようもないことだよ。流行とダジャレには乗りなさいって言うでしょ?」

 ふぅ。何とかスイの機転のおかげで難は逃れられたけど……。ここからどうしよう。すぐに立ち去るのもアレだし……。
 と、そう考えていたら。

侑「──あ、そうだ。しずくちゃん」

しずく「……ッ。あ、はい。何ですか?」ニコッ

 不意に話を振られてビックリした。変に思われてないかな。

侑「演劇部で使う小道具が部活棟の大倉庫にあるみたいなんだ。場所がちょっと分からないから付いてきてくれるかな?」

しずく「あぁ、なるほど。一向に構いませんよ」

侑「うんうん。それじゃあ行こうか。じゃあね、みんな」

生徒A・B「さよなら~」

49: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:53:10.09 ID:MMmTtJ3e
▲部活棟大倉庫前▲

侑「いやぁ、それにしても虹ヶ咲って思った以上に大きいよね」

しずく「そうですね。都内屈指のマンモス学園ですから。それに見合う学び舎となると、大きさもひとしおですね」

侑「だねぇ。庭も広いし意匠が凝ってるし、毎日色んな発見でいっぱいだよ!」

しずく「ふふっ。そうですね」ニコッ

 話せている。自然に。
 正体を暴くとか、謎を解くとか、そういうこと以外だと自然に話すことができる。
 求められる『桜坂しずく像』ではなく、ただの『しずく』としても話せているような……。
 この感覚は……。なんだかあの時のエチュードの時のような……。
 いつまでも続いて欲しいような、そんな軽妙さを感じる。

侑「──あれ?おかしいな」

しずく「……どうしたんですか?」

侑「大倉庫がすでに開錠されてる」

しずく「え?本当、ですね」

侑「んん?」ヒョコッ

侑「あ、かすみちゃんじゃん」

かすみ「え?今誰か私のこと呼びましたか!?え!?誰ですか!?幽霊さんですか!?」

かすみ「かすみんのことを食べても美味しくないですよっ!?」

 そこには、ビクビクと怯える風紀委員がいた。

しずく「……。中須さん。私たちだよ。高咲先生と桜坂しずく」

かすみ「あ、な~んだ。かすみんしかいないと思ってたから油断しちゃったよぉ」テヘヘ

侑「それで、かすみちゃんはここで何をしてるの?」

かすみ「かすみんは風紀委員として、大倉庫の備品をチェックしているんです!」エッヘン

侑「へぇ~。風紀委員って色々やってるんだね。おぉ、それにしても倉庫の中はすごいね」

 私も高咲先生につられて中をぐるっと見る。確かに圧巻だった。
 大倉庫はその名の通りかなりの規模の倉庫だ。部活によってそれぞれ使用できるスペースは決まっているが、それでもかなり雑多な感じに色々転がっている。
 例えるなら……。金貨とかお宝がたくさんある、フィクション作品の宝物庫みたいな感じだ。

かすみ「へっへーん。定期的にここへ来て、変なものが混じっていないか確認してるんですよ!可愛くないものがあったら危険ですからね!」

侑「可愛くないもの……?ちょっと気になるね」

しずく「え……」

 私たちは演劇部で使う小道具を探しに来たのでは……?

50: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:55:04.84 ID:MMmTtJ3e
侑「ねぇかすみちゃん。良かったらちょっとだけ風紀委員のお仕事、見学させて貰ってもいいかな?」

しずく「え、ちょ。高咲先生!?演劇で使う小道具を取りに来たんですよね!?」

侑「まぁそうだけどさ。大倉庫に来る機会なんてそう無いだろうし、いいじゃない」

しずく「そうは言っても……」

かすみ「かすみんは別に構いませんよ!風紀委員の仕事を見るのはいい経験になると思いますし、かすみんのプリティキュートな仕事っぷり、見て貰いたいですからねっ!」

しずく「いい経験……」

──
『役を演じる者。その演技の深みには、圧倒的に経験がいると私は思う。だから、謎の多い不思議な人間と接することは、役者として得る物が多いと思うよ』
──

しずく「……分かりました。私も同行します」

侑「やったぁ!」

かすみ「ふふん♪オーディエンスがいっぱいいた方が、やりがいもあるってものですっ!」グフフ

 そうして私は、風紀委員のお仕事を見学することになった。

……
…………

侑「おや。これは何だろう」ガシャ

かすみ「それはロボット研究部の失敗作ですね。無理に回路を繋いだせいでスパークしちゃって、使い物にならなくなっちゃった奴です」

しずく「……それってただのゴミなんじゃ?」

かすみ「そうだね。ゴミだね。これは処理場行きだよ。よよよいよい」カキカキ

しずく「ん?それは……」

かすみ「簡単に言えばゴミ予備軍って分かる紙かな。定期的に来る倉庫の管理人さんがこの紙を見て、その部活の人に捨ててもいいですかって連絡するの。それで部活の人がおっけー出したら捨てるって感じ」

しずく「なんだか面倒くさそうだね」

かすみ「ゴミ予備軍の紙はアナログだけど、管理人さんが部活の人へ連絡する時はデジタルだからそこまで苦じゃないらしいよ。まぁ、数が膨大だと煩雑なんだろうけどね」

侑「ふむふむ。いやぁ、かすみちゃん」ポン

かすみ「なんですか?」クルッ

侑「真面目な勤労姿勢。素晴らしいね!」ナデナデ

かすみ「んもぅ!なでなでしないでくださいよ!かすみんは風紀委員なんです。これくらいは普通なんです!」

しずく「でも実際、ゴミかどうか判断するだけでも量が膨大だし、真面目にやってるのってすごいことだと思うよ」ニコッ

かすみ「ふふん。だからこそ仕事に誇りが生まれるんだよしず子」ドヤッ

侑「おぉう。すごくいい台詞……」トキメキッ

51: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:56:58.27 ID:MMmTtJ3e
……
…………

 それからも、色々な物を見た。

しずく「これは?」
かすみ「これはコッペパン同好会の酵母だね。でも死滅してるしゴミ確定だよ」
侑「なぜ酵母が……」

──

しずく「これは?」
かすみ「これはハンバーガー同好会のバーガー着ぐるみだね。可愛いからゴミじゃないよ」
侑「えぇ?判断基準そこ?」

──

しずく「こ、これは……?」
かすみ「これはワンダーフォーゲル部が登山中に倒した熊の毛皮だね」
侑「く、くまぁ!?それはワンダーフォーゲル部なの……?てかいいのそれ」
かすみ「部内では18歳になると狩猟免許取得必須らしいですね」
しずく「狩猟部じゃん……」

──

しずく「え、えぇ……?」
かすみ「これは服飾同好会の原寸大メガ幸子レプリカだね。毎年作ってはこうしてここに置いてるんだ」
侑「服飾同好会はなぜこれを作ろうと……」
かすみ「学ぶは、まねぶから来ている。だから作ってるって言ってましたね」
しずく「それ、解答になってる?」
かすみ「さぁ。でも、これは毎年作っては廃棄の繰り返しだし、風紀委員が関与しなくても捨てられていくから、特に気にする必要なーし!」
侑「捨てるのも一苦労だねぇ……」

──

しずく「結構回りましたね」

侑「そうだね。思ったより刺激的というか、独創的というか。好奇心をそそられるものばかりだったYO!」

かすみ「次が最後ですね。ここ、流しそうめん同好会です」

 中須さんに言われた先を見ると、そこにはたくさんの竹が雑多に壁に固定されていた。普通の竹ではなく、色々なギミックが付いているのか、鈍重そうな機械も付けられていた。

侑「流しそうめん同好会だから竹かぁ。なんかすごいねぇ」

かすみ「そうですね。流しそうめんの新しい可能性を切り拓く!ってことで、色々と発明もしてるそうです」

しずく「例えば?」

かすみ「例えば……あの流しそうめん機は、投石器みたいに途中で流しそうめんを飛ばすらしいよ」

侑「それはもはや流しそうめんならぬ投げそうめんだねぇ」プププ

かすみ「なにツボってるんですか……」

 アイディアは凄い。でも私にはちょっと理解できない世界だな。
 それにしても。壁に固定されているとは言っても私たちより遥かに大きい。
 服飾同好会のメガ幸子もそうだけど、ちょっと危険じゃないかなぁ……。

52: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 04:58:40.49 ID:MMmTtJ3e
かすみ「あれ。こんな発明品あったっけ。新しい流しそうめん機かな?」スッ

 そう、中須さんが竹に手を伸ばした時。下にある備品に気が付かなかったのか、中須さんは躓いてしまう。

かすみ「って、うわあっ!!」ドンッ

 よろけて、たたらを踏んで、中須さんが倒れないよう手を出した先には、竹の留め具があって……。

ガラララララララララッッ!!

 しずく「……あ」

 老朽化していたのか、留め具は簡単に外れてしまい、支えを失った様々な竹は私たち三人に向かって落下していく。
 鉄製で重そうな受け皿のようなモノが付いた竹、先端がやけに尖っており当たれば肉が裂けてしまいそうな竹。色々な、多数の流しそうめん用の備品が落ちていく。

 あ、死ぬ。死んでしまう。

しずく「あっ、ぐッ……」

 途端、そう思った時。来たる死への恐怖が原因なのか、激しい頭痛が私を襲う。当然のように竹を避けようもない。
 死ぬ。死ぬ。死ぬ。
 死んで、しまう。
 周囲がスローモーションのように遅くなる中、声が聞こえた。

侑「──みんな動かないでね」

 確かに聞こえた高咲先生の声。
 その声は、なんだか自信に満ち満ちていて。あぁ、大丈夫なんだ、と理由のない安心を与えてくれる声音だった。
 そして。次の瞬間。


ガラガラガラガラッッドドドドドドドド!!


 凄まじい轟音が耳を劈き、私は目を閉じるしか無かった。

……
…………

 痛く、ない。
 目も、開けられる。
 傷の損傷が激し過ぎて痛みが遅れている、という訳でもない。
 私は、どうやら生きているようだった。

かすみ「あ、え……?か、かすみん、生きて、ます……?」

 呆然とした声が聞こえた。目をやると、そこには尻餅を付いた中須さんがいた。
 中須さんの周囲には、まるで彼女を避けるように竹が並んでいた。いや、中須だけじゃない。

しずく「私の周りも……」

 私の周りも同様だった。
 落下してきた鈍重そうな竹は全て、私を避けていた。数センチ、いや数ミリでもズレていたら……。

侑「うん。かすみちゃんは生きてるよ!大丈夫!」ニコッ

 弛緩した空気を吹き飛ばすような、明るい声が聞こえた。
 高咲先生だ。私たちに一切の傷を負わせなかった張本人だ。

侑「しずくちゃんも大丈夫?」

 高咲先生はこの状況に興奮するでも、呆気にとられる訳でもなく、あっけらかんとしていた。

しずく「は、はい……大丈──」

 大丈夫と言いかけた時。

かすみ「うわあああああああああああああん!!」ドーーン

53: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:00:23.88 ID:MMmTtJ3e
侑「ぐえっ」

かすみ「あああああああ!!怖かったです!!怖かったですぅ!!かすみんこのまま死んじゃうのかと思いましたぁ!!」ギュウウウウウ

侑「ちょ、かすみちゃん痛い!痛いって!!私そんな体強くないんだよっ!ぐえぇ……」

かすみ「嫌ですぅ!離しませんよ!絶対に離しません!だって、だってだってだって!!震えがまだまだ止まらないんですよぉ!!うぇぇぇえええん!!」グスグス

侑「かすみちゃん……。大丈夫大丈夫。もう怖くないよ。大丈夫だよ」ナデナデ

 高咲先生は抱擁の苦しみに耐えながら、中須さんを優しく撫でていた。

かすみ「ぐすん……。侑先生……」ギュウウウ

侑「うぐぇっ……。大、丈夫だよ、かすみちゃん……。可愛いかすみちゃんは、私が守ったから……ッ!」グエー

かすみ「侑先生……ありがとうございますぅ……ぐすん。侑先生はかすみんの騎士(ナイト)ですよぅ……ぐすん」ギュウウウ

 高咲先生は苦しみながらも、撫でる手を止めなかった。
 中須さんはお世辞にも体格がいいとは言えないし、それは高咲先生も同様だ。
 でも高咲先生は、あの鈍重な竹を捌ききった。それなのに体が弱い……?
 私は死への恐怖なんかより、この状況を打破した高咲先生のちぐはぐさが気になっていた。

侑「し、しずくちゃあん……ちょ、ちょっと助けて……」

しずく「……高咲先生」

侑「う、うん……助けて」

 助けを求める高咲先生だったけれど、今は私の疑問を優先した。

しずく「どうしてアレだけの竹を捌けたんですか……?落下する方向もバラバラだし、数もかなりありました。それなのになぜ……?」

侑「えっ、今それ聞く、の!?」

かすみ「侑せんせ~いっ♡」ギュウウ

しずく「はい」

侑「ぐえッ……。そんなの、単純だよ……ッ」

 単純……?

侑「私、目が良いからね。それ、に。いくら重いとはいっても、軌道を多少変えるくらいならそこまで力はいらない、よ……」

侑「他の竹に……ぶつけれ、ば、力を借りられるし、ね……」グフッ

かすみ「私のナイト様ですぅ~♡」グリグリ

 ……。確かに、単純だ。
 落下してくる長物の軌道を変えるだけなら、それほどの力はいらないはず。それに、他の落下物の位置エネルギーを借りればより容易だろう。
 でも、それをあの一瞬で全て把握し、捌き切った……?
 一歩間違えれば逆に大怪我することになっていたかもしれないのに……。
 とても、理解しがたい……。

54: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:02:03.68 ID:MMmTtJ3e
侑「あぁでも、しずくちゃん」

しずく「は、はい」

侑「このことは内緒にしてねっ。もちろんかすみちゃんも!」ニコッ

しずく「──」

 内緒。それはつまり秘密ということで、高咲先生が隠しておきたい謎、ということだ。
 私がこの一か月間、ずっと欲していたものだ。とはいえ、伴奏の謎が解ける訳でもなく、むしろ謎が増えただけなのだが……。
 でも、それでも。それを知って、なんだか私は……。

しずく「はいっ。もちろんです!」ニコッ

 嬉しかった。
 高咲先生の。高咲侑という人の秘密を知れて。普通の人なら知らないであろう情報を私だけが知っているという事実。
 それがなんだか、たまらなく嬉しかった。

かすみ「侑せんせ~い♡かすみんだけのナイト様ですよぉ~♡」グリグリ

 ……。いや、もう一人いた。内緒を。秘密を。謎を知っている人が。
 そう思うと、今度は中須さんに妙な感情が沸いてくる。

しずく「中須さん、そろそろ離れようか」グイッ

かすみ「あぁ!何するのしず子!」バッ

侑「はぁ、助かったぁ……」

しずく「侑先生が困ってたでしょ!」

かすみ「困ってないもん!そんなわけないもんっ!しず子の妄想だよっ!」

しずく「しず子しず子って……。この、かすかす!竹で頭でも打ったの!?妄想はかすかすの方だよ!!」

かすみ「か、かすかす!?かすみんですぅ!!訂正してくださいっ!!」

しずく「何度でも言うよ!私たちの命の恩人の侑先生を困らせないで!この、かすかす!かすかすかすかす!!」

かすみ「ぬわあああああああ!怒った!怒ったよ私はぁ!!」ウギャー

侑「あ、あの……」

\ギャーギャーギャーギャーギャーギャーギャーギャー/

侑「……」

侑「まいったねこりゃ」タハー

55: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:04:07.92 ID:MMmTtJ3e
▲学園内劇場ホール出入口▲

一同「お疲れさまでした!」

侑「はーい。今日は遅刻してごめんね!しっかりと休息を取って、放課後を過ごそう!ばいば~い」

しずく「……」

 あれから。すぐに大倉庫内の音を聞いた先生方が押し寄せ、ちょっとした騒ぎになった。
 色々と根掘り葉掘り聞かれたせいで、今日は演劇部の活動がほとんどできなかった。
 全ての原因は、竹を支える留め具の老朽化と、そもそもの固定方法ということになった。これなら遅かれ早かれ事態は起こっていた、という結論に至った。
 実際、風紀委員が度々上げる報告書には留め具の老朽化が報告されていた。しかし、流しそうめん同好会が早急に対応していなかったこと。そして、留め具の固定方法がそもそも甘かったこと。そこは倉庫の管理人、全ての先生方、流しそうめん同好会の部員、全てに責任があるという形で落ち着いたらしい。事態が起こって一日も経過していないのに、早いものだと思う。
 そして、風紀委員にはさらなる権力が付与される、そんな言葉まで聞いた。
 ちなみに、侑先生はあの後しっかり、演劇部の小道具を入手していたらしい。意外というか……今となっては意外でもないが、抜け目のない人だって感じた。

しずく「なんだか、疲れたな……」

 色々あった。
 死ぬかもしれない状況。その窮地を救ってくれた侑先生。そんな侑先生の秘密を知ることができた。
 それだけは、今日のいい出来事だった。

侑「しずくちゃん」

しずく「は、はいっ?」

 浸っていたら反応が送れた。最近はこういうことが多い気がする。

侑「どう?後から痛みとか出てない?」

しずく「……はいっ。大丈夫です。あの時侑せん──」

 侑先生が助けてくれたからです!とつい、言葉に出そうになった。

侑「あわわ。それは秘密だって!」シー

しずく「あ、そうでした。すみません」

侑「まあまあ。いいよいいよ。まだ頭が混乱してるだろうし。今日は家でゆっくり休みなよ?」

しずく「はい。侑先生もご自愛ください」

侑「ふふっ。なんだかちょっと硬いね」

侑「あの命の危機を脱した仲なんだ。仲良くやっていこうぜ。しずくちゃん」ナデナデ

 頭に優しく温かな感覚があった。
 どうやら侑先生に撫でられているらしい。
 とても優しく、慈しみ深い侑先生の感情が、手の平から伝わってくる。
 心地いい……。

侑「じゃあね。しずくちゃん。また明日。ばいば~い」パッ

56: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:05:59.85 ID:MMmTtJ3e
しずく「あ……はい。お疲れさま、でした……」

 ちょっとした喪失感。
 でも。まだ感触が残っていて、なんだかそこに手を置いてしまう。

部長「──しずく」

しずく「……!」

 突然部長に声を掛けられる。気持ちを切り替えないと……。

部長「今日は……災難だったね」

しずく「……そうですね」

部長「あと一歩で死ぬ寸前だったんだろう?危なかったね」

しずく「はい。偶然竹が私たちを避けてくれて助かりました」

 少しも動揺を見せず、私は言い切った。
 こういう、筋書きのはずだ。大丈夫。私は役者。これくらいの嘘、突き通せる。

部長「不幸中の幸いってことだね」

しずく「はい。これで一生分の運を使ってしまったかもしれません。ふふっ」

部長「そっか。それで、しずく。高咲先生のことは何か分かった?」

しずく「え?」

 部長に言われた一言が、一瞬理解できなかった。

部長「高咲先生のことだよ。もしかしたら命の危機に瀕して何かしらアクションを起こすかもしれないじゃないか。その辺はどう?」

しずく「え、えっと、あの……」

 聞かれるかもしれないとは思ってた。でも、なんだか虚を突かれた感じだ。
 なんだ。なんだこの違和感……。

部長「ん?どうしたのしずく。そんなに動揺して」

 部長に侑先生の秘密を伝えていないこと?
 いや、アレは侑先生に口止めされているから。それに、部長だとしてもアレは私だけの胸に閉まっておきたい。
 じゃあなに……?

部長「何か、あったのかい?命の危機に瀕して、高咲先生が何か……」

 命の危機。高咲先生……。
 あ、そうか。
 普通、命の危険があったのなら、大怪我とか傷とか、それを心配するのが普通なんだ。
 でも、部長は違う。
 最初こそ私の体を気遣っているようだったけど、そこに心配の感情は一切伝わってこなかった。
 部長の口ぶりだと、こんなことがあったのに、優先すべき事項は『高咲先生の謎の究明』なんだ。
 命の危機なのに、むしろそれを好機とすら捉えている。
 私はそれを、ズレであると感じた。
 普通ではない。一般からは遠いズレ。
 そんな部長が、なんだか危険なものに見えて、少し身構えてしまった。

57: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:07:41.60 ID:MMmTtJ3e
しずく「いいえ、部長。侑先生も私とかすみさん同様、運よく助かっただけです」

しずく「それに、謎とか秘密とか。そんなことを考えている余裕はありませんでした」

 部長にとっては私も、そうした状況で命の危機より侑先生の謎の究明を優先すると思っていたのだろうか。
 振り返ってみると、確かにそうだったような気もする。死の恐怖は確かに感じていた。けれど、それよりも謎の究明を優先していたような……。
 でも、私の中の気持ちは変化していた。侑先生の秘密は、私だけに留めておきたい。
 秘密の究明より、秘密の共有ができた。そこに大きな喜びを感じていたのだ。

部長「ふむ……」

 部長は何やら思案している。私の目を見て真っ直ぐに。

部長「本当に?些細なことでもいいんだよ?」

しずく「はい。嘘偽りなく、本当です」

部長「……そっか。うん。分かったよ」

部長「変なこと言って悪かったね。それじゃあね」スタスタ

しずく「はい。お疲れさまでした」ペコ

 ……。
 この秘密は、部長には死んでも明かさない。
 明かしちゃいけない。
 そう、強く思った。

……
…………

部長「……」スタスタ

部長「侑先生、ね……」

部長「しずく。君のその無傷には、高咲先生が深く関わっているんじゃないのか?」

部長「だから……。だから『しずく』なのに。そこまで芯のある瞳で見ることができるようになったんじゃないのか?」

部長「一体、何があったって言うんだ……」

部長「……」

部長「高咲先生。全く持って、妬ましい限りだよ」

部長「でも、だからこそ。最高の経験をしずくには、体験させられそうだよ。ありがとう先生……」

部長「──先生にも、とびっきりの体験をプレゼントしよう……。ふふっふふふ……」

部長「嗚呼、なんだかとびっきり辛い物でも食べて刺激を浴びたい……そんな気分だ……」

58: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:09:14.17 ID:MMmTtJ3e
▲高咲侑のアパート▲

 通勤用の鞄を無造作に床に置く。
 スーツのネクタイを緩め、ベッドにダイブする。

侑「はぅ~~……」ゴロン

侑「なんとか、なったなぁ……」

 一歩間違えればかすみちゃんとしずくちゃん。その両方が死んでいたかもしれない出来事だった。
 けれど、そうはならなかった。

侑「……うん。あの時の後悔は、ちゃんと実を結んでる」

──
『──あ、侑ちゃん。ここが分かったんだ。さすがだね』
──

 とある光景がフラッシュバックする。
 私は、天井に付いている照明に向かって拳を突き出す。
 振り払うように、頭から追い出すように。

侑「それにしても、やっぱり自分以外を守るとなると、緊張度合いが違うね」ゴロゴロ

 一人で自衛する術は身に着けた。でも、それだけじゃだめだ。だからこそ、今回のように人を助けられたことは素直に嬉しかった。

侑「もうこれ以上、何も起こって欲しくないけど……」ゴロン

 でも、私の第六感とか、勘とか、そういう部分が警鐘を鳴らしている。
 そういう場合は危ない。点と点で見ると一見繋がっていなそうだけど、そこにもう一点追加すると途端に繋がる。そんなことがある。
 そして、その違和感には気づいていた。

侑「あの目はちょっと、危ないね」

 演劇部部長。
 虹ヶ咲学園というマンモス学園の演劇部で、部長をやっている生徒。とても才能のある生徒なのだろう。だけど、その双眸に宿す色は、たまに狂気をチラつかせる。
 視線が交差していなくても分かる。悪意を持った視線だった。

侑「ま。十中八九しずくちゃん絡みのことだろうけど……。全く、悩み事は尽きないもんだね」

 そして、そのしずくちゃんもしずくちゃんだ。
 アレだけの出来事があっても、しずくちゃんはなんだか恐怖を感じていないようだった。とはいえ、全くの無感情という訳でもない。
 あのダジャレ事件もアレだけど……。なんだかしずくちゃんは一枚岩ではない気がする。いや、一枚岩というか……なんだろう。

侑「ミルフィーユ、かな?」

 ミルフィーユしずくちゃん。小さなしずくちゃんが折り重なっている。可愛い。
 ……。なんだか変な妄想をしてしまっている気がする。
 とりあえずこの先はお風呂に入ってから考えることにしよう。と、そこまで考えてから、鞄に入っているスマホが鳴っていることに気づく。

59: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:10:53.25 ID:MMmTtJ3e
侑「おやおや。よっと……。はい。もしもし?」ピッ

ランジュ「你好。ランジュよ」

侑「ランジュちゃん。どうしたの?」

ランジュ「どうしたのって。侑、あなたどうやら命を落とす寸前だったみたいじゃない。それなのに、なんでランジュに連絡しないのかしら?」

 あ。なんだかこれ怒ってる感じだ。不味いね。

侑「あぁ~。その~。これから!これから連絡する予定だったんだよ!」

ランジュ「嘘ね。相変わらず侑は嘘を吐くのがへたっぴね」

侑「あ~。その……ごめんなさい」

 電話口なのに頭を下げてしまう。営業先に電話するサラリーマンのようだ。

ランジュ「謝罪が欲しい訳じゃないわ。ただ、侑が今怪我をしているのか。どれだけの怪我を負っているのか。それを聞きたいだけよ」

侑「う、うん。大丈夫。怪我はしてないよ。無傷無傷」

ランジュ「……それは本当?」

 強いて言えば、落下する竹の位置エネルギーを消しきれず、若干腕を痛めたってくらいだけど。でも、このくらいなら湿布を貼ればすぐに完治するはずだ。
 ピアノで重要な指先は守れたから問題はない。

侑「本当本当!問題無し!」

ランジュ「……そう。それならいいわ」

ランジュ「侑は周りのことはよく見ているけれど、自分のことに関してはてんで周りが見えていないから。いつもみたいに無理をしているのかと思ったわ」

侑「大丈夫だよ。ランジュちゃんが心配することなんかないよ」

ランジュ「……困ったら、ちゃんと相談しなさい。いいわね?」

侑「うん!」

 あ、じゃあちょうどいいかな。

侑「じゃあ早速だけど、ちょっとやって欲しいことがあるんだけど──」

▲???▲

ランジュ「……」ピッ

ランジュ「全く。侑ったら……。何かあったら真っ先にランジュに相談するべきなのよ」

ランジュ「ランジュたちは、一緒に死線を潜り抜けた友人を遥かに超えた存在。そんな間柄に遠慮なんていらないのに」

ランジュ「……」

ランジュ「……ふぅ。だめね。まだまだ弱い自分が抜け切れていないわ」

ランジュ「……でも。弱いランジュを知る侑には、少しくらい寄りかかってもいいわよね……?」

60: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:12:35.44 ID:MMmTtJ3e
▲桜坂邸▲

しずく「ふぁ……」チャプン

 浴槽に浸かる。
 今日の出来事の全てが溶けて無くなっていくようだ。

スイ「お風呂は気持ちいいねぇ……しずく」

しずく「そうだねぇ……」シミジミ

スイ「ねぇ、しずく」

しずく「んん……?なにぃ?」

 浴槽に浸かっているからか。
 自分でも驚くくらい間の抜けた声が出る。

スイ「ぶっちゃけさ」

しずく「んー?」

スイ「侑先生のこと、好きでしょ」

 頭を思いっきりハンマーで殴られたような衝撃。

しずく「──は」

しずく「は、は、はあああああああああああッ?」ザバンッ

しずく「な、なにを……。何を言ってるのかな……?スイ」

 折角気持ちよくお風呂を堪能していたというのに。
 なにを突然……爆弾を投下してくれるんだ。この娘は……!

スイ「いや。ハッキリさせた方がいいかなって。それに、恋バナしてみたかったし」

 恋バナがしたい。ただそれだけでこの娘は……。

しずく「もうっ……。侑先生のことは、その……アレだよ」

スイ「あれ?」

しずく「あの……。気に入っては、いるかもね?」

 なんでだ私……なんで疑問符を付けたんだ私……。

61: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:14:21.14 ID:MMmTtJ3e
スイ「濁すねぇ。それが好きってことなんじゃあないのかい?」

しずく「だ、だって……。不完全な私が恋をするだなんて……。もっとずっと先だって思ってたし……。分からないよ……」

スイ「なるほどね」

しずく「それに。まだ侑先生と会って一か月しか経ってないんだよ?いくら何でも早すぎるというか……」

 うん。そうだ。いくらなんでも一か月しか交流のない人を好きになるなんてそんな……。だってもしそうだとしたら……。

スイ「やれやれ。しずく。君はいくつの演劇、映画、小説、漫画を経験してきたんだい?恋は気づいたら落ちているものなんだよ?」

 こ、このぉ……。この娘は全く……。得意げに言ってぇ……。

スイ「それに、さっきから言ってるそれだよ」

しずく「それ……?それって何?」

スイ「『侑先生』だよ。自覚無かったのかい?」

しずく「え、あ、嘘。あ、私……高咲先生のこといつの間にか『侑先生』って言ってた……」アゼン

 気づかなかった。いつの間にか高咲先生から侑先生になっていた。
 でも、一体いつ?いつ変わったんだ……?

しずく「──あ。もしかしてかすみさんに影響されて……?そ、そうだよ。そうに違いない……」ブクブク

 かすみさんはいつも侑先生のこと侑先生って言ってるし。って、また侑先生って侑先生のこと言ってるし……。ああもうっ!!

スイ「まぁ。かすみのことをかすみさんって言うのは『かすかすかすかす』言ってたからなんだろうけど……」

スイ「侑先生、って言いだしたのは、しずくが高咲先生の秘密を知った後だよ」

しずく「え……。って、なんでそんなこと覚えて……」

 秘密を知った後?
 秘密を知った後の私と言えば……。

スイ「そう、しずく。君は高咲先生の秘密を知って『嬉しかった』んだよ」

しずく「……」

 そうだ。確かにそれはそうだ。

スイ「気になっていた相手の秘密を知ることができて舞い上がってしまった。それで呼び方が変わってしまった。ふふっ。なんだろうね。可愛いと思うよ」フフッ

しずく「ぬ、ぐぬぬ……」

 なんだろう。スイに得意げに言われるとなんだかムカムカする。

スイ「加えて言うなら部長に関してもだ」

 部長?なぜ今部長が出てくるんだ?

62: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:15:51.91 ID:MMmTtJ3e
スイ「部長には色々と危ない匂いがしたとはいえ、部長に秘密を打ち明けなかった最大の理由。それはさ」

スイ「『独占欲』に他ならないんじゃあないのかい?」クスッ

しずく「──」

 ど、どどどどどど独占欲……!?
 脳がパニックになって様々な思いと感情が流れていく。
 私。侑先生にそんな感情を持ってるの……!?
 まだ一か月そこらしか会っていない先生に!?
 ちょっと演劇の常識を変えてくれた人で!?
 ちょっと話しているとなんだか楽しくなる人で!?
 ちょっと秘密を知った瞬間舞い上がっちゃうような人で!?

しずく「あ、あわわわわわわわわわ……」

スイ「ちょ、ちょしずく……!?」

スイ(うわ!表面に出ていけなくなった!感情が爆発して私の入る余地がないんだ!)

しずく「そ、そんなのって!!」ザバーン

 勢いよく浴槽から立ち上がる。

しずく「わ、私は!!」

 思いっきりシャワーの温度調節のハンドルを下に回す。

しずく「私はそんなっ!!」

 そしてシャワーを全開で出す。

しずく「私はそんなちょろインじゃないっっっっっ!!」シャワワワワ

 頭を冷やすように。
 極寒のシャワーが体を襲う。

スイ(ぎゃあああああああああ!!冷たい冷たい冷たい!!)

スイ(素面の私にこの極寒地獄はヤバいって!!)

スイ(やばいやばいやばいやばい!!風邪!!風邪引いちゃうよ!!)

スイ(ごめんってしずく!!ああもう聞こえてない!!早く元に戻ってしずくううううううう!!)

しずく「ちょろインじゃない!ちょろインじゃない!ちょろインじゃないもおおおおおおん!!」

 その後、私は普通に風邪を引いた……。

63: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:17:25.43 ID:MMmTtJ3e
▲桜坂邸▲

しずく「ごほっごほっ……。うぅ……まさかこんな間抜けな風邪の引き方をするなんて……」

スイ「体を共有してるんだからさ。体調管理はしっかりして欲しいもんだね」

しずく「……スイが全面的に悪いよ」

スイ「ご、ごめんなさい……。静かにしてます……」シュン

 はぁ。本当に間抜けなことをしてしまった。
 学校を休んだことなんて無かったのに。皆勤賞とはこれでオサラバだ。

しずくの母「しずく?大丈夫?」

 不意に。お母さんから声が掛かった。今日は珍しく休日の日だ。
 なのに私の看病をして貰って……申し訳ない気持ちが強い。

しずく「うん。大丈夫だよ。今日休めば治ると思う」

しずくの母「そう?これ、食べられるだけ食べてね?」

 お母さんはそう言ってお粥を近くに置いてくれた。正直に言うと食欲はほとんどない。
 でも。

しずく「うん。ありがとう。風邪が移るといけないから、あんまり部屋にいない方がいいよ」ニコッ

 そう言って繕う。

しずくの母「うん。お大事にね」ガチャ

しずく「……ふぅ」ドサッ

 さて、どうしようかな。このお粥。食べるにしてもせいぜい二割くらいしか食べられそうにないや。

ピンポーン

 遠くの方でインターホンの鳴る音が聞こえた。誰だろう。お父さんは仕事だし、お母さんのお客さんかな?

しずくの母「しずく」ガチャ

しずく「あれ。どうしたの」

しずくの母「あなたにお客さんよ」

しずく「え……」

 お母さんはややビックリした表情を浮かべている。
 無理もない。私は交友関係が広く浅い。特定の人と親密になることは殆ど無かったし、風邪を引いた時お見舞いに来る人もこれまでゼロだ。

しずく「もしかして……」

 侑先生……?
 そう思うと同時に、胸が高鳴る。
 こんなに興奮しちゃだめなのに。だめだけど……期待してしまう。


ガチャ


しずく「!!!!」

64: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:19:05.78 ID:MMmTtJ3e
かすみ「はぁ~い!みんなの可愛い風紀委員っ!かすみんの登場ですよ~っ!」

しずく「……」

しずく「……」

しずく「……」

しずく「……よく来てくれたね。かすみさん。ありがとう」ニコッ

かすみ「反応にっっっぶ!体感一分くらい間があったよ!?」

 あぁ。全く。何を期待していたんだ。
 というか。かすみさんにも失礼な態度を取ってしまった。謝罪しよう。

しずく「ごめんなさい。かすみさん。ちょっとまだ調子が戻ってなくて。だいぶ良くはなったんだけどね」

かすみ「あ、そうだよね。ごめん。私、ちょっとテンション上がっちゃって……」シオシオ

しずく「テンション?」

 私が聞き返すと、直前まで目を伏せていたかすみさんが途端に顔を上げる。

かすみ「うんっ!だってしず子の家ちょ~豪邸じゃん!庭も広いしよく分かんない銅像とか置いてあるし!それに毛並みのいい犬もいるし!」キラキラ

 そう言ってかすみさんはキラキラと目を輝かせる。

かすみ「あ、ごめんね。またテンション上がっちゃった」テヘッ

しずく「いいよ。別に」

 家のことや、愛犬のオフィーリアを褒められるのは悪い気がしない。
 かすみさんは視線を私のお粥に移した。

かすみ「あ、これお粥?」

しずく「あ、うん。そうだよ」

かすみ「へぇ~。豪邸でもお粥はお粥なんだね~。ちょっと意外というか」

しずく「夢を見過ぎだよ……。私食欲ないからさ。かすみさんが食べちゃってもいいよ?」

 お粥は未だに湯気が立っている。まだまだ美味しく食べられるだろう。

かすみ「えっ!だめだよしず子!早く治すためにはきちんと食べなきゃ!」ズイッ

しずく「えぇ。でも食欲ないし……」

かすみ「だめだって!」

 拒否しているのに、尚もかすみさんは食い下がる。
 ……ちょっと面倒になってきた。早くお帰りになって貰った方がいいかもしれない。

かすみ「だって……。一緒に修羅場をくぐった仲間でしょ?私たち」

しずく「……え」

65: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:20:45.13 ID:MMmTtJ3e
かすみ「え、じゃないよ。あんなことがあったんだもん。体調を崩すのもしょうがないよ」

 体調を崩したのは……。黙っておこう。

かすみ「私はあの時、侑先生に抱き着いて心が落ち着いたけど、しず子はその分抱き着けなかったでしょ?だから、しず子が風邪を引いた原因はかすみんにもあるの」

かすみ「だから黙って、かすみんにお世話されなさい!」

 仲間……?
 たったあれしきのこと……。いや、あれしきのことではない。
 あんなことがあったんだ。かすみさんの中で大きく何かが変わったのは間違いない。

かすみ「それに、しず子は侑先生を取り合うライバルだからね。仲間でライバル。いい関係じゃん!」

しずく「え゛」

 とんでもない言葉が飛び出して変な声が出てしまう。
 侑先生を取り合うライバル……?
 これは……。

かすみ「かすみんにあれだけ食って掛かるってことは、しず子もそうなんでしょ?」フフン

しずく「え、あ……ち、ちがうもん……」

かすみ「ま。どれだけ否定したっていいけどね。ほら、しず子食べて」スッ

 レンゲに少量のお粥が乗っている。私に食欲がないと分かっているから、少量しか乗っけていない。そこに、かすみさんの優しさを感じる。

しずく「……うん。あ~ん」

 これは断っても無理そうだと判断し、私は素直に口を開けた。それに、侑先生の話をこれ以上続けるのは恥ずかしかったし……。

かすみ「あ~ん。うんうん。いっぱい食べてねっ」

 私がもぐもぐと咀嚼していると、かすみさんの表情がぱぁっと明るくなる。
 かすみさんは……とても分かりやすい。喜怒哀楽、全てが分かりやすい。
 それに、こうして私に見せる素直な優しさ。その優しささえも分かりやすい。
 かすみさんは……いい人だ。とても、とてもいい人だ。
 そう思うと、かすみさんから貰うお粥が特別なものに見えて。

しずく「んっ……」モグモグ

かすみ「な~んだ。食欲がないって言ってたけどたくさん食べるじゃん!」ニコッ

 あれだけ無いって思ってた食欲が嘘のように、簡単にお粥を平らげてしまった。

かすみ「うんうん。それだけ食べられるなら大丈夫そうだね!」ニコッ

66: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:22:16.03 ID:MMmTtJ3e
 眩しい。
 かすみさんの笑顔が眩しい。どうしてそれほどまでに感情をストレートに伝えられるのだろう。なぜそこまで強い自信を持つことができるのだろう。
 どうして。
 ここまで優しいのだろう。
 私は、それを聞くのはなんだか怖かった。他人の心の奥底に触るようで。
 でも、溶接されてしまったかのように閉ざした口を、私は無理やり開けた。

しずく「ね、ねぇかすみさん。どうして今日お見舞いに来てくれたの……?」

かすみ「え?」

 つい、聞いてしまった。
 修羅場を潜り抜けた仲間だとか、侑先生のライバルだとか。かすみさんの根底には別の動機があると感じた。

かすみ「そんなの……決まってるじゃん」

しずく「……なに?」

 かすみさんは少し言いにくそうにしながらも口を開いた。

かすみ「しず子が心配だったから。当たり前じゃんっ」

 やや頬を赤らめつつも、かすみさんは言い放った。

しずく「……そっか。ふふふっ。ありがとう。かすみさん」

 動機は、至極当然のことだった。
 風邪を引いた人がいて心配だったから。そう。それだけだ。
 それだけ。だけど、それができるかすみさんがひどく眩しい存在に思えた。

しずく「かすみさん」

かすみ「なに。しず子」

しずく「これからもよろしくね」ニコッ

かすみ「あはは。何言ってるの突然。まぁ、よろしくね。しず子」ニコッ

ピンポーン

 と、かすみさんと笑い合ってすぐ、またインターホンが鳴った。
 これはもしかして……。

……
…………

侑「やあしずくちゃん。調子はどうかな?」

 侑先生だった。いつも通りの明るい笑顔。自然と、胸が高鳴る。

しずく「はい。お見舞いに来てくれてありがとうございます。侑先生」ニコッ

 嬉しい。
 じんわりと温かさな気持ちが昇ってくる。その気持ちをそのまま笑顔に乗せる。

67: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:24:44.37 ID:MMmTtJ3e
かすみ「しず子。しず子」ヒソヒソ

 というところで、かすみさんから耳打ちされた。

しずく「なになに」コソコソ

かすみ「侑先生にあ~んしてもらえなくて、残念だったね。ぐふふ」

しずく「……も、もうかすみさんったら……」

侑「え、なに二人で内緒話して。私も混ぜてよw」

かすみ「ふっふ~ん。秘密ですよ~?」

侑「えぇ!気になるなぁ……」

 ……。
 なんだか不思議な気持ちだ。
 間抜けな理由で風邪を引いてしまって沈んでいた気持ちが、いつの間にか無くなっている。
 むしろ、かすみさんと侑先生が同じ空間にいて、嬉しい気持ちが大きい。

しずく「ふふふっ。かすみさん、侑先生。お見舞いに来てくれてありがとうございます」ニコッ

 そう言って笑う。
 その笑顔は、記憶にある中で一番素直に笑えたような、そんな気がした。

▲桜坂邸近くの河原▲

侑「ほいよっと!」

 ぽーんとボールを投げる。

オフィーリア「わふんっ!」

 それを、しずくちゃんの愛犬であるオフィーリアが上手くキャッチする。
 オフィーリアはそのボール咥えてぶんぶん尻尾を振って私に持ってくる。実に可愛い。

侑「おぉ。グッドボーイグッドボーイ。あれ、ガールだっけ?ヨシヨシ」

 私は今、近くの河原でオフィーリアと遊んでいる。
 しずくちゃんたっての希望だった。
 自分は風邪でオフィーリアと遊べないから、どうかオフィーリアと遊んで欲しい、とのことだった。私としてはアニマルセラピーを受けて癒されたい気持ちもあったので、二つ返事で承諾した。
 かすみちゃんは他に用事があるとのことで先に帰った。

侑「忙しいのにしずくちゃん家に来るなんてかすみちゃんは優しいよねぇ」ナデナデ

オフィーリア「わうんっ!」ゴロゴロ

侑「おー、そっかそっかぁ。そうだよねぇ。かすみちゃんは優しいよねぇ」

 オフィーリアを撫でると何とも癒される。
 オフィーリアは実に人懐っこい性格をしている。こうして撫でれば、深い毛並みで指が沈み手触りがいいし、尻尾をぶんぶん振って感情を表すのは何とも愛らしい。

侑「ほーれ。取ってこーい」

68: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:26:25.26 ID:MMmTtJ3e
 またボールを適当に投げる。
 私は筋肉が付きにくい体質なので、遠投はまず無理だ。なので遠くに投げたつもりでも、すぐにオフィーリアは取ってくる。もうちょっと筋肉付けたいんだけどなぁ……。
 ボールを追いかけるオフィーリアを見つつ、私は河原を眺めた。
 もうすぐ夕日が沈む時間帯。夕暮れとか黄昏時とか。そんな風に言われる時間。
 周囲には散歩に来ているカップルとか、野球のような遊びをしている小学生の軍団が見える。う~ん平和だねぇ……。

オフィーリア「わぉおんっ!!」フリフリ

侑「おおっと。もう戻ってきたのかい。早いねぇ。グッボーイグッボーイ。後でしずくちゃんに性別聞かないと……」ナデナデ

 どれ、もう一回!
 とボールを投げかけた瞬間。

小学生A「うわあああああああああああ!!」

 小学生の悲鳴が聞こえた。
 すぐに悲鳴の発信源に振り向くと、近くの川で溺れている小学生がいた。
 助けに行かないと。
 体はすぐに動いた。

侑「って、オフィーリア!?」

 私の隣をオフィーリアも走っていた。これは、オフィーリアも救出に一役買ってくれるのだろうか……。
 と思った矢先、しずくちゃんから言われたことを思い出す。

──
しずく『侑先生。一つご注意です。オフィーリアは地面を走るのは大得意なんですが、泳ぐのは不得意なんです』

しずく『ないとは思いますが、オフィーリアを泳がせたりだとか、そういう遊びは控えてくださいね』
──

 冷や汗が背中を伝う。
 ま、まずいっ!!

侑「オフィーリア!君の正義感は尊敬する!でも泳ぐのはだめだよ!ステイステイ!!ステイだよオフィーリア!!」

オフィーリア「わおおおんっ!」キリッ

 私の言葉を『よし!一緒に頑張ろう!』という風に受け取ったのか、オフィーリアはキリッとした表情で返事をする。

侑「あわわわわわわ!!」

69: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:28:11.46 ID:MMmTtJ3e
 どどどど、どうしよう。オフィーリアにここにいるよう言っていたら、小学生はどんどん流されて行ってしまう。

侑「く、くそぅ……。腹を括るしかないのか……。小学生もオフィーリアも、全部助けてやらぁ!!」

 半ば自棄になりながら私は叫び、川へと飛び込む。
 小学生は首より上だけ水中から出し、酸素を求めて両腕をバタバタさせている。
 少し遅れて、オフィーリアも着水する。

小学生A「だ、だれか……わぷっ、た、たすけ……ゴホッゴホッ!」

 苦しそうに喘ぐ小学生の様子に気が逸るが、努めて冷静でいることを心掛ける。

侑「大丈夫!君は助かる!お姉ちゃんに任せて!」

 大声で叫ぶ。こんなの何ともない、心配することはないと、勇気付けるように叫ぶ。
 私は小学生を片腕で抱きしめる。そしてゆっくりと岸へと向かう。
 よし……。ここまでは順調だ。でも、引き上げるのが大変そうだ。

オフィーリア「わふんっ!」

 オフィーリアの声が聞こえる。そういえばオフィーリアは、と視線を向けると、そこには上手に犬かきするオフィーリアがいた。
 オフィーリアの泳ぎが下手……?これのどこが下手なんだろう。
 オフィーリアは巧みな犬かき捌きで小学生の救助を助けてくれる。

侑「……。よし。オフィーリア、一旦その子は任せた!」ザバッ

 小学生の支えを一瞬だけオフィーリアに任せる。オフィーリアの目には『任せろ!』という意志があった気がした。
 一瞬で岸へと上った私は、まず小学生の両腕を持って一気に引っ張った。筋肉が無いので全身の筋肉を連動させた引き揚げ方だ。

侑「ぐぁ……ッ」

 先日痛めた腕に鋭い痛みが走る。これは……悪化したな……。

小学生A「ゲホッ……ゲホッ……。あ、ありがとう、お姉ちゃん……」

 よし。何とか小学生は引き揚げられた。

侑「オフィーリア!次は君だ!よしよし。そのまま一気に……おりゃ!!」

 腕の痛みは無視し、小学生同様にオフィーリアも引き上げた。
 オフィーリアは小学生よりも若干体重が軽かったので、引き揚げは少し楽だった。
 ぶるるっ、とオフィーリアは水気を飛ばす。私にも引っかかるが気にしない。

侑「大丈夫?怪我とかない?」

 とりあえず。目立った怪我がないか小学生に確認する──

70: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:30:14.95 ID:MMmTtJ3e
……
…………

侑「ふーっ。何とかなって良かったねオフィーリア」

オフィーリア「わぅんっ!」フリフリ

 その後。一緒に遊んでいた小学生が集まって感謝を伝えてくれた。ちゃんと感謝の言葉が言えることに、行き届いた教育を感じた。
 私が助けた子は、フライを取ろうとした結果、後ろで流れる川に気づかず転落してしまったらしい。河原で野球をするときは、きちんと周囲を見ようね!と先生らしいことを言っておいた。

侑「それにしても……。オフィーリア。君は泳ぎが下手だったんじゃないのかい?」

オフィーリア「わう?(え?そんなことないっスよ※侑の妄想※)」

侑「しずくちゃん曰く、君は泳ぎが下手らしいじゃないか!」

オフィーリア「わうわう!(それは心外っスね……!この通り、俺は泳げるっスよ!)」

侑「じゃあなんでしずくちゃんは君が泳げないと思ってたの?」

オフィーリア「わうぅんっ!(もしかしたら、昔の俺のままで印象が固定されてるのかもしれないっスね)」

侑「え?昔の印象?ふむ……。ってことはつまり、オフィーリアは泳ぎが下手だったけど、泳ぎが上手になったってこと?」

オフィーリア「わるるるん!!(そういうことっスよ!今の俺の泳ぎを、お嬢に見て貰いたいっスね!)」

侑「なるほどなぁ……。いつか見せられるといいねぇ」

オフィーリア「わん!(俺はいつでも準備万端っスよ!!)」

侑「よしよし。頑張れオフィーリア」

 という。
 益体もない妄想を広げつつ、オフィーリアと私はしずくちゃんの家に向かった。
 ってか。なんとなく『っス』口調で妄想してたけど、高貴な家のオフィーリアにはミスマッチだったかなぁ……?

……
…………

しずくの母「え、オフィーリアが川へ?」

侑「はい。申し訳ありません。愛犬を危険に晒してしまって」ペコリ

 私は素直にしずくちゃんのお母さんへ謝罪した。泳ぎが不得意と言われていたのに川へ飛び込むのを止められなかったこと。そして川へ飛び込んだことでオフィーリアが汚れてしまったこと。そんなことを謝罪した。

しずくの母「あぁ。頭を上げてください。オフィーリアは外で遊びまわるのが好きな子ですし、そういう状況なら仕方がありません」

71: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:32:36.91 ID:MMmTtJ3e
侑「はい。ありがとうございます。結果的に、お母様のお言葉に甘える形になってしまって申し訳ないです」

しずくの母「ふふっ。その歳でずいぶん真面目なんですね」

侑「ははは。ありがとうございます」

 ふぅ。良かった。ぶち切れられるのも覚悟していた。それに、ここまでの豪邸を建てられる人を怒らせたら私の教師生活が……とも思っていたが杞憂だったようだ。

しずくの母「確か。しずくの担任の先生で演劇部の顧問もしていらっしゃるんですよね?」

侑「そうですね。毎日新鮮な体験ばかり目まぐるしいです」

しずくの母「楽しそうで何よりですね。高咲先生みたいな素敵な先生なら、安心してしずくを預けられます」

侑「恐縮です」

しずくの母「それでは、高咲先生。玄関口で話すのもあれですし、とりあえずお風呂に入ってはいかがですか?」

侑「え。いいんですか?」

 これは僥倖だ。正直どぶ臭い中帰るのは嫌だった。

しずくの母「えぇ。勿論です。それでは、タオルと替えの服をご用意しますね」

侑「ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせていただきます」

 豪邸のお風呂……。もしかしてマーライオンとかいるのかな……。私がウキウキしながらお風呂へ行こうとした時。

しずくの母「──オフィーリアに水泳を教えた甲斐があったわ」

 そんなしずくちゃんのお母さんの言葉が聞こえた。
 私はその後、慎ましやかだけど高価そうな調度品のあるお風呂場を堪能して帰った。マーライオンは、流石にいなかった。
 しずくちゃんは薬を飲んで寝ているそうだし、早くよくなるといいなぁ。

▲学園内劇場ホール▲

侑「やあしずくちゃん。調子はどう?」

しずく「あ、侑先生っ。お疲れ様です!」

 次の日。しずくちゃんは風邪が治って普通に登校していた。
 でも、流石に声出しは自重しているようで、今日は演劇部の活動を鑑賞することに決めたらしい。

侑「あれ?そういえば部長さんは?」

 キョロキョロと見渡すが、部長が見当たらない。

しずく「今日はなんだか用事があるらしく、演劇部に来るのが遅れるそうです」

侑「へぇ。また演劇に関することかな?」

しずく「どうでしょう。演劇に一意専心の部長のことでしょうから、その可能性は高そうですね」

侑「あ、何の用事とかは言ってないんだ」

しずく「色々とミステリアスな人ですから」

侑「確かに」

しずく「侑先生もある意味そうですよ」ボソッ

侑「ん?なんか言った?」

72: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:34:15.60 ID:MMmTtJ3e
しずく「いえ。特に何も」ニコッ

侑「そっか。それじゃあ稽古を鑑賞しよっか」

しずく「はいっ」

 今日は部長が不在、と。
 う~む。前後即因果の誤謬、ではないけど、ちょっと気になっちゃうよね。

▲廊下▲

かすみ「えぇと。今日はこの後何するんだっけ」

 風紀委員の仕事は多岐に渡る。
 毎日しなければならない仕事もあるし、急に入ってくる部同士の仲裁とか、やるべきことはたくさんだ。
 でも、可愛い学校づくりの為には大事な仕事。面倒くさいと感じることもあるけど、重要な仕事だから手は抜けないよね。

かすみ「確か……。生物飼育部から、他の生物を飼うために部室を拡張したいって要望だっけ」

かすみ「十中八九生徒会で棄却されるだろうけど、一応見ないとね」

 部室で飼ってる動物達も見たいし。
 そう思うと、自然と足が速くなる。

部長「──風紀委員の中須さん」

かすみ「ぴゃあっ!」

 唐突に話しかけられてビックリした。
 振り向くと、そこには……確か演劇部の部長さん?がいた。

かすみ「ど、どうしたんですか?今って演劇部の稽古中じゃないんですか?」

部長「あぁ。そうだよ。ちょっと中須さんに用事があってね」

 風紀委員ではなく私に用事?なんだろう。

かすみ「なんですか?今から生物飼育部へ行くので用事は早く済ませたいんですが……」

部長「ごめんね。じゃあ手っ取り早く聞くけど、大倉庫での一件で高咲先生に何かなかった?」

かすみ「え。侑先生に何か、ですか?」

部長「うん。気になったこととか、不思議に思ったこととか。なんでもいいんだ。聞かせて欲しい」

 そんなことなんで演劇部の部長さんが知りたいんだろう?
 あれ。そういえば確か、侑先生って代理の演劇部顧問だっけ。じゃあ担任じゃなくても繋がりはある、と……。

部長「少々、高咲先生が気になっていてね」

 侑先生が気になっている……。
 はっ!もしや……!

73: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:35:57.58 ID:MMmTtJ3e
☆かすみん脳内お芝居☆

しずく『ふっふ~ん♪』

部長『あれ、しずくどうしたの。ずいぶんご機嫌だね』

しずく『んふふ。あ、ぶちょ~。実はちょっと困っちゃったことがあってぇ♪』

部長『どうしたんだい?』

しずく『実はぁ~♡侑先生に私、助けられちゃったんですぅ♡』

部長『え……』

しずく『こう、迫りくる柱の数々を一瞬で捌いて、私にかかる苦難をぜ~んぶ退けてくれたんですよぉ♡』

しずく『かっこよかったなぁ、あの時の侑先生っ♡すきすき侑先生♡』

しずく「それにきっと、侑先生も私のこと大好きなんだろうな~♡はぁもう困っちゃうなぁ。あぁ、困った困った♪」

部長『し、しずく……』ググッ

部長(高咲先生は、私が狙ってたのに……!!)

☆かすみん脳内お芝居終了☆

 そっか。部長さんも侑先生のことが好きなんだ。全く、モテモテで困っちゃうね。私のナイト様は。
 しず子にマウント取られて悔しくなっちゃったんだね……。

かすみ「う~ん。でも。私としず子は同じ体験をしたはずですからねぇ。しず子以上のことは聞けないと思いますよぉ?」

部長「……。なるほど。それもそうか。でも、何でもいいんだ。何か一つでも気になったことがあれば聞かせて欲しい」ズイッ

かすみ「うっ……」

 部長さんの目力、めっちゃ強い……。
 でも気になったことって言ってもなぁ……。私は侑先生に抱き着いてただけだし……。あーあ、もう一回抱きしめてなでなでしてくれないかなぁ……。
 あ、そういえばあの時……。

かすみ「そういえばあの時確か……」

部長「おや、何か気づいたかい?」

かすみ「はい。確か侑先生、あの出来事の後右腕を抑えてたんですよね。チラッとしか見てなかったので確証はないんですが、たぶんあの時、腕を痛めたんだと思います」

部長「……ほう」

かすみ「まぁアレだけのことがあって、腕を痛めるくらいで済んだのはよかったのかもしれませんね。不幸中の幸いって奴です」

部長「なるほど……」

かすみ「どうですか?」

部長「ふふっ……。これは良いことを聞いた」ボソッ

74: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:37:26.80 ID:MMmTtJ3e
かすみ「え?」

部長「あぁいや。心配だと思ってね。今日の授業中とかどうだったんだい?」

かすみ「う~ん。そういえばいつもより板書が少なかったような……。そんな気がしないでもないですねぇ……」

部長「なるほど。ありがとう中須さん」

かすみ「はい。あまりお役に立てそうもない情報でしたけど」

部長「いいや。十分過ぎる情報だったよ」ニコッ

 そう言って部長さんは笑顔を見せた。
 その笑顔はなんだか、狩猟を行う寸前の猛禽類を思い出させた。

部長「これは忙しいところをお邪魔したことへの迷惑代、とでも思って欲しい」スッ

かすみ「え?これは……」

部長「これは高級中華料理屋のコース無料券だよ。場所は路地裏の奥にあって分かりづらいけど味は保証するよ」

かすみ「えぇ!!そんなの貰っちゃっていいんですか!?」

部長「勿論。風紀委員の大事な職務を邪魔してしまったわけだしね。これくらいの返礼は当然だろう?」

かすみ「そ、そう言うのなら……。ありがたく受け取っておきます」スッ

 高級中華料理屋……。
 頭の中では北京ダックとか麻婆豆腐とか、あのくるくる回るお皿とか、そんなイメージがポヤポヤ浮かんだ。

部長「三人分あるし、誰かと一緒に行くのもいいかもしれないね」

部長「期限は明日まで。それで、今日は定休日だ。明日の夕食になんかどうかな?」

かすみ「わわっ。ほんとだ。期限あと少ししかないじゃないですか。危ない危ない」

部長「ふふ。私は用事があって行けないからさ、ちょうど良かったよ」

かすみ「はいっ!ありがとうございます!」

部長「こちらこそ。それじゃあ、またね。中須さん」スタスタ

かすみ「はい。また……。また?」

 何はともあれ。明日は北京ダックを食べまくりの会を実施ですね……!
 うおおおおおおおお。フカヒレとかも出るのかな?食べたこと無いし楽しみ!!

かすみ「るんるん♪」

 その後私は、生物飼育部から「ヨシキリサメ」を育てたい!という要望があったが、丁寧に断った。

75: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:39:05.00 ID:MMmTtJ3e
▲高級中華料理屋『珠宝』周辺▲

かすみ「こんなところに本当にあるんですかぁ……?」ビクビク

しずく「う~ん。でも隠された名店ってフィクション作品にはよくあるし、逆に『らしい』のかも」

かすみ「しず子は漫画の読み過ぎだよ!」

しずく「なっ!漫画より演劇とか映画の方がよく見てるもん!」

かすみ「そういうことじゃなーいっ!」

侑「まぁまぁ。仲がたいへんよろしいのはいいことなんだけど、誘ったのはかすみちゃんでしょ?場所分からないの?」

かすみ「いやぁ……。この路地を右に行って、謎のドラム缶が三つあるところを左に、そして黒猫のフィギュアがあるところを直進して──」

しずく「何その道案内──」

かすみ「えぇ。引かないでよぉ」

しずく「──ワクワクするね!」

かすみ「……。しず子が楽しそうで私は嬉しいよ」

侑「ま。場所が分かってるならいいよ。それに、何かあっても私がどうにかするから安心してね」グッ

かすみ「ゆ、侑先生~♡ナイト様ですぅ♡危ないから手、握りましょ!」ギュッ

しずく「ああッ!!」

 しずくちゃんがとんでもない目でかすみちゃんを睨む。こわい。

侑「やれやれ。甘えん坊だねぇ……。ほら、しずくちゃんも」サッ

しずく「え……っ。いいんですか……?」

 これはいわゆるリスクヘッジという奴。勿論そんなことは臆面に出さず、私は笑顔で伝える。

侑「もちろん。でも路地裏でちょっと道幅狭いし、嫌ならいいけど」

しずく「い、いえっ!お言葉に甘えさせていただきます!」ギュウッ

侑「ん~。いいねこれ。これが両手に花って奴だね!」ホクホク

かすみ「かすみんが両手を握ってもいいんですけどね。でもしず子にもおすそ分けしてあげるよ!かすみんは余裕のある女だからね」

76: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:40:45.20 ID:MMmTtJ3e
しずく「はいはい。そういうことにしてあげる」

しずく(……侑先生の手。思ったより硬いけど、温かくて頼もしいな……)ドキドキ

侑「あの、しずくちゃん。そんなニギニギされるとちょっと恥ずかしいというか……」テレテレ

しずく「ああっ。すみませんついっ」

かすみ「むふふ。しず子もやるねぇ……」ニヨニヨ

しずく「……くっ」

侑「ははは。三人だとこんな道でも楽しいねぇ」

 そう言いつつ、私は周囲の警戒を止めない。
 しずくちゃんの言う通り、隠れた名店というのは確かに存在する。でもそれはヤクザとか極道とか、あっち系の人が常連と言う場合も多い。今回ももしかしたらそうかもしれない。
 でも、高級中華料理屋の『珠宝』。この店名には引っかかるところがあって……。

かすみ「あっ!見えました!あそこですよあそこ!!早く行きましょう!かすみんおなかぺっこぺこだおう!」

しずく「だおう……?」

 かすみちゃんの指差す先には、虎が描かれた絵に『珠宝』という看板が見えた。

侑「虎、ね……」

 予感は的中していた。
 そしてこれから少しひと悶着あるんだろうなと考え、私は気を引き締めた。

▲高級中華料理屋『珠宝』▲

 私たち三人は無料券を三人分見せ、案内されるがままに席に着いた。
 二人はなんだかお店の内装に圧倒されているっぽい。

かすみ「ひえ~~……。なんだか気後れしちゃいますねぇ……」

しずく「確かに。内装が豪華っていうか……ちょっと奢侈だし。豪華絢爛ってこんな感じなのかな」

侑「まぁすぐ慣れるよ。料理を食べに来たんだし、そっちを優先しよう」

かすみ「そ、そうですね。うおおおお!北京ダックを食い散らかしますよぉ!」メラメラ

しずく「食い散らかすって……。もしかしてかすみさん、北京ダックってあの大きなお肉をそのまま食べると思ってる?」

かすみ「え?違うの?漫画肉みたいな、そんなお肉じゃないの?」キョトン

しずく「えぇとね。北京ダックって大体皮の部分しか食べないんだよ」

77: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:42:26.66 ID:MMmTtJ3e
かすみ「えぇ!!嘘!!あんなに大きいのに皮だけしか食べないの!?それって勿体なくない!?」

しずく「うん。薄いお餅みたいな生地に、野菜とかお肉とか入れて食べるの。でも、残ったお肉はどうするんだっけ」

侑「残ったお肉は別の野菜炒めとかに使われるよ。流石にあのまま捨てるのは勿体ないからね。ちなみにそういう使われ方をするのは広東式って言って、お肉の部分を最初から食べる北京式ってのもあるんだよ」

しずく「あ、そうなんですね。なんだか慣れている様子ですけど、侑先生って中華料理に詳しいんですか?」

かすみ「確かに。さっき店員さんに中国語?で話かけてましたよね?」

 う。見られてたのか……。まぁ別に隠すことじゃないし……。

侑「中華料理に詳しいというか、大学時代、中国に留学してた時期があってね。そこでまぁ……色々とね」

 うん。嘘は言ってない。色々と、に、色々と様々、多種多様な意味を持たせたけど!

ランジュ「そうね。侑の大学時代にランジュと会ったのよね」ガタッ

侑「あぁうん。いやぁ、あの時のランジュちゃんと出会ったせいで色々と苦労を……って。うわあっ!!」ビクッ

 びっくりした。ランジュちゃんに縁のある店だとは思ってたけど、まさか表に姿を現すなんて……。

かすみ「え、だ、誰ですかこの人……」

ランジュ「そういうあなた達は誰よ?」

かすみ「げっ。なんだか厄介そうな匂いがします……」

しずく「かすみさん!ちょっと失礼だよ!」

 かすみちゃんを諫めると、しずくちゃんは姿勢を正し笑顔になった。

しずく「すみません。自己紹介が遅れました。私は桜坂しずくです。侑先生が担任をしている生徒です」ニコッ

 う~む。営業スマイル全開だ。
 唐突に現れて場の雰囲気をぶち壊したランジュちゃんが間違いなく悪いんだけど、しずくちゃんはランジュちゃんが『ヤバい人』って気配で分かったのかな?営業スマイルだけど、こめかみに薄っすら汗が滲んでるよ。

ランジュ「そう。しずくね。侑が世話になってるわ。鐘嵐珠よ。覚えておきなさい」

しずく「はい。頭に叩き込んでおきます」ニコッ

かすみ「ひぃん。なんだか空気が怖いですよぅ侑先生~」

78: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:44:16.88 ID:MMmTtJ3e
 かすみちゃんが涙目で抱き着いてくる。

侑「ヨシヨシ……怖くないよぉ。それでランジュちゃん、どうしたの。あ、それとこっちは中須かすみちゃん。しずくちゃん同様、私の生徒だよ」

ランジュ「そう。かすみ、鐘嵐珠よ。頭に叩き込みなさい」

かすみ「は、はいぃ……」ビクビク

ランジュ「ここへ来た理由は侑がいたから。ただそれだけよ」

侑「まぁそうだよね。ランジュちゃんって思い立ったがすぐ行動!って感じだもんね」

ランジュ「ふふん。行動力があるといいなさい」

かすみ「て、いうかっ!ランジュさんは無料券持ってないのにいいんですか!?無いとしてもお金を支払えるんですか!?」

ランジュ「無問題ラ。この店の支配人はランジュよ」

かすみ・しずく「え゛」

侑「……。まぁそういう訳だよ。ランジュちゃんがここで登場するのは予想外だったけど、悪い子じゃないから仲良くしてあげてね」

ランジュ「なによ侑。その言い方」

侑「二人はいい娘だからさ。ランジュちゃんとも仲良くして欲しいと思ってね」

ランジュ「全く。変わらないわね。それで、しずく、かすみ」

かすみ「な、なんですか……?」

 かすみちゃん。なんだか警戒している猫みたいでちょっと可愛いな。

ランジュ「どっちが侑の女なの?それともどっちも?」

 とんでもない爆弾を投下してきた。猫みたいで可愛いとか言ってる場合じゃなかった。

侑「ランジュちゃん!それは言っちゃあいけないことだよ!私と二人は先生と生徒なんだよ!?」

ランジュ「そう?粉をかけるのが早い侑のことだから、手籠めにしてるもんだと思ってたわ」

 何でもないことのように言い放つランジュちゃん。くっ、まるで悪気はないんだろうな。本当に純粋な質問なんだろうな。
 だからこそ一層質が悪い!!

かすみ「かすみんは、侑先生の女でも……」

しずく「わ、私は……」

ランジュ「あっちは満更でもない感じだけれど?」

侑「──」

 嘘。嘘やん。なにこの修羅場。ランジュちゃん、君と関係を持ってから苦労も絶えないし飽きないけど、これは不味いよぉ。

ランジュ「ちなみに。侑はランジュの女よ」

 ……。こ、こいつはぁ!!

侑「そこまでだランジュちゃん!!これ以上はだめ!!」

 暴走特急ランジュは止まる気配がないっ!!

79: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:45:59.12 ID:MMmTtJ3e
しずく「侑先生……」ジトッ

しずく(同性に好かれそうとは思っていたけど、ここまでとは……)

侑「い、いやあの……」アセアセ

 なんでこんなに焦らなきゃならないんだ!私は何も悪くないのに!
 くそぅ!かすみちゃんから高級中華って聞いてからひと悶着あると思ってたけど、私が予感してたのはこんなことじゃない!
 教師の薄給では食べられない高級中華に釣られたのが間違いだったかな!?

店員「北京ダックデス」スッ

侑「うわぉ!!なんてベストタイミング!謝謝!!」

 まだ付け出しのザーサイとかに一切手を付けてないけど!
 北京ダックで流れを変えよう!!

侑「よ、よ~し。ランジュちゃん!本場の北京ダックの食べ方見せちゃって!」

かすみ「えぇ!かすみんもっとランジュさんと侑先生の話聞きたいですぅ!」

ランジュ「ふふん。それもいいけど、まずは腹ごしらえよ!!」

 ランジュちゃんの目がキラキラしている。ランジュちゃんがお肉好きでよかった……。

侑「よ、よ~し。はいみんな手を合わせて~いただきますっ!!」

かすみ・しずく「い、いただきます!」パンッ

ランジュ「う~ん。やっぱり絶品ね!!」バクバク

侑「肉と野菜を取って包むまでが早すぎる!神業だ!!」

かすみ「これ。どれだけ塗ればいいんですかね」ベットリ

しずく「わわっ。かすみさん!それは甜麵醬だよ!つけすぎるとしょっぱくなり過ぎちゃう!!」

かすみ「しょっぱい!!でも美味しい!!」

……
…………

 私たちはコース料理を余すことなく堪能した。

かすみ「ふーっ……。美味しかったです……。満腹でもう動けませんよぉ……」ニコニコ

しずく「よかったねかすみさん。私もちょっと食べすぎちゃった」

かすみ「でも、やっぱり辛かったなぁ……」ポンポン

ランジュ「あれくらいで辛いなら、本場の中国料理なんて食べられないわね」

かすみ「え゛これって本場の中華料理じゃないんですか」

ランジュ「『本場の中国料理』よ。かすみ」

しずく「あぁ、そういえば聞いたことがあります。中華料理は日本人の舌に合わせた中国料理で、中国料理はアレンジとかせずそのままだとか」

ランジュ「そうね。まぁ一概にも言えないのだけれど」

侑「本格四川料理とかはもうヤバいね。喉の奥から火炎放射が出るんじゃないかってくらい辛かったよ……」

80: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:47:44.60 ID:MMmTtJ3e
ランジュ「ランジュからしたら、日本の中華料理の辛さは少し足りないわね」

かすみ「だから食べる前に辛そうなスパイスかけてたんですね……」ゲンナリ

侑「ま。確かにここの料理も結構辛かったけど、それ以上に旨味があったね」

しずく「そうですね。唇がまだヒリヒリしていますけど、食欲が止まりませんでした」

かすみ「うぅ。かすみん辛すぎて水を飲みすぎちゃったぽいです。ちょっとお花摘みに行ってきますね」

しずく「大丈夫かすみさん?私も付いていくよ」

かすみ「ありがとうしず子……」スタスタ

侑「気を付けてね」

……
…………

侑「あの、二人がいないから聞くけどさ。ここっていわゆる……」

ランジュ「えぇ。ランジュのフロント企業よ」

侑「あぁ……。やっぱり。う~む。これで私はうら若き乙女を裏社会に関わらせてしまったのか……」

ランジュ「ここに来るんだもの。多少は予感くらいしてたでしょ?」

侑「まぁ、そうだね。後悔とかはないよ。微塵もね」

ランジュ「ふふっ。侑のそういう清濁併せ吞むところ、好きよ」

侑「ありがとう」

ランジュ「それで侑。学園生活はどうなの?」

侑「そうだねぇ。人前で授業をするのは緊張したけど、最初だけかな。慣れればそう大したことじゃないね。ただまぁ、虹ヶ咲は色々と規格外な所があるからさ。そこは毎日新鮮かな」

ランジュ「そう。今って英語を教えているのよね」

侑「うん。大学時代飛び回ったおかげでマルチリンガルだからね。ピアノ以外に特技があってよかったよ」

 私がそう言って笑うと、ランジュちゃんはやや沈痛な面持ちになった。

ランジュ「ランジュは……。侑はあのまま音楽教師をやると思っていたわ」

侑「……まぁ。そうだね。でもやっぱり、一度教師の道を諦めちゃったからさ。色々日和っちゃった」

ランジュ「教師をやれるだけ重畳ってことかしら」

侑「まぁ……」

ランジュ「でも。あなたから音楽を取ったら一体何が残るの?」

侑「……」

 相変わらず痛い所を突くなぁ。そこがランジュちゃんのいい所なんだけど。

ランジュ「あの時は一度諦めた教師をもう一度目指した。それだけで満足したわ。でも、もうあれから随分時が経ってる。それでもまだ、音楽はだめなの?」

 射貫くような視線。ランジュちゃんは昔からずっと変わらない。ずっと、強い信念を湛えた美しい瞳をしている。
 私は、そんなランジュちゃんに応えるように、視線を外さず口を開く。

81: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:49:55.52 ID:MMmTtJ3e
侑「……あのねランジュちゃん。実はさ、ピアノ。もう一度弾けるようになったんだ」

ランジュ「え」

 思い出すのは演劇部の顧問となった初日。
 ただ、軽い伴奏をすればいいと思っていた。でも、私と調和してくれた相手がしずくちゃんで、虹ヶ咲学園の中でもしずくちゃんは規格外だった。

侑「最初は軽い気持ちだった。本気でピアノを弾くんじゃなくて、軽く弾く気持ちだった。でも、いつの間にか引っ張られてた。いつの間にか私は、前と同じように弾けていたんだ」

 そういうと、ランジュちゃんはバツが悪いように視線を外す。
 なんだか瞳がうるんでいるような感じさえする。

ランジュ「そう……。やっぱりランジュじゃ役者不足ってことね……」

侑「え……」

 自嘲気にランジュちゃんは笑っていた。

ランジュ「一度閉じた侑の蕾を再び開いたのはどっち?かすみ?しずく?」

 それでもランジュちゃんは二の句を継いだ。
 だから私も、ランジュちゃんに正直でいようと思った。

侑「しずくちゃんだよ。私の弾く伴奏に、しずくちゃんは演技で応えたんだ。あの日惹かれた歌声に対して、私が伴奏で応えたように。『調和』、したんだ」

 正直な気持ちを全て、口にした。

ランジュ「……そう。良かったわね、侑」

 ランジュちゃんは笑った。たまに見せる弱気な笑顔だ。それはあまり、私が見たくない笑顔でもある。つい、いつものように抱きしめたくなる衝動に駆られる。

ランジュ「やめて侑。慰めはいらないわ」

侑「……そうだね。ごめんランジュちゃん」

ランジュ「侑。あなたに言いたいことは一つだけよ」

侑「……なにかな」

 ランジュちゃんは姿勢を正し、再び射貫くような視線で私を見た。

ランジュ「私は本当の意味で侑の力にはなれないのかもしれない。けれど、侑が何をしようと、どれだけのことをしようと、ランジュはランジュのままよ」

ランジュ「だから、侑の信じる道を行きなさい」

侑「……うん。ありがとうランジュちゃん」

 ランジュちゃんは変わらない。今も昔も。変わってしまうのは恐らく私だ。ランジュちゃんが私を裏切ることはないけど、私は分からない。
 でも、私がランジュちゃんをたとえ裏切ったとしても、ランジュちゃんはきっと変わらないんだろうな、とも思う。我ながら、最低なことを考えていると思う。

侑「でもランジュちゃん、一つだけ訂正させて」

82: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:51:51.76 ID:MMmTtJ3e
 だからせめて、ランジュちゃんには伝えようと思った。

侑「私が教師を諦めなかったのは、ランジュちゃんのおかげなんだよ。私の力になれないだなんて、そんなことはないよ。絶対にね」

ランジュ「……。言葉だけ、受け取っておくわ」

 互いに本音をぶつけた。でも、ランジュちゃんの言う通り、互いの言葉が本当の意味で届くことはないのかもしれない。それは他人にはどうしようもない、主観的な部分だからだ。
 私とランジュちゃんの間には、やや変な空気が流れる。この空気をどうしよう、と数秒思案していると。


ブルルルルルル


 唐突に、ズボンのポケットからスマホが震えた。
 私は努めて冷静に、スマホをタップする。

侑「はい。もしもし」

部長『やあ、高咲先生。私のプレゼントした中華料理は美味しかったかい?』

 演劇部部長の声だ。
 SNSアプリの通話機能から掛けているらしい。

侑「うん。ありがとう部長さん。少し辛かったけど美味しかったよ」

部長「おや?あまり驚いていないね。今がどういう状況か、分かっていないのかい?しずくと中須さんがいないだろう──」

侑「──いいよ、御託は。そっちに行ってやるからさっさと場所を言いなよ」

 今度はむしろ、苛立つような感情を声に乗せる。

部長「ふふっ……。そんな冷たい声も出せるんだ。役者になれるよ高咲先生」

 愉快そうな部長の声が聞こえる。

侑「……」

部長「分かったよ。じゃあ場所をLINE経由で送るよ」

部長「勿論、応援なんか呼ばないでよ?二人がどうなっても知らないからね」プツッ

侑「ふぅ……」

 心臓の鼓動は……うん、正常なリズムを刻んでる。頭も混乱してないし、煮えたぎるような激怒に支配もされていない。
 普段通りの私だ。

侑「ランジュちゃん、じゃあ私行ってくるね」

 行き先を特に言わないまま、自然な感じでランジュちゃんに告げる。

ランジュ「そう。じゃあ、また会いましょう。近いうちに」

83: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:53:33.76 ID:MMmTtJ3e
侑「そうだね。それじゃあ……」

ランジュ「えぇ。状況開始と行くわよ」

 私たちは同時に動き出した──
 と思ったら。

ランジュ「そうそう。これを言い忘れていたわ」

侑「ん?」

 なんだろう。何かあったっけ。

ランジュ「右腕の負傷」

侑「あ」

 あ、やばい。食事中の所作で右腕の負傷がバレていたんだ。前電話した時は無傷って言っちゃったけど、結果的に嘘が露見した!

侑「あ、あの……これには深い事情が……」

ランジュ「いいわ。今は言わなくて」

ランジュ「今度は二人でゆっくり食事をしましょう?」

侑「う、うん!勿論だよ!」

ランジュ「それじゃ、再見、侑」

侑「またね!ランジュちゃん!」

 私たちは二手に分かれた。

▽珠宝▽

店員?「お客様、お手洗いはこちらとなっています」

かすみ「あ、はい。うぅ、胃薬が欲しい……」

しずく「大丈夫?かすみさん」

 私たちは店員さんに言われるがまま、珠宝の奥へと進んでいく。それにしても、この店員さんは日本語が流暢なんだ。

店員「一度、お外へ出ていただきます」

かすみ「え、外ですか」

店員「はい。ではこちらへ」スタスタ

しずく「……?」

 奇妙な違和感が払拭できないまま、私たちは店員さんに追従していく。
 違和感があろうと、私たちはここではアウェイ。新しく来る場所で私は気圧されていた。

しずく「そういえば……」

 なんとなく。ふと気づいたことをかすみさんに聞いてみる。

しずく「あの無料券ってどうやって入手したの?」

84: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:55:07.39 ID:MMmTtJ3e
かすみ「え?あぁ。しず子には言ってないんだ」

 私には言ってない?なんだか胸が嫌な拍動になる。

かすみ「演劇部の部長さんから貰ったんだ。三人分。ちょうど今日までが期限だったからさ、ちょうどよかったんだよね」

しずく「──」

 不味い。
 鳥肌が一気に立つ。

しずく「かすみさん……!」

店員「──妙な真似はするな」

しずく「う……」

かすみ「え……」

 突然、店員さんが豹変した。
 やってしまった。違和感は確かにあったのに。高級中華料理屋のトイレが外にあるなんて普通に考えたらおかしい。
 私は初めて来た場所ってことで認識を緩めていた。
 分かってたのに……ッ。

店員「下手に騒げば……ほら、後ろにも仲間がいるぜ?」

 チラッと後ろを振り向けば、続々と体格のいい男たちが姿を現していた。

かすみ「えっ……えっえ……」

 かすみさんは状況が理解できないようで混乱している。
 なんとか。なんとかかすみさんだけでも……。

男「妙な真似はすんなって言ったろ」

 店員……いや男は、上着の中からナイフをチラつかせた。そしてその仕草が、脅しではないことを私は理解していた。

かすみ「ひっ……」

しずく「はい……。大人しく付いていきますから、手荒なことはしないでください」

男「あぁ……『今は』しないでおいてやるよ」

 私にできるのはこれが精いっぱい……。

▽とある廃工場▽

 私とかすみさんは、男に言われるがまま付いていき、到着したのはとある廃工場だった。大方の機械はすでになく、鉄パイプや一斗缶等が転がっている。
 寒々しい空気が、場に流れていた。

部長「やあ、しずく、中須さん」

 そこには部長が立っていた。悪い予感はしていた。そして外れていて欲しいとも思った。でも、目の前にあるのが事実だった。

かすみ「ど、どういうことですか……?」

 依然としてかすみさんは理解が追い付いていないのか、体を震わせている。

しずく「部長。一応言っておきますが、助けにきてくれた、って訳じゃないんですよね」

部長「ふふっ。希望的観測はやめなよしずく。あるはずがないだろう?」

 至極面白そうに、部長はクツクツと笑う。

85: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:56:50.39 ID:MMmTtJ3e
部長「全く。しずくが悪いんだよ?本当はこんなことをする予定じゃなかった」

 芝居がかった仕草で部長は言う。苛立ちが沸々と出てくる。しかし、一先ず部長との会話を試みるのが先決だ。

しずく「一体何の目的で私たちを誘拐したんですか?」

部長「ふむ。そうだね。とりあえず会話をしようか」

部長「と、その前に」ピポパポ

 部長はスマホを取り出して電話を始めた。よく聞こえないが愉悦に歪んだ表情を見るに楽しい会話では無さそうだ。

部長「高咲先生が来るまでの余興だ。私のしずくへの思いの丈。それを聞いてもらおうじゃないか」

 部長は両手をバッと広げる。過剰な演技、芝居に見えるので分かっていてやっているのだろう。

部長「私はね、しずく。君を非常に買っているんだ。どんな役を演じようと、君は難しい表現に挑戦する姿勢を崩さない。向上心の塊だよ」

部長「そして、演技の幅が広い。幼い少女の役から杖を付く老婆の役まで、その役柄はとても広く、人物への理解も深い」

部長「私はしずくに出会って驚いたよ。ここまで自らに役を憑依させられる人間がいるんだって」

部長「そして気になった。ここまで役を降ろせる秘密はなんだろうってね」

 まさか。まさか部長は……気づいて?
 心臓の鼓動が早くなるのを感じる。動悸が激しくなる。

かすみ「しず子……大丈夫?顔、青いよ?」

 かすみさんが自らの不安を押し込み、私へ心配そうな顔を見せる。こんな時でも、かすみさんは他を優先できるんだ……。

しずく「ぶ、部長。それ以上は……」

部長「今は黙ってくれしずく。まだ私の出番は終わっていない。人の芝居の邪魔をするだなんて、役者失格だよ」

男「黙って聞け」

 男の低い声が私を強張らせる。
 気分が最悪だが、聞き役に徹するしかない。

部長「そう。それでいいんだよしずく」

部長「それから……。私はしずくの人間観察を始めた。しずくが一年生の頃からずっと、しずくの秘密を追い求めた」

86: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 05:58:25.16 ID:MMmTtJ3e
部長「演劇の中の姿だけじゃない。友人との会話、私生活に至るまで。徹底的に観察したんだ。こういうのをストーカーと呼ぶのかもしれないね」

部長「それで気づいたんだよ」

部長「しずくが『演技をしていない時間なんてない』ってね」

しずく「──」

 嘔吐しそうになる。でも、必死でそれを抑える。

かすみ「しず子っ!?大丈夫!?やめてよ部長さん!!どんな恨みを持ってるか知らないけど、しず子は悪い子じゃないよ!!」

 かすみさんが優しく背中を撫でてくれる感覚がある。でも、今はこの優しさが辛い。

部長「心外だな。私はしずくを尊敬こそすれ、恨みなんてないよ。いや……。今は少し軽蔑しているかもね」

かすみ「え……?」

部長「まぁそれはいいよ」

部長「しずくは常に演技をしている。友人と接する時は『友人A』を。演劇部員と関わる時は『部員A』を。劇の中では『村人A』とか『少女A』とかかな」

部長「それで分かったんだ。しずくには、『自分がない』ってね」

しずく「……」

 知られた。知られてしまった。
 私には、私がないことを。
 一体いつ?いつ看破された?

部長「しずくの中には『自分』が存在しない。『自分』がないのなら、どんな役にもなることができる」

部長「つまりしずくは『底知れない器』なんだよ。何でも詰め込めるし、何でも演じることができる」

部長「複数の役を演じなければならない役者にとって、これほどの天稟はそうないだろうね。クク……あはははははは!!」

 なぜ。なぜそうも楽し気に笑うことができるんだろう。
 私のコンプレックスを、楽し気に抉ることができるんだろう。
 いつの間にか、私は膝をついて項垂れていた。
 しかし、そんな私の隣で、かすみさんが毅然と立ち上がった。

かすみ「黙って聞いていれば……ペラペラペラペラ意味の分かんないことを!!」

87: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:00:02.60 ID:MMmTtJ3e
 項垂れる私の隣で、大きな声が聞こえる。

しずく「かすみさん……?」

かすみ「『底知れない器』だとか『自分』がないとか!色々言ってるけど!そんなことないよ!!」

 吠えるかすみさんは、私の為に声を荒げてくれている。鉛が詰め込まれたように重い私の胸の中が、じんわりと熱くなっていく。

かすみ「私の知ってる桜坂しずくは!侑先生が本当は大好きなのに!それを認めない頑固なところがあるし!なかなか侑先生にアプローチできないヘタレなところがあるし!」

かすみ「でも……。ありがとう!って感謝を伝えるときだけは素直なの!!しず子は私の大好きな親友だよ!」

かすみ「それを……部長さんの勝手な妄想で、しずくを決めつけないでよ!!」

しずく「かす、みさん……あ、あれ……?」ポロポロ

 いつの間にか、私の目からは熱いしずくが流れていた。
 顔が熱い、胸が熱い、全身が熱い。かすみさんの私への感情が、一気に私に流れ込んでくる。
 ふと、部長を見ると、苦々しい表情を張り付け、射殺さんばかりにかすみさんを睨みつけていた。

部長「……あぁ、全くだ。全く、全く持って忌々しいよ。中須かすみ。そして高咲侑」

しずく「……?」

 なぜここで侑先生の名が出るの?

部長「──しずくは変わった。変わってしまった。役を演じる『しずく』から、ただの『しずく』へ。こうして普通に涙を流し、頽れているのが証拠さ」

部長「具体的に何でそうなったのかは分からない。けれど、君は演じない『桜坂しずく』として接することができるようになっていったんだ」

部長「でも……でもそれじゃあ!!『底知れない器』じゃない!『自分』ができてしまえば、何でも詰め込める器では無くなってしまう!!」

部長「全ての役を演じられて、音楽も書き割りも全て脇役にさせるような!!圧倒的な役者になんかなれっこない!!」

部長「私は……そんな今のしずくを認めない。心底軽蔑してるよ」

88: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:01:38.92 ID:MMmTtJ3e
 そんなことを……。部長は考えていたんだ。

しずく「……そう、なんですね。部長」

かすみ「大丈夫?しず子」

しずく「うん。ありがとうかすみさん」

 私はゆっくりと立ち上がる。
 足には、力が入る。手にも、力が入る。力なく頽れる桜坂しずくは、もう振り払った。
 私は元々何もない存在だったかもしれない。けれど、そんな私をかすみさんと侑先生は変えてくれた。
 何もなかった『しずく』を変えてくれた。
 もう、大丈夫だ。私にはこの胸の中に燻ぶる熱い想いがある。侑先生への大きな恋心、そしてかすみさんへの多大なる友情。
 それさえあれば、十分だって思えた。それを感じられること、それ自体が『しずく』のいる証明だと感じられた。

部長「ちっ……。中須かすみを連れてきたのは間違いだったか」

しずく「部長」

 私は揺るぎない覚悟で部長と対峙する。

しずく「役者としての私に、そこまでの可能性を感じてくれたこと。感謝しています」

しずく「ですが、部長の望む私にはなれそうもありません」

部長「……しずくッ!!」

しずく「私の中には、こうして『私』がいます。『私』が生まれてしまった。それだけは揺るぎようのない事実なんです!!」

 そう言い放つと、部長は目を伏せる。
 暫しの沈黙。それを破ったのは目が据わった部長だった。

部長「……そうかい。まぁいいよ。そんなこと、今は些末な問題さ」

部長「元より以前のようなしずくへ自然に戻ることなんて期待してない。だからこうして場を設けさせて貰ったんだ」

部長「しずくの中にいる『しずく』を徹底的に犯して、穢して、壊し尽くして。もう一度真っ新な『桜坂しずく』に戻ってもらうためにね」

 部長が手を上げる。それに従い、周囲にいた男たちが私とかすみさんへジリジリとにじり寄る。
 男と私たち二人の距離はゆっくりとだが、確実に近づいていく。

しずく「……ありがとうね。かすみさん」

かすみ「え……」

 自然と、私の口からはかすみさんへの感謝の言葉が出ていた。

89: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:03:17.57 ID:MMmTtJ3e
しずく「私の友達になってくれて。私の親友になってくれて」

 部長と対峙する覚悟はさっき決めた。今は、かすみさんを逃がすことだけを考えろ。

しずく「私が突破口を何としても切り開く。相手の喉笛を嚙みちぎってでも、かすみさんを絶対に逃がすよ。だから、安心して」

 そういうと、かすみさんは悲愴な表情へと変わる。

かすみ「だ、だめだよしず子!!帰るなら一緒に帰らなきゃ!!」

しずく「大丈夫だよ。かすみさん」

 私はそう言って微笑みかける。

しずく「私の中には、かすみさんから貰った熱い気持ちがあるから」

しずく「だから、行って!かすみさん!」

 そう言って私は男たちへと駆け出す。
 怖いという感情は無かった。けれど、やり残したこと、伝えていない想い。そんな全てが私に後ろ髪を引かせる。でも、今はただ、私の大切な人の為に動く──


侑「──そこまでだよ」


 その時。
 私の目に映ったのは。私の想い人その人、高咲侑先生だった──

▲廃工場▲

侑「そこまでだよ」

 案内された場所は廃工場だった。
 中には両手の指じゃ足りないほど体格のいい男たちがいた。かすみちゃんとしずくちゃん。そして一番奥には演劇部の部長がいた。

侑「全く、手間をかけさせてくれるね。部長さん」

部長「……高咲先生、そこで止まって。少しでも動けば……」

 部長が軽く手を上げて男たちに指示をすると、男たちは上着からナイフや警棒等、武器を取り出した。

部長「これが二人に突き刺さるよ?いいね?」

侑「……分かったよ。かすみちゃん、しずくちゃん」

90: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:04:52.29 ID:MMmTtJ3e
かすみ「は、はい!」

しずく「侑先生……っ!」

 かすみちゃんは明らかに狼狽えている。私が来たことへの期待、そして来てしまったことへの不安。その両方が見て取れる。
 しずくちゃんの方は……。私が来てしまったこと。その絶望感の方が強いようだ。
 だから。

侑「大丈夫だよ。二人とも。安心して。必ず無事に送り届けるから」ニコッ

 そう言って、自信満々に笑って見せた。

部長「いつまでその余裕な面が続くかな……?」

 部長は苛立ちを隠せないように、ヒクヒクと笑っていた。だいぶイライラしているらしい。私が来る前に色々あったのだろう。
 まぁ、後で聞けばいいだけの話だ。
 事を進める前に、部長には一つ確認しなければならないことがある。

侑「ねぇ部長さん。一つだけ聞きたいんだけどさ。いい?」

部長「……。言ってみなよ」

侑「私の前任の顧問の先生。あの怪我を負わせたのも部長さんだね?」

部長「……。ふふふっ。まさかそこもバレるなんてね」

しずく「え……ッ」

 しずくちゃんは驚愕の表情を浮かべる。無理もない。

部長「ま、単純に邪魔だったんだよ。あの人は演劇にとても熱い人だ。だからこそ、私とよく衝突した」

部長「『私の演劇部』に、熱のある先生なんていらなかったんだよ」

侑「やれやれ……。演劇部は君の王国じゃないんだよ?」

部長「黙れ!あそこは私の演劇部だ!あそこは私の王国なんだ!!」

侑「王国て……。本当に言っちゃったよ」

部長「ああ、もう黙れ……。これから一切口を開くな」

 射殺さんばかりに睨まれる。これ以上煽ると本格的にどうなるか分からない。素直に黙っておこう。

部長「そう。それでいいんだ。ねぇ、しずく。どうして私が高咲先生をここへ呼んだか分かるかい?」

しずく「え……?」

部長「君の体をズタズタに壊すのに、一番有効な方法は何か、私は考えた。複数の男から屈辱を与えられること。これもいい」

部長「でも、『今のしずく』にとって、一番の有効打は……高咲先生を壊すこと。それに他ならないよねぇ……?」ニヤァ

 部長は口を三日月にし、恐ろしいほど口角を上げた。

しずく「……ッ!だ、だめです!そんなこと!絶対だめです!!」

 しずくちゃんは絶叫する。何が起こるか瞬時に理解したのだろう。

部長「止めろ」

しずく「だめ!!だめ!!侑先生!!そこから早く離れて!!」

91: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:06:22.85 ID:MMmTtJ3e
 しずくちゃんはこちらへ駆け寄るが、男に止められる。それでも尚、しずくちゃんの絶叫は止まらない。

部長「動くなよ。高咲先生。動いたらしずくがどうなっても知らないよ」

侑「分かってるよ。何をするか分からないけど、早くしてね」

 そう、嘯く。

しずく「だめ!!だめェ!!侑先生!!!!」

侑「大丈夫だって。安心して。しずくちゃん」ニコッ

部長「その右腕で、どこまでこれを捌けるかな……!?食らえ高咲侑!!しずくの生贄となってもらう!!」

 そう叫び、部長はポケットから出したリモコンを押す。部長の視線は私の直上、繋がれた太い鉄骨に向いていた。
 直撃すれば間違いなく死ぬ。部長もなかなかに後先を考えない人だ。頭に血が上り過ぎている。

侑「……」

しずく「……!!」

 ぐちゃぐちゃに潰された私の肉塊がそこには、あるはずだった。
 けれど、鉄骨が落ちる轟音も、肉の潰れるような音も、何もしなかった。
 何も、起こらなかった。

部長「……?なんだ?なんで、何も起こらない……?」

 場には、静けさだけが残る。
 恐らくあのリモコンを押せば、私へ鉄骨が落ちてくる仕組みだったのだろう。
 そして私は大怪我か、死ぬ結末を迎え、しずくちゃんは心に大きな傷を負う、と。そういう筋書きだったのだろう。
 それにしても、私が右腕を負傷していることに気づくとは、部長もなかなか洞察力がある。

部長「なんで、なんで落ちない!!なんでだよ!!」

 部長は地団駄を踏んで何度もリモコンを押していた。
 周囲の男たちも困惑しているのか、顔を見合わせたりしている。場に流れる主導権が、部長では無くなった。
 なるほど。
 今だね。

侑「ランジュちゃん」

 私は呟くようにただ一言。ランジュちゃんの名を呼ぶ。

ランジュ「好啊ッ!!」

 瞬間、ランジュちゃんが突然空中から登場する。

92: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:07:49.18 ID:MMmTtJ3e
男「な……ッ」

ランジュ「反応が鈍いわ、ねッ!」

 着地した時の勢いそのままに、ランジュちゃんは男たちに襲い掛かる。
 まずはかすみちゃんとしずくちゃん近くの男たちを。
 独特な中国武術から繰り出される拳と蹴り。男たちはなす術なくランジュちゃんに意識を奪われていく。
 とはいえ、多勢に無勢という言葉はある。いくらランジュちゃんが強いとはいえ、この二桁代の人数は少し分が悪いかもしれない。

侑「よおしっ。私も参戦、っと!」

 私はランジュちゃんの背後から襲い掛かろうとした男に目を付ける。
 男は警棒を振り下ろそうとしているので、それが届かないよう男の足を踏む。

男「うお……ッ」

 男は転ばないように前に足を出す。前に出そうとした男の足を払い、軽く背中を押してやる。すると男は、顔面から地面に叩きつけれた。これが崩し、というものだ。

ランジュ「行くわよ侑!」

侑「うん!後ろは任せたよ!」

ランジュ「えぇ、暴れまくるわ!!」

 私の声に明るく返事をするランジュちゃん。獰猛な獣の如きギラついた瞳で、周囲を睥睨している。
 ランジュちゃんは前へ、前へと積極的に相手に殴りかかる。
 私は後ろ、後ろへと後退しつつ、受動的に相手の力を利用していく。

ランジュ「どうしたのよ!そんなモノ?まだまだ熱が足りないんじゃないの!?あはははははは!!」

 ランジュちゃんの哄笑が後ろから聞こえる。ランジュちゃんはこうして相手を煽り、相手から怒りのままに振るう攻撃を誘発する。感情の赴くままに振るわれた拳ほど、回避し易いものもなく、お手頃なカウンターの餌食になるものもない。

侑「ふふっ。なんだか懐かしいねランジュちゃん」

ランジュ「あはははははっ!!最近はフラストレーションが溜まっていたから、一気に発散できるわ!!たまらないわね!!」

 ランジュちゃんと一緒にいた留学時代は、よくこういう修羅場に巻き込まれた。あれから時は結構経過しているけれど、私とランジュちゃんのコンビネーションは未だに健在だ。

侑「よーし!このまま全滅コースだ!」

ランジュ「好啊!侑!」

93: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:09:23.18 ID:MMmTtJ3e
……
…………

 そうしてちぎっては投げの攻防の後は、地に伏せた男たちがいた。死屍累々という奴だ。これくらいの練度なら、ランジュちゃん一人でも十分戦えたかもね。
 未だ、数人の男たちとランジュちゃんは交戦しているが、明らかに男たちの戦意は削がれている。好戦的な笑みを向けられ、楽しそうに暴力を振るわれるんだもん。そりゃあ無理もない。
 部長は目の前で起こっていることを理解できないのか、理解したくないのか、棒立ちになっていた。しかし、ようやく理解したのか、ゆっくりと口を開く。

部長「……嘘、だ」

部長「嘘だ嘘だ嘘だ……!!くっ……高咲ィ……お前さえ、お前さえいなければ!!」

 部長は私の名を絶叫しながら突撃してくる。手には懐から取り出した漆黒のナイフが握られていた。
 錯乱・混乱している人間の攻撃は、ひどく単調になる。それは間違いないが、頭のリミッターが外れていることもあり、火事場の馬鹿力を発揮されることもある。
 私は半身になって慎重に部長を迎え撃つ。

部長「死ねェ!!高咲ィ!!」

 その場で私が動かないと悟ったのか、部長はナイフで切るのではなく、そのまま刺すことを選んだらしい。まさにそれを、誘っていた。
 息を吐き、集中を深くする。
 すると、部長の動きがどんどんスローモーションに見えてくる。体感時間が遅くなり、部長の筋肉の機微さえも手に取るように分かる。鍛えた動体視力、そして深い集中力が織りなすことで得た世界だ。
 錯乱しているとはいえ、部長は一人の人間だ。心臓は鼓動をやめないし、呼吸だってやめない。それは、瞬きも同様だ。
 部長の瞼が一瞬だけ閉じる。
 その間隙を縫い、私は部長の盲点となる場所まで移動する。

部長「……!?」

 部長には、一瞬の間に私が消えたように思っただろう。とはいえ、一秒にも満たない間に、もう一度部長は私を視界に捉える。
 だが、そのゼロコンマの隙、それだけで私には十分過ぎる。
 部長の突撃してくる勢いを利用し、私は部長の手首を取る。軽くひねると、痛みで思わず部長はナイフを落とす。

部長「がぁ……ッ」

94: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:10:48.76 ID:MMmTtJ3e
 そのまま部長の足を払い、地面へと転がす。受け身を取れない部長は硬い地面に叩きつけられ、悶絶していた。
 私は部長の持っていた漆黒のナイフを拾い、それを突き付けた。

侑「チェックメイトだよ。部長さん」

部長「ぐぅ……ッ。クソックソォ……」

 一先ず、これで場の大方は制圧できた──

……
…………

ランジュ「全く、杜撰な計画ね」

 ランジュちゃんは最後の男に膝蹴りをかました後、そう呟いた。

部長「ず、杜撰……だと!?クソッ!!リモコンさえ正常に作動していれば、せめてしずくの心だけでも……!!」

ランジュ「そこが杜撰って言ってるのよ。もしかして、リモコンが起動しなかった原因が偶然だと思ってるの?おめでたい頭ね」

部長「な、なに……?」

ランジュ「少し前に、侑から相談を受けていたのよ。怪しい人物を調査してくれってね。まさか調査の途中に、うちの店に来るとは思わなかったけど」

部長「な……ッ!?」

ランジュ「これは好機だと思ったわ。行動を誘発させるために、わざと人目に付きにくい場所であるここの無料券を渡したのよ。事に及ぶなら、人目に付きにくい場所、と考えるのは普通よね」

ランジュ「まさか本当に今日、行動するとは思っていなかったわ。ちょっと浅慮が過ぎるってものね」

部長「す、全て、お前らの手の平の上ってことだったのか……」

 部長はそう言って、立ち上がろうとした腕の力を抜いた。

ランジュ「──所詮、素人ね。上手く行き過ぎていることに疑問を感じず、それを自分の力だと過信し陶酔する」

ランジュ「ランジュの舞台を彩る悪役としては、及第点にも届かないわ」

部長「……くそッ……。くそおっ!!」

95: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:12:21.05 ID:MMmTtJ3e
……
…………

ランジュ「侑、コイツの処分は私に任せて」

 ランジュちゃんはピクリとも動かなくなった部長を指してそう言った。

侑「処分て。まさか溶鉱炉に落とすとかじゃないよね?」

ランジュ「そんな面倒なことしないわ。悪いようにはしない。それだけは約束するわ」

 まぁ、ランジュちゃんがそこまで言うならいいかな。正直この後どうしようか迷ってたし。

ランジュ「二人を連れて表の世界に帰りなさい」

侑「うん。後は任せるよ」

ランジュ「えぇ。任されなさい」

侑「じゃあ、帰ろうか。二人とも」

かすみ「は、はい……」

 かすみちゃんはパニックを起こしているのか、口数少なく返事をした。変に大騒ぎされるよりいいけど。

しずく「……。すみません侑先生。部長に、最後に一言言ってもいいですか……?」

 しずくちゃんは何かを決意した表情でそう言った。

侑「え、う~ん」

 今の部長と接してプラスになることって少ないと思うけど……。でも、しずくちゃんの意志は固そうだ。その意志を尊重しよう。

侑「分かったよ。武器は没収したとはいえ、気を付けてね」

しずく「はい……ッ」

 しずくちゃんは部長へと真っ直ぐ歩く。

しずく「部長」

部長「……しずく」

しずく「こんな状況で何ですが、正直に言うと、私は部長に感謝していました」

部長「ふっ……今さら何を」

しずく「全て、本心です」

96: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:13:56.36 ID:MMmTtJ3e
しずく「『自分』が無かった私は、それだけで不安でした。だから望まれる演技をして、その場を凌いでいました」

しずく「相手が望んだように演技をすれば相手は喜ぶ。でも、私の中には何も残らない。そんな日々がこれからずっと続いていくんだと思っていました」

しずく「でも、そんな空っぽの私に価値を見出してくれたのは部長、あなたです」

部長「……」

しずく「『自分』のない私が普通に振る舞えるよう、変な子って言われないように身に着けた演技でしたが、部長はその演技を、演劇の楽しさに変えてくれました」

しずく「部長の指示で私が演じた時、私は演じる楽しさに気づいたんです」

しずく「空っぽの私そのものが人に求められて、確かに嬉しかったんだと思います」

しずく「だから、ありがとうございました。部長」

部長「……。ふっ。いいのかい?しずく。こんな最低な人間に感謝なんかして」

部長「私はしずくの演技に深みを与える為、という意味も含めて、心が壊れるような経験をさせようと考えていたんだよ?」

部長「没義道を歩むが如く所業をしたんだよ?しずくの心なんて一切考えていない。独善的で自分本位なことしか考えていない。それでも私に──」

しずく「はい。何度でも言います。ありがとうございました。私があの時感じた嬉しさ、それは確かにあったんですから」

部長「そう、か……」

しずく「……」

部長「……。しずく。最後に一つだけ、いいかい」

しずく「……なんですか?」

部長「私は君の『底知れない器』に魅力を感じた。でも、今『自分』があるしずくは『底知れない器』では無くなってしまった」

部長「だから私は思うんだよ。『底が抜けてしまわないか』と……」

しずく「え……」

部長「杞憂だと、いいんだけどね。変なことを言ったね。しずく」

しずく「……はい。さようなら、部長」

侑「……話は終わったみたいだね。それじゃあ、行こうか」

 しずくちゃんとかすみちゃん。二人を連れて私は廃工場を出ていった。

97: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:15:42.82 ID:MMmTtJ3e
▲廃工場▲

ランジュ「さて、三人はいなくなったことだし、あなたの処分に移るわ」

部長「あぁ、どうにでもして欲しい。もう私に気力はないよ」

 部長の目には、既に光はない。演出家として弁舌を振るっていた自分が、他人の手の平の舞台で踊らされていた。
 全て凌駕された。演出家としての意地、集めた男たちという戦力。自分の全てが否定された気がしていた。

ランジュ「全く。情けないわね。こう見えてランジュはあなたを買っているのよ?」

部長「……は?」

ランジュ「てっきりあなたは、ランジュのシマを荒らすどこかの回し者だと思っていたわ。でも、正体はただの一般人だった」

ランジュ「そんな素人が、自分より遥かに体格の勝る男を従えている。そこに驚愕したのよ」

部長「……だからなんだって」

ランジュ「つまり。あなたには求心力がある。それは事実よ。それに、しずくにあれだけ言わせるってことは、なにか人を惹きつけるカリスマ性でもあるんでしょうね」

部長「……」

ランジュ「単刀直入に言うわ。あなた、ランジュの『孤虎会』に入りなさい」

部長「孤虎会……?」

 突然の勧誘に、部長は目を丸くする。

ランジュ「孤虎会は私の所属する組織の名前よ」

部長「……?」

ランジュ「なに目を回しているのよ。あなたに選択肢は無いわ。これからは私の手と足となって動いてもらう。これだけが現実よ」

部長「私はあなたに敵対していたのに……。そんな私を?」

ランジュ「えぇ。酸いも甘いも嚙み分け、清濁併せ吞むことをモットーにしているの。有望な人材がいればランジュの陣営に引き入れる。ただそれだけよ」

98: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:17:09.59 ID:MMmTtJ3e
ランジュ「あぁそう言えば、あなたには自己紹介をしていなかったわね」


ランジュ「私は鐘嵐珠。華僑系中国マフィア『孤虎会』、日本支部の幹部よ」


部長「……ま、まふぃッ!?」

ランジュ「それじゃあ、騒ぎになる前に撤収するわよ」パチン

部長「……?」

 唐突に指を鳴らすにランジュに、部長は困惑した表情を浮かべた。
 しかし、部長が次に瞬きをした瞬間。ランジュの周囲には男たちが整列していた。

部長「な……」

 部長は口を開けて呆然としていた。そして部長はすぐに連中を理解した。
 自分が集めたチンピラ紛いの連中とは程遠い、彼らは恐ろしく統率の取れた面々であることを。

ランジュ「やっぱりたまには現場に出て暴れなきゃ鈍っちゃうわね。その点、何の組織との繋がりもないあなたはいい鴨だったわ」

 一人の男がランジュに上着を掛ける。

ランジュ「さ、行くわよ。付いてきなさい」

 ランジュはそう言ってこちらに背中を向け、出口へと歩いていく。部長は暫し状況に付いていけなかったが、正気を取り戻し慌ててランジュへと付いていった。
 侑に投げられた際の打ち身が痛むが、それを無視して歩いていく。

部長(格が、まるで違う……)

 部長はそう思いながらも、圧倒的なまでのランジュの姿に、いつの間にか笑みを浮かべていた。
 が、しかし。

ランジュ「──溶鉱炉に沈められた方が良かった、なんてこれから思うかもしれないわね。ふふっ、これからが楽しみになってきたわ!」

 その言葉に、部長は背中に冷たい汗を掻くのだった。

99: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 06:19:08.07 ID:MMmTtJ3e
最初からしずく√みたいな感じですが、共通√終わりです
にしても投稿するだけでもなかなかの時間ですね……

102: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 23:15:32.12 ID:MMmTtJ3e
▲高咲侑のアパート▲

 あれからの話を軽くしようと思う。
 部長との騒動があった後、部長は虹ヶ咲学園から転校した。そう、転校した、ということになっている。
 実際はランジュちゃんの方で引き取ったそうだ。部長はランジュちゃんの下で馬車馬の如く働いているらしい。その部長は部長で、『圧倒的なまでの存在感!』とか言ってなんだか喜びを感じているらしい。この場合は悦び、かな?次に会う時まで、生きているといいけど……。

侑「まぁ鉄砲玉として使い捨てるには惜しい駒、だよね」ゴロン

 ベッドの上で一回寝返るを打つ。思索に励む際はこの体勢がいい。
 この一件は警察には言っていない。部長は表の人間だったけど、裏のお仕事をする人に喧嘩を売ってしまったわけだからね。逆に警察も困るだろう。下手に中国マフィアを刺激したらどんな報復が待っているか分からないし。勿論それは、マフィア側も同様だ。
 故に、不可侵。故に、通報しない。これが正解なのだ。

侑「かすみちゃんも立ち直って良かった……」ゴロロン

 あの件で一番心に大きな傷を残したのはかすみちゃんだ。あの中で一番因縁の無い人間だったからだ。あと一歩遅ければ一生残る傷ができていたかもしれない。そんな状況でも立ち直ったのは、偏にかすみちゃんの強さだ。
 聞けばあの時、周りに男たちがいる中でも部長に向かって気炎を吐いたらしい。そんなことなかなかできることじゃない。生まれ持っての心の強さ、それだけで片付けではいけないと思うけど、本当の強さをかすみちゃんは持っていると思う。そんなかすみちゃんを私は尊敬している。
 まぁ。あの一件以来、スキンシップがより過剰になったのは言うまでもないことだ。

侑「しずくちゃんは笑顔が素敵になったよねぇ」

 あの場で一番のキーマンは間違いなくしずくちゃんだった。しずくちゃんを中心にあの場が作られたと言っても過言じゃない。一度は部長に膝を屈したしずくちゃんだったけれど、かすみちゃんのおかげで立ち直ったらしい。共に背中を預け合える私とランジュちゃんとの関係に似ているかもしれない。
 しずくちゃんはあんなことがあっても尚、部長に感謝を言えたし、トラウマにもなっていないようだった。むしろ、いい人生経験になりました、と肯定さえもしている。役者に人生を捧げていそうなしずくちゃんならではの言葉だと思う。

103: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 23:16:56.16 ID:MMmTtJ3e
 その一方で、しずくちゃんは自分の気持ちを素直に言うようになったというか、以前よりクラスに馴染んだ感じがする。『クラスの真面目な優等生』から『クラスのちょっと不思議な優等生』みたいな立ち位置になったと思う。
 それと……。かすみちゃん同様にスキンシップが増えた。最近は背中に『しずく』って指文字で書かれ、「今私が何を書いたか分かります?」と満面の笑みで言われた。私はその時、「自分の物にはちゃんと名前を書きなさい!」という小学生の頃母親に言われた一言を思い出した。

侑「……とりあえず、一件落着だね。よっと」スクッ

 ベッドから跳ね起きる。
 明日から七月だ。月日が経つのは早いもので、私が高校教師になってから既に三カ月が経過している。それでも、まだまだ気持ちは新鮮なものだ。毎日色々な発見があって忙しいし楽しい。

侑「それに。明日は演劇部の顧問の先生が帰ってくるそうだし、楽しみだなぁ」

 部長に腰を痛めつけられた顧問の先生。どんな人なんだろう。竹刀とか持って周囲を威圧するような人じゃ無ければいいなぁ……。

▲学園内劇場ホール前廊下▲

侑「ふんふふ~ん♪」

 適当な鼻歌を口ずさみつつ、演劇部の活動場所である劇場へ向かう。今さらだけど、一介の部活が一つの劇場ホールを独占できるってなかなかヤバいよね。虹ヶ咲学園……改めてその規模と資金力が分かる。

侑「おや?」

 劇場ホールへと続く外廊下を進んでいくと、そこには視線を右往左往させるおばあちゃんがいた。おばあちゃんは杖をついているので足腰が悪いのだろう。

侑「生徒の家族かな?すみませ~ん。どうかしましたか?」

老婆?「あぁ、すみません……。私この学園の生徒の祖母なんですが、色々と道が分からなくて……。それであなたは……?」

侑「私は虹ヶ咲学園で教師をしている高咲侑です。そこの演劇部の代理顧問をしています。それで、生徒の学年とクラスは分かりますか?」

老婆?「あぁ、そうなのねぇ……」

老婆?「えぇ……それがねぇ……ちょっと分からなくてねぇ……。足が悪くなってからボケも始まっちゃったのかねぇ……」
侑「大丈夫ですよっ!一先ず事務室に行って落ち着いて思い出しましょう」

老婆?「そうかい?じゃあ悪いけど事務室まで案内してくれるかい?」

侑「勿論です!それじゃあ行きましょうか」

 一体何の用だろう。事務員さんに丸投げするのもアレだけど……う~ん、でも演劇部の活動も見たいしなぁ。それに顧問の先生も……。って、ん?

104: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 23:18:20.92 ID:MMmTtJ3e
侑「……」

 私は何となく、虫の知らせが働いておばあちゃんの動きを観察する。
 杖を付く仕草。腰が痛むのか、時折腰をさすっている。実に、ステレオタイプのおばあちゃんだ。
 だけど、段々私の中で違和感が膨らんでいく。

侑「あの、おばあちゃん」

 私は試されている気がして、つい聞いてしまう。

侑「どうして足腰が悪いフリをしていらっしゃるんですか?」

老婆?「……」

 おばあちゃんにそう言うと、おばあちゃんは動きを止める。

老婆?「ほう……?どうしてそう思う?」

 一瞬でヒリつく空気に変わる。存在感というか、迫力が一気に上がる。今までのは演技らしい。

侑「う~ん。どうしてと言われましても。少しばかり武術をかじっているからですかね。足運びと筋肉の機微で違和感が分かるんですよね」

老婆?「なるほど……面白い」ニヤッ

 おばあちゃんは実に面白いとばかりに口角を上げる。弱々しい印象だったのに、今では到底そうは思えない。豹変、としか形容できない変貌ぶりだ。
 なんだってこんな試すような真似を……。
 だが、これでこの人の正体が分かった。間違いなく、今日来るはずの──

……
…………

ミセス「さて、ね。数か月ぶりに戻ってきたよ。寂しかったかい?雛鳥共」

 居丈高に告げるこの人は、私が先ほど邂逅したおばあちゃん、もといミセスだ。
 部長も少し不思議なところはあったけど、このミセスはより不思議……というか変人っぽい。

ミセス「部長のバカはどっかに飛んだみたいだけど、私は引き続き続投なようだ」

 このミセス。還暦を迎え演劇の第一線を退いた後、部長によって呼ばれた外部顧問の先生らしい。ていうか、自分から呼んでおいて無理やり退場させるって滅茶苦茶してるなぁ、部長。

ミセス「まだ自己紹介が済んでいない、一年の雛鳥もいるだろうから、改めて自己紹介させて貰うよ」

ミセス「私はミセス。本名は秘密だ。私を呼ぶ時はミセスに統一しな。いいね。『さん』も『ちゃん』も何もいらない。ただのミセスで十分だ」

ミセス「雛鳥共の演技を見て、そこに口を出す厄介な婆だよ。嫌なら退部するといい。けれど、付いてくる奴らにゃあ、私の全てを教えてやる。分かったね?」

 う~む。なんというか、凄い人だ。ミセスが立つだけで身が引き締まる。強面の体育教師みたいな圧迫感ではなく、なんというか……カリスマ性があるって言うんだろうか。ミセスはそんな雰囲気だ。

105: 名無しで叶える物語(もも) 2022/12/22(木) 23:19:54.19 ID:MMmTtJ3e
ミセス「さて、早速だけれど、オーディションを行う」

侑「……え」

ミセス「今から三か月後に行う劇、『その雨垂れは、いずれ星をも穿つ』の役を決める。物語の詳細はオーディション終了後に発表する」

ミセス「私が演出家として全て取り仕切る。私のノウハウを間近で吸収したい奴はオーディションに出な」

 とんでもない話がぶっこまれた。
 とんでもない人だとは思っていたが、ここまでとんでもないとは。

ミセス「高咲」

侑「んぇ。は、はい!……なんですか?」

 変な声が出てしまった。それにしても距離感も凄い人だ。

ミセス「今日休んでる奴は?」

侑「えぇと。確かいないはず、だよね?」

 私は部長代理の人に聞くと、頷きが返ってきた。

侑「大丈夫っぽいです」

ミセス「そうか。それなら問題ないね」

部員A「え、ちょ、すみません!」

ミセス「なんだい」

部員A「オーディションって普通、台本を貰ってその役を深く理解してからやるもんじゃないんですか……?」

 うむ。実にもっともだ。

ミセス「いらない。今回台本はいらない。私が今から出すエチュードの設定。それを演じて私のお眼鏡に敵う奴がいればそれで決まる。ただそれだけだ。分かったね?」

 有無を言わせぬ鋭い目だ。こわやこわや……。

部員A「は、はいぃ……」

侑「すみませんミセス。私からも質問です」

ミセス「なんだい。さっさと言いな」

侑「その演劇の役って何人いるんですか?」

 それによってエチュードの様相も変わるだろうし、部員達の為にも聞いておいた方が吉だろう。
 そう言うと、ミセスは意地悪そうに口角を上げた。

ミセス「一人だよ。独り」

侑「え……?」

 ひ、一人?

ミセス「『その雨垂れは、いずれ星をも穿つ』は『独り芝居』用の劇さね」

ミセス「その独り芝居主演の役は、『盲目の少女』。だからエチュードも『盲目の少女』を中心とした設定にさせて貰うよ」
侑「独り、芝居……?盲目の少女……?」

 なんなんだこの人は。
 突然オーディションかと思えば、公開まであと三か月しかないし、演劇の役は一人しかいないし……、盲目の少女と言えば前にやった盲目の設定を思い出すし!!
 部長も滅茶苦茶な奴って思ったけど、ミセスはもっともっと滅茶苦茶だぁ!!